真・恋姫†無双 魏伝アフター (凍傷)
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三国喜憂編 00:現代/故郷にて故郷を想う日々

00/思考の果てにある思い出の空を、今もまだ、この時も

 

 ───……それは、とても静かな目覚め……でもなかった。

 ふと気づくと椅子に座っていて、そこが自分の世界の自分が通っていた学校、自分の席であることに気づく。

 どうしてここに居るのかを小さく考えて、すぐに首を横に振った。

 役目を終えた自分はあの世界から消えたのだから、いまさら何を振り返る必要があるだろう。

 

「……役目か」

 

 小さくこぼし、席を立つ。

 椅子の支えが床を滑る音を聞きながら、もうなにを詰めていたのかも忘れてしまった鞄を手に。

 何処に行こうかなんて、プレハブ住まいの学生が放課後に考える必要もない筈のことを考えると、一番先に頭に浮かんだのが……華琳の顔だった。

 

「…………」

 

 帰る場所なんてもう無い。そう言えるくらい、胸に空いた見えない穴は大きかった。

 そんな、どこかボウっとした状態のままに歩き、窓越しの空を仰いだ。

 ……夕焼けに染まる空が、ゆっくりと黒に塗り替えられようとしていた。

 

「お前はまだ、黒の空の下に居るのかな…………なぁ、華琳───」

 

 風邪引くから早く戻れ、くらい言えばよかった。

 別れ際に言う言葉じゃないかもしれないけれど、頭に浮かぶのが彼女のことばかりなのだから仕方がない。

 当たり前にあったものを当たり前に頭の中に描き、当たり前の行動をとる。

 そうやって過ごしてきた日々との別れは、思いの外自分にダメージを与えていた。

 この場に立って、おぼろげだけど思い出せたかつての自分のことなんて、居眠りをしていて、気づけば放課後だったってことくらいだ。

 けれど、たとえばここで目を閉じても、もうあの大地に居て盗賊に襲われました、なんて経験をすることもないのだ。

 命の危険さえ冷たく感じた経験が確かにあるっていうのに、そんな経験をすることさえ出来ない事実を悲しく思えるのだから、きっともう……自分は重症なのだろう。

 

「なにも……言えなかったんだよな……」

 

 一緒に天下を目指したみんな。

 天下を手にし、平和という名の下に手を組んだ三国。

 嬉しそうに笑っていた劉備や、どこか晴れやかな顔をしていた孫策。

 そして…………そして。

 

「……すごいな。まいったよ華琳」

 

 どうやら俺は、この世界よりもあの世界こそを故郷と思えているようだった。

 この世界で生きた時間に比べればほんの少し。

 それでも、これまで生きてきた中では経験できないものを幾つも経験してきた。

 

  戦をした。

 

  人が死ぬのを見た。

 

 手を取って国を大きくして、民の笑顔に喜んで、警備隊長になって、民と笑い、民を守って、兵と酒を飲み、慕ってくれる人と楽しく過ごして。

 ……人を愛して。

 人に愛されて。

 

「───そっか」

 

 そんな世界と離れてみて、初めて知った。

 

「あれが……幸せ、ってものだったんだ───」

 

 不思議なくらい、すとんと心に落ちた言葉。それが嬉しいのと同時に、とても悲しい。

 涙は出なかったけど、その代わりに強く誓った。

 許されるのなら、必ずあの世界に帰ろうと。

 その時が来るまでは、彼女たちに恥じないような自分になれるよう、努力をしようと。

 

「……うんっ」

 

 頷いて、胸をトンッと小突いたら……もう立ち止まってはいられなかった。

 鞄を乱暴に肩に引っ掛けると、自分の奥底から湧き出した目標を胸に、こぼれてしまう笑顔をこらえきれず、にやけたままの表情でプレハブを目指して駆け出した。

 いつになるかは解らないけど……いつかまた会おう。

 それまで元気でいてくれな、華琳……みんな。

 

 

 

01/流れる時の中で

 

 がむしゃらな生き方だったと思う。

 夕焼けに染まる教室から帰った俺は、決意を胸にプレハブ小屋に戻ったはいいものの、なにから手をつけたらいいものかと早速躓いた。

 勉強は……する。身体も鍛えなきゃだから、それはいいんだが……鍛えるにしたって、あの時代を思えば学生がちまちまと続ける筋トレくらいじゃ大した足しにもならないだろう。

 けれど、落ち着いてなどいられなかったから開始し、こんなんでいいんだろうか、なんて考えが浮かんでくる度に魏のみんなの顔を思い出し、鍛錬を続けた。

 

  そんな時だった。

 

 母さんからの電話がケータイに届き、出てみれば、家にじいちゃんが遊びに来ているとのこと。

 なんでまた、とか口に出たものの、内心では喜んでいた。

 ……北郷家は代々、道場を開いている。

 じいちゃんはもちろんだし、父親も例に漏れない。

 おそらくは道場の様子でも見にきたってところだろうけど……願ったり叶ったりってやつだった。

 その日の内にフランチェスカ側に交渉して、学校外からの登校の許可をもぎ取って、家からの登校と……じいちゃんの下での稽古を願うつもりで帰宅。

 あの時代から戻った翌日から、主に及川に「かずピー、制服どないしたん? なんやあちらこちらボロっちくなっとりしとらん?」とか言われてた制服での帰宅であったため、母さんにそれはそれは驚かれた。

 

 それはそうだろう、入学前はあんなにも綺麗だったフランチェスカの制服が、戦場を駆け抜けたようにところどころにボロを見せていたのだから。

 「なにがあったの」としつこく訊いてくる母さんに、「ちょっと天下統一してきた」と言ったら、オタマで叩かれたのもいい思い出だ。

 そんなことも笑い飛ばせるくらいの度胸は十分に養われていた俺は、じいちゃんを前に、真剣に土下座。

 俺に剣を教えてくださいと、かつてでは有り得ないくらいに真剣に頼み、「……いい顔が出来るようになったな、あの洟垂れ小僧が」としみじみ言われ、了承を得た。

 

  はっきり言えばじいちゃんの教えは容赦がなかった。

 

 以前の俺であったならば絶対に逃げ出していただろうし、“理不尽だ”だのと口から出る言葉を適当に捲くし立てて諦めていたんだと思う。

 それをしなかったのは、自分から言い出したということももちろんそうだけど、今なら解ることがあったからだ。

 相手がこちらに厳しくするのは、自分が持つ技術を相手に本気で与えたいからだと。自分の教えを糧に、成長してほしいからなのだと。

 相手の感情を少しは汲めるくらい、自分が成長できていたことが純粋に嬉しかった。

 

  そう、がむしゃらだった。

 

 友達と遊ぶ時間も惜しみ、じいちゃんに教わり、部活で結果を出し、勉学にも励んで基礎体力もつける。

 “考える”っていうのは脳にはいい刺激になったのだろう。

 インターネットもないあの時代、“知りたいことは足で探せ”と言えるような日々は無駄ではなかったらしく、以前よりも記憶できる容量が増えてくれたらしい頭を使って、かつては手付かずだった分野にも首を突っ込んでいった。

 どうしても解らないことがあれば誰かに頼る。

 既存の知識に逃げるのではなく、既存の知識に教えを乞う。

 答えを知るだけではなく、そこに行きつく過程を知り、頭に叩き込んでいった。

 

 そうした様々な勉強や鍛錬の中、なにより励んだのは持久力と筋力作りであり、筋肉は思いきり使ったのち、三日ほど休ませつつ栄養を摂らせるといい、ということを知ると、それを実践。

 思い切り使うといっても持久力をあげる筋力作りだから、ダンベルを何度も持ち上げるようなものではなく、持ち上げたまま限界がくるまで筋肉を緊張させる方法。

 そうして出来るのは外側の筋肉ではなく内側の筋肉のため、鍛えてもそう目立たないこともありがたいと思った。

 もしみんなに会えるようなことがあったとして、その時の自分があまりにゴリモリマッチョでは恥ずかしいという、それこそ恥ずかしい理由からだった。

 

 そんな日々を一年。

 いい加減眩暈がするくらいの時間を過ごしてもまだ、意識はあの懐かしい世界へ。

 それでも……いい加減気づくこともある。

 自分はもう、あの世界には行けないのではないか、ということ。

 

「…………ふぅ…………はぁ」

 

 その日の分の鍛錬を終えた俺は、剣道着に剣道袴の格好のままに道場に倒れこんでいた。

 傍らにはつい今まで振るっていた黒檀の素振り刀がある。

 振るうモノにいちいち体がもっていかれないように、とじいちゃんに渡されたのがこれだった。

 ……値段を聞いて、たまげたのは内緒だ。

 

「…………」

 

 呼吸はそう乱れていない。

 “汗はかいても呼吸を乱さないように”と続けた鍛錬も、無駄ではないらしい。

 そうやってひとしきりこの一年を振り返りながら、仰向けに見る天井に向けて、手を伸ばしてみた。

 あの世界に居た頃と違い、大切なものを守ってやることさえ出来ないちっぽけな手を。

 どれだけ鍛錬しても勉強しても、なにもかもが無駄だったと悟った時、この手はいったいなにを守れるのか。

 ふと冷静になってみると、ひどく泣きたくなる時があった。

 “充実していなかった”と言えば嘘にはなるが、的外れだと断言できるものでもなかったのだ。

 

  理由が欲しい。

 

 もっと明確な、傍に居るなにかを守る……そんな、単純だけど自分がなにより頑張れる理由が。

 たとえば俺が武芸を学んだところで華琳を守れるかといったら、そりゃあ弱い盗賊程度なら撥ね退けられるかもしれないが、そんなものは華琳にでも出来る。

 じゃあ自分がこんなことをする理由はなんなのかと自分に訊いてみれば、忘れないために、というのが一番だった。

 ……いや。あの世界のみんなのために自分を鍛えている、という名目が欲しかっただけなのかもしれない。

 

「……学べば学ぶほど……鍛えれば鍛えるほど……」

 

 ……遠くなっている気がするよ、華琳───

 そう呟いて、天井に向けて伸ばしていた手を顔に落とし、手の甲で目元を隠すようにして溜め息を吐いた。

 そうして思うのは、自分が居たあの世界。

 

  …………簡単な理屈だった。

 

 かつての俺、北郷一刀があの世界に居た理由は、華琳の天下統一を手伝うため。

 彼女が望み、その望みを叶えたからこそ俺は役目を終え、この世界に帰ってきたのだ。

 大局から外れるという歴史の改変を前に、俺は消えた……らしい。

 けどそんなものは、例えば諸葛亮があんなに早く劉備の仲間になっていたことや、呂布が劉備に降ることを考えれば、そう大事なことではなかったはずなのだ。

 つまり、俺がここに帰ってきた理由は大局が曲がることだけではなく、やはり───彼女の望みを叶え、役目を終えたゆえ。

 

  あまりに簡単すぎて、気づくのに一年近くもかかった。

 

 じゃあ再びあの世界に行くにはどうすればいいのか。

 そう、簡単だ。

 華琳が再び望んでくれればいい。

 心から望み、口にしてくれればいいのだ。

 天の御遣いが必要だと。

 俺が───北郷一刀が必要だと。

 

  けど、俺にとっては簡単でも、あの華琳にとっては……それは簡単ではなかった。

 

 華琳は消えてしまった俺のことを、忘れることはしないとは思うが、女々しく口にすることを嫌うに違いない。

 引きずることなどせず、「私は一人でも大丈夫だから、貴方は貴方の物語で精々頑張るがいいわ」なんて言って、望むことなどしないに違いない。

 

「……はぁ……」

 

 思わず“あのばか”、とか言いそうになるけど、それは苦笑を噛み締めることでやめることにした。

 どうせ仮定の話だ。

 望んだだけで飛べるかどうかも解らない上、あの華琳がそんな風に望むはずもないし、役目を終えた俺を呼び戻そうだなんてする筈もない。

 彼女は「一刀は役目を終えることが出来たのだから」とか言って、胸に刻むヤツだ、きっと。

 

  ……と。そんな風にして、最後に長い長い溜め息を吐いた時だった。

 

「かずピー……な~にこないな場所で百面相なんぞしとんねん」

「うぉわっ!?」

 

 よっぽど考え事に没頭していたんだろう、天井を遮るようにぬうっと視界を覆った及川の顔に、思わず悲鳴をあげてしまった。

 

「あぁん、そないに引かんでもええや~ん! 最近付き合い悪いかずピーにこうして会いに来てやったっちゅーのになんやねんその態度」

「あぁいや……ちょっと思い出してたことがあってさ。そこに急にお前の顔がぬうって来たら、そりゃ驚くだろ」

「驚くっちゅうか引いとったやん自分。……んあぁ、あん……まあ……ええねんけどな。ほんでなかずピー、俺これから男ども誘って遊びに行くんやけどー……かずピー、一緒に来てくれへんかなぁ。やぁ、な~んや知らんけど女どもがなぁ? み~んな揃いも揃ってかずピーが来るなら~とか言うとんねや」

「行かない」

「速ッ!? もうちょい考えたれや自分! そりゃ自分っ……即答すぎやろがぁ!!」

 

 真っ赤な顔で、変わらず間近で叫ぶ及川……離れる気ないのかこいつは。

 仕方ないので転がるようにして横に逃げると、黒檀木刀を拾い上げながら疲れた体を起こして、胴着を正す。

 

「いやまぁなぁ? 一年前あたりからみょ~にかずピーが凛々しなったんは俺も知っとる。なんやキャワイイ女の子が話し掛けてきて、ウキウキ気分で話に乗ったらかずピーのこと訊かれて殺意覚えたのもいい思い出や」

「そんな思い出、捨ててしまえ」

「やぁ~、しゃあけどホンマに人気あんのんは事実やからなぁ……せやから考えたっちゅーわけや! かずピーが来るなら俺らにもチャンスが───」

「だから行かないって」

「ウソやぁあああーん!! ウソやゆぅてぇええーっ!! ほ、ほらぁ! この前抽選で当たったオーバーマンマスクくれたるさかいぃいっ!!」

 

 なにを思ったのか、取り出した外国人の顔型のマスクを無理矢理被せてくる及川。

 

「ぶわぁっ!? ちょっ……こら及川っ……やめっ……!!」

 

 抵抗しよう……とも思ったが、なんだかこうして及川とじゃれるのも久しぶりな気がしたら……そんな気は失せていた。

 だから被せられたマスクも取ることはせずに、にこやかな外国人の顔のままに笑みを漏らす。

 やがてそれは大きな笑いとなって、久しぶりに……本当に久しぶりに、大声を上げて笑っていた。

 

「か、かずピーどないしたんや!? ……ハッ! まさかこれは被ると呪われる呪いのオーバーマンマスク……!?」

「あ、はは、いや違う違うっ……! くっふふふはは…………はぁ……。……なんかさ、安心した」

「んあ? 安心てなんや? ……まさかかずピー、しばらく見ぃひん内にオーバーマンに母親の母胎にも似た安堵感を覚える変態さんに」

「どういう変態だよなるわけないだろが!」

 

 あんまりにふざけたことを言うもんだから、つい手にあった黒檀木刀で頭を小突いてしまった。

 

「ほんぎゃぁぉおおyっ!!?」

 

 ハッと気づいた時にはもう遅い。剣士失格である。

 コポス、というか、あぁえっと、あー……

 

「かぼはっ!? かずっ……おぉおおごぉおお……!!」

「うわわ悪いっ!! 大丈夫か!? 悪いっ!!」

 

 あまり中身が入ってなさそうな音だった、という感想は黙っておくべきだ。

 

「うぅ……ええねんけどね……俺なんて所詮こないな役回りばっかやしな……。けど俺のことキズモンにしたんやから宴会くらい来てくれるんやろなぁ」

「宴会とか言うなよ…………ん、解った。たまには気晴らしも必要だよな」

「うぉっしゃああい!! ほなイコ! 善は急げや! 急がな悪になってまうわ! かずピーは俺ンこと悪にしたないやろ!?」

「ワケの解らんこと言うなよ……」

「や、ワケ解らんのはオーバーマンのままのかずピーやて」

「自分で被せといてお前……」

 

 ああもう、とオーバーマンマスク越しに頭を掻くと、しばらくして仕方ないなって気分になる。

 そうだ……ずっとこんな感じだった。

 勝ちたい人が居たから剣道に時間を費やして、普段はこうして及川と馬鹿やって。

 一年前までを必死に生きすぎていたから、こんな気安さを忘れていた。

 確かに魏のみんなにも気安さはあった……けど、対等でいられる男友達なんて居なかったんだ。

 

「…………」

 

 心の奥にあった冷たい空気が、そんな気安さを受け入れた途端に漏れていった気がした。

 この一年。

 きっと帰れる、きっと会えると信じて費やした一年は、俺にとっては有意義だったのかもしれないが、それは逆にこの世界の知り合いにしてみれば冷めたもの。

 急に付き合いが悪くなる俺を見て、及川はどう思ったのか。

 逆に自分の友達が今の俺みたいに付き合いが悪くなったら、心配するんじゃないだろうか。

 そう考えて、“諦めること”は出来そうにはないけど……「もう、いいよな?」と、自然と言葉が漏れた。

 がむしゃらだった日常にさよならをしよう。

 あの日々は幸せだったけど、ここでの生活だって無二なのだと今なら思える。

 ……まあもっとも、あの世界に帰った途端にこの世界が“二番目”になるのが目に見えているのは、申し訳ない気分だが。

 

「じゃ、着替えてくるからちょっと待っててくれ」

「おーう! あ、ちゃんと汗流しぃや~」

「言われなくてもするわっ!」

 

 どこか晴れやかな気分だった。

 これから自分の生活は一変するのだろうか……そんなことを考えながら、新たな気持ちで更衣室の扉を開けた。

 ……新たな道が、充実感に溢れていることを願って。

 



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01:三国連合/一年越しの願い①

 タイトルで既にネタバレしてる。
 今さらだけどこのサブタイトルものっそい失敗だったんじゃないかしら。
 関係ないけど“サブ”って書くのと“さぶ”って書くのとじゃ、なんか意味が違って見えますよね。角刈りの男性が表紙飾っ(略)


02/一年越しの“願い”

 

 物語には終わりがない。

 “お祭りがずっと続けばいいのに”と少年少女が願うように、誰かが願えば物語は幾重にも存在出来る。

 たとえばここに、大陸の覇王になることを夢に見、願った少女が居たとして───

 その少女が願ったように、彼女が覇王になることで夢が終わるというのなら、再び願えば物語は続くのだろう。

 どんな些細な願いでも、それが真に願われたことならば───

 

 

    ───じゃあね! “また会いましょう”、一刀!───

 

 

 ……願われし外史の扉は、再び開かれるのだろう───

 

 

 

───……。

 

……。

 

 ガチャッ。

 

「ふぅ、さっぱりした。さてと、及川もうるさいしちゃっちゃと出かける準備をし……て───」

「……ふぇ?」

 

 ………………思考が停止した。

 ……あれ? と首が傾ぐ。

 呆然としながら、視界の先の……服を脱ぎかけていた誰かさんを見やった。

 ああいや、正しく言えば脱がされていたというか、なんというか。

 ……その服にはシミらしきものがついていて、お茶かなんかをこぼしたか、他の誰かがつけてしまったのだろう、洗うために脱いでいたらしい…………まあその、信じられないんだが……

 

「え……りゅ、劉備、さん? え? あれ!? え、なんで日本に───」

「……! ……!」

 

 声をかけるも、侍女二人にお召し物の替えを用意してもらっていたらしい劉備さんは、顔を真っ赤に染めていき、口をパクパクと開けたり閉じたりして………………視線の先、なんとなく気に入ったから、シャワーを浴びたあともつけていたオーバーマンマスクな俺を見て───

 

「きゃぁああああーっ!!」

 

 爆発した。

 

「えぁあっ!? ななななんだか知らないけどごめんっ!!」

 

 慌てて部屋から飛び出て、後ろ手に扉を閉めて一息……つくと、更衣室だったはずのそこが、今の自分じゃ見慣れていない通路に変貌していた。

 あれ? と再び首を傾げるが、この雰囲気、この空気、この建物、この色このツヤ、そしてこのコク……! いやコクは関係ないけど。

 

「───……!!」

 

 ようやく、頭が現在と現実と状況への理解に到達する。

 理解したんだ。自分が今何処に立っているのかを。

 …………そう、ようやく理解した。

 

「桃香様!? 桃香様ぁっ!! 今の悲鳴は───なにっ!?」

「あ」

 

 ……自分が、蜀の王の着替えを偶然とはいえ覗いてしまったことを。

 走ったままの勢いで滑りこんできた関羽を前に、外国人スマイルを(マスクの所為で強制的に)浮かべた俺は、フランチェスカの制服と剣道着が入ったスポーツバッグ(黒檀木刀も差さってる)を手に、着替えた私服の状態で慌てるほかないわけで。

 ええ……っと。とりあえず挨拶は必要だよね。

 

「Yes! We! Can!!」

「くせものぉおおおおっ!!」

「キャーッ!?」

 

 喋った途端にくせもの扱いだった。

 というかそもそも挨拶ではありませんでしたすいません。

 裂帛の気合を真正面からブチ当てられた俺は、思わず女の子のような悲鳴をあげて逃げ出し、戻ってこれたことへの感動もブチ壊しなままに走り続けた。

 

 

 

-_-/魏

 

 主催者が曹操なのか劉備なのか実はわからないままの立食ぱあていの最中。

 そこへの賊侵入の報せは、この数だ、あっという間に広まった。

 

「なにぃ!? 賊が侵入した!?」

「それは本当なのか、流琉」

 

 話を耳にし、大慌てで春蘭秋蘭のもとへ駆けつけた季衣と流琉は、聞いてきたこと全てをそのまま聞かせる。

 当然いい顔をする者など居るはずもなく、二人はあからさまに機嫌を悪くした。

 

「今は愛紗さんと思春さんが追っているそうなんですが……!」

「やれやれ、こんな日に侵入なんてついてませんねー、その賊さんも」

「風の言う通りです。三国の武将のほぼ全てが集まる今日というこの日に、よりにもよってこの城に侵入するなど」

「捕まえたら稟ちゃんの命令の下、きっととんでもない罰がくだされますよー」

「当然です」

 

 そしてその機嫌の悪さは、その後ろからやってきた二人も同様だった。

 

「それで季衣、その賊というのはどんなやつなんだ?」

「はい春蘭様。なんかずっとにこにこしてるへんなやつです」

「…………笑ってるのか?」

「はい、笑ってましたよ? ねー流琉」

「はい、笑ってました。……あ、ほら、丁度あんな感じの……」

 

 流琉に促されるままに春蘭と秋蘭が視線を向ければ、凪と思春と明命に追われている……変わった服装の男。

 確かに慌てているようなのだが、その顔は危機的状況においても笑顔のままであり、その眩しさは(かげ)ることを知らない。

 

「ちょ、ちょたっ……たんまっ! うわっ! ちょまっ……! 今これ外すか───うわなんだこれ! 湯気と汗でしっとりフィットして取れない! た、たすけてパーマーン!!」

 

 よくわからない言葉を叫んでは、しかし追って放たれる攻撃を巧みに躱し、宴の席である中庭を駆け抜けていった。

 

「……あれが侵入者か?」

「みたいですね……」

「うむ……しかしあの三人に追われて、それでも逃げていられるとはなかなか……」

「でもあのおっちゃんおかしな格好だったねー」

 

 そう、見たこともない格好だった。

 しかし最近は国も豊かになり、華琳や沙和の案もあって、服の意匠もいろいろと凝ったものが出されている。

 ならばあれは自分達の知らない新しい服なのかもしれない、と軽く流すことにした。

 

「姉者、行かないのか?」

「ああっ、華琳様がここに居ろと(おっしゃ)ったからなっ」

「……? 華琳様はどちらに?」

「はい秋蘭様、なんでもお酒を飲みたい場所があるとかで、一人森の奥へと」

「なにっ!? 聞いていないぞそんなこと!」

「姉者が訊こうともしなかったんだろう?」

「うむ! 華琳様はここに居ろとだけ仰ったからな!」

「…………」

「………」

「………」

「…………」

「な、なんだ? どうしてそんな目で見るんだ?」

 

 少しだけ哀れみの空気が流れた。

 そんな中で風が歩を進め、とことこと歩きだす。

 

「風?」

「風も少し静かなところに行きたいので、外しますねー」

「ぬ? 何処に行くんだ?」

『おうおうねーちゃん、それは訊くだけ野暮ってもんだぜー』

「…………なあ秋蘭。私は野暮なのか?」

「姉者はかわいいなぁ」

 

 賊の侵入があったというのに、平和なものだった。

 それは仲間たちの能力を信じての暢気(のんき)だったから、誰も責めるはずもなく……宴は、変わらず続いていた。

 

 

 

-_-/一刀

 

「まっ! 待て待てっ! 待てって言ってるのにーっ!!」

 

 拳や蹴りを木刀で逸らし、散々と逃げ回った現在。

 ふと気づけば城壁を背にして、目の前には凪、といった状況が完成していた。

 オーバーマンマスクを取れば一発で止むであろう攻撃も、こうして向かい合っているからこそ気を抜けない状況にあるわけで。

 それこそオーバーマンマスクに手を伸ばそうものなら、凪の一撃であっさり昇天である。

 甘寧と周泰の姿は途中から見なくなった。

 恐らく先回りをして、別の方向を封殺しているんだろう。

 つまり、逃げるなら凪をなんとかして、来た道を戻らなければ……あの、神様? これはなんという名前の試練でしょうか。

 過去に打ち勝てという試練と、俺は受け取らなければいけないんでしょうか。

 

「っ……はぁあああああああっ!!!」

「───!」

 

 待て凪、と言いたいところだが、オーバーマンマスクな俺が真名を呼ぼうものならそれこそ瞬殺されかねない。

 ならばまずはなんとしてもオーバーマンマスクを取らなければならないんだが、取りたくても取れない状況にあるのだから……仕方ないね。

 

「はぁっ───!!」

 

 放たれる、左右の拳の連撃からの連続回し蹴り。

 それらを黒檀木刀や身捌きでいなし、力を殺してゆく。

 こちらの無力化が狙いなのか、殺す気でこないだけ大助かりだ。

 

「何者だ貴様……! ただの賊ではないな……!?」

 

 ここで北郷一刀だ、と言ったら信じてくれるだろうか。

 ……いや、なんか信じてくれない気がする。

 それどころか“隊長を侮辱するなぁあああ!!”とか怒号を高鳴らしそうな気が……それはそれで嬉しいけど素直に喜べない。

 

「いや……貴様の目的がどうであれ、隊長が託してくださった警備隊の名にかけ、賊の勝手を許すわけにはいかない!」

「……!」

 

 不覚にもグッときてしまった。

 思わず手を伸ばし、抱き締めたくなるほどに。

 しかし……やはりこのオーバーマンマスクがそれを許してはくれなかった。

 

「……くそ、歯痒いなぁ……!」

 

 こんな嬉しいことを言ってくれた凪と戦わなければいけないアホな状況に、頭を掻き毟りたくなる。

 及川……とりあえずとても素晴らしいプレゼントをありがとう。オーバーマンには罪はないけど、あとで八つ裂きにさせてもらうよ。

 

「……すぅ…………ふっ!」

 

 息を吸い、丹田に力を込める。

 意識を集中させ、黒檀木刀を正眼に構え、いつでも動けるように相手を凝視して。

 ……これで顔がオーバーマンじゃあなければ、もっとサマになっていたんだろうけど。

 

「だぁあっ!!」

「───」

 

 凪が気合いとともに、篭手に包まれた右拳を突き出すのを半歩横に動くことで躱す。

 反撃───いや。次いで即座に振るわれた左拳を、木刀の腹で己の身を逃がすように逸らし、場を入れ替えるように足を捌き、凪の後方へ。

 結果的に背後を取ったが、反撃には───移れなかった。

 気迫が消えていない……そう感じた途端に振るわれた振り向きざまの上段蹴りが、まさに風を斬るように俺の鼻を掠めていったのだ。

 反撃をしようものなら、左頬が大変なことになっていただろう。

 だがここに隙は生じた。

 最高の一撃を決めるつもりだったのだろう、大振りだった蹴りを外した凪は体勢を立て直すのに多少の時間を要し、俺は今こそ───……踵を返して逃走した。

 

「なっ───!? ま、待て貴様!!」

 

 勇敢に戦わないのかって? 冗談じゃない、俺はここに戦うために戻ってきたんじゃない。

 味方と戦うためにこの一年を費やしてきたんじゃない。

 

(今はとにかく、このオーバーマンをなんとかしないと……!)

 

 フィットしすぎてて、走りながらでは取れそうもなかった。

 それにしても凪相手に、鞄を引っ掻けながらよく戦えたなぁと感心する。

 殺す気で来なかったからだといえばそこまでだろうが。

 

 

───……。

 

 

 そうして走って走って…………森を抜け、辿り着いたのは川のほとり。

 さらさらと流れる川を前に、呼吸困難になりながらもとりあえずは追手がないことを確認して、自由になった両手でオーバーマンマスクをバリベリと力任せに引き剥がす。

 

「ぶはっ……! は、はぁっ! はぁっ……!!」

 

 マスクをつけながら走るのは、ちょっとした地獄だったといえる。

 それでも逃げきれた自分に拍手。ありがとう修行。ありがとうおじいちゃん。及川、お前はいつか殴る。

 

「はぁ……」

 

 息切れによる疲労はそう長くは続かず、ふぅ、と長く息を吐いて、吸ったあとは普通に戻っていた。

 そうしてから改めて、自分の服が汗まみれだという事実に気づく。

 鍛えて代謝能力が上がったからだろうか、そう臭くはない汗をかいた俺は、目の前の川を見て思案。

 

「……まあ、久しぶりに会うのに汗まみれっていうのも……なぁ」

 

 決定だった。

 バッグを地面に置くと私服を脱ぎ捨て、どうせならここで洗ってしまおう、と剣道着と私服を手に川へ。

 ひんやりとした冷たさと、どこか懐かしい匂いが胸一杯に広がる気分だ。

 

「………………帰って…………これたんだよな」

 

 しみじみと言う。……まあその、裸で。

 一応腰に汗拭き用のタオルを巻いてはいるが、そんなもの、濡れてしまえば大して意味をなさない。

 それでも巻くのは……ほら、やっぱり隠したいじゃないか。

 

「……うん」

 

 剣道着と私服を洗い、汗も流したところで川から出て、よく絞った衣服を岩肌に貼り付けるように置いたり、木に掛けるなりして乾かす。

 俺自身は代えの下着と……フランチェスカの制服を着て、川の水面に映る自身を見て、深く頷く。

 これでこそ帰ってきた、と胸を張れる……そんな気がしたのだ。

 自然と笑みがこぼれるのも仕方ない。

 

「ははっ……なんて締まりのない顔してんだよ、まったく」

 

 ……水面に映る自分の笑顔を笑い飛ばして、草むらに身を預けた。

 服が乾くまではこうしていようか。

 早くみんなに会いたい……けど、覗きは僕でしたとか帰って早々死にかけたとか、そんな感想言いたくないし。

 

「…………しまった。木刀だけでバレバレだ」

 

 溜め息と同時に、あっちゃあ……と自分の手が視界を覆うことを止めることなど出来なかった。

 

「………」

 

 服が乾くには時間がかかる。

 ……ええい寝てしまえ、寝て起きればいいことあるさ。

 

 

───……。

 

 

 …………ぺろり。

 ……ぺたぺた。

 ………………ふにふに………… 

 

(…………?)

 

 どれくらい眠っていたのだろう。

 ふと意識が浮上すると、顔や体を触られている感触。

 目を開けるでもなく、んん……と身じろぎしてみると、触れられる感触が止まる。

 が…………少しして、またぺたぺたぺろぺろ。

 頬をくすぐられて、くすぐったくて、なんだか体が心地よい重さを感じている気がして……あれ? なんか前にもこんなことがあったような……。

 

(…………ああ)

 

 なんとなく解った。

 もしこのあとに“にゃーん”とか鳴いてくれたら、俺は迷わず抱き締めるのだろう。

 むしろそう続けてほしいと願っている自分が居た。

 ………………果たして、その願いは───

 

「わふっ」

 

 …………犬の鳴き声にて、ゴシャーアアと崩れ去った。

 

「っ!?」

 

 慌てて目を開けて自分の胸の上を見やれば、なんのことはない……赤い布を首に巻いた犬が、きょとんとした顔で俺を見つめていた。

 次いで、まだ幼い肉球で頬をペタペタ。それが終わるとペロペロと舐めてくる。

 

「…………えぇ…………っと…………」

 

 俺の期待を返してください。

 なんて願っても仕方のないこと……とはいえ、がっくり来たのは確かで。

 

「あぁああ……もう…………」

 

 よく解らないけど尻尾を振っている犬の頭から背中にかけてを撫でさすり、持ち上げていた首を再び寝かせると同時に溜め息が出た。

 

「日向ぼっこは好きかー……?」

「わふっ」

「そっかそっかー…………」

 

 ……なにも言うまい。

 一気に気が抜けた俺は、そのまま目を閉じると再び眠りについた。

 すぐにみんなに会いたい気持ちはあるが、慌しいながらもみんなを見ることは出来た。

 焦ることはないだろう……ここに居る理由がなんであれ、きっと自分は必要とされたからここに居るのだろうから。

 

 



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01:三国連合/一年越しの願い②

02-5/一年越しの“願い”2

 

 で…………

 

「なんか増えてる……」

 

 目覚めれば、赤い髪の女の子が俺の腕を枕にして寝ておりました。

 あの……確かこの娘、呂布……だよな?

 

「…………」

 

 ずず……と腕を引こうとすると、無意識なのだろうか……制服をぎゅっと握り、逃がしてくれない。

 ええ、と。これはどうしたら……。

 そんなことを考えていると、彼女の目がぱちりと開かれる。

 

「………」

「…………」

 

 気まずい。

 なにが気まずいって、大して面識もない相手に腕枕して、目が覚めたらあなたが居ましたって状況が気まずい。

 ほら、あれだ。女性が寝てたらいつの間にか見知らぬ男が隣で寝ていましたって状況?

 いや……相手にしてみたらって意味で。

 けれど呂布は、かふ……と小さなあくびをすると、ごしごしと俺の腕に顔をこすりつけるようにして再び目を閉じる。

 

「いやいやいやいや……!」

「…………?」

 

 目を閉じる呂布を言葉で止める。お願いだから二度寝は勘弁してくださいと。

 いや、はい、俺もしました二度寝。人のことを強くは言えません。だから優しく言います。

 

「あーの、りょ、呂布さんで……あらせられるよね?」

「……あらせられる」

 

 言って、微妙に傾げ気味に頷く彼女は、またも顔をこしこしと腕にこすりつける。

 ……いい匂いでもするんだろうか、くんくんと鼻を動かしている。クリーニングには出してたけど……そんなにいい匂いするだろうか。

 って、だからそうじゃなくて。

 

「どうしてここで寝てるんでしょうか……」

「…………セキト」

 

 ……セキト? と、目の前の少女のように首を傾げるとその腕の中で“わふっ”と鳴く犬のことを思い出す。

 この犬がもしかして、だろうか。……だからといって、寝てる理由と繋がるかといったらそうでもない気がするんだが。

 

「えっと……この犬がここで寝てたから、キミも?」

「………」

 

 普通に頷かれた。警戒心というものを知らないのだろうか。仮にもそう面識のない男の腕を枕に、とか……。

 

「…………ああ」

 

 なるほど、俺がなにかすれば、三国無双によって俺はミンチになるわけだ。そりゃあ恐れることはないよなぁ。……と、そこまで考えてみて泣きたくなった。

 一年やそこら修行したところで、この世界の女の子たちには敵わないんだよなぁ。うう、頑張れ、男の子……。

 

「でもそれとこれとは話が別で……えぇと、呂布?」

「………………恋でいい」

「え?」

「…………恋」

「……れ、ん…………って、もしかして真名のこと? い、いやでもそれは───」

「………」

「うっ……」

 

 無表情だけど、どこか期待を含んだような目が俺をじぃっと見つめてくる。

 女性が自分の腕を枕に寝て、その無垢な目が期待に揺れて……そんなものを断れる男を、少なくとも俺は知らない。

 断る男が居るのなら、それは紳士というものだ。

 もちろん時と場所を弁える意味でなら、俺だって踏みとどまれるさ。多分、きっと。

 だからこそ断ろうとした、と思いたい。

 なのにお犬様が続きを促すように、じいっと見つめてくる上、呂布も俺をじーっと見てくるわけで。

 もしかしてこれ、犬が気を許せば真名も許せるって、そういう状況なんでしょうか。

 そりゃね? 本能として“心を許すか否か”を選べる野生って意味では、下手な人間よりも信用できるんでしょうけれども! それで真名を許すかは、やっぱり別なのではないでしょうか。

 

「…………」

「……うっ……」

 

 ごめん無理です耐えられない。この娘なんだってこんなに熱心に見つめてきてるの?

 むしろ呼ぶまで逃げられそうにない。ならば呼ぶ、しかないのでは?

 ごくりと喉を鳴らして、緊張で嗄れてしまいそうな喉に力を込めたまま、一度だけ口にする決意を。

 さ、さあいざ───!

 

「…………れ、恋……?」

「……、……」

 

 真名を呼ぶと、呂……恋はもう一度腕に顔をこすりつけた。

 まるで手に頭を押し付ける猫だ。

 い、いけませんよ北郷一刀警備隊長! 俺は! 俺は魏を! 曹魏を愛する男!

 それをこんなっ……擦り寄ってきたからといって、他国の重鎮さんを召し上がったとあっては覇王に会わせる顔がない、なんて、する気もないことに焦っていたそんな時。

 なにかしらの気配とともに、なにかがぼとりと落ちる音。

 

「ひぃっ!?」

 

 背筋が凍ったなどというレベルじゃあなかった……喉から思わず悲鳴が出るほど……それこそ、死ぬほど驚いた。

 おそる……と音がした方向、つまりはなにかしらの気配がした方向を見ると……

 

「…………お兄さん?」

 

 ……風が居た。

 傍らにはペロペロキャンディーが落ちていて、さらには頭にあった宝譿までもが落ちていて……さっきの音はあれかな、と思うや、信じられないものを見た、といった風情でよろよろと近づいてくる。

 

「お兄……さん、ですか?」

 

 本当に信じられなかったんだろう。

 風とは思えないほどの動揺が声に表れていて、そんな反応でどれだけ自分が周りに心配させていたのかがわかって、俺はすぐにでも起き上がって風を抱き締めっ……

 

「………」

 

 抱き締め……

 

「………」

 

 抱……

 

「……あの」

 

 ダメです、起き上がれません。

 恋さんが俺の袖を掴んで離してくれません。ていうか顔こすりつけまくってます。マーキングです。などと状況に混乱するあまり、せめて頭の中だけは冷静でいようと努める現状の中、風がよろよろと静かに歩み寄ってきて───って風! だめだ風! そのまま進んだら宝譿ぃいいいっ!! 宝譿が! 宝譿が踏み潰されたぁああーっ!!

 

「……? ……どうして震えてる……?」

「い、いや……幼少の善き日が踏み潰された気分で……」

 

 隣の恋が無表情で首を傾げる。

 そんな顔を見ていた俺の傍らにスッと差す影……風だ。

 太陽を遮るようにして俺の顔を覗き、足を畳むようにして草むらに座ると、壊れ物に触れるようにそっと手を伸ばし、頬に触れてきた。

 

「…………」

「えーと……」

 

 言うべきことは決まってる。けど、ちょっと恥ずかしい。

 それでも空いてる手で頬をカリ……と掻くと、段々と潤んでいっている瞳を見つめながら───

 

「……ただいま、風」

「…………はい。おかえりですよ、お兄さん」

 

 やっぱりここが自分の帰るべき世界なのだろうと実感しながら、ただいまを口にした。

 

「…………」

「…………」

 

 恥ずかしい。けど、交差する視線はやがて近づき、太陽が視界から完全に消える頃───……ちむ。

 

「……?」

「わふっ」

 

 俺と風の間に差し込まれたセキトが、風の鼻先に口付けをした。

 

「……おおっ、お兄さんいつのまにこんなに毛深く」

「違うっ! って恋、いきなりなにを───」

「………………? 抱き締める?」

「いや、そうじゃなくて、どうしてセキト……? を、突き出したりなんか」

「…………目を閉じてた。……眠るなら抱き締めると暖かい……」

「……エ?」

 

 ……じゃあ、なんだ。

 邪魔をしたとかじゃなく、眠ると思ったから「寝るなら湯たんぽをどうぞ♪」的なノリだったと?

 

「むー……」

 

 しかしそんな親切に、口を波線にして唸る風。

 普通ならばキャンディを頬張って誤魔化すであろう口元も、それがないだけで随分と子供っぽく見えるもんだ。

 そんな風は、腕を掴まれながらでも少し上体を起こしていた俺を無理矢理寝かせると、

 

「お兄さん、右手をこう……こう、伸ばしてもらえますか?」

 

 と指示を出し、戸惑いつつも右手、というよりは右腕を肩から真っ直ぐ横に伸ばしてみれば、

 

「はいはい、ではではー」

 

 ……ことり。

 風が身を横に寝かせ、俺の右腕を枕に擦り寄ってきた。

 

「あ、あー、あの、風?」

『おうおうにーちゃん、そっちはよくてこっちは駄目なんて贔屓臭いこと言うんじゃねーだろうなー』

「……いや、風。宝譿もう大変なことになってるから。頭の上に居ないから」

「………………おおっ!?」

 

 きょとんとした風が視線を彷徨わせると、落ちた時のままの姿のキャンディーの隣で無残に踏み汚された宝譿の姿を確認。

 結構驚いたのか、パチクリして頭の上に手を当てている。

 寝転がってるんだから、そこにあるわけないのに。

 

「ところでお兄さん? 風たちに挨拶もなしに、なぜこんな場所で呂布さんとちちくりあってましたか」

「いや、んぶっ……実は、ここで服を乾かしながらぶわっぷっ! ね、寝てたら……ってやめろセキト! 喋ってるんだから舐めるなっ!」

「お兄さんはまさか動物もいけるくちですか」

「なに恐ろしいこと言ってるの!? いけないよ!」

「………………セキト、好き?」

「ど……動物としては、ね? 懐いてくる動物を嫌いって言える人、そう居ないよ?」

「そして好き合う一人と一匹はやがて恋に落ちるのですね」

「落ちないよ! 落ちないから! なんか呂布が真に受けそうだからやめてくれって風!」

「………~♪」

 

 困っている俺を見て、どうしてか風は微笑んで俺の胸に頬をこすりつける。

 喜ぶ要素が今の会話の何処にあったのかは謎だけど、甘えられているようで悪い気はしなかった。

 

「………」

 

 空を見上げている。

 太陽が真上あたりってことは、今は昼なんだろうか。

 太陽が同じ周期、同じ速度でここから未来までず~っと回ってるのならそうなのかもしれない。

 

「……なぁ風。…………みんな、元気か?」

「そんなわけないじゃないですか」

 

 タイミングを見計らっていたことは確かだったが、ここまではっきり言われるとなかなかに辛い。

 

「お兄さんが居なくなってからの魏は、本当に抜け殻のようなものだったのですよ。天下を手にして一皮剥けて、中身だけ飛んでいって……残された抜け殻が風たちだったのです」

「いや……そうなのかもしれないけど、なんかヤなんだけど……その言い方……」

「華琳様からお兄さんが天の国に帰ったと聞かされた時のみなさんの動揺は、それはもう心臓を握り潰されたかのようなものでした」

 

 それはもちろん風もですよ、と続ける風の頭を撫でる。

 腕ではなく、頬擦りしたままの胸を枕にする風を撫でながら、仕方が無かったとはいえ魏のみんなにしてしまった罪の重さを噛み締めてゆく。

 ……って、あのー、恋さん? 真似して胸に頬擦りしなくていいですから。

 

「華琳はどうしてる?」

「普通ですよー? 普通に仕事をして、普通に女性と楽しんで、普通に日々を過ごしてます」

「……それは、すまん。異常だな……よくわかる」

「異常は言いすぎな気もしますけどねー。そういうことです」

 

 華琳が普通に日々を送るなんて、考えられない。

 普通よりも一歩先を目指す彼女だ、風の目から見てそれが普通だというのなら、それは華琳……いや、曹孟徳としての実力の低下を意味するのでは。

 それとも……

 

「……羽根を休ませたかったってことはないか?」

「それはないですねー。あれはまるで、張り合いを無くしたというか……自分の善いところを見せる相手を失くした子供のような姿ですしねー」

「………」

「おやおやお兄さん? 今お前も子供だろ、とか失礼なことを考えませんでしたか? 散々人を開発───」

「考えてません! ていうか開発とか言わない! 何処で覚えたのそんな言葉! 今すぐ忘れなさい!」

「おうおうにーちゃん、それは───」

「だから! 宝譿もう大変なことになっちゃってるから! いたたまれなくなるからやめて!」

「むう、お兄さんは少し意地悪になりましたね。風は悲しいです」

 

 ……そりゃ、一年もあっちの世界で暮らしてたんだ、変わりもするし、変えられもする。

 郷愁はあるわ口の利き方が悪いとじいちゃんに怒られるわ、変わらずに居られるほど穏やかじゃあなかった。

 勝手に決めた誓いとはいえ、強くなりたいと本気で思って立ち上がったりもしたんだ。意地悪っていうのは不本意だけど、変わることが出来たことを少しでも喜びたい。

 まあその、いい意味で変われているのなら、だが。

 

「……華琳様に会いたいですか?」

「みんなに会いたい」

「おおっ……即答ですねーお兄さん。さすがに気が多いだけはあるですよ」

「そういう意味じゃなくて。……うん。誰に会いたい、とかじゃない。みんなに……魏のみんなに会いたいよ」

 

 ずっと望んでいたのだ。みんなに会いたい、この世界に戻りたいって。

 服なんてほうっておけばよかった。フランチェスカの制服に着替えるのももどかしく、たとえ誤解されようが怒られようが、この足で走って、みんなに会えばよかった。

 そうしなかったのは───きっと。

 

「俺は……見苦しいところ、見せたくなかったんだろうなぁ……」

「あら。誰にかしら?」

「天下を統一させた、我が唯一の覇王に」

 

 影が差す。

 いったいいつから居たのか、俺を見下ろす姿。

 眩しい太陽を微妙に隠しきらないあたり、居なくなったことへの仕返しをしているのかどうなのか。

 けど……そんな反応が懐かしい。

 

「戻ってこれたことに(はしゃ)いで、感激して。喚きながら王に抱き付く姿を見せたくなかったんじゃないかな、って」

「そう? 私は見せてほしかったくらいだけれど」

 

 一年。

 

「……桂花が黙ってないぞ」

「黙らせるわ」

 

 一年間だ。

 

「集まってくれたみんなが引くぞ」

「引かせておけばいいわよ」

 

 この姿を何度思い浮かべ、何度胸を焦がしただろう。

 

「稟が鼻血噴くぞ」

「風に任せるわ」

 

 会いたくて、会えなくて。

 

「酒が、不味くなるぞ」

「そんなの、一年も前から不味いわよ……」

 

 会えないというだけのことが、あんなにも辛いことを俺は初めて知ったんだ。

 

「…………華琳」

「……なによ」

 

 この目を見ながら名を呼べる日が、また来るなんて。

 

「……我、天が御遣い北郷一刀。天命ではなく、貴女の願いにこそ応じ、参上した。……さあ、貴女が望むは天下泰平か? はたまた武と知を振るえる戦乱か」

「───……そんなもの、決まっているわ。貴方に願わなくても、天下の泰平など成し遂げる。戦がなくとも、武と知を振るえる場所など作ってみせる。私が貴方に望むことなんてたったひとつよ」

 

 伸ばした手が、彼女の頬をやさしく撫でる日が、訪れてくれるなんて。

 

「ほう。ではその望みを、この使者に」

「ええ。……天が御遣い、北郷一刀。貴方に命じます。……天より我がもとに降り、その一生を……魏に捧げると誓いなさい」

 

 こうして、再び引き寄せることが出来るなんて───

 

「……仰せのままに。我が王よ───」

「……ばか」

 

 目を静かに閉じ、唇が近づく。

 やがて太陽は遮られ、ふたつの唇が───……ちむ。

 

「………」

「…………風?」

「いえいえー、なんといいますかここまであからさまに二人の空間を作られては、邪魔をされた風としては立つ瀬がないといいますか」

 

 華琳の鼻先にセキトの鼻。

 ひんやりとした感触に華琳がババッと離れるが、すぐに平静さを見せるとこほんっと咳払い。

 

「風が邪魔をされた、とは……どういう意味かしら、一刀?」

「え? いや……」

「お兄さんは服が二着も汗で濡れるほどに呂布さんを愛し、それだけでは飽き足らず、飴が落ち宝譿がぐしゃぐしゃになるほど風を愛し抜いたのですよ」

「…………一刀?」

 

 ドスの効いた、まるで深淵からにじみ出るような低く恐ろしい声が耳に届いた。

 悲鳴を上げなかった自分に“お見事”を届けつつ、今の自分にエールを贈りたい。つまり助けて。

 

「ちっ、違う! 断じて違う! 誤解だ! 濡れ衣だ! ってどっかで聞いた言い回ししてる場合じゃなくて!」

「言ったはずよね? 私以外の女に手を出す、または出した時は、きちんと報告すること、と」

「今まで居なかったじゃないかーっ!! それでどうやって報告───ってだからそうじゃなくて!」

 

 さっきまでの甘い雰囲気が逃げてゆく! 手を伸ばしても届かない! さよなら愛情ようこそ理不尽!

 

「お兄さんは風の頬をそっと撫で、“ただいま、風”と囁いて、やがて唇を奪おうと───」

「っ! ……一刀。風には言って私には言わないとはどういうこと?」

「え? なにが?」

「なにっ……!? ……ふ、くくく……!! ええ、改めて確認した気分だわ……本当に一刀ね……。 妙なところで察しがいいくせに、こういう時にはまるで……! “なにが?”、“なにが?”と言ったの? 貴方は」

「う、うん……?」

「お兄さんは時々、英雄並みの苦渋の選択をしますねー」

 

 いや、なにを言われているのかよくわからないんだが……。

 ていうか風さん? あなた今この状況を滅茶苦茶引っ掻き回してません?

 ……あ、あれ? あの、恋さーん? 急に立ち上がってどこへ……え? 静かなのがいい? いやあのべつに好きで騒いでるわけじゃっ……ま、待ってぇええっ!!

 

「お兄さん、華琳様はお兄さんにただいまを言ってほしかったのですよ」

「え? そうなのか? だってそんな、当たり前のこと言ったって」

「!」

「おやおや……風に対しては当たり前ではなかったのですかー」

「む。それはちょっと違うんだが……俺、日本……天の国に帰ってからずっと、ここに帰りたいって思ってた。また会う時に恥ずかしい自分じゃいられないって、自分を鍛えたりもした。情けないことに泣いたりもしたんだぞ? これじゃ本当にホームシックだ」

「ほむし? なんですかーそれは」

「郷愁のことだよ。……だから、つまりな風。俺は自分の……天の国なんかよりも、華琳が辿り着いた天下。魏の空の下こそを故郷だって思ってたってことなんだ。魏は華琳の旗だろ? だったら、俺が帰るべき場所は華琳のもとで───っていたっ!?」

 

 え、いや……な、殴られた!? 今殴りましたか華琳様!

 

「っ……! っ……!!」

「……華琳?」

 

 風に向けていた視線を華琳に戻すと、華琳は涙と笑みを必死になって噛み殺しているような顔で真っ赤になりつつ、口をぱくぱくと動かしていた。

 

「っ……、ら……!」

「……ら?」

「だ、った、ら……ぁっ……! 勝手に居なくなるんじゃないわよっ! ばかぁっ!!」

 

 ……弾けるような声だった。

 結局涙も笑みも我慢しちゃった我らが孟徳様の行動は怒りで。

 華琳とは思えないくらいの、別の意味での真っ直ぐな言葉に面を食らった俺は、呆然としたままあることないこといろんな罵倒を浴びせられることになり───

 

 

 

03/背中合わせは夢想でご堪能ください

 

 ……その後私は担任の鬼山……ではなく、大将の華琳にボコボコにされた。

 

「ちくしょ~……」

 

 “私”と言った意味は全然ない。なにも問題はないさ、顔が痛いこと以外。

 結局、“言いなさいよ……いいから言いなさい!”って脅されて、ただいまを言わされた俺。

 その途端にボッコボコである。意味もなく“ワーオ! モートクー!”とか言ったのがマズかったようだ。

 涙こそ流さなかったけど、俺を殴る華琳は本当に子供のようで。

 “覇王”との約束を違えたって意味なら、殴られるだけで済んだのは破格。

 それ以上に愛しい人を泣かせたとあっては斬首も当然なのだろう。……こう、春蘭的に。

 ここに春蘭と秋蘭と桂花が居なくて本当によかった。

 泣いてないとはいえ、拳を振るう華琳の心は間違いなく泣いていただろうから。

 

「それで? 久しぶりの天はどうだったの?」

 

 で、現状といえば、斜に埋まった岩に背を預け、その足の間に華琳が治まり、胸に後頭部を預けている状態。

 風は…………宝譿の残骸の傍らで手を合わせてる。

 

「うん。華琳の目から見れば、大げさに言うほどの実りはなかった、っていうのが実際のところ」

「なによそれ。私が私の物語を生きていた中で、貴方はそんな物語を生きていたの?」

「……仕方ないよ、そればっかりは。天での暮らしよりも、ここでの暮らしこそが俺にとっての物語だってわかっちゃったんだから」

「……う…………そ、そう」

「ん、そう」

 

 あの世界での暮らしは無二だった。

 でも、必死になることを、生きる希望を、作り上げてゆく絆の大切さを知ったのはこの世界だった。

 世界の厳しさを、自分が知らない場所にある苦しさを、自分なんかの手で救える人が存在するほどの貧しさを、人としての俺を成長させてくれたのは間違いなくこの世界だったのだ。

 この世界は俺に勇気を、慈愛を、喜びを本当の意味で教えてくれた。

 ……俺が日本で暮らしてきた十数年などよりも、よほどに実りある僅かな時間。

 それをくれたこの世界だからこそ、華琳が治めた世界だからこそ、愛しいと思えたのだから。

 

「……一刀?」

 

 そっと抱き締めた。

 預けて貰っている体を、さらに近くに感じられるように。

 

「中途半端だったんだ」

「……?」

「この世界に来るまで、俺はなにもかも中途半端だった。成績は普通だし、やってた剣道も並以上になんか上がらない。じいちゃんに習っていたことも、やりながら“さっさと終わればいい、こんなのがなんの役に”なんて、学ぶことの大切さも考えないで否定ばっかりしてた」

「そう。それで?」

「ある日さ、友達……あ、及川っていうんだけどな? そいつが言ったんだ。“なんでもそこそこにやっとったら、そこそこの人生しか生きられんでー”って。それの何が悪いんだ、って俺は思った。普通のなにが悪いって」

 

 たとえば教室で。たとえば道場で。

 気の許せる友人に何気ないことを話して、話されて。

 

「でも、違った。俺の考えはその“普通”にすら届いてなかった」

「ええそうね。現状維持は悪いことではないけれど、進む気がないならそれは普通とさえ呼べないわ」

「うん。それに気づいたのは、勝ちたい人に出会ってからだった」

 

 目標が出来て、頑張ってみて、それでも届かなくて。

 

「でもさ、頑張ってみたけど届かないんだ。なにが足りないのかなって考えてみたけどわからない。どうしてわからないんだろ、って頭を掻き毟ったなぁ……」

「……ふふっ……今はどう?」

「ああ。足りないのなんてたった一つだった。俺には覚悟が足りなかったんだ。勝とうとする覚悟、負けても打ち込める覚悟。いろんな覚悟だ。相手は自分よりもいっぱい練習してるんだから、俺が負けてもしょうがない、なんて逃げ道ばっかり作って。そんなんで、努力をする人を倒せるわけがなかったんだ。……たとえ、同じだけ努力しても」

「それはそうよ。気構えの時点で負けているもの」

「きっぱり言うなぁ」

「言ってやらないとわからないでしょう? 一刀は」

「……すいません」

 

 言いながらも、華琳は散々殴った俺の頬を見上げるようにしてやさしく撫でてくれる。

 正直触れられるだけでも痛いんだが、罰だと思ってこの痛みは受け取っておこう。

 

「で、な。……えっと。その覚悟を、俺はこの世界で知った。正直な話……人を殺す覚悟なんてのは持ちたくなかったっていうのが本音だけど。天の国に戻った時、友達にどのツラ下げて会えばいいのか、怖かったくらいだけど。直接ではないにせよ、俺は人を殺しましたって言えばいいのかな、って思ったりもしたけど……さ」

「……ええ」

「でも……誰かの死は、取り返しのつかないことをやり遂げる覚悟を、俺にくれた。ひどい話だけど、俺は味方や敵の死でいろいろなことを学んだよ。……戦場、なんだもんな。武器を取って向かい合えば、相手が女でも子供でも老人でも、殺さなきゃ自分が死ぬ。それと同じように、勝ちたい人にだって勝ちたいって気持ちで……本当に勝ちたいって気持ちで向かわなきゃ、勝てるはずなんてなかったんだ」

 

 殺したかったわけじゃない。負けたかったわけじゃない。言い訳を言いたかったわけじゃない。

 いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。

 目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。

 あの日、俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 そうやって、人の死を前に吐いてばかりだった俺はようやく立ち上がって、前を向くことが出来た。

 戦場の意味も知らない子供がようやく立って、魏のみんなと一緒に駆けて、笑って、泣いて。

 手が赤く染まるってわかっていても、生きたいと思うなら振り下ろさなきゃいけない時だってあることを知った。

 ───それが即ち戦場で、そうと知ってて向かっていくことこそが覚悟だった。

 

「……本当に、中途半端だった。今回天に戻ってみて、本気でそう思ったよ」

「あら。今は中途半端じゃないっていうの?」

「完全とはいえないけど、そうであってるつもり。足りないものが満たされてるって、そう思えるから」

 

 言いながら、華琳の髪に鼻をうずめ───た途端に額をべしりと叩かれた。うん痛い。

 

「あたた……はは、うん。及ばないことなんていっぱいあるけどさ。本気で鍛えて本気で勉強して、本気で願った場所へと辿り着けることってこんなに嬉しいんだなぁって感じられた」

「へえ……ともに天下を抱いた時はそうは思わなかったということかしら?」

「確かにあれは俺の願いでもあったけど、どちらかというと魏のみんなの願いだ。俺は案を出すばっかりで、本当の意味で身を費やしてなかったと思う。自分のためっていうよりは華琳や魏のみんなのために、っていうのが大半だ」

「……そう」

「天下を目指すための努力に比べれば薄っぺらくて、お前の充実感はその程度かって怒られるかもしれないけど、うん。俺は嬉しいって思えた。少しは中途半端から抜け出せたのかなって」

「………」

 

 言葉を届けると、背を預けたままにもう一度伸ばされた手が、俺の頬を撫でた。

 

「ふがっ?」

 

 ……次の瞬間には、俺の頬は伸びていた。もちろん、引っ張っているのは華琳だ。

 

「だったら、もっと高めていきなさい。この大陸で、あなたが望むままに。多少の馬鹿な行為くらい見逃してあげるから」

「…………」

「ふふぁ!?」

 

 仕返しに華琳の頬を両側から引っ張り、華琳の手から自分の頬を逃がす。

 「ひょっ……はふほ!?」なんて言われたが、聞こえないフリをしたまま、その頬のやわらかさとスベスベさを堪能する。それが終わるとパッと離した手で、引っ張っていた頬をこねこねと撫でながら言う。

 

「うん。それが華琳の願いなら、俺はずっとここで高めていくよ。自分の理想を、自分の信念を」

「……そう。なら早速だけれど覚悟を決めてもらう必要がありそうね……!」

 

 地鳴りのごとき擬音さえ聞こえてきそうな覇気とともに、修羅が振り向く。

 それに合わせて顔を突き出すと、怒気を孕んだ表情を驚きに変えてやった。

 途端に顔は真っ赤になって───でも、唇が離れることはなかった。

 



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??:文字説明/主な人物紹介

◆この場の小説で使われる、それぞれのカッコの役割等

 *「」
 人が喋っているもの
 例:「覚悟───完了」

 *『』
 二人以上が喋っているもの、もしくは動物や人でないものが喋っているもの。
 例:『おうおうにーちゃん、登場して早々にこんな役割なんてあんまりなんじゃねーか?』

 *“”
 重要なこととか、誰かが言ったことを思い返したもの等
 例:「つまり貴方はこう言いたいわけね? “更新はただひたすらにゆっくりだ”、と」

 *《》
 効果音。主に「」の最中に含まれる。ビンタ音とか。
 主に与えられる側。相手に対しての場合は相手の「」内に効果音が含まれる。 指パッチンなど、自分が自分にやるものは別。
 例:「《ビキビキビキ……!》へ、へぇええ……!? そう……! あなた、ここまで私を待たせておいて、まだそんな口が叩けるのね……!」
 ●注:ハーメルン側では極力使わない方向でいってみようと思います。
  文章が説明臭くなったらごめんなさい。元々それが嫌だったのもあるので、なんとか簡潔に纏められるといいんですけど、いかんせん語彙が少ないもので……!

 *-_-/
 視点変更。基本視点は一刀くん。/のあとに名前が入り、その人物の視点となる。
 例:-_-/曹子桓

 *=_=/
 回想とか妄想に時折使われる。
 上の視点表現と合わせて、うみにん的な顔とでも覚えてください。
 例:=_=/イメージです 変人の妄想です 回想です ……など。

 *ネタ曝し
 後書きに、その話の中で使われたネタの説明が入ります。
 ネタがあったのに書かれていない場合はド忘れしているか、普通に書いたものが既にネタで、筆者が知らないだけのどちらかかと。
 なお、一度ネタ曝しに出た説明は、あとで使ってもネタ曝しには書きませんので。書いてあったらやっぱりド忘れしているだけです。
  例:*うみにん
  メサイヤのマスコット的存在。
  超兄貴やラングリッサーにも登場し、地味にぬいぐるみも存在する。
  某ゲーセンで凍傷がゲームのコツを掴み、このぬいぐるみが無くなるまで取りまくったのは懐かしい思い出。
  家にはまだたくさんのうみにんが残っている。

  *なお、ネタ曝しも“知ってる人だけ納得出来りゃいいよ”とのツッコミが入ったのでこちらでは無しに。
  みんな持ち上げて落とすのが大好きすぎて、僕の心はボドボドだ!

 文字の使い方はこんなところかと。
 稀に後書きにおまけのお話が入ることもあるので、「後書きを飛ばして見てたから、知らんヨこんな話! こんな……!」という方がいらっしゃったらごめんなさい。

 *こちらではその後書きおまけを番外編として載せておりますので、後書きを気にする必要はなくなりました。

 では、人物紹介です。


 *人物紹介の前に、前書きに文字説明があるので、前書き・後書き表示をOFFにしている人は気が向いたら見てやってください。

 

 

【挿絵表示】

 

 姓:北郷

 名:一刀

 字:かずピー

 真名:無し

 武器名:黒檀木刀/木刀

 

 キャラ紹介:魏ルートの華琳のメインパートナー。

 魏エンド後に日本の教室に戻り、それからの日々を祖父の下で自分を鍛えつつ生きる。

 祖父に散々叩かれ扱かれた結果、口調は少し大人し目。

 焦ったり慌てたりすると口調が乱れる。

 戻って早々にいろいろな面倒ごとに巻き込まれることになるものの、基本的にはいろいろな方向にポジティブ……ではない。むしろ悩み過ぎ。読者にツッコまれるレベルで悩んでいる。

 剣道を得意としていたものの、天狗になっていたところを叩き折られて挫折した経験がある。

 絵が苦手。

 武器は祖父に借りていた黒檀の木刀。通常の木刀よりもずしりと重く、振って鍛えるのに丁度いい。こともない。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 姓:曹

 名:操

 字:孟徳

 真名:華琳

 武器名:絶/鎌

 

 キャラ紹介:魏ルートの一刀のメインパートナー。

 魏エンドで泣かされてから、歴史間という超遠距離恋愛をしたようなしていないような。

 初期に比べれば随分とやさしくなったと思われる。

 天の知識に興味が深く、特に料理には飛びつきやすい。

 “様々を興じてこその王”を胸に、平和になった日々をのんびりと楽しんでいる。

 食に対してはうるさく、だめだと感じたものにはどんどんとダメ出しをする。しかし成長してほしいからこその言葉であり、これまたしかし、受け取る側は大体心が折れて料理から離れたりする。

 ニタリと笑った顔が妙に似合っており、口角だけ持ち上げるのではなく少し口を開いてニタリと。

 いろいろ完璧に見えるのに、コンプレックスがあったり、時々小さなことでポカをやらかすところは外見年齢相応なのだろうか。

 

 

 ◆え? この二人だけ?

 メインですから。

 決して絵を描くのが大変だからでは───あったりします。

 ドリル髪がここまで難しいとは思わなかったんだ……。

 

 

 ◆おいおいこの物語。華琳ばかりが目立ってるよ

 元々魏ルートのENDが「ああ華琳ッ悲しすぎるッ!」といったものだったから書き始めたものですし、それを見失わないように書いた結果が現在ですね。

 

 ◆一刀が華琳を好きすぎじゃね? 他の子はどうなの

 これは筆者個人の問題の所為です。

 ハーレムものは好きだけど、ドタバタとした状況が好きなのであって、どっちつかずが好きなわけじゃないため、好きって意識が確実に一方に向きます。

 魏に操をって頑張っていた人物に、数回の覚悟を持たせただけで全員好きになりなさいは、個人的に無茶でした。

 オリジナル小説でも“好きになるのは一人だけ”という文句を大事にしておりますし。例外はありますが。

 これが上の話と混ざって、華琳が目立って華琳に惚れすぎているってカタチになってます。ええほんと、自覚はしてるんですけどね……。

 

 こんな、自己満足と妄想を混ぜた、じれったくてしつこくて悩み過ぎで、読んだ人に「文字が長いだけ」と言われた物語ですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。

 えぇとまあ、あれです。

 その後を凍傷が書いたらこんなんなりました、程度のものだと思って、期待などせず流し読んでくだされば、きっと「流し読みが完全に入ったのに……!」などと言う言葉が…………出ませんね。はい。

 

 たぶん呉のあたりで「ないわ」ってなるので、それまではどうぞよろしくです。

 その後も“毒食わば皿まで”を最後まで続けてくれるのなら、さらによろしくです。

 ではこれにて。



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??:現代/努力の過程①

04/誇り、覚悟、そして誠意

 

 ───ばっしゃあっ!!

 

「ぶわぁっはぁっ!? つ、冷たっ……!!」

「いつまで寝ておる、とっとと起きんか」

 

 気を失っていたんだろうか、ふと気づけば自分は水浸しの床の上で目を覚まし、上半身だけ起こしながら、視線の先に立つ人とその後ろにある景色を目に……ここが道場であることを思い出した。

 

「あ、え……? お、俺、気ぃ失ってた……?」

「まったく、あれしきの撃、受け止められんでどうする」

 

 言われてから、ズキリと痛む頭に手をやる。

 ……そうだった、目の前の人……じいちゃんと打ち合って、いけるかな……とか思ってたら…………あれ? その先が思い出せない。

 たしか、こう踏み込んだらじいちゃんが突っ込んできて…………えーと、なんだ。ようするに打ち込まれて気絶したのか。

 弱いなぁ俺。

 

「俺、どのくらい……?」

「5分程度だ。あまりに長く寝ているから冷や水をかけてやったわ」

「風邪引くよ!」

 

 ぶるるっ……と、冷えていくばかりの体を庇うようにして立ち上がる。ああ、この濡れた床も俺が掃除するんだろうね、じいちゃんの意地悪。

 なんてことを思っていると、じいちゃんが竹刀を手に(木刀でやり合う時もあるが、それは“避け”の訓練を重点に置いたもので、通常の稽古の時は竹刀を使っている)俺の目を見て口を開く。

 

「……一刀よ」

「え? な、なに……?」

 

 俺はといえば、そんな鋭い目に怯みそうになる気持ちを飲み込むようにして、いっそ睨み返す勢いで見て返す。

 なにを言われるのか不安に思ったものの、じいちゃんの口から出た言葉は俺の予想とはまるで違った。

 

「なにゆえに、力を求めた」

「え……」

 

 そう、予想とは違った。

 てっきりいつものように、やれここが甘いだの構えが駄目だだの言うと思っていたから。

 

「堕落とまでは言わぬが、お前は半年前あたりまでは現状に溺れ切った目をしていた。なにかが起きようとも周りがなんとかする、どうにでもなる、といった様相さえ見て取れたくらいだ」

「そこまで!? いやっ……俺これでも困っているヤツが居たら、見捨てられない性質で通ってたけど……!」

「それは当然だ。無力ではなく努力不足を理由にそこまで下衆に落ちたならば、儂自らが叩きのめしておったわ」

 

 ……以前の俺。下衆じゃなくてありがとう。

 

「けど、じゃあどういう意味で?」

「己を高める努力をせず、当時の自分に満足している目をしておった。勝ちたい相手が居ようが、勝負など時の運と口にして、本気の努力をしない者の目をだ」

「う……」

 

 言われてみて、ぐさりと来るものがあった。ということは、それだけ図星だったということなんだろう。

 あの世界では生きるために必死だったから出来たことも、こうして振り返ってみれば、とても大事なことだったのだと理解できる。

 

「そんなお前が剣を教えてくださいと土下座までしおった。ふわははは、あの時は初めてお前に驚かされたわ」

「うぐっ……土下座の話は勘弁してほしいんだけど……」

「たわけ、無駄に誇りや意地ばかりを高く持つのが今の若造どもの悪い癖よ。その中で土下座をしてみせたお前を、儂は認めこそすれ、情けなく思うことなぞあるものか」

「…………」

 

 うわ……困った、今物凄く“じぃん……!”って来た。

 

「だが、だからこそお前の覚悟を知りたいと思ったのだ。三日坊主で終わるのではと思えば、早半年よ。ならばその意思、その覚悟も相応しくあるものなのだろう?」

「……、……ああ。これだけは、絶対に曲げたくない」

「……うむ。では一刀よ。お前が強くあろうとする理由……それはなんだ」

「強く…………うん」

 

 痛む頭から手を離して、胸をトンッとノックした。

 あの日、夕焼けの教室から飛び出す前にもそうしたように。

 すると、あの日の思いが今この時に感じているかのように浮かび上がる。

 

「───守りたいものがある。微笑ませたい人達が居る。ともに歩みたい道がある。そんな道で、堂々と肩を並べて歩けるような自分になりたい。だから、俺は剣を手に取った」

 

 民を、仲間を、王を。手を取り合った蜀と呉、未だどこかで苦しんでいるであろう人達を、今すぐでなくてもいい、いつか微笑ませてやりたいと願った。

 何かが出来る、何かをしてやれる状況なのに、自分では何も出来ない歯痒さを知っている。

 そんな自分が嫌だから。

 何かが出来る自分になりたいから。

 

「努力もしないで下を向くだけの自分は……もう、嫌なんだ」

 

 たとえば剣道。

 ある日に負けて、次は勝てる、次こそはと意気込んで、一度も勝てずにまた負けて。

 強いから仕方ないかと笑った時の虚しさが、どれだけ胸を抉っただろう。

 情けなくて泣きたくなって、だけど涙を見せることが恥ずかしくて、泣くことの出来る自分さえ恥と断じて殺していた。

 ふと誰かに“頑張ってるのにな”と言われて、自分は頑張ってるんだと思い込んで、半端に打ち込めば打ち込むほど虚しくなって。

 でも───そんな俺にもようやく見えた光があった。

 

「強くなりたい。守られてばかりじゃない、なにかを守れる自分になりたい。誰かを微笑ませてあげたい。誰かを安心させてやりたい。誰かに……幸せだ、って思わせてやりたい」

 

 思いが溢れる。

 この世界でどれほど焦がれたところで、決して幸せにはしてやれない人達が居る。

 それでもいつかは届くと信じて、自分を高めている。

 こんな俺でも“幸せだ”と思えたんだ。

 みんなにも幸せを感じてほしい。

 このままじゃあ駄目なんだ。

 たくさんの約束がある。

 たくさんしてやりたかったことがある。

 まだまだ見ていたかった、覇道の先があったのに───

 

「嘘吐きの自分のままでいたら、きっと顔向けなんて出来ないから。だから───俺は今の自分より、あの時の自分より強くなりたいって思ったんだ」

 

 見えた光……覚悟という、全ての行動に必要なもの。

 それをあの世界で知って、俺は少しは強くなれたんだと思う。

 この世界で……そう、じいちゃんが言っていたように、現状に溺れていては絶対に手に入らなかったものを手にすることで。

 

「……ふむ」

 

 俺の言葉を真っ直ぐに受け止めて、じいちゃんは顎を撫でた。

 片目だけ閉じて、口をへの字にして。

 しばらくすると……なにがおかしいのか、カッカッカと笑い出す。

 

「え……じいちゃん?」

 

 そして竹刀で俺の頭をポコっと叩くと、ふぅ、と笑うことをやめる。

 

「守りたいものか……女か?」

「…………それだけじゃない、かな」

「ほう。では家族か」

「ああ。それは断言できる」

 

 血は繋がっていない、絆で結ばれた家族。

 自分がそう思っていることを、たとえ本当の家族の前でも偽ろうとなんて思えなかった。

 

「それらがお前をこんなにも変えたか。クックッ……ああいい、なにがあったのかまでは訊かん。お前の目が見ているものはここにはない。もっと遠くのものなのだろうよ」

「えぇっ!? わ、わかるのか!?」

「ふわぁあっはっはっはっは!! 己で明かしてどうする、この童がっ!!」

「えがっ……あ、あぁあ~……もう……!!」

 

 あっさりと誘導にひっかかった自分に赤面する。

 そんな俺の横に並ぶと、じいちゃんは背中をバシバシと叩いてきた。

 

洟垂(はなた)れ坊主をここまで変えてくれた何かに、いまさら何をどうこう言うつもりもない。興味はあるが、お前が真っ直ぐな目をしておるのならそれでよいわ」

「うぅう……」

「腐るでないわ、一刀よ。お前はお前の信念を以って強くなれ。努力が足りぬなら一層の努力をせい。お前はまだ若いのだ、時間など売るほどあろう」

「……ああ」

 

 その“時間”がいつ無くなるのかはわからない。

 強くなってから行きたい気持ちと、行けるのなら今すぐにと思う気持ちとがごっちゃになっているくらいだ。

 でも……うん。

 

「なぁじいちゃん。もし……もしもだけどさ。俺が守りたい人が俺よりも強い人で、俺に守られる必要もなかったら……俺が強くなる意味って、何処にあると思う?」

「ふむ……」

 

 ポン、とじいちゃんが俺の頭に手を乗せる。

 

「その者は、強いか?」

「強い。今の俺じゃあ、どうやったって勝てないよ」

「そうか……ならば、今はまだ守られておればよい」

「え……でも俺……」

「守ろうとすることと、守れないのに出娑張るのとでは意味が違う。そんな背中に守られようが、逆に相手が不安に思うだけよ」

「う……」

 

 そう……なのかな。…………そうか。

 もし俺に子供が居たとして、“父を殺さないでくれ”と幼子が盾になったところで、俺は逆に幼子の身を案じてしまう。

 それは状況として、俺が言ったものと似ているのだろう。

 

「だが、先にも言った通り“現状に溺れるな”。今守られているのなら、いつの日かその者の力と同等、もしくは越す力を得た時こそ……全力で守ってやれ。それが恩を返すということだ」

「じいちゃん……」

「守る方法は、なにも力だけではない。身を守る、心を守る、笑顔を守る……他にも腐るほどあろう。お前が守りたいものが、どうしても力が必要なものならばとやかくは言わん。が、力を求めすぎて、“守るもの”の意味を忘れるでないぞ」

「……力がないなら、べつの方法でべつのなにかを守れってこと?」

「力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?」

「……誰かが……えっと。うん。……誰かが傍に居て、話してやればいいんじゃないかな。あ、いや、ちょっと違う……えっと…………ああ、これだ。“日常”を思い出させてあげればいいんだ」

「それがお前の答えならば、儂はなにも言わん。儂が言ったことを鵜呑みにされては、間違いを儂の所為にされかねん」

「しないさ、そんなこと」

 

 じいちゃんの言葉に、それだけはすぐに返せた。

 そうだ、そんなことはしない。自分の行動に責任を。自分の行動に覚悟を。誰かに任せて、失敗すれば誰かの所為にして自分の罪を軽くするなんてこと、俺はしたくない。

 そんな自分に至りたくないから、こうして自分を高めようと思えるのだから。

 

「ふむ……では再開するとしよう。その格好のままでいいのか?」

「訊くだけ訊いて再開!? う、うー……いい、どうせまたすぐ汗かくんだし。でさ、次はなにやるんだ?」

「基本は叩きこんだ。音を上げずによくも耐えたと言っておこう……そこでだ」

「ああ」

「お前が望む“方向”を聞いておく。お前が望むのは一対一か、それとも多対一か」

「───」

 

 なんで、と口が動きそうになる。

 多対一……それは戦場でもない限り、こんな平和な世界じゃあ有り得ない。

 剣道部に所属していることも知っているじいちゃんが、どうしてそんなことを言うのか。その意味を小さく探してみて……もしかしたらと考える。

 

「……なぁ、じいちゃん。どうして俺が多対一を望むなんて思うんだ?」

「む? それは本気で訊いているのか?」

「え? あ、ああ……うん、本気、だけど」

 

 どうしてさらに問い返されるのかもついでに考えてみたけど、やっぱり答えは見つからない。

 

「……お前の動きだ。時折、一人で見えないなにかと剣を交えているだろう。それを見ていて思ったが、どうにも相手一人を見据えるというより、群がるものを薙ぎ払うような動きをしている。剣道で言うならば面、突き、籠手、胴……目の前に集中し、最小限の細かな動きで狙えばいいものを、わざわざ大振りにしての横薙ぎ。お前は三人四人の相手から同時に胴でも取りたいのか?」

「うぐ……」

 

 言われてみれば、思い当たる節はあったりした。

 男なら、自分が敵を圧倒的な力で薙ぎ払う場面を想像したことがあるだろう。

 たとえば漫画や映画を見たとき、自分だったらもっと圧倒的に格好よく。

 たとえばゲームをやったとき、自分だったらこういった動きで圧倒させるのだ、と。

 ふざけながら稽古をしている気はもちろんないが、人間の頭ってやつはそう簡単に集中をさせてはくれないわけで。

 あの世界で戦いが終わったとしても、何処かから新たな脅威はあるかもしれない。そんな時に、たった一人の相手だけで手間取る自分でいたくなかったのだ。

 

「しかし、そうかと思えばたった一人を前に構える様子を見せる。それを考えれば多対一か一対一かと問いたくもなろう」

「う……」

 

 多対一の理由は、“強くなった自分がどう立ちまわれるのか”を考えていたため。

 逆に一対一のとき、俺の思考を占めていたのは……あの日向かい合った春蘭の幻影。

 打ち合ったとはいえないものだったけど、“刃物”と向かい合う機会なんてものはあれくらいだった……けど、どれだけ立ち回ってみても躱したりするので精一杯だった。

 あの日、結果的には勝てたけど、一撃を当てるだけでいいという破格の条件を出されてようやく、ってくらいだ。

 現実で言えばじいちゃんにも勝てない俺が、あの世界で渡り歩くためにはまだまだ修行が───

 

(…………あれ?)

 

 ───足りない、と続くはずの考えの中に、小さな違和感。

 こちらから攻めなかったにせよ、“あの夏侯惇将軍”の攻撃を木刀で受け流したり躱したりをした?

 その前には凪と手合わせをして、武人を相手に近づかせないように牽制することが出来た? ただの学生で、多少剣道をかじった程度の俺が?

 

「…………」

 

 そこまで考えて、やっぱり随分と手加減をされていたんだろうという答えに落ち着く。違和感は完全には晴れなかったけど、今はじいちゃんとの話に集中しよう。

 えぇと……戦いにおいての心構えの在り方、だったよな……うん。多対一でいくか一対一でいくかを考えていたはずだ。

 竹刀や木刀でどれだけ剣を学んでも、あの緊張感に勝るものはそうそうない。

 ……あの世界で木刀を手に戦ってくれる相手なんて、仕合と呼べる場合以外には居ないだろう。

 だから、凪や春蘭と向かい合ったあの時の緊張感を忘れずに、立ち向かう自分を保てるようにと立ち回っていた。修行の合間に一人で、記憶の中の凪や春蘭と向かい合って。

 そうして出来たのが、一対一でも多対一でもない構え。

 そんな俺を、じいちゃんは笑うだろうか。方向性が定まらない、はっきりしない自分を。

 

「ふむ……方向性がまるで定まっておらんな。だが、笑う気はない」

「───え?」

 

 予想外もいいところ。

 てっきりさっきまでと同じように豪快に笑われると思った。だから、じいちゃんに「なんて顔をしている」と言われるまで、自分がヘンな顔をしていることにさえ気づかなかった。

 

「真剣に願ったのだろう? 強くなりたい、守りたいと。その目指す場所が三人相手だろうと一気に薙ぎ払える己であるなら、どうしてそれを笑うことが出来る。胸を張れ、一刀。到達したい場所があるというのは、それだけで前を向いていられることなのだ。男の土下座の意味を、挫けることで見失うほどの馬鹿でありたくないのなら───」

 

 ───胸を張れ、と。言いながら俺の目の前に立ったじいちゃんが、俺の胸をドンッと殴った。

 途端、胸に湧くのは───覚悟、だろうか。

 

「………」

 

 ……泣きたくなった。

 明確な理由も話さないのに、ただ強くなりたいと漠然ともちかけた自分を、こんな風に言ってくれる祖父の心を受けて。

 “この人は俺を信じてくれている”───本気でそう思えた。

 ……報いてやりたい思いがいっぱいある。

 中途半端なままじゃない、自分が至れる精一杯の未来。

 その第一歩として、この人に下げた頭は、決して……決して間違いなんかじゃあなかった。

 

「…………なぁ、じいちゃん」

「む? どうした」

「……長生き……してくれよな。俺、いつか絶対に恩を返すから」

 

 あの世界でだけじゃない。この世界でも返せるように。俺は……もっと強くなろう。

 いつかじいちゃんが自分を守れなくなった時、せめて俺なんかの力でも守ってあげられるように。

 

「……ふっ……ふ、ふわはははははっ!! 恩返しときたか! はっはっはっは! ならばとっとと曾孫の顔でも拝ませろっ! 名づけの親くらいにはなってやるわ! それが最高の恩返しよ!」

「ひまっ……!? あ、あのなぁじいちゃん!」

「ふふふはははは……! ほ、ほれっ……くく、とっとと構えぃ、ククク……」

「あんまり笑わないでくれ……これでも本気なんだから」

「わかっておるわ。───あまり長くは待てんぞ……それまでに儂を越え、子供に胸を張れる強い親であれ、一刀よ」

「───! ……ああっ!!」

 

 竹刀を構える。

 防具はもとより無く、より実戦的な状況に身を置くために胴着だけの姿で。

 

「…………うん」

 

 胸を張ろう。この人を師として仰げることを。

 胸を張ろう。この人の孫として生まれたことを。

 胸を張ろう。いつか、弱くなってしまった誰かを、自分が持っている“なにか”で守ってあげられるように。

 胸を張って生きていこう。辿り着いた未来で、後悔はしても前だけは向いていられる自分でいられるように。

 そんな全ての想いを胸に集めて、それをさっき、じいちゃんがしてくれたようにノックすることで───胸に刻み込む。

 口にすることは一つだけ。

 きっと、それだけでいい。

 だから、こんな言葉を口にする。

 

「覚悟───完了」

 

 教えを胸に、構えを正してじいちゃんと向き合う。

 湧き上がる高揚と、前を向くための理由が合わさって、今までにない真っ直ぐさで、俺は───!

