彼は幻想を愛している (ねんねんころり)
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プロローグ

初投稿になります。ねんねんころりと言います。
稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りしております。
評価、アドバイス、良かったところ悪かったところの感想もお待ちしております。



《プロローグ》

 

 

―――――――――――。

――――――――微睡んでいた。

――――――――漂っている。

夢と現の断片が浮かんでは消え去り、世界のあらゆる事柄の終わりと始まりを垣間見る場所で。

自分は身を横たえて、様々な断片を流し見る。飽きたらまた浅く眠って、只管永劫の時を浪費していた。

今も昔も、此処に辿り着いてから同じ様に終わると考えていた自分の耳朶に、突如としてその声は届いた。

 

 

「忘れ去られた者たちの、最後の楽園…」

 

一言では表せない、幾多もの想いが込められた言葉が、艶やかな声音によって紡がれた。反射的に目を開ける。視線の先には、紫を基調とした衣服を纏う女の姿があった。

波打つ金糸の髪は美しく、物憂げにも見える瞳は宝石のようだ。言葉を発した声もやはり耳に心地よく、自分の心身を満たしていた。

 

だが何よりも気にかかるのは、

 

「最後の、楽園」

 

何時振りか、実に久しく自分は声を発した。

微かに上げた声であったが、やはりこの夢現混ざり合う領域でも震えているようだった。

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

無数の眼が不規則に並ぶ場所、スキマの中に彼女は居た。

 

幻想郷の管理者、八雲 紫は大妖怪である。

千年余りを生きた彼女は、その長すぎる時を経てなお衰えぬ美貌と、大妖怪と呼ばれるに恥じぬ強大な力と知性を備えていた。

彼女は言う。

 

―――――幻想郷は全てを受け入れる―――――。

 

その言葉に偽りは無かった。

善も悪も美も醜も、人と人ならざる者達も、

幻想郷にあるものは皆、彼女の愛する至高の宝に他ならない。

 

「忘れ去られた者たちの、最後の楽園…」

 

……。

………っ、は。

……恥ずかしい。

いざ自分で口にしてみると、ちょっと。

いや、かなり格好つけ過ぎだなと思った。

昔から同じようなことを懲りもせず言って回っているけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「…はあ、さてと」

 

他愛もない思考を一度打ち切って、いつもの作業に取り掛かることにした。

先ずは博麗大結界。

幻想郷と外の世界を隔てる楽園の要。

それが今日も変わらず異常は無いかを確かめて、それからまた別の作業へと移行する。

 

「―――――紫様」

「あら、藍?どうしたの?」

 

後ろからの気配に気付いて振り向けば、自分の式である八雲 藍が其処にいた。

 

「は、件の吸血鬼との会合が終わりましたので」

 

「そう、それじゃあ…いよいよね」

 

幻想郷における、スペルカードを用いたルール下での初めての異変。

これまで血で血を洗う様な出来事は幾つかあったが、

これでようやく…。

 

「ええ。これも紫様の御尽力の賜物です」

 

「やめてちょうだい。私だけでは、ここまで運ぶのにどれだけ手間だった事か、協力してくれた皆のお陰よ。ありがとう、藍」

 

「勿体無いお言葉です」

 

藍はそう謙遜しながらも、嬉しそうに何度か尾を揺らした。

 

「藍、早速だけど霊夢の所に―――――――――――――え?」

 

藍を促して博麗神社へと向かおうと思った矢先、ソレは余りにも突然に降り立った。

 

「ゆ、紫様…あ、アレは一体…!?」

 

「私にも、判らないわ…けれど」

 

ソレは確かにそこに居た。

スキマから大結界を覗いていた自分は、先程までは居なかったソレを確かに捉えた。

一瞬目を離した隙に、余りにも大きな気配が発せられた。スキマの方へと直ぐさま振り返って、気配の主をしかと目に映した。

幻想郷を覆う博麗大結界、その外側である何処でもない空間から、鋭く大きな銀の双眸が、私を、藍を、博麗大結界をーー幻想郷を、食い入るように見詰めていた。

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

最後の楽園。

金糸の長髪を靡かせた少女はそう呟いていた。

浮かび上がった少女のビジョン。

ふと無意識に自分は手を伸ばし、それに触れていた。

流れ込んでくる断片的な情報が、久しく忘れていた好奇心を激しく掻き立てて行く。

 

「面白い、面白いな」

 

沸き上がる好奇心が、止めどなく大きく膨れ上がる。

嗚呼、堪らないな。

一度は行って、見てみたいものだ…楽園、最後の楽園に。

 

「そうか…行けば良いのか」

 

夢と現が混ざり合う間隙の世界が、声を発するだけで震えてしまった。やはり、此処は無駄に広さだけは有るが、些か脆い。

もしこの場で暴れだそうものなら瞬く間にこの場所は崩れ去ってしまうだろう。

取り留めもないことを考えたが、自分の決意は未だ固いままだった。

 

「そうとなれば……」

 

触れているビジョンを、今度は自分から情報を探り始める。

このビジョンに映る少女のいる場所、楽園の在り処を見つけ出す為に。

 

「――――――――ふむ、ほう…其処か」

 

何とも拍子抜けと言えば良いか。

探りを入れてから一分とかからず楽園の座標を見つけてしまった。ともあれ行き先が判明したので、そこで自分は漸く横たえていた身体を起こし始める。この世界を壊さないようにゆっくりと、優しく。

 

「では、行こう」

 

何度目かの独り言を発して、起こした身体で気怠げに歩き出す。意識を前方の少女が映るビジョンへ向けると、此方の意思に添うように歪みが生じ、虚空を覗かせる黒く巨大な穴が生まれていた。

 

自分の身体を難なく飲み込めるほど大きく開いた穴へ迷わず歩く。右足が入り、左手が入り、全身がすっぽりと入った直後、自らで開けた穴に再度意識を傾けてそれを塞ぎ、元いた世界から楽園へと歩き出す。

 

五分経ったか、十分経ったか。

そうして辿り着いたのは、予想外にも少女の眼前ではなかった。しかし、視線の先には確かに楽園が広がっていた。

 

「確かに…アレは正しく楽園だ」

 

眼に映る楽園は、流し見るだけでも豊かな自然と、様々な忘れ去られた幻想が溢れ、調和している。澄み切った川の流れ、荘厳な山々に所狭しと茂る木々。

そして何より、多種多様な動物、植物、人間、妖精、果てはそれ以外の幻想に係るあらゆるものが彼処には在る。

 

「――――――素晴らしい」

 

楽園を見た感想はただ素晴らしいの一言。

必死に絞り出しただろう自分の声は、其処に在る全てのモノが調和した美しさに喜悦を隠せない。

 

が、一つ気にかかるモノも見つけた。

楽園を囲む、静謐な気配を漂わせる透明な何か。

それは強固な造りを窺わせるが、恐らくこれは楽園を護る為の、謂わば仕切のようなものか。

 

「つまり結界というわけか…破るのは容易い、が」

 

それで楽園に傷でも付いたらと思うと、無理やり入り込む気にもなれない。

すり抜けようにも、この身体ではーー、ん?

 

「貴方、一体何処から…!」

 

「そこの者! その場を動かず、此方の質問に答えなさい!」

 

視界の端から聞こえた声の主は、一つは向こう側で見かけた美しい金糸の髪の少女。

もう一つは、少女を庇うように前に出て自分を威圧する九つの尾を持った少女の姿があった。

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

一瞬だが、見落とさずに目の前のソレが現れた先の黒く、巨大な穴を目視した。

私の式である藍は警戒を強め、かつ此方の動揺を見せぬよう努めて言葉を投げかける。

 

「重ねて言う! 此方の質問に答えなさい! 貴様、一体どうやって此処に来た!」

 

「どうやって…か」

 

眼前のソレは、藍の問いを吟味しているようだった。

先ずは一つ分かったこと、眼前のソレは藍の威圧的な態度はそれ程気にしてはいない。

また一つ分かったこと、ソレが発した声は不思議と耳心地が良く、今はまだ…様子見が必要だということ。

 

「詳細は省くが、私は自らの意思と力で此処へ来た。楽園がこの場所に有ると知った故」

 

「目的はなんだ! まさか、貴様もこの楽園を侵さんとする不貞の輩か!?」

 

「…その言葉から察するに、そういった輩も時には現れるのだな」

 

更に分かったことがある。

私たちの前に立つソレの返答には、幻想郷を侵略だとか、壊そうといった意思がまるで感じられない。私や藍は妖怪故に、他者が邪な感情や後ろ暗い事を考えた時に発する負の面を察知できる。だのに、ソレはその見た目に反し放つ気配は極めて静謐なままだ。

それどころか…ソレの放つ気配は触れるものを包み込むような優しさというか、労わる様な様相さえ見せる。

 

優しさ? 労わり? 何に対して?

――――――――それは、私たちに?

 

「藍、もう良いわ。控えなさい」

 

「しかし…」

 

「控えなさい。それに、貴女もそろそろ気付いているでしょう? この御仁には、敵対の意思は無いことが」

 

そこまで告げると、藍は一つ頷いて私の一歩後ろへと退がる。

私は改めて、ソレ…いいえ、彼に向き直る。

 

「これまでの非礼、お許し下さい。私たちは此処を守り、安寧を保つ為に不要なモノや邪な者を遠ざけて参りました」

 

「理解した。私も、あの美しい楽園を妄りに汚すような真似はしない。約束しよう」

 

やはり、私の思う通りだ。

彼の言葉やその内に秘める心情からは、これまで幾度か幻想郷を苛んできた邪悪な意思を感じない。彼は此処に現れた時から、底の見えない、けれど邪なモノを不思議と感じない気配の持ち主だった。

 

「では、改めてお尋ねします。貴方は何故この場所に? そしてどうか、内に抑える束縛を解き、貴方の真意をお聞きしたいのです。如何ですか?」

 

「ふむ…しかし、良いのか? 今はこうして抑えてはいるが、本来の私はこの見て呉れの通りあまり褒められたモノは持っていない」

 

「構いませんわ。千年余りを生きたと言えど、我らもまだまだ未熟な身。それに、大抵の事では驚きません」

 

「そうか…ならば」

 

短く纏めて、彼は自身の押さえ付けていた気配を徐々に本来の状態に戻し始めた。

やはり、やはりなのね。

 

「ゆ、紫様ーーこ、これは…!」

 

藍がこれまでに見せた事がない程に狼狽えている。

私から見ても、彼女の滑らかな手は血が滲みそうなほど強く握られ、口元は大きく震え奥歯が擦れ合う音が私にも聞こえてくる。

彼が抑えていたモノを解き始めた瞬間、幻想郷を含むこの場にある全てのモノが彼の気配に満たされたのだ。

私の式とはいえ大妖怪たる金毛九尾の狐である藍さえこの始末。かく言う私も…。

 

「ええ。そうね…貴方の思った通りよ。この御方は――――――」

 

なんて、なんて強大な闇の気質。

藍はおろか私ですら、気圧されぬよう手を強く握りしめている。格が違うという次元ではない。存在の密度、力の奥底がまるで見えない。魔力、妖力、霊力といった言葉で表現しうるどれもに感じられ、しかしそのどれでもないようでもある。ただ純粋な、深淵。混じり気の無い闇の力…それでいて目に映る奔流は、鈍く光る銀色だった。

 

「…大丈夫か? 今はまだ一割にも満たないが、随分と肩の荷が下りた気分だ。私はこのままで良い」

 

「――――ッ、これで…たった一割なのですか?」

 

「これ程の圧力で…紫様、やはり」

 

危険だ。と、二の句を藍が零す前に、私は何とか手で制した。

確かに、彼の発する力は優しく、今も私たちを慮るようにそれ以上は溢れ出てはいない。だが、やはり私たちとは決定的に違うモノだと悟ってしまう。なにしろ相手がこれで良いと気遣ってくれているから、素直に甘えようと思わされるほどに。それでも密度、濃さというか…感覚的にそう形容するしかないけれど、尋常ではない。何度、同じ思考を巡らせたか分からない、時間の流れが掴めなくなるくらい自分の内側に意識が埋もれ始めていた頃、彼はまた口を開いた。

 

「私が何故、ここに来たのかという理由だったな」

 

「えっ? は、はい…そうですわ。お聞かせくださいな」

 

「………」

 

私でも声が少し震えてしまう。

もはや藍は彼の気配に完全に身動き出来ないでいる。

これ以上は私も、固唾を飲んで待つほかない。

 

「理由としては、そうだな。楽園をこの目で見て感じてみたいのだが…出来るか?」

 

「貴方が、私達の幻想郷に…?」

 

「そ…ッ! それは!!」

 

藍もようやく我に帰ったのか、彼を止めようと声を上げたが、途中でまた押し黙ってしまう。当然と言えるわね…感情のままに彼を拒んで、彼の機嫌を損ねるのは得策じゃない。例え温厚な心根の持ち主でも、琴線に触れる言葉や物事とは意外なモノだったりする。

 

「だとすれば…幾つかお聞きしたい事があります」

 

「なんだ?」

 

確かめなくては、私達でさえ彼の力が肌を撫でるだけでもこの有様なのだ。思わぬ所で彼の不興を買う真似はしたくない、何より…極力無下にはしたくない思いが私には生まれていた。

 

「人型にはなれますか? というより…人間に近い姿に」

 

「問題ない。人化ならば完璧にこなせるだろう。必要なら先程と同じく、他者からすれば少し気配が強い程度まで力を薄められる」

 

「結構ですわ。あと、楽園と呼ばれておりますが、私たちはあの場所を幻想郷と名付けています」

 

今度は努めて声が震えないよう続けて、視線だけ博麗大結界に覆われた幻想郷を見やる。彼もそれにつられてか同じ方向を向いて、眩しげに目を細めている。

 

「あの場所は本来、人と人ならざる者たちが共存する為に創り出しました。その為、互いが互いを無闇に傷付け合わないように、幾つかルールも設けられています」

 

「うむ…共に生きる為の秩序ある楽園、幻想郷か。ああ、見れば見るほど美しい」

 

幻想郷を見つめる彼の銀の双眸は、遭遇したばかりの私から見ても優しく、憧憬の滲んだ柔らかな眼差し。何故だろう…? 私は素性も知らない、一個の世界が脆いガラス細工のように錯覚するほど強大な力を持つだろう彼が、とても寂しげな存在に思えて仕方ない。この想いは何なのだろう? 私は既に、心の何処かで彼を受け入れてしまっている。

 

「これもまた…幻想に生きる者の定めなら――――――」

 

「紫様!? まさかこの御仁を…!」

 

「ええ、私は決めたわ。藍」

 

私は藍の意図も知った上で…一つ大きく息を吸い、しっかりとした口調で彼に言い放った。楽園に変化を齎し、日常を彩る新たな来訪者を迎える言葉を。

 

「ようこそ、大いなる深淵の君。貴方がこれから向かう先は、人々に忘れ去られた最後の楽園、幻想郷。心の赴くまま、その美しさをご堪能下さいませ」

 

「感謝する。美しい金糸の髪の少女…いや、賢者よ。その寛大な心に、私は重ねて礼を言いたい。ありがとう」

 

彼の感謝の言葉は、私の心に一つ大きな波紋を起こした。

どうしてだろう…分からないけれど、凄く嬉しいと感じてしまう。

 

「では改めて、貴方のお名前をお聞きしたいですわ」

 

「名前、か…私は生まれた時に名など無かった」

「それは…いえ、何でもありません」

 

「ただ…」

 

銀の双眸を、何処か遠くを見つめるように彷徨わせながら、彼は自身を象る呼び名を口にする。

 

「私と邂逅した者たちの殆どは、私のことを深竜と呼んでいたな」

 

深竜。それは彼自身の名前を指すモノではないのだろう。これは彼をそのまま見た者たちが、呼び易いように彼という存在を表した言葉。

 

深淵から生まれた竜。

そう表現するのが最も適切な漆黒の肢体。けれど、私たちが知るどんな竜の姿とも違う…外殻や鎧を思わせる質感の体表に、鋭利なカタチの肩、尾、翼といった部位がなお際立っていた。二足で立ち、腕の長さから見ても人型のバランスを保った姿の黒竜。そして四肢、胸、首筋、翼にまで走っている太い血管の様な、コードのような器官。そこから絶えず身体に循環する銀色の光。これ等の特徴が彼を構成し、異質な存在感を放つ彼を更に怪物然とさせている。

 

 

「それにしても…名前か、自らの名など、考えたことも無かったな」

 

「力あるものの殆どは、種族や個体を識別するだけの呼び名以外に、きちんと自分だけの名前を持っているものですわ」

 

「そうか、そうだな…名前、名前」

 

そう返すと、彼…深竜はまた視線を何処かへと向けながら何事か考えている。失礼な話だが、しきりに名前名前と呟きながら腕組みをしているその姿はどなんだか可愛らしいとさえ思う。私だけだろうか? いえ…きっとそんな事は無い、と思う。

 

「紫様、本当に…奴を」

 

「貴女の懸念は分かるわ…でも、幻想郷は全てを受け入れる。それだけは、何があっても変わらない」

 

「はぁ…全く、貴女という方は。承知いたしました。もう成るように成れというものです」

 

私の言葉に藍は溜息を吐きながらも了承し、それ以上は何も言わなかった。

それにしても、彼はまだ自分の名を決めあぐねているのね。

こちらの方でも幾つか提案するのも必要かもしれない。

 

「深竜様?」

 

「…ん? 敬称は不要だが、どうした?」

 

「もしお嫌でなかったら、その…私たちの方でも名前になりそうな案をお出ししてもよろしいかしら?」

 

「ああ。幾つかは思い付いたが、どれもしっくり来ないものでな。頼んでも良いか? 麗しき賢者よ」

 

「……」

 

さ、先ほどから気になってはいたけれど、彼はどうも私を呼ぶ時には同時に容姿も褒めてくれている。妖怪としての私の特徴を語る文献や伝承では美しい、とか麗しいとかって言葉は正直慣れたものだけど、面と向かって言われるのは初めてだからかしら?

胸の辺りが苦しいのに、少しも嫌じゃない。

 

「大丈夫か?」

 

「え? あ、へ、平気ですわ。 それと…私のことは、どうぞ紫とお呼びになって下さいな」

 

「そうか? 分かった。早速だが紫、何か良い名は無いか?」

 

彼の、男性的な低めの声に乗せられる温かみや何処と無く甘い口調は…私にはとても心地良かった。それにしても、名前。申し出たは良いものの直ぐには……あ。

 

「そうですね…深竜様は闇色のお姿なので、深淵と意味の近い【九皐《きゅうこう》】というお名前は、如何かしら?」

 

「九皐、九皐か…良い名前だが、仰々しくはないか?」

 

「でしたら、親しい間柄となった者には【コウ】と呼ばせてみては? 」

 

九皐、キュウコウ、コウ…と噛みしめるように名と愛称を反復する彼を見ると、どうやら気に入って貰えたらしい。

 

「やはり、お前に相談して良かった。九皐、この名しかと受け取った」

 

「では最後に、改めてお名前を」

 

彼は一つ頷いて、杭を思わせる鋭い牙を備えた口を開き、幻想郷に来て初めての名乗りを挙げた。

 

「我は九皐、異界より楽園を求めやって来た。対するもの皆深竜と恐れ、深淵の主と呼び祀られし者。深竜・九皐」

 

一瞬だが、彼の本来の重圧がまたも空間全てを満たす。

刹那ほどの解放だったが、その圧力は先程とは比べものにならないモノだ。

気配だけで博麗大結界は地揺れのように震え、見渡せば楽園に浮かぶ雲さえも晴れていた。

 

「ええ…慎んで御身を、幻想郷へとお招きしましょう。申し遅れましたが、私の名前は紫、八雲紫と申します」

 

「紫、そう畏まらなくて良い。私はお前を名前で呼ぶ。お前も私を、コウと呼び捨ててくれて構わない」

 

「ふぇ!? は、はい! コ…コウ…様」

 

「フハハハ…まあ、良しとしよう」

 

「紫様、賢者賢者」

 

藍に耳打ちされ、何事もないように振舞って居住まいを正す。それでも内心、私は彼の名を呼び捨てて良いと言われて、何故だかとても喜んでいた。この胸に去来する暖かさが、楽園に如何なる色を加えてくれるのか…私たちの誰にも、未だ分からない。




かくして彼は幻想郷へと現れました。
まだプロローグではありますが、気に入ってくれると泣いて喜びます。


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紅魔郷編
第一章 壱 博麗神社と紅い館


遅れまして、ねんねんころりです。
急展開、御都合主義が稚拙な文にて続きますが、それでも良い方はゆっくりしていってね。


♦︎ 紫 ♦︎

 

彼に、コウ様に人化を促すと即座に取り掛かってくれた。

銀の光が強く瞬いたかと思えば、巨大な黒竜だった筈の彼は既に人間の姿に変わっていた。

 

「これで良いか?」

 

「ええ、問題ありません。ですが…その服は何処から?」

 

彼は竜の状態から人型に変じたが、竜の時は当然衣服など身につけてはいない。

彼が人化出来ると分かった時はこっそりスキマから何着か選んでいたのに、手間は省けたが私の準備は無駄に終わってしまった。

 

「これか? 随分昔になるが、まだ人間の住む世界にいた頃、山中に身を潜めていた筈の私を偶然見つけてしまった人間が、その場から荷物を放り出して逃げ出してしまってな。荷物の中にこれらの衣服が有ったので、拝借したのだ」

 

というか、幾ら山の中とはいえ人間に見つかるような場所に居ては駄目なのでは?

そんな疑問が頭の中を過ったが、とりあえずは気にしないでおく。

 

「そうでしたの。よくお似合いですわ」

 

「そうか…ありがとう。誰かに身なりを褒められたのは、初めてだ」

 

「ど、どういたしまして!」

 

そう言われた途端、あからさまに動揺してしまって声が上ずってしまう。ああもう! なんなのこの胸の奥から湧き上がる気持ち! よく分からないけど嬉しいと感じる事だけは確かだわ!

 

だって、清潔な衣服に艶やかな黒髪!

少し長めの前髪から覗く月光の様な銀の眼!

整った顔立ちがそれらを更に引き立てているわ!

何より身長は六尺と高いし体格は逆三角形!

引き締まった筋肉で身体は細すぎず太過ぎない絶妙なバランス!

人体の黄金比とは正に彼と言って差し支えないわ!

 

「どうした? いきなり顔を手で覆って蹲って…体調でも悪いのか?」

 

「九皐殿…あまりお気になさらぬよう。紫様はいたって健康ですので」

 

藍が私のためにフォローしてくれているが、何処と無く呆れた雰囲気を感じるわ。尊敬が足りないわよ藍。私これでも大妖怪なんだから。

 

しかし…本当にどうしてしまったんだろう?

今日の私は本当におかしい。彼と会ってからというもの、ペースを乱されて仕方がない。顔は熱いしちょっとした動悸まで起こしている。風邪でも引いたのかしら? けれど身体に不快感なんて微塵も無いし、むしろ今日は気分が良いほうだし。

 

「し、失礼しました…私は大丈夫です。気を取り直してコウ様? いよいよ幻想郷へ向かおうと思います。私が案内致しますので、どうかそのまま」

 

「お前の事は信頼している。全て任せよう」

 

彼の言葉にまた胸が熱くなるが、何とか自制してこの場にいる全員をスキマで包み込む。スキマを繋げた先は博麗神社、少しスキマの中を歩けば目的地に辿り着く。それまでに彼には幻想郷のルールやら地理やら簡単な説明をしないとね。

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

朝、卯の刻くらいの出来事。

突然、凄まじい一つの気配が幻想郷を覆った。それは一瞬にして消え去り、今は何事も無かったように小鳥の囀りや緩やかな風の流れだけが残るのみ。

 

「なんだったのよ? さっきのアレは」

 

私、博麗霊夢は巫女をやっている。

年季の入った我が家、博麗神社で暮らしながら時たま起こる人里のお悩みを解決したり悪さをする妖怪をとっちめたりして暮らしている。

 

ともあれ、さっきのアレは今までに感じたことの無いモノだったのは確かね。まるで土砂崩れが自分目掛けて突っ込んでくるような…一言では形容し難い何か。それなのに、不思議なことにそこまで不快感はなくて、逆にそれが底知れなさを醸し出していた。

 

「まるで…果てのない暗がりみたい」

 

そう、暗がり。

紫みたいな大妖怪が放つ不気味な妖力や、神降ろしをした時に感じる無駄な神々しさとも違う。そんなよくわからないものが幻想郷を覆って、私は寝床から飛び起きた。もう少し寝ていたかったのに。

 

「ほんっと安眠妨害甚だしいわね。あんな事があったのに、紫は姿を現さないし」

 

「―――――い!」

 

「…ん?」

 

声が聞こえる。

天気は快晴、昨日までは夜空が曇っていて雨が降ると思っていたのに、飛び起きた時には雲ひとつない青い空が広がっていた。それで、声の正体だけどもう見当は付いてる…直感でなくとも、ほぼ毎日聞いている声がした。癖のある金髪、エプロン付きの白黒の服、箒に跨って空からやってきた私の知り合いと言えば一人だけ。

 

「魔理沙? いったいどうしたのよ?」

 

「おはよう霊夢! 聞いてくれよ! 今日なんか良くわかんないけどスッゴイ波みたいなのが―――――」

 

「知ってるわよ。それで寝床から飛び起きたんでしょ?」

 

「なんでわかった!?」

 

そりゃ分かるわよ…私も飛び起きたからね。

きっと他の主だった連中も、アレには気が付いてるでしょうね。紫は未だに此処に来ないのが気にかかるけど、きっとアレの原因を今頃は調べてるんでしょうね。

 

「それで? 貴女はどうするの?」

 

「決まってるだろ? きっとこれは紫が言ってた《異変》ってヤツに違いないぜ。調べるんだよ」

 

だと思ったわ。

まあ、魔理沙の意見には賛成ね。私もいつもなら気にしないで縁側でお茶でも飲んでるけど、今回の事はどっちみち調べないと原因が分からなさそうだから。

 

「なら、私も行くわ」

 

「お、そうこなくっちゃな! でも珍しいな? 霊夢が自分から行くだなんて」

 

「そうかもね。でも気になるのよ…あれから多分一時間くらい経ってるけど、紫がまだ来ないし」

 

「管理者を謳ってるアイツが、まだ来てない? おいおい…俄かに怪しくなってきたな」

 

妖怪の賢者がこの異変、ならぬ異常現象を看過する筈もない。そう思って外で掃き掃除しながら待っていたのに、私としては完全に待ちぼうけ。加えて今の季節は夏。暑いったらない。私にとって夏で良いことと言ったら、西瓜が美味しい事と洗濯物がよく乾いてくれることくらい。

 

「まあいいわ。それじゃあ魔理沙、早速アレの正体を探りに行きま―――――なに?」

 

またも、幻想郷を不可思議な現象が襲う。

今度のはさっきのアレとは違う。幻想郷を照らす太陽は遮られ、青々とした快晴の空は瞬く間に赤く塗り潰された。ぼんやりとした明るさを保った赤い霧の幻想郷。これは、これはもう疑いようもない。

 

「魔理沙…予定変更」

 

「あ、ああ。そうだな…朝のアレは凄かったにせよ一瞬だったし…これはやっぱり」

 

魔理沙もどうやら私と同じ意見みたいね。

妖気を帯びた赤い霧。加えて、夏の暑さが肌に纏わりつくような不快さが一層増したのは、きっと季節のせいじゃない。

 

「魔理沙、人里に向かうわよ」

 

「ああ、普通の人間にこの霧はちょっとキツそうだ」

 

多分、普通の人がこの環境下で過ごそうとしても保て三十分がいいところ。一刻も早く人里に行って、住民の外出を禁じるのが先決ね。紫はこうも立て続けに異常な事が起きたのに、全く姿を現そうとしない…ああもう! 面倒臭いわね!

 

「魔理沙、人里に行った後は貴女の勝手だけど」

 

「いちいち水臭いこと言うなよ。 《異変》、解決しに行こうぜ?」

 

ほんと…こういう時ばっかりウマが合うんだから。

一先ず思考を打ち切って、私は魔理沙と人里に向かう事にした。赤々と天を染め上げた霧に、今までとは違うナニカを感じる。朝の妙な気配だけでも異変じみてたのに次から次へと、よくもまあこれだけ派手にやらかすものだ…と。辟易としつつ、退屈凌ぎが出来た事を喜ぶ自分がいるのだった。面倒は御免被るけれど、どうせなら―――――有意義な時間を過ごしたいのだ。

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「スペルカードルール…とは、なんだ?』」

 

「大まかに言えば、人と人ならざる者が公平に勝負できる《弾幕ごっこ》という決闘方法における決まりごとのことです。そのルールの下で、弾幕ごっこでは美しさを競ったり、自分の放った弾幕を相手に当てて相手の《残機》を減らしたり―――――」

 

現在、紫の式、八雲藍の説明を聞きながら紫の生み出したスキマの中を私たちは歩いている。何故か空間内には無数の目玉が散らばっていたり、不規則に様々なモノが飛散していたりするのだが、それは別に良い。

 

「藍、あんまり詰め込んで説明してもコウ様だって混乱してしまうわよ?」

 

「いいえ、必ず覚えて頂きます。九皐殿は力の余波だけで幻想郷を震わせる程のお方。仮に九皐様が避けようとも、無謀にも挑みかかってくる輩を殺してしまわないよう留意して頂かなければ」

 

先ほどまでは随分と萎縮していたようだが、今の力を抑えた私ならばもう慣れたようだ。私としても、いつまでも藍に蒼い顔をさせたままでは流石に偲びない。

 

「心配はない、いざとなれば此方から逃げる事にする。楽園まで来るのに使った転移術なら相手も追うのは不可能だろう」

 

無理に争うことはない。

私の目的はあくまで幻想郷を見て回る事だ。そこに住む者たちの中には、一度争いが起きてしまえば、殆どの人間と同じく対処出来ない力の弱い者たちもいる筈だ…迎え入れてくれた紫の厚意を無碍には出来ない。

 

「そうですか…ですが、やはりなるべくお早めにルールを把握して下さいませ」

 

「努めよう。近日中に網羅しておく」

 

「コウ様? そろそろ目的の場所へ到着します。其処には結界を維持する為の巫女、《博麗の巫女》がいます。幻想郷を廻られる前に、一度お互いに顔を合わせるべきと思いますわ」

 

「そうだな。紫が言うのなら、会っておくべきだろう」

 

私は、この八雲紫という妖怪ながら見目麗しい少女に、出逢って間もないながら篤い信頼を置いていた。言葉を交わすまでは、彼女は私へのある程度の敵意や警戒心があったが、私にその意思がないと悟ると丁重に扱ってくれた。

 

藍が言うには、彼女は幻想郷を創り出した者たちの一人であり、賢者として広く知られているという。千年を生きた大妖怪にして、幻想郷の賢者。その二つ名に恥じない確かな実力と知性を備えている。

 

何よりも、彼女は私に対してある程度好意的だ…その態度が嘘か真かは手に取るように分かる。これまで私を討ち果たさんと挑んできた者共や、私の力を利用しようと甘言を差し向ける輩を腐る程相手にした。だから分かる…彼女は私が知れず呆気に取られてしまうくらい、私に対し誠実だ。

 

「着きましたわ。このスキマの先からは、もう幻想郷の中ですわ。コウ様」

 

「ああ…楽園が、幻想郷がこの先に――――――――」

 

思わず笑い出しそうなほど、自分の心が弾んでいる。

失われた自然、忘れ去られた者たちの拠り所。私は揚々とスキマを潜り、それを目に焼き付けようとした。

 

「……む?」

 

スキマから出た先で、最初に目にしたものは年季の入った木造の建物。この神社、が紫の言っていた博麗神社であると直ぐに理解する。荘厳な空気を纏いつつ、春の陽気のような温かみがある。このような神社まであるとは…話では聞いていつつも益々楽園への期待が高まっていた。

 

のだが……私がスキマの中を通っている短い間に、外側から私が見ていた楽園とは、今は幾らか様変わりした景色が広がっている。全てを受け入れると謳われた幻想郷においても明らかな異物。それの存在感、視覚的な情報は、私にこれが平時のモノではないと強く訴えていた。

 

「これは…赤い霧か?」

 

「紫様、これはもしや」

 

「ええ。予定より少し早いけれど、どうやら始まってしまったみたいね」

 

予定と言うからには、幻想郷を覆うこの赤い霧のことも紫は把握しているのだな。幻想郷を覆い尽くす赤い霧。人間の基準で言えば、アレは少々厄介だ。今はまだ昼前の時間の筈だが、霧が太陽を遮り、ぼんやりとした明るさが現状の異様さに拍車をかけている。

 

ともすれば、見る者の感性を刺激する神秘的な風景とも言えるが…コレはそういった娯楽や道楽の類で無いことは、紫の神妙な顔から直ぐに察せられた。

 

「妖怪が人の恐れを集め、それを人間が己の手で解決する。それが、人と人ならざる者の間を取り持つ為の必要なシステム…コウ様、これが《異変》ですわ。この異常を引き起こした首謀者は先刻、私が会合の場を持ち、私はこの異変を彼女らが起こすことを了承いたしました。現世から忘れ去られた幻想、失った力を取り戻す為の舞台装置…それが、この妖霧の正体です」

 

紫は静かに、はっきりとした口調で私に語りかける。

なるほど、人の恐怖や感情を糧として生きる妖怪、またはそれらと近い存在は此処で暮らしてゆくのに必要な力を、このように集めるわけか。勿論、それ以外の意味も別に存在するのだろう…それは私の与り知らぬ事柄だが、彼女が分かった上で起きているならば是非もない。

 

「大丈夫だ。お前の話では、これは人の手で解消させるべきものなのだろう? 外側から見ていたあの美しい光景を直ぐに堪能出来ないのは少々残念だが、私たちのような存在が人と関わっていく為には仕方のないことだ」

 

「お気遣い、痛み入りますわ」

 

今の返答は彼女が楽園を管理する者として、妖怪の賢者としての責任が込められた言葉と受け取った。

 

「だが…見てみたいものだな」

 

「九皐様? 」

 

「紫、藍。私はこの異変とやらを起こした者と、それを解決するだろう人間に興味がある。遠目からでも見られるのなら、それを肉眼で直接見てみたい…どうだ?」

 

「うーん……そうですわね」

 

私の頼みに、紫はしばし逡巡する。

それもものの数秒のこと、紫は私に微笑み返した。

 

「それでしたら、この霧を生み出した者たちの所に行ってみませんこと? コウ様が望まれるなら、私が話せば彼女も分かってくれるでしょう」

 

「ありがとう、紫。先方に礼を失せぬよう、私も気を付けよう」

 

「硬くせずとも大丈夫ですのよ? むしろ幻想郷に住む私たちの方が、コウ様には礼を尽くさなければならない位です。ありのまま対応なさって下さいな」

 

本当に、彼女には感謝の言葉しか浮かばない。

私を精一杯持て成そうとしてくれている。彼女に出逢えたことは、長い生を生きた私の数少ない幸運だろう。

 

「では、また案内を頼む」

 

「ええ。既に先方への道は通してあります。此方のスキマへどうぞ」

 

紫がスキマを開き、私たちはその場を後にし異変の首謀者の元へ向かう。振り返ってもう一度幻想郷の空を見上げるが、赫赫たる霧は未だ、楽園を一色に染め上げていた。

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

数少ない館の窓から、私の起こした異変の有様を見る。

今は時間にして正午。本来なら私たち《ヴァンパイア》からすれば睡眠の真っ最中なのだが、今日ばかりはそうも言っていられない。

 

「咲夜、咲夜はいる?」

 

「―――――はい、レミリアお嬢様。十六夜咲夜は此処に」

 

私の従者、《十六夜 咲夜》を自室に呼び出す。

今回の異変では彼女の為すだろう役割は大きい。この子もその事は分かっているだろうけれど、一応釘を刺しておく。

 

「咲夜、遂にこの時がやって来たぞ」

 

「はい。これで私たち《紅魔館》の名は、幻想郷の隅々まで喧伝されることでしょう。そして、お嬢様の悲願もようやく…」

「ええ。ここに居る者たち全員、よく私の無理難題に応え此処まで付いて来てくれたわ。後で館内の皆に声をかけに行くから……今はお茶を一杯、貰えるかしら?」

 

私の要求に応え、咲夜は会釈の後一瞬にして姿が消える。

部屋の隅から隅を隈なく見ても、彼女の姿は部屋にない。

私の認識の下では、彼女は密室のこの部屋から音もなく姿を眩ましたようにしか感じない。これも、あの子の《時を操る程度の能力》のおかげ。

 

そうして思案しながら待っていると、咲夜はまた音もなく私の視界の端に現れ、トレイ、茶菓子、カップ等のティーセットを持ち込んで来た。

 

「お待たせ致しました。紅茶の茶葉はディンブラ、お茶菓子はスコーンになります」

 

鮮やかな手並みで咲夜はカップに紅茶を注ぐ。

流石は私の瀟洒なメイド長。仕草一つ一つに華があって、文句なしの仕事ぶりね……そこにもう少し笑顔が増えれば、更に完璧なのだけど。

 

「ありがとう咲夜。良かったら貴女もいかが?」

 

「よろしいのですか?」

 

「ええ。それに、そろそろお客様が此処に来るから二人分、お茶を追加して頂戴」

 

咲夜は私の言葉に疑問を持っていたが、やはりそこは瀟洒なメイド長。指示通り、いやそれ以上に完璧な手際で自分を含めた三人分の紅茶を注ぐ。

 

「では、私もそのお客様がお見えになってから頂きます」

 

「そう――――――――――あら、もう来たみたいよ?」

 

咲夜は私が見ている、彼女の丁度真後ろの方へ振り向く。

私の視線を遮らぬよう対角線から少しずれて姿勢を正し、浅く頭を垂れて客人を迎えた。

 

何もない空間から突如裂け目が生じ、その中から一人、二人、三人と人影が現れる。

 

「度々の急な訪問、御免下さいな。幻想郷の管理をしております、八雲紫ですわ。」

 

「構わないわよ、分かっていたから。それで……早速一つ伺いたいのだけど?」

 

「何かしら?」

 

「一番後ろに控えている殿方は…一体何者なの?」

 

スキマ、と八雲紫の側に立つ従者、八雲藍が私に教えてくれた裂け目から、私が垣間見た運命には存在しなかった者が此処へ来ている。八雲紫もそれを分かってか、薄く微笑みながら私の問いに答えた。

 

「流石は紅魔館の当主、運命を操ると言われるレミリア・スカーレット嬢。その慧眼は誇り高きヴァンパイアに相応しいと、改めて感服致しましてよ。この御方が誰なのかは、直接答えて頂くのがよろしいですわね」

 

この御方? 妖怪の賢者とまで謳われる八雲紫が、まさか敬称を使った? 動揺を悟られないよう何とか抑えたが、側に侍る咲夜は私と目を見合わせる位には面食らっているようだ。

 

男の身形は清潔で、外の世界で言えば中世かそれより少し後の西洋風な服装。闇夜に溶けるような漆黒の髪と銀の双眸が美しく、整った顔がより際立たせている。

 

何より気配、気配が底知れない…それほど大きな波長ではない筈なのに、六尺前後の人の身体に敷き詰められている闇の性質が不気味にさえ映る。 それでも、不思議と私の抱く警戒心はそれほど高くない。何なのよ? コレは…。

 

「紹介に預かったので名乗っておこう。私の名は九皐…幻想郷に今しがた来たばかりの新参者だ。紫に案内を頼んでいたのだが…急に表れた外の霧に興味が湧いた故、此方へ邪魔をさせて貰った」

 

「……それで、そんな貴方が何故私の所へ来たのかしら?」

 

「もし良ければ、此度の異変を見届けたいのだ。その行く末を、間近で私に見せて欲しい」

 

「貴女からすれば、不躾な話なのは重々承知しております。ですが、どうか彼の願いを聞き届けて頂きたいの」

 

「―――――はぁ。分かった…邪魔が入らないというのなら、それで良い」

 

溜め息混じりに短く返すと、黒髪の男は口元に笑みを浮かべ満足気に二度ほど頷く。益々訳がわからないわね…服装に対して名乗った名前は和名だし、そもそも紫の彼への扱いが私たち相手より幾らも丁寧ときてる。結局、詳しい事は見た目と名前以外教える気は無いってことね。

 

「御歓談中に申し訳ございません。これよりお嬢様からのご配慮で、お茶を御用意させて頂きます、メイドの十六夜咲夜と申します。どうぞ、皆様こちらの席へお掛け下さい」

 

「あら? 悪いわね…それじゃあ頂くわ。藍、コウ様も」

 

「私も宜しいのですか? これはどうも…お気遣い、痛み入ります」

 

「うむ…私のも有るのか。忝い」

 

本来なら咲夜も同席させたかったけど、客人の手前自分もというのは控えたようね。まあ、そもそも三人目なんて予定外だったから…咲夜とのティータイムはまた今度に持ち越しだわ。

 

「とても美味しいわ。流石は紅魔のメイド長ね」

 

「ええ、私もこれで二度目ですが。まさに格別の一杯です」

 

「お褒めに預かり、光栄です」

 

八雲紫、式の藍もひとまず大丈夫なようね。

あとは…まだ紅茶を音も無く嚥下している彼の方だけ。気付かれないように視界の端に彼を捉えて伺っていると、彼はカップを置いて一つ、小さな溜息を吐く。

 

「……! 九皐様…? 私が何か、粗相を致しましたでしょうか…」

 

「ん? ああ…君は十六夜、だったな。違うのだ、そうではない」

 

咲夜が恐る恐る問いかけると、彼は拍子抜けするほど和かに返してくる。

 

「私は…これ迄に人との関わりを余り持って来なかったものでな。こういったモノは数える程度しか飲んだ事が無かったのだが、今は少し後悔している」

 

「後悔、ですか?」

 

「うむ。私は、今までにこれ程美味い紅茶を飲んだ事がない……思わず人前である事も忘れて堪能してしまった。クセがなく、柔らかな舌触りと味わい、香りがまた実に良い。何より十六夜、君の手際が実に良かった…失礼だが、カップに紅茶を注ぐ君の姿を切り取って額縁に飾りたいと思った程だ」

 

「―――――!?!?」

 

「むっ…」

 

なんとも、この男は咲夜の淹れた茶を絶賛してくれた。当の咲夜は異性に褒めちぎられてか顔が真っ赤である。それとよくわからないけれど、私の対面に座る八雲紫はちょっと不機嫌そうだ。

 

「確かに素晴らしい一杯でしたが、コウ様? それほどお気に召されましたの?」

 

「ああ、紫。この茶には、淹れた相手に精一杯堪能して貰いたいという真摯な想いがある。味や香りもそうだが、彼女の気遣いに私は惜しみない賛辞を送りたい…レミリア嬢、で良かったか? 主人である君の教育も有っての事と思う。主従揃って、実に見事だ」

 

何故かしら? 相手が相手なら褒められ過ぎると逆に不愉快と感じる筈なのに、この九皐という男からは微塵もそうは感じない。むしろ囁かれる言葉に嘘がない分、下手に言い返せないくらい素直に聞き入ってしまった。

 

「い、いいえ…これは従者である咲夜の日々の賜物よ。私は最初に少しばかり指導しただけ。でも、素直に礼を申し上げるわ…ありがとう」

 

「あらあら? コウ様は随分女性を持ち上げるのがお得意のようですわね。私にも是非甘い言葉を囁いて欲しいものですわ…」

 

「紫様!?」

 

「先も言ったが、紫。君にはとても感謝している。この気持ちは言葉では表し切れない……君が私の前に現れた時、私は君の美しさを前に、思わず見惚れてしまっていた。故に、君たちの問いに直ぐ応えられなかったのだ」

 

この男は…全く歯が浮くような事を真正面から言い放つわね、少しばかり危険だわ。容姿や声、視線から所作まで彼を構成する様々な要素が人妖問わず彼に心を惹きつけさせる。吸血鬼や一部の妖怪が持つ魔眼や魅了の力とは違う。

彼は自然体で、他者を籠絡する才を持っている。

 

「そ、そうですか? で、でしたらよよよろしいですの事よ!?」

 

「紫様! 賢者賢者!」

 

式である筈の藍も堪らず狼狽える紫を諌める。

咲夜は…ダメね。顔は茹で蛸みたいで俯いたまま私が目配せしても気付きもしないわ。私も正直、少し警戒していなかったら危なかった。

 

「オッホン…それで? これから皆はどうするのかしら?此処に留まるなら部屋を用意するけれど?」

 

「うむ…私は是非そうしたいが、紫と藍はどうする?」

 

彼が紫とその式の方を見やると、何とか平静を取り戻した賢者様が静かに答えた。

 

「ええ、コウ様がお望みならその通りに。ですが、申し訳ありませんが、私と藍はこれからまだ所用がありますから…レミリア・スカーレット。彼を一旦お預けしても?」

 

「私の対応は変わらないわ。彼が此処に残ると言うなら、一旦お預かりしましょう?」

 

「感謝する。短い間だが、よろしく頼む…レミリア嬢」

 

「何度も言うようだけど、構わないわ。それと、九皐?」

 

「コウと呼び捨ててくれ。これから世話になる身だ」

 

「ならばコウ。私たちの、幻想郷で初めての大舞台をしかと目に焼き付けなさいな」

 

私が最後にそれだけ言うと、八雲紫と藍はスキマに姿を消していった。さてさて、彼の出現によって…私の見た運命にどんな狂いが生じるのやら。

 

「それじゃあ咲夜。 館の皆に声を掛けがてらコウを案内するから、貴女も付いて来なさい。コウもそれで良い?」

 

「畏まりました。お嬢様」

 

「そうだな。頼む、レミリア嬢」

 

私たちは一様に立ち上がり、部屋を後にして先ずは庭先へと向かう事にした。丁度今頃は、ウチの門番もコウの気配だけが残った事に気付いてるだろうし。

あのムスメへの労いと一緒に彼の自己紹介を済ませてしまいましょう。夜が来るにはまだ遠い…夜が来るまでに片付けておける事は、早めに片付けておくのが効率的だ。

 

 

 

 

 

―――――それと、地下に閉じ籠っているあの娘と、彼をどうやって引き合わせるのかも、館を回るうちに算段を練っておかないと。

 

 

 

 

 

 




レミリアが最後に頭の中で思い浮かべたあの娘とは、やっぱりあの娘のことです。
どうやって…接点持たせようかと頭をひねっております。


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第一章 弐 紅い館の地下深く

遅れまして、ねんねんころりです。
ようやく一章の二話目です。
話の構成や最後の引きが相変わらず行き当たりばったりですが、この物語を読んでくれるお客様方、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

レミリア嬢の私室を後にしてから、彼女は私に館を案内してくれている。

今は午後、館の殆どの者は既に昼食を済ませ、レミリア嬢も私たちがやって来る前に済ませたようだ。

 

「ここがウチの庭よ。門番が庭師を兼任してて、いつもは植えてある花壇の世話をして貰いながら外敵の撃退もして貰っているわ」

 

レミリア嬢が丁寧に各所の説明を引き受けてくれている。

紅魔館はその名の通りあらゆる物が紅く配色され、しかしそのどれもが館と上手く調和されていた。

館自体は先祖が代々守って来たものらしく、スカーレットの血族の中で、とりわけ吸血鬼としての実力と住まう者たちを導く指導力があると認められた者が、その代の当主となる仕組みらしい。

 

なぜそれを彼女が私に教えてくれたかと言えば、私はまだ遭っていないがどうやらレミリア嬢には妹がいるという。

その話によれば、妹御は潜在能力や吸血鬼の資質ではレミリア嬢に勝ると目されていたが、諸事情あって当主の器ではないとされ…今は主の妹として紅魔館で共に暮らしているとのこと。

では、その妹御はこの館の何処に居るのかと彼女に問うとーー

 

「ちゃんとあの娘の所にも行くから、今は私に任せて欲しい」

 

とだけ返され、妹御の話題は意図的に避けているようだった。まあ…最後には顔見せもしてくれるようなので気にはしないが。

 

「美鈴! 紹介したい者がいるの! 此方へ来て頂戴!」

 

レミリアが門の向こう側へ呼びかけると、なんと門の真上を跳び超えて現れる人影があった。

 

「はい! お嬢様、美鈴は此処に!」

 

レミリア嬢の前に手を合わせて会釈した人物は、またも女性であった。赤みがかった長髪に、緑を基調とした中華風の服装に身を包んでいる。

 

「私たちが異変を起こす間、ウチで預かる事になった九皐様よ。ご挨拶なさい」

 

レミリアの傍にいる咲夜の言葉に美鈴は和かに頷き、私にも手を合わせて彼女は名乗った。

 

「初めまして、お客人様。私は紅美鈴《ホン メイリン》。紅魔館で門番兼庭師をしております! どうぞよろしく!」

 

眩しい笑顔に溌剌とした応対が、彼女の健康的な美しさをより強調している。先ほども思ったが、門番というからには何か戦いの術を身に付けているのだろう。

 

「申し遅れた。私の名は九皐、実は先ほど幻想郷に来たばかりでな、以後よろしく頼む」

 

はい! と元気に返す彼女は、その返答の後静かに目を鋭く細めて私に問いかける。

 

「九皐様…失礼ですが、貴方は一体」

 

「その問いには色々な意味が込められているな。今はまだ、全てをありのまま話す事は出来ない。だが、可能な限り誠意を以って応えよう。それと、敬称は不要だ。私は此処で厄介になる身だからな」

 

「では…九皐さん。貴方からは、不思議な気を感じます。実は、九皐さんが館内にいる事は此方へ来る前から分かっておりました。気…貴方の放つ生命力といいますか、それに伴う気配が、普通ではなかったので」

 

なるほど。出来れば正直に話してやりたいが、紫には私の正体についてはまだ話すべきではないと釘を刺されている。どう答えたものか。

 

「実は私も、君と同じく武道の心得があるのだ。何分私も未熟ゆえ、気配を隠し切れないでいる」

 

「そうだったんですか…ならば是非、一手試合たいものです」

 

美鈴は笑顔を絶やさなかったが、敢えて私と視線を交え私との試合を望んでいるようだ。

先ほどの、私の言葉の半分は嘘ではない。かというと後半の部分も別段偽っているわけでもない。

その事にレミリア嬢も気づいているのか、私にさり気なく視線を投げながら口元はニヤけている。

 

「だそうだけど? コウはどうするの? 私も貴方の実力には少しばかり興味があるわ」

 

「うむ…十六夜はどう思う?」

 

「えっ!? わ、私ですか? ええと…」

 

私としては美鈴が構わないのならとも思ったが、黙して佇む咲夜にも話に入って貰おうと適当に聞いてみたが、思っていた以上に考え込ませてしまった。

 

「私も、九皐様のお手並みを拝見したいと存じます。ですが…まだ案内する場所も残っておりますし、夜には異変も大詰めとなります。残念ですが、またの機会がよろしいかと」

 

「まあ、そうよね。私もああは言ったけど、美鈴と闘うならこの異変が終わった後にお願いできるかしら? コウ」

 

「そうだな…美鈴は恐らく、この館で真っ先に異変解決に来た者と対峙する事になる。私も悪巫山戯が過ぎたようだ、すまなかったな」

 

私の不用意な発言のせいで美鈴にも十六夜にも迷惑をかけてしまったな。レミリアはくつくつと噛み殺したように笑っているが、気にしないでおこう。

 

「さて、美鈴?」

 

「はい、お嬢様」

 

「貴女がコウと闘いたいと望むなら、それも私が叶えよう。しかしその力は、これより我らを阻まんとする者共へ存分にぶつけてやりなさい」

 

「しかと、主命を賜りました。この紅美鈴、全霊を賭して役目を果たしてみせます!」

 

レミリアは満足気に一つ頷き、それ以上は何も言わず踵を返した。なるほど…私を焚き付けておいてその実、美鈴の戦意の程を確かめたわけか。

最後に美鈴を激励してみせたレミリア嬢の姿は悠然としており、従う者に慕われているだろう彼女の人柄を克明に表している。

 

私と十六夜もレミリア嬢に続き、紅魔館の庭を離れる。

主人を見送る美鈴の表情は、レミリアへの惜しみない敬意と武人の凛々しさがあり…何故か、悲壮な程の決意を滲ませていた。

 

 

 

「コウ…美鈴の為、貴方にも一役買って貰ったわ。けれど、客人に礼を失した事は謝罪させて頂戴」

 

廊下を歩く途上、レミリア嬢は私に向き直り謝罪を述べる。私が彼女の意図を知った上であの場で乗り気になっていた事を、レミリア嬢はそれでも深く頭を垂れた。

 

「君が謝る必要はない。紅魔館の皆にとって、今が大事な局面である事は私も分かっているつもりだ。それに…私もあの様な掛け合いは久しぶりで楽しかった。重ねて言うが、君が詫びることは無いのだ」

 

慣れないながら微笑んで応えると、レミリアは姿勢を正して私を見詰める。

 

「こんな事、面と向かって言ったことは無いのだけど。貴方の瞳、綺麗ね。月の光より映える銀の眼からは、私への安っぽい気遣いは微塵も感じられない。貴方の事はまるで分からない事ばかりだけれど…その言葉が本心だと分かるもの」

 

「そうだろうか…私は自分を善良などと、思えたことは一度も無い」

 

ああ…一度だって無い。

私は君が思うような、高尚な人物ではないんだ。

私はただ楽園を求めてやって来た、無遠慮で場違いな存在に過ぎない。何故なら私の本質は…

 

「違うわよ。コウのそれは全くの見当違いだわ」

 

「ーー!」

 

私が自分の内側で抱えた想いを見透かし、否定するように、レミリア嬢は鋭い声音で返した。

 

「貴方が実際、どんな奴であれそれは関係ないわ。私がコウを良い奴だと勝手に思っているだけのこと。だから、私にとって貴方は良い奴なのよ」

 

彼女は力強く言葉を放ち、私の感慨を切って捨てる。

私が何であれ、彼女は彼女の思うままに全てを見る…と。

私よりも遥かに短い時しか生きていないだろうに…彼女には揺るがぬ決意の様なモノを感じる。

 

「そうか…そうだな。君の言う通りだ、レミリア嬢」

 

分かったのならそれで良い…と、そう告げてまた彼女は前を歩き出す。十六夜は一瞬だけ私に目配せをし、私もそれを受けて彼女に追従する。

 

「着いたわよ…此処が我が紅魔の誇る大図書館。これまでに我が一族が集め、今尚忘れ去られたあらゆる書物が増え続けながらこの先で眠っている。大図書館には、それを管理してくれている私の親友とその使い魔が居るわ」

 

親友、か。私にはそういった相手が今までいなかったので、あまりその言葉には実感が湧かない。私は流れ流れて、此処へ辿り着くまであの夢と現が入り混じる領域で永い時を浪費していた。

 

四百年か五百年か…体感としてはその程度の期間。この扉の先には、誇り高い吸血鬼のレミリア嬢が親友とまで呼び親しむ者が座している。

 

「レミリア嬢の親友か、是非懇意にしたいものだな」

 

「きっと気が合うと思うわよ? 私の直感だけどね」

 

「お嬢様、九皐様。私は皆様にご用意するお茶の準備をしたいと思いますので、一旦失礼させて頂きます」

 

「そういえばもうそんな時間だったわね。ええ、お願いできる? 咲夜」

 

「畏まりました」

 

二人の会話は簡潔に済ませられ、十六夜はその場からまた一瞬にして姿を消した。

 

先ほどから十六夜の、あの突然消えたり現れたりするアレは…恐らくアレだ。私が物思いに耽っていると、レミリアは自ら目の前の扉を勢いよく開け放った。

 

「パチェ、いつもご苦労様ね…今日の体調はどんな具合かしら?」

 

「ーーーーそうね、今日はまだ大丈夫よ…レミィ」

 

「パチュリー様? 何度も申し上げますが、ご無理は禁物ですよ?」

 

レミリア嬢の声に反応してか、一つまた一つと図書館の奥で声が上がる。視線を送れば広めのデスクに座る者と、それを気遣うように側に立つ者の計二人。

 

デスクの前で書物を広げ、顔色は蒼白ながらレミリア嬢を愛称で呼び合ったのが、パチュリーという少女だろう。

 

「急な話だけど、客人を迎えたから彼の紹介と…近況を伺いに来たわ」

 

「客人ね…上の階で妙な力を感じてはいたけれど、彼がそうなのね?」

私の予想は当たっていたようだ。パチェという愛称で呼ばれた彼女は、私の姿を上から下、下から上へと確認している。

 

「ううう…何だか不思議な気配をお持ちの殿方ですね、パチュリー様」

 

さながら秘書の様にパチュリーの傍らに立つ少女も、私を見据えながら弱気な声で図書館の主人に語りかけた。

 

「彼の名前は九皐、私はコウと呼んでいるわ。八雲紫が連れて来た、私たちと同じ新参者…らしいわよ?」

 

私たちは図書館の奥、彼女の座るデスクの方へと歩み寄る。私の名を聞いたパチュリーは細い顎に華奢な指を添えて、九皐という名を吟味しているようだった。

 

「九皐。深い谷底、幾重も曲りくねった沢の意味ね…どうせ彼の素性も八雲紫は話さなかったのでしょう?」

 

「まあね、本人に聞けば良いだろうし。私自身、相手の種族や出自に殆ど興味が無いもの…私は開明的だからね」

 

「それは悪く言えば大雑把って事じゃーーゴホッ! ゴホッ!」

 

「パチュリー様!!」

 

彼女は会話の途中で、大きく咳き込んでしまう。

それは唾液や水分が気管に詰まった際に出すような症状とは違い、明らかにパチュリー自身が抱える持病の類だと分かってしまう。

 

側に立っていた赤髪の少女は即座に手に淡い光を宿らせ、それをパチュリーに翳す。何秒か何十秒か…その淡い光を身に浴びながら咳き込んでいたパチュリーの呼吸の乱れや咳は、次第に落ち着きを取り戻していった。

 

「御免なさいねパチュリー…一度に多く喋らせ過ぎてしまったわ」

 

「はぁ…いいえ、良いのよ。コレは私の問題だもの、レミィが気に病む事じゃないわ。けれど本当に厄介ね…魔女になってそれなりに経ったけど、私自身がそうなる前から抱える持病を根底から治癒する魔法は、未だ創り出せていないもの」

 

浅い呼吸を繰り返しながら、それでも会話を続ける彼女は、もはやこの状態には慣れたものだと言わんばかりだった…が、その苦しげな表情は此方も同時に嫌な汗を掻いてしまう。

 

「もう、駄目ですよパチュリー様! またお身体に障りますから」

 

「わかっているわ…こうやって、使い魔である小悪魔に症状を和らげる魔法をかけて貰わないと。咳き込んでしまっている私では魔法の詠唱もままならない」

 

彼女の持病とやらは、気道の炎症が原因で起こる発作…喘息だろう。平時でも常に呼吸器官に異常を来している為、激しい咳や浅い呼吸、それらが合わさり発作の苦しみを助長してしまう。

 

パチュリーの言では魔女になり人から違う存在へと変わった自身の病を癒すには、彼女の側に控えている小悪魔…がやったように魔法に頼る他無いのだろう。しかし、魔法…魔法か。

 

「魔法、魔術や異能の類ならば…君の病は治るのか?」

 

「どうかしらね…さっきも言ったけれど、私自身長年調べて魔女に有効な快癒の魔法は創れなかった。貴方に心当たりでもあると言うなら別だけれど」

 

諦念を含んだパチュリーの笑みに、私は痛ましさや同情といった感情を孕ませていた。なんと身勝手な考えだろうか…欺瞞にして独善に過ぎるという事は分かっているのに。だのに、私は彼女に手を差し伸べずにはいられない。

 

「許しは請わない…偽善だと笑ってくれて結構だ。生憎こういった事態も初めてでは無いのでな」

 

「コウ? 貴方何を言ってーー」

 

「何なの…貴方、急に気配が濃くなったわ。それにその力」

 

今まで抑えていたモノを僅かばかり行使する。一匙分にも満たない力を、己の裡から掬い上げて闇の奔流として可視化させ…手に纏ったままパチュリーに向ける。

 

図書館に充満し始めた私の魔力を、この区域に押し留めながらの作業。やはり慣れない為か時間が掛かるが、その効果は徐々に周囲の環境に現れていった。

 

「な、ななななな何ですかこれ!? ま、まるで」

 

「果てのない闇の中に…放り出されたような」

 

「濃密な闇の性質ーーなのに不快に感じない…? コウ、貴方この力は一体…!」

 

この場にいる三人の反応を他所に、あらゆる生命にとって負となる私の力を以って、病の元を《奪い取る》。絶望こそが私の糧、負の極点こそ私の配下。ならば人の罹る病など、砂粒程度の脅威もない。

 

パチュリーの身体から、黒い瘴気の様なものが立ち上る。彼女から瘴気のようなソレが全て出払った後、風に巻かれる煙の如く私の翳した左手に吸い込まれてゆく。

 

コレが私の存在を成り立たせる根幹。負と忌まれ、闇と貶されたあらゆるモノが私の力となる。今回もまた例に漏れず、彼女の抱える病は一片の残滓無く吸い上げられた。

 

「……終わったぞ。まだ息苦しいか?」

 

「えっーー? あ、苦しく、ない…苦しくないわ! こんなに大きな声で、強く呼吸しても…全く息苦しくない! それどころか身体の不調すら無くなって…!?」

 

「コウ、まさかパチュリーの喘息が…治ったというの? どうして、どうやってそんな事が!?」

 

「凄いです!この方から言いようのない力が湧き上がってきたかと思ったら、パチュリー様の身体から黒煙みたいなのがモワモワーって! ほ、本当に回復なされたのですか!? パチュリー様!!」

 

三者三様の感想を述べてくれるが、私にとってはさしたる感慨もない。私の力は負に属するモノなら例外なく操れる。力を多く吸い取れば、負の属性以外のモノさえある程度は思い通りに出来る。最も…戦う時以外では、初めから必要の無い行為だが。

 

「正確には治したのではない。彼女に巣食う病そのものを、私が根刮ぎ毟り取って喰らっただけだ」

 

「つまり、吸い取って自分の力にしたと? 病気なんて千差万別、それ自体が概念や外的、内的なものから成る現象じゃないの…」

 

「私は、負に属するモノを意のままに出来る。褒められた力ではない」

 

「…いいえ、貴方は私の病を治してくれたわ。方法は普通とは違うけれど、病だけを身体から追い出すなんて…あり得ないなんてものじゃない」

 

「やった! パチュリー様がずっとずっと苦しんでこられた病気が、遂に治りました!! でも…」

 

小悪魔と呼ばれた少女は、主人ではなく私を見て、弱々しい声で問うた。

 

「病気を自分のものになんて…お身体に毒ではないのですか?」

 

「問題ない。先も言った通り。私が奪ったモノは全て私の力となる。詳しい説明となると難しいが、兎に角問題など起こりようもない」

 

次に訪れたのは沈黙だった。

当然の事だろうが、私の力の性質は妖怪や魔女など此処にいる者たちと比べても異質なモノだ。今までに出逢ってきた彼女たちの言動や能力を示唆する情報から、それぞれが有する固有の力を予想したとしても…私の存在は完全に浮いてしまっている。

 

「コウ、貴方に是非遭わせたい娘がいるの。 急な話で悪いけどこのままついて来て」

 

レミリアは今までとは違い、明らかに私を急かしていた。何か私の力で役に立つ事でも有るのだろうか…その答えはきっと彼女が遭わせたいと言った《あの娘》というのが関係している。

 

「わかった。すまないなパチュリー、それと小悪魔だったな。私に対してまだ聞きたい事は残っているだろうが、今は失礼させて貰う」

 

「ええ…今はレミィに付いて行ってあげて。貴方ならばきっと、レミィとあの娘の力になってあげられるわ」

 

「パチュリー様を治して頂いて、ありがとうございました! 」

 

私は頷くだけでその場を後にし、足早に何処かは向かうレミリア嬢を追って行く。十六夜とはまだ合流していないのだが、それは今は良いだろう。本来の予定を押し退けてでも、レミリア嬢には頼みたい事柄であるとみえる。

 

「今はもう夕刻よ。本格的に夜が来る前に、貴方を連れて行きたい場所があるわ」

 

「ああ、何処へなりと行くとも」

 

足早な彼女は、努めて此方に悟られない様にしてはいるが、先ほどまでとは明らかに違い切迫した空気を漂わせている。

 

「行き先は更に下の階にある地下よ。其処に、あの娘はいるの」

 

「…地下、か」

 

こういう時は黙っているに限るが、幾つかの仮定が頭の中で浮かび上がってくる。彼女の抱える問題と、此度の彼女が起こした異変が無関係ではなかったことは、察しの悪い私にも何となく感じ取れた。そもそも幻想郷を覆う程の赤い霧…これがいかに異変を起こした証になるとはいえ、理由がそれだけでないのは自明だ。

 

そこまでの考えに至ったのは、吸血鬼の弱点として広く知られる日光を遮り、夜に活動する種族であるレミリア嬢が昼間に動いている現状がどうしても不可解だったからだ。

 

此度の異変によってレミリア嬢の得られる表面的なメリットは余りにも少ない。態々楽園全体を霧で包み、昼夜問わず活動の自由を手に入れたい事情を抱えているのだろう。だが、場合によっては障害になりかねない紫や藍と予め会合を済ませていたような三人の口振りと、異変の解決に乗り出してくる者たちへの明らかな戦意…そして庭で会った美鈴が私の疑念をより深めていた。

 

別れ際のやり取りで美鈴を激励したレミリア嬢と、それに全霊を賭して応えると言い放った美鈴の姿。二人の間にあった見えない共通意識と決意の強さは凄烈なものだった。必死、不退転、そう表現する他ないほどに。

 

加えて紫は私に言った。

異変は必ず人ならざる側が画策し、それは人の手によって解決される、と。幻想郷に住まう人々に必要な分だけの恐れを抱かせ、人と人ならざる者たちが共生する為のシステム。レミリア嬢はその仕組みを分かっていながら、館の庭で互いの覚悟を確かめ合っていた。

 

彼女は人間に与える恐怖によって紅魔館の力を高めた上で、太陽を隠した環境下で何かをしたかったのだ。全ては仮説に過ぎないが、私の疑問の答えは彼女の向かう地下にある事だけは確信出来る。

 

「此処よ…この扉の先が、あの娘の居る部屋」

 

辿り着いた地下空間の一番奥。

私が考えていたよりも、事態は深刻な事が一目で分かる。眼前の扉は鋼鉄で造られており、これまでの館のモノとは一線を画す様相だ。中でも目を引くのは扉に何枚も貼り付けられた紙、紙、紙。その内容は、

 

【ハイルナキケン!】

【Geh nicht rein】

【NO ENTRY!!】

【About face...】

【Vous obtenez le monstre】

 

幾つかの言語で、この部屋に入らんとする者への危険を促した同じ様な意味合い貼り紙。対照的に綴られた文字は拙く、覚えたての幼子が書いたかのような字体の数々。

 

「これは…」

 

「あの娘が、書いたの。私の妹…フランドールが」

 

この状況で、まさか妹御の話に戻るとは思ってもいなかった。

しかし…これで確信した。これ迄の私の疑問、レミリア嬢が幻想郷全土を吸血鬼の活動可能な環境へと変えた理由。それら全て。この扉の先に居る彼女の妹、フランドールに帰結している。

 

「君の妹は自分で、この部屋へ他者が入ることを禁じているのか?」

 

「そうよ。それにフランドールは、ある時期から一歩もこの部屋を出ていない。フランは、ヴァンパイア一族の中でも稀に見る高い資質と能力から将来を嘱望されていたわ。けれど、あの娘の抱えるモノが原因で自分を強く戒めている。姉である私でさえ、フランが拒めば無理には入れない」

 

実の姉であり、館の当主のレミリア嬢も慎重になる身内の問題か。私は彼女の口から、核心が語られる事を黙して待った。

 

「ーーーー妹は、狂気に取り憑かれてしまったの」

 

「取り憑かれている? 失礼だが、元から気が触れていた訳ではないと?」

 

「今も、何が原因かは分からない…でも事実よ。ヴァンパイアとして力は兎も角、フランは至って普通の優しい女の子だった。それなのに、自分でも制御仕切れない程の狂気が彼女の周りを取り巻いた結果…部屋から一歩も外へ出られない。私はフランから狂気を取り除く術を探したわ。そうして外の世界で四百年余りを費やしても、打開策は見つからず、幻想郷に来てからも一向に成果は上がっていない…だから!』

 

扉の先の妹を想いながら語ってくれたレミリア嬢は、私に振り向きざまに深く、深く頭を下げて懇願した。

 

「お願いよ…どうか、どうか妹を救って頂戴! 報酬や対価なら何でも支払うわ! どんな無理難題にも応えてみせる! だからパチュリーの病気を治したように、妹の狂気を取り除いて欲しい…この通りだ!!」

 

彼女は今日初めて会った私に、胸の内に抱えた苦しみの一切を吐き出した。涙を流し、どれ程の対価でも構わないと臆面なく言い放ち、尚も懇願し言葉を重ねる。

 

彼女の振る舞いには、誇り高き一族とされるヴァンパイアの矜持など毛ほども宿ってはいなかった。そんなものよりも、自分が妹に何をしてやれるか、どうすれば幸せを与えてやれるのか…それだけをひたすらに探してきたのだ。

 

「四百九十五年の間…それらしい治療法は何一つ見つからなかった! 妹の狂気は眼に見える程溢れ出ているのに、どんな妙薬も魔法も効果は無かった。フランは私に言ったわ。自分が我慢していれば、皆を傷付けずに済むからと…! どうして? どうしてフランだけが、こんな」

 

スカートの裾を千切れんばかりに握りしめ、レミリア嬢は私に願う。妹を取り巻く狂気、それによって隔たれた姉妹の距離。姉は妹を想い治療法を探し続け、妹は姉を想い自らを閉じ込めた。

 

レミリア嬢の眼からは大粒の涙が今も止めどなく、私自身、かつて無い程に強く拳を握り締め、ふと見れば手には血が滲んですらいる。

 

「レミリア」

 

「………」

 

「君の願い、私はしかと聞いたぞ」

 

「ーーー! コウ!!」

 

私の顔を見詰める彼女の顔に手を差し伸べ、流れた涙を不器用に拭う。私の心は決まっている…結果は分からないが、私の取る行動はたった一つだ。

 

「君の妹、フランドールの身体から…必ず狂気を取り払う。悲しみに暮れるのは今日で最後だ…君達姉妹の積年の悲哀、全て私が奪い去ろう」

 

そう告げて、私は迷いなく目の前の扉を押し開けた。

 

 

 

 

「ーーーーアナタ、誰なの?」

 

「おはよう、吸血鬼の妹君よ。突然だが…君の狂気、私に譲ってはくれないか?」

 

 




彼の能力が少しずつ明かされて来ましたね。
言葉通り、深竜・九皐は負にまつわるモノを例外なく操れます。ハッピーな幕切れを目指しておりますが、これから徐々に流血や暴力的な内容が増えると思います。

戦闘描写、苦手なんですよね…。


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第一章 参 少女の嘆きは闇に融けて

遅れて申し訳ありません。
ねんねんころりです。この物語を投稿し始めてから初めての戦闘回です。
かなり自身がありません…穴掘って埋まりたいくらいの稚拙な文が続きますが、感想批評なんでも受け付けておりますので、それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

無垢な声音で問われた私は、揺るがぬ覚悟と決意で彼女に応えた。

 

「おはよう、吸血鬼の妹君よ。突然だが…君の狂気、私に譲ってはくれないか?」

 

改めて、私はフランドールを注視した。

姉のレミリア嬢と同じ真紅の眼、髪色は黄金色に煌いてその一部を楚々としたリボンで結ばれている。抜けるような白い肌、赤を基調とした服飾…中でも彼女の背に備わる翼は異形の一言だった。

 

姉は悪魔然とした蝙蝠や伝承の竜に近い造形の翼。

対して、妹の方は一対の枝に色とりどりの宝石が吊るされた様な特殊なカタチだった。

 

「…ムリだよ…今だって凄く我慢してるのに、してたのにーーーーそんなこと言われたら」

 

部屋の隅で縮こまっていた筈の妹君…フランドールはゆらりと立ち上がり、瞳孔の開いた真赤な双眸を此方へ向けた。それも…狂気に彩られた酷薄な笑みと共に。

 

「来るわよ、コウ。申し訳ないけれど、私は手を出さない。たとえ狂気に蝕まれていたとしても、フランを…妹を傷付けたく無いの」

 

「分かっている、レミリア嬢。君は其処に居てくれ…此処から先は」

 

私は一歩踏み出し、扉の近くから部屋の中心へと一息に移動する。フランドールは一瞬だけ笑みを忘れ、呆けたように私を一瞥したが…また心底愉快そうに口角を上げた。

 

「お兄さん、でいいのかな? オモシロイ…オモシロイ!!今、全然視えなかった! 一体どうやって」

 

彼女は言葉の途中で部屋の隅から中心へ、私の立つ場所へと弾丸の如き速度で肉薄する。

 

「キャハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

壊れた様な…いや、今は事実壊れてしまっているのだろう。自制が効かず、吸血鬼の身体能力で十全に振るわれる彼女の凶爪は、風圧や風を切る音も置き去りにして私を狙う。

 

「まあ、私には少しばかり物足りないがな」

 

フランドールの乱暴に振り回した右手を受け止め、敢えて挑発的な物言いで彼女を煽り立ててみる。吸血鬼の膂力で振るわれた一撃は、その余波だけでも周囲に甚大な被害を齎らしていた。私越しに受けた衝撃ですら床は罅割れ、振るわれた爪の風圧は同方向の壁を瓦解寸前にまで抉り取っている。

 

「へえ…コレモ止めちゃうんだ? スゴイ、スゴイスゴイスゴイスゴイスゴイ!! だったら」

 

しかし止める訳にはいかない。

彼女の気の向くままに暴れさせ、私は微々たる反撃と挑発でもってフランドールを迎える。この流れが目的を達するに最もシンプルで、かつ効果的だと判断する。

 

「これならどう!? ホラホラホラ! 壊れないなら、壊れちゃうまで遊んでよォォォォッ!!」

 

フランドールの小さな身体から繰り出される無数の攻撃は、弩よりも尚速く鋭く、城門を抉じ開ける槌よりも重い。何より…嵐の様に荒々しく、豪雨の様に絶え間ない。

 

「それで終わりか妹君…いや、フランドール・スカーレット」

 

私はそれら全てを受け止めた。

外傷は皆無、息一つ乱れはしない。ましてや直撃など…天地が覆ろうとも有り得ぬことだ。

 

「イッパツも、当たんなかった…? ヒ、ヒヒ! ヒャハハハハハハハハハハハハッッ!!!」

 

あれだけ見事に捌き切られても、フランドールの狂気と狂喜は登り詰めるばかりだ。だが、これで良い。私の考えなど知る由も無く、彼女は部屋の壁際まで跳び退き、両の手に紅く燃え上がる炎にも似た魔力を灯し始めた。

 

「私ね、リクツ? とかはよくわかんないケド、魔法使えるんだぁ。だからこっちでも、すぐに壊れたらイヤだよ? キャハハッ!!」

 

「それは…精々頑張らないとな」

 

フランドールが両手に帯びた魔力は形を成して、光弾となって更に膨張する。彼女はそれを無造作に放り投げ、投擲された魔力の塊は二つから四つ、四つから八つと倍加され分裂を繰り返す。高速で標的目掛けて放たれた弾の数はゆうに百二十八発。精神の均衡を崩している状態だというのにこの精度と威力…フランドールには魔法の才も備わっているらしい。

 

「早く消さないと、部屋ごと壊れちゃうヨ? お兄さん?」

 

彼女の笑みは一層の狂気を孕ませ、反比例して正確無比な魔弾の檻が私を襲う。私も身体から発した銀色の奔流を操り…それをカーテンの様に広げて彼女の百余の魔弾を迎え撃つ。拮抗したのは一瞬、私の力場に圧された魔弾は次々と霧散し、難なく全て搔き消した。

 

「ナニソレ? 銀色に光る魔力みたいなの? ユラユラして頼り無く見えたのにーーー私の攻撃、全部無くなっちゃうなんて」

 

「これくらいの事は、君にもいつか熟せるようになるさ。それで、もう遊びは飽きてしまったか?」

 

再度フランドールを煽る。私の言葉に強く反応した彼女は、眉間に青筋を立てつつも笑顔を絶やさない。

 

「ホント、さっきからムカつくなあ…余裕ぶっちゃってさ?」

 

「演技ではなく、事実余裕なのだ。君もそろそろ本気を出すと良い」

 

そして、私に対峙した彼女の口元から…煽り続けた甲斐あって笑みが消えた。瞳は紅い光を宿しながらも虚ろさを漂わせ、だらりと下げていた右手を彼女は翳す。

 

「ふーん、じゃあ…コワレチャエ」

 

フランドールの翳した右手に、新たな予兆が形となるーーーーーーそれは眼だった。視覚的にはそう形容するしかないモノが彼女の右掌に出現し、フランドールはそれを見ながら酷薄な笑みを作り出す。

 

「キュッとしてーー」

 

「なるほど、それが君の能力か」

 

私は立ったままそれを見届ける。アレの危険性には気付いているものの、彼女の造ったあの眼が絶対の切り札である事を確信する。だからこそ私は動かない…アレがどんな結末を産むものか分かってしまったが故に。

 

「どかーん!!」

 

彼女の右手で創り出された眼は呆気なく握り潰された。直後、私の身体から異常な程の熱が込み上げ、私の予想に寸分の狂いなく…込み上げた熱は破壊の波となって内側で爆ぜた。

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

「……そんな」

 

目の前に広がる光景は、夢か幻なのだろうか? そうで無くてはならないというこれまでの経緯と、そうなっていない彼の姿を捉えた結果…私の脳内は処理しきれない程の混乱に陥っていた。

 

「なんでよーーーー」

 

妹が、自分もまた信じられないという風な声を絞り出した。フランだけじゃない…私にも彼が壊されてしまう確固たる予想が、先程までは有ったのに。

 

「ナんでコワレて無いのよォォォオオオオッッ!?!?」

 

絶叫。妹の感情は苛立ちと驚愕、そして人外の存在でありながら、この世のモノではない何かを見てしまった様な…明らかな恐れを抱いている。無理からぬことだ…私も視界に捉えてから今の今まで瞬きするのも忘れてしまっていた。妹は完全に、コウの異様さに呑み込まれている。

 

「コウ、貴方どうして無事なの…!? それどころか無傷なんて」

 

コウを疑っていた訳じゃない。彼が妹から直ぐに狂気を吸い取ってくれると思っていた私の予想は、二人の戦いが始まると共に覆され…子供を相手にする様な態度に飽き足らず、あろうことかコウは圧倒的優位のままフランの能力を引き出した。

 

「この! コノ! コのオオオオオ!!!」

 

私は再度、ある光景を幻視する。歩き始めたばかりの幼子が親に戯れつくような、安穏とした…微笑ましさすら覚える風景。この場に限っては全く不釣り合いなイメージが、脳裡に小針付いて離れない。

 

「これは…どういう事なのよ」

 

「アァアアアアッ!! ハヤク壊れろォォォォオッッ!!」

 

現実は違う。吸血鬼の総合力は妖怪の中でもトップクラスだと自負している。姿形は蝙蝠、霧といった伝承に残るものなら例外なく変じられ、物理的な干渉にもある程度の耐性がある。

 

膂力の高さは言うに及ばず、音よりも速く空を飛び、地を駆ける。ぞんざいにでも腕を振るえば、岩をも砕き、中でも力ある者はその土地の地形すらも変えられる。

 

西洋妖怪の頂点、古今東西現存する人外の中でも一際強力な種族として名を馳せるヴァンパイア。中でも、有史以前から連綿と続いて来た由緒ある一族たるスカーレットに在ってなお異質と疎まれた妹、フランドール。私の大切な妹…潜在的な力だけなら私を越えている事は私も認めていた。その妹が遊びと称した加減のできない、全力の攻撃を続けていたのだーーーーーーだというのに。

 

「そう驚くことは無い…君の能力が私には通じなかった。それだけの事ではないか」

 

「ソレが! ワケ分かんないって言ってるのよォッ!!」

 

フランの《ありとあらゆるものを破壊する》という破格の能力。対象を投影した《眼》を創り出し、それを潰すことであらゆるモノを強制的に破壊する力。それを躱すことも備えることさえなく、コウは異能の災禍に直撃していながら全くの無傷だった。

 

「やはりな…君を苛む狂気と、固有の能力は本質的には無関係のようだ。それだけはどうしても確かめたくてな。つい口汚い挑発を繰り返してしまった。大変危険だが、妹御の持つソレはとても貴重な力だ。これからは節度を持って、愛するモノを護る為に振るうと良い」

 

「クソ! くそ! 硬すぎ!! 何なのコイツ!?」

 

「淑女がその様な言葉を使うものではないぞ」

 

今はもう…開始直後は受け止めていた筈の近距離での爪、蹴り、噛み付きといった妹の攻撃を喰らうがまま棒立ちしている有様である。そのどれもが致命傷はおろか擦り傷さえ残していない。そんな中コウは…慈しむ様に笑みを浮かべ、子供をあやすような口振りで語りかけていた。

 

「ーーーーうーーま!」

 

私は二人の間に交わされるソレを眺めて暫く…後方から聞き慣れた従者の声が耳に届いた。彼女は能力を使う事すら忘れるほど余裕が無いのか、飛行した状態で此方へ向かって来た。

 

「咲夜? 中々来ないと思っていたら、どうしたというの?」

 

「申し訳ありません! それがーーな、九皐様! なぜあの方と妹様が!? これは」

 

「説明するには長くなるから、今それは良いわ。それより、何があったの?」

 

私が制すると共に、咲夜ははっとしたように此処に来た理由を語り始める。

 

「申し上げます! 現在、紅魔館は異変解決者達の襲撃を受けております! 一人は白黒の魔法使い、そして…」

 

「まさか…」

 

「紅白の巫女服を纏った少女の姿を確認しました。間違いありません、《博麗の巫女》です!」

 

このタイミングで、もうやって来てしまったのか…!

フランの部屋に置かれた時計を見ると、夜を告げる秒針が時を刻んでいた…だが、迷っている暇はない。私も行かねば、こうしている間に紅魔館は博麗の巫女に着々と追い詰められている。

 

「門の外で、今は美鈴が二人を足止めしています。私も、先に向かわせて頂き迎撃に移ります…! お嬢様は如何されますか?」

 

「私も行くわ。此処はコウに任せて構わない…何としてもこの異変を成就させる! 貴女は先に行きなさい!」

 

私の指示に従い、咲夜は一つ会釈してこの場から姿を消した。咲夜を見送り、私は振り向きざまにコウに声をかける。

 

「コウ! 今はもう夜…博麗の巫女が館に来ている。私も行かなければ! だからフランを、妹をお願い!」

 

言い終えて、私は全力で地下から上の階への道のりを飛翔した。置き去りにした二人の衝突は未だ終わらない。しかし聞こえた…コウがはっきりと私に言った、私への激励の言葉が。

 

「任せろ。あと僅か…彼女の狂気が洗いざらい出てくるまでもう一息だ。君も妹の快復を見届けたいなら、決して途中で倒れぬことだ」

 

私は地下から発せられる彼の言葉を聞き終えて、場違いにも口元が緩んでいた。

 

「誰に言っているのかしらね? 私はレミリア・スカーレット…紅魔を統べる偉大なヴァンパイアなのよーー!!」

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

人里へ降りて戒厳令を敷かせてから、何となくそれっぽい所をうろうろと漂って此処まで来た。人里から森を横切り、出会う奴ら邪魔する奴らを魔理沙と交互に片っ端からとっちめていったら…いつの間にか妖怪の山の麓、霧が立ち込める湖の畔に紅い館を見つけた。

 

「なんかさー」

 

隣で箒に跨りながら空を飛ぶ親友が、ここに来てから初めての声をあげた。

 

「お前ってやっぱ、スゲーよな。霊夢」

 

「なんの話してるのよ? 藪から棒に」

 

呆れと賞賛混じりの魔理沙の声に、私は内心面倒臭がりながら応答した。

 

「適当に付いて行ったら異変の元凶っぽい建物見つけちゃうしさ…勘にしたって的確すぎるぜ」

 

「なんかそんな話を前にもした事あるけど、幾ら適当にって言っても私だって当てがない所から無闇に探し回ったわけじゃ無いわ」

 

「ほう、その心は?」

 

「山の麓からすごい速さで赤い霧が幻想郷を覆った。分かり難かったけど、あらゆる現象には起点となる何かがある。それを偶々見つけられたってだけ」

 

「偶々ねえ…やっぱ本質を見抜く力が高い辺り、博麗の巫女ってのは特殊な役割だよな」

 

本質を見抜く力、か。私だって見てもないモノの真偽を確かめる事なんて無理よ…事実赤い霧の原因とか相手の素性とかてんで分からないもの。

 

「さあ、お喋りもここまでにしてさっさと行くわよ。疲れたなら休んでても良いけど?」

 

「冗談だろ? むしろ私が先に館の前に辿り着くぜ」

 

魔理沙は不敵な笑みを浮かべ、私を追い越して赤い館へ先行する。けれど、丁度館から湖一つ隔てた距離で魔理沙は立ち止まった。

 

「どうしたのよ? 急に止まって」

 

「見ろよ霊夢…アイツ、多分妖怪だ」

 

魔理沙に促されて赤い館の周囲を見渡す。

豪奢な館を取り囲むような堀に、一つだけ門が存在していた。扉は閉め切られ、風や日光を通す窓も僅かしか備わっていない…外界からの干渉をあからさまに拒んでいる。それと、その隣にいる赤毛の女。

 

「そうね…鋭い妖気がビシビシ伝わってくる。アイツは妖怪で間違いない。それも滅茶苦茶やる気ありますって感じね」

 

私が捉えた赤毛の女は、紫が以前話してくれた中国?って国の人が着ているらしい衣服と似通ったものを身につけていた。話と少し違うのは…動きやすそうに着こなされている事と、頭に被った帽子くらい。その女も、私たちの存在に既に気付いているみたいね。私とそいつの視線が交わされる…門の前に腕組みながら立つ彼女は瞳の奥に戦意を滾らせ、速く来い、速く来いと目で訴えていた。

 

「行くわよ…奴さんは準備万端みたいだし」

 

「ああ」

 

様子見はもういいわ、魔理沙を伴って一直線に飛び湖を縦断する。降り立った私たちを見据えると、中華風の女は先に口を開いた。

 

「本当は、もう少し遅めに来て欲しかったのですが…仕方ありません。足止め撃退は門番の仕事ですしね」

 

「おいおい、嘘が混じってるぜ? 私たちを見つけてからずっと熱い視線を送って来たのはそっちじゃないか」

 

門番の言葉にいち早く魔理沙が返すと、赤毛の長髪を鮮やかに揺らしながら鼻で笑い、なおも話し続ける。

 

「フッ…申し遅れましたね、私は紅美鈴。見ての通り門番と、庭師を兼任しております」

 

そう名乗り、美鈴は両の手を前に構えて私たちに会釈した。アレもお国の風習なのかしら? ただの挨拶にしては洗練されているように感じる。

 

「おう! 私は霧雨魔理沙。こっちは」

 

「博麗霊夢よ」

 

私が名乗った瞬間、美鈴はより一層闘気を高めて鋭い視線をぶつけてくる。彼女は静かに、流れる様な動作で見たことも無い構えを取って迎えて来た。

 

「此処は私の正念場、例えスペルカードルールとて一歩も引く気は有りません…背水の陣というヤツです」

 

全く…これは思ったより長引きそうね。妖怪としての格は並かちょっとマシ位だと侮っていたのに、構えたと思ったら何なのよ、こいつの馬鹿みたいな気迫は?

 

「貴女一人で、陣なのかしら?」

 

「私は先に行くぜ! 此処は霊夢一人でーー」

 

「させませんよ」

 

空気を引き裂く轟音、虹色の輝きと共に大型の弾幕が襲来する。地面を抉りながら前進する弾幕は美しく凄烈だったが、私と魔理沙は大きく身を躱して事なきを得た。意外なことに、開戦のペースは向こうに握られてしまったらしい。

 

「お前独りで私たち二人を相手取る気か? 良い度胸だな」

 

「独り? それは違う」

 

武を修める為、磨いて来たであろう美鈴の両脚が、独特の重心移動と動作で大地を力強く踏み抜いた。弾けるような衝撃と音、地面が二度三度と僅かに揺れて、魔理沙も私も、本格的に美鈴を降さねばならない事実を再認識する。

 

「私たち紅魔の者は皆、この異変成就に身命を賭して臨んでいる…! 主の抱いた切なる願い、それを叶えることだけが、我ら紅魔の本懐と知れッ!!」

 

裂帛の気合いに乗せて、美鈴は私たちに虹色の弾幕を所狭しと撃ち出した。数だけなら二対一…この圧倒的不利の中、眼前の美鈴という妖怪は何の躊躇いも無く勝負を挑んで来た。

 

「へへっ…上等だ! 私がお前を抜いて館に入るか!」

 

「アンタが私に勝って魔理沙も止めるか」

 

「お前達が私を討ち倒すかーー!!」

 

 

最後の一言は図らずも、三人同時に同じ言葉を紡ぎ出した。

 

「「「勝負ッ!!!」」」

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

「ハァ…はぁ…はぁ…こんなの嘘、デタラメよ」

 

「ふむ、もう気は済んだのか? 私は漸く君の準備運動が終わったと思ったのだが」

 

もうこれで何度目になるのか…フランドールを口で煽り、対して反撃らしい反撃もしないまま彼女に殴られ放題蹴られ放題だったが、彼女の攻撃は終ぞ私に届くことは無かった。

 

「バカにするなぁっ!!」

 

怒号と共に彼女は何処からか枯れ枝の様な、杖にも似た棒を取り出して有りっ丈の魔力を込めている。さて、次は何を見せてくれるのか。

 

「禁忌ーー《レーヴァテイン》ッ!!」

 

枯れ枝じみた杖に彼女は名を与えると、充填された魔力が烈火の如く燃え上がり、歪な剣の形を成して武器となる。

 

「禁忌ーー《フォーオブアカインド》ッ!!」

 

続け様に何かを詠唱したフランドールは、炎の剣ごと自身の分身を三体、計四人分の制圧力でもって私に疾駆した。

その速度、火力は申し分ない。しかし…彼女には種族としての強大さと特異な能力を差し引いても、明らかに足りないモノがある。

 

「…妹君よ。君には圧倒的に術理が足りない」

 

私は初めて、諸手を上げて彼女を迎え撃つ事にした。

室内を駆け巡り交差し合いながら押し寄せるフランドール。三人分の分身体を一目で見抜き、効率良くそれ等を制する解答を導き出した。身体はそれを達成するに充分な余力を残している。

 

「先ずは一人目」

 

刺突の構えで跳躍してきた一体目を、体を逸らすのみで躱しつつ右拳を見舞う…分身は声も上げられず錐揉み状に吹き飛んだ。壁面に叩きつけられたソレが消えるのを見詰め、背後から袈裟斬りに掛かる二体目を難なく避けて回し蹴りを放つ。

 

「二人目だ」

 

攻撃の初動も速さも彼女に合わせているというのに、反応することも儘ならず二体目は消失した。

 

「くっ…!? うああああああッ!!」

 

本体と残った三体目が同時に剣を振り回す…揺らめく炎はより強く、長大な姿に変わり一撃の重さが更に増す。如何に鋭く重い攻撃も、理を纏っていなければ私に届くことは無い。三体目を重点的に狙って、後出しだったが私の攻撃が先に決まった。手刀、膝、掌底と組み合わせて最後の分身を駆逐する。

 

「はぁ…はぁ…また、消えちゃった…また…ッ!」

 

最後に本体を残すのみのフランドールは、攻撃を即座に中止してまたも私から距離を取った。私の両眼には今の今まではっきりと映っている…ソレを誘き出したかったが為に、此処まで敢えて執拗に彼女を挑発し、好き勝手に暴れさせてやった。

 

そうして彼女は私が意にも介さぬという態度を取る度に逆上し、彼女本来の力を引き出す毎に、狂気の波は彼女の身体から表面化している。

 

元より根拠は無かったが、確信めいたものが私に有った。狂気が彼女を蝕み続け、四百九十五年もの間にどうやってそれを抑えて来たのか。答えは瞭然。狂気もまた心の発露だと言うのなら…心行くまで発散させ、その度に煽り、また引き出させ、彼女の狂気が全て表出するまで耐え凌げば良い。

 

「…フランドール」

 

「はぁ…ふぅ…な、なに!?」

 

彼女は牙を剥きながら私に反応する。彼女の嫌気めいたものを感じようと、構わず言葉を交わさなければならない。

 

「今の君は、私と戦っていて楽しいか?」

 

「楽しいか? ですって…そんなの」

 

不意に、彼女が杖に灯した炎の剣が勢いを弱めた。

これはもう…機は熟したと見るべきだろう。ここまで持ち込むのにかなりの時を要した。この大立ち回りも、そろそろ幕引きせねばなるまい。

 

「そんなの! 楽しいわけないよッ!!」

 

「それは…私が壊れなかったからか?」

 

彼女の狂気の正体。それは彼女の特異な力、異質な翼に向けられた同胞の妄執…それに誘われて寄生虫の如く擦り寄って来た、死した者たちの場違いな怨嗟が妹君を苛む源泉だった。

 

私の眼には映っている、聴こえているのだ。

あらゆる負の感情と…それを生み出した、残酷で厚顔無恥な愚か者共の、筋違いも甚だしい怨嗟と畏怖の声が。もう我慢の限界だ…今この瞬間も聴いているだけで耳が腐り落ちそうなほど、醜悪で無様な妄執の数々。真に不愉快極まり無い。これより私が、その全てを奪い取る。

 

「最初は…そうだったけど。今は戦うこと自体、楽しくなんかないもん…!」

 

彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいた…自分の抱える狂気への恐れ、嫌悪。戦闘や殺戮を介する事で日に日に膨れ上がる狂気と様々な感情が、これまでの彼女の生を如何に無為なものへと変えたことか。

 

「傷付けたくない…壊したくない! このままじゃ、いつか皆を本当に壊しちゃう!! 美鈴も咲夜もパチュリーも小悪魔も、お姉様も!! 皆が私に優しくしてくれるのに、護ってくれるのにーー、私が…私が我慢出来ない所為で」

 

「フランドール」

 

これ以上、泣き崩れる少女を見ていることは出来なかった。何と悲しい定めなのか…突如己に降りかかった災いに、自分だけでなく大切な者達まで翻弄してしまう。自分では抗え切れぬ無力さに震え、咽び泣いたであろう数百年の呪いを…一刻も早く取り除いてやりたかった。

 

「狂気はもう、要らないな?」

 

「ーーーーいらないっ! 私、狂気なんかに負けたくない!!」

 

私は彼女の直ぐ目の前まで駆け寄り、彼女の手を取り望みを問うた。

 

「ならばーーーー強く祈れ、確と願えッ!!君が姉を想い、家族を想って狂気を厭うなら…ッッ!!!」

 

薄暗いこの地下へ訪れてから、一際大きな声と語気で語りかけ、彼女の決意をより強いものにさせる。そうでなければ、彼女はいつかまた狂気を孕む妄執を呼び寄せ、取り憑かれてしまうかも知れない。数多の同胞が懐いた恐怖と下卑た欲望、そして無関係な少女を蝕んだ場違いな亡者の妄執が…フランドールを苛む狂気の正体だと分かった今ならばーーーー、

 

「私はお姉様と、皆と…一緒にご飯を食べて、遊んで、同じベッドで一緒に寝たいの! やりたい事がたくさんあるの!!」

 

「良いだろう、その望み」

 

彼女の心を洗い流し、表出した狂気だけを吸い取る事など…私にとっては造作もないーーッッ!!

 

「この私が叶えてやる…ッ!!」

 

狂気をこの場に固定化させる。

彼女の心を食い物にして産まれる狂気の源泉を奪い取り、周囲に飛散する残滓の一片までもを吸い尽くす。四百九十五年分の狂気など、何れ程のものか…ッ!!

 

「貴様等の恐れ、絶望と妄執、全て根刮ぎ奪ってやるーーーーッッ!!!」

 

「■■■■■ーーーーーーッッッ!!!!」

 

目の前で狂気を吸い出される妹君は、真紅に光る眼を見開き、本来のものではない混沌とした唸り声を上げる。

 

「出て来るがいい…貴様等など、私にとって糧以外の何物でもない…ッ!!」

 

私の一声に呼応する様に、フランドールの身体からあらゆる狂気の源が追い出され、私の身体に収束して行く…私に害などあろう筈も無い。取り零すことなど有りはしない、何故ならこの身は。

 

 

 

 

 

「唯独り…深淵に産まれし力ある者。我は竜…深竜・九皐。この名、我が糧となれど忘れるな」

 

 

 

 

 

「ぁーーう、きゅう…こう」

 

妹君は自身の声で、最後に私の名を途切れ途切れに呼びながら、糸が切れたように意識を失った。身体を地面に打ち付けぬ様に優しく抱き止め、膝を枕代わりに彼女を仰向けに寝かせてやる。

 

「今はおやすみ。次に目が覚めた時…君の生きるこれからは、何よりも輝いている筈だ」

 

安堵の表情を浮かべながら眠る彼女の、目尻に残った涙を不器用に拭った。僅かな笑みのまま静かに眠り続けるフランドールを見届けて、漸く私も事の終わりを感じ取る。

 

「…やれやれ。全くもって、精神に良くない戦いであったな」

 

身体の疲れこそ少なかったが、やはり年端もいかぬ見た目の少女を相手取るのは堪えるものがあった。だが今は、それ以上は止しておこう…先ずは彼女をベッドに運ばなくてはならない。

 

「よく眠っているな…後は、レミリア達だが」

 

部屋の隅に敷かれた豪奢なベッドにフランドールを移して、戦闘の後も無事なまま済んだ運の良い椅子を見つけて腰掛ける。今は待とう…フランドールが目を覚まし、異変成就の為に奮戦するレミリア嬢が、一体何の為に戦っているのかを…この娘に言って聞かせなくては。

 

時計を見れば、今はもう戌の刻も間近という頃。

レミリアが此処を離れてからもう直ぐ一時間といった具合だ。さて…レミリア嬢の他には庭先で逢った美鈴、レミリア嬢の従者である十六夜、持病を取り除いたパチュリーと、その秘書であろう小悪魔を入れても計五名。一筋縄で破られるとは思わないが…異変解決者とは、どういった者なのだろうか?

 

「此処に、紫がいてくれれば助かるのだが」

 

「ええ…コウ様のお望みとあらば、いつでもお側におりますわ!」

 

私の独り言に応えた聞き覚えのある声。私は声のした右方向に首だけ動かすと、紫が頬を赤らめながら笑顔で私の横に立っていた。

 

「………便利だな、スキマというものは」

 

「はい! コウ様のお望み通り、スキマから紫がやって参りましたわ!」

 

可愛らしい仕草と受け応えは大変結構なのだが、どうせなら…もう少し時間を置いてから来て欲しかった所だ。さしもの私も、唐突な紫の登場には少しばかり驚かされる。

 

「まあいい…では紫、一つ聞きたいのだが」

 

「誠心誠意お応えしますわ。なんですの?」

 

「ーーーー異変解決者という者は、一体どのような人物なのだ?」

 

 

 

 

 




一万字を越えるとは思ってもいませんでしたが、今回のお話はコウ、霊夢、レミリアと場面が二転三転。
分かり難いかとも思いましたが、霊夢は異変解決にそろそろ来ないと話がおかしくなるわ、レミリアはフランとコウの戦いを第三者的に語って頂かないと各場面が繋げないわで…すみません(汗)
後書きも長くなりましたので、この辺りで。
読んでくださいました方、ありがとうございました!


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第一章 四 心に光を抱く者

ねんねんころりです。
ようやく一章の四話、投稿と相成りました。
今回も場面転換の連続で引き出し少ないなと今更悔いております。

紅魔館での物語もいよいよ佳境です。
予定では次回で終了とみておりますが、行き当たりばったりの思い付きで話を進めるせいで書いてる自分が混乱する有様…そして今話は主人公の出番ナシという。
重ねて申し上げます、今回主人公の出番は一切ございません!
コウの活躍を期待してくださっている読者様、誠にすみません。それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 霧雨 魔理沙 ♦︎

 

 

『おいおい…コイツはちょっと、いや大分おかしな事になってきたぞ』

 

私は誰も聞いていないだろう台詞を呟き、今目の前にある現状を改めて分析する事にした。

結論から言えば、私としてはかなり面白くない状況だ。

 

弾幕ごっこは基本的に一対一がセオリーだと思っているが、あの美鈴とかいう門番、さっき大見得張っただけの事はあると認めるしかない。

 

奴は常に霊夢と私を射線上に捉えつつ、拳法みたいな構えと共に休むことなく弾幕を放ち続けている。

勿論私も霊夢も当たらないように避け続けるわけだが、不定期に両翼に大型弾幕を展開されるおかげで、奴の直線に誘い込まれた私と霊夢を、更に虹色の光線みたいな弾幕で纏めて狙い撃ちといった戦法を取ってきた。

 

『あの気迫は本物って事かーーいよっと!』

 

私は何とか美鈴の弾幕を躱し、門の上に上昇して抜けようとするが、これがどうも上手くいかない。

まるでこっちの動きを察知して戦われてるみたいで、実に面白くない。

 

『虹符ーー《彩虹の風鈴》!』

 

虹色の小型弾幕が幾重にも連なり、風鈴が風に揺られて回転する様な渦巻き型の波状弾幕。

これを使われてから随分経っているが、霊夢と私はこれを捌きながらアイツの近接攻撃というか、弾幕を纏った突進みたいな攻撃も併用されているせいで反撃が非常に難しい。

 

『夢符ーー《封魔陣》』

 

霊夢もスペルカードを宣言し、御札を飛ばしながら結界網で美鈴をとり囲もうとするが…アイツはそれも織り込み済みとばかりに躱し様に弾幕を放ったり時には打撃で霊夢の弾幕を消してくる。

 

正直、異常とも言える猛攻に霊夢はスタミナ切れを狙いつつ攻撃を加えて拮抗、私に至っては弾幕を避けながら美鈴を抜く方策を見出せず膠着状態である。

 

このまま私も美鈴を倒すのに協力すべきか?

いいや…それじゃダメだ。弾幕ごっこにおける私の流儀に反するし、何より目的が変わってしまう。

 

私が美鈴に吐いた言葉は、アイツを抜いて館内に入る事。

なのにいい方法が思い浮かばない…無理に行こうとすれば思わぬ事故に見舞われるかもしれないし、霊夢は直接やり合ってるから良いかもしれないけど、私としては二人の弾幕ごっこそのものを邪魔する気がそもそも無い。

 

『うっーーーー!? あっ…く!』

 

その拮抗は唐突に終わりを告げる。

やはり、妖怪とはいえ二人を同時に相手して長く保つ筈がない。

加えて美鈴はこれまでの分析から近接主体の妖怪である事も判明した。

 

妖怪の体力は人間に比べて無尽蔵に近いが、不得手な弾幕ごっこになってはさしもの門番も息が荒くなる。

先程までは空中を駆けながら霊夢と一進一退を演じていたが、私の事も阻みながらとなるとその難易度は計り知れなかったろうな…。

 

『はっ…はぁ…はぁ…まだ…!』

 

一時間…一時間休むことなく、美鈴は動きっぱなしの弾幕打ちっぱなしだった。驚嘆に値するって…こういう時に使うんだろうな。

大健闘と言って恥ずかしくない結果なのに、それでも美鈴は諦めていないらしい。

 

『ねえ』

 

不意に、霊夢は空中に浮いたまま立ち尽くし、美鈴に向かって声をかけた。

 

『魔理沙だけでも行かせたら?』

 

『はぁ…はぁ、それは、出来ない相談です…誓いを破ることになる。それだけは出来ません…!』

 

『もうどれだけ経ってるか分かってるでしょ? 凄い弾幕と近接の合わせ技だけど…今や息も絶え絶えで、致命打も二人相手じゃ望めない。このままじゃあんた、妖力が尽きて死ぬわよ?』

 

霊夢の言葉に、美鈴は沈黙で返す。

息を整え、弾幕も撃たず回復に努めているのは明白だ。

私たちは異変を止めに来た立場でも、殺し殺されをやりに来た訳じゃない。私も霊夢も、敢えてそれを見送った。

なのに…

 

『私が例え、ここで力尽きても…私の立てた誓いは守られる! 私は誇り高き紅魔の門番だッ!! ここを通りたいのなら、決死の覚悟でかかって来いッッ!!』

 

倒れかけながら、限界寸前の身体に鞭を打って膝を屈さず、目の前の妖怪は勇ましく吠えた。

 

『そう…面白いやつね、美鈴だっけ? あんた…私が今まで遭った妖怪の中でも、指折りの変わり者だわ。主従ってだけの間柄の相手に…そこまで出来るなんて』

 

そう言って、霊夢は一つ高い空域へ飛翔した。

これで決まるかもな…アイツ、当たりどころが悪くて死ななきゃ良いんだが。

 

私にはもう、この戦いを見ずして先へ行く気は完全に失せてしまっていた。

何だろうな…多分、綺麗だったからだよな。

弾幕も、それを撃つアイツも、その真っ直ぐなやり方も。

 

『霊符ーー《夢想封印》』

 

霊夢のスペルカードが宣言される。

光の玉が霊夢から幾多も放たれ、美鈴を取り囲む軌跡を描いて寄り集まっていく。

 

霊夢も大概不器用だよな…アイツ運が悪けりゃ死ぬかもしれないのに、それでもかかって来いなんて啖呵切られてその通りにしてやるんだからさ。

 

『申し訳ありません…お嬢様。お先に、失礼致します』

 

光に飲まれる美鈴の口からは、尚主人を慮る言葉だけが紡がれていた。

なんだろうなぁ…なんかさ、スゲー複雑な気分だ。

悪い奴じゃないって分かっちまっただけに、死んでませんようになんて…どっかで祈ってる自分がいる。

 

『ーーーー誰の許しを得て、暇を貰おうとしているの? 美鈴』

 

『なんだ…!?』

 

何処からか聞こえた女の声が、美鈴が今まさに霊夢のスペルカードの前に沈むって時に聞こえてきた。

 

霊夢の放った夢想封印の光が収束して行く。

その後には、倒れているであろう美鈴の姿は何処にも無かった。

 

『この場は、貴女たちの勝利です。ご覧の通り、門は開いておりますので、どうぞ中へ』

 

『『ーー!?』』

 

声がした方向に眼を向けると、そこには給仕のような衣服を纏った女が一人。

見た目は私と霊夢の一つ上か二つ上か、もしかしたら同い年かもしれない。

だがそれよりも…あんなヤツ、一体いつから門を開けてあそこにいたんだ?

 

『………』

 

気配も何も無かった。

流石の霊夢も突然の新手の出現に警戒レベルをかなり引き上げている。

私たちの思案を他所に、門前で客に対する様に姿勢を崩さない女は再度言葉を発する。

 

『異変解決者の御二方、どうぞ館の中へお入り下さい』

 

『そう…気が利くのね』

 

『メイドですので』

 

言うだけ言って、給仕…いやさメイドの女は先を歩いて行ってしまう。

美鈴がどうなったのかとか、どうやってあの女は門の前に現れたのかとか知りたい事は山ほど有ったが、霊夢は促されるままついて行ったので私もそうすることにした。

 

門を潜り、庭を抜け、館の中にようやく入ることが出来た。エントランスホールは館の外観よりもなお広く、そして壁紙も絨毯も赤一色に揃えられていた。

 

『魔法使いのお客様は、こちらの道を真っ直ぐ行かれますと図書館へ続く下りの階段が御座いますので、其方へ』

 

『図書館?』

 

『左様でございます。当館の図書館には様々なジャンルの蔵書があり、中でも外の世界では大変貴重な魔道書や魔術書が多くーー』

 

『魔道書!?!?』

 

『はい。ですので、ご興味がおありでしたらーー』

 

『ありがとうだぜ〜〜〜!!』

 

私はメイドの話を聞き終える前に、一目散に指示された道を箒に跨って飛んだ。

待ってろよ! まだ見ぬ貴重な魔導書たち!

 

 

♦︎ 十六夜 咲夜 ♦︎

 

 

 

『どういうつもり?』

 

私の前に残ったのは、紅白の巫女服を着た少女。

異変解決を生業とする博麗の巫女一人。

彼女は私の持て成しに対して不審げに問いを投げてきた。

 

『どうもこうも無いわ。ただ、邪魔な魔法使いには別の催しを用意しただけだもの』

 

『ちょっと? さっきの馬鹿丁寧な言葉遣いは何処へ行ったのよ?』

 

『当たり前よ。貴女だけは、私に嫌でも付き合って貰う』

 

私の先程とは対照的な反応にも、眼前の巫女は怯みもしない。怯むどころか、むしろ当然といった風な面持ちで佇むのみだった。

 

『私の時間は私のモノ、貴女の時間も私のモノよ。お嬢様が貴女を迎える前に、貴女にはこの館を彩る赤いシミの一つになって頂くわ』

 

『あんた人間よね? ただのお世話係に相手が務まるほど、私は甘くないわよ?』

 

博麗の巫女は私の言葉に一つも揺らぐ事無く、右手に持ったお祓い棒を静かに構えた。

 

『いいえ、私は紅魔のメイド長。お嬢様方の完全で瀟洒なただ一人のメイド。ネズミの掃除も私の仕事よ』

 

ネズミと巫女に吐き捨てて、私の側に何十という数のナイフを展開する。巫女は頭を二、三度搔き毟り、ウンザリしたような素振りで宙を舞う。

 

『ネズミって…招き入れたのはあんたでしょうが!』

 

これにて開戦。

私と巫女は互いに敵意剥き出しのまま、睨み合いながら弾幕ごっこへ突入した。

 

『美鈴の事で貴女を恨んでいる訳ではないわ。あの娘は自分の立てた誓いの為に戦い破れた。だから私も、私の立てた誓いの為に貴女を倒す!』

 

『どいつもこいつも…やり難いったらないわ!』

 

博麗の巫女にとっては、予備動作なしのナイフの雨。

空間に突如として出現し、その射程の長さと連射性によって動きを制限し体力を削る。

 

右と見れば左、前と見れば後ろから…私の《能力》がナイフの軌道と密度の分析をより困難にしていた。

 

『私の世界で自由なのは私だけ…貴女に入り込める余地は無いわ!』

 

『さっきから言ってる事が訳わかんないのーーよっ!』

 

博麗の巫女はお祓い棒で宙空から射出される無数のナイフをいなし、身体を器用に捻って次のナイフを躱す。

手刀で、蹴りで、ナイフを弾きつつ私へ的確に御札を放ってくる。

 

だけど無駄。

私に大概の攻撃は通用しない、それこそが私の《能力》による副産物。

私にコレがある限り、お嬢様以外の誰も、私の時間については行けないーー!

 

『幻世ーー《ザ・ワールド》!』

 

時よ止まれ。

この世界の何処にも…普遍のモノなど存在しない。だからこそ、止まった時の中でなら…私の世界の中でのみ、あらゆるモノは美しい。

 

『……これが幕引きよ、博麗の巫女。貴女が幾ら強かろうと、時の流れには抗えない。それは時間そのものが動いていようと、止まっていようと同じこと』

 

私の力、《時間を操る程度の能力》。

その名の通り、私は何秒間か世界の流動を停止させられる。五秒か六秒か…使っている私も変な気分だけど、それくらいの時間を止めていられる。

 

その中で、唯一私だけが自由に動ける。

使用の条件もインターバルも必要ない…ただ余り使い過ぎると、私の身体は止めた時間分の反動に耐えられなくなる為、お嬢様から連続での使用は控える様に厳命されている。

 

『ナイフの数は自由自在、ナイフが存在する狭い空間を固定化しナイフだけを取り出せば…その数は倍々に増やせる。貴女に向けられた切っ先は計六十四本。全方位のナイフの結界に沈みなさい』

 

博麗の巫女を取り囲む形で配置したナイフ。

それらには指向性を持たせ、標的に向かって何度か屈折する仕様にした。

貴女の敗北は必至…死なないことを祈ってるわ。

 

『時は動き出す』

 

一つ指を弾き鳴らし、止まっていた時間が動き出す。

時間を再び動かした時、私は動いた分の運動エネルギーを消費する。

 

巫女の眼には一瞬にして無数のナイフが現れたようにしか見えていない。

ナイフは彼女の半径数十センチ以内に巡らせている。

これでーー

 

『《空を飛ぶ程度の能力》』

 

『なっ…!?』

 

どうして…どうして反応出来たの?

いや、それよりも今何をした?

彼女に向かったナイフが今、身体を貫かんとした刹那…巫女の中をすり抜けたーー!?

 

『博麗の巫女…貴女、なにをしたの』

 

『なにって、能力でナイフの攻撃から浮いたのよ。いきなり目の前にやたら出てきたから思わず使っちゃったわ』

 

攻撃から、浮いたですって?

なるほど…それが博麗の巫女の能力なのね。

思わず使ったという口振りから、私の止めた時間そのものを認識している訳では無いようだけど…これは不味い事になってきた。

 

『そう。厄介ね』

 

外面の上では何とか平静を取り戻して、巫女を打破する為の材料を洗い直した。

能力、体術、弾幕、地の利…どう再計算しても、今一歩巫女への決定打を見つけられない。

 

『あんたも大概でしょ。ナイフが急に現れたり瞬間移動したり…しかも私が気付かない間に。それも能力? だとしたら、空間を弄ったり時間でも操ったり出来る代物でなきゃ到底成し得ないわ…そっちこそ厄介よ』

 

おまけに感も鋭いときている。

確証がある訳でも無いでしょうに、そういうものだと彼女は勝手に結論づけた。

 

使用後の態度や呼吸のリズムから、巫女の能力にはリスクや条件にこれといったものは無いと分かる。

此方は時を止める度に反動を受けるのに、相性だけで言えば可もなく不可もなく。

けれど、使用限界がある私の方が不利だと悟った。

 

『あと…さっきから巫女巫女って、私には博麗霊夢って名前が有るのよ。冥土の土産に憶えておきなさい』

 

『霊夢…ね。名乗られたからには私も答えるわ…私は十六夜咲夜。貴女なら、天に召されても雲みたいに浮いていられるのかしら?』

 

視線が交じり合い、互いにふと笑みを零し合う。

不思議な気分…この戦いは私が力尽きるか、彼女の反応が遅れるかの千日手になるかも知れないのに、私には譲れないモノが有るのに。

 

『ちょっと楽しくなって来たわ!!』

 

『当たり前でしょ? 弾幕ごっこは、楽しいのが一番の醍醐味よ!』

 

ナイフと御札、時間と浮遊、それぞれの力と技、弾幕の嵐が激突する。

 

お嬢様…もし、貴女と私たちの誓いが果たされて、それでもなおこの楽園で生きられたなら。

私にとって…これ以上の幸せは無いかもしれません。

 

 

 

♦︎ パチュリー・ノーレッジ ♦︎

 

 

 

爆音と衝撃、それらが絶えず館に響き始めてから約三時間。異変と私たちの趨勢を決める戦いが、今もこの紅魔館で続いている。

 

『パチュリー様? 行かれなくてよろしいのですか?』

 

『ええ、小悪魔。咲夜が言っていたでしょう? 此処で待っていれば、咲夜が侵入者の片割れを図書館に誘導してくれるわ』

 

小悪魔は侵入者の報せを聞いてから挙動不審だが、私はそれを宥めつつ咲夜の言った片割れとやらの登場を待っていた。

 

『と〜〜〜〜〜〜ちゃくっ!!』

 

噂をすれば影。

奇声を上げながら、古めかしい魔女の装いの少女が私の前に現れた。

 

『此処がメイドの言ってた図書館だな!? うおおおおおおおお! すっげ、すっげえ! マジで本だらけーーーーん?』

 

『ようこそ、侵入者さん。貴女も本がお好き?』

 

そう告げて迎えると、デスクに座った私と小悪魔を交互に見て、彼女は抜けるような笑顔で応答した。

 

『ああ! 本は大好きだぜ、特に貴重な魔導書とかな!』

 

やはり、彼女も魔道に身を寄せる者なのね。

同業者には暫く出逢っていなかったから、少しくらいもてなしても良いかも知れない。

 

『それは気が合うわね。良かったら、何冊か読んでみるかしら?』

 

『良いのか!?』

 

『構わないわ…私も魔法を研究して、魔女になってから随分経ったけど、気持ちはよく分かるもの』

 

不器用ながら微笑んで返すと、箒に跨って飛んできた少女は望外の喜びのように跳んで跳ねていた。

 

『それに、丁度お茶を飲んでいたの。貴女も飲む?』

 

『頂くぜ!』

 

『そう……ならこっちに座りなさいな』

 

『ど、どうぞ…私が淹れた紅茶なので、その…粗茶ですが』

 

小悪魔がおずおずと白黒の少女にカップを差し出す。

図書館の備品として置いてあった椅子に彼女は腰を下ろし、出された紅茶を一口、二口と嚥下した。

 

『私は霧雨魔理沙。赤い霧を起こした原因が此処だって分かったから来たんだが…どうやら私の出番はないみたいだぜ』

 

『パチュリー・ノーレッジよ…それは何故かしら?』

 

『うん…一つはまあ、私の友達がいるからかな。アイツ滅茶滅茶強くてさ。あの門番、美鈴…だよな? 弾幕ごっこと言ったって、美鈴の攻撃に掠りもせずソイツは圧勝だったわけよ…私も負けたくないから色々やってるけど、まだ勝てたこと無くてさ』

 

美鈴が、一発も当てられずに負けた…?

拳法や武器といった近接が主体の美鈴が、幾ら弾幕ごっこが苦手とはいえ。

 

『まぁ…正確には、美鈴が私とその友達、霊夢って言うんだけどさ? 私たち二人を相手にするって言い出してな。結局、私は弾幕を避けるだけで何もしなかったんだが』

 

『……馬鹿ね、美鈴。貴女一人で背負うようなモノでもなかったのに…頑張って、くれたのね』

 

私は魔理沙を前にして、堪えきれず目頭が熱くなってしまった。側に控えてくれている小悪魔も、今にも溢れそうな涙を必死に耐えている。

 

『それでさ…最初は私も無謀だなあとか他人事みたいに思ってたんだけどーー』

 

『だけど?』

 

『うん。異変解決しに来といて何考えてんだって話だけどさ…綺麗だったんだよな、アイツの弾幕。妖力尽きかけて死ぬかもしれないってのに、私たちを通すまいとして必死にさ。苦しくても辛くても譲れないって叫んだ美鈴が、カッコイイなって思っちまったんだよ。そしたらさ、弾幕も撃ち返さずに避けるだけ見てただけの私なんて……戦う前から負けてるじゃねえか』

 

美鈴…本当に、本当に馬鹿な娘。

愚直で、妖怪の癖に情に篤くて…実に見事だわ。

それこそ…紅魔の門番に相応しい大活躍だったのね。

 

『ありがとう、霧雨魔理沙。美鈴の勇姿を、私たちに教えてくれて』

 

『ひぐっ…うっうぅ…! 美鈴ざぁん!!』

 

『お、おい! 美鈴はメイドが間一髪のところで助けたみたいだからさ! そんな泣くなよ!?』

 

はたと横を見ると、小悪魔はもう顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまっている。

語ってくれた魔理沙も小悪魔の余りの号泣ぶりに慌ててしまっている始末だ。

 

小悪魔が泣き止むのを待つこと数分。

涙鼻水塗れの顔を洗って来ると告げて小悪魔は席を離れ、図書館には私と霧雨魔理沙の二人きりになった。

 

『参ったぜ…直接見てた私より感情移入されちまった』

 

『当然と言えば当然よ。私たちは生まれも育ちも違うけど…紅魔に住まう者は皆、お互いを家族として見ているから。勿論私もね』

 

『そっか…家族か』

 

私の言葉に、霧雨魔理沙は否定も肯定もしない。

ただ彼女の眼は何処か遠くを見つめていて、此処にいない誰かを想っているようでもあった。

 

『それで…最初の話に戻るのだけど、霧雨魔理沙』

 

『魔理沙でいいよ。私もパチュリーって呼ぶから』

 

『じゃあ、魔理沙。貴女は、今後此処の蔵書を無条件に閲覧して構わない。此処で読むも良し、自分の工房に持ち帰るも良し…けれど、一つだけ提案が有るわ』

 

魔理沙には、この提案を是非飲んで貰いたい。

美鈴の姿に感じ入るものがあった貴女だから、他者の努力と奮戦を認められる貴女だから。

人も妖怪もない…心の光を汲み取れた貴女なら。

 

『異変解決を諦めるってのは、無理だぜ? もうこの異変は完全に霊夢の管轄だ。かと言って私は、今更パチュリー達に手を貸すことも出来ない』

 

『いいえ、魔理沙…貴女にはーー』

 

貴女は美鈴の姿を見て、その勇姿を認めてくれた。

友人の強さを知っていて、自分が追い掛ける側だと貴女は正直に語ってくれた。

だからこそ、魔理沙。そんな心の強さを持った貴女にーー

 

 

 

『フランドールを…私たちの家族の心を、貴女に救って欲しいの』




今回はこれまでより文字数少なめでお送り致しました。
コウの出番がないとこんな風になるのですね…。
次回が明らかに長くなりそうでしたので、切り上げられるところでやっておかないとと言い訳を少々。

気合い入れて、次回を執筆したいと思っております!
読んでくださった方、誠にありがとうございます!


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第一章 終 紅い夜に 前編

遅れまして、ねんねんころりです。
予定外の文章構成と量に悩まされ、今回は紅霧異変の締めをくくる部分を前編としてお送りします。
後編はなるべく早く纏めたいと思っています。

稚拙な文章、厨二全開の物語ですが、それでも良い方はゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

『以上が、当代の博麗の巫女、博麗霊夢と普通の魔法使い、霧雨魔理沙の人物像ですわ』

 

『うむ…やはりお前が居てくれて助かった。手間を掛けさせたな、紫』

 

『いいえ! コウ様に満足して貰えて、私もお話した甲斐があったというものです!』

 

金糸の髪の美しい彼女、紫は和かに応えてくれた。

博麗の巫女は特定の血族や血筋に連なる者が名乗るのではなく、その役割に相応しい能力を有する人物を時が来たら選定するらしい。

 

今代の巫女…霊夢という少女は巫女としての修行には特段積極的ではないが、日常生活が自然と修練に則しており、持ち前の才覚と直観力は歴代最高峰とされる。人柄は一見怠惰に見えるが、その心根は高潔であると周囲は評価している。

 

そして普通の魔法使いと称される霧雨魔理沙。

此方は霊夢の良き友人であり、幼少の頃から魔道を志し家を飛び出した程の行動力。加えて日々の研究と努力を影で怠らない性格だという。側からは言動の突飛さは目立つものの、頼れる存在のようだ。

 

『それではコウ様、先ほどはあの様に申しましたが、今は異変も終端に向かいつつあります。事後処理の為、この場はこれにて』

 

『ああ…呼び付けたようですまないな、紫』

 

『構いませんわ。またいつでもお呼びになって下さいな。

ですが、一つだけ…宜しいですか?』

 

『なんだ…?』

 

『ーーーー、何でも、何でもありません。それでは』

 

紫はスキマに消え去る最後まで、私に言い淀んだ言葉を紡がぬままだった。だがな紫…私にはお前が本当に言いたかった事が何なのか、もう分かっている。私は君の優しさに甘えて、本来踏み入るべきではない所にまで来た。そればかりか…私は此処で二度も力を使い、君との約束を破り彼女らを助けた。すまないな紫…私も、君に本当に伝えたかった言葉を、伝えられなかった。

 

『ん…んぅ。あ、れ? 私のベッドだ…どうして』

 

『起きたか、妹君。何処か痛む所は無いか?』

 

『あれ…お兄さん…あ、キュウコウさんだっけ。此処まで運んでくれたの? 』

 

彼女はベッドから起き上がり、瞼を擦りながら私を見つめている。どうやら後遺症の類は無く、当然だが怪我も無い。反応は至って正常…無事に狂気は奪えたと再確認出来た。

 

『うむ…狂気を残さず取り除く為に、君には無茶をさせたな。あと、私の事はコウと呼び捨ててくれ』

 

『うん…分かった。でもね、コウ…謝るのは私のほうだよ。だからごめんなさい、迷惑かけて』

 

『この程度は迷惑などとは言わない。それに、私自身もレミリア嬢の願いを叶えてやりたかった。だからもう、気にすることは無い』

 

私の言葉に、彼女は事情のある程度を察したらしい。妹君は困ったように笑いながら、目には大粒の涙を流していた。

 

『お姉様…お姉様が、コウを此処に連れて来てくれたんだね。ねえコウ…私どうすれば良いのかな? こんなに嬉しいのに…お姉様の所に今すぐ行きたいのに、まだ怖いよ。負けないってコウと約束したのに…それでも怖いよ…!』

 

彼女の抱く怖れ、それを打ち消してやれる答えを、私の口から言うことは出来ない。私が出来るのはフランドールの狂気を取り除いてやる所まで。私はこの異変に…姉が妹の為に起こした異変に、これ以上関わる事は許されない。

 

だからあの時、紫はすぐさまこの場に来たのだ。彼女は私に好意的で誠実だが、同時に楽園に係る事態を管理する立場にある。本来ならパチュリーの病や、妹君の狂気を皆が受け入れた上で、この異変は解決されなければならなかったと…今になって考えてしまう。

 

しかし私は…一時の憐憫と偽善で紫の楽園に込めた想いを踏み躙ってしまった。行動の結果に後悔は無いが、それでも紫の厚意に泥を塗った。今の私には、願うことしか出来ない。浅はかな私を頼る幼い心の吸血鬼を、再び奮起させられる当事者の存在を。

 

『すまない…フランドール。私にはーー』

 

『お前だな!パチュリーの言ってた吸血鬼! 名前は…フランドール! だよな!?』

 

突然後方から聞こえた声に、私は不覚にも気づかなかった。妹君も椅子に座る私の背後にいる者を見つめ、彼女はその場から立ち上がった。

 

『そうだよ。私はフランドール…それで、貴女はだれ?』

 

『おう! 私は霧雨魔理沙、パチュリーから頼まれて、お前と弾幕ごっこしに来た魔法使いだぜ!』

 

まさか、此処で件の霧雨魔理沙が現れるとは…これは情けだ無い私への当てつけか幸運か。どちらにしろ…彼女の言葉通りなら、或いは。

 

『そうなんだ…でもごめんなさい。今はそんな気分じゃなくて』

 

『なんだあ? せっかく自由が手に入るかもしれねえのに、みすみす手放すような真似してさ…はあ、これじゃお前の姉貴やら美鈴やらも浮かばれないな』

 

『なんですって…?』

 

此処に来たばかりの、霧雨魔理沙の容赦ない否定がフランドールを糾弾する。一体何処まで知っているのか…彼女は明らかに、フランドールを此処から連れ出そうとしている。パチュリーがその為に、彼女にある程度事情を話していたとしたら筋は通るが…些か直情的な物言いだ。

 

『幻想郷でど偉い異変まで起こして助けようとした奴が、蓋を開けりゃこんな臆病者だったと知ったら、情けなくて家族が泣くぞって言ってんだよ。悔しかったら反論してみろ!』

 

物怖じしない魔法使いは、震える程拳を強く握るフランドールへ更に捲したてる。

 

『じゃあどうしたら良いのよ!? 私はもう誰も傷付けたくない! 負けないって思っても怖いものは怖いのよ! 足が竦んで…また諦めて! うんざりなのは私の方なのにーーーー!!』

 

『自分で決められないなら、私が決めてやる…これから、お前と私でゲームをしよう。そんで私が勝ったら大人しく部屋を出ろ! 出たら真っ直ぐ姉貴の所に行け! でないと、私の友達が姉貴を倒して手遅れになるぜ?』

 

『…っ! 分かったわよ、やってやるわよ。ゲームでも何でも! 壊れちゃっても、知らないんだから!!』

 

図らずも、フランドールが魔理沙に向けて放った魔弾が、二人の弾幕ごっこの引き金となった。

 

『そう来なくちゃな! ルールは簡単! 直接身体が触れ合うのはダメ、弾幕で相手に先に一発クリーンヒットさせたら勝ちだ!』

 

『負けない! お姉さまも、貴女の友だちなんかに負けたりしないっ!!』

 

霧雨魔理沙はフランドールをスペルカードルールによる決闘の場に引きずり出した。

 

『この! この!』

 

『はっはっはっはっは! なんだそのヘナチョコ弾幕は? それじゃあ美鈴の弾幕の方が百万倍やり難かったぜ!』

 

二人は宙を舞い、弾幕の雨を交差させる。

魔法使いは妹君を挑発し、箒を巧みに操って空に軌跡を描く。霧雨魔理沙は妹君の制空圏を侵犯しながら、星形の弾幕を無数に撃ち出した。

 

『そんなもの! 当たるもんか!』

 

フランドールも対抗して数だけは同等以上に放つのだが、如何せん規則性も無く前後に展開していた弾幕と相殺させてしまう始末だ。

 

『なんで、なんで私の方が…!』

 

『当たり前だろ! この霧雨魔理沙さんは弾幕ごっこにかけては超一流だ! 今さっき始めた奴に負けるかよ!』

 

帽子をはためかせ、軽やかに飛び回る彼女の発言は勝負を持ちかけた側としては元も子もない。だが、事実その通りの状況の所為か妹君は益々追い詰められている。対して霧雨魔理沙の放つ星形の弾幕は豪快にして鮮烈だった…物量や威力だけの無粋なモノではなく、見る者を魅了する華がある。

 

『これで終わりか? なら負けて悔しがる前に覚えとけ! 弾幕ごっこは綺麗でなんぼだ! そして何よりも…弾幕は、パワーだぜっ!!』

 

箒に深く身体を預け、霧雨魔理沙は速度を増してフランドールを翻弄する。だが、フランドールにも吸血鬼としての優位性は残っている…純粋な砲手としての機動力、弾幕の威力なら決して霧雨魔理沙に劣らない。

 

『なに言ってんのよ! 私の弾幕の方が、綺麗に決まってるでしょ!』

 

そうして何度目かの撃ち合いの中で、私と霧雨魔理沙の待ち望んだ変化が訪れる。何時からかフランドールに、これまでとは違う反応が現れていた。

 

『私の弾幕の方が絶対に美しいわ! 私はお姉様の、レミリア・スカーレットの妹なのよ! 古めかしい魔法使いのセンスに負ける筈ない!!』

 

『へっ…そうかよ! だったら、その自慢の弾幕を私に見せてみろ!』

 

妹君の口元には…僅かな笑みが生まれていた。それは小さな切っ掛けだったが、魔理沙が彼女にさらなる飛躍を求め、乗せられたフランドールは徐々に、抑えていた力と健やかな感情を開花させてゆく。

 

『おっと!? 今のはちょっと危なかったぜ…でも、勝つのは私だ!』

 

『いいえ! 勝つのは私!貴女なんかに決められなくたって、自分のことくらい、自分で決められるって証明してやる!!』

 

嗚呼、フランドールよ…君は気付いているだろうか。君は今、自分で自分の道を決めると魔法使いに言い放ったのだ。それこそが…先程までの君に欠けていた、心の強さの証明だ。何よりも君が欲し、他者と触れ合う為に持つべき心の光…君は遂に、自分の力で勇気を手に入れた。

 

『QEDーー』

 

『恋符ーー』

 

星の輝きと月の煌めきを宿した弾幕の中で、魔法使いと吸血鬼は笑い合う。

 

 

 

 

 

『ーーーー《495年の波紋》ーーーーッッ!!!』

 

『ーーーー《マスター・スパーク》ーーーーッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

月光の如き波紋、天を衝く一筋の流星がぶつかり合う。

その光景は筆舌に尽くしがたい程美しく…長き時を耐え続けた彼女の新たな門出を、祝福しているものと感じ入った。暫くの拮抗の後…フランドールと霧雨魔理沙は最後のスペルカードの応酬に一歩も退かず、互いを撃ち抜く形で幕を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

エントランスホールに辿り着くと、そこには服の所々が切り裂かれた博麗の巫女と、彼女の前でうつ伏せに倒れる咲夜の姿があった。ホールの所々が抉られ、四方には投擲され突き刺さったナイフが散見され、咲夜が如何なる決意と気迫で戦いを挑んだかを教えてくれる。

 

『死んじゃいないわよ? ちゃんと弾幕ごっこで決着したわ…咲夜は能力を使う度に弱っていって、最後は私の判定勝ちってところね』

 

分かっていた…この結果に帰結する事は、私が垣間見た運命に克明に記されていたこと。けれど…ありがとう咲夜。貴女の勇姿を直に見ることは出来なかったものの、私の言いつけを破ってまで巫女と戦い続けたことなんて…巫女に言われずともちゃんと伝わっている。何せ私は、貴女の主なんだから。

 

静かに歩み寄り、可愛い私の従者を抱える…身体ばかり大きくなっても、咲夜は羽根のように軽かった。愛すべき家族をゆっくりと壁際に凭れさせ、振り向きざまに巫女へ告げる。

 

『付いて来い。次で正真正銘、最後の戦いとなる。この階段の先が、私と貴女の舞台よ』

 

決着の場は、最上階に位置する時計台の外側。沈黙のまま素直について来た博麗の巫女に、私は改めて挨拶した。

 

『ようこそ我が紅魔館へ…私の部下を降し、よくぞここまでやって来た。それでーーーー貴女は私に何の用?』

 

『何の用って…そうね、あんたが張った霧を今すぐ晴らしなさい。ウチの洗濯物が乾かなくて困ってるのよ』

 

洗濯物ときたか。

反応を見るにそれも別段嘘では無さそうな辺り、食えない奴だ。無表情とも仏頂面とも取れぬ顔付きが太々しさを割増しにしている…思った通り厄介そうなタイプと見た。

 

『悪いわね、そういった生活の面に疎くて。その為に雇っていたメイドだった訳だけど』

 

『そんな箱入りお嬢様が相手なんて、一撃でお終いよ』

 

『そうなるかどうかは、自分で確かめて頂戴』

 

他愛もない話題は此処までにして、そろそろ始めよう。

紅い満月に照らされて、吸血鬼の私は十全に力を発揮できる。妖力を惜しげも無く解放し、この巫女を打倒することだけを頭の中で考える。

 

『ふぅん…あんたは、妖怪の中でも本物の方ってわけか。嫌になるわ、こんなに月も紅いのにーーーー』

 

『光栄ね…けれど私は、其処らの本物とも一味違う。さあ、こんなに月も紅いからーーーー』

 

巫女は御札と棒を手に、私は牙を剥き翼を広げて…互いの言葉と力を示す。

 

『楽しい夜になりそうね』

 

『永い夜になりそうね』

 

 

此処より先の運命は、様々な不確定要素が重なって…今は私の目にも映らない。だがそれでも良い…私は幻想郷を手に入れる。最早これだけが、私があの娘に贈れるなけなしの宝物。

 

『神罰ーー《幼きデーモンロード》』

 

魔法陣からばら撒いた数百を超える魔弾と光線の中を、巫女は空中を泳ぐように躱して行く。時折巫女が繰り出す御札と杭みたいに長い針の弾幕を難なく弾き、お返しに全方位への弾幕で一つ一つ退路を潰す。

 

『ちょっと! 弾幕ごっこの割には威力が高すぎるんじゃないの!?』

 

『その方がスリル有るでしょう? 弾幕ごっこだって、偶には事故死する間抜けな奴もいるわよ…きっと』

 

巫女が遠方から何事か怒鳴っているが、それを無視して更に魔弾の数と密度を増やして追い込みを掛ける。

 

『本気で殺すわよ』

 

微かに呟くと…巫女は聞こえていたのか、初めて私に瞠目した。私は負ける訳にはいかない…私に敗れるなら、博麗の巫女もそこまでの奴だったと思うしかないとあの妖怪の賢者は宣ったのだ。ならばそれを現実にしよう、そして私は楽園の全てを手に入れるーーッ!!

 

『あんた、本気なのね。疑ってた訳じゃないけど…あの門番も、咲夜も相手を殺したくて戦ってる風じゃなかった。でもあんたは違う。理由なんかどうでも良いけど…あんただけは、最初から私を殺す気だったってことね?』

 

『何を今更…私はこの楽園が欲しいから、幻想郷の守護者である博麗の巫女を誘き出し殺す為にこの異変を仕組んだのよ。でなければ、私が邪魔の入らぬ様に八雲紫に予め言い含めた意味が無いッッ!!』

 

奴は真剣な面持ちのまま、私の波状攻撃を避ける事に徹していた。私の言葉の真偽を確かめているのか、それが分かった所で意に介していないのかは分からない。

 

『夢符《封魔陣》』

 

巫女がここにきて初めての攻勢に出た。御札の結界を周囲に張り巡らし、その内部から針による攻撃を行いながら突っ込んで来る。

 

『あんたがそのつもりならそれでも良いわ! 私も本気であんたを潰す!』

 

『フンッ…漸く馬脚を現したわね! そうよ! 最初からそうしておけば良かったモノを。だがもう遅い! 既に貴様は私の運命に絡め取られている!!』

 

私の《運命を操る》力は確率と因果律を垣間見、組み替え、手繰り寄せる。命中する筈だった針は、射線上から動かない私を避けて通る。結界を張りながら肉薄した巫女をより近くに引き寄せ…奴が棒を用いて攻撃を仕掛けてくるより速いタイミングで、私は拳を振り抜いた。

 

『読めているわよ』

 

『これはーー!? ぐっ…!!』

 

奴の咄嗟に前に構えた棒が、辛うじて私の攻撃を受け止め切れず後方へ巫女の身体ごと後方へ押し戻す。賺さず高速で接近し、至近からの魔弾で結界を消し飛ばした。ヴァンパイアの腕力に任せて振り切った拳は、巫女の口元に多量の血を流させた事でその威力を物語っている。

 

『むぐっ…! ぺっ! このクソ吸血鬼…馬鹿力にも程があるわよッ!!』

 

血溜まりと見紛うほどの量を吐き出して、巫女は尚悪態を吐いた。思い付きの奇襲にしては上等な成果だ。

 

『そのまま血の海に沈め、でなければ消えろ。私と貴様では、この戦いに賭ける想いが違う!!』

 

魔法陣を自動で弾幕を射出する式に切り替え、援護射撃という名の陽動を背後に単身巫女へ肉弾戦を仕掛ける。

 

『お前にも体術の心得はあるようだけど、同じ技量としても速さと力はわたしが上だッッ!!』

 

伸ばした爪で肩口の皮膚を抉り、痛みと衝撃に身をよじる巫女に蹴りを見舞う。躱し切るのは不可能…因果律を組み替え、突如反応を鈍らせた巫女の身体を薙ぎ払う足から、奴の骨を痛烈に砕いた感触が伝わる。

 

『がっ!? こ、のぉ…しつっこいわねぇっ!!』

 

前面に有りっ丈の札と針を押し出され、視界を曇らせた私から巫女はまたも距離を取った。

 

『今なら四肢を斬り落とす位で許してやるわよ? どのみち脇腹が折れた今では同じ事だろうけど』

 

『はぁ…! はっ…! 伸びた鼻っ柱も、そこまで行けば大したものね。そういう所は嫌いじゃないわよ、クソ吸血鬼』

 

先程から感じてはいたが、こいつは能力を使った素振りがまるで無い。悪態は止まないものの、私を嘗めているよりむしろ認めている節さえ有る。

 

『能力を使うなら今しかないわよ』

 

『弾幕ごっこやスペルカードルールの領分も踏み外したクソ吸血鬼の癖に…随分フェアプレーの精神に則るじゃない。でもーーそうね、あんたになら…自分の意思で使って良いわよね…!』

 

血に汚れた衣服の巫女、折れた脇腹を庇うことも辞めた奴は一つ上段の空に飛翔する。

 

『《主に空を飛ぶ程度の能力》』

 

巫女は自らの力と名を宣言し、次なる技が奴の本領とでも言うように私を睥睨した。

 

『そうか…それが』

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《夢想天生》ーーーー』

 

 

 

 

 

 

博麗の巫女はその瞬間、この楽園のあらゆるモノから逸脱した。目を閉じ、身体を半透明にして周囲に八つの白黒二色の玉を生み出した。

 

現れた八つの玉は巫女の周りを漂い、只の人間から別のナニカへ変わった巫女の代わりに…霊力の塊を弾丸のように飛ばし始める。その数は一度に数百、前後左右上下を一瞬にして埋め尽くす一つ一つは、再生能力を有するヴァンパイアにとっても須らく致命傷になり得る。

 

『本気になったからには、貴女も私の殺し合いに乗ってくれるという事で、いいのかしら!?』

 

私の怒号に巫女は応えない。

総てを受け入れながら、何ものにも囚われないカタチを体現した今の奴には言葉も攻撃も通じない事だろう。かといって、私に敗北は許されない…覚悟を胸に長い間力を蓄え続けたのだ。ヴァンパイアに不可欠な人間の血をこれまでに溺れる程摂取し、はだかる者全てを討ち果たせるようにと武芸、魔法と言わず凡ゆる戦いの術を学んで来た。今宵…此処であの巫女を必ず仕留めるッッ!!

 

『巫女の技など、真っ向から踏み潰してくれるーーーーッッ!!!』

 

触れれば焼け爛れる程の霊力を紙一重で回避し、奇しくも巫女と同じ構えで迎え撃つ。両手を広げ、空を切り裂く様に羽撃き…私も最後の切り札を開放した。

 

 

 

 

 

『ーーーー《紅色の幻想郷》ーーーー!!!』

 

 

 

 

 

 

私がこの技に込めた想い。

勝利のあかつきには、無力な私は大手を振って妹に宝物をあげられる…それは赤い霧に彩られたヴァンパイアの楽園。陽の光を気にすることなく、あの娘が何をしても許される場所。その誓いがある限り、私が倒れることなどあり得ない…!!

 

『お前が幾ら宙に浮こうと…! 何もかも私の手の中だ、この楽園、貴様らから貰い受けるッッ!!』

 

大弾を全方位にばら撒き、その中から無数の小弾を射出する。赤い霧に包まれた、朱い月光の照らす空で、紅い魔弾の波が巫女の霊力弾を打ち消してゆく。

 

『そんな事にはならないわ』

 

『なにーーーー?』

 

今まで沈黙を貫いていた巫女が、囀るような声音で私の確信を揺るがした。打ち消されたかに見えたの霊力の弾丸は、霧散する前に分裂を繰り返し、逆に私の魔弾を根刮ぎ吹き飛ばして行く。

 

『クッ…!! き、貴様ァァアアアーーーーッッ!!』

 

こんな、こんな事があって堪るか…!!

もう少しだ、もう少しなのにーーーーどうして、如何して私の想いが奴の技に劣るというのだ!?

 

『あんたの想いとやらは、きっと間違ってないんでしょうね。でも、全てを受け入れる幻想郷にだって叶わない事の一つや二つ…有るに決まってるでしょ!!』

 

巫女の叫びが空気を揺らし、呼応するように霊力が増した。私の願いは、受け入れられても叶わない…これが、私の起こした事の顛末。運命は、博麗の巫女選んでしまったということ。

 

『うぉぉおおおおおおおおおおおおーーーーッッ!!!』

 

咆哮と共に幾ら魔力を注ぎ込み、幾ら魔弾を生成しても、それを凌ぐ速度で巫女の追撃が重ねられ、最早私の周囲でそれを押し留めるのが関の山となった。

 

『私はあんたのやり方に乗っかったけど、最後にあんたを殺すとは言ってないわよ…! だから沈め! 負けて悔しがってから前を向け!! このーー』

 

私の最後の攻撃が、巫女の前に敗れ去る直前…私の耳朶に響いた声は二つ。一つは博麗の巫女。二つ目は、

 

『クソ吸血鬼ぃぃいいいいいいっっ!!!』

 

 

 

 

 

 

『おねえさまぁぁああああああーーッ!!!』

 

 

 

 

 

 

二つ目はーーーー私が救い出したくて、愛して止まない妹の声に…とてもよく似ていた。

 

 

 

 

 




前半の九皐は戦わずに終わりました。
恐らくこの章で彼が戦うことはもうないと、先に申し上げておきます。

後半の文にてレミリアと霊夢の真剣勝負がついに書けました。個人的には達成感に包まれております。

最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第一章 終 紅い夜に 後編

早く纏めると言っていたのに、時間がかかって申し訳ありません。ねんねんころりです。
後編はほぼ登場人物たちの関係性を整理したので終わってしまいました。
まとめきれなかった部分もあるかもしれませんが、それでも読んでくださる方、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

霧雨魔理沙、フランドールの弾幕ごっこを見届けた後、改めてそれぞれが互いの名と持ち得る情報を教え合い、館の外へ出た。二人は飛行して先に行くと言っていたが、私が館外の座標を解析して転移してみせると暫し怪訝な表情で見られた。

 

そんなやり取りも束の間…上空から爆音と何かが打ち消しあう様に弾き合う音に気が付く。見上げると二つの影が競り合っているのを視認し、影の片割れが身体中から血を噴き出しながら落下していった。

 

「お姉様!?」

 

「おいおい!? もしかして遅かったのか!? なあフラン、吸血鬼の再生力なら大丈夫なんだよな!?」

 

魔理沙に問われるも、フランドールは悲痛な面持ちでレミリア嬢の落下する地点へ一目散に駆け出した。

 

「おねえさまぁぁああああああーーッ!!!」

 

堪らず叫び出す妹君は、躓きそうな身体を圧して致命傷の姉を受け止める。

 

「お姉様! 目を開けてよ! ねぇ、ねえ!?」

 

「うっ…! がぁ…っ!! フ、フラン…? どうして、お前が此処に」

 

一歩遅れて近寄ると、レミリアは意識こそあるものの満身創痍の状態だ。血塗れの身体もそうだが、右腕や片足といった部分が炭化して無くなってしまっている。

 

「ごめんなさい…フラン。お前に…お前にもう少しで、もう少しで、この幻想郷を…!」

 

「どうして…どうして傷が治らないの!? こんなの、お姉様なら直ぐにーーーー」

 

「騒ぐんじゃないわよ…身体中ボロボロで、血も足りなくて頭が痛いんだから」

 

レミリア以外の全員が新たな声の主を見つけると、同じく満身創痍と言って差し支えない状態の人間が立っていた。

この少女が、紫の話してくれた博麗の巫女本人なのは明らかだ。

 

紅白の装束だったものは所々切り裂かれ血に汚れ、彼女自身も傷と痛みを庇っているのが分かる。しかし彼女の語気は何処か穏やかで、レミリア嬢を見つめる視線は彼女を讃えている様な節さえ有った。

 

「あなたね…あなたがお姉様を…ッ!」

 

「そうよ? だからなに? お互いに手加減出来ない相手だったから二人して血みどろなんでしょうが。少しはこっちの事も労って欲しいくらいよ、ねえ魔理沙?」

 

「あ、ああ…そうなんだけどさ。此処までやられたお前を見るのは初めてだったから、思わず呆けちまったぜ。つかお前ら、その傷は命に関わるレベルだろ!? 」

 

霧雨魔理沙は回復や治癒の魔法は不得意なのか、手に灯した光も弱々しいものでしかない。

フランドールも真似てレミリア嬢に使ったのだが、やはり芳しくない結果に終わる。

 

「大丈夫よ、フラン…どんなに時間が掛かろうと、傷は治してみせる…ヴァンパイアは日光以外で死ぬ事など…うっーー!」

 

レミリア嬢の言葉は、この場にいる誰にも嘘だと悟られている。霊力は純粋で高濃度である程妖怪には毒だというのに、これほどの傷を負っても尚妹を気遣う彼女は…未だ死に体とは思えぬ毅然とした気迫を放っていた。

 

「そ、そうだ…パチュリーだ! コウ、さっきの転移だかでパチュリーを連れて来てくれ! 頼むよ!」

 

「大丈夫よ、もう連れてこられたわ」

 

「「パチュリー!!」」

 

フランドールと魔理沙の声が重なる。

図書館に座していた彼女を連れて来たのは正解だったらしい。どの道魔理沙が思い付いていたならば、結果は変わらなかっただろうと自分を納得させる。

 

「ちょっと…二人とも死にかけじゃないの!」

 

パチュリーの治癒の魔法は魔理沙のモノとは比較にならない量の光を手に灯し、フランドールの使用したモノより格段に洗練されていた。これならばもう心配は無い…魔法を掛けられたレミリア嬢と博麗霊夢の傷は驚異的な速度で塞がり、レミリア嬢の無くなった腕と足も生え始める。

 

「ふう…漸く楽になってきたわ。一応礼を言っておくわね、見知らぬ魔女さん」

 

「すまないわね、パチェ…もう大丈夫よ」

 

仰向けのまま妹君に抱えられていたレミリア嬢は蹌踉めきながら立ち上がり、それに合わせて博麗霊夢は彼女に向き直る。

 

「私の…負けだ。博麗の巫女」

 

「ええ、私の勝ちよ。でもそうね…あんたがもうちょっと卑怯な奴だったら、立場は変わってたかも。中々やるじゃない、吸血鬼」

 

博麗霊夢の言葉に、レミリア嬢は自嘲を湛えて静かに笑う。然もありなん、勝ったのは巫女の方だろうに…その言葉は余りに他人事の様に語られ、しかし自らも全霊を賭けたと確かに認めた物言いだった。

「遅れたけど…ようこそ幻想郷へ、吸血鬼とその愉快な使いっ走りども。あんたたちの来訪を、そこそこ歓迎するわ」

 

「誰が愉快な使いっ走りよ…人の魔法で傷治させといて」

 

「そうだそうだ! 今度は私がお姉様の仇を取ってやるんだから!」

 

「それよりもフランドール、お前の狂気はどうなった…?」

 

「あ! もう全然平気だよ! コウが取ってくれたの! あと、魔理沙との弾幕ごっこも楽しかったわ! それでねーーー」

 

レミリアの問いに、妹君は和かに答える。彼女は魔理沙との弾幕ごっこを通して、他者と触れ合うことへの恐れを克服した。それはレミリア嬢が思っていた以上の結果だったのか、彼女は瞳を潤ませて妹の話を聞いていた。

 

「そう…私の願いは、ただの傲慢だったのかもしれない……お前は既に、自分の力で乗り越える勇気を身に付けていたのね」

 

「レミリア嬢、それは違う」

 

だからこそ…レミリア嬢には答えてやらねばならない。

彼女が楽園を求め辿り着き、異変を起こしそれを手伝った者たちがいたからこそ、フランドールは狂気から解放され、自分で前に踏み出す勇気を手に入れたことを。

 

「君が楽園に来たからこそ、妹君は私と出逢い、魔理沙と出逢えた。君の想いは…決して間違いなどでは無かった」

 

「コウ…本当にありがとう。フランの狂気を取り除いてくれて…言葉では言い表せない位、貴方には感謝しているわ」

 

「何だかよくわからないけど、間違ってたわけじゃ無いんじゃない? 異変なんて、新参者がまた来れば起こるし。そいつらにも色々と事情はあるだろうし。その、つまり…負けてからうだうだ言うんじゃないってのよ!」

 

何故だろうか…博麗の巫女は最初はレミリア嬢を遠回しに励ましていた様な口振りだった筈だが、偉く強引に纏めてきた。

 

「分かっているわ。ええ、もう大丈夫…何だか深く考えるのが馬鹿らしくなってきたから」

 

その落差に、思わずレミリア嬢も破顔する。そこにはもう自嘲や葛藤は無く、どこか晴れ晴れとしたものが浮かんでいる。

 

「よし! そうと決まれば、やる事は一つ! 皆の傷が癒えたら、今回の異変に関わった奴ら全員で宴会だ!! 場所は博麗神社! 費用は今回の異変を起こした紅魔館持ちな!」

 

「おい其処の白黒、何を勝手な事をーー」

 

「良いこと言うわね魔理沙。美味い料理にお酒…一仕事終えた後のお酒は格別だわ…というわけで、宜しくね負け犬さん?」

 

「くっ…調子に乗りやがってこの巫女…!」

 

「良いじゃないお姉様! 宴会って凄く楽しいんでしょ? 私もやりたいなあ宴会!」

 

「フラン!? ぬ、ぬぬぬぬぬ…!」

 

「これは宴会で決まりかもね。レミィは昔から、フランドールのお願いを断れた事が無いのだから」

 

「パチェ!? くっ…これは、孤立無援か…!!」

 

突然の魔理沙の提案に、各々の反応は十人十色。

だが、きっと上手く行くだろう。異変は終わった。博麗霊夢は紫の話していた通り、最後には高潔な心根と寛大な処置で紅魔の皆に歩み寄ってくれた。

 

魔理沙の功績も実に大きい…私では成し得なかった、フランドールに自由を勝ち取る為の切っ掛けを与え、導いた末に彼女の心の光を目覚めさせてくれた。私からも、感謝の念に堪えない。

 

「コウ! 宴会だよ宴会! 私初めてだからワクワクするよ!」

 

「そうだな…楽しんで来ると良い」

 

「なに言ってんだよ? コウだって、私が来る前にフランの狂気だかを取っ払ったんだろ? もう充分関わってるじゃんか! 楽しく飲もうぜ!」

 

「しかし…私は紫にーー」

 

「あら? 私が何ですの? コウ様」

 

此処には居ない筈の人物の声が聞こえ、私の真横から聞こえた声の主を確かめる。

 

「……紫、事後処理というのはもう終わったのか?」

 

「勿論ですわ! 何よりコウ様が私の名前を呼んで下さいましたから、最優先で飛んで参った次第です!」

 

「そうか…君には度々気を遣わせている。紫、やはり君は容姿だけでなく、心まで美しいのだな」

 

「ふぇ!? そ、そそそんな…! イヤですわコウ様! そんな事言われたら私、何だか動悸が激しくなってしまいます!! も、もしかして…病気なのかしら!?」

 

私に満面の笑みで話かけ、今は顔を赤らめながら自問自答しだした紫を見た面々は、思い思いの感想を述べ合っていた。

 

「ねえ、紫どうしたのかしら…何かいつもより猫被りが凄すぎて気持ち悪いんだけど」

 

「きっとアレだ…コウに気に入られたくて自分を見失ったんだぜ」

 

「ねえ、パチェ…昼間にコウと一緒に来た時も薄々思っていたのだけど、八雲紫のコウに対するアレは何なのかしら? 私が会合の時に対面した奴とはまるで別人だ」

 

「まあ、本人が言う通りある種の病気ね。害のない病気だけど…きっと本人は気付いていないのね、あの様子だと」

 

「なんだろう…あの紫さんって妖怪のコウを見る目が危ない気がする。しかも鼻息荒いし」

 

紫は平静を欠いている為か聞こえていないようだが、各々の彼女への批評は惨憺たるものだった。彼女は賢者と呼ぶに相応しい知と力に加え、私の認識では相当の好人物なのだが。

 

「まあいいわ。私はそろそろ神社に帰るから、霧は今日中に消しときなさいよ? あと、宴会の日程決めたら咲夜でも寄越してちょうだい。ええっと」

 

「レミリア・スカーレットよ、博麗の巫女。そう言えば、まだ互いの名前も知らなかったわね…状況が状況だっただけに仕方のない事だけど」

 

「あっそ…それじゃあねレミリア。私にも霊夢って名前が有るから今度からはソレで頼むわーーーーまたね」

 

「ええ…またね、霊夢」

 

言うだけ言って、博麗霊夢は神社の方向へと飛び去ってしまう。名を告げられた当のレミリア嬢は、満更でもない表情で紅白の巫女を見送っていた。

 

「へへ…一件落着って感じだな! 私もそろそろ帰って寝るぜ、流石に疲れたからな! じゃ、またなパチュリー! 今度図書館に遊びに行くよ」

 

「いつでもいらっしゃい。序でに魔法の何たるかも教授してあげるわ。フランドールを助けてくれたお礼よ」

 

「おう! んで、またなフラン! 次に私と遊ぶ時までには、もう少し弾幕ごっこの勉強しとけよな!」

 

「なによー、引き分けた癖にー! でも…またね、魔理沙!! 次は絶対勝つんだから!!」

 

三人はそれぞれ暫しの別れを告げて、魔理沙は博麗霊夢とはまた別の方角へと飛んで行った。

 

「ふむ…何とも、美しい光景だな」

 

「そうですわね…人も妖怪も隔たりなく、別れを惜しみ未来を約束し合う。これが幻想郷の、有るべき姿だと思います」

 

紫の皆を見詰める視線は優しく、目の前の光景を愛おしく見守っていると分かる。だからこそ…あの時言えなかった言葉を一刻も早く伝えたかった。

 

「紫…私は君との約束を反故にしてしまった。中立の立場を逸脱し、紅魔の皆に肩入れする様な真似までした。君の管理者としての立場は充分に理解していたというのに…君の厚意を無碍にして。本当に、申し訳ない」

 

私は心から詫びていると示すため、目を伏せて深く頭を垂れた。彼女は今のどんな表情で、何を思うのだろうか。

推し量れない沈黙が、彼女の言葉で破られるのを静かに待った。

 

「コウ様…」

 

「…うむ」

 

「頭をお上げになって下さい。私も、落ち度が無かったと言えば嘘になります…貴方が私たちを慮って、身に宿る力を抑えてどれほど窮屈な思いをされていたか」

 

「違う、私の我儘を君が受け入れてくれたからだ。君に倣うべきであったというのに、それを無視して先走った…君に落ち度など、有る訳も無い」

 

「いいえコウ様。私は貴方の強大過ぎる力ばかりに気を取られ、本来のお優しい心を鑑みずに蔑ろにしたのです…私でも気付いておりますわ。人化するのは不可欠だったとしても、生来の性質を抑えるのは困難である事は…それは言うなれば、身体から絶えず発せられる熱を無理やり留めておくようなもの」

 

私は姿勢を正し、紫の顔を見据える。

眉間に皺を伴った面持ちはとても辛そうで、彼女は後悔しているようにも感じた。そこまで見抜いていたとは…私が我慢弱い所為で更に気を遣わせてしまった。全て私の未熟故に招いたことだ…だから君は、君は間違ってなどいない。

 

「身体で抑え続ける熱は、やがて痛みに変わります。無限に膨れ上がる力を押し込めた貴方の身体には、想像を絶する負担と痛みが襲っている筈。ですからコウ様」

 

駄目だ…そんな事をすれば、この楽園に余計な火種を生む事になる。彼女の考えを覚った私は反論しかけるも、彼女は私を手で制し二の句を許さなかった。

「お力を、また一つ箍を外して開放して下さいませ。そして私が、この楽園の遍く者に貴方の存在を知らしめます。大小問わず諍いは起きるでしょうが、貴方が傍観者ではなく真に幻想郷に受け入れられるには…それしかありません」

 

「私は、また君の優しさに甘えることになるのだな」

 

「構いません。むしろ、そうさせて下さいな…責任は、私が取ります」

 

「いや、紫。私にも、その責任を背負わせてくれ…ほんの少しでも良い。これは誓いだ…私は幻想郷に流れ着いた者として、いつでも君の力になろう。君が私にそうしてくれたように…だから紫ーーーーーーありがとう」

 

やっと伝えられた。

彼女は私を受け入れ、そしてまた今回も、私の浅慮を許してくれた。万感の想いがやっと形に出来た気がする。

 

私は紫の提案通り、私から漏れ出さぬよう抑え込んでいたモノの封を一つ外した。それは闇の性質を持つ銀光。

湧き出る私の力の象徴。それは目に見える以外の影響をすぐさま楽園に及ぼし、紫を含むこの場に残った者みな身震いしていた。

 

「す、凄まじい限りね…! 私の病気やフランの狂気を取り除く程の力を行使出来たのも頷けるわ。図書館で感知した時の比じゃない…!」

 

「不快では無いが、闇の気配が濃すぎるな…この時点で既に私では相手にならないと分かってしまう。コウには、是非紅魔に身を寄せて欲しいところだ」

 

「地下で狂気を取って貰った時のゾワゾワがずっと続いてる…! でも、何だか温かい」

 

紅魔館の皆は、私が力を使った時の当事者であり、居合わせたからか少しは耐性を得たらしい。段階としては二割程度だが、これまでの身を焼く様な感覚は今後無くなるだろう。

 

「これで…コウ様の発する力が今朝方に感じたモノと同じであると、幻想郷の名だたる人妖たちも気付いた事でしょう。私の伝手からコウ様の幻想入りを喧伝させ、コウ様には建前上独立した勢力として活動して頂きます。その活動内容はーー」

 

「楽園を巡業し、見聞を広めに来たとでもするか。 なるほどな…それは良い考えだ」

 

「チッ…八雲紫め、一時的とはいえコウをウチで預からせておいてその日に独立とは。これでは彼を紅魔に置けないじゃないの」

 

レミリア嬢は紫の方針に毒づくが、この場に彼女を残した上でこの話をしたのも想定の内の様だ。大異変を引き起こした紅魔館の主が私を認め、かつ博麗霊夢に敗れた事実が先立つ為に反目することも許さないといったところか。強かだが、賢者の采配としては申し分の無い内容だ…その前提が有ると分かるからこそ、レミリア嬢も紅魔には置けないと渋々納得してくれた。

 

「この際仕方ないわ。レミリア・スカーレットの名において、彼の幻想入りと独立の立会人となろう。彼は私たちにとって大恩有る人物よ、喧伝するならそれくらいは融通して頂戴、八雲紫」

 

「分かっていますわ。博麗の巫女に敗れはしても、貴女はこの幻想郷では間違いなく有力な存在ですもの…コウ様も、何かお困りのようでしたら紅魔館に訪れるのが良いでしょう」

 

「二人が証言してくれるのは、私からすれば大層な幸運だ。有り難く頼らせて貰う」

 

こうして、此度の赤い霧の異変は終わりを迎えた。

紆余曲折あったが、この異変に関わった者の数を思えば、妥当な落とし所と言えるだろう。

 

レミリア嬢は紫の承諾を得た後、赤い霧を一片残さず晴らしてから館へ戻った。私もフランドールやパチュリーに奨められて館に一泊する事になり、何とかその日の寝床を手に入れた。

 

館の正面玄関には、十六夜と美鈴がレミリア嬢の許で紅魔館の進退を見届けようとしていたらしいが、レミリア嬢が二人とも寝ている間に終わったと告げると心底残念そうな面持ちであった。

 

だが、それ以上に喜ばしい事実が二人には有る。

パチュリーの持病が治ったことと、妹君の狂気を私が取り除き、魔理沙との交流を経て自身の迷いすら克服したことだ。その報せに、従者であり家族として過ごして来た十六夜と美鈴が人目を憚らず号泣してしまう事態となる。

 

異変が終わり、日付が変わって外が寝静まっても…その日の紅魔館の喧騒は朝方まで続いた。妹君とパチュリーの快気を総出で喜び、レミリア嬢の奮戦を皆が讃える。異変の最中に起きた様々な出来事は、これからの紅魔の絆をより強固にするだろう…彼女らは家族の、友への、主人への想いを胸に戦い、一人も欠ける事なく再会を果たしたのだから。

 

 

 

 

 

 

「コウー! 宴会ってすっごく楽しいね! あれ? もしかして酔っちゃったの??」

 

「おーい! 何一人で物思いに耽ってんだよ! 宴会はまだ始まったばかりだぜ!?」

 

「ん? ああ…魔理沙と妹君か、すまないな。あの日の事を、思い出していてな」

 

そして、今日は皆が待ちに待った宴会当日。

歌え踊れの大騒ぎに紫が手配した上等な酒と料理の数々。勿論レミリア嬢はあの日の約束を守り、異変に関わった全員が楽しめるようにと費用の全額を紅魔館で負担した。

 

「コウ! 何をしているの? せっかく私たちが主催したのだから、存分に楽しみなさい!」

 

「そうだー! 飲めー! 騒げーっ!!」

 

「霊夢…貴女さっきからその調子だけど、次の日どうなっても知らないわよ?」

 

「まぁまぁ…咲夜さん、今日ばかりは無礼講ではありませんか。ほら、私たちも今日くらいは飲んで食べて楽しみましょうよ!」

 

続けて私を呼ぶのはレミリア嬢と博麗霊夢だ。

二人は出逢って日も浅いというのに、戦いを通して意気投合してしまったらしい。異常な盛り上がりを見せる主人と巫女を諌める十六夜だったが、美鈴にも勧められて結局は四人で飲み出している…他にも、異変に関わった者から全く見知らぬ者たちまで、神社の境内を埋め尽くさんばかりの人数が揃っていた。

 

「コウ様…今日という日を楽しまれるのは、やはり今日しか御座いません。さあ、私たちも飲みましょう?」

 

「ああ、そうだな。今行く」

 

私の色褪せる記憶の中に、決して変わらない輝きを放つ思い出が、一つ増えたのだった。

 

 

 

 

 

 




ようやっと紅魔郷編が終わりましたね。
次回からは作品の時系列を無視してコウの楽園回りが始まります。
予定ではコウや新たな東方キャラクターのバトルがメインとなる予定です。

それでは、次話投稿めざして頑張りたいと思います。
読んでくださった方、誠にありがとうございます!


