真・恋姫†無双 魏伝アフター (凍傷(ぜろくろ))
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三国喜憂編
00:現代/故郷にて故郷を想う日々


00/思考の果てにある思い出の空を、今もまだ、この時も

 

 ───……それは、とても静かな目覚め……でもなかった。

 ふと気づくと椅子に座っていて、そこが自分の世界の自分が通っていた学校、自分の席であることに気づく。

 どうしてここに居るのかを小さく考えて、すぐに首を横に振った。

 役目を終えた自分はあの世界から消えたのだから、いまさら何を振り返る必要があるだろう。

 

「……役目か」

 

 小さくこぼし、席を立つ。

 椅子の支えが床を滑る音を聞きながら、もうなにを詰めていたのかも忘れてしまった鞄を手に。

 何処に行こうかなんて、プレハブ住まいの学生が放課後に考える必要もない筈のことを考えると、一番先に頭に浮かんだのが……華琳の顔だった。

 

「…………」

 

 帰る場所なんてもう無い。そう言えるくらい、胸に空いた見えない穴は大きかった。

 そんな、どこかボウっとした状態のままに歩き、窓越しの空を仰いだ。

 ……夕焼けに染まる空が、ゆっくりと黒に塗り替えられようとしていた。

 

「お前はまだ、黒の空の下に居るのかな…………なぁ、華琳───」

 

 風邪引くから早く戻れ、くらい言えばよかった。

 別れ際に言う言葉じゃないかもしれないけれど、頭に浮かぶのが彼女のことばかりなのだから仕方がない。

 当たり前にあったものを当たり前に頭の中に描き、当たり前の行動をとる。

 そうやって過ごしてきた日々との別れは、思いの外自分にダメージを与えていた。

 この場に立って、おぼろげだけど思い出せたかつての自分のことなんて、居眠りをしていて、気づけば放課後だったってことくらいだ。

 けれど、たとえばここで目を閉じても、もうあの大地に居て盗賊に襲われました、なんて経験をすることもないのだ。

 命の危険さえ冷たく感じた経験が確かにあるっていうのに、そんな経験をすることさえ出来ない事実を悲しく思えるのだから、きっともう……自分は重症なのだろう。

 

「なにも……言えなかったんだよな……」

 

 一緒に天下を目指したみんな。

 天下を手にし、平和という名の下に手を組んだ三国。

 嬉しそうに笑っていた劉備や、どこか晴れやかな顔をしていた孫策。

 そして…………そして。

 

「……すごいな。まいったよ華琳」

 

 どうやら俺は、この世界よりもあの世界こそを故郷と思えているようだった。

 この世界で生きた時間に比べればほんの少し。

 それでも、これまで生きてきた中では経験できないものを幾つも経験してきた。

 

  戦をした。

 

  人が死ぬのを見た。

 

 手を取って国を大きくして、民の笑顔に喜んで、警備隊長になって、民と笑い、民を守って、兵と酒を飲み、慕ってくれる人と楽しく過ごして。

 ……人を愛して。

 人に愛されて。

 

「───そっか」

 

 そんな世界と離れてみて、初めて知った。

 

「あれが……幸せ、ってものだったんだ───」

 

 不思議なくらい、すとんと心に落ちた言葉。それが嬉しいのと同時に、とても悲しい。

 涙は出なかったけど、その代わりに強く誓った。

 許されるのなら、必ずあの世界に帰ろうと。

 その時が来るまでは、彼女たちに恥じないような自分になれるよう、努力をしようと。

 

「……うんっ」

 

 頷いて、胸をトンッと小突いたら……もう立ち止まってはいられなかった。

 鞄を乱暴に肩に引っ掛けると、自分の奥底から湧き出した目標を胸に、こぼれてしまう笑顔をこらえきれず、にやけたままの表情でプレハブを目指して駆け出した。

 いつになるかは解らないけど……いつかまた会おう。

 それまで元気でいてくれな、華琳……みんな。

 

 

 

01/流れる時の中で

 

 がむしゃらな生き方だったと思う。

 夕焼けに染まる教室から帰った俺は、決意を胸にプレハブ小屋に戻ったはいいものの、なにから手をつけたらいいものかと早速躓いた。

 勉強は……する。身体も鍛えなきゃだから、それはいいんだが……鍛えるにしたって、あの時代を思えば学生がちまちまと続ける筋トレくらいじゃ大した足しにもならないだろう。

 けれど、落ち着いてなどいられなかったから開始し、こんなんでいいんだろうか、なんて考えが浮かんでくる度に魏のみんなの顔を思い出し、鍛錬を続けた。

 

  そんな時だった。

 

 母さんからの電話がケータイに届き、出てみれば、家にじいちゃんが遊びに来ているとのこと。

 なんでまた、とか口に出たものの、内心では喜んでいた。

 ……北郷家は代々、道場を開いている。

 じいちゃんはもちろんだし、父親も例に漏れない。

 おそらくは道場の様子でも見にきたってところだろうけど……願ったり叶ったりってやつだった。

 その日の内にフランチェスカ側に交渉して、学校外からの登校の許可をもぎ取って、家からの登校と……じいちゃんの下での稽古を願うつもりで帰宅。

 あの時代から戻った翌日から、主に及川に「かずピー、制服どないしたん? なんやあちらこちらボロっちくなっとりしとらん?」とか言われてた制服での帰宅であったため、母さんにそれはそれは驚かれた。

 

 それはそうだろう、入学前はあんなにも綺麗だったフランチェスカの制服が、戦場を駆け抜けたようにところどころにボロを見せていたのだから。

 「なにがあったの」としつこく訊いてくる母さんに、「ちょっと天下統一してきた」と言ったら、オタマで叩かれたのもいい思い出だ。

 そんなことも笑い飛ばせるくらいの度胸は十分に養われていた俺は、じいちゃんを前に、真剣に土下座。

 俺に剣を教えてくださいと、かつてでは有り得ないくらいに真剣に頼み、「……いい顔が出来るようになったな、あの洟垂れ小僧が」としみじみ言われ、了承を得た。

 

  はっきり言えばじいちゃんの教えは容赦がなかった。

 

 以前の俺であったならば絶対に逃げ出していただろうし、“理不尽だ”だのと口から出る言葉を適当に捲くし立てて諦めていたんだと思う。

 それをしなかったのは、自分から言い出したということももちろんそうだけど、今なら解ることがあったからだ。

 相手がこちらに厳しくするのは、自分が持つ技術を相手に本気で与えたいからだと。自分の教えを糧に、成長してほしいからなのだと。

 相手の感情を少しは汲めるくらい、自分が成長できていたことが純粋に嬉しかった。

 

  そう、がむしゃらだった。

 

 友達と遊ぶ時間も惜しみ、じいちゃんに教わり、部活で結果を出し、勉学にも励んで基礎体力もつける。

 “考える”っていうのは脳にはいい刺激になったのだろう。

 インターネットもないあの時代、“知りたいことは足で探せ”と言えるような日々は無駄ではなかったらしく、以前よりも記憶できる容量が増えてくれたらしい頭を使って、かつては手付かずだった分野にも首を突っ込んでいった。

 どうしても解らないことがあれば誰かに頼る。

 既存の知識に逃げるのではなく、既存の知識に教えを乞う。

 答えを知るだけではなく、そこに行きつく過程を知り、頭に叩き込んでいった。

 

 そうした様々な勉強や鍛錬の中、なにより励んだのは持久力と筋力作りであり、筋肉は思いきり使ったのち、三日ほど休ませつつ栄養を摂らせるといい、ということを知ると、それを実践。

 思い切り使うといっても持久力をあげる筋力作りだから、ダンベルを何度も持ち上げるようなものではなく、持ち上げたまま限界がくるまで筋肉を緊張させる方法。

 そうして出来るのは外側の筋肉ではなく内側の筋肉のため、鍛えてもそう目立たないこともありがたいと思った。

 もしみんなに会えるようなことがあったとして、その時の自分があまりにゴリモリマッチョでは恥ずかしいという、それこそ恥ずかしい理由からだった。

 

 そんな日々を一年。

 いい加減眩暈がするくらいの時間を過ごしてもまだ、意識はあの懐かしい世界へ。

 それでも……いい加減気づくこともある。

 自分はもう、あの世界には行けないのではないか、ということ。

 

「…………ふぅ…………はぁ」

 

 その日の分の鍛錬を終えた俺は、剣道着に剣道袴の格好のままに道場に倒れこんでいた。

 傍らにはつい今まで振るっていた黒檀の素振り刀がある。

 振るうモノにいちいち体がもっていかれないように、とじいちゃんに渡されたのがこれだった。

 ……値段を聞いて、たまげたのは内緒だ。

 

「…………」

 

 呼吸はそう乱れていない。

 “汗はかいても呼吸を乱さないように”と続けた鍛錬も、無駄ではないらしい。

 そうやってひとしきりこの一年を振り返りながら、仰向けに見る天井に向けて、手を伸ばしてみた。

 あの世界に居た頃と違い、大切なものを守ってやることさえ出来ないちっぽけな手を。

 どれだけ鍛錬しても勉強しても、なにもかもが無駄だったと悟った時、この手はいったいなにを守れるのか。

 ふと冷静になってみると、ひどく泣きたくなる時があった。

 “充実していなかった”と言えば嘘にはなるが、的外れだと断言できるものでもなかったのだ。

 

  理由が欲しい。

 

 もっと明確な、傍に居るなにかを守る……そんな、単純だけど自分がなにより頑張れる理由が。

 たとえば俺が武芸を学んだところで華琳を守れるかといったら、そりゃあ弱い盗賊程度なら撥ね退けられるかもしれないが、そんなものは華琳にでも出来る。

 じゃあ自分がこんなことをする理由はなんなのかと自分に訊いてみれば、忘れないために、というのが一番だった。

 ……いや。あの世界のみんなのために自分を鍛えている、という名目が欲しかっただけなのかもしれない。

 

「……学べば学ぶほど……鍛えれば鍛えるほど……」

 

 ……遠くなっている気がするよ、華琳───

 そう呟いて、天井に向けて伸ばしていた手を顔に落とし、手の甲で目元を隠すようにして溜め息を吐いた。

 そうして思うのは、自分が居たあの世界。

 

  …………簡単な理屈だった。

 

 かつての俺、北郷一刀があの世界に居た理由は、華琳の天下統一を手伝うため。

 彼女が望み、その望みを叶えたからこそ俺は役目を終え、この世界に帰ってきたのだ。

 大局から外れるという歴史の改変を前に、俺は消えた……らしい。

 けどそんなものは、例えば諸葛亮があんなに早く劉備の仲間になっていたことや、呂布が劉備に降ることを考えれば、そう大事なことではなかったはずなのだ。

 つまり、俺がここに帰ってきた理由は大局が曲がることだけではなく、やはり───彼女の望みを叶え、役目を終えたゆえ。

 

  あまりに簡単すぎて、気づくのに一年近くもかかった。

 

 じゃあ再びあの世界に行くにはどうすればいいのか。

 そう、簡単だ。

 華琳が再び望んでくれればいい。

 心から望み、口にしてくれればいいのだ。

 天の御遣いが必要だと。

 俺が───北郷一刀が必要だと。

 

  けど、俺にとっては簡単でも、あの華琳にとっては……それは簡単ではなかった。

 

 華琳は消えてしまった俺のことを、忘れることはしないとは思うが、女々しく口にすることを嫌うに違いない。

 引きずることなどせず、「私は一人でも大丈夫だから、貴方は貴方の物語で精々頑張るがいいわ」なんて言って、望むことなどしないに違いない。

 

「……はぁ……」

 

 思わず“あのばか”、とか言いそうになるけど、それは苦笑を噛み締めることでやめることにした。

 どうせ仮定の話だ。

 望んだだけで飛べるかどうかも解らない上、あの華琳がそんな風に望むはずもないし、役目を終えた俺を呼び戻そうだなんてする筈もない。

 彼女は「一刀は役目を終えることが出来たのだから」とか言って、胸に刻むヤツだ、きっと。

 

  ……と。そんな風にして、最後に長い長い溜め息を吐いた時だった。

 

「かずピー……な~にこないな場所で百面相なんぞしとんねん」

「うぉわっ!?」

 

 よっぽど考え事に没頭していたんだろう、天井を遮るようにぬうっと視界を覆った及川の顔に、思わず悲鳴をあげてしまった。

 

「あぁん、そないに引かんでもええや~ん! 最近付き合い悪いかずピーにこうして会いに来てやったっちゅーのになんやねんその態度」

「あぁいや……ちょっと思い出してたことがあってさ。そこに急にお前の顔がぬうって来たら、そりゃ驚くだろ」

「驚くっちゅうか引いとったやん自分。……んあぁ、あん……まあ……ええねんけどな。ほんでなかずピー、俺これから男ども誘って遊びに行くんやけどー……かずピー、一緒に来てくれへんかなぁ。やぁ、な~んや知らんけど女どもがなぁ? み~んな揃いも揃ってかずピーが来るなら~とか言うとんねや」

「行かない」

「速ッ!? もうちょい考えたれや自分! そりゃ自分っ……即答すぎやろがぁ!!」

 

 真っ赤な顔で、変わらず間近で叫ぶ及川……離れる気ないのかこいつは。

 仕方ないので転がるようにして横に逃げると、黒檀木刀を拾い上げながら疲れた体を起こして、胴着を正す。

 

「いやまぁなぁ? 一年前あたりからみょ~にかずピーが凛々しなったんは俺も知っとる。なんやキャワイイ女の子が話し掛けてきて、ウキウキ気分で話に乗ったらかずピーのこと訊かれて殺意覚えたのもいい思い出や」

「そんな思い出、捨ててしまえ」

「やぁ~、しゃあけどホンマに人気あんのんは事実やからなぁ……せやから考えたっちゅーわけや! かずピーが来るなら俺らにもチャンスが───」

「だから行かないって」

「ウソやぁあああーん!! ウソやゆぅてぇええーっ!! ほ、ほらぁ! この前抽選で当たったオーバーマンマスクくれたるさかいぃいっ!!」

 

 なにを思ったのか、取り出した外国人の顔型のマスクを無理矢理被せてくる及川。

 

「ぶわぁっ!? ちょっ……こら及川っ……やめっ……!!」

 

 抵抗しよう……とも思ったが、なんだかこうして及川とじゃれるのも久しぶりな気がしたら……そんな気は失せていた。

 だから被せられたマスクも取ることはせずに、にこやかな外国人の顔のままに笑みを漏らす。

 やがてそれは大きな笑いとなって、久しぶりに……本当に久しぶりに、大声を上げて笑っていた。

 

「か、かずピーどないしたんや!? ……ハッ! まさかこれは被ると呪われる呪いのオーバーマンマスク……!?」

「あ、はは、いや違う違うっ……! くっふふふはは…………はぁ……。……なんかさ、安心した」

「んあ? 安心てなんや? ……まさかかずピー、しばらく見ぃひん内にオーバーマンに母親の母胎にも似た安堵感を覚える変態さんに」

「どういう変態だよなるわけないだろが!」

 

 あんまりにふざけたことを言うもんだから、つい手にあった黒檀木刀で頭を小突いてしまった。

 

「ほんぎゃぁぉおおっ!!?」

 

 ハッと気づいた時にはもう遅い。剣士失格である。

 コポス、というか、あぁえっと、あー……

 

「かぼはっ!? かずっ……おぉおおごぉおお……!!」

「うわわ悪いっ!! 大丈夫か!? 悪いっ!!」

 

 あまり中身が入ってなさそうな音だった、という感想は黙っておくべきだ。

 

「うぅ……ええねんけどね……俺なんて所詮こないな役回りばっかやしな……。けど俺のことキズモンにしたんやから宴会くらい来てくれるんやろなぁ」

「宴会とか言うなよ…………ん、解った。たまには気晴らしも必要だよな」

「うぉっしゃああい!! ほなイコ! 善は急げや! 急がな悪になってまうわ! かずピーは俺ンこと悪にしたないやろ!?」

「ワケの解らんこと言うなよ……」

「や、ワケ解らんのはオーバーマンのままのかずピーやて」

「自分で被せといてお前……」

 

 ああもう、とオーバーマンマスク越しに頭を掻くと、しばらくして仕方ないなって気分になる。

 そうだ……ずっとこんな感じだった。

 勝ちたい人が居たから剣道に時間を費やして、普段はこうして及川と馬鹿やって。

 一年前までを必死に生きすぎていたから、こんな気安さを忘れていた。

 確かに魏のみんなにも気安さはあった……けど、対等でいられる男友達なんて居なかったんだ。

 

「…………」

 

 心の奥にあった冷たい空気が、そんな気安さを受け入れた途端に漏れていった気がした。

 この一年。

 きっと帰れる、きっと会えると信じて費やした一年は、俺にとっては有意義だったのかもしれないが、それは逆にこの世界の知り合いにしてみれば冷めたもの。

 急に付き合いが悪くなる俺を見て、及川はどう思ったのか。

 逆に自分の友達が今の俺みたいに付き合いが悪くなったら、心配するんじゃないだろうか。

 そう考えて、“諦めること”は出来そうにはないけど……「もう、いいよな?」と、自然と言葉が漏れた。

 がむしゃらだった日常にさよならをしよう。

 あの日々は幸せだったけど、ここでの生活だって無二なのだと今なら思える。

 ……まあもっとも、あの世界に帰った途端にこの世界が“二番目”になるのが目に見えているのは、申し訳ない気分だが。

 

「じゃ、着替えてくるからちょっと待っててくれ」

「おーう! あ、ちゃんと汗流しぃや~」

「言われなくてもするわっ!」

 

 どこか晴れやかな気分だった。

 これから自分の生活は一変するのだろうか……そんなことを考えながら、新たな気持ちで更衣室の扉を開けた。

 ……新たな道が、充実感に溢れていることを願って。

 



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01:三国連合/一年越しの願い①

 タイトルで既にネタバレしてる。
 今さらだけどこのサブタイトルものっそい失敗だったんじゃないかしら。
 関係ないけど“サブ”って書くのと“さぶ”って書くのとじゃ、なんか意味が違って見えますよね。角刈りの男性が表紙飾っ(略)


02/一年越しの“願い”

 

 物語には終わりがない。

 “お祭りがずっと続けばいいのに”と少年少女が願うように、誰かが願えば物語は幾重にも存在出来る。

 たとえばここに、大陸の覇王になることを夢に見、願った少女が居たとして───

 その少女が願ったように、彼女が覇王になることで夢が終わるというのなら、再び願えば物語は続くのだろう。

 どんな些細な願いでも、それが真に願われたことならば───

 

 

    ───じゃあね! “また会いましょう”、一刀!───

 

 

 ……願われし外史の扉は、再び開かれるのだろう───

 

 

 

───……。

 

……。

 

 ガチャッ。

 

「ふぅ、さっぱりした。さてと、及川もうるさいしちゃっちゃと出かける準備をし……て───」

「……ふぇ?」

 

 ………………思考が停止した。

 ……あれ? と首が傾ぐ。

 呆然としながら、視界の先の……服を脱ぎかけていた誰かさんを見やった。

 ああいや、正しく言えば脱がされていたというか、なんというか。

 ……その服にはシミらしきものがついていて、お茶かなんかをこぼしたか、他の誰かがつけてしまったのだろう、洗うために脱いでいたらしい…………まあその、信じられないんだが……

 

「え……りゅ、劉備、さん? え? あれ!? え、なんで日本に───」

「……! ……!」

 

 声をかけるも、侍女二人にお召し物の替えを用意してもらっていたらしい劉備さんは、顔を真っ赤に染めていき、口をパクパクと開けたり閉じたりして………………視線の先、なんとなく気に入ったから、シャワーを浴びたあともつけていたオーバーマンマスクな俺を見て───

 

「きゃぁああああーっ!!」

 

 爆発した。

 

「えぁあっ!? ななななんだか知らないけどごめんっ!!」

 

 慌てて部屋から飛び出て、後ろ手に扉を閉めて一息……つくと、更衣室だったはずのそこが、今の自分じゃ見慣れていない通路に変貌していた。

 あれ? と再び首を傾げるが、この雰囲気、この空気、この建物、この色このツヤ、そしてこのコク……! いやコクは関係ないけど。

 

「───……!!」

 

 ようやく、頭が現在と現実と状況への理解に到達する。

 理解したんだ。自分が今何処に立っているのかを。

 …………そう、ようやく理解した。

 

「桃香様!? 桃香様ぁっ!! 今の悲鳴は───なにっ!?」

「あ」

 

 ……自分が、蜀の王の着替えを偶然とはいえ覗いてしまったことを。

 走ったままの勢いで滑りこんできた関羽を前に、外国人スマイルを(マスクの所為で強制的に)浮かべた俺は、フランチェスカの制服と剣道着が入ったスポーツバッグ(黒檀木刀も差さってる)を手に、着替えた私服の状態で慌てるほかないわけで。

 ええ……っと。とりあえず挨拶は必要だよね。

 

「Yes! We! Can!!」

「くせものぉおおおおっ!!」

「キャーッ!?」

 

 喋った途端にくせもの扱いだった。

 というかそもそも挨拶ではありませんでしたすいません。

 裂帛の気合を真正面からブチ当てられた俺は、思わず女の子のような悲鳴をあげて逃げ出し、戻ってこれたことへの感動もブチ壊しなままに走り続けた。

 

 

 

-_-/魏

 

 主催者が曹操なのか劉備なのか実はわからないままの立食ぱあていの最中。

 そこへの賊侵入の報せは、この数だ、あっという間に広まった。

 

「なにぃ!? 賊が侵入した!?」

「それは本当なのか、流琉」

 

 話を耳にし、大慌てで春蘭秋蘭のもとへ駆けつけた季衣と流琉は、聞いてきたこと全てをそのまま聞かせる。

 当然いい顔をする者など居るはずもなく、二人はあからさまに機嫌を悪くした。

 

「今は愛紗さんと思春さんが追っているそうなんですが……!」

「やれやれ、こんな日に侵入なんてついてませんねー、その賊さんも」

「風の言う通りです。三国の武将のほぼ全てが集まる今日というこの日に、よりにもよってこの城に侵入するなど」

「捕まえたら稟ちゃんの命令の下、きっととんでもない罰がくだされますよー」

「当然です」

 

 そしてその機嫌の悪さは、その後ろからやってきた二人も同様だった。

 

「それで季衣、その賊というのはどんなやつなんだ?」

「はい春蘭様。なんかずっとにこにこしてるへんなやつです」

「…………笑ってるのか?」

「はい、笑ってましたよ? ねー流琉」

「はい、笑ってました。……あ、ほら、丁度あんな感じの……」

 

 流琉に促されるままに春蘭と秋蘭が視線を向ければ、凪と思春と明命に追われている……変わった服装の男。

 確かに慌てているようなのだが、その顔は危機的状況においても笑顔のままであり、その眩しさは(かげ)ることを知らない。

 

「ちょ、ちょたっ……たんまっ! うわっ! ちょまっ……! 今これ外すか───うわなんだこれ! 湯気と汗でしっとりフィットして取れない! た、たすけてパーマーン!!」

 

 よくわからない言葉を叫んでは、しかし追って放たれる攻撃を巧みに躱し、宴の席である中庭を駆け抜けていった。

 

「……あれが侵入者か?」

「みたいですね……」

「うむ……しかしあの三人に追われて、それでも逃げていられるとはなかなか……」

「でもあのおっちゃんおかしな格好だったねー」

 

 そう、見たこともない格好だった。

 しかし最近は国も豊かになり、華琳や沙和の案もあって、服の意匠もいろいろと凝ったものが出されている。

 ならばあれは自分達の知らない新しい服なのかもしれない、と軽く流すことにした。

 

「姉者、行かないのか?」

「ああっ、華琳様がここに居ろと(おっしゃ)ったからなっ」

「……? 華琳様はどちらに?」

「はい秋蘭様、なんでもお酒を飲みたい場所があるとかで、一人森の奥へと」

「なにっ!? 聞いていないぞそんなこと!」

「姉者が訊こうともしなかったんだろう?」

「うむ! 華琳様はここに居ろとだけ仰ったからな!」

「…………」

「………」

「………」

「…………」

「な、なんだ? どうしてそんな目で見るんだ?」

 

 少しだけ哀れみの空気が流れた。

 そんな中で風が歩を進め、とことこと歩きだす。

 

「風?」

「風も少し静かなところに行きたいので、外しますねー」

「ぬ? 何処に行くんだ?」

『おうおうねーちゃん、それは訊くだけ野暮ってもんだぜー』

「…………なあ秋蘭。私は野暮なのか?」

「姉者はかわいいなぁ」

 

 賊の侵入があったというのに、平和なものだった。

 それは仲間たちの能力を信じての暢気(のんき)だったから、誰も責めるはずもなく……宴は、変わらず続いていた。

 

 

 

-_-/一刀

 

「まっ! 待て待てっ! 待てって言ってるのにーっ!!」

 

 拳や蹴りを木刀で逸らし、散々と逃げ回った現在。

 ふと気づけば城壁を背にして、目の前には凪、といった状況が完成していた。

 オーバーマンマスクを取れば一発で止むであろう攻撃も、こうして向かい合っているからこそ気を抜けない状況にあるわけで。

 それこそオーバーマンマスクに手を伸ばそうものなら、凪の一撃であっさり昇天である。

 甘寧と周泰の姿は途中から見なくなった。

 恐らく先回りをして、別の方向を封殺しているんだろう。

 つまり、逃げるなら凪をなんとかして、来た道を戻らなければ……あの、神様? これはなんという名前の試練でしょうか。

 過去に打ち勝てという試練と、俺は受け取らなければいけないんでしょうか。

 

「っ……はぁあああああああっ!!!」

「───!」

 

 待て凪、と言いたいところだが、オーバーマンマスクな俺が真名を呼ぼうものならそれこそ瞬殺されかねない。

 ならばまずはなんとしてもオーバーマンマスクを取らなければならないんだが、取りたくても取れない状況にあるのだから……仕方ないね。

 

「はぁっ───!!」

 

 放たれる、左右の拳の連撃からの連続回し蹴り。

 それらを黒檀木刀や身捌きでいなし、力を殺してゆく。

 こちらの無力化が狙いなのか、殺す気でこないだけ大助かりだ。

 

「何者だ貴様……! ただの賊ではないな……!?」

 

 ここで北郷一刀だ、と言ったら信じてくれるだろうか。

 ……いや、なんか信じてくれない気がする。

 それどころか“隊長を侮辱するなぁあああ!!”とか怒号を高鳴らしそうな気が……それはそれで嬉しいけど素直に喜べない。

 

「いや……貴様の目的がどうであれ、隊長が託してくださった警備隊の名にかけ、賊の勝手を許すわけにはいかない!」

「……!」

 

 不覚にもグッときてしまった。

 思わず手を伸ばし、抱き締めたくなるほどに。

 しかし……やはりこのオーバーマンマスクがそれを許してはくれなかった。

 

「……くそ、歯痒いなぁ……!」

 

 こんな嬉しいことを言ってくれた凪と戦わなければいけないアホな状況に、頭を掻き毟りたくなる。

 及川……とりあえずとても素晴らしいプレゼントをありがとう。オーバーマンには罪はないけど、あとで八つ裂きにさせてもらうよ。

 

「……すぅ…………ふっ!」

 

 息を吸い、丹田に力を込める。

 意識を集中させ、黒檀木刀を正眼に構え、いつでも動けるように相手を凝視して。

 ……これで顔がオーバーマンじゃあなければ、もっとサマになっていたんだろうけど。

 

「だぁあっ!!」

「───」

 

 凪が気合いとともに、篭手に包まれた右拳を突き出すのを半歩横に動くことで躱す。

 反撃───いや。次いで即座に振るわれた左拳を、木刀の腹で己の身を逃がすように逸らし、場を入れ替えるように足を捌き、凪の後方へ。

 結果的に背後を取ったが、反撃には───移れなかった。

 気迫が消えていない……そう感じた途端に振るわれた振り向きざまの上段蹴りが、まさに風を斬るように俺の鼻を掠めていったのだ。

 反撃をしようものなら、左頬が大変なことになっていただろう。

 だがここに隙は生じた。

 最高の一撃を決めるつもりだったのだろう、大振りだった蹴りを外した凪は体勢を立て直すのに多少の時間を要し、俺は今こそ───……踵を返して逃走した。

 

「なっ───!? ま、待て貴様!!」

 

 勇敢に戦わないのかって? 冗談じゃない、俺はここに戦うために戻ってきたんじゃない。

 味方と戦うためにこの一年を費やしてきたんじゃない。

 

(今はとにかく、このオーバーマンをなんとかしないと……!)

 

 フィットしすぎてて、走りながらでは取れそうもなかった。

 それにしても凪相手に、鞄を引っ掻けながらよく戦えたなぁと感心する。

 殺す気で来なかったからだといえばそこまでだろうが。

 

 

───……。

 

 

 そうして走って走って…………森を抜け、辿り着いたのは川のほとり。

 さらさらと流れる川を前に、呼吸困難になりながらもとりあえずは追手がないことを確認して、自由になった両手でオーバーマンマスクをバリベリと力任せに引き剥がす。

 

「ぶはっ……! は、はぁっ! はぁっ……!!」

 

 マスクをつけながら走るのは、ちょっとした地獄だったといえる。

 それでも逃げきれた自分に拍手。ありがとう修行。ありがとうおじいちゃん。及川、お前はいつか殴る。

 

「はぁ……」

 

 息切れによる疲労はそう長くは続かず、ふぅ、と長く息を吐いて、吸ったあとは普通に戻っていた。

 そうしてから改めて、自分の服が汗まみれだという事実に気づく。

 鍛えて代謝能力が上がったからだろうか、そう臭くはない汗をかいた俺は、目の前の川を見て思案。

 

「……まあ、久しぶりに会うのに汗まみれっていうのも……なぁ」

 

 決定だった。

 バッグを地面に置くと私服を脱ぎ捨て、どうせならここで洗ってしまおう、と剣道着と私服を手に川へ。

 ひんやりとした冷たさと、どこか懐かしい匂いが胸一杯に広がる気分だ。

 

「………………帰って…………これたんだよな」

 

 しみじみと言う。……まあその、裸で。

 一応腰に汗拭き用のタオルを巻いてはいるが、そんなもの、濡れてしまえば大して意味をなさない。

 それでも巻くのは……ほら、やっぱり隠したいじゃないか。

 

「……うん」

 

 剣道着と私服を洗い、汗も流したところで川から出て、よく絞った衣服を岩肌に貼り付けるように置いたり、木に掛けるなりして乾かす。

 俺自身は代えの下着と……フランチェスカの制服を着て、川の水面に映る自身を見て、深く頷く。

 これでこそ帰ってきた、と胸を張れる……そんな気がしたのだ。

 自然と笑みがこぼれるのも仕方ない。

 

「ははっ……なんて締まりのない顔してんだよ、まったく」

 

 ……水面に映る自分の笑顔を笑い飛ばして、草むらに身を預けた。

 服が乾くまではこうしていようか。

 早くみんなに会いたい……けど、覗きは僕でしたとか帰って早々死にかけたとか、そんな感想言いたくないし。

 

「…………しまった。木刀だけでバレバレだ」

 

 溜め息と同時に、あっちゃあ……と自分の手が視界を覆うことを止めることなど出来なかった。

 

「………」

 

 服が乾くには時間がかかる。

 ……ええい寝てしまえ、寝て起きればいいことあるさ。

 

 

───……。

 

 

 …………ぺろり。

 ……ぺたぺた。

 ………………ふにふに………… 

 

(…………?)

 

 どれくらい眠っていたのだろう。

 ふと意識が浮上すると、顔や体を触られている感触。

 目を開けるでもなく、んん……と身じろぎしてみると、触れられる感触が止まる。

 が…………少しして、またぺたぺたぺろぺろ。

 頬をくすぐられて、くすぐったくて、なんだか体が心地よい重さを感じている気がして……あれ? なんか前にもこんなことがあったような……。

 

(…………ああ)

 

 なんとなく解った。

 もしこのあとに“にゃーん”とか鳴いてくれたら、俺は迷わず抱き締めるのだろう。

 むしろそう続けてほしいと願っている自分が居た。

 ………………果たして、その願いは───

 

「わふっ」

 

 …………犬の鳴き声にて、ゴシャーアアと崩れ去った。

 

「っ!?」

 

 慌てて目を開けて自分の胸の上を見やれば、なんのことはない……赤い布を首に巻いた犬が、きょとんとした顔で俺を見つめていた。

 次いで、まだ幼い肉球で頬をペタペタ。それが終わるとペロペロと舐めてくる。

 

「…………えぇ…………っと…………」

 

 俺の期待を返してください。

 なんて願っても仕方のないこと……とはいえ、がっくり来たのは確かで。

 

「あぁああ……もう…………」

 

 よく解らないけど尻尾を振っている犬の頭から背中にかけてを撫でさすり、持ち上げていた首を再び寝かせると同時に溜め息が出た。

 

「日向ぼっこは好きかー……?」

「わふっ」

「そっかそっかー…………」

 

 ……なにも言うまい。

 一気に気が抜けた俺は、そのまま目を閉じると再び眠りについた。

 すぐにみんなに会いたい気持ちはあるが、慌しいながらもみんなを見ることは出来た。

 焦ることはないだろう……ここに居る理由がなんであれ、きっと自分は必要とされたからここに居るのだろうから。

 

 



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01:三国連合/一年越しの願い②

02-5/一年越しの“願い”2

 

 で…………

 

「なんか増えてる……」

 

 目覚めれば、赤い髪の女の子が俺の腕を枕にして寝ておりました。

 あの……確かこの娘、呂布……だよな?

 

「…………」

 

 ずず……と腕を引こうとすると、無意識なのだろうか……制服をぎゅっと握り、逃がしてくれない。

 ええ、と。これはどうしたら……。

 そんなことを考えていると、彼女の目がぱちりと開かれる。

 

「………」

「…………」

 

 気まずい。

 なにが気まずいって、大して面識もない相手に腕枕して、目が覚めたらあなたが居ましたって状況が気まずい。

 ほら、あれだ。女性が寝てたらいつの間にか見知らぬ男が隣で寝ていましたって状況?

 いや……相手にしてみたらって意味で。

 けれど呂布は、かふ……と小さなあくびをすると、ごしごしと俺の腕に顔をこすりつけるようにして再び目を閉じる。

 

「いやいやいやいや……!」

「…………?」

 

 目を閉じる呂布を言葉で止める。お願いだから二度寝は勘弁してくださいと。

 いや、はい、俺もしました二度寝。人のことを強くは言えません。だから優しく言います。

 

「あーの、りょ、呂布さんで……あらせられるよね?」

「……あらせられる」

 

 言って、微妙に傾げ気味に頷く彼女は、またも顔をこしこしと腕にこすりつける。

 ……いい匂いでもするんだろうか、くんくんと鼻を動かしている。クリーニングには出してたけど……そんなにいい匂いするだろうか。

 って、だからそうじゃなくて。

 

「どうしてここで寝てるんでしょうか……」

「…………セキト」

 

 ……セキト? と、目の前の少女のように首を傾げるとその腕の中で“わふっ”と鳴く犬のことを思い出す。

 この犬がもしかして、だろうか。……だからといって、寝てる理由と繋がるかといったらそうでもない気がするんだが。

 

「えっと……この犬がここで寝てたから、キミも?」

「………」

 

 普通に頷かれた。警戒心というものを知らないのだろうか。仮にもそう面識のない男の腕を枕に、とか……。

 

「…………ああ」

 

 なるほど、俺がなにかすれば、三国無双によって俺はミンチになるわけだ。そりゃあ恐れることはないよなぁ。……と、そこまで考えてみて泣きたくなった。

 一年やそこら修行したところで、この世界の女の子たちには敵わないんだよなぁ。うう、頑張れ、男の子……。

 

「でもそれとこれとは話が別で……えぇと、呂布?」

「………………恋でいい」

「え?」

「…………恋」

「……れ、ん…………って、もしかして真名のこと? い、いやでもそれは───」

「………」

「うっ……」

 

 無表情だけど、どこか期待を含んだような目が俺をじぃっと見つめてくる。

 女性が自分の腕を枕に寝て、その無垢な目が期待に揺れて……そんなものを断れる男を、少なくとも俺は知らない。

 断る男が居るのなら、それは紳士というものだ。

 もちろん時と場所を弁える意味でなら、俺だって踏みとどまれるさ。多分、きっと。

 だからこそ断ろうとした、と思いたい。

 なのにお犬様が続きを促すように、じいっと見つめてくる上、呂布も俺をじーっと見てくるわけで。

 もしかしてこれ、犬が気を許せば真名も許せるって、そういう状況なんでしょうか。

 そりゃね? 本能として“心を許すか否か”を選べる野生って意味では、下手な人間よりも信用できるんでしょうけれども! それで真名を許すかは、やっぱり別なのではないでしょうか。

 

「…………」

「……うっ……」

 

 ごめん無理です耐えられない。この娘なんだってこんなに熱心に見つめてきてるの?

 むしろ呼ぶまで逃げられそうにない。ならば呼ぶ、しかないのでは?

 ごくりと喉を鳴らして、緊張で嗄れてしまいそうな喉に力を込めたまま、一度だけ口にする決意を。

 さ、さあいざ───!

 

「…………れ、恋……?」

「……、……」

 

 真名を呼ぶと、呂……恋はもう一度腕に顔をこすりつけた。

 まるで手に頭を押し付ける猫だ。

 い、いけませんよ北郷一刀警備隊長! 俺は! 俺は魏を! 曹魏を愛する男!

 それをこんなっ……擦り寄ってきたからといって、他国の重鎮さんを召し上がったとあっては覇王に会わせる顔がない、なんて、する気もないことに焦っていたそんな時。

 なにかしらの気配とともに、なにかがぼとりと落ちる音。

 

「ひぃっ!?」

 

 背筋が凍ったなどというレベルじゃあなかった……喉から思わず悲鳴が出るほど……それこそ、死ぬほど驚いた。

 おそる……と音がした方向、つまりはなにかしらの気配がした方向を見ると……

 

「…………お兄さん?」

 

 ……風が居た。

 傍らにはペロペロキャンディーが落ちていて、さらには頭にあった宝譿までもが落ちていて……さっきの音はあれかな、と思うや、信じられないものを見た、といった風情でよろよろと近づいてくる。

 

「お兄……さん、ですか?」

 

 本当に信じられなかったんだろう。

 風とは思えないほどの動揺が声に表れていて、そんな反応でどれだけ自分が周りに心配させていたのかがわかって、俺はすぐにでも起き上がって風を抱き締めっ……

 

「………」

 

 抱き締め……

 

「………」

 

 抱……

 

「……あの」

 

 ダメです、起き上がれません。

 恋さんが俺の袖を掴んで離してくれません。ていうか顔こすりつけまくってます。マーキングです。などと状況に混乱するあまり、せめて頭の中だけは冷静でいようと努める現状の中、風がよろよろと静かに歩み寄ってきて───って風! だめだ風! そのまま進んだら宝譿ぃいいいっ!! 宝譿が! 宝譿が踏み潰されたぁああーっ!!