 

「っ───あぁあああああああっ!!!」

 

 踏み出した一歩が、道場の床を叩くように音を立て、前に出た体は真っ直ぐに祖父へと向かった。

 笑んでいたじいちゃんの表情はすでに硬く、向かってゆく俺の背中に冷たいなにかを走らせた。

 予備動作と呼べるのか、すぅ、と静かに動くじいちゃん。

 そこからの記憶があまりないっていうことは、また一撃でのされたんだろう。

 そうやって未熟な自分を散々と叩いてもらいながら、自分は出会う人に恵まれたな、と……静かに思った。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所①

05/死に向ける敬意、武に向ける敬意。そして───オチに向ける暴走。

 

 ようやく渇いた服を畳んでいる間、華琳は物珍しそうにオーバーマンのマスクを広げていた。

 取りはしたけど八つ裂きにはしなかったそれを、風が拾ってきたのがそもそもだった。

 

「お兄さん、これはどうするものなのですか?」

 

 未知……とまではいかないのだろうけど、軍師としての知的探求か、はたまた普通に興味があるだけなのか。

 それはべつとして、うんバレた。俺が劉備さんの着替えを事故とはいえ見てしまったのがバレてしまった。

 そうだよなー、豪快に宴の席を駆け抜けたんだ、気づかないわけがない。

 

「い、いいか風、俺はべつにすき好んで覗いたわけじゃあ……」

「いえいえわかっていますよーお兄さんのことは。顔を隠せるものを手に入れたならばと、つい覗きたくなってしまったのですね」

「違うから! 俺本当に覗きたかったわけじゃないから!!」

「へえ。で? 桃香の胸はどうだったの?」

「あ、とってもたわわに実っ───たわば!!」

 

 電光石火で華琳のビンタが飛びました。

 おかげで、“たわば”なんてヘンテコな言葉が完成した。

 

「お兄さん、風は正直すぎるのもどうかと思うのですよ」

「いや……ほんと……下着姿で、しかも侍女さんたちが脱がしてただけだから……その、なんといいますか肝心なところは見ないで済んだといいますか……」

「おかしな言いかたをしますねお兄さん。見なくて済んだでは、見たくなかったような言いかたじゃないですか」

「見てなかったら、きっとみんな暖かく迎えてくれたんじゃないかなぁ……。そう思うと、あれは間違いだったって思えるんだよ……」

 

 それなのに今の俺ときたら、死刑宣告を待つ犯罪者の気分だよ。

 なんて思いながら青空の果てを見るように遠くを眺め、叩かれた頬をさすった。

 

「さてと。じゃあ……」

「みなさんに会いにいくのですかー?」

「いや、その前に少し。えと、華琳? ちょっと頼まれてほしいんだけど」

「頼み? 大陸の覇王を顎で使おうなんて、いい度胸ね」

「えぇっ!? いぃいいいいやいやいやっ、そんなつもりはっ!」

 

 ニヤリと笑っているところから、華琳も本気で言っているわけじゃないっていうのはすぐにわかる。わかるけど、なにせ華琳だから確信までは持てなかった。となると、頼るのは逆に怖い。

 

「……よ、よし、じゃあ自分の力でなんとかしてみよう。あ、華琳───次に会ったとき、頭と体が離れてても愛してるから……」

「泣き笑い顔で恐ろ嬉しいこと言うんじゃないわよ!!」

「恐ろ嬉しい!?」

「落ち着いてくださいお兄さん。いったいなにをやらかすつもりなのですか」

「やらかすって……」

 

 そんな、“行動の全てが悪事に繋がってます”みたいな言い方しなくても。

 ああ、うん、日頃の素行がどうとか言うんだね、そうですよね華琳様。だからそんなに刺々しい目で見ないでください。

 

「……ちょっとさ。孫策と話をしておこうと思って」

「雪蓮に?」

「しぇ……? っとと、真名だよな、それ。危ない危ない…………うん、孫策に」

「……一応聞いておいてあげる。一刀、貴方いったいなにを話す気?」

 

 わかっているだろうに、華琳は言う。いっそ、睨むように俺を見て。

 そんな、自分を見上げてくる目を真っ直ぐに見て、俺は口を開く。

 

「黄蓋さんのことだよ。やっぱりきちんと話しておきたいからさ」

「…………」

 

 口にしてみると、華琳は“やっぱり”って感じに不機嫌そうな顔になる。

 不機嫌そう、じゃないな、不機嫌だ。

 

「一刀……貴方、それがどういうことかわかってて言っているの?」

「もちろんわかってる。しただろ? 覚悟の話。戦場に立つ以上、どんな策で立ち向かおうがそれは立派な策。未来予知みたいなことをやって敵の策を打ち破るのも、“持っている知識を使う”って意味での立派な策だ」

「ええそうよ。そして───」

「───ああ。そして、戦場で死んだことに、戦地に向かう者は恨みを持ったらいけない。殺す気でいくんだから死ぬ覚悟だって出来てるはずだ。それを恨んだら、それは死んだ人の武への侮辱だ」

「……そこまでわかっていて、貴方はそれをするというの?」

「敵同士だったらきっとしなかったよ。でも、今は味方だ。味方に隠しごとをしたままで、仲良しで居続けられるほど我慢強くないんだよ、俺」

「………」

 

 あ、面白くなさそうな顔。

 

「貴方、それこそ八つ裂きにされても文句を言えないわよ?」

「そのときは全力で抵抗してみるよ。死にに行くわけでも戦場に向かうわけでもないし」

 

 うんっ、と頷いて黒檀の木刀を手に取る。と、華琳がフンッと鼻で笑いつつ、オーバーマンのマスクを岩の上へと投げた。

 

「抵抗? 小覇王と謳われた雪蓮に、警備隊隊長風情の貴方が?」

「ふぜっ!? 風情とか言うなっ! 警備隊は俺の、この世界での大切な仕事であり絆みたいなものなんだからなっ!?」

「その他にも魏の種馬という仕事もありますねー」

「風!? 仕事じゃないからそれ!!」

「大体、貴方そんなもので雪蓮とやり合えるつもりなの? 装飾がついているけれど、木なのでしょう? それ」

「ああ、思いっきり木だ」

 

 ご丁寧に鍔までついている木刀をヒョンッと振るって見せる。

 刃物と打ち合えば折られるか斬られるか。でも───ああ、そうだな。

 

「前提から間違えるところだった」

「……あら。気づいたの? 気づかなかったらそれこそぼっこぼこだったのに」

「あの……どの口が“言わなきゃわからないでしょ”とか言ったんでしょうか華琳さん」

「全てを与えたら成長なんてしないじゃない。私は自分の考えも持たずに与えられるだけ与えられて、自分で決断もできない、責任を取らない存在には興味がないわ」

「わかってるつもりだけどさ、ちょっと危なかったぞ今」

「気づけたならそれで十分よ。……で?」

「ああ。これは置いていくよ。武器持って向かい合ったら、どれだけ心を込めても話になんてならないもんな」

「ええ。わかったのならいいわ」

 

 満足……とまではいかないけど、華琳は少しだけ口の端を持ち上げると、踵を返して歩いてゆく。

 

「華琳?」

「呼んできてあげるわよ、そこに居なさい。呉の全員の前で言うよりは、まず雪蓮に話したほうがいいわ」

 

 そのほうが都合がいいし、と続ける華琳に首を捻る俺だが、たいへんありがたかったのでお礼と謝罪を混ぜた言葉が口に出る。

 

「……ごめん」

「謝るくらいなら言うんじゃないわよ。……まったく、あんな真面目な顔で言われたら断れないじゃない……」

「ん? なんか言ったか?」

「なにも言ってないわよ! ───風! 一緒に来なさい!」

「はいはいー」

 

 怒られてしまった。俺、そんなに危ない橋渡ろうとしてるのか? ……そりゃあ危ないよな。なにせ戦友を殺した張本人って言ってもいい。

 射ったのは秋蘭だけど、発端は俺の告発だ。

 

「でも……うん」

 

 歩いてゆく二人の後姿を見て、頷いた。

 黄蓋が孫呉の勝利を願って動いたように、俺も華琳たちの勝利を願ったからこそ行動した。

 魏に身を置く者として間違ったことはしていない。だから余計に、これは黄蓋への侮辱になるのかもしれない。

 ただ俺が“許してもらいたいから、心を軽くしたいから”と取った行動なのかもしれない。かもしれないけど、そこに憂いなんてあっちゃならないのだ。

 自分の心の深淵にあることなんて俺にはわからない。わからないから自分が願う行動に責任と覚悟を以って向かいたい。

 “許してくれ”なんて言えるはずもないし、言う気すら最初からない。

 

「……はぁ」

 

 しっかりしろよ、北郷一刀──────小さく呟いて、岩の上に置かれていたマスクを叩いた。

 あとでこれも使うことになるから、破かないでおいてよかった~と、暢気なことを考えながら。

 

 

───……。

 

 

 どれくらい経ったのか。

 緊張するなというのが土台無理な話の緊張の中、森をゆっくりと歩く人影に気づく。その影が見えるまで、座ることもなく歩くこともなく、ただずっと立ち尽くし、待っていた。

 座ってしまうとなにかに甘えてしまいそうだったのだ。

 “過ぎたことなんだからなんとかなる、今さら殺すなんて言わないさ”なんていう、自分の思考に食われそうだった。

 だから緊張を消さないために、川の前の草むらにずっと立っていた。

 

「…………」

「……」

 

 まずはなんと口にするべきか。───そんなものは決まっている。

 

「こんにちは、孫策」

「───御託はいいわ、言いたいことがあるんでしょう?」

「………ああ」

 

 もちろん、言いたいことはこんな挨拶じゃない。

 真っ直ぐに孫策の目を見て、恐らくすでに華琳から知らされていたのだろう事実を、真実として俺の口から。

 

「あの日、赤壁の戦いの中で黄蓋さんの策を華琳に報せたのは俺だ。黄蓋さんは魏の内部に入り込んで、火計でこちらに大打撃を与えるつもりだ、と」

「………」

「鎖で繋ぐことも知っていた。そのへんは真桜が上手くやってくれたから、黄蓋さんを逆に騙すことも出来た」

「………」

「それで、っ……!」

 

 特に拍子もなく、俺の喉に剣が……南海覇王が突きつけられた。

 真っ直ぐに、一歩を踏み出せば刺せる距離で。

 

「それで? それを私に話して、貴方はどうしたいの? 謝りたいだけ? それとも───」

「……謝らない」

「……?」

 

 冷たい目が俺を睨む。その目をしっかりと目を逸らさずに見て、言ってやる。

 

「謝ったりなんか、しない。許しを得たかったからこんな話をしたんじゃない」

「だったらなんだ。こんな話に謝罪以外のなんの意味があるという」

 

 女性ではなく、王としての眼光が俺を射抜く。

 それでも、口調や雰囲気に息は飲んでも、目は逸らさずに言葉を紡いだ。

 

「許してくれなんて言わない。ごめんなんて言ったりもしない。俺は直接戦ったりなんかしなかったけど、それでも自分の考えで誰かが死ぬ世界に身を置く覚悟で向かった。それは黄蓋さんだって同じだっただろうし、直接戦う分、死ぬ覚悟だっていつでも出来てたはずだ」

 

 ツ、と……俺の喉に鋭い圧迫感。───視線は、逸らさない。

 

「……意味ならあるさ。これから俺達は手を取って国を善くしていかなきゃならない。そのために、仲間を殺すきっかけになった自分を隠したままでいるのが嫌だった」

「だから……それが許しを乞う行為だって言っているのよ」

「違う。憎んでくれたっていい。嫌ってくれても構わない。ただ、そのために豊かにするべき方向を見失いたくないんだ。あいつが憎いからそこは手伝わない、彼女らには悪いことをしたから手伝わせてくれなんて言えない……そんな風になるのが嫌なんだ」

「………」

 

 さらに圧迫。プツ、と……嫌な音が耳に届いた。それでも、視線は孫策の瞳の奥に。

 

「これまでの戦いでたくさんの人が死んだ。臣下だけじゃない、兵や民だって、戦う意思を見せなかった誰かだって、たくさんのものを失った。……中には一緒に酒を交わした兵も居た。華琳たちには内緒で桃を買い食いして、バレやしないかってそわそわしながら笑い合って。でも……ある日、そいつは居なくなった。その辛さを、空虚を、知っている」

 

 剣は、さらに進む。まるで、一緒にするなと言うかのように。

 

「……一緒だ。付き合いの長さだけじゃない。国に貢献した数の問題でもない。誰だって生きていた。同じ旗の下に集まって、同じ意思の先を目指して戦った。強いからとか弱いからとか、そんなので片付けられるほど、この天下は軽くなかったはずだ」

 

 喉から胸へと、暖かいなにかがこぼれおちる。

 それでも……視線は、逸らさない。

 

「許してくれなんて言わないし、言ってほしいわけでもない。だけど、許さなくても繋げる手は今ここにあるはずだ。伸ばすだけで届く手が、繋げる手があるはずなんだ」

「………………そう。じゃあ訊くけど、貴方はそうやって手を繋いで、なにをどうする気?」

 

 冷たいままの視線を向けながら、孫策は言った。

 俺はそれにどう答えるべきか…………そんなものは、最初から決まっていたんだ。

 これこそが、会って話をして、届けたかった言葉なんだから。

 だから逸らすことなく真っ直ぐに、喉の痛みにも耐えながら口にする。

 

 

      「……国に、返していきたい」

 

 

 ……ふと、息を飲む音がする。

 それは果たして俺のものだったのか孫策のものだったのか。

 微かに震えた南海覇王が俺の喉を小さく刻み、思わず顔をしかめるけど……それでも、目だけは逸らさなかった。

 

「死んでいった人が残してくれたものを、ともに目指した場所で得たものを、いろんな人達が教えてくれたものを、この世界が与えてくれたいろんな思いを、全部」

「…………貴方……」

「死んでいった人達があっちで笑っていられるくらい、国を豊かにしていきたい。残された家族たちが、いつか“自分にはこんな子が居たんだ”って泣かずに話せる未来を築きたい。先人たちが残してくれた街に、国に、大地に……今度は手を繋げる全員で、その全てに恩を返していきたい」

 

 ……剣が震える。見つめる瞳は揺れていて、だけど……彼女もまた俺の目から視線を逸らすことをせず、向かい合っていた。

 そんな彼女が、一度喉をコクリと鳴らして……口を開いた。

 

「…………ひとつ、訊かせて」

「……ああ」

「貴方は、祭を……黄蓋を討ったことを、後悔している?」

「………」

 

 すぅ、と息を吸う。

 喉が痛むけど、構わずにゆっくりと。

 やがて長く息を吐いて、自分の心に問いかけた。

 “北郷一刀。お前はあの日のことを後悔しているか?”と。

 答えは…………確認するまでもなかった。

 

「後悔はしていない。黄蓋さんが孫呉のために命を賭けたように、俺だって曹魏のために“存在”を賭けて戦場に立った。……その場で殺されていたら、そりゃあ悔いは残っただろうけど、文句はなかったはずだよ」

「…………」

 

 孫策は俺の目を見つめる。

 言葉もなしに、そのままの状態で一分近くも。

 

(…………なんて真っ直ぐな目。でも……)

 

 でも、どうしてだろう。その目が、ふいに小さな驚きを孕む。

 

(でも……この子、悲しそう……)

 

 どうして驚いているのかも解らない状況の中で……ゆっくりと、剣が引かれる。

 

「そう。ならいいわ。私も、悲しくないわけじゃないけど……今さら貴方を殺して華琳に嫌われるのも好ましくないし」

「いいのか?」

「おかしなこと訊くわね。死にたいの?」

「いやいやいやっ……殺されないまでも、叩いたり殴ったりとかはされるんじゃないかとは、内心思っていたりはしたから……!」

 

 きょとんとした顔で死を口にする孫策に、思わず大慌てで否定の言葉を紡ぐ───ってこらこらこらっ! 一度納めた剣をまた抜かないのっ! そんな、ついでみたいなノリで殺されるなんて冗談じゃないっ!

 首をぶんぶん振る俺がおかしかったのか、孫策は苦笑を漏らした。まるで、出来の悪い弟を見るような目で、“仕方ないなぁ”って感じに。

 

「名前、貴方の口から改めて聞かせてもらっていい?」

「……っと、ああ。北郷一刀。姓が北郷、名が一刀。字と真名はない」

 

 あだ名って意味では、たぶん“かずピー”がそうなんだろうけど。

 

「じゃあ一刀。貴方は自分が起こした悔いのない行動を理由に、叩かれる、または殴られることを覚悟して私と向き合ったの?」

「行動に悔いはない。でも、人の感情って理屈だけで終わらせられるほど簡単じゃないだろ。戦場だから、仕方ないから、って全部を我慢したら、そのうち悲しみ方も忘れるかもしれない。……そりゃあ、本当に仕方のないことだってあるよ。俺だって華琳に、戦場で死んだことを恨むべきじゃないって言った。孫策さんにだって似たようなことを言った。でも───」

 

 ああそうだ。悔いは無くても、もしもを思えば悲しくなる。

 彼が生きていたなら、この世界の俺にも男友達が出来たのだろうか。

 内緒で酒を飲んで、桃を買い食いして、華琳に見つかってしこたま怒られて。それでもまた懲りずにやって、同じ空を仰ぎながら笑い合える馬鹿な友達が。

 

「どうせだったら、楽しさと一緒に悲しみの重さも分けてもらえる“手”でありたい。だから、少しでも気が晴れてくれるなら、叩かれてもいいって思ったんだよ」

「…………」

 

 孫策は、変わらずに俺を見ていた。

 見透かすように───俺の内側を覗くように。

 

「じゃあ、質問の仕方を変えるけど。…………貴方は、悲しい?」

「───」

 

 ずきり、と……心の奥底が痛んだ。

 後悔はしても前を向いていられるようにと誓ったあの日以来、こんなに鋭く痛んだのは久しぶりだった。

 

「………」

 

 孫策は変わらず俺の瞳を見ている。

 その目を見返すことが、少しだけ辛くなった。

 

「…………もしも、って……思うことがあるんだ」

「……ええ」

「もし、戦いなんてものがなくってさ。俺達が最初から手を取り合えていたなら……俺達が立つ世界はどうだったのかなって……」

 

 それは“もしも”を望む弱い心。

 もっといい道があったんじゃないだろうかと不安になる弱い心だ。

 そんな弱さを耳にして、孫策は───

 

「覇気もなく、惰弱に生きていたでしょうね」

 

 俺の弱さを、ばっさりと斬り捨てた。

 

「はは……そっか」

 

 そしてそれは俺自身が選んだ答えと同じものだったので、俺は笑いながら返す。

 

「あ、ちょっとー。答えが出てるなら訊かないでよ」

 

 そんな俺の反応に、孫策は面白くなさそうに口を尖らせる……って、何処の子供ですか貴女は。

 

「“それでも”って思うのが人間だろ? 自分が取った行動が途中で怖くなって、もっといい道が選べたんじゃないかって、あとで怖くなる」

「当たり前じゃない。だから後悔って言うんでしょ?」

「ああ。俺もそんな世界だったから、いろいろな覚悟を学べた。それを今さら否定するつもりなんてないよ。でも……みんなが生きて、ここで宴が出来てたらな……って、どうしても思っちゃうんだよ。孫策さんはそういうこと、ない?」

「私? ん~……そうね。祭だったらこんな席、逃すことは絶対にしないわね。賑やかなのとお酒が好きな人だから」

「───、………おごっ!?」

 

 孫策の言葉に沈黙すると、腹を鞘で突かれた。

 

「そんな顔しないの。言ったでしょ? 残念に思うことはあっても、恨んだりはしていないわ。逝った人が賑やかなことが好きだったなら、せいぜい死んだことを後悔するくらい楽しんでみせればいいのよ」

 

 そう言いながら、孫策は俺の頭を鞘でコンコンと叩いてくる。

 ……うん、地味に痛い。

 

「……一刀。手を出して」

「手? ……えと」

 

 突然だったけど、言われるがままに手を出す。

 すると、その右手が右手に包まれ、しっかりと握られる。

 

「難しいことは難しいことが好きな人に任せればいいのよ。笑うべきときは笑わなきゃ嘘になる、ってね。だから、貴方が国に返していく思いに、私は私の手を繋ぎたいんだけど…………それでいい?」

「───……」

 

 少し、ポカンと口を開ける。

 けどそれも少しの間で、俺は慌てて頷くと、今度は俺の方からしっかりと手を握り返した。

 

「じゃあ、私のことはこれから雪蓮って呼ぶように。いいわね~? か~ずとっ♪」

「へ? でもそれ、孫策さんの真名じゃ───」

「いいわよ、私は全然構わない。恩を国へ返すんでしょ? もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?」

「あ、ああ……それはもちろんだ。俺に出来ることがあったら、遠慮なく言ってほしい……むしろ望むところだから」

「だったら雪蓮でいいわよ。国のために働いてくれる人を、ずぅっと他人行儀で迎えるのなんて肩が凝るだけだし。……はぁ~あ、ちょぉっとからかうつもりだったのに……してやられたなぁ」

 

 伸びをするように、俺の手から離した手を天へと伸ばしながら、孫策……じゃなくて雪蓮は───……ん? マテ、今……妙に気にかかることを仰りませんでしたか?

 

「からかう、って…………え? なにを?」

「え? あぁうん、そのー……罪悪感とか持ってるなら、それを利用してつついちゃおうかなーって。祭が一刀の知識の前に敗れたのは、華琳から聞いてたから」

「………」

 

 か、からかう……? 俺、からかわれてたのか?

 いやいや待て待て、いくらなんでも死んだ人をからかうためのタネに使うのは───…………え?

 

「あ、あのー、つかぬことをお訊ねいたしますが、雪蓮さん?」

「ん、なぁに?」

 

 悪戯の真相をようやく明かせる子供みたいな、満面な笑みをにこーっと浮かべた雪蓮が俺を見る。

 認めたくない、認めたくないんだが……

 

「……その。こ、黄蓋さんって……もしかして……」

「祭? 祭がどうしたの~?」

 

 い、嫌な予感がふつふつと……!

 

「そ、その、だな……まさかとは思うんだけど………………い、生きてたり、とか───」

「ええ。ついさっき盗賊団殲滅遠征先から直接こっちに来て、今は大好きなお酒をがぶがぶ飲んでるところよ」

「なぁああああーっ!?」

 

 生きてた……生きてた!? えぇ!? な、あ、えぇえっ!!?

 

「なぁあっ……えぁあ!? だ、だだだって雪蓮、さっきこんな席を逃すはずは~とか言って……!」

「それがね? 今回の遠征はちょっと面倒でさ。それを祭に行ってもらったんだけど、思いのほか片付け難いものだったみたいでね? 今日中には来れないかもね~って冥琳と……ああ、周瑜のことね? 冥琳と話してたの」

「…………つまり。遠くに居ようと、今日という宴の席を黄蓋さんが逃すはずがない、という……意味……だったと……?」

「そうだけど?」

「………」

「………」

「俺の覚悟を返せぇえええええっ!!」

「きゃーっ、一刀が怒ったーっ♪」

 

 爆発した。

 言った言葉の全てが空回りになり、恥ずかしさとして返ってきたかのような恥ずかしさ。

 とにかく形容しがたい感情が胸の中で爆発するや否や、俺は両手を上げてオガーと叫びつつ、笑いながら逃げる雪蓮を追い掛け回した。

 

「死んだことを後悔するくらいとか言ったじゃないかー!」

「だって華琳がそう言えって言ったんだもーん!」

「だもーんじゃない! そんなこと───えぇ!? 華琳が!?」

 

 ちょっと華琳!? 華琳さん!? あなた思い悩める男の子の決意を利用して、なんてことを!

 

「散々待たせたお返しだから、徹底的にやって頂戴、って。この作戦考えたの、華琳よ?」

「あれだけ殴っといてこれ以上なにを望むんだよあの覇王様はぁーっ!!」

 

 叫ばずにはいられなかった。

 さよならシリアスようこそ理不尽。

 

「華琳!? かりーん!! ええい誰かある! だれっ……誰かぁあっ!! 誰かこのどうしようもないモヤモヤを取り除いてぇえーっ!!」

 

 そりゃあ、死んでいなかったのなら嬉しい。嬉しいが、この恥ずかしさはどうしてくれよう。

 頭を抱えて身悶えする俺を、雪蓮は楽しげに見るだけだ。この場には他に誰も居ないんだから、助けてくれる人なんて当然居ないわけで。

 

「って、どうやって!? いや取り除き方とかじゃなくて、黄蓋さんはどうやって……」

「えぇと、それがその。本人の名誉のため、あまり言いたくないんだけどー……言わないとだめ?」

「じゃなきゃ納得出来ない。秋蘭……夏侯淵に討たれたはずだろ? なのにどうして」

「むー…………あのね? ここだけの話……」

「……あ、ああ…………」

 

 ごくりと息を飲み、言葉を聞きこぼさないよう意識を聴覚に集中させる。

 すると……

 

「…………胸の大きさがね? こう……矢が心臓に達するのを防いだというか……あ、もちろん筋肉も骨もだけど」

「実家に帰らせていただ、って離せぇええええっ!!」

 

 現実逃避を実際の逃避に昇華させる勢いで、足早に去ろうとしたら捕まった。

 

「何処に帰る気よ、もうっ! 一刀は魏に恩を返すんでしょ!?」

「お、おっ……俺がどれだけの覚悟を以って切り出したと思ってんだっ!! どれだけの覚悟を以ってここに立ってたと思ってるんだっ!! 華琳に“殺されても仕方ない”みたいに言われて、緊張しっぱなしで心臓がドクンドクンいってたのに、結果がからかいだった上に胸!? 胸で助かったのか!? む、胸っ……胸って……」

 

 ひどく脱力。同時に呆然。いや、よかったよ? よかったんだけど。この行き場のない妙な気持ちや覚悟や恐怖はいったいどうしたら……。

 

(俺……もうなにも信じない。遠くへ行こう……どこか遠くへ……)

 

 今こそ霞との約束を果たすのでもいい……羅馬に行こう。

 そんな思いを胸に、とある“遠くへ行きたい歌”をルルルーと口ずさみ始める。

 処理しきれない状況による困惑を、冗談や意味のないものを混ぜることで誤魔化しにかかるのだ。怒りや焦りに飲まれそうなときには、と、じいちゃんに教わったことだ。

 え? 効果のほど? てんで冷静になれません。

 

「目が虚ろで怖いから落ち着きなさいってば! それだけで助かるわけがないでしょ!? 華佗って医者が助けてくれて、彼が居なきゃ祭は本当に死んでたんだから!」

「……え?」

 

 ハタ、と止まる。

 暴走していた思考も治まり、“死”という言葉が自分を、むしろさっきよりも冷静にさせた。

 華佗……華琳に紹介されて、一度会ったことがある男の名前だ。

 あの時は原因不明だった“俺の消滅への予兆”のことで、診てもらったな……その男の名前が華佗だった。

 同一人物……だろうな。

 

「心臓に達していなかったにしろ、あの戦いで祭が重症を負ったのはわかっているはずよ。船から落ちたにしろ船ごと流されたにしろ、赤壁は混戦状態だった。そんな中で重症の人間が助かる可能性なんて限りなく少なかった」

「………」

 

 それは……そうだ。

 あの炎の中、あれだけの傷を受けて立っていられたことが奇跡だった。

 そこに秋蘭の矢を受けたんだ……気絶で済むことも奇跡なら、生き抜けたことも奇跡だった筈だ。

 

「医者がそこに居たから助かった。居なかったら助からなかった。それも、ただの医者じゃ助からなかったのよ」

「それは……」

「射られた場所が悪かった所為もあって、復帰にはかなりの時間がかかったわ。祭が生きてたことを知ったのだって、私達が華琳に負けたもっと後のことなのよ? 意識不明だったから華佗が預かってくれていたってだけで。久しぶりに会えたときも結構辛そうで、その間にも五胡っていうおかしな連中が襲ってきて、祭は無理にでも戦線に出ようとするし、放っておけば隠れてお酒を飲もうとするし……」

「…………」

 

 最後の“酒”に関する言葉で、シリアスが裸足で逃げていった気がした。

 

「ええっと……じゃあ、その。今日飲む酒は、久方ぶりの無礼講の酒ってことなのかな」

「そ。完治祝いの酒と言っても過言じゃないんじゃない?」

「…………ちなみに、黄蓋様は普段、お酒をいかほど……」

「一刀。流れる滝が全部お酒だったらいいと思わない?」

「……訊いた俺が馬鹿でした」

 

 つまり、それだけ飲むんだろう。

 そしてそれだけ飲めるってことは、本当に心配はいらないってことで……いいんだよな……はぁ……。

 

「安心した?」

「う……それはまあ、したよ。どんなに伸ばしても届かないはずだった手が、望めば届く場所にあってくれた。…………うん、安心もそうだけど、嬉しいよ」

「へーえ……」

「……? な、なに?」

 

 にこー、と人懐こい顔で笑う雪蓮が、両の手を腰の後ろで組んだ状態で、俺の顔を下から覗くようにしてじりじりと近づいてくる。

 値踏みするとかそういうんじゃなくて、俺の目の奥を覗き込みたがってるみたいな……なに?

 

「ねぇ一刀。孫呉に来ない?」

「え? それって遊びかなにかで?」

「違う違う、天の御遣いとして、孫呉の肥やし……じゃなかった、孫呉で働いてみない?」

 

 あの。今、肥やしとか言いませんでした?

 

「ごめん。俺は、この身この心の全てを魏に捧げた。街の発展の手伝いくらいなら喜んでやるけど、魏からべつのところへ降るっていうのは考えられないよ」

「ぶー……了承を得られるとは思ってなかったけどさー、ちょっとでも揺れ動いたりはしてくれないのー?」

「揺れないよ。そしたらこの一年が無駄になる」

「───、……」

 

 雪蓮の疑問に、改めて真っ直ぐ雪蓮の目を見て口を開いた。

 すると、雪蓮は俺の目を見たまま固まったように、口を開けっぱなしにして目を瞬かせた。

 ……はて。なにかおかしなこと、言っただろうか。

 

「……雪蓮?」

「はっ! ……う、うー……なんか悔しい……」

「へ? く、悔しいって───」

「よし決めた。決めたわ私。まずは───…………とっとと、そうだった! 一刀、私はこれで戻るけど、華琳が一刀は“ますく”とかいうの被ってきなさいって言ってたわよー!」

「ますく? ……って行っちゃったよ」

 

 自分の言いたいことだけ言って、雪蓮は風になったかのようにゴシャーアーと走り去っていった。

 

「…………え?」

 

 さて……そうして残された自分は、いったいなにをどうするべきなのか。

 チラリと後方の景色を見やれば、流れる川と岩に置かれたマスク、そして乾いた服が畳まれて重ねられたバッグ。

 オーバーマンマスクは被るつもりだったけど、まさか華琳からそういった指示がくるとは思わなかった。

 

「はぁ…………こればっかりは謝らないといけないからな」

 

 事故とはいえ、着替えを覗いてしまったのは事実。

 よし、と覚悟を決めて、私服に着替えたのちにオーバーマンマスクをジャキィィインと装着した。

 

「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! 私たちは出来る!!」

 

 なにかがいろいろ間違っている言葉を口にして、リラックスのための材料にする。

 うん落ち着け俺、ほんと、いろんな意味で。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所②

06/天の御遣い

 

 念のために、もう固まっていた喉の血を川の水で洗って流す。

 そうしてから森を抜けて、ゆっくりと、確実に宴の場へと戻ってゆく。

 手には胴着とフランチェスカの制服が入り、木刀が刺さったバッグ。長細い布袋に包まれたそれをひと撫でして、溢れる緊張を飲み込んでゆく。

 しばらく歩くと勝手口……とは言わないんだろうが、正門よりは警備が手薄な入り口兼出口へと辿り着く。

 思うんだが、ここから攻められたら、あっさりと敵の侵入を許してしまうんじゃないだろうか。

 町外れの小川からここまで、奇異の目はあっても特に俺を引っ捕らえようとするヤツも居ないし。

 

「警備体制の見直し、やったほうがいいのかな」

 

 そう考えて、首を振る。

 凪や沙和や真桜なら、俺がとやかく言うよりもよっぽど効率よくやってくれているはずだ。

 だったら、と……そう考えると、これはただ華琳が“手を出すな”って言ってくれただけなのかもしれない。

 

「……うん。許してもらえるかはべつとしても、ちゃんと謝らないとな」

 

 決意を新たに門の先へ。

 警備兵に捕まるかなと思ったけど、警備兵は俺の侵入を黙認。

 

(……あ、こいつ……)

 

 どこかしかめっ面をしたそいつには見覚えがあった。

 兜を深く被っているためにわかりにくいけど、警備隊として一緒に警邏をしたこともあった。

 

(……そっか、まだ続けてたんだ)

 

 久しぶりに会えたこともあって、進めていた足を横に逸らす。

 小さな門の左右に立つ二人のうち、右の男へ向けて。

 もう一人は新兵なのか見覚えのない男だった。多分警備の仕方とかを教えているところなんだろう。

 足取り軽く、かつての仕事仲間の傍に寄ると、ギロリと睨んでくるそいつの前で、少しだけオーバーマンマスクをずらす。

 

「! あ、貴方はっ……!」

「しー。…………久しぶり。元気してたか?」

「はいっ、隊長もお元気そうで……!」

 

 どうやら俺のことを覚えていてくれたらしいそいつは、一年も行方をくらましていた俺に笑顔を向けてくれる。

 一方で、小さな門とはいえ距離はさすがにある左の警備兵は、難しそうな顔でこちらを睨んでいた。

 

「ごめんな。これからはまた、一緒に仕事が出来ると思うから」

「本当ですか!? それは楽進様や于禁様や李典様も喜びます!」

「…………?」

 

 あれ? ちょっと違和感。

 

「そういえば、今の警備隊の隊長は?」

 

 違和感をそのまま口にしてみると、目の前の男はきょとんとした顔をしてから、小さく笑みをこぼす。

 

「……楽進様や于禁様や李典様に言わせれば、警備隊の隊長は北郷一刀様だけであると。そしてそれは、自分らも同じ気持ちです」

「う………」

 

 穏やかに、けど誇らしげに。

 俺の目の前で、手に持った槍の石突きでドンと地面を叩き、彼は胸を張って言った。

 そんな返答が嬉しくもありくすぐったくもある。

 自分は確かに魏のために民のために、そして兵たちのためにも働けていたのだと。

 

「これで、警備隊も元通りですね。最近の警備隊は、どうも尖った印象がありましたから。こんなことを言ったら隊長代理の三人に怒られますが……自分は、隊長が居てくださったあの頃の警備隊が一番好きであります」

「…………」

 

 苦笑を織り交ぜたような、まるで友達に向かって内緒話をするみたいに言う男。

 そんな様子を見て、俺は……ああ、なんだ……と小さく納得した。

 自分が気づかないうちに、自分の周りにはこんなにも自分を慕ってくれる人が居たのだと。

 華琳たちだけじゃない、ちゃんと他のやつらにも自分という存在は刻まれていたのだと。

 そんな嬉しさが顔に出るのがわかって、けれど止められずに笑顔になると、目の前の男もようやく安心したように……苦笑ではなく満面の笑顔で笑った。

 ああ、やはり隊長ですね、と……安心したように。

 そんな彼に軽く手を上げてから別れ、マスクを被り直して城の先へ。

 

(……うん。勇気もらった)

 

 自分はきちんと、多少だろうが魏に貢献できていたという思いが勇気になる。

 その小さな勇気を胸に、俺は………………その勇気を、覗きの謝罪をするために使わなきゃいけないことに、少し泣きたくなった。

 

 

───……。

 

 

 中庭はどこか殺伐とした空気を孕んでいた。

 “産まれる子供は殺戮の勇者ですか? 空気を読んでください”と、空気さんに言ってやりたい気分です。……などという冗談も、口にしたら斬首確定なくらい、場の空気は重かった。

 

「えっと……」

 

 そんな中、俺を見て小さく肩を震わせる人物を発見───劉備である。

 勇気が萎まないうちにと小走りに近づいて───

 

「止まれ」

 

 ジャキリと青龍偃月刀を突きつけられて、ビタリと止まる俺の足。

 

「ア、アノ……関羽、サン……?」

「桃香様には指一本触れさせん。……構えるがいい、曹操殿の命令だ。本来ならば私の手で斬り捨ててやりたいところだが……」

 

 アノ、関羽サン……? と、とっても怖いDEATHよ?

 って、え? なに? どうなるんですか僕。謝らせてはもらえないのですか?

 

「貴様にはそこの中央で、あの者と戦ってもらう。桃香様の手前、宴の手前、殺すようなことはさせないが、それなりの処罰は受けてもらう」

「エ? アノ、ソレッテスデニ、戦ウコトガ処罰ニナッテルンジャ……」

 

 と、促された先……中庭の中央を見やれば、長い斧のようなものを持った、どっかで見たような女性が、ってゲーッ! 華雄さん!?

 

「えぇえ!? なななんで!? なんで華雄が!?」

「ほう、我が名も凡夫に響き渡るほど有名になったか」

「凡夫!? ああいやソレは今はいいや! なんでこんなところに!? 行方不明になったって聞いてたのに!」

 

 言いながら、説明をしてくれる誰かをキョロキョロと探すのだが……誰もが誰も、さっさと始めろ的な雰囲気を溢れさせていた。ああもう戦好きの皆様はこれだから……!

 

「華雄~! 必ず勝つのじゃ~っ! おぬしが勝てば、妾たちは自由の身じゃぞ~っ!」

「よっ、お嬢さまっ、他人任せの達人っ!」

「うわーははははーっ! 任せるのじゃーっ!」

「………」

 

 袁術だ。

 袁術だね。

 あれ? ここ、どういった宴の場ですか?

 そんな思いを込めて華琳が居るほうを見てみると、なにやら雪蓮とギャースカ言い争いを始めていた。

 あ、あー……ソウナンダー、こっちは無視ナンダー。

 

「両者構えて!」

「関羽さん!? 俺まだ中央に向かってもいないんですけど!?」

 

 状況的によろしくなく、慌ててバッグに刺さった長布から黒檀木刀を取り出し、中庭の中央に走って───ハッとする。

 

(ってなに流されてんだ俺! 来ちゃだめだろ! 中央に来ちゃったら戦うしかないじゃないか!)

 

 武器を持って、武器を持つ者と対峙…………勝負でしょう。

 そんな方程式があっさりと決まってしまう場に立って、思わず頭を抱えて空に向かって心の中で慟哭した。

 

「貴様のようなひょろひょろの男が相手というのはいささか不本意だが、それで罪が流されるのなら相手になろう」

 

 そしてそんな俺の前で、フフンといった感じに自分の顎を撫でながら胸を張る華雄。

 なんというか自分の武を示せればもうなんでもいいんじゃなかろうかこの人。

 

「両者構えて!」

「ふふ……」

「う、うー……」

 

 流されるままに武器を構える俺は、どうにもいきなりの状況に腰が引けていた。

 が、戦いの瞬間が近づけば近づくほど、意識は覚悟を決めてゆく。

 ……相手が俺に勝とうとするならば、俺も勝とうとする覚悟を。そう思い、大きく息を吸って、大きく吐く。

 

(……覚悟、完了───)

 

 そうしてからキッと華雄を見据える。

 正眼に構える体は真っ直ぐに伸び、引けていた腰など“ついさっき”に置き去りにしたように、地に足をどっしりと下ろしている。

 それを見た華雄は小さく「ほう……」ともらすが、構えは変わらない。

 一撃で決着をつける気なのだろう、力を溜めるように捻られた構えは、雑魚対一、多対一にはよく向いているようだった。

 

「───始めっ!」

 

 目の前の敵に集中する意識の中、聞こえたのは関羽の合図。

 その途端に華雄は地を蹴り弾き、戦いに喜びを見せる様相で笑んだまま、自分の間合いに入るや───戦斧を大振りに振るってくる。

 

「っ」

 

 それを、まずは後ろに大きく跳ぶことで避ける。

 無様でもいい、まずは一撃を躱すことが、自分の中で大切なことだった。

 

「はっはっは! どうした! 初撃から逃げとは、随分と腰抜けだな!」

 

 対峙する華雄が笑う───が、それは意識を掻き乱したりはしない。

 むしろ俺が狙った行動はすでに果たされていた。

 まず、避けること。……たったこれだけだが、これが自分にとっては大切な行動だった。

 

「ふっ! はっ! せいっ!」

 

 続く連撃を避ける、避ける、避ける───!

 武器で受け止めれば力負けするのは目に見えている。

 ならば極力避けることに集中し、隙が出ればそれを突く。

 大切なことは初撃を避けて、“相手の攻撃は避けられるものだ”と体に教えること。

 相手は乱世を生き抜いた、いい意味での怪物。

 そんな武人相手に自分が立ち回れるわけがないという固定観念を、なにかで勝ることで打ち崩す。

 俺の場合、それが避けだった。

 

「よく避けるではないか! だが逃げてばかりでは私には勝てんぞ!」

 

 振るわれ、避け、武器を振るおうとし、振るわれ、避ける。

 その繰り返しを細かく続ける。

 情けない話だが、大振りだっていうのにこんなにも戻しが早い斬撃に、真正面からぶつかって勝てってのは無茶が過ぎる。

 だから、ちょっと卑怯かもしれないけど……

 

「ふんっ! はぁっ! せやぁっ!!」

 

 相当に重いであろう斧が振るわれ、腕が伸び切った瞬間に踏み出す。

 すると華雄は伸び切った腕に無理矢理の力を込め、俺を薙ぎ払おうとする。それを再び避け、腕が伸び切ったところに踏み込み───

 

「ぐっ! ぬっ! こ、このっ……!」

 

 姑息な考えだが、戦場での武人は“向かってくる敵”を薙ぎ倒すのが大体だ。

 ほうっておいても敵は自分のところに来て、自分はそれを迎え撃って薙ぎ払う。

 振るう一撃も、武人にしてみれば“受け止めるもの”であり、躱す、逸らすなどといった行為はあまりしない。

 武を見せつけることを仕事とするかのように受け止め、弾き……これの繰り返しだ。

 敵を切り捨てる際、振り切らんとする武器は敵の肉、または武器によって受け止められるし、腕が伸びきることなんて滅多にない。

 そんな伸び切った腕に力を込め、重い武器を無理矢理戻そうとすれば、そこにかかる負担は倍化にも近い。

 そんなことをこの速さで幾度も続けていれば───

 

「ぐっ……は、はぁっ……! ぐ……!」

 

 疲労する速さだって、当然倍化する。

 相手を自分より劣る者だと思うからこそ慎重性を欠き、そんな相手だからこそこういった状況に引きずり込める。

 おまけに体の疲れはもちろん、無理矢理に使った筋肉が痙攣を起こすし、無理に振ろうとしても握力がなくなり、すっぽ抜けるだけだ。

 ……と、そうは思うものの、相手はあの華雄なわけで……

 

「まだ───まだだぁああっ!!」

「うえぇええっ!!?」

 

 すっかりぐったりしていたと思っていた華雄はさらに斧を振り、襲いかかってくる。

 つくづく勇猛、つくづく武人。

 普通の人だったらとっくに腕が動かなくなってても不思議じゃないのに───

 

(……、……うん?)

 

 そこで、また違和感。

 普通の人だったら、って…………じゃあ、ここまで一撃もかすりもせずに避けられた自分はなんなのか。

 半年前に浮かんだ疑問が、再び浮上してくる。

 もはや華雄の気迫は対峙するだけで身が震えるほど。

 だっていうのに自分は萎縮することなく攻撃を避け、目が慣れてきたためか攻撃も返せている。

 それは、つまり───

 

「まさか……いや、でも───」

 

 考える。

 華雄は決して弱くなんかない。

 普通に戦えば最初の一撃で自分は死んでいたかもしれない。

 春蘭や凪との時だってそうだ。

 そもそも最初の一撃を避けたり、牽制できたりする時点でなにかがおかしい。

 相手は八人同時だろうが平気で薙ぎ払える武官。

 それを、じいちゃんにさえ勝てない俺が、手加減されていたとはいえ……?

 

「はぁああああああっ!!」

「っ───!」

 

 それは無謀な賭けだ。

 振るわれた戦斧を、柄と刀背に手を添えた木刀で受け止めるという行為。

 戦いを見ていたほぼ全員から動揺の声があがるが、それでも踏み込み───

 

  ドガァアッ!!

 

 刃の部分ではなく、速度が乗りきらない斧を支える棒の部分を全身で受け止めるようにして───止めてみせた。

 

「つっ……くは……!」

「……! な……に……!?」

 

 そして……俺の体は、吹き飛んではいなかった。

 途端に湧きあがる歓声。

 俺は確信を得て華雄の武器を押し戻すと、一度距離を取って、乱れていない呼吸でゆっくりと深呼吸をする。

 呆れる事実を、真実として受け入れるために。

 

「すぅ……はぁ……───」

 

 目の前には驚きを隠せない華雄。

 とりあえず安心してほしい、驚いてるのは俺だって同じだ。

 元の世界の北郷一刀なら、今の一撃で空を飛んで地面に激突して勝負ありーだった。

 けど、この世界の……天の御遣いとしての俺は、なんの冗談なのか普通よりも相当に身体能力が高いらしい。

 思えば稟との騒動の時、華琳の命で俺を狙う魏のみんなから逃げ回れたり、風を抱えたまま季衣や流琉から逃げられたりと、能力的な意味での意外性は確かに存在していた。

 あっちの世界では“出来ないこと”の方が多かった自分なのに、この世界に来てから出来ることが増えていった事実も存在する。

 それが意味することは即ち、華琳の望みを叶えるために舞い降りた天の御遣い様は、どうやら無能で居ることを許してはもらえないようだ、ってことで───

 

「よしっ!」

 

 違和感が確信へと変わった今、突き進む足にはなんの迷いもない。

 痺れ始めの腕でもあんな威力を出せるってことは、華雄の全力は相当に重いんだろうけど───今はそんなことは横に置いておく。

 疲れている相手に突撃っていうのもやっぱり卑怯かもしれないけど、相手を疲れさせるのも策ってことで納得してもらおう。

 

「はぁっ───!」

「くっ……なめるな!」

 

 踏み込み走り出すと、俺の速さに合わせた斬撃を繰り出す華雄。

 俺はさらにそれに合わせ、踏み込ませた足で強く強く地面を蹴り、一気に速度を上げる。

 刃を木刀で受ければただでは済まない。

 ならばと、肉迫する寸前に限界まで身を屈みこませることで、華雄の一撃をやりすごす。

 

「なっ!」

 

 疾駆の勢いそのままに、破れかぶれにも似た一撃を出すと思っていたんだろう。

 攻撃を躱された華雄の動揺は大きく、地面に這いつくばるみたいに屈んだ俺を、驚愕の表情で見下ろしていた。

 直後に再び力を込め、伸びきった腕を戻そうとするが───

 

「っ、ぐぅっ!?」

 

 無茶がたたったのだろう、体か腕かの痛みに一瞬顔をしかめ、動作が遅れた。

 その頃には俺は立ち上がりと同時に木刀を振るっていて、その軌道は迷うことなく伸びきった華雄の腕へと───

 

「まだだぁああああああっ!!!!」

「ういぃっ!?」

 

 い、否ぁあっ! この人無茶苦茶だ!

 伸びきった腕を身振りで無理矢理戻して、斧の石突きで俺の顔面狙ってきた!

 

(避ける!? む、無理無理! もうこっちも攻撃体勢に───うあだめだ! 待っ───くあぁあああっ!!!)

 

 覚悟を決めて玉砕戦法!!

 出来る限りに顔を仰け反らせ、その上で木刀を振り切る!!

 

  ごぎぃんっ!! ───ルフォンッ……ドガァッ!!

 

 ───そして、重苦しい音が響く。

 振り切らんとした木刀は振り切った状態で俺の手にあり、華雄の斧は……華雄の手には存在していなかった。

 弧を描いて飛ぶ、なんてことはしないで、勢いのままに小さく手から零れ落ち、地面に突き刺さった。

 

「……は、はぁっ……はぁっ……!」

「む…………」

 

 あまりに予想外のことに息を乱した俺と、同じく息を乱しながら自分の手を見る華雄。

 その手に武器が無いことを確認したのだろう、一度目を閉じると空を仰ぎ、目を開くと俺へと視線を戻す。

 

「……どうやら、私の負けの───…………」

「……?」

 

 なんか俺の顔を見た華雄が、喋るべき言葉を見失ったみたいに停止する。

 それは周りの人も同じようで、結構盛り上がってくれていたはずの宴の席は、急にひんやりと冷たくなったかのように静まり返って……

 

「あの、華雄───っと?」

 

 わけもわからず声をかけようとする俺の頭に、何かが落ちてくる。

 それを手に取ってみると………………外国人男性のマスクが微笑んでいた。

 あれ? と顔をさらりと触る。

 ……汗をかいた肌が、そこにあった。

 

「……あれ?」

 

 えっと……その、なんだ? まさかさっきの石突きがマスクに突き刺さって、弾くのと同時にすっぽ抜けた……?

 ……あ、やばい……───そう思った時にはもう遅い。

 

『えっ……えぇえええーっ!?』

 

 魏のみんなが俺の顔をバッチリと見てしまい、大声を張り上げていた。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所③

07/ただいまを言える場所

 

「そんなわけで───すいませんでしたっ!」

「許さん」

「えぇえっ!!?」

「ちょ、愛紗ちゃんっ! こ、こっちこそごめんなさい御遣いのお兄さん、私もなんか大事にしちゃったみたいで」

 

 ええ大事でしたとも。

 あんな帰り方じゃなかったら、きっと全てが感動的に纏まっていたんだと思えるくらいさ。

 でもこうして劉備も許してくれたようだし、あとの問題は───

 

「あ、あー……」

 

 ちらりと見た先に居る、殺気ともとれる威圧感を以って、力を溜めて待機している魏のみんな……だろうなぁ。むしろなんで動かないのか───と考えてみて、答えはすぐに確信に到る。華琳に“待て”を命じられているんだろう。

 あれらが解放された時、自分がどうなるかを考えるとちょっと怖いような───……って、あれ?

 

(…………凪?)

 

 ふと気づく。

 一瞬俺と目が合った凪が、申し訳ないような、合わせる顔がないような感じに目を逸らした。

 どうしたんだろ…………って、凪の性格を考えると、ほぼ間違いなく俺に攻撃を仕掛けたこと……だよな。

 べつに気にしてないのに。

 

「……うん、よし」

 

 だったら、そんな憂いも吹き飛ぶくらいに笑顔で“帰ろう”。

 この世界が俺が居たかった世界で、帰るべき場所が魏の旗の下なんだ。

 言わなきゃ届かない思いがあることを、さっき華琳に拳と一緒に叩きこまれたばっかりだしな。

 

「みんな! ただい───」

「全軍、突撃!」

「───ま?」

 

 華琳様が小さく仰いなすった。

 途端、お預けをくらっていた猛獣達が檻から解き放たれたかのごとく地を蹴り───

 

「北郷ぉおおおおおっ!! 貴様っ! 斬るぅうううううっ!!!」

「一刀ーっ!! 一刀やぁあーっ!!」

 

 その筆頭を競わんとする二人は、片方はともかくもう片方は大剣を手にそれこそ突撃してきて……ってキャーッ!?

 

「せぃいっ!」

「ヒィイッ!? ちょ、春蘭!? いぃいいいきなり斬りかかるやつがあるかぁあっ!! 前髪にかすったぞ!? 少し落ち着」

 

 落ち着いてくれ、と言おうとした途端、左の頬に春蘭のビンタが炸裂した。

 それはよくある右から左へ~、なんてものではなく、ならばチョッピングライトにも似た斜め上から袈裟掛けに、というわけでもなく。むしろ空へ吹き飛べとばかりの、ボクシングでいうスマッシュにも似た鋭くかちあげるようなアッパービンタだった。

 

  ───結果、叫びながら中庭の空を飛んだ。

 

 女性のビンタで空を飛ぶ……それはきっと、盗んだバイクで走り出すより凄まじいことだと思いました。

 皆様に愛されて約一年、北郷一刀です。

 

「貴様ぁああああ…………!! よくも我らの前にのこのこと姿を現せたものだな!! それは褒めてやる!!」

「褒めるの!?」

 

 倒れ、しかし顔だけ起こした視線の先には赤き隻眼の鬼神。

 言った途端に武器を納めてくれたことだけは感謝したい気分だが、空を飛んで地面に落下、無様にうずくまった俺は、それを素直に喜んでいいのだろうか。

 いや、そりゃあ春蘭のビンタなんて珍しすぎて奇跡体験かもしれないが、うん。痛いものは痛いです。

 しかしうずくまったままではいられないので、くらくらする頭を振りながら立ち上が───ると、そこに霞がドカー!と抱きついてくる。

 

「ちょ、霞!? 今とっても危険な状況で……!」

「うあーん一刀ーっ! かずと、かずとーっ!! 何処行っとったんやどあほぉっ! ウチが、ウチがどれだけ悲しんだ思とるんやぁっ! 約束したのに! 約束したくせにぃっ! あれ嘘やったんかぁっ!?」

「霞…………その、ごめん。いっぱいひどいことしちゃったな……。でも、もう大丈夫だから。俺は華琳に願われてここに居る。予測でしかないけど、たぶん間違いじゃないから」

「華琳……? 華琳と一刀と、なんの関係があるん……? ───はっ! まさか華琳が一刀のこと追い出しよったんか!?」

「違うわよ」

「あ……華琳」

 

 逃げ場もなく、霞に抱きつかれた俺を囲む魏の武官文官の輪の中、その輪が開く先から華琳が歩いてくる。

 ……で、俺の頬のモミジを見ると少し顔を背けて笑って……ってこらこら、誰の突撃命令でこんなことになったと……。

 

「そこの御遣い様は、私の願いに応じて参上したと言っていたわ。これでまた居なくなるようなら、それこそ天にでも攻め入って、天も手中に収めてやるんだから」

「華琳、それじゃ答えになってないだろ……」

「あら。貴方を戒めるのに小難しい言葉が必要? わかっていないのなら教えてあげるわ───貴方はここに居ればいいのよ。小難しい理由も証明も要らない。私が願う限りここに居ることが出来るなら、私が死するその瞬間までずっとこの大陸に尽くしなさい。……それがいつか、この場に居る全員に届かせられる一番の答えになるのだから」

「華琳……」

 

 いや、そうは言うけどな? どうも皆様納得してらっしゃらないようなんだが?

 

「つまり……一刀はもう何処にも行かへんってことなん……?」

「……ああ、それは約束する。華琳が願う限り、俺はこの世界で生きていける。だから───言わせてほしい。…………みんな、ただいま」

 

 いろいろ挫かれたけど、今度はちゃんとした笑みでただいまを。

 涙目の霞に、怒り治まらぬ春蘭に、俯きながらも俺を見てくれている凪に、集まってくれたみんなに。

 

「今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?」

「ああ」

「また、なにも言わずにどっかに行ったりしたら、どうやってでも天の国探して一刀のこと奪いに行くで……?」

「ああ、迎えに来て欲しい。たぶんそうなった時は、俺の意思じゃなくて天の意思か華琳の意思かで戻されてるだろうから」

「ほんまに……?」

「ホンマホンマ。……我が身、我が意思は魏とともにあり。曹魏が曹魏らしくある限り、俺は絶対にこの地を離れたいなんて思わないよ。……そこのところは、約束してくれるんだろ? 華琳」

 

 上目遣いで俺の顔を見る霞の頭を撫でながら、笑顔で華琳を見る。

 すると華琳は「誰にものを言っているの?」と口の端を持ち上げ、胸の前で腕を組んで約束をしてくれる。

 その“俺がこの地に居る”という約束がきっかけになったんだろう。

 魏のみんなは弾けるように霞ごと俺に抱きついてきて───って、ちょ───おわぁーっ!?

 

「兄ちゃん! 兄ちゃーん!」

「あたたたたたっ!! ちょ、季衣っ! ウチの足、踏んどる踏んどるっ!」

「兄様……! 勝手に居なくなったりして、どれだけ心配したと思ってるんですか!」

「いたいいたいっ! 流琉、それ一刀の胸とちゃうっ! ウチの頭やっ!」

「そら姐さん、一人で先んじて隊長とよろしゅうしとったんですから、報復みたいに受け取ったってほしいですわ」

「凪ちゃん凪ちゃん、隊長なの隊長なのー!」

「………」

「や、沙和、騙されたらアカン。ウチらの隊長があないに強いはずがないで……」

「いやいや一年あれば人って変われるよ!? “男子三日会わざれば刮目して見よ”って言葉だってあるし!」

「…………ホンマモンの隊長? ホンマに?」

「さっき“先んじて隊長とよろしゅうしとった”とか言ってただろ!?」

 

 ていうかそろそろ辛い! みんな抱きつきすぎだって! 絞まる! 首絞まる! 誰だ首絞めてるの───ってもしや桂花さん!? もしやこの手は視界内に居らっしゃらない桂花さん!?

 

「ウソや……せやったらなんで凪がこんな落ち込んどるん?」

「あ、それはさっき……あの、マスクを、被って……た俺、に……凪が……打ち込んで……き……て……、……! ……!」

「……? 一刀、どないしたん? 顔がみるみる青なって───って桂花! なに一刀の首絞めとんねん!」

「この万年発情男の所為で……! どれだけ華琳様が溜め息をお吐きになられたか……!」

「そうだ北郷! 貴様の所為で華琳様がどれだけ───!」

「桂花、春蘭」

「はっ! 華琳様っ!」

「はいっ! なんでしょうか華琳様!」

「とりあえず黙りなさい」

『はいっ! ───…………』

 

 ……あ、本当に二人とも黙った。

 けど、春蘭にも言いたいこともあったのだろう、それをどうやって俺に伝えるかを眉を寄せながら考え、やがてぱぁっとその表情が輝くと

 

「ん? 春蘭? あれ? なんで拳構えてこっちにばぼぉっふぁ!?」

 

 とりあえず殴られた。思いっきり右で。

 霞の抱擁から解き放たれた俺は当然地面を滑ったが、この痛みも受け止める。涙出てるけど受け止める。

 でもわかってください、俺も好きでこの世界から消えたわけじゃないんです、本当です。……と、痛みに身を震わせながら小さく体を起こすと、スッ……と地面に差す影。

 見上げてみると、そこに秋蘭が居た。

 

「すまないな、北郷。姉者もあれで相当寂しがっていてな」

「い、いちちちち…………! い、いやっ……拳一発……じゃないけど、それで許してもらえるなら……」

「そうか。では歯を食い縛れ」

「え? いやだからって殴られたいわけじゃっ…………ええいっ! どんとこいっ!」

 

 ぐっと構え、訪れる痛みに覚悟を決めると、次の瞬間には頭部に衝撃。

 秋蘭からの罰は、脳天へのゲンコツだった。

 ……これがまた、なかなか痛い。

 頭を押さえてきゅぅううう~……と変な声を出す俺がそこに居た。

 そんな俺と同じ目線に屈み込み、秋蘭はフッ……と小さく笑みをこぼし、「よく、帰ってきてくれた」と言ってくれた。

 

「………」

 

 痛みの代償なんてその言葉だけで十分だった。

 思わず泣きそうになる俺に、秋蘭はデコピンをかます。

 まるで、こんな時くらいはシャンとしろ、と喝を与えるように。

 そんなデコピンが、額ではなく心に喝を与えてくれた気がして、がばっと立ち上がった。

 そして喝を入れられた心を胸に、まだきちんと向かい合えていない稟と凪を交互に見ると、大きく息を吸いこんで───

 

「……稟ちゃんは行かないのですかー?」

「まあ……一刀殿の性格を考えると……」

「稟ー! 凪ー! ただいまー!」

 

 ───叫んだ。

 みんなが少し驚いてたけど、構わずに向かう。

 まずは、凪が居るほうへ。

 

「……あちらの方がほうっておいてくれないと思うので」

「やれやれですねー、お兄さんは本当に気が多いのです」

『懐の広いところだけが取り柄の兄ちゃんから気の多さを取ったら、なんにも残らんぜー』

「と、彼もこう言ってるのですよ」

「……風? 宝譿はさっきまで壊れていたんじゃ……」

「真桜ちゃんに直していただきましたー。ちょちょいのちょいで楽勝や~と言ってたのですよ。その名も宝譿弐式、マツタケくんだそうですよ」

「…………マ、マツタケ……」

 

 ぶつかってくる大切な人達を抱き締めながら、涙も我慢することなく流して、ぶつかってこない相手には自分からぶつかりに行って。

 戻ってこれたのがこんなにも嬉しい───こんなにも嬉しいなら、どうしてそれを我慢する必要があるのか。

 嬉しいのなら、この思いをぶつけに行けばいい。ぶつけられればいい。

 俺はそれを受け止めたいって思ってるし、相手だってきっと受け止めてくれる。

 だって───“嬉しい”という事実だけで、こんなにも泣けるんだから。

 

「ただいま凪! あっははははは!! ただいま!」

「ぁわぁああっ!? たた隊長!? 下ろしっ……!」

 

 泣き笑いっていうヘンな顔で、凪をお姫様抱っこで抱き上げた。

 そのまま走りながらくるくる回ったところで、稟や風を巻き込んで転倒。

 それでも嬉しさのあまりに込み上げる笑いと涙は止まらなくて───俺はしばらくそうして、帰りたかった場所へ、ただいまを言える場所へ辿り着けたことを心から喜んでいた。

 ……いたんだが。

 

「……あれ? なんか背中にゴリっとした感触が……ってホウケェエーイ!!」

 

 倒れた俺の背中と大地の間で潰れていたもの。それは宝譿のようでいて宝譿じゃない何か……って、え!? 宝譿!? 宝譿はさっき風に踏まれて……!

 

「……お兄さんは宝譿になにか恨みでもあるのですかー……?」

「いや違っ……! ていうかなんで!? 宝譿はさっき風が……!」

「真桜ちゃんに直してもらったのですが、今この時、お兄さんに惨殺されたのです」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる!? ま、真桜! 真桜ーっ!! 宝譿をたすけてぇええっ!!」

「ちなみにその子はマツタケと言うのですよ」

「宝譿にしなさい! 壊した自分が立ち直れなくなりそうだから!」

 

 結局感動の再会も騒がしさに流される。それなのにその騒がしさこそが心地良い。

 これでこそ自分たちだって思えたのは、きっと気の所為ではないのだろうから。

 

 

───……。

 

 

 で…………

 

「あの……はい……調子に乗りすぎました……お騒がせして、すこぶる申し訳ない……」

 

 宴の席を引っ掻き回したわたくしこと北郷一刀は現在、華琳様の前で正座をさせられていました。

 最初は何故こんなことをと、わけがわからなかったわたくし北郷一刀は、そっと囁いてくれた風のお陰で少しだけ状況がわかりました。

 風が言うには華琳様は、自分の時だけ強制しなければ“ただいま”を言わなかったわたくしこと北郷一刀に制裁を加えたいのだとか。

 いえあの……もう制裁加えられているからこそ、頭がとても痛いのですがね? ああもう過ぎたことです、この馬鹿丁寧な語りにも終焉をくれてやりましょう。ここまでのモノローグは、わたくしこと北郷一刀がお送りいたしました。

 

「皆、見苦しいところを見せたわね。気にせず今日という日を楽しんで頂戴」

 

 華琳は華琳で俺を殴ってすっきりしたのか、清々しいまでの笑顔で他国のみんなにそう言う。

 

「あ……ところでさ、華琳。結局、華雄や袁術はなんだったんだ? 自由がどうとか言ってたけど」

「ああ。野盗まがいのことをやっているところを、蓮華……孫権たちが引っ立ててきたのよ。せっかくの宴の席で首を刎ねるのもなんだし、それなら余興のひとつにしましょうって話になったの」

「へえ……で、どうするんだ?」

「敗者に情けは無用。……と、言いたいところだけど、いいわ、一刀に任せてあげる。勝ったのは一刀なんだから、煮るなり焼くなり好きになさい」

「………」

 

 ちらりと、華雄、袁術、張勲を見る。

 目が合った途端に袁術が身を守るように縮こまり、目を丸くしてヒーと泣き出した。

 それは張勲も同じようで、華雄はむしろ負けたのだからとどっしりと構えていた。

 

「……ん。じゃあ三人には“三国”に降ってもらおう」

「三国? 魏ではなくて?」

「ああ。これから国を善くしていくんだろ? だったら、一国だけじゃなくて三国にこそ人手が必要になる。三人にはその“必要になった時”、すぐに動ける人員になってもらうのはどうだろう」

「……華雄はともかく、あとの二人が役に立つ?」

 

 ギヌロと覇王の眼力で三人を睨む華琳。

 華雄はどこか楽しそうに笑っているが、袁術と張勲は涙目だ。

 

「役に立たないなら立つように教えればいいさ。人って成長できる生き物だろ? わからなければ教えればいい。覚えられないなら覚えるまで教えてやればいい。今役に立たないものの未来を捨てるよりも、役に立つように育ってもらって、同じ未来を目指せばいい。……俺は、この三国の絆をそうやって繋いでいきたいって思うよ」

「……………そう」

 

 俺の言葉に華琳はやさしく微笑んで、「じゃあ、任せたわ」と言う。

 うん、任されよう。

 人に命令できる立場か~って言われたら、悩む自分がもちろん居るけど───命令が嫌ならお願いすればいい。

 根気よく歩けばいいさ、今ならそれも出来る気がするから。

 

(さあ、これから忙しくなるぞ)

 

 善い国にしていこう。みんなで手を繋いで、みんなの力で、思いで。

 人間全てが笑っていられる世界なんて作れるわけはないけど、少しでもそうあれるように、まずはゆっくりとお互いのことを知っていこう。

 時には衝突することもあるだろうけど、それも大事な絆になるはずだから───なんて思っていたのはハイ、少し間違いだったかなーと、このあと思い知りました。いや、全てが間違いだとは言わないけどさ。

 正座するわたくし北郷……ってそれはもういいから。───正座する俺の横に、すっと影が差したのだ。

 見上げてみれば、そこには雪蓮。

 にこー、とさっきみたいな人懐こい笑みを浮かべていて、彼女の視線の先……華琳は逆に、笑顔を引きつらせていた。

 

「ね、華琳」

「……なによ」

「この子、私にちょうだい?」

「ヘ?」

 

 チョーダイ? ちょ……あ、はい、ちょっと混乱してますごめんなさい。

 ちょうだいってなんのことカナー。北郷、ちょっぴりわからない。

 

「それは先ほど、きっちりと断ったはずだけど?」

「一度断られた程度で諦めるほど、小さな執着心を持った覚えはないの。それにあれだけ強いなら、誰でも欲しいって思うわよ」

「っ!」

「ヒィッ!?」

 

 あれ? なんでここで俺が睨まれるの? しっ……仕組んだの華琳だよね!? え!? 負ければよかったの!?

 

「一刀は魏に生き魏に死ぬの。いくら雪蓮でも、一刀はあげられないわね」

「そこはほら、覇王の懐の大きさでササッと」

「あげないったらあげません」

「そこをなんとかっ」

「だめよ」

「じゃあ一月だけ」

「だめ」

「一週間!」

「だめって言ってるでしょう?」

「三日間でどーだー!」

「話にならないわね」

「なによー! 華琳のけちんぼー!」

「けちっ……!? いっ、いきなり何を言い出すのよ貴女は!」

 

 言い争いが始まった。

 たぶん、さっきもこんな感じで言い争ってたんだろう……触らぬ女神に実罰無し。

 俺は静かに身を沈め、ゴキブリもかくやという低姿勢で逃走を図った。

 正座による足の痺れ? フハハ、そんなものなぞここ一年の道場修業で克服したわ。

 

(じいちゃん……俺、強くなったよ……!)

 

 ヘンな方向に感動が向く。

 俺の強さってそんなもんですか? と心がツッコミを入れるが、俺が欲しかった強さは戦場に役立てるばかりのものじゃない。

 だからいいのだ、俺は俺らしく。それが、俺にしかない俺の強さだと思う。

 

「よしっ」

 

 大体の距離を稼ぐと立ち上がり、とりあえずバッグを拾いに劉備たちが居る場所へ。

 途端に関羽にギシャアと鋭い眼光で睨まれるけど、そこはなんとか口早に説明をして、バッグを拾って逃走。

 城の適当な一室を借りてフランチェスカの制服に身を包むと、ようやく自分らしさが取り戻せた気がした。

 

「ははっ……思えば、寝る時以外はほぼこの服だったもんなぁ」

 

 こぼれる苦笑を噛み締めて、脱いだ私服をバッグに。

 その時に見えた胴着が、やっぱり少しだけ勇気をくれる。

 

「……じいちゃん。たぶん、じいちゃんにとっては一秒にも満たない時間なんだろうけど……俺はこの世界で自分が生きていられる限りに、受けた恩を国に返していきたいって思う。だから……恩返しがいつになるかわからないけど、“すぐに戻る”よ。元気で、って言うのもヘンだけど、それまで元気で───」

 

 この世界での出来事は、元の世界では一秒にも満たなかった。

 学園で寝て一日を過ごし、目覚めれば大陸に居て、魏と生きて、魏と別れた。

 そうして戻った世界は、なにも変わらない、自分が寝て起きた場所。

 たぶん今回も同じことで、この世界に居てくれることを華琳が願ってくれる限り、存在できるはず。

 天寿を全うした場合、帰れるのか死ぬのかはわからない。

 けど、今はわからないことを考えるよりもやりたいことがたくさんある。

 

「じゃ……遅れたけど。───“いってきます”」

 

 剣道着にそう言い残すとファスナーを閉じて持ち上げ、肩に引っ掻ける。

 さて、行こうか。

 正直巻き込まれるのは怖いけど、止めないと戦争でも勃発しそうだ。

 ただじゃれ合ってるだけで、本当は結構気が合ってるのかもしれないけど。

 そういえば華琳と対等に渡り合える相手なんて居なかったし……そっか、あれで結構楽しんでいるのかもしれない。

 そんなふうにして笑みをこぼしながら、がちゃりとドアを開けて通路に───

 

「ちぃ姉さん、そろそろ急がないと───あ」

「わかってるわよもう! まったく、あいつが居なくなってから───え?」

「……? 二人ともどうし───あ」

 

 ───出たところで、そういえば中庭には居なかった彼女たちとの再会を果た───しべるぼ!?

 

「こっ……こここここのにせものーっ!! 一刀の格好を真似したくらいで、ちぃが騙されるとでも思ってるのっ!?」

 

 い、いや……言ってる意味がよくわからないんだが……!? とりあえず確認もなしにボディブロゥはどうなんですか地和さん……!

 

「え……か、一刀? ほんとに一刀?」

「じっ……実はニセモノです」

「死ねぇえーっ!!」

「うわぁああ冗談! 冗談だから! 本物! 正真正銘、北郷一刀だから!」

 

 目を白黒させながら……といってもいいものか。

 天和の質問に、場を和ませようとして出た冗談に地和がキレた。

 そんな地和から逃げるように、後ろ走りで通路を行ったり来たりを繰り返していると、どんっと……背中から誰かに抱きつかれる。

 

「一刀さん……一刀さん」

 

 驚いたけど、それは人和だった。

 背中からだからその表情はわからないけど、喜びを含んだ声には嗚咽も混ざっていもるぱ!?

 

「ぶっは! ~……こらこらぁああっ!! 動けなくなったやつをグーで殴るアイドルが居るかぁあっ!!」

「うるさいこのバ一刀!! あんたが勝手に居なくなってから、ちぃが……───あ、やっ、やっ……姉さんとれんほーがどれだけ寂しい思いをしたかっ!!」

「えー? ちーちゃんが一番寂しがってたくせに」

「んなっ……違うわよ! そんなことない! 姉さんだってなにかあるたびに一刀だったらーとか一刀じゃなきゃーとか言ってたくせに!」

「ちぃ姉さん、“姉さんだって”って時点でもう終わってるわ」

「ふぐっ……!? う、うー……! 一刀が悪い! とにかく悪いの!」

「アーハイハイゴーメンナサイヨー」

「心がこもってな───わぷっ!?」

 

 顔を真っ赤に、目を涙目にして再度殴りかかってくる地和を、真正面から抱き締める。

 するとその顔は余計に赤くなって、少しだけ暴れだすけど……それもすぐに治まり、胸の中で小さく「……おかえり」と言ってくれて───

 

「あーずるーい! お姉ちゃんも一刀に抱きつくのー!」

 

 そんな俺達を、横から包むようにして抱く天和……だけど、腕の長さが足りなかったりする。包みこむように抱くというよりは、へばりつくようなカタチになって……でも。

 俺を見上げてくるその顔は、喜びに満ちている。

 

「……天和、地和、人和。───ただいま」

「……はい。おかえりなさい、一刀さん」

「うん、おかえり一刀♪」

「それじゃあ早速一刀には働いてもらうわよ! 今まで居なかった分、きっちり働いてもらうんだからねっ!」

「戻って早々!? い、いや、俺も人並に宴を楽しみたいというか……」

「え、なに? 勝手に居なくなっておいて、その上ちぃたちの頼みも断るっていうの?」

「ア……ハイ……喜んでお手伝いさせていただきマス……」

 

 勝手に居なくなったのは、説明する暇がなかったし仕方なかったことなんだけど……ほんと、それこそ仕方ない。

 寂しがらせたことは事実のようだし、寂しがってくれたならこんなに嬉しいことはない。

 

「それじゃあ、まずはなにをしたらいいのかな」

「一刀~、肩もんで~」

「喉渇いたから飲み物もってきて」

「一刀さん、これからの予定をきっちり頭の中に───」

「結局小間使いかよ!」

 

 なんら変わらない扱い。

 あーだこーだと文句にも似た言葉を言いながら、以前のように接してくれる三人にありがとうを言いたくなる。

 言ったら調子に乗るのが思い浮かぶから、言わないけど。

 

「ちゃんと聞いてなさいよ? 今日の歌、一刀のために歌うから」

「一生懸命歌うからね~♪」

「もう……勝手に居なくならないでくださいね」

 

 ……あ、だめ。やっぱり言いたい。

 言いたいけど……それはこの宴が終わってからでもいいかなって思えた。

 だから、今は送り出す。

 

「ああ。頑張れ、三人ともっ!」

「任せなさ~いっ!」

「ちーちゃん、あそこのことだけど、一刀が帰って来たんだからやっぱり戻そ?」

「うえ~……? ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「じゃあちぃ姉さんだけそこで歌わないように───」

「やっ、わ、わかったわよ! 一刀のために作った歌なんだから、ちぃが歌わないわけないじゃない!」

 

 三人が走ってゆく。

 それを見送りながら、俺もゆっくりと歩き出す。

 

「……ただいま。今帰ったよ、魏の国よ───」

 

 今、自分が歩こうとしている道が、確かな充実感に満ちているであろうことに喜びながら。

 

 

 



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03:三国連合/今日の日はさようなら①

08/宴の席にて

 

-_-/魏

 

 宴の席は賑やかだった。

 かつては武を競い、別の意思を以って天下を目指した三国。

 その全てが今、ひとつの場所に集まって宴を開き、同じ酒を飲み、同じ料理をつまみ、同じ話題で笑い合うなど、いったい黄巾党征伐のときに誰が予想できただろう。

 方向は違えど、目指すものが同じならばと考えた者は確かに居たに違いない。

 だがやり方の違いで相容れず、やはり衝突しながら互いの理想を武で示す。

 そんな、今では考えられない日々が確かにあったのだ。

 勝てば正しいのか、負ければ正しくないのか。

 時には迷うこともあり、だが己の信念こそが泰平の道なりと豪語し、突き進む。

 兵を友とし、笑顔を守りたいとだけ願い、戦場に出た者。

 兵を牙とし、親より続く意思を天下に轟かすために武を振り翳した者。

 兵を駒とし、力で天下を手に入れんとした者。

 それぞれの意思がぶつかった過去があり、手にした天下は友でも牙でも駒でもない、絆という形で今この場所に集っていた。

 

 たとえばと考える。

 御遣いの存在無くして彼女が天下を手に入れることが出来たとして、彼女は今と同じように穏やかに笑っていられただろうかと。

 力のみで手に入れたその場には、対等に話し合える小覇王の存在も、場を和やかにするであろう情の王の存在もきっとない。

 孫策は暗殺され、劉備もまた彼女の前に敗れ、弱者と断ぜられ、歴史から姿を消していたことだろう。

 だが、たった一人がこの大陸に降りただけで、三国の歴史は大きく変わる。

 大局に抗い、存在を削ることで彼女を助け───力だけに染まり、力によって潰えるはずだった覇道の色を、少しずつ変えていった男が居た。

 兵は駒ではなく、己の天下掌握を手伝ってくれる大事な存在なのだと、知らずのうちに心に刻ませた。

 

 だからだろうか───自国の在り方も戦い方も、王の思考も誇りも知らない新兵を前線に出し、戦わせるといった歴史は生まれず───孫策もまた、暗殺されることなく現在を生きていた。

 別の外史では、勝てぬのならばこの先も望めぬと判断し、どんな手段であれ勝利を願う兵をも“駒”のように扱い、頂を目指した少女。

 勝てぬ戦に意味など要らぬ、我が覇道は力の中にこそあり。そう断じて突き進み、聖戦を穢されたと嘆く少女が居た。

 聖戦を願うならば焦ることをせず、兵に自国の戦い方と在り方を教えるべきだったのだろう。

 結果は暗殺に終わり、彼女は好敵手も、この大陸で目指した覇道の意味も失うこととなる。

 が───この外史において、彼女が振り翳すものが力だけではなくなった。

 それだけで、世界はこんなにも変わってゆく。

 変わるたびに、御遣いの“存在”は削られてゆく。

 大局から外れることが消滅に繋がるというのなら、彼という存在は実に儚いものだったと言える。

 

  ───孫策が死なずに生きる。

 

 “大局を左右する”という意味では、相当に大きな意味を持つこの死が起こらなかったのならば、その時からすでに矛盾は生じていたのかもしれない。

 天の御遣いという存在が天より降りることで、魏の王が変わったというのなら。

 魏の王が変わったことで、暗殺という事態が起こらなかったというのなら。

 彼の存在は、魏に降りた時点で消滅が決まっていたものだったというのだろうか。

 

 そう考えると、他の外史において、天下を手に入れた先で彼が消えないのは何故なのか。

 大局というのは片鱗にすぎず、彼が消える理由はやはり王の望みの果てにこそあるのか。

 情の王が皆が仲良く過ごせる未来を願い。

 小覇王が国の民の笑顔を願い。

 だが───少女だけは天下の統一を望み、世に魏の力を示すことを目的とした。

 ならばその願いによって彼が天より遣わされた時点で、彼女がどう変わろうが天の御遣いの消滅は……彼女が天下を統一するとともに消えるさだめにあったのかもしれない。

 

 だが、今さらそんなことを言ってなにになるというのか。

 天下統一の結果はここにあり、情の王が望んだ笑顔も、小覇王が望んだ宿願も、己の手で叶えたものではないにせよこの場にある。

 手を伸ばすと繋げる手があり、繋いだ手で築ける未来が彼や彼女たちの目の前には存在している。

 ならば今、この場に集まった全ての者たちで目指す未来は、どれだけ意見をぶつけ合っても気に入らないことがあっても、これからも彼女らが望んだ天下に繋がっているのだろう。

 

  少しずつ変わっていく中で少女が求めた覇道が、いつしかこの場に集まる全ての者の覇道となる。

 

 そんな事実に少女は笑みをこぼし、恐らくそんな風に笑むことの出来る自分に変えてくれたであろう男へと視線を移す。

 張三姉妹が晴れやかに歌う中で、皆もそれぞれが歌うかのように騒ぐ。その一角で、唯一の男性である彼は……言うまでもなく女性に捕まっていた。

 

「ほれ、まずは乾杯じゃ」

「乾杯!? 飲めないって! 飲めないからそんなに! もうそのへんでやめて黄蓋さん!!」

「祭でよいと言っておるのに……ほれ、これしきも飲めんでなにが男か」

「酒を飲める量に性別関係ないよ!?」

 

 華琳の視線の先に居る北郷一刀という名の男は、妙齢の女性に大きな杯を持たされ、そこに酒を注がれて慌てている。

 自分の策を看破してみせ、彼女自身が死にかけた事実に謝罪もせず、胸を張った姿が気に入ったとかで、こんなことになるとは予想だにしなかった彼は今にも泣きそうだった。

 戦っていた姿はなかなかに凛々しかったというのに、ちょっと目を離せばこんなものである。

 

「んっ……ぐっ……ぐっ……───ぶはぁあっ!! は、はぁっ! はぁっ……! の、飲めた……!」

 

 杯を()すと書いて乾杯。名の通り、全てを飲み干すのが礼儀である。妙齢の女性、黄蓋もまた同じ大きさの杯を傾け、まるで水を飲むかのようにスッと飲み下す。

 逆に一刀は、あまりの量に目を白黒させながらなんとか飲み切った。

 

「おう、では次じゃ。いけい」

 

 だが無情。窒息寸前で酸素を得たかのようにゼイゼイと肩を上下させる中で、置くこともせず手に持っていた杯にバシャバシャと酒が注がれてゆく。

 一刀は当然「えぇっ!?」と小さな悲鳴を上げるが、聞いてくれるわけもない。

 なにか逃げ道はないかと立食ぱあていで賑わう景色を見渡すが、あるものといえば酒と料理くらいである。

 いや、ならば料理を食べていれば酒から逃げられるのでは? 彼がそう考えるまでに、そう時間はかからなかった。

 ……が。

 

「い、いや、俺そろそろ……な、なにか食べ物食べたいかな~とか………………ねぇ。なんで俺の前にだけ、北郷一刀専用って書かれた皿と禍々しい“料理……?”があるの? これ、さっきまで向こうのほうになかったっけ」

 

 自由に歩き、欲しい物を取って食べる立食ぱあてい。

 だというのに、いつの間にか自分の前にある“料理?”。

 匂いを嗅いだだけで涙が滲んでくるそれは、いったいどんな材料から作られた“料理?”なのか。疑問符がなければ料理とはとても呼べないのは確かである。

 一刀はそれが“自分専用”と書かれていることに、いっそ滲んだ涙を滝にして泣きたくなった。

 

「ありがたく食え北郷。それは私が作ったものだ」

「なんですって!? しゅ、春蘭が……!?」

「なんだ、悲鳴みたいな声をあげて。ああ、そっちのは関羽が作ったものだ。……丁度いい、どちらが美味いか北郷、貴様に判断してもらおう」

「………」

 

 さあ、と促されると、サア、と血の気が引く音がした。

 ここで何も言わず、女の出したものを食べてこそ漢たるものだろうが───

 

「………」

 

 重苦しく飲み下す、嫌な味の唾液。

 目の前に存在しているものは、人が食べられるように“開発”されているのだろうか。

 一種の殺戮兵器と見紛うほどの存在感と異臭。

 ムワリと湯気らしきものが風に乗って目に当たると、ぼろぼろと涙がこぼれてくる。

 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、 なんとなく何処へ逃げても追ってくるような気がした。

 誰かの手によって、自分が気づかないうちに。

 そうなればあとは覚悟を決めるかどうか、なのだが───

 

「…………黄蓋さん! 俺……酒飲むよ!!」

「おう、それでこそ男よ!」

 

 死にたくはないので、せめて味が知れている酒へと方向を定める。

 もちろん、それで全てが済むほど彼の周りはやさしくはないのだが。

 

「なにぃ!? 北郷貴様! 私の料理が食えないのか!」

「い、いや決してそういうわけじゃヒィ!? 空を飛ぶ虫が“臭い”に誘われて息絶えた!?」

「さあ食え!」

「うわややややめてやめてぇええっ!! 食べる食べます食べさせていただきますから押しつけないで押しつけもぼがっ!? ん、んぐ───むぐッ!? こ、この口の中でとろけるような食感は───と、とろけ……溶ける! 口の中が溶けギャアーッ!!」

 

 ───賑やかな宴の席でひときわ賑やかな場所。

 そんな賑やかさを目にし、耳にし、誰にも知られることなく小さく笑む少女。

 

(ふふっ……)

 

 彼の周囲はいつでも騒がしく、そんな空気が彼女はいつの間にか好きになっていた。

 ひどく穏やかに、ひどく賑やかに。

 ようやく戻ってきた“魏の空気”とともに酒を飲むと、その美味しさに笑みがこぼれた。

 

(……美味しい……わね……)

 

 あんなにも不味いと感じていたものが美味いと感じられる。

 曹孟徳という存在が、こうも一人の男の存在に心も、味覚までも左右されるなんてと小さく毒づくが、心の中でいくら毒づいてみせたところで誰にも届くわけもなく、逆にそれが可笑しくて笑っていた。

 

「口直しっ! 口直しをっ……! 溶ける! ほんと溶ける!」

「隊長! これを!」

「すまん凪! ぷぉおっふぇええっ!!? かっ……辛ァアアーッ!?」

「うわっ! 隊長が激辛メンマ食いよった!」

「あれ、たしかこの前の宴の時に真桜ちゃんが食べて気絶したやつなの……」

「やぁ~……口直しにあれ食べるなんて、隊長も漢やなぁ……」

「口が直されすぎて痛い! みっ……水っ! 水くれ!」

「なにをやっとるかまったく……ほれ、さっさとこれで流し込まんか」

「すすすすいません黄蓋さん! んぐっ……ぶはぁっ!? これお酒じゃないですか!!」

「うん? そんなもの水みたいなものじゃろ」

「そうよ一刀、こんなの水水~♪ あ、今度は祭じゃなくて私が注いであげるね~? ほらほら、杯持って」

「雪蓮!? いつからそこに!? じゃなくて辛さにやられた喉に酒ってかなり痛いんですよ!? わかってる!?」

「そ、それで……どうだったんだ北郷! 美味いか!? 美味かっただろう! 美味かったと言え!」

「口直しって言葉聞いておいて!? あ、あー……えっと……オ、オーマイコンブ?」

「おぉー……? なんだ、それは」

「えぇっ!? え、えと……て、天の国、での~……そのぉお……料理への、褒め言葉…………かな」

「おぉそうか! ならばもっと食え!」

「たすけてぇえええええええええええっ!!!!」

 

 宴は続く。

 いつの間にか宴の中心に居る彼を見て、少女は長い長い息を吐いた。

 

(……いい天気)

 

 空を仰ぎ、誰にも聞こえない声で呟く。

 自分の物語の中で胸を張って生きる───そう決めた彼女は、きっと心から胸を張れてなんていなかった。

 自分一人ではここまで辿り着けなかった。

 赤壁で力尽きるか、先へ進めたとしても天下を取るのは自分ではなかったのだろう。

 己の国の武を低く見るのではない。

 己の国の武を誇ればこそ、そうだったのだろうと思うのだ。

 彼の言葉がなければ夏侯淵は死に、彼の助言がなければ自分たちは赤壁で火計に陥り、大打撃を食っていた。

 

「………」

 

 時折に、天命とはなにかと考える。

 真に天命をと望むのであれば、自分は彼の言葉を断固として聞き入れるべきではなかったのではないか。

 そんなことを考える日々を過ごしては、首を振って溜め息を吐いてきた。

 しかし───今。

 

(……なんだ、そんなの……簡単じゃない)

 

 こうして心から笑う魏の武官文官を見て、苦笑をもらす。

 そう、簡単なことなのだ。

 

(こうして今、自分が笑むことの出来る場所がある。民が、将が本当の笑顔で手を繋げる。こんな場所に辿り着けたのなら───)

 

 いたずらに武を振るい、手に入れるものが全てではない。

 この場に集まる皆で騒ぐことの出来る今を手に入れる道が、彼の言葉から生まれたものならば。

 

(私は、聞き入れてもよかったんだ───)

 

 これ以上の“現在”など想像できないのだから、これでいいのだろう。

 彼は自分を犠牲にしてまで、こんな穏やかな現在をくれた。

 その上しっかりと戻ってきてくれもしたのだから、これ以上なにを望むのか。

 

(こんな簡単なことを、曹孟徳ともあろう者が……)

 

 ちらりと、口から白いモヤのようなものを吐き出して倒れている彼を見る。

 仰いでいた空から戻した視界は太陽の残照を少しだけ残し、そんな視界が彼の服と重なって、なんだか輝いて見えた。

 

(私が望む限り、か)

 

 彼という存在が、本当に自分の願いの果てにあるものなのか。それが真実なのかなど、誰も知らない。

 知らないが、また会いたいと口にしたことでそれが叶ったというのなら、信じてもいいと思えた。

 そんな自分にやっぱり苦笑して、彼女は歩きだす。

 そろそろ彼を自分の傍に置きたい。

 話したいことは、訊きたいことはまだまだたくさんあるのだ。

 自分以外の女性に振り回され続ける彼の姿が、なんとなく嫌だったという理由も少しだけある。

 そもそもどうして立食ぱあていだというのに、彼はわざわざ自分から離れた位置に立っているのか。

 もちろんそれは黄蓋と話をするためだったのだが、わかっていても納得がいかないことっていうのは存在するのだ。

 自分だけ焦がれているみたいで嫌だということも、自分から離れていった一刀に少しムカリと来たのも事実だろう。

 だから彼女は曹孟徳としてではなく一人の華琳として、気に入っているものを取り戻すために動き───

 

「か~り~ん~さぁ~んっ、つっかま~えたっ♪」

「ふひゃあっ!? なっ───桃香!?」

 

 栗色の悪魔に、背後から胸を鷲掴みにされて停止した。

 

「えへへへへへ~……華琳さ~ん……? さっきからどこ見てにこにこしてたの~? お兄さん~? 御遣いのお兄さんなんだね~? うひゅふふふへへへへ~……」

「だっ……誰!? 桃香にお酒を飲ませたのは!」

「誰でもい~でしょ~っ? そんなことよりほら~、こっちに来てみんなと一緒に楽しいことしよ~っ?」

「せっかくだけどお断り───…………動けない!? なんて馬鹿力しているのこの子!」

 

 酒でいろいろと外れているものがあるのか、劉備の握力はかつて対峙していた時のそれとは一線を画した先へと立っていた。

 傍迷惑な一線である。

 

「ほらほら~……来てくれたら胸が大きくなる、私と愛紗ちゃんと紫苑さんと桔梗さん印の秘密の運動の仕方、教えてあげるから~……♪」

「………」

 

 その時華琳に電流走る…………っ!

 

「ひっ……ひ、ひひひ必要、ないわよ……!? 必要ないわよっ! 必要ないから離しなさい!」

 

 が、勝ったのは王としての意地!

 華琳はワナワナと震えながらも誘惑に打ち勝───

 

「えへ~……背も伸びるよ~?」

「───」

 

 ───ったところで、さらに電流走る…………っ!

 脳内では“天使な孟徳さん”と“悪魔な孟徳さん”がキャーキャーと葛藤を繰り広げ、ついには───! というところで、助け船が流れ込んだ。

 

「何を言っている! 華琳様はそのお姿だからこそいいのだ!」

 

 魏武の大剣、春蘭様である。

 いつの間に喧噪の渦中から抜け出してきたのか、少々酒気に頬を赤らめてはいるが、猫化まではしていない様子の彼女は───いっそ雄々しくドドンッと登場し、桃香から華琳を剥がしにかかる……!

 ……のだが。

 

「……春蘭。それは私など貧相な姿で十分だと。そう言いたいの?」

「え? いえあの……あれ? か、華琳様?」

 

 ヒクリと頬を引きつらせながらの華琳の笑顔を見て、伸ばした手は宙を彷徨った。

 

「───案内しなさい桃香。それと───ふふふ……! いつまでも触ってるんじゃないの……!!」

「いたたたたたっ! いたっ! いたいいたいー!!」

 

 いまだに胸を触っていた桃香の手を指で強く抓り、フンと吐き捨てて歩き出す。

 痛みで酔いが覚めたのか、途端にあわあわし始める桃香だったが、「もちろん、嘘だったら一度地獄の苦しみを味わってもらうわ」という華琳の言葉に、今さらウソでしたなどと言えるはずもなく───その日。一人の少女の悲鳴が宴の席に響き渡った。

 

「ああ……綺麗なお花畑が見える……」

「隊長!? 隊長ーっ!!」

「衛生兵呼びぃ! 一刀!? しっかりしぃや一刀ーっ!!」

 

 そしてもう一人、この宴の席での唯一の男性が今、“料理?”を食わされ魂となって己の口から旅立とうとしていた。

 



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03:三国連合/今日の日はさようなら②

09/お酒の味と危機の味

 

-_-/一刀

 

 ふと目を開けると夜空があった。

 視界いっぱいに広がる夜の空は、気温の所為だろうか、どこか冷たく感じる。

 視線をツと横にずらしてみれば、目に映る賑やかな景色。

 どうやら宴はまだ続いているらしく、視線を横に向けるまで、そこが賑やかだったということにさえ気づかなかった。

 気づいてしまえば耳に届く、喧噪という名の祭囃子。

 どんちゃん騒ぎっていうのはこういうことを言うのかな、なんてしみじみと思う。……べつのなにかが見えた気がするけど、俺は見なかった。見なかったさ。

 

「さて……」

 

 雪蓮と祭さん(結局無理矢理呼ばされた)に酒を、それこそ浴びるように飲まされてから……───の、記憶がない。

 

(あれ? 俺どうしたんだっけ)

 

 体を起こしてみる───いや、起こそうとしてみると、腕に圧迫感。

 見れば、人の右腕を枕にして寝ている劉備……劉備!?

 何故、と思いながらも左腕の圧迫感も気になり見てみれば、そこには黒髪のゲェエーッ!! か、かかか関羽さん!?

 あぁ、さっきそこにあっても意識的に見ないようにしていたものの正体はこれかっ!

 神様これは何事ですか!? 俺に恨みでもあるんですか!? と、とにかく迅速に行動を……───ダメです動けません! しかもどっちを先に起こしても死亡フラグが立っちゃう気がするんですが!?