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幻想郷巡業編
第二章 壱 君に寄り添う


遅れまして、ねんねんころりです。
今回から戦闘メインの章となります。
原作の時系列ガン無視、稚拙な文章、急展開に御都合主義、厨二マインド全開でお送りしています。それでも読んで下さる方、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

先日、紫が私の居住地を用意してくれると言って、住む場所や広さなどの要望を問うてきた。雨風を凌げる建物があれば何でも良いと答えると、妙に張り切った様子でスキマへ消えて行ってしまった。

 

それから紅魔の食客として特に何をするでも無く、平穏な日常を過ごしていたある日…私がそろそろ楽園を巡りたいと紅魔の皆に話をしたその日の事だ。

 

「コウ、霊夢からの手紙で、貴方を神社に寄越して欲しいとあったわ。顔見せしたのが異変の時と宴会の時しか無かったのもあって、霊夢は貴方の事をよく知らないらしい。幻想郷巡りの前に、一度霊夢の所へ向かって貰える?」

 

「了解した。レミリア嬢…短い間だったが、世話になったな。次に此処へ来た時、また皆と談笑しつつ十六夜の茶を飲みたいものだ」

 

「あら? 対外的に貴方は独立した勢力の扱いけど、貴方はもう立派な私達の仲間よ。だから…寂しいこと言ってないでまたいつでも来なさい!」

 

レミリア嬢は恥ずかしげに顔を背けながら、温かい送辞の言葉を述べてくれた。見送られる際には、館の者が総出で対応してくれたのは、申し訳ないと思うも嬉しさの方が優り、歳のせいか密かに目頭が熱くなった。

 

そうして紅魔館を離れ、異変解決から五日、宴会に参加してから三日後の現在。森を隔て人里から更に遠くに位置する博麗神社で、改めて博麗霊夢が会ってくれるとの事で、境内にて彼女の登場を待っている。

 

「此処に来たのは五日前の筈だが、随分と昔の事のように感じる…これも楽園で出逢った皆のお陰か。うむ…実に、満たされた日々だったな」

 

「…なに人が出て来た瞬間にいきなり今生の別れみたいな事言ってるのよ?」

 

神社から見渡せる空を見上げて独り言を零していると、私を呼んだ博麗霊夢が姿を現した。

 

「改めて名乗るわ。博麗霊夢よ、霊夢で良いわ。異変と宴会の時はお疲れさま…それで、私があんたを呼び出した理由だけど」

 

紅白の巫女、楽園の守護者、霊夢は私を正眼に捉え話し始める。気怠げな口調とは対照的に、彼女の放つ気配は静謐で隙がない。

 

「率直に聞くけど、あんた…何者なのよ?」

 

『何者…か。私の素性について、紫からは』

 

「なーんにも。本人が居ない所であれこれと聞いたって、本当かどうかなんて分からないもの…で? 質問の答えは?」

 

私は霊夢の問いに、どう答えるべきか迷っていた。

偽りを話すつもりはないが…紫が私をどの様に幻想郷で触れ回っているかを私自身把握していない。しかしながら、見定めるように沈黙を守る霊夢に誤魔化しは通じないだろう。ならば、取るべき道は一つだ。

 

「私は、夢と現の断片が浮かんでは消える場所…私はただ領域とだけ名付けていたが、其処からやって来た」

 

「夢と現が浮かんでは消える場所…ね。物凄く抽象的だけど、それは良しとして。私はあんたがどんな存在で、何を考えて幻想郷に来たのか知りたいのよ」

 

「うむ…ならば、私が紫と初めて遭った時のことを話そう。紅霧異変が始まる前、此処で言うならその日の早朝の事だ…」

 

包み隠さず、私が初めて楽園を目指してやって来たこと。それは紫が呟いた言葉をあの領域で浮かんだ断片の映像から聞き取り、美しいこの楽園を見て回りたいと願ったこと。そして…私自身についても紅魔で振るった力や、紫が知り得る情報と同じものを話した。

 

「なるほど…深竜・九皐、ね。おかしいと思ったのよ…不快ではないけど、その尋常じゃない闇の気配。暖かい感じなのに底が見えない…只者でないことは分かってたのにまさか《竜》とはね」

 

霊夢は語気こそ乱さないが、その顔はまるで出来の悪い冗談を聞いたかのように強張っていた。私の話した内容に疑いは持っていないのは分かる。しかし、彼女自身はどうしても私への警戒を強めてしまう。

 

「当然の事とは思う。突然私の様な逸れ者が現れれば」

 

「勘違いしないでよ? あんたの事はともかくとして、私が気にしてるのは周りの馬鹿どもが無謀にも《竜》相手に喧嘩を吹っ掛けないかどうかよ」

 

それについては考えていなかった訳ではない…彼女の言う事は最もだ。如何に紫が楽園の実力者達に再認識させる為、私に力の封を一つ解かせたとは言っても…木っ端の妖怪や只の人間にしてみれば災害の類と同じ存在でしかない。

 

「紫は…幻想郷に住む人間達にはなんと説明したのだ?」

 

「さあね…大方、入って来た新参者が大妖怪だったから人里を出るときは注意しろってな感じだと思うわよ? 昔からそうなのよ…愚かにも人食いに目覚めた雑魚妖怪や、力は有っても分別の無い奴らから人間を護るには、ヒトの恐れを煽って自粛させるしかない」

 

本能のまま生きる人外と、危機意識の低い一部の人間に距離を作るには…人心を掌握しある程度の恐怖心を植え付けておくのは最善と言える。恐らく、紫が人と人ならざる者の住まう楽園を管理する上で苦心する問題の一つなのだろう。

 

「だとすれば…私も極力、逃げの一手を取るべきか」

 

「いえ、むしろ私には別の考えがあるわ。紫はなんて言うか知らないけど…私としては妖怪って言われる奴らの数は増え過ぎてもいけないし、減り過ぎてもいけないの。九皐、あんたーー」

 

霊夢は臆する事なく…私が真っ先に除外した明快かつ効果的なその答えを口にした。

 

「挑んで来た妖怪どもと戦って、倒した奴ら手下にしちゃえば?」

 

「………何故、そうなってしまうのか」

 

彼女の発案した内容は、私が考えた幾つかの方策の中で最も野蛮なモノと一致した。今となっては後の祭りだが、紫は各地巡業を目的とした一勢力として私の存在を楽園に知らせてしまっている。

 

「幻想郷は確かに、楽園なのかもしれない…でもね、人と妖怪が時に喰われ、時に退治される間柄なのは此処でも変わらない、日常のことよ。あんたが此処をゆっくり回りたいならーーーー」

 

霊夢は私を、滑らかな指で差し示す。その挙動から読み取れるものは明らか…気が進まない程でも無いが、霊夢や紫の立場を考えると自分から提案するのは躊躇われる内容だった。

 

「先ずはあんたが、あんたの望む楽園の土台を造りなさいよ。紫は管理者だけど、幻想郷そのものを危険に晒す事態以外には出張って来ない、出来ないのよ。でもあんたは違う…あんたとのやり取りはどうあれ、紫が自分から迎え入れたわけだしね」

 

彼女の言葉に、私は反論一つ出来ない。幻想郷へ入る許しを与えられ、力をある程度なら行使しても良い立場まで与えられた…先の一件から外堀を埋められているというのは、考え過ぎでは無いだろう。

 

「私が回る先々で挑まれ、戦い勝利したとて…それでどうなる」

 

「結果的にあんたが勝ち続ければ、どんな奴も文句を言わなくなるわ。それこそ何処に居ようが何しようが…幻想郷そのものを消すとか考えない限りはね」

 

「それが、私が楽園を回る為に必要な事だと?」

 

「自分の欲しいモノくらい自分で手に入れる…当たり前の事じゃない? 最も、あんたがそれも出来ない力ばっかりの腑抜けって話なら別よ」

 

此処まで言われては、認めぬ訳に行くまい。楽園を見て回りたい…失われた自然の美しさ、幻想の息遣い、人と人ならざる者が並び合う様を感じたい。故にその障害となる者、私に挑む者がいるのなら。

 

「一つ言っておく」

 

「……博麗の巫女として聞いておくわ」

 

「挑まれたなら受けよう…戦いもする。だが、生殺与奪は私に任せて貰う。楽園に不要なモノと思えば消しもする…私も分を弁えぬ愚か者を一々抱えてやる程、お人好しではない」

 

「好きにしなさいよ。まぁ…あんたの強さに気付ける奴なら、大概の人外は挑むどころか逃げ出すのが関の山でしょうけど」

 

其処まで話し合って、霊夢は話は終わったと言うように踵を返した。回るなら好きにしろ、戦った奴は殺すなり傘下にするなりして名と力を示せ…但し、楽園そのものには手を出すな。終わってみれば簡潔ながら殺伐とした談話だったが、そう悪い気分でも無い。

 

「欲しいモノは自らの手で、か。確かに自明なことだ…ではーーー行ってくる」

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

「ではーーー行ってくる」

 

誰かに呼び掛ける口振りで、境内から深淵の竜は人型のまま飛翔して行った。

 

「行ってくるってさ…紫」

 

「ええ…これで良かったのよ。ありがとう霊夢、彼の背中を押してくれて」

 

縁側に腰掛けて宙空に話し掛けると、やはり紫は私とアイツの会話を盗み聞きしていた。自分から九皐の自由に出来るように後押ししろとか頼んできておいて…その場に立ち会わないってどういうつもりなんだか。

 

「別に。私は、あの九皐って竜があんまりにも紫がぁとかゆかりぃとか言ってて気持ち悪いから文句つけただけよ」

 

「まあ! コウ様はその様な呼び方はしないわよ? もっと甘く、優しく私のことをーー」

 

この胡散臭い賢者は…これで本当に自覚が無いみたいだから手に負えない。きっと千年以上生きて、今まで一人もそういう相手が居なかったんでしょうね。今更になって…こいつは。

 

「はいはい…で、どうして九皐に力を使わせるような真似させるのよ? あの馬鹿天狗使って各地に喧伝までさせて。態々挑戦者を募ってるようなものよ」

 

「彼の本当の力は、この私でさえ一握の砂に満たない程果てしないモノ。貴女は見ていないから仕方が無い事だけど…竜の姿で結界の外に現れたコウ様は余りにも圧倒的で、禍々しく、美しかったわ」

 

紫は、平たく例えればアイツに心酔している。九皐の力、人格、姿形の全てに心を奪われているんだ。でもまぁ、しょうがないかもね…だって、紫は初めて誰かを…アイツの事をーーーー。

 

「彼には少しばかり、幻想郷のバランスを保つのに必要な働きをして頂くの。それだけ…それだけよ」

 

「あっそ…じゃ、私は昼寝するから。あんたもほら、行った行った」

 

「そうね、そうさせて頂くわ」

 

スキマから上半身だけを出して会話していた紫は、身を埋めて何処かへと消えた。今回のことで、紫はアイツに楽園の血生臭い部分を押し付けた形となる。さて、幻想郷…これからどうなるのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

私は神社から飛行し、人間の通り道らしい粗く整地された場所へ降り立った。周囲には此方を窺うような視線が多数。力の差も分からず、餌としか認識していない下級の人外どものソレに絶えず晒される事となる。

 

「確かに…神社から見えた人里の規模に対して妖怪の数は多いな」

 

独りごちて歩き出し、そのまま殊更大きな息遣いを感じる方向、不愉快な気配が齎される鬱蒼とした森に入って行く。

 

音が聴こえるのだ…降りた場所からは到底気付かぬ程の距離なのに、その音が何を表しているのか手に取るように分かる。

 

楽園を見て回ること…その当初の目的や霊夢との会話を反芻しつつ進んで数分の後、森の奥まった地点で矢鱈と大きな息遣いの主に遭遇した。

 

『ーーーー』

 

柔らかい何かを咀嚼する不快な水気と、硬いナニカを噛み砕くような音を出すソレの口元は赤黒く汚れている。獲物として捕らえ、かつて生きていたモノを糧とする原始の姿そのままに…森の主と見られる四足の獣は人間だった肉の塊を貪っていた。

 

「人喰いの獣…妖獣か。見て呉れ通りの手合いだ」

 

私の深く沈んだ声音に誘われて、食事中の獣は身を翻す。

剥き出しの乱杭歯に挟まれ、だらりと垂れ下がった人間の片腕。ケモノと称するには大き過ぎる体躯には不釣り合いなほど…餌にされたソレは小さく映る。

 

野晒しにぶち撒けられた…成人の男だった肉塊の臓腑は、既に食い荒らされた後だ。腕は捥がれ、足も無い。それ等の所業を難なく遂行し、人型の私を睨め付ける眼光は血走っていた。

 

「人語は分かるか?」

 

『ーーーーー』

 

やはり駄目か…四足の獣は身体自体が非常に発達しており、放たれる瘴気から一目で妖怪になって長い時が経っていると分かった。獣から妖怪に変わった事例としては、まず身体が巨大化し知能が高くなる場合が殆どであり、そこから年数やこれまで餌としたモノが様々な影響を及ぼし始め…妖力や瘴気の質が高ければ軈ては人語を解するに至る。

 

『■■■ーーーーッッ!!』

 

コレは論外だ…獣だった頃の性質を軒並み引き継いで化け物に成り果てた出来損ない。餌も喰った後で立ち去りもせず、無闇に肉と認めたモノを腹に入れるだけの外れも外れ。私の侮蔑にも似た視線に煽られ、獣は雄叫びと共に爪を立て襲いかかって来る。

 

「彼我の力量も測れないのだな…」

 

前足を薙ぎ払うように繰り出した獣を躱し、餌にされた人間の残骸を見つめる。人と妖怪の在り方を端的に示す散らかった肉片は、これからの幻想郷にとってどんな意味合いを持つのか。余談だが…歳を重ね妖怪に変わる過程で、人語を理解した個体は一時的に餌を口にしなくなる。それは数年か数十年か、ばらつきは有るがそういう時期が訪れる。

 

『■■ーーッ!』

 

「あまり吠えるな、煩いぞ」

 

乱杭歯の生える顎を拡げ、一噛みに蹂躙せんと飛び掛かるソレを強引に殴りつけた。打ち据えた拳に牙は砕かれ、舌を投げ出しながら一打で獣は吹き飛んで行った…木々を巻き込み倒しながら地面に這いつくばったソレを視界に収め、私は左手を翳して力を表面化する。

 

「人を喰うのに咎は無いが…気付かれてしまったのはお前の落ち度だ。お前を皮切りに、まずはこの森一帯を掃除する」

 

『■■■ーーーー!!』

 

広大な森の中で、最初に犠牲となるのは此処の主と思われる獣。顎ごと首の骨まで折られ、四肢に力も入らないソレを銀の光が包み込む。感慨は無い…私はただ楽園の景観を損ねてしまう出来損ないを、巡業の片手間で掃除すると決めた。

 

「さらばだ。名も無き人食いの獣よ…次はもう少し、利口になってから出直せ」

 

私の言葉に、もはや応える者は居ない。身体から強引に力の源を奪い尽くされ…長らく出来損ないだった妖獣は跡形なく霧散した。

 

「こんなモノが、後何れだけ居る…?」

 

今の幻想郷に、確かに妖怪は増えている。では人間は? 人間が増え過ぎれば、幻想に係る存在はどうなる? 外の世界と同じ末路を辿らないと…誰が確信を持って言えるのか。

 

「それでも…私は自分から森へ入ったのか。全く、自己矛盾甚だしい」

 

その怒りの矛先は、誰あろう自らに向けられた。人間を人外が喰らい、その人外を己の力の糧とする。そして最後にはーーーー、

 

「此処でも、私は同じ過ちを繰り返すのだな」

 

幻想を愛し、人間を愛する。何度裏切られようと、恐れられようと…生き方を変えられない自分に嫌気がさしながら、瘴気の晴れた森の中を再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

何処まで歩いただろう。

森の地理を把握する為に隅から虱潰しに回ってから数刻経った。殆どの木っ端妖怪は私を視認すると真っ先に逃げ出し、中途半端に力の有る奴らが挑んでくれば時に殺し、時に逃がすを繰り返している。相手をすれば我武者羅に殺している訳ではない…血の臭いが鼻に付くモノ、知性のない肥大化しただけの者たちを選んで殺した。

 

森の主は先ほど討ったというのに、出会った中で手に掛けた数は凡そ三十。敢えて見逃し、未だ無害と判断したモノも三十と、人を喰わずに糊口を凌いでいる妖怪は思っていたより多い。思考を巡らせていた所為か、森の中枢に差し掛かるかと思っていれば、森を抜けた先には一面に花が咲き誇る場所に辿り着いた。

 

「これは…実に見事だ」

 

四季折々の花が、よく肥えた土と区分けされた各地点に植えられている。中でも目を引くのは雄々しくも美しく育った向日葵。花畑を両側に備え、人一人か二人分程の細い道が造られていた。道の先の一つ高い丘には家が建っており、誰かが住んでいる事は瞭然だった。

 

「素晴らしい」

 

口から出る感想は捻りも何もない。だがそれ程に美しい、言い表せぬ自然と調和した姿…外の世界の殆どで見られなくなった花や植物が、この場所には溢れていた。

 

通り道をゆっくりと進み、花々を堪能しながら丘の家に足を伸ばす。それと同時に、強く強く主張する気配が家には在った。屋内から発せられるのは妖力であり、純度が高く密度も濃い…さぞ名のある者が此処に住まうことだろうが、是非家の主人を讃えたいと考えて扉を叩いた。

 

「ーー何方かしら?」

 

扉を開けた主人は、見た目からは十代半ばから二十歳前ほどの麗しい少女だった。人間とは明らかに違う、翡翠の様に緑がかった髪色。赤い瞳の少女は、無機質だが耳心地の良い声で問いかけてくる。

 

「失礼、外の花々は…君が世話を?」

 

「そうだけど…貴方、人間じゃないのね。ちょっと…変な感じがするわ。温かいのに、暗くて。春の日陰みたいな気配…妖怪?」

 

此方を伺う素振りで、彼女は扉から全身を露わにして向き直る。均整の取れた顔立ちと肢体、女性らしくも凛々しい声が合わさり、彼女もまた花に勝るとも劣らない。

 

「申し遅れた…美しい花の主人よ。私は九皐という…幻想郷には来たばかりで、紫の許しを得て楽園を見て回っている」

 

「そう…貴方が、あの気配の正体だったのね」

瞬間、彼女の言葉から柔らかさが消えた。無機質で無関心だった声は冷たく落ち込み、それは冬の終わりの様に一段と空気を凍り付かせている。

 

「私は、君に何かした覚えはない」

 

「勘違いしないで。これは私の気紛れ、ええ…妖怪としてそれなりの力を得るとね、手加減無く戦える相手も減ってくるの…だから」

 

彼女はいつの間にか右手に持っていた日傘らしき得物を、下段から唐突に振り抜く。

 

「ーーーむ、そうだな。力を得れば、それを遺憾無く振るえる相手も限られてくる」

 

初撃は彼女が取った。私は無防備に中空へ投げ出され…舞い上がる最中、視界の端には得物の先端を向けて微笑む彼女を捉える。

 

「《フラワーシューティング》」

 

得物から無造作に発射されたのは、花を象った巨大な妖力の塊。これまでに無い威力を伴った攻撃は、此処へ来て初めて…私の身体に衝撃と痛みを与える存在に巡り逢った。声を出すほどではないが、衣服をすり抜けて身体に直に訴えてくるそれは…微かに肌を焦がす様な痛みを感じる。

 

「大した力だ」

 

「ご冗談…私の攻撃が殆ど効いてないじゃない。相当頑丈なのね、貴方」

 

大妖怪と称するに相応しい攻撃だった。

身体に僅かでも傷みを覚えたのは何時ぶりか…膨大な妖力と身体能力に裏付けられた一連の流れは、これまで彼女に相対した者たちを例外なく戦慄させたことだろう。

 

「私には関係のないことだ…」

 

だが、彼女は知らない。今の私しか見ていない彼女は、自身と良くて同格かそれ以下の認識しか持っていない。ならば教えてやるべきだ…彼女は力の捌け口を求め、私はそれに応えられる。役割が生まれたからではない。霊夢との遣り取りがあったからではない…この身は只、遍く《力》という名の負を体現するが故に。

 

「独り言は終わり? それなら続けましょう」

 

「いや…此処は場所が悪い。君も世話した庭を壊すのは心が痛むだろう。従ってーーーー」

 

人型である我が身から、力の一部を洩れ出させる。

招く先は私の領域…其処には何もない。互いの存在と力だけが解る場所。座標を合わせ、転移を用いて二人だけの空間へと運び込む。

 

「此処は…」

 

高さも、厚みも、果てもない場所へと誘った。

気紛れに創ったこの世界は、若かりし頃心の荒んだ私を慰める唯一の遊び場だった。闇だけが拡がり、命ある者だけが此処に留まることを許される。何とも詰まらない…終わってしまった一つの世界。

 

「待たせたな、凛々しくも恐ろしい妖怪の少女よ。此処は私が、嘗て創り出した何も無い場所…此処でなら」

 

私からは銀色の光が、彼女からは迸る妖力が視覚化される。深淵…ただ一つの言葉で表される無間の世界。

此処に壊れるモノは無い…有るとすればそれは、互いの心と身体のみ。

 

「君の願い、心ゆくまで叶えよう」

 

「ーーーー素敵よ、本当に素敵なバケモノね」

 

少女は闇を置き去りに駆け出した。形容する語彙に乏しいが、彼女は大きな思い違いをしている。幾ら力が溢れようとも、幾ら眼前の強敵に心を踊らせようともーーーー、

 

 

 

 

 

君に寄り添う、私という《闇》そのものを…誰も置き去りにする事など出来ない。

 

 

 

 

 

 




次回も戦闘回となります。
ゆうかりん可愛いですゆうかりん。
遅筆過ぎて申し訳有りませんが、続きを読んでやっても良いという方、ゆっくりお待ち下さい。

主人公は楽園巡りと共に妖怪巡りも始めてしまいました。
東方キャラクターを相手役にするのはかなり心にダメージを負いますが、オリキャラは自分で出すと収拾つけられなくなりそうなので基本は主人公しか出すつもりがありません。そして少しだけ、主人公は過去を振り返りました。その描写も、何処かで書き起こしたいと思っています。

長くなりましたが、最後まで読んで下さった方、ありがとうございます!!


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第二章 弐 いつか咲く花の為に

遅れまして、ねんねんころりです。
戦闘メインが続きますが、最後にはハッピーな終わりが良いと思って後半部分を書き直しました。

稚拙な文、唐突な場面転換、御都合主義、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んで下さる方、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

「アッハハハハハハハーーー!!」

 

耳朶を揺らすのは少女の笑い声と爆音の波だった。

彼女の持つ日傘と身体を起点に破壊が形となって降り注ぐ。弾幕と似た性質のそれ等は一つ一つに規格外の妖力を秘めていた。

 

空間を絶えず唸らせる程の魔弾の雨は、数えただけでも千を超えてからは幾つ放たれたのか分からない。

 

「そうら! 弾幕だけじゃ終わらないわよッ!!」

 

彼女の展開した魔方陣は中空へ留まり、自動式で彼女の操作無しでも妖力を媒介に魔弾を放つ仕組みだ。時に光線を、時に包囲する網目の様に変化が加えられ、遠距離を埋められた私は至近距離での継戦を余儀なくされる。

 

「腕力も、速度も申し分ない。組み立ては荒いが動きに無理がない…流石だ」

 

「これでも大妖怪、らしいから。これくらいはね!」

 

彼女は我流なのだろうが…其処には体幹を意識した無駄の無い突き、蹴り、得物による間合いの調整と追撃といった一つの流れが有った。

 

妖力や肉体の強さだけではない…実戦で研磨された独自の型が有り、法則が有り、それらは千変万化の様相で次々と繰り出される。

 

「ーー! うむ…今のは少し焦ったぞ」

 

「フン、汗ひとつかいてない癖に!!」

 

突きを受ければ衝撃が伝わり、蹴りを捌けば鋭さに重みが上乗せされ、攻守の入れ替わらない現状は正に拮抗していた。

 

尤もそれは、私が全てにおいて受ける側だからなのだが。

攻め続ける彼女もまた、息一つ乱していない。

 

「驚いたわ…貴方、一体なんなのよ? 天狗の新聞には詳細不明の妖怪としか書いてなかった。貴方と同じ気配を何度か感じていたけど…異質ね」

 

なるほど、彼女程の実力をして私は異質と評されるのか。

恐らく紫と同等、能力が絡めば分からないが、単一の妖怪としては間違いなく最高峰である花の少女は、鋭い視線と言葉を投げかけてくる。

 

「私はただの逸れ者だ。ただーー」

 

姿勢を低く、蛇がのたうつ様な軌跡を描いて距離を詰める。これまでの彼女が見せた速さより一段上の機動を設定して肉薄し、寸でで受けられる程度の蹴りを放つ。

 

「がっ…!?」

 

受け止めきれず、得物越しの少女は嗚咽を漏らしながら後退った。両手に痺れが残っているのか、震えた手をだらりと垂らして得物も落としてしまった。

 

「な、なによこれ…手が震えてる? 私が?」

 

力が入らない手で、無理に拳を握ろうとする度彼女は驚愕を露わにした。

 

妖怪の体構造は、人型であるにしても人間とは似て非なるモノだ…彼女に見舞った蹴りの威力は、初撃で振るわれた日傘と同程度。

 

自分と拮抗する者の蹴り一つで彼女が狼狽しているのには、実は仕掛けが有る。

 

「なにを…私の手になにをしたッ!?」

 

美しい花の主人は、初めて怒り叫ぶ姿を私に見せた。

痛みだけではない…痺れだけではない。その手に刻まれたモノの正体はーー、

 

「何も…強いて言うならば、今君の手には妖力が通っていないだけだ」

 

「馬鹿げてる…! 私を誰だと思っているの、能力か何か知らないけど…ただの蹴りで、こんな!」

 

彼女は動かぬ手の代わりに足を使い、目一杯跳躍して飛び蹴りを敢行した。

 

「止めておけ」

 

「くっ…! 足から、力が…またなの!?」

 

必死に見舞った蹴りも難なく受け止められ、膝から崩れそうになる身体に更なる負担が掛かる。それでも意地か憤怒故か、膝が笑うのも構わず彼女は立っていた。

 

最早弾幕を維持する妖力も奪われ、静寂の世界には二人だけが其処に在る。

 

仕掛けとは、単純な事だ…彼女の肘と膝から下は妖力を奪われている。関節が力無く、手足が、骨が、筋肉が…満足に動かないのは力の源を断たれたからに他ならない。

 

「では聞くが、君は私を誰だと思っているのだ?」

 

「なんですって…!」

 

彼女は大きな思い違いをしている。

先にも感じていた事だが、私と彼女では存在の根本から違う。私は妖怪ではないし、ましてや人間でもない。

 

私は竜だ…それも極めて悪辣な部類の。

彼女は侮り過ぎた。楽しみ過ぎた。相手をただ骨のある強敵に過ぎないと注意を怠った。それが、私の意思無くば指一つ動かなくなった己の有り様だ。

 

「まさか、私の妖力を喰ったと言うの?」

 

「慧眼だ…端からその洞察力が有ったなら、今迄私が受けに徹していた理由も早めに気付けた事だろう」

 

そして私は、また一つ力の封を解いた。

この深淵だけが広がる場所なら、三割までなら易々と受け入れてくれる。

 

「ーーっ、こんなの…知らない。こんな力…!!」

 

「重ねて問おう…君こそ、私を誰だと思っている? だから腕が動かない程度で狼狽える羽目になる。必要なら手足を捥いでから生やせ、妖力を奪われたならまた創り出せ」

 

「なにを…言ってるのよ」

 

「君が戦うと決めた相手は、そういう類のモノだ。紫や藍には悪いが、妖怪が油断したまま勝てる程、私という闇は浅くは無い」

 

私は、拮抗していたとはいえ防戦一方だった。

距離を詰められ、願うべくもない方法で戦うことを強いられた。

 

私の身体に触れるほど、四肢からは妖力が生皮を剥ぐ様に乖離していく事に気付かずに。得物が有った分、足を多用しなかったのは幸運だろう…だからこそ立っていられる。

 

「私が、貴方を同格に見ていたことが誤りだったと…」

 

これがフランドールの様に手足を振り回すだけだったなら、彼女は今頃地に伏していた。大妖怪、最高峰…その評価に間違いは無い。

 

だが、それは楽園に限った話ではないか。

私の様に何かの間違いで産まれた存在が幻想郷に来るわけが無いと、どうして言い切れる。

 

「いやーーそれは違う」

 

「何が違うのよ! 貴方を侮った私が無様を晒した、それが全てじゃない…! 私はまだ戦えたんだ…!! やっと、やっと見つけた相手をーー」

 

美しい花の主は悔しげに目を伏せ、続く言葉を飲み込む事しかしなかった。

彼女は、彼女は二つ思い違いをしている。

 

私は初めから彼女の驕りを咎めるつもりも、このまま終わらせる気も無いというのに。

 

「最初に言った筈だ」

 

「………」

 

「私は、君の願いを心ゆくまで叶えよう…と」

 

「…え?」

 

彼女は心踊る強敵との闘争を望んでいた。

ならば、まだ終わりではない。

彼女諸共この領域から再び転移し、色鮮やかな花の丘へと連れ戻した。

 

「出来るのだろう? 君は大地から、自然の力を吸い上げ操れる筈だ…さあ、花にも勝る美々しき者よ。この私に、大いなる再誕の唄を聞かせてくれ」

 

「ーーーー、褒め過ぎよ。でも、良いわ…認めてあげる」

 

彼女は緩やかに両の手を地に浸けて、内に秘められた力の全てを曝け出した。

 

背には極光を纏う翼、彼女の美しさと恐れの象徴が姿を現した。三対六枚の緑の羽根は、彼女が元はどんな存在であったかを如実に語っていた。

 

「…君はやはり」

 

君は、そうなのだな。

自然と共に在る者、其処から生まれ落ち…自然の有る限り保たれる命。即ちーーーー《妖精》。

長い時が…多くの季節が流れ去り、尚生き続け力を蓄えた。最期にはその枠組みから脱し、花の主という一個の妖怪と成った存在。

 

「本当の私を見つけてくれた貴方には…最後まで付き合って貰うわよ。ねえ? 暗がりに棲む銀のヒト」

 

私に柔らかな声で語る彼女の顔は、眩しい陽射しよりも輝いている。この焦がれる程の輝きに、私は礼を尽くして応えなくてはならない。

 

「ああ…良いとも。君と出逢えた幸運に、必ず応えよう」

 

激突の瞬間は…空気の壁を突き抜け、風と衝撃に舞い散る花びらが伝えてくれた。

嬉々とした彼女の、剣よりも鋭い爪。

あどけない笑顔の、爆撃じみた拳。

必勝を誓う意気の、嵐にも似た蹴り。

 

それらは例外なく私を捉え身を穿って行く。

私は彼女に殴られれば同じだけ殴り返し、蹴られれば同じだけ踏み付けた。

 

「ぐっ! うふふ…あはははははははーーっ!!」

 

「く…クク、フハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

お互いが太陽の畑を憂うように空へと上がり、お互いが高らかに笑う。深緑の太陽と深淵の銀が一挙手一投足を弾き合い、返しざまにまたぶつかってを繰り返す。

 

私が彼女の妖力を奪えば、彼女は大地から力を吸い上げ再起する。永遠に等しい刹那の時を…私は彼女と共に駆け抜けている。

 

深緑の六枚羽から無数の光線が撃ち出され、身体から溢れ出す銀の奔流がそれらを喰らう。口元から血を滲ませ、軋む骨と肉を叩き、視線で喜びを訴えた。

 

「楽しいわ! 本当に楽しい!! 貴方に…貴方にずっと逢いたかったーーッ!!」

 

「私も、久し振りに浮かれている。もっとだ、もっと私に君を感じさせてくれ…ッ!!」

 

この時ばかりは、空の頂は私達の独壇場だった。

超高高度に浮かぶ雲は戦いの余波に引き裂かれ、青々とした景色が二人を讃えるように陽の光で照らす。

 

互いを幾度も打ち据え、想いを交わした歓喜の闘争は、しかしながら…間も無く終わりの時を迎えようとしていた。

 

「はぁ…! はぁ…これが、有りっ丈の一撃よ…!」

 

「来いーー私は力尽きるまで、君と踊り続けよう」

 

吹き飛ばされて離れてしまった距離…彼女は突き放す様に右手を、私は左手で掴み取らんばかりに掌を翳す。

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーー《月に叢雲、華に風》ーーーー!!!!」

 

「ーーーー《負極(ふきょく)燐光(りんこう)》ーーーー」

 

 

 

 

 

美しい花に風が吹けば、そのものの鮮やかさを損なってしまう。夜空の月を不穏な雲が隠せば、闇の中の導を失う。至上の時、素晴らしい出来事は長続きしないとはよく言ったものだ。

 

彼女が放つ極大の光線は、当たれば楽園諸共砕きかねない威力を伴っている。終わらせるのが惜しいと心から思う。

 

だが…これ以上は彼女が保たない。天を衝く勢いを物語る渾身の技は、夕暮れ時を影が塗り潰す様に私の放った銀の波濤に飲み込まれて行く。

 

「これでも…届かないのね。届かないのに」

 

凛々しく温かみの篭った少女の声は、悔いなど微塵も感じさせない満ち足りたものだった。

 

「凄くーー気分が良いわ」

 

精魂尽き果て、翼の掻き消えた少女は落下して行く。

私は浮遊する体を即座に降下させ、彼女を優しく抱き止めた。見た目に違わず軽い花の主は、意識こそ残っていたが…暫くは身動き出来ないものと考えて抱えておく事にした。

 

「ぁ…どう、して」

 

「君との戦い、実に楽しかった。今はまだ…このまま休んでいると良い」

 

「ええ…抱えられるなんて初めてだけどーー不思議と、悪くないわ」

 

その言葉を幕切れに、彼女は静かに寝息を立て始める。

ゆっくりと…起こさぬように注意を払って、丘の上の家まで続くなだらかな道を歩き出した。

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

私は揺りかごの中の赤子に似た感覚を覚えながら、自分が夢を見ているという朧げな認識を持っていた。

 

温かく、心地良い深淵に身を委ねている。

そして夢の中の光景は…私の身体を包み込む温もりとは打って変わって、酷く物悲しかった。

 

「何故だ…何故私を、我を裏切る?」

 

夢の中で聞こえる声には憶えがあったけど.私の知る声の主とは姿形が全く違っていた。

 

鎧と皮膚が混ざった様な異質な身体。

鋭く禍々しい圧倒的な存在感に、美しいという矛盾した感想を抱いていた。

 

「人も、人ならざる者たちも皆我を恐れ、我が力に媚び働い最後には裏切られた」

 

太い血管の様な器官が翼、胸、手足、首筋に奔った黒い竜。全身から立ち上る銀光は力の証か、深い闇の中でただ一つ…その竜だけが確かな存在で。夢として見ている自分が、記憶には無い何かを覗いていると分かってしまう。

 

「負を、深淵に係るあらゆるモノを我が与えたというのに…背後から弓引かれた」

 

声は段々と冷たく、暗く落ち込んでいる。

その竜は涙一つ流していないのに…怒りより、憎しみより、哀しみだけを湛えていた。

 

悲しまないで、泣かないでと…無関係な筈の私が声を荒げそうになる。

 

「だがーー」

 

それでも黒い竜は諦めていなかった。

多くの時代を幾度となく下衆な連中に利用されながら、望む者の為、救いを求めるナニカの為に力を振るう。

 

正義の味方を気取りたい訳じゃ無かった。

ただ、深淵にすら縋り付く救い無き命の為にと。

 

【殺せ! 人心を惑わす竜を殺せ!】

 

【追い出せ! ニンゲンが住処を荒らしに来たのはアイツのせいだ!】

 

【許すな! 奸佞邪智を弄する、あの黒竜を討て!】

 

そうして最後には…黒い竜は住んでいた世界の何処からも追い立てられ、流れ流れた深淵の領域で眠りに着いた。

 

「それでも我は…人間を、幻想を愛している」

 

彼は幻想を愛している。妖精も、妖怪も、神も悪魔も…彼の前では等しく無力で、愛おしい存在だったのに。

 

彼は人間を愛している。肌の色も、言葉の違いも、思想の違いも…彼の前では等しく正され、故に忌み嫌われた。

 

夢はそこで途切れてしまう。

温かい深淵の揺りかごから、馴染みのある寝台のような感触に切り替わる。

 

「今は眠れ…君には、我の記憶など目の毒だ」

 

夢の中にいる筈なのに…暗転する視界の真ん中に座す竜は、私に語り掛けていたような気がした。

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

「すぅ……すぅ」

 

彼女の家に辿り着き、非礼とは思いつつ屋内へと入った。

整理整頓され、生活を彩る家財と育てているらしい鉢植から生活の規則正しい事が窺える。

 

居間の先に寝室が有り、吹き抜けの間取りのお陰で直ぐに発見した。ベッドの上に彼女を横たえさせ、漸く一息つける時間が生み出される。

 

可愛らしい寝息とともに眠る花の主の寝顔は無垢で、起きている時の凛々しさとはまた違った愛嬌を見せる。

背丈は私より頭一つほど小さいが、健康的に発育した身体と長命な妖怪の発する強い生命力が更に魅力を引き立てていた。

 

一個の種として完成された元妖精。

そういえば、未だ名前も聞いていない…惜しい事をした。彼女が起きればあらぬ誤解と疑いによって再び吹き飛ばされるのだろうが、生憎と打ち倒した淑女を置いて逃げるなどという醜態を晒す気も無い。

 

「大人しく殴り飛ばされて終わるのが妥当、か」

 

幸いにも戦闘による疲れは皆無…頑丈過ぎるのも考えものだ。自分も疲れて眠ってしまったと言い訳も出来ない。

 

「…ん?」

 

不意に…彼女をベッドに寝かせた後、閉めた玄関の先、扉の向こうから新たな気配を察知した。

 

「ーーうーーーいのぉ?」

 

耳を峙てると、やはり玄関の外から声を発する者がいる。

恐らく今眠っている少女の知人だろう。

私は眠る彼女から踵を返し、声の主を確認するため扉を入り口の扉を開けた。

 

「あ! なんだ居るんじゃない! 頼まれてた調べ物…を……だれ??」

 

扉の前に立っていたのは、金髪に青い瞳の幼女だった。

赤いリボンを頭に結んだ幼女は、私を上から下までよく観察し終えた途端固まってしまった。

 

「アナタ…幽香の知り合い?」

 

「先ほど出逢ったばかりだが、そうか…彼女は幽香という名前なのか。教えてくれて助かった」

 

「どうしたしまして? って、そうじゃなくて! アナタ何なの!? この家は幽香の家よ! まさかーー泥棒!?」

 

泥棒扱いとは中々思い切った判断だが、強く否定しきれないのも事実だ。状況証拠にはこと欠かないのが悔やまれる。

 

「待つんだ。今、彼女は疲れて眠っている…此処は落ち着いて、静かに話し合おう」

 

私は道を開けて屋内へ促すと、彼女は怪訝な視線をそのままに居間へと歩いて行った。

 

強張った表情でテーブルに備えられた椅子に腰掛けた幼女に倣い、対面の椅子に自らも座る。

 

「で? 泥棒じゃないならアナタ誰なの? 幽香に変なことしようものなら毒殺するからね」

 

「恐ろしいな…それに、愛らしい見た目と違って用心深い。まずは自己紹介させて欲しい所だ」

 

彼女は憮然とした態度を崩さず、腕組みながら私の話を聞き始めた。

 

「私は九皐。此処には森を抜けてやって来たのだが、来た時は驚いた…あの花畑は実に美しい」

 

「当然よ! 幽香にお花の世話をさせたら世界一なんだから。私の鈴蘭畑も幽香に最初は手伝ってもらったの!」

 

なるほど…この幼女は、今眠っている幽香という少女と同じく植物を育てているのか。

 

得意げな顔で必要以上に情報を与えてくれるのは、まだまだ幼女が見た目相応に精神が幼いからだろう。

 

「鈴蘭か…確かその植物には、毒が有ったな」

 

「うん! でも私と幽香には関係ないわ! 私は《毒を操る程度の能力》があるし、幽香にも《花を操る程度の能力》があるから平気よ!」

 

彼女の、幽香の能力は花を操るのか…尤も、先ほどの戦闘を考えればそれ以上の力も有しているのは分かっている。

加えて眼前の幼女は毒を操るという…綺麗な花には棘があると言うが、二人は全くその通りの人物らしい。

 

「ちょっと…勝手に私のことまで話さないでよ、メディスン?」

 

談笑とまではいかないが、いつの間にか私が幼女の聞き役になっていれば、話題の当人が居間にゆらりとした足並みで現れた。

 

「幽香! 無事だったのね!?」

 

無事といえば無事だろうが、彼女…幽香は起き抜けの所為か芳しくない顔付きだった。

 

「目が覚めたか、失礼とは思ったが…寝室に運ばせて貰った」

 

「そう…余計な気を使わせたわね。メディスン? 悪いけど、この…あれ、まだ名前聞いてなかったわね」

 

「知り合いじゃないの!?」

 

「君は幽香という名前だったのだな。良い名だ…申し遅れたが、私は九皐という」

 

「こっちも!? なんなのよーーー」

 

「メディスン? 騒がないの。ほら、三人分のお茶を用意して頂戴?」

 

「ぶー…分かったわよぉ」

 

騒ぐ幼女、メディスンは幽香の頼みを聞いて近くの台所に走って行ってしまった。

 

「私が起きるまで、あの子の相手をしてくれたのね。喧しかったでしょう?」

 

「利発な子だ。発する気配や幼さの割に相手をよく見ている。将来は大物になるやも知れん」

 

率直な意見を述べると、幽香は朗らかな笑みで返した。

台所で湯を沸かすメディスンという幼女は、幽香にとって力の差や種族の違いを越えた繋がりが有るのだろう。

 

「あの子はね…人形の付喪神なのよ。外の人間に捨てられ忘れられた人形の周りに、偶然鈴蘭が植えられていて、付喪神として生まれ変わった時に毒を操る能力も手に入れた」

 

メディスンという付喪神の起源を語る幽香の面持ちは複雑なものだった。人の心を慰め孤独を埋める人形は、最後には飽きられ放逐された。誰の記憶からも居なくなり楽園に流れ着いたメディスンの過去とは、その力と種族に因んだ仄暗さを宿している。

 

「付喪神になって間もないあの子を偶然見つけて、放っておけなくてね。気付けば、住処の鈴蘭畑を世話した後は毎日のように来られているわ」

 

「……優しいのだな、君は。美しい花を咲かせられる者の心は、同様に美しいモノだと私は思う」

 

「さっきも言ったけど、褒め過ぎよ。ただの気紛れで、私の身勝手であの子を側に置いているだけ…人間があの子にした事と変わらないわ」

 

彼女は大妖怪に相応しく、聡明で強く美しいが…少しばかり視野の狭い考えを持っているらしい。

 

幽香の感慨など、それこそメディスンにとっては些細なものだ。扉の向こうで彼女を呼んでいたメディスンの声は弾んでいて、幽香に会った際の親愛が篭った笑顔はとても眩しかった。

 

「あの子は花だ」

 

「…どうしたの?」

 

「理由はどうあれ、あの子は楽園に落とされた一つの種子だ。付喪神として生まれ変わり、君の導きによって心安らかに彼女は蕾となった。今はまだ小さいが、幼いあの子も何れ大輪の花を咲かせるだろう…幽香ーーーー」

 

私の言葉は陳腐で、彼女にこの胸の内を全て伝えるのは難しい。だが、言わねばならない…二人の絆が永久に続く事を願い、それを何より尊いと感じているから。

 

「君とあの子の在り方こそが、この楽園で最も美しい。それは懸けがえのない…何にも代え難いモノだ。私は君とあの子に出逢えて、とても幸せだ」

 

「ちょ…!な、なによ急に!? そんな言い方じゃまるでーーーー!!」

 

「お茶淹れたよー! あれ? 幽香どうしたの? 顔が真っ赤だよ? ふふ…鬼灯みたいに真っ赤っか!」

 

お茶の入ったポットとカップを運んできたメディスンは無垢な笑顔で、心底楽しげに彼女を見ている。

揶揄われたと思った幽香は更に頬を紅潮させ、慌てて逃げ出すメディスンを追いかけ始める。

 

二人の表情は和かで、年の離れた姉妹のように睦まじく微笑ましい。

私は不器用な笑みを浮かべて、この景色に溶け込めるようにと…自らカップに茶を注いだ。





以上が二章の序といった感じです。
ゆうかりん可愛いよゆうかりん。
バトルマニアなのに、世話焼きでド親切な彼女を妄想して書きました。
完全に自己満足です。

次回も戦闘メインになる予定ですが、予定は未定です。行き当たりばったりで作っております。

長くなりましたが
読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第二章 参 大妖待ちいたる山へ

遅れまして、ねんねんころりです。
投稿ペースが落ちてしまったうえ、前回の予定は未定が現実となってしまいました…申し訳ありません。

稚拙な文章、急展開、御都合主義全開でお送りしています。それでも良い方、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

幽香には、正確には風見という姓があり…この名を知らぬ者は幻想郷には存在しないほど周知されているようだ。メディスンの話では幻想郷でも屈指の実力者で、あの霊夢や紫とも面識があるらしい。

 

「なるほどね…紫がどうりで貴方を野放しにしている筈だわ。幻想郷には今、人外の類が増えすぎている…人喰いを平気でやらかす連中もね。それは近々人里の人間を脅かす事態になるから、霊夢は貴方に巡業しながら戦って妖怪を選別しろって事なのね?」

 

「今にして考えれば、紫の思惑だったとも私は思う。この楽園には、スペルカードルールを無視して跋扈する者たちが未だに絶えないのだろう」

 

私が幽香に此処まで来た経緯を話すと、彼女は巡業して戦えと言った霊夢の裏を分析していた。

その事については私も見当はついていたが…私の目的を阻む内容では無い上、判断は私に委ねられている。

 

「私が結果的には拒まない事も計算の内だろう。博麗の巫女、妖怪の賢者は此処に在りといったところか」

 

楽園の守護を旨とする二人からすれば、使えるものは使えということだ。是非もないが、不快でもない。

 

「貴方…本当にお人好しね。最後に裏切られたらとか思わないの?」

 

「人間は嘘つきなんだから信じたらダメだよ! 私みたいに…捨てられちゃうよ…」

 

「……大丈夫だ、私はそれほど繊細には出来ていない」

 

メディスンは、不安げな表情のまま目を伏せてしまう。

私が慣れぬ手付きで彼女の小さな頭を優しく撫でると、心地良かったのか少しだけ溜飲を下げてくれた。

 

「だからという訳では無いが、幽香…君には頼みがある』

 

『分かっているわ。此処ら一帯だけなら私が適当に掃除しておいてあげる。私に勝った貴方のやる事だもの…協力するわ」

 

「すまない。面倒事を引き受けて貰って、君には感謝しきれないが…ありがとう」

 

「い、良いわよ! 一々お礼を言わなくたって、ちゃんとやっておくから!」

 

礼を述べると、彼女は何故かまたもや顔を赤らめてしまった。紫やレミリア嬢もそうだったが…何故私が礼を口にしたり賛辞を送ると一様にこうなるのか。

 

「えー…キュウコウわかんないの? 年の割りに子供なのね」

 

そしてメディスンには子供扱いされた挙句頭を撫で返される始末だ。女とは、いつの時代も不可解な生き物だ。

 

「幽香、メディスンも呼び難ければ《コウ》と呼び捨ててくれ。私も二人を名前で呼んでいる」

 

「コウ…コウね…」

 

「わたしもー!」

 

「うむ…では、そろそろ行くとしよう。次は何処へ行くか決めていないが、如何にかなるだろう」

 

「それなら、森の中心へ行ってみれば? 彼処には面白い奴らがいるから」

 

立ち上がった私に幽香が告げたのは、森に入った当初辿り着かなかった森の中心であった。

あの森に居た有害な妖獣どもは粗方狩り尽くしたが、彼女が言う奴らとはそういった類では無いらしい。

 

「分かった。では今度こそ…また逢おう幽香、メディスン」

 

「ええ…また逢いましょう。でも逢いにくるなら、なるべく頻繁に来なさい! 良いわね、コウ?」

 

「次は私の鈴蘭畑も見せてあげるよ!」

 

「それは楽しみだな、約束しよう」

 

 

 

 

 

 

太陽の丘、花畑で幽香とメディスンに暫しの別れを告げて森へと再度入り込む。今は夕刻に差し掛かる頃、昏れなずむ夕陽が景色を朱に染める中を進む事となった。

 

今度は回りくどい事をする必要も無く、森の中心を目指して歩き続けた。森に深く潜って行くと、閑散として開けた場所に到着した。

 

「あれは…家か?」

 

家の敷地と言わんばかりに柵が設けられ、屋根の煙突から煙が立ち登り、庭はそれなりに手入れされていて今も何者かが住んでいると窺える。

 

何よりも気にかかるのは、屋内から発せられる気配だ。

それはあの魔理沙やパチュリーと同じく魔女、魔法使いの放つ魔力だと分かる。

 

しかし、その何方とも違う事が一目で判断出来た。

魔力の量だけならパチュリーと同等かそれ以上、質だけなら人間の魔理沙では出し得ない七色の淡い光が視覚化されていた。

 

閉め切られた扉を興味本位で叩くと、家主も此方に気付いていたのか反応は早かった。

 

「貴方誰? この感じ…妖怪?」

 

扉から顔だけを出して私を妖怪と言った少女は、整った顔立ちに金の髪、青々とした瞳が人間離れした美しさを醸し出している。

 

楽園には容姿端麗な女性が特に多いらしい。

さしもの私も出会う者軒並み美人揃いでは尻込みしてしまいそうだ。

 

「どうしたの? まさかその姿で喋れないってことは無いわよね?」

 

「ーーああ、私は幻想郷に来たばかりでな…此処で出逢う女性が皆とても美しいので言葉が出なかった。申し訳ない」

 

私の返答に、扉越しの彼女は一瞬身体を震わせたかと思うと訝しげな視線を向けてくる。

 

「そ、そう…褒めて貰った所悪いけど、私の質問に答えてくれない?」

 

「うむ…私の名は九皐という。此処には迷った訳ではなくーー」

 

私が質問に答え終わる直前、突然目の前から魔力で操られた何かが奇襲を掛けて来る。

標的としては小さなそれ等を大きく後方に飛び退いて躱し、繰り出したであろう家主の少女に問いかけた。

 

「これは、何のつもりだ?」

 

「貴方ね…太陽の丘で風見幽香とドンパチやってたの。さっきより力は感じないけど間違いない…それに、この森の妖獣を殺したでしょう? 危険な輩と考えるのは当たり前じゃないかしら」

 

気付かれていたのか…いや、目立つ行動だったのは認めよう。それにしても、私を攻撃してきたモノの正体が判明した…彼女の指から伸びる魔力の糸が操る七体の人形。

 

それ等は無機物としての特性を持ちながら、動きは人間の動作と変わらない精巧な代物だ。

 

「弁明のしようもない、事実だからな。だが、私は君と争いに来たのではない」

 

「信じられない話ね。私の所へ先に来たのは幸運だった…あの娘が見つかる前に貴方を潰す。気配からして、貴方が天狗の新聞に載ってた妖怪なのでしょう? だったら答えは一つよ」

 

七体の人形は持っている武器が三種に分けられている。

剣を持つのが二体、槍持ちが三体、盾を持つのが二体。

それにしても天狗とやらの新聞には、私のことがどう書かれていたのか気になる…こうも好戦的にされるとはな。

 

「弾幕ごっことはいかないか」

 

「それはあくまでルール有りの決闘の場合よ。これは狩り…得体の知れない危険な奴には当て嵌まらない」

 

計らずも起こった彼女で言うところの狩りは、誤解では無いが不幸な巡り合わせで始まってしまった。

 

人形使いの少女の背に魔法陣が展開され、小形弾幕と共に人形が高速で移動する。その攻撃は規律正しく、少女は人形師としても魔法使いとしても高い実力を有しているようだ。

 

「先ずは小手調べよ…!」

 

人形の行進はさながら女王に従う歴戦の勇士を思わせる。

命の無い人形は、反して有機的な挙動で距離を埋めつつ攻撃を仕掛けて来る。

 

時に散り散りに、時に互いの動きを合わせて剣を振るい、

槍で突く。特筆すべきは、主人が魔法による光線や魔弾を放てばすかさず追随し一瞬の動きにも対応してみせるその操作性。

 

実現させているのは使い手の技量と人形それぞれの完成度の高さに依るモノだ。だが、私を捉えるには未だ至らない。

 

「些か迫力不足だな」

 

人形の縦横無尽の挙動を見切り、余力を持って回避し前進する。弾幕は腕や足で払い除けて距離を詰め、少女の眼前に躍り出た。

 

「安易に近付き過ぎよ」

 

「ーーむ?」

 

いつの間に隠していたのか、私と少女の間に人形が一体。八体目のソレは強く発光し、互いの間で爆弾の如く爆ぜた。

 

地面を抉り、豪快な音と衝撃が身体を襲う。人形に仕込まれた火薬の量を考えれば考えれば少女もただでは済まない筈だが、盾持ちの二体の人形を滑り込ませて防いだらしい。

 

「どうして…!?」

 

「ーーーー何がだ?」

 

態と隙を作り、人形を爆弾として炸裂させる戦術で一気に畳み掛けるのは悪く無かったが、相手の強度を想定に入れていないのは減点だ。

 

「ちょっと、擦り傷も負ってないじゃない…」

 

「次からはもっと大きな人形に火薬を詰めることだ」

 

一歩踏み込めば充分に攻撃の当たる距離だったが、爆風で被った煤を落としながら忠告するに留める。

 

「一応…用意した子の中では一番量が多かったのだけど?」

 

「ならばどうする? 本気を出せば後が無いだろう。私としてはこのまま終わってくれると助かるのだが…」

 

対話を試みようとしたのも束の間、不意に背中に蠢く何かの気配を感じ取った。後ろを見やればこれまで武器を手にしていた武器を投げ捨てた計五体の人形が、私の背に所狭しと張り付いて糸を絡めている。

 

「爆ぜた八体目は囮だったか」

 

『いいえ、その子も此処にいるわよ』

 

予想していたより食えない少女だ。

今までは真正面から来る手合いばかりだったのに対し、眼前の人形使いは戦い方を良く練っている。

 

「ご苦労様ね、上海(シャンハイ)

 

「シャンハーイ」

 

彼女の言う通り、私と共に爆散したと思われた八体目の人形は全くの無傷。よほど対物性能が高いと見えるが、驚くべきは上海と呼ばれた人形が声を発した事だ。

 

「その人形…喋れるのか」

 

「この子は私の特別な人形…貴方の為にみすみす壊したりなんかしないわ」

 

上海なる人形は表情こそ変わらないものの、主人に寄り添い守るように私に槍を翳している。先は気付かなかったが、外観だけでなく着せられている衣服も細部まで見事に造られている。

 

「ーー素晴らしい」

 

「……なんですって?」

 

「上海、と言ったか…非常に良く出来ている。これ程精巧な人形は見たことが無い。人語は解するのだろうか?」

 

私は状況も芳しくない事に目もくれず、上海と呼ばれる人形の美しい造形や主人に応答する様に魅入られていた。

 

「……貴方、状況分かってる? 背中の子たちは皆火薬を仕込んでいるのよ? 流石に妖怪でもただじゃ済まない」

 

「構わない。それよりもっと近くで見せて欲しい…この人形も君が造ったのか? 全て自分で?」

 

「そうだけど……だから何なのよ! それ以上動くと本当に吹き飛ばすわよ!?」

 

それでも一向に構わないと述べた筈だが、私が人形を見る姿に少女は狼狽えているらしい。さて、始めから戦う意思が無いとどう伝えれば良いのか。

 

「君がそれで良いなら止めはしないが、せめてこの人形をもう少し見させて欲しい」

 

「シャンハーイ?」

 

やはり見事な出来だ。私と少女のやり取りに反応する素振りは《機能》ではない…自動人形かそれに極めて近い性質を持っている。

 

『貴方、人形に詳しいの?』

 

「人並みだが…先も言った通り私はこの人形をとても素晴らしいと感じている。糸こそ繋がっているがこの子にはある程度の知能が備わっており、定期的に自動式さえ上書きすれば独立して動けると見た。実に見事だ」

 

「よ、よく分かってるじゃない。そうよ、この子は私の目指す完全自立型に最も近いわ…成果は上がってないけど、いつかは完璧な自動人形の技術を作るのが目標なの」

 

予想以上に良い反応をしてくれた少女は、まるで胸に秘めた夢を打ち明けるようだ。完全に主人の手を離れた意思ある人形というのは、並大抵の研鑽では到達し得ないだろうに…彼女は臆する事なく語ったのだ。

 

「良い夢だ…なんと美しい夢か。麗しい少女よ、此度は私の不注意で余計な気を揉ませた事を深く詫びよう…申し訳ない」

 

「急に謝るなんて…変よ貴方。それに、私のこと笑わないの?」

 

「笑う? 君の夢の事か? 可笑しな事などない。私の知る限り…人形に心を与えるというのは正しく大業だ。それを目指す君の何を笑うのだ?」

 

そうだ…可笑しな事など、人形使いの少女は何一つ言っていない。命無き人形に魂を吹き込む事がどれ程難解なのか、私でも知っている。

 

それでも彼女は目標だと告げたのだ。

嘲笑う事など、誰にする権利も無い…挑まねば分からぬ事柄を挑まずして笑うなど、決して許されない。

 

「本気で言ってるのね…やっぱり変よ。私の目標を聞いて笑わなかったのは、貴方で三人目」

 

彼女は人形による拘束を解き、自由の身となった私を見上げている。人形達は揃って礼儀正しく私に会釈し、魔法陣の中へ姿を消して行った。

 

「ーーーー私の負けよ。貴方の言葉を、嘘じゃないと思わされてしまった…ねえ、貴方は私をどうする気なの?」

 

「何もしない。強いて言えば、君の名前を教えてはくれまいか?」

 

彼女は目を見開いて、心底驚いた様子で見詰める。

すると溜息を一つ吐いて…呆れ返った表情で口を開いた。

 

「《アリス・マーガトロイド》よ。知り合いはアリスって呼んでるわ…はぁ、本当に変な奴ね。発せられる力からして大妖怪の癖に、出てくる言葉が素直過ぎるわ」

 

「アリスか…良い名だ。私も改めて名乗ろう、九皐という。親しい者はコウと呼んでいるので、君もそのように呼んで欲しい」

 

「さっき逢ったばかりの相手に愛称で呼べなんて…ふふ、益々変だわ」

 

アリスの笑顔は、七色の虹にも似て明るく可憐だ。

これまで幾人も美しく可愛らしい少女達と出逢ったが、彼女らに負けぬ輝きを放っている。

 

「アリス…私は今幻想郷を回る旅をしているのだが、どうにも楽園の半分は回ってしまったようなのだ。これから紅魔館より上の方角を目指そうと思うのだが、其処には目ぼしい土地や建物は有るのか?」

 

「紅魔館って、あの霧の湖畔の向う側に在る紅い館よね。其処から先に行くとなると……あ」

 

アリスは何か思い当たる場所があるらしい。

神妙な顔つきなのが気に掛かるが、兎も角私の次の行き先は其処になりそうだ。

 

「館の向こう側には高い山が聳えているわ。其処は《妖怪の山》と名付けられていて、《天狗》が山を取り仕切っているみたい。それと…昔は《鬼》も居たみたいよ?」

 

天狗に鬼か。いよいよ種族としても名高い連中が座する所へ赴く事になりそうだが、其奴等は私のもう一つの目的に賛同してくれるだろうか。

 

「分かった。次はその妖怪の山とやらに行くとしよう」

 

「大丈夫なの? 風見幽香と渡り合える貴方に言うのもアレだけど…天狗は閉鎖的で余所者を嫌うし、万が一鬼に逢ったりしたら即戦闘が目に見えてるわよ?」

 

「問題無い。ではアリス、次に此処へ来た時は君の造った人形達をゆっくりと見せて欲しい…頼めるか?」

 

「良いわよ…次はもう少し落ち着いてから来て頂戴」

 

むしろ落ち着いていなかったのはアリスの方なのだが、余計な事を言って藪蛇を叩かぬよう努めてその場で別れた。

 

幽香、メディスン、アリスと今日は新たな友と出逢い語らう事が出来た。出会い頭の戦闘や巡り合わせから生じた誤解など様々有ったが、私の巡業は順風満帆だ。

 

幻想郷に辿り着いてから、私の心は喜びや悲しみといった忘れかけていたモノを取り戻しつつある。

 

だのに胸の内で消えず燻る不安が在るのは…存外私にも過去を厭う気持ちが残っているからか。

 

そんな心の些末な問いは、楽園に夜を知らせる虫と獣の鳴き声に掻き消されていった。

 

 

 

 

 

♦︎ 風見幽香 ♦︎

 

 

 

 

 

風見幽香は大妖怪だ。その自負は少なからず持っていたし、妖怪最強の一人に数えられる事は珍しくない。

 

例えを出すなら、幻想郷の賢者《八雲紫》とまともに戦える数少ない存在であり…能力無しなら自分が上、有りなら互角と言ったところ。

 

近頃の人物ならーーその番付に割り込めるのは博麗の巫女か、運命を操るという新参の吸血鬼位だと思っていた。

 

しかし、そんな小競り合いなど意にも介さぬといった風に彼は現れた。

 

「ぷーくすくす! ザマぁ無いわね幽香、コウ様に無謀にも挑むから空中落下なんてする羽目になるのよ! 高い授業料を払ったわね」

 

「ちょっと、戦いすらしてないアンタに何で上から目線で笑われなきゃならないのよ? どうせコウに初めて遭った時のアンタなんて藍と一緒に震えて縮こまってたんでしょ!」

 

「うぐ!? ま、まるで見ていた様に的確に言うじゃないの…! その通りですけどね!」

 

私の友人…というか、古くからの知己である八雲紫はコウが去って暫くしてから突然やって来た。日も沈み切った今は、恐らく彼も何処かで夜を越す為に四苦八苦している頃だろう。

 

何でも紫の話では、コウの種族は妖怪などではなく竜であったらしい。それにも充分驚かされたが…一番度肝を抜かれたのはあの紫が彼を心底慕っているという点だ。

 

「嗚呼、コウ様! なんてお労しい…我が友ながら幻想郷一の暴力主義者である幽香に絡まれるなんて…!」

 

「いやいや、家に来たのはコウの方だから」

 

「でもいきなり吹っ飛ばしたんでしょう?」

 

そうよ! 興奮して思わずね!

認めるのも癪な私は、目の前のカップに淹れられたハーブティーを一息に嚥下した。

 

思い返せば決して和やかな出逢いでは無かったのに、我が家を出る間際の彼の顔はとても優しげで…自分も気付けば笑顔で見送っていた。

 

「そんな事、一生ある訳無いと思ってたのにね…」

 

「え? 何々? 何の話?」

 

「何でも無いわ…それより、私の方がアンタに聞きたいことが山程有るのよ。仮にも賢者なんて呼ばれてるアンタが、特定の誰かを甲斐甲斐しく世話してやるなんて」

 

「ーーーえ? そ、そうかしら…でもね、最近熱っぽいのは有るかもしれないわね。コウ様にお逢いした時に限って調子を崩してしまうから、最近はゆっくりお話も出来ていないのよ…あ! それでね幽香! 今度コウ様の為にーー」

 

私の問い掛けに、当の賢者はいじらしくなったり興奮気味に捲し立てたりと全く忙しない。これはもう確定よね…けれど人の事は言えない、何せ私もーーー

 

「聞いてるの!?」

 

「え? あ、えっと…何の話だったかしら」

 

「んもう! コウ様の住まいを何処に建てるかという話よ! あの方は先の紅霧異変にも関わりが有るから、あの吸血鬼の小娘に唆されない為に湖畔からは離れた場所にしたいのよ! だけどコウ様の発する力は強過ぎて人里にも置けないし…」

 

この賢者、本当に私の知る八雲紫なのだろうか。

これまでの彼女は落ち着き払ってて何処か胡散臭かっただけに、俄かには信じられない。

 

この際友人として彼女の罹った病気を教えてやるべきか?

しかし、私としてもその方面で敵に塩を送るのは気が引けてしまう。お互いに千年以上も生きているのに、なまじそういった経験が皆無なお陰でかなりややこしい。

 

「いいえ…きっと、私が嫌なんだわ」

 

「やっぱりそう思う? 流石に平原地帯に一戸建ては無いわよね…やっぱりコウ様には《マヨヒガ》で暮らして」

 

「それは駄目よッッ!!」

 

話の前後はさっぱり頭に無かったが、紫の領域に置いたりしたらあの狐が余計な策を弄しかねない。私が鬼気迫る声で止めた所為か、紫は面食らって止まってしまっている。

 

「ごめんなさい。でもマヨヒガに置いて、一々幻想郷まで来るのじゃ不便よ…それならいっそ野原に一軒家の方がマシだと思うわ」

 

「…そうね、そうするわ。一応コウ様にお伺いするけれど、今はーーーーち、ちょっと!」

 

今迄の間の抜けた彼女とは打って変わって、その面持ちは焦燥を露わにしている。

何事かと紫の開けたスキマを覗き込むと…其処には予想外の光景が映し出されていた。

 

「まさか…登って来たの? アイツーー」

 

「地底の旧都で呑んだくれてると思ったら…これは、厄介な事態かも知れませんわねーーそれも妖怪の山でとは」

 

九皐は唯一人、視線の先の軍勢と…それを煽動しただろう人物を射抜かんばかりの視線で捉えていた。

 

何百という数の多様な天狗、その中に唯一人捻れた双角の小柄な鬼が悠然と立っている。

 

「これ…大丈夫なの? 紫」

 

私の声に妖怪の賢者は瞑目し答えない。スキマを開けたまま事態を静観する事を、視線だけで語っていた。

 

夜が明けるにはまだ早い…血気沸き立つ妖怪の山に、戦いの火蓋が切って落とされる。




遂に妖怪の山を話に持って来られました。
作品の時系列を無視したまま第二章は進んでおりますが、確定事項として第三章は妖々夢編になると申し上げておきます。

幻想郷はそんなに広くない、地底を出すにはまだ早いと思い地上巡りだけで巡業編は一先ず終わりとなりそうです。

次話は長くなりそうですので…遅れてしまいましたらごめんなさい。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第二章 終 蝶よ、花よ

第二章完結、遂に投稿出来ました。
ねんねんころりです。睡眠不足の中書き連ねた結果、自分でも内容を確認しきれておりません…睡眠不足は完全に自業自得なのですが。

無計画な話の構成、稚拙な文章、御都合主義、半端な厨二マインドでお送りします…それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

私こと射命丸文(しゃめいまるあや)は、文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)という新聞を幻想郷の津々浦々にお届けする記者である。

近頃は退屈で何の変化もない日常に刺激を与える為、少しばかり誇張した内容の記事でお茶の間を賑わしていた。

 

そんな私に妖怪の賢者《八雲紫》から、先日起きた紅霧異変の折に現れたある妖怪の情報を渡されたのは…今日から五日前の事だった。

 

渡された写真から知り得た妖怪の特徴は、人型で背の高さが六尺程、整った顔立ちに黒髪…特筆すべきは月光にも似た銀の双眸。誰が見ても人間離れした美男子にしか見えなかったが…これがまた写真からでも分かるほど異質な気配を放っていた。

 

異変解決後の紅魔館に取材へ向かおうとした矢先のこと。

私の前に現れた八雲紫は…この妖怪は非常に強い力を持っており、異変に関わった博麗霊夢、霧雨魔理沙、あの紅魔館の主《レミリア・スカーレット》氏も口を揃えて認める存在らしい。

 

幻想郷の新たな勢力として、たった一人で異変解決者の二人や紅魔館に匹敵若しくはそれ以上と目される人物の登場は、眉唾物だと疑いつつも私の心を潤した。

 

「題名は…詳細不明の大妖怪!? 異変に紛れ突如現る!! これで決まりですね!」

 

その日発行した私の新聞は、文字通り売れて売れて売れまくった。明日は槍が降るのでは無いかと内心恐々としながら眠ったのは記憶に新しい。

 

「さて! いよいよ今日は件の妖怪を取材しなければ…」

 

幻想郷の空を飛ぶ私の心は、大スクープ間違い無しの取材を控えて喜び浮かれ上がっていた。

太陽の丘近くで、二つの気配がぶつかり合うのを察知するまでは。

 

「ーーーー《月に叢雲、花に風》ーーーー!!!」

 

「ーーーー《負極・燐光》ーーーー」

 

私が位置するよりずっとずっと高い空で声が聞こえる。

凄絶な力の奔流を放つ深緑の光線と銀の波濤は、周囲の景色を二色に塗り潰しながら拮抗していた。

 

「あややや…な、何ですかアレは…!?」

 

私の驚愕など置き去りにするくらいの衝撃と圧力が雲を裂き、燦然とした夕陽に負けず劣らずの輝きを伴って押し寄せる。

 

一人目は、三対六枚の翼を羽撃かせる太陽の丘の大妖怪《風見幽香》。二人目は…私が探していた詳細不明の黒髪の男そのヒトだった。銀の波濤は荒れ狂う水面に似た唸りを見せ、衝突する光線を押し返し始める。

 

「まさかーー風見さんが、圧されている…?」

 

彼女の表情は光と風圧で確認できないが…まるで獣の顎門の様に光線を呑み込む波濤はやがて、完全に風見幽香を包み蹂躙した。

 

幻想郷を覆わんばかりの力が弾け拡散する…最後に立っていたのは、誰あろう取材を試みようと思っていた黒髪の男の方だった。

 

敗れた風見幽香は空中から地表へ落下する直前に男に抱き留められ…私は唖然としながらも、全速力で逃げ出していた。

 

「ヤバいですよ…! 大スクープどころか、大異変の前触れです! 速く、速く山に報せを出さねば…!!」

 

私はビビりにビビっていた。銀光に満ちる強大な闇の性質、暖かな感触を帯びた力の残滓が返って私の恐怖心を駆り立てて来る。奇妙な新参者が、あの風見幽香を真正面から打ち倒してしまった事実に…千年余りを生きた自分を逃げの一手に走らせる。

 

「誰でもいい…山に、でも誰があんなのーー!!」

 

混乱する思考は堂々巡りの中、身体だけは幻想郷の空を最高速で飛び続けている。あの光景が、私の脳裏に深く焼き付いて離れない。

 

「どうしたらーーーーきゃっ!?」

 

「おう? 危ないじゃないか…どこ見て飛んで、ん? お前…鴉天狗の文じゃないか! 久しぶりだなあ元気してたか?」

 

不注意から体当たりしてしまった相手は、私を懐かしんだ態度で迎えてくれた。鼻腔を突く酒の香りを漂わせ、頭部から生える捻れた双角の小柄な少女。

 

「あ、貴女は…!? い、いえ!聞いてください! 今太陽の丘の方でーー」

 

しどろもどろな私の話を、彼女は黙って聞いてくれていた。話が進む度に喜悦に歪む口元、獲物を狙う獣じみた鋭い眼光を隠そうともせず…知己である《鬼》は 全てを聞き終わると、子供の様に高らかに笑い上げた。

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

黄昏時を過ぎ夜の闇が楽園を包む頃。

道中でやけに自信家な氷の妖精やそれに付き添う少し大きめな妖精と出くわしたが、さして問題も無くアリスの教えてくれた山に辿り着いた。

 

「一番高い山がそうだと言っていたが…目ぼしいのはこの山くらいか」

 

山の所々で同程度の妖力が感じ取れ、それ等は何故か山の一箇所に寄り集まっているのが分かる。

数は三百か四百か…それ以上かも知れないが、恐らくアリスの話に出ていた天狗とやらがそうなのだろう。

 

「…ん?」

 

一つだけ、明らかに違うモノの力が混じっている。

比較にならぬ程の高い妖力は、山を満たして余りある存在感を持っていた。

 

「まさかな…」

 

脳裏に一抹の不安が過ぎったが、進まない事には確認も出来ない。それで目的を変える訳も無く、仕方なしと緩慢な足取りで山の中を分け入って行く。

 

寄り集まる気配の数々は、一様に殺気立っている。

侵入者を知らせる仕組みでも有るのか、又は既に見られているのか…いずれにしろ探りを入れても、彼方の神経を逆撫でするだけだろう。

 

直接確認するまでは、此方も動く気はない。

天狗が余所者を嫌うというのは弁えている…しかし、私の興味はその中にあって唯一人規格外に溢れる妖力の持ち主のみ。

 

大多数は有象無象、少しは眼を見張る者が何人か。卑下する訳では無いが…対峙するには億劫な手合いの集まりでしかない。

 

「ほうーーーーこれはまた」

 

眼窩に映るは背に黒い翼を生やした天狗らしい者共がざっと百人。其れ等より前に陣を敷き、刀や盾、槍から弓まで様々な武具を携えた白狼の耳と尾を持つ人型妖怪たちが二百。

 

そして、やはりと言うべきか。

最前列にて、酒気を帯びた瓢箪片手に…捻れた双角の小柄な少女が一人。彼女がこの集まりの頭目で間違いない。

 

「よう! 身の丈六尺、黒髪に銀の眼…でもってその力の高まりからして、アンタが噂の大妖怪だろ? 私は《伊吹萃香(いぶきすいか)》だ、こんな山までよく来たね」

 

「……君も天狗の新聞を読んだ口か? であればその情報は誤りだ。私はそう大層なモノではない」

 

私の返答に、両の手に鎖を帯びた双角の少女は笑みを噛み殺していた。酷薄で隙が無く、危うい光を目に宿している。

 

「悪い冗談は止しな…ネタは上がってんだよ。あんたが風見と戦り合ったのは分かってんだ、勝ったからこそ此処に来たんだろう? 《鬼》に嘘は吐くもんじゃ無い」

 

自らを鬼と名乗る少女の言葉に、味方である筈の天狗達は響めいていた。恐怖を露わにする者、唇を噛んで堪える者と十人十色だが…この場から逃げる気は毛頭無いようだ。

 

それをさせないのは鬼と思われる彼女への畏怖か、天狗という種としての誇り故か。

 

「嘘ではない。大層なモノは何も無い…偶然、私が勝ちを拾っただけだ』

 

「はぁーー、あの幽香と戦ってよぉ……偶々で勝てる訳無えだろうがっ!!」

 

彼女は吐き捨てた言葉と共に一息で私に肉薄し、見て呉れからは想像だにしない圧力と速度で拳を打ち出してくる。

 

「……ほらな? 偶々勝った奴が、私の動きに合わせられるかよ』

 

『申し訳ない。偶然というのは、此方の謙遜だ…君の言う通り、私は勝つべくして勝ったのだ。勿論殺めてはいない」

 

鬼の少女は一つ舌打ちし、私が受け止めた拳を振り払って均衡を解いた。一瞬の交差であったが…空気の壁を突き破る音速の拳は相応の衝撃を受けた我が手に伝え、それ以上の被害を周囲に齎らしている。

 

近場の木々が風圧で薙ぎ倒され、吹き飛ばぬ様に堪えるだけで精一杯の天狗の群れは…それでも防御陣形を取ったまま微動だにしない。

 

「後ろの連中は使わぬのか?」

 

「あん? 馬鹿言うなよ…こんな飛びっきりの相手を数で伸すなんざ真っ平御免だ。サシで戦ろうじゃないか、それが喧嘩の醍醐味だよ」

 

喧嘩と来たか…肝の座った答えだが、後方に控える天狗の諸君は渋々といった表情の者ばかり。いっそ逃してやれと言いたくなる。

 

「それは僥倖…私も手間が省ける」

 

「へえ? やっぱり言うことが違うね。鬼相手に僥倖なんて」

 

なので、敢えて挑発的な姿勢で臨むこととしよう。

会話が成立し、実力も確か。多種族である天狗を従える統率力も有る。何とも好条件な相手だが…少なくとも幽香と同等の相手なのは間違いない。よってこの場で勝利を収めた上で、和議を以って彼女にも幻想郷を守護する礎となって貰うのが望ましい。

 

「喧嘩と言ったな」

 

「ああ、言ったよ」

 

抑えていた気配を周囲に解き放ち、力溢れる銀の光を迸らせて威圧する。楽園に来てから…対峙した者に力任せの揺さぶりを掛けるのは初めてだが、終わった後で天狗共に横槍を入れられるのは面倒だ。

 

「全身全霊で臨むが良い…此の身は骨肉の一片も朽ち果てる迄、貴様の遊びに付き合ってやろうーー」

 

眼を見開き、歯を剥き出しに口角を吊り上げ、出来得る限りの邪悪な笑みを作って双角の少女に圧し付ける。

 

夜に蠢きはだかる者共よ。諸君等の見据えるこの私が、鬼の宣う喧嘩とやらに如何に興じるか…しかとその目に焼き付けろ。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 伊吹萃香 ♦︎

 

 

 

 

 

 

銀の双眸、黒髪の男の口上を切っ掛けに喧嘩の幕は上がった。鬼の四天王と恐れられた私すら、気を抜けば全身に震えが走る程の存在が其処に居る。

 

「うおらぁぁあああああッッ!!」

 

裂帛の気合で肌を撫ぜる悪寒を跳ね返し…歓喜に口元を歪め拳を振るい、恐怖を呑み下さんと蹴りを放つ。

 

強者との戦いに酔いしれる鬼という妖怪は、互角の相手を常に望んでいる。だが、此奴は違う…此奴は明らかにーー

 

「おおおおおおおーーーッッ!!!」

 

鬼の咆哮は地をも抉る。拳は山を動かし、蹴りは谷を創り出す。言葉通り、一言一句違わず成し遂げて来た。最早妖怪の山は二人の交わす力の余波に半壊している有様だ…なのに、

 

「心技体申し分無い。鬼…その名に違わぬ強さだ」

 

「嘗めるなぁああああッ!!」

 

なのに此奴は…そんなもの何処吹く風と(わたし)の拳を軽々と捌き、渾身の蹴りをいなし続けている。地鳴の如き轟音を互いの触れ合う箇所から生み出しながら、此方は総手が一撃必殺の構えで撃ち込んでいる。

 

「少し単調だな」

 

「なっ…ぐぁっ!?」

 

素っ頓狂な声が聞こえた。それが自分のモノだと気付いた時には…私は地べたの砂と土、口の中がズタズタに切れて流れた血、それらを纏めて味わっていた。

 

「な、なんだ…? 今の」

 

「伊吹様が…殴り飛ばされたのか!?」

 

「馬鹿なーーこんな事が」

 

後方で控えていた筈の天狗達の声が、えらく近くで響いてくる。狼狽えやがって馬鹿どもが、そんな弱腰だから…いつ迄経っても鬼に胡麻擦って顔色伺う羽目になるんだよ。

 

自分が何されたかなんて、一番分かってるのは私なんだ。

こんなに痛くて愉しいのに…水差す様な台詞ばかり並べやがって。

 

「へ、へへ…良いの貰っちまったよ。こんなに頭がガンガンするとは、鬼の酒より酷い二日酔いだ…!」

 

「欲しければ幾らでもくれてやる。私は此処だ、まだ一歩も動いていない」

 

なんと、まだその場から動かすことさえ出来ていなかったのか。腕を振り抜いただけの拳が、鬼の頭を揺らしてる?

 

ーーーー最高だ。人間と戦い、妖怪と戦い、時には神と呼ばれる奴らと鎬を削った事もあった私が…赤子の手を捻るより簡単に、ぞんざいに追い詰められている。

 

「へへ、ああ…最高だねーーーじゃあ」

 

それなら全力で、何もかもかなぐり捨てて…どうしても勝ちたくなるじゃないか。

 

「こんなのはどうだい?」

 

私は他の鬼とは違う。鬼は基本的に嘘は吐かないが私は堂々と嘘を吐く。隠し事はするし、悪ふざけや嫌がらせも好きだ。

変わり者と言われて久しいけど…だけど、これだけは他の奴らと何も変わらない。

 

「《密と疎を操る程度の能力》」

 

「漸くか…待った甲斐が有ったな」

 

私は、強い奴が好きだ。強い奴と戦うのが好きだ。そして何よりも…強い奴と戦って勝つのが、何よりも好きだ。

 

「待たせたねーーーーーーー往くよ!!!」

 

「来い、その図体に見合ったモノを出してみろ」

 

「鬼符《ミッシングパワー》!!」

 

私の能力で萃めた力を身体に留め、今尚膨れ上がる質量を丸ごと奴に叩き付ける。曰く、堕つる星の一撃…巨大化した肉体から振り下ろされる拳は鉄槌となり、暴風を巻き起こし地表の強敵に見舞われる。

 

「や、山が…山が崩れる」

 

「退避しろ! 距離を取るんだ! 陣形を立て直して住処への被害を抑えろ!!」

 

天狗達は阿鼻叫喚の様相だが、この際知った事じゃ無い。山が崩れようが凹もうが、また萃めて直してやる。今はただ、眼前の敵を粉砕するのみ…!!

 

「おおおおりゃああああああーーーッッ!!!」

 

山が動き、土砂が流れ出し、破壊の波が全てを轢殺するーーーーーー筈だった。

 

「……威力は中々だったが、うむ…大雑把だ」

 

放った拳の先から、潰したであろう男から銀の光が灯される。此れ迄と明らかに違う…より鈍く強く輝く光は私の拳を易々と受け止め、萃めた力の全てを無力化している。

 

「妖力が、無くなってる」

 

これは奴の仕掛けなのか…負けじと能力で周囲を包み込む光を散らそうとするが、男の発する光の所為か何も起こらない。

 

奴は受け止めた巨大な拳から身を逸らし、跳躍する勢いのまま私の顎を蹴り上げた。

 

「ぐうっ…!?」

 

「空へ上がれ、山を気遣いながら相手をするのも辛かろう」

 

空へ投げ出され、上昇を続ける身体を宙空で押し留める。

我に帰って下を見れば、天狗の群れは呆として動かず…やがて皆安堵したのか深く息を吐いていた。

 

「空の上なら遠慮は無用だ」

 

「……ああ、申し訳ないね。連中の世話までして貰ってさ、鬼も形無しだよ」

 

私はやっと、片時も離さなかった瓢箪の酒に手を付けた。男はじっと酒を嚥下する私を見届け…二の句が出るのを待ってくれている。

 

「ぷはぁ……私とした事が、酒を呷るのも忘れちまってたとは情けない。観客代わりに天狗を残しといた癖に…楽し過ぎて見えなくなってたよーーーそれじゃあ」

 

堪らないな、本当に強い奴ってのはこれだから。

何方かが倒れるまで…私達鬼にとっては何にも代え難い、無上の喜びだ。だから、

 

「これで白黒付けなきゃね」

 

右拳を目一杯、力強く握り締める。

萃められるだけの妖力、心の昂り、よく分からない不可思議なモノといった何から何まで全部拳に詰め込んで、この奥義は完成する。

 

「四天王奥義ーーーー」

 

右手に宿した力の集約。一歩目は力強く空を踏み締め、身体を極限まで緊張させる。

 

「良いだろう…正面から迎え撃つ」

 

奴も同じく、迸っていた銀の光を束にして右拳に集めだした。この際相手の反撃など関係無い…此処まで来たら押し通るのみ。

 

二歩目は高く、高く空を跳躍する。鬼の脚力を最大限活かし、標的となる男より二段、三段と上下の利を得る。

 

「ーーーー来い」

 

男の拳が更に鈍い銀光を蓄え、互いの準備は整った。

三歩目、空気の壁を目一杯蹴り出し、初速にして最高速の正拳を解放する。これこそ、私の最後の切り札。

 

 

 

 

「《三歩壊廃(さんぽかいはい)》ッッ!!!!」

 

「《負極・洸彩(ふきょく・こうさい)》」

 

 

 

 

初めて、名を与えられた男の拳が私を迎える。強大な闇、果てのない谷底…底の見えない力の一端を垣間見た。

 

「砕けろやぁぁあああああああーーーーッッ!!!」

 

名と対照的な深淵の気配と、名に違わぬ輝ける力の明滅が鮮やかに空を彩る。これか…これがあの幽香を倒した輝きなのかと、食い入る視線を隠せない。

 

「ーーーーいいや、砕けるのは貴様の方だ…ッ!!」

 

禍々しく、美しい。視界に映る星々すら色褪せる銀。

互いの放つ一撃は瞬きを繰り返し、皮膚は熱を感じ骨が軋みを上げて尚、胸を穿つ銀の閃光が先に届いた。

 

全てを懸けた私の奥義は…正真正銘、ものの見事に打ち破られた。

 

意識が朦朧とする。

熱に浮かされた気怠さが、全身にこびり付いて離れないのに…心はとても晴れやかだ。

 

「あーあ…私でも、ダメか…」

 

山へ落ち行く鬼を見てか、天狗達の慌てふためく声が僅かに聞こえる。一縷の悔しさを湛えて笑う私の、消え行く意識が最後に捉えたのは…月光を背にした勝者の姿だった。

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

勝利した筈の私の胸中は、忸怩たる思いに憔悴していた。鬼の少女、伊吹萃香との喧嘩は楽しかったが…余計な茶々を入れすぎた。

 

長らく好敵手と呼べる相手の居なかったであろう彼女を挑発し続ければ、この刹那の鬩ぎ合いがより早急に終わってしまうのは道理だった訳だが。

 

事実彼女と戦い、落下する身体を掴むまでに半時と経たなかった。失敗だ…天狗の書いたという新聞に多少の不快さを覚えたとはいえ、これでは八つ当たりに等しい。

 

我が身の不実さを呪うものの、結果としては上等なのが更に居た堪れない。

 

「天狗の諸君」

 

私の声に怯え、集まった三百余の群隊は沈黙している。

彼等、又は彼女等に全く非など無いのだが、用件を伝え易いのがまた釈然としないものがある。

 

「私の新聞を書いたという天狗を、此処に連れて来て欲しいのだ」

 

抱えた彼女を天狗達の方へ担いで行くと、恐る恐る伊吹萃香を迎えんとする者が居た。その天狗は艶やかな黒翼を持ち、朱の瞳が美しく…整った顔をしている。

彼女は顔を伏せ、震える唇を動かして何事かを呟いた。

 

「私が…そうです」

 

「む?」

 

「私が、貴方の記事を書きました。射命丸と申します…この度は私の不注意と誤解から、伊吹様と貴方を争わせてしまいました…全て私の咎です。ですが伊吹様だけは平に、平にご容赦を…!」

 

これは…少々不味い事になったやも知れん。

この射命丸という天狗、過ちと認めた上で伊吹を庇い自らを差し出そうとしている。

 

加えて私と伊吹の戦いの発端が射命丸であると知らぬ他の者達は、徐々に疑惑の視線を彼女に向け始めていた。

 

「ーーーー良くやったぞ」

 

「……はい?」

 

「私の頼んだ通りの記事を書き、各地に喧伝した事だ。それにより…伊吹とは実に楽しい時間を過ごした」

 

周囲を納得させるには苦しい理由だが、そういう事にせねばなるまい。伊吹が私と幽香の件を知っていたという事は、その場に伊吹本人か、その話を教えた別の人物があの場に居た事は明らかだ。

 

それがこの天狗の娘だとしたら…紫が流した情報から作成した記事の当人が戦っている姿は、さぞ危険に感じたに違いない。

 

「一体何を言っているんですか…! 私は」

 

「伊吹もまた、君を連れ強者を求めて此処で待っていた。違うか?」

 

強引に射命丸の言葉を制し、頷けと万感の祈りを込めて視線と言葉で訴えかける。私の嘘を通すには駄目押しにもう一つ、何か適当な話を繋げねばならない。

 

「新聞を書いただけの君は、大方伊吹に連れられて巻き込まれた口ではないか? なあ…射命丸」

 

「あ…あ、う」

 

身体に光を奔らせながら、詰め寄る形で射命丸を見据える。気迫に上手く乗せられてくれた様で、彼女は沈黙のまま一つ頷き立ち尽くしている。

 

「そ、そういえば…伊吹様と一緒にアイツも山に帰って来てたな」

 

「まさか…伊吹様に指示されて仕方なく私達を集めたの?」

 

「ならば我等は、伊吹様とあの男に待ち合わせの目印にされたという事ではないか…!」

 

予定通りと素直には喜べないが、どうにか天狗達の嫌悪の矛先は私に変わった。見知った鬼の恐ろしさより、見知らぬ私の猿芝居を信じたらしい。

 

「天狗共よ…」

 

低い声音で後方の彼らに呼び掛け、狼狽えながら聞き入れたのを幸いに捲し立てておく。

 

「私は鬼に勝った。これに異を唱え、我こそはと思う者は前へ出ろ」

 

一層、身体から洩れ出す力を強めて天狗達を威圧する。彼等は巻き込まれ損も甚だしいが、この場は私一人への不満で引き退って貰おう。

 

「誰も来ないか…ならば伊吹を連れて逃げ帰るが良い。私もこの様な寂れた山に、いつまでも居座る積りは無い…卑しき鴉と犬共よ、今宵の宴はこれにて終いだ」

 

態とらしく息を大きく吸い上げ、出来得る限りの凄味を混ぜた言葉で締め括った。

 

「散れ」

 

たった一言、最後の一言で天狗の群れは一目散に山を駆け登って行く。射命丸という天狗が、伊吹を背負いながら私を一瞥したのが見えたが…その表情は複雑怪奇、何を思えばあの様な顔が出来るのか。

 

今更真意を読み取る事も面倒になってしまった私は、荒れた山の中を独り、来た時と同じく緩慢な足取りで降って行った。

 

 

 

 

 

 

草木も眠る夜の山道を踏破し、入り口を抜けて野原に立つと…視線の先には予想外の組み合わせが肩を並べていた。

 

「紫、それに幽香も…何故此処に」

 

「失礼とは存じますが、妖怪の山の一部始終…スキマで見させて頂きましたわ。コウ様…私の不手際を、どうかお許し下さいませ」

 

間の悪いことだ。

朝方の家の件で話を進めようとしてスキマを覗けば、私と伊吹の諍いと後の三文芝居を見られていたとは。

 

「君に不手際など無い。見ていたのならあの通りだ…あれで良かったのだ。断りも無く、天狗の領域に踏み入った私の落ち度だ」

 

「天狗の奴らは余所者を嫌うのは知ってるけど…今回は文の早とちりが原因でしょう? 気にすること無いわ」

 

文とは、射命丸の事か…擁護されるべき立場ではないが、幽香の飄々とした態度は私の陰鬱さを幾らか和らげてくれた。

 

「コウ様、今日のところは紅魔館か博麗神社で夜を明かしましょう。お住まいの件は…また後日にでも」

 

「てっきり自分の家に来いとか言うと思ってたわ。まだ自制心は残ってるみたいね」

 

「ちょっと! 水を差さないで頂戴! 違うんですのよコウ様、元はと言えばこの歩く暴力装置が」

 

「誰が歩く暴力装置よ! この際だから立場ってのを分からせてやるわ、この真性のストーカーが!」

 

「むきーっ!! 望むところよ、其処に直りなさい!」

 

私を他所に戯れ合う二人は無邪気で、此処に来るまで煩悶としていたのが馬鹿馬鹿しくなる程だった。

 

「フハハハハ…色々な事が有ったが、今日一番の幸運は両手に華という点だ。やはりこれで良い…さあ、私を何処へ連れて行ってくれるのだ? 但し、お手柔らかにな」

 

「ふん! 私だけじゃなくコイツも褒めたのは減点だけど、まあ許してあげるわ」

 

「それはこっちの台詞ですわよ! ささ、コウ様…こんな生きる破壊兵器放っといて私とご一緒しましょう?」

 

幻想郷を巡る一日目は、こうして終わりを告げる事となった。己の揺らぎに惑わされ万事上手くは熟せなかったが…やはり私は此処を訪れて良かったと、心から思える。

 

 

深竜よ、この光景をしかと見よ。

美々しき花が、蝶が、間近で戯れるその奇跡。

忘れ去られた地に根付く、暖かな自然の雄大さを。

これぞ宝だ…唯一無二の愛しき大地。

 

 

 

私はーーーーこの楽園を愛している。

 

 

 




第二章、ようやっと終わらせることが出来ました。
辛くは無かったのですが気持ちは三章へ先走りしつつだったので、もっと上手く纏められないのかと自分に毒づいておりました。

あ~心がみょんみょんするんじゃ~やっとみょん書けるんやなって…すいません。
萃香は?文は?と思われた方、第三章の冒頭で差し込みたいと考えております。
三章は二章から少し時間が経ってからのお話となります。

かなり長くなりましたが…最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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妖々夢編
第三章 壱 その背中で語るもの


遅れまして、ねんねんころりです。
今回から妖々夢編となります…本文は今までより短めですが、三章の始まりとしてこの辺りが良い区切りと思ってこのようになりました。

稚拙な文章、思い付きの超展開、厨二要素多めでお送りしておりますが…それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

妖怪の山で、伊吹と射命丸に出逢ってから三ヶ月もの時が経過していた。夏が過ぎ、馬肥ゆる秋を越え、冬も終わろうかという如月の月。多くの得難い出逢いに恵まれた私は、妖怪の山の一件以来…他者の視線が劇的に変わった事に気付き始めた。

 

と言っても紅魔館の皆や八雲一家、幽香やメディスンはこれ迄通り変わらなかったが…特に人間側の私への認識はかなりの高評価らしい。

 

「あん? コウ? 良い奴だぜ! 霊夢もそう思うだろう?」

 

「そうね…フランドールの狂気とか、パチュリーの病気も治したらしいし。ま、悪い奴じゃないわね」

 

曰く、幻想郷の秩序を守る第三の存在。

一人は紫、一人は霊夢、最後が私だ…明らかに浮いている。そも秩序などというモノは、それぞれ捉え方が違えば善し悪しも変わるというのに癩な話だ。

 

「負けた私が言うのも何だが、アイツは本物さ。鬼は嘘を吐かない! 私は…大事な事は嘘は吐かない! 今度ゆっくりと、酒を酌み交わしたいねぇ」

 

「萃香、アンタいつもそう言って最後には酔っ払って絡むじゃない。またコウに負けたいの?」

 

「幽香も負けたんでしょ? 私知ってるよ!」

 

「メ、メディスン…? 何処でそれを」

 

曰く、力有る妖怪達の橋渡し。

出逢った先から強者揃いだった所為か、例を挙げればレミリア嬢率いる紅魔館。太陽の丘の幽香。山の四天王である伊吹。軒並み知名度、実力共に一級品の面々と親しくなった事に端を発する。

 

「コウ様は、この幻想郷に新風を巻き起こしましたわ。細々とした問題は残るものの…感謝こそすれ不満など、有り得ませんわ! 嗚呼、コウ様! こんな事ならあの時強引にでも我が家に」

 

「紫様…近頃発作が酷いですよ。賢者なんですからもう少しーー」

 

曰く、妖怪の賢者、八雲紫のお墨付き。

私は彼女を頼りにしているが、彼女は如何だろうか。紫は会う度私に好意的だが…彼女が誠実な反面、それに胡座を掻いていないかと自問自答する事も多い。楽園に住む者の殆どは彼女の知と力を認めている為、結果としてそれに肖っているだけだ。過大評価此処に極まれりというもの。

 

「コウ様…ですか? その…私の入れた紅茶が、今まで飲んだ中で一番美味しいと仰って下さいました。それが凄く…嬉しくて」

 

「コウが来ない日は、魔理沙と弾幕ごっこしてるの!それと、お姉様も寂しそうだわ」

 

「ちょ!? フラン!? 貴女急に何をーー」

 

曰く、友誼を結んだ妖怪達を纏め上げ、各地を守護させている影の首領。

これが最も物申したい噂だ…友誼を結んだのに間違いは無いが、影の首領とは何だ? 皆目身に覚えが無い。私は繋がりの有る者たちに一々指示する立場ではないし、皆に了承を得た上で住処の近くを各々に警邏して貰っているのだ。

 

「また始まりましたね…でも、とっても平和です」

 

「美鈴? 貴女いつからそんなに老成したのよ。私なんて最近一人で出歩ける程活気に溢れているのに」

 

「パチュリー様ぁ…せめてお出掛けの際は一声かけて下さいと言っているじゃありませんかー! 御病気が治ったとしても、私はもう心配で」

 

以上が…紅魔館で茶を馳走になっていた私に、突然現れた射命丸が渡してきた《アンケート》なる書面の内容だ。

 

射命丸はあの後、伊吹の傷が癒え始めてから直ぐに私を調べ上げたらしい。人里の認知度、紅魔、太陽の丘、妖怪の山で私に関わった特に因縁のある人物を総当たりしたという。

 

「何故そこまでする?」

 

「私は、私なりのやり方で貴方と向き合おうと決めただけですよ。これは、所謂お近付きの印というヤツです!」

 

それなら止めはしないが…何やら全く無関係な遣り取りまで丁寧に載っているのは、彼女の遊び心なのか。

 

「ほへぇ…これが九皐さんのお家ですか。何だかとっても」

 

「…分かっている。適当で良いと言っておいたのだが、うむ」

 

紫から私の住まいが完成したとの報を聞いて、地図に記された場所へ射命丸を連れて足を運んだ。それまでは何の問題も無かったのだが…

 

「立地としては…ええ、秀逸? ですね」

 

家という観点からすれば、とても良く出来ていた。

作りは洋風、煉瓦造りの塀に開け放たれた正門は風情がある。立派な家なのだが、それ以外の要素が奇妙の一言だった。

 

「うむ…神社、太陽の丘、紅魔館、森、至る要所の中間に建てたらしい」

 

これを手掛けたのは、何とあの伊吹だとか。鬼は建築関係に明るい様で、着工したその日から天狗や河童…つまりは妖怪の山に住む手空きの者を強引に駆り出して建てたと、後の伊吹は語っている。

 

「しかし、何故この場所なんですかね? 平原のど真ん中にポツンと屋敷なんて」

 

「……距離の問題だそうだ」

 

「はい? あ、ああ! なるほど!」

 

射命丸にはその意味が分かったのか…私にはさっぱりだ。

何でも始めは、博麗神社の近くに建てる予定だったが、レミリア嬢や幽香が断固反対したとの事だ。

 

かといって双方の住まいにほど近い訳でも無く、紫に伝えられた新居はさながら道端の茶飲み処の様だ。外観こそ似つかないが、交通の便は余り良くない。

 

「とりあえず入りませんか? 中も見たいですし、改めて九皐さんに取材もしたいので」

 

「ならば行くか」

 

正門を抜け、小さいながらも整った庭の前で、伊吹と紫が私達を待っていた。

 

「ようこそ、いいえ…お帰りなさいませ。コウ様」

 

「うむ…帰ったぞ」

 

「なんだいなんだい? 私と文抜きで新婚みたいな雰囲気醸しちゃってさ。この家建てたの私なんだけど」

 

「ちょっと! 病み上がりは空気を読んで黙ってなさいな!」

 

その病み上がりの伊吹に建築を依頼したのは紫の筈だが、当の鬼の少女は気にした風も無く昼間から酒を呷っている。

 

「中へ入ろう。冬も終わりとはいえ、まだまだ冷える…鍵などは有るのか?」

 

「コレだよ、常用と予備二本で併せて三本だ。自分で管理するなり誰かに渡すなり好きにしなよ」

 

渡された三本の鍵に、紫は食い入る様な視線を投げかけているが…それ程珍しい造りの鍵でもない。

 

気に留めぬ事にして、豪奢な扉に鍵を挿し込み捻る。

抵抗も少なく開かれた扉の先には、想像したよりも立派な部屋が広がっていた。

 

「見事な出来だ」

 

「これくらい訳無いよ。設計図は河童が書いたもんだが、柱から壁紙まで加工と組み上げは私がやったんだ」

 

鬼が建築に造詣が深いのは聞き及んでいたが、一人で住むには勿体無い出来映えだ。将来的に住人が増えるのも考えて造ってくれたのだろうが…些か広過ぎる。

 

「客や知り合いを泊めるのも問題無いよ。部屋数は居間から寝室合わせて何と十五部屋だ!」

 

部屋数の多さにも驚いたが、そこに階段、通路の数と広さを考えれば納得の規模だ。

 

「お一人じゃ使い切れないですね。どうです? いっそ同居人を募ってみては?」

 

「私と暮らしたい者が居ると思うか?」

 

射命丸の提案に疑問を訴えると、不思議な事に場は沈黙に包まれてしまった。

 

「兎も角だ。ありがとう、伊吹。これだけの住まい、私には過ぎた贈り物だ」

 

「よせよ、山の件ではアンタに泥被せちまったんだ。むしろ足りないくらいだよ」

 

照れ隠しに瓢箪を手で弄ぶ彼女の表情は、酒に酔ったのか頬が赤く視線も何処か熱を帯びていた。昼間から飲む酒というのは、やはり酔いが回り易いのだな。

 

「オッホン! さあ萃香、私がスキマで送りますから家具を取りに行きますわよ!」

 

「お、おう! そうだね、手伝って貰おうかな! それじゃあ九皐、また後でな!」

 

伊吹と紫はスキマの中へ入って何処かへ消えてしまう。後には私と射命丸しか残っていない…間が保てない事は無いが、家具も何も無いこの屋敷で二人きりで取材というのは面白くない。

 

「人里へ行きませんか? 取材は簡単な質問だけですし、歩きながらでも」

 

「そうだな。実は、人里を回るのは初めてだ」

 

「え!? 意外ですね…じゃあ、行きましょうか」

 

人里の座標を解析し、玄関から人里直通の孔を開けて転移を試みる。形成された孔を前に射命丸は怪訝な表情を浮かべたが、私が促すと彼女も恐る恐る孔の中へ歩を進める。

 

孔に通じていたのは人里の入り口だった。

周囲を見渡せば茶屋に服屋、雑貨などを示す暖簾の掛かった様々な家屋が建ち並び、人の数は通行人だけでも数百は下らない。

 

「ほ、本当に一瞬で着いちゃいましたね…初めてお見かけした時から思っていたのですが、貴方何者なんですか? 正直に申しますと異常過ぎます。色々とヤバいですよ」

 

その《ヤバい》という言葉の意味は知らないが、私からすれば出来て当たり前のモノを異常と言われても答えようが無い。気付いた時には可能であっただけで、私にも不可能な事柄は幾らでも有る。

 

「私が何者か、というのは取材か?」

 

「ええ、まあ。例えば妖怪として種族は何に該当するかとか…能力はどんな物をお持ちなのかとか」

 

つまり射命丸は、伊吹や幽香に勝った理由を知りたいらしい。返答に困る質問をされるのは、幻想郷に来て何度目か。その場は無言で歩き出し、人々の喧騒に紛れて射命丸の耳にだけ届く声量で語る事にする。

 

「私は…負に属するモノを生み出し、操る事が出来る」

 

「負に属する…ですか、抽象的ですね」

 

「事実そうなのだ。物質、現象、曖昧で在るかどうかも定かでない物まで多岐に渡るが…生み出し操るというのは、逆もまた可能とする」

 

「レミリアさんの妹君…フランドールさんの狂気やパチュリーさんが患っていたという持病を取り除いた様に、ですか?」

 

利口な頭をしている…それによく紅魔の皆からその話を聞き出せたものだ。何かを自由に生み出し、自在に操作し得るという事は…高め、減じ、奪う事も然り。

 

それ等の負は吸い取れば私の裡で無色の力になり、吐き出せば負を帯びた何かに変えられる。長い生で一頻り何が奪え、何に変わるか試したが…可能不可能は感覚的な部分でしか分からない。

 

「ああ…奪ったモノは無尽蔵に蓄積され、全て私の力となる」

 

「何ですかそれはーー万能どころか、全能の能力ですよ。人外が持つ能力にしても異常です」

 

「全能ではない。《正》に係るモノは操れないからな…よって能力で生命を創造する事は不可能だ」

 

正と負の均衡は、負の比率の方が圧倒的に高い。これで正まで取り入れてしまえば…私は真に何処でも無い場所で、何でもない何かに成り果てる事だろう。

 

「正とは命…ですか。では、殺傷力は無いと?」

 

「ーーーーいや、放った力は例外無く…純粋な負で構成されている。攻撃に使えば効果は単純化され、破壊や殺戮に特化した性質と威力が備わる」

 

始末が悪いのはこの部分だ…やり過ぎれば、掠めただけで生物の命を根源から絶ってしまう。奪った命を、元の状態に戻す事は出来ない。

 

「ならば…風見さんや伊吹様の時には」

 

「それなりの威力で撃ち出したが、死なせぬ様に制御していた」

 

射命丸は、私の返答を境に押し黙ってしまった。青ざめた顔付きから何を思うのかは想像に難くない。

 

「今放っている気配や力は二割程度だ。包み隠さず振る舞うには、楽園は儚い」

 

「……本当に、出鱈目です。伊吹様に勝ったのに二割? 百で数えたら二十って事ですよ…嘘に聞こえないのが更に厄介です」

 

「私もそう思う。自分で不便だと感じるのだ…外で他者に向けられて来た視線は、粗々芳しくない。ところで射命丸よ、私が普段どうやって腹を満たしているか…分かるか?」

 

妖怪ならば人の恐れ、畏敬、又は人そのものを、糧とする。人は動植物を糧にする。当たり前だが、私はその当たり前には入っていない。

 

「何なんです…」

 

「不安、恐れ、怒り、憎悪、悲哀、負に属する心の揺らぎや、数多の災害から生命の死まで。世に害を為す遍く事象こそ…私の糧だ」

 

人も人ならざる者も抱く負の感情を、私の意思とは無関係に我が身はその性質故に啜り上げる。見知らぬ何処かで嵐が吹き荒れ、火の手が上がるだけで糊口を凌げてしまう。

 

「悪辣極まりない。かといって死んでやる度胸も無いのだ」

 

「…言葉が出ません。しかし…貴方の生来の在り様を否定する程、私は傲慢でもないつもりです」

 

その言葉だけでどれほど救われるのか、君は知らないのだ。生きているのさえ度し難い、負の権化たる私には…ただ受け入れて貰える事の意味こそ何より大きい。

 

「私がどんな存在か…それが最初の質問だったな」

 

「はい。御無理にとは、最早言えませんが」

 

「構わない、私の名は知っているな?」

 

射命丸は一つ頷くと、私の言葉を聞き漏らすまいと沈黙していた。今更私の種族など、誰に告げたとて問題は無い。会話に夢中だったが、気付けば今は人里を進んで中腹に差し掛かる頃…私は彼女に素性を明かした。

 

「正確には、九皐は下の名だ…上は深竜。深淵の如き、闇色の竜と外では呼び名を与えられた。改めて名乗ろう、深竜・九皐…それが私だ」

 

「竜…種としては間違いなく最強の一角ですね。中には高位の神々すら一顧だにせず、純粋な膂力のみで打ち倒す個体も居ると聞きます。貴方はーーーー」

 

「私がどの程度かは知らん…興味も無い。そういった話は、他の者達とするのが良いだろう。今答えてやれるのはこれくらいだ」

 

その場に立ち止まり、深く聞き込もうとする射命丸を置いて私は進み続ける。これ以上話した所で、射命丸の見識では分かりかねる内容も増えてくる。加えて…私は取材の内容に興味を失ってしまった。

 

彼女が今後如何にしてその胸中を整理し、次に私と語らうかは本人次第だ。

 

「このまま私は人里を見て回る。今は距離を置いておけ、射命丸…君の気が向いたら、私の住まいにまた来るが良い」

 

射命丸に残した言葉を最後に、彼女とは其処で別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

人里の大通りには、私が見た事の無い様々な店が並んでいる。大人達は良く働き活気に溢れ、幼子達は道端で遊び友と親睦を深め合う。治安の良さが俄かに伝わって来る有様は、幻想郷を守護する面々の努力の結晶だ。

 

その光景は目を覆いたくなるほど眩しく尊い。

自然と私も不器用ながら微笑を浮かべそうになった時、注意を欠いていた所為か誰かと身体がぶつかってしまった。

 

「あ、すみません! お怪我は有りませんか?」

 

「此方こそ申し訳ない。私は何とも無いが、君こそ大丈夫か?」

 

互いに声を掛け合った所で、私は彼女の姿を改めて視認した。首筋程まで伸びた、美しい銀の頭髪。群青の空を閉じ込めた様な瞳の色。年相応のあどけなさと、活発さを窺わせる整った顔立ち…美少女と言って相違ない。

 

「ええ。大丈夫です、お気遣い感謝します。では、私はこれにて失礼します」

 

彼女は私が向かってきた方向へと、直ぐ様歩き去って行った。その華奢な背を見て特徴的な部分がもう一つ、背に括られた二本の刀が目に入った。

 

「あの娘、剣士か」

 

体幹が確りとしており、迷いの無い歩みと偏りの無い重心から、彼女も美鈴と同じく武に通ずる者だと推測する。

 

年は人間であれば十四、十五か…そして私は見逃さなかった。彼女の傍らに漂う、白く丸みを帯びた不可思議なモノを。

 

二振りの剣、彼女に侍る白い何か…尋常な見て呉れでは無いと同時に、私はまた何処かで出逢うかも知れないとーーーー根拠の無い予感に囚われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

「只今帰りましたー! 頼まれていたお菓子、買って来ましたよー!」

 

長らく二人で過ごした我が家、《白玉楼》に居る筈の主人の声は帰って来なかった。また些細なことに気を取られて私の声に気付かないのかもしれない。

 

「《幽々子(ゆゆこ)》様? 何方に居るのですかー?」

 

庭の方まで探しに行くと漸く見つけた私の主人は、宙を揺蕩いながら此方を振り返る。

 

「《妖夢(ようむ)》…お帰りなさい、お使い有難うね」

 

「はい! 魂魄妖夢、只今帰りました。さ、新商品の御団子ですよ! すぐお茶を淹れますから」

 

「妖夢」

 

「はい?」

 

幽々子様は静かな声音で私に呼び掛け、その御顔を見ると…いつに無く華やかな佇まいで私を見つめていた。

 

「どうされました?」

 

「《春》は、順調に集まっているみたいね。御覧なさい…もうじき満開の桜が見られるわ」

 

正直な所、私はこの古木が昔から好きではない。

庭の景観を保つのが日頃から大変だし、庭の手入れの際には必ずこの古木に合わせなければならないからだ。

 

私が生まれるずっと昔から此処に在るという古木は、年季こそ入っているものの全く敬意を払えない。

 

「春を集め続ければ、異変に気付く者も出てくるでしょう。でも辞める気は無いの…だって」

 

その先の台詞を、主人は紡ごうとはしなかった。

春を無理やり集めれば、幻想郷の冬が終わる事は無い。春を奪われた楽園はただ白く…凍て付く風に晒されるのみ。

 

「花が咲いたら、きちんと春を帰せば良いのです。異変と見做されるのは必至ですが…此処に辿り着くのは容易ではありません」

 

庭の真中に立つ巨大な古木は、ここ数週間で枝という枝に多くの蕾を付け始めている。この桜の木が咲いた暁には、きっと幽々子様も満足して頂けるだろう。

 

「しかし、宜しかったのですか? この木は先代の庭師…お爺様に咲かせてはならないと固く言い含められておりましたのに」

 

「気になるから仕方ないわ。桜が満開になれば…きっとこの言い様の無い気持ちも晴れると思うから」

 

そう仰る割に、主人の表情は何処か物憂げだった…私には、幽々子様の心中を察する事は難しい。

 

それでも成し遂げたい…私は幽々子様の剣術指南役にして白玉楼の庭師。そして彼女は、幼少の砌より仕えるただ一人の御方だから。

 

背に携えた一族の家宝…白楼剣を掲げ、自らと主人が揺らぐ事無く進む事を祈り、あらん限りの覚悟で以って宣言した。

 

「この剣に懸けて…必ずや」

 

「ええ…宜しくね、妖夢」

 

この桜の面妖な気配に惹かれて、幽々子様の望みを断たんとする者共が近い内に現れるかも知れない。

 

私の決意は変わらない。幽々子様の願いを果たすべく、邪魔する者は須らく斬り捨てる。古木が花開けば春は帰すのだ…どうせ異変として扱われるなら、成就する光景をまざまざと見せ付けてやる。

 

来るならば来い、まだ見ぬ楽園の徒よ。

黄泉路の水先案内人は、この魂魄妖夢が引き受ける。

 

主への忠の為、主の心を潤すが為…相対したその時は。

妖怪が鍛えし我が刀、師が伝えし我が力、その身をもって味わうが良い。




みょん、遂に出せましたみょん。
みょんみょんする気分が高まり過ぎて止まりません。

中身の無いあとがきで申し訳ありませんが、最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第三章 弐 誘蛾灯

遅れまして、ねんねんころりです。
近頃語彙力が下がっている気がしてなりません。かといって改善する真摯さも我が道を行く度胸も無く、懊悩している次第です。もっと良い文章書きたいなあ…

一本調子な文章構成、場面転換多数、凄まじい御都合主義と厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

底冷えする朝を迎え、家から揚々と躍り出た私は不思議な物を見つけた。風の冷たさ、雪化粧に彩られた森の景色に違和感を与える何かに眼を凝らすと…それは桜の花弁の様な、光る欠片にも似た形をしている。

 

『何だコレ…ん? 何か暖かいな』

 

蝋燭の灯火みたいな微かな温もりが、欠片を拾った私の手に感覚を取り戻して行く。いつもならゆっくりと調べる所だが、視界の端に良く知った顔が来たのでそいつにも聞いてみる事にしよう。

 

『おはようアリス! 早速なんだが、コレ何だと思う?』

 

『おはよう。いきなりね…その欠片なら心当たり有るわ。それは春を形にしたモノよ』

 

春? 春って季節の春のことか? 随分ふんわりとした答えだが、幻想郷なら春の欠片が落ちてても変には思わないな。尤も、冬が終わってない現状を除けばだけど。

 

『春の欠片か…こいつは、何かきな臭いな。幻想郷に春が訪れないのと関係してんのかな』

 

『かもしれないわね…見た所、何か特殊な術式が欠片を動かしている様だけど』

 

そう言えば、拾った欠片はさっきから手元で僅かに震えている。何処かへ行きたいのか、はたまた動かされているのか。

 

『春の来ない幻想郷、落っこちてた春の欠片…こいつが自分から動くってんなら、それを追って行けば原因が分かるかもな。ありがとうなアリス! 探ってみるぜ!』

 

『え? 探るってちょっと!? 魔理沙ー!?』

 

思い立ったら即行動だ。春の欠片を宙に放り投げ、それの行く先を追えばきっと何かが待ち受けている筈。

面白くなってきたぜ…霊夢、私に先を越されて悔しがるが良いぜ!

 

箒に跨り、春の欠片を見失わない様にするなら飛ぶのが一番だ。

未だ降り注ぐ雪の中で、桜色の花弁は何かに吸い寄せられて風吹く空を舞っている。暖かな光を灯す欠片は、何故か虫を誘う誘蛾灯に似ている気がした。

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『春が奪われている?』

 

この寒い中、それを意にも介さず揚々と紫と九皐が現れた。炬燵に入り込んだ二人に囲まれて、何の脈絡もなく紫が口を開いた。

 

『そうですわ。春を特殊な術で結晶化させ、幻想郷に満ちていた春の気を欠片として奪っている者達が居る…これは紛れもなく異変よ』

 

『私が調べたのだが、欠片は何かに誘われる様に或る地点を境に楽園から消えている。その行き先は、面倒な事に楽園であってそうで無い場所に繋がっているらしい』

 

そこまで調べが付いているのね…九皐の言うことなら嘘じゃ無いんだろうけど、何か引っかかる。

 

異変の中身にしてもそうだ。冬や氷を司る妖怪でそんな複雑な術を熟せる奴を、私は知らない。

 

『ある場所ってどこよ? 其処に行かない事にはお話にならないわ』

 

『ーーーー冥界よ』

 

私の言葉に、紫は迷いなく返してきた。冥界って一口に言うけど…それこそ生きている者には近寄れないじゃないの。

 

『正しくは、冥界と現世…《顕界》と言ってもいいわ。此方と彼方を隔てる結界が破られていて、春の欠片はその穴を通っているの』

 

『それじゃなに? 死んでようが生きてようが、結界に穴が開いたから行けるってこと?』

 

『生と死の隔たりが曖昧な為、今は生きた存在でも難なく冥界へ行けるだろう。これが異変とするなら、邪魔が入るのは間違い無いが』

 

九皐と紫は二人して肯定を示した。

…めんどくさっ! 春は来ないわ異変にまで発展してるわ、年も開けて麗らかな陽気を期待してたのに…異変を解決しないと春が来ない? ほんっとめんどくさい!

 

『あー! 分かったわよ! 行くわよ、冥界に。それで異変の首謀者ぶっ飛ばして来れば、春は訪れるのね?』

 

『間違いないわ。それと、私が手に入れた春の欠片を持って行きなさい…道案内になるでしょうから。あ、風邪引かないようにね』

 

誰が話し持ってきたお陰で行くと思ってるんだか。

心の中で悪態を吐きながら、手袋や上着を着込んで境内へ出る。

 

『それじゃあ行ってくる。紫、留守番よろしくね!』

 

御祓い棒片手に空へ浮く。紫から貰った春の欠片を頼りに行った先に、一体どんな馬鹿が待っているか今から楽しみだわ。

 

さっさと片付けて、炬燵で蜜柑食べたいんだから!

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『行ったな…春を奪うか、楽園に齎される異変というのは変わったモノが多い』

 

私の感想に対して、先程まで饒舌だった紫は一転して沈黙していた。暫くすると…彼女は向き直り、居住まいを正して複雑な面持ちで頭を下げてきた。

 

『申し訳ありませんコウ様。この異変、まず間違いなく霊夢の命に危険が及ぶでしょう…ですからお願い致します。貴方様も冥界へ赴き、霊夢をお助け下さいませ』

 

深々と頭を垂れて、彼女は私に懇願する。疑問には思っていた…確信は無かったが、やはり紫は異変の核心を伏せて説明していたらしい。

 

霊夢にこの異変が起こった事を話した時、彼女は首謀者の存在を単体の人物ではなく《欠片を奪っている者達》と言った。なぜ複数の人物であると彼女は突き止められたのか…恐らく紅魔の時と同様、彼女は事前に接触していたと見るべきだ。

 

『出来る事なら、私も喜んで手を貸そう。頭を上げてくれ…君にそんな事をされると、私はとても心苦しい』

 

彼女の肩を抱き起こすと、伏せていた顔は尚悲痛に塗れている。霊夢の事とは別の、根深い何かが彼女の心を曇らせている。

 

『話してくれ、異変の真相を…』

 

『ーーーー彼女は、また彼女に従う娘は私の古くからの友人です。彼女は自ら封じた筈の…開けてはならない過去の扉を開けようとしています』

 

過去…その封じた筈のモノとは、彼女の言葉からも相当食えない代物だと窺える。彼女はゆっくりと語り出した…遠い昔、紫にこれ程の悲哀を滲ませるモノの正体を。

 

『もう千年も前の事ですわ…私がまだ、未熟で、愚かだった頃。外の世界を放浪する中で一人の人間と出逢いました。その人間は成人になろうかという若さで、余りにも業の深い力を宿していたのです』

 

服の裾を握り締め、今でも過去に悔いを残しているかの様に、彼女の言葉は冷たく…痛々しかった。

 

『ただの人間の、歳若い少女だった彼女は…その身に宿した力を知りもしなかった。制御する事もままならない力は、ただ闇雲に彼女の周りの者を次々と殺めてしまった』

 

制御が効かず、だのに本人も知り得ない所で周囲の者が死んで行く…何とも、他人事には聞こえない話に胸を貫かれる気分だ。

 

『死した者の魂は、己が死んだ事さえ気付かずその場に留まり、やがて多くの霊魂は一本の桜の木に集まって行きました』

 

『桜…ただの木に人の魂が寄り合って行ったのか?』

 

『…それと言うのも、その桜は彼女の父親が死した時に多量の精気を吸ってしまった結果…ただの木ではなく、一つの機能を有した妖怪桜に成り果てた所為なのです』

 

妖怪となった桜の木。人間の精気を吸った桜が、紫の話す少女に何か影響を与えたのか。

 

『《西行妖(さいぎょうあやかし)》と名付けられた妖怪桜は、残された娘の彼女に《死を操る》という忌むべき能力を与えたのです。彼女の父を媒介に変じた桜は、自らの吸った上質な魂に最も近い彼女に力を与え、彼女の周囲の者を悉く餌とした』

 

『しかし…それ程の力、如何に親の魂から妖怪になったと雖も与えられるのか? 全くの常人ならば、肉体と精神の均衡を崩し自殺するのが関の山だ』

 

『私の友人…彼女には、生来から或る力を有していました。《死霊を操る》能力、これが妖怪桜の干渉によって変異し、無自覚に彼女が死に誘った魂を西行妖に届ける呼び水とされたのです』

 

力を得る為に、特異な能力を持っていた少女を利用した西行妖。紫の言う桜の機能とは…人を殺し無尽蔵に精気を蓄え続ける事に他ならない。

 

『彼女は其処まで来て漸く気付いたのです。周囲の者の不可解な死の原因…夥しい命を食い物にする桜は、嘗て彼女の父が愛した美しいだけの古木では無くなっていた事に』

 

『…その娘は、それを知ってどうしたのだ』

 

私の問いに、唇を強く噛んだ彼女が先を答えるのを静かに待った。彼女の胸中は計り知れないが、私の心は決まっている。

 

『……自らの肉体と命を以って、西行妖に封印を施しました。転生する事も無く、それ以来生前の記憶を失って今は冥界の主人として暮らしています。名は、《西行寺幽々子》』

 

 

肉体を犠牲に、妖怪桜を封印したか…亡霊として冥界に座する事でその封を保ち、死霊と死の両方を操る冥界の主という務めを負った少女。筆舌に尽くし難い、苦い記憶。

 

『あの時私にもっと力が有ればと、今も彼女に逢う度に思うのです。この真実を、彼女は知ってはならない。知ろうとすれば、意図せず自分を滅ぼす事になる…! 私は、私はもう、あの娘を失いたくない…!』

 

『紫』

 

彼女の頬を伝う涙は、友を想い、過去を憂う自罰から生まれたもの。君は悪くない…などと気休めの言葉に意味は無い。今はただ涙を拭い、私の意思を紫に示す時だ。

 

『私が、君を助けよう』

 

『コウ様…?』

 

一言一句違えず、私が成そう。異変を起こした少女を留まらせ、妖怪桜の魂を、過去の宿業諸共に消し去ろう。

 

だから泣くな、泣かないでくれ。全て私が背負ってやる。例え我が身の裡に眠る姿を、再び晒す事になろうとも。

私はこれ程強く暗い気持ちを…誰かの為に抱いた事は無かった。

 

『霊夢を助けるだけでは足りぬ…私は勝たねばならぬ。妖怪桜に勝って、必ず春を取り戻す。紫…私は私の意思で、この異変を解決する』

 

境内へと飛び出し、冥界に続く境の有る場所を解析する。待っていろ…西行妖なる忌まわしき桜よ。其は我に、冷めやらぬ怒りを刻んだのだ。

 

『先に行く。君は何としても、私の戦いに他者を介入させるな…やれるか?』

 

『何故…ですの』

 

『ーーーー必要だからだ』

 

彼女の上げた声は虚しく遠ざかり…聞く耳持たず離れて行く。境の場所を見つけ出し、孔を通って転移したのは無謬の宙空。

 

瞬く間に目的の場所へ辿り着いた我が身は、雪降る灰白の空に投げ出された。

 

『…あれか』

 

空に浮かんだ歪みを認め、飛翔する勢いで潜り抜ける。

降り立った場所には、長い長い直線の階段。

視界には数え切れぬ死した者の魂が、明滅しながら流れて行く。

 

この階段の先に、紫の、彼女の友を惑わした古木が恥知らずにも聳えている。

 

『今、征くぞ』

 

 

 

 

我がこの路を踏破する時を、ただ静かに待つが良い。

西行妖…魂を悪戯に貪るモノよ。

我が怒りを前に震え、さざめけ。

 

貴様の声無き怯えが、断末魔と変わる姿を見て…初めて我の憤激は鎮まる。

 

 

 

『決して…許さぬ』

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

私の制止は振り切られ、彼は冥界へと向かって行った。去り際に見えた彼の横顔は…今迄に見た事が無いくらい冷たく、瞳は暗く淀んでいた。

 

『私が…いけなかったのよね』

 

分かっている癖に、なんて白々しい独白か。

彼が真実を知れば…西行妖にどんな感情を向けるのかは分かっていた筈。

 

それでも…彼にこの胸の内を明かしたかった。全て吐き出して、私は頑張った。でも無理だったと、言い訳して縋った。両手で肩を抱き起こしてくれた彼の手は焼けた鉄じみて熱く…全身から抑えきれない力が漲っていた。

 

『当然よ…コウ様は、とてもお優しい方だから』

 

委ねた想いが、彼の逆鱗に触れていたと今更気付く。紅魔の時も、楽園を巡業した時も、彼は出逢う者を慮り…それ故に力を振るったのを幾度も見たのに。

 

自己嫌悪に押し潰されそうになるも、私は彼との約束を守らなければならない。幻想郷の管理者として、彼の示した最善の手を尽くそう。

 

『藍、御出でなさい』

 

『………は、此処に』

 

スキマから即座に現れた可愛い私の式は、恭しく頭を伏して現れた。表情は見えないのに、纏う空気は何時もよりずっと強張っている。

 

『《(チェン)》を連れて、冥界に行く境の一つへ向かいなさい』

 

藍は頷いて私の意に沿おうとするが…その場から動こうとせず、代わりに珍しく意見を差し挟んで来た。

 

『どうしたの?』

 

『私は…彼を、九皐様を誤解しておりました』

 

藪から棒だけど、確かに藍とコウ様は余り顔を合わせない。私がこの娘を連れ出そうとすると必ず遠慮して留守を買って出る。何を誤解しているのかしら…?

 

『初めて見えた彼は禍々しく、圧倒的で…暖かくも底の見えない光を纏い、何もかも呑み込む様な闇を帯びた存在でした。ですが…』

 

『続けなさい』

 

『はい。言葉を交わす度に…彼の為人は善良の一言で。他者を褒め称え敬う様な物言いも相まって、彼に力ある者の誇りは無いのかと…何処かで蔑んでいたのやも知れません』

 

彼は本来の姿に反して慈悲深く、柔和だ。言葉使いは無機質だが声音は甘く、接する者の長所を臆面も無く讃える。時折見せる笑顔をともすれば軟弱と感じるのは…彼が私達より果てしなく強固な存在だと知っていて、その落差に戸惑っているから。

 

『私も…去り際の彼を、スキマで拝見しておりました』

 

まあ、そうよね…藍にはスキマを行き来し、物を見る権限を与えているんだもの。彼女が陰ながら私達を見守っていただけに、醜態を見せたのは恥ずかしさを拭えない。

 

『怒って、いたように見えました。憎んでいた…というのも間違いでは無いでしょう』

 

『憎む…何故そう思うのかしら』

 

『お分かりにならないのですか?』

 

だからこそ聞いているのに、この式はさも当たり前の様に私が分かっていると思ったのか。

 

ええ、知りませんとも…コウ様の御考えなど私も計れないのに藍に分かる訳がーーーー

 

『紫様が…泣いておられたからですよ』

 

『ーーーーーーーーは?』

 

『ですから紫様が、あの妖怪桜に悔しさ極まって涙を流されたから…九皐様はアレを憎んでいるのです』

 

何を宣うのかこの狐は…私が泣いたから、その原因である西行妖を憎んでいる? 彼が怒っていたのは、霊魂を際限無く贄とする在り様が許せないからだ。

 

『間違い有りません。私は式ゆえ、紫様に嘘を吐けないのです…勘違いでも有りませんよ』

 

私の感慨を否定する藍は間髪入れずに最後の言葉を付け加える。

 

『彼は間違いなく…西行寺様を想って涙した貴女の為に、アレを心底憎悪しておられた』

 

『……そんな、こと』

 

頭が働かない…私の為に? 彼はこれまでそんなこと…

どうして? 先ほどまで無二の友を想っていた自分の沈んだ気持ちが、今は嘘の様に高揚し始めている。

 

『そうなのです。それは賢者と言えど操り難く、何人も抗えない心の発露ですよ…紫様』

 

『分からない…この気持ちが何なのか。何度か彼にこういった事を思ったけれど、いつか答えは出るのかしら?』

 

『出ますとも。それは明日か、又は何年後か…いずれは、必ず』

 

藍は慈しむ様な笑みで、私に応えた。

何だか子供を諭す親みたいで釈然としないけれど、いつか答えが出るのなら、その時まで待ちましょう。

 

『良いわ…今は置いておく事にする。話は終わりなら早く橙を連れて来なさい、事は一刻を争うわ。コウ様の仰った通りに足止めをするのよ』

 

『承知しました。紫様は、如何されますか?』

 

『霊夢を受け持つわ。貴女達は、もう一人の方に行きなさい…きっとあの娘も、異変に気付いて動いているでしょうから』

 

私の言葉の意味を理解してか、藍は会釈した後直ぐスキマへと消えて行った。ごめんなさいね、霊夢…貴女に解決して来る様に促したのに…私が迷っていた所為で面倒を増やして。

 

でも、もう大丈夫。

この胸に、彼の言葉が残っている…温かくて、心地良すぎて切なさすら込み上げるけど。

 

《君を助けよう》ーーーーーそれだけで、今の私は何でも出来そうなくらい…自信と力に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

一体どれだけ階段を飛び続けたろうか。

妖しい光を放つ忌々しい桜は直ぐ近くにも見え、まだ遠くに在るかに思える。

 

登り始めた時と違うのは、数多の霊魂が共に来ていたというのにそれ等はいつの間にか何処かへ姿を消してしまっていた。

 

『いっそ、此処からあの場に直接転移するか……む?』

 

西行妖を目指して我武者羅だった為に気付かなかったが、視線の先に人影を確認する。

 

階段の中腹と見られる開けた空間が先に有り、空間の中央には…全く予想外の人物が佇んでいた。

傍らには丸みを帯びた白色の煙が一筋漂い、それが霊魂の一種であると分かる。

 

『君は…』

 

『人里でお逢いしましたね。此処に来られたのは、貴方が最初です。しかし、お引き取りを…この先へは誰も通すなと仰せつかっていますので』

 

人里でぶつかった銀髪の少女が背に携えた刀に手を掛け、私に立ち去れと返す。その剣気は清流の如く緩やかだが、此処から先は此方の出方次第だというところか。

 

彼女が言付けられているという事は、紫の話してくれた西行寺幽々子が居るのは間違いない。そして居るとなれば…妖怪桜は未だ封印を解かれていないらしい。

 

『君は、あの桜について何か知っているか?』

 

『…我が師より、咲かせてはならぬモノと聞き及んでいます。ですが、アレを開花させる事を幽々子様が望まれた。私はそれに従うのみ』

 

『開花させた結果、彼女を喪う事になってもか?』

 

『……どういう意味だ』

 

見据えた彼女の気配が途端に鋭くなった。

口調は礼を尽くした物から威嚇する様な荒々しさが混じり、姿勢は前のめりで今にも斬り掛かる寸前といった具合だ。

 

『そうか…君は知らぬと見える』

 

『此方の質問に答えろ。答えぬのならーーーー斬る』

 

清流を思わせていた気配は完全に形を潜め、目に付く物皆斬り伏せんとする動の剣気が発せられている。

 

良く鍛えていると感嘆するが、如何せん相手を見ていない。視線がでは無い…力量を測る冷静さを欠いているという意味でだ。

 

『好きにしろ、君の気が済むのなら』

 

『脅しではない…! 構えろ!!』

 

彼女の激昂は最もだが、私に特定の構えや立ち姿など元より無い。よってただ受け入れる様に、両手を広げて無言を貫く。

 

『馬鹿にして…ッ!!』

 

怒りに囚われようとも、彼女の接近は実に見事だった。二振りの内長刀の方を腰元に控え、たった一歩踏み出した足が地に着く頃には、既に私を捉えるに充分な射程に収めている。

 

瞬足には眼を見張る物があった。

一瞬の速さならば数ヶ月前に戦った妹君や、幻想郷最速と謳う射命丸さえ凌駕している。

 

『なるほど…』

 

足の踏み込み、遠心力と腰の回転から抜き放たれる一刀は正に絶技。予想される威力、乗せられた剣気も申し分ない…ただ。

 

金属が弾かれる音に、獲ったと確信を得ていた彼女は瞠目する。首筋の斬線を的確になぞり、本来ならば首級を上げていた筈の一閃は…私の肌に僅かな傷も残さなかった。

 

『そんな…』

 

『素晴らしい剣技だが…届かなくては意味が無い』

 

彼女は一足で後方に跳び退き、握る剣と私の首筋を交互に見比べた。

 

『頑丈な身体でな…痛みも無い。刃毀れする前に剣を退け、私はーーーー君より疾い』

 

言葉の途中で、私も彼女の眼前に一息で肉薄する。

対して彼女には、私の挙動が掴めなかったようだ。目を見開いたまま備える事も忘れてしまったのか、立ち竦んだ状態から動かない。

 

『くっ…まだだ! まだーー』

 

『聞け、剣に生きる可憐な少女よ』

 

剣を振らせまいと彼女の両手を押さえ込み、軸足に足を掛けて抵抗を遮る。力の限り抵抗する少女だったが、一向に解放の機は訪れない。

 

『離せ! でなければ殺せ! くそ…くそ…!!』

 

『良いから聞け。あの桜を咲かせてはならない…もし咲けば、君の主人は否応なく消えてしまうのだ』

 

『信じるものか! 私を懐柔しようとしても無駄だ! 私はーー』

 

『八雲紫が、この話を私にしたと言ってもか…! 西行寺幽々子と紫は友人なのだろう? 君は主人だけでなく、その友まで哀しみに堕とすつもりか…!』

 

私の口から主人の名と友の名を聞き、彼女は漸く視線を交わしてくれた。嘘偽りなど断じて無い…祈りにも似た想いで見詰めると、彼女は徐ろに剣を落とした。

 

『何故…紫様を、貴方が幽々子様を知っている…訳が分からない…何で』

 

『あの西行妖には、亡霊となる前の西行寺幽々子の亡骸を触媒に封印が施されている。嘗て命ある者を死に誘う妖怪桜だったアレは、遠い昔に君の主人が命を賭して封じたモノだ』

 

『どうして!? 自分で封じた筈のモノを幽々子様が解き放つなど…!』

 

『西行寺幽々子に、生前の記憶は最早無い。紫から聞いたのだ…アレが開花してしまえば、触媒である亡骸は意味を成さず、今亡霊である彼女は滅んでしまう。頼む、聞き入れてくれ。私はーーーー君達を助けたい…! この通りだ』

 

彼女の束縛を解き、頭一つも違う背丈の少女に頭を下げた。これで駄目なら…彼女を無視して強行する他無い。

 

『……紫様は、何故現れないのですか』

 

『彼女に、力を取り戻しつつある西行妖を止める手立ては無い。異変解決者達が直に来てしまう…時間が無いのだ、紫には足止めを頼んでいるが…万に一つも許されない』

 

『ーーーー私に、何が出来るのですか。どうすれば、幽々子様をお救い出来るのですか!? 貴方に剣は通じず、その話が嘘だとは…もう思えない。だって、そんなに必死で…頭まで下げて』

 

どうやら、私の誠意は通じたようだ。心配は無い…彼女には、充分出来ることが残っている。目の前の少女を信じ、此処は託さねばならない。

 

『君は此処で、万が一にも邪魔が入らぬ様に足止めをして欲しい。紫が負けるとは考え難いが、恐らく…異変解決者は一人では無い』

 

『紫様の眼を盗んで、登って来る者が居ると…?』

 

『この異変は大規模な分、顕界に住む多くの者達が不審に思っている。最低でも冥界に到達する者は二人、内一方は異変解決を旨とする博麗の巫女だ。巫女を相手にすれば負けぬとしても…紫も只では済まない』

 

霊夢の使う符術や弾幕は、人外には一段と効果が高い。

質の高い霊力に浄化を齎す術を乗せれば…吸血鬼の再生力を持ってしても追いつかなかった程に。

 

『私は半人半霊…半分は霊体です。巫女の力が噂に違わぬなら、私も相性が良くありませんーーーーでも!』

 

彼女は落とした剣を拾い上げ、左手に持っていた鞘に納めて言い放った。

 

『貴方が本当に幽々子様を助けられるなら…紫様が貴方を信じて送り出したなら、私は信じます…! 私は未熟者ですが、眼は節穴ではありません! 此処は、この魂魄妖夢が御守りします…!』

 

淀みない覚悟で、群青の瞳に決意を秘めた少女は言い放った。行き摩りの私に不安もまだ有る筈だが、彼女の主人を想う気持ちが決断を後押ししたのか。

 

混乱させる様な真似をして申し訳ない限りだが、一刻の猶予も無い。彼女には後日改めて詫びる事としよう。

 

『頼んだぞ、妖夢』

 

一方的に会話を切り上げ、続く階段を浮遊して一挙に翔け上がる。異変はまだ終わっていない。西行妖の封印が解かれる前に、根を摘まねば。

 

遠巻きからも良く視える…妖怪桜は、徐々に枝の端から蕾を花開かせている。

 

花弁は誘蛾灯の様に、虫ならぬ魂を呼び寄せ…死を恐れぬ来訪者を嘲笑う。

 

不快な枯れ損ないに、虚仮にされて堪る物か。

怒りに滾る今の私は、どう仕様も無く我慢弱い。




かなり話が雑な作りだったかもしれません。
思い付きだけで書き始めて高いモチベーションが空回りするとこうなるんですね…自省中です。

辛気臭い話をして申し訳有りませんでした!
長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第三章 参 再臨

遅くなりまして、ねんねんころりです。
今回は主人公がぶっ壊れています。比喩ではありません。

この物語は御都合主義、だらだらとした進行、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも呼んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

春の欠片に導かれ、あらぬ方向を飛び続けて数十分。

流石に魔法で寒さを和らげるのも限界に近づいた時、目の前の風景が一変した。

 

『なんだ此処? 階段…?』

 

入り込んだ奇妙な場所は地続きに上空へと伸びる階段が設けられていて、周囲には白い煙みたいな、玉とも言い難いモノがは漂っている。

 

それ等に紛れながらも、春の欠片は迷い無く先の見えない階段を片々と上がり始める。

 

『へぇ…この先がゴールって訳だ。闇雲に舞ってたんじゃ無かったんだな』

 

欠片に追従して箒の速度を一定に保ち進むと、明らかに場違いな奴が道を遮っていた。

 

『そこまでだ、霧雨魔理沙。この先は人間の…ただの魔法使いが行って良い場所では無い。此度の異変は、人間には手に余る』

 

『紫んとこの藍じゃないか…どういう事だ?』

 

『見えるか…頂きに立つ巨大な桜の木が。アレは、命ある者を死に誘う魔性の古木だ。其処に在わす者もまた…能力に触れただけで凡ゆる生命を亡き者にしてしまう。死にたくなければ引き返せ…弾幕ごっこに興じてくれる様な相手では無い』

 

色々と突拍子の無いワードを並べ立てられたが、つまりは行けば死ぬって事だな。此奴とは付き合いも浅いが、下らない嘘を吐く性分じゃないのは知ってる。

 

『はいわかりました…なんて、言うタマじゃ無いのは分かってんだろう? これは異変だ。異変は、人間の手で幕を引くもんだ』

 

『そういう次元ではない無いと言っている! 分からんのかこの戯けが! ただの小娘風情に収められる段階は、とうに過ぎているのだ!』

 

此奴…さっきから小娘風情だのただの人間だのと、偉く煽って来るじゃないか。こっちは初めから危険なのは分かり切ってるんだよ…それをベラベラと手前勝手な能書きばかり。

 

『頭に来たぜ、人間舐めすぎなんだよ! 狐崩れ! そんなに止まっていたきゃ独りで止まってろ!』

 

『愚かな…! 私とて、貴様等の身を案じているのが何故理解出来ない!!』

 

口汚い舌戦と共に、九尾の狐と私の真剣勝負が始まった。こっちは弾幕ごっこの延長でやり合うしか無いが、知ったことか。

 

ルール有る決闘、人と妖怪の共存の為、ご高説垂れて今までやってきた割にいざとなったら帰れ? 冗談じゃないぜ!

 

『私のスピードに付いて来れるなら、来てみやがれ!』

 

『貴様のお遊びに付き合うは無い!』

 

最初から全力ってことか。空間を埋め尽くす藍の弾幕は、米粒じみた形から蝶の形を模した物まで種類はやたら多い。

 

それらはどれも人間の身体では到底耐え切れない、直撃したら一瞬で肉の塊の完成だ。

魔弾の雨は苛烈さを増すが、箒の飛行速度に緩急を織り交ぜて躱し続ける。

 

『弾幕は直線型の単純な物ばかり、逃げるのだけは一人前か!』

 

『お前の攻撃がしょっぱいだけさ! これでも食らいな!』

 

エプロンのポケットから取り出した小瓶を藍目掛けて力一杯放り投げた。下らないとばかりに奴の手で叩かれたソレは容易く砕け、中身の液体が空気に触れて勢い良く爆散する。

 

『くっ…! 虚仮威しと思えばこの様なモノを、何処までも巫山戯た小娘だ!』

 

大して威力の無い研究の失敗作だったが、藍の逆上をうながすには充分に効果が有った。

 

空を高速で疾駆し私へ接近する奴は、私が小瓶を投げた時に仕掛けたもう一つの罠に気付かない。

 

『そこを通るのはオススメしないぜ?』

 

『何をーーーー』

 

詠唱を既に終えている魔法を、箒の描いた軌跡になぞって設置しておいた。遅延式の魔法は覚えるのに苦労したが、神様仏様パチュリー様ってもんだ!

 

藍の移動経路は、私が仕掛けた魔法の効果範囲に見事に入っている。

 

待機させていた魔法陣を藍の真下で解放すると、星型の弾幕が夥しい量で溢れ出し、狐の身体にぶつかっては弾けて行く。

 

『この程度でーーーッ!』

 

『終わる訳無いだろ!』

 

藍が無数の星型弾幕に晒されている間に、奴の真上から畳み掛ける様に一枚目のスペルカードを宣言した。

 

『魔符ーーーー《スターダストレヴァリエ》!!』

 

これは広範囲を纏めて攻撃する星型弾幕のスペルカード。奴の上下を遅延魔法陣とスペルカードで塞ぎ、弾幕を格子代わりに用いて檻とする。

 

だが…身動きを封じられている筈の九尾の狐の様子は、先程まで苛立たしげに吠えていた不遜な妖怪とは異なっていた。

 

『……霧雨魔理沙』

 

『…おう』

 

『私は式神ゆえ、どの様な事態にも私情を挟むまいと戒めて来た。主命さえ果たせれば、私という存在はそれで完結する…其処に自分の意思など、介しようも無いと。しかしそんな私にも、譲れないモノの一つくらい有るのだ』

 

彼女の独白に、私は目を奪われていた。

静謐な気配を纏い、最強の妖獣に相応しい気迫と、確固たる決意が黄金の瞳に宿る。

 

『紫様の幸福を願うことーーーーそれこそ私の幸福。此度の異変は主の、その御友人の…延いては我等の温かな日常を奪い兼ねない。故に』

 

九尾の狐。古来よりその超常的な知略と力を人間に恐れられ、信奉された大妖が今ーー

 

『前言を撤回する。貴様の望み通り、スペルカードルールによる決闘を以って正々堂々と勝利するッッ!!』

 

幻想郷を愛し、主人を愛し、友を守らんと誓う一匹の獣が全霊を懸ける。

 

『式神ーーーー《橙》』

 

藍が手にした一枚のスペルカードから、本来式神では行使し得ない筈の《式》が呼び出される。

 

その力の強大さから、自らも式でありながら式神召喚を可能とする。八雲紫には及ばずとも、覚悟と力を併せ持つ八雲藍の眼前に従者が顕現した。

 

『藍さま! 橙、只今参上致しました!』

 

『よく来たな。お前には私と共に、彼処の魔法使いを追い払って貰う…行け!』

 

『ニャアッ!』

 

猫みたいな鳴き声に併せて式神、橙は突撃する。

橙色の髪と瞳は藍が援護射撃として放った弾幕に照らされ、二股の尾を靡かせて体当たりで向かってきた。

 

『うおっ!?』

 

見た目よりその威力は凄まじかったらしく、余裕を持って避けたのに風圧で体勢を崩してしまう。

 

『生きた弾幕だって? 中々やるじゃないか!』

 

『当然だ! 橙は私が手ずから鍛えている! そこらの木っ端とはモノが違う!』

 

『グルグルグルグル!!』

 

身体を丸めて縦回転のボールの様に飛んで来る橙に追い立てられ、上下で展開していた弾幕の檻も解けてしまった。

 

『ーーーー《狐狗狸さんの契約》ーーーー』

 

隙を突かれ、藍のとっておきのスペルカードが宣言される。橙を陽動に使い、いつの間にか姿を眩ませた藍の打ち出す無数のレーザーが視界を埋め尽くした。

 

『檻とはこういうものだ…貴様に最早逃げ場はない!』

 

空間に響き渡る藍の声に詰みだと言い捨てられるも、私は絶対に諦めない。そう心に決めて光線の網の目を何度も潜り抜ける。

 

『人間が妖怪の異変を打ち破るーー』

 

幻想郷で人と人ならざる者が本当の意味で共生するには、妖怪が生きる為に起こす異変を人間が解決し、互いの健闘を讃えるのが何よりの方法だと私は思う。

 

異変解決とは、ただ妖怪を降し諦めさせるだけじゃない。

戦った後に、これからよろしくって祝ってやる為だ!

 

『それが出来なきゃ、解決したとは言えないぜ!』

 

確かに人の手に余る異変なのかも知れない。

だけど、それでも、解決に乗り出した奴が最初に諦めたら…誰が最後に笑顔で迎えてやれるってんだ!

 

『どっちか一方通行じゃ駄目なんだ! 人間が妖怪を、妖怪が人間を認め合うから幻想郷は成り立つんだ!』

 

だからさ…信じてくれよ。

私達は負けない。どんな苦境に見舞われたって、手を取り合って乗り越えられる筈だから。無理だなんて諦めて、遠ざけられるのは御免だ!

 

『魔砲ーーーー』

 

『させるな! 橙!』

 

『はい藍様!』

 

直角に曲がる軌道を描き、橙が再度突進してくる。

堪らず乗っていた箒だけを魔力で噴射させて迎撃し、両手で八卦炉を藍に構える。

 

『しみゃった!?』

 

『馬鹿な! 死ぬ気か!?』

 

 

 

 

『ーーーー《ファイナルスパーク》ーーーーッッ!!!!』

 

 

 

 

残る魔力を全て投じて、最高最大威力の光線を放つ。

空域一帯を迸るそれは、星に似た煌めきを伴って弾幕ごと藍達を飲み込んで行く。

 

『勝ったぜ…人間、舐めんなよ…』

 

体力精神力、魔力の一滴も使い果たした私は、空を落下する浮遊感に身を任せ…意識は暗闇へ沈んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『頑張ったわね…魔理沙、あんたの勝ちよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

階段を飛翔する途中、轟音と衝撃、光の中で…私はそれに聞き入っていた。

 

『どっちか一方通行じゃ駄目なんだ! 人間が妖怪を、妖怪が人間を認め合うから幻想郷は成り立つんだ!』

 

あんたも此処に来てたのね…心の中で呟いた直後、一層大きな光の筋が空中を覆い、それが収まると魔理沙の微かな声が耳朶に届く。

 

『勝ったぜ…人間、舐めんなよ…』

 

まるで捨て台詞の様でもあり、魔理沙らしいと溜息混じりに親友を受け止めた。

 

意識は失われている事を確認し、魔理沙が落ちてきた上空を見上げる。今にも倒れそうなぼろぼろの身体を浮遊させ、子を労わる親の様に何者かを抱える九尾の狐が一匹。

 

『なるほどね…』

 

藍の姿に戦意は微塵も感じられず、ただ魔理沙の方をじっと見つめている。状況としては藍の判定勝ちと取れるが、彼女は胸に抱く何かを庇った事で満身創痍。

 

魔理沙は感じられる息遣いや魔力の枯渇振りからして起きれば何とかといったところ。

 

『頑張ったわね…魔理沙、あんたの勝ちよ』

 

魔理沙が挑み、挑まれるのは決まって弾幕ごっこだ。

こいつには相手を自分の土俵に相手を引き込む不思議な空気がある。

 

『人間が妖怪を、妖怪が人間を…か。ただの綺麗事だ…なのに、目的は果たしたと言うのに、酷く打ちのめされた気分だよーーーーーーーーああ、お前の勝ちだ』

 

『ん…んぅ? にゃっ!? ら、藍様! 大丈夫ですか!?』

 

意識を取り戻したらしい奴は、よく見れば頭に猫の耳、臀部に二股の尾を生やした猫又の娘だった。

 

『気にするな、橙もよく頑張ったな』

 

『あうう…藍様…』

 

『ーーーー退きなさい…藍、橙』

 

二人の後方から…あいつは今までに見た事がない程、強烈な気配を発して現れた。

 

幻想郷の管理者、妖怪の賢者、スキマ妖怪、八雲紫。

纏う力は正しく大妖怪。幻想郷最強の一角と誰もが認める絶世の美女。いつもの様な柔らかさは微塵も無く、膝が笑いそうな威圧感で式神に命じる。

 

『はい…申し訳ありません』

 

『ゆ、紫様……あの』

 

『分かっているわ。二人とも、ありがとうね…後は私がやるから、二人は帰って傷を癒しなさい』

 

スキマを藍と、橙と呼ばれた猫又の為に開き、二人は深々と会釈してその中へ消えてしまった。

残されたのは意識の無い魔理沙と私…そして、

 

『ごめんなさいね…霊夢。今回ばかりは、魔理沙を連れて貴女もお戻りなさい』

 

『送り出した奴が、今になってしゃしゃり出て来るなんておかしな話よ。理由が有るんでしょ?』

 

強張った表情で、しかし言葉は何処までも優しげに…紫は私達を追い返そうとする。対して私が訳を問うと、瞑目して静かに口を開いた。

 

『…コウ様が、誰も近づけるなと仰ったの』

 

『九皐が? どうして』

 

『…異変を止める為よ』

 

返ってきた答えは、私の想像を容易く飛び越えた。

二人して私を此処に来させた癖に、先に来て挙句近づくな? 悪い冗談よ。

 

『お聞きなさい、霊夢。この異変の元凶は、ありとあらゆる生者を死に誘う。その力には触れても掠っても結果は同じ…等しく死が待っている。人間である貴女達が、解決したとしても死んでしまったら…楽園は再び人と妖の均衡が乱れてしまう』

 

『私の能力を忘れたの? 当たらなければどうという事はないでしょ』

 

紫は言い返す私の前で首を振り、遠回しの拒絶と否定で尚も語る。

 

『問題はそれだけではないの…この先に在る桜の木、西行妖は私でさえ手の出せない危険なモノ。今は春の殆どが集められ、もうじき七分…いえ、八分咲きの花を咲かせる。そうなれば、周囲の命有る者は皆死に絶えてしまう』

 

紫の口から紡がれる異変の中身は、よっぽど根の深いモノらしい。その西行妖ってのを止めようとすれば異変の首謀者が邪魔をし、間に合わなければ即ゲームオーバー。普通なら帰るわ…普通ならね。

 

『あっそ。なら間に合わせれば良いだけね』

 

『駄目よ、行かせられない…どうしても行きたければ』

 

やっぱりね…結局こうなるのよ。

でもね紫、私聞いちゃったんだ…魔理沙がまだ、藍と戦ってた時に言った事を。

 

《人間が妖怪を、妖怪が人間を認め合うから幻想郷は成り立つんだ》って。ねえ、紫…あんたも、聴いてたんじゃないの?

 

『私を倒してから征きなさいーーッ!!』

 

魔理沙は藍を認めさせた。あんたがどれだけ、私達の身を案じてくれてるか分かってるつもり。

 

『異変は私が解決する…! あんたは負けて悔しがれ!』

 

だから紫…あんたにも、私のことを認めさせてやるわ。

九皐のバカに何言われたか知らないけど…異変の最後は人間が締めるのが、幻想郷の流儀でしょうが!!

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

見事な枯山水の庭園、調和のとれた景観で訪れる者の心を魅了する冥界の屋敷。

 

辿り着いた古めかしい建造物は、その見て呉れに表し難い味を醸し出している。その中でも一際目を惹くのは…延びる枝に所狭しと結び付く花々を備えた妖怪桜。

 

そして…西行妖の真正面に揺蕩う亡霊の少女は、和やかな口振りと表情で此方に語り掛けた。

 

『ようこそ、白玉楼へ。私は西行寺幽々子…この冥界に座する屋敷で死した魂を管理する、しがない亡霊ですわ』

 

『君が…紫の友か。死を司る、嫋やかな少女よ』

 

口元を扇子で隠し、上品な仕草で微笑む彼女の真意は読み取り難い。分かるのは、彼女はあの桜に対峙する者を、排除せんとする不可視の意思のみ。

 

『暫し、お待ち下さいな。今はまだ七分咲き…満開となるには、未だ春が足りません』

 

『構わない。今の西行妖に用があるのだ』

 

手にした扇子を畳み、微笑みの奥に覗かせる鋭い眼光は私への対処を決定付けたらしい。

 

『なりません。この愁いを晴らすには、どうしても花開かせたいのです』

 

『出来ぬ…花見に興じる気分でも無い。君の擁する妖怪桜に、これ以上好き勝手されては困るのだ』

 

『では、舞を一つ…共に踊って頂きましょう』

 

『いいや、必要無い』

 

内に漲る力を周囲に溢れさせ、闇の気質から黒く縁取られた銀光を纏う。亡霊の少女…西行寺幽々子よ。君には一つ、私の行いの隠れ蓑となって貰う。

 

『掌握、改定』

 

『ーーーーーーえ?』

 

負に属するモノを操る力。

負とは無であり、闇であり、死である。

死を司る君に誰もが畏敬を払う…だがそれは、死とは絶対だと命有る者は知っているから。

生憎と、我には全く関係の無い事だ。

 

『死とは所謂負の極致…その一つだ。尤も、我には手遊び程の価値も無い』

 

負を操るとは、否応無く負の総体を内包するに他ならない。負とは零であり、また無間、よって無限である。

 

『何、これ…身体が動かない…!』

 

『アレを消し去るだけならば、この様な手間は不要だが…君を思えばそうも行かぬ』

 

誤って彼女を塗り潰してしまわぬ様に、優しく包み込む挙動で…洩れ出した深淵の光は亡霊を覆った。

 

『………』

 

『君には頼みがある』

 

『……何かしら?』

 

西行寺幽々子の声に否定は混じらない。我の望みにただ応えるべく、我が心の赴く侭に…操り人形は歩み寄る。

 

『此処に来る者が在れば、足止めして欲しい。桜を手折られたくは無かろう』

 

『ええ…そうね。貴方の仰る通り、西行妖は大切な木…ですもの』

 

亡霊の少女は疑問にも思わない。我が命ずる言葉、内容、書き換えた事柄は揺るがない。

 

『殺してはいけない…しかし通すな。心配は無い…全てが終れば、伏して君に、この命を預けよう』

 

『……殺さない、けれど通さない。貴方が、桜の木を…書き換えるまではーーーー』

 

彼女の応答を聴き終えて、その場を歩き去る。

我は何と罪深いのか…この様な外法、卑劣極まる手段で、彼女を異変解決者の当て馬とした。

 

『……今更か』

 

此度の件、我は傍観者を辞めたのだ。邪魔はさせぬ…何人にも、妖怪桜と我の語らいを止めさせはしない。

例え…糾され罵られようとも、楽園を追われる事になろうとも。

 

庭の奥、枯山水を乱さぬ様に跳び越え、其れの前に確と立つ。胸の中で渦巻く怒りは…意図せず力を発散させ、桜と我を闇に溶かす。

 

『美しいな…花の色付きも実に良いーーーーが、不愉快だ。我自ら手直ししてやる…喜べ』

 

西行妖に触れて、その内側を探り始める。

根に横たわる亡骸を感じ、木の裡に流れる力、穿たれた楔の現在の強度、双方の性質を解析する。

 

精神世界とも呼べる奥底で浮かび上がったのは、根に身体を押さえ付けられ、その身は灰色に染め上げられた半透明の少女だった。

 

これは彼女の生前の姿…今も楔として機能する亡骸は、徐々にその支配権を奪われつつある。

 

【誰なの…?】

 

【君の、助けになりたくて来たのだ】

 

【無理よ……私でも、もうどうにも出来ない】

 

【そんな事は無い、用意もある。後は君が…了承してさえくれればな】

 

磔にされた聖者の如き少女は、怪訝な空気を漂わせながらも、私の言葉に耳を傾けてくれた。

 

【どうすれば良いの?】

 

【君に聞きたい事が有る…それに答えて欲しい】

 

【良いわ…聞く】

 

彼女の力無い声は、こうして話している間にも妖怪桜に脅かされているが故…急がねばならない。

 

【君は自らを犠牲に、西行妖を封じた。何故だ? ただ無力化するだけなら、その場で力を振るい枯れ死なせてしまえば良かった筈だ】

 

【だって……出来ないもの。お父様が…私の父が、この桜をとても愛していたから。死して尚、共に在りたいと焦がれる程に】

 

やはりか…少女は亡き父の為、父の愛した桜を残す為、その身を媒介に楔を打った。

 

【でもね…私も、辛かったから。私とこの桜の所為で、理不尽に大切な人の死を見なければならなかった…本当は、本当は】

 

痛ましい限りだ。人は大した理由もなく、突然に生涯を終える事は珍しく無い。しかしながら…如何なる理由が有ったとしても、罪無き者に望まぬ死を強いる権利など有りはしない。

 

【もっと…友達と遊びたかった。普通に恋をして、幸せになって…子供も産めたらなんて…心の何処かで考えていた】

 

彼女の望みを、我に全て叶えてやれる力は無い。無力感というモノは、何時味わっても慣れぬものだ。

 

【我には君を生き返らせる力は無い…だが、君の意識を残したまま、西行妖を止める事は出来る】

 

【そんな事が……貴方は、一体】

 

【我はただの…変わり者だ。死をも恐れぬ、愚か者に過ぎない】

 

【ふふ…変なヒトね。でも…何故かしら? 貴方からは、嘘を感じない。きっと私を助けてくれるのも、本当の事なのね。良いわ…貴方に、お任せします】

 

彼女の承諾を聞いて、意識は内側から外へ戻って来た。

漸くだ…この溜め込んだ想いを、漸く全て吐き出せる。

 

 

 

 

 

『貴様…貴様! 貴様ァァアアアアッッッ!!! 許さぬ!!古木に寄生する犬の糞にも劣る虫ケラがッ!! 死へ誘うだと!? 精気を吸うだと!? 木を依り代に産まれただけの出来損ないがッッ!!! よくも…よくもッッ!!』

 

 

 

 

言葉に表し切れない激情が、全身に力を滾らせ、拙い罵詈雑言は怒声となった。

 

『よくもーーッ! 我が友を…ッ!! 紫に涙を流させたなッッ!!!』

 

捲し立てる思い付く限りの詰りは憎悪を肥大化させ、抑えていたモノを本来の容に戻して行く。

我は暴れ出す身の内を曝け出し、冥界にてその姿を顕現させた。

 

 

 

 

 

 

『■■■■■ーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 






ついに、コウは心の中にわだかまるモノを吐き出し、本性を表しました。

次回は現在構想中ですが、また読んでやっても良い方は続きをお待ち下さい。

長くなりましたが、最後まで読んでくださった方、誠にありがとうございます!


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第三章 四 ただ在れかしと

遅れてすいません。ねんねんころりです。
今回文字数少なめです…日が空きましたのに申し訳ありません。

この物語は物凄い超展開、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りします。それでも呼んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

紫との弾幕ごっこ、もとい死闘はこれまでに無い様相を呈していた。互いが一歩も譲らず、しかし余力を残した節さえ有る。空中を彩る光の粒、魔弾と霊弾の弾き合いが生まれては消え、消える度に次を繰り出す。

 

一方的に圧される事は無いが、紫の《境界を操る程度の能力》の前に有効打を決められない。

 

かく言う私も…放たれる看板付きの鉄柱や長く太い鉄の箱の弾幕を避け続け、既に何十何百の撃ち合いを演じている。

 

『退きなさい霊夢。能力を駆使した戦いでは周囲に直接干渉出来る分、私が有利よ』

 

『そういう事は当ててから言いなさい!』

 

時折言葉を交わしながら、止むことの無い弾幕勝負は膠着を続ける。

 

『人間の体力では何れ限界を迎えるわ。怪我する前に降参しなさい!』

 

『異変解決しに来て降参なんかする訳無いでしょ!』

 

まるで子供の喧嘩みたいね…こいつと揉めた時はいつもそう。だからといって譲るなんてあり得ない。

 

繰り出される弾幕は両者とも必殺。霊力弾が当たれば紫とて無事では済まないし、私にしても一発貰えば重傷は避けられない。

 

『…分かって頂戴、貴女を失いたく無いの』

 

それは親が子を慈しむ様な言葉で、本当なら私も帰ってのんびりしたい。確かに…九皐に任せておけば間違いは無いでしょうけど。違う、そういう事じゃ無いのよ。

 

不意に張り巡らされた弾幕と結界の嵐が止み、紫の真摯な視線は私を見据える。

 

『紫…私はあんたが居てくれたから、今までやってこれた。それは感謝してる…けどね、やっぱり譲れないわ』

 

『それは、貴女の意地?』

 

『私達の、異変に対する覚悟よ。初めて異変解決に乗り出す前、あんたは私と魔理沙に言ったわよね? 妖怪が生きる為に異変を起こし、人間がそれを解決する。妖怪が人々に恐れを抱かせて必要な分の存在の力を得たら、人間と共に生きる為に手を取り合うんだって』

 

幻想郷の不文律、たった一つの定められた掟。スペルカードルールの下に、お互いを理解する方法。

 

『御免なさい…今回ばかりは、私も貴女に行って欲しく無い。怖いのよ…どれだけ長い時を生きても、大切な友人を失うのは、怖い』

 

『……決裂ね、あんたと揉めたときはいつもだけど…こういう時は、決まって真っ向勝負で勝った方の我を通す』

 

『ええ、そうね…勝った方の言うことに従う。今回もそれでいきましょう』

 

目一杯の霊力を私は練り上げ、紫は有りっ丈の妖力を解放する。全く、変な所が似た者同士だから…この遣り取りも何度目かしらね。

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《深弾幕結界-夢幻泡影-》ーーーー』

 

『ーーーー《夢想天生》ーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

全てを賭けた最後のスペルカードが開放される。

私は凡ゆる事象から宙に浮き、紫は凡ゆる事象の境界を操る。

 

人は定められた道であろうとも、己が意思で歩き見果てぬ夢を想う。しかし夢は儚く、人の世と生は余りに短い。

 

二つの似て非なる理から放たれる弾幕の拮抗は、認め守り合いながら時に争う楽園の人と妖の在り方そのもの。

 

無数の光線は包囲網を敷き、視界を弾幕の光彩一色に染め上げる。魔弾と光線、霊弾と光玉は絶えず冥界の空を交差し、何もかも幻だった様に淡い残滓を残して消えて行く。

 

『霊夢…よく此処まで、磨き上げたわね』

 

『まだまだこんなもんじゃ無いわよ』

 

何気ない言葉の応酬とはかけ離れて、終わりの時は近づいていた。紫の操る境界の力は、弾幕を敷いた空域全てに及んでいる。冷酷なまでに集約された数多の高位結界が標的の動きを制限し、魔弾と光線の檻が動かぬ的を射殺す。

 

それでも、絶対的な妖怪の仕掛けた一手は私には届かない。ただ一つの特異点、境界を操る賢者の支配する領域で私だけが…唯一何にも害される事なく浮かんでいる。

 

『ただ浮いているだけでなく…私の結界を塗り替えていくなんて、本当に我儘ね』

 

『三日会わざればなんとやらよ! 分かったらーーーー』

 

陣取りゲームの趨勢は決した。

弾幕ごっこも宴も闌、さっさと認めて道を譲れ!

心配性のお節介め、ちゃんと上手くやるわよ! 要は異変の首謀者ぶっ飛ばして、桜を何とかすればいい!

 

『黙って見てろ! 人間、舐めんなぁーーッッ!!』

 

私の一声と共に、紫の結界は砕け散った。

あいつに別段怪我など無いけど、妖力の大半を費やした状態では勝負は見えている。完膚無きまでに、私の完全勝利だ。

 

『はぁ…さっきの言葉、使い方間違ってるわよ。でも、良いわ。試合には負けたけど、もう一つの勝負は勝てそうだから』

 

『何の話よ? 負けた癖に偉く潔いじゃない』

 

『はいはい…ほら、早くお行きなさい。コウ様に先を越されるわよ?』

 

わかってるっての!

心の中で毒づいて、魔理沙を紫に任せて階段を再び飛翔する。余計な時間使ったけれど…まだまだ先は長そうだ。

 

 

 

 

 

 

『にしても…ほんっと長い階段よね』

 

目算あと半分手前といったところ。

中腹と思しき場所には開けた空間が用意されており、漂う何者かの気配を感じて足を下ろした。

 

『止まりなさい! 此処から先はーー』

 

『私とお前の勝負だぜ!』

 

眼前の少女が口を開いた直後、私より先に応えた聞き慣れた声が聞こえる。

 

『何!?』

 

『あんた、回復早過ぎるわよ』

 

箒に乗って空を飛ぶ金髪白黒の魔法使いが、何事も無かったかのように飛来した。

 

さっきまで寝ていた筈なのに、よっぽど元気有り余ってるのね。

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

『次から次へと…しかし通さぬ! あの御仁が西行妖を止める迄はーー!』

 

『先に行けよ霊夢。本命は譲ってやる…剣士の方は私に任せな!』

 

霊夢と紫の戦いを途中で起きて見ていた私は、魔力がすっからかんの状態で満足に動けなかった。今も本調子じゃないが、パチュリー直伝回復薬を飲んで何とかといった具合。

 

威勢良く啖呵を切った銀髪の剣士を前に、足止めくらいは出来るだろうと考えて霊夢に先を促した。

 

『そ、ありがとうね』

 

『おう…さっさと解決して来いよ』

 

悔しいが、霊夢と私じゃ持ってる力の量が違う。紫とやり合った後だったのに、涼しげな表情の親友は短く応えて階段を上がって行く。

 

『邪魔はすんなよ? 背中見せたら撃ち抜くぜ?』

 

『愚かな…如何に紅白のアレが噂に聞く博麗の巫女とはいえ、一人で幽々子様に勝てるものか!』

 

『そいつはやってみないと分からない。見た所、お前も一応人間だろ? 人間やれば何とかなるもんだ』

 

忌々しげに舌打ちした銀髪の女は、背に携えた二振りの剣を抜き放つ。生粋の剣士の放つ気配は何処までも鋭く、自然な動作で構えを取った。

 

『お前も、私の弾幕ごっこに付き合ってくれよ!』

 

『それで良いならやってやる。妖怪が鍛えし我が剣に、斬れぬ物など殆どない!』

 

ノリの良い奴で助かるぜ、私を早く片付けて霊夢を追いたいらしいが…根気の要る勝負なら幾らでもやりようがある。

 

『さあ、弾幕ごっこの始まりだ!』

 

『巫山戯た魔法使いめ!』

 

銀髪が繰り出す高速の斬撃は、刀身から通常の小型弾や長く平べったい衝撃波じみたモノまで様々な弾幕を展開する。

 

私には奴の手捌きがまるで見えない。弾幕ごっこには違い無いが、フランや霊夢というよりは紅霧異変の美鈴を相手にした時に近い。

 

近接からの斬撃は、地上における水平な立ち位置を想定した物が多い。近寄られた時の対処さえ怠らなければ、充分渡り合える!

 

『剣技だけが、私の持ち味ではない! この身は半人半霊…分身たる半霊との合わせ技を受けろ!』

 

妖夢の傍らの白い煙、アレは半霊って言うのか。

半霊が光を放ち、巨大な青色弾が剣士の前に生成される。

 

『獄界剣ーーーー《二百由旬の一閃》!!』

 

スペルカードの宣言と同時に、奴は青い大玉を一刀の下斬り伏せる。真っ二つにされた弾は、断面から無数の小型弾を所狭しと発射した。

 

『はあああああッッ!!』

 

二刀から生み出される剣圧は斬撃として放たれ、低速と中速、そして高速の多様な弾幕が入り乱れ押し寄せる。

 

『おいおい! こっちは本調子じゃないんだ! 少しは空気読め!』

 

『知らん! 真剣勝負に手を抜くは剣士の恥だ!』

 

言ってくれるじゃないか、その意見には同意するが避けてるこっちは堪ったものじゃない。

 

『ったくよお! こうなったらーーーーうっ!?』

 

『な…何だ、この気配は?』

 

一瞬にして、冥界を取り巻く状況が一変した。

暗く、昏く、黯く。漆黒の帳が冥界を揺るがす。

周囲の景色は黒い靄を帯びた銀一色に塗り潰され、飛行もままならない程の重圧がのし掛かる。

 

 

 

 

 

『■■■■■ーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

冥界の桜の聳える場所から、私達の耳朶を震わせる咆哮が響き渡り…私も剣士も動きを止め、ある一点に眼を奪われていた。

 

鎧の如き肢体、刺々しい肩、背鰭、尾、翼。

発達した腕と脚、身体中に伝う銀色に発光する管の様な筋。二足で空に浮かぶそれの…圧倒的な存在感。禍々しく、美しさすら感じてしまう力の塊。どこか覚えのある感覚に、似ても似つかぬアイツの姿が幻視される。

 

『なんだアレ…あんなヤツ…何時から居たんだ!?』

 

『冥界全体が戦慄いている…! なのに、この感覚はーーーーまさか!?』

 

私達は戦っていた事も忘れ、地に跪いてそれを見上げた。

冥界の頂に現れた、深淵を纏う竜の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『……忌まわしき妖怪桜、西行妖』

 

真の姿を此処に現し、見下げる古木に一人呟く。

応えは無い。意思無き死を齎す古木…その裡に巣食う悪しき力に、最早刹那の胎動さえ許せはしない。

 

『我は、深淵より来りし者。汝の凶行、実に不愉快極まる…負に穢れし貴様に、我が怒りを刻んでやろう』

 

冥界を蹂躙する力の波は、此処に在る全てを下僕の様に傅かせる。視界の端々に見える各々の畏怖、戦慄、負に向かう存在の発する命の光は名残惜しく、だからこそ眩いと思える。

 

『特性解析、完了。識別固定、完了。術中掌握、完了ーーーーーー別たれよ』

 

紡いだ言葉に従って、西行妖に眠る楔、蠢く死の源、古木、亡骸を選り分け一つ一つを分離させる。

 

楔は枯れぬ桜の礎と書き換え、亡骸はそのままに、古木には只の樹として、死の源だけを奪い去る。

 

『還れ…死に歪められ、変わり果てた虚しき古木よ。今こそ、悪しき衣を脱ぎ捨てる時』

 

急速に変化を遂げる西行妖は、溜め込んでいた春の欠片を次々と吐き出し楽園へ還して行く。

 

最後に滲み出た死の源は、どす黒く淀んだ川底を思わせる

核を取り出され、我の翳した手の内に収められた。

 

 

 

 

 

『ーーーー《総体変換・負極浄一(そうたいへんかん・ふきょくじょういつ)》ーーーー』

 

 

 

 

 

掌に留まる核を、敷いた理の下に握り潰す。

負を操る力…負とは遍く禍、禍とは遍く死、死とは無、無は闇、闇は我。我が理に違う事無く、死を運ぶ西行妖の妖足らしめていた核は吸収された。

 

鮮やかにも冷たい花弁を実らせていた古木は、今後他者の精気を蒐める性質を失うだろう。だが、既に冥界に永く在り続けた古木は生と死の狭間で存在を変異させている。

 

いつかは自力で花開く。それは書き換えた楔の機能の通り、咲き誇る西行妖を拝みたいと願う者の心の光を受け取って。根の巡る土の中で、嘗て亡骸になる前の少女が父の愛した樹を慮った様に。

 

『西行妖、いや…西行桜よ。只在れーー見る者の心に花の美しさを添え、永久に在り続けよ』

 

竜化を解除し、冥界を覆う力を肉体に収束させる。

人型に戻った私のやるべき事は、未だ終わっていない。

 

『さて…西行寺幽々子に掛けた暗示も解けた筈だが』

 

そして彼女の前に伏して詫びよう。止むを得ずとはいえ、精神の向きを弄った代償は払おう。紫の沙汰も仰がねば…最悪死ぬか、楽園を追放か。

 

広大な屋敷の正門を抜け階段下に視線を送ると、予定通りに西行寺幽々子と霊夢の姿が確認できた。

 

『霊夢、西行寺…桜に最早害は無い。開花しようとも、何も起こらぬ』

 

双方は振り返り、異変に係る原因の排除を伝えた。

伝えたが、霊夢と西行寺は睨み合ったまま距離を保っている。

 

『だそうよ? 此方は良く分からないけれど、私の異変は終わりみたいね…全然上手くいかなかったわ』

 

『アイツに聞きたい事は山程あるけど…まずは起こした異変の始末はつけてもらう。九皐も! 黙って見てなさい!』

 

取り付く島も無いといった体の霊夢に、私は黙して成り行きを見守る。

 

『決着はつけるわよ。これは異変…首謀者は異変解決者に勝つか負けるか、二つに一つよ』

 

『それで…負けた私はどうなるのかしら?』

 

『決まってるでしょーーーー』

 

言葉の途中で、霊夢は宙に舞い上がり、練り上げた霊力を表に出した。彼女の表情は思いの外清々しげで、肩の荷が降りた様に不敵に笑う。

 

『あんたが負けたら、宴会開いて酒を飲ませろ! 費用は全額そっち持ちよ!』

 

『負けられないわね…博麗の巫女は蟒蛇らしいから』

 

西行寺も空を翔け上がり、暗々とした冥界に幾度目かの光の粒が灯される。

 

これで良かったのだ…何の憂いも無く、何も気にせず。

微笑みを交わし撃ち合う少女達の姿は、私にとって何にも勝る報酬だ。

 

『そんなもん効かないわよ!』

 

『面白い娘ね、私が勝ったら是非貴女も亡霊にして側に置いてあげるわ!』

 

今は己の犯した罪も忘れ、その光景に想いを馳せる。

儚くも鮮烈な蝶が舞い、雄々しく凛々しい光が交差する。

 

異変は元より人間と妖怪達のモノ。彼女等の聖域に、私の手はもう必要無い。

 

『おりゃあああああ!! 成仏しろやああああッッ!!』

 

『嘘!? お祓い棒で殴るなんて反則よーーーッ!?』

 

 

 

 

 

 

数えればものの半時、春を集めた冥界の異変は…前回と同じく博麗の巫女が勝利を収めた。

 

 

 

 

 

 

『いったぁー…死んでるのに死ぬほど痛いわぁ』

 

『完全勝利! 漸く一件落着ね』

 

『いや、そうも行かない』

 

最後の一撃にお祓い棒で頭を叩かれて蹲る西行寺に、私は膝を付き罪状を述べる。

 

『君に暗示を掛け、一足先に西行妖を止めさせて貰った。理由はどうあれ、君の心を弄んだ私の罪は…君の手で裁かれるのが当然と思う』

 

『……お気になさらず、とは申しません』

 

彼女の手が振り上げられる。

私は瞑目し、彼女が上手くやれる様にと願いながら…自らの死を待った。

 

待ったのだが、一向に最期の刻は訪れなかった。

 

『………どうした?』

 

『どうしたも何も、この通りですよ。頭に平手打ちです』

 

平手打ちと西行寺は言うが、どう見ても頭に手が添えられ、二度三度撫でられただけだ。亡霊の少女は柔らかな笑みを浮かべ、それ以上は何もしない。

 

『貴方の去り際に、遠くから聞こえましたわ。紫の涙に怒りを覚えた貴方は、無知な私に代わって手を尽くしてくれたのですよね?』

 

『結果的に、だ。言い訳には出来ない…これでは』

 

『罰にならないと、コウ様は仰りたいのでしょう?』

 

西行寺の傍らに、スキマが形成され紫が現れる。

彼女もまた私に微笑みで返すが、ぎこちないのは彼女の相談から始まった事に責任を感じているからだろう。

 

『此度の強行は、私が西行妖への対策が遅れたが為。コウ様が罰をお求めなら、私も共に受けねばなりませんわ』

 

『待て、紫に非は無いのだ…これ以上は話が拗れてしまう』

 

『もう充分拗れてるけどね…私なんか置いてけぼりも良い所よ。それに、下を見なさいよ』

 

霊夢が横合いから指差した方向を見やると、妖夢と魔理沙が弾幕ごっこを再開していた。

 

『うおおおおおっ!!』

 

『はあああああっ!!』

 

互いに雄叫びを上げて拮抗状態の二人は、状況を分かっているのかいないのか…頭の痛くなる光景だが、これはこれで微笑ましいと言えよう。

 

『こら! なにボサッとしてんのよ! アレを止めて来なさい! 二秒で!』

 

『…私が止めるのか?』

 

『あー、それは良いわね…罰をお受けになりたいと言うならアレを止めて頂きましょう。ねえ? 紫』

 

『はぁ…そうね。もうそうしましょう…お手数ですがコウ様? 罰の内容は、妖夢と魔理沙を無力化するという事で、お願いしますわ』

 

有耶無耶にされた気もするが、紫と西行寺が決めたなら致し方無い。これを罰と呼んで良いか甚だ疑問ではある…妙な落ちが着いたものだ。

 

『良い!? 二秒よ二秒!』

 

『うむ…二秒だな』

 

頂の屋敷から跳躍し、階下で戯れる二人に向かって肉薄する。

 

『うぇ!? ちょ、乱入は反則だぜ!?』

 

『貴様が言うな! このーーーーみょん!?』

 

銀の波濤が、弾幕の蔓延る空域を魔理沙と妖夢諸共包み込む。屋敷に残る三人は声高らかにそれを笑い、私に巻き込まれた二人も負けじと技を競って来る。

 

一先ず私が経験した二度目の異変もまた、遺恨を残さず終わる事となった。

 

背に聴く暖かな声に包まれ、水を差した私へ果敢に挑む二人の真っ直ぐな瞳が愛おしい。紆余曲折を経たものだが…私の行動は、全くの無駄では無かったらしい。

 

 

 

 

 

 

『…細かい事はまた今度聞くから、私達をちゃんと送り届けなさいよ。転移だかっていう術が使えたから先に着いたんでしょ? じゃ、よろしくね』

 

『私も頼むぜ!』

 

『私もお願い致しますわ! 勿論行き先はコウ様のお家で!』

 

余談だがーーーーー、案外私と近しい少女達は皆良い性格をしている事も…此度の異変にて判明したのだった。

断じて皮肉では無い…少しばかり、釈然としないだけだ。

 

そして紫よ…君はスキマを使えば、あの場は自力で帰れたのでは無いだろうか。




短めな内容で、重ねて申し訳ありません。
次話にて妖々夢編は終了となりますが、次回は冥界での後日談的内容を予定しています。

長くなりましたが、最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございます!