 

「……? ……どうして震えてる……?」

「い、いや……幼少の善き日が踏み潰された気分で……」

 

 隣の恋が無表情で首を傾げる。

 そんな顔を見ていた俺の傍らにスッと差す影……風だ。

 太陽を遮るようにして俺の顔を覗き、足を畳むようにして草むらに座ると、壊れ物に触れるようにそっと手を伸ばし、頬に触れてきた。

 

「…………」

「えーと……」

 

 言うべきことは決まってる。けど、ちょっと恥ずかしい。

 それでも空いてる手で頬をカリ……と掻くと、段々と潤んでいっている瞳を見つめながら───

 

「……ただいま、風」

「…………はい。おかえりですよ、お兄さん」

 

 やっぱりここが自分の帰るべき世界なのだろうと実感しながら、ただいまを口にした。

 

「…………」

「…………」

 

 恥ずかしい。けど、交差する視線はやがて近づき、太陽が視界から完全に消える頃───……ちむ。

 

「……?」

「わふっ」

 

 俺と風の間に差し込まれたセキトが、風の鼻先に口付けをした。

 

「……おおっ、お兄さんいつのまにこんなに毛深く」

「違うっ! って恋、いきなりなにを───」

「………………? 抱き締める?」

「いや、そうじゃなくて、どうしてセキト……? を、突き出したりなんか」

「…………目を閉じてた。……眠るなら抱き締めると暖かい……」

「……エ?」

 

 ……じゃあ、なんだ。

 邪魔をしたとかじゃなく、眠ると思ったから「寝るなら湯たんぽをどうぞ♪」的なノリだったと?

 

「むー……」

 

 しかしそんな親切に、口を波線にして唸る風。

 普通ならばキャンディを頬張って誤魔化すであろう口元も、それがないだけで随分と子供っぽく見えるもんだ。

 そんな風は、腕を掴まれながらでも少し上体を起こしていた俺を無理矢理寝かせると、

 

「お兄さん、右手をこう……こう、伸ばしてもらえますか?」

 

 と指示を出し、戸惑いつつも右手、というよりは右腕を肩から真っ直ぐ横に伸ばしてみれば、

 

「はいはい、ではではー」

 

 ……ことり。

 風が身を横に寝かせ、俺の右腕を枕に擦り寄ってきた。

 

「あ、あー、あの、風?」

『おうおうにーちゃん、そっちはよくてこっちは駄目なんて贔屓臭いこと言うんじゃねーだろうなー』

「……いや、風。宝譿もう大変なことになってるから。頭の上に居ないから」

「………………おおっ!?」

 

 きょとんとした風が視線を彷徨わせると、落ちた時のままの姿のキャンディーの隣で無残に踏み汚された宝譿の姿を確認。

 結構驚いたのか、パチクリして頭の上に手を当てている。

 寝転がってるんだから、そこにあるわけないのに。

 

「ところでお兄さん? 風たちに挨拶もなしに、なぜこんな場所で呂布さんとちちくりあってましたか」

「いや、んぶっ……実は、ここで服を乾かしながらぶわっぷっ! ね、寝てたら……ってやめろセキト! 喋ってるんだから舐めるなっ!」

「お兄さんはまさか動物もいけるくちですか」

「なに恐ろしいこと言ってるの!? いけないよ!」

「………………セキト、好き?」

「ど……動物としては、ね? 懐いてくる動物を嫌いって言える人、そう居ないよ?」

「そして好き合う一人と一匹はやがて恋に落ちるのですね」

「落ちないよ! 落ちないから! なんか呂布が真に受けそうだからやめてくれって風!」

「………~♪」

 

 困っている俺を見て、どうしてか風は微笑んで俺の胸に頬をこすりつける。

 喜ぶ要素が今の会話の何処にあったのかは謎だけど、甘えられているようで悪い気はしなかった。

 

「………」

 

 空を見上げている。

 太陽が真上あたりってことは、今は昼なんだろうか。

 太陽が同じ周期、同じ速度でここから未来までず~っと回ってるのならそうなのかもしれない。

 

「……なぁ風。…………みんな、元気か?」

「そんなわけないじゃないですか」

 

 タイミングを見計らっていたことは確かだったが、ここまではっきり言われるとなかなかに辛い。

 

「お兄さんが居なくなってからの魏は、本当に抜け殻のようなものだったのですよ。天下を手にして一皮剥けて、中身だけ飛んでいって……残された抜け殻が風たちだったのです」

「いや……そうなのかもしれないけど、なんかヤなんだけど……その言い方……」

「華琳様からお兄さんが天の国に帰ったと聞かされた時のみなさんの動揺は、それはもう心臓を握り潰されたかのようなものでした」

 

 それはもちろん風もですよ、と続ける風の頭を撫でる。

 腕ではなく、頬擦りしたままの胸を枕にする風を撫でながら、仕方が無かったとはいえ魏のみんなにしてしまった罪の重さを噛み締めてゆく。

 ……って、あのー、恋さん? 真似して胸に頬擦りしなくていいですから。

 

「華琳はどうしてる?」

「普通ですよー? 普通に仕事をして、普通に女性と楽しんで、普通に日々を過ごしてます」

「……それは、すまん。異常だな……よくわかる」

「異常は言いすぎな気もしますけどねー。そういうことです」

 

 華琳が普通に日々を送るなんて、考えられない。

 普通よりも一歩先を目指す彼女だ、風の目から見てそれが普通だというのなら、それは華琳……いや、曹孟徳としての実力の低下を意味するのでは。

 それとも……

 

「……羽根を休ませたかったってことはないか?」

「それはないですねー。あれはまるで、張り合いを無くしたというか……自分の善いところを見せる相手を失くした子供のような姿ですしねー」

「………」

「おやおやお兄さん? 今お前も子供だろ、とか失礼なことを考えませんでしたか? 散々人を開発───」

「考えてません! ていうか開発とか言わない! 何処で覚えたのそんな言葉! 今すぐ忘れなさい!」

「おうおうにーちゃん、それは───」

「だから! 宝譿もう大変なことになっちゃってるから! いたたまれなくなるからやめて!」

「むう、お兄さんは少し意地悪になりましたね。風は悲しいです」

 

 ……そりゃ、一年もあっちの世界で暮らしてたんだ、変わりもするし、変えられもする。

 郷愁はあるわ口の利き方が悪いとじいちゃんに怒られるわ、変わらずに居られるほど穏やかじゃあなかった。

 勝手に決めた誓いとはいえ、強くなりたいと本気で思って立ち上がったりもしたんだ。意地悪っていうのは不本意だけど、変わることが出来たことを少しでも喜びたい。

 まあその、いい意味で変われているのなら、だが。

 

「……華琳様に会いたいですか?」

「みんなに会いたい」

「おおっ……即答ですねーお兄さん。さすがに気が多いだけはあるですよ」

「そういう意味じゃなくて。……うん。誰に会いたい、とかじゃない。みんなに……魏のみんなに会いたいよ」

 

 ずっと望んでいたのだ。みんなに会いたい、この世界に戻りたいって。

 服なんてほうっておけばよかった。フランチェスカの制服に着替えるのももどかしく、たとえ誤解されようが怒られようが、この足で走って、みんなに会えばよかった。

 そうしなかったのは───きっと。

 

「俺は……見苦しいところ、見せたくなかったんだろうなぁ……」

「あら。誰にかしら?」

「天下を統一させた、我が唯一の覇王に」

 

 影が差す。

 いったいいつから居たのか、俺を見下ろす姿。

 眩しい太陽を微妙に隠しきらないあたり、居なくなったことへの仕返しをしているのかどうなのか。

 けど……そんな反応が懐かしい。

 

「戻ってこれたことに(はしゃ)いで、感激して。喚きながら王に抱き付く姿を見せたくなかったんじゃないかな、って」

「そう? 私は見せてほしかったくらいだけれど」

 

 一年。

 

「……桂花が黙ってないぞ」

「黙らせるわ」

 

 一年間だ。

 

「集まってくれたみんなが引くぞ」

「引かせておけばいいわよ」

 

 この姿を何度思い浮かべ、何度胸を焦がしただろう。

 

「稟が鼻血噴くぞ」

「風に任せるわ」

 

 会いたくて、会えなくて。

 

「酒が、不味くなるぞ」

「そんなの、一年も前から不味いわよ……」

 

 会えないというだけのことが、あんなにも辛いことを俺は初めて知ったんだ。

 

「…………華琳」

「……なによ」

 

 この目を見ながら名を呼べる日が、また来るなんて。

 

「……我、天が御遣い北郷一刀。天命ではなく、貴女の願いにこそ応じ、参上した。……さあ、貴女が望むは天下泰平か? はたまた武と知を振るえる戦乱か」

「───……そんなもの、決まっているわ。貴方に願わなくても、天下の泰平など成し遂げる。戦がなくとも、武と知を振るえる場所など作ってみせる。私が貴方に望むことなんてたったひとつよ」

 

 伸ばした手が、彼女の頬をやさしく撫でる日が、訪れてくれるなんて。

 

「ほう。ではその望みを、この使者に」

「ええ。……天が御遣い、北郷一刀。貴方に命じます。……天より我がもとに降り、その一生を……魏に捧げると誓いなさい」

 

 こうして、再び引き寄せることが出来るなんて───

 

「……仰せのままに。我が王よ───」

「……ばか」

 

 目を静かに閉じ、唇が近づく。

 やがて太陽は遮られ、ふたつの唇が───……ちむ。

 

「………」

「…………風?」

「いえいえー、なんといいますかここまであからさまに二人の空間を作られては、邪魔をされた風としては立つ瀬がないといいますか」

 

 華琳の鼻先にセキトの鼻。

 ひんやりとした感触に華琳がババッと離れるが、すぐに平静さを見せるとこほんっと咳払い。

 

「風が邪魔をされた、とは……どういう意味かしら、一刀?」

「え? いや……」

「お兄さんは服が二着も汗で濡れるほどに呂布さんを愛し、それだけでは飽き足らず、飴が落ち宝譿がぐしゃぐしゃになるほど風を愛し抜いたのですよ」

「…………一刀?」

 

 ドスの効いた、まるで深淵からにじみ出るような低く恐ろしい声が耳に届いた。

 悲鳴を上げなかった自分に“お見事”を届けつつ、今の自分にエールを贈りたい。つまり助けて。

 

「ちっ、違う! 断じて違う! 誤解だ! 濡れ衣だ! ってどっかで聞いた言い回ししてる場合じゃなくて!」

「言ったはずよね? 私以外の女に手を出す、または出した時は、きちんと報告すること、と」

「今まで居なかったじゃないかーっ!! それでどうやって報告───ってだからそうじゃなくて!」

 

 さっきまでの甘い雰囲気が逃げてゆく! 手を伸ばしても届かない! さよなら愛情ようこそ理不尽!

 

「お兄さんは風の頬をそっと撫で、“ただいま、風”と囁いて、やがて唇を奪おうと───」

「っ! ……一刀。風には言って私には言わないとはどういうこと?」

「え? なにが?」

「なにっ……!? ……ふ、くくく……!! ええ、改めて確認した気分だわ……本当に一刀ね……。 妙なところで察しがいいくせに、こういう時にはまるで……! “なにが?”、“なにが?”と言ったの? 貴方は」

「う、うん……?」

「お兄さんは時々、英雄並みの苦渋の選択をしますねー」

 

 いや、なにを言われているのかよくわからないんだが……。

 ていうか風さん? あなた今この状況を滅茶苦茶引っ掻き回してません?

 ……あ、あれ? あの、恋さーん? 急に立ち上がってどこへ……え? 静かなのがいい? いやあのべつに好きで騒いでるわけじゃっ……ま、待ってぇええっ!!

 

「お兄さん、華琳様はお兄さんにただいまを言ってほしかったのですよ」

「え? そうなのか? だってそんな、当たり前のこと言ったって」

「!」

「おやおや……風に対しては当たり前ではなかったのですかー」

「む。それはちょっと違うんだが……俺、日本……天の国に帰ってからずっと、ここに帰りたいって思ってた。また会う時に恥ずかしい自分じゃいられないって、自分を鍛えたりもした。情けないことに泣いたりもしたんだぞ? これじゃ本当にホームシックだ」

「ほむし? なんですかーそれは」

「郷愁のことだよ。……だから、つまりな風。俺は自分の……天の国なんかよりも、華琳が辿り着いた天下。魏の空の下こそを故郷だって思ってたってことなんだ。魏は華琳の旗だろ? だったら、俺が帰るべき場所は華琳のもとで───っていたっ!?」

 

 え、いや……な、殴られた!? 今殴りましたか華琳様!

 

「っ……! っ……!!」

「……華琳?」

 

 風に向けていた視線を華琳に戻すと、華琳は涙と笑みを必死になって噛み殺しているような顔で真っ赤になりつつ、口をぱくぱくと動かしていた。

 

「っ……、ら……!」

「……ら?」

「だ、った、ら……ぁっ……! 勝手に居なくなるんじゃないわよっ! ばかぁっ!!」

 

 ……弾けるような声だった。

 結局涙も笑みも我慢しちゃった我らが孟徳様の行動は怒りで。

 華琳とは思えないくらいの、別の意味での真っ直ぐな言葉に面を食らった俺は、呆然としたままあることないこといろんな罵倒を浴びせられることになり───

 

 

 

03/背中合わせは夢想でご堪能ください

 

 ……その後私は担任の鬼山……ではなく、大将の華琳にボコボコにされた。

 

「ちくしょ~……」

 

 “私”と言った意味は全然ない。なにも問題はないさ、顔が痛いこと以外。

 結局、“言いなさいよ……いいから言いなさい!”って脅されて、ただいまを言わされた俺。

 その途端にボッコボコである。意味もなく“ワーオ! モートクー!”とか言ったのがマズかったようだ。

 涙こそ流さなかったけど、俺を殴る華琳は本当に子供のようで。

 “覇王”との約束を違えたって意味なら、殴られるだけで済んだのは破格。

 それ以上に愛しい人を泣かせたとあっては斬首も当然なのだろう。……こう、春蘭的に。

 ここに春蘭と秋蘭と桂花が居なくて本当によかった。

 泣いてないとはいえ、拳を振るう華琳の心は間違いなく泣いていただろうから。

 

「それで? 久しぶりの天はどうだったの?」

 

 で、現状といえば、斜に埋まった岩に背を預け、その足の間に華琳が治まり、胸に後頭部を預けている状態。

 風は…………宝譿の残骸の傍らで手を合わせてる。

 

「うん。華琳の目から見れば、大げさに言うほどの実りはなかった、っていうのが実際のところ」

「なによそれ。私が私の物語を生きていた中で、貴方はそんな物語を生きていたの?」

「……仕方ないよ、そればっかりは。天での暮らしよりも、ここでの暮らしこそが俺にとっての物語だってわかっちゃったんだから」

「……う…………そ、そう」

「ん、そう」

 

 あの世界での暮らしは無二だった。

 でも、必死になることを、生きる希望を、作り上げてゆく絆の大切さを知ったのはこの世界だった。

 世界の厳しさを、自分が知らない場所にある苦しさを、自分なんかの手で救える人が存在するほどの貧しさを、人としての俺を成長させてくれたのは間違いなくこの世界だったのだ。

 この世界は俺に勇気を、慈愛を、喜びを本当の意味で教えてくれた。

 ……俺が日本で暮らしてきた十数年などよりも、よほどに実りある僅かな時間。

 それをくれたこの世界だからこそ、華琳が治めた世界だからこそ、愛しいと思えたのだから。

 

「……一刀?」

 

 そっと抱き締めた。

 預けて貰っている体を、さらに近くに感じられるように。

 

「中途半端だったんだ」

「……?」

「この世界に来るまで、俺はなにもかも中途半端だった。成績は普通だし、やってた剣道も並以上になんか上がらない。じいちゃんに習っていたことも、やりながら“さっさと終わればいい、こんなのがなんの役に”なんて、学ぶことの大切さも考えないで否定ばっかりしてた」

「そう。それで?」

「ある日さ、友達……あ、及川っていうんだけどな? そいつが言ったんだ。“なんでもそこそこにやっとったら、そこそこの人生しか生きられんでー”って。それの何が悪いんだ、って俺は思った。普通のなにが悪いって」

 

 たとえば教室で。たとえば道場で。

 気の許せる友人に何気ないことを話して、話されて。

 

「でも、違った。俺の考えはその“普通”にすら届いてなかった」

「ええそうね。現状維持は悪いことではないけれど、進む気がないならそれは普通とさえ呼べないわ」

「うん。それに気づいたのは、勝ちたい人に出会ってからだった」

 

 目標が出来て、頑張ってみて、それでも届かなくて。

 

「でもさ、頑張ってみたけど届かないんだ。なにが足りないのかなって考えてみたけどわからない。どうしてわからないんだろ、って頭を掻き毟ったなぁ……」

「……ふふっ……今はどう?」

「ああ。足りないのなんてたった一つだった。俺には覚悟が足りなかったんだ。勝とうとする覚悟、負けても打ち込める覚悟。いろんな覚悟だ。相手は自分よりもいっぱい練習してるんだから、俺が負けてもしょうがない、なんて逃げ道ばっかり作って。そんなんで、努力をする人を倒せるわけがなかったんだ。……たとえ、同じだけ努力しても」

「それはそうよ。気構えの時点で負けているもの」

「きっぱり言うなぁ」

「言ってやらないとわからないでしょう? 一刀は」

「……すいません」

 

 言いながらも、華琳は散々殴った俺の頬を見上げるようにしてやさしく撫でてくれる。

 正直触れられるだけでも痛いんだが、罰だと思ってこの痛みは受け取っておこう。

 

「で、な。……えっと。その覚悟を、俺はこの世界で知った。正直な話……人を殺す覚悟なんてのは持ちたくなかったっていうのが本音だけど。天の国に戻った時、友達にどのツラ下げて会えばいいのか、怖かったくらいだけど。直接ではないにせよ、俺は人を殺しましたって言えばいいのかな、って思ったりもしたけど……さ」

「……ええ」

「でも……誰かの死は、取り返しのつかないことをやり遂げる覚悟を、俺にくれた。ひどい話だけど、俺は味方や敵の死でいろいろなことを学んだよ。……戦場、なんだもんな。武器を取って向かい合えば、相手が女でも子供でも老人でも、殺さなきゃ自分が死ぬ。それと同じように、勝ちたい人にだって勝ちたいって気持ちで……本当に勝ちたいって気持ちで向かわなきゃ、勝てるはずなんてなかったんだ」

 

 殺したかったわけじゃない。負けたかったわけじゃない。言い訳を言いたかったわけじゃない。

 いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。

 目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。

 あの日、俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 そうやって、人の死を前に吐いてばかりだった俺はようやく立ち上がって、前を向くことが出来た。

 戦場の意味も知らない子供がようやく立って、魏のみんなと一緒に駆けて、笑って、泣いて。

 手が赤く染まるってわかっていても、生きたいと思うなら振り下ろさなきゃいけない時だってあることを知った。

 ───それが即ち戦場で、そうと知ってて向かっていくことこそが覚悟だった。

 

「……本当に、中途半端だった。今回天に戻ってみて、本気でそう思ったよ」

「あら。今は中途半端じゃないっていうの?」

「完全とはいえないけど、そうであってるつもり。足りないものが満たされてるって、そう思えるから」

 

 言いながら、華琳の髪に鼻をうずめ───た途端に額をべしりと叩かれた。うん痛い。

 

「あたた……はは、うん。及ばないことなんていっぱいあるけどさ。本気で鍛えて本気で勉強して、本気で願った場所へと辿り着けることってこんなに嬉しいんだなぁって感じられた」

「へえ……ともに天下を抱いた時はそうは思わなかったということかしら?」

「確かにあれは俺の願いでもあったけど、どちらかというと魏のみんなの願いだ。俺は案を出すばっかりで、本当の意味で身を費やしてなかったと思う。自分のためっていうよりは華琳や魏のみんなのために、っていうのが大半だ」

「……そう」

「天下を目指すための努力に比べれば薄っぺらくて、お前の充実感はその程度かって怒られるかもしれないけど、うん。俺は嬉しいって思えた。少しは中途半端から抜け出せたのかなって」

「………」

 

 言葉を届けると、背を預けたままにもう一度伸ばされた手が、俺の頬を撫でた。

 

「ふがっ?」

 

 ……次の瞬間には、俺の頬は伸びていた。もちろん、引っ張っているのは華琳だ。

 

「だったら、もっと高めていきなさい。この大陸で、あなたが望むままに。多少の馬鹿な行為くらい見逃してあげるから」

「…………」

「ふふぁ!?」

 

 仕返しに華琳の頬を両側から引っ張り、華琳の手から自分の頬を逃がす。

 「ひょっ……はふほ!?」なんて言われたが、聞こえないフリをしたまま、その頬のやわらかさとスベスベさを堪能する。それが終わるとパッと離した手で、引っ張っていた頬をこねこねと撫でながら言う。

 

「うん。それが華琳の願いなら、俺はずっとここで高めていくよ。自分の理想を、自分の信念を」

「……そう。なら早速だけれど覚悟を決めてもらう必要がありそうね……!」

 

 地鳴りのごとき擬音さえ聞こえてきそうな覇気とともに、修羅が振り向く。

 それに合わせて顔を突き出すと、怒気を孕んだ表情を驚きに変えてやった。

 途端に顔は真っ赤になって───でも、唇が離れることはなかった。

 



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??:文字説明/主な人物紹介

◆この場の小説で使われる、それぞれのカッコの役割等

 *「」
 人が喋っているもの
 例:「覚悟───完了」

 *『』
 二人以上が喋っているもの、もしくは動物や人でないものが喋っているもの。
 例:『おうおうにーちゃん、登場して早々にこんな役割なんてあんまりなんじゃねーか?』

 *“”
 重要なこととか、誰かが言ったことを思い返したもの等
 例:「つまり貴方はこう言いたいわけね? “更新はただひたすらにゆっくりだ”、と」

 *《》
 効果音。主に「」の最中に含まれる。ビンタ音とか。
 主に与えられる側。相手に対しての場合は相手の「」内に効果音が含まれる。 指パッチンなど、自分が自分にやるものは別。
 例:「《ビキビキビキ……!》へ、へぇええ……!? そう……! あなた、ここまで私を待たせておいて、まだそんな口が叩けるのね……!」
 ●注:ハーメルン側では極力使わない方向でいってみようと思います。
  文章が説明臭くなったらごめんなさい。元々それが嫌だったのもあるので、なんとか簡潔に纏められるといいんですけど、いかんせん語彙が少ないもので……!

 *-_-/
 視点変更。基本視点は一刀くん。/のあとに名前が入り、その人物の視点となる。
 例:-_-/曹子桓

 *=_=/
 回想とか妄想に時折使われる。
 上の視点表現と合わせて、うみにん的な顔とでも覚えてください。
 例:=_=/イメージです 変人の妄想です 回想です ……など。

 *ネタ曝し
 後書きに、その話の中で使われたネタの説明が入ります。
 ネタがあったのに書かれていない場合はド忘れしているか、普通に書いたものが既にネタで、筆者が知らないだけのどちらかかと。
 なお、一度ネタ曝しに出た説明は、あとで使ってもネタ曝しには書きませんので。書いてあったらやっぱりド忘れしているだけです。
  例:*うみにん
  メサイヤのマスコット的存在。
  超兄貴やラングリッサーにも登場し、地味にぬいぐるみも存在する。
  某ゲーセンで凍傷がゲームのコツを掴み、このぬいぐるみが無くなるまで取りまくったのは懐かしい思い出。
  家にはまだたくさんのうみにんが残っている。

  *なお、ネタ曝しも“知ってる人だけ納得出来りゃいいよ”とのツッコミが入ったのでこちらでは無しに。
  みんな持ち上げて落とすのが大好きすぎて、僕の心はボドボドだ!

 文字の使い方はこんなところかと。
 稀に後書きにおまけのお話が入ることもあるので、「後書きを飛ばして見てたから、知らんヨこんな話! こんな……!」という方がいらっしゃったらごめんなさい。

 *こちらではその後書きおまけを番外編として載せておりますので、後書きを気にする必要はなくなりました。

 では、人物紹介です。


 *人物紹介の前に、前書きに文字説明があるので、前書き・後書き表示をOFFにしている人は気が向いたら見てやってください。

 

 

【挿絵表示】

 

 姓:北郷

 名:一刀

 字:かずピー

 真名:無し

 武器名:黒檀木刀/木刀

 

 キャラ紹介:魏ルートの華琳のメインパートナー。

 魏エンド後に日本の教室に戻り、それからの日々を祖父の下で自分を鍛えつつ生きる。

 祖父に散々叩かれ扱かれた結果、口調は少し大人し目。

 焦ったり慌てたりすると口調が乱れる。

 戻って早々にいろいろな面倒ごとに巻き込まれることになるものの、基本的にはいろいろな方向にポジティブ……ではない。むしろ悩み過ぎ。読者にツッコまれるレベルで悩んでいる。

 剣道を得意としていたものの、天狗になっていたところを叩き折られて挫折した経験がある。

 絵が苦手。

 武器は祖父に借りていた黒檀の木刀。通常の木刀よりもずしりと重く、振って鍛えるのに丁度いい。こともない。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 姓:曹

 名:操

 字:孟徳

 真名:華琳

 武器名:絶/鎌

 

 キャラ紹介:魏ルートの一刀のメインパートナー。

 魏エンドで泣かされてから、歴史間という超遠距離恋愛をしたようなしていないような。

 初期に比べれば随分とやさしくなったと思われる。

 天の知識に興味が深く、特に料理には飛びつきやすい。

 “様々を興じてこその王”を胸に、平和になった日々をのんびりと楽しんでいる。

 食に対してはうるさく、だめだと感じたものにはどんどんとダメ出しをする。しかし成長してほしいからこその言葉であり、これまたしかし、受け取る側は大体心が折れて料理から離れたりする。

 ニタリと笑った顔が妙に似合っており、口角だけ持ち上げるのではなく少し口を開いてニタリと。

 いろいろ完璧に見えるのに、コンプレックスがあったり、時々小さなことでポカをやらかすところは外見年齢相応なのだろうか。

 

 

 ◆え? この二人だけ?

 メインですから。

 決して絵を描くのが大変だからでは───あったりします。

 ドリル髪がここまで難しいとは思わなかったんだ……。

 

 

 ◆おいおいこの物語。華琳ばかりが目立ってるよ

 元々魏ルートのENDが「ああ華琳ッ悲しすぎるッ!」といったものだったから書き始めたものですし、それを見失わないように書いた結果が現在ですね。

 

 ◆一刀が華琳を好きすぎじゃね? 他の子はどうなの

 これは筆者個人の問題の所為です。

 ハーレムものは好きだけど、ドタバタとした状況が好きなのであって、どっちつかずが好きなわけじゃないため、好きって意識が確実に一方に向きます。

 魏に操をって頑張っていた人物に、数回の覚悟を持たせただけで全員好きになりなさいは、個人的に無茶でした。

 オリジナル小説でも“好きになるのは一人だけ”という文句を大事にしておりますし。例外はありますが。

 これが上の話と混ざって、華琳が目立って華琳に惚れすぎているってカタチになってます。ええほんと、自覚はしてるんですけどね……。

 

 こんな、自己満足と妄想を混ぜた、じれったくてしつこくて悩み過ぎで、読んだ人に「文字が長いだけ」と言われた物語ですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。

 えぇとまあ、あれです。

 その後を凍傷が書いたらこんなんなりました、程度のものだと思って、期待などせず流し読んでくだされば、きっと「流し読みが完全に入ったのに……!」などと言う言葉が…………出ませんね。はい。

 

 たぶん呉のあたりで「ないわ」ってなるので、それまではどうぞよろしくです。

 その後も“毒食わば皿まで”を最後まで続けてくれるのなら、さらによろしくです。

 ではこれにて。



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??:現代/努力の過程①

04/誇り、覚悟、そして誠意

 

 ───ばっしゃあっ!!

 

「ぶわぁっはぁっ!? つ、冷たっ……!!」

「いつまで寝ておる、とっとと起きんか」

 

 気を失っていたんだろうか、ふと気づけば自分は水浸しの床の上で目を覚まし、上半身だけ起こしながら、視線の先に立つ人とその後ろにある景色を目に……ここが道場であることを思い出した。

 

「あ、え……? お、俺、気ぃ失ってた……?」

「まったく、あれしきの撃、受け止められんでどうする」

 

 言われてから、ズキリと痛む頭に手をやる。

 ……そうだった、目の前の人……じいちゃんと打ち合って、いけるかな……とか思ってたら…………あれ? その先が思い出せない。

 たしか、こう踏み込んだらじいちゃんが突っ込んできて…………えーと、なんだ。ようするに打ち込まれて気絶したのか。

 弱いなぁ俺。

 

「俺、どのくらい……?」

「5分程度だ。あまりに長く寝ているから冷や水をかけてやったわ」

「風邪引くよ!」

 

 ぶるるっ……と、冷えていくばかりの体を庇うようにして立ち上がる。ああ、この濡れた床も俺が掃除するんだろうね、じいちゃんの意地悪。

 なんてことを思っていると、じいちゃんが竹刀を手に(木刀でやり合う時もあるが、それは“避け”の訓練を重点に置いたもので、通常の稽古の時は竹刀を使っている)俺の目を見て口を開く。

 

「……一刀よ」

「え? な、なに……?」

 

 俺はといえば、そんな鋭い目に怯みそうになる気持ちを飲み込むようにして、いっそ睨み返す勢いで見て返す。

 なにを言われるのか不安に思ったものの、じいちゃんの口から出た言葉は俺の予想とはまるで違った。

 

「なにゆえに、力を求めた」

「え……」

 

 そう、予想とは違った。

 てっきりいつものように、やれここが甘いだの構えが駄目だだの言うと思っていたから。

 

「堕落とまでは言わぬが、お前は半年前あたりまでは現状に溺れ切った目をしていた。なにかが起きようとも周りがなんとかする、どうにでもなる、といった様相さえ見て取れたくらいだ」

「そこまで!? いやっ……俺これでも困っているヤツが居たら、見捨てられない性質で通ってたけど……!」

「それは当然だ。無力ではなく努力不足を理由にそこまで下衆に落ちたならば、儂自らが叩きのめしておったわ」

 

 ……以前の俺。下衆じゃなくてありがとう。

 

「けど、じゃあどういう意味で?」

「己を高める努力をせず、当時の自分に満足している目をしておった。勝ちたい相手が居ようが、勝負など時の運と口にして、本気の努力をしない者の目をだ」

「う……」

 

 言われてみて、ぐさりと来るものがあった。ということは、それだけ図星だったということなんだろう。

 あの世界では生きるために必死だったから出来たことも、こうして振り返ってみれば、とても大事なことだったのだと理解できる。

 

「そんなお前が剣を教えてくださいと土下座までしおった。ふわははは、あの時は初めてお前に驚かされたわ」

「うぐっ……土下座の話は勘弁してほしいんだけど……」

「たわけ、無駄に誇りや意地ばかりを高く持つのが今の若造どもの悪い癖よ。その中で土下座をしてみせたお前を、儂は認めこそすれ、情けなく思うことなぞあるものか」

「…………」

 

 うわ……困った、今物凄く“じぃん……!”って来た。

 

「だが、だからこそお前の覚悟を知りたいと思ったのだ。三日坊主で終わるのではと思えば、早半年よ。ならばその意思、その覚悟も相応しくあるものなのだろう?」

「……、……ああ。これだけは、絶対に曲げたくない」

「……うむ。では一刀よ。お前が強くあろうとする理由……それはなんだ」

「強く…………うん」

 

 痛む頭から手を離して、胸をトンッとノックした。

 あの日、夕焼けの教室から飛び出す前にもそうしたように。

 すると、あの日の思いが今この時に感じているかのように浮かび上がる。

 

「───守りたいものがある。微笑ませたい人達が居る。ともに歩みたい道がある。そんな道で、堂々と肩を並べて歩けるような自分になりたい。だから、俺は剣を手に取った」

 

 民を、仲間を、王を。手を取り合った蜀と呉、未だどこかで苦しんでいるであろう人達を、今すぐでなくてもいい、いつか微笑ませてやりたいと願った。

 何かが出来る、何かをしてやれる状況なのに、自分では何も出来ない歯痒さを知っている。

 そんな自分が嫌だから。

 何かが出来る自分になりたいから。

 

「努力もしないで下を向くだけの自分は……もう、嫌なんだ」

 

 たとえば剣道。

 ある日に負けて、次は勝てる、次こそはと意気込んで、一度も勝てずにまた負けて。

 強いから仕方ないかと笑った時の虚しさが、どれだけ胸を抉っただろう。

 情けなくて泣きたくなって、だけど涙を見せることが恥ずかしくて、泣くことの出来る自分さえ恥と断じて殺していた。

 ふと誰かに“頑張ってるのにな”と言われて、自分は頑張ってるんだと思い込んで、半端に打ち込めば打ち込むほど虚しくなって。

 でも───そんな俺にもようやく見えた光があった。

 

「強くなりたい。守られてばかりじゃない、なにかを守れる自分になりたい。誰かを微笑ませてあげたい。誰かを安心させてやりたい。誰かに……幸せだ、って思わせてやりたい」

 

 思いが溢れる。

 この世界でどれほど焦がれたところで、決して幸せにはしてやれない人達が居る。

 それでもいつかは届くと信じて、自分を高めている。

 こんな俺でも“幸せだ”と思えたんだ。

 みんなにも幸せを感じてほしい。

 このままじゃあ駄目なんだ。

 たくさんの約束がある。

 たくさんしてやりたかったことがある。

 まだまだ見ていたかった、覇道の先があったのに───

 

「嘘吐きの自分のままでいたら、きっと顔向けなんて出来ないから。だから───俺は今の自分より、あの時の自分より強くなりたいって思ったんだ」

 

 見えた光……覚悟という、全ての行動に必要なもの。

 それをあの世界で知って、俺は少しは強くなれたんだと思う。

 この世界で……そう、じいちゃんが言っていたように、現状に溺れていては絶対に手に入らなかったものを手にすることで。

 

「……ふむ」

 

 俺の言葉を真っ直ぐに受け止めて、じいちゃんは顎を撫でた。

 片目だけ閉じて、口をへの字にして。

 しばらくすると……なにがおかしいのか、カッカッカと笑い出す。

 

「え……じいちゃん?」

 

 そして竹刀で俺の頭をポコっと叩くと、ふぅ、と笑うことをやめる。

 

「守りたいものか……女か?」

「…………それだけじゃない、かな」

「ほう。では家族か」

「ああ。それは断言できる」

 

 血は繋がっていない、絆で結ばれた家族。

 自分がそう思っていることを、たとえ本当の家族の前でも偽ろうとなんて思えなかった。

 

「それらがお前をこんなにも変えたか。クックッ……ああいい、なにがあったのかまでは訊かん。お前の目が見ているものはここにはない。もっと遠くのものなのだろうよ」

「えぇっ!? わ、わかるのか!?」

「ふわぁあっはっはっはっは!! 己で明かしてどうする、この童がっ!!」

「えがっ……あ、あぁあ~……もう……!!」

 

 あっさりと誘導にひっかかった自分に赤面する。

 そんな俺の横に並ぶと、じいちゃんは背中をバシバシと叩いてきた。

 

洟垂(はなた)れ坊主をここまで変えてくれた何かに、いまさら何をどうこう言うつもりもない。興味はあるが、お前が真っ直ぐな目をしておるのならそれでよいわ」

「うぅう……」

「腐るでないわ、一刀よ。お前はお前の信念を以って強くなれ。努力が足りぬなら一層の努力をせい。お前はまだ若いのだ、時間など売るほどあろう」

「……ああ」

 

 その“時間”がいつ無くなるのかはわからない。

 強くなってから行きたい気持ちと、行けるのなら今すぐにと思う気持ちとがごっちゃになっているくらいだ。

 でも……うん。

 

「なぁじいちゃん。もし……もしもだけどさ。俺が守りたい人が俺よりも強い人で、俺に守られる必要もなかったら……俺が強くなる意味って、何処にあると思う?」

「ふむ……」

 

 ポン、とじいちゃんが俺の頭に手を乗せる。

 

「その者は、強いか?」

「強い。今の俺じゃあ、どうやったって勝てないよ」

「そうか……ならば、今はまだ守られておればよい」

「え……でも俺……」

「守ろうとすることと、守れないのに出娑張るのとでは意味が違う。そんな背中に守られようが、逆に相手が不安に思うだけよ」

「う……」

 

 そう……なのかな。…………そうか。

 もし俺に子供が居たとして、“父を殺さないでくれ”と幼子が盾になったところで、俺は逆に幼子の身を案じてしまう。

 それは状況として、俺が言ったものと似ているのだろう。

 

「だが、先にも言った通り“現状に溺れるな”。今守られているのなら、いつの日かその者の力と同等、もしくは越す力を得た時こそ……全力で守ってやれ。それが恩を返すということだ」

「じいちゃん……」

「守る方法は、なにも力だけではない。身を守る、心を守る、笑顔を守る……他にも腐るほどあろう。お前が守りたいものが、どうしても力が必要なものならばとやかくは言わん。が、力を求めすぎて、“守るもの”の意味を忘れるでないぞ」

「……力がないなら、べつの方法でべつのなにかを守れってこと?」

「力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?」

「……誰かが……えっと。うん。……誰かが傍に居て、話してやればいいんじゃないかな。あ、いや、ちょっと違う……えっと…………ああ、これだ。“日常”を思い出させてあげればいいんだ」

「それがお前の答えならば、儂はなにも言わん。儂が言ったことを鵜呑みにされては、間違いを儂の所為にされかねん」

「しないさ、そんなこと」

 

 じいちゃんの言葉に、それだけはすぐに返せた。

 そうだ、そんなことはしない。自分の行動に責任を。自分の行動に覚悟を。誰かに任せて、失敗すれば誰かの所為にして自分の罪を軽くするなんてこと、俺はしたくない。

 そんな自分に至りたくないから、こうして自分を高めようと思えるのだから。

 

「ふむ……では再開するとしよう。その格好のままでいいのか?」

「訊くだけ訊いて再開!? う、うー……いい、どうせまたすぐ汗かくんだし。でさ、次はなにやるんだ?」

「基本は叩きこんだ。音を上げずによくも耐えたと言っておこう……そこでだ」

「ああ」

「お前が望む“方向”を聞いておく。お前が望むのは一対一か、それとも多対一か」

「───」

 

 なんで、と口が動きそうになる。

 多対一……それは戦場でもない限り、こんな平和な世界じゃあ有り得ない。

 剣道部に所属していることも知っているじいちゃんが、どうしてそんなことを言うのか。その意味を小さく探してみて……もしかしたらと考える。

 

「……なぁ、じいちゃん。どうして俺が多対一を望むなんて思うんだ?」

「む? それは本気で訊いているのか?」

「え? あ、ああ……うん、本気、だけど」

 

 どうしてさらに問い返されるのかもついでに考えてみたけど、やっぱり答えは見つからない。

 

「……お前の動きだ。時折、一人で見えないなにかと剣を交えているだろう。それを見ていて思ったが、どうにも相手一人を見据えるというより、群がるものを薙ぎ払うような動きをしている。剣道で言うならば面、突き、籠手、胴……目の前に集中し、最小限の細かな動きで狙えばいいものを、わざわざ大振りにしての横薙ぎ。お前は三人四人の相手から同時に胴でも取りたいのか?」

「うぐ……」

 

 言われてみれば、思い当たる節はあったりした。

 男なら、自分が敵を圧倒的な力で薙ぎ払う場面を想像したことがあるだろう。

 たとえば漫画や映画を見たとき、自分だったらもっと圧倒的に格好よく。

 たとえばゲームをやったとき、自分だったらこういった動きで圧倒させるのだ、と。

 ふざけながら稽古をしている気はもちろんないが、人間の頭ってやつはそう簡単に集中をさせてはくれないわけで。

 あの世界で戦いが終わったとしても、何処かから新たな脅威はあるかもしれない。そんな時に、たった一人の相手だけで手間取る自分でいたくなかったのだ。

 

「しかし、そうかと思えばたった一人を前に構える様子を見せる。それを考えれば多対一か一対一かと問いたくもなろう」

「う……」

 

 多対一の理由は、“強くなった自分がどう立ちまわれるのか”を考えていたため。

 逆に一対一のとき、俺の思考を占めていたのは……あの日向かい合った春蘭の幻影。

 打ち合ったとはいえないものだったけど、“刃物”と向かい合う機会なんてものはあれくらいだった……けど、どれだけ立ち回ってみても躱したりするので精一杯だった。

 あの日、結果的には勝てたけど、一撃を当てるだけでいいという破格の条件を出されてようやく、ってくらいだ。

 現実で言えばじいちゃんにも勝てない俺が、あの世界で渡り歩くためにはまだまだ修行が───

 

(…………あれ?)