 

「とにかく……うわっ! 二人とも酒くさっ!」

 

 むわっと香る匂いに思わず目を閉じる。

 そんなことをして匂いが消えるわけでもないが、反射的な行動だったからどうにもならない。

 もしかして酔い潰れて寝てる……? それにしたって、なんだって俺の腕を枕に。

 

「う……」

 

 どちらを向いても、整ってはいるがどこか幼さを残した綺麗な顔立ち。

 無防備な寝顔を見て、心臓が高鳴ったのは覆せない事実だ。

 特に劉備は何故か頬を赤らめて、閉ざされている瞼の端には涙の痕があり、それらが余計に幼さを感じさせた。

 なんというかこう、無条件で守ってやりたくなるような、そんな感情が湧き出してくる。

 べつに嫌ってるわけでもないし、関羽がせめて敵視しないでいてくれたらな、とは思う。初見ってわけでもなかったが、印象が悪すぎた。なにせ覗きだ。

 

「……はぁ」

 

 そうやって理想を心の中で語っていると、視界の隅でゆらりと動くなにか。

 

「………?」

 

 仰向けに寝転がった状態で天を仰ぐように、上を見やる。

 視界に入ったのはネコミミと言っていいのか解らないフード。そして……ニヤリと笑う、どこぞの軍師様。

 

「ふふふふふ……北郷? 目覚めの気分はどうかしら」

「桂花…………これはお前の仕業かっ!」

「あら、そんな大声を張り上げていいのかしらぁ? 貴方が関羽に嫌われているのは知ってるのよ? ここで起こして、貴方なんかの腕で寝ていたことに気づいたらどう思うのかしら」

「うぐっ……」

 

 心底楽しそうな顔がさくりさくりと近づいてくる。

 しかも両手にはなにやら禍々しいオーラ(湯気であってほしい)を放つ料理……! まずい、この状況はよろしくないっ!

 

(いい! とりあえずあのオーラ料理を食うくらいなら、怒られる覚悟で二人の頭の下から腕を解放っ……、おや? ふん! ふんっ! ~…………OH)

 

 まずは関羽から、と思ったわたくしの腕が、気づけばその関羽自身の手によって掴まれております。

 何故? と見てみれば、うっすらと開いた目からは無言の重圧……!

 

「……桃香様をお起こしになること、この関雲長が~~……んむー……許さ~ん……」

 

 関羽さん!? 貴女起きてらっしゃって……ってネボケてらっしゃる!!

 寝惚けていても王の身を案ずるその在り方、なんと見事……って言ってる場合じゃないんだってば!!

 関羽起きて! 関羽ーっ!!

 

「っ……ええいっ!」

 

 ならば劉備! 彼女の頭の下から腕を逃がして───殺気!? すごいこの人! 寝ぼけながら殺気を───……と、再度見てみれば、ばっちり目が合いました。わぁ、起きてらっしゃる。

 

「え、あ……え……か、関羽サン……? ね、寝惚けていらっしゃったんじゃ……」

「刺激臭がするので起きてみれば……貴様、これはどういうことだ。何故貴様が私の隣で寝ている……!」

「ど、どういうこと~と仰られましても、ぼぼぼ僕のほうこそが訊きたいくらいでして……!」

 

 ば、馬鹿な……! なんだ、この尋常ならざる力の波動は……!

 戦場での兵たちはこんな殺気を前に立ち向かっていたというのか……!

 

「あ、あのー……ですね、関羽さん? まずは状況の整理と、出来ればそのー、腕を離してくれるとありがたいというか……」

「! ふひゃああっ!?」

 

 あ、飛び跳ねた。

 寝てたっていうのに器用だな~なんて思いながら、関羽が俺を挟んだ隣に眠る劉備を見てハッとするのを見届けると、心の中で静かに十字を描きました。エイメン。

 

「桃香様!? なぜ桃香様が───き、ききっ、き、貴様……!」

「気づいてなかったの!? ぉおおわわわわいやいや何処から出したのその青龍偃月刀! ツッコミどころ多いなぁもう! いやそれよりもまず落ち着きましょう!? これ全部桂花───筍彧が企てたことで!」

「なにを馬鹿なことを! 筍彧など何処に居る!!」

「えぇ!? すぐそこに───あれ居ない!!」

 

 けっ……桂花……サン? 桂花さん!? ウソでしょう!?

 こんな状況だけ残して、自分だけはちゃっかり退避ですか!?

 

「この関雲長の青龍偃月刀を前に虚言とは……その胆力だけは褒めてやろう」

「嬉しくない! 全然嬉しくない! はははは話をしよう! 誤解があるから解かせてほしい!」

「誤解などない。貴様が桃香様の、あ、あああられもない姿を覗いたことに、なななんの誤解がある。その上、こ、ここここのようなぁあ……!!」

「だからそれが誤解なんだって! いいから話を───!!」

 

 相当に重いはずの青龍偃月刀を片手で持ち上げ、頭上高く振り上げる姿に思わず“ゲーッ!”と叫びたくなる。

 しかしここまで騒いでいれば当然、隣の彼女もいい加減目を覚ますというもので。

 

「んう……なに~……? ───うっ!? はうっ! ……は、はたたた……なんか頭が痛……え? ……ひゃうっ!」

 

 目を開けた劉備は二日酔い……二日目かどうかは別としても、頭の痛さに顔をしかめるが、自分がなにを枕に寝ていたのかに気づくと、俺の顔を見て上半身だけを起こした。

 これでようやく自由の身! 俺は今こそ自由を手に、身を起こすことで振り下ろされる青龍偃月刀から逃走し、完全に立ち上がると…………振り向いた途端に喉に青龍偃月刀を突きつけられ、両手を上げるしかありませんでした。

 ……儚い自由と人生でした。

 

「あ、愛紗ちゃん!? ちょっと待ってなにやってるの!?」

「いえ桃香様。この者は桃香様が眠っているのをいいことに、お、己の腕の中に桃香様を引きずり込んで───!」

「えぇっ!? ち、違うよ違うっ、御遣いのお兄さんは私が華琳さんにその、いろいろやられてるときにはもう眠ってたの!」

「その後に目覚めて引きずり込んだという可能性が無いと言い切れますか?」

「してないしてないっ! そもそももしそうしたとして、片手が塞がってるのにどうやって二人に腕枕なんて出来るんだ!」

 

 思い切り首を横に振る。

 誤解で斬首されたんじゃあ俺の人生、首が幾つあっても足りやしない。

 

「とにかく、だめだよ愛紗ちゃん。せっかくみんな仲良くなったのにこんなことしちゃ。華琳さんも言ってたでしょ? どれだけ笑顔を見せても、握り拳をしてたらお話なんて出来ないんだから」

「うぐ……し、しかし桃香様、この者は桃香様のお召し換えを……」

「それは忘れていいのっ!」

 

 先ほどのように、夜の暗がりでも解るくらいに顔を真っ赤にした劉備が叫ぶ。

 俺はといえば、ようやく引いてもらえた青龍偃月刀を見て長い長い安堵の溜め息を吐いていた。

 そうしてからまじまじと、劉備と会話をしている関羽を見やる。

 身振り手振りでわたわたしながら話をする劉備とは対象的に、どっしりと構えて話をする関羽。

 その表情からは、安堵だの困惑だの、自分の主が壮健であることなどの、劉備への思いが溢れている。

 つくづく忠臣だなぁと思ってしまうのは、仕方の無いことなのかもしれない。

 これが華琳だったら、間違いなくアッチの方向へと転がるんだろうけど。

 

「………」

 

 ていうか俺、どうしてここに放置されてたんだろ。

 ちらりと見やれば賑やかな宴の席。そこから少し外れた、パッと見るだけでは目立たない場所に寝てた俺。

 桂花がそうしたにしても、せめて部屋に寝かせるとかは…………なんて思っていると、宴の席からこちらへ歩いてくる人影。

 上気した顔で、ホウと息を吐く彼女の手には、重ねられた二つの杯と一本の大きめの徳利。

 金髪のツインドリルテールをゆらゆらと揺らしながら、彼女……華琳は目立たないこの場へと歩いてきた。

 

「……? あら、目が覚めたの」

「ああ。……で、これってどういう状況?」

 

 頑固者に言い聞かせるように、やがてヒートアップしていく劉備の声調。

 対する関羽は少し困ったような顔をしながらも、その言葉を受け止めていく。

 ……俺の話題が出るたびに苦笑に歪む顔が真面目顔になるのを除けば、それはまあじゃれ合いにも見えた。

 

「貴方が春蘭と愛紗の料理を食べたあとに凪の激辛料理を食べて、お酒を飲みすぎて気絶した。ここまでは覚えている?」

「え? あ、あー…………思い出した。けどその後、お花畑に行ったよな? 何処だったんだあそこ、綺麗だったなぁ」

「………」

「……? 華琳?」

「い、いえ、なんでもないわ」

 

 苦笑をもらしながら、華琳は杯の一つを俺に促す。

 両手が塞がっている彼女の手から一つの杯を取ると、ハテ、と思いながらも酒が注がれていないソレを見る。

 

「少し付き合いなさい。他の子とはもう、散々楽しんだでしょう?」

「付き合わされたって言っていいんだと思うけど……この状況への説明は無しか?」

「そんなの私が訊きたいくらいよ。私が知っているのは、一刀が倒れたことくらいだもの。それからのことは、むしろ一刀のほうが私よりも詳しいでしょう?」

「む……そうかも」

 

 木の陰になっているところを除けば広めの場所。

 その適当な場所に向かい合って座ると、華琳の手から徳利を抜き取って酌をする。

 そのまま自分の杯にも注ごうとするが、それは華琳に止められた。

 

「華琳?」

「人のは酌しておいて、自分は自分でするつもり?」

「や、でもな、華琳は王で───」

「宴の席でいちいち堅苦しいことを言わないで頂戴」

 

 言いながら徳利を奪った華琳は、俺の杯に酒を注いでくれた。

 そうしてから徳利を置くと、なんだか改まって言うのも恥ずかしいけど視線を合わせて───

 

『乾杯』

 

 多めに注がれた酒を一気に飲み干す。

 ふぅ、と息を吐くと再び交差する視線。

 なんともムズ痒い状況に思わず笑みがこぼれて、少しだけ笑った。

 

「…………なぁ。ここに俺を運んだのって華琳か?」

「あら。なぜそう思うのかしら?」

 

 再び注いだ酒を、今度はちびちびと飲みながら言う華琳。

 俺も同じく、言い争いとはまた違った、やさしいじゃれ合いをしている劉備と関羽を肴に、のんびりと味わいながら飲んでゆく。

 

「いや、特に主だった理由があったわけじゃないけどさ。部屋に運ばれることもなく放置って意味では、今日の華琳ならやりそうかなって思った」

「………」

 

 酒からくる上気とは違うのだろうか。

 頬を赤くしてそっぽを向く華琳は小声で何かを言ったが、それは劉備と関羽の話し声に掻き消されて届かなかった。

 代わりにズイと杯を突き出され、一度頬をコリ……と掻いたのちに酒を注いでいく。

 “いいから一緒に酒を飲め”ってことでいいのだろうか。

 

「なぁ華琳」

「……なによ」

 

 注いだ酒をちびちびと飲みながら上目遣いに睨んでくる姿に、“俺、なんか悪いことした?”と訊きそうになるのをなんとか堪える。

 言葉を飲み込むようにして酒を飲み、喉を鳴らしてから真っ直ぐに目を見ると……訊きたかったことを訊くことにする。

 

「……酒。美味いか?」

「………」

 

 訊かれた華琳は“なにを言ってるんだろうかこの男は”って顔をして……けれど小さく溜め息を吐くと、ちびちびとではなくスッ……と喉を鳴らし───

 

「……ええ。悪くないわ」

 

 目をやさしく細めて、そう言った。

 

  “そんなの、一年も前から不味いわよ”

 

 川のほとりで聞いた言葉を思い返すと、自然と俺の目も細る。

 だから俺は「そっか」とだけ返して、酌をする。

 

「ふぅ……それで? あれはいったいどういうこと?」

「うん? ……ああ」

 

 促されて華琳から視線を外してみれば、いまだなにかを言い争っている劉備と関羽。

 酒のことで話題が逸れたが、そもそもその話もしていたことを思い出す。

 

「ちょっとゴタゴタがあって、そのことについて譲れないものがあるらしい」

「ごたごた?」

「さっきまで俺、ここで倒れてただろ? ああ、もう華琳がここに寝かせたって方向で話を進めるけど」

「ええ、事実だから構わないわ」

「やっぱりそうなの!?」

 

 帰って早々、人に風邪でも引かせたいんだろうかこの人は。

 ああ、いい、今さらだ。華琳はこうだから華琳なのだろう。

 

「ああ、えと……うん。……ふと目を覚ますと、空は夜だった。まず目に入ったのは星が輝く夜空。離れた位置からは宴の喧噪が届いてきて───」

「簡潔に話しなさい。なんなのよ、その妙な回りくどい話方は」

「いや、雰囲気が出るかな~と。うん。えっとな、目が覚めたら大の字に寝てた俺の両脇に、俺の腕を枕にした関羽さんと劉備さんが居た」

「……一刀?」

 

 じろりと睨まれた。

 ちょっと待て理不尽すぎる!

 

「待て待てっ! いいから最後まで聞いてくれっ! 全部桂花が仕組んだことだったんだよ!」

「桂花が? 桂花の細腕で愛紗や桃香を運べると思っているの?」

「あ」

 

 あれ? じゃあ待て、なにかおかしいぞ? まさか…………共犯者が……居る……? と考えて、また違和感。

 

「……いやほんと待て? なんだって劉備さん、あんなに俺のこと庇ってるんだ?」

 

 耳を傾けてみれば、「お兄さんは悪くないよー!」とか、「桃香様は少々人を信じすぎます!」とか、酒を飲む前よりも熱くなっていってる会話。

 違和感というか疑問は消えることを知らない。

 

「………」

「ほんとなにもないぞっ!? 睨まれても知らないから!」

「ふぅん……? その割には、いつの間にか“お兄さん”で定着しているほど仲がいいみたいだけど?」

「う……その点は俺にも解らない」

 

 風がハキハキと元気になったらあんな感じになるのかなぁなんて、能天気なことを考えてる場合じゃない。

 とりあえず俺は、華琳に劉備のことを訊いてみることにした。

 華琳にいろいろされた、とか言ってたから少しは知ってるんじゃないかと思うし。

 

「桃香の行動? ……虚言を口にした罰を与える前は、雪蓮と話し込んでいたわね」

「雪蓮と?」

「ええ。その後もふらふらになりながら雪蓮のところに行って………………ねぇ一刀?」

「ああ。俺もなんとなくそうじゃないかなって思ってる」

「貴方が引きずり込んだ可能性も否定できないけど?」

「それはしてない。誓ってもいいよ」

 

 慌てそうになる自分を押し込みながら、真っ直ぐに返す。

 華琳は「そう」とだけ言って、雪蓮のことを疑問に思った時点で俺に対する疑惑は無くなっていたのか、軽く頷いてくれた。



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03:三国連合/今日の日はさようなら③

 と、そんなわけで。

 

「桃香。ちょっといいかしら」

「ふぇっ!? あ、な、なにかなっ華琳さんっ」

 

 謎が謎のままなのが許せないのは性分なんだろうか。

 間も取らずにすぐに劉備に声を掛けると、自分の隣に座るように劉備に促す華琳。

 主が座したならばと関羽もそれに習って……何故か俺のことを睨んでます。

 

「訊きたいことがあるのだけれど。倒れていた一刀の腕を枕に眠っていたのは本当?」

「ひうっ!? う、えと、その…………」

「曹操殿、それはこの男が───!」

「愛紗、少し黙っていて頂戴。今は桃香の口から聞きたいの」

「う……し、しかし……」

「まあまあ華琳、そんなに邪険に───ってなんで俺のこと睨むの関羽さん!」

 

 この状況、俺は口を開くことはしないほうがいいのかもしれない。

 なんとなくそう思い始めてる俺が居た。…………酒でも飲んでよう。

 

「えっと……上機嫌の雪蓮さんにお酒に誘われて、お兄さんの話を聞きながらお酒を飲んだ……ところまでは覚えてて、気づいたら華琳さんに手を抓られてて、い、いろいろされて……そのあとでまた雪蓮さんに捕まって…………」

「雪蓮ね」

「ああ、雪蓮だな───だから睨まないでくれったら! 喋るだけで睨まれるって、どこまで嫌われてるんだよ俺!」

「愛紗。貴女はどうして一刀の隣で寝ていたのか、覚えていないの?」

「は……星に酒を呑まされ、その途中で笑みを絶やさぬ桃香様に、さらにさらにと呑まされたところまでは覚えているのですが……」

 

 みんなの視線が劉備に注がれる。

 ……うん、そうだね、俺の嫌われ具合はどうでもいいんだね、みんな。

 

「し、ししし知らない知らないっ、私そんなの知らないよっ!?」

「桃香……貴女は少しお酒に強くなりなさい。大胆になるなとは言わないけれど、貴女の場合は少しいきすぎよ」

 

 そういえば……桂花は自分でやった、なんてことは一切口にしていなかった。

 していなかったからって、謎料理で人を毒殺していいわけでもないが……実害を被らなかった分、ことあるごとに俺を睨む関羽と、宴の中で華琳を探しているであろう春蘭よりはマシなのかもしれない。

 “そうしよう”と思っててあの料理を作っていない分、関羽と春蘭も性質が悪いんだけど。

 

「まあそれはそれとして。桃香? 雪蓮が貴女に話していたことっていうのはなに? 一刀のことだというのはわかっているわ。その内容を話しなさい」

「曹操殿、それはいくらなんでも勝手が過ぎるのでは……」

「あ、ううん、いいんだよ愛紗ちゃん。べつに隠さなきゃいけないことじゃないし、お兄さんは魏に降りた御遣い様なんだから、ちゃんと許可は取らなきゃ」

「許可……?」

 

 ハテ、といった感じに疑問の色を浮かべる華琳。

 かく言う俺も、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 

「お兄さん、私とも手を繋いでくれますか? 国を善くしていくために、国に返してゆくために」

 

 けど、この劉備の言葉で納得の二文字が思考に溶け込んでゆく。

 

「なっ……桃香様!? このような者の力を借りずとも、蜀は───!」

「……ううん、愛紗ちゃん。それじゃあダメなの。私、雪蓮さんからお兄さんのこと聞いてて思った。伸ばした手、伸ばされた手を取り合って、みんなで作れる笑顔が欲しいって。そのためには、私達だけがどれだけ頑張っても意味がないの」

「桃香様……」

「……私ね? みんなのことが好き。ここに居るみんなや、街の人達の笑顔が好き。でも、それって蜀の国だけで手を取り合ってても続いてくれる笑顔なのかな」

「それは……」

「華琳さんにはまた“甘い”とか言われるかもしれないけど、今ならそれも無駄な夢じゃないって胸を張れるよ。私には誰かと戦う力が無い。朱里ちゃんや雛里ちゃんみたいに頭を働かせるのもあんまり得意じゃない。それなら私は、手を繋げないでいる誰かと誰かの間に立って、繋ぐことの出来る“手”になりたい」

 

 劉備はそう言うと、俺と関羽との空きすぎている間に座って、左手を俺に、右手を関羽に伸ばす。

 

「愛紗ちゃんは……私の手を取るのは嫌かな」

「と、とんでもありません!」

 

 その右手に、関羽が手を伸ばす。

 

「御遣いのお兄さんは、私と手を繋ぐのは嫌ですか?」

「……いいや。でも俺は、どうせなら関羽さんとも繋ぎたいけど」

「お断りする」

 

 即答でした。ええ、わかっておりましたとも。そう思いながらも繋いだ手はやっぱり小さく、女の子なんだなぁとしみじみと思わせた。

 外見からして当然なんだけど、こんな子たちが乱世を駆け巡ったのだと思えば、今さらとはいえ改めて驚きたくもなる。

 

「はは……まあ、今出来ないことを今どうのこうのと言っても始まらないよな。……姓は北郷、名は一刀。字も真名もない場所から来た男だけど……よろしく、劉備さん」

「あ、うん、こちらこそっ。えへへー……男の人のお友達って初めてかも……えっと、姓は劉、名は備、字は玄徳。真名は桃香だから、そう呼んでね、お兄さん」

「桃香様!? このような男に真名を許すなど!」

「ほら~、愛紗ちゃんもいつまでも怒ってないで、挨拶挨拶~」

「なにを暢気なっ! 一国の王たる御方が、こんな男に───!」

 

 ……そして再び騒ぎ始める二人。

 それを再び肴にしつつ、俺は華琳との酒を再開させた。

 

「随分と慕われているじゃない」

「嫌われっぷりのほうが凄まじいだろ、どう見ても」

「それだけ愛紗にとっての桃香は大事な存在ってことでしょう? 呉に置き換えれば蓮華を思う思春のようなものよ」

「…………? 孫権はわかるけど───」

「孫権と甘寧よ。……そうね、一刀。貴方はまず、この宴の席に居る全ての者の真名を覚えるか知るか、どちらかをなさい」

「それって真名を呼ぶことを許されろってことだよな? ちょっと無茶じゃないか? 雪蓮と桃香の真名を許されただけでも奇跡に近いのにヒィッ!? だだだだから睨むなってば!! その物騒なものしまってくれ関羽さん!」

 

 桃香……劉備の真名を口にした途端に殺気が溢れ、視線をずらせば青龍偃月刀。

 もちろん握っているのは関羽さんで、怒るとか悲しむとかそういう次元の表情ではなく、ただただ冷たい表情がそこにありました。

 こんな目を向けられれば、ジョセフだって売られてゆくブタの気分にもなるさ。

 

「なにも今すぐにとは言わないわよ。もちろん私も、皆に“一刀に真名を許しなさい”なんて言を放たない。貴方が繋ぎたい手というのは、言われたことをやるだけの相手ではないでしょう?」

「む……そんなことないぞ。言われたことしかやらないヤツだって、覚えれば出来るようになるじゃないか。将来性を考えれば、今すぐなにか出来る必要なんてないだろ」

「……はぁ。本当に甘いわね。どっかの誰かさんといい勝負だわ」

「うう……華琳さん、どうして私のこと見るのかな……」

「ていうかあのー、関羽さん? 俺のことが気に入らないのはわかったけど、せめて武器を向けるのだけはやめてくれないかな……」

「そうだよ愛紗ちゃん。華琳さんの前で魏の人に刃を向けるのはよくないことだよ」

「う……」

 

 桃香に言われて、ようやく青龍偃月刀を引いてくれる関羽。自分でもわかっていたんだろう、申し訳なさそうに華琳に謝っていた。

 

「いいわ、気にしていないもの。それより桃香? 許可がいる、というのは自己紹介のことだけではないのでしょう?」

「うん。手を繋いで仲良しになったところで、いろいろ手伝ってほしいことがあるかな~……って……」

「はぁ……そんなことだと思ったわ」

「……え? え? なに?」

 

 華琳と桃香は俺をそっちのけで頷いたり溜め息を吐いたり。

 関羽も桃香の言葉の意味がわかっていないのか、ただ「このような者の手伝いなど要りません」とだけきっぱりと。

 ……結構根に持つタイプなのかなぁ関羽って。真面目そうだもんなぁ。悪い意味でカタブツとも言えるのかもしれないけど。

 

「一刀。桃香は貴方の知識を蜀に役立てたいって言ってるのよ」

「俺の?」

 

 自分を指差して言うと、桃香はコクリと頷いて真面目な顔をする。

 

「魏国の治安の良さや警備体制も、元は御遣いお兄さんの立案があってこそだって凪ちゃんが言ってたんです。もちろん今、騒ぎを起こす人なんて成都にはあまり居ないけど……でも、これから始める学校のことで相談に乗ってくれる人が居ればな~って思って。華琳さん言ってくれたよね? “こちらからも学びたい者を寄越して構わないなら、いろんな技術を教えられる人を派遣しても構わない”って」

「……華琳?」

 

 ちらりと華琳を見る。

 と、華琳は少し“やられた……”って感じで額に五指を当て、難しい顔をしていた。

 

「桃香。学校のことについては、確かに一刀ほど知識を持つ存在は居ないわ。学校という呼び名は天の国での……そうね、公立塾とでも言うのかしら? そこから取った名前だそうだから」

「わっ、そうなんですかっ?」

 

 対して、華琳の説明に胸の前で手を合わせて目を爛々と輝かせる桃香。

 ……ああ、桃香って結構、華琳が苦手なタイプなのかもしれないと思ったのはその時だった。

 加えて言うまでもないが、桃香の真面目な顔は一分と保たなかった。

 

「じゃあじゃあお兄さん、私達と一緒に蜀に来てくれますかっ?」

「え……けど俺、魏に……───ああいや、わかった。俺なんかの力が必要だって言ってくれるなら、喜んで。……いいよな? 華琳」

 

 勝手に答えを出してしまったが、さすがに華琳の許可無しで出て行くことは出来ない。

 言いながら華琳に視線を戻すと、華琳は「約束を守れるのなら」と言った。

 

「約束?」

「ええそう、約束よ。“勝手に居なくならない”と、ここで私に誓いなさい。今度こそ、本当に」

「…………じゃ、華琳も。俺のことを“要らない存在”だなんて思わないでくれ。そうすればしがみついていられると思うから」

「………」

 

 真正面から見詰め合う。なにを言うでもなく返すでもなく。

 その状態は長く続いたが、何を思ったのか───華琳は残り少ない酒の全てを俺の杯に注ぐと、呑めと促してくる。

 俺は首を傾げたのちに軽くそれを呑んだ……んだが、半分呑んだあたりだろうか、軽く斜めにして流し込んでいたそれを華琳がひったくり、驚く俺の前で残り半分を呑んでみせた。

 その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「か、華琳?」

「この宴の席、この杯、そして己の名に誓ってあげるわよ。いいからさっさと行ってさっさと帰ってきなさい。一刀の帰る場所は魏の旗の下なんでしょう?」

「うぐっ……」

 

 うああヤバイ……! 顔が熱い! 絶対赤面してるぞ俺……!

 いや、でも誓いには誓いを。顔がニヤケそうになるのをなんとか我慢して、俺も誓う。

 

「ああ。必ず帰ってくる。勝手に居なくなるなんてこと、もう受け入れてやるもんか」

 

 再び消えるなんてこと、この大地にしがみついてでも許してやらない。

 今度消えるのは天寿を全うするか、華琳の願いが尽きるまでだ。

 俺はそれまで、この大陸に様々なものを返していこう。

 この世界から貰ったものを、俺に出来ること、繋いだ手で出来ることの全てで。

 

「あ、でも待った」

「え? どうしたんですか?」

 

 しかし待て、と思い当たる。

 そんな俺の反応に桃香が首を傾げ、華琳が不思議そうに俺を見る。

 

  “もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?”

 

 思い当たったと言うのか、思い出したと言うべきか。

 桃香の前に、俺は雪蓮にも国への貢献をするという返事をしてしまったことを……うん、思い出した。

 

「……えっと……俺、雪蓮にも孫呉に貢献するって言っちゃっててぽっ!?」

 

 杯が空を飛んだ。

 ああよかった、徳利じゃなくて。なんて思いながら、痛む額をさすっていると華琳が突っ込んできて俺を地面に押し倒し、襟首を掴んで揺さぶって……オ、オアーッ!!

 

「あ・な・た・はぁああ……!! 戻って早々に見せつけることが武でも知でもなく女を落とすことなの!?」

 

 曹操殿は大変怒ってらっしゃった。

 そのまま手を振り上げ、往復ビンタでもかましてくれようかって勢いに、俺は慌ててストップを掛ける。

 

「待て待てっ! 落とすなんてそんなつもりないぞっ!? 俺はただ俺の力で手伝えるならって思っただけで───うわっ! やっ! はぶぅいっ!?」

 

 ……まあ、無駄に終わったけど。ビンタ飛んだし。

 

「いつか警備についての立案の際に注意したわよね……? これはなに? 国を善くする計画の立案!? それとも以前のように計画実行のための根回し!?」

「やっ! 華琳の許可を得なかったのは謝るけどっ! 根回しとかじゃなくて、“力が必要になったら言ってくれ”って言っただけで!」

「それは貴方から言い出した時点で、乞われれば断れないということじゃない! 少しは凛々しくなって帰ってきたかと思えば、根本はまるで変わってないわ! どこまで一刀なの貴方は!」

「どんな罵倒文句だそれっ! 北郷一刀なんだから一刀なのは当たりま───ほふがっ!? ひょっ……ふぁりんっ!?」

 

 喋り途中だっていうのに強引に頬を抓み、ぐいぃと引っ張られる。

 お陰で少し頬肉噛んだ……!

 

「この口? この口が口答えをするの? ……今日という今日は我慢の限界だわ! 嘘をついて一年も居なくなって! 帰ってきたと思えば桃香の着替えを覗いて! かと思えば雪蓮を口説くわ桃香を口説くわ!」

「ふおっ!?」

 

 頬を解放される。こう、指を開いてではなく、引っ張ったら滑ったってくらいに最後の最後まで思い切り引っ張られながら。

 

「ちょっ……口説いてないっ! 口説いてないぞ俺! それ言うんだったら華琳だって俺を散々からかったじゃないか! 雪蓮から聞いたぞ! 祭さんのことで俺をからかうように仕向けたって!」

「……あらそう、桃香の着替えを覗いたことは否定しないのね?」

「事故だぁああああああっ!!!!」

 

 華琳が俺の腹にマウントポジションをした状態での口論は続く。

 途中、桃香が「あのー」と声をかけてきたが、「ちょっと席を外してなさいっ!」という覇王の怒号に「ひぃっ」と悲鳴をあげ、関羽を連れ───宴の賑やかさへと消えていった。

 その間にも言い合いは続き、酔っている所為か……気づけば溜まっていたものをぶちまけるかのように、俺と華琳は自分の心をぶつけ合っていた。

 けど……真っ直ぐに自分を見下ろす少女の口から放たれる言葉に、ふと気づくことがある。

 どれだけ王として国を治めていようと、華琳だって一人の人間なのだと。

 日々を不満無く生きる者など居るはずもなく、彼女もまた、その胸に押し込めてきた様々な思いがあるのだと。

 いつしか叫ぶのは華琳だけとなって、俺は黙ってその罵倒にも似た叫びを聞いていた。

 彼女の頭にやさしく手を添え、自分の胸にゆっくりと招き、抱き締めながら。

 その間も罵倒は続いたけど───いつか彼女が俺にしてくれたように、俺は彼女の頭を胸に抱き、ゆっくりと撫でていった。



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03:三国連合/今日の日はさようなら④

10/今日の日はさようなら

 

「………」

「………」

 

 言いたいことの全てを吐き出すことが出来たんだろうか。華琳は叱られた子供のように急に静かになって、俺に撫でられるがままに俺の胸に鼻を押しつけ、すぅ……と息を吸った。

 

「なぁ、華琳あたっ!?」

 

 そんな華琳に声をかけようとしたら、空気を読みなさいとばかりに額を叩かれた。

 地味に痛く、目をぱちくりさせながら華琳の顔を覗こうとすると、華琳はそっぽを向いて言う。

 

「…………いいわよ、行ってきなさい」

「へ? 俺、まだなにも、っていてっ!?」

 

 頭を撫でるのをやめたらまた叩かれた。

 まるで拗ねた子供だ。

 けど……まあ。

 どうやら俺は、華琳がそんな一面を見せてくれることが思いのほか嬉しかったみたいで───

 

「………」

 

 華琳がそっぽ向いているのをいいことに、顔を盛大に崩しながら、華琳の頭を撫でた。

 笑う、というよりはくすぐったいのだ、こんな華琳が。

 だからこう、むず痒く表情を崩した状態で華琳の頭を撫でた。

 もういっそ、ぎゅうっと抱き締めたくなる衝動に駆られるが───

 

(出過ぎだぞ! 自重せい!)

(も……孟徳さん!)

 

 別の次元の曹操さんに止められた気がしたのでやめておいた。

 うん、落ち着け俺。

 

「…………すぅ……」

「……? 華琳?」

 

 馬鹿なことを考えていたら、ふと耳に届く穏やかな呼吸。

 撫でる手はそのままに、ゆっくりと様子を見ると……どうやら眠ってしまったようだった。

 まあ……結構呑んだもんな。

 けどこんなところで寝てたら風邪引くな……よし。酒での眠りは深いけど短いっていうし、このまま部屋に運んでやろう。

 

「よっ…………と」

 

 華琳の体ががくんっと動かないように少し強く抱き締めながら、ゆっくりと体を起こしてゆく。

 そうしてから一度華琳を腹の上からどかし、立ち上がるのと同時にお姫様抱っこで持ち上げる。

 

「………」

 

 覇王を抱き上げる時はなんて言うんだろうか。

 覇王様抱っこ? ……覇王様抱っこだな、うん。

 

(しっかし、寝てる顔は本当に無防備だなぁ……)

 

 お姫様抱っこの特権。相手が寝ていれば思う存分寝顔を拝見できます。

 いつも気を張っている顔が、この時だけは無邪気な少女に戻る。

 ……こうして、一年ぶりに見た少女の顔はとても穏やかで、こんな顔を守っていけるといいなと……やっぱり思ってしまう自分が居た。

 それがいつになるのか。いつ自分は華琳を、みんなを守れるほど強くなれるのかなんてのはわからないが……この寝顔を見ることで強くなった思いは、決して嘘なんかじゃあなかった。

 

「はは……頑張らないとなぁ」

 

 こんな顔を見せられれば、ますます心が奮起する。

 暖かくなった心を胸に、まずは華琳の寝室へと向けて歩きだす。

 華琳には許可はもらったから、あとはみんなの許可……だよな。

 小突かれるくらいで済めばいいけど。

 

「ただいまを言ったその夜に“いってきます”を言わなきゃいけないなんて……我ながら笑えるなぁ」

 

 でも、それも仕方ない。

 ただ生きるだけじゃなく、生きる目的を見つけられた。

 それは今すぐどうにか出来ることじゃないけど───少なくとも、今の自分にもこの寝顔を少しの間だけ守れる力がある。

 今はそれをゆっくりと広げて、いろいろなものを守れる自分へと高めていこう。

 そのためにはみんなに怒られることくらい覚悟しないと。

 

「桃香や雪蓮が帰るにしても、明日すぐにってわけじゃないだろうし……みんなには明日話すかな」

 

 なにも宴で楽しんでいるところに水を差すこともない。けど、機を逃すと話づらくなるし───話さずに行ったらそれこそ刺されそうだし。

 

「よしっ、まずは華琳の部屋に───」

「部屋に!? ああああ貴方まさか! 華琳様が眠っているのをいいことに、自分の部屋に華琳様を連れ込んで……!」

「───行、くか…………って……」

 

 華琳から視線を戻し、真正面を見れば……ズンと進行方向に立ち塞がっている筍彧さん。

 しかも物凄く困る部分から聞いてくだすっていたらしく、激しく誤解してらっしゃる。

 

「汚らわしい! 今すぐその汚れた手を華琳様から離しなさい汚らわしい!」

(汚らわしい二回言った!?)

 

 “汚”という言葉で言えば三回である。

 俺はなんとか怒れる桂花をなだめようとするが、桂花の声が耳に響くのか、華琳が寝苦しそうにモゾ……と動く。

 当然寝返りなんて出来るわけもなく、喉の痞えが取れないみたいに苦しそうな顔をする。

 これは……よろしくない。ならばと俺は桂花に歩み寄り、何故か「ななななによやる気!?」と奇妙な構えを取る桂花に、はい、と華琳を差し出す。

 

「え? あ、ちょっと!?」

 

 思わず手を伸ばす桂花へ華琳をお姫様抱っこのかたちのままに渡す。

 「はぐぅっ!」なんて言ってたけど、大丈夫、抱き上げられてる。

 

「汚らわしくてごめんな。じゃあ、あとは任せた。お前のその穢れのない手で華琳を部屋まで運んでやってくれ」

「あっ、貴方ねぇっ……! はくっ……ふ、ぅう……!!」

「もちろん落としたら大変なことになるので、決して落とさぬよう……貴殿の武力に期待します」

「くぅううっ……! お、おぼえっ……おぼえて、なさいよっ……!!」

 

 桂花の腕力じゃあ華琳でも重いのか、ズシーンズシーンといった感じに歩いてゆく桂花を見送る。

 最後までそうするつもりだったが、ふと思い立って桂花に近づくと───両腕が塞がっているのをいいことに、その頭をなでなでと撫でる。

 

「ひっ……!? なっ……触らないでよっ!」

「ん? ん~…………」

 

 嫌がられても撫でる。さらに撫でる。

 が、なんとなく危なげに蹴りが飛んできそうだったので、桂花から離れる。

 

「このっ……変態! 色情魔! 全身白濁液男!」

「………」

 

 離れた途端に罵倒が飛んでくる。

 言われてみて、そういえばフランチェスカの制服の色って…………と思って、ちょっと傷ついた。

 いやいや、女子だって同じ色のやつ着てるんだから、認めるのは失礼だろう、うん。

 

「……な、桂花」

「なによっ! 耳が腐るから喋らないでくれるっ!?」

「腐るって……あ、あのなぁ………………ああいいや。一応、いってきます」

「…………》」

 

 うわっ、無視して歩いていった!

 でも歩き方がロボットみたいだ……予想外のところで桂花の知られざる歩き方を見た気分だ。

 ……普通こんな状況に陥ること自体が無いんだから、当たり前って言えば当たり前だけど。

 

「よし、それじゃあ……いきますかっ」

 

 杯二つと空の徳利を手に駆け出す。水を差すことはない、とか思ったくせに、賑やかだからこそ許されるものもあるだろうと、多少打算的な考えも含めて。

 すぐに酔いの所為でフラつくけど、そのフラつきも宴の一つとして受け取って喧噪の渦中へと突っ込み、賑やかな宴の席を盛り上げていく。

 その途中途中で魏の皆と話をつけていくんだけど、凪が急に「ならば自分も蜀で知を学びます」と言い出した時は本気で驚いた。

 そこはさすがに「警備隊の誰かが抜けるのはまずいだろ」と言うのだが、なんでもついこの間までは真桜が呉に行っていたというのだ。

 思わず言葉に詰まるが、ひとまずは学校というのを“組み立てる”ところから始めなきゃいけない現状。

 生徒を募集……ってヘンな言い方だけど、それが出来るようになるまではまだまだ時間が必要だ。

 その旨を話して聞かせると、凪は残念そうに顔を俯かせた。

 

「すぐ戻るからさ。な?」

「隊長……はい、お待ちしております」

 

 凪の頭の上で手をポンポンと軽く弾ませて、撫でてゆく。

 そんな調子で宴の喧噪の中を駆け巡って、騒ぎながら一人一人に説明してゆく。

 呆れる者や怒る者、悲しむ者から励ましてくれる人まで様々だ。

 

「おおっ……ではお兄さんは、今度は蜀の種馬としてひと花咲かせるわけなのですね?」

「咲かさないよ!? 学校のことでいろいろ話を進めてくるだけだって!」

 

 ……約一名、予想の範疇を大いに飛び出した言葉を贈ってくれた人も居たが。

 

「そうですか。ではでは近い将来、三国同盟全ての人の夫がお兄さんにならないことを祈っているのですよ。それはそれで面白そうではあるのですけどねー」

「あの……風さん? なんかシャレになってないからやめて……」

「いえいえ、そうなれば同盟の絆はもっと深まるのですよという、ひとつの例えをあげてみただけですよお兄さん。もしそうなれば、必然的にこの大陸の父はお兄さんということになりますねーと思っていたのですが……はてさて」

「………」

「同盟と絆を深めるのも大切なことですよーお兄さん。ですからそんな旅立ってゆくお兄さんに、風がお守りを差し上げるです」

「お守り……?」

 

 少しじぃんときてしまう。

 いつも眠たげに日々を過ごしていても、俺のことをきちんと心配してくれてるんだなと……感極まって泣きそうになった。

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、風は頭の上のツヤツヤしている物体に手を伸ばし───

 

「宝譿参式、ナマコくんですー」

「ヒィッ!?」

 

 ひょいと差し出されたのは───胸に太陽の紋章、右目部分に雷をマークをつけたような、丸目がキュートな宝譿ではなく。

 黒いボディと斜に構えられた逆カマボコな左目。胸には太陽の紋章ではなく“魏”の文字、右目にあった雷のシンボルのようなものは、天という文字になるように変形されていた。頭にあったはずのトンガリ帽子のようなものはバッファローの角もかくやというほどの立派な二本の角に変貌し……!

 えぇとつまり。正直…………怖いです。

 

「真桜!! 真桜ォオーッ!! 今すぐ作り直しなさい!! 主に名前を宝譿に戻せるところまで!!」

「この宝譿さえいれば、悪い虫などつかないのですよー」

「虫がつかない以前に誰も近寄ってくれなそうなんですけど!? 手を繋ぐどころか悲鳴あげて逃げられそうだよこれ!」

 

 口に右手を軽く添えて、策士が微笑むかのようにニヤリと笑う風に、正直な気持ちをぶつけてみました。

 すると風は俺の目を見上げつつ、しばし思考の回転に没頭するかのように───

 

「…………ぐぅ」

「寝るなっ!」

「おぉっ? お兄さんがあまりに真剣に見つめるので、つい体が脱力を選んでしまいましたー」

「真剣に見つめたら寝るのか!? どんな境地なのそれ!」

『わかってるぜー皆まで言うな兄弟。そこからあんちゃんは風が寝ているのをいいことに、あげなことそげなこと』

「しないから! 妙な疑いを宝譿に語らせるのは───ってそもそもほんとこれどうやって動いてるんだ!? つくづく謎で───こらこらこらっ! 頭に乗せようとしな───ヒィッ!? 頭にくっついた! 吸いついたみたいに取れないぞこれ!」

「宝譿はお兄さんの体から溢れ出す、女を惑わす香りに釣られて動くですよ」

「………………いぃいいいやそんなことあるわけないだろっ!」

「お兄さん……今、少しだけ信じましたねー……?」

 

 ごめんなさい少しだけ信じかけました。思わず手の甲を鼻に近づけて嗅いでしまうところだったし……しっかりしてくれ、俺……。

 

「……はぁ」

 

 ───そうやってからかわれたり遊ばれたり、時には泣かれたり怒られたり。

 それでも最後には許してくれる魏のみんなに、心からの感謝を。

 まだ行くって決まったわけじゃないけど……いや待て?

 行くこと前提で話が進んでるけど、本当に俺、行っていいのか?

 

「えっと……桃香は……」

 

 宴の席を見渡す……が、前方に栗色の長髪は見当たらず。

 ならば後方と振り向いたその時だった。

 

「か~ずとっ♪」

「うわっ!?」

 

 視界いっぱいに広がった笑顔が俺の左頬へと逸れて、気づいたときには体を包みこまれるように抱かれ、ふわっと浮いた桃色の髪が俺の鼻をくすぐっていった。

 

「雪蓮っ!? きゅきゅきゅ急になにっ!」

 

 いろんなことでの不意打ちの連続に、そろそろ心が挫けかけてる。

 頭には宝譿(ナマコというらしい)が乗ったままで、感情の変化によってギチリギチリと動いてるような気さえする。

 これ、俺が疲れてるだけだよね? 動いてないよね? ね?

 そんな疑問を口にするよりも先に、なんだかとても悲しくなった。

 神様……俺、なにか悪いことをしたのでしょうか……。

 

「…………」

 

 ほら見ろ……雪蓮だって大絶賛引きまくり中だ。

 もういっそ壊してくれようかとも思ったが、頭に吸いついているって時点で……なんかこう、壊したら毒針でも出して脳天に打ち込みそうな気が……なぁ?

 

「え、えっと……それで、なに……?」

「あ、あー……うん……」

 

 凄いな宝譿Mk.Ⅲ……あの雪蓮を思いきり困惑させてる……。ていうかもう俺泣きたい……。

 

「ん、んんっ、こほんっ……うん。…………はぁ」

 

 溜め息つかないでくれ……ほんと泣きたくなるから……。

 

「桃香に聞いたんだけど……一刀。学校のことで蜀に行くって本当?」

「ん……ああ。一応華琳にも許可を得たし、行こうとは思ってる」

「……“思ってる”?」

 

 俺の言い方に疑問を感じたのか、少しだけ首を傾げた雪蓮が言葉をそのままに疑問をぶつけてくる。俺はそれに苦笑をもらすと───いやいや頭上で怪しげな笑みがこぼれてるのは気の所為だ、気の所為。

 大体どうやって喋ったりするっていうんだ、気の所為気の所為……………………い、いや、カメラとか簡単に作っちゃう真桜が手を加えたならもしや……あぁいやいやいや……! あぁでも張三姉妹のマイクにしたって……いやいやしかし……!

 

「………」

「…………一刀?」

「雪蓮……気にしたら負けって言葉、とても大事だと思わない?」

「いきなりなに? ……まあ、楽しんでるときに野暮なことを気にするより、思いっきり楽しめたほうがいいなーとは思うけど」

「だよなっ!? そうだよな! 俺は気にしなくていいんだ! おめでとうありがとう!」

「一刀? ちょっと一刀っ、どうしたのよいきなりっ」

「───ハッ!」

 

 ……と気づけば、両手を上げて叫んでる自分。

 そして、宴の席に居る大半の人が、俺を見てポカンと停止していた。

 もう……泣いていいよね、俺……。

 

「えぇと……はい……それでこの哀れなホウケイ野郎にどういったご用でしょうか雪蓮様……」

「様なんかつけないでよ。雪蓮。ね? はい」

「…………雪蓮……」

「うん。それで話の続きだけど───“行こうとは思ってる”ってどういうこと?」

「あ……」

 

 えぇと……そうだ、そういうこと話してたんだよな、うん……。

 気にするな俺……強く生きろ、俺……。

 

「ん、んんっ……こほんっ」

 

 照れ隠しをするみたいに、雪蓮の真似をして咳払い。

 そうしてから真っ直ぐに雪蓮の目を見ると、雪蓮はにこーと笑って俺の目を見てくる。

 

「えっとさ。“行こうとは思ってる”っていうのは、確かに俺……桃香に誘われてはいたんだけど、関羽さんが頷いてくれてないんだよ。だから……まあその、そんな状態で行って、門前払いとかされないかな~とちょっと心配になってたんだ」

「あぁあの子。ちょっと難しそうな顔してるわね~……」

 

 ツ、と視線を動かす雪蓮に習ってみると、視線の先では元気を取り戻した宴の中で、ひときわ元気に騒いでいる桃香。の、隣に居る関羽。言われた通り難しい顔で……桃香をなんとか宥めようとしている。

 その桃香だが、酔っ払っているのか、手当たり次第に周囲の女性に襲いかかっては、ケタケタと笑っている。うん、関羽さん、お疲れです。

 あそこまでひどい酒乱って初めて見た気がする。あれなら春蘭の猫化なんてまだ可愛いかもしれない。

 

「それで、訊きたかったのってそれだけか?」

「ううん、まだある。ね、一刀。蜀より先に呉に来ない? 乱世終結から一年余りだけど、騒ぎを起こしたがる連中が後を絶たなくて困ってるのよ。……一応、力を示すことで抑えてきたところもあったから」

「あ……そっか」

 

 力を示すことで民や野党などを抑えてきたんなら、同盟を結んだとはいえ“敗北した”って事実はついて回る。

 それに乗っかって問題を起こす輩は増えただろうし、だからといって平和にし、善くしていこうと決めた矢先に力のみで再び抑えるのは得策じゃない気がする。

 もちろん話して聞いてくれるような輩だったら、雪蓮だって“来てくれ”なんて言わないだろう。

 

「桃香のほうは学校のことでしょ? こっちは出来れば急ぎなの。この一年で大分減ってはくれたけど、騒ぎを起こすからって殺したりでもしたら、それはただの見せしめの殺戮よ。力は必要だけど、今必要なのはもっとべつの力。たとえば……」

「……えと」

 

 真面目だった顔が無邪気に緩んでゆく。

 普段穏やかだけど凛々しさが残った表情をしてるのに、笑む時はこんなにも子供っぽいなんて反則だろ……。

 そんなふうに思いながらも、ふと自分の二つ名を思い出す。

 

「……天の御遣いか」

「ん、そーゆーこと。しかも魏の王を天下統一まで導いたとくれば……ね?」

「でもそれ、無駄な圧力にならないか? 呉の人達から見れば、俺は敵国の王に天下をとらせた男だろ。なんで呉に降りてくれなかったんだ~とか言われるのは……ちょっと怖いぞ」

「うん、だからね? 一刀にはもっと、内側のほうから呉を変えていってほしいの。上からの圧力じゃない、呉に生きる人達が呉に産まれてよかった~とか思ってくれるくらいに」

 

 ……あの……雪蓮さん?

 あなた方が一年かけて出来なかったことを、俺にやれと言いますか?

 そんなジト目を向けていると、雪蓮はやっぱり笑って、

 

「大丈夫。一人の兵士の死を大事なことだって悲しめる一刀なら、きっとそれが出来るから」

 

 自信たっぷりに、そう言ってみせた。

 その根拠がどこにあるのかはわからないが、それでも真剣に考えていることくらいは感じられる。

 笑顔の先、瞳の奥には不安が見え隠れしているように思えたから。

 だから、俺の答えは───

 

「……ん、わかった。桃香には悪いけど、まずは呉に行くことにするよ。……はぁ、ま~た関羽さんに怒られるかなぁ」

「ああ大丈夫大丈夫、そこのところはもう桃香に言ってあるから」

「…………」

 

 華琳さん、こんな時あなただったら怒りますか? 怒りますよね? さっき俺のこと怒ったばっかりだもん。

 事後承諾みたいなもんだよな、これ……根回しとはまた違うだろうけど……いやどっちも似たようなもんか……はぁ。

 

「それでも、ちゃんと謝ってくるよ。誠意は見せなきゃ意味がないと思う」

「……そっかそっかー、ふふふ……うん。じゃあ一緒に謝りに行こっか」

 

 俺の言葉に一瞬、きょとんとする雪蓮だったけど、すぐに笑みを浮かべるとそんなことを言い出す。

 

「え? いや、俺だけでいいだろ。話の進みかたはそもそも、桃香のほうが早かったんだ。それを急に雪蓮の話を優先させるなんて言ったのは俺なんだし」

「いいの、やらせて。……ね?」

「…………あ、ああ……」

 

 困惑する俺の頬を面白そうにつついて、雪蓮は歩きだす。

 一歩遅れた俺もすぐに後を追って歩き出すが、内心は結構怖がっていたりする。

 いい加減覚悟決めろ、逆に関羽なら“元より呼んでない”とか言うかもしれないだろ?

 …………嫌われていること前提で予想したらの話だけど。

 それでもとりあえずは前向きに頑張っていけたらと思う。

 思うから、思うだけじゃダメだって気になれるし……そんな気になれるから頑張っていける。

 鼻歌を歌いながら前を歩く雪蓮を見て、これは謝る前の態度じゃないだろって苦笑を漏らすけど……そうだよな、宴の席なんだ。

 しかめっ面とかつまらなそうな顔で歩いてたら、せっかく楽しんでいる人に迷惑だ。

 だから、まあやっぱり怒られることになるんだろうけど、せめて笑顔で。

 

「そういえばさ」

「え? なにー?」

 

 やがて桃香がケタケタと笑う場所まで辿り着くという時。

 ふと思って小走りに雪蓮の隣に並ぶと、疑問をぶつけるために口を開く。

 みんなが騒ぐ中でも聞こえるように、少し声を大にして。

 ちらりと見てみれば、酔っ払ってない人など居ないってくらいに騒がしい宴の席。

 どっさりとあった料理の数々もいつの間にか消え、もはや酒しかないと言わんばかりに数々の豪傑たちが喉を鳴らしてゆく。

 中でも霞と祭さんと厳顔さんの酒飲み対決は圧巻で、それがまた張三姉妹への季衣や流琉、馬岱や張飛が張り出す声援に後押しされるようにペースを上げるもんだから、周りは沸くばかりだ。

 “ほわぁあーっ!”って声援とともに酒を呑む同盟国のみんな。

 見ていてこんなにもおかしいのだから、酒に酔いっぱなしのみんなからすればもっとおかしいのだろう。

 そんな景色に俺も笑みをこぼしながら、雪蓮に言葉を投げた。

 

「どうして、その……兵士の死を大切に思える俺だからって、呉の問題を任せようだなんて思ったんだ?」

 

 御遣いってことを抜きにしても、と続ける俺。

 雪蓮はそれを聞いて、どこか楽しげにうんうんと頷くと……俺より一歩先に歩き、自分の肩越しに振り向きながら、俺の目を見て言う。

 

「あはは、そんなの簡単簡単。一刀なら大丈夫って思ったの」

「……? や、だから、それがなんでかって───」

 

 俺の手を握ってくれた時のように“難しいことなんて知らない”と言うかのように。

 ……向かう先のほうでは顔を真っ赤にした桃香が手を振っている。

 それに気づいた雪蓮も俺から視線を戻して前を向く。

 それでも俺に聞こえるような、だけど宴に水を差さない程度の声で、彼女は言った。

 もう一度俺へと振り返りながら、いたずらっぽい笑みで。

 

「ん~? んふふー、私の勘♪」

「勘!?」

 

 ───ふと気づけば夜は深く。

 一緒に謝った途端に桃香に泣きつかれたり関羽さんに殺されかけたり。

 そうやって騒ぐ中でも笑みが絶えることはなく、喉が枯れるほど騒いでも暴れても、叫べば叫ぶほど、暴れれば暴れるほどに仲良くなれる気がして───いつの間にかしがらみなんて気にしないで、叫ぶように笑う自分たちが居る。

 そうした宴の気配の中……静かに。

 この絆を、笑顔を大事にしていこうと思える今が、なによりも愛しいと思えた。

 いつの間に酒を呑んだのか、顔を真っ赤にした張三姉妹に舞台の上に連れていかれたときはどうしようかと思ったが。

 困惑する俺に、霞と真桜が“歌えー!”と言ったのがそもそもで……これまた気づけば歌えコール。

 天和も地和も人和も促してくる始末で、俺は頭の上の宝譿とともにがくりと項垂れた。

 

「あ、あー……」

 

 でも、と思ってマイクを握る。

 これはどうやって作ったのかとか、あまり突っ込むことはしない。

 静かに自分のするべきことを実行するために息を吸って、歌を歌う。

 日本の流行歌だとか英語ばかりの歌じゃない。

 それは小さい頃に歌ったきりの歌だったけど、今の自分達にはよく合ってる気がしたから───

 ただ静かに、この同盟がいつまでも続くようにと願い、歌い始めた。

 

 

  ───いつまでも絶えることなく、友達でいよう、と───

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ①

11/明日のために今始めよう

 

 宴が終わり、夜を越えて朝が来る。

 だが呉や蜀のみんなが帰るにはまだ早い今日という日に、俺は城内通路を駆け、ある人物を探していた。……まあその、宝譿を頭に乗っけたままで。

 部屋にも居なかった。兵舎にも居ない。

 ならばと街に繰り出し、いつものと呼ぶには離れすぎていた料理屋へ入ると、店の中を見渡して───凪を発見する。

 

「凪!」

 

 その姿を見るや周りの目も気にせずに叫ぶと、真桜、沙和とともに食事中だったその目が俺に向けられる。

 

「隊長……? ───何事ですか!」

 

 ただならぬ俺の様子を感じ取ったのか、その表情は真面目そのもの。

 急に身を正した所為で、食べかけだった麻婆豆腐が口の端に少しついているのはご愛嬌ということで。

 

「凪……お前に、お前にしか出来ないことを頼みたい!」

「自分……私にしか出来ないこと、ですか……?」

「ああ。どうしても凪が必要なんだ……出来れば頷いてほしい」

「隊長……」

 

 凪の顔がカッと赤くなり、だがすぐにキリッとすると真っ直ぐに俺を見て頷く。

 

「はっ! この楽文謙、隊長の願いであればどのようなことでも!」

 

 その目は白馬に乗った王子に焦がれる少女のようでもあり、憧れている誰かに必要とされた瞬間の少女のようでもあり───

 希望に満ち溢れた表情がそこにあり、凪は食事を完全に中断すると自分の分の料金を卓の上に置いて、その場を離れて俺のもとに……

 

「ちょ、ちょちょちょちょい待ち、凪!」

「そうなの! ちょっと待つのー!」

 

 ───来る前に、真桜と沙和に捕まった。

 

「な、凪ぃ? いつの間に隊長とこんな羨ま……羨ましい状況になるようなことしとったん……?」

「……言い直す意味がないぞ、真桜」

「そんなことはどーだっていいの! 隊長となにかするときは三人一緒って言ったのー!」

「せやぁ? やから隊長、凪連れてくゆぅなら漏れなくウチらもついてくで~」

 

 真桜がニッと歯を見せながら笑う。

 沙和は沙和で凪を後ろからガッチリとホールドしていて、意地でもついてくる気らしい。

 

「……いいのか? 痛いかもしれないぞ?」

「うあっ、隊長痛いことするん?」

「いや……痛くないかもしれない。逆に気持ちよかったりするのか?」

「いえ、わたしに訊かれましても」

「なんのことだかさっぱりなの……」

 

 三者三様。

 共通点といえば、俺の頼みがなんなのかがわかってないことくらい……だよな。

 ってそうだ、俺まだ用件の方をきちんと伝えてなかった。

 

「えっとな、折り入って相談……じゃないな、教えてもらいたいことがあるんだ」

「教えてもらいたい? ……まさか隊長~、戻って早々“俺の知らない凪を教えてくれ”とかゆーて……あ、ちょ、たんまっ! 暴力反対っ! あたっ!」

 

 どうせ茶化されるだろうと予測して、真面目な雰囲気を出しつつ言ってみればこれである。ツッコミするように額を叩き、いい加減真面目に受け取ってくれとばかりに言葉を発する。

 

「ヘンなこと言わないっ! 話がややこしくなるから真桜はここで待機!」

「あぁ~ん、べつに変なことなんてゆーてへんやぁ~ん!」

「場所を弁えてくれ頼むから……!」

 

 叩かれた額をさする真桜に声を潜め、周りを見ながら言ってやると、さすがに「あ……あちゃあ~……」と言いながら頭を掻くしかなかったようだった。

 そんな真桜の横で、いつの間にか凪を押さえるんじゃなくて抱きついているだけの沙和が言う。

 

「それでたいちょー? 結局教えてもらいたいことってなんなの?」

「ああ───凪」

「はい、隊長」

 

 ごくりと息を飲む音がした。

 見れば……どこか緊張しているような、でもなにかに期待しているような風情で俺の言葉を待つ凪。

 べつに引き伸ばす理由もないし、俺は覚悟を決めると凪の両肩を掴み、真剣に言った。

 

「俺に───俺に“氣”の使い方を教えてくれ!」

「はい!! ………………───はい?」

 

 顔赤らめた返事から一変、首を傾げて疑問を絞り出すような声が漏れた。

 真桜と沙和がズッコケた理由もわからないまま、ともかく了承を得たことにより、鍛錬は始まったのだった。

 

 

───……。

 

 

 それからしばらくして、洛陽の中庭には俺と凪と真桜と沙和の姿があった。

 ここで宴があったことなんて忘れられるくらいに、ザッと見ただけでもすっきりと後片付けされたとわかる中庭。

 それでも地面に染みついているのか、時折香る酒の匂いに少し苦笑が漏れる。

 こればっかりは大目に見てもらうしかない。さすがに匂いまでは片付けられなかったのだ。

 そんな中庭の中央で準備運動をしている俺と、俺の視線の先に立つ凪。その後ろには真桜と沙和が居る。

 

「おいっちに、さんっし……───っと。それで凪、氣を練るってどうすればいいんだ?」

「…………」

「あの……凪さん?」

 

 料理屋を出てからここまで、やたらと暗い凪は……俺がなにを言っても心ここにアラズといった感じで、時折ぶつぶつと何かを呟いているんだが、声が小さすぎて聞こえない。

 思わず問いかけるように名前を口にするが、それでも暗雲を煮詰めたような暗く重苦しい空気を背負ったまま、返事もしてくれなかった。

 

「やぁ~……隊長、今回は隊長が悪いで」

「え? 俺?」

「一年経っても鈍いままなの……」

「えぇ!? おっ……俺が悪いのか!? や、だって……氣の練りかたって他に出来る人知らないし、凪なら誰よりも詳しく教えてくれるって思ったんだけど……」

 

 ワケもわからないままに自分の気持ちを口にするが、そんな俺に真桜はチッチッチと指を振るい、ニヤリと笑う。

 

「あー、そらアカンで隊長。もっと細かいとこに目ぇ向けたってくれんと。一年ぶりに会ぅたゆーのに氣の使い方教えてくれ~なんて、いくら凪でも───」

「自分ならば誰よりも詳しく…………わかりました隊長。氣の扱い方、教えさせていただきます」

「ほれみぃ隊長、凪かてうぇええっ!? 凪、それでえぇの!?」

「隊長が必要としてくれているんだ。断る理由は……その、見つからない」

「凪ちゃん、乙女の純情を踏みにじった~とか言えば理由になるよ? がつんと言ってやるの」

「純情?」

 

 よくわからんが俺は凪の純情を踏みにじったらしい。いったいいつの間に?

 気になって訊いてみようとしたが、早速凪が説明に入ってしまったので機を逃してしまった。

 

「隊長。まず知っておいてもらいたいのですが、“氣”は誰の中にでもあるものです」

「誰の中にも……ってことは、俺にも真桜にも沙和にも?」

「はい。体内にある氣を一箇所に集めることが出来るようになるのが、最終目標ということになりますが───まずは自分の中にある氣を感じ取るところから始める必要があります」

「ふむふむ……」

 

 凪の説明は丁寧だった。

 こんな感じでやればいい、こうしたらわかりやすいかもしれません、などなど。

 懸命に俺でもコツが掴めるように、いろいろと助言をくれる。

 

「大事なのは集中力か。む───……集中、集中……」

「あ、目を閉じるのはやめておいたほうがいいです。目を閉じると意識が耳にいってしまうので、逆に集中が散漫になります」

「う……難しいな」

 

 それでもやる。

 足を肩幅に開いて、腰をほんの少しだけ落として膝もちょっとだけ曲げて。

 丹田に力を込めて、その力を心臓にまで持っていく感じ……だったか。

 あとは騒音の中で心臓の音を拾えるくらいの集中と、鼓動の音に紛れて聞こえる僅かな音に耳を傾ける……だったよな。

 

「……………」

 

 …………。

 

 ……。

 

 

 ───5分後。

 

「俺……! 五行山で孫悟空助けて天竺目指すよ!」

「隊長、なにゆーとるん?」

「うん……なんでもない……」

 

 よし落ち着け俺。出来ないならもっと意識を集中させよう。

 

(………)

 

 ……違うか。集中しようだなんて考えるな、自然体でいい。

 そもそも集中とか言っても、自分がそうしていることが本当に“集中”という行為なのかさえわからないんだ。

 だったら余計なことを考えるよりも……自分を失くすように念じる。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 目は閉じない。

 が、意識は自分の内側へ。

 目に見えるものに意識を囚われず、ひたすらに目には見えない内側へと───……

 

 …………。

 

「……隊長~、隊長~? ……うわ、すごいで凪。隊長、なにやっても気づかれへん」

「面白いねー。あ、真桜ちゃん、くすぐったらどうなるか試してみるの」

「おっ、そら名案やな~、くっひひひひひ……!」

 

 ……。

 

「う、うぉお……くすぐってもビクともせんで……」

「ねぇ凪ちゃん、これって大丈夫なの?」

「ん……問題はないはずだ。むしろすごい集中力だと思う。これが出来るならあとは……隊長、聞こえますか、隊長」

 

 ……右肩になにかが触れる。

 自分以外の鼓動がそこから響いてくる。

 自然とそこに意識が向かい、鼓動以外の“なにか”もそこへと向かってゆく。

 …………これが……氣……?

 

「隊長、私が氣で誘導します。今感じている“違和感”が右手に集まるように、集中を傾けてください」

 

 右肩からなにかが離れ、次いで右手になにかが触れる。

 途端に右肩に向かっていた“氣”だと思うなにかが右手へと流れていき───

 

「…………凪? べつになにも起こらへんで?」

「失敗なの?」

「いや……氣は確かに集まってる。集まってるけど…………その。弱すぎて形にならないみたいなんだ」

「あぁらっ!? ここまできてそれかい……」

「さ、さすが隊長なの……」

 

 右手に集まるなにかを見たくて、開いているけど何処も見ていなかった目で自分の右手を見る。

 と、光ってるわけでもない、普通の俺の右手がそこにあった。

 

「…………えーと…………あれ? 失敗?」

 

 思わず首を傾げる。

 なにかがそこにある感覚は確かに存在するんだが、凪のように燃えるような闘気があるわけでもない。

 不安になって凪、真桜、沙和を見るんだが、何故か真桜がズッコケてた。

 

「いえ隊長、氣の収束は成功しています。ただ体外に出せるほど、隊長には……その、氣が無いようで……」

「……うわーあ」

 

 失敗してくれたほうが、いっそ諦めがついた結果だった。

 どこまでも凡人ってことなんだろうか……ああいや、諦めがつかないんだったら氣を高めていけばいいんだよな、うん。

 

「氣を増やす方法ってあるのか?」

「あるにはありますが、一朝一夕で身に着くものでは……」

「だよなぁ……」

 

 ……うん、でも氣ってやつを感じることは出来た。

 氣を集めた右手がフワフワと暖かい。

 普段も重力なんて感じないくらいなのに、今は右手だけがやけに軽いようだ。

 暖かい暖かい……………………って、あれ?

 

「なぁ凪? 右手に氣が集まってるのはわかったんだが、これってどうすれば戻るんだ?」

「あ……そうですね。集めた氣を放たない場合は───」

 

 そうして始まる凪流氣教室。

 今感じた“違和感”を身体全体に行き渡らせる感覚で集中する……らしいんだが、どうにも“集中”のコツが掴めないでいる。

 一回出来たからって、またすぐに出来るとは限らないってことか。こりゃ難しい。

 

「沙和や真桜は出来るのか?」

「あー、どないやろー……そらぁウチかて試したことあるねんよ? けど隊長みたく成功したことあらへんもん。螺旋槍は氣ぃで動かしてるねんけど、体内収束なんてよーわからへん」

「沙和は試そうともしてないの」

「そうなのか……」

 

 言いながらももう一度。

 違和感を全体に逃がす感覚で…………イメージして、集中して……えーと…………。

 

「……おっ」

 

 右手の暖かさが無くなった。

 どうやら成功してくれたらしく、なんとなく重かったような身体の“だるさ”も無くなった。

 

「凪は戦闘の中でもこんなことが出来るのか……すごいな」

「いえ、隊長もすぐに出来るようになりますよ。初めてで収束が出来るのは筋がいい証拠です。やはり修行を積んでみては?」

「せやなぁ~……以前は“暇があったらな”とかゆーて上手く逃げとったし、自分から言い出したんならここは一発、びしーっとやってみたらどーなん?」

「ああ。やる気は充実してるくらいだからさ。教えられることがあったら教えてくれるとありがたい。……けど、まずは自分でどこまで出来るか試してからにするよ。答えばっかりを求めるのは、もうやめにしたんだ」

 

 この氣の扱い方だって、じいちゃんとの修行の合間に“出来ないもんかなぁ”ってやってみていたもの。

 もちろん俺だけじゃ無理だった。こうして凪に誘導してもらわなければ、“こんな感覚”を掴むことすら出来なかったのだ。

 ちょっと掴んだような気がして、“もしかしてこれが……!?”なんて思って少し嬉しかった時の俺よ……あれは間違いだったようだよ。

 

「隊長どうしたのー? 遠くの空なんて見つめて」

「いや……うん……馬鹿だったなぁって……」

 

 しみじみと恥ずかしかったけど、せめて無駄ではなかったと思うことで今後の教訓にしよう。

 恥ずかしさがあれば、もう間違うことはないだろうっていう教訓に。うん。

 

「ところで隊長? 呉に行くゆーとったけど、氣のことはそれと関係あるん?」

「ん? んー……あるといえばある……かな。ほら、帰って早々に別の国に行くわけだろ? だからさ、魏の誰かからしか得られない“なにか”が欲しかったんだ。すぐに戻ってくるつもりだけど……俺、まだ呉の状況を知らないから、結局はいつ戻れるかもわからないし」

「状況を知らないって、それなのに呉に行くって決めたのー!?」

「う……悪い。でも困ってる人を見捨ててなんておけないだろ?」

「はぁ……お人好しにも程度っちゅーもんがあんで、隊長。いくら同盟結んだゆーても、あっちが困ったらあっちへ、こっちが困ったらこっちへなんて、そんなんやっとったら体壊れんで?」

「うぐ……」

 

 言葉もない。

 何かを守るためにと立ち上がった俺だけど、そもそもの目的は魏の国へ恩を返すため、魏のみんなを守るためだったはず。

 同盟を組んでいるからって、俺が行かなきゃいけない理由はそこにあるか? って訊かれれば、言葉にも詰まってしまうのが今の俺。

 けど、今……そんな“俺”が求められている。

 天の御遣いって名が今も役に立ってくれるなら、利用でもなんでもしてくれればいい。

 それで誰かが笑ってくれる未来が築けるなら、利用される価値もあるってもんだ。

 

「……すまん、それでも行くよ。戦が終わって一年経ったのに、まだ“争い”から抜け出せないヤツが居るなら、そいつらに日常ってやつを教えてあげたい」

「日常……ですか?」

「ああ。戦いを常としてた人の中には、戦いこそが己の生き甲斐って思ってる人も居るだろ? 平和になった代償に張り合いを失くす人も居る。霞とかが実際そうだったわけだけど、でも……戦いだけが全てじゃないってこと、教えてやりたい。平和の中にあるちょっとしたことも……意識して見てみれば、そう捨てたもんじゃないんだってこと、教えてやりたい。それと同じように、呉の人達にももっと広い視界で“今”を見てもらいたい」

「ん~……相手は呉の民なん? 呉の民相手に教えるゆーてもなぁ……具体的にどーするん?」

「ああ。……実は今もまだ考え中だったりするんだけど……どうしよ」

「だぁ~ぁあっ!? そこが一番肝心なとこやで隊長~!」

 

 頭を掻きながら言う俺を前に、真桜はまたズッコケていた。

 凪も呆れているのか、目を伏せて小さく息を吐いていた。 

 

「まあ、自分に出来ることをやっていくしかないんだよな、結局。だからさ、いろんなことを覚えよう、出来るようになろうって思ったんだ。凪に氣のことを教わるのだってもちろんそうだし、それが魏との絆だと思えば離れるのも寂しくないよ」

「隊長……」

「絆かぁ~……せやったら隊長、ウチは絡繰のこと教えたる」

「え? いや、それは……」

「ずるいのー! なら沙和は阿蘇阿蘇で覚えたこと、い~っぱい隊長に教えてあげるのー!」

「真桜も沙和もちょっと落ち着けって。そ、そんないっぺんに覚えられるわけないだろ? な?」

「あ~、ウチそんなん知ら~ん。“覚えられんなら覚えるまで”って袁術とかにゆーたんは隊長やもん。一度ゆぅた言葉の責任、ちゃあんと実践してみせんと。な~? た~いちょ」

「あ、う、うー……! ……手短にお願いします……」

 

 そして、ぐぅの音も出ない俺が居ました。

 基本的に俺のポジションって、どれだけ強くなっても変わらないのかもしれない……そう思った、とある日の昼下がりであった。

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ②

12/しばしの別れ……の前に

 

 待てって言ったんだ。俺は待てって言った……言ったのに……。

 

「腹……へったなぁああ……」

 

 気づけば夜が訪れようとしていた。

 沈みゆく太陽が空を茜色に変えていく中で、考えてみれば朝からなにも食べていないことを懸命に叫ぶ俺の腹。

 なのに凪も真桜も沙和も、途中から混ざった霞も春蘭も秋蘭も、面白がって俺になにかを教えようとした。

 霞は騎馬兵法、春蘭はもちろん剣で、秋蘭は弓だった。

 当然ながらそんないっぺんに出来るはずもなく、懸命に学ぼうとするのも空回りなままに、氣の集中に失敗したり絡繰を壊して怒られたり、意匠なら俺も詳しいぞとうっかり言ってしまって拗ねられたり、馬にくくりつけられ引きずり回されたり、刃引きされた剣でボッコボコにされたり鏃を潰した矢で狙い撃ちされたりと、まあロクな目には遭わなかった。

 

「はぁ~あ……」

 

 ヒリヒリと痛む背中をさする。

 霞に馬で引きずり回された時に痛めた場所だ。

 まさか三国志時代で西部劇みたいなことをされるとは思ってもみなかった。

 

  “今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?”

 

 思い出すのは、再会を果たしたあの時のこと。

 宴の夜に説明はしたけど、やっぱり納得なんて出来なかったんだろう。

 “一刀のうそつきー! あほー!”と言いながら、縄で縛った俺を引きずり回す霞はとても恐ろしかったです。

 

「どこにも行かないって言葉に頷いた矢先だもんな……そりゃ怒るさ」

 

 しかも向かう先が呉だっていうんだから、“天の国まで行って俺を奪い返す”なんて言葉も果たされることがないわけで。

 それが余計に悔しかったのか、俺はちょっとした罪人気分で街の外の草原をゴシャーアーと滑走させられたのでした。

 服……破れなくてよかった。代わりに頭にあった宝譿は見るも無残にグシャグシャだったが。

 真桜には元の宝譿に戻すようにって厳重注意をしたから、今度こそ大丈夫だろう。

 それよりもだ。

 

「……今は痛みよりも空腹をなんとかしたい……」

 

 ところどころに青痣が出来てるけど、空腹の状態で今まで訓練めいたことをやっていたのだ、いい加減限界だ。

 なにを食べようかと考えながら動かす足は、街のほうへと向かっている。

 炒飯、水餃子、拉麺、メンマ丼もいいし……青椒肉絲や麻婆豆腐と白飯もいいな。

 ああ、考えるだけで夢が広がる。へっているお腹がさらにへっていくようだ。

 

「……よし! 麻婆豆腐に決まりっ! それと白飯!」

 

 いわゆる麻婆丼である。がっつり食いたいし餃子もつけよう。

 あとは様子を見ながら追加をするのもいいし…………おお、ツバが出てきた。

 

(絶対大盛りで食おう)

 

 にやける顔を押し殺すような顔でごくりと喉を鳴らして、食事に想いを馳せた。

 追加分の料金も頭に入れておかないとな───、……ん? りょ、料金? りょ……料金だろ? りょ……はうあ!

 

「しまった」

 

 心がすっかり麻婆丼の魅力に包まれている中で、気づかなきゃいけないことだけど気づきたくなかったことに気づいてしまった。

 

「……俺、金持ってないじゃん……」

 

 ごくり、ってツバ飲んでる場合じゃないだろおい! 魏に戻ってきてから何度泣きたくなれば気が済むんだよ俺ぇええ!!

 そ、そうだ華琳に金を…………え? 借りる? ……華琳に?

 

「後が怖い。却下」

 

 少し考えてみればあっさりと出る却下の答え。

 そりゃ事情を話せばくれるとは思うけど、どうしてだろうなあ……あまりいい方向に転ばない気がするのは。

 

「うぅ……腹へったなぁ……」

 

 黒檀木刀を杖代わりに歩く姿は、もはや天の御遣いというよりは物乞いのようにも見えたに違いない。

 体作りをしていたとはいえ、空腹の中で氣の集中や剣術鍛錬、加えて弓術や馬術(引きずり回されただけだが)など、体力がどうとか以前にエネルギーの無い状態での無茶がたたり、眩暈さえ起こしていた。

 お陰であっちへフラフラこっちへフラフラ、いっそ倒れてしまえと思えるくらいの状態で………………いや待て、厨房に行けば何かあるんじゃないか?

 

「そうだ。厨房、行こう」

 

 歩き始めた足は、もう止まらなかった。

 空腹でも二日くらいは断食できるんじゃないかって思っていた時期が、俺にもありました。

 けれどそれは大して動かなければの話だ、って思った瞬間が、今ここにあります。尊い。……べつに尊くないか。

 

───……。

 

 厨房に着く前に感じたのはフワリとしたやわらかい香り。

 香りにやわらかいもなにもないだろう、と頭の中でツッコミを入れるけど、カレーというよりはお吸い物、といった感じの……まあ多少の香りの違いを思い浮かべてくれれば十分だ。

 もちろん香ったのはカレーでもお吸い物でもないわけだが。

 

「…………?」

 

 フラフラだった足が急に活力を取り戻す。

 しっかりとした足取りとまではいかないものの、歩む足は速度を増し、競歩でも出来るくらいの動きでやがて厨房へ。

 そこでは───

 

「流琉ー、まだー? ボクお腹すいたよ~……」

「もう出来るよー。お皿出しておいてくれるー?」

「このおっきいのでいいー?」

「小さいのに分けるから、大きいのはだめだよー」

 

 料理をしている流琉と、卓の辺りをうろうろと動きつつ皿を用意しようとしている季衣が居た。

 油が跳ねる音に負けないように、少し声を大きくして会話している二人の姿。そして、流琉の手で仕上げられてゆく料理の数々。

 それを目にしたら、言うべき言葉なんて一つしか見い出せなかった。

 

「流琉……季衣……」

 

 声を張り出そうとしたのに、喉から漏れるのはか細い声。

 そんな声に自分自身が一番驚きつつも、振り向いてくれた二人に弱りきった笑顔を向け───

 

「……どうかこの御遣いめにお恵みを……」

 

 のちに、もっと別に言うこととかあっただろ、と過去の自分にツッコミを入れる俺だったが……人間、余裕がなくなると何を口走るか解ったもんじゃないということだけは、ポカンとする二人を前にしたこの時、ものすご~く身に染みたのでした。

 

───……。

 

 卓に着くのを許可された俺は、季衣にも負けない速度と豪快さで食事をとる。

 皿を傾けレンゲを動かし、ご飯を掻き込み、咀嚼しては汁モノで流し込んで、薄味だけど味覚と腹を満たしてゆく味に涙すら流したりして。

 季衣と俺は、それこそ競うように手と顎を動かし、次々と小分けにされた料理を嚥下する。

 そんな光景に流琉だけが口をあんぐりと開け、「うわあ……」とこぼす。しかしすぐに笑顔になると、絶妙なタイミングで飲み物を差し出してくれたりした。

 

「んぐっ、んむっ……はふっ、ふっ……うぁちゃっ!? ふっ……はふはふ……っ!」

 

 舌を火傷しようが構わず、一心不乱に。

 そんな俺を、卓の反対側に座った流琉は頬杖をしながら見つめていた。

 行儀が悪いとかそんなことさえ気にする余裕もなく、ただただ美味い美味いと言って食う俺を。

 季衣も箸休めとしてか時折に俺を見ると、頬を緩ませて……また料理を口に運ぶ。

 楽しげな会話なんてものはなく、ただ匙子(チーズ)や箸を動かす音、咀嚼や嚥下する音だけがこの場にあった。

 だって、仕方ない。

 宴の席での料理も美味かったけど、これは“流琉”の味だ。

 宴用に作られた料理の中にはもちろん流琉の料理もあっただろうけど、これはいつもの……季衣のために作られた料理だ。

 それを一年ぶりに口にする俺の心は、もう感動でいっぱいだった。

 

(漫画とかで料理に感動する人の気持ち、そこまでわからなかったけど……)

 

 それも、今ならハッキリとわかる気がした。

 帰ってこれたんだなぁって……ああ、流琉の味だなぁって、いろんな思いが心を満たしていった。

 そうして空腹が満たされていった瞬間、ハタと気づくことがあった。

 俺と季衣ばかりが食べていて、流琉は全然食べていなかったということ。

 

「あ───流琉、もしかしてこれ……」

 

 “流琉の分だったんじゃ”って考えに至ったのは、皿に盛られたものをほぼ完食した頃だった。

 皿を見てももう何も無いに等しく、悪いことをしたと思ったんだが───流琉は満面の笑顔で首を横に振った。

 

「こんなに夢中で食べてくれた兄様に、文句なんて言えませんよ」

 

 そして、笑顔のままにそう言ってくれる。

 

「う……すまん」

「いいですってば。……あの、美味しかったですか?」

「ああ、流琉の味だなって……帰ってきたんだなって、改めて思える味だった。また腕あげたか?」

「そ、そんなことは……」

「うんっ、美味しくなったよねー、兄ちゃんっ」

「なー?」

「季衣まで……っ」

 

 俺と季衣の賛美に顔を赤くしながら俯く流琉に、思わず顔が綻んでゆく。

 懐かしい味と懐かしい“魏”の空気。

 それらを感じていられる今の自分に、よかったな、なんて客観的に言ってやりたい気分になる。

 

「………」

 

 口回りにべったりと料理のタレをつけっぱなしの季衣の口を、照れながらも拭ってやる流琉。

 季衣は少し嫌そうにするけど、結局されるがままに拭いてもらうと、皿に少し残っていた料理をペロリと平らげた。

 流琉はそんな季衣を見て「しょうがないなあ」って苦笑をこぼすけど───その苦笑も年季が入っていて、どこか楽しそうだった。

 ……やっぱりいいな、友達ってのいうのは。

 

(…………友達…………友達か)

 

 昨夜は宴のあと、寝る間も惜しんで兵のみんなと騒いだ。

 軽く挨拶するような、ささやかな騒ぎではあったけど。

 後片付けを任される代わりに僅かな酒の残りをもらっていいという許可も得たから、みんながそれぞれの部屋などに戻る中、門番をしていたあいつに声をかけて始まる、男ばっかりの騒ぎ……だったけど、その中に友達って呼べる相手は居なかった。

 みんな俺のことを北郷様とか隊長と呼ぶし、仲良くはなれても友達ってところまではいかない感じ。

 男としか出来ない会話っていうのもあるから、欲しいんだけどなぁ……男友達。

 

(……友達かぁ……───あ)

 

 二人を眺めながら思考の海に沈んでいた自分が、急に浮上する。

 

(俺に出来ることって、やっぱりそう多くない。けど───)

 

 自分で出来ないことを補ってくれる誰かを探すこと。

 何度も何度も思い、そのたびに心に刻んできたことを心の中で復唱する。

 手を繋ぐだけじゃない、繋いだ人と一緒に出来るなにかを探し、見つけていくその全てを国に返してゆく。

 

(……友達を作っていこう。それこそ、いつまでも絶えることのない“親友”って呼べる人を)

 

 立場や地位が近しい人じゃなくてもいい。

 民だって兵だって、将だって誰だって、望めばきっと友達になれる。

 

「よしっ!」

「ひあっ?」

「うわっ!? ど、どーしたの兄ちゃん」

 

 勢いよく席を立つ俺に二人は目を丸くするけど、俺はそんな二人に自然とこぼれる笑み……というよりはニヤケ顔を盛大に振り撒き、

 

「二人ともっ! ありがとうなっ! 俺、もうちょっと自分で考えてみるよ!」

 

 礼を言うだけ言うと返事も待たずに走り出す。

 後ろから二人の声が聞こえたが、立ち止まることはしなかった。

 俺にしか出来ないこと。天の御遣いにしかできないこと。雪蓮が“俺を”と望んでくれた答えは、本当に勘なのかもしれないけど───その勘に応えるためにも、出来るだけのことはやろう。

 具体的になにをすればいいのか! ───うん! わからない! ごめん!

 でもジッとしていられないならとりあえず走る! 情報が足りてないなら情報を得よう! 情報は足で探す! この世界で得た教訓を活かすためにも、今は手探りででも道を探す!

 

「まずは雪蓮を探して呉の状況をあぅわあああああああっ!?」

 

 勢いよく走り中庭に出て、東屋への道を走っている時だった。

 急に右足首に圧迫感を感じたかと思うと、景色がぐるりと回転。

 気づけば俺は、太い木の枝に逆さ吊り状態に……!

 

「え……? あ、え……? な、ななななんじゃあこりゃぁあーっ!!」

 

 あっという間に、太陽にほえるどこぞのジーパンさんのように叫ぶ俺の完成である。

 じゃなくて、なんだこれ───ハッ! 桂花!? まさか桂花か!?

 

「桂花っ、お前っ! 以前華琳を落とし穴に落としそうになったってのにまだ反省を───!」

「捕らえたにゃぁーっ!」

「とらえたにゃあーっ!」

「にゃん」

「…………………………ホワイ!?」

 

 ジワジワと頭に血が上る(……この場合、上るでいいのかは疑問だが)俺を囲むように、なにやらちっこいのが集まってきた!?

 いや………………誰? ってそうだ! 宴の席で恋と一緒になって物凄い勢いで料理を食い荒らしてた───たしか孟獲!

 ……そんな子たちがこんなところにトラップ? しかも捕らえた? …………え? 俺……食われる?

 

「あ、あのー、これはいったい……」

「? ……おー! おまえ、“うたげ”のときに歌うたってた雄にゃ! なにやってるのにゃ? こんなところで」

「雄言わないっ! それから“なにやってる”は俺の台詞だ!」

「みぃたちお腹がすいたから、猪を獲るつもりだったにゃ!」

「城の中庭に猪が居てたまるかぁっ!! どーすりゃ人間と猪間違えられるんだよ!」

「どかどか勢いよく走ってきてたから猪と間違えたにゃ。もっと静かに走るにゃまったく」

「え? あ、ごめ───え? 俺が悪いの?」

 

 な、なんですかこの理不尽! 俺はただ情報を……ってそうだよ、こんなところで逆さ吊りになってる場合じゃ───

 

「ここにいないなら場所をかえるにゃ! ミケ! トラ! シャム! いっくにゃーっ!!」

「にゃーっ!」

「にゃーう!」

「……にゃー」

 

 ───場合、じゃ…………あれ? あ、あれちょっ───待ってぇええええええっ!!!

 そんな勢いよく走っていくことないじゃないかっ……えぇ!? 俺このまま!? ウソ! ウソです! 俺もう猪でいいから下ろし───下ろしてくれぇええええっ!!!

 

「うぉおお……顔がジンジンしてきた……! だ、だぁああれかぁああああ……たすけてぇええええ……」

 

 そうして出鼻を挫かれた俺は、通りすがりの稟に発見されるまでずぅっと吊るされて───あ、だめっ! 吊るされて、ってべつに新手のプレイじゃないから───アーッ! 止めて! 鼻血止めて! 気絶しないでくれ! 助けてぇえええっ!!



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ③

13/繋ぐ手二つ

 

 ───十分な滞在期間をとってから魏を発った呉の人達。

 その中には俺も混ざっていて、魏のみんなに見送られながら呉を目指した。

 今回、一番怒っていたのはやっぱり霞だった。「ほんとに出ていくんかいっ! 約束破ってまでどういう了見やー!」って、虎に間近で吼えられたみたいな迫力があった。

 それでも最後には許してくれることもあって、罪悪感がひしひしと染み込んでくる。

 

 結局、魏からのお供は誰もなし。

 風がくれた宝譿も無事に元の宝譿に戻り、風の頭の上へと戻る。

 そうなれば当然、連れてゆくことなくお別れということになるわけで。

 そうして呉へ向けて出立した俺は、野を越え山を越え進んでいく。

 やっぱり馬には慣れない自分が居たけど、日本で馬術を練習するわけにもいかなかったんだ、仕方ない。

 危なげに馬に乗りながら、長い道のりを進んでいった。

 道中、自己紹介を……とも思ったんだが、「私は貴様を信用しているわけではない」という孫権の言葉に一同沈黙。

 雪蓮を真名で呼ぶことに怒り出すわ、「なぜこんな男を我が国に!」とか言い出すわ、どうにも孫権には嫌われているようだった。

 陸遜に言わせると「べつに嫌ってるわけじゃないですからぁ~、安心してくださいね~?」とのことなんだが。

 結局、自己紹介は本当に軽くした程度で流れていった。

 そりゃあ一年前、じっくりと話をすることが出来たわけじゃないんだから、信用が得られないのは当然といえば当然だけど。

 前途は多難そうだ…………はぁ。

 

 

───……。

 

 

 さて、そんなわけで───道を進んで国境越えて。

 さらに進んで休んで野宿して進んで進んで……やってきました孫呉の地。

 今さらだけど遠いです。そりゃね、“国”ってかたちで分けられてるんだから当たり前なんだけどさ。

 

「しかし危ないよな……護衛兵とかつけなくてよかったのか?」

「いいのいいの。思春と明命が居れば、奇襲なんて成功しないから。それに……襲ってくる輩自体が少ないからね」

 

 現在の俺といえば、どうぞと宛がわれた部屋に荷物を置いて、ハフーと息を吐いているところ。

 孫呉の王自らの案内とあって緊張…………を、普通はするものなんだろうが、雪蓮の子供っぽいところを見たあとだと、どうにも緊張するのは難しかった。

 

「必要なものがあったら言ってね。出来る限り用意させるから」

「ああ大丈夫、必要かなって思い当たったものは適当にバッグに詰めてきたから」

 

 言って、机の上に置いたバッグを見やる。

 私服に胴着にタオルに木刀、横側のチャックの中には常備用のメモと、シャーペンやボールペン、消しゴムなどが入った筆記用具入れがあった。

 以前トレーニングメニューを考えていた時に使って、そのままだったものだ。

 あとは使いそうにない携帯電話と…………あれ?