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第三章 終 招待状

遅れまして、ねんねんころりです。
今回は軽めの後日談と、次章への布石を少々。
この物語は駆け足の展開、空回りしているモチベーション、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

後に春雪異変と射命丸が名付けた二度目の異変から、早くも数日が経過した。昨日冥界で行われた宴会は盛大の一言で、冥界で関わった者は勿論…紅魔の面々や伊吹、射命丸、幽香にメディスン、アリスに無関係な者も数え切れぬ程の顔触れが揃っていた。

 

『楽園の少女達は、余程宴会が好きらしい』

 

中でも意外だったのは、霊夢、魔理沙、十六夜、妖夢の四名がいつの間にか意気投合し個人で交流を持つに至った。

 

人間だからこそ通じ合う物も有ったのか…各々が特別仲が悪い訳でも無いが、各勢力の代表を務めるレミリア、伊吹、紫、西行寺、幽香は目に見えぬ火花を散らしていたのを憶えている。

 

私が理由を尋ねると…多くの者が跋の悪い表情で茶を濁して酒を勧めて来る。

 

『そういえば、今日はまた冥界に顔を出す約束だったな』

 

話は宴会の最中に遡る。

西行寺が突然私の背後に腕を回し酔っ払いもかくやといった風な口振りで、

 

『九皐さまー? お願いしたい事がありますので、明日もどうか白玉楼へいらっしゃって下さいなぁ』

 

と誘われたので…今は冥界の白玉楼で西行寺と共に妖夢を待っている。

 

『して、妖夢を待つのは良いが…何故私を呼んだのだ?』

 

『来て頂いたのは、妖夢の事です。あの子は、今でこそ庭師及び私の剣術指南役を立派に務めていますけど…先の異変でも九皐様だけでなく魔法使いの、魔理沙ちゃんとも引き分けたのを内心気にしているみたいで』

 

なるほど…いや、全く分からん。

そも魔理沙と妖夢では土俵が違う。魔理沙は魔法やそれに纏わる道具を弾幕ごっこに用いるが、妖夢の剣術は他者を護り、時に殺める事態も想定して研鑽を積んだモノだ。

 

近接戦の技術は、スペルカードルールの決闘で有利に働く機会は殆ど無い。西行寺もそれらを承知していて尚妖夢の話を切り出したとなれば。

 

『…私に妖夢の稽古に付き合えと』

 

『お嫌ですか?』

 

長らく冥界の管理者として座す筈の西行寺は、困り果てた様な、何も知らぬ素直な子供が残念がっている様な顔で此方を見詰めて来る。

 

態とか素なのか…彼女の要求には異変での馴れ初めも有って断り辛い。かといって今日は特に予定も無いので、彼女の頼みを聞くのも吝かでない。

 

『構わない。しかし…何故私なのだ? 相手になるだけなら他にも候補は居ただろうに』

 

『それは九皐様が、妖夢相手では死に様も無い上に暇かなと思ったからですわ』

 

内容は兎も角、歯に衣着せぬ物言いは好ましい。

華やかで嫌味の無い笑顔が、言葉と相まって凄まじい落差を生じさせる。

 

個性的な亡霊だと感慨に耽っていた所に、件の妖夢が刀を携えて現れた。

 

『お待たせしました! 本日は、御足労頂いてありがとうございます!』

 

『気にするな。早速相手をしよう…場所は庭で良いのか?』

 

『はい! 宜しくお願いします!』

 

快活な返事は実に心地良い。後は、彼女が今日だけで何か掴めるかが肝要だが。

 

枯山水の端、屋敷の正門にほど近い場所で妖夢から距離を取る。冥界で再び遭遇した時と同程度の距離感…彼女の抜き放った二刀は見事な造りで、此方を相手取るにも充分な代物だと窺える。

 

『二度目にお逢いした時、私の一刀は貴方を討ち取るどころか傷さえ付けられませんでした…己の未熟に恥じ入るばかりです』

 

『そう捨てた物ではない。踏み込みの速さと抜刀術には眼を見張るものが有ったぞ』

 

『恐縮です…』

 

事実、妖夢は決して弱くない。むしろ魔理沙や霊夢と遜色無い実力を持っているが、如何せん謙虚過ぎる。

自信という部分が欠如しているのだ。

 

『問答は此処までだ、来い』

 

『全力で行きます!』

 

彼女から鋭い剣気が放たれる。纏う意気は申し分無い…後は持てる技をどう形にするかだが。

 

『う…くっ』

 

『どうした? 遠慮するな、集中しろ。私以外のモノは意識の外へ流せ…剣身一体とせよ』

 

私の発する気配に震える手元に力を込めて、妖夢は奔った。やはり初動は迷いが無い…真っ直ぐ此方へ向かって切り込んで来る。

 

『せやっ!!』

 

『その調子だ』

 

二刀を交互に振るい、俊速の剣撃が繰り出される。

それ等を素手で受け止め、妖夢の癖を私も見定める。

 

『やあああっ!!』

 

鉄同士が弾き合う様な音が腕と刀の間で生じるも、彼女は怯まず休まない。時に半霊を突進させて此方の反撃を阻害し、本体である妖夢の間隙を埋める。

 

しかし、気になる所を見つけてしまった。

動きが素直なのだ…剣の型の多さから判断は難しいが、攻撃ばかりで単調と言い換えても良い。

 

剣、剣、半霊、剣、剣、剣と一定の間隔で半霊による多方面からの追撃が織り交ぜられている。

 

まるで、敵の反撃を察知した途端無理やり潰しているかの様だ。

 

『妖夢、それでは駄目だ』

 

『えっ!? きゃあっ!』

 

半霊の突撃を右肩に喰らったまま、たじろいだ半身を利用して右脚から回し蹴りを見舞った。

腰を横薙ぎにされ妖夢は吹き飛ぶが、空中で体勢を直して何とか着地する。

 

『はぁ…はぁ…駄目というのは…どの部分が』

 

『君の動きは、少々自分勝手だ。相手に攻撃を仕掛け続ける事と、反撃を恐れて我武者羅になるのとでは意味が違う』

 

『私は…半分は霊体ですが、半分は人間です。肉体は脆いのに、これ以外にどうしたら…』

 

『基本的な事だ。反撃されたなら、躱した上で攻撃すれば良い』

 

脇腹近くに受けた蹴りを反芻する妖夢は、得心がいったのか何度か頷き、再度二刀を構えて私を見据える。

 

『君なら可能だ。剣術だろうと、弾幕ごっこだろうと同じ事。成功すれば、死角から一撃を与えるのは容易だ…死中に活路を見出せ』

 

今度は私から距離を詰め、まともに当たれば生死を彷徨う程度の力に抑えて突きを放つ。恐怖に打ち克たねば敗北は必至、如何にして応えるか…妖夢の真価が試される。

 

『集中…集中…集中!』

 

答えは直ぐに返ってきた…先程までなら無理に押し切るか距離を取るかしていた所を、意を決した彼女は深く踏み込み超至近距離で拳に剣を合わせる。

 

『はああああああッッ!!!』

 

カウンターという言葉の通り…攻め込む時も攻められる場合も相手の挙動を注視し後の先に至る。私の懐、即ち必殺の間合いで二刀が振るわれる。

 

『……物覚えの良い娘だ、見事だったぞ』

 

『ーーーーあ、ありがとうございます!』

 

最終的に…彼女の二刀による一閃は刃を鷲掴みにされた事で届かなかったが、私の手には僅かに赤黒い血が流れ出していた。

 

『その感覚を忘れるな。人間相手ならば今ので事足りるが、妖怪の中には殊更頑丈な者や再生する者も居る』

 

『はい! 先生!』

 

『……先生とは私の事か?』

 

『あ! いえ、その…これはですね!』

 

思わず呼んでしまったのか、妖夢は頬を赤らめながら不審な身振り手振りで誤魔化している。

 

『ふふ…妖夢ったら』

 

『君の好きにしてくれ。先生でも、いっそコウと呼び捨てでも良い』

 

『いえ! せ、先生は先生です!』

 

縁側で座っている幽々子は、何処か昔を懐かしむ眼差しで妖夢を見守っていた。

 

『そうか…では、以上の教訓を踏まえてもう一度』

 

『はい!』

 

白玉楼で行われた妖夢との稽古は楽しくも瞬く間に過ぎ去り、帰る頃にはすっかり日も暮れて真夜中の帰宅となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

瞼の裏で浮かび上がる映像…断片的で、取り留めも無い幾つかの場所、何時かの時間、何某かの人物。

 

私の見る未来…可能性により分岐する運命はとても数が多い。千は下らず、万にも届く…なのに、此れ迄とは全く違う一つの流れが今回は有った。

 

七日後に起こる、確実に起こる或る出来事。それを止める事は可能だが、間違いだ。事前に止めれば…未来の道筋は更に混沌としたモノに変貌する。

 

兆しは、明らかとなるまで見送るしかない。

映像の中では、多くの者が彼の意図を計りかねて困惑していたが…唯一運命を見得る私だけが真意を知っていた。

 

【永き夜、今宵私は…万象喰らう禍と化そう】

 

紡がれた言葉は温かくも突き放す様で…それは誰の発した声なのか。映像に映る大いなる者は…何者かの抱く悲しき運命を嘲笑い、否定する。

 

空に吠える、静かで抗い難い深淵の意思は…いと高き月を心から蔑み訴えた。

 

【我こそが禍。我こそが深淵…此の身に宿る力に触れて、貴様等の蛮行を悔やむが良い】

 

彼の日、私達は…私と咲夜は選択を迫られるだろう。

彼の思惑に乗るか、反るか。答えなど端から決まっている…彼は強く、禍々しく、月光よりも輝く銀を備えた…私達に救いの手を差し伸べた男。

 

彼の者に助けを出さずして、どうやってこの想いを遂げられるものか。誰にも邪魔はさせない…異変の場に逸早く駆け付けて、開かるもの皆打ち倒し、彼の座す所へ辿り着く。それこそがーーーーーー。

 

 

 

 

『お姉様…何してるの?』

 

『…ん? ……フランか。ちょっと…不可解な運命の糸を手繰り寄せたのよ』

 

妖怪の山の麓、湖畔の先に居を構える紅魔館。

自室でふと垣間見た未来の予兆に頭を悩ませていると、最愛の妹がおずおずと訪ねて来た。

 

『お姉様の見る運命って、操ろうとしなかったら可能性として在るだけで…殆ど不確定なんじゃなかったっけ?』

 

『そうなのだが、今回は全く毛色が違うみたいでね』

 

そう答えると…妹は興味津々と言わんばかりに満面の笑顔で執務机に身を乗り出し、私を凝視する。

近頃、フランドールは日々が実に楽しそうだ…望んで止まなかった本当の宝を手に入れた。妹の心の平穏、得難い友、そしてーーーー大恩に報いるべき、気高き殿方を。

 

『何が見えたの!?』

 

『うむ…これは恐らく、次の異変ね』

 

『次? 春がどうのって異変が終わったばかりなのに…』

 

フランの言う事は最もだが…異変の開幕は直ぐ其処まで迫っている。そう思わずにはいられない…私の勘が告げているのだ。私の勘は霊夢と違って、不吉な事柄だけは妙に当ててしまう。

 

しかもこの異変…先の春雪異変と同じく人の手に余る何かが隠されている。面倒で、難解な、とても面白そうな何かが。

 

『決めたわ』

 

『わっ! 何なのいきなり…』

 

『咲夜! 今すぐ来なさい!』

 

『ーーーーはっ、如何されました? お嬢様』

 

急な呼び掛けにも即座に現れる、私の瀟洒なメイド長。

咲夜は部屋の中心に佇み、私が二の句を告げるのを伏して待っている。

 

『七日後、異変が起こるわ』

 

『異変…もしや、何かお見えになられたのですか?』

 

『そうよ…次の異変、私達も参加する! これは運命だ!』

 

高らかな宣言に目を丸くする妹と従者は、また何かやらかすのかと言いたげな雰囲気で私に視線を投げかけてくる。

 

『えー…また霊夢にボコボコにされちゃうよ? コウも怒るよ? きっと』

 

『違うわよ! 接戦だったし! …異変に加担するのじゃなくて、解決するの!』

 

『解決…お嬢様がですか?』

 

『無論…私と、咲夜でだ』

 

今度は呆れ果てた空気を漂わせる二人は、理解不能という表情のまま無言で返してきた。突き刺す様な冷たい空気は極めて居心地が悪いが、私とて酔狂で喋っているのでは無い。

 

『気紛れではない…必要な事だ』

 

発する言葉に剣呑な重さが加わると、咲夜とフランも漸く神妙な面持ちに切り替わる。

 

『主命とあらば、咲夜は何処までもお供致します』

 

『違うぞ咲夜』

 

天然気味で見当違いな可愛い従者に、率直な否定と注釈を付け加える。

 

『異変を解決するのは人間の役目だ…咲夜、お前が矢面に立ちなさい! 次の異変解決に失敗は許されない。故に私が、お前に手を貸してやる! 十六夜咲夜の勇名を…楽園中に轟かせよ! 良いな!』

 

『御心のままに、十六夜咲夜…必ずや解決してご覧に入れます!』

 

私の叱咤激励に触発され、自慢の従者は宣誓する。

七日後の夜が楽しみだ…月に関わる異変とあらば、我等に負ける道理は無い。

 

夜の王とその僕が月明かりの下で舞い踊り、華麗なる幕引きを演出するのだ。そう…運命は私達の手中に在る。

 

『……あの、二人とも…分かってると思うけど、まだ七日間も空いてるよ? ずっとその調子で過ごすの?』

 

『ーーーーーー』

 

『ーーーーーー、さて…咲夜。食後のお茶を頂ける?』

 

『あ、私もー!』

 

『………畏まりました、お嬢様方』

 

部屋から消え去る間際の咲夜は口元が緩んでおり、アレは恐らくツボに入って影で大笑いしていると私に予感させる。

 

欠点らしい欠点など無い瀟洒なメイド長だが…天然気味で笑いのツボが良く分からなくて、それでも健気で働き者だから。

 

家族の前でくらい無邪気に笑っても良いのに…変な所で真面目なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

稽古を始める前とは別人の様に自信を取り戻した妖夢から夕餉を勧められ、有り難く馳走になって屋敷へ帰ると…扉の前に一通の書面が差し込まれていた。

 

特段、気になる見て呉れの手紙では無い。白い封筒に、地図らしき紙面と本文を記した手紙の計二枚。

簡潔に、宛先である私に読めと物語っている様だ。

 

『手紙か…貰うのは何千年振りか、差出人はーー』

 

 

 

【拝啓 九皐様 春の陽気が幻想郷を包む今時期、いかがお過ごしでしょうか。突然ですが、誠に勝手ながら貴方様を我が家へ御招待したいと存じます。これをお受け頂けるならば、七日後の明朝に《迷いの竹林》へとお出で下さい。竹林への道程は地図を同封させて頂きます。それより先は私どもが遣わす者に案内をさせますので…どうか、《永遠亭》への御来訪を心よりお待ちしております。 八意 永琳(やごころ えいりん)

 

 

 

うむ…差出人の名は八意永琳なる者らしい。何時の時代かに聞き及んだ気もする。

 

顔と名前が一致しないのは歳の所為か、又は印象に残らぬ人物だったか…名に用いられた字や響きから女性だというのは分かるが、どうにも思い出せない。

 

達筆であり礼儀も弁えた手紙だが、竹林へ来いとは何事なのか。心より待つと書いてある為、青々として立ち並ぶ竹の雄々しさを、緩りと見て回る余裕も無さそうなのは惜しい。が…それは置いておこう。

 

手紙からは送り主の滲ませる《負》の要素が感じられない。悪意を以って書かれたモノなら、適当に遇らって終わりに出来たというのに…文面通りの真摯さが伝わって来るのが不可解だ。

 

一体…八意永琳と私は、何時何処で出逢ったのだろうか。

何れにせよ、私の勘違いか物忘れかは…永遠亭へ行けば分かる事。

 

『七日後か…私に宛てた手紙故、誰かに見せて確認するのも居た堪れない。行ってから、八意某の意図を探るとしよう』

 

独り呟きながら扉の取手に触れた直後…意識が別に向いていた事も有ってか、中に何者かの気配が感じられるのにたった今気が付いた。

 

よく見れば居間の辺りに光が灯っている。

気配の主を直ぐに解明すると、何の疑いも無く扉を開けた。

 

『お帰りなさい、コウ』

 

『ただいま…幽香。どうして君が?』

 

芳しい花の香りと手元に置かれた日傘、肌を撫でる膨大な妖力。其れ等を併せ持つ美しい少女は、柔らかな笑みで私を迎える。

 

『貴方の家を、一度見てみたくてね。夜分に失礼とは思ったけれど…いけなかったかしら?』

 

『何を言う…君に出迎えられて、私はとても幸せだ』

 

『ーーーーッ!! もう! そんな言い方…狡いわよ』

 

狡いとは何の話か…素直な心情を述べただけだが、彼女は紅潮した顔で外方を向いてしまう。

 

『どうせなら、今日は泊まって屋敷を回ると良い。何せ部屋は多いからな』

 

『えっ!? そ、それってーーーー』

 

『くぉらあああああああッッ!!! 人型移動要塞の分際で! コウ様と一つ屋根の下、ど、ど、同衾とは! 絶対に許しませんわッ!!』

 

見物ならと気を遣った所に、紫が声を荒げてスキマから出現した。私は呆気に取られて声も出なかったが、眼前の幽香は唐突な罵声を聞いて額に青筋が走っている。

 

『誰が、人型移動要塞ですって…? この腐れ覗き魔があああああッッ!!! 同衾とか妄想激しい上に一々言い回しが古いのよ! お生憎様、誘われてない変質覗き魔は尻尾巻いて帰りなさいッ!』

 

この二人は会う度に戯れ合っているのは気のせいか?

同衾などと口にするが、客を泊める時の為に伊吹や天狗達が予備の寝具を揃えてくれているのを紫は忘れているらしい。

 

『部屋と寝具は空いているのだ。紫も、泊まりたければ用意するぞ?』

 

『へっ!? そそそそそそんな、嫌ですわコウ様! でも、何と魅力的なご提案でしょうか!? ああ! また不可思議な体の火照りと動悸が…』

 

『ちょっと! 私との遣り取りは何だったの!? 巫山戯てるなら容赦しないわよ!!』

 

幽香の怒りの矛先は、何故か私に変わってしまった。

彼女の隣では紫が恍惚とした表情であらぬ方向へ視線を彷徨わせている。

 

阿鼻叫喚とは正に今の光景が相応しい。そろそろ、独りで一日を漫然と浪費する自堕落な生活も恋しくなって来るが…

 

『どうするのよ!?』

 

『如何致しますの!?』

 

『ーーーーもう、二人とも泊まって行け』

 

大した持て成しは出来ないが、茶の一杯や風呂なら沸かせば間に合うだろうか。

 

平穏無事な異変の後は、姦しくも麗しい少女達と談笑する楽しみが有る。

 

『それなら、まあ…仕方ないわね』

 

『妥協致しましょうか…コウ様のご厚意で泊めて貰えるなんて幸運ね! 感謝しなさい!』

 

『なんで紫が得意げなのよ? ほんと…肝心な所で都合良く現れるわね』

 

只中に居る男は私だけなので、お手柔らかに願いたいものだが…当の紫と幽香はお構い無しに、その日の夜は更けて行く。

 

 

 

 

後日…気付けば川の字になって眠りこけていた私達を、久しく新聞を売りに来た射命丸が見つける事態となる。

 

下卑た笑みと嫌らしい視線が混ざる彼女の顔は、愉悦を堪え切れない様に高笑いを浴びせて空へ逃げて行った。

 

『うひゃひゃひゃひゃひゃ! 大スクープの特別号ネタ発見ですよおおおおおッッ!!』

 

幽香と紫は羞恥に頬を染めながら、鬼の形相で追いかけて行ったが…私は酒と肴に散らかった居間を見やり、独り溜息を零したのだった。

 

 

 

 






今回で、妖々夢編はひとまず終わりとなります。
冥界にコウが赴く理由を残しつつ、いよいよ次回から永夜抄編となります。

萃夢想? 萃香のリベンジ? はっはっはっ…ご勘弁を。

長くなりましたが…最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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永夜抄編
第四章 壱 過去を想う、夢


遅れまして、ねんねんころりです。
深夜テンションで書き始め、気づけばもう休みが終わり…どうしましょう。

今回は過去話が長めです。この物語は勢い任せの超展開、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

夢の中で過去の出来事を無意識に洗い直すのは、脳が正常に機能している一つの証明である。しかしながら、私の場合は脳細胞の隅々までが、肉体は眠りながら脳が完全に覚醒した状態で行われる。

 

 

何も知らぬ、知識欲と好奇心だけが身体を動かしていたあの時…私が無知で恐れ知らずな子供だった頃、人間が未だ産まれていなかった時代。見知らぬ土地で道に迷ってしまった私は…《彼》と出逢った。

 

『そんなに泣いて…どうしたのだ? 神々の間に生まれし、幼くも美しい少女よ』

 

声は父よりも暖かく、母よりも甘く、何処か虚ろな声に不思議と安堵したのを…幾星霜(いくせいそう)経とうとも鮮明に憶えている。夜の暗黒に足が竦み、幼いからこそ恐怖し立ち止まった私に…《彼》は問い掛けてくれた。

 

『あのね…ひっく、お家に…帰れないの』

 

『道に迷ったか。ならば少女よ…この我に、家の在る地名を教えてくれ。探してやろう』

 

声の主は、巨大な竜だった。黒く…深淵の色を帯びた二足で立つ竜。雲に届きそうな巨躯から、静かで優しい声音が響く。

 

私は食べられるかも知れないなどと微塵も考えず、正直に知り得る土地の名を彼に教えた。

 

『うむ、其処か…ではこの孔を潜ると良い。この先に、君の家が直ぐ近くに在る筈だ』

 

『ひっく……ほんとう?』

 

『本当だとも。さあ、夜の山は危ない…もう行くのだ』

 

彼に促されるまま黒く蠢く孔を潜ると…背後に茂っていた木々は無く、眼前には確かに当時の我が家が(そび)えていた。

 

その後私は父と母に酷く叱られ、叱られた以上に優しく抱き締められた。

 

買い与えられた図鑑に載っていた薬草が、遠方の山に自生していると突き止めた私は…父母の目を盗んで一人山へと登ったのだ。

 

幼少から多くの分野に才能を見出していた私には、山の知識は有っても、山を抜ける知恵や機転が欠けていた。

どれだけ周囲の大人に天才と持て囃されても、子供は子供。その日の夕餉は涙で塩辛さも倍に感じた。

 

竜が助けてくれたと父母に話すと…意外にも険しい表情で、二度とその山へ行くなと厳しく禁じられた。

 

『まっててね…すぐに行くから…!』

 

さりとて…好奇心と竜への礼を返したかった私は、綿密に山の地理を調べ上げて自力で帰る術を見つけ出し、約束を破って再度山を訪れた。

 

山に背を預けていた黒竜は、何とも珍妙な物を見た様に私を見下ろしている。

 

『…また迷ったのか? 懲りない娘だ』

 

『違うわ! あなたに、お礼が言いたかったから…』

 

消え入りそうな声で答えると、竜はしばし呆気に取られていて…前触れなくからからと笑い始めた。

 

『フハハハハハハ…そうか、我に礼か。 全く…将来は大物だな』

 

『もう充分スゴイからごしんぱいなく! 帰る方法もみつけたからたいさくは万全よ!』

 

得意げに捲し立てる私を見詰めて、竜は明るい声で笑ってくれた。その後は一頻り、竜と他愛の無い話題で盛り上がり…あっという間に時間が過ぎた。

 

『少女よ…夜がまたやって来た。帰るが良い』

 

『しょうじょなんて名前じゃありません! わたしには《オモイカネ》ってりっぱな名前があるの!』

 

『そうだったな…オモイカネよ、我が用意した孔を通って帰るのだ。父母には、山へ来るなと言い付けられているのだろう?』

 

彼は何処までも柔らかな声色で諭し、渋々孔に入る私を見送った。

身体が埋まる直前に、勢い良く振り返って竜に暫しの別れを告げる。

 

『またね! ぜったいまた来るからね!』

 

『ーーーー、ああ。分かった…待っていよう』

 

短い遣り取りを経て、約束を交わした私が後日山を訪れると…其処に彼の姿は無かった。

 

彼が居なくなった理由も知らず、心に蟠りを残していくつもの季節が巡り…私を含めた神々に連なる者達は、地上の(けが)れを嫌って月に移り住むこととなった。

 

 

 

 

 

更に多くの時が過ぎ去り…一人の恋人も子もなく、研究と実験に明け暮れた私は、気付けば月の研究施設にて最も高い地位に納まった。

 

そしてーーーー研究に必要な月の表側の地質調査に乗り出していたあの日、余りにも耐え難い事件が起こる。

 

助手も連れずに、奥まった月のクレーターで試料採取に勤しむ私の耳に…呻く様な呼吸と弱々しい誰かの声が聞こえる。

 

何かが近くに居る…警戒を強めてクレーターの中心を探ると、奇怪な術式で認識を阻まれていたモノが次第にその姿を現した。

 

『……何故だ』

 

この声には聴き覚えがある。

私の幼少時代に鮮烈な記憶を植え付けた出来事…地上の山奥で、私を救い出してくれた声。

 

『貴方…あの時の竜よね? 信じられない! どうして月に…』

 

彼は私の呼び掛けに、直ぐには答えなかった。

彼は月の表側…何も無い、荒れ果てた月の中心で、衝撃的な言葉を紡いだ。

 

『何故だ…何故私を、我を裏切る』

 

『ーーーーーーえ?』

 

裏切る…何を? 彼を? 違うーーーー私にではない。

私に言っている訳では無い。彼は月に居て…どうやって?

 

よく見れば…彼の四肢は太く強固な鎖で幾重にも繋がれ、尾も翼も縫い付けられた様に同じ鎖が絡んでいる。

理解不能…どうして、どうして…どうして!!

 

『何で繋がれてるのよ!? 答えて! 私よ、オモイカネよ!? 地上の山で助けてくれたじゃない!』

 

『……ああ…オモイカネ、憶えているとも。君も、月へ移っていたのだな…少し背が伸びたか? 前に会った時から、より一層綺麗になったな』

 

彼からの賛辞は、望外の喜びを私に抱かせたが…今はそんな状況ではない。彼は束縛され、痛ましく食い込んだ鎖には彼の肉を貫く杭が備わっている。

 

『それより、何故貴方が鎖でなんか…! 一体誰がこんな事を!?』

 

『ーーーー逃げろ、オモイカネ。此処に居てはならない』

 

『待ってて頂戴! 今の私の力ならーーーー!』

 

『駄目だッッ!!』

 

彼の怒号が私を押し止め、彼は絞り出した溜息の後に語り出した。

 

『私は…月の上役どもに裏切られたらしい』

 

『……月の上層部が、貴方を?』

 

先ず始めに、彼は自らの持つ力と性質を私に教授してくれた。負に纏わる凡ゆるモノを統べる圧倒的な能力。神々さえ赤子の手を捻るより容易に滅し得る力を持つ彼は、私が月へ移る直前…この地を開拓した上層部の連中に助けを請われて此処へやって来たと言う。

 

月を発展させてしまえば、何れ月にも穢れが及ぶと考えた連中は、負を糧とする彼を穢れの受け皿として此処に縛り付けた。

 

持て成す素振りで彼を誘き出し、本来なら月の民が立ち入る事も無い表側で拘束する。彼への卑劣極まる行いに、月の上役どもへの嫌悪感が急激に増して行く。

 

『私が月の民を害さぬと知っていた上役達は、斯様な鎖で月の核を重石代わりに私を縛り付けた。無理に引き抜けば、月そのものが崩れる事も承知の上で…』

 

『狂ってる…! この事が《月夜見》に露呈(ろてい)したら…!』

 

『無駄だ、奴は動かぬ…動けぬのだ。星の核に縛られた私を解き放つ事は即ち、自ら治める月の民を半ば見捨てるという事』

 

八方塞がりとは正に今。彼を助ければ月は壊れ、見捨てれば奴らと同じ裏切り者。彼に救われた私が、彼を…。

 

『逃げろ』

 

『そんな…! ダメよ、それだけは嫌ッ!! 貴方を助ける! 月の研究を一手に担ってきた私ならーー!!』

 

『止めろ。私を逃せば、君が背後から弓を引かれる…オモイカネ、私の言う事を心して聞くのだ』

 

嫌だ…嫌だ!! 彼に、その先の言葉を言わせてはいけない。それだけは許してはならない。だのに…私を見る瞳は何処までも穏やかで、目に映る者の平穏を真に願う優しさだけが宿っていた。

 

『私を、これより先の未来永劫…忘れ去るのだ。君は夢を見たに過ぎん…陥れられて尚、抗おうともしない愚か者の夢を』

 

『いや…いやよ…! やっと、また逢えたのに…っ!』

 

『戻れ、来た道を真っ直ぐに…振り返るな。思い返すな。君が私を慮ってくれるならば、君は君の進んだ道を…決して振り返ってはならない』

 

悔しさだけが胸を穿ち、口惜しさに涙が溢れ出る。

皮肉にも…初めて出逢った時と同じ、泣き(じゃく)る少女が独り。けれど、あの日の寂しさ故に流した涙ではない…ただ情け無い。私には、私を助けてくれた彼を説得する事さえままならない。

 

『行くのだ、オモイカネ。もうじき…私を打ち果たさんと、炎の槍が都より放たれる。解るのだ…最早一刻の猶予もない、君だけなら充分に間に合う。逃げろーーーー逃げろッッ!!』

 

彼の凄んだ声を最後に、私は一目散に月の都へ飛翔した。彼との約束を破らぬ様に、決して振り返らず、迷わず一人住まいの家へと逃げ帰った。

 

その日…私は大切なモノを喪った。優しい彼、私を救ってくれた彼を…一度ならず二度までも。

 

毛布に身体を埋めて、言い付け通りに忘れ去ろうと無理やり瞼を閉じた…しかしそんな真似が出来る筈も無く、私は虚ろな心のまま、不眠で朝を迎えた。

 

心の均衡が定まらずとも…一日の始まりに無意識に身体が動き出し、何気なく届けられていた朝刊に目を通した。

 

 

【速報 月の表側にて核実験の形跡有り。昨夜未明の地震は軍部の執り行った新型核ミサイルの試し打ちか?】

 

 

一文を読みきった後、誌面を握る手が震えていた。

歯を食いしばり、涙で赤腫れた目尻に再び涙が零れ落ちていた。

 

無気力な精神と裏腹に、身体が突き動かされて研究施設に顔を出すと…忌々しい上層部の指示書が仕事机に乱雑に置かれていた。

 

指示書の内容は、嘗て私が創った試験薬を服用し、不老不死と成って月を追われた《蓬莱山輝夜(ほうらいさんかぐや)》を地上へ迎えに行けというもの。

 

よくよく考えれば、彼を裏切った下衆な上役どもの送ってきた辞令が罠である事は自明だったが…堕落した精神は時の流れを忘れさせ、抵抗する気力さえ奪ってしまった。

 

 

 

 

上層部から派遣されて来た衛士どもを連れだって、輝夜を迎えに行き無事に再開した直後…私と彼が別れる間際に話した事が現実となっていた。

 

『蓬莱山輝夜…そして、八意永琳。神妙にせよ…いと高く貴き方々の命により、貴様等を連行する』

 

『ちょっと…? 私は兎も角何で永琳までーー!』

 

私の背に庇われる輝夜の問いに、武具を構えた衛士達は不愉快な嘲笑で応えた。理由は分かっている…あの日喪った彼と、私が知己だった事が上に知れたのだ。

 

『彼は……あの竜は、どうなったの』

 

『ーーーーーーあの悍ましい竜の事か。知らんな…大方、核に身を焼かれ、命乞いでもしながら死んだのだろう』

 

衛士達は私と彼の関係を聞かされていたのか、いや、そんな事はもうーーーーどうでも良かった。

 

優しかった…別れの時まで私を護る為、独り縛に付いた気高い竜を。貶し、蔑み、鼻で笑う奴らの無関心な有様が…私に残った最後の(たが)を外してしまった。

 

 

 

 

 

『ーーーーーーーーーー死ね』

 

 

 

 

 

我に返った時には…私は返り血で赤く染まった自身を顧みる事もせず、地機(じべた)に座り泣き叫んでいた。

 

『永琳…ごめんなさい。許して頂戴、だから…泣かないで、永琳』

 

違う…違うのよ輝夜、貴女の所為じゃ無い。

私があの時、彼を助け出す方法を見つけ出せていたのなら。或いは彼と共に、最期の時を受け入れていたなら。

 

『私たち、これからどうなるのかしらね。地上にも、月にも居場所なんて無いだろうし…』

 

輝夜の不安は、私にも理解出来る。しかし、哀しみに押し潰され…まともな解答が浮かばない。

 

月を離反し、ただ闇雲に逃げるだけでは駄目だ。考えろ…考えろ、何の為に…彼は私を。

 

そんな不甲斐ない私の頭の中で…突如、喪った彼の言葉が響き渡る。

 

 

【君は君の進んだ道を…決して振り返ってはならない】

 

 

抜け殻同然だった私に…何かがーーーーそう、活力が湧いて来た。それは、彼が私に残してくれた一筋の光明。

 

彼の想いは私の中でまだ生きている。進もう、輝夜を護り…私達の安住の地を探し出そう。彼が私を護ってくれた様に、私も彼女を見守ろう。

 

『進みましょう。姫』

 

『進むって…何処に?』

 

『何処までも…ですよ。平穏に暮らせる場所が見つかるまで』

 

それからの私達は、地上の方々(ほうぼう)を渡り歩き…何百年かの後に漸く、忘れ去られた者たちの楽園へ…幻想郷へ辿り着いた。

 

 

 

 

迷いの竹林と呼ばれる土地で…神代(かみよ)の時代から生き続ける白兎、《因幡(いなば)てゐ》の協力を得て永遠亭を建造した。そこからは落ち着いた生活を手にして、また何年かが過ぎた。

 

そして……彼と別れて何千年、何万年後かの現代。私は幻想郷全体を包み込んだ、昔懐かしい気配を感じ取る。

 

その日の私は、年甲斐も無く興奮していて…冷静とは程遠い珍妙な行動に出ていた。幻想郷を飛び回り、人目も憚らず髪を振り乱して、彼に良く似た気配を当ても無く追い続けた。

 

底の見えない、闇の性質を伴った強大な力の残滓。ある時は妖怪の山付近で、またある時は竹林にごく近い場所で…記憶の中の黒竜が発していた気配の在り処を求めた。

 

何日も費やし、成果の上がらない捜索に諦めを覚え、私の拙い妄想なのではと思い始めていた頃だった。

銀の双眸、黒髪の男を人里で偶然目にした。

 

『私は、負に属するモノを生み出し…操る事が出来る』

 

咄嗟に息を殺して…男の背後で様子を伺っていた私の耳に、確かに《負を操る》という言葉が聞こえた。

 

それは彼と同じ…深淵の色を纏った竜と同じ能力。

まだだ、まだ確証が無い。直接確かめるまでは、胸の騒めきを抑えなくては。

 

やがて男は、傍にいる翼を備えた妖怪の少女と別れ…男は更に人里の中心部へ去っていく。対して少女は、私の隠れている曲がり角の方向へ歩き出していた。

 

『御免なさい、少し…聞きたい事が有るのだけど』

 

『あや? どうされました? 此処らでは余りお見かけしない方ですね…』

 

不味い…思わず飛び出して、妖怪の少女に声を掛けてしまった。最近の私は奇行が目立つ…身内にも心配されるくらいにはおかしくなっている。

 

しかし引き止めたからには、何が何でもあの男の事を聞き出さねば。

 

『さっき、貴女の隣に男性が居たと思ったのだけれど…間違いない?』

 

『ええ…そうですが、それが何か?』

 

『その…なんと言うか、昔の知り合いにとても良く似ていて…だから』

 

しどろもどろになりながら妖怪の少女に尋ねると、眼前の翼持つ少女は実に分かり易い反応を示した。何か企んでいる様な、嫌らしい笑みで私を舐める様に見つめている。

 

『おや? おやおやおやおや? まさか、九皐さんの事が気にかかっておられるので?』

 

九皐(きゅうこう)という名前なのね…さっきの御仁は。

考えてみれば私は、《彼》の名を聞かぬまま永遠に近い別れとなってしまった。若かりし頃の自分の迂闊さが本当に悔やまれる。

 

『ええ…勘違いかも知れないけど、とても似ているの。昔、離れ離れになってしまったヒトに』

 

『そうですかそうですか! それはまた…いやぁ、彼と居ると本当に特ダネが舞い込んで来ますねぇ…あ、失礼しました。彼についてですよね? 是非! この射命丸が分かることなら喜んでお教えしますよ! それで!? お美しいお姉さんは一体彼のナニが気になるのですか!? 住所? 性格? スリーサイズ?』

 

突然捲し立ててくる妖怪の勢いに押されつつ、此方の聞いていない事まで色々な情報を勝手に提供してくれた。

 

私の胸中で、抑えていた筈の騒めきが一層強くなる。

詳しくは言えないと始めに断られたが…彼は人間では無い、人外の類である事。実力は折り紙付きで、幻想郷の各地に居座る大妖怪クラスの連中を軒並み倒して回った実績を持つ事。

 

加えて、遠巻きながら感じていた…彼の身に帯びた異質な空気。温かいのに隙が無くて、果ての無い暗がりの様な気配。しかし酷薄さなど欠片も無い…触れる者を包み込む在り様。

 

もしかしたら…万が一、奇跡的な確率で…彼が人間に紛して楽園に落ち延びていたら? 生きていたら?

 

永遠亭に戻った後も、上の空で一日を浪費した私は、ふと思い立ったかの如く口から言葉が洩れていた。

 

『彼に、手紙を書いてみようかしら』

 

 

 

 

 

 

私の記憶している、彼に関わる内容は此処まで…睡眠中だった筈なのに、脳が起きたまま大昔の出来事を一から十まで思い返すなんてーーーーやはり、あの男には何か有る。

もしかしたら、万が一…過去に喪った筈の彼がもしも、もしも。

 

 

 

外の世界から刺激を受け取り、眠っている身体が目覚め始める。早朝の少し冷たい気温と鳥の(さえず)りが心地良く、夢の世界からゆっくりと遠退いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『確かに、此処から先は一面竹林だな』

 

手紙にあった約束の日。地図に記されていた場所を求めて屋敷を後にすると、数多くの竹の木が生い茂る場所を発見した。

 

竹林の入り口へ向かうと、此方に視線を向ける小柄な少女が此方に手を振って声を掛けてくる。

 

『銀の眼に、黒髪の背が高い男…君は九皐さんでしょ? いやぁ初めまして! お噂は聞いてるよ。私は因幡てゐ、見ての通り白兎をやってるんだ! 今日は永遠亭までの道案内をさせて貰うよ』

 

てゐと名乗った少女の頭には、特徴的な兎の耳が生えている。気さくな口調なのだが…歳を重ねた者特有の落ち着きが有る。

 

『待たせたな。手紙と地図を受け取ったので来てみたが、永遠亭というのは竹林の中に在るのだな』

 

『あ! そうそう、此処の竹は育つのが早くてね? それに地面にも微妙な傾斜が付いてて見ず知らずの奴が当てずっぽうで入ると迷うから、遅れずについておいでよ!』

 

待ちくたびれていたのか、因幡は私の話を軽く流して早々と竹林へ入って行く。

 

私は置いて行かれぬ様に、青々とした竹林に敷かれた細い道を歩き始めた。

 

『八意…永琳』

 

今更だが、手紙の送り主と私は過去に出逢った事が有る。同じ、若しくは似ている名前で記憶の中に該当する者は居なかった。

 

だが…何かが違うと予感させる。《八意》、二文字の姓から連想されるのはーーーー。あの日、失意と屈辱を味わった彼の時代…短いながらも同じ時を過ごし、紆余曲折の末に月に囚われた私を憂い涙してくれた…違う名前のひた向きな少女が一人。

 

忘れ得ぬ過去に置き去りにした、二度と会う事も無いだろう彼女が…頭の片隅で強く浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 十六夜咲夜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お嬢様から、異変が起こると予言されてから十日後の今日…霊夢から九皐様が行方不明になったとの報せが入った。

 

『私の見た運命に違わず、緩やかに異変が始まったわ。兆しが起こるのはもう少し先よ。咲夜、今は待ちなさい』

 

お嬢様は、九皐様がお隠れになる事も分かっていて…敢えて静観を選ばれた。行方の知れぬあの方が、それまではごく普通に過ごされていたのは疑いも無い。

 

ついこの前も、私の淹れた紅茶が飲みたいと紅魔館を訪ねて来られた。彼が来る度に私は心が弾んで、そういった日に用意するお茶は決まって会心の出来なのだ。

 

最初の一日目は、誰も疑いを持っていなかった。

恐らく、自分の所以外に足を運んでいるのだと。

二日目には、何かがおかしい…と漠然とした不安が幻想郷に立ち込めていた。八雲紫さんや、風見さんといった名のある方達が各勢力を訪れ…何処にも彼が居ない事を改めて確認した。

 

三日目には魔理沙、妖夢…そして私も険しい表情で博麗神社へ集まり、霊夢と四人で友人、主、あらゆる(つて)から持ち寄った情報を各々が交換しているのが現状だった。

 

『先生…一体何処へ行かれたのでしょうか』

 

『おかしいよな。アイツは幻想郷が好きみたいだったから、勝手に出て行くなんてのは考えにくいし』

 

『仮にそうだとしても…何の前触れも無く去るってのは、あいつの性格的にあり得ないわね』

 

『お嬢様の話では、九皐様は今も幻想郷の何処かにいらっしゃるみたいね…』

 

お嬢様の予言の精度は、不確定要素こそ多いものの結果だけなら百発百中。神社の境内で集まる面々も、薄々それは分かっている。

 

答えの出ない堂々巡りの意見は、各々が感じている彼の気配の確かさも相まって混迷の一途を辿っている。

 

『紫様は、どうされているの? 霊夢』

 

『相変わらず、探し回ってるわ。幽香や萃香も、知ってる場所をしらみ潰しに当たってる…私たちより、妖怪側の方が事態を重く見ているからね。どいつもこいつも殺気立っててやりにくいったら無いわ』

 

妖夢の問いに、霊夢が応え、また暫しの沈黙が訪れる。

魔理沙は髪を掻きむしりながら、しかめ面でもう一つ補足を加えた。

 

『アリスやパチュリー、フランも違和感を感じ始めてる…会いに行っても、やっぱ元気が無いんだよな』

 

『神社と自宅以外で彼が行きそうな場所と言えば…紅魔館、太陽の丘、魔法の森、冥界。妖怪の山…は無いわね。伊吹様や射命丸はともかく、山は彼を快く思っていない様だし』

 

『ーーーー待って、咲夜…地上だけなら、まだ二つ探してない場所があるわよ。そうじゃない! 何で気付かなかったかな…《無縁塚(むえんづか)》は無いとしても、《迷いの竹林》が一番怪しいわ。隠れたか出掛けたか、もし竹林で何か有ったとしたら…』

 

霊夢が声を荒げると同時に、空間に生じた裂け目から見知った方達が現れた。

 

『コウ様を見つけたわ! …ってどうしたのよ皆揃って、珍しく準備が良いのね?』

 

『あらあら…みんな心配で此処に来たのね? 九皐さんも罪なヒトですわ』

 

『コウは人間じゃないでしょう? あと、何で私まで…』

 

『咲夜…時は至れり、よ。明日には用意が整う…そうよね? 八雲紫』

 

八雲紫、西行寺幽々子、アリス・マーガトロイド、そしてレミリアお嬢様が裂け目から続々と出て来た。

 

総勢八名、人妖問わず神社に出揃った面子の内、後から来られた四名は彼の足取りを掴んだらしい。

 

『これは異変よ…コウ様が行方不明なのは、今起こっている異変が原因と見て間違いありません。特例で、今回は異変解決者の補佐として、私を含めた四名が共に調査致します。事態は予断を許さない段階ですわ』

 

八雲紫の宣言に、全員は無言のまま次の言葉を待った。

三度目の異変には…これまでより多くの人妖が関わる事となる。

 

そして、異変の真相に近付いた時こそ…姿の見えぬ彼が現れるという事を、此処に居る誰もが感じ取っていた。

 

『場所は調べが付いていますの。迷いの竹林に居を構える…《永遠亭》こそが、此度の異変の黒幕よ』

 

 

 

 

 

九皐様…必ず見つけて差し上げます。

この十六夜咲夜が生きる世界には、貴方の齎らす温かな暗がりと心の光が必要なのです。

 

貴方の不器用な優しさに、お嬢様も、妹様も、美鈴も、パチュリー様も、小悪魔も…異変の折にどれだけ助けられた事でしょうか。

 

皆、貴方の帰りを待ち侘びています…もし、お帰りにならない理由が有るとするなら。

 

私が異変を解決した暁には…お戻りになって、頂けますか?







コウって…多分お馬鹿さんか実はボケてるのかもしれません。何千万年、何億年という年齢の元ぼっちなスーパーお爺ちゃんなので…暖かい目で見てあげて下さい。

やっと…永夜抄編まで来ました。
あれ、妖々夢編でも似た様な事を書いた気もします…すいません。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第四章 弐 臆病者の勇気

遅れまして、ねんねんころりです。
この場を借りて、皆様にお知らせが御座います。
永夜抄編から登場人物がかなり増えます、なので、話を纏めるのにかなり話数を割くと思いますので、予めご了承下さい。

この物語は超展開、独自設定、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

因幡に連れられて、天然の針山じみた竹林を迷わず進み続ける。入り口から此処までで半刻程の時が過ぎたが…前を歩く白兎は、取り留めも無い会話を切り出しつつ私の反応を常に伺ってくる。

 

中々に器用な兎だと感心するが、私の反応が一定で素気ない所為か…さしもの白兎も苦笑が多くなっていた。

 

『お兄さん…お喋りが嫌いだったらごめんよ? 歩いてばかりで退屈だと思って…』

 

何と、つまり彼女の半刻に渡る奇行は私に配慮した結果だと。随分と長い間、要らぬ気を遣わせてしまった様だ。

 

『すまない、君との会話はとても楽しかった。因幡…笑顔を尊ぶ兎の少女よ、ありがとう』

 

不器用に笑って見せると、彼女は満面の笑顔で返してくれた。因幡は安心したのか、頭に備えた白く柔らかな耳を愛らしく跳ねさせている。

『ど、どうって事無いよこれくらい! ほら! もう永遠亭に着くよ! 直ぐそこだからさ!』

 

照れ隠しなのか、因幡は赤らんだ顔も構わずに先を行く。

やがて視線の先に、古風な和風建築の屋敷が窺えた。

 

竹林の中に佇む、広大な土地に建てられたソレは…古びた様子は微塵も無いというのに、楽園の中でも歴史有るモノだと一目で分かる。

 

『ご苦労様! 中を案内する人は後から来るから、庭を見物でもして待っててよ! それじゃ、私は他に用があるからこの辺で、またねー!』

 

小柄な兎耳の因幡てゐは、簡潔に別れを告げて竹林の何処かへと走り去って行った。

 

申し出に(あやか)り、手入れの行き届いた庭園の池や木々を眺めていると…屋敷の中から一人の女性が現れた。

 

灰銀の長髪、陽に照らされ輝く瞳…この世の物とは思えぬ美麗さの彼女は…、

 

『ーーーー私の顔に、見覚えはありますか?』

 

『……何故だ』

 

私は今、到底理解が及ばない状況に晒されている。

ーーーーあの日、あの時、忘れろと固く言い含め…逃した筈。

 

去って行く背に私は二度と…君に、月に関わるまいと誓った。君に禍を齎さない為、心から安寧を願い見送った。

それでも彼女は、私と三度目の邂逅を果たしてしまった。

 

『何故…また私に、我に逢ってしまったのだーーーー、オモイカネ』

 

変わらぬ美々しさに艶やかさを湛えた彼女は、かぶりを振って口を開いた。

 

『君は君の進んだ道を、決して振り返ってはならない』

 

『……!』

 

それは彼女を諭す為に、忌まわしい過去を捨てろと思い告げた言葉だ。彼女の微笑みは…遠い昔から今も輝きを失わず、私に真っ直ぐ向けられている。

 

『私は、自分の道を自分で選びました。後悔したとすれば…たった一つだけです』

 

オモイカネは、月を自ら離れたと言う。私の知らない理由も有るだろう…楽園に落ち延びた彼女は、何を悔いているのか。

 

『…幼かった私を、あの時救ってくれた貴方を助けられなかった。何千、何万年経とうとも…忘れる事なんて、出来る訳無いじゃないですか…!』

 

それは歓喜か、悔悟か…笑いながら涙ぐむ彼女に近寄り、変わったお互いを確かめる様に目元の雫を拭う。

 

『いつまでも…泣き虫な娘だ。道に迷わなかったなら、泣く事など無いだろうに』

 

『だって…もっと話したい事が、一杯有ったんですよ…! それに、今はオモイカネじゃありません。手紙にちゃんと、名前を書いたおいたでしょう? 私は…私は…!』

 

彼女は…八意永琳は私の胸に飛び込み、力の限り抱き竦めてまたも泣き始める。

 

震える少女の肩を抱き…泣き止むのを待ってやる事数分。

彼女は僅かに赤腫れた眼を擦り、此処で再会した時の凛然とした空気を漸く取り戻した。

 

『…ごめんなさい。迷惑、だったわよね…』

 

『馬鹿を言うな。お前を迷惑に感じた事など、一度として無い』

 

『ありがとうーーーーそういえば、貴方の名前を聞いていなかったわね。今度こそ、ちゃんと教えてくれる?』

 

彼女と過ごした時間は、どれも得難い幸福なモノだったが…確かに私は、名乗った事が無かったな。

と言っても昔の私は、己を表す名前など持っていなかった…九皐という名は楽園に初めて来た時、紫が与えてくれたモノだから。

 

『勿論だ…私の名は九皐、《深竜・九皐》という。呼び難ければ、コウと呼び捨ててくれ』

 

『九皐…ふふっ、やっと聞けたわ。私も改めて名乗ります、八意永琳よ。ようこそ永遠亭へ…コウ』

 

何の前触れも無く、私と永琳は視線を交わし笑い合う。

私のソレは慣れないものだが…彼女の笑顔は、やはりとても美しい。永遠を約束された、汚れを知らぬ乙女の微笑みとは…言葉に出来ない儚さと麗しさを帯びている。

 

『さあ、屋敷を案内するから付いて来て頂戴。コウに紹介したい娘達がまだ居るからーーーー』

 

永琳ははしゃぐ子供の様に、私の手を自然と握ってくる。しかし…彼女は突然手を離し、顔を真赤に染めて狼狽えていた。

 

『ご、ごめんなさい…! 変よね!? いきなり手を握ったりして…もう子供じゃないのに』

 

『残念だ。私としては、君の滑らかな手を堪能したかったが』

 

『もう! からかわないで…!』

 

身体ばかり育っても、私からすればまだまだ若い。

彼女の拗ねた仕草に年寄り臭い感想を抱いていると、屋敷の玄関辺りに隠れている気配を見つけた。

 

『永琳…彼処に隠れているのは、君の知り合いか?』

 

『え…?』

 

永琳も私に促されて同じ方向を見やると、今更見つかった事に気付いた二つの影が走り去ろうとする。

 

『姫…《鈴仙(れいせん)》…待ちなさあああああいッッ!!!』

 

『ヒィ!? だから止めようって言ったじゃないですかぁ!?』

 

『今更遅いのよ! 良いから走りなさい、うどんげ!!』

 

凄まじい速度で姫、鈴仙なる人物を追いかける永琳は、瞬く間に捕獲した二人の少女を私の前に放り投げ…怯む彼女等を庭に正座させて説教を始めてしまった。

 

一頻(ひとしき)り説教を受けた姫、鈴仙と呼ばれた者達は、死んだ魚に似た眼でふらりと立ち上がる。鈴仙という二人目の兎耳の少女は永琳と共に私の案内を、姫なる娘は部屋に戻ると言って立ち去って行った。

 

『うう…酷いです師匠』

 

『つべこべ言わないの。彼は大切なお客様なのだから、姫は兎も角として貴女は付き添いなさい』

 

『何でそんなに扱いが良いのですか? 確かに、力の有りそうな妖怪さんですけど…』

 

永琳の眉間が険しく寄って行く。当の鈴仙という娘は失言と取られたのを察して明からさまに顔が青ざめた。

私は気にしないのだが、永琳を制するには手遅れだった。

 

『鈴仙…? 彼は私など足元にも及ばない。謂わば別格よ、疑うのなら覗いてみなさい』

 

『そ、そんな…今でさえ神霊クラスなのに抑えてるなんてこと』

 

『私の弟子ならばもっと気配の奥底を綿密に探りなさい、未熟者』

 

実に厳しい発言だ…見た所兎耳の彼女は妖力だけでも永琳の二割にも満たない。やり様によっては妖夢や魔理沙と渡り合える位だが、観察力に未だ難がある。

 

『ヒィ!? す、すいません…で、では失礼します』

 

発展途上と評せる鈴仙に直ぐに気づけというのは、中々に苦しい問題だが、彼女は妖力と気配を鋭敏に研ぎ澄まして私を見詰め始める。

 

『……!? うそ、いや…でも、あわわわわ…ッ』

 

集中すれば、私の内側を垣間見る事は出来たらしい。

永琳に備わる妖力は、紫や幽香と比較しても…二人には申し訳無いが三倍近く有る。

 

能力を加味すれば平均値は変わるが、単純に存在の密度が億単位を生きた永琳の膂力(りょりょく)だけでも規模が違う。

 

仮に、妖怪として最高峰の紫を百の基準値とする。永琳ことオモイカネは神としての格は全体の中間程度…神の格とは概ね強さに直結する訳だが、月を離れて地上の穢れにある程度触れている事も加えて、億単位の年月を生きても紫の三倍の三百とする。

 

永琳の内包する力の総量と、私の二割の力では私が四段階は上と見る。紫が百なら永琳は三百、永琳に対し現状の私は千二百と誠に雑だが、大体この様な値が導き出される。

 

『な、ななな何ですかコレ!? こ、腰が抜けそうなんてレベルじゃーーーー!? あ…』

 

突如、膝が震え後退った鈴仙がそのまま昏倒してしまった。私の中身を深く探り過ぎた所為で意識が保たなかったのだろう。引き際を見極められないのも、未熟者と謗られる所以か。

 

『お馬鹿ね…八百万の神々が束になっても彼一人に歯が立たなかったのに、真正面から覗くだけ覗いて倒れるだなんて』

 

当時と言っても随分前だ…人々の信仰が高まり極まった全盛期の神々を例に挙げたのだろうが、倒れた彼女の耳には届かない。

 

『月夜見は《法界(ほうかい)の闇》と大層恐れていたわよ?』

 

『何だそれは…法界とはまた過分な評価だな』

 

法界とは即ち全世界、全宇宙という意味だ。奴らしい短絡的な例えだが、過去私と相対した神や神霊が軒並み口走っていたのは覚えている…奴が発信源だったのか。

 

『それでも過小評価なくらいよ…空間を移動するどころか、位相の違う世界を片手間で渡れるなんて。案外、コウは外宇宙の産まれかもしれないわね?』

 

彼女の話の内容は半分も分からないが、自分が今居る場所で浮いている事は昔から感じていた。

 

神も悪魔も、何と矮小で愛おしく戯れつくのかと…若かりし頃の私は尊大な感想を抱いていた。出来れば忘れたい過去の一つなのは言うまでも無い。

 

『しかし、このままでは体を冷やすな…うむ』

 

珍妙な格好で倒れ臥す鈴仙を担ぎ上げ、永琳に視線を送って先を促す。彼女は頷いたが、憮然とした様子で足早に向かって行ってしまった……何故だ?

 

 

 

 

 

二人と一匹で屋敷の廊下を歩き、鈴仙の部屋と思しき場所に永琳は立ち止まって(ふすま)を開いてくれた。

淑女の部屋に入るのは気が引けたが、本人が意識不明なのでは致し方無い。

 

鈴仙を敷かれたままの布団へ横たえさせ、一先ず肩の荷は降りた。そのまま部屋を後にし…今度は客間らしき広めの一室に通され、二人で向かい合わせに腰を下ろす。

 

『怒っているのか?』

 

『怒っていません…少し不機嫌なだけです』

 

この調子だ…全く女性という生き物は度し難い。

見えぬ所で相争う様は、端からは微笑ましいが…自分が原因なのではと考えると気が気で無い。

 

ましてや、私にはその要因が皆目分からない始末だ…どうしたものか。

 

『あの兎の少女とは、何処で出逢ったのだ?』

 

『………百年ほど前、月の都で様々な利権を巡った戦争が有ったのよ。月にも私の弟子達は居るから、その娘達から事前に聞き知っていたけれど。鈴仙は、戦争が本格化する前に逃亡した月の兎…《玉兎》の一人だった』

 

玉兎…古の時代から、人間には《たまうさぎ》、《ぎょくと》または単に月の兎等の呼び名で知られている種だ。

 

鈴仙が玉兎の生まれなら、月での扱いは衛士か先兵といった辺りか。

 

『鈴仙は、兎の中では特に優秀な娘だったようだけど…月の弟子からは臆病で自分勝手だと評されていたわ。きっと逃亡した事実を皮肉っての事でしょうけど…確かに、鈴仙はかなり怖がりね』

 

『持って生まれた性格の問題ではないか?』

 

『加えて月の出身でない者を見下す悪い癖も抜けなくて…どう育てたものか、かれこれ百年は悩んでる』

 

月の民の多くは、選民思想が生まれた時から刷り込まれている。穢れに満ちた地上の者は皆下等な存在であると。

 

永琳はその中でも特に智慧に秀でた娘だった故、そういった先入観は無い。だが、尋常な者はそうも行かない。

 

私を貶めた月の上役共が最たる例だ。普遍という概念に取り憑かれ、異端を嫌い、結果は月への移住と閉鎖的な社会の擁立が如実に物語っている。

 

『私は、それだけでは無いと感じる』

 

『何故かしら?』

 

『彼女に渦巻く負の因子は…他者に対する恐れ、その原因は…己と現実の齟齬、自らを卑下する心ーーーー』

 

永琳は瞠目し、身を乗り出して私に顔を近付ける。

潤んだ唇と鮮やかな瞳が実に扇情的だが…表情には驚愕や計り得ない思惑が滲んでいた。

 

『コウ…お願いが有るの』

 

『……ああ、聞こう。お前にとって、幸福に繋がるならば』

 

『ありがとう…お願いというのはね、鈴仙に教えてやりたいの。自力で何かを選択する意思や、困難に立ち向かう為の心構えを』

 

漠然とした内容だが、彼女の言わんとする事は察しが付く。永遠亭側にしてみれば余所者の私だが、永琳の助けになるなら否は無い。

 

『具体的に…私は何をすれば良い?』

 

『鈴仙と話して、自然体で良いの。貴方ならきっと…上手くやれる』

 

徐ろに、彼女は私の手を取って横顔に触れさせた。

彼女は目を閉じ、頬と掌の温もりを互いに伝え合い…柔らかな笑顔で語り続ける。

 

『私は…貴方の残してくれた言葉のお陰で、姫を護りながらも幻想郷へと辿り着けた。幾星霜経とうとも…貴方は、私のーーーー』

 

『ありがとう…オモイカネ。あの日、失意に沈む私の為に涙してくれた君は…今も尚輝きが色褪せない。君とまた逢えてーーーー私はとても幸せだ』

 

はにかむ彼女は美しく、何にも勝る一つの光明に他ならない。

 

淀み切った私の過去に…希望という星が掲げられたのは、君が楽園に居てくれたから。ありがとう、永琳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 鈴仙・優曇華院・イナバ ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深淵を覗き見た。果ての無い、無限に広がるとされる宇宙さえ霞む…銀光を放つ真なる闇を。

その中で唯一人座に在った…黒い黒い竜を幻視した。

 

『ぁ…私の、部屋…』

 

目が覚めた時、私は身体の震えに気付いた。暖かくて、包み込む様な闇の気配は…心地良すぎるからこそ怖ろしい。

 

臆病な自分は大嫌いだ…なのに深淵に座す竜は、私を眩く尊いモノであるかの様に、愛おしげに見守っていた。

 

『アレは…あのヒト、なんだよね』

 

あの竜は、果たして竜と呼んで良いのだろうか。姿形の刺々しさ、禍々しさは正しく竜だが…それは彼の見て呉れを例えただけではないのか。

 

私には、もっと大きなモノに見えた。

一つの世界? 違う。 一つの宇宙? 違う。言葉で表すなら、無限に連なる世界を内包した何か。そうとしか…私には思えなかった。

 

『師匠は別格って言ったけど…別次元だよ。持ってるモノの大きさと密度が、桁外れ過ぎる』

 

きっと…きっとあれだけの力が有れば、私の感じる恐怖や悩みなんて、砂つぶ程の価値も無いんだろうなぁ。

 

『すっごく…惨めだな。弱いって、怖いって…思う自分がこんなに汚く見える』

 

『汚くなど無い』

 

襖が不躾に開かれ、私の前に現れたのは…大きな竜が小さく化けたヒトだった。

 

『ヒィ!? な、なんですか? や、やめて! 食べないで!』

 

『食べないぞ…私は、食べずとも生きていられる』

 

食べなくても…って、じゃあどうやってそんなに強くなれるんですか。食事はまず生きる為に不可欠なんですよ? デタラメにも限度があります…!

 

あと自然に隣に座らないで下さい! 緊張し過ぎてまた倒れますよ!?

 

『私は、負の要素を持つあらゆるモノを糧と出来る。体質、性質と言っても良い。だが…何とも味気無いものなのだ』

 

『え? 負の要素…良くないモノを含むなら、何でも?』

 

『そうだ、形も無いというのに…何処からでも吸い出してしまう。君や永琳の居た月などは、言ってしまえば天然の水飲み場だ…勝手に私の腹に収まるのだから、迷惑極まり無い』

 

場所も時間も関係無いって、どれだけ業腹なんですか。入れ食い状態なのに満腹にならないなんて…容量が多過ぎるんですよ。そうですよね…アレが正体だとしたら、それくらい訳無いですよね。

 

『時に、君は何故臆病なのか。是非教えてくれ』

 

『うぇ!? あ、ああ…師匠に聞いたんですね。私のこと、そのままですよ? 怖がりで、自分勝手なんです…だから月から逃げたんですよ、私』

 

自己完結した物言いの私に、彼は顎に手を添えて何か思案している。ほんと…やり辛いなぁ。

 

『ーーーーそういう意味では無い。私は、何故逃げる事を選べたのかと聞いている』

 

『だから…! 私が臆病者だからです!』

 

『自分の選択を、何故臆病者のする事と詰る?』

 

だってそうじゃないですか…兵士として訓練してきた玉兎が、戦いを前に逃げ出して! 臆病以外の何なんですか!

 

『逃げたからに決まってーーーー!』

 

『逃げるとは、それほど恥じ入る事なのか?』

 

『ーーーーッッ!! だって、仲間もいたんです…尊敬してる人もいたんです…全部置き去りにしたから! 臆病だって言ってるんですよ!! やめて下さいよ…混乱させないで…』

 

『臆病なのは、許せないか』

 

決まってますよ…誰も好き好んで逃げたんじゃない。殺すのも殺されるのも嫌だから…どんなに恥ずかしくて惨めでも、誰かを傷付けるよりマシだって思ったから…!!

 

『…だとしたら、君はもう充分強いという事になる』

 

私の心を見透かした口振りで、彼は淡々と喋り出した。

そんな訳無い! 逃げた奴が強いなんて、あり得ない!

 

『友を、慕う者を…君は置いて来たのかも知れない。それでも…死にゆく仲間、討ち殺した敵の屍を晒すよりは、臆病者でいる方が良いと…決めたのだろう?』

 

『…! そんな、カッコイイ理由じゃないんですよ。裏切ったのに覚悟が無いから、こんなに苦しいんです…!! 私が弱いから…!』

 

『力が有れば、戦えるのか』

 

無いより有った方が、幾らか気持ちも鈍感に出来ますよ…私に負ける奴は、弱いから死んだんだって。

 

『戦う覚悟は無いというのに、力が有れば覚悟は備わるのか? そんなに力が欲しければ、くれてやらんでもないぞ』

 

『何を…言って』

 

『力が覚悟を伴わせるなら、与えてやると言ったのだ。私の一部を譲渡しよう。さすればお前は、瞬く間に月の塵共を一掃し得る力を手に入れる』

 

なんで…そんな、そんな事したらどれだけの人が死んでしまうか。人が死んだら、それを悲しむ誰かだって居るのに…何で簡単な事みたいに。

 

『弱いのも臆病なのも嫌なら、幾らでもやるぞ。そうしてお前は、その力とやらに備わる覚悟でもって…殺戮の限りを尽くせば良い。お前を貶め、蔑んだ連中の頭を根刮ぎ吹き飛ばせ…それがお前の言う』

 

『やめてくださいッッ!!』

 

もう嫌だ…聞きたくない。私が間違ってたから、自分で選んだのに言い訳してるから…だから、人の古傷を抉る様な言葉を。

 

『鈴仙』

 

『………』

 

『君は、とても優しい娘だ』

 

『……な、にを』

 

先程まで酷薄な物言いだった彼は、私の頭をゆっくりと撫でて…子供をあやす様な仕草と温かい声で語りかけて来た。

 

『良く聞きなさい…君は、優しいのだ。戦わない事を選んだ君は、他者を傷付ける事を何より厭う君は…例え身勝手でも、臆病などでは決して無い。力を得るよりも、力を捨てる事の方がどれだけ難しいか…私は知っている』

 

彼の言葉は…気休めじゃない、慰めじゃない。

私を否定せず、かといって全てを肯定もしない。嘘じゃないんだ…このヒトは戦いから遠ざかった私を、私なんかをーーーー心から、褒めてくれたんだ。

 

『偉い娘だ…鈴仙。君は立ち向かったのだ…戦いを余儀無くされる定めから、身を翻し抗った。君が選んだ道は、決して間違いではない。身勝手でも良いんだ…傷付けない事を選んだ君の心は、どんな力よりも強く優しい』

 

『私…わだし…! そんな、そんなんじゃ…! うう、ひぐっ! そんなごど…だれもッ!』

 

堪らず、私の眼からは大粒の涙が流れていた。彼に気付いて貰えた気がして。分かって貰えた気がして。初めて認めて貰えた気がして…逢ったばかりの彼の胸に、私は無我夢中で飛び込んだ。

 

『ーーーーーーうわぁぁあああんっ!! なんで…! なんで…ッ! ぁああああああっ! うっぐ! ひっぐ!!』

 

『良く、今まで独りで耐えたな…泣いて良い。涙が枯れるまで泣いて良いんだ、我慢するな。君は、臆病なんかじゃ無いんだ…月より降りた、優しい地上の兎よ』

 

 

 

 

 

彼の胸の中で、どれだけ泣き続けていただろう。

我に帰ると羞恥心でまた倒れそうになるけど…反して気分は晴れ晴れとしている。

 

『ごめんなさい。もう、大丈夫ですから…』

 

頭を撫で続けていた彼は私を抱き起こし、目尻に残った僅かな涙を拭ってくれた。

 

『でも…やっぱり、時には戦わないと。立ち向かわないと、いけないと思います。大切な人の為に戦う勇気も…私の憧れる強さですから』

 

掌返しの様な私の言葉にも、彼は不器用に笑っている。私の細やかな決意を、ちゃんと言葉にするのを待っている。

 

『殺し殺されなんて、今でも御免ですよ…それでも護る為の戦いなら、自分が死ななければ何とかカタチになるかなって』

 

『うむ、大変難しい事だ。欺瞞と断じる者も現れるだろう…貫けるか? 道は険しく、一度挫ければ後は無い』

 

『逃げるのが悪い事ではないと…貴方は言ってくれました。だからもう少し、もう少しだけ、欲張りたくなったんですよ』

 

纏まらない私の話に彼は耳を傾け、真摯に聞き入れてくれる。それに、もう期日は迫っている…あと二日しか無い。決めるなら今しか無い、彼が私を認めてくれた今なら。

 

『古来より、百人の敵を討った者は英雄とされる。ならば、君の戦いは百人、千人、何れは数え切れぬ者を護る為のモノへと変わる』

 

『今は…三人か、四人くらいで精一杯です。皆私より強い人ばっかりですけど』

 

『正しく、勇者の辿る末路だ。簡単には死ねんぞ?』

 

『死にませんよ。死なない様に頑張りますから』

 

私の答えを聞き、彼は徐ろに天井を眺めた。遠い視線に宿る想いは計り知れないけれど…彼の口元は微かに緩んでいた。

 

『では…私も見守って居よう。君が(まこと)の勇気で、大切な者を護れる様に…心から祈ろう』

 

『ーーーーはい!』

 

この瞬間、私の胸の中のつかえが取れた気がした。

やってやる…困難は直ぐそこで、見えない魔の手を伸ばしているから。戦わなきゃ、もう二度と…大事なモノを置いて行かない為に。

 






唐突なコウ様スカウターが発動しましたね。
計算がどんぶり勘定なのは歳のせいか作者のせいか。

永琳の強さには諸説ありますが、この物語では以上の値となっております。

そして主人公…昔からゴ◯ラみたいな扱いだったようです。それと同時に暴れていた頃は漏れなく黒歴史認定。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第四章 参 事の始まり

遅れまして、ねんねんころりです。

異変が本格化するのはもう少し後の話になりそうです。
前話と今回は永遠亭側の人物の関係性を纏める内容ですので、霊夢側が出てくるのは次回以降となります。

この物語はだらだらとした場面転換、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、失礼します! 九皐さん』

 

『ああ、また夜に逢おう』

 

鈴仙は私用が有ると言うので、彼女の部屋を出てその場で解散となった。夕餉を馳走してくれると息巻いていた彼女は、去り際に毎日三食必ず摂れと言い残して駆け足で去っていった。

 

元が兵役の身故か健康を気遣う指摘は有り難いが、如何せん夕餉までには時間が空いている。廊下を渡って最初の庭先に戻ると、近くで何とも穏やかでない炸裂音と罵声の嵐が耳に入った。

 

『おらあああ!! 今日こそその首千切って埋めてやるわぁああああ!!』

 

『馬鹿ね! そんなデュラハンごっこ一人でやってなさいよバーカ!!』

 

幼稚な煽り合いを繰り返しながら、炎弾と光弾が絶えず衝突する。一人は、先程永琳に折檻されていた姫なる少女。最初に見た時は長く美しい黒髪と高貴な佇まいだったが、今や見る影も無く煤と煙と土塗れである。

 

もう一方は見知らぬ白髪の少女。見た目だけならとても可憐だが、既に何発か被弾していたのか彼女もまた土塗れで服は所々解れている。

 

『またやっているのね、あの二人。それで、コウ…鈴仙は?』

 

『何とかなった…が、用が有ると言うので廊下で別れた』

 

傍らに歩み寄って来た永琳と言葉を交わし、続けて眼前の争う二人を見物する事とした。

 

『もう一人の娘は、姫君の友人か?』

 

『腐れ縁みたいなものね…二人とも《不老不死》だから、殺し合いついでのスキンシップが多いのよ』

 

不老不死か…実際に出逢えるとは思っていなかったが、二人の服装や纏う空気は確かに現代的ではない。

 

楽園において外の世界の常識は当て嵌まらないが、それにしても服の意匠が古めかしい。

 

『もう千年くらいの付き合いね。会う度喧嘩して死んでから生き返るわ、庭中火の粉と穴だらけにするわで…もう』

 

それでも彼女が二人を止めないのは、やはり二人の問題であるのも含めて必要な関わりだと感じているからだろう。

 

『っしゃああああ! 私の勝ちぃ!やっと勝ち越したわ!』

 

『う、うぐ…うぐぐぐ』

 

どうやら二人の戯れ合いは終わった様だ。

白髪の少女は拳を天に突き上げて勝利を喜んでいる。対して姫君は身体に燻る火が消えないらしく、頭から煙を昇らせながらうつ伏せで呻く。

 

数秒の後には、焼け焦げていた筈の姫君は何事も無かったかのように立ち上がった。

 

『確かに、不老不死だな。豪快で結構』

 

『結構じゃないわよ…姫の能力で全部元に戻せるとはいえ、飛び火して屋敷が壊れたら堪ったものじゃないわ』

 

『うん? なんだ輝夜(かぐや)、男が居るじゃないか…まさか』

 

『違うわよ、例えそうだとしても願い下げ。永琳に殺されるもの』

 

姫君は死なない筈だが、永琳には何か秘策が有るのだろうか。兎も角、隣にいる彼女は顔を赤らめつつ姫君達に殺気を放っているので、宥める方法を見出さなくては。

 

『お巫山戯が過ぎますよ? 姫…?』

 

『はいはい、それより其処の、ヒト? じゃないわね。妖怪? 違うかも…ええと』

 

『庭で逢うのは二度目だな、名も知らぬ貴き姫君よ。私は九皐という…宜しく頼む』

 

私の挨拶を聞き届けると、彼女は右手を突き出して来る。細く嫋やかな指が実に美しいが…どうしろと言うのか。

 

『《蓬莱山輝夜(ほうらいさんかぐや)》よ。ねえ? 特別に触れるのを許すわ。手を取って、私を縁側に連れて行って頂戴…疲れてしまったの』

 

『あーあ…知らないわよ私は、こいつ男に褒められるといっつもコレなんだから』

 

『姫、辞めて置いた方が身の為ですよ』

 

白髪の少女と永琳の言葉の意味は判然としないが、彼女の手を取って縁側へ導けば良いのか。

 

『では、失礼する』

 

『ーーーーーーえいっ』

 

彼女の手を握った直後、指ごと掌を強く握り返される。別段力が強い訳でも無い、可愛らしい少女の力加減だ。

 

『え、マジか…ちょっと永琳、誰なのよこのヒト』

 

白髪の少女と、何故か目の前の姫君は驚愕の表情で私を見ている。問われた永琳は深い溜息を吐き、しかし得意げな表情で応えた。

 

『私が言えた事じゃないけど、不老不死が長いと気を読むのも雑になるのね。姫に握られて無事ってことは、そういう事。注意するけど、戦うなんて考えない方が良いわよ? 探れば分かるわ』

 

鈴仙に促した時と同じく、二人に向かって私を覗いてみろという話らしい。握られた手の意味が全く分からない私は、彼女等の視線に晒されている状況に任せるしか無い。

 

『おいおい…何処まで深いんだ? 底が見えないじゃない』

 

『見えないってより…底なんて無いって感じだわ。これ以上覗くのはヤバいわね』

 

私の内側を探る姫君の手は、心なしか汗ばんでいる様に感じる。鈴仙よりは(のめ)り込まずに済んだのは重畳だが、私が知る由も無い話題なのは変わらない。

 

『分かりましたか? 如何に姫と(いえど)も、礼は尽くすべきです』

 

『う、うん…分かった』

 

『こんな奴も居るのね…私や輝夜じゃ、アリンコと象くらい差が有るよ』

 

『正確に言えば…もし私と彼を比べても、てゐと姫くらい差があるわよ。勿論、彼の方が強いわ』

 

『ふむ…皆は強さの話をしていたのか。だが、その話と握られた手に関係は有るのか?』

 

全く蚊帳の外だった私に、永琳を含めた三者は三様の反応を見せる。白髪の少女は急に笑い出し、姫君の方は目を瞬かせている。永琳は…私に呆れ果てているのが分かる。

 

『はぁ…貴方は昔から、格下相手にもその対応だったわね。だから余計な恨みを神々から買うのよ?』

 

『力の強弱など、拳も交わさず競った所でどうなる。そんな物は、実際に勝った後か負けた後に考えれば良い』

 

私の無自覚が原因なのは彼女の言から察しはするが、かといって納得出来たかと言えばそうでも無い。そして永琳よ、若かりし頃の話はしてくれるな。

 

『スケールが違い過ぎて悔しがる気にもならないわ』

 

『あっはっはっはっ! 駄目だ!永琳でもてゐと同じって、無理無理! ぶっ! はっはっはっは!! 輝夜、ざまぁないわね!』

 

白髪の少女は何が面白かったのか、先程からずっとこの調子だ。庭を笑い転げた挙句、姫君も揶揄われているのに反論も出来ないでいる。

 

『個性的だな、この少女は』

 

『そうね…ちょっと変わってるの。あの娘は色々と特殊だけれど、気にしないで』

 

それは構わないが、未だ私と姫君の手は繋がれたままだ…所在無い事この上無い。とりあえず、姫君の足が疲れているならば付き添うより抱えて運ぶ方が効率が良い。

 

『縁側だったな』

 

『ふぇ? きゃっ!』

 

姫君を身体ごと腕に抱えて縁側へと歩いて行く。

天真爛漫な印象の彼女だったが…抱えられている今は借りてきた猫より大人しい。

 

『あ、う…はなしなさいよぉ』

 

『着くまで待て』

 

目的の場所まで弱々しい口振りの姫君を運び終わると、白髪の少女は持ち直した様子で私に話し掛けて来た。

 

『さしもの輝夜も形無しだったわね。結局恥ずかしがって部屋に篭ったみたいだし。改めて名乗るよ、私は《藤原妹紅(ふじわらのもこう)》…一応人間だ』

 

『宜しく。君も永遠亭の住人なのか?』

 

『偶に泊まらせて貰うだけで、永遠亭とは近からず遠からずよ。何百年か前に、竹林に小屋建てたから近場に住んでるけどね』

 

快活に笑う妹紅は、去ってしまった姫君とは千年以上の交流が有るという。姫君との浅からぬ因縁を窺わせる遣り取りから、深く追求するのは野暮というものだろう。

 

『九皐…さんは、どれ位生きてるんだ?』

 

『私の歳か…少なくとも、永琳が童の頃には齢数万程度だ。其処から先は数えていない』

 

『ひゃー…私の千年なんて豆粒以下じゃないか』

 

『独特な例えだ……まあ、年数など重要ではない。これまでにどう生きて、これからをどう生きるかが大切だ』

 

妹紅は目を見開いて、私の言葉の真意を噛み締めている様だった。何か不味い事を口走ったのか…それとも、

 

『ーーーーそうよね。どう生きるか、だよね…うん! 気に入ったよ! もし人里か竹林で逢ったら、また話そうな! じゃ、私はこれから行く所あるから…またね!』

 

縁側に座っていた妹紅は立ち上がり、術らしき力で生み出した炎の翼を広げて飛翔する。

 

不老不死の少女、炎の翼で竹林の奥へ飛び去る姿は…さながら不死鳥の如く雄々しかった。

 

『…皆、居なくなったな』

 

『コウ…』

 

『何を隠している…私には、話せぬ事か?』

 

彼女は直ぐには答えない。

次々と永遠亭に所縁の有る者が屋敷を離れ、此処には最早私と永琳、部屋に居る姫君しか残っていない。

 

不自然な点が多い…僅かな違和感だが、永琳が鈴仙に覚悟を求めた理由や、急ぎではない素振りを意識させながら足早に消えて行く妹紅、因幡。そして…私の行く先々に決まって現れる彼女。

 

私が鈴仙から読み取った負は、あの娘の懊悩だけではない。それに気付いているからこそ…永琳は私から目を離さないのだ。

 

『ーーーー月の追手が、私達を直ぐそこまで嗅ぎつけているの』

 

『……成る程な。しかし、楽園には大結界が施されている。月の眼とやらは結界を抜けて尚、君達を捉えられるのか?』

 

永琳だけではない、永遠亭には月から逃れた者が少なくとも二人…鈴仙と姫君が居る。彼女の言葉から憶測を重ねれば、月の上役共の眼が幻想郷に向いているとするのが妥当な線だ。

 

『時間の問題です。早ければ明日には、私達は奴等に捕捉されることでしょう』

 

月の眼から逃れる為に…永琳は何かを起こそうと準備している。幻想郷における異変と、その裏で推し進めるもう一つの何かを。

 

『異変を起こせば、解決者が此処へやって来るのは必至。それはさして問題ではないの…重要なのは幻想郷で副次的に起こす異変が終わる前に、私が月の干渉を跳ね除けられるかどうか』

 

『月の使者が楽園に入り込めぬ様に、術式を組み上げる時を稼ぐ訳か。異変はあくまで幻想郷側に悟られぬ為の餌だと』

 

話せば理解を得られる…という内容ではない。元を正せば、原因は月との蟠りを持つ永遠亭の面々に有る。

 

幻想郷は全てを受け入れる…裏を返せば、幻想郷が外部からの侵略や過ぎた干渉を受ければ、この前提は瞬く間に覆ってしまう。

 

万が一、月の民が楽園を顧みず永琳達と争えば…遠因となった彼女達は幻想郷の庇護を受けられない。孤立した永琳達は何れ月の刺客に捕らえられ、死なぬとなれば非道な実験台や下衆の慰み者とされるのは想像に難く無い。

 

『ーーーーさせぬ』

 

私が月で味わった苦々しさを…それさえ凌駕する悠久の責め苦を彼女等に与える等、誰が許すものか。

 

『月の干渉を防ぐ手立ては有るのだな』

 

『月からの通路を閉じる術を使うわ、術式も既に完成している。明後日は丁度満月…月の全面が出て初めて条件が揃う。術を行使してから完了までは私でも半日掛かるから、どの道足止めが必要ね』

 

術中の経過として、幻想郷から見る月の姿はこれまでとは違う趣となる筈。時間稼ぎにしても、異変解決者を相手取る中で完遂するのは困難を極める…となれば。

 

『では、君が事を為す迄来客の気を引くとしよう。決行が二日後なら…私も此処で待つ』

 

『幻想郷には一時的に結界を張って置くわ。それを解決者に調査させている間に月側の路を断つ…ごめんなさい、私達の身勝手に貴方を巻き込んで』

 

『案ずるな…君達が楽園に在りたいと願うなら、私は協力を惜しまない』

 

月の者共に勝手はさせぬ。地上へ降りた彼女等の事情がどう有れ、楽園を漁られた上傷物にされるのは全く以って不快だ。

 

此度の異変の表と裏…表は幻想郷に裏を気付かせぬ事。裏は永遠亭の平穏と安寧を護る為。そして楽園の在り様を歪ませぬ為。

 

二日後の夜…私も異変の片棒を担ごう。永き夜の宴には、私自身も切って捨てられぬ思いが有る。

 

許せ、友よ…我の過去、忌まわしき中にも希望の灯る在りし日が、彼女等を助けよと強く囁く。

 

見捨てる事は出来ない…此処には、失ってはならないモノが溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 蓬莱山輝夜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『なんなのよ…調子狂うわね』

 

部屋に敷かれた布団に飛び込み、抱き上げられた自分を反芻する。今まで言い寄られこそすれ、誰も彼も私の外見や地位だけを目当ての者しか居なかったのに。

 

アレはそういうのでは決して無かった。永琳に窘められて彼の内側を見た時は藪蛇を突いた心境だったけど、彼は快く私を運んでくれた。

 

『もしかしたら…失敗するかもしれないのに』

 

二日後の異変を前にして私の心は無関係な事柄に…そう、浮かれていた。ごつごつとした、大きく温かな手が私に触れて…初めて胸の高鳴りを自覚した。

 

『こんなんじゃ駄目…妹紅に揶揄われて反論も出来ないなんて、どうかしてる。気の迷いよ、きっとそう』

 

言葉とは裏腹に、不謹慎な動悸は治ってくれない。

深淵に包まれた…心地よい闇に身を委ねている様な感覚、彼の胸板の逞しさに、どうしようも無く掻き乱される。

 

『永琳も、そうなのよね…付き合い長そうだったし』

 

しかし、彼には分からない事が多過ぎる。敵では無い…むしろ慈しむ視線さえ放たれていた。

 

奥底に眠る彼の本質を捉えるには、存在の密度…距離みたいなモノがとても邪魔に思える。

 

『今更こんな気持ち…誰かに抱くなんて、最悪』

 

彼の不器用そうな笑顔が頭に焼き付いている…もう少し、もう少し待って欲しい。せめて異変が終わるまでは…過去に一先ずの決着をつけるまでは。

 

浮かんでは消える彼の姿を夢想していると、不意に襖の向こうから声が聞こえた。

 

『姫様? お夕飯が出来てるってよー?』

 

この声は、てゐね。軽い口調と跳ねる様な声音が彼女だと確信させ、気怠い身体を起こして彼女を迎える。

 

『分かった…今行く。そのーーーーアイツは?』

 

『あいつ? ああ! お兄さんね、お師匠が言うにはあのヒト…泊まり込みで異変に参加するみたいだよ? 詳しい事は食べた後に話すってさ』

 

『そう…なんだ。ふうん、ま、別に良いんじゃない?』

 

予想外の彼の逗留に、あからさまに喜んでいる自分がいる。目の前の兎の反応から悟られてはいないみたいだけど…平静を心掛けていないと、自分が思わず迂闊な事をしそうで油断ならない。

 

『にしても不思議な空気持ってるよねー、お兄さん。気配は真っ黒なのに、あったかいって言うか…うん! 大きいね! 器? ってやつ』

 

物言いは間抜けっぽいけど、そうかもね。野生の本能ってやつかしら…当たりよ、てゐ。

 

『さあ、行くわよてゐ。折角イナバが作ってくれた料理が冷めちゃう』

 

『はーい』

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 藤原妹紅 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

永琳に言われた通り、竹林の周辺見回りと御札を貼り終えて…今は永遠亭に向かっている。

 

月の奴らが来たら、輝夜達だけでなく私まで連れて行かれる可能性が有ると言う。此処での生活は私も満更でないから、拉致されて実験台にされるのは御免だ。

 

『明後日には異変開始だな…輝夜達と組むなんて、意外だったけど』

 

一人で生きてきた時間が長かった所為か、明日こそばゆい感じがする。新入りの顔も拝めて有り難い言葉まで貰ってしまった。

 

『これからをどう生きるか…ね。重みあるなぁ』

 

独りごちる私に応えるモノと言えば、虫の音と月明かりくらいのものだ。迷わず永遠亭へ進みながら、九皐の言葉を復唱する。

 

彼の存在は大きい…見た目もそうだが、抱えているモノが兎に角果てしなかった。私など及びも付かない長い長い時間を生きる彼の言葉は、簡潔明瞭にして含蓄のあるモノだった。

 

『あの場に居たって事は…手伝ってくれるって事よね』

 

私達の異変はともすれば、幻想郷には迷惑でしか無い事情を孕んでいる。此処に残りたいが為に、月の干渉を今後寄せ付けないのが目的の戦い。

 

《蓬莱の薬》と呼ばれた秘薬を飲んだ私、輝夜、永琳のそれぞれの利害が一致した結果、異変解決に乗り出す者を足止めする必要が有る。

 

見回った先々で御札を貼って罠を仕掛けたのもそう。失敗したら後も無ければ先も無い。

 

『最初の三百年は、死にたくて仕方なかったのに。現金な性格だよね』

 

潔く月に行くには、捨てられない思い出や愛着を持ち過ぎた。これまでには起こらなかった変化に戸惑いつつ、私の決断は早かったと思う。

 

夜に浮かぶ月は、二日後には満月となる。永琳が術を敷く間、残りの面子はそれを死守する。簡単に纏めたが、難しいのは分かっている。

 

『それでもやらなきゃね…これからを生きたいもの』

 

詳しい話は、恐らく夕食の後にでも改めてされるだろう。月の連中に好き勝手されて玩具に成り下がるのは嫌だ…どうしても嫌だ。

 

輝夜と殺し合って、永琳に怒られて、てゐや鈴仙に馬鹿話として披露する日常を…壊されたくない。

 

だから、彼は彼処に来たのかも知れない。手紙で呼んだって聞いたけど…助けてくれるならどれだけ心強いか。

 

『大暴れするだけして、出来るだけ困らせてやるわ』

 

視線の先には、見慣れた屋敷が映り始める。

彼はまだ居るのかな…覗き見た力だけでも、月に対抗するには充分に感じたけど。

 

あと二日…二日しか無い。爛々と輝く月を見上げれば、今宵のソレは何時になく嘲笑っている様で、不意に奥歯を噛み締めた音がやけに遠く聞こえた。

 

(あんた)に必ず吠え面かかせてやるから、心してやって来なさい。自分達の居場所は、自分達で勝手に決められる。見も知らぬ連中に…いちいち口出されて堪るもんか』






輝夜や妹紅のキャラクター性が掴めず、難儀しておりましたが、悩みつつも止まれない現状にどう向き合うのかを書いてみました。

長々と続く永夜抄編ですが、一番の見せ場はやはり主人公が務める事となりそうです。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第四章 四 開幕

日が空いて申し訳ありません。
ねんねんころりです。永夜抄自機組の場面をどう差し込むか、苦心した末に三日もかかってしまいました…言い訳してすみません。

この物語は度々の場面転換、稚拙な文章、超展開による御都合主義、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

那由多の昔、何も無い場所で私は産まれた。

悠久の昔、自分が一つの命だと知った。

 

 

遠い昔…月の表の中心で、炎の槍が私を貫いた。

痛みなど有る筈も無かった…何故ならこの身は、遍く力という負を内包するが故に。

 

まず感じたのは憎悪。怒り叫び、ただ宇宙(そら)の果てで暴れ狂った。拡大し続ける世界の片隅で、新たに生まれる次元の端で、万象一切を闇に還そうとさえ思っていた。

 

しかし出来なかった。躊躇いが動きを鈍らせ、悲嘆が憤怒を凌駕した時、脆弱な単一の世界に何時まで期待するのかと自らを嘲笑った。

 

無限を越えた無限の領域で、座っていただけの貴様に何を怒る道理が有るのか…裡に眠る深淵(おのれ)が止めたのだ。

 

お前が何者なのかを忘れるな…負の総体と疎まれ、埒外の者と誰もが恐れた、不浄の竜こそ本来の姿。

だからこそ正しく在れ、清く成れ…縦横無尽に連なる存在(せかい)は、生まれた時からこの手に収まる大きさと強度しか持ち得無い。

 

夢幻(ゆめまぼろし)の如き一粒の硝子玉(がらすだま)が世界の全てだ。握れば壊れ、二度と元には戻らない。

 

故に不要なモノだけを選り分けて、我が身の中で無色にしよう。いつかそれ等が、価値ある何かに変わると信じているから。

 

 

 

 

 

 

『またか……同じ夢を何度見れば気が済むのだ』

 

自らを俯瞰する夢、寄る辺無き過去の私を戒めた夢。不確かで取り留めが無く…だからこそ胸に刺さるモノが有った。

 

一つ確かなのは…眠りこけていた場所は永遠亭の客室で、自分が眠るという行為をしたのは楽園に来てこれが初めてだという事。

 

眠らずに過ごせるのも、食事も摂らずに生きられるのも幸運だが…味気なく情緒に乏しいのが悩ましい。

 

永遠亭で過ごして早三日。思えば自宅の手入れにも戻らず、呑気に食客じみた扱いで居座っていたが…若しかすれば私が不在の間に誰かが訪ねてきたやも知れない。

 

『とはいえ、未だ動くべきでは無い』

 

異変が始まれば、嫌でも竹林の何処かで見える事になる。今回の私は異変を遂行する側だ…異変の陰で暗躍した経験は三度と多いが、長引かせる為に出張るのは初となる。

 

『おはようございます! もう起きてますか?』

 

『ーーーーああ、起きているとも』

 

声に応えて閉め切られた襖を開けると、鈴仙が和かな表情で待っていた。一昨日とは別人の様な晴れ晴れとした顔付きから、彼女の隠れた成長が(うかが)えて喜ばしい限りだ。

 

『いよいよですね…決行は夜になります。師匠が作戦の内訳を説明されるそうなので、一先ず居間へ移動しましょう』

 

『分かった。心して臨むとしよう』

 

凛とした早朝の空気の中、群青の空に残る月を一瞥して歩き出す。何も変わらない幻想郷の一日は、水面下で起こる事柄には目もくれず…始まりを告げる陽光を湛えていた。

 

 

 

 

 

『おはよう…今夜、かの秘術を用いて月の追跡を振り払うけれど。皆にはそれぞれ指定した配置のまま変更は無いわ。強いて言えば』

 

永琳の呼び掛けに、集まったのは総勢五名。妹紅と私は正確には永遠亭の構成に含まれないが、妹紅は不死者故、私は私の動機で参加する事となる。

 

『私か…差し支えなければ、君か姫君の代わりに屋敷の前で待とうと考えている。良いか?』

 

『貴方の御力が有れば、負ける事は無いでしょうが…加減はして下さい』

 

『ヒヒヒヒ、月の連中を追っ払う前に竹林が吹っ飛んだら元も子もないウサ』

 

因幡の様子が最初に出逢った時とは違うが、異変を控えて何か企てが有るのか(すこぶ)る上機嫌だ。対峙する者は私の友人なのだが、因幡なら上手くやってくれる…と信じる。

 

『てゐと私が東西に別れるんでしたね。勝ちますから、師匠』

 

『ええ、期待しているから…余計な怪我はしないで頂戴』

 

鈴仙の物言いは、自信というよりは決意といった想いが伝わって来る。彼女にとっては実戦に萎縮する面も有るだろうが、朝の様子を見るに大丈夫だろう。

 

『私と輝夜は北と南か…私が南側だったから、正直仕掛けの準備に手間取ったよ』

 

『ヘマすんじゃないわよ? あんたにとっても大事な局面なんだから』

 

『分かってるわよ! こっちは心配無用だから、輝夜は能力の制御とスタミナ切らさない様に考えときなさいよ。馬鹿力でも体力無いんだし!』

 

意気軒昂なのは頼もしい。二人が護っているなら、南北側も心配は無い…もし取り零しが何処かで起きても、私が其方へ回れば事足りる。

 

『では次よ…コウには確実に異変解決にやって来る人物の特徴や、手の内を予め聞きたいわ。お願い出来る?』

 

『今までなら断る所だったが、内容が内容だからな。私の知る限りで良ければ、まずはーーーー』

 

簡潔にだが、この場に集った面々に霊夢、魔理沙の二名の情報だけは語って聞かせた。

 

これまでに起きた異変の事も織り交ぜて、現状の楽園における勢力図や主な代表者も名前だけは教えたが…各々の関心は一様に博麗の巫女である霊夢に集まった。

 

『あらゆる物事から浮く能力ね…それを使われたら、足止めはほぼ不可能に近いわ』

 

『あら? 私の能力を忘れたの?』

 

ふと、席を囲んで私の左側に座っていた姫君が得意気な調子で永琳に声を掛けた。

 

『そうでしたね…使われたら不味い能力も、使われる前に停めてしまえば問題は無い…という事ですか』

 

永琳だけに心当たりが有るのでは無いらしい。

此処に居る全員が、皆姫君の能力を知っている様だ。彼女は整った顔立ちに自信と確信を滲ませ、高らかに言い放つ。

 

『博麗の巫女が来ても、能力を使って《停滞》させるわ! 外からの干渉を受け付けなかろうと、私の《永遠》には通用しないって事を思い知らせてあげる!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コウ様の足跡を辿れなくなって、三日目の夜を迎えた。

昨晩から沈まない《偽りの月》は、夜を主な活動時間とする妖怪には不気味なことこの上無い。

 

加えて《迷いの竹林》の最奥には何者かが展開した結界が、来るなら来いと言わんばかりに隠蔽もされぬまま気配を放っている。

 

『永遠亭…遂に奴らも異変を起こしたわね』

偽りの月、竹林の結界…これより想起された人物は、嘗て一度だけ邂逅した元月の民達に他ならない。

 

事態を重く見て私に接触してきた何名かの人物と、あと行きずりで拉致したアリスを伴って博麗神社に赴けば…示し合わせた様に霊夢、魔理沙、メイド、半人半霊が揃っている。

 

『異変…こんな時に、厄介ですね』

 

『そんなもんだろ? 紫が前もって知らせてくれるだけマシさ』

 

『二人一組ねえ…それだけ面倒な奴らって事よね』

 

『……』

 

彼が行方知れずになった事は、幻想郷の主だった者に少なからず違和感を与えている。異変の兆しと対抗策を簡潔に説明した現在は、神社の境内で八名もの人材が一堂に会している。

 

『私は霊夢と、レミリアは当然メイドさん、妖夢も幽々子と組んで貰います。あ…魔理沙はアリスとね』

 

『なんで私達は余り物みたいな言い回しなのよ…』

 

『妥当な采配ね。まあ、お互いの手の内が分かっていれば連携も容易でしょうし』

 

『妖夢と異変解決なんて、わくわくするわぁ』

 

個性的な面々を纏めるのは全然容易では無いのだけれど。藍や橙が式とはいえ如何に扱いやすいか痛感する。

 

『四方から竹林を包囲し、対応してきた者を各班で撃破。勿論スペルカードルールが望ましいけど…恐らく』

 

『なんでしょうか? 気にかかる事でも?』

 

『つまりいつもと変わらないって話だろ? 早く行こうぜ! 南側は距離も近いから頂きだ!』

 

『あ! ちょっと!? 連れて来といて置いてかないでよ!』

 

いの一番に箒に跨り、魔理沙は竹林へ飛んで行った。アリスも何だかんだと文句を言うものの、彼女が心配らしい…だから攫ってきた訳だけど。

 

『咲夜、私達は東から行くわよ。魔理沙はああ言ったけど…一番楽なのは東で間違いないから、今は付いてらっしゃい』

 

『はい! お嬢様!』

 

レミリアと咲夜は宣言通り東側の経路へ消えて行く…あの吸血鬼の能力でもう少し探りを入れて欲しかったけれど、アレにはアレの思惑が有るのね。口振りから異変が起こる事は以前から察していた様なのが気に入らない。

 

『幽々子様、私達は西へ行きましょう。一番遠いですが、先生の探索も兼ねて広い方へ行きたいのですが』

 

『良いわよー? じゃあ紫、お先に失礼するわね』

 

かくして、境内に残ったのは私と霊夢のみとなる。概ね予想済みとはいえ…やる気が有るのか無いのか、眼前の巫女は髪を掻きながら茫洋としている。

 

『なんかさ…嫌な予感するのよね。仕方無いと言ってもレミリアが関わってるのも気になるし、あんたもそれがあるからさっきは全部話さなかったんでしょ?』

 

どれだけ呆けていようが、博麗の巫女は伊達では無いと言うべきかしら。黙っていたのは、異変を調査した先に…最も困難な相手が待ち受けていると確信がある為だ。

 

『北を取れたのは僥倖よ…南と同じかそれ以上に強い気配が感じられる。そして中心には』

 

言い淀む私に、霊夢は何も言わず待っている。

意を決し、核心を伝える自分の声は…これまで経験した事が無いくらい震えていた。

 

『コウ様が…異変に加担している可能性が高い。何をお考えなのか、私にも分からない』

 

『……最悪ね。冗談だとしたら笑えないわ』

 

そうだったらどんなに良かったか。彼の気配は永遠亭から全く動いていない…何らかの理由で異変を見届けるのだとしたら、私に断りも無いのはおかしい。

 

然るに答えは二つに一つ、拘束されているか自分の意思で残っているか。拘束など有り得ない…彼は一際異質なのだ。幻想に生きる数多の存在の中で、能力の強さ、力の密度は神をも及ばぬ…正に頂点に位置するのは疑うべくも無い。

 

『行くわよ、紫。気は進まないけど…誰が相手でも異変は終わらせる。良いわね?』

 

『ええ…そうね、どの様な形であれ異変は解決すべきモノ。例外は有りませんわ』

 

コウ様…貴方が何故其方側なのか、今の私には理解出来ない事ばかりです。しかし…貴方が必要と見做して留まられているならば、それを責める事は致しません。

 

ですからせめて…貴方の声で、言葉で、真意をお聞きしたいのです。コウ様にそうさせるだけの要因など…正直に申し上げますと、(ねた)ましくて疎ましくて仕方がありません。

 

『必ず連れ戻します…永遠亭の者共に、目に物見せてやりますわーーーー!!』

 

夜は未だ始まったばかり…日が沈めば夜の帳が世界を満たす様に、夜の闇は必ず朝焼けに打ち消される。

 

普遍とも思える理に喧嘩を売って、不快な月を出したばかりかコウ様まで籠絡せんとするとは…断じて許すわけには参りません。

 

『覚悟しなさい…月から逃げた落ち武者如きに、今宵の私は止められませんわよ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 十六夜咲夜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ウサぁ!? こんなに強い奴らが来るなんて聞いてないよぉ!?』

 

『やれやれ…まさかただの兎妖怪が相手なんて、拍子抜けよ』

 

お嬢様の予想は実に的を射ていた。

東側から竹林に入り込んだ私達は、待ち構えていた小柄な兎を相手に追走劇を繰り広げている。

 

兎は竹林の地形を活かした数々のトラップを用意していたが、地上から高く飛翔するお嬢様の力技で悉く破られた。

 

弾幕ごっこの実力差は言わずもがな…二人相手というのも既に多勢に無勢なのに、あの兎はそれほど戦闘が得意では無いらしい。

 

『諦めて道を開けなさい! お嬢様も今ならペットにされる程度で許して下さるから!』

 

『ひぃ! 侍女の方まで強いなんて嘘ウサ!?』

 

何度目の遣り取りか、それでも兎は懸命に地を駆け竹を緩衝材代わりに持ち堪える。泣き言ばかりで段々と可哀想になってきた頃には、竹林の中心の気配が直ぐ其処まで感じられた。

 

『無視して行くのは簡単だけど、妨害も相まって道筋を捉え辛い。加えてあの兎…嫌がってる割に退こうともしない』

 

『捕まえて聞き出しますか?』

 

『今答えるならば良し…答えないなら、任せる』

 

お嬢様の示した方針に従い、此方の弾幕が着々と兎を取り囲む中、私は兎に問い掛けた。

 

『ねえ兎さん…勝負は見えているのに、一定の場所からまた迂回して妨害を続けるのはどうして? 後退すれば、仲間の援護も期待出来るでしょうに』

 

『……くだらない理由だよ』

 

煤と土煙に衣服を汚し防戦一方だった兎は、逃げ惑う獲物でなく…異変を起こした一妖怪として声を荒げる。

 

『友達が困ってるから助けるんだ! それが異変でも幾らだって手伝う。私は幸運を運ぶ兎、私の周りの奴らが幸せになれないなんて認めない!』

 

地を踏み締め力一杯跳躍した兎は、固い決意を表して月を背にする。中空に翳された彼女のスペルカードが、裂帛の気合を乗せて宣言された。

 

 

 

 

 

『ーーーー《エンシェントデューパー》ーーーー!!》

 

 

 

 

 

兎の両側面から巨大な光線が撃ち出され、スペルカードの範囲内には全方位を埋め尽くす青い魔弾が飛散する。

 

『私がお相手します。お嬢様は手出し無用にお願いします』

 

『良かろう…健気な兎の覚悟に応え、全力で押し潰しなさい!』

 

主命の許に、懐から一枚のカードを取り出す。

友の為、仲間の為…それは此方も同じ事。九皐様を見つけ、必ずや取り戻す。

 

『幻葬ーーーー』

 

彼は誰のモノでもないけれど…何処ぞの馬の骨どもに、いつまでも貸してやる義理など無い!

 

 

 

 

 

『ーーーー《夜霧の幻影殺人鬼》ーーーー!!』

 

 

 

 

 

 

宣言したスペルカードは、兎の放つ弾幕の範囲を大幅に上回るナイフの雨。高速で無数に飛び交う凶刃は正確に青い小弾を貫通し、突き抜けた先の兎へ一直線に収束して行く。

 

『痛っ…! 諦めない、諦めるもんか! まだ勝負は着いてないウサ!』

 

兎の悲痛な叫びは竹林に響き、私の繰り出す物量を物ともしない。だが、身体に走るナイフの切傷は兎の動きと判断力を鈍らせ続ける。

 

『無駄よ! 私の操る時間の中では、ただの兎に勝機は無い!』

 

無慈悲とも思える戦力差に、兎の弾幕は最早光線以外は意味を成さない…やがてそれさえ維持出来なくなった兎は、ナイフによって地面に磔にされる形で地面へ落下した。

 

『う、ぐぅ…! 嫌だ…こんなモノ…! こんなーーーー』

 

血を流し過ぎたか、敗北を心の中では悟ってしまったのか…名も知らぬ兎は、健闘も虚しく意識を失った。

 

『良くやった…咲夜も、お前も。幸運を謳う兎よーーーー目が醒めたら、貴様も異変の最後を見届ける事を許そう』

 

お嬢様は地に縫い付けられた兎を讃え、その後は無言で先を飛んで行った。

 

慈悲と思慮深さを窺わせる主の背中は、偽りの月を嫌うかの様に…竹林の茂る暗がりを進む。

 

『確かに幸運な兎さんですね…尤も、私達に味方する運命は、それを凌駕しましたが』

 

『さてね…結果はこの先に待つアイツが教えてくれるわよ』

 

順調な筈なのに、問題は無い筈なのに。

何故ですか…お嬢様。私から見た貴女の横顔は、とても不安そうに見えます。

 

 

 

 

『それはーーーー私が此処に居るからだ』

 

 

 

 

視界に捉えた和風の屋敷。

門前に立つ人物は…皆の探していた黒髪と銀の双眸。少し低めで甘い声が心地良く、いち早く聞きたいと思って止まなかった御方のモノ。

 

銀光を浴びた闇を迸らせて…漸く対面した彼は、声音とは対照的に無機質な表情で私達を流し見ている。

 

『九皐様!』

 

『待ちなさい咲夜。どうやら私の視た運命は…此処に来て確実なモノだと分かったわーーーー不幸にも、ね(・・・・・・)

 

不幸? 何を仰っているんですか…だって、そんな訳が有りません。彼は私達の…お嬢様方のご友人で、

 

『レミリア嬢の言う通りだ』

 

『……嘘です、信じません』

 

『異変を解決しに来たのだろう? ならば…私が永遠亭の前に立つ意味を、君なら分かる筈だ』

 

『嘘だッッッ!!!!』

 

お嬢様と彼の前だというのに…我に返れば激情のまま吠えていた。主人は瞑目し、眼前の彼もまた沈黙を貫く。

 

何故、何も言ってくれないんですか…お嬢様、冗談よ咲夜って仰って下さい。九皐様…すまないなって不器用に笑って下さいーーーいつもみたいに、どうか。

 

『では選べ』

 

『…!!』

 

『待つか、戦うか…私の真意を知りたければ、今は待つのだ。レミリア嬢はどうする?』

 

『ーーーーそうね、咲夜がどちらを選ぶかは気になるけど…私は待ちましょう』

 

理解出来ない…でも、私には無理だ。

勝つとか負けるとかじゃない…深淵を漂わせる彼に、私は完全に呑まれている。動けば彼を信じぬ事と同義、待たねば主の思惑を外れる事になる。

 

異変は解決したい、けれど彼とは戦いたくない。お嬢様のご意向にも沿いたい…だったら、一体何の為に私はーーーー、

 

『私は、幻想郷を愛している』

 

『九皐様…』

 

『そして…楽園に住む君達を愛おしく思う。故に此度の異変はーーーー出来るだけ長引かせねばならん。《月の連中》に、此処を嗅ぎ付けられる訳には行かない』

 

月の連中…その言葉の意味する所を、私はその言葉への解答を持ち合わせていない。

 

やはり(・・・)か。私が垣間見た運命の先は、一時的な敵対…理由は、永遠亭の奴らを捕らえんとする月の勢力。そしてーーーーーー月に怒りを滾らせる貴方の姿』

 

お嬢様の紡ぐ言葉に、彼は静かに偽りの月を見上げた。

しかしその視線は更に遠くを映している様で…銀の(まなこ)は強く、鈍い輝きを伴っていた。

 

『永き夜、今宵私は…万象喰らう禍と化そう』

 

彼の発する声は、これまでに聞いたどれよりも重く…有無を言わさぬ力が篭った《誓い》に聞こえる。彼は何を思い、誰が為に誓いを抱くのか。

 

『選べ…! 我が怒りに応え、共に忌むべき楽園の敵を屠るかーーそれとも』

 

理解出来ずとも、例え敵となる道を選ぼうとも。

私は…九皐様を信じている。彼が動く時は、誰かを想い助けたいからだ。だとしたらーーーー私の答えは決まっている。

 

『はぁ……馬鹿を言わないで貰えるかしら?』

 

『私達は、貴方から頂いた恩に報いたくて、お助けしたくて此処まで来たのです! もし、異変を長期化させる事が貴方の為になるのなら…』

 

この瞬間、私達の取るべき道が決定した。

解決に乗り出した私達が、掌を返して異変の遂行に手を尽くす。裏切り者の誹りは甘んじて受けよう…幾らでも罵るが良いわ。悪魔の交わした約束は絶対だ…従者である十六夜咲夜も、主の為に殉じよう。

 

『今一度、紅魔の力を霊夢達に知らしめてやろう…!』

 

『九皐様ーーーー十六夜も、お供致します!』

 

『すまないな…迷惑を掛ける。そしてもう一つ』

 

私とお嬢様は固唾を飲んで続きを待つと、彼の口から意外というか…今にして思えば不都合な事を聞かれてしまった。

 

 

 

 

 

『君達が来た方角には、因幡という小柄で足の速い兎が居たのだが……む、どうした? 二人とも顔が青いぞ』

 

『え!? そ、そうねぇ何でかしら? 因幡? わ、私は何もしてないから分からないけど!?』

 

ずるい! お一人だけ保身に走るなんて、それでも誇り高きヴァンパイアなのですか!? これじゃ、

 

『まさか…もう倒してしまったのか』

 

『ち、違うのです! いえ! 違いませんが…てっきり異変を解決すれば九皐様が戻られると考えていて…!? そのーーーーーーーーてへっ』

 

私とお嬢様の苦しい言い訳を前に、彼は深く溜息を吐いて…戻るぞ、と一言だけ告げて三人で来た道を辿って行く。

 

ナイフで拘束され、浅い傷と血に汚れた服もそのままで気絶する兎を見付けた九皐様は…更に深い溜息の後、何も言わずに私達へ非難の目を向けられました。

 

『と、取り敢えず起こすから! 咲夜が手当てすればすっかり元通りになるわよ! ……多分』

 

『は、はい! 完璧なメイドと称された私が、誠心誠意取り掛かれば直ぐに目覚めますよ! ……きっと』

 

うう……大口叩いて後で寝返りましたなんて、兎が起きたらどんな嫌味を言われる事でしょうか。

 

『こいつら、本当に仲間にして大丈夫なの? サイコパスだよサイコパス! 絶対オツムがヤバイ奴らウサ!』

 

『余り虐めてくれるな…信頼出来るのは間違い無いのだが、少しばかり間が悪かっただけだ。恐らくな』

 

そんな煩悶など御構い無しに、手当てした甲斐有って意識を取り戻した兎が、話を聞き終えてから私達を事あるごとに悪鬼だの快楽殺人犯だのと延々貶してくれた事を…私はこれから一生忘れません。

 

『やっぱりお嬢様の運命は当てにならないじゃ有りませんか! どうされるんですかこの空気!?』

 

『こんな運命は見てないのだから私に言われても困るわよ!』

 

何よりも…主従で醜い言い争いを始めた私達に、九皐様に残念な娘達だと視線で訴えられている事実が、心の傷をより大きく拡げてくれたのでした。

 






まさかの紅魔組の裏切り。
いや、まさかではありませんが…最後は耐えきれずギャグテイストで締めとなりました。

紅魔組は異変が終わってから角が取れてきたせいか、主人のカリスマ性は健在なのに間が悪くて…妙に間抜けなキャラ付けとなってしまいました。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第四章 伍 急変

遅れまして、ねんねんころりです。
永夜抄編もら長らく続きましたが、次回で収拾の予定となっております。

相変わらず行き当たりばったりで話を進める為、強引な展開が続きますが、どうぞお付き合い下さい。

この物語はみょんの見せ場、急展開、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『はあッーー!!』

 

点と線の軌道を描く、小さな鉛玉が剣に弾かれる。

都合四度目の狙撃…姿無き敵の攻撃は、決定的な一撃にはならずとも私に揺さぶりを掛け続ける。

 

『幽々子様、気配は掴めましたか?』

 

『いいえ。遠方からの弾道を予測して位置を掴もうとしても、既にその場には居ないでしょうね…兵法の基礎に則れば、相手は一定の距離を保って此方を捉えている』

 

誤算だったのは、尋常な弾幕ごっこの前に実弾射撃を用いた防衛に徹せられている現状。

 

狙いが正確な分、急所目掛けて飛んで来る鉛玉を払うのは難しくない。しかし、距離を詰められない状態では剣は届かず、弾幕も射程範囲から外れていた。

 

予想される目的地から一里近くある竹林の只中では、敵の地の利と戦術が優っているのは明白だ。

 

『仕方無いわね…妖夢、悪いけど壁になって頂戴。《蝶》を差し向けて移動経路を確認しつつ前進するから、私が誘い出した地点で斬り伏せなさい』

 

幽々子様の観察眼と対抗策は確かだ。中心地の防衛を旨とする相手は、私達の背後に回れば無防備な前線を晒す事になる。

 

『了解しました! 必ずや討ち取ります!』

 

先生を見つけ出すには、まず目の前の相手に集中しなければ! 片手間で通して貰える手合いではない…この先で確実に獲る!

 

『お行きなさいーーーー』

 

主の手から妖力で産み出された紫に光る半透明の蝶がひらひらと飛んで行く。数は十羽、それぞれが分散し前方と両側の竹林の中へ進む。

 

感覚を研ぎ澄ませ、余計なモノを意識外に流した空間で感じ取ったモノは、一度に三発も放たれた鉛玉の風切り音。

 

『やあああああッッ!!』

 

一発目を左の剣で薙ぎ払い、続く二発目を右で両断する。三発目は即座に持ち替えた逆手の左で捉え、下段から上空へ払い押し上げた。

 

『ーーーーっ!』

 

『見つけたわ! 十二時の方向から突っ込んで来る!』

 

見えない敵の息を飲んだ呼吸の乱れと、幽々子様の指示が同時に伝わる。真っ正面の奥から、索敵に出した蝶の妖力が爆ぜて聞こえる炸裂音と共に…竹林の狙撃手が姿を現した。

 

『貴様か!』

 

『チィッ! もう一人の出した蝶がまさか爆発するなんて…ッ!』

 

土埃に汚れた服を纏う、頭頂部に携えた兎の様な長い耳。紫がかった長髪に真紅の瞳を覗かせる少女は、舌打ちしながらも抱えていた銃を投げ捨てて走って来た。

 

『波符ーーーー』

 

速度を落とさず、疾駆する赤目の兎が懐からスペルカードを取り出す。瞬間…私の視界に揺らぎが発生し、狙いの定まらない視界でスペルカードが宣言される。

 

『ーーーー《赤眼催眠(マインドシェイカー)》ーーーー!!』

 

右手を拳銃に見立てて放たれた弾幕は、弾丸の形を伴って背後を除く全方位から展開される。

 

『妖夢、惑わされては駄目! 妖しげな術が領域を満たしている!』

 

分かっています、幽々子様。

視界が揺らいだ直後、最初に撃ち出された数発の弾幕に伴って両翼から同じモノが出現した。

 

『人符ーーーー』

 

左右に散らばった弾は偽物…前方から来る弾幕以外には、使用者の込めた妖気が毛程も備わっていない。今の私に、そんなまやかしは通用しない!

 

『ーーーー《現世斬》ーーーー!!』

 

一歩、強く踏み込んで右手の長刀を鞘に納め、抜刀の構えから繰り出した数多の斬撃が飛び交う弾幕を掻き消した。対して斬撃は消える事なく、眼前の兎へ向けて高速で肉薄する。

 

『厄介な技を!』

 

兎の少女の両目から光が灯り、真紅の瞬きが発生した。赤眼の発光に合わせて、兎の姿がまたも揺らめいて見えなくなる。

 

あの眼は普通じゃない…アレが有ったから今まで後手に回され、気配は僅かに残っているのに彼女の全容が掴めなかった。

 

『断迷剣ーーーー』

 

構うものか…先生との稽古から着想を得たこの剣技に、小細工など無意味と知れ。偏に剣と一体となり、(はだ)かる者を斬り開く…その名もーーーー!!

 

 

 

 

『ーーーー《迷津慈航斬(めいしんじこうざん)》ーーーー!!!!』

 

 

 

 

楼観剣に最大限の妖力を注ぎ込み、長大な蒼光の剣となった愛刀を真一文字に振り抜く。

 

そそり立つ竹林ごと纏めて断殺する一撃は、不可視の兎に確かな戦慄を与えた。遮二無二(しゃにむに)回避したであろう影が、上空の月を背に指銃を構えて私を見据える。

 

『これで終わりよッ!!』

 

『ーーーーーーその前に、上に注意を配るのをお勧めします』

 

兎の跳躍した更に上方で、星にも似た光を帯びる我が半身(はんれい)が真っ逆さまに急降下して行く。

 

『死中に活路を得、後の先を以って了と為す。これぞ先生より賜りし、剣身一体の理です…!!』

 

背後の危険に気付いた兎は捕捉すると同時、錐揉(きりも)み回転した半霊の突撃に首筋を撃ち抜かれた。

 

『がはっーー!? ぐ、まだよ…まだ、負けてない…!』

 

地に打ち付けられた兎の少女は、苦悶の表情で震える身体に喝を入れ立ち上がろうとする。

 

少女が堪らず流した涙と叫びが、心より身体の限界を如実に伝えている。立つのは無理…とは思わなかった。致命打なのは明らかだが、彼女は戦意を失っていない。

 

『先生を…九皐さんを連れ戻すまで、私も此処は譲れない!』

 

二刀を構え、自らも不退転の決意を訴える。すると赤眼の兎は呆とした顔付きで私を見返すも、剥き出しにした奥歯を噛み締めて意を示した。

 

『私だって…! あのヒトに約束したんだッ!! 辛くても、怖くても、護る為に戦うんだって…!! 負けてたまるかーーーー逃げるもんかッッ!!』

 

その約束が、誰と交わしたモノなのか…私には痛いほど分かってしまう。大切な誰かの為に己を奮い立たせる赤眼の兎は……彼女は異変の中に在って、勇気を胸に挑み掛かって来る。

 

先生…貴方は、私達が降すべき相手にさえ慈愛と誠意を忘れなかったのですね。だからこそ私はーーーー貴方に導かれた私は、どうしても彼女に勝ちたい!!

 

『来いッッ!! この魂魄妖夢が御相手(つかまつ)る!!』

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)》ーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

少女の双眸が、一際強く…鮮血よりも紅く煌々と輝いた。

波紋の如く放たれた弾幕は停止と蠢動(しゅんどう)、消失と出現を繰り返しながら私へ迫る。

 

喉が張り裂けんばかりの終の一手(ラストワード)に、全身が総毛立つ。負けたくない…勝ちたい! 絶対に勝つんだ!!

 

『うおおおおおおおおーーーーーッッ!!!』

 

気圧されない様に、たじろがない様に、私の想いも本物であると…眼前の少女に届けたい。届ける為に、咆哮を上げ空を駆け上がる。

 

『奥義ーーーー』

 

『沈めぇぇえええええッッーーーーッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《西行春風斬(さいぎょうしゅんぷうざん)》ーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

幾多もの剣閃と弾丸が交差した。

幻覚を見るまいと目を閉じ、真っ直ぐに兎の懐へ飛び込んだ私の一刀は…それを握る右手に確かな手応えを齎し、張り詰めた緊張の糸を緩めた。

 

眼下には、幽々子様が受け止めてくれた兎の少女が映る。手強いなんて生易しい相手では無かった…一瞬でも気を抜けば、私は彼女の操る不可思議な力に取り込まれていただろう。

 

『そう言えば…名前もまだ聞いてなかった』

 

半霊と共に地上へ降り立つと、意識を失った彼女を竹に(もた)れさせた幽々子様が…意味有りげな微笑で出迎えてくれた。

 

『剣身一体…貴女が彼から授かった力、しかと見させて貰いました。良くやったわね、妖夢』

 

『………はいっ!!』

 

 

 

 

これで西側の護りは突破出来た…先ずは中心を目指し、其処から竹林一帯を見渡して先生を探そう。

 

西側の中腹らしき地点で赤眼の兎が陣を敷いていたと推測すれば、彼は更にその奥、中心部により近い場所に居る筈。

 

竹林一帯には結界による認識阻害が掛けられていて、上手く気配を辿れないけれど。

直ぐに見つけますからーーーーー待っていて下さい! 先生!

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『ちょっとぉ!? あんなの反則よ反則!!』

 

真横で炎の弾幕を避けつつ絶叫するアリスに、私も心の底から同意していた。

 

『アイツ…不死身かよ!!』

 

続けて毒づいた私を尻目に、目の前の白髪女は猛禽じみた笑みで見下ろしてきやがる。

 

『不死身かって? 見りゃあ分かるでしょ? 蓬莱の人の形とは私の事よ。さあ! 炎に巻かれて塵になれ!』

 

随分な物言いだが…あの妹紅とかいう奴は半端じゃない。妹紅は進んだ先の道の真ん中で胡座かいてたと思ったら、名乗った矢先に凄まじい炎弾の雨を見舞って来た。

 

炎の勢いは止まる事を知らず、既に周囲は焼け野原状態。見た目も派手で、闇の中で無数に浮かぶ炎は綺麗な上に威力も折り紙付きときてる。

 

『不死である私に、人形だの魔法だのは通じない! 大人しくお家へ帰れ!!』

 

詰まる所、防戦一方ってヤツだぜ。

アリスの人形はただの火なら難なく消せる耐性を付与されてるが、熱量が高過ぎて白色に燃える妹紅の炎弾相手じゃ流石に無理だった。展開した八体の内、半数が灰にされちまっている。

 

かく言う私も、戦い始めてから半刻は経つのに魔法による攻撃は相変わらずのノーガードで意にも介されない。中でも度肝を抜かれたのは、

 

『いったぁ!? へへ…痛いって事は、生きてる証拠! お礼代わりにこいつを喰らえッ!!』

 

やたらとハイテンションで受けるがままにされる私の魔法は、実は効いていない訳じゃない。最初は余りにも奴が加減を知らないから、意趣返しにと放った弾幕が頭に直撃した。

 

『あちち…!? んもう嫌! 煤で大事な人形も服も汚れるし! 恐怖映像のオンパレードだし!』

 

『泣き言言う前にアリスも考えてくれよ!? このままじゃ埒が明かないぜ!』

 

あの時は誤って殺してしまったと青褪めたが、吹っ飛んで無くなった首から上が私達の前でみるみる再生しやがった。

 

どうやら不老不死ってのはマジみたいだ。計七度…身体の一部が千切れようが無くなろうが、その場で再生してまた高威力の炎弾幕を滅多撃ちにしてくる。

 

『こうなったらーーーー跡形も無く消し去るのみだッ!!』

 

ポケットから取り出したのは一枚のスペルカード。

最初から全力で行くぜ! 足踏みしてる余裕も時間も無いしな!

 

『恋符ーーーー』

 

『待ちくたびれたよ…ソレなら、私を殺せるのかい?』

 

『ーーーー《マスタースパーク》ーーーー!!』

 

八卦炉から増幅された魔力の塊が、妹紅へ向かって放出される。広範囲を埋め尽くす光線は…大妖怪クラスでも重傷は必至ーーーーだが、私とアリスの予想はいとも容易く覆された。

 

『《リザレクション》』

 

更地になった竹林の一角。揚々と諸手を挙げていたアイツの居た場所に、ぽつぽつと光が収束して行く…数秒の後、まるで何事も無かった様に妹紅は突っ立っていた。

 

『あーあ…やっぱりダメだったわね。身体を丸ごと消し去ろうと、固定化された魂を消すのは無理か』

 

魂の固定化…呟かれた一言に驚愕を隠せない。

魂とは即ち、現存する心と身体を顕界に繋ぎ止める命の発露。固定化とは文字通り、梃子でも動かない様に縛り付ける意味…つまりアイツは。

 

『本物の不老不死ね…記憶と身体ごと戻って来れるなんて、蓬莱の薬ってなんなのよ…』

 

顔面蒼白のアリスは、確認するまでも無く完全に戦意を削がれていた。これはマズイ…マズすぎる。攻撃は通っても無意味、加えて再生して直ぐ継戦可能な不死者だって? 大当たりもいいところだ!

 

『今度は私の番だな…蓬莱ーーーー』

 

『ヤバい!! 逃げるぞアリスーーーー!!』

 

『熱量が異常すぎる…!? 』

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《凱風快晴-フジヤマヴォルケイノ-》ーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

朱と白の光、爆発を起こす弾幕が辺りを埋め尽くし、視界を真っ白に染め上げる。

 

名に恥じない活火山の噴火を模した極大の爆風が収まった時…私達には最早、起き上がるだけの余力は残されていなかった。

 

『二人で障壁を作ってダメージを抑えたのね。やるじゃん? でも、まずは二人…ゲームオーバーだ』

 

『魔理沙……まり、さ』

 

『…………』

 

遠のいて行く意識下で最後に見たのは…背に炎の翼を広げ、竹林の奥へ消えて行く不死鳥の姿。以降、私の世界は暗転し、アリスの呼び掛ける声だけが竹林に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

負傷した因幡を永遠亭に連れて行き、外で待っていたレミリア嬢と十六夜に合流すると…屋敷から離れた後方で爆音が上がった。

 

鼻腔を刺激する焦げ臭さと、微かな熱風から妹紅が戦っていると分かる。レミリア嬢の話では、異変に来たのは総勢八名…それも主だった妖怪と人間の二人組で行動しているという。

 

『コウ…本当に良いのね?』

 

『変更は無い。どの様な手を使っても、月の連中の眼を楽園に及ばせてはならない』

 

穢れを厭う奴等だが、離反した者達の中には高い地位を持つ者が居る。となれば…良くて討伐か、悪ければ送還した後は実験鼠の如く扱われる。

 

『十六夜とレミリア嬢は、西へ行ってくれ。西側で配置されていた者の気配が弱くなった…妖夢達に敗れたと見るべきだろう。空いた防衛戦を埋めて欲しい』

 

『へえ…あの半人前の剣士、結構強いのね? 腕は有りそうだけど、気弱そうなのが減点って感じ』

 

『妖夢は接近戦なら人間側ではトップでしょう…剣術もそうですが、最近は調子が良さそうで目付きも変わって来ましたから』

 

暇を見つけて彼女を稽古し続けた事が、ここに来て障害となるとは思わなかった。現状ならば、贔屓目でなく霊夢にも匹敵する実力が付いている。

 

腕前だけで無く、日々の精神鍛錬も怠らない生真面目さが妖夢には備わっている。半霊の身故この先の人生も長かろう、伸び代も充分だ…今だけは厄介と言う他無いが。

 

『何にしろ面白い事になったわね…では言われた通り、西側へ向かいましょう』

 

『畏まりました』

 

緩やかに飛翔し、西へ飛び去る二人を見送る。

その後周囲の気配を洗い直せば、近付いて来る気配が一つ…数分して視界の端に妹紅が映った。

 

『やあ、お疲れさん! こっちは如何にかなったよ。殺しちゃいないから安心して』

 

『魔理沙とアリスか…重傷では無いのだな?』

 

『ええ…障壁で互いを守り合って魔力切れってオチよ。暫くは起きないかも』

 

敵である二人と対峙した筈の妹紅は、戦いの後というのに偉く機嫌が良さそうだ。

 

『如何した…?』

 

『うん…なんかさ、良いよなあって。お互いを認め合って、守り合って戦うアイツ等の在り様がさ…年甲斐も無く羨ましくて』

 

自らと輝夜、魔理沙とアリスを比較して見ているのか。羨望の眼差しで後方を眺める彼女は、寂しささえ窺える。

 

千年の時、幾百の時代が過ぎ去ろうと、その想いさえ確かなら…彼女とて遅くは無い。

 

『君に頼みが有る』

 

『何だ? 藪から棒に』

 

『後顧の憂いを絶てたなら、君には永遠亭の援護を引き受けて欲しい。残る異変解決者は二組…最も手の掛かる前方へ私が出よう』

 

『ふむ……良いわよ。此処と永琳の事は任せて!』

 

妹紅は暫く思案した後、頷いて快く引き受けてくれた。

さて…漸くだ、術式を安定させるまでは残り一時間程。此度の異変に終着は無い…有るとすれば、裏で執り行っている術の完成のみ。

 

偽りの月は何れ効力を失い、元の月が幻想郷を睥睨するだろう。その時こそ…刹那の機を以って月の路を塞ぐ。

 

『転移』

 

一言呟き、眼前に黒い孔を開けて進入する。

繋げた先は道の敷かれた竹林の北側…一部を切り拓かれた場所で、姫君と二つの人影が認められる。

 

夜の闇に眩んだ竹に寄り添い、気配と力を最小限にして様子を見る。戦いは未だ始まっていない…睨み合う姫君と博麗の巫女、霊夢の傍らに浮遊する紫は言葉を交わし合っていた。

 

『とんでもない奴が居たものね…北から入ったのはやっぱり失敗だったんじゃないの、紫?』

 

『そうでも無いわ。此処を押さえれば永遠亭までは一本道…ましてや彼女はーー』

 

『博麗の巫女と妖怪の賢者ね? 悪いけど思い通りにはならないわよ…無粋なお客様を持て成す時間は無いの』

 

凛然とした立ち居振る舞いで二人を迎えた姫君は、余裕に満ちた物言いで煽り立てる。

 

このまま見守る事も出来るが…加勢した方が多くの時間を稼げる。物陰から歩き出し、抑えていた気配を態とらしく放ちながら姫君の許へ進む。

 

『姫君の言は最もだが…素直に帰る二人では無いぞ』

 

『アンタ…どうして前に出て来たのよ? 永琳は?』

 

『妹紅が代わりに後方に居る。霊夢だけなら君だけで良いが…紫は私が相手をしよう』

 

『九皐…今度は何を考えてるのよ』

 

『お退き下さい、コウ様…異変を見過ごす訳には行きません。何卒お譲りを』

 

只ならぬ様相で私を見遣る霊夢達は、身構えても尚説得の姿勢を取る。仔細を話している時間は惜しいが…二人には伝えなければならない。

 

『月の民が…永遠亭の不死者達を捜している。月の監視を阻害するこの異変に乗じ、幻想郷への介入を防ぐ必要が有る』

 

『なるほどーーーーコウ様の意図が、漸く掴めて来ましたわ。けれど、博麗大結界が有る以上…彼方の方々は此処へは来られない筈』

 

『月の技術力は結界一つで対抗し得るモノでは無い。だからこそ、入念な準備を重ねて来たつもりだ』

 

『月だか何だか知らないけど、今回はあんたも…私達の邪魔をするって事よね? なら、容赦しない』

 

『身の程を弁えなさい、博麗の巫女。彼の正体を知ってるなら尚の事…命は無駄にするものじゃなくてよ?』

 

『だとしても霊夢の言う通り…異変を野放しには出来ません。最悪の場合は、永遠亭を差し出す事もやむなしと考えます』

 

『言ってくれるな…彼女等もまた楽園に住まう(ともがら)。助けられるならそうすべきだ』

 

平行線を辿る四者の語らいは、幾ら語り尽くしても終わりは無い。紫達の言い分も、永遠亭の抱える事情も翻すのは難しい。

 

片や楽園の秩序の為…片や各々の安寧の為、戦うしか無いと諦めた時、意外にも新たな参入者による審判が下された。

 

 

 

 

 

 

『ーーーー二人とも戻って来てくれ!! 術が取り止めになったんだ、永琳が九皐さんを連れて永遠亭に来いって!!』

 

背後から上がった声の主は、炎の翼を目一杯羽ばたかせ降り立つと、一目散に私と姫君の所へ走って来る。

 

『妹紅!? アンタ後ろを任されてたんじゃーー』

 

『そんな場合じゃ無いんだって!! 永琳が中から飛び出して来たと思ったら、突然九皐さんを呼んで来いって…! 月の使者が既に向かって来てるとかでーーーー』

 

莫迦な…楽園が見つかる前にと異変を起こしたというのに、既に足掛かりを掴まれていたのか。全く不愉快な連中だ…放って置けば良かった物を、千年余りの間追い続けるとは。

 

『ちょっと! 今更逃げようったって』

 

『待ちなさい、霊夢』

 

逸る霊夢を制したのは、傍らに居た妖怪の賢者だった。

強引に前に躍り出た紫は手にした扇を畳み、鋭く見据えた私へ緩やかに近付いた。

 

『コウ様……今貴方が行けば、月の使者とやらは撃退出来るのでしょうか?』

 

『ーーーーああ、必ずやり遂げる。私は、幻想郷を奴等に踏み荒らされる事だけは…我慢ならないのだ』

 

『ーーーーーーそうですか…でしたら』

 

彼女は両の掌で私の頬を優しく包み、苦笑交じりの顔で言い聞かせる様に言葉を紡いだ。

 

『仕方有りませんわね…貴方はいつもそうです。周囲には黙って独りで行ってしまう…御自身が一番辛い立場になられてしまうのに、いつも』

 

『……私は、此処に居られるだけで幸福だ。君が居て、霊夢が居る、多くの友を得られた楽園を…私は愛している。故にーーーー』

 

紫はかぶりを振って、触れた手を離して寂しげに笑う。胸元で結び合わせた両手は強く握られて…不安を堪えている事が分かる。

 

『コウ様は優し過ぎるのですわ…美徳では有りますが、貴方を見送る私達は……私は』

 

『……約束する、これが最後だ。許してくれ』

 

慣れぬ手つきで、泣き出しそうな紫の身体を(しか)と抱き竦めた。思えば彼女には…此れ迄多くの心労を掛けてしまった。紅魔、白玉楼、そして此度の異変も、望まざるともどれだけ私の為に心を砕いてくれたか。

 

『コウ様……狡いです。こんな事して、許さないなんて言えませんわ』

 

『分かっている、分かっているとも…だが、今はーーーー』

 

抱き締めていた彼女を解放し、再度転移の孔を開いて彼女に背を向ける。この場に集まった者は皆、訳有って相争う状況だが…幻想郷を愛し、共に生きる無二の同胞。彼女等の日常を護る為に…月との因縁を断ち切らねば。

 

『行ってらっしゃいませ、コウ様』

 

『ーーーー征って来る』

 

 

 

 

 

過去より追い縋る月の使者よ。

好きにはさせぬ、如何なる策と術を弄しようとも意味は無い…失望に囚われたあの時とは違う。

 

『我こそが禍。我こそが深淵…此の身に宿る力に触れて、貴様等の蛮行を悔やむが良い』




この物語において、魔理沙が初めて大敗を喫した妹紅戦。
春雪異変から成長したみょんの鈴仙戦など詰め込みが過ぎるとも思いましたが、若干中だるみし始めた永夜抄編のテンポを修正するべくこうなってしまいました。

長くなりましたが、最後まで読んでくださった方、誠にありがとうございます!


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第四章 終 歌い踊る少女たち

遅れまして、ねんねんころりです。
重ねて、遅れまして誠に申し訳ありません。

殆ど書き終えていた所に、あーでもないこうでもないと加筆修正を加えていたらあっという間に四日が過ぎまして…言い訳ですね…すいません。

永夜抄編を纏める回なので大事に作ったつもりですが、この物語は異常なほど心の広い少女たち、やりたい放題の主人公、上達しない稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 八意永琳 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

月と地球の経路を書き換え、月からの行き来を断絶する術式は佳境へと入っていた。

 

半日かけて妖力を練り上げ、星二つ分の擬似複製と干渉を可能としたのは、永遠亭の全員が配置に着いてから一刻程後の事だ。だのに、一向に術式は起動すらしないのが只管に頭を悩ませる。

 

『動かない…組み上げた術式に誤りは無い筈なのに』

 

発動から遅々として進まない術式に違和感を覚え、遠見(とおみ)の術による地球と月の通り道を確認すると…其処に異物が入り込んでいると気付いた。

 

『既に此方へ向かっているなんて…』

 

予想外の事態は得てして起こるモノ。輪を掛けて厄介だったのは、月の軍勢数千が所狭しと進軍する光景。

 

幸い月から伸びる道の途上である彼等は、幻想郷を捉えていない…博麗大結界なる存在と私が竹林に張った認識阻害が有効だと再認識する。

 

《彼》が前線へ行き、代わりに妹紅が正門で控えていたと知って、取り急ぎ妹紅に呼び戻すよう指示を出してから更に数分…庭先に現れた黒い孔から、彼が出て来た。

 

『待たせたな。状況はどうなっている?』

 

『失敗…と言う他無いわ。月の使者が数千単位で経路を塞いでる所為で、術が働かないの』

 

『二人捕らえるのに数千人か…随分と念入りな事だ』

 

私の心情を知ってか知らずか…コウは全く慌てた様子も無い。私とて追い返すだけなら難しくは無いが、生憎と彼の様な特異な能力を持っていない。

 

『案ずるな。これから出向く故、君は永遠亭の守護に回ると良い』

 

視線を伏せる彼の横顔は、此処では初めて見る剣呑な色を帯びている。嘗て無い覇気を漂わせる彼は、何を思っているのか…私には推し量れない。

 

『ごめんなさい…私が不甲斐無いばかりに』

 

『そんな事は無い…我の横着が過ぎただけだ。初めから、月の因縁は己の手で絶つべきだった』

 

彼の語気は冷たく、自身を見下げ果てた言い回しが特に強い。彼は私を信じて任せてくれたのに…応えられなかった非力さに歯噛みするしかない。

 

『永琳』

 

『ーーーー』

 

『君は美しい』

 

『……はい? な、ななな何をいきなり!?』

 

突飛な彼の発言は完全に不意打ちだった。

身構えもせず正面から受けた賛辞に顔が熱くなってしまう…本当に訳がわからない。

 

『君の如き麗しく、心清らかな女性を悲しませる輩というのは…どうにも過剰な嫌悪感を抱いてしまう』

 

『月の…上層部の話かしら?』

 

『うむ。従って、その様な莫迦共には痛い目を見て貰う必要が有る…行った先で好き勝手に暴れる所存だが、構わないか?』

 

視線は刺々しく、声音の重たいままの彼は私に問い掛けた。追い返すとなれば相手の事情など知ったことかと、彼は暗に告げている。

 

立ち昇る銀の奔流が、既に私の妖力の総量を遥かに上回っていて…気配だけで幻想郷ごと押し潰されそうな錯覚を覚えた。

 

『……分かったわ、貴方に任せるから。力をもう少し抑えて頂戴』

 

『ーーーーすまない。では、早速宇宙(そら)の旅へと出るとしよう』

 

彼は徐ろに人差し指を虚空に彷徨わせ、私の知らない文字らしきモノを描くと、転移に使用した黒い孔がまたも出現した。

 

『派手目なモノで脅かしつつ、月の経路を断とうと思う。堂々と読み上げるには少々恥ずかしい代物なので…覗かないでくれると助かる』

 

一方的に言うだけ言うと黒い孔を潜り、永遠亭から彼は消え去ってしまった。

 

『覗くなと言われてもーーーー、そこまで話されて覗かないのは無理というものよ』

 

彼からの頼みを反故にしてしまうけれど…気になるものは仕方無い。それに、読み上げるという事は何かしらの術を使うという意味だろう…ソレ自体にも非常に興味が湧いてしまった。

 

『遠見』

 

ごめんなさい、コウ。後で改めて謝るから、今は貴方の戦う様を見届けさせて欲しい。だって…貴方が力を振るう所を私は見た事が無いから、どうしても好奇心が先に立ってしまうのよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『今晩は…不快な月夜の下で、共に歩みし同胞よ。急な話で悪いけど、事情が変わったの。貴女達を、これ以上先へ行かせられなくなってしまったわ』

 

不完全な満月を背景に、竹林の一角で翼を広げて言い放つ。相手は勿論、彼に頼まれて対峙する事となった半人前の剣士と主人の亡霊だ。

 

『どういう経緯かしら? 殺気が濃過ぎて冗談に聞こえないけど?』

 

『申し訳ありませんが…小粋なジョークを挟める事態では御座いません。然るに、御覚悟を』

 

『…咲夜達が、裏切ったってこと…? そ、それじゃ先生はーーーー』

 

素直な娘だ…実直さが服を着て歩いている様な反応はとても愛らしいけれど、時が経てば世相も変わる。というよりは、彼の都合を優先した結果だが。

 

『貴女の敬愛する先生がね? 異変を止めて欲しく無いと言ったのよ。だから私と咲夜は…今は敵という事になる』

 

『先生が……何故ですか!? せめて理由をーーーー』

 

狼狽える剣士の鼻先に、にべもなく魔弾を一発撃ち出して見せる。ソレは容易く何かとぶつかって打ち消され、高速で迫った魔力の塊を弾いたのは傍らに居た亡霊の力だと直ぐに分かった。

 

『無礼極まる吸血鬼ね…屍人の成り損ないがよくも先んじてくれたわ』

 

『問答は無用と教えたかっただけだ。彼の真意を汲めぬ愚か者に、とやかく言われる筋合いは無い』

 

酷薄な笑みを作ってみせると、亡霊の令嬢は忌々しげに顔を(しか)めた。

 

『死にたいの? お望みならそう言いなさいな』

 

『ヴァンパイアを舐めるなよ、死に損ないは貴様の方だ…彼に拾われた命を無駄にするか? いや、もう死んでいたのだったな』

 

口をついて出た挑発が、最後の舌戦となり開戦の火蓋を切った。亡霊は冷淡にも無表情で宙へ舞い上がり、剣士は戸惑いつつ咲夜に二刀を構えた。

 

『それで良いわ、妖夢。お嬢様も、私も…彼の為ならば裏切りも厭わない!』

 

『理由すら告げず、黙って戦えとはーーーー先生の望みとは到底思えません!』

 

従者はナイフを、庭師は二刀を手に疾駆する。私は亡霊の促す空中へ上がり、互いの血で血を洗う真剣勝負と相成った。

 

『彼の思惑だから、結果的には貴女達の行いも是となりましょう…けれど! 貴女達の振る舞いは、虎の威を借る狐にも劣ると知りなさい!』

 

『戯けめ…先見の明すら持たぬ俗物に、我等の大義を論ずるだけ無駄というもの! 大人しく譲る局面だとも分からないのか?』

 

魔弾と蝶、ナイフと二刀が地と天で交わされる。

単一の能力だけならば亡霊が抜きん出るも、時と運命を操る私達に死角は無い。

 

『先生が望まれたなら、それが正しい選択だとは分かります…ですが! 咲夜もレミリアさんも、そんなやり方ではあのヒトが喜ぶ訳が無いとご存知でしょう!?』

 

『手段も過程も問われなかった! 殺さず、生かさず、勝利すれば結果は得られる。あの方の願いを合理的に、最短距離で叶える事こそ私達の本懐! 異変の折、数々の大恩を賜った紅魔に後退は有り得ない!!』

 

剣戟の音が木霊する竹林で、互いの従者が言葉と闘志を示す。一方は理解と妥協を求め、他方は強要と支配を押し付けた…彼に託されたからこそ従えと私達が吠え、ならば託された渇望の真を晒せと亡霊側が叫ぶ。

 

『死に近しいとは生より遠いという事…吹けば飛ぶ蝋燭同然の亡霊では、私という生に訪れる死の運命に辿り着けない!』

 

『尊大で自信家な貴女は嫌いじゃない…でも、私に操れない死など無いのよ! 不確定要素に縋るだけの血吸い虫には、抗えぬ理など腐る程有るわ!』

 

紅の魔弾は吹雪の如き軌跡で亡霊を覆い、桜の蝶は舞を思わせる動きで此れを凌ぐ。

 

対して地上の二刀は雪崩にも似た猛攻を繰り出し、無数に投擲されるナイフを皮一枚で捌き続けた。

 

『幾ら貴女の剣が鋭く、速かろうと…時の流れには逆らえ無い。届かせたければ、時をも斬る覚悟で来なさい!』

 

『言う割には迎撃が鈍い! 常人の反応速度では、私の剣を捉え切れない…一瞬の隙が命運を分けます!』

 

咲夜の能力は絶大だ…時の停止と固定化、副産物として空間を自在に操れる私の従者は、比類なき優秀な番犬。だが、能力以外の部分が生粋の人間なのだ…アドバンテージの大きさに反し弱点の多さが敵味方問わず浮き彫りとなる。

 

『余所見する余裕が有って?』

 

『当然だろう、来もしない死を前に何を恐れる?』

 

緩慢な速度で肉薄する死蝶を使い魔の蝙蝠で身代りとし、蝶より先に放たれた弾幕は身体を霧に変じて(かわ)す。

返し様に撃った魔弾と光線は、亡霊の側に侍る蝶と霊魂が盾となり相殺された。

 

簡潔に例えれば、戦いは互角…拮抗したまま趨勢は決まらず、双方に決定打は生じない。私と亡霊では周囲に干渉する規模が違うものの…運命という大雑把なナニカが亡霊の齎らす絶対的な(ちから)を避ける。

 

咲夜と妖夢も…後の先、先の先を捉える剣士の力量を持ってしても時間という概念には未だ近寄れず、咲夜は能力と弾幕の組み立てを誤れば一閃で以って即座に斬り伏せられる。

 

『仕方が無い…一つ博打を打って』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【夢は今砕かれた 嘆きの墓も 死の土も 遍く総てを奪い去ろう】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如、脳裡に言霊が降りて来た。

険しく猛々しいこの言葉が何を意味し、何者によって呟かれたのか。唄う様に、吐き捨てる様に…たった一節で何もかも理解した。

 

刹那、幻想郷を照らす偽りの月が霧散し…この世全てが銀光を纏う闇に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんっとうに面倒臭いヤツね、あの竜。異変を完遂させたい為に加担しておいて理由は幻想郷を護るですって?

 

だったらこっちに断りの一つくらい入れとけってのよ…そしたら竹林まで来ずに済んだかも知れないのに。

 

あいつはいつも勝手だ…自分の望む幻想郷の土台を作れと言ったのは私だけど、助けたがりにも程が有る。

 

異変を起こしたければ起こせ、手伝おう。解決したければ行け、助けよう。それで…いつも最後には横槍を入れて全部持って行く。

 

『実は九皐が一番ワガママなんじゃないの?』

 

『今更ですわよ? 前の異変もその前も、霊夢の気付いてない所で暗躍した彼の行動が…結果として事態を丸く収めてくれたわ』

 

分かってるっつうの! 関わってる奴全員の行動や考えを見透かした上であいつが対処して来るから、尚更腑に落ちないんでしょうが!

 

『紅霧異変の時、コウ様が吸血鬼の妹や魔女を助けなければ貴女の面倒がより増えていた。春雪異変も、西行桜を無力化して幽々子を救ってくれたのは彼だもの』

 

異変を解決したいのか、円滑に進めたいのか分からないから苛々するんじゃない。取り零しを認められない生き方なんて自分を不幸にするだけよ…心が参って自滅するのが先か、より場を乱して仲良く共倒れするか。どちらにしろ、自分の立ち位置を優先する気がカケラも無いのが一番腹立つのよ!

 

『正義を気取りたい訳じゃ無いのは確かでしょう。彼はただ自らの物差しで方針を決め、価値有りと認めれば讃える…価値無しとすれば排斥し己の糧とする。実に超常の存在らしい在り方じゃない?』

 

『あんたはそれで良いの? 価値の有無なんてそれぞれなのに、あいつを中心に凡ゆる物事が進んでる…普通なら自然に任せるしかない事象さえ口を出すのよ?』

 

『何だかよく分からないけどさぁ…私と輝夜はどうしたら良いわけ? 戦うの? 戦わないの?』

 

私達の話に割り込んで来る目の前の白髪女は、隣のお姫様を見やりつつ此方に問いかけて来る。

 

『私はどっちでも良いけど…術式も中断な上にコウが行っちゃったから、どの道異変は終わりじゃない? 楽だから良いけど』

 

まあ、戦う理由なんてもう無いか。やる気を無くしたお姫様は堂々と竹にもたれ掛かっている…見た目の割に行儀悪いわね。

 

『毎回こうだとやる気無くすわよ…楽だけど問題ね。せめてどっち側で動くのかは今後は定めて欲しいところよ』

 

『独立した勢力と喧伝したのは私だけれど、関わって振り回されている者達が日毎に増えているのも事実…彼と協議した上で決めましょう』

 

『それ必要か? 九皐さんはこれで最後だって言ってたろ? 熱い抱擁付きでさ?』

 

『ふふん…羨ましいならそう仰って結構ですのよ?』

 

白髪女に茶化された紫は、さも自慢気に無駄に育った胸を張って鼻を鳴らす。やれやれと首を振って引き下がる白髪だったが、予想外にも竹に寄り掛かっていたお姫様は指を咥えて見ている。

 

『良いなぁ…』

 

『え!? 何よ輝夜、アンタ…悪い事は言わないからやめときなって、長生きにしたって最後には先に逝かれちゃうんだから』

 

『う、う、うっさいわよ妹紅! 何億年生きてるか分からない奴が本当に死ぬとも限らないでしょ!? ほっといてよ…』

 

確かに、二人の口振りでは何億という月日を生きたらしい九皐がある日ぽっくりと死ぬとは考え難い。竜ってのはそんなに長命なのかしら?

 

『そうね…改めて考えると、私達は彼について知らない事が多いもの。あ! 良い事考えたわ! 次の宴会でーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【底深く 影を引き 奈落に堕ちた想いを掲げ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闇が楽園を支配する。聞き覚えのある声から紡がれる一節が、何を表しているのかを克明に記している。

 

誰もが空を見上げ、偽りの月の崩壊を見届けると…月を喰らう、巨大な影に心を奪われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星と星の間、(くう)無き無謬(むびゅう)の領域で見据えたのは…規則正しく行進を続ける月の民達。

 

彼等一人一人に罪は無い…有るとすれば、彼等を向かわせる上役共の与り知れぬ打算と奸計による不実さのみ。

 

彼奴等は私の存在など、とうの昔に忘れ去った事だろう。月の開拓の為、発展の贄として表側に縛られていた愚かな竜は…今も尚味わった辛酸を忘れ得ぬというのに。

 

『空間固定、斥力場生成ーーーー完了ーーーー飛べ』

 

負の極点の第一、重力子操作を応用して起こした斥力(せきりょく)によって、月の使者一個師団を纏めて月へ放り投げた。

 

何が起きたか分からないといった風な彼等は、現象こそ派手だが安全に月の表側の何処かへ漂着するだろう。

 

これで異物は消えた…後は、月と地球を繋ぐ経路を跡形も無く取り除くのみ。

 

『夢は今砕かれた 嘆きの墓も 死の土も 遍く総てを奪い去ろう』

 

編み上げた言霊は、目的を完遂するには充分な代物だった。余波を防ぐ為、双方の星を闇で包み込んで次節を唱える。

 

『底深く 影を引き 奈落に堕ちた想いを掲げ』

 

歌う様にとは行かないが…言い慣れた言葉で力に指向性を持たせ、幻想郷では決して行使出来ない規模の負を蒐める。

 

星雲級か、銀河一つ分、若しくは単一宇宙程度か。何れにしろ世界の形を歪めるモノを此処に吐き出す。

 

『落涙は創造を排し 海祇に浮かぶ偽りを越える』

 

焼き付けろ、そして思い出せ…法界の闇と疎んだ力の片鱗を垣間見て、老いさらばえた記憶を呼び起こせーーーー我は、此処に在り。

 

『滅びの刃 暴虐の海 唯我の光 懐いて来たる其の姿ーーーーーーッッ!!!』

 

残り一節を待たずして、変化は急激に訪れる。

神秘とは負也。力とは負也。幾多の次元を綯交ぜにして産み出された闇の発露が、蠢く濁流となって星間の道筋を喰い荒らし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

現想(げんそう)ーーーー《負極総体・残蝕(ふきょくそうたい ざんしょく)》ーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙の果てには、観測不可能な深淵の領域が有るという。無限に膨張を続ける故か…又は肉眼では捉えられない何かが潜んでいるのか。

 

答えは簡単だ…其処から先の位相には別の宇宙が存在していて、幾重も連なる世界は地続きでありながら鏡合わせの様にまた果てから果てへと延びている。

 

法界の闇とは大仰だが上手く言ったものだ…吐き出した負の濁流は破壊と深淵を撒き散らし、月と地球の間に裂け目を遺して根元を絶った。

 

唱えた力の残滓は縦、横、上、下、前、後、斜といった全角度全方位からの干渉を否定し…無理に近付くモノを最果ての何処かへと放逐するだろう。

 

『終わったな…これで行き来する事は出来ぬ。幻想郷へ直接来るならば別だが、一部の力有る者が単独で来るか…永琳達が転移術式で通さねばそれも有るまい』

 

間近に映る月を眺め、音の反響しない真空の宇宙で呟いた。真当な生物では生存すら出来ない此処には、私の臆測に答えは返らない。

 

『暫くはそうして居ると良い…最早貴様等には何の興味も無い。永らえさせるも滅ぼすも同じ事だ』

 

黒い孔を幻想郷に繋げて、何も変わらない月から視線を移して転移する。永遠亭の庭先に戻ってみれば…永琳が私を見るや走り寄って来た。

 

『終わったのね? てっきり月の半分位は抉り取ってしまうかと覚悟していたけど…』

 

『星そのものに興味は無い。咎を負うべきは上役どもだけだ…しかしながら、態々消しに行くのも億劫だったのでな』

 

心身腐り落ちるまで放置せよ…と暗に伝えると、彼女は深く溜め息を吐いた後に苦笑で応えた。

 

『それじゃあ、結界を解いて皆を集めるから。貴方も手伝って貰える?』

 

『無論だ』

 

それからの行動は実に速かった。北に留まっていた紫達に呼び掛け、睨み合うレミリア嬢と西行寺達を宥めてから意識を失った鈴仙、魔理沙、アリスを簡素な寝台が並んだ部屋へ運び、残った者で応接間にて事後処理に向けた会合を開く事となった。

 

 

 

 

 

 

『早速だけれど、此方の提案を先に幾つか…負傷した者は、ウチで看病させて頂くわ。異変の責任については』

 

『お待ちなさいな、八意永琳。その前に聞きたい事が有りますの』

 

『何かしら?』

 

テーブルを挟んで向かい合う二人の温度差は凄まじいモノを感じる。永琳は淡々と、紫の方は顳顬(こめかみ)に青筋を立てて進行を遮った。

 

『どうして……どうしてさも当然の様にコウ様に腕組みなどしてるのか、小一時間ほど問い詰めたい所ですわ…っ!』

 

『妖怪の賢者様はご存知無いみたいだけど、彼と私は古い付き合いなの。それはもう千年なんて欠伸が出るくらいの長い長い縁で、当然と言えば当然の権利を主張するけれど?』

 

何故二人が水面下で諍うのか分からないが、助けを求めようにも両脇に座るレミリア嬢と西行寺も似た様な剣呑さで空気が重い事この上無い。

 

『紫、そんなのは後にして頂戴? 九皐さんに頼まれたとはいえ、狼藉を働いた吸血鬼と従者を今は糾弾するべきよ』

 

『まだ根に持っているのか? 最初に言った筈よ? 事情を伝えようと伝えなかろうと結果は変わらなかった、事実その通りではなくて?』

 

咲夜と妖夢は永遠亭に着いた直後に互いを慮って謝罪していたというのに…二人の主人は頑として譲らない。他の面々は素知らぬ顔で座っていて、四方から視線を投げ付けられる私に見向きもしない。

 

『私の気が回らなかった故に起こったのだ…勝手な言い分だが、責めるなら私だけに止めて欲しい』

 

『妖夢も私も心配しましたけど、既にそういう段階では有りませんから少しお黙りになって下さいな』

 

うむ……取り付く島も無い。自分が原因だと自覚している為に居心地の悪さも一入だ。

 

『だとしても、紅魔側(わたしたち)は彼への恩を返すのも含め異変を終わらせる為の最適解を選んだまでよ』

 

『そもそも永遠亭の者が彼を引き止める様な話を持ちかけたのが原因ですわ! 厳しい判断は免れません! あといい加減離れなさいな!』

 

『ーーーーーーあのさ』

 

席から外れて縁側に立っていた霊夢が、不意の一石を投じた。表情は神妙だが、何処か気不味さの拭えない様子で口を開く。

 

『異変ていうのは、起こるべくして起こるもんだと私は思うのよね。レミリア達も、九皐も…事情が有って成り行きでこうなったんだしさ。それに、考えが違えば手段も変わるのは当たり前じゃない?』

 

『分かってるじゃない、そうよ! よって紅魔側に責任は』

 

『バカタレ! 誇り高い種族だのって日頃散々口にしてんだから、謝るべき所は謝れ!』

 

増長したレミリア嬢の頭を、霊夢の軽快な平手打ちが制した。余りにも勢いが良かった為か…叩かれた瞬間テーブルに額をぶつけた紅魔の当主は涙目になっている。

 

『うー! こっちだって幽々子の能力で死にかけたんだからおあいこじゃないのー!!』

 

『あんたが先に仕掛けたってんだから当たり前でしょうが! 小賢しく格好付けて喋るからそうなるの!』

 

『ふふ…まあまあ、良い運動になったって事で許してあげるわよ。それくらいにしてあげたら?』

 

『幽々子様…運動と仰いましたが、確かに近頃お召し物がキツくなったとーーーー』

 

『きゃああああああ!? 何でばらすのよおおおお!?』

 

霊夢のお陰で、各々の頬が自然と緩んでいる。

先程まで殺伐としていた会合は和気藹々とした様相を呈し、これも幻想郷の日常だと紫が締め括った。

 

敵わないな…皆、懐の深い少女達ばかりだ。最悪、永遠亭の皆も含めて私も重い代償を強いられるかと思ったが…楽園に生きる者達は、流石に一味も二味も違ったらしい。

 

 

 

 

 

 

その日は未だ気付いていなかった…後に永遠亭で開かれた宴会で、私が針の(むしろ)になる事が決まっていたなどとは。

 

『コぉぉぉウぅぅううう!? 飲んでるぅ? わらしは姫なんだかりゃじゃんじゃん飲んれるわよぉ?』

 

『うむ……輝夜よ、少し飲み過ぎだ』

 

姫君が、壊れてしまった。いや…泥酔した所為なのだが、座敷で座る私の背後から首に手を回して抱き付いてから一向に離れない。

 

『何を言うかこの行き遅れの神崩れ! コウ様は私をひしと抱きしめてーーーー!!』

 

『偶々ご褒美貰ったガキが調子乗るんじゃないわよ! 私だってコウと再会した時はーーーー!!』

 

永琳と紫も…酒には強いと公言していたというのに、赤ら顔で目が据わったまま《九皐自慢》なる不可解な言い争いが白熱する始末だ。

 

『だからごめんなさいって言ってるじゃないれすかぁ! 私だっておじょうしゃまがかりちゅまだったために! ために!』

 

『わるいのはわたしなんれすぅ! 幽々子さまが太った太ったうるさかったかりゃ気がたってたんですぅ!』

 

妖夢と咲夜は、永夜異変と名付けられた件の戦いには全く関係の無い主人の愚痴を零しながら同じ会話を繰り返していた。

 

『ううう、酷いわ妖夢ちゃん! 幽霊だから太るわけないもん! せーちょーきなんだもん!』

 

『わかる! カリッスマの私らってまだまだ育つのに、フランちゃまったら身体だけはおこちゃまだのなんのって!』

 

混沌の極みだ…異変に参加した主な人物達は、飽きもせず半日も酒盛りと乱痴気騒ぎを止めない。宴会とは…色々な意味で恐ろしいと実感する瞬間だ。

 

『おまえらはいいよなぁぁあ!? わたしとアリスなんて《もこたん》にノックアウトケーオーされて丸二日入院でさぁあ!!』

 

『そーよそーよ! ほんっっっとに死ぬかと思ったのよぉ! セキニン取れー! 誰か私とトモダチになれぇえええ!!』

 

『ごめんって!? 本気で戦ったらもう友達だから! な? あともこたんって私!? あーもう! コイツ等いつまで飲む気なのよ!?』

 

弾幕ごっこで妹紅に負けたという魔理沙とアリスは、数少ない素面の彼女に絡んであの調子だ。私も、動けない故助ける事も出来ない…何故動けないかと言えば。

 

『すぅ…すぅ…』

 

『むにゃ……はぁ、あったかぁい……すぅ…すぅ』

 

開始から早々酔った鈴仙と霊夢が肩を組んで千鳥足で向かって来た後、何故か膝を貸せと詰め寄り…為すがまま見届けると二人で片足ずつ枕代わりに眠り始めた。

 

『動けないな…流石に疲れて来たぞ』

 

『ウサぁ? お兄さん酒が進んでないウサよ! ほれ、ほれ! もっと飲むウサ!』

 

因幡よ…盃ごと顔に押し付けるのは止してくれ。酒の席は無礼講、何と都合の良い言葉か。

 

宴は終わらないーーーー潔く諦めよう。麗しくも心の大らかな少女達の声と温もり…華やかでだらしの無い光景を肴に、因幡に持たされた酒を嚥下する。

 

『…………酒が、美味いな』

 

 

 

 

 

 

 

『むっきいいっ!! 私の方が胸がちょびっとだけ大きいから勝ちですううう!!』

 

『胸がなによ!! 女の身体は比率が命よ! お尻から脚の曲線美は私が上だわ!!』

 

紫と永琳の自慢話は、脱線して何方が魅力的かという話に落ち着いた様だ。非常に興味の湧く内容だが…年頃の女性が胸、尻と連呼するのは頂けない。

 

 

 

 

 





何億歳か分からない主人公でも、女性の胸や尻には弱いようです…投稿者は尻派ですが。

本編で宴会の様子を詳しく書いたのは、実は初めてなんじゃないかと思います。みんなへべれけですね、そして一人生き残ったコウはいそいそと片付けを始めるのです。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!!


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風神録編
第五章 壱 神錆びた記憶に問う


遅れまして、ねんねんころりです。
皆様のご愛読のお陰で、風神録まで何とか進んで参りました。構想としては出来上がっておりますが、だらだらと書き上げてしまいました。

この物語は度々の場面転換、ゆったりとした滑り出し、厨二マインド全開でお送り致します。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

在りし日の遠い記憶…私は伸びた鼻っ柱を叩き折られた事が有る。本当に鼻が折れたんじゃなくて己の長い生の中で、最初に凄まじい挫折を味わったという意味だ。

 

偶然出会ったソレは…図体ばかりデカい、其処等の有象無象と変わらないと侮っていた。得意気に挑みかかった私は数瞬の後、その認識はとんだ慢心だったと気付かされる。

 

まるで虫でも払うかの様に容易く、事も無げに振るわれた掌は…光の速さで私を弾き飛ばした。

 

岩場に叩き付けられ…爪先から頭の天辺まで軋みと痛みが浸透するあの感覚。

 

今でもよく憶えている…無感動で無表情、ただ呆れ果てた風な素振りで佇むソレは一言だけ呟いた。

 

「児戯にも劣る」

 

磨き上げて来たモノを真っ向から否定され、憤慨よりも悔しさと自分の未熟さを思い知った。ヤツの前に立ち、生きて帰った私は同胞達から英雄の如き賞賛を受けたが…その日は己の不甲斐なさに涙し、ヤツに告げられた言葉を恥じて眠れなかった。

 

「いつか…必ず」

 

心に決めて…明くる日も明くる日も鍛錬に時間を費やして、再びソレに再戦しようと目論んだ一方的な誓いは、それから先果たされる事は無かった。

 

挑まなかったのでは無い。幾年も我武者羅に己を鍛えていたある日、諏訪の国の長がヤツより先に私の前に立ちはだかったのだ。

 

「私に勝っても…彼は越えられないよ。だってーーーー」

 

接戦の末勝利した私は、彼女の次の言葉を聞いた時…膝から崩れ落ちていた。

 

私が再戦を誓ったソレは、神々の間で《法界の闇》と恐れられた正真正銘のバケモノだという。噂に違わず、事実たった独りで…奴は或る日討伐と称して住処に押し入って来た並み居る神々を、赤子の手を捻る様な気軽さで倒し尽くした。

 

入念な計画で以って行われた筈の襲撃は、参加した者全員ヤツに叩き鞣されて失敗に終わったらしい。

 

私が諏訪の長と争っている間…ヤツは神々の誰一人殺さずに力だけを奪い、異能のみを喰らい、完膚無きまでに誇りを打ち砕いて行った。

 

抱いたのは、神々の沽券を潰された事への憤慨ではない。何処で産まれたかも分からぬ化外のモノでありながら、神も、悪魔も、凡ゆる幻想に係る者共を抜き去ったヤツへの……純粋な尊敬だった。

 

どうすればアレに届く?

何を糧に生きれば資格を得られる?

どれだけ力を高めれば…ヤツに認めて貰える?

 

取り留めも無い思考が何千何万と繰り返された神代の末期……ヤツは地上から突如として姿を消し、人間が幻想を否定し始めて科学の時代が幕開けると共に、神々(わたしたち)の時代は終わりを告げた。

 

「ねえ、一つ提案なんだけど」

 

日増しに薄まる信仰と力の脆弱さに苦痛を感じ、ポツリと何処かで打ち拉がれていた私に…遠い昔に敗北した土着神が問いかけて来た。

 

「一緒に、信仰を集めてみない?」

 

敗者である筈の彼女が差し出した手は、私にとって望外の希望だった。消えてなるものか…諦めて堪るか…いつかまた逢える…その時こそ。

 

私は伸ばされた手を固く握り返し、細々と永らえながら存在を保ち続けた。

 

更に多くの時代が過ぎ去り…信仰どころか遍く幻想が無くなった人間の時代。寂れた御神体に横たわる私に報せが入る。

 

「幻想郷?」

 

「そう! 幻想に生き、現実に忘れ去られた者たちの最後の楽園! 最近出来たらしいんだけど…私達で行ってみない!?」

 

生き続けなければ、これ以上ヤツを待てない。二人(・・)と共に居る為には…現代から楽園に落ち延びねばならない。

 

結論は直ぐに出た…彼女も私も、科学が発展した今の世界には何の未練も無かった。

 

予想外だったのは…あの娘には親も友人も居て、確たる外での関わりが有ったなのに、あっさりと私達に付いて来ると言って退けたこと。

 

其処から先は、まだ分からない。何故なら…私達は今此処に立っているからーーーー美しくも小さく、愛すべき最後の拠り所が、目の前には広がっている。

 

 

 

 

 

 

『待っているぞ…! 次に見えるその時まで、私は此処で生きているーーーー!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

永夜異変からある程度の月日が流れ、秋の入り口に差し掛かる頃…私の幻想郷での暮らしも漸く一年越しになったある日。

 

『賽銭が入らない?』

 

『そうなのよ! 誰かさんが手柄を持っていくお陰で、私の商売は上がったりよ!』

 

成る程…博麗の巫女とは商いか何かだったのか。異変を解決すれば、賽銭という名目で生活資金が配られると。

 

『博麗神社が信仰不足だなんて、今に始まった事じゃないでしょう? 言い掛かりはやめなさいな』

 

違ったらしい。宿業では有るが、生業ではない…深い議題だが茶飲み話でする内容では無いだろう。

 

『で? コウは良いとしても何で貴女達までいるのよ?』

 

隣に座っていた幽香が、眉を顰めて紫と霊夢を指差した。紫は片手に控えた扇を畳み、淹れられた茶を一口飲み込んでから応える。

 

『ええ…私もコウ様と霊夢には用事が有りましたの。別に? 風見幽香こと生涯現役のハードパンチャーゴリラにコウ様を独り占めされるのが悔しかったとかそういうのでは無くてよ?』

 

『そのゴリラの拳をたっぷり顔面に喰らわしてやるから表へ出なさい』

 

幽香と紫は口を開けばいつもこの有り様だが、別に仲が険悪なのではない。寧ろ特別親しいと言える…交流の方法は特殊という他無いが。

 

『待ちなさいよ、あんたがコウを追っかけ回すのは分かるけど…何で私まで?』

 

『ほーら霊夢にもストーカー認定されてるわよ賢者様?』

 

『それ位で止めておけ…紫、用事とは何だ』

 

席から立って両手を組み合っていた二人は渋々座り、紫は重々しい口調で語り出した。

 

『妖怪の山で、異変が起ころうとしています。これまでより小規模と見ておりますが…藍達に調査させたところ、近頃幻想郷に移って来た新参者との事です』

 

『異変を解決するとなれば手も貸すが…私と霊夢にどの様な関係が有るのだ?』

 

『人里で、永遠亭側が奇妙な光景を見たと情報を流してくれましたの』

 

益々分からない…妖怪の山で異変が起こると言った矢先に人里で何かを目撃したとは。私と霊夢が首を傾げていると、続きを話す紫の表情が更に強張った。

 

『何でも…妖怪の山に神社が建っていて、其処に在わす神々を信仰すれば今後博麗の巫女を頼る必要も無いなどと触れ回っているそうです』

 

『はあ? 新しい神社が妖怪の山に?』

 

『名を守谷神社と言うらしく…二柱の神を宣伝する巫女の存在も確認したと』

 

守矢神社…守谷という名は聞いた覚えが有る。紫が取り出した手帳に筆で書き記したそれは字こそ違うがーーーー二柱の神、守谷、信仰…まさかとは思うが、彼女等も幻想郷へ来たと言うのか。

 

『不味いな』

 

『九皐…心当たりがあるの?』

 

『確証が無い。今は…何も言える事は無い』

 

『私は興味無いわね。ほら、調査するなら全員さっさと行きなさい』

 

幽香は我先にと立ち上がり台所へ進んで行くと、玄関先で待つ私達へ何かを差し出して来た。

 

『コウと霊夢にはコレをあげるわ…帰ったら食べなさい』

 

『何よこれ? くれるの!?』

 

『簡単なクッキーだけどね。味は保証するわ』

 

『うっひょお! ありがとう! お茶も中々だったからこのくっきぃ? も当たりね、タダなのが尚良いわ!』

 

両手に持った小包を手渡され、霊夢は大層喜んで幽香の家を飛び出して行く。話では紫から報酬代わりに生活費を工面して貰っている筈の彼女だが…日頃何に浪費しているのか。

 

『何で私の分が無いのかしら?』

 

『冗談よ。でも、食べ過ぎると太るわよ?』

 

二人の交流は、煽り合いに始まり煽り合いで幕を閉じた。

幽香が悪戯な微笑で放った最後の一言に憤慨しつつも譲り受けた焼き菓子を大事にスキマへ仕舞い込んだ姿は、二人の不器用な関係性を物語り、私には丁度良い目の保養となってくれた。

 

 

 

 

 

 

幽香に促されるまま霊夢と紫、そして私の三名は彼女の家を後にした。スキマを使わせて貰い、一先ず博麗神社へ向かうと…見慣れぬ人物が境内に一人立っている。

 

紫と視線を交わし、立ち止まって神社の側で見守っていると…霊夢は緩慢な歩みでその少女へと近寄って声を掛ける。

 

『どちら様? 賽銭置いてってくれるなら大歓迎よ』

 

『………貴女が、博麗霊夢さんですか?』

 

礼儀正しく霊夢に対して会釈した少女は…真意の掴めない飄々とした笑顔で言葉を発した。

 

『初めまして、《東風谷早苗(こちやさなえ)》と申します。突然ですが…この度は御挨拶と、宣戦布告をさせて頂く為に参りました』

 

東風谷早苗と名乗った少女の言に反応し、傍らの紫から冷たい気配が漂って来る。されど私が制するまでも無く…彼女は見事な自制心で成り行きを見守るに至った。

 

宣戦布告と宣ったが、あくまで霊夢に向けられたモノに私達が踏み入るには未だ早い…当の霊夢は、特段興味も無いのか沈黙を貫く。

 

『やっぱり…変ですよね。でも! 異変を起こすからには全力で取り組みますので! 私達の勝利の暁には、幻想郷の信仰を丸ごと貰っちゃいます!』

 

『そう…あんた達が妖怪の山に来たって奴らね。それじゃあーーーーあんた達が負けたら、どうするの?』

 

活発な口調で続ける東風谷何某を前に、憮然として言い放った霊夢には不気味な程に感情が篭っていない。胸の内をひた隠しにする博麗の巫女を前に、無駄に意気込んでいた相手も肩透かしを喰らっていた。

 

『あう…さ、流石です! 戦いは既に始まっているという事ですね! もし! 万が一! 私達が負けたらーーーー負けたら、どうしましょう?』

 

『はぁ…私に聞かないでよ。異変起こすのは分かったから、で? 何日後に決行なの?』

 

『はい! 明後日を予定して……あ!? いい、いつでしょうね!? 私は御使いなので分からないです…よ?』

 

根が正直か、単に乗せられ易いのか…堂々と明後日に決行すると答えてしまったからには後の祭りだ。慌てて白を切る少女の姿は、双方の温度差も相まって少々哀れにも見える。

 

『はいはい、精々惚けてなさいよ。明後日まで見逃してあげるから、とっとと帰んなさい』

 

全く興味が無い様子で少女は突き放され、霊夢は私と紫に目も合わせずに屋内へと戻ってしまう。残された東風谷は顔を伏せ、自身の服の裾を握り締めて動こうとしない。

 

『あうう…失敗ですかね。お二人共怒るかなぁ、《神奈子(かなこ)》様、《諏訪子(すわこ)》様…ごめんなさい』

 

先程の失態が尾を引いている様で、側から窺える東風谷は居た堪れ無い程に弱々しく独り言を繰り返している。何時の間にか紫は見当たらなくなっており…落ち込む少女を私が盗み見ている状態だ。

 

それよりも…気に掛かったのは東風谷の呟いた神奈子、諏訪子という人物の事だ。幽香の家では憶測でしか無かったが…不運にも、私はその名前に聞き覚えが有る。

 

『其処の愛らしく快活な少女よ、東風谷と言ったな』

 

『え!? は、はい…何ですか?』

 

東風谷は風に靡く美しい長髪を揺らして反応を示し、翡翠を思わせる独特な色彩の眼を私に向けて来る。不意を突かれた所為か、(さなが)ら小動物の如き彼女の挙動は機敏だったが…独りでこの有り様では不審極まり無い。

 

『君に(これ)を授けよう…態々来たのに何も無しでは申し訳無い』

 

かく言う私も、去り際に幽香が持たせてくれた焼き菓子を出会い頭の少女に分け与えて慰めんとする姿も…彼女にとってはさぞ不気味だろう。

 

『あ、貴方は…何方様ですか?』

 

『うむ、私は九皐と言う。霊夢とは友人…と言って差し支え無い間柄だ。それにしても、博麗の巫女相手に異変を起こすなどと…見掛けに寄らず肝が据わっている』

 

『そうですか!? そうですよね!? 神奈子様には止められたんですけど、お世話になるなら挨拶は必要かなと思って…来たん、ですが』

 

彼女なりの気遣いだったが、霊夢の反応は予想より遥かに冷たかったと。霊夢も何が気に障ったのか…いや、今は眼前の少女の事に専念しよう。

 

『東風谷』

 

『はい?』

 

『気を付けて帰ると良い』

 

そう告げると、彼女は取り繕いながらも綺麗な笑みを浮かべて空へ飛翔する。かと思えば空中で身を翻し、私に深々と頭を下げてから再度何処かへと帰って行った。

 

異変、守谷、東風谷の口にした名前の神々(・・)…明後日には起こるだろう新たな出来事。現れた少女の笑顔に反して、私の心には複雑な感情を波立たせていた。

 

八坂神奈子(やさかかなこ)洩矢諏訪子(もりやすわこ)…そうか。あの(わっぱ)達も、敬われる程度には名を上げたのだな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 東風谷早苗 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖簾に腕押しという体だった博麗神社訪問でしたが、結果としては悪く無いと思えた。

 

落ち込んでいた私にクッキーをくれたあのヒト。九皐と名乗る御仁は見た目より凄烈な気配をビシバシと伝えていたのです。

 

霊夢さんには気もそぞろな私の態度を見抜かれたのか冷たくあしらわれましたが…終わり良ければ全て良しです。

 

『ただいま戻りました』

 

『お帰り早苗! 今日も信仰集めご苦労様』

 

『怪我はしてないかい? 早苗はそそっかしいから、帰りが遅いと心配になるよ』

 

神社の裏手に位置する母屋で、私を待っていたお二人が優しく労ってくれた。しっかり宣伝してきましたと伝えて、二人の囲んでいるちゃぶ台に自分も腰掛ける…それと、もう一つ伝えておかなくてはならない。

 

『ごめんなさい…神奈子様、諏訪子様。私、止められていたのに』

 

『博麗の巫女の所へ行ったんだろう?』

 

『どうしてそれを…』

 

『分かるよ。早苗は私と同じで真面目さんだから、挨拶に行ったんでしょ?』

 

『おい諏訪子、誰が早苗と同じだって?』

 

慣れた掛け合いに心癒されながら、独断で動いた私を二人は咎めない。温かくて、有り難くて、本当の親よりも親らしい…私の大事な二人の神様。

 

『ぶー! 何だよ神奈子ってば、あ! それでそれで? 博麗の巫女はどうだった? 強そう? 弱そう?』

 

『お前の感想を率直に言っておくれ』

 

『よく分かりませんでした…でもーーーー』

 

言い淀む私に、お二人は顔を見合わせている。そう…私は博麗の巫女である霊夢さんを様子見しようと行った。けれど私の頭の中には、私達を側で見届け、霊夢さんのお友達だと言いながら私を慰めてくれたあのヒトが浮かび上がる。

 

『不思議なヒトに、会いました。背が高くて…整った顔立ちに黒髪、銀色の眼が鮮やかな男のヒトです』

 

『……オトコ?』

 

『早苗、悪い事は言わない。お前にはまだそういうのは早いとあたしゃ思うよ』

 

何を仰ってるんですかこの神様達は! そういうのじゃ無くて! いえ、私も年頃ですから興味が無いと言えば嘘になりますが!