 

 ───足りない、と続くはずの考えの中に、小さな違和感。

 こちらから攻めなかったにせよ、“あの夏侯惇将軍”の攻撃を木刀で受け流したり躱したりをした?

 その前には凪と手合わせをして、武人を相手に近づかせないように牽制することが出来た? ただの学生で、多少剣道をかじった程度の俺が?

 

「…………」

 

 そこまで考えて、やっぱり随分と手加減をされていたんだろうという答えに落ち着く。違和感は完全には晴れなかったけど、今はじいちゃんとの話に集中しよう。

 えぇと……戦いにおいての心構えの在り方、だったよな……うん。多対一でいくか一対一でいくかを考えていたはずだ。

 竹刀や木刀でどれだけ剣を学んでも、あの緊張感に勝るものはそうそうない。

 ……あの世界で木刀を手に戦ってくれる相手なんて、仕合と呼べる場合以外には居ないだろう。

 だから、凪や春蘭と向かい合ったあの時の緊張感を忘れずに、立ち向かう自分を保てるようにと立ち回っていた。修行の合間に一人で、記憶の中の凪や春蘭と向かい合って。

 そうして出来たのが、一対一でも多対一でもない構え。

 そんな俺を、じいちゃんは笑うだろうか。方向性が定まらない、はっきりしない自分を。

 

「ふむ……方向性がまるで定まっておらんな。だが、笑う気はない」

「───え?」

 

 予想外もいいところ。

 てっきりさっきまでと同じように豪快に笑われると思った。だから、じいちゃんに「なんて顔をしている」と言われるまで、自分がヘンな顔をしていることにさえ気づかなかった。

 

「真剣に願ったのだろう? 強くなりたい、守りたいと。その目指す場所が三人相手だろうと一気に薙ぎ払える己であるなら、どうしてそれを笑うことが出来る。胸を張れ、一刀。到達したい場所があるというのは、それだけで前を向いていられることなのだ。男の土下座の意味を、挫けることで見失うほどの馬鹿でありたくないのなら───」

 

 ───胸を張れ、と。言いながら俺の目の前に立ったじいちゃんが、俺の胸をドンッと殴った。

 途端、胸に湧くのは───覚悟、だろうか。

 

「………」

 

 ……泣きたくなった。

 明確な理由も話さないのに、ただ強くなりたいと漠然ともちかけた自分を、こんな風に言ってくれる祖父の心を受けて。

 “この人は俺を信じてくれている”───本気でそう思えた。

 ……報いてやりたい思いがいっぱいある。

 中途半端なままじゃない、自分が至れる精一杯の未来。

 その第一歩として、この人に下げた頭は、決して……決して間違いなんかじゃあなかった。

 

「…………なぁ、じいちゃん」

「む? どうした」

「……長生き……してくれよな。俺、いつか絶対に恩を返すから」

 

 あの世界でだけじゃない。この世界でも返せるように。俺は……もっと強くなろう。

 いつかじいちゃんが自分を守れなくなった時、せめて俺なんかの力でも守ってあげられるように。

 

「……ふっ……ふ、ふわはははははっ!! 恩返しときたか! はっはっはっは! ならばとっとと曾孫の顔でも拝ませろっ! 名づけの親くらいにはなってやるわ! それが最高の恩返しよ!」

「ひまっ……!? あ、あのなぁじいちゃん!」

「ふふふはははは……! ほ、ほれっ……くく、とっとと構えぃ、ククク……」

「あんまり笑わないでくれ……これでも本気なんだから」

「わかっておるわ。───あまり長くは待てんぞ……それまでに儂を越え、子供に胸を張れる強い親であれ、一刀よ」

「───! ……ああっ!!」

 

 竹刀を構える。

 防具はもとより無く、より実戦的な状況に身を置くために胴着だけの姿で。

 

「…………うん」

 

 胸を張ろう。この人を師として仰げることを。

 胸を張ろう。この人の孫として生まれたことを。

 胸を張ろう。いつか、弱くなってしまった誰かを、自分が持っている“なにか”で守ってあげられるように。

 胸を張って生きていこう。辿り着いた未来で、後悔はしても前だけは向いていられる自分でいられるように。

 そんな全ての想いを胸に集めて、それをさっき、じいちゃんがしてくれたようにノックすることで───胸に刻み込む。

 口にすることは一つだけ。

 きっと、それだけでいい。

 だから、こんな言葉を口にする。

 

「覚悟───完了」

 

 教えを胸に、構えを正してじいちゃんと向き合う。

 湧き上がる高揚と、前を向くための理由が合わさって、今までにない真っ直ぐさで、俺は───!

 

「っ───あぁあああああああっ!!!」

 

 踏み出した一歩が、道場の床を叩くように音を立て、前に出た体は真っ直ぐに祖父へと向かった。

 笑んでいたじいちゃんの表情はすでに硬く、向かってゆく俺の背中に冷たいなにかを走らせた。

 予備動作と呼べるのか、すぅ、と静かに動くじいちゃん。

 そこからの記憶があまりないっていうことは、また一撃でのされたんだろう。

 そうやって未熟な自分を散々と叩いてもらいながら、自分は出会う人に恵まれたな、と……静かに思った。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所①

05/死に向ける敬意、武に向ける敬意。そして───オチに向ける暴走。

 

 ようやく渇いた服を畳んでいる間、華琳は物珍しそうにオーバーマンのマスクを広げていた。

 取りはしたけど八つ裂きにはしなかったそれを、風が拾ってきたのがそもそもだった。

 

「お兄さん、これはどうするものなのですか?」

 

 未知……とまではいかないのだろうけど、軍師としての知的探求か、はたまた普通に興味があるだけなのか。

 それはべつとして、うんバレた。俺が劉備さんの着替えを事故とはいえ見てしまったのがバレてしまった。

 そうだよなー、豪快に宴の席を駆け抜けたんだ、気づかないわけがない。

 

「い、いいか風、俺はべつにすき好んで覗いたわけじゃあ……」

「いえいえわかっていますよーお兄さんのことは。顔を隠せるものを手に入れたならばと、つい覗きたくなってしまったのですね」

「違うから! 俺本当に覗きたかったわけじゃないから!!」

「へえ。で? 桃香の胸はどうだったの?」

「あ、とってもたわわに実っ───たわば!!」

 

 電光石火で華琳のビンタが飛びました。

 おかげで、“たわば”なんてヘンテコな言葉が完成した。

 

「お兄さん、風は正直すぎるのもどうかと思うのですよ」

「いや……ほんと……下着姿で、しかも侍女さんたちが脱がしてただけだから……その、なんといいますか肝心なところは見ないで済んだといいますか……」

「おかしな言いかたをしますねお兄さん。見なくて済んだでは、見たくなかったような言いかたじゃないですか」

「見てなかったら、きっとみんな暖かく迎えてくれたんじゃないかなぁ……。そう思うと、あれは間違いだったって思えるんだよ……」

 

 それなのに今の俺ときたら、死刑宣告を待つ犯罪者の気分だよ。

 なんて思いながら青空の果てを見るように遠くを眺め、叩かれた頬をさすった。

 

「さてと。じゃあ……」

「みなさんに会いにいくのですかー?」

「いや、その前に少し。えと、華琳? ちょっと頼まれてほしいんだけど」

「頼み? 大陸の覇王を顎で使おうなんて、いい度胸ね」

「えぇっ!? いぃいいいいやいやいやっ、そんなつもりはっ!」

 

 ニヤリと笑っているところから、華琳も本気で言っているわけじゃないっていうのはすぐにわかる。わかるけど、なにせ華琳だから確信までは持てなかった。となると、頼るのは逆に怖い。

 

「……よ、よし、じゃあ自分の力でなんとかしてみよう。あ、華琳───次に会ったとき、頭と体が離れてても愛してるから……」

「泣き笑い顔で恐ろ嬉しいこと言うんじゃないわよ!!」

「恐ろ嬉しい!?」

「落ち着いてくださいお兄さん。いったいなにをやらかすつもりなのですか」

「やらかすって……」

 

 そんな、“行動の全てが悪事に繋がってます”みたいな言い方しなくても。

 ああ、うん、日頃の素行がどうとか言うんだね、そうですよね華琳様。だからそんなに刺々しい目で見ないでください。

 

「……ちょっとさ。孫策と話をしておこうと思って」

「雪蓮に?」

「しぇ……? っとと、真名だよな、それ。危ない危ない…………うん、孫策に」

「……一応聞いておいてあげる。一刀、貴方いったいなにを話す気?」

 

 わかっているだろうに、華琳は言う。いっそ、睨むように俺を見て。

 そんな、自分を見上げてくる目を真っ直ぐに見て、俺は口を開く。

 

「黄蓋さんのことだよ。やっぱりきちんと話しておきたいからさ」

「…………」

 

 口にしてみると、華琳は“やっぱり”って感じに不機嫌そうな顔になる。

 不機嫌そう、じゃないな、不機嫌だ。

 

「一刀……貴方、それがどういうことかわかってて言っているの?」

「もちろんわかってる。しただろ? 覚悟の話。戦場に立つ以上、どんな策で立ち向かおうがそれは立派な策。未来予知みたいなことをやって敵の策を打ち破るのも、“持っている知識を使う”って意味での立派な策だ」

「ええそうよ。そして───」

「───ああ。そして、戦場で死んだことに、戦地に向かう者は恨みを持ったらいけない。殺す気でいくんだから死ぬ覚悟だって出来てるはずだ。それを恨んだら、それは死んだ人の武への侮辱だ」

「……そこまでわかっていて、貴方はそれをするというの?」

「敵同士だったらきっとしなかったよ。でも、今は味方だ。味方に隠しごとをしたままで、仲良しで居続けられるほど我慢強くないんだよ、俺」

「………」

 

 あ、面白くなさそうな顔。

 

「貴方、それこそ八つ裂きにされても文句を言えないわよ?」

「そのときは全力で抵抗してみるよ。死にに行くわけでも戦場に向かうわけでもないし」

 

 うんっ、と頷いて黒檀の木刀を手に取る。と、華琳がフンッと鼻で笑いつつ、オーバーマンのマスクを岩の上へと投げた。

 

「抵抗? 小覇王と謳われた雪蓮に、警備隊隊長風情の貴方が?」

「ふぜっ!? 風情とか言うなっ! 警備隊は俺の、この世界での大切な仕事であり絆みたいなものなんだからなっ!?」

「その他にも魏の種馬という仕事もありますねー」

「風!? 仕事じゃないからそれ!!」

「大体、貴方そんなもので雪蓮とやり合えるつもりなの? 装飾がついているけれど、木なのでしょう? それ」

「ああ、思いっきり木だ」

 

 ご丁寧に鍔までついている木刀をヒョンッと振るって見せる。

 刃物と打ち合えば折られるか斬られるか。でも───ああ、そうだな。

 

「前提から間違えるところだった」

「……あら。気づいたの? 気づかなかったらそれこそぼっこぼこだったのに」

「あの……どの口が“言わなきゃわからないでしょ”とか言ったんでしょうか華琳さん」

「全てを与えたら成長なんてしないじゃない。私は自分の考えも持たずに与えられるだけ与えられて、自分で決断もできない、責任を取らない存在には興味がないわ」

「わかってるつもりだけどさ、ちょっと危なかったぞ今」

「気づけたならそれで十分よ。……で?」

「ああ。これは置いていくよ。武器持って向かい合ったら、どれだけ心を込めても話になんてならないもんな」

「ええ。わかったのならいいわ」

 

 満足……とまではいかないけど、華琳は少しだけ口の端を持ち上げると、踵を返して歩いてゆく。

 

「華琳?」

「呼んできてあげるわよ、そこに居なさい。呉の全員の前で言うよりは、まず雪蓮に話したほうがいいわ」

 

 そのほうが都合がいいし、と続ける華琳に首を捻る俺だが、たいへんありがたかったのでお礼と謝罪を混ぜた言葉が口に出る。

 

「……ごめん」

「謝るくらいなら言うんじゃないわよ。……まったく、あんな真面目な顔で言われたら断れないじゃない……」

「ん? なんか言ったか?」

「なにも言ってないわよ! ───風! 一緒に来なさい!」

「はいはいー」

 

 怒られてしまった。俺、そんなに危ない橋渡ろうとしてるのか? ……そりゃあ危ないよな。なにせ戦友を殺した張本人って言ってもいい。

 射ったのは秋蘭だけど、発端は俺の告発だ。

 

「でも……うん」

 

 歩いてゆく二人の後姿を見て、頷いた。

 黄蓋が孫呉の勝利を願って動いたように、俺も華琳たちの勝利を願ったからこそ行動した。

 魏に身を置く者として間違ったことはしていない。だから余計に、これは黄蓋への侮辱になるのかもしれない。

 ただ俺が“許してもらいたいから、心を軽くしたいから”と取った行動なのかもしれない。かもしれないけど、そこに憂いなんてあっちゃならないのだ。

 自分の心の深淵にあることなんて俺にはわからない。わからないから自分が願う行動に責任と覚悟を以って向かいたい。

 “許してくれ”なんて言えるはずもないし、言う気すら最初からない。

 

「……はぁ」

 

 しっかりしろよ、北郷一刀──────小さく呟いて、岩の上に置かれていたマスクを叩いた。

 あとでこれも使うことになるから、破かないでおいてよかった~と、暢気なことを考えながら。

 

 

───……。

 

 

 どれくらい経ったのか。

 緊張するなというのが土台無理な話の緊張の中、森をゆっくりと歩く人影に気づく。その影が見えるまで、座ることもなく歩くこともなく、ただずっと立ち尽くし、待っていた。

 座ってしまうとなにかに甘えてしまいそうだったのだ。

 “過ぎたことなんだからなんとかなる、今さら殺すなんて言わないさ”なんていう、自分の思考に食われそうだった。

 だから緊張を消さないために、川の前の草むらにずっと立っていた。

 

「…………」

「……」

 

 まずはなんと口にするべきか。───そんなものは決まっている。

 

「こんにちは、孫策」

「───御託はいいわ、言いたいことがあるんでしょう?」

「………ああ」

 

 もちろん、言いたいことはこんな挨拶じゃない。

 真っ直ぐに孫策の目を見て、恐らくすでに華琳から知らされていたのだろう事実を、真実として俺の口から。

 

「あの日、赤壁の戦いの中で黄蓋さんの策を華琳に報せたのは俺だ。黄蓋さんは魏の内部に入り込んで、火計でこちらに大打撃を与えるつもりだ、と」

「………」

「鎖で繋ぐことも知っていた。そのへんは真桜が上手くやってくれたから、黄蓋さんを逆に騙すことも出来た」

「………」

「それで、っ……!」

 

 特に拍子もなく、俺の喉に剣が……南海覇王が突きつけられた。

 真っ直ぐに、一歩を踏み出せば刺せる距離で。

 

「それで? それを私に話して、貴方はどうしたいの? 謝りたいだけ? それとも───」

「……謝らない」

「……?」

 

 冷たい目が俺を睨む。その目をしっかりと目を逸らさずに見て、言ってやる。

 

「謝ったりなんか、しない。許しを得たかったからこんな話をしたんじゃない」

「だったらなんだ。こんな話に謝罪以外のなんの意味があるという」

 

 女性ではなく、王としての眼光が俺を射抜く。

 それでも、口調や雰囲気に息は飲んでも、目は逸らさずに言葉を紡いだ。

 

「許してくれなんて言わない。ごめんなんて言ったりもしない。俺は直接戦ったりなんかしなかったけど、それでも自分の考えで誰かが死ぬ世界に身を置く覚悟で向かった。それは黄蓋さんだって同じだっただろうし、直接戦う分、死ぬ覚悟だっていつでも出来てたはずだ」

 

 ツ、と……俺の喉に鋭い圧迫感。───視線は、逸らさない。

 

「……意味ならあるさ。これから俺達は手を取って国を善くしていかなきゃならない。そのために、仲間を殺すきっかけになった自分を隠したままでいるのが嫌だった」

「だから……それが許しを乞う行為だって言っているのよ」

「違う。憎んでくれたっていい。嫌ってくれても構わない。ただ、そのために豊かにするべき方向を見失いたくないんだ。あいつが憎いからそこは手伝わない、彼女らには悪いことをしたから手伝わせてくれなんて言えない……そんな風になるのが嫌なんだ」

「………」

 

 さらに圧迫。プツ、と……嫌な音が耳に届いた。それでも、視線は孫策の瞳の奥に。

 

「これまでの戦いでたくさんの人が死んだ。臣下だけじゃない、兵や民だって、戦う意思を見せなかった誰かだって、たくさんのものを失った。……中には一緒に酒を交わした兵も居た。華琳たちには内緒で桃を買い食いして、バレやしないかってそわそわしながら笑い合って。でも……ある日、そいつは居なくなった。その辛さを、空虚を、知っている」

 

 剣は、さらに進む。まるで、一緒にするなと言うかのように。

 

「……一緒だ。付き合いの長さだけじゃない。国に貢献した数の問題でもない。誰だって生きていた。同じ旗の下に集まって、同じ意思の先を目指して戦った。強いからとか弱いからとか、そんなので片付けられるほど、この天下は軽くなかったはずだ」

 

 喉から胸へと、暖かいなにかがこぼれおちる。

 それでも……視線は、逸らさない。

 

「許してくれなんて言わないし、言ってほしいわけでもない。だけど、許さなくても繋げる手は今ここにあるはずだ。伸ばすだけで届く手が、繋げる手があるはずなんだ」

「………………そう。じゃあ訊くけど、貴方はそうやって手を繋いで、なにをどうする気?」

 

 冷たいままの視線を向けながら、孫策は言った。

 俺はそれにどう答えるべきか…………そんなものは、最初から決まっていたんだ。

 これこそが、会って話をして、届けたかった言葉なんだから。

 だから逸らすことなく真っ直ぐに、喉の痛みにも耐えながら口にする。

 

 

      「……国に、返していきたい」

 

 

 ……ふと、息を飲む音がする。

 それは果たして俺のものだったのか孫策のものだったのか。

 微かに震えた南海覇王が俺の喉を小さく刻み、思わず顔をしかめるけど……それでも、目だけは逸らさなかった。

 

「死んでいった人が残してくれたものを、ともに目指した場所で得たものを、いろんな人達が教えてくれたものを、この世界が与えてくれたいろんな思いを、全部」

「…………貴方……」

「死んでいった人達があっちで笑っていられるくらい、国を豊かにしていきたい。残された家族たちが、いつか“自分にはこんな子が居たんだ”って泣かずに話せる未来を築きたい。先人たちが残してくれた街に、国に、大地に……今度は手を繋げる全員で、その全てに恩を返していきたい」

 

 ……剣が震える。見つめる瞳は揺れていて、だけど……彼女もまた俺の目から視線を逸らすことをせず、向かい合っていた。

 そんな彼女が、一度喉をコクリと鳴らして……口を開いた。

 

「…………ひとつ、訊かせて」

「……ああ」

「貴方は、祭を……黄蓋を討ったことを、後悔している?」

「………」

 

 すぅ、と息を吸う。

 喉が痛むけど、構わずにゆっくりと。

 やがて長く息を吐いて、自分の心に問いかけた。

 “北郷一刀。お前はあの日のことを後悔しているか?”と。

 答えは…………確認するまでもなかった。

 

「後悔はしていない。黄蓋さんが孫呉のために命を賭けたように、俺だって曹魏のために“存在”を賭けて戦場に立った。……その場で殺されていたら、そりゃあ悔いは残っただろうけど、文句はなかったはずだよ」

「…………」

 

 孫策は俺の目を見つめる。

 言葉もなしに、そのままの状態で一分近くも。

 

(…………なんて真っ直ぐな目。でも……)

 

 でも、どうしてだろう。その目が、ふいに小さな驚きを孕む。

 

(でも……この子、悲しそう……)

 

 どうして驚いているのかも解らない状況の中で……ゆっくりと、剣が引かれる。

 

「そう。ならいいわ。私も、悲しくないわけじゃないけど……今さら貴方を殺して華琳に嫌われるのも好ましくないし」

「いいのか?」

「おかしなこと訊くわね。死にたいの?」

「いやいやいやっ……殺されないまでも、叩いたり殴ったりとかはされるんじゃないかとは、内心思っていたりはしたから……!」

 

 きょとんとした顔で死を口にする孫策に、思わず大慌てで否定の言葉を紡ぐ───ってこらこらこらっ! 一度納めた剣をまた抜かないのっ! そんな、ついでみたいなノリで殺されるなんて冗談じゃないっ!

 首をぶんぶん振る俺がおかしかったのか、孫策は苦笑を漏らした。まるで、出来の悪い弟を見るような目で、“仕方ないなぁ”って感じに。

 

「名前、貴方の口から改めて聞かせてもらっていい?」

「……っと、ああ。北郷一刀。姓が北郷、名が一刀。字と真名はない」

 

 あだ名って意味では、たぶん“かずピー”がそうなんだろうけど。

 

「じゃあ一刀。貴方は自分が起こした悔いのない行動を理由に、叩かれる、または殴られることを覚悟して私と向き合ったの?」

「行動に悔いはない。でも、人の感情って理屈だけで終わらせられるほど簡単じゃないだろ。戦場だから、仕方ないから、って全部を我慢したら、そのうち悲しみ方も忘れるかもしれない。……そりゃあ、本当に仕方のないことだってあるよ。俺だって華琳に、戦場で死んだことを恨むべきじゃないって言った。孫策さんにだって似たようなことを言った。でも───」

 

 ああそうだ。悔いは無くても、もしもを思えば悲しくなる。

 彼が生きていたなら、この世界の俺にも男友達が出来たのだろうか。

 内緒で酒を飲んで、桃を買い食いして、華琳に見つかってしこたま怒られて。それでもまた懲りずにやって、同じ空を仰ぎながら笑い合える馬鹿な友達が。

 

「どうせだったら、楽しさと一緒に悲しみの重さも分けてもらえる“手”でありたい。だから、少しでも気が晴れてくれるなら、叩かれてもいいって思ったんだよ」

「…………」

 

 孫策は、変わらずに俺を見ていた。

 見透かすように───俺の内側を覗くように。

 

「じゃあ、質問の仕方を変えるけど。…………貴方は、悲しい?」

「───」

 

 ずきり、と……心の奥底が痛んだ。

 後悔はしても前を向いていられるようにと誓ったあの日以来、こんなに鋭く痛んだのは久しぶりだった。

 

「………」

 

 孫策は変わらず俺の瞳を見ている。

 その目を見返すことが、少しだけ辛くなった。

 

「…………もしも、って……思うことがあるんだ」

「……ええ」

「もし、戦いなんてものがなくってさ。俺達が最初から手を取り合えていたなら……俺達が立つ世界はどうだったのかなって……」

 

 それは“もしも”を望む弱い心。

 もっといい道があったんじゃないだろうかと不安になる弱い心だ。

 そんな弱さを耳にして、孫策は───

 

「覇気もなく、惰弱に生きていたでしょうね」

 

 俺の弱さを、ばっさりと斬り捨てた。

 

「はは……そっか」

 

 そしてそれは俺自身が選んだ答えと同じものだったので、俺は笑いながら返す。

 

「あ、ちょっとー。答えが出てるなら訊かないでよ」

 

 そんな俺の反応に、孫策は面白くなさそうに口を尖らせる……って、何処の子供ですか貴女は。

 

「“それでも”って思うのが人間だろ? 自分が取った行動が途中で怖くなって、もっといい道が選べたんじゃないかって、あとで怖くなる」

「当たり前じゃない。だから後悔って言うんでしょ?」

「ああ。俺もそんな世界だったから、いろいろな覚悟を学べた。それを今さら否定するつもりなんてないよ。でも……みんなが生きて、ここで宴が出来てたらな……って、どうしても思っちゃうんだよ。孫策さんはそういうこと、ない?」

「私? ん~……そうね。祭だったらこんな席、逃すことは絶対にしないわね。賑やかなのとお酒が好きな人だから」

「───、………おごっ!?」

 

 孫策の言葉に沈黙すると、腹を鞘で突かれた。

 

「そんな顔しないの。言ったでしょ? 残念に思うことはあっても、恨んだりはしていないわ。逝った人が賑やかなことが好きだったなら、せいぜい死んだことを後悔するくらい楽しんでみせればいいのよ」

 

 そう言いながら、孫策は俺の頭を鞘でコンコンと叩いてくる。

 ……うん、地味に痛い。

 

「……一刀。手を出して」

「手? ……えと」

 

 突然だったけど、言われるがままに手を出す。

 すると、その右手が右手に包まれ、しっかりと握られる。

 

「難しいことは難しいことが好きな人に任せればいいのよ。笑うべきときは笑わなきゃ嘘になる、ってね。だから、貴方が国に返していく思いに、私は私の手を繋ぎたいんだけど…………それでいい?」

「───……」

 

 少し、ポカンと口を開ける。

 けどそれも少しの間で、俺は慌てて頷くと、今度は俺の方からしっかりと手を握り返した。

 

「じゃあ、私のことはこれから雪蓮って呼ぶように。いいわね~? か~ずとっ♪」

「へ? でもそれ、孫策さんの真名じゃ───」

「いいわよ、私は全然構わない。恩を国へ返すんでしょ? もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?」

「あ、ああ……それはもちろんだ。俺に出来ることがあったら、遠慮なく言ってほしい……むしろ望むところだから」

「だったら雪蓮でいいわよ。国のために働いてくれる人を、ずぅっと他人行儀で迎えるのなんて肩が凝るだけだし。……はぁ~あ、ちょぉっとからかうつもりだったのに……してやられたなぁ」

 

 伸びをするように、俺の手から離した手を天へと伸ばしながら、孫策……じゃなくて雪蓮は───……ん? マテ、今……妙に気にかかることを仰りませんでしたか?

 

「からかう、って…………え? なにを?」

「え? あぁうん、そのー……罪悪感とか持ってるなら、それを利用してつついちゃおうかなーって。祭が一刀の知識の前に敗れたのは、華琳から聞いてたから」

「………」

 

 か、からかう……? 俺、からかわれてたのか?

 いやいや待て待て、いくらなんでも死んだ人をからかうためのタネに使うのは───…………え?

 

「あ、あのー、つかぬことをお訊ねいたしますが、雪蓮さん?」

「ん、なぁに?」

 

 悪戯の真相をようやく明かせる子供みたいな、満面な笑みをにこーっと浮かべた雪蓮が俺を見る。

 認めたくない、認めたくないんだが……

 

「……その。こ、黄蓋さんって……もしかして……」

「祭? 祭がどうしたの~?」

 

 い、嫌な予感がふつふつと……!

 

「そ、その、だな……まさかとは思うんだけど………………い、生きてたり、とか───」

「ええ。ついさっき盗賊団殲滅遠征先から直接こっちに来て、今は大好きなお酒をがぶがぶ飲んでるところよ」

「なぁああああーっ!?」

 

 生きてた……生きてた!? えぇ!? な、あ、えぇえっ!!?

 

「なぁあっ……えぁあ!? だ、だだだって雪蓮、さっきこんな席を逃すはずは~とか言って……!」

「それがね? 今回の遠征はちょっと面倒でさ。それを祭に行ってもらったんだけど、思いのほか片付け難いものだったみたいでね? 今日中には来れないかもね~って冥琳と……ああ、周瑜のことね? 冥琳と話してたの」

「…………つまり。遠くに居ようと、今日という宴の席を黄蓋さんが逃すはずがない、という……意味……だったと……?」

「そうだけど?」

「………」

「………」

「俺の覚悟を返せぇえええええっ!!」

「きゃーっ、一刀が怒ったーっ♪」

 

 爆発した。

 言った言葉の全てが空回りになり、恥ずかしさとして返ってきたかのような恥ずかしさ。

 とにかく形容しがたい感情が胸の中で爆発するや否や、俺は両手を上げてオガーと叫びつつ、笑いながら逃げる雪蓮を追い掛け回した。

 

「死んだことを後悔するくらいとか言ったじゃないかー!」

「だって華琳がそう言えって言ったんだもーん!」

「だもーんじゃない! そんなこと───えぇ!? 華琳が!?」

 

 ちょっと華琳!? 華琳さん!? あなた思い悩める男の子の決意を利用して、なんてことを!

 

「散々待たせたお返しだから、徹底的にやって頂戴、って。この作戦考えたの、華琳よ?」

「あれだけ殴っといてこれ以上なにを望むんだよあの覇王様はぁーっ!!」

 

 叫ばずにはいられなかった。

 さよならシリアスようこそ理不尽。

 

「華琳!? かりーん!! ええい誰かある! だれっ……誰かぁあっ!! 誰かこのどうしようもないモヤモヤを取り除いてぇえーっ!!」

 

 そりゃあ、死んでいなかったのなら嬉しい。嬉しいが、この恥ずかしさはどうしてくれよう。

 頭を抱えて身悶えする俺を、雪蓮は楽しげに見るだけだ。この場には他に誰も居ないんだから、助けてくれる人なんて当然居ないわけで。

 

「って、どうやって!? いや取り除き方とかじゃなくて、黄蓋さんはどうやって……」

「えぇと、それがその。本人の名誉のため、あまり言いたくないんだけどー……言わないとだめ?」

「じゃなきゃ納得出来ない。秋蘭……夏侯淵に討たれたはずだろ? なのにどうして」

「むー…………あのね? ここだけの話……」

「……あ、ああ…………」

 

 ごくりと息を飲み、言葉を聞きこぼさないよう意識を聴覚に集中させる。

 すると……

 

「…………胸の大きさがね? こう……矢が心臓に達するのを防いだというか……あ、もちろん筋肉も骨もだけど」

「実家に帰らせていただ、って離せぇええええっ!!」

 

 現実逃避を実際の逃避に昇華させる勢いで、足早に去ろうとしたら捕まった。

 

「何処に帰る気よ、もうっ! 一刀は魏に恩を返すんでしょ!?」

「お、おっ……俺がどれだけの覚悟を以って切り出したと思ってんだっ!! どれだけの覚悟を以ってここに立ってたと思ってるんだっ!! 華琳に“殺されても仕方ない”みたいに言われて、緊張しっぱなしで心臓がドクンドクンいってたのに、結果がからかいだった上に胸!? 胸で助かったのか!? む、胸っ……胸って……」

 

 ひどく脱力。同時に呆然。いや、よかったよ? よかったんだけど。この行き場のない妙な気持ちや覚悟や恐怖はいったいどうしたら……。

 

(俺……もうなにも信じない。遠くへ行こう……どこか遠くへ……)

 

 今こそ霞との約束を果たすのでもいい……羅馬に行こう。

 そんな思いを胸に、とある“遠くへ行きたい歌”をルルルーと口ずさみ始める。

 処理しきれない状況による困惑を、冗談や意味のないものを混ぜることで誤魔化しにかかるのだ。怒りや焦りに飲まれそうなときには、と、じいちゃんに教わったことだ。

 え? 効果のほど? てんで冷静になれません。

 

「目が虚ろで怖いから落ち着きなさいってば! それだけで助かるわけがないでしょ!? 華佗って医者が助けてくれて、彼が居なきゃ祭は本当に死んでたんだから!」

「……え?」

 

 ハタ、と止まる。

 暴走していた思考も治まり、“死”という言葉が自分を、むしろさっきよりも冷静にさせた。

 華佗……華琳に紹介されて、一度会ったことがある男の名前だ。

 あの時は原因不明だった“俺の消滅への予兆”のことで、診てもらったな……その男の名前が華佗だった。

 同一人物……だろうな。

 

「心臓に達していなかったにしろ、あの戦いで祭が重症を負ったのはわかっているはずよ。船から落ちたにしろ船ごと流されたにしろ、赤壁は混戦状態だった。そんな中で重症の人間が助かる可能性なんて限りなく少なかった」

「………」

 

 それは……そうだ。

 あの炎の中、あれだけの傷を受けて立っていられたことが奇跡だった。

 そこに秋蘭の矢を受けたんだ……気絶で済むことも奇跡なら、生き抜けたことも奇跡だった筈だ。

 

「医者がそこに居たから助かった。居なかったら助からなかった。それも、ただの医者じゃ助からなかったのよ」

「それは……」

「射られた場所が悪かった所為もあって、復帰にはかなりの時間がかかったわ。祭が生きてたことを知ったのだって、私達が華琳に負けたもっと後のことなのよ? 意識不明だったから華佗が預かってくれていたってだけで。久しぶりに会えたときも結構辛そうで、その間にも五胡っていうおかしな連中が襲ってきて、祭は無理にでも戦線に出ようとするし、放っておけば隠れてお酒を飲もうとするし……」

「…………」

 

 最後の“酒”に関する言葉で、シリアスが裸足で逃げていった気がした。

 

「ええっと……じゃあ、その。今日飲む酒は、久方ぶりの無礼講の酒ってことなのかな」

「そ。完治祝いの酒と言っても過言じゃないんじゃない?」

「…………ちなみに、黄蓋様は普段、お酒をいかほど……」

「一刀。流れる滝が全部お酒だったらいいと思わない?」

「……訊いた俺が馬鹿でした」

 

 つまり、それだけ飲むんだろう。

 そしてそれだけ飲めるってことは、本当に心配はいらないってことで……いいんだよな……はぁ……。

 

「安心した?」

「う……それはまあ、したよ。どんなに伸ばしても届かないはずだった手が、望めば届く場所にあってくれた。…………うん、安心もそうだけど、嬉しいよ」

「へーえ……」

「……? な、なに?」

 

 にこー、と人懐こい顔で笑う雪蓮が、両の手を腰の後ろで組んだ状態で、俺の顔を下から覗くようにしてじりじりと近づいてくる。

 値踏みするとかそういうんじゃなくて、俺の目の奥を覗き込みたがってるみたいな……なに?

 

「ねぇ一刀。孫呉に来ない?」

「え? それって遊びかなにかで?」

「違う違う、天の御遣いとして、孫呉の肥やし……じゃなかった、孫呉で働いてみない?」

 

 あの。今、肥やしとか言いませんでした?

 

「ごめん。俺は、この身この心の全てを魏に捧げた。街の発展の手伝いくらいなら喜んでやるけど、魏からべつのところへ降るっていうのは考えられないよ」

「ぶー……了承を得られるとは思ってなかったけどさー、ちょっとでも揺れ動いたりはしてくれないのー?」

「揺れないよ。そしたらこの一年が無駄になる」

「───、……」

 

 雪蓮の疑問に、改めて真っ直ぐ雪蓮の目を見て口を開いた。

 すると、雪蓮は俺の目を見たまま固まったように、口を開けっぱなしにして目を瞬かせた。

 ……はて。なにかおかしなこと、言っただろうか。

 

「……雪蓮?」

「はっ! ……う、うー……なんか悔しい……」

「へ? く、悔しいって───」

「よし決めた。決めたわ私。まずは───…………とっとと、そうだった! 一刀、私はこれで戻るけど、華琳が一刀は“ますく”とかいうの被ってきなさいって言ってたわよー!」

「ますく? ……って行っちゃったよ」

 

 自分の言いたいことだけ言って、雪蓮は風になったかのようにゴシャーアーと走り去っていった。

 

「…………え?」

 

 さて……そうして残された自分は、いったいなにをどうするべきなのか。

 チラリと後方の景色を見やれば、流れる川と岩に置かれたマスク、そして乾いた服が畳まれて重ねられたバッグ。

 オーバーマンマスクは被るつもりだったけど、まさか華琳からそういった指示がくるとは思わなかった。

 

「はぁ…………こればっかりは謝らないといけないからな」

 

 事故とはいえ、着替えを覗いてしまったのは事実。

 よし、と覚悟を決めて、私服に着替えたのちにオーバーマンマスクをジャキィィインと装着した。

 

「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! 私たちは出来る!!」

 

 なにかがいろいろ間違っている言葉を口にして、リラックスのための材料にする。

 うん落ち着け俺、ほんと、いろんな意味で。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所②

06/天の御遣い

 

 念のために、もう固まっていた喉の血を川の水で洗って流す。

 そうしてから森を抜けて、ゆっくりと、確実に宴の場へと戻ってゆく。

 手には胴着とフランチェスカの制服が入り、木刀が刺さったバッグ。長細い布袋に包まれたそれをひと撫でして、溢れる緊張を飲み込んでゆく。

 しばらく歩くと勝手口……とは言わないんだろうが、正門よりは警備が手薄な入り口兼出口へと辿り着く。

 思うんだが、ここから攻められたら、あっさりと敵の侵入を許してしまうんじゃないだろうか。

 町外れの小川からここまで、奇異の目はあっても特に俺を引っ捕らえようとするヤツも居ないし。

 

「警備体制の見直し、やったほうがいいのかな」

 

 そう考えて、首を振る。

 凪や沙和や真桜なら、俺がとやかく言うよりもよっぽど効率よくやってくれているはずだ。

 だったら、と……そう考えると、これはただ華琳が“手を出すな”って言ってくれただけなのかもしれない。

 

「……うん。許してもらえるかはべつとしても、ちゃんと謝らないとな」

 

 決意を新たに門の先へ。

 警備兵に捕まるかなと思ったけど、警備兵は俺の侵入を黙認。

 

(……あ、こいつ……)

 

 どこかしかめっ面をしたそいつには見覚えがあった。

 兜を深く被っているためにわかりにくいけど、警備隊として一緒に警邏をしたこともあった。

 

(……そっか、まだ続けてたんだ)

 

 久しぶりに会えたこともあって、進めていた足を横に逸らす。

 小さな門の左右に立つ二人のうち、右の男へ向けて。

 もう一人は新兵なのか見覚えのない男だった。多分警備の仕方とかを教えているところなんだろう。

 足取り軽く、かつての仕事仲間の傍に寄ると、ギロリと睨んでくるそいつの前で、少しだけオーバーマンマスクをずらす。

 

「! あ、貴方はっ……!」

「しー。…………久しぶり。元気してたか?」

「はいっ、隊長もお元気そうで……!」

 

 どうやら俺のことを覚えていてくれたらしいそいつは、一年も行方をくらましていた俺に笑顔を向けてくれる。

 一方で、小さな門とはいえ距離はさすがにある左の警備兵は、難しそうな顔でこちらを睨んでいた。

 

「ごめんな。これからはまた、一緒に仕事が出来ると思うから」

「本当ですか!? それは楽進様や于禁様や李典様も喜びます!」

「…………?」

 

 あれ? ちょっと違和感。

 

「そういえば、今の警備隊の隊長は?」

 

 違和感をそのまま口にしてみると、目の前の男はきょとんとした顔をしてから、小さく笑みをこぼす。

 

「……楽進様や于禁様や李典様に言わせれば、警備隊の隊長は北郷一刀様だけであると。そしてそれは、自分らも同じ気持ちです」

「う………」

 

 穏やかに、けど誇らしげに。

 俺の目の前で、手に持った槍の石突きでドンと地面を叩き、彼は胸を張って言った。

 そんな返答が嬉しくもありくすぐったくもある。

 自分は確かに魏のために民のために、そして兵たちのためにも働けていたのだと。

 

「これで、警備隊も元通りですね。最近の警備隊は、どうも尖った印象がありましたから。こんなことを言ったら隊長代理の三人に怒られますが……自分は、隊長が居てくださったあの頃の警備隊が一番好きであります」

「…………」

 

 苦笑を織り交ぜたような、まるで友達に向かって内緒話をするみたいに言う男。

 そんな様子を見て、俺は……ああ、なんだ……と小さく納得した。

 自分が気づかないうちに、自分の周りにはこんなにも自分を慕ってくれる人が居たのだと。

 華琳たちだけじゃない、ちゃんと他のやつらにも自分という存在は刻まれていたのだと。

 そんな嬉しさが顔に出るのがわかって、けれど止められずに笑顔になると、目の前の男もようやく安心したように……苦笑ではなく満面の笑顔で笑った。

 ああ、やはり隊長ですね、と……安心したように。

 そんな彼に軽く手を上げてから別れ、マスクを被り直して城の先へ。

 

(……うん。勇気もらった)

 

 自分はきちんと、多少だろうが魏に貢献できていたという思いが勇気になる。

 その小さな勇気を胸に、俺は………………その勇気を、覗きの謝罪をするために使わなきゃいけないことに、少し泣きたくなった。

 

 

───……。

 

 

 中庭はどこか殺伐とした空気を孕んでいた。

 “産まれる子供は殺戮の勇者ですか? 空気を読んでください”と、空気さんに言ってやりたい気分です。……などという冗談も、口にしたら斬首確定なくらい、場の空気は重かった。

 

「えっと……」

 

 そんな中、俺を見て小さく肩を震わせる人物を発見───劉備である。

 勇気が萎まないうちにと小走りに近づいて───

 

「止まれ」

 

 ジャキリと青龍偃月刀を突きつけられて、ビタリと止まる俺の足。

 

「ア、アノ……関羽、サン……?」

「桃香様には指一本触れさせん。……構えるがいい、曹操殿の命令だ。本来ならば私の手で斬り捨ててやりたいところだが……」

 

 アノ、関羽サン……? と、とっても怖いDEATHよ?