 

「なんだこれ」

 

 さらに隣のチャックポケットから出てきたものは、ビニール袋に詰められた小さな柿ピーと、“かずピーに柿ピーを進呈。うひゃひゃひゃひゃ 及川”と書かれたメモ。

 ……人がシャワー浴びてる時に、こんなもの詰めてたのかあいつは。

 

「他には……うあっ、なんだこれ! バッグの底が無理矢理二重底にされてる!」

 

 掘り出してみれば、あたりめとかチーカマとか、干しホタテとか缶ビール、ワンカップ……飲む気満々じゃないかあのばかっ! 宴会がどうとか言ってた理由はこれかっ! 重かったのは木刀だけの所為じゃなかったんだな!?

 あ、でも缶ビールを開けるのはちょっと怖いかも。走ったり投げ捨てたりしたからなぁこのバッグ。

 ……魏で荷造りしてる時に気づかない俺も相当に馬鹿だが。

 

「? なにそれ」

 

 雪蓮も物珍しそうにガサガサと鳴るビニール袋を見て、首を傾げていた。

 そんな雪蓮に、無難に柿ピーを手に取ってみせて言う。

 

「柿ピーっていって、俺の世界の食べ物だよ。食べてみるか?」

「いいのっ?」

 

 “いいの”もなにも、返事を返す前からエサを待つ犬状態じゃないか。

 そんな雪蓮に苦笑を漏らしながら、いくつかある柿ピーの一つを開封し、一つ取ったピーナッツを噛みながら「どうぞ」と促す。この時代、他人に食べ物を渡す際には毒味は基本だ。王族に渡すなら猶更ね。

 雪蓮はおそるおそる柿の種のほうを指で抓むと……まずそっと舐めて、それからぱくりと口に入れた。

 カリ、コリ、と独特の軽い音が鳴り、雪蓮はどこか楽しそうに頬を緩め、「へぇ……」と呟いた。

 見た感じの反応は、ふわりと広がる小さな驚き……だろうか。

 美味しかったらしく、次から次へと柿の種を食べてゆく。

 ……こら雪蓮、ピーナッツも食べなさい。

 

「うんうん、軽い辛さもあって、なんていうかこう……」

「お酒が飲みたくなる?」

「そー、それっ♪ 冥琳ー? めーりーん! お酒持ってきてお酒ー!」

「急ぎの用事があるんじゃなかったのか?」

「えー? 帰ってきたばっかりなのに動く気になんかなれなーい。ね、一刀、お酌してよお酌っ」

「………」

 

 頭を痛めること数分。

 何処で聞いてたのか、本当にお酒と杯を乗せたお盆を持った周瑜がやってきた。

 

「あの……周瑜さん? いったい何処で話を聞いてたんですか?」

「なに、部屋の外で聞いていただけだ。ああそれと、堅苦しい喋り方はいいし、冥琳で構わない」

「え? けど」

「魏での雪蓮との一対一の会話は、明命を通して私の耳にも届いている。そういうことをした相手だ、あまり遠慮はするな」

「え……」

「王を一人、素性の知れぬ者のもとへ向かわせるわけがないだろう? まあ、帰ってきた明命は興奮冷め遣らぬ様相で、貴様のことを長々と語ってくれたが」

 

 がたーんと、部屋の外から騒音が響いた。

 なに? と視線を動かしてみると、周瑜が苦笑をこぼしていた。

 

「会話、って……全部?」

「ああ、ほぼだ。もちろん話だけではわからないこともあるからな、宴の中ではしばらく貴様の行動を監視させてもらっていた」

「……え~っと……雪蓮? 周瑜って……」

「そ。頭が固いのよ。もっと気楽に生きればいいのに」

 

 そうだよなぁ。まさか貴様呼ばわりされるとは思ってもみなかったし。

 そりゃ、王に連れられてきたからハイどうぞって仲良くなれるわけも……あれ?

 

「あ、でもちょっと待った。いいのか周瑜、真名を許して」

「なに、構わんさ。言ったろう? 話だけではわからないこともあると。些細なことで慌てる部分が目に付いたが、悪人になりきれない証拠だろう。無理に平静を装っている者よりもよほどに信用できる」

「う……」

 

 真正面からの言葉に、少し顔が熱くなるのを感じる。

 ……ちなみに雪蓮はそんな俺などほったらかしで、柿ピーの袋を漁ると…………どう開けるのかと疑問符を浮かべたのちに、力ずくでゴバシャアと引き千切った。

 危うく中身がぶちまかれそうになったが、雪蓮は器用にそれらを受け止めると、たははと笑った。

 

「さて。それでは改めて名乗るとしよう。姓は周、名は瑜、字は公瑾。真名は冥琳という」

「ああ。姓は北郷、名は一刀───」

「字と真名は無い、だろう? 明命から聞いている。悪いが名前と雪蓮との会話だけならばもう呉の皆に伝わっている。だが貴様……いや。北郷の言う“手を繋ぐこと”をどう広めていくかは、これからお前が決めていけ」

「……ああ」

 

 頷きながら自分の右の掌を見下ろす。

 この手でなにを守れるのか、守れるようになるのかはわからないまま。

 でも守りたい、繋ぎたいと思うものはたくさんあるのだから、今は自分を高めることだけに集中しよう。

 それが周りの人の助けになってくれれば、こんなに嬉しいことはない。

 

「雪蓮はお前を連れてきたが、私はあまりお前に期待はしていない。お前にはなにが出来てなにが出来ないのか、まだまだまるでわからんからな」

「ああ」

「理想に溺れ、失望させてくれるなよ、北郷。期待はしていないが、人柄への信用くらいならばしている。それを増やすも減らすもお前の行動次第だ」

「ん。肝に銘じておくよ」

 

 理想に溺れるな、か。

 俺にとっては“守るもの”への心だろう。

 日本での一年、俺は魏を守る自分をつくることに身を費やした。

 この世界に再び降りて、“天の御遣い”としての多少の力に気づいた。

 気づいたけど、まだそれだけだ。

 “急に手に入れた力”に頼りすぎれば油断が生まれるし、いつか最大のポカをやらかすかもしれない。

 後悔はしても前を向いていられるようにとも思ったが、その後悔が大きすぎた時、果たして俺は前は向けても……立っていられるのだろうか。

 そんなことを小さく考えてから、頭を振って一度思考を掻き消す。

 俺の様子を見ていた周瑜……いや、冥琳は静かに微笑を浮かべていて、雪蓮は祭さんと柿ピーを肴に───祭さん!?

 

「あの……祭さん? あなたいつの間にこの部屋に……?」

「馬鹿者めが、酒を呑むなら儂を呼ばんか、まったく。しかしこれはなかなかよいのぉ……これはなんという食べ物じゃ」

「“迦忌肥威(かきぴい)”とか言ってたわよ?」

「かきぴい……ふむ、これが天の味というわけじゃな? なかなか興味深い」

 

 一つずつ抓んで食べるなんてことをせず、小さな袋に細い手を突っ込んで柿ピーを握ると、豪快に口の中に放り込んでバリボリ。

 それを細かく咀嚼したところで酒を流し込むと、なんとも豪快な「ぷはぁっ!」って声が聞けた。

 先ほどまで俺の中にあった緊張感は、すでに霧散済みだ。

 

「ふぅ……やはり酒は人生の伴侶よ。そうは思わんか、北郷」

「俺はそこまで酒を愛してないから」

「かっ、なんじゃまったく。そこは言葉だけでも頷いておかんか……はぐっ、んん、小気味良い音の鳴る食べ物じゃのぉ」

「…………ねぇ祭さん」

「んぅ? ん、ぐっ……ふはぁ……なんじゃ、呑みたいか?」

 

 柿ピーをマ゛リ゛モ゛リ゛と重苦しく咀嚼しながら酒で流す。

 そんなことをまたやっていた祭さんに、少し質問を。

 

「祭さんはさ、酒は好き?」

「うむ、もちろんじゃとも」

「じゃあさ、ここに天の国の酒……発泡酒っていうのがあるんだけど、呑む?」

「───天の酒じゃとっ!?」

 

 あ、目が光った。

 俺の言葉には祭さんだけじゃなく、雪蓮も冥琳までもが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。

 そんな彼女たちの前に、カコンと生ビールの缶を置く。

 イェビスと書かれたその缶を、三人はほぉお……と身を屈めるようにして見つめていた。

 

「……小さいのぉ」

「うん、天の国では少しだけ飲みたいってとき用に、大小様々な酒が……ってそれはこの世界でも同じか」

 

 恐らく忍ばせるためにもあまり大きなものは用意したくなかったんだろう。

 135ml缶のソレを見て、祭さんは少しがっくりとしていた。

 しかし呑みたくないわけじゃないのだろう、缶を逆さにしたりして、「どう呑むんじゃ?」と訊ねてきた。

 俺はそれを祭さんの手から受け取ると、プルトップを引き起こして……まずは“カシュゥウウウ……”と小さく溢れる炭酸を抜き、音が無くなってから缶の口を全部開けると、はい、と祭さんに渡す。

 

「刺激が強いから気をつけて。あと、ビールはそれしかないから、味わいたい場合はまわし飲みで」

「なんじゃ、みみっちい。しかし“びいる”というのか……」

 

 そう言いながらも缶の口に口をつけ、一気にグイッと───って、あぁあぁ、そんな一気に飲んだら───!

 

「んぶっ!? ぶっ! ぐぶぅっ!? っ、ぐ、んぐっ、ぐっ……ぶはっ! げほっ! ごほっ!」

「祭殿!?」

「ちょっと祭!? 大丈夫!?」

 

 予想通り、炭酸に負けた祭さんが居た。それでも飲み下すのはさすがと言えばいいのか呆れればいいのか……。

 さらに予想通りに、冥琳が俺をキッと睨んでくる。 

 

「大丈夫、毒とかじゃないから」

 

 そう言って、祭さんの手からするりと取ったビールを呑んでみせる。

 ……一応、缶の口には口をつけないように。

 

「刺激が強いから一気に呑むと危ないんだ、これ。ていうか祭さん、刺激が強いから気をつけてって言ったのに」

「げほっ……! む、むう……けほっ、すまんな、これほどとは……こほっ」

 

 片目を閉じ、苦しそうに咳を繰り返す祭さん。

 地面に片膝でもついてたら、思わず駆け寄ってしまうくらいに苦しそうだった。

 

「じゃあ祭さんにはこっちのワンカップを。大量生産目的の酒だから、味は保証できないけど」

「…………」

「……? ……あ、あー……大丈夫大丈夫、刺激はほとんどないから」

「そ、そうか? いや、儂はべつに恐れていたわけではなくてじゃな───公瑾! 笑うでないわ!」

 

 雪蓮も冥琳も危険はないのだと知ると、威圧的な気配を引っ込めてくれる。

 それどころかもう祭さんの反応に笑うことが出来るほどに、気分を切り替えていた。

 

「びーるねぇ……一刀、ちょっと飲ませてもらっていい?」

「ああ。慣れないと喉に厳しいかもしれないから、まずは舌で刺激に慣れるといいかも」

「ん、んー…………わ、ぴりってくる。……ん、んんーんん……」

 

 じっくりゆっくりとビールと格闘する雪蓮。

 その様子はまるでソムリエだが……喉がこくりと動くと、ちょっとしぶい顔をした。

 

「……なんかこう、苦い感じ? それと口の中に入れると……びびっとして膨張するみたいな……」

「慣れてる人だと、その苦さと刺激がいいんだってさ。喉を通るときの感触が“呑んだ~”って感じにしてくれるらしくて。舌で味わって呑むんじゃなくて、喉で味わうって言われてるくらいだ」

「喉で……ふーん。ね、冥琳、やってみて?」

「……雪蓮? なぜそこで私に振る」

「えー? だって痛いの怖いし」

「だから。その痛いものをなぜ私に奨めるのかと訊いているんだ、雪蓮」

「………」

「………」

「じゃ、半分にしよー♪」

「どうあっても飲ませたいのだな……」

 

 どこまでも楽しげな雪蓮を前に、冥琳はがっくりと項垂れた。

 気持ちはわかるんだけど、ここで気安く“気持ちはわかるよ~”とか言うには、年季が違う気がするのでやめといた。

 

「ふむ……なんというかこう、味気のない酒じゃの」

 

 祭さんはといえば、ワンカップをそれでもソロソロと飲み、刺激がないことに安心するとクピクピと呑んでいた。

 感想がそれなら、まあ上出来なのかもしれない。不味いとか言われたらどうしようかと思ってたくらいだ。

 

「もっとこう、燃えるような味が欲しかったんじゃがの……」

「ごめん祭さん、そういうのはちょっと無いみたいだ。酒はこっちの世界ので我慢してもらうとして、これなんかどうかな」

 

 あたりめとチーカマ(一口サイズ)の封を開けて、まずは自分で食べてみせる。

 先に毒味役を買って出ないとまた冥琳に睨まれそうだったから、というのは祭さん相手でもやっぱり伏せておく。

 このツマミには三人とも驚いていて、何か言いたげだったようだけど……それでも食べて、目を輝かせてくれた。

 

「………」

 

 そうしてささやかだけど急に始まった酒宴を前に、俺は席を外して部屋の外へ。

 出てすぐに横を見やれば、

 

「はぅわっ!? あ、えと、これはそのっ!」

 

 壁に張り付いて固まっている周泰が居た。

 

「はぅ、う、あ、ぁああ~……」

 

 その後ろには……呂蒙 (だったよな)が居て、出てきた俺を慌てた様子で見て───

 

「ししししし失礼しました~っ……!!」

「へあっ!? あ、亞莎!? 亞莎ーっ!」

 

 いたずらごとがバレた子供のように顔を両手で覆うと、ゴシャーと走り去ってしまう。

 ……さて、ここに一歩遅れたために逃げる機会を失った少女が居らっしゃるわけですが。

 

「………」

「………」

 

 沈黙が痛い。

 こんな時───そう、仲間に置き去りにされた少女へかける言葉をかける時、どんな言葉が一番よろしいのでしょうか。

 

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ④

 沈黙したままでは気まずいので、とりあえず名前の確認からいこう。

 そ、そう、確認、大事。

 

「えっと……周泰、でよかったよな?」

「は、はいっ、姓は周、名は泰、字は幼平ですっ」

「………」

「………」

「隠密行動が得意……?」

「はいっ」

「………」

「………」

 

 壁に張り付いていた姿を思い浮かべると、素直に頷けないのはどうしてだろう。

 さすがにもう壁からは離れて、呂蒙が走っていった通路の先をちらちらと見ているけど。

 でもとりあえずは。

 

「もう知ってるだろうけど、俺は北郷一刀。今日からしばらくここで厄介になることになったんだ、よろしく」

「はい……」

「………」

「………」

 

 沈黙。視線をあちこちに彷徨わせては、なにかを必死に考えているような感じ……かな?

 まあ……急にやってきて、孫呉をどうにかするとか言ったって胡散臭いことこの上ないだろう。

 俺にだって正直、なにが出来るのかなんてわからないんだから。

 そんなヤツと急に一対一で向かい合えば言葉にも詰まる。……少しショックだけど。

 

「あの……御遣い様」

「様!? えと、ごめん、出来れば北郷か一刀かで呼んでほしいんだけど……」

「は、はいっ! では…………一刀様」

(あ……やっぱり様はつけるんだ……)

 

 そんなことを思っていると、周泰が右手を伸ばしてくる。

 なにをするのかと緊張が走ったけど、その手は途中で止まって……周泰の目はもう彷徨わず、真っ直ぐに俺を見上げていた。

 

「周泰?」

「町外れの川でのお話、聞いてました。宴の最中もずっとです。……その、勝手に聞いてごめんなさいでしたっ」

「ああ、それはいいよ、仕方ない。俺だって華琳が一人で素性の知れないヤツのところに行くってことになれば、誰かしらに頼んで監視してもらうと思う。雪蓮が望んでくれたとはいえ、どう貢献してくれるのかとかって……やっぱり気になるもんな」

「うう、そうですか……そう言っていただけると……」

 

 申し訳無さそうに、叱られる前の子供のように目を瞑る周泰。

 ……なんとなく感じてはいたけど、もしかして……

 

「それでですね、あの……私、思いました。一刀様は本当に魏の皆さんのことを大切に思ってるんだって。振り回されても怒られても、笑って受け入れてました。そんな一刀様だから、雪蓮様も手をお取りになったんだって」

 

 喋っているうちに、どんどんと語気に熱がこもっていく。

 気づけば“フスー!”と興奮したように鼻で息をして、ハッと気づくと顔を赤くしてしぼんでいった。

 コロコロと変わる表情を見て、きっと素は元気な子なんだろうなって予想がつく。

 

「で、ですからそのっ……雪蓮様がそうしたように、あの……私も一刀様の手を取りたいですっ! 一刀様が歌っていたみたいに、みんながいつまでも友達で居れば、きっと毎日がお祭りですっ! 同盟が組まれて、戦いらしい戦いもなくなった今、私にはなにが出来るのかって……その、ずっと考えてました。でも思いつかなくて……で、ですからっ」

「───」

 

 一生懸命に言葉を探しながら言ってくれる周泰。

 その慌てた風な真っ直ぐさに、自然と笑みがこぼれる。

 だから俺は手を伸ばし、返事をする前にその手をやさしく握った。

 途端に「ふぇうわっ!?」ってヘンな声を出してたけど、その手が振りほどかれることはなく。

 俺はそのことに少し安堵してから、言葉を紡いだ。

 

「あの……一刀様?」

「うん、よろしく周泰。正直俺にどこまで、なにが出来るのかなんてのはわからないけどさ。向けられる期待には応えられるように頑張るから───俺でよければ友達になってくれるかな。一人じゃ出来ないことも、みんなが手を取って向かえばなんとかなるよ」

 

 そう言うと、握った右手に左手を重ね、周泰はぱあっと花が咲くような笑顔を見せてくれた。

 

「……はいっ! いつまでも絶えることなく友達で、ですねっ!」

 

 そこにはもう戸惑った感じも言葉を探す様子もなく、ただただ真っ直ぐな笑顔があった。

 

(……ああ、やっぱりこの子、いい子だ)

 

 なんとなく感じていた程度だったけど、国のためにやっていた監視めいたことを本人に謝るなんて、なかなか出来ない。

 知らない国に来て、こんな笑顔を見せてくれる子が居るなんて……ああやばい、思ってたより俺も緊張してたのかな……ホロリときてしまった。

 

「一刀様?」

「あ、あぁいや……なんでもない」

 

 左手で少し滲んだ涙を吹いて、はふぅと息を吐く。

 頑張らないとな……たぶん周泰は雪蓮との話に関心を持ってくれただけだ。

 その関心が感心になってくれるように頑張らなきゃ、ここに居る俺はただの邪魔者だ。

 

(繋いだ手に報いるために───)

 

 うん、と頷く。

 そうしてからまず呉を案内してもらおうかな、と思ったところで……通路の先の柱の影から物凄い目付きで俺を睨んでいる姿に気づく。

 思わず身が竦みそうになるけど……えっと、あれ呂蒙……だよな?

 宴の時はエプロンドレスみたいなのを着てたけど、今はこう……“ああ中華”って感じの…………あれってチャイナ服って言っていいのか?

 どちらかというとキョンシーを思い出してしまうんだが、サイズが合ってないのかあれで合ってるのか、余りまくってる袖の長さが彼女の容姿にぴったりに見えて、可愛らしい。

 

(うーわー、睨まれてる睨まれてる)

 

 そんな子に睨まれてる俺って……うう、ちょっとヘコむ……。

 

「……? あ。あーしぇーっ!」

「うわっ!? ちょ、周泰!?」

 

 俺の視線に気づいたのか、呂蒙のほうへと振り向いた周泰は……握っていた俺の手を離すと、自分の手を大きく上げて呂蒙を呼ぶ。

 俺はといえば、あんな目で睨まれるようななにかをしてしまったのかと、心がざわめくのを止められないでいる。

 

(そ、そうだよな、急に来て孫呉に貢献するとか言われても……“よそ者がなんば言いよっとか!”って感じなんだろうな……)

 

 ああだめだ、不安をやわらかいものにするために方言っぽく喩えを出してみても、てんで不安は晴れやしない)

 いや、だとしてもここで退いたらなんのために手を握ったのかわからない。

 一度胸をノックすると真っ直ぐに呂蒙を見て、通路の先へと歩いていく。

 周泰も同じくそうして歩いて……ふと、小さな違和感に気づく。

 

(……あれ? 結構近くに来たのに……)

 

 呂蒙は一点を睨んだまま、鋭い目付きで視線を動かそうとしない。

 今では俺の胸あたりを睨んでいる感じになっているんだが……

 

「あの、呂蒙?」

「ひゃうゎあぁああっ!?」

「うぉわぁああっ!?」

 

 なにかがおかしいと感じて声をかけてみれば、目を見開いて叫ぶ呂蒙。

 そして俺の目を今ようやく見ると、初めてそこに俺が居たことに気づいたみたいに慌てて…………あれ? もしかして……。

 少々気になって、隣の周泰にぽそぽそと小声で訊ねてみる。

 

(……なぁ周泰。もしかして呂蒙って……)

(はい。ものすご~く目が悪いんです)

(ああ……やっぱり……)

 

 そりゃ、目付きも鋭くなるよなぁ。

 よかった……本当によかった、俺が嫌われてるんじゃなくて。

 この大陸に戻ってからというもの、あの宴の日だけでいろいろなことがあったから、ちょっと心が挫けかけてた。

 ……けど、まあ。俺が嫌われていない確証なんてのはやっぱりないわけで、もしかしたら本当に睨まれていたんじゃないかと思うと、少し切ない。

 

「あ、ぁあああぁの、そのっ……すすすすいませっ……」

 

 でもこの、国宝級の壷を割ってしまったかのように謝る呂蒙を前に、その“もしかしたら”が崩れていった。“嫌う”っていう行為を簡単に出来る子じゃないって、そう思えてしまった。

 むしろこんなふうに謝らせて、俺のほうが悪いことをしてしまった気分にさえなってしまう。いやむしろ俺、謝られるようなことされたっけ……?

 

「その、呂蒙? 俺、謝られる覚えがないんだけど……」

「いぃいいえいえいえいえ!! そのわたっ……わたひっ……聞き耳なんて立ててっ……」

「あ」

 

 そういえばそうだった。

 がたーんって音が鳴ってから気になってたけど、あれってあの部屋に俺が入ってから、ずっと聞き耳を立ててたってことだよな。

 たぶん、冥琳と一緒に。

 冥琳の場合は雪蓮のことが気になってのことかもしれないけど、そこは俺がまだ完全に信用されてないってことで納得しよう。

 周泰と呂蒙が聞き耳立ててた理由だって、それで十分だ。

 

「気にしてないよ。信用に至らないのはまだまだしょうがない。お互い、戦ったあとは大した面識もないままだったんだ。一緒に居る雪蓮を心配するのは当たり前だよ」

「あ……う……」

 

 ……あ、しまった。

 信用って部分を気にしてたのか、今の言葉で落ち込んでしまった。

 でも、ここで嘘を言っても仕方ない。

 

「あの……えっとさ。完全な信頼なんて……その。そんなにすぐに受け取れるものだなんて思ってない。だから、これは本当に仕方ない。でも、信頼関係はこれから作っていけるし、信頼してもらえるように頑張るからさ。だから……」

 

 ああそっか、周泰もこんな感じだったのか。

 言葉を探しながら口にして、でも嘘は言いたくないからもっと探して、手を差し伸べて……。

 ちらりと見れば、俺と呂蒙の間から一歩離れた横で、にこにこ微笑む周泰が居る。

 そんな彼女の勇気を少し眩しく思いながら、口にする。

 

「俺でよかったら、友達になってください」

 

 急に信頼を得るなんてことは無理だ。

 俺はまだ、彼女たちに……この国の人達になにもしてやれていない。

 それでも“雪蓮様が認めたならば”という小さな友好に頼ることで、今はまだ友達から。

 俺はまだまだ弱いから、今は頼らせてもらおう。

 いつか自分が強くなれたら、その恩を返すために。

 

「ふ……ぅううえぇええええっ!!? とととっととと友達っ、ですかっ……!? わわ私なんかとっ……!?」

「なんでそこまで驚かれるのかわからないけど……うん、友達。いきなり信用してくれなんて言えないから、まずはお互いを知る努力をしよう。知ろうともしないで嫌ったり嫌われたりするのって、きっと辛いだろうから」

「ぁう……」

 

 俺がそう言うと、呂蒙は長い長い服の袖で目を隠す。

 恥ずかしがってるのかと思ったけど……どうやらそうじゃないらしい。

 

「御遣い様っ! その言葉、本当ですかっ!?」

「え? あ、ああ、そりゃあもちろん……って、一刀でいいって言ってるのに……」

 

 対して周泰は胸の前でぱちんっと両手を合わせて満面の笑み。

 すぐに呂蒙の後ろに回ると、呂蒙の腕を掴んで隠している瞳を強引に露にする。

 

「明命!? ななななにをっ……」

「一刀様っ、一刀様は亞莎の目、怖いって思いますかっ?」

「目?」

 

 言われてみて、目線を合わせるように少し屈み、その目を覗いてみる。

 すぐに彼女の腕が持ち上がり、隠そうとするけど周泰がそれを許さない。

 そうやってじ~っと見てみても、確かに最初は睨まれてるのかな……って思ったけど……

 

「わ、私はその……目付きが悪く、人を不快に───」

「綺麗な目だよ。カッコイイくらいだ」

「そうです、私の目はかっこい───ぃいいえぇええっ!!? どどっ、どこがっ……ですか……っ!? だって、街の人も慣れてくれるまでみんなっ……!」

「綺麗な目、してるぞ? いかにも軍師~って感じで。これは目付きが悪いんじゃなくて、整ってるって言うんだよ。……俺は、格好いいし可愛い目だと思うけどな」

「かっ───!」

 

 スッと、本音だということをしっかり伝えるために、彼女のすぐ目の前で目を覗きこんで言う。

 ……うん、やっぱり綺麗な目だ。

 そんな目が驚きを孕んで、同時に顔が真っ赤になるもんだから、ついおかしくて微笑んでしまう。

 途端にますます呂蒙の顔が赤くなったが……はて?

 なんて思っていると、俺の言葉に満足したのか周泰の手は呂蒙の腕から離れて、再び胸の前でぱちんっと合わさる。

 

「亞莎の目付きは悪くなんかないですっ! 御遣い様のお墨付きですっ!」

「や、だから一刀でいいって……」

「~……っ……」

 

 えーと、呂蒙の顔が異常なほどに赤いんだけど……だ、大丈夫……だよな?

 って、いつまでも間近で見てたら失礼……ていうか困るよな、うん。

 そう思って瞳を覗きこむのをやめて、少し離れる。

 そうするとようやくといった感じに長い長い息を吐いて、呂蒙は目を白黒させていた。もしかして息止めてた? 深呼吸とか始めてしまいましたが。

 

(………)

 

 そんな彼女がとりあえず落ち着くまで、ニコニコ笑顔の周泰とともに待つ。

 やがて、顔はやっぱり赤いままだけど、少しは落ち着いてくれたらしい彼女が俺を見上げてから……俺は改めて手を差し出す。

 すると俺がなにかを言うよりも先に、おずおずとだけど差し出された手が、俺の手と繋がってくれた。

 ……袖が長すぎて、袖越しだったけど。

 

「北郷一刀。改めてよろしく、呂蒙」

「りょ、呂、子明ですっ……! あっ、せ、姓が呂で……!」

 

 慌てた感じに自己紹介をしてくれる呂蒙を、くすぐったい気分で見守った。

 焦ることなく、ちゃんと言ってくれるまで。

 そうしてからハッと気づいて、自分もちゃんと姓と名に分けて名乗る。

 道中自己紹介はしたけど、それでも友達になるなら、って笑い合って。

 周泰は笑顔でいてくれたけど、呂蒙は袖で顔を隠しっぱなしだったのはこれからの信用次第……ってことでいいのかな。

 まだまだ真名が許されるほどの信頼でもないんだ、もっとじっくりと知り合っていけばいい。いきなり許してくれた雪蓮や祭さんや冥琳が例外なだけだ。うん。

 

  そうした会話を終えたのち、二人に城内の案内を頼み、歩いて回った。

 

 「あそこは入ったらいけません」とか「この東屋はゆっくりしたい時には最高です」とか、主に周泰が喋っていたけれど。呂蒙もべつに居心地悪くするわけでもなく、時々チラチラと俺のほうを見ては、目が合うと袖で顔を隠していた。

 癖……なのかな、あの顔を隠すのは。

 もしかしたら、人見知りする子なのかもしれない。

 

(……男が苦手とか?)

 

 ……あるかも。

 やっぱり少しヘコみながら、案内されるがままに呉の景色を堪能していった。

 はぁ……本当に、前途多難だ……。



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呉国困走編 05:呉/青少年の心の葛藤①

14/御遣いさんの騒がしい日々

 

 呉国建業での暮らしが始まった。

 目まぐるしく過ぎていく時間の中で、自分に出来ることをと躍起になればなるほど、何事も上手くいかない現状がある。

 そんな中でも日課は日課ということで、今日も今日とて胴着姿で修行をする。

 

「ふぅううんぬっ……ぉおおおおおっ!!!」

「勝ちましたっ!」

「お、おぉおっ……」

 

 準備運動を終わらせ、まずは走りこみ。

 周泰とともに城の城壁の上を三周……なのだが、一度たりとも勝てない俺がいる。

 監視をしていた彼女を誘ったのがそもそもで、最初は中庭でどうだと言ったんだが……自分の仕事をほったらかしにするわけにはいかないという物凄い説得力の前に、だったら城壁をぐるりと走ろうってことに。

 「それなら監視も出来るだろ?」って、少し強引な誘いに頷いてくれた周泰に感謝し、それをすでに3セット……なのだが、一度も勝てない。

 速い……速いよ周泰……。

 

「はっ……はぁあ……速いな、周泰っ……はぁ……」

「はいっ! でも一刀様もすごいです。こんなに走ったのに、そんなに呼吸を乱してません」

「はぁ……ふぅう……うん。一応、そういった修行ばっかりしてたから。……今の場合、御遣いの力に依るところが多そうだけど」

「?」

「ああいや、なんでもないよ」

 

 心臓に負担をかけない程度に深く呼吸をして、ゆっくり息を吐くと呼吸はもう安定していた。

 いやぁ……走ったなぁ……。ここまで走ったのってどれくらいぶりだろ。

 一口に城壁と言っても、その広さは学校のグラウンドの比じゃない。

 恐ろしく広いし、奥に行けば行くほど低い段差があったり壁まがいの段差もあったりと、もし一周するだけにしても、性質の悪い障害物競走みたいなものを味わえる場所だった。

 それを計9周。呼吸は安定させることが出来ても、結構足にきていた。

 

(それに比べて……)

 

 周泰は武装状態で軽く俺に勝ってみせた。

 その速さに、乱れぬ呼吸に、素直に感心する。

 嫉妬なんてするはずもなく、自分に出来ないことをしてみせるその姿を、素直に凄いと思えたのだ。

 ……走ってる最中、周泰の刀の鞘の先に小さな車輪があることに気づいて───思わず噴き出し、呼吸を乱してしまったことは内緒だが。

 少女の体躯に似合わず、長い刀を使ってるよな。斜にしないと背負えないくらいで……その長さは野太刀のそれよりもよっぽど長い。

 いや、それよりも……斜にしないとってことは周泰の背よりも長いってことで───えと。抜けるのか? これ。

 ……深く考えないようにしよう。

 

「よし、じゃあ次は素振りだな。周泰はどうする?」

「はいっ、私は監視を続けますっ」

「そっか。邪魔してごめんな?」

「いえいえですっ! 一刀様はお友達ですから、またいつでもお声をかけてくださいです!」

 

 胸にじぃんと来た……! いい子だ……!

 桂花に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい……! そうすれば素直で真面目ですっごくいい子に……“華琳の前でだけ”なりつつ、俺には罠とか仕掛けるんだろなぁ。だって桂花だし。

 

(そう考えると、周泰はなんていい子で……!)

 

 そんな些細な感動を胸に、拳を握り締めながら目を閉じ空を仰いでいると、周泰が動く気配。

 目を開けてみれば、城壁から眺められる景色の一点をビシッと見つめたまま、動かなくなる周泰。

 ……動いたと思ったら停止だ。しかし、よ~く見ていると……ほんの少しずつ、顔が右から左へと動いていっていた。

 蟻の子一匹の行動さえも見分けられそうな監視というかなんというか……───あれ?

 

「………?」

 

 その顔が、ふいに緩む。

 とろけるような甘い顔になり、しかし目を閉じぶんぶんっと首を横に振ると、またキッと監視を始め……一度過ぎた方向をちらりと見ると、またくにゃりと緩む周泰の顔。

 

「周泰?」

「はぅわっ!?」

「うぉおうっ!?」

 

 声をかけた途端に悲鳴めいた声が返事として返ってきた。

 まさかそんな声が返ってくるとは思わなかった俺は引け腰のヘンテコな格好で固まり、周泰はそんな俺を見て驚いた顔のまま首を傾げていた。

 

「え、えっと……なに? あっちの方見て顔を緩ませてたけど……」

「あぅあっ……! いえべつになななにもっ、おねこさまなんて見てませんですっ、はいっ!」

「おねこさま?」

「はうっ……!」

 

 自分の言葉を復唱されるや、顔を真っ赤にして俯く周泰。

 この子、嘘がつけない性質なんだろうか……いっそ哀れだ。哀れなんだけど……可愛いって思えてしまう。

 しかしおねこさま……おねこさまね。言葉そのままに受け取るなら“猫”のことでいいんだよな。

 

(ここから見える猫っていったら……あ、居た)

 

 城壁の上からひょいと眺めてみれば、眼下に広がる景色の先、城下町の片隅の日向で丸くなっている猫を発見。

 時折もぞもぞと動いては、ハッとなにかに気づいたかのように目を開け、体勢をごろごろと変えつつ頭を地面にこすりつけていた。

 

「………」

 

 その姿を認めてから、もう一度ちらりと隣を見る。

 

「………」

 

 胸の前で手を合わせた周泰が、とろける笑顔でその姿を眺めていた。

 あの……周泰さん? 監視は?

 

(……ハッ!? まさか監視って、猫の……!?)

 

 いやいやそんな馬鹿な。

 ……声をかけてみようとも思ったが───うん、幸せな時間を邪魔しちゃ悪いよな。中庭に降りて素振りをしよう。

 そう思い、静かにその場をあとにした。

 

……。

 

 素振りを開始して2分、イメージトレーニングを始めて+2分。

 

「ふぅうう……はぁああ……!」

 

 時計が無いから適当だが、一通りの準備運動目的の行動をこなすと、木刀を低く構えて深呼吸。

 走るのと木刀を振り回すのとでは使う筋肉が違うために、念入りにやっておかないと筋を痛める。

 そのための、力をあまり込めない運動もひと段落。

 温まった体の熱さを内側に閉じ込めるような感覚で、深く深く呼吸をしてゆく。

 

「……シッ!」

 

 それが終わると再びイメージトレーニング。

 三日ごとの日課……これを日課と呼んでいいのかはべつとして、毎度の如く春蘭の幻影と戦う。

 幸いなことに、イメージトレーニングの相手に華雄が加わったから少しは立ち回りも変えられる。

 ……春蘭とのイメージだと、逃げてる俺を追い回すイメージとしか戦えないから。

 

(あ)

 

 そこで気づく。

 結局華雄との戦いも、躱しまくっていたために鮮明なイメージなんて出来ないってことに。

 ……いい、だったらせめて、攻撃の速さと攻撃の重み。それらを大袈裟にするくらいのイメージでやっていこう。

 

……。

 

 で、10分後。「勝てねぇ……」と呟き、息を切らして落ち込む俺の姿があった。

 全ての攻撃を受け止め、弾き、躱し……様々なパターンを織り交ぜてみても、自分が勝つ都合のいいイメージが生み出せなかった。

 なまじ本気でぶつかったからわかる相手の実力。

 躱して、疲れさせていく行動がどれほど効果があったのか、痛感しているところです。

 

「い、いやいや、いつかは追いつく! 今はまだまだだけど、いつか……!」

 

 ならばと次へ。

 呼吸を整えてから、乱れている心を鎮め、胴着の上をはだけてから氣の鍛錬へ。

 鍛錬以前に扱い方がまだ完全じゃないために、まずは氣の流れを掴むことから、なわけだが。

 

「………」

 

 凪に誘導してもらったときの感覚を思い出しながら、ゆっくりとゆっくりと、慎重に……。

 

「……右手」

 

 全身にあるものを右手に流すイメージ。……失敗。

 

「あれっ!? たしかこうやって……」

 

 足を肩幅に開いて、腰を少し落とし、重心を下へ下へと……!

 

「己を無くしてひたすらに集中をほうわぁあああああああっ!!!?」

 

 集中が自分の内側に行きかけていたとき、俺の背中を襲う謎の感触。

 

「なななぁああななななにっ!?」

 

 自分でもなにを言っているのかと呆れるくらいに素っ頓狂な声を出しながら、背中を襲った寒気のする感触を確かめるべく後方へと振り向く。

 と……

 

「ぅぇっ……!?」

 

 ちっこいの……いやもとい、孫家の三女さん、孫尚香……だったよな? が、居た。

 彼女は人差し指を怪しく、俺を指差す……とはまた違った感じに立てており……“にこり”とたとえるにはあまりに可愛さがない妖艶な笑みを見せると……って、え?

 

「……今、背中つついた? ……えと、孫尚香……だっけ?」

「だって一刀ってば呼んでも気づいてくれないんだもん。せっかくシャオが声をかけてあげてるのに」

「え? 呼んでたのか? あ~……わ、悪い、ちょっと集中してて」

 

 孫尚香。

 孫家の三女さん(史実では異母妹だったっけ?)にして、……おてんば娘って言葉がよく似合っている娘さん。

 軽くした自己紹介の時のことを思い出すと、あまり笑えないのはどうしてかな……。

 

「そ、それで……えと、孫尚香?」

「もーっ! “小蓮”! それかシャオって呼ぶようにって言ったでしょー!?」

「いや、だってな、孫尚香……“俺”って人間をまだよく知りもしないのに、真名をあっさり許すのはどうかと思うぞ……?」

 

 一言で言うなら背伸びをしたがっている子供……だろうか。

 自分は子供ではない、と言い張る姿がすでに子供なのだが、言ったら噛み付かれそうなので口が裂けても言えません。

 ああ……俺って弱いなぁ……いろいろな意味で。

 

「呼びかた云々はこれからの関係次第ってことでっ! そそそれで孫尚香!? どーしたんだ急に背中をくすぐったりしてっ!」

「やぁだ~一刀ったら、これからの関係だなんて~!」

「………」

 

 カミサマ……タスケテ……。

 コノコ、僕ノ話シ全然聞イテクレナイノ……。

 くねくねと動く少女を前に、頭を抱えてうずくまりそうになる。

 お願いです、話を聞いて、返事をしてくれる……ただそれだけでいいんです、それだけをしてください。

 自己紹介の時も終始このパターンで、散々振り回された挙句に“気に入った”発言である。

 どこらへんが気に入られたのかが、実はまだわかってなかったりするんだが───

 

「なぁ、孫尚香? 俺のどこを気に入ったんだ? 自分で言うのもなんだけど、一目で気に入れる部分があるとは思えないんだけど」

「え~? んふふ~、内緒~♪」

「内緒!? いやいやいや、内緒にするほどのことなのかっ!?」

「大人の女性は秘密が多いほうが魅力的なの。それより聞いてよ一刀、お姉ちゃんたち、酷いんだよ~?」

「いやあの……是非俺の言葉も聞いてほしいんですけど……」

 

 鍛錬の途中だったっていうのに左腕に絡み付いてくる感触に、もういっそ泣きたくなる。

 見下ろせば、体全体で抱き付くようにして俺の左腕に腕を絡め、まっすぐに俺を見上げながら声を投げてくる孫尚香。

 ……真っ直ぐなんだけど、掴み所が難しい。

 

「ちょっと一刀~! 聞いてるの~!?」

「聞いてるよ。雪蓮と孫権が国のための話をしてるのに、自分を混ぜてくれないんだろ?」

「……えへー」

「?」

 

 ちゃんと聞いてた言葉に言葉を返すと、どうしてか孫尚香は“にこー”と笑顔になる。

 なにが嬉しかったのかな……と考えていると、抱き締めるように絡めている俺の腕をさらにぎゅうっと抱き締めて……あ、柔らか───じゃなくてっ!

 

「そそそれでどうしたんだっ!? 俺なんかのところに来たって、俺は鍛錬中だし───」

「一刀ってば照れちゃって~、可愛い~♪」

「照れてません!」

「えへ♪ べつに一刀に用があったわけじゃないよ? ただ一刀ならシャオの話、ちゃんと最後まで聞いてくれるって思ったから」

「……それだけ?」

 

 俺の言葉に、抱き付いている俺の腕に頬を擦り付けることで返す孫尚香。

 それは返事って言えるのかはわからないけど、僅かだけど確かな信頼を寄せられている気がした。

 

(その信用を増やすも減らすも俺次第、か……)

 

 冥琳に言われたことを思い出す。

 続いて、“孫尚香にとっての俺への信頼ってなんだろうか”と考える。

 ……話を最後まで聞いてあげること? それともちゃんと女性として向かい合って話をすること?

 

(………)

 

 機嫌よく、こしこしと腕に頬を滑らせる孫尚香を見下ろす。

 この地には来たばっかりで、なにが合ってるのか間違っているのかなんてわからないけど───

 自分の態度で誰かが機嫌よく微笑んでくれるのは、少なくとも間違いなんかじゃないって思える。

 気に入ったって思ってくれるなら、今はそれに甘えようか。

 相手が許してくれているのに真名を呼ばないのは、逆に失礼かもしれない。

 でもその前に───

 

「な、孫尚香」

「んう? なぁに?」

 

 抱きついたままの孫尚香を連れ、置いてあるバッグへと歩く。

 そこから取り出したタオルで優しくコシコシと頬を拭ってやる。

 

「ぷあっ、んむっ……!? か、一刀……?」

「汗ついただろ? だめだぞ、せっかくの綺麗な顔なのに……汗臭くなるだろ?」

「……? べつに一刀、汗臭くないよ?」

「それは渇いてないからだ。そりゃ、そこまで臭くなるとは思わないけど……あとでちゃんと顔洗うんだぞ~?」

 

 言いながら頭を撫でると、何故かぷく~っと膨れていく孫尚香の頬。

 ああ、続く言葉が簡単に予想できた。

 

「みんなすぐそうやってシャオを子供扱いしてー!」

「大人の女性は子供扱いされても笑って流します」

 

 だから即答で言葉を返した。

 すると続く言葉が咄嗟に思い浮かばなかったのか、「はぅぐっ」って、ヘンな声が孫尚香の口から漏れた。

 

「大人の女性って自負するなら、まずは動じない心を持たないとな。……でもさ、孫尚香。子供で居られる内は子供で居たほうがいいぞ? 無理して背伸びして、早いうちから壁にぶつかると……世の中が怖くなって立てなくなっちまう」

「立てなく? ん~……なにそれ」

「背伸びなんて、するだけ無駄だって話。大人になるならさ、もっと静かに、自然になればいいよ。守られてる内は守られてていいんだ。俺の師匠からの受け売りだけど、間違いじゃないって思えるよ」

「………」

 

 じーっと、孫尚香が俺の目を覗いてくる。

 それを見つめ返しながら、頬を拭いていたタオルをそのまま孫尚香の頭にパサリと被せるように手放すと、元の位置に戻って再び氣の鍛錬へ。

 

「ねぇ一刀?」

「んー? お……ど、どうした?」

 

 そんな俺に声をかけるのは、少しだけ困った顔をした孫尚香。

 あれ? 何事? と首を傾げつつ返すと、

 

「一刀は壁っていうのにぶつかったことがあるの?」

 

 と訊いてきた。

 壁……壁かぁ。

 

「なぁ孫尚香。大人ってなんだと思う?」

「大人? ……やぁだ一刀~! 女の子の口からそんなこと言わせ───」

「違いますよ!? そういうことを言ってるんじゃなくて!!」

「そういうって、一刀はどんなこと想像したの~?」

「イィエェッ!? ベベベツにナニも!?」

 

 雪蓮さん!? 貴女自分の妹にどういったご教育をなさってて!?

 今の顔、子供が出来る顔じゃなくってよ!?

 

「ごほんっ! え、えーとなんの話だったっけ」

「一刀が魏の人とどれだけ寝たかだよ?」

「あ、そうだったな───ってそんなわけないだろっ!! 大人の話だ大人の話っ!」

「………~」

 

 大人の話、と口走った矢先、孫尚香がポッと染めた頬に揃えた指先を当て、くねくねもじもじし始めた。

 

「頬を赤らめるなぁっ!! ───ハッ!? 視線……って呂蒙!? いや違っ……! これはそういう話じゃなくって……! しょ、書物運んでるの!? どうぞ続けて、ねっ!? あとでちゃんと説明するから───いやウソ今説明させて! 赤い顔してそっぽ向かないでちょっと待ってよ! あれ!? 視力悪いんじゃなかったっけ!? え? 声だけで十分? あ、そ、そうですよねー……ってこらっ、孫尚香もこんなときに抱き付くのは───やめてぇええっ!! 誤解が誤解を生んでここに居られなくなっちゃうぅううっ!!」

 

 前略華琳様───え? 略すな? え、えぇと本日はお日柄もよく……略! いいだろべつにっ!

 ……如何お過ごしでしょうか。僕は元気です。元気では居ます。はい……元気だけが取り柄みたいな感じです。

 孫呉の皆様はパワフルですね。胸囲とかもパワ……いえ、なんでもありません。

 先日(本日だけど)、修行……ああいや、鍛錬中に孫尚香に襲われました。

 なんでも話をきちんと聞いてくれるところが気に入ったとかで、やたらとぶつかってきます。

 ぶつかられると延々と話の相手をさせられ、鍛錬どころではありません。

 こちらの話は流されがちですが、それでも嫌とは言えず、ちゃんと向かい合ってみると面白い子だということが判明。思っていたよりもずっといい子です。

 ……そんなふうに考えていた時期が……俺にもありました。



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05:呉/青少年の心の葛藤②

 ……と、脳内手紙を華琳に出し終えたのち、現実に戻ってみれば……

 

「北郷……貴様は曹魏からの大切な客人だ……だが! だからといって小蓮をかどわかし、おおぉおおおとっ、おとととっ……! おとっ、大人の話がどうとかなどとっ!!」

 

 ただいま、中庭に正座させられた僕の前には孫権さんが居ます。

 宴の時、華琳にやらされてたのを見て、これが罰になるんだと思っているようで……。

 いや、正座は望むところだよ? こう、修行してた頃を思い出して気が引き締まるし。

 引き締まるんだけどさ……───なんで怒られてるんだろ、俺……。

 

「あ、あーのー……孫権さん? 雪蓮と」

「っ!」

「ヒィッ!?」

 

 雪蓮の真名を口にした途端、キッと睨まれてしまった。

 思わずヒィとか喉を鳴らしてしまった自分に、真剣に赤面。ヒィはないだろヒィは……。

 

「あ、あー……その、えぇっ……とぉお……!? ───あっ、そ、孫策……と、大事な話、してたんじゃっ……!?」

「そんなことはどうでもいい!」

「は、はいぃっ!」

 

 ……うん、とりあえず結論。

 孫呉の人、基本的に僕の話を聞いてくれません。

 この場合は話を逸らそうとした俺が悪いんだろうけど、それ以前に俺の話を聞いてくれないし……。

 孫権は高貴な者の心得を実践して見せているだけだって陸遜は言うけど……これ、思い切り嫌われてるんじゃないのか?

 いや、今はまず誤解を解くところからだ。孫尚香は孫権が来るや逃走しちゃうし、呂蒙もいつの間にか居なくなってるし…………あれ? 視線を感じ───ってうぉおっ!!?

 

(甘寧!? なんであんなところに……!)

 

 中庭の中央から見える休憩所。

 その柱の影から、顔半分だけを出して“ゴゴゴゴ……!”と睨むお方がおりました。

 ……うん、とりあえず逃げられないってことだけはよ~くわかった気がします。

 

「あの……もう一度確認していいかな……。なんで俺、怒られてるの……?」

「貴様が我が妹、小蓮をたぶらかそうとしたからでしょう!?」

 

 あ。なんか今、素で怒られたって感じがした。

 どうしてかなって考えてみて、そういえば今の言葉だけは、“でしょう”って……王族としてじゃなく、孫権としての言葉だったからかな……って思った。

 相変わらず“貴様”呼ばわりだけど。

 

「ん……とりあえず、まずはちゃんと聞いて。誤解があるから解かせてほしい」

「誤解などないっ! 曹魏の客人だからと、姉様が認めたからと容認していればこのようなっ───」

「……聞いてくれ。な? “王族だ”って自負するなら、まずはどんな声も耳にしてやれる自分であってほしい。感情任せに怒鳴ったら、起こさないで済む諍いも起こるよ」

「うぐっ……」

 

 正座をしながら、なによりもまず自分を落ち着かせて一言。

 偉そうに言っておいて、たぶん自分が一番ドキドキしてる。

 王族に王族としての態度を説くなんて、よほどの馬鹿じゃないと出来ない、というかやらない。

 けど、一番近くでとは言わないまでも、華琳の傍で彼女の凛々しさ、“王としての然”を見てきた。そんな俺だから、一言くらいは許してほしい。

 ……華琳もあれで結構、人の話を“最後まで”聞いてくれなかったけどさ。

 

「ん……」

 

 深呼吸をひとつ。

 心を引き締めて、俺を見下ろすその目を真っ直ぐに見上げ、言を繋ぐ。

 

「まず孫尚香のことだけど、俺はかどわかしたりしてないし、信頼に背くようなことをするつもりもないよ。むしろ、ここで鍛錬をしてた俺を構ってきたのは孫尚香なんだ」

「………それを証明する者は?」

「周泰がきっと。監視をしてても見ていてくれたって信じてる」

「………」

 

 孫権が城壁の上の周泰を見上げる。

 俺の向きからじゃあ見えないけど、頷いてくれていることを信じよう。

 勝手な俺の信頼だ、見てなかったとしても、がっくりするのが俺だけで済むなら十分だ。……がっくりするだけで済めばいいけど。……済むよね?

 

「では、その……大人の話、というのはどう説明つける?」

「孫尚香との話の途中で出た言葉だよ。自分はもう大人だって言い張る孫尚香に、じゃあ大人ってなんなんだろうな、って……そういう話をしたんだ。そしたら孫尚香が頬を染めて、って……そういうことなんだけど」

「………」

「………」

 

 視線が交差する。

 虚言を許さぬと言わんばかりの眼光が俺の目を貫くように射抜き、けれどいつか雪蓮にも返したように、息は飲んでも視線だけは逸らさずに。

 しばらくすると孫権は盛大な溜め息を吐いて、何事か考えるような仕草なのか、胸の下で腕を組んだ。

 するとまるで、故意にではないのだろうが胸を強調するような格好に───って落ち着け北郷一刀! 視線は目だ! 目に向けろ! 我が身、我が意思、我が心は曹魏にあり! 遠く離れた地で、しかも同盟国でオイタをしたりしたら……かかか華琳になにをされるか……!

 修行に明け暮れる一年間、魏のみを想い、なんというかこう……夜の一人遊びも我慢してきたんじゃないか!

 一年耐えられたならばこれから先も耐えられる! 信念に生きよ! 北郷一刀!

 

「……信じてもらえるかな」

 

 心に一本の太い芯を突き刺す。

 欲を捨てなさい北郷一刀……貴方はこれより僧となるのです。

 と、ととと友となる者に性欲を向けるなど……!

 

(……魏の種馬って言葉……否定出来ない自分が悲しい……)

 

 いつか呉の種馬になって華琳に殺されないよう、自分を戒めていこう。

 こういうのはちゃんとお互いの同意の下で……あれ? じゃあ相手がいいって言ったら俺───いやいやいや!!

 

「……嘘を吐いているようには見えないわ。けど、私はまだ貴様という男を……───? なんだ、頭を抱え込んだりして」

「ナンデモアリマセンヨ!?」

 

 手を出す!? とんでもない! 同意の下だろうがそんなことをしてみろっ! 魏のみんなになにをされるか……!

 命までとったりしない……と願いたいけど、最悪、今までの生を共にしてきた相棒と永遠の別れを……!

 「節操のない馬には去勢が必要でしょう?」とか言ってズブシャアアって……───

 

「ア、アワ……アワワワ……!!」

「ちょ、ちょっと……!? 顔が真っ青よ!? 体も震えているし……!」

「なななななんでもありませんっ! ごめんなさいごめんなさいっ! でも僕本当に鍛錬してただけなんです! 僕っ……う、うわぁああああああんっ!!!」

「えっ!? あ、待───思春っ!」

「はっ!」

 

 想像が行きすぎた俺は、目の前に立つ孫権に何度も頭を下げ、立ち上がるや逃走した。

 耐えろ……耐えるんだ北郷一刀! 魏に帰るその時まで、耐えてみせるんだ!

 じいちゃん……俺、清く正しく美しく生きるよ!

 

 

 

 

15/かずと とらとであう縁

 

 城壁の上に逃げ込んだ俺は、周泰が居る場所とはほぼ反対側に立ち、木刀を振るっていた。

 

(煩悩退散煩悩退散……! 我が相棒を守るため、今こそ一刀よ……忍耐を試されん時!)

 

 頭の中から女性に対する煩悩を消すため、ひたすらに剣の道へと没頭する。

 そもそも俺は甘えていたのだ。

 魏のみんなが好いてくれるから、好き合っているのならなんの問題があるだろう、なんて。

 日本では一夫多妻制度なんてない。結婚するわけじゃないんだからいいじゃないか、なんて話でもない。

 ここは日本じゃないんだから、なんて言葉だってただの甘えだ。

 確かに俺はみんなを愛している。魏のみんなを、魏国そのものを愛している。

 だが、だからといってそのままでいいのか?

 この世界ではいいかもしれないが───

 

(~っ……だから消えろってぇえええっ!!)

 

 煩悩を消そうとして思考の渦に囚われてちゃ世話ないだろ!

 ああそうだ! 開き直るならこの世界でならそれも許されるだろうさ!

 けど、許されるからって誰にもかれにも手を出して、俺はそれでいいのかっ!?

 俺が強くなるって決めたのは魏国のためだ! その魏国から離れた場所で、魏国の者ではない人にそういう感情抱いて!

 待て待て待て! そもそもそうなること前提で考えること自体がおかしいだろっ!

 だめだ! ここで一年間の禁欲生活のツケが来たのか、頭の中がピンク色だ!

 

(煩悩めぇえっ!! 死ねぇええええええっ!!!)

 

 木刀を振るう振るう振るう!!

 汗を散らしながら、頭が真っ白になるまでただひたすらに!

 集中しろ集中……! 剣術、剣術、剣術……! 頭の中を剣術でいっぱいにしろ……!

 

(…………はうっ)

 

 ぐおおおおっ! 頭の中でイケナイ妄想が!

 だだだだだ大体っ! 呉国の人達は露出度高すぎなんだっ!

 細いのに胸大きいし、キレイだし可愛いしいい子だし───……ていうか孫権って……下着つけてるように見えないんだけど、ってうあぁあああ! 消えろ消えろ消えろぉおっ!!

 

(殺す! 今日一日かけて、この煩悩……屠り去ってくれる!!)

 

 カッと見開いた瞳に賭けるは我が相棒の命運! 覚悟を決めろ、北郷一刀!

 ───さあ、勝負だ煩悩! 俺は今日一日かけて、貴様に打ち勝ってやるからな!

 

……。

 

 そうして振るい続けてしばらく。

 

「う、ぉおっ!?」

 

 手から木刀がすっぽ抜ける。

 気づけば手からは握力と呼べるものは無くなっていて、拾おうとしてもずるりと抜け落ちてしまった。

 それだけ振っても煩悩は消えてくれない。

 

「だったら───」

 

 ならば次は氣の鍛錬。

 どっしりと構え、両手に気を集中させる行為に没頭する。

 

……。

 

 失敗、失敗、成功、失敗……!

 誰かの視線を感じるが、それを確認する余裕すらないままに氣の鍛錬を続けた。

 失敗なぞものともしない。そもそもなかなか出来ないことをやろうとしているんだ、いちいち挫けてたらいつまで経っても上達しない。

 

……。

 

 誰かに食事に誘われた気がした。

 それを丁寧に断り、さらに没頭する。

 

……。

 

 辺りが暗くなった。

 時々しか成功しない。

 

……。

 

 真っ暗になった。

 誰かにいろいろ言われた気がしたけど、気にしている余裕がない。あと少しでなにかが掴めそうなんだ。

 

……。

 

 チリッ……と体の中で何かが弾け───少しだけ、氣の流れを感じた。

 

……。

 

 虫の鳴く声が聞こえる。

 辺りは完全に真っ暗……な気がする。

 見回りだろうか、時折誰かに声をかけられるが、あとちょっと、あとちょっとだから……

 

……。

 

 チッ───と、右手人差し指の先で氣が弾けた。

 途端に苦労が身を結んだ喜びに、煩悩が吹き飛んでゆく。

 氣……氣だ! 今、ほんの僅かだけど体外放出に成功した! やった……やったよ凪! 俺、やれたよ!

 

「……あれ?」

 

 ハッと気づけば朝だった。

 朝日が昇ってゆく様を呆然と眺め、それと同時に……俺は新たな自分へと生まれ変わる瞬間というのを味わっていた。

 

(………)

 

 スッ───と意識を自分の深淵に沈めるイメージを働かせる。

 次にその意識を右手に集中させてみると、そこへと氣が流れる感触がジワジワと伝わる。

 ……次いで呉の人達の姿を思い浮かべてみるが───いやらしい考えなど働かなかった。

 湧き出すのは同盟へ贈る信頼の心と、友達へ向ける信頼。

 それらが俺の心を、朝陽とともに暖かくしてくれた。

 

(…………我、極めたり)

 

 朝陽に一礼を送り、はだけていた胴着を正す。

 そうしてから、置いたままだった木刀を拾うと歩きだす。

 なにやら掛け替えの無いものを失くしてしまった喪失感に襲われるが、今はこのままで。

 

「……よし───、……?」

 

 ふと、ずっと俺を見ていた誰かの視線が消える。

 視線は感じてたけど、気にする余裕がなかったソレが、ふと。

 

「……?」

 

 首を捻りながら城壁を歩き、階段を降りてゆく。

 今さらだけど盛大に鳴り始めた腹に苦笑を漏らし、これからのことを考えながら。

 

 

───……。

 

 

 風呂を自分の都合だけで使わせてもらうわけにもいかず、小川まで歩くとそこで水浴びをする。

 徹夜での集中がこたえたのか、少し頭がボウっとしている。

 そんな頭を、小川の冷たい水で顔を洗うことでスッキリさせ、大きく深呼吸した。

 

「すぅ……はぁああ……!!」

 

 自然の香りが肺を満たしてゆく。

 小川も綺麗だし緑も多くあり、こういった場所の空気自体が日本のソレとは明らかに違っていた。

 ほんの一年前までは血で血を洗うような争いをしていたっていうのに、今じゃ血の匂いなんて少しもしない。

 

「………」

 

 孫尚香の顔を拭いてあげたタオルを一度水に浸し、それで体をこすっていく。

 川下で水飲んでる人とかが居ないことを願いつつ。

 ───そうした小さなことに笑むことが出来る時代が、ほんの一年前から始まった。

 それはきっと、みんなが喜んでいいことなんだろう。

 もう誰も死ぬことなんてない、家族が家族として一緒に居られる。そういう時代が来たんだ。

 

「でも……」

 

 でも。そのために散っていった人達のことを忘れていいはずもない。

 最後の戦いさえ切り抜けられれば生きていられた人だって、きっとたくさん居た。

 きっとこれが最後なんだからと戦に出た若者だって居たかもしれない。

 そうした人達の意思の先にあるこの平和を、俺達は全力で大事にしていかなければ……死んだ人達の意思が無駄になる。

 そこまで考えて、ふと疑問が湧いてくる。

 

「……呉の民たちは、どうして騒ぎを起こすんだろうな……」

 

 雪蓮から聞いた話でしかない。

 騒ぎを起こす人が後を絶たないから、それを治める手伝いをしてくれと言われた。

 呉を、内側から変えてほしいと。

 

「雪蓮たちに出来なくて、俺に出来ることって……なんだろう」

 

 小さく呟く。

 体を拭きながら考えてみたけど、結局……汗を流し終えても、私服に身を包んで一息ついても、その答えは見つからなかった。

 

「不満がある……? それとも、負けた上での同盟なんて嫌だった……とか?」

 

 呉はプライドが高そうな感じはするけど、それって誰かの命よりも優先させなきゃいけないことなのかな。

 いや、違うよな。民たちはどっちかって言えば、終戦を望んでいたはずだよ。

 じゃあ…………

 

(………もし。もし俺が、民の立場だったら)

 

 民の立場で頭を回転させてみる。

 そうだ、雪蓮や冥琳が王として軍師として頭を働かせるなら、日本では一般市民にすぎない俺は……民側の視点で物事を見ることだけは長けている。

 雪蓮だってそういうのは得意そう……というか、街に降りて民と笑い合ったりしてる場面とか見たことがある分、十分得意なんだろうけど。

 でも、雪蓮は戦いを知っている。戦いなんて終わっていた国に産まれた俺とは、そこに違いがある。

 だから……考えろ。もっと、戦をしない人、戦を恐れる者の視点で。

 

「………」

 

 …………。

 

(あ───)

 

 深く考えて、チリ……と頭に引っかかるものを引っ張り上げる。

 それはとても簡単なことで、だけど戦いってものを、覚悟ってものを知った俺がどれだけ考えても届きそうになかったもの。

 

(もし……三国が同盟を組むことで戦が終わるのなら、どうしてもっと早くにそう出来なかったんだ、って……きっと思う)

 

 でもそれは。三国がこの大陸に影響を与えられるくらいにまで大きくならなければ、到底成立させることができなかったもの。

 そして、そこまで大きくなった国が今さら話し合いだけで同盟を組めるほど、当時の民達の、将達の期待は薄いものじゃあなかったはずだ。

 

  ───ここまで来たのなら、己の手で天下を。

 

 そう思い、誰かに譲るだの三国が手を取って天下を手にするだの、そんなことをしようだなんて思う者は居なかったはずだ。

 だから誰も気づけない。

 同盟を組むことで世が平和になるって結果が今ここにあるのなら、どうして息子が、家族が死ぬ前に同盟を結べなかったのかという民たちの嘆き。

 民達が知るのは“結果”だけであり、そこに至るまでにどれほどの苦しみや苦渋の決断があったのか……それをその目で確認することができないままに今、平和の只中に居る。

 勝ってくださいと王に願うのと同時に、我が子に死んでほしいと願う親なんて居ない。

 本当は戦が起こらないのが一番だってことくらい、みんな知ってるんだ。

 だけどやっぱり理屈をどれだけ並べたところで、死んだ者は、その人と築いてきた日々は帰ってきはしないのだ。

 もし、そんな行き場の無い悲しみが、さっさと同盟を結ぼうとしなかった王へと向けられているために騒ぎが起きているのなら───

 

「…………そっか」

 

 たぶんだけど、そう間違ってはいない。

 雪蓮は“内側から変えてほしい”って言った。

 それはきっと、王や軍師の視点からではなく、もっと内側から。

 

「……雪蓮はたぶん、民が騒ぎを起こす理由を知っているんだな……」

 

 でもそれを力で押さえつけても意味がない。

 だから内側から変えてほしい、って…………そっか。

 

「まだ何をどうすればいいのかなんてわからないけど───」

 

 予想にすぎないけど、まだ“戦”ってものに囚われている誰かが居る。

 そんな人たちをこの“平和”に引きずり下ろして一緒に笑うため、頑張ってみよう。

 騒ぎを起こす人が本当に予想通りの理由で騒ぎを起こしているというのなら、教えてあげたいことがある。

 それを伝えるためならたとえ泥をかぶっても後悔はしないという覚悟を、今この場で、ドンッとノックした胸に刻む。

 

「うんっ」

 

 濡れたままの髪の毛を乱暴に拭いて、バッと前を見る。

 まずは情報を集めよう。そうしてから──────あれ?

 

「……、……あれ?」

 

 ……バッと見た視界に、想像だにしなかったモノが映ってる。

 目をこすってみても消えてくれないソレは、のっしのっしと森の奥から歩いてきて……「コルルル……!」と喉を鳴らした。

 

「───」

 

 マテ。百歩譲ってパンダは頷こう。

 うん、中国っていったらパンダ~って感じ、するし。ああそれは頷こうじゃないか。

 

(それがなぜ城近くの森に生息していて、今まさに俺を目指してのっしのっしと歩いてきてるんだ!?)

 

 自分の中でいろいろと方程式を組み立ててみた。

 ……ああ、無駄だったさ。

 

(ど、どうする……比喩とかじゃなく、間違い無く俺を見て、俺に向かって来てるんだが……!?)

 

 戦う……!? 木刀はあるが木刀で勝てる相手なのかそもそもっ……!

 じゃあ逃げる!? パンダって鈍足なイメージあるし……あ、でも一応クマ科なんだっけ? ヒグマあたりは時速50kmとかで走るとか言うし……ってそれじゃあ逃げられないじゃないかよ!

 ああくそ、こんなことになるならパンダの疾走速度とかも勉強しとくんだったなぁ、それがわかるだけでも行動の範囲が広がるっていうのに。

 逃げられないならやっぱり戦う? はいそこ、無茶言わない。たとえここでウル○ラマンセ○ンの歌が流れたって勝てるもんか。

 

(い、いや、パンダの足は遅いのだと信じよう。今は逃げ……)

「グルルルルルルッ」

(───)

 

 いや無理無理無理っ! あれパンダじゃないよ! クマ科っていうか、パンダっぽい色の体毛を持って産まれた熊そのものだよ! だってなんか黒の部分が薄いもん!

 あれ? でもどうして首に金色の輪っかみたいなのつけてるんでしょうか。ハッ!? もしかして誰かの飼いパンダ!? ……パンダって飼えるの!?

 

(どどどど動物園のパンダは檻に入れているだけであって、飼ってるとは言わないよな!? 懐いてもいないだろうものを飼ってるとかって言えるのか!? いやそれを言えば鳥とかだってそうだし、あぁあああああっ!!)

 

 近づいてくる! 落ち着け! 落ち着けるかっ!! ってセルフツッコミしてる場合じゃないっ!

 逃げる! 俺もう逃げるよ!? 相手が速いか遅いかなんて二分の一! だったらこのまま突っ立っているよりも走ることを選ぶ!

 

(覚悟……完了───!)

 

 胸をドンッとノックして心の準備を完了させる。

 そうしてからまず地面に落ちていた木の枝をゆっくりと拾い、それを逃走予定ルートとは別の方向へと投げて、パンダ(色の熊?)の注意を引く。───刹那にダァアッシュ!!

 

「グルッ!?」

 

 当然ながら、急に動き出した俺に敏感なる反応を見せるパンダ。

 城までのペース配分なんぞ考える余裕もなく、ただひたすらに全力疾走する俺。

 追って来ているのか来ていないのか……そんなことを確認する余裕なんてあるはずもなく、ただただ足を動かし、森を抜けることのみを目標に───!

 

(速く……速く、もっと速く……!!)

 

 足を動かす動かす動かす!

 足に意識を集中させ、より速く、もっと速くと強く願う。

 ───その時だ。

 足に集中がいきすぎたのか、両足に氣が集っていくと───足が軽くなり、走る速度が急激に上昇。

 いきなりの事態に転げそうになるが、なんとか体勢を立て直しながらなおも走る。

 

「う、えっ……!? はぁっ……これって……はっ、はぁっ───!」

 

 足が驚くほど軽い。

 そして、驚くほどの速度で細かく動き、しかし歩幅は変わらないままにグングンと地面を蹴っていく。

 こんな状況だ、原理を細かに分析している余裕も当然無いわけだが、感謝だけなら出来る。

 

(ありがとう凪っ……! お前に氣を習ってよかった!)

 

 遠い地に居る彼女に心の中で礼を叫び、地面を蹴る蹴る蹴る───!

 森の景色が倍速で映像を流すみたいに流れていき、やがてザアッ……と遮蔽物なく陽の光が降り注ぐ場所へと抜けた───まさにその時!

 

「へ?」

 

 同時に、木々や茂みを挟んだ右側の景色から飛び出る、白と黒のコントラストが栄える存在。

 四足で走るソレは、茂みを突っ切ったのか体のあちらこちらに葉をくっつけながらも、走る俺を凝視していて───

 

「うぉおおおおおおおおっ!!?」

 

 虎……虎ッ!? どう見ても虎ッ! ホワイトタイガー!!

 ホワイッ!? パパパパンダが虎に進化した!? 中国のパンダは人を追う際、虎に変身できるの!?

 だってほらっ! 首にパンダがつけていたものと同じ金の輪をつけてるし!

 いやっ! だめっ! 近づいたらメッ! 美味しくないよ俺っ! そんなぴったりついてこないで!

 

(否! 横に並んだだけなら、左側に走れば差は───!)

 

 そうと決まれば行動は速いものだった。

 ジリジリと距離を詰める虎に大して背を向けると、そのまま疾駆。

 さらなる氣の集中を意識して、今出せる俺の全力を以って、この危機的状況からの脱出を───って! うわぁもう横に並ばれた!

 

「速ぁああああああっ!?」

 

 虎の時速ってどれくらいだったっけ!? たしか80kmとかって───勝てるかぁああっ!!

 あっ! やめてっ! それ以上、いけないっ! それ以上近づいたら! あ、あっ、あ───!

 

 

   ギャアアアアァァァァ…………───

 



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05:呉/青少年の心の葛藤③

16/どれだけ煩悩を殺したところで自然体でソレをしてしまうから種馬なんだってことを自覚していない御遣い様

 

 目の前が賑やかだった。

 

「あははははははは! あははははははっ! あっはっ……ぷははははははは!!」

 

 場所は城の中庭の端の休憩所。

 ここから見下ろせる中庭では、先ほどまで死闘を繰り広げた相手である白虎とパンダ(熊猫)が寝そべっている。虎を周々、熊猫を善々というらしい。

 聞いてみれば呆れた話であり、どちらも呉に住まう護衛役みたいなものなのだとか。

 なのに襲われたと勘違いして必死の抵抗をした俺と、“いつまでも一人で居るな、危ねぇだろうが”とばかりに俺を連れ帰ろうとした周々と善々。

 少ない氣を全力で行使しての一大バトルはしばらく続き、いつしか息を乱しながらニヤリと笑う、心を許し合った僕らが居ました。……いや、俺正直泣き出しそうだったけどさ。

 そんなこともあって、握手は出来なかったけど虎と熱い友情を築き上げた俺は、その背に乗って城に戻り……そこで雪蓮とばったり。現在に至る。

 で、中庭から視線を戻してみれば、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に座り、笑い転げている孫呉の王。

 溜め息を吐くくらい許してくれ、頼むから。

 

「あっは……は、はぁあ~……! こんなに笑ったの、久しぶり……」

「……満足したかよ」

「うん」

 

 ジト目も意に介さず、にこーと笑顔のまま頷く雪蓮。

 なんかもうジト目から涙がこぼれそうだよ俺……。

 

「あはは、拗ねないの。うん。それにしても一刀がボロボロになりながら、周々の背中に乗って帰ってきた時は何事かと思ったわよ」

「俺も森の中でパンダと遭遇した時は何事かと思ったよ……」

 

 気をしっかり持たなきゃ「ママーッ!」とか叫びそうだったし。

 あー……思い出しただけで赤面モノだ。

 

「蓮華が護衛としてつけたのよ、きっと。一刀が一人で城を出ていくのを、思春が見たって言ってたし」

「甘寧が?」

「そ。まあ、その思春自体が、蓮華が向かわせた監視だったみたいだけど」

「あ、あー……」

 

 そういえば城壁の上での鍛錬の最中、ずっと視線感じてたっけ。

 でも移動を開始すると視線を感じなくなって……そっか、その時に孫権に報告しにいったのか。

 

「けどさ、事情を知らないままでの熊猫や虎との遭遇は心臓に悪いよ。先に話してくれてれば、あんな恐怖を味わわなくて済んだのに」

「呉では熊猫と虎が護衛にあたるから覚えておいて~って? どういう話の流れになればそんな言葉が出てくるのよ」

「………」

 

 無理……だな。うん無理だ。

 

「うう……なんか納得いかない……。でも孫権にはありがとうって言っておいて……。一応、心配してくれてのことみたいだし」

「んふー、やだ♪ そういうのは自分で言わなきゃ。誠意は見せないと意味がないんでしょ?」

「む」

 

 その通りだ。

 ちゃんと相手の目を見て言わなければ、届かない誠意ってのはいっぱいある。

 ……うん。感謝はきちんと俺の口から届けよう。(しこたま驚いたこととか、水浴びした意味がまるでないこととかは別としても)

 

「わかった、孫権にはちゃんと俺から言うよ。でも、その前に───」

「その前に?」

「……はらへった……」

 

 言った途端、自分の状態を説いてみせるかのように腹が“きゅるごー”と鳴った。

 恥は無い。だって自然のことだもの。

 

「一刀、昨日はなにを食べたの? 穏が食事に誘いに行ったのに、がっかりして戻ってきたんだけど」

「えぇっ!? 陸遜が!? い、いぃいいや俺知らないっ! そんなの知らないぞっ!? 知ら……って、あ、あー…………」

「一刀?」

 

 もしかして集中してる時に来たのか?

 うあっちゃああ……なんてタイミングの悪い。

 あ、でも気づいてたとしても、その時の俺じゃあ陸遜の格好をまともに見ること出来なかったかも。頭の中が煩悩満載だったあの時に、他の皆よりも過激な服装の陸遜と対峙してたら…………ど、どうなってたんだろ、俺……。

 

「う……悪い。たぶんそれ、氣の練習してて誰の声も気にかけられなかった時だ……」

「氣? へー……一刀、氣を使えるんだ」

「まだ練習段階だし、体外放出は指先一本程度の出力。武具に付加することも叶わないほどの微弱な氣だけどね……はぁ」

 

 言いながら気を指先に集中してみせる。

 人差し指の先でキラリと光るソレを見ると、雪蓮は感心したような芸を見たような、まあとにかく楽しそうな顔をした。

 放出はさすがにしない。放っちゃうと体への負担が大きいのだ。だから見せることだけをすると、体の中へと戻して一息。

 

「はぁ、ちゃんと陸遜に謝らないとな……って、ちょっと待った。なんだって陸遜は俺を誘おうとしたんだ? 自己紹介の時に少し話した程度で、卓を囲むほど親しくなんてなってないんだけど」

「だから、親しくなるために誘ったんじゃないの?」

「うぐっ」

 

 ぐさりと来た。

 なのに俺ってヤツは氣の鍛錬ばっかりで無視まで……!? やばい、軽く自己嫌悪に───

 

「それとはべつに用事があったって言ってたし、そっちのほうが本題だったんでしょうけどね」

 

 ───陥りそうなところで、ハテ、と首を傾げる。

 本題? 用事? いったいなんのことだ?

 

「用事?」

「ん。倉にある本の整理を手伝って欲しかったんだって。でも一刀は話し掛けられても妙な構えのまま動きもしませんでしたよ~って」

「妙な構え……?」

 

 ……重心を下ろして構えてただけなんだけど。

 え? あれって妙な構えだったの? 俺は至極真面目だったんだが…………ショックだ。

 などと心にダメージを受けていると、雪蓮が俺の顔を覗きながら“にこー”だった笑顔を“にま~”に変えて言う。

 

「ね、一刀。どんな構えだったの~?」

「ニヤケながら言わないっ! アヤシく聞こえるだろっ!?」

「えー? いいじゃないべつにー。あ、そうだ、ちょっとやってみせて?」

「やりませんっ! とにかく俺、朝飯を───」

「朝食の時間ならとっくに過ぎてるけど?」

「ぐおっ!? ……く、食いっぱぐれましたか、俺……!」

 

 先日から何も口にしてない俺としては、一刻も早く何かを胃に入れたいんだが……客人として、勝手に厨房を漁るわけにもいかない。

 はぁ……周々や善々と戯れすぎたか……。だったらどうしよう。と考えて、魏を発つ前に華琳に僅かだが資金をもらったことを思い出す。

 本当に、それこそ食事一回分程度の僅かな資金だが。

 華琳さん……くれたことには感謝だけど、この多いのか少ないのか微妙な金額は、絶対に俺をイジメるためですよね……?

 

「いい……じゃあ街で食べてくる……。手持ち少ないけど……」

「街? あ、じゃあ美味しそうな点心があったらお酒の相方に買って───」

「お金少ないって話、聞いてたっ!?」

「ぶーぶー、一刀ってば私にやさしくなーい。呉に来たその日に明命と亞莎を落としたくせに、一度手を繋いだらもう知らんぷりなの?」

「ややややめてぇえええっ! 誰かに聞かれたら確実に誤解されるだろそういう言い方ぁああっ!」

 

 先日のように甘寧が目を光らせてやしないかと、慌てて辺りを見渡す。

 見た感じでは居ないようだが、俺なんかに気づかれるような場所で監視してるわけもない。

 居ないと見せかけて居るのかも…………そう考えると、なんだかこう、胃がキリキリと……!

 と、怯えながらも雪蓮の視線に気づくと、“少し冷静になろう”と眉間を指で指圧する。

 

「…………」

「?」

 

 そうしてから一呼吸して落ち着いてみれば、小川で考えていたことが浮かんでくる。

 今俺が感じている胃の痛み……そういったストレスみたいなものは、俺よりも孫呉の王である雪蓮のほうがよっぽど感じているものだろう。

 戦が終わっても、騒ぎを起こしたがる民。

 今まで騒ぎがそう起こらないよう、力で押さえつけてきたとは言ってたけど……敗戦、同盟という事実が民に不満を持たせた。

 勝手な想像や予想にすぎないものだとしても、俺が想像してみた悩み以上のものを、雪蓮は抱えているんだろう。

 この笑顔の裏にはいったい、どれだけの苦悩があるのか。

 そういうのを取り除く……いや、せめて呉に居る間だけでも一緒に背負ってやれたら、いつか心からの笑顔を見せてくれるのだろうか。

 今見せてくれる笑顔がニセモノだとは思わない。

 でも、もしかしたらもっと綺麗な笑顔があるのかもしれないって思ったら───その笑顔を見てみたい、その笑顔を守ってやりたいって思えた。

 

「………」

 

 ふと気づけば胃の痛みはなく。

 代わりに、友への親愛が胸に込み上げてくる。

 

「一刀?」

 

 急に表情を正し、席を立つ俺に、首を傾げる雪蓮。

 そんな彼女の隣までを軽く歩いて、見上げてくる目を覗きこむ。

 孫家の遺伝なのか、瞳の奥にはキリッとした猫のような瞳孔。あぁいや、この場合じゃ虎って言ってやるべきなのか……?

 ともかくそんな目を覗きこんで、その奥にあるであろういろんな悩みや辛さ、背負ってるものの大きさを想像してみた。

 それはきっと王や、その傍に居た者にしか計り知れない重さ。

 背負っているものの数だけ人は強くなれるって言うけど、この細い体で国の全てを背負い込んで、人は果たして強いままで居られるものなんだろうか。

 俺には雪蓮を計れるほどの知識も情報もないし、真名を許されても特別親しいわけでもない。

 そんな俺じゃあ、彼女が“こんな重さくらい平気だ”って言えば、それを信じるほかないのかもしれない。

 でも───俺は、なんでもかんでも一人で背負おうとする、寂しがりの覇王を知っている。

 強がりを見抜けることくらいなら、出来るつもりでいるから───

 

「わっ……か、一刀?」

 

 気づけば、見上げる彼女の頭を撫でていた。

 髪を指で梳かすように、やさしく、やさしく。

 

「俺、頑張るな」

「え……?」

「もっともっと、頑張るから」

 

 ……この国で俺に出来ること。

 少しだけど、見えてきた気がした。

 ここに居る間だけはせめて、客ということを忘れてこの国に尽くそう。

 雪蓮は最初から遠慮なんてしないだろうけど、それよりももっと遠慮せず、もっともっと無茶なことも言ってくれるくらいになるまで。

 

「………」

「………」

 

 心の底からやさしい気持ちになれるのなんて、どれくらいぶりだろう。

 えらく自然に目を細めて微笑みながら、雪蓮の頭を撫でている自分に気づいて、今さらながらに気恥ずかしさと“なにやっとんのですか俺はっ!”って思考が俺を襲う。

 でも……そうさ。重さが少しでも、恥ずかしさやくすぐったさで紛れてくれるのならそれでいい。

 そうして、少しずつでも重さを支えてやれる自分になろう。

 雪蓮がそれを望んでいるかもわからないが、自分が彼女のさらなる重さにだけはならないよう───……腹が鳴った。

 

「はうっ!?」

「…………」

 

 ……な、なんてタイミングで鳴りやがりますかこのお腹はっ……!

 笑顔が……笑顔が“ミチチチチ……!”と赤面顔に変わっていくのがわかる……!

 撫でていた手も引きつったように雪蓮の頭から離れて、反射的に自分の腹部へと当てられた。

 雪蓮もなんだかぽかーんって……あれ? でもちょっと顔赤い?

 

「えはっ、はははっ!? そうだそうだー、俺朝飯食おうとしてたんだったー! あはっ、あははっ、あはははははっ!! …………失礼しましたぁっ!!」

 

 脱兎! 踵を返して休憩所から逃げ出すように、そのまま街へと大・激・走!

 ああもう! アホですか俺はっ! 俺の重さを恥ずかしさで殺してどーすんだぁあっ!! 穴がっ! 穴があったら入りたいぃいいっ!!

 

 

 

 

-_-/孫策

 

 …………。

 

「……行っちゃった」

 

 ポカンと、一刀が走っていった方向を見やる。

 何事か、と周々と善々が同じ方向を見るけど、もう一刀の姿は見えない。

 

「ふぅん……」

 

 頭を撫でられてしまった。

 あんまりに自然に動くものだから、避けるとか拒否するとか、そういったことが出来なかった。

 ふぅん、と出る声も何処か浮ついていて、なんだか少しだけ……ほんの少しだけ、心が暖かい。

 

「……うん」

 

 自分の頭を撫でる者など、この国には多くない。

 王の頭を撫でるなどという行為はもちろん、誰が見ているかもわからない状況下で、王が気安く頭を撫でられるなど。

 部下や民への示しにもならないし、甘く見られるのが当然の行為。

 …………なんて、普通なら思うところなんだろう。

 

「……悪く……ないかも」

 

 ところが自分は撫でられた頭に、梳かされた髪に触れて、美味しいお酒を呑んだ時のような軽い高揚感を抱いていた。

 彼の人柄が気に入っていたのは確かだが、こんなくすぐったい気分を抱くまでとは思わなかった。

 思えば彼は、いつも自分の目を見て話す。

 洛陽の町外れの川ででもそうだ。最初から怯むことなく真っ直ぐに目を見て、言葉をぶつけてきた。

 真っ直ぐな目が綺麗だななんて思ってたけど、からかってみればあっさりと崩れる真面目な顔。

 それがおかしくて、楽しくて。

 

「魏の子たちが一刀のこと気に入ってた理由、なんとなくわかっちゃったかな……」

 

 飾らない真っ直ぐなところとか、まあ飾っても飾りにならない馬鹿っぽさとか、そういうところがいいんだ。

 ……もちろん、からかい甲斐があるところも。

 

「頑張る、かぁ……」

 

 休憩所の円卓に両肘をついて、手の上に顎を乗せて溜め息。

 勘に任せて招いてみた彼がどんな頑張りを見せてくれるのか……それが楽しみでもあり、少しばかり不安でもあった。

 不安でもあったのだけど、頭を撫でられて、あのやさしい笑顔を見たら、その。不覚にも少し安心してしまったのだ。

 同時に、思ってしまったりもした。“撫でられるのも悪くないかなー”、なんて。

 

「……うん。退屈しないで済みそうかも」

「ほう? どこの誰が退屈だと?」

「はくっ!?」

 

 ───くすくすと笑んでいた顔が凍りつくのを感じた。

 後ろに居る。間違い無く居る。振り向きたくないのに振り向かなきゃいけないのは、まあそのー……

 

「仕事をさぼった上に“退屈”と。そう言ったな? 雪蓮」

「あ、あは、は……は~い、冥琳~……」

「雪蓮っ!」

「ひゃうっ! やっ、ちっちちち違うのよーこれはぁっ! 一刀がっ……そうっ! 一刀が私に“毎日仕事で大変だろ? 休憩もまた仕事だぜ”って歯を光らせながら言うからっ!」

「ほお……? それは奇遇だな。私もつい先ほど、走ってくる北郷とそこで会って話をしたのだがな。───妙な話もあるものですなぁ、孫伯符殿? 貴女が仰っていることは、北郷が言っていた言葉のどれにも当てはまらないのですが?」

「うあ……」

 

 ひくりと頬が引きつった。

 仕事をさぼったことは事実で、抜け出してきたところで周々の背に乗った一刀と会ったから、ここでこうしていたわけなんだけど。

 しまったわ……こんなことならそれこそ、一刀を連れて森の方にでも───っていたたたっ!? ちょ、耳! 冥琳!? いきなり耳引っ張るって!

 

「きゃんっ! いっ、いった……いたたたたっ! いたいいたい冥琳いたい~~~っ!!」

「さあ、楽しい仕事が待っておりますよ、孫伯符殿? ええ、もちろん退屈をする必要などありません」

「わ、わかったわよー! 行くっ、行くからっ! 耳離してぇえ~っ!!」

 

 これからはもうちょっと上手くやろう。うん。

 冥琳に引きずられながら、そんなことを考えてみた。

 その時は一刀も誘ってみようかな。共犯が居たほうが、なにかと楽しそうだし。

 

(…………ああ、なんだ)

 

 そこまで考えてみて、ああ、と心の中で掌に拳をぽんっと落とした。

 なんだかんだで自分は北郷一刀という存在を、やっぱり気に入っているんじゃないか。

 多少はあったであろう警戒もどこへやら、気がつけば彼を思い出して微笑んでいる自分が居た。

 

(うん、そうしよう。今度は一刀も連れ出して、えーと……冥琳に見つかったら一刀を盾にして~……あははっ♪)

 

 考えてみると止まらない。

 私はしばらくそうして耳を引っ張られていることも忘れて、これからの暮らしを思って微笑んでいた。



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??:現代/努力の過程②

17/守ることの意味

 

 風を斬る音がした。危ない、と頭ではわかっていても間に合わず、ソレを頭頂にくらってしまう。

 

「ぐあぁあっつぁあっ!!?」

 

 脳天が無くなったかのような痛みが走る。

 厳密に言えば痛すぎて感覚が飛んだ。

 雷が間近に落ちたと錯覚する“音”が、皮膚、頭蓋を伝って脳に叩きこまれた。

 点滅する視界に思わず体をくの字に折り、なにがなにやらわからないままに床に崩れる。

 “ごどしゃっ……!”と、大きななにかが倒れる音。

 自分が倒れた音だな~ってわかっているのに、どこか他人ごととして受け取り、あっさりと意識を手放した。

 

…………。

 

 ───目が覚めると天井。

 もはや見慣れてしまったそれを忌々しげに睨み付け、倒れた体を反動をつけずにゆっくりと起こす。

 あー……何回目だっけ? ぶちのめされるの。

 

「起きたか」

「……おはよ───っ、づあっ……~……!!」

 

 起こした体、起きた視線の高さで見る視界には、いつも通りの景色があった。

 じいちゃんが竹刀を持って立っていて、じいちゃんの視界では、綺麗に叩かれた脳天の痛みに顔をしかめる俺が居て。

 ほんと、いつまで経っても上達しない。 

 

「いっつつつつ……! っはぁあ~……!! あ、あのさぁじいちゃん」

「む? なんだ、情けない声を出しおって。手加減ならする気はないと先に言ったが?」

「違うって。そりゃもちろん加減があればな~とは思うけど」

 

 こう何度もボコスカ殴られてると、いい加減ぐったりしてくるし。

 まあそれはそれとして、今訊きたいのはちょっと違うことだ。

 

「……あのさ、ふと思ったんだけど───じいちゃんが教える剣術にも、“免許皆伝”とかってあるのかな~って」

 

 修行をする、剣を教わるっていうのなら、やっぱり気になる免許皆伝。

 いつの日かこう、じいちゃんに“お前に教えることは何も無い……!”とか言われて……ねぇ?

 期待とか不安とか、様々な感情が渦巻いて、だけどやっぱり“期待”が一番うるさくて───

 

「あるにはあるが、お前にくれてやるには50年は早いわ」

「長ッ!!」

 

 そんなうるささが、投げつけられた言葉にあっさりと四散。

 上半身だけ起こしている状態の自分の体を、そのまま倒してしまいたくなる衝撃が俺を襲った。大の字に倒れたら気持ちいいだろうなー、なんて考えが頭に浮かぶ。軽く現実逃避だ。

 ああいや落ち着け、いくらなんでも50年ってのはいきすぎだ……よな?