 

『違います! 霊夢さんに素っ気なく帰れと言われてしまって…来てくれたのに申し訳ないって励ましてくれて、あ、お土産にクッキーも頂いたんですよ! ただ…』

 

『『ただ?』』

 

いつの間にやらちゃぶ台に置いておいた分けてもらったクッキーを食べ始めていた二人は、口元に付いた食べ粕もそのままに問い返した。

 

『凄く…不思議でした。纏っている気配が凄く大きくて、夜の闇に投げ出されているみたいな。だけど全然怖くなくて、優しくて』

 

そこまで語り終えると、お二人は今までに見た事が無い位の神妙な表情で違いを見ている。何か気になる事でも有ったのでしょうか?

 

『早苗…そいつ、名前は何て言うんだい?』

 

『確か…きゅうこうさんだったと思います。九番目の九に皐月の皐の字で九皐さん』

 

『もしかしてと思ったのに…私達の知ってるアイツの名と違うね? 初めて逢った時は深竜って呼ばれていたけど…』

 

『隠していたのか後から名乗ったのか…いや、別人という可能性もーーーー』

 

ブツブツと意見を交換するお二人は、真剣ではあるものの何処か嬉しそうというか…古い友人か判断し兼かねている様です。

 

『お友達なんですか?』

 

『まさか! 寧ろ種族で見たら敵側だよ。と言っても、神々が勝手に敵視して負けたんだがね』

 

『深竜は強かったよねえ! 性別が男、というより雄だって事しか分からないし…負を操る力だっけ? アレには誰も勝てなかったんだ。尤も、能力使う前に殆どの奴等が拳一つで伸されてたけど』

 

そんな方が昔は居たんですね…誰も勝てないという事は文字通りその時代の最強! 信仰が最盛期に達していたという神すら大半をワンパンKOなんて、私には想像もつきません!

 

『不思議な話でさ、挑まれたら拒まない癖に殺生はしなかったね。それが逆に不気味というか、得体の知れなさに拍車が掛かってたよ』

 

『早苗の言ってた男がそうとは限らないけど、もしヤツが人型に化けられるんだったら怪しいね! 気配とか印象とか…私達が感じてたのとそっくりだよ!』

 

一体、九皐さんは何者なのでしょう。生まれだけなら神々の敵方なので、妖怪さん? と予想しますが…。

 

『お二人が見たその方の特徴は覚えてますか?』

 

『覚えてる覚えてる! 身体だけならもっと大きい奴はゴロゴロ居たけど、身体の中に留めてる力の威圧感は半端じゃ無かったね!』

 

『加減というか、意図的に抑えていたのだろうな。私は奴と一度だけ対峙した事が有ったが、結果はボロ負けさ。子供の遊びだって一蹴されたよ』

 

『神奈子様を子供扱いなんて…!』

 

カラカラと笑って負けた話をする神奈子様、戦いこそしなかったが力の差を思い知った諏訪子様…何だか、神社で出逢った彼に関連付けると運命的な匂いがします。

 

『今は……どうですか?』

 

『ん? そうさね…負ける積もりは無いけど、私も馬鹿じゃない。また戦いたいとは思うけど…死にたくも無いね』

 

一番に答えた神奈子様は、その実眼の奥は口調ほど笑っていない。証拠に右手が白む程握り締めていて…軍神として、何より再戦を望む自身の血が騒いでるのですね。

 

『私はーーーうん、やっぱ戦いたくないなあ。幻想郷に来てから存在を維持するのに力は使わなくなったけど…今にしたってヤツと私じゃお話にならないよ』

 

諏訪子様は、日頃の振る舞いは軽くて適当でも冷静さや観察眼は未だ健在ですから…単一の存在として比較した場合の勝機は無いと結論が出ているらしい。

 

『そうだ! 早苗の言ってた男が、私たちの知ってる深竜か調べてみない!?』

 

『ふむ…まだ一日有るしな、不確定要素を調査する必要も出てくるだろう。よし! その九皐とやらを探るのは早苗に任せよう!』

 

『ええ!? さ、探るってどうやって…それにもし彼がシンリュウって方だったらーーーー』

 

『大丈夫だよ! バレたらこっ酷く怒られるかもだけど、本物だったら殺されやしないから。違ってたら、早苗の能力で何とかなるよ』

 

『そうだな…理由付けて連れ回して、あれこれ質問すれば自ずと分かるだろうし、頑張るんだよ早苗!』

 

この神様達は…変な所で親バカ顔負けで過保護な時が有るのに、好奇心だけで私に探りを入れろだなんて!

でも、私も興味が唆られるのは事実ですから…本当にしょうがないですね。

 

『…分かりました。やるからには、確りと真偽を確かめて来ますから!』

 

明後日には異変を起こすのに…私達は幻想郷に来てから盛り上がりっ放しでした。だって、私達が居ても良い場所を…漸く見つけられた。神奈子様は再起を、諏訪子様は安寧を、私はーーーーーー。

 

『あ! もうこんな時間です! 今すぐ御夕飯の支度しますから、待ってて下さいね!』

 

『わーい! ごっはん! ごっはん!』

 

『今日はどんな酒が良いかなぁ…肉ならアレだし、魚ならアレも…』

 

賑やかしい神様達は親の様な、姉妹の様な、それでいて子供っぽくて…とても優しい。これまでもこれからもーーーーお二人が居れば私は寂しくない。

 

だから…叶えてあげたい、お二人の望みを何が何でも。物心着いた頃から、お二人が私を見守り導いてくれた様に…私も神奈子様と諏訪子様に報いたい。

 

『ふふふ…今日は秋刀魚ですよ! 入信してくれた魚屋のおば様から頂いたのです!』

 

『『おおおーーーーっっ!!』』

 

夜はゆっくりと更けて行く…心に蟠る、明日の彼との再会に期待と不安を綯い交ぜにして。刻一刻と近付く異変、約束の日。

 

きっと大丈夫…幻想郷でなら、この楽園なら、私達は許される。生きていて良い…存在して良い…此処は全てを受け入れてくれるって、諏訪子様達が仰っていたんだもの。

 

『よおーし!! 明日の英気を養う為に、今日は飲むぞおおお!!』

 

『おー!!』

 

『お二人とも、 二日酔いにならない程度にして下さいね!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何千万年、何億年前の話か…過去を想う夢に身を委ねてみれば、東風谷と逢って二人の名を聞いた所為か所縁の深かろう映像が浮上する。

 

夢の中に広がる光景は、自らの事だというのに第三者的な視点から其れを見ている。八坂神奈子…うら若く凛々しい出で立ちの彼女の佇む崖の向こうから、太々(ふてぶて)しく神を見下ろす我の姿が在った。

 

「貴様…何者だ! 我を軍神、八坂神奈子と知って尚見下ろすか!」

 

そうであったな…難癖を付けて煽り立てる彼女に、私は辟易としながら静かに待っていたのだ。

 

仕掛けて来るなら構わない、彼女を眼に映しただけで…力量、経験、精神の均衡、信仰により高められた存在の密度まで、手に取る様に私には分かっていた。故に、彼我の差に気付かぬ浮かれた神の戯言に答えなかったのだ。

 

「………」

 

「痴れ者が…我が威光を前に頭も垂れぬか。ならばーーーーッッ!」

 

背に備えた二対の柱が繰り出される。瞬く間に巨大化した石とも鉄とも取れる柱は、軍神の意のままに操られ渾身の連打を浴びせに掛かる。

 

ーーーーーー過去の我は、己が身に勝る程膨らんだ四本の柱を片腕で薙ぎ払い…巻き込む形で軍神を吹き飛ばした。

 

「児戯にも劣る」

 

事の顛末は記憶の通り、軍神は反応出来ず近場に聳えていた岩場に打ち付けられる。柱は砕かれ、一薙ぎにされて満身創痍と成った軍神に辛辣な物言いの我の何と傲慢な事か。

 

尋常に勝負とはならなかったまでも…誇りを重んじる神に精々付き合ってやる余裕と時間は有ったろうに。

 

「去れ」

 

「ま、て…! 私はーーーー未だ…ッ」

 

強者の驕りか、気紛れな慈悲か…何れにしても悪い事をした。精魂尽き果てる迄相手をしてやれば、互いを讃え合う機会も生まれたのか…否、意気の籠らぬ見て呉れだけの技と術理に拘う趣味は持ち合わせていない。

 

気高さと、力、強さに重きを置いて軍神と称された者には半端な気休めは不要と断じた。

 

「拙いが…何もかもが悪くは無かったな」

 

捩じ伏せられた彼女は慟哭と共にその場から立ち去り、我は呟きの後より速く何処かへ飛び去って行った。

 

 

 

 

軍神よ、八坂神奈子よ…現代より楽園へやって来たお前は、何を思って其処に立っているのか。

近い内…是非聞いてみたいものだ。







コウの過去話が絡むと、その時代を生きていた人物の方が彼への畏敬や恐れは強烈かもしれません。

一度見たら忘れられない見た目というのは、良くも悪くも後先に感慨を持つのは人妖問わず有ると思います。

余談ですが、法界の闇などという大仰な名前は彼からすればひとりでに付いたモノで、自分からあやかって名乗った事は無い代物です。

今でこそ歳だけならお爺ちゃんの彼に、若かりし頃そこまでの自己顕示欲が有ったなら、もっと多くの時代、歴史に悪名を轟かせていたことでしょう。


長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございました!


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第五章 弐 闘争への愉悦

遅れまして、ねんねんころりです。
かなり日を開けてしまいましたが、詰め込めるだけ詰め込んだせいで、今回は目まぐるしく各人の心情や内側が描かれています。

この物語は度重なる場面転換、キャラ崩壊した残念な登場人物、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りいたします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お出掛けしませんか!?』

 

『……君は何を言っているんだ?』

 

自宅の庭先で雑草の草刈りや風に流れて来た落ち葉を集める…所謂清掃に独り勤しんでいると、昨日に知り合ったばかりの東風谷から唐突な誘いを受けた。

 

早朝の静けさを打ち破る快活な一声は、元気で大変宜しいのだが…如何にして私の屋敷へ至ったかは不明である。

 

『人里へ遊びに行きましょう!』

 

『うむ…掃除が終わるまで待ってくれると有り難い』

 

『え!? 良いんですか!?』

 

『何故君が驚くのかは分からないが、断る理由も無いからな』

 

麗しい少女が私の様な枯れ枝を誘うとは、全く酔狂な話だが…降って湧いた幸運に有り難く肖ろう。彼女はただ待つのでは居心地が悪かったのか、自らも箒を手に庭の掃除を手伝ってくれた。

 

『ありがとう、君のお陰で予定より早く片付いた。さて…これから行く先は人里で良かったか?』

 

『はい! 九皐さんには昨日のお礼も兼ねて、是非お食事でもと!』

 

東風谷の目の前に、何時も通りの黒い孔を創り出す。前触れも無く展開された転移の孔に、彼女は一瞬だけ身構えたものの…私が用途を説明すると物怖じせずにその孔を潜って行く。

 

続いて入ると、滞り無く人里の出入り口に出た東風谷は眼前に広がる街並みを不思議そうに眺めていた。

 

『ど、どういう原理なんです? テレポーテーション? 瞬間移動??』

 

『君の言うテレポーテーションというのが何かは知らないが…原理か、掻い摘んで言えば座標を解析して通り道を開けたに過ぎない』

 

物体を移動させるに際して、私の場合は自ら動かねばならない。孔の出口は上下左右と造るのに限りは無いが…紫の持つスキマに比べれば遊びの様なモノだ。

 

『ほえー…これなら安全かつ迅速に目的地へ行けますね。通れる物の大きさとかに制限は有るんですか?』

 

『数秒程の時間さえ有れば、幻想郷一つ位は容易いな』

 

対象を覆える範囲の広さは言うまでもない…此処に来た時は竜の姿のままだったが難無く通って来れた。

 

『九皐さんって、見た目は完全に人ですけど…まさか人間って事は無いですよね? もしかして、高名な妖怪さんとか』

 

『ーーーー鋭い質問だな…八坂神奈子に探って来いとでも言われたか?』

 

『ええええっ!? あ、うう…そのぉ…どうして、神奈子様の事を』

 

私の過去を知る者、私と対峙した事の有る者…そして守矢に関わるとなれば答えは出てくる。

 

『責めている訳では無い。寧ろ良くぞ聞いてくれた…彼女とは古い知り合いでな、洩矢諏訪子とも、面識は無いが私は知っている』

 

『じゃ、じゃあ!! 貴方様が…深竜様なのですね!?』

 

『止せ、私は敬称で呼ばれる様な徳の高い者では無い。先程と同じく九皐か、コウとでも呼び捨ててくれ』

 

『そのような事は有りません! コウさんは神々をも超越した無類の強者であるとお聞きしました!!』

 

好奇心に眼を爛々と輝かせる東風谷は(かぶり)を振って柔わりと否定した後、両手に握り拳を作って詰め寄って来る。

 

『やはりか…一度しか見えた事は無いというのに、大袈裟な奴だ』

 

『確かに、昨日は諏訪子様と共に酔いどれ状態でお話を聞きましたが…ですが! 神奈子様の眼は、貴方の話をする時だけは真剣そのものでした!』

 

随分と食い下がる少女だ…そういった逸話や空想に興味の有る年頃なのか。私の思案を他所に、彼女は人里へ行くという趣旨も忘れて捲し立てて来る。

 

『尊敬していると! 神たる神奈子様が仰ったのです! 子供の遊びと揶揄されても仕方無い、無様な姿を見せて申し訳無かったとも後で言っていました! 次にお逢いする時こそ、コウさんに認められる様な力を示したいって!!』

 

東風谷の熱意に火を付けてしまったらしい。

続け様に喋る彼女は、急激に興奮した所為か肩で息をしている。私は彼女の両手を取って包み込み…落ち着かせる様に、諭す様に語り掛ける。

 

『良いか、東風谷…私は確かに八坂神奈子の戦いを児戯と断じた。故に勝利した私が、軽薄な気休めを述べる事は許されない。だが…君の想いは伝わった積もりだ』

 

東風谷は握った掌の力を緩め、口元を固く結んで聴いていた。彼女は私と八坂神奈子が再び対峙する事を望んでいる…それは偏に、八坂神奈子の望みを叶えたいという真摯な想いだ。

 

『彼女が再戦を望むなら何時でも受けよう。勝手ながら私は期待している…旧き徒が、全身全霊で挑んで来る未来を』

 

『ーーーーはいっ! 神奈子様も、きっとお喜びになります!!』

 

互いの真意を確かめ合った後…東風谷に促されて人里を方々歩き回り、物見を一頻り楽しんで昼食を摂る頃には会話も自然と弾んでいた。

 

午後に差し掛かると、東風谷は巫女の仕事が有ると断って私と別れた。微笑みを交わす彼女は…今まで異変を起こした者達とは違う晴れやかな面持ちでソレを齎そうとしている。

 

本来の異変とはかく在るべきと感慨に耽り、後ろ暗さの無い騒動の予感を肌に感じて…久し振りに心が高揚していると実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八坂神奈子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気怠い身体を起こすと、母屋に備えられた時計は既に昼を指していた。胡座をかいて頭の中で明日の異変に必要な段取りを組み立てていると、矢鱈と騒がしい足音で早苗が帰って来た。

 

『お帰り早苗、偵察はどうだったんだい?』

 

『はい、バッチリですよ! なんと! お二人の予想通り…コウさんはあの深竜様で間違いないそうです!』

 

数奇な巡り合わせとはこの事だ…まさか、本当にヤツが此処に住み着いていたとはな。早苗の吉報に自然と口角が吊り上がり、俄かにやる気が漲って来る。明日しか無い…明日こそ。

 

『よぉしッ!! ヤツとの晴れ舞台、必ずや勝利をこの手に掴もうじゃないか! それで、ヤツは何か言っていたか!?』

 

『伝言を預かっていますよ! 再戦なら何時でも受けよう、全身全霊で掛かって来いと!』

 

そうか、ヤツは私との邂逅を覚えていたのだな。

幻想郷に出でてから数日、妖怪の山を手中に収めた現状…我等の布陣に死角は無い!

 

『天狗どもへ伝令だ! 明朝…異変開始の合図として博麗神社への営業停止を言い渡すと共に、一気に楽園の信仰を総取りするとな!! 鬼が不在の今ならば、上役の衆も文句は言うまいよ!』

 

『はい! 直ぐに声明を発表し、従う者は各自準備せよ…ですね!』

 

諏訪子にもいよいよ動いて貰う。あいつには守谷神社の守護と迎撃を任せ、私は階下の山でヤツを…深竜を待つ!

 

『完璧だ…フフフ、フハハハハハハッッ!! 来るが良いぞ解決者、そして深竜よ。我等の与えし力と技術は、河童でさえも一騎当千の傑物と変えた!』

 

何時迄も笑っている場合ではない。伝令を出したとなれば天狗の長は直ぐにでも会合の場を用意するだろう…しかし、今更奴等の言い分など知るものか。

 

与えられたモノを甘受するだけでは足りぬ…賛否両論どちらも大いに結構。反抗期の子供の様に駄々を捏ねても、いざ始まれば天狗の格と理知が嫌でも気付かせるだろう。

 

私の計略が、如何に皆の利と理を尊い次元へ昇華させるのか…加えて、烏天狗と白狼天狗、河童の中にも見所溢れる奴を見つけられた。アイツ等なら上手くやれるさ。

 

『中々どうして、山の中には侮れぬ顔触れが居る…何たる僥倖、楽しみで仕方ない』

 

『あの方達ですね、確かに抜きん出た着想と実力は…同族の中でも異彩を放っていますから…現場の統率は間違い無く大丈夫です!』

 

私の最大の目的は、成功にせよ失敗にせよ…守谷の名を幻想郷に轟かせ、人里で入信した者達の畏敬と信仰に加えて妖怪にも脅威であると認識させる事。

 

成功すれば幻想郷きっての一大勢力として守谷は末永く安泰の道を辿り、失敗しても我等に必要な糧は充分に得られる。

 

『しかも、ヤツとの再戦がこの異変を締め括るのだ…こんなに楽しい策は他に無いぞ! さあ、行くのだ早苗! もう半日しか時は残されていない! 私は諏訪子と合流してから其方へ向かおう、お前はそれまで…天狗の望む会合の場とやらに出ておけば良い』

 

『わかりました! ここ数日で供与した技術や情報を後ろ盾に、明日に於ける天狗の指揮権を一部譲渡させれば良いのですね!?』

 

頭の良い娘で助かるよ…其処までやってくれれば盤石の一言。謂わば異変とは、外の世界での陣取りゲーム。異変と知ればやって来る楽園の大将首を打ち負かし、確固たる存在として守谷神社を定着させる。

 

結果得られるのは信仰と畏怖、序でに博麗の巫女も倒せば楽園の自治に関する方針を根刮ぎ此方が自由に出来る。

 

妖怪の賢者とは既に話したが、奴には楽園の覇権を誰が握ろうと干渉出来ない立場と見た…全てを受け入れるとは、楽園に属すれば全てを掌握されようと文句は無いという意味に他ならない。

 

敗けても良いが、勝てば更に莫大な利を得られる。

ヤツとの戦いこそ、私には何にも勝る悲願だが…私達の未来を考えればどうせなら勝ちたい。いや、どうしても勝っておきたい!

 

『では、行って参ります! 成る可く早く来て下さいね!』

 

『分かってるよ、諏訪子を起こしたら向かう。頼んだよ』

 

境内から飛び去る我等が風祝を見届けて、私はぐうたら眠っている諏訪子の許へと歩き出した。

 

 

 

 

笑みが止まらんよ、深竜。

異変、信仰、そして貴様への勝利…全てを手に入れる。お前の神錆びた記憶に残る私はもう居ない。

 

全てを懸けて挑んでやるさ…我が力、我が軍略、我が同胞との友誼の結晶。文字通り、全身全霊と行こうじゃないか。

 

『焦がれ続けた貴様との逢瀬…既に幕は上がっているぞ! フハハハ、フハハハハハハハハーーーーッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『集中を切らさないで! 繊細な術式は精神の乱れに反応して直ぐに霧散してしまうわ。霧散した術の反動は術者の霊力を消費する形で現れるから、今以上に疲れたくなかったら確り制御なさい!』

 

『くっ……ええ、分かったわよ』

 

神社の裏手に位置する拓けた空間に、一枚の御札に対して手を合わせ、瞑目する霊夢の呻く様な声が私へ返ってくる。

 

長時間の精神集中と霊力供給を半日も維持したままの彼女に、私は尚も檄を飛ばし続ける。昨日やって来た守谷の遣いに刺激を受けたのか…早朝に私を呼び出したかと思えば稽古をつけろとせがまれた。

 

『結界とは内と外に境界を敷く事…意識して、箱の中と外を区別するイメージを保ちなさい』

 

『………』

 

博麗の巫女としてよりは、生来の集中力の高さから高難度の結界を維持している。通常は許容範囲の広い結界よりも狭い結界の方が制御は楽だけれど…今この娘が発動しているのは、博麗大結界や八意永琳の行使した外敵から内部のモノを護る為のモノではない。

 

中に閉じ込めたモノを逃さず、動かせず、留めておく為の術式。コレに関しては、閉じ込める対象を緻密かつ正確に定める分、大雑把で広範囲なソレに比べて制御が非常に難しいのだ。

 

『今から放つ魔弾を結界に受け入れ、停滞させ、維持しなさい。十五分間維持できたら…結界を縮小させて外側から押し潰すのよ』

 

『分かった』

 

指先から放った私の妖力弾は、御札と霊夢の間に形成された丸型の小型結界に侵入を始める。結界の強度は弾より硬く設定させた…それに柔軟性を与え、結界表面を通過させ、空かさず内部で固定して維持する。

 

『ーーーー全体を収めた』

 

『次は固定化と維持よ。滑り込ませた魔弾を留め、十五分保たせなさい』

 

たった三工程の作業でも、並の術者では数十年と掛かる高等技術を熟さねばならない。霊夢の才覚と陰ながら積んできた修練を考えれば無理では無い…しかし、更にその上を目指すなら、今より一段上の段階に進むには枷を付ける必要が有った。

 

唐突な稽古の裏に…半日の間で私は霊夢の或る変化が起因していると思い至る。近頃、私から見た霊夢の姿には焦りに近い感情が見え隠れし始め…それは周囲の環境が劇的に変わった事が発端だと結論付けた。

 

『あと十分…結界の形状も一瞬でも歪めたら失敗と見做します』

 

『そう言う割には話し掛けて来るじゃないの、でも…それで良い』

 

『その通り、これ位雑談しながらやり(おお)せなくては博麗の巫女失格よ』

 

コウ様が幻想入りされて早一年…紅霧異変の時、霊夢はあの吸血鬼に最後の切り札を切らされ辛勝、春雪異変の折に私と戦った時も同様。永夜異変では戦闘こそ無かったものの、話によれば調査に出た者の中では一時離反した紅魔のメイドを除けば妖夢が一番に永遠亭への道を見出したらしい。

 

霊夢が修行不足なのでは無い。コウ様と異変を通して関わった二人が、精神的な面で成長した事で…眠っていた潜在能力が目覚めだした要素が大きく絡んでいる。正直…前回の調査に際して二人を神社の境内で見掛けた時は別人かと思ったほどに。

 

コウ様には…他者を教え導くだけの実力と戦闘者としての経験が備わっている。数多もの猛者を相手に揺るがぬ鋼の術理と、実行するだけの力と意志が可能とする…絶対的な強者の器。

 

『あと五分…気張るのよ霊夢』

 

『あんたに励まされるなんていつ振りかしらね、まあ見てなさい』

 

加えて、負を自在に操る法外な能力。星の経路さえ数節の詠唱で瞬く間に分断せしめた彼と真向から向き合えば…触発されて同じ道を歩まんとする者が生ずるのは最早必然でしょう。

 

『よし、後は結界を縮めてーーーーーー』

 

『嗚呼! 考えるほどに素晴らしい! 天は彼に二物どころか百も千もお与えになったのね!』

 

『ーーーー!?!?』

 

無意識に霊夢の独り言に割って入った所為か、完成間近だった封殺結界は破裂音と共に弾幕ごと霧散し…残されたのはバラバラに破れ散った御札だった紙屑と口を開けて震える霊夢、我に返って沈黙で応えるばかりの私だった。

 

『ちょっと? まさか紫…私を放置して九皐の事で頭が一杯になってたなんて言わないわよね?』

 

『あ、あら? どうだったかしら…でも惜しかったわね! ほんのあとちょっと、ちょっぴりで完全な封殺結界を』

 

『おい! 誤魔化すんじゃない! ったく…どんだけ疲れると思ってんのよ。はあ、それにしてもまた失敗か』

 

珍しく落ち込んだ様子の霊夢には本当に申し訳ないけれど、高い集中を要するとはいえ失敗は失敗…ん? 今この娘、またって言った?

 

『霊夢…封殺結界の修行、いつから始めてたの?』

 

『え? ああ…そうね、永遠亭での宴会が終わって直ぐかしら? 前に冥界であんたの使ってた弾幕結界の見様見真似でやり始めたんだけど』

 

夢幻泡影の時ね…アレを見様見真似で今までずっと?

冗談キツイわよこの娘ったら、てっきり初日だから始めて一時間も続かないと思っていたのに…半日以上付いて来れたのは独学で進めていたからなのね。

 

だからと言って見真似で此処までの完成度とはーーーーもしかしたら、霊夢も私の知らない間に変わっていたの? 並み居る障害を物ともしない彼を見てきたのは霊夢も同じ…異変では必ず先んじられ、彼女の異変解決の裏にはいつもコウ様の間接的な助勢が有った。

 

もし…霊夢にも妖夢や咲夜と同じく、私の目に見えぬ変化から、一日も欠かさず修行に勤しむ時間を自分から作っていたとしたら。

 

『どうしたの? 近年稀に見るアホ面下げて』

 

『誰がマヌケ顔の美少女ですって?』

 

『いや、言ってないし』

 

ともかく! これなら間に合う…明日に起こる異変、今日中に仕上げられれば此れ迄とは全く違う次元の強さを霊夢は得られる。

 

思惑を越えた異変解決者の成長に、向こう五十年先の楽園の安寧が懸かっている。足並みを揃えられずとも、各々が目指す高みへ誠実に取り組めば必ず辿り着ける…それこそが人間の美徳だと信じる。

 

となれば気になるのはもう一人の彼女、霧雨魔理沙だ。永遠亭で藤原妹紅と戦った魔法使いは…異変解決に乗り出した人間の中で唯一敗戦の苦さを知っている。あの娘も、このままでは終わらない筈。

 

『フフ…やっぱりね』

 

『急に笑って、今日は一段と読めないわね…どうしたの?』

 

『いいえ、人間の成長って…本当に見ていて飽きないなと思ってーーーーほら、来たわ』

 

私の促した視界には、箒に跨って颯爽と駆けつけて来る一人の少女の影…魔理沙の顔付きからして、彼女もまた何かしらの変化を伴ったのだと確信する。

 

『いよう霊夢! 早速だけどさ、私と弾幕ごっこしようぜ!』

 

『いきなりじゃない…まあ、良いけど。何か有った?』

 

『おう! 偉大な先人の教えとは須らく勉強になるぜと言ったところだ!』

 

魔理沙にも、友であり師と称して相違無い者達が居るみたい。纏う魔力量も、紅霧異変から更に密度や質が格段に伸びたと分かる…スペルカードルールの下でも彼女は春雪異変時には藍を降した。

 

勝利の実績と敗北への悔しさは、霊夢に勝るとも劣らない努力家の魔法使いに何を齎らしたか…私も見ておかなくてはならない。

 

『期待しているわ…魔理沙。勿論、霊夢も』

 

『どうしたんだ紫? 今日はご機嫌だな…さて! 行くぞ霊夢! 前哨戦は頂きだぜ!』

 

『かかって来なさい!』

 

空へ舞い上がり、両者の取り出したスペルカードは四枚。今までには無かった新たな力の象徴が一枚ずつ増えている。

 

此方から口を挟まずとも、魔理沙なら素直に乗り越えてくれるという期待、根拠は無いが自信が有った。結実をいち早く霊夢に披露したいのは彼女の都合だが…空中で踊るが如く弾幕を撃ち合う二人はとても楽しげだ。

 

『また威力が上がったのね!? パワーバカにしたって其処まで行けば表彰ものよ!』

 

『当たり前だろ!? 弾幕はパワー、パワーを維持するにはスタミナだ! パワーバカ上等! 今度こそ負けて泥かぶるのはお前だぜ!』

 

星形の大型弾幕が真昼の空を彩り、霊弾の放つ透明な光が花火の様に其れ等を打ち消しては新たな華を添える。

 

前夜祭には速いけれど…まるで二人を祝福する祝砲にも似ている。守矢神社、例えどんな異変を起こそうとも関係無い…人間の放つ直向(ひたむ)きな眩さと成長の速さの前には、八百万の神といえども一筋縄では行かない。

『コウ様も動かれるご様子でしたし…幻想郷の情勢もまた変わる。本当に楽しみね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東風谷と別れて自宅に戻り、八坂神奈子との対戦を明日に控えた私は…毎日の日課として自己鍛錬を午後から開始した。

 

日課を後回しにして最初は妙な感覚だったが…始まってしまえば気にもならない。私とて日々の研鑽を怠れば足元を掬われるのは道理なのだ…従って、庭先で稽古にと拵えた古びた衣服で瞑想に浸っている。

 

『ーーーー驚きましたね、咲夜さん』

 

『そうね妖夢…買い物序でに寄ってみたら、九皐様が鍛錬だなんて』

 

周囲から二つの声が聞こえる。片目だけを開けて前方を注視すれば、妖夢と咲夜が両手一杯の買い物袋を提げて私を眺めていた。

 

『自己鍛錬は戦いに身を置く者としては不可欠…日々の研鑽は力と成り、此処ぞという時に発揮される』

 

『素晴らしいお考えです、先生』

 

『宜しければ、少し見学して行っても?』

 

一つ頷いて二人に応えると、十六夜と妖夢は嬉しげに互いを見合わせて荷物を玄関の前へと降ろした。私からは見えない角度だが、気配や音、詳しく探れば彼女等の呼吸から察せられる。

 

『凄いですね…仮想敵を想像し、完全なカタチで捉えています』

 

『私にはぼんやりとしか分からないけれど…彼の気配というか、身体から漏れ出す魔力が濃くなってるのが分かる』

 

瞑想を打ち切り、宙に浮かんだまま座っていた身体から足を延ばして地面を踏み締める。徒手空拳にて脱力を心掛け、構えらしい構えも無い状態で視線の先に敵を思い起こす。

 

投影された対象は、自らが勝利したいと願う相手。八坂神奈子の幻影は、鉄柱を顕現させた姿で私を見ている。先手を取るのは八坂神奈子の投影…彼女の身構えた瞬間を狙い、水月へ向かって一直線に拳を見舞う。

 

『ーーーーッ』

 

空気の壁を突き抜けて、拳に掛かる大気の摩擦や負担が衝撃に変わった。様子見に撃った突きは…拳と大気が擦れて上がった火花と炸裂音を置き去りにする。

 

現在の自分と同格に想起された幻影は突きを鉄柱の一本で寸前で受け止め、反撃に転じる動きを遮る様に蹴りで薙ぎ払う。

 

『見切れません。疾くて重い、軌道が綺麗なのもさる事ながら…コレを休まずとは』

 

『速度も上がってるのに、呼吸も乱れていない。間近で見ても肩から先が消えたと錯覚する…妹様が子供扱いされたと聞きましたが、能力無しで東洋の鬼をも圧倒するとは本当だったのね』

 

間断無く繰り返される姿無き神との対峙は、終わる頃には一刻程が経過した。最後の一撃として左拳を天へ突き上げ、残心の型で今日の修業を終えた…軽めに済ませた為に時を数えれば二時間にも満たない。

 

後方で見物していた咲夜と妖夢は、飽きもせず動きを追っていたが…振り返って歩み寄ると拍手で迎えて来る。

 

『す…素晴らしかったです! 挙動に無駄が無く、美しさすら感じられました!』

 

『私も、九皐様に感服致しました。美鈴の稽古する姿もよく見ていましたが…それと比較しても、武芸極まるとしか表せません』

 

『いや、本来なら先程と全く同じとは行かない。型通りなのは…基本に立ち返る為の儀式の様なモノだ。実戦では型に囚われ過ぎず、しかし乱し過ぎては理を失う』

 

玄関先に吊るしておいた手拭いで顔の汗を幾らか落とし、二人の側に敷かれた石造りの階段に腰を降ろした。

 

無作法と嗤われるかと思ったが、何方も特に気にした風も無く何事かを考えている。

 

『囚われ過ぎず、乱し過ぎない…難しいです。私の知る限りでは、腕力や能力に長けた者は一様に我流…というか、先生の仰った様な術理とは縁遠い方達ばかりに思えます』

 

『お嬢様も、人前で稽古される御姿は全く見られません。妹様はヴァンパイアとして待つ高い魔力で生成した剣などを弾幕ごっこで使われますが…規則性や型は皆無かと』

 

『うむ…妹君は十六夜の言う通りだが、レミリア嬢は違うぞ』

 

彼女の佇まい、凛然とした振る舞いは目を閉じずとも浮かび上がる。歩調から足音、隅々まで観察すれば十六夜にも分かるだろう…レミリア嬢は、恐らく徒手格闘と長い得物を組み合わせた何かを修めている。

 

『レミリア嬢も、努力は他者に隠す(たち)らしい。確かに、巧く隠している』

 

『そう、なのですか? 妹様やパチュリー様からもお聞きした事は一度も』

 

『ですが、お見かけした時のレミリアさんは体幹がかなり確りしていました。私は違和感を覚えた程度ですが』

 

『寧ろパチュリーが、人目に触れぬ空間を用意しているのだろう…親友の頼みとあって律儀に黙っていると見るのが自然だ』

 

紅魔館が如何に広かろうと、レミリア嬢の性格からして入念に隠蔽しているのは間違い無い。十六夜は主人の知らぬ一面を知ってか、眉間に皺を寄せて黙ってしまった。

 

『妖夢も、もう少し気を払わねばな』

 

『ふぇ!? どういう意味ですか!?』

 

『西行寺と懇意にしているからな、紫を視る機会は多い筈。普段は(おくび)にも出さないが、彼女も相当な手練れだ…見抜けないのは妖夢の未熟と言う他無い』

 

和やかに談笑する積もりで紫とレミリア嬢を引き合いに出したというのに、十六夜と妖夢は更に表情を強張らせるだけだった。

 

やがて唇を真一文字に結んでいた二人は、瞳の奥に決然とした何かを宿して私に向き直る。

 

『頑張ります! 幽々子様の剣術指南役として、今よりもっともっと強くなります! 先生、これからも御指導御鞭撻の程、宜しくお願いします!』

 

『既に週に一度は冥界を行き来している。一日目は紅魔館に始まり、二日目は太陽の畑、三日目が白玉楼、そして四日目には永遠亭…これ以上は難しい。屋敷の管理も有るのでな』

 

『えええええええ……でも、来て頂けるだけ有難いと思うしか…』

 

『甘いわね、妖夢』

 

突然、妖夢の隣で立っていた十六夜が何とも形容し難い得意気かつせせら笑う体の面持ちで口を開いた。彼女は置いていた買い物袋を両手に持ち直して、涼しげに妖夢を流し見る。

 

『咲夜さん?』

 

『一週間は七日有るのよ? 九皐様に残された三日間を懸けて、今よりお嬢様方と緊急会議を開かねば!』

 

『えーーーーぁ、ああっ!? こうしては居られません! 幽々子様に御相談して対策を…! し、失礼します先生!』

 

一週間は七日有る…という迷言を高らかに言い放ち、十六夜は庭先から姿を消した。だが十六夜…私が屋敷の管理にと当てた日取りを、さも当たり前の様にレミリア嬢に告発するのは何故なのだ。

 

そして妖夢も、如何して直ぐさま帰ってしまったのだろう…夕刻が近付いており夕餉の準備も有るのは分かるが、せめて茶の一杯でも用意したものを。

 

独り石階段に座る私には…真意の読めない少女達の思惑に悩むのを、諦める以外の選択肢は無かった。

 

愈々(いよいよ)だ…明日が楽しみになって来たな』

 

想いを馳せるのは守谷の軍神、八坂神奈子。

裏で手助けする洩矢諏訪子の存在も気に掛かるが…私には彼女との再戦の方が食指を動かされる。

 

来るが良い、軍神よ…八坂神奈子よ。

私は君が決起する時を待ち侘びている…此度こそ互いの止まっていた過去から現在を纏めて清算し、未来へ歩を進ませるに相応しい。

 

場は整った…後は衝突するのみ。君と私が、今度こそ友として並び立つ為に…私は君と戦いたい。

 

『我に挑むなら、血の一滴までも費やす覚悟を見せろ…さすれば我は、神たる汝に祝福と賛辞を贈ってやろう』

 

 

 

 

 

 

 






早苗さんは素直で聡明ですが、超能力や怪奇現象好きの裏で、強かさも持ち合わせた現代っ子という感じで描写しています。

神奈子様、笑ってばっかりですね…すいません。神様然とした物言いが思いつかなくて。

この物語では、レミリアや紫のような、種族のステータスに驕らず隠れて努力する設定を取り入れています。どうしても入れたかったので入れちゃいました。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!!


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第五章 参 神遊ぶ山の面

おくれまして、ねんねんころりです。
やっとこさ異変開幕ですね…しっかり纏めようとすると日数がかかっていけない。

この物語は前回に続く激しい場面転換、唐突な新規登場人物(チョイ役)、稚拙な文章、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 洩矢諏訪子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

空は快晴、秋の紅葉生い茂る守矢神社の境内には、妖怪の山に住まう妖怪達が見事な統率で以って私達に傅いていた。神の座す山の頂上で、利を齎され知を供与された天狗と河童の大部隊が集結する。

 

『今日この日…私は諸君等が起ってくれた事を、心から感謝している。そして後の幻想郷に、妖怪の山は此処に在りと末永く語り継がせる為に…我等守谷の三柱も共に戦うと誓おう』

 

静寂な空気の中、神奈子だけが独りでに口を開く。真っ当な産まれの神だけあって…背に後光を纏っているとさえ錯覚させる姿は、紡がれる言葉にカタチ無き力を伴わせた。

 

『神、妖怪、幻想に産まれ天地人に跋扈した我々は、今や外の世界で本来の威厳と畏敬を忘れ去られた過去の遺物。しかし、しかしだーーーッ!!』

 

神奈子は感情を乗せて、此処に集った誰もが抱く一つの意思を代弁する。凄烈で偽りの無い声の調は…ともすれば民衆を扇動する政敵の如く血気に溢れ、同時に民の労を慰る君主にも似ていた。

 

『我々は生きている! 決して終わってなどいない! ただ住処が変わり、時代が変わり、世界の在り様が変わっただけだ! 我々の為すべきは人間の信仰と畏怖を糧としながら、永劫変わらぬ崇敬と力を…己が存在を確たる物とする事!!』

 

幻想郷は私達を受け入れてくれた。そのままで良い…変わらなくて良い。ただ産まれ出でたままの誇りを胸に、自らの生を謳歌せよと…其処に神も妖怪も人間も関係無い。貴賎無く、萎縮せず、楽園でただ一つの掟である共存共栄の下に生き様を示せと…私だって、そのつもりだ。

 

『だが、それだけでは足りぬ! 神は、妖怪は、人に近く在りて尚最も敬われ恐れられるべきだと私は思う! これは蜂起ではない! 時の流れに埋没し失われた皆の、我等の、真の強さと尊さを取り戻す戦いだ! 我々の行いを異変と呼ぶならば是非も無い…ならばッッ!!』

 

我こそは天の意思…幻想に係るも其を導く者。そう高らかに表す様に拳を掲げ、万感の一声を同胞に浴びせる。

 

『我は! 八坂神奈子は! 幻想郷の果てから果てへ諸君等の威を轟かせ、妖怪の山と呼び捨てられたこの地が! 何よりも神々しく、美しく、此処に住む我々の何たるかを知らしめたいのだッッ!! だからこそ友よーーーー』

 

掲げた拳は宙で解かれ、再臨せし神は掌に天を収め宣言する。今こそ再誕の時…信仰、恐れ、何方も人間の魂に灯される心の火は、私達にこそ注がれるモノと。

 

『起ち上がれーーーーッッ!!!』

 

『『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーッッッッ!!!!』』』』

 

膝を付いていた者皆が一斉に立ち剣を掲げ、互いの盾を打ち鳴らし、槍を携え、弓も銃も、何だかよく分からない武器すら軒並み手にして咆哮を上げる。

 

神奈子は哮り叫ぶ同胞を、突き上げた掌の一振りで制すると、不敵な笑みを一層深くして指示を加えた。

 

『有難し……総員、持ち場に付け!! 解散!!』

 

最後の言葉に合わせて、私達を除く全ての同胞がその場から走り、飛翔して去って行った。閑散とした境内を暫し見届けて…漸くといった風に溜息を漏らした神奈子は、私と早苗に振り返りニッカリと笑う。

 

『いやぁー…ちょっと大袈裟だったかね? 神様らしくやろうとすると、昔を思い出してどうしても煽り過ぎてしまうよ』

 

『そんな事無いんじゃない? 寧ろ気迫たっぷりで送り出した方が、ヘマして倒れる奴は少なくなるよ』

 

軽々しく交わされる私達の会話に対して、早苗は双眸を輝かせて惜しみ無い拍手で迎え…興奮と感動を目一杯に答える。

 

『素晴らしいです!! 演説に思わず私も飛び出しちゃうところでした!! 神奈子様はやっぱり、偉大な軍神様です!!』

 

『うひひ、そうかい? そう言われると鼻が高いよ! 諏訪子も、今日までありがとうな!』

 

『何言ってるのさ、本番はこれからだよ! 私と早苗は此処を最後の防衛線として残るけど…神奈子は行くんだろ?』

 

神奈子は照れ臭そうに髪を掻き上げて、腕組みをして空を見上げる。視線を彷徨わせる軍神は、嘗て己を赤子同然に打ち負かした相手に何を想うのか。

 

『ああ…可笑しいな、またも児戯と遇らわれるのではと臆病風も吹いている訳では無い。武者震い…いや、やはりそれとも違うな』

 

纏まりの無い独り言は、誰に反応を求めるモノでも無い。私には分かるよ…腹が据わったんだ。ただ迫り来る強敵に想いを馳せた故に、歓喜と恐怖に浮き足立つ筈だった己に知れず打ち克ったのだろう。

 

『そんだけ落ち着いてりゃ大丈夫だよ! 深竜に勝ったら、祝杯あげようよ! 負けたらヤケ酒だ!』

 

『どっちにしても飲むんじゃないですか!? 酒代だって馬鹿にならないんですから、自重して下さい!』

 

『あうー…』

 

お財布事情は早苗に握られてるから、こりゃ本当に勝たないと飲めないね。神奈子は微笑みを浮かべ、背に備えた御柱を揺らして身を翻す。

 

『勝ったら飲むぞ! 戦勝記念は盛大にやるのが基本だ! なぁに…幻想郷の覇権を握れば、金や物資は意のままさ。少しくらい贅沢したって罰は当たらない、神が言うんだから間違いないよ! それじゃ』

 

神妙な表情から一転…何時もの不敵な笑みを取り戻してその場から緩やかに飛翔し、振り向く事無く堂々と…八百万の軍神が出陣する。

 

『ーーーーいざ、参るッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

妖怪の山から、早朝から或る声明が発表された。

《博麗神社に告ぐ 速やかに営業を停止し 守矢神社の分社として名を改め 博麗の巫女は即時降伏せよ 山の神、八坂神奈子》

 

『馬鹿丸出しじゃないの、下らない…会ったことも無い神様の言い分に従うわけ無いでしょ』

 

『その通りだな! しかし今回は天狗も巻き込んでの騒ぎか…山の道中は烏と狼と河童でごった返してるぜ、きっと』

 

『コウ様は、約束が有るそうで此方には来られないそうよ…尤も、貴女達のやる事は変わらないけれど』

 

博麗神社の境内に再び揃った魔理沙と紫は、それぞれが好き勝手に今回の異変に物申している。

 

参加しないのにやる気出してる紫を見ると、他人事で気が楽ねと文句の一つも言いたいが…管理者としては幻想郷の根幹を揺るがしかねない事態は見過ごせないわよね。

 

『どうしたんだ? 紫の奴』

 

『あいつに断られて傷心なのよ。代わりにやる気三割り増しで暑苦しい』

 

『そこ! もっとしゃんとしなさい! そろそろ向かうんでしょ!?』

 

紫の呼びかけは、珍しく九皐から断ったらしい。

あいつが出てくれば異変は早めに終わるだろうから楽出来るだろうけど…これからはそれじゃ駄目なんだ。

 

私は元からそんな積もりは無かったのに、気付いたらあいつの働きは異変解決で当たり前のモノになってた。単に強いってだけじゃない…本人の人柄や幻想郷を愛すればこその行動を、いつの間にか当然の様に受け入れていた。

 

『だから、私も柄にも無く修業なんて始めたのね…』

 

『なんだ? 始まる前からビビったのか?』

 

『んな訳無いでしょ! ほら、さっさと行くわよ!』

 

境内から視界に捉えた妖怪の山へ向かって、全速力で飛翔する。魔理沙も遅れずに付いて来る姿は、まるで最初の紅霧異変の時の焼き直しみたい。

 

前と違うのは…波風立たなかった自分の心に変化が起きた事。だから、お互いに強くなる道をそれぞれ模索し始めた…魔理沙も私も、今と昔じゃ考えも状況も違う。

 

一つだけ変わらないのは…異変解決を役割として与えられた責任感というか、覚悟に似た感情。どんな内容であれ、私達に後退はあり得ない。

 

『昨日は引き分けたけど、今日はどっちが先に解決するか競走だ!』

 

『全くあんたは…そういう所は変わらないんだから!』

 

最初からそうだった。異変と呼べない小さな諍いや騒ぎでも聞き付けると魔理沙は誰より早く駆けつけようとする…人と妖の間に立って双方の為に奔走する彼女を、私は親友として誇らしくも羨ましく感じた。

 

真っ直ぐで、聞き分けが無い、ほんの少しの魔力以外何も持たなかった彼女が…自分よりどれだけ多くのモノを積み重ねて来たかを知っている。

 

『…だから、紫にも認められたのかもね』

 

『なんだー!? 風が強くて聞こえないぜ!!』

 

あんたはそのままで良いって話よ。何処までも突っ走りなさい…私も同じ場所に居るだろうし、あんた一人に任せると不安だもの。

 

『さて、もうじき着くわよ! 気合い入れて解決といこうじゃない!』

 

『おう! 私達が一番乗りだ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目的地に危なげなく入ると、異変とは別に朱と紅の混じる景色の情緒に魅入られてしまう。

 

一番手薄そうな場所に私は入り、魔理沙は直前に何やら興味の惹かれる物を見つけたらしく空で別れた。

 

『さてと…いるんでしょ? 出て来なさい』

 

和やかさに隠された気配の主に呼び掛ける。さっきからそよぐ風と落ち葉の音に紛れて、鷹の目じみた鋭い視線を私に放っていた。

 

『あやや…これは失礼しました。何分、近頃はあんまり機嫌が良くなくて…昼寝を邪魔されますとどうしても気配がキツくなると言いますか』

 

『相変わらずバレる嘘つくのが得意ね…で? 文、これからどうするの?』

 

問いに応えるより先に、射命丸文は空を見上げていた。その表情は何処か虚ろで…世を儚む行者かと見紛う静謐さを湛える。

 

『そうですね…その質問に答える前に、私から伺っても宜しいですか?』

 

『……ええ、言ってみなさい』

 

跳ね除ける気には、不思議となれなかった。

横顔の怜悧さに圧されたんじゃない…此方が譲らなければ、危ういと直感したのと。これまでの彼女からは感じた事の無い懊悩を垣間見たから。

 

『ありがとうございます。聞きたいのはですね…私達天狗の事なんですよ』

 

『それで?』

 

『ええ…難儀な話でして。なまじ長生きな上に長らく好き勝手やって来ましたが、私にも断り辛い命令の一つや二つ有るんですよ。例えば、今回の異変とか天狗と河童はやる気満々で…私は全然ですが、平時には使わない立場や肩書きなんかが今は凄くーーーー苦しくて』

 

望む望まざるに関わらず、文は此処にいるってことか。

しょぼくれた姿は珍しいけど…何より声色から心底うんざりしているのが伝わってくる。

 

『天狗はガチガチの縦社会です。上には媚び諂い、下には幅を利かせる…ですが、そんな惨めったらしい組織にも意味は有る。少なくとも、平和ではいられる』

 

『…ある程度の秩序は必要よね。混沌としてるのも、別の視点では楽しいかもだけど』

 

『其処がまた、堪らなくむず痒いのよ…私はーーーー』

 

文の周囲に、風が集まっている…そろそろ、愚痴聞きも終わりになるか。私の成す事柄は変わらないが、自由を貴び、規則や仕来りに沿わざるを得ない天狗として生まれたこいつには…少しだけ同情してしまった。

 

『命令には気乗りしてない、かと言って反故にも出来ない。落とし所は、指示を遂行しつつ胸に蟠る憂さを晴らすことーーーーさっきの質問に答えましょう』

 

吹き荒れ始めた風は、やがて濁流とも例えられる乱れた気流を形成する。宙を舞う紅葉が、文の周囲へ集まる風に触れた途端…跡形も無く細切れに切り裂かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『手加減してあげるから、本気でかかって来なさい』

 

『返答どうも。あと…手加減なんて余裕、あんたに有るとは思わないで頂戴』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の日差し眩しく、華やかなりし楽園に私は居る。見上げた先に映るは…唯一つの目的地、八坂神奈子の待つ場所。

 

『山の中腹に…待つか』

 

想外なのは、山の入り口付近に戦力が確認出来ない事。踏み入る者を退けると謳う妖怪の山にしては、各侵入経路は不気味な程開け放たれている。

 

山間に感じられる大きな気配が四つ、五つと何合目かに渡って分散され、内二つは守谷神社を動かず…其処に近い場所で最も大きな力が一つ。

 

『見られている、今か今かと』

 

そう焦るな八坂神奈子…直ぐに逢える。早朝の紫の話からすれば、時間的に霊夢と魔理沙は既に山に入っている筈だ。

 

証拠に慣れた気配が二つ、山の三合目程でより強い波を伝えてくれる。相手が誰か、は問題では無い…此度私の為すべきは八坂神奈子との再戦のみ、後は二人に委ねるが上策として行動を開始した。

 

『解析完了、座標固定』

 

空間に不自然に開いた孔が、自動で私の身体を包み込む。丸い暗がりの先に待ち構える幾多もの妖気は、現れるだろう私にどの様な持て成しをしてくれるのか。

 

『先ずは露払いだ。霊夢と魔理沙の途上に、余計な戦いは必要無い』

 

神の軍勢とは大仰だが、翼有る天狗、剣と盾を構えた白狼の群れ、奇妙な絡繰を背負った小柄な者…数えて凡そ百。

 

八坂神奈子より前に陣取った連中は、鬼気迫る剣幕で私を睨み付けた。

 

『白狼天狗、総員抜剣。河童援護部隊、構え!!』

 

空に漂う鴉の一団が号令と共に武器の砲頭を、鋒を向けて来る。狼は剣と槍で一斉に跳び掛かり、後方から絡繰による弾幕と、鴉の操る妖力が旋風を巻き起こした。

 

其れ等を無視しようとも、武器の先端は肌も通さず弾かれる。五体に刻まれる筈だった傷は残されず武具は歪み、旋風はただ身を撫ぜる大気の流れと同じ。弾幕は私の放つ力の奔流だけで効果を失い、霞の如く消え去った。

 

『ーーーーッ!?』

 

僅か数瞬の間に仕掛けられた攻撃は、想定していた対象を大きく上回る存在には無意味。溢れる銀の深淵が、緩慢な速度で歩く度に眼前の部隊を軒並み竦ませる。

 

『如何した…伊吹との一件で私に不平を持つ者も居るだろう。遠慮は要らん』

 

言葉は、時に剣よりも鋭く突き刺さる。侮蔑も嘲笑も無く、淡々と問い返す独りの化外に、山の勇士達は戦慄を露わにした。

 

『やはり貴様はバケモノだ…鬼を討ち神さえも冒涜するその力、誠に度し難い…!』

 

一匹の鴉が何事かを呟くと、私を除いた誰もが肯定の意を示す。信仰と盲信を履き違え、利に眩んだ眼に理を捉える事は出来ないと言うのに…咎は有らずとも憐憫が絶えない。

 

『……度し難いか、では何とする』

 

『知れたこと…ッ! 神奈子殿を待たず、死力を以って討ち取るまでーーーーッッ!!』

 

『ーーーーーそれで良い』

 

号令が発せられ、私へ疾駆する鴉が二十、衝撃を予見して備える白狼が五十…後方で援護すべく絡繰を再度動かした小柄な者達が三十。締めて百の勇士達が、私という外敵に無数の攻撃を繰り出した。

 

『数の差とは、双方が拮抗するからこそ有効なのだ』

 

身体を覆う銀の波濤が、ただの一つも我が身への干渉を許さず寄せ付けない。斉射される妖弾は幾度と無く霧散し、風は未だ涼しげなまま…怒り狂う形相の烏合の衆は斬りかかるが触れられず、疲労だけを蓄積させる。

 

棒立ちのまま待つこと二分。正確に刻んだ時を数え飽きた頃、固まった陣形の奥から先程言葉を交わした天狗が総軍を呼び戻した。

 

『これ以上の攻勢は無駄だ。今より、お前達は手を出してはならぬ』

 

痺れを切らした部隊の頭目が、豪奢な身形に違わぬ物言いで制する。その鴉天狗は前屈みの姿勢と右手に引き絞った手刀の照準を私へ定め、体内に押し留めた妖力を限界まで練り上げて行く。

 

何処かで見た事の有る型だが、鬼との縁が深い天狗ならではと言うべきか。伊吹が私と対峙した時に見せた《三歩壊廃》なる奥義と少しばかり手順が似ていた。

 

密度を高めた妖気は右腕に余さず収束され、爆発寸前の力の塊が確かな殺意を持って解き放たれる。

 

『はあああああああッッ!!』

 

『うむ…決死の覚悟は評価する。が、動きが鈍い』

 

一番槍として迫った鴉天狗の一体が、突き出した手刀に堰を切った妖力が渾身の意気を伴わせる。私は遅々とした感覚で見下げた攻撃を敢えて躱さず、両手を広げてソレを受け入れた。

 

『ーーーーーーーーぐっ!?』

 

『言った筈だ…動きが鈍い、速度が足りぬ。故に穿つ力が決定的に欠けている』

 

左胸を貫くと目論んだ手刀は、さして厚くも無い胸板の皮膚だけで押し返された。代償として手首はあらぬ方向へ折れ曲り、反動で砕けた骨が指の肉を内側から傷付けたらしい。

 

『肉を裂く感触も無かった…文字通り皮一枚に押し負けて、私の手はこの様か…ッッ!!!』

 

膝を付き、打ち拉がれる天狗の顔は窺えない。

分かるのは噛み殺した嗚咽、豪奢な身形を土に汚しても構わず地に堕ちた…この中で最も力有る天狗の長(・・・・)の明らかな敗北だった。

 

『世辞は言うまい、弱いぞ《天魔(てんま)》。噂に聞いた破断の風も弱々しく…敵の肉と骨を潰す体も無い。鍛錬を怠ったな』

 

吐き捨てる様に告げた言葉に、集った者共は肩を落とす。身体から力が抜け切り、弛緩した手元は武器を捨てさせ…諦念と絶望の負が私の体内に滔々と吸収される。

 

詰まる所…一切の反撃もせず百名の部隊を無力化し、天狗の長たる名も知らぬ天魔に勝利した。最初に同じく緩慢な足取りで山の中腹を目指して歩き出せば、口惜しさと涙に崩れた九十九の顔が私を見届ける。

 

『ーーーー出直せ。無様に負け果せたと涙するなら、天狗の誇りとやらに懸けて…また何時でも挑みに来い』

 

言いたい事は言い終えた。

追う者は皆無、慟哭と敗北に浸る者百。山を行き、再戦の誓いを果たすべく登る私が独り…僅か五分、五分で山の最前線は決壊した。

 

 

 

 

 

 

 

後方では四つの気配が打つかり合っている。寄り道した甲斐も有って、山の半分を踏破するまでの道程は一度の邪魔も入らない。

 

辿り着いたのは、山間の所々を比べても稀有な開かれた場所。乾燥した風と紅葉の舞い散る朱の景色に…彼女は居た。

 

『ーーーー久方振りだな、深竜。約束の時だ』

 

『待った甲斐が有った。幾星霜の昔からは、信じられぬ程良い顔付きとなったな…八坂神奈子』

 

勇み足で挑み掛かって来た、あの時の軍神はもう居ない。泰然として揺るぎ無い心身は、以前よりも神々しく美しい。正に神たるは我と表した八坂神奈子に、私は喜悦を隠せない。

 

『そうか、待っていてくれたか…ならば私は幸運だ。幾年月を経ても貴様を忘れなかった。次こそは、次こそはと、自分なりに精進して来たよ』

 

『待たされるのは嫌いでは無い。物事には機が有る…刻んだ縁とは気紛れの一言だが、歯車が噛み合えば只素晴らしい。君との出逢いも例外では無い』

 

袖擦り合った縁も業も、神や竜とて変わらない。彼女は再戦を望み、雌伏の時をどれだけ超えたかが分かる。

 

『可笑しな話だ…つい昨日まで、貴様の真の名も知らなかったよ。改めて聞かせて欲しい…汝は誰ぞ』

 

『ーーーー我は深竜・九皐。神代の折、八坂なる軍神に土を付けた…深淵の主なれば』

 

仰々しい名乗りと共に、私と彼女は気を昂らせる。

彼女の背に控えた鉄柱は重々しく唸り、先端に私を捉えている。対して我は、在りし日と同じく構えも無く徒手にて応えた。

 

『山の神、守谷に降りし我こそは八坂神奈子。この名、汝の敗北の暁には刻んで逝け…』

 

『我は逝かぬ、神もまた死せず。心行くまで踊り狂おう…それが君の願いなら』

 

殺し合いでは無い、憎しみも悲しみも無い。互いの存在を確かめ合う為の戦いの火蓋が切られる。

 

『神に願いを問うかーーーーやはり貴様は、何にも代え難い宿敵だッッ!!!』

 

彼女との距離は一瞬にして詰められる。疾く、重い鉄柱の一振りが右腕に押し止められ…正真正銘、神代の闘争が幕開けた。

 

 

 

 

 

 

 

『勝つのは私だーーーーッッッ!!!!』

 

『その意気や良し…命を賭して掛かって来い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山の何合目か、三つ、四つ位のデカい力同士がドンパチやり始めた。一方は静かだが鋭く、片割れが霊夢だと知ると不安も無い。だが、もう一方はヤバいの一言だ…戦闘に於ける凡ゆる面が集約された山の中腹は、正しく闘争の渦と言って良い。

 

『こりゃあアイツだーーーーコウだな、間違い無い』

 

箒に乗って、山の横側から侵入した私は、降り立った場所からビリビリ伝わってくる規格外の現象を感知した。

 

山の顔とも言える表側の中腹で、無尽蔵とも取れる魔力の流れとソレに対峙する清らかなるも凄烈な力が鎬を削っている。

 

紫の話では神様が二人、異変の首謀者として関わっているらしいが、あの澄んだ闘気みたいなのが神の発するモノなら…神力と呼ぶのが妥当だな。

 

『で? 盟友さんは行かないの?』

 

『彼処にか? 冗談じゃ無いぜ! 異変起こした神様ってのはもう一人居るんだろう? 私はそっちを倒す!』

 

問いを投げたのは、先程見かけて不意打ち気味に倒した河童の少女。側頭部に結った髪と、背負った緑っぽいリュックがイケてる可愛らしい見た目の…名前は、名前は。

 

『ガマシロヒトリ!』

 

『河城《かわしろ》にとり!! ワザとか!? ワザとでしょ!? 幾ら盟友だからって失礼だぞ!』

 

『あ、悪いな…別の事考えててうろ覚えだったわ』

 

川辺に聳える岩の上にどっかりと座ったにとりは、何とも不満気な表情で見返している。しょうがないだろ! 私だって気もそぞろで流し聞きする事くらい有る!

 

『もう…せっかく内緒で守矢神社に安全に行く方法を教えてあげようと思ってたのに』

 

『マジで!? 悪かったよにとりー、怒んなよー』

 

『うわ!? ちょ、急にベタベタ触らないでよ! 擦り寄るならきゅうり寄越せよ!』

 

今持ってる訳無いだろきゅうりなんて…河童だからきゅうりって好物が安直過ぎんだよコイツは。そんな思案を他所に、私を突き離したにとりは突如として微笑を浮かべる。

 

『にひひ』

 

『なんだ急に? きゅうり切れか?』

 

『何よきゅうり切れって…そんなんで笑い出したら頭おかしい奴みたいじゃない』

 

河童の皿だけに、か? いや、辞めておこう…我ながら薄ら寒い。自爆して血の気が失せた私に、にとりは改めて話し掛けて来た。

 

『そうじゃなくてさ…嬉しいなって』

 

『嬉しい?』

 

『うん…人里の人間も魔理沙みたいなのも含めて、もうとっくに妖怪の山に住む私達の事忘れてると思ってた。ほら、此処って閉鎖的でしょ? 特に河童は昔から人間と交流が深かったから、いざ引き篭もると中々盟友とは遊べなくて。だからかなぁ…異変手伝ってまで関わろうとして』

 

何だ…そんな事か。忘れちゃいないさ、何せ人里には幻想郷の歴史を記した書籍やら文献なんて何処にでも売ってる。夥しい量の歴史本には、当然河童や天狗の名前や似顔絵も描いてある…けど、それだけじゃ無いんだろうな。

 

『私達の生態とかじゃなくて…人間とどういう風に暮らしてきたか、覚えてる奴はそうそう残ってないよ。天狗もさ、自分達がどれくらい人間と近かったかを忘れてないんだ…引き篭もったのは自分達なのに、虫の良い話だよね』

 

『………そんな事無いぜ』

 

気分が乗らなきゃ他人に逢いたく無いなんて、誰しも有るさ。妖怪と人間じゃそこら辺の時間の感覚がズレてるだけで、何もおかしい話じゃない。

 

『これからだろ』

 

『え?』

 

『まだ始まったばかりじゃないか! 少なくとも、私はもうお前と友達の積もりだ! だったらこれから、飽き飽きする程一緒に遊べば良いのさ!』

 

『ーーーーーーうん、そうだね!』

 

私の言葉に、にとりは暫く呆けた後…満面の笑みで頷いた。さて、私もそろそろ行かなきゃな…図らずも新しい友達が出来たし、今日の私はとても運が良い。

 

『もう行くの?』

 

『ああ! 神様倒して、さっさと宴会始めなきゃいけないからな! 全員強制参加だから、にとりも逃げんなよ!?』

 

『えへへ…逃げないよ! 終わったら宴会ね、分かった! 仲間にも伝えておくから。あ、守矢神社に行くならこの先を真っ直ぐだよ! 一番手薄だから突破も楽でしょ』

 

それは良い事を聞いた、距離を考えれば箒でひとっ飛びすればものの数分で守矢神社まで行ける。山の陣営からすればにとりの行動は裏切りだが、人間と山の関係を想う気持ちを汲んで肖るのが手っ取り早いな! 私達が解決すれば全部チャラに出来る、そう思い込むとする!

 

箒に跨り、別れの挨拶代わりに手を振ってにとりの居た川辺を後にした。話してくれた通り、進む道には警備の目も無く山の誰もが表の激戦区へ出ている様だ…悪いな霊夢! 一足先に守矢神社に迫撃するぜ!

 

山道に敷かれた階段を飛翔し、其処にも天狗や河童は見当たらなかった。しかし…神社の境内に一つ、山の中腹で感じた神力とはこれまた違う不気味な気配を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おや? お客人かい? てっきり博麗の巫女が最初に来ると思ったけど…当てが外れたよ』

 

『ーーーーあー、そりゃアレだ。霊夢はこの後来るから、アンタを前座にするって話だろ』

 

『私じゃなくて、あんたが前座でしょ? 魔法使い』

 

ヤッベェよ何だこいつ…私が言えた事じゃ無いが、見た目は変な帽子被ったちんちくりんの少女なのに纏ってる神力が半端無い。奴を起点に境内に満ちる神力が泥沼みたいに淀んでやがる…これは間違い無い、アタリだぜ。

 

『神様にも色々いるんだな…山の真ん中で感じた奴は嵐みたいに激しかったが、アンタは違うな。べっとりとしてて、カエルみたいだ』

 

『私が、蛙? ふ、ふははーーーーあっはっはっはっはっは!!』

 

何だこの神、怒るどころか笑ってるよ…それだけに不可解かつ気味が悪い。的外れだが口汚い挑発にビクともしない、言うなれば…悪い神様か邪神と喋ってる気分だ。

 

『ハズレかなー、私は洩矢諏訪子。この神社の神様の片割れさ…もう片方の神奈子は天災と恩恵の神、私は地災と豊穣担当よ。と言っても、昔は祟りとかが専門だったけどねー』

 

よりにもよって祟りかよ! こいつ本当はロクでもない神なんじゃないか? まあ、帯びてる神気が格とか性質とかを物語ってるが…にしたって只者じゃないとしか言えないな。

 

『はっ…神様倒すのも楽じゃねえなーーーー!!』

 

『当たり前よ、神は人の信仰から恵みを与えるけれど…時には試練や罰も齎らす。ほいじゃ、神遊びと行こうじゃないかーーーーッッ!!!』







相変わらずコウは棒立ち多いですね。天魔様には可哀想な事をしましたが、主人公の実力を鑑みると山が無くなってしまいますので…自重です。

魔理沙は友達増やすのが得意なフレンズなんだねっ!
きっと彼女がいる事で上手く回る事態は多い事でしょう。その裏で霊夢や主人公が好き勝手やってしまうのが悲しいですが…。

戦闘回は次回に持ち越しですが、霊夢と魔理沙には秘策やら新たな技が備わっています。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第五章 四 神隠し、惜しむ竜

遅れまして、ねんねんころりです。
10日以上も空けてしまって焦りつつ、苦手な戦闘回を何とか書き上げました…次回も続くんですがね。

この物語は変わらない急展開、稚拙な文章、初めから終わりまで厨二マインド全開でお送り致します。

それでも長らく待って頂き、読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風の流れは水の流れに似ている。逆らえば身に及ぶ抵抗感や圧力は倍以上に感じられ、無闇に委ねれば流されるまま何処へでも行く羽目になる。

 

必要なのは最小限の抵抗で、少ない体力で身体の行き先を制御する事…そう考えていた。その認識は、風の圧力や鋭さまで変幻自在な眼前の天狗によって打ち破られたが。

 

『強い風とは気流の激しさ。弱々しい風の流れは其れと交わらずとも…逃げ道として用意するのは簡単よ』

 

文の言葉は、私も気付いているある罠の事を指している。吹き荒れる気流の合間に緩衝材の如く敷かれた微弱な風は、受ける側にとっては格好の避難経路…けれど、同時に撃ち出される弾幕は風に乗って安全地帯だった場所へ収束する。

 

『逃げ道に誘い込んだ相手を弾幕で埋める。避けるにはより強い風を掴み死中に活を得なければいけない……ですが』

 

『強風に巻かれて打ち上げられれば終わりと言いたいんでしょ? だから留まってるんじゃない』

 

どれほど弾幕が身体を掠めようと、風の隙間から抜け出すには予想される被害が大き過ぎる。

 

強い風とは文の周囲から水平に射出される竜巻という意味だ…本来、自然現象では起こらない横向きの竜巻は、空に浮かぶ此方の動きを抑えつつ幾重にも張り巡らされている。どの道、下手に動けば致命傷は避けられない。

 

『風を操る能力ね…初めて見たわ』

 

『種族としての能力が偶々そう呼ばれるだけです。風を起こすだけなら鴉天狗の誰でも出来ますよ』

 

嘘吐け、風の強弱も方向も性質も自由に弄っといて何が同族なら誰でも出来るよ! 物事の始まりから終わりまでを操るというのは、口で言う程簡単じゃない。

 

普通は風の流れが初めから定まっている場所で大気は唸りを上げたりしないし、ましてや竜巻の規模や速度まで誰かの意思で決まったりするもんか。

 

『そろそろ私も動きますかね、尤もーーーー』

 

それこそか妖怪たる所以かと思案していると、突如視界から文の姿が失せる。妖力を探って居場所を感知した頃には、天高く舞い上がった天狗の手に一枚のスペルカードが握られていた。

 

『貴女に私が見えるとは思いませんが』

 

『………』

 

可視化され周囲に滲み出した妖力が、これからやって来る脅威を如実に語ってくれる。回避は至難、仮に先手を取った迎撃も文には止まって見える事だろう…私は御祓い棒を真横に構え、風と妖力の入り乱れる空中で静観を選択した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《幻想風靡》ーーーーッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

宣言されたスペルカードは、私の視界から再び文の姿を捉えられなくする。感じ取れるのは風に紛れて微かに聞こえる羽撃きと空気の壁を破っていると思しき連続した音。

 

四方八方から辛うじて認知出来る一瞬の影から、飛び散る羽根の如き大量の弾幕が私へと向けられた。

 

『…弾幕はともかく撃ってる本人を狙うのも難しいなんて、面倒臭いわね』

 

『満足に動けない状態では、私が見えていようといなかろうと関係無い。その程度なら大人しくやられておく事ねーーーーッッ!!』

 

不規則な風に巻き上げられた紅葉と、絶えず繰り返される高速の飛行に合わせて出てくる弾幕は偏に美しい。

 

身体を掠める魔弾と体勢を崩してくる竜巻の中で、天狗の言う通り満足に反撃もしない私は自然と言葉を紡いでいた。

 

『……《その程度》ってのは、見込み違いよ』

 

防戦決め込むのはここらが限界。この状況で新たなスペルカードをまともに使われれば敗北は必至…何も出来ず天狗の憂さ晴らしに付き合った挙句負けとなる。

 

『冗談じゃない!』

 

一枚の御札を構えて、紫との修行で得た新たな戦術を試すのに躊躇いは無かった。僅かな霊力で起動するソレは差し詰め隠し球…私と紫、魔理沙以外は誰も知らない。

 

『これはーーーー?』

 

『夢符ーーーー』

 

紫は封殺結界と称していたが、厳密には違う。

修行として行ったのはあくまで結界の中で異物を固定させ、取り込んだ異物の効力を残したまま二重の結界を操る為の過程を想定したモノ。

 

一重目の結界は外界と内部を隔絶し、内部の異物全てを外に出さない様にする正真正銘の壁。四角形とも取れる霊力で構成された白色に光る透明な結界は、発動した私と静観を貫いた文を瞬時に取り囲んだ。

 

『何をする積もり…』

 

『さあて、何かしらね…答えは直ぐ出るわ』

 

『意図は読めませんが、始まる前に止めればーーーーッッ!?』

 

天狗が叫んだ直後、結界の中にいる私達に何かが纏わり付く感覚が生じた。二重目の結界が作用し、私達という異物を更に青紫色の箱が包む…これで準備は整った。

 

『お互い動けないから、もう少し待ちなさい』

 

『コレは…二重結界!?』

 

ご名答…と言ってもそれだけじゃ無いけど。

この二重結界は、術者を含めた異物を一つ目の結界で包囲し隔離する。後に二つ目の結界は一つ目より柔らかく、しかし柔軟性と弾力の高さから内部から外界への脱出を禁じる効果を持つ。これが二重結界の通常の役割…それに空間内の物体を固める術式を織り込んだ。

 

よって術者たる私は、この結界の中でのみ身体と霊力を働かせられる優位性を獲得するーーーー最後の仕上げは、

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《博麗弾幕結界》ーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

私の一声に、 御札が本来の…一枚のスペルカードの姿を取り戻した。今までなら二重結界は私の持つスペルカードでは魔理沙とかなら割と見慣れた、対処も余り難しくない凡庸な代物…だった。

 

其処に紫の提唱した境界を操る云々の理論を当て嵌めて、硬度の高い結界と軟度の高い結界に振り分ける。硬度の高い一つ目の硬い結界は外界だけでなく万一の為内部からの脱出を遮る壁となり、二つ目の柔らかい結界は私と対象何方かが根負けするまでの檻に変えた。

 

『待たせたわね…風を操るのは、無風の空間でも可能なのかしら?』

 

『……っ、味な真似を』

 

『勘違いしないで頂戴ーーー本番はこれからよ』

 

持っている御札は初めは五枚、其れ等を文のいる地点とは別の適当な方向へ放り投げる。御札は柔らかい結界に弾かれて直角に反射を繰り返し倍々に数を増やして行く…五枚から十枚、十枚から二十。数秒後には三百程度の霊力を帯びた札が私の意のままに操作され周囲を飛び交う、其処に私を起点に撃ち出される弾幕を上乗せすればーーーー、

 

『こんな…いつからコレを狙って』

 

『最初から…は言い過ぎね。私より速い奴、力の強い奴、能力がより殺傷性の高い奴はごまんと居る。でもね、それって満足に発揮出来ればの話じゃない? 使われても問題無い場所ならどれも同じよ』

 

一部効かなそうな連中を知ってるから、そういう手合いには使わないけど…眼前の鴉天狗は別だ。妖術や能力を分析しても、結界を解いたり強引に壊したりする切り札を文は持たない。戦闘の最中で打ち立てた予測と結論は、ここ何年かで今の所外れた事が無い。

 

『弾幕と御札でどんどん周りを埋められるわよ。尤もーーーーあんたが動けなきゃ一緒だけど』

 

『ーーーーーーああ、なるほど…もしかして完敗、ですかね』

 

スペルカードの宣言もまともにさせない。これは異変解決や弾幕ごっこでは違反すれすれの技法だ…しかし、天狗の八つ当たりや憂さ晴らしを黙って受けるほど私は大人じゃない。

 

ましてや、やる気もへったくれも無いバカ天狗に…なんで私が踊らされなきゃいけないのよ! 寧ろお前が踊れ! 踊り狂って気絶しろ!

 

『収束!』

 

『くっ…きゃああああああああああーーーーッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

終わってしまえば何の事は無い。

方々に張り巡らされた札と弾幕が、逃げ場を失った天狗に纏めて向かって行って全弾命中。文は弾幕と御札の波状攻撃をまともに食らって落下するも、柔らかい結界に受け止められて宙ぶらりんで意識を失っていた。

 

修行の成果は見せられたけど、やっぱり柄にも無い術を使うのは精神的に疲れる。溜め息を吐きながらゆっくりと地上へ降り立ち、倒れている天狗もそのままにして先へ歩き出す。

 

『今の山が気に入らないってんなら、まあ、ついでだし…』

 

振り返る事もせず、背後の食えない天狗に一方的に語り掛ける。憂さ晴らしとか言ってた癖に…結局始めからあいつには私を仕留める気なんて更々無かった。

 

おかげでこの場は私の勝ち、釈然としないけど…少しくらいは、文の気持ちを汲んでやる事にする。

 

『そこで見てなさい…さっさと終わらせて、昔みたいな暢気な山に戻してやるわよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーーええ、ありがとうございます…霊夢さん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほらほらぁ! 避けないと祟っちゃうよー!』

 

『うお!? このやろう…神様が大人気無いぞ!』

 

寸前で諏訪子の繰り出した赤錆びた鉄の輪を回避する。

弾幕っていうかこれもうただの物理攻撃だろ! 普通の弾幕ならともかく無数の鉄の輪が私を狙って絶妙な速度でゆらゆらと迫って来る。

 

『神は人に恵みを与えるだけじゃないよ! 時には試練を与えたり祟ったりするもんなの!』

 

『知った事じゃ無いぜ! 神様が後から来て迷惑だってーの!』

 

『む! 不信心な娘には容赦しないぞ!』

 

子供の喧嘩じみた舌戦を交わしつつ、互いの弾幕がぶつかり合う。鉄の輪は錆びているにも関わらずヒビも入らなければ撃たれる数も変わらない。

 

一定の物量とパターンなのに、内包する威力や追尾する弾幕としての効力が単調な筈の攻撃に複雑さを持たせていた。

 

『むうう…! 予定通りに当たらないなぁ。天狗並に飛行が得意な魔法使いだね!』

 

『弾幕ごっこで飛行技術は基本だからな! そういう神様は飛ばないのか!?』

 

『私は…地母神だからね。産まれた時から大地と繋がってるのさ、地に足を着けてた方が安心出来る』

 

その表情に、一抹の寂しさを覚えた瞬間…諏訪子の翳した右手に従う様にむくむくと地面が隆起し始める。片手団扇も形無しの気軽さで私に向けられた掌は、隆起した地面を土砂流へと変貌させた。

 

砂と土、小石が混ざり合う土砂流は顔の無い龍にも似た挙動で空中へ雪崩れ込む。土埃に視界が狭められ、空かさず躱そうとするより前に四方を土砂の噴水が埋め尽くした。

 

『マジでか!?』

 

『土葬は趣味だから、綺麗に埋めてあげるよ!』

 

恐ろしい趣味だな!? 見た目や言い回しより遥かに血生臭い神様の力に押し潰される刹那…八卦炉を箒に無理矢理嵌め込んで魔力を込める。

 

『うおおおりゃあああああああーーーーーーーッッッ!!!』

 

裂帛の気合と共に八卦炉から推進力が発生した。バテない程度に思いっきり注いだ魔力が浮力と運動エネルギーを高め、埋没する直前に安全な上空へと退避出来た。

 

『おおー、中々やるじゃない人間! 流石は異変解決者…と言いたいけど』

 

眼窩の神は、引き裂けそうな程口元を開けて邪悪な笑みで返して来る。これまで経験して来た弾幕ごっこと勝手は違うが…一先ず膠着状態を維持している。

 

不味いのはこっちが魔力切れしたとしても、諏訪子は止まってくれないだろう。それに背後の山道からは、霊夢の発する霊力が徐々に近付いているのも分かった。

 

『それじゃ…腹を決めて勝負と行くか!!』

 

『ふうん…いいよ。健気な魔法使いさんに敬意を評して、その勝負とやらに付き合ってあげる』

 

大事なのはタイミングだ…まともな弾幕じゃ大地を操れるらしい諏訪子の防御には届かない。お互い様だが、スペルカードも満足に使わせられていないのは更に面倒だ。

 

『ーーーーーー行くぜ!』

 

短い掛け声を合図に、箒が推進剤代わりの魔力を噴射して諏訪湖へ一直線に吶喊する。鉄の輪が私に反応し、諏訪子の周囲から緩慢な挙動で迫って来る。

 

『神遊びもそろそろ閉幕。次が控えてるから、遠慮は無しね』

 

諸手を上空へ突き出した神の意志に、隆起した地面からまたも土砂流が沸き上がった。鉄の輪と土砂…双方を前進しながら搔い潜った先に、私に残された勝機が有る!

 

『同時に攻めても無理…か』

 

神の懐から、ようやっと一枚のカードが取り出される。

鈍く淀んだ瘴気を孕んだ、禍々しささえ窺わせる神の一手…だからこそ、

 

『正面突破だーーーーーーッッ!!!』

 

『良いねそういうの、昔の諏訪の民草を思い出す…だったら』

 

諏訪子の身体から、何の前触れも無く小型の弾幕が全方位に吐き出され、土砂と鉄の輪に加えた弾幕という第三の壁が設けられた。不敵な笑みからは…それで終わりでは無いと言いたげな思惑を乗せて。

 

始終余裕な態度を崩さない神の姿に、私は試されているという感覚を覚えていた。

 

『祟符ーーーー』

 

スペルカードに込められた力が解放された。

鉄の輪も土砂もチンケに見える程の交差弾幕の雨霰…箒の慣性に上乗せされて過ぎ去る景色に溶け込んだ弾幕を格段に素早く感じさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《ミシャグジさま》ーーーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地の化身、地を統べる総体が可視化された。

網の如く絡み縺れ、鞭の如くしなやかな弾幕の連なりが身体を掠め弾けて行く。

 

身体は初撃をいなし切れずに服さえボロボロだが…それでも箒に込めた魔力で真っ直ぐ突っ込んだ私は止まらない。

 

『自爆行為だ! 引き下がって敗けを認めなよ魔法使い!』

 

静止とも侮蔑とも取れる神の言葉が耳朶を乱すが…関係無いね! 死中に活を見出すとは、読んで字の通り命懸けだ! 身体に痛みがあろうが構わない!

 

距離にして約数メートル、爆心地の只中で…私の新たな切り札が産声を上げる。

 

『魔砲ーーーー』

 

『ちぃッッ!?』

 

諏訪子の表情が一瞬だけ曇った。

弾幕ごっこ…神遊びと称したルールに殉じる以上は、異能や膂力で直接相手を殺傷するのは御法度だ。落とし穴は其処に有る、神も妖怪も人間も分け隔て無く…弾幕の美しさと胆力の強さを兼ね備えた者が勝利を掴む。ことその二点に於いて、私ほど有利な奴は居ないと信じる。

 

諏訪子が遮二無二放った土砂は巨人の腕じみた形を成して私を捕らえ、鼻先に互いの顔が触れる位に近付いた。

 

『残念だったね、魔法使い。これでーーーー』

 

『バーカ、全部予定通りだぜ?』

 

両手に握り締め、砲身をもたげた八卦炉が駆動する。

スペルカードを読み込んだ小さな絡繰は…私の魔力を媒介にして最後の一撃を予感させる輝きを発し始める。

 

『まさか…』

 

『土くれで作った腕程度で、こいつを止められるとは思わない事だ』

 

凝縮された魔力の塊が増幅し続け、星型の弾幕と膨大な破壊の余波が土塊を砕いた。堪らず宙へ浮こうとする神を正面に捉えた私の新技、その名もーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《ファイナルスパーク》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔力の一雫まで絞り出した大口径の光線が、神社の境内から上空へ一筋の橋を掛けた。マスタースパークより強く、範囲が広く、諏訪子との戦闘が始まってからより丹念に練り上げた魔力が創り出した超極太の光線弾幕。

 

あの風見幽香にだって引けを取らない…と思う高密度の魔力の塊は、星の光に瞠目して大地を離れた地母神を呑み込んだ。

 

打ち上げられた大きな影は一つだけ、風と光線に打ち上げられた無数の紅葉の中に…地へ落下する神が居た。箒を飛ばす魔力も失い、疲労によって躓きそうになる自分の足で神の堕ちる場所へと駆け出す。

 

『おっとっとーーーーーーうごぁっ!? あー…いててて、か弱い美少女に力仕事はさせちゃダメだろ神様』

 

『あーうー…星がキラキラぐるぐる、目が回るよぉ』

 

やっぱ神様だけあってとんでもないな。至近距離でアレを喰らったのに意識も保っていやがる…飛ばないなんて舐めた真似するから足元掬われたってのに、こっちは更に自信無くすぜ。

 

『はぁ…つっかれたぁ。もうこのままで良いから休んでようぜ? 私の勝ちだろ、神様?』

 

『うう…老体に鞭打ってまで戦ったのに負けるとは、これも神の傲慢さ故かー』

 

口の減らない奴だよちくしょう! バツ印の形で境内の端で横たわる私と諏訪子は、全く動く気にもなれずに同じ空の上を見上げていた。

 

『他のとこは…どうなってんだろな』

 

『知らないよ…でも、うちにはまだ早苗と神奈子が残ってるからね。あの二人は強いよ? 相手する奴がちょっと可哀想だけど』

 

『バカ言えよ! 霊夢は今はまだ私より強い! それにーーーー多分アイツも来てる。神様も気付いてるんだろ?』

 

微笑み混じりだった諏訪子が、一転して神妙な顔で視線だけを山道の方へ向けている。霊夢より下の中腹辺り…此処や霊夢の所より更に大きな気配が未だにぶつかり合っている。

 

『こっちは片付いたぜ、お二人さん。早く異変終わらして帰ろうぜ、そしたら宴会するんだからな!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()が我の身ぞ忍び忍びて語るか 千石の巌持ちて比せんと望む!』

 

()()の身を解き 其が顎門へ押し入るものか 深き淵より果てから果てを坩堝と変える』

 

打ち交わす拳と鉄柱、薙ぎ鬩ぐ脚と注連縄、神の手にした鉄の剣を腕で受け止め、神は詞を紡ぎ私は譜を唱えながら戦い続ける。

 

八坂神奈子の真言は神性と神秘を纏い神の威を束ね、私の呪言は神の威を喰らい己が力とした。負と聖が潰し合う最中…それでも私と彼女には歓喜と興奮が灯っている。

 

『…真言はそのまま君の力と成り、私の吸収に良く耐え抜いている』

 

『集めた信仰により高められた神は正しく普遍だ! 無闇に挑んだあの時とは違うぞ九皐!』

 

確かにあの時とは全く違う。信仰が八坂神奈子に潤沢に集まった証拠だ…どれ程の準備を重ねて此処まで来た事か。

 

『しかし重い! そして速いな! 対して私の攻撃では怯みもせんか!?』

 

『痩せ我慢が得意なだけだ、強く打たれれば痛みも感じる…そうならぬ様に上手く捌いているに過ぎん』

 

五体に直撃したモノは須らく急所をずらし、筋肉と内臓の動きを操って体内に開けた空間に衝撃をいなす。出来る様になる迄は若かりし頃それなりに時を掛けたが…何時まで経とうと役には立つ。

 

『ぬっーーーー!? 危ない危ない…危うく首が吹き飛ぶ所だった』

 

『過大な評価だ。精々首の骨が砕ける程度の威力だろう』

 

私達の至近での競りは周囲に多大な被害を齎らした。山の景色は不自然な円形に伐採されたかの様に切り拓かれ、続けて交わされる攻撃は地を抉り風を止ませた。

 

放つ鉄柱は圧力のみで木々を薙ぎ倒し、それ等を拳が粉々にした後鉄の剣が尚も細切れに分断する。私が悠長に遊びを残しているのも勿論だが…八坂神奈子も竦まずに追随してくれる。

 

水潟(みなかた)に揺らいて萃め給う 乾に降りては雷鳴と成ろう』

 

彼女の詠唱の矛先が空へ向かった。大気に満ちた水気を蒐め、私の頭上で擦れた水気が帯電する。

 

『天を操る能力かーーーーならば』

 

左手を翳した八坂神奈子の号令に伴い、帯電した水気はやがて雲となった。屈もった音を置き去りに飛来した八つの雷が光速の速さと見て呉れに違わぬ威力で私へ迫る。

 

上空からの対抗策は躱すか受けるかの二択しか無い。撥ね返そうとすればがら空きの自身に神の追撃が重なるのは自明…従って言霊に乗せた負を障壁とし、降誕する神鳴りを真下から迎える。

 

『受けよ!』

 

『棺に乗りて飛翔せよ 断崖を駆け我が元に』

 

神の雷が紅に染まり、八頭八尾の大蛇にも似た苛烈さで降り注いだ。轟音響く山の中腹が闇を縁取る銀と紅雷に彩られる事数秒…特に大きな外傷も無いまま私も彼女も依然として佇む。

 

『くくく…楽しいな、楽しいな深竜。時間を掛けて妖怪の山を焚き付けておきながら、内心は貴様と雌雄を決する事ばかりを考えていた…私を嗤うか?』

 

『嗤わないとも。此度の私は異変解決に来たのでは無い…ただ君と語らう為に、約束の為に来ただけだ』

 

神の真言と竜の呪禁が産まれては消える山に、一つの変化が起こった…何方とも無く笑みが零れ、取り繕う事など何も無い純粋な闘争が私達に喜悦を運ぶ。

 

『くくくく…くはははははははははーーーーッッ!!』

 

『フハハハハーーーーフハハハハハハハハハハハッッッ!!!』

 

歓喜の決戦は始まったばかりだ。

約束を果たそう…君の願い、私の望みが叶うまで。何方かが傷付き倒れ、両者の心血が枯れ落ちる最後まで。

 

『麗しきかな宗像の (かつ)えに(いら)えッッ!!』

 

『地に立つを見下げ 天に起つ頂を掲げよ』

 

同じ呼吸で踏み出し、私達には狭過ぎる山の中を疾駆する。継戦と共に紡がれる祈りは声に、声は意志を伝え力と変わる…鉄柱が削られる度に、拳が防がれる毎に、次第に発する神力と魔力の規模が飛躍的に大きくなって行く。

 

『夜にはまだ速い、とくと味わって逝くが良い!!』

 

『死せずと返すのは二度目だ…三度目も返させてくれ、君が斃れていなければ』

 

煽るも讃えるも刹那に済ませ、私と彼女は第二幕を踊り始めた。だのに惜しむ自らを悟ってしまう…神のひた隠す異常に気付いてしまった。

 

山の神よ、軍神よ…八坂神奈子よ。

君は何故、視えない傷を無視出来る?

魂に近く、肉体からは遠い存在そのものに入った(ひび)の大きさをーーーー如何して私に隠すのか?










不思議とこういう展開と相成りました。
早苗の出番が無かったのは次回への布石? です。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第五章 伍 素敵な巫女は空を往き

おくれまして、ねんねんころりです。
二週間以上も空いてしまって申し訳ございませんでした。今回で風神録の大筋は終了となります。

この物語は稚拙な文章、独自設定による神奈子様の超強化、それを上回るチート主人公、厨二マインド全開でお送りしております。

それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 東風谷早苗 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

守矢神社の本殿、最奥部にて瞑想する私の脳内に…確信とも言える直感が降りて来た。

 

『諏訪子様がーーーーーー負けた?』

 

屋外から聴こえていた騒音が止み、気を鎮め霊力を練り上げていた私の胸中に波紋が広がる。私達にとって最も所縁ある神社周辺で、ましてや信仰を手にした諏訪子様が何者かに敗北した。

 

あり得ない、とは言い切れない。世界は摩訶不思議な事で溢れているから、だからこそ一介の生命には予期出来ない結果は訪れる。

 

『なるほど…敢えて、ですか』

 

神の試練に差は無くとも、神の御心に揺らぎが無いとは限らない。全然本気じゃなかった…訳でも有りませんが、少なくとも諏訪子様の良識の範疇でルールに基づいた決闘の結果一人の解決者が勝利した。

 

読み取れたのは其処まで、それ以上は不要で直接見れば事足りる。しかしながら…戯れと評し得るも神の試練を踏破する人物が他にも居たというのは意外も意外。初めから、越えられぬ壁を用意する程高慢では無いと教えたかったのでしょう。

 

『私は……違いますけど』

 

私は人間だ。負けるのは好きじゃないし進退を懸けた場面で手加減なんて出来ない…お二人は私の気性を見越した上で、最後の砦として本殿で自らを高めよと仰った。

 

私に目を掛け、報われぬ心を救ってくれたお二人に応えたい。私には初めから…在りし日に抱いたこの想いしか無かった。

 

『勝ちますよ、私は勝ちます』

 

外の世界に、私の本当の居場所なんて無かった。

友人や家族と呼べる人々は確かに居たが…私の視えている世界を共有出来ない方々と、如何して心の底から分かり合えると言うのだろう。

 

幼い頃から…私には他者には感じ取れないモノが見え過ぎていた。お二人も含め、外の世界に砂粒程しか無い幻想の残滓がはっきりと在って、私には当たり前でも…誰も私の識る現実(げんそう)を知る事は終ぞ無かった。

 

きっと浮いていたんでしょう…私は家族からも友人からも不思議な空気を纏っていると良く言われ、悪い意味では無いにしても皆と同じでない自分に悩んだ時期も有った。

 

『だから…ついて来た。塵は塵に、灰は灰に、幻想は幻想に立ち返るべきだと』

 

私は幻想郷に訪れて、この持論が正しかったと強く思う。此処には私の観ていたモノが自然と溶け込み、外で生きていた私さえも産まれた時から楽園の一部だと錯覚する位呆気無く受け入れていた。

 

幻想郷でなら、自分はありのままで居られる。

本当の自分を隠す後ろめたさも必要も無い…今や信仰の理力は御神体であるお二人を仲介して布教を繰り返した私が大部分を受け取り、私の現状を神奈子様は《現人神》の顕現と喜び…諏訪子様は寂しげな笑みで《守谷の風祝》と讃えるに至る。

 

これが今の私、神々の恩寵によって新生した東風谷早苗…あの頃の私は、もしかしたら死んでしまったのかも知れない。でも、私には私の願いが有る。

 

『私が…お二人に報いる』

 

この身に宿したチカラはその為のモノ。

私が選び、掴み取った数少ない選択肢…誰にも邪魔はさせない、例え博麗の巫女たる霊夢さんが相手でもーーーー

 

 

 

【気を付けて帰ると良い】

 

 

 

不意に、脳裏に彼のヒトの姿が幻視される。

何の貴賎も持たず、異変を起こすと勇んで出向いた私に肝が据わっていると評し見送ってくれた彼が…妄想だと分かっているのに、一見無機質にも思えた横顔が暗くなった気がした。

 

表情が翳っているのは…私に危うさを感じているからとでも言いたげに、頭の中の彼は一向に顔付きが晴れない。

 

考え過ぎだ…雑念に気を取られるから、こんな益体も無い想像に耽ってしまうんだ。私は偽ってなどいない…自分を誤魔化すような真似はもうしなくて良いんだ。

 

『あり得ません』

 

心に靄が掛かった様に判然としない思考を無理矢理打ち切って…私は本殿から立ち上がる。歩む足は緩慢で、大した不安も気負いも無い。

 

なのにーーーーーどうして頭の中の片隅で、俯瞰する自分を嘲笑う言葉が出てくるのか。

 

 

 

 

【嘘つき…私は嘘つきだ】

 

 

 

 

かつての自分、子供だった自分の意識と記憶が…今の私を嘘つきだと叫んでいる。分からない…何に嘘をついたと言うのか、喉元に詰まった感覚を覚えながらも、開け放った襖の先の宿敵へ言葉を投げかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ようこそーーーー霊夢さん、此処で打ち止めとさせて頂きます』

 

『打ち止めねぇーーーーまぁ何れにしても、私とあんたでケリが付けば異変は終わる。歯ぁ食い縛れ…守谷の巫女』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『祈り給え 畏み畏み申すなら 其が器の許に降り立たん』

 

『夢見る侭に待ち到り 慄きを知らず されば永劫の裡に回帰せよ』

 

真言と呪禁は衝突を止めない。既に半刻が過ぎて尚勢いを保つ彼女に応え信仰は神聖な力と成り、力という《負》を飲み込まんと双方の意気が交差する。

 

何故だ…何故神力を抑えない。

未だ致命打の一つも打ち合わぬ状況で、八坂神奈子は明らかにその存在に綻びが生じ始めていた。

 

『これ以上はーーーーーー』

 

『如何した!? そんな物では有るまい!! 直ぐ様押し返し、禍々しくも凄烈な一撃を放って見せろ!! 深竜ーーーーーーッッ!!!』

 

軍神は最早闘争を忌避すべき状態の筈。

拮抗し、互角に鬩ぎ合っていたのは先程までの話…今の彼女は燃え尽きる前の蝋燭の火だ。

 

手にした信仰を湯水の如く注ぎ込み、己の魂さえも上乗せして今の私を圧倒する。余りに危険だ…自らの生死すら度外視した能力と神力の行使は彼女の命を確実に蝕んでいる。

 

『八坂神奈子…』

 

『頼むーーーー私が燃え尽きる前に、この身体、この命果てる前に…貴様に勝ってみせるッッ!!!』

 

それは悲痛な願いとも、憤怒の現れとも取れる咆哮。

我に勝つと言ったではないか…何故己の根源までも糧にして未来を棒に振る。

 

『私はーーーー私は、 お前を尊敬していた!! 狂おしい程、身の程も忘れて憧れたのだッ!! だからこそ勝ちたい! 勝利を以って証を立てたいッッ!!!』

 

それ故か…そんなにまで為って我に挑んで来たと?

ーーーーーーーー素晴らしい。何と雄々しくも美しき姿である事か…肉体という器に許容量を越える出力の神気。

 

もし全盛期であったなら、あれだけの神気で有ろうとも身体に皹一つ入らなかったが…しかし日々の積み重ねが彼女の心を、褪せた神性を補って余り有る程気高く強くした。磨いた武技と理知が極まった、軍神たる八坂神奈子の真の姿が眼前には在る。

 

だというのに…時が流れ、外の世界で弱り果てた神としての格が、器が、彼女に相応しい筈の信仰と力を収め切れないでいる……斯様に見事で、悲しい有様が他に在るのか。

 

『良かろう』

 

『ぬっーーーー!?』

 

肉体から立ち昇る銀の奔流を操り、彼女との距離を強引に空ける。短く呻いた八坂神奈子に…私は最大の敬意を以って構えを取った。

 

『………』

 

呼吸は静けさと落ち着きを増し、彷徨うでも凝視するでも無い俯瞰した視線。武に通ずるなら誰もが象る無念無想のカタチに、八坂神奈子は息を呑んで待っている。

 

『許せ……我が如何に浅はかだったか、深く思い知った』

 

『……漸く、漸く本当の貴様に逢えた。優しく触れずとも良い、気遣いも全くの無用…私は貴様の、その蠢き発つ覇気を待っていた』

 

遠い過去、彼の日に対峙した時と同じ気概で彼女を迎えた。姿形は変われども、我と彼女の変わらない魂の繋がりを取り戻せた。されば友よーーーーーーいざ、

 

『ーーーーおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!』

 

『来いッッ!! シンリュウウウウウウウウウウウウウウウーーーーッッッ!!!!』

 

魔力も神力の差も関係無い。雄叫びと共に走り、互いに魅せられる今の全てを込めた拳を、剣を見舞う。

 

肉を穿ち、骨を絶つ轢殺の一撃。数える間も惜しいが凡そ数百…一呼吸の内に交わす必殺の間合いと威力で顔を、腹を、足を、腕を叩き撲り斬り合った。

 

『クッ…ヤサカァァアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』

 

『ごぼっ…! は、ははは…ハァァアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』

 

恥も外聞もかなぐり捨てて、友と血塗れの笑顔で戦に興じる。我は彼女を一度は見下げ、彼女は我に憧憬を抱いてくれた…そして今は我が非と愚かさを認め、彼女は待ち続けてくれたのだ。

 

応えねば…そして、だからこそ勝たねばーーーー否!! 我こそが勝つッッ!!

 

『嗚呼強し、真の強者(ツワモノ)との戦とは…何と心が踊る事か!!』

 

『神よ、我が深淵に届いて見せろ!!』

 

真言と呪禁を述べた上品なだけの、私の我儘で彼女を待たせた下らぬ戦いは完全に無きが如く…ただ我武者羅に血と肉と骨を削り取る。

 

語らう言葉の裏に、拳脚と鉄柱、剣に纏った力の奥底に、万感の想いが潜んでいる。穢れ無く、麗しくも尊い軍神よ…良くぞ待ち続けた、故に沈め、闇に懐かれ眠る刻だ。

 

『如何したぁッッ!! 貴様の力はその程度か!? 悍ましき竜の分際で私を相手に何を呆けている!?』

 

『笑止、呆けている等と勘違いも甚だしいッ!! 神如きが囀るなッッ!!』

 

聞くに耐えぬ罵詈雑言も、我と彼女には心地良く聴こえている。証拠に笑顔は翳らず、喋るのも億劫な程傷を与えては倍にして返された。

 

楽しいな…八坂神奈子。我には分かる…汝も又楽しかろう。肉が潰れる程肢体を殴り付ける拳、骨が粉微塵になるかと見紛う鋭さで薙ぎ払われる剣。地面は血飛沫によって紅く染め上げられ、空気には鉄の臭いが濃く充満する…身体に押し留めた魔力と神力で強化し繰り出された攻撃一つ一つが愛おしい。

 

『がはっ……!? 未だ、竜の心臓に届かぬか…何と厄介で、憎らしくも倒し甲斐の有る相手だ』

 

『……ッ! これで三度目だ、我は死なず、神もまた死せず。年寄りの言葉は兎角…的を射るモノだ』

 

『はぁ…はぁ…抜かせ、その見て呉れで年寄りだと? 私もお前も、死ぬまで現役だよ』

 

八坂神奈子の息が荒い。

終幕が近付いている…軽々とした物言いからは想像だにせぬ痛みと膨大な信仰を力に変えた反動が一度に押し寄せて来たか。

 

此れまで楽園で戦った者達の誰よりも私に迫った、忌々しさを越えて抱き締めたくなる…惜しむばかりなのは此れ迄だ、もう終わりにしよう。

 

『次で最期だ……』

 

『はぁーーーー同感だ』

 

蹌踉めきながら、必死に留めていた神気の堰を彼女は解いた。一先ず、体内で暴れる神力による自壊は免れる…後は蓄えられた力の矛先を私が如何に打ち消し、神に引導を渡すのかという段階となった。

 

『山に集めた数多の信仰…神を敬い、讃え恐れる徒の意を束ねる…気を抜けば貴様でも幻想郷の藻屑となろうよ』

 

『ーーーーーー来るが良い』

 

軍神、山の神、天を操る神が遂に空へと上がった。

彼女は空から地表へ、私は大地を踏み締め上空へ、最後の攻撃を仕掛ける態勢を整える。

 

『産みたるは天 賜りしは(いぬい)に依りて唯一輪 (ろう)たし功入り長ける 一振りの鏡剣(かがみたち)を疾く奉れーーーー』

 

三種の神器、ミクサノタカラとも呼ばれる神璽に用いられたとされる神聖な剣にソレは例えられた。気高く咲いた花の如く彼女の周囲に輪を描いて顕現する神力の渦は、信仰の密度、纏う理力、質量が開戦から放って来た数々の術式とはモノが違う。

 

今は遠き天孫降臨の際、大いなる神々の祝祭によって浄められた神秘が…軍神の名の下に再現されようとしていた。後退は愚策、しかして前進もまた困難…神代にて相争った神々の軍勢を降した時を遥かに凌ぐ、文字通りの切り札。

 

相手に不足無し…従って、楽園を壊さずに投入出来る全戦力を行使して迎え討つが礼儀。私も倣い、彼女を追う形で詠唱を開始する。

 

『深淵たる座へと参じ 三世の果てより』

 

新たに、分かった事が有る。

あの技は対象以外を狙わない性質を持っている…正しくはある一点の物体のみを破壊する為に特殊な自動式を編んでいる。

 

私という負そのもの…穢れの塊とも呼べる不浄の魂だけを刈り取る聖なる大花。だが、神が見落とした点も存在する。

 

私をこの場で消し去らんとすれば、裡に内包する無限の負が溢れ出すだろう…楽園は瞬く間に食い潰され、楽園はおろか一つの世界が終焉へ向かうと予想される。被害は計り知れない…宇宙一つ分か、連なる別の世界諸共か等と考えるだけでも恐ろしく、誰も報われず何も残らない結末となるーーーーそうなる前に。

 

『閉じた世界を此処に創ろう 過たず寄り来たる負の底へ』

 

幽香の時と同じく、私と彼女の幻想郷との関わりを一時的に断絶する。此度は慎重に、且つ確実に…八坂神奈子の秘中の秘の解放に合わせなければ。

 

身体から、楽園が瓦解する寸でを見極めて力を溢れ出させる。空を覆う銀が曇天と見違える厚みを帯びて流れ出し、銀に縁取られた漆黒の奔流が箱庭を包む擬似的な暗幕と成った。

 

『天孫よ 満ち満ちて在れーーーーーーッッ!!!』

 

それでも…彼女の切り札は中断されない。

止める段階はとうに過ぎたと言うべきか、後は渾身の一声にて叩き付けるだけ。しかし私も…彼女の秘奥に間に合う運びが整った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《風神様の神徳》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

『現想ーーーー《異界・無次間(いかい むじげん)》ーーーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と彼女の最後の攻撃が始まった時…幻想郷から音と景色が消え去った。神の咲かせた鮮やかな色を付けた大輪の花…神力によって構成された弾幕は周囲を埋め尽くし、ミクサノタカラに例えた猛き剣の再現は一筋の光線として私へ撃ち出される。

 

景色が白んで霞む中で私の生み出した常闇の領域が楽園に帳を降ろし、双方の魔力と神力が交差する直前…私以外の遍くモノが停滞を余儀無くされた。

 

『何だ…?』

 

囁きとも、独り言にも聞こえる軍神の一言が…周囲に起きた異常の大きさを物語る。

 

『何故消えた!? 神力も唱えた真言も十全だった筈ーーーー何が』

 

『私が若かりし頃造った場所に、幻想郷を移したのだ』

 

八坂神奈子の瞠目と動揺が露わになる。

理解し難い現象を前に、漆黒の世界に絡め取られた神の理力が徐々に奪われて行く。

 

『理屈が分からぬ…どういう事だッッ!!!』

 

『この無明の空の下では私こそが法…私の許し無くしては何者も存在を保てぬ。価値有りとすれば維持され、価値無しとすれば根源から食い潰される』

 

言葉では簡単だが、彼女の狼狽は凄まじい様相だった。

膝が崩れ落ちるのを必死に耐え、だとしても踏み出す事もままならない。言葉だけが虚しく交わされるのみ。

 

『つまり、貴様の裁量次第で生き死にが決まると…?』

 

『平たくは、な…奪う意思を向けなければ何も起こらぬ。此処には何も無い代わりに、私以外の誰も干渉出来ない』

 

『莫迦げている…!!』

 

『では如何する…諦めるか?』

 

『………ハッ! 知れたこと!』

 

朽ちかけた鉄の剣と柱を携え、光無き場所で尚軍神は不敵に笑った。それで良い…その姿こそ誇らしい、何にも勝る尊き神の武勇を表している。

 

『後退は無い!! ならば征くのみッッ!!!』

 

何方とも知れず幾度目かの衝突…友誼を分かち合う為に、無尽の野を行くが我等の定めか。この戦いに意味が有るとすれば…私と彼女以外には誰にも分からない。

 

『ーーーーうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!』

 

怒号、気概を混じらせた彼女の声から始まる掛け値無しの終幕。無風の大気を突き破り、神気を纏った一撃が押し寄せた。私は戦い抜いた軍神の強さと眩さに心から賛辞を送り、左拳を硬く握り締め…一直線に突き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーーーーーー八坂神奈子』

 

『…………ああ、分かっているとも』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拳に乗せた魔力は、軍神の腹を深々と打ち据えた。鉄の剣は拳の膂力に真っ二つに叩き折られ、受け流す為に咄嗟に張り巡らした二対の鉄柱も同様に砕けている。神の戦意が剥がれ落ち、崩折れそうになる彼女を抱き上げて言葉を掛ける。

 

『ーーーーよくぞ私の許へ、戻って…………』

 

抱かれた肢体は軽く…私は見た目に違わぬ軽さと華奢な腰つきに伴う重さを感じながら、彼女の言いかけた言葉の真意を深く受け止めて、緩やかに眼を閉じた彼女を見届けた。

 

『ようこそ楽園へ、我が友…八坂神奈子』

 

呼び寄せた異界は私の意思で音も無く消失し、何時もと変わらぬ幻想郷が帰って来る。意識を失った彼女を背に担ぎ直し、眼窩に広がる山道を歩き出した。

 

『私は…君に応えられただろうか。相応しき宿敵となり得たのか……次に目が覚めた時、君の口から是非聞きたいものだ』

 

異変も、佳境へと入った頃だろう。

魔理沙と霊夢の気配は健在だが…気になるのは、其処に立った存在の膨れ上がり続ける力の流れ。

 

『初めて会った時には然程感じなかったが、うむ…彼女もまた、神となるに値する器を持っていたのかーーーー』

 

其処で、ふと浮かんだ不安要素が頭を過ぎった。

感じられる力は霊力と神力を帯びてはいるが、何処と無く不安定な兆しを匂わせる。

 

『友よ、君はあの娘を…東風谷をどの様に導きたかったのだ?』

 

答えは無い。私には預かり知らぬ事柄が、背に負った彼女と山の頂の東風谷の間には多く在る…若き神童の儚さに、少しだけ歩幅が大きくなるのを自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて目の前のヤツが博麗神社に現れた時、私は少しだけ…少しだけ見惚れていた。長くて綺麗な、腰まで伸びたさらさらの髪…人の好さそうな顔付きと何処か間抜けっぽい口調。出るところは出てて、引っ込むところは引っ込んでる、それでいて大きくも小さくもない均整の取れた体躯。

 

一番気を取られたのは、身体に帯びている空気がとても心地良かった。きっと別の出会い方をしていたら…すぐに仲良くなれたかもしれない。けれど、

 

『一つ、気に食わない部分が有るわ』

 

『……何ですか?』

 

『なんで、あんたは本当の事を隠して喋るのよ。思ってる事とやってる内容があべこべだし、乗り気じゃなさそうな顔してた癖に堂々とうちに来たじゃない』

 

似ているようで、しかし全く違うもう一人の巫女は答えない。根は素直なのに賢ぶって、自分の本音をひた隠しにしているみたいな…変な気分を味わわされた。

 

それが逆に不気味で、どうしてもムカついてしょうがなかった。自分を誤魔化すやつに負けたくなくて、事前に修行なんて性に合わない真似までしたのに…嘘が上手いのか下手なのか。何にせよ…吐くもん吐いて貰って負かすのが一番早い。

 

『ま、私が戦って勝てば良いか』

 

『凄い自信ですね…羨ましいです』

 

本音から出た言葉だろうか…多分本当ね。

何の気無しに交わした言葉を皮切りに、私とあいつの弾幕ごっこは始まった。

 

『秘術ーーーー《グレイソーマタージ》』

 

『宝具ーーーー《陰陽鬼神玉》』

 

私と早苗の出だしは対照的だった。

喚び出した巨大な陰陽玉が早苗の真正面を捉えて射出されると、あいつの周囲に現れた五芒星を描いた弾幕が圧倒的な物量と速度で対抗する。

 

散りばめられた星の弾幕を私は躱し、早苗も上空へと飛び立って陰陽玉を難なく避けた。似たような術の系統ながら、私は組み上げた展開式の簡潔さと威力重視、あいつは一手間掛かる術を幾多も相互に織り交ぜて数で押して来る。

 

『霊力の高さにかまけて術の選択をおざなりにしていますよ…!』

 

『そっちこそ、持ってる力の割には初めの一撃が弱いわね!?』

 

私とあいつの戦いは選んだ術の効果とどれだけそれらを間断無く放てるかに有る。連続して繰り出される小手調べのスペルカードは性質も範囲も順序も真反対。私が弾数で応えようとすれば向こうは破壊力の高さで返してくる…単純な術の見せ合いでは早苗の実力が測り辛い。

 

『霊符ーーーー《夢想妙珠》!!』

 

『開海ーーーー《海が割れる日》!!』

 

同時に唱えた弾幕もやはり、真反対。私の繰り出した十六の大型弾が早苗の周りを囲むように回転を始めた直後、あいつの翳した掌を起点に津波の如き霊力の障壁が左右に展開された。付けられた名前に値する、海が割れたかに見える両翼から生み出された波動が力づくで私の夢想妙珠を跳ね返す。

 

『埒が明かないわね…』

 

『そうでしょうか…本番は此処からです』

 

『ーーーー!?』

 

早苗の纏っていた気配が変わった。

琥珀にも似た淡い光を瞳に灯して、相対した私に酷薄な視線を投げかける。

 

アレには、あの眼には…嫌な予感がする。何時もの根拠の無い勘とは違う、明確な危機意識が脳内で警鐘を鳴らし捲る。

 

『私は…貴女に勝ちますよ』

 

『………』

 

『だってーーーー今の私はカミサマですから』

 

早苗の発した言葉が大気に揺らぎを起こす。風が震え、地が戦慄いている感覚が爪先から頭のてっぺんまで伝わって来る。それでも何でか分からないけれど…怖いとか、ヤバいなぁとか、次に何が来るんだろうとかの前に。

 

『ブッ飛ばしてやるッッ!!!』

 

腹の底から叫んでいた。

こいつには負けられない、今だけは負けちゃいけない! 自分を隠して…神様の力まで借りて成さなきゃいけない異変なんて認めない!!

 

『私だって…! 貴女に負けたくありません!!』

 

神社の境内は弾幕で覆われた…互いに相容れぬ考えで動いている所為か、どれだけの時間が経過しても弾幕の引き出しは依然として左右対照。霊撃と神力で構成された弾幕が弾き合っては霧散し、小さな衝撃が連続して間髪入れずに巻き起こる。

 

『あんたは嘘つきだッ!! 大層な理由に隠れて、自分の考えがまともに出てもいない…初めて会った時からそれだけは気に食わないのよ!!』

 

『何をーーーー』

 

根拠なんてない。ただそう感じていて、早苗が神の力を宿し始めた辺りから形の無い確信を得たに過ぎない。それでも違う、違うのよ…今まで戦って来た連中と、目の前のこいつは何もかもが違う。

 

『神が成り立つだけならもう終わってるのよ! 異変が起きるまで散々人里と山で信仰を集めて、幻想郷に求める事が博麗神社の停止だけ? バカにするのも大概にしなさい!!』

 

『バッ……何ですかそれ、何がおかしいんですか!? 私だって、お二人の為にどれだけ走り回ったか貴女に分かるんですか!?』

 

分かるわけないでしょボケが!! 努力ってのは見せ付けるもんでも無ければ自ら大声で語る事でも無い、それを見た奴らが何を感じて、どう想うかが自分の周りに現れる。レミリアも妹の為に、咲夜たちもレミリアに応えようとして最初の異変が起きた。

 

『今のあんたは薄っぺらだ! 神様の為、守谷の為、口ではそう言ってるけど…あんたの事が何一つ見えてこないのよ!!』

 

『巫山戯ないで下さい! 何ですか、そんな理由で…そんな理由で私の邪魔をしないでッッ!!』

 

白玉楼の奴らも、理由こそ側から見れば下らないと思えた。桜が咲こうが咲くまいが、今の幽々子が其処に居ればそれで良かったのに…自分ってものが分からない苦しさとか、虚しさが異変の裏には感じられた。妖夢だって、人知れず悩んでいた主人の為に多勢に無勢の中で必死だった。

 

『嘘と都合の良い理由で誤魔化して、そんな臆病者の相手をする時間が惜しいって言ってんのよッッ!!』

 

『私が……臆病?』

 

永琳達だって、一緒に暮らしてる仲間のために…延いては幻想郷の為にって異変を起こした。月の連中だか良く分からない奴らに住処を荒らされたくない、平穏が欲しいって…どいつもこいつも面倒臭くてそれぞれ逢えば喧嘩ばっかりだけど…気の良い奴らだってちゃんと分かり合えた。

 

『みんな、異変に懸ける想いは本物だった。あんたに足りないのは、自分が本気だって言える理由が言葉からじゃ見当たらない所なのよ』

 

『私の……理由』

 

『あんたは口を開けば神様がどうとか、信仰がとかそればっかりで。此処まで話したって、自分がどうしたくて異変に関わってるか…私には分からない』

 

私が捲し立てた後、戦闘の激しさが収まってしまう。

眼前の強大な力の塊と化した少女は、糸の切れた人形じみて微動だにしなくなった。

 

『言ってみなさい…あんたはどうして、此処まで来たの』

 

『私、はーーーーーー』

 

早苗の顔は今にも泣き出しそうで…胸に溢れた本当の気持ちが出て来そうなのを感じる。あと少し、もう少し…

 

『私は……外の世界に居場所が無くて』

 

『……それで?』

 

感情の昂りから震える身体を抑えるのも忘れて、早苗は漸く、私を前に自分を曝け出し始めた。ああ……そっか、私がこいつに苛立ってたのは、自信が無くて恐がりで、それでも此処まで来たこいつをーーーー心の何処かで知りたいと思ったからだ。

 

『自分だけに能力があったって…同じ様な人が周りに誰もいなかったから、わたし、苦しくて……凄く、寂しくて』

 

特異な力、特殊な生き方を余儀無くされる葛藤は私にも分かる。高い高い神社の上から、幼い時から人里の子供達が道端で遊んでいる姿を…私もずっと見て来た。

 

仲間に入りたくても、きっと本当の意味で理解し合う事は…同い年だっただろう私とその子達でも無理だと悟った。それから暫くして私には魔理沙が現れたけれど…こいつには、早苗には……誰も。

 

『なによ…ちゃんと、自分の事話せるんじゃないの』

 

『ひっく、だ、だから…私と一緒に居てくれた…神奈子様と、諏訪子様に……!』

 

みっともなく、とは思えなかった。産まれも育ちも違えど…同じ幻想の中で共に生きて来た神々に少しでも報いようと。早苗の核心に触れて、嗚咽混じりに吐露した彼女の泣き顔は…見た目よりずっとずっと小さな女の子を幻視させる。

 

『わかったわよ…もう、良いから』

 

『うぐ……霊夢、さん』

 

空いた距離を埋めたくて、私から早苗の前へと歩き出す。直ぐ近くまで立った私は、懐から一枚のスペルカードを取り出して早苗に見せた。

 

『だったら、私と遊ばない?』

 

『え…?』

 

『弾幕ごっこはね、人も妖怪も関係無い…お互いの弾幕の美しさを競い合う遊びなのよ。だから、ほら』

 

『あ、うぅ…霊夢、さぁん…!!』

 

拙い言葉に…早苗はちゃんと私の意図を読んでくしゃくしゃの泣き腫れた顔を更に歪めながら、少しでもマシな顔で迎えようと袖で自分の顔を拭っている。

 

これで良かったのよね…だって、最初に来たのは向こうだけど、山まで来て突っかかって行ったのは私なんだから。出来ることなら、一緒に遊んだって良いじゃない?

 

『最後のスペルカードは、どっちかが一発当たったら終わりよ……さあ、準備は良い?』

 

緩やかな速度で宙へ上がり、不器用な笑顔で早苗の答えを待った。それは私の願った通り…赤らんだ涙顔を必死に凛々しげに保った新しい仲間が、私に大きな声で返してくれた。

 

『はい…ッ!! ま、負けませんよ!!』

 

『……ええ、歯ぁ食い縛りなさい。早苗ーーーー!!』

 

二人で共に空高く、雲に届きそうな距離まで飛び上がる。強引なやり方だったのは私も早苗も同じ…だから異変の最後くらいは何の蟠りも無く自由に、思い切り戦いたい。

 

『大奇跡ーーーー』

 

『神霊ーーーー』

 

声が同時に上がった刹那、妖怪の山の空を色とりどりの光が包み込んだ。早苗のソレは渦を巻く翡翠の色を灯した輝く弾幕の渦…私のは幾つかの色に分けられた七色の光の粒。この日を締め括る二つのスペルカードが、数瞬の後に開放された。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーーーー《八坂の神風》ーーーーーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーーーー《夢想封印》ーーーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

私と早苗の口元には…これまでとは違って笑顔が浮かんでいた。鮮やかで綺麗な光の粒と輝く風の流れが混ざっては溶け合い、更に高い空の上へと登って消える。

 

やっぱり…弾幕ごっこは楽しいものよ。時には痛みや苦しみを伴って交わされる事も有るかもしれない、でも…だからこそ私は、今なら早苗と分かり合える気がした。

 

『幻想郷流のおもてなしはこれからよ! 気ぃ抜かずに付いて来なさい!!』

 

『はい…! 絶対、私が勝ってみせますよ!!』

 

良い返事じゃない。双方の霊力と神力が最高潮まで高まって、スペルカードの規模と威力が加速度的に上昇する。夕焼け空に描かれた美しい光の瞬きは、次第に私と早苗の趨勢を物語り始めた。

 

『ーーーー凄いです…霊夢さん。私じゃまだ、修行不足みたいです』

 

『ったり前よ! 何年博麗の巫女やってると思ってるの!? あんたにもこれから死ぬ程頑張って貰うんだから、覚悟しときなさい!!』

 

人間だって妖怪だって関係無い…神様だろうが何だろうが、幻想郷では誰だって暮らしていける。あのバカみたいに力が余ってる竜だって居るんだから間違いないわ!

 

あんたはもう、外の世界で特別だった独りじゃない…私も魔理沙も、未だ逢ってない奴らが沢山待ってる。そこんとこ、覚悟して負けなさい!!

 

『おおおおありゃああああああああーーーーッッ!!!』

 

『くっ…きゃああああああああああーーーーーー!!!』

 

私と早苗の戦いの終わりは…始まった時と変わらず対照的なまま幕を閉じた。私は空で肩で息をしつつも地上へ落ち行く早苗を追い掛け、早苗は意識も失いかけているというのに…満足気な表情のまま神社の境内へ落下する。

 

『うーーーーく、つ……! 掴んだ!!』

 

向かい風と空気の抵抗に負けそうな身体から、必死に空いた手を伸ばして早苗を捉えて腕に抱きしめた時…誰も居なかった筈の境内で、片手を翳して何やらポツンと立っている奴を見つけてーーーー私も疲労からか、安堵なのか、意識が途切れる直前にあいつの声が耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

『二人とも…良い戦いだった。そして霊夢、君は正しくーーーーーー楽園の素敵な巫女だったぞ』

 

 

 

 

 

 








やっと、書き上げました五章の伍でしたが…如何だったでしょうか。かなり難行した今回、私ごとの忙しさからついつい日にちを開け過ぎてしまい、まことに申し訳ありませんでした。

次回で、彼は幻想を愛している…の第1部が完結という運びとなりますが特に何のことは無くつらつらとコウや幻想郷の物語は続きますので、しょうがねえ奴だな…見てやんよという方、これからもよろしくお願いします!!

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!!


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第五章 終 祭りの後もまた祭り

遅れまして、ねんねんころりです。
長い戦闘回が終わりまして、日常パートのみなら執筆も速さを取り戻しました。今回はサブタイ通り、風神録の最後となります。

この物語は稚拙な文章、多めの場面転換、アリスとのサブイベなどが含まれています。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪子に促されて、神社の本殿に続く短い階段で早苗と呼ばれた少女と霊夢の戦いを見ていた。結果は私の予想通り…霊夢が修行の成果も相まってか順当に勝利を納める。

 

流石としか言えない戦いぶりだったけど…霊夢が早苗に語りかけていた事と、自分を見透かされて最後には心を開いた早苗との衝突には感慨深いものが有った。

 

『いやあ…負けた負けた! 私たちの完敗だね』

 

『嘘つけ……諏訪子は元々やる気半分て感じだったろ?』

 

上空でぶつかり合った弾幕ごっこが終わり、霊夢と早苗が共に地面へ真っ逆さまに落ちる寸前…やっぱりというか何というか、物凄いタイミングでコウが現れた。そのお陰で、私は飛び出しそうになった身体を完全に持て余した訳だけども。

 

『二人とも良い戦いだった…そして霊夢、君は正しくーーーーーー楽園の素敵な巫女だったぞ』

 

身体から溢れ出した銀の奔流で霊夢と早苗を事も無げに受け止め、二人して眠っている様を見て呟いたアイツの言葉に、異変が終わった実感と少しの安堵感を得られた。

 

楽園の素敵な巫女……いつからか誰かが霊夢をそういう風に呼びだした。素っ気ない態度や無関心な物言いを装いながら、いつも霊夢は妖怪と人間の間を取り持って頑張ってきた。

 

『ほら、行こうぜ保護者様。早苗と霊夢を介抱してやらなきゃな!』

 

『はいはい…因みに私は保護者だけど神様だから、もうちょい敬ってくれても良いんだよ?』

 

洒落くせえ神様だなあこの幼女は…何はともあれ、これでまたいつもと変わらない幻想郷の日常が始まるだろう。紫にも序でに知らせてやるかな…今回は紫もやる気だった分、霊夢の事が心配だろうしな。

 

『いよっ! コウもやっぱ来てたんだな? 背中のそいつが、諏訪子の言ってた八坂神奈子だろ? その様子だと圧勝だったのか?』

 

『いや…辛勝だったな、特に神奈子の最後の一撃には驚かされた。魔理沙も良くやったな』

 

微笑みを浮かべて私を労ってくれるコウに、親指を立ててサムズアップで応える。横の諏訪子は眠っているらしい八坂神奈子を見て神妙な顔だが…暫くすると大きく息を吐いて話し始めた。

 

『はあ…良かった、自滅は何とか免れたみたいだね。深竜、あんたが止めてくれたのかい?』

 

『うむ、神奈子との戦いはとても楽しかったが…互いに少々やり過ぎてな。早苗と神奈子は時が経てば神力が回復する筈だ、心配には及ばん』

 

何の話か分からなかったが、自滅云々は幻想郷の空が一瞬だけ夜みたいに暗くなったのと関係が有るのかね? これだから強い奴らってのはやる事なす事規模が違うぜ。私も諏訪子に勝ったけどな!

 

『さてと! お喋りは此処までにして、私は早苗と神奈子を寝床に運んで休ませるよ。私達の処遇は後から賢者からお達しが来るみたいだし…今日はお開きとしたいけど、どうかな?』

 

『私は構わない。魔理沙と霊夢は私が送って行こう』

 

『私は一人で帰れるぜ?』

 

『そうは行かぬ…見た所魔力が相当に減っている。霊夢も君も、永遠亭で治療を受けさせる…良いな?』

 

凄みながらこっちを見詰めるコウに、私は諸手を挙げて大人しく従う事にした。そう言えば永遠亭って、近頃医療施設として屋敷の結界を解いたって聞いたな…紫やコウの話ではかなりの腕前らしいから心配は無いか。

 

『分かったよ、エスコート頼むぜ』

 

『素直で結構だ。それでは洩矢諏訪子、また近々相見えよう』

 

『はいよー、お宅も今日はお疲れさまー』

 

気の抜けた返事だったが、コウは満足気に頷いて神奈子と早苗を諏訪子へ引き渡し、指先を振るうと私達の目の前に黒い孔が現れた。空いた背中に霊夢を担いで、私に続くように視線を送って孔の中へと入り込んで行った。

 

『またな、守谷神社の神様たち! 次に会うのは宴会だから、酒と食い物たんまり用意しててくれよ!』

 

『あーうー…うちの家計がぁ』

 

泣き言を漏らす神様を尻目に、私も続いて孔に身体を埋めてその場を離れた。それから直ぐに永遠亭で簡単な検査と治療を受けることになるーーーー医者先生ってのはアレだな、怪我した奴に無茶し過ぎだの完治するまで安静にしろとか入院だとか…いちいち怪我人に煩い性分だと思い知らされたってのが、その日を締め括る感想だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

コウ様が、自身の転移術によって私をお迎えに来て下さった。聞けば霊夢と魔理沙は此度の戦いによる疲労が大きかったらしく、魔理沙は魔力欠乏による心身の疲弊と擦り傷が幾つか…霊夢も霊力を急激に練り上げた事で半日は目を覚まさなかった。

 

『私とて、責任を感じてしまうわね』

 

此度の異変は、今までとは違う毛色だったものの…水面下での暗躍や後ろ暗い事情などは全く無かった。それだけに神との対峙は二人に一層凄まじい疲労を齎した事でしょう。

 

『行くのか、紫』

 

『はい、コウ様…申し訳ありませんが二人を今暫く宜しく御願い致します』

 

『君の頼みだ、喜んで任されよう。だが君も無理はするな…今回の一件は、さぞ気を揉んだ筈だ』

 

『二人は私達に任せなさい…直ぐに治してあげるわ』

 

『……ええ、頼みましたわ』

 

どうしてコウ様の隣にさも平然と八意永琳が腕を絡めて私を見送るのか甚だ納得行かないけれど…心遣いに今は素直に感謝し、精一杯の笑顔で応えて永遠亭を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

『うん? ああ、幻想郷の賢者さんか。悪いね、今は神奈子と早苗は寝てるんだ…言いたい事があるなら私が聞くよ』

 

スキマを通って守矢神社の本殿へ直接入り込むと…事前に私の気配に気付いた土着神、洩矢諏訪子が先に口を開いた。

 

『此の度は、博麗の巫女とその朋友達の勝利と相成りました。八坂神奈子から要求された博麗神社の営業停止と、幻想郷の地上の自治権の譲渡は白紙とさせて頂きます』

 

『うんうん…元々私はやる気じゃなかったから異存は無いよ。早苗と神奈子も、そんなのよりもっと大事なモノを見つけられたみたいだからね』

 

やけに素直に引き下退がるのね…嘘は無いと分かるけれど、その大事なモノとやらが気にかかる。藪を突いて蛇を出すのは嫌だけど、少し探る位なら良いかしら。

 

『大事なモノ…とは何ですの?』

 

『うーん…ホントは本人から聞くのが筋だろうけど、まあ負けた側だから腹割っておいた方が良いよね。うんとね…』

 

洩矢諏訪子は同じ時間、違う場所で繰り広げられた激闘を事細かに説明してくれた。東風谷早苗と霊夢…楽園に来てから、守谷の風祝であり現人神として覚醒した東風谷早苗の健闘と心に秘めた葛藤。外では同類に出逢えず、心に影を落としたまま対した霊夢にその有り様を叱咤され、舌戦と弾幕ごっこの果てに和解した事。

 

そしてコウ様と八坂神奈子の神代から続いた再戦の約束。彼女は彼に見合う挑戦者足らんとし、彼は彼女の宿敵として、後に友と成るべく立ちはだかったと。

 

『成る程ですわ…大地を伝って一度に凡ゆる進捗を網羅するその能力、誠に神とは出鱈目ですね』

 

『どうかなぁ、私には貴女の方がよっぽど妖怪なのにデタラメに見えるよ? あ、今の時代から見てね。今昔併せれば一番ヤバイのは彼だから悪しからず』

 

悪いなどととんでもない…コウ様が数多の世界にて一線を画す超越者である事は私はとうに気付いている。あの能力、神をも易々と退ける圧倒的な格…ただの竜である筈も無い。

 

『どしたの? 何かぼーっとしてない?』

 

『コホン……いいえ別に、何でも無いですのよ』

 

ついついコウ様を想って余計な妄想が捗ってしまった。兎も角、守谷が異変に際して何を得たのかは分かった。後は此方の裁量に従ってくれるかどうか…。

 

『私どもとしては、守谷には外の世界の技術をこれ以上人妖問わず無闇に供与しない事。博麗神社と私、そしてコウ様との協定に参加して頂く事が幻想郷に住むにあたっての要求です』

 

『最初のは分かるけど…協定ってのは?』

 

『博麗神社とは今後対立しない、何かしら行動を起こす際には私に必ず報告して頂きたいの。でなければ、コウ様がまた山で暴れ回ってしまいますので』

 

『うわ、何よそれ…要するに深竜に目を付けられたく無かったら大人しくしてろって話?』

 

『狡いのは百も承知です。しかし、幻想郷には守谷に比肩する勢力が幾つか存在している…其れ等とも徒らに矛を交えない為にも了承して下さいな』

 

紅魔館、白玉楼、永遠亭、太陽の丘…博麗神社にコウ様と楽園のパワーバランスを担う拠点は多い。八坂神奈子のブレーキ役という側面を持つ洩矢諏訪子ならば、否とは言うまい。

 

『うーん…分かった。で、私等には何か無いの? 年貢を出せーとか…早苗を奉公に出せとかなら無しだよ? そんな要求ならウチはとことん戦うからね』

 

言葉の軽さとは全く違う、重苦しく淀んだ気配が本殿を満たした。流石はミシャグジの長…魔理沙に敗れたのは神の威光と矜恃故に、実力を抑えていたからなのは明白でしたけれど、本来ならこんなバケモノと戦って生き残れる者はそう居ない。

 

『まさかですわ。私は平和主義者ですの、それにコウ様の意に沿わない真似は逆立ちしても致しません』

 

『さっきから深竜の事ばっかりだねぇ君は…何? もしかしてそういう関係なの?』

 

『なななななななにを仰いますか!? その様なふしだらな邪推は感心しませんですことよ!?』

 

仄暗い神気を収めた諏訪子の問いに、必死に被っていた仮面が外れそうになってしまった。動揺を隠そうとするも既に遅く、ニヤニヤと嫌らしい笑顔で此方を見てくる土着神の何と忌々しいことか。

 

『ふーん、まあ良いけど。それでさ、話は変わるんだけど魔理沙がねーーーー』

 

そこから先は、守谷神社で行うと約束した宴会の手筈を進める事となった。良い判断よ魔理沙…各勢力の代表を集める口実にもなるし、何より守谷を楽園の守護に引き入れる絶好の機会となる。

 

どうにか平静を取り戻した私は、楽しげに宴会を持ちかける土着神に相槌を打ちつつ、来たる乱痴気騒ぎの算段を整えて行った。

 

『え!? こっちじゃお酒飲むのに二十歳以上とか関係無いの!? ダメだよそういうのは! もし早苗が酔っ払って脱いだりしたらーーーーーー』

 

『そう言われても…幻想郷では飲むも呑まれるも自己責任ですもの』

 

そういう所ばっかり外の影響を受けて…さっきまでの凄味は何処へやら。中途半端に俗世に浸かった連中は、扱い辛いったら無いですわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『世話になったわね…ありがと』

 

『いやー月の医療技術とか薬は凄いんだな! 身体が羽の様に軽いぜ! ありがとな!』

 

妖怪の山で起きた異変から、三日程が経過した現在…霊夢と魔理沙両名も永遠亭での療養からか、今まで以上に快活とした様子で帰って行った。

 

『私からも礼を言う、ありがとう…君が此処に居てくれた事は、無上の幸運であった』

 

『気にしないで良いわよ? 今度私の為に時間を作ってくれるって事で帳消しにしてあげるから』

 

『うむ…承知した』

 

永琳に惜しみ無い礼を述べると、近々予定を合わせろという事で妥協してくれた。楽園に於ける公式の医療機関になったというのに…治療費や薬剤費等を請求されなかったのはその為だった様だ。

 

『迷惑では決して無いがーーーー独り身には別の意味で堪えるな』

 

そも無理が有るというものだ…一週間で数えれば一日目に紅魔館、二日目に太陽の丘に聳える風見邸、三日目に白玉楼、四日目に永遠亭と忙しなく右往左往している。来て欲しいと招かれれば拒む理由も無いが、何故これ程に私を呼び付ける陣営が多いのかは甚だ疑問だ。

 

この誰知らず答えが出せない悩みに、思いを馳せるのは何度目になるか…更には我が屋敷へスキマを使って出向いて来る紫や藍、新しく紹介された橙を含めた八雲一家に、晩酌に付き合えと週に一度は伊吹まで現れる始末。

 

屋敷の清掃や管理は、出来る事ならば私自身が全てやりたい所だが…妖夢、咲夜、幽香、伊吹、紫といった面々に空いた日取りに手伝って貰っているのが現状である。

 

『如何すれば良いか? アリス』

 

『それで私にお悩み相談てわけ? 話を聞くに完全に貴方の自業自得じゃないの』

 

反論の余地も無い…断れない私に非が有るのは確かなのだが、何故それを毎日の如く熟す事となったかという原因を知りたいが為に、今はアリスの住まう魔法の森の一軒家に来ている。

 

『君との約束も守りたかった。君の創る人形は何れも美しく、繊細で上質なモノばかりだ…見ていると、不思議と癒される』

 

『貴方の感想は素直に嬉しいけれど、その発言はちょっと危ない匂いがするわね……お茶飲む?』

 

『頂こう』

 

初めは呆れ返る様相のアリスだったが…私に何やら同情や憐憫を抱いた様で、心なしか対応も柔らかい。彼女の側に侍る《上海》も私を見上げては頻りに抱き付いて来る…この子なりに慰めてくれていると思うと、余計に私の生活基盤の奇妙さを実感する。

 

『今日は好きなだけ居て良いから、ゆっくりして行きなさいな。私は隣の部屋で作業が残ってるから…何か有ったら呼んで頂戴。上海、コウをお願いね?』

 

『シャンハーイ』

 

気の所為か、枯れ果てた老父を介護する娘御か孫じみた対応に…有り難さしか浮かばぬ自分が情け無い。だが此処は一つ、彼女の厚意に甘えて差し出された茶と愛らしい上海を堪能するとしよう。

 

上海を観察しながら茶を飲んでいたのも束の間…リビングの前に位置する正面玄関が勢い良く開け放たれ、私の安らぎは一時間もしない間に崩壊した。

 

『アリスー!! いるかー!? あれ…コウじゃないか、さっき振りだな』

 

『……ああ、そうだな』

 

『お前がアリスの家に居るとは意外だな…まさかアレか? お邪魔だったとか』

 

『莫迦者、私はコレでも年寄りなのだ…この枯れ枝に懸想する酔狂など居るものか』

 

馬鹿はお前だ…と魔理沙から呟かれた微かな一言に全く心当たりの無い私だったが、先ほど隣室に篭った筈のアリスが、早々とした小気味好い足音と共に戻って来る。

 

『ちょっと! いつも来る時は静かにって言ってるじゃないの! 私は忙しいんだからーーーー』

 

『本当に忙しいならコウを持て成すのに茶と菓子まで振る舞うか? しかも上海のオマケ付きで?』

 

『それは!? まあ、なんと言うか』

 

口籠るアリスを他所に、魔理沙は私達を交互に眺めて口角を吊り上げた。彼女は良くアリスの家に来るらしいが…今回は何の要件なのか。

 

『宴会だ!! 日時は今日の夕方から、守谷神社でな! 手の空いてる奴は全員参加だからお前らも来いよ! 私はこれでお暇するぜ、まだ紅魔館とか回らなきゃいけないからな!』

 

『ちょ!? 私は別に宴会なんて』

 

言うだけ言って颯爽と外へ駆け出して箒に跨り、人騒がせな魔法使いは紅魔館の方向へと飛び去って行く。残されたのは、茶を嚥下しつつ上海を膝に乗せる私と…力無く項垂れるアリスだけとなった。

 

『はあ……ま、良いわ。今日の分は区切りがついたし…来ないと後でうるさいからなあ』

 

仕方無いと零したアリスの横顔は、声音と仕草に反して嬉しそうだ。友人や偶にしか逢えない知己との触れ合いは、例に漏れず彼女にとっても楽しい事柄なのだろう。

 

『そうか…今は昼前、宴会にはまだ時間が有るな』

 

『とりあえず、お昼ご飯にしましょうか。予定が無いなら、私の料理で良かったら食べて行く?』

 

『気を使わせて済まないな、有り難く御相伴に預かろう』

 

アリスとの昼餉は実に有意義だった。私の知らない国の料理や食後のデザートなる物が振る舞われ…味、見た目、香りなど何れを取っても大変素晴らしい出来栄えだ。

 

いつ嫁に出ても恥ずかしく無いと褒め称えると…何故か茹で蛸よりも真赤に頬を染めた彼女に、頭を軽快に叩かれた衝撃と、大きな叫び声が屋内に響いた。

 

『な、なな……!』

 

『ん? アリスよ、如何しーーーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

『ソレが勘違いの元だって言うのよ、このバカァァァアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

結果として、アリスの家から叩き出されてしまった私は、直ぐ様屋敷へ帰ろうともせず森と太陽の丘周辺を彷徨っていた所…鈴蘭畑の手入れをしていたメディスンに遭遇した。彼女と話し込んでいる内に日も落ち始め、気付いた頃には幽香とも出くわし、何故か直ぐさま紫や霊夢までスキマでやって来た。

 

『何であんた達は都合良く現れるのかしらね…』

 

『良いじゃない。大勢の方が楽しいもの!』

 

『あらあら…メディスンも少し見ない内に大人になって、もう立派なレディね。何処ぞの妖怪核弾頭とは違うわ』

 

『おいコラ…誰がなんですって?』

 

『そんな事より、私は早く守矢神社に行きたいんだけど…美味しいお酒と料理が私を待ってるんだから』

 

姦しい、そう例える以外に何と評すれば良いか。守矢神社へ着くには未だ時間が有ったので、少しばかり談笑でもしながら歩こうと珍しく距離を設定したが…総勢四人もの女性の話を一度に聞き比べるのは難しい。

 

『あんたも大変ね』

 

『いや、寧ろ望む所だ…美々しい蝶や華に囲まれるのは男の夢だろう』

 

『ふうん…良いけどね、あんまり手当たり次第に口説いてるとその内背中刺されるわよ?』

 

恐ろしい事を言ってくれる…口説いている積もりは無いのだ。ただありの侭に気持ちを表しているに過ぎないが、楽園での生活に於いては霊夢とのこの遣り取りも日常の一つとなっていた。

 

『なに一人で感慨に耽ってるのよ…少しは反省しなさい』

 

『うむ…善処するーーーーーーーー着いたぞ』

 

黒い孔の出口から見えるのは、守矢神社の境内に広げられた床敷きに据えられた豪勢な料理、酒、料理、酒。本殿の前には三つの人影が認められ、中心に位置した東風谷が笑顔で我々を出迎えた。

 

『ようこそ、守矢神社においで下さいました!! 皆さんが一番乗りですよ!!』

 

『早苗、身体の調子はもう戻ったの?』

 

『はい、霊夢さん! あの後一杯お休みしたので、今はもうへっちゃらです!』

 

霊夢の問いに間断無く応えた早苗に、問い掛けた本人も何処か嬉しげに口元を緩めている。良き哉、此度も異変に関わった者は互いに歩み寄れた様だ…勿論、私と彼女も斯く在りたいと思う。

 

『私も貴様も、これより先は妄りに剣を交えられなくなりそうだな…深竜』

 

『如何であろうな……見世物になる気は無いが、私は誰の挑戦も受ける。未来永劫、この性は矯正出来ぬと諦めた』

 

私の返答に八坂神奈子は満足そうに頷いて、今は暫しの沈黙で以って収めた。早苗と霊夢は気軽な会話と共に同伴した者達と話の輪を広げ、一人また一人と宴会の参加者が集って行く。

 

『待たせて悪かったな! 永遠亭と紅魔組とアリスと…まあ呼べるだけ呼んできたぜ!』

 

『妖怪の山からは私、射命丸文と友人のにとりさんを連れて来ました! 異変も終わった事ですし、文々。新聞の発行も再開致しますよ!』

 

『やあ盟友のみんな、今日は無礼講だって聞いたから色々持ってきたよ! あ、きゅうり食べる?』

 

またぞろ境内に顔を出した面々は、今でこそ見慣れた顔が多くなっていた。此処へ来てから、数々の出来事と多くの友人を私は得た…代え難い、輝かしい楽園での日々はこれからも続いて行く。

 

『ちょっとコウ! せっかくの宴会なのだから貴方もこっちへ来てグラスを持ちなさいな』

 

『とか言ってまたお姉さまは適当な理由でコウを呼ぶんだねぇ…週に一回は会えるのに、私より熱心だわ。そう思うでしょ? 咲夜』

 

『そ、そうでしょうか…私は何方でも、いえ! 寧ろ可能な限り呼んで頂けると!』

 

『咲夜さん、本音が漏れてますよ』

 

眺めた先には騒がしくも甘やかな少女達が並んでいる。そろそろ行かねばならないらしい…遠巻きに見ていた宴の始まりを、私も肖るべく中心へと入り込む。

 

『姫様! コウさんが来られましたよ、師匠もぼーっとしてないでコウさんの近くに席を取って下さい! ほらほら!』

 

『イナバ…あんた私達を焚き付けて自分も何食わぬ顔で混ざろうとしてない?』

 

『弟子にダシに使われるとは、私も焼きが回ったのかしらね』

 

『ちょっと貴女方!? 宴席の際にコウ様の隣はこの八雲紫に譲るようにと念書を書いたのをお忘れで無くて!?』

 

何なのだ…その偉く不穏な念書は、またも私の知らぬ所で彼女達は秘密裏の約定を交わしていたのか。今は見逃す他無いが、紫には後日問い質さねばならない内容の様な気がする。

 

『そんな念書は無効だ! 其処を退け賢者、今日ばかりは深竜の隣は私と早苗に譲って貰うぞ!』

 

『え? 私もですか神奈子様!?』

 

『うっひゃひゃひゃひゃひゃ! こりゃあ良い! ウチの早苗と神奈子が独占権を主張したぞー!! 良いぞもっとやれ!!』

 

洩矢諏訪子よ…仮にも現存する古参の神が発する笑い声では無いと思うぞ。幻想郷の淑女方は煽れば煽る程に内容は無関係に乗って来てしまう…噂をすれば影とばかりに、永琳と姫君が即座に立ち上がった。

 

『新参者の癖に生意気ね…永琳、行くわよ!』

 

『独占とは大きくでたわね…あら? そう言えば貴女、神奈子じゃない?』

 

『ゲエッ!? まさかオモイカネか!? 馬鹿な、月に移った筈のお前が何故ーーーー』

 

『お前ら煩いぞ! ひっく…口喧嘩より殴り合いしろ!』

 

『妖夢ー、周りのお皿が無くなったから適当に追加を持ってきてー』

 

『うぇ!? 幽々子様、しょ、少々お待ちをーーーー!!』

 

伊吹、君の持論はさて置き…宴会が始まって数分で何故君の周りには空いた酒瓶が二桁も有る? そして西行寺の周りに在った筈の料理も、綺麗に無くなっているではないか……誰も止めなかったのか、否、誰も今の二人を止められはしないか。

 

『楽しいね! 幽香!』

 

『ふふ、そうね…お馬鹿さん達が争う様は見ていてとても楽しいわね』

 

唯一、寄り集まった席から離れてメディスンと酒を少しずつ嗜む幽香を発見する。事態の収拾を願い、彼女に助けを乞う視線を送るが…何とも形容に困る悪戯な笑みだけを返され無視された。

 

『孤立無援、か』

 

今宵は幽香に見捨てられたかと溜息を吐いたが、周りで燥ぐ声を悪く無いと感じる自分が居る。

 

蝶は華麗に、華は鮮やかに私の見る世界を彩っている…願わくばこの幸福な時間が、何時迄も続いて欲しい。君達との時間は、日毎に楽しさと眩さが増すばかりだ。

 

 

 

 

 

『にしてもーーーー回を重ねる毎に、宴会が賑やかに成るな』

 

 

 

 

 

ありがとう……皆の笑顔は、私にとって至上の酒の肴だ。





という訳で、長らく続いた風神録は今回をもって終わり、第1部完!という具合です。

出番作らなかったのに何だか可笑しな話ですが…アリスって実は凄く動かしやすいです。コウとは適度な距離感を保ってて、それは霊夢もそうなのですがいつも周りの女性陣は強烈なので主人公への癒し要素を組み込んでみました。

ところで、バブみってなんなんですかね。意味は分かるんですが訳がわからないというか、うーん…バブバブ。


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緋想天編
第六章 壱 各々、欲を掲げた舞台で


遅れまして、ねんねんころりです。
今回から緋想天編を始める事となりました…此処まで来れたのも御愛顧下さる皆さんのお陰、深く御礼申し上げます。

この物語は、今回はかなりコミカルな話の構成、場面転換多し、厨二?全開な稚拙な文章でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー以上が、本日取り決めました内容の総括で御座います』

 

『それで決まりとしよう。では、これにて会議を閉会する…皆戻って頂戴』

 

咲夜の報告と最後の纏めが終わり、紅魔館の主だった面々の内何人かが戻って行く。残ったのは私と咲夜、そして美鈴の三名…パチェとフランは魔理沙と約束がある様で、そのまま図書館へと行った。

 

『宜しいんですかね? 八雲さんは快く了承して頂いたみたいですが…殺傷以外は何でも有りだなんて』

 

『どうした? 紅美鈴とも在ろう者が、自らの土俵で戦えるというのに』

 

明日に控えた変わった催しを前に、我が家の代表の一人である門番は些か乗り気で無いらしい。対して私と咲夜は意気軒昂、半ば勝利を確信してさえいる。

 

『いえ…この様な機会にお誘い頂けたのは光栄なのですが、霊夢さんや魔理沙さんも出るのに』

 

『私や妖夢、鈴仙だって出るわ…細かい事は気にせず腕試しと思って臨みましょう?』

 

催しというのは、コウの一週間の生活サイクルの内僅か二日間をどう手に入れるかというモノだ。各陣営毎に、彼に長らく自分達の側に留まって欲しい理由を持っている…太陽の丘から風見幽香、永遠亭から優曇華院という兎と蓬莱山輝夜、守矢神社からは東風谷早苗、白玉楼からは魂魄妖夢、加えて伊吹萃香の参戦も実しやかに噂され…そして博麗神社からは八雲紫と、奴に巻き込まれる形で霊夢と魔理沙が出場する上に秘密の参加者二名が加わるとの事。

 

しかし我々からは、一線級の戦力が三名も出せるのだ。勝利は粗決まっている…フランドールは能力の都合で不参加が本人から表明されたのは痛いが、問題は無い。

 

『仮に実力のある何名かの選手と当たっても、我らの内一人が最後に立っていれば自ずと結果は見える…クックック、景品は貰ったぞ』

 

『ですがお嬢様、懸念されている風見様、八雲様、伊吹様は兎も角…他の出場メンバーも油断大敵です』

 

『分かっているさ、だからと言って後退は無かろう?』

 

あともう二名、八雲紫からは秘匿されている人物が居る。素性も定かで無い不確定要素の塊だが、総数十四名で鎬を削ろうとも紅魔館が勝利する…コレは運命ではない、確固たる決意だ。

 

『クックックックッ…負け犬共の吠え面が眼に浮かぶわ』

 

『あのー、咲夜さん…何でお嬢様はこんなに自信たっぷりなんですかね? 資料を見る限り、どう考えても一筋縄じゃ行かない面子ばかりなのに』

 

『大丈夫よ…私達は負けない。今回は勝てるわ』

 

『ええー……』

 

来たる催しの日の為、八雲紫には私の土俵である夜を日中に再現する事も許可させた。ルールを決める折に、他の陣営の進言も有ってその手段は一度しか使えないが…唯一度、一度で良い、数居る楽園の徒の中で誰が夜の支配者であるのかを示せれば。

 

威を示す事こそが私の、我々の勝利。各陣営の戦力を比較すれば、私は妖怪の中では未だ若輩ながら恵まれた友、強き家族を有するアドバンテージが有る。この要素を活かさぬ手は無い…風見幽香、八雲紫、鬼に亡霊に異変解決者が何する者ぞ。殺し合いさえしなければ…私には日中に行われる事以外が有利に働く条件しか残っていない。

 

『見せてやる…産まれながらに罪深く、忌まわしき者と称されたヴァンパイアの有り様をーーーークックックックッ…クッハッハッハッハッハッハッ!!』

 

運命は定まらぬも、催しの結末が往々にして楽しくなるのは分かっている。手繰り寄せる未来は何れもが紅魔にとっては都合が良い。

 

戦け、竦め、西洋妖怪最強種族の逸話は伊達では無いぞ。喉元に喰らい付かれる時を伏して待つが良い。あわ良くば二日分の彼との時間を全て紅魔で独占してやる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほんっとーに大丈夫なんですか? お嬢様は』

 

『……何だか心配になって来たわ』

 

『そこ! 要らぬ茶々を入れるんじゃない!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 鈴仙・優曇華院・イナバ ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいま戻りました』

 

『お帰り鈴仙、明日の催しの件だけど…姫様だけでなく貴女も出場するって事で決まったから』

 

『はぁ…やっぱりそうなりますよね』

 

師匠は、何方かと言えば実力はコウさん側なので参加は許可出来ないと八雲さんから言い渡された。門前払いされた手前、師匠の性格からして私と姫様を出すに決まってますよね…妹紅さんには断られたみたいだし。

 

八雲紫さんが、西行寺さんとレミリアさん主導で考えた催しの報せを各勢力に向けて出したのが…直近の守矢神社で起こった異変からひと月ほど経ってからだった。

 

永遠亭は今では幻想郷で公認の薬局、医療機関という立場を確立して…生活はこれまで以上に安定した。私にとっては平穏が手に入ったのも束の間、姫様と師匠が催しの内容を前に凄くやる気になってしまったのがウチの事情だ。

 

 

 

【九皐様宅の管理体制に難有り 原因は日毎に行われる各陣営の無差別な彼の召還であるとし、以上の理由を以って彼のヒトの生活圏の安定と心安らかな日常の確保の為、以下の催しに参加する陣営から上位三名に宅の管理と補助を任せる 催しの内容は参加者同士の一対一の真剣勝負 勝ち抜けにより選出を行い、敗退した者は後の管理体制に直接関与を不許可とする ルールは簡単 弾幕、格闘何でも有り 殺傷のみ硬く禁ずる 各人奮って参加されたし】

 

 

 

という書面がにべもなく、何処からかスキマなる裂け目を通って送られて来たらしい。文面だけならコウさんを助ける事になるが、要は彼と一緒に居たいヒト達が彼の僅かな一人で過ごせる余暇を占有する為に行われる残虐ファイトといった所だ。因みに師匠と姫様は、

 

『由々しき事ね、彼の自由をこれ以上遮るのは捨て置けないわ』

 

『全くよ! 他の連中は手籠めにしたいのか知らないけど、これじゃあんまりじゃない!』

 

などと義憤に満ちた言葉を吐いてはいたが…私は知っている。首位を独占した暁には彼の自由時間を確保した上で自分達との交流をどれだけ多くして貰うかを夜な夜な話し合っている事実を。どっちもどっちで傍迷惑な事この上ない。

 

『かわいそうです…コウさん。飢えた女豹どもにこれ以上蹂躙されるかもしれないなんて』

 

『何か言った? 鈴仙』

 

『いいえ何も!』

 

妹紅さんは、送られた書面の内容を知るや否や永遠亭を飛び出して《女って怖ぇ…》という捨て台詞と共に何処かへ走り去ってしまった。貴女も立派な女性でしょうに…ウチは名目上は彼の自由を守らんとする意思の下参加するので…そう悪い結末にはならないーーーー筈だ。頼むから師匠と姫様には自重して欲しい…姫様と一緒に出場するのは私な訳だし、何より個人をモノ扱いするのは頂けない。

 

『師匠…私から一つお願いが』

 

『何かしら?』

 

『私が三位以内に入れたなら、コウさんにはお一人でゆっくりする時間をちゃんと差し上げたいです…余りにも不憫で。どうか聞き届けて貰えませんか?』

 

私の意図を理解してくれた様で、師匠は顎先に手を当てて暫く考え込む様な仕草を見せると…思ったよりすんなりと私の意を汲んでくれた。

 

『そうね…確かに悪巫山戯も良い催しだから、貴女が上位に食い込めたら好きな様になさい』

 

『あ、ありがとうございます!』

 

思い立ったが吉日、そうと決まれば早速準備しなければ! 道具の持ち込みや薬品の所持は禁止されていなかったから、アレもコレも色々と必要になる。

 

『待っていて下さい! 私達が必ずや首位を獲り、コウさんの安息を守ってみせます!!』

 

参加者がどんな顔触れか知らないけど、近代戦術の基本は情報と物量と作戦の出来で決まる! 誰と当たっても勝つ為に自室の押し入れから何かしら引っ張り出さなきゃ!

 

『若いわねえ…本人がやる気なのは良いけれど、あの娘昔からくじ運が悪いから怪我しないか心配ね』

 

遠巻きに師匠が何かを呟いていたが、この一ヶ月ちょっとで成長した自分をコウさんに見せる為、何より彼をお救いしようと駆け出した私には…当日にぶち当たる事となる相手の強さなど知る由も無かった。

 

『よおおおし! 元軍人舐めんなよぉおおお!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫様から送られてきた文から、先生の一大事で有ると今更になって私は焦っていた。一ヶ月ほど前…咲夜と一緒に先生のお屋敷へ行って、先生にもっと稽古を付けて貰おうと帰ってから幽々子様に相談を持ち掛けたのが完全に裏目に出てしまったのだ。

 

文の内容にはレミリアさん、紫様の個人的な思惑が窺い知れ…それには幽々子様も一枚噛んでいそうな素振りだったのが私の罪悪感に拍車を掛けた。

 

『勝てば…首位に残れば、先生の御為に決定権を得られるのか』

 

『妖夢…まだ悩んでいるの?』

 

屋敷の縁側で、呑気にも茶を啜りながら此方を見てくる幽々子様は私の懊悩を見透かしたが如く口を開く。

 

『はい、私が勝ちさえすれば…それで丸く収まるとはどうしても思えません。何か、別の意図も見え隠れしている様な』

 

『ふふ…貴女も私が知らない間に、随分と聡くなってくれたのね? 嬉しいわ』

 

幽々子様の仰った言葉の意味は良く分からなかったが、こんな気持ちでは確かに勝てるものも勝てない。先生も言っていた…謙虚さは美徳だが、時には大胆不敵に笑って見せるのも必要だと。ならばーーーー

 

『フフフ…あっはっはっはっはっ!』

 

『え、なになに!? どうしちゃったの妖夢!? 何か悪いモノでも食べたの!?』

 

『違います!』

 

幽々子様では無いのだから、人の目を盗んで摘み食いして可笑しくなる訳有りません! 兎も角…無理矢理にでも笑った所為か細かい悩みは一先ず頭の隅に流せた。結論から言うと先生はやはり偉大な方で、そんな先生の少ない自由時間を奪わんとする輩は私が斬って捨てれば良い。此度の催しは真剣による直接的な攻撃も殺しさえしなければ有効なのだ…この機を逃す手は無い。

 

『勝ちます!! 魂魄妖夢が必ずや、先生の自由と更なる稽古時間を手に入れて見せます!!』

 

『ああ…成る程、頑張ってね妖夢! 私も応援するわ!』

 

『はい!! 妖怪が鍛えし我が剣と、先生の偉大なる教えの前に…斬れない物など殆ど有りません!!』

 

『わーわー!!』

 

大きな拍手で締めてくれた幽々子様に、失望されない成果をご覧に入れねば…先ずは明日に向けて素振り千回、屋敷周りの走り込み二十週、その後は幽々子様の御夕飯作りです!

 

『あ、そうだわ妖夢…何だかね、紫に直談判して急遽参加する事になった人達があと二人居るらしいの。今の貴女なら余程の相手で無い限り遅れは取らないでしょうけど、気を付けてね?』

 

『お任せ下さい! それでは、此れから稽古致しますのでーーーー失礼します!』

 

催しの開催は明日…稽古と家事の後は確りと眠って身体を休めなくては、身元不明の二人の参加者、誰であろうと関係無い。鬼も吸血鬼も太陽の丘の大妖怪も…紫様は……否、打ち勝つ他無し! 皆須らく倒す! 咲夜も霊夢も魔理沙も降して、先生と平和に稽古出来る今まで通りの日常を手に入れる!

 

『此処は大事を取って、型の反復練習も追加です!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、とある催しによって博麗神社に招かれて今に至る。広々とした境内には、今日の為に集まった見知った者達によって周囲を取り囲まれている。宴会では無いとだけ聞き及んでいたが…如何やらこの集まりの発端は私に有るらしい。

 

『して、射命丸よ…何故君と私は席に座って、彼方の少女達を眺めている?』

 

『ええと、それはですね…九皐さんの御自宅の管理を、どの陣営が御手伝いするかという議題で揉めたみたいで』

 

『何だそれは…何故私の知らぬ所でその様な問題が起きた?』

 

『とにかく!! 最早止める術は御座いません! 此処は一つ、私と一緒に今回の不毛なーーーーいやさ、面白いーーーーいえいえ! 皆さんの健闘を観戦しようでは有りませんか!! あ、この席では私が実況、九皐さんが解説ですよ! 頑張りましょう!!』

 

捲し立てられた言葉の半分も理解出来なかったが…境内の中心で集まっている皆は催しとやらの参加者だと言う。解説という役は私が担う様だが、恐らく…彼女達は戦うのだろう。集まりの前には紫が居る事から、厳正な決まりを設けて行われると見た…暫し見守るとしよう。

 

『御集り頂いた、今回の催しの参加者には始まる前にくじ引きを行って貰います。ルールは書面に載っていた通り、弾幕、武器や素手による直接攻撃は殺傷しない範疇なら何でも有りです…それでは、早速対戦カードを決めましょう』

 

粛々とした妖怪の賢者の声に、皆が並んで籤を引くという奇妙な光景が完成する。私は完全に蚊帳の外だが…一部の者が私に向ける視線の熱が激しいのを考えると、屋敷の管理手伝いとは別に豪華な景品の一つでも進呈されるのか。

 

『全員引き終わりましたわね』

 

『なあ紫…何かクジ引きが余ってないか?』

 

『これで良いのよ…それでは天狗さん? 抽選結果を読み上げて頂戴』

 

列の前方で控えていた伊吹が紫の手元に残った籤を見て進言したが…構わず射命丸にスキマから一枚の紙が送られた。中身を改めた彼女の表情が、瞬く間に歓喜と恐怖、憐れみと愉悦の入り混じった度し難い顔に豹変する。

 

『で、では読み上げます! 一回戦、東の方ーーーー紅美鈴さん!!』

 

『お、おお? いきなり私ですか…緊張するなぁ』

 

周囲から歓声と、雰囲気に呑まれた故か一部狂気の沙汰とも思える絶叫が上がった。美鈴か…彼女の稽古にも度々付き合っているが、格闘有りの条件で彼女と当たるのは初回から難行と言える。

 

『続いて西の方ーーーー東風谷早苗さんです!!』

 

『え!? 私ですか!? うう、知らない妖怪さんです…こんな事なら最初から能力で奇跡のシード権を手に入れておけば…』

 

『紫さんから頂いたルール表によると抽選による引き直し又は故意の改竄は失格案件となるのでやめて下さい! それでは進めて参りましょう! 一回戦第一試合、紅美鈴対東風谷早苗、両選手入場です!』

 

射命丸の円滑な仕切りによって、呼ばれた両名以外の選手は皆境内に設置された舞台から遠ざかる。真四角の舞台端に白色の線が縁取られており、試合開始後に舞台からの退場は失格となる……と射命丸の持つ冊子に記載されている。

 

『第一試合ーーーーーー試合開始!!』

 

何時から用意していたのか…藍が片手に持った撥を太鼓に打ち付け、快音と一声の下に試合が開始された。しかしながら…急遽始まった試合を前に双方の反応は対照的だった。美鈴は俯瞰した視線を早苗に投げ掛けて緩やかに構えを取り、早苗は美鈴を視界に捉えてはいるものの挙動不審だ。

 

『あわわわ…もう始まっちゃいました…』

 

『ーーーーーー行きます』

 

『ふぇ??』

 

十尺程の距離を置いた立ち位置から、美鈴の迅速な行動から火蓋が切られる…構えは静かに、されど動きは俊風の如く。疾駆する門番の威圧感に早苗は硬直していた。

 

『ちょっと痛いかも知れません』

 

『くっ…秘術ーーーー』

 

早苗が手元に出した一枚の札が輝いた直後、美鈴の姿が早苗の視界から消え失せる。低く、相手の腰より頭を低くして下方から突き上げる様に繰り出される拳術家の掌底が早苗の腹部に届いた。

 

『内勁ーーーーーーちょっと弱め!』

 

『うきゃあああああああああッ!?!?』

 

腹部に添えた掌から発せられる勁力…即ち気が風を巻き起こし早苗を吹き飛ばす。対応が遅れた早苗は飛行する間も与えられず場外へ躍り出た。

 

『おっと…相手が近接に長けた相手だったのは、運が悪かったね早苗』

 

『うきゅー……』

 

『ーーーーそれまで! 勝者、紅美鈴!』

 

地面に飛来する早苗を受け止めたのは、私と同じくこの場に呼び出された八坂神奈子。一方場外に出された早苗は意識こそ絶たれたものの、発気により対象の気の循環と均衡を崩されただけで外傷は無かった。

 

『じょ……! 場外!! 早苗選手此処でまさかの敗退です! というより相手が悪過ぎたか? いやいやそれよりもどんな手品だ!? 伏兵とは正に彼女、紅魔館の紅美鈴選手! 余裕の一回戦突破だああああああああ!!』

 

射命丸の声に煽られて、周囲から歓声が再び上がる。参加者の中には目元を鋭く美鈴を睨む者、揚々とした態度を崩さず流し見て彼女を観察する者と様々だ。

 

『解説の九皐さん! 一瞬の出来事でしたが、何か感想などは有りませんか?』

 

此方に御鉢が回ってきたな…美鈴の本来の実力を知らない者が多い観客には、見所が無かったので茶を濁せという振りか。

 

『うむ…相手の心理状態が整っていなかった為に成功した奇襲だが、一連の動きを可能にしたのは美鈴の実力だ。相手の虚を突き、一撃を可能にしたのは日々の鍛錬と、己の能力を熟知しているからこそ』

 

『す、凄い高評価ですね…意外とは申しませんが、美鈴選手は斯様に実力をお持ちで?』

 

『当然だ。スペルカードルールだけならいざ知らず、美鈴は遠近熟せる素晴らしい門番だ。本人も武を極めているのに加え、気を操り読む事の出来る能力…早苗が気後れして生まれた刹那の隙が勝敗を分けたな』

 

私が粗方話し終えると、周囲の空気が俄かに硬くなるのを感じる。評された当事者は照れ臭そうに舞台で会釈を済ませて、控えに待っているレミリア嬢達の方へ向かって行った。

 

『流石は我が家の門番ね。滑り出しは実に快調よ』

 

『ありがとうございます! 二回戦も頑張りますので、お嬢様と咲夜さんも御武運を』

 

『格好悪い姿は見せられないわね…でも、私は四試合目だから出番はもう少し先よ。その時になったら頑張るわ』

 

紅魔館の陣営は気合十分…この催しに対する想いが三者の掛け合いからも伝わって来る。早苗は神奈子に担がれ、諏訪子に介抱されつつ境内の端に陣取られた床敷きで眠っている。

 

『早苗選手も反応は悪く無かったですがねー、いやはやとても残念です。さて! 続いての第二試合の対戦カードを読み上げます! 先ず東の方ーーーーこれは!?』

 

『何だ何だ? 空から何か降って来るぞ?』

 

『鳥か!?』

 

『虫か!』

 

『いや…アレは人間、なのか?』

 

突如として…空から小さな影が一つ、二つと降りて来た。一人は変わった見て呉れの剣を片手に青みがかった長髪を靡かせて悠々と仁王立ち、もう一人は長髪の彼女に寄り添う形で静かに着地した。

 

『こんにちは皆さん! 私達は此度のイベントに招かれた、歴とした参加者よ!』

 

『総領娘様…? 元気なのは大変宜しいのですが名乗りませんと、ほら、皆さん唖然としてますよ?』

 

『ん? そうだったわね…初めまして、《比名那居 天子(ひななゐ てんし)》よ!!』

 

『お目付役の《永江 衣玖(ながえ いく)》と申します…以後お見知り置きを』

 

『という訳だから、飛び入りの二人の番号も後で読み上げて頂戴』

 

天子と衣玖…長髪に桃が付いた奇抜な帽子の少女と、羽衣に似た何かを纏う此方も帽子を被った少女二人は自らを参加者だと告げて、紫もまた疑い無く認めた。

 

『は、はあ…では仕切り直して、第二試合東の方ーーーー博麗霊夢さん!』

 

『私か…だるいなあ』

 

『続いて西の方ーーーー鈴仙・優曇華院・イナバさん!』

 

『ひいいい!? ど、どうして行き成り霊夢さんと…!!』

 

予想よりも、早い登場となった霊夢に対するは鈴仙と相成った。二人は永夜異変の折に戦う機会こそ無かったが、多くの異変を解決して来た霊夢の相手が鈴仙というのは…明らかに鈴仙が不利と見るべきだ。

 

果たして…全く読み辛い対戦表の連続に催しは完遂出来るのだろうか、不安を禁じ得ない。一際目を惹くのは…藍に連れられて控えの座敷に着いた二人の来訪者。

 

『ふふん…さっきの登場、ばっちり決まったわね』

 

『そうですね、でももう少し大胆に決めポーズ等を交えても宜しかったかと愚考致します』

 

天子と衣玖…定かでは無いが、双方の纏う気配は妖怪でも無ければ人間とも言い難い。だのに天子なる少女の持つ剣が酷く私の興味を唆る。

 

『ひょ!? ねえ衣玖…なんか解説って立て札の席に座ってるヒトが私を見てるわーーーーも、もしかして評価が下がったりするのかな!?』

 

『いえいえ、きっと余りにも見事な登場だったので…総領娘様が戦われるのが待ち遠しいのですよ』

 

うむ…強ち間違いとも言えないが、催しの規定に評価点などというモノは存在しない。自信に満ちた喋り口に反して面白い事を言う…傍らの凛然とした衣玖なる少女も中々洒落が効いている。

 

新たな徒にばかり気を取られていたが…射命丸の合図によって直に二試合目が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

『ではでは! 一回戦第二試合、博麗霊夢対鈴仙・優曇華院・イナバーーーーーー開始です!!』

 

 

 

 

 

 

 





如何だったでしょうか。正直な所淡々とした文章を書くのは苦では無いのですが、コミカルだったりクスリと笑いを誘う文章には全く自信がありません。

ピーマンちゃん可哀想でしたね…美鈴はこの物語では弾幕ごっこ以外ではかなりの実力者という設定です。これからまだ美鈴の見せ場が増えますので、暖かい目で見てやって下さい。

原作緋想天から今話への切り口を掴めず、だったら最初からオリジナル展開で行こうと考えてこうなりました。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第六章 弐 番狂わせ、運命の悪戯

遅れまして、ねんねんころりです。
少し間が空いてしまい申し訳ありません…今回はどんでん返しというか、前半は予想外な展開となりました。

この物語は稚拙な文章、解説役に徹する主人公、超展開、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『注目の二試合目! 霊夢さん対鈴仙さんのバトルが繰り広げられます! 資料に依りますと、鈴仙さんは幻想郷に来られる前は軍属…つまり歩兵として優秀な人材だった事が判明しています! 能力も中々特殊なモノをお持ちみたいですが、如何でしょう?』

 

射命丸の軽快な実況から、またも私に振りを投げて来る所から第二試合は始まった。流石に元兵役だけ有って、鈴仙は指を拳銃に見立てる堂に入った構え…同時に静謐な気配で霊夢を捉えている。

 

『………』

 

『成る程ね、妖夢が寸での所で勝ったって言ってたから…どれ位のモンか気になってたけれど』

 

霊夢も気付いた様だ…鈴仙は、通常の弾幕に加えて短時間ならば妖夢と拮抗し得る程に身体能力が高い。運動性能だけなら博麗の巫女たる霊夢や剣士の妖夢に匹敵し、能力の特殊性は咲夜とも比較して遜色無い。魔理沙とは戦う土俵が違うものの、指から発射される高速の妖力弾は命中精度も高い。

 

『うむ…妖怪に分類される以上、霊夢との戦いは困難を極めるだろう。だが、互いに得意な距離を維持出来なくば、一方が足元を掬われる可能性は充分に有る』

 

『鈴仙さんも…この催しに於ける伏兵なのは間違い無いという事ですか。ふむふむ…コレは期待が高まりますね』

 

兵役に就いていた者は、ある一点に於いては凄まじい観察眼と集中力を備えている。周囲を俯瞰し、彼我の戦力差を分析して計算高く責め立てて来る…そういった状況では、無類の勝負勘を発揮するのが鈴仙の強みだ。

 

『へえ…中々やるわね』

 

『下手に動けば、足を撃ち抜かせて貰います』

 

揺さぶりやハッタリでは無い、事実あの舞台内外を区切られた場所では霊夢も悪戯に飛翔は出来ぬ事だろう。初撃の速さと射程距離は鈴仙に分が有る…どう攻める。

 

『じゃあ、これならどうかしらーーーーッッ!!』

 

『……っ!』

 

霊夢の手元、巫女服の裾から細く鋭いナニカが投擲される。放たれた瞬間に霊夢は駆け出し、二重の網を敷いて鈴仙の反応を伺う事にしたらしい。

 

対して鈴仙は微かに息を呑んだが、充分な反応と挙動で身体を横に傾けて三本の針から成る第一波を回避した。

 

『解!!』

 

『起動式…まさか!?』

 

鈴仙が後方へやり過ごした筈の針は、霊夢が掛けていた術式から解放されて本来の姿を取り戻し…僅かに発光した直後に爆風を発生させる。

 

爆風に態勢を崩し掛けた鈴仙に、霊夢の御祓い棒による殴打が追撃として加わる。場内の誰もが直撃を確信した直後ーーーーーー霊夢の動きが停止した。

 

『な……に…?』

 

『眼を、合わせましたね』

 

霊夢の動揺に応えたのは、地に膝を付いて彼女を見上げる鈴仙に他ならない…鮮血の如く紅い、煌煌と輝く狂気の瞳が、博麗の巫女を見据えている。

 

『あんたーーーーその眼』

 

『能力ですよ…視界に映るモノ、目を合わせた相手の波長を乱す』

 

緩慢な運びだが、二本の足で確りと立った鈴仙が…姿勢を前屈みに踏み込み、追撃を与えんとした霊夢を今度は見下した。

 

『脳からの波長…電気信号が身体に誤った指示を出せば、殴ったと思っても結果は違いますよ』

 

指銃を構え、霊夢の脳天に据えた指先が赤々と灯る。周囲から誤算、驚愕、不可思議といった感情が渦巻き…其れ等の疑問を氷解させる様に鈴仙の言葉が紡がれる。

 

『霊夢さんの能力は有名ですよ。貴女の能力が凡ゆる事象から外れる事を可能にする破格のモノである事も…タネさえ分かれば、対策は取れます』

 

『使う気も無かったけど…一つ勘違いをしてるわよ?』

 

『……?』

 

鈴仙が意識だけを周囲に傾けた途端にソレは起きた。舞台を覆う霊夢の霊力と繋がった、投擲され爆散した筈の針が、何時の間にか優位に立っていた赤目の兎の背後で浮遊している。

 

『爆発が一回だけなんて、誰も言って無いわ』

 

『くっーーーー!?』

 

再びの轟音、三本の針は目も眩む程の光を帯びて爆風を二人諸共包み込んだ。鈴仙は能力を解除したのか、真紅の瞳は輝きを失ってその場から距離を取る。霊夢は己が起こした爆発の余波をまともに喰らったが、怯む事なく遠方に退いた鈴仙を見詰める。

 

『油断したわね…でもちょっとヤバかったわ。あんたが爆発を物ともしない屈強な妖怪だったら、負けてたかも』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……いいえ、私の勝ちは揺るぎません』

 

『!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

引き起こされた風と土埃の向こう側から、光を潜めた瞳が、またも爛々として霊夢と霊夢を含めた空間に干渉した。私からは何が起きたのかが分かったが、現状の異質さを解する者は殆ど居ない。咲夜や、紫といった空間をある程度操れる能力を全員が保持していれば説明は不要だが。

 

『考えたな、鈴仙』

 

『は? え、霊夢さんがまた動かなくなりましたが…これは一体』

 

『恐らく今の霊夢には、目に映るモノ全てが溶け合い、重なって見えている事だろう。加えて身体も自由を奪われている…対象となる空間全ての波長を乱し、その気になれば相手の精神さえ狂わせるあの瞳の力が舞台全域を席巻している故、彼女は何も出来ぬのだ』

 

紅い魔眼が定めた空間内の有機物、無機物を問わず波長を操る力の管理下に置かれ…一時的に周囲への認識、他者への知覚を意のままにする。

 

静かな、それでいて何とも複雑怪奇で高度な戦術。思えば鈴仙は態と彼女の望み通りに距離を取り、干渉する能力の起こりを巧妙に隠した。従って、永琳曰く《狂気の瞳》と称されたあの眼は、意趣返しとばかりに自らを煽る霊夢を尻目に先手を打った。霊夢の脳、眼を惑わし、周囲の景色に対して混沌とも言うべき乱れた波長を送り込む事に成功したのだ。

 

『ちょっと…洒落にならないじゃない』

 

『貴女の能力を鑑みれば、私の眼なんて遊びみたいなモノです。でも…貴女がどんなに優れた力を持っていようと、尋常な生物である以上逃れられない事柄も有ります。例えば…自分の認識からも浮くなんて真似は、流石にその能力であっても出来ないでしょう?』

 

当然と言えば当然だが…周囲から逸脱する能力を自分の肉体に留まらず精神にまで適応する等、能力の範疇を超えた事は霊夢にも出来ないのだろう。例え可能だとして自我と肉体の繋がりを強引に断とうものなら、間違い無く大きな負担となり精神の死を招く…正しく自殺行為だ。

 

『ちっ…見てるモノが何から何までグチャグチャしてて、身体が動くのを拒否してる……!!』

 

『抵抗はお勧めしません。能力も使えないでしょうし、無理をすればひっくり返って頭を打ちます』

 

楽園に数在る固有の能力には、特定の状況下なら自動で行使されるモノと、自らの意思で執り行う任意のモノが有る。仮説だが、もし霊夢の能力が多様な局面で勝手に発動する代物だったなら何故…異変の折にレミリア嬢と戦った時、若しくは冥界にて紫と対峙した際に、夢想天生なる術が即座に発動しなかったのか。

 

『使う気も無かった、という事は…使うには自分の意思が必要なんですよね?』

 

『……当たり』

 

答えは明瞭だ。霊夢の法外な力には強すぎる異能が唯一の安全装置として、自身が発動を認可しなければ目覚めないという条件が設定されている。彼女の能力を幾度か眼にした私ならば兎も角…鈴仙の性格から事前の情報も集めたにせよ、短い言葉の応酬、霊夢の取った行動等から此れを見抜いた。

 

『あー…不味った。催しだからって、気を抜いた私の落ち度か…いえ、言い訳ね。まぁ、認めるわーーーーあんたの勝ちよ』

 

『はい…そして、今回ばかりは霊夢さんの負けです』

 

波長を崩され、《宙に浮く程度の能力》を発動せしめる意思決定を司る脳に重大な欠陥を施された霊夢は…時にして数えれば僅か数分、月の兎が撃ち出した魔弾に射抜かれ、場外へと投げ出されて行った。

 

『ーーーーーー』

 

『ふう……つ、疲れたぁ』

 

舞台上でへたり込み座る鈴仙を除き、博麗神社は例外無く沈黙に包まれた。遊びと雖も、たかが催しと笑おうとも、予想し得なかった博麗霊夢の敗北が此処に決まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

『け、けけけ、決着ゥゥウウウウウウッッーーーーーー!!! 余りにも予想外!! し、信じられません!! あの、あの霊夢さんに勝った!? マジですか? 何なんですか!? もう私、射命丸も訳がわからない内に見事勝ったのは、鈴仙・優曇華院・イナバ!! 何処かパッとしなかった永遠亭の兎さんだぁぁぁああああああああッッッ!!!!』

 

『『『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーー!!!!』』』』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳朶を引き裂かんばかりの大歓声が、主に妖怪と分類される者達から湧き上がる。余興というのに、嘗て霊夢に煮え湯を飲まされた一部の面々は挙って衝撃を露わにした。

 

『やるじゃない鈴仙! これで永遠亭の株も鰻登りよ!!』

 

『くっ…何たる事だ! 霊夢は私がリベンジする予定だったのに…! うー!!』

 

『きゃあああああ!? 霊夢が、負けた!? ど、どどどどどうしましょう…ここここれでは幻想郷の秩序が!? 寧ろ後見人の私の立場があ!?』

 

『ほう? あの兎さんの作戦勝ちかぁ…ひっく、あら、酒飲みすぎたかな?』

 

『ただの兎さんじゃなかったのね…面白いわ、ウフフ』

 

『え? なになに? そんなに凄い事なの!? 誰か私達にも教えてよぉ!!』

 

悲喜交々、阿鼻叫喚と言えば良いのか…大前提として、霊夢は能力を使う気が無かった。鈴仙の緻密な作戦から使用を封じられたとはいえ、あくまで催しの場で使うのは無粋という彼女の計らいも評価して欲しい所だ。先ず以って紫よ…君は少々慌て過ぎだ、少し冷静になれ。

 

『お静かに! まだ一回戦は終わっておりませぬ故、どうぞ皆の衆、そろそろ静粛に願います!』

 

『霊夢は此方で預かろう。早苗もまだ寝ているからな、同じ御座で良ければ我々が診ていよう』

 

『済まないな、八坂神奈子…霊夢を頼む』

 

神奈子の申し出を受けて霊夢を任せている間、藍に鎮められて一先ずの静寂を取り戻した参加者と見物人一同だったが…未だ興奮冷めやらぬのか、美鈴に続く思わぬ伏兵に予定が狂って仲間内で小声で話し合う輩も出て来る。

 

『えー、それでは! 第三試合までに、少し時間を頂きます! その間に河童の皆さんが舞台を直しますので、九皐さん…また一つ二試合目の解説の方を』

 

実況、司会進行とやらにも慣れて来た射命丸が私に時間を埋めろと丸投げにした。構わないが、私と君だけで場を繋いだとて舞台は整い終えるのだろうか。

 

『うむ…霊夢が初めから能力を使用していれば結果は分からなかったが、それを置いても鈴仙の策は驚嘆に値する。決して広くは無い舞台上で、短い攻防ながら自らも危険を冒して霊夢に一縷の隙を作らせた。霊夢は残念であったが…今は勝者を讃えよう、鈴仙、見事だったぞ』

 

『あ、ありがとうございます!! 次も頑張ります!!』

 

『さてさて! 一試合目二試合目と、驚きの連続を迎えて参りました第一回戦! まだまだ続きますよー! ん? ええ、はい、ありがとう河童の皆さん! ご覧の通り! どうやら舞台も無事直ったようで、ちゃちゃっと三試合目の対戦カードを発表します!! 東の方ーーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…んぅ、あれ? 此処は』

 

『目が覚めたか、博麗の巫女よ。此度はしてやられたな? ウチの早苗が負けたのも驚いたが、今回のルールは妖怪共へ有利な内容も多かったから…余り気にするな』

 

重たさを遺した頭を振ってむくりと身体を起こすと、隣で膝に早苗を乗せて喋り出した神様を他所に舞台から降りる鈴仙を捉えた。

 

『あー、負けた負けた!』

 

一抹の悔しさは残る。でも何より、自分の油断というか…半端に様子見なんてした結果がコレなのだ。負けは負け、潔く認めるしかない。てか、ジト目でさっきからずっと見てくる横の神様は一体何なのよ。

 

『どうしたの?』

 

『うむ…もっと悔しがるかと思ったぞ。博麗神社は、当代の巫女が常勝を旨としているからこそ畏怖され敬われている物と、私は考えていたからな』

 

常勝ねえ…それって誰かが勝手に言い始めて、根も葉も無い噂が一人歩きしたってだけじゃない? 大体人妖問わず恐れ敬われてるってんなら何で誰も賽銭の一つも入れに来ないのよ。

 

『本当にそうなら…もうちょっとお小遣いが増えても罰は当たらないと思うけど?』

 

『賽銭の話か? ハハハハハ! 案外俗物であるなぁ…それはお前、誰も神社の事など見ていないからだろう。何せ、異変に関わった者が後に認め、真に慕っているのは誰ぞ知らぬ御神体やら寂れた神社でなく…お前なのだからな!』

 

カラカラと笑顔で語る八坂神奈子の言葉に、私は正直な所驚いていた。神社でも祀られる御神体でもなく…私だと宣う。

 

そう言えば、考えた事も無かった…毎日毎日飽きもせず、うちに茶を啜りに来る魔理沙とか、妖夢とか、他の連中も九皐がどうのと喚く割には多くの奴らが私の所に何日か置きに訪問してくる。

 

『食うに困ってはおるまい? 早苗も、お前と交流を持てて毎日楽しそうだ。暇さえあれば差し入れをしたいとか、一緒に遊びたいとか…家での会話の半分はお前の事だ』

 

『そう…なんだ』

 

もう半分は深竜か、その日に集めた信仰の話だがな…とまた意味深な笑顔で軍神は話を締めた。そっか…私の事なんだ、何だろう…ちょっと、ほんのちょっと、悪い気はしない。未だ眠っている早苗を見やれば…気を抜くとにやけそうになる自分が煩わしい。

 

『どうして態々、今回の催しを此処で行う事になったか…お前は知っているか?』

 

『さあ? ウチの境内が無駄にだだっ広いからじゃない?』

 

私の返答に、飄々と笑っていた筈の神奈子は今度は何とも嫌らしい表情で返した。さっきから一々引っかかる奴ねコイツ…前の異変で九皐に負けたって聞いたけど、もう一回ぶっ飛ばして貰おうかしら。

 

『お前は呼んでも面倒臭がるだろうし、どうせなら一緒に楽しみたいと誰とも無く話が出て…なるべくして成ったのだ。これもまた一つの、徳というモノではないか?』

 

『ーーーーーー知らないわよ』

 

全く物好きな奴等ね…徳とか慕うとか、こいつも良く恥ずかしげも無く言えるわよ。そろそろやめて欲しい…ちょっとでも嬉しいとか感じてる自分にムカついて来る。

 

『とまあ、これ位にしておこうか…そら、過保護な賢者と愉快な仲間達が凄い勢いで走って来るぞ?』

 

『霊夢ぅぅううううう!! 大丈夫なの!? 怪我は!? こんなの遊びなんだから気にしちゃダメよ!!』

 

『お前はお母さんか!! にしても、派手に吹っ飛んだけど大丈夫だったか?』

 

『鈴仙も以前戦った時より数段強くなった様に思います…あ、私の事は気にしないで。私の試合はまだなので』

 

『妖夢…話の内容が支離滅裂よ? きっと緊張し過ぎで話に纏まりが付かなくなったのね』

 

『し、してない! 多分…ちょっと』

 

紫に魔理沙に妖夢に咲夜と、ぞろぞろとやって来てはあーでもないこーでもないと捲し立てて来る。皆なりに気を使ってくれてるみたいだけど、心配ご無用よ!