 って、え? なに? どうなるんですか僕。謝らせてはもらえないのですか?

 

「貴様にはそこの中央で、あの者と戦ってもらう。桃香様の手前、宴の手前、殺すようなことはさせないが、それなりの処罰は受けてもらう」

「エ? アノ、ソレッテスデニ、戦ウコトガ処罰ニナッテルンジャ……」

 

 と、促された先……中庭の中央を見やれば、長い斧のようなものを持った、どっかで見たような女性が、ってゲーッ! 華雄さん!?

 

「えぇえ!? なななんで!? なんで華雄が!?」

「ほう、我が名も凡夫に響き渡るほど有名になったか」

「凡夫!? ああいやソレは今はいいや! なんでこんなところに!? 行方不明になったって聞いてたのに!」

 

 言いながら、説明をしてくれる誰かをキョロキョロと探すのだが……誰もが誰も、さっさと始めろ的な雰囲気を溢れさせていた。ああもう戦好きの皆様はこれだから……!

 

「華雄~! 必ず勝つのじゃ~っ! おぬしが勝てば、妾たちは自由の身じゃぞ~っ!」

「よっ、お嬢さまっ、他人任せの達人っ!」

「うわーははははーっ! 任せるのじゃーっ!」

「………」

 

 袁術だ。

 袁術だね。

 あれ? ここ、どういった宴の場ですか?

 そんな思いを込めて華琳が居るほうを見てみると、なにやら雪蓮とギャースカ言い争いを始めていた。

 あ、あー……ソウナンダー、こっちは無視ナンダー。

 

「両者構えて!」

「関羽さん!? 俺まだ中央に向かってもいないんですけど!?」

 

 状況的によろしくなく、慌ててバッグに刺さった長布から黒檀木刀を取り出し、中庭の中央に走って───ハッとする。

 

(ってなに流されてんだ俺! 来ちゃだめだろ! 中央に来ちゃったら戦うしかないじゃないか!)

 

 武器を持って、武器を持つ者と対峙…………勝負でしょう。

 そんな方程式があっさりと決まってしまう場に立って、思わず頭を抱えて空に向かって心の中で慟哭した。

 

「貴様のようなひょろひょろの男が相手というのはいささか不本意だが、それで罪が流されるのなら相手になろう」

 

 そしてそんな俺の前で、フフンといった感じに自分の顎を撫でながら胸を張る華雄。

 なんというか自分の武を示せればもうなんでもいいんじゃなかろうかこの人。

 

「両者構えて!」

「ふふ……」

「う、うー……」

 

 流されるままに武器を構える俺は、どうにもいきなりの状況に腰が引けていた。

 が、戦いの瞬間が近づけば近づくほど、意識は覚悟を決めてゆく。

 ……相手が俺に勝とうとするならば、俺も勝とうとする覚悟を。そう思い、大きく息を吸って、大きく吐く。

 

(……覚悟、完了───)

 

 そうしてからキッと華雄を見据える。

 正眼に構える体は真っ直ぐに伸び、引けていた腰など“ついさっき”に置き去りにしたように、地に足をどっしりと下ろしている。

 それを見た華雄は小さく「ほう……」ともらすが、構えは変わらない。

 一撃で決着をつける気なのだろう、力を溜めるように捻られた構えは、雑魚対一、多対一にはよく向いているようだった。

 

「───始めっ!」

 

 目の前の敵に集中する意識の中、聞こえたのは関羽の合図。

 その途端に華雄は地を蹴り弾き、戦いに喜びを見せる様相で笑んだまま、自分の間合いに入るや───戦斧を大振りに振るってくる。

 

「っ」

 

 それを、まずは後ろに大きく跳ぶことで避ける。

 無様でもいい、まずは一撃を躱すことが、自分の中で大切なことだった。

 

「はっはっは! どうした! 初撃から逃げとは、随分と腰抜けだな!」

 

 対峙する華雄が笑う───が、それは意識を掻き乱したりはしない。

 むしろ俺が狙った行動はすでに果たされていた。

 まず、避けること。……たったこれだけだが、これが自分にとっては大切な行動だった。

 

「ふっ! はっ! せいっ!」

 

 続く連撃を避ける、避ける、避ける───!

 武器で受け止めれば力負けするのは目に見えている。

 ならば極力避けることに集中し、隙が出ればそれを突く。

 大切なことは初撃を避けて、“相手の攻撃は避けられるものだ”と体に教えること。

 相手は乱世を生き抜いた、いい意味での怪物。

 そんな武人相手に自分が立ち回れるわけがないという固定観念を、なにかで勝ることで打ち崩す。

 俺の場合、それが避けだった。

 

「よく避けるではないか! だが逃げてばかりでは私には勝てんぞ!」

 

 振るわれ、避け、武器を振るおうとし、振るわれ、避ける。

 その繰り返しを細かく続ける。

 情けない話だが、大振りだっていうのにこんなにも戻しが早い斬撃に、真正面からぶつかって勝てってのは無茶が過ぎる。

 だから、ちょっと卑怯かもしれないけど……

 

「ふんっ! はぁっ! せやぁっ!!」

 

 相当に重いであろう斧が振るわれ、腕が伸び切った瞬間に踏み出す。

 すると華雄は伸び切った腕に無理矢理の力を込め、俺を薙ぎ払おうとする。それを再び避け、腕が伸び切ったところに踏み込み───

 

「ぐっ! ぬっ! こ、このっ……!」

 

 姑息な考えだが、戦場での武人は“向かってくる敵”を薙ぎ倒すのが大体だ。

 ほうっておいても敵は自分のところに来て、自分はそれを迎え撃って薙ぎ払う。

 振るう一撃も、武人にしてみれば“受け止めるもの”であり、躱す、逸らすなどといった行為はあまりしない。

 武を見せつけることを仕事とするかのように受け止め、弾き……これの繰り返しだ。

 敵を切り捨てる際、振り切らんとする武器は敵の肉、または武器によって受け止められるし、腕が伸びきることなんて滅多にない。

 そんな伸び切った腕に力を込め、重い武器を無理矢理戻そうとすれば、そこにかかる負担は倍化にも近い。

 そんなことをこの速さで幾度も続けていれば───

 

「ぐっ……は、はぁっ……! ぐ……!」

 

 疲労する速さだって、当然倍化する。

 相手を自分より劣る者だと思うからこそ慎重性を欠き、そんな相手だからこそこういった状況に引きずり込める。

 おまけに体の疲れはもちろん、無理矢理に使った筋肉が痙攣を起こすし、無理に振ろうとしても握力がなくなり、すっぽ抜けるだけだ。

 ……と、そうは思うものの、相手はあの華雄なわけで……

 

「まだ───まだだぁああっ!!」

「うえぇええっ!!?」

 

 すっかりぐったりしていたと思っていた華雄はさらに斧を振り、襲いかかってくる。

 つくづく勇猛、つくづく武人。

 普通の人だったらとっくに腕が動かなくなってても不思議じゃないのに───

 

(……、……うん?)

 

 そこで、また違和感。

 普通の人だったら、って…………じゃあ、ここまで一撃もかすりもせずに避けられた自分はなんなのか。

 半年前に浮かんだ疑問が、再び浮上してくる。

 もはや華雄の気迫は対峙するだけで身が震えるほど。

 だっていうのに自分は萎縮することなく攻撃を避け、目が慣れてきたためか攻撃も返せている。

 それは、つまり───

 

「まさか……いや、でも───」

 

 考える。

 華雄は決して弱くなんかない。

 普通に戦えば最初の一撃で自分は死んでいたかもしれない。

 春蘭や凪との時だってそうだ。

 そもそも最初の一撃を避けたり、牽制できたりする時点でなにかがおかしい。

 相手は八人同時だろうが平気で薙ぎ払える武官。

 それを、じいちゃんにさえ勝てない俺が、手加減されていたとはいえ……?

 

「はぁああああああっ!!」

「っ───!」

 

 それは無謀な賭けだ。

 振るわれた戦斧を、柄と刀背に手を添えた木刀で受け止めるという行為。

 戦いを見ていたほぼ全員から動揺の声があがるが、それでも踏み込み───

 

  ドガァアッ!!

 

 刃の部分ではなく、速度が乗りきらない斧を支える棒の部分を全身で受け止めるようにして───止めてみせた。

 

「つっ……くは……!」

「……! な……に……!?」

 

 そして……俺の体は、吹き飛んではいなかった。

 途端に湧きあがる歓声。

 俺は確信を得て華雄の武器を押し戻すと、一度距離を取って、乱れていない呼吸でゆっくりと深呼吸をする。

 呆れる事実を、真実として受け入れるために。

 

「すぅ……はぁ……───」

 

 目の前には驚きを隠せない華雄。

 とりあえず安心してほしい、驚いてるのは俺だって同じだ。

 元の世界の北郷一刀なら、今の一撃で空を飛んで地面に激突して勝負ありーだった。

 けど、この世界の……天の御遣いとしての俺は、なんの冗談なのか普通よりも相当に身体能力が高いらしい。

 思えば稟との騒動の時、華琳の命で俺を狙う魏のみんなから逃げ回れたり、風を抱えたまま季衣や流琉から逃げられたりと、能力的な意味での意外性は確かに存在していた。

 あっちの世界では“出来ないこと”の方が多かった自分なのに、この世界に来てから出来ることが増えていった事実も存在する。

 それが意味することは即ち、華琳の望みを叶えるために舞い降りた天の御遣い様は、どうやら無能で居ることを許してはもらえないようだ、ってことで───

 

「よしっ!」

 

 違和感が確信へと変わった今、突き進む足にはなんの迷いもない。

 痺れ始めの腕でもあんな威力を出せるってことは、華雄の全力は相当に重いんだろうけど───今はそんなことは横に置いておく。

 疲れている相手に突撃っていうのもやっぱり卑怯かもしれないけど、相手を疲れさせるのも策ってことで納得してもらおう。

 

「はぁっ───!」

「くっ……なめるな!」

 

 踏み込み走り出すと、俺の速さに合わせた斬撃を繰り出す華雄。

 俺はさらにそれに合わせ、踏み込ませた足で強く強く地面を蹴り、一気に速度を上げる。

 刃を木刀で受ければただでは済まない。

 ならばと、肉迫する寸前に限界まで身を屈みこませることで、華雄の一撃をやりすごす。

 

「なっ!」

 

 疾駆の勢いそのままに、破れかぶれにも似た一撃を出すと思っていたんだろう。

 攻撃を躱された華雄の動揺は大きく、地面に這いつくばるみたいに屈んだ俺を、驚愕の表情で見下ろしていた。

 直後に再び力を込め、伸びきった腕を戻そうとするが───

 

「っ、ぐぅっ!?」

 

 無茶がたたったのだろう、体か腕かの痛みに一瞬顔をしかめ、動作が遅れた。

 その頃には俺は立ち上がりと同時に木刀を振るっていて、その軌道は迷うことなく伸びきった華雄の腕へと───

 

「まだだぁああああああっ!!!!」

「ういぃっ!?」

 

 い、否ぁあっ! この人無茶苦茶だ!

 伸びきった腕を身振りで無理矢理戻して、斧の石突きで俺の顔面狙ってきた!

 

(避ける!? む、無理無理! もうこっちも攻撃体勢に───うあだめだ! 待っ───くあぁあああっ!!!)

 

 覚悟を決めて玉砕戦法!!

 出来る限りに顔を仰け反らせ、その上で木刀を振り切る!!

 

  ごぎぃんっ!! ───ルフォンッ……ドガァッ!!

 

 ───そして、重苦しい音が響く。

 振り切らんとした木刀は振り切った状態で俺の手にあり、華雄の斧は……華雄の手には存在していなかった。

 弧を描いて飛ぶ、なんてことはしないで、勢いのままに小さく手から零れ落ち、地面に突き刺さった。

 

「……は、はぁっ……はぁっ……!」

「む…………」

 

 あまりに予想外のことに息を乱した俺と、同じく息を乱しながら自分の手を見る華雄。

 その手に武器が無いことを確認したのだろう、一度目を閉じると空を仰ぎ、目を開くと俺へと視線を戻す。

 

「……どうやら、私の負けの───…………」

「……?」

 

 なんか俺の顔を見た華雄が、喋るべき言葉を見失ったみたいに停止する。

 それは周りの人も同じようで、結構盛り上がってくれていたはずの宴の席は、急にひんやりと冷たくなったかのように静まり返って……

 

「あの、華雄───っと?」

 

 わけもわからず声をかけようとする俺の頭に、何かが落ちてくる。

 それを手に取ってみると………………外国人男性のマスクが微笑んでいた。

 あれ? と顔をさらりと触る。

 ……汗をかいた肌が、そこにあった。

 

「……あれ?」

 

 えっと……その、なんだ? まさかさっきの石突きがマスクに突き刺さって、弾くのと同時にすっぽ抜けた……?

 ……あ、やばい……───そう思った時にはもう遅い。

 

『えっ……えぇえええーっ!?』

 

 魏のみんなが俺の顔をバッチリと見てしまい、大声を張り上げていた。

 



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02:三国連合/ただいまを言える場所③

07/ただいまを言える場所

 

「そんなわけで───すいませんでしたっ!」

「許さん」

「えぇえっ!!?」

「ちょ、愛紗ちゃんっ! こ、こっちこそごめんなさい御遣いのお兄さん、私もなんか大事にしちゃったみたいで」

 

 ええ大事でしたとも。

 あんな帰り方じゃなかったら、きっと全てが感動的に纏まっていたんだと思えるくらいさ。

 でもこうして劉備も許してくれたようだし、あとの問題は───

 

「あ、あー……」

 

 ちらりと見た先に居る、殺気ともとれる威圧感を以って、力を溜めて待機している魏のみんな……だろうなぁ。むしろなんで動かないのか───と考えてみて、答えはすぐに確信に到る。華琳に“待て”を命じられているんだろう。

 あれらが解放された時、自分がどうなるかを考えるとちょっと怖いような───……って、あれ?

 

(…………凪?)

 

 ふと気づく。

 一瞬俺と目が合った凪が、申し訳ないような、合わせる顔がないような感じに目を逸らした。

 どうしたんだろ…………って、凪の性格を考えると、ほぼ間違いなく俺に攻撃を仕掛けたこと……だよな。

 べつに気にしてないのに。

 

「……うん、よし」

 

 だったら、そんな憂いも吹き飛ぶくらいに笑顔で“帰ろう”。

 この世界が俺が居たかった世界で、帰るべき場所が魏の旗の下なんだ。

 言わなきゃ届かない思いがあることを、さっき華琳に拳と一緒に叩きこまれたばっかりだしな。

 

「みんな! ただい───」

「全軍、突撃!」

「───ま?」

 

 華琳様が小さく仰いなすった。

 途端、お預けをくらっていた猛獣達が檻から解き放たれたかのごとく地を蹴り───

 

「北郷ぉおおおおおっ!! 貴様っ! 斬るぅうううううっ!!!」

「一刀ーっ!! 一刀やぁあーっ!!」

 

 その筆頭を競わんとする二人は、片方はともかくもう片方は大剣を手にそれこそ突撃してきて……ってキャーッ!?

 

「せぃいっ!」

「ヒィイッ!? ちょ、春蘭!? いぃいいいきなり斬りかかるやつがあるかぁあっ!! 前髪にかすったぞ!? 少し落ち着」

 

 落ち着いてくれ、と言おうとした途端、左の頬に春蘭のビンタが炸裂した。

 それはよくある右から左へ~、なんてものではなく、ならばチョッピングライトにも似た斜め上から袈裟掛けに、というわけでもなく。むしろ空へ吹き飛べとばかりの、ボクシングでいうスマッシュにも似た鋭くかちあげるようなアッパービンタだった。

 

  ───結果、叫びながら中庭の空を飛んだ。

 

 女性のビンタで空を飛ぶ……それはきっと、盗んだバイクで走り出すより凄まじいことだと思いました。

 皆様に愛されて約一年、北郷一刀です。

 

「貴様ぁああああ…………!! よくも我らの前にのこのこと姿を現せたものだな!! それは褒めてやる!!」

「褒めるの!?」

 

 倒れ、しかし顔だけ起こした視線の先には赤き隻眼の鬼神。

 言った途端に武器を納めてくれたことだけは感謝したい気分だが、空を飛んで地面に落下、無様にうずくまった俺は、それを素直に喜んでいいのだろうか。

 いや、そりゃあ春蘭のビンタなんて珍しすぎて奇跡体験かもしれないが、うん。痛いものは痛いです。

 しかしうずくまったままではいられないので、くらくらする頭を振りながら立ち上が───ると、そこに霞がドカー!と抱きついてくる。

 

「ちょ、霞!? 今とっても危険な状況で……!」

「うあーん一刀ーっ! かずと、かずとーっ!! 何処行っとったんやどあほぉっ! ウチが、ウチがどれだけ悲しんだ思とるんやぁっ! 約束したのに! 約束したくせにぃっ! あれ嘘やったんかぁっ!?」

「霞…………その、ごめん。いっぱいひどいことしちゃったな……。でも、もう大丈夫だから。俺は華琳に願われてここに居る。予測でしかないけど、たぶん間違いじゃないから」

「華琳……? 華琳と一刀と、なんの関係があるん……? ───はっ! まさか華琳が一刀のこと追い出しよったんか!?」

「違うわよ」

「あ……華琳」

 

 逃げ場もなく、霞に抱きつかれた俺を囲む魏の武官文官の輪の中、その輪が開く先から華琳が歩いてくる。

 ……で、俺の頬のモミジを見ると少し顔を背けて笑って……ってこらこら、誰の突撃命令でこんなことになったと……。

 

「そこの御遣い様は、私の願いに応じて参上したと言っていたわ。これでまた居なくなるようなら、それこそ天にでも攻め入って、天も手中に収めてやるんだから」

「華琳、それじゃ答えになってないだろ……」

「あら。貴方を戒めるのに小難しい言葉が必要? わかっていないのなら教えてあげるわ───貴方はここに居ればいいのよ。小難しい理由も証明も要らない。私が願う限りここに居ることが出来るなら、私が死するその瞬間までずっとこの大陸に尽くしなさい。……それがいつか、この場に居る全員に届かせられる一番の答えになるのだから」

「華琳……」

 

 いや、そうは言うけどな? どうも皆様納得してらっしゃらないようなんだが?

 

「つまり……一刀はもう何処にも行かへんってことなん……?」

「……ああ、それは約束する。華琳が願う限り、俺はこの世界で生きていける。だから───言わせてほしい。…………みんな、ただいま」

 

 いろいろ挫かれたけど、今度はちゃんとした笑みでただいまを。

 涙目の霞に、怒り治まらぬ春蘭に、俯きながらも俺を見てくれている凪に、集まってくれたみんなに。

 

「今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?」

「ああ」

「また、なにも言わずにどっかに行ったりしたら、どうやってでも天の国探して一刀のこと奪いに行くで……?」

「ああ、迎えに来て欲しい。たぶんそうなった時は、俺の意思じゃなくて天の意思か華琳の意思かで戻されてるだろうから」

「ほんまに……?」

「ホンマホンマ。……我が身、我が意思は魏とともにあり。曹魏が曹魏らしくある限り、俺は絶対にこの地を離れたいなんて思わないよ。……そこのところは、約束してくれるんだろ? 華琳」

 

 上目遣いで俺の顔を見る霞の頭を撫でながら、笑顔で華琳を見る。

 すると華琳は「誰にものを言っているの?」と口の端を持ち上げ、胸の前で腕を組んで約束をしてくれる。

 その“俺がこの地に居る”という約束がきっかけになったんだろう。

 魏のみんなは弾けるように霞ごと俺に抱きついてきて───って、ちょ───おわぁーっ!?

 

「兄ちゃん! 兄ちゃーん!」

「あたたたたたっ!! ちょ、季衣っ! ウチの足、踏んどる踏んどるっ!」

「兄様……! 勝手に居なくなったりして、どれだけ心配したと思ってるんですか!」

「いたいいたいっ! 流琉、それ一刀の胸とちゃうっ! ウチの頭やっ!」

「そら姐さん、一人で先んじて隊長とよろしゅうしとったんですから、報復みたいに受け取ったってほしいですわ」

「凪ちゃん凪ちゃん、隊長なの隊長なのー!」

「………」

「や、沙和、騙されたらアカン。ウチらの隊長があないに強いはずがないで……」

「いやいや一年あれば人って変われるよ!? “男子三日会わざれば刮目して見よ”って言葉だってあるし!」

「…………ホンマモンの隊長? ホンマに?」

「さっき“先んじて隊長とよろしゅうしとった”とか言ってただろ!?」

 

 ていうかそろそろ辛い! みんな抱きつきすぎだって! 絞まる! 首絞まる! 誰だ首絞めてるの───ってもしや桂花さん!? もしやこの手は視界内に居らっしゃらない桂花さん!?

 

「ウソや……せやったらなんで凪がこんな落ち込んどるん?」

「あ、それはさっき……あの、マスクを、被って……た俺、に……凪が……打ち込んで……き……て……、……! ……!」

「……? 一刀、どないしたん? 顔がみるみる青なって───って桂花! なに一刀の首絞めとんねん!」

「この万年発情男の所為で……! どれだけ華琳様が溜め息をお吐きになられたか……!」

「そうだ北郷! 貴様の所為で華琳様がどれだけ───!」

「桂花、春蘭」

「はっ! 華琳様っ!」

「はいっ! なんでしょうか華琳様!」

「とりあえず黙りなさい」

『はいっ! ───…………』

 

 ……あ、本当に二人とも黙った。

 けど、春蘭にも言いたいこともあったのだろう、それをどうやって俺に伝えるかを眉を寄せながら考え、やがてぱぁっとその表情が輝くと

 

「ん? 春蘭? あれ? なんで拳構えてこっちにばぼぉっふぁ!?」

 

 とりあえず殴られた。思いっきり右で。

 霞の抱擁から解き放たれた俺は当然地面を滑ったが、この痛みも受け止める。涙出てるけど受け止める。

 でもわかってください、俺も好きでこの世界から消えたわけじゃないんです、本当です。……と、痛みに身を震わせながら小さく体を起こすと、スッ……と地面に差す影。

 見上げてみると、そこに秋蘭が居た。

 

「すまないな、北郷。姉者もあれで相当寂しがっていてな」

「い、いちちちち…………! い、いやっ……拳一発……じゃないけど、それで許してもらえるなら……」

「そうか。では歯を食い縛れ」

「え? いやだからって殴られたいわけじゃっ…………ええいっ! どんとこいっ!」

 

 ぐっと構え、訪れる痛みに覚悟を決めると、次の瞬間には頭部に衝撃。

 秋蘭からの罰は、脳天へのゲンコツだった。

 ……これがまた、なかなか痛い。

 頭を押さえてきゅぅううう~……と変な声を出す俺がそこに居た。

 そんな俺と同じ目線に屈み込み、秋蘭はフッ……と小さく笑みをこぼし、「よく、帰ってきてくれた」と言ってくれた。

 

「………」

 

 痛みの代償なんてその言葉だけで十分だった。

 思わず泣きそうになる俺に、秋蘭はデコピンをかます。

 まるで、こんな時くらいはシャンとしろ、と喝を与えるように。

 そんなデコピンが、額ではなく心に喝を与えてくれた気がして、がばっと立ち上がった。

 そして喝を入れられた心を胸に、まだきちんと向かい合えていない稟と凪を交互に見ると、大きく息を吸いこんで───

 

「……稟ちゃんは行かないのですかー?」

「まあ……一刀殿の性格を考えると……」

「稟ー! 凪ー! ただいまー!」

 

 ───叫んだ。

 みんなが少し驚いてたけど、構わずに向かう。

 まずは、凪が居るほうへ。

 

「……あちらの方がほうっておいてくれないと思うので」

「やれやれですねー、お兄さんは本当に気が多いのです」

『懐の広いところだけが取り柄の兄ちゃんから気の多さを取ったら、なんにも残らんぜー』

「と、彼もこう言ってるのですよ」

「……風? 宝譿はさっきまで壊れていたんじゃ……」

「真桜ちゃんに直していただきましたー。ちょちょいのちょいで楽勝や~と言ってたのですよ。その名も宝譿弐式、マツタケくんだそうですよ」

「…………マ、マツタケ……」

 

 ぶつかってくる大切な人達を抱き締めながら、涙も我慢することなく流して、ぶつかってこない相手には自分からぶつかりに行って。

 戻ってこれたのがこんなにも嬉しい───こんなにも嬉しいなら、どうしてそれを我慢する必要があるのか。

 嬉しいのなら、この思いをぶつけに行けばいい。ぶつけられればいい。

 俺はそれを受け止めたいって思ってるし、相手だってきっと受け止めてくれる。

 だって───“嬉しい”という事実だけで、こんなにも泣けるんだから。

 

「ただいま凪! あっははははは!! ただいま!」

「ぁわぁああっ!? たた隊長!? 下ろしっ……!」

 

 泣き笑いっていうヘンな顔で、凪をお姫様抱っこで抱き上げた。

 そのまま走りながらくるくる回ったところで、稟や風を巻き込んで転倒。

 それでも嬉しさのあまりに込み上げる笑いと涙は止まらなくて───俺はしばらくそうして、帰りたかった場所へ、ただいまを言える場所へ辿り着けたことを心から喜んでいた。

 ……いたんだが。

 

「……あれ? なんか背中にゴリっとした感触が……ってホウケェエーイ!!」

 

 倒れた俺の背中と大地の間で潰れていたもの。それは宝譿のようでいて宝譿じゃない何か……って、え!? 宝譿!? 宝譿はさっき風に踏まれて……!

 

「……お兄さんは宝譿になにか恨みでもあるのですかー……?」

「いや違っ……! ていうかなんで!? 宝譿はさっき風が……!」

「真桜ちゃんに直してもらったのですが、今この時、お兄さんに惨殺されたのです」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる!? ま、真桜! 真桜ーっ!! 宝譿をたすけてぇええっ!!」

「ちなみにその子はマツタケと言うのですよ」

「宝譿にしなさい! 壊した自分が立ち直れなくなりそうだから!」

 

 結局感動の再会も騒がしさに流される。それなのにその騒がしさこそが心地良い。

 これでこそ自分たちだって思えたのは、きっと気の所為ではないのだろうから。

 

 

───……。

 

 

 で…………

 

「あの……はい……調子に乗りすぎました……お騒がせして、すこぶる申し訳ない……」

 

 宴の席を引っ掻き回したわたくしこと北郷一刀は現在、華琳様の前で正座をさせられていました。

 最初は何故こんなことをと、わけがわからなかったわたくし北郷一刀は、そっと囁いてくれた風のお陰で少しだけ状況がわかりました。

 風が言うには華琳様は、自分の時だけ強制しなければ“ただいま”を言わなかったわたくしこと北郷一刀に制裁を加えたいのだとか。

 いえあの……もう制裁加えられているからこそ、頭がとても痛いのですがね? ああもう過ぎたことです、この馬鹿丁寧な語りにも終焉をくれてやりましょう。ここまでのモノローグは、わたくしこと北郷一刀がお送りいたしました。

 

「皆、見苦しいところを見せたわね。気にせず今日という日を楽しんで頂戴」

 

 華琳は華琳で俺を殴ってすっきりしたのか、清々しいまでの笑顔で他国のみんなにそう言う。

 

「あ……ところでさ、華琳。結局、華雄や袁術はなんだったんだ? 自由がどうとか言ってたけど」

「ああ。野盗まがいのことをやっているところを、蓮華……孫権たちが引っ立ててきたのよ。せっかくの宴の席で首を刎ねるのもなんだし、それなら余興のひとつにしましょうって話になったの」

「へえ……で、どうするんだ?」

「敗者に情けは無用。……と、言いたいところだけど、いいわ、一刀に任せてあげる。勝ったのは一刀なんだから、煮るなり焼くなり好きになさい」

「………」

 

 ちらりと、華雄、袁術、張勲を見る。

 目が合った途端に袁術が身を守るように縮こまり、目を丸くしてヒーと泣き出した。

 それは張勲も同じようで、華雄はむしろ負けたのだからとどっしりと構えていた。

 

「……ん。じゃあ三人には“三国”に降ってもらおう」

「三国? 魏ではなくて?」

「ああ。これから国を善くしていくんだろ? だったら、一国だけじゃなくて三国にこそ人手が必要になる。三人にはその“必要になった時”、すぐに動ける人員になってもらうのはどうだろう」

「……華雄はともかく、あとの二人が役に立つ?」

 

 ギヌロと覇王の眼力で三人を睨む華琳。

 華雄はどこか楽しそうに笑っているが、袁術と張勲は涙目だ。

 

「役に立たないなら立つように教えればいいさ。人って成長できる生き物だろ? わからなければ教えればいい。覚えられないなら覚えるまで教えてやればいい。今役に立たないものの未来を捨てるよりも、役に立つように育ってもらって、同じ未来を目指せばいい。……俺は、この三国の絆をそうやって繋いでいきたいって思うよ」

「……………そう」

 

 俺の言葉に華琳はやさしく微笑んで、「じゃあ、任せたわ」と言う。

 うん、任されよう。

 人に命令できる立場か~って言われたら、悩む自分がもちろん居るけど───命令が嫌ならお願いすればいい。

 根気よく歩けばいいさ、今ならそれも出来る気がするから。

 

(さあ、これから忙しくなるぞ)

 

 善い国にしていこう。みんなで手を繋いで、みんなの力で、思いで。

 人間全てが笑っていられる世界なんて作れるわけはないけど、少しでもそうあれるように、まずはゆっくりとお互いのことを知っていこう。

 時には衝突することもあるだろうけど、それも大事な絆になるはずだから───なんて思っていたのはハイ、少し間違いだったかなーと、このあと思い知りました。いや、全てが間違いだとは言わないけどさ。

 正座するわたくし北郷……ってそれはもういいから。───正座する俺の横に、すっと影が差したのだ。

 見上げてみれば、そこには雪蓮。

 にこー、とさっきみたいな人懐こい笑みを浮かべていて、彼女の視線の先……華琳は逆に、笑顔を引きつらせていた。

 

「ね、華琳」

「……なによ」

「この子、私にちょうだい?」

「ヘ?」

 

 チョーダイ? ちょ……あ、はい、ちょっと混乱してますごめんなさい。

 ちょうだいってなんのことカナー。北郷、ちょっぴりわからない。

 

「それは先ほど、きっちりと断ったはずだけど?」

「一度断られた程度で諦めるほど、小さな執着心を持った覚えはないの。それにあれだけ強いなら、誰でも欲しいって思うわよ」

「っ!」

「ヒィッ!?」

 

 あれ? なんでここで俺が睨まれるの? しっ……仕組んだの華琳だよね!? え!? 負ければよかったの!?

 

「一刀は魏に生き魏に死ぬの。いくら雪蓮でも、一刀はあげられないわね」

「そこはほら、覇王の懐の大きさでササッと」

「あげないったらあげません」

「そこをなんとかっ」

「だめよ」

「じゃあ一月だけ」

「だめ」

「一週間!」

「だめって言ってるでしょう?」

「三日間でどーだー!」

「話にならないわね」

「なによー! 華琳のけちんぼー!」

「けちっ……!? いっ、いきなり何を言い出すのよ貴女は!」

 

 言い争いが始まった。

 たぶん、さっきもこんな感じで言い争ってたんだろう……触らぬ女神に実罰無し。

 俺は静かに身を沈め、ゴキブリもかくやという低姿勢で逃走を図った。

 正座による足の痺れ? フハハ、そんなものなぞここ一年の道場修業で克服したわ。

 

(じいちゃん……俺、強くなったよ……!)

 

 ヘンな方向に感動が向く。

 俺の強さってそんなもんですか? と心がツッコミを入れるが、俺が欲しかった強さは戦場に役立てるばかりのものじゃない。

 だからいいのだ、俺は俺らしく。それが、俺にしかない俺の強さだと思う。

 

「よしっ」

 

 大体の距離を稼ぐと立ち上がり、とりあえずバッグを拾いに劉備たちが居る場所へ。

 途端に関羽にギシャアと鋭い眼光で睨まれるけど、そこはなんとか口早に説明をして、バッグを拾って逃走。

 城の適当な一室を借りてフランチェスカの制服に身を包むと、ようやく自分らしさが取り戻せた気がした。

 

「ははっ……思えば、寝る時以外はほぼこの服だったもんなぁ」

 

 こぼれる苦笑を噛み締めて、脱いだ私服をバッグに。

 その時に見えた胴着が、やっぱり少しだけ勇気をくれる。

 

「……じいちゃん。たぶん、じいちゃんにとっては一秒にも満たない時間なんだろうけど……俺はこの世界で自分が生きていられる限りに、受けた恩を国に返していきたいって思う。だから……恩返しがいつになるかわからないけど、“すぐに戻る”よ。元気で、って言うのもヘンだけど、それまで元気で───」

 

 この世界での出来事は、元の世界では一秒にも満たなかった。

 学園で寝て一日を過ごし、目覚めれば大陸に居て、魏と生きて、魏と別れた。

 そうして戻った世界は、なにも変わらない、自分が寝て起きた場所。

 たぶん今回も同じことで、この世界に居てくれることを華琳が願ってくれる限り、存在できるはず。

 天寿を全うした場合、帰れるのか死ぬのかはわからない。

 けど、今はわからないことを考えるよりもやりたいことがたくさんある。

 

「じゃ……遅れたけど。───“いってきます”」

 

 剣道着にそう言い残すとファスナーを閉じて持ち上げ、肩に引っ掻ける。

 さて、行こうか。

 正直巻き込まれるのは怖いけど、止めないと戦争でも勃発しそうだ。

 ただじゃれ合ってるだけで、本当は結構気が合ってるのかもしれないけど。

 そういえば華琳と対等に渡り合える相手なんて居なかったし……そっか、あれで結構楽しんでいるのかもしれない。

 そんなふうにして笑みをこぼしながら、がちゃりとドアを開けて通路に───

 

「ちぃ姉さん、そろそろ急がないと───あ」

「わかってるわよもう! まったく、あいつが居なくなってから───え?」

「……? 二人ともどうし───あ」

 

 ───出たところで、そういえば中庭には居なかった彼女たちとの再会を果た───しべるぼ!?

 

「こっ……こここここのにせものーっ!! 一刀の格好を真似したくらいで、ちぃが騙されるとでも思ってるのっ!?」

 

 い、いや……言ってる意味がよくわからないんだが……!? とりあえず確認もなしにボディブロゥはどうなんですか地和さん……!

 

「え……か、一刀? ほんとに一刀?」

「じっ……実はニセモノです」

「死ねぇえーっ!!」

「うわぁああ冗談! 冗談だから! 本物! 正真正銘、北郷一刀だから!」

 

 目を白黒させながら……といってもいいものか。

 天和の質問に、場を和ませようとして出た冗談に地和がキレた。

 そんな地和から逃げるように、後ろ走りで通路を行ったり来たりを繰り返していると、どんっと……背中から誰かに抱きつかれる。

 

「一刀さん……一刀さん」

 

 驚いたけど、それは人和だった。

 背中からだからその表情はわからないけど、喜びを含んだ声には嗚咽も混ざっていもるぱ!?