 

「じ、じいちゃん……? ごご50年はいきすぎなんじゃあ……」

「いきすぎなものか。一刀よ……では訊くが、お前にとっての免許皆伝とはなんだ」

「へ? なんだ、って……そりゃアレだろ? じいちゃんがこう、俺に教えることがなくなって……なぁ? そしたら俺がこう、胸を張ってヒャッホーってあだっ!」

「口が悪い」

「し……失礼しましたぁあ……」

 

 同意を求めてみれば、竹刀であっさりと殴られる俺の頭。

 ご丁寧に、さっき強く打たれた場所を殴られた。

 

「すぐ調子に乗るその性格、なんとかせいと言っただろう。だから皆伝なぞくれてやらんと言っている」

「……え? ちょちょちょちょっと待ったじいちゃん! ……え? 俺、口の悪さだけで皆伝与えられないの?」

 

 それはいくらなんでもあんまりじゃあ……と続ける俺に、じいちゃんはフンと鼻で笑う。

 

「だから訊いている。“免許皆伝とはなにか”と。お前にとっての皆伝は、儂がお前に教えることが無くなれば成立するものか?」

「……? 普通そうなんじゃないのか?」

「免許皆伝。師が弟子に奥義の全てを教え伝えること……とは言うがな。では奥義とはなんだ?」

「奥義……岩が斬れるとか鉄が斬れるとか? 斬鉄剣~とか斬岩剣~とか」

「お前は儂からそんなものだけを学べれば満足なのか。それで皆伝を謳いたいのなら余所へ行け」

「あだっ!」

 

 再度竹刀で殴られた。

 

「やっ、けどさっ! 奥義って言ったら───」

「儂はそんなものを伝える気などない。確かに剣士として、岩を鉄をと斬れれば───なるほど? 怖いものなどないだろう。だがそんなものは通過点よ」

「通過点!? 岩とか鉄斬ってるのに!?」

「学べ、一刀よ。武を背負う者としての在り方を、武道を歩む者としての生き様を。……師が弟子に教えるのは、なにも剣のみではない。皆伝とは、師が教え弟子が学び、師が教え尽くし、弟子が学び尽くした時にこそ自ずと得られるもの。師が“全て教えた”とどれだけ言おうが、弟子がまだだと言えば皆伝などではない」

「え───?」

 

 そうなのか? ……って、それってヘンじゃないか?

 弟子がどれだけ言おうが師匠が教え尽くしたって言ったら、そりゃ皆伝じゃあ───

 

「納得がいかんという顔だな。ならばいい。一刀、お前はこれで皆伝よ。もはや教えることなどなにもない、己だけの武を目指してみよ」

「なっ───それは困るっ! …………───あ」

 

 反射的に口に出た言葉が答えだ。

 自分が自分に突きつけた答えに対し、開いた口が塞がらない状態の俺へ、じいちゃんは「はぁ……」と出来の悪い弟子を持ったって顔で、もう一度俺の頭を殴った。

 

「それみたことか。師の勝手な押し付けだけで“皆伝”は成り立たん。双方が互いを知り、教え尽くし、教わり尽くすためにどれだけの時間がかかると思う」

「あー……だから50年……」

 

 軽くヘコむ。

 俺、そこまで理解力が無いって見られてるってことか?

 

「はぁ……あだっ! ~っ……じぃいいちゃんっ! そんなぼこぼこ殴るなよぉっ!」

「……まだまだ教え足らぬわ、まったく。言葉の意味も正確に受け止められんようでは、皆伝なぞ一生渡せんぞ、馬鹿孫めが」

「馬鹿孫!?」

 

 さらにヘコむ。

 俺……そんなに馬鹿かなぁ……。

 

「ほれ、とっとと立て。教え足らぬと言ったろう。50年でも100年でも、儂の気の済むまで教え続けてくれるわ」

「うへぇええ……って、どれだけ生きる気だよ!」

「フン? 無論、お前が儂に恩返しが出来るようになるまでよ」

 

 どこまでもパワフルな祖父様だった。

 この人、衰えとか知らないんじゃあなかろうか。

 それならそれのほうがいい。いつまでも……それこそ、俺がもっともっと強くなれるまで長生きしてほしい。

 肩を並べられるところまで、越すことの出来る時まで、恩を返せる瞬間に至れるまで。

 そこに辿り着けるまでは、守られていよう。

 現状に溺れるのではなく、追い越す努力を続けながら……いつでも守れるようになるために。

 

「……?」

 

 そこまで決意を刻みかけて、ふと違和感に気づく。

 

(……50年でも100年でも、じいちゃんの気が済むまで……?)

 

 なにか引っかかるんだけど……なんだ?

 気の長い話だな~とかって問題じゃない。

 もっとこう……ん、んん~……喉まで出かかってるんだけどな。

 言葉にしたいわけじゃないんだから、出かかってるって表現はちと違う。

 上手く纏められない気持ちを誤魔化すように、軽く髪ごと頭を掻いて───……その髪に、なにか引っかかるものを感じたんだけど……髪? 髪……50年? 100年? ……さっきじいちゃんが言った言葉に感じた違和感とは違う、べつのなにかが引っかかる。

 

「………」

 

 まあ、いい。今は目の前のことに集中しよう。

 

「……よし」

 

 立ち上がり、対峙する。竹刀を手に、互いの目を見て。いつからそうするようになったのか、自覚なんてない。

 ただ、己の意思を貫かんとするなら、それをぶつける相手の視線から目を逸らすのは卑怯だって思った。

 なにかを為すのならば、相手の目を見る。

 それはたぶん、じいちゃんに教わるようになってから自然に身に着いたものなんだろう。

 本当に、いつからそうするようになったのか~なんて自覚は、いつ芽生えたのかさえもわからないくらいに曖昧だ。

 じいちゃんがそうしていたから、いつの間にか俺も……うん、たぶんそうだ。

 

「迷いがあるぞ。いちいち切っ先を揺らすな」

「うあっと……!」

 

 思考に飲み込まれていると、早速飛んでくる師の言葉。

 だがここで慌てず、ゆっくりと息を吸うことで気を引き締め───

 

「っ───つぇええぁあああああっ!!!」

 

 突っ込む。

 多対一ではなく、一対一の心構えで。

 真っ直ぐに構えた竹刀を必要最小限の動きで走らせ、じいちゃんへと打ち込んでゆく。

 突き、払い、斬り上げ、斬り下ろし、突き───

 自分なりに隙を無くせるだろうかと考案した繋ぎ方で、じいちゃんに反撃する隙を与えな───無理でした。乱暴に振るってしまった間隙を縫うように、じいちゃんが振るう竹刀がちょっぴり見えた。

 

「びゅっ!? ~……ごぉぉぉぉおおおおお…………!!」

 

 あっさり頭を叩かれた、変な声を出した俺は、床に蹲って行動停止状態。真剣だったらすでに絶命だ。唸りつつ痛がる俺を溜め息混じりに見下ろすじいちゃんの第一声はというと───

 

「大振りすぎるわ、たわけ」

 

 蹲る孫へのダメ出しであった。

 それもまあ仕方ない。最初こそ細かな動きで隙を殺せていたんだが、当たらない焦りからか攻撃は大振りになり、当然生じる隙を縫うように動いたじいちゃんが一撃をくれて、簡単に終了。

 結局こうして蹲る俺の完成だ……もう泣きたい。

 

「じ、じいちゃん、やっぱり奥義───」

「我が流派に奥義が存在するのならば、それは鍛えた五体と精神とで放つ攻撃の全てよ。奥義を奥義をと願うのならば、その技術全てを手に入れることだ。───わかったらとっとと立たんか!」

「はいぃぃっ!」

 

 奥義に対する反論を許さぬ迫力がありました。

 クワッと睨まれたと思ったら、体がしっかり立ってたりするんだからなぁ……不思議だ、人体。

 

「あ───そうだじいちゃん! 俺に居合いを教えてくれ! 奥義じゃなくてもそっちならハオッ!?」

 

 で、また殴られる俺。

 思いつきでなにかを口走るもんじゃないなぁと、たった今思いました。

 

「……格好だけでもいい、居合いをやってみせい」

「えっ? 教えてくれるのかっ!? あれ? じゃあなんで叩いて───って、あ、あー……やりますやりますっ!」

 

 訊ね返すとギヌロと睨まれた俺は、慌てて竹刀を左の腰に構え、左手を鞘にするようにして支える。

 その途端にじいちゃんが襲いかかってきてってうわぁッ!?

 

「はぶぅっ!?」

 

 為す術なく殴られた。

 頭のてっぺんである……痺れるような痛みが頭から全身に伝っていく感触に、眩暈を起こして床に崩れ落ちた。

 

「つっ……はぁああ~っ……!! な、なにすんだよっ!」

 

 もちろん急に殴られれば怒りも湧いてくるわけで、頭を押さえながら見上げるじいちゃんに言葉を投げる。

 ……うん、客観的に見ると本当に子供みたいだな~とか思ったのは、今日の修行が終わったあとだった。

 

「一刀よ。居合いの利点はなんだ」

「へ……? そりゃ、速さ……なんじゃないかな」

「その速さを利点に置いた斬撃が、儂の攻撃に反応しきれなかった理由は」

「不意打ちだったからだろっ、急になにするんだよほん───と、に……」

 

 待て。

 不意打ちだったからもなにも、あの世界でそんな言い訳が通じるか?

 不意打ちだろうがなんだろうが、頭に一撃をくらえば死んでしまう世界だ。

 ……その事実にハッとして、じいちゃんを見上げると……じいちゃんは溜め息を吐いていた。それも盛大に。

 

「居合いが勝負の中で役に立つものか。鞘が無ければ速度を増せぬ、鞘から抜かねば速度が増さぬ、なにより一度鞘に納めなければ放つことすら叶わぬ。お前はなにか、真剣を秒とかからず素早く鞘に納められるのか? それとも納めるまで相手に待っていてもらうのか。降参したと見せかけてゆっくりと納め、実は降参してませんでしたと不意をついて斬るのか」

「嫌な言い回しするなぁ……そんなの、練習すればなんとか───」

「だめだな。貴様に真剣なぞ、それこそ50年速いわ。なにと戦うつもりだ、このたわけが」

「うわー……」

 

 俺に対するじいちゃんの認識が、“お前”から“貴様”にクラスチェンジした。……嬉しくない。

 

「あ、でもさ。刀で切ろうとする場合、やっぱり勢いをつけるために刀は後方に溜められるだろ? だったら速度が増す居合いのほうが───」

「“斬ること”ばかりに集中が行きすぎる。振り切ってしまうために腕が伸び、避けられれば咄嗟に戻せん。重心を落とすために切り込まれれば動けぬ上に、そういった時に立ち回る際には鞘が逆に邪魔になるわ」

「うぐ……」

 

 漫画とかでありそうだけど、真剣同士で立ち合えば鞘が盾になることなんてありえない。

 鞘を鉄作りにしてみれば平気かもしれないが、そんな重いものをぶらさげたまま戦うのは不利と言えるし、あっちの世界の誰かの攻撃は……なぁ? 片腕で受け止められるほどやさしくないって。

 むしろ鉄ごと砕いて我が身までを───……想像したら怖くなってきた。

 

「……修行、がんばります……」

「応。奥義だなんだ、口にするにはお前には基礎が足りな過ぎるわ」

「お、押忍」

 

 今は“お前”に戻してくれた事実だけでも喜んでおこう。

 うん……それがいい。

 

「それでいい。そういったことはもっと強くなってから言え。目指す自分に胸を張れとは言ったが、今のお前では教えたところで身に着かん」

「うわー、すげー言い方」

 

 実際そうなんだろうけどさ……ヘコムなぁ……。

 

「………」

「む……? なんだ、まだなにかあるか」

「あ、いや……うん。じいちゃんはさ、なんにも訊かないんだな、って」

 

 剣道で戦うと思っているだろう俺が、岩を斬るとか鉄を斬るとか、居合いを学びたいとか言っても、それに対する追求が特にはないのだ。

 ただ黙って教えてくれようとする。それがどうにも引っかかって仕方ない。

 そんな思いを込めて、怒られるんじゃないかと苦笑しながらも訊いてみれば───じいちゃんはフンッと小さく笑い、ニヤリと歯を見せて言ってみせた。

 

「男の成長に余計な詮索なぞ不要ぞ。儂が教え、お前が学ぶ。芯を曲げる要素なぞくれてやるものか。たとえどう教えようと曲がるさだめにあろうが、それがお前が望んだお前の成長ならば、この儂には文句も悔いもないわ」

「───……」

 

 この人、本当にとんでもない。

 どうしよう……このじじさま、自分の教えに自信を持ってるんじゃなくて、教えることで成長する俺を信じてくれてる。

 

「本気には本気をもってぶつからなければ礼を失する行為となる。それはたとえ、相手が孫だろうと親だろうと同じことだ。ならば儂も、お前の本気に本気をもって応えよう。お前が学びたいというのなら教え、高みに至りたいというのなら全力をもって協力する。それが儂の“本気”に対するぶつかり方だ」

「じ…………~っ……!」

 

 どうあっても曲がれないじゃないか、くそ……!

 ……ああもうっ! なんか知らないけどすごく疼くっ! じっとしてられないっ!

 

「じいちゃんっ! 再開だ! 免許皆伝、絶対にもらってやるからな! 10年でも20年でも、俺とじいちゃんが納得するまでどれだけ時間がかかっても!」

「……そうそうくれてやらんわ、この小童が。さあ来い一刀、お前には儂が得た全てを叩き込んでやる。知れ、学べ。儂のように、父親のようになるためではなく、憧れる者のようになるためでもなく。己が己であるために、己の目指した己になるために」

 

 姿勢を正し、竹刀を構えて心に喝を入れる。

 真っ直ぐにじいちゃんを見て、その眼光に負けない鋭さを以って睨み返す。

 そしていざ、踏み出そうとした時───じいちゃんが言いたかった言葉の意味がわかった気がした。

 

  “50年でも100年でも、儂の気の済むまで教えてくれるわ”

 

 それはつまり、どれだけ時間がかかろうとも見捨てることなく、俺に教え続けてくれると言いたかったって意味で───

 

(……はは)

 

 免許皆伝なんて、当分授けられそうもない。

 そう心の中で苦笑し、だけど表面では鋭さを保ったままで、俺は床を蹴り弾いた。

 全てを叩きこまれるために、全てを学ぶために。

 

 ……この後、一撃でノされたのは……伏せておきたい。

 ああちなみに、髪に触れた時に引っかかったなにかについては、結局理解に到ることはなかった。

 なんだったんだろうか、まったく。

 




 人差し指の先端を仕事で斬りました。大激痛。
 現在とっても編集作業がやりづらいです。
 文字を打ち込む時間より、打ち込んだ文字が誤字だらけになり、それを直す時間にばかり苦労しています。何故って、人差し指がぐるぐる巻き状態なわけでして。
 今まで通りにブラインドタッチをしても、てんで望んだ文字を打てません。
 これから完治するまで、投稿が遅れたらほんとすいません。


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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み①

18/街角探検隊……一人だけどね。

 

 ボロボロの私服で、顔を真っ赤にしながら走っていた俺を冥琳が止めてからしばらく。「そんな格好で街に出る気か」とぴしゃりと言い、冥琳が侍女さんたちに用意するようにと言ったのが……

 

「……あの。庶人の服とか……ないのかな」

 

 “ワー、これ高価ダー”って一目でわかるような服だった。

 もちろん俺はこれを断固として拒否。「公瑾様のお申し付けですから……」と渋る侍女さんをなんとか拝み倒して、庶人の服を用意してもらった。

 俺は王族でもなんでもないんだから、こんなの着てたら笑われるって。主に雪蓮とか祭さんとか雪蓮とか雪蓮とか祭さんとか雪蓮に。

 冥琳だってそのヘンはわかってると思うんだけど……あ。もしかして、魏からの客人に粗末な物は着せられないとか、そんなふうに思ったのかな。

 

「う、う~ん……それなら着ていかないのはかえって迷惑になる……のか?」

 

 けど考えてもみよう。

 これから街に食べに行く俺が、こんな王族御用達みたいな服を着ていったら───

 

 

 

=_=/想像です

 

 ワヤワヤワヤ……

 

「あぁちょいとっ、饅頭どうだい饅頭っ! 蒸かしたてだよっ!」

「おおっ、それはいいなっ」

「嬢ちゃんにはこんな服とかどうだい」

「ととしゃま~、わたちこれがいい~」

「はっはっは、そうかそうか」

 

 建業の街は賑やかだった。

 すたすたと歩くだけでもあちらこちらから楽しげな喧噪が聞こえ、それだけで頬が緩んでしまう自分が居る。

 

「ほらっ、そこの兄ちゃんもっ! 饅頭───はうあ!?」

「んあ? どしたい女将さん……うおっ!?」

「だ、誰だあれ……」

「いや、知らねぇ……あぁいや待て、そういや少し前に魏から天の御遣いが来たって……」

「あ、あいつが!? あいつが呉に降りなかったために俺達は!」

『死ねぇええええっ!!』

「ギャアアアアア!!」

 

 

                  /魏伝アフター……了

 

 

 

 

-_-/一刀

 

「庶人万歳!!」

 

 それはとても輝かしい笑顔だったという。

 けど、急に両手を天にかかげて叫ぶ俺に、当然侍女さんたちは奇異の目を向けるわけで。

 

「ア、イエソノ」

 

 急に恥ずかしくなった俺は、顔を赤くしながら街を目指し、歩きだしたのだった。

 っと、この服のこと、誰かしらに言っておいたほうがいいよな。じゃないと侍女さんが怒られるかもしれない。

 俺が無理言って庶人の服を用意してもらった、って……ああ、なんというか……状況的に嫌だからとか、ワガママ放題だな俺……。

 自分自身に呆れ、に溜め息を吐きながら、誰かとの遭遇を求めて歩いた。

まあきっとすぐに、雪蓮か祭さんあたりに会うだろうと思い。

 

「………」

 

 しかし、こういう時に限って見つからないのがセオリーというか、パターンというか。

 一通り歩いて、脳内マップを構築していくのをやめると、出発地点の近く、中庭に来ていた。

 さすがにここには居ないよなぁと見渡してみると、東屋に頬杖ついて座る祭さんを発見。

 そっと近づいてみると、こちらを見たわけでもないのに「うん? 北郷か」なんて気づかれてしまった。

 この世界の人って背中に目でもあるの? ってくらい、気配に敏感だよな、ほんと。

 

「祭さんは休憩中?」

「応、元はここに策殿がおったんじゃが……ああいや、皆まで言うまい。北郷は───……なんじゃその格好は。身分を捨て、庶人にでもなりたくなったか?」

「や、そーゆーのじゃなくて。街に出かけようとしたら、いろいろあって服がボロボロだったのに気づかされてさ。で、冥琳が侍女さんに頼んで豪華な服を用意してくれたんだけど……」

「なるほど、似合わんかったか」

「………」

 

 あっさり理解された。そうなれば、赤面しようがこくりと頷くしかない、恥ずかし乙女チックな俺が居た。

 い、いや、だってさ、あんまりにも似合わないっていうかっ……! 姿見を前にした俺のあの心境は、きっとあそこに居た侍女さんにしかわかるまいっ……!

 着てるっていうか、豪華な意匠の服に俺が飲み込まれてるっていうかさ、ほら……マネキンの方がまだ映えるっていうか。

 ……やめよう、悲しくなる。

 

「ふむ。しかし街に、か。……北郷」

「? なに? 祭さん」

「お主、ここが魏国でないことは、きちんと理解しておるな?」

「え? ……そりゃ、孫呉の地を魏のものだーとか、あの華琳が許してない状態で頷いたりはしないぞ?」

「そういう意味ではない」

「……民のこと?」

「なんじゃ、わかっておるのか」

 

 そりゃあ、これから行くつもりのところへのことを、そんな真剣な顔で言われればさ。

 そうだ、ここは魏じゃない。

 ここの民はきっと、魏の民ほど親しげにはしてくれないだろうし、御遣いだと言えば睨んでくる人だって居るかもしれない。

 祭さんはそんな人達に、俺が何かしらをされるのが怖い……ああいやうん、怖いっていうのじゃなくて、きっと心配してくれているのだろう。

 魏からの大使が民にボッコボコにされました、なんて笑えない。

 けど、ある程度は踏み込まなきゃ、諍いの原因を口にすることなて絶対にしないだろうし───いつまで経ったって問題の解決には繋がらない。

 

「説得、とは違うのだろうが……相手の状況の確認でもしてくるつもりか?」

「いや、正直に言えば普通に外に出かけるつもりだったんだ。気負いすぎもよくないし。ただ……うん、自然な目で見て、見たこと感じたことを参考にしようとは思ってた、かな」

「ふむ。策殿は内側から呉をよくしてくれ、とは言ったが、なにも北郷、お主に全てを丸投げにするつもりはないぞ? わからんこと、知りたいことがあれば、訊ねてみるのも手だろうに」

「“情報は足で探す”って意識を尖らせておかないと、怠けそうでさ。でも……必要になったらお願いしていいかな」

「まあ、今の北郷では気楽に頼れる相手も少ないじゃろう。応、どんと任せておけい」

 

 言って、かっかっかと笑ってみせる。

 おお……頼りになる……! とか、心に勇気を貰えた気分なのに……どうしてその勇気をくれる相手の背後に、豪快に笑う春蘭の影が見え隠れするのか。

 あ、あれー……? なんだか面倒になったら適当にはぐらかされそうな予感が……!

 

「………」

 

 けれど、まあ。

 気になることは気になるから、祭さんには相談に乗ってもらった。

 どうすればいいかの具体的な方法はわからないままってこととか、呉の現在の状況とかも。

 客人として来ている俺だけど、諍いを治めようっていうんだから、説得のために一発二発は殴られることを覚悟しているし、その上で向き合いたいって思ってることも。

 もちろん、殴られないに越したことはないのだが。

 

「そういう感じで、向き合ってみようって思ってたんだけど───まずいかな」

「当たり前じゃ馬鹿者」

 

 きっぱり言われた。そりゃ、現実的に考えれば当たり前だろう。

 現実的云々を言うんであれば、俺が呉に来た理由だって呉のためなんだから、この状況の鎮静、という意味では間違ってはいないわけで。

 そのことを祭に告げると、祭さんは難しい顔で唸った。

 

「大使に怪我でもさせたら、ってみんな言うだろうけどさ。俺自身が大丈夫ってどれだけ言おうと、自己責任ってだけにはならないのかな」

「応。無理じゃろうな。やるとしても、目立たない箇所を殴られる程度ならば誤魔化しも利くじゃろうが……」

 

 ああうん、その場合、顔面一発でも殴られたらあっさりバレそうだ。

 

「しかし、殴られることを前提で踏み込む、か。かっかっか、北郷、お主は随分とまぁ面白い性格をしておるのぉ」

「え、と……そう? 普通だと思うけど」

「ほう? 民に殴られてでも、と言えることが普通か? 随分とやさしくない場から来なすった御遣い様のようじゃな、まったく」

「いや……勘違いされてるかもだけど、べつに好んで殴られたいわけじゃないからね? 理不尽に難癖つけられて、武器を片手に追われりだとか、ぐっすり寝てたら虫が詰まった籠を持った軍師に襲われただとか、そういうことに慣れてるだけだから」

 

 ……あれ? それって俺自身の感覚がおかしくなってるって言えるのか? ……言えるな、うん。

 でもこればっかりは俺が悪いんじゃないって、声を大にして言いたいんだ。ていうか言わせてくださいお願いします。

 

「冗談じゃ。……まあ、生憎と一緒に行って護衛をする、なんてことはしてやれん。一応これから用事があるのでな。それに、まさか一歩出た途端に面倒事に巻き込まれる、などといったことはないじゃろう」

「? 祭さん?」

「やりたいことをやってみせぃ。もちろん儂が止められるようならば止めるが。……その場合、仕事のついでといった感じになるが」

「いや……もし仕事の都合で俺を見かけても、諍いの現場に俺が居た時はさ、ほらその……少しの間くらいは見守ってやってほしい。たぶん、国のお偉いさんとか将とかが出てくると、言いたいことも言えなくなると思うから」

 

 そう言う俺を見て、祭さんは「ほう?」と言いながら少しだけ笑い、けれどそれは拒否した。

 

「知らん。儂は儂で、その時に必要な行動を取らせてもらうだけじゃ。というか、お主がどこでどう諍いを起こすかをいちいち儂が見ておるわけにもいかん」

 

 そりゃそうだった。外に出たところでいきなり諍いの現場に遭遇するわけじゃない。

 大体それは仕事じゃなくて、国の者として当然の行動なんだろう。

 俺だってもし、たとえば魏に孫尚香が遊びに来たとして、民に囲まれていたのを発見すれば、とりあえずは止めに入る。

 けどやっぱり、そうして囲まれていたとして、自分が耐えられる程度の騒ぎは見逃し……とは違うけど、少しの間でも見守ってほしいとは思う。

 結局自分には、そうやって踏み込んでいって、自分を知ってもらうところから始めてるくらいしか出来やしない。

 自分の中で、あの頃の自分からの変化や成長を感じたところで、根本はそうそう変わってはくれないのだ。

 つまりは、やることがわからなくて踏み込んで、踏み込みすぎて、他人の仕事を奪ってしまったあの頃のまま、強く高くなんて成長は出来ていないっていうことで。

 

「諍いがどうのと、それを起こす者の気持ちもわからんでもない。だが、わかるからと見ない振りもできん。……戦が終われば、持つものが無くなる者が、そうしたものに踏み込んでいくべきなのだろうがな」

「祭さん……」

「“武”を手に駆けていた者も、いずれは手に持つものを改めねばならん。いや、儂などはまだいいが、思春はな……そこに集う部下の数を考えれば、一層考える必要が出てくる」

 

 思春? ……甘寧、だよな。甘寧っていえば……錦帆賊か。

 そうだ、自分のことだけじゃない、部下のことも考えなきゃいけない人はたくさん居る。

 今すぐじゃないにしても、解散するにしても、どうするのかは……だよな。

 俺がよく知る警備隊だって、警備だけで全員が繋げいでいけるかっていったらそうじゃないと思う。

 いろいろ考えないとだ。

 

「………」

 

 考えた上で、その考えとかの上から襲い掛かってくるような事態に見舞われるんじゃないかなー、とか。少し考えて溜め息を吐いた。

 予想の斜め上の事態とか、誰かさん達の所為で散々味わってるからなぁ……。

 ほら、魏武の大剣さんとか、猫耳フードのあの軍師とか。

 

「だがな、北郷。今のお主が呉の将のその後を心配しても始まらん。普通の行動で諍いが終わらんのであれば、多少の無茶くらいはしなければ始まらんのだろう。期待をしている、と言って気負わせるのもあれじゃ。ならばいっそ……そうじゃな、どどんと失敗してみせぃ。国にも王にも民にも迷惑をかける方向で」

「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」

「安定を願うあまりに思い切ったことが出来んのはどこも一緒じゃろう。平和を平和をと意識するあまり、敵陣……ああいや、この場合は民、ということになるが。相手の懐へも踏み出せんでいるじゃろう。ならばどうするか? ……外の者が一度、そういった意識をぶち壊してみせるしかなかろう」

「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」

「ええい聞こえておるわ! 同じことを言わんでもわかっておる!」

 

 そうなんだけど。

 はぁ、やっぱりみんな、考えてることは同じなんだなぁ。

 平和を、泰平を手に入れても、じゃあその泰平がどうすれば長続きするのか、を考えすぎて、思い切ったことが出来ないでいる。

 たとえ踏み込んでなにかを起こしたとして、それがよくない方向に転がれば罰しなければいけないし、その確率の方が高いんじゃないかって思ってしまえば、もう踏み出せない。

 そうなれば結局は、誰かが一歩を踏み出してみせるしかないわけで。

 ……で。このお方が俺にそれをやってみせろと。

 

「お主だけにやれと言うのではない。どの道、武官もいずれは仕事がなくなるのだから、最後に国のための一歩をと踏み出してみるのもひとつの方法じゃ。そうしてもいいと思えるほどには、儂も国を愛しておる」

「祭さん……」

「というか、ほうっておけば策殿あたりが突貫しそうでな……。民に好かれておる者が失敗をすれば、よくないことにしか繋がらんだろう。ならば儂が、と考え───」

「いや、祭さんはたぶん子供に好かれてると思うからだめだと思う」

「ぐっ…………北郷、なぜお主がそれを知っておる……?」

「へ? あ、だってほら、建業に来た時、子供の目線が祭さんに集中してたから、てっきりそうなんじゃないかって」

「………」

 

 ばつの悪そうな顔って、たぶんこんなの。

 そんな顔になった祭さんは、片手で顔を覆って俯いてしまった。恥ずかしいらしい。

 俺は俺で、このまま話をするのも気の毒になったっていうか、一応参考にはなったから……ありがとうを口にして、歩き出した。こちらを見ない祭さんに、無理はするなと言われながら。

 

「外に出るなとは言われてないけど、出る場合は出来るだけ問題を起こさないように、だよな」

 

 言い回しが既に問題を起こすこと前提で言われていた気がするんだが……気の所為だよな?

 

……。

 

 そんなわけで、呉国は建業の街を歩く。

 魏からここへと来る時も盛大なお出迎えがあったわけだけど、やっぱり呉は賑やかだった。

 民たちは王の帰りを喜び、老人から子供まで元気に燥ぐように。

 ただ……どうしてだろうか。その喜びと視線のほぼが雪蓮のみに向かい、他の武将たちにはあまり向いてなかった気がするのは。

 たしかに向いてはいたんだけど、その数はあまり多くはなかった気がする。

 お陰で俺の顔を覚えている民はまず居ないだろう。うん、それはどうでもいいんだが。

 子供たちの視線が主に祭さんに向いていたのは、驚くのと同時に面白かったけど。

 王を出迎えるんだから、王に目を向けるのは当然といえば当然なんだろうけど……どうにも引っかかる───

 

「……うぐっ……」

 

 ───のだが、鳴る腹は抑えられない。

 モノを食べながらでも考え事は出来るし、とりあえずは適当な料理屋へ入ることに決めた。

 手持ちは……値段にもよるけど、軽く食べられる程度。

 本当に狙っているとしか思えない手持ち金だ……あまり高いものは頼まないようにしよう。

 

「いや待て」

 

 べつに料理屋に入らなくても、点心を買い食いするって方法もある。

 それなら情報収集もしやすいし……なによりがっつり食うよりも安値で済む。

 腹持ちは少ないだろうが、ようは昼まで繋げればいいのだ。

 この僅かながらだろうが“華琳がくれた金”……一回の食事で全て無くしてしまうのは忍びない。

 

「……って、違うだろ」

 

 この国に居る限りはこの国に尽くす。そう決めた。

 だったら……すまん、華琳、これより北郷一刀は修羅道に入る!!

 まずは呉に馴染むために華琳……お前にもらったこの金を使わせてもらう!

 そうだ! 店は適当に決めてぇえっ! ……あれ? 魏の通貨ってこっちの国で使えるんだっけ? ま、まあ訊いてみればいいよな! うん!

 

「おっちゃん! この店で一番美味いものをくれ!!」

 

 本当に適当に決めた店へと勢いよく入るや、声高らかに食事宣言!

 

 

  ……それは。客もまばらな時間に起きた、とある晴れの日の物語である。

 

 

───……。

 

 

 ……はい。結論から言いまして、お金が足りませんでした。

 

「……それ洗ったら次そっちだ」

「は……はいぃいい……」

 

 きっかけ欲しさの勢いに任せて、一番美味いものなんて頼むんじゃなかった……。

 「……うちはなんでも美味ぇよ……」とドカドカと出され、全てを平らげてからハッと気づけば足りやしない。

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 

(ああしかし、しかしだ……)

 

 ……大変おいしゅうございました。むしろ悔いはない。

 有り金全部と、あとは数日働けば返せるそうだから、そこはこう、なんとかしよう。

 代わりになるものよこせ、とか言われなくてよかったよ。

 

「……注文、取ってこい」

「っと、はいはいっ」

 

 適当に入ってみたこの店は、どうやらおやっさん一人で切り盛りしているようだった。

 味もいいし内装もいい。だけど、どうにもおやっさんは暗い人だった。

 美味いからそれなりに客も来るし、おやっさんに声をかける人が大半のようで、おやっさん自身に人望がありそうなんだけど……

 

「青椒肉絲ひとつ、麻婆豆腐ひとつ、餃子四つに大盛り白飯二つですっ」

「……おう」

 

 注文を聞いてくれば、また皿洗い。

 手が空けば指示されるままに動き、される中でも学び、次にどうすればいいのかを自分の中で組み立てていく。

 少しずつ、ほんの少しずつだが組み立てていったそれを実行し、失敗しようがそれも組み立ての材料にして、仕事のパターンを“行動の基盤”にするように身に叩きこむ。

 幸い、体力だけには多少の自信がある。

 今こそそれを活かし、国の役に立つ時さ。

 

「ありがとうございましたっ! いらっしゃいませっ! こちらが採譜になります! ご注文は以上で!? お待たせしましたっ!」

 

 キビキビと動く。

 集中し、ミスをしないように出来るだけ注意して。

 ミスをしたら反省し、同じ失敗は起こさないようにと胸に刻む。

 

(いやっ……しっかし……!)

 

 どうなってるんだこの店……客の入りが異常なんだが。

 これを普段一人で? おやっさんだけで? 冗談だろ?

 そんなふうに考えていると、客の一人が笑いながら声を張り上げた。

 

「おーいそこのお前~!」

「へ? ……お、俺!?」

 

 ……何故か、俺に向けて。

 

「そ、お前だよ。お前なにやらかしたんだぁ? 食い逃げか? おやっさんところで食い逃げするたぁ運がねぇ」

「食い逃げ!? 違う、違うって! 俺はただ───……えと、食ったら金が足りなくて」

「それを食い逃げって言うんだろうが」

「逃げてないっ! そこだけは譲れない! 金は足りなかったけど逃げなかった!」

「いや……それ胸張って言うことか?」

「あ……はい……正直もう泣きたいです……」

 

 俺の言葉に、豪快に笑うお客さん。

 どうやらおやっさんの知り合いらしく、麻婆を掻っ込みながらもおやっさんに気安く声をかけていた。

 そんな人なら知っているだろうかと、気になる疑問を投げかけてみた。

 

「あの……ここっていつも、おやっさんだけで……?」

「あん? ああ、そうだぜ? ここはおやっさんだけで切り盛りしてんだ。一年と少し前までは息子が居たんだけどよぉ」

「息子さん?」

「連れは早くに亡くなっちまってよ。男手ひとつで育てた、そりゃあ立派なやつだったよ。それがよぉ、なにを思ったのか兵に志願しちまって。そのままコレよ」

 

 男性が目の前で拝むように手を合わせた。

 ……ようするに死んでしまったんだろう。

 

「それからだよ。おやっさん、なにをやるにも覇気が無くなっちまって───」

「………」

 

 よっぽど親しいんだろうか、男性はまるで自分のことのように悲しんでいた。

 卓に飲み干した杯があるにせよ、顔が赤くなっているにせよ、この人が言っていることは事実で───

 

「おーい兄ちゃーん! 回鍋肉まだかー!?」

「ボーっとしてんなよーっ! こっち酒追加なーっ!」

「っとと、はいっ! ただいまーっ!」

 

 慌てて、止まっていた体を動かす。

 おやっさんのことを話してくれた男性はその後、何度か酒を注文して煽ると出ていった。

 まだ訊きたいことがあったんだけど……引き止めるわけにもいかないし、こればっかりは仕方ない。

 

(……卑怯かもしれないけど、料理屋は情報収集にはもってこいかもな)

 

 何気なく入った料理屋にでさえ、戦によって心に傷を負った人が居る。

 ただ賑やかなだけじゃないんだ……目を凝らして見てみないと気づけない傷だってたくさんある。

 俺の認識にしたってあの男性に言われなきゃ、おやっさんはただの“あまり喋らない人”ってだけで終わっていた。

 

(もっと視野を広げないとな……)

 

 金が足りなかったのは完全に失敗だったけど、こうして街の人の話を聞ける場に立てたことは一応成功だったってことにしておこう。

 ありがとう、華琳。……決してこんな状況を見越して、あの微妙な金額を渡したわけじゃないよね?

 

 

 

-_-/魏

 

 ……同刻、魏国洛陽。

 

「はっ───くしゅんっ!」

「……華琳様!? まさか風邪を!? ───すぐに閨の準備をっ!」

「……? 大丈夫よ桂花、大事ないわ。いちいち事を大げさに捉えないの」

「いけません華琳様。風邪を甘く見られては困ります」

「稟、“大事ない”と、この私が言っているのよ。構わないから話を続けて頂戴」

「は……」

 

 軍議というよりは些細な話し合いの場。

 集まった文官と話をする中で彼の想いが届いたのか、この後彼女が何度かくしゃみをすることになったのは、べつのお話。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ………………。

 

「はぁ~……終わったぁああ……」

 

 終わってみれば、すっかりぐったりな俺が居た。

 体力に自信があっても、やること自体が違うんだから疲れもする。

 そんなことを頭に入れずに動き回った結果がこれだ。

 

「………」

 

 最後の客が出て行き、それを送り出して、後片付けをして掃除をして。

 ようやく解放されて、店の卓にでも突っ伏したい気分になるが、なんとか抑える。

 もうすっかり夜だ。いい加減戻らないと、誰になにを言われるか。

 

「…………飯だ。食え」

「え? あ、おやっさ───って」

 

 卓に手をついて重苦しい溜め息を吐いていた俺の目の前に、美味そうな料理と白飯が置かれる。

 見ただけで溢れてくる唾液をぐびりと飲み、訊いてみると……おやっさんは何も言わずに背を向けて、自分の分と思われる料理を持ってきた。

 

「……座れ」

「あ、はい……」

 

 促されるままに座り、食卓を囲むことに。

 いきなりの展開に目をぱちくりさせるが、つまりこれは賄い料理なんだろう。

 俺はもう一度唾液を飲み下すと、いただきますを唱えて食いにかかった。

 

 

…………。

 

 

 食事が終わり、その片付けをして、終了。

 食事中、会話なんて一言も無かったけど……お疲れさんって言いたかったのかなって思うことにして、城に……戻ろうとして、肩をがっしと掴まれた。

 

「あ、あーのー……おやっさん?」

「……仕込みをする。手伝え」

「やっ、でも俺帰らないと……」

「……いいから、とっととこっち来い」

「おわったたっ!? わ、わかったよっ、行くからっ!」

 

 ……捕まりました。

 そりゃそうだよなー、今日会ったばっかりのやつを、ちゃんと金を返せてもいない状態で帰すわけがない。

 けど待て、あれだけの忙しさの中で働いても、俺はまだ返せてないのか?

 いったいどれだけ高いものばっかを食ったんだ、俺……。

 

(空腹すぎた所為で、覚えてねぇ……)

 

 自分の馬鹿さ加減に頭を痛めながらも、結局は仕込みを手伝うことに。

 仕込みっていったって、あれを用意しろこれを用意しろ、それを片付けとけこれを片付けとけと、雑用ばっかりだったが。

 ……で、仕込みが終わる頃には夜も相当に深く、促されるままに泊まっていく事態にまで至り───

 

(……戻った時の反応が怖そうだ……)

 

 無断外泊に不安を覚える学生のように、ひどく怯えながら夜を越すのだった。

 ……や、学生で無断外泊なのは事実なんだけどさ。

 仕方ない、周泰か甘寧が監視してて、雪蓮たちに伝えてくれることを願おう。

 “食べたはいいけどお金が足りなくてこき使わされてます”って……ただの恥さらしじゃないかっ!

 まずいぞ、なんとかして帰らないと───ああいや、足りなかったのは事実だしね。

 寝ます……僕もう寝ます……。

 明日はいい日になるとイイナー……。

 

 

 

19/痛み

 

 朝を迎えた。

 料理屋の朝は早く、仕込んでおいた具材や汁などがいい感じになっている中、仕込んでおいておけないものの準備を始める。

 冷蔵庫がないこの時代では、料理に使う具材の扱いも相当に丁寧にしなければならない。

 うっかりそこらに放置していれば、簡単に悪くなってしまうのだから仕方ない。

 

「ふぅっ……」

 

 昨日は昨日、今日は今日。卓を掃除して床も掃除して、夜を越す間に積もったであろう多少の埃を拭い、手を綺麗に拭いてからべつの仕事へと移る。

 最初は指示をされるがままに、徐々に疑問に思ったことのみを訊くように動いて。

 そうして始まる今日一日をこなす中で、人とふれあい、笑い合い、時には怒られて笑われて。

 そうしているうちに、昨日引っかかっていたことが……少しだけ、ほんの少しだけだけどたぐり寄せられた気がした。

 民の視線のほぼが雪蓮ばかりに向いていたこと。

 それはたぶん───雪蓮以外の将が、雪蓮ほど積極的に民と触れ合わないからじゃないか、ってことだった。

 雪蓮のことだから誰かを引っ張り出して、民と戯れることをするだろうけど───でもそれだけだ。

 他のみんな自身が率先して動かなきゃ、好印象なんて残らないに違いない。

 

「そういやぁよぉ……聞いたか? 御遣いの話」

「あぁ……魏から来たっていう男の話だろ?」

 

 そんなことを考える中でも、やっぱり人の噂話っていうのは耳に届く。

 聞きたくないことだろうと聞きたいことであろうと、届いてしまうのだ。

 

「“国王様”はなにを考えているんだろうなぁ……魏っていったらお前、かつては敵だった場所じゃねぇか」

「いくら同盟を組んだからって、息子を殺された俺にとっちゃあよぉ……」

「……仕方ねぇさ、戦ってのはそういうもんだろ」

「仕方ねぇことあるかっ! 同盟を組んではい終わりってんなら、なんでもっと早くしてくれなかったんだ! 一戦……! あと一戦早けりゃ、俺の息子は死なずに済んだんだぞ!」

「お、おいっ、飲みすぎだぞお前っ、おやっさんだって同じ気持ちなんだから、ここで騒ぐのは……なっ?」

 

 酒を飲み過ぎたんだろう、顔を真っ赤にして呂律が回らない男性は、さらに浴びるように酒を飲むと泣き出す。

 ……正直、居たたまれない。謝ってでもこの場から逃げ出したくなる。

 

(………)

 

 そんな弱い心を押さえ込んでいく。

 覚悟はしておいたはずだ。誰かのために乱世を駆けるってことは、誰かに恨まれること。

 そして俺は、そうすることで傷つく誰かに、たとえ自分がどれだけ泥をかぶることになろうとも、伝えてやりたいことがある。

 それが俺の、単なる押し付けだろうと構わない。

 叫ぶことで届くのなら伝えよう……戦はもう、終わったのだと。

 終わったのだから、いつまでも悲しむだけではいられないのだと。

 俺がここに呼ばれた理由を果たすなら、俺はここで───……内側から変えていくための努力を、するべきだと思うから。



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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み②

いい区切り部分がなかったので、ちょっと長いです。
そしてごっちゃりしてます。


 「俺が天の御遣いだ」って言った途端だった。

 賑やかだった料理屋の喧噪は一呼吸のうちにピタリと止まり、次の瞬間に生まれたのは俺を睨む幾多の視線。

 “もう少し親密になってからの方が良かったか”なんて考える暇もなく、人気の無い場所へと連れてこられ、壁に叩きつけられた。

 人気が無いなんて言っても、俺の目の前には結構な人数が居て、鋭い目付きで俺を睨んでいるわけだが。

 

「お前が天の御遣いだったとはな……。ここには何の用で来たんだ……? 偵察か……!?」

 

 俺を壁に叩きつけたのは、さっきまでの息子の死についてを話し、酒を呑んでいた男性だった。“見る者全てが敵”って目をしていて、一目で周りが見えていないのだろうと思える様相。

 怒りのためか目が血走っていて、握る拳もぶるぶると震え、語気も段々と力が篭っていっていた。

 

「それともなにか? 騒ぎを起こす輩を探して来いって言われたのか?」

「………」

「なんとか言えこらあぁっ!!」

 

 男性は叫びながら、乱暴に俺の胸倉を掴み、顔を寄せる。

 ぎりぎりと食い縛られた歯から漏れる荒い息遣いが、彼の怒りを俺に伝えているようだった。

 けど……ここで慌てるのはダメだ。

 怖がるのもいけない。

 どちらかが周りが見えなくなった状態で、もう一方まで暴走するのは一番危うい。

 だから、努めて冷静に。

 

「偵察しに来たわけでも……誰かに言われて来たわけでもない。俺はただ本当に偶然、あの店に───」

「嘘つくんじゃねぇっ!!」

 

 聞く耳持たずだった。

 そりゃそうか、相手にとっての俺は、ついさっきまで話していた自分の息子を殺した軍の人間なんだから。

 俺が何を言おうが、ただの戯言にしか受け取れないのかもしれない。

 幾多の視線に睨みつけられながら、気づかれないように息を飲み、目の前の男性の目を見る。

 相手が引くつもりがないなら、俺だって引く気はない。

 まさかこんな早くに騒ぎに巻き込まれるだなんて思ってもみなかったけど、無視なんて出来なかった。

 あのままおやっさんのところで働き、目の前の人と親しくなってから“自分が御遣いだ”なんて言えば、それこそ裏切られた気持ちにさせていたかもしれないから。

 だから言った。自分が御遣いだって。

 隠し事をしたまま仲良くなりたいだなんて思えなかったんだ、仕方ない。

 

(……覚悟を)

 

 静かに目を閉じて、今一度心に刻み込む。

 そう、じいちゃんが言っていた。“本気には本気でかからなければ礼を失する”と。

 だったら俺も、どんな結果になろうとも自分の本気をぶつけて、意思を通す。

 なにかが出来る状況でなにも出来ない自分は、もう卒業するって決めたんだから。

 思い通りにいかなかったとしても、せめて彼らが日常を放棄しないように頑張ろう。

 

「じゃあ……俺がもし偵察に来てたとして、あんた達は俺をどうしたいんだ」

「どうする……!? 決まってるだろうが! 気が済むまで殴って! 謝らせて! それから! それから……! ~……許せるかっ! 死ぬまで殴ってやる! 息子の仇だ!」

「死ぬまで……!? そんなことしたら───」

「同盟が決裂するってか!? はっ、ここでバラして埋めちまえば誰にも気づかれねぇ! お前が勝手に消えるだけだ! 何も変わらねぇのさ!」

「っ……」

 

 本当に……本当に周りが見えてない。

 後ろに居る人たちも、目の前の男性の言葉に賛同するようにウォオッと叫び、ギラついた目で俺を睨んでいる。

 

  ───どうするべきかを考える。

 

 時間はない。出来るだけ早くだ。

 祭さんと話し合ったように、殴られてしまうのはまずい、と思う。

 一応俺は客扱いだ。それが民に囲まれてボコられました、というのはまずいだろう。民の諍いを無くすために呼ばれたっていうのに、それに巻き込まれて怪我をしました、っていうのは。

 

「………」

 

 けど、と考える。

 雪蓮は“大丈夫。一人の兵士の死を大事なことだって悲しめる一刀なら、きっとそれが出来るから”と言ってくれた。

 調子に乗りたいわけじゃない。でも、わかりたいって思うことだってあるのだ。

 呉を内側から変えていってほしいと言った雪蓮の言葉を思い出す。

 

(たとえば……)

 

 たとえばここで、無傷でいるために逃げたとして、それから───呉の将に守られながら語る俺の言葉が、呉の民たちに届くだろうか。

 たとえばここで、全ての攻撃から、罵倒から身を逃がしたとして、それから“貴方たちの気持ちがわかる”なんて言葉を口にして、果たしてそんな言葉がどれほど届くだろうか。

 だったら殴られる? 無抵抗のまま、殴られ続け、出てくる罵倒の全てを受け止めるか? 

 ……いや、その場合この人達はほぼ確実に罰せられる。呉に来ている大使をよってたかって殴り続けた、なんて笑えない。国同士の問題として危機感ってものを考えるなら、そもそも名乗り出ること自体が間違っていた。じゃあ黙っていればよかったのかといえば、それも違う。

 あの飯店で話を聞いて、顔を知られていた時点で偵察だなんだって言われ、口にする発言のほとんどを胡散臭いものとして受け入れられていたに違いない。

 じゃあ抵抗する? いっそ全員を殴り倒してでも無力化させて、襲われたから鎮圧した、と。正当防衛って意味じゃあ真っ当であり、正解なのかもしれない。

 後日きちんと話し合いの場を設ければ、冷静には話し合えるのかもしれない。

 多対一は学んできたんだ、やれるところまでは頑張ってみるのもいいけど……この人数を相手に素手で? 出来るだけ無傷で? ……いや、無理だろ。どんな超人だよそれ。

 そもそも、鍛えた成果を向けたいのは“民へ”じゃないんだ。必要に駆られたのに使わないなんて持ち腐れだとは思うものの、イメージとしてしか多対一をやれなかった上、一斉に襲い掛かられれば簡単に捕まる未来しか想像できない。

 ……殴るのは最終手段だ。じゃあ、だったら、俺は……。

 

「~……!」

 

 波風立てないなら、きっと無傷で逃げるのが一番いい。

 逃げて、冷静になってから改めて話し合えば……そう思ってしまう。

 向き合わずに逃げたくせに、とどうあっても言われてしまったとしても、安全を考えるならそれが一番なのだろう。時間はかかるだろうけど、頑張ることは出来るのだと思う。

 でも……どうしてだろう。それをしてしまったら、もう二度と……彼らの“本音”は聞けない気がした。

 よせばいいのに、そんなことを考えてしまったから、俺は───

 

「あんた達は……それで納得出来るのか? それで治まりがつくのか? 俺を殺しただけで、同盟に納得して生きていけっ───!? ぐっ!?」

「うるっせえんだよ!!」

 

 口にする言葉も半端に左頬を殴られる。……殴られて、しまった。

 喋り途中だったために頬を噛み、口の中に血の味が滲んでくるのが解る。

 これでもう、無傷で逃げる、という選択肢はなくなってしまったのだ。

 

「どうなったって知るか! もう生きる希望もねぇ……! ねぇんだよ! たった一人の息子だった! 憎まれ口ばっかり叩く馬鹿な野郎だった……けどな! 大事な息子だったんだ! それを……それをてめぇらが! 魏が! 蜀が奪った! なにが同盟だ! 殺された息子のことを忘れて仲良くやれってか!? 出来るわけねぇだろうが!」

 

 隠すこともしない“怒り”という感情が、俺へ向けて振るわれる。

 出来る限り避けないと、と距離を取ろうとするも、すぐに背中が誰かにぶつかり、自分を囲んでいる民の一人に背を押され、俺は拳を振るう男の前へとたたらを踏むように突き出された。

 

「っ!」

 

 振るわれた拳を咄嗟に受け止める。けれどすぐに横から別の人に脇腹を蹴られ、再びたたらを踏む。

 次の瞬間には、再度目の前の男性が拳を振るい、俺の腹を殴りつけていた。 

 

「……っぐ……!」

 

 男性は目に涙を溜め、それを散らすたびに叫び、拳を振るって俺を殴りに走る。

 頬を、腹を、何度も何度も。

 見える部分への攻撃は出来るだけ防いで、もちろん他への攻撃も出来るだけ避けて。

 けれどそんな行動が火付けになったのか、後ろに居た人達も暴行に加わり、全員が全員、俺に向けて恨みを吐き出しながら拳を、足を振るう。

 

「っ……!」

 

 防げば突き飛ばされ、その先で蹴られ───そうになるのを防ぎ、背を殴られ、腹を殴られ、咳き込み、壁に押し付けられ───

 

(考えろ、考えろ、考えろ……!)

 

 狂気とは呼べない、ただただ深い悲しみに染まった目たちが俺を睨み、口からは恨みを吐いていく。

 全て俺が悪いのだと言われているようで、心が辛くなる。

 悲しみと恨みだけに飲まれた“人”っていうのは、こんなにも悲しく怖い存在なのか。

 殴られる事実よりも、そんなことが悲しかった。

 

(…………、このまま……)

 

 このまま殴られ続けていれば、いつかは彼らの気は治まるんだろうか。

 殴って殴って、殴り疲れた時……彼らは“自分”を取り戻してくれるんだろうか。

 悲しみに囚われるだけじゃなく、もっと……生きている今を大事に思ってくれるんだろうか。

 

(……ち、がう……それは違う……違う、よな……)

 

 ……違う。

 彼らはきっと治まらない。

 俺の“御遣いだ”って一言を簡単に信じて、こうして殴りかかってきている。

 周りが見えていないのは事実なんだ。

 悲しみが強すぎて、カラ元気でもなければ自分が無くなってしまいそうなくらいの心。

 そんな彼らが同じく子を亡くしたおやっさんのところに集まることで、なんとか絶望に飲まれずに済んでいた。

 けど、俺が御遣いだって名乗った瞬間、“カラ元気”も“自分”も、保つ必要が無くなってしまったんだろう。

 怒りのぶつけどころを見つけて、気が済むまで殴る。

 気が済むまでっていうのはいつまでだ? この人数が、この怒りが差す“果て”っていうのはどこにある?

 

(……簡単だ、俺を殺したその瞬間だ)

 

 彼らはきっと、“人を殺す”っていうのがどれだけ辛いことかを知らない。

 知らないからこんな人数で、たった一人を殴り続けられる。

 

(……なぁ、華琳……俺は……どうするべきなんだろう……)

 

 きっと、望んで息子を兵にさせたわけじゃない。

 そりゃあ、中には望んで向かわせた人も、息子さん自身が志願した家もあっただろう。けど、全員がそうなわけじゃないんだ。望んで向かわせた人も、息子さんが志願した人も、自分の子に限ってって、生還を信じていたに違いない。

 そんな彼らに俺はどうしてやればいいんだろう。

 哀れめばいいのか? 一緒に悲しんでやればいいのか? それとも……死んでやればいいのかな。

 

(───)

 

 違う。

 俺が死んだら、この人達が人殺しになる。

 俺はそんなの許せないし、そもそも死ぬわけにはいかない。

 哀れみたくなんてないし、“一緒に悲しむためだけ”に謝りたくもない。

 だったら……? ───だったら……!!

 

「……っ」

 

 歯を食い縛って、拳を硬く握って。

 一歩を踏み出して───それを、振り抜いた。

 

「……へ……?」

 

 拳と、肘と肩に重い衝撃。人が一人、俺から離れた。

 その一発で、あれだけ騒がしかった喧噪は止んで、俺を殴ろうとしていた目の前の男性の手が停止する。

 そんな彼の横で、一人の男性が倒れ伏した。

 ……俺が、拳で殴ったからだった。

 

「なっ……て、てめ……!?」

 

 抵抗されるだなんて思わなかったのかもしれない。

 男性はこちらが呆れるくらいに驚いた顔をして、俺と倒れた男性とを交互に見た。

 

「……くそっ……くそくそくそっ……! なんでこんなっ……!」

 

 苛立ちを吐き捨てる。すでに目立つ部位を守りながら、散々と殴られた自分に対してじゃない。眼前に存在する人たちの在り方にこそ、苛立つように。

 痛む体を庇うこともせずに、キッと真っ直ぐに睨み返して。

 

「なんだその目は……! てめ……今殴りやがったのか!? てめぇが! てめぇらが悪いくせに!」

 

 怒りと一緒に踏み込んできた男性の左頬を、

 

「ぷぎゃあっ!?」

 

 右拳で思いきり殴り───何人かを巻き込んで倒れた彼に一瞥をくれると、苛立ちを、悲しみを吐き出すように叫ぶ。

 

「誰が悪いとか……! なにが悪いとか……! そんなことを理由に戦ってたんじゃないっ!!」

 

 その叫びに数人が身を竦め、しかし次の瞬間には急に叫ばれたことに苛立ちを覚えたのか、殴りかかってくる。

 そんな彼らを、もはや殴られるだけの自分を捨て去った拳で殴り返していく。背後からは狙われないように、壁を背にして。

 多勢に無勢にもほどがある状況でも、退くことはせずに殴り飛ばしていった。

 相手が誰だろうが関係ない。守るべき民だから、なんて言葉は意味を為さない。相手が殴るっていうなら、こっちだって殴り尽くす。

 当然、超人なんて存在じゃない俺は、全てを思い通りに運ぶことなんて出来ず、殴られも蹴られもした。それでも……殴った先で“どうだクソガキが”と笑うように見てくる男性の顔を遠慮なく殴り───殴った上で、言いたいことを全部伝えてやる。相手の本気を受け止めるために、自分の本気をぶつけていく。

 

「誰かを殺したかったから旗を掲げたんじゃない! 誰かが憎いから武器を手に取ったわけじゃない! みんながみんな、自分なりの泰平を目指して立ち上がったんだ! 殺したくて殺したわけじゃない!」

 

 途端に殴られるが、仕返しとばかりに殴り、地面に叩きつけた。

 

「泰平だぁ!? だったらどうしてもっと早くに同盟を結んでくれなかった! 最初から争わずにいられたなら、そもそも誰も死ぬことなんてなかったんだ!!」

 

 相手の膝が腹に埋まり、痛みに肺の中の酸素を思わず吐き出し、そうした途端に顔面を殴られた。

 

「っ……ふざけんなっ! “最初から争いがなければ”なんてこと……! 誰も考えなかったって本当に思ってるのかよ! 争いたくなかったのは誰だって同じだ!」

 

 それでも殴り返す。

 手加減なんてしないで、思い切り振り切るつもりで振るった拳で。

 

「最初から俺達に国を動かすだけの力があればって! “そんな力があったら”ってどれだけ考えたと思ってる!」

「ぐっ……て、めっ……!」

「力を得るために戦った! 戦うたびに誰かが死んだ! 力を得るたびにみんなが“自国の王こそが”って期待した! 期待に応えるために理想を目指して戦った! 自国の王なら平和な未来を、って期待したんだろ!? そんな王を今さら否定するのか!? じゃあ訊くけどな! 期待に応えない王にあんた達はついていけたのか!? 信じることが出来たのか!? 理想を追い続けた王だったから、あんた達は息子を託せたんじゃないのかよ!!」

「っ……うるせぇうるせぇうるせぇええーっ!!」

 

 もう、誰が相手でも返事はきっと変わらなかった。

 叫び合い、殴り合い、血を吐きながらも自分の、自分たちの言葉を、怒りを、悲しみをぶつけ合っていく。

 痛みに負けて倒れてしまいたくなるのを、歯を食い縛りながら耐えて。

 

「人の生き死にを背負って、様々な命令を下さなきゃいけない将の気持ち、少しでも考えたことがあるのか!? その決断が間違っても間違ってなくても消えてしまった命があったんだ! 戦だから仕方ないだなんて言葉で片付けられるほど軽くない……軽く思えるわけないじゃないか! だってみんな生きてたんだ! 戦う前まではなんでもない日常の中で一緒に笑ってたんだ! あんた達にとってだけ大切なわけじゃない! 俺達にとってだって大切な命があったんだ!」

「だったらなんで死なせちまったんだ! なんで守りきらなかったんだよ! 強いんだろ!? 国を守るやつらが弱いわけないだろうが!」

「~っ……このっ……! どうしてわかろうともしないんだよ! 王だけで国が成り立つもんか! たった一人が強いだけで、戦で勝てるわけがないだろうが! どれだけ強くたって、どれだけ頭が良くたってなぁっ! 俺達は同じ人間なんだよ! 守りたくても守れないものなんて山ほどあるんだ! 守りたいって思うだけで守れるんだったら……っ……俺だって、……俺、だって……! 誰も死なない“今”が欲しかったよ!!」

 

 涙が溢れる。

 滲む視界をそのままに向かってくる人たちを殴り、慟哭する。

 殴られようとも蹴られようとも、歯を食い縛って受け止めて。

 

「俺達にだって魏の兵を殺された辛さがある! 悲しみがある! あいつらが死なずに、今を笑って生きている未来があるなら欲しいって思うさ! 最初からそうだったらって今でも思うさ! でも───でもなぁっ!!」

 

 次々と殴り倒し、殴る数が減っていき、気づけば立っている人なんて二人程度の今。

 おやっさんと、料理屋で息子を殺されたことを苛立ちながら話していた男を前に、俺はおやっさんではないもう一人の男に掴みかかり、壁に押し付けた。

 その人は俺の手を掴んで抵抗したけど───

 

「そんな“もしも”に手を伸ばして“自分が生きている今”を手放したりしたら! 死んでいったあいつらの意思や託された思いはどこに行けばいい!? あいつらと目指した平和な世界を捨てるのか!? その世界を選ぶ代わりにこの世界の全てを忘れるっていうなら───そんな世界なんていらない! 辛くても悲しくても、この世界で生きていく!」

「っ……」

「平和を目指したんだろ!? 天下統一を! みんなが笑っていられる天下泰平を王と一緒に! だったらどうして一年も腐ったままで生きたんだよ! たしかに目指した形とは違う泰平かもしれない! けどもう戦は終わっただろ!? 平和になったんじゃないか! なのにどうして笑おうともしないんだよ!」

「……笑う、だと……!?」

 

 怯むことなく思いをぶつけるが───次の瞬間には頭突きをされ、たたらを踏んだところへ腹部に前蹴りをくらい、無理矢理引き剥がされる。

 

「笑えるわけねぇだろうが! 子を殺されて……へらへらへらへら笑ってろってのか!?」

「づっ……く……! ああ、そうだよ……! 笑わなきゃいけない……! 笑ってやらなきゃ嘘になる……! だって───俺達は生きて“今”に立ってるんだから……!」

「今だぁ!? なに言ってやがる!」

「死んでいったやつらが、争いのない未来を望んで武器を手に戦ってくれたなら……その“今”に立ってる俺達が笑ってやらないで、誰が今を笑ってやれるんだ……! 与えられた平穏かもしれない……望んだ泰平じゃないかもしれないさ……! それでも、“平和”に辿り着いた俺達が“ここまで来れたよ”って笑ってやらなきゃ……っ……あいつらが安心して眠れないんだよぉっ!!」

「!!」

 

 勢いをつけての“ストレート”とも呼べない乱暴な右拳が、男の顔面を捉え、叩きのめした。

 

「ぶっはぁっ!!」

 

 地面に倒れる男を見下ろしながら涙を拭い、嗚咽と疲労に乱れる呼吸もそのままに歩く。

 間違った考えかもしれない。怒られて当然のことかもしれないけど、せめて言葉だけでも届きますようにと願い。

 

「俺達は……っ……はぁ……! いろんな人の犠牲の上で、今……ここに立ってるんだ……。傷ついた人はもちろん、癒えない傷を負った人……体の一部を失った人や……死んでしまった人たちの思いの先にある今に……、いつっ……!」

「………」

 

 殴られたり蹴られたりした腹部の痛みに、身を竦めながら近づいてゆく。

 立っているのは、おやっさんだけ。

 倒れながらも聞いてくれている人は居る。

 だから、きちんと聞かせるように、痛みに声を震わせながら伝えてゆく。

 

「そうだ……犠牲の上に、なんだ……! 最初からこんなところに立っていられたわけじゃないんだよ……! 起きたことがきっかけでこうして集まることが出来て、それがあったから続けられることもあるんだ……! だから……っ……頼むよ……! 生きている今を、“どうだっていい”だなんて言うなよ……。“生きる希望がない”なんて……言わないでくれ……っ!」

「………」

 

 体を庇いながら歩み寄った先の彼───おやっさんは、昨日と今日、見てきたそのままの沈んだ顔で、俺を見ていた。

 睨むのではなく、“なにも見ていない”ような様相で。

 それでも俺は言う。どうか届いてほしいと願いながら。

 この世界においてなにが正しいのか、自分は本当に正しいのかなんてのは結局のところ誰にもわからない。

 わからないから信じるしかないし、信じるなら貫かなきゃ嘘になる。

 だから……たとえ間違っているのだとしても、我を通すと決めたなら歩みを止めちゃいけないんだ。

 

「足りないものがあるなら補い合えばいい……。届かないものがあるなら、手を伸ばし合えばいい……。不満があるなら言ってくれ……届かないなら叫んでくれ……! 叫んで、自分はこんなにも苦しいんだ、助けてくれって……もっと周りに頼ってくれ……! “それは絶対に届かないものだ”って決めつけないで……わかり合う努力を、っ……!」

 

 言いたいことがあるのに視界が揺れ、意識が保っていられなくなる。

 一撃で確実に立ち上がれなくするためとはいえ、氣を無理に移動させすぎた。

 ふらつき、倒れないためにと伸ばした手はおやっさんの肩を掴み、俺の体重がそこへと加わる。

 けど。倒れてしまう───そう思ったのに、倒れることはなかった。

 

「補う……? 無くしたものを……子をお前が補えるとでも言うのか……?」

 

 目の前から聞こえるのは歯が軋む音。

 触れている手がおやっさんの震えを感じとり、語調が怒りに染まる事実に息を飲んだ時、少しだけだけど消えかけていた意識が戻ってくれる。

 

「子を失った悲しみを、お前みたいな孺子が補えると……? 不満を言えば届くと……!? 叫べばこの苦しみが! 悲しみが! 届くとでもいうのかぁああっ!!」

 

 だっていうのに、意識が戻った瞬間に思い切り怒気をぶつけられ───思わず、怯んでしまった瞬間。

 ……鈍い音が、自分の体から聞こえた。

 

「……、え……?」

 

 見下ろせば赤。

 その赤は、俺が着ている服から……いや。俺の腹部から滲み出し、流れていて。

 伝う先には赤く染まっていく……ついさっきまで、誰かが美味しいと喜んでくれる料理を作っていたであろう包丁が。

 

「補える代わりなんて居ねぇ……居るわけねぇだろ! ───届くわけねぇだろ! 俺達の痛みが、命令するだけの将に! お前らはそうやって、自分たちは安全な場所で命令しているだけなんだろう!」

「……っ……あ、ぐ……っ……」

 

 刺された。

 そう意識した途端、おぼろげだった意識が無理矢理覚醒させられるくらいの痛みが走る。

 

「馬鹿者! なにをしている!」

 

 その時だ。

 声が聞こえて、自分の感覚が傷口に向かう前に、その姿を視界の隅に捉えた。

 おやっさんはその誰かを気に留めることもなく……いや、たぶん怒りに呑まれているから気づかぬままに、俺へと怒りをぶちまけ続けた。

 

「どうだ刺された気分は! どうせ味わったこともない痛みなんだろう! 息子はそんな痛みよりも、もっと痛い思いをして死んだに違いねぇ! 苦しいか! どうだ! 苦しいかぁっ!!」

 

 ……痛い。

 頭が考えることを放棄してしまうくらい、痛い。

 痛くて痛くて、なにもかもを放棄して叫び出したくなる。

 叫べば痛みが引いてくれるだろうか、なんて考える余裕もない。

 ただ痛くて、苦しくて。訳も解らないままになにかに謝りたくなった。

 “痛い思いをしているのは自分が悪いからだ、だから謝ってしまえ”って、ようやく考えることを始めてくれた頭の中が混乱を見せる。

 長く吐けない息がもどかしい。

 痛みに呼吸が乱れて、呼吸が苦しくて。

 

「~っ……」

 

 知らなかった。

 ドラマとかで刺された人が、あっさりと倒れていく理由がわからなかった俺だけど、今ならわかる。

 人はあまりの痛みの前では、立っていることすら出来ない。

 ひたすらに痛みから逃れたいと願うあまりに、体が“立つこと”すら放棄する。

 現に俺の膝はゆっくりと折れていき、力を入れないで済む格好を求めるかのように多少の力を込めることさえ放棄しようとする。

 

(……、でも…………)

 

 ……でも。

 刺された場所が熱いのに、体は冷たく感じる気持ちの悪い状況でも、視線だけは戻し、おやっさんの目を見た。

 つい今まで俺を見て、罵倒していたその目を。

 その目は俺しか映しておらず、駆けてはきたが刺激しないようにと速度を緩めた彼女を映さず、だからこそ……ようやく、広がってゆく赤を見て、息を飲んだ。

 

「ど、どう…………だ………………どう…………」

 

 震え、少しずつ力を失っていく俺を見て、おやっさんはやがて顔を青くしていった。

 俺の腹の赤と、血で赤く染まった手を見て、どこか見下すように歪んでいた表情は怯えに変わり、足が震え、歯がガチガチと音を鳴らしていた。

 

「え……、え……? お、俺……?」

 

 取り返しのつかない間違いを起こしたその姿に、もうさっきまであった怒りなど消え……人を殺してしまうという事実に怯える姿だけが、そこにはあった。

 そうだ……どんなに間違っていても、人を殺すなんてしちゃいけない。

 まして、この包丁は───誰かを刺すためじゃない、料理で人を満たすためにあるのだから。

 

「……ち、ちが……違う、俺はっ……! 違うんだっ、これは───! ほっ……ほらっ、すぐ抜くからっ!」

 

 頭がボウっとする。

 だから、混乱したおやっさんがなにをしようとしているのか、咄嗟に判断できなかった。

 伸ばされた両手が、腹部に刺さったままの包丁を掴んで───そして。ぐい、と引っ張られた気がした。

 ……それがどういう意味に繋がるのかに気づいたのは、傍まで来ていた彼女の声が耳に届いた時だった。

 

「よせ! それを抜くな!!」

「へ……?」

 

 聞こえた声におやっさんは振り向いた。

 ……その手で、包丁を掴んだまま。

 

「がっ……! ──────!!」

 

 瞬間、噴き出す鮮血。

 ぐぢゅり……と、体を伝って耳に残る嫌な音が俺の五感の全てを支配した。

 声にならない叫びが場に響き、その声に振り向いたおやっさんの顔に、鮮血が飛び散った。

 

「え、あ、……えああ……っ!?」

 

 もう、怯えも怒りもなにもない。

 ただ、もはやなにがなんだかわからなくなってしまい、目の前の光景の意味だけを求める子供のような目が、俺を見ていた。

 そんなおやっさん目掛け、一気に距離を埋めて、己の武器を抜き取らんとする姿が視界に入った。

 

  そんな姿を見たら、もうダメだった。

 

 よせばいいのに、このまま死ぬんじゃないかってくらい苦しい体を無理矢理に動かして……呆然とするおやっさんと、地を蹴り走る───甘寧との間に立った。

 

「───!? ……なんの真似だ」

 

 甘寧が言う。“信じられない愚か者を見た”といった、冷静さに驚愕を混ぜたような顔で。

 ああ、本当に……なんの真似なんだろうな。自分でも笑えてくるよ。

 

「い、ぐっ……つ…………ぁ……は、はぁっ……は、ぁ……!」

 

 借りた庶人の服が真っ赤に染まる。

 あまりの赤さに気を失ってしまいそうなのに、痛みが気絶を許してくれない。

 ……、今はその痛みに感謝を。今、気絶するわけにはいかないから。

 

「っ……なにを……するつもりなのかっ……知らない…………けど……っ……はぁっ……! この人を……傷つけるっていう、なら……っ……黙ってなんか、いられない……!」

 

 心臓が鼓動するたびに、脈の鼓動さえもが激痛を走らせ、言葉が途切れ途切れになる。

 こんな思いまでして、本当に……なんのつもりなんだ。

 自分でそう思えてしまうくらい、今の自分は滑稽だっただろう。

 でも。でもだ。

 

「正気か? そこまで殴られ、刺されてなお民を庇うなど」

「っ……はは……うん、馬鹿みたいだけどさ……正気、だよ……」

「貴様がどう出たところで、その男には相応の処罰が下る……当然、貴様を見極めようと傍観していた私にもだ」

「え……」

 

 傍観、って……それって、俺が囲まれてた時にはもう来てたってこと……?

 じゃあ、すぐに助けに入らなかったのは…………もしかして、聞いていたんだろうか、俺と祭さんとの会話を。

 

「───だが、貴様がこうして間に立つことは無意味だ。……この路地へ踏み入る前に、兵に治療の出来る者を呼ぶようにと伝えた。黙って死なない程度に倒れていろ」

 

 甘寧は俺が刺された事実に眉ひとつ動かさない。

 包丁を抜くなとは言ってくれたが、ようするに死ななくて済むかもしれない者を殺したくはなかった程度の忠告。

 普通は抗議でも口にする場面なんだろうけど、そんな冷たさを前に、逆に俺は安心していた。

 

「無意味なんて、そんなこと……ないさ……。は、は……っ……少なくとも、ぐあぁっづぅっ……ぁあああぁぁ……!!!」

「喋るな。本当に死ぬぞ」

 

 ハキハキと喋れもしない俺を横に押し退け、甘寧がおやっさんへと歩み寄ろうとする。

 それを、俺は通せんぼするように腕を左右に伸ばした。

 

「……もう一度訊く。なんの真似だ」

「~っ……刃物……抜かないでくれ……! 罰は……、人を刺した罰は、必要なのかもしれないけど……それは、自国の民に、躊躇なく向けていいものじゃ、ないし……っ、この人は……言って当然のことを言って……届かない思いを、届けようとしただけなんだから……」

「……? なにを言って───」

 

 歯を食い縛る。

 人を刺した事実に腰を抜かし、逃げることも出来ないおやっさんを後ろに庇いながら。

 そうだ、歯を食い縛れ……力を抜くな。

 脱力するのなんて、全てが終わってからでいい。

 覚悟を……意思を貫け。どれだけ泥を被ろうと、貫き通すって決めただろ……?

 

「間に立つことが無意味なんてこと……ない……! 伸ばしても届かない人の手を……繋いであげられる……! 届かない、届けられない小さな声を……代わりに届けてあげられる……!」

「………」

「だから……頼むよ……! っ……辛い、って……苦しいって……助けを求めてる人に、他でもない自国の将が……刃物を抜いて、威圧を向けるようなこと……しないでくれ……!」

 

 甘寧が俺を睨む。

 本当に、なにを言っているんだって目で。

 内心、呆れているのは俺も同じなんだろう。

 誰を呆れるでもない、自分自身を一番呆れる。他人に刺されて、その事実を後回しにしようなんて、本当に馬鹿な話だと思う。誰かから“そんなヤツが居る”と聞かされれば、きっと頭がどうかしてる、だなんて思ったんだろう。……現代に居れば。

 

 でもここは戦が終わったばかりの世界で、これから手を取り合って平和に生きようとしている、大事なスタートラインだ。よその国の男が大使として向かって、他国の民に刺された。……詳しく言えば、冷静さを失い、気が動転したまま勢いで刺してしまった。

 刺されたヤツは生きいてるけれど、じゃあその刺した民は殺そう、なんてことにはなってほしくない。

 大事なスタートラインだからこそ、見せしめに、なんて考える人だって居るのだろうけど、出来ればそれはしたくないし、そうなってほしくない。

 呆れるくらいに甘い考えだって自覚もあるけど、そんな血生臭い処罰は乱世と一緒に置き去りにしてしまうべきだとも思うのだ。

 

 祭さんの言う通りだ。平和をと願うあまりに、それを乱す者の全てを排除することを意識しすぎているのだろう。

 それは確かに大事なことだ。

 やっと手に入れたものだ、それこそ様々な人の犠牲の上にあるものなんだから。

 無くすわけにはいかない……それは当然だよな。誰かの勢いや気の迷いで潰していいものじゃない。

 それでも、たとえば……そんな意識がいきすぎればきっと、警備隊がきちんと組まれる前の“曹の旗”の下、あの息苦しい街の光景しか、未来には残っていない気がするのだ。

 ……届けたい言葉は受け取りたいって思う。けど、常に剣を構えた人を前に、いったい誰が本音を届けられるのだろう。言ってしまえば斬られるってわかってて、そこに自分の悲しみを届かせるには、民と国の偉い人とじゃ差がありすぎるんだ。

 

  刺された全てを許すことは、それはもちろん無理なのだ。

 

 そんなことをすれば、民は人を傷つけてばかりになる。

 だから、力を振るわれれば力を振るおう。振るった上で、だからといって刃に対して刃を振るうのではなく、言いたいことは届けてくれって何度だって伝えたい。

 貫くと決めた意思を、決めて向かった覚悟を、最後まで責任として刻み込むために。

 

 ……ああ、やっとわかった。

 この国の王でも重鎮でもない俺に出来ること。雪蓮や孫権に出来なくて、俺なんかができること。

 ただ俺は俺として、真っ直ぐにぶつかってやればよかったんだ。

 国のことをどうとか言うんじゃなく、民の苦しみ、辛さを受け止めてあげればよかったんだ。

 それがたとえ怒りでもいい、王に向かってなんてとても叫びきれない嘆きの全てを、殴れる、殴らせられる立場の自分が受け止めてあげれば。大使って意味じゃ相当無謀だし、華琳には本気で怒られそうだけど。

 この国の王は民を傷つけることなんて出来ず、民は王を傷つけようだなんて考えれない。

 だから……いくらボロボロになろうとも、俺に出来ることなんてのはこんなことでよかったんだ。……避けられるなら避けて、その上で話したかったけど……だめだなぁ。鍛錬不足だ。

 

「集団で殴りかかる相手を……自分を刺した相手を庇うというのか? 正気を疑う」

「だよな……うん……。でもさ……疑われてもいい……笑われたっていいよ……それでも俺は、補いたいって……そう思うから……」

 

 だから、痛みの所為でいい加減下げてしまいたくなる両手を、横に伸ばしたまま言うのだ。

 甘寧が構えた刃を見ながら───さっきは否定された、補うための言葉を口にした。

 

  “俺の親父たちだ、手を出さないでくれ”、と。

 

 “刺されたから刃を構えて斬る”のではなくて、無力化から入ってくれてもいいから、せめて言葉だけでも受け取ってほしいと願い。

 それが暴徒の類なら仕方ないのかもしれない。

 こちらがいくら受け止めようが、相手は受け止めてくれないかもしれない。

 伸ばした手は伸ばされたまま、相手は握ってくれないかもしれない。

 

 それが泥を被るってことで、道化だなんだって馬鹿にされようとも───伸ばした手は引っ込めたくない。

 そんな道化を見て誰かが笑ってくれるのなら、それでもいいじゃないか。

 子の死を嘆くだけで、笑むことが出来ないよりかはずっといい。

 一方的な気持ちの押し付けなんだとしても、誰かがいつかは踏み込まなきゃ始まらないなにかって、やっぱりどうしてもあるんだ。民を、国を愛するあまりに踏み込めなかった、雪蓮や祭さんが想うように。

 そういうことをしてもいいくらいには、この国を愛していると祭さんが言ったように……俺だって、魏のみんなのためにならって思えるものが確かにあるんだから。

 

 死人はさ、そりゃあ……もうなにも伝えてはくれないよ。

 どれだけ綺麗事を並べたって、理想でしかないことばっかりだ。

 でもさ、生きている人に元気でいてほしいってくらい、故郷から遠く離れた子が、故郷の親を思うくらいには……たとえカラ元気だとしても、元気であってほしいとは考えると思うんだ。

 だからどうか、彼らが目指したこの平和の中で笑うことを……忘れないでほしい。

 

「睨み合うだけじゃなく……もっと歩み寄ってくれ……。言えないことも言い合えるくらい……歩み寄って……。不満を持ったまま、っ……つぅ……! っ……平和の、中に居ても……はぁ……きっと、笑えないから……だから……」

 

 もう力の入らない手で、右手でおやっさんの手を、左手で甘寧の手を取って、触れさせる。

 二人は手を繋ぐことはしなかったけど、嫌がって手を振り払うことをしなかっただけでも、俺は嬉しかった。

 

(あ───)

 

 そうして喜びと安堵を得た途端、体から力というものの全てが消える。

 まだ言いたいことがあったのに、力を込めることを放棄した体は、なんの受身もとれないままに地面に倒れ───ず、甘寧に支えられた。

 意識が遠くなるさなか、俺を呼ぶ声が何度も聞こえる。

 それが、甘寧とおやっさんの声だったことがどこか嬉しくて……それを安心の材料にするみたいにして、俺は意識を手放した。

 



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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み③

20/いつか、本当の笑顔で笑い合えるその日まで

 

 ふと、意識が浮上する。

 静に開いた視界で見たものは天井。

 道場の天井じゃないだけ、少しマシかなって思ったのを、少し反省。

 ここは宛がわれた自室だろうか……なんにせよ生きていることを喜ぼう。

 

「……よあいぃぃいいっ!?」

 

 “よっ”、と起き上がろうとして激痛。掛け声と悲鳴が混ざり、おかしな声が完成した。「なに!?」と自分の体を確認してみれば、腹部が包帯ぐるぐる巻きにされている事実に驚愕。

 あれ? 俺……ってそうだよ、さっき生きてることを確認したばっかりじゃないか。

 

「あ……そうだった。刺されたんだよな、俺」

 

 現実的じゃなかったからか、刺されたって事実を飲み込むまで時間が要った。

 いや……うん、ほんと、現実的じゃないよな。まさか自分が、って、こういう時にこそ思うものだろう。

 

「……うん」

 

 でも、これだけはわかる。こうしてなんていられない。

 おやっさんたちがどうなったのか、確かめに行かないと。

 そう思って起き上がろうとするんだけど、痛みが勝って力が入らない。

 

(……よく立ってられたな、俺)

 

 人間、無我夢中の時は案外無茶が利くようだ。

 二度とごめんだ~って思うくせに、同じ状況になったらまたやりそうな自分が自分で怖い。

 

「はぁ……あ、そうだ。傷口に氣を集めたら治るとか、そんな漫画的なことはないだろうか」

 

 早速集中……霧散。

 

「あれ?」

 

 上手く集中が出来ない。痛みの所為? 違う、なんかこう……下半身がムズムズするっていうか。

 

「…………エ?」

 

 テントがあった。

 腹部ばっかり見てて気づかなかったけど、こう……寝起き特有の“おテント様”ではなく、明らかに強大な力を秘めているであろうおテント様が……!

 

「い、いや待て、俺は極めたはずだろ? 落ち着け~、落ち着け~……!」

 

 あんなことがあって、目が覚めたらこんな状態って笑えない。

 静まれ、鎮まれと二つの意味で落ち着かせようとするが、一向に落ち着いてくれやしない。

 そこでハッと気づくが、服が刺された時のものとは違っていた。

 あの服よりも若干高級感がある服で、その上着だけをはだけられた状態で寝ていたようだった。

 いったい誰が着替えさせてくれたのか……って、はうあ!?

 

(き、着替え……させた? こんなおテント様を張っている俺を、誰かが……!?)

 

 事実に気づくや赤面状態だ。

 顔がチリチリして、今すぐ頭を抱えて七転八倒したい気分である。

 い、いやいやいやいやいや!! きっとその時はおテント様を張ってなかったってきっと!

 じゃなくて状況を弁えろよ俺ぇえええっ! あんなことがあった直後だぞ!? それを───……

 

「……待て。直後?」

 

 ……今、何時だ? いや、時計なんてないからわかるわけもない。

 俺が気絶してからどれくらい経ったんだ? そもそも今日は同じ日なのか?

 

「………」

 

 わからない。

 わからないなら、少し冷静になろう……そう思って、水差しでもないものかと横へと視線を逸らせば、寝床の端に自分の腕枕を構え、すいよすいよと眠っている……周泰と呂蒙。

 

「───……うあ……」

 

 胸がとくんと大きく鼓動する。

 看病してくれたんだろうか、心配してくれたんだろうか、ありがとう、ごめんな……いろんな思いが胸に溢れ出して、申し訳ないと思う気持ちと感謝の気持ちがごっちゃになる。

 そんな彼女らの頭を撫でようと手を伸ばしかけるが、ふと目に映ったおテント様がその行為を停止させる。

 落ち着きなさい一刀、まずはこちらをなんとかするのが先でしょう? 自分を心配してくれた友達に、こんなものを見せつけるつもりですか?

 ていうかこんな状態で頭撫でてるところを誰かに見られたら、それこそ取り返しがつかないだろ。

 

「よ、よーし落ち着け落ち着け……ってさっきよりも猛っていらっしゃる!?」

 

 え、えぇえっ!? なんで!? 徹夜の修行の成果は!? 極めた俺は何処に───……ハッ!?

 

「………」

 

 あの時の状態を思い出してみる。

 睡眠不足で、空腹で……でも煩悩を掻き消そうと躍起になってた。

 ここで問題。人間の三大欲求ってなんだったっけ?

 

(うあぁああああああああ…………!!)

 

 今こそ頭を抱えて転がり回いだぁああだだだだ!!

 

「うぁああだだだいがががぁああ……っ!!」

 

 痛みよりも恥ずかしさが勝り、ゴロゴロ転がり回った途端に激痛に苦しむ馬鹿者がここに誕生した。

 ソ、ソウカー……ハハ、ソッカー。

 俺、ただ三大欲求のうちの食欲と睡眠欲で、性欲を押さえつけてただけなんだー……。

 

(ぐあぁあっ……! 死にてぇっ……!)

 

 極めた気になっていて、蓋を開けてみればこんなものである。口調が悪い? こんな時くらい勘弁してくれじいちゃん。

 そして、睡眠欲が消えるまで寝ていたっていうのに、窓から見える景色が明るいってことは───今日は俺が刺された日じゃないってこと。

 いったいどれほど寝ていたのか。

 

「………」

 

 いや、今がいつかなんてどうでもいい。

 今はおやっさんたちが心配だ。

 どうする? いっそ抜け出て───……いや、それは、いいのか? 客が怪我して、手当してくれてあるのに、勝手に外に出て傷を悪化させたとあっては、いろいろ問題が……。

 

(……っ───)

 

 それでも気になる。馬鹿なことしてるってわかっていながらやるんだから、本当に馬鹿だ。ごめん。あとで何度だって謝ろう。謝って済む問題じゃなくなった場合は……ああ、もう。もっと自分の立場を考えろって、俺……。これが雪蓮の言う“内側から変えること”に少しも繋がっていなかったら、民をいたずらに刺激しただけの馬鹿大使だぞ俺……。

 ……刺された時点で、いや。あの飯店に行った時点で手遅れだったのか。

 

「………でも」

 

 ごめん、と呟いて、行動に出る。

 一応、傍にあったバッグからメモとシャーペンを取り出して書き置きをして、ゆっくりと……傷口を刺激しないように起き上がる。

 体に必死さが伝わったんだろうか───氣が傷口に集中し、痛みを和らげてくれた。

 そうなれば起き上がることもそう難しいことじゃなく、散々騒いでおいてなんだけど、ぐっすりと眠っている周泰と呂蒙に気づかれないよう、そっと寝床から下りて歩き出す。

 おテント様も自重してくれたようで、安堵の溜め息を心の底から吐きつつ、静かに部屋を抜け出た。

 ……まあその、窓から。

 歩き回っているのを見つかったら、寝ていろって言われそうだったからだ。

 

(甘寧あたりにはもう気づかれてそうな気もするけどね……)

 

 だとしても、押さえつけたりしないならありがたい。

 一度こくりと頷くと、走る───ことはさすがに痛すぎて無理だったので、ゆっくりと歩いていった。

 

「おでかけですか?」

「ああ。おやっさんたちのことがおぉっ!?」

 

 その途中、声を掛けられて返事をすると、にっこにこ笑顔で隣を歩く周泰さん。

 ……待って!? さっきあなた寝てませんでした!?

 

「だめですよ一刀様。応急処置はしてありますけど、しばらくは動かないようにって言われているんですからっ」

「う……いや、けどさ。街のおやっさんたちがどうなったのか、気になるっていうか……その。ね?」

「だめです」

「ちょっと見たら戻るからっ」

「だめですっ」

「そこをなんとかっ」

「だめですっ!」

 

 頼み込めば許してくれそうな印象だったけど、さすがに無理だった。

 

「で、でもなー……ほらなー、気になっちゃって傷もゆっくり癒せないしなー……。ほ、ほんと、ちょっとでいいんだけどなー」

「う……で、でもでもだめです、だめなものはだめなんですっ」

「ちょっとだけだから! ほんのちょっと!」

「だめですっ」

「そこをなんとかっ!」

「だめですー!」

 

 ぷんすかー、といった様相で怒られてしまった。

 

「だいたい、一刀様は今、歩き回ることだって許したくない状況なんですっ! だというのに窓から抜け出したりなんかして!」

「え? 歩くのもだめなの?」

「だめです!」

「………」

 

 えぇとその。じゃあ。

 歩かないんだったらいいのカナー、なんて。

 ちょっとした試し。試しのつもりで、ひとつ訊いてみることにした。

 

「じゃあそのー……周泰が俺を負ぶっていく、とかは───」

「…………、───!!」

 

 あ。なんか“はうあ!”って感じの顔で固まった。

 きっと相当真面目なんだろうなぁ。歩いちゃいけないって言われたなら、歩かなければいいって穴を突かれると戸惑う、みたいな感じだ。

 たぶんからかい好きな人には騙されやすいタイプ。……あれ? この場合、騙してるのって俺?

 ……いぃいいいやいやいや! 騙してないぞ!? 要望を口にしてるだけだし!

 

「で、でででもですよっ? 勝手に出て歩くと冥琳様に怒られますですっ」

「うっ……冥琳かー……」

 

 周公瑾。

 “孫呉の融通”という名の壁を担いまくっている軍師さま。

 これまでも雪蓮と祭さんに振り回されてきたお陰で、問題児への容赦というものがともかくないことで有名である。……俺が振り回したわけじゃないのに、最初から容赦ゼロとかあんまりじゃないですかちょっと。恨むぞ雪蓮、祭さん。

 そこだけは声を大にして言ってもいいよな? ……“俺悪くないじゃん!”

 刺されたのは自業自得だけど、最初から冥琳の容赦が無いのに俺は関係ないよね!?