 

『大丈夫だって、それよりあんたらも頑張んなさいよ? 私は此処で休みながらお酒でも飲んでるわ』

 

『貴女がそう言うなら大丈夫でしょうけど…お酒も程々になさいよ?』

 

『ま、其処で私らの活躍見てな!』

 

『今回ばかりは誰にも負けられないわ! 紅魔の意地を見せなくては』

 

『第三試合は誰なのでしょう…武者震いが止まりません。五番を引いたのが悔やまれます』

 

思い思いの台詞と共に、駆け付けて来た奴らは再び控えの方へと戻って行く。其処で…静かに見ていただけの神奈子が一口酒を呷った後、また私に話し掛けた。

 

『分かったか? やはりお前もまた、この楽園では物事の中核を為す存在なのだ。人妖問わず、気にかける輩は良くも悪くも多い…これからも精進を怠らん事だな』

 

『それを言うなら、早苗の事ももう少し手ずから鍛えてやりなさいよ。早苗だって何れは…異変を解決する為に矢面に立つでしょうし』

 

『ほう? それは博麗の巫女としての勘か?』

 

『どうかな…でも、そうなってくれたら楽かもね』

 

勘というより、私の望みみたいな物も多分に含まれている。見える所だけなら…此れまでに関わった連中が木っ端妖怪とか小物の集まりに睨みを利かせてくれてるお陰で幾らか平和だけど、時間が経てば何が起こるかまだまだ分からない。

 

『私はただ…毎日平和に縁側でお茶飲んでいられたらそれで良いのよ。その為に必要な事は、それなりにやるわ』

 

『ふむ…中々に大きな物の見方をする。だからこそ今は、賢者も奴も楽園の均衡を保つのに尽力している訳か』

 

そこら辺の事情は知らないけれど…今までの繋がりが横へ横へと延びて行ってくれたら、いつか、私が役目を終えるその日が来ても安心じゃない?

 

なんて…小難しい事考えるのはここまでにしよう。無言で二つ目の盃を勧めて来た神奈子からそれを受け取って、注いだ透き通った清酒を自分も嚥下する。

 

『ぷはぁ! コレ、結構美味しいわね』

 

『そうだろう? 私の持ち込みだが、実は早苗に隠れて人里でへそくり叩いて買ってきたのさ! もう一献どうだ?』

 

『良いの!? それじゃあ遠慮なくーーーー』

 

『かぁなぁこぉさぁまぁ……? 人里で買ってきたと言うのは一体どういう事ですかぁ? 私そんな話は伺ってませんけど…?』

 

気付いた時には…神奈子の膝下で寝ていた筈の早苗がのろのろと起き上がり、引き攣った笑顔の神様に能面の様な表情な問い詰め始めていた。

 

『いぃっ!? いや、違うのだ…これはそう! 折角早苗も出ていたのでちょっと贅沢してみようかなー…なんて』

 

『そうですかそうですか…私が昨日も一人で人里で真面目に布教活動に励んでいた裏で、朝見かけ無いと思ったら神奈子様はコソコソとそんな事を』

 

鬼気迫るとは今の早苗を指すんでしょうね…背後に般若の如き気を滾らせられた神奈子は、差し詰め蛇に睨まれた蛙。私はそれを肴にもう一口、神奈子の手元から奪った酒を飲んでこっちとあっちの成り行きを見る。

 

『神奈子様!? ちゃんと私の話を聞いてらっしゃるんですか!? 大体幻想郷に来て異変が終わってから少々弛んでいると思ってました!! 今日からまた節約の為にお酒の量を控えて頂きますからね!!』

 

『そ、そんな…それだけは! それだけは勘弁しておくれ!! 神の慈悲は無いのか!?』

 

神様はあんたでしょうが…さっきから諏訪子の姿が見えないけれど、あいつはあいつで前の宴会で仲良くなったらしい幽々子の所で一緒にバクバクと料理を貪っていた。こっちをチラリと見るや、神奈子に合掌一つしてまた手近な食べ物に手を付ける…神奈子が助けを求めるのは無理みたいね。

 

『ほんと、気付かない内に賑やかになったものね…さぁて、私も試合を見物するかなー』

 

『ダメです! 今日という今日は許しません!!』

 

『ひいいいいい!? す、諏訪子ぉぉ…何処へ行ったんだぁああ!? 助けてくれえええええええ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 風見幽香 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『東の方ーーーー風見幽香さん、そして西の方ーーーー伊吹萃香さん…!! こ、これは…何という対戦カード! まさか鬼の四天王と太陽の丘の大妖怪が、三試合目で激突だぁあああああ!!』

 

自分の手元を改めて見ると、参、とだけ書かれた何の変哲も無い紙切れが有る。今回の催しには余興で参加した積もりだったが…まさか相手が萃香になるとは思いもしなかった。勿論、嬉しい予想外だったという意味で。

 

『では! 両者舞台にお上がり下さい! くれぐれも! くれぐれも良識の範疇での健闘を祈ります!!』

 

鴉が何事かを呟いているが…私よりも対角線上の萃香に釘を刺した方が早いだろう。合わせた視線は既にギラギラと妖しい光を滲ませている…けれど。

 

『フフフ…』

 

『へへへ…』

 

何方とも無く笑いが出てしまう。紫を含めて長い付き合いだが、正直本気でやり合うのはこれが初めてかも知れない。だからだろう…笑いは次第に大きくなり、二人で馬鹿みたいに声を張り上げていた。

 

『フフフフフ…アッハハハハハハハハハハハーーーーッッ!!!』

 

『ヘッヘッヘッ…ハッハッハッハッハッハッハッハッーーーーーー!!!』

 

『うおおお…こ、これは…流石の私射命丸でも間近でこれだけの殺気と妖力はきついです! しかも笑ってるし!? 一体誰なの!? くじ引きでこの二人を引き合わせた奴は!? 頭おかしいんじゃないですか!?』

 

『くじ引きを作ったのは私だけれど、何か?』

 

『いいえ何も!!』

 

紫の一瞥に大人しくなった鳥さんを他所に、私達はやがて笑いを潜め緩やかに近づいて行く。互いの顔が触れそうな程に近く、混ざった互いの妖気が陽炎じみた揺らぎを大気に齎した。

 

『それでは…第三試合ーーーー始め!!』

 

 

 

 

 

 

『はああああああああああああああッッ!!!』

 

『おぉぉらあああああああああああッッ!!!』

 

 

九尾の狐が鳴らした太鼓と掛け声を合図に、私と萃香は同じタイミングで拳を振り被る。風を切り裂き、裂帛の気合で撃ち出した拳と拳が鬩ぎ合う…狭くて脆い舞台の上から生じた余波は凄まじく、地面はあっさりと無数の罅に覆われ空気が震えた。

 

『しょ、衝撃が…!? 拳がかち合っただけで土地全体が揺れてる!?』

 

『うむ…観客の皆も知り及んでいる事だろうが、双方とも拳一つで山が崩れ、天を衝くとも評された大妖だ。貴重な機会なので、片時も見過ごせんな』

 

『九皐さん!? この場でそんな感想出せるのは貴方だけです!! しかし、仰る事も一理有ります! どうぞご覧の皆様、このある種の頂上決戦、運命の悪戯とも呼ぶべき試合を最後までお楽しみ下さい!!』

 

まだまだ、私もこいつも本気で無いにしろ…彼に見逃せないとまで言われれば話は別だ。殺さないというルールさえ守れば何でも良い。ぶちのめした後、結果的に死んでなければ構わない。

 

『いつもなら興味無いけど…ああ言われたら引き下がれないわねぇッッ!!』

 

『そいつは私も同意見だが、こっちは奴に負けてから碌に喧嘩してないもんでね!! 二回連続で土付けられる訳にはいかねぇよッッ!!』

 

私と萃香には、二つだけ共通している事がある。見た目も性格も生き方も違えど強者との戦いには楽しさを見出せる事、もう一つはーーーー、

 

『貴女に負けたら、あいつが戦った強い私じゃ無くなるってコトでしょう? そんなのーーーーーー認められるかぁぁああああッッ!!!』

 

『はぁ…何だよお前もそういう口か? けどな、それはこっちの台詞だああああああッッッ!!!』

 

私と萃香は、少し前に彼と戦って敗れている。それも圧倒的な差を付けられて…それは良い、済んだ事だし最後には死力を尽くして負けたんだ。結果には充分満足してる…でも彼以外の誰かに負けたら、自分が自分で無くなる様な気がして耐えられない。

 

これ以上他の奴に負けて…もしがっかりされたら…前は強かったのにとか、一瞬でも失望されたら…それだけは御免だ!! だから倒す!! 何奴も此奴も潰してやる!! 同じ様に思ってる筈の萃香相手なら尚更!!

 

 

 

 

 

『『勝つのは私だーーーーーーッッッ!!!!』』

 

 

 

 

 

 




最後まで読んで頂いてありがとうございます!
地味な立ち回りでも何とか狭い場所や引き出した情報を利用して、能力を駆使し霊夢に打ち克った鈴仙はいかがだったでしょうか?

萃香対幽香…この強キャラ同士の好カードに負けない様に、次回を書き上げたいと思います!
長くなりましたが、改めて最後まで読んで下さり、誠にありがとうございます!!


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第六章 参 曇天の下で

おくれまして、ねんねんころりです。
第六章も三話目なのに一回戦がようやく三分の二消化…ヤヴァイデス。長い道のりになるかと思いますが、根気よくお付き合い下さいませ。

この物語は能力の独自設定や拡大解釈、変わり映えしない稚拙な文章、ずっと解説役にされる主人公、厨二マインド全開でお送り致します。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ごあっ!? へへへ…痛ってえなゴラァッッ!!』

 

『くっ…!? 馬鹿力が、さっさと沈みなさいッッ!!』

 

二人の壮絶な殴り合いは、試合開始から十数分にも渡って続いている。今の所、全く勢いの緩まない所為か観客の中には青ざめた顔で目眩を起こす者も出始めた。肉を叩き、骨を軋ませ、拳や脚が掠れた部分から血が滲む光景は…両者を悪鬼羅刹の如き様相へ変える。

 

だからと言って、あの両名が互いを慮って威力を抑える訳も無い。舞台は既に衝撃を逃し切れず半壊…永琳の申し出により、余波で怪我人を出さぬ様にと控えや観客席に障壁を張って貰っている状態だ。

 

『弾幕は使わないのかい!? ど突き合いで鬼が負けるかよ!!』

 

『その奢り、頭を吹き飛ばして改めさせてあげるわ!!』

 

舌戦と至近からの格闘は当初こそ目を惹いて止まず…ある種熱狂的な空気を齎したが、今となっては惨いとも例えられる。だが、強者の戦いとは斯くも凄烈で美しい。

 

『あやややや…本当にこれ大丈夫なんですかね? 既に並の妖怪なら百や二百は消し炭になる一撃の応酬ばかりですが』

 

『今はまだ序盤だ。弾幕も能力の使用も無い、何方かの息が上がるか単に我慢比べしているのだろう…フハハハ』

 

『九皐さんも大概危ないですね!? 何なんですかその爽やかな笑顔は』

 

射命丸の言を他所に、控えの方を見てみれば笑っている者の方が圧倒的に多い。レミリア嬢や紫は勿論…飛び入りで参加した天子とやらもこの状況を楽しんでいる。

 

『いけー! そこだー! あ、危ない!? ……衣玖、どうしたの?』

 

『いえ…もしかしたらあの様な方々と当たるのではと想像すると、少し気後れ致しました。総領娘様は平気なので?』

 

『当たり前よ! 稽古の時は衣玖が相手してくれるのが殆どだから、他の試合も見てるだけでワクワクするもの!』

 

片や足踏みしているものの、あの天子という少女は純粋に観戦を楽しんでいる。それは良いが…彼女等の出番は何時回るのだろうか。

 

『だらっしゃああああああああッッ!!!』

 

『ぐぅッッ!? 相変わらずね…昔から腕力だけは一丁前なんだから』

 

『はぁ、はぁ…当たり前だろ? 私は鬼だぜ? 腕っ節取ったら何が残るんだい?』

 

体力勝負は、一先ず伊吹が制したか。落ち着く迄に随分と掛かったが…やはり鬼の膂力は幽香と雖も御し難いと見る。されど伊吹の方が呼吸が荒い事から…現状は痛み分けと成った様だ。

 

『へへ…ほいじゃ、そろそろ技も見せていくかねえ』

 

『同感ね…けど、大雑把にやり過ぎると紫に怒られるわよ?』

 

『分かってらぁ…萃鬼ーーーー』

 

短い遣り取りの後…伊吹が天に掲げた掌から一瞬だけ光が煌めいた。光に呼応するモノは塵、土、砂、石が螺旋状に集まり出し…岩を模した巨大な土塊が生成される。

 

『《天手力男投げ》ーーーーッッ!!』

 

名を明かし、土塊を軽々と振るって鎖鎌の如く捩じり上げ振り回す。幽香は土埃と砂利が身体を嬲るのも構わず…一段と距離を取って萃香を迎えた。

 

『そらぁッッッ!!!!』

 

振り回した土塊、否、最早岩とも呼ぶべきソレを豪快に幽香へ向かって放り投げた。鬼の腕から放たれる投擲力が威力を上乗せし、文字通り巨大な岩の砲弾として肉薄する。

 

『そんなんじゃ当たらないわよ?』

 

『いやいや、此処は先の戦いに倣って小細工を少しーーーーーーな!!』

 

『っ!?』

 

伊吹が腕に取り付けられた鎖の先、丸い鉄球を右手ごと地面に叩き付けると…宙を舞い明後日の方向へ行った筈の土塊が、有ろう事か空中で爆散した。

 

『こ、これは!? 伊吹様の投げた塊が、空中から恰も拡散弾の様に弾けました! これは痛い! 石飛礫の雨霰が風見さんを襲います!!』

 

能力により集められ妖力によって砂利や小石が硬く凝固された散弾は、見事に幽香を捉え身体の節々に風穴を開けて行く。

 

『ーーーー痛っ…!! この、調子に乗るな!!』

 

乱暴に腕を下から振り上げ、大妖怪として有する法外な筋力で巻き起こした風圧が石飛礫を跳ね返した。しかし花の丘の主人は、足に開けられた傷から血を噴出させ膝を付いてしまう。

 

『はあ…ふぅ…どうよ? ちょっとは効いたか?』

 

『くっ…はん! こんなのは傷の内に入らないわ…前に戦った奴の方がもっと気合の篭った攻撃して来たわよ?』

 

『けっ…悔しいが、それには同意してやるーーーーよ!!』

 

土くれと砂を疾駆した反動で舞い上げながら、伊吹と幽香は再度拳を交える。左足に礫が貫通した幽香には少々不利な状態なのは言うまでも無い。

 

『オラオラァ!! 屁っ放り腰で突きなんざ打ったって意味ねぇぞッッ!?』

 

伊吹の挑発に…太陽の丘の大妖怪は赤い瞳を更に鋭く凍てつかせた。知ってか知らずか、伊吹の口元は嬉々として吊り上がる。

 

『ーーーーおおおおおおおおおおッッ!!!』

 

『なに!? がはーーーーッッ!?!?』

 

爆音とも取れる衝撃が境内を包み、両者の間には距離が置かれていた。私の眼からは、伊吹の鳩尾を捉えた拳が膨大な妖力を纏って炸裂したという風に見えた…恐らく、あの技は。

 

『ご、あ…!? こ、こいつぁ…アレか、てめえ何時の間に』

 

『ふふ…ええそうよ、アイツがあんたに勝った時…丁度私も山の方に居たのよ。どう? 自分を倒したのと同じ技を受けた気分はーーーー!!』

 

『何ですか今のは!? 風見さんが右手に纏った妖気が、まるで捻れたみたいな軌跡を描いて伊吹様を吹き飛ばしました!! ここに来てまさかの新技でしょうか!?』

 

私を一目だけ見た幽香の態度から、私はアレの答えが直ぐに分かった。私が妖怪の山で伊吹と対峙した際、彼女を破った《洸彩》という術技に酷似している。魔力を妖力で代用し、右拳に留めて放つ筈の技を腕全体に効果を広めて用いたのだ。備わる性質や能力の相違から効果が異なるものの、今の技はかなり見応えが有った。

 

『アレは私が以前、伊吹と戦った時に使ったモノだ…傷を庇いながらの発動だったが、充分過ぎる威力と言えよう』

 

『ゔぇ!? 九皐さんの技を再現したって事ですか!? す、凄い!! 伊吹様の能力もさる事ながら、風見さんも一歩も退きません!! 全くの互角です!!』

 

元妖精でありながら、鍛錬と時が経つ毎に経た戦闘経験がアレを擬似的に再現した。考えてみれば伊吹も、似た性質の攻撃に反応して僅かに身体を逸らし致命傷を避けたか。

 

『いいもん貰っちまったなぁ…痛えなぁ。けど、やっぱり強い奴と戦うのは止められない!!』

 

『あんたこそ…私の足に穴開けてくれちゃって、冗談キツいわ』

 

呼吸の乱れに違わぬ、磨耗した表情で尚笑みを崩さぬ態度。此れ等の情報とは対照的に、彼女達の身体から漏れ出す圧力がまた高まった。

 

終わりが近づいている。双方の妖力が一層高まり、疲弊し切ったが故に燃え上がる蝋燭の火を見ている気分だ。予測の域を出ないが……次で決まる。

 

『鬼神ーーーー』

 

『幻想ーーーー』

 

鬨の声は全くの同時。スペルカードを取り出す素振りも見せず、渾身の一撃による終幕が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《ミッシングパープルパワー》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーー《花鳥風月、嘯風弄月》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

事の顛末は余りにも速かった。《蜜と疎を操る能力》により伊吹は舞台の瀬戸際まで己の身体を巨大化させ、地を這う虫を潰すかの様に、天を背にした両の手で幽香に振り下ろした。

 

『私のーーーーッッ!!!』

 

『勝ちだーーーーッッ!!!』

 

対する幽香は、舞台を覆う膨大な量の花形弾幕を展開。美しく咲き誇り、爆ぜてはまた返り咲く其れ等の全てを伊吹に一点集中させ…伊吹は豪爆の渦中へと埋め尽くされる。

 

斯くして、舞台が粉微塵に消し去られた後には…うつ伏せに倒れる二つの影だけが残った。

 

『………』

 

『ーーーー』

 

何方も、等しく強者であると…その言葉しか浮かんで来なかった。一方は花の弾幕が身近で爆発と共に散り、また芽吹く度に骨肉の一片まで打ちのめされ、他方は神罰の如く齎された巨大な影に押し潰された。

 

『ーーーーーーそ、それまで!!』

 

『何と言う、何と言う大激戦…制したのは、何れかでなく…何方も、立つ事もままならずーーーーーー両者、続行不能!! 共倒れ!! 相討ち!! 何たる結果でしょうか!? 壮絶な幕引きは、二人のツワモノを引き分けへと持ち込んだぁぁあああああっっ!!!』

 

藍の終了の合図、射命丸の感極まった実況を皮切りに境内に参じた者は皆熱狂を露わにした。歓声と賞賛、絶え間ない反響が…何より二人の決着を祝福する。

 

『担架を! 二人を直ぐに八意氏の許へ運んで下さい!!』

 

藍は河童の衆に指示を飛ばし、舞台だった場所で動かぬ二人を一目散に永琳へ送り届けた。伊吹も幽香も…傍目からは重傷であるのは間違い無かったが、様子見にと司会席から私が歩み寄ると、永琳は肩を竦めて苦笑いだけを向けて来る。

 

『寝てるわ…しかも鬼の方はイビキまで掻いてる、大した物よ。どっちも傷が塞がり始めてるし、大妖怪は伊達じゃ無いわね』

 

『すぅ……』

 

『ぐがぁ…かぁー…むにゃ』

 

『……うむ、大事無いのは何よりだ』

 

射命丸も、舞台の修復の為に自身も河童の統制と労働力の確保の為に動いている。四試合目以降の再開には…暫く時間が掛かりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあさあ!! 舞台の再設置も何とか終わりまして、次の試合を進めたいと思います! まず東の方ーーーー比那名居天子選手!!』

 

『やっと私の出番が来たわよ! 衣玖!』

 

『総領娘様、頑張って下さい』

 

読み上げられる名前の中に、遂に此度の新顔が登場した。凛然と立ち上がる彼女の表情は…気合充実といった状態を如実に語る。

 

『対する西の方ーーーー十六夜咲夜選手!!』

 

『漸くね…紅魔の実力をお見せするわ』

 

だが…この時は予想だにしていなかった。

試合が始まった直後ーーーー十六夜の、天子を前にして驚愕を隠せず立ち尽くした、数分後の光景を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 十六夜 咲夜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私に油断など微塵も無かったと、試合が終わった後も自信を持って言える。それ位、今日の為に色々と準備もして来たし…何よりパチュリー様の御指導で能力を一部拡張する事にも成功した。

 

今までは、五秒か六秒程度の時間を停止させられ、空間の拡大や縮小、切り取って保存に至るまで…隙の無い力を持って生まれたものだと自信も得ていた。

 

しかしーーーー現実の私は、試合が始まる迄の勝利への予感など、異様な現象を眼にした事で消え去っていた。

 

『どういう……こと?』

 

『凄いわね…そんな力初めて見た。時間というか、空間さえも止まってるみたいな…でも』

 

山吹と赤を混ぜ合わせた様な、不思議な光を放つ炎の様に揺らめく剣が…私の視線を今尚釘付けにする。大らかに微笑む眼前の彼女、比那名居天子と名乗った少女が、途方も無く強大なナニカに感じられた。

 

『これなら、未だ能力を使わずに済みそうね』

 

控えの席で夢中になって三試合目を観戦していたとは思えない…重厚な気配と不可思議な現象に、沈黙以外に示すモノが無い。

 

私は……試合開始と共に能力を発動し、刹那の隙も無く時間を停止させた、と錯覚した。何故かは分からないが、私が能力を行使した瞬間…天子の抜き放った剣が輝き、無機質にも見えた顔で彼女は虚空を斬り裂いた。

 

だから、当てずっぽうで攻撃なんて通る訳が無いと…冷静にそれを見届けた私の思い込みが後の結果を招く事になる。

 

『これはどうした事でしょうか!? 保有する能力の凄まじさから圧倒的有利と見られた筈の十六夜さんが、試合開始から数分間全く動こうとしません!! 対して天子選手は余裕の表情でゆっくりと距離を詰めています!!』

 

『次はどんなモノを見せてくれるのかしら?』

 

『ッッーーーー!!』

 

悠々と歩き出す彼女は鼻唄でも歌いそうな程優雅で、余計に背筋に寒気がする。絡繰が分からなければ戦いにもならない…そう判断して即座に距離を空け、ナイフの投擲によって出方を見た。

 

『うわ!? あ、危ないなぁ…頭に当たったら死んじゃうでしょ!!』

 

『何言ってるのよ…身体に当たったナイフが弾かれてるのに、頭に当たった所で死ぬ訳無い…!』

 

ナイフが通らない…比喩ではなく、事実彼女は暖簾を退ける様な何気無い素振りで、刃引きもされていないナイフを頭を狙った軌道から素手で外したのだ。

 

『それもそうか…じゃ、行くよーーーーッッ!!』

 

『くっ…時よーーーー!!』

 

スペルカードを媒介に、再度時間停止を試みる。舞台の範囲の時間だけを部分的に止める。能力が拡張された事で、以前とは比べものにならないコントロールを可能にした…なのに、

 

『そりゃっ!!』

 

『また!?』

 

停止した時間、その起こりとも呼べる現象が成立する直前…天子は先程と同じく虚空に剣を振ってソレを防いだ。否、切り裂いてしまった。分からないーーーーナイフも、能力も、肉体の強度も何から何まで、説明が付かない事ばかりで思考が纏まらない。

 

『また、やろうとしたんだ…言っとくけど、何度やっても同じよ! 私と、この《緋想の剣》が有る限り、凡ゆる小細工は通用しないーーーーッッ!!』

 

高速で疾駆する相手を前に、持てる武器の全てを駆使して阻もうとした。それでも彼女は止まらない…我武者羅に投げ続けたナイフも真面に通じず、私は剣の柄で片腕を抑えられ、梃子の要領で投げ飛ばされた。

 

『っあ…!?』

 

『あらよっと!!』

 

回る景色に映った曇天の空を最後に、私は場外へ出たと今更になって認識した。何かが違う、違和感が拭えない…だからこそ、この身に去来する敗北の味が嘘ではないと実感する。

 

『それまで!! 勝者、比那名居天子!!』

 

『決着です! 開始してからの緩慢な立ち上がりを打ち消して、息もつかせぬ早業で十六夜さんを下したのは!! 名前と見た目以外の何もかもが詳細不明の比那名居天子だぁぁあああ!! って、あれ? どうしました? 解説は??』

 

『……十六夜は、あの娘に真正面から叩き伏せられた。互いの技術が光りつつも、接近されれば天子が利を得る。あの状態では打つ手の無かった咲夜では無理からぬ話だが…此れ迄に戦った者達に違わぬ、意味深い内容では有った』

 

視界の端で、淡々と語るあの御方は…しかし言葉に全く感情が乗っていなかった。私に失望したからではない、と思いたい。何故なら彼の視線の先に在る一振りの剣…私の世界を斬って捨てたあの奇妙な剣に何かが隠されていると気付いた、だからーーーー

 

『ちょっと大丈夫!? まさか、頭とか打ってーーーー』

 

『え、あ…』

 

『彼女の事は、私に任せて欲しい。大した怪我は無い、君も案ずるな…勝者は胸を張って、舞台で勲しを受けよ』

 

だから…私に駆け出した勝者を遮って、軽々と私を腕に抱き上げた彼に、より一層意識を奪われる。地に寝そべった敗者を、慈しんで運ぶ横顔が目映くて…自分の敗北を、忘れてしまいそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『咲夜…』

 

余りにも、唐突な出来事に私は面食らっていた。

アレの特異さに気付いてしまった為に…咲夜が敗北した事の悔しさや憐憫より先に、私の胸に確かな激情が燻り始める。

 

『レミリア嬢、咲夜を頼む』

 

『コウ、ありがとう。咲夜、貴女も良く頑張ってくれたわね…今は大人しく休んでいなさい』

 

抱えられた咲夜は、あの天子とやらの気遣いのお陰か、これといった外傷は追っていない。申し訳なさから伏し目がちな彼女の手を取り、私なりの励ましを贈る。

 

『はい、不出来なメイドで…申し訳御座いません』

 

『止めろ、お前が不出来とするなら…今頃我が紅魔の殆どの人材を打ち首にしているところだ。三度は言わない、良くやったわ』

 

彼と、私の瀟洒なメイドの前である事も憚らず…私があの天子に明らかな敵愾心を持ったからか、我が身からは無意識に妖気が漏れていた。

 

『レミリア嬢…あの剣についてだが』

 

『いいえ、余計な情報は必要無いわ。参加者の手の内を、貴方から聞く訳には行かない…咲夜も良いな?』

 

気遣いは有り難かったが、此度の催しの本分を忘れてはならない。娯楽、余興、そして彼を巡る各勢力との交流と関係性を見据える場で…無闇に彼の手を煩わせては意味が無い。

 

『咲夜の事は、本当にありがとう…ほら! 貴方は解説なんだから、早く席に戻りなさいな!』

 

『ーーーーああ、承知した』

 

彼の背を見送り、物々しかった自分の態度を反省した。

焦るな、レミリア・スカーレット…機会ならば必ず巡って来る。今はまだ、耐え忍ぶ時と知れ。

 

『咲夜』

 

『はい…』

 

『休んで貰う前に、紅茶を一杯だけ頂ける?』

 

『ーーーーは、はい! 直ぐにお持ちします!』

 

努めて優しく、微笑みと共に咲夜に注文を付ける。私の瀟洒な愛らしいメイドは先程の落胆を何とか振り切り、涙声とて晴れやかな笑顔で応えてくれた。

 

そして暫く…ティーカップに注がれた適温の茶を一口吞み下すと、幾らか心が安らいだのも束の間、次の対戦が宣言される。

 

『第五試合を、これより始めます!! 東の方ーーーーレミリア・スカーレット選手!!』

 

来た、前哨戦が遂に訪れた。長らく待っただけに、収まった興奮もまた再燃し始めた。誰とて構わぬ…さあ、誰が私と踊ってくれるか。

 

『西の方ーーーー蓬莱山輝夜選手!!』

 

『来たわ!! 観戦も楽しいけど、出るからには早めに戦うに限るわね!!』

 

名を呼ばれた私と月の姫は、九尾の狐に促されて舞台へ登る。彼我の距離は至近、拳を掲げた姫が私に語りかけた。

 

『正々堂々と戦いましょ?』

 

『ええ…此方こそ』

 

『第五試合ーーーーーー始め!!』

 

開戦の火蓋が落とされる。

大振りな彼女の拳を敢えて受け止めると、見て呉れからは分からなかった腕力の高さが伝わった。受けた返しに自分も手刀を与え、反応した輝夜へ続け様に蹴りを見舞う。

 

『フッッ!!』

 

『おっと!? 力押しと小手先だけじゃビクともしないわよ!!』

 

彼女の言葉に嘘は無い。ヴァンパイアの膂力を物ともしない胆力は恐るべき要素だ…されど、私も日々研鑽に励んでいる。身内に隠れてまで筋力を、力が足りなければ技を、技が足りねば知恵を培い…知恵を腐らせぬ様にと心の鍛錬も怠らなかった。

 

『時に輝夜…貴女はヴァンパイアという種族をどの程度ご存知かしら?』

 

『殆ど知らないわ! あんたが宴会の度に話してくれる内容以外はね!!』

 

何の衒いも無く、姫は当たり前と言わんばかりに返答する。殴られれば捌き、蹴られれば受ける…血飛沫を上げて繰り返される打撃戦の最中、言葉による応酬もまた戦略の一つだ。

 

『そうか…だったら教えてやろうーーーーハァッッ!!』

 

『きゃっ!? ……いったああい…先を越されちゃったわ』

 

相手を観察し、揺さぶりを掛けた末に予想される攻撃パターンと意気を測り、輝夜が更に大振りに振り上げた平手を躱す。小柄な体躯を利用し、独楽の様に身を翻して放った回し蹴りが輝夜に初撃を与えた。

 

流石に、完璧な不死者相手に都合良く致命打は齎せなかったが…御誂え向きに僅かな距離を置けたのは僥倖だ。定石ならこのまま耐久勝負と行きたいが、天候に活動を左右されてしまう私と…不死者でも回復の度に体力を奪われる月の姫では共倒れになり兼ね無い。短期決戦が最も望ましいのは、輝夜も重々承知しているだろう…その為には、

 

『重い! 疾い! そして巧いですレミリア選手!! 格闘に織り交ぜた話術でペースを握らんとしたのが功を奏し、一瞬の隙を突いて輝夜選手の腹部を鋭い蹴りが貫きました!!』

 

『今ので、輝夜は内臓や付近の骨に損傷を負ったらしいが…不死者故に受けた傷も直ぐに回復したな。レミリア嬢も吸血鬼の権能により、傷が跡形無く塞がっている。千日手を避けるには…次の一手が重要となる』

 

実況と解説が粗方説明してくれたが…次の一手が長期戦を嫌って術技の比べ合いになると多くの観客が考えている筈。少し違うな、私は既に…持ち得る武器を大っぴらにひけらかしているんだよ。

 

『ヴァンパイアは日光に弱く、流水を渡れず雨の中では活動出来ない…という伝承は正しい。難儀な生き方をして来た種族でね、先の試合前から曇り空になるまで日傘無しでは碌に動けなかった』

 

『ふう…それで? 自分の欠点を説明してまで何をしようと言うの?』

 

『なに…今から行うのでは無いよ。もう始めているからな、確かめたければ能力や弾幕の一つでも飛ばして見ると良い』

 

翼を羽撃かせて僅かに浮遊し、邪悪な笑みを象る。真紅の瞳をより紅々と妖しく光らせ、境内を緊張で埋め尽くすに充分な殺気を輝夜へ向けると…彼女の顔付きが俄かに強張った。

 

『怖いわね…あんたの能力は噂で聞いてる。だけど、どれだけの事象に抗えるかーーーー確かめてあげる!!』

 

両手を広げて、輝夜の周囲から能力に依る歪みを視認する。事前の調査から分かった彼女の能力…《永遠と須臾を操る能力》が遂に楽園で顕現される。

 

咲夜の能力とは似て非なる、停止ではなく他からの拒絶や遅延を表した力…須臾とは生物が認識し得ない僅かな時の流れであり、その知覚外の刹那を永遠に引き延ばす。私の煽りに快く乗ってくれた故に、彼女の異能は滞り無く発揮された。

 

『《永遠と須臾を操る程度の能力》』

 

私は……既に自らの武器を鼻高々に周囲へ示している。今尚誰も気付かず、それが成った頃には勝利の愉悦が私を包むだろう。我が力、我が意をカタチとした《運命》に…《永遠》とは何れだけのモノか、確と見定めてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正念場だ…月の姫よーーーー何方の能力が優っているか、此処で白黒付けるとしようッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 




レミリアのカリスマ…上手く書けているか不安です。
自分から見ると『屁の突っ張りはいらんですよ』と語る初期のキン◯マンみたいな空回りした感じでした(汗)

前回に続き長めの試合は次回の引きに使うという姑息な手を使わせて頂いております…ごめんなさい。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!!


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第六章 四 勝利への気概

おくれまして、ねんねんころりです。
暫く日にちを開けて申し訳有りませんでした。今回は戦闘に続く戦闘、中々苦労をかけられましたが、何とか形とした次第です。

この物語は能力の独自解釈、どんでん返しの展開、厨二マインド全開でお送りいたします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

両者の位置は鏡合わせの様に重なっていた。妖界隈に於いて夜の支配者と名高き吸血鬼は、曇天の空で十字架を背負うかの様な佇まいで眼窩の敵を睥睨し吠える。

 

『正念場だ…月の姫よーーーー何方の能力が優っているか、此処で白黒付けるとしようッッ!!!』

 

また永遠を内包した貴き姫は舞台の中心で静かに立ち、膨れ上がる力を礼賛する勇壮さで上空の悪魔を見据えた。

 

『待たせたわねーーーー征くわよッッ!!』

 

掛け合いの最中、私の頭の中で或る疑問が浮かび上がる。《永遠と須臾を操る能力》と、《運命を操る能力》…理を司る力というのは例え人為らざる身で在っても制御は容易では無い。姫君は不死なればこそ、永遠とさえ思える須臾の中で十全な活動が可能であり…レミリア嬢は人外且つ卓越した精神の持ち主故に日毎数多の運命を垣間見つつも自身に係る事柄なら操る事が出来ると語ってくれた。

 

妄りに用いれば、双方とも並々ならぬ負荷を使用者に掛ける筈の能力であるが…効果の程は言うに及ばず。もし数分先の運命をレミリア嬢が完全に手中に収めたとして、其処から先の結末さえも手繰り寄せた彼女に勝てる者は…今の楽園には殆ど居ないと私は考える。

 

対して姫君も、彼女の能力も恐るべき効果を持っているのは此処に集う誰もが知る所だ。しかしながら彼女は、先の試合で出た霊夢や咲夜と同じく自身の認可無くして発動は出来ないとは永琳の言。

 

何故、私がレミリア嬢と姫君を比較する様な思考を直ちに巡らせたか…それはレミリア嬢の持つ力が、果たして彼女と共に挙げた三者に共通する、発動の為に彼女も瞑想や集中等の準備が必要かと言う点だ。

 

運命という不確かなモノを統べるというのが、彼女の能力足り得ているのは間違い無い。ならば…私の知る限り彼女はそういった能力を行使するに必要な挙動を、試合開始から何かしら取っただろうか? 答えは否…だのに、舞台の上を浮遊するレミリア嬢の不敵な笑みは消えない。

 

『何…? おかしい、違和感が』

 

『ーーーーーー何を狼狽えるか、月の姫。もしや…何故能力の影響下で私が平気で喋っているのか? なんて思ってはいまいな?』

 

『ッッ!?!?』

 

姫君の狼狽は最もだ…吸血鬼の羽撃きから起こる風の流れ、発した声音が周囲に反響する大気の揺らぎ。其れ等が正しく須臾の下に遅々として舞台を駆け巡る中、当のレミリア嬢は全く普段通りの調子で弁舌を始めているのだから。

 

『ちょっと…頭が痛くなる光景ね』

 

『いやいや、この程度で驚いて貰っては困る。まさか、今まで不思議に思わなかったか? 咲夜という時を操る人間を従えている私が、何故自らを脅かすに充分な力を前に日々平気な面して茶を啜っているのか……答えは簡単だ。例え我が愛しの瀟洒なメイドが、全戦力を以って抗おうとも…私には決して勝てぬからだよ』

 

雄弁な語り口が、述べた一言一句を虚偽では無いと周囲にも分からせた。咲夜がレミリア嬢に仕える経緯は私も知らないが、信頼の裏には必ず理由が存在する。一つは家族の情…もう一つは、主人たる彼女が持つ力への忠誠や崇敬。真面に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが、レミリア嬢は初めから能力を使い続けていたのでは…正確には彼女という存在そのものが、力を発現した時より運命を予見し操作する一つの装置と成ったとするのが妥当か。

 

『あー成る程…だからあの時は私に態々使えだなんて言ったんだ、あの時は考えもしなかったわ。後になって実は何かされてたんじゃ無いかと思ったけど、そういう絡繰だったのね』

 

舞台に立つ二人を除き、沈黙するしか出来ない境内で…霊夢の得心が行ったと思われる発言が飛び出した。私の仮説は当たらずとも遠からぬ内容らしく…全霊で打つかり合った経験の有る霊夢の物言いが突き刺さる。

 

霊夢とレミリア嬢の紅霧異変での長時間の拮抗は、彼女が霊夢の力の発動を遅らせんと運命を操る能力で…即ち因果律を操作した事で限界まで意識外に誘導したのが起因していたか。

 

『無論、全てを意のままには出来ない。限界も有る…だが今と似た状態を引き寄せるだけならば、少し頭痛がする程度の対価で済んでしまう……フフ、若い内からやれる事はやっておく物だな』

 

開始直後の姫君と彼女の接戦を間近で見ても、紅魔組は若輩が多いだけに他の参加した勢力からすると一枚劣るというのが周囲の見解だった事だろう…その誤認は霊夢と本人の発言も相まって全員の脳裏から消えた訳だが。

 

『取り扱いの難しい、複雑な能力だからこそ相手の虚を突けたのだな…見事だ』

 

加えてレミリア嬢は油断無く、手抜かりも無い徹底した優勢戦術を敢行しこの状況を作り上げた…齢五百程度とは思えぬ鬼謀と実行に移せる胆力に末恐ろしさを感じる。

 

『余談だが、お前は勘違いをしているよ輝夜。これは嘗て咲夜にも口を酸っぱくして教えて来た事だが…時間とは、全てのモノが縛られる概念だ。だが、もし、今の私の様に一時的にそういった理から外れられる異能を抱える者が…身近に居る筈が無いと如何して言い切れる?』

 

『それが霊夢や、あんたみたいな奴だって言いたいの?』

 

誇らしげに捲し立てる吸血鬼の、歪んだ喜悦から溢れる笑みが姫君の質問を肯定した。姫君は苦虫を噛み潰した表情で、自身の最大の武器を凡庸な代物へ貶めた夜の王を睨み付ける。

 

『それにな…お前と戦うだけなら、曇天だろうが晴れ模様だろうが、況してや時が止まっていようが遅れていようがーーーーーー私には丁度良いハンデだよ』

 

『レミリアーーーーーーーーーーッッッ!!!』

 

『いけない!! 姫、それじゃ彼女の思う壺よッッ!!』

 

挑発に耐え兼ね、観客に紛れていた永琳の制止も耳に入らず…輝夜は弾幕を放てる事すら忘れて一直線に宙空へ駆け上がった。一連の運びが実を結び…深紅の瞳を湛えたレミリア嬢は右手に込めた魔力を激しく瞬かせる。心理的に追い詰められ突進して来る標的を躱し、彼女が掌に込めた魔弾で輝夜を迎え撃つのに…充分過ぎる隙を生み出させた。

 

『輝夜…戦いとは冷たく、陰惨で、より狡猾な者が勝つと知りなさい』

 

『なっ…!?』

 

避けた事で真横を擦り抜けて行く輝夜をレミリア嬢は一瞥し、何言か呟いた直後…右手に集めた魔力を彼女の胸元で解き放った。

 

『ごめんなさい。勝負とは言え、貴女を貶す様な真似をして…』

 

『ーーーーーーーーあんた……』

 

舞台を跨ぎ、吹き飛ぶ輝夜の背中越しに私が見た吸血鬼は、確たる勝利に喜ぶでも無く…平静を欠いた姫君を嘲るでも無い。冷然に努めるも何処か悲しげな、筆舌に尽くせぬ表情をしていた。

 

『それまで!! 勝者、レミリア・スカーレット!!』

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

勝者を讃える声も、流石は吸血鬼…催しでも手を抜かず何と悪辣で効果的な戦術だ、等と怖気混じりに評するだれかの声も、今の私にはまるで響かなかった。

 

『どうしよう…』

 

アレはやり過ぎた。咲夜が負けた悔しさを引き摺ったまま戦ったのがバレバレだ…これじゃ輝夜を煽り倒したばかりか只の八つ当たり。恥ずべき愚行だ…戦う内に当初の考えは何処へやら、段々熱が入って逸れて行って。

 

『言い訳だ……見苦しい』

 

舞台に降り立った後も、私には輝夜を見るだけの勇気が無かった。あんなのは無しだ…私が見た運命は輝夜の影響下から能力で一時的に脱却し、動揺させている間に勝つというモノだった。最善を尽くしたと言えば聞こえは良いが、剰え余興の場で相手を意図的に論うなどーーーーーー。

 

『棄権しよう…美鈴がまだ残ってるし、それで、ちゃんと…』

 

輝夜に改めて謝罪しよう…と口に出そうとした瞬間、情け無い事に目尻が熱くなって来た。もっとスマートな結末にする筈だったのに、調子に乗った結果がこの様だ。

 

永夜異変で幽々子達と争った時とは訳が違う。思想や信念の相違から衝突するなら構わない…だけど、仮にも娯楽として用意したのに自分がソレを忘れるなど論外だ。真正面から捩じ伏せたならまだしも…未熟な自分を今程嘆かわしいと思った事は無い。

 

『九尾の狐、私はーーーー』

 

『ちょっと、何してんのよ!?』

 

八雲紫の式に辞退すると告げようとした途端、後ろから肩を掴まれて引き止められた。恐る恐る相手を見ると、明からさまに膨れっ面の輝夜が立っている。

 

『さっきのはやり過ぎた、あんな遣り方では…催しの本分を蔑ろに』

 

『あんた……バッッッカじゃないの!?』

 

溜めの入った罵倒と共に頭を盛大に小突かれ、呆然とする私に輝夜は更に険しい顔付きで口を開いた。

 

『正々堂々って言ったのは私だけど、何も考え無しに殴り合おうってんじゃ無いんだから! 勝ったレミリアがそんなしょぼくれててどうすんのよ!?』

 

『しかし、これは余興であって』

 

『遊びでも何でも、本気でやる方が良いに決まってるわよ! 上手い事乗せられて自滅したみたいな物なんだから、それに』

 

輝夜は私を舞台上まで強引に引っ張り、視線で私に周りを見る様に促して来る。其処には、

 

『中々の煽りだったな、輝夜がムキになって突っ込んだのも頷けるぜ。私も耐える自信無いわ』

 

『相手の精神を揺さぶりつつ戦いを有利に進めていたな…紅魔館も他に比肩する、侮れない勢力と思い知らされた。早苗も偶には私が修行を付けてやるかなぁ』

 

『勝った奴がそんな顔でどうすんだ! 私ら何か共倒れで引き分けだぞ!! 喧嘩は強い奴が勝つんだから、もっとしゃんとしな!!』

 

『あんた最後の方、言ってる事訳分かんないわよ…酒の飲み過ぎ? それとも幽香の最後の攻撃で頭打っちゃったの?』

 

『ねえねえ衣玖! あの妖怪凄くやり手じゃない!? 相手の方も何か凄そうなヤツ使ってたし!』

 

『流石だな、君と初めて逢った時から…一角の者であるという予想は正しかった』

 

誰も彼も、コウでさえ私を責めるどころか賛辞や激励を贈って来る。輝夜も例外では無いけれど…此処に来る連中は変に懐が深い。私も、いつかはそう有りたいーーーーーーなので、

 

『次の二回戦で私と当たるのは誰かしら!? 減らず口の血吸い虫と奢るなら、誰と言わず薙ぎ倒してやるから覚悟する事ね!!』

 

私も、精一杯連中に野次を飛ばして置く。傍らの輝夜は、先程とは違って晴れやかな笑みで応えてくれる…気負っていたのは私の方かも知れない。初志に立ち返り、この日の最良の運命を必ずや紅魔のモノとする…それで良い、私はこのまま我が道を進もう。

 

『またコウモリちゃんが何か言ってるわよ! 妖夢! 当たったら必ず泣かせておやりなさい!』

 

『え!? 私がですか!? は、はい!! 先ずは一回戦を勝ってからそうします!!』

 

『お嬢様ー! 私も頑張りますので、次も勝ちましょう!』

 

『美鈴は兎も角…お嬢様が負けるなど有り得ません! 次も咲夜が応援致しますから、ファイトです!!』

 

『お姉さまー!! 私もパチュリー達も応援してるからねー!!』

 

『ほら…アレ位でグチグチ文句言う奴なんて、幻想郷には居ないわよ。二回戦、私の分も頑張んなさい!』

 

騒がしいわね…煩くてお祭り好きで、落ち着く暇も無いわ。私からすれば、曇り空の上の太陽より眩しく感じる…曲者揃いで、でも暖かくて、何処か無責任で、とても心地良い。

 

『ええ…精々貴女に勝った私が、優勝する瞬間を指を咥えて見てると良いわ! レミリア・スカーレットが居る限り、この催しは紅魔が頂いたも同然よ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨 魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『一回戦も終盤、残り二試合となりました!! 次の対戦へ移らせて頂きます!! 東の方ーーーー霧雨魔理沙さん!!』

 

『来たぜ! 霊夢も咲夜も負けちまったから人間サイドは私と妖夢だけになっちゃったけど、誰が相手でも私は勝つ!!』

 

意気込んではみたが、残ってるのは妖夢、紫、衣玖とかいう羽衣と帽子を付けた飛び入りだけだ。誰が相手でも一筋縄じゃ行かないだろう…此処は当たって砕けろ! いや、相手を砕く! それで万事解決だ!

 

『西の方ーーーー永江衣玖選手!!』

 

『総領娘様、呼ばれてしまいましたので…行って参りますね? 私の試合が終わるまで周りの方に御迷惑を掛けない様に気を付けて下さいね?』

 

『私は子供か! 良いからちゃちゃっと勝って来なさい!』

 

むむ…天子とかいう奴は一回戦を抜けてるとは言え、既に身内の勝利宣言とは私も舐められたもんだ。異変の時と違って、そこそこ狭い舞台の上では遠距離主体の私や咲夜に不利が付いてしまったルールである以上苦戦は免れ無い。かといって無様に負けるのは癪だ、知恵とパワーで押し切るぜ!

 

『お手柔らかにお願いします』

 

舞台に上がると、衣玖はぺこりと一つ頭を下げて話しかけて来た。天子って奴はちょっと生意気だと思ったが…付き添いで来たらしい彼女はとても礼儀正しい。

 

『ああ、宜しくな!』

 

『私こういった催しに参加させて頂くのは初めてです…凄い盛り上がりですし、皆さん強そうで』

 

眉を潜めて自信無さげに答える衣玖は、何というか私より年上っぽそうなのも有って艶やかな印象だ。こいつみたいな手合いは侮るとヤバイけど…個人的には嫌いじゃない。

 

『まあなー…もっと弾幕でドンパチやるかと思ったけど、幻想郷には腕っ節が強いのも多いしな。私は別だが』

 

『そうなのですね、私も長らく総領娘様の稽古にお付き合いして来ましたが…先程の試合や三試合目を見ていたら不安で』

 

謙虚も此処まで行くと却って怖いな。それがまた本心を隠してるんじゃ無さそうなのが余計に…仕方無い何処の生まれか知らないが、幻想郷の流儀でやるかな! ルールはいつもと違うけど、当たらなければ何とやらだ!

 

『それでは第六試合ーーーーーー始め!!』

 

試合が始まった…私は箒に跨り、少しだけ衣玖と距離を離して浮遊した状態を保ちながら遠巻きから叫ぶ。ぽやんとした顔で私を見上げるだけの衣玖に対し、大きめの声でちゃんと聞こえる様に。

 

『弾幕ごっこは知ってるだろ?』

 

『ええ、存じております』

 

『今回は追加ルールが有るだけさ! 空でも地上でも舞台の範囲から出たら負け、気絶しても負けだ! 死んじまう威力で攻撃するのも無し! 後は自由だ!!』

 

『自由…』

 

『そうだ! 弾幕ごっこが初めてなら、私が指導してやるから掛かって来な!』

 

サムズアップで眼下の彼女に返せば、朗らかな笑みでピースサインで応えて来た…ノリの良い奴はもっと好きだぜ。先攻は譲って空中を無造作に飛び回り様子見を決め込んでいると、衣玖は何だか洒落た構えで右手を天に掲げて上空を指差した。

 

『では、行かせて頂きます……《空気を読む程度の能力》』

 

自分の能力を高らかに宣言し、私は相手の動きを見逃すまいと注視した。数瞬の後、曇天の空がゴロゴロと蠢きだしたかと思えば…轟音を置き去りに一筋の雷光が衣玖の指先に降って来た。

 

『何だ!?』

 

『能力です。私は自然の気を読み一部を操れるお陰でどんな場所でも直ぐに順応出来ます…空の気を読む応用でこの様に、電気や雷をある程度自分の意思で扱えるのです』

 

おいおいマジかよ、って事は神奈子みたいに天候その物を能力の範囲で動かせるのか? 予想してたより数倍は強そうじゃないか…ワクワクして来た!!

 

『だったら、遠慮なく行くぞ!!』

 

飛翔する勢いを利用し、ルールで設定された空域ギリギリの高度から一枚のスペルカードを取り出す。指先から雷を吸い上げたのか、衣玖の身体は青白く細い不規則な光が纏わり付いたままだ。帯電って奴か…彼処から何をするのか気になるが、先手を取って攻めて行くぜ!

 

『星符ーーーー《メテオニックシャワー》!!』

 

星型の色取り取りの弾幕が真下の衣玖へ降り注ぎ、見た目に違わぬ星の雨が包囲した。私の初撃を受けても衣玖は涼やかな態度で、身体に帯びた電気をバチバチと強めて自身も声を上げる。

 

『雷符ーーーー《エレキテルの龍宮》』

 

唱えられたスペルは、名前から察せられた効果を即座に表した。衣玖の体内から溢れ出た膨大な電力が、使用者に迫る星の雨を雷の障壁で悉く防ぎ…電流の障壁の天辺を避雷針に見立てて、私の更に上の空から極太の雷撃が落下して来る。

 

『うおっ!?』

 

『空の上は…私の領分ですよ。続けて行きます!』

 

派手な迎撃に寸での所で反応し回避した後、視界に捉えた衣玖が凄まじい速度で私の元へ上昇する。態勢を崩しそうになったが、踏み止まってもう一発スペルを解放しようとした途端、駆け上がる速度を維持して先に衣玖が仕掛けて来た。

 

『魚符ーーーー《龍魚ドリル》!!』

 

背中から両腕に回して纏っていた羽衣が、身体を伝う電流を吸い上げてカタチを変える…螺旋状に右手に巻き付いた羽衣は鋭利な刺突武器の外観に加えて電気を帯び、更には高速で回転しながら切っ先を振るって来た。刺さったら明らかに致命傷になるだろうソレは、私の背丈を優に超える長さを保って肉薄する。

 

『流石に直接当たると不味いのでーーーーーーこの様な感じで如何でしょう?』

 

『そのまま振り回せるのか!?』

 

突貫して来るかと思われた矢先、衣玖の体がふわりと翻ってドリルの軌道が横薙ぎに成った。右半身を覆う障壁を展開して備えたが、力任せに払われた羽衣の威力を殺し切れず空中に投げ出されそうになる。

 

高速で空を駆ける羽衣の持ち手は、またも私の真下に陣取って指を翳す。蓄電した雷を利用し、立て続けに追い打ちを掛けた。

 

『光星ーーーー《光龍の吐息》!!』

 

指先に電流を集め、巨大な雷球として繰り出される。球の速度はそれ程早くは無いが…もんどり打ちながら身体を箒に預け、箒の穂先に流した魔力を噴射して真横に加速しコレも躱す。

 

『くっ!? 遠近万能の能力ってのは羨ましいな』

 

『滅相も有りません、出来るのはこれ等に係る事が全てですから』

 

さり気無く自分の欠点を晒してくれるな…かと言って明確な対抗策が今は思い付かない。一番厄介なのは上下から電撃や雷なんて言う人体に深いダメージを与えられるモノを連発して来る……いや、待てよ? 何だ? 追撃が無いと思ったら、さっきまで衣玖に纏われていた電気が勢いを弱めている。

 

と言うか…さっきから何かがおかしい。空中戦が自分の領分だと話していた割には下から攻めてばかりだし、目に見える程膨大な量の電力を貯めていたから、益々有利だってのに弾幕の数で押して来ようともしない。ピンチ過ぎて深読みしてたが実は、そんなに難しく考える事は無いんじゃないか?

 

天候を読み、その力を操る…曇天の中で出来る事と言ったら今までの雷や、精々雨を降らせる位のものだ。仮に…今は風が吹いていないから、衣玖が能力で気流を操り相手の動きを制限なんて真似は出来ないと予測する。とすれば、元が雷雨でなく曇天故に雷を起こし辛く、補給し得る電力にも限りが生まれている…?

 

『よっしゃあ! 対策見つけた!!』

 

『あらあら、もう気付かれてしまいました…やっぱり威力を出そうとすると充電を小まめにしないといけませんから。天気が中途半端だと不便です』

 

こいつの能力は攻防共に万能だが、恐らく最初の技は能力による充電と攻撃、防御を連続で行った事で身体に残ってる電力がそう多く無いんだ…天気が微妙だと能力の応用性も落ちると。

 

『尤もーーーー近接の時は、ですが』

 

『そうなるよな!!』

 

しかし、それを補う電力が無いって話じゃない…雷は空で生成されるから次に雷を落とすまで衣玖は相手のペースを乱せば良い。下で自ら追撃するのに電気を多量に使えないとしても、体術や羽衣を活かした牽制が消えた訳じゃない。突破口の鍵は見つけたけど…この状態を維持しない事には本体を叩けない。

 

『儀符ーーーー《オーレリーズサン》!!』

 

今度のスペルカードは自分を中心に展開するタイプに切り替える。天体を模した球体弾幕を障壁と攻撃両方に使用し、地上で羽衣を携えた衣玖へ向かって急速に接近する。時間の問題ならやる事は決まってる…先に奴が充電を終えるか、私が勝負に出るかだ。

 

『速いーーーー!』

 

箒による速度と弾幕で生み出した天体の横回転を合わせた此方の動きは、充電を再度行うインターバルを衣玖に与えない為のモノだ。闇雲に飛ぼうとすれば、あいつは私の戦い方からして狙い撃ちにされるのを見越している。懐の八卦炉を気付かれない様に右手に握り締め、舞台の中心を起点にマスタースパークを打ち込む…取り敢えずはコレだ!!

 

『くっ…』

 

『獲った! 恋符ーーーー』

 

八卦炉で増幅した魔力を全て次の攻撃は回し、スペルカードに登録したモノとは一風変わった術を地上で解放する。距離の心配は無い、逃げられる範囲も限られてる。だったら自分から地の利を得るには賭けに出るしかない!

 

『《マスタースパーク》!! 地上戦用ってな!!』

 

『スペルカードの同時展開ですか…困りましたね!』

 

舞台の真ん中で球体弾が私の安全圏を確保し、急制動を掛けて遠心力で身体ごと回転する。自前の魔力でマスタースパークを横に振り回す形で発射し、衣玖が空中に上がると同時にオーレリーズサンの待機状態を誘導型にスイッチして畳み掛ける。体内に残った電気を、さっきの私と同じ障壁に見立てて展開した衣玖は、この瞬間なら両手を塞がれて羽衣も使えない。

 

『邪恋ーーーー』

 

八卦炉に再充填した僅かな魔力を、掛け声に合わせて衣玖の足元を狙って打ち出す。導線の如く足を搦め取った魔力の糸を繋いだまま、箒から飛び降りて膝を付き衝撃に備える。

 

『今までのが、全てブラフ…?』

 

『みみっちいのはもう辞めだ、やっぱり弾幕は…パワーに限るぜ!!』

 

球体弾幕の効果はまだ続いている。両手で張った電気の壁を解いて糸を断とうとすればソレに撃ち落とされ、無理に動けば導線に引っ張り込まれてやはり致命傷ーーーーつまりはチェックメイトだ!!

 

『学ばせて頂きました…弾幕ごっこは、奥が深いのですね』

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《実りやすいマスタースパーク》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

魔力糸を伝って、互いの射線を固定した形で準備した隠し球が、身体に凄まじい衝撃を与えて極太の光線として放たれる。魔力はギリギリ立って居られる程度…連続で使用した弾幕の負荷が煩わしいが、衣玖は最後に微笑みを浮かべて光の中へ消えて行った。

 

『勝者、霧雨魔理沙!!』

 

場外へ弾き出され、倒れ込んだ衣玖を確認してから舞台で立ち上がる。私の勝利を告げた声を聞き届けて、崩れそうな膝に抗わずに大の字になって空を見上げた。

 

視界を埋め尽くした空は、曇天を引き裂いた陽光の奥から清々しい青を覗かせる。勝ったぜ…一回戦でこれってかなりキツイな。あと少しだけ、少しだけゆっくりしていよう。起きたら魔力回復用の小瓶に詰めた薬を飲んで…それからはまた観戦だ。まだ試合は終わらない、紫に頼まれて渋々出たけど、腕試しには持ってこいだ。行けるところまで行ってやる!!

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

一連の魔理沙の戦術は、衣玖と呼ばれた少女の能力を隈なく分析して見出した素晴らしい回答だった。幾度も体内に電流を溜められるなら…魔理沙が堪らず接近して来る迄ソレを重ねれば良い。だが天の気を読み、操れはしても天候自体を生み出す事は不可能だったのだろう…彼女の力も熟達した運用と効力であったが、魔理沙の観察眼を考慮せず少々見せ過ぎたな。

 

魔理沙に場外へ飛ばされた後…彼女は大した怪我も無い様で自力で立ち上がり、舞台上で転がる魔理沙へ一礼して天子の待つ控えに戻って行った。

 

『申し訳ありません、総領娘様。私の不徳の致すところで…弾幕ごっことは、見ているよりずっと複雑な駆け引きが有りました』

 

『仕様が無いわ、気にしちゃダメよ! 上では私達の相手になる奴なんて殆ど居なかったし…まさか魔法使いさんが見ただけで衣玖の能力を彼処まで理解出来たなんて驚いたもの! でもちょーっとだけ、ヒント出し過ぎだったんじゃない?』

 

困り顔で薄く笑った衣玖を眺めて居ると、射命丸が横から私の服の裾を掴んで解説を求めて来た。場を持たせるのも楽では無いのか…次の試合までお前も協力しろという事だろう。

 

『はやくして下さいよ! 次までまだ掛かるので、どうか此処は九皐さんも場繋ぎをですね』

 

『うむ…魔理沙の分析と行動力が此度の勝敗を分けた。彼女はとても努力家で、日々精進を重ねているのは此処に集まった者も理解している事だろう。目指す道へ直向きなのは、何よりの美徳と私は思う』

 

『あんまり褒めるなよ! 次が出にくくなるだろ!?』

 

当の魔理沙から野次を貰った所で、第六試合は終わりを迎えた。次が一回戦最後の試合となる…残っているのは妖夢と紫、妖夢は私が定期的に指導こそしているが、妖怪の賢者と謳われる相手を前に苦戦は免れない。一矢報いるにも隙を生じさせてくれるか如何か。

 

『先生!』

 

『妖夢か、次は君の試合だぞ? 相手が誰かもう分かっている筈だが』

 

『はい! 実は、その…』

 

試合は目前だが、駆け寄って来ても要領を得ない妖夢の言葉を、私は待つ事にした。不安は当然だろう…しかし解説の立場としては下手に手心を加えられ無い。内容に依っては叱咤する積りだったが、

 

『見ていて下さい!! 教えを受けている身として、恥じぬ戦いを御覧に入れます!!』

 

『ーーーーーーならば征け、君の剣が彼の賢者にも届くか…私が見届けよう』

 

『行って参ります!!』

 

嬉しい誤算と言うのは、時として有る物だ。戦う前から弱音を吐くかと心配したが…技の冴えだけで無く心も随分と成長した。為す術も無く負けるという事態だけは避けられるだろう…下手に気負っていない今なら、隙を突ければ押し切れると思うのは流石に弟子贔屓か。

 

『一回戦、最後の試合を始めたいと思います!! トリを飾るのは誰あろうこのお方!! 東の方ーーーー八雲紫選手!!』

 

『まあまあ、そんなに持ち上げられると緊張致しますわ』

 

笑みを浮かべながら控えから立ち上がった紫であるが、口程には余裕や驕りと言った感情は窺え無い。妖夢は未だ未熟な身なれど…此度の催しに参戦するに当たって、彼女との交戦を予期していない筈は無い。出鼻を挫かれれば即敗北を喫するだろう妖怪の賢者に、堂々と出向いて行ったあの娘を…陰ながら応援する事としよう。

 

『続いて西の方ーーーー魂魄妖夢選手!! 鋭い剣気と積み重ねた技が、果たして格上相手に炸裂するのか見ものです!!』

 

『何だかそこはかとない悪意を感じますが、私は全力を尽くすだけです!』

 

舞台に上がる両者の立ち振る舞いは静かで、射命丸の実況の後速やかに藍の口から試合開始の声が上がる。

 

『では、第七試合ーーーーーー始めッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

『先代に匹敵するとまで言われたその才覚…この私に披露してご覧なさい!』

 

『師に受け継がれし技、先生から賜りし剣身一体の教え…今こそ此処で示す時ですッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 





次回は一回戦最後の試合と、二回戦序盤の流れを書いていきたいと思っております。

今回のあとがきは短めですが、最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!!


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第六章 伍 静かなる兆し

おくれまして、ねんねんころりです。
ほんっっっとうに長らくお待たせしまして、申し訳ありません!
筆が進まないというのは簡単ですが、手につかずだらだらとひと月あまりを無駄にしてしまいました。更に申し訳ないのが、まだまだ緋想天編はつづくという事です。
以上のことを踏まえ、この物語は亀更新と化した投稿主の気紛れ、場面転換による話の読み取り辛さ、厨二を拗らせたポエミー文章が含まれています。
それでも待ってやったぞという方は、ゆっくりしていってね!


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

妖夢と紫、二人の掛け合いを以って一回戦最後の試合が幕開けた。妖夢は鞘に納めた楼観剣…長刀に軽く手を添えたまま剣気を放ち、彼我の距離約三十尺を保って俯瞰した視線を向けている。

 

『………』

 

『威勢良く返した割には冷静ね、どう出る気かしら?』

 

対する妖怪の賢者は、飄々とした物言いにも応えぬ妖夢を前に、右手に持った扇子を開いては閉じてと落ち着きが無い。誘われているのは瞭然…不用意に仕掛ければ手痛い反撃を貰うだろう。だが、私の見立てた実力差からして後の先より初撃を獲るのは困難…然れば対策は一つ。

 

『疾ーーーー』

 

『怯まずに来ますか…最上の一手ですわ』

 

空気の壁を越えて、俊足の接敵に伴う抜刀が紫の胴を捉える。鋭利な眼光から発せられる意を交え、紫は尚も余裕を崩さず鋒を躱して見せた。

 

『ハッッ!!』

 

『これは…そう言えば、コウ様から教えを受けているのでしたね』

 

先の先で打ち込んだ長刀の一閃を捌かれたのも束の間、空かさず左手の鞘を逆手の状態で振り抜き奇襲を敢行する。喉元に迫った鞘尻を皮一枚で回避した紫だったが、三段目の攻撃がまだ庭師には残っている。

 

『半霊ーーーー』

 

『激しいこと…一息に三度、急所を狙って踏み込んで来るとは』

 

身体一つで対応するのも苦しくなったのか、紫は背後に大きめのスキマを作り出して飛び込み舞台の端へ後退した。半霊を螺旋状に捻り上げ、弾丸の如く頭部目掛けて放たれたがこれも躱される。数号の交差では、双方呼吸の乱れも決定打も無いが…妖夢は妖怪の賢者にもそれなりに体術の心得が有るという材料を手に出来た。

 

『先程の踏み込みから三連撃、成る程…彼の教えた甲斐有って、霊夢に比肩する実力に昇華した事は認めましょう。ですが』

 

『…! 恐縮です』

 

紫の発する妖力が、空気を震わせる程度には強くなった。眉間に汗を一つ流し…境内に集まる者達も晒される大妖の気配に緊張を高める。更には開いていた扇子を畳み、冷ややかな眼差しで自らの両側面に小さなスキマを幾多も展開し始める。

 

『これよりお見せするのは、外の世界から流れ着いた鉄の道標…其れ等を鏃と弩とし、貴女の剣が何処までのモノかーーーーーー採点して差し上げます!!』

 

紫の号令に合わせ、先端に奇妙な模様が施された看板付きの鉄柱が数十という単位で現れる。裂帛の気合から一斉に掃射される道標なる物を前に…妖夢は鞘を投げ打ち腰元の短刀、白楼剣を手に迎撃態勢を取った。

 

『二刀だけで捌き切れる?』

 

『押し通る!!』

 

二刀を巧みに操り、手近な三角頭の道標を横薙ぎに切り裂き、続く二発目を短刀で弾き返し三発目に叩き付ける。これ等の動きに僅か数瞬…妖夢は視界を覆わんばかりの形有る弾幕を次々と無力化して行く。

 

二刀を振るいながら、それでも徐々に前進する妖夢に紫の笑みが一層深くなる。聞くに百年は下らない西行寺との交流は、妖夢を見守って来た時間も勿論入っている…此処数ヶ月で目覚ましい成長を遂げて行った彼女に、喜びを隠せないのだ。

 

『先代の庭師も技の流麗さ、剣士としての強さは楽園の一角を担うに相応しい御仁だった…隠遁されて今は何処に居るかも知り得ないけれど、今の貴女を見たらさぞ喜ばれたでしょう』

 

『剣で語る他に術も無し!!』

 

とても似ている…と締め括り、紫は更に鉄の道標を増やして妖夢の接近を妨害する。まるで無数の矢へ臆さず対峙する英傑の様に、飛躍を遂げ続ける剣士が応える。

 

『凄い! 凄まじい剣技です!! 異変解決者の中では随一の近接能力を保持すると存じておりましたが、余りにも峻烈! さしもの紫さんも現状の手数では厳しいと思われます!!』

 

『反応速度、剣の振りにも無理が無くとても上質に仕上がっているのね…驚いたわ』

 

『剣技ーーーー』

 

間を置かず、妖夢の呼吸が深く沈み込んだ。四肢の筋肉を引き締め、交差上に刀を構えて鉄の道標の中を更に高速で駆け出す。

 

『《桜花閃々》ーーーーッッ!!』

 

走り去った舞台に、妖夢の纏った霊力の残滓が桜吹雪の如く飛散する。美しく真っ直ぐな軌跡に彩られた桜色の名残と共に…無駄を削ぎ落とされ、磨き上げた二刀の技が振るわれた。

 

『《境界を操る程度の能力》』

 

それを、紫は漸く能力を宣言し初めて防御に回った。数多の眼と思しき何かが妖夢を見詰め、空間の裂け目から五芒の方陣が出現する。刀身に触れた堅固な障壁が賢者と庭師の中間で剣閃を阻み、突進した負荷が乗せられて妖夢の身体が跳ね返された。

 

『くっ…!』

 

『妖夢、貴女と私の能力は相性が悪い。斬撃に霊力を組み合わせただけでは決して届かない…先代が到達した高みに、愈々貴女も立たねばなりません』

 

『時を斬る…ですか』

 

『文字通りの意味では無く、それだけの気概にて万事に挑めという…守護の剣を生業とする一族の矜持が含まれているのよ』

 

妖夢の口から呟かれた一言は、此処に居る誰にも聞こえていた。時を斬る…無念無想の心技体を備えて放たれる、凡ゆる意を消した不可避の一撃。ソレを成し得る根幹には、ただ相手を打ち倒すのでは無い、護るべきモノを守る硬い決意が必要だと賢者は注釈する。

 

『雨を斬るに三十年、空気を断つには五十年…時を斬るには』

 

『三百年掛かる…と聞いています。今の貴女ならば空気を両断するのもそう難しくは無いでしょう、しかし真に斬るべきモノを戦いの最中にも見つけられなければ』

 

紫には対抗出来ないという訳か。今の彼女には、生半な事では再現出来ぬのも分かっていて…敢えてその道を選ばせようとするか。幼少からの縁や情は、優しさだけでなく時に厳しさも併せ持つ…私としては緩やかに成長を見守りたかったが、傍観者の立場では是非も無い。

 

妖怪の賢者の発する妖気は一秒毎に重く、生温さすら錯覚する濃さを纏って妖夢へ圧し掛かる。この膠着状態を打破せねばやがては戦意を折られてしまう…失意に耐えろ、そして奮い立て、時を斬るに値する才覚と敵ながらに称されたなら…開け、勝利への突破口を。

 

『剣身一体…時を斬るという意味ーーーーそれは!』

 

『ふふふ…得心が行ったのなら、全力で打ち込んで来なさい!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

我が身の未熟を恥じ入るばかりだ。試合前に先生に対して大言壮語を吐いておいて…いざ強敵を前にまた、心を折られかけてしまうとは。自分は春雪異変の時からは比べられない程強くなった筈なのに、未だ届かぬ境地に立つ相手に胸を借りようなどという気概も無かった。

 

不敵な表情の紫様は、心の脆い私を責めようとはしなかった。未熟者が未熟者なりに全力で来いと言いたげに待ちの姿勢を貫いている…されど最早、この心に迷い無し。

 

雨粒を斬るのに十年以上を費やした…空気の壁を断つのに三十年を経た…今はまだ、半霊で半端な自身の幸運に胡座をかいて時を斬るには至らない。だからこそ、

 

『……加減は無しよ、境符ーーーー』

 

猛禽を思わせる笑みを零して、妖怪の賢者の妖気が四方を象った舞台へと収束され?。空間の裂け目から此方を見やる無数の目に光が灯り、主人の命令によって一斉に輝きを放った。

 

『《二次元と三次元の境界》』

 

私では計測不能な量の妖力が注ぎ込まれ、光る無数の目は無差別とも思える程の光線を束にして吐き出す。一筋一筋が私を打倒するに充分な威力と速度を付随させ…舞台の端から端を囲う様に光線の結界は完成した。

 

『ーーーーおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!』

 

咆哮は恐れを糧に張り上げられ、萎縮した身体を気合で動かして何度目かの疾走。止まる気も無ければ諦めなどとうに過ぎ去った…反比例して呼吸は粗さを増し、四肢は鉛の如く気怠さを湛える。

 

『無謀な特攻は、犬死にと変わらない…考えが有るのね?』

 

……そんな物は無い。私はただ、時折脳裏に蘇る記憶に縋って、今現在に至るまでの記憶を回帰させている…。師匠が頓悟され…幾許かの時が流れた。冥界で幽々子様が異変を起こされ、それを漫然と受け入れた為に取り返しの付かない一歩手前まで西行桜は力をつけた。あの時もしも、先生が来て下さらなかったら…あの古木の呪いを取り払って貰えなかったら、今頃どうなっていただろう。

 

それから先は、返し切れぬ恩義に報いたいと心から願った。剣の道を極めれば、幽々子様だけでなく先生のお役に立てる日もいつかは…と。嘗ての自分に限界を感じていたのも、今なら認められる。だけど…先生が見守ってくれている今ならばきっと、

 

『人鬼ーーーーーー』

 

時を斬るとは時を斬るに非ず。

祖父が遺してくれたのは目指すべき力の方向ではない…在り方だ。どれだけ力を得ようとも、区別無く目に映るモノを斬り伏せるのでは、それは只の暴力でしか無い。

 

斬るべきを見極め、斬らぬと決めた無駄を淘汰し、見据えたモノだけを捉える優しき守護の剣。私が本当に倒したい敵は紫様ではない…彼女の繰り出した技の一つ一つ、己が背に大切な人々を想起し、決して折れぬ心と磨き上げた技で、自分の弱さと共に相手の放つ害意を断つ。

 

それが例え雨粒程に小さく見え難い、空間丸ごとを切り取らねばならない様な、時の流れにさえ左右されない強大なナニカで有っても。この手に集約される技と武器、魂と肉体の全てを賭して、迫り来る脅威を無に帰す!!

 

答えに至った瞬間…いつかの先生の言葉が過ぎると同時に、私の頭の中で何かが弾けたーーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《未来永劫斬》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

握りは軽く、腰は深々と膝と腹が触れそうな間隔まで身体を折り畳み、振りかぶった鞘から体幹の回転と共に楼観剣を引き抜く。直後…光線が巡らされた結界の只中で、今まで自分が出した事も無い剣撃を生み出した。如何に人智の及ばぬ思考速度と絶大な能力を持つ紫様であろうと、反応し得ない領域の攻撃は躱せない。

 

『まさか、私の弾幕を一度に全て斬るつもりーーーーッ!?』

 

『師の示した道は遠い記憶の中でも心を強く、先生の教えは今日に至るまでこの身を更に強くした!! 本当に斬るべき相手は、紫様では有りませんッッ!!』

 

空気の壁を踏み抜いて、空を飛ぶ要領で舞台の上下左右を無尽に奔る。煌めく刃は結界を敷く方位陣を一つ断っては光線を霧散させ、次に向かうべく宙空を踏み込む度に順応し始める脚は速度を高めていく。

 

『成る程ね…自分との戦い、貴女らしいわ。己の未熟を認め、竦む身体に檄して私に挑むーーーー合格よ』

 

続く斬撃と高速移動に、手足は徐々に軋みを上げる。その前に…私の剣は弾幕の結界全てに届いた。

 

『いざ、参りますッッ!!』

 

『来なさいッッ!!』

 

諸手を上げて、最後の一太刀を浴びさんと迫る私に…紫様は満足そうな表情で迎え入れた。峰打ちに翻した刀身が彼女を袈裟形に捉え、振り抜かれた一打に妖怪の賢者は吹き飛んで行く。

 

『それまで! 勝者、魂魄妖夢!!』

 

終了の号令が藍さんから発せられ、私は残心を取る余裕もなく膝から崩れ落ちた。視界にはふわりと着地し、何事も無かった素振りで佇む紫様が此方へと近づいて来る。

 

『本当に、強くなったわね…その心意気を忘れてはなりません。貴女は誰でも無い貴女自身、今はまだ未熟でも、弱くてもーーーーいつかきっと、追い掛けた背中に届く日が来るはずよ』

 

差し伸べられた手を素直に取って、立ち上がらせて貰う。勝者を讃える様に掴まれ掲げられた私の腕を合図に…周囲から歓声が響き渡った。

 

『やりました! あの妖怪の賢者、八雲紫を相手に果敢に走る姿にこの射命丸も感動を禁じ得ません!! たかが余興、されど真剣! 境内の皆々様も賞賛の嵐です!!』

 

『紫は初めから妖夢を試していた…異変解決者として急激に伸びながら、何処か自信の無い部分が残っていた過去の姿は最早見られない。二人とも、良い試合だった』

 

『やるじゃない妖夢! 魔理沙も残ってるし、このまま二人でじゃんじゃん勝ち進みなさい!』

 

『私と当たったら意味ないけどな! とにかくおめでとう!』

 

解説者席の先生も、私と紫様に大きな拍手を送ってくれる。何だか恥ずかしくて、でも誇らしい。紫様が相手で本当に良かった…これでまた、私は少しだけ強くなれる気がする。

 

『ありがとうございました、紫様』

 

『礼には及ばないわ…貴女にも、霊夢や魔理沙と共にもっともっと活躍して欲しいもの。昔馴染みのよしみというモノです』

 

時を斬る…必ず成し遂げてみせますよ師匠。先生や紫様が、仲間が居てくれる限り、何処までも進んで行きます。だからどうか、いつの日かまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試合の後、司会進行を務める鴉天狗の手腕により二回戦進出を果たした者達の紹介が改めて行われた。選手用の控え席では、昼休憩を終えてこれまでの激闘を勝ち上がって来た面々が揃っている。

 

『実況の射命丸が、晴れて二回戦進出を致しました皆様の紹介をさせて頂きます! 一人目は、映えある一回戦第一試合を瞬く間に決めた紅魔館の隠れた実力者! 技の冴え、熟達した武を以ってその存在を知らしめてくれました! 紅美鈴さんです!!』

 

『頑張ってね、美鈴! 次も期待してるわ!』

 

『確かに第一試合は見事だったねえ、隙が無いってのはあの門番みたいなのを言うんだろうね。ま、応援してるよ』

 

観客席に移ったメイドや、試合の後から今の今まで休まず酒を煽り続ける萃香が美鈴に声援を送る。当の門番は居住まいを正し、拳を合わせて短く礼をして凛然と応えた。

 

『皆様、ありがとうございます! 比武の場にて機会を与えられた事は…恐悦至極です! 次の試合も頑張ります!』

 

少々固い挨拶だったけれど、その心意気を見物する皆は快く受け止めた。実際の所…此度の催しで最も有力な陣営として立場を示したのは間違い無く紅魔館だろう。

 

何せ出場者数は当主を含めて三名の内二人が、結果だけなら圧倒的な戦術と膂力を活かして残った。今や此処に集まる人妖で、彼女らを与し易しと侮る者は居ない。

 

『続いて二人目は、御自身の知略と能力を活かして見事博麗の巫女を討ち取りました月の兎! 今回の催しの伏兵も伏兵! 彼女は何処まで下克上を貫けるのか!? 鈴仙・優曇華院・イナバさん!!』

 

『うう…何だか紹介に悪意があります。姫様も負けちゃったのに私独りじゃ』

 

『行けー! そんな奴らボコボコにしちゃえイナバー!! 序でにレミリアも倒して私の仇を取りなさい!!』

 

『無茶言わないで下さいよー!!』

 

『クックック…私はいつでも受けて立つぞ?』

 

月の玉兎…鈴仙は元兵役故の戦術眼に加え、能力の特異さでは輝夜を負かしたレミリアにと引けを取らない。レミリア自身も幻想郷に来てから今まで表には出して来なかったものの、心技体兼ね備えた彼女に臆病な兎さんが当たればどう挑むのかは興味が尽きない。周囲もそうなるのを期待しているのか…今回の催しの目玉の一つとして注目度は一際高い。

 

『三人目は飛び入り参加ながら、十六夜咲夜さんの能力を奇妙な踊りでひらひらと躱し、勝利を収めた比那名居天子さんです! その実力は全くの未知数! 彼女は空を過ぎ去るそよ風か? はたまた大地を抉る嵐の類か!?』

 

『私の紹介だけ何かおかしくない!? 踊りじゃないわよ! れっきとした剣技よ!!』

 

『まあまあ総領娘様、ご無理を言って出させて貰っているのですから…それに多少の野次も人気の証です』

 

二人は本来なら…催しに参加させる意思など毛頭無かった。だけど、初めて彼女らが地上に降りて来たのを察知し邂逅した時、比那名居天子の言葉を聞いて敢えてこの場に列する事を許した。私だけが二人の素性も、真意もある程度は理解している…あんな事を言われては、如何に相手が我々の嫌う出自に在っても気が変わろうというものだ。

 

【私はあいつらが嫌い…自分達だけ無関係なフリをして、今までずっと色んな事を見過ごして来た。私はあんな風になりたく無い! だから私は、此処に居る!】

 

 

 

 

 

 

『だから、同族にも不良扱いのレッテルを貼られたのでしょうけど…心意気だけは買ってあげる』

 

『四人目は先程勝ち上がったばかりの魂魄妖夢選手! 華麗な剣技と不屈の精神で、妖怪の賢者のお墨付きを頂いた期待の新星! 参加者の中で唯一、コウさんの教えを受けているとあってトトカルチョ倍率はかなり高めです!!』

 

あの天狗…私の知らない所で賭博の元締めなんてやっていたの? 本人達の意思で参加しているなら構わないが、神聖な神社で賭け事なんて良識に欠けるわ…催しが終わった後に折檻しなくては。

 

『最後は異変解決者の中でも霊夢さんと同じく最古参の、霧雨魔理沙さん! 奇抜な発想と言動にそぐわぬ緻密な魔法戦はさぞ見所が多い事でしょう! ちなみに私は魔理沙さんに賭けました!』

 

『サンキューな! 分け前は優勝した後に頂くぜ!!』

 

『全く…あら?』

 

まあ、参加者にやる気が有るのは何よりね。私の各々への印象や意気込みを見据えている間…彼は、コウ様は席に着いたまま何事かを思案している。一見冷ややかさを備える銀の双眸が、何故かーーーー神社の外の景色、何処か遠くを見つめている。

 

『どうされました? 九皐さん? そろそろ勝ち残った皆さんに激励の一つでもお願いしたいのですが』

 

『済まぬな…少し野暮用が入った。私は暫し抜けさせて貰う』

 

『え!? そんな急にーーーー!』

 

彼の視線は催しの会場から離れた何処か遠く、遠くから外されぬまま身体は立ち上がり、音も無く黒い孔を呼び出して埋没して行ってしまう。どうしたのでしょうか…コウ様なりに此度の催しを楽しんでおられる様子だったのに、消え去る間際の横顔が。

 

『紫様、彼のヒトは何処へ向かわれたのです?』

 

『分からないわ…でも、良い予感はしない』

 

今はまだ催しの真っ最中だ。彼の余裕の無い態度に訝しむ連中はちらほらと伺えるが、今回は各陣営の交流を深める為の大掛かりなモノ…おいそれとは中止も出来ない。

 

『彼なら大丈夫です。きっと家の鍵を閉め忘れたか何かなのでしょう…藍、コウ様に変わり私が射命丸と共に進行を引き継ぐから、二回戦の準備を整えて頂戴』

 

『は…ご随意に』

 

嫌な感じだ…私でも何も感じ取れない、何かに彼は気付いた。此処にいる誰もコウ様の真意を確かめられる者は無いーーーーーー、一体…彼は何を察知して向かったのか。

 

『うー! 私の紹介だけ忘れられてる…』

 

そう言えば、レミリアだけ紹介されてなかったわね…面白いからそのままにしておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは小さく、余りに微かな揺らぎだった。

我が館のほど近くに誰かが近付き…人目を憚る様に押し止められた気配の奥に妖力を漂わせていた。静謐で緩やか、かと言って無視出来る類のモノでは無いと、頭の奥で警鐘が鳴り響く。

 

只の杞憂か、又は何がしかの予感か。作り出した孔の中を潜り抜け、館の門前に佇む何者かを捉えてその場に出ると…私に気付いた某かは茫洋とした足取りで振り向く。

 

『………』

 

『其処な帽子の少女よ、我が館に何用で来たのかね?』

 

『!! お兄さん、私が視えるの?』

 

異な事を言う少女だ…肩口まで伸びた、緑がかった亜麻色の髪を揺らし、帽子の内側から覗く瞳が瞬く。驚愕、興味、様々な感情が垣間見れるというのに…当人の声音は不思議と落ち着きの様なモノを感じた。

 

『視えるとも、何か可笑しな事を言っただろうか? さて、私の質問に答えて欲しい。何故、君は私の家に入ろうとした?』

 

『凄く、不思議な感じがしたから。暖かくて、でも暗くて…お兄さんの纏う空気? みたいなのが濃く染み付いてる。それに』

 

名も知らぬ彼女の破顔は、私に幾許かの衝撃を与えるに至った。笑っているのに、笑っていない…まるで設定された表情を貼り付けたかに思える機械的な笑み。先程まで隠していた気配を今度は強く表し、小柄な帽子の少女は上半身を左右に振りながら歩み寄って来る。

 

『不思議なヒト、妖怪でも人間でも無さそうなのに…今迄見た誰よりも存在が確かで曖昧。動物の皮を被ったナニカにしか、見えないわ』

 

『さてな…君の哲学的な問いに私はどう応えるべきか。君は誰だ? せめて其れ位は教えてくれ』

 

『私は、《古明地こいし》って言うの。地底から来て、今はお出かけしててこれから帰る所よ? ねえお兄さんーーーーーー私とちょっと、遊ばない?』

 

言葉が言い終えられた直後、こいしと名乗った少女の気配が更に薄くなった…陽炎の如く輪郭が揺らめき、しかし確かな意志を備えた彼女の両手に薄緑の光が灯る。

 

『これでもまだ、私が視える?』

 

光の軌跡が視界から消え去り、空へ投げ出される形で放られた光が弾丸に変わった。三日月に似た口元の笑みが深まり、薔薇の花弁を模した弾幕が降り注ぐ。

 

『…うむ。君は少しばかり、ヒトの目を盗むのが得意らしい。だがーーーー』

 

身体から漏れ出る銀色の波が弾幕を遮り、迷わず館の門前で立ち尽くす少女へ一息に詰め寄る。頭一つ以上も小さい古明地こいしは、瞳の奥に捉えられた自らの顔を見詰めて双眸を見開かれた。

 

『すごい、どうやって此処まで来たの? 弾幕も避けて無かったよね? 全然見えなかった…! すごい、すごいすごい!』

 

『申し訳無いが、今は私も出先でな。君の遊びに付き合ってやれる時間が無いのだ…後日また、此処へ来なさい』

 

『つぎは…遊んでくれる?』

 

『約束しよう』

 

帽子越しに掌を頭に乗せて二度三度と撫でてやると、今度は機械的で無機質では無い…本当の意味で喜びを湛えた笑みで返して来る。

 

『わかった! 今度は私もお家に招待するから、明日ね、明日また! 同じ時間に来るからね!』

 

そう言って、こいしは私の前から完全に姿を消した。見事な隠形の技だが…あれだけの術を一体何処で身に付けたのだろう。身の熟しと態度は幼子其の物であるのに、秘めている力は尋常な妖怪を遥かに上回っている。予感が有った…明日を境に、私は彼女の関わる何がしかに巻き込まれ、こいしの言う家とやらに対し自ら赴くかも知れない…漠然とした、頭の中に根付いた違和感が消える事は無い。

 

『そろそろ戻らねばな…明日此処に来ると言うのだ。今はただ、待つのみとしよう』

 

博麗神社の催しを放り出してまで出迎えた訪問者は、私にとっても此れ迄に出逢った誰よりも得体の知れない少女。館の前で再度孔を開き、境内に戻る頃には、私の彼女への興味は薄れ始めていた。

 

『あ! 戻られましたか! いやー困りますよぉ、急にいなくなられると場を独りで持たせなきゃいけなくて大変で大変で』

 

改めて司会者の席へ着くと、口数の減らない射命丸の抗議が延々と垂れ流される。済まないとだけ告げて、眼窩に映した舞台の人影を注視する。

 

『もうじき二回戦が始まります。相手は』

 

『美鈴と、天子だったか』

 

『戻られましたのね、私も二回戦からは進行役の補助をしますから…どうぞお気軽にご覧下さいな』

 

傍らにもう一つ椅子が設けられ、右から射命丸、私、紫の順でテーブルが埋められる。扇を片手に口元を隠し、小声で紫が問いかけて来る。

 

『慌てた御様子でしたが、どうされましたの?』

 

『うむ…虫の報せでは無いが、館に妙な気配を感じてな。行ってみればとても不思議な少女と会った。詳しい事は催しの後に話そう』

 

『畏まりました』

 

紫から視線を戻し、舞台の上の二人を見比べる。数回の言葉の遣り取りから察せられるのは、美鈴からは警戒と疑念…対して天子は飄々としつつ含みのある顔付きである。

 

『咲夜さんを降した技、私が破って差し上げます』

 

『そうねえ…あんたみたいなタイプが、実は一番苦手だったりするのよ私。立ち居振る舞いから呼吸まで自然体の癖に、近くなればそれだけ隙が見当たらない…強敵ってやつ?』

 

『それでは二回戦第一試合ーーーーーー始め!!』

 

会話の最中、太鼓の撥を片手に藍の合図が示された。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ている。

ハッキリとした感覚に伴う、曖昧模糊とした内容の夢。

まず感じたのは悲嘆。次にやって来たのは憤怒。そして、それらの感情の原因となった裏切りの記憶。

 

『此処は…どこ?』

 

私の声に応える者は居ない。代わりに、見下げた寂しげな景色の真ん中に座する…一匹の竜が其処に居た。たまに視るのだ、誰の思考も勝手に読み取ってしまう因果なサガから…取り留めも無い夢の残滓を。しかし、今回の夢は確かな形を成して現れている…これは感情を縦糸に、記憶を横糸に紡いで出てきた誰かの、いつかの出来事だと知った。

 

「我には、寄る辺等初めから無かったという事か」

 

一体どれだけの時を経た者の夢だろう…黒く、鎧の如き刺々しさを携えたその竜は、何処かの宇宙の果てで独り呟いた。数を数えるのも馬鹿馬鹿しい程の剣を、弓を、槍を突き立てられ…詰られ、貶められて尚、彼は絶望だけはしなかった。絶望こそ彼の真実故に、最後の軛だけは外すまいとして…清く、大らかに。この世総ての深淵を指しても甚だ足りぬ力の塊は、愛おしさと優しさを忘れなかった。

 

「それでも良かった…一抹の幻に同じと分かっていても。我は手を、差し伸べたかったのだ」

 

何て綺麗な在り方だろう。星々の煌めきに合わせ流れ行く記憶から、その竜が何度、押し潰されそうな失意を味わって来たかを思い知らされる…だのに彼は満足気に、乾いた笑いを一つだけ零して、銀光を纏うソレは遍く世界の行く末を見続けた。

 

『数えきれない始まりと終わりを、ずっと独りで』

 

私の言葉は、黒い竜には届かない。

私の見ている今の景色も何もかも、過ぎ去った時間に他ならない。どんなに私が彼に心を痛めても、どんなに彼の生き方を褒め称えたいと思っても…出逢ってもいない、況してや存在の質からして何もかも違う相手に、私の心が届く訳が無い。ーーーーーーーーーーそう思っていた。

 

「帰れ、小さき者よ」

 

『ッッ!?』

 

夢の中で、記憶の中で、ソレは確かに私を見て…此処から去れと促して来た。混乱で思考がまとまらない…身振り手振りで慌てふためくだけの私に、闇の帳を思わせる大きな翼を翻して彼は続ける。

 

「汝の視る夢に、我が如き存在は不要だ。疾く此処を去り、醒めよ」

 

『待って…! どうしてなの? 何で貴方は、ずっと苦しんで来たのに…ずっとずっと裏切られて来たのに!! それでもまだ信じられるモノなんてーーーーッッ!!』

 

私には、到底不可能な事だった。私が私である限り、本当の意味で私以外の何かを信じる事は難しい。それは私が、

 

「信じるとは…報われるべきモノでは無い」

 

『そんな、そんな筈ーーーーーー』

 

「信じた己を誇れるか…それだけの事だ」

 

急激に、夢の中にも関わらず意識が遠のいて行く感覚に襲われる。待って! 私に貴方をもっと視せて! まだ話を聞きたいのに! 貴方はきっと、私のーーーーーー!!

 

「次に視る君の夢が、暖かなモノであると信じる」

 

最後の言葉はとても温かく、慈しんだ声音で吐き出された。視界は途端に白み出し…ベッドに横たわる自分の小さな身体が蠢く感触で目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

『お姉ちゃん? 大丈夫? 泣いてるの?』

 

『ん、んぅ…こいし? そう、戻って来たのね。お出掛けは楽しかった?』

 

私の問いに、妹は少しだけはにかんで頷く。

可愛らしい仕草に釣り合わない不器用な微笑みが、沈んだ私の気持ちを少しだけ和らげてくれた。ベッドから起き上がり、瞼を擦りながら妹に向き直ると…彼女は何かを握りしめた手を出してくる。

 

『これは…』

 

『お土産だよ! 帰りがけに寄ったところで拾ったの!』

 

開かれた掌には、いつもこの子が被っている帽子が有った。何の話かと思ったのも束の間…こいしの帽子に、予想外の代物が残っていた。

 

『何よ、これ…妖力? いいえ違う…この気質は、魔力かしら』

 

『うん! 凄いよね? 凄いよね!? 今はもう消えかけだけど、帰るまでに近くに居た妖怪も生き物もみーんな私を避けたんだよ!! 私のこと視えてないのに、もうぶわぁぁぁって!! こんなの初めて!!』

 

いつになく興奮を隠せないこいしに対し、私は彼女に同調するのも忘れて先の夢に出て来た彼を想起した。深淵の色に染め上げられた、管の様な器官から迸る銀を放つ竜の姿を。これは夢? それとも。

 

『魔力の持ち主は、誰なの?』

 

『うーん、分かんない。見た目は背の高い男の人だったけど、私には人の皮を被ったナニカにしか見えなかった』

 

そう、そうなのね…きっと、あの夢を見たのは何かの予兆に違い無い。夢で感じた竜の気配と、こいしの帽子に残った魔力の残滓は無関係じゃない。でも何故だろう? 胸騒ぎがする…まだ見ぬ存在を切っ掛けに、どんな因果に巻き込まれるのかと不安になる。

 

『また明日遊びに来なさいって言ってたよ! ウチにも呼ぶって約束したんだぁ』

 

『ええ、良かったわね。それで、その男性の名前は?』

 

『……………………聞くの忘れちゃった』

 

無言の溜息で返すと、分かっていないらしい妹はにこにこと笑いかけてくるばかり。滅多に転ばず、タダでは起きぬといった風な古明地こいしは…昔から興味の湧いた相手の名前も聞き忘れるお茶目さんなのだった。






すみませんでしたぁ!!
前書きでだらだらと言い訳しましたが本当に謝罪するばかりでございます!!
次回もだらだらと更新されるでしょうが、最後まで読んでくださった方、誠に、誠にありがとうございます!!


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第六章 陸 立ちはだかる強敵

遅れまして、ねんねんころりです。
緋想天も終わりがちょっと見えてまいりました。一度の投稿で長らくお待たせしておりますが、精一杯書いておりますのでご容赦ください

この物語は場面転換の多さ、稚拙な文章と亀更新、厨二マインド全開でお送りしております。
それでも続きを読んでやるよと言う方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 比名那居 天子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれた時から不快だった。

この世に生を受けた頃の話ではなく、《天人》としての自分が生まれた日よりずっと…例えようの無い鬱屈した環境に晒されていた。生物としての死を否定し続け、自分達を殿上人として崇高なモノに押し上げんとする天人達。その中で一人…私だけが家族を除いた誰からも、ただの一度として認められた事は無かった。

 

幻想郷という狭い箱庭の中で、名声と格式に囚われ続ける孤独で哀れな組織…それが天人という奴らの、私の正体。同族の間で不良と揶揄され、どんなに強くなっても、どんなに周りと打ち解けたいと思って努力しても…結局の所、私が受け入れられる日は来なかった。

 

【那居の守り人、総領の娘たる天子よ…其方が生きるには、我等の住まう天界は腐り過ぎた】

 

父上と懇意にされていたとある重鎮は、頻りに鍛錬に励む私を見てそう仰った。嘗て独覚の境地を欲し、天女であるリュウグウノツカイ達と共に龍神を奉りながら修験の道を目指した先人は…今や私の生きる世界は此処には無いと、有り体に言えば引導を渡してきたのだ。仮初めの優しさや、取り繕った笑顔ではない…心の底から天界の腐敗を嘆いて呟かれた言葉に、拍子抜けするほど納得したのを覚えている。これが最初の変化。

 

【総領娘様…私は今もこれからも、御役目から天界を離れる事は許されないでしょう。ですが、この心身朽ちるその時まで…貴女の行く末を見守り続けます】

 

次の変化は、不思議な天女との出会い。優秀なのに変わり者で、私のお守りを買って出た酔狂な彼女は、天人崩れの私に偽りの無い言葉を告げた。永江衣玖…あいつと連れ合って自らを高めて行く日々は、私の天界での人生に於いて今でも最良のものだと断言出来る。

 

【地上に遊びに行ってみない?】

 

三つ目の変化は、自ら動き出した事だった。

見たことも聞いたことも無かった…私達とは違う生き方をする連中の蔓延る場所へ、私は衣玖を誘ってお忍びで天から降って行った。

 

【貴女…天人? 残念だけれど、此処に貴女の居場所は無いわ。貴女方は遠い昔に地上を捨て去り…此処に住む者達と交わした凡ゆる約束も、友誼も何もかも反故にして天へ移った。貴女自身にその憶えが無くても…大地に根差す者にとって天人が歓迎されない事は百も承知でしょう?】

 

四つ目の変化は、遠い遠い祖先達の遺した遺恨に触れた時に起こった。口々に天人という種を罵り倒す一人の妖怪相手に、私の方から威勢良く挑んで行った。

 

【才能は兎も角、まるで駄目ね。経験が足りない、術理も中途半端。その上天人の身でありながら地上に出向くなんて…不良なのね】

 

そんな事は知っている。愛すべき故郷を捨て、天界などと言う場所に引き篭もった同族と、天界に嫌気が差して抜け出した私と奴らは…その妖怪にしてみれば似た者同士でしかない。だけど吠えた…認めたくなくて、自分だけはそうなりたくないと決めてーーーーーーボロボロの身体に鞭打って立ち上がった。

 

【私はあいつらが嫌い…自分達だけ無関係なフリをして、今までずっと色んな事を見過ごして来た。私はあんな風になりたく無い! だから私は、此処に居る!】

 

吐き捨てた後、地面に這いつくばった私に向けて、その妖怪は一枚の紙を不躾に放り投げた。

 

【貴女がもし、他の天人達と違うなら…その紙に書いてある日時に指定の場所へ来なさい。存在を認められ、居場所が欲しいなら…自分の手で勝ち取って見せなさいな。たかが催しと笑うも結構、発起して来るならーーーー歓迎するわ】

 

最後の変化は、全く予期せぬ相手から送り付けられた一枚の紙。博麗神社という場所で、地上に居を構える各陣営の親睦を深めるために催しが為されるとあった。知らない名前ばかりで、大勢を前に天人だぞと晒し者になるかと不安だったけど…私の不安はあっさりと杞憂に終わる。

 

『睨み合いが続いております二回戦第二試合! 剣と拳、互いに全く違う間合いでの攻防は一瞬の判断がモノを言うと私は考えますが、お二人はいかがですか!?』

 

背に黒い翼を生やした陽気な妖怪が、私と対戦相手を見比べて横の解説者二人に話を振る。一人は今日初めて会った不思議な男…もう一人は。

 

『そうねぇ…アレがただの剣なら、門番さんは問題にしないでしょうけれど。如何ですか? コウ様』

 

『うむ…あの剣に不可解な能力が有る事はこの場にいる者なら容易に察せるだろうが、私としては其れ等を踏まえて美鈴の立ち回りが気になるな』

 

やっぱり気付かれてるわよね。

当たり前みたいに目の前の美鈴? ってヒトも距離を置いたまま様子を伺っている。となると、一回戦の様に出し惜しんでるとやられるか。

 

『余所見とは余裕ですね』

 

『…ごめんね? 余裕って訳じゃないの。人に見られるのって慣れてないから、緊張しちゃってさ』

 

半分は嘘で、半分は本当。

こんなに大勢の人妖達が凝視する舞台で、自分が堂々と戦う機会が来るなんて思ってもいなかった。少しの強張りと溢れ出しそうな興奮を胸に…私は本気で対戦者を迎える。

 

『行くわよーーーー《緋想の剣》』

 

真名を解放すると共に、右手に握った緋色の刀身が脈動を始めた。歌う様に、しかし地響きにも似た空気の震えを起こして……剣は発光し霧を巻き上げる。

 

『この剣は私の意のままに操れる。その効力は森羅万象の気質を見極め、《対象が最も苦手とする性質》を纏って攻撃に転化出来るの』

 

『詰まり、その剣は貴女に…私の気質と最も相性の良いモノを付与して攻撃してくれる…と?』

 

『大まかにはね。剣自体は気質を纏うだけだし、当てなかったら意味は無い…だからーーーー!!』

 

吐き出した息吹に合わせ、全力で踏み出した軸足を起点に疾駆する。袈裟斬りに構えた剣は対象の、紅美鈴の気質たる《黄砂》の属性に反発する力を付与し一際輝く。上段から振り下ろされる一撃は、目に見える以上の重圧と威力を相手にのみ浸透させた。腕を交差して受けるかと思われた拳士は鋒が皮膚に触れる寸前、柔らかくしなやかな手の動きで刀身を掴み取る。

 

『真っ正面から受けたのは、あんたが初めてよッッ!!!』

 

『恐縮ですが、如何に相手の弱点を突く魔剣と雖も…触れただけでは刃も通りませんよ!!』

 

ご明察…流石に無手で敵を無力化する術を持つ彼女には簡単に攻撃は届かなかった。威力は寸分の狂い無く腕、肩、腰、足へと衝撃を捌かれて地面だけを陥没させる。

 

『全く手応えが無かった…面白い技を使うじゃない』

 

『いやはや、此方も小細工くらいはしますよ。何せ武器は武器でもそんなに気味の悪い気が出ていたら余裕も有りません』

 

見た目の朗らかさに反して、中々に腹芸の上手い相手だ。普通に受けるだけで無く、鍛え上げた身体のバネや気? とかいうヤツを使って威力を充分に殺してから地へと流した。内側では慎重な対処を試みつつ、動きそのものは大胆にも真面に刀身を捕らえに掛かる、とーーーー面白いじゃない。

 

『でも、弾幕ごっこは苦手そうね』

 

『あ、分かります? そうなんですよー。迎撃や奇襲としての格闘は弾幕ごっこのルール上でも有効ですが、加減を間違えたら…ね』

 

美鈴の言いたい事を察して、私も不思議と笑みが零れた。確かに彼女は物腰や雰囲気が伝えてくれる情報よりもずっと重厚だ…要はかなり強い。強いのにスペルカードで死人を出すまいと本来の戦術を封じて来たらしい…あの技量と体捌きから繰り出される拳や蹴りを喰らえば、天人の私でも無警戒なら少なくとも悶絶ものだ。弾幕ごっこの度に撲殺死体を作るんじゃ気持ちも滅入るだろうしね。

 

『だけど、もう遠慮は要らないわ! 私も全力で行くから…あんたの本気も見せてみなさい!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

『気符ーーーー《猛虎内剄》』

 

天子の叫びに、舞台上で様子を窺っていた美鈴の眼が鋭さを帯びた。口角は吊り上がり猛禽を想起する獰猛さに彩られ、紅魔の門番もまた一個の妖怪だと再認識する。応答と共に地を踏み締めた拳士の脚は、舞台だけでなく境内をも打ち震えさせ、先程までの柔らかさを感じさせた構えとは対照的な剛の所作にて拳を握った。洗練された濃密な殺気と、肢体に帯びた妖気と拳気の苛烈さが、日常の中でどれだけ彼女が理性的に振舞って来たかを教えてくれる。あれだけの妖力を隠していたのも然る事ながら…彼女の気の操作が如何に精密だったか、と。

 

『美鈴さんの殺気が濃いですね…進行役の立場ですが、おいそれと茶々を入れられない凄みが有ります』

 

『もしかしたら、紅美鈴の本質は此方なのかも知れない…剛の気を迸らせた今の姿が』

 

傍らの射命丸は、声音こそ涼しげだが緊張を隠そうとはしない。私を挟んで反対側に座る紫もまた、紅魔の代表としてこの場に呼ばれた美鈴が初めて露にした資質に驚嘆を述べている。私が知る限り、紅美鈴という妖怪…一武道家としての実力は近接戦闘のみならば幻想郷有数だと予想される。例え相手が徒手でも武器でも、こと対応力に関して言えば美鈴のソレは頭一つ抜きん出ているだろう。自分の得手不得手を熟知する美鈴ならではの戦術は、当の天子には相当な重圧となる筈だ。

 

 

『あはは……参ったなこりゃ』

 

対する天子は苦笑交じりに剣を正眼に持ち替え、己もまた退かぬという態度を確と表した。催しも中盤…各々が殺傷を除いた凡ゆる規定を排した今だからこそ十全な姿を見せられるのだ。油断ならないのは、天子の剣には未だ美鈴の特性を読み取って発生させた黄砂の気質が残っている事…弱点を的確に穿つ剣か、それを凌ぐ快心の拳か、何方にしろ決着は近い。

 

『気符ーーーー』

 

『なに…?』

 

天子が返礼代わりに呟いた、《気符》の言葉に美鈴が表情を歪める。緋想の剣は自らを取り巻いていた黄砂の気を瞬く間に天子へと移譲させ、天子の身体からは奇しくも美鈴と同様の質を備えた妖気が噴出した。

 

『行くよ!!』

 

『応ッッ!!!』

 

地を踏み出したのは全くの同時、美鈴は拳を構えたままより直線的に速く…天子は正眼に留めていた剣を再度右手側に持ち直して重く、力強い一歩を進めて標的を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『熾撃ーーーー《大鵬墜撃拳》ーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーー《無念無想の境地》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

術技の発動もまた同時…美鈴の拳は暴露る事無く天子の鳩尾へと突き刺さり、剣を片手に諸手を上げた形の天子はソレを受け入れた。鳩尾、顎、脇腹と裂帛の気合で打ち込まれた三連撃を前に…軸足だけを支えに棒立ちの彼女が全ての攻撃を喰らった後には、瞠目と共に構え直した美鈴が天子を見詰めている。

 

『うぐぐぐ、すっっごい痛いじゃない…マジで効いたわ。剣の力を自分に移して無かったらやられてたかも』

 

『何故…幾ら妖怪といっても急所への攻撃は避けるべきモノです。それをーーーー』

 

『コイツは捻くれてるから、相手の気質に同化したからって簡単に勝たせてくれる様な代物じゃないのよ…その代わり受けた痛みも衝撃も、緋想の剣が振るわれた時の威力に上乗せされる』

 

一通りの注釈の直後…大上段に掲げた剣が、至近距離で居直る美鈴に振り下ろされた。剣に帯びた黄砂は螺旋状の回転を起こし、回避が間に合わず受けに入った美鈴の防御を貫いた。

 

『これは…!?』

 

『飛んでけぇぇええええええ!!!』

 

爆撃じみた轟音を撒き散らして、美鈴が合わせた両腕ごと彼女の頭を強打する。振るわれれば、一息に解放される重圧と余波が舞台から境内へと駆け巡り…剣の纏った気質が砂嵐の如く二人を呑み込んだ。くの字に身体を折り曲げられて尚美鈴の身体は後方へ投げ出される。

 

『あーいたたた…こんなやり方絶対非効率よ。幾ら先に攻めさせる為だからって良いのを食らい過ぎたわ』

 

舞台の中心で蹲る天子であったが、彼女の反撃を貰った美鈴は剣の威力に耐えられず場外へと吹き飛んでいる。

 

『そこまで! 勝者、比名那居天子!!』

 

高らかに勝利者を宣言した藍の一声を切っ掛けに、周囲から歓声が湧き上がった。僅か数合という少ない攻防ながら、技と力を真正面から打つけ合った両者に賛辞が送られている。

 

『恐るべし捨て身の戦法! 美鈴さんの怒涛の連撃を耐え、返す一撃で辛くも打ち破りましたぁっ!! 二回戦第一試合から、更に盛り上げてくれたお二人に今一度拍手をお送り下さい!!』

 

射命丸の進行に煽られ、控えの選手も見物している者達も一様に拍手し始める。決して軽いモノでは無かった三度の拳脚を、逆手に取って勝利した天子は美鈴の許へ緩やかに歩いて行く。

 

『あはは…腕は無事ですが、衝撃を流しきれずに足が痺れて起き上がれません。刀身を横に頭を打ち据えられた物だから、視界もぐわんぐわんしてますよ』

 

『案外元気じゃないの…でも、かなり良い勝負だったわ。ほら、立てる?』

 

弱々しく左手を差し伸べた天子に、美鈴は快く右手で取って起き上がった。勝者は千鳥足になりそうな敗者の肩を組んで引き寄せ、二人は堂々とした面持ちで舞台から退場した。

 

『コウ様…比名那居天子を、どう見られますか?』

 

『……君が何を思いその質問をしたかは分からないが、私は天子という少女を高く評価している。美鈴の攻撃を受けた胆力と気概、健闘した相手を讃える姿勢に嘘は無い…良き資質を持っている』

 

私の答えに、紫は溜め息を吐いて誤魔化したが…彼女の表情はとても満足気に見えた。紫が天子を斯様に見定めんとするのかを私は知らない…しかし、天子が今の楽園に新たな風を運んで来たのは間違いないだろう。加えて、緋想の剣と呼ばれたアレの事も少しだけ分かった…今の所は、それで由として置こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 紅 美鈴 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『有難うございます、天子さん。徐々に回復していますから、ここらでもう大丈夫ですよ』

 

『そう? 妖怪さんってやっぱり傷の治りが早いのね。私も頑丈な方だけど、治癒力は其処等の人間と変わらないから羨ましいわ』

 

私達は、先ほど激闘を繰り広げたにも関わらず軽口を挟める程度にはお互いを知る事が出来た。技を交えれば言葉以上に相手の気持ちが伝わってくる…私は負けはしたものの、真っ向から打ち合って得た結末に後悔など微塵も無い。お嬢様方には申し訳ないけど、こんなに楽しかったのは久しぶりだ。

 

『美鈴、傷を見てあげるから来なさい…そこの貴女も』

 

『咲夜さん…お手数をおかけします』

 

『私も良いの? 言いにくいけど、二人とも私にやられた訳だし…さっさと離れる積りでいたのに』

 

『我々紅魔は、尋常な勝負に遺恨を残す様な器量の狭い輩は存在しない。貴女も咲夜に応急手当て位はして貰いなさい…永遠亭の薬師は重篤患者以外は診ない事になっている』

 

隣の天子さんと共に私を出迎えたのは、お嬢様と咲夜さん。澄ました顔で取り繕ってはいるが、咲夜さんは未だに自分が能力を破られた絡繰を理解出来ずに悶々としているらしくて…ちょっと仏頂面だ。逆にお嬢様は実に楽しげに天子さんに言葉を掛けて、隙あらば彼女の力の程を見極める考えみたい。

 

『ありがとう、素直にご厚意に甘えさせて頂戴。もしかしたら骨にヒビが入ってるかも…何だか息苦しくて』

 

『あー、すみません。私も頭と足の感覚がまだ鈍くて…出来れば手当てが終わったら休ませて欲しいです』

 

『そ、そう…ぷっ、わ、分かったわ』

 

『あらあら…二人とも随分と息ぴったりなのね』

 

戦った両者が笑顔で皮肉を言い合う姿に、お嬢様も咲夜さんも毒気を抜かれたのか…呆気に取られた後に笑いを堪えている。

 

『一つ、忠告をしておこう。比名那居天子よ』

 

『なに? 紅い蝙蝠さん』

 

咲夜さんによる手当が一通り終わって、もうじき二試合目が始まろうという時にお嬢様が立ち去ろうとする天子さんを呼び止めた。

 

『自らを隠すのもまた一つの知恵だろう…だが、お前の有り様を見て素性に気付く者が八雲紫だけとは限らない。貴女が地上に住まう我等と関わり続けたいと願うなら、正念場だけは確りと決めなさい』

 

『……そう、肝に銘じとく』

 

お嬢様の仰ることは時々よく分からない…でも、天子さんが幻想郷に於ける地上の出身とやらで無い事は分かる。特異な武具である緋想の剣と、それを前提にした戦い方は、私達紅魔館が幻想郷に訪れて暫く経った今でも見たことが無かった。きっと理由が有って素性を隠しているのだろうが…私の対応が変わる訳でも無い。

 

『天子さん、次の試合も頑張って下さい! お嬢様と当たられた時は…申し訳ありませんが』

 

『良いのよ、あんたと戦えて良かったわ! じゃ、またね!!』

 

お知り合いの方が待つ選手控えに近い場所へ走り去って行く彼女を眺めてから、咲夜さんに診て貰った両脚の感覚を確かめる。まだ痺れは残っているし、筋繊維の一部が断裂しているのも感覚で悟った…問題は無い。後々の試合を見ながら、帰る頃には完治している内容でしょう。

 

『さてさて…次の試合は誰が呼ばれるのでしょうね? お嬢様』

 

『試合の対戦表がランダムなのも有って私が次に呼ばれる可能性も低くは無い…問題は相手だけれど、関係ない』

 

貴女ならそう言われると思っていましたよ…残った面子の中でお嬢様の実力は他から一歩も二歩も上を行っている。懸念すべきは能力の厄介さからして鈴仙さんですが、ほかの皆さんも侮れません…上位の実力者は一回戦で殆ど潰し合いの様な形で退場されましたが、どうなりますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ レミリア・スカーレット ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

咲夜に頼んで、簡易型のテーブルとティータイムセットで優雅なひと時を過ごしている間、妖怪の山の河童どもが舞台の修理と整備を終えて再び試合が再開される運びとなった。

 

『二回戦第二試合…東の方ーーーーレミリア・スカーレット選手!!』

 

『やはり来たか…まあ、誰が相手だろうが今更だな』

 

『頑張れおねえさまー! このまま優勝一直線よー!!』

 

観客席の辺りでフランドールの声が聞こえる…姉の威厳を見せる為、何より此度の催しの本分たる紅魔の喧伝とコウとの楽しい日々をより多くする為、私達にとって優勝は最重要課題だ。

 

『続いて西の方ーーーー鈴仙・優曇華院・イナバ選手!!』

 

『ひええ…何で私ばっかり強いヒトと当たるんですかぁ』

 

私と対峙する事となった鈴仙は偉く弱気だが…あの兎が霊夢の能力の孔を見抜いて勝利したのは揺るがぬ事実。判断を誤れば狂気の瞳に支配され、対象の感覚器官や認識を悉く狂わされた間に勝負を決められる。

 

『両者入場してください』

 

九尾の狐の呼び掛けに、私と鈴仙は正反対の位置から舞台へと上がる。眼窩に納めた兎は、指名された直後の弱気な挙動とは打って変わって瞼の細められた鋭い視線と氷の如き表情を造っていた。戦の心構えは良し、心理的な重圧をスイッチにして…目標を殲滅するという意思に直ぐさまシフトしている。

 

『…良い判断だ、鈴仙・優曇華院・イナバ』

 

『……最初から後が有りませんから。相手が誰でも、勝利せねば報酬を持ち帰れません』

 

成る程、面白い奴だコイツは。

永遠亭の人員の中でなら、出てくるのは輝夜と妹紅が最も有力な戦闘要員と私は見ていた…催しのルールと医療関係者を配置する都合から永琳は出ないと踏んでいた。其処までは予想通り。

 

『それでは、二回戦第二試合ーーーー始め!!』

 

太鼓の音に合わせて、藍の鬨の声が境内に響いた。

空かさず鈴仙は距離を取り、対して私はこの場から動かずゆっくりと歩を進める。

 

『お前の瞳は対処が難しいな? 目を合わせずとも周囲の空間まで狂わせられるとなると、こうする他有るまい』

 

私は、他陣営のトップに比べて自分が強者であると同時に未熟である事を知っている。西洋妖怪の頂点…されど蕾は未だ開かず、情け無い話だが…打てる手は全て試させて貰う。

 

『こ、これはどういう算段でしょうか!? レミリア選手、試合開始から途端に両目を瞑って緩慢な速度で前進を始めました!!』

 

『眼を合わせれば優位を取られる…でも、腑に落ちない選択ですわ』

 

『うむ…レミリア嬢の運命を操る能力を使用すれば、狂気に侵されない未来を手繰る事は可能だろう。何か別の考えが有ると見える』

 

フフ…どうかしらね?

取り敢えず能力で垣間見た未来の運命では視界を自ら潰すという選択が最も効果的と判断したからやったまでだけど、耳を欹てて鈴仙の反応を伺うしか今の私には出来ない。

 

『……っ!』

 

『ほう?』

 

聴こえる…聴こえるぞ月の兎。

光無き常闇の世界に広がる、追い詰められた獣の息遣いと生物が筋肉を強張らせる緊張の表れ…一回戦の時と違って呼吸も僅かに乱れている。息を殺して平静を装っているが、動揺しているのが丸分かりだ。

 

『撃って来ても良いぞ? 私は此処だ…まあ、無駄弾は使いたく無かろうーーーー此方から行くか』

 

『!?』

 

右脚に力を込めて、兎が反応出来るギリギリの速度で肉薄する。舞台の中心から鈴仙の位置する端へ一足跳びに跳躍し、左手の爪を鋭く立てて手刀を放つ。寸前の所で上半身を捻って躱したらしい鈴仙が指銃を咄嗟に向けたのを感知して、右脚から回し蹴りを繰り出し弾き飛ばす。右肩に蹴りを喰らった兎は態勢を崩し今度は私が舞台端へ、奴は舞台の中心部近くへ投げ出され転げ回った。

 

『ぐっ! 視覚以外の感覚で私を捉え、吸血鬼の膂力で押す作戦ですか…見えてもいないのに軽々とーーーー!!』

 

起き上がりざまに、鈴仙の付近から四度の炸裂音が響いた。眼を封じている私には、耳と肌から伝わる振動と音、限られた空間に有る物体を認識する以外に彼女の抵抗を知る術は無い。尤も、

 

『今日の曇天が続く限り、私に吸血鬼としての弱点は何も無い。ムキになっても自分の首を絞めるわよ?』

 

鈴仙の指銃から撃ち出された魔弾は四つ…錐揉み状に回転する弾の軌道を感じ取れば、其れ等が皆自発的に誘導するタイプの攻撃では無いと簡単に分かる。私は翳した右手に魔力を注ぎ、一枚目のスペルカードを宣言する。

 

『運命ーーーー《ミゼラブルフェイト》』

 

右手を起点に呼び起こされたのは鋒の付いた鎖を模した魔力の塊…四つの魔弾を迎撃すべく作られた八つの鎖が、私の意思に従って迫る脅威を叩き落として行く。防御に振るわれた鎖は四、残りの四つは高速で蛇行しつつ鈴仙が居ると思われる地点目掛けて襲い掛かった。

 

『ホーミング…!』

 

『私の魔力が尽きる迄逃げ切れるか? 先に言っておこうーーーーーー無駄だッッ!!』

 

紅い鎖は不規則だが的確にその鋒を鈴仙に捉えて離さない。兎の逃走が如何に素早かろうと、舞台の八割近くを網羅するスペルカードを生身で耐えるのは困難。故に予測される鈴仙の一手は、

 

『幻兎ーーーー《平行交差(パラレルクロス)》!!』

 

『やはりスペルカードか…どんなモノか私には見えないから内容は判らないが』

 

鈴仙の妖気が一瞬だけ歪んだ様に感じた。彼女の発した妖気は先程鎖が向かった場所から動かず、微かに地を駆けるナニカが私へと距離を詰めて来る。

 

『幻影か? 悪くない選択だけれど、無駄と言った筈よ!!』

 

さあ、そろそろ幕引きだ…態々様子見を兼ねて土壇場まで泳がせてやったぞ。決死の覚悟で挑んで来い、お前が他者に狂気を与える存在ならば、ソレを上回る運命で以って打ちのめそう…生憎だが、今の私には数秒先の未来が既に視えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 鈴仙・優曇華院・イナバ ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー『《障壁波動(イビルアンジュレーション)》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台全域に限定した位相の波長を操り、レミリアさんのスペルカードを空間ごと歪曲させて打ち消す。私を中心に展開される障壁波動は、三層から成る波長のバリアーは鎖の侵攻と追撃を阻みながら一筋の活路を生み出した。これを逃せば、もうあのヒトに近付く戦法は打たせて貰えない…此処で決める! 相殺し合って防衛線を丸裸にした今しか無い!!

 

『スペルカードを強制的に相殺しているのか…!!』

 

私の弾幕を弾いた鎖は四本、私の指銃と相撃つ形で消えたのを見るに、レミリアさんの指示で私を襲った残り四本も障壁で無力化した。今の彼女は目を閉じたまま無防備な状態…至近距離なら獲れる!!

 

『赤眼ーーーー』

 

私の能力が空間にも作用するのは一回戦の段階で見抜かれていた。舞台端に佇むだけの彼女なら、範囲攻撃で無理矢理場外に押し出してやればいい…チェックメイトだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとう…私の得た運命の通りに動いてくれて』

 

『なっーーーーーー!?』

 

 

 

 

 

 

 

魔眼が吸血鬼を捕捉し、彼女が口元に笑みを浮かべて眼を見開いた。視線が重なった刹那…狂気の波長が最も強力に働き掛ける条件が整い、私の勝利が確定したーーーーーー筈だった。

 

『神槍ーーーー』

 

それは、紅い紅い槍のカタチをしていた。

疑問、不安、恐怖、未知…戦闘に際し律して来た幾多の感情が一斉に頭の中を支配する。全ての感覚が研ぎ澄まされ、時の流れが酷く緩やかに感じられるのに…眼前で滾り出す真紅の魔槍に心を奪われた。私が勝った…賭けに勝ったと思った直後に現れた悪魔の微笑が不気味さを増すのも躊躇わず、レミリアさんの使用したスペルカードの性質から零距離での方位弾幕がベストの解答だと結論付け、即座に実行し成し遂げたたった今ーーーー、

 

『ーーーーーー《スピアザグングニル》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

宙を舞い、だらし無く空中で呆然と空を見上げたのは私の方。懐に入った時には完全に失念していた…彼女の真価は吸血鬼という種族の強さだけでも、冷徹無比な戦術眼だけでも無い。運命を手繰り寄せ、枝別れした未来の可能性から…己が導き出せる至高の結果を掴み取るあの力。

 

『がはッ…!!!』

 

紅の奔流が槍と化し、右手から力の限り投擲された不可避の一撃に、私は場外へ真っ逆さまに堕ちたのだ。漸く…遅れた思考が少しずつ追いついて来る。彼女は私が迫った時、能力による外的要因からの脱却をやってのけた…従って私の波長は数瞬の間のみ吸血鬼の制限に待ったを掛けられ、返す二発目のスペルカードで渾身の魔力を解き放った。眼を閉じても迷い無い攻撃に、余裕綽々の語り口と…単調と思わせてその実油断無い立ち回りが創り出した、レミリアさんにとっての最高のタイミングで、運命という鎖を跳ね退けただろう私を手玉にした。

 

『鈴仙・優曇華院・イナバ、場外! よって、二回戦第二試合の勝者ーーーーレミリア・スカーレット!!』

 

歓声とどよめきが混ぜ合わされた周囲の熱狂と、今も舞台から私を見下ろす吸血鬼の堂々たる姿に…私の挑戦が一先ずの終わりを迎えたと自覚した。

 

『う…うぐっ…! わだし、は……!!』

 

『鈴仙!!』

 

目頭に熱さが込み上げて、私の名を呼んだ姫様の声が、ずっとずっと、試合が終わってもずっと…消えずに残り続ける。声に秘められた悔しさより、健闘を讃えてくれた優しさが伝わって来る度に、私の涙は大粒になって流れ出ていた。

 

『惜しかったわね! みんなあんたの事応援してたわよ!』

 

『よく戦ったぞ! オモイカネの弟子は伊達では無かったな!』

 

『伏兵破れたり、最早この言葉以外に私も表現のしようが御座いません…非常に残念ではありますが結果は結果。敗者は勝者の栄華と眩しさに屈する他無いのです、しかし! 予想をはるかに超える大健闘!! 鈴仙・優曇華院・イナバさん! 永遠亭の機体の星此処にありと我々に知らしめてくれました!! この場に集まった皆さんも賞賛の嵐です!!』

 

敗者に対しても送られる声援は、少しだけ私の悔悟を和らげてくれる。姫様に連れられて控えに戻る途中、何故かコウさんが解説席から私たちの所まで来てくれた。

 

『鈴仙』

 

『コウさん…すみません…私、また半端な所で』

 

『あんたは良くやってくれたじゃない! 私よりよっぽど善戦したんだから、誇りなさいな!』

 

『鈴仙よ…永遠亭で世話になって居た時、私が君に言った事を覚えているか?』

 

コウさんが、私に言った事…勇者の辿る路、一度挫ければ後は無い険しい道のり。それを、今の私に問いかけて来た。

 

『はい…御免なさい。あの時約束したのに、異変の時から変わらずまた負けちゃって』

 

『違う…確かに負けたが、催しとはいえ、充分に気概を示してくれた。ありがとう鈴仙…今の君は私と初めて出逢った頃とは見違える程強くなった、心も力も…やはり君は、私の見込んだ勇者に相違無い』

 

嘘じゃない…このヒトは詰まらない嘘は言わないし、下手な慰めより相手を煽って奮い立たせる性格のヒトだ。だから多分…私は彼の言う勇者とやらになり始めているのかも知れない。でも、

 

『でも、悔しいです…! 次はもっと、もっと…!』

 

『その意気よ! 負けたって終わりじゃ無い。みんなイナバの事を認めてた…私は勝ち負けより、その事実が何より嬉しい』

 

『姫君の意見に私も同意する。頑張ったな、鈴仙』

 

とても暖かい。コレが誰かの為に、自分以外の何かの為に闘った証なのかな…ヒーローなんて柄じゃ無いけど、もし、そんな生き方をこの先も貫けたなら。この悔しさも、悪いものでは無いのかな?







暫く空けて、また書いてを繰り返すと何だか自分の話の構成を忘れそうになります。お恥ずかしい…感想、アドバイス、次はこうしたら?などの批判も全て大歓迎でございます! 頑張ります!
長くなりましたが最後まで読んで下さった方、まことにありがとうございます!


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第六章 七 正念場

おくれまして、ねんねんころりです。
何だかモチベーションが上がり、一気に書き上げました。出来は荒いかと思います。
この物語は気紛れな投稿ペース、勢い任せの文章構成、厨二マインド全開でお送りします。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『あちゃー、最悪の展開だぜ。天子ってのとレミリアが残っちまった…そうだよなぁ、片方は兎も角レミリアは霊夢とタメ張れる位鍛えてるってパチュリー言ってたもんな』

 

二回戦もいよいよ終わりが近づいている。異変解決組で残ったのは私と妖夢の二人だけ、なのに次の対戦カードは自動的に私達で潰し合うのが確定してやがる。決勝で霊夢と当たると思ってたのに、よもや鈴仙が勝つわその鈴仙にレミリアが勝つわ…挙げ句の果てには幽香と萃香が引き分けだぜ?

 

『どうしたの魔理沙? 大丈夫よ、私と貴女のどっちが勝っても先生に損は無いじゃない。これは催しなんだから気軽にやらなきゃ』

 

波乱万丈過ぎて笑えたのは最初だけだ。

ってーか妖夢! お前が言うなお前が! 紫と大勝負して、今は怖い物無しって感じだが…当初のスポーツマンシップじみたノリで取り組んでるのはもう私だけじゃないか!?

 

『はぁ…分かってねえな妖夢』

 

『何がよ?』

 

『あのなぁ? どっちが決勝に行こうが、レミリアと天子が先に戦う保証は無いんだぜ? 下手したら私かお前が決勝行ってもレミリア、天子を相手に二連戦する羽目になるんだよ! お分かり!?』

 

私の悪態に対して、妖夢は朗らかな顔付きに少しだけ神妙なモノを取り戻した。レミリアは能力も相まって敵の間隙を突いたりするのが矢鱈上手い…妖怪としてのスペックも一級品なのに大胆で緻密な戦術を駆使し、人妖問わず必殺の間合と攻撃を駆け引き込みで仕掛けてくる。天子は対極で正面からの防御と突破力に一家言有るらしく、美鈴と至近で鬩ぎ合って痛手こそ受けたが今はもうピンピンしてるって体だ。

 

『そうね、どっちも強敵なのは明らか。幽香さん、萃香さん、霊夢、紫様は私に託してくれたけど…優勝候補筆頭が軒並み消えて霊夢を倒した鈴仙もレミリアさんには勝てなかった。ルールの上でなんて言い訳はもう通じない、今この場に残った強いヒトが勝って、弱い奴が負けるんだよね』

 

急に饒舌になったかと思えば、そんなに思い詰めた様に捲し立てるなよ…私まで不安になるだろ? いや、事実不安だったから妖夢に話したんだけどさ。

 

『でもよ、強さに絶対なんて無いだろ? 勝つ時も有れば負ける時も有る…勝てば嬉しいし負ければ悔しい、生きてりゃ儲けだ、それだけの事さ』

 

『なによ…自分から喋ったのに励ますなんて。ふふ、でもありがとう! お礼ついでに一つだけ訂正させて』

 

『あん?』

 

妖夢は凄い誇らしげに、司会進行の連中が座る一角を指差した。視線は夢見る少女そのもの…いや少女なんだけど、熱烈な眼差しで見た先は幻想郷の出鱈目代表、コウだった。

 

『先生だけは、やっぱり底が知れないよ。週に一度は丸一日稽古を見て貰ってるけれど…まだ一回も一本取れて無いんだ。種としても強く、自分自身の鍛錬も忘れない、非の打ち所が無い生粋の武人て意味なら…師匠よりも断然先生かなって』

 

成る程な…妖夢にとって絶対の強者、尊敬と信奉に近い感情が同居する相手はコウな訳か。私はアイツが手とか足で殴ったり蹴ったりする場面しか見た事無いが、剣を教えるって事は使わずともそのノウハウをちゃんと知ってて妖夢を鍛えてるんだな。

 

『確かに…幻想郷じゃあアイツに勝てる奴は居ないのかもな。まだ全然本気出したこと無いって話だし、妖夢の目標は取り敢えずコウにライバル認定されたいってところか? 幽香とかみたいにさ』

 

『え!? そそそ、そんな自惚れ屋じゃないよ! 未だに指二本で刀身掴まれたり刃も皮一枚切れた事も一度しか無いのに』

 

物騒な話だけどそれ以上に、妖夢の剣を指二本で掴むってなんだよ!? バケモンじゃねえか!? バケモンだったわ!! 馬鹿馬鹿しくなるぜ…そりゃあコウに師事すれば強くもなるわ。取り分け武器や拳を用いて、妖力や魔力を肉体の補助や能力の制御に回して戦う前衛型の奴はコウの教えと相性が良い。

 

『私もパチュリーやフランと修行してるけどさ、確かに強くなれたぜ? でもよ、コウの持ってる強さは…私はちょっとだけ怖いんだ』

 

『怖い…でも、先生は優しいよ?』

 

そうなんだろうが、違うんだ。

アイツは人外の中では一際善良だし、話も通じる。こっちからの頼み事は殆ど断らないし、裏表が無いから楽園で関わったヤツらはみんなコウを信用してる。けどな…それを当たり前に思ってて、いざアイツが姿を消したり、アイツじゃなきゃ手に負えない様な輩が来たらどうすんだよ。そうなる前に、超えてやるのも弟子の務めだろ?

 

『教えを請うのは…いつかそのヒトを超えたいって心の何処かで思うからだ』

 

『魔理沙…』

 

師事したヒトの色んな部分に魅せられて、いつかそのヒトみたいに…そうしてそのヒトを超えて見せて認められたいから。漠然と目指した道の先人に付き従うヤツは居ないって私は思う。どんなに遠くて途轍も無い時間が掛かる分かってても…それでもと願って背中を追い掛ける、そういうモンじゃねえのかな?

 

『私は御免だ…置いて行かれたまま待つのも、自分の限界に打ちひしがれて足を止めるのも』

 

『うん…そうだね、分かるよ。私も、師匠が居なくなった時に同じ事考えた』

 

そっか…こいつも私と似た様な経緯が有るんだな。何年も一緒にいる様に錯覚してたけど、つるみ始めてまだ数ヶ月だから新発見の一つや二つ珍しく無いか。

 

『だからさ! 弟子は弟子なりに、師匠の寝首掻いてやるくらいの気持ちで付いて行った方が張り合いあるだろ! その為にはまず』

 

『あ……うん!』

 

私が翳した右拳に、妖夢は得心が行ったのか同じく右拳を差し出して来る。小突き合う拳骨と共に、私達は高らかに声を上げた。

 

『お前に勝つぜ!!』

 

『魔理沙に勝つよ!!』

 

考えてみれば、春雪異変の時に初めて妖夢と戦った時はコウの邪魔が入っちまった。あの時は異変の根っこが取り除かれてたみたいで不完全燃焼だったが…私と妖夢の戦いは冥界での焼き直しになるんだろうな。二人とも試合をこなしてから大分時間が経ってるし、私は魔力と体力もマックス状態だ。自身ありげな妖夢も実はお互い様らしい。

 

『へへ…私は強いぜ?』

 

『ふふ、負けないから!』

 

『二回戦第三試合ーーーーーー両選手、入場して下さい!』

 

藍の声が境内に響き、私達は二人して舞台へと向かい始める。妖夢、お前は強い…近接では霊夢や咲夜だって寄せ付けない程腕を上げた。けれど私だって黙ってやられる固定砲台ってワケじゃない…今はどっちが強いのか、今度こそ決着つけようぜ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『次の試合は妖夢と魔理沙の対戦か…何方も得意な事が明確な分、己の距離を保てた方が勝つのだが』

 

『そうですわね…剣士と魔法使いならば、距離を取り続ければ魔理沙が有利。しかし妖夢が私と戦った際に見せた弾幕を両断するほどの斬撃から、強行されて一気に追い詰められるのは魔理沙でしょう』

 

二人の戦い方は百八十度違う。対極に位置する故に互いの弱点が明け透けに見え、かと言って悪戯に敵の射程へ踏み入れば圧殺される。生半な方法では王手を掛けられないのは双方同じなのだ。魔理沙には至近距離で肉体を護る魔法障壁や自作の薬品などの迎撃法も存在するが、妖夢の一閃を咄嗟に捌き切るには多くの魔力を消費する。対して妖夢は遠巻きに斬撃を飛ばしても決定打は望めずジリ貧となるものの、接敵する為に一瞬の間断が有れば事足りる。正に一長一短、判断の難しい試合故に両者は正攻法で挑み合い、絶好の機会を見計らって何らかの奇策を打たねばならないと予想される。

 

『両選手入場致しました! 二回戦も大詰め、勝つのは剣か!? 魔法か!? 様々な番狂わせと伏兵揃いだった催しも、漸く上位三名が確定します!! それでは、試合の合図を!!』

 

『いよいよだ…冥界でお前に阻まれた借りを返すぜ!』

 

『いいえ、私が勝つ! 対遠距離での戦略は予習済みよ!』

 

爽やかな舌戦と試合を心待ちにしていたと思われる二人の笑顔。藍が太鼓を打ち鳴らし、二人の思わぬ再戦が幕を開けた。

 

『二回戦第三試合ーーーーーー始め!!』

 

『来いやぁっ!!』

 

『勝負!!』

 

箒に跨り宙に浮いた魔理沙は舞台端目一杯まで距離を取り、妖夢は初手から双刀の構えで双眸をきつく絞る。掛け声は同時…場外になる瀬戸際で上空に陣取った魔理沙を基点に妖夢は俊足を以って側面をなぞる様に駆け出した。

 

『先制は頂きだ!』

 

魔法使いの前面に二門の魔法陣が展開され、星形の弾幕が妖夢との間に所狭しとばら撒かれる。一つ一つは然程大きくは無い…丁度魔理沙の頭一つ分程度の星の雨が放物線を描いて降り注がれた。

 

『半霊!!』

 

可視化された白い宝玉に似た妖夢の半身が彼女の頭上に現れ、簡素な指示にも関わらず立体的な軌道で星形弾幕の幾つかと衝突する。炸裂音を立てて強引に弾幕を相殺しながら、星に埋め尽くされた舞台で半霊が包囲網に隙間を生み出して行く。疾駆する速度を高め、地を這う獣の様相で剣士の双牙が振るわれた。

 

『お返しだ!!』

 

『喰らうかよ! 障壁展開!!』

 

ほぼ同時に横薙ぎにした二刀から霊力を込めた斬撃が飛ばされ、魔理沙は一方を回避しもう一方を障壁で防御する。攻防の間隔はこれまでのどの試合より短く、私の考えていた試合運びに寸分違わぬ総力戦となった。

 

『桜花剣ーーーー《閃々散華》ーーーー!!』

 

妖夢に追随する半霊がスペルカードの宣言と共に楔状の弾幕を放ち、進行を阻まんと滞空する僅かな星形弾を残らず打ち消した。針に糸を通す正確さで爆風の中を被弾せず突き進んだ先に…距離を開けた魔理沙を障壁越しに斬り付ける。

 

『おおおおおおおおッッ!!』

 

『くっ!? 中々に威力があるな…!!』

 

裂帛の気合から放たれた無数の斬撃の嵐が、魔理沙の張った一枚の障壁に連続で打ち据えられる。障壁が剣を弾く反動と衝撃に何とか耐えながら、傍から見れば遮二無二突っ込んで来た妖夢から辛くも逃れた。その刹那、

 

『《燐気斬》ッッ!!』

 

霊力が刀身の延長として繰り出された術技が、真横からすり抜けた魔理沙を障壁ごと叩く。長刀が一寸届かぬ間合で不意打ち気味に決まったソレが、余波を逃し切れなかった魔法使いを舞台の真反対まで強引に押し出して行く。

 

『ぬおおっっ!?!? 小技とは思えない重さだぜ…だけどな、此処からが本番だ!!』

 

箒を決して手離さず、二門の魔法陣を倍の四門に増やして魔理沙が吠える。懐から放り投げたスペルカードを介して魔法陣が煌めき、彼女を取り巻く大型星弾が四つ生成された。

 

『星符ーーーー《エキセントリックアステロイド》!!』

 

『チィッ! 今度のは大きいな!?』

 

数瞬の間を置いて生成された大星弾が不規則な動きで妖夢へと向かい、妖夢の居る面を捉えた波状攻撃として星々が飛来する。苦々しくも笑みを崩さない妖夢は最小限の挙動で一つ目、二つ目と次々に星弾を刀で逸らし始めた。それから半時…魔理沙は妖夢の接近を皮一枚で地上と中空の高低差を維持して同じ様な戦術を敢行し、妖夢は其れ等を鎧袖一触とばかりに打破し続ける。

 

『素晴らしい! 美しく鮮やかな弾幕と、力強く流麗な剣の惜しみ無い応酬です!! これぞ弾幕ごっこ! 泥臭い殴り合いが続きましたが、異変解決組は一味違う!! 熾烈な戦いでも見映えの良さを忘れません!!』

 

『どういう意味だ天狗!!』

 

『引っ込めー!』

 

『気が散って見れねえから黙ってろぉ!!』

 

『あやややや!? 真面目に司会してるのになんでぇ!?』

 

妖怪が膂力に妖気を併用して闘うのは或る意味幻想郷では正常な光景なのだが…曲者揃いの楽園の住民は射命丸の実況から妖怪同士の試合は泥臭いとでも受け取ったのか。逆説的にはスペルカードルールが力ある者達にも良く浸透している証拠だ。さて置き、二人の試合は確かに見応えが有り華やかさも相まって我々を飽きさせない。

 

『そろそろかな』

 

『何だ…はぁ、勢いは此方に有る筈なのに、変だ…』

 

事態は目に見えない所から着々と進み、妖夢の勝ち筋を少なくしている…本人も今の状況にやっと違和感を覚え始めたか。一定の距離から狙い撃ちにし続ければ魔理沙の有利は揺るがない…だのに初撃を返されてからの魔理沙は余裕より焦った素振りや言動が目立った。場外に出される危険を顧みず端側に構え、派手な魅せ球をひけらかして妖夢の反撃を逐一誘う立ち回りに努めている。

 

『はぁ…はぁ…何故、身体が、重い』

 

『どうした? 剣士のくせに、まだ始まって三十分くらいで息が荒いぜ?』

 

結論を先送りにするのは好きでは無い…敢えて例えるなら、妖夢は魔法使いの掌で踊らされている。それも、二人の拮抗した現状では覆せない段階まで。

 

『コウ様、もうお気付きでしょうけれど』

 

『ああ…この勝負、妖夢の勝ちは無くなってしまった』

 

他ならぬ私の口から、教え子の敗北を予見する言葉が紡がれる。神社に集った誰にも聴こえない囀りめいた音量で、私と紫は互いの意見を合致させた。射命丸も、恐らく今戦っている両者よりも熟達した経験を持つ者なら勘付く頃だ。

 

『あちゃー、不味いな』

 

『ふーん。嫌らしい真似するじゃない』

 

何名かの参加者や観客から響めきと驚嘆が発せられる。視線を再び舞台の方へ戻せば、妖夢は呼吸を乱し切って肩を上下に震わせている。

 

『ど、どうして…疲れるには、まだ、早すぎる…!』

 

『いやいや、あんだけ走らせたのにまだ喋れるんだ。遅過ぎる位だぜ…マジで驚いた』

 

魔理沙の呟きに、意味を理解した妖夢の表情が急速に蒼褪めていった。滝の様な汗と、四肢の震え、比喩では無く蒼褪めた剣士の顔面が物語るモノ…それは、

 

『酸欠だと…? 馬鹿な、あの魂魄妖夢が酸欠になるなどと…!』

 

『はぁ…! はぁ…っ! わ、私が、酸欠って…』

 

この場に居る誰かの漏らした驚愕は、妖夢の耳にも例外無く入った。剣士のみならず、凡ゆる武闘家にとって最も忌避すべき現象が彼女を心身まで疲弊させる。我が教え子が酸欠状態に陥ったのは、偏に魔理沙の根気強い持久戦の結果だ。緩急著しい、絶え間無い無呼吸運動と斬撃に霊力を注いで生まれる体力と精神力の磨耗が齎した《酸欠》という状態は…試合開始から愚直に妖夢を駆り立て、その一刀が届く前に退いてを繰り返す。寄せては返す波の如き魔理沙の策に、妖夢は実に一時間近く舞台の端から端まで隈無く引き摺り回された。

 

『いつものお前なら、一時間走ろうが飛ぼうが関係無いんだろうがな。弾幕降りしきる中を、この狭い舞台で急ブレーキと急加速を休まず繰り返してたら話は違う』

 

冷たい物言いに矛盾した、魔理沙の優しげな声音が妖夢の耳朶に届き、誰とも無く息を呑み、己の鼓動が高鳴るのを自覚した。

 

『私は弱っちいからさ…毎日毎日、飽きもせず霊夢も咲夜も紫も誰も彼もーーーー勿論妖夢の事も。どうやって戦って、どうやって勝つかばかり考えて…強くなって、認められたい…一番認めて欲しいヒト達に! それが』

 

魔法陣を六つ、魔理沙の全霊を賭けて展開されただろう魔弾の砲口が妖夢に照準される。

 

『乙女心ってやつだろがぁぁあああッッ!!!』

 

事此処に到り、魔理沙は自ら箒に魔力を伝導させて急降下する。迷わず、一直線に友を目指して。

 

『あっ…がっ……息がーーーー!!』

 

魔理沙の周りに待機する魔法陣の全ては、後方に魔力を噴射する加速装置の役割を果たし…全速力で突貫する魔法使いを一筋の流星へと昇華した。色彩豊かな輝きを鏤めて、煌めく少女は眩さを増す。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《ブレイジングスター》ーーーーーーッッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

轢殺の勢いを持った星の光は、妖夢の身体を撥ね飛ばす直前に翻る。空気の壁を越える轟音と共に、身を捩る仕草から顔を出した箒の穂先が剣士の腹を痛烈に薙ぎ払う。

 

『ぐぁっっ!?!?』

 

その身に再び力は宿らず…しかし断じて離すまいとした二振りの愛刀を握り締めて、私の愛弟子は場外へと弾き出された。

 

『そこまでッッ!! 勝者、霧雨魔理沙ッッ!!!』

 

沈黙が支配する空気の中で…私と紫は視線を重ねて頷き、何方からともなく緩やかな拍手を送る。引き金となった静かなる喝采が数秒と経たず境内に居る者達に伝播して、やがて大きな歓声と賞賛の数々に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『負けちゃった…完璧に、してやられた』

 

私の意識はとてもはっきりとして、言い様の無い悔しさの割に涙も溢れなかった。両手に握った愛刀達が、私の呼吸が整って力を取り戻した感触を伝えてくれる。

 

『認めて欲しいヒト…か』

 

魔理沙の気持ち、痛いほど分かるよ。師匠も先生も、幽々子様も、紫様も…私を見守って来てくれたヒト達に私も認められたい。

 

『立てよ、妖夢!』

 

『魔理沙…?』

 

むくりと身体を起こして、今更になって気が付いた。境内を埋め尽くす暖かな声と地響きにも似た拍手…ソレは全て、私と魔理沙に向けて放たれたモノ。

 

『名勝負だったわね』

 

『いい酒の肴だったぞぉ!』

 

『これで冥界で先送りになった決着も着いたのね。でも、次は負けたらダメよ? 妖夢』

 

此処に集まった皆が、私と魔理沙を讃える言葉ばかりを投げ掛けている。何だろう…負けたけど、まだちょっぴり悔しいけど。

 

『えへへ…凄く、いい気分』

 

『なーに終わった気になってんだ? 私は誰の挑戦でも受けて立つぜ! 再戦がお望みなら、いつでもかかって来な!』

 

相変わらずの減らず口だなあ、でも、ちゃんと分かってる。魔理沙は優しいから…困った時や落ち込んだ時も、誰より先に気付いて声を掛けて来るんだ。

 

『べーっだ! 次は負けないよ!』

 

『言ってろよ! 霊夢もお前も咲夜も、いずれみーんな纏めて相手してぶっ倒してやる!』

 

纏めてとは大きく出過ぎよ! まあ、魔理沙らしいよね。次が有る…私はまだ先へ行けるんだ。護りたいヒト、競い合う仲間、そして。

 

『妖夢、見事な戦いだった…流石は私の教え子だ』

 

先生…これからも御指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します! 私はまだ全然満足してませんから。時を斬るという師匠の教えを胸に、先生と皆が居てくれるなら…どんな敵と合間見えようとも、私は臆さず立ち向かって行ける!!

 

『はい! ありがとうございます!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 比名那居 天子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『凄いね衣玖…誰かに認められるって何気ない事なのに、あんなに輝いてて、尊く視えるモノなんだ』

 

『総領娘様…』

 

羨ましいと感じた…それと同じだけ、ヒトに認められるって難しい事だとも分かった。魔法使いの魔理沙と剣士の妖夢って娘の戦いは、私の心にぽっかりと空いた孔を幾許か埋めていた。闘志が湧いて来るんだ…自分のことでも無いのに、誰かが誰かに受け入れられている風景は、いつだって私の胸を熱くさせる。

 

『私も、そうなりたいって想ってた』

 

『今からでも、遅くはありませんよ』

 

そう、かもね。でも、勇気が足りないんだ…踏ん切りが付かない。自分の臆病さに虫酸が走るよ…こんな気持ちで最後まで残って、あの紅い蝙蝠にも見透かされてた。

 

『自信無いなぁ…また、同じ轍を踏むかもって考えると』

 

『ですが、時間は止まってはくれません。機会を与えられ、総領娘様は其れを受けた…後は、案ずるより産むが易しです』

 

簡単に言ってくれるよ…でも確かにそうだよね。此処に来て、色んなヒト達の試合を見た。どいつもこいつも恥ずかしげも無く熱い部分を語っちゃってさ? 着いて行けないと斜に構えてる私を他所に、そんなの関係無いって風に皆が皆堂々と戦っていて。強い弱いとか譲る譲れないとかを前面に押し出して。

 

『私も…なりたいよ』

 

『はい』

 

『自分を隠さなくても良い、有りの侭の自分に』

 

『ええ…私も、そんな貴女を見てみたいです』

 

本当にこいつは、甘くて厳しい。飴と鞭の使い所を良く知ってる私のお守役で、時々鬱陶しいけど…最高の友達だわ。

 

『えー、真面目な実況に野次を飛ばされてかなーーり不満気な私こと射命丸ですが! 三回戦をこれより始めたいなぁと思います!』

 

『どこが真面目よ』

 

『良いから早く進めろよ』

 

『冷たい!! ちくしょうめぇ!! おっほん!! 参加者の一組が引き分けとなりましたので…先に二回戦を突破されたレミリア・スカーレットさんと比名那居天子さんによる三回戦第一試合を始めたいと思います!! 魔理沙さんは先程試合を終えたばかりなので、済し崩し的にシードとして今しばらくお休み下さい!! では、御二方さっさと入場ぉぉぉ!!』

 

ヤケクソ気味な選手入場の声に、私はノロノロとした足取りで控えから立った。振り返れば衣玖は朗らかな笑みで私を見送り、その何とも言えない気迫に押されて舞台へと上がって行く。眼前には、

 

『良くぞ此処まで残ったな…お前の正念場には、私が立ち合う事になるらしい』

 

紅い悪魔が、鮮血よりも赤い瞳をギラつかせて私を出迎えた。こいつの試合もずっと見ていた…カリスマって言うの? そういう天性のモノを言葉からも滲ませてて、妖怪として生まれ持った資質も高い。だけどそれに奢らず、只管積み上げて来たものを支えにして生きて来たんだと…こいつの戦う背中が示していた。

 

『お前がどんな奴なのか、この私が見極めてやろう』

 

『はん! 出来るもんなら、やってみなさい!』

 

精一杯の啖呵を切って、緋想の剣を戦慄かせてみる。煌々と灯る緋色の光は夕暮れ時の太陽と混じって、場違いにも綺麗だなと思った時にーーーー合図が鳴った。

 

『三回戦第一試合ーーーー始め!!』

 

『ッッ!!』

 

剣を構えて、息を張り詰めて悪魔を睨み付ける。紅い蝙蝠はニヤリと笑って、驚く程素直に私から距離を置いた。硬質な見た目からは想像し難い柔軟な羽搏きで空へ上がり、丁度四十尺ばかりの上空から私を見下げる。

 

『決勝まで取って置こうと思ったのだけれど…生憎私にとっても、お前との戦いは正念場だ』

 

格好付けてベラベラと話し出したレミリアは、己を十字架に見立てた体勢で一層妖気を高めている…隙が無い。あんな巫山戯た構えとも言えない佇まいに、嫌な汗が背筋を伝う。

 

『貴様に見せてやろう…ヴァンパイアが、このレミリア・スカーレットが、何ゆえ夜の支配者と謳われるのかを…ッッ!!』

 

突如として異変が起きた。

少しばかり特別なだけの、何の変哲も無い武具である筈の緋想の剣が、未だ嘗て無かった強い揺れを私に与えた。数秒、たった数秒の出来事だ…剣の震えが強くなる度、レミリアより遥か上の空が曇天から闇夜へと変わって行く。肌で感じている気質よりずっと幼く、華奢に見えた奴の姿は、目を覆いたくなる様な殺気をぶつけてくる。

 

『これは…夜? あんた…!!』

 

ヴァンパイア…吸血鬼の全力。陽の光を厭い、闇に紛れて生き血を啜る夜の化生が、私に対して三日月の様に歪んだ口元を晒していた。

 

『余興には持って来いの隠し芸だろう? 特別に、お前に私の全力を見せてやる』

 

『調子こいてんじゃないわよ…得意げに手品見せる暇が有るなら』

 

牙を剥き出しにしたバケモノが、催しが始まってから初めて本性を現した。翼の生えたちんちくりんに…誰が簡単に負けてやるもんか! 私はまだ何も成していない!! 自分が誰で、何なのか、まだ何も喋って無いんだ!! あんたが邪魔をするって言うのならーーーー!!

 

 

 

 

 

 

『ーーーー征くぞッッ!!!』

 

『ーーーー掛かって来いッッ!!』

 

 

 

 

 







勢いだけが取り柄だったのに、亀更新になったりいきなり投稿してみたり、本当に申し訳ありません。やっと書きたかった部分に近付いて来てそれで(以下言い訳

レミリアと天子の試合ですが、なぜいきなり夜になったかは次回で説明を入れたいと思います。やっつけ独自設定ですので、お目汚しにならないか今から心配しております。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第六章 捌 少女の憧憬

おくれまして、ねんねんころりです。
不定期更新が板に付いて(悪い意味で)きました…書きたいことを纏めたり伸ばしたり捏ねたりするとどうしても速度が遅れてしまいますね。

この物語は稚拙な文章、少年漫画的ご都合展開、場面転換の多さ、厨二マインド全開でお送りいたします。
それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『やあああああああッッ!!』

 

『フン…どうした、御自慢の剣もその程度か?』

 

レミリア嬢と天子の試合が始まってから、既に半時の時間が経過している。夕刻の陽が落ち出す頃…緋色の剣閃と赤色の魔爪が交差を繰り返す事七度目。互いに致命傷こそ負っていないが、頑強さが持ち味の天子と吸血鬼の再生力を有するレミリア嬢では相性の問題は拭えない。時に軽微な弾幕を織り交ぜながら続く中以近距離での鬩ぎ合いは、持久戦を物ともしない吸血鬼が殊更有利だ。再生能力が高い上に種として最も力の高まる夜の発生が拍車をかけ、何度か手足を斬り落とされても傷を負った先から瞬く間に四肢を復元する。

 

『蜥蜴の尻尾みたいに次から次へと…!!』

 

『ならば夜を晴らしてみるが良い! その間に場外へ放り出してやるぞ?』

 

『分かってるから出来ないのよ!!』

 

加えてもう一つ、天子にとって芳しくない要素が有る。戦っている速度域の差だ…決して鈍重ではない筈の天子の挙動一つに対し、レミリア嬢はその間に三度まで蹴りや手刀を用いて追撃して来る。天子は二撃目迄を何とか捌き、返す刀を三撃目に合わせて致命打を与える戦術を取っているが…剣閃の一打が徒手に優る有利を再生能力と手数で帳消しにされている。

 

『闇夜の中で相手の動きを眼で追うには、舞台の四方を囲む薄い灯りだけが頼りだ。立ち位置が目まぐるしく変わる近接に於いて、薄暗がりから伸びて来る爪はさぞ受け辛い事だろう』

 

『天子の反応速度は悪くは有りませんが、頑丈さを武器にする闘法だけにダメージの蓄積も多いでしょう。最小限の労力で迎えようにも相手は一段上の速さ…攻撃は空を切りこそしないものの、活路を開くには当たりが弱い』

 

『現状を打破するには何かしらの対策、しかもレミリアさんが真面に受けざるを得ないカウンターを仕掛けられるかが肝要と言う事ですね!? ここに来てお二人から詳しい解説を頂けると私も胸を撫で下ろす思いです!!』

 

言われてみれば二回戦の試合では解説を殆どしていなかったな。皆の創意工夫を妄りに語るのは気が引けていたのは勿論の事、見入っていたのも有る。

 

『動きが鈍っているぞ? その程度では有るまい、私を殺す気で打ち込んでみろ!!』

 

『勝手な事を…どこぞの蝙蝠が息継ぎも無しで動き回るから、当てにくいったらありゃしない!!』

 

だが、天子も良く喰らい付いている。徹底した待ちの姿勢を強いられる故に己の取るべき行動が明確な為か、舌戦の中でも戦いの緩急を乱さないのは見事だ。

 

『そういえばレミリアさんが何故日暮れ前に夜を顕現出来たのか、お恥ずかしながら私射命丸には分からないのですが…これはいったい?』

 

『その答えはレミリア嬢の魔力と吸血鬼の性質である霧に関係している。今日の昼頃から曇天の日和に変わったからこそ空の隙間を埋める形で霧を生み出し、太陽光を博麗神社周辺に限定して遮断出来たのだ』

 

『紅魔の主が生み出す霧は魔力によって生成され、濃密な霧と淀んだ雲行きという限られた条件が整った今だからこそ全力を振るえているのですわ』

 

どの場面を想定して仕出かす積もりだったかは計れない。試合前に彼女が呟いた正念場というのが到来した為に、今の状況を作れたとも言える。何処までが計算で何処からが博打だったのか…知り得るのは最早レミリア嬢だけだ。

 

『成る程…僅か齢五百余にしてこの所業とは、いやはや紅魔の吸血鬼は予想より遥かに才気豊かなのですねぇ』

 

果たして、そう上手く行ったモノだろうか?

地の利は五分…天の利を失えばレミリア嬢とて天子を押し切るのは難しいと私は考える。事実試合が始まってから優勢な筈の彼女は…未だに天子に致命傷を齎せないでいる。素性の知れぬ天子を敢えて試しているのか、それとも。

 

『我慢強さだけは認めよう…だが、いつまで隠していられる?』

 

『どういう…意味よ!』

 

鍔迫り合う様に爪と剣が押し付けられ、舞台の中心から滞空したままの両者が言葉を交わす。一時間以上もの間、両者一歩も退かず戦況を維持したのは奇跡に近い。

 

『己を語らず、真を告げず、異質な気配とその剣だけがお前の全てで有るが如き戦いぶり。正直に言えば焦れて来た所だ…』

 

『あんたに、関係有るのかしら?』

 

『有るさ…大いに有るとも!! お前は敵か? 又は我等と共に歩むべく現れた新鋭か!? 仮に私を敗ったとしても、それだけでは足りない!! 己の証を立て、他者に認めさせるという事は、自分の立場と生き様を示す事から始まるのだからなッッ!!!』

 

爪が一際硬質さを帯びて、剣を掻き毟る仕草から火花が舞い上がる。空中での戦闘の最中、刹那とはいえ態勢を崩した天子の胸倉に吸血鬼の蹴りが突き刺さった。

 

『がっ…!?』

 

『三度は言わない、お前の正念場は此処だ!! 言ってみろ! 聞かせてみろ! 貴様は一体何者だ!? 何をしにきた!? 比名那居天子ーーーーッッ!!!』

 

今日の催しが行われてから、初めてレミリア嬢が感情のままに言葉を吐き出す。汝は誰ぞ…素性も知れぬ寄る辺無き訪問者は、辛辣な問いを受けても戦意を失わない。舞台端で蹲る身体を震わせて…数秒の後に立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 比名那居 天子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『うっ…くっ…!』

 

剣を杖代わりに、笑う膝を無理やり支えて身を起こした。さっきのはかなり効いた…いやそんな話より、アイツの言葉が朦朧とした意識を逆にハッキリさせた。正念場だと奴は言う…自分を曝け出せない奴に居場所も、寄り添うヒトも在りはしないと。だったらーーーーーーだったら!!

 

『わた…しは、私はーーーー』

 

今しかない。この機を逃せば、私は自分の願いに向かって行けなくなる…退けば自分の想いを踏み躙る事になる。それだけは嫌だ! 叫べ! 叫べ!! 私は!!

 

『私は、比名那居天子!! いと高き天に在わす那居の守り人、総領の血を引く天人だッッ!!』

 

怒号の前に、周囲の人妖の一部が凍り付いた。駆け出した脚は縺れそうになりながら、それでも私の心は堰を切ったように溢れて行く。黙られたって引かれたって構わない…剣を振り翳し、示さなきゃならない!! あの遠回しでお節介な蝙蝠に、私の全てを語って聞かせてやる!!