 

「ぶっは! ~……こらこらぁああっ!! 動けなくなったやつをグーで殴るアイドルが居るかぁあっ!!」

「うるさいこのバ一刀!! あんたが勝手に居なくなってから、ちぃが……───あ、やっ、やっ……姉さんとれんほーがどれだけ寂しい思いをしたかっ!!」

「えー? ちーちゃんが一番寂しがってたくせに」

「んなっ……違うわよ! そんなことない! 姉さんだってなにかあるたびに一刀だったらーとか一刀じゃなきゃーとか言ってたくせに!」

「ちぃ姉さん、“姉さんだって”って時点でもう終わってるわ」

「ふぐっ……!? う、うー……! 一刀が悪い! とにかく悪いの!」

「アーハイハイゴーメンナサイヨー」

「心がこもってな───わぷっ!?」

 

 顔を真っ赤に、目を涙目にして再度殴りかかってくる地和を、真正面から抱き締める。

 するとその顔は余計に赤くなって、少しだけ暴れだすけど……それもすぐに治まり、胸の中で小さく「……おかえり」と言ってくれて───

 

「あーずるーい! お姉ちゃんも一刀に抱きつくのー!」

 

 そんな俺達を、横から包むようにして抱く天和……だけど、腕の長さが足りなかったりする。包みこむように抱くというよりは、へばりつくようなカタチになって……でも。

 俺を見上げてくるその顔は、喜びに満ちている。

 

「……天和、地和、人和。───ただいま」

「……はい。おかえりなさい、一刀さん」

「うん、おかえり一刀♪」

「それじゃあ早速一刀には働いてもらうわよ! 今まで居なかった分、きっちり働いてもらうんだからねっ!」

「戻って早々!? い、いや、俺も人並に宴を楽しみたいというか……」

「え、なに? 勝手に居なくなっておいて、その上ちぃたちの頼みも断るっていうの?」

「ア……ハイ……喜んでお手伝いさせていただきマス……」

 

 勝手に居なくなったのは、説明する暇がなかったし仕方なかったことなんだけど……ほんと、それこそ仕方ない。

 寂しがらせたことは事実のようだし、寂しがってくれたならこんなに嬉しいことはない。

 

「それじゃあ、まずはなにをしたらいいのかな」

「一刀~、肩もんで~」

「喉渇いたから飲み物もってきて」

「一刀さん、これからの予定をきっちり頭の中に───」

「結局小間使いかよ!」

 

 なんら変わらない扱い。

 あーだこーだと文句にも似た言葉を言いながら、以前のように接してくれる三人にありがとうを言いたくなる。

 言ったら調子に乗るのが思い浮かぶから、言わないけど。

 

「ちゃんと聞いてなさいよ? 今日の歌、一刀のために歌うから」

「一生懸命歌うからね~♪」

「もう……勝手に居なくならないでくださいね」

 

 ……あ、だめ。やっぱり言いたい。

 言いたいけど……それはこの宴が終わってからでもいいかなって思えた。

 だから、今は送り出す。

 

「ああ。頑張れ、三人ともっ!」

「任せなさ~いっ!」

「ちーちゃん、あそこのことだけど、一刀が帰って来たんだからやっぱり戻そ?」

「うえ~……? ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「じゃあちぃ姉さんだけそこで歌わないように───」

「やっ、わ、わかったわよ! 一刀のために作った歌なんだから、ちぃが歌わないわけないじゃない!」

 

 三人が走ってゆく。

 それを見送りながら、俺もゆっくりと歩き出す。

 

「……ただいま。今帰ったよ、魏の国よ───」

 

 今、自分が歩こうとしている道が、確かな充実感に満ちているであろうことに喜びながら。

 

 

 



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03:三国連合/今日の日はさようなら①

08/宴の席にて

 

-_-/魏

 

 宴の席は賑やかだった。

 かつては武を競い、別の意思を以って天下を目指した三国。

 その全てが今、ひとつの場所に集まって宴を開き、同じ酒を飲み、同じ料理をつまみ、同じ話題で笑い合うなど、いったい黄巾党征伐のときに誰が予想できただろう。

 方向は違えど、目指すものが同じならばと考えた者は確かに居たに違いない。

 だがやり方の違いで相容れず、やはり衝突しながら互いの理想を武で示す。

 そんな、今では考えられない日々が確かにあったのだ。

 勝てば正しいのか、負ければ正しくないのか。

 時には迷うこともあり、だが己の信念こそが泰平の道なりと豪語し、突き進む。

 兵を友とし、笑顔を守りたいとだけ願い、戦場に出た者。

 兵を牙とし、親より続く意思を天下に轟かすために武を振り翳した者。

 兵を駒とし、力で天下を手に入れんとした者。

 それぞれの意思がぶつかった過去があり、手にした天下は友でも牙でも駒でもない、絆という形で今この場所に集っていた。

 

 たとえばと考える。

 御遣いの存在無くして彼女が天下を手に入れることが出来たとして、彼女は今と同じように穏やかに笑っていられただろうかと。

 力のみで手に入れたその場には、対等に話し合える小覇王の存在も、場を和やかにするであろう情の王の存在もきっとない。

 孫策は暗殺され、劉備もまた彼女の前に敗れ、弱者と断ぜられ、歴史から姿を消していたことだろう。

 だが、たった一人がこの大陸に降りただけで、三国の歴史は大きく変わる。

 大局に抗い、存在を削ることで彼女を助け───力だけに染まり、力によって潰えるはずだった覇道の色を、少しずつ変えていった男が居た。

 兵は駒ではなく、己の天下掌握を手伝ってくれる大事な存在なのだと、知らずのうちに心に刻ませた。

 

 だからだろうか───自国の在り方も戦い方も、王の思考も誇りも知らない新兵を前線に出し、戦わせるといった歴史は生まれず───孫策もまた、暗殺されることなく現在を生きていた。

 別の外史では、勝てぬのならばこの先も望めぬと判断し、どんな手段であれ勝利を願う兵をも“駒”のように扱い、頂を目指した少女。

 勝てぬ戦に意味など要らぬ、我が覇道は力の中にこそあり。そう断じて突き進み、聖戦を穢されたと嘆く少女が居た。

 聖戦を願うならば焦ることをせず、兵に自国の戦い方と在り方を教えるべきだったのだろう。

 結果は暗殺に終わり、彼女は好敵手も、この大陸で目指した覇道の意味も失うこととなる。

 が───この外史において、彼女が振り翳すものが力だけではなくなった。

 それだけで、世界はこんなにも変わってゆく。

 変わるたびに、御遣いの“存在”は削られてゆく。

 大局から外れることが消滅に繋がるというのなら、彼という存在は実に儚いものだったと言える。

 

  ───孫策が死なずに生きる。

 

 “大局を左右する”という意味では、相当に大きな意味を持つこの死が起こらなかったのならば、その時からすでに矛盾は生じていたのかもしれない。

 天の御遣いという存在が天より降りることで、魏の王が変わったというのなら。

 魏の王が変わったことで、暗殺という事態が起こらなかったというのなら。

 彼の存在は、魏に降りた時点で消滅が決まっていたものだったというのだろうか。

 

 そう考えると、他の外史において、天下を手に入れた先で彼が消えないのは何故なのか。

 大局というのは片鱗にすぎず、彼が消える理由はやはり王の望みの果てにこそあるのか。

 情の王が皆が仲良く過ごせる未来を願い。

 小覇王が国の民の笑顔を願い。

 だが───少女だけは天下の統一を望み、世に魏の力を示すことを目的とした。

 ならばその願いによって彼が天より遣わされた時点で、彼女がどう変わろうが天の御遣いの消滅は……彼女が天下を統一するとともに消えるさだめにあったのかもしれない。

 

 だが、今さらそんなことを言ってなにになるというのか。

 天下統一の結果はここにあり、情の王が望んだ笑顔も、小覇王が望んだ宿願も、己の手で叶えたものではないにせよこの場にある。

 手を伸ばすと繋げる手があり、繋いだ手で築ける未来が彼や彼女たちの目の前には存在している。

 ならば今、この場に集まった全ての者たちで目指す未来は、どれだけ意見をぶつけ合っても気に入らないことがあっても、これからも彼女らが望んだ天下に繋がっているのだろう。

 

  少しずつ変わっていく中で少女が求めた覇道が、いつしかこの場に集まる全ての者の覇道となる。

 

 そんな事実に少女は笑みをこぼし、恐らくそんな風に笑むことの出来る自分に変えてくれたであろう男へと視線を移す。

 張三姉妹が晴れやかに歌う中で、皆もそれぞれが歌うかのように騒ぐ。その一角で、唯一の男性である彼は……言うまでもなく女性に捕まっていた。

 

「ほれ、まずは乾杯じゃ」

「乾杯!? 飲めないって! 飲めないからそんなに! もうそのへんでやめて黄蓋さん!!」

「祭でよいと言っておるのに……ほれ、これしきも飲めんでなにが男か」

「酒を飲める量に性別関係ないよ!?」

 

 華琳の視線の先に居る北郷一刀という名の男は、妙齢の女性に大きな杯を持たされ、そこに酒を注がれて慌てている。

 自分の策を看破してみせ、彼女自身が死にかけた事実に謝罪もせず、胸を張った姿が気に入ったとかで、こんなことになるとは予想だにしなかった彼は今にも泣きそうだった。

 戦っていた姿はなかなかに凛々しかったというのに、ちょっと目を離せばこんなものである。

 

「んっ……ぐっ……ぐっ……───ぶはぁあっ!! は、はぁっ! はぁっ……! の、飲めた……!」

 

 杯を()すと書いて乾杯。名の通り、全てを飲み干すのが礼儀である。妙齢の女性、黄蓋もまた同じ大きさの杯を傾け、まるで水を飲むかのようにスッと飲み下す。

 逆に一刀は、あまりの量に目を白黒させながらなんとか飲み切った。

 

「おう、では次じゃ。いけい」

 

 だが無情。窒息寸前で酸素を得たかのようにゼイゼイと肩を上下させる中で、置くこともせず手に持っていた杯にバシャバシャと酒が注がれてゆく。

 一刀は当然「えぇっ!?」と小さな悲鳴を上げるが、聞いてくれるわけもない。

 なにか逃げ道はないかと立食ぱあていで賑わう景色を見渡すが、あるものといえば酒と料理くらいである。

 いや、ならば料理を食べていれば酒から逃げられるのでは? 彼がそう考えるまでに、そう時間はかからなかった。

 ……が。

 

「い、いや、俺そろそろ……な、なにか食べ物食べたいかな~とか………………ねぇ。なんで俺の前にだけ、北郷一刀専用って書かれた皿と禍々しい“料理……?”があるの? これ、さっきまで向こうのほうになかったっけ」

 

 自由に歩き、欲しい物を取って食べる立食ぱあてい。

 だというのに、いつの間にか自分の前にある“料理?”。

 匂いを嗅いだだけで涙が滲んでくるそれは、いったいどんな材料から作られた“料理?”なのか。疑問符がなければ料理とはとても呼べないのは確かである。

 一刀はそれが“自分専用”と書かれていることに、いっそ滲んだ涙を滝にして泣きたくなった。

 

「ありがたく食え北郷。それは私が作ったものだ」

「なんですって!? しゅ、春蘭が……!?」

「なんだ、悲鳴みたいな声をあげて。ああ、そっちのは関羽が作ったものだ。……丁度いい、どちらが美味いか北郷、貴様に判断してもらおう」

「………」

 

 さあ、と促されると、サア、と血の気が引く音がした。

 ここで何も言わず、女の出したものを食べてこそ漢たるものだろうが───

 

「………」

 

 重苦しく飲み下す、嫌な味の唾液。

 目の前に存在しているものは、人が食べられるように“開発”されているのだろうか。

 一種の殺戮兵器と見紛うほどの存在感と異臭。

 ムワリと湯気らしきものが風に乗って目に当たると、ぼろぼろと涙がこぼれてくる。

 今すぐ逃げ出したい衝動に駆られるが、 なんとなく何処へ逃げても追ってくるような気がした。

 誰かの手によって、自分が気づかないうちに。

 そうなればあとは覚悟を決めるかどうか、なのだが───

 

「…………黄蓋さん! 俺……酒飲むよ!!」

「おう、それでこそ男よ!」

 

 死にたくはないので、せめて味が知れている酒へと方向を定める。

 もちろん、それで全てが済むほど彼の周りはやさしくはないのだが。

 

「なにぃ!? 北郷貴様! 私の料理が食えないのか!」

「い、いや決してそういうわけじゃヒィ!? 空を飛ぶ虫が“臭い”に誘われて息絶えた!?」

「さあ食え!」

「うわややややめてやめてぇええっ!! 食べる食べます食べさせていただきますから押しつけないで押しつけもぼがっ!? ん、んぐ───むぐッ!? こ、この口の中でとろけるような食感は───と、とろけ……溶ける! 口の中が溶けギャアーッ!!」

 

 ───賑やかな宴の席でひときわ賑やかな場所。

 そんな賑やかさを目にし、耳にし、誰にも知られることなく小さく笑む少女。

 

(ふふっ……)

 

 彼の周囲はいつでも騒がしく、そんな空気が彼女はいつの間にか好きになっていた。

 ひどく穏やかに、ひどく賑やかに。

 ようやく戻ってきた“魏の空気”とともに酒を飲むと、その美味しさに笑みがこぼれた。

 

(……美味しい……わね……)

 

 あんなにも不味いと感じていたものが美味いと感じられる。

 曹孟徳という存在が、こうも一人の男の存在に心も、味覚までも左右されるなんてと小さく毒づくが、心の中でいくら毒づいてみせたところで誰にも届くわけもなく、逆にそれが可笑しくて笑っていた。

 

「口直しっ! 口直しをっ……! 溶ける! ほんと溶ける!」

「隊長! これを!」

「すまん凪! ぷぉおっふぇええっ!!? かっ……辛ァアアーッ!?」

「うわっ! 隊長が激辛メンマ食いよった!」

「あれ、たしかこの前の宴の時に真桜ちゃんが食べて気絶したやつなの……」

「やぁ~……口直しにあれ食べるなんて、隊長も漢やなぁ……」

「口が直されすぎて痛い! みっ……水っ! 水くれ!」

「なにをやっとるかまったく……ほれ、さっさとこれで流し込まんか」

「すすすすいません黄蓋さん! んぐっ……ぶはぁっ!? これお酒じゃないですか!!」

「うん? そんなもの水みたいなものじゃろ」

「そうよ一刀、こんなの水水~♪ あ、今度は祭じゃなくて私が注いであげるね~? ほらほら、杯持って」

「雪蓮!? いつからそこに!? じゃなくて辛さにやられた喉に酒ってかなり痛いんですよ!? わかってる!?」

「そ、それで……どうだったんだ北郷! 美味いか!? 美味かっただろう! 美味かったと言え!」

「口直しって言葉聞いておいて!? あ、あー……えっと……オ、オーマイコンブ?」

「おぉー……? なんだ、それは」

「えぇっ!? え、えと……て、天の国、での~……そのぉお……料理への、褒め言葉…………かな」

「おぉそうか! ならばもっと食え!」

「たすけてぇえええええええええええっ!!!!」

 

 宴は続く。

 いつの間にか宴の中心に居る彼を見て、少女は長い長い息を吐いた。

 

(……いい天気)

 

 空を仰ぎ、誰にも聞こえない声で呟く。

 自分の物語の中で胸を張って生きる───そう決めた彼女は、きっと心から胸を張れてなんていなかった。

 自分一人ではここまで辿り着けなかった。

 赤壁で力尽きるか、先へ進めたとしても天下を取るのは自分ではなかったのだろう。

 己の国の武を低く見るのではない。

 己の国の武を誇ればこそ、そうだったのだろうと思うのだ。

 彼の言葉がなければ夏侯淵は死に、彼の助言がなければ自分たちは赤壁で火計に陥り、大打撃を食っていた。

 

「………」

 

 時折に、天命とはなにかと考える。

 真に天命をと望むのであれば、自分は彼の言葉を断固として聞き入れるべきではなかったのではないか。

 そんなことを考える日々を過ごしては、首を振って溜め息を吐いてきた。

 しかし───今。

 

(……なんだ、そんなの……簡単じゃない)

 

 こうして心から笑う魏の武官文官を見て、苦笑をもらす。

 そう、簡単なことなのだ。

 

(こうして今、自分が笑むことの出来る場所がある。民が、将が本当の笑顔で手を繋げる。こんな場所に辿り着けたのなら───)

 

 いたずらに武を振るい、手に入れるものが全てではない。

 この場に集まる皆で騒ぐことの出来る今を手に入れる道が、彼の言葉から生まれたものならば。

 

(私は、聞き入れてもよかったんだ───)

 

 これ以上の“現在”など想像できないのだから、これでいいのだろう。

 彼は自分を犠牲にしてまで、こんな穏やかな現在をくれた。

 その上しっかりと戻ってきてくれもしたのだから、これ以上なにを望むのか。

 

(こんな簡単なことを、曹孟徳ともあろう者が……)

 

 ちらりと、口から白いモヤのようなものを吐き出して倒れている彼を見る。

 仰いでいた空から戻した視界は太陽の残照を少しだけ残し、そんな視界が彼の服と重なって、なんだか輝いて見えた。

 

(私が望む限り、か)

 

 彼という存在が、本当に自分の願いの果てにあるものなのか。それが真実なのかなど、誰も知らない。

 知らないが、また会いたいと口にしたことでそれが叶ったというのなら、信じてもいいと思えた。

 そんな自分にやっぱり苦笑して、彼女は歩きだす。

 そろそろ彼を自分の傍に置きたい。

 話したいことは、訊きたいことはまだまだたくさんあるのだ。

 自分以外の女性に振り回され続ける彼の姿が、なんとなく嫌だったという理由も少しだけある。

 そもそもどうして立食ぱあていだというのに、彼はわざわざ自分から離れた位置に立っているのか。

 もちろんそれは黄蓋と話をするためだったのだが、わかっていても納得がいかないことっていうのは存在するのだ。

 自分だけ焦がれているみたいで嫌だということも、自分から離れていった一刀に少しムカリと来たのも事実だろう。

 だから彼女は曹孟徳としてではなく一人の華琳として、気に入っているものを取り戻すために動き───

 

「か~り~ん~さぁ~んっ、つっかま~えたっ♪」

「ふひゃあっ!? なっ───桃香!?」

 

 栗色の悪魔に、背後から胸を鷲掴みにされて停止した。

 

「えへへへへへ~……華琳さ~ん……? さっきからどこ見てにこにこしてたの~? お兄さん~? 御遣いのお兄さんなんだね~? うひゅふふふへへへへ~……」

「だっ……誰!? 桃香にお酒を飲ませたのは!」

「誰でもい~でしょ~っ? そんなことよりほら~、こっちに来てみんなと一緒に楽しいことしよ~っ?」

「せっかくだけどお断り───…………動けない!? なんて馬鹿力しているのこの子!」

 

 酒でいろいろと外れているものがあるのか、劉備の握力はかつて対峙していた時のそれとは一線を画した先へと立っていた。

 傍迷惑な一線である。

 

「ほらほら~……来てくれたら胸が大きくなる、私と愛紗ちゃんと紫苑さんと桔梗さん印の秘密の運動の仕方、教えてあげるから~……♪」

「………」

 

 その時華琳に電流走る…………っ!

 

「ひっ……ひ、ひひひ必要、ないわよ……!? 必要ないわよっ! 必要ないから離しなさい!」

 

 が、勝ったのは王としての意地!

 華琳はワナワナと震えながらも誘惑に打ち勝───

 

「えへ~……背も伸びるよ~?」

「───」

 

 ───ったところで、さらに電流走る…………っ!

 脳内では“天使な孟徳さん”と“悪魔な孟徳さん”がキャーキャーと葛藤を繰り広げ、ついには───! というところで、助け船が流れ込んだ。

 

「何を言っている! 華琳様はそのお姿だからこそいいのだ!」

 

 魏武の大剣、春蘭様である。

 いつの間に喧噪の渦中から抜け出してきたのか、少々酒気に頬を赤らめてはいるが、猫化まではしていない様子の彼女は───いっそ雄々しくドドンッと登場し、桃香から華琳を剥がしにかかる……!

 ……のだが。

 

「……春蘭。それは私など貧相な姿で十分だと。そう言いたいの?」

「え? いえあの……あれ? か、華琳様?」

 

 ヒクリと頬を引きつらせながらの華琳の笑顔を見て、伸ばした手は宙を彷徨った。

 

「───案内しなさい桃香。それと───ふふふ……! いつまでも触ってるんじゃないの……!!」

「いたたたたたっ! いたっ! いたいいたいー!!」

 

 いまだに胸を触っていた桃香の手を指で強く抓り、フンと吐き捨てて歩き出す。

 痛みで酔いが覚めたのか、途端にあわあわし始める桃香だったが、「もちろん、嘘だったら一度地獄の苦しみを味わってもらうわ」という華琳の言葉に、今さらウソでしたなどと言えるはずもなく───その日。一人の少女の悲鳴が宴の席に響き渡った。

 

「ああ……綺麗なお花畑が見える……」

「隊長!? 隊長ーっ!!」

「衛生兵呼びぃ! 一刀!? しっかりしぃや一刀ーっ!!」

 

 そしてもう一人、この宴の席での唯一の男性が今、“料理?”を食わされ魂となって己の口から旅立とうとしていた。

 



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03:三国連合/今日の日はさようなら②

09/お酒の味と危機の味

 

-_-/一刀

 

 ふと目を開けると夜空があった。

 視界いっぱいに広がる夜の空は、気温の所為だろうか、どこか冷たく感じる。

 視線をツと横にずらしてみれば、目に映る賑やかな景色。

 どうやら宴はまだ続いているらしく、視線を横に向けるまで、そこが賑やかだったということにさえ気づかなかった。

 気づいてしまえば耳に届く、喧噪という名の祭囃子。

 どんちゃん騒ぎっていうのはこういうことを言うのかな、なんてしみじみと思う。……べつのなにかが見えた気がするけど、俺は見なかった。見なかったさ。

 

「さて……」

 

 雪蓮と祭さん(結局無理矢理呼ばされた)に酒を、それこそ浴びるように飲まされてから……───の、記憶がない。

 

(あれ? 俺どうしたんだっけ)

 

 体を起こしてみる───いや、起こそうとしてみると、腕に圧迫感。

 見れば、人の右腕を枕にして寝ている劉備……劉備!?

 何故、と思いながらも左腕の圧迫感も気になり見てみれば、そこには黒髪のゲェエーッ!! か、かかか関羽さん!?

 あぁ、さっきそこにあっても意識的に見ないようにしていたものの正体はこれかっ!

 神様これは何事ですか!? 俺に恨みでもあるんですか!? と、とにかく迅速に行動を……───ダメです動けません! しかもどっちを先に起こしても死亡フラグが立っちゃう気がするんですが!?

 

「とにかく……うわっ! 二人とも酒くさっ!」

 

 むわっと香る匂いに思わず目を閉じる。

 そんなことをして匂いが消えるわけでもないが、反射的な行動だったからどうにもならない。

 もしかして酔い潰れて寝てる……? それにしたって、なんだって俺の腕を枕に。

 

「う……」

 

 どちらを向いても、整ってはいるがどこか幼さを残した綺麗な顔立ち。

 無防備な寝顔を見て、心臓が高鳴ったのは覆せない事実だ。

 特に劉備は何故か頬を赤らめて、閉ざされている瞼の端には涙の痕があり、それらが余計に幼さを感じさせた。

 なんというかこう、無条件で守ってやりたくなるような、そんな感情が湧き出してくる。

 べつに嫌ってるわけでもないし、関羽がせめて敵視しないでいてくれたらな、とは思う。初見ってわけでもなかったが、印象が悪すぎた。なにせ覗きだ。

 

「……はぁ」

 

 そうやって理想を心の中で語っていると、視界の隅でゆらりと動くなにか。

 

「………?」

 

 仰向けに寝転がった状態で天を仰ぐように、上を見やる。

 視界に入ったのはネコミミと言っていいのか解らないフード。そして……ニヤリと笑う、どこぞの軍師様。

 

「ふふふふふ……北郷? 目覚めの気分はどうかしら」

「桂花…………これはお前の仕業かっ!」

「あら、そんな大声を張り上げていいのかしらぁ? 貴方が関羽に嫌われているのは知ってるのよ? ここで起こして、貴方なんかの腕で寝ていたことに気づいたらどう思うのかしら」

「うぐっ……」

 

 心底楽しそうな顔がさくりさくりと近づいてくる。

 しかも両手にはなにやら禍々しいオーラ(湯気であってほしい)を放つ料理……! まずい、この状況はよろしくないっ!

 

(いい! とりあえずあのオーラ料理を食うくらいなら、怒られる覚悟で二人の頭の下から腕を解放っ……、おや? ふん! ふんっ! ~…………OH)

 

 まずは関羽から、と思ったわたくしの腕が、気づけばその関羽自身の手によって掴まれております。

 何故? と見てみれば、うっすらと開いた目からは無言の重圧……!

 

「……桃香様をお起こしになること、この関雲長が~~……んむー……許さ~ん……」

 

 関羽さん!? 貴女起きてらっしゃって……ってネボケてらっしゃる!!

 寝惚けていても王の身を案ずるその在り方、なんと見事……って言ってる場合じゃないんだってば!!

 関羽起きて! 関羽ーっ!!

 

「っ……ええいっ!」

 

 ならば劉備! 彼女の頭の下から腕を逃がして───殺気!? すごいこの人! 寝ぼけながら殺気を───……と、再度見てみれば、ばっちり目が合いました。わぁ、起きてらっしゃる。

 

「え、あ……え……か、関羽サン……? ね、寝惚けていらっしゃったんじゃ……」

「刺激臭がするので起きてみれば……貴様、これはどういうことだ。何故貴様が私の隣で寝ている……!」

「ど、どういうこと~と仰られましても、ぼぼぼ僕のほうこそが訊きたいくらいでして……!」

 

 ば、馬鹿な……! なんだ、この尋常ならざる力の波動は……!

 戦場での兵たちはこんな殺気を前に立ち向かっていたというのか……!

 

「あ、あのー……ですね、関羽さん? まずは状況の整理と、出来ればそのー、腕を離してくれるとありがたいというか……」

「! ふひゃああっ!?」

 

 あ、飛び跳ねた。

 寝てたっていうのに器用だな~なんて思いながら、関羽が俺を挟んだ隣に眠る劉備を見てハッとするのを見届けると、心の中で静かに十字を描きました。エイメン。

 

「桃香様!? なぜ桃香様が───き、ききっ、き、貴様……!」

「気づいてなかったの!? ぉおおわわわわいやいや何処から出したのその青龍偃月刀! ツッコミどころ多いなぁもう! いやそれよりもまず落ち着きましょう!? これ全部桂花───筍彧が企てたことで!」

「なにを馬鹿なことを! 筍彧など何処に居る!!」

「えぇ!? すぐそこに───あれ居ない!!」

 

 けっ……桂花……サン? 桂花さん!? ウソでしょう!?

 こんな状況だけ残して、自分だけはちゃっかり退避ですか!?

 

「この関雲長の青龍偃月刀を前に虚言とは……その胆力だけは褒めてやろう」

「嬉しくない! 全然嬉しくない! はははは話をしよう! 誤解があるから解かせてほしい!」

「誤解などない。貴様が桃香様の、あ、あああられもない姿を覗いたことに、なななんの誤解がある。その上、こ、ここここのようなぁあ……!!」

「だからそれが誤解なんだって! いいから話を───!!」

 

 相当に重いはずの青龍偃月刀を片手で持ち上げ、頭上高く振り上げる姿に思わず“ゲーッ!”と叫びたくなる。

 しかしここまで騒いでいれば当然、隣の彼女もいい加減目を覚ますというもので。

 

「んう……なに~……? ───うっ!? はうっ! ……は、はたたた……なんか頭が痛……え? ……ひゃうっ!」

 

 目を開けた劉備は二日酔い……二日目かどうかは別としても、頭の痛さに顔をしかめるが、自分がなにを枕に寝ていたのかに気づくと、俺の顔を見て上半身だけを起こした。

 これでようやく自由の身! 俺は今こそ自由を手に、身を起こすことで振り下ろされる青龍偃月刀から逃走し、完全に立ち上がると…………振り向いた途端に喉に青龍偃月刀を突きつけられ、両手を上げるしかありませんでした。

 ……儚い自由と人生でした。

 

「あ、愛紗ちゃん!? ちょっと待ってなにやってるの!?」

「いえ桃香様。この者は桃香様が眠っているのをいいことに、お、己の腕の中に桃香様を引きずり込んで───!」

「えぇっ!? ち、違うよ違うっ、御遣いのお兄さんは私が華琳さんにその、いろいろやられてるときにはもう眠ってたの!」

「その後に目覚めて引きずり込んだという可能性が無いと言い切れますか?」

「してないしてないっ! そもそももしそうしたとして、片手が塞がってるのにどうやって二人に腕枕なんて出来るんだ!」

 

 思い切り首を横に振る。

 誤解で斬首されたんじゃあ俺の人生、首が幾つあっても足りやしない。

 

「とにかく、だめだよ愛紗ちゃん。せっかくみんな仲良くなったのにこんなことしちゃ。華琳さんも言ってたでしょ? どれだけ笑顔を見せても、握り拳をしてたらお話なんて出来ないんだから」

「うぐ……し、しかし桃香様、この者は桃香様のお召し換えを……」

「それは忘れていいのっ!」

 

 先ほどのように、夜の暗がりでも解るくらいに顔を真っ赤にした劉備が叫ぶ。

 俺はといえば、ようやく引いてもらえた青龍偃月刀を見て長い長い安堵の溜め息を吐いていた。

 そうしてからまじまじと、劉備と会話をしている関羽を見やる。

 身振り手振りでわたわたしながら話をする劉備とは対象的に、どっしりと構えて話をする関羽。

 その表情からは、安堵だの困惑だの、自分の主が壮健であることなどの、劉備への思いが溢れている。

 つくづく忠臣だなぁと思ってしまうのは、仕方の無いことなのかもしれない。

 これが華琳だったら、間違いなくアッチの方向へと転がるんだろうけど。

 

「………」

 

 ていうか俺、どうしてここに放置されてたんだろ。

 ちらりと見やれば賑やかな宴の席。そこから少し外れた、パッと見るだけでは目立たない場所に寝てた俺。

 桂花がそうしたにしても、せめて部屋に寝かせるとかは…………なんて思っていると、宴の席からこちらへ歩いてくる人影。

 上気した顔で、ホウと息を吐く彼女の手には、重ねられた二つの杯と一本の大きめの徳利。

 金髪のツインドリルテールをゆらゆらと揺らしながら、彼女……華琳は目立たないこの場へと歩いてきた。

 

「……? あら、目が覚めたの」

「ああ。……で、これってどういう状況?」

 

 頑固者に言い聞かせるように、やがてヒートアップしていく劉備の声調。

 対する関羽は少し困ったような顔をしながらも、その言葉を受け止めていく。

 ……俺の話題が出るたびに苦笑に歪む顔が真面目顔になるのを除けば、それはまあじゃれ合いにも見えた。

 

「貴方が春蘭と愛紗の料理を食べたあとに凪の激辛料理を食べて、お酒を飲みすぎて気絶した。ここまでは覚えている?」

「え? あ、あー…………思い出した。けどその後、お花畑に行ったよな? 何処だったんだあそこ、綺麗だったなぁ」

「………」

「……? 華琳?」

「い、いえ、なんでもないわ」

 

 苦笑をもらしながら、華琳は杯の一つを俺に促す。

 両手が塞がっている彼女の手から一つの杯を取ると、ハテ、と思いながらも酒が注がれていないソレを見る。

 

「少し付き合いなさい。他の子とはもう、散々楽しんだでしょう?」

「付き合わされたって言っていいんだと思うけど……この状況への説明は無しか?」

「そんなの私が訊きたいくらいよ。私が知っているのは、一刀が倒れたことくらいだもの。それからのことは、むしろ一刀のほうが私よりも詳しいでしょう?」

「む……そうかも」

 

 木の陰になっているところを除けば広めの場所。

 その適当な場所に向かい合って座ると、華琳の手から徳利を抜き取って酌をする。

 そのまま自分の杯にも注ごうとするが、それは華琳に止められた。

 

「華琳?」

「人のは酌しておいて、自分は自分でするつもり?」

「や、でもな、華琳は王で───」

「宴の席でいちいち堅苦しいことを言わないで頂戴」

 

 言いながら徳利を奪った華琳は、俺の杯に酒を注いでくれた。

 そうしてから徳利を置くと、なんだか改まって言うのも恥ずかしいけど視線を合わせて───

 

『乾杯』

 

 多めに注がれた酒を一気に飲み干す。

 ふぅ、と息を吐くと再び交差する視線。

 なんともムズ痒い状況に思わず笑みがこぼれて、少しだけ笑った。

 

「…………なぁ。ここに俺を運んだのって華琳か?」

「あら。なぜそう思うのかしら?」

 

 再び注いだ酒を、今度はちびちびと飲みながら言う華琳。

 俺も同じく、言い争いとはまた違った、やさしいじゃれ合いをしている劉備と関羽を肴に、のんびりと味わいながら飲んでゆく。

 

「いや、特に主だった理由があったわけじゃないけどさ。部屋に運ばれることもなく放置って意味では、今日の華琳ならやりそうかなって思った」

「………」

 

 酒からくる上気とは違うのだろうか。

 頬を赤くしてそっぽを向く華琳は小声で何かを言ったが、それは劉備と関羽の話し声に掻き消されて届かなかった。

 代わりにズイと杯を突き出され、一度頬をコリ……と掻いたのちに酒を注いでいく。

 “いいから一緒に酒を飲め”ってことでいいのだろうか。

 

「なぁ華琳」

「……なによ」

 

 注いだ酒をちびちびと飲みながら上目遣いに睨んでくる姿に、“俺、なんか悪いことした?”と訊きそうになるのをなんとか堪える。

 言葉を飲み込むようにして酒を飲み、喉を鳴らしてから真っ直ぐに目を見ると……訊きたかったことを訊くことにする。

 

「……酒。美味いか?」

「………」

 

 訊かれた華琳は“なにを言ってるんだろうかこの男は”って顔をして……けれど小さく溜め息を吐くと、ちびちびとではなくスッ……と喉を鳴らし───

 

「……ええ。悪くないわ」

 

 目をやさしく細めて、そう言った。

 

  “そんなの、一年も前から不味いわよ”

 

 川のほとりで聞いた言葉を思い返すと、自然と俺の目も細る。

 だから俺は「そっか」とだけ返して、酌をする。

 

「ふぅ……それで? あれはいったいどういうこと?」

「うん? ……ああ」

 

 促されて華琳から視線を外してみれば、いまだなにかを言い争っている劉備と関羽。

 酒のことで話題が逸れたが、そもそもその話もしていたことを思い出す。

 

「ちょっとゴタゴタがあって、そのことについて譲れないものがあるらしい」

「ごたごた?」

「さっきまで俺、ここで倒れてただろ? ああ、もう華琳がここに寝かせたって方向で話を進めるけど」

「ええ、事実だから構わないわ」

「やっぱりそうなの!?」

 

 帰って早々、人に風邪でも引かせたいんだろうかこの人は。

 ああ、いい、今さらだ。華琳はこうだから華琳なのだろう。

 

「ああ、えと……うん。……ふと目を覚ますと、空は夜だった。まず目に入ったのは星が輝く夜空。離れた位置からは宴の喧噪が届いてきて───」

「簡潔に話しなさい。なんなのよ、その妙な回りくどい話方は」

「いや、雰囲気が出るかな~と。うん。えっとな、目が覚めたら大の字に寝てた俺の両脇に、俺の腕を枕にした関羽さんと劉備さんが居た」

「……一刀?」

 

 じろりと睨まれた。

 ちょっと待て理不尽すぎる!