 なんて、軽く雪蓮や祭さんへの文句を脳内で叫びつつ、実際の口では外出許可をもぎ取ろうと「ちょっとだから」「だめですっ」の応酬を続けていたら───本人が来た。雪蓮じゃなくて、祭さんが。

 

「なんじゃまったく、騒々しい」

 

 酒を肩に引っ掛けるようにして、半眼でこちらをじとりと睨みながら歩いてくる。

 あ、あー……こりゃ本格的に諦めるしかないかな……。

 助っ人ですとばかりに祭さんに駆け寄って、事情を話す周泰を眺めつつ、諦めを胸に抱くと、「なんじゃそのくらい。気になるなら連れていけばいいだけの話じゃろうが」なんて言葉をあっさりくれた。

 

「えぇえっ!? でででですが歩き回るのは禁止されているのですよ!?」

「なにをけち臭いことを言っておる。北郷が少しでいいと言っとるんだから、ここで問答を続けるよりも連れて行って戻ってくるほうがよっぽど早く、手っ取り早いじゃろうが」

「あ、あうあぁあ……!」

 

 祭さんが仲間に加わった! 百人力の説得で、周泰を説得してゆく!

 いやこれ説得じゃなくて屁理屈押し付けて強引に頷かせる手法だ。しかも慣れてらっしゃる。慣れてらっしゃるってことは常習犯さんなわけで。

 ……上司の気が強いと、下は大変だよな……。わかるわかる。

 

「わ……わかりました。少し、ですからね? 一刀様。ほんと少しなんですからね?」

「周泰……! あ、ありがとう! 我が儘言って悪い!」

「いえいえですっ、そうと決まればすぐに行きましょう!」

 

 言うや、周泰は俺を横抱きにしてみせ、「え?」なんて俺が戸惑っているうちに駆けだした。

 横抱きにされた俺を見て、祭さんが笑いまくってたのが、流れる景色の中で確かに見えた。ほっといて!? 好きでお姫様抱っこされたわけじゃないから!

 

 

───……。

 

 

 そしてやって来た建業の街。

 暖かな賑わいを見せるそこは、誰かが刺されたとか乱闘したとか、そんな事実を忘れるかのような賑わいを見せていた。

 肉まん片手に呼びかける、少しぽっちゃりした威勢のいいおばちゃん。

 買い物をしていった客を送り出す服屋。

 書物の整理をしているのか、バタバタと慌しく走り回る本屋。

 目に映るもの全てが元気に溢れ、笑んでいた。

 

  ただひとり、ある店の前に座りこんでボウっとしているおやっさんを除いて。

 

 行き交う人の流れを静かに眺め、何をするでもなくボウっとしているおやっさん。

 店は開いているというよりは、あの時以来開けっ放しのだったのかもしれない。

 噂ってのは伝わりやすいものだ。

 本人が口にしなくても、その場に居た誰かが口を滑らせるだけであっという間に広がる。

 恐らくは……俺を刺したことが誰かの口から漏れたんだろう。

 刺したことじゃあなかったとしても、周りから一歩引かれるような噂が。

 そうでなければ、あんなにも込んでいた店を誰もが避けて通るはずもない。

 

「………」

 

 でも、よかった。おやっさんがちゃんとここに居てくれて。

 もしかしたら厳罰に処するとかいって、二度と会えなくなってたりしないかって不安だったんだ。

 刺されたのが雪蓮とかじゃなく俺でよかった、とは言えないけど、今は───うん。心配ごとはあるにはあるけど、今はおやっさんだ。

 誰にともなくそう頷くと、店の前に座りこむおやっさんのもとへと向かう。……周泰に運んでもらいつつ。

 もちろんある程度近づくと下ろしてもらい、声をかける。

 途端、自分は邪魔になるとでも思ったのか、周泰がシュパッと…………消えた!? え!? 消えた!? ……あ、ぁああいや、今はそれよりこっちだ、うん。こっち。

 

「…………? う、お、おめぇっ……!」

 

 おやっさんは俺を見るなり───刺した感触でも思い出したのだろうか、表情を驚愕の色に染めた。

 座ったまま俺を見上げる、そんなおやっさんの隣に立つと、困惑顔をしているおやっさんにとりあえずニカッと笑ってみせる。

 

「や、おやっさん」

「っ……無事、だったのか……」

「それはこっちの台詞だけど。よかった、処刑とかになってたらどうしようかと思ってた」

「王が……“雪蓮ちゃん”がよ……わざわざここまで来て、言ってくれたよ……。客人であり他国大使を刺した罪は重い、とさ。ただ、お前の言う“補い合う一歩目”を“見せしめ”にするのは出来れば避けたい、だそうでよ。……普通、それなりの地位に立つものなんて、ちっとでも傷をつけられりゃ、やれ死罪だなんだって言いやがるのに、お前はそれをしなかったんだから、ってな……。けどな、まあ、当然だけどよ、無罪には出来ない、追って別に下されることがあるから、それは覚悟しておけ……だとよ」

「………そっか」

 

 雪蓮がそんなことを……って、“雪蓮ちゃん”?

 

「お、おやっさん? 雪蓮ちゃん、って……」

「こう呼べって言われたんだよ……民に手を伸ばすその一歩だ、ってな……。言いたいことがあるなら言ってほしい、一緒に国を善くしていこう、だとよ……」

「………」

 

 真名を、そんなあっさりと───と思ったけど、それは俺がここに来るより前どころか、そもそも相当前のことらしい。ヘタすれば孫堅の代からそんなことを許していたのかもしれない。

 

「……」

 

 おやっさんが、俺から街の雑踏へと視線を戻す。

 ちらちらと行き交う人が店を、おやっさんを見るが、視線が合いそうになると慌てて目を逸らし、足早に歩いていってしまう。

 

「───建業で騒ぎを起こしてたやつらはよ……雪蓮ちゃんに言いたいこと言って大分すっきりしてたようだぞ」

「……? 名乗り出たのか?」

「お前を殴ったやつの大半がそうだったってだけだ……。結局騒ぐだけ騒いで、殴るだけ殴って……少しはすっきりしたんだろうさ。俺も、あいつらも」

「おやっさん……」

「けどよ……見てくれ、今の俺を。お前の言う通り、あいつの死を悲しむばっかりじゃダメだってことには気づけた。けどな……もう街に自分の居場所が無いみてぇによ……みんなが俺を、店を避けやがる。あれだけ“許せねぇ”とか“死ぬまで殴る”とか言ってたやつらまでもがだ」

「………」

 

 黙って同じ雑踏を眺めている。

 おやっさんのようには座らず、だけど同じ景色を。

 そうしていると、おやっさんは長い長い溜め息を吐いたあとに口を開いた。

 

「あいつのために“今”を笑って過ごしてやりたい……今ならそう思えるのによ……。こんな状態で何を笑える……? 滑稽な自分を笑えばいいのか……?」

 

 言葉のあとに、嗚咽が混じったような溜め息を吐くおやっさん。

 そんな彼に、小さく言ってやる。

 “それはとても簡単なことだよ”、って。

 

「簡単……? 簡単だったら俺は───」

「すぅっ───……みんなぁあああっ! 腹減ってないかぁーっ!?」

「うおっ!?」

 

 おやっさんの言葉に返事をする代わりに、大きく息を吸いこんで大声を発する。

 何事かと街の人たちが振り向く中で、俺は大きく手を振って自分の存在をアピールした。

 

「さーあ美味いよ美味いよー! 軽く食べられるものからガッツリ食べられるものまで! なんでも作れる料理屋だよー!」

「お、おいっ……!?」

 

 当然おやっさんは困惑顔で俺を止めようとするけど、俺はその顔に向き直って笑いながら言ってやる。

 

「ほらっ、客が来ないなら呼びこまなきゃダメだろ? ここは休憩所じゃなくて、料理屋なんだから───なっ、親父っ!」

「───……お、や…………?」

「俺さ、結局のところ呉に来たところで自分になにが出来るのか、はっきりとわかってない。受け止めるにしたって、一人でやることには限度があるし……さ。でもさ、無理に見つけてそれをするんじゃなくて、自然に見つかったものをやっていくだけでもいいんじゃないかなって今なら思うよ」

「……? なに言って───」

「そのためにはまず言ったことを守る! 息子さんの代わりになんてなれないってのはわかってるけどさ、手伝えることなら手伝いたいって本当に思うんだから仕方ないっ!」

 

 その一歩目として“親父”と呼ぶことを胸に刻む。

 補うための第一歩として踏み出し、行なう行動の全てを笑いにするために……道化でもいい、誰かが笑える道を歩みたいと思う。

 

「難しく考えることなんてなにもないんだよ、親父。無駄かもしれない行動がなにかに繋がることって、俺達が気づかないだけできっといっぱいある。こんな呼びかけでも“誰か”に届けば来てくれるし、そこから増えていくかもしれない。そうしてさ、自分たちの手で少しずつ呉って国が変わっていくのって、凄いことだって思わないか?」

「! ───……」

 

 俺の言葉におやっさん……親父は目を見開いて、俺を見たまましばらく固まっていた。

 その間にも俺は呼び込みを続けて、何人か止まってくれる人に事情を説明しては、食べていかないかと促していく。

 そんな中で───

 

「……おかしなもんだなぁ息子よぉ……。顔も性格も全然似てねぇのに……言うことばっかりがいちいちお前に似てやがる……」

 

 すぐ隣から、やっぱり嗚咽混じりにも似た声で親父が何かを言ったんだけど、呼びかけるのに夢中で聞こえなかった。

 一度気になったら知りたくて問いかけてみても、親父はどこか吹っ切れたように笑うだけで。座らせていた体を立ち上がらせると、頬をびしゃんっと叩いて呼びかけに参加してくれた。

 

「おらっ、そんな小さな声じゃ誰にも届かねぇぞ孺子!」

「……ははっ、ああっ! 親父こそ声が小さいんじゃないのか!? 気が沈んでた時間が長すぎて、声も出なくなったか!?」

「んーなことはねぇっ! ───おらー! 腹減ってるやつはいいから寄ってこーい!! 俺の料理が食えねぇってのかーっ!?」

「なんで喧嘩腰なんだ!? それじゃあ客が逃げるだろっ!」

「うーるせぇ! どうせ今の状態が最悪なら、これ以上悪くなんてならねぇよ! それよりおめぇも声出さねぇか!」

 

 二人して店の前で叫ぶ。

 いろんな人が逆に逃げてる気もするんだけど、そうなればたしかにヤケになるしかないわけで。

 なるほど、今が最悪ならこれ以上悪くなりようがない。

 それなら形振り構わず、むしろ無茶なことも言えるのだ。

 

「いらっしゃいいらっしゃーい! 美味いよ安……なぁ親父。この店の料理って安いのか?」

「こっ……こらこら……! それ今ここで訊くことか!?」

「い、いや……いろいろ食わされて金が足りなかった俺としては、安いのか高いのか疑問で……う、うん、まあいいや」

 

 叫んでいく。

 カラ元気でもいい、最初はそこから始めて、笑うことを少しずつ思い出して。

 

「おっ、そこのぼうず、腹減ってそうな顔してんなぁ。どうだ、食ってかねぇかい? 心配すんな、金ならこの兄ちゃんが」

「金ないから雑用押し付けられたんだよね!? 俺!!」

 

 冗談半分にじゃれあうように喧嘩をしながら。 

 チラリとこちらを見て、そのまま素通りする人が多かったけど───

 

「いらっしゃーい! 手頃な値段でいい味が楽しめるよー! ……時々人を刺すけど!」

「なっ! こ、こらっ!」

「……ぶふっ! は、あっはははははは! 刺された本人と、刺した本人だーっ! でも刺された本人はこの通り元気で、刺されたことなんて気にしてないから! だから食いに来てくれ! もっともっとお互いを知っていくために!」

「…………おめぇ───」

 

 ───手を繋ぎたいなら、仏頂面はだめだ。

 だから自分の気持ちを打ち明けて、笑顔で呼びかける。

 すると……

 

「お、おい……刺されたって……あの……?」

「じゃああいつが魏から来たっていう御遣い……」

「刺したって聞いたときはもう同盟は終わりかと思ったが……」

「大丈夫……なのか? また戦が起こるなんてことはないのか……?」

 

 いろいろな囁きが聞こえてくる。

 それを受け止めながら、やがて全員の目が俺に向けられるのを確認してから口を開いた。

 

「みんな、聞いてほしい。戦なんて、もう起こす必要はないんだ。俺はたしかに腹を刺されたけど───こうして生きて笑っていられるなら、俺がその事実を許せるなら、どうしてまた戦をする必要があるだろう」

 

 ひとつひとつ、丁寧に……ちゃんとみんなの耳に届くように。

 

「俺達は互いに、大事な家族を殺してしまったかもしれない。でも、死んでいった人たちが天下の泰平を目指して戦ったなら……今。その泰平に立っている俺達は、笑うべきなんだと思う」

 

 伸ばした手が、たとえ今は振り払われても、いつかは届くと信じて。

 

「俺はこの人に、子供を死なせてしまった人たちに、無くしてしまったものを“補う”って言った。大事な家族を補うってことは無茶がすぎると思うけど……代わりにはなれないかもしれないけど。でも、どうか手を握ってほしい」

 

 今もまだ、戦に囚われて悲しむことしかできない人に届かせるために。

 

「俺達はこれから国を善くしていく。そのためには王ひとりが頑張るんじゃなく、民だけが頑張るんじゃなく、国のみんなが力を合わせて頑張らなきゃいけない。それでも善くできなかったとしても、今の俺達には手を伸ばせば伸ばし返してくれる同盟国がある。だから……伸ばしてほしい。助けが欲しいって、辛いって思ったなら……迷わず声を届けてほしい。ずっとそうやって、無くしてしまったものを補っていかないか? せめて……死んでしまった人たちのことを、悲しいだけじゃない……いつか微笑みながら“自分にはこんな息子が居た”って誇れるように───」

 

 そう。国のために武器を手にして、彼らは戦った。

 それは無駄なんかじゃなかったし、むしろ誇りに思ってもいいことだった。

 それを悲しむことしか出来ないなんて、あんまりじゃないか。

 

「死んでいった人たちは国のため、家族のため、理想のために戦った。そのことをどうか、誇りに思いこそすれ……悲しむだけしかしてやれない現状のまま、踏みとどまらないでほしい」

『………』

 

 民のみんなが俺をじっと見る。

 それは親父も同じで、だけど今度は俺を刺す前に見せた、どこか虚ろな表情じゃない。

 新たな思いを心に刻むみたいに、困惑色だった表情をすっきりしたようなものに変えていた。

 

「あ、あー……みんな、聞いてくれ」

 

 そんな親父が、みんなを見て口を開く。

 

「俺はよ、その……息子を失った悲しみで、この一年……なにをやってもだめだった。一年って長い時間、ずっとボウっと過ごしてたよ。……けどよ、この男に会って、叫びたいこと叫んで……その、刺しちまったら……俺の息子もこうして誰かを刺したんだ、斬ったんだって思っちまったら……もう、なにも憎めなかったよ……」

 

 ざわりと民がどよめくけど、親父は続ける。

 

「そうだよな、誰も誰かが憎くて戦ってたんじゃあねぇ。息子たちは国のため、王の理想が眩しかったから志願したんだよ。金欲しさに立ち上がった野郎もそりゃあ居ただろうさ。でもよ……それも結局はよ、国を善くするためだったんだよ」

「親父……」

「こいつはよ、刺されても俺のことを恨みもしなかった。補うって言った言葉は守るなんて言って、俺のことを“親父”なんて呼びやがる。いつかあいつが言ってたみてぇに、“自分たちの手で呉が変わっていくのって、すごいことだって思わないか?”なんて言いやがる……」

『………』

「俺は……俺はよ、あいつが死んじまった時点で、あいつは国を変える手伝いをできなかったんじゃないかって思ってたけど……違ったんだな。違ってくれた。あいつはたしかに国を変えるために戦って、理想のために散っていったかもしれねぇが……あいつが死んでも、あいつが求めた国は作られていってるんだ。俺は……そのことを誇りこそすれ、無様に思うことも情けなく思うこともねぇ。国のために立ち上がったやつを情けなく思うなんて、そもそもしちゃあいけねぇことだったんだ」

 

 親父の言葉が続く。

 そんな中で、一人が歩くともう一人も、と……人々の足がこちらへ向く。

 

「俺はこいつを刺したことを後悔してる。もうこんな気持ち、誰にもさせちゃならねぇ。誰かの命を奪うのが当然の“戦”なんてもの、もう起こしちゃならねぇんだ。死んでいったやつらの……呉だけじゃあねぇ、他の国のやつらのためにも……よ」

 

 親父にかける言葉なんてない。

 ただ、その肩を何人もの人がポンッと叩き、店の中へと入っていく。

 親父はそんな光景をどこか力が抜けたような顔で見て───

 

「よっし親父っ! 客だぞ、ホウケてないで仕事仕事っ!」

「へっ? あ、お、おうっ!」

 

 まだ言いたいこともあったんだろうが、俺達を見る人たちの中で、この店に向かっていない人が居ないなら、もう十分なんだ。

 しこりは残るかもしれないけど、完全にわかり合うのはやっぱり難しいのが人間だ。

 だから、今はこれで。ゆっくりと、気づけたことの輪を広げていこう。

 みんなが心から笑っていられる国にするために。

 

「きりきり働けよ、馬鹿息子代理!」

「ばっ……!? 馬鹿息子代理じゃなくて一刀だ! 北郷一刀! そっちこそ疲れ果てて倒れるなよっ!?」

「あぁそうかよ! だったら一刀! きりきり働けよ!」

「わかってるって!」

 

 叫べば届く言葉がある。叫ばなきゃ届かない言葉がある。

 言わないでもわかると思えるまで、俺達はどれだけの付き合いをしなければならないのだろう。

 どうして付き合いが浅いのに、言わないでもわかるだろうと決め付けてしまうのだろう。

 

「親父!? 親父ーっ! 採譜は!? 掃除は!?」

「うおおおーっ! どうせ誰も来ねぇだろうって散らかしっぱなしだったーっ!」

「な、なんだってーっ!? うぅあどうするんだよこれ! 仕込みは!? 材料は!?」

 

 もし決め付けてしまったことで繋げなかった手があるとしたら、それはいつか後悔に繋がるかもしれない。

 そうならないためにも……届けたい言葉を口にしよう。繋ぎたい手を伸ばしていこう。

 そういう小さなことから人の輪が生まれるなら、こんなことからでも国は変えていけるのだから。

 

「ととととにかくお客さん第一! まずは卓の整理を───!」

「おうよ! ……って、どうしてこんなに散らかってるんだよ!」

「親父たちが、俺が“御遣いだ”って言った途端に暴れ出すからだろっ!? とにかく急いで用意をいぢぃっ!? ~ツァッ……! そ、そういえば歩くの禁止って……ギャーッ! 傷口開いたーっ!!」

「うおぉおお!? 一刀ーっ!?」

 

 そんな些細なことが出来る今を、精一杯生きていこう。

 騒ぎが起きてたのは建業の街だけじゃないだろうけど、だったらこの街を第一歩にして笑顔を増やしていこう。

 どんな辛さも、いつかは笑って話せる日が来るまで、ずっとずっと。

 

 

 

 ……ちなみに。無断外泊や乱闘騒ぎを起こしたこと。

 刺傷事件のことや、抜け出したことについては、あとでしっかりと冥琳に怒られました。祭さんと周泰も一緒に。

 今回のことは、周泰と同じく起きていたらしい呂蒙より冥琳へと伝えられ、彼女は堂々と店まで来訪。この場で雷が落ちた。

 店の中で正座をしながら怒られた俺は、その迫力に怯える民のみんなを見て思った。

 民と将が手を繋げる日って……いつ来るんだろうなぁ……と。

 

 ……そのさらに後に、城に戻ってから雪蓮と祭さんと周泰と呂蒙に怒られたことを追加しておく。

 いや……悪かったけどさ……。祭さんはむしろ共犯みたいなもんなのに、なんで怒るのちょっと……。

 あ、でも周泰にはそれはもう心から謝った。祭さんと一緒に謝りまくりました。

 明らかにとばっちりだったし。



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07:呉/訪問者と罪①

 “───拝啓、曹操様。最近暖かくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて本日は、近況をお報せしたく筆(ボールペンだけど)を取りました。

 呉の国は魏国に劣らず賑やかであり、人々の笑顔が絶えない場所ですね。

 辿り着いて早々からいろいろあって、悩んでいる暇もあまりありませんでした。

 それでもやはり心細さがあったのですが、そんな中で周泰と呂蒙が友達になってくれて、心が救われた気分です。

 こんな泣き言みたいなことを言ったら、きっと貴女は怒るか呆れるのでしょうね。

 

 友達といえば、虎の周々と熊猫の善々とも友達になりました。

 どうやら自分はよほどに人間の男と縁が無いらしく、今のところ友達になってくれる男性が居なかったりします。

 男友達よりも早く動物が友達になるなんて、正直……ちょっぴり切ない気分でした。

 ああそうです、凪にお礼を伝えておいてください。貴女に教えられた氣のお陰で、自分は今を生きています。

 というのも少し前、呉の民と悶着を起こした際、包丁で腹を刺されまして。

 祭さん曰く、無意識に腹部に氣を集中していたお陰で傷の治りも速かったそうです。

 ええ、完全に癒えたわけでもないのに街に出て騒いで、傷口を開いて冥琳に怒られた自分は本当に馬鹿だったと、今なら本気で思います。

 

 ですが安心してください。私は確かに生きています。

 ええ、はい、私は元気ですので、刺した者を差し出せとか始末しろとか、今は仰らないでくれるととても助かります。

 王としての権力を振り翳すのは、今の呉としてはまずいのです。

 今必要なのは権力ではなく、手を差し出せる隣人なのです。

 ならばどうしてこんな手紙を送ったのかといえば、黙っていたくせにあとで伝えでもしたら怒られると思ったからです。

 秘密が嫌いですからね、貴女は。

 そんなわけですので、私は呉で元気に過ごしています。

 帰るまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、善い方向には進んでいると思うので、暖かく見守ってやってください。

 

                  北郷一刀

 

 追伸:たとえ何処に在れど、魏を、貴女を愛しています。”

 

 

 

 

21/近況と鍛錬と

 

-_-/曹操

 

 執務室にこもり、なにを読んでいるかといえば小さな紙。

 以前、一刀が言っていた“めも”とかいうものを折ったもの、らしい。

 つい先ほど執務室に届けられたばかりのそれを、部屋から出ることも誰かに報せることもなく、一人で読みふけっていた。

 ばか丁寧に書かれた筆跡には以前までの迷いがなく、真っ直ぐ綺麗に綴られている文を読み進めるうち、頬が緩み……最後まで読んだ瞬間には顔が灼熱した。

 なんてものを書くのだろうか、あの男は。

 刺されたことへの胸のざわめきなんて、別の胸の鼓動で掻き消されてしまった。

 耳がじわぁああと熱くなり、本来外の音を拾うべきはずの機能は鼓動の音ばかりを拾い、顔が痺れるようにじんじんとする。

 だからだろう。

 そうして私は執務室に響いた音にも誰かが入ってきたことにも気づかず、最後の文面を見て胸を暖かくさせ───

 

「華琳様?」

「ふぐぅっ!?」

 

 ───声をかけられ、変な声を漏らした。

 それが自分の声だと気づくまでに時間を要するほどの小さな悲鳴。

 途端に手紙の所為で赤くなっていた顔は、己への羞恥で赤く染まり……そんな顔をキッと掻き消してみせると、声をかけてきた人物へと振り向いた。

 

「───稟。人の部屋に入るのなら、まずは“のっく”をするなり声をかけるなりしなさい」

 

 振り向いた先に居たのは稟。

 声の時点で気づくべきだったが、あまりに動揺が激しすぎたために、声質すら確認しきれずにいた。

 ……しっかりしなさい、曹孟徳。こんな無様……まったく。

 

「いえ、“のっく”もし、声もおかけしたのですが……失礼しました。少し小さかったのかもしれません」

「………~」

 

 片手で顔半分を覆い、俯きたくなるような状況だ。

 一刀からの手紙に夢中で気づけなかったなんて、口が裂けても言えない。

 つくづく、存在でも手紙でも、あの男は曹孟徳という存在を狂わす。

 そんな溜め息混じりのぐったりとした思考のさなかに、稟は用件を思い出したかのように口を開く。

 どうやら悲鳴のことは流すつもりらしい。

 逆にむず痒く羞恥の念が増すが、わざわざ蒸し返すようなことでもないだろう。

 

「“学校”についての話を進めたいとの報せが、蜀の諸葛亮より使者とともに届いております」

「朱里から? 事を急ぐなんてあの子らしくないわね」

「いえ。急ぐというよりは、それを成さなければ状況が進まぬとのことで……」

「…………そう」

 

 それはそうだろう。

 公立塾の話を耳にして、一刀を紹介したのは他でもない私だ。

 だというのに先に呉に行くだなんて言い出して、あの男は呉に向かった。

 蜀の行動の流れが滞るのも無理はない。

 

(さっさと行って、さっさと帰ってこいって言ったのに。……ばか)

 

 心の中で愚痴をこぼしながらも、しかし表面では冷静な対応を。

 

「蜀から誰か一人を呉に向かわせて一刀と話を進ませることくらい、朱里なら考えそうだけれど?」

「はい、それは当然考えたそうなのですが……」

「ですが……なに?」

「それを任せるとなると……才知に富む者。理解力と応用力を持つ者が必要とされ、ならば自分がと諸葛亮と鳳統が動きましたが」

「回りくどい言い方はいいわ、稟。はっきり言いなさい」

「……率直に申し上げます。諸葛亮、鳳統の両名が不在になると、劉備殿たちだけでは政務をこなしきれないのだとか……」

「なっ───~……あの子はぁあ……っ」

 

 今こそ片手で顔を覆い、俯いた。

 目を閉じれば浮かんでくる、泣きながら書簡や書類を睨む桃香の姿。

 仮にも三国同盟の一方を担う王が、なにを無様な……! などと呆れてみてからつい先ほどの自分を振り返るに至り……無様と思いはするものの、悪く言うことなど出来そうもない自分が居た。

 いえ、待ちなさい。蜀には他にも才知に富んだ者くらい、いくらでも居るでしょう? 音々音もそうだし……そう、詠だって。

 

(………)

 

 彼女と月が賈駆と董卓だということは、真名を聞く際に知らされた。

 争いも終わったのだし、そもそも反董卓連合自体が仕組まれたことだったのなら、謝罪をすべきは私たちの方だったのだが───董卓……月はそれを笑みとともに許し、“散っていった兵たちのためにも善い国を作りましょう”と口にした。

 その笑みがどこかのばかと重なって見えた所為で、不覚にもなにも言えなくなってしまったのは秘密だ。

 と、そんなことはどうでもいいのよ。ようは人手が足りないってことなんでしょう?

 

「……使者に伝えなさい。泣き事は許さないわ。それをこなすのが王の務めであり将の務め。出来ないでは困るのよ」

「はい、たしかに伝えておきます。……しかし華琳様? 諸葛亮、鳳統が不在となるのは、確かに蜀にしてみれば問題が───」

「わかっているわ、稟。七乃……張勲を呼びなさい。一刀が言っていた通り、彼女には三国のために働いてもらいましょう。あの子を蜀に向かわせ、雑務を任せるよう桃香に伝えなさい。当然、よからぬことを企てないために、可能な限り監視とともに行動させること」

「はっ。───袁術殿はいかがしましょう」

「一緒に向かわせることは許さないわ。あの子たちは一度離さないと、互いの成長の妨げになるだけよ」

 

 言いながら───つい先日、好き勝手に城内を走り回り、誰も使っていないという理由で一刀の部屋を荒らし、挙句の果てに霞と凪に本気で怒られた二人を思い出す。

 あんなことをいつまでもし、七乃がそれを煽るのでは……第二の麗羽の誕生もそう遠くない。

 

(あの二人は一度切り離して、いろいろな物事を徹底的に叩き込む必要があるわ)

 

 あれならまだ話を聞くだけ、鈴々や季衣のほうが可愛いわ。あの二人は顔を突き合わせれば騒ぎを起こすけど、声を投げればきちんと聞く。

 それに比べて美羽と七乃は……暇さえあれば悪巧みを考えては悶着を巻き起こし、城では春蘭と秋蘭、街では警備隊に面倒をかけてばかりだ。

 それが先日、一刀の部屋を荒らしたことで凪と霞の怒りを買い、これでもかというほどに叱られた事実は、魏の皆の心を少しだけすっきりさせた。

 思い出した事実に小さく苦笑をこぼし、目の前の稟に頷いてみせると、稟も頷いた。

 

「では、そのように」

「ええ、下がりなさい」

 

 稟が頭を下げ、去ってゆく。

 ……少しののち、扉が閉ざされ、足音が遠退くのを確認してから…………もう一度手紙に目を通す。

 

「早く……帰ってきなさいよ、ばか」

 

 呆れや脱力の気持ちもどこへやら───あっさりと頬が緩んでしまった自分では、やっぱり桃香を責められそうもなかった。

 

「……さて」

 

 そんな緩んだ顔を正し、もう一つの報せへと目を向ける。

 一刀が刺されたことへの雪蓮からの報せだ。

 民と殴り合い、挙句に刺されたこと。それを思春が傍観していたこと。傍観についてはそもそも一刀がそうしてくれと言ったこと。なので、それを罰するのはやめてほしいと言っていたこと。

 雪蓮はお咎め無しとしたいようだけれど、私は───

 

「………」

 

 私情を挟まぬのなら、一刀の立場は本来警備隊隊長。

 天の御遣いという立場もあるけれど、国としての立場は将にも届かない。

 私情を挟むのなら、刺され、しかもそれを傍観されたとあっては黙っていられない。元々が一刀が護衛もつけずに、さらに悶着が起きてもしばらくは見守っていてくれ、なんて願ったから起きたことではあるらしいけれど、それでも───魏の将にこのことを話せば、ほぼが私情に走るだろう。

 さて曹孟徳? この場合、貴女が見るべき道は私情の視点? それとも王の視点?

 

「考えるまでもないわね」

 

 求められているのは王としての意見。

 だが、将に届かぬとはいえ国の同胞が傷つけられたのだから、黙っていられるわけもない。

 一刀は王としての権力を振り翳すのは良くないとは言うでしょうけれど、これはそういう問題ではないのだ。

 だから……そうね───魏の大使を刺したとあれば、その民に課せられる罪の重さは死罪となる。

 集団で暴行を加えた者も同様とする、でいいのではないかしら。

 ただし、まあ。

 死ぬ、という意味が特殊ではあるけれど。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 宛がわれた私室に、話す声ふたつ。

 

「いいですか~一刀さ~ん、今現在、たしかに呉は穏やかな状況には立っていますが~」

 

 知らないことが多すぎる中で、まず国の内情を許されるところまで教えてもらって、片っ端から頭に叩き込んでいく。

 俺の教師役として冥琳に選ばれた陸遜を前に。

 

「えっとつまり……野党化している民は居ないけど、問題を起こす民が減らないってこと?」

「う~ん、ちょっと違いますね~。この一年、雪蓮様のお陰で、問題を起こす民はちゃ~んと減っていってるんですよ?」

「そうなのか? ……ん、でも野党化する民が居ないのは喜んでいいことだよな」

 

 聞いた話を、シャーペンでメモしながら纏めていく。

 書簡ではないコレを見て、呉のみんなは珍しがっていたけど、天の国には当然のようにあるものだって説明すると、みんなは“ほぉおおお……”と溜め息に近い感心を口から吐き出していた。ああまあ今はそれはいいとして。

 

「そういえば雪蓮も野党が居て困ってる、なんて一言も言ってなかったな」

「きっと野党さんのほうがまだやりやすいって思いますよ~?」

「え? なんでだ?」

 

 動かしていた手を止めて、視線をメモから陸遜へと向ける───と、陸遜は少し難しい顔をしながら口を開く。

 

「相手は野党でも盗賊でもない、呉の民ですから。話をして納得してくれればいいですが、それが出来てるなら、そもそも誰かに頼ったりなんかしませんよ?」

「………」

 

 陸遜の言葉を聞きながら、宴の日に雪蓮に言われた言葉をもう一度思い出してみる。

 あの時、雪蓮はなんて言ったっけ? こう……内側……そう、内側から変えてほしい、って───…………あの……雪蓮さん? あの時言った“内側から変えて欲しい”って、まさか本当に内側って意味なのでしょうか。

 “呉に産まれてきてよかった”って思わせる? ……そんな騒ぎを起こしたがるヤツ相手にそんなこと思わせること、出来るのか?

 

「なぁ陸遜。この数日間、雪蓮の行動を見てて思ったんだけど……雪蓮って結構街に出て、民と親しげにしてるよな?」

「はい~、それはもう。雪蓮様は呉の民の笑顔のため、親である孫文台様の意思を含めた孫呉の宿願のため、剣を掲げたお方ですから」

「宿願っていうのはちょっとわからないけど、“力で押さえつけてた”って聞いてたから……もっと殺伐としてるのかと思ってた」

「一刀さん、それは誤解ですよ~? 雪蓮様や私たちが“力”で押さえつけるのは、あくまで“暴徒”です。もし呉に不満を抱いていて、自分のほうが力があるんじゃあ……って思った民が居たとしたら、その人はどうすると思いますか~?」

「あ……そっか。ここで言う力ってのは、文字通りの力って言うよりは───」

「はい、一言で言えば脅しみたいな力ですね~。人間、小さな可能性でも見つけてしまうと試したくなってしまいますから~」

 

 なるほど、だから力を誇示して、よからぬことを考える民を鎮めておく必要があったのか。

 それを脅しって呼ぶなら、たしかに“力”で押さえつけている。 

 

「それで~、一刀さん~?」

「ん? なに?」

「一刀さんはこうして呉に呼ばれたわけですけど、一刀さんはどうやってそんな人たちにわからせるつもりですか~?」

 

 ……ド直球だ。

 うん、さっぱりしてていいんだけど、この語調を聞いていると素直に感心できないのはどうしてだろうなぁ。

 

「ん……いきなり“どうするか”とかじゃなくて、まずは知らなきゃどうにも出来ないと思うんだ。俺はまだここに来て日が浅いし、この国の民がどんなふうにして暮らしているかも知らない。まず知ること。そこからかな」

 

 思考を回転させながら“うん”と頷く俺を見て、陸遜はほにゃりと笑って頷いた。

 そうだよな、まずは地盤作りからだ。

 急になにかが起きても対処できるように、もっともっとこの国のことを知っていこう。

 その急ななにかがどういった状況下で起こるのか。それが想定できないと、とんと意味がないわけだが。

 

(……そうすることはいいとして。俺がこの国のことで知ってることってなんだろうか)

 

 小さく考えて、一番最初に浮かんだことがあった。

 はい。とりあえず……呉国の人、みんな露出度高いです。

 

 

───……。

 

 

 ……などという考えをしていたあの頃を思い、苦笑する。

 今現在の自分はといえば、宛がわれた私室にほぼ軟禁状態。

 ほぼっていうのは、少なくとも誰かがその場に居て、外のことを話してくれたりするからである。

 

「ね、ねぇ祭さん? 交代交代で俺の看病なんてつまらないでしょ? お、俺~……外に出たいな~……なんて」

「ええいくどい、だめじゃと言ったらだめじゃ」

 

 うずうずしながら声をかけたら怒られてしまった……それも仕方ない。

 この会話ももう幾度となくしていて、いい加減祭さんもイラっとくるだろう。

 ……まあそれも、すぐに笑みに変わってしまうんだが。

 

「……祭さん、仕事しなくていいの?」

「小煩いのぉ……仕事ならしておるじゃろ。ほれ北郷、おぬしの監視じゃ」

 

 そうですね、病人のすぐ隣で酒を飲みまくるのが監視って言えるなら、それは立派な仕事だと思います。

 ほら、怒った顔もどこへやら。酒を口にするたびに緩ませる頬に、素直に感心する。

 この人の心はあれだな、子供がおもちゃをもらって笑むのと同じで、酒をもらって笑むんだろうな。

 

「ん……ねぇ祭さん」

「うん? なんじゃ」

 

 ぐびりと酒を飲んだ祭さんが、少し赤くなった顔で俺を見る。

 

「えっとさ。直接訊きたいとは思ってたんだけど……俺とおやっさんたちのことって結局のところどうなったの? 民と殴り合ったり刺されたりしたのにさ、すぐにどうこうってわけじゃないっていうのは、なんというか釈然としないっていうか」

「ふむ……策殿は北郷が不問とするのならと言ったが、権殿は反対した。他の民に示しが付かん、許してしまえば他の民もより騒ぎを起こすとな」

「そう、それ。それがちょっと気になっててさ。あと───甘寧のことも」

「うむ。お主が民に殴られているところを傍観しておったんじゃったな。興覇は否定するじゃろうが、大方儂とお主の話を聞いておったんじゃろう。それはお主の自業自得と、お主を見極めようとした興覇が悪いのだろうが、よりにもよってお主が民に刺されるという始末じゃ。とっとと止めておれば問題も起こらんかったろうが───」

 

 そこまで言って、もう一度酒を飲む祭さん。

 あの、話してる時くらい置いときませんか徳利。

 あ、いえ、ほんとそもそも、俺が少しの間見守っていてほしいとか言わなきゃよかっただけの話でしたねごめんなさい。

 

「公瑾が言ったな。お主に何が出来て何が出来ないか、まだまだ知らんと。それと同じじゃ。連れ出されるままに人気のないところまで行き、殴り殴られ。……やはり、興覇は見定めようとしたのじゃろう。策殿自らがお主を呉に招いた理由を、お主に何が出来るのかを」

「……その途中で俺が刺されたから飛び出てきたと」

「民は今まで“騒ぎ”は起こしても、誰かを刺すなどという奇行には走らんかったからのぉ」

「………」

 

 祭さんの話を聞いて、じっくりと考えてみる。

 ……けど、それで甘寧が罰せられる理由なんて、ひとつもないんじゃないか……?

 ていうかそれイコール俺が悪い。罪悪感がすごい。

 

「その……甘寧はただ見てただけだよ。監視めいたことをしていたかもしれないけど、止めようと思えば止められたかもしれないけど、そこにはちゃんと理由があるんじゃないか。あれは俺が勝手にやったことで、刺されたことだって想定外のことだよ。甘寧は俺の行動のとばっちりを受けてるだけだ」

「北郷よ、それでもじゃ。罰がなければ国の治安は成り立たん。仲良くするだけで悪事を働く者が居なくなるわけでもない」

「う……」

 

 痛いところを突かれる。

 確かに暴行を当然のことと許してしまえば、民たちは続けて暴行を行うだろう。

 奇麗事ばかりじゃ国は成り立たない。それはわかってるけど───

 

「傍観することで、同盟国の客に刺傷を負わせたんじゃ。興覇には罰が下されるのが当然。こればかりはお主がどう言おうが変わらん」

「っ……」

「“北郷が勝手にしたことで何故思春が”と権殿も怒っておられたがな。だがそれを許すのが王であるならば、事はそう深刻には運ばんのじゃよ」

「───え?」

「北郷よ。こんな話を知っているか?」

 

 こんな話?と首を傾げる俺に、祭さんは笑みをこぼしながら続ける。

 

「実を言うとな。策殿の悲願は天下統一などではなかった、という話じゃ」

「へー……えぇっ!?」

 

 感心してから驚いた! 天下統一じゃない!? じゃあいったいなんのために!?

 

「策殿が目指した悲願……それはな、”呉の民や仲間が笑顔で過ごせる時代”じゃった。いつか、おめおめと生きながらえ、策殿と顔を突き合わせた時に笑って言われたわ。“天下だの権力だのには興味はない、生きて祭が笑ってくれるならそれでいい”とな」

「………」 

 

 そういえば雪蓮が言ってたっけ。祭さんが生きていたことを知ったのは、同盟を組んでからしばらく経った頃のことだったって。

 その時にそんな話をしてたのか。

 

「戦が終わった頃に死に損ないが帰ってきてもと、最初はこの命を呉に献上してくれようとさえしたのじゃがな。その言葉のほうをばっさりと斬り捨てられたわ」

「雪蓮が……───だからか。民を罰するよりも、和解を選んでくれたのは」

「策殿は民を大事に思うておる。もちろん仲間のこともじゃがな。今例えとして言ったが、策殿はことあるごとに孫呉の一大事だと将を街に連れ出しては、民の仕事の手伝いをしておった。打算などではない、純粋に呉の民が好きなだけなのじゃろうよ」

「……そっか」

「自ら極刑を申し出た興覇にも似たようなことを言ってな。同盟が組まれ、ようやく争いが減ってきたというのに死ぬことはないと」

「極刑!? ちょっ……」

「策殿が自ら望み、“来てもらった大使”を自国の民が刺し、理由はどうあれ近くに居たのにそれを許した。興覇はその際、権殿に命じられてお主を見ておった。監視として立っておった筈なのに、民の暴挙を許し、客に傷を負わせたのだ。天下泰平も成り、これからという時に、よりにもよって民の暴行を許したとあってはな」

「……っ……でも」

「罪は罪、じゃろう。そこで、策殿は公瑾と話し合い、“刺されたお主”の王である曹操殿に、興覇の処遇の全てを委ねることにした。“対等の在り方”を曹操殿が望めばこそな。そこで死罪と決まれば死罪。どんなことでも受け入れると」

「そんなっ! なんで……」

「曹操殿はなんだかんだ、“身内”には甘いと聞いておる。……だのに、魏の種馬とさえ呼ばれているお主を傷つけられたのだ。よほどに気に入っておらなんだら体を許すとも思えんし、なにより宴の席で、ああも魏の将らがお主に人懐こく寄ってはこんじゃろう」

 

 「戦場では羅刹が如き猛者どもがあそこまでとは。目を疑ったぞ」、なんて言いながら、祭さんは笑う。どうして笑えるんだ、って訊きたかったけど……。

 

「大事な時期だからこそ、戦が終わった今だからこそ、己の命で平和が続くのなら。……振るうもののなくなった武官の考えそうなことじゃろう。儂とてそのつもりでいて、それを策殿に怒られた」

「うん……」

「もちろん興覇も怒られておったが、しかし考えることは変わらん。王として暴行を加えた民のそっ首を斬り、塩漬けにでもして詫びでも入れてみぃ。それを非道と受け取られてしまえば平和は崩れ、民も必要以上に怯えるじゃろう。どちらかを立てれば不安も沸けば恐怖も増す。言った通り、皆平和というものに囚われすぎておる。……王も、将も……民もじゃ」

「……うん」

 

 安堵から一転、胸にざわめきが蘇る。

 自分がしたことで誰かが死ぬことになる……もうそんな思い、することないんだってどこかで思っていたのかもしれない。

 また誰かが死ぬかもしれないって恐怖が足下から体中に這い上がってくる気分に、覚悟が飲まれそうになる。

 華琳を信じよう、なんて言うのは簡単だ。けどもし望んでいた結果と違っていたら、俺はどう思うんだろう。

 勝手に裏切られたって思うのか? 華琳に罵声を浴びせるんだろうか。

 …………少し冷静になろう。雪蓮だって委ねた。自分の国の事を、華琳に預けたんだ。

 だったら俺も、答えが下される時を待とう。待って、それがどんなことでも…………受け入れる覚悟を。

 

「……わかった」

「うむ」

 

 全てがいい方向に向かうことなんてない。自分が無茶をするだけ周りには迷惑がかかるんだ。

 ……反省しよう。全て上手くやれるなんてこと、まだまだ自分には出来やしないんだと。

 

「……北郷」

「ん……なに? 祭さん」

 

 落ち込む俺に、祭さんが言葉を投げる。

 俯かせていた顔を持ち上げれば、何故か差し出されている徳利。

 ……え? いやあの……祭さん?

 

「そんな辛気臭い顔をしておっては治るものも治らん。飲め」

「飲っ……て、俺病人なんですけど?」

「いちいち細かいことを気にするでないわ。ぐいっと飲んで少しすっきりせい。一緒に居る儂まで息が詰まるわ」

「そんな性格じゃないでしょ……ってわかったわかった! 飲みます! 飲みますから!」

 

 言葉の途中でギロリと向けられた眼光に、思わず怯んでこくこくと頷く。

 途端に笑顔になる祭さんから徳利を受け取り……この人は不安じゃないんだろうかと思いながら、徳利を傾けて酒を飲んだ。

 

「んぶっ!? ぶっ……げっほ! な、なんだこれっ! キッツ……!!」

「おうおう、なんじゃこれしきの酒で咽おって、情けない」

「だって祭さんっ……これ、キツすぎじゃ……っ………………あの、祭さん? なんでそんな嬉しそうなの?」

「べつに嬉しそうではないぞ? 儂は元々こういう顔じゃ」

「………」

「………」

 

 ……あの、祭さん? もしかしてビールで咽た時のこと、恨んでらっしゃる?

 なんて思った瞬間にぐらりと揺れる視界。

 酒が回るには早くないですか? と疑問を投げかけるのも出来ないままに、俺は寝床へと倒れた。

 

……。

 

 そんなことがあってから数日。

 腹の傷が癒えないままに訪れた今日という日に、俺は寝床に上半身だけを起こした状態のままでいた。

 

「………」

 

 今日は三日に一度の集中鍛錬の日。ちなみに前回は鍛錬していない。

 だっていうのに動くことを禁じられている俺は、こう……掃除が出来ない潔癖症の人のようにうずうずそわそわと体が疼いて、現在の監視役兼看病役である祭さんを前に唸っていた。なんで祭さんが、って……ほら。結局俺が抜け出して街に行くことを許可したの、祭さんだから。

 

(……はぁ)

 

 魏からの報せは……まだ届かない。もやもやした気持ちを消すためにも、鍛錬をしたいところなんだが───

 

「祭さぁああん……」

「な……なんじゃ、気色の悪い声を出しおって。酒が不味くなるじゃろう」

「ちょっとだけ、ほ~んのちょっとだけでいいから鍛錬しちゃだめ? 鍛えないと体が鈍りそうでさ……」

「だめじゃ」

 

 綺麗だと思うくらいに即答だった。

 あまりの綺麗っぷりに泣きたくなるくらいに綺麗だったさ。

 

「………」

 

 なもんだから、さすがに落ち込み気味にもなる。

 寝床の上で傷口に負担をかけない程度に体育座りをしながら、なにかいい方法はないものかと思案。

 そうこうしていると、さすがに後味が悪いと思ったのか、祭さんが少しだけ困った様子で口を開く。

 

「ああわかったわかった、これしきのことで落ち込むでないわ、まったく」

「いいのっ!?」

 

 俺はといえば、そんな言葉に敏感に反応し、叫ぶように訊ね返す。

 ───先ほどまでの暗い表情もどこへやらというやつだ。

 自分自身で、それがカラ元気なのも知っている。頭の中は、正直甘寧とおやっさんのことでいっぱいだ。

 そんな俺を前に、祭さんは少し苛立ちを混ぜたような顔で溜め息を吐くと、一度俺の頭に“ごちん”とゲンコツを落とした。

 

「北郷。お主、氣が使えたな?」

「いてて……え? あ、うん。まだかじった程度にしか出来ないけど」

 

 言われて、自分で書いた手紙の内容を思い出す。

 仮にも王に出すものだからと馬鹿丁寧に書いてしまい、魏に用事がある商人か誰かに届けてもらってと祭さんに預けてからしばらく、あれでよかったんだろうかと思い悩んでいた手紙だ。

 “他人行儀すぎる”とか“丁寧に書けばいいというものではないわ”とか思われてないだろうか。

 ……雪蓮が処罰についてを華琳に委ねたことを祭さんに聞いたのは、そのあとだったわけだけど。

 

「今、体を動かすのはお主にとっての毒にしかならん。体を動かすのではなく、その氣を思う様に扱えるために鍛えてやろう」

「ほんとに!? するする! どうすればいいんだっ!?」

「お……っと……」

 

 何はともあれ、鍛錬が出来る事実に体が疼く。

 俺はよっぽど嬉しそうな顔をしていたんだろう。祭さんは小さく吹き出すと、俺の背中をばしんっと叩いて笑ってみせた。

 

「さ、祭さん?」

「ふふっ……これは教え甲斐がありそうじゃ。お主くらいの孺子といえば、強くなりたがるくせに楽をしようとばかりする。教えてやると言えば表情を歪ませる者ばかり……お主のように真っ直ぐな喜びを向けられたことなど、ここしばらくあったかどうか」

「………?」

 

 祭さんは俺のそんな顔が嬉しかったのか、クックッと笑っている。

 そんな笑いをかみ殺すこともせず、笑顔のままで“うむ”と頷くと、「まずは氣を集中させてみろ」と言う。

 俺はそれに頷くと、自分に出来る精一杯───指先に氣を集中させてみせる。

 

「…………これだけか?」

「ん……ごめん。実は氣の扱い方を教えてもらったのって、つい最近なんだ。こうして体外に出せるようになったのも、刺される前日ってくらいだ」

「ふむ……なるほど。これは本当に教え甲斐がありそうじゃ」

 

 ニヤリと笑う祭さんを前にたじろぎそうになるが、教わることに不満はない。

 むしろ感謝しか湧いてこないのだから、そんな祭さんの目を真っ直ぐに見て「お願いします」と口にした。

 ……取り切れない不安が、心の隅に突き刺さったまま。




ああ、やっぱり今回もダメだったよ。
一日一話が出来たらいいなぁとか思ってましたが、編集中に力尽きました。


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07:呉/訪問者と罪②

 そうして始まるリハビリ&鍛錬。

 私室の中でなら動いて回っても構わないという言葉に感激し、一通り体を温めてから氣の鍛錬。

 

「よいか北郷。腹に力を込めるのではなく、腹の内側に氣を集める。意識を集中させることで氣を感じるのは基本中の基本。それが出来るようになったのであれば、意識せずとも出来て当然になれ」

 

 祭さんが言う“必要最低限の体力”はこの一年でつけてあり、さらにそこに御遣いの力が加わることで、俺なんかでも氣を扱える。

 教わる立場ならば全力で受け止め、必死に学ぶ努力を。氣を扱える状況に自分が立っているうちに教わり尽くさぬ手などないのだから。

 

「意識せずに氣を…………うん、やってみるよ」

 

 込めるのは力ではなく氣。

 しかもそれを意識せずにやってみろと言う。

 人間っていうのは不思議なもので、今まで自然とやってきていたことが、時には自分の邪魔をする。

 “腹に力を込めない”と思えば思うほど、勝手に腹筋は締まり、そのたびに祭さんに注意される。

 それでも“出来ないのだから仕方ない、自分には無理だ”なんて弱音は捨てる。

 むしろ強くなるための方法を教えてくれる人が居るのだ、学ばないでおくのはもったいない。

 

「あ、でも祭さん、ちょっと待って」

「うん? なんじゃ、まさかやめるなどとは言うまいな」

「言わない言わないっ、せっかく祭さんが教えてくれてるのに、そんなもったいないこと出来るもんかっ! そうじゃなくて、まずは氣の流れを掴むまでは意識するのを許してほしいんだ。凪にも言われたんだけど、俺の氣は少なくてさ。それを感じられるようになるまで、結構時間がかかる有様なんだ」

「ふむ、なるほど。その氣は楽進に教わったか。やつはなんと言っておった?」

「え、と……“氣が少ない内は無理に体外放出をせず、氣の扱いを当然のように出来ることを目指したほうがいいです”……だったかな」

 

 実に的を射ている。

 今の自分では、指先からの体外放出一発で気絶できそうな気さえするのだ、仕方ない。

 だから焦ることはせず教えてもらい、答えばかりを求めるのではなく、どうすればいいのかを自分の体と相談しながら知っていく。

 

「……ん、よし。“氣”は捉えたから、あとはこれを腹に───」

 

 ん……意識せず、意識せず~…………だめじゃん! 意識してるじゃん俺!

 い、いやそうやって逃げるな北郷一刀! 祭さんが“意識せず”と言ったなら意識せずにできるようになるんだ!

 意識せずに腹に! 丹田に送り込むように~……!!

 

……。

 

 …………。

 

「できませんごめんなさい……」

 

 15分がすぎた頃だろうか……祭さんを前に謝る俺が居た。

 様々な方法、様々な工夫を凝らしてやってみるも、全てが空回り。

 これなら出来る、これならやれると思うたびに結局は意識してしまい、意識せずに集めるなんてことは無理ですということばかりが心に刻まれた。

 

「まあ当然じゃな」

 

 だっていうのに祭さんは満足げに笑ってみせた。

 腰に手を当て、かんらかんらと。

 え? あ、あれ? 祭……さん?

 

「と、とと当然って……え? 俺に出来ないのが? それとも意識しないで氣を集中させるのが?」

「後者じゃ。そんなもの、咄嗟のことでもなければ出来るはずもなかろうに。しかし、お主の懸命さは見てとれた。それだけでもこの一刻、無駄ではなかろう」

「うあー……」

 

 もしかして試されてましたか。

 や、集中してやったお陰で、やる前よりはほんのちょっとだけ自分の“氣”を感じ取りやすくはなったけどさ。

 

「すぐに答えを求めず、己の頭で手段を探る姿勢は見事じゃ。答えばかりを求め、一を教えればニを教えろとせがむ者はどうも好きになれん。お主の体、お主の氣じゃ。お主が探ろうとせんで、誰が探れるものか」

「……ん」

「よし。では早速始めるとしよう。北郷、重心を下げず、肩幅に足を開いて立ってみせい」

「え? あ、ああ」

 

 言葉通りに“早速”だったことをやってみる。

 肩幅に足を開き、重心を落とすことなく立ち───祭さんを伺う。

 

「うむ。ではその状態で腹下に力を込め、他の余計な力は一切抜け」

「うぇっ!? け、結構難しいな……」

 

 腹ってやつはどうにも様々な部分と繋がっている。

 “腹だけに力を”と思ってみても、案外意識していない場所(たとえば首とか)に力が入ってしまったりする。

 それでも言われるままに腹下……丹田に力を込め、他を脱力させるべく息を吐いてゆく。

 

「氣の流れを知れば自ずと見えてくるものもあるじゃろうが、そここそ氣を練るための部位よ。お主に足りぬのはその部位の鍛錬と受け皿の大きさじゃな」

「受け皿? ……あ、氣が流れる場所のこと?」

「おう。いくら氣を練ろうとも、氣を流すべき道が小さいのであれば流れはせん。ほれ、酒の川があったとして、滝のように酒が流れようともそれを飲む喉は小さきものじゃろう? 飲める量は限られる……それと同じよ」

「………」

 

 なるほどって頷いてやれないのは、例えが酒だからだろうか。

 

「じゃあ、そこを鍛えていくのが……」

「うむ。とりあえずの目的じゃな」

 

 なるほど、目指す場所があるならやりやすい。

 凪の言う通り、それは一朝一夕で出来ることじゃないんだろうけど、だったらたっぷりと時間をかけてでも鍛えていこう。

 教えてくれる人が居るなら、その速度も捨てたものじゃないはずだ。

 

「あ、それはそうと祭さん? 外に───」

「それはだめじゃ」

 

 やっぱりダメでした。

 ああ……親父たちどうしてるかなぁ……心配だなぁ……。

 今すぐ外に飛び出して、出来ることなら手伝いたいのに……ああ、うずうずするっ……!

 

「………」

 

 い、いやー、落ち着け~北郷一刀~。

 こういう時は落ち着かないとだめだ。些細なことで慌てるところが目に付くって、冥琳に言われたじゃないか。

 COOLだ、COOLになるんだ。

 まずは言われた通りのことをやっていこう。

 手探りじゃなきゃ出来ないことを教えてくれる人が居るんだ、教わって知ろうとすることは恥ずかしいことじゃない。

 むしろ好機なのだと、全てを受け入れていく!

 

「んっ」

 

 ぱちんっと頬を叩いて気合い一発っ!

 ぐっと体に力を込めて───いやいやいや……! 力は丹田以外に込めないんだってば。

 “なにやってんだか”と頬をカリ……と掻く中、祭さんは俺の戸惑いを見透かすようにくっくっと笑っていた。

 ……少し恥ずかしかったけど、怒られないだけマシかな、うん。

 

……。

 

 ……なんて思ってた時期が、ついさっきまで確かにありました。

 

「むう……そうではなくてじゃな……」

「え? こ、こう?」

「ええい、違うと言っておろうが!」

 

 怒られました。はいバッチリ。

 

「もう一度じゃ! 丹田に力を込め、氣を集束させるところから!」

「はいぃっ!」

 

 迫力に負けて、すっかり敬語です。

 どうにもこう、氣の集束の仕方に問題があるらしく……開始からすでに相当経っている今も、合格点がもらえないでいた。

 

「氣を集束させてから、それを膨らます感覚で……」

「そう……そうじゃ。散らすなよ……破裂する寸前で氣を保ち、絶対量を強引に広げてゆけい」

 

 荒療治って言葉をこの人は知っているんだろうか。

 療治って言葉はそりゃあ適切じゃないけど、無理矢理広げて大丈夫なのか、俺の“受け皿”って。

 ちまちましたことが嫌いだろうなぁとは思っていたけど、人の氣のことでもそれを実践させるとは思ってもみなかった。

 

「っ……祭、さん……! これっ……やっぱりキツ……ッ……く、お……!」

「耐えてみせい。その状態で耐えていれば、次いで練られる氣が膨れた氣の中に溜まり、絶対量は確実に広がるわ。……まあ、若干の苦痛を伴うがの」

「えぇっ!?」

 

 若干!? 祭さんの若干とかってすごく痛そうなんですけど!?

 あっ……あ、アアーッ! なんかきた! ミシッてきた! 丹田が……腹下あたりがミキミキって……! 物理的に痛いっていうんじゃなくて、こう……神経そのものが殴られてるみたいな───いぁああだだだうぁだだだだぁあああーっ!?

 

「っ……~……ひ、ひっぐ……ぐぅううぁああ…………!!」

 

 それでも膨らませた氣のイメージを捨てない自分は、もういっそ馬鹿って言われても否定出来ない馬鹿だろう。

 口から漏れる息に勝手に混ざる嗚咽を堪えることができないくらいに痛い。

 腹を刺されたときもこんな感じだっただろうか……思い出すと傷口に響くような気分になるので、出来るだけ思い出さないようにする。

 今は……とにかく……!

 

「くっ……う、ぐあっ……つぅっ……! あぁあ……がぁあっ……!!」

 

 涙を流しながらでも情けない声を漏らしながらでも、言われた通りのことを続けてみせる。

 汗がぼたぼたと床を濡らし、丹田に力を込め続けている所為で苦しくなっても……それでも。

 やり方がわからないのなら言われるがままを行って、そこから覚えるしかないのだ。

 反発するだけなら誰にでも出来る。

 必要なのは、言われたことをやってみせて───そこから学んだことで、言われなくても出来る自分を作り上げること。

 だから今は“言われたことを馬鹿正直にやる自分”であればいい。

 力を込め続けろ。風船のように膨らんだ氣の空洞にさらに氣を作り上げ、氣の絶対量を増やす。

 この全身の痛みは受け皿が広がっている結果なのだと受け入れろ。

 いつまでも弱いままで立ち止まっていることなんて、もう嫌だ……! 嫌なら、耐えて……っ……みせろぉおお……!

 

「っ……───、……あ───」

 

 ばづん、と。内側からヘンな音が鳴った途端、痛みも熱っぽさも消え失せた。

 首を傾げたいけど感覚もなくなっているためか、首も動かない。

 視線を動かすこともできず、丹田に力を込めて直立したままの俺自身が、そんな自分を客観的に見ているような気分。

 

(えっと……なんだこれ)

 

 体と感覚がばらばらに行動してるみたいになってる……例えるならそういった感じだろうか。

 ちゃんと“俺”としてのものを見ているんだけど、視覚以外の全てが機能してくれない。

 ……え? いや、ほんとちょっと待て、なんだこれ。

 痛くないのはありがたいけど、このまま体が固まってるのってまずくないか?

 ほ、ほら、祭さんも慌てた調子で俺を揺さぶってるし……返事したいんだけど口も体も動かない。

 

(………)

 

 こんな状態でも絶対量って増えるのかな。

 だったらちょっと得した気分に……───ハッ!?

 そ、そういえば聞いたことがある……! 人はあまりに辛く苦しい状況に陥り、体が苦痛に耐えかねたその時……エンドルフィンとかいうのを分泌し、苦痛から逃れるのだと!

 

(……………………いや、それないわ)

 

 痛みだけを飛ばしてくれるなら、体が動かないなんてことがあるはずがない。

 それともこの体にはすでに痛覚だけしかなく、それが原因でエンドルフィンパワーでも動かすことさえ出来ない状態だとでも…………いうのだろうか。

 

(あぁ……でも……)

 

 でも……なんだろ、飛ばされた感覚っていうのか、今の俺自身がぽかぽかと暖かくなってきたような……。

 それも、なんだかお空に向けてフワ~ッと浮いて行く感じで───

 あれ? なんだろうか……天井だったものが青空に変わって見えて、その先から差し込む光と一緒に小さな天使たちが僕を迎えに、ってオワァアアッ!?

 

「生きてるからァアア!! 俺まだ死んでないかっ……いぁあっがぁあああああああああああっ!!」

 

 叫ぶとともに感覚が体とひとつになった! ……途端に襲う大激痛!!

 いッ……! な、なんだこれ! もう感覚云々じゃなく痛みしかない! 全身が痛覚にでもなったみたいに、多少の空気の動きでも痛い!!

 傷ッ……傷口が開くよりもよっぽど痛い……! な、なるほど……! そりゃ、こんな痛みが急に襲ってきたら、感覚を手放して死にたくもなる……!

 

「北郷! 北郷!? 聞こえておるなら今すぐ集中をやめい! 死ぬぞ!」

「っ……あ、祭さ───」

 

 脂汗にまみれた全身。その両肩をしっかりと掴まれ、面と向かって喝を入れられた瞬間───俺の中にあった氣はゆっくりとしぼんでいった。

 

「は……あ、がぁああ……っ……」

 

 途端に力が緩み、その場に尻餅をつくと同時に深い深い息を吐いた。

 自分の汗で濡れていた床は俺をびしゃりと迎えると、そのまま吸いついたみたいに俺を離してはくれなかった。

 ……違うか、もう立つ気力も残ってないんだ。

 だったらいっそのこと大の字に倒れたいのに、倒れる力さえ残っていない。

 尻餅をついて上半身をくたりと前に倒し、立てかけられた熊の人形のように動けないでいた。

 

「北郷!? 北郷!」

「~……、……」

 

 あー……言葉を返したいんだけど、息しか漏れない。

 もうどこも動いてくれない……困った。

 とりあえずあのー……祭さん? 寝かせてくれると大変ありがたいんですが~……あ、だめ……意識が遠退く。

 ごめん祭さん……今の俺にはこれで限界みたいで……あ───

 

 

 

22/訪問者と罪

 

 意識が覚醒する。

 体はもう十分に休みましたよって言ってみるみたいに元気……なはずなんだが、少しだるい気がする。

 体を起こしてみると、ほんのちょっとだけ体に重りをつけられたみたいに重い体。

 あれ? 眠る前にはなにをしてたっけ……なんて考えながら上半身だけを起こし終えると、体が重かった理由が寝床に転がっていた。

 

「……あ、あ、ぁあ゛……かはっ……ん、んー……うん。……あのー、孫尚香さん? 人の寝床でなにをしてらっしゃってるんでしょうかー……?」

 

 人の上ですいよすいよと寝ていたらしく、むしろ今も規則正しい寝息を吐いている彼女に……喉になにかがへばりついているような不快感を吐き出しつつ、語りかける。

 しかし返事がない。熟睡しているようだ。

 

「…………ふむ」

 

 なんだろうこの状況。

 俺、どうしたんだっけ? たしか……そう、刺されて騒いで傷口開いて、祭さんとか呂蒙とか周泰が交代で看病してくれて、時々来る雪蓮が騒ぐたびに冥琳に連れていかれて───……あれ?

 いや待て、本当にどう……ってそうだそうそう! 祭さんに氣の使い方を教わってて、それで、それで……うわぁ。

 

「それで気絶した、と……」

 

 強く……なりたいなぁ……と、しみじみと思う瞬間がここにありました。

 

「っと……」

 

 それはそれとして、体に異常はないかを確かめる。

 動かない場所は……ないな。痛みももう残ってないし、むしろ意識がすっきりしてくると、気絶する前よりも体が軽い気さえする。気がするだけで、起きた時と同様に、頭に圧し掛かるような奇妙な重さはある。風邪を引いた時の頭重に似ているアレだ。

 あ、でも刺された部分も不思議と傷まない……あれ?

 

「……、……あれ?」

 

 気絶する前のものとは何故か違う服をはだけて、刺された箇所を見てみると……痛みが無いはずだ、傷口は随分と塞がっていた。

 なるほどー、傷口が少ないなら痛まないよなー、ってなんで!?

 

「塞がってきてる!? なんだこれどうなってるんだ!?」

 

 刺されたのつい最近だよな!? こう、サクリと!

 それが……それが今じゃこんな鍵穴程度に……!? あ、でも痛い! 地味に痛い!

 じゃなくて今日はあれから何日たった今なんだ!? なにが! いったいどうなって───ハッ!

 

「……しー……」

 

 寝てる子の前で騒ぐなんていけません。静かに、静かに。

 どうやって塞がったのかは今は保留だ……誰かに訊けばわかるさきっと。そうだ、祭さんを見つけて訊いてみよう。

 うんと頷くと、孫尚香の頭をやさしく撫でてから起き上がる。

 体の上に居た彼女が目覚めないように、極力ゆっくりやさしく丁寧に…………よし。

 

……。

 

 で、制服に着替えて、書置きもしっかりした上で黒檀木刀を片手に部屋を出て。で、適当に歩いてみているわけだが───

 

(静かだなぁ……鳥のさえずりがよく聞こえる)

 

 朝の空気だとわかるそれを胸一杯に吸いこんで、すたすたと歩く。

 しかしその中で、兵には会うものの……将の一人とも会わないのはどういったことだろう。

 そりゃ孫尚香とは目覚めから会えたわけだけどさ、眠ってる彼女がこの静けさの理由を語ってくれるわけもない。ていうか自然に部屋を出ちゃったけど、出て大丈夫だったんだろうか。厠に行く以外はダメだって言われてたのに。

 

(なにか大事な用があって、全員が一箇所に集まってるとか?)

 

 それともみんなで街に繰り出してるからこんなに静かとか……いや、そんな楽しい状況を孫尚香が逃すはずが無い。

 じゃあ……前者? 大事な用っていったら玉座の間だろうか───行ってみよう。

 もしかしたら甘寧のことについて、魏から報せがきたのかもしれない。

 胸にざわめきを抱きつつ、俺は静けさにそぐわない急ぎ足で玉座の間を目指した。

 

───……。

 

 結論から言ってみると、場所という意味での予想は正解のようだった。

 雪蓮たちは玉座の間に集まっているようで、その玉座の間の前に立っていた兵に訊ねてみたところ、なんでも蜀から諸葛亮と鳳統が訪ねてきたらしく、それを迎え、話し合うために席を設けたんだとか。

 じゃあ中は“遠路はるばる、ようこそ”って雰囲気なんだろうか。

 

(……甘寧のことじゃなかったのか……うん、邪魔しちゃ悪いな、移動しよう)

 

 俺は兵士さんに礼を言って会話を終わらせると、歩き出す。

 全部受け入れるって決めたのに、ざわめきを隠せない心に負けそうになりながら。

 そんな中、途中で見かけた周々と善々に軽く手を振って……少し深呼吸をしてみた。

 

「………………いい天気」

 

 通路の端から仰いだ空に、すっきりとしない気分のままに呟く。

 すぐに結論が欲しい、でも怖い。先延ばしにしてほしい、でも怖い。

 どっちに転んでも怖いばかりで、そんなどうしようもない気分を払拭するように頭を振ると、街へ向けて歩き出した。



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07:呉/訪問者と罪③

 さて。

 奇跡的に傷が塞がり……といってもある程度だけど、ともかく塞がり、歩けるようになると、人というのは欲望に左右されるわけだ。

 たとえばほら、街に行きたいとか。

 親父に会いたいとか。

 そうなるとうずうずしてしまい、しかしやっぱり無断にはまずいよなと自室へ戻る。

 ただ宛がわれただけの部屋だから、自室って言っていいかは微妙なところだが。

 

「………」

 

 そこでは先ほどと同じ格好で眠る孫尚香の姿。

 ……一応、王の妹様の許可を得られれば、外出とかも許されるのではないでしょうか。

 なんて考えてしまう自分は、もうほんとただの阿呆なんだろう。

 勝手な行動で迷惑をかけておいて、それでもこんな行動を取りたがる。

 許可を得ようとするだけマシだ、なんてのは理由にはならないんだろうが───うん。

 

「孫尚香、孫尚香~?」

 

 訊くだけ訊いてみよう。だめなら諦める。

 そう決めて、俺は孫尚香に声をかけた。

 

……。

 

 結論。許可降りた。あっさり。

 なんかむにゃむにゃしてたけど、許されたよ。許した途端、すぐ寝ちゃったけど。

 え、えーと……いいんだよね? もう街に来ちゃってるけど、よかったんだよね?

 寝ぼけてたからそれは無しとか勘弁してくださいね?

 

「………」

 

 そんなわけで降りてきて歩く街は、以前より賑やかに見えた。

 活気付き、道をゆく民たちにも笑顔が絶えない。

 憑き物が落ちたみたいにすっきりした顔で、和気藹々と“日常の賑やかさ”を見せてくれていた。

 そんな賑やかさに、少しだけ心が救われる。

 

「……弱いなぁ、俺……」

 

 小さく呟くと、足は勝手に親父の居る料理屋へと向かった。

 ……いや、向かっていたんだが、ずんと目の前に割り込んできた姿によって足は止まった。

 目の前には………、……誰?

 

「その服……あんた、御遣いさんかい?」

 

 少し太り気味のおばさまが、俺をじろじろと見ながら笑顔で言う。

 笑顔には笑顔を。俺の不安を押し付ける必要なんてないから、笑顔で迎えた。

 そうして話が始まるうちに、自然な笑顔になっていってる俺は、どこの主婦……もとい、主夫なんだろうか。

 ご近所付き合いに敏感な奥様のように気軽に会話に乗り、気づけば満開の会話の花。

 

「そうそう、うちの人が貴方を殴ったとか言ってねぇ、後悔してたみたいで……」

「いえいいんです、俺も随分殴っちゃいましたし。それに殴りあった分、本気の会話が出来たと思いましたから」

「ああ、そうだねぇ……雪蓮ちゃんと話をするまで“俺は悪くねぇ”の一点張りだったあの人が、話し終えた途端によ? あの御遣いってやつにゃあ悪いことしたなぁ……なんて言うのよぉ~」

「そうなんですか、あっはっはっはっは」

「おっほっほっほっほ」

 

 あの……それって俺、直接的には関係なくないですか?

 なんて疑問を抱きつつも、こうやって構えもせずに話し掛けてくれることを嬉しく思っている自分が居た。

 

「……それに、うちの子のために泣いてくれたんでしょう? ありがとうねぇ、御遣いさん。貴方だって国の仲間を殺された辛さはあるでしょうに……」

「……いえ。かえって自分の意見ばっかり押し付けたみたいで」

「いいのよ、あの人にとっても私にとっても、いいきっかけになったと思うわ。忘れることなんて当然出来ないけど、あの子が目指したこの今を……私も笑顔で過ごしたいって思うから。それに気づかせてくれた分だけでも、私はいくらでも貴方に感謝したいの」

「おばさん……」

「あら。料理屋の旦那は親父で、私はおばさんなのかい? ほら、もっとあるだろう? 親しみやすい言葉がさ」

「え? あ、あの…………その。お……」

「お?」

「お……ふくろ」

「───、……」

 

 少しだけあった抵抗。

 本当なら、甘寧に“俺の親父達だ”って言った時点で、この街の人たちを家族と思おうと決めていた。

 しかし傷口が開いて部屋に閉じ込められたり、氣の鍛錬で気絶したりといろいろあって時間が空いてしまって、まあそのー……機会を逃したと言いますか、言いづらくなってたのに。

 目の前の女性はそんな俺のおそるおそるとした言葉を、目を閉じてゆっくりと息を吸うようにして受け止めていく。

 

「……ああ、いい響きだねぇ……。御遣いさん、あんたの名前は?」

「え、あ、“あんた”って……いやいいんだけど……───ん……一刀。北郷一刀だ」

「そうかい……いい名前だねぇ。それじゃあこれからは一刀って呼ばせてもらうからね」

「え───と……?」

 

 な、なに? 何事? どんどんと話が進んでいって、なにもわかってない所為か状況についていけないんだが……?

 望んでいたことがころころと叶っていくような気分だ。

 しかも目の前の女性……おふくろとの話が終わるや、他の民までもが俺を囲み、「俺のことは父上と呼べ」と「母上と呼びなさい」とか、子供に「おまえはおれのおとうとだー!」と言われたり、もうなにがなんだか。

 

「ちょ、ちょっと待った! いったいなんなんだ? みんなして親とか弟だとかって」

「な~に言ってやがる、俺達のことを親って言い出したのはお前だろうが」

「へ? お、親父!?」

 

 他の人よりは多少は聞き慣れた声に振り向けば、頭に捻り鉢巻を巻いたおっさん。もとい親父。

 

「親父、店は?」

「お前が来ないから、連日ひーひー言いながらやってるよ。お前こそあれだ、その……よ。傷はもういいのか?」

 

 バツが悪そうに鼻先を掻きながら言う親父。

 そんな彼に頷き、もう平気だって言ってみせると、彼は安心したのか大きな溜め息を吐いたあとに笑顔を見せる。

 

「それで親父、これは……」

「おっと、そうだったな。よーするにあれだ、みんなお前にゃ感謝してるってこった」

「感謝?」

「おうよ。なにせ、カラ元気じゃなくて普通に笑って今を過ごせてるんだからな。前向きにさせたことへのありがたさだけでも感謝してえし、なによりよ……城の将たちがよく話を聞いてくれるようになったんだよ。以前までは恐れ多くて声をかけるのも怖かったんだがなぁ、今じゃ向こうから声をかけてきてくださる」

「へえ……」

 

 雪蓮はわかるけど、他の人たちがっていうのはちょっと想像がつかなかった。

 特に……言っちゃなんだけど、甘寧とかは。……マテ、甘寧?

 

「それってその……甘寧とかも……なのか?」

『───』

 

 あれ? なんか……甘寧の名前を出した途端、民の笑顔が凍りついたのですが……?

 

「い、いやぁ……それがよ? 甘将軍はよ、こう……仲謀様と一緒の時にしか見かけず、声をかけようにもよ……みょ~に警戒しててよぉ?」

「そうなのよぉ、一度服屋の旦那が声をかけたんだけどね? “───私に話しかけるな”って、鋭い睨みとともに言うもんだから、服屋さん腰抜かしちゃってねぇ」

「うーわー……」

 

 それは無理だ。

 俺でも怖いよそれ。

 

「え……じゃあ孫権は?」

「声をかけようとはするんだがなぁ……」

「甘将軍がなぁ……おやっさんがおめぇを刺したことが気になってんのか、仲謀様に声をかけることさえ許してくれねぇんだ。こう、孫権様の後ろから目を光らせてるっていうのか?」

「孫権の後ろから……?」

 

 孫権の後ろに常に存在し、話し掛けようとする者全てを鋭い眼光で射抜く赤き幻影……怖ッ! 怖いよそれ! 守護霊も走って逃げ出すよそんなの! 守護霊の立場ないじゃん! 居ればの話だけど!

 

「ただ……最近見なくなったねえ」

「そうなんだよな。歩いているのは仲謀様だけだ」

「……? それってどういう……?」

「いや、俺達のほうが訊きてぇくれぇなんだけどよ」

 

 わからない、か……あとで誰かに訊いてみよう。

 

「他の人たちはどうなんだ? 冥琳とか祭さん……あ、えと、周瑜とか黄蓋さんとか、陸遜とか呂蒙とか周泰とか」

「公瑾様は以前から雪蓮ちゃんに引っ張ってこられてたから、そう構えることはねぇやなぁ」

「だなぁ」

 

 冥琳……苦労してたんだなぁ……。

 あの雪蓮に引っ張り回されるって、想像しただけでも疲れそうだし。

 

「伯言様や子明様や幼平様もよくお声をかけてくださる」

「そうそう、子明様の目は最初は怖いと感じたがなぁ」

「目が悪いんじゃあ仕方ないもんなぁ」

 

 民たちの間で、はっはっはと笑いが起こる。

 ……よかった、あれから呉のみんなも積極的に民と繋がりを持とうとしてくれてたのか。

 うん……民だけが、将だけが手を伸ばしても作り出せない明日がある。

 こうして民と将が手を繋ぎ合っていけば、もっともっとこの国も賑やかになるだろう。

 そのきっかけになれたなら、刺されたことだって無駄じゃない。

 

(けど…………まあ)

 

 甘寧のこと、なんとかしないと。

 このまま孫権と甘寧とが民の間でよく思われない時間が続いたら、手を伸ばしたくても伸ばせなくなってしまう。

 人と人との仲良くなるタイミングって、結構難しいしな……この時代だと特にだ。

 こうしてみんなが“繋がりを持とう”としている今こそがチャンスなのに、何故睨むのですか甘寧さん。

 それは……やっぱり、自分のしたことは死罪だって確信して、繋がりを持つだけ無駄だって思ってるから……なのか?

 

「あ、ところで一刀は知ってるかい? 今日、蜀から客人が来たんだよ。なんでもすごい人らしくてねぇ」

「そうなのか? おいらが聞いた話じゃ、可愛らしい子供だったらしいが」

「違うぜおめぇら、その方々はなんでも蜀の軍師様らしくてな、大変高名な方々なんだとよ」

「へぇえええ……たいへんなお方がいらっしゃったのねぇ……」

「お、おー……一刀? 俺達ゃなんにもしねぇほうがいいんだろうか」

「それとも食材掻き集めて、こう……なぁ?」

 

 民たちがそわそわとし始める。

 うん、それはそれとして俺が何を言うまでもなく、すっかり一刀って呼ばれているのが不思議だ。

 

(嬉しいからいいか)

 

 気にしないことにした。今はそれよりもだ。 

 

「歓迎するならモノで迎えるよりも、気持ちと言葉で迎えよう。滞在するのかもわからないけど、ここは通ると思うし。下手にモノで迎えると、相手も畏まっちゃうかもしれないからさ」

「そうか? んじゃあ誠心誠意、迎えてやるかいっ」

「次通るのが帰り道だったらどうするんだい? 帰る人を迎えるのかい?」

「う……んじゃあ送り出せってか?」

「まあまあ」

 

 難しい顔で話し合う親父とお袋をなだめて思考を回転させる。

 出た結論は……“なってみなけりゃわからない”だった。

 

「ん……滞在するのかもわからないし、帰るならそれらしい素振りも見せるよ。だから今はそんなに気にする事ないんじゃないかな」

「お……そっか、そうだよな。んじゃあ……っとと、そろそろ俺も戻らねぇと」

「そっか。じゃあ俺も一緒に。あ、お袋たちもあんまり考えすぎないで、自然の笑顔で迎えてあげればいいと思うから」

「そうかい?」

「お~っし笑顔なら任せとけっ」

「お前、笑顔を任せるって顔かぁ?」

「るせっ! ほっとけってんだ!」

「だっはっはっはっは!」

 

 また湧き起こる笑いに俺も笑いながら、親父と一緒に料理屋へ。

 そこはあの日以来賑わっているようで、卓の空きもない状態だった。

 こんな状況でよく話に混ざる気になれたな、親父よ……。

 

「おぉっ? 一刀! 一刀じゃねぇか!」

「傷はもういいのかー!?」

 

 で……俺の姿を見るや、あの日殴り合った人たちや、食べに来ていた客までもが俺を一刀と呼ぶ始末。

 俺はこんな状況にどういった態度で向かい合うべきなんだ?

 

「ああっ、親父達も元気そうでなによりだっ」

 

 考えるまでもないよな。

 諍いはあの時点で……みんなが無言でだろうがこの店に足を運んだ時点で終わったのだ。全てが許せるようになるにはまだまだ時間がかかるだろうが、今は精一杯努力してわかり合うべき時だ。

 だから俺は作り笑顔なんかじゃない素直な笑みで親父達にそう返すと、店の手伝いを開始する。なにか忘れているような……こう、すっきりしない気持ちを抱きながら。

 

……。

 

 と、そんなわけで仕事をしてどれくらい経った頃だろう。

 “朝早くから店を開けて大変だなー”なんてしみじみと思っていた俺に、突然の来客現る。

 

「いらっしゃ───あれ? 冥琳?」

 

 周公瑾殿である。

 何故か少し口の端をヒクつかせ、苛立った様子で店に入ってきた。

 俺は丁度開いた卓の膳を下げ、綺麗に拭いてから冥琳を促すのだが。

 

「お前は……。ここでいったいなにをしている」

 

 座った途端にそんなことを仰られた。

 

「なにって……仕事だぞ? いやぁ、楽しいよなぁ。俺が作ってるわけじゃないけどさ、自分が運んでいったものを食べてさ……誰かが美味しいって笑ってくれるのって、なんかこう……嬉しいよなぁ」

「そうではないだろう。北郷、傷はどうした」

「傷? あ、あー……忘れてた。や、不思議なんだけどさ、祭さんとの鍛錬で気絶してから、目が覚めると傷が随分塞がっててさ。もう殴ったりでもしないと痛まないくらいなんだ」

 

 そっかそっか、俺……軟禁状態だったんだっけ?

 孫尚香に許可を得て、街に出て親父たちと会ってからはそんなことも忘れてしまっていた。なにか忘れてるって思ったんだよ、そっかこれか。

 孫尚香が寝ぼけてて、許可のことを覚えてない可能性とかが引っかかってたんだ。

 

「そんなわけで親父の手伝いに来た」

「小蓮様が監視についていたはずだが?」

「孫尚香? 寝てたぞ、気持ちよさそうに。…………え? 孫尚香って監視役だったのか? 一応、孫尚香から外出の許可は貰ったんだけど……もしかして寝ぼけてたか?」

「~……あのお方は……」

 

 来て早々に頭が痛そうだった。

 うん、がんばれ冥琳。

 

「さてお客様。ここは料理屋ですので、注文をいただければと。こちら、採譜になります」

「………」

 

 差し出した採譜を無言で受け取る冥琳。

 ざっと目を通し、注文したのは……青椒肉絲と白飯。量は控えめで、とのこと。

 俺は採譜とともに注文を受け取り、親父に注文を通すと、再び冥琳の卓の傍へ。

 

「あのさ、諸葛亮と鳳統が来てるんだって?」

「ああ。北郷、お前に話があるらしい」

「俺に? なんで───ってそっか、学校のことでか」

「そうだ。だというのに客人を通してみれば、もぬけのからの部屋。城中探し回っても見つからず、兵に訊いてみれば好き勝手に歩き回り、街へと向かったというではないか」

「あー、そのぉ……まずかった……よな?」

「当たり前だっ!」

「うおっと!?」

 

 おっ……怒られた! そりゃそうだごめんなさい!

 それでも孫尚香には許可をもらったんだぞ!? 何度も何度も“本当にいい? 絶対? 怒られない?”って! そしたら“んもー! うるさーい!”って怒られたから!

 

「祭殿の話では、お前は氣の暴走で死にかけだったというのだ。三日三晩眠り続け、そんなお前に客人が来て。通してみれば部屋にはおらず、笑いながら料理屋で仕事……客観的に聞いた今、お前ならばどう思う」

「………」

 

 話だけ聞くと、そりゃあ心配にもなるな。

 そっか、死にかけだったのか俺。そんな俺が笑顔で仕事の手伝いをテキパキやってるのを見れば、口の端もヒクつくってもんだ。

 

「……ありがとう。心配してくれたんだよな」

「感謝の言葉を口にするよりも城に戻れ。今頃、小蓮様がお前を探し走り回っているだろう」

「うぐっ……」

 

 監視としては寝てしまうのは失敗だっただろう。

 起きてみれば俺は居なくて、任された自分だけがすいよすいよと寝床で寝てる。

 ……うん、気まずいよなぁ相当に。寝ぼけたままの許可とかも忘れていたら、さらに気まずい。覚えてても気まずい。つまり気まずい。

 

「親父ー! ごめん! 用事が出来たから戻るなー!」

 

 叫ぶと、「おー!」という声が返ってくる。それに頷くと、冥琳にもひと声かけてから走り出そうとして───

 

「……そういえばさ、冥琳が青椒肉絲って、ちょっと意外だったかも」

「ああ、なに。幼い日に口にする機会があっただけのことさ。今ではすっかり食べられなくなってしまってな。だから時折、こうして口にしたくなるのだ」

「…………?」

 

 よくわからないことを言われた気がした。

 意味を探ってみても答えは見つからず───結局、城へと急く気持ちに負けて、軽く挨拶をすると走り出した。

 

……。

 

 で、だ。

 

「あのー……なんでまた、俺は正座させられてるんでしょうか……」

「知らん、己の胸に問うてみるがよいわ」

 

 城に辿り着くや祭さんに捕まり、引きずられて辿り着くは自室の床。

 すちゃりと座らされた俺の前には祭さんが居て、その後ろには諸葛亮と鳳統が立っていた。

 

「胸に……、……無実を主張してるけど」

「ならばそんな胸など捨ててしまえ」

「死ぬよ!?」

 

 胸に訪ねてみても無罪を主張。そんな言葉もあっさり斬り捨てられた。が、今はこんなことをやってる場合じゃないよな。

 

「祭さん、正座をさせるよりもさ、そっちの二人が俺に用があるってことが重要なんじゃないかなぁ……」

「そもそもお主が脱走なぞ企てるからこんなことになったんじゃろう」

「脱走じゃなくて街に出てただけだって! 企ててることなんてなんにもないから! そもそも孫尚香の許可だって取ったし! 結局大絶賛寝ぼけてて許可のことも覚えてなかったけどさ! とにかく印象悪くするようなこと言わないでくれよ祭さん!」

 

 言いながら、ちらりと二人を見る。

 ……まるで他人の家に来たウサギのようにカタカタ震えている。

 いや、適材適所だと思うよ? 諸葛孔明と鳳士元って言えば、三国志を代表する軍師じゃないか。

 そんな二人が俺を訪ねてきただなんて、普通なら恐れ多いくらいなのに───どうしてこう、感激ではなく保護欲のようなものに駆られるんだろうなぁ……。

 

「二人とも、学校のことについて訊きに来たんだよね?」

「は、はい……はわわ……」

「そ、そうです……あわわ……」

「………」

「話になるのかの」

 

 言って、胸の下で腕を組んで、半眼のままフスーと鼻で溜め息を吐きながらのへの字口。はい祭さん、あまりハッキリ言わない。

 けど、こうしてはっきりと鳳統と顔合わせするのは赤壁以来になるのかな。

 あの時のほうがまだハキハキと喋っていた気がするんだが。

 あれか、軍師モードと通常モードがあるとかそんなのか?

 一度スイッチが切り替われば、目をキリっとさせて次から次へと勝利への道を論じてみせるとか……?

 

「……? ……?」

 

 いや……見つめてたら、物凄くビクビクしだしたのですが?