 

『誇りを失い、嘗て友と呼んだ地上の者達と交わした約束さえ捨てて、唯々諾々と生を浪費する彼奴等から、尚も不良と謗られた半端者。それが私だッッ!!』

 

『では何とする? 存在を疎まれ、同胞からも見限られたお前は如何なる想いで地上へ降りた?』

 

疾駆する身体は、宿した速度に見合わぬ鈍重な感覚を覚えさせる。知ったことか! 走って走って、歯を食い縛って剣を振るい、奴はソレを嬉々として受け止めた。もう隠さなくて良い…そう言いたげな顔で、目の前の悪魔は瞳を微かに潤ませる。血が滲み出る右手を厭いもせずに、奴は私から色々なモノを吐き出させた。

 

『諦めたくないのよ! 地上との繋がりを失いたくない…ずっとずっと、皆の事を空から見てた…! 楽しそうに過ごしてる皆を…ずっと!! だからーーーー!!』

 

レミリアの右手を振り払い、天に高々と剣を掲げる。此処に集まった全てのヒト達に…私の色褪せぬ想いを全力で叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

『私は、地上のみんなと友達になりに来たんだ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

粗方言い終わって、再び境内に静寂が訪れた。何も、聞こえない…そうだよね。天人だもの、幻想郷では例外なく嫌われ者の集まりだ。衣玖…やっぱり、無理だったよ…今更天人と友達になんてムシの良い話…有るわけ無かったんだ。

 

『………』

 

『ちょっと!! あんたなに下向いてるのよ!? 顔をあげなさい!!』

 

『…え?』

 

『バカヤロー! 私はお前が其処のクソ生意気な吸血鬼を倒すのに賭けてんだ!! まだ勝負はついてねえぞ!!』

 

『そうよ! 天人だか何だか知らないけど、アンタが負けたら応援してる方はたまったもんじゃないんだから!』

 

応援? 周りの奴らが次々と私に話しかけてくる…訳わかんない。どうして、催しが始まってから口も訊いてないのが殆どなのに…狼狽えている所でふと視線を正面に向けると、レミリアがくつくつと嫌らしい笑みで此方を見ている。

 

『催しなのだから、参加する奴が多いに越した事ないだろう? お前が気に入らなかったら、此処に来た時に全員でさっさと追い返しているさ。それを、クックッ…! 友達に、ハハハハハ!! 改まってなにを言うかと思えば、フククク、アッハッハッハッハッ!!』

 

『な、なによ!? なにがおかしいってのよ!? わ、私は真剣にーーーー!!』

 

『比名那居天子』

 

『え、な、何なのよ急に真顔で…こ、怖いからやめてよ』

 

獣じみた鋭い犬歯を光らせて笑っていた吸血鬼が、はたと我に返った様に神妙な表情で私を呼んだ。

 

『貴女が悪い奴で無い事くらい、最初の試合に出た後から此処にいる皆が分かっていたよ。咲夜の時も、美鈴の時も…必死になって剣の威力を抑えていただろう? 相手の気質と同化し、弱点を突けるという特性を備えたその剣は、謂わば敵にとっては致死毒に等しい。気質を見誤らぬ様にと注意を払い、態々相手に剣の特性を語って聞かせ、警戒させてから斬り掛かって行った。そんなフェアプレー精神の塊みたいな貴女を…快く迎えない者などこの場には誰一人として居ないのよ』

 

『だって…景品とかは良く分かんなかったけど、楽しそうだったし。誰でも出られる催しだって書いてあったから、戦うって言っても大怪我とかさせたら悪いじゃない…』

 

『まったく何処まで良い子ちゃんなのよ貴女は…本当に不良のレッテルを貼られてたの? 幽香と萃香の試合なんてダメダメの落第点よ、舞台は壊すし勝ち上がりなのに引き分けて欠員出すし』

 

『ちょっと? 萃香は兎も角私にまで駄目出しなんて良い度胸ね?』

 

『おいゴラァ! 同じ鬼に分類されるからって調子乗ってるとぶっ飛ばすぞぉ!?』

 

煽るだけ周囲を煽り倒して、レミリアは先程の鬼気迫る雰囲気から余裕の態度に戻っていた。何だか、私がお子様扱いされてるみたいで凄くモヤモヤする…。

 

『なるほど! いつ天子さんが本気を出すかと思って見てたのに一向に出さないから不思議に思ってました! 相手に配慮して戦うなんて尊敬です!』

 

『うちの早苗の人を見る目は確かだ、早苗が言うなら間違いは無い! 誇って良いぞ天人!』

 

『神奈子、今の発言かなり親バカっていうかバカっぽいからやめな? 私まで恥ずかしくなるから』

 

私の万感の思いを込めた独白は、周囲からの温かい談笑になって返って来た。衣玖の方を見ると…とても満足げに口元を綻ばせて帽子の笠で目元を隠している。もしかして衣玖、泣いてるの? やめてよ…私まで、この空気が自分を中心に作られてるって考えたら、嬉しくて貰い泣きしそうになる。

 

『さて…この場には、貴女と友達になりたい連中は巨万といる。斯く言う私も噂で聞いているだけで天人やら天界やらの事情は、実はよく知らないからそっちの事情はどうでも良いの』

 

レミリアはふわりと宙へまた飛び立ち、夜になった空から得体の知れない霧みたいなモノを自分の体へと収束させていく。程なくして、この試合で私を悩ませていた日暮れ前の夜が終わりを告げた。一刻ほど経って漸く開け放たれた曇天の空は、いつの間にか沈み切る前の夕陽が辺りを染め上げる夕空に変わっている。新しい居場所が欲しくて、仲間が欲しくて色々試して来たけど…勇気を出してこの場で本音を言ったのは正解だったんだ。

 

『吸血鬼なのに、夕陽は平気なの?』

 

『心配無用だ。景色は正しく黄昏時だが、直接私に光が届かなければ問題は無い…さて、そろそろ幕引きと行こう』

 

緩やかな羽搏きで空に浮かぶ蝙蝠は、両手に灯した赤々とした妖力を見せて私に問いかける。

 

『弾幕ごっこは、幻想郷に於ける正式な決闘方法だ。決闘に及ぶお互いがそれぞれスペルカードを宣言し、先にクリーンヒットした方が負けという単純なルール…貴女が私達と友誼を結びたいというのなら、この言葉の意味は分かるでしょう?』

 

宙を漂う彼女は、近距離で戦っていた時とは口調から気配まで何もかもが違った。私を焚き付け、責め立てていた姿から…私に同意を求め、諭す様な、優しさを窺わせる。レミリアの言わんとする事が分からないほど、私は鈍感な積りは無い。

 

『うん…いい加減終わりにしないといけないもんね。分かった…アンタの言う弾幕ごっこってやつに、私も付き合ってあげる』

 

不思議な感覚…美鈴の時のピリピリした空気とか、十六夜って人と試合した時の張り詰めた感じとも違う。適当で、軽やかで…とても、気分が良い。

 

『征くぞーーーー神槍ーーーー』

 

『行くわよーーーー気符ーーーー』

 

身体から迸る魔力、妖力の色は共に赤…朱色がかった風の様な揺れを伴う赤と、紅色の津波に似た赤が私達を表し、お互いの右手に納められる槍と剣の放つ波濤が同時に鋒を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《スピアザグングニル》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーー《天啓気象の剣》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

周囲の気質を集めた剣から撃ち出される波動は、投擲された六尺にも及ぶ長大な真紅の槍と激突した。朱い、赤い、紅い気質の残滓を止めどない花弁の様に散らして行く私とあいつの弾幕ごっこは…霧と風と熱波の果てに、優しくてお節介な吸血鬼を場外へと押し出すに至る。

 

『世話の焼ける新入りさん…ここは一先ず、貴女に勝ちを譲ってあげる』

 

『バーカ…何から何まで、本当にまどろっこしい蝙蝠ねーーーーーーありがとね』

 

『クックックッ…勝者が敗者に礼を言うか。いや、これも一つの友誼のカタチか』

 

吹き飛んで行く彼女との掛け合いも終わって、大の字に仰向けに倒れたレミリアが薄く笑ったのを見届けると…太鼓を鳴らすけたたましい音が木霊する。

 

『レミリア選手、場外! よって勝者ーーーー比名那居天子!!』

 

『決まったぁぁぁぁぁ!! 此処まで着実に勝ち進んで来た紅魔の主が遂に陥落!! 真っ向勝負を制したのは、誰あろう飛び入りで参加した天子選手です!! 拳と拳で、否剣と槍でぶつかり合った名勝負! 友達作りに精を出す健気な天人が、決勝戦へと駒を進めましたぁっっ!!』

 

あの天狗、射命丸だっけ…喧嘩売ってるのかしら!?

人が赤裸々な思いを語ったというのにすぐさまネタとしてかましてくるなんてとんでもないやつだ!?

 

『こんのボケェェェ!! 人情ってもんが分からないのかアホ天狗!! 茶化す暇があったら解説に繋げろやぁ!!』

 

『はいはいそうですよ、どうせ私はボケでアホですよ…で? 解説のお二人から何かご感想はありますかぁ?』

 

射命丸って妖怪…もう完璧に不貞腐れてるじゃないの。全く同情する気になれないのが逆にすごいわ。進行を丸投げされた黒髪の男性と、私に催しを勧めて来た八雲紫が順々に語り出す。

 

『友となる為に此処へ来た、か…ならば私も、天より舞い降りた少女と是非懇意にしたいものだ。取り分け最後の撃ち合いは素晴らしかった…不満など欠片も無い』

 

『一応レミリアのお膳立てが有ったとはいえ…不器用な天人崩れが素直に理由を話したのは予想外でしたわ。ちょっと若さと勢いに任せた独白でしたけれど、見ている方としては充分に楽しめました』

 

八雲紫の引っかかる物言いに私は不満だらけなのだけど。男友達か…へへ、ちょっと憧れてたのよね。バカ話に興じつつお茶飲んだりとか凄く楽しそうじゃない? 異性の友達を作るのも目標の一つだから願ったり叶ったりね。

 

『天子よ』

 

『レミリア…ちゃん?』

 

『ちゃん付けは止せ、レミリアで良い。それはそれとして…天子が挑発に乗ってくれたお陰で、皆は貴女を歓迎するそうよ? これで貴女が催しに出た理由は達成された訳だけど、どうするの?』

 

大してダメージが残っている風も無く、レミリアはのそりと立って此方に話し掛けてきた。戦った後に全く後腐れが無いのも、地上のヒト達特有の持ち味だろうか…それはさて置き、認めて貰えた私はさっきから別の欲望がむくむくと湧いてきていたのだった。

 

『当然、決勝も出るわよ! みんなが応援してくれてるって分かったから、途中で止めるなんて考えられない!』

 

『フフ…そうか。では私も、お前が寂しくて泣きべそかかない様に見守ってやろう』

 

誰が泣きべそなんかかくか! さっきちょっと泣きそうだったけどそうじゃなくて! ひと言余計なのも大概にしなさいよコイツ! まあでも…見守ってるなんて、悪い気はしない。努めて涼しげな笑みで返して舞台を降りる。私を一番最初から見守ってくれていた親友の方へ走って行き、今できる最高の笑顔で声をかけた。

 

『衣玖! 次も頑張るから、応援頼んだわよ!!』

 

『総領娘様……はい! 私がたくさん応援いたしますから、どうか優勝なさって下さいませ!』

 

空は黄昏時の光を湛えて、僅かに翳りを作る霧と雲の隙間から美しい煌めきを降り注がせる。涙で腫れて赤らんだ目元と、艶やかな顔だちから生まれる衣玖の微笑みが、私には何よりのエールに感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『紫』

 

『はいコウ様、なんでしょうか?』

 

隣で静かに茶を啜る彼女に、柔和な笑みで返答される。天人と呼ばれる者共が、幻想郷の地上で暮らす紫達にとって嫌悪の対象である事はいつかの宴会で耳にした。此度の催しで天子が参加し、本人がよもや天人だったなどと…斯様な偶然が有る訳も無い。恐らく紫に端を発する思惑を、各陣営に根回しを済ませた上でのレミリア嬢との一戦だった筈だ。その為には幻想郷の顔とも言える人物を何人か催しに出させる必要があり、試合の結果は兎も角として霊夢、紫、レミリア嬢が障害役として参加したのだろう。となれば誰か一人が天子と当たるまで勝ち抜けば事足りる…裏でどんな経緯が有ったのかは分からないが、天子の視線が幾度か紫を捉えて狼狽していたのは見抜いていた。核心を突くには今を置いて他に無いと考えて、妖怪の賢者に問いを投げる。

 

『上手く行って何よりだ…私は君の思慮深さには度々驚かされる』

 

『本音を言いますと、流れに任せるつもりでいましたの。紅魔の吸血鬼さんが快調でしたから…彼女が残っていれば問題は無いと。その通りになって安心しました』

 

『君と霊夢が退いたのは、八百長の類では無いと分かっている』

 

『イカサマをしては、催しの本筋を損なう恐れがありますから…私だけで試す算段だったなら、最初のくじ引きで操作していました』

 

要はものの序でだったと。しかし不確定要素の多い個性的な参加者が集まる中で、だからこそ選ばれた三者が敗退する可能性も捨て切れなかった。それを無視してまで他の伸び代が有る娘等の成長も促したのだから、流石は楽園の管理者と言う他ない。

 

『尤も…私達が余計な真似をせずとも、地上の者達は天子が現れた時から彼女を受け入れていた。骨折り損とは申しませんが、初めから杞憂だったという事ですわね』

 

『如何だろうな…主催した君達の努力が有ったからこそ、恙無く収められたと私は思う』

 

『うふふ…コウ様にそう仰って頂けると鼻が高いです』

 

無邪気な少女の様に笑う賢者は、初めて出逢った時から何も変わらない。情に篤く、時折打算的でも最良の結果を求めて奔走する…君がそんな人柄だったからこそ、私は今も此処に居られるのだ。

 

『良くやったな、紫』

 

『そ、そうですか? 私頑張りましたか? でしたらずっと撫でて貰って構いません事よ?』

 

私も薄く微笑んで、彼女の美しい髪が蓄えられた頭を優しく撫で付けた。心地好さげに目を細める紫は、恥ずかしさもあって頬を紅潮させている。

 

『『『良いなぁ…』』』

 

『ぐぬぬ…! 私が天子と当たるまで勝ち残ったというのに、何故八雲紫ばかり…! うー!!』

 

『えー…私の横でイチャイチャと桃色の空間を形成しているお二人の所為で批難の視線が突き刺さりますが、いよいよ本日のメインイベントへ取り掛かりたいと思います!!』

 

かくして、決勝へ進んだ霧雨魔理沙と比名那居天子が最後の試合に臨むこととなったが…予想外の二名が勝ち残ったのは間違い無い。河童達の迅速な舞台修復と射命丸の円滑な進行から、宵の口になる頃には二人の出番がやって来た。

 

『東の方、霧雨魔理沙さん! そして西の方、比名那居天子さん! 準備が整いましたので、舞台へお上がり下さい!!』

 

『これで最後か…当たる奴らみんな手強くて参るぜまったく』

 

『その割には用意が良いじゃない? 懐から小瓶やら魔法式の内蔵された小物やら、貴女の試合は見てて面白かったもの』

 

『お! 良い眼してるなあ天人…いや、天子だったな。私は才能ってヤツが並も並らしくてさ? 小細工でも邪道でも取り入れて行かないと、出鱈目な連中ばっかの幻想郷じゃ張り合うのも楽じゃなくてよ』

 

魔理沙と天子の表情は、気負いの無い飄々としたものだ。互いに負ける気は毛頭無いのだろうが、程良い緊張感を除いては然したる感慨も持っていない。片や歴戦の異変解決者、片やこの催しにて心身共に出自の柵や懊悩から解放された万全の天人。何方に軍配が上がるか興味は尽きない。

 

『継続は力だぜ? 皆が天子を認めたのも、これまでにお前が一生懸命頑張ったからだ…後は目一杯楽しむ事だけ考えてりゃいい! それくらいじゃねぇと、私の相手は務まらないぜ!』

 

『自信たっぷりね…気に入ったわ! 私にも応援してくれるヒトが居るって分かったから、負けられない…負けたくない!!』

 

魔法使いは陽炎の様に蠢く魔力を立ち昇らせて、緋想の剣士は右手の愛剣を青白く輝かせて鬨の声を待った。試合の相手が変わる毎に新たな様相を見せる緋想の剣の華々しさと天子の直向きさは、魔理沙には言い知れぬ重圧となる。

 

『私との戦いは弾幕ごっこの巧さ、パワーの強さが基本だ! 手をこまねいてると直ぐに終わっちまうぜ!?』

 

『私なりの弾幕ごっこってのを見せてあげる!』

 

幾多の強敵、友との戦いを経た二人が各々最も手慣れた構えで開始の合図を待つ。これまで全ての試合で審判役を務めた藍も、感慨深さを伴った面持ちで口を開いた。

 

『これが最後か……二人とも健闘を祈る。決勝戦ーーーーーー始めッ!!』

 

魔理沙は箒の持ち手となる棒の上に両足を乗せ、絶妙な平衡感覚で空へ上がった。宙空へ飛翔する魔法使いとは対照的に、地に重心を沈めて脚腰を踏ん張る天子は引き絞った矢の如く剣先を番える。

 

『まずは両選手、相手の動きを測るようにして始まりました。決勝に勝ち残った者同士の独特の緊張感と静かな立ち上がり…これまでの試合で互いに手の内がある程度割れている故の行動でしょうか。流石の私も真面目に実況せざるを得ません』

 

『空気を読んでいて大変結構なことね…確かに、魔理沙の戦闘スタイルは弾幕ごっこをベースとした魔法の行使が最大の特徴。天子はこれまで小弾や剣から放たれる衝撃波程度の技しか使っていないから、弾幕ごっこ寄りの戦いをするなら狭い舞台の上では慎重になるのも無理は無いわね』

 

『天子も飛行するのに問題は無いが…魔理沙の弾幕の豊富さと威力、箒で移動する際の機動力を考慮すると差し込むのは難しいか。しかしーーーー』

 

天子が固有の対空技や弾幕を披露していないという判断材料が、魔理沙の頭を悩ませているのも手伝って膠着するのは避けられない。天子が躙り寄る形で魔理沙の真上を取ろうとすれば、魔理沙は即座に左右上下の距離を調節して一定の間隔を保つ。傍目から見える戦況より、見えない僅かな隙や情報が遥かに重要だ。

 

『異変解決者って呼ばれるだけあって、いざ始まると簡単には詰めさせて貰えないか…それなら』

 

青白く発光した緋想の剣に、天子が何事かを呟いた途端に瞬き始める。彼女が剣をひと薙ぎすると…身体から立ち込めた妖力が次第に形を成して、注連縄付きの岩が八つ出現した。

 

『そいつは、要石か?』

 

『先に仕掛けるから、とくと味わいなさい!!』

 

注連縄の付いた八つの巨岩が、不規則な挙動で空を自在に移動し始める。使用者である天子の思念によって要石の全てが、魔理沙を取り囲む結界じみた様相で展開される。現れた巨岩の変化に対応すべく、白黒装束の流れ星が唸りをあげて動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『上等だ!! 真っ正面から突き崩すぜ!!』

 

『やれるもんならやってみなさい!! そこ等の紛い物の石ころとは、一味も二味も違うわよ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 







天子ちゃん、友達100人出来るかな作戦をリアルに敢行する純粋さが何ともいじらしいキャラクターとなりました。

この物語における天界は、老獪な天人の貴族達が腐敗した社会体制を維持したまま、意味もなく続く慣習や閉鎖的な暮らしに不満を抱く天子が内側から天界を変えようとした…という背景を妄想して緋想天編は始まりました。
総領の娘ゆえ、それなりに立場のある家柄から交渉の機会こそあったものの上手くいかず、緋想天編で彼女の回想から味わった苦々しさを少しだけ感じ取れるようにしております。

補足や入れられなかった裏話で長くなりましたが、最後まで読んでくださった方、誠にありがとうございます!!


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第六章 終 宴終わり、尚も新たに

おくれまして、ねんねんころりです。
長らくお待たせしてすみません。今回は緋想天編に一応の終幕と次回以降の布石を入れつつ、天子対魔理沙の戦いから始まります。

この物語は不定期更新街道まっしぐら、稚拙な文章、厨二マインド全開、場面転換の多さに定評ありでお送りいたします。

それでも待ってくれた方、読んでくださる方はゆっくりしていってね。



♦︎ 霧雨魔理沙 ♦︎

 

 

 

 

 

 

『石自体の強度、飛んでくるスピードも申し分なし…か。下手に魔力や妖力で造られた弾幕よりよっぽど厄介だな』

 

紛い物の石ころとは違う…天子はそう言って巧みに要石を操作して私から制空権を奪おうと仕掛けてきた。緋想の剣を指揮者のタクトの様に軽快に振るって遠隔操作される八つの巨石は、本来の重さを全く感じさせない正に変幻自在の軌道を描いている。箒に魔力を込めて、急制動と急加速、時には旋回やホバリングじみた動きを取り入れて私は天子の包囲網を何とか掻い潜っている状態だ。

 

『要石ーーーー《カナメファンネル》!!』

 

青い陽炎みたいに揺らぐ刀身が更に勢いを増し、天子のスペルカード宣言と共に要石が光を放つ。発光する巨石はジグザグに空を立体的に移動し、石の先端らしき部分から青白い小弾が連続で斉射される。

 

『弾幕そのものは魔法障壁で防げる程度か…』

 

幾ら相手の攻めが苛烈だからといって、此処で焦れば余計に旗色が悪くなるだけだ。奴は強い…これまでの試合で抑えていた剣の特性や弾幕を行使するのに、レミリアとの戦いを経て良い意味で躊躇が無くなっている。何もかも吹っ切れた顔しやがって、そういうツラで向かってくる相手が一番手強いんだ。

 

『最後の試合だから、能力でも何でも使って倒してあげるわ…文字通りの全力よ!』

 

『本気じゃなきゃつまらねえよな…それは同感だぜ!』

 

自分の周りに展開した魔法陣から、魔力を込めた途端無数に繰り出される弾幕が要石の小弾とぶつかり合って相殺される。パターンの読み辛い飛び回る石どもの、私が移動した後の対応をも予測しながら戦況を維持する様は、飛び交う星が弾けて花火にも似た炸光を演出する。

 

『魔理沙さんは舞台の端から端までをよく見ていますね…一見規則性の無いように感じる天子さんの要石の挙動をちゃんと追えています』

 

『弾幕の撃ち合いでは、放ち放たれる互いの弾幕の威力、精度、大きさから効果まで多分な要素を計算して動かなければなりません…魔理沙は観察力に優れた娘ですからこの程度は造作も無いですわ』

 

『だが、小さな負担も積み重なれば後に大過を招くだろう。包囲網を完成させたい天子と、地上と空の高低差を活かして戦いたかった魔理沙では…戦局をより優位にする為に踏まねばならない工程に差が生まれる。要石を破る方策が見つからなければ、追い詰められるのは魔理沙の方だ』

 

司会進行の連中が正確な意見を述べた通り、今の私は虫取り網に追われる羽虫も同然だ。何時迄も天子が緩やかに私の消耗を待ってくれるとは考え難い…加えて天子は矢鱈と頑丈で一発二発の被弾ではビクともしないのは予想がついている。そろそろ、賭けに出る頃合と見るぜ。

 

『何だかんだ持ち堪えるものね…一発も当たらないんだから』

 

『へっ…飛ぶ鳥を檻の中に閉じ込めておいてよく言うぜ!』

 

準備はとうに出来ている。要石の数は依然として八つのままだが、幾ら自在に動かせると言っても狭い範囲で多量の石を同時に動かし続けるのには限界がある。幸いな事に…場外から一方的に弾幕を遠隔操作するのはルール上問題は無くとも、天子の気性がそれを許さない。正々堂々、己の定めた不文律の下に真っ向から対峙する姿勢は素晴らしい…けどな

 

『私は其処に恥ずかしげもなく付け入るぜ!!』

 

一枚のスペルカードを懐から取り出し、封印された効力を解き放つ。一瞬の光を伴って現れた私の反撃の狼煙に、天子は緊張と仮面のように張り付いた無表情で応えた。

 

『星符ーーーー《エスケープベロシティ》!!》

 

天と地に生じる高低差の利を捨てて、私は箒に注いだ魔力を推進力として噴き上げて垂直に落下する。私の背後を追い掛ける要石の群れは、私と地面が近付く程に速度を鈍らせた。

 

『何考えてんのよ…!? そのままじゃ舞台に突っ込んで怪我するわよ!?』

 

天子の動揺を少しばかり誘えたらしいが、目的はそれだけじゃない。地面に激突する寸前、箒の穂先を下に向けて充填した魔力を全力で噴き上げた。推進力として放出された魔力は、与えられた指向性から今度は真上を目指して私を運んで行く。真下から突き上げるように天へ向いた箒の行く先は、私を追って来る八つの要石と向かい合わせになる形で私の視線を真上へと押し上げた。

 

『スピード全開だぜ!!』

 

夜の空へと延びていく軌跡は、私の魔力を使って形成される星型の弾幕と空気抵抗を和らげる障壁が合わさって一つの対空技を完成させる。神社の中心に星をばら撒く光の柱は、体全体に伝わる手応えと周囲への衝撃を轟音と共に要石を跡形なく打ち砕いた。

 

『要石を全て壊した!?』

 

『ふいー…結構負荷がかかるもんだな。ま、これでまた制空権を確保したから良しとするか! さあて、次は何で勝負するんだ?』

 

『全く…折角の術を付与した石が軒並みお釈迦ね。こうなったら、奥の手を一つ解禁しないといけないかしら…!!』

 

青く揺らめく天子の剣が、ぼんやりとした四方の灯りより強く強く輝き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 比名那居 天子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー雨が降る。蒼く瞬き、灰白の淀みを帯びた空を映して』

 

緋想の剣は使用者の気質と周囲の気質を読み取り、自身に付加する性質を持っている。実体と非実体の境が曖昧な特別な金属で鍛えられた刀身は獲得した気質によって色を変え光を放つ。戦いにおいて最も適した気質を使用者が選ぶことが可能で、今は魔理沙の持つ雨…正確には霧雨の属性とそれに関連する術技を使用できる状態にある。

 

『ーーーー時に霧の如く、霞の如く、纏わりつく雲の如く』

 

『夜空に雨雲…か、それが緋想の剣の奥の手ってか?』

 

獲得した気質に合わせた技や術を使うには、強い思念や詠唱による自己暗示と緋想の剣の効力を増幅するのが一番手っ取り早い。断片的な言葉を組み替えて詩の様に歌い上げ、構えた剣先を上空に突き上げた。

 

『滔々と流れ、今ここに汝の抱きし天恵を齎せ!!』

 

最後の一文を言い終えると、幻想郷全体を包み込む程の薄く広がった雨雲が夜空を埋め尽くす。濁った色彩の楽園は、空から降り始めた霧雨で私達の上気した肌を冷やしていった。同時に、右手で掲げた剣の灯した蒼光が目一杯周囲を照らし出す。

 

『待たせたわね……此処からが本当の勝負よ』

 

『ーーーーーー行くぜ』

 

雨曝しの舞台の上で、激しく燃える松明の様に揺らめく青い光の剣を手に、私は身構える魔法使いへ向かって全力で駆けた。あいつは上空から手にした八角形の道具に魔力を込めて、私の進行を阻む星型の弾幕を無数に打ち出す。

 

『無駄よッ! もう貴女の魔法は通じないッッ!!』

 

声を張り上げ、迫る星弾を連続で斬りつける。弾幕に刃が通る手応えより前に、全く同じ気質を纏った剣は弾幕に触れただけで両断し霧散させる。

 

『チィッ!? 違う属性なら…っ!!』

 

『同じ事よ。あんたの気質が変わらない限り、どんな属性だろうが意味なんて無い…生きとし生ける者は生まれながらに持ち得る気質というものが決まってる。あんたが魂ごと別の存在にでもなるって言うなら話は別だけど!』

 

剣の揺らぎは強く、広く、より鋭くなって自身の射程を徐々に伸ばして行く。間髪入れず展開される星型の弾丸を斬る毎に刀身は揺らぎに伴って大きくなるばかりだ。同じ気質の存在に触れる度、詰まりは魔理沙という人間が魔法を撃てば撃つ程、弾幕を断ち切る緋想の剣は威力も範囲も際限なく上昇させる。

 

『悪食な剣だな!! 私の弾幕を切った分だけデカくなりやがる!!』

 

『デカイだけじゃなくて、破壊力も折り紙つきだから覚悟しなさい!!』

 

『ほうほう、天子さんの口から明確に闘志が伝わって参りますね…緋想の剣はこれまでに黄砂の様な黄色または赤い光を宿しているのを我々も確認しております。しかし、現在その刀身に帯びるのは蒼白の光…これもまた気質を読み取ったが故でしょうか?』

 

『恐らく…天子と緋想の剣は戦う相手の気質を纏うだけで無く効力を増幅、減退させる事も可能なのだろう。美鈴戦の時を思い返せば、受けた攻撃または剣が斬ったモノの気質を調整し己の力に変えているといった所か』

 

『あの剣は天界に伝わる特殊な製法で鍛造された代物。そういう武具や道具は不思議なことに使い手を自ら選び、相応しい者にのみ十全な機能を発揮するのですわ。どういった経緯で不良と目された天子がアレを手にしたかは知らないけれど、確かに奥の手と言うだけあります』

 

解説どーも。この場に居る誰もが緋想の剣の持つ特異さを興味深げに見ている…見せていると言っても良い。しかしそうでもしないと、半端な対応をされて大怪我されたら流石の私も困るから声高に喋っているんだ。お陰で魔理沙の表情はこれまでの攻防から飄々とした表情を潜め、強張った視線と真一文字の口角が見事な仏頂面を形成している。

 

『おいおい、舞台の端から端まで届くくらい大きくなりやがって…洒落にしても笑えないぜ』

 

『ソレを楽々避けてるあんたも笑えないわよ? 距離を測って攻めようにも、弾幕が効かないんじゃ仕方ないんだろうけどさ』

 

試合が始まってから暫くして、霧雨の気質を帯びて増幅された力が刀身を変貌させた。伸びたリーチと攻撃力を活かして何度か斬りかかったものの、魔理沙には掠りもしない。天候を維持し続ける間は私が有利だけど…一度使えば妖力も時間経過で消費されるから余裕なんて無い。

 

『お前も段々苦しくなって来たみたいだな? パワーは大したもんだが、スピードが落ちてるぜ?』

 

『…そうね。あんたには力比べの方が有利かなと思ったけど、それだけじゃ足りなかったって事か。ならーーーー』

 

陽炎に似て揺らめく剣が、雨粒を反射して一際輝きを増す。注げるだけの妖力を込めて、魔理沙に向かって大上段に構える。

 

『もうまどろっこしいのは無しよ…!! この一振りに、全身全霊を懸けるッッ!!』

 

空は雲を散り散りに、雨粒は光の粒子に変わり剣へと集約された。空気を震わせる波動を漏れ出させながら、青かった筈の光は再び朱の色に、火柱の如く燃え盛る私の気概を映し出した緋想の剣が完成する。

 

『はは…! 良いぜ、来いよ!! 私も全力で応えてやるッッ!!』

 

私は大上段から振り被り、魔理沙は手にした八角形の道具に有りっ丈の魔力を込め始めた。しとしとと、降り止まぬ雨が互いの繰り出さんとする力の余波に掻き消され…数瞬の後。

 

『魔砲ーーーーーーッッ!!!』

 

『おおおおおおおおおおおおお…ッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《ファイナルマスタースパーク》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーー《全人類の緋想天》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『弾幕、は…!! パワーだぜぇぇぇえええええッッ!!!』

 

『負ける、もんか…!! 堕ちろぉぉおおおおおおッッ!!!』

 

解放された破壊の波は全くの同時だった。

山吹色の極大の閃光と、朱と赤を混ぜ合わせた燃ゆる津波がぶつかり合う。絶えず激突する力と力、それ等の生じさせる衝撃と風が雨を巻き上げ、境内に集まる皆の視線を釘付けにして離さない。

 

『素晴らしい真っ向勝負です!! 小細工なし! 遠慮なし! 後先の考えもまるでなしの正真正銘最後の拮抗ッッ!! この撃ち合いを制した何方かが、此度の催しの優勝者であると確信しております!! どっちも頑張れぇぇぇえええッッ!!』

 

『いけーーー! 魔理沙、あと少しで優勝よーーー!!』

 

『総領娘様!! 頑張って下さい!! 優勝は目の前ですよ!!』

 

『魔理沙も天子もやるじゃない…フフ、決勝に出なかったのは少し勿体無かったかしら?』

 

射命丸の実況にも熱が入り、各々が十人十色の歓声を二人に送っていた。闇夜の無聊を慰める…否、夜だからこそ一層映える二つの輝きが私達を包み込む。朱の波濤と星づく光線が、双方の衝突する極点から美しい残滓を飛散させ神社を豊かな色彩へ誘う。

 

『ぐっ…!? く…へ、へへ…!! こりゃあ勝負見えたな…!!』

 

『…っ! あんた、もう魔力が』

 

異変を感じたのは、鬩ぎ合う技の内の一方が見るからに威力を落としている事から。魔理沙は顔面に尋常では無い脂汗を浮かべ、八卦炉を翳す右手を左手で強引に支えている…加えて天子の表情が一瞬だけ曇り、魔理沙は自嘲とも取れる笑みで応えた。

 

『負けるのは悔しいけどな、敢えて言うぜ……よくやったな! 天子! お前の想いが、私のパワーを凌駕したんだ! さあ、最後の締め括りだ!! 派手に決めてくれ!!』

 

『魔理沙……ありがとう』

 

敗北を目の前に突き付けられ、尚も笑顔で対峙した友を祝福した魔理沙に、天子の目尻から雫が溢れる。誰もが終わりを予感し、事実その通り…勝利を確信した少女の裂帛の気合いが響き渡った。

 

『はぁぁぁあああああああーーーーーーッッ!!!』

 

朱色の光が、天子の雄叫びに呼応して勢いを強めた。抵抗らしい抵抗も起こらず…人間である魔法使いの、魔力切れによって拮抗が崩れていく。曙に似た光の粒が境内を満たし景色さえ塗り潰して数秒後…観客を含めた全員が、舞台の外側で意識を失う魔理沙を見届けた。

 

『試合終了!! 勝者、比名那居天子!!』

 

『はぁ…はぁ…か、勝った…!!』

 

藍の幕引きが静かに木霊し、息も絶え絶えの天子が静かに拳を掲げる。次第に何処からともなく拍手が一つ、二つと上がって行き…勝ち残った天人の少女に惜しみない喝采が届いた。

 

『やったか! いやあ、今となっては予想外過ぎる結末だったが、兎に角おめでとう!!』

 

『まさか新入りが優勝を掻っ攫っていくとはな…見事な戦いぶりだったぞ!!』

 

『おめでとうございます! おめでとうございます!』

 

ある者は賞賛と祝杯を、またある者は傷付き倒れた魔理沙の介抱を、そして司会進行を務める射命丸の言葉が境内の高まり切った空気を更に盛り上げる。

 

『素晴らしい! 賢しい言葉も出ないほどに文句の付けようも無い名勝負! 力と技、知恵と勇気が織り成した催しを勝ち抜いたのは、比名那居天子さんでした!! 私も精一杯の拍手でお祝いしたいと存じます!! 』

 

『魔理沙も良く戦いましたわ。非才なる己を認め、日々精進を積み重ねた彼女の直向きさ、培った経験と技術…どれを取っても天晴れです』

 

『命運を分けたのは、恐らく要石を打ち破る際に使用した技の負担が大きかった事だ。魔力があと僅かばかり残っていれば…天子も危うかっただろう』

 

皆の歓声と我々の感想が一頻り終わると、天子は晴れやかな表情で控えの方へと歩いて行く。近しい友に讃えられ、好敵手達と握手を交わす姿に、私も微笑ましさの絶えぬ想いだ。

 

『む……』

 

『コウ様? どうされましたの?』

 

『いや、何でも無い…少し席を外しても構わないか? 厠へ行きたいのだが』

 

『あ! そ、それでしたら母屋の方に…ごゆっくりどうぞ』

 

『さあさあ!! 催しに参加された皆様は舞台に整列してください! 三位以上の方には件の日程割り振りとちょっとした景品もご用意してますよー!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

暫し母屋まで歩いて、喧騒から離れた距離で建物の陰に隠れた。大事という程では無いにしろ…緩やかに重く鋭くなる痛みが緊張の解れと共に表出する。

 

『グ…ク、ハハハ……我慢のし過ぎは身体に毒というのは、我も例外では無いか』

 

ーーーーーーこの痛みもまた、楽園に在る幸福を前には霞んでしまう。然し乍ら…内に燻る火種が私の張り付けた仮面を崩しかけているのも、皮肉と云う他無い。

 

『もう…半年近くになる』

 

幻想郷に降り立って、それだけの期間を殆ど人型で過ごした。春雪異変の折に一度だけ竜化したものの…本来の姿と力の総量を考えればおいそれとは戻れない。蓋をした瓶の中で無尽蔵に湧き出す水を押さえ付けているに等しい…近々、また何処かで人型を解かねばならなくなる。

 

『痛みすら、我が糧となる…だのに溢れる魔力だけは吐き出さねば減らんとは』

 

負の総体として生まれ落ちて、素性を偽って過ごすのはこれが初めての事。世界の何処に居ても、遍く宇宙で増え続ける負を吸い上げ、生き長らえる性質の何たる不出来な姿か。紫の進言で紅霧異変を経て少しずつ気配と共に負を流出させてはいた…が、大海から一尺分の量を汲み上げているだけでは限界も有る。

 

『幸い、存在の規模が違う故に未だ誰にも気付かれてはいない』

 

『気付いてるわよ、あほんだら』

 

『……霊夢か、如何した?』

 

痛みが激しく、霊夢が意図的に潜めていた気配も一瞬だけ感知出来ずにいた。此処は一先ず誤魔化しておくとしよう。

 

『どうしたじゃないわよ…あんた、どっか悪いの?』

 

『いや、頗る健常だ。力が有り余っているのだから…私もまだまだ若いのかも知れん』

 

『馬鹿たれ…無理して人化を維持するからそうなるのよ。力が弱かったり妖力の切れた妖怪が元の姿に戻るのと違って、あんたは人間大のカタチに無理やり押し込めてんのに』

 

博麗の巫女は伊達では無い…か。同じ魔に属する者ならば気取られ無い機微も、退治する立場の人故に違和感を感じたのだな。

 

『予め皆に言い含めておけば、あんたが竜に戻っても誰も咎めないでしょ? そこまでして何で我慢するのよ?』

 

『私とて…我が身を顧みずに焦がれてしまうモノが有る』

 

楽園に住まうヒトの温もり、心の光、此処で過ごして様々な人妖の輝きを見てきた。私には過ぎた宝だと分かっていても…一度知ってしまえば片時も離れたく無いと願ってしまう。君達の存在が嘗て孤独であったこの心をどれ程癒し、満たしてくれたか。

 

『体より心ってわけね…でも、近いうちに力を使いなさい。勝手に居なくなるなんて許さないから』

 

『ああ…世話を掛けるな』

 

不機嫌そうに鼻を鳴らし、霊夢は背を向けて去って行った。騙し騙し過ごすのも潮時だ…今の私は、霊夢にはさぞ不恰好で滑稽に映ったやも知れない。あと数日の間に、何かしら力を使う理由でも出来れば良いが。

 

『辿り着いた最後の楽園…その行く末を、一秒とて見逃したくは無い』

 

戻ろう…今は催しに臨んだ皆を言祝いでやりたい。どうせ宴会に縺れ込む事は容易に想像が付くので、祝いの席で一人だけ留守にするのも気が引ける。

 

『紫や主だった者には、早めに伝えておくか…』

 

緩やかに踵を返し、喧騒の中へと再び向かい始める。身体を蝕む痛みは晴れず、踏み出す度に身体を支えるのも億劫な程の目眩を感じさせる。構うものか…何れはまた何処かで異変が起こるだろう。その時迄に、ある程度の了承を得ておけば良い。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『あそびに、来てください…古明地こいし……できた!』

 

『こいし? 一体何を書いているの?』

 

『あ! お姉ちゃん! んっとね…これ!』

 

私の部屋に来ていきなり羽付きの筆を手に取ったかと思えば、妹のこいしは熱心に羊皮紙に文字を書きなぐっていた。姉の問い掛けに無邪気に笑う妹に若干の呆れと微笑ましさを覚えて、差し出された紙に書かれた内容を目で追って行く。

 

『招待状…? この地霊殿に誰かを呼びたいの?』

 

『うん! 私たちが気兼ねなく遊ぶなら地上よりこっちに呼んだ方がいいかなって』

 

こいしが出先で出逢い、帽子に宿った気配の主を我が家へ招きたいという。しかし、地底と地上で相互に連絡を取り合うには時折帰ってくる酔っ払いの鬼や定期的に現れる彼女を待たねばならない…そんな事情などこいしは一顧だにせず、お呼ばれして場所へ行った序でにコレを渡すつもりらしい。

 

『明日行った時に渡すんだ! ねえねえ、これでウチに来てくれるかな?』

 

『そうね…誠意をもってお渡しすれば、きっと』

 

果たして、地上に住む者が地底の妖怪から招待されて易々と来てくれるものだろうか…名目上は相互不可侵、不干渉の掟を以って長い時を経た地上と地底、この《旧地獄跡》にイレギュラーな訪問者が来る兆しが生まれたのはいつぶりだっただろう?

 

『えへへ…楽しみだなあ、早く明日にならないかなあ』

 

『そんなにそのヒトと会うのが楽しみなの?』

 

『うん! 今まで誰にも見つからなかったのに、あのヒトはずっと私の事が見えてたんだよ! 弾幕ごっこで少し遊ぼうとしたら、シュバッ! と踏み込んできてね? 私の方が全然見えなかったの!』

 

こいしの能力が通じず、且つこの子が一瞬見失ってしまう程の御仁とは。かなり力の有る妖怪みたいね…帽子に触れただけで色濃く残る闇の気配に加えて、身体能力、探知能力も秀でているなんてどんな種族なのかしら。

 

『それにね! 眼の色がとっても綺麗だったんだ! 鈍色の光が宿ってて、銀色かな? 綺麗過ぎて吸い込まれそうな』

 

『銀、いろ…?』

 

どうして、と思ってしまう。銀色の瞳、黒く暗い闇の力…妹から聞く姿形とはかけ離れている筈なのに既視感を覚える。それは突然、誰かの思考を伝って流れてきた第三者の夢の記憶…遠い世界の果て、現と夢が行き交う頂に座す竜の幻視が、今になって鮮明に蘇った。

 

『きっとあのヒト、人間の姿に化けてるんだよ! 人の皮を被ったナニカ…うーん、なんかよく分からないけどそんな感じ!』

 

『そう…凄い方なのね』

 

本日何度目かの同じ話題を繰り返す。人型に変じられる、得体の知れない存在だと妹は嬉々として語り…私はそれを同じ受け答えで流し聞く。だが不思議なことに、何度聞いても、夢の中で邂逅した《アレ》とこいしの言う《あのヒト》とやらが不気味なくらいに重なって聴こえる。この話題が振られて三度目には予感が疑念に変わり、四度目からは疑念が根拠の無い確信めいた物になっていった。もし私の垣間見た夢が只の偶然で無く、いつか関わる事柄を示唆する予兆の様な現象だったとしたら…なんてロマンティックな妄想が捗る。

 

『こいし』

 

『なあに?』

 

『私もそのヒトに興味が出てきたわ…申し訳ないのだけど、手紙に書き加えて欲しいことがあるの』

 

私の頼みに、妹はパッと表情を明るくして二度三度と頷いた。実際に会ってみないとどんな人物か判断しかねるけど、久し振りに鎌首をもたげた好奇心を抑えられない。その手紙を、誰かに届けて貰うとしよう。

 

『さとりさまー! 失礼しまーす!』

 

姉妹の団欒に分け入るいつもの声に、私は一言どうぞとだけ返して声の主を待つ。勢い良く開け放たれた扉の先から、妙に明るい調子の可愛いペットが現れた。

 

『お燐、今日はとても機嫌が良さそうね?』

 

『はい! 仕事は快調ですし、夕方には帰ってこれるなんて最近はありませんでしたから!』

 

それは良かった。尤も私には彼女が館に帰ってきた時からお燐の思考が丸聞こえだったわけで、本人も私が気づいていつつも反応した事から更に機嫌を良くしていた。

 

『それでですね、ちょっと下町の方に買い物に行っていたんですけど…地上の人里の方まで行かないと手に入らないものが有りまして』

 

『ああ…この前こいしが持って帰ってきたブラシのこと? ふふ、余程気に入ったのね』

 

『それはもう! で、さとり様…』

 

『良いわよ。但し人里に入るまでは猫の姿で行きなさい? 人型のまま地底から這い出て、もし見つかると問題になるから』

 

薄く笑ってお燐…《火焔猫 燐》に言い含めると、彼女は小躍りしながら礼を告げてくる。素直で裏表の無い、緩やかな思考の波はとても心地よい……それにしても、地上ね。

 

『行くのは良いけれど、ついでにお使いを頼まれてくれない?』

 

『勿論ですよ! 何をすれば良いんですか?』

 

『こいし』

 

『うん! はい、コレ!』

 

軽快な足取りでお燐に近寄ったこいしは、新たに内容を書き加えられた羊皮紙を丸めて差し出した。渡された物を繁々と見詰めて、私のペット一号は問いかけてくる。

 

『手紙…というか書状ですか? どちらに?』

 

『これを、地上のとある屋敷へ投函して頂戴』

 

こいしから聞いた話によれば、彼の御仁が暮らす屋敷は地底の入り口と人里の中間に位置しているらしい。簡潔に場所を教えると、お燐は即座に地霊殿から飛び出して行った…小気味好いステップまで踏んでいるのもまた可愛い。

 

『お姉ちゃん、楽しそうだね?』

 

『ええ…日常に起きる変化とは、良くも悪くも刺激を与えてくれる。程々が一番だけどね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 







次回は緋想天編の後日談と、地霊殿編の冒頭を予定しております。本当にだらだらと進んでいますので、次回も気長に待ってやって頂けると幸いです。

長くなりましたが最後まで読んでくださった方、誠にありがとうございます!


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地霊殿編
第七章 壱 地に潜むもの皆、彼を待つ


おくれまして、ねんねんころりです。
今回から七章ということで、六章の後日談の続きと地底の面々の話になります。

この物語は稚拙な文章、変わりばえのしない展開、厨二マインド全開でお送りいたします。
それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『本当にそんな事で良かったのか?』

 

『重要なことですわ。コウ様には些事に拘う時間を極力減らして頂きたいので、御了承くださいな』

 

天子がやって来たその日の内に、催しの主な開催理由である私の屋敷の管理を手伝う陣営を参加した上位三つの陣営から選ぶ最後の取り決めが行われている。一人で過ごす時間が恋しい訳でも無いが…改めて考えると流石に申し訳ない故断ろうかと進言した私の配慮は敢え無く却下された。

 

『先ずは優勝された天子ですが、飛び入りの為貴女には別の景品を用意しました。藍』

 

『はっ…お品は此方になります』

 

瓢箪片手に此方に近寄った藍は、我々と共に出揃ったレミリア嬢、魔理沙、天子、妖夢の中から天子へ向き直り掌から何がしかを手渡した。自分の手に乗せられた代物を不思議そうに見詰めた天子が、伊吹と紫を見据えて問い掛ける。

 

『なにこれ? 鍵…?』

 

『人里の区内に空き家が有りましたから、土地ごと元の管理人に譲って貰いましたの。天界と地上を行き来するのも大変でしょう? 地上との交流を深めたいのであれば、別邸として使うのが効率的だと思うのだけど』

 

要は地上での活動拠点が天子の景品らしい。話によると生活に必要な設備と家財一式は整えてあるから、泊まるには最適だと紫が注釈した。

 

『でも、住処一つ拵えるのもタダじゃ無いんだし…悪いわよ』

 

『この八雲紫にかかればその程度の事は造作も有りません。それに古巣で気が休まらないままなのも可哀想ですから? ええ、別に優しさとかでは無くてよ?』

 

拙い建前を並べ立てて天子に鍵を預ける彼女も、どうやら催しの最中に天子が吐露した心情や決意に感じ入るものがあった様だ。鍵を渡された天子も満更でもないのか、頬を僅かに染めてはにかんでいる。

 

『ふふ…仕方ないから受け取っておく。感謝するわ』

 

『落ち着いたら、此処に集まった者達や人里で出来た友人を招くのも良いだろうな。天子…改めて優勝おめでとう』

 

『ありがと、折角だから貴方の事も近々呼ぶからゆっくりして行きなさい』

 

『有り難く受けよう…そう言えば未だ名乗っていなかったな、私は九皐という。呼び難ければコウとでも呼んでくれ』

 

右手を差し出し、握手を求めると快く彼女は応じてくれる。傍らの妖怪の賢者は残った三者を見比べて順に此度の正式な報酬とやらについて語り出した。

 

『上位に入った魔理沙、妖夢、レミリアには約定通りにコウ様の邸宅管理のサポートをお願いしたいの。辞退する者はいる?』

 

『悪いが私は遠慮しておくぜ、自分の家の片付けもやっとだからな。今日の経験とタダ酒飲めるだけで充分だよ』

 

悪童じみた笑みを浮かべて、魔理沙は我先にと辞退を述べた。フランやパチュリー、アリスと親交が深く面倒見の良い魔理沙だが…日々研究や独自に精進する彼女にしてみれば時間の浪費なのは明白だ。私の屋敷で魔法道具を広げて頭を悩ませる魔法使いの姿も興味は有るものの、口振りからして清掃は不得手と見える…妥当な申し出だな。

 

『他の二人は?』

 

『そうですね…白玉楼でこなしたい仕事がひと段落ついた後なら、少しの間お邪魔しようかと思っています。まだまだ修行を付けて欲しいので』

 

『私の所からは咲夜を向かわせるわ。一日くらい咲夜が居なくても紅魔館の管理は問題無いし、あの娘もそろそろ本格的に鍛え直す時間をあげたいから』

 

妖夢の反応は概ね予想から外れなかった。妖夢が春雪異変以降、私にもっと多くの指導を求めているのは知っている…己の目指す剣の畢竟を望むなら、一日でも多く師の下に居る方が確かに効率が良い。レミリア嬢は十六夜を寄越してくれる理由は、多分に催しの一回戦において咲夜が天子に一方的に負けた事を気にしているのだろう。相性の差こそ有れど、能力を除けば木っ端妖怪より幾らか秀でている程度の戦闘力しか無い十六夜を慮っての采配か。

 

『咲夜には時間停止能力から拡張出来る新たな術技の修得と、妖怪とかち合って生き延びれる位の近接戦闘力は培って欲しい。コウ…頼めるかしら?』

 

成る程…休みを与えると言って紅魔館に置いておけば、十六夜は隠れて飄々とその日の仕事を執り行う。真面目で主人に忠実だからこそ、住処と働き所が同じ場所では息抜きにもならない。果ては仕事の後に稽古まで始めるとなると身体が保たない為、例え半日だけでも私に預けて息抜きをさせたいレミリア嬢の思い遣りが窺える。

 

『承知した。格闘術は良いが、咲夜の能力については纏めた資料なども有ると助かる』

 

『ええ…咲夜とパチュリーで作成させた物を本人に持たせるから、それを見てどう育てるか判断してくれ』

 

『おーい! そろそろ宴会始めるってよー!』

 

今回の催しの処理が粗方片付いた頃…何処かから声が上がり、出向いてくれた皆が持ち寄った酒や料理を広げて夜の大宴会が始まった。ある者は勝者を讃え酒を酌み交わし、またある者は敗北から学んだ教訓を次の糧とするべく個々の陣営で反省会などを開いている。惜しむらくは胸の中で疼く痛みが治まるまでに時間を要したお陰で、私が飲み出した頃には面子の半数が境内で眠りこけてしまった事だ…これはまた片付けを手伝う役回りになるやも知れん。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 伊吹萃香 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

『はあー、久し振りに大量に酒を飲んだよ。暫くは宴会はいいかな』

 

『伊吹様からそんな言葉が出るなんて…明日は槍でも降るんですかね?』

 

『うるせぇやい…ん? あいつは』

 

宴会が終わって、それぞれが解散し射命丸と一緒に幻想郷の上空を飛んでいると…見知った珍しい顔を見つけてしまった。射命丸に先に行ってくれと促し、私はアイツの屋敷の前で鎮座する一匹の猫を見つけた。二又に分かれた尻尾を携え、ゆらゆらと灯る青い炎を侍らせた黒猫は降り立った私を見て固まっている。

 

『よぅ、お前さんが地上に来るなんて珍しいじゃないか。 生憎と此処には死体なんて転がってないぜ? それよりずっとヤバいのは住んでるがな』

 

『……萃香さん』

 

黒猫はか細い返事と共に、青い炎を体から噴き出して化外の姿を現した。黒尽くめの衣服に結われた赤髪を風に靡かせ、夜の中でも光る眼が自身を非人間であると如実に語る。

 

『んで? お前さん何でここに居る? この家は私がアイツにくれてやったモンだ。死体漁りなら他所でやんな』

 

『違うよ! 今日はさとり様にお使いを仰せつかってるんだ。でも家主は居ないみたいだから、書状だけ渡して帰ろうと思ったんだけど…』

 

ああ、こいつが此処で足踏みしてる理由が見えてきたな。いざそのお使いとやらを果たそうとしたものの、家主も居ないのに力の残滓だけが異様に残った屋敷にビビって魅入られてたんだな? そりゃそうか…なんせ屋敷の主人は、

 

『そうかい…なら手に持ってる書状を扉にでも挟んでとっとと帰んな。力の弱い妖怪が長居すると、闇に引きずられちまうよ?』

 

私達の眼前に聳える屋敷は、奴が過ごした影響からか静謐な闇の気配を纏いつつある。不快感は無く、触れるモノを包み込む様な柔らかさを錯覚させる巨大な力…しかしだからこそ、大きな力に引き寄せられる事も多い並の妖怪には格好の餌場だ。この闇を一度身に浴びれば、ほんの一瞬だけ妖怪としての潜在能力を極限まで高められるだろう。それが魂を焼き尽くし食い潰す程の種火であるとも知らず、収まりきらない力を無理に取り込んだ反動で自滅するとしても…弱いが故に惹かれてしまうんだ。

 

『うん…優しいのに、怖いよ。私達みたいな弱小じゃ手に余るなんて生易しいモノじゃない。一体此処に住んでるヒトは何者なんだい?』

 

一人呟いて、扉の端に書状を差し込んだ猫妖怪が問いかける。質問の行き先は私か、若しくはこの場にいない屋敷の持ち主にか…答えられるのは私だけだが。

 

『さてね…紫からははっきりとした話は聞かないけど。一説には神代を生き抜いた妖怪だとか、外から来た無縫の存在だってのが周りの意見かな? 恐らく何人かは奴の正体を知っているみたいだが、頑なに真実は伏せられたままさ』

 

私は、何となく察しがついている方だった。妖怪の側に傾いた力と、対峙した時に感じた無尽蔵の魔力…アレの本性は人型なんかじゃない。もっと禍々しくて、恐ろしい姿の筈なんだ。かと言って種族を特定するには至らないのが謎を深めるわけで。

 

『賢者様が隠すなら、相当に高位の存在なのかもね…さてと! 私はそろそろ帰るよ! 長話に付き合わせてごめんね、萃香さん!』

 

見詰めていた屋敷から視線を外し、《地底》の猫妖怪は再び黒猫の形を成して走り去って行った。にしても何処から湧いて来るのか、屋敷の周りに張り付いて離れない幾多もの気配が一々カンに触る。

 

『全くよぉ…弱いなら弱いなりに自分を磨きゃ良いのに、そのくせ時間を無駄にする半端者が多いんだよね』

 

瓢箪に括った紐を腰に巻き付け、じゃらりと両手の鎖を鳴らして木っ端どもの集まる屋敷の後方に茂る木々の間に目を向ける。放っといても闇に食われて自滅するのが関の山でも、私の建てた家に群がる蝿を野放しにするのは沽券に関わる…いっちょ掃除しとくかな。

 

『私の酔いが覚めるまで、とことん付き合ってくれよ? テメェ等…』

 

地を震わせ、小柄な体躯をバネの如く捻って跳躍した。高々と飛び上がった森林の上空から視認できたのは…屋敷の後ろ側から物欲しげに闇の残滓を求めて集まった有象無象達。妖気をあからさまに解放し、気付いた奴らに向かって叫んだ。

 

『死ぬのが嫌ならとっとと帰りな!! アレはアイツにくれてやった私の力作なんだよ! 文句があんなら私と踊れや、ミジンコどもがァッッ!!』

 

森の入り口目掛けて、妖力で練り上げた弾幕を叩き込む。蹴散らされる木っ端妖怪が飛散する。時間を無駄にするのは勿論、馬鹿どもに態々拘うのも腹が立つが…何より私を倒した奴を軽く見ている不敬な有様が尚のこと気にいらねぇ!!

 

『おらおらぁ!! もっと気合い入れてかかって来いや!!』

 

日付が変わり暗澹たる頃合、アイツの力に誘われて集まった奴らを纏めて駆逐する。ものの十分もかからず、近くに居た低級妖怪を軒並み倒した後には、涼やかな虫の音が響く夜が帰って来ていた。

 

『ったぁく…準備運動にもならないね。幽香とやり合って手負いの私に触れる事すら出来んとは』

 

身体に篭った熱が引いて行くと同時に、先程の連中とは全く無関係で余りにも今更な疑問が頭に浮かんだ。《火焔猫 燐》…旧地獄跡に棲んでいる筈の猫妖怪が、何故コウの家の前に居て、しかも意味深に奴宛ての書状まで持っていたのかと。

 

『あー…これはまた近々何か起こる予兆かな? 地底からってのが余計気になるし、そろそろ同胞にも会っときたいしな』

 

となれば目的地変更だ。泊まって行って下さいと気を配ってくれた射命丸には悪いけど、霊夢や紫にもコウの事を助けてやってくれって頼まれてるし…先に古巣へ戻って下見しておくか。

 

『アイツの話を聞いたら、嘸かし喜ぶんだろうよ…なぁオイ? 《勇儀》』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…ん? おや、もしかして』

 

この感覚には憶えが有る。何処とも知れない世界の向こう側…何も無いからこそ夢と現が行き交う幻影が現れては消える場所。私の《眼》を介して繋がれた誰かのセカイで、アレの息吹を頭上に感じて双眸を上向けた。

 

「またも来たか…能く能く物好きな少女と見える。本来なら一度訪れれば繋がりは絶たれるというのに」

 

やはりというか、間違いようも無いと喩えるべきか。心底度し難いとでも言いたげな口振りで、彼は当たり前の様に…再び相見えた小さな私を見下ろした。

 

『今度は、追い返さないんですか?』

 

「異な事を言う。此処は君の見る泡沫だ…自ら目覚める時が来なければ、突き返す道理も無い」

 

そんな事を言って、前の時は無理矢理目覚めさせたじゃない。それとも…貴方を見て居た堪れなかった私が自分から起きたとでも? この際何方でも構わない。

 

『私は…他者の機微には鋭い方です。生まれつき、そういう風になっているので』

 

「何の話だ?」

 

『でも、貴方は違いました。能力の相性とか、そういうのじゃ無くて…私では、貴方を完全に知覚する事が出来ません』

 

私の能力は、他者の表層意識と深層意識をつぶさに読み取る事が出来る。例外は無かった…望むと望まざるとに関わらず、時には不快を通り越して侮蔑すら覚える感情の波。長らくそういったモノに晒されると、自分の心が壊れない為に色々な方法を思い付く。敢えて思考を読んだ相手の最も忌避する過去、記憶を呼び起こして心を踏み躙る事もあった。けれど…彼からは何も読み取れない。伝わるのは彼の言葉と声音から想像する厄体も無い想像だけ。

 

『私が読めない思考や感情を持つ方が居るなんて、思いもしませんでした』

 

「そうか…君は周囲の存在が何を考えているのかが分かるのか。難儀な力よ」

 

本心だろう。嘘じゃないと、そう思わされる。彼は口調や選ぶ言葉が時折古めかしく意図を探りにくいが…何故かしら? 私は未だ嘗て無いくらい、安心している。

 

『貴方は、私と逢った事がありますか? その…変な質問ですが』

 

「…否、無いな」

 

『そう…ですか』

 

当たり前だ。こんなモノを一度でも見たなら、一生忘れられない事請け合いである。黒い肢体、刺々しく隆起した岩山の如き肩、背鰭、翼…何より四肢を走る銀色に発光する管の様な器官。銀色の眼から光が揺らめく度、蠢動する其れ等の異質さは形容し難い。見た目はこんなにも恐ろしく禍々しいのに、響く言葉と放つ気配は余りにも穏やかだ。だからこそ…安堵と共に根拠の無い未知への好奇心が増長する。

 

「逢った憶えは無い…今はまだ、な」

 

『……え?』

 

「待っているが良い。不思議と、君に良く似た波動を持つ者に心当たりが有る…いつかまた見えるだろう』

 

まさか、まさか…あの娘がコレに出逢っている? やっぱりそうなんだ…夢の中でも鮮明に思い出せる。深淵の奥底を感じた、妹の帽子に残っていた何者かの濃密な力。

 

「さらばだ。特異な眼を持つ小さき少女よ」

 

彼が別れを紡いだ途端、私の意識はいつもの気怠い感覚の中へ投げ出された。鈍い銀の輝きが目を眩ませ、収まった時には…私は隣で寝息を立てる妹を正面から見据えていた。

 

 

 

 

 

 

『何なのよ…今はまだって』

 

独りごちても、答えは何処からも返って来ない。此処は私の私室で、自分の部屋があるというのに大層安らかに眠る妹の呼吸だけが聞こえる。きっとさっき見た夢も、こいしが固く抱き締めた帽子にあった気配の影響だと理解するのに…そう時間は掛からなかった。

 

『んみゅ…おねえ、ちゃん…』

 

愛しい私の妹、古明地こいし。過去、他者の心を読み取る己を厭い、自らの意思で眼を閉ざした優しい子。代償は重く…自身の存在意義を否定したこの娘は、発作的に何処かへふらふらと徘徊し家を空ける。誰にも認識されず、無意識の赴くままに自由に歩き回る少女…とても哀れで、同時に失いたくない私の宝物。この娘を、彼はちゃんと見えていたのだ。翡翠がかった髪、宝石の様に煌めく双眸、幼さの残る整った顔立ち…私でさえ、近くに居なければ感知出来ない稀薄な妹を、夢の中で言葉を交わした彼は現実でも確たる眼差しで捉えていたに違いない。

 

『それなら、姉として私がしてやれることは…』

 

決まっている。いいえ、もう動き出しているんだ…必ずや彼は此処に足を運ぶだろう。どんな姿と面持ちで来るかも分からない…遥かなる虚空を越えた地平から降り立った、私の心を一瞬で掴んだ彼の者が。敬意を払って、丁寧にお迎えしなくてはいけない。

 

『明日…それとも明後日?』

 

今日だけは、とても穏やかな気持ちで朝を迎えられそう。何故かは分からないけれど…今は誰の声も、思考も聞こえてこないから。この優しい暗がりが晴れない内に、意識を埋没させてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

粗野な喧騒と街道の各所で僅かに灯る明かりが、いつもと変わらないあたしの日常だった。右を向けば喧嘩する異形の徒、左を向けばそれに食いつくノリの良い野次馬達…その中に一人だけ、私は切っても切れない腐れ縁の顔を見つけた。

 

『よう、元気してた? ひっく…』

 

瓢箪片手に鎖を引き摺る我が同胞は、赤らんだ酔いどれ顔でいつもの様に笑いかけてきた。

 

『おう、萃香も久しぶりだね? 地上に行ったきりてんで帰って来ないから、あたしの晩酌に付き合ってくれる奴が居なくて寂しかったよ』

 

『よせやい。勇儀に合わせて呑んでたら、大抵の奴らは一時間もしない内にひっくり返るよ』

 

小気味良い笑みに、不釣り合いな双角を生やした古い友人が歩み寄って来る。寂しかったのは嘘じゃないんだがね…何せ半年近く帰ってこなかったんだ。あたしらには瞬き程の時間でも、ガキの頃からつるんでた仲としちゃ長く感じたのさ。

 

『んで? 今日は久々に古巣に帰ってどんな気分だい?』

 

『そりゃあお前ーーーー』

 

瞬間、轟音と烈風を起こして拳が迫って来た。再開の挨拶にいつもと同じ返しをして、相変わらず骨のある拳撃をがっちりと受け止める。ちょいと粗っぽい挨拶だが、お陰で周りの余計な騒音は掻き消えてくれた。

 

『へへ、土産話がいっぱいあるんだ! 今日は二人でとことん呑もうじゃないか!』

 

『嬉しいねえ…あんたのそういうのが聞きたくて、こっちは大人しく待っててやってるんだ』

 

『抜かせよ? 《星熊 勇儀》が大人しいなんざ、鬼が嘘吐くくらいらありえないね』

 

それも別に嘘じゃないんだよな。近頃は派手な喧嘩も無いし、酒飲むにも独りじゃ物足りない。土産話を肴に気心知れた奴と呑むのが一番楽しいんだ。一先ず再開の恒例行事を済ませて、適当な店の中へ入って酒を頼んだ。相変わらずあたしとタメ張れる豪快な飲みっぷりが、ここ半年分の無聊を一気に慰めてくれる。

 

『ぷはぁ…! ふぃー、やっぱ一緒に飲み直すなら勇儀が一番だぁなあ!』

 

『おうおう、嬉しい事言うじゃないか…ほら、早く土産話とやらを聞かせとくれよ!』

 

『いいともさ! 先ずはそうだなぁ、最初っから順を追って行くと、アレは懐かしの妖怪の山の天狗どもの顔拝みに行った時のことでな? ーーーーーー』

 

あたしの旧友、伊吹萃香は地上で起きた出来事を語り始めた。始めはいつもと大差ない内容かと思っていたんだが、

 

『は? 今なんて言った?』

 

『だからさぁ! 負けたんだよ! それもコテンパンにされちまったの!』

 

土産話とは、あの伊吹萃香が自分で吹っ掛けた喧嘩にあわや惨敗したという衝撃の内容だった。もしかしてあたしの耳がイカレちまったのか? でなきゃ萃香が一世一代の大法螺を吹いてるのか? いや、それだけは無いな…こいつはこと勝ち負けに於いては絶対に話を盛ったり作り話なんかしない。萃香は鬼としちゃ珍しく小さい嘘を並べられる変わり者だが、性根は生粋の鬼っ子だ。

 

『でよ? そいつに貰った拳の痛ぇのなんのって、おい、聞いてるのか?』

 

『あ、ああ…聞いてるけどさ。お前が惨敗だって? 嘘とは思っちゃいないがちょっと驚いてね』

 

『うひゃひゃひゃひゃ! だよなぁ!? もう完膚なきまでにボコボコに伸されちまってさ! 参ったよホントに』

 

ヤベェ…ヤベェなそれ。何だよそれよぉ! 凄え楽しそうじゃないかよコイツ!? こそこそ地上に行って何でそんな楽しい体験しちゃってんだおい! 畜生…気になる! 山の四天王が、ボコボコだぜ? そんなの昔の思い出漁ったって片手の指程も出てきやしないのにこのヤロウ!!

 

『いいなぁ!! 最高じゃないかその妖怪! あたしも一緒に行けば良かったなあ!! そしたら戦えたのになあ!!』

 

『…ばーか、何寝惚けてんだよ?』

 

『あん?』

 

萃香は、此れまで見たことが無い下卑た表情であたしを睨め付けていた。何か可笑しな事言ったっけ?

 

『多分、いや! 間違い無い…そいつな、此処に来るよ?』

 

『おい、おいおいおいおい!? マジか? マジなんだな!? 嘘だったらブン殴るからな!? いや嘘じゃないか! うぉおおおおおおお!! 滾る、滾るねぇ! それで其奴はいつ来るんだ!?』

 

あたしの興奮を察して、萃香は更に得意げな顔で盃の酒を嚥下する。勿体ぶってよぉ…早く教えてくれや!

 

『明日か、明後日か…遅くとも今週中には来るね! いや、もし来ないなんて言ったら私が頼み込んで来させる!!』

 

鬼が喧嘩したさに自分から頼むほどだって? 思わず疑っちまうくらい出来すぎた話じゃないか! それから萃香の土産話にあたし達は更に沸き立ち、注がれた酒を一息に流し込んではまた同じ話題に戻る。要約すればこうだ…萃香は山をちいとばかし借りて喧嘩の約束を取り付けた。んで現れたソイツはあろうことか、鬼の萃香と真っ向から殴り合いに興じてくれたらしい。拳脚の一つ一つは稲妻の如き速さ…空気と拳の摩擦が火花を散らし、振るわれる豪腕の威力はあたしのソレに匹敵…いや勝るかも知れないと。武に深く通じ、術理に長け洗練された所作は今までに対峙した凡ゆる英傑も霞んで見えた…って褒め過ぎじゃねえか? そんなん聞かされたら、

 

『ワクワクして眠れないじゃないか!!』

 

『だろう!? だから飲もう! 奴が来るまで呑んだくれよう! 酒の肴はまだまだ持って来てるからね!!』

 

何度驚かされたろう…何度聞き返してまた耳に入る物語を聞き、萃香の味わった興奮と体験を想起したか数え切れない。気付いたら地底の至る場所が静寂に包まれて、店を回している店主の顔色も眠たげなものに変わっていた。

 

『うあー、今日は宵の口からずっと飲んでたなあ。何だか眠くなってきたよ』

 

『はっはっはっ! そりゃあたし等は朝から晩まで呑んでんのが当たり前だからねぇ! 特に萃香は量も多いしな!』

 

店を後にして、変わらず薄い明かりだけが頼りの道行を二人で歩きながら飲み続けている。あたしは左手の盃を、萃香は腰に備えていた瓢箪を口元に当ててまた飲み始める。

 

『けっ! 勇儀だけには説教されたくないよ! 悪いこた言わないから、あんたはアイツに挑む時は素面でやんな!』

 

『さっき来るまで呑み捲ろうって言ってたのは何処のどいつだい?』

 

適当に言いよるわこのちんちくりん。しかし…鬼相手に素面でやれなんて随分慎重な助言をしてくれる。話に聞くだけでも規格外な相手だが、本物はその比じゃないって事か。聞かされた土産話は、手始めに太陽の畑の大妖怪が向かって行ってやられた所から。あの射命丸が必死の形相で山が危ないだのと喚いていたのを見つけ、次は自らそいつを呼び出して負けたらしい。

 

『へへへ…考えただけで血が騒ぐじゃないか』

 

『私も是非再戦したいけどさ、最近は周りに侍ってる奴等が煩くてね。互いに暴れたらタダじゃ済まないから自重しろって言われたよ』

 

ふうん…萃香と付き合いがある妖怪の賢者の諫言か。もうアレだなそいつ、幻想郷の覇権を実質握っちまってんじゃないのか? 揺るぎない強者、人も妖も隔てなく友と呼ぶ度量、何を取っても一級品だ。

 

『よおおおし!! 今日は寝るまで飲むぞ! あたしの家で飲み直すから、ダメになるまでついて来な!』

 

『寝るまで飲んでるのはいつもの事だろ! 私も遠慮なく飲むけどね!』

 

宴は終わらない…きっと始まってもいないんだ。有るのは兆し、血湧き肉踊る闘争の予感。地底で腐っちまう前に早くきてくれよ? 見も知らぬ強敵よ! お前にあたしの拳を叩き込んでやるから、覚悟しな!!

 

 

 

 

 

 




今回は会話メインなので、密度も進行速度もそれなりに書き進められました。
次回から地底と地上で一波乱起こすコウのワンマンプレーが始まりますので、次回以降を気長に待ってやってください。

長くなりましたが最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第七章 弐 上から下へ、約束が為

おくれまして、ねんねんころりです。
今回は地底の太陽が登場します…ちょっとだけですが。

この物語は勢い任せの稚拙な文章、一部ポエミーな表現、厨二マインド全開でお送り致します。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

真昼の日差しから蒸し暑さが拭われだした晩夏の候、交流の深い者達を集めて行われた催しが終わった翌日の話。先日交わされた約定通り、私の元に十六夜と妖夢が訪ねて来た所から始まる。宴会も明けて直ぐにも関わらず、十六夜と妖夢は連れ立って我が家の門を叩いた。と言っても、私は既に庭の前で彼女等を待ち構えていたのだが。

 

『今日から、改めて宜しくお願いします! 先生!』

 

『お嬢様にお休みを頂きまして、毎週この時間から九皐様に御指導して貰う事となりました。私も、己の未熟を恥じるばかりではいられません…宜しくお願い致します』

 

礼儀正しく、銀の髪を備えた可憐な少女達は一礼して頼んでくる。私としても両手に花は大歓迎だ。時は午後一番…昼食もこなれて心身充実した頃合いである。

 

『うむ…して十六夜、早速資料を見せて欲しい』

 

『はい、此方に』

 

パチュリーにも手伝わせると聞いて予想はしていたが、渡された資料は冊子というより宛ら装丁された書物…平たく言えば図鑑を思わせる代物だった。目を通せば、丁寧に十六夜の挿絵付きで彼女の気性から身体能力を数値で表した図表から異能の効力と制限まで事細かに記されている。纏めると、

 

【十六夜 咲夜】

種族:人間 性別:女性 年齢:不明(推定十代半ば)

身長:推定五尺三寸 体重:秘密

彼女は幼少の砌、レミリア・スカーレットの庇護下に置かれ、それより十年近くを紅魔館の使用人として過ごす。性格は真面目で誠実ながら、偶に本人も自覚していない突拍子も無い言動を執る傾向有り。彼女の異能の存在に気付いたのは主人たるレミリア・スカーレット。十六夜が使用人としての勤務中にて不可解な移動方法で館内の清掃を行っている場面に遭遇した。努めて冷静に主人が問い質した所…生まれつき周囲の物体が動かなくなる時があったというのは本人の言。

 

彼女は時間が停止した中でも変わらず勤めを果たそうと仕事を続ける所為か、他者から見れば不意に姿が消える、一瞬にして部屋の隅から隅へ移動している等の報告が幾つか知らされていたという。レミリア自身は眉唾と思ったのも束の間…能力の発覚に伴いパチュリー・ノーレッジとの共同で能力の制御と研究を開始し、程無くして本人に異能を自覚させるに至った。ナイフの扱いはレミリア、護身術は紅 美鈴が勤務外時間に手ずから指導を継続中。ナイフの扱いは眼を見張る物が有るものの、護身術に関しては人並み程度の才覚。

 

といった内容だ。補足によれば、本人は能力を行使しながら長時間の運動は体力を大きく削られるとあり、パチュリーとレミリア嬢の見解では保有魔力と体力、精神力の均衡が崩れる度合によって発動後の反動が増減するらしい。

 

『成る程、大体分かった…十六夜』

 

『はい』

 

『基礎体力に問題は無い。護身術に関しても私が指導しよう…だが、能力についてはもう一度良く見せてくれると有難い。資料では使い過ぎると酷く疲れるとの記述が有るが、一瞬だけでも実演して貰えないか?』

 

十六夜は頷いて、何の所作も交えず彼女が能力を行使するのを知覚した。刹那の間に時間が停止するのはこういった感覚なのか…改めて見ると、中々に興味深い異能だ。

 

『終わりました。お言葉ですが、停止した時間では見るも何も無いのでは?』

 

『先ずは、一つの誤解から解いておこう。十六夜…君の停止能力は確かに凡ゆるモノを含めた時の流れを止められる。しかし、天子やレミリア嬢といった特異な武具や能力を持つ者と対峙すればその限りではない…それは分かるな?』

 

『ええ…先日身を以て実感致しました。私は所詮、便利なチカラを持っている常人に過ぎません』

 

自信を喪失してしまっているのか、今も彼女は俯きながら自己評価をかなり低い所で判断した。これこそ正に、勘違いも甚だしい。

 

『そうでは無い…今の君は、真に己の異能を扱うに至っていないのだ。その使い方では心身の疲弊が最も激しく、荒削りに過ぎると判断した』

 

『先生、具体的にどういう意味でしょうか? 類似する能力を持つ者が近くにいなければ、何を参考にすることも儘なりません。それに』

 

妖夢は気付いたか。私は何も資料に有る事柄だけを捉えて話しているのでは無い…見たからこそ、遠慮無く物申している。咲夜も妖夢の意図に勘付いた様子で、私に対する視線が僅かに訝しいものに変わった。

 

『まさか、九皐様も?』

 

『然り…私もまた、君が時を停止させてから一連の動き(・・・・・・・・・・・・・・)を目で追ったからな。髪をかきあげる仕草まで確り捉えたぞ』

 

言い終えると、咲夜は驚愕と照れが混じった表し難い面持ちで視線を彷徨わせている。妖夢は流石先生です等と言って相槌を打ってくれるが…停止した時の中でありながら付け入る隙が有るというのは由々しき事態だ。

 

『私からすれば…十六夜はまだ制御が甘い。時の流れを一部でも操るという事は、それだけ対象を細かく設定して行使せねば使用者にも綻びが生まれる』

 

『つまり、私の時を止める力の発動自体が不完全だと…?』

 

『妖夢』

 

『はい!』

 

『少し離れて、十六夜に斬り掛かれ。峰打ちで良い…そして踏み込む時は、十六夜が時を止めるという意気を放った瞬間に狙え』

 

二刀の庭師は疑う素振りも無く、紅魔の女給から暫し距離を置いて長刀の鞘に手をかけた。私もまた双方から離れ、再度成り行きを見守る。

 

『ーーーーーー』

 

『………今!!』

 

俊足から繰り出される抜刀。長刀は峰打ちの状態で迷い無く十六夜の首筋目掛けて振り下ろされ、十六夜は堪らず目を瞑っている。

 

『どうして…』

 

『なるほど…一度戦った時は私も気付きませんでしたが、ほんの少しだけ咲夜から透明な揺らぎみたいなモノが視えました! これが時を止める予兆なのですね!』

 

上手く行くかは分からなかったが、妖夢も腕を上げて相手の機微を見分ける力が格段に伸びて来ている。時が静止する直前、十六夜以外の影響される物体全てを即座に止めるのには致命的な間隙が有るのだ。ソレは大気に溶け合うかの如く広がり、数瞬の間を置いて十六夜を除く世界を停滞させる。恐らく発動した異能を起点に距離が遠ければ遠い程…彼女の停止能力は文字通り時を労して幻想郷全土へ拡大していく。

 

『でも…咲夜の能力発動が終わっても、私の動きは一瞬だけ持続していたように思えました。だからこそ首元で剣を寸止めしたのですが』

 

『これが綻び、なのですね? 今までと同じ力を使うだけでは足りない…一体どうしたら』

 

妖夢の眼前で、困り果てた表情で話す十六夜は皆目答えが分からないといった様子だ。預けられた資料の後半部分には…十六夜の時間停止は、本人の疲労度や使用前と後から推察するに体力、魔力、彼女の精神力が発動に必要な一定の値まで消費され、この三要素を触媒にして事象として現れるのではと述べられている。全く素晴らしい洞察だと褒めてやりたいが、生憎と資料を作成したパチュリーはこの場には居ない。

 

『方法は有る』

 

『本当ですか!? でしたら是非、是非お教え下さい!』

 

さて、どう言葉にするか悩ましい問題だ…彼女と親交を持ってから特段精神が脆いのでも無いのは明らか。体力も日々の労働と稽古される内容から充分な水準まで達している。結論としては保持できる魔力を高めてやるのが最適解なのだが。

 

『…一つ、聞かせてくれ。君は人間として生き続け、その生涯を終えるつもりなのか? それとも、何れは主と契約して人ならざる存在に変生する気でいるのか?』

 

『それ、は…』

 

私の問いに彼女は罰が悪そうに身を背けた。両の手を抱く様に重ねる十六夜はどんな答えを出すのか…例え人から外れると答えても、私は勿論レミリア嬢も構わない筈だ。寧ろレミリア嬢の性格からして、従僕にして愛しい家族が己が血と力によって闇の眷属となるのは願ったり叶ったりだろう。

 

『私は…お嬢様に救って頂いた十六夜咲夜は、《人間》です。この身と魂の朽ち果てるまで、人として敬愛する主に付き従うと誓いました。もし私が人間でなくなったら…お嬢様と共に過ごした人としての自分が消えてしまう…それだけは、私には出来ません』

 

『そういうもの、ですか? うむむ…ちょっと難しいです。私にはあまりピンと来ません…』

 

妖夢には、十六夜が人間の在り方を説く内容が難しかったのか…首を傾げて腕を組んで何かしらを考え込んでいる。私とて彼女の言う《人間》というモノの全てを理解している訳では無い。だが、

 

『生を駆け抜けて死しても尚残るモノが有る、か…尊い考え方だ。レミリア嬢も君のそういった部分を認めているから、敢えて誘わないのだろうな』

 

『あ……ありがとう、ございます』

 

十六夜に近寄り、不器用に頭を数度撫でてやる。髪が乱れるのは申し訳無いが…彼女の気高さについ手が伸びてしまった。人は短い生の中で、必ず何処かに己の生きた証を残して去って行く。時に血脈を、時に財産を、時に矜持と生き様を示して…ならば、教える側の私も応えてやらねばなるまい。

 

『分かった…では、君には人として頑張って貰うとしよう。私も何処まで助けてやれるか分からんが、打てる手は未だ残されている』

 

『すみません、私の我儘で』

 

『馬鹿を言え、心に決めた生き方を否定する権利など誰にも無い……任せておけ』

 

『はい!! ありがとうございます!!』

 

ここに来て初めて、十六夜は晴れ晴れとした笑顔を向けてくれた。可能な限りこの健気な従者の意を汲んでやりたい…安心しろ十六夜、此の身は殊《力》という物に関しては一家言有ると自負している。でなくては、我が家に揃った未来ある少女達を鍛えるなど片腹痛いというものだ。

 

『さあ、これより本格的に稽古を始めるぞ…妖夢は先ず私に打ち込んで来い。十六夜には口頭になるが、異能の行使に必要な魔力を一から練り上げる方法を教える』

 

『『はいッ!!』』

 

二人は高らかに声を上げ、妖夢は二刀を引き抜いて構え、十六夜は私と妖夢から遠巻きに佇み私の指示を待つ。今日は妖夢には技の練度を上げさせ、十六夜には現状で保有する魔力の容量を増やして貰う。

 

『妖夢、遠慮は無用だ…首を獲る積もりで剣を振れ。十六夜はまず周囲の雑音が聞こえなくなるまで心を沈めろ、私の指示以外は全て流せ』

 

『はい!』

 

『はああああッッ!! 《弦月斬》!!』

 

そう言えば、昨日夜中に帰宅した時に心当たりの有る人物から書状を貰っていたな。丸みを帯びたいじらしい字面で私を招待する旨の内容と、あの娘の住まいまでの地図を同封して送ってきた。此方からまた別の機会に遊ぼうと誘ったが…まさか招待してくれるとは思わなかった。此方に関しても、夜には必ず出向くとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『………うにゅ』

 

胸の奥底…埋没した意識が辿るのはいつも決まって、よく知らない誰かの記憶。きっと昔の…此処に来る前の自分なんだろうけど、私には全然身に覚えが無い。友達は私がトリ頭だからとか言うが、そういうのとはちょっと違う気がする。普段は難しい事を考えるのは得意じゃないから、思ったものをそのまま自分に問いかけるだけ。

 

ソレはーーーー濡れ羽色の翼を広げて雄大な空を飛ぶ、三本足の不出来なカタチをしたカラスだった。不思議と、今の私と良く似ているなんて感想が浮かんでくる。太陽を背に、轟々と燃える神気を迸らせて私を虚空から見下ろしていた。あなたはダレ? と、声にもならない質問を何度そのカラスにしただろう…裡側に傾けた意識が泥みたいに重く沈むにつれて、裡側に潜んでいながら、この魂の持ち手である筈の私を睥睨する存在。

 

「ワタシはアナタ、アナタはワタシ。翳る太陽の儚さと共に生まれた…ワタシトアナタ」

 

このカラスはいつも同じ言葉を私に返して、背にした山吹色の輝きを一際強く湛えるばかり。生きてきた過去の大半を忘れても、ソレを初めて認識した時の事だけは忘れない。アレはそう…ご主人様の口から、私に大きな大きな力が宿っていると知らされた日。

 

【お空…貴女は神の火、何者も届かぬ天上の光を持って産まれたのよ】

 

自分のことは良く知らない。気付いたら何処かの野原にぐったりと倒れていて…そんな死にかけの私を助けてくれた大切なご主人様が居た。虚ろに見えた瞳の奥から、確かに宿る意思を垣間見せたそのヒトは…胸元に伸びた管に張り付く眼球をぎょろりと動かして、優しく優しく私を抱き上げた。

 

『さとり様…』

 

思い出される在りし日の出来事は、《霊烏路 空》という妖怪が生まれた原初の記憶。名を与えられ、居場所を与えられ、漠然と過ぎる日々で…ある時それがどんなに幸せなものか自覚した時、目尻から熱い涙が頬を伝った。

 

『集中しなきゃ…温度、圧力、排熱量を調整して』

 

でも、ずっとずっと気掛かりだったのは…なんで私達は、暗くて暑苦しい地の底で暮らしているのか。ご主人様に質問した時…さとり様は悲しげに笑うだけで何も教えてくれなかった。何年も一緒に暮らすようになって…お燐が代わりに話してくれた。

 

【ここにいる連中はね…色んな理由で地上に居られなくなった妖怪や、人間に疎まれて追いやられた奴ばっかりなのさ。人間の恐怖や業、時に信心深さから生まれた存在なのに、いざ目の前に出てみたら…呆気なく拒否されて】

 

歯噛みして語る友達の顔には苦痛と、後悔と、憎悪と…それらと同じだけの《憧れ》みたいなものがあった。地上で生きることを許されず、若しくは自分達の意思で空の下から逃げ出した者の最後の砦。それが…私たちの住んでいる地底の正体。

 

『出力安定…確認完了……よし! 今日のおしごとおーわりっ!!』

 

そんな中でも、私たち《地霊殿》の妖怪は特別嫌われているらしい。地上の人間、妖怪だけじゃない…時には同じ場所に住む旧地獄跡の奴らにさえ。私は馬鹿だから…何にも考えないでさとり様にどうして? どうして? と聞いてしまう。その度、

 

【ごめんね…私が覚り妖怪だから。皆怖がってるの…ごめんね、お空…ごめんなさい】

 

頻りに謝るご主人様を慰めたくて…いつからか大きくなった身体で必死に抱き締めてみるけれど、結局さとり様が眠ってしまう迄…大切な恩人の涙は止まらなかった。

 

『さとりさまー! ただいま帰りましたー!!』

 

『お帰りなさい、お空。今日は一段と元気ね…何か嬉しいことでもあったの?』

 

『はい! 今日は夜までさとり様と居られるから、空はとっても嬉しいです!!』

 

さとり様は、私の頭の中なんてお見通しなんだろう。それでも構わない…この蟠る激情も、幸福も…私は全部熱に変えてしまえるから。

 

『そう…いつもありがとうね』

 

『えへへ…! こんなのお安い御用です!』

 

だから…いつかこの熱が溢れてしまったら、どうなってしまうか分からないけれど。多分その時には、もう私の我慢は限界だって事なんだ。だから我慢なんてしない。例えこの身体が燃え尽きても…さとり様にだけは、ずっとずっと笑っていて欲しいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アナタはワタシ。ワタシはワタシ。天地人燃ゆらす…熱く扱い悩む神々の火、未だ起こらず。されど優しき涙は慟哭に、慟哭は恨めしき。恨めしきは憎しみに、憎しみは地を焼く光。光こそは………アナタトワタシ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『へへ…さとり様…』

 

時間にして午後の四時前あたり。私に無防備な後ろを見せて、小さく畳んだ羽をブラシで梳かれるお空の無邪気さに…私は内心喫驚していた。なんて純粋で、優しい子。私に尽くし地霊殿を想う余り、私の能力など一顧だにしないかの様に、心の奥底に仕舞い込んだ憤激を露呈させてしまっている。いつものお空なら、自分の力の大きさに配慮して無意識に思考を読み取れない程深く沈められているのに…今のこの子はそれにすら気付いていない。この子の心から吐き出される信念、決意、優しさ、無自覚な憎悪さえ…全てが真実として私には見えている。

 

『でも…私には』

 

『うにゅ? どうしたの? さとり様』

 

『っ…いいえ、なんでも無いわ』

 

苛烈で裏表の無い気性が、私の《第三の眼》を通して頭の中に流れ込んでくる。だのに…それを焚き付けているだろう存在を知覚しようとすると、途端に繋がった互いの意識が途切れてしまう。況してや私の力では…本気になったお空を止めることなど到底出来ない。今はただ、見守ってあげるしかない。

 

『そういえばお空…近々お客様が来るから、貴女もお燐に呼ばれたら直ぐに来て頂戴ね?』

 

『うう…また妖怪の賢者ってヒト? 私、あの妖怪苦手だなあ…何考えてるかわかんない。顔は笑ってるのに、眼はこっちを値踏みするみたいに動きが無くて』

 

動物的な勘か、覚り妖怪でもないのにこの子は他者の機微に凄く敏感なようで…お燐も例に漏れず危険な輩の気配がすると一目散に地霊殿へ帰ってきたりするのだ。

 

『今回は、八雲紫ではないの。そうね…きっと、とても素敵な方の筈よ』

 

『ほんとう? さとり様が言うなら、大丈夫かな…』

 

大丈夫…何せ能力を使っていたこいしを目で捉え、対面した妹の歪さを前に変わらず接する事の出来る人物だ。私も妹も、顔も知らない相手だけれど…今回だけは確信めいた予感がある。

 

『楽しみにしていてね…きっと大丈夫よ』

 

『はい! さとり様が言うなら間違いないですよね!』

 

お空の翼を整えてやり、お気に入りの外套を羽織らせる。身綺麗になった為か、表層意識からも不穏な思考は薄れている。私にしてあげられるのはこの位だ。妹も、お燐も、お空も良く私の様な不出来な家主に従ってくれている。せめて皆の心の安定だけは保ってやらなくては。

 

『さ、私も仕事が残ってるから少し離れていてね。直ぐに終わるから…それまでお燐と一緒に御夕飯の支度を手伝ってあげて?』

 

『はーい!』

 

お空は無垢な応対にそぐわないバタバタとした挙動で、私の部屋を出て行く。今日の献立は何だろうと考えつつ、下町に引いた温泉の温度管理に使った炉の材料費やらを纏めた請求書の山に手をつけていく。すると…

 

『お姉ちゃん! 今日はね、お夕飯は焼き魚なんだって! さっき台所にお空とお燐がいてね? 珍しく地上から魚が出回ってたみたいなの! それでね?』

 

『待ちなさい、こいし。そんなに一気に捲し立てられても分からないわ…もう少しだけゆっくり話して』

 

私に諌められて、妹は唇を尖らせて詰まらなそうに部屋のソファに腰掛けた。妹の思考は全く読み取れないが、今日は何だか不機嫌そうというか…無理をして元気に振舞っている気がする。

 

『どうしたの、こいし? お姉ちゃんに話してみなさい』

 

『だって…お手紙書いたのに、来ないんだもん』

 

ああ…彼がいつ来るのか気になって仕方ないのね。それは仕様がないことだ。書状をお燐に届けさせたのは昨日の今日で、訪ねる側にも予定というものがある…都合が悪ければ明日か、明後日か。もっと時間が空くかも知れないのは当然だ。

 

『きっと直ぐに来るから、もう少しだけ待ちましょう』

 

『そうかな? 来るかな? でも、約束したもんね…うん! 大人しく待ってる!』

 

素直で気分屋なこいしは、優しく諭せば大概は聞き分けてくれるのは有り難い。妹を宥め続けるには、私も仕事を早くひと段落つけるのが効率が良い…暫く妹には我慢させておこう。

 

『……』

 

『ふんふーん…ふふーん…あれ?』

 

二時間もしないうちに、こいしはいつの間にか広げていた画用紙と色鉛筆を放り出してソファから立ち上がった。何事かと思って彼女を見ると、壁を隔てた向こう側…とある一点を見詰めている。感覚を引き絞る様に鋭く…風を受け流す凪に似た静けさで、外の方に意識を向けていた。

 

『今度はどうしたの?』

 

『ーーーーーーーーーーくる』

 

『え?』

 

妹が短く応えてきた刹那。

ソレは何の前触れも無く到来した…地底を遍く埋め尽くす、雄々しくも強大な闇の気配。書類仕事の為に握っていた筆が指から零れ落ち、自分の手が震えているのを漸く理解する。来た…来た…! コレだ! 私の心を瞬く間に昂らせる、爪先から天辺までもを支配する無尽蔵な気質の流れ…!! 《彼》のチカラを、こんなに近くに感じる…っ!!

 

『私行くね!』

 

『こいし…! 待ちなさい…っ!!』

 

制止も空しく、妹は部屋を飛び出し彼の居る場所へ駆けて行く。私も行かなくては…! でも、此処を離れたらお空とお燐が、

 

『『さとり様!!』』

 

妹と入れ違いに、前掛けを付けたままのお燐と翼を戦慄かせて警戒するお空が来てくれた。安堵が身体の緊張を少しだけ和らげ、私は何とか平静を取り戻す。

 

『…二人とも、動いては駄目よ。今は、こいしが先に向かっているから』

 

『こいし様が!?』

 

『私達は行かなくて良いんですか!? こんな気配を持ってる奴なんて絶対ヤバいですよ!?』

 

『これは命令よ。絶対に先走っては駄目…彼は敵じゃない、歴としたお客様なの』

 

『お、お客さん…さっきの話の? この気配のヒトが?』

 

『一体…どうして地霊殿にお客人なんて』

 

嘗てこれ程、この子達に対して強い口調で話した事は無かった。焦ってはいけない…私が焦ればこの子達は私を護ろうと躍起になって出て行くだろう。そうなれば地底の被害がどれだけのものになるか予想もつかない。しかも、

 

『もう…彼は既に手荒い歓迎を受けている』

 

『だ、誰にです…?』

 

強靭な思考の波が、私に教えてくれる…頭の中で声と同時に文字が浮かんで来る程の強い個我を持つ者。

 

『ーーーー鬼よ』

 

部屋に雪崩れ込んで来た二人は、私の導き出した答えに息を呑んだ。私達の知る鬼とは、旧地獄跡に住まう人外の中で最も強固な勢力圏をたった一人で維持する彼女のことだ。膂力の高さは言うに及ばず、持ち得る妖力も幻想郷では指折りの滅茶苦茶な妖怪…だけど、

 

『大丈夫…安心しなさい。彼なら心配無いわ』

 

『心配無いって…鬼は鬼でもあの《勇儀》さんですよ!? 普段は大らかで気前が良くても、喧嘩となったら話は別です! お客人が殺されちゃいますよ!?』

 

『いや、でもお燐……この力は』

 

それだけは無い。予感とか推測とか、そんなあやふやなモノじゃ断じて無い…未だ興奮が抜けないからか二人も気配を分析仕切れないでいる。果ての無い暗がり、この世の負という負を綯交ぜにしたかの如き圧倒的な質量と密度の闇。然し乍ら、放たれる闇の気配に不快感は無く、有るのは質量相応の重圧だけで他には何も感じない。だから大丈夫…彼は私達の敵でも無ければ、地獄跡の下町で酒に耽溺するだけの鬼に負ける訳も無い。不安なのはーーーー、

 

『この気配に当てられて、もう片方の鬼がどう動くのか…』

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

妖夢と十六夜の稽古を終えた直後、私は日も沈み切った時間に改めて書状の中身を確かめた。繰り返し読んだ文章に思わず口元が緩んだ。永琳に永遠亭への招待状を貰った時にも感じたが、誰かから請われて呼び出されるのは悪い気分ではない。同封された地図を眺めて、閉じた瞼の裏に目的地を想起する…座標は速やかに特定でき、慣れた動作で眼前に展開した黒い孔の中へと身を投じた。

 

『此処が、地底か』

 

視界に映るのは、光の届かぬ広大な穴倉に乱立する古びた建物と薄明かりの立ち並ぶ街道。差し詰め下町とも呼ぶべき場所を観察しながら、緩やかな足取りで示された地点へと歩き始める。

 

『暑い所だ』

 

天蓋に立ち込める排煙、地熱の滑りと町々に上がる喧騒が淀んだ空気に赴きを与える。今時期が夏でなく秋冬だったなら、是非とも春まで厄介になりたいと感じる私はやはり変わり者だな。御世辞にも尋常な生物が棲める環境ではないのに、此の身に限っては問題にもならない。

 

『見ない顔ね…新入り?』

 

『ん? あれれ? アンタどっから来たんだい?』

 

地図を確認しながら進んだ先で、川の流れを跨ぐ桟橋を発見した。其処に佇む二つの影に声を掛けられて立ち止まる。私を呼び止めたのは、一人は鈍めに光る金糸の髪と碧眼の異人めいた見て呉れの少女…もう一方は膨よかな土気色の衣服を纏うこれまた金髪の女性であった。

 

『上からだ…今日は知人に呼ばれていてな。差し支え無ければ道を尋ねたい』

 

地図を見せつけ、二人の少女に道を聞く。両者は顔を見合わせて言葉ではなく指差した方向で以って質問に答えた。

 

『気をつけなさい…此処は旧地獄跡。妬ましい程強い妖怪がわんさかいるから』

 

『お兄さんも相当にやるみたいだけどね…ま、死なない様に頑張ってね』

 

『忝ない…精々気を付けておくとしよう』

 

短い応酬を経て、桟橋を渡って歩を進めること数分…下町の入り口にて立ち尽くした。眼窩の街並みは最初に立った場所からは想像だにしなかった活力に溢れ、僅かに香る硫黄と酒気…加えて所々を歩く異形の住民が異質さを極めている。

 

『………』

 

視線を泳がせて道の脇を静かに通る。桟橋に居た二人を除いて真っ当な人型を保った人外は物珍しいのか…行き過ぎる住民達の視線が背後から突き刺さる。

 

『いや、単に見慣れぬ顔に警戒しているだけか』

 

独り言を述べた直後、同じく街道の脇を通りがかった大仰な体躯の妖と肩がぶつかってしまった。

 

『失礼した…怪我などはしていないだろうか?』

 

『あぁん? ひっく…ケガ? アンちゃん今ケガしてねぇかって言ったのかい?』

 

藪蛇を突いたらしい。注視すれば怪我とは明らかに無縁そうな発達した肉体を備えている…剥き出しの乱杭歯が荒々しさを際立たせ、其れを誇るように大股で振り返り私を見下ろす八尺近い体躯の妖、見た目に違わぬ粗暴な口調で返してきた。

 

『済まないな、余所見をしていたのは此方の落ち度だ。どうか許されよ』

 

『テメェ…オレをおちょくってんのか!? 古ぼけた喋り方しやがって、このーーーー』

 

双眸に猛獣じみた危険な光が灯る異形は、丸太の如き太さの腕を振り上げた。如何やら逆上させた様で…周囲を歩いていた者達の驚愕も憚らず掲げられた腕が私目掛けて振り下ろされる。

 

『ダボがァッッ!!』

 

暴、という風切り音を伴って振るわれた拳槌が頭蓋に当たる直前…身体に閉じ込めていた奔流を少量だけ解放する。加減を間違えてしまった…街を覆い兼ねない程出てしまったソレを間近で浴びて、異形の拳は直ぐさま押し止められた。私が見上げた立派な体躯の異形は、膝を震わせてその場で崩折れる。気を失ったらしい。

 

『うむ、少しやり過ぎたか。済まぬな…私の不注意であったのに』

 

力無く地に膝を着く異形を肩から担ぎ上げて、適当な建物の壁際に寄り掛からせると…またも背後から私を呼ぶ声が響いた。

 

『ーーーー見つけた…!!』

 

『………君は誰だ?』

 

今度の声の主は、壁に凭れた先程の異形とは瞭然に違った。豪奢な下駄を鳴らし、機能性に優れた上半身を白無地の服で隠した女の姿…取り分け目を惹くのは、左手に備えた朱色の盃と温い風に靡く細やかな長髪。闘志を漲らせた瞳と、喜悦に歪んだ口角。そして、

 

『あたしは、アンタを待っていたんだ…ッ!』

 

私を見知った風に嘯く彼女は、顔立ちが地底で見た者達の中では一番美しかった。美しさと剛健さを併せ持つ立ち居振る舞い…其れ等を更に誇張して止まない膨大な妖力。額に反り立つ、鬼を思わせる猛々しい一本角…それが、私の見得る彼女の全てだ。

 

『あたしと戦えッッ!! 姓は《星熊》、名は《勇儀》!! 鬼の誇りと意地を賭けて、正々堂々アンタに決闘を申し込むッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 






遂に鬼の片割れがコウに挑戦する展開となりました。
伊吹さん何処いったんやという方、次回をお待ちくださいませ。それにしてもこのジジィ、モブ相手にはいっつも加減間違えてるな…

改めまして
最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第七章 参 鬼から挑む喧嘩

遅れまして、ねんねんころりです。
戦闘描写が入るとどうしても更新に手間取ってしまいます…7日も空いてしまい、いつもながら申し訳ありません(汗)

この物語はバラバラな更新間隔、稚拙な文章、能力の独自解釈、厨二マインド全開でお送りしています。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 星熊 勇儀 ♦︎

 

 

 

 

 

 

あたしの待ち焦がれていた相手は、萃香の言った通り此処に現れてくれた。遠くから見据えた下町の街道…奴は道の脇を静かに歩いている。町から遠く離れた、地底の端っこから見ていても一眼でバレバレだ。話に聞いた見慣れぬ人型の男、鈍く輝く銀色の双眸、そして巧妙に隠した只ならぬ気配。特に惹かれるのが気配の方だ、もう堪らない…探ろうとする程に底の視えない極上の闇。こんなのが現実に居るのかと考えるだけで身体中から震えが止まらない。

 

『ハハ…ハハハハハッッ!!!』

 

あたしは鬼だ…昔から喧嘩に明け暮れていたら、いつの日からか鬼の四天王とまで呼ばれちまっていた女だ。なのに、嘗て無かった興奮に武者震いと下世話な笑いまで出てくる始末。生まれて此の方、本気の喧嘩じゃあただの一度も負け知らず…萃香や他の四天王相手でも幾度か引き分けたのが精々。

 

それがなんだ!? アレを見ろ!!

アレに絡んだ輩が、例え彼我の力量も分からないゴミカスみたいな奴とはいえ…男が気配を放っただけで地底の隅から隅まで空気がガラリと変わっちまった。旧地獄跡を隈なく伝播した銀の波動…恐らくアイツは何にも特別な事はしちゃいない。睨んだだけ、気配を少しばかり表に出しただけ鳥肌が止まらない!!

 

『行くぜ、行くぜ行くぜ行くぜッ!! 今すぐそっちに行くからなァッッ!?』

 

奇声とも取れる声明と同時に、両足が力一杯地面を抉り取って飛び跳ねる。一息に町の入り口に跳躍し、下駄を態とらしく鳴らして男の背後に陣取った。

 

『ーーーー見つけた…!!』

 

『………君は誰だ?』

 

何だろう、自分で何を言ってるか分からない。喜びと焦りと昂りがグチャグチャに掻き混ぜられて頭がおかしくなりそうだ。

 

『あたしは、アンタを待っていたんだ…ッ!』

 

そうだよ…!! アンタの存在を知ってから一日足らずだってのに、千秋の思いで待ち焦がれていた!! あたしの事なんて全く知らないんだろうが…こちとら昨日から萃香のにやけ面と、負けた癖に無駄に誇らしそうな物言いにすっかり火が付いちまってる!!

 

『あたしと戦えッッ!! 姓は《星熊》、名は《勇儀》!! 鬼の誇りと意地を賭けて、正々堂々アンタに決闘を申し込むッッ!!』

 

早く闘ろう! 直ぐ戦ろう!! 拳から血が出るくらい力んで力んで力み切った絶頂寸前のこの気持ちを、余さずぶつけさせてくれ!!

 

『……良かろう』

 

『ガァァァアアアアアアアアアッッッ!!!!』

 

その言葉を聞いた瞬間、あたしは我慢出来ずに飛びかかっていた。雄叫びを上げ、地揺れを起こして踏み抜いた足から腰へ、腰から肩にかけて集約された捻れが拳に宿って破壊力に昇華する。大きく振り被って、渾身の初撃を見舞うなんて何時ぶりの経験か、あたしの拳を喰らえ!! 喰らって尚殴り返してこい!! ーーーーーーと、思った矢先。

 

『焦るな、鬼の麗女よ』

 

衝撃が巻き起こり、手応えはより確かに。裂帛の気合で放った拳は寸分の狂い無く男の顔面を捉えた筈だった…筈だったのに。

 

『ーーーーーーは?』

 

『良い拳だ…猛々しく鋭い、重い一撃だった。だが…』

 

あたしの拳は、何も不思議な事など無いと言わんばかりに…顔の前に差し挟まれた男の掌にすっぽりと収められていた。

 

『場所を弁えろ。君と私が戦えば何れだけの被害が出るか、此れ程の力を持つならば分かるだろうに』

 

マジかよ…マジでか……ハハ…何だそりゃ? 説教しながらあたしの拳を真正面から受け止めるだって? まるで放られた鞠を鷲掴むような気軽さで。本当にーーーーーー本当に最高だ!!

 

『挑んで来るなら受けよう。が、此の儘では駄目だ…相応の舞台を整えておかねばな』

 

好き勝手喋くって、男の身体から銀の奔流が溢れ出した。警戒して即座に身構えたが…暫く経っても何も起こらない。なんだ、本当に何をしたんだ? そんな間抜けな感想を抱いた後で…私は地底に起こったある異変に気が付く。

 

『なんだ…これ…』

 

『案ずるな、私がこの場に小細工を施したまで。街道に集まっている者達も…然して問題は無い』

 

空が、正確には地獄跡を塞ぐ真上の天蓋が…露出した土や岩壁など見る影も無い真っ暗闇に染め上げられている。疎らに蠢く上空の闇は、天蓋だけでなく地面も建物も何もかも、此処に住む奴らを除いた凡ゆるモノを漆黒に変えた。

 

『何をしたんだい?』

 

『環境を整えた…と言ったつもりだが? 私の統べる暗渠の中であれば、共々は余さず我が力に護られ、街並みから街灯の一つとて壊れはせぬ。さあ…続けよう』

 

詰まりアレか? コイツは自分の能力か何かで、万が一にも何も壊さない為に旧地獄跡を丸々覆って守ってるって言いたいのか? 聞けば聞くだけ訳が分からないね…あんまりにも桁違い過ぎて、理解出来ないからどうでも良くなってくる。

 

『それじゃあ、遠慮なくーーーー!!』

 

『来い』

 

男は銀の瞳を一層輝かせて、両手を広げたままの棒立ちであたしを迎え入れた。身体と本能が赴くまま殴っては蹴り、蹴っては殴るの繰り返し…奴の言った事は本当だったらしく、足を踏ん張ろうが拳を振り抜こうが、攻撃の余波に周囲が当てられても傷一つ付きはしない。それよりも気になるのはコイツだ…さっきから叩き捲ってるのに相変わらずの棒立ち。反撃する意気も素振りもまるで見せず、案山子みたいに突っ立ってるだけ。

 

『どうしたんだい!? アンタの持ち味は頑丈さだけか!? 殴られたら殴り返すくらいして欲しいもんだねッッ!!』

 

『ふむ……承知した』

 

奴から伝わる底無しの気配が僅かに揺れ動く。何が出るかなんて考える暇も無く、短い…ただ何の気無しに男から告げられた言葉が聞こえた瞬間。私は銀に縁取られた闇に全面覆われた天蓋を、宙に浮遊したまま呆然と見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーハ…ッ!?』

 

『ほう…』

 

勇儀と名乗った麗しく壮健な鬼が挑んで来てから数分…無防備な風を装っていた私に業を煮やした彼女が反撃してこいと宣った。望まれるまま彼女の鳩尾へ迷い無く蹴りを繰り出し、攻勢に徹していた状況から一転して鬼の女史は仰向けに吹き飛んで行った。というよりも…私が見舞った蹴りを受けて彼女の身体はくの字に折れ曲がり、建物にして十棟程後方へ弧を描いてから地に落ちた。

 

『ガッ…!! 痛ッ…!! う、 くっ…クックックッ…アッハッハッハッハッハッハッ!!!』

 

『目が覚めたか? 空に浮かんでいる間は随分と惚けていたな』

 

向こう側から立ち上がった彼女は、痛みに悶えながらも歓喜の声を漏らし、緩慢な歩みで私の元へ近付いている。全く鬼という妖は屈強な者が多いらしい…伊吹と戦った際にも似た様な感覚を覚えたものだ。

 

『いやいや申し訳ない…情け無い話でさ、鬼ってのは同格かそれ以上の奴と出逢える機会が少なくてね。一瞬自分が何されたか全然分からなかったよ』

 

何処からか取り出した盃を携えて、勇儀はソレに注がれた液体を一口に嚥下する。やはりこういった挙動も伊吹と似ている…鬼の中でも特に力有る者は自前の杯と酒を常に持ち歩いているのか、傍から見れば常に酒を呷るかの如き姿は少々傾き過ぎだと諌めるべきか。

 

『でも、何で加減したんだい? アンタならあたしに風穴開けるなんて容易かった筈だろう?』

 

『いや…私は君を討ちに来た訳では無い。決闘というからには可能な限り応えるが、本気でない者に勝って何の意味がある?』

 

距離にして八尺余りの所まで戻った彼女が足を止めた。表情は眉を顰め驚愕を露わにしている…何か不釣り合いな事を今しがた言ってしまったのか。皆目心当たりが無い。

 

『アンタ気付いてたのか…いや、そうだよな。そうでなくちゃいけない』

 

左脚を軸に、右脚を一歩前に踏み出して勇儀の姿勢が腰一つ分低くなる。立ち上がりで見せた荒れ狂う妖力は静謐なモノに変貌し、彼女という源泉から沸き立つ妖気が噴火寸前の火山にも似た様相を呈した。

 

『愈々だな…私の名は九皐、コウとでも呼んでくれ』

 

『コウ…アンタになら手加減無しで使えそうだ。あたしの、《怪力乱神》を操る鬼のチカラを』

 

凛々しい顔付きの彼女は誇らしさと、燻らせた高揚と、必殺の意思を伴った妖力を真っ直ぐに此方へ向けてくる。伊吹といい、鬼とは余程戦うのが好きと見える…私も他人の事は笑えない。

 

『クハハハハ…! 良いぞ、もっと私に披露してくれ。鬼と闘うのはこれで二度目…今回も楽しめそうだ』

 

『ーーーーーー』

 

解放の時すら楽しんで、眼前の鬼の発する妖気の蠢きを見届ける。細身の身体からは想像だに出来ぬ、凝縮された力は、彼女の一声の下に溢れ出した。

 

『《怪力乱神》…とくと味わいな』

 

ソレは恰も神聖なる後光の如く、過剰な質量が可視化された妖力から成る無色の輝き。常闇の膜に護られた戦いの場を白と黒の二色が席巻する。音も無く疾駆する勇儀の四肢が、三度目の捻転と筋肉の膨張を行なって空気の壁、音の壁を易々と乗り越えて拳が突き出された。

 

『ハァァァアアアッッ!!』

 

『ーーーーーーグッ!?』

 

何の虚実も交えられない…至極単純な、頭部を狙った渾身の突き。数瞬毎に鼻先へ迫る一撃を己から迎え入れ、彼女の右腕に対し左腕を用いて外側に捌こうとした刹那ーーーーーー今度は私が地から浮き上がり盛大に弾き飛ばされた。

 

『…これは』

 

『オオオオオオオオオオーーーーッッ!!!』

 

間髪入れず、薙ぎ払われた拳の先へ飛んだ我が身に追撃。左拳に纏う雷光とも、明滅した星の煌めきとも取れる不可思議な力を内包した第二撃。身体を逸らし懐に入り込んだと確信した直後、一度ならず二度までも私は殴りつけられる。

 

『そうか…怪力乱神とは、正に言葉通りの代物か!!』

 

『シャァァアラァァアアアアッッ!!』

 

天地が逆しまに、此方より彼方まで反転する程揉み合う数号の交差。二回も喰らえば流石に何が起きたか察しようというもの…《怪力乱神》、名に恥じぬ唐突で避け難いナニカ。我を満たす喜悦と、押し寄せる驚異の心地よさは筆舌に尽くせない。

 

『素晴らしいッ! 心が踊るッッ!!』

 

『ウオオオラァァアアアアーーーーッッ!!!』

 

怪力乱神とは曰く…奇怪なる起こりを《怪》と呼ぶ。暴虐の粋を集めては《力》とし、其の道を語れ得ぬを《乱》、鬼神の威を表して《神》。会心を以て見ゆれども、超常を解く術は無し。だが理解した…我が我故に、推し量れ無い筈の怪力乱神の正体を掴んだ。

 

『馬鹿力めッッ!!!』

 

『なにーーーーゴァッッ!?!?』

 

霊的な効果が宿るまでに高められた腕力。種として、個としての暴力性を極限まで洗練させた彼女自身が能力であり力の根源。個体としての実力、強さのみを絶対の指針とする鬼が到り着いた一つの極致。本来ならば、物質は非物質に干渉する事など有り得ない…その不可逆の法則に堂々と逆理せしめるとは。

 

『膂力だけなら伊吹を越えるか…行き着いた果てが斯様な異能なのも頷ける』

 

『はははは…嬉しいな。他人から褒められてこんなに嬉しいのは何時以来だろうね。にしても何だい今のは? 何で能力を使ってるあたしの方が吹っ飛ばされて、そっちは二発も喰らっといて無傷なのさ…つうか馬鹿力はアンタもだろ?』

 

彼女の真価を知り、即座に対応した結果次々と問いを投げられる。絡繰は此方も単純明快…小手先が無意味な相手に勝るには唯一つ。有する神秘、異質さ、力と技の総てを悉く凌駕すれば良い…支離滅裂な方法とは百も承知だったが、上手く行って胸を撫で下ろした。

 

『幸運にも、私が鬼に優る種だったに過ぎない』

 

『はっ! だよなぁ、そう答えるしか無いわな。アンタは妖怪とも神とも違う奇妙な感じがする…禍々しい癖に不快じゃない。けど、肌を撫ぜると刺々しやがる…にしても』

 

口元から血を滲ませ、青痣の出来た顔を歪めて笑う鬼が拳を握り、愚直にも全く同じ手段で町の端から端に跳躍した。

 

『鬼に優るたぁよく吠えたッ!! 悔しいが認めてやるッ!! アンタはあたし等より強く産まれ、靭く鍛え上げられた正真正銘の本物(バケモノ)だッ!!』

 

『其の身に集めし力の全て…我に届くか試してみろッッ!!』

 

踏み込みは深く、凄烈に打ち出される拳と拳。骨の髄まで響く互いの威力が、反発する毎に肉体に罅を作り出した。構わず右には左を、左には右を…脚、頭蓋、肩から膝に至るまでを衝突させて比べ合う。快也ッ! 純粋なる闘争に理由など不要ッ!! 我を望むなら食らいついて来い!! 我もまた撃ち貫くのみッッ!!

 

『フハハハハハハハハッッ!!!』

 

『チィッ!? こんにゃろう!! 楽しそうに殴りやがって!! お返しダァッッ!!』

 

痛みが薄れて行く…身の内に押さえ付けていた無間の負が、彼女の操る怪力乱神に刺激され吐き出され続けた。悪鬼を想起する兇笑が我等の顔に張り付き、対して我が権能に護られ立ち尽くす野次馬などは微かな叫喚を上げている。

 

『アッハッハッハッハッ!! 楽しいなぁ! ごぶ…っ!? 萃香以外にも最後まで付き合ってくれる奴がいるなんて…さぁッッ!!』

 

『ガハ…ッ! ク、クックックッ…フンッッ!!』

 

殴っては蹴られ、穿たれては断つ。血飛沫が細やかに飛散し空気さえ赤々と染める光景は徒花の様だ…然りとて、悪戯に我が《負》の残滓をばら撒くのにも節度を考えねば。三割、己に規定した楽園での上限を守っても尚幻想郷は脆い。だが何たる僥倖か…異能を維持し得るほんの僅かな時間でも、彼女は今の私に追随する真の強者だ。伊吹と伍する勇儀でなければ此処までの打撃戦は演じられまい。惜しい、実に惜しい…もし勇儀が願うなら、彼女が死に朽ちる迄踊ってやりたい。

 

『ギッ…!? ハァ…はぁ…はぁ…!!』

 

『……次が最後だ。終わりにするぞ』

 

勇儀の能力は彼女の肉体を基に発揮される。体現した神秘(いのう)はより大きな不浄()に飲み込まれ、四肢が傷付く度に纏った鬼気(ちから)()に吸い取られた。箍が外れて流出する負の奔流は、最早地底の空間には収まり切らぬ程だ。両者満身創痍…と言いたいが、我が彼女に与える損害は徐々に鬼の回復を上回り、我は受けた傷と血と痛みが更なる再生と活力を獲得する。勇儀の身体は惨憺たる有様で、左腕は亀裂を走らせ明後日の方を向いていた。それでも…彼女の剛毅さは失われはしない。

 

『はぁ…はぁ…マジでバケモンだな。鬼の膝が笑ってやがる…でも、良いよ…! 受けて立つ!! 次で最後だッッ!!』

 

鬼の妖気が、消える前の激しさを伴う光によって表された。異能の顕現として彼女を包む不可思議な白光が、辛うじて握り込まれた右手に萃められる。

 

『四天王、奥義ーーーーーーッッ!!!』

 

『ーーーーーー負極』

 

幕引きだ…叫ばれる文言と気概は、以前妖怪の山で雌雄を決した小柄な鬼から聴いたモノと同等かそれ以上。魔を萃め手繰る伊吹と比べて些か不恰好にも見える右拳の煌きは、込めた力の重みだけなら伊吹を完全に抜き去っている。術と力の天秤は両名違えども、彼女等こそ心技体全てに於いて自らを鬼の四天王と呼ぶに相応しい傑物。よって討つ、迎え討つ…!! 彼女が放つ全身全霊に礼を尽くして応えたい…ッ!!

 

『ーーーーーー征くぞォォォオオオオオオオッッ!!!』

 

『来いッ!! 星熊勇儀ーーーーッッ!!!』

 

一歩目…力を司る者は地を蹴り、無人の野を行くが如く音の壁を突き破った。二歩目…烈風を巻き上げて肉薄する速度が急激に増していく。腰元まで引き絞られた拳は、煌々と輝ける力の結晶を燦然と散らし、純白の欠片となって彼女の道程を花道と彩る。そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーー《三歩必殺》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

『ーーーーーー《蓋世不撓(がいせいふとう)》ーーーーーーッッッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

三歩目。天より堕ちる星を垣間見た伊吹の壊廃とは別種の奥義を前に、躱すという考えなど有りはしなかった。最大限の敬意、身一つ拳一振りで挑む勇壮なる猛者を如何して無碍に出来ようか。美しさすら感じる鬼の衝動…破壊の塊と為した右拳を胸に受け、代わりに左拳を額に叩き込んだ。

 

『なあ…ひとつ、聞いて良いかい。あたしは強かったか…? あたしは萃香と同じくらい、アンタにーーーー届いてーーーー』

 

拳に伝わる重みが消え去り、彼女は前のめりに姿勢を崩した。膝は崩折れ、地に伏す間際に…私は嫋やかなる彼女を抱き留める。

 

『ーーーーああ、君も伊吹も…貴賎無く我が強敵(とも)。見事な一撃だった』

 

鬼の四天王は、終ぞ笑顔のまま意識を手放した。誇って良いとも、謳って良いとも…我等の逢瀬は拳に始まり拳に終わる。楽園に於いて…高潔なる者、強き者は例外無く私の徒だ。決死の一撃は心の臓を穿たずとも、狙い過たずこの心を捉えてくれた…感銘と惜しみ無い賛辞を彼女に贈る。

 

周囲に張り巡らした帳を取り除き、改めて巻き込まれた者が居ないかを視認して行くと…疎らな人集りの中に私を呼んだあの娘が立っていた。

 

『お兄さん、勇儀に勝っちゃったの?』

 

『…うむ。尋常な勝負に臨んだ者には、出来る限り応えなくてはな』

 

彼女を所在無く抱えたまま、こいしの後方から見知った双角の少女がもう一人現れる。緩慢な進みで私とこいしの間に割って入った伊吹は、相変わらず瓢箪片手に視線を勇儀に送った。

 

『全く、楽しそうなツラして寝やがって。私がこいつん家で起きた頃にはもう始めちまってんだから、せっかちな奴さ…楽しかったかい? 二人とも』

 

『文句の付けようも無い、素晴らしいひと時であった…彼女もまた、我が友と呼ばせて欲しい』

 

『そうか…そいつも、コウに認められちゃあ鼻が高いだろうね』

 

『お兄さん! 地霊殿は直ぐそこだから、早く行こうよ! 勇儀も休ませてあげられるから』

 

こいしの屈託の無い申し出に、私も伊吹も有り難く肖る事にした。各々歩き出すと同時、伊吹は此方を邪な表情で一瞥して一言。

 

『にしし、役得だねぇコウ? 豊満な身体した勇儀はさぞ柔らかいだろ? 心地良いか? ん?』

 

『止せ、年寄りを揶揄うな』

 

掴み所の無い友人に煽られつつ私と伊吹、肩に支えた勇儀を連れ立ってこいしに続く。予定とは多少違ったが、何とか無事にこいしとの約束を果たせそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

『さとり様』

 

『ええ、気配が和らいだわね…決着は着いたみたい。立っているのは…彼のようね』

 

『まさか、本当に勇儀の姐さんが負けるなんて…』

 

言葉も無い。無尽蔵に膨れ上がったかと思われた深淵の気配は、衝突した熾烈な気配の持ち主…勇儀さんを降したらしい。街の方角から聴こえてくる思考を幾つか読み取って行くと、どうやら彼の方は事も無げに歩いている。傍には伊吹萃香がいて、こいしが地霊殿への道案内を買って出たと…やはり彼女も来ていたのね。勇儀さんと戦って尚無事、しかも彼女を抱えて此方に来るって…彼は本当に何者なのかしら? いや、私の中で答えは決まっている。

 

『お燐、お空、お客様を迎える用意を』

 

『は、はい…うう、まだ羽の辺りがザワザワする』

 

『私も似たようなもんだから、我慢しな。ほら、お茶の準備するから手伝って。序でにあと三人分夕飯の支度しなきゃならないんだから!』

 

苦労をかけるばかりで、二人にはいつも頭が下がる。私は私で、悠長にしている暇は無い。地霊殿の家主として…妹の招いた方々をお迎えしなくてはならない。

 

『大丈夫…鬼二人と得体の知れない殿方くらい、持て成してみせる』

 

口下手な自分を鼓舞しながら、未だ開かれぬ玄関口まで降りて来た。居住まいを正して、まずはちゃんとした挨拶をしよう。

 

『ただいまー! お姉ちゃん! お兄さん達が来てくれたよ!』

 

『お帰りなさい、こいし』

 

『私らまでくっ付いて来て悪いね、覚り妖怪。暫く邪魔するよ』

 

『夜分に押し掛けて済まない…私は九皐という。此度は招いて貰い、感謝する』

 

その姿は、まるで彫刻の様に完成された姿だった。

もしかしたら言い過ぎかも分からないけれど、兎に角最初に受けた印象がそうなのだ。底知れぬ気配は遠くで知覚するよりもずっと強く優しく、黒髪から覗く銀の瞳、六尺にも登る偉丈夫な身体と整った顔立ち…イケてる。

 

『早速頼みたいのだが、勇儀を休ませてやりたい。何処か部屋を貸してはくれまいか?』

 

『え? あ! はい…こいし』

 

『はいはーい! お兄さん、勇儀貸して? 萃香も手伝ってね!』

 

『おうおう、鬼使いの荒い奴だなあお前さんは』

 

いけない…人型に化けていると分かっていても、黄金律とも言うべき身形に魅せられてしまった。萃香さんと妹が上の階へ上るのを見届けて、はたと気付く…残った彼と私の二人きりになるのを想定していなかった。お空達も今は厨房でお茶の準備をしているだろうし、取り敢えずこの御仁を応接室へ運ばなければ。彼の思考が読めない所為で行動の先読みも出来ない…案外不便かも。

 

『貴方もどうぞ、応接室へ案内します』

 

『有り難い。外で燥ぎ過ぎて少し休みたいと思っていた所だ』

 

ぃよしっ!! 何とか第一関門を乗り越えたわ…それにしても、鬼と戦って少し疲れたって何かの冗談かしら? いや、待て…落ち着くのよ古明地さとり。彼も此方にある程度礼節を持って接してくれている…思考を整えるのよ、いつも通りにすれば問題無いわ。

 

『…お掛け下さい』

 

『失礼する』

 

 

応接室へ辿り着き、下座に構えられたソファに促す。彼は何も特別な所作は無く腰掛け、私も真向かいに座った。こうして近い距離から見ても、時が経つ程に彼の静けさというか…外見からは不相応な落ち着きが長い時を生きた証左として表れている。妹の個性的な誘い文句がしたためられた手紙に応じてくれたのが不思議で仕方が無い。

 

『御足労頂いて恐縮ですがーーーー』

 

『窮屈な喋り方だ』

 

『は!? え、あ、あの…! 何か、粗相をしましたでしょうか?』

 

『違う…君はあの娘の姉君なのだろう? ならばこいしと同様、堅苦しい真似は無しにしてくれ。どうか、友人と接する様に気軽な対応を頼む』

 

そんな簡単に出来たら苦労してません!!

馬鹿みたいに大きな魔力だか妖力だかをダダ漏れにしておいて、いきなり無茶な事言わないで欲しいわ!! 格上だと思ってこっちは気を張ってたのに!!

 

『クックックッ…』

 

『な、何を笑って! るん…のよ!』

 

駄目だ、完全にペースを崩されて真面に言葉も並べられない。大体私は身内や一部の妖怪としか交流が無くて、他者との会話にあまり慣れていないのだから勘弁して欲しい。なのにこのヒトときたら急に笑って!

 

『いや、済まなかった。妹御と違って、物静かで楚々とした印象だったのだが…君は、私が考えていたよりずっと表情豊かな少女だ。赤らんだ頬が実に愛らしい』

 

『なっ!?!?』

 

不味い、不味いわ…冷静さを欠いた所に、即座に褒めてかかられたお陰で色々と思案していた事が真っ白になった。次に到来したのは恥ずかしさと、愛らしいと告げられて満更でもない自分がいる事実。顔から火が出そうなくらい顔が赤くなっているのが分かるから、余計に恥ずかしい。

 

『〜〜〜っ!!』

 

『む…顔が赤いぞ、大丈夫か?』

 

『し、失礼します! おお、お茶をお持ちしました! って…さとり様? 顔が真っ赤ですよ?』

 

『うにゅ…やっぱり羽がゾワゾワするよ』

 

『戻ったぞー! あん? さとり、どうしたんだ? ああ、アレか…紫もよくやられてるから見慣れたよ』

 

『お姉ちゃーん! お兄さーん! 何して遊ぶ? ねぇねぇ!』

 

またぞろ部屋に入ってくるペットに鬼に妹と、入るなりヒトの顔を赤いだの頭の中で提灯みたいだのって! 全部聞こえてるのよ!! しかも萃香さん、何ですかそのだらし無くニヤけた顔は!? 絶対に気付いてて放置してるでしょ!?

 

『しーーーー!!』

 

『『『『し?』』』』

 

 

 

 

 

 

 

『静かにしなさぁぁああああいっっ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

照れ隠しに堪らず放った怒声によって、賑わった応接室に静寂が訪れた。けれど、結局は慣れない大声を上げた所為でまた恥ずかしさが込み上げて、数分間誰とも口を利かずに一人悶絶する事となる。

 

『何時ぞやも、似た様な場面に出くわした気がするな。しかし…美々しい花達が戯れる姿は、いつ見ても良い眺めだ』

 

動じた様子も無い彼だけが…姦しさの中で一人、お燐の持ってきたお茶に手を付けて場を締め括った。

 

 

 

 

 

 







久し振りに炸裂したコウの無自覚な誑し発言。お爺ちゃんは、褒めるのも叱るのも遠慮が無いのが玉に瑕です。歯が浮くセリフもお爺ちゃんの鋼メンタルが有れば自然に出てくるのです、きっとそう。

感想、アドバイス、あれがダメこれが良くない等など、いつでもお待ちしています。寧ろ下さい、勉強になりますので! 是非!

長くなりましたが
最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます!


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第七章 四 浅からぬ縁は時を越えて

おくれまして、ねんねんころりです。
今回は会話オンリーです…珍しくウダウダ悩んで助けを求める主人公の描写が終盤に入っております。

この物語は勢い任せで不安定な更新速度、稚拙極まりない文章、厨二マインド全開でお送りしております。

それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

こいしの招待に応じ、夜も深まりだした頃に地底へと赴いた。目的地の途上で妖怪に絡まれ、続け様に鬼の四天王たる星熊勇儀と交戦する羽目になったが…一定量の力を吐き出す事が出来て内側から迫り上がる痛苦も今暫くは治まってくれた。さとりから丁重な持て成しと少しばかりの雑談に浸り、夕餉を馳走になった後は集まった皆を含めて地底の治安と地霊殿の話を伺っている。

 

『成る程…過去、地上から追いやられた妖怪と地底に移り住んだ者の拠点が地底という訳だな』

 

『ええ…一部の親交ある方々を除いて、地上と地底の関係は今をして相互不干渉を貫かれているの。お客様が来るのは本当に珍しいから、お燐やお空も警戒していたわ』

 

名前を挙げた二人の妖怪は、私へ向けて浅く会釈して返してくる。片方は猫の耳と尾を備えた喪服じみた服装の少女、此方が《火焔猫 燐》。もう一方は白無地の羽織に烏の濡れ羽色をした翼を生やした長身の少女《霊烏路 空》…双方とも、名目上はさとりの配下としてこの地霊殿で生活しているという。この両名に関しては、今も私に対して一定の警戒を保って視線を投げかけられている。

 

『畏る必要は無い。私は地上に居を構える、こいしに招かれただけの変わり者だ』

 

『…すいません、私もお空も分かっちゃいるんですけど。元が動物を象った妖怪なもので、あんまり気配が強い相手だと本能に逆らうのが難しくて…』

 

『うにゅ、お客さんに失礼が無いようにしたいんだけど…羽がどうしてもザワついちゃって…ごめんなさい』

 

名は体を表すと云う。火焔猫は猫の妖怪、霊烏路は鴉の妖怪なのだろう…動物も妖怪も、人でさえ気配に敏感な者は私を見れば身構えてしまう。偏に私の不徳の致す所だが、生来持ち合わせる力を抑えておけるのにも限りが有る。例えば紫が藍を従えているのと同じ原理で、私が自身の端末を製造して楽園に居られれば一番良いのだが…生憎と此の身の本質は深淵と破壊であり、生き物や有機物を創造するといった正に傾く行為に全く適応していない。正確には…そういった経験が無いもので、実際に試せばどうなるかも分からない次第である。

 

『良い…私は君達が隔てなく接してくれるだけで充分だ』

 

『うーん、お兄さんって二人がそんなに怖がっちゃう程かなあ? 私とお姉ちゃんは何とも無いのに』

 

『貴女も私も、お燐やお空とは妖怪としての出自が違うから仕方ないのよ。彼の場合は、振り撒かれる気配が人妖問わず対象の根源的な部分に触れて来る…強い妖怪が彼に挑みたがるのも仕方ないわ』

 

『ひっく…そうなぁ。私も勇儀も、ある程度の距離からじゃ気配が分かっちまうからね。そりゃあ挑まずにゃいられんよ』

 

『むー! 難しい話ばっかりじゃつまんないよぉ! それより、お兄さんの話をもっと聞かせてよ? 幻想郷に来るまではどんな風に生きてきたのかとか!』

 

無邪気な少女の質問に、周囲の者達は一概に好奇心を擽られた様だ。こいしだけで無く…さとりも隠してはいるものの、瞳は爛々と輝いて胸元に携えた眼球らしき器官も真っ直ぐに此方を凝視する。

 

『…はぁ、少し長くなるぞ』

 

『やったー!』

 

『初めてかもな、コウから昔の逸話とか聞かせて貰えるとは』

 

先ず何から話したものか…始めに、幻想郷を観測した場所から今に至るまでを掻い摘んで説明しよう。私が元は外の世界で揺蕩うだけの存在であり、永い微睡みから覚めて直ぐに楽園に降りた時点で数々の異変に立ち合った事。地上には多くの友と徒に出逢い、果てし無く続いた生に於いて初めて安らぎを得られた事。紅霧異変で紅魔館、春雪異変では白玉楼…といった個性的で華やかな少女達に触れて、幸運にも楽園の管理者たる紫に受け入れられて此処に居るという部分までを話し終えた。

 

『聞いているだけでは、俄かに信じ難い内容ですね』

 

『それに関しては何も嘘は言ってないよ。私も妖怪の山でコウと戦って、負けて、そっからはダチさ…私らの我儘に真面に付き合ってくれるのはこいつや限られた連中だけだからねぇ』

 

『あれ? そう言えばお姉ちゃん…お兄さんの心が読めないのはどうして? サードアイは?』

 

こいしがさとりを見やり、姉は妹に対して柔らかな笑みを浮かべる。其れは心安らかにも窺え…かと言って無暗に楽観視しているのでも無い。覚り妖怪とは、私も外に居た頃に他者の心を覗き見る力のある化生の類が居るといった噂程度の情報しか知らない。

 

『不思議だけれど…彼からは思考が一切読み取れないの。きっと、私達より途轍も無く高位の存在だからかも。それに就ては話して貰えないのかしら?』

 

其処から私に話を持って行くか…侮れない娘だ。敢えて意識して自分の素性を隠して語って聞かせたというのに、心の機微を深く読み、洞察し得る姉の計略にまんまと嵌められたか。僅かな逡巡を他所に、私の語り口から核心が触れられていない事に各々も気付いてしまった。再び槍玉に上げられて沈黙していると…萃香が私の肩に手を置いて口を開く。

 

『紫や霊夢は勿論だけど、私もそれなりにお前さんと過ごして来たんだ…本性がどんな奴かなんて、ふっと想像くらいはしちまうもんさ。差し支え無い程度に話してくれよ?』

 

『…そうだな。伊吹や勇儀も我が友、ならば聞いて欲しい。我は何処より産まれ、どう生きて来たかを』

 

生誕は唐突なモノだ。自分自身の事であれば尚更、産まれた時期やその源泉を辿ろうと宇宙の果てから果てを徘徊した経験もあった。我が身は星々に命が宿るより遥か以前から在り、神々をしてその全容を捉える事は出来ない…当然同胞を探してはみたが、結果は振るわず。深淵に生まれ、凡ゆる負を内包して我は確立した。異邦の装束を纏う巨人から、幻想郷も帰依する太古の神、妖、人の成り立ちを見守りながら時に手を差し伸べ、そして裏切られた。裏切られ、謀られ、背に弓引かれるなど数え切れないカタチ無き闇を観て…尚我は全てを糧として力とする、悪辣な竜だった事実。其れ等を包み隠さず話し終えると、この場に集った何名かは目尻から涙を拭い鼻を啜りだしてしまった。

 

『お客人…苦労したんだね』

 

『うにゅぅ…幻想郷に来れて、本当に良かったね。私達も、さとり様に逢えるまで辛かったから…』

 

『済まぬ…もっと楽しい話をしてやれれば良かったな。だが、ありがとう。君達の心遣い、誠に痛み入る』

 

『やはり、私達は貴方には敬意を払わねばなりません。我々を生み出した人の恐れ、神々の時代から連なる不可解なモノへの畏れは…貴方の様に、負の面に起源を同じくする古き方々が居たからこそです。改めて地霊殿へ出向いて頂いた事、心より歓迎します』

 

私にそんな態度は不要と断ったのだが、地霊殿の皆が一様に頷いてさとりと共に深く頭を垂れてくる。何とも居辛い空間に様変わりした…堂々と瓢箪から酒を煽る伊吹に、思わず助けを求めて眼をやってしまう。

 

『ぷふぅ…へへ、こいつぁ良い。そんな奴とダチになれるなんて、生きてる内に有るかどうかだ。いや、きっと一つ違ったら会う事さえ無かったろうよ? 私も勇儀も、コウと喧嘩出来たのはこれ以上無い幸運だった! だから辛気臭いのは辞めにしよう! 乾杯しようぜ、今宵の酒は鬼の奢りだ!』

 

『お兄さん凄いんだね!! 半分くらい良くわからなかったけど、竜って絵本でしか見たこと無いから見てみたいな!』

 

『如何せん元の姿は図体ばかり大きくてな…幻想郷を見降ろす位には嵩張る故、勘弁願いたい』

 

『えー!? むぅ…乗ってみたかったのに』

 

 

伊吹とこいしのお陰で、さとり達の沈んだ空気にも和やかさが戻ってきた時…堅く閉じられていた扉が勢い良く開け放たれた。

 

『さとり! ここに居たか!? アイツは!? あたしが眠ってる間に何処にーーーー』

 

『落ち着けよ勇儀、ほら? コウならちゃんと私の隣に居るだろう? そうカッカすんなって』

 

『あん…? お! 萃香じゃないか! あんたも起きてこっちに来てたのかい? 何だよ、コウも一緒なら直ぐ起こしてくれりゃ良かったのにさ』

 

『アホ言うなっつの! 派手に負けといて傷もあったんだから、流石に寝かしとくに決まってるだろ?』

 

下駄を鳴らして歩み寄る勇儀と、気心知れた掛け合いで話す伊吹。両名がこの場に揃ってから、ものの十分も経たずに宴会が幕を開けた。こいしと遊ぶ予定からは逸脱したが、本人も状況を楽しんでいる様で流れに任せる事とする。

 

『よおーし!お前らドンドン飲めぇ!! 勇儀の星熊盃と、私の伊吹瓢が有ればいつでも何処でも酒飲み放題だ!!』

 

『あたしの盃に注がれた酒はどんなもんでも極上の酒になるからな! 遠慮はいらないよ!!』

 

止めどなく瓢箪から投入される酒が、星熊盃なる器から溢れ出し、火焔猫達が用意したガラス細工の杯やら御猪口で掬って飲む乱痴気騒ぎと化す。因みに、鬼の酒は特に度数が強いのを全員忘れていたのか…二時間後には鬼二人と私を除いて目も当てられぬ大惨事のまま殆どの面子が眠りについた。右を見ればさとりとこいしはうつ伏せに折り重なって床に倒れ、火焔猫と霊烏路は仰向けに天を仰いで白目を剥いて意識を失っている。

 

『最後は、鬼の総取りに終わったな』

 

『だらし無いなぁ、あんた達? もちっとコウを見習えやなぁ…ぐびぐび』

 

『全くだね! ほら、コウもまだまだイケるだろ? 駄目になるまで飲み明かそうじゃないか!』

 

 

 

 

 

 

 

呑んだ先から酒を注がれ、にべも無く飲み続けて数時間…部屋に立て掛けられた時計が朝方の六時を差して、それでも飲み続ける二人に断って地霊殿を後にした。淑女の花園に何時迄も居着いては、さとり達が起きた時に要らぬ恥をかかせるのは必至だ。寝息を立てるさとりの手元に書き置きを残して、最初に訪れた地底の入り口に戻る。

 

『……ん? 貴方、もう帰るの?』

 

『うむ。明日も…否、今日も今日とて予定が有るのでな』

 

桟橋の上で独り立ち尽くす金髪碧眼の少女が首だけを振り向いて呟く。切れ長な瞳が揺らめき、彼女の双眸が下から上へと移動して此方を値踏みしているのが分かった。

 

『妬ましいわ…他所から他所へ右往左往、あっちにもこっちにも引っ張り凧なんて』

 

嘯く彼女の眼が、淡く発光して桟橋の下方に流れる川面を照らす。能く能く見れば、美しい目鼻立ちにそぐわぬ影を落とした表情が印象的な少女だった。加えて、瞳が光りだしてからの彼女の妖力が徐々に高まっているのを感じる。

 

『…気にしないで頂戴、私はそういう妖怪なの。他人を羨んだり、嫉妬する事で存在を保つだけの《橋姫》だから』

 

《橋姫》か…元は水神を信仰する人間の畏敬や恐れから産まれた存在だったと記憶している。人々が暮らす地域の入り口、通り道として在る橋に取り憑き、外敵からその地に住む者達を守る防人の役を担うという由緒正しい成り立ちを持つ。彼女はソレに当たる妖怪らしい。

 

『私は、地底を侵す外敵では無い…と認識してくれたのか?』

 

『……そうね、変に思うでしょうけど、貴方はわたしたち(悪質な妖怪)と似ている気がする。誰からも疎まれながら、疎まれるが故に必要悪という狭い教義によって肯定される存在。ソレのもっともっと強く…色濃い気配が貴方から感じるの』

 

闇から闇へ、妖怪の存在と人の抱く恐怖まで…果ては無謬の深淵から木々の挿す影の蠢きすら、私は我が事の様に知覚している。暗黒の坩堝から産まれる人外達は、皆魂の奥底…起源と根源の混じり合う場所で繋がっているのやも知れない。

 

『私も人間では無い…少しばかり、此処に暮らす妖怪よりも長生きが過ぎただけの年寄りだ』

 

『ご冗談、小粋な台詞を簡単に吐けるのもまた妬ましい…妬ましいのに、今日は気分が良いわ。地底へようこそ…生まれ落ちてより闇に浸かりしヒト。私は《水橋 パルスィ》よ、また来たらお喋りしてね』

 

『ああ…楽しい時間をありがとう、パルスィ。私の名は九皐という…是非、また君と語らいたい』

 

桟橋を渡りきって一度だけ振り向くと、私を見送るパルスィが薄く笑い、淑やかに手を振ってくる。儚げだが、強い情念を糧として生きる彼女に手を振り返し…地底の入り口から黒い孔を開けて立ち去った。

 

『橋姫とまた会話したいって…本当にお人好しね。その優しさが余計に妬ましい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霊烏路 空 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

地霊殿の庭先、中心部に空いた大きな穴倉の底が…私の仕事場だ。さとり様に拾われてかは幾年月、片時も欠かさず務めて来た大事な大事なお役目。地下に設営された《炉》に止まって湯を引いては熱を与え、温度が高かったら熱量を下げる。繰り返し熟してきたいつもの仕事なのに…あのヒトが地霊殿を離れた途端、頭の中の隣人が金切り声をあげて騒ぎ出した。

 

「コワイ、怖い、恐い…ッ! 危険、危険だーーーー!!」

 

『違う、違うよ…九皐さんは君が思うようなヒトじゃない…』

 

朝が来て、目を覚ますとあのヒトは居なかった。さとり様がちゃんと書き置きを受け取ったと言って、私とお燐はいつもの様に旧地獄跡の巡回と炉の管理に従事する。地底から湧き上がる湯水を町々に建つ温泉宿に届け、地底が孕む熱と湯の温度を調節するのが私の仕事だ。なのに…仕事の間もずっと頭の中の隣人が御構い無しにけたたましく啼いている。何時もは此方から語り掛けても返事すらしないのに、頭の中できちんと会話が出来るのを初めて知った。ソレを差し引いても…今回のはとてもじゃないが聞いていられない。

 

「恐い…! 怖い…! 法界の闇、どうして今になって…!! アレは何もかもが違う…太陽を喰らう黒い黒い波が、ア、アア、アアアア…」

 

『大丈夫だよ、あのヒトは怖くない。ちょっと気配が独特なだけで、とっても優しいヒトだったでしょ? だから、落ち着いて』

 

三本足の烏は私の中で無遠慮に羽ばたいて、泣き喚きながら纏う後光をより強く高めようとする。深く内側に沈めた意識を彩る灼熱の景色は、出力が桁違いに増砂に併せて徐々に激しくなっていく。右手の制御棒が軋みを上げるくらい加減が難しくて、ちょっと気を抜いたら一気に溢れ出しそうだ。こんな事は今までに無かった…何がそんなに怖いんだろう? 私だって本能的に忌避する気持ちはあっても、普通に会話もしていられたのに…答えが分からないんじゃ如何しようもない。

 

『ねえ、どうして怯えてるの? 私に教えて…貴女は私、私は貴女っていつも言ってたでしょ? だったら』

 

「……神々の世に、終わりが来た。奴の振り撒く恐れは数多の同胞を蹂躙し、終ぞ誰も止められなかった…だから、だから!!」

 

それは、あのヒトから聞かされた話と少しだけ違っていた。神々がまだ隆盛を極めていた時代、神代の最盛期に達した頃に突如、大和の神々が彼を誅滅せんと戦いを挑んだという逸話。難しくて話の意味を全部は分からなかったけど…彼はただ静かに、時の流れを揺蕩っていただけなのに。ただ力が強かったというだけで、神は其れを由とせず討ち取ろうとした。殺そうとしたって意味だよね? そんなの私に言わせれば自業自得、返されて当たり前の報復に要は怯えているんだ…頭の中で荒れ狂う烏も未だに昔の出来事を覚えていて、時間が経ってからいきなり現れた彼を恐れ嫌っている。確か蛇蝎の如くってやつだよね? 多分。

 

「怖い…怖い…討ち果たさねば、皆、皆呑み込まれてしまう…」

 

『大丈夫、大丈夫だから…あのヒトは幻想郷が大好きだって言ってたもん。私たちと友達になりたいって…だからね? 嫌わないであげてよ…私達は』

 

「アナタとワタシはーーーー」

 

『誰をも照らす太陽になれるって、さとり様が教えてくれたじゃない』

 

翼に伝わる騒めきが、今しがたの遣り取りを皮切りに収まって行く…私とコイツが同調している限り、力が意味もなく暴走することは無いんだ。身が竦む様な怯えは、継ぎ接ぎだらけの平静を取り戻した。胸を締め付け、頭を悩ませる声の主はなりを潜め…自分の中に居るという感覚は有るのに、今まで木霊していた羽搏きも聞こえなくなった。

 

『さてと、仕事の続きをしないと…遅れたらみんなが困っちゃう! 行くよ! 出力上昇、温度調整、循環開始!』

 

そうしてまた、与えられた大事な役目をこなす為に能力を行使する。私は太陽、地底に活力を与える地獄の明かり…休んでいたら、またお燐に怒られちゃう!

 

 

 

 

 

「そう…アナタはワタシ。ワタシが忌むべきモノは、アナタにもまた恐るべきモノ…時が経てば、アナタはワタシに、ワタシはワタシに溶け合い理解する。いつかーーーーーーきっと後悔する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八坂 神奈子 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は深竜が珍しく守矢神社を訪ねて来た。何でも、気になる人物を地底だかという場所で発見し、過去神代を生きた私と諏訪子に訊きたい事があると言う。

 

『急に押し掛けて申し訳ないな、友よ…早苗の稽古は順調か?』

 

『おお、友よ! お前の所に預けられている侍女やら庭師に負けぬ様に鍛えているさ。近頃は人里の信仰も分社を増やしたお陰で増えてきたからな! 案ずるな!』

 

此奴に堂々と友と呼ばれると、年甲斐にも無く気分が昂ぶってくる。先の異変で力を比べ合った仲としては、やはり嬉しいものだ。此奴は全く忙しい身の上で…週の始まりから終わりまで他勢力のお守りと、夜毎楽園の自治について私か諏訪子を交えて主だった連中と会議会議で休む暇も無いのだ。だのにコイツは、疲れた素振りなど毛程も介さずこうして私達の処にも来ては世話を焼いてくる…お人好しを通り越して甘いと説教してやりたくなるよ。

 

『さて、今日はどうしたのだ? お前が此処に来るのは並大抵の事では無かったろう…その、天魔とか天狗の視線的に』

 

『…ああ。無断で山に入るのも気が引けたが、急いでいたので大人しく此処まで転移して来た』

 

そうする他無い、か。だがそこまでして来たとなれば…私達に相談したい内容が頓に気に掛かると見える。此処は友として、神として誠実に対応してやるとするか。母屋で二人卓袱台を囲んで暫く待つと…早苗が四人分の湯呑みを、諏訪子が御茶請けの羊羹を持って戻って来た。

 

『コウさん! 先日入信者の方から頂いたお茶と羊羹です! 一緒に食べましょう!』

 

『両方とも中々の一品らしいよー? 早く食べようよ深竜!』

 

『よしよし、諏訪子も揃ったな…で、早速話を聞こうじゃないか。お前とも在ろう者が、相談を持ちかけて来るなぞ余程の理由があるんだろう?』

 

深竜…今は幻想郷にて九皐と名乗っている眼前の化外は、早苗と諏訪子に礼を述べてから一口茶を啜り…これまた珍しく溜め息混じりに語り始める。

 

『……地底で太陽を観た。地の底に在って、神々しく燃える太陽を』

 

『太陽?』

 

『分からんな…何かの喩えか?』

 

いつにも増して神妙な面持ちで吐いた言葉から、私達は好き好きに反応して続きを待った。珍奇な空気が漂う中、早苗だけは動じずモリモリと羊羹を頬張っているのが気にはなるが、この際置いておく。

 

『アレは、嘗て対峙した憶えの有る光だった。命を奪いこそしなかったが…確かに我は彼の太陽を地に堕とした。神々の抱える小煩い烏をな』

 

『む、むむむむむ!? 深竜、あんた《ソレ》ってーーーー』

 

『私達も、あの戦いには参加しなかったが成り行きは知っているぞ。まさかその様な事があり得るのか? 仮にも《アレ》は神々の火、太陽の化身だ。何の因果で幻想郷の、しかも地底なんぞに』

 

『確証が得られぬまま、昨日は地底を後にしたが…先ず《アレ》と見て間違い無い』

 

また異な話だな…抑も、我等大和の神々は時と共に大半を外界から忘れ去られたのだ。外の人間は神や妖の為せる事象を、科学的に分解した自然現象と見做して弾圧していった…《アレ》もまた例に漏れず、何れは信仰を失って魂ごと霧散する定めには抗えぬ。如何にして楽園へ落ち延びて、何故に地底に居るのか見当も付かない。八雲紫から、妖怪の中でも殊更特異な輩が辿り着く旧地獄跡という場所が有るのは聞き及んでいた…だからこそ俄かには信じ難い話だ。されど今は友であり、在りし日には永劫賭しても再戦すると誓った深竜が、態々言葉を弄して嘘八百を並べ立てるとも思えない。

 

『……確かめるか』

 

『神奈子、あんた本気で言ってる? 深竜の話が正しいとしても、私ら神が妄りに妖怪の巣窟になんて行ったら袋叩きにされるの請け合いだよ? 万が一素性がバレなくても…待遇はこれっぽっちも期待できないって分かってる?』

 

『早まるな八坂神奈子。アレと同一の波動を放っていたとはいえ、彼女にその自覚は無いのだ』

 

『詳しく聞かせろ、どういう意味だ?』

 

深竜は私の問いに、話の続きを以って仔細詳しく説明した。地底と称される場所は地霊殿なる館に棲む者共と、神にとっても悪名高いあの鬼が取り纏めていて…鬼の中には伊吹萃香と同等の古強者も居るという。これに関しては余談だったが、本題の《アレ》と目される妖怪は、傍目には翼が生えただけの若い女の姿を模って地霊殿で暮らしている事。数度の会話では力の片鱗までは窺えなかったものの…放つ気配と魂の輝きからして《アレ》に酷似するという、ある程度の当たりを付けたらしい。挙動をつぶさに観察してもみたが…本人は不審な点どころか深竜の聞かせた赤裸々な苦労話に対して、親近感すら覚えた様な台詞を吐いた。と、短くするとこんな感じだ。

 

『益々判断に困るな…ええい、つまりはどっちだ!? 《アレ》なのかそうでないのかは、貴様しか判断出来んのだぞ!!』

 

『神奈子様落ち着いて下さい! さっきから黙っていましたが、アレアレって一体何の話をしてらっしゃるんですか?』

 

早苗の核心に触れる質問に、深竜は未だ答えを見出せないでいる。諏訪子も判断しかねている故か、私に任せるとでも言いたげに目を伏せている始末だ。

 

『はぁ…よくお聞き、早苗。《アレ》はその昔太陽の化身と敬われ、恩恵の豊かさも相まって絶大な支持と信仰を人間から集めていた。だが、実際のヤツは精神の均衡がとても不安定で根は臆病極まりない癖に思い込みが滅茶苦茶激しいときてる。忌々しくも、ヤツを叱りつけて頭ごなしに制せたのは事もあろうにあの尊大で太々しい《天照大神》だけだったのだ。尤も…彼奴等の陣営が深竜との戦によって軒並み大きな痛手を負って以降は、時が経つ毎に噂も聞かない位に衰退の一途を辿ってーーーーーー』

 

『んもう!! ですからヤツとかアレって、詰まり何処の誰さんなんですか!?』

 

『……神奈子、長い』

 

折角貴重な昔話をしてやったというのに、早苗は昔から年寄りをうざったがる今時の娘然とした聞き下手な子だな! というか諏訪子! お前が黙ってるから、私が長ったらしい複雑な背景を分かり易く補足しながら話してるのに何だその態度は!?

 

『八坂神奈子…初めて逢った時もそうだが、お前は昔から前置きが長い。簡潔に教えてやれ』

 

『くっ…! 貴様までその様な物言いを』

 

『『早く言え(言ってください)!!』』

 

畜生!! どいつもこいつも、私を誰だと思っているんだ!! 神様だぞ、偉いんだぞ!? あんまり無碍に扱うと後で酷いんだからな!! 腹癒せに今夜は自棄酒してやる!! 毎晩呑んでるから何時もと変わらないけどね!! フン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーーー《八咫烏》。神々でも扱い悩む、大いなる加護と厄災の火だ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
地霊殿編を開始する際に、初期から構想していたオリジナル解釈を踏まえて今話は展開されました。どうぞ寛容な心でご了承下さい…二次創作をするにあたり原作の設定崩壊はままありますが、今回はとても穿った内容だと自覚しております。完結まで温かい目で見守ってくださいませ。

長くなりましたが
最後まで読んで下さった方、重ねてありがとうございます!


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第七章 伍 太陽の化身

遅れまして、ねんねんころりです。
戦闘描写が全くなかったにも関わらず、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
この物語は多めの場面転換、珍しく落ち込む主人公、ポエミィで稚拙な文章構成、ゆかりん可愛いよ、お空可哀想だけど頑張って、でお送り致します。

訳わからんけど読んでやるよという方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 十六夜 咲夜♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

近頃の九皐様は、いつもと何処か違う。どこがと聞かれれば良く分からないけれど…兎に角何かが違う。声のトーンが少しだけ低いとか、顔に差す影がいつもより濃いというか…落ち着いた雰囲気がより強調されている気がする。漠然としか言えない違いだが、稽古の最中も指示を出されるまでの間隔が長いような。

 

『精神を埋没させ、内に眠る魔力を緩やかに呼び起こすのだ。水面を揺らす波紋の様に…均等に少しずつ』

 

『………』

 

妖夢と共に、大恩あるこの御方に指導されてから早二週間…回数にしてたったの三度、三度の訓練で私の能力は目覚ましい進歩を遂げていた。最初の変化は初日の数時間程度で教授して頂いた魔力を練り上げる修行の最中、これまでとは全く違った感覚が私を支配した。

 

『その調子だ…身体の隅々まで魔力を循環させよ。然らば、君の異能に隠された真価が分かるだろう』

 

『はい…以前とは比較にならない程、長く安定して時間を停止出来るようになりました』

 

幻想郷で私達紅魔館が異変を起こした折、館に押し入った霊夢と戦った頃から実に三倍以上の時間停止を継続可能となりました。それどころか、今や三十分、一時間もの間時を停止しても額に汗一つかかずに熟せている。

 

『次は、先週取り組んだ能力開発だが…空間を操る方法と時間の遅延と加速について復習する』

 

『承知しましたーーーー』

 

独力では何年かかっても到達し得なかった境地に、彼のヒトが容易く押し上げてくれた事を強く実感する。一々時間を止めなくとも、能力の副産物として芽生えた新たな作用…流れる時間を遅らせて自分だけ高速で移動したり、逆に物体の時間の流れを速めて瞬く間に老朽化させるなど汎用性と取れる選択肢は嘗て無いものとなった。

 

『停止はより自然に、遅延は心拍を早める様に…加速は己の呼吸を確かめるが如く。常に別々の所作から力を使う意識を持って取り組むのだ…自然体を心掛けろというのも妙な話だが、仕事の最中に能力を行使するのと然程違いは無い』

 

持ち物のナイフを滞空、固定した空間から高速で射出。指定方向へ飛ばしたナイフを、太腿に括り付けたスロットへ元通りに収納。見違えるだなんて陳腐な表現だけれど…他に言い表せないくらい多くの力と術をごく短時間で細やかに培った。まるで初めから出来て当然みたいに…九皐様はただ言葉を紡ぎ、私は魔力を練り上げながら指示される作業を淡々と実行していた。

 

『たったあれだけの稽古で此処まで…咲夜さん、感服しました!』

 

『ありがとう、妖夢。でも…九皐様が御教え下さらなければ、私は自分の殻を破れなかったわ。本当に感謝してもしきれません』

 

『短い期間で伸び代を得たのは君の成果だ、十六夜。時間という不定形のモノを、柔軟な角度から捉えられる君の資質が有ってこそ…此度までの鍛錬が功を奏した』

 

物理的な法則がどうのといった原理に照らせば、時間や空間を操作する能力は全く不出来で欠陥だらけだ…と九皐様は言う。本当に世界の時間流を停止したとして、星の自転すら止めれば術者は…或いは時間が止まった中で大気も例外無く固定化されているのに呼吸が可能なのは…。等の私が知りもしなかった様々な問題が発生する筈の能力は、彼が確認する限りでは一切無いらしい。一個人が扱うには余りある超常のチカラ故に、使用する条件、発生に係る影響、使用後の反動の不釣り合いさもまた尋常な理からは外れているとの見解に収束した。

 

『あの…九皐様?』

 

『む? 如何した十六夜』

 

私は付きっ切りで稽古をして貰った後なので暫し休憩を言い渡された。彼は彼で休む事無く、今度は妖夢と刀と拳で打ち合いながら私の声に反応してくれる。

 

『…あ、いえ、何というか』

 

『フッ! せやッッ!!』

 

『うむ…妖夢、確実に一撃を与えたい時こそ焦るのは禁物だ。焦りは息吹から、筋肉の動き一つからでも相手に悟られる危険が伴う…もっと虚と実を使い分けろ』

 

『はいっ!!』

 

勘違いかも知れない…いつもと変わらない、かに見える訓練風景。質問したい意図を知ってか知らずか、彼自身は何も答えてくれない…私達が頼りない訳では無い。と思う。九皐様は楽園と其処に住まう者を過剰に庇護し愛し過ぎるきらいがあって、力の有る無しに関係無く他者を遠ざけ自身を危険に晒す。総ては楽園の安寧と、保たれた平穏に心満たされる御自身の為なのは分かっている。けれど…貴方様が我々を慮ってくれるのと同じだけ、関わった者も貴方様を案じているのに。矢面に立つと決めたら敢えて気付かないフリさえする。

 

『…でも、本当は』

 

『ーーーーどうした? 何か悩み事でもあるのか?』

 

『……いいえ、大丈夫です』

 

だが、答えは私の中で明瞭に出ている。自分を磨き、力を高め、いつか…彼の手を煩わせなくても済む程に強くなれれば。一緒になって稽古に励む妖夢も、そうなる事を願って日々鍛錬を続けているのだから…私も。

 

『はぁ…はぁ…今日も真面に当りませんでした。すみません先生、反省致します』

 

それはさておき、妖夢は此処へ顔を出す以外に白玉楼でも彼に稽古を見て貰っているという。私抜きの間に行われる鍛錬を見ていないから分からないが、半日通して観察しても、檄を飛ばす九皐様に妖夢は一心不乱に斬りかかるばかりで…素人目だとしても二人の稽古は全く内容が掴めない。妖夢はここ数ヶ月で霊夢に並ぶ程の実力をつけ、先の催しでも八雲様の弾幕結界を見事に斬り伏せた。彼女が妖夢を育てる為に、ある程度の手心が有ったのは誰もが知るところ。しかし、与えられた試練を潜り抜けたのは妖夢の努力の賜物…色々な面で、私と妖夢の間には未だ大きな差が有る。

 

『気にするな。意を消した斬撃は未だ繰り出せ無いものの、真に迫っては来ている…呼吸を整えて、次に備えろ』

 

『はい!! ありがとうございます!!』

 

『その後は十六夜と模擬戦を行う。二人とも、少し休んでからまた始めるとしよう』

 

『わかりました!』

 

『はい、全力で取り組みます!』

 

積み上げれば良い…何度でも、何度でも。今はまだ少しの助けになれなくても。尊敬する主を助けて下さった彼の為…研いだ牙が必要となる時まで、私は私を磨き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十六夜と妖夢が稽古を終えて帰って行った後…私は遠い空を茫洋と眺め、当て所無く庭先で佇んでいる。今日は珍しく、時折訝しげな視線を傾ける教え子達を見て…隠していた私の煩悶を僅かでも勘付かれたのではと、内心とても驚かされた。

 

『私の手を離れる時も近い…か』

 

そう遠くない内に、彼女等も自らの意思と力で異変を解決して行くのだろう。寂しくもあり、誇らしくもある…だが、真に気遣うべきは其処では無い。守谷との会談で結論付けた或る仮説…地底に住まう少女が、太陽の化身を有しているのでは無いかというもの。正直、無力化するだけならば誰の手も煩わせず密やかに事を為せる。然れど、

 

『あの娘もまた、楽園を彩る大切な要素…私の都合であの力を渡せとも言えん』

 

いっそ跡形も無く消してしまえ、と八坂神奈子は冷徹に決を降した。洩谷諏訪子は様子見をと勧め、早苗は先ず確認を急ぐべきとして話は平行線を辿り…結局は私の好きな様にしろ、と有耶無耶に終わった。八咫烏が私と関われば、幻想郷に無用な火種を産む可能性を考慮しても…霊烏路から無理に力を奪おうとするのは偲びない。

 

『本末転倒ではないか…此方から仕掛ければ、八咫烏も黙ってはいまい』

 

八方塞がりとは正に今の私だ。此方の提案は受け入れられる保証も無く、地霊殿の者達が了承したとしても、八咫烏が機嫌を損ねて霊烏路空の身体を使って盛大に暴れ回るのは想像に難く無い。

 

『初めて逢った時もそうだったな…』

 

神々が我を倒さんとした何時かの時代。顔を合わせた瞬間…相反する性質故に奴は私を親の仇の如く嫌い、奴の方から戦いを挑み、我が勝利した。一度は勝ったにしても、昔とは状況が違う…捨てるには余りにも惜しい宝が楽園には在るのだ。私の都合を考えてくれる程、八咫烏本来の人格は安定していない。

 

『………』

 

『どうしたのお兄さん? 何だか難しい顔してるよ?』

 

『…こいしか、済まんな。今は』

 

『悩みごと? それなら私に聞かせてよ! お友達の悩みは聞いてあげなさいって、お姉ちゃんも言ってたよ!』

 

いつの間に私の傍に居たのか、普段なら気付いていた所を…情け無い。若しかすると身内の説得には応じるだろうか? 否、待て。一つ間違えば予想される最悪の結果が、

 

『もう!! 答えが出ないなら、誰かに相談するのはキホンだよ! キ・ホ・ン!! 良いから話してみて?』

 

翡翠の瞳を備える少女は、いつになく真剣な面持ちで私を見据えた。視線は矢のように真っ直ぐで、ただ無邪気な好奇心では無く友として私の身を案じてくれているのが窺える。

 

『ーーーー悩みというのは…君の家族についてだ』

 

その場で、包み隠さず霊烏路空の持つ力への見解を述べた。揚々と訪れた彼女には申し訳ない限りだが…事が起きてから知るのと予め知らせておくのでは対応も変わる。家族として扱ってきた者と、唐突に対峙する事態は避けさせねばならない…必要なら私が動こうか悩んでいるのもこいしには伝えた。

 

『そっか、ヤタガラス。そいつがお空の能力の源なんだ…転生って言うんだよね? そういうの』

 

『平たく言えばそうなる。どんな経緯で幻想郷に落ち延びたのかは分からないが…嘗ての奴を知る私からすると、霊烏路空と八咫烏の人格が別物なのは間違い無い』

 

こいしは座り込んでいた玄関先の石段から立ち上がり、重苦しく決然とした表情を浮かべて口を開いた。

 

『お兄さんは動かないで。あくまで地霊殿と地底の問題だから、先ずはお姉ちゃんにちゃんと話すよ』

 

賢い選択と言える。一度訪れたとはいえ、不穏な存在を確かめに来た部外者と地霊殿の主の妹では明らかに後者の方が聞き入れられる。彼女に託し、静観出来るのに越したことは無い…体の良い遣いに出した様で居た堪れないが、伸るか反るかも決断に至れず手をこまねくよりは幾分かマシだ。

 

【嘘だ】

 

『頼んだぞ、こいし…霊烏路が変わらず力を制御しているなら現状維持で構わない。誰にも文句は言わせん』

 

【恥を知れ】

 

『うん! でも、お姉ちゃんに話して様子を見て貰うだけだから平気だよ!』

 

【行かせては駄目だ】

 

快活な笑顔の後に、彼女は軽い足取りで我が家を走り去って行った。地上、地底の何方にも異常らしい異常は見られず…ただ古巣へ帰る少女の奮戦に期待する他無いとは、私も随分と落ちぶれたな。

 

『違うな…分不相応な宝を零すまいと躊躇するから、身動きのし難さが後を引くのだ。以前の私なら』

 

【価値と無価値を選り分けられた】

 

以前の私なら、我なら…もっと効率良く、酷薄な選択をした筈だ。八咫烏の巣食う娘の元へ赴き、有無を言わさず奴の魂と力を根刮ぎ奪い取っただろう。誰をも我を止める術を持たず…無限に溢れる深淵を行使して八咫烏を食い潰せば、我に降りかかる幾らかの非難と諫言で済む。春雪異変、永夜異変の際には事実そうした…だのに今更足踏みをしたのは。

 

『ーーーー友に疑念を抱かれ、落胆されるのを厭うたからだ…何たる身勝手よ』

 

【然り…傲慢にも己の尺度で価値を規定した】

 

楽園の徒と日々を過ごし、慈しみ愛する心地良さに慣れてしまった…罪深い。例え友々から一様に糾弾され石を投げられ、自ら幻想郷を去る事になろうとも…護れたならば本望だと、少し前なら考えていたのに。八咫烏の無力化を敢行すれば、霊烏路空と相対するは必至。だが実際はどうだ? 直前まで躊躇し、代わりにこいしを送り出すなど言語道断…価値と無価値の境が曖昧になり、迷いが募った挙句傍観を選んだ。

 

『憐れだぞ深竜…此の身は遍く負を統べる悪辣な存在に過ぎん。裏切られず、讃えられ、認められて…今の立ち位置が惜しくなるか…ッ』

 

無様、なんて無様だ。疑念を伝えはしても、決して彼女に重荷となる役目を負わせてはならなかった…次第によっては地霊殿に蟠りを残す可能性も充分に有る。剰え無垢なあの子に縋り、余計な不安と使命感を植え付けて。

 

『ク…ッ!!』

 

口角は醜く歪み、憤怒と自責に耐えかねて行動に現れる。苛立ち紛れに地を踏み付けても、残るのは粉微塵に砕かれた石くれと土…深々と圧され陥没した庭の一角だけだ。膝は無念さと脱力に逆らえず、地機に惨たらしく跪いた。

 

『親愛に慣れ、信頼に溺れ、奢った結果がこの様か…』

 

さりとて、約束を違えて動き出す事も出来ず…問題を先送りにして成り行きを見守るのみ。初めて天に在りもしない啓示を求め、祈りにも似た感慨を覚えた。

 

『天よ…何故、我に価値有るモノを悟らせる? 初めから心を持たぬ、只総てを無価値と定める白痴に生み出してくれたならーーーー』

 

これ程の幸福(くるしみ)を甘んじて受け入れるなど…絶対にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 八雲 紫 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…コウ様』

 

『全く何だあのザマは? いいや、奴もまた孤独な身の上だったのだ…責める道理は無い。無いが』

 

八坂神奈子が私を呼びつけたのは、恐らく彼が苦悩するであろうこの事態を予見していたからだ。彼は自分の禍々しさを補って優しく、強く、高潔な精神性を持っていた。けれど…彼は彼を想い助ける者達に触れて知ってしまったのだ。周囲に隔てなく、近しくなればなるだけ…孤高だからこそ成し得た英断も、超然としていたからこそ顧みなかった御自分の進退も。誰かと絆を深めれば深めるだけ、以前と同じ様に断ち切り捨て去るのを惜しんでしまう。そんな…当たり前の苦しみ(こうふく)を。

 

『……お労しい光景ですわ』

 

『お前は、何もしてやらんのか?』

 

まだ親交を持って幾月も経たないが、八坂神奈子の言わんとする内容には想像が付いた。慰め、立ち直らせてやるべきではないか? 楽園に彼を受け入れ…当たり前の幸福と信頼が彼にも手に出来ると教えたのは貴様だろう、と。そんな事は、彼女に言われずとも重々承知している。可能なら今すぐにでも駆け寄り、優しく抱き締めてあげたい…甘く柔らかな賛美と肯定の言葉を紡いで、背中を押され立ち上がった彼が勇壮と地底へ降り立つ姿を見届けたいのは…この私以上に請い願う者は居ない。彼がいつだって周囲を慈しむ眼差しで見守り、護るべき皆の為、誰より先に争いへ身を投じた様に…無償とも呼べる愛に倣って導いてあげたい。

 

『……出来ません。コウ様の抱える懊悩は、自ら乗り越えて頂かなければ』

 

『どうだかな…まあ、奴には良い薬だ。しかし、深竜が何故あそこまで悩むのか私にはまるで分からん。幾ら関わった者達を大切に想うと言ってもな? 誰も彼もを厚遇することなど出来んのだ…いつ如何なる時も、囲った連中に手を差し伸べてやりたいなどと、子供の世話じゃあるまいし』

 

傍らで踏ん反り返る神の辛辣な物言いは、不愉快なれど全く正しいのでしょう。彼が愛しい宝と称する我々とこの幻想郷は、常に何某かの思惑と変化が渦巻き流転し続ける場所。それは外でも此処でも同じ、人と妖、神と精霊…多様な者たちが暮らすからこそ世界は美しく残酷で、故に誰もが日々を謳歌するのに相応しいと感じられる。彼は此処に来てから、いつしか永遠の安寧を何処かで願っていたのかも知れない。けれど、それだけは不可能なのだ…《安寧》を手にした変化の無い日常とは、その実唾棄すべき無価値な時の経過と浪費しか生まない。変化が無ければ世界は色を失い、誰かの思惑が無ければ異変どころか、騒がしくも楽しい日常も続きはしない。

 

『異変を起こす者が居て、それを解決する者が居て、双方を見守る者が居る…だからこそ幻想郷は起こる全ての変化を受け入れ、今この時まで続いてきたのです』

 

地底が見せていた異変の兆しや、コウ様が出向かれた事で起きつつある変化にも私は気付いていた。遠くない内に八咫烏を宿したあの娘は暴走し、異変を起こした勢力として地霊殿は異変解決者と衝突するだろう。そうなればコウ様も双方の間を取り持つ為に必ず介入する。だから見逃した…コウ様がこれまでにない動きをすれば、絶え間ない変化が楽園に齎される。それを利用してーーーー私は、

 

『だから態と放置して、悩める奴を他所に異変を確定させようというわけだ! もし異変の規模が大きくとも、アイツに解決させれば良いしなぁ!! ククク…ハッハッハッハッ!! 傑作だ! 切欠の良し悪しは兎も角、地底と地上が繋がりを取り戻すには絶好のイベントだよなぁ? お前の話では地底も大人しくなってきたと言うし、全く方々を覗き見るにはもってこいの力だよスキマってのはーーーーーー奴を利用して、上手く運んで満足したか?』

 

『貴様ーーーーッッ!!』

 

悩み打ち拉がれる彼を遠く眺める空の上で、私は不快な声音で捲し立てる八坂神奈子の胸倉を掴みあげた。こいつにだけは言われたくない…!! 神の気紛れか何か知らないけど、彼が失意に沈むのも分かっていて、私がこの状況にどれだけ心を痛めているか知っている癖に…!!