 

「待て待てっ! いいから最後まで聞いてくれっ! 全部桂花が仕組んだことだったんだよ!」

「桂花が? 桂花の細腕で愛紗や桃香を運べると思っているの?」

「あ」

 

 あれ? じゃあ待て、なにかおかしいぞ? まさか…………共犯者が……居る……? と考えて、また違和感。

 

「……いやほんと待て? なんだって劉備さん、あんなに俺のこと庇ってるんだ?」

 

 耳を傾けてみれば、「お兄さんは悪くないよー!」とか、「桃香様は少々人を信じすぎます!」とか、酒を飲む前よりも熱くなっていってる会話。

 違和感というか疑問は消えることを知らない。

 

「………」

「ほんとなにもないぞっ!? 睨まれても知らないから!」

「ふぅん……? その割には、いつの間にか“お兄さん”で定着しているほど仲がいいみたいだけど?」

「う……その点は俺にも解らない」

 

 風がハキハキと元気になったらあんな感じになるのかなぁなんて、能天気なことを考えてる場合じゃない。

 とりあえず俺は、華琳に劉備のことを訊いてみることにした。

 華琳にいろいろされた、とか言ってたから少しは知ってるんじゃないかと思うし。

 

「桃香の行動? ……虚言を口にした罰を与える前は、雪蓮と話し込んでいたわね」

「雪蓮と?」

「ええ。その後もふらふらになりながら雪蓮のところに行って………………ねぇ一刀?」

「ああ。俺もなんとなくそうじゃないかなって思ってる」

「貴方が引きずり込んだ可能性も否定できないけど?」

「それはしてない。誓ってもいいよ」

 

 慌てそうになる自分を押し込みながら、真っ直ぐに返す。

 華琳は「そう」とだけ言って、雪蓮のことを疑問に思った時点で俺に対する疑惑は無くなっていたのか、軽く頷いてくれた。



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03:三国連合/今日の日はさようなら③

 と、そんなわけで。

 

「桃香。ちょっといいかしら」

「ふぇっ!? あ、な、なにかなっ華琳さんっ」

 

 謎が謎のままなのが許せないのは性分なんだろうか。

 間も取らずにすぐに劉備に声を掛けると、自分の隣に座るように劉備に促す華琳。

 主が座したならばと関羽もそれに習って……何故か俺のことを睨んでます。

 

「訊きたいことがあるのだけれど。倒れていた一刀の腕を枕に眠っていたのは本当?」

「ひうっ!? う、えと、その…………」

「曹操殿、それはこの男が───!」

「愛紗、少し黙っていて頂戴。今は桃香の口から聞きたいの」

「う……し、しかし……」

「まあまあ華琳、そんなに邪険に───ってなんで俺のこと睨むの関羽さん!」

 

 この状況、俺は口を開くことはしないほうがいいのかもしれない。

 なんとなくそう思い始めてる俺が居た。…………酒でも飲んでよう。

 

「えっと……上機嫌の雪蓮さんにお酒に誘われて、お兄さんの話を聞きながらお酒を飲んだ……ところまでは覚えてて、気づいたら華琳さんに手を抓られてて、い、いろいろされて……そのあとでまた雪蓮さんに捕まって…………」

「雪蓮ね」

「ああ、雪蓮だな───だから睨まないでくれったら! 喋るだけで睨まれるって、どこまで嫌われてるんだよ俺!」

「愛紗。貴女はどうして一刀の隣で寝ていたのか、覚えていないの?」

「は……星に酒を呑まされ、その途中で笑みを絶やさぬ桃香様に、さらにさらにと呑まされたところまでは覚えているのですが……」

 

 みんなの視線が劉備に注がれる。

 ……うん、そうだね、俺の嫌われ具合はどうでもいいんだね、みんな。

 

「し、ししし知らない知らないっ、私そんなの知らないよっ!?」

「桃香……貴女は少しお酒に強くなりなさい。大胆になるなとは言わないけれど、貴女の場合は少しいきすぎよ」

 

 そういえば……桂花は自分でやった、なんてことは一切口にしていなかった。

 していなかったからって、謎料理で人を毒殺していいわけでもないが……実害を被らなかった分、ことあるごとに俺を睨む関羽と、宴の中で華琳を探しているであろう春蘭よりはマシなのかもしれない。

 “そうしよう”と思っててあの料理を作っていない分、関羽と春蘭も性質が悪いんだけど。

 

「まあそれはそれとして。桃香? 雪蓮が貴女に話していたことっていうのはなに? 一刀のことだというのはわかっているわ。その内容を話しなさい」

「曹操殿、それはいくらなんでも勝手が過ぎるのでは……」

「あ、ううん、いいんだよ愛紗ちゃん。べつに隠さなきゃいけないことじゃないし、お兄さんは魏に降りた御遣い様なんだから、ちゃんと許可は取らなきゃ」

「許可……?」

 

 ハテ、といった感じに疑問の色を浮かべる華琳。

 かく言う俺も、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 

「お兄さん、私とも手を繋いでくれますか? 国を善くしていくために、国に返してゆくために」

 

 けど、この劉備の言葉で納得の二文字が思考に溶け込んでゆく。

 

「なっ……桃香様!? このような者の力を借りずとも、蜀は───!」

「……ううん、愛紗ちゃん。それじゃあダメなの。私、雪蓮さんからお兄さんのこと聞いてて思った。伸ばした手、伸ばされた手を取り合って、みんなで作れる笑顔が欲しいって。そのためには、私達だけがどれだけ頑張っても意味がないの」

「桃香様……」

「……私ね? みんなのことが好き。ここに居るみんなや、街の人達の笑顔が好き。でも、それって蜀の国だけで手を取り合ってても続いてくれる笑顔なのかな」

「それは……」

「華琳さんにはまた“甘い”とか言われるかもしれないけど、今ならそれも無駄な夢じゃないって胸を張れるよ。私には誰かと戦う力が無い。朱里ちゃんや雛里ちゃんみたいに頭を働かせるのもあんまり得意じゃない。それなら私は、手を繋げないでいる誰かと誰かの間に立って、繋ぐことの出来る“手”になりたい」

 

 劉備はそう言うと、俺と関羽との空きすぎている間に座って、左手を俺に、右手を関羽に伸ばす。

 

「愛紗ちゃんは……私の手を取るのは嫌かな」

「と、とんでもありません!」

 

 その右手に、関羽が手を伸ばす。

 

「御遣いのお兄さんは、私と手を繋ぐのは嫌ですか?」

「……いいや。でも俺は、どうせなら関羽さんとも繋ぎたいけど」

「お断りする」

 

 即答でした。ええ、わかっておりましたとも。そう思いながらも繋いだ手はやっぱり小さく、女の子なんだなぁとしみじみと思わせた。

 外見からして当然なんだけど、こんな子たちが乱世を駆け巡ったのだと思えば、今さらとはいえ改めて驚きたくもなる。

 

「はは……まあ、今出来ないことを今どうのこうのと言っても始まらないよな。……姓は北郷、名は一刀。字も真名もない場所から来た男だけど……よろしく、劉備さん」

「あ、うん、こちらこそっ。えへへー……男の人のお友達って初めてかも……えっと、姓は劉、名は備、字は玄徳。真名は桃香だから、そう呼んでね、お兄さん」

「桃香様!? このような男に真名を許すなど!」

「ほら~、愛紗ちゃんもいつまでも怒ってないで、挨拶挨拶~」

「なにを暢気なっ! 一国の王たる御方が、こんな男に───!」

 

 ……そして再び騒ぎ始める二人。

 それを再び肴にしつつ、俺は華琳との酒を再開させた。

 

「随分と慕われているじゃない」

「嫌われっぷりのほうが凄まじいだろ、どう見ても」

「それだけ愛紗にとっての桃香は大事な存在ってことでしょう? 呉に置き換えれば蓮華を思う思春のようなものよ」

「…………? 孫権はわかるけど───」

「孫権と甘寧よ。……そうね、一刀。貴方はまず、この宴の席に居る全ての者の真名を覚えるか知るか、どちらかをなさい」

「それって真名を呼ぶことを許されろってことだよな? ちょっと無茶じゃないか? 雪蓮と桃香の真名を許されただけでも奇跡に近いのにヒィッ!? だだだだから睨むなってば!! その物騒なものしまってくれ関羽さん!」

 

 桃香……劉備の真名を口にした途端に殺気が溢れ、視線をずらせば青龍偃月刀。

 もちろん握っているのは関羽さんで、怒るとか悲しむとかそういう次元の表情ではなく、ただただ冷たい表情がそこにありました。

 こんな目を向けられれば、ジョセフだって売られてゆくブタの気分にもなるさ。

 

「なにも今すぐにとは言わないわよ。もちろん私も、皆に“一刀に真名を許しなさい”なんて言を放たない。貴方が繋ぎたい手というのは、言われたことをやるだけの相手ではないでしょう?」

「む……そんなことないぞ。言われたことしかやらないヤツだって、覚えれば出来るようになるじゃないか。将来性を考えれば、今すぐなにか出来る必要なんてないだろ」

「……はぁ。本当に甘いわね。どっかの誰かさんといい勝負だわ」

「うう……華琳さん、どうして私のこと見るのかな……」

「ていうかあのー、関羽さん? 俺のことが気に入らないのはわかったけど、せめて武器を向けるのだけはやめてくれないかな……」

「そうだよ愛紗ちゃん。華琳さんの前で魏の人に刃を向けるのはよくないことだよ」

「う……」

 

 桃香に言われて、ようやく青龍偃月刀を引いてくれる関羽。自分でもわかっていたんだろう、申し訳なさそうに華琳に謝っていた。

 

「いいわ、気にしていないもの。それより桃香? 許可がいる、というのは自己紹介のことだけではないのでしょう?」

「うん。手を繋いで仲良しになったところで、いろいろ手伝ってほしいことがあるかな~……って……」

「はぁ……そんなことだと思ったわ」

「……え? え? なに?」

 

 華琳と桃香は俺をそっちのけで頷いたり溜め息を吐いたり。

 関羽も桃香の言葉の意味がわかっていないのか、ただ「このような者の手伝いなど要りません」とだけきっぱりと。

 ……結構根に持つタイプなのかなぁ関羽って。真面目そうだもんなぁ。悪い意味でカタブツとも言えるのかもしれないけど。

 

「一刀。桃香は貴方の知識を蜀に役立てたいって言ってるのよ」

「俺の?」

 

 自分を指差して言うと、桃香はコクリと頷いて真面目な顔をする。

 

「魏国の治安の良さや警備体制も、元は御遣いお兄さんの立案があってこそだって凪ちゃんが言ってたんです。もちろん今、騒ぎを起こす人なんて成都にはあまり居ないけど……でも、これから始める学校のことで相談に乗ってくれる人が居ればな~って思って。華琳さん言ってくれたよね? “こちらからも学びたい者を寄越して構わないなら、いろんな技術を教えられる人を派遣しても構わない”って」

「……華琳?」

 

 ちらりと華琳を見る。

 と、華琳は少し“やられた……”って感じで額に五指を当て、難しい顔をしていた。

 

「桃香。学校のことについては、確かに一刀ほど知識を持つ存在は居ないわ。学校という呼び名は天の国での……そうね、公立塾とでも言うのかしら? そこから取った名前だそうだから」

「わっ、そうなんですかっ?」

 

 対して、華琳の説明に胸の前で手を合わせて目を爛々と輝かせる桃香。

 ……ああ、桃香って結構、華琳が苦手なタイプなのかもしれないと思ったのはその時だった。

 加えて言うまでもないが、桃香の真面目な顔は一分と保たなかった。

 

「じゃあじゃあお兄さん、私達と一緒に蜀に来てくれますかっ?」

「え……けど俺、魏に……───ああいや、わかった。俺なんかの力が必要だって言ってくれるなら、喜んで。……いいよな? 華琳」

 

 勝手に答えを出してしまったが、さすがに華琳の許可無しで出て行くことは出来ない。

 言いながら華琳に視線を戻すと、華琳は「約束を守れるのなら」と言った。

 

「約束?」

「ええそう、約束よ。“勝手に居なくならない”と、ここで私に誓いなさい。今度こそ、本当に」

「…………じゃ、華琳も。俺のことを“要らない存在”だなんて思わないでくれ。そうすればしがみついていられると思うから」

「………」

 

 真正面から見詰め合う。なにを言うでもなく返すでもなく。

 その状態は長く続いたが、何を思ったのか───華琳は残り少ない酒の全てを俺の杯に注ぐと、呑めと促してくる。

 俺は首を傾げたのちに軽くそれを呑んだ……んだが、半分呑んだあたりだろうか、軽く斜めにして流し込んでいたそれを華琳がひったくり、驚く俺の前で残り半分を呑んでみせた。

 その顔は真っ赤に染まっていた。

 

「か、華琳?」

「この宴の席、この杯、そして己の名に誓ってあげるわよ。いいからさっさと行ってさっさと帰ってきなさい。一刀の帰る場所は魏の旗の下なんでしょう?」

「うぐっ……」

 

 うああヤバイ……! 顔が熱い! 絶対赤面してるぞ俺……!

 いや、でも誓いには誓いを。顔がニヤケそうになるのをなんとか我慢して、俺も誓う。

 

「ああ。必ず帰ってくる。勝手に居なくなるなんてこと、もう受け入れてやるもんか」

 

 再び消えるなんてこと、この大地にしがみついてでも許してやらない。

 今度消えるのは天寿を全うするか、華琳の願いが尽きるまでだ。

 俺はそれまで、この大陸に様々なものを返していこう。

 この世界から貰ったものを、俺に出来ること、繋いだ手で出来ることの全てで。

 

「あ、でも待った」

「え? どうしたんですか?」

 

 しかし待て、と思い当たる。

 そんな俺の反応に桃香が首を傾げ、華琳が不思議そうに俺を見る。

 

  “もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?”

 

 思い当たったと言うのか、思い出したと言うべきか。

 桃香の前に、俺は雪蓮にも国への貢献をするという返事をしてしまったことを……うん、思い出した。

 

「……えっと……俺、雪蓮にも孫呉に貢献するって言っちゃっててぽっ!?」

 

 杯が空を飛んだ。

 ああよかった、徳利じゃなくて。なんて思いながら、痛む額をさすっていると華琳が突っ込んできて俺を地面に押し倒し、襟首を掴んで揺さぶって……オ、オアーッ!!

 

「あ・な・た・はぁああ……!! 戻って早々に見せつけることが武でも知でもなく女を落とすことなの!?」

 

 曹操殿は大変怒ってらっしゃった。

 そのまま手を振り上げ、往復ビンタでもかましてくれようかって勢いに、俺は慌ててストップを掛ける。

 

「待て待てっ! 落とすなんてそんなつもりないぞっ!? 俺はただ俺の力で手伝えるならって思っただけで───うわっ! やっ! はぶぅいっ!?」

 

 ……まあ、無駄に終わったけど。ビンタ飛んだし。

 

「いつか警備についての立案の際に注意したわよね……? これはなに? 国を善くする計画の立案!? それとも以前のように計画実行のための根回し!?」

「やっ! 華琳の許可を得なかったのは謝るけどっ! 根回しとかじゃなくて、“力が必要になったら言ってくれ”って言っただけで!」

「それは貴方から言い出した時点で、乞われれば断れないということじゃない! 少しは凛々しくなって帰ってきたかと思えば、根本はまるで変わってないわ! どこまで一刀なの貴方は!」

「どんな罵倒文句だそれっ! 北郷一刀なんだから一刀なのは当たりま───ほふがっ!? ひょっ……ふぁりんっ!?」

 

 喋り途中だっていうのに強引に頬を抓み、ぐいぃと引っ張られる。

 お陰で少し頬肉噛んだ……!

 

「この口? この口が口答えをするの? ……今日という今日は我慢の限界だわ! 嘘をついて一年も居なくなって! 帰ってきたと思えば桃香の着替えを覗いて! かと思えば雪蓮を口説くわ桃香を口説くわ!」

「ふおっ!?」

 

 頬を解放される。こう、指を開いてではなく、引っ張ったら滑ったってくらいに最後の最後まで思い切り引っ張られながら。

 

「ちょっ……口説いてないっ! 口説いてないぞ俺! それ言うんだったら華琳だって俺を散々からかったじゃないか! 雪蓮から聞いたぞ! 祭さんのことで俺をからかうように仕向けたって!」

「……あらそう、桃香の着替えを覗いたことは否定しないのね?」

「事故だぁああああああっ!!!!」

 

 華琳が俺の腹にマウントポジションをした状態での口論は続く。

 途中、桃香が「あのー」と声をかけてきたが、「ちょっと席を外してなさいっ!」という覇王の怒号に「ひぃっ」と悲鳴をあげ、関羽を連れ───宴の賑やかさへと消えていった。

 その間にも言い合いは続き、酔っている所為か……気づけば溜まっていたものをぶちまけるかのように、俺と華琳は自分の心をぶつけ合っていた。

 けど……真っ直ぐに自分を見下ろす少女の口から放たれる言葉に、ふと気づくことがある。

 どれだけ王として国を治めていようと、華琳だって一人の人間なのだと。

 日々を不満無く生きる者など居るはずもなく、彼女もまた、その胸に押し込めてきた様々な思いがあるのだと。

 いつしか叫ぶのは華琳だけとなって、俺は黙ってその罵倒にも似た叫びを聞いていた。

 彼女の頭にやさしく手を添え、自分の胸にゆっくりと招き、抱き締めながら。

 その間も罵倒は続いたけど───いつか彼女が俺にしてくれたように、俺は彼女の頭を胸に抱き、ゆっくりと撫でていった。



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03:三国連合/今日の日はさようなら④

10/今日の日はさようなら

 

「………」

「………」

 

 言いたいことの全てを吐き出すことが出来たんだろうか。華琳は叱られた子供のように急に静かになって、俺に撫でられるがままに俺の胸に鼻を押しつけ、すぅ……と息を吸った。

 

「なぁ、華琳あたっ!?」

 

 そんな華琳に声をかけようとしたら、空気を読みなさいとばかりに額を叩かれた。

 地味に痛く、目をぱちくりさせながら華琳の顔を覗こうとすると、華琳はそっぽを向いて言う。

 

「…………いいわよ、行ってきなさい」

「へ? 俺、まだなにも、っていてっ!?」

 

 頭を撫でるのをやめたらまた叩かれた。

 まるで拗ねた子供だ。

 けど……まあ。

 どうやら俺は、華琳がそんな一面を見せてくれることが思いのほか嬉しかったみたいで───

 

「………」

 

 華琳がそっぽ向いているのをいいことに、顔を盛大に崩しながら、華琳の頭を撫でた。

 笑う、というよりはくすぐったいのだ、こんな華琳が。

 だからこう、むず痒く表情を崩した状態で華琳の頭を撫でた。

 もういっそ、ぎゅうっと抱き締めたくなる衝動に駆られるが───

 

(出過ぎだぞ! 自重せい!)

(も……孟徳さん!)

 

 別の次元の曹操さんに止められた気がしたのでやめておいた。

 うん、落ち着け俺。

 

「…………すぅ……」

「……? 華琳?」

 

 馬鹿なことを考えていたら、ふと耳に届く穏やかな呼吸。

 撫でる手はそのままに、ゆっくりと様子を見ると……どうやら眠ってしまったようだった。

 まあ……結構呑んだもんな。

 けどこんなところで寝てたら風邪引くな……よし。酒での眠りは深いけど短いっていうし、このまま部屋に運んでやろう。

 

「よっ…………と」

 

 華琳の体ががくんっと動かないように少し強く抱き締めながら、ゆっくりと体を起こしてゆく。

 そうしてから一度華琳を腹の上からどかし、立ち上がるのと同時にお姫様抱っこで持ち上げる。

 

「………」

 

 覇王を抱き上げる時はなんて言うんだろうか。

 覇王様抱っこ? ……覇王様抱っこだな、うん。

 

(しっかし、寝てる顔は本当に無防備だなぁ……)

 

 お姫様抱っこの特権。相手が寝ていれば思う存分寝顔を拝見できます。

 いつも気を張っている顔が、この時だけは無邪気な少女に戻る。

 ……こうして、一年ぶりに見た少女の顔はとても穏やかで、こんな顔を守っていけるといいなと……やっぱり思ってしまう自分が居た。

 それがいつになるのか。いつ自分は華琳を、みんなを守れるほど強くなれるのかなんてのはわからないが……この寝顔を見ることで強くなった思いは、決して嘘なんかじゃあなかった。

 

「はは……頑張らないとなぁ」

 

 こんな顔を見せられれば、ますます心が奮起する。

 暖かくなった心を胸に、まずは華琳の寝室へと向けて歩きだす。

 華琳には許可はもらったから、あとはみんなの許可……だよな。

 小突かれるくらいで済めばいいけど。

 

「ただいまを言ったその夜に“いってきます”を言わなきゃいけないなんて……我ながら笑えるなぁ」

 

 でも、それも仕方ない。

 ただ生きるだけじゃなく、生きる目的を見つけられた。

 それは今すぐどうにか出来ることじゃないけど───少なくとも、今の自分にもこの寝顔を少しの間だけ守れる力がある。

 今はそれをゆっくりと広げて、いろいろなものを守れる自分へと高めていこう。

 そのためにはみんなに怒られることくらい覚悟しないと。

 

「桃香や雪蓮が帰るにしても、明日すぐにってわけじゃないだろうし……みんなには明日話すかな」

 

 なにも宴で楽しんでいるところに水を差すこともない。けど、機を逃すと話づらくなるし───話さずに行ったらそれこそ刺されそうだし。

 

「よしっ、まずは華琳の部屋に───」

「部屋に!? ああああ貴方まさか! 華琳様が眠っているのをいいことに、自分の部屋に華琳様を連れ込んで……!」

「───行、くか…………って……」

 

 華琳から視線を戻し、真正面を見れば……ズンと進行方向に立ち塞がっている筍彧さん。

 しかも物凄く困る部分から聞いてくだすっていたらしく、激しく誤解してらっしゃる。

 

「汚らわしい! 今すぐその汚れた手を華琳様から離しなさい汚らわしい!」

(汚らわしい二回言った!?)

 

 “汚”という言葉で言えば三回である。

 俺はなんとか怒れる桂花をなだめようとするが、桂花の声が耳に響くのか、華琳が寝苦しそうにモゾ……と動く。

 当然寝返りなんて出来るわけもなく、喉の痞えが取れないみたいに苦しそうな顔をする。

 これは……よろしくない。ならばと俺は桂花に歩み寄り、何故か「ななななによやる気!?」と奇妙な構えを取る桂花に、はい、と華琳を差し出す。

 

「え? あ、ちょっと!?」

 

 思わず手を伸ばす桂花へ華琳をお姫様抱っこのかたちのままに渡す。

 「はぐぅっ!」なんて言ってたけど、大丈夫、抱き上げられてる。

 

「汚らわしくてごめんな。じゃあ、あとは任せた。お前のその穢れのない手で華琳を部屋まで運んでやってくれ」

「あっ、貴方ねぇっ……! はくっ……ふ、ぅう……!!」

「もちろん落としたら大変なことになるので、決して落とさぬよう……貴殿の武力に期待します」

「くぅううっ……! お、おぼえっ……おぼえて、なさいよっ……!!」

 

 桂花の腕力じゃあ華琳でも重いのか、ズシーンズシーンといった感じに歩いてゆく桂花を見送る。

 最後までそうするつもりだったが、ふと思い立って桂花に近づくと───両腕が塞がっているのをいいことに、その頭をなでなでと撫でる。

 

「ひっ……!? なっ……触らないでよっ!」

「ん? ん~…………」

 

 嫌がられても撫でる。さらに撫でる。

 が、なんとなく危なげに蹴りが飛んできそうだったので、桂花から離れる。

 

「このっ……変態! 色情魔! 全身白濁液男!」

「………」

 

 離れた途端に罵倒が飛んでくる。

 言われてみて、そういえばフランチェスカの制服の色って…………と思って、ちょっと傷ついた。

 いやいや、女子だって同じ色のやつ着てるんだから、認めるのは失礼だろう、うん。

 

「……な、桂花」

「なによっ! 耳が腐るから喋らないでくれるっ!?」

「腐るって……あ、あのなぁ………………ああいいや。一応、いってきます」

「…………》」

 

 うわっ、無視して歩いていった!

 でも歩き方がロボットみたいだ……予想外のところで桂花の知られざる歩き方を見た気分だ。

 ……普通こんな状況に陥ること自体が無いんだから、当たり前って言えば当たり前だけど。

 

「よし、それじゃあ……いきますかっ」

 

 杯二つと空の徳利を手に駆け出す。水を差すことはない、とか思ったくせに、賑やかだからこそ許されるものもあるだろうと、多少打算的な考えも含めて。

 すぐに酔いの所為でフラつくけど、そのフラつきも宴の一つとして受け取って喧噪の渦中へと突っ込み、賑やかな宴の席を盛り上げていく。

 その途中途中で魏の皆と話をつけていくんだけど、凪が急に「ならば自分も蜀で知を学びます」と言い出した時は本気で驚いた。

 そこはさすがに「警備隊の誰かが抜けるのはまずいだろ」と言うのだが、なんでもついこの間までは真桜が呉に行っていたというのだ。

 思わず言葉に詰まるが、ひとまずは学校というのを“組み立てる”ところから始めなきゃいけない現状。

 生徒を募集……ってヘンな言い方だけど、それが出来るようになるまではまだまだ時間が必要だ。

 その旨を話して聞かせると、凪は残念そうに顔を俯かせた。

 

「すぐ戻るからさ。な?」

「隊長……はい、お待ちしております」

 

 凪の頭の上で手をポンポンと軽く弾ませて、撫でてゆく。

 そんな調子で宴の喧噪の中を駆け巡って、騒ぎながら一人一人に説明してゆく。

 呆れる者や怒る者、悲しむ者から励ましてくれる人まで様々だ。

 

「おおっ……ではお兄さんは、今度は蜀の種馬としてひと花咲かせるわけなのですね?」

「咲かさないよ!? 学校のことでいろいろ話を進めてくるだけだって!」

 

 ……約一名、予想の範疇を大いに飛び出した言葉を贈ってくれた人も居たが。

 

「そうですか。ではでは近い将来、三国同盟全ての人の夫がお兄さんにならないことを祈っているのですよ。それはそれで面白そうではあるのですけどねー」

「あの……風さん? なんかシャレになってないからやめて……」

「いえいえ、そうなれば同盟の絆はもっと深まるのですよという、ひとつの例えをあげてみただけですよお兄さん。もしそうなれば、必然的にこの大陸の父はお兄さんということになりますねーと思っていたのですが……はてさて」

「………」

「同盟と絆を深めるのも大切なことですよーお兄さん。ですからそんな旅立ってゆくお兄さんに、風がお守りを差し上げるです」

「お守り……?」

 

 少しじぃんときてしまう。

 いつも眠たげに日々を過ごしていても、俺のことをきちんと心配してくれてるんだなと……感極まって泣きそうになった。

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、風は頭の上のツヤツヤしている物体に手を伸ばし───

 

「宝譿参式、ナマコくんですー」

「ヒィッ!?」

 

 ひょいと差し出されたのは───胸に太陽の紋章、右目部分に雷をマークをつけたような、丸目がキュートな宝譿ではなく。

 黒いボディと斜に構えられた逆カマボコな左目。胸には太陽の紋章ではなく“魏”の文字、右目にあった雷のシンボルのようなものは、天という文字になるように変形されていた。頭にあったはずのトンガリ帽子のようなものはバッファローの角もかくやというほどの立派な二本の角に変貌し……!

 えぇとつまり。正直…………怖いです。

 

「真桜!! 真桜ォオーッ!! 今すぐ作り直しなさい!! 主に名前を宝譿に戻せるところまで!!」

「この宝譿さえいれば、悪い虫などつかないのですよー」

「虫がつかない以前に誰も近寄ってくれなそうなんですけど!? 手を繋ぐどころか悲鳴あげて逃げられそうだよこれ!」

 

 口に右手を軽く添えて、策士が微笑むかのようにニヤリと笑う風に、正直な気持ちをぶつけてみました。

 すると風は俺の目を見上げつつ、しばし思考の回転に没頭するかのように───

 

「…………ぐぅ」

「寝るなっ!」

「おぉっ? お兄さんがあまりに真剣に見つめるので、つい体が脱力を選んでしまいましたー」

「真剣に見つめたら寝るのか!? どんな境地なのそれ!」

『わかってるぜー皆まで言うな兄弟。そこからあんちゃんは風が寝ているのをいいことに、あげなことそげなこと』

「しないから! 妙な疑いを宝譿に語らせるのは───ってそもそもほんとこれどうやって動いてるんだ!? つくづく謎で───こらこらこらっ! 頭に乗せようとしな───ヒィッ!? 頭にくっついた! 吸いついたみたいに取れないぞこれ!」

「宝譿はお兄さんの体から溢れ出す、女を惑わす香りに釣られて動くですよ」

「………………いぃいいいやそんなことあるわけないだろっ!」

「お兄さん……今、少しだけ信じましたねー……?」

 

 ごめんなさい少しだけ信じかけました。思わず手の甲を鼻に近づけて嗅いでしまうところだったし……しっかりしてくれ、俺……。

 

「……はぁ」

 

 ───そうやってからかわれたり遊ばれたり、時には泣かれたり怒られたり。

 それでも最後には許してくれる魏のみんなに、心からの感謝を。

 まだ行くって決まったわけじゃないけど……いや待て?

 行くこと前提で話が進んでるけど、本当に俺、行っていいのか?

 

「えっと……桃香は……」

 

 宴の席を見渡す……が、前方に栗色の長髪は見当たらず。

 ならば後方と振り向いたその時だった。

 

「か~ずとっ♪」

「うわっ!?」

 

 視界いっぱいに広がった笑顔が俺の左頬へと逸れて、気づいたときには体を包みこまれるように抱かれ、ふわっと浮いた桃色の髪が俺の鼻をくすぐっていった。

 

「雪蓮っ!? きゅきゅきゅ急になにっ!」

 

 いろんなことでの不意打ちの連続に、そろそろ心が挫けかけてる。

 頭には宝譿(ナマコというらしい)が乗ったままで、感情の変化によってギチリギチリと動いてるような気さえする。

 これ、俺が疲れてるだけだよね? 動いてないよね? ね?

 そんな疑問を口にするよりも先に、なんだかとても悲しくなった。

 神様……俺、なにか悪いことをしたのでしょうか……。

 

「…………」

 

 ほら見ろ……雪蓮だって大絶賛引きまくり中だ。

 もういっそ壊してくれようかとも思ったが、頭に吸いついているって時点で……なんかこう、壊したら毒針でも出して脳天に打ち込みそうな気が……なぁ?

 

「え、えっと……それで、なに……?」

「あ、あー……うん……」

 

 凄いな宝譿Mk.Ⅲ……あの雪蓮を思いきり困惑させてる……。ていうかもう俺泣きたい……。

 

「ん、んんっ、こほんっ……うん。…………はぁ」

 

 溜め息つかないでくれ……ほんと泣きたくなるから……。

 

「桃香に聞いたんだけど……一刀。学校のことで蜀に行くって本当?」

「ん……ああ。一応華琳にも許可を得たし、行こうとは思ってる」

「……“思ってる”?」

 

 俺の言い方に疑問を感じたのか、少しだけ首を傾げた雪蓮が言葉をそのままに疑問をぶつけてくる。俺はそれに苦笑をもらすと───いやいや頭上で怪しげな笑みがこぼれてるのは気の所為だ、気の所為。

 大体どうやって喋ったりするっていうんだ、気の所為気の所為……………………い、いや、カメラとか簡単に作っちゃう真桜が手を加えたならもしや……あぁいやいやいや……! あぁでも張三姉妹のマイクにしたって……いやいやしかし……!

 

「………」

「…………一刀?」

「雪蓮……気にしたら負けって言葉、とても大事だと思わない?」

「いきなりなに? ……まあ、楽しんでるときに野暮なことを気にするより、思いっきり楽しめたほうがいいなーとは思うけど」

「だよなっ!? そうだよな! 俺は気にしなくていいんだ! おめでとうありがとう!」

「一刀? ちょっと一刀っ、どうしたのよいきなりっ」

「───ハッ!」

 

 ……と気づけば、両手を上げて叫んでる自分。

 そして、宴の席に居る大半の人が、俺を見てポカンと停止していた。

 もう……泣いていいよね、俺……。

 

「えぇと……はい……それでこの哀れなホウケイ野郎にどういったご用でしょうか雪蓮様……」

「様なんかつけないでよ。雪蓮。ね? はい」

「…………雪蓮……」

「うん。それで話の続きだけど───“行こうとは思ってる”ってどういうこと?」

「あ……」

 

 えぇと……そうだ、そういうこと話してたんだよな、うん……。

 気にするな俺……強く生きろ、俺……。

 

「ん、んんっ……こほんっ」

 

 照れ隠しをするみたいに、雪蓮の真似をして咳払い。

 そうしてから真っ直ぐに雪蓮の目を見ると、雪蓮はにこーと笑って俺の目を見てくる。

 

「えっとさ。“行こうとは思ってる”っていうのは、確かに俺……桃香に誘われてはいたんだけど、関羽さんが頷いてくれてないんだよ。だから……まあその、そんな状態で行って、門前払いとかされないかな~とちょっと心配になってたんだ」

「あぁあの子。ちょっと難しそうな顔してるわね~……」

 

 ツ、と視線を動かす雪蓮に習ってみると、視線の先では元気を取り戻した宴の中で、ひときわ元気に騒いでいる桃香。の、隣に居る関羽。言われた通り難しい顔で……桃香をなんとか宥めようとしている。

 その桃香だが、酔っ払っているのか、手当たり次第に周囲の女性に襲いかかっては、ケタケタと笑っている。うん、関羽さん、お疲れです。

 あそこまでひどい酒乱って初めて見た気がする。あれなら春蘭の猫化なんてまだ可愛いかもしれない。

 

「それで、訊きたかったのってそれだけか?」

「ううん、まだある。ね、一刀。蜀より先に呉に来ない? 乱世終結から一年余りだけど、騒ぎを起こしたがる連中が後を絶たなくて困ってるのよ。……一応、力を示すことで抑えてきたところもあったから」

「あ……そっか」

 

 力を示すことで民や野党などを抑えてきたんなら、同盟を結んだとはいえ“敗北した”って事実はついて回る。

 それに乗っかって問題を起こす輩は増えただろうし、だからといって平和にし、善くしていこうと決めた矢先に力のみで再び抑えるのは得策じゃない気がする。

 もちろん話して聞いてくれるような輩だったら、雪蓮だって“来てくれ”なんて言わないだろう。

 

「桃香のほうは学校のことでしょ? こっちは出来れば急ぎなの。この一年で大分減ってはくれたけど、騒ぎを起こすからって殺したりでもしたら、それはただの見せしめの殺戮よ。力は必要だけど、今必要なのはもっとべつの力。たとえば……」

「……えと」

 

 真面目だった顔が無邪気に緩んでゆく。

 普段穏やかだけど凛々しさが残った表情をしてるのに、笑む時はこんなにも子供っぽいなんて反則だろ……。

 そんなふうに思いながらも、ふと自分の二つ名を思い出す。

 

「……天の御遣いか」

「ん、そーゆーこと。しかも魏の王を天下統一まで導いたとくれば……ね?」

「でもそれ、無駄な圧力にならないか? 呉の人達から見れば、俺は敵国の王に天下をとらせた男だろ。なんで呉に降りてくれなかったんだ~とか言われるのは……ちょっと怖いぞ」

「うん、だからね? 一刀にはもっと、内側のほうから呉を変えていってほしいの。上からの圧力じゃない、呉に生きる人達が呉に産まれてよかった~とか思ってくれるくらいに」

 

 ……あの……雪蓮さん?

 あなた方が一年かけて出来なかったことを、俺にやれと言いますか?

 そんなジト目を向けていると、雪蓮はやっぱり笑って、

 

「大丈夫。一人の兵士の死を大事なことだって悲しめる一刀なら、きっとそれが出来るから」

 

 自信たっぷりに、そう言ってみせた。

 その根拠がどこにあるのかはわからないが、それでも真剣に考えていることくらいは感じられる。

 笑顔の先、瞳の奥には不安が見え隠れしているように思えたから。

 だから、俺の答えは───

 

「……ん、わかった。桃香には悪いけど、まずは呉に行くことにするよ。……はぁ、ま~た関羽さんに怒られるかなぁ」

「ああ大丈夫大丈夫、そこのところはもう桃香に言ってあるから」

「…………」

 

 華琳さん、こんな時あなただったら怒りますか? 怒りますよね? さっき俺のこと怒ったばっかりだもん。

 事後承諾みたいなもんだよな、これ……根回しとはまた違うだろうけど……いやどっちも似たようなもんか……はぁ。

 

「それでも、ちゃんと謝ってくるよ。誠意は見せなきゃ意味がないと思う」

「……そっかそっかー、ふふふ……うん。じゃあ一緒に謝りに行こっか」

 

 俺の言葉に一瞬、きょとんとする雪蓮だったけど、すぐに笑みを浮かべるとそんなことを言い出す。

 

「え? いや、俺だけでいいだろ。話の進みかたはそもそも、桃香のほうが早かったんだ。それを急に雪蓮の話を優先させるなんて言ったのは俺なんだし」

「いいの、やらせて。……ね?」

「…………あ、ああ……」

 

 困惑する俺の頬を面白そうにつついて、雪蓮は歩きだす。

 一歩遅れた俺もすぐに後を追って歩き出すが、内心は結構怖がっていたりする。

 いい加減覚悟決めろ、逆に関羽なら“元より呼んでない”とか言うかもしれないだろ?

 …………嫌われていること前提で予想したらの話だけど。

 それでもとりあえずは前向きに頑張っていけたらと思う。

 思うから、思うだけじゃダメだって気になれるし……そんな気になれるから頑張っていける。

 鼻歌を歌いながら前を歩く雪蓮を見て、これは謝る前の態度じゃないだろって苦笑を漏らすけど……そうだよな、宴の席なんだ。

 しかめっ面とかつまらなそうな顔で歩いてたら、せっかく楽しんでいる人に迷惑だ。

 だから、まあやっぱり怒られることになるんだろうけど、せめて笑顔で。

 

「そういえばさ」

「え? なにー?」

 

 やがて桃香がケタケタと笑う場所まで辿り着くという時。

 ふと思って小走りに雪蓮の隣に並ぶと、疑問をぶつけるために口を開く。

 みんなが騒ぐ中でも聞こえるように、少し声を大にして。

 ちらりと見てみれば、酔っ払ってない人など居ないってくらいに騒がしい宴の席。

 どっさりとあった料理の数々もいつの間にか消え、もはや酒しかないと言わんばかりに数々の豪傑たちが喉を鳴らしてゆく。

 中でも霞と祭さんと厳顔さんの酒飲み対決は圧巻で、それがまた張三姉妹への季衣や流琉、馬岱や張飛が張り出す声援に後押しされるようにペースを上げるもんだから、周りは沸くばかりだ。

 “ほわぁあーっ!”って声援とともに酒を呑む同盟国のみんな。

 見ていてこんなにもおかしいのだから、酒に酔いっぱなしのみんなからすればもっとおかしいのだろう。

 そんな景色に俺も笑みをこぼしながら、雪蓮に言葉を投げた。

 

「どうして、その……兵士の死を大切に思える俺だからって、呉の問題を任せようだなんて思ったんだ?」

 

 御遣いってことを抜きにしても、と続ける俺。

 雪蓮はそれを聞いて、どこか楽しげにうんうんと頷くと……俺より一歩先に歩き、自分の肩越しに振り向きながら、俺の目を見て言う。

 

「あはは、そんなの簡単簡単。一刀なら大丈夫って思ったの」

「……? や、だから、それがなんでかって───」

 

 俺の手を握ってくれた時のように“難しいことなんて知らない”と言うかのように。

 ……向かう先のほうでは顔を真っ赤にした桃香が手を振っている。

 それに気づいた雪蓮も俺から視線を戻して前を向く。

 それでも俺に聞こえるような、だけど宴に水を差さない程度の声で、彼女は言った。

 もう一度俺へと振り返りながら、いたずらっぽい笑みで。

 

「ん~? んふふー、私の勘♪」

「勘!?」

 

 ───ふと気づけば夜は深く。

 一緒に謝った途端に桃香に泣きつかれたり関羽さんに殺されかけたり。

 そうやって騒ぐ中でも笑みが絶えることはなく、喉が枯れるほど騒いでも暴れても、叫べば叫ぶほど、暴れれば暴れるほどに仲良くなれる気がして───いつの間にかしがらみなんて気にしないで、叫ぶように笑う自分たちが居る。

 そうした宴の気配の中……静かに。

 この絆を、笑顔を大事にしていこうと思える今が、なによりも愛しいと思えた。

 いつの間に酒を呑んだのか、顔を真っ赤にした張三姉妹に舞台の上に連れていかれたときはどうしようかと思ったが。

 困惑する俺に、霞と真桜が“歌えー!”と言ったのがそもそもで……これまた気づけば歌えコール。

 天和も地和も人和も促してくる始末で、俺は頭の上の宝譿とともにがくりと項垂れた。

 

「あ、あー……」

 

 でも、と思ってマイクを握る。

 これはどうやって作ったのかとか、あまり突っ込むことはしない。

 静かに自分のするべきことを実行するために息を吸って、歌を歌う。

 日本の流行歌だとか英語ばかりの歌じゃない。

 それは小さい頃に歌ったきりの歌だったけど、今の自分達にはよく合ってる気がしたから───

 ただ静かに、この同盟がいつまでも続くようにと願い、歌い始めた。

 

 

  ───いつまでも絶えることなく、友達でいよう、と───

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ①

11/明日のために今始めよう

 

 宴が終わり、夜を越えて朝が来る。

 だが呉や蜀のみんなが帰るにはまだ早い今日という日に、俺は城内通路を駆け、ある人物を探していた。……まあその、宝譿を頭に乗っけたままで。

 部屋にも居なかった。兵舎にも居ない。

 ならばと街に繰り出し、いつものと呼ぶには離れすぎていた料理屋へ入ると、店の中を見渡して───凪を発見する。

 

「凪!」

 

 その姿を見るや周りの目も気にせずに叫ぶと、真桜、沙和とともに食事中だったその目が俺に向けられる。

 

「隊長……? ───何事ですか!」

 

 ただならぬ俺の様子を感じ取ったのか、その表情は真面目そのもの。

 急に身を正した所為で、食べかけだった麻婆豆腐が口の端に少しついているのはご愛嬌ということで。

 

「凪……お前に、お前にしか出来ないことを頼みたい!」

「自分……私にしか出来ないこと、ですか……?」

「ああ。どうしても凪が必要なんだ……出来れば頷いてほしい」

「隊長……」

 

 凪の顔がカッと赤くなり、だがすぐにキリッとすると真っ直ぐに俺を見て頷く。

 

「はっ! この楽文謙、隊長の願いであればどのようなことでも!」

 

 その目は白馬に乗った王子に焦がれる少女のようでもあり、憧れている誰かに必要とされた瞬間の少女のようでもあり───

 希望に満ち溢れた表情がそこにあり、凪は食事を完全に中断すると自分の分の料金を卓の上に置いて、その場を離れて俺のもとに……

 

「ちょ、ちょちょちょちょい待ち、凪!」

「そうなの! ちょっと待つのー!」

 

 ───来る前に、真桜と沙和に捕まった。

 

「な、凪ぃ? いつの間に隊長とこんな羨ま……羨ましい状況になるようなことしとったん……?」

「……言い直す意味がないぞ、真桜」

「そんなことはどーだっていいの! 隊長となにかするときは三人一緒って言ったのー!」

「せやぁ? やから隊長、凪連れてくゆぅなら漏れなくウチらもついてくで~」

 

 真桜がニッと歯を見せながら笑う。

 沙和は沙和で凪を後ろからガッチリとホールドしていて、意地でもついてくる気らしい。

 

「……いいのか? 痛いかもしれないぞ?」

「うあっ、隊長痛いことするん?」

「いや……痛くないかもしれない。逆に気持ちよかったりするのか?」

「いえ、わたしに訊かれましても」

「なんのことだかさっぱりなの……」

 

 三者三様。

 共通点といえば、俺の頼みがなんなのかがわかってないことくらい……だよな。

 ってそうだ、俺まだ用件の方をきちんと伝えてなかった。

 

「えっとな、折り入って相談……じゃないな、教えてもらいたいことがあるんだ」

「教えてもらいたい? ……まさか隊長~、戻って早々“俺の知らない凪を教えてくれ”とかゆーて……あ、ちょ、たんまっ! 暴力反対っ! あたっ!」

 

 どうせ茶化されるだろうと予測して、真面目な雰囲気を出しつつ言ってみればこれである。ツッコミするように額を叩き、いい加減真面目に受け取ってくれとばかりに言葉を発する。

 

「ヘンなこと言わないっ! 話がややこしくなるから真桜はここで待機!」

「あぁ~ん、べつに変なことなんてゆーてへんやぁ~ん!」

「場所を弁えてくれ頼むから……!」

 

 叩かれた額をさする真桜に声を潜め、周りを見ながら言ってやると、さすがに「あ……あちゃあ~……」と言いながら頭を掻くしかなかったようだった。

 そんな真桜の横で、いつの間にか凪を押さえるんじゃなくて抱きついているだけの沙和が言う。

 

「それでたいちょー? 結局教えてもらいたいことってなんなの?」

「ああ───凪」

「はい、隊長」

 

 ごくりと息を飲む音がした。

 見れば……どこか緊張しているような、でもなにかに期待しているような風情で俺の言葉を待つ凪。

 べつに引き伸ばす理由もないし、俺は覚悟を決めると凪の両肩を掴み、真剣に言った。

 

「俺に───俺に“氣”の使い方を教えてくれ!」

「はい!! ………………───はい?」

 

 顔赤らめた返事から一変、首を傾げて疑問を絞り出すような声が漏れた。

 真桜と沙和がズッコケた理由もわからないまま、ともかく了承を得たことにより、鍛錬は始まったのだった。

 

 

───……。

 

 

 それからしばらくして、洛陽の中庭には俺と凪と真桜と沙和の姿があった。

 ここで宴があったことなんて忘れられるくらいに、ザッと見ただけでもすっきりと後片付けされたとわかる中庭。

 それでも地面に染みついているのか、時折香る酒の匂いに少し苦笑が漏れる。

 こればっかりは大目に見てもらうしかない。さすがに匂いまでは片付けられなかったのだ。

 そんな中庭の中央で準備運動をしている俺と、俺の視線の先に立つ凪。その後ろには真桜と沙和が居る。

 

「おいっちに、さんっし……───っと。それで凪、氣を練るってどうすればいいんだ?」

「…………」

「あの……凪さん?」

 

 料理屋を出てからここまで、やたらと暗い凪は……俺がなにを言っても心ここにアラズといった感じで、時折ぶつぶつと何かを呟いているんだが、声が小さすぎて聞こえない。

 思わず問いかけるように名前を口にするが、それでも暗雲を煮詰めたような暗く重苦しい空気を背負ったまま、返事もしてくれなかった。

 

「やぁ~……隊長、今回は隊長が悪いで」

「え? 俺?」

「一年経っても鈍いままなの……」

「えぇ!? おっ……俺が悪いのか!? や、だって……氣の練りかたって他に出来る人知らないし、凪なら誰よりも詳しく教えてくれるって思ったんだけど……」

 

 ワケもわからないままに自分の気持ちを口にするが、そんな俺に真桜はチッチッチと指を振るい、ニヤリと笑う。

 

「あー、そらアカンで隊長。もっと細かいとこに目ぇ向けたってくれんと。一年ぶりに会ぅたゆーのに氣の使い方教えてくれ~なんて、いくら凪でも───」

「自分ならば誰よりも詳しく…………わかりました隊長。氣の扱い方、教えさせていただきます」

「ほれみぃ隊長、凪かてうぇええっ!? 凪、それでえぇの!?」

「隊長が必要としてくれているんだ。断る理由は……その、見つからない」

「凪ちゃん、乙女の純情を踏みにじった~とか言えば理由になるよ? がつんと言ってやるの」

「純情?」

 

 よくわからんが俺は凪の純情を踏みにじったらしい。いったいいつの間に?