 こんな子が軍師で大丈夫なのかと言いたくなったが───

 

「………」

 

 うん。頼りないのは自分だって同じだし、彼女も帽子で顔を小さく隠してはいても、その目だけはずっと俺の目を見ていた。

 一方的な認識を押し付けるのは失礼だよな。

 

「ひとまず自己紹介からかな。俺は北郷一刀。よろしく、孔明さん、士元さん」

「はわぁ!? しょしょしょ……じゃなくって、姓が諸葛、名を亮で……えとえと……!」

「あわわぁあ……! お、おおおお落ち着いて朱里ちゃん……!」

「…………北郷。ほんに話になるのか?」

「聞かないでくださいお願いします」

 

 うーん……この二人もこんなにガチガチになることないのに。

 なにかリラックスさせる方法とかないかな…………あ、そうだ。

 

「二人とも、こんな話があるんだけど、聞いてくれるか?」

「ぇ……?」

「ぅ……?」

 

 困惑の声すらがか細い声で、聞き取るのもひと苦労である。

 そんな彼女の緊張をほぐすべく、俺は口を開いて───“桃太郎”をゆっくりと話して聞かせた。



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07:呉/訪問者と罪④

 シーン1、桃太郎……誕生。

 

「はわわ!? 天の国では桃から子供が産まれるんですかっ!?」

「……ごくり……」

「なるほどのぉ……天の国天の国と聞いておったが、よもや誕生の仕方までもが違うとは」

「違うよ!? 一緒だって!」

 

……。

 

 シーン2、桃太郎……犬、猿、キジと出会う。

 

「て、天の国では動物が喋るんですかっ!?」

「す……すごいね、朱里ちゃん……」

 

……。

 

 シーン3、桃太郎……鬼と激闘。

 

「なんと……兵も連れず、動物を共に鬼と戦ったというのか。見事じゃのお」

「はわわわわわわ…………!!」

「あわわわわわわ…………!!」

「……ところで北郷? 二人とも、鬼が怖すぎて聞く耳を持っておらぬが」

「あれ!? なんで!?」

「お主が鬼の特徴ばかりを事細かに説くからだろうに……」

 

……。

 

 ラストシーン、桃太郎……帰還する。

 

「はわ……!?」

「え、え……えぇ……? 手に入れた財宝……民に返さないん……ですか…………?」

「民が救われん物語じゃの……それでよいのかこの話は」

「うん……今考えてみると、結構ひどいよな、桃太郎……」

 

……。

 

 昔話終了。

 一息をつくと同時に諸葛亮と鳳統は今の話について話し合い、祭さんは納得がいかない風情で腕を組んで唸っていた。

 

「どうだったかな、俺の国に伝わるお話なんだけど」

「はわ……桃太郎が急に鬼を退治する理由が掴めません……」

「村から宝を盗むから悪い鬼だったはずなのに、それを返さないのなら……その……鬼と変わらない気がします……」

「ふむ。きっと酒が欲しかったんじゃな」

「それだけは絶対に違うと思うよ祭さん……」

 

 苦笑混じりに返しながら、“春蘭も似たようなこと言いそうだな”と思わず頬を緩ませる。

 続けて言う言葉に、二人がどういった反応を見せてくれるのかが楽しみだ。

 

「……じゃあ、自己紹介を再開しようか」

「え? ……あ」

「あわ……」

「……ほう、なるほどのぅ」

 

 いい具合に緊張がほぐれてくれたらしい二人は、俺を見て少しの驚きを見せた。

 けど祭さんはニヤリと笑って二人の背中を押し、押された二人は俺の前にたたらを踏みながら来て、体勢を立て直して俺のことを見上げた途端に、またはわあわ言い出して……どうしたものか。

 

「え……っと……あ、あー……改めてー……北郷一刀だ。よろしく」

 

 それでも自己紹介をしてみるが、

 

「はわっ……」

「あわっ……」

 

 差し出した手に怯える二人の完成である。

 思わず祭さんを見て、「祭さぁあん……」と恨みがましく呟いてしまう。

 

「な……なんじゃ、儂が悪いとでも言うのか?」

「や、背中を押すことは大事だったかもしれないけど、勢いがありすぎたんじゃないかなぁと」

「むう……」

 

 さもありなん───まったくその通りであると頷く。のだが、何故か手を握ってもらえない俺に追い討ちをかけるかのごとく、二人は祭さんの後ろへと隠れてしまった。

 え? あれ? どうして!? ……俺? これ、俺が悪いの?

 

「あの……祭さん、俺……泣いていい?」

「これしきで泣くでないわ」

「うう……」

 

 ただでさえ不安を抱えているのに、こんなふうに怯えられたんじゃ泣きたくもなる。

 不安……そうだ、不安っ!

 

「───祭さん。その……甘寧のこと、報せ来た?」

「………」

 

 俺の言葉を聞いた祭さんは、ここで言うことではなかろう……とでも言うように眉間に手を当てて俯いた。

 でも気になるんだから仕方ない。

 

「仕方の無い……興覇、入ってこい」

「え?」

 

 祭さんが声をあげると、私室の扉が開かれ、甘寧が入ってきた。

 いつものような赤の着衣ではなく……どうしてか、庶人の服を纏い、結っていた髪を下ろした彼女が。

 

「え……え? 祭さん、これって───」

「段落をつけて話してやろうと思ったんじゃがな……お主が知りたいというのなら話してやろう。魏国、曹操殿からの報せはお主が気絶している内に届いていた。内容は───」

「……内容は?」

「甘興覇が持つ将としての全権剥奪、権殿に付き従うことも良しとせず。事実上、呉の将としての死を命ずる」

「───!」

 

 ずくんっ……と胸が痛んだ。

 納得するより先に、胸が……とても痛んだ。

 

「剥奪って……そんなっ、街で会った冥琳はそんなこと一言も!」

「魏に任せ、どんなことでも受け入れると決めた以上、それは当然のことじゃ。納得出来ぬこともあるじゃろうが、それが軍師というものじゃろう」

「っ……」

 

 息が詰まった。何かを言い返したいのに、なにも浮かんでこない。

 ただ申し訳ないと思う気持ちと、死ぬなんてことにはならないでよかったという気持ちを抱き、甘寧を見るが……彼女は俯いたまま何も言わない。

 

「江族頭としての立場を奪われたわけでもない。将としてでなく、錦帆賊の頭として呉に尽くすことを剥奪されたわけでもない。……が、だからといって実際にそうすれば、屁理屈を並べ好き勝手を働く恥知らずの誕生じゃ。興覇はそのようなこと、望むまい」

 

 祭さんがちらりと甘寧を見やる。

 甘寧は変わらず、俯いているだけだ。

 

「己で撒いた種だと馬鹿正直に受け取りおって。たしかに曹操殿に委ねはしたが───……いや、もはや言うまい。儂らがどう言おうが、受け入れたものは変わらぬ。むしろ問題があるとすれば、その後とお主のほうじゃ」

「え───俺……?」

 

 甘寧が処刑されずに済んだことに、とりあえずの安堵をする中、再び飛び跳ねる心臓。ごくりと息を飲み、続く言葉を待つと───それはたっぷりと間をとってから発せられた。

 

「……曹操殿から、お主への罰も届けられている」

「華琳から!?」

 

 飛び跳ねた心臓はやかましいくらいに鼓動を繰り返す。

 そ、そうだよな、警備隊長風情の俺が、他国の民に手をあげて無罪で済むはずがない。正当防衛がどうとかの問題じゃなく、逃げようと思えば逃げられた場面で、逃げずに他国の民を殴り、しかも刺され、自国の王にも他国の王にも迷惑をかけたのだ。

 罰なんて、あって当然だ。

 

「曹操殿より届けられた処罰の内容はな、お主に存在する拒否権の剥奪じゃ。今後、お主が呉を発つまでの間、呉の将の発言等に対し、拒否することを禁ず。ただし死ぬことは許さぬものとし、どんな無理難題だろうが死力を尽くして実行すること。ただし“呉に留まれ”等の拘束する類の命は許可範囲外とする……とのことじゃ」

「………」

 

 愕然とする。

 なんだそれ、何かの悪い冗談か?

 呉の将の言葉全てを受け止めて、全てを実行しろって?

 

「それって……その。誰かを殺してこいとか言われたら、実行しなきゃいけないって……ことなのかな───いってぇっ!?」

 

 頭に重いゲンコツが落とされた。

 

「見縊るでないわ。仮にも同盟国の客にそんなものを頼むわけがなかろうが」

「ち、ちがっ……一番悪い例えとして出しただけでっ……! くぅうぉおおお……!!」

 

 落ち着かないと……自分が思っているより混乱してる。

 自分の軽率な行動がこんな事態を招くこともある……そう、刻み込まないと。

 ていうかこれ、思い切り華琳さんの私情だったりする? いきなり刺されたなんて報せを受ければ驚くに決まってるだろうけど……呉に居る間だけ、言われたことをこなすって、いきすぎなんじゃないでしょうか。

 

「ふぅ……では次じゃ。お主に暴行を働いた民への処罰じゃが───」

「───! 祭さん、それはっ……!」

「黙っておれ。“拒否は許さん”」

「うぐっ……」

 

 黙ってられない……黙ってられないけど、これは俺の行動への“責任”、心配させたことへの“罰”だ。

 言われたなら受け入れなきゃいけない。どんな無理なことでも、真っ直ぐに。

 呉に居る間だけっていうなら、そう難しいことじゃない…………と思いたい。

 

「これはお主の口から、暴行を働いた民へと届けよとのことじゃ。“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。……よいな?」

「…………え? それってつまり、騒ぎを起こさずに呉に尽くせば罰がないってこと?」

「無論、別口で罪を犯せば相応の罰が下る。力を示すことをやめていくにせよ、罰がないわけではない。ようするに……そうじゃな。処刑とするのではなく、呉に己の生涯を捧げよという罰じゃな。“呉の為に生き、呉の為に死することのみを許可する”。それが曹操殿が出した処遇じゃ」

「……雪蓮はそれを頷いたの? その……民の処罰と甘寧への処罰の差とか、いろいろ」

「先にどんなことでも受け入れると言っておったからな。頷いて、それで終わりじゃ。むしろ興覇に“気負いなく庶人とぶつかってみなさい”と笑って言っておった」

「雪蓮さんよぅ……」

 

 い、いや……でもよかった。誰かが死ぬ結果にならなくて、本当に。

 俺からは拒否権ってものが無くなって、甘寧は将としての地位を失ってしまったけど、俺のほうは完全に自業自得だ。

 死ぬことを除いた全てを受け入れるってことが、逆に生き地獄になるんじゃないかと不安だけど、みんなが生きていけることを今は喜ぼう。

 甘寧も自棄を起こして自害、なんてことをするつもりはなさそうだし。

 ……なんて思っていた時だった。

 

「さて、後回しにしていた“その後”についてだがな、北郷よ」

「エ? あの、罰についての話ってこれで終わりじゃ……」

「先に言っておいたじゃろう。“問題があるとすれば、その後とお主のほうじゃ”と」

「あ」

 

 その後……その後? その後って、その前はどんな話を……甘寧のことだな。うん。

 

「その後って……甘寧にまだなにか罰が下るってこと!? そんなっ───」

「黙っておれ」

「うぐぅうっ……!!」

 

 再びぴしゃりと言われてしまう。

 華琳……これって罰にしては相当に辛いよ……いや罰だから辛いのか……?

 がっくりと項垂れる俺の頭上から、見下ろす祭さんが言葉を落とす。

 俺はそれを耳にして、しばらく固まった。

 

「よく聞いておけ? 興覇にはの、お主の下についてもらうことになった」

「…………」

 

 ………………。

 

「─────────………………はい?」

「むう、ちゃんと聞いておかんか。興覇には、お主の下に、ついてもらうことに、なった、と言ったのじゃ」

「…………」

 

 エート……ナンデスカソレ。

 噛み砕いて言ってもらっても、いまいち理解が追いつかないといいますか。

 

「な、ななななな……なななんで!? だって俺魏国の警備隊長だぞ!? そんなヤツの下につくって、そんなの……自分で言うのもなんだけど、将として屈辱にも値するんじゃないか!?」

「なんじゃ、お主は警備隊の仕事を誇りに思っておらんのか?」

「誇りだよ! 誇りだけどさ! なんだってそんな……!」

「下手をすれば見殺しになる刺傷沙汰じゃ。死罪を免れるのであれば、屈辱のひとつも被るは当然というものじゃろう」

「っ…………かっ、甘寧はさ、その……それでいいの?」

 

 ちらりと、微動だにしない甘寧を見上げて言う。

 俺の言葉に甘寧はピクリと肩を震わせ、正座をしている俺を俯かせていた目で見ると───

 

「よくはない。だが罰は罰だ。貴様が殴られる様を傍観し、刺されることを許してしまった。が、その結果として騒ぐ輩が消えたなら、呉の憂いの一つが消えたということ。呉のためならば、私の地位などいくらでもくれてやる」

「う……わぁあ……!」

 

 物凄くさっぱりした、だけど熱い答えをくれた。

 聞いた途端、じっとしていられなくなるような熱い言葉だ。

 褒められたものじゃないかもしれないけど、国を思い地位にしがみつこうとしない姿勢が、とても眩しく見えた。

 そんな彼女の目が俺に向けられ、一言。

 

「貴様の下につくなど、舌を噛み切りたくなるほどに反吐が出るが、私は生きると決めた。蓮華様が死ぬことは許さぬと言ってくださった。それが、私が蓮華様に仕えた内の最後の願いであるなら、私は只管に生きるのみだ」

 

 …………うう。

 

「祭さん……祭さん……俺なんかすっごく罪悪感が湧き出てきてる……! ていうか噛み切るのに反吐が出るの!? どんな嫌われ方なのそれ!!」

「ぶつくさ言わずに噛み締めい。建業での騒ぎは今のところ起こる様子もない。結果がどうあれお主は建業の騒ぎだけでも鎮めてみせた。それによって恨まれる物事もまた、負った責任にはつきものじゃろう」

「うぐっ……でもさ、やっぱり俺の下なんかには───」

「ええい駄々をこねるでないわ! “拒否は許さんっ”!」

「うあぁっ!? ……うぉおおおおおおっ! 華琳さぁあああーん!!!」

 

 なんて罰を与えるんですか貴女は! そんな思いを胸に、頭を抱えて絶叫した。

 その声に諸葛亮と鳳統がビクゥと肩を震わせるのを見て、慌てて口に手を当て黙る。

 ……そういえばこんなことになって、まだ自己紹介も済ませていなかった。

 俺は泣き出したくなる気持ちを胸に抱きながら、正座をしたままに彼女たちをちらりと見て言う。

 

「えっと……こんな状況でごめん……。出来れば自己紹介させて……。もういろいろと辛い…………って、あの……なぜ、困り果ててる顔に輝く関心の視線を向けてるんでしょうか……」

「はわっ!? ななななんでもないですよ!? そんな、困っている顔が可愛いなんて!」

「あわわ朱里ちゃん、言ってる、自分で言っちゃってるよ……?」

「……祭さん、泣いて良しと許可してくれませんか?」

「だめじゃ」

 

 ……呉の民が笑顔になる代わりに、俺と甘寧は暗雲にも似た空気を背負うことになってしまった。

 しかもそんな民たちに自分の口から言わなきゃいけないことがあるんだよ……。

 呉に“生涯の忠誠”を誓ってくれ、出来なきゃ鞭でブッ叩きますって感じの言葉を。

 華琳さん……これって思いっきり力での制圧じゃあ……? しかも俺の口から、って……。

 ああ……今さらだけど、どうりで民たちが今日、普通に話し掛けてきたわけだ。このことを知っていれば、俺にあんな態度はなかなかとれないと思う。

 

(ああ……)

 

 あんな笑顔にそんなこと言わなきゃいけないなんて……。

 あ、いや。ならもっと、静かに伝わるようなやわらかな言い方を選んで───

 

「ああそうじゃ言い忘れておった。民に伝えるべく用意した言葉、一言一句違えることを禁ずるとある」

 

 華琳さん……俺のこと嫌い……?

 

「わかった……街に行って、伝えてくる……」

 

 突破口を開いたと思えばこの始末。

 項垂れながら立ち上がって、とぼとぼと歩き、扉を開けて外へ出ようとした───その時。

 くいっと両手が後方に引かれて、ハッとする。

 

「あ……」

 

 顔だけ振り向かせてみれば、俺の手を握ってくれている二人の少女。

 

「あ、あのっ、姓は諸葛、名は亮、字は孔明っていいましゅっ!」

「あのあの……姓は鳳、名は統、字は士元……でひゅ……」

「………」

 

 陰鬱な顔をした俺を見上げる少女達が投げかける自己紹介。

 自己紹介を返そうとするも、喉に痰がへばりついたみたいに上手く言葉になってくれない。

 だから一度手を離してもらって咳払いをすると向き直り、二人の目を真っ直ぐに見て、この時だけでも笑顔で返す。

 自己紹介の時に陰鬱な顔だけ見せるわけにはいかないから、深呼吸してから。

 

「……姓は北郷、名は一刀。字と真名がない世界からきた。……よろしく、二人とも」

 

 言葉とともに差し出す手。

 それが、今度はきちんと握られた。

 友達にならないかと言おうとしたけど、ふと自分の立場を考えてみた。

 

(……奴隷?)

 

 言われるままに拒否せず働く御遣い様の誕生である。

 そんな人と友達になりたいだろうか。

 

(どちらにしたって───)

 

 どちらにしたってまだ早い。

 今はこんな奴隷みたいな状況でも、生があるだけ良しとしよう。

 そんな状態でも信頼が得られたなら、その時は改めて手を伸ばしてみる。

 それまでは呉のために頑張ろう。どんなことを願われても、耐えられる覚悟……決めないとなぁ……

 

(どうなるんだろ、これからの俺……)

 

 これは泥を被るって意味でいいのかなぁ、じいちゃん。

 そう思いながら歩き出す俺に、何故かついてくる甘寧に頭を痛めた。

 

(ねぇ、祭さん……“俺の下につく”って、“俺の後ろに憑く”の間違いじゃないよね?)

 

 そう思えて仕方が無い自分を飲み込みながら、部屋を出て通路を歩いていった。

 重い空気を背負ったまま、民にどう切り出そうかと迷いながら。

 

(……あ)

 

 傷がどうして塞がりかけてたのか、祭さんに訊くの忘れた……。

 氣のお蔭だとかどれだけ言っても、それだけで治るのかとか訊いてみたかったのに。

 



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07:呉/訪問者と罪⑤

23/認めること、生きること

 

 ───たとえばちいさな頃のこと。

 なにをするにも理由を求めず意味をも求めず、やりたいことをやっていた。

 楽しければそれでよかった。

 意味のないことが楽しくて、たとえそれで服を泥だらけにしてしまったとしても、それすらもが“楽しい”の一つだった。

 

 ───なにがいけないことで、なにがいいことなのか。

 そういうことを少しずつだけど知っていくと、“楽しい”もまた減っていった。

 自分は大人にならなきゃいけなくなって、いつしか“僕”は“俺”に変わり、見るものの全てが変わってしまっていた。

 小さなシャベルを持つ手はシャーペンばかりを持つ手に変わり、

 道に落ちていた木の枝を振り回していた幼い手は、竹刀を振るう手へと変わり。

 そうして気づけば大人になって……でも、砂場で山を作る楽しさを、砂に水をかけて泥にするだけでも笑えた頃を、時々だけど思い出す。

 そして、同時に考えるんだ。

 自分はかつて描いていた夢の自分に、少しでも近い自分でいられてるんだろうかと。

 子供の頃に描いた夢なんて、もう覚えてはいないけど───笑みを絶やさなかった自分は、当時なにを夢見ていたのか……そんなふうに過去を振り返ってみても、思い出せるのはどうでもいいようなことばかりだ。

 

 高いところに登っては、そこから全てが見えている気になっていた。

 怖いものなんてなくて、犬にだろうが猫にだろうがぶつかっていって、大人が気持ちの悪がる虫を手で掴んでは、自分は大人よりも優れていると笑っていた。

 けど……いつかはそんな自分ともさよならをしなくちゃいけなかった。

 恐怖を覚えた代わりに、純粋に楽しむ心を凍てつかせていく。

 恐怖を知ることが大人になるってことなら、それはどうしても避けられないことであって、受け入れなきゃいけない大事なことなのだろう。

 

 ……それでも、やっぱり思い出す。

 怪我をすることさえ恐れず、喧嘩をしても謝れば許し合えたあの頃を。

 どれだけ願っても、帰ることも辿り着くことも出来ないあの頃を。

 手を伸ばせば届くのだろうか。

 声帯が許す限りに叫べば、あの頃の自分に届くだろうか。

 そんなことを、本当に時々だけど、考えた。

 

……

 

 ───深く思考に沈んでいた頭を振って、溜め息を吐く。

 建業の街から仰ぐ空に感想のひとつも唱えず、視線を街に戻してから、ふと気になって振り向く。

 そこには何も言わない甘寧が居て、目が合うとギロリと睨みつけてくる。

 そんな目に少し苦笑気味に、振り向かせていた体を戻し、歩いた。

 

「……たぶんさ。華琳は民を許したいなら自分が罪を被れって言いたかったんだよな」

 

 独り言みたいに呟くけど、返事はない。

 そんなことにも苦笑しながら続けた。

 

「民への罰が騒ぎの禁止だとしても、ようは呉の民として、悪事らしい悪事を働かなければお咎めなんてないわけなんだから」

「………」

「そんな民への罰の“重い部分”が俺に降りかかって、でも……拒否権の剥奪っていったって、命を取ることもこの地に縛ることも禁じた。甘寧のことにしたって、俺が一人で出歩くのが危険だからって理由でわざわざ“俺の下”につくようにって言ってくれたのかもしれない」

 

 それでも気になることはある。

 どうして雪蓮や冥琳は、魏に処罰を任せようとしたんだろう。

 刺されたのが俺だからって、処罰の権利を他国に譲るっていうのは、それこそ部下や民に示しがつかないだろうに。

 権力に興味がないから? それとも華琳なら面白い裁き方をしてくれると思ったから?

 考えれば考えるほど、雪蓮っていう人物が掴めない。

 

「あのさ、甘寧。囲まれてボコボコにされる状況で民を殴るのって、罪になる?」

「なるわけがないだろう。そもそも貴様に罪があること自体がおかしい」

「……それってやっぱりさ、民を無罪にしたいなら俺に罪を被れってことで、いいのかな」

「罰を受ける必要があるとしたら私と民だけだ。罪は罪。相応の罰は受けねばならない。民の分をわざわざ貴様が被るというのなら、止めはしない」

「ん……確信なんてないけどさ、華琳は“死罪が嫌ならそれを除いた刑を、王としてすればいい”程度のことを書いただけで、詳しいことなんてのは書かなかったんじゃないかな。処罰というよりは、“意見”を書く程度で」

「何故そう思う?」

「えっと、それはその」

 

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”

 

 そうまで言ってみせた彼女が、理不尽な裁きなんてするはずがない……そう思ったから雪蓮たちは信じたんじゃないだろうか。

 華琳が家臣に求めるのは絶対の忠誠。桃香と雪蓮に“私に仕え、大陸を立て直す力を貸しなさい”とは言ったけど、平和を乱さない限り各国の在り方に干渉しないとも言った。

 それはつまり、他国のことは他国が決めるべきだってことで───

 

「華琳はさ、国が平和であるなら干渉はしないって言った。俺が刺されたことでそれは崩れかけたんだろうけど、罪は罪だからって理由で民の悲しみ全部を死刑で処理したら、それこそ平和が乱れるよ。華琳は望んで平和を乱すようなこと、しない。だから無罪だけは許さない方向で、こうしたらどうか、みたいに書いた……って、そう思うんだけど」

 

 華琳からの報せを見ることが出来ればいろいろと理解も早まるんだろうけど、今俺が許されているのは“民たちに罰を伝えること”だけだ。

 書簡か巻物かは解らないけど、王から王へ届けられたものを俺なんかが見ることは出来ないだろう。

 

「ならば貴様への罰はどう説明をつける? 曹操殿は貴様が罪を被ることも予測できていたというのか?」

「罰かぁ……拒否権を剥奪と、俺の口から民たちに報告、だよな?」

 

 予測もなにも、手紙を出してしまっている。

 あんな文章を見れば、俺が庇おうとしているのなんて丸わかりだ。

 雪蓮だって“俺が無罪にしたがっている”ってことは書いただろうし、予測できないはずもない。

 

「……愚問だったな」

 

 甘寧も自分で言って気がついたのか、目を伏せながら小さく呟いて、溜め息を吐いていた。

 

「甘寧はさ、華琳から届いた報せには目を通せなかったのか?」

「届いた時点で権利剥奪が決まっていたなら、私が拝見できる理由がない。私はその時すでに、将ではなく庶人だったのだからな」

「う……ごめん」

「いちいち謝るな、鬱陶しい。貴様が謝る理由がどこにある」

「だってさ、俺が───いや。そうだよな……うん」

 

 ごめんばっかりじゃだめだ。

 俺は俺がやりたいように動いて、甘寧はそれを止めずにいてくれた。

 刺されたことは想定外だったろうけど、自分の立場が危うくなることも知っていただろうにそうしてくれた。

 だったら言うべきことはごめんじゃなくて───

 

「ありがとう、甘寧」

「なっ───」

 

 歩かせていた足を止め、向き直ってから真っ直ぐに目を見て感謝を。

 止めようと思えばいつでも止められたあの騒ぎ。

 そうしなかったのは、祭さんとの会話を聞いていたのもあったんだろうけど───急に招かれた俺なんかにも考えがあったからだと思ったからで、雪蓮に呼ばれたってことでそれなりの信じる価値があると判断してくれたから。

 だからありがとうを。真相がどうあれ、あの時割って入ってこないでいてくれてありがとうと。

 

(………あれでもし、多少も問題が解消されなかったら、俺……物凄い最低男だったよな)

 

 自分の足りないものをいろいろと考えて苦笑いしていると、目の前の甘寧がやっぱりギロリと睨んできた。

 

「あっ、いやっ! 今のは甘寧を笑ったわけじゃなくてっ!」

「………」

 

 言っても睨むことをやめない甘寧は、さっさと行けとばかりに視線で先を促した。

 そんな態度に一度頭を掻いてから、料理屋目指して向き直って歩き出すと、逸らしていた思考をもとの位置へと戻してゆく。

 

(華琳からの罰……だよな)

 

 甘寧への罰が、本当に華琳からのものかは解らない。意見だけを書いて寄越したにしたって、一応は魏の人間である俺が刺されたことに対して、なにも言わないままっていうのもおかしい。

 ……これについては祭さんか雪蓮に訊いてみよう。

 で、俺の罰のことだけど───これは確実に華琳からの罰だとは思う。

 

  “貴方ね……騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方自身が騒ぎを起こしてどうするの。少しは反省しなさい”

 

 ───的な感じで。

 その罰の内容っていうのが……1、呉の将からの“頼み”、または“命令”あたりを拒否することなく死力を尽くして行うこと。

 そして2、民への罰を、俺自身が一言一句違えることなく伝えること。

 ……1については、言われるがままに動くってことでもいいから、きっかけを作ってさっさとみんなと仲良くなって、力を合わせて迅速に問題を解決して、とっとと帰ってこいってこと……なんじゃないだろうか。

 もっと別のきっかけ作りの方法もあるだろうに……これってやっぱり、心配させたことへの報復だったりする……?

 じゃあ、2。俺の口から言えっていうのは───

 

(拒否権のことは置いておくとして、“俺の口から一言一句違えることなく民に伝える”っていうのは……刺された俺自身の口から言うことで、罪っていうのを民に刻み込むため……かな)

 

 “二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。

 この罰自体は……うん。呉の民として普通に暮らしていれば、そう間違ったことは起こらない。

 起こせば鞭打ちになるってわかっているのに、好きこのんでそれを受ける輩は居ないだろう。

 

(こういうことって、普通は民を集めてから言うんだろうけど……)

 

 一言一句違えることなく伝える。でも、伝え方くらいは選ばせてほしい。

 そうしたらもう我が儘は言わない。許可なく城を抜け出すこともしないし、華琳に心配させるようなことはしないから。

 

「……考えは纏まったか?」

 

 いつの間にか地面ばかりを見ながら歩いていた。そんな視線を真っ直ぐに戻すと、後ろから聞こえてくる声。

 それに「ああ」と返すと、少し速度を上げて歩く。

 

「今、仮説をいくら立てても仕方ないよな……知識は足で知っていくよ。今はまず、親父達に言うべきことを言わないと」

 

 言ってはみるけど気が重い。

 息子代わりになるって言って数日で、“罰がありますよ”なんて言わなきゃいけなくなるなんてなぁ……。

 

「…………おい」

「ん? なに?」

 

 仮説がどうこう言いながらもまた考え込みそうになっていた俺に、甘寧は特に感情を込めずに声をかけてきた。

 なんとなくだけど、振り向かずにそのまま歩いて聞けって言われている気がして、振り向けなかった。

 

「そういえば貴様は、民を親と呼んでいるな。子を亡くした者たちへの同情か」

 

 やっぱり随分とストレートな人だ。遠慮ってものを知らない。

 だからこそ返しやすいってこともあるわけだけど。

 

「……ん、同情なんだと思う。子を亡くす痛みはわからないけど、誰かが急に居なくなる痛みはわかってるつもりだから。……本当に同じ痛みを感じることなんて出来ないだろうけど、可哀想とも素直に感じた。どれだけ理屈を並べようと、同情以外のなにものでもないよな」

 

 でも、今ではよく受け取られがちの“見下す感覚”のそれとは違う。

 空いてしまった穴があるなら、俺を利用してでもいいから埋めて、微笑んでほしいって本気で思った。

 こういうことって、言い始めたらキリがないけどな。

 

「俺はいずれ魏に帰る。ずっとあの人達の息子代わりではいられないけどさ。たとえばこうして、今ここに居る間だけでも息子代わりになって、少しでもあの人達の心の隙間を埋めることが出来るならさ。それって、きちんと意味のあることだって思うんだ」

「そうして隙間を埋めておいて、時が来ればさっさと帰るか。……無責任だな」

「うん、それだけだったら本当に無責任だ。でもさ、思い出にだって隙間を埋める力はあるよ。息子さんの思い出でも、俺との思い出でもいい。それが“悲しい”だけの埋め方じゃなければ、きっと笑ってられるよ」

「………」

「……それにさ、二度と会えないわけじゃないんだし……まあ、二度と来るなって命令されたら、従わないわけにはいかないけど」

 

 俺じゃなくても、今なら呉の将だって民と積極的に繋がりを持とうとしてくれている。だったらきっと、俺が空けてしまう少しの隙間も埋まってくれると信じよう。

 

(うん)

 

 頷くと同時に、ザッ、と辿り着いたそこは親父の料理屋。

 まだ賑わっているらしく、中からは笑い声が漏れてきていた。

 その賑わいを崩すかもしれないと考えると、やっぱり気が重い自分が居る───が、ここでこうしていても始まらない。覚悟を決めると、店の中へと入っていった。

 

「んぐ? ……むぐっ……ほっ……ふぁぶふぉばべぇぱ(訳:一刀じゃねぇか)」

 

 迎えてくれたのは卓に着いて炒飯をモリモリと食べていた別の親父。

 その声に、次々と視線を俺に向ける食事中の皆様方。

 ……困った、予想以上にみんなが笑顔だ。

 

(でも、言わないとな───……よしっ)

 

 深呼吸をしながら、どう伝えるかを思案。

 ストレートに? それとも遠回しに? 遠回しって言ったって、一言一句違えることなくだからなぁ……。

 

「みんなっ! ……その……ちょっといいかな」

 

 笑顔を向けてくれる民たちに、まずは自分の声が届くように声を張り上げてから、あまり良い報せではないことを解らせるように沈んでいく声。

 故意にそうしようとしたわけでもないのに、自分の心境がそうさせた事実に自分が一番驚いた。

 

「な、なんでぇ、急に沈んだ顔して。もしかしてメシ食いにきたのに懐が寒いとかか?」

「はっはっは、だったら俺が食わせてやる! ……と言いてぇところだけどよ、俺の懐も寒いもんだしなぁ……」

 

 料理屋の中に笑いが響く。

 こんなふうにしてみんなが笑っていられる日を望んでいたはずなのに、それに水を差すっていうのは…………いや。罰は罰、だよな。

 

「えっと……さ。雪蓮からの“罰”を報せに来た」

『───』

 

 口にしてみればほんの一瞬だ。

 今まで賑やかだった場は凍てついたように静まり返り、耳を澄ませば一番離れた卓に座る人の息遣いまで聞こえてきそうな静寂に支配される。

 

「罰か……やっぱり流れたりはしねぇよなぁ……」

「覚悟はそりゃしてたけどよ…………なぁ一刀。俺達はどうなるんだ? 死刑にでもされるのか?」

 

 反応は様々だ。

 落ち着いて受け止める者、震え出す者、叫びたくなる自分を抑えて呼吸を荒げる者。

 そんな彼らに、俺は罰を告げる。死ぬことはないのだと、せめて早く伝えるために。

 

「“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。これが、罰の内容だ」

 

 すぅ、と息を吸ってからしっかりと届ける。一言一句違えることなく、はっきりと正確に。

 すると親父達は、言葉を聞いていたにも係わらずビクリと身を竦ませて…………たっぷりと時間を取ってから、パチクリと目を瞬かせた。

 

「…………へ?」

「ん……あ……? ちょ、ちょっと待て一刀。今なんて言った?」

「さっ……騒ぎを……起こさなけりゃいい、って……?」

 

 それぞれ困惑を口にする。

 かつての敵国に居た者に暴行を加え、刺傷まで負わせたというのに、事実上の無罪───それがみんなに逆に不安を覚えさせる。

 

「ああ。騒ぎを起こさなければ大丈夫。呉に尽くすって部分も忘れずに暮らしていけば、問題らしい問題は起こらないはずだ」

「そ……う、なのか……?」

「や……けどよ。なんでそんな……」

 

 一度は静まった場が再びざわざわとざわめきを見せる。

 不安なのは俺も同じだけど、そんなにひどい結果にはならないはずなんだ。

 真っ直ぐに受け止めて、どうかまた笑顔を見せてほしい……そう思うんだけど、不安っていうのはなかなか取り除けないものだ。

 笑顔を取り除くことは簡単なのに、不公平だよな……。

 

「大丈夫だからさ、不安に思わなくても平気だ。きちんと決まったことだし、騒ぎを起こさなければ罰せられることはないよ。だから───」

 

 どうかわかってほしい……そう届けたいのに、みんなは不安を口にするばかりで俺の声を聞いてくれない。

 一刻も早く自分の中の不安を取り除きたいから質問を投げかけるのに、投げかけることに必死で俺の声が届いていないのだ。

 まるで報道陣みたいだなと思いながらも、一人一人の質問を受けるたびに、その人の目を見てから質問に答えていく。

 いっぺんに片付けようとするから届かないなら、一人一人に届けよう。それでもダメなら……えっと、どうしようか。

 そんなふうに少し困りかけていたその時だった。

 

「静まれ」

『───っ!!』

 

 低かったのによく通る声が、店の中を一瞬にして静寂の空間に変えてみせた。

 声を放ったのは……甘寧だ。

 

「かっ……甘将軍……!?」

「甘将軍がなぜ……?」

 

 キンと張り詰めた緊張が場を支配する中で、今度は疑問によって静かにざわめき始める場。

 しかしそれも、横に立った甘寧がギンとひと睨みするだけで静まってしまった。

 あの……僕の発言は彼女のひと睨み以下なんでしょーか……。

 

「………」

「あ……っと」

 

 軽く、本当に軽くショックを受けていると、甘寧が視線で先を促してくる。

 これじゃあいけないと気を取り直して、罰についてのことを事細かに説明していく。

 ……のだが、やはり納得がいかないのか、俺を殴ったことをそんなに重く感じてくれているのか、みんなは中々受け入れようとはしなかった。

 そうして、どうしたものかなと考えていると───

 

「納得出来ないというのなら聞け。お前達の罪の残りは、この男が被った」

 

 甘寧の一言で、場はあっさりと混乱の渦へと投げ出された。

 

「ちょっ、甘寧!? それはっ───!」

「黙っていろ。事実上の無罪では納得がいかないというのなら、多少の罪悪感を持たせてやればいい」

 

 民がそれを望んでいるならなおさらだ、と続ける甘寧に、思わずポカンと開口。

 そんな俺へと、彼女はさらに言葉を投げた。 

 

「貴様はこう言ったそうだな……“届けたいなら手を伸ばせ”と。ならば貴様も手を伸ばせ。自分だけが全てを背負う気で向かったところで、民も将も喜ばん」

「………」

「民が笑顔になり、代わりに誰かが背負いすぎるのが貴様の言う手を取り合うことならば、私から言うことなどなにも無いがな」

「───……いや」

 

 そうか……そうだ。また間違うところだった。

 手を取り合うって、一方的に背負ったりして相手の負担ばっかりを消すだけじゃないよな……。

 まいったなぁ、本当に。

 じいちゃん、俺……まだまだ守られる側、教えられる側みたいだ。

 

「かっ……甘将軍? 一刀が背負ったって……いったいどういうことなんで……?」

「お前達が受けるべき罪は重いものだ。騒ぎを起こすことには確かに理由があったとはいえ、同盟国の者への暴行。さらには刺傷までを負わせれば、無罪で済むはずもない」

「う……っ……そ、そうですが、なぜそれで一刀が……っ」

「この男がお前達の罪の軽減を願った。代わりに、とまでは言わないが、その分の罪はこの男が背負うことになった」

『っ……』

 

 みんなが息を飲み、ざわざわと話始める。

 けどその話し声も長くは続かず、シンと静まってから……親父がみんなより一歩前に出てきて、言った。

 

「一刀。正直に答えろ。お前は……それでいいのか?」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て、虚言を許さぬ凄みを持って。

 だから俺も真っ直ぐに見つめ返して、頷くとともに返事を返した。

 

「ああ。それでこの件が治まってくれるならそれでいい。だから……みんな、お願いだ。今を、思いっきり楽しんでくれ。べつに俺は死罪を背負わされたわけじゃないからさ、死ぬなんてこともないし」

「一刀……お前……」

「ごめんな、親父、みんな。補うって言ったのに、もう手伝いとか出来ないと思うんだ。もう勝手な行動は取れない。ここに来た理由を果たすために、呉の国に尽くすんだ」

「理由? そりゃ、なんだ?」

「ん……」

 

 チラリと甘寧を見る。と、「好きにしろ」と目で返事をされた。

 

「……うん。えっとさ、俺が呉に来た理由ってさ。……民の騒ぎを止めること、だったんだ」

 

 その一言でみんなが再びざわめく。

 みんなが俺を見て、視線を外さないままに。

 

「でも、間違わないでほしい。確かに最初は頼まれたことだった。雪蓮は気まぐれみたいに頼んだんじゃないかなって今でも思うけどさ。でも……みんなにわかって欲しいって思ったのは俺の本音だ。戦いはもう終わったんだ、“笑ってやらなきゃウソだ”って言った言葉だって、俺の本当の気持ちだ」

「あたりめぇだ。下手な同情から出された拳があんなに痛くてたまるかよ」

 

 いやあの……こっちだってめちゃくちゃ痛かったんだけど。

 ああうん、今はそれはいい。

 

「うん。そうやってみんなと向かい合ってぶつかり合ってさ。今まで上っ面ばかりしか見えてなかったものの内側が、見えた気がした。考えるだけじゃわからないこと、ぶつかりあってみて初めて聞ける本音っていうのがあるんだって」

「……おう」

「……痛かったけどさ。殴られた場所も、殴った拳も痛かったけどさ。知ろうとすることが出来て良かったって今なら思えるよ。器用な人なら殴り合わずに解決できるのかもしれないけど……うん。こうして生きてる今だから言えるんだろうけど、殴り合えてよかった」

 

 殴り合えてよかったなんて、言葉としてはおかしなものかもしれない。

 戦は終わったんだって教えたかったのに、殴り合ったことがよかったなんて、本末転倒だ。

 でも……そんな中で斬られる痛みを知って、民の痛みを知って。自分は少しは以前の自分よりも“何か”を学べたんだと思う。

 

「おめぇはやっぱり、どこかヘンだよなぁ」

「天の国ってのはお前みたいなのばっかりなのか?」

 

 苦笑する親父たちが口々に呆れをこぼしていくと、さすがにヘンなんだろうかとか考えてしまいそうだが、どう思われようともそれが自然体なら胸を張れるってものだ。

 

「そんなお前が騒ぎを起こすやつを静めるってか……お前一人でどうこう出来る問題じゃあねぇだろう」

「ああ、それは俺だけでやるんじゃない………………よね?」

「私に訊かれたところで答えられん。私はもう将ではないのだからな」

 

 親父からの疑問に答えつつも訊ねてみると、甘寧はそんな俺をばっさりと切り捨てるように言った。

 うわーい、この人俺にはとっても冷たいやー。

 

「え……? か、甘将軍……? 今、なんと……?」

「私はもはや呉の将ではないと言った。現在の私の立場はお前達とそう変わらん。この男がお前達に暴行を加えられているところを傍観し、あまつさえ刺されるのを見過ごした。この結果は当然のことだ」

「っ……───申し訳ありませんでしたっ! あ、あっしらが騒ぎなんぞ起こしたばっかりに……!!」

「構わん。お前達が騒ぎを起こしていたのは、家族を失った悲しみからだろう。戦ばかりをしていた私達では、力で押さえることくらいしか出来なかっただろう」

 

 そこまで言ってから一度口を閉ざすと、甘寧は俺を横目で見てからもう一度口を開く。

 

「……それをこの男が、綺麗にとは言えないが、治めてくれた。お前達の心が少しでも救われたのなら、私の地位くらい安いものだ」

「かっ……甘将軍っ……!」

 

 言い方は素っ気無いものだった。だけど、すぐ近くで見ていればわかることがある。

 口調がどれだけ素っ気無くても、みんなを見つめるその目は鋭く冷たいものではなく、とても暖かいもので───あ、あれ? なんか急に目付きが鋭く……って甘寧さん!? なんで睨むんですか!? 俺ただ感動して見つめてただけだよ!?

 

「……そうだな、貴様の言う通りだ。戦はもう終わったのだ。今必要とされるものは武器を振るう手や立場ではなく、人を思う心だろう」

「え……甘寧?」

 

 睨む目は変わらず……なんだけど、口から出るのは目つきとは逆の言葉。

 ……素直に驚いた。さっきもそうだけど、この世界ではみんながみんな、自分の立場を大事にすると思っていたから。

 それを安いものだと言ってみせるなんて……自分の地位よりも民を優先させることが出来るなんて。

 

「……将としての甘興覇はもはや死した。命ではなく、地位を失うことで人が救えるのなら、今の私はそれを誇りに思うべきだろう」

「甘寧……」

 

 言いながら、睨む目を穏やかな色に戻し、自分を見つめる民たちを見渡す。

 そうしてから一言、小さく「ああ……悪くない」とだけ呟いた。

 ……そうだ。きっといろいろな人が思っている。

 武を振るい、戦い続けることで国を、民を守ってきた者は、戦を失ってからはどう国を守るべきか。

 ただずっと監視を続けていればいいのだろうか。騒ぎが起こらぬよう、警邏だけをすればいいのだろうか。

 そうだとしても、そこに今までの“将”としての地位は必要だろうか。

 戦に己の生を費やし、確かに国を守ってきた。

 けれども戦が無くなった今、国を守るのはむしろ将ではなく民なのかもしれない。

 食物を育み、人を育み、国を大きくしていくのは民の手であり武ではない。

 だったら───武から離れんとするその手で出来ることは、いったい何なのか。

 それは……

 

「甘寧」

 

 それはきっと、とても簡単なこと。

 踏み出す勇気さえあれば、誰にだって手が届くもの。

 戦が無くなる国を守るのが民の手だというのなら、自分も民の一人なのだと認めればいい。

 同じ“国に生きる者”として、武を振るっていた手を……今度は食物を育み、人を育む手へと変えて。

 

「俺と、友達になってほしい」

 

 ───手を伸ばす。

 民を見ていた彼女へと真っ直ぐに、この平穏を生きるために、国に返していくために。

 どこか優しげだったその目が驚きに変わるのを見ながら、伸ばした手と彼女の手が繋がることを小さく願う。

 

「……何を言っている。私が貴様に付かされたことを忘れたか。すでに将ではないが、下された罰は───」

「地位よりも人を思う心、なんだろ? 一緒に国に返していこう。一人より二人のほうが、出来ることが増えるよ」

「………」

 

 返事らしい返事はなかった。

 ただ少しだけ、将としての自分は死んだと言ったことに頭を痛めるような素振りを見せると───

 

「友として認めるかは後回しだ。下に付くからといって、貴様ごときに真名を許すほど、貴様という人間を認めてもいない。だが……国に返すという言葉と、経緯はどうあれ貴様が作りだした民たちの笑顔。それは認めよう」

 

 伸ばしていた手に、彼女の手が繋がった。

 

「ただし、こうして手を繋いだからには貴様の奇行は全て防がせてもらう。民と殴り合おうというのなら、実力を行使して黙らせるぞ」

「オッ……! ォ……オテヤワラカニオネガイシマス」

「私が認めたのは、“貴様の行動によって民の騒ぎが治まった”という一点のみだ。それを増やすも減らすも貴様の行動次第ということを忘れるな」

「……冥琳にも似たようなこと言われたよ」

 

 空いている左手で頭を掻いて一言。さて、そんな経験済みのことに対して、俺はどう返すべきか。

 ……思うままにが一番だな。

 

「甘寧、奇行を防ぐってことはさ、間違ったことをしたら止めてくれるって受け取っていいんだよな? ……ん、ありがとう。そうしてくれる人が居てくれるなら、心強いよ」

「なっ……!」

 

 心の底からの感謝とともに、自然と笑みがこぼれる。

 俺はまだまだ学ばなきゃいけない子供だ。そんな自分を戒めてくれる人が居てくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 だから右手で握っていた手に左手を重ね、ありがとうを唱えた。

 途端に戸惑う風情を見せて、顔を赤くする甘寧……って、ハテ? 何故に顔が赤く? なんて思ってるとスパーンと手が振り解かれ、甘寧は俺からこれでもかってくらいにゴシャーと距離を取った。

 ……あの、そんなに離れてちゃ友達としてはどうかと……。やっぱり俺、嫌われてるのかなぁ……。

 そんなふうにして少し落ち込んでいると、親父たちの笑い声でハッと復活。

 

「なぁ一刀よ。お前はいつまで呉に居るんだ?」

 

 そんな親父が、前置きもなく単刀直入で訊いてきたのがこれだ。

 答える覚悟は以前からしていたから、多少驚きはしたけど……大丈夫。真っ直ぐに目を見て答えられる。

 

「ある程度の騒ぎが治まるまで……かな。それ以前に“貴方には無理だ”って上から言われればそのまま帰ることになりそうだけど」

 

 自分の力は過信しない。過信しないで、引き上げられるところを上げ続ける心が大切だ。

 慢心は敵だ。自分ならこれが出来るって突っ込んで、結果が何も出来ないんじゃあ笑い話にもならない。

 だってのに考えもなしに行動するのが自分で、殴り合ったり刺されたりするのも自分なら……それが監視だろうがなんだろうが、近くに居て“止める”と言ってくれる人が居るのは嬉しいんだ。

 自分がそういった行動に出る時は、もちろん相応の理由もあるだろうし譲れないこともあるんだろうけどさ。

 ……今はこんなことは後回しでもいい。今は……言うことをちゃんと言わないと。

 

「な、なんだなんだ? 帰っちまうのか一刀……」

「俺ゃお前はずっとここに居るとばっかり……」

「ごめん、そういうわけにもいかないんだ。すごく身勝手なことを言ってるって自覚もあるし、無責任だってこともわかってる。補い合えばいいって言っておいて、時期が来れば勝手に居なくなるんだ、怒られる覚悟も殴られる覚悟も出来てたよ」

「……だが、知ってほしかったってんだろ? 悲しいだけの思い出に浸ってんじゃねぇ、ってよ」

「親父……」

「あまり大人ってのを甘く見るなよ、一刀。俺の親父の言葉にこんなものがある。“思い切り泣いてから、涙を拭って立ち上がった野郎は弱くねぇ”。今よりも昨日よりも、一昨日よりも過去よりも。泣いてから笑うことの出来たやつってのは、以前の自分よりも一歩も二歩も前を歩いているもんだ、ってな」

 

 そう言うと、親父は俺の胸をドンとノックした。

 

「お前はお前のしたいことをしてりゃあいいさ。涙を流すのに大人も子供も関係ねぇ。散々絶望しても、せっかくの言葉も忘れて自暴自棄になっちまっても、またこうして前を向けたならよ、俺達はそう簡単にゃあ折れねぇよ」

「……うん」

「胸を張って前を見やがれ。お前が自覚しなくても、お前は俺達に悲しむ以外のことを思い出させてくれたんだぞ? 兵なんぞに志願して、勝手に死んじまった馬鹿息子を、“国のために戦った自慢の息子”にしてくれたんだ。……どんな肩書きがつこうが、悲しい気持ちが変わるわけじゃあねぇ。胸に空いた隙間が完全に埋まるなんてことはきっとねぇだろうけどよ。馬鹿息子じゃねぇ……自慢の息子なら、俺もいつか誰かに誇って話せるに違ぇねぇんだ」

「っ……」

「いつか、この世の中が本当に呆れるくらい平和になってよ。昔は戦なんてものがあったんだってことを聞かされた悪餓鬼がよ……? じゃあどうして戦は無くなったんだ、なんて訊いてきたらよ……」

 

 真っ直ぐに見つめる自分の目。そこに映る親父の顔が、まだ“作っている”ってところを払拭できていないけど、確かな笑みに変わる。

 

「こう……こうな? 笑顔で言ってやるんだよ……俺達の息子や、国を守るみんなや……同じように世の中を変えようとしたやつらが頑張ったから、戦は無くなったんだ、ってよ……」

 

 嗚咽が混ざった声だったけど。

 それを必死に抑えようとする、震えた声だったけど……それはとても胸に響いて、心を暖かくさせた。

 

「だからよ……お前は俺達がそうやって、俺達の息子やお前って息子を自慢出来る世の中を作ってくれ。天の御遣いってのがどんなことが出来るやつなのかわからねぇ。どれだけ偉いのかも知らねぇけどな。お前みてぇに真正面から俺達とぶつかり合ってくれたやつなんざ居なかった。それだけでも、信じてもいいって理由にはなるんだ」

 

 そんな嗚咽を誤魔化すように俺の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でると、ニカッと笑ってみせてくれた。

 

「全部やり終えたら、また会いに来やがれっ! そしたら美味いもん、たらふく食わせてやらぁっ!」

「親父……っ!」

「ま、金はもちろん貰うけどな」

「だぁっ!? ~っ……ちゃっかりしてるなぁおいっ!」

 

 こんなやりとりで、胸の痞えは取れるんだから不思議なものだ。

 見せてくれた笑顔に安心したって理由もあるけど、もしかしたら俺が被った罪のことで、城のほうに押しかけたりしやしないかって心配だった。

 ……そんな心配が顔に出たのか、親父は苦笑するように笑ってから真面目な顔をする。

 

「すまねぇな、一刀……今はまだ、罰を背負うお前に頼ることしか出来ねぇ。どんな罰かも知らねぇのに、こんなこと言うのはずるいだろうけどよ……死罪なわけじゃねぇって言葉を信じるなら、ここは笑ってやるところだろ?」

「───……ああ。笑って欲しい」

「よし、んじゃあ決まりだ。いつでも“帰ってこい”、馬鹿息子代理。どれだけ時間がかかろうが、俺はお前を迎えてやらぁ。みんなも……それでいいか?」

『………』

 

 他の親父たちに振り向いて言う親父だったけど、親父達からの返事はない。

 代わりにあったのは……その場に居た全員からの、俺の胸へのノックだった。

 ……うん、嬉しいけど、この人数全員からだとさすがにいろんな意味で胸が痛い。

 

「気になることはそりゃあ多いさ。だがお前が大丈夫って言うんなら、それを信じてやるのが仮だろうが親の務めってもんだ。お前が胸張って進んでいけてるんなら、俺達から言えることなんざ一つだけだ」

「けほっ……い、言えることって……?」

 

 最後にドンと親父にノックされて、軽くムセてるところに疑問の浮上。

 次から次へと降りかかる情報処理に苦笑を漏らしながらも、やっぱり真っ直ぐに目を見て受け取る。

 

「“元気でやれ”ってだけだ。刺しちまった俺が言うのもなんだけどよ」

「………」

 

 人が学べることって、なにも本や偉い人からの言葉だけじゃない。

 自分より経験の多い人だろうが、経験が少なくても自分とは違う感性を持った人が教えてくれることは多い。

 あとはそれを、自分がどう受け取れるかだけであって───

 

「ははっ……今すぐ帰るってわけでもないのに、帰らなきゃいけないムードになってるのはどうなのかな……」

 

 ノックしたあと、その高さのままに俺の前に差し出された腕が、自分を試しているようだった。

 その腕に、自分の腕をドスッとぶつけると、苦笑を笑いに変えて言う。

 

「ああ、元気で生きていくよ。親父達も元気で」

「おう。息子代理が教えてくれたことだ、もう間違わずに頑張っていけるさ。なぁ、おめぇら」

『おめぇに言われるまでもねぇっ!』

「うぉっ……たはは、手厳しいなぁおい」

 

 振り向いて言ってみれば、一斉に同じことを言われる親父。

 その顔が苦笑でも笑ってくれていることが今は嬉しい。

 ……うん、いつになるかは解らないけど、絶対にまた会いに来よう。

 そのためにはまず、自分に出来ることをしていかないと。

 

「じゃあ……行くな?」

「おうっ、行ってこい馬鹿息子っ」

「また来いよー、一刀ー!」

「絶対だぞっ、絶対にまた来いっ!」

「生きてその顔見せねぇと承知しねぇからなー!」

 

 一歩を引き、一礼をしてから歩き出す。

 背中には様々な言葉が投げかけられるけど、伝えたいことはきっと伝えられたから、もう振り向くことはしない。

 さあ、頑張ろう。

 全てが思う通り、願う通りにならないってことは、今回のことで痛いほど学べた。

 これからするのはその清算だ。

 どんなことが命じられるかなんてわからないけど、俺はそれを拒否することなくこなしていく。

 それが、俺が願った“親父達の未来のために出来ること”だったに違いないんだから。

 



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08:呉/権力? なにそれ

24/権力? なにそれ

 

 城に戻るなり、兵から俺に告げられたのは玉座の間に行くこと。

 雪蓮が待っているらしく、俺は心にきつくきつく覚悟を作り上げながら、長い長い通路を歩いていく。

 甘寧は“庶人の私が行けるのはここまでだ”と城の前で待機することになった。

 下に付くことになったならいいんじゃないかとも……まあその、遠慮がちに言ってみたんだが、首を縦には振ってはくれなかった。

 そんなわけだから一人、城の通路を歩いているわけだが……自分はよっぽど怖い顔をしていたんだろう。途中の中庭からドスドスと歩いてきた周々が、俺の顔をそのデカい舌でベロォリベロリと舐めてきた。

 

「ぶわっぷ!? ちょ、周々!? いきなりなにをっ!」

 

 離れようとするが、こう……ボクシングで言うクリンチをされるみたいにガシリと掴まれ……って重ォッ!! 重ッ……ぐぉおあああああっ!!

 

「んっ がぎっ……! くはっ……! し、心配っ……して、くれてるの……かっ……!?」

 

 メリメリと足とか腰とかに来る重みを、筋肉に力を込めることで緩和させていく。

 それでもハイ、重いものは重いわけですが。

 

「……ありがとな。そうだな、気負ってばっかりじゃあ潰れるのも早いもんな」

 

 どんな命令をされようが、それは呉の国のためになる。

 そう思えば、死力だって尽くせるってものだ。

 命令だから、従わなきゃいけないからって理由で向かうんじゃなく、国のためになるならって前向きに行こう。

 

「……よしっ!」

 

 ぽぽんっと周々の左前足を軽く叩くと、周々は舐めるのをやめてクリンチを外してくれた。

 それからドスッと俺の腹に頭突きをすると、もうなにもせずに寝転がっていた位置まで戻っていく。

 

(……動物にまで教えられて……はは、まったく俺は……)

 

 自分の頬を二度叩き、喝を入れる。

 どんなことを言われるかなんて二の次でいいだろう。

 呉に居る間は呉に尽くすと決めたからには、どんな命令や願いだって───!

 

……

 

 覚悟を胸に、玉座の間に立つ。

 段差の先の玉座に座る雪蓮を前にし、掌に拳を当てて一礼。

 玉座の間に並ぶ呉の将を一度横目に見てから、真っ直ぐに段差の先の雪蓮を見る。

 さあ、まずはどんなことが───と、ヘンに構えていたんだが。

 

「ご苦労様、わざわざ呼び立てたりしてごめんねー、一刀」

 

 ……ハテ? と首を傾げてしまう。

 雪蓮の態度は以前となんら変わりなく、むしろ笑顔が何割か増している気がする。

 いやいや待て待て、自国の将が将としての権利を剥奪とかそんな事態になってるんだぞ、それがこんな笑顔だけで終わるはずが───

 

「……一刀? ちょっと一刀、聞いてるのー?」

「へぇぁっ!? あ、ああ、聞いてる聞いてる」

 

 考え事をしながらでもちゃんと耳には入れていたが……み、妙ぞ……こは如何なること……?

 なんだか世話話みたいなものから始まって、罰のことも確かに話の中には出てきているんだが……いや、でも口を挟むわけにもいかないし。

 

「というわけで一刀には、呉に居る間は私達の言うことを聞いてもらうってことになったんだけど」

「ああ、それは覚悟してる」

「いいの? そんなに簡単に了承しちゃって。たしかに華琳から一刀への罰だけど、一刀の意思とか無視しちゃってるでしょ?」

「それについて、話をすることを許可してもらいたいんだけど……いいか?」

「うん、べつにいいけど」

 

 ……玉座に座ってるのにどこまでもマイペースというか。

 普通、キリっとした顔で向かい合うんだろうに……いつかの宴の時で見せたみたいにさ。ほら、冥琳だって少し頭痛そうにしてるし。

 

「俺に罰が下るのは、誰も間に挟まずに一気に踏み込み過ぎたアホさ加減とか、民の分を俺が背負うってことで納得してるから構わない。意思を無視しているっていうよりは、きちんと汲んでくれてるんだって思えるから。でも、雪蓮はいいのか? 俺の所為で甘寧は───」

「思春のことは思春のことよ、一刀には関係がないわ。傍観していたのは思春の意思で、相応の罰を受ける事実に思春は頷いたんだから」

「……華琳は手紙になんて書いてきてたんだ? 死罪にならない程度に、王として貴女が罰を下しなさい、くらいしか書いてなかったんじゃないか?」

「わ、すごーい。よくわかったわね一刀~」

「………」

 

 ビンゴだった。思わず手で顔を覆って俯いてしまうほどにビンゴだった。

 しかもそれをあっさり認めてしまう雪蓮も……ああ、冥琳が溜め息吐いてる……。

 

「あ、でも一刀への罰はちゃ~んと華琳が考えたものよ? “その状況で民を許したいなら、貴方が罪を被りなさい”、って」

「……ん」

「あと、“騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方が騒ぎを起こしてどうするの”って」

「はぐうっ!」

 

 胸にグサリとくる言葉でした。

 ……うん、ほぼ予想していた通りだったからまだ耐えられるけどさ。

 

「とにかく、思春のことについてはちゃんと私が決めたことだから。罰は罰。一刀がどう言おうが、これは覆らないわよ?」

「……わかった、受け入れる」

 

 息を吸って、吐いて。しっかりと胸に刻み込む。

 自分がやったことが本当に正しかったのかは、各自が決めることだ。

 親父たちは笑顔になってくれた。甘寧は呉のためになるならばと受け入れてくれた。

 だったら俺が考えるべきことは───

 

「ってちょっと待った。雪蓮が決めたって言ったよな? ……俺、祭さんからは華琳からの罰報告として聞いてるんだけど」

「華琳がねー、そうしないと一刀が受け入れようとしないだろうから、そう言いなさいって。私もそっちのほうが一刀が慌てたりして面白いかなーって。ほら」

 

 ばさっ、と巻き物らしきものが広げられる……が、生憎とここからではてんで見えやしない。

 見えやしないが……あの、華琳さん……? 俺、今とっても母親と一緒に別の親御さんに謝りに行っているような気分なんですが……?

 しかもそんなことを伝えるために巻き物一本って……書簡じゃあダメだったのか?

 

「そ、そんなことしなくても、それが罰ならちゃんと受け止めるつもりだったのに……」

「ほう? そうかのぅ。随分と食って掛かっていた気がするが?」

「うぐっ……うぅうう……」

 

 横からの祭さんの言葉に、見事に言葉を詰まらせてしまう。

 はい……思い切り食って掛かってましたね……。

 それってつまり、全部華琳が予想していた通りの俺の行動だったってわけで…………穴があったら入りたいです、はい……。

 

「じゃあその……甘寧が俺の下につくってことを考えたのは……」

「? 私だけど?」

 

 きょとんとした顔であっさりと言われた。

 

「罰は罰としても、それが善い方向に向かう罰の方がいいに決まってるでしょ? 死罪と受け取って死刑に処するくらいなら、孫呉に生きて孫呉に死んでもらったほうがいいに決まってる。それに、思春はどうもこう……ねぇ? 固いところがあるから。一刀の下に付くことになれば、柔らかくなるかな~って。それと一緒に民との交流も持ってくれればいいなって。ほうっておけば四六時中蓮華のことばっかり考えてるんだもん、これくらいしなきゃね」

 

 アノー……雪蓮サン? 少し離れたところから冷気が……いや、鋭い殺気めいたものが……。

 これ、彼女ですよね? 間違いなく孫権さんですよね……?

 そんな孫権さんがクワッと雪蓮を睨み、声を張り上げた。

 

「雪蓮姉様!」

「え? なに?」

「なにではありません! そのようなっ……そのようなことのために、思春をこんな男の下につけたというのですか!!」

 

 ズビシと指差された上にこんな男呼ばわりである。

 やっぱり孫権には滅法嫌われてるようだ。甘寧があんなことになったんだから、仕方の無いことなのかもしれないけど、結構ツラい。

 

「こんな男って、失礼ね蓮華。一刀はね、こう見えて…………」

「………」

「こう見えて、見えてー……んー…………なにか特技あったっけ?」

「いや……うん……雪蓮さん? 虚しくなるからそこで俺に訊くの、やめようね……?」

 

 自分で自分の特技を口にするのって勇気が要る。

 しかも自分で考えてみても、自信をもってこれだと言えるものなんてまだまだ全然だ。剣術はまだ修行中だし、勉学だってまだまだ……あれ? じゃあ俺の特技ってなんだろ……?

 なんて、顎に手を当てながら本気で考え込んでいると、ふと感じる視線。

 見れば、孫権が俺を睨んでいた。

 

(きっ……嫌われたもんだなぁああ……)

 

 だけど挫けない。

 目標があるのなら挫けそうになっても進んで、挫けてしまっても立ち上がる覚悟をもって挑むべし。

 挫けたら終わりなんじゃなく、立ち上がれなくなったら終わりなんだ。

 だから今は“こんな男”でいい。特技が思い当たらなくてもいい。

 魏のため、そしてこの国のため、自分に出来ることをやっていこう。

 そうしてうんうんと小さく頷いている間にも、雪蓮と孫権は話を進め……いや、ややこしくしてるのか?

 

「そう睨まないの。心配だったら一刀に“思春に近づくな~”とか命令すればいいのよ。一刀は拒まないだろうし、貴女も満足するでしょ?」

 

 あっはっはー、なんて暢気に笑いながら、ひらひらと手を揺らして言う雪蓮。

 孫権はそんな雪蓮の言葉にムッと顔をしかめると、一度目を閉じてから息を吐き、吸ってから目を開いた。

 

「……姉様。私は北郷が民のためにとぶつかったことを、認めていないわけではありません。そんな存在に、自分が気に入らないというだけの手前勝手な理由で命を下すなど、出来るはずがないでしょう」

「え?」

 

 首を傾げたのは俺だけ。

 てっきりとことんまでに嫌われているんじゃないかと思っていたのに、まさか認められている部分があるなんて。

 雪蓮はそんな俺を見て“にこー”と笑うと、孫権へ視線を戻して口を開く。

 

「それがわかってるなら、どうしてそんなにつんつんしてるのよ」

「つっ……つんつんなどしていませんっ! 私はただっ! こんな、他国の男に思春をつかせるという行為自体が間違いだとっ……!」

「じゃあ庶人のままのほうがよかった? 庶人のまま、呼び出さなきゃ城にも入れない状態のほうが?」

「そ……それは……」

「一刀の……警備隊長の下につくってことは、たしかに将としては屈辱に値するかもしれないけどね。同時に一刀が願えば城の中に入ることくらいは出来るってことなのよ。そこに王の許可も入れば、堅苦しいこと言いっこなし。ね?」

「あ……」

 

 ぽかんとする孫権を玉座の上から見つめながら、組んだ足に立てた頬杖の上で笑顔を見せる。

 下した罰をマイナスだけで終わらせないのは見事……なのかもしれないが、引っ掻き回される人のこともちょっとは考えようね、雪蓮。

 いや、むしろその引っ掻き回すのを楽しんでいるのか?

 

「罰は下さないと示しがつかない。それは当然よ。でもね、一刀と殴り合う中で思春が割り込んだりしたら、民はそれこそなにも吐き出せないままに鬱憤を溜めてたわよ。一刀が何も聞かずに逃げても同じで、ただ殴り倒して満足して去っても同じ。そうでしょ?」

「それは……そう、かもしれませんが」

「極論みたいに言っちゃうなら、将の誰かを盾にするみたいに民の話を聞いたところで、山賊に人質に取られた子が、助けを呼べば殺すなんて言われてるような状況で“俺達への文句を言ってみろ”なんて言われてるようなものでしょ? 全てを丸く治める、なんてことにはならなかったけど、結果としてはあれはあれでよかったのよ。ね、冥琳」

「ああ。他にもやり方はあったろうがな」

 

 あー……言葉がさくりと突き刺さる。

 がっくりと項垂れた俺に、雪蓮が“落ち込まないの”と言ってくれることだけがささやかな救いだった。

 

「起こったことは変えられないし、変えられないなら少しでもいい方向に向かうように努力するのが大事なの。皆が笑っていられる国を目指すのに、一刀が受け止めたかったこととか民が言いたかったことを見守っただけで死罪なんて、あんまりでしょ?」

「だから、庶人扱いでも比較的に傍に居られるよう、北郷の下にと……?」

「どう結論づけるかは各々に任せるわよ。けどね、蓮華の下に庶人として付かせたとして、今までの扱いとなにかが変わる? 罰になる?」

『……………』

 

 総員、沈黙。

 みんながみんなそっぽを向きつつ、だけどきっと同じことを考えている。

 “なにも変わらない”と。

 

「戦はもう終わったの。死を強いる必要なんてないし、死んでもらうくらいならその生をこれからのことのために尽くしてほしいって思う。なんでもかんでも死罪死罪で通したら……うん。たしかに騒ぎは治まるだろうけど、きっと誰も笑わなくなるわよ。そんなのは私が目指す呉の姿じゃないわ」

「姉様……」

「天下は取れなかったけど、極端な話をすれば、世が平穏に至っているなら争う理由も勝とうとする理由もないのよ。ただ、みんなが笑顔で今の世を生きてくれたらいい。……でもねー、思春ってばあまり笑わないでしょ? だったら一刀の下につかせれば、表情も豊かになるんじゃないかなーって」

「オイ」

 

 思わずズビシとエアツッコミを入れる。

 途中まではキンと引き締まった空気が流れていたのに、“でもねー”のあたりであっさりと吹き飛んだ。

 

「文官は知識を生かすことが出来るけど、武官はなかなか難しいのよ。乱世にあってこそ武を振るうことが出来るけど、平和になっちゃうと逆に自分が何を為すべきか、わからなくなるの。明命は一刀と“自分に出来るなにか”を探す気でいるみたいだけど、思春は自分から誰かに手を伸ばす性格してないからねー」

「本人が居ないからってひどいな……」

「そ? べつに本人が居ても、私は言うわよ?」

 

 ぐ~っと伸びをして、座っているのにも飽きたのか玉座から降りて、たんとんと段差を降りてくる。

 そんな様を、“あー、たしかに遠慮なく言いそうだ~”とか思いながら見守った。

 

「じゃあ最後に言いたいことだけ言うわね。一刀もなんだかんだで責任感じてるみたいだし。……思春の全権を剥奪したことで一刀を恨んでる者は、名乗り出なさい」

「っ」

 

 ビクリと肩が震えた。

 いきなりだったってこともあって、おそるおそる伺うようにみんなを見るが………………名乗り出る人は、誰一人として居なかった。

 

「え……なんで……」

 

 首を傾げるどころじゃない。

 雪蓮は“甘寧がしたくてしたことだから”みたいに言ってくれたけど、みんながみんなそれで納得出来るとは思ってなかったのに。

 そういった考えが頭の中でぐるぐると回って、やがてなにも考えられなくなりはじめた頃。自分の両手が、なにか温かいものに包まれる感触にハッとした。

 

「一刀様、もっと胸を張ってください」

「周泰……」

「そ、その、えと……一刀様は、私達には出来なかったことを、し、しししてくださったのですからっ……」

「呂蒙……」

 

 見れば───両脇に立ち、片手ずつを手に取ってくれた二人。

 繋がっている手が暖かく、その暖かさと包みこむようなやさしさが、二人が心から自分を励ましてくれている証なのだと理解させてくれた。

 

「そうだよ一刀。ちょぉっと乱暴だったかもしれないけど、町の人たちが笑ってくれてたんだったら、一刀はちゃ~んと“呉のために”なにかが出来たってことなんだから」

「孫尚香……」

「むー……! シャオでいいって言ってるでしょー!?」

「ええっ!? ここで怒るのかっ!? い、今すごくやさしい雰囲気がうぉわぁっ!?」

 

 俺の目の前でにっこにこ笑っていた孫尚香が、突如として俺と呂蒙の間を潜るようにして背後に回ると、俺の首に抱き付いてきて……はうっ! こ、このささやかだけどたしかに感じられるやわらかな感触……じゃなくて!

 ややややめてくれぇええっ!! 押さえていた(ジュウ)が! 俺の中の獣が目を覚ましてしまう! こんな状況でそれは嫌だ! 困る!

 

「おうおう、随分と懐かれておるのぅ、北郷」

「……我慢は体に毒だぞ、北郷」

「ちょ、祭さん! これは懐かれてるとかじゃなくて首っ! 首が絞ま───冥琳!? がが我慢ってナンノコトデスカ!?」

「一刀さんはケダモノですね~」

「チガイマスヨ!?」

 

 両手を周泰と呂蒙にやさしく包まれ、背中には孫尚香。

 目の前には慌てる俺を見て穏やかに笑う、祭さんと冥琳と陸遜。

 嫌われることがなくて良かったと安堵するのと同時に、少しでも認めてもらえたことが純粋に嬉しかった。

 たしかに、やろうと思えばもっと別のやり方があったのかもしれない。

 殴り合うんじゃなく、時間をかけて少しずつでも親父たちの心をほぐしてやればよかったのかもしれない。

 そうすることが出来たなら、甘寧だって元のままで居られたのかもしれないけど───

 

「ほ~ら~……シャオだよ、シャ~オ~。言ってみて~一刀~……♪」

「ふひぃっ!? みみみみ耳に息吹きかけるなぁっ!!」

 

 受け止めてやれるかもしれない状況で、なにかが出来るかもしれない状況で、歯噛みするだけの自分は嫌だった。

 そんな時でも状況を弁えて踏みとどまるのが賢い生き方なんだろう。

 あの時の俺は賢くなんかなかったのかもしれない。

 

「大人気だな、北郷」

「め、冥琳…………人気って言えるのかこれっ……って、そうだ。冥琳、一応聞かせてほしいんだけど、親父の青椒肉絲、冥琳の思い出の味に届いてたか?」

「───っ!? なっ、う……北郷! それはっ───」

「うん? 思い出の味の青椒肉絲? ……ほほう、それは興味があるのう公瑾」

「……いえ祭殿。これは北郷が適当なことを言っているだけで、私は青椒肉絲など……」

「そういえば北郷を見つけたのがお主だったわりに、公瑾。お主は戻ってくるのが遅かったと聞くが……」

「───ああ祭殿。話は変わりますが、次回の同盟会合のために寝かせておいた酒の(かめ)が一つ消えているのですが。ところで甕といえば───祭殿は何故か、北郷の監視に就く日は決まって酔っぱらっていたと報告が来ていますね」

「うぐっ! …………あ、あー……いや、青椒肉絲なぞ、意味もなく急に食したくなる日もある……のぅ」

「ええ。酒を甕ごと飲みたくなる日などそうそう無いとは思いますが」

「ぬぐっ……! 卑怯じゃぞ公瑾!」

 

 賢くなかったかもしれない───それでも。それでよかったんだって思える今がある。他に方法があったのかもしれない。他にやりようがあったのかもしれない。けど、生憎と人間は、最初から成功出来るようには出来ていないんだと思う。

 殴られたり刺されたりもしたけど、その痛みの分だけ親父達が笑顔になるのも早かった。それが自分にとって嬉しいことだったのなら、喜ばなければ嘘になる。

 もちろん、見守ってくれていた甘寧にとっては、とんだとばっちりになってしまったわけだけど、彼女がそれでもいいと言ってくれているのなら、俺も受け止めないと。

 と、決意を新たにしながらも、現状といえば───

 

「もーっ! シャオだってば! いいから言うのーっ!!」

「ぶはっ!? ぶはははははっ! 孫しょっ……脇っ、脇はやめうひゃははははっ!!? わかった! 言う! 言うからやめてぇえええっ!! ヘンなところに力入って傷がまた開くから!」

 

 ……周泰と呂蒙に両手を封じられて、孫尚香に脇を擽られているなんて有様である。

 どこの国でも女って怖いなぁとか思いながらも、一番怖いと思うと同時に大事に思える人の顔が浮かんでくると、こんなのも悪くないって思えるんだから不思議だった。

 

「じゃあほら、言ってみて? みんなが居る前で、た~っぷり愛を込めて」

「愛はともかくとしてちゃんと……あの、孫権さん? 甘寧のことで俺が気に入らないのはわかるけど、そう睨まれると……」

「に、睨んでなどいないっ!」

 

 う、うそだっ! 隙を見せれば襲いかかってきそうなくらい睨んでた!

 まるで理解に至らないものに出会った科学者みたいに……どんな顔だそれ。

 

「なに、権殿はお主の扱いに戸惑っておるだけじゃ。孫家の者として、功績は認めるべきじゃが……北郷、お主のやり方の問題もある。民を殴り飛ばして教え込むなぞそうそう出来ん。儂はこういったわかりやすいやり方も好きじゃがな」

「え……そうなのか?」

 

 祭さんに言われ、孫権へと視線を移す。

 孫権は目を合わせようとはせず、そっぽを向きながら思い悩むように呟いた。

 

「っ……守るべき民を殴ることで治めるなど……! だがその結果として民が笑んでいるのも事実…………貴様という存在がわからん。なんだというのだ、貴様は」

「なんだと言われてもな……どわっと!?」

 

 孫権の方を見て戸惑っていると、ぐいぃと孫尚香に引っ張られる。

 振り向かされれば、ぷくーと頬を膨らませる孫尚香。

 

「一刀、今話を逸らそうとしたでしょ~! ダメなんだからね、ちゃんとシャオのこと呼ばないと!」

「逸らっ───!? そんなつもりありませんが!?」

 

 言いつつも、多少は認めてもらっていることに喜びと戸惑いとを混ぜた心境のさなか、目を逸らしつつさらに意識を逸らそうとする俺の腕を、さらにぐいっと引っ張って現状に戻すのは孫尚香。

 いっそのことほうっておいてくださいと言いたいのに、今の僕は呉の将の願いを叶える御遣いさん。

 だから呉の将の言葉は絶対で………………マテ。じゃあ、た~っぷり愛を込めてっていうのも死力を尽くさないといけないのか?

 

「……っ……、……」

「? 一刀様、どうかされたのですか? なんかすごい汗出てます」

「青春の汗です」

 

 心配してくれる周泰に、スッと汗を拭って、ニコリと満面の作り笑いで返した。

 その動作で二人と繋がっていた手は離れて、まずは深く深呼吸。

 ……そ、そう……そうだよ、な。これが民のための罰なら、俺は……俺は……!

 

「孫尚香っ!」

「あんっ、どうしたの? 一刀」

 

 背後から目の前に立たせた孫尚香の両肩をがっしと掴み、その目を真正面から覗き込み…………そう、あたかも華琳へと思いをぶつけるかのような気持ちで───

 

「───小蓮」

 

 心から、たった一言に想いを乗せて、彼女の耳元へスッと近づけた口で呟いた。

 すると、“ぐぼんっ!”と音が鳴りそうなくらいの速度で、孫尚香……じゃなくて、シャオの顔が真っ赤に染まって……

 

「───………………はっ! あ、や、やぁだ~一刀ったら、そんなまるで伴侶の名前を呼ぶみたいに~!」

 

 たっぷりと間を取ってから、彼女が反応を見せた。

 妖艶に笑むのではなく歳相応といった風情で、俺に背を向けて。

 そんな僕らの様子を見ていた祭さんが一言。

 

「なんじゃ。北郷は少女趣味か?」

「違いますよ!?」

 

 ええ、そりゃもう全力で否定させてもらいました。

 ここで言ってしまうのもシャオに悪い気もしたけど、誤解だけはしないでほしかったので本音をぶつける。

 

「……なるほど~、つまり小蓮様の真名を呼んだのは、小蓮様の命令だったからと~」

「だぁあっ! それも違うからぁっ!!」

 

 誤解はさらなる誤解を生むっていうけど、どうやらそうらしい。

 にっこにこ笑顔で間違ったことを言う(多分わざとだ)陸遜に待ったをかけ、さらに事細かに説明を……ああっ、なにやってるんだ俺っ……!

 

「じゃあ、ややこしいから決め事を作りましょ?」

「決め事? ……雪蓮、またよからぬことを考えているのではないだろうな」

「だ、だーいじょうぶ! 大丈夫だから! どーして冥琳はすぐそうやって疑うかなぁ!」

「疑われたくないのなら、私から必死に耳を隠すその手をどけてからにしなさい」

「うぐっ……一刀~、冥琳がいじめる~、やっつけて~」

「なんてこと命令しようとしてるんだぁっ!! そんなことに死力を尽くしたら、俺に明日なんて来ないだろっ!!」

「ぶー、一刀ったら私にやさしくな~い」

 

 こんな状況でどうやってやさしくしろと!?

 なんて目で訴えかけてみると何故か俺のすぐ傍まで来て、少し身を屈めて頭を軽く突き出す雪蓮。

 ……エ? あの……まさか撫でろと? 冥琳がやさしくないから、俺にやさしくしろと? ……無理です、無理ですから話を進めてください。

 俺の反応を伺ってか、投げかけてくる視線にそう返すと、及川が拗ねた時みたいに口を尖らせてぶーぶー言う雪蓮。

 ああ、及川よ……キミは今どうしている? 俺は今、とても困った状況に立っているよ。どうせ帰ったとしても一秒も経っていないんだろうけど。

 

「それで、姉様。決め事とは?」

「むー……冥琳?」

「ああ。では北郷、今日よりお前にはこの国を離れるまで、呉に尽くしてもらう。とはいえ、我々が言う言葉全てに死力を尽くされては、こちらとしても話し掛けづらくもなる」

「え? あ、あー……そう、だよな」

「そこでだ。北郷に命令をする時は、命令だときちんと伝えること。これを“決め事”とする。それ以外のことはあくまで“してもらいこと”に留める、ということでいいな、雪蓮」

「さすが冥琳、わかってるー♪」

 

 ……すごいな、言葉が無くても理解するって、こういうことを言うのか…………と感心してみるが、普通に雪蓮が話したほうが明らかに早かったよな、今の。

 “ここはツッコんだら負けなんだろうか”と思いつつ、話を続けてくれている冥琳をじーっと見つめていた。

 

「私達が何気なく言った言葉でも、北郷は死力を尽くして実行しなければならない。そんなことになれば、北郷が保たないだろう。それはそれで面白そうではあるが」

「……途中まで少しでもじぃんと来てた俺の心のやすらぎを今すぐ返してください」

 

 言ってはみるけど、すでに撤収モードに入ってしまったこの雰囲気は流せそうもない。

 暗い気持ちなんてとっくに流されてしまっているし……ああ、いい。

 流されてしまったなら、教訓としては刻み込もう。もう何度も何度も刻んだことだけど、もう一度。

 そして、雪蓮が甘寧を俺につけた理由が罰と……それと彼女の笑顔を望んでのことなら、その願いを叶える努力を……うん。

 

(誰かのためかぁ……そういや、いつだったかじいちゃんが言ってたっけ)

 

 他人のためではなく自分のために生きられる男であれ。

 自分のために全てを行えば、失敗を犯した時も誰かの所為にすることもなく、己だけが傷つくだけで済むのだから、って。

 自分が自分のために動くことで、結果として誰かが助かる……そんな生き方をしてみろって。

 

  これは……どうかな。自分のためではあるのかな。

 

 そう自分に問いかけてみても、そんな自分に対して漏れる苦笑しか耳には届かない。

 つまり、それが答え。

 

「孫権」

 

 自分の“苦笑”って答えを耳にして、一度笑ったあとに孫権へと向き直る。

 呼ばれて振り向いた孫権とは違い、雪蓮は暢気に「がんばれー」って笑っていたりする。

 今はそんな、声も笑顔もありがたい。

 

「まだ、少しでもいい。ほんのちょっとでも認めてくれている部分があるなら、見ててほしい。俺……もっと頑張るから。この国のために出来ること、頑張って探して返していくから。だから、いつか孫権が俺を本当に認めてくれたら……俺と、友達になってほしい」

 

 そんな笑顔に励まされながら、握られないであろう手を差し出す。

 そして、その予想通りに孫権は俺と目を合わせることもせず、俺の横を通りすぎようとするけど───その足音が、擦れ違った一歩目で止まる。

 

「……私は貴様を認めていないわけではない。祭の言う通りだ、貴様という存在を持て余す」

 

 振り向こうとしたけど、振り向いちゃいけない気がして、静かに息を吐く。

 

「思春のことで苛立ちがないと言えば嘘になる。だが貴様の監視を思春に任せたのは私だ……そう、私が“監視せよ”と命じたのだ。思春は命令を忠実に守っただけで、本来罰などというものがあるのなら私が───」

「───……」

 

 ……ああ、そっか。

 甘寧がそうした意味が、なんとなくだけどわかった。

 

「……そう言うと思ったからなんじゃないかな」

「なに……?」

 

 だとするなら伝えたい。そう思った時には、もう口は動いていた。

 孫権が振り向いたであろう音と気配に意識を傾けながら、自分は振り向かずに言葉を続けた。

 

「甘寧はさ、孫権がきっとそう思うだろうって思ったから、孫権が自分を責める前に“その罪で構わない”って受け入れたんじゃないかな」

「……思春は私のために、反論もせずに受け入れたと……?」

「誰かのためにとか、そんなのじゃないと思う。自分がそうあってほしいと思ったから、孫権に罪の意識を持ってほしくなかったから、そうしたんじゃないかな」

 

 誰かのためにと頑張れば頑張るほど、人は案外挫けやすい。

 自分のためだからと頑張れば、確かにどこかで自分を甘やかしてしまうのが人間だ。残念だけど、きっとそれは変わらない。けど……そこで挫けたままでいるか、立ち上がれるかは自分次第なんだ。

 そして甘寧は庶人扱いでもいいと頷いて、罰を甘んじて受けながらも前を向いている。挫けていないのだ。彼女にはそんな強さがある。

 

「……そうだな。そうかもしれない。ならば───私がこうして悔やむことも、思春の行為を無駄にする」

「え? いや、無駄とまではあだぁっ!?」

「命令だっ、振り向くなっ」

 

 命令って……! 振り向こうとした顔を無理矢理に捻り戻しておいて、命令もなにも……!

 

「と、とにかくっ。決まってしまったことは覆せない。思春は庶人扱いとなって、貴様の下についた。だがそれは貴様も同じだ。思春の上に立つというのなら、部下に不自由を強いるようなことは許さない。……“見ている”から、それを証明してみせろ、“北郷”」

「………」

 

 ……北郷。

 貴様でもお前でもなく、北郷と呼んでくれた。

 それがなんだか、むず痒いくらいに嬉しくて───

 

「ふっ……振り向くなと言っただろうっ!」

 

 ───振り向こうとしたら首を思いきり捻られた。

 こう、骨を通して聴覚に直接響いたみたいな“ごきぃっ!”って音とともに。

 するとどうだろう……全身から力がスゥッと抜けていって、体が傾き……あれ? 景色が明るい……。傾いてゆく真っ白な景色から、また天使っぽいなにかが───ウワァイ綺麗ダナァー…………

 

「…………北郷!? ちょっ……北郷!?」

「……? どうかされたのですか蓮華様……───一刀様!? かずっ……はぅわあっ!? かかか一刀様が白目むいて泡噴き出してますーっ!!」

「えぇっ!? ちょっ……なにしたの蓮華!」

「なななにをと言われても! 私はただっ……!」

 

 視界の白さを越えた先で辿り着いたお花畑を前に、なにやらいろいろな声が聞こえてきた。

 そんな穏やかな状況の中、俺は……何故かお花畑の先にある川のさらに先で、“なんでここに居るんですかー!”とか“隊長! 来ちゃだめだー!”とか叫んでいるかつての仲間たちと出会いながら、今日という朝……いや、仕事手伝ったり話したりで昼になっていた時間を、気絶って形で終わらせた。

 



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09:呉/傍らを歩く朱の君よ①

25/朱の陽の落つる日に

 

 同日、気絶から復帰した少し遅い昼のこと。

 さらりと出た話題に二つ返事で頷いた俺は、ある場所のある人たちの前に行き、

 

「てめぇの所為で頭がぁあああっ!!」

「キャーッ!?」

 

 錦帆賊……もとい、海軍の皆様に首根っ子を掴まれ、女みたいな悲鳴をあげていた。

 

「頭ァ! この野郎、(チン)しちまってもいいですかぃ!?」

「沈がダメなら縛り上げて吊るして……やっぱ沈だ!」

「やめてやめてぇええええっ!! そんなっ、俺達出会ったばかりじゃないか! 話し合おう! 話し合えばきっとわかり合えるよ!」

 

 掴まれ、持ち上げられ、熱き男たちの頭上に寝かされた状態で騒ぐ俺。

 もちろんこんな体勢では逃げることもままならず、救いを求めて案内してくれた甘寧を見るが───

 

「やめろ。海が汚れる」

「助けるにしたってもう少し言い方ってものがあると思うなぁ俺!!」

 

 所詮こんなもんだった。

 それでも離してくれた水兵の皆様の行動に心からホッとしながら……解放された理由についてを考えて、果たして解放されたことを喜ぶべきかを少し考えた。

 ……さて。

 いわゆる呉軍の軍事機密であるらしい海軍集まる港にやってきたのは、俺と甘寧。

 目覚めてすぐに雪蓮に伝えられたことにたまげつつも、俺は甘寧とともに建業という町と城を歩いていた。

 というのも雪蓮が───

 

 

 

-_-/回想

 

 それは気絶から戻ってきたときのことだった。

 綺麗な花畑、綺麗な小川を跨ぎ、散っていったかつての仲間たちと涙ながらの再会を喜んだあと。

 誰かに呼ばれた気がして意識を浮上させると、自分は宛がわれた部屋の寝床に寝かされていて、目を開けた先には雪蓮。

 無理矢理起こそうとでもしたのか右手を振り上げていて……ってちょっと待てぇえっ!!

 

「まま待ったぁっ! いきなりなんだっ!?」

「あ、起きた」

 

 きょとんとした声とともに、振り上げられた(たぶんビンタ用の)手は下げられた。

 起き抜けからどうして安堵の溜め息なんぞを吐かなければならんのかを、急激な覚醒を強いられた頭で考えてみるが、こういう時は纏まらないものだって決まっている気がする。

 

「あ、あー……あれ? お花畑は? あいつらは?」

 

 見渡してみても、しんと静まった部屋があるだけ。

 部屋に存在するのは俺と雪蓮だけで、雪蓮は寝床にきしりと腰を預けると、俺の顔を覗くようにしてにこーと笑う。

 

「ん……えっと、なに?」

 

 彼女が笑顔になると、大体が俺に用があるって……なんとなくだけど感じた。

 用もなにも、一人でここに居るってことは“用がある”ってことだけは確定なんだろうが。

 

「ん、これからの一刀が出来る行動について、言っておこうかなーって。目が覚めたら言うつもりだったんだけど、一刀ったら全然起きないんだもん」

「そっか。そりゃ悪いこと…………マテ」

 

 目が覚めたら? 全然起きない?

 

「……あの。雪蓮さん? 貴女、仕事は───」

「それでねっ、話のことなんだけどねっ」

 

 俺の言葉を遮るみたいに手をぱちんっと叩き合わせ、声を張り上げる雪蓮……って、誤魔化したよこの王様。

 それでもなにを言われるのかと思いながらも体を起こし、聞く姿勢を取る。

 一国の王の話を寝床に座りながらってのも問題すぎるとは思うが。

 

「───一刀。貴方は今まで通り、この呉で好きに行動していいわ。それなりの規律は守ってもらわないと困るけど、縛り付けるために呼んだんじゃないからね。貴方が“呉のためになる”と思う行動を、思う存分やってくれて構わない。あ、ただし必要になったら呼ぶから、その時はどんなことの最中であろうとも駆けつけること。これを“命令”として受け取って。あとは好きにしていいわ」

「………」

 

 物凄く奔放なことを、一気に仰った。それこそ、途中で口を挟むことを許さないってくらいに一気に。

 客将とまではいかないものの、他国の客人に好きに振る舞えなんて普通言わないだろうに。なのに言っちゃう雪蓮は、物凄い大物なのかただ単にお気楽なだけなのか。

 

「や……でもな。俺が勝手に出歩いたりするのは迷惑に───」

「城に閉じこもったままで、どうやって騒ぎを起こす民を説得する気?」

「あ」

 

 本末転倒。

 ここにきて、自分が呉に呼ばれた理由を思い出して赤面した。

 

「私は一刀に騒ぎを治めてほしいって言ったのよ? もちろん私達だって一刀だけに任せっきりにするつもりはないし、その中で、一刀は呉の子たちと手を繋げる機会を作ればいい」

「ん……」

「なに、打算的に言うつもりはないが、建業の民を先に鎮めたのは見事なものだ」

「そうなのか? って冥琳!?」

 

 あ、あれ!? いつの間に!? さっきまで雪蓮しか居なかったよね!?