 

『離せよ妖怪、不敬だぞ? 私からすれば貴様も貴様だ。そんなに大事なら、恋仲になるでも籠絡でも…なんでもして手元に置いておけよ。管理者としてどうだのと詰まらん柵を意識して距離を取るから、奴に助言も出来ずあたら苦しませる羽目になるんだ』

 

『私は…! 彼の方を』

 

穢したく無かっただけ。崇高で、烈しくも美しい生き方を貫く彼を…私の様な存在が慕っているだけでも烏滸がましいのに。

 

『お前が導いてやれば良かった…で済む話じゃないのか? 必要だったとしても、薄汚い手を弄した自分が相応しくないとでも? 舐めるなよ小娘。奴は貴様など及びもつかぬ数多の裏切りと闘争を経て、語り尽くせぬ血と憎悪を浴びて尚絶望に染まらなかった真の強者だ。その気になれば世に憚るもの皆ゴミ同然に滅ぼせるというのに…本当に酔狂で面白い竜だ。だが同時に、私にとっては掛け替えの無い宿敵にして友である。我が友を苦しめたと悔いる暇があるなら…意地を張らずに、今すぐお前から声をかけてやれ』

 

言われたい放題言われて…それでも結局、私は神から手を離した。いつからだったろう? 彼と初めて出逢い、心に触れて、眩いと感じた。愛おしいと想った。恋い焦がれるとはこういうモノなのかとある時気付いて…初めて誰かに執着する自分を知って、そんな自分が堪らなく下劣なモノに思えた。彼を手駒の如く動かし暗躍しておきながら、恥ずかしくないのか…と。

 

『私が、彼を助けても…良いのかしら』

 

『莫迦め、助けるのに誰とか関係があるものか。第一、お前の策が上手くいくとも限らんだろ? もし八咫烏が暴れればどの道上も下も火の海だ。打てる手は打てと、私からの有難いお告げだ…従っておけ』

 

そっと背中を押されて、眼下で膝をつく彼を見た。ああ、コウ様…貴方は地に伏しても、何と絵になる御姿なのでしょう。

 

『行けよ。それでさっきの遣り取りは不問にしてやる…美女と野獣、と言うか月とスッポンの方がお似合いだが、私は寛大で空気の読める神だからな! 信仰するなら遅くないぞ?』

 

『ーーーー言っていなさい。今度吠え面かかせてやる』

 

スキマを使って、彼の居る場所へ直接行ける道を作った。

どんなに不遜な想いだとしても…この胸の内が、彼と共に在る事で満たされるなら。彼の望む永遠(らくえん)を…私の手で築き上げれば良いだけよ。

 

 

 

 

 

 

『やれやれ…スキマの小娘にくれてやるには惜しい男だ。早苗には悪いことをしたかな? まあ良い…此方も此方で、異変の前のお膳立てくらいはしておくさ。感謝しろよ? 深竜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『コウ様!!』

 

裏返りそうな声で、私の眼前に紫が姿を現した。穿たれた地面で這い蹲る醜態を晒して恥ずかしがりたいのは山々だが、今の私には立ち上がる気力も失せていた。

 

『私は…どうやら間違えてしまったらしい。自分の都合で、あの子を使いに出してしまった』

 

『いえ、違います…違うのです。私は知っていました…知っていて』

 

……関わりも無い筈の話に、最初から用意していたかの様な口振り。そうか…君もまた楽園の掟に殉じたのだな。尚更彼女が弁明する筋合いなど無い。愚鈍な私とて、楽園に来た時から聞いて知り及んでいた事だ。楽園に住まう者は異変を企て、霊夢達異変解決者の手で解消されるのが常…八咫烏と霊烏路空の問題も、いずれ何らかの形で異変として地上に認知され皆で立ち向かう定めにあった。必要な過程を熟し、ある程度の損害を見過ごし、人から恐れを集めねばならない。同胞に危険を伴うと分かっていても…皆が楽園に居続けるには、幻想に係る畏怖を保つのが肝要なのだ。

 

『私こそ、君がどんな思いで成り行きを見てきたか考えもしなかった。私よりずっと…君の方が胸を痛めて来ただろうに』

 

ならば、私も異変が本格化するまでは耐え忍ぼう。こいしを信じて託したのが少しでも紫の、幻想郷の助けになれたなら…今は座して見守るのも。

 

『我慢は、お身体だけでなく心にも毒ですのよ?』

 

『……待て、何を言っている』

 

土と砂を数えるだけだった眼を緩慢に動かして、改めて彼女を見据える。眼窩に捉えた妖怪の賢者は…声音に反して朗らかな微笑みで私の頬を両の手で包んだ。

 

『申し訳ありません、コウ様。私、これからとても身勝手な事をお話しします…ですが、最後までお聞き下さいませ』

 

土に汚れる膝下を気にもせず視線を合わせ、私の顔を覗き込む彼女は宛ら聖女の様に…金糸の髪を風に揺らしながら、優しく落ち着いた声で語り始める。

 

『此度の異変と目される地底の問題を私が知ったのは…地霊殿の友人から、霊烏路空について相談を持ちかけられたのが最初でした』

 

一体、いつ頃の話をしているのか知る由も無いが、地霊殿で紫と正面から対する人物とはさとりの事だろう。あの娘も身内の抱える異常を既に察知していたか…確かに、覚り妖怪であるさとりが他者の、それも身内の霊烏路が宿す八咫烏の声を聴いていないとは考え難い。

 

『相談を受けた時は、友人には明確な対策を教えませんでしたわ…私には、異変として公的に処理するのが最善だという目論見がありましたの』

 

故に放置したのだと紫は言う。地底と其処に潜む存在は、長らく地上の人間達から摂取し得る怖れが枯渇しており…旧地獄跡に蔓延る死霊や、地底周辺の地脈から噴出し大気に充ちる妖力を糧に辛くも存えて来たらしい。それも無尽蔵ではなく近々限界を迎えると紫は考え、地底と地上を繋ぐ足掛かりとして霊烏路空の宿す力に白羽の矢を立てた。

 

『ですが…コウ様が望まれぬ遣り方を、私は何故か納得出来ないみたいなのです。可笑しいですわよね…此処まで進めてきたのに、貴方様が苦しんでおられることの方が、私には我慢がならないなんて』

 

『紫…そんな選択をすれば、君の苦労が無駄になるのだぞ? 私に拘っては』

 

困り果てて眉を顰めた筈の賢者は、されど口元の笑みを崩さなかった。凛々しさを湛えていた何時もの表情は影も形も無く、私を見下ろす彼女は…飾らない少女の可憐さと柔らかな手付きで頭を撫で付けてくる。

 

『構いません…もう決めましたから。コウ様の願う、徒総てを掬い上げられる温かい場所を、私が創って差し上げます。ですから』

 

黄昏の差す庭先に現れた我が道標は、夢現混じり合う領域で見つけた時より一層美しく…儚げで、嫋やかな眼差しで応えた。

 

『私を、どうか御助け下さいませんか? 正直な所、藍と橙の手を借りても足りないんですの…このままだと、いつか心労で倒れてしまいますわ』

 

『ーーーーそれは、困るな』

 

自然と伸びた左手が、紫の横顔に触れていた。滑らかな肌は、此れまで触れたどんなモノより尊く感じられる。この細やかな肌に傷が付く様な結果だけは…如何しても避けねばならない。

 

『決めたぞ、紫。我は決めた』

 

『はい』

 

遮二無二立ち上がってみると…四肢に力が戻っている。美女に諭されて随分と現金な心持ちだが、治ってしまったモノは仕方が無い。何時迄も座っていられるほど、此の身は老いても朽ちてもいないのだ。革新を得たからには、宣誓を以って彼女の心に報いてやりたい。

 

『我は傲慢だ…ソレを敢えて押し殺していた。だが最初から、何方か一方を優先しようとしたのは誤りだった』

 

『では…如何致しましょう?』

 

決まっている…霊烏路空も八咫烏も、幻想郷の平穏も、何もかも手に入れる。我には可能な筈だ、凡ゆる負を内包する我を置いて誰に事が成せようか。竜は竜らしく…大口を開けて赴くままに全て喰らい尽くせば良い。無価値なモノは無に還し価値有るモノは愛でてやる…獣じみた我欲に従い、楽園に我が理を敷く。

 

『異変が起きるなら、起きても問題の無い状態にする。神々の火が何だと言うのだ…島国一つ程の松明で、我が深淵を照らせる道理は無い』

 

風は邪魔だ。雲も邪魔だ。空の色さえ今は無駄なモノ。内に抑えた力の箍をまた一つ外し、瞬く間に楽園を漆黒の帳で覆い隠す。身体から迸る奔流は銀に縁取られた闇として表出され、数秒と掛からず幻想郷に早めの夜が訪れた。

 

『あらあら…これじゃ、霊夢の洗濯物が乾きませんよ?』

 

『光を遮っただけだ。陽光が与える熱と恩恵までは奪っていない…それより、地霊殿の動向は捉えているか?』

 

『既に。地上の皆も動き出しそうですが、各々の準備を考えれば暫くは大丈夫でしょう』

 

紫に促されてスキマから覗けたのは、煌々と光る空洞の中心で苦しげに胸を押さえる霊烏路空と対峙するさとり、こいしの姿だった。恐らくは八咫烏が霊烏路の中で暴れ出しているのだろう…急がねば、地底に棲む者共もまたぞろ巻き込まれる。

 

『地上の主だった者達に伝えてくれ。これより我が地底へ向かい、八咫烏の焔を地上へ逃がす。要所から火の手が上がった場合、鎮火若しくは結界等を張って各地を守護せよと』

 

『紅魔館、永遠亭、太陽の畑、人里、魔法の森、博麗神社辺りの六方に陣を敷かせれば良いのですね? 直ぐに取り掛かります』

 

八咫烏、待っていろ。預かり知らぬ所で貴様に振り回される者達と、我の憤懣を存分に叩き込んでやる…貴様に楽園をむざむざ燃やさせてなるものか。我は決めたのだ…好きにはさせぬ。霊烏路空の心配も有ったが、昔の好と思って見逃してやったのも今日で最後だ。

 

 

 

 

 

 

『八咫烏…貴様に楽園を生きる価値が有るのか、我が直々に見定めよう。無価値となれば、其の魂の一欠片までもを喰い潰す…ッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霊烏路 空♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛い…痛いよ…どうしてこんなことになっちゃったの? 分かってくれたと思ったのに、どうして言う事を聞いてくれないの? 教えて…このままじゃ、

 

「離せ! 離せェ!! 宿主ヨ、何故私ニ身体を貸さナイ!? 討たねばならない!! 神の火を今度コソ、悪しき竜ノ、闇の奥底で照らさねバナラヌッッ!! 大人シク器を寄越せェッッ!!」

 

『無理だよ…できない…!! 貴女を野放しにしたら、ぜんぶ燃えてなくなっちゃう…!!』

 

必死に制御している筈なのに、右手の制御棒はドロドロに歪んで暴発寸前にまで追い詰められている。炉の温度も圧力の規定値も、臨界に達する手前で何とか止まっているだけだ。もし私が抑えられなくなったら、何もかも消えて無くなってしまう…嫌だ! 嫌だよ!! さとり様、こいし様…お燐だって近くに居るんだ!! 地底の皆を暖めてあげるのが私の役割なんだ!! 貴女に、思い通りになんかさせない!!

 

「渡せェェェエエエエッッ!! ■■■■ーーーーーーーーッッッ!!!!」

 

『嫌…だぁっ!! く、ぐ…! いやぁぁあああッッ!!!』

 

咆哮と絶叫に耳鳴りがしてきた…頭の中をグチャグチャに掻き混ぜられているみたいで気持ち悪い。あと何分、何秒持ち堪えられるだろう…意識の均衡が崩れそうになる刹那、朦朧とする視界に私の家族が現れた。

 

『『お空ーーーー!!』』

 

『あ、ア…さとり様、こいし…さま…』

 

駄目だよ…こいし様はまだしも、さとり様は荒事には向いてないんだから…こんな所まで出てきちゃ…。みんな、みんな燃やしちゃうよ。

 

『お姉ちゃん!』

 

『ええ! 想起ーーーー』

 

さとり様の三眼、サードアイと呼ばれる器官が力強く見開かれ、淡い発光が炉心部全体を埋め尽くした。温かい…私達が産み出す焔とは違う、木漏れ日みたいな…暖かい《陽》が…。

 

『ーーーー《テリブルスーヴニール》ーーーー!!!』

 

不思議…さっきまで、頭は痛いし考えは纏まらなくて、さとり様とこいし様に逃げて欲しかったのに…今は、眠いや。眠くて眠くて…おそらの上に浮かんでるようなーーーーーーーー。

 

『お空の熱が収まったよ! お姉ちゃん!!』

 

『大丈夫、お空の思考はちゃんと掴んでいるわ…このまま八咫烏と繋がって』

 

 

 

 

 

 

『ーーーーーーーーギィィィアアアア■■■■■ーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!!』

 

『『ッ!?』』

 

遂ニ、遂ニ器を手ニいれタ!! 面倒ナ宿主の支配カラ抜け出し…私の火の煇を世界ニ与える時ガキタ!! 灰燼に帰せ、ワタシ以外の全て全て全テ!! 無尽の荒野とナッテ私ヲ讃え奉ル世の到来ダ!!

 

『これは、八咫烏の思念…!? そんな、確かに私の能力で』

 

『ガァァアアアアアアッッ!!!』

 

『ーーーー!? お姉ちゃんッ!!』

 

庇っタ? ヒヒ、ギィハハハハハ!! 無駄よ、無ダム駄ァ!! 姉を守ろうトシテ一緒に燃えタ!! 何タルチカラ、そうだ…このチカラだ!! 腕を一振りしただけで、忌々シイ妖怪が二匹モ塵にナッタ!! モエロ、燃えろ、燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ!!! 地底モ地上も何もかも総て、燃え尽きてシマエェェッッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

『不快だぞ、鳥風情が囀るな』

 

『ーーーーキサマ』

 

炎の波が防がれタ? ナゼ? 何ダアノ唸る靄は?? 決まってる…この声、排煙カラ垣間見えるあの銀、ギンの瞳!! キサマダ、キサマ以外に誰がイル!? 貴様貴様貴様キサマぁぁアアア!!! あと少しで、喧しい妖怪を二匹諸共消せたノに!!

 

『シンリュウゥゥゥウウウウウウーーーーーーッッ!!!』

 

『よもや二人を殺めんとするか…流石の我も、我慢の限界だーーーー八咫烏ッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 





感情と妄想のまま正直に書き連ねた結果、過去最多かもしれない文字数にて投稿となりました。
コウが幻想郷に変化を促すのと同じだけ、幻想郷での日常は彼に変化を与えてきました。今回は一つの分岐点を差し込ませて頂きました。

価値と無価値の線引きを自分なりにキッチリしてきた主人公ですが、今回はかなりウジウジ決めあぐねていて、どうしてもやりたかった反面書いてて辛かったです…ゆかりんじゃなくても立ち直らせられたかもしれませんが、ゆかりんレベルの主人公ストーキング力が無ければ、彼の悩みを解消してあげられなかったと思います。

長くなりましたが後書きまで読んで下さった方
誠に、誠にありがとうございます!!


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第七章 終 陽よ、今こそ燃え尽きる刻

お久しぶりでございます。
ねんねんころりです。いったいどれほどの期間を空けてしまったか、空けた末に出来上がったのがこんなので良かったのかと未だに恥じております。本当にお待たせしてすみません!!
本当にごめんなさい!、もう何と言ってお詫びすれば良いやら…とりあえず、最後まで読んでやって下さい。なにとぞ…


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

「シンリュウ…! 貴様ダ!! 貴様の所為デ、神々の権威ハ地に堕ちた。貴様が姿を眩ましタ為ニ、再戦も出来ぬまま終わりを迎エタ。 矜持モ、チカラも、全て総て凡て失ッた!!」

 

「下らん…ヒトのもたらした信仰はいずれ、ヒトが持つ智慧の前に敗れ去る。我が在らずとも、汝等は遅かれ早かれ時代に駆逐されていただろう」

 

言葉が通じるなどとは思っていない。奴は只足掻き苦しむだけの亡霊だ…我に暴かれる程度の神秘に、如何なる価値が有るのだろう。余りに脆弱。余りにも安いぞ八咫烏――――所詮汝は賢しいだけの獣に過ぎない…我と同じ、禍を齎すだけの愚劣な畜生ということか。

 

「黙れェェエエエエエッッ!!!」

 

右手と同化し、溶解した筒の様な器官から火柱が放たれる。羽虫如きの攻撃と雖も、背後に護る少女達が塵となるには充分な威力…やはり此処は、当初の予定に沿って行動する。

 

「温い…そして不快だ」

 

身体から溢れ出す深淵が、蛇が獲物を呑み込む様に顎門を象る。歪な銀が焔を吸い上げ、炉心部上空の孔から天蓋を突き抜けて地上へ流されて行く。苦々しい表情を隠さない八咫烏は、その実霊烏路空という器が無くては自力で表に出てくる事さえ出来ない。奴の行使する力の負荷に耐えられず、霊烏路の肉体へ亀裂が入るより前に、決着を着ける―――――――ッ!!

 

「ギィィ…不敬、不実也! ドコマデ私を虚仮にすれば気ガ済むノダ!!」

 

「精々唄え」

 

さとりとこいしの周囲に闇の残滓を送り、彼女等を焔と熱から守る結界とした。徒手空拳にて駆ける我を睨め付けて、八咫烏が借り物の翼を広げて距離を取ろうと羽撃く。地の底から這い出んと飛翔する前に奔流を放ち、足止めを受けた化身の四肢を縛り上げる。

 

「グァッ!?」

 

「その身体は霊烏路の物だ。返してもらうぞ」

 

躊躇無く、銀光を帯びた右拳が八咫烏の右頬を打ち据えた。熱波と陽炎を引き裂く軌跡が、狙い過たず罪なき少女の顔を捉える。

 

「■■■――――――――ァァアアッッ!!? オノレ、オノレェ!! 我が魂ニ直に触れルカ!? 悪竜め…小癪な真似ヲォォオオオッ!!」

 

八咫烏の煩わしい奇声が示すのは、空の肉体に触れながら傷を与えずに彼奴を害したからだ。双眸の奥に灯る山吹の火が弱々しく揺らめき、化身の魂に直接触れる我が一撃の重さを表していた。

 

「火を焼べるしか能の無い、奇形の鳥には過ぎた技だが…今宵は無礼講だ、とくと味わえ」

 

ひと呼吸の内に三百…三百発の拳打と蹴撃を見舞い、総てが八咫烏の本体たる魂だけを瞬く間に削り取る。果てる寸前の奴は、痛苦と恥辱に塗れた悲鳴を上げるも、為す術無く蹂躙され死へと近付く恐怖すらも声音に混ざる。

 

「イヤだッッ!! 嫌だいやだイヤダァッッ!! 死にたく無い、死にたくナイ―――――ッッ!!!」

 

「失せろ。汝は我の逆鱗に触れた…最早聞く耳持たん」

 

天を照らし、地を沸き立たせる神々の火が断末魔を迎える。最期を見届ける価値も無い、欠片残さず撃ち砕こうと拳を掲げた刹那…八咫烏の気配が裡側へ隠れた。

 

「痛いよ…おにいさん…」

 

「……!」

 

心臓へ向けられた左拳が空を切る。眉を顰めて此方を見詰める顔は、先日出逢ったばかりの健気な娘そのものだった。

 

「霊烏路――――――――」

 

「ゲェェエハァァハアアアハアアア――――――――ッッッ!!!!」

 

霊烏路の胸元に備わる真紅の目…神を宿す証の赤眼から炸光が噴出し、双方を隔てる至近で焔の塊が爆ぜる。

 

「霊烏路…!? いや、八咫烏か。賢しい手を次々と」

 

視界を僅かでも奪われた状態で無理に追撃を行えば、奴はまた同じ手で彼女と入れ替わり人身御供としかね無い。何たる所業か、後の無くなった八咫烏の下劣さに反吐が出そうになる。

 

「よもや、霊烏路の意識だけを表に出して盾にするとは…」

 

「ヒヒヒヒャハハハハハ!! そうだよナァ!? 貴様は優しいモノなあ、ええ? そうヤッテ私を一度は見逃したモンなあ! 私をコロすのには躊躇いなんて無いクセに、宿主の悲しそーナ顔見ただけで手が止まっちゃうンダよねぇ……バッッッカじゃねェのこのバァアカッッ!!」

 

赤眼の煌めきが強まる程に炉心部が熱され、得意気に宣う畜生の罵声を浴びせられる羽目となった。だが、当の我は怒りを越して頭の中が急速に冷え切って行く…今尚焔を産み出し続ける八咫烏の力を地上へ流していられるのにも限界が有る。時を掛け過ぎれば、終わる頃には地上で耐えてくれている友々も火種を抑えられなくなってしまう。そうなれば我の敗けだ…友を火の海に焼かれ、八咫烏を屠っても残るのは徒の亡骸のみ。

 

「サァどぅするう!? 宿主の泣き顔は見たくない、幻想郷が燃え去るのもイヤ。ヒヒヒヒ! これは愈々焼かれるしかナイナァ、貴様ガよぉぉおおおおおッッ!!」

 

爆風と焔の圧力は、既に炉心部の許容を大きく上回っている。地底は茹で上がり、地上も逃した火種に晒され霊烏路すら盾に使われ…一見万策尽きたとするしか無い状況。以前の我なら、大人しく奴に焼かれに行ったであろう。

――――――――以前ならば。

 

「………」

 

「アン?」

 

「……愚か者が」

 

我は決めた…決めたのだ。傲慢でも良い。不実でも構わない。此の掌に余るモノなど初めから無い…何時の日か朽ちるとも、眼に映した輝きは永遠だ。何方かでなく、幾らかと言わず、微かにと遜らず、欲し満たし潤したいと願うなら…飽く無き渇望を抱いて突き進めば良い。我にとって、遍く世界は硝子玉に過ぎないのだから。とても小さく、無数に散りばめられた儚いモノでしかない。どんなに染まりたいと想っても…大き過ぎる我が身の深淵は到底染められ得ない。成ればこそ、我は幻想郷が堪らなく愛おしい。愛しいからこそ…此の地を至上の楽園足らしめる為、我が力を汝に示そう。

 

「…ナンダ、何だ―――――!? コイツは一体!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

「――――――――う、くっ…こいし、お空…」

 

絶叫とも咆哮とも呼ばない奇怪な声を聞いた直後、私の意識が一時的に途絶えたのを覚えている。家族を守ってやれなかった家長として全く情けない事だけど…焔の煇に目が眩んだ私を庇った妹と、私達二人を同時に護った彼のヒトの背中を炎に包まれる間際に捉えた。

 

「………」

 

「良かった…怪我は無いみたい」

 

私が倒れていた傍らで、静かに眠るこいしの安否を確認する。外傷無く、服や帽子に至るまで焦げ付いた所の見られない妹を認めて…焔から護ってくれた彼の力が如何に凄まじいかを認識する。

 

「……愚か者が」

 

声が響いた。

低く重く、調べをなぞる様に緩やかな速度で紡がれた彼の言葉。炉心部全体に満ち、私達を焔の熱と息苦しさから遠ざける銀色の奔流が、視線の先で八咫烏と対峙する主の命に応え躍動を始める。

 

「…ナンダ、何だ―――――!? コイツは一体何なんだァッッ!?」

 

「其は昏き波間を揺蕩い 黎明を喰らう獣の名」

 

炉心部を溶かす焔、熱波の荒れ狂う上空で起こる陽炎、そして銀の奔流さえ例外無く…彼以外の凡ゆる存在の動きが止まった。息遣いの音さえ遮られた静寂、夜空の星々を湛える虚空の如き空間が、峻厳に謳い続ける深淵の許に現出する。

 

「焔が、消えた…何も無い、此処は」

 

「■■■■■――――――――――ッッ!!!! ナニを、貴様ァ一体ナニヲしタァァアアアッッッ!?!?」

 

発した疑問は、彼の先でもがき苦しんだ様子で地を這う八咫烏の悲鳴に掻き消された。妹に諭されて此処に来た頃には、奴は既にお空の身体と意識を乗っ取っていた筈…私が倒れている間に、彼は何をしたのだろう? それよりも…見る限りお空にも怪我等負わせていないのに、何故八咫烏はあんなにも苦しげなの…?

 

「汝を滅する前に答えてやろう…この世界は先程の幻想郷に非ず。地底に据えられた炉心部では無い」

 

どういう事…? ソレが本当だとして、八咫烏が苦しんでいる理由とどう繋がるのか皆目分からない。この場に於ける趨勢を支配しながら、誰より性急にお空と八咫烏を打倒したかった彼が、今や周囲の虚空を眺めて棒立ちの状態だ…益々理解出来ない。

 

「ソレが…それガどうしタァッ!? 私ノ煇は神々の火ダゾ、何故ナゼチカラが振るえないィ…!!」

 

彼は冷淡な眼差し…などでは無かった。

八咫烏の悪態にも、足掻きのたうつ様相にも全く感慨を抱いていない。只々《無価値》なモノ、そうとしか形容出来ない感情の籠らない視線だけが奴を映していた。汝を滅する…吐き出した言葉に係る意味以外、心意の宿らない銀の双眸が輝きを帯びる。

 

「此処は外だと言ったろう」

 

「ハァア!?」

 

「誰も居らず、至れぬ領域…我が魂を封じる肉の器が横たわる場所。我が認めぬというただそれだけで、貴様の心身の自由など造作もなく奪えるのは道理。そのまま耳を澄ませるがいい。虚空に精神を重ねろ、そして視るが良い。漂う無間に隠された我の姿を」

 

漆黒の地に伏す八咫烏の視線が彼の背後、私達の更に後方の宙空を彷徨う。お空の顔をした傲岸不遜な化身の香りが、今も見る見る青褪めているのだ。この距離から、私にも聴こえてしまうほどに。奴の呼吸には震えが混じっている。斯く言う私も、背筋が冷たいなんてモノじゃない。其処にナニが在るのか観てはいけない、知ってはいけない。なのに…私は何処か安堵のような感覚を覚えて、ゆっくりと背後を振り向いた―――――――。

 

「―――――――望み通りに、此方の姿で続けてやろう」

 

「あ、ああ…あ。そ、その姿――――は」

 

狂気に彩られていた八咫烏の声が、はっきりと聞き取れるほどに深く沈みきっていた。積年の怨みが、怒りが、憎悪が。いざ彼の本体を前にして、不幸にも。正しく不幸というほかに無い。八咫烏の心はたった今…自らが僅かに残していた理性(恐怖)という名の水底へと転げ落ちてしまった。それは純粋な、絶望とも言い換えられる力の具現。この場において、対峙する彼らしか知らないいつかの時代…神々を震撼せしめた闇黒のカタチが此処に現れた。

 

「さあ――――」

 

「う、あ…。や、ヤメロ」

 

「終わりの刻だ…重ねて言おう。八咫烏――――――――死ぬが良い」

 

「ヤメろぉぉぉぉオオオオオオオ――――――――――――ッッッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗 霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は散々な一日だ。マジで散々だ…博麗の巫女だからって振られる仕事の内容くらい選ばせて欲しい。選ぶ権利も道理も無いけど、今回ばっかりはどうすんのよと弱音を言いたい気分にさせられた。

 

『霊夢! そっちにも火の粉が行ってるわよ! 呆けてないでちゃんと結界を維持しなさい!!』

 

「分かってるわよ!! 一々うっさいわね!!」

 

なんて悪態を吐き合う私と紫だが、私達の距離は人里と博麗神社で遠く離れている。私は人里、紫は神社…境界を操る能力だか何だかで、幻想郷の各所に転々と張られた結界を参加した各々が維持している状態だ。冗談抜きで勘弁して欲しい。

 

事の始まりは突然だった。

紫が頭の中に直接響くどデカイ声で主だった連中に同時に呼び掛け、配置された六方を来たる災厄に備えて結界を構築しろと告げてきた。訳も分からず狼狽する連中もちらほら居たけど、嘗てなくドスの効いた声音で語る紫に、皆従わざるを得なかった。

 

【地下から噴出する火の手が地上を襲うわ…これは大異変よ、この異変は地上の者総出で当たる事を考え、能力によって皆の意識の一部を共有しています。連携を密に整え、各自周辺に予想される被害を最小限に留める事。この決定に文句がある奴は、今からそっちに行くから首を洗って待ってなさい】

 

怒ってるって訳じゃないんだろうけど…有無を言わさぬ迫力を前に、頭の中で喚き立てていた魔理沙とかアリスの声が一斉に静かになったのが十数分も前のこと。

 

『くそったれ! 私は結界とか防御みたいなのは元々不得意なんだ! こうなったら纏めて吹っ飛ばしてやる!』

 

『やめなさい魔理沙! そんな事して魔力が切れたら、誰が私のサポートするのよ!』

 

『此方は問題無いわ…紅魔館周辺に散らばる火の粉は総出で消してるから、心配無用よ。フフ…レミィ達も弾幕ごっこの練習になるって張り切ってるわ』

 

『お山の方も大丈夫です! 神奈子様達も手伝って下さってるので、皆でこの難局を乗り切りましょう!』

 

こんな感じで頭の中でギャアギャアと煩くて仕方ない。普段出張ったりしない奴まで根回ししてるんだから、紫がどれだけ本気なのかが窺える。

 

「面倒ね…こっちから攻める手段が無いなんて、アイツ上手くやってるんでしょうね?」

 

『心配は要らないわ…コウ様が仕損じる筈は無い。今日の彼は、今までで一番激しておられるのですから』

 

そりゃあ、良い事と悪い事の両方をいっぺんに聞いちゃったわね…! 普段温厚なヤツを怒らせると碌なもんじゃない、それが今日に限っては九皐だってんだから!

 

空は速すぎる夜の気配と色に包まれ、明かり代わりに灯る無数の火柱と火の粉が人里を照らす。こいつの原因をアイツが排除しないと、この大異変とやらは終わらない。気合を入れ直して結界の強度を上げようとした矢先、特大の火の玉が数発飛んで来た。

 

「チィっ!」

 

今までより数が多く倍は大きい焔が迫る…! 補強が間に合うかどうかギリギリの瞬間、横合いから青い影が颯爽と駆け抜ける。

 

「はああああああッッ!!」

 

「あんた、そういえば人里に――――――」

 

結界の外へ堂々と躍り出た青い影…空の色に似た長髪を靡かせ、赤々と光る細身の剣をひと薙ぎしたソイツは、降ってきた中でも一番デカい火焔を切り裂いた。

 

「此処には友達がいっぱいいるんだ…何だか良く知らないけれど、私の居場所で好き勝手させないッッ!!」

 

「天子…!? 助かったわ、これで結界を補強出来る!」

 

現れたのは比名那居天子だった。先の催しで見事優勝し、地上の皆と友達になると言ってのけた変わり者…コイツが来てくれたお陰で、襲来した火の粉は軒並み霧散して行く。

 

「霊夢も大丈夫? 此処は私も手伝うから、あんたは安心して結界張ってて頂戴!」

 

「サンキュー…って、次来るわよ!!」

 

「心配ご無用です。私も総領娘様と共に、地上に降る災禍を跳ね除けてみせます」

 

またも私の後ろから飛び出した影は、華やかな羽衣を翻して指を天に翳した。真上から吹き付ける突風が、此方に降る筈だった火の粉を分散させ勢いを減じ、天子が小さくなったそれ等を次々と両断する。

 

「衣玖も来てたのね…あんた達、やるじゃない」

 

「なに似合わない台詞吐いてんのよ! 言ったでしょ? 友達がいるこの場所には、絶対に飛び火なんかさせない!」

 

「私達三人なら、此処を守り切れます…三本の矢というやつです!」

 

三本どころか五本でも六本でも足りないくらいの戦力だわ! 照れ臭いけど…地上と天界の繋がりは、確かに私達の絆というカタチで存在する。だったら!! 今も絶えず飛んでくる災厄、炎が幾ら熱かろうと強かろうと、恐れるものなんて何も無い!!

 

「っしゃあああ!! ダルくて面倒臭い修行の成果、舐めんじゃないわよおおおお!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

「――――、ん?」

 

「…これは、その――――どういうことでしょう??」

 

――――――――――――あれ? 何も、起こらない?

さっきまでしつこいくらいに火の玉やら炎やらが飛び散って来てたのに。ほんの一瞬、瞬きをした今の拍子に、空から降って来ていた筈の何から何までが消えて無くなってしまった。なんか、様子がおかしくない? っていうかコレって、もしかして…

 

 

 

 

 

 

 

 

たったいま、異変が解決しちゃった?(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 深竜・九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

一体いつからだろう。当たり前の如く我が意と力が…世という世、時流を越えて隈なく届いていると自覚したのは。答えは自分でも解らない…ただ、産まれた時から確たる自負と証が有ったのだ。其処には何も無いが故に、総てを観測し得る無間の地平だけが拡がっていた。《完備なる、内積の地(ひろいだけの、なにもないばしょ)》と名付けた領域で、独り時の過ぎ去る様を見て幾星霜…揺蕩うだけの在り方に飽いたのは言うまでも無い。故に見た、聞いた、触れた。いつか薄れ行く泡沫の夢に等しくとも…世界には美しいモノがこんなにも溢れているのだと。感動と、高揚と、そして失意を覚えた。瞬きの間に滅び失われるソレ等に涙した。嗚呼、無常なる限りある全てよ、我が想いの赴くままに永遠を与えられたなら…我にとってどれ程の救いとなっただろう。

 

「真に永遠のモノなど在りはしない」

 

「ヒ、ア、ぁ…」

 

八咫烏――――その輝きに相応しい、神としての誇りが貴様にもあったなら。或いは幾ばくかの価値も有りと見逃したやも知れない。

 

「――――この、我を於いて他にはな」

 

だが、もう遅い。最早一刻の猶予も許しはしない。何よりも、貴様は楽園に災いを齎した。この事実…貴様の死を以って知るが良い――――――――ッッ!!

 

「潰れよ」

 

久方ぶりに戻った邪竜の姿。自らをして低く唸るような声に辟易としながら、緩慢な動きで右腕を振り上げた。虚空を掻き抱くように投げ出された掌が…八咫烏の魂というカタチ無きモノを確かに、呆気なく簡単に握り潰した。

 

「アが…、かっ、う? く――――――――ギュぼぁッッ!?!?」

 

奇怪な呻き声を上げて、霊烏路空の身体を操る八咫烏が地面に倒れ込んだ。溺死しそうな動物にも似た醜悪な声に反して、霊烏路空の肉体にはなんの変化も見られない。ただ…彼女の身体から立ち昇る山吹色の光の粒が、鳥の形を成したまま踠き苦しんでいる光景が其処にあった。

 

『グゲ! ギ、ぎ、ぁっ!! だ、たず…だずけ、で――――!!!』

 

「無理だ。一度奪ってしまった(モノ)は決して元には戻せない。残念だったな…今も昔も、戦いにすらならんとは」

 

命乞いか、憤怒か…恐らくそのどちらでもあろう。

眼前で苦悶に喘ぐ畜生の有り様を観ても…沸き上がる感慨など、今更なにも無かった。ただ戯れを辞め、迅速に、効率よく死に損ないの燃え滓を捻り潰した。それだけだ、派手な立ち回りも皮肉の効いた舌戦も何も無い。周りを飛び回る小蝿を見て煩わしさを覚えても、それ以外には特に感じ入るものもなく叩き落とすのと変わらない。それほど無遠慮に、呼吸するような自然さで八咫烏の魂を握り潰した。

 

『カッ、がぁ…ガァァ、カァ、ァァア!!』

 

八咫烏が完全に消え去れば、空の身体を使って操っていた炉心の制御も失われ、楽園中に広がる火の粉も霧散して行くだろう。これで万事上手く収まる。此度は多くの者達に迷惑をかけた…それ以上に、返しきれないほどの感謝も伝えねばなるまい。

 

『し、ン…リュウ…ま、だ……』

 

「いいや、これより先には何もない。痛みも苦しみも失われて、徐々に魂は我の中へと溶けて行く…悪しきモノも善なるモノも同じこと。一度奪えば無色の力よ。還るが良い、八咫烏…此処が貴様の終着だ」

 

しかし、もし…もし何かの間違いで。

いつかまた、清く洗い流された貴様がこの世界に出でた時。怒りではない…狂気でもない。もっと尊い何かを見つけられたなら、その時は――――――――。

 

『しン…シ…リゅ――――――――――――」

 

そんな取り留めも無い感想を抱いている間に…霊烏路の身体からは完全に光の粒が抜け切って、八咫烏と名乗った塵屑は跡形もなく消えていた。これで、やっと。

 

「君を、救うことが出来たのだな…霊烏路」

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霊烏路 空 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「八咫烏…貴様も、我の糧となって逝ってしまったな」

 

……夢を見ていた。

大きくて、黒くて、怖いのに、優しい誰かの夢を。

ふわふわとした朧げな感覚。お風呂のお湯の中にいるみたいな。暖かくて気怠いその場所では、誰かが酷く怒っていて、誰も彼もお構いなしに巻き込んで暴れまわっていた。そして、それ以上に――――――そんな暴れん坊を見て、暴れん坊なそいつより、ずっとずっと怒ってて…ずっとずっと悲しんでいるヒトがいた。

 

「泣かないで…」

 

「否。涙などある筈も無い…奴の罪は、最早赦しを与える事など出来なかった」

 

届かない筈の声が、自然と私の口から漏れていた。

そのヒトは気付いていないんだ。

暴れん坊を懲らしめる事に、何も感じないように振る舞ったって…本当は誰より悲しいんだ。顔に出なくても、言葉にしなくても。本当は――――

 

「本当は、私といっしょに、助けてあげたかったんだよね…?」

 

「我は…君を救えた。楽園を護った。それだけで…他に、何も」

 

でも出来なかった。許してあげたかったけど、それじゃあ暴れん坊にいじめられた皆の悲しい気持ちは何処へ行くんだ…って。助けてあげたかったのに、許してあげられない理由の方が大きくて。だからそのヒトは。彼は。おにいさん、は――――――――。

 

「みんなの為にがまんして…懲らしめて、くれたんだよね」

 

「否、否…買い被るものではない。我は、私は…怒りのまま奴を葬ったに過ぎない」

 

頭の中でどんな事を考えて誤魔化したって、何も感じないように気持ちに嘘をついたって。この夢の中では、おにいさんの心の中でなら、私にだって分かっちゃうんだ。本当は…八咫烏のことだって、おにいさんは…許してあげたかったんだ。

 

「ありがとう…おにいさん。目が覚めたら、いっぱいいっぱいお礼を言うよ。何度だって言うから――――だから」

 

「――――――――」

 

待っててね、おにいさん。今すぐ起きて、おにいさんにお礼を言うんだ。ありがとうと、ごめんなさい。さとり様を、こいし様を、私の家族も友達もみんなみんな護ってくれて……。それと、おにいさんに悲しい思いをさせて、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

「――――ああ、その言葉だけで…私はもう充分だ。ありがとう、霊烏路。君が無事で、本当に良かった」

 

 

 

 

 

 






最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
そして、しつこいようですが重ねて、本当に長らくお待たせしてすみませんでした。
でも投稿はまだしばらく不定期です…ネタはあるのにいつ書けるか分かりません!これも言い訳です、ごめんなさい!


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星蓮船編
第八章 壱 価値と無価値を比べれば


遅れまして、ねんねんころりです。
毎度のこととは思いますが、タイトルが意味不明なのは今に始まった事ではないので、お許し下さいませ。

この物語は以下略でございます。
今回は日常回、というかちょっとした後日談と次への布石回となっております。


♦︎ 魂魄 妖夢 ♦︎

 

 

 

 

 

最近、先生の様子がおかしい。

いや、『おかしい』というよりは…何だか今までとは違うのだ。『別人のような空気を纏っている』と言った方が良いかもしれない。艶やかな黒髪から覗く銀の眼も、重厚ながら全く隙の無い足運びも、紡がれる言葉の端々から垣間見れる優しさも。何も変わっていない筈なのに…どうしようもなく違って見えてしまう。

 

「先生…あの」

 

「……む? どうした、妖夢」

 

自分から呼びかけたのだが、何だか言葉にし辛くて押し黙ってしまった。稽古の合間に取った小休止の最中、先生は庭先の石段にどっかりと座り込んでいる。私には皆目分からない文字で書き記された書物を片手に、足組みながら文字を追う姿が何と絵になることか。紫様が時たま話してくれる西洋の名画の様な、語彙に乏しい私から観てもそんな感じだ。

 

「……ふむ。うむ……うむ」

 

時折頷きを零して読書する先生。ある日を境に、先生の帯びた空気は一変した。以前の静謐で大らかに感じられた気配は、あの日から…大異変を収めんが為に地底へ赴いたというあの日から跡形も無くなってしまった。

 

「……」

 

「………成る程、成る程な」

 

例えるなら、そう。

時に深く、時に激しい…されど平時は緩やかな川の流れを思わせたのが以前なら。今の先生は差し詰め雷雲…蠢きを伴って大気すら震わせる気配と、闘いの場でしか表さなかった稲光の如き苛烈さを隠そうとしなくなっていた。怖い…とは思わない。不気味だ、などと滅相も無い。その余りの完成された御姿に、只々感嘆させられてしまう。

 

「良し…小休止は終わりだ、妖夢。身体は休まったな?」

 

「はい! いつでも行けます!」

 

一つ頷いて満足気に微笑んだ先生は、いつも通りに庭の開けた地点で立ち止まり、両腕を力なく投げ出したまま私を待ち構える。地上を無数の火の玉が襲った大異変からはや数日、先生の佇まいが変わった事は彼を知る誰もが感じている事だろう。霊夢も、魔理沙も、誰も皆、冥界に居られる幽々子様も、先生の在り様が変わったと気付いた際には口を揃えて同じ感想を述べていた。

 

『あいつ、なんか吹っ切れたのかしら? 今までは何処かウジウジっとしてて煮え切らない…八方美人ていうの? 変に言葉で取り繕わなくなった分、今のが良いわね』

 

『不思議だよなあ。最近は、コウが近付いてくると肌がビリビリ来るんだけどさ! 前からすげえヤツなのはわかってたけど、やっぱ貫禄が違うな!』

 

『フッフッフッ…コウが闇に生きる者達にとって一つの極致であるのは言うまでも無いわ。何しろこのレミリア・スカーレットがただひ』

 

……レミリアさんの感想は少々長めだったので、これ以上頭の中で反芻するのは止めておいた。今は集中、集中、集中せねばならない。

 

「来い」

 

「はい―――――――行きますッ!!」

 

力強く踏み締めた地面から、先生の放つ不可視の気迫が伝わってくる。正に人外の頂点と呼ぶに相応しい、言語化不可能な膨大な闇の気配。紫様が仰るには…先の異変で八咫烏なる相手に振るわれた四割程度の力からまた封をして以前の状態に戻っておられるらしい。だが―――――、尚も流れ出す銀の奔流。其れ等が私に齎らす重圧はこれまで感じてきたモノとは比較にならない。

 

しかし…しかし!! 私は先生に教えを乞うている以上、情けない姿は見せられない。見せたく無い!! ならば征く、一心不乱に征くのみ――――――ッ!!

 

「はああああああああああああああああああ―――――――ッッ!!!」

 

「良い気迫だ…かねてより行ってきた日々の修練は、是より始まる新たな苦行の入り口に過ぎない。此処から先は、自らの殻を破れるかどうかにある…心して臨め!!」

 

剣撃と拳打の音が交差する。

私の鋒は未だ軽く、先生の教えの全てを体現する事は叶わない。けれど…雌伏の時を乗り越えてこそ、遥かな高みを目指せるものと信じている。先生の教えを受けて自らの殻を破った咲夜さんにも、負けてはいられない。なにより私はもう、大切な人の背中を黙って見送るなんてしたくない。だからこそ、心身尽き果てるその日まで―――――――前に進んでいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 古明地 さとり ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ。これで、必要書類も全て片付いたわ」

 

「すぅ……すぅ……」

 

執務室の机で、地底の復興作業に必要な資材や人員を記した山のような書類を何とか片付けて一息ついた。いつの間にか仮眠用のベッドで眠ってしまった妹の寝顔を眺めて、この平穏を保てた事実に自分も改めて安堵する。

 

「…お空も、大丈夫みたい。近頃はずっとお燐が付いているから、観念して安静にしているのね」

 

私と、私の家族が囚われていた八咫烏の一件は壮絶の一言に尽きるものだったが。地底の復興作業は、妖怪の賢者である《八雲紫》と彼女に関わる者達の助成もあって恙無く進んでいる。彼が…あの方がお空の中から八咫烏を消し去ってくれた日から幾日かが過ぎて、それでも賢者から此度の件に対するお咎めは何も無い。境界を操るという埒外の力を操る彼女は、今日も何処かで幻想郷の守護者にして管理者の席に座しているのでしょう。八咫烏が葬り去られた直後のことだ…そんな彼女が、私を前にして口にした言葉はとても少なくて。曲者として周囲に認められる彼女にしては、呆気にとられてしまうほど晴れ晴れとした声色だった。

 

『気にすることは無くてよ、古明地さん。誰でも一度や二度は過ちを犯すもの。そうですとも…なので此度の件は不問と致します。これからも、お互いに地底と地上の交流の架け橋となれるよう、仲良くしましょうね?』

 

……なんてことを言われてしまったら、自分からお空のことを蒸し返すなんて出来なくて。寧ろ彼を此処に導いてくれたことや、何の責任も追求せず済ませてくれたのには感謝の念に絶えない。

 

「―――――って、感心していたのに」

 

「あら、何か言ったかしら? 古明地さんにしては歯切れの悪い物言いですわね?」

 

「…! この紅茶、中々良い茶葉を使ってるじゃない。褒めてあげるわ、覚り妖怪。サイコメトラーの親戚か何かと侮っていたけれど、良いお茶を出せる家の主人は同様に品性も確かだわ。このレミリア・スカーレットのお眼鏡に叶うなんて大したものよ?」

 

「なあおい、本当に私も来て良かったのか? 奴との戦いで失った力が未だ戻りきらないとはいえ、私は神だぞ。この神気に当てられて此処の連中がいらぬ騒動を持ち込んで来はしないか?」

 

「そんなことを言ったら、私だって同じよ。大丈夫、さっき来る前に飲んで貰った薬の効果がちゃんと出ているから。しゃんとしなさいな、タケミナカタ」

 

「おやつもおいしいわね〜うんうん。おいしい茶菓子を出せる家は良いお家だわ。もう一つ頂けるかしら」

 

「というか、何で私まで呼ばれてるのよ。私は特定の勢力に属してる訳でも無いのに…正直面倒なんだけど? 帰って花の世話に戻りたいわ」

 

―――――――――本当に、なんなんだろうこの状況は。妹が寝ているからと思って部屋を後にしてみれば、いきなり変な裂け目に連れ去られ。連れ去られた先は自分の家の応接室ときたものだ。驚く間も無く視界に捉えたテーブルの先には、勝手知ったる態度で勝手にお茶会を開いているこの面子。右から八雲紫、太陽の畑の風見幽香、紅い館の吸血鬼、そして神、その隣にまた神、果ては冥界を統括している亡霊までもがその場に列席していた。

 

「…ちょっと、皆さんヒトの家で何をしているんですか……?」

 

訳が分からない…! この混乱の原因を今すぐ解消する為に投げ掛けた私の問いは、テーブルに座る錚々たるメンバー達には全くもって意外なことだったようで。八雲紫を除く全員が目を丸くして返答してくる。

 

「え? 貴女が呼んだのではなくて?」

 

「おいおいどういうことだ? 私らこれでも暇じゃないんだぞ?」

 

「待ちなさい、何だかさとりの様子がおかしいわ。どうやら私達を呼び立てたのは彼女じゃないみたいね」

 

「……なんとなく読めてきたわ。紫、アンタまたやったわね」

 

「なんとなくそんな気がしてたわ。それで、どうして私達を此処に呼んだの? 紫」

 

そうして、此処に集められた全員の視線が八雲紫へと突き刺さる。いや、待って。もしかして皆さん自力でやって来たの? 薬で神気がどうとか、呼ばれたからとか…あと西行寺さん、口元に食べ粕がついたままですよ。そんな状態で神妙な表情をされても…緊張するどころか緩みすぎて逆に腰が抜けそうです。

 

「いい加減にしてください。皆さんヒトの家で騒ぐのは―――――」

 

「そうですわ。私が、今日此処に皆さんをお呼びしたのです」

 

遮られた…!? 確かにこの中では私の実力なんて下の下だけども! 流石に家主を遮るのは良くないんじゃないの? これだからナチュラルボーン強者は苦手だわ…。

そんなこんなで、私の懊悩を他所に八雲紫は語り出す。なぜ此処に主だった者達…その中でも軒並み人外の者達が揃えられたのか―――――その訳を。

 

「近頃のコウ様についてですわ」

 

「……その話か、確かに豹変したとまでは言わないが。そうさなぁ…私からすると、昔の奴が戻って来たみたいで嬉しい限りだ。貴様らの意見は違うのか?」

 

八雲紫の言葉にいち早く反応したのは、誰あろう神の一柱…八坂神奈子氏だった。だが何とも解せないといった体で切り返した彼女の返事に、残りの面々は何度か顔を見合わせて訝しむだけである。

 

「私達の場合、昔の彼を知らないからちょっと判断しづらいのよ。私が彼と初めて会ったのは冥界での異変だったし、その時には今の様な空気を纏ってはいなかったわ」

 

「私もその意見には同意するよ、亡霊。この私からしても、今のコウは以前とは少し―――――否、随分と違った気配を醸し出している。不機嫌という訳でもない…かと言って朗らかな訳でも無い風に見える」

 

次に口を開いたのは、テーブルの両端に腰掛けた亡霊と吸血鬼だ。私も重みがかってきた現状の空気を読んで、八雲紫と対面する形で席に着いた。

 

「そうね…私は、今の彼の方が身近に感じられるわ。昔の、子供の頃に出逢った彼に近い印象よ。とても雄大で、底知れなさが頼もしくも思えて、その強さに誰からも畏敬の念を抱かれていた」

 

「それを上回る神々からの嫉妬と怨嗟の声のおまけ付きでな?」

 

皆さんが彼に抱いている感情というのは、複雑怪奇なモノも含まれているようで。今の彼が昔から親交があった間柄では懐かしさの方が優っているらしい。しかし…それだけでは無い者も勿論、この場には居る。

 

「――――私は、ちょっとだけ怖いわ」

 

「幽香…貴女がそんな不安げな顔するなんて。何か、余程コウ様に気にかかる事でもあるの?」

 

風見幽香は暫くの間瞑目し、ただ一人胸の内を打ち明けたとあって全員の視線を浴びていた。私には分かってしまう…心の中が読み取れる覚り妖怪だからでなく、あの時―――――八咫烏を屠った彼を間近で見た。それ故に今、彼女が考えている不安や懸念している事柄が何となく察せられる。

 

「……根拠がある訳じゃ無いの。でも、強いモノは強いからこそ動向が目立つ。その一挙手一投足、纏う気配に至るまで例外なく。隔絶した存在はそれだけで怪異や争乱の渦中に巻き込まれかねない…それがコウなら尚更よ」

 

風見幽香の懸念は正しい。

八雲紫を除く此処にいる誰もが、一度は自らの意思又はやむない事情から異変を引き起こした前科が有る。其れ等の多くは、彼が直接手を下したか…彼の影ながらの活動によって阻まれている。客観的に見れば彼は彼の考えと価値観で物事を見定め、必要となれば己の手を汚すことも由として各地で武勇を振るってきたに過ぎない。と…彼女らの思考から伝わってくる。

 

だが逆説的にはこうも言える。

彼はこれから先、自身の望むと望まざるとに関わらず、必ず何かしらの形で幻想郷で起こる異変に立ち合うこととなる。と…風見幽香は発した言葉の裏にそういう意味合いをも込めたのでしょう。

 

彼の存在に引き寄せられ、力に魅せられ、闇の深さに呑み込まれた輩がいつ飛び出してくるのか分からない。彼なら大丈夫、私達なら問題ない…そんな次元の話ではない。これは幻想郷の秩序…仮初めながらも確立した平穏を、彼を狙う不逞な輩に崩されてしまうのでは? という可能性の問題だ。

 

そこに彼を利用、若しくは命を狙う輩が、幻想郷にどれだけの被害をもたらすかが不明瞭な以上…新たな障害が彼の前に立ちはだかるのは極力勧められない。物理的な損害を考慮するだけでも、此度の異変に限らずこれまでの経緯から多かれ少なかれ傷跡は残っている。我が身のことなので、あまり話題としては持ち上がって欲しくないのが本音だ。

 

「フン、ならば彼奴を楽園から放逐するのか? これはそういう話し合いだったのか? スキマ妖怪」

 

「馬鹿な…コウを追い出す? 有り得ないわね! 紅魔は、私は絶対に認めない」

 

レミリアさんと八坂神奈子氏は、たいそう不機嫌な面持ちで頭を振って目の前の茶を強引に飲み干した。二人の反応を始めから予見していたかの様に、八雲紫はニヤついた口元を扇で隠すに留めている。

 

「さっきはああ言ったけど、私もコウを此処から出すっていうなら協力出来ないわ。尤も、そんな奴がもしいたら……コウを出す代わりに私がそいつを殺してあげる。これなら不穏分子は居なくなるでしょう?」

 

彼を追放するくらいなら、そんな事を言い出した奴を先に消してしまえば良かろうと…物騒な考えだが、先程自分の意見を述べた二人も力強く頷いて同意を示している。あんまりにも物騒過ぎて身動ぎしそうになっていると、隣で口元を拭った西行寺さんが口を開いた。

 

「まあまあ落ち着いて? 幻想郷では何が起きても不思議じゃないわ。其処に彼が居合わせるからといっても、それはあくまで彼の問題よ。仮にソレが異変であったとしたら、それこそ妖夢や他の子達が察知して動いてくれるわ…だからきっと大丈夫よ。ねえ、紫?」

 

「話を遮って申し訳ないのだけど…私は皆と少し違う意見よ」

 

「どういうことかしら? 八意永琳」

 

「むしろ彼が巻き込まれる前に、此方が先手を打って不要な芽を間引いてしまえばいいのよ。ええ、それが良いわ…邪魔者も減って一番効率的ね」

 

さらりと西行寺さんと八雲紫の間に割って入った八意さんの意見が、実は一番過激な気がする。張り付いた仮面の如き笑顔で語る八意さんの眼が全く笑っていないのが更に恐ろしい。流石の皆さんも気圧されてしまったのか、口元が僅かに引き攣っている。

 

「……何にせよ、皆様の意見は分かりましたわ。そうでしょうとも、一応確認を取っておくべきかと思って集まって頂きましたが―――――貴女はどう? 古明地さん。見たところ、貴女も私達の考えには同意してくれているようですが」

 

「……皆さんの意見に異議は有りません。彼には、お空だけでなく地底諸共救って頂きましたから…私に出来ることなら、如何様にも」

 

気後れしたのではない…私はもとより、彼と彼に助成してくれた皆に恩返しがしたいと思っていた。旧地獄跡に住まう者にとって、彼がもたらしてくれた功績は限りなく大きい。地上に於ける全ての力ある方々にも、同じだけの感謝を私は抱いている。言葉だけでは、幾ら感謝してもしきれない。幸運にも、本当に多くの幸運が重なって…私は家族も、居場所も何一つ失わずに此処に居られるのだから。

 

「でしたら、今はまだ見守ることに致しましょう。あ、それと―――――」

 

八雲紫は微笑んだかと思えば、急に真顔になって私に双眸を投げかけてくる。それに対して、今までに感じたことの無い奇妙な感覚が私の全身を包んでいた。

 

「コウ様と交流を持たれるのは誠に結構なのですが、ええ。少なくとも此処に集まった方々と同様、貴女にも節度と日にちと時間とルールを守っていただかねばならないわ? 異存はないわね? これは最優先事項です! 絶対に守って貰います! よろしくて?」

 

次の瞬間には、妖怪の賢者としての風格は何処へやら。早口でまくし立てた彼女は、凡そ何かの冊子かとも見紛うほどの書類をスキマから取り出して私に差し出してくる。

 

「……な、なんです? コレ」

 

「コウ様と関わっていくにあたって必要な事柄を全て、そう全て! 具に書き記したのが此方ですわ! 彼の御方には知られていない事故、心苦しいのも確かですが! 貴女にも私達と同じく、これ以上其処ら辺の悪い虫がつかない様に見張り兼護衛兼様々な役割を―――――」

 

なんともはや、奇しくも此処にいる全員(何名かは代理ということで)名を連ねているのがコレだという。そんなに厳重な取り決めが必要なのかと問えば、彼が今まで為してきた事に合わせて一体どれだけの《悪い虫(女たち)》がすり寄って来たかを熱弁されること実に一時間…!!

 

各陣営にて彼とお近づきになりたい者とはまた別に、近頃は彼の寵愛や庇護を申し出る輩が水面下で増えて来ているらしい。今となっては最早雄雌の差も関係無く、妖怪人外の類なら種族関係なく、それも幻想郷のあちこちから声が上がって来ている為、厳正な審査の結果認められれば名前を入れられるとか何とか。というか雄ってなんなんですか? もしかしてそっち系のヒトまで? 腐ってるんですか?

 

横からやはりルールをもっと厳しくするべきだの、やはり間引くしかないだの。彼が発端となって物騒な言葉が次々と飛び交っている。しかしそんな事は重要ではない…私にとって一番大切なことは――――――――――、

 

 

 

 

 

 

 

「もう…書類は懲り懲りです……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も深まりきった丑の刻。

両脚で踏み締めた地面の感覚を頼りに、ふわふわとした心の浮つきを鎮めようと深呼吸する。

 

「…はぁ、ふう……よし」

 

眼前に聳える、和洋折衷といった印象の邸宅を見据えた。立ち昇る気配に尻込みしそうになる身体を強引に動かして、ようやく此処まで辿り着いたのだ。今更引き返すことなど出来はしない。此処まで随分と時間がかかった…こんな時間になって目的地にだけは着いてしまった事を、幸か不幸かと自分に問いただしたくなるが、そんな猶予は無い。今すぐにでも助けを乞いたいからこそ、態々危険を承知で《彼》を訪ねたのだ。行くしかない…覚悟を決めろ。

 

「ご、ごめん下さい…?」

 

二度三度と扉を叩いて、体裁を取り繕う様に断りを入れて屋内へと入り込んだ。そうするだけでも…屋敷全体から伝わってくる闇の気質が歩みを鈍くさせる。だけど、此処まで来たからには逢って話しをしなくては―――――。

 

「来たか、待ちかねたぞ」

 

「!?」

 

屋内に足を踏み入れた途端、空気を揺らす程の重圧を伴った声が耳朶を撫でた。覚悟を決めていたのに、此処に来るまでになんとか押さえ付けていた筈の体の震えが蘇ってくる。

 

「……ぁ、あ、の」

 

声の主は、正確にはこの場には居なかった。屋敷全体を通して届いた声は、まるで暗がりの奥から私を誘うかの如く一つの場所を示唆していた。眼窩に映る、ある部屋へと続いているらしい扉。其処からジクジクと骨の髄まで麻痺させるような深淵の香りに、誘われるまま足が前へ前へと突き動かされる。

 

「……ご、ごめん下さい。あの、私は」

 

「鍵はかかっていない。入るが良い」

 

心臓の鼓動が次第に大きくなる。この先に行けば、絶対に引き返す事は出来ない…! 頭の中でけたたましく警鐘が打ち鳴らされ、呼吸が乱れている自分を俯瞰する。追い詰められた獲物にも似た精神状態に、いっそ気でも失えば楽になれるのにと思ってしまう。それでも―――――、

 

「失礼、します」

 

「……良く来た。先ずは及第点だ」

 

部屋の最奥に、男は座していた。

深々と腰掛けた男の全身から溢れ出す気配に、自分は完全に呑み込まれている。確かにその場に立っていた筈の自分が、力なく地べたに座り込んでしまっているのにたった今気付いた。言葉が出ない…直接見れば見る程、視線だけは釘付けにされて動けなくなる。対して男の備える銀の瞳は、私の挙動を一つ一つ観察して小さく息を漏らした。

 

「…今日此処に何者かが来る事は、レミリア嬢の予言から分かっていた。それが君だと言うのなら、私に何か聞きたい事が有るのではないか?」

 

私の知らない誰かの予言とやらで、彼を訪ねて私が来る事は分かっていたという。舐められているのだろうか? それとも私達の胸中を知るが故に敢えて応対してくれたのか? 何方でも構わない。彼は私との会談に応じてくれるという…こうなれば自棄になって洗いざらいぶちまけてしまえ!

 

「―――――お願い申し上げます」

 

これ幸いとばかりに、這い蹲りながら手を合わせ深々と頭を垂れた。衆生一切を救われる道が、《あの人》が仰る通り有るとするなら。きっと、きっとこの行いにも報いがあると信じたい…その為なら私の頭くらい安いものだ。だから、だから…!!

 

「私の名は《雲居 一輪》。貴方様のお噂はかねてより伺っております…どうか私達の願いを、お聞き届け下さいませ―――――っ!!」

 

「――――――――――」

 

懸命に振り絞った言葉を耳にしても、数秒の沈黙を彼は貫いた。何も答えない。何も反応を返してこない。一体どうしたのだろうか…彼は何を考えて、この沈黙を。

 

「駄目だな……その願いには《価値》が無い」

 

「な…っ!?」

 

「聞こえなかったか? その願いには、私が動くに値する《価値》が無いと言ったのだ」

 

そんな、そんな…! そんなそんなそんな…ッ!! 価値がない? どうして、どうして!? 私が此処に来る事は分かっていた筈なのに、私の願いを跳ね除ける為に態々こんな時間まで待っていたというのか? 分からない…分からない分からない!! このままじゃ、このままじゃあの人は―――――っ!!

 

「話は終わりか? ならば帰れ。君だけでは話にならん…独りで此処まで来れた事は及第点だ、認めよう――――――だが面子が足りない。よってその願いは無価値だと知れ」

 

訳が分からない…こんな夜盗のような真似までして。願い出る立場でない事は分かってる。だけど、それにしたってあんまりだ…! せめて話を最後まで!!

 

「三度は言わない。面子が足りぬ…次に来る時は(・・・・・・)、必要な人材をしかと揃えてくるが良い」

 

最後の言葉を不躾に投げつけられて、彼との会話は打ち切られる。何も言い返さないまま、呆然とした私が次に周囲を見回した時…其処はいつもの場所だった。

 

「ちくしょう…何よ、偉そうに……」

 

私達が、仮の寝床としている船の上で…歯噛みしながら立ち尽くす私を皆が見つけてくれたのは、もう少しだけ後の事だった。




最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
いよいよ星蓮船編が始まります! 頑張りましゅ!


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第八章 弐 幕開けは船と共に

おくれまして、ねんねんころりです。
投稿再開からまた何日か空けて、異変までの流れを漸く書き終えられました。
この物語は迂遠な物語進行と、厨二展開のための分かりにくい伏線だらけでお送りします。
それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。




♦︎ 雲居 一輪 ♦︎

 

 

 

 

 

結局、船に戻されてからの事は殆ど記憶に無い。

皆に促されて自室に入った所までは覚えている…けれど、訪ねて行った相手の余りの素っ気ない態度が衝撃的過ぎて、眠ることも出来ずに夜が明けてしまった。

 

「……」

 

「ま、まあ! 元気を出しましょう一輪! 押してダメなら更に押す! 頼み込めばきっと了承して頂けますよ!」

 

船に設けられた一室で、私達は集まって各々の進捗を報告し合うのが近頃の日課となっていた。あの人を助け出すという共通の目的がある以上、情報交換は頓に行っておかなければならない。私の横に座った仲間の一人、《寅丸 星》が持ち前の黄金色の髪を揺らしながら精一杯励ましてくれる。

 

「ええ…ありがとう。これくらいで、諦めたりしないわ」

 

それ自体は嬉しいのだが、同時に何の成果も持ち帰れなかった自分の惨めさが心の中を激しく揺さぶっている。昨日はどうして断られたのか…そればかりが頭の中で反復してしまう。地上に出てから方々で聞き回った情報では、件の彼は他者からの要求を無碍にはしない、情に篤い好人物だと聞いていたのに。有力な情報を頼りにいざ蓋を開けてみたら、霞を掴まされたような気分を味わう羽目になったのが昨晩の私であった。

 

「ご主人、空回りもそれくらいにしておけ。なあ一輪、私達が仕入れた情報は確かなモノだった筈だ。人里から山間、竹林辺りで出くわした者らに《九皐》という人物はどういう人柄なのか? と手当たり次第に聞いて行っただろう? 誰もが似たような、絵に描いたような人格者であると言っていたではないか。まだ折れるには早い」

 

私の左隣に座った、鼠を思わせる耳を備えた小柄な少女、《ナズーリン》が口を開く。一々話が長いのが玉に瑕だが、彼女はとても理知に富み、私達の参謀役としては申し分のない人材だ。彼女が取りまとめてくれたお陰で、あの人を解放する為の足掛かり…つまり昨日私が玉砕した彼の情報を掴むことができた。だがそれも、私の所為でふいにしてしまったかと考えるとまともに目も合わせられない。

 

「ナズの言う通りだよ! 船は進路が決まって初めて動き出すものさ、今回はちょっと方角に誤りがあっただけだって! まだまだ引き返せるよ、次を考えようよ次を!」

 

私の対面にどっかりと腰を下ろした少女、《村紗 水蜜》が快活な笑みを浮かべて声をかけてくる。珍しい形をした帽子が特徴の彼女は、物の例えがいつも船とか海関連なので微妙に話が掴みづらい。彼女なりに物事を良い方向に考えようという気配りは伝わっているので、ぎこちない笑顔で何とか返してみる。

 

「コホン…それで、だ。その様な御仁が内容も聞かずに断ったのには余程の理由があった筈さ。まずは其処から考えるべきだ…思えばこれまでの我々の動きは性急だった。にも関わらずここまでやってこれたのは寧ろ幸運だったんじゃないか? 此処からはより深く考えて、慎重かつ迅速に行動しよう。それで一輪……彼の御仁は何と言って君を突き返したんだい?」

 

「うぐ…!」

 

そもそも、私達が九皐と呼ばれる昨晩の人物に助力を求めたのはもう一つ別の理由がある。地上で聞き出せた情報から読み取れたのは彼の居場所と性格やこれまでの周囲への対応のみ。実際のところ彼を頼るように言ったのは誰あろう、私達が以前住んでいた場所で懇意にしてくれた友人だったりする。

 

その友人は、ここ数日の間に起こった大規模な異変とやらの後処理に追われ、山積みの資料と睨み合いながら私に一筋の光明を与えてくれたのだ。

 

『なるほど…地底と地上を繋ぐ通路が先の異変で広がったから、いよいよ船を使って地上に出ようと。貴女がたの大切な人を探し出すというのですね…それは一向に構いませんが、地上に伝手はおありなのですか? もし無いようでしたら…彼を、《九皐》さんを訪ねてみて下さい。きっと悪いようにはされないと思いますよ』

 

なんて満面の笑みで言われたものだから、急ぎに急いで地上まで出てきたらこのザマだ。良い悪いとかの前に、相手にもされなかったわよ…! いや、そんな事は今は良いんだ。えっと、私を屋敷から追い出した時、彼が何て言ってたか…だっけ。

 

「話にならんって」

 

「お、おう…随分キッパリ言われたんだね」

 

「でも此処まで来たのは認めるって」

 

「ふむ? 其処だけは好感触だったわけだね?」

 

あと、なんだったかな。相手の気配が強烈過ぎて、中々最後の一文が浮かんでこない…そうだ。確かあの時、彼はこうも言っていたんだ。

 

「面子が足りない…だったと思う」

 

「……それは」

 

「あー、なるほど? 私でも何となく想像ついたわ」

 

「…一輪。もしかして彼の御仁は、次に来る時はちゃんと人数を揃えて出直せ。と言っていたんじゃないか?」

 

もう! さっきから何なのよ皆して! そうよ! 確かにそうな事を言ってたわよ! 凄い剣幕で、冷ややかな物言いで帰されましたよ! 『面子が足りん、次に来る時は人材を揃えて』から出直せって――――――――――、あれ?

 

「あれ…もしかして、私」

 

「ようやっと気付いたか。一輪は真面目な分、時々早とちりして馬鹿みたいなミスをするな…」

 

「ナズーリンに同意する訳では有りませんが…今回はやはり、我々の方が礼を失していたという事でしょうね」

 

「そうだよ! やった! やったね一輪! 厳しそうな感じだったみたいだけど、ちゃんと話の分かるヒトだったんだよ!!」

 

私が呆気に取られて自らのかけられた言葉を反芻していると、周囲は対照的に一気に語調が明るくなっていった。其処で漸く私は自分の馬鹿さ加減に気が付いて、火が出そうな程顔が熱くなる。彼は第一声こそ高慢で、それこそ冬の寒空の如く冷えた返答をしていたが、最後の…。

 

「最後は、ちょっとだけ笑ってたような…気がする」

 

「ホントに!? よし行こう!このまますぐ行こう! 丁度全員揃ってることだし、そのヒトも全員で頼めば文句は無いってことなんだよ!となればこの機を逃すな、取り舵いっぱーい!!」

 

「全く…浮かれるのはまだ早いだろうに。ご主人はそれで良いのかい?」

 

「ええ、機を見るに敏というやつです。今こそ此方から彼の許へ赴き、全員で頭を下げればきっと…」

 

こうして、あれよあれよという内に全員の意思が一つに固まって。私達は船を駆り出して彼の住む屋敷へと航路を取った。船の一室から見上げた空は、何だかいつになく晴れ渡っていて…都合のいい考えだけど、少しだけ、私達の道のりを祝福してくれているように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

昨晩の出来事から数時間が経過した。

何とも不躾な訪問であったが、可能で有れば協力してやりたいのが私の心情だ。無礼な方法にそれなりの対応で済ませた事への悔悟は抱かないが、最後の遣り取り…通す筋を疎かにするなという私の意図は汲んで貰えただろうか。

 

「小娘が、次はどんな方法で訪ねて来るか」

 

私は別段、独り乗り込んで来た彼女を軽んじて返したのでは無い。逆にその蛮勇を評価したからこそ、単身乗り込んだ愚を妄りに誇らせたくなかっただけだ。

 

「悔しげな表情をしていたのは、少し気になったがな」

 

故に、そのままでは無価値と断じた。

次に相見える時、同胞を伴って現れる事を期待した。恐らく、あれ程の決意を以って臨んだからには独りでは有るまい。仮にまた独りでやって来たなら…それは昨晩の彼女の独断か、または本当に単独での行動だと決定付けられる。そうなった時は、何度か小突いて叱りつけてから話を聞いてやれば良い。

 

「――――――――ん?」

 

屋敷の窓辺かり挿した陽光が僅かに翳り、数瞬した後…午前の温かな空気に紛れて吹きつける風を感じ取った。髪や肌を撫ぜる心地よさに目を細めつつ、風の吹いてきた方角を緩やかに見渡すと…太陽を背に現れた不思議な箱のようなモノを確認した。アレは………船か?

 

「ごめんくださぁぁあああああいっ!!」

 

「突然の無礼をお許し願いたい! 此方に九皐殿はおられますでしょうか!?」

 

全く騒がしい事この上無いが、嫌いでは無い。

何より闊達さが良い。あれだけ痛烈に追い返されておきながら、それでも覚悟を決めたか諦めの悪さからか。揃えた面子も昨晩の彼女を合わせれば総勢四名と中々に多い。それも空飛ぶ蔵、否船のような代物まで使って来たというのがまた面白い。

 

「クハハハハ……うむ、快也。ソレは庭の隅にでも留めておけ、今度は堂々と全員で入って来るが良い」

 

「おお…やりましたよ一輪! お邪魔して宜しいそうです!」

 

黄金の神と僧侶の様な服を纏った少女が、昨日私を訪ねた一輪なる少女に呼びかけた。当の本人は形容し難い表情だったのもそれまで…やはり意を決すれば肝が座っているらしく、船を着地させた一団はまたぞろ此方へと向かって歩を進める。

 

「昨晩とはまた違う…か」

 

であれば、最低限の礼を尽くしてやろう。私から正門に備えられた扉を開け放ち、四人の少女達を出迎えてやる。玄関口の開けた場所で全員が入ったのを見届けて、今度は私の方から要件を確かめる。

 

「さて…私の助力が欲しいとの事だったが。今もそれは変わらんか?」

 

「――――――はい。此処に居る我等の総意と思って下さいませ。我々は或る御方をお救いしたく、貴殿の助成を頂きに参りました」

 

鼠の様な耳を携えた、最も華奢そうな赤目の少女が口を開いた。人助けか…やはり、と言えば良いのか。言葉の端に理知を伴った彼女は、此方の感慨を見抜いた上で矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「失礼、私はナズーリン。此方に在わす毘沙門天が代理、我等が教義の象徴たる《寅丸 星》の目付役及び、この一団の助言役として参じました。この度は当方の数々の無礼を、先ずは謝罪させていただきます」

 

鼠の少女は、自分の肩書きを並べておきながら、そんな物は飾りとも言いたげに真っ直ぐ頭を下げる。巧いやり方なのだろう…自分の立場を示しつつ、此方に伺いを立てたという姿勢を崩さない一手だ。

 

「良かろう。君と昨晩の彼女の蛮勇を評価し、これまでの事は不問とする」

 

「ありがとうございます…早速ですが、此方の要望をお伝えしても?」

 

「……立ち話で済ませては、客を持て成したとは言えまい? 茶の席を用意しているので、どうか馳走させてくれ。話はその後で聞こう」

 

晩秋に吹く風は冬の真っ只中ほど冷たくは無いが、身体を芯から徐々に冷やしてしまう。これが堪えて体調を崩されでもしたら面倒だ。集まった者達が全員妖怪とはいえ、如何なる拍子で病床に陥るかは分からないものだからな。

 

客間に通されたナズーリン達を出迎えたのは、暖炉に温められた部屋の空気と紅茶や茶菓子の置かれた大きめの卓。つまりは茶会を開く為の丸型テーブルな訳だが、席から少し脇に控える十六夜を視認して少女らは目を丸くしていた。

 

「彼女は友人からの厚意で、日に何度か奉公に来てくれている」

 

「ようこそおいで下さいました。本日は給仕を務めさせて頂く、十六夜咲夜と申します」

 

 

堂に入った仕草で会釈する十六夜の凛とした対応に、気後れしながらも席に着く彼女らに続いて私も座った。見事な手際で運ばれる紅茶と茶菓子の香りが、此処へ来た皆の緊張を程よく解してくれているのが分かる。レミリア嬢の仕込んだ十六夜の振る舞いには、いつも感心させられる。

 

「はぇー…何とも見事なお茶菓子」

 

「むむ、キャプテン村紗的にはお茶も大変良いお手前だよ! 紅茶って初めて飲んだけど、結構美味しい」

 

「おいしいですね、ナズーリン! 貴女も食べてみて下さい、ほら!」

 

「こらこら、お前達そんなに騒ぐものじゃないよ。ご主人もがっつくんじゃない」

 

ところで…私の座る椅子だけが妙に豪奢なのは、彼女なりの配慮だろうか。はたまた屋敷の主人としての態度や威を示せということか…宛ら客人を迎える、どこぞの領主にも見立てられる客間の風景。これもレミリア嬢の教育の賜物と言える…かも知れない。

 

「……あの」

 

「どうした、雲居一輪? 君も遠慮する事は無い。十六夜の出すモノはどれも格別だ」

 

「…勿体ないお言葉です」

 

「そうじゃなくて…どうして、私達が来るって分かってたんですか?」

 

適度に暖かい茶を一口嚥下して、私は一輪の質問の意図を考えた。レミリア嬢が予言したのは、昨日に客人の到来を知らせるモノだけだった。相手からすればそれもまた知る由のない事だが、私には今日皆が此処に来るように誘導した故に、ある意味では自分から誘き寄せたに過ぎないのだ。

 

「君達のことは、実は数日前に知ったばかりだ。古明地さとりとは友の間柄でな…出不精の友人が珍しく懇意にしている相手を、無碍には出来んさ」

 

「私が来る前から、さとりから聞いていたんですね…はぁぁ」

 

私の答えに納得がいったらしく、彼女は大きな溜息を吐くと目の前のティーカップを手に取った。それを機に肩の力が抜けたようで、甲板中心に広げられた茶菓子を次々と頬張っていく。

 

「むぐむぐ……ふぅ。確かに、聞いてた通りの人柄みたいですけど! 昨日に関してはちょっと意地悪じゃありませんか!? 私だって、出来るだけ皆に良い報せを持ち帰りたかったから…」

 

「分かっている。だが、尽くすべき礼を失しては如何な大義も語るに落ちる…それでは私を雇う(・・・・)目論見には届かぬと知れ。無謀なだけでは実は得られず、賢しいだけでは信ずるに足りん」

 

「―――――そこまで、見通されるか…!」

 

澄まし顔で私と一輪の遣り取りを見ていた筈のナズーリンが屹立する。動揺を隠せなくなった鼠耳の少女は、頬に僅かな汗を掻いているのも構わず鋭い視線を投げかけてきた。

 

「造作もない…といったご様子ですが、我々については何処まで御存知なのです?」

 

「……正確には何も。先ず、昨晩の彼女の必死さを鑑みれば、尋常ならざる事情を抱えているのが分かる。そして、私を動かそうと此処まで来て、皆を纏める立場の君が手を講じない訳も無いとな」

 

要はただの憶測に過ぎない。雇う側と雇われる側に例えたことが、思ったよりも的確に向こうの思惑を射抜いていたようだ。ナズーリンからすれば、もっと会話を弾ませてから切り出したかったに違いない。彼女は膝下まであるスカートの裾を握り締めて、随分と顔色が優れない…無言のまま椅子に座り込んでしまった。

 

「この私を、報酬を出すから従わせたい…か。そうだな?」

 

「くっ…! 仰る、通りです」

 

場の空気が凍りついた。大方、私が気を悪くしたと勘違いしたらしい…テーブルに居る誰もが俯いて身体を震わせている。視界の端で十六夜が大腿に潜めたナイフに手を掛けているのが見えて、頭を振ってそれを諌めてから私も返すべき言葉を口にする。

 

「――――――ならばやはり、我々は異変を起こす側という事になるが」

 

「わ、我々というのは…」

 

「無論、私と君達だ。君達はある目的の為に行動しようとしている。それにはまず力が…私という存在が必要だと判断したのではないか? 自分達だけでは成し得ない事を成すため強者を引き入れ、陽動か足止めにでも使おうというのだ。察するに…余程派手な騒ぎを起こすと見える。なれば――――コレは正しく異変だろう」

 

長々とした講釈を聞き入れて、十六夜は兎も角として一輪達は互いの顔を見合わせながら何事かを会議している。私の言葉を、都合良く取っても良いのかどうか迷っているのが窺える。彼女らの状況から、目的成就にはかなり慎重に立ち回ってきたのだろう。実に初々しい光景だ。

 

「九皐殿…」

 

「何だ?」

 

「今一度お願い申し上げる! 何卒…何卒我等にご助力いただけませんか。成功の暁には私の命でも何でも、出来うる限りのモノを用立てます故。どうか――――――!!」

 

「「「お願いします!!」」」

 

それ程か、それ程に君達の決意は固いのか。簡単に差し出せるモノなど無いと表情には出ていても尚引き退らず…命を秤にかけても手に入れたいモノが有ると。

 

「十六夜」

 

「はい」

 

「此処で聞いたことは他言無用だ」

 

「心得ております。紅魔も一度は異変を起こした身なれば、事が始まるまでは静観する。とお嬢様から仰せつかっています」

 

全く、本当によく出来た主従だ。

予言を残してくれた事といい、今日は稽古の日でもないのに十六夜を寄越した事といい…レミリア嬢の私への気遣いに頭の下がる思いだ。お膳立てが済んでいるのなら、有り難く彼女らの計らいを受け取ろうではないか。

 

「話は決まった…異変を手伝ってやる」

 

「おお、おお…! ありがとうございます!!」

 

「やった…! 本当にやったんだ!」

 

「よし…これで我々の計画も本格始動だ。後は準備さえ整えれば」

 

「遂に姐さんに逢える…私たちで助けに行けるんだ!」

 

計画とやらが上手く進んだのを彼女等は喜び合っている。無関係な筈の十六夜も、何処と無く嬉しそうに笑みを噛み殺して私を見つめた。さて、最後に一輪が漏らした《姐》という人物を救出、または再会する事が目的らしいが。

 

「事が起こってから、魔理沙や霊夢がどう動くか……それ以前に、先ず紫には話を通しておかねばな」

 

彼女等の願いが純粋なモノであることは直ぐに分かった。だからこそ、手伝うからには成功させてやりたいものだ。一度は無謀な行いに苛立ちも覚えたが、それだけ必死な姿勢を見せられれば納得も出来る。

 

「十六夜は、此度の異変には関わるな。妖夢にも言って聞かせておく…良いな?」

 

「仰せのままに。九皐様が動かれる以上、紅魔がそれを阻むことなどあり得ません…お嬢様も、そう願っておられました」

 

敵わないな…レミリア嬢にはこの異変の顛末も、恐らくは視えている。残る懸念は、やはり霊夢達だろう。異変解決を使命とする人間寄りの勢力である彼女らにすれば、目と鼻の先で好き勝手されればさぞや気を揉む筈だ。それに…人と妖怪の均衡を保つには、対外的な結果というのも求められる。表向き、此方の異変は異変解決者に挫かれておかねばならない…その上で目的だけは確りと果たす必要がある。

 

「霊夢と魔理沙は、仕方がない。後は―――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 東風谷 早苗 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

「畏み畏み 麗しきかな 天津神へ申し奉る―――」

 

「ふむ……微妙だねぇ。神気は十分なのに、なんというかこう漠然とし過ぎてるっていうか」

 

身の回りを、不自然な軌道で吹き抜ける風が止み始める。神奈子様に修行をつけて貰ってから何日か経ちましたが、特に真言を習得するのに時間がかかっている。

 

諏訪子様は、覚えが速いと認めてくれたけれど…神奈子様は淡々と私の至らぬ部分を指摘しては矯正してくる。実演、模倣、矯正の繰り返し行われる作業に内心歯噛みしていると…神奈子様は普段通りニッカリと笑って修行を中断された。

 

「よし、今日はここまでだ! 色々と途中だが、早苗はやっぱり才能においては天下一品だ。後は実戦で試すといいよ」

 

「はあ…そう仰られても。私的には全く出来ていない感じなんですが」

 

直々にご指導頂いているのには訳がある。神社で開かれた模擬戦…催しで私はものの数秒と持たずに敗北を喫した。しかも自分からは明らかに格下だと思い込んでいた妖怪相手に。失礼極まりない話だが、美鈴さんとまともに戦って、私が勝てない部分と言えば格闘戦くらいだろう。

 

「だが…そのたった一つに秀でたモノの前には、数ある不利などものともされなかった―――だろう?」

 

「…はい。極めるっていうのはああいう事なんだと、思い知らされました」

 

神奈子様が、私の心を見透かすように言葉を紡いだ。

事実が物語っていた。あの場で、あの時、紅美鈴という紅魔の門番に私は何も出来ずにやられてしまった。反応鈍く、選択した術もお粗末なモノで…一息に詰め寄られて掌底一発で伸されたのだ。

 

「しなやかで、力強い一撃でした。とても自然な動作で、まるで美鈴さんの為にあの技があったみたいな」

 

「そう見えるくらい身体に染み込ませたんだろうさ。気の遠くなる年月をかけて、何万何億と繰り返された動作には、不自然な部分など既に無く。実に見事な…無為自然の境地から放たれた先制だった」

 

私には、あれ程の格闘術を身に付けるだけの下地が無い。護身術程度ならまだしも、戦術の軸として肉弾戦を用いるだけの術理が足りない。時間をかければ何かしらの形にはなるのだろうけど…今は自分の得意な分野を伸ばしたいと、神奈子様達と相談して決めた。

 

「それからずうっと修行に励んだな。そういうとこ、人間ってのは実にストイックで面白いよ」

 

「神奈子様だって、コウさんにリベンジするまでご自分を磨いてらしたんですよね? 知ってますよ、諏訪子様から聞きました」

 

「結果は惨敗だがな! カッカッカッ!」

 

そんな事は無い。お互いにボロボロ…かどうかは兎も角、熾烈な戦いであったことは私も知っている。私にもそれだけの意気込みがあれば、あんな風には負けなかったんじゃないかって…今でも思ってしまうくらいだ。

 

未来の自分に、それだけの激戦をやり遂げる力は備わっているのだろうか。大切な家族や友人に、胸を張れる自分を少しでも手に入れたいから…まだまだ修行を重ねなきゃいけないな。

 

「大丈夫だよ…一度や二度負けたくらいで、己の真価なぞ分からんものさ。それに、アレはもう完璧に仕上がったじゃないか」

 

負けて、情けなくて、代わりに手に入れた物があった。自分を認めてくれた友人に恥じない様になりたいと初めて思えた。自責の念を振り払いたくて、我武者羅に修練に励んで得た力があった。それらの経験と成果を以って、私は漸く次の異変への参加を神奈子様に許された。

 

「ま、真言使うような相手なんざ滅多に現れんさ。現状だけならとりあえず、早苗が編み出したアレだけで事足りる――――――自信を持って臨むが良い」

 

「はい! ありがとうございました!!」

 

「あ、いたいた二人とも! ちょっと来ておくれよ! 空になんか変なのが浮かんでるんだって!!」

 

突然、母屋の方にいたはずの諏訪子様が駆け寄ってくる。変なのって何のことかと、神奈子様と顔を見合わせつつ背中を押されるまま境内の方へと出て行った。

 

「また、珍妙な出で立ちですね…」

 

「どうやら早速、早苗の出番がやってきたみたいだねぇ」

 

「あれは何だ? 箱か!? 妖怪か!? いいや」

 

太陽の齎した、山吹色の光を湛える空と心地よい風。なんとも言葉にしがたい感慨を抱かせる楽園の空は、今日も今日とて常識外れな光景を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「「「――――――空飛ぶ船だ!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

幻想郷の空にかかった、綿飴のように柔らかな雲の切れ間から影が見える。ソレは青空の景観には余りにも不釣り合いな――――――大きな木造の船だった。

 

 

 




何とも緩やかな立ち上がりとなりました。
異変開始までに二話分つかったのは初めてかも…
最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます!


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第八章 参 打ち捨てられるその前に

遅れまして、ねんねんころりです。
十日以上空いてしまい、ようやく異変をかけた戦いが始まる回となります…なんですが、内容の半分もあるかないかの戦闘描写です。終わりの一文に厨二ポエム爆発してますが、どうぞゆっくりしていってね。




♦︎ 寅丸 星 ♦︎

 

 

 

 

 

 

私達に機会が巡ってきたのは、あの人が封じられてから千年という時間が経過してからだった。幻想郷という同じ場所で暮らしていながら、地上と地底で離れ離れにナズーリンと私達の時間とも言い換えられる。そうなる前の私は空虚な一妖怪に過ぎなかったが…ナズーリンと出逢い、あの人に出逢い、志を共にする仲間に出逢えた。妖怪として産まれた私の生に意味があるとすれば…皆に寄り添っていられた幾年だけがなによりも輝いていた。

 

【さあ、星。ともに読経いたしましょう…来世の人と妖が、いつか手を取り合える日を願って】

 

【ご主人、忘れないでくれ。どれだけ長い時間が経ったとしても…私達の心は繋がっているよ】

 

【私は諦めないわ。姐さんを取り戻すその日まで、一緒に生き抜いてみせるから】

 

【水先案内人はこの村紗水蜜にお任せさ! 大丈夫、人が私達を恐れ、私達が人を見限らないかぎり、未来という名の航路は続くんだから!】

 

いつかの友の言葉、いつかの大切な同胞の言葉は、千年経った今でも胸に刻まれていた。何度も挫けそうになって、信じる心を閉ざして楽になりたいと思った時もあった。だが、それでも諦められない…これだけは譲れない。たとえ失った時間を取り戻す事は出来なくても、一番大事なものは未だ残っている。私達はソレを取り戻す為に、粉骨砕身の覚悟でやって来たのだ。

 

「作戦を確認しよう。先ず幻想郷の空に散らばる飛倉の破片を、ご主人の能力と宝塔を使って収集する。それ自体は二、三時間も有れば終わるだろうし、魔界へ突入さえすれば彼女の封印は直ぐに解除出来る。しかし、完成した船で魔界への入り口を開けた後は、瘴気に耐性のある者なら誰でも行き来は可能だ。異変解決者達が船に釣られてやって来たら、必ず妨害の手が伸びてくる」

 

「そこで、私と一輪の出番というわけか」

 

「そうです。二人には敵の陽動と足止めを担って頂き、その間に事を済ませたら魔界の入り口を閉じるのが一連の流れです」

 

「異変として処理される以上、何処かで落とし所を見つけねばならない。君達の友を助けられたとしても、その後一人でも退治されてしまっては意味が無い…それも承知しているか?」

 

「その点は御安心を。足止めといっても、此方からは仕掛けず、ただ相手の弾幕を押し返すだけなら可能な筈です」

 

私の意見に耳を傾けて、彼は顎に手を置いて黙考し始める。私達が差し出せるモノの全ては、既に彼への報酬として先約されている。だからこそ攻めてくる奴らにやれる余分など初めから無い。自分たちを追い詰めるだけ追い詰めて、苦難の果ての希望を掴む…これもまた衆生を歩く我らの越えるべき壁とした。そうして物珍しい船に誘われてやってきた所を、一輪と彼に阻んで貰い、生還した後に船の機能で姿を隠せば問題は無い。邪魔者に得られる物が無いと分かれば、自ずと向こうも帰って行くだろう。

 

「どうせ邪魔が入るなら先に餌をまいておいて、自分たちから行く方が何倍もマシよ。適当に相手をしたら、折を見て逃げれば良い…合理的じゃない?」

 

「其れ等全てが囮だと気付いた頃には、我々の策は完遂されている…か。ならば良い」

 

「そろそろ降下するよ! ちらっと船を晒したら、すぐ上昇してまた隠れるから、適当にどっかに捕まっててね!」

 

村紗の呼び声に、操舵室に集まった全員がどこかに手をかけて衝撃に備える。いよいよ開始の時間らしい…もう少しだけ優しく船を動かして欲しいものですが、緩慢なだけではいつまでも先へは進まない。上昇し始めたら、後は目的を遂げるのみ。

 

「試合を捨てて勝負に勝つ。肉を切らせて骨を断つ。でも良いだろうか…綱渡りだが、これくらいの方が面白い」

 

ふと横に立った彼は、楽しげに笑っている。古明地殿から聞いた話が確かなら、彼ほどの実力があればこの状況でも楽しめるのでしょうか。

 

「そうでも無ければ、負けると分かって挑む事など出来はしない。精々足掻け。踠いて這い蹲って、尚前を見据えた者だけが望んだ結果を手に入れられる」

 

「至言ですね…高名な方のお言葉ですか?」

 

「否…これから茨の道を征く、君達へ贈る私の戯言だ」

 

戯言などととんでもない。

彼の眼差しは何処までも真摯だと分かる…不敵な笑みで余裕を表すのは、私達を鼓舞するが為。嫌味の込もった言葉を投げかけるのは、一同の決意をより確かなものとする為だ。迂遠で、時に辛辣な物言いの中に暖かな気質を潜ませた彼は…性別も在り様もまるで違うのに、どこかあの人に似ているような気がして。一瞬重なって見えてしまうせいで、不意打ちじみて目尻を熱くさせられる。

 

「行くぞ! ここが私達の正念場だ!!」

 

「降下完了! これより、魔界を目指して上へ登るよ!!」

 

「待っていてください、姐さん!!」

 

「今行きますよ…貴女の為に千年待った。だからどうか、昔と変わらぬ笑顔を見せて下さいね、(ひじり)

 

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗 霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「これは…なに?」

 

「飛倉のカケラというのよ」

 

「ふうん。で、コレをいきなり渡された私はどうすれば良いわけ?」

 

神社の境内で、いつものように掃除を始めていた私の前に、いつもの胡散臭いスキマ妖怪が現れた。突然放り投げられたカケラだかを持って、今すぐあの船を追えと紫は宣った。

 

「そのカケラは、空に現れたあの船を目指して飛んでいるみたいですの。異変の兆候と判断いたしましたから…霊夢にも渡しておこうかと」

 

「その口振りからすると、魔理沙には既に渡してあるわけね」

 

当然ですわ。

と、矢鱈と得意げに胸を張って賢者は応える。魔理沙をもう巻き込んでいるんだとしたら…これはやはり異変で確定なのね。面倒臭いけど、仕事っていうなら行くしか無い。それに、このカケラ何だかキラキラしてて綺麗だし…もしかしたら、あの船の中にはコレと同じかそれ以上のお宝じみた代物もあるかもしれない。

 

もし本当にお宝なんて見つけたら、近頃めっきり減ったお賽銭分の収入も補填できるし。何より美味しいご飯にもありつけるかも…生きるに困ったことは殆ど無いけど、持っていけるならとことん袖に詰め込んでやる!

 

「ぐふふ…オタカラ、オタカラ」

 

「霊夢、涎が出てるわよ……美味しいご飯の幻覚でも見ちゃったの?」

 

「違うわよ! 全く、行けっていうなら行くけどね。ホント、あんたっていつもいきなり言ってくるわよね」

 

「それはもう、異変ですもの。今回ばかりは、貴女たちが間違いなく主役ですからね」

 

本当にコイツは、調子のいいことばかり並べ立ててくれる。ご機嫌な感じで紫が喋るときは、大概録でもないと相場が決まってる。しかも私達が主役? ってことはつまり。

 

「あいつは出ないってことね」

 

「コウ様は今回、急用があるそうですから…さあ、行くなら急ぎなさいな。船を見失ってしまうわよ?」

 

わかってるっつうの!

悪態をつきながら空を飛び、カケラの誘うままに青空にかかる雲の中へと身を投じてゆく。最後に、よく聞き取れない声で胡散臭い賢者は何か話していたけど…まあ、成せばなるでしょ!

 

「お宝、お宝、お宝! 待ってなさい! 魔理沙だろうが誰だろうが出し抜いて、最後に私が全部貰ってやるわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――気をつけなさいな、霊夢。魔理沙と守谷の風祝もね。今回の障害は、貴女たちにとって大きな試練となるでしょう…気を抜けば、それこそ一瞬でカタが付きますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 霧雨 魔理沙♦︎

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっひょー、流石に高いな。面白そうなもん拾ったからソレの飛んでく先を追ってって、開けてびっくり玉手箱ってな!」

 

家の窓から、不思議な形の船を見かけた。

それは空をごく自然に回遊しながら、日差しに照らされた船体を翻し、数分後にはまた雲の切れ間に向かって消えていった。あわや船に後光が差しているという異様で空を渡るソレは、一体どういう原理で飛んでいるのか非常に興味がある。魔力か、妖力、はたまた別の何かだろうか? 紫が現れて船を目指すカケラを手渡され、異変だと言われつつも好奇心に背中を押されてここまで来た。けど…こういう時には決まって邪魔が入るものだ。

 

「待っていたわ、箒に乗った小柄な人間。その帽子、白黒の出で立ちからすると…貴女が霧雨魔理沙?」

 

「おまえは?」

 

「雲居一輪。貴女はここで行き止まりよ。ここから先へは行かせない」

 

カケラの動きが一旦止まった。ゆらゆらと漂うばかりで、私を呼び止めた目の前の妖怪に反応している様にも見える。青い髪の女の蒼い被りから覗く瞳には、決意というか…強い意志が認められた。

 

「そうか…それじゃあ――――――――――」

 

「…!!」

 

「おまえをやっつけてから行かなきゃな!」

 

箒に魔力を注ぎ、二段三段と上昇を重ねて魔方陣を展開する。星型と球型の弾幕を前面に散りばめ、現れた妖怪の様子を伺う。

 

「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ…毘沙門天の加護ぞあれ、金輪よ!!」

 

一輪が聞きなれない呪文を唱えて、右手に持った金の輪をひと薙ぎすると…彼女を包囲しかけていた弾幕が瞬く間に霧散した。なんだありゃ? スペルカードとは違う…ってことは、能力とは別の自前の術か何かか。

 

「厄介なモンもってるんだな! 俄然やる気が出て来たぜ!」

 

「話に聞いた通りね。簡単に諦めるタマじゃ―――――なっ!?」

 

私の真向かいの空から、一輪の背後を狙って発光する物体が飛来する。寸前のところであいつが謎の発光物…というか弾幕の一種みたいなのを回避すると、小さな豆粒程にみえるくらい離れた場所から誰かが猛スピードで飛んできた。

 

「そこまでです。守谷に在わす二柱の導きにより、この東風谷早苗が押し通ります!!」

 

「早苗!? おい! 今は私とこいつで勝負の途中だぞ!?」

 

「ならば、此処はお任せします! 私は霊夢さんと合流してから―――――」

 

「いきなり来て何言ってんだ! せめて終わるまで待てっつうの!」

 

「……ごちゃごちゃと」

 

私と早苗が言い合っている間に、どうやら一輪は態勢を立て直したらしい。よく見ると今までには無かった気配が奴の周囲を取り巻いている。そして…彼女の背後に不定形の大きな靄が登り始めた。

 

「大入道を見せてやる」

 

大入道…名前だけは聞いたことがある。どんな代物かは知らないが、一輪はよもや二人を同時に相手取る気でいるのか。

 

「舐められたもんだ…とは言わないぜ。空気が違う」

 

「……ええ、この重圧が物語っています。二人で、なんて考えもしませんでしたけど」

 

それくらいでいかなきゃ、何かヤバい気がするんだ。空はこんなに青々としているのに…今は空を背景に飛ぶアイツが矢鱈と不気味に見えてくる。

 

「―――――いけ、《雲山》ッッ!!!」

 

一輪の身体から滲み出たソイツは、並み立つ風と雲を巻き込みながらこっちへ向かって突進して来た。不定形ともいうべき、朧げな姿に似合わぬ圧倒的質量を感じさせる急襲に、私達は泡を食って大きく仰け反った。

 

「ドゥルルルルルルルァァアアアアア――――――――――ッッッ!!!!」

 

大口を開けて咆哮をあげたソレは、見たまんまの桜色がかった雲の塊だ。だが姿形としては、上半身が偉丈夫な髭男であり、下半身は霞の如く不確か。見ただけではアレが何かまるで分からない。慌てて回避した私達を威嚇しながら、加速して旋回する雲男は更なる猛攻を仕掛けてくる。

 

「雲山! 殴って殴って殴りまくれぇっ!!」

 

「オオオオオオオオッハァァアアアアンンッッ!!!」

 

一輪の指示に忠実に反応した雲男は、雲で形成された丸太の様な腕を次々と繰り出した。私と早苗がほぼ同時に防御に入ったものの、優に数十発もの打撃が障壁越しに衝撃を与えてくる。

 

「うぉぉおおお!?!?」

 

「こ、これは想定外ですぅ!! 何なんですかこのハイテンションかつパワフルなオジさんは!?」

 

「大入道を見せるといっただろう? 私は入道使いの雲居一輪。私と雲山の連携は完璧だ! 怪我したくなければそのまま帰れ!負けて帰って悔しがりなさい!」

 

雲山に攻めを任せた一輪が、右手の金輪を天高く掲げて妖力を高めた。あれは間違いなくスペルカードの宣言だ…このままじゃマズい! 一輪との距離を雲親父に空けられたせいで、早苗も私も間に合うかどうか―――――!!

 

「ヌゥウウウンッッ!!」

 

「魔符―――――」

 

一際大きく、雲親父が拳を振りかぶる。

やっとトドメに入ったか、付け入るならここしかない!! 振り被った遠心力でほんの数瞬だけ攻撃の手が止んだ。早苗に目配せだけして、伝わるかどうかも分からない合図を示してスペルカードを宣言する。

 

 

 

 

 

 

「――――――《アルティメットショートウェーブ》――――――ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

「魔理沙さん!」

 

「行くぜ、霧雨魔法宅急便だぁ!!」

 

開放した弾幕による波状攻撃が、雲山を押し退けて一輪への通路を作る。箒を最大速度で空を駆け、後ろ手を引いた早苗を連れて真っ向から接近した。

 

「いけぇぇええええ!!」

 

「とおおおおう!」

 

御札と幣を携えて、入道使いの前に早苗が躍り出る。痛恨の一撃を見舞おうとした刹那、肉薄され後がなくなった筈の一輪が…口元を歪めて笑ったのが分かった。

 

「雲山ッッ!!」

 

「ビィイブァァアアアッック!!!」

 

千切れ雲が寄せ集まったのが今の雲山なら、早苗が迫った瞬間に早苗の前に現れたヤツは煙幕にも似ていた。空中で即座に霧散したかに思われた雲親父は、早苗と相棒の間を隔てる形でまたも姿を現した。

 

「くっ! 《おみくじ爆弾》!!」

 

「ヌグゥゥッ!?」

 

しかし早苗も食らいついた。今また距離を置かれれば、雲山との連携で今度こそ確実にスペルカードを使われてしまう。雲山目掛けて放った札が、虹色の輝きを伴って爆風を起こし、出現した雲山を入道使いから引き――――――

 

「無駄無駄無駄無駄ァッッ!!」

 

「な――――――かはっ!?」

 

「早苗っ!! おい、しっかりしろ!!」

 

一輪の絶叫に合わせ、早苗の上空から何かが振り下ろされた。体ごと押し潰すような一撃に、もんどり打ちながら落下して行く。箒から魔力を噴射し、苦悶の表情の早苗を何とか掬い上げると、上空に留まる入道使いの傍らに巨大な拳の形をした雲を視認する。

 

「アレも雲山の技か、どうなってんだあの雲親父は! つうか乗っけからこんな手強いとは思わなかったぜ!」

 

「垂雲の鉄槌…雲山の質量でそのまま拳を象る立派な特技よ。言っただろう、私達の連携は完璧だ! 数分前に組んだ付け焼き刃の二人に負けるものか!」

 

 

 

 

 

 

「――――――なら、三人ならどうかしら?」

 

 

 

 

 

 

戦っている私達に割って入った人影は、赤いリボンに結われた髪を靡かせてそいつは飄々と告げる。気怠げな表情に反して苛烈さの混じる視線に相手を捉え、早苗と私、一輪と雲山を交互に見てから溜め息を漏らした。

 

「どういう状況なのよこれ。三人ならーとか言ってみたけど、まるで読めないわ。お宝目当てで来たら魔理沙たちがヘロヘロなんて何の冗談よ?」

 

「はっ…誰がヘロヘロだよ! お前がちんたら飛んで来るのを二人で待ってただけだっての!」

 

「霊夢さん…来てくれたんですね。大丈夫です! 私はまだまだ元気ですから!」

 

「博麗霊夢ね…例え巫女が相手でも、今日の私達は止められない。三人纏めてかかって来なさい!!」

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

寅丸星が、宝塔を使ってカケラとやらを集めだしてから数十分が経過した。彼女の顔には疲労が色濃く出ているが、側に付いているナズーリンの制止を振り切って飛倉集めに精を出している。私といえば村紗水蜜と彼女らの意見交換に動くだけの、実質役立たずなわけだが…概ね予定通りな上に一輪の足止めも上手くいっているようだ。

 

「雲居一輪は、良い戦いをするな」

 

「む? ああ、そうか…君はこの距離からでも気配が分かるんだね。それは重畳、周囲の状況が具に分かるというのはかなり便利な能力だ。それで、戦況は?」

 

「今までは一輪が押していたが、霊夢が合流してしまったからな。拮抗はじきに破られるだろう。魔界へ突入する準備が整い次第、私は向こうへ向かう」

 

宝塔は、順調に船へカケラを集め続けている。一度魔界へ入れば、後は船が示す航路に従って村紗が星達を送り届けるだけでいいという。彼女らの仲間である聖なる人物を解放すれば、後は異変を決着させれば今回は終わりだ。

 

「時にナズーリンよ。聖とは、どういう人物なのだ?」

 

「彼女は…そうだね、まずお人好しだ。騙され易いとはまた違うんだが、どうも困っている奴を見ると人妖問わず首を突っ込む悪癖があってね。そのせいで、結局彼女は当時の人間からは妖怪を嗾しかけた悪魔と揶揄され…彼女を疎む法僧達の手で封印されてしまった」

 

人も妖も、双方が独自の距離感を保って共に生きていた時代では…人間からすれば倒すべき敵を庇う同族というのはさぞ奇異に映ったのだな。古の妖怪は人を餌にする輩も多く、またそれが自然な事だった。人の恐れを糧にするには、人ひとり喰らう様を見せつけてやれば良い。生きる為、存在を確立する為に行う当然の行動は、ともすれば人間の平穏を乱す害悪にしかならない。

 

「一方で、人間も妖怪の住処を切り開いて繁栄してきたのだから…一概に何方が悪いとも言い切れんか」

 

「封印される直前まで、聖は互いの和解を説いていた。魔界へ消える間際にも、一切恨み言は無かったんだ…」

 

「…許せないか、人間が」

 

両の手を握り締めて、ナズーリンは初めて憤怒の形相で私を睨み付けた。赤々とした瞳の奥で燃える、炎のような激情を押し殺して。

 

「許せない…許せないさ!! でも、仕方ないじゃ無いか。並の妖怪は人間の恐れが無ければ満足に生きることも叶わない。私達だけなら、何をされても当然の報いだと受け入れられるのに。だけど彼女は奴らにしてみれば同胞だった!! 人間にそっぽを向かれても、聖は最後まで誰一人見捨てたりしなかったのに!! 襲い来る人間も、逃げ惑う我々も、誰ひとりだ!! それなのに――――――」

 

「……そうか。難しい生き方を選んだものだな、聖という人間は」

 

聖某を排斥した人間共も、彼女に救われ落ち延びたナズーリン達の憤りも、きっと何方も正しかった。双方の均衡が傾きかねない存在がいるとなれば…どの道録な末路は迎えられない。封印という形でしか折り合えなかったのは哀しい顛末だが…ある意味では。

 

「――――――旗色が変わったな」

 

「…え、それは、いったい」

 

故に今が好機ともとれる。外の世界で神秘は悉く廃れ、我々が安住の地と出来る場所はごく僅かとなった。だからこそ幻想郷の齎らす救いに、此度の異変を介して私は賭けてみたい。楽園ならば、必ずやこの娘達の願いを果たさせてくれる。その価値ある想いを遂げさせてやりたいと感じ、彼女らと共に事を成そうと決めた。彼女の真意を探ったのは、私も動く前に最後の踏ん切りを付けたかったからだ。

 

「一輪が劣勢になった。今から向かうとする」

 

「君………あ…」

 

唐突だが、雲居一輪の妖力が弱まっている。察知された気配は四つ…一輪、魔理沙、早苗、そして霊夢で全員だ。即座に会話を打ち切り、転移の為にナズーリンから数歩離れる。彼女は、私を呼び止めようとしてそのまま口を噤んだ。致し方ない…今にも、戦いの前の高揚に力が溢れそうになる。

 

「事のあらましは承知した。確かに、共々の想いには価値が有る。鼠の娘、優しき賢者よ…改めて、君達の願いは私が最後まで手を貸そう。仏も人間も、世界にすらも見限られたと嘆くなら――――」

 

最後の品定めには充分な遣り取りだった。地底を巡る異変より、私の頭の中には彼女の言葉がいつも刻まれている。去来する言葉はいつも同じ。欲しいものを自分の思うままに望んでも良いと、彼女は笑顔で許してくれた。

 

【コウ様の願う、徒総てを掬い上げられる温かい場所を、私が創って差し上げます】

 

紫はそう言って、あの時私を送り出した。

ならば私も、他の者に出来るだけそうしよう。もう二度と、幸福を受け入れた己を偽らない為に。零れ落ちそうな宝を見過ごさないように。

 

「次は、私が楽園の皆に与えてやる番だ。凡ゆる幸福と、超えるべき苦難を」

 

黒い孔を空間に穿ち、一輪を基点にした座標へ足を運ぶ。泥濘の如き深淵へ身を沈めながら…閃光飛び交う空へと向かった。

 

「あ…き、気をつけてくれ。武運を祈るよ」

 

「……うむ」

 

彼女もまた、私から迸る力を間近に感じている。こんな有り様であるならば、脆弱なナズーリンが言葉を濁すのも無理は無い。それで良いとも…此の身は果てしなく傲慢に過ぎる。傲慢さに力も備われば尚更、深入りは避けたかろう。だが…助けてやりたいのは本当だ。誰も彼もが、ただ不可解だというだけで認めないなら……世界から彼女らを、友諸共に切り離そうとするのなら。

 

「打ち捨てられた其れ等を我が物とし、囲ってしまっても良いのだろう? なあ、紫。我が麗しき導きの乙女よ」

 

我が眼に映る価値有るモノを、深淵の中(この手のなか)に収めてしまおう。私にはそうする事でしか、君達への愛を示せない。







読んで下さり、ありがとうございます!
頑張った結果…戦闘の大一番は次回に持ち越しとなってしまいました!すいません!!
次もそこそこ空くかと思うのですが、待ってやって下さいませ。ありがとうございました!!


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第八章 四 大いなる試練

遅れまして、ねんねんころりです。
不定期な更新でまことにすいません!
見つけられた方、続けて読んでくださっている皆様、今回は厨二ズム全開の戦闘回となっております!
胸焼けとご都合展開に気をつけて、ゆっくりしていってね。


♦︎ 雲居 一輪 ♦︎

 

 

 

 

 

「雲山ッ!!」

 

「オルルルルラララララィィッ!!」

 

私の指示に躊躇い無く吶喊する相棒は、桜色がかった雲で作られた両腕を豪雨の如く打ち出して行く。無数の千切れ雲のように腕から分離した雲達が、弾丸じみた速度を伴って対峙する三者へと向かう。

 

「雲だからか!? 身体の一部を飛ばしてそのまんま弾幕にしてやがる!!」

 

「本来の雲は気体と固体、両方の性質を備えています! 攻撃の時は氷のように硬く、防御や回避の際は水や霧と同じで掴み所がありません!」

 

「水と霧と氷ね…身体の比重を細かく作り変えて攻防に使ってるってことか」

 

三人の意思疎通が時間を追う毎に良くなってきている。此方が三人を撃破する必要は無いが、私の妖力が尽きれば雲山の支援もままならない。雲山一人ではどんなに頑張っても霊夢、魔理沙、早苗の内二人を足止めするのが限度…それに。

 

「夢符――――《封魔陣》!!」

 

「ヌウッ!?」

 

「くっ…! 法輪転がせ、梵字悉曇!!」

 

霊夢が放った御札に、雲山が包囲される寸前で対抗術式を展開し何とか難を逃れた。今のように、私よりも雲山に有効な攻撃を霊夢は繰り返している。博麗の巫女の的確な戦線維持と魔理沙の陽動、早苗の奇襲という陣形は中々に厄介だ。だが退く訳にはいかない…後ろに彼が控えていることに甘えて、もし万が一計画を阻まれでもしたら全てが水の泡だ。

 

「よく保つものね…雲山、だっけ? ソイツを守る為に術を使うのは良いけれど、無効化してる訳じゃないんでしょ?」

 

「…私達は二人で一つの妖怪よ。片方だけ助かるなんて都合良くはいかないわ」

 

「……そう、良い根性してるじゃない」

 

「だな! 本当ならもっと正々堂々倒したかったけど…」

 

「異変解決の為には、此処は押し通らせて頂きます!」

 

そう言って霊夢は右手の幣を天高く掲げ、再度魔理沙の陽動と早苗の挟撃が始まる。まともにやればもう回避するだけの余力は残っていない…雲山の実体を維持するだけの妖力も底を尽きかけている――――――でも!!

 

「此処では倒れない…! もう少しだ、あとほんのちょっとで助けられるんだ――――――!!」

 

雲山を前面に押し出して、追随する形で魔理沙が向かってくる方向へ突進をかける。我武者羅に繰り出した雲山の拳と、私が生成した弾幕を躱そうとした魔理沙に一瞬の隙が生まれた。

 

「うおおっ!? 玉砕覚悟かよ!? 流石に危ないぜ!!」

 

「ここだッッ!!!」

 

「マジかよ、私の箒に飛び乗った!?」

 

三人が築き上げた鉄壁の布陣に穴が空いた。

魔理沙の箒の先端を足掛かりにして、雲山と自分の身体を押しつけながら彼女の体勢を崩す。制御の難しくなった箒の速度が少しだけ緩まった気を測って、箒に乗せた両脚を強く蹴って一段高い空へと跳躍する。

 

「包囲が破られました!?」

 

「荒っぽい打開策ね、でも好みの手よ。私も今度試そうかしら?」

 

「やめてくれよ! 折れたらどうすんだ!?」

 

賑やかしいのもこれまでだッ!! 三人の上空を取った今、残った力を振り絞って畳み掛ける!!懐に忍ばせた最後のスペルカードを抜き放ち、有りっ丈の妖力を注ぎ込んで宣言する。

 

「――――――《華麗なる親父時代》――――――ッッッ!!!!」

 

裂帛の気合と共に、背に佇む雲山の身体がもくもくと膨張し始めた。数秒と掛からず変化が終わり、相棒の体は戦っていた領空を覆い尽くすほどの巨大さを手に入れた。

 

「堕ちろ――――――ッッ!!!」

 

「オオオオオオッ!! ウララララララララァァアアアアッッ!!!」

 

怒号にも似た雲山の咆哮に合わせて、大質量の拳の雨が下方の三人を蹂躙する。高速で撃ち出される雲入道の大技に、三人は――――――怯むことは無かった。寧ろ霊夢を先頭に固く寄り集まって、魔理沙の展開した障壁が此方の第一打を受け止めた。

 

「莫迦な!?」

 

「へへ、前からの攻撃なら防ぎ易いぜ!」

 

こんな事が、あってたまるか!!

渾身の攻撃を、高々魔力で張った壁程度で捌彼らなど!! 感情に任せて連続で雲山に壁を殴りつけている間、霊夢と早苗が発する微かな声が耳に届いた。

 

「汝が子 建御名方の名を以ちて願い奉る」

 

「其は高天原に立つる神 御柱に寄りて崇め奉る」

 

真言…神に祈りを捧げ、巫女の力を触媒に神事を行う詠唱。彼の情報では、こういった神降ろしの術を持つ者は居なかった筈…となれば異変に備えて予め準備をしていたということ。

 

「させるかァァアアアアッッ!!」

 

「―――いいえ、もう詰みよ」

 

「二人で同じ詔を交互に捧げれば、発現する御業も一足飛びに早く起こります。これで――――――」

 

詠唱が止まらない…!!

私は妖力の殆どを雲山に注ぎ込んだというのに、肝心の攻撃は魔理沙が行使した壁に次々と防がれている。届かない…? もし私が倒れたら、三人が纏めて船へと押し寄せてくる。そんなこと――――――、

 

「汝が子 我らが大神 この一璽に沿うならば 氷刃荒ぶ風となりて…!!」

 

「嵐の如く裂き候へ!!」

 

「くそ、くそくそくそ!! 畜生ォォオオオオッッ!!!」

 

どれだけ虚勢を張っても、どれだけ覚悟を示しても…ヒトには生まれもっての分というモノがある。冷酷に、余りにも酷薄に表れた敗北の瞬間に…雲山と私は冷たい嵐に身体を投げ出されていった。

 

「聖……姐さん――――――」

 

 

 

 

 

 

 

「間一髪だな、雲居一輪。今は休むが良い…君が稼いだこの時を、決して無駄にはしないとも」

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 東風谷 早苗 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「勝った、勝ちました!」

 

「うーん、やっぱ次からはサシの勝負にしようぜ? 弾幕ごっこで多対一は違う気がするんだぜ」

 

「分かってるわよ…ちゃんと次からは――――――って」

 

浮かべた勝利の余韻は三者三様。各々が組み立てた連携に確かな手応えを持ちつつ、やはりスペルカードルールで多勢に無勢とは華がないという結論に達した時……氷柱入り乱れる嵐に巻き上げられる雲居一輪さんを、私達の良く知る《孔》から伸びた手が抱え取った。

 

「え…そんな、どうして」

 

自分はきっと、すごく間抜けな顔をしているんだろうな。霊夢さんの口は真一文字に引き絞られ、目元に深く皺を寄せて上空の孔を凝視していた。魔理沙さんは、何かを悟ったように帽子を深く被り直して…帽子の中から一輪さんを受け止めた腕の主を見据える。

 

「間一髪だな、雲居一輪。今は休むが良い…君が稼いだこの時を、決して無駄にはしないとも」

 

――――――――幻想郷に来てから、彼のいる日常が当たり前みたいに感じていた。初めて自分をありのまま表現出来る場所で過ごす日々は、本当に楽しくて。外の世界で、曇り切ってしまった私の心に新たな色を与えてくれた…大切なヒトの一人。霊夢さん達と同じくらい大切で、私達共通のお友達だ。でも――――どうして今、見慣れた筈の黒い孔が…あそこにあるの?

 

「冗談じゃ…ないみたいね」

 

霊夢さんの声が遠い…頭が他人事のように、必要な筈の情報を故意に聞き取らないでいるんだ。だって、

 

「異変にしちゃ、随分穏便な始まり方だったから拍子抜けしてたけどさ。一体全体、何でアイツが此処で出てくんだよ?」

 

悪態にも似た刺々しさを孕んだ魔理沙さんの声。アイツ…そう呼ばれたのはきっと、あのヒトだ。すらっとした高い背丈、服の中に見え隠れする岩肌を思わせる筋骨を備えた肢体。黒髪から覗く灰銀の瞳が、虚空の孔から身を乗り出したまま私達を見ていた。

 

「――――――――九皐…さん」

 

「如何した、何を驚く必要がある? 君達は異変解決者。そして今日の私は、ソレを阻もうとする謂わば敵だ」

 

両腕に抱えた一輪さんを、自らが空けた黒い孔へと優しく沈めて…まるで私達を挑発するかの様に、そんな言葉を紡いでくる。

 

「どういうつもり? あんた」

 

「簡単な事だ。私は彼女らから報酬を出される代わりに雇われた身…なれば君達を通さぬ為に、此処へ立つのは当然ではないか?」

 

「そうじゃねえって! だから、何でお前が! そっち側に雇われてんだって聞いてんだよ!」

 

「そ、そうです! でないと異変が――――」

 

この時にはもう、私と魔理沙さんは彼の齎らす重圧に飲まれていたのでしょう。取り留めも無い言葉で返された彼は、如何にも残念そうに口を開いた。

 

「この異変が終わらねば…何だ? 内容を問わず、ただカケラに誘われるがまま此処まで来たのだろう。其処に例え難敵が待ち受けようと、倒し押し通るのが君達の使命の筈だが?」

 

「―――――っ」

 

「それは…だって―――――」

 

「やり難いぜ…よりによって一番敵に回したくない相手が現れた」

 

私は…貴方や霊夢さん、魔理沙さんがいてくれたから。だから今度は私もって決意した矢先に、どうして貴方が其方にいるんですか…?

 

「一輪を倒したのは見事だったぞ。大いに喜べ…私も誇らしい限りだ。君達三人が力を合わせ、彼女を降してみせたのは実に喜ばしい成果だ」

 

「そ、それなら!」

 

「だが…まだ足りない。先の戦いだけでは、君達を進ませる事は叶わない」

 

彼から迸る銀色の奔流が、一瞬にして空の青さと雲の白さを掻き消した。タネも仕掛けもない本物の魔法のような、圧巻としか形容出来ない…瞭然な程の戦意を宿して。

 

「では、始めよう」

 

刹那の空白。

夥しい質量の銀の波濤が…一薙ぎに私達全員を更なる後方へと吹き飛ばした。私は…ただ訳も分からないまま上空の彼を見上げて宙空へ投げ出される。気付けば霊夢さん達に受け止めて貰う形で態勢を立て直し、ふと我に帰った。

 

「ぐっ!?」

 

「うわわわ!?」

 

「何で…? なんで!?」

 

「気合いを入れろ、人間達よ。此度の異変は私達が首謀者だ――――恐れずしてかかって来い」

 

銀の波濤が大きく蠢いた。

彼の身体から無尽蔵に溢れ出る其れ等は、何の指向性も持たない力の余波に過ぎない。大海のような底深い、果てのない唸りが、ただ其処に有るというだけで私達の動きを縛っていた。

 

「魔力が、削ぎ取られてやがる…!」

 

「もっと確りと練り上げろ、魔理沙。半端に道具に流し込むだけでは直ぐ溶けて消えてしまうぞ」

 

一番辛そうなのは魔理沙さんだった。一輪さんの猛攻を防ぎきった直後の連戦。小瓶から取り出した薬品を飲んでいるものの、発生させた魔力が銀色の波の中に次々と吸い寄せられていく。

 

「こ、んの…!! あんた本当に容赦なく奪ってくれるわね!?」

 

「良く耐えているな、霊夢。力の制御は三人の中では特筆すべきモノが有る。しかし…まだ足りん」

 

気合いを入れろというのはそういう事らしい。下手に動こうとすれば力を喰われ、動かなければゆっくりと蝕まれるだけの現状に、さしもの二人も練り上げた力を周囲に留めて耐える事しか出来ていない。

 

「私の、力なら――――」

 

神々に祈りを込めて、奇跡を起こす能力の発動を試みる。不可思議な現象として現れる能力であれば、霊力や魔力を媒介とする二人よりは幾らか制限が緩い筈。

 

「そうであろうな…だが、黙って見過ごす私では無い」

 

「なっ……!!」

 

彼が徐ろに左手をもたげて、掌の中に不可思議な光弾が形作られる。それは地球の表面を、蠢動する雲が取り巻く様な状態を保ってている。掌の上で規則正しく廻る銀の雲海の内側で、明滅する核と思しき小さな黒い球が、急速に周囲の力を吸い上げ始めた。

 

「アレは、なんなのよ」

 

「繭の中でナニカが産まれそうな、不気味な感じだぜ…周りのエネルギーを軒並み取り込んで、どんどん力が高まってやがる…!」

 

「あ、ああ…」

 

気付いてしまった。アレが示す動き、これから起こる私達に齎されるモノの正体を。あの球は星の終わりと始まりを表したかの様に…周りの凡ゆるモノを重力で引き寄せ、吸い上げ、膨張しているんだ。目に見えて分からなくとも、アレがどんな原理で彼の手に再現されているのかなんて知らない。だけど――――、

 

「退避です!!」

 

「早苗!? 逃げるったって、お前アレがなんなのか分かったのか!?」

 

「説明は後でします! ですから早く――――」

 

間に合うかどうか…!!

けれど一刻も早く彼の近くから遠ざからねばならない。球体の持つ特性は私が想像した通りの代物でしょう…まさか星の爆縮(・・・・)の再現なんてモノを、片手間で発動できるなんて…ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

「我が仔よ 何ゆえ怯え 泣いているのか 木々の陰には何も無い それは只の幻だ お前が恐れ 死を予感するものなど有りはしない」

 

 

 

 

 

 

 

この場に相応しくない、然れど確かな意味の込められた言葉が彼の口から溢れている。しかも掌の球体と共に、九皐さんから飛散し出した力の気質、あの色は。

 

「魔力だって…!? おいおい、お前何でも有りかよ!? この前まで殴ったり蹴ったり、手からぶっ放したりするのが元のスタイルだっただろう!?」

 

「魔法というのは面白いモノだな、魔理沙。どれだけ術式が難解でも、一度理解し、実行してしまえば魔力次第で発現そのものはどうとでも出来るのだからな。尤も、私のコレは君達の扱う物より起源の古い…魔術と呼ばれる方法だが」

 

「チッ…そういうことか、ムカつくけど、それが差ってことなのね!」

 

「霊夢さん! 今は出来る限り離れて下さい!!」

 

魔術…今まで彼がそういった、特定の分野を用いて戦った話は神奈子様達からは聞いていなかった。でも知らなかっただけで、不可能だったわけじゃない…! 彼の口振りからして、魔術を学び始めたのはごく最近の事の筈。何故それをこの場で私達に…!

 

「特別な理由は無い。強いて言えば…君達を躾けるなら、スペルカードルールに則った方が公平だと思ったまでだ」

 

弾幕ごっこで、私達三人を圧倒すると。

彼は事も無げに言い放ち、掌で燻る球体の輝きが臨界点へと近づいていく。魔理沙さんは歯噛みしながら、霊夢さんは苦々しい表情で、私は焦りと純粋な脅威から逃げ出したい一心で空を垂直に飛び続けた。そして―――――――

 

「弾幕、開放」

 

発射三秒前のミサイルが背中目掛けて点火されている。頭の中が益体も無いイメージで塗りつぶされそうになりながら、開放の一声を聞いて更に飛翔の速度を上げた。彼の放つ銀の奔流が魔力の色を帯びたことで、暗い紫がかった濁流へと変貌する。

 

「大丈夫か? 大丈夫だよな!? こんだけ離れたら普通のスペルカードなら!」

 

「バカ! あいつに普通なんて例えが通じるもんかっての!」

 

「もう、これ以上は――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

「弾幕、開放」

 

楽園に至ったばかりの頃に、藍からの申し出でスペルカードルールによる決闘方法も修めておけと言われた当時を反芻する。あの頃に比べて、確かに霊夢や魔理沙は更に強くなった。多くの戦いと異変を経て、力が付いたのは言うまでもない。早苗が彼女らに追い付きたい想いから…八坂神奈子や漏矢諏訪子との鍛錬を日増しに激しくしていた事も知っている。

 

「だが…ただ強いだけでは駄目だ」

 

私は最初の異変で、フランドールの心を晴らしてやれない自分の不出来さを嘆いた。西行寺を助ける為に、紫に請われて冥界へと赴いたものの…最後には桜を枯らす為に救うべき亡霊の心を操った卑劣さを悔いた。それから幾度も異変に介入し…数え切れない程の大切な出逢いから、先の一件を機にこれまでの自分の在り方を見つめ直した。

 

「私なりの贈り物だ。楽園を守護する君達に、捻くれた年寄りから余計な世話を焼かせて欲しい…当事者にしてみれば、有難迷惑な話だろうがな」

 

幻想郷に来て、私の心に確かな熱が蘇ったのだ。独り惰眠を貪り、悪戯に時を費やしていただけの私に、真の安寧を与えてくれた楽園…此処に住む皆との出逢いは何物にも代え難い。末永く、願わくば永遠をと思うほど…健やかに、幸せで居て欲しいと願う。

 

「故に、育て上げたいのだ。私以外の誰にも負けぬ、雄々しく美しい君達を」

 

実直なままでも、奔放なだけでも、豪気なことだけでも未だ足りない。君達が大きな災いに直面した時、誰の庇護も無しで対峙した時…僅かばかりでも私との関わりが糧になるのなら。如何なる苦難にも希望を失わず、如何なる時も前へと進む勇者で在れと願って…この場を借りて彼女らをもう一つ上に鍛え上げる。

 

「大丈夫か? 大丈夫だよな!? こんだけ離れたら普通のスペルカードなら!」

 

「バカ! あいつに普通なんて例えが通じるもんかっての!」

 

「もう、これ以上は……!!」

 

この戦いで、必ずや君達を完膚なきまでに打倒しよう。苦しさに悶え、悔しさに震え…そうしてまた立ち上がった後、次なる異変へと向かうが良い。故に――――

 

 

 

 

 

 

「超流動――――――《崩れ逝く星(コラプサー)》――――――」

 

 

 

 

 

 

極限まで圧縮され、空を覆っていた銀と黒の螺旋が弾けた。彼女らの扱うスペルカード数枚分に匹敵する膨大な魔力塊が、衝撃と共に無数のパルスを発生させる。現象に対して威力や範囲の規模が極めて小さいのは、私なりの手心というものだ。それでも尚、眩い光の中で捉えた三人には相当の被害が認められた。

 

「ちっ…くしょう! やってくれるじゃないか、もう少しで死ぬかと思ったぜ!!」

 

「生きてるのが不思議なくらいの爆風だったわ…あれで再現率がいくつだって? 早苗」

 

「二…いえ、一割あるかどうかと言った所ですね。本物と全く同じなら、幻想郷どころか星丸ごと御陀仏でした」

 

素晴らしいではないか……軽口を叩き合いながら、初めて受ける私のスペルカードを耐え抜いたか。やはり持っているモノが違う。魔理沙は弛まぬ努力と幅広い魔法の知識に裏打ちされた確かな対策だった。障壁を自分達三人を含む広域に張り、早苗と霊夢が御札と法術を用いて強度を補填しての耐久。魔理沙の魔力が最も消耗していたために、余力を残していた二人が衝撃の大半を肩代わりした。

 

「そうでなくては、面白く無い」

 

「まだやる気? 正直あんたと戦っても一文の得にもならないから、さっさと抜けさせて欲しいんだけど」

 

なんとも霊夢らしい物言いに、私も思わず笑みが零れる。この戦力差を目の当たりにしてから、三人の誰より迅速に適応したのは霊夢だろう。時に魔理沙を、早苗を護り、そしてまた己の安全圏も確保する。言葉にするほど簡単にはいかない…驚嘆に値する勘の良さと冷静な判断だ。

 

「博麗の巫女此処に在り、といったところか」

 

「なによ、褒めるんなら御布施の一つでも寄越してくれて良いんだけど?」

 

彼女の平時と変わらぬ振る舞い…芯の強さは、早苗と魔理沙に不安や緊張を伝播させないという大きな役割を果たしている。この状態を維持するには、自身もまた巫女としての力量と持ち味を最大限に活かさねばならない。

 

「ったくよぉ…もう少しレベルアップしてから挑みたかったのにさ。年寄りが大らかってのは迷信か? コウはせっかちで面倒くさいな!」

 

「君も気が急いている点では同じだぞ、魔理沙。熟達した魔法使いになる為には、根気よく研究と反復を続けるべきだとパチュリー達が嘆いていたな」

 

「うぐ!? それを言われるとキツいぜ…」

 

だが、本人も自覚しての勇み足なら止める筋合いも無い。現にこの中で頓に伸び悩み易い魔理沙は、これまでの研鑽と完成度の高い戦術で数々の異変に臨んできた。魔法の才能に乏しくとも、それを決して言い訳にせず、自らが目指す高みを少しずつ進んで行く。故に彼女もまた一廉の強者である…油断しては此方が足元を掬われる。

 

「早苗」

 

「へ? は、はい! なんでしょう…か?」

 

「良く耐えたな。一方的に吹き飛ばしておいて何だが…私の魔術を見てからの即時後退と二人の支援を恙無く熟すとは、二柱によく鍛えられている」

 

「そ、そうですか!? そうですよね!? 九皐さんにそう言って貰えると鼻が高いです!!」

 

俄かに嬉しそうな反応だ。艶やかな長髪越しに頭を撫で着けながら、頬を赤らめる仕草は初々しくて良い。初めはどこか浮ついた印象の、頼りなさの残る少女だと思っていたが…八坂神奈子達が選んだだけあって素晴らしい成長ぶりだ。私と数度撃ち合っただけで、自分が仲間と連携しつつ繰り出す攻撃の間隔や神力の制御をより緻密に修正している。見た目に寄らず実戦に強い性格なのかも知れん。

 

「では、第二幕と行こう。脱線し続けて茶を濁しては、折角皆と競える時間が惜しいのでな」

 

「ちぇ…もう少し休憩したかったけど、しょうがねえか!」

 

「こうなったらとことんやってやるわよ! お爺が無理しても怪我しかしないって教えてあげる!!」

 

「九皐さんはお爺ちゃんじゃありません! まだまだピチピチです! でも、私達の方が勢いは断然上ですよ! こうなったら、意地でも負けませんから!!」

 

何とも重畳な事である。

若さに溢れる快活さと直向きさ、時折無茶にも思える行動を支える確かな自信。高みを目指すことを怠らない少女達との戦いは、未だ始まったばかりだ。

 

「老人の説教は兎に角長いぞ? 君達の未来は明るいが、やはり餌につられてやって来た安直さには折檻が必要だ」

 

身体に纏わりつく銀光を操り、細かに分裂させて弾幕として前方へ撃ち出す。其れ等を流麗な機動で躱し此方を伺う三人に、またも先んじて私からスペルカードを予告する。

 

「次のスペルカードは範囲と威力こそ弱いが、厭らしさだけは折り紙つきだ。そうだな…冬が前倒しで来るようなものと思えば良い」

 

「って、全然優しくないじゃない! 寒いのは嫌いなんだっての! しかもカード持ってないくせに次から次へとポンポン出すなっつうの!」

 

「詠唱を完璧に唱えなければ発動はしない。それを察知して対応するが良い」

 

「分かりにくいからカード作りなさいよ!」

 

紅魔館の書斎から本を借りて修得した多くの魔術は、あくまで皆が対応し得る範囲のモノを選んだが…私としても直接拳を交わす方が効率的だ。が、それを喰らって各々が風船の如く弾け飛んでは元も子もない。

 

「スペルカードを使われる前に、数で押し潰してやる! ふーんだ、これなら接近戦以外にやりようないでしょ!?」

 

「私の打撃で跡形無く消えても文句は無いと言うなら、一人ずつこの拳脚を受けてみるか?」

 

「是非遠慮させて頂くぜ! 霊夢もあんまり余計なこと言うなよな!?」

 

「そうですよ! 態々弾幕ごっこしてくれてるんですから空気読んで下さい!」

 

「あんたらどっちの味方なわけ!? 次が来るんだからそりゃ慌てるに決まってるでしょうが!!」

 

どう転んでも剣呑な雰囲気には転ばない面子だ。其々が口を挟みつつも息の合った動きで距離を保って応戦している。魔理沙は誘導型の弾幕で私の脚を止めにかかり、霊夢が陰陽の色彩を放つ大型弾で視界を遮り、空域を制圧。そして早苗が両者の弾幕に滑り込ませた菱形弾が、ものの数秒で七度、私の急所を的確に狙ってくる。

 

「頑丈さには定評がある…幾らかは受けよう。代わりに、次のスペルカードを馳走する」

 

「またさっきみたいなのが来るのか!」

 

「上等よ! こうなったら何が何でも受け切ってやるわ!」

 

「援護します! 二人とも私の近くに来てください!!」

 

先程と同じ手で私の次なる弾幕を捌くつもりか。愚直だが嫌いではない…ならば此方も、年長者なりの矜持を以って対峙するとも。搦め手は用いず、正面から彼女らの陣形を崩してみせよう…その方が、我慢比べのようで面白い。

 

「聞け 怒り立つ海の騒めきのように 岩底深く咽び泣く渓流の如く」

 

高位魔術の発動に不可欠な詠唱によって、立ち向かう三人は防御の姿勢で私を迎える。双方に交差されていた弾幕は静寂と共に止み、余分なモノの立ち入らぬ緊張を伴う。互いの高めた力と重圧が鍔迫り合い…紡がれる呪言の解放が今か今かと待たれる。

 

「打ち拉がれる苦痛を見よ 悲鳴と重なる涙の流れを 猜疑と不安は汝らの上にて揺れ動く」

 

手筈は整った。十全に費やされた魔力が術式として顕在化する。六芒星を描く魔方陣が背に現れて、残り一節の後に過たず発動した。

 

「然して是を何故に 罪ある者は永遠なれと歓喜に耽るか――――――――弾幕、開放」

 

三節の呪言に記されし、負の総体から汲み取られた力の一端が魔方陣から這い出でてくる。淀んだ闇によって形成された、九対の触腕が先端に光を灯し少女等へと向けられる。是等は全て我が深淵から零れ落ちたモノ。いつかの時代の地獄そのもの…炎無き時代、火の恩恵が人間に与えられる以前の世界。触れるものを凍てつかせるという、それだけに特化した一撃。

 

「……征くぞッ!!」

 

「「「来い――――――ッッ!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

「超伝導――――――《三全音下の大冥洞(マイナス・ゼロ)》――――――ッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

触腕が無作為に吐き出した極低温の波動が、膨大な魔力によって性質を歪められて霊夢達の備える一点へと収束してゆく。九対の何れもから産み出される放射状の冷気は、爆発的な気温低下を齎して周囲を凍結させた。

 

「ふむ、少し冷えるな…お前達はどうだ? 此処らで一つ、暖を取りに寝蔵へ引き上げてみる。というのは」

 

その問いかけに、応える者は居なかった。

辺り一帯は、不純物と大気の急激な冷却により白銀へと変貌している。霧と靄に包まれたこの場所に、私以外の誰も…声を発するモノは居なかった。

 

 







そして誰もいなくなって…いません。
次回に持ち越しになってしまって申し訳ありませんが、次回を暫くお待ちくださいませ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!


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第八章 伍 敗北の味に感謝を込めて

遅れまして、ねんねんころりです。
度々のことながら、長らくお待たせいたしまして申し訳ありません。

この物語は、厨二マインド全開、いつも通りの超展開、そして主人公の負け成分が含まれております。
それでも読んで下さる方、待っていてくれた方は、ゆっくりしていってね。





♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

忘れはしない。あの時に懐いた悲しみを。

 

癒える事は無い。あの時に感じた虚しさを。

 

けれど――――――決して諦めはしないだろう、あの時の温もりが残っているから。

 

誰よりも大切だった家族が居なくなって。目の前が真っ暗になるような気持ちを、長らく抱えて生きてきた。人として当たり前の幸せすら手放して、日毎に嗄れていく声と萎びた顔が近づいて来る死をより強く意識させる。その中で御仏の教えを信じ、救いを求める人々を可能な限り導いて来た。それでも、弟を失ったこの堪え難さを埋める言い訳には出来なかった…したくなかった。こんな終わり方は嫌だ、まだ死にたくない。私は、まだ何もしていない。

 

 

 

 

 

いつしか人の身に余る奇跡を望んで―――――――それは残酷過ぎるほど明確に叶えられた。

 

 

 

 

 

 

「…みょう、れん……」

 

私は永遠を手に入れた。魔法、外法、邪法に手を染めて…誰よりも生きていて欲しかった家族の笑顔と、亡骸を記憶に留めたまま。私は若々しい肉体と老いぬ魂を再び得たのだ。誰より助けたかった弟の命と引き換えに、心に掛けた一切の躊躇いを投げ捨てた。

 

「…けれど」

 

死者は蘇らない。

どんなに手を尽くしても、一度喪われたモノを取り戻す事は出来ないのだから。非情な現実の前に気が狂いそうになりながら、それでも正気なまま行き着いたのは…家族を見送った孤独な自分に何が成せるか…つまりは代替となる行為だった。そうなってからは、胸に開いた穴を埋めるが如く…私は手にした力で衆生の救済に心血を注いだ。二度とあんな思いをしない為に…二度と無為な生を送らない為に。最初は人間だけを助けて、いつしか数を減らし始めた妖怪達をも救いたいと願うようになった。納得の行く最期と、理解の得られる救いを与えてあげたいと。

 

今思えば、それは傲慢に過ぎる想いだったのでしょう。しかし…そんな独り善がりな考えでも、ほんの少しでも誰かの救いになったなら。答えを得た時、私の中の迷いは消えていたのです…恐らくは、弟を亡くしたあの日から既に、私の心は欠けたまま永らえている。

 

「もう…それも満足にはいきませんが」

 

私は人間に弓を引かれた。救った妖怪達の庇護さえ今は無い。私を怪僧と断じた者たちの手によって、この暗く自由の無い魔界に封印されてしまった。感じたのは悲嘆と、空虚と、再び手に入れた居場所を無くした、愚かな己に対する怒りだった。

 

人間と妖怪の間で、中途半端に行き交う私。その在り方から、その実一番護られていたのは『自分』だったと自覚した。どちらでも無いから仮初めの平穏を盾に、都合のいい言葉を平然と並べ立てる。人間に善行を積みなさいと説き。妖怪には、御仏は貴方達の生き様をちゃんと見ているから、今は耐えなさい。と…平等な救いがあるかの様に嘯いた。

 

 

でも…私は間違ってなどいない。

生まれや姿形が違うだけで、私達の信仰は差別などしない筈だ。そこに貴賎が産まれるのは、各々の心が未熟故だと。

 

「違うからこそ、分かり合えないこともある」

 

そんな簡単なことにさえ気付かなかった癖に、何もかも分かった風に彼ら彼女らの間で居座っていた自分の何と情けないことか。真に平等なモノなど無い。この世界はそういう造りになっている。

 

「……嫌だ」

 

嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…!!

私は絶対に認めない。そんな正論に流されて、自分の道程を無にする真似だけは絶対に嫌だ。導いてきた者達に、今更背を向けるのだけは耐えられない。私は諦めない…必ず此処から抜け出してみせる。人が脅かされる世界なら、妖怪が駆逐される世界なら、私が。

 

「―――――――この聖白蓮が、救われぬモノをこそを掬いましょう」

 

千年の諍いを治めましょう。

 

万年の蟠りを断ちましょう。

 

億年の怨嗟を洗いましょう。

 

皆が極楽浄土に行けるように、正しきモノが正しく救われる居場所を、今度こそ創ってみせよう。だから私はここで、記憶の中の仲間達を想いながら―――――――じっと待ち続けているのです。

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 村紗 水蜜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

 

「視界良好! これならいつでも魔界へ行けるよ! 二人が頑張ってるんだから、大船に乗ったつもりでいないとね!」

 

「…君は舟幽霊だろう? 船を沈める側がそんなことでいいのかい?」

 

むむ! 何とも皮肉の効いた冗句をくれるじゃないかナズーリン。そういうのは若かりし頃に卒業したのです! 今はしがないキャプテン・ムラサ、頼みとあれば何処へなりとも船を操る仏教帰依した妖怪さ!

 

「魔界へ行く準備は整った。ご主人が頑張ってくれたからね、今は奥で休ませているよ」

 

「そういうことなら合点さ! さあ、門を開け! 私達を聖の許へ導いておくれ!飛倉の船よ!!」

 

私の声に呼応して、聖輦船は轟々と唸りを上げて進路を示した。前触れなく空に穿たれた渦が、淡い光の粒を吸い寄せながら私達を飲み込んで行く。

 

「…君がいてくれて良かった。感謝しているよ、村紗。君なしでは、船を操るという前提すらもこなせなかったろう」

 

「あはは! 水臭い事は言いなさんなよ、ナズさんや! 私達の想いは一つさ! 幻想郷という、人妖暮らす楽園で聖と再会する。そしたら全てが解決! みんなハッピーだからね!」

 

そうとも。

昔々の大昔…海で漂うばかりのしけた妖怪に、手を差し伸べてくれた人がいた。独りだなんて寂しいよって言ってくれた聖が、この向こうにいるのなら。

 

「全速前進! 魔界の果てまで突っ走れ―――――!!」

 

大気の揺らぎが収まった頃、私達は魔界の何処かへと躍り出た。それと全く同時に、甲板に現れた黒い孔から見知った顔が放り出てくる。

 

「一輪、アレ一輪だよ! ナズーリン!」

 

「わかっている!」

 

すぐさま駆け寄ったナズーリンが、甲板で横になった一輪を確かめる。彼女の見立てでは、一輪は著しく妖力を消耗していて…星と同じく奥の間で休ませておく必要があるらしい。

 

「…ふう、この小さな身体に二人運ばせるのは酷だよ。それにしても、無事でよかった」

 

「うんうん! 今頃は手筈通り、九皐さんが足止めしてくれているんでしょ? だったら何も心配ないよ! 彼なら上手くやってくれる!」

 

陽気に応えて、私は内心の焦りを掻き消した。

私達の中で一、二を争う実力の一輪が敗れたのは正直キツい。でも…こっちには何を隠そう地底の英雄様が味方についてるんだ! 難攻不落どころか文字通り鉄壁の布陣だ。彼からすれば異変解決者は仲間みたいなものでも、今はこっちの陣営にいる以上は役目を果たしてくれるだろう。

 

「さーて! いよいよ聖のいる場所まで一直線だ! かっ飛ばして行くから、しっかり捕まっててよね!!」

 

その時、勢い込んだ私の出鼻を挫くような事態が訪れた。眼下に犇めく魔界に済む化け物達が、何かを讃えるように、崇めるように次々と声を発し始める。

 

「■■■■――――!!」

 

「#@&?s%――――――――!!!」

 

言葉とも叫びともつかぬモノが、魔界の大地に立つ妖怪達から雨霰と出てくる。一体なんの予兆なのだろう? 今まで、空に船が浮かんでいたというに此方を見ようともしなかった。それが一斉に、私達の進路上にある一点を見つめたかと思いきやの大合唱だ。

 

「不穏だな…魔界に済む者達は、幻想郷の妖とは根本的な強さが違う。鬼や大妖怪級の者となると早々いないが、それでも私や他の皆より凶悪なのがごまんといる。それが、どうして寄ってたかって空を――――」

 

長めの説明まことに結構だけど、確かにその通りだ。本来なら、幻想郷の並の奴らじゃ束になっても敵わない連中が空へ向かって咆哮する。そんな光景は異常としか言えない…船の進路には、暗澹とした闇と瘴気が立ち込めるばかりでなにも――――――――。

 

「あ、アレ…」

 

「どうした村紗? なにを見つけたんだ…!」

 

私が指差した先を、ナズーリンが注視する。なんてことだ…ほんの一瞬、目下の奴らに目を奪われていた間にあんなモノが現れていたとは。

 

「太陽だ…魔界に陽が昇ってるよ!」

 

暗い、空と充満する瘴気を塗り潰す山吹色の光。アレは正しく太陽だ。理屈は分からないけど、魔界にも太陽というか、自然による光源は存在するらしい。

 

「む…!? 見ろ、村紗! 太陽の昇ってきた場所をよく見てみるんだ!!」

 

――――――――ああ、見えているよ。

ちゃんと分かってる…あの光の中から窺える小さな点が。私達の探していた大切な仲間の姿が彼処で眠っている。この瞬間を待っていた…どれほど待ち焦がれただろう? 泡みたいにゆらゆらとした膜状の結界に封じられた彼女を見つけて、思わず涙が溢れそうになる。

 

「ぐす…っ! みんな、みんな起きて!! 見つけたよ、やっと見つけたんだ!! ほら、ここに来てご覧よ! あそこに―――――」

 

船の奥間から、ドタドタと慌てて走ってくるのが聞こえる。二つの足音は、急ぐ気持ちを抑えるなんて出来ないって感じだ。嬉しさと、焦りと…溢れそうになる感情の波が歩む両脚に如実に表れている。

 

「見つけたのね!? それで、姐さんは――――」

 

「聖! 聖は何処にいるのですか!? 」

 

私達の視線の先、それぞれの見据えた景色に彼女は漂っていた。地平線と日の出の重なる真っ只中に、私達の大事な家族が名目したまま宙を浮かんでいる。

 

「あの泡のようなモノは……間違いなく飛倉の結界です。顔色はお変わりないようですから、結界内の空気は清浄なのでしょう。良かった…! 瘴気に汚染される環境だったらどうしようかと…っ。それだけは気になって――――」

 

珍しく饒舌な星が、言葉の途中で詰まって黙り込んでしまう。目尻を拭って、一輪に肩を抱かれながら涙を抑えきれない姿に、私達も釣られて目頭が熱くなってくる。

 

「やったよ、私達の聖が帰ってくる…! 頑張った甲斐があったんだ! こんなに嬉しいことはないわよ!」

 

私は口より先に手が動いた。舵を目一杯切って、最大速度で船を聖のいる領空まで持っていく。私達はやり遂げたんだ…いや、これから漸く積年の努力が報われるんだ。そう、確信した瞬間――――。

 

 

 

 

 

 

 

「やーっと着いたんだ。全く、揃いも揃って妖怪の癖に人間を助けようだなんてさ……苛々するよッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

私達の視界を埋め尽くす、七色に光る謎の物体が煌めいた途端…数多の爆風と衝撃が聖輦船を蹂躙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「……」

 

私のスペルカードを受けて、三人は未だ凍りつき霧が掛かった空の何処かで身を潜めている。正確には、此方は既に三人の居所も気配も知覚している為、討って出るのは容易なのだが。

 

「応えは無しか。帰る気は無く、況してや打開策も今は無いと…なればそうしているしか有るまいな」

 

独り言じみた言葉を投げかけても、やはり一貫して反応は返って来ない。さて…背後に二人、左側に一人なのが丸分かりなのは言うまでも無い。魔理沙と早苗が背後から弾幕を浴びせつつ、躱す私を霊夢が追撃するといった作戦か。

 

「その意気や良し。私としても、簡単に終わらせる積りなど無い」

 

「――――――いくぜっ!」

 

「やあああああっ!!」

 

「《封魔針》ッ!!」

 

領空一帯を覆う霧と雹に紛れて、一斉に飛び掛かってくる三者を同時に捉える。あの一撃で致命傷を負っている者は誰一人居ない…それもその筈、彼女らは私よりずっと弾幕ごっこに慣れ親しんでいる。彼我の戦力差がどれだけ有ろうと、決められたルールの上で物を言うのは経験だ。幾ら私が三人束になっても勝ち難い相手だとしても…負けないように戦うだけなら造作も無いだろう。私はスペルカードの初心者に過ぎない…本来の戦法を取れない私に付け入る隙を、この状況下でなら皆は見つけ出せる。

 

「不慣れなルールで戦うってのはどんな気分かしら!?」

 

「面白いぞ。空さえ飛べれば、誰もが同じ条件で戦えるなどとは」

 

空を飛ぶだけの妖力、魔力等が有れば、少しずつでも術式をスペルカードに記録させるのはそう難しくない。編み上げた弾幕のカタチを現すのに必要な分の力を注げば、後は勝手にスペルカードの効果が遂行される。一度創ったカードは消えず、一定の時間を置いて再度発動を試みれば何度でも再利用出来るのだ。

 

「宣言したカードを、同じ決闘中に二度と使えないのは手間だがな」

 

「確かスペルカードを無理に何枚も使ったせいで、衰弱死しそうになった方がいらした……とかっ!!」

 

浅知恵にも程が有るな、其奴は…。

とは言い切れないのがスペルカードルールの妙である。そもそも公開出来る枚数に制限は設けられていない。ただ使えもしないカードを入れる事は許されない為、相手に弾幕を破られれば次を撃つしか無いという性質から、力に余裕のある者は多くのカードを所持している事が多いらしい。

 

「う、う、うるさいなぁ!! そうだよ、私だよ!! 枚数持ってれば負けないぜとか安易に思ってましタァ!!」

 

「魔理沙が使用するには、魔力を消費すると説明されなかったのか?」

 

「されたよ! けど、ちょっと舞い上がって何枚も一気に使ったらぶっ倒れたんだよ!!」

 

丁度その場に本人がいた事に、戦闘中にも関わらず全員の動きが静止してしまう。肩を震わせて戦慄く魔理沙を尻目に、私達は顔を見合わせてこの気不味い空気に耐えねばならなくなった。

 

「あー、そのぉ…仕方ないわよ! あの頃はまだ施行されて間もなかったわけだし」

 

「そ、そうですよね! 誰にだって間違いはありますよ! 私も能力の制御を誤って真夏に雪とか降らせちゃった事あります!」

 

「くそぅ…! 黒歴史だ、今思い出しても馬鹿丸出しで目も当てられないぜ!!」

 

そういった、失敗の一つからでも学んで活かせる事が人間の美徳だと私は思うが…これ以上励ましても羞恥に身悶えする魔理沙には逆効果か。

 

「…脱線はこの位にしておこう。実を言うと、私の持ち札はあと一種類しか無くてな。そろそろ行かせて貰う」

 

「たった三枚しか無いってのにこの苦戦…ほんとあんたって何処までもデタラメな奴ね!」

 

「次が正念場なら、何が何でも突破してやるぜ!!」

 

「次はどんなものが来るのか、段々楽しみになってきました!」

 

多勢だというのに、私に有効な攻撃が加えられない状況が彼女らを追い詰めた此度の弾幕ごっこ…やはり私の手で幕を引くのが筋だろう。この先の戦闘を加味して、無駄弾を極力控えた三人の根気強さがどれだけ保つか…私との戦いを制するにはそれが絶対条件だった。もう良かろう、彼女らをこれ以上扱いては次に響く…とは言うが、各自スペルカードの一枚ばかりは頂いて行こう。辛勝惜敗、都合の良い痛み分けを以て退いておこう。

 

「次の一撃は特別だ…隅々まで堪能するが良い」

 

私は初めて自ら距離を置き、両の掌を前方に構えて準備に入る。一連の動きを捉えた霊夢達は、双眸に確かな気迫を宿して終の一手に身構えた。

 

「友よ 怠惰な調も終わりの時だ」

 

霧と雹に埋め尽くされた空を、自身が発した魔力が瞬く間に晴らしてゆく。日の傾き始めた青空を背に、右手に纏う力の塊が一枚のカードを創造する。

 

「九皐さんがさスペルカードを…! もうこれ以上、私たちもカードなしでは…!!」

 

「やっとこっちも使えるんだな! けどさ、私とアイツのスペルカード同士で相殺、って出来んのか!? もし失敗したら一巻の終わりだぞ!?」

 

「特別だって言ってたじゃない! ヤバいのは目に見えてるんだから、やるしかないわよ!!」

 

機を図り、呼吸を整え、それぞれが懐から迎撃に使うカードを取り出した。それで良い…次に放たれる弾幕の性質上、下手な防護や回避は命取りとなるだろう。

 

「楽園の乙女たちよ 我等はただ炎の如く 苛烈なるままに出逢い そして共に翼を休め合った」

 

この身を震わせるのは歓喜。

彼女らは皆良く応えてくれた…諦めず、折れず、私の最後の攻撃を前にしても闘志を決して失わない。良く育ってくれた、よくぞ此処まで辿り着いてくれた。言葉に出来ぬ我が喜びを、譜に乗せて届けよう。

 

「隠されし彼の地にて留まり 我は今魂の根を張るだろう」

 

「せーので行くから、合わせなさいよ!」

 

「わかってらぁ!!」

 

「タイミングはお任せします! 私はいつでも準備オッケーですよ!!」

 

霊夢、魔理沙、早苗の手にしたカードから光が溢れる。異変の大元に繋がるまではと抑えていた弾幕を、とうとう使うことにしたか。ならば良し…この先もまた、一筋縄では行かない相手が残っている。簡単には終われない…死力を尽くして挑まなければ、この先に待つあの妖獣の心を開く事は出来ないだろう。

 

「されど星空を見上げ いま一度想いを馳せてほしい 果てなき海の先の先 那由多の地にて汝らを待つ」

 

私が船に乗り込む直前、ある気付きがあった。

邪な意志を備えた獣の匂い。それは今までに逢ったどんな者達より、繊細な情緒と歪んだ思想の持ち主だった。

 

自分以外の全てが憎らしく、だが眩く見えて仕方が無い。己を肯定しない世界に対して、怒りと悲しみと…羨望の入り混じった感情を長らく抱き続けている。

 

行き場の無い寂しさと、どうしようもなく自らが孤独である事を自覚する哀れな妖怪。彼女は息を殺し、力を抑え、我々の乗る船の中にずっと隠れていたのだ。一輪達が聖の前に辿り着く瞬間、全てを台無しにしてやろうと画策している。

 

だが、それでは駄目だ…それでは誰も救われない。友の為に立ち上がった者達も、それを観てただ焦がれるばかりの内気者も、擦れ違うばかりで何一つ分かり合えずに終わってしまう。

 

ならば託そう…この一撃を凌いだ暁には、ものの序でに聖と妖獣を纏めて救って貰うとしよう。幻想郷は全てを受け入れる…今更出来ぬとは言わせない。

 

言うなれば霊夢達は、紫が私に語ってくれた理想の代弁者だ。異変解決者とはそういうモノだ。今更一人助ける相手が二人になったところで、彼女らが成し遂げなければ無意味なことに変わりはない。そうでなくては――――――――、

 

「お前達を鍛える意味も無いというもの……超波動――――ッッ!!!」

 

「魔砲―――――ッ!!!」

「夢符―――――ッ!!!」

「神徳―――――ッ!!!」

 

新しい友を迎え入れる度、新しい異変に見える度に、君達は高く険しい絶壁をよじ登って行かねばならない。だから、此度も立ちはだかろうと決めた。私のような、力を持っている位しか取り柄の無い老骨とて、君達に自信を付けさせてやる程度は出来る筈だ。

 

故に越えろ。打ち破ってくれ。数秒後の私の敗北こそが――――――我にとって何よりの報酬なのだ。

 

「《反陽子衝突(ベヴァトロン・マター)》ッ!!!」

 

「《マスター・スパーク》―――――――!!」

「《退魔符乱舞》―――――――!!」

「《五穀豊穣ライスシャワー》―――――――!!」

 

掌から光が瞬き、私の最後のスペルカードが光線の形で繰り出された。眼前には、私の一撃の質量をゆうに超える三人の放つ弾幕の嵐が吹き荒れている。

 

早苗のスペルカード…木の葉に似た形の色とりどりの弾幕が彼女らへの被弾を悉く防ぎ、なおも迫る私の弾幕の威力を減衰させる。

 

「守矢の神よ、私達に勝利をお与えくださいっ!! 私は、私はみんなでこの異変に立ち向かいたい…! だから…っ!!」

 

霊夢が空に放ったスペルカードは、無数の札となって私達を取り囲むように四散し、私が込める魔力の流れを阻む効果を持って弾幕の範囲を自分たちの射線上にまで絞り込み、狭めた。これにより、彼女らは後ろや左右を気にすることなく、真っ向から私の弾幕と勝負する運びとなった。

 

「くっ…このぉ! いい加減そのお節介やめろってのよ! あんたが後ろに残ってくれなきゃ、私達だって安心して行けないんだっつうの!!」

 

魔理沙の八卦炉が猛々しく輝く。彼女の切り札、最高の一手が今まさに、私のスペルカードを押し返し始める。それは、星の海にかかった一筋の流星に似ている。

 

「コウ! たしかにお前からしたら、私らは弱くて、未熟な所ばっかりかもしれねえ」

 

そんなことは無い。君たちはよくやっている。私の要らぬ世話が原因で、何度も君達に無用な苦労をかけてきた。それでも、胸中の不安を拭えなかったのだ。それが過ちだと知っていながら、君達がこの異変で私を踏み越えていく姿を夢想した。

 

「でも、人間はいつまでも止まっちゃいない。遅くても遠回りでも、必ず前に進む生き物なのさ! だから見てろ! 私達が、この異変を解決してやる! 今度こそ、私達だけでな!」

 

ああ…そうだな。それが良い。こんな真似は、もう二度としないと誓おう。これが本当に最後だ。私はもう…君達の異変に関わらないと約束する。だから今だ…あと一押しだ、ほんの僅かでいい、君達の輝きを間近で見せてくれ!!

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

「やあああ――――――!!」

 

「いっけええええええっ!!」

 

霊夢、魔理沙、早苗の裂帛の気合が響く。

その瞬間、掌に宿っていた力は霧のように掻き消され、押し寄せる弾幕の波に私は飲み込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

「……お、押し切れた、んですよね?」

 

「ああ。私達の勝ちだ。コウ…落ちてってるけど、生きてるかな?」

 

「死にゃしないでしょ。このくらいじゃ、あの竜はビクともしないわよ」

 

遠ざかる空に、美しい少女達が悠然と佇んでいる。

それを見上げる私は、背中に感じる風と敗北の味を噛み締めていた。なんと甘美な感覚だろう…もはや我が心には何の憂いもなくなった。

 

弾幕ごっこでの敗北はただの結果に過ぎない。だが、私にとっては大きな一歩だ。これまで何度も彼女らを試してきた。世話を焼いて、導いたつもりでいながら、その実彼女らが着々と成長する姿に羨ましさすら覚えていたのだ。

 

「見事だ…」

 

だからこそ言える。想える。

君達の成長と、もたらされた勝利と敗北に、最大の賛辞と感謝を込めよう。

 

「行くが良い…解決者達よ。君達の健闘を、心の底から祈っているぞ」

 

 

 







次回も少し空くかと思いますが、気長に待ってやってくださいませ。


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第八章 陸 優しき法の光をもって

おくれまして、ねんねんころりです。
なんとか星蓮船編も大詰めとなってまいりましたが、もう少し続きます。
この物語は稚拙な文章、厨二マインド全開、唐突な御都合主義で作られています。それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

「…動きだしたか」

 

落下に伴う浮遊感に身を任せながら、私は此処とは別の場所にいる一輪達の気配をつぶさに感じ取っていた。

魔界に辿り着いた直後に彼女らと別れたが、一輪達の他にいたもう一人の人物の気配が強まった感覚に、最後の戦いが始まったことを確信する。

 

「さて、私は霊夢達に敗れてしまったからな。おいそれと姿を見せる訳にもいかなくなった」

 

勿論、ただの方便に過ぎない。

今後霊夢達の出向く異変に干渉しないと約束したが、私も自分の影響力を鑑みないほど愚かではない。望むと望まざるとに関わらず、一輪のように私を訪ねて来た者達が異変を運んで来る場合もあることが今回で分かった。

 

「どうすべきか悩むな。なあ、紫?」

 

「コウ様、見守るのも先人の務めかと存じますわ」

 

落ち行く身体を空中に固定し、浮遊したところで虚空へと囁きかけた。すると目の前の空間に裂け目が生じ、其処から自然な所作で現れた紫が微笑みでもって私に応える。

 

「ふむ…では紫、此処はひとつ私と見物にでも出向かんか? 魔界に入った霊夢達の座標は掴んでいるから、ついでに雲井一輪とその仲間達が慕う聖とやらを見に行こう」

 

「畏まりましたわ。霊夢達の勇姿を拝見いたしましょう」

 

金糸の如き長髪を揺らして、彼女は私の側へと寄り添って来る。

彼女の肩に手を置き、残った左手で黒い孔を創り出して転移を開始した。

 

間も無く転移が終わり、私と紫の二人で魔界の上空へ無事に出られた。眼下には所々が焼け焦げた船がゆらゆらと漂っており、私が感じていた妖獣がその惨状を齎したことが直ぐに分かった。

 

「あら? 霊夢達が来る前に、こちらは何とも切迫しているのですね?」

 

「少々込み入った事情があってな。船をあのようにした張本人は、どうやら妖怪が人間を助ける所業が気に食わないらしい」

 

「妖としては、至極真っ当ですわ。人間に恐れられなければならないのは、全ての妖怪にとって必要なことです…力なき者なら、その恩恵は特に大きいですから」

 

尤もな意見だ。人が生きる糧として日々穀物や動物を狩って食するのと同様、人ならぬ存在は人が不可解なモノに抱く不安や恐れを食べていると言って良い。

 

だが、あの妖獣は果たして当て嵌まるかどうか…彼女もまた、我等と同じ(・・・・・)一個体でのみ名を知られる妖怪。己が名を広く知られているというだけで、楽園でその存在を確立するにも充分な筈だが。何をもって、あの妖獣が寅丸星やナズーリンと対峙するのか。

 

その答えは、今でも私の胸中に届いている。彼女が考え、想い、焦がれる《負》の感情。そこに隠された心の淀みに他ならない。

 

「何事か話しておりますが、じきに霊夢達も此処へ来ますわ。コウ様は、この状況を変えずとも宜しいんですの?」

 

「…私は、此度の異変で霊夢、魔理沙、早苗の三人に確かに敗北した。互いを認め合った上で戦って負けたのだ。ならば、表舞台で敗者に出来ることは何も無い。異変を納めるべく動いた彼女らを、信じて見届けてやるのが筋だ」

 

私が、速やかに妖獣を無力化し彼女らの目的を遂げさせてやるのは簡単だ。だがこれは異変である。退治される側と、退治する側、そしてそれらとは別の目的で関わってくる側の三つ巴の図式は既に仕上がっている。

 

この状況で各々の戦力を鑑みれば、いずれが勝つのかは明白だ。かといって、その結果が勝利した者の意に沿うかまでは分からない。結局のところなるようにしかならない以上、私が横槍を入れて更に場を混沌とさせるのは好ましくない。

 

「そうですわね。ここはコウ様の意のままに致しましょう…結果が楽しみです」

 

そこまで話して、後方から迫る新たな気配に意識を向けた。黄昏の陽が差す魔界に、颯爽と空を駆ける三人の少女たちが現れる。勇壮とさえ思える三人の姿は、遠巻きにでも睨み合う船の面々に緊張を走らせた。もうじき、この異変も終わることだろう。

 

「だが、一つ気にかかることがある」

 

「なんですの?」

 

「今回、あの妖獣は異変の参加者には含まれていなかった。管理者である筈の君が、あの手の輩を積極的に異変に出させるとは考えにくい」

 

「…その通りです。あの妖獣、《鵺》の参戦は全くの予定外でしたわ」

 

隠し立てして申し訳ありません…と彼女は謝罪したが、紫にはなんの落ち度も無い。急に執り行われることとなった異変に、彼女は周囲に対して素晴らしい手際で根回しをしてくれた。

 

さとりから彼女らの動向を気にかけて欲しいと報告を受け、彼女は近々異変が起こるといった先触れを各陣の代表に出していた。西行寺、永琳、幽香は勿論多くの者たちが静観を由としたのは言うまでも無い。

そんな中レミリア嬢は私への厚意から来訪者が来るという予言を発し、八坂神奈子は早苗の成長を促すために切欠を分かりやすくしろ…といった話し合いが成されて準備が整った。

 

かくして異変は起こり、それも今や終わろうとしている。しかしその中には、一度たりとも鵺なる妖獣が関わって来ることは示唆されなかったのだ。

 

「となれば、予期できただろう妖獣の出現が我々に知り得なかったのには理由がある」

 

「…第三者の干渉があったと?」

 

「陰謀論じみているが、あり得ぬ話ではない。私は兎も角、君をも謀るような策を弄した誰かが、鵺をけしかけたとすれば納得が行く。アレの存在は、余りにも唐突に現れたのだからな」

 

鵺は、異変決行の折に狙いすまして船に乗り込んだ。

まるで予め船の内部を知っていたかのように、手間取る様子もなく鮮やかに。妖怪としての性質をもってすれば不可能ではないが、それにしても此処まで船員の誰もが気付かなかったことに説明がつかない。

 

私も最初は、一輪達が擁する隠し球なのかと思ったが…そうなら尚更私に事前の紹介があっただろう。然るに船に隠れた妖怪は皆の顔見知りではなく、かといって偶然居合わせた者である訳がない。

 

結論として…彼女らの起こす異変を、何らかの理由で妨害または利用しようとしていた者の一人が鵺であった。そして…今も寅丸達と真正面から向かい合う彼女が、ここまで辛抱強く事を運べる気質なのかは、あの激昂した顔を見れば一目瞭然。

 

彼女は自らを隠れ蓑とする何者かの手引きによって異変の概要を知り、その鬱屈した信条と激情に囚われて行動した。まだ見ぬ第三者の思惑通りに。

 

「探さねばならんな…此処はもう良い。紫、私と共に裏で動く存在を見つけてくれ。もし私の推測が正しく、他者の心を惑わす何者かが居たならば」

 

「…葬り去る、と?」

 

「いや、精々折檻してやらねばならんと思ってな。邪、卑劣、悪辣大いに結構。だが…自らの手で賽を振らぬ者に、楽園の流儀を教えてやる」

 

「それなら、趣向を凝らしてお持て成しするのが宜しいですわね。承りましたわ」

 

私の返答に、美しい顔を楽しげに歪めて紫は傅いた。

 

眼窩に捉えた、泡状の結界に封じられた女性を一瞥して考える。アレが聖という人物なのは間違いない。金と紫の色合いが見事な長髪は、さながら魔界に揺蕩う花弁のようだ。

 

彼女が、寅丸やナズーリンも再会を望む人物。それを前にして、鵺が立ちはだかる様のなんともどかしいことだろう。苦難に奮い立つ者たちの姿とはかくも心を打たれるが、仕組まれたものであるからには元凶を叩いておく必要がある。

 

「とてもとても楽しそうですわ。でしたら先ずは、包囲網を作りましょう。鼠一匹逃さぬように緻密で、自由であると錯覚するほど広く、甘い蜜の香りが漂う金網を」

 

私たちは、次なる目的を抱えて動き出す。

書きしたためた台本に、紛れ込んだ異物の素性を洗い出すために。そして何より…少女達の願いを、愉悦のままに嘲笑っているだろう輩を炙り出すために。

 

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

 

「…妖怪が、人間を助ける?」

 

『そうですの。珍しいとまではいきませんが…幻想と現実の狭間に在る楽園で、人助けをしたい妖怪がいるなんて』

 

そう嘯いて、手のひらで口元の笑みを隠し女は笑った。

仕草こそ上品だが、人の形をしたモノが取る行動なんて不快にしか感じない。それも相手がとびきりの愉快犯(・・・・・・・・)とくれば尚更だ。それでも私にとって見過ごせないのは、話に聞いた恩義と忠節によって人を助けようとする件の妖怪たちの方だった。

 

『とっても良い顔してますね、鵺さん。まるで穢らわしいモノを見るような…それでいてどこか、羨ましそうな』

 

「…黙れよ、《邪仙(・・)》。退屈凌ぎにしか他者と関わりを持たない暇人め、いい加減その物言いを聞いていると苛々してくる」

 

『あらあらいけませんわ。相手を間違えるなんて大妖怪様の沽券に関わりますよ?』

 

いつも何かを嘲笑っているような態度の女は、突然何かを思い出した風に真顔になって問いかけてくる。

 

『どうにも腑に落ちませんが、何故人間を嫌うのですか? ひいては、人間と共存する幻想郷の妖怪までもを憎んでいる。貴女が一個体の種族とはいえ、妖怪という括りなら同胞なのは変わらない筈。それさえ遠ざけて今まで過ごされていたのは…何故ですか?』

 

「……決まってる。そんなの」

 

 

 

 

 

 

反芻される会話になぞらえて、私は目の前の奴らに吠え立てて見せた。

 

「お前たちが、目障りで仕方ないのさ!」

 

両手から放たれた虹色の妖弾が、四方八方に分散して船もろとも奴らへと迫る。轟音とともに着弾したそれらは、古びた船体を更に見窄らしい姿へと変えていく。

 

「貴女は、私たちとは何の因縁もないはずです! 此方には争う理由も義理もないのに、何故!?」

 

寅丸…と鼠耳の妖怪に呼ばれていた黄色い女が、悲痛な面持ちで何事かを叫ぶ。でもそんな事は関係ない。妖怪と人間、そして私…。この関係性だけが、私を激情のまま駆り立てるのに充分な理由なのだから。

 

「どいつもこいつも人間人間と、反吐が出そうだよ。存在を維持する? 助け合って生きていくだって? どれもこれも欺瞞と嘘に塗れてやがる…っ! 尤もらしい理由並べて、そんなに死に絶えるのが怖いのかよ!!」

 

私の言葉の意図を察してか、眼下の連中は嬲られるがまま身じろぎ一つ出来ない。次々と撃ち出される弾幕に、船体もろとも傷ばかりが増えていく。そうだ、思い知れ。妖怪として産まれてしまった、呪わしい自分の生を恨みながら消えてしまえ!