 気になって訊いてみようとしたが、早速凪が説明に入ってしまったので機を逃してしまった。

 

「隊長。まず知っておいてもらいたいのですが、“氣”は誰の中にでもあるものです」

「誰の中にも……ってことは、俺にも真桜にも沙和にも?」

「はい。体内にある氣を一箇所に集めることが出来るようになるのが、最終目標ということになりますが───まずは自分の中にある氣を感じ取るところから始める必要があります」

「ふむふむ……」

 

 凪の説明は丁寧だった。

 こんな感じでやればいい、こうしたらわかりやすいかもしれません、などなど。

 懸命に俺でもコツが掴めるように、いろいろと助言をくれる。

 

「大事なのは集中力か。む───……集中、集中……」

「あ、目を閉じるのはやめておいたほうがいいです。目を閉じると意識が耳にいってしまうので、逆に集中が散漫になります」

「う……難しいな」

 

 それでもやる。

 足を肩幅に開いて、腰をほんの少しだけ落として膝もちょっとだけ曲げて。

 丹田に力を込めて、その力を心臓にまで持っていく感じ……だったか。

 あとは騒音の中で心臓の音を拾えるくらいの集中と、鼓動の音に紛れて聞こえる僅かな音に耳を傾ける……だったよな。

 

「……………」

 

 …………。

 

 ……。

 

 

 ───5分後。

 

「俺……! 五行山で孫悟空助けて天竺目指すよ!」

「隊長、なにゆーとるん?」

「うん……なんでもない……」

 

 よし落ち着け俺。出来ないならもっと意識を集中させよう。

 

(………)

 

 ……違うか。集中しようだなんて考えるな、自然体でいい。

 そもそも集中とか言っても、自分がそうしていることが本当に“集中”という行為なのかさえわからないんだ。

 だったら余計なことを考えるよりも……自分を失くすように念じる。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 目は閉じない。

 が、意識は自分の内側へ。

 目に見えるものに意識を囚われず、ひたすらに目には見えない内側へと───……

 

 …………。

 

「……隊長~、隊長~? ……うわ、すごいで凪。隊長、なにやっても気づかれへん」

「面白いねー。あ、真桜ちゃん、くすぐったらどうなるか試してみるの」

「おっ、そら名案やな~、くっひひひひひ……!」

 

 ……。

 

「う、うぉお……くすぐってもビクともせんで……」

「ねぇ凪ちゃん、これって大丈夫なの?」

「ん……問題はないはずだ。むしろすごい集中力だと思う。これが出来るならあとは……隊長、聞こえますか、隊長」

 

 ……右肩になにかが触れる。

 自分以外の鼓動がそこから響いてくる。

 自然とそこに意識が向かい、鼓動以外の“なにか”もそこへと向かってゆく。

 …………これが……氣……?

 

「隊長、私が氣で誘導します。今感じている“違和感”が右手に集まるように、集中を傾けてください」

 

 右肩からなにかが離れ、次いで右手になにかが触れる。

 途端に右肩に向かっていた“氣”だと思うなにかが右手へと流れていき───

 

「…………凪? べつになにも起こらへんで?」

「失敗なの?」

「いや……氣は確かに集まってる。集まってるけど…………その。弱すぎて形にならないみたいなんだ」

「あぁらっ!? ここまできてそれかい……」

「さ、さすが隊長なの……」

 

 右手に集まるなにかを見たくて、開いているけど何処も見ていなかった目で自分の右手を見る。

 と、光ってるわけでもない、普通の俺の右手がそこにあった。

 

「…………えーと…………あれ? 失敗?」

 

 思わず首を傾げる。

 なにかがそこにある感覚は確かに存在するんだが、凪のように燃えるような闘気があるわけでもない。

 不安になって凪、真桜、沙和を見るんだが、何故か真桜がズッコケてた。

 

「いえ隊長、氣の収束は成功しています。ただ体外に出せるほど、隊長には……その、氣が無いようで……」

「……うわーあ」

 

 失敗してくれたほうが、いっそ諦めがついた結果だった。

 どこまでも凡人ってことなんだろうか……ああいや、諦めがつかないんだったら氣を高めていけばいいんだよな、うん。

 

「氣を増やす方法ってあるのか?」

「あるにはありますが、一朝一夕で身に着くものでは……」

「だよなぁ……」

 

 ……うん、でも氣ってやつを感じることは出来た。

 氣を集めた右手がフワフワと暖かい。

 普段も重力なんて感じないくらいなのに、今は右手だけがやけに軽いようだ。

 暖かい暖かい……………………って、あれ?

 

「なぁ凪? 右手に氣が集まってるのはわかったんだが、これってどうすれば戻るんだ?」

「あ……そうですね。集めた氣を放たない場合は───」

 

 そうして始まる凪流氣教室。

 今感じた“違和感”を身体全体に行き渡らせる感覚で集中する……らしいんだが、どうにも“集中”のコツが掴めないでいる。

 一回出来たからって、またすぐに出来るとは限らないってことか。こりゃ難しい。

 

「沙和や真桜は出来るのか?」

「あー、どないやろー……そらぁウチかて試したことあるねんよ? けど隊長みたく成功したことあらへんもん。螺旋槍は氣ぃで動かしてるねんけど、体内収束なんてよーわからへん」

「沙和は試そうともしてないの」

「そうなのか……」

 

 言いながらももう一度。

 違和感を全体に逃がす感覚で…………イメージして、集中して……えーと…………。

 

「……おっ」

 

 右手の暖かさが無くなった。

 どうやら成功してくれたらしく、なんとなく重かったような身体の“だるさ”も無くなった。

 

「凪は戦闘の中でもこんなことが出来るのか……すごいな」

「いえ、隊長もすぐに出来るようになりますよ。初めてで収束が出来るのは筋がいい証拠です。やはり修行を積んでみては?」

「せやなぁ~……以前は“暇があったらな”とかゆーて上手く逃げとったし、自分から言い出したんならここは一発、びしーっとやってみたらどーなん?」

「ああ。やる気は充実してるくらいだからさ。教えられることがあったら教えてくれるとありがたい。……けど、まずは自分でどこまで出来るか試してからにするよ。答えばっかりを求めるのは、もうやめにしたんだ」

 

 この氣の扱い方だって、じいちゃんとの修行の合間に“出来ないもんかなぁ”ってやってみていたもの。

 もちろん俺だけじゃ無理だった。こうして凪に誘導してもらわなければ、“こんな感覚”を掴むことすら出来なかったのだ。

 ちょっと掴んだような気がして、“もしかしてこれが……!?”なんて思って少し嬉しかった時の俺よ……あれは間違いだったようだよ。

 

「隊長どうしたのー? 遠くの空なんて見つめて」

「いや……うん……馬鹿だったなぁって……」

 

 しみじみと恥ずかしかったけど、せめて無駄ではなかったと思うことで今後の教訓にしよう。

 恥ずかしさがあれば、もう間違うことはないだろうっていう教訓に。うん。

 

「ところで隊長? 呉に行くゆーとったけど、氣のことはそれと関係あるん?」

「ん? んー……あるといえばある……かな。ほら、帰って早々に別の国に行くわけだろ? だからさ、魏の誰かからしか得られない“なにか”が欲しかったんだ。すぐに戻ってくるつもりだけど……俺、まだ呉の状況を知らないから、結局はいつ戻れるかもわからないし」

「状況を知らないって、それなのに呉に行くって決めたのー!?」

「う……悪い。でも困ってる人を見捨ててなんておけないだろ?」

「はぁ……お人好しにも程度っちゅーもんがあんで、隊長。いくら同盟結んだゆーても、あっちが困ったらあっちへ、こっちが困ったらこっちへなんて、そんなんやっとったら体壊れんで?」

「うぐ……」

 

 言葉もない。

 何かを守るためにと立ち上がった俺だけど、そもそもの目的は魏の国へ恩を返すため、魏のみんなを守るためだったはず。

 同盟を組んでいるからって、俺が行かなきゃいけない理由はそこにあるか? って訊かれれば、言葉にも詰まってしまうのが今の俺。

 けど、今……そんな“俺”が求められている。

 天の御遣いって名が今も役に立ってくれるなら、利用でもなんでもしてくれればいい。

 それで誰かが笑ってくれる未来が築けるなら、利用される価値もあるってもんだ。

 

「……すまん、それでも行くよ。戦が終わって一年経ったのに、まだ“争い”から抜け出せないヤツが居るなら、そいつらに日常ってやつを教えてあげたい」

「日常……ですか?」

「ああ。戦いを常としてた人の中には、戦いこそが己の生き甲斐って思ってる人も居るだろ? 平和になった代償に張り合いを失くす人も居る。霞とかが実際そうだったわけだけど、でも……戦いだけが全てじゃないってこと、教えてやりたい。平和の中にあるちょっとしたことも……意識して見てみれば、そう捨てたもんじゃないんだってこと、教えてやりたい。それと同じように、呉の人達にももっと広い視界で“今”を見てもらいたい」

「ん~……相手は呉の民なん? 呉の民相手に教えるゆーてもなぁ……具体的にどーするん?」

「ああ。……実は今もまだ考え中だったりするんだけど……どうしよ」

「だぁ~ぁあっ!? そこが一番肝心なとこやで隊長~!」

 

 頭を掻きながら言う俺を前に、真桜はまたズッコケていた。

 凪も呆れているのか、目を伏せて小さく息を吐いていた。 

 

「まあ、自分に出来ることをやっていくしかないんだよな、結局。だからさ、いろんなことを覚えよう、出来るようになろうって思ったんだ。凪に氣のことを教わるのだってもちろんそうだし、それが魏との絆だと思えば離れるのも寂しくないよ」

「隊長……」

「絆かぁ~……せやったら隊長、ウチは絡繰のこと教えたる」

「え? いや、それは……」

「ずるいのー! なら沙和は阿蘇阿蘇で覚えたこと、い~っぱい隊長に教えてあげるのー!」

「真桜も沙和もちょっと落ち着けって。そ、そんないっぺんに覚えられるわけないだろ? な?」

「あ~、ウチそんなん知ら~ん。“覚えられんなら覚えるまで”って袁術とかにゆーたんは隊長やもん。一度ゆぅた言葉の責任、ちゃあんと実践してみせんと。な~? た~いちょ」

「あ、う、うー……! ……手短にお願いします……」

 

 そして、ぐぅの音も出ない俺が居ました。

 基本的に俺のポジションって、どれだけ強くなっても変わらないのかもしれない……そう思った、とある日の昼下がりであった。

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ②

12/しばしの別れ……の前に

 

 待てって言ったんだ。俺は待てって言った……言ったのに……。

 

「腹……へったなぁああ……」

 

 気づけば夜が訪れようとしていた。

 沈みゆく太陽が空を茜色に変えていく中で、考えてみれば朝からなにも食べていないことを懸命に叫ぶ俺の腹。

 なのに凪も真桜も沙和も、途中から混ざった霞も春蘭も秋蘭も、面白がって俺になにかを教えようとした。

 霞は騎馬兵法、春蘭はもちろん剣で、秋蘭は弓だった。

 当然ながらそんないっぺんに出来るはずもなく、懸命に学ぼうとするのも空回りなままに、氣の集中に失敗したり絡繰を壊して怒られたり、意匠なら俺も詳しいぞとうっかり言ってしまって拗ねられたり、馬にくくりつけられ引きずり回されたり、刃引きされた剣でボッコボコにされたり鏃を潰した矢で狙い撃ちされたりと、まあロクな目には遭わなかった。

 

「はぁ~あ……」

 

 ヒリヒリと痛む背中をさする。

 霞に馬で引きずり回された時に痛めた場所だ。

 まさか三国志時代で西部劇みたいなことをされるとは思ってもみなかった。

 

  “今回だけや……こんなん許すんは、今回だけなんやからな……?”

 

 思い出すのは、再会を果たしたあの時のこと。

 宴の夜に説明はしたけど、やっぱり納得なんて出来なかったんだろう。

 “一刀のうそつきー! あほー!”と言いながら、縄で縛った俺を引きずり回す霞はとても恐ろしかったです。

 

「どこにも行かないって言葉に頷いた矢先だもんな……そりゃ怒るさ」

 

 しかも向かう先が呉だっていうんだから、“天の国まで行って俺を奪い返す”なんて言葉も果たされることがないわけで。

 それが余計に悔しかったのか、俺はちょっとした罪人気分で街の外の草原をゴシャーアーと滑走させられたのでした。

 服……破れなくてよかった。代わりに頭にあった宝譿は見るも無残にグシャグシャだったが。

 真桜には元の宝譿に戻すようにって厳重注意をしたから、今度こそ大丈夫だろう。

 それよりもだ。

 

「……今は痛みよりも空腹をなんとかしたい……」

 

 ところどころに青痣が出来てるけど、空腹の状態で今まで訓練めいたことをやっていたのだ、いい加減限界だ。

 なにを食べようかと考えながら動かす足は、街のほうへと向かっている。

 炒飯、水餃子、拉麺、メンマ丼もいいし……青椒肉絲や麻婆豆腐と白飯もいいな。

 ああ、考えるだけで夢が広がる。へっているお腹がさらにへっていくようだ。

 

「……よし! 麻婆豆腐に決まりっ! それと白飯!」

 

 いわゆる麻婆丼である。がっつり食いたいし餃子もつけよう。

 あとは様子を見ながら追加をするのもいいし…………おお、ツバが出てきた。

 

(絶対大盛りで食おう)

 

 にやける顔を押し殺すような顔でごくりと喉を鳴らして、食事に想いを馳せた。

 追加分の料金も頭に入れておかないとな───、……ん? りょ、料金? りょ……料金だろ? りょ……はうあ!

 

「しまった」

 

 心がすっかり麻婆丼の魅力に包まれている中で、気づかなきゃいけないことだけど気づきたくなかったことに気づいてしまった。

 

「……俺、金持ってないじゃん……」

 

 ごくり、ってツバ飲んでる場合じゃないだろおい! 魏に戻ってきてから何度泣きたくなれば気が済むんだよ俺ぇええ!!

 そ、そうだ華琳に金を…………え? 借りる? ……華琳に?

 

「後が怖い。却下」

 

 少し考えてみればあっさりと出る却下の答え。

 そりゃ事情を話せばくれるとは思うけど、どうしてだろうなあ……あまりいい方向に転ばない気がするのは。

 

「うぅ……腹へったなぁ……」

 

 黒檀木刀を杖代わりに歩く姿は、もはや天の御遣いというよりは物乞いのようにも見えたに違いない。

 体作りをしていたとはいえ、空腹の中で氣の集中や剣術鍛錬、加えて弓術や馬術(引きずり回されただけだが)など、体力がどうとか以前にエネルギーの無い状態での無茶がたたり、眩暈さえ起こしていた。

 お陰であっちへフラフラこっちへフラフラ、いっそ倒れてしまえと思えるくらいの状態で………………いや待て、厨房に行けば何かあるんじゃないか?

 

「そうだ。厨房、行こう」

 

 歩き始めた足は、もう止まらなかった。

 空腹でも二日くらいは断食できるんじゃないかって思っていた時期が、俺にもありました。

 けれどそれは大して動かなければの話だ、って思った瞬間が、今ここにあります。尊い。……べつに尊くないか。

 

───……。

 

 厨房に着く前に感じたのはフワリとしたやわらかい香り。

 香りにやわらかいもなにもないだろう、と頭の中でツッコミを入れるけど、カレーというよりはお吸い物、といった感じの……まあ多少の香りの違いを思い浮かべてくれれば十分だ。

 もちろん香ったのはカレーでもお吸い物でもないわけだが。

 

「…………?」

 

 フラフラだった足が急に活力を取り戻す。

 しっかりとした足取りとまではいかないものの、歩む足は速度を増し、競歩でも出来るくらいの動きでやがて厨房へ。

 そこでは───

 

「流琉ー、まだー? ボクお腹すいたよ~……」

「もう出来るよー。お皿出しておいてくれるー?」

「このおっきいのでいいー?」

「小さいのに分けるから、大きいのはだめだよー」

 

 料理をしている流琉と、卓の辺りをうろうろと動きつつ皿を用意しようとしている季衣が居た。

 油が跳ねる音に負けないように、少し声を大きくして会話している二人の姿。そして、流琉の手で仕上げられてゆく料理の数々。

 それを目にしたら、言うべき言葉なんて一つしか見い出せなかった。

 

「流琉……季衣……」

 

 声を張り出そうとしたのに、喉から漏れるのはか細い声。

 そんな声に自分自身が一番驚きつつも、振り向いてくれた二人に弱りきった笑顔を向け───

 

「……どうかこの御遣いめにお恵みを……」

 

 のちに、もっと別に言うこととかあっただろ、と過去の自分にツッコミを入れる俺だったが……人間、余裕がなくなると何を口走るか解ったもんじゃないということだけは、ポカンとする二人を前にしたこの時、ものすご~く身に染みたのでした。

 

───……。

 

 卓に着くのを許可された俺は、季衣にも負けない速度と豪快さで食事をとる。

 皿を傾けレンゲを動かし、ご飯を掻き込み、咀嚼しては汁モノで流し込んで、薄味だけど味覚と腹を満たしてゆく味に涙すら流したりして。

 季衣と俺は、それこそ競うように手と顎を動かし、次々と小分けにされた料理を嚥下する。

 そんな光景に流琉だけが口をあんぐりと開け、「うわあ……」とこぼす。しかしすぐに笑顔になると、絶妙なタイミングで飲み物を差し出してくれたりした。

 

「んぐっ、んむっ……はふっ、ふっ……うぁちゃっ!? ふっ……はふはふ……っ!」

 

 舌を火傷しようが構わず、一心不乱に。

 そんな俺を、卓の反対側に座った流琉は頬杖をしながら見つめていた。

 行儀が悪いとかそんなことさえ気にする余裕もなく、ただただ美味い美味いと言って食う俺を。

 季衣も箸休めとしてか時折に俺を見ると、頬を緩ませて……また料理を口に運ぶ。

 楽しげな会話なんてものはなく、ただ匙子(チーズ)や箸を動かす音、咀嚼や嚥下する音だけがこの場にあった。

 だって、仕方ない。

 宴の席での料理も美味かったけど、これは“流琉”の味だ。

 宴用に作られた料理の中にはもちろん流琉の料理もあっただろうけど、これはいつもの……季衣のために作られた料理だ。

 それを一年ぶりに口にする俺の心は、もう感動でいっぱいだった。

 

(漫画とかで料理に感動する人の気持ち、そこまでわからなかったけど……)

 

 それも、今ならハッキリとわかる気がした。

 帰ってこれたんだなぁって……ああ、流琉の味だなぁって、いろんな思いが心を満たしていった。

 そうして空腹が満たされていった瞬間、ハタと気づくことがあった。

 俺と季衣ばかりが食べていて、流琉は全然食べていなかったということ。

 

「あ───流琉、もしかしてこれ……」

 

 “流琉の分だったんじゃ”って考えに至ったのは、皿に盛られたものをほぼ完食した頃だった。

 皿を見てももう何も無いに等しく、悪いことをしたと思ったんだが───流琉は満面の笑顔で首を横に振った。

 

「こんなに夢中で食べてくれた兄様に、文句なんて言えませんよ」

 

 そして、笑顔のままにそう言ってくれる。

 

「う……すまん」

「いいですってば。……あの、美味しかったですか?」

「ああ、流琉の味だなって……帰ってきたんだなって、改めて思える味だった。また腕あげたか?」

「そ、そんなことは……」

「うんっ、美味しくなったよねー、兄ちゃんっ」

「なー?」

「季衣まで……っ」

 

 俺と季衣の賛美に顔を赤くしながら俯く流琉に、思わず顔が綻んでゆく。

 懐かしい味と懐かしい“魏”の空気。

 それらを感じていられる今の自分に、よかったな、なんて客観的に言ってやりたい気分になる。

 

「………」

 

 口回りにべったりと料理のタレをつけっぱなしの季衣の口を、照れながらも拭ってやる流琉。

 季衣は少し嫌そうにするけど、結局されるがままに拭いてもらうと、皿に少し残っていた料理をペロリと平らげた。

 流琉はそんな季衣を見て「しょうがないなあ」って苦笑をこぼすけど───その苦笑も年季が入っていて、どこか楽しそうだった。

 ……やっぱりいいな、友達ってのいうのは。

 

(…………友達…………友達か)

 

 昨夜は宴のあと、寝る間も惜しんで兵のみんなと騒いだ。

 軽く挨拶するような、ささやかな騒ぎではあったけど。

 後片付けを任される代わりに僅かな酒の残りをもらっていいという許可も得たから、みんながそれぞれの部屋などに戻る中、門番をしていたあいつに声をかけて始まる、男ばっかりの騒ぎ……だったけど、その中に友達って呼べる相手は居なかった。

 みんな俺のことを北郷様とか隊長と呼ぶし、仲良くはなれても友達ってところまではいかない感じ。

 男としか出来ない会話っていうのもあるから、欲しいんだけどなぁ……男友達。

 

(……友達かぁ……───あ)

 

 二人を眺めながら思考の海に沈んでいた自分が、急に浮上する。

 

(俺に出来ることって、やっぱりそう多くない。けど───)

 

 自分で出来ないことを補ってくれる誰かを探すこと。

 何度も何度も思い、そのたびに心に刻んできたことを心の中で復唱する。

 手を繋ぐだけじゃない、繋いだ人と一緒に出来るなにかを探し、見つけていくその全てを国に返してゆく。

 

(……友達を作っていこう。それこそ、いつまでも絶えることのない“親友”って呼べる人を)

 

 立場や地位が近しい人じゃなくてもいい。

 民だって兵だって、将だって誰だって、望めばきっと友達になれる。

 

「よしっ!」

「ひあっ?」

「うわっ!? ど、どーしたの兄ちゃん」

 

 勢いよく席を立つ俺に二人は目を丸くするけど、俺はそんな二人に自然とこぼれる笑み……というよりはニヤケ顔を盛大に振り撒き、

 

「二人ともっ! ありがとうなっ! 俺、もうちょっと自分で考えてみるよ!」

 

 礼を言うだけ言うと返事も待たずに走り出す。

 後ろから二人の声が聞こえたが、立ち止まることはしなかった。

 俺にしか出来ないこと。天の御遣いにしかできないこと。雪蓮が“俺を”と望んでくれた答えは、本当に勘なのかもしれないけど───その勘に応えるためにも、出来るだけのことはやろう。

 具体的になにをすればいいのか! ───うん! わからない! ごめん!

 でもジッとしていられないならとりあえず走る! 情報が足りてないなら情報を得よう! 情報は足で探す! この世界で得た教訓を活かすためにも、今は手探りででも道を探す!

 

「まずは雪蓮を探して呉の状況をあぅわあああああああっ!?」

 

 勢いよく走り中庭に出て、東屋への道を走っている時だった。

 急に右足首に圧迫感を感じたかと思うと、景色がぐるりと回転。

 気づけば俺は、太い木の枝に逆さ吊り状態に……!

 

「え……? あ、え……? な、ななななんじゃあこりゃぁあーっ!!」

 

 あっという間に、太陽にほえるどこぞのジーパンさんのように叫ぶ俺の完成である。

 じゃなくて、なんだこれ───ハッ! 桂花!? まさか桂花か!?

 

「桂花っ、お前っ! 以前華琳を落とし穴に落としそうになったってのにまだ反省を───!」

「捕らえたにゃぁーっ!」

「とらえたにゃあーっ!」

「にゃん」

「…………………………ホワイ!?」

 

 ジワジワと頭に血が上る(……この場合、上るでいいのかは疑問だが)俺を囲むように、なにやらちっこいのが集まってきた!?

 いや………………誰? ってそうだ! 宴の席で恋と一緒になって物凄い勢いで料理を食い荒らしてた───たしか孟獲!

 ……そんな子たちがこんなところにトラップ? しかも捕らえた? …………え? 俺……食われる?

 

「あ、あのー、これはいったい……」

「? ……おー! おまえ、“うたげ”のときに歌うたってた雄にゃ! なにやってるのにゃ? こんなところで」

「雄言わないっ! それから“なにやってる”は俺の台詞だ!」

「みぃたちお腹がすいたから、猪を獲るつもりだったにゃ!」

「城の中庭に猪が居てたまるかぁっ!! どーすりゃ人間と猪間違えられるんだよ!」

「どかどか勢いよく走ってきてたから猪と間違えたにゃ。もっと静かに走るにゃまったく」

「え? あ、ごめ───え? 俺が悪いの?」

 

 な、なんですかこの理不尽! 俺はただ情報を……ってそうだよ、こんなところで逆さ吊りになってる場合じゃ───

 

「ここにいないなら場所をかえるにゃ! ミケ! トラ! シャム! いっくにゃーっ!!」

「にゃーっ!」

「にゃーう!」

「……にゃー」

 

 ───場合、じゃ…………あれ? あ、あれちょっ───待ってぇええええええっ!!!

 そんな勢いよく走っていくことないじゃないかっ……えぇ!? 俺このまま!? ウソ! ウソです! 俺もう猪でいいから下ろし───下ろしてくれぇええええっ!!!

 

「うぉおお……顔がジンジンしてきた……! だ、だぁああれかぁああああ……たすけてぇええええ……」

 

 そうして出鼻を挫かれた俺は、通りすがりの稟に発見されるまでずぅっと吊るされて───あ、だめっ! 吊るされて、ってべつに新手のプレイじゃないから───アーッ! 止めて! 鼻血止めて! 気絶しないでくれ! 助けてぇえええっ!!



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ③

13/繋ぐ手二つ

 

 ───十分な滞在期間をとってから魏を発った呉の人達。

 その中には俺も混ざっていて、魏のみんなに見送られながら呉を目指した。

 今回、一番怒っていたのはやっぱり霞だった。「ほんとに出ていくんかいっ! 約束破ってまでどういう了見やー!」って、虎に間近で吼えられたみたいな迫力があった。

 それでも最後には許してくれることもあって、罪悪感がひしひしと染み込んでくる。

 

 結局、魏からのお供は誰もなし。

 風がくれた宝譿も無事に元の宝譿に戻り、風の頭の上へと戻る。

 そうなれば当然、連れてゆくことなくお別れということになるわけで。

 そうして呉へ向けて出立した俺は、野を越え山を越え進んでいく。

 やっぱり馬には慣れない自分が居たけど、日本で馬術を練習するわけにもいかなかったんだ、仕方ない。

 危なげに馬に乗りながら、長い道のりを進んでいった。

 道中、自己紹介を……とも思ったんだが、「私は貴様を信用しているわけではない」という孫権の言葉に一同沈黙。

 雪蓮を真名で呼ぶことに怒り出すわ、「なぜこんな男を我が国に!」とか言い出すわ、どうにも孫権には嫌われているようだった。

 陸遜に言わせると「べつに嫌ってるわけじゃないですからぁ~、安心してくださいね~?」とのことなんだが。

 結局、自己紹介は本当に軽くした程度で流れていった。

 そりゃあ一年前、じっくりと話をすることが出来たわけじゃないんだから、信用が得られないのは当然といえば当然だけど。

 前途は多難そうだ…………はぁ。

 

 

───……。

 

 

 さて、そんなわけで───道を進んで国境越えて。

 さらに進んで休んで野宿して進んで進んで……やってきました孫呉の地。

 今さらだけど遠いです。そりゃね、“国”ってかたちで分けられてるんだから当たり前なんだけどさ。

 

「しかし危ないよな……護衛兵とかつけなくてよかったのか?」

「いいのいいの。思春と明命が居れば、奇襲なんて成功しないから。それに……襲ってくる輩自体が少ないからね」

 

 現在の俺といえば、どうぞと宛がわれた部屋に荷物を置いて、ハフーと息を吐いているところ。

 孫呉の王自らの案内とあって緊張…………を、普通はするものなんだろうが、雪蓮の子供っぽいところを見たあとだと、どうにも緊張するのは難しかった。

 

「必要なものがあったら言ってね。出来る限り用意させるから」

「ああ大丈夫、必要かなって思い当たったものは適当にバッグに詰めてきたから」

 

 言って、机の上に置いたバッグを見やる。

 私服に胴着にタオルに木刀、横側のチャックの中には常備用のメモと、シャーペンやボールペン、消しゴムなどが入った筆記用具入れがあった。

 以前トレーニングメニューを考えていた時に使って、そのままだったものだ。

 あとは使いそうにない携帯電話と…………あれ?

 

「なんだこれ」

 

 さらに隣のチャックポケットから出てきたものは、ビニール袋に詰められた小さな柿ピーと、“かずピーに柿ピーを進呈。うひゃひゃひゃひゃ 及川”と書かれたメモ。

 ……人がシャワー浴びてる時に、こんなもの詰めてたのかあいつは。

 

「他には……うあっ、なんだこれ! バッグの底が無理矢理二重底にされてる!」

 

 掘り出してみれば、あたりめとかチーカマとか、干しホタテとか缶ビール、ワンカップ……飲む気満々じゃないかあのばかっ! 宴会がどうとか言ってた理由はこれかっ! 重かったのは木刀だけの所為じゃなかったんだな!?

 あ、でも缶ビールを開けるのはちょっと怖いかも。走ったり投げ捨てたりしたからなぁこのバッグ。

 ……魏で荷造りしてる時に気づかない俺も相当に馬鹿だが。

 

「? なにそれ」

 

 雪蓮も物珍しそうにガサガサと鳴るビニール袋を見て、首を傾げていた。

 そんな雪蓮に、無難に柿ピーを手に取ってみせて言う。

 

「柿ピーっていって、俺の世界の食べ物だよ。食べてみるか?」

「いいのっ?」

 

 “いいの”もなにも、返事を返す前からエサを待つ犬状態じゃないか。

 そんな雪蓮に苦笑を漏らしながら、いくつかある柿ピーの一つを開封し、一つ取ったピーナッツを噛みながら「どうぞ」と促す。この時代、他人に食べ物を渡す際には毒味は基本だ。王族に渡すなら猶更ね。

 雪蓮はおそるおそる柿の種のほうを指で抓むと……まずそっと舐めて、それからぱくりと口に入れた。

 カリ、コリ、と独特の軽い音が鳴り、雪蓮はどこか楽しそうに頬を緩め、「へぇ……」と呟いた。

 見た感じの反応は、ふわりと広がる小さな驚き……だろうか。

 美味しかったらしく、次から次へと柿の種を食べてゆく。

 ……こら雪蓮、ピーナッツも食べなさい。

 

「うんうん、軽い辛さもあって、なんていうかこう……」

「お酒が飲みたくなる?」

「そー、それっ♪ 冥琳ー? めーりーん! お酒持ってきてお酒ー!」

「急ぎの用事があるんじゃなかったのか?」

「えー? 帰ってきたばっかりなのに動く気になんかなれなーい。ね、一刀、お酌してよお酌っ」

「………」

 

 頭を痛めること数分。

 何処で聞いてたのか、本当にお酒と杯を乗せたお盆を持った周瑜がやってきた。

 

「あの……周瑜さん? いったい何処で話を聞いてたんですか?」

「なに、部屋の外で聞いていただけだ。ああそれと、堅苦しい喋り方はいいし、冥琳で構わない」

「え? けど」

「魏での雪蓮との一対一の会話は、明命を通して私の耳にも届いている。そういうことをした相手だ、あまり遠慮はするな」

「え……」

「王を一人、素性の知れぬ者のもとへ向かわせるわけがないだろう? まあ、帰ってきた明命は興奮冷め遣らぬ様相で、貴様のことを長々と語ってくれたが」

 

 がたーんと、部屋の外から騒音が響いた。

 なに? と視線を動かしてみると、周瑜が苦笑をこぼしていた。

 

「会話、って……全部?」

「ああ、ほぼだ。もちろん話だけではわからないこともあるからな、宴の中ではしばらく貴様の行動を監視させてもらっていた」

「……え~っと……雪蓮? 周瑜って……」

「そ。頭が固いのよ。もっと気楽に生きればいいのに」

 

 そうだよなぁ。まさか貴様呼ばわりされるとは思ってもみなかったし。

 そりゃ、王に連れられてきたからハイどうぞって仲良くなれるわけも……あれ?

 

「あ、でもちょっと待った。いいのか周瑜、真名を許して」

「なに、構わんさ。言ったろう? 話だけではわからないこともあると。些細なことで慌てる部分が目に付いたが、悪人になりきれない証拠だろう。無理に平静を装っている者よりもよほどに信用できる」

「う……」

 

 真正面からの言葉に、少し顔が熱くなるのを感じる。

 ……ちなみに雪蓮はそんな俺などほったらかしで、柿ピーの袋を漁ると…………どう開けるのかと疑問符を浮かべたのちに、力ずくでゴバシャアと引き千切った。

 危うく中身がぶちまかれそうになったが、雪蓮は器用にそれらを受け止めると、たははと笑った。

 

「さて。それでは改めて名乗るとしよう。姓は周、名は瑜、字は公瑾。真名は冥琳という」

「ああ。姓は北郷、名は一刀───」

「字と真名は無い、だろう? 明命から聞いている。悪いが名前と雪蓮との会話だけならばもう呉の皆に伝わっている。だが貴様……いや。北郷の言う“手を繋ぐこと”をどう広めていくかは、これからお前が決めていけ」

「……ああ」

 

 頷きながら自分の右の掌を見下ろす。

 この手でなにを守れるのか、守れるようになるのかはわからないまま。

 でも守りたい、繋ぎたいと思うものはたくさんあるのだから、今は自分を高めることだけに集中しよう。

 それが周りの人の助けになってくれれば、こんなに嬉しいことはない。

 

「雪蓮はお前を連れてきたが、私はあまりお前に期待はしていない。お前にはなにが出来てなにが出来ないのか、まだまだまるでわからんからな」

「ああ」

「理想に溺れ、失望させてくれるなよ、北郷。期待はしていないが、人柄への信用くらいならばしている。それを増やすも減らすもお前の行動次第だ」

「ん。肝に銘じておくよ」

 

 理想に溺れるな、か。

 俺にとっては“守るもの”への心だろう。

 日本での一年、俺は魏を守る自分をつくることに身を費やした。

 この世界に再び降りて、“天の御遣い”としての多少の力に気づいた。

 気づいたけど、まだそれだけだ。

 “急に手に入れた力”に頼りすぎれば油断が生まれるし、いつか最大のポカをやらかすかもしれない。

 後悔はしても前を向いていられるようにとも思ったが、その後悔が大きすぎた時、果たして俺は前は向けても……立っていられるのだろうか。

 そんなことを小さく考えてから、頭を振って一度思考を掻き消す。

 俺の様子を見ていた周瑜……いや、冥琳は静かに微笑を浮かべていて、雪蓮は祭さんと柿ピーを肴に───祭さん!?

 

「あの……祭さん? あなたいつの間にこの部屋に……?」

「馬鹿者めが、酒を呑むなら儂を呼ばんか、まったく。しかしこれはなかなかよいのぉ……これはなんという食べ物じゃ」

「“迦忌肥威(かきぴい)”とか言ってたわよ?」

「かきぴい……ふむ、これが天の味というわけじゃな? なかなか興味深い」

 

 一つずつ抓んで食べるなんてことをせず、小さな袋に細い手を突っ込んで柿ピーを握ると、豪快に口の中に放り込んでバリボリ。

 それを細かく咀嚼したところで酒を流し込むと、なんとも豪快な「ぷはぁっ!」って声が聞けた。

 先ほどまで俺の中にあった緊張感は、すでに霧散済みだ。

 

「ふぅ……やはり酒は人生の伴侶よ。そうは思わんか、北郷」

「俺はそこまで酒を愛してないから」

「かっ、なんじゃまったく。そこは言葉だけでも頷いておかんか……はぐっ、んん、小気味良い音の鳴る食べ物じゃのぉ」

「…………ねぇ祭さん」

「んぅ? ん、ぐっ……ふはぁ……なんじゃ、呑みたいか?」

 

 柿ピーをマ゛リ゛モ゛リ゛と重苦しく咀嚼しながら酒で流す。

 そんなことをまたやっていた祭さんに、少し質問を。

 

「祭さんはさ、酒は好き?」

「うむ、もちろんじゃとも」

「じゃあさ、ここに天の国の酒……発泡酒っていうのがあるんだけど、呑む?」

「───天の酒じゃとっ!?」

 

 あ、目が光った。

 俺の言葉には祭さんだけじゃなく、雪蓮も冥琳までもが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。

 そんな彼女たちの前に、カコンと生ビールの缶を置く。

 イェビスと書かれたその缶を、三人はほぉお……と身を屈めるようにして見つめていた。

 

「……小さいのぉ」

「うん、天の国では少しだけ飲みたいってとき用に、大小様々な酒が……ってそれはこの世界でも同じか」

 

 恐らく忍ばせるためにもあまり大きなものは用意したくなかったんだろう。

 135ml缶のソレを見て、祭さんは少しがっくりとしていた。

 しかし呑みたくないわけじゃないのだろう、缶を逆さにしたりして、「どう呑むんじゃ?」と訊ねてきた。

 俺はそれを祭さんの手から受け取ると、プルトップを引き起こして……まずは“カシュゥウウウ……”と小さく溢れる炭酸を抜き、音が無くなってから缶の口を全部開けると、はい、と祭さんに渡す。

 

「刺激が強いから気をつけて。あと、ビールはそれしかないから、味わいたい場合はまわし飲みで」

「なんじゃ、みみっちい。しかし“びいる”というのか……」

 

 そう言いながらも缶の口に口をつけ、一気にグイッと───って、あぁあぁ、そんな一気に飲んだら───!

 

「んぶっ!? ぶっ! ぐぶぅっ!? っ、ぐ、んぐっ、ぐっ……ぶはっ! げほっ! ごほっ!」

「祭殿!?」

「ちょっと祭!? 大丈夫!?」

 

 予想通り、炭酸に負けた祭さんが居た。それでも飲み下すのはさすがと言えばいいのか呆れればいいのか……。

 さらに予想通りに、冥琳が俺をキッと睨んでくる。 

 

「大丈夫、毒とかじゃないから」

 

 そう言って、祭さんの手からするりと取ったビールを呑んでみせる。

 ……一応、缶の口には口をつけないように。

 

「刺激が強いから一気に呑むと危ないんだ、これ。ていうか祭さん、刺激が強いから気をつけてって言ったのに」

「げほっ……! む、むう……けほっ、すまんな、これほどとは……こほっ」

 

 片目を閉じ、苦しそうに咳を繰り返す祭さん。

 地面に片膝でもついてたら、思わず駆け寄ってしまうくらいに苦しそうだった。

 

「じゃあ祭さんにはこっちのワンカップを。大量生産目的の酒だから、味は保証できないけど」

「…………」

「……? ……あ、あー……大丈夫大丈夫、刺激はほとんどないから」

「そ、そうか? いや、儂はべつに恐れていたわけではなくてじゃな───公瑾! 笑うでないわ!」

 

 雪蓮も冥琳も危険はないのだと知ると、威圧的な気配を引っ込めてくれる。

 それどころかもう祭さんの反応に笑うことが出来るほどに、気分を切り替えていた。

 

「びーるねぇ……一刀、ちょっと飲ませてもらっていい?」

「ああ。慣れないと喉に厳しいかもしれないから、まずは舌で刺激に慣れるといいかも」

「ん、んー…………わ、ぴりってくる。……ん、んんーんん……」

 

 じっくりゆっくりとビールと格闘する雪蓮。

 その様子はまるでソムリエだが……喉がこくりと動くと、ちょっとしぶい顔をした。

 

「……なんかこう、苦い感じ? それと口の中に入れると……びびっとして膨張するみたいな……」

「慣れてる人だと、その苦さと刺激がいいんだってさ。喉を通るときの感触が“呑んだ~”って感じにしてくれるらしくて。舌で味わって呑むんじゃなくて、喉で味わうって言われてるくらいだ」

「喉で……ふーん。ね、冥琳、やってみて?」

「……雪蓮? なぜそこで私に振る」

「えー? だって痛いの怖いし」

「だから。その痛いものをなぜ私に奨めるのかと訊いているんだ、雪蓮」

「………」

「………」

「じゃ、半分にしよー♪」

「どうあっても飲ませたいのだな……」

 

 どこまでも楽しげな雪蓮を前に、冥琳はがっくりと項垂れた。

 気持ちはわかるんだけど、ここで気安く“気持ちはわかるよ~”とか言うには、年季が違う気がするのでやめといた。

 

「ふむ……なんというかこう、味気のない酒じゃの」

 

 祭さんはといえば、ワンカップをそれでもソロソロと飲み、刺激がないことに安心するとクピクピと呑んでいた。

 感想がそれなら、まあ上出来なのかもしれない。不味いとか言われたらどうしようかと思ってたくらいだ。

 

「もっとこう、燃えるような味が欲しかったんじゃがの……」

「ごめん祭さん、そういうのはちょっと無いみたいだ。酒はこっちの世界ので我慢してもらうとして、これなんかどうかな」

 

 あたりめとチーカマ(一口サイズ)の封を開けて、まずは自分で食べてみせる。

 先に毒味役を買って出ないとまた冥琳に睨まれそうだったから、というのは祭さん相手でもやっぱり伏せておく。

 このツマミには三人とも驚いていて、何か言いたげだったようだけど……それでも食べて、目を輝かせてくれた。

 

「………」

 

 そうしてささやかだけど急に始まった酒宴を前に、俺は席を外して部屋の外へ。

 出てすぐに横を見やれば、

 

「はぅわっ!? あ、えと、これはそのっ!」

 

 壁に張り付いて固まっている周泰が居た。

 

「はぅ、う、あ、ぁああ~……」

 

 その後ろには……呂蒙 (だったよな)が居て、出てきた俺を慌てた様子で見て───

 

「ししししし失礼しました~っ……!!」

「へあっ!? あ、亞莎!? 亞莎ーっ!」

 

 いたずらごとがバレた子供のように顔を両手で覆うと、ゴシャーと走り去ってしまう。

 ……さて、ここに一歩遅れたために逃げる機会を失った少女が居らっしゃるわけですが。

 

「………」

「………」

 

 沈黙が痛い。

 こんな時───そう、仲間に置き去りにされた少女へかける言葉をかける時、どんな言葉が一番よろしいのでしょうか。

 

 



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04:三国連合~呉/一路、呉国へ④

 沈黙したままでは気まずいので、とりあえず名前の確認からいこう。

 そ、そう、確認、大事。

 

「えっと……周泰、でよかったよな?」

「は、はいっ、姓は周、名は泰、字は幼平ですっ」

「………」

「………」

「隠密行動が得意……?」

「はいっ」

「………」

「………」

 

 壁に張り付いていた姿を思い浮かべると、素直に頷けないのはどうしてだろう。

 さすがにもう壁からは離れて、呂蒙が走っていった通路の先をちらちらと見ているけど。

 でもとりあえずは。

 

「もう知ってるだろうけど、俺は北郷一刀。今日からしばらくここで厄介になることになったんだ、よろしく」

「はい……」

「………」

「………」

 

 沈黙。視線をあちこちに彷徨わせては、なにかを必死に考えているような感じ……かな?

 まあ……急にやってきて、孫呉をどうにかするとか言ったって胡散臭いことこの上ないだろう。

 俺にだって正直、なにが出来るのかなんてわからないんだから。

 そんなヤツと急に一対一で向かい合えば言葉にも詰まる。……少しショックだけど。

 

「あの……御遣い様」

「様!? えと、ごめん、出来れば北郷か一刀かで呼んでほしいんだけど……」

「は、はいっ! では…………一刀様」

(あ……やっぱり様はつけるんだ……)

 

 そんなことを思っていると、周泰が右手を伸ばしてくる。

 なにをするのかと緊張が走ったけど、その手は途中で止まって……周泰の目はもう彷徨わず、真っ直ぐに俺を見上げていた。

 

「周泰?」

「町外れの川でのお話、聞いてました。宴の最中もずっとです。……その、勝手に聞いてごめんなさいでしたっ」

「ああ、それはいいよ、仕方ない。俺だって華琳が一人で素性の知れないヤツのところに行くってことになれば、誰かしらに頼んで監視してもらうと思う。雪蓮が望んでくれたとはいえ、どう貢献してくれるのかとかって……やっぱり気になるもんな」

「うう、そうですか……そう言っていただけると……」

 

 申し訳無さそうに、叱られる前の子供のように目を瞑る周泰。

 ……なんとなく感じてはいたけど、もしかして……

 

「それでですね、あの……私、思いました。一刀様は本当に魏の皆さんのことを大切に思ってるんだって。振り回されても怒られても、笑って受け入れてました。そんな一刀様だから、雪蓮様も手をお取りになったんだって」

 

 喋っているうちに、どんどんと語気に熱がこもっていく。

 気づけば“フスー!”と興奮したように鼻で息をして、ハッと気づくと顔を赤くしてしぼんでいった。

 コロコロと変わる表情を見て、きっと素は元気な子なんだろうなって予想がつく。

 

「で、ですからそのっ……雪蓮様がそうしたように、あの……私も一刀様の手を取りたいですっ! 一刀様が歌っていたみたいに、みんながいつまでも友達で居れば、きっと毎日がお祭りですっ! 同盟が組まれて、戦いらしい戦いもなくなった今、私にはなにが出来るのかって……その、ずっと考えてました。でも思いつかなくて……で、ですからっ」

「───」

 

 一生懸命に言葉を探しながら言ってくれる周泰。

 その慌てた風な真っ直ぐさに、自然と笑みがこぼれる。

 だから俺は手を伸ばし、返事をする前にその手をやさしく握った。

 途端に「ふぇうわっ!?」ってヘンな声を出してたけど、その手が振りほどかれることはなく。

 俺はそのことに少し安堵してから、言葉を紡いだ。

 

「あの……一刀様?」

「うん、よろしく周泰。正直俺にどこまで、なにが出来るのかなんてのはわからないけどさ。向けられる期待には応えられるように頑張るから───俺でよければ友達になってくれるかな。一人じゃ出来ないことも、みんなが手を取って向かえばなんとかなるよ」

 

 そう言うと、握った右手に左手を重ね、周泰はぱあっと花が咲くような笑顔を見せてくれた。

 

「……はいっ! いつまでも絶えることなく友達で、ですねっ!」

 

 そこにはもう戸惑った感じも言葉を探す様子もなく、ただただ真っ直ぐな笑顔があった。

 

(……ああ、やっぱりこの子、いい子だ)

 

 なんとなく感じていた程度だったけど、国のためにやっていた監視めいたことを本人に謝るなんて、なかなか出来ない。

 知らない国に来て、こんな笑顔を見せてくれる子が居るなんて……ああやばい、思ってたより俺も緊張してたのかな……ホロリときてしまった。

 

「一刀様?」

「あ、あぁいや……なんでもない」

 

 左手で少し滲んだ涙を吹いて、はふぅと息を吐く。

 頑張らないとな……たぶん周泰は雪蓮との話に関心を持ってくれただけだ。

 その関心が感心になってくれるように頑張らなきゃ、ここに居る俺はただの邪魔者だ。

 

(繋いだ手に報いるために───)

 

 うん、と頷く。

 そうしてからまず呉を案内してもらおうかな、と思ったところで……通路の先の柱の影から物凄い目付きで俺を睨んでいる姿に気づく。

 思わず身が竦みそうになるけど……えっと、あれ呂蒙……だよな?

 宴の時はエプロンドレスみたいなのを着てたけど、今はこう……“ああ中華”って感じの…………あれってチャイナ服って言っていいのか?

 どちらかというとキョンシーを思い出してしまうんだが、サイズが合ってないのかあれで合ってるのか、余りまくってる袖の長さが彼女の容姿にぴったりに見えて、可愛らしい。

 

(うーわー、睨まれてる睨まれてる)

 

 そんな子に睨まれてる俺って……うう、ちょっとヘコむ……。

 

「……? あ。あーしぇーっ!」

「うわっ!? ちょ、周泰!?」

 

 俺の視線に気づいたのか、呂蒙のほうへと振り向いた周泰は……握っていた俺の手を離すと、自分の手を大きく上げて呂蒙を呼ぶ。

 俺はといえば、あんな目で睨まれるようななにかをしてしまったのかと、心がざわめくのを止められないでいる。

 

(そ、そうだよな、急に来て孫呉に貢献するとか言われても……“よそ者がなんば言いよっとか!”って感じなんだろうな……)

 

 ああだめだ、不安をやわらかいものにするために方言っぽく喩えを出してみても、てんで不安は晴れやしない)

 いや、だとしてもここで退いたらなんのために手を握ったのかわからない。

 一度胸をノックすると真っ直ぐに呂蒙を見て、通路の先へと歩いていく。

 周泰も同じくそうして歩いて……ふと、小さな違和感に気づく。

 

(……あれ? 結構近くに来たのに……)

 

 呂蒙は一点を睨んだまま、鋭い目付きで視線を動かそうとしない。

 今では俺の胸あたりを睨んでいる感じになっているんだが……

 

「あの、呂蒙?」

「ひゃうゎあぁああっ!?」

「うぉわぁああっ!?」

 

 なにかがおかしいと感じて声をかけてみれば、目を見開いて叫ぶ呂蒙。

 そして俺の目を今ようやく見ると、初めてそこに俺が居たことに気づいたみたいに慌てて…………あれ? もしかして……。

 少々気になって、隣の周泰にぽそぽそと小声で訊ねてみる。

 

(……なぁ周泰。もしかして呂蒙って……)

(はい。ものすご~く目が悪いんです)

(ああ……やっぱり……)

 

 そりゃ、目付きも鋭くなるよなぁ。

 よかった……本当によかった、俺が嫌われてるんじゃなくて。

 この大陸に戻ってからというもの、あの宴の日だけでいろいろなことがあったから、ちょっと心が挫けかけてた。

 ……けど、まあ。俺が嫌われていない確証なんてのはやっぱりないわけで、もしかしたら本当に睨まれていたんじゃないかと思うと、少し切ない。

 

「あ、ぁあああぁの、そのっ……すすすすいませっ……」

 

 でもこの、国宝級の壷を割ってしまったかのように謝る呂蒙を前に、その“もしかしたら”が崩れていった。“嫌う”っていう行為を簡単に出来る子じゃないって、そう思えてしまった。

 むしろこんなふうに謝らせて、俺のほうが悪いことをしてしまった気分にさえなってしまう。いやむしろ俺、謝られるようなことされたっけ……?

 

「その、呂蒙? 俺、謝られる覚えがないんだけど……」

「いぃいいえいえいえいえ!! そのわたっ……わたひっ……聞き耳なんて立ててっ……」

「あ」

 

 そういえばそうだった。

 がたーんって音が鳴ってから気になってたけど、あれってあの部屋に俺が入ってから、ずっと聞き耳を立ててたってことだよな。

 たぶん、冥琳と一緒に。

 冥琳の場合は雪蓮のことが気になってのことかもしれないけど、そこは俺がまだ完全に信用されてないってことで納得しよう。

 周泰と呂蒙が聞き耳立ててた理由だって、それで十分だ。

 

「気にしてないよ。信用に至らないのはまだまだしょうがない。お互い、戦ったあとは大した面識もないままだったんだ。一緒に居る雪蓮を心配するのは当たり前だよ」

「あ……う……」

 

 ……あ、しまった。

 信用って部分を気にしてたのか、今の言葉で落ち込んでしまった。

 でも、ここで嘘を言っても仕方ない。

 

「あの……えっとさ。完全な信頼なんて……その。そんなにすぐに受け取れるものだなんて思ってない。だから、これは本当に仕方ない。でも、信頼関係はこれから作っていけるし、信頼してもらえるように頑張るからさ。だから……」

 

 ああそっか、周泰もこんな感じだったのか。

 言葉を探しながら口にして、でも嘘は言いたくないからもっと探して、手を差し伸べて……。

 ちらりと見れば、俺と呂蒙の間から一歩離れた横で、にこにこ微笑む周泰が居る。

 そんな彼女の勇気を少し眩しく思いながら、口にする。

 

「俺でよかったら、友達になってください」

 

 急に信頼を得るなんてことは無理だ。

 俺はまだ、彼女たちに……この国の人達になにもしてやれていない。

 それでも“雪蓮様が認めたならば”という小さな友好に頼ることで、今はまだ友達から。

 俺はまだまだ弱いから、今は頼らせてもらおう。

 いつか自分が強くなれたら、その恩を返すために。

 

「ふ……ぅううえぇええええっ!!? とととっととと友達っ、ですかっ……!? わわ私なんかとっ……!?」

「なんでそこまで驚かれるのかわからないけど……うん、友達。いきなり信用してくれなんて言えないから、まずはお互いを知る努力をしよう。知ろうともしないで嫌ったり嫌われたりするのって、きっと辛いだろうから」

「ぁう……」

 

 俺がそう言うと、呂蒙は長い長い服の袖で目を隠す。

 恥ずかしがってるのかと思ったけど……どうやらそうじゃないらしい。

 

「御遣い様っ! その言葉、本当ですかっ!?」

「え? あ、ああ、そりゃあもちろん……って、一刀でいいって言ってるのに……」

 

 対して周泰は胸の前でぱちんっと両手を合わせて満面の笑み。

 すぐに呂蒙の後ろに回ると、呂蒙の腕を掴んで隠している瞳を強引に露にする。

 

「明命!? ななななにをっ……」

「一刀様っ、一刀様は亞莎の目、怖いって思いますかっ?」

「目?」

 

 言われてみて、目線を合わせるように少し屈み、その目を覗いてみる。

 すぐに彼女の腕が持ち上がり、隠そうとするけど周泰がそれを許さない。

 そうやってじ~っと見てみても、確かに最初は睨まれてるのかな……って思ったけど……

 

「わ、私はその……目付きが悪く、人を不快に───」

「綺麗な目だよ。カッコイイくらいだ」

「そうです、私の目はかっこい───ぃいいえぇええっ!!? どどっ、どこがっ……ですか……っ!? だって、街の人も慣れてくれるまでみんなっ……!」

「綺麗な目、してるぞ? いかにも軍師~って感じで。これは目付きが悪いんじゃなくて、整ってるって言うんだよ。……俺は、格好いいし可愛い目だと思うけどな」

「かっ───!」

 

 スッと、本音だということをしっかり伝えるために、彼女のすぐ目の前で目を覗きこんで言う。

 ……うん、やっぱり綺麗な目だ。

 そんな目が驚きを孕んで、同時に顔が真っ赤になるもんだから、ついおかしくて微笑んでしまう。

 途端にますます呂蒙の顔が赤くなったが……はて?

 なんて思っていると、俺の言葉に満足したのか周泰の手は呂蒙の腕から離れて、再び胸の前でぱちんっと合わさる。

 

「亞莎の目付きは悪くなんかないですっ! 御遣い様のお墨付きですっ!」

「や、だから一刀でいいって……」

「~……っ……」

 

 えーと、呂蒙の顔が異常なほどに赤いんだけど……だ、大丈夫……だよな?

 って、いつまでも間近で見てたら失礼……ていうか困るよな、うん。

 そう思って瞳を覗きこむのをやめて、少し離れる。

 そうするとようやくといった感じに長い長い息を吐いて、呂蒙は目を白黒させていた。もしかして息止めてた? 深呼吸とか始めてしまいましたが。

 

(………)

 

 そんな彼女がとりあえず落ち着くまで、ニコニコ笑顔の周泰とともに待つ。

 やがて、顔はやっぱり赤いままだけど、少しは落ち着いてくれたらしい彼女が俺を見上げてから……俺は改めて手を差し出す。

 すると俺がなにかを言うよりも先に、おずおずとだけど差し出された手が、俺の手と繋がってくれた。

 ……袖が長すぎて、袖越しだったけど。

 

「北郷一刀。改めてよろしく、呂蒙」

「りょ、呂、子明ですっ……! あっ、せ、姓が呂で……!」

 

 慌てた感じに自己紹介をしてくれる呂蒙を、くすぐったい気分で見守った。

 焦ることなく、ちゃんと言ってくれるまで。

 そうしてからハッと気づいて、自分もちゃんと姓と名に分けて名乗る。

 道中自己紹介はしたけど、それでも友達になるなら、って笑い合って。

 周泰は笑顔でいてくれたけど、呂蒙は袖で顔を隠しっぱなしだったのはこれからの信用次第……ってことでいいのかな。

 まだまだ真名が許されるほどの信頼でもないんだ、もっとじっくりと知り合っていけばいい。いきなり許してくれた雪蓮や祭さんや冥琳が例外なだけだ。うん。

 

  そうした会話を終えたのち、二人に城内の案内を頼み、歩いて回った。

 

 「あそこは入ったらいけません」とか「この東屋はゆっくりしたい時には最高です」とか、主に周泰が喋っていたけれど。呂蒙もべつに居心地悪くするわけでもなく、時々チラチラと俺のほうを見ては、目が合うと袖で顔を隠していた。

 癖……なのかな、あの顔を隠すのは。

 もしかしたら、人見知りする子なのかもしれない。

 

(……男が苦手とか?)

 

 ……あるかも。

 やっぱり少しヘコみながら、案内されるがままに呉の景色を堪能していった。

 はぁ……本当に、前途多難だ……。



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呉国困走編
05:呉/青少年の心の葛藤①


14/御遣いさんの騒がしい日々

 

 呉国建業での暮らしが始まった。

 目まぐるしく過ぎていく時間の中で、自分に出来ることをと躍起になればなるほど、何事も上手くいかない現状がある。

 そんな中でも日課は日課ということで、今日も今日とて胴着姿で修行をする。

 

「ふぅううんぬっ……ぉおおおおおっ!!!」

「勝ちましたっ!」

「お、おぉおっ……」

 

 準備運動を終わらせ、まずは走りこみ。

 周泰とともに城の城壁の上を三周……なのだが、一度たりとも勝てない俺がいる。

 監視をしていた彼女を誘ったのがそもそもで、最初は中庭でどうだと言ったんだが……自分の仕事をほったらかしにするわけにはいかないという物凄い説得力の前に、だったら城壁をぐるりと走ろうってことに。

 「それなら監視も出来るだろ?」って、少し強引な誘いに頷いてくれた周泰に感謝し、それをすでに3セット……なのだが、一度も勝てない。

 速い……速いよ周泰……。

 

「はっ……はぁあ……速いな、周泰っ……はぁ……」

「はいっ! でも一刀様もすごいです。こんなに走ったのに、そんなに呼吸を乱してません」

「はぁ……ふぅう……うん。一応、そういった修行ばっかりしてたから。……今の場合、御遣いの力に依るところが多そうだけど」

「?」

「ああいや、なんでもないよ」

 

 心臓に負担をかけない程度に深く呼吸をして、ゆっくり息を吐くと呼吸はもう安定していた。

 いやぁ……走ったなぁ……。ここまで走ったのってどれくらいぶりだろ。

 一口に城壁と言っても、その広さは学校のグラウンドの比じゃない。

 恐ろしく広いし、奥に行けば行くほど低い段差があったり壁まがいの段差もあったりと、もし一周するだけにしても、性質の悪い障害物競走みたいなものを味わえる場所だった。

 それを計9周。呼吸は安定させることが出来ても、結構足にきていた。

 

(それに比べて……)

 

 周泰は武装状態で軽く俺に勝ってみせた。

 その速さに、乱れぬ呼吸に、素直に感心する。

 嫉妬なんてするはずもなく、自分に出来ないことをしてみせるその姿を、素直に凄いと思えたのだ。

 ……走ってる最中、周泰の刀の鞘の先に小さな車輪があることに気づいて───思わず噴き出し、呼吸を乱してしまったことは内緒だが。

 少女の体躯に似合わず、長い刀を使ってるよな。斜にしないと背負えないくらいで……その長さは野太刀のそれよりもよっぽど長い。

 いや、それよりも……斜にしないとってことは周泰の背よりも長いってことで───えと。抜けるのか? これ。

 ……深く考えないようにしよう。

 

「よし、じゃあ次は素振りだな。周泰はどうする?」

「はいっ、私は監視を続けますっ」

「そっか。邪魔してごめんな?」

「いえいえですっ! 一刀様はお友達ですから、またいつでもお声をかけてくださいです!」

 

 胸にじぃんと来た……! いい子だ……!

 桂花に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい……! そうすれば素直で真面目ですっごくいい子に……“華琳の前でだけ”なりつつ、俺には罠とか仕掛けるんだろなぁ。だって桂花だし。

 

(そう考えると、周泰はなんていい子で……!)

 

 そんな些細な感動を胸に、拳を握り締めながら目を閉じ空を仰いでいると、周泰が動く気配。

 目を開けてみれば、城壁から眺められる景色の一点をビシッと見つめたまま、動かなくなる周泰。

 ……動いたと思ったら停止だ。しかし、よ~く見ていると……ほんの少しずつ、顔が右から左へと動いていっていた。

 蟻の子一匹の行動さえも見分けられそうな監視というかなんというか……───あれ?

 

「………?」

 

 その顔が、ふいに緩む。

 とろけるような甘い顔になり、しかし目を閉じぶんぶんっと首を横に振ると、またキッと監視を始め……一度過ぎた方向をちらりと見ると、またくにゃりと緩む周泰の顔。

 

「周泰?」

「はぅわっ!?」

「うぉおうっ!?」

 

 声をかけた途端に悲鳴めいた声が返事として返ってきた。

 まさかそんな声が返ってくるとは思わなかった俺は引け腰のヘンテコな格好で固まり、周泰はそんな俺を見て驚いた顔のまま首を傾げていた。

 

「え、えっと……なに? あっちの方見て顔を緩ませてたけど……」

「あぅあっ……! いえべつになななにもっ、おねこさまなんて見てませんですっ、はいっ!」

「おねこさま?」

「はうっ……!」

 

 自分の言葉を復唱されるや、顔を真っ赤にして俯く周泰。

 この子、嘘がつけない性質なんだろうか……いっそ哀れだ。哀れなんだけど……可愛いって思えてしまう。

 しかしおねこさま……おねこさまね。言葉そのままに受け取るなら“猫”のことでいいんだよな。

 

(ここから見える猫っていったら……あ、居た)

 

 城壁の上からひょいと眺めてみれば、眼下に広がる景色の先、城下町の片隅の日向で丸くなっている猫を発見。

 時折もぞもぞと動いては、ハッとなにかに気づいたかのように目を開け、体勢をごろごろと変えつつ頭を地面にこすりつけていた。

 

「………」

 

 その姿を認めてから、もう一度ちらりと隣を見る。

 

「………」

 

 胸の前で手を合わせた周泰が、とろける笑顔でその姿を眺めていた。

 あの……周泰さん? 監視は?

 

(……ハッ!? まさか監視って、猫の……!?)

 

 いやいやそんな馬鹿な。

 ……声をかけてみようとも思ったが───うん、幸せな時間を邪魔しちゃ悪いよな。中庭に降りて素振りをしよう。

 そう思い、静かにその場をあとにした。

 

……。

 

 素振りを開始して2分、イメージトレーニングを始めて+2分。

 

「ふぅうう……はぁああ……!」

 

 時計が無いから適当だが、一通りの準備運動目的の行動をこなすと、木刀を低く構えて深呼吸。

 走るのと木刀を振り回すのとでは使う筋肉が違うために、念入りにやっておかないと筋を痛める。

 そのための、力をあまり込めない運動もひと段落。

 温まった体の熱さを内側に閉じ込めるような感覚で、深く深く呼吸をしてゆく。

 

「……シッ!」

 

 それが終わると再びイメージトレーニング。

 三日ごとの日課……これを日課と呼んでいいのかはべつとして、毎度の如く春蘭の幻影と戦う。

 幸いなことに、イメージトレーニングの相手に華雄が加わったから少しは立ち回りも変えられる。

 ……春蘭とのイメージだと、逃げてる俺を追い回すイメージとしか戦えないから。

 

(あ)

 

 そこで気づく。

 結局華雄との戦いも、躱しまくっていたために鮮明なイメージなんて出来ないってことに。

 ……いい、だったらせめて、攻撃の速さと攻撃の重み。それらを大袈裟にするくらいのイメージでやっていこう。

 

……。

 

 で、10分後。「勝てねぇ……」と呟き、息を切らして落ち込む俺の姿があった。

 全ての攻撃を受け止め、弾き、躱し……様々なパターンを織り交ぜてみても、自分が勝つ都合のいいイメージが生み出せなかった。

 なまじ本気でぶつかったからわかる相手の実力。

 躱して、疲れさせていく行動がどれほど効果があったのか、痛感しているところです。

 

「い、いやいや、いつかは追いつく! 今はまだまだだけど、いつか……!」

 

 ならばと次へ。

 呼吸を整えてから、乱れている心を鎮め、胴着の上をはだけてから氣の鍛錬へ。

 鍛錬以前に扱い方がまだ完全じゃないために、まずは氣の流れを掴むことから、なわけだが。

 

「………」

 

 凪に誘導してもらったときの感覚を思い出しながら、ゆっくりとゆっくりと、慎重に……。

 

「……右手」

 

 全身にあるものを右手に流すイメージ。……失敗。

 

「あれっ!? たしかこうやって……」

 

 足を肩幅に開いて、腰を少し落とし、重心を下へ下へと……!

 

「己を無くしてひたすらに集中をほうわぁあああああああっ!!!?」

 

 集中が自分の内側に行きかけていたとき、俺の背中を襲う謎の感触。

 

「なななぁああななななにっ!?」

 

 自分でもなにを言っているのかと呆れるくらいに素っ頓狂な声を出しながら、背中を襲った寒気のする感触を確かめるべく後方へと振り向く。

 と……

 

「ぅぇっ……!?」

 

 ちっこいの……いやもとい、孫家の三女さん、孫尚香……だったよな? が、居た。

 彼女は人差し指を怪しく、俺を指差す……とはまた違った感じに立てており……“にこり”とたとえるにはあまりに可愛さがない妖艶な笑みを見せると……って、え?

 

「……今、背中つついた? ……えと、孫尚香……だっけ?」

「だって一刀ってば呼んでも気づいてくれないんだもん。せっかくシャオが声をかけてあげてるのに」

「え? 呼んでたのか? あ~……わ、悪い、ちょっと集中してて」

 

 孫尚香。

 孫家の三女さん(史実では異母妹だったっけ?)にして、……おてんば娘って言葉がよく似合っている娘さん。

 軽くした自己紹介の時のことを思い出すと、あまり笑えないのはどうしてかな……。

 

「そ、それで……えと、孫尚香?」

「もーっ! “小蓮”! それかシャオって呼ぶようにって言ったでしょー!?」

「いや、だってな、孫尚香……“俺”って人間をまだよく知りもしないのに、真名をあっさり許すのはどうかと思うぞ……?」

 

 一言で言うなら背伸びをしたがっている子供……だろうか。

 自分は子供ではない、と言い張る姿がすでに子供なのだが、言ったら噛み付かれそうなので口が裂けても言えません。

 ああ……俺って弱いなぁ……いろいろな意味で。

 

「呼びかた云々はこれからの関係次第ってことでっ! そそそれで孫尚香!? どーしたんだ急に背中をくすぐったりしてっ!」

「やぁだ~一刀ったら、これからの関係だなんて~!」

「………」

 

 カミサマ……タスケテ……。

 コノコ、僕ノ話シ全然聞イテクレナイノ……。

 くねくねと動く少女を前に、頭を抱えてうずくまりそうになる。

 お願いです、話を聞いて、返事をしてくれる……ただそれだけでいいんです、それだけをしてください。

 自己紹介の時も終始このパターンで、散々振り回された挙句に“気に入った”発言である。

 どこらへんが気に入られたのかが、実はまだわかってなかったりするんだが───

 

「なぁ、孫尚香? 俺のどこを気に入ったんだ? 自分で言うのもなんだけど、一目で気に入れる部分があるとは思えないんだけど」

「え~? んふふ~、内緒~♪」

「内緒!? いやいやいや、内緒にするほどのことなのかっ!?」

「大人の女性は秘密が多いほうが魅力的なの。それより聞いてよ一刀、お姉ちゃんたち、酷いんだよ~?」

「いやあの……是非俺の言葉も聞いてほしいんですけど……」

 

 鍛錬の途中だったっていうのに左腕に絡み付いてくる感触に、もういっそ泣きたくなる。

 見下ろせば、体全体で抱き付くようにして俺の左腕に腕を絡め、まっすぐに俺を見上げながら声を投げてくる孫尚香。

 ……真っ直ぐなんだけど、掴み所が難しい。

 

「ちょっと一刀~! 聞いてるの~!?」

「聞いてるよ。雪蓮と孫権が国のための話をしてるのに、自分を混ぜてくれないんだろ?」

「……えへー」

「?」

 

 ちゃんと聞いてた言葉に言葉を返すと、どうしてか孫尚香は“にこー”と笑顔になる。

 なにが嬉しかったのかな……と考えていると、抱き締めるように絡めている俺の腕をさらにぎゅうっと抱き締めて……あ、柔らか───じゃなくてっ!

 

「そそそれでどうしたんだっ!? 俺なんかのところに来たって、俺は鍛錬中だし───」

「一刀ってば照れちゃって~、可愛い~♪」

「照れてません!」

「えへ♪ べつに一刀に用があったわけじゃないよ? ただ一刀ならシャオの話、ちゃんと最後まで聞いてくれるって思ったから」

「……それだけ?」

 

 俺の言葉に、抱き付いている俺の腕に頬を擦り付けることで返す孫尚香。

 それは返事って言えるのかはわからないけど、僅かだけど確かな信頼を寄せられている気がした。

 

(その信用を増やすも減らすも俺次第、か……)

 

 冥琳に言われたことを思い出す。

 続いて、“孫尚香にとっての俺への信頼ってなんだろうか”と考える。

 ……話を最後まで聞いてあげること? それともちゃんと女性として向かい合って話をすること?

 

(………)

 

 機嫌よく、こしこしと腕に頬を滑らせる孫尚香を見下ろす。

 この地には来たばっかりで、なにが合ってるのか間違っているのかなんてわからないけど───

 自分の態度で誰かが機嫌よく微笑んでくれるのは、少なくとも間違いなんかじゃないって思える。

 気に入ったって思ってくれるなら、今はそれに甘えようか。

 相手が許してくれているのに真名を呼ばないのは、逆に失礼かもしれない。

 でもその前に───

 

「な、孫尚香」

「んう? なぁに?」

 

 抱きついたままの孫尚香を連れ、置いてあるバッグへと歩く。

 そこから取り出したタオルで優しくコシコシと頬を拭ってやる。

 

「ぷあっ、んむっ……!? か、一刀……?」

「汗ついただろ? だめだぞ、せっかくの綺麗な顔なのに……汗臭くなるだろ?」

「……? べつに一刀、汗臭くないよ?」

「それは渇いてないからだ。そりゃ、そこまで臭くなるとは思わないけど……あとでちゃんと顔洗うんだぞ~?」

 

 言いながら頭を撫でると、何故かぷく~っと膨れていく孫尚香の頬。

 ああ、続く言葉が簡単に予想できた。

 

「みんなすぐそうやってシャオを子供扱いしてー!」

「大人の女性は子供扱いされても笑って流します」

 

 だから即答で言葉を返した。

 すると続く言葉が咄嗟に思い浮かばなかったのか、「はぅぐっ」って、ヘンな声が孫尚香の口から漏れた。

 

「大人の女性って自負するなら、まずは動じない心を持たないとな。……でもさ、孫尚香。子供で居られる内は子供で居たほうがいいぞ? 無理して背伸びして、早いうちから壁にぶつかると……世の中が怖くなって立てなくなっちまう」

「立てなく? ん~……なにそれ」

「背伸びなんて、するだけ無駄だって話。大人になるならさ、もっと静かに、自然になればいいよ。守られてる内は守られてていいんだ。俺の師匠からの受け売りだけど、間違いじゃないって思えるよ」

「………」

 

 じーっと、孫尚香が俺の目を覗いてくる。

 それを見つめ返しながら、頬を拭いていたタオルをそのまま孫尚香の頭にパサリと被せるように手放すと、元の位置に戻って再び氣の鍛錬へ。

 

「ねぇ一刀?」

「んー? お……ど、どうした?」

 

 そんな俺に声をかけるのは、少しだけ困った顔をした孫尚香。

 あれ? 何事? と首を傾げつつ返すと、

 

「一刀は壁っていうのにぶつかったことがあるの?」

 

 と訊いてきた。

 壁……壁かぁ。

 

「なぁ孫尚香。大人ってなんだと思う?」

「大人? ……やぁだ一刀~! 女の子の口からそんなこと言わせ───」

「違いますよ!? そういうことを言ってるんじゃなくて!!」

「そういうって、一刀はどんなこと想像したの~?」

「イィエェッ!? ベベベツにナニも!?」

 

 雪蓮さん!? 貴女自分の妹にどういったご教育をなさってて!?

 今の顔、子供が出来る顔じゃなくってよ!?

 

「ごほんっ! え、えーとなんの話だったっけ」

「一刀が魏の人とどれだけ寝たかだよ?」

「あ、そうだったな───ってそんなわけないだろっ!! 大人の話だ大人の話っ!」

「………~」

 

 大人の話、と口走った矢先、孫尚香がポッと染めた頬に揃えた指先を当て、くねくねもじもじし始めた。

 

「頬を赤らめるなぁっ!! ───ハッ!? 視線……って呂蒙