 

「部屋に入る時はのっくをするのが礼儀だ~って、華琳に教わらなかった?」

「ほう? お前がそれを言うか雪蓮。仕事をほったらかしにして身を潜めているどこぞの王に逃げられないよう、そっと入ったつもりだったんだがな」

「一刀が悪い!」

「なんで俺!?」

 

 やっぱり仕事、ほったらかしだったのか。

 しかもそのことを問答無用で人の所為にしようとするし。随分と自由気ままな王様だ。

 

「まあ雪蓮のことはひとまず置こう」

「そうね、うん。出来ればそのまま置きっぱなしの方向で」

「それは駄目だな」

 

 キッパリだった。ものすごーくキッパリだった。

 

「一刀~、冥琳がひどい」

「そこで俺に振らないでくれ……で、あのー……冥琳? 雪蓮のことを置いておくのは賛成なんだけど、“ここ”の民を鎮───あ、そっか」

「………」

 

 ハッと答えに行きついた俺の横で口を尖らせて沈黙している雪蓮を余所に、目を伏せて口の端を持ち上げる冥琳を見上げる。

 あの、雪蓮さん? 置いておかれることを望んでたんだったら、そんなジト目で睨まないでほしいんだけど。

 

「まあ、そういうことだ。悲しみに追われた者は後先を考えずに行動するものだが、それも“先に動く者があれば”だ。民の騒ぎも最初にこの建業で起き、それに加わるような形で各町でも騒ぎが起こった。“呉の王や将の一番近くの町の者が騒ぎ出したから”だ」

「そっか……悲しかったとしても、進んで騒ぎを起こして処罰されたいわけじゃないもんな。だから、誰かが動いて、それに乗じる形で騒げば、少なくとも“一番に騒ぎ出したのは自分じゃない”って安心が得られる」

 

 あとは簡単だ。

 そうやって、子を失った悲しみや国に対する不満を持った者、果てはただ騒ぎたい者たちや関係のない者まで暴れ始める。

 でもその始まり───建業の民たちが笑顔を取り戻してくれたなら、少しずつでも騒ぎの勢いは鎮まっていくのだろう。

 ……もっとも、それは鎮まるだけであって解決じゃない。

 不満が募ればまた騒ぎは起こるだろうし、鎮まっただけであって笑顔を見せてくれるわけじゃない。

 そんな人たちを笑顔にすることが……

 

「お前だけの仕事、というわけではないぞ、北郷」

「へ? …………あ、あれっ!? 声、出てたっ!?」

「一刀って結構隙だらけよねー。秘密とか話したら、ぶつぶつ呟いてそう」

「い、いや……そんなことは……」

 

 ない、と言いたいんだが……たった今呟いていたところだ、きっぱりと言えるわけもない。

 

「北郷。最初に雪蓮が言ったが、お前の仕事は“民の騒ぎを鎮めること”だ。呉の将に存在する仕事を手伝う必要も、手伝わせるつもりもない。……そんな顔をするな、邪険にしているわけではない。ただお前には誰よりも民の傍に“在って”ほしい」

「民の傍に?」

「ああ。あれほど悲しみに暮れていた民たちに活気が戻った。他にやり方があったろうと言ったが、あれは私達には出来ないやり方だった。……いや、もし私達がやっていたとしても、それは“上に立つ者”が一方的に押し付ける感情としてしか受け取られなかっただろう」

「自国の民を殴られたことに引っかかりを感じないでもないけど、あれはあれでよかったのよ。だ・か・らっ」

 

 言葉のあとに、トンッと俺の胸がノックされる。

 手の行き先を追っていた俺の視線が戸惑いとともに雪蓮の目を見ると、雪蓮はやっぱり“にこー”と笑って続きを口にした。

 

「一刀。貴方は貴方のやりたいことをやりなさい。それが呉のためになるなら、私達が妨げに走る理由なんてこれっぽっちもないんだから。なんだったら呉の将と好き合って、呉の人間になってくれても───あ、うちの蓮華なんてどう? あれでけっこう───」

「だぁああ待った待ったぁああっ!! いきなりなにっ!? なんで急にそんな話になるっ! どぉおして雪蓮はいつもそうなんだっ!」

「え? なにが?」

「っ……め……めいりぃいいいん…………」

 

 マイペースな王様である。つい迷子の子供のような声で冥琳に助けを求めるが、「それがこの国の王だ、慣れろ」とだけ返される。

 この時、雪蓮が“ソレ”扱いされたことに抗議申し立てを実行に移したが、物凄く綺麗にスルーされた。王様なのにこんな扱いって……。

 

「とにかくっ! たしかに俺はこの国に居る間だけは呉に尽くそうって覚悟を刻んだけど、それとこれとは話が別っ! 揺るがないって言っただろ最初にっ!」

 

 混乱を払拭するように身振り手振りまで合わせて声を張り上げるが、「まーまー」と静かになだめられた。

 途端に取り乱した自分が恥ずかしくなるが、対して雪蓮は冷静な笑顔を浮かべると、靴を脱いだ片足を寝台の上に立て、その膝に両手と頬を重ねた状態で俺の顔を覗きこんで言う。

 

「ね、一刀。本当の本当に揺るがないって言える? ここで仲良くなって、たとえば明命や亞莎が一刀のこと好きなっちゃったりしても、“俺は魏に生き魏に死ぬから断る”ってきっぱり言える?」

「えっ……や、それはっ……」

「あのね一刀。私はべつに、一刀に呉に降れ~とか言ってるんじゃないの。同盟国だし、たしかにそうなれば絆も深まるわよ? でも私が言いたいのはそういうことじゃない。本気で惚れちゃったりした子に対して、一刀が本当に国の名を理由に断るかどうかを訊いてるの」

「うぅ……」

 

 何気に痛いことを言ってくれる。

 そもそも複数の女性と関係を持つことに抵抗が……いやいや俺が今さらそれを言うか?

 

(けどな……! それだって魏の仲間だったからで……!)

 

 困惑。

 真剣に考え、自分の答えを探すが……断る? ……断れるのか?

 覚悟を持って告白してきてくれた人が居たとして、例えば俺がその子の笑顔が好きだったとして……そんな子に笑顔以外の顔を、俺自身の言葉で……?

 

(…………でも)

 

 そう、でもだ。俺にも譲れないものがある。

 好きになって、守っていきたい、守ってやりたいって思える人が、町が、国がある。

 誇り高くて気高くて、寂しがり屋なのに素直じゃなくて。そんな人の隣で、ずっと同じ覇道を歩いていきたいって思える心がここにある。

 誰かの涙と比べていいものじゃないけど、魏を……彼女たちを悲しませてしまうくらいなら、どれだけ悪者になったって構わない───俺はその告白を断るだろう。

 

「……ごめん、雪蓮。それでも俺は揺るがないよ。俺は魏を、華琳達を“そうなる”ってわかってて悲しませる行動は取りたくない」

「ふーん……でもさ、一刀。好いた惚れたに国の都合を出して拒否するなんて、男として失格じゃない?」

「ああ、そう思われちゃうなら仕方ないよ。それでも譲れないものがあるなら、どれだけ自分の評価を落としてでも貫く覚悟が俺にはある」

「……ほう」

 

 トンッと胸をノックして、真っ直ぐに雪蓮の目を見る。

 と……どうしてだろうか。雪蓮の目はつい先ほどよりもやさしいものとなり、そんな笑顔のまま俺を見つめている。

 

「そっか、一刀は“華琳のもの”じゃなくて“魏のもの”なのね。私が言っても散々断ってた華琳が、こうして一刀を送り出した理由……なんとなくわかっちゃったかも」

「え?」

 

 俺が……なんのものだって? と訊き返そうとしたんだけど、穏やかな笑みがまたも“にこー”に変わると、雪蓮は声を出して笑って……冥琳は溜め息を吐いた。

 

「でもね、一刀。意思が強くてちょっぴり頑固な貴方に教えてあげる」

「? 教え……?」

 

 さて、どうしてだろうなぁ。この、目の前でにっこにこに笑う彼女を見ていると、こう……背中の辺りがゾワゾワと寒気に包まれていくんだが。

 ああっ、なんか続く言葉がとっても聞きたくないなぁ! どうしてなんだろうなぁ! 本能!? これが本能ってものですか!?

 

「一刀が魏や華琳達に悪いからって罪悪感があるなら、その魏の象徴である華琳に許可を得ればいいのよね?」

「……ひゅふっ!?」

 

 ぞくりとした寒気が現実のものとなって襲いかかってきた! お陰でヘンな声出た! よろしくない……この状況はよろしくない!

 コマンド:どうする!?

 

  1:たたかう(説得)

 

  2:まほう(巧みな話術で対抗)

 

  3:ぼうぎょ(聞こえないフリ)

 

  4:どうぐ(携帯電話を見せて話題をすりかえる)

 

  5:にげる(知らなかったか? 大魔王からは逃げられん)

 

  6;たすけをよぶ(冥琳への救難要請)

 

  7:ねる(堂々と。おそらく殴り起こされます)

 

  8:いしんでんしん(華琳へ届け! この思い!)

 

 結論:1! 正々堂々、試合開始!

 

「待った! もうさっきから何回待ったをかけてるかわからないけど待った! 許可がどうとか以前に、同盟国から呼ばれてきた俺なんかを呉の人たちが好きになるわけがないだろっ!? なのに華琳に許可なんてとったら、ただ恥をかくだけだぞ!?」

 

 と、押し退けるように言ってみるのだが───

 

「そう? なんだかんだでみんな一刀のこと認めてるし、あとでどうなるかなんて一刀にだってわからないでしょ?」

「ぬごっ!?」

 

 あっさりと反論を殺された。だめだ……なんとなくだけど、俺って一生、言葉じゃ女性に勝てないような気がしてきた。

 いや……いや! 困った時の冥琳さん! 彼女ならきっと、雪蓮のこういった行動を諌めてくれるに違いない!

 

「冥り───!」

「“あとがどうなるかわからん”という点については……なるほど、頷こう。私は軍師ではあるが、予知ができるわけではない。私が北郷に惹かれることが無いとは、残念ながら言いきれない」

「アイヤーッ!?」

 

 何故か頷いてらっしゃる!

 そんなっ、あなたが頼りだったのに! この大魔王を止められる勇者は、きっとあなただけだったのに!

 

「それともなんだ? 北郷は我々では全てにおいて魏に劣り、不満だと言うのか?」

「えっ!? やっ、やややっ! そんなことはっ! ってそうじゃなくて! いやでも、それは、不満とかそういう話じゃなくて、そりゃ綺麗だし可愛いし───って何言ってるんだ俺はぁあっ!!」

 

 神様助けて! なにか、なにか黒い陰謀が俺の知らないところで渦巻いている気がする! 頭に太陽をシンボルにしたような人形を乗せた軍師さんの力が、何故か俺だけ狙って蠢いているような……!

 風!? 風ーっ!! これってどういった陰謀なんだ!? まるで俺を大陸の父に仕立て上げたいみたいな……!

 ……いや落ち着け……逆だ。そうだ、逆に考えるんだ。

 雪蓮は“華琳に許可を得る”って言ったんだ。そんなことを、果たして華琳が許すか?

 

(…………)

 

 

“一刀に惚れた? まぐわいたい? ……そうね、ならば双方ともにどう可愛がったか、どう可愛がられたかを行為のあとに私に報告しなさい。さらに、そうした者全ての女性は私とも閨をともになさい? そうすると約束できるのなら、許可するわ”

 

 

(……許しそうだぁああ~……!!)

 

 頭を抱えて、心の中で思う存分叫んだ。

 そんな俺の様子を見てだろうか、ハッと気づいた時にはもう遅く……雪蓮は満面の笑顔を見せると、

 

「じゃ、私行くから。思春のこと、ちゃんと気にかけてあげてね。民の前でも笑顔になれるくらいにしてあげてねー」

「へっ!? や、ちょっ……待ってぇええええっ!!」

 

 軽い言葉のわりにズンズンズンズンと足早に歩くと、扉を開けてさっさと出ていってしまった。

 止める声虚しく、伸ばした手もなにも掴めず、俺は軽く目尻に涙を浮かべ、自分のこれからを思って頭を抱え直したのでした。

 ……うん、そんな俺の肩を、何も言わずにぽんぽんと叩いてくれる冥琳が、いっそ女神に見えました。……助けてくれなかったけどね、冥琳も。

 

 ……。

 

 

-_-/一刀

 

 そんなわけで、俺と甘寧は建業を歩き回っている。

 詳しく言えば甘寧に案内してもらう形で……まあ探検みたいなものだ。

 孫呉の王直々に今まで通りに過ごしなさいと言われ、さらにそれが自分の仕事だとまで言われては、部屋の中でうじうじしているわけにもいかず。

 夕方あたりまでを広い城内の散歩(みたいなもの)、夕方からは宛がわれた私室にて諸葛亮、鳳統と学校についての話。これには冥琳、呂蒙、陸遜も参加してくれるらしく、随分と豪華で大掛かりな話になったもんだと苦笑する。

 ……まあ、どちらにしろそんな言葉があったからこそこうして動けるわけで。

 我が儘を言わずに、城の中で国のことを考えるつもりだった俺にとってはありがたい言葉ではあった。

 そんなことを祭さんに話してみれば、雪蓮に次いで祭さんにまで「城に閉じこもったままでどう民を説得する気じゃ」と呆れられたのは記憶に新しい。

 

「それで頭ァ、今日はなんだってこんな男を連れて来たんで?」

「やっぱ沈ですかぃ!?」

 

 束ねた縄を“ギュッ♪”とウキウキした顔で握る水兵さん。貴方の笑顔が今、とっても怖い。

 

「その束ねた縄を何に使う気だよ! たたた助けて甘寧ぃいいっ! 沈されるぅうううっ!!」

「あっ、てめっ! 頭を呼び捨てたぁいい度胸じゃねぇか! やっちまえ!」

「だぁあああっ!!? 待っ……うわわわわぁああっ!?」

「やめろ。お前らの拳が腐る」

「腐らないよ!? って、だから助けるにしたってもう少し言い方ってものが……!」

 

 どうしてだろう。

 助けられてるのに、甘寧の言葉のほうがとっても痛い。あはは、泣いてもいいかなぁ俺。

 

「私が将としての全権を失ったのは、全て自身が原因のことだ。この男がどう動こうが、止めなかった私にこそ罪がある。生きて恥を被るくらいなら、とも考えたがな……私は生きると決めた。ここに寄ったのは私がこの男の下につくことになった事実を教えに来ただけだ」

「なっ……ありゃ本当だったんですかい!?」

「てめっ! やっぱ沈だ! 頭がてめぇなんかの下につくだなんて冗談じゃねぇ!」

 

 言うや、男たちが俺を組み敷いて縄でぐるぐると縛ァアーッ!?

 

「うわーっ! うわーっ!! やめやばば縛るな縛るなぁぁああっ!!」

「やめろ。ソレが死んだところで何も変わらん」

「…………うっうっ」

 

 もう素直に泣きました。

 連れてこられて縛られて、挙句の果てにソレ扱い……俺って……俺って……。

 

「北郷。そんなところに転がってないでさっさと起きろ。次へ案内する」

「ふ……ふふふ……どこへなりとも行きますよ……。もういっそのこと、自分が人ではなく“ソレ”でしかないとわかる果てにまで……」

「……? なにを言っている」

 

 はたはたと泣きながら、縛られかけていた体を起こして縄を払う。

 水兵の皆さんもなんだか呆気に取られているようで、ぽかんとした顔で甘寧を見ていた。

 そんな様子を見て、さっさと歩いていってしまう甘寧を小走りに追って、耳もとで囁いた。

 

「なぁ甘寧? あれ───はぶしっ!」

 

 痛っ……って、あれぇ!? 殴られた!? なんで!?

 

「なんのつもりだ……! 急に耳に息を吹きかけるなど……!」

「えぇっ!? ちがっ……ただ内緒話のつもりで───」

「頭ァ! どうかしたんですかい急に殴って!」

「やっぱ沈ですかい!?」

「ヒィ!? ちがっ! それこそまさに違うからっ!! なんでもないからウキウキ笑顔で走り寄ってこないでくれぇええっ!!」

 

 笑顔……それは、笑顔を忘れた人達に思いだしてほしいもの。

 だけどこの笑顔はちょっと種類が違っ……違うから縛らないで縛らないでぇえええっ!!

 

「よっしゃあ孺子(こぞう)! てめぇに海軍水兵の地獄の(しご)きってやつを叩き込んでやる!」

「腕が鳴るぜぇええ……!!」

「扱くだけなのにどうして腕が鳴るんだぁああっ!! かっ、甘寧! 甘寧ぃいーっ!! 止めてくれるって! どんなことでも阻止するって言ったよね!? 今こそその言葉を真実に───」

「───よせと言っているのが聞こえなかったか!」

『っ!!』

 

 俺の悲鳴を遮るように張り上げられた声が、縛った俺を抱えて走る水兵たちの足をビタァと止めさせた。

 叫んでいた俺さえもが、喉をぎゅっと絞るようにして息を止めるほどの威圧感。

 そして、おそる……と振り返る水兵たちの目には、ツリ目をさらに吊り上げた鋭い眼光を放つ赤の魔人が……!!

 

「たしかに私はもはや呉の将ではなくなった。だが武力までは捨てたつもりはない。聞き分けを知らず、平定した呉の内部で騒ぎを起こす気であるなら───、……我が“鈴音”で貴様らの首を刎ね、黙らせるまでだ」

(こっ……怖ぁあーっ!!)

 

 恐らく、俺を含めた男の全てがそう思っただろう。

 氣が使えなくたって、気配を感じられなくたって、生命としての本能が報せる“恐怖”ってものがある。

 庶人の服に身を包んだ彼女のソレ……殺気といわれるものは凄まじく、暗殺なんてとんでもない……“呉のためならば本気で黙らせるまでだ”って顔で、俺達を睨んでおりました。

 

「へ、へいっ! すいやせん頭ァッ! お、おらっ! てめぇもっ!」

「へあっ!? ご、ごめんなさ───あれぇ!? 俺なんか悪いことしたっけ!?」

 

 どこから出したのかわからない曲刀に陽光が反射する様を見ながら、もうこんがらがってしまった頭の中でいろいろと考える。

 うん、こういう時ってとことん纏まらないよね。わかってたさ。

 ともあれ地面に下ろされ、縄をほどいてもらうと足早に甘寧の傍へと駆ける。

 そうしなければ危険な気がしたんだ。水兵の皆さんではなく、甘寧が。だからなんとか説得して刃を納めてもらい、ようやく安堵。

 「今度はてめぇ一人で来やがれぇーっ!」と叫ぶ水兵さんの皆さんに引きつった笑顔で手を振りつつ、彼女の案内のもと、建業を歩き回った。



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09:呉/傍らを歩く朱の君よ②

 で……陽も暮れようとする頃、城への道を歩く中で甘寧に言った。

 

「あのさ、甘寧」

「なんだ」

 

 感情が湧いた様子のない、押し退けるような声で返事がくる。

 やっぱり嫌われてるのかなと思いつつ、それでも話を続けた。

 

「いくら知ってる相手だからって、武器で脅すのはちょっとまずいんじゃないか?」

 

 水兵さんたちのことだ。

 あれから親父のところへ挨拶しに行って驚かれたりもしたけど、ずっとそれが気にかかっていた。

 

「将ではなくなったとはいえ、あれは私の管轄だ。即座に黙らせる方法はよく知っている」

「それにしてもだよ。どこから出したのか知らないけど、戦いは終わったんだってことを伝えたいのに刃物を見せたら、相手だって構えるだろ? そういった噂がどこからか流れたりしたら、民だって甘寧のことを怯えた目で見るかもしれない」

「私は構わん。それが民にとって、必要である緊張までを緩ませ過ぎんがための薬になるのなら───……なんだ」

 

 ザッと、先を静かに歩く甘寧の前に立つ。

 甘寧は足を止めて鋭い目で俺を睨むけど、その目を真っ直ぐに見て、自分は退く気はないんだとわからせてから───

 

「俺が構う。それは、俺が嫌だ」

 

 自分勝手なことを、それこそ真っ直ぐに甘寧へとぶつけた。

 町をゆく民たちがチラチラと俺と甘寧を見るが、立ち止まろうと思う者はおらず、後ろ目にしながら去っていく。

 

「貴様が? 私の都合で何故貴様が嫌悪感を抱く」

「俺は、民には甘寧にも自然体で向かってほしい。怖がることなんてしないで、子供達も笑顔で寄ってきてくれるくらい。……俺、民を見る甘寧がとてもやさしいことを知ってる。民のためならって、自分の地位を投げ出すやさしさを知ってる。だから───」

「黙れ」

 

 言葉の途中、甘寧がさらに鋭い目つきで俺を睨む。

 息をすることさえ許さぬといった威圧感とともに、その目に怒気さえ孕みながら。

 

「知ったふうな口を叩くな。民を見る目がやさしい? 地位を投げ出す? ……そんなものは打算でしかない。民のためなどではない、私はただ蓮華様のために───」

「違う」

 

 けど、そんな目に睨まれながらも、次に言葉を遮ったのは俺だった。

 いまだ怒気をぶつけられながら、話の途中に否定されたことに怒気を増させる甘寧を前に。

 

「違う、だと……? 貴様に私のなにがわかる。手を繋いでやった程度で全てを知った気でいるのなら、貴様という男の程度が知れるぞ」

「俺の底だとか程度なんてどうでもいい。底が知れるなら、むしろ知ってほしいくらいだし、教えてほしいくらいだ。でも、間違ったことは間違ってるって言ってやる誰かは誰にだって必要だ。……なぁ甘寧。甘寧の行動は全部孫権のためか? 将って地位を捨てたのも、俺の下につくことに頷いたのも……あの時、民を見て“悪くない”って言ったのも……全部孫権のためか?」

「そうだと言っている。私の全ては呉の、蓮華様のためにある。尽くすことを禁じられ、貴様の下につこうがその想いは変わらん」

 

 目を逸らすこともせず、真正面から言われた言葉が突き刺さる。

 彼女は本気だろう……呉のため、孫権のために自分はあるのだと心から言っている。

 けど、そこに民への思いが無ければ、あんなやさしい顔を見られるはずがないんだ。

 

「それでも……いや。それならなおさらだ。……笑ってくれ、甘寧」

「なっ……」

 

 なにを言い出す、と言わんばかりの戸惑いの顔。

 そんな顔を真っ直ぐに見つめたままに、俺は険しい顔を引っ込めて笑ってみせた。

 

「甘寧。雪蓮が目指す呉の姿は、みんなが笑っていられる国だろ? 全ての民、全ての将、その全てが……同じ時間、同じ場所、同じ日じゃなくてもいい、日を跨いででもいつか、笑っていられるような国があればって……俺だってそう思う」

「……だが笑ってばかりでどうする。泥を被ろうが、誰かが緊張を忘れぬための刃にならねばならん。それがたとえ王の願いだとしても、誰かが成さねばならんことがある」

 

 甘寧は引かない。俺を睨みつけたまま、視線を動かさずにずっと俺の目を睨みつけていた。

 

「ああ、そうだ。でもさ……」

「っ!? な、なにをす───」

 

 手を繋ぐ。俺の目を睨んでいた目は途端に繋がれた手へと落ち、振り払おうとする手を強く強く繋げた俺に、その視線は再び俺の目へと戻る。

 

「甘寧、俺に言ってくれただろ? 全部一人で背負い込むことはないって。今日、甘寧が泥を被ってくれたなら、明日は俺が被ればいい。明日俺が被ったなら、次は誰かが被ればいい。ずっとそうやって、みんなが笑っていられる国を作っていこう? ……俺は、みんなが笑ってるのに甘寧だけが笑ってないなんて、そんなの嫌なんだ」

「…………な、う…………」

 

 甘寧の顔が、じわじわと赤くなってきた気がした。

 ふと気づけば陽は沈もうとし、ああ、夕陽の所為かなんて暢気に思っていた。

 

「俺の仕事が民の騒ぎを鎮めることで、俺のやりたいことが民を笑顔にすることならさ。俺は今、甘寧っていう綺麗な女の子を笑顔にしたいよ。誰に頼まれたからじゃない。きっと、甘寧が庶人扱いになってなくても手を伸ばしたし、笑顔が見たいって思った。だからさ」

「あ、う、う……」

 

 陽が沈んでいく。

 人の通りもまばらになった町を、最後に朱が駆け抜けるみたいに。

 そんな朱は甘寧によく似合うな、なんて思いながら……大地に伸びる自分と甘寧の影をそっと見て、恐らく俺の肩越しに沈みゆく夕陽を見ているであろう甘寧を改めて見つめて。

 

「笑ってくれ、甘寧」

「───!」

 

 陽が、最後の輝きを見せる。

 自分の肩越しに見える光の所為か、目を細めた彼女に心からの笑顔を送って、繋いだ手から思いが届くようにと強く強く握って。

 

「………」

「……、……」

 

 やがて陽が完全に落ちて、暗くなるまでその状態は続いた。

 返事を……笑顔を待っているつもりだったけど、甘寧は俺の顔を見たまま動かない。

 硬直してる……わけないよな。むしろ……あれ? 夕陽は落ちたはずなのに、顔が真っ赤っかなような……?

 心無し、目が少し潤んでいるような……いや待て、肩も震えて……まさか風邪!?

 しまった、海(いや河か?)を見に行ったり歩き回ったり、案内されるがままで甘寧の体調のこと全然考えてなかった!

 ど、どうする? これはすぐに城に戻ったほうが……い、いや、ここで「風邪引いたんじゃないか?」なんて言えば、甘寧は否定し続ける気がする。なんとなく主思いというか、誰かを思ったら一直線ってところは春蘭に似ているし。人はそれを頑固と言うが。

 だったらここでの最善は、あー…………

 

 

 

-_-/甘寧

 

 …………不思議な感覚だった。

 味わったことが無い……ああそうだ、味わったことのない感覚。

 真っ直ぐに覗かれた瞳に、繋がれた手。落ちる陽に重なる男。

 私の目を見る男など今までで何人居ただろう。

 見たとしても即目を逸らし、あらぬ方向を見てはぼそぼそと用件を話す。

 錦帆賊の部下にしてもそう変わらない。

 たしかにこちらを見るが、目ではなく“甘興覇”を捉えて話すといった風情だった。

 目を覗きこまれ、そのまま意思を叩きこまれたことなど、呉の将や戦場以外ではされたことなどなかった。

 だというのにこの男は、少しも逸らすことなく真っ直ぐに私の内側へと語りかける。

 

 ───おかしい。

 心の臓の鼓動が早まり、それが肺臓の働きを阻害し、呼吸が乱れる。

 苦しいくらいに呼吸が乱れ始め、陽が完全に落ち切る頃には平静さを保っているのも辛くなってくる。

 なんだという。

 この男の笑顔が落ちる陽に重なった刹那より、私はどこかを壊された。

 この男を見ているのが、たまらなく辛い。苦しい。

 繋がれている手をとても振り払いたくなり、払った途端にこの男から逃げ出したく───……逃げる? この男から、私が?

 

「………」

 

 癪だ。

 武将ですらない男から逃げるなど、将ではなくなったとはいえ恥だ。

 逃げん。私は……わわ、私、は……逃げ、逃げ……!!

 

「う、うわっ! 呼吸が荒くなってきた……! 風邪、だよな、やっぱり……えぇっと……とにかく城にっ!」

「? ……っ!?」

 

 目の前の男……北郷が、繋いでいた手を急に引くと、情けなくもあっさりと体勢を崩した私を己の背に乗せ……な、なぁあっ!?

 

「き、ききき貴様、なななにをっ───」

「いいから任せて甘寧は休んでてくれっ! 大丈夫大丈夫、これでも体力だけには自信があるからっ!!」

「ちち違う、貴様はなんのつもりでこんな……!」

「風邪なら風邪だって言わなきゃだめだろっ! そんな、呼吸が苦しくなるくらい我慢してたら国に返す前に倒れるだろっ!?」

「…………なに?」

 

 今、なんと言った? ……風邪? 風邪と言ったのか、この男は。

 

「………」

 

 何故だろうな、この時の私は素直に苛立った。

 動悸も激しく呼吸も荒い、恐らくは顔も赤いのだろうが……なるほど、症状だけで唱えれば風邪と言えるだろう。

 だがこの息が詰まる衝動を風邪と、どうしてか他ならぬこの男に言われたことがとても癪だった。

 癪だったのだが……。

 

「はっ、はっ……はっ……」

「………」

 

 理由はどうあれ私のために走り、極力私の体が揺れないようにと、足を大きく振り上げて走るのではなく高さを保ったままの重心の低い走りをするこの男。

 そんな男を見ていると、不思議と癪だった心も治まりを見せた。

 

「………」

 

 誰にも届かぬような声で、もう一度だけ唱える。

 自分だけに届いたその言葉に自分で驚きながら、今さら何を言っても下ろさぬだろう男の背に、諦めの息を吐きながら体を預けてみた。

 

(……甘寧という女の子の笑顔を、か……)

 

 女として扱われたことに驚きを感じた。

 怒気を浴びても目を逸らさぬ在り方に驚きを感じた。

 私に笑ってほしいと微笑みかけた、北郷一刀という男に驚きを感じた。

 

(調子が狂う。こんな男は初めてだ……)

 

 こうして他人に体を預ける自分も意外ならば、こうすることで胸の高鳴りが落ち着きを見せたことも意外だった。

 よくはわからん。よくはわからんが───

 

(……別段、悪くはない、とは思う)

 

 自分だけに聞こえた言葉をもう一度繰り返し、目を閉じようとするその途中。長い自分の髪が、北郷が駆けるたびに揺れ、それが自分が女であることを思い出させる。

 この衝動がどういったものか、自分のことだというのに掴み兼ねているが……悪くないと思えるのなら、その方向へ歩んでみるのもまた新たなる一歩なのかもしれない。

 将としての自分は死んだ。

 ならばもう一人……ここから庶人として生きていく自分は、衝動に任せた行動を取ってみるのも一興なのかもしれない。

 

(……そうだな、貴様の言う通りだ)

 

 ふと目を開けると……城への道、最後に擦れ違った町人と目が合う。

 その目がすぐに逸らされることを、当然のこととして受け取ってしまっていた自分にようやく気づけた。

 私はもはや将ではないが、ならば将であった自分に出来たことはなんだというのだろう。

 睨みを利かせるだけなら今の私でも出来る。

 威圧感だけで場を鎮圧することすら、今の私でも出来るだろう。

 ならば、私が将であるうちにやればよかったことなど───

 

(笑顔か……)

 

 上に立つ者が常に気を張った顔をしていて、どうして下の者が心から笑えるのだろう。

 私は……笑っていればよかったのだ。

 笑って、民に戦は終わったのだと言ってやればよかった。

 すまなかったと、子をむざむざ死なせてしまってすまなかったと、心から謝ればよかった。

 それが真実、“地位よりも民のため”と胸を張れる行為だったのではないか。

 

「……北郷」

「なんだっ? はあっ……もう少しで着くぞっ、大丈夫だからなっ」

「………」

 

 声を掛けた理由もわかっていないというのに、どうしてか私のために走っていることが事実なこの男。

 そんな男に、不覚にも力が抜けるのを感じた。

 ……さて、私は……この男に何を言うべきだろう。

 もはや遅いことだが、気づかせてくれたことに対しての感謝? それとも───

 

「……、」

「ん……? うおっ!? か、かか甘寧!? ますます顔が赤いぞっ!? ごめんっ、俺足遅いかっ!? 一応不慣れなりに氣を使って走ってるんだけどっ……!」

 

 間近で覗かれた顔が灼熱する。

 だが、嫌な感じはいまだに感じない。

 

(なるほど。こんな男だから、曹操殿は……)

 

 こんな男を傍に置いておく魏の連中の考えがわからなかった。

 しかし、今ならわかる気がする。それはとても漠然としたものだが───不思議と、思わせてくれることが一つだけあった。

 

  “この男は裏切らない”。

 

 たとえ呉を離れたとしても、一度信じさせた者を決して裏切ることなく受け止めてくれるのだと。

 ならば───

 

「……甘寧? 急に喋らなくなったけど……熱とか上がったりしてるか?」

「“思春”だ」

「……へ?」

「私の真名だ。貴様に預ける」

「へー……えぇっ!? 真名!? 真名を預けっ……ちょ、ちょっと待ってくれ! 城まで運ぶお礼だとしたらあまりにも行き過ぎだろっ!」

「黙れ」

「だまっ……!? え、っと……その、いいのか? 甘寧は俺のこと、嫌いだと思ってたけど」

「“友”に真名を許さないでは、私の気が済まん。ただそれだけのことだ」

「───……」

「………」

 

 戸惑ってばかりの北郷に言ってやると、北郷は息を飲み、そのまま黙った。

 いつの間にか足も止まり、誰も居ない城の通路で二人、言葉もなく互いの鼓動と呼吸だけを感じていた。

 つくづく調子が狂う。蓮華様で占められていた私の意思を、少しずつ、だが確実に北郷という男が蝕んでいく。

 それが嫌でたまらないと口で言うのは簡単だが、私の内側にはそれを喜んでいる私がたしかに存在していた。

 

「……なにか言え」

「え、やっ、だまっ……黙れって言ったばかりだろ!? そりゃ話もなくこんなところで立ち止まって、なにか言わないのは変だとは思うけど───あ、甘寧っ!?」

 

 わあわあと焦ることをやめない北郷の、私の足を支える手を解き、自らの足で通路に立つ。私の身を案じているらしい北郷は、すぐに私と向き合い心配そうな顔で見つめてくるが───

 

「貴様は……よく、人と目を合わせて話すのだな。大事なものだ、逸らすことなく真っ直ぐに、そのままでいろ。……無論、今もだ」

「……いい、んだな?」

「何度も言わせるな。早く───、っ!?」

 

 何故か妙に気恥ずかしいので、さっさと言え、と言っている最中、目の前の男が急に手を握ってきた。

 

「だったら、まずはちゃんと手を繋がせてほしい。……届いた、って……伸ばしてくれたって、受け取っていいんだよな?」

「は、早くしろと言っているっ」

「ああっ、ははっ……よろしく、“思春”」

「………、───」

 

 その言葉に、その笑顔に、我が真名に、不思議と小さな喜びを感じた。

 それは、些細なことで蓮華様と喜びを共有した時のような感慨。

 ああ、私はどうなってしまったのだろう。誰かに説うたところで答えは来るのだろうか。顔が熱く、体から力が抜け、だが視線だけは目の前の男の目を見つめたままで───

 

(あの朱……)

 

 あの朱の陽が、私のなにかを破壊した。

 落ちる日差しにこの男の笑顔が重なった瞬間、私はその朱に惹かれていたのだろうか。答えを教えてくれる者はおらず、しかし目の前の男の目が、答えは足で探そうと言っている気がした。

 そう、この男は言ってくれた。“一人より二人のほうが、出来ることが増える”と。私だけでは見つけられぬものも…………見つかるのだろうか、この男とともになら。

 ……いや、だとしても、寄りかかるつもりなど私にはない。それでいい。

 

「で、ではな。私は戻る。……風邪など引いていない、そう心配そうな顔を向けるな鬱陶しい」

「うわっ、友達になっても容赦ないな……! うん、でもまあ……はは、甘寧……っと、思春らしくていいかも」

「………」

 

 もはや顔が熱くなっていくのを止めることも出来ない。

 ここまで我が身が思い通りにならないものだとは想像だにしなかった。

 そんな自分を見られることがなんとなく嫌になり、足早に城を出ようとするのだが。

 

「あ、待った思春!」

「なななんだ!」

 

 急に声をかけられ、勢いのままに振り返る。

 怒鳴るような声が出たことに自分こそが驚いたが、北郷はそんな私の怒声にも似た声を笑って受け止めた上で、切り出した。

 

「あの。そっち、出口しかないだろ? 思春は何処で寝泊りするつもりなんだ?」

「? そんなものは決まっている。馬屋だろうとなんだろうと、借りられるものを借り───」

「却下」

「?」

 

 ぴしゃりと却下され、思わず思考を停止し───否だ。

 

「待て、何故貴様に却下される。雪蓮様の許しを得たとはいえ、私は庶人であり町人とそう立場は変わ───」

「だったら一応の上司として言うから。そんなものは却下。女の子が馬小屋で寝るなんて、俺は許さないしみんなだって許さない。思春が俺の部屋で寝てくれ、俺が馬小屋に行くから」

「あれは貴様に宛がわれた部屋だ。貴様が使わんのでは意味がない」

「意味ならある。宛がわれたお陰で、友達がきちんと寝られるよ」

「…………~……!」

 

 “この男、いっそ殴ってくれようか”。

 何故こうも軽々とこういうことが言えるのかと考えていると、自然とそんな言葉が浮かんだ。

 この男について一つわかったことがある。

 “友”に対しては、随分と遠慮が無くなる。だがなるほど、それが友というものならば、それもまた当然か。

 自分はたしかに、この男に友と思われているということだ───が、それとこれとは話が別である。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……そうして、どれくらい経ったのだろう。

 俺が私が、貴様は関係ない、いいや関係あるなど、ギャーギャーと通路で訴えかけ合い、しかし決着などはつかないまま。

 甘……じゃなかった、思春がここまで頑固者だなんて思わなかった。

 友達になることを受け入れてくれたのは嬉しいんだけど、だからこそ友達を馬屋なんかじゃ寝かせられない。

 まして、相手は戦地を駆けた猛将とはいえ女の子なんだ、そんなことはさせたくない。させるくらいならいっそ───

 

「………」

「…………? どうした」

 

 いっそ……いやいやっ、それはまずいだろっ! 絶対に誤解されるって! そんな、“じゃあ一緒に寝よう”なんて……!

 せっかく友達になれたのに、いきなり絶縁状突き出されるようなこと言ってどーすんだ!

 

「やっぱり思春が使うべきだっ! 馬屋には俺が行くからっ、なっ?」

 

 口早に話し、そそくさとその場から離れ───ようとしたが回り込まれた!

 それは音も無しに動くという、暗殺者の行動にも似た素晴らしい動きで……! って感心してる場合じゃなくて!

 

「何処へ行く気だ。貴様はこれから軍師殿達と話をするんだろう」

「あ」

 

 顔が灼熱するあまり、これからの行動を忘れていた。

 しかしそれも仕方ない。相手も自分も譲らない上、浮かんだ結論は友達にも同盟国の人にも言うような言葉じゃない。

 勝手な行動は慎もうとか誓ったその日に、同じ部屋で同盟国の女性と一晩過ごすとか、危ないだろ……!

 わ、我が身我が心は魏とともにあり。なのにそんな、友達になったからって“部屋に来ないか”なんてさすがに節操がないにもほどが……っ……! ほどっ、ほどが……ほ…………ほど?

 

(……あれ?)

 

 節操? そんなの俺にあったっけ……。

 そんなことを考えてみたら、少しだけほろりと涙がこぼれ───そんな涙を見た思春はなにを思ったのか、少々困惑顔をすると、

 

「わかった。ならば馬屋ではなく兵舎を借りるとしよう」

「いやそれはもっとまずいからっ!」

「な、なにっ?」

 

 目を伏せ、小さく言ってくれた───言葉に待ったをかけた俺がおりました。

 規律に富む呉の兵達が、まさか思春に手を伸ばすなんてことはしない。しないが、たとえしないとはいえ女性が一人男たちの巣へ舞い降りてみろ。

 

(むしろ兵たちが可哀想だ)

 

 うん、ということで却下。

 そんなことさせて、兵たちに緊張と恐怖で眠れぬ夜を過ごさせるくらいならいっそ───い、いっそ……。

 

(困ったな……えぇと)

 

 少し考えてみて、実は自分が女性を誘うようなことをしたことがなかったと、今さら自覚する。

 どちらかというと魏のみんなからは誘われて行為に移ることばかりで、行為に移らなかったとしても、こうして意識して言うことなんてほぼなかった。

 ……じゃあ待て? これって俺が、初めて誰かを誘う行為になる……ってことか? って待て! 話が逸れてる! 誘うって言ったってそういう意味じゃなくて───ああもうなに通路の真ん中でこんなこと考えてるんだよ俺っ……!

 

「一緒に来てくれっ、思春っ!」

「なっ……?」

 

 このままだと埒が空かない。

 今はとにかく思春を一人にしないで、監視って意味でも一緒に居るほうが大事な気がしてきた。

 一人にしたらいつの間にか馬屋に居そうだし……仕方ないよな。

 これから冥琳達も話し合いに参加するんだから、その時に思春のことも話せば、きっと部屋くらい用意してくれる。

 

 

───……。

 

 

 ……さて、そうして。

 何故か俺の私室に集うことで始まった、蜀の軍師と呉の軍師を混ぜた話し合いなのだが。

 

「ほぉ……? 真名を許されたか」

「……!」

「手が早いですねぇ~、一刀さん」

 

 学校についての議題が持ち上がる前に、思春が何処で寝泊りするかを議題にかけてみたんだが……呉の将の反応は様々。

 一番に思春に真名を許されることが意外だったのか、多少の驚きを見せながらも悠然と構える冥琳。

 同じく思春が真名を許したことが意外だったのか、相当の驚きを見せ、口を長い袖で覆いながらふるふる震えている呂蒙。

 そして、なにを勘違いなさっているのかにこにこ笑顔で手が早いと仰る陸遜。

 諸葛亮や鳳統に至っては、二人で小さく話し合っては顔を赤くし、時折「きゃーっ」と声を殺して叫ぶという、器用なことをしていた。

 

「えーと……それで、思春が何処で寝泊りするか、なんだけど」

「今までの部屋で構わん……と言いたいところだがな……さて、罰は罰だと言った手前、そういうわけにもいかんな」

「では~、上司である一刀さんと同じ部屋で寝泊りする、というのはどうですかねぇ」

「ぶほっしゅ!?」

「ひゃあっ!?」

 

 ふむ……と腕を組み、眉を寄せる冥琳とは逆に、のほほん笑顔であっさりと言う陸遜に、思わず咳き込むように噴き出した。

 近くに居た呂蒙はそれはもう驚いたようで、カタカタと震えて……って、あぁあもう……!

 

「ご、ごめん呂蒙! ───陸遜っ、人が散々悩んでたことを、なにそんなあっさり言ってのけてるの!? さすがにそれはまずいだろって、それだけは口に出さなかったのに!」

「いいえぇ、お役に立てたのなら~」

「“言いづらいこと言ってくれてありがとう”ってお礼言ってるんじゃないんだけど!? 冥琳、何か言ってやってくれ!」

「ふむ。まあ、たしかにいろいろと問題は出てくるが───北郷が納得出来ないのであれば、誰かが言ってやるより他はないだろう。馬屋では寝かせたくない、だが罰は罰だというのであれば、そういう方法も手だ」

「えぇっ!? ……りょ、呂蒙……? 呂蒙はその……反対とかしてくれ……るよな?」

「い、い……い、一緒の部屋に、ででです、か……? 一刀様と思春さんが……? あ、あうあうあゎあ……!」

「あぁああっ、呂蒙! 考えすぎちゃだめだ! そういうのはないっ! ヘンなことは絶対にないからっ!」

「必死になるところがぁ……んふふふ、あやし~ですねぇ~っ」

「りぃいいくそぉおおおんっ!! 話をややこしくしないでくれぇええっ!!」

 

 一言。人選ミスである。

 冥琳はちゃんと考えようとしてくれているのだが、陸遜は赤面する俺を突付くことに夢中であり、呂蒙は真っ赤になった顔を長い袖で覆ってしまい、話をしようにも顔をふるふる振るって聞いてくれない。

 諸葛亮と鳳統は相も変わらず囁き合っているし……当の本人、思春は少し離れた部屋の隅で気配を殺して待機なさっておられる。

 ああ、なんだかもういろいろと困った状況になった。この場を鎮めて、話を進めさせるためにはどうすればいいのか。

 誰も不快にならず、場を鎮めるには……えぇと。

 

「───わかった。じゃあ……思春。今日からここで寝泊りしてくれ」

「はわっ!?」

「あわぁっ!?」

 

 決意を胸に口に出した途端、諸葛亮と鳳統がとても高い声で驚いていた。

 その一方で呉の将……冥琳と陸遜と呂蒙は息を飲んで俺を見て……あ。呂蒙が顔を真っ赤にして倒れ伏し───って呂蒙さん!? 呂蒙さぁーーーん!?

 

「呂蒙!? 呂蒙! しっかり! ああもう、ヘンなことはないって言ったのに……!」

 

 どうしたものかと悩んだりもしたが、ここは仕方ない。

 呼びかけても起きない呂蒙をお姫様抱っこで抱き上げると、寝台にぽすんと寝かせ、大きな溜め息を吐く。

 

「さて北郷。話の続きだが───まさか“ここで寝泊り”と、そうくるとは思っていなかった。が、いいのか? 仮にお前が手を出さなかったとしても、そういった噂は広まるものだぞ。主にこの者から」

「ひどいですよぅ冥琳さまー、わたしだって結ぼうと思えば口を結ぶくらいできるんですよぅ? ねぇ、一刀さんー」

「………エット」

「あぁんどうして目を逸らすんですかー!? 一刀さんは頷いてくれるって信じてたんですよぅ~!?」

「そういうことはその、人をからかう態度を改めてから言ってくれ」

 

 しかし、心に決めたからには曲げられない。

 そんな心が、どこかで“誰かが否定してくれないかな”なんて弱音を吐いているが、思春が馬屋で寝泊りすることや、兵たちに眠れぬ夜を過ごさせるよりはよっぽどマシってもんだ。

 ちらりと思春の表情を盗み見てみたが、目を伏せ微動だにしない様子はさっきとまるで変わっていない。……代わりに、顔がやたらと赤かった。

 

「じゃあ……学校についての話、始めようか……」

「そうだな。暇だと豪語できるほど、時間が余っているわけではない。───諸葛亮、始めよう」

「は、はいっ! それではまず、私塾との違いの明確化ですが……」

 

 そうして、ようやく学校についての話し合いが始まる。

 呂蒙がはうはうと目を回している中で、あんな話のあとだというのにみんなは真面目に話に乗ってくれた。

 俺の世界の学校の在り方や、こうであればいいなということ。それらをまず話して、効率問題やこの世界と天との相違点を議題に挙げ、煮詰めていく。

 そうしていると案外時間が経つのは早いもので、途中から目が覚めた呂蒙も混ぜた話し合いも終わりを迎え───

 

「………」

「………」

 

 沈黙の時、来たる……!

 諸葛亮や鳳統も案内された部屋へと戻り、俺達も食事を済ませ、風呂の時間も過ぎ、あとは寝るだけというところに至っていた。

 俺の部屋で寝泊りの件については、それはもうしっかりと陸遜の口から漏れ届き、一時は孫権が乗り込んでくるという恐ろしい事態にもなったのだが。

 孫権は俺の目をギンッと睨むと、何度も深呼吸をしてから一言だけ言った。

 

  “真名を許されたそうだな”

 

 ……たったそれだけ。

 それだけ言うと、来た時とは対象的にどこか嬉しそうな顔で、孫権は部屋を出ていった。

 

「じゃあ……寝よう、か……?」

「………」

「あ、いやっ! べつにヘンな意味じゃなくてっ! 大丈夫! 誓ってもいい! 間違いは起きないっ!」

 

 そう……高くあれ北郷! 胸を張って魏に帰れる自分であれ! 同盟国の女性に手を出してしまう節操無しではないんだと、胸を……!

 

(…………素直に張れないのはどうしてかなぁ……)

 

 前科というか……魏のみんなを愛した過去があるからでしょうか。

 ともあれ、手を出さないという覚悟を胸に、自分の中の(ジュウ)が暴れ出さないように構えるだけでも案外手一杯。

 暗くなった部屋で二人、一つの寝床に横たわると、思春の吐息とか行動がやたらと気になって───アウアーーッ!!

 

(無心だ、無心……! 寝苦しい夜でも“それが当然”と思えるようになれば寝苦しくない! そうだ、心頭滅却しても熱いものは熱い! ……ダメじゃないかそれ!!)

 

 ……結局。

 一年の禁欲生活に加え、戻ってきても華琳たちとその、いたしていなかった俺の衝動は膨れる一方。

 しかし手だけは絶対に出すまいと無理矢理に(ジュウ)を押し込め、耐えに耐え続け………………ようやく眠気が欲に勝ったと思った時、既に外は白んでいた。

 …………神様…………俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 



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10:呉/波乱の一日【上巻】①

幕間/日々の合間に

 

 時間は流れる。

 さっさと行ってさっさと帰ってきなさいと言われたにも係わらず、その実てんで帰れる様子もなく。

 気づけば一週間、二週間と軽く過ぎ……やがて呉に来て一ヶ月も過ぎようとする頃には、ようやく呉で起きる騒ぎも減ったと思えるくらいになった。

 雪蓮や孫権は精力的に民との交流を望み、民の声を聞いた上で、より豊かに過ごしやすくなるような国を作る……いや、作っていこうと口にし、実行に移していった。

 離れた町に行く際には必ずと言っていいほどに俺が同行を命じられ、俺もそれには喜んで同意。様々な町を回り、民と会話をして、少しずつだけど笑顔を増やしていった。

 

「んー……冥琳、もっとこう……民も将も楽しめる娯楽を作ったらどうかな」

「娯楽か。ふむ……資金面はどうする気だ? 娯楽と言っても、作ろうと口にするたびに出せるものではないぞ」

「賭博場……はまずいよな。もっと明るいのがいい。子供も大人ものんびり楽しく……う、うーん……争いから離れるため、だから……喧嘩に近いものは却下として、えー、あー、おー……何か、何かないか何かぁああ……!! ……ん、あの、諸葛亮、鳳統? なんで俺のこと見て目を輝かせてるんだ?」

「はうあぁっ!? えとえとはうぁああっ……!!」

「あぅっ……な、ななななんでもないですぅう……!!」

「悩み苦しんでる男なんて見てても楽しくないだろ? それより一緒に考えてくれるとありがたいんだけど……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「考えますっ……!」

 

 様々な町を回っては、どちらかというと子供たちに捕まって遊んでくれとせがまれるばかりの俺。

 その後方で、仕方の無い……といつものように溜め息を漏らすのは思春だった。

 それでも交流は続き、主に俺を介するかたちで民たちとの仲は、以前に比べて確実に良くなっていった。

 もちろんトラブルがなかったわけでもなく、そのたびに雪蓮が騒いでは、俺も呼び出されて思春も付き合わされて。

 

「一刀っ、国の一大事よっ! 手伝って!」

「ああもう今度はなんだよ! 馬の子でも産まれたかっ!? 作物の収穫が間に合ってないのか!?」

「両方っ! それが終わったらちょっと遠くの町まで行くからっ! いいお酒が出来たそうだから、祭連れて飲みに行くわよっ!」

「なんだってぇええっ!? ひっ……人使い荒いぞ雪蓮! ていうかそういうのって普通、お酒送ってくれたりとかするんじゃないのか!?」

「だって届くまで待ってられないもん、私も祭も。あっはははは、命令だから一緒に行こっ? ほらほらーっ♪」

「それは命令じゃなくてお願いだろっ! どこまで酒好きで……ってこらっ、引っ張るなぁあーーーっ!!」

「あ、そうそう一刀っ、華琳がね、無理矢理じゃないなら構わないって許可くれたわよ~♪」

「とわっとと……へ? 許可? なんの?」

「“本当に本気なら”一刀に手、出していいって。今や一刀は、“魏の一刀”じゃなくて“同盟国みんなの一刀”ってこと」

「へぇっ!? え、あ……な、なななっ……華琳さぁああああんっ!!」

 

 日々に休まる日なんて無く、ほぼフル回転で走り回る日常が続いた。っていうか今も続ている。右から左へ東から西へ、ってレベルで。左右ばっかだな。ちゃんと他にも行ってるから安心してください。華琳さん。

 だっていうのに民の笑顔が見られることが思いのほか嬉しいらしく、疲れた体もむしろ心地がいいと笑い飛ばせる毎日を送っている。

 呉の将との交流ももちろん混ざっているため、少しずつだけど打ち解けてはいる。

 

「よっし本日の手伝い終了ぉっ! 呂蒙~! 約束通りごま団子作りしよう~!」

「一刀様っ、その前にお猫様の子供を見に行く約束ですっ!」

「だったらごま団子を食べながら猫の観察だ! 呂蒙、こっちは準備出来てるぞ~!」

「は、はい~! すす、すぐに用意しますっ!」

 

 朝起きて軽く運動。食事をして町の人たちの手伝いをして、日が落ち始めれば軍師たちと集まって、学校の話やこれからのことについての話。

 三日ごとの鍛錬もまだ続けていて、祭さん、思春、周泰にしごかれる日々。

 結局……氣の強化を祭さんに教わったあの日、いつの間にか傷が塞がりかけていたのは、俺の氣の絶対量が増えたからだと教えられた。

 氣ってやつは体内を巡るもので、扱いによっては傷を塞いだりも出来るそうで……そんなものは漫画やアニメの中だけだと思っていたのに、実際に自分の傷が塞がったなら信じないわけにもいかなかった。

 

「あぅぁああ~ぅうんんん……!!! こ、子猫様……可愛すぎますですぅう……!!」

「ううぅ……ごまが少し焦げてしまいました……」

「大丈夫大丈夫、全然美味しいよ。周泰~、食べないと無くなるぞ~?」

 

 諸葛亮や鳳統は情報があらかた固まると一度蜀に戻って、それらを自国で纏めると、しばらくしてからまた訪れる、ということを繰り返していた。

 学校を建てる計画も、順調に進んでいるらしい。

 

「冥琳、風邪か? 最近よく咳をしてるみたいだけど」

「…………ただの寝不足だろう。気にするな、北郷」

 

 気になることも幾つかあったけど、日常は普通に流れていた。

 ……さて。

 今日はそんな、いい加減に呉で暮らすのも慣れてきた、とある日の話だ。

 

 

 

26/長い一日のきっかけ、なんてもの

 

 いい天気だった。

 陽光の下、中庭で“すぅっ……”と息を吸った俺は、フランチェスカの制服の上だけを脱いだ状態で、ゆっくりと構えを取る。

 

「今なら……今なら撃てる気がする」

 

 魏から呉に落ち着き、既に一ヶ月。

 民との交流を増やし、よりよい街づくりに貢献し、飯店のメニュー追加や服の意匠についての提案、トラブルが起これば移動を開始して何日経とうと来訪、解決。

 そして呉の将にしごかれて得たものは知識や経験だけでなく、氣に寄るものが多かった。

 一ヶ月かけて、ようやく掌全体に気を集められる程度っていうのは情けない話だが、今はそれだけで十分なのだ。

 

「ふぅ……よしっ!」

 

 運動時の水分補給にと常備している竹筒(竹の水筒)を傾け、水を軽く飲んでリラックス。重心を下に、足を大きく広げ、両手は自分の右腰に揃え、半開きに。

 皆様ご存知、子供の頃からアレを知っている人ならきっと一度は真似たアレを今、実現させるため……!

 

「かぁあ…………めぇええ…………はぁあ…………めぇえ…………!!」

 

 放出系はまだ習っていない。習っていないが、いないからこそ成功した喜びも高まるというもの。

 ならばこそ、この素晴らしき蒼天に届けよ我が氣! これは子供達の夢を込めた光! 今なお夢見る大人達の希望だぁぁああっ!!

 

「あ、一刀~っ♪ あのねぇ、今、祭が───」

「波ぁああっキャーーーァアアアアッ!?」

 

 いざ両手を突き出し、思いの全てを空に! ……ってところでシャオが中庭へ参上。途端に子供達や成長した大人達の夢と希望は、恥ずかしさに邪魔された俺の手の中で見事に霧散。

 俺はすぐに姿勢を正すと、顔が赤くなるのを感じつつもわざとらしい口笛を吹き、そわそわと視線を彷徨わせた。

 

「……むふん? ねぇ一刀~? 今なにやってたの~?」

「イヤベツニナナナナニモシテナイヨ!?」

 

 大人って……恥ずかしがりだね。

 でもね、解ってくれシャオ。一人かめはめ波はね? 決して誰かに見られちゃあいけないんだよ……。

 だからそんな、ニヤリと笑った興味津々顔で近づかないで? ね? お願いやめてください、俺べつに悪くないのに謝りますから。

 

「えー? 今おかしな構えしてたでしょー。ほらぁ、言ってみなさいって~!」

「いやほんとっ……なんでもないから! それよりなに!? 祭さんがどうしたって!?」

「むー……。えっとね、祭がねぇ、一刀にお酒買ってきてほしいって。大きな(かめ)の」

「いや、それって───」

「断ったら“命令じゃ”って伝えておいてくれ~だって」

「………」

 

 あの人は本当に、俺に酒を買わせに行くのが好きだ。これで何回目だっけか。

 ほぼ毎日がばがば飲んで、よくもまあ飽きないもんだ。いったいいくらの給料を貰っているんだろうか、気になるところである。

 ……それ以前に王の妹君に言伝頼まんでくださいお願いですから。

 

「代金は?」

「もらってあるよー。はいこれ」

 

 ぢゃらりと代金を渡され、一応確認を……ん、よし。

 誰にともなく頷いて、中庭横の通路の欄干にかけておいた制服の上着を着ると、いざと歩き出す。

 ……と、突然背中にぶつかり、首に手を回して抱き付いてくる少女が一人。言うまでもなく、シャオである。

 

「シャオ?」

「えへー、シャオが一緒に行ってあげるね?」

「あ、結構です。シャオと一緒に行くと、甕とか無事に持って来れそうにないから」

「一刀ってば照れちゃって~♪ じゃあ今日はずぅっと手、繋いでてあげるね? 一刀、手を繋がれるの好きでしょ?」

「あの……シャオさん? 片手ずっと塞がれてて、どうやって甕を持ち帰れと?」

 

 片手か? 片手でやれと? い、いやぁああ……そりゃあ今の自分なら多分、いやきっと、出来るには出来ると思うが……。

 けどもし、つるっと滑ってゴシャアと割れば、酒屋の旦那や祭さんに申し訳が……ていうか祭さんに殺される。

 

「これってでぇとだよね?」

「強制同行をそう呼ぶならね……」

 

 埒空かずして歩を進める。

 俺の左腕にはシャオがぶらさがるような勢いで抱きついており、嬉しいかどうかで喩える以前に歩きづらい。さっきのように背中におぶさっっているくらいのほうが、まだ歩きやすい。

 そりゃあその、まだ成熟しきっていないが、たしかに存在するこのやわらかさに少しトキメキを感じないでもないが……いやいや落ち着け……!

 こんなことをやってたんじゃあ、今日の夜なんて地獄だ。

 思春と同じ部屋で寝るようになってからというもの、極力煩悩抹殺に励んできた俺じゃないか……耐えろ、耐えるんだ……!

 今さら言うことじゃないけど、しみじみと言おう。禁欲って……大変だ……。

 

(華琳のヤツ……絶対に俺が自分から手を出さないってわかってて許可したんだろうなぁ……)

 

 少しはこっちの苦労も考えてほしい。

 ……いや、考えた上で苛めてるんだろうね、うん、わかってる。

 早く帰れなくてごめんなさい。

 謝りますから連絡項目に俺をいじる案件を追加するのやめてください。

 

……。

 

 そんなこんなで建業の町を歩く。

 賑やかな喧噪に囲まれて、今や沈んだ空気を見せないそこは、人々の笑顔の集まる場所。

 当然、悲しみの全てが無くなったわけではないけれど、そんな悲しみも一緒にひっくるめての、“笑顔がある国”になってくれればと願っている。

 笑ってはほしいけど、悲しみを捨ててほしいわけでもない。“悲しい”も抱いた上で、“楽しい”の中で笑ってくれるなら、きっとそれが一番の笑顔になってくれるだろうから。

 

「おお一刀っ、今日も手伝いか?」

 

 町を歩けば誰にも彼にも声をかけられ、その誰もが笑顔だという事実に自分の顔も綻ぶのを感じる。

 

「手伝いっていうよりはお遣いかな。酒を買ってきてくれって祭さんが」

「おお、あの方か。出来ればご自分で来てくださればなぁ……子供達が会いたい会いたいってごねるんだよ」

「はは、祭さん、子供に好かれてるからね」

 

 一人に手を振って別れれば、少し歩いた先で誰かに捕まる。

 自分のペースで進めない状況に、シャオは少し不満そうだったけど、そもそも酒を買いにきたのだからあまり拗ねられても困る。

 ともあれ酒屋で酒を買うと、大きな甕をぐっ……と持ち上げ、歩いてゆく。

 その大きさを見てか、さすがにシャオも腕を解放してくれて、お陰で助かった。

 なにが助かったって……まあその、アチラのほうが。やわらかかったなぁ……じゃなくて。

 そんな考えをあっさり見破ってか、隣を歩きつつ俺を見上げる顔が盛大にニヤケていた。妖艶というかなんというか……実年齢よりよっぽど大人だよこの子。

 

「は、はは……なんにせよ、これを祭さんに届ければお遣いは終了っと。で……今日の予定は───」

「シャオとぉ……で・ぇ・と♪」

「んー……悪い、シャオ。もう今日の予定埋まってるんだ」

「えー……? じゃあ命令。一刀は今日、シャオとず~っと一緒に居ること」

「………」

 

 俺に死ねと?

 

「あのー……シャオさん? 以前そうやって、予定があるのに命令だ~って言って連れまわして、孫権に大目玉食らったの、忘れた?」

「お姉ちゃんのことなんか今はいーのー! でぇと中に他の女のことを考えるなんて、だめなんだからねっ!?」

(……思春)

(……諦めろ)

 

 気配を消してついてきてくれている思春にそっと声をかけるも、返ってくる言葉は無情。ん……それでもいつもありがとう、見守ってくれていて。それだけでもう嬉しいよ俺……。

 

「じゃ、じゃあまずは祭さんにこれ届けないとなっ。城、城に戻ろ~」

「……? 一刀、何か企んでる?」

「……イエベツニ?」

「あー! 目、逸らしたー!」

「いやこれはっ……て、天に伝わる技法、“散眼”といってだなっ! けけけ決して眼を逸らしたわけではっ……!」

「ふーんだ、どうせ城に戻って、誰かにべつの命令してもらえば~とか思ってたんでしょー!」

 

 あっさりバレた! 俺の考えわかりやすいですか!?

 

「イ、イエェ……? ベベベベツニソンナ……! モ、戻リマショ? ホラ、酒届ケナイト祭サン怒ルシ……!」

「んふっ、いいよー? 祭にお酒届けたら、問答無用で走って城から出るからねー?」

「…………ワーイ……」

 

 ニーチェは言った。神は死んだと。

 

 

 

27/そして波乱の一日へ

 

 祭さんの部屋の前まで行くと、まずはノック。

 しかし返事はなく、どうやらまだ仕事中か放浪中かのどちらからしい。

 仕方も無しに探しに行こうと踵を返すのだが、シャオは俺の服をぎゅっと掴むと、天使の笑顔で床を二回ほど指差した。

 ……よーするに甕はここに置いていけ、ってことらしい。なるほどー、合理的ダナー……祭さんのばか。

 部屋に居なかった祭さんに、せめてもの悪態と心の涙を零しつつ、俺はシャオに引かれるままに町へと繰り出した。

 途中で誰かがご光臨なさってくれることを切に願ったのだが、こんな時に限って呉の将の誰とも擦れ違わないのは、どういった陰謀だったんだろうなぁ……。

 

(ああ……)

 

 そんなわけで始まった波乱の一日。

 シャオに連れられ……というか、右腕にしがみつかれながらのったのったと歩く建業の町は、先ほどまでの輝かしさから一変、恐怖の町に変わっている気さえした。

 約束があったのにそれをすっぽかして他の女性と歩く……これほど怖いものが他にあるだろうか。とりあえず魏ではない。絶対にない。

 もしそのすっぽかした相手が華琳だったりしたらと考えると、首のあたりがやけに寒くて仕方ない。だっていうのに、命じられればそれに死力を尽くさなければいけない俺。誰か助けて。

 や、けど大丈夫。どっかの誰かが言っていた。“どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある”と。……それを見つけられないから、人は困難に飲み込まれてばっかりなんだろうけど。

 

「───んっ!」

 

 だが死力を尽くさなければ、民の罪を担うことになりはしない。

 自分が全てを負うと覚悟を決めたならば、それを貫かなければ次の覚悟も怠けるだけだ。

 気合一発、だらりだらりと歩かせていた体に喝を入れて、キッとシャオを見下ろすと言った。

 

「よしシャオ! 今から思いっきりデート───あ」

「………」

 

 弾ける笑顔(ヤケクソともいう)で、シャオとともに駆け出そうとした俺の視線の先に、本当になんの冗談なのか、ごま団子の材料をゴシャアと落とす呂蒙さん。

 ……はい、これからごま団子クッキングの予定がしっかり入っていました。ごめんなさいセルバン……そ、そう、セルバンテスだセルバンテス! じゃなくてっ! ごめんなさいセルバンテス! 救いの無い運命はたしかにここにあった! 何度目か忘れたけど俺もう泣いていい!? 予定があるのに“思いっきりデート”とか言っちゃって、しかもそれを予定のある人に聞かれたとかもうほんと泣きたい!

 

「……そそ、そう……ですよね、一刀様は、一刀様は…………~~~っ!」

 

 さらには考え事をしているうちに、顔を長い袖で覆って走り出してしまう呂蒙。

 気の利いたフォローくらいしろっ! と自分に悪態をつきながら走り出そうとするが、それをシャオが引き止めようと───するのは予測済みだっ!

 

「ふひゃんっ!?」

 

 シャオに軽く足払い。

 浮いた体を素早く抱きかかえ、足に氣を溜めて駆け出す! その途中で落ちていたごま団子の材料を片手で器用に拾いきると、そのまま呂蒙を追って走るっ!

 死力を尽くせとは言われたが、誰かが悲しむ命令に死力なんて尽くせるもんかっ!

 

「か、一刀ー!? 今日は───」

「死力なら尽くすからっ! だけど誰かが悲しむのはだめだっ! 尽くすのもデートも一番最後っ! 命令は守るから、誰かが悲しむ結果だけは勘弁してくれ!」

「…………ぶー」

 

 雪蓮のように口を尖らせ、拗ねるシャオだが……お姫様抱っこが気に入ったのか、すぐに上機嫌になる気まぐれお嬢様。

 ああもうまったく……どうしてこの国の王の血族はこう、自由奔放なんだ。俺が言えた義理じゃないかもしれないけどさ。

 孫権くらいなもんだよな、いっつもキリッとしてて真面目なのって。

 

「っ……何処に行ったんだ……?」

 

 すぐに追いかけたつもりが、呂蒙の姿は人の波に消えるようにして見えなくなっていた。この天気だ、町は別の場所から来る商人や旅人で賑わっており、その中からひとつ背の低い呂蒙を探すのは中々に無茶があった。

 けど、見つけてやらなきゃいけない。命令だからって理由で悲しませるのってやるせないし辛いし……なにより、手を繋いでくれた友達が悲しんだままなんてのは嫌だ。

 

「すいませんっ! ごめんっ! と、通してくれっ!」

 

 知り合いの町人や見知らぬ人に謝りながら、人垣を進みゆく。

 ああ本当に……いい天気だと思ってかめはめ波を撃とうしてから、なんだってこんな事態になってしまうんだろう。

 嘆いたって事は終わらないが、嘆きたくもなる。とりあえず次の鍛錬の時には、祭さんへ全力でぶつかっていけそうだ。

 

「シャオっ、どっちに行ったかわかるかっ? 雪蓮譲りの勘でこう、ピピンとっ」

「んう? んー……たぶんあっち」

「あっちだなっ!?」

 

 指差された方向に躊躇いもせずに方向転換。

 いわゆる人通りの少ない裏通りへと突っ込むように走り───その先で、蹲るように座りこんでいる少女を発見した───!

 

「あぅぁぅぁぁあ~~~……♪ モフモフ最高です~~~……♪」

 

 ……周泰だった。

 うん……とりあえず、訊いておいてなんだけど……シャオの勘は当てにならないと覚えておこう。

 けど丁度良かった、せっかくのモフモフお猫様タイムのようだが、呂蒙を探すのを手伝って───

 

「あいたっ!?」

「あ」

 

 いざ話し掛けようとした途端、猫は「ええ加減にせぇやオルラァッ!」といった風情で周泰の手を引っ掻いて逃れるや、ゴシャーと物凄い速度で走り……視界から完全に消え失せた。

 逃げる時の猫って、どうしてあんなに速いんだろうな。っと、暢気に考えてる余裕なんてなかった。

 

「周泰、大丈夫か?」

「はぅわっ!? かかっ、かかか一刀様っ!? ど、どうして一刀様が……」

「えと……ごめん、急いでてあまりのんびり話してる余裕がないんだけど───」

 

 でもせめてと、お姫様状態で俺の首に抱き付いていたシャオを地面に下ろし、不満を口にする彼女を華麗にスルーしつつポケットを探ると、取り出したハンカチを引き裂いた。

 周泰はそんな俺の行動がよくわかっていないようで、急に近寄ってきて自分の手を取った俺を前に困惑するばかりだ。

 

「あ、あの、一刀様……?」

「じっとしててくれな───んっ」

「───あぅあぁっ!!?」

 

 手にある小さいけれど痛々しい傷口に口をつけ、滲む血と傷口を舐める。舌だけ出して舐めとるのではなく、唾液が空気に触れないように唇を密着させて、やさしくやさしく。

 それが終わるとさらに取り出した常備用竹水筒でハンカチの切れ端を軽く湿らせ、ポンポンポンと叩くように傷口を拭い、水筒の残りの水を傷口にのみかかるようにかけていく。途端に周泰が驚きの声をあげたが、今は続きを。

 傷口周りについた水を軽く拭った時点で用済みになったハンカチの切れ端をポケットに突っ込み、残りのハンカチを包帯代わりにして、傷口に巻いて……よし。

 

「あ……」

「これでよし、と。ごめんな、軟膏とかがあればよかったんだけど、最近鍛錬の方で生傷だらけだったもんだから、使い切っちゃってて」

「ぁ……ぅ……」

「城に戻ればあると思うけど……ごめん、今ちょっと急いでて戻ってる暇がないんだ」

「あ、い、いえ、それは……大丈夫……です」

「ん……ほんと、ごめんな」

 

 傷が早く治りますようにと、手をやさしく撫でてやる。

 そんなに深いものじゃないけど、傷は傷だ。痕が残ったりしなければいいけど───……っと、そうだ、呂蒙。

 

「なぁ周泰、呂蒙を見かけなかったか?」

「………」

「……? 周泰? …………あ、わ、悪いっ」

 

 今さらながら、撫でっぱなしの手に気づいた。

 周泰は顔を赤くして俯いたままで、自分の手が解放されると……その手を胸に抱くようにしてさらに俯く。

 うおおしまった……! 考えてみれば、怪我してるからって女の子の手に唇つけて、血を舐めたりして……! い、いや、けどなっ!? よく“ツバつけときゃ治る”とか言うけど、あれって口つけて直接やらないと意味がないって何処かで聞いた気がしたからっ! ちちち違う! 断じて違うっ! 邪な気持ちとか全然ないぞっ!? 指にツバ付けて拭ったりなんかしたら、逆に傷口を化膿させることになるからであって……あぁあああっ!!

 あ、でも真っ赤になって俯く周泰って可愛い……じゃなくてだなぁっ!! ととととにかく───あだぁっ!!?

 

「いだっ! いだだだっ! ちょ、シャオ!? 耳っ! 耳がっ……あだだだだ!!」

「もー! いつまで変な空気出してるのー!? シャオとのでぇとを後回しにしたんだから、用が済んだらさっさと行くのぉっ!」

「わか、わかったわかりました! わかりましたから耳引っ張るのやめてくれっていだだだだぁああっ!!」

「………」

 

 急に耳を引っ張られて叫ぶ俺を見て、周泰はきょとんとした顔をしていた。

 そんな彼女に要点だけを明確化した今の現状を話すと、すぐに呂蒙を探すのを手伝ってくれると言ってくれた。

 走り出してしまった理由を訊くより早く頷いてくれる周泰を見て、やっぱり友達っていいなって……そう思える。

 赤くなった顔をぶんぶんと振るいつつ走りだす周泰を見送ると、俺もシャオを抱えて走───……あれ? 待てよ?

 

「一緒に行くよりも別々に探したほうが早くないか?」

「ヤ」

 

 即答だった。



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10:呉/波乱の一日【上巻】②

 そんなわけで呂蒙を探して建業を走り回る時間が始まり───

 

「呂蒙ー!? 呂蒙ぉおおーっ!!」

「ああ一刀? どうしたの、そんなに慌てて」

「あっ……とと、おふくろっ、実は───」

 

 地を駆け店を巡り、親父に呼び止められ、表通り裏通りを駆け抜け、町人たちに呼び止められ、さらに駆け、呼び止められ、呼び止められ、呼び止められ……その度にどうしたのどうしたのと訊かれ───また走り、また呼び止められ───

 

「んもーっ!! 一刀ってばいったいどれだけ呉の人たちに手を出したのー!? さっきから呼び止められて走ってで、シャオ疲れたよ~っ!!」

「誤解されるような言い方するなぁあーっ!! それだけ信頼があるってことなんだからいいことじゃないか!!」

 

 途中、シャオがキレた。

 ちなみに疲れたとか仰っておられるが、走っているのは俺だけである。

 

「それにみんなも見つけたら教えてくれるって言ってるんだから、感謝以外にすることなんてあるもんかっ!」

「ぶ~っ! 一刀って本当、町人にばっかりやさしいんだから~!」

「……はぁ。あのね、シャオ。俺はやさしくしたくもない相手を抱きかかえて、町を走り回ったりなんか絶対にしないぞ?」

「…………」

 

 何気ない言葉を発しながら走る。

 途端にシャオがなにも言わなくなったんだが……ハテ、と思いお姫様抱っこ継続中のお嬢様の顔を覗いてみると、なんだかとろける笑顔と妖艶さを混ぜたような、とても華琳チックな笑みを浮かべたシャオが……!

 うあ……なんだか今ものすごく、シャオのことを下ろしたくなってきたかも……! もちろんそれはしないわけだが……そうした途端に首に巻きついてくるシャオの腕が、もう離さないって意思を存分に放っていた。

 

「えっへへぇ~♪ ねぇ一刀~」

「───! あっ……呂蒙見つけた! 急ぐぞシャオ!」

「へぁぅっ!? ~……もーーーっ!」

 

 人ごみに紛れて、微かだけど赤い……キョンシーのような帽子が見えた。

 数瞬だったから呂蒙かどうかなんて確信は持てないけど、手掛かりが無いよりはマシってもんだ。

 グッと足に力を込めて速度を上げる俺に、どうしてかシャオがぷんすかと怒っていたけど、今はごめん、追わせてくれ。

 

……。

 

 気づかれたのかそうでないのか、途中で再び視認したキョンシーハット(?)は駆け出し、人通りが少ない場所までを走る。───それを追い続けることで、それが呂蒙であることを確信する。

 あれだけ騒いでいれば、目が悪かろうが気づかれるってもんだが……それでも今、ようやく追いついて───

 

(……あ、猫)

 

 ───人通りが少ないことに安心しきっていたのかもしれない。

 呂蒙と俺の間にある距離の隙間にひょいと現れた猫が居た。

 当然このまま走ればすぐに逃げるか、俺が飛び越えるかをしていた筈なのだが。

 

「お猫様っ!」

「へっ……? あ、だぁあわぁあああっ!!?」

 

 困ったことってのは重なるもんだって、どれだけ理解すれば気が済むんだろうなぁ。

 猫を追ってシュザッと参上なされた周泰を、猫の小さな体を飛び越えようと準備していた俺が飛びこせるはずもなく。

 肩に手をついて跳び箱の要領で飛ぼう! とも思ったが、俺の両手に小蓮さん。

 きっと途中で呂蒙を発見して、すぐさま追ってきたんだろうけど……途中で猫を見つけてしまったんだろうなぁ。

 とろける笑顔に「勘弁してください」とツッコミを入れつつ、俺は周泰との激突を果た───さなかった。

 

「へっ?」

「呆けるな、さっさと行け」

 

 衝突に備えて硬直していた体が、最初に踏みしめるはずだった大地に落ち着くや、声がする。

 即座に状況を理解して、周泰を進行路からどかしてくれた思春に感謝しながら走る。

 ……って、腕も軽い……と思ったら、シャオも居なかった。

 

「ふあっ!? 思春殿っ!? い、いえあのここここれはっ……!」

「言い訳は聞かん。代わりに別のことを話し合おうか。……まさか、呉国の将たるお方が庶人の話を聞かんとは言わんだろう?」

「しし思春殿、なんだか公瑾様みたいで───あぅあぁーーーーっ!!」

「ちょっと思春~っ! シャオは一刀と~っ!」

「ご容赦を。あのままでは追いつくのに時間が───」

 

 遠ざかる声に苦笑をもらしながら、今は一直線に。

 氣を込め、身を振るい、自分が出せる全速力で駆け───やがて通りを抜け、景色が開けたところで───ようやく、その手を掴ん───だぁああああっ!!?

 

「ふえ……っ!? ひゃっ……ひゃぁああーーーっ!!」

「呂蒙っ!!」

 

 通りを抜けた先は坂になっていた。

 そこまで急斜面じゃないにしても、平面を走るつもりでいた体は急な差についていけず、あっさりとバランスを崩して……というか、止まろうとした呂蒙を俺が勢いよく掴んだために、俺が巻き込む形で転がり落ちていった。

 当然すぐに呂蒙を腕に掻き抱き、来たる衝撃を彼女に受けさせないために身を捻って自分を下にして。

 転がってるんだから、完全に守ることなんて出来やしないが……やがて転がり終えて、仰向けに倒れた自分の上に呂蒙を抱き締めた形のまま、とりあえずの安堵を吐いた。

 

「呂蒙……呂蒙? 大丈夫か?」

「ふ……ぁ……あ、は、はい……大丈───ひゃうっ!?」

 

 片方だけの眼鏡越しの瞳に、俺の顔が映る……と、呂蒙の顔は瞬間沸騰したかのように真っ赤に染まり、慌てて離れようとするんだが───

 

「は、ふっ……? あ、あれっ……動けなっ……あれ……!?」

 

 ……なにやら腰でも抜けたらしく、動けないでいた。

 涙目でわたわたとして、どうしようかと戸惑うたびに俺と目が合って真っ赤になる。

 人の顔なんてよっぽど親密でもなければ間近で見つめ合えるものじゃないだろうけど、こう何度も逸らされると切ない気分になるな……。

 

「落ち着いて、呂蒙。ゆっくり下ろすから、あまり慌てな───……」

「……? か、一刀様? どど、どうされましたか……?」

「……ごめん。俺も腰……抜けたみたい……」

「え……?」

 

 腰が抜ける……あまりに驚いたり慌てたりすると、脳が体に正確な信号を送らなくなるために起こる現象……だったっけ。

 まさか坂道から転がり落ちただけでこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 

「ぷっ……ふ、くふふっ……あっはっはっはっは!!」

「え? え……? か、一刀……様?」

「い、いやごめっ……あっはははははは!!」

 

 他のことが考えられなくなるほど、呂蒙を守ることで頭がいっぱいだったって……受け取っていいんだろうか。

 そんな答えに行き着いたら可笑しくなって、気づけば声をあげて笑っていた。

 急に笑い出す俺に、呂蒙は戸惑いと慌てた風情を混ぜた顔で呼びかけるけど……だめだ、無駄にツボに入ったらしい。

 呂蒙の呼びかけにも途切れ途切れにしか返せなくて、俺はしばらくそうして笑い続けていた。

 

 

 

28/接吻という名のスイッチ

 

 …………。ツボに入った笑いも終わりを迎え、いい加減体も動くだろう頃になっても、離れるタイミングを無くしたままに寝そべっている俺と呂蒙。

 下った坂の先は人気のない開けた場所で、とりあえず呉の将が腰を抜かした、なんて状況を見て笑うような輩は居なさそうだ。

 そんな場所で仰向けに倒れる俺の上に寝そべる形で、呂蒙は顔を赤くしたまま俺の顔を見ては逸らしを繰り返していた。

 そんな呂蒙に、俺は……言い訳になるだろうけど、事の経緯を話すことにした。

 

「呂蒙、まずはごめん。呂蒙との約束があったのにシャオと───」

「っ……い、いえ、いえっ……! 一刀様が謝るようなことは、何もないんですっ……! その……本当は、わ、わかっているんです……一刀様は約束を違えるようなお方ではありませんから……。そ、その、尚香様に命じられてのこと、だったのだと……」

「呂蒙……」

「それなのにわたし、わたし、はっ……。一刀様が、約束を破らないと知っているのに……わ、わたしはっ……勝手に裏切られた気分になって、悲しんで……」

 

 顔を長い袖で隠し、目をきゅっと瞑りながら……全て自分が悪いかのように語る。

 まるで懺悔だ。呂蒙は何も悪くないのに、どうしてこんな……罪を吐き出すような……。

 

「一刀様という人としてだけじゃない……私は“友達”を信じきれなかったんです……。何よりも自分が許せなくて……すみっ……すみませっ……! わた、わたしはっ……こんなわたしでは、一刀様の友達としてっ……!」

「………」

 

 黙って聞いている理由なんてなかった。

 もっと早くにそれは違うって否定してあげればよかったんだろうけど、全部を聞いてからじゃなくちゃ、何を言っても届かないと思ったから。

 だから、手を伸ばすなら今で……安心させてやるならこの時にこそ。

 客観的に見ればほんの些細なこと。それでも彼女にとっての人との関係っていうものは、とても大切で……こんな状況は辛かったのだろうという事実をしっかりと受け止めた上で、頭を撫でて……やさしく微笑みかけた。

 

「あ……か、一刀……様……?」

「勝手なんかじゃないし、友達だよ。それと……ありがとう、呂蒙。繋いだ手のこと、そこまで大事に思ってくれて」

「そ、そんなっ、わた、わたしはっ、わぷっ!?」

「こっちこそ、本当にごめんな。どんな理由があっても、呂蒙を悲しませたことに変わりはないよな」

 

 何かを言おうとする呂蒙の顔を、彼女が被っていた帽子で覆う。

 突然のことにわたわたと帽子を被り直し、改めて俺を見る呂蒙に、俺は続く言葉を言ってやる。

 

「こんな俺でも……まだ友達だって言ってくれるか?」

 

 卑怯な言い方かもしれない。

 罪の意識を利用するみたいで本当は嫌だけど、こうでもしないと彼女は自分を責めることをやめてくれない気がしたから。

 

「と、ととっ当然、ですっ! わたひっ……わたしのほうこそ、一刀様の友達でいられるのか……いていいのかっ……!」

「………」

 

 今まで散々と逸らされていた目が、真っ直ぐに俺の目を映す。

 不安なのか、涙さえ滲ませている彼女の瞳に自分の顔が映っていることが、どうしてか嬉しい。そうとわかるほどの距離で、俺と呂蒙は言葉を発していた。

 

「わたし……わからなくなっていたんです……。一刀様に目のことを褒めていただいて、手を繋いで……お友達になって。それだけでとても嬉しくて、楽しくて……。一刀様が呉にいらしてから、手を繋いでから、世界が広がった気がしました」

「世界が?」

 

 世界が広がって見える……それは普通、喜びと一緒に聞ける言葉だと思ってた。

 だというのに呂蒙の目は涙に滲んだままで、その涙もやがてこぼれ落ちそうになるほど溜まってきていた。

 

「一緒にお話をしたり、天の国の学校についてを教わったり、足りない知識を分け合ったり……とても、とても楽しくて、嬉しくて……でも、でも……」

 

 伝えたいことがあるのに上手く動いてくれない喉に、自分自身が悲しむみたいにきゅうっと目を閉じて……拍子、涙がこぼれ、俺の頬を濡らした。

 

「わたしは……今日のことだけではありません、一刀様が思春さんを真名で呼び始めたとき……自分で自分がわからなくなるくらい、悲しい、寂しいと感じてしまいました……」

「え……?」

「思春さんが仰っていました……友になったから真名を預けただけだ、と……。で、ですが、でしたらっ、わたしは……一刀様に友達だと言われ、わ、わたしの目を真っ直ぐに見て微笑んでくださった一刀様を、口では信じていると言っているのに真名を預けていないわたしはっ……いったいなんなのかとっ……」

「…………呂蒙……」

 

 何かのきっかけ、なんてものは……本当に、自分の預かり知らない物事から起きるものだ。

 けど、たとえ知っていたとしても、俺に何が出来たのだろう。

 真名を預けてくれた思春に“畏れ多い”と言って断り、自分から伸ばした手を拒絶すればよかったのか?

 俺から“仲良くなったんだし真名を預けて”なんて図々しいことを言えばよかったのか?

 “そうとわかっていても回避出来ないこと”はどうしようもなく存在する。ああ、それはわかってる。

 問題なのは、“それ”が起こってしまったあとに“自分が動けるか否か”なんだから。

 だから……北郷一刀。今ここで動けない、動かないなんていうのは……人として、男としてウソだろ?

 目の前で、俺との、人との関係のことのために泣いてさえくれる人が居る。

 ……俺の手は魏を守るためにある───それは確かだけど、目の前で泣いている人の涙も拭ってやれない俺が、いったい何を国に返していけるんだろう。

 目の前で困っている人の全てを助けるだなんてこと、俺一人で出来るなんて思ってないけど……それでも。伸ばせば届いて、届けば助けられる人が居るのなら、伸ばしたいって思うんだ。

 

「な、呂蒙」

「…………?」

 

 声をかける。ひどくやさしい気持ちのままに出した声は、自分でも驚くくらいにやさしいもので。

 そんな声に反応して俺の目を見る呂蒙の滲んでいた涙を、指でやさしく拭ってやる。

 ハンカチでも……と思ったが、周泰の治療のために使ってしまった。

 

「俺さ、嬉しいよ。本当に、そんなに大切なこととして受け取ってくれて」

 

 俺の胸の上で、まるで猫が体勢を低くする格好のように折りたたまれている呂蒙の手を、そっと握る。

 友達として、そんなにも悩んでくれてありがとうって思いを込めて。

 

「でも、焦らないでほしいんだ。“誰かが預けたから自分も預けたい”じゃなくて……うん。呂蒙が俺に真名を預けたいって……預けてもいいって思ってくれたときにそうしてくれたほうが、俺はすごく嬉しいよ」

「一刀様……で、でも、だって……」

「もっと“自分”を持って。俺は誰かに言われたから預ける真名や、誰かが預けたから自分も預ける真名じゃない……呂蒙が俺に預けたくて、呼ぶことを許してくれた真名で呼びたいよ」

「え、あ……ふええっ……!?」

「だからさ。焦らないで。せっかく友達になったんだから、もっとお互いを知って、仲良くなってから……呂蒙が預けてもいいって思った時に、預けてほし……い?」

 

 言葉の途中、真っ赤だけど強い意思に溢れた目が俺の目を真っ直ぐに覗き、やさしく包んでいた手にはその意思の表れか、強いと思えるくらいの力が込められた。

 「……呂蒙?」と疑問を込めた視線を送ってみるけど、呂蒙はさらにさらにと顔を赤くして……やがて、言葉を発した。

 

「あっ……あー、しぇっ……!」

「……え?」

「亞莎……亞莎と、呼んでくださひっ、か、一刀様っ……」

 

 喉を通らず、詰まってしまった息を吐き出すかのように言う呂蒙。

 つい今、焦らないでいいと言ったばかりなのにどうして……と口にするより先に、涙に滲んでいるけど真っ直ぐな瞳が俺の目の奥を覗いていた。

 そこから受け取れるのは真っ直ぐな意思。

 言われたからとか、誰かが許したからとかではなく、自分が自分として預けたいと思ったから……そう思わせてくれる、強い意思がこもった視線だった。

 

「………」

 

 口ではどもってしまっていたけど、目は口ほどにモノを言うとはよく言う。

 握られた手にさらなる力が込められたとき、俺は自然に微笑んで、彼女の真名を口にしていた。

 いいのか? とは訊かず、真っ直ぐに見つめ返し、空いている手で彼女の頭をやさしく撫でて。

 

「……これからもよろしく───亞莎」

「っ………………はいっ!」

 

 真名を呼んでから、一呼吸も二呼吸もおいてからの返事。文字にすればたった二文字を噛まないよう、きちんと返事できるように何度も心の中で繰り返したのだろうか。

 赤くした顔を再び隠そうとする手が俺の手を掴んだままだということも忘れ、彼女はまるで俺の手に頬を摺り寄せるようにし───それに気づいた途端に余計に顔を赤くして慌てた。

 そんな彼女の頭をさらにさらにとやさしく撫でて、落ち着いてと何度でも口にする。

 慌てる人を見ると逆に冷静になれることもあるだろうけど、冷静というよりはやさしい気持ちになれた。

 口足らずながらも精一杯に伝えようとしてくれた彼女を見たからだろうか。

 それなら逃げる前に話を聞いてほしかったな~とは思うけど、人間そんなに器用には生きられないし、不器用がどうとかの問題じゃない。

 不測の事態を前にしても、心身ともに冷静で居られる人間を俺は知らない。

 知らないからこそ、逃げはしたけど……今こうしてきちんと話し合ってくれた彼女の勇気に感謝を。