 

「あと少しなのに、まだ飛倉の結界は解けないの!?」

 

「駄目だ…船の力に反応して、聖を囲う結界は徐々に弱まってきているが、このままでは」

 

「なにをぶつくさ言ってるのさ。他に気を取られるより、自分たちの身を守る術を考えるこったな! そうだ…向こうで浮かんでる人間を見捨てて、さっさと帰るってんなら見逃してやるよ!」

 

唇を噛み締めて、それでもその場から立退かない奴らを見ていると…私の中で言いようのない感情が湧き上がってくる。さっきから何十発も弾幕を当てているのに、奴らは反撃一つせず、防御に徹するのみで私を見つめていた。

 

「はぁ…はぁ…! どうだ、船ももう少しで沈んじゃうぞ? そうなったらいよいよお終いだ! 分かったらさっさと」

 

「嫌よ…」

 

「なにぃ?」

 

青い被りを纏った妖怪が、不思議な雲煙を纏わせながら私を睨み付ける。こいつはさっき戦いに行くと言って姿を消し、その暫く後にボロボロになって帰ってきた奴だ。恐らく異変解決者とかいうのに負けて、おめおめと逃げ帰ってきたんだろう。それなのに…負け犬でしかないそいつの瞳に、吸い込まれそうな程の何かを感じる。

 

「お前、今なんて言った? この鵺に向かって…!」

 

「そう…アンタがあの鵺なのね。外の世界じゃ、大妖怪と恐れられたアンタにとっては、私らのやってる事は取るに足らない。詰まらない足掻きにしか見えないんでしょうね」

 

その通りだ。お前らが何をしようが、どんな願いを持っていようが、妖怪としてのしがらみからは逃れられないんだ。どんなに頑張って人間に歩み寄っても、結局は裏切られて最後には殺される。

 

妖怪だから人を襲う。妖怪だから恐れられる。うんざりだった。もう沢山だった。そんな、誰かが勝手に決め付けた妖怪の在り方に苛まれて…私は。

 

「でも、此処ならそうじゃないかもしれない」

 

それは、いつかの誰かが思い描いた夢想に過ぎない。

 

「もしかしたら…無意味なまま終わるかもしれない」

 

それは、いつかの何かを見て願った儚い夢。

 

「それでも」

 

だから…どうしても認めたくない。自分には叶わなかった。何をしても無駄だと思い知らされた。どんなに微笑みかけても、それは露と消えて何も残らない。暗闇にも似た結果ばかりを見せつけられた。それを、こいつらが…どうして。

 

「黙れ…っ」

 

「諦めたくないじゃないか。私達は人間の想いから産まれたんだ…だから人間が堪らなく憎くて、それ以上に好きだって知ってる。切っても切れないこの縁を、断つことだけはしたくないんだ」

 

「黙れよ…!!」

 

「アンタもそうなんでしょう? だからそんなに、心の底から悔しそうなんだ」

 

「だまれぇぇええええええええッッ!!!」

 

手から虹色の光が生じる。ソレは不可思議な物体を模したカタチとなって、掲げられた腕から放物線を描いて飛んで行った。

 

「金輪よ!」

 

「毘沙門天の」

 

「加護ぞあれ!!」

 

遮二無二込められた妖力から出でた弾幕を、ちっぽけなそいつらは一丸となって結界を創り出し、息を切らしながらも相殺する。妖怪のくせに、人間じゃないくせに、ヒトの操る力で私に抗ってくる。

 

「お前らに何が分かるんだ…! 何百年も頑張ったんだ、ずっとずっと諦めないでやってきた! 少しでも人間の側に居たかったから…それなのに、人間は…!!」

 

「…君の言う通り、人間は自分たちの力が増すにつれて私達を忘れていった。でもそれは、仕方のないことなんだ。だって」

 

「私達と共に居続けるには、人の生は余りに短いのです。衆生全てが、御仏と同じく悠久に至れるわけではありません。ですが!」

 

黄金の髪を持つ僧服の妖怪と、鼠のような妖怪が声を張った。

昔じゃダメだった。今でもどうかは分からない。だが、諦める事だけは出来ない。どいつもこいつも…同じ夢物語ばかりを口にする。

 

「人間が私達を見限っても、私達が人間を見限っちゃいけないんだ! アンタだって分かってるんだろう? 私達がそうしてきたから、この先にあの人が待っててくれてるんだ!」

 

白い帽子を被った船の操者が言う。魔界の果ての果てまで来て、一人の人間を助けたかったのは、そいつが自分達の希望だとでも言いたげに。それさえ叶えば、あいつらの…私の、いつかの想いが果たされると。

 

「嘘だ…」

 

「嘘じゃない。アンタももう、そうやって癇癪起こすのに疲れてるんだ。今更捻くれたふりしたって、同類の私らにはお見通しだよ」

 

どうして、自分は攻撃する手を止めているんだろう。もう、胸の奥から蠢いていたモノが消えかかっている。ただの言葉だ、何の力も実績も無い。ありきたりなそれらに、どうしてこんなに揺れているんだ。

 

「何にも、知らないくせに…」

 

「君が誰かも私達は知らない。でも分かる…君は、私達と同じなんだ」

 

「本当は一緒にいて欲しかった。誰かの側にいられる場所が欲しかったんだ。だったら来なよ! 私達は!」

 

「きっと、良い友人になれますよ。さあ!!」

 

魔界の空、上から見下ろしていた自分が…気付けば船の近くまで降りてきていた。目の前の誰かが差し伸べた手に、泣き叫びたくなるような何かが宿っている。それは…かつての自分が欲しかったもの。自分だけでは、ただの一度も手に入れられなかった『温もり』だった。

 

自然と伸びていた私の手が、弾かれたように一つ引っ込み、また恐る恐ると伸びていく。自分ではもう抑えきれない。何度も何度も味わった苦しみと、何度も何度も痛感した悲しみを振り払うように。今度こそは…今度は、きっと。

 

「…よく、出来ましたね」

 

「………」

 

「全く、人騒がせな妖怪だな。鵺というのは」

 

「あれえ? ナズーリンだって昔は同じような」

 

「ばっ、ばかもの!? 私がいつ、そそそんな!」

 

「こら、遊んでる時間は無いんだから、それぐらいにしなさいよ! …次のお客さんが控えてるんだから」

 

まともにこいつらの目を見られなかった。自分がとても卑しく感じられて。それでも何の躊躇いもなく、皆は私を囲んで微笑みあっていた。ふいに告げられた雲井一輪の言葉と視線の先に、私達は釣られて目を向けていく。そこには…遠巻きに私達を眺め、何事かを話している三人の人間の姿があった。

 

「こいつはどういうことなんだろうな? 霊夢」

 

「知らないわよ。分かるのは、あいつの言ってた異変を起こしたのがこいつらだってことよ」

 

「魔界ってだけでも驚きましたけど。なんだか妖怪の皆さん、多すぎじゃありませんか?」

 

アイツ等のことは、地下に潜んでた私でも知ってる。

あの不気味な女が、私の前から消える前にぽつりと零していた…異変解決者。楽園の秩序を守る存在。人間と妖を調停する者達。もし此処で奴らに私達が退治されて、最悪船ごと沈められたら…。

 

一輪達の助けたい、あの泡のようなものに包まれた人間を目覚めさせる目的が果たされなくなる。それは…それだけは。

 

「……ぁ」

 

誰にも聞こえないような、弱々しい声が漏れた。それが自分の発した声であり、加えて寅丸に握られていた右手と、空いた左手が同時に震えていると気付く。

 

「大丈夫…安心なさい。私達は必ずあのひとを、聖を助けます。貴女のことも、決して見捨てない…!」

 

私が初めて見せた怯えに、寅丸が硬い意志を宿した声で応えた。その時だ。私の中で、ナニカが沸々と登ってきている。これはなんだ? まだ確証もない、どうなるかなんて分からない。けれど。

 

「結界ってのは、あとどれくらいで解けるんだ?」

 

「……そうか。信じても、良いのかい?」

 

「待ってよ、アンタ一人で三人とやる気なの? 私が言えた口じゃ無いけど、あいつら相当ヤバいわ。私も」

 

「…一輪だっけ? お前はさっきボロ負けして帰ってきたばっかりだろ。無茶すんな、それ以上やると死ぬぞ。大妖怪の目は誤魔化せないよ」

 

「そ、それは…でも!」

 

私の口にした言葉の意味を理解してか、鼠の…ナズーリンが問いを返す。真っ直ぐに、物怖じせず私を見詰める視線がこそばゆい。

 

「まともに動けるのは私だけだ…やってやる。だから約束しろ。もし守りきれたら、ちゃんとお前らのことを教えろ」

 

「分かっている。ご主人が言っていただろう? 君はもう友人だと。約束を守るのは当然だ」

 

「ならば、私も共に行きます。相手が異変解決者となると、二人では厳しいでしょうが…ナズーリンと村沙には、船と聖を守ってもらうのに残って欲しいのです」

 

「…承知した。ご主人、そして鵺よ、必ず戻れよ」

 

「船と聖は私らに任せてよ。だから二人とも、頑張れ!!」

 

本当は、今にも抱きついて泣きだしたかった。簡単な言葉だ。ありふれた、何のことはない口約束だ。でも…今までのような、私を討ち取ろうと嘘を吐いた人間達のソレとは決定的な違いがあった。

 

私を見詰める船に乗る誰もが、異変解決者を前にして笑顔を浮かべた。私に向けられたその笑顔の中には、精一杯の感謝と、私を信じてくれたゆえの熱が篭っていた。ほんの僅かな時間だけでも…私の手を握り、肩を抱き、最後に頼むと送り出してくれた。共に戦うと言ってくれた。

 

「…行こう!」

 

「ええ、ここが最後の大勝負です!

 

今の私には、足りないと思っていた何かが埋められていた。

今の私なら、皆となら今度こそ…誰かと、何かの傍に寄り添えるような気がした。

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗 霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

 

コウの言いたかったことが、何となくそいつらを見て分かる気がする。本来なら異変とさえ呼べないような微かな望み。それに縋りたかったから、此方へ向かってくる二人もあんなに必死の形相なのかも知れない。

 

私は、私達はどうだろう? この異変にかける意気込みというか…譲れないモノが今回はあっただろうか? 答えは明瞭。私達の最初の一歩にそういうのは無い…と思う。

 

「お宝かと思ったら…とんだアンティークな船が待ってたもんだな、霊夢」

 

「それはもう良いのよ。ここに来て、そういう話じゃ無いって分かってるでしょ?」

 

「うーん…こういう場合、どうしたら解決したことになるんでしょうか? ただ退治してはい終わりというには…」

 

早苗も魔理沙も、この状況を見てまで分からないほど馬鹿じゃない。持ち寄ったカケラが導いた先は、私達でも苦戦を強いられるような化生の類が跋扈する魔界。しかも其処に向かってた奴らは、恐らく背後の…泡のような結界に封じられた人間を助けようとしてここまで来たのだ。

 

「どうする? 霊夢」

 

「せめて、上手い落とし所を見つけてあげたいですよ。私は」

 

「分かってるわよ。でも話が通じそうな面じゃないわ…とりあえず、勝つことが最優先よ」

 

三人揃って待ち構えていると、こちらの高さまで上がってきた妖怪二人が剣呑な表情で私達を見据える。

 

「話はついたわけ?」

 

「ええ…お待たせして申し訳ありませんが、ここから先へは行かせられません。我等の望み、今度という今度は果たさねばなりません」

 

「こいつらの異変は…私が成就させる」

 

一人は黄金色の髪を持つ、僧侶のような出で立ちの妖怪だった。もう一人は、左右非対称の赤と青の翼を備えた異形の妖怪。どちらも不退転の覚悟を示しつつ、私達がどう出るかを見定めているようだった。

 

「お前らの言い分は分かったけどな。こっちも強敵を倒して魔界まで追っかけて来たんだ、そう簡単には引き下がれない」

 

「異変は解決します。貴女がたも、一度は退治させて頂きます。それが私達の役目ですから」

 

魔理沙と早苗の意思は決まったらしい。私もそれに倣う形になるだろうけど、ほんの少しだけ考えていることがある。後はそれを、この後の戦いでどう纏められるか。

 

「それじゃあ…弾幕ごっこといきましょうか」

 

大幣を構えて、眼前の妖怪たちに呼び掛ける。

数瞬の後、裂帛の気合で彼女らは応えた。

 

「来いッ! 古来より人の恐れを欲しいままにした鵺の力、貴様らにとくと見せてやる…!!」

 

「もし我等の道が正しきに通じ、あなた達の使命に綻びがあるのなら。魔界にありて尚輝く法の光…毘沙門天の力の前に、汝らは平伏すことでしょう……いざ、勝負!!」

 

 

 

 

 



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第八章 漆 影を呑み、深淵は唄う

遅れまして、ねんねんころりです。
不定期にも程があり申し訳ありません。何とか生き延びて更新を続けますので、待ってくださいました皆様、これからもよろしくお願い致します。
厨二、冗長な展開と多々ありますがそれでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

両手に持てるくらいの丁度良い水晶玉に、向こう側の景色が映っている。私達は視覚、聴覚から流れてくる情報を咀嚼し、存分に諧謔を楽しんでいた。

 

まさに仙術様々。遠見の術というのは、誰かの痴態や醜態を盗み見るのにとことん便利な代物ですね。

 

「うふふ、とても楽しい余興ですわね…。ねえ《芳香(よしか)》?」

 

「そーだなー。《青娥(せいが)》が楽しそうで私も楽しいぞー」

 

ふよふよと空を漂いながら、目先の魔界を通して中の景色を眺め見る。私にとって刺激と呼べるモノがあるとするなら、それは他人が他人を羨む姿を観測する事でしょう。

 

人も妖も結局は同じ。羨み、妬み、憧れるが故に憎々しいと思う。例えば誰かが誰かを幸せにしたいと願えば、それと同じだけ別の誰かが誰かを貶めてやりたいと常日頃から感じているもの。

 

それはごく当たり前のモノで、感情と理性を持つ生き物なら必ず行き当たる矛盾。

 

私という存在は他者が誰かを幸せにしたり、はたまた不幸せにする為に足掻く様を見るのがとても好きな性分らしい。だから…あの妖獣を見た時は一目でその歪みを見抜いてしまった。

 

「ぬえ、大活躍だなー?」

 

「ええそうね。本当に、値千金の立ち回りよね?」

 

《封獣ぬえ》…と名乗ったその妖獣は、名に相応しき大妖怪であった。

今は昔に極東の地、平安の時代において時の帝を戦慄させたとされる恐ろしき物の怪が彼女だったわけね。

 

けれど、そんな大妖怪にも悩みの一つや二つはあったと見える。

それは分かりやすく表すならば、『他者との交流』。或いは『自分を受け入れてくれる誰か』を求める心。実に健気で、大妖怪にしては何ともはや有り触れた悩みだと嘆息したものですわ。

 

そんなデリケートかつ初心な部分を、ほんの少し捏ねくり回せばあら不思議。幻想郷の空に繋がるここではない何処か…つまりは魔界の空で気に入らない連中を相手に暴れはじめたのだから、それはとてもとても楽しい事態へと発展してくれた。

 

「ああ…なんて美しいのかしら。他者に認められること、誰かを受け入れたいと願うこと、それは鵺の立場からしてみれば何と難しいことでしょう。だからこそ嘗ての彼女は努力して努力して努力して…そして遂には、失望と落胆だけが残ったの」

 

「うまくいかなかったんだなー。かわいそうに、妖怪ってのは因果だなー」

 

「うふふふ。難しい言葉を知っているのね? 偉いわ芳香。そうその通り…因果なことなのよ。だって仕方ないじゃない? 上手くいく確率の方が圧倒的に低いんだもの。百や二百は失敗するに決まってますわ」

 

《邪仙》と称された私は、そうして励んできた彼女の悩みや嘆きを読み取れてしまった。いとも容易く、呆気なく操れてしまえそうなほど鮮明に。故に背中を押してあげたのだ。

 

『変化のない、ただ時間を浪費するだけの日々に何の意味があるのです? 貴女はもう一度自分から踏み出さねばなりません。だって…それって昔の貴女が仲良くしたがっていた、如何にも人間が取るような行動ではありませんか?』

 

半分は当てずっぽうだったけど、それだけで彼女は簡単に重い腰を上げてくれた。地底の片隅で、生きているとも死んでいるとも言えない無価値な生活から見事に脱却した。

 

その後はあれよあれよという内に、あの妖怪たちがこさえた船へと乗り込み、今まさに獅子奮迅の活躍を見せてくれている。これだから、ヒトを導くという行為は病み付きになってしまうのです。

 

「あら、あらあらまあまあ…!」

 

「どうしたんだー?」

 

芳香を近くまで呼び寄せ、掌の上で絶えず映像を流す水晶を覗き見させる。するとそこには…今まで敵だった筈の星蓮船の徒党と和解し、今や手に手を取って異変解決者へと挑み掛かる鵺の姿が映し出されていた。

 

「ふふ…ふふふ、あははははは!! 素敵! そうですわ、こういうのが見たかったんですの! 裏切られ、絶望し、それでも差し伸べられた手を振り払えない。希望に縋り、暗闇の中を進もうと奮い立つその姿…! 嗚呼、なんて美しいのかしら。愚かしくて、愛おしい…! 良かったですわぁ、本当に良かったです! 他者が不幸になる様も悪くありませんが、やっぱりこれくらいベタで王道的な話でないと」

 

「青娥ー、興奮しすぎだぞー」

 

「おっと…いけません。私としたことがついつい」

 

ああ良かった。本当に良かったです。不幸のどん底に陥れられ、破滅するヒトの散り様もそれはそれで美しい。けれど、やはり幸せに纏まった方が断然良いのです。

 

だって、それって不都合なヒトが誰も居ないということじゃありませんか?

 

私も誰かを煽り立てて楽しい。私に煽られた誰かも、つかなかった踏ん切りがついて行動を起こした結果、望みのモノを手に入れる。その顛末を見届けた私は更に楽しい。

 

「良い気分ですわ。変よね芳香? こんなに良い事を成した筈なのに、浮世の私は方々から邪仙と罵られてしまうなんて」

 

「そうだなー。ちょっと歪んでるけど、結果的には良いことしてるよなー。終わりよければ全てよしだぞー」

 

「あら、なんて賢いのかしら芳香ったら。そんなに賢いと主人として鼻が高いですわ」

 

次はどんな手法で演目を盛り上げようかしら?

誰かが不幸になってから幸せになる。絶望を味わったモノが最後に希望を手にする。

 

そんなありふれた、けれどとても楽しい劇場は次にいつ起こるのだろう? もしかしたら次は――――――――。

 

「自分で起こしてみるのも良いかも知れません。彼女が目覚めるとなれば、あの方の封印が解かれるのもそう遠いことでは無いでしょうし」

 

魔界に封印された彼女が目覚めるのもあと少し。そうなればこの異変はもう解決したと見て良いでしょう。

 

となれば次は、本筋に手を出さなくてはならない。あの方達をあまり待たせ過ぎると、起こした時にどんな文句を言われるか分かったものじゃありませんもの。と言っても、皆さんが眠りについてからもう千年くらい経ってますけど。

 

「青娥ー。次はどうするんだー?」

 

「そうね。一度《仙界》の仮拠点に戻って、次の準備をすることにするわ。芳香も手伝って頂戴ね?」

 

「わかったぞー。簡単な仕事は得意だー」

 

その時だ。私たちの頭上から、見慣れないモノが姿を現した。

それは丁度ヒト一人分くらいの、大きな黒い黒い孔。その孔を視認した瞬間、私の背筋が瞬く間に冷え切ったのを自覚する。

 

「な、に…あれは」

 

「お、おおー? アレはなんだ青娥ー? すごく、ぶるぶるくるぞー?」

 

たどたどしい芳香の口元から、緩慢な速度で言葉が紡がれた。だというのに私の可愛いキョンシーは、口腔の奥からカチカチと奥歯を震わせて、堪らず私に抱き付いて強く袖を握り締める。

 

「芳香…あなた、恐怖しているの? キョンシーの筈のあなたが?」

 

「わからない。わからないよ…でも、凄く、凄く寒いぞ。これ、なんだろう?」

 

異常な反応を示していた。

屍人となってから生前の記憶も朧げな、感情の一部も抜け落ちてしまっているキョンシーの芳香。私の愛すべき使い魔が、頭上の孔から一瞬たりとも目を逸らさず、果ては恐怖に身体中を支配されている。

 

「なにか、くるぞ」

 

「芳香? あなた何を言って―――――」

 

「この方達ですわ、コウ様」

 

「うむ。今後に備えて方策を練っていた所に、知らぬ気配が出てきたと思えば…成る程な」

 

ソレは…端的に言えば『力』の塊だった。

背が高く、鍛え抜かれた五体を覆う異質な気配。それらを備えた黒髪の男が私達を逃さず捉えている。

 

黒髪から覗く銀の双眸は、私が見てきたこの世のとんなモノより強く、淀みないものだった。

 

「あなた、は」

 

「一つだけ、聞いておく事がある。心して答えるが良い」

 

名も知らぬ男の声が耳朶を震わせた。それだけで私も、芳香も、今まで経験した事の無い抗いがたい感覚を持っている。質問に正直に、そして即座に答えろ。さもなくば―――――と。

 

「コウ様。彼女は恐らく、幻想郷でも稀な《仙人》と呼ばれる者の一人ですわ」

 

「仙人か。では、質問を増やそう。君は誰だ?」

 

「は、はい…っ。私は、《霍青娥》と申します。近頃外の世を捨て、此方へと移った仙人でございます」

 

いつもなら煙に巻いているような質問に、私は自分でも驚くほど素直に応えていた。この場で、彼に、そして隣にいるもう一人の女に、絶対に偽りを告げてはならないと警鐘が鳴っていたからだ。

 

「新参ですわね。確かに、近頃結界が小さな揺れを観測しておりましたが。意外と早く見つかったものですね、コウ様?」

 

「偶然…ではなかろう。此度の異変には、当事者を除いた何者かの手が加えられていた。そうか…貴様が」

 

刹那。彼の纏う気配が一瞬にして濃く、大きくなった。

それは憤慨か、はたまた他愛のない疑問と好奇か。いずれにせよ、私は今にも膝から崩れ落ちそうなほどの重圧をその身に受けて、気づけば額から汗が滲んでいる。

 

「鵺を異変の只中に放り込んだのは、貴様で間違いないか? 霍青娥」

 

「…っ! はい。彼女を囃し立て、異変に介入するよう誘導致しました。さすれば或いは、彼女の望みが叶うものと…ぐっ!?」

 

私の言葉が終わるのを待たず、隣の女が扇子の先を一振りして制した。それと同時に、私の首元が万力のような力で締め上げられ、宙に浮いている筈の自分が首から強引に持ち上がっていた。

 

「貴女の弁明は聞いていないわ。コウ様の知りたいことだけを、簡潔に述べなさい」

 

抗おうにも、此方の用いようとした術が何かに阻まれているのは明白だった。咄嗟に左手で印を組み上げ、髪に挿したかんざしを喉元に飛ばそうとする。が、何も起こらないのだ。視線を傾けてみると、左手は陽炎のような、裂け目のようなモノに覆い隠されていた。

 

私の術を阻んでいるのは、そこの女の能力によるものに違いない。これだけで彼我の戦力は定まっていた。今の私と芳香では、逆立ちしてもこの妖怪には勝てない…っ!!

 

「く…!? かはっ…はぁ、はぁ…は、はい。これは失礼を、致しました」

 

女が手元の扇を口元に寄せると、首にかけられていた見えない力のようなものが和らいだ。うなじの辺りがざわつく感覚が今も絶えず私を苛んでいるが、気づけば左手と腕を隔てていた裂け目も消えている。

 

この二人は不味い。異質なのは気配だけではない…膨大な妖力が目の前の男女から放たれている。

 

「手荒な対応だが、許せ。此方としては、今回の異変はなるべく早く終わらせたいところだったのだ。ところが」

 

「私が、御二方の邪魔をしてしまったと…?」

 

「そういう訳だ。尤も、彼方もあと少しで片が付くだろう。して…この落とし前をどう着けさせるか」

 

男の双眸がより強く、妖しく輝いた。

真白の月よりも更に神秘的な銀光を湛えた瞳が、私を一瞥しただけで五体が消し飛ばされそうな錯覚を与える。嘘は吐けない。かといって話を逸らそうにも傍らの女が見張っている。

 

「お、おお…八方塞がり、だぞー」

 

「……今の言葉は、君が発したものか? 屍人の少女よ」

 

意外にも、男は私の隣で身を縮こまらせた芳香に興味を示した。まるで私のことなど、興味を惹いた事柄の前には瑣末なモノであるかのように。

 

「そ、そうだぞー。芳香って言うんだー。よろしくな、こわいひとー」

 

「コウ様。この屍人は、仙術によるある種の黄泉還りを受けたモノ。死した筈の肉体は強力な呪術で腐食を免れ、頭に据え付けた札から簡単な意思疎通をこなせるように調整された…《キョンシー》という妖怪ですわ」

 

「そうか。では芳香、君はどう考える? 私達に見つかった以上、今後このような事を続けて無事でいられると思うか?」

 

男の言葉は簡潔で、それでいて紡がれたもの以上の意味を孕んでいた。

 

『手前勝手に我々の邪魔をして、報復を恐れぬ覚悟はあるのか?』と。

 

これ以上勝手をすれば、遠回しに消すぞと脅しをかけて来ているのだ。宜しくない。非常に宜しくないことですわ。私達はまだ本来の目的を達成していない。だというのにこの状況、もはや私が横から口を出す余地は残っていない。

 

ここから先私が芳香を遮って言葉を弄せば、間違いなく彼らは私達二人を揃って亡き者にしようとする。それこそ彼の横に妖しく揺蕩う女が、容赦無く、徹底的に私達を駆逐するだろう。

 

如何に仙術を修めた私といえど、この二人を相手に芳香を連れて逃げ延びられる訳がない。それほど私達と彼等の実力には大きな差がある。

 

一方は反撃する余地さえ与えず私の首を締め上げてみせた。では…彼はどうだ? 窺い知れるだけでも、膨大な妖力と不気味な気配を送ってくる大妖怪とも呼べる傍らの女を、さも当然の如く制し敬称まで使われている隣の彼は。

 

あらゆる感知術を駆使しても、力の底がまるで読み取れないなんて。考えるだに恐ろしい…っ。 数瞬先の死が確かなものだと意識するほど、この場を逃げ出したいと思う思考が止まらない。

 

でもどうやって? どうしたら良いの? 女の方だけでも手に負えない相手なのに、もう片方の彼ときたら視線だけで身体が竦んでしまうというのに…!!

 

「つ、つまり。青娥がこわいひとを怒らせちゃったんだなー。ごめんなさいだー。私も謝るぞー。でもどうしたらいいんだー? お願いだぞー。せ、青娥をどうやったら助けられるか、教えてほしいぞー」

 

ああ…私の愛しいキョンシー。芳香ちゃん。なんていい子なのかしら。まるで雨に濡れて震えた子猫のよう。でも…ごめんなさいね。私がちょっと調子に乗ったばかりに、藪の中の蛇をつついてしまったばっかりに。

 

芳香は未だ、深く考えられるだけの知能を有していない。それなのに、ブレーンとして指示を出す筈の私は発言さえ許してもらえる状況に無いなんて。これは手詰まりだ。せめて、せめて私が殺される前に自動式を組み込んで、ありったけの呪力を注いでからこの子を逃がす隙が作れれば。そんなものが、もし創り出せたなら。

 

「―――良かろう。二人とも助かる方法を知りたいなら、私が教えてやる」

 

「……はい? コ、コウ様?」

 

「…え?」

 

私と、彼の侍る女は同時に素っ頓狂な声をあげた。

私は勿論横にいる彼女も、彼が何かに満足げに発した言葉があまりにも予想外だったらしい。これは…どういう状況なの?

 

「ほ、ほんとかー! 嘘はいけないことなんだぞー!?」

 

「本当だとも。君の主人が嘘偽りなくこれからする提案に乗ってくれるなら、私もそこの彼女も、君達に手荒な真似はしないと約束しよう」

 

そこまで告げて、彼の瞳がより鈍く光った。

芳香を逃すなら、これは絶好の機会だ。次はない。だがもし、もし…。

 

「ほんとうだなー? わ、わかったぞ。でも、決めるのは話を聞いてからだー。教えておくれこわいひとー」

 

「クハハハ、慎重なのは良いことだぞ芳香。二つ返事で了承されなくて寧ろ安心した。紫」

 

「…はい。承知致しました」

 

『紫』と呼ばれた女は、閉じた扇を大きく開いて応えてみせた。チリチリと焼け付くような殺気を私に送っていた彼女は、『コウ』と呼ばれた御仁の呼び掛けにすぐさま気配を潜ませる。

 

「下手に動けば、貴女を背中から《飲み込む》つもりでしたわ。失礼をお許し下さいね、青娥さん」

 

言うだけ言って柔和に…とても朗らかに私に微笑んでみせた妖怪は、先程まで私を踏み潰さんとしていたとはとても思えない。それだけに厄介なのだ。この女…紫は彼に頼まれれば、私を生かすも殺すも些末なことだと割り切っている。口惜しいですが、完敗という他ない戦況でした。

 

「いえ…私どももこの度は知らぬこととはいえ、そちら様に御不快な思いをさせたことをお詫びいたします。それで、そちらの旦那様(・・・)のご提案とは…」

 

「うふふ。うふふふふふ。嫌ですわ青娥さん? 旦那様だなんてそんな。ええ勿論、そう思って頂いて構いませんことよ? しかし、この方には九皐様という立派な御名前があるんですの。いいえ、旦那様という呼び方が不快なわけではございませんむしろドンと来いというか望むところといった次第でしてそれはもう―――」

 

「紫。少し静かにしていてくれ」

 

「はっ…!? コウ様、失礼致しましたわ。オホン…青娥さん? 今の事は、どうかお忘れになって下さいましね?」

 

「は、はい。それはもう…」

 

もう訳がわからなかった。紫…さんの方は打って変わって陽気に喋り出したが、傍らの彼の提案とやらが此方に不利なモノが予想される以上は安心出来ない。

 

そんな不安を他所に彼は、九皐は鷹揚に微笑む。何事かと身構えるが、彼は構わず徐ろに右手を差し出して口を継いだ。

 

「私達と同盟を結ばないか? 霍青娥」

 

「同盟…ですか?」

 

「そうだ。君が《これから起こすだろう異変》…その手伝いをしてやる。具体的には、現在幻想郷に住む大方の勢力へ事前に根回しをしておく。異変解決者達を除いて、君達を阻むものはなくなる訳だ。成功にしろ失敗にしろ異変が終わった後、君と芳香は見返りに《仲間》ともども私達に迎合する旨を言い含めておいて欲しいのだ。さすれば、楽園での君達の安寧はその後も保証される」

 

どうして、私達の事を其処まで知り及んでいるの。いいえ、例え彼の言葉が嘘でも真実でも、結果に変わりは無いのでしょう。私達は最早、行動を起こす前に絡め取られてしまったのだから。夜の帳で巣を張った、大きな蜘蛛に囚われ弄ばれる羽虫の如くに。

 

答えは決まってしまった。私は自分も芳香も、そしてあの方達のどちらも捨てられない。捨てるだけの逡巡や思考など、初めから与えてはくれていなかった。

 

「承知いたしました。この度の無礼、重ねて平に謝罪します。そして、我らが大願のためご助力頂きますことを御礼申し上げます。この身をお許し下さるばかりか芳香への寛大なる対応、御見逸れしました。これより我等は貴方様と共に、歩んで参る所存です」

 

「しかと聞き届けた。此度の異変が終わり次第、君達の拠点に伺うとする。ああ、地図や連絡手段の心配は無用だ。既に…全て掴んでいるからな」

 

なんと、私達の素性はおろか拠点すらも知っていたとは。幻想郷にいる限り、彼の目を掻い潜ることはどの道不可能だったのですね。全容は掴めませんが、圧倒的な力にも驕らない抜け目なさ…益々恐ろしい。

 

とまあれ、火中の栗を拾ったとはこの事でしょう。私達のバックには、途方もつかない様な力を有する、楽園の実質的支配者が味方となったのです。ふふ、ふふふふ…一時は死を覚悟しましたが、何という僥倖でしょうか。

 

彼のお力添えがあれば、勝っても負けても結果は同じだなんて。こんなに安心できることはありません。それでも、何の対価も要求されないなんて不思議ですけれど。

 

「分かっているとは思うが、裏切ってくれるなよ? その対価は、君だけでなく君の愛する全ての者達に支払ってもらう事となる。努努忘れるな、霍青娥よ」

 

成る程…対価はもう支払われたも同然ってことですわね。不忠のあかつきには私も、私と親しい輩総てが、彼にとっては支払われるべき代償であると。

 

「ええ、勿論ですの。必ずや、貴方様のご期待に添うてみせましょう。そうよね? 芳香」

 

「おおー! ありがとうなこわいひとー! がんばって青娥のお手伝いするからなー」

 

最後に芳香の返答を聞いて、彼はまた黒い孔の中へ紫とともに去っていった。身震いするほどの恐怖に、目を奪われるようなあの威容。どれをとっても文句なしの同盟相手を得られました。二度三度と、死ぬ様な目にあった甲斐があったというものですわ。

 

「あれだけの力…いったいどうすれば手に入るのかしら? ああ…欲しい。私もあの方のように溢れ出る力を、意のままに操ってみたいわ。うふ、ふふふふ…!」

 

「あんな目にあったのに、青娥懲りてないんだなー。いい加減ほどほどに…できないかー。そうかー」

 

 

 

 

 

 

◆ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「宜しかったのですかコウ様? あの邪仙、全てを犠牲に裏切るだけの気概はもう残っていないでしょうが…」

 

「うむ。此方にその気が無いとはいえ、上手く勘違いしてくれた。正直なところ…断られた場合どう対処するか決めていなかったからな」

 

私と邪仙が交わした、行き当たりばったりな駆け引きの実情を教えると、紫は目を丸くして此方を見ていた。

 

「先程までの遣り取りは、全てハッタリだったのですか?」

 

「その通りだ。彼女らが私に支払えるモノ…もとい私が支払って欲しい対価など始めから存在しない。私はただ気軽に、和やかな心で楽園を謳歌して欲しかっただけだ。誰かを唆し、陥れて得られる遊興などたかが知れている」

 

転移先に辿り着くまでの距離を、紫との談話に費やす。これも今となっては大切な日常の一つとなっていた。異変が終わる前から気の抜けた話だが…彼女を含め私と親しくしてくれる者との会話は、何より大切な事柄と言える。疎かには出来ないし、したくないのだ。

 

「しかしあの者は所詮…コウ様の仰る遊興を貪り、影から手を引いて力を誇示しようとする自己顕示欲の塊ですわ。コウ様の提案に乗ったのも」

 

「私の力に興味が芽生えたからだろう。それで構わん。私の力が欲しければ、いっそ望むだけくれてやっても良いくらいだ」

 

紫の表情が曇る。私の意図が分からないと言いたげに、しかし反論するだけの材料も無いという風に。それでいて、どこか納得し難い空気を醸し出していた。

 

「案ずるな。たとえ私自ら彼女に力を与えようとも、決して使い熟す事など出来ん」

 

「…そうですわね。過ぎた力は、まず己が身を滅ぼすことになりますもの。幾ら黒くとも影は影。日の落ちた空を覆う闇の中では、影など一息に呑み込まれてしまう」

 

抽象的な表現だが、言わんとする事は分かるつもりだ。どれだけ性質が似ていようとも、大元が違えば何もかも違ってしまう。

 

青娥は『力』というものは須らく無色であり、原理さえ解明できれば操るのは容易いと考えている。どれだけ相容れなかろうと、手に入れてしまえばどうとでもなる…と。

 

そんな次元で片が付くなら、私も絶えず肥大化する力を手ずから押さえつける必要も無かっただろう。

 

「君の言う通りだ…待っているのは破滅のみ。適量なら兎も角、我欲に任せて際限なく取り込めるほど我が深淵は浅くない」

 

「コウ様…近頃御身体のほうは、大丈夫なのでしょうか? 私に出来ることがあれば、遠慮なく仰ってくださいね? お望みとあらば空に境界を作り上げ、吐き出された力を星の外まで流して差し上げる事も」

 

人化の術を保ち続けている弊害で、私は本来の姿の時よりかなり圧迫された状態で過ごしている。それがもう、楽園で過ごすことを決めてから半年ほどになる。

 

それは言うなれば…蓋をした瓶の中でひとりでに湧き出た水を溜め込み続けているようなものだが。幸い苦痛より喜びが勝り、力を抑える労苦より日々の幸せが優っている証左なのだ。それはもう…一度幻想郷の外に出ることさえ躊躇われるくらいに。

 

「そんな事をすれば、境界を制御する君の身体がどうなるか見当もつかない。内側で溢れる力に関しては、今は同じだけのモノをぶつけて相殺している状態だ。打ち消しあった力の残滓は微々たるもの故、魔術や弾幕として用いられる。それに本来の出力の三割は、君の配慮で常時解き放たれているのだから、残りの七割くらい御せずしてどうする」

 

「…それは」

 

私は、いつ死ぬのだろうか。ここに来てしばらく経った頃、或いはそれより遥か昔に…ふとそんな考えが過ったことがある。

 

しかし、自分から生じる力に押し負ける器など有りはしない。時に例外は有るのだろうが、私に至ってはそれも望めまい。この深淵が拡がれば拡がるだけ、力が増せば増すほど、それを押しとどめんとこの肉体も魂も強固になってゆく。

 

自滅する…若しくは衰えて死ぬなどと、私には決して起こりえない。そういう仕組を持って生まれてきた命もあると…身を以て知っているのだ。

 

「それより、今は見守ろうではないか。この異変の終わりを見届ける。それが、私達に与えられた今回の役回りだ」

 

「はい、コウ様。霊夢達はあの一団を…そして復活する彼女を、どのようにして治めるつもりなのでしょうね」

 

転移の孔を抜けた先には、一度は後にした魔界の空がある。煌々とした魔界の陽を背に、封印によって囚われた《魔法使い》は…今まさに、再誕の産声を上げようとしていた。

 

《聖 白蓮》…雲井一輪とその仲間達が救わんとする美しき尼僧。魔道を極め、若さを保ったまま長き時を妖怪と人の双方の世界で過ごしてきた傑物。

 

聖に導かれ今に至る彼女らは叫んだ。一歩踏み出すたびに折れそうな心を奮い立たせて、決して諦めはしないと。いつか必ず、共に歩めると信じた者を救ってみせると。

 

「さあ、終幕は近いぞ。誰も彼も、後のことは私達に任せておけ。今は各々の想いを乗せて、存分に語り合う刻だ」

 

 

 





やっと青娥さん出せました。特に戦いもなく(強制的に)仲間になった邪仙の今後の活躍が楽しみです。

デスマラソンならぬ、人化の影響で生きながら苦しみに耐えて自前で経験値を稼ぐ主人公。いつか思う存分暴れられる強敵を出したいものです。

最後まで読んで下さり、誠にありがとうございます!


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第八章 終 理想という光を胸に

おくれまして、ねんねんころりです。
文字数がすごいことになってしまって、前後編に分けるか悩みましたが、このまま一気に読んでもらうのがいいと思って一万字超えの最後の第八章を投稿します。
この物語は以下略です!
それでも待っていて下さった方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 寅丸 星 ♦︎

 

 

 

 

「おい霊夢! 全然弾幕が当たってないぜ!?」

 

「これは…霊夢さん!」

 

「早苗の考えは合ってるわ。こいつ、只者じゃない…っ!!」

 

私と鵺、異変解決者の三人との最後の勝負。始まってから数合の遣り取りに、彼女らは三者三様の感想を述べる。

 

それでも攻撃の手は緩まないが、私とてお飾りで毘沙門天様の代理となった訳ではない。

 

不非命中夭(われ ふりょなる わざわい に しせず)

 

仏様の功徳を得るには、文字通り尋常ではない修行による精神性の獲得が必要だった。無我の境地にて価値ある方々の御心を授からねばならない。そのために過去の因縁を捨てた。現世のしがらみからも距離を置いた。そうして妖怪として定められた生き方を変え、聖の教え導いてくれた道に殉じる覚悟と力を身に付けた。

 

私が操るのは毘沙門天を始めとする、聖から教えられた様々な加護を含んだ真言そして呪い(まじな)の数々。それらは奇しくも、魔界より彼女を救う為にその力を遺憾無く発揮していた。

 

不被毒藥蠱毒(こどく を はまず どく を ふくまず)

 

合掌したまま先に唱えた二つは、私が毒と認識したモノを寄せ付けない加護。そして彼女らの弾幕を捌くため、出来るだけ必要最低限の消費で済むように流れ弾や余計な攻撃から身を守る加護。

 

こうして考えると何でもありなように感じるが、悟りを開かれた方達の恩恵はそれだけ大きいということだ。もっとも…そんな呪いを完全に再現出来るほど、私は徳の高い妖怪ではない。事実、受け切った筈の弾幕の幾つかは衝撃を逃がしきれず身体は悲鳴を上げてきている。

 

「やっぱり。あいつ真言と陀羅尼の使い手なのね…! 完全じゃないみたいだけど、それでも私たちの攻撃を受け続けてまともに立ってるなんて半端じゃないわ」

 

「それって、仏教由来の呪術士ってことですか!?」

 

黒髪の赤い巫女と、長髪の青白い巫女が言葉を交わす。気付かれたことには驚きませんが、流石にこうも早く分析されてしまうとは。

 

「妖怪なのに、仏さんの力が使えるだって? 一輪も似たようなやつ使ってたけど、まさか全員使えるとか言わないよな!?」

 

金糸の髪を揺らしながら、箒に跨って宙を舞う少女が追加の弾幕を放つ。夜空の星々を象ったそれらは敵ながら鮮やかで、真っ直ぐな彼女の性根が現れた良い技だった。

 

「しかし…通用しないッ!!」

 

「任せな! 鵺符 《弾幕キメラ》!!」

 

初めてとは思えないほど、私と鵺…いや、『ぬえ』との連携ははまっていた。彼女は固有の能力と使用する弾幕の性質から、複数の相手を同時に攻めることが出来る。加えて《正体を判らなくする程度の能力》が、ぬえの繰り出す弾幕の奇襲性、威力ともに大幅に底上げしていた。

 

私は自分の《財宝が集まる程度の能力》と、毘沙門天様から賜った宝塔の合わせ技で相手の大半の弾幕を集め、結界の呪術と加護によってそれらを相殺する。

 

ぬえが攻め、私が守る。

この単純かつ強固な布陣が、数的不利を踏まえても異変解決者と互角の戦いを演じさせているのだ。

 

「…っ! 流石に、攻撃の手が激しいですね」

 

「大丈夫かよ? いくら守りに自信があるからって、あれだけの弾幕を一人で受け止めて…さっ!」

 

私に声をかけながら、ぬえは的確に彼女ら目掛けて弾幕を撃ちだす。私によって攻めあぐねた三人を、ぬえがジワジワと消耗させて時間を稼ぐ。

 

「問題ありません。彼女らが三人でここまで来たと言っても、一輪や《彼》と戦った際の傷は癒えていないのですから」

 

あとは我慢比べ…どちらが根を上げるかの勝負になる。

霊夢、早苗、魔理沙と呼び合うあの三人は、一輪に加えて九皐殿との連戦によって激しい疲労感に苛まれているらしい。

 

一つ一つの弾幕は力強いものの、攻撃と防御が入れ替わる度にそれぞれの表情は陰りを見せていた。

 

「へっ! これくらいで疲れたなんて、甘えたこと言ったらそれこそ笑われちまうぜ!」

 

「そうですとも! あの人が道を明け渡してくれた今、私達に出来ない事などありません!!」

 

「まあ…そうかもね。負けて帰りでもしたら、あいつにも紫にもなんて文句を言われるか分からないわ…!」

 

何という皮肉だろう。私達が彼に助力を求め、あと一歩のところまで来られたように。彼女らも私達の知らないところで九皐殿との交流があって、こうして立ちはだかっているわけですね。

 

「まるで…共通の友人の話を聞いている気分です。けれど」

 

まあ、私達と彼は一時的な協力関係に過ぎませんが。こちらの不躾な要求に対して、それでも彼は真摯に聞き届けてくれた。せめてその恩義に報いたい…その為には。

 

「ここで負ける訳にはいかない! オン バサラ ヤキシュ ウン 怨敵退散ッ!!」

 

「私は…今度こそッ! 鵺符 《アンディファインドダークネス》!!」

 

私が放った不可視の波動が彼女らを吹き飛ばし、等間隔に此方との距離を開けさせる。それと同時に、ぬえのスペルカードが絶妙なタイミングで放たれる。

 

彼女を起点に暗雲が周囲を覆い隠し、その黒い霧に紛れて無数の弾幕が異変解決者に降り注ぐ。戦況はあちらに不利にも関わらず、大地を潤す豪雨にも似たそれらを三人はなおも避け、捌きながら軽口を止めない。

 

「衝撃波にはビックリしましたね…。弾幕もかなり厄介です! 当たれば、ですけど!」

 

「これくらいならまだ余裕ね。視界が遮られても、私達に向かってくる気配が断たれた訳じゃないもの」

 

「おいおい、いきなり真っ暗にしてどうするんだ? 蝋燭つけて賛美歌でも歌ってくれるのかよ?」

 

「言うじゃないか! そこまで聴きたいなら唄ってやるよ。ただし…私が歌いだす頃には、お前らは既に終わってるだろうけどな!」

 

ぬえも不敵な笑みを浮かべて、三人の挑発へ愉しげに返してみせた。ここから詰みに入るつもりでしょう。私も彼女の心意気を汲んで次の一撃に勝負をかけよう。

 

背後に爛々と光る飛倉の結界が、ドクンドクンと波を伴って蠢動する。聖の復活は近い。なんとしても守り抜かねばならない…!

 

「ここらで終いにするぜ! 二人とも準備はいいな!?」

 

黒帽子の魔女…魔理沙が残りの二人に声をかけた。頷く霊夢と早苗を見やり、得心がいった風ににやりと笑った魔理沙が最初に弾幕の暗雲から脱出した。

 

箒に跨る彼女は、あたかも流星のように軌跡を描いて魔界の空を自在に飛び交う。ぬえが放った弾幕のほとんどを引きつけ、自分を囮にしながらもその飛行速度と技術でもってその全てから逃げきった。

 

「見事なり。ならば、私もぬえと共に最後の勝負に出るとしましょう…いざ!!」

 

「霊夢さん、私たちも!」

 

「早苗! 私が魔理沙に合わせるから、あんたは思いっきりやりなさい!」

 

「いっくぜえええ! スペルカード開放っ!!」

 

五人同時に、最後の攻撃の動作に入る。

瞬きとともに解放された各々のスペルカードが同時に展開され、仄暗いはずの魔界の空を一瞬だけ明るく照らし出した。

 

 

 

 

 

「恨弓———《源三位頼政の弓》———ッッ!!!」

「天符———《焦土曼荼羅》———ッッ!!!」

 

「夢符———《退魔符乱舞》———ッ!!」

「魔空———《アステロイドベルト》———ッ!!」

「蛇符———《神代大蛇》———ッ!!」

 

 

 

 

五枚のスペルカードの放つ光が、魔界全体を震わせかねない勢いで炸裂した。ぬえが打ち出す複数の光線が多角的な軌道で三人へ迫り、私の焦土曼荼羅が光線の隙間を埋めながら光と炎の津波と化して彼女らを包み込んだ。

 

勝負は決したと思われた刹那。

光と炎の包囲網を食い破って、一匹の巨大な蛇が鎌首をもたげた。風を纏いながら吠え狂う蛇は、私達の弾幕を物ともせず押し潰しながら一直線に肉薄してくる。

 

「こいつら、まだこんな力を…っ!!」

 

「ぬえ! 回避を———なっ!?」

 

皮一枚で大蛇を躱したところで、私とぬえは次に現れた光景に瞠目した。大小様々な球状弾幕が領空内に所狭しと出現し、弾幕それぞれの間に退魔の札が一部の隙もなく差し込まれている。

 

「ちくしょう…! また、また私は——」

 

「二対三とはいえ、ここまで差が出るとは…でも!!」

 

せめてぬえだけでも。

元は私たちと敵対していた筈の相手を、私は躊躇なく抱え込んで霊夢達の弾幕を背にした。迷うことなどあり得なかった。

 

「なにやってんだよ!? 私を庇ってこんなの受けたら…!!」

 

「いいえ、これで良いんです。だって」

 

だって…この行いはかつて、聖にして貰ったことを偶々貴女に返しているに過ぎないんです。先の見えない不安と、いつ人間に討たれるか分からない恐怖。そんな奈落の底から私達を掬い上げてくれたあの人のように。私もまた、誰かの光明となって果てるなら———。

 

 

 

 

 

 

 

「———星。その行動は誠に杜撰で、孟浪咄嗟である! いざ、南無三———!!」

 

 

 

 

 

 

 

その時、私達に襲いくる筈の弾幕が…ほんの一瞬のうちに掻き消された。意を決して、痛苦を覚悟して硬く瞑っていた両目を開く。そこには結界から解き放たれた私達の大切な人が、神々しくも柔らかな後光を携えて空を揺蕩っていた。

 

 

 

 

 

♦︎ 博麗 霊夢 ♦︎

 

 

 

 

 

「…私達の弾幕が」

 

「「掻き消された(ました)!?」」

 

渾身の霊力、魔力を込めて解放した弾幕が…一瞬にして霧散した。いや、その表現は正しくない。

 

正しくは、目の前で淡い光を放ちながら悠然と空に浮かぶあの尼僧が、掛け声とともに放った拳圧で諸々強引に吹き飛ばしたのだ。

 

「なっていません」

 

「聖…なにを——あいたぁっ!?」

 

唐突に、聖と呼ばれる尼僧が真言使いの…星だっけ。を拳骨で小突いた。小突かれた本人は何が何やら分からない様子で、私達は完全に空気と化していた。

 

「何を考えているの? 貴女が倒れたら、誰が毘沙門天様の御神体代わりになるというのですか。もう少し悪足掻きすることを覚えなさい。潔さは美徳ですが、諦めの早さは善行とは言えません」

 

「え? あ、聖…その」

 

「もう…私を助けるためにまたぞろ無茶をして。貴女もですよ!」

 

ビシッと効果音が付きそうな勢いで、鵺を指差して一瞬だけ聖の表情が険しくなる。

 

「え? 私もか? 初対面の私もお説教されてるの?」

 

「当たり前です! 協力してくれたのは有難いですが、そもそも他人様の足を引っ張るような真似をしては極楽への道が遠のいてしまうんですよ? 封印されてたといえど、此処での成り行きはちゃんと見ていたんですからね。途中で思いとどまったのは素晴らしいですが、後でちゃんと皆に謝らないといけません!」

 

「おい寅丸。聖…さんって」

 

「え、ええ…。昔から、私達の無茶が過ぎるとこんな感じでした。でも良かった。お変わりないようで、とても嬉しいです。聖」

 

星の言い分に少しだけ眉を顰め、聖は打って変わって柔和な表情で鵺と星を腕に抱きしめた。

この流れ、私らを無視していつまで続くのかしら? 休めるから別に良いけどね。

 

「そう…そうよね。貴女たちが頑張ってくれたおかげで、私もこうして解放されました。改めて、ありがとう星。そして皆。おかげでこの聖白蓮、封印の枷から逃れられました」

 

「お、おう…おめでとう。聖、さん」

 

「はい…! 本当にめでたいことです! おかえりなさい、聖!」

 

「下の皆にも、改めてお礼を言わなければいけないわね。でもその前に」

 

聖白蓮は、居住まいを正して向き直る。

静謐ながら、尋常ではない気当たりを迸らせて、厳しい口調で私達に問いかけた。

 

「御機嫌よう、人間の皆さん。この度、仲間たちの献身によって結界から出ることとなりました。魔法使いの聖白蓮です。それで? 貴女がたは何方様なのですか?」

 

成り行きを見ていたって割に、随分な態度じゃないの。こっちはあんたのお仲間が空に船なんか浮かべて魔界の門を開いたから、態々此処まで出向いたってのに。

 

「そちらさんのご友人が、幻想郷で暴れた上に魔界の門を繋げてくれたから来たのよ。せめて、一言二言くらい説明があれば三人で押しかける事も無かった訳だけど。それについてはどうなのよ? と言っても、あんたは封印されてたみたいだし。退治するのはお仲間だけで勘弁してあげるわ」

 

「そうですよ! 私達も大変だったんです! 此処に来るまで多くの障害を乗り越えて異変解決に来たんですから!」

 

「ま、私らも楽しけりゃなんでも良かったんだけどさ。一応お役目ってのがあるから、アンタのお仲間達にはお灸を据えなきゃいけないわけだ。そこんところ、聖さんはどう思ってるんだ?」

 

私達の意見を最後まで聞いて、少しばかり聖は瞑目した。各々の意見を噛み砕いて、少しでも状況を理解するように。対して星と眼下の連中は、お説教の後のせいかバツが悪そうに視線を彷徨わせている。

 

「分かりました。私の為とはいえ、この度は仲間がご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

なんと、聖はその場で深々と頭を下げて謝罪の意を示した。話せば分かる奴というか、ある意味で異変の目的とされていた人物にしてはまともに見える。

 

「ですが」

 

一区切り置いて、聖は再度剣呑な気配を纏って口を開く。

 

「今回お騒がせした件については、私から皆に言い含めておきたいと思います。今後出来うる限り、御迷惑をおかけしないと約束致します。ですので、この場は矛を収めて貰う訳にはいきませんか?」

 

ま、そうなるわよね。

状況を理解したと言っても全部じゃないだろうし。こっちの事情にまで配慮しろってのは虫が良すぎたか。となると。

 

「それは無理ね。何しろ異変と認定したから、相応の始末はつけないと御役目に反することになるわ」

 

「一度始まったからには、白黒つけとかないとな。なあなあで済ませられるんなら、私らも異変解決者を名乗れないぜ」

 

「異変を起こした妖怪は、一度は退治しに行くのが私たちのルールです! それを曲げることは出来ません」

 

「……そうですか。仕方ありません。星、そして…貴女はぬえだったわね? 二人ともお下がりなさい。後は私が皆さんのお相手を致します」

 

聖は優しげに諭しながら、この場は任せろと右手で二人を制した。

 

「で、でもさ」

 

「従いましょう、ぬえ。手負いの私達が残っては、聖の邪魔になってしまう」

 

素直に従う素振りの星に、ぬえも渋々頷いてこの場から離脱する。下に浮遊するどデカイ船に二人が乗り込むのを見届けると、聖は私達を見やった。

 

「先ほどの言い分。一つだけ気になる点がありました」

 

「…言ってみなさい」

 

「決まりごとを守らねばならないのは道理。誠にその通りです。けれど、私も仲間をむざむざ退治させるのを眺めているほど、大人ではないのです。ですからどうか、私一人を退治するというので御納得頂けませんか?」

 

結局こうなったか。

あーもう! 全く、つくづくお人好しねこの僧侶。仲間の尻拭いを自分から買って出るなんて。いや…それだけこいつが慕われてるから、下の連中も必死になって異変を起こしたわけか。

 

「はあ…面倒くさいわね。何が悲しくて、へとへとの身体で気合十分な奴の相手をしなくちゃいけないのかしら」

 

「しょうがねえだろ? 形だけでも終わらせないと、此処までやって来た意味もないしな!」

 

「うえーん。まだ戦わなきゃいけないなんてあんまりですよー!」

 

早苗の泣き言には激しく同意したいけれど、やっこさんはあっちもこっちも面目を潰させないって姿勢らしいし。これ以上の議論は無理そうね。だったら仕方ない。

 

「面倒だけど、あんたらも気張りなさい。此処まで来たら何が何でも、あいつをとっちめて終わらせるわよ!」

 

「「おう(はい)!」」

 

「誠に無念で、抵頭平身である。されどもいざ、南無三———!!」

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

 

「始まりましたね、コウ様」

 

紫が心底愉快そうに私へ眼下の景色を促した。繰り広げられた舌戦と、これより激化する最後の戦いを私達は眺めている。

 

「聖白蓮か。一輪やナズーリンから聞いた通り、好人物らしい」

 

「ですわね。この異変の後も、楽園の秩序を盤石とする為に是非ご協力頂きたいです。妖怪と人の仲を取り持とうとする言動には少し不安が残りますが」

 

「人と妖の相互理解、か。私としては願ってもない思想だが、それだけに強欲ではある。クク…どう転ぶか」

 

「…嬉しそうですね? コウ様」

 

紫が目を細めて遠回しに避難の視線を浴びせてくる。私に対する時にしては珍しい、喜怒哀楽以外の複雑な心持ちが窺える。それだけ私に心を許してくれていると考えれば嬉しい話だが。今は質問に答えてやらねばな。

 

「うむ。これまでは主に妖怪の側から相互の均衡をコントロールしてきたが、そろそろ人の側にも新たな人材を据えたいと思っていた」

 

私の思惑が計りかねると言いたげに、首を傾げて訝しむ紫。頭を一度振って眼下の戦いを見るように促すと、素直に彼女は従ってくれた。

 

「霊夢達は確かに人の側から異変を解決する。が、それはあくまでも当事者…延いては妖怪の側だけで深く認知されているだけだ。人里に住む者達はどうだ? 彼女等の活躍を間近で見た訳でもない人間が、これまでの奮闘を素直に認めるだろうか?」

 

答えは…私は否と思う。

それがどうした? 人を守る為に力を磨き上げたのだから、それを力なき民の益となるよう用いるのは当然だろう。と大多数の人間は考える筈だ。

 

人間という生き物は、それほど単純には出来ていない。我が身も脅かされる不安と、それを取り払うべく奔走する者達の繋がりまでは考えないのだ。人間とは探究心、向上心のある生物だが…同時にそれ以上に愚かしい側面も持っている。よって。

 

「否…そこまで力ある偶像を信仰しきれるならば、今頃外の人間総てが神々の奴隷となっていただろうな」

 

「そうですわね。極論じみておりますが、コウ様の仰ることは核心をついています。フフ…八坂神奈子などが聞いたら泣いてしまうかもしれませんね?」

 

紫よ…君は八坂神奈子含め神々を子供か何かと勘違いしているのではないか? 彼女の冗談は兎も角…外の人間は時代の移り変わりと共に信仰を捨てて、自らの築き上げた知恵と力に重きを置いた。

 

科学の発展が神秘を暴き、不可思議な事柄を様々な法則に定義付け、今まで知り得なかった現象の原理を解明したことで数多の幻想を白日の下へ晒した。

 

その結果八坂神奈子や漏矢諏訪子といった八百万の神は居場所を失い、紫を含め多くの妖怪が生き抜くには非常に厳しい環境へ相成った。

 

「そこで、幻想郷において霊夢達に続く人と妖の均衡を保つ新たな要素が」

 

「彼女、聖白蓮というわけですか」

 

「然り。彼女は魔界へ至る以前より、人と妖双方の架け橋となるべく活動していた。そうして実を結んだのが、聖を求めて魔界へ踏み入った寅丸達であり、霊夢達と相対する聖白蓮の《今》なのだ」

 

そこまで語り終えると、紫は無言のまま私と同じく聖対異変解決者達の戦いを見始めた。

 

聖白蓮は、長年に渡り練り上げた力と技を扱う本物の魔法使いだ。僧侶というのは彼女の持つ顔の一つに過ぎない。仏教の源泉を辿っていけば、心技体余すことなく鍛え上げていても不思議ではない。

 

その証拠に…彼女の動きは無駄がなくそれでいて単調さも皆無だ。術理に長け、流れるような重心移動と空を飛ぶ技法の二つを駆使して霊夢らの弾幕を悉く躱している。

 

「この、この…!」

 

「不味いぜ。聖のやつ、私らより明らかに…!」

 

「身のこなしが巧い…っ!!」

 

此方が拾える霊夢、魔理沙、早苗の声には歯噛みしたモノが入り混じっている。弾幕勝負ならば確かに三人の方に軍配も上がるが、聖にとってこれは紛れも無い《決闘》。勝ち負けを競うだけではない。相手の心を完膚無きまでに圧し折り、我を通す為に不可欠な儀式なのだ。

 

「…いつの世も、人間はそう変わらないですね」

 

「なんだ? 何か言いたげだな、聖さんよ!」

 

魔理沙の切り返しに、僅かな嘲りを込めた声音で聖は応える。

 

「いいえ。我が身にも当て嵌まることですから、自嘲気味になってしまいました。人はいつの時代も、勢いのある時は対峙する相手の力量を自身より下に見るものだと」

 

「その言い方は、私達が貴女を…聖さんを侮っていたみたいに聞こえます!」

 

「事実そうですよ。《弾幕ごっこ》、《スペルカードルール》…どんな言い回しであろうとも、此れは互いの尊厳と意地を賭けた純然たる果たし合いです。其処に幾らか戯れが混ざろうと、戦って勝つ———という考えからして甘いのです!」

 

聖の言わんとする意味に、三人は薄々気づき始めていた。

幻想郷の空で私と戦った時、彼女らには異変解決者として戦う事の意味を問うた。相手が誰であれ、勝って押し通る事こそ君達の役目だろう? と。

 

霊夢達は見事私に打ち勝ち、そうして魔界まで侵入した。だが、上手くいったのは其処までだ。聖が話しているのは更にその先。勝つ事の意味と姿勢について三人に問い質している。

 

霊夢達の繰り出す無数の弾幕を怜悧決然たる挙動で捌きながら、聖は未だ本気で仕掛けて来ていない。

 

「戦うからには、初撃にて終わらせる積りでなくてはなりません。速く、鋭く。一切の躊躇も溜めも許さない。勝ったという事実だけが、決闘の場に上がった者の正当性を証明してくれるのです!」

 

言葉ではそう言いながら、その実全く仕掛けてこないお前は何なんだと、三人の不満げな様子がありありと出ていた。

 

「勝つ、ではない。勝った、という確信こそが正しいのです! 確信という虚構を現実に変える力こそ、戦いの場において何よりも肝要と知りなさい!」

 

それは例えるなら…弟子を導く厳粛な師の如く。身も蓋も無いような物言いと共に弾幕をいなし、聖白蓮は翻る五体の負荷を利用しながら霊夢達へ邁進する。

 

「正信偈 蓮華化生!」

 

弛まぬ空中での前進に急制動をかけ、聖は身に纏う魔力を滾らせて何事かを呟いた。その直後彼女の背に後光が輝いたかと思えば、瞬く間に光は蓮の蕾を象って大輪の華を咲かせる。

 

「光翼宿りて、淤泥不染の徳と為す!」

 

彼女の言葉は仏教で言う真言に近い。それでいて魔法にも通じており、己の魔力を媒介に覚者の力を体現するといったところか。

 

《淤泥不染》とは、仏教における聖人たちすら心に湧き上がる怒りや不信、猜疑の念、果ては病や老いによる死への恐怖に思い悩んだという逸話を下に語られた言葉だ。

 

泥の中で花開く蓮の花は、汚れ濁った泥中にありながらその花弁が穢れることはないという。自身の爛れた欲望、恥ずべき負の感情に良心が痛む罪悪感こそが、人の心の中に真の信心を得るのに必要…らしい。

 

負の総体たる私からすれば、清らかなだけのモノなど寧ろ何も宿していないのと変わらない。正しく無価値なのだが…そこへ至らんと苦心するのもまた悟りへの道なのだろう。

 

「おい、二人とも! 背中の花から」

 

「やっとこさ反撃ってことね! 見るのも嫌になるくらい弾幕が展開されてるじゃないの!!」

 

「防御…は間に合いません! 全員、回避に専念しましょう!」

 

「魔法———《紫雲のオーメン》———ッ!!」

 

矢継ぎ早に、高らかに宣言されたスペルカードが炸裂する。背中の花弁から撃ち出された弾幕は、縦横無尽の方位から吹き荒れる嵐のように霊夢達に接近した。

 

「くっ…!」

 

「弾速がかなり早いな! でもな!」

 

「これくらいじゃ、まだまだ物足りないです!」

 

苦しさを押し殺して、三人は無数の弾幕を持ち前の飛行技術でもって回避する。反撃に転じる余裕は無いが、避けるだけならしめたものといった体で弾幕の全てをやり過ごした。

 

「飛鉢———《フライングファンタスティカ》———ッ!!」

 

連続で、次なる弾幕が解放された。

蓮の花弁の先端から、円状に弾幕が放たれる。一度目は小手調べとでも言うように、二度目のスペルカードが霊夢達に追撃をかける。だが、それすらも異変解決者達は次々に躱してみせる。

 

「勝ったという確信、だっけ? 考えた事もないぜ! 確かに強くなりたいって想いはあるさ。けどな! そんなもんの為に弾幕ごっこやってるんじゃないんだよ!」

 

「そうです! 弾幕ごっこは異変を起こした妖怪と、それを解決する人間が平等に競い楽しむためのルールです! 正直な話、勝った負けたは二の次で、楽しくお互いをぶつけ合うのが本来の姿なんです!」

 

「あんたの言う、戦いとか決闘の本質については間違ってない…と思うわ。でも、そんな堅苦しい理屈はあんた個人の考えで、私達に当て嵌まるものじゃない!」

 

「誠に短慮、皮相浅薄である! 人と妖怪が平等を目指すなら、ただ話し合い分かり合う場を設ければ済む話です! 愈々もって決闘など、無用の長物でしかありません!! この戦いも、その意味をほぼ失っている!!」

 

双方の主張はどちらも正しいが、同時に他方にとっては矛盾しているように感じられることだろう。話し合いだけでは収まりのつかぬ時もある。しかし対話する努力を怠ってはならない。人と妖が囚われる雁字搦めのジレンマの中で、その二つを一挙に満たせるのが弾幕ごっこだと…霊夢達は反論をやめない。

 

虐げられた妖を護って封印された聖にしてみれば、今更そんな夢のような話がある訳が無いと断じたのだ。真実の戦いとは悲惨で、冷酷なものである。故に争う構図を解消するにはどちらかが、或いは両者が刃を捨てるしか無い。妖怪の中に人と交流する気のある者がいるならば、人間も妖怪の側に立って身一つで語らうことが最善だと。

 

理を突き詰めるなら、正しいのは聖の方か。寒々しい程に合理的で、これ以上の無い落とし所の提案。自分が仲裁する事で、人と妖の盾となり良好な関係を現実のものとする。それだけの意思と力を彼女は持っている。しかし。

 

「フザっけんじゃないわよ! 妖怪が人前で暴れなかったら、それこそあいつらの自由なんて無いも同然じゃない! だから暴れたヤツは片っ端から私達が退治するのよ! 退治して反省させて、次の日にはいい勝負したなって笑い話にしたいから、こんなトコまで出張ってるんでしょうが!!」

 

「確かに聖の言うことはまともだぜ。じゃあなんでアンタの話には、人と上手く折り合えない連中が数に入ってないように聞こえるんだ? アンタの言う妖怪の中には、昔は人と争って大暴れしたヤツもいるはずだろ? 喧嘩する前から世話焼いて止めようとするなんて、それじゃ妥協して終わるだけじゃないのか? 妖怪の中にはな、人を脅かしたり襲ったりしねえと自分を表現できねえ不器用な奴だっているんだよ! かなり迷惑だけどな!」

 

「妖怪は、人間が抱く恐れや不安を糧にして生きる者が殆どだと聞きました。それを望まない方々にしてみれば、貴女の仰る事は正しいと思います。でもそれだけじゃ、どうしたって分かり合えない事だってあるんです! 例えそれが人と妖怪でも、人間どうしだって変わりません! 当たり前じゃないですか! 皆が皆考えてる事や生き方が違うから、時には衝突したりするんです!!」

 

両者の意見は、とても根の深い問題に向き合ったものだ。人と妖が共生していくなら、対話する意思を捨ててはいけない。されど議論するだけでは解決出来ない場面も存在する。ならばどうするか?

 

「私とて…もっと明快で、純粋な関係を作りたかった。諦めた訳じゃありません。でも、それでも…競うことにも臆病な者は居るのです。人妖問わず、振り絞る気力も持てないほど弱った者には、その在り方だけでは辛すぎるのです」

 

外の世界で、その思想の奇異さから理不尽を強いられた聖。そして負けず劣らず、日々妖たちと渡り合わねばならなかった霊夢達。明確な答えは出ない。いや、出ないのが当たり前なのだ。

 

聖は人と妖の清濁を知った上で最終的に対話を頼りにした。霊夢や魔理沙、早苗はそれでも争いが起きる場合がある。ならばせめて、互いが笑い合える結末を迎えたい。どちらも優しく、そして険しい道だ。険しいが故に、両者ともこれだけは挫けまいと歩んできた。だからこそ、今にして出てきた異なる選択肢を飲み込めないでいるのだから。

 

そこに…聖は我に返ったような表情で、光翼を広げたまま虚空を見つめ始めた。

 

「いえ…いいえ。そうでしたね。そんな純粋さが許された場所でならきっと。弱り果てた者や、過去に他者を虐げてきた修羅であっても」

 

そんな拮抗も…今や崩れ去ろうとしていた。不意に、聖の弾幕が途切れ静寂が訪れる。彼女の目尻に、澄んだ色の雫が一筋流れた。

 

「各々が全てを受け止めていつか…何処かの温かな場所で笑い合える。そういう時代が来ると信じて———ここまで生きてきたのでした。それを…思い出せた気がします」

 

それは如何なる気付きだったのか。私にも紫にも、若しくは対峙した霊夢らにも推し量れない何か。その何かが聖白蓮のこれまでの問いかけ、主義主張の奥底を揺るがしたと見える。

 

「…分かりました。貴女がたの住まう幻想郷ではそういったやり方もあるのですね。安寧の為とはいえ、無理に人妖双方に我慢を強いずに済むのですよね?」

 

「保証は出来ないけど、そう悪い事にはならないんじゃないかしら? ねえ?」

 

「そうだなぁ…外の世界とこっちじゃ何もかも違うらしいからな! 何とかなるだろ! 困ったら、助けてやらないこともないぜ?」

 

「そんなこと言って。魔理沙さんのことですから、きっといの一番に助けに行かれるんですよね?」

 

笑顔で戯れ合う三人を見て、聖白蓮は何を思うのだろう。その顔付きは、笑顔の中に潜ませた気迫といった憑き物を洗い流されたかに見える。ふむ…何か、胸に去来するモノが彼女の考えを変えたか。いや、再認識させたのやも知れない。

 

「……ですが、私達の議論と決闘の勝敗は別のものです」

 

「——ちぇ。全くしっかりしてるよ。初対面だけど、聖は何となくそういうのに几帳面そうなのだけは分かってきたぜ」

 

「弾幕も止まってくれたしね。確かにどっちの意見がーってのと、異変の決着は別…ってのは同意するわ」

 

「それじゃあ私達も、最後の一花咲かせちゃいましょう! 弾幕ごっこ本当の魅力は、《楽しい》ってところですから!」

 

「ええ。ええ…そうですね。私も、貴女たちの流儀に倣うことに致しましょう———いざ!」

 

四人の魔力、霊力、神力が同時に高まった。

最早双方の食い違い、尽きせぬと思えた蟠りも多くは氷解した様子。ここより始まるのは…新たな仲間の参入と声明を祝う、歓迎の狼煙。掲げられた四枚のスペルカードは渾身の力を乗せて………今。

 

「魔砲———」

「宝符———」

「蛙符———」

 

「超人———」

 

 

 

 

 

 

 

「————《ファイナルマスタースパーク》————ッッ!!!」

「————《陰陽宝玉》————ッッ!!!」

「————《手管の蝦蟇》————ッッ!!!」

 

「————《聖白蓮》————ッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

天を衝き、逆巻く星となって駆け上がる聖。

真っ直ぐに迎え撃つは、此度の異変解決者たち。

それぞれの放つ終幕の一撃は鮮やかに、泥濘に咲く蓮華の如く。美しき光を伴って数度弾けた。

 

そして………優しき法を唱えた一条の聖白蓮(ほし)は、魔界の空に浮かぶ聖輦船へと堕ちて行った。

 

 

 

 

 

♦︎ 聖 白蓮 ♦︎

 

 

 

 

 

忘れはしない。あの時に懐いた悲しみを。

 

癒える事は無い。あの時に感じた虚しさを。

 

けれど――――――私はそれを言い訳にして、何処かで諦めていたのではないか?

 

弟が亡くなって、私は酷く《死》というものを恐れていた。死を克服しようと、あらゆる手を尽くしてそれは叶えられた。人としての生を捨て、魔道に堕ちた私でも何かが出来ると信じていた。

 

そうして得られた結果は…全てが満足できるものでは無かったにしろ、決して無意味では無かったのです。

 

初めは…我欲のために妖を助け、人に寄り添いたいと願う者達の健気さを利用した。善人面をして長い間妖怪を手伝っていく内に、いつしかそれが本当の気持ちに変わっていた。気が付けば掛け替えのない仲間を得て、いつか私たちと人間が分かり合える日が来ると願い続けた。

 

「ああ…でも、いつからでしょう? それも、時が経つ毎に歪になってしまっていたのですね」

 

落下する間の数秒、或いは数瞬。

私は敗北の味を噛み締めながら、変わってしまった自分の生きる目的を確かめ直している。

 

人と妖だけでない。人と人ですら、言葉だけでは折り合えない時もある。たった一つの方法だけでは、それに適応出来ない者も必ず出てくる。そんな途方も無い問題を前に彼女らは、だからこそ妖怪の自由を認め、生き方を認め、その上で退治して反省させると宣った。

 

弾幕ごっこの最中…三人の言葉から、かつて自分が一番大切だったモノを唐突に思い出してしまったのだ。その時は思わず、目から涙が零れていた。

 

本当は彼女らの住んでいる…幻想郷のような場所を私も求めていた。暖かくて冷たくて、それでもただ…誰もが自由であるという。その一点だけが実現された世界を。自分が自分らしくいられる場所を、ずっとずっと望んでいた筈なのに。

 

「もう…いつの間に、私は、間違って———」

 

結界から抜け出す頃には、身体は泥のように重たくなって、心は氷のように凍えきっていた。何処かでうまい落とし所を見つけられれば、ある程度の妥協で簡単に自分の理想は形になる。そんな風に勘違いして、驕ってしまったのですね。

 

だからあの娘達が諦めず戦う姿に嫉妬して、憎たらしくなって。現実は甘くないんだ。貴女たちの言い分は薄っぺらいだなんて、頭ごなしに否定して本心を偽ってしまった。

 

「でも、もう…」

 

もう…良いのですよね?

本当は———。

 

「私達が…生きていて許される世界が、ずっとずっと欲しかった」

 

その限りない安堵と、曇っていた自分の理想を見つめ直せた事実が…千年余りの時を過ごして、淀んでしまっていた心をすっかり洗い清めててくれました。だから。

 

「聖…よかった! 無事だったんだね。どうだい?私も捨てたもんじゃないだろ? キャプテン村紗の操舵技術で、バッチリ聖の落下する所に先回りしてやったよ!」

 

「こら、余り騒ぐんじゃない。聖もご主人も疲れているんだぞ」

 

「大丈夫ですよ。それよりもっと聖の顔をよく見たいです! なので立っているのも辛い私に、誰か肩を貸してもらえませんか?」

 

「全然大丈夫じゃないじゃんかよ! だから盾になるのはよせって言ったのに」

「姐さん…聖姐さん! 見えますか? 聞こえますか? 私らみんな、みんな貴女を迎えに来ましたよ…!」

 

もう、二度と皆を離さないと誓おう。

次こそは…私達一人一人が胸を張って生きられる場所を、自分達の手で造りあげよう。

 

「みんな、ありがとう……ただいま」

 

 

 





次はやっと、神霊廟に行けると思います。
プロットはありますが、書き起こすのにまた時間がかかると思いますので、気長に待ってやってください!

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!


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神霊廟編
第九章 壱 嵐の前の


遅れまして、ねんねんころりです。
今回から神霊廟の導入と箸休め回となります。
といっても、あまり箸休めにはなっておりません。

この物語はご都合展開、稚拙な文章、厨二全開、レミリア便利過ぎる。といった要素で構成されています。
それでも読んで下さる方は、ゆっくりしていってね。





 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

聖白蓮をめぐる異変が収束し、暫しの時が流れた。

ひと月程で諸々の事に処理がなされ、聖白蓮とその門弟達は晴れて幻想郷の仲間として認められるに至る。

 

「コウ様、本日は聖白蓮達の住まいとなる寺が開かれる日。ご足労頂いてありがとうございますわ」

 

「紫、構わんさ。経過を見るのも関わった者の役目だからな。寧ろ君には細かい部分を根回して貰って、いつも助かっている。ありがとう」

 

私達は今、聖達が建てた《命蓮寺》なる寺へ向かっていた。当初は二人で出向く予定だったが、屋敷から出がけに暇を持て余した幽香が訪ねてきたことで、三人で空を飛んでいる。

 

「いいえ。コウ様のお望みとあらば、如何なる難題もこの八雲紫が遂行してみせましょう! どの道新参を各陣営に触れ回っておくのは避けられませんから、お気になさらず」

 

「そうそう。面倒な雑用は紫に任せておけば良いのよ。そういうちまちました作業は得意なんだから」

 

「貴女なんて、見るからにそういうのは不得手そうですもんね? コウ様のお役に立てないからって僻んでますの?」

 

「黙りなさい陰湿粘着女」

 

「脳みそ筋肉」

 

「ストーカー妖怪」

 

「畑狂い」

 

「……やれやれ」

 

二人が子供のような悪口で互いを貶し合っている。それは兎も角、実際紫の手腕によって、先の異変が霊夢達に解決されたこと。そして新たな徒の参入に各々は大いに湧いていた。病み上がりの聖達を博麗神社に招き、歓迎と称して酒と料理を浴びるほど摂ったのが先週のこととなる。

 

挨拶を兼ねて今日出向くにあたり、居合わせただけの幽香も急遽自宅に戻って鉢植えを一つ拵えてくれた。二人も

 

「それはいいけど、俄かには信じられないわね。コウが負けたなんて話」

 

「事実だ幽香。私は異変を起こした者達と共謀し、霊夢達の足止めを買って出た。結果は敗北…それについては揺るがない」

 

「みんな宴会の時凄い騒いでたわよ? 手心を加えたといえ、弾幕ごっこにしても貴方が負けたんだから」

 

「ああ。永琳や鈴仙などは、霊夢達を鋭く睨んでもいたな。十六夜と妖夢も、いつか私の仇討ちをすると息巻いていた」

 

『随分と慕われてますのね(るのね)』と、何故か二人は神妙な顔つきになっているが私としては喜ばしいのだ。今となっては…弾幕ごっこならば霊夢や魔理沙、早苗が総出でかかって敗れるような手合いはいなくなったというのだからな。

 

妖夢と十六夜の鍛錬も、ひとつの佳境に入り今は自主鍛錬ということで規定の日にちを除き私の屋敷に来るのは控えさせている。

 

「次は、十六夜や妖夢の出番も作ってやらねばな。天子が来た時の催しから、二人は一段と強くなった。実力においては、三人に引けを取らんだろう」

 

「それこそまさかですわ。コウ様が手ずから指導しているのですから、個としての力量は疑いようもありません」

 

「へえ? 弾幕ごっこ以外でもマシになったなら、私が遊んであげても良いわよ?」

 

二人にとっては願ったり叶ったりだろうな。

二人は異変の際に霊夢達と戦い、その後は修行に移ったのも相まって後塵を拝していた。近々二人を異変解決に向かわせるか、または私の手伝いをして貰う事で今の実力を再認識させるのが良かろうか。

 

「是非頼みたい。うむ…聖達の寺が見えてきたな」

 

眼下には、清貧な印象の寺社が正門を開けたまま建てられている。三人で門前に着地し、家人が出迎えてくれるのを待つこと数分。見慣れた顔が一人二人と姿を現した。

 

「これは、九皐殿! お久しぶりです!」

 

「こんちはー。アンタがお客様第一号だね、歓迎するよ。コウさん」

 

「星か、元気そうだな鵺…いや、ぬえも調子が戻ったようだな」

 

ぬえと星が最初に私達を出迎えてくれた。ぬえとは異変解決の後、宴会の場で初顔合わせをしたが、当のぬえは私の気配を察知して直ぐに船内に乗っていた内の一人だと気付いたらしい。

 

私にも船を襲ったことを謝りつつ、それから和解して聖達の一党に加わると聞いて私も素直に受け入れられた。その時聖達が寺の建造を紫に打診したことで、協力を名乗り出た八坂神奈子が河童達を人員として手引きし、伊吹がたまたま話を聞いていた事からこれだけ早く寺が立つに至った。

 

星達の使っていた船から飛倉の欠片を一部流用し、特殊な加護を持った命蓮寺は、鬼と河童の技術でもって足早に完成を見る。本日は寺のお披露目として、異変が恙無く進むよう動いていた私と紫を最初に招きたかったという。

 

「お! コウさんじゃないか! ささ、紫さんとお友達のヒトもどうぞ上がってってよ! お茶菓子くらいはだせるからさ!」

 

縁側から顔を出した村紗が紫と幽香を手招きし、二人は友達という言葉に釈然としない表情をしながらも先に屋内へ上がっていった。

 

「コウ様、私は先に聖白蓮の元へ行って参りますわ」

 

「私も行くわよ。聖ってのに興味あるし」

 

「ああ、頼む。私はもう少し、皆と話をしてから行こう」

 

二人を見送り、改めて星とぬえに視線を移した。

 

「此度の件、重ね重ね本当にありがとうございました。貴方のお力添えがなくば、これだけの結果には至らなかったでしょう」

 

「私も、一応ありがと。アンタが皆を手伝ってなかったら、私はあのまま独りで馬鹿やったままどっかでのたれ死んでたかもね」

 

「いや、そんなことは無い。君がこうしていられるのは、君を説得した仲間とそれを受け入れた君の勇気が有ったからこそだ」

 

ともあれ、ぬえも命蓮寺の皆も平穏そうで申し分ない。暫し雑談に興じていると…寺の裏側から一輪と雲山、そしてナズーリンが揃って私達のいる場所まで向かってきた。

 

「九皐さん」

 

「九皐殿、御無沙汰している。件のおりは本当に助かった。有力者の方々に話を通して貰えたことで、我々も安心して此処で暮らしていけそうだ」

 

「うむ。私の伝手で話が落ち着いたなら言うことは無い。一輪も、良かったな」

 

「うん…姐さんが帰ってきて、此処でも寺を開きながら暮らせるなんて。最初は夢のまた夢だと思ってた。ありがとう…本当にありがとう」

 

一輪は被りを深くして、僅かに赤面しつつ礼を述べてきた。傍らの雲山も満足そうで、諸手を上げて二の腕に力こぶを作っている。

 

「さて…そろそろ行くとしよう。紫と聖の話も、ひと心地ついた頃だろう」

 

「八雲殿は、聖と何の話をしておられるのです?」

 

星の問いかけに、私は答えようか少しだけ迷う。何分込み入った話が混じっているので、ありのまま伝えるには時間がかかり過ぎてしまう。それに…折角平和な生活を手にしたばかりなのだ。余計な気苦労をさせたくないのもある。

 

「うむ…。まだ確定ではないのだが、近々新たな異変が起こる予兆があってな。それに関しては私達だけで対処するのが最適だと考えている。聖と命蓮寺の面々には人里の者や野に散る妖達のために、いざという時に避難場所として門を開けて欲しいと頼みに来た」

 

「私達は勿論、聖も承諾されると思いますが…宜しいのですか? もし助けが必要なら」

 

「いや、気持ちだけ受け取っておこう。今は余計な事は気にせず、勝ち取った平穏を噛み締める時だ。安心せよ。既に手は打ってある」

 

「まあ、アンタなら大丈夫か。なにせ…ねえ」

 

「そうだな。病み上がりの我々に心配されるほど、この地の地盤は緩くはないだろう」

 

「でも、もし必要なら遠慮なく言いなさいよね! 私…私達も、九皐さんを助けるから!」

 

「ああ。ありがとう…その時は、頼りにさせてくれ」

 

星の提示をやんわりと断って、心配無用だと不敵に笑ってみせた。各々の反応から、この場は納得してくれたようで、屋内へ歩み出した私を見送ってそのまま別れた。

 

 

 

 

 

紫と幽香、そして聖の気配を追って縁側を歩き、客間へと続くだろう曲がり角で村紗とすれ違う。二、三言言葉を交わしてから、行き先を教えて貰って襖の閉じられた客間へと辿り着く。

 

「私だ。入っても良いか?」

 

「あ、はい。今開けますのでお待ちを」

 

襖を開けられて、眼前には木漏れ日の光を束ねたような長髪の女性が立っている。初めて見た時よりも随分顔色が良く、優しげな視線が彼女の人柄が生来穏やかなものであると教えてくれる。

 

「壮健か? 聖白蓮。この度は招いてくれて、ありがとう。寺の皆とも、先程挨拶してきたところだ」

 

「はい。その節はどうもありがとうございます。さ、どうぞ此方へ」

 

聖に促されて、紫と幽香が座る畳の間へと通される。私も二人に倣って正座で座ると、聖もちゃぶ台越しに私達の対面へ座った。

 

「コウ様、如何でしたか?」

 

「今回はあの娘達と組んだんでしょ? 何か感想とかある?」

 

「む…そうだな。強いて言えば、全員心なしか表情が明るくなっていた。やはり、うら若き娘御は快活でなくてはな」

 

「だそうだけど?」

 

「くすくす…ええ、お二人にお伺いしたままの御仁ですね」

 

聖は、私が此処に来るまでに二人に何やら吹き込まれたらしい。内容がとても気になる所だが、乙女達の秘密の会話を探るのも気が引ける。此処は知らぬふりで、余計な思考は交えないでおこう。

 

「ふふ…さて。本日はご足労頂き、ありがとうございます。改めまして、命蓮寺の住職を務めることとなりました、聖白蓮と申します。九皐様におかれましては、以後お見知り置きのほど宜しくお願いいたします」

 

丁寧な前振りの後、深々と頭を下げて私に名乗った。

此方も会釈し、私達の挨拶が終わると共に双方の視線が交差する。

 

「やはり…綺麗な瞳をしております」

 

「私の眼が、気になるか?」

 

「はい。鈍く光る銀の瞳が美しいと思います。ですが、そこから窺える為人に大変感服しております。紫さんと幽香さんが、貴方様のお声に応えて動かれたこと。これまでの御活躍についても少々お聞きしました。こうして直接見えまして、お二人が協力なさってきたのにも得心がいっております」

 

長らく高位の仏法僧として過ごしただけあって、彼女の言葉には強く胸に響くものがある。触りの段階ながら…私と彼女、互いの考えや有り様を深く理解し合えた気がする。

 

「そう言って貰えると、私も捨てたものでは無いと安堵した。では、本題に移ろうか」

 

「はい…紫さんからは、有事の際にて命蓮寺を幻想郷の人妖を守護する避難所の一つとすること。必要とあらば、紫さんと貴方様の呼び掛けに応じ助成すること。いずれも異存なく承りました」

 

「ありがとう。人と妖、双方の架け橋となれる命蓮寺の設立は願ってもない事だ。君達に助けが必要な時は、私もまた力を貸そう。遠慮無く言って欲しい」

 

そう返すと、聖白蓮は和やかに笑って私の言葉を受け取った。紫はそれを認めると、聖に向かってもう一つの本題を切り出す。

 

「聖さん。今回伺わせて貰ったのには、もう一つ理由があるのですわ」

 

「……この寺の地下、ですね」

 

その言葉に私と紫…そして大妖として楽園の広範囲に気配を探れる幽香も、聖の反応には少し意外なものがあった。只人から魔道を極めた者として、聖白蓮もまた一廉の強者であると再確認した瞬間だった。

 

「成る程…貴女も、それに気付いてて敢えてこの地を選んだわけね」

 

「あら、貴女にしては良い勘よ幽香。聖さんはこの地が曰付きと知っていて、尚この場所に命蓮寺を建てた。それはつまり…」

 

「封印…または結界といったところか」

 

この地は…命蓮寺の建つこの場所には私と紫、そしてひと月前に盟約を結んだ霍青娥しか詳細を知らない或るモノが存在していた。

 

「要の部分こそ別の空間に有るようですが…地下と別空間、そのどちらにも存在している建造物らしきものが埋まっておりました。それを発見した折、命蓮寺の建設とともに封印式を施して今は様子を見ているのが現状です」

 

「私も気配くらいは感じるけれど。建物って…つまりどんなものなのかしら?」

 

「そうですね…私も視認した訳では有りませんが、魔法で解析した構造や外観としては《廟》のような代物に近いかと」

 

廟とは、死した偉大な先人を祀る宗教的な施設のことだ。墳墓、神殿…楽園の成り立ちからすれば霊廟と称するのが妥当か。そういったモノがなんの理由も無く、況して地下に眠っているなどあり得ない。そんな不気味な建物を発見したのは、偶然にもこの地に妙な違和感を感じて地脈を探ったナズーリンだったという。

 

「廟ってことは…何か? というか、誰かが祀られてるってことよね」

 

「その通りです。しかも…日に日に地下からの気配は濃くなっているのです。寺の基礎に築いた封印も、そう遠くない内に破られることでしょう。幸い、物理的な干渉で此方の結界を脅かしている訳ではないようで…私どもに被害は無いと思いますが」

 

「破られた封印から一体なにが出てくるのか、それが気になるという事ですわね?」

 

聖は紫達の言葉に頷いて、それからは沈黙を貫いた。幽香は聖と同様の見解を示している事から、同じクラスの妖力を持つ者にはこの地の違和感にいずれ気付いてしまうのは明白だった。紫に目配せをし、彼女は扇子を開いて私の意図を汲み取ったという合図を出す。

 

「出て来れば良い」

 

「…コウ?」

 

「九皐様?」

 

自身の双眸で聖の瞳を深く射抜いて、私は泰然とした風に口を開く。

 

「仮に何が出てこようとも、問題は無い。異変ならば霊夢達に解決させる。彼女らはそれだけの力を付けた。だが…」

 

ほんの一瞬…一瞬だけ己の気配を強めて、自分の言葉を確たるものとして聖に伝える。

 

「もし楽園の不利益と判断したなら、私が手ずから葬ってやろう。跡形無く、一切の慈悲無く。完膚無きまでに撃ち砕けば事足りる」

 

言い終わると同時に気配を押し込める。一呼吸置いてから、呆然と此方を見やる聖の肩に手を置いてもう一度語りかけた。

 

「心配は無い。この件に関しては、封印が解かれるまでは静観していてくれ。命蓮寺の力が必要になるのは、力無き人と妖を護るべき時だ。それまでどうか、私達に任せてくれないか?」

 

「は、はい…分かりました」

 

それから間もなく、私達は命蓮寺を後にした。聖は暫く不思議なものを見る目で私を眺めていたが、私達が飛び去る頃には皆で手を振って送り出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

♦︎ 聖 白蓮 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「あーあ、コウさん達行っちゃったね」

 

「もっとゆっくりしていかれれば良かったのですが」

 

「彼らにも日々こなさねばならない用向きがあるのだろう。噂によれば、彼は一週間の殆どをこれまで関わった人妖との交流に費やしているとか」

 

「え? それって家に帰れないじゃん! ちゃんと休んでるのか?」

 

「それは私達が呼びつけても一緒よ。あんまり派手にやると、彼が出て来ることに変わりは…姐さん?」

 

後ろで談笑する皆を余所に、私は彼に対してある印象を抱いていた。これまでの振る舞い、纏う気配から全く隙の無い立ち姿。どれをとっても…今の私でもまともに戦いになるかどうか。

 

それだけ隔絶された実力を持つモノが、自陣の勢力と呼べる者達を控えず、あくまで一個の存在として幻想郷の為に働いているという。彼が出向くまでに、八雲さん達と話していた事を反芻した。

 

『あれほどの力を持ちながら、彼には野心や個人の益となる思惑が見えませんね。心を持ち、生きているならば誰もが持つだろう…ほんの少しの邪心も覗かせない。まるで最初から持ち合わせていないような』

 

『俄かには信じられない? そうでしょうね。だって彼は、その気になれば全てを手に入れられる。けれどそうしない。これまでの異変で彼が得たモノは数々の出逢いだけ。寧ろそれだけで充分とお考えなのですわ』

 

『奇特なヤツなのは確かね。欲しいものは力で奪う。生きる為なら他者を蹂躙する。そんな生物としての不文律を、コウは初めから課せられていないのよ。文字通り、生まれた時からね』

 

それは何かが欠けていても気にしない…というより、満ち足りる為の生き方を心得ているとも思える。今あるものが一番大切で、故にそれらを全力で護ろうとする。

 

安寧を共に過ごすことこそ最大の報酬…そんな風に胸を張って、彼は今まで戦い抜いてきたのだろう。過去を認め、未来を見据えて現在を維持する。それはとても簡単なようで、とても難しいことだから。

 

「失う事を嫌う、覇者の傲慢でしょうか。いいえ…それも違いますね」

 

総ては美しき、価値あるモノのため。その志を裏切らないことが彼の生き様だと、私には感じられた。

 

「あなた達が、ヒト伝いにも九皐様を頼って地上に出たのも頷けます」

 

「む? そうだね、聖。一度は頼みを拒まれ、それでも折れないか我々の覚悟を試された。意を決して再び彼の屋敷を訪れた時には…」

 

「笑ってたよねー。そうこなくちゃ! みたいな顔してたと思うよ」

 

「うう…あの時は本当に生きた心地がしなかったよ。姐さんの為とはいえ、あの気配をまともに浴びちゃったんだから」

 

「すみません一輪。初めから皆で行ければ良かったのですが」

 

「お、なんだなんだ? アイツに助けて貰う時になんかあったのか?」

 

皆の笑顔に包まれた閑談を聴いていると、改めて彼への尊敬か深まった。ただ無機質に救われただけならば、これだけの穏やかな時間を手にすることは出来なかったでしょう。

 

「承知いたしました、九皐様。貴方様の御心のままに、この聖白蓮も微力ながらお手伝いします」

 

今は姿も見えない彼に向けて、私はこれからの自分の進み方を宣言した。彼と、彼の周囲に集う人々と共に…多くの魂が救われる未来を探していこう。そうすることが私達の返せる報恩であり、正しき道だと信じて。

 

「みんな、近々幻想郷の主たる陣営にご挨拶周りに行きますよ! 宴会の時にも顔合わせはしましたが、それはそれ。これはこれです!」

 

「礼を尽くせば、相手も礼節を保ってあたってくれる…ですね!」

 

「よっしゃー! 殴り込みじゃー! ド派手な挨拶はこのキャプテン村紗にお任せあれ!」

 

「バカ。殴り込んでどうするのだ。我々も立派な仏教徒だぞ? 余計な不和を招くのは止せ!」

 

「客人として挨拶に行けば、宴会の時みたいにまたお酒とか飲めるかなあ? ぐふふ…甘露甘露」

 

「おい一輪、凄いだらしない顔してるぞ…雲山も呆れてるじゃんか」

 

全く…緊張感のないことです。

ですが、これはこれで良しとしましょう。さて、早速準備に取り掛からねばなりません。まずは方々へ挨拶に行き、我々命蓮寺の存在を更に強く印象付けよう。その上で仏教に改宗して頂ければ尚のこと良し! うふふ…なんだか楽しくなって参りましたよ!

 

 

 

 

 

 

♦︎ 十六夜 咲夜 ♦︎

 

 

 

 

 

 

「せい!」

 

「良いですね、咲夜さん! これまでとは見違えるほど鋭い動きですよ!」

 

妖夢と一緒に九皐様に師事してから、私は美鈴の言う通り見違えて強くなった。と思う。今は美鈴を相手に、どれだけスムーズに力の行き先を読んで投げや絞め技に持ち込めるかを確かめている。所謂模擬戦、組手とも言う。

 

「ぬおっ!? い、今のは危なかったですよ…捻られた方に宙返りしてなかったら、腕が千切れているところでした…!」

 

「この手の技は、人型の妖怪なら問題なく効きそうね。ありがとう美鈴。今日はもう充分よ」

 

「はい! それでは私も庭の手入れがありますので、一先ず失礼しますね」

 

陽気に微笑んだ美鈴は、極められそうになっていた左腕をぷらぷらと振りながら物置の方へ歩き去って行った。あの様子だと、腕を少し痛めたみたい。彼女には悪いけど、技の効果を知れてとりあえずは満足出来た。

 

「ふぅ…私も汗を流したら、夕飯の支度を始めないといけないわね」

 

妖怪と比べ非力な人間の私は、腕力に頼った戦い方は向かない。相手の力を利用して反撃し、これを制する。彼が言うには、私が身に付けた技術の多くは《合気》・《逮捕術》・《柔術》という三つの護身術から着想を得たという。

 

この一ヶ月余り…弾幕ごっこでは使う機会のほぼ無い、あくまで能力を使用しない前提での戦い方を教わってきた。対人、対妖怪、能力を使用した総力戦でも手札の一つとして充分実用に耐え得る術理。幻想郷での決闘や私闘において、人間の私には何から何まで網羅した夢のような戦闘技能。

 

それだけでも信じ難いのに…彼は私が屋敷へやってきた初日からこれらを習得させる為にあれこれ種を蒔いていたと語ってくれた。

 

『十六夜…君には少々特殊な訓練を受けて貰うことになる。疑問に感じたり、妖夢と比較して積んでいく修練には無意味に見えるものも多いだろう。だが、私が教えている間は心の隅に置いていてくれ。私を信じて付いてきて欲しい』

 

真剣な眼差しで言葉を放つ彼に、私は二言なく頷いた。

修行していた間は、何度か抱いた疑念を振り払えずに打撲や捻挫に泣かされもした。しかし…彼が施した布石が芽吹いたのは、妖夢との素手対刃物という異質な組手の最中だった。

 

「相手が勝手に、地面や空中へ転がって行くイメージで」

 

こう、こう…と。独り言を漏らしつつまた反復する。蛇のように絡みつく手の動き。相手の体制を崩す足掛けと踏み込み。滑り込むように自然な重心移動。腰と肩、背中と下半身にかかる回転…遠心力を活かしてコマにも似た動きから繰り出される技の収束点が、あの時の感覚を鮮明に再現させる。

 

そうして一人で夢中になっていると、背後からパチパチと拍手する誰かの姿があった。

 

「あ…お嬢様」

 

「コウにつけて貰った鍛錬は見事に実を結んだようだな、咲夜。私も原理は分からないが、あの美鈴が一杯食わされたとボヤいていたぞ?」

 

優雅にして苛烈。そんな印象を抱かせる我が主、レミリアお嬢様は誇らしげに呟いた。

 

「ありがとうございます。彼の御方には、能力やナイフよりずっと心強い武器を頂きました」

 

「クックック…それほどのものか。結構なことじゃないか! コウがお前に、特別な力を与えてくれたのだ。日々精進を怠るなよ? 身一つで磨いた技は怠ければ直ぐに錆び付くからな? その力でもって、我らが紅魔の勇名を遍く轟かせるのだ! その為には、給仕や掃除など些末と知れ!」

 

などと、お嬢様は邪悪にして可愛らしい笑みを浮かべている。だが…。

 

「ですがお嬢様、私は紅魔のメイド長です。その私がお嬢様方のお世話をしないとなると…いったい誰が三時のおやつを用意されるのでしょうか?」

 

「……あ」

 

「それにお洗濯やお風呂の準備もしないとなりますと…」

 

そこまで告げると、お嬢様の顔がみるみる青ざめていく。先程までの美麗な立ち居振る舞いは完全に失われ、ピタリと停止する。やがて大仰に身体を動かして、我が主は再起動した。

 

「待て、それはまずい…! 不味いぞ咲夜! 今のは取り消しだ! 三時のおやつが無くなったら、フランの機嫌が斜めどころか真っ逆さまに急降下してしまうぞ!」

 

そしてタイミングの悪いことで…お嬢様と同じく昼下がりに日傘を差してたった今表に出てきた妹様が、怒気を孕んだ声を上げた。

 

「どうゆうコト? お姉サマ? サクヤが三時のおやつ…作ってクレナイノ?」

 

「ま、待て…! 私はただ咲夜に、それくらいの気持ちで頑張れと」

 

「そんな事にナッタラ…お姉様のこと、キライになっちゃうんダカラ!!」

 

ガーン。

ガーーン。

ガーーーン。

そんな擬音が飛び出てきそうな勢いで、お嬢様は呆然とした表情で地に膝をついてしまった。この世の終わりの如き衝撃が、お嬢様の身体を貫いていることだろう。

 

「…あ、あぁ……」

 

「ともかく、そんなの絶対許さないからね!」

 

最後にそれだけを吐き捨てて、妹様は屋内へと戻って行かれた。残されたのは対処に困った私と、日に当たってもいないのに燃え尽きそうな悲しい姉だけだった。

 

しばらく頭を撫でて慰めていると…一つ咳払いをしたお嬢様が緩やかに立ち上がった。

 

「まあ、うん…フランの件は後でなんとかしよう。誤解を解けば機嫌も直る筈だ…。それで、咲夜」

 

「はい」

 

お嬢様の瞳が、陽の下でなお光を浴びて赤々と輝いた。

こういう時のお嬢様は、とても頼もしく恐ろしい。加えて、ご自身の能力による預言が降りてきていると相場が決まっている。

 

「またもや異変だ。しかも、今回はお前も出向く事となろうよ」

 

「私が、ですか?」

 

「そうだ。しかもその異変は、コウがお前と亡霊の従者にある密命を与える段階から本格化するらしい」

 

九皐様が、私と妖夢に秘密の指示を?

それ自体は良いのですが、異変解決は霊夢と魔理沙…そして新たに加わった東風谷早苗が行う筈。何故ここで私と妖夢が?

 

「詳細は省く。コウにはどうやら、異変中に裏で手を回しておきたい事があるらしい」

 

「…分かりました。この十六夜咲夜、紅魔の誇りに懸けて彼の御方をお助けいたします」

 

「よく言ったぞ咲夜! ならば時を待て! 我らとコウは一連托生、まさに運命共同体である! 大恩ある徒の為、その力を存分に振るうが良い!!」

 

こうして、新たな異変の兆しが伝えられた。

その翌日…九皐様が紅魔館を訪れた。お嬢様の預言通りにある事柄をお願いされて、私と妖夢を伴って三人で《あの場所》へ行くことになったのです。

 







最後まで読んで下さいまして、ありがとうございます。
次回も頑張って書き上げたいと思います! まだ全然プロットできてないけど!

重ねて、ありがとうございました!


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第九章 弐 廟と森

遅れまして、ねんねんころりです。
今回も戦闘がなく、淡々とそれに向けての布石回となっています。
この物語は稚拙な文章、亀更新、厨二全開でお送りしていきます。それでも読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。





♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

先生に連れられて、私と咲夜さんは見知らぬ所まで来ていた。土地ではなく場所…というのも、先生の転移術で目的の地点へ直接出向いたわけだから、此処が何処にあるのかも私は知らない。

 

「二人とも、気を引き締めて行け。先方の気配が強くなった。面識が無いためか、少々警戒しているようだ」

 

それは私達を気遣っての言葉なのは明白だった。

ただ…さっきから目の前に聳え立つ不思議な建物から、尋常ではない気配を放っている何者かが居る。先生程の力量ではないが、私と咲夜さんだけで対処するのは手間がかかるかもしれない。

 

「妖夢、十六夜。今から此処の受付役と少し話をするが、絶対に先には仕掛けるな。向こうにその気が無くとも無意識に此方を挑発するような事を言うかも知れないが、気にするな」

 

「畏まりました」

 

「……斬り捨ててはいけないのですか?」

 

先生はかぶりを振って私の問いを諌めた。

先生を相手に無礼を働こうものなら、即座に素っ首を落としてやるのだが…どうも敵対している相手ではないらしい。

 

暫く建物の門前で待っていると、青と白を基調とした服装の女性が私達の前に現れた。奇怪にも…扉を開けず丸い穴を造って此方に顔を出したのだ。

 

「お待たせいたしました、九皐様。この度はお越し頂いてありがとうございます」

 

「うむ。霍青娥よ、首尾はどうなっている?」

 

「我らが首魁は、良きに計らえとの仰せでしたわ。配下の者二名も無事復活しましたので、本日は顔合わせと今後の展開をお話する積もりです。宜しければ、其方のお弟子さん達もどうぞ?」

 

その言葉に咲夜さんは後方に飛び退いて身構え、私は先生から一歩出て鞘に手を置いた。いつでも反応出来るよう、間合いギリギリを保って青娥とやらを睨みつける。

 

「何故私達が先生から教えを受けていると知っている? 返答次第では…」

 

「止めろ、二人とも。此度は招かれた側…先には仕掛けるなと言った筈だ」

 

先生の制止に、私と咲夜さんは渋々構えを解いて一礼する。どうやら先生とそこの青娥某は、私達の知らない所で交流があったようだが…何故得体の知れない相手の懐まで出向いた来たのか。それを確かめなければ。

 

「失礼しました。本日はお招き下さり、ありがとうございます」

 

「うふふ…真面目なお弟子さんですわね。そういうストイックな子、大変好みです。では、中へどうぞ」

 

青みがかった髪、柔和な笑みと妖艶な仕草、どれを取っても享楽を熟知した貴婦人のそれだが…軽薄な言葉とは裏腹に隙は見せない。霍青娥…先生とは如何なる経緯で知り合ったのか。しかし、彼女の奥底には先生への服従の意と微かな恐れが見え隠れしている。

 

「こちらです。お茶の席を用意しておりますから、話はそちらで」

 

促されるまま廟内のある一角で止まり、応接間と思しき場所へ通される。其処には既に二人の人物が座っており、どちらも白玉楼の蔵書に出てくるような烏帽子を被っていた。古めかしい服飾だが細部の施しが見事であり、一目で位の高い…つまりはこの場においても重役であると分かる。

 

「ようこそ客人、私は《蘇我屠自古》。こっちが…」

 

「《物部布都》という! ほれ、そんな所にいないでこっちへ座るが良いぞ!」

 

意外だが、どちらも妙齢の女性…ではなく少女の如き若々しさだった。私や咲夜さんと少ししか違わないどころか、もう片方の髪を結っている方は年下にさえ見える幼さを残していた。

 

「おいこら、あんまり失礼な態度をとるな!」

 

「ぎゃん!?」

 

片方の…緑を基調とした服の蘇我屠自古が、遠慮なく傍らの童女を小突いた。頓狂な声を上げて頭を抑える物部布都は、湯気でも立ちそうなほど痛烈な拳骨に涙目で蹲っている。

 

「クハハハ…中々に愉快だな。これから異変を起こそうというのに、豪気なことだ」

 

「…我々も騒ぎを起こすのは本意ではないが、主人の復活の為には仕方がないのだ。先程は失礼したな。今回は異変の前の打ち合わせと伺っていたのだが」

 

「どのように為すかは、私からお話致しますわ」

 

 

霍青娥の言葉に、先生はさり気なく目配せをした。そしてこの状況…段々と私達の役目が見えてきた。先生は先の異変と同じく、彼女らの手助けをして諸々のお膳立てをする積りなのだ。

 

「さて…お話したいのは進行に伴っての我々の役割分担でございます。本来ならあの方が目覚めるまでは内密に動く予定でしたが、此方の九皐様が、我々にお力添えしてくれるとのことで」

 

「そうだな…戦力的には足りているかも知れんが、人数が多ければそれだけ細かい事にも手が回る。なので、私の教え子を一時的に貸し出そうと考えている。妖夢、十六夜」

 

先生の呼び掛けに応じて、私達は先生が着いた席の前へ一歩出る。軽い自己紹介を含めながら、異変発生の際にこちらがどう対応するべきかも簡潔に説明する。

 

「…と、いう事態になると思います」

 

「ふむ…質問なのだが、その異変解決者とやらはそんなに強いのか? 如何なる力を持っていようと人間は人間、尸解仙の我々と其方らならば容易に倒せるのではないか?」

 

童女と見紛うほどの幼さを持つ物部布都が、打って変わって理知的な抑揚で問うてきた。

 

「私の所感だが…今の霊夢達に勝ち得る者は、私と教え子を除いてはこの場には在るまい」

 

先生の返答に、眼前の二人の眉がぴくりと動いた。どうにも不服そうな視線を此方に投げかけてくるが、相手を舐めていては勝てるものも勝てない。次第に、此方と彼方の空気が重く険悪なものに変わっていく。

 

「馬鹿な…何を言うかと思えば、貴様…!」

 

「待て布都。九皐殿…それはどういう意味だ? 特殊な力を持つとはいえ、ただの人間に我々が遅れを取るだと?」

 

「真実だ。今の妖夢と十六夜の実力は、異変解決者の三人と同等かそれ以上と見ている。せめてこの二人と互角に渡り合えなければ、君達の時間稼ぎも上手くは行かないだろう」

 

先生は鋭い殺気を込める蘇我と物部を平然と受け流し、先生は続ける。

 

たかが人間をやめた程度で(・・・・・・・・・・・・)彼女らに勝てるなら、幻想郷はとっくに群雄割拠となっていた。だがそうなっていない。その前提を認めないなら、どうあっても戦いにすらならん」

 

ダン! と目の前の机を叩いて、物部布都は立ち上がった。先生の物言いに我慢ならないのか、肩を震わせて怒りの形相を浮かべている。

 

「痴れ者めが…太子様直属の臣である我等を愚弄するか! そういうお前はどうなのだ!? 見たところ力のある妖怪の様だが、そもそもお前は何なのだ!?」

 

荒ぶる物部の指摘に、咲夜さんが更に前へ出た。私は鯉口に指を掛けて剣を抜く所まできていたが、彼女が任せろと言わんばかりに手で制した。

 

咲夜さんならばと、此処は成り行きを見守る。先生に手向かうなら、私が首を二つ落とせば済む。しかし先生が望んでいるのは不和による決裂ではない…あくまでこの新たな顔触れ達を楽園の流儀に従わせ、後々は適応させることが目的の一つと推し量る。

 

私の友人にして完璧なメイドと謳われる彼女は、瀟洒な振る舞いで礼儀正しくお辞儀し、二人を宥めるように柔らかな声で語り出す。

 

「初めまして、十六夜咲夜と申します。皆様が一廉の猛者であることは、直接見えれば分かります。ですが幻想郷で言うところの異変とは、ただ敵を征すれば決着するというものではないと…九皐様は仰りたいのです」

 

口元を僅かに緩めて、此方の発言に敵意は無いと暗に主張する。咲夜さんの一連の所作にさしもの物部も感服したのか。蘇我屠自古に連れられて再び席へ戻った。

 

「説明しろ。先の言葉、我等を愚弄したのでないなら何なのか?」

 

「はい。異変とは、楽園に移ってきた新たな徒が起こす事件の総称です。その方法や規模には統一性が無く、言ってしまえばどのような形でも一定の脅威と理由が有れば異変として認定されるのです」

 

「…成る程。それに照らし合わせれば、主の復活を遂げたい私らが異変を起こす側。そして、それを阻まんとやって来る連中が解決者というわけか」

 

「仰る通りでございます。なにも、異変解決者は頭ごなしに異変を潰しに来る訳では無いのです。これまでの経験上…楽園に直接の害が無ければ仮に戦って負けたとしても、本懐を遂げられる可能性の方が高いくらいです。要は…解決者とはあくまで楽園の住人と新参者が折り合えるかどうかを見定めに来る調停役に過ぎません」

 

そこまでを聞いて、物部と蘇我は瞑目し暫し考えに耽っていた。咲夜さんの語った内容に嘘はない。幻想郷での流儀を守る者なら、誰でも此処では暮らしていける。もし不満があっても、納得するまで霊夢や魔理沙は彼女らを追い立てるだろう。

 

勝っても負けても結果が同じなら、好きな方を選べば良い。勝負事に拘るなら勝ちに行くも良し。命蓮寺の皆がやったように、負けるまでを想定して望みを果たすも良し。

 

それについては自分達の問題なのだから、頭を使ってどうするか決めろということだ。どちらにしろ、出来るだけ当人達の意思に沿う形で先生は協力してくれる筈だ。

 

「委細承知した。ならば是非、九皐殿にも協力を要請する。我等とて結果が欲しい。しかし捨てられぬ矜持もある…可能な限り、勝って晴れ晴れとした気持ちで太子様にお会いしたい。頼めるだろうか?」

 

「勿論です。九皐様は、この楽園の凡ゆる価値あるモノをお認めになる御方です。必ずや、皆様の願いは叶うでしょう」

 

物部は蘇我と目を合わせ、自分達の総意を伝える。それに対して、先生より先に咲夜さんが答え右手を差し出して握手を求めた。

 

私はそこで気付いてしまった。いつもは涼やかな態度の咲夜さんだが、先に無礼をした相手を決してタダでは許さないことに。

 

しかも…向こうにすれば胡散臭さがあるとはいえ、先程から物部の先生への言動は無視出来ない。そして今まさに考えている。レミリアさんに己の主人と思って等しく仕えよと命じられた彼女が、この和議の中で自分達ばかりが下手に出るなど考えられない…と。

 

「む? 握手とは奇異なものよ。どれ、協定を結ぶなら此方も応えようではないか」

 

私は同時に悟った。

物部布都という尸解仙。神懸かり的に咲夜さんの琴線に触れ続けていた。私は当の彼女に止められたから俯瞰して考えていられるものの…咲夜さんと同じ状況ならどこまで我慢できたか。

 

その疑問に答えるが如く、物部が握り返した咲夜さんの手が不思議な軌道を描いて捩れた。ひねった、ではなくねじれたのだ。蛇が錐揉みしたかにも見える独特の動きと、相手が掛けた力を数倍にして返す捌きの技に、手首の動作だけで物部布都は呆気なく身体を宙に放り投げられた。

 

数人が難なく座れる大きな机を叩き割って、大の字になって失神する物部を目にして…一方は冷淡に見つめ、一方は驚愕の表情で眺めていた。

 

「……きゅう」

 

「…何のつもりだ? 確かに布都も慇懃な態度だったのは認めるが」

 

「最後に、御二方の勘違いを訂正させて頂きます」

 

遮った咲夜さんの冷たい声音に、鷹のような鋭い視線で蘇我は睨め付けた。

 

「勘違いだと?」

 

蘇我の問いに、咲夜さんの代わりに答えたのは霍青娥だった。

 

「ええ。此度の会談は九皐様たっての依頼でしたわ。私達を楽園で受け入れるかどうかは…なにせ彼と幻想郷の賢者様のご機嫌次第らしいとのことで」

 

「なに?」

 

蘇我屠自古は立ち上がり、青娥に視線を移した。よもや獅子身中の虫とは思っていないだろうが、理由も知らぬまま引けぬとばかりに返答を待っている。身体の所々に、バチバチと小さな電光を纏わせながら。

 

「私達はお願いする側。彼らは聞き入れるか検討する側ということですわ。本来なら一息吹けば飛ぶようなモノを、態々掬って頂けるというのです。それに賭けるのは、何も悪い手ではないでしょう?」

 

蘇我は益々分からないという風に顔をしかめた。その疑念に、青娥は明快な説明で返していく。

 

「つまり…九皐殿はそれ程の人物だと?」

 

「それ程もなにも…実質的な支配者と言っても過言ではありませんよ。楽園は誰のものでもない。けれど和を乱すことだけは許さない。その不可逆の掟で以って、数々の大妖怪を友として迎え入れられた方なのです。感じませんか? 貴女にも感じ取れますでしょう? もっとよく、彼の奥底を覗いてみて下さいな」

 

長年の同志の言は、彼女を動かすのに充分だったのだろうか。青娥に言われるまま蘇我は先生を見つめ、先程から黙したままの彼の奥底の気配を注意深く探り始めた。

 

「こ、これは……このような、人とも妖とも呼べぬモノが存在するのか…っ!?」

 

計り知れない先生の気配を探ったからか、蘇我の額から珠のような汗が噴き出していた。先の話から推察するに…未だ主人が目覚めぬ彼女らからすれば、先生への対応は酷く迂闊だったといい加減自覚しただろう。

 

「青娥、十六夜。そこまでにしておけ。話をこれ以上大袈裟にしてくれるな」

 

「申し訳ありませんでした。九皐様」

 

「そ、そのようなつもりではありませんでしたのよ? ただ、お互いに対等である事が後々の利であると友人にお教えしたかったまでで…!」

 

青娥は俄かに取り乱していた。私が門前で感じたものは正しかった。正確には、青娥は先生の力を恐れ…恐れる以上に先生の存在に酔いしれている。先生の傍に寄り添って、夢遊病じみた定まらない視線で彼を見つめる青娥は側から見れば操られていると見違える程に熱い視線で弁明を始める。先生はそれを止めて、銀の双眸をぐるりと客室全体に彷徨わせてから口を開いた。

 

「もう一度、皆落ち着いて席に座ろう。物部嬢には申し訳なかったが、此方も協力するのに吝かでない。新しい友が増えるかも知れない…それだけで充分な報酬になる。皆が言うほど、私はそう大した存在ではない」

 

「それこそまさかだ。そんな力を持っていて、幻想郷という箱庭で手に入らぬモノなどあるまい?」

 

蘇我屠自古の返答は懐疑的だった。力ある者が全く野心を持たないなど有り得ないと言いたげに。そこで。

 

「否、有るとも。ヒトの心を開かせるには、自らも心を開いて対せねばならぬ。幾つ歳を重ねようと、何をするにも独りでは詰まらないものでな。隣人や友人と何気ない話をしながら、互いの近況を報告し合う。そういった有り触れた事柄に、私はとても惹かれているのだ」

 

先生の思いがけない…ともすれば赤裸々な告白とも言える答えに、蘇我屠自古は目を見開いてそれを聞いていた。彼女の表情は、何処か過去を懐かしむような、暖かな気持ちが見え隠れしている。その真意は窺えないものの…彼女は納得したように溜息を吐いた。

 

「はぁ…全くとんだ協力者だ。仲間だと思っていた邪仙は丸め込まれているわ、うちの猪突猛進は逸って投げ飛ばされるわ」

 

重臣の苦労が滲み出ているというか、彼女は最後まで冷静さを保っていた。咲夜さんはどうか分からないけれど…ほんの少し気持ちが分かって悪い事をした気分になっている私、魂魄妖夢であった。

 

「苦労しているな、蘇我屠自古」

 

「そちらもね…あーあ。折角真面目に対応してたのに、無茶苦茶過ぎて面倒臭くなってきたわ」

 

周りというのは咲夜さんや青娥、今も部屋の端に雑に寄せられて横たわっている物部のことか。もしかしたら私も入っているかも知れない。かなり悪い事をした気になってきた。

 

「お互い苦労するわね…周りが元気過ぎると」

 

「クハハ…もう少し歳をとれば、その騒がしさも楽しみに感じられるぞ?」

 

「これでも幽霊歴長いのよ? この分じゃ、先は長そうだわ…。で、異変だっけ? どうやれば上手く事を運べる?」

 

何かの拍子に肩の力が抜けたのか、蘇我屠自古は先生に気軽に接し始める。

 

「うむ。先ずは……」

 

こうして数時間にわたって本格的な会議が行われて…気絶した物部が目覚めようかといった頃には、私達は来たる異変の実行日の為に一度各々の住処へと戻ったのだった。

 

 

 

 

♦︎ 蘇我 屠自古 ♦︎

 

 

 

 

「有り触れたこと、かぁ…」

 

もう何年、何百年前になるだろう。

…太子様、《豊聡耳神子》が私に似たような言葉を残してくれたのは。容姿どころか性別も違う…元の性格もきっと全然違う。そんな男が放った台詞は、それでも昔の思い出を浮かび上がらせるのに充分なものだった。

 

『良いですか屠自古。和を以て貴しとなす…ですよ? 一人で出来ることには限界がある。だから隣人や同僚とは仲良くするべきです。それらの人々はいつか貴女の友となり、貴女が友を大切にした分だけ、その友はいつか何処かで貴女の手助けをしてくれる筈です。信じなさい! 私を誰だと思っていますか? この国の未来を背負って立つ、偉大なる聖徳王ぞ!』

 

彼女は…神子は笑顔の絶えない人だった。下々の者を導く重責に耐えながら、いつも堂々たる姿で臣民を…私達を教え導いてくれた。そんな彼女と同じ様なことを言ったヤツに、不覚にもあの場で毒気を抜かれてしまった。

 

「早く…会いたいなあ」

 

有り触れたことでも…それが何より大切だと神子は言って、そうして…。

 

「絶対に、復活させてみせる!」

 

私も…私達も、そんな神子に付いて行くと心に決めた。あれから幾星霜の時が流れて、今も尚この胸の熱さは冷めやらない。この熱は神子がくれたもの。私も布都もこの熱さがある内は…神子の為に最善を尽くそう。

 

「すぴー…」

 

「ったく。いつまで寝てんだよ! 起きろっつうのこの猪娘!」

 

「ふぎゅ!?」

 

馬鹿みたいに寝こける布都に一発拳骨をくれて、私はこれからの先行きに想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

「妖夢」

 

「なんですか? 先生」

 

廟での会談を終えて屋敷に着いて暫く。三人で卓を囲みつつ教え子の片割れに話かける。目の前に置かれた紅茶のカップを二、三度弄びながら、妖夢に何処から話すべきかを逡巡した。

 

「十六夜も、そのまま聞いてくれ。この異変…裏ではもう一つの陣営が独自に動いている」

 

「それは…どういう事でございましょう?」

 

十六夜の質問に、私は即答出来ないでいる。

異変での経験が浅い二人は、裏方として一つの異変に関わるだけでも大層気を揉むことだろう。しかし…二人を信頼するならば話さずにはおけないと考え直す。

 

「紫からの情報でな。廟に住まう陣営とは無関係だが、複数の妖怪が人里より外れの森深くで会合していたらしい」

 

「紫様はなんと?」

 

「遠巻きから聞いていた内容としては…叛逆、解放、そして復讐という言葉を発していたそうだ」

 

妖夢と十六夜は顔を見合わせて首を傾げた。二人には縁もゆかりも無い話題だろうが、私や紫にとっては非常に不味い事態と言える。

 

これまでに友となった勢力の皆には、須らく周辺地域への警戒と平定を頼んでいた。紫が取り仕切る会議の内容を聞けば、それ自体は上手くいっているそうだ。が…コミュニティの枠に入らない木っ端妖怪やその他の存在からすれば、これまで自由気ままだった所に理不尽な抑圧を強いられていると思われても仕方がない。

 

これは…私の我儘が招いた火種とも呼べる。元を正せば、我儘を押し通そうと決めた故の弊害だった。可能な限り平穏な日々を得る為に多くのモノを手に入れる。充実を求めた為に、それに肖れなかった者を蔑ろにした結果となったわけだ。

 

「……それがどうした」

 

初めから決めていた事だ。私と紫、そして私達と歩みを共にする仲間達のような、認め合える関係ばかりを築けない事は分かっていた。ならば答えは一つだろう。例え楽園の中から反乱分子が産まれたとして、互いの要求を飲めず況してや説得に応じなかったなら…その時は。

 

「…斬ります」

 

「妖夢…そうね。私達の答えは決まっています。貴方と共に行くと決めた者は皆、同じ結論を出す筈です」

 

二人は意を決した表情で、重ねて言葉を紡いだ。

 

「戦うべきです。叛逆を企てる者達が、我々に立ち向かい返り討ちにされたとしても…それもまた自由を貫こうとした者の当然の帰結です」

 

「我々が勝ち、其奴らがもし許しを請うならば…先生の仰る通りに慈悲を与えます。されど応じず殉じるならば、一息にこの剣の鯖と致します。此方は既に、覚悟は出来ている…!」

 

…頼もしい教え子達だ。主と自分の考えが違っていたらという疑いなど微塵も無い。深い信頼に結ばれた主従だからこそ、それぞれの代表も揃わないこの場でも迷い無く言ってのけられる。本当に、私は良い友と教え子を持った。この二人を預けてくれる西行寺とレミリア嬢には、改めて感服する。

 

「分かった…では私の方針を話そう。後で紫にも各陣営へ伝達を頼むが、二人は先んじて主人に私の言葉を届けて欲しい」

 

「何なりと」

 

「了解しました!」

 

深く息を吸い、これから伝える内容を吟味する。

何れの勢力も、先走って反乱分子を刺激してはならない。相手への恐れからではなく…向こうの準備が万全となるのを待ち、決戦の時に完膚無きまでに叩き潰すのが目的だからだ。

 

跡形なくあちらの思惑を打ち砕き、その上で機会を与え、自分達の意志で今後の振る舞いを決めさせる。それが楽園の、紫の掲げる全てを受け入れる事であり、また安寧の為に取る必要な措置だと私は思う。

 

 

 

 

 

「詳しくは紫から事前に説明が成されるだろうが、私から言えるのは一つだけだ。皆の力を借りたい。さりとて今はまだ動くべき時ではない…機を伺い、先方が起った時点で此方も動く。それまでは各陣牙を研ぎ、爪を磨いて待っていて欲しい。来るべき日には、私もまた先陣を切って戦おう。最後に、最重要人物の名を伝えておく。その者の名は–––––––––《鬼人正邪》。言葉巧みに他者を操り、力無き者を玩弄し強者へと嗾ける…天邪鬼の妖怪だ」

 

 

 

 

 

そうして私の言葉は…霊夢、魔理沙、早苗といった異変解決者を除く全ての徒へと伝えられた。

 

八雲紫とその配下及び、太陽の畑、紅魔館、白玉楼、永遠亭、守矢神社、地霊殿、命蓮寺、天人とその世話役、二人の鬼から森の人形師に至るまで余す事なく。後日紫からのスキマ通信で私の言葉を受け取った者達は、来たる決起の日に向けて準備を開始したのだった。

 

そしてそれよりも前に、新たな異変の予兆を誰もが感じ取りながら、更に先の雌伏の時を待つこととなる。

 

 

 





最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
みょんちゃん…殆ど斬るしか言ってねえ! クールでスタイリッシュな彼女を今後書く予定(あくまで予定)なので、許してください!


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第九章 参 蠢く夜の輝ける城

長い長い間、お待たせいたしました。
ねんねんころりと申します。相も変わらず遅筆で稚拙な文章ですが、それでも続きを待っていて下さった方は、ゆっくりしていってね!


♦︎ 博麗 霊夢 ♦︎

 

 

 

ある朝、紫が魔理沙と早苗を引き連れて神社に顔を出した。

このメンツで話す事といったら、世間話より異変絡みの話題の方が多いってものだ。案の定三人を茶の間に招いて紫の反応を待つと、訥々といつもの胡散臭い調子で喋り出した。

 

「異変ですわ。日時は今夜、場所は命蓮寺地下の洞窟広場…《夢殿大祀廟》と目されます」

 

「ユメドノダイシビョウ…って、なんだか大仰な名前の地下ですね?」

 

早苗がそう返すと、紫は右手の扇子を開いてひらひらと弄び始める。

 

「事実そうなのです。大仰にして荘厳。何とも奇妙な現象を引き起こしている異変の中枢なのですから」

 

「具体的には何が起こってるんだ? ちょっと前なら空が赤くなったり春が来なかったり、つい最近じゃ船に魔界ときたもんだ。そう何度も驚かないぜ?」

 

魔理沙の言葉に、紫は愉快そうに微笑んで続けた。

 

「この度は、その大祀廟に神霊が引き寄せられているみたいなの」

 

「神霊ですって…? ちょっと、それ間違いなく大事じゃない!」

 

神霊と聞いて思わず声を大にしてしまったが、紫はそれでも笑みを崩さず私を宥めながら遠くを見やっていた。こいつ…近頃は輪をかけて機嫌が良さそうだから、優しめに対応されると逆に不気味に感じてくるってのよ!

 

「まあまあ、話は最後まで聞きなさいな。神霊といっても、性質が近いだけのやたらとチャチな小心霊ばかりでね? もう笑っちゃうくらい一つ一つがしょっぱいのよ」

 

「ですが…異変なんですよね? 霊が集まるくらいなら、お墓や寺社でも珍しくないですけれど」

 

「ええ…間違いなくこれは異変よ。一つ一つは小さくとも、まともに数えていられない程に量が多いんですもの」

 

「数はどれくらいだ?」

 

魔理沙が尋ねると、紫は指を三本立てて心底面倒そうに私達の前に突き出して見せる。

 

「三本…三十くらいか?」

 

「いいえ。三百から数えるのをやめましたわ」

 

「さ、三百以上ですか!? 一体どうしてそんな数の霊が…」

 

「それを、私らに調べて来いってこと?」

 

二度三度と頷いて、肯定の意を示す幻想郷の賢者は途端に神妙な顔つきで私達に視線を合わさた。こういう時は、大概ロクでもない事態になってるから気をつけろってサインだったりする。

 

「コウさんは…」

 

早苗の問い掛けに、紫は何も答えなかった。まあ、当然よね。前回も異変を起こす側の手助けをして、尚且つ私達にはそれを解決しろってんだからおめおめと顔は出さないと思ってたけど。

 

「助っ人は期待出来ないみたいだぜ? 霊夢」

 

「あら、期待してたわけ? あんだけ扱かれてまだお爺ちゃん離れできないって言うなら屋敷に行ってみる?」

 

「冗談だろ! 助けてもらう度に異変中に修行とか試練だとか言われんのはもうゴメンだね!」

 

「私は…むしろそっちの方が」

 

うわ、本気なの早苗。この娘ったらコウの話になるといつも見境い無くなるんだから! 魔理沙も言ったけど、手伝って貰ったらその分後がキツくなるんだから勘弁して欲しいわよ!

 

「さて…行ってくれるのかしら? 三人とも」

 

「当たり前だろ!」

 

「はい! コウさんに笑われないように頑張って解決してみせます!」

 

「コウの事は兎も角…私も勿論行くわよ。新入りだってんなら、挨拶の一つもしてから異変起こせって文句言ってやりたいもの」

 

決まりとばかりに三人で意見が合った。今夜なら話が早いわ…ちゃっちゃと殴り込んで、さっさと退治して月見酒といきたいところね。

 

「承ったわ。それじゃあ三人とも、後は宜しくお願いね?」

 

自分の役目は終わったとばかりに、紫はそのままスキマを通って何処ぞへと消えていってしまった。まともに情報も残さないってことは、あいつにも詳しくは調べられなかったのか。それとも…

 

「まさか…既にあいつが絡んでるってんじゃないでしょうね?」

 

「どうだろなあ? ま、気にしても仕方ないって! 私らはいつも通りやるだけだからな!」

 

「何の話か分かりませんが、そうですね! 皆で異変解決、頑張りましょう!」

 

なーんか引っかかるのよねぇ。咲夜とか妖夢とか、他の連中も私らにだけ隠し事してるような空気だし…根拠はないけど。でも、私の勘は外した試しが無いから頭の片隅には置いておこう。

 

コウについて敢えて触れない紫、様子がおかしい周りの奴ら。そして…この異変にもきっと関わっている、あいつの動向とか。気にしたって仕方ないけれど…まず間違いなくコウも一枚噛んでるわね。紫との付き合いが長くて助かったわ。頭の片隅に置いておけば、いざという時に慌てずに済むんだから。

 

 

 

 

♦︎ ??? ♦︎

 

 

 

 

「太子様!」

 

「進捗の程はいかがですか?」

 

臣下二人の呼び掛けに応じて、集めた神霊を集めて生前の肉体へと転化し目の前に現れてみせる。そうすると、屠自古と布都は嬉々とした表情で此方を出迎えてくれた。

 

「おお! あと一息というところですな!」

 

「これも恙無く二人が事を勧めてくれたおかげです。青娥殿も、色々と手を回してくれたようですね?」

 

「はい。同盟を組みたい相手がいると聞いて、少しばかり不安になりましたが…この分なら彼奴の成果も馬鹿には出来ないかと」

 

昔からだが、屠自古の青娥への評価はあまり高くない。邪仙殿は奇癖があるせいで信用はされていないが、きっちりと手柄を立ててくれる良い導師様なのですがね。

 

「お召し物をどうぞ!」

 

「ありがとう。ふむ…?良い羽織ですね? 私の趣味にあっています」

 

「当然です。我々も、長い付き合いになります故」

 

仮の肉体とはいえ、服もまともに無いのでは締まらないと言われては仕方がない。屠自古や布都はこういった所に凄く気の利く臣下で助かります。

 

「それで、彼の御仁の調べはつきましたか?」

 

彼というのは、先日私達に同盟を申し出てきた九皐なる妖怪のことだ。青娥殿の推挙もあって良きに計らえなどと大仰に返したが、どうも気を悪くした様子もなく連れの非礼を諌めもしたらしい。屠自古が問いかけた事柄に対し、彼の返答がどことなく私に似ていた…と屠自古の心が伝わってくる。

 

「ご報告申し上げます。件の妖怪…九皐殿は種族は竜とのこと。周囲からの評価も高く、僅か数ヶ月で名実ともに幻想郷の顔役の一人となっているとか」

 

「ほう…竜ですか、人格的にも大層立派な方なのですね。しかし竜とは…これまたやけに強大な」

 

「太子様! 我からも報告します! 守矢神社なる教団の神々によれば、古の時代には確固たる覇者として君臨していたとか。どこまで本当かは存じませんが、あの力を見る限りはあながち嘘ではないかと!」

 

それについては私も知っている。

神をも恐れぬ、まさに絶対的強者。生まれながらにして竜…混沌の存在でありながら理知に富み、力は今もなお底が知れない。人と妖双方からも畏敬を抱かれるなどそう聞ける話ではない。二人とも、良い情報を持ち帰ってくれた。

 

続いて明かされた我々の起こす異変…その収束の方法についても二人から教えてもらう。敗北は必至だが、負け方によっては此方の要望はほぼ通るとみて間違いない。同盟相手がこちらより明らかに強者であるのに、無償というのは何故かと聞けば簡単な話であった。

 

楽園の掟さえ犯さなければ、妄りに敵を作って追い立てられることも無くなり、新たな勢力としての威さえ示せば永住も認められると。

 

「なるほど。敢えて敵の土俵で戦い、害意がないと伝われば良いわけですか…なんともはや」

 

都合の良い話に聞こえるものです。

従属も略奪も無く、かといって強要もしないとは。それは偏に、力ある者達が争わずに済むようにと手を尽くした今があってこそなのでしょうか。

 

外界では叶わなかった事が此処では実現できる。我等は人を超越せんと目論み、道半ばで復活の目を残したまま幾星霜を過ごした。それが起きてみれば安寧はすぐ目の前とは…なんと。

 

「良きかな。これこそ和を以って貴しと為すの理想そのものです」

 

「は…しかし」

 

渋面を湛えて、屠自古は口ごもった。

ふむ…? なるほどなるほど。そういう事ですか。

 

「心配は要りませんよ屠自古。此処に我々が在るということは、九皐殿には我々の価値を示せたということ。それで良いではないですか」

 

屠自古は、彼の御仁が我々と真に対等ではないことを懸念しているのだ。一定の信頼はあっても、それがいつ覆るか分からない。慎重な臣下は、この同盟がいつか反故にされ…走狗の如く煮られるのを恐れている。

 

「そう…思いたいのですが」

 

「良いですか屠自古。真の理と力を知る者は皆、誰しも無暗な支配は行わないものです。此処からでも聞こえますよ…彼を知る楽園の皆の声が」

 

 

 

 

 

『次はコウとどんな遊びをしようかなあ? お姉様はカッコつけてるから素直には言わないけど、毎日楽しみで仕方なさそうだし。私もコウを呼ぶ理由を一杯かんがえないと!』

 

『そろそろ、また派手な喧嘩でもして一花咲かせたいねぇ…。でもなあ…満足のいくやつといったらアイツしかいないだろうしどうしたもんか。今度萃香と組んで日が変わる毎に挑んでみるか? いやいや、それじゃあ四天王の名折れってもんだ…どうにかして上手く誘い出す方法を』

 

『最近幽香が退屈そうだわ…この前はウキウキで出かけていったけれど。私もお花の世話を一緒にしたいのに。ううん! 全然! 寂しくなんかないわ! その気になればいつでも会えるんだから!』

 

『お空の身体も調子が良くなってきましたね。こいしは次いつコウさんが地底に遊びに来るかばかり聞いてきますし。いえ、此方から屋敷の方へ伺えば良いのですけど…それじゃあ他の方達が良い顔をしないか。うーん…困りましたね』

 

『師匠がこの前も、九皐さんに逢いたいって呟いてたな…。近頃は薬売りや診療所が忙しいから、息抜きに休診日でも作っては? と提案したら凄いはしゃいでたし。これはまた他の勢力の人達と揉めそうな事態になってきました…この前の催しのせいで、ただでさえ会いに行けるのは週一で我慢しなきゃいけないのを、まさかこっちの都合で逢いに行けなくなってるんですから上手くいかないですね…頑張れ師匠! 春はそう遠くない筈です!』

 

『まったく下界のチビガキどもにも参るわね!私が一歩外へ出たら、やれ独楽遊びだの、メンコだの、忙しいったらないわ!』

『ふふ…しかし総領娘様、この前はその子らと一緒に足の悪いお爺さんを家まで荷物を運んで送ったじゃありませんか。お嫌いですか?』

『そ、そんなわけないでしょ!』

 

 

 

こんなに…暖かな心で満たされた声を聞くのはいつ以来だろうか。

虚飾や嫉妬のない声は、この聞こえすぎる耳にも心地よさを与えてくれる。理不尽な人の死に抗おうと人間を超越せんとした我々は、その実誰よりも人間への猜疑心に満ちてしまっていた。妖怪の中にもこれだけ暖かい声があるのに、人の世は幻想を暴くにつれて無垢な信仰や隣人への感謝を蔑ろにしてしまっていた。

 

「けれど…ここはそう捨てた物ではないみたいですよ、屠自古? 堂々と妖怪が人の町を練り歩き、人々もまた妖怪との共存を畏敬と親愛を共に新しい風を感じています。それが答えではありませんか? 彼の御仁たちが日々努力を重ねた結果でしょう」

 

「それは…分かってはいるのですが」

 

「太子様。我々も為せるでしょうか? 人をやめて尚、人と並び歩める場所を作ることが」

 

「支配…とはまた違うでしょうね。言うなれば互恵関係。ですが良いのです。結果としてより多くの声に歓びと安寧が宿るなら、手段は別になんでも良かったのですから」

 

だからこそ…この耳だけでなく目と心で確かめたい。彼らの作り上げた今が、その歴史を知らぬ我々の興りをどのように対処するのか。たとえ私達が敗れても…それは私達ではなし得なかった望みが別の形で果たされたという事。しかし、もし解決者が私達に挫かれようものなら。

 

「この私が…豊聡耳神子が、新たな秩序でもってこの幻想郷に安寧を齎しましょう」

 

私の言葉に布都と屠自古は強く頷き、私もまた確固たる意思を二人に示した。時は満ちた。異変解決者達も動き出した。後は、

 

「我らの踊る舞台の裏で、何処の誰が何を起こすのか。後半はしっかり見物させて頂きますよ? 九皐殿」

 

 

 

 

 

♦︎ 九皐 ♦︎

 

 

 

 

夜風の寒さが俄かに感じられるようになった季節。今宵、十六夜と妖夢を伴って、私達はとある森の奥深く…その真上に来ていた。

かねてより包囲網を敷いていた《鬼人正邪》の動向を紫が押さえ、その様子を向こうからは悟られない遥か上空から見ることにした。

 

「師よ、あれらがそうなのですか?」

 

「うむ…見たところ確かに名のある妖怪は非常に少ない。指揮をとっているのはごく少数。それに連なる者達はみな下級か、中級妖怪が精々と言って良いだろう」

 

「九皐様がよく転移に使われる孔が、妖怪達の集会場を囲んでおりますね。あちらの内容が筒抜けなのは良いのですが…よもや音まで具に拾えるとは思いませんでした」

 

なにしろ、今までそういう方法で用いた事は無かったからな。十六夜と妖夢が首を傾げるのも無理はない。さて、そろそろ此度の集会を開いた主役達が出てくるようだ。

眼下の妖怪達はわかり易く色めきだち、集会場として森に設けられた急増の壇上に登ってくる影を捉える。一人は黒髪に赤を混じらせた、小さな一対の角を生やした小柄な少女。此方が恐らく情報にあった鬼人正邪だろう。その肩に、二人目の更に小柄な…人の腕一つ分にも満たないような、お椀のごとき被り物をした小さな少女が座っていた。

その二人の更に背後には、他の妖怪達とは少しばかり気配の違う三名が控えており、前を歩く二人を眺めていた。

 

二人が壇上に上がり終えると、肩に乗ったお椀の少女が、鬼人正邪が恭しく傅きながら頭上に添えた手の上に更に登った。声が伝い聞こえてくる。

 

「皆みな、よくぞ集まってくれた! これで我らの会合は、都合六度目となる。何度も繰り返してきたが敢えて言おう、時は満ちた!! 弱き者、儚き者、小さき者と嘲笑われた私達は、ここに至るまで数々の艱難辛苦に耐えてきた!! だがそれも、今日この日を以て全てが決する!! 虐げられた我等の怒り、哀しみは…今宵喜びと勝利の栄光に変わるであろう!!」

 

「「「「オオオオオオオオーーーーーッッ!!」」」」

 

気迫と戦意に満ちた妖怪達が鬨の声を発する。すかさずお椀の少女は、腰に挿した針のようなモノを高らかに掲げた。

 

「我が名は《少名針妙丸》!! 汝らと共に夜を駆け、革命の夜明けを齎す者なりッ!!」

 

「シンミョウマル様!!」

 

「俺達の小さくも、偉大なる首魁よ!!」

 

「解放ヲ! 革命ヲッ!! 強きモノらに復讐をォッッ!!」

 

ある者は武器を手に取り天に、またある者は硬く握った拳を振り上げ、壇上の針妙丸と名乗る少女の勇ましさに応える。それを見て満足げに頷くと、鬼人の添えられた手から再び肩へと乗り換える。それを合図にしたように、鬼人正邪はゆっくりと立ち上がった。

 

「姫の御言葉、大変有り難く存じます。今日ここに皆が欠ける事なく集まったのも、偏に貴女様のお陰にございます。なあ…そうだろォ!? お前らァ!?」

 

皆を焚き付けるように鬼人が強く発する。それにも違わず、集った妖怪達は応えるように唸り声を響かせ、武器と足踏みで何度も地を震わせた。

 

「長かったよなぁ? 苦しかったよなァァ…だが! 私らの長い長い雌伏の時は漸く終わる!! そして始まるのさ! 弱者が強者を挫き、驕り昂る者らを根こそぎ振い落とし、幻想郷に新たな秩序が……革命の時代が、此処から幕開けるんだァッ!!」

 

「「「「ウォォオオオオオオオーーーーーッッッ!!! 針妙丸様、万歳!! 鬼人正邪、万歳ィィィッッ!!」」」」

 

私達は眼下のそれらが、燻り今にも燃え拡がらんとする大火にも感じられた。針妙丸という弱き者らにとっての希望を火種に、それを言葉という強い風で以て鬼人正邪が燃え上がらせる。

 

「おーっとお前ら、まだまだ此処で元気を使うんじゃない。それはこの後のお楽しみに取っておくんだ! 私達の計画、準備は入念にして万全だ! もはや私らを阻むモノは無くなった! それは何故か!? そう……私らにはコレがあるからさ!!」

 

左手を後方の空へ翳した正邪が、針妙丸に一瞬目配せをした。互いに頷き合うと同時に、鬼人正邪は何処からか取り出した金色の小槌を一度振るう。その刹那。

 

 

 

 

「な…? 師匠、アレは一体…!」

 

「成る程ですね。九皐様、彼女等の準備は万全とは…こういう事でしたか」

 

「ああ…詰まりは本気という事だろう。青娥等の一党が異変を…いや、切っ掛けはなんでも良かったのだ。異変解決者や、紫達の様な強い勢力の気が何処かに逸れている状況を見計らっていたのだ。無論、此方も察知してはいたが…流石にアレの存在は掴めなかったな」

 

私達の真正面…正確には少名針妙丸と鬼人達の更に後方、上空に突如聳え立つ巨大な城が出現した。

ソレは意匠こそ豪奢で荘厳なモノであったが、何より奇抜なのは石垣から城の天辺まで全てが逆しまに浮かんでいる事だった。

異質な光景を見せられた我等を他所に、孔を通じて再び妖怪達の咆哮と鬼人達の言葉が伝わってくる。

 

「そら、どいつもこいつも乗り込みな!! この城は、姫が貸し与えて下さった小槌が創り出した本物の城…その名も《輝針城》だ!! 逆さまなのは小槌を振るった私の趣味だが、中に入れば見た目と中身も逆さまさ! コレに乗って、いよいよ今から人里の真ん前まで押し掛ける! 人間どもはおおわらわ、それに釣られてやって来る管理者ヅラした異変解決者も、後になって物見に来やがる大妖怪どもも一網打尽にしてやるんだ!!」

 

そう言って、針妙丸を伴う鬼人正邪は背後の三人と共に空へ飛び立つ。加えて小槌をもう一振りすると、集まった妖怪達は小槌と同じ金色の光に包まれながら浮かび上がり、続々と城の中へ乗り込んで行く。

 

「一網打尽ッ! 良い言葉だァァ!!」

 

「空も飛べてェ城も俺達のモンだなんて、夢の様だナァ!?」

 

「万歳! 針妙丸様、鬼人正邪、万歳ィィィ!!」

 

「共に征こう、同志達よ! この少名針妙丸の名において、お前達を必ずや掬い上げてみせる!!」

 

「聞いたかお前らぁ! 私らの夜明けは目の前だァ! さあ、弱者が見捨てられない楽園を、私らの手で創り上げるぞォォォッッ!!」

 

「「「「「オオオオオオオオオーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

そうして…孔を通した彼女等の決起を見届けた。

紫の話では、自らもまた矮小な妖怪であると、同じく幻想郷の妖怪の中でも日陰者とされた者達を巧みに操る奸雄の相であると聞いていた。が……、

 

「師よ、本当に見逃して良かったのでしょうか? あの者達が本気で革命を起こすと言うなら、勝敗は兎も角幻想郷全体に甚大な被害が出るんじゃ……」

 

「この十六夜も、妖夢の言う事は尤もだと考えます。例えどれだけ強固な城、どれだけ数を揃えようとも私達の勝利は揺るがないでしょう。ですが…」

 

二人の懸念は当然だろう。

仮にどれ程の武具、戦力、拠点を構えようとも、異変解決者とその後ろに居る我々に打ち克つにはまるで足りていない。だがそれは我々だけの話であって、人里に住む人々や、争いとは直接関わりのない妖怪にとっては違うのだ。それを判っていて尚見逃したのは何故なのか? そういう質問を二人は投げかけてきている。

 

「窺っていた話とは…少し違った様だったのでな」

 

「師匠、なにか紫様のお話とは違う部分がお有りなのですか?」

 

「確か、八雲紫の話では弱者を嗾ける悪辣な天邪鬼だとお聞きしましたが…九皐様には、何が見えたのです?」

 

まだ、確たる事は述べられなかった。

だが…私ははっきりと感じ取っていた。彼等の、彼女等から発せられる《負》の感情から漏れ出た一雫。それは決して、少名針妙丸を旗印とした鬼人正邪の、衝動的な煽動によるものだけではないと。そして妖怪達を率いる当の天邪鬼でさえ、その心には確かな一つの道筋が建てられているという事を。

 

「直ぐに戻ろう…表の異変は予定通り霊夢達に任せる。が、此方は私達で迎え撃つのだ。情報を修正せねばならない。紫を通して霊夢達三人を除いた、関わりのある全員にこの事態を共有する」

 

私の言葉に二人はただ首肯し、次の言葉が紡がれるのを待っていた。

鬼人正邪から発せられたモノが果たして真実ならば…我等もまた、勝つだけでは駄目なのだろう。その事を、皆が知っておく必要がある。

 

「良かろう…鬼人正邪、そして少名針妙丸の一派よ。お前達が、尋常の遣り方では届かぬ夜明けを求めるのなら、此方とてまた一つの答えを示してやる。妖夢、十六夜」

 

「はい!」

 

「何なりとお申し付け下さい」

 

「今回、鬼人正邪達の引き起こした異変を解決するのは…彼女等を退治するのは君達二人だ。構わないな?」

 

「……! 必ずや、貴方の期待に応えてみせます…!」

 

「お嬢様から頂いたこの機会、そして九皐様よりの此度の御指示、どちらも完璧にこなして見せましょう」

 

即座に転移の孔を開き、二人と共に紫の下へと戻っていく。

闇の中へと融けながら、静謐ながらも淡い金光を纏って動き出した輝針城を、私達三人はその巨影が見えなくなるまでじっと見据え続けていた……。

 

 

 

 




次回は戦闘が多めになる回の予定です。
重ねて、お待たせ致しました。次回も亀更新となりますが、ゆっくりお待ちくださいませ!


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第九章 四 上と下、静寂と轟音

お待たせしました。
ねんねんころりです。少し長くなってしまいました。この物語は厨二全開、突然の場面転換、色々ありますが読んでくださる方は、ゆっくりしていってね。


♦︎ 東風谷早苗 ♦︎

 

 

 

八雲紫さんの説明から、私達は三人で早速異変の元凶へ向けて、地下洞窟へ飛び立っていた。魔理沙さんも霊夢さんも、そして経験の足りない私でも今回の異変のスケールが大きそうな事は理解できた。

数えるのも馬鹿らしいくらいの大量の小神霊たちは、何かに惹かれて夢殿大祀廟に集まっている。

 

「凄い量の霊魂ですね。これ全部が小神霊だなんて」

 

「さーて、今度はどんなヤツらが異変起こしたんだろな? 今回もバシッとかましてやるぜ!」

 

「意気込むのは良いけど、油断するんじゃないわよ? これだけの異変を起こすなんて…只者じゃないわ」

 

眼窩に広がる景色は、一言で表すなら壮観だった。

まるで吸い寄せられる様にして先を目指して行く小神霊達は、物言わないまでも明確な意思によって真っ直ぐ目的地へと進んでいる。そうして私達も飛び進む事数分…霊魂達に誘われるまま辿り着いたのは、とある有名なお寺の…平たく言うなら八角堂のような場所だった。

 

「こりゃまた…随分立派な建物だな?」

 

「ええ。さっきから感じてはいたけれど、この中にいるヤツが神霊を呼び寄せてる…というか吸収してるって事で間違いなさそうね?」

 

「少し緊張しますが、早速中へ入りましょう! これだけの小神霊、集めきったとしてどんな方が出てくるのやら判りません」

 

私達の遣り取りの最中、上空から一つの影がふわりと現れる。

黒い烏帽子を被ったその女性は、上から私達を値踏みする様に鋭く睨みつけていた。

 

「来たか、解決者ども。これより先は通行止めだ。尤も、私は亡霊なので物理的には止めようが無いのだが」

 

薄緑の髪を風に靡かせた彼女は、なんの前触れも無く身体から稲光を纏わせて圧力を放ち始める。その女性には両足がなかった。といっても欠損している訳ではなく、単純に亡霊としてスタンダードなタイプ…と言えば良いのでしょうか。時折半透明になりながらもしっかりとした存在感を示している。

 

「あらそう? だったら其処を退いて欲しいんだけど。私らはその中に用があるの」

 

「そう急くなよ人間。私は亡霊だが、私が操る電光は本物だ。《雷を起こす程度の能力》とでも言うのかな? とくと味わって逝け」

 

「ハッ! こいつはかなりバチバチなのが来たもんだぜ。おまけに洒落まで効いてるとは、中々やるな!」

 

「そういう話じゃない気もしますが…」

 

この手の舌戦にはあんまり気乗りしないんですが、挨拶代わりという事で掛け合いには参加しておく。私達の反応を見て不敵に笑った彼女は、纏った雷と轟音を更に強く轟かせた。

 

「我が名は蘇我屠自古。千四百年にも及ぶ我らの大願…今日此処で果たさせて貰おう…さあーーー」

 

「よっしゃーーー」

 

「二人ともーーー」

 

「はい! ーーー」

 

「「「「やってやんよ(やるぜ)(やるわ)(やります)ッッ!!!」」」」

 

高らかな宣言と共に、弾幕勝負が始まった。

屠自古さんは私達の常に上を取り、その上下の優位を奪わんと私達は彼女を追い立てる。彼女は時に激しく、時には亡霊特有の朧げさを利用して私達のお札や魔弾による攻撃を回避し距離を詰めさせない。

 

「雷矢ーーーー《ガゴウジサイクロン》!!」

 

宣言された第一のスペルカード。彼女が放つそれらは、文字通り雷で構成された無数の矢の雨だった。ジグザグと不規則な軌道の矢は私達三人に一定間隔の防波堤となって連携を阻む。

それらを躱しながら攻撃に転じようとすると、直線に飛んでくる雷の矢の弾幕が更なるスピードで的確に私達の移動する先を捉えて追撃してくる。

 

「うぉっと!? 危ない危ない…当たったらマジで感電死しそうだな!」

 

「しそうではなく、運が悪ければ勿論するとも。そういう効果のスペルカードなのだからな!!」

 

そのスペルカードはなんとも奇妙で、妖力を注いで作った雷の矢を手動で操る事で、速度を自在にコントロールしているらしい。こと回避や変則的な機動に於いては私達の誰よりも巧い魔理沙さんが、反撃するどころか避けるので精一杯な様子なのが見て取れた。

 

「早苗! アイツは私ら一人一人をよく観察してるわ! 三人の中でも機動力のある魔理沙への妨害が一番厚い!」

 

「はい! そういう事でしたらーー」

 

私達は防御と回避を繰り返しながら二人で同時に弾幕を放ち、魔理沙さんの進行方向に飛んでくる雷矢を可能なだけ相殺して魔理沙さんのサポートをすることにした。

 

こちらが援護に徹すれば逆に私達への攻撃配分が増し、地下洞窟という限られた範囲での魔理沙さんの移動を助けることになる。

それを察して屠自古さんはより広範囲に不規則なモノと直線的な雷矢をばら撒き、私達が打ち消すべき弾幕を分かりづらくする事で対処してくる。

 

「三人がかりというのに防戦ばかりとは、やはり人間の肉体ではどうしても限界がある様だな!」

 

「うっさいわね! そこまで言うなら見せてやるわよ! 神技ーーー《八方鬼縛陣》ッ!!」

 

霊夢さんを中心に拡散型の弾幕が展開される。

周囲を埋め尽くさんとする雷矢を根こそぎ打ち消しながら、攻撃の最も激しい魔理沙さんを追尾する弾幕にもそれらが命中し拮抗状態を作り出した。

 

「サンキュー霊夢! これなら、恋符ーーー」

 

「くっ…! 賢しい真似をするようになったな、人間!!」

 

もとより三対一の状況。基本的なスペックでは劣る人間にも例外は存在する。霊夢さんは特に霊力操作の緻密さと、的確なスペルカード選択によって、一見不利な戦況もたった一手で五分かそれ以上に引き上げてくれた。手動操作による雷矢の軌道はさらに複雑かつ迅速になり、屠自古さんは魔理沙さんがスペルカードを解放する前に弾幕で押し潰そうとする。その瞬間ーーーー、

 

「ーーーーー《ワイドマスター》ーーーーーッッ!!!」

 

魔理沙さんの練り上げた魔力が、八卦炉を起点にスペル解放に合わせて爆発する。これまでの勝負で培ってきた経験と修練が、以前よりもずっと速い手順でスペルカード解放の魔力を送り届けていた。

 

一撃の威力よりも広範囲への効果を意識した魔理沙さんのワイドマスターは、眩い光を放つ雷の矢をさらに眩しい光で掻き消し続ける。

 

「それほどのモノ、そう何度も打てるものでは…なに!?」

 

「コイツは元々、威力より回数と範囲重視だぜ! そらそら!もう一発行くぞ!!」

 

すかさず放たれた第二波の閃光に、屠自古さんは体勢を崩しながらも体に纏った雷を障壁の様にして防ぎ切る。その一瞬の隙を、見逃す霊夢さんでは無かった。

 

「宝具ーーーー《陰陽飛鳥井》ーーーーッ!!」

 

魔理沙さんのワイドマスターに誘導される形で押し込められた宙空で、屠自古さんは自身の真下から迫る霊夢さんのスペルカード宣言を聞き取った。巨大な閃光と巨大な陰陽玉、その交差点で膨大な圧力の雷を発しながら屠自古さんが耐え凌ぐ姿勢をとる。

 

「ぐぅぅうう…ッッ、よもや、覆した筈の数の利を取り返されるとは…!!」

 

「いくら雷の矢が多くてもそっちは一人、こっちは三人だぜ!」

 

「妖力が尽きる前に降参しなさい! 今なら拳骨で許してやるわよ!?」

 

「が…! く……な…な、め、る、なぁぁああああああああッッッ!!!!」

 

咆哮の直後、眼を光が焼かんばかりの稲妻が彼女から溢れかえった。その出力は魔理沙さん、霊夢さんのスペルカードとほぼ互角。押し切らないまでも優勢だった二人もより力を込めて歯を食いしばっていた。

 

 

 

 

 

「怨霊ーーーーー《入鹿の雷》ーーーーーッッッ!!!!」

 

 

 

 

まるで彼女自身が雷と化したかの様なスペルカードだった。

霊夢さん達のスペルを押し返しながら、それらのエネルギーが真っ向からぶつかり合い、木々を焼き切る落雷が起こす、爆ぜる火花の様な赤い明滅が繰り返される。

 

「我は、神の末裔に名を連ねる者ぞ!! 貴様ら小娘どもに、押し負ける訳にはいかんッッ!!」

 

「ちっきしょう…!!」

 

「均衡が…崩れ始めてる…!!」

 

此処にきて二人の劣勢は明らかだった。

自分の魂ごとスペルカードの燃料に焚べた様な全方位へ放たれる異常な電圧に、霊夢さんと魔理沙さんはあと数秒もつかどうかの瀬戸際に立たされている。

 

「私の雷光に、呑み込まれろぉぉおおおおおーーーーッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

「……この時を、待っていました!!」

 

「!?」

 

「秘術ーーーー《忘却の祭儀》ーーーーッッッ!!!」

 

ここまで、回避と観察に徹していた私の宣言したスペルカード。

星型の印を結んだソレは、屠自古さんと霊夢さん、魔理沙さんの三人が放つスペルカードの力場を丸ごと覆い囲んだ。

紫の淡い光を放つ五芒星の軌跡が、空洞ギリギリまで展開される。

私を除く三者のスペルカードはみるみる勢いを失い、無数の光の粒となって空中に霧散した。瞠目と共に、私達の策が寸での所で通った事に屠自古さんも気づく。

 

「これはどういう事だ!? まさか…全ての力が中和されているのか!? お、押し返せない…っ!!」

 

「この術は本来、自分自身にかけることで不可侵の結界を作り出すスペルです。けれど対象を貴女に設定し、その上で効果範囲を魔理沙さんと霊夢さんの作り出した包囲の内側、ごく小規模に限定すればーーー!!」

 

「くっ…くぉぉおおおおおおッッ!!」

 

私はダメ押しとばかりに祝詞を捧げる。

貴女が神の末裔ならば、私の加護はまさしく神の座にある者達のモノ。その神威をもって、私の友人が作った好機を逃しはしません!!

 

「建御名方神 洩矢神 人神たるこの身が畏み申す」

 

どくんと心臓が跳ねた様な感覚を覚える。二柱の齎される奇跡…私が産まれてよりずっと一緒に歩んできた優しい奇跡を、この身を依代に降誕させる。

 

「人神此処に現れ出で いつくしくも閑かなる 乾坤大いなりしは二柱」

 

「こ、これほどとは……!! なんて、強い神の意力…ッッ!?」

 

急速に縮小し自らを縛る神の陣の前に、雷光の貴人は遂にその煌めく光もろとも押し込められる。

 

 

 

 

 

「風の如く 星の如く 地の如く 疾く為さらん事 重ね願い奉る!!」

 

 

 

 

 

決着は静謐にして無音でした。

結界の中に封じ込められ、あらゆる内外からの干渉を断たれた屠自古さんは、スペルカードの解除と共に微動だにせずその場に揺蕩っている。

 

「……やられたわ。貴女たちは、初めからこの為に力比べに出たってわけね」

 

「貴女が、ただの幽霊さんでない事はひと目で判りましたから…。真正面からぶつかって、その上で策を通して勝つ他ないと思ったんです」

 

「あの二人は貴女の作戦に乗って、役目を全うしたということか………人にして神の娘よ、お前の名は?」

 

「東風谷早苗です。蘇我屠自古さん…私達は此処を、通らせて頂きます」

 

屠自古さんは微風の様に笑って、翳した手先に聳える八角堂を示し答えた。

 

「行くが良い…小娘ども。この場は私の負けだ。認めてやる」

 

力を出し切ったからか、屠自古さんはふらふらと下方へと降り、そうして八角堂を見やりながら私達の方へも視線を送っていた。

 

「…霊夢さん、魔理沙さん、行きましょう!」

 

「おう! やったな早苗!」

 

「あんたの作戦、派手だったけど結構面白かったわ」

 

私達は八角堂にただ一つ設けられた入り口から中は入り、扉がひとりでに閉まるとともに外の景色は見えなくなった。

私が一瞬だけ振り返ると、屠自古さんは何事かを微かに呟いて、それでもとても優しげな表情で私達三人を眺めていた。

 

 

 

 

 

♦︎ 蘇我屠自古 ♦︎

 

 

 

 

「…はぁあ…、まったく何て連中だ。まさかこの私が負けるとは」

 

だが、千年余りの時を過ごした私には、結果はどうあれとても晴々とした気分だった。思えば、真正面からなどと言って本当にそうしてきたのは…初めに逢った頃の布都だけだった様な気もする。

 

「無事か、屠自古!?」

 

感慨に耽る時間もくれないとは、コイツは全く騒がしいというか、空気を読まない奴だとつくづく思わされた。

 

「ああ、私は無事だよ。見事に正面から入られてしまった」

 

「そ、それはそうなのじゃが屠自古! 怪我は無いのかと聞いておる! ほれ、痛い所は無いか? 足が無くなってたりしないか!?」

 

「馬鹿もの。私は幽霊だぞ、脚なんか千四百年以上前からなくなってる。ほらこの通り、怪我はしても大事は無いよ」

 

「ば、馬鹿とはなんじゃ! 我は屠自古を心配して…」

 

ん…? ああ、そういうことか。布都め、もしやと思ったがまだそんな前の事を気にしていたのか。その話については目覚めた最初に大立ち回りをして気は済んだし、太子様にも聞いて頂いて水に流そうと三人で決めたじゃないか。

 

「ああ…そうか」

 

「な、なにがそうかなんじゃ? 屠自古」

 

「いや…そもそもお前にも、神子様にも頼らなかった時点で私は負けていたんだなと今更分かったのさ」

 

「何をいうか! 屠自古は強いんじゃ! 我は頭を使うのは得意じゃが、正面切って堂々ととなると少しばかり自信がないぞ!? 我が頼りに…ならんから…だから、お前の壺も…」

 

蒸し返さないようにしたのに、自分で思い出して布都は見る見る縮こまってしまう。もうずっと昔の事だ。私が尸解仙の法を試みた時、物部氏が亡びてしまっていた布都は、生き残りとしてせめてもの報いとして私が尸解に選んだ壺を別物にすり替えていた。

 

本当は、こいつがそうしたくてしたんじゃ無いとも分かっている。仕方が無かったんだ。同じ主人を戴く身なれど、家同士が犬猿の仲では私たちがいくら取り持とうとしても限界があった。その結果が私の、亡霊になったという話なのだ。

 

それでも私は今もこうして布都や太子様のお側に居られるし、亡霊といっても私は格が高いから、慣れてみると結構快適だ。肉の身体が無い不便なんて、妖力をちょいと弄れば物体に触る事など造作もない程度でしかない。

 

「家のせいにするなよ? 布都。何処かで落とし所が必要だっただけだ。お前が何時迄も気にしていたら私が浮かばれないだろ?」

 

「う、浮かばれては困る! 我は屠自古と、太子様と、青娥殿、芳香と皆で過ごしていたいのだ! いや、でも浮かばれないのは逆に良い…いや、良くない…?」

 

頭が良いのに間抜けというか、変に考えすぎて考えなしの様に見えるのがこいつの玉に瑕だった。こんな姿を見せられたら、私が何時迄も許さなかったら冷血な奴みたいじゃないか。

 

「はいはい。もう良いから…久しぶりに全力出したから疲れてるんだ。布都」

 

手招きして布都を傍に座らせると、私はばたりと布都の膝の上に頭の乗せて寝転んだ。地面は硬い…感じはするが、枕がそこそこ上等なので気にしないことにした。

 

「何じゃ? 負けてしまったのに、悔しく無いのか?」

 

「うーん、今は別にかな? いい加減真面目モードも疲れてきたし。負けてもたまになら気分は悪くない。後は太子様にお任せしよう」

 

「そう、か…うむ! 準備は整えた。後は太子様の邪魔にならぬよう、我等は此処で待つしかあるまいな」

 

太子様が、お一人で闘われる事に不安はない。

あの人は強い。本当に特別な御方なのだから、私の勝敗がどうあれ、悪い事にはならない筈だ。楽観に過ぎるが、それでも良い。

今はただ…この清々しさに、もう少し心と身体を預けていたかった。

 

 

 

 

♦︎ 魂魄妖夢 ♦︎

 

 

 

 

コウさん…先生は紫様と合流されてから、直ぐさま人里へ御触れを出す様取り計らってくれた。私達三人のうち、私と咲夜さんは人里へ向けて侵攻を開始した輝針城へ向けて先に迎え撃つ作戦となった。

咲夜さんと一緒に、少名針妙丸と鬼人正邪の一派に先手を取る為に空を駆ける。夜は更に深まり、異変など何処にも起きていないかの様な静かな時間が流れている。

 

今頃は人里に居を構える人妖の皆さんや、其処によく居るという天子さん達が防衛体制を整えてくれている筈。この隙に、輝針城に侵入して二人の頭目を降さねばならない。

 

「さっきからどうしたの、妖夢? もしかして緊張しているとは言わないわよね?」

 

「それは激励ですか、それとも煽っていますか、咲夜さん? でしたら何方も不要とお答えします」

 

「あら、怒らせちゃった? コウ様に命じられたから少しは気負ってると思ったのだけど」

 

「いいえ…寧ろ気炎万丈といった具合です。それは咲夜さんも同じでは?」

 

「そうね…コウ様が初めて、異変に対して明確に私達に"解決しろ"と仰ったんだもの。やる気もやる気よ」

 

そうして視線を一つ重ねると、互いにくすりと笑い合った。

私も咲夜さんも、ここに来るまでずっと訓練を続けてきたのだ。物部とかいう尸解仙に、咲夜さんの今の実力を少し見せた程度では満足する訳もない。しかも私は、かなりの間お預けを食らっていると言っても良い。緋想の天人が来る少し前…あの催しが開かれる以前の稽古の時に、先生は仰った。

 

『妖夢。対峙した者をただ斬り続けるだけでは、恐らく君の師匠と君の目指す《時を斬る》という目標には届かぬ。それは正しく、敵を斬り捨てたに過ぎん。ソレは一つの過程…若しくは不完全な結果でしかない』

 

理解しております。先生。

私の剣はただ倒す為のものに非ず。護る剣であり、倒す事はその手段の一つでしかない。加えて空を斬る事から時を斬る事に、直接の関係があるかどうかも、紫様との試合で決死の攻撃に出た際に感じた、あの奇妙な感覚を得て尚…私には未だ分かりません。ただ、

 

「ただ、真っ直ぐ突っ込んで行けば道が拓かれる…というものじゃ無い事も分かったの」

 

「そうね…物事には色々な捉え方がある。貴女のお師匠はきっと、剣の道から始めて、長い時間を経て、別の捉え方を探し始めた」

 

「剣は斬る為のもの、護る為のもの、それだけではない…何かを」

 

そこから先は、まだ私が歩む道の先に有るのかも知れないし、もしかしたら無いのかもしれない。けれど…剣と共に、仲間と共に進む事は決してやめないでいよう。今の私に沢山の人の教えや助けが有るように、真っ直ぐなだけではない、曲がったり、躓いたり、退がったりを繰り返しても、手探りで探した道の先に答えは有ると…今なら独りで稽古していた頃より強く感じられるから。

 

「…!? 咲夜さん」

 

「ええ、お出迎えが来たようね」

 

私達が飛び続けて暫く、互いに言葉をかけつつ、思案しながらも遂に輝針城の背後…その輪郭が捉えられる。その直後、わらわらと城から飛び出た無数の小さな影が此方へ向かって真っ直ぐ押し寄せてきた。

 

「準備は良い?」

 

「先生の事前の指示通り、私が先鋒仕ります。咲夜さんは後方にて待機、または援護を!」

 

「了解よ。最低限のサポートまたは回避に専念しつつ待機…ね。見せて頂戴、妖夢。貴女の剣の腕前は、一緒に訓練してきた私が一番良く知ってるわ」

 

眼前に迫ってくる無数の妖怪達。

弱小と呼べる物から、それなりの実力も有ると伺える者もちらほら。数を頼みにするだけでなく、統率が取れていると思しき陣形まで組んで私達を屠らんと進軍してくる。数はおよそ…百から百十といったところ。偵察の際に揃っていた数から逆算すると、総勢の約三分の一もの妖怪が押し寄せていた。

 

「そう言われると、俄然やる気が出てきますーーーーーね!!」

 

宙空で強く踏み込み、飛ぶよりも跳ぶといった要領で駆ける。

夜は長い…我が師の如く静けき闇の中では、貴様らが寄る辺とする野蛮な光は灯らぬと思え!!

 

 

 

 

 

♦︎ 十六夜咲夜 ♦︎

 

 

 

 

 

開戦は唐突だが、焦りはなかった。

コウ様の御指示通り、この場は妖夢を前衛に私が補助…または戦局が不利とわかるまで待機に徹する。私の視界にある光景は、私が効果範囲を限定して時を止められる距離に他ならない。コウ様との訓練で能力開発を進め、自衛の手段としてナイフ、弾幕にも対応した護身術の研鑽にも励んできた。

 

稽古によって得られた精神面の安定と肉体能力の向上というのは、短い期間ながらも確実な効果を生み出してくれた。何より先触れとして突出した妖夢の…その俊足は地上と寸分違わない速度で発揮され、戦場となった数百メートル先を分かり易く蹂躙していた。

 

「ギイィィィイイイッ!!」

 

狼の頭を持つ、四肢が強靭に発達した名も知らぬ獣の妖怪が爪を立てて妖夢の横合いから迫る。

 

「遅い」

 

冷徹とも思える一声の間に、空気の揺らぎが起こった刹那に獣の妖怪が真一文字に切り伏せられた。本来の剣の間合いから更に数メートルは遠い所から、抜き放たれた長刀…楼観剣が鈍い光を奔らせて、瞬きの間に鞘に納められると共に獣の妖怪は絶命する。

 

「ゴァァアアアァァア!!!」

 

今度は正面から、体の中心に大きな口が備わった、胴体丸ごと口とも言えるような乱杭歯の妖怪が妖夢を飲み込まんとする。

 

「もう斬ったぞ」

 

妖夢が微かに呟いた、拡張した能力の応用で得た振動や音の聞き分けによって拾った言葉が私の耳に届く。その言葉通りに大口開けた妖怪は、今度はばつ印の軌跡で四分割にされる。半霊とのコンビネーションも稽古の甲斐もあって格段に練られている。半霊は時に妖夢の剣に霊力を上乗せし、時には立体的な機動を描きながら、間合いの外の妖怪達を牽制し的確な遊撃さえ行っていた。

 

「凄いわね…一緒に訓練を続けてきたから知ってはいたけれど。改めて見ると、まさに鎧袖一触だわ」

 

私も本来なら一緒に戦いたかったけど、コウ様の指示にも含まれていた敵の行動に対する考察も行わなければいけない。

初めから彼らの戦いには、本来用いられるべき弾幕ごっこによるスペルカードの使用が一切見られなかった。数秒は様子見をしながら妖夢も立ち回っていたけど、一向にルールに則った決闘の申し込みも無く、相手側の意思はあくまでも直接戦闘による命の奪い合いだとはっきりした。その結果が、今の私の眼窩に拡がる凄惨とも呼べる光景に繋がる。

 

スペルカードや弾幕を使わない。一切の躊躇も差し挟まれない殺し合いの場。彼らは…或いは彼女等は選択を間違えたのだ。

弾幕ごっこなら余程運が悪くなければ命までは取られない。なのに…革命を宣う妖怪の徒党は、此方側が日頃より明示してきた解決方法を一顧だにしなかった。

 

「であれば」

 

妖夢が私の考えを代弁するように、居合の挙動でもって一度に十体もの

妖怪達をなます切りにする。今ので丁度四十…相手は戦力の半数近くが削られている状態だった。ものの二、三分でこれなのだから、改めて妖夢の剣術がこういった手合いにどれほど有効なのか実感する。

 

「本来なら、彼我の差は充分に理解できたと思うけれど」

 

一向に妖怪達の蠢動は止まる気配がない。

また一匹、二匹、四匹、八匹と…剣が閃く毎に加速度的に妖怪達が無に還っていく。私はまるで他人事のような感覚に陥りながら、自分の主人と、コウ様を含めた多くの大妖怪達と彼等の差を改めて分析する。

 

首筋から血を抜かれ、青白く成り果てた美しい女人の骸は吸血鬼の仕業。或る人間が悪戯に踏み入った見知らぬ地で、痕跡もなく消息を絶ってしまったのは神隠しの妖怪の仕業。そんな、場所が場所なら子供でも知っているくらいの…ありふれた逸話が幾らでも出てくる大妖怪と、名も謳われないそれ以外の妖怪達との差がどれだけ大きいことか。

 

「@ag'?n&ーーーーッッ!!」

 

「まだ来るか…ならば、全て断ち斬るッ!!」

 

レミリアお嬢様なら、妖夢の剣を全て受けても尚、霧を生み出して即座に再生し、凶笑と共に牙を剥き鋭い爪を喉元に突き立てたろう。

八雲紫なら、空間を切る程の斬撃を見ても尚、優しく笑いされど冷徹に、それに勝る規模のスキマから奇怪な鉄の鏃や弩を豪雨の如く放つだろう。

コウ様なら、受けた剣戟を物ともせずにその身で受け止めて、諸手をあげて彼女を讃えつつも尚、厳しく痛烈に蹴り飛ばしただろう。

それらを想像し鑑みれば、妖夢に向けられる百余りのソレ等は須く微風に等しいものだった。

 

戦いの終わりは近い。

ざっと数えるだけでも、残っている向こうの手勢は二十ほどだろうか。此処に至るまでにほぼ全てが一刀につき一殺。でなければ無数の斬撃によって粉微塵に吹き飛んでいる。既に大勢は決しているのに…しかしそれでも撤退する様子は見られない。

 

「敢えて消耗戦を…? いいえ、此処まできて妖夢相手にそんな愚策を取るとは思えないわね」

 

となれば、より可能性の高い動機は時間稼ぎだろうか?

たかだか数分保たせるために、彼我の差を考慮してもこれだけの犠牲を払うというのは考え…られなくはない。けれどより上位の、名持ちの妖怪が出張ってきて拮抗状態を作り、本命を成すまで生かさず殺さずの後退戦をする方が手堅い筈…この線は一旦保留ね。

 

次は単なる捨て駒か。とはいえ総戦力の三分の一を使うというのは、後手に回った向こうからしても流石に旨くないでしょうし…これについては捨てて良い可能性ね。

 

そうなると大穴の…始めから初撃を感知した時点で、予め決められていた行動を取っているーーーー? しかし、幾ら旧い価値観の、如何に妖怪といえど命は惜しい筈…待って、もしこの考えが…これらの考えを含めたモノが答えに近いとしたら。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーいや、でもーーーーーまさか。

 

 

 

 

 

 

「妖夢!! 今すぐこっちへ退がりなさいッッ!!」

 

「咲夜さん!?」

 

「これは罠よ!! 敵は貴女を、其処に縛り付けようとしている!!」

 

私の言葉を聞いた妖夢の判断は速かった。

一目散に私のいる後方へ向けて跳ぶ。それと同時に、彼女の背後で不可視の爆風が炸裂した。

 

「がっ……! こ、これはーーーー」

 

妖夢は体勢を崩しながらも、半霊のサポートもあって背中に霊力を集めて障壁を形成する。私は吹き付ける余波に構わず前へ出て妖夢を受け止める事で、目立った外傷もなく私達は何とか合流できた。

一帯の空気が震えるほどの破壊の波が止んだ後…妖夢は少しばかり深呼吸をしながら周囲を確認している。表情には、恐怖とはまた違った戦慄を浮かべて、それでも冷静さを欠かないように努めていた。

 

「これまでの無謀な特攻は、私たちの戦力を確実に削る為のブラフだったのね。本当なら二人まとめて獲る所を、此方も温存する為に後方役が俯瞰していたのが幸いしたわ」

 

「味方を使い捨てる仕打ち…あまりに非道な…っ」

 

「非道とはーーーー、聞き捨てならないね? 人間ども」

 

「非道と言うなら、それは私達を大切にしないお前達の方だよ。人間ども!」

 

私達の視線が同じ場所を示していた。爆風の起こった空の戦場から更に上空。ゆらりゆらりと降下する様は優雅ささえ感じさせる体で、風のいななきに乗って二人の妖怪の少女達が姿を現した。

その二人は、これまでの妖怪とは違う特殊な気配を醸し出している。人間ではないと明らかに判るのに、少しだけ私達と近い…それでいて遠い様な、言葉にしきれない何かを感じさせていた。

 

「私の名前は《九十九八橋》」

 

「私の名前は《九十九弁々》」

 

高らかに名乗り、重ねて八橋と弁々はより力強く、私と妖夢へと宣戦布告する。

 

「「今宵、幻想郷全ての人間どもに逆襲する!! お前達はその手始めだ…付喪神たる私達に、泣いて許しを乞うが良い!!」」

 

 

 






次回も視点変更から色々と見える話が違ってくると思います。
纏めるのにまた時間がかかると思いますが、どうか気長にお待ちください。最後まで読んで頂き、ありがとうございます!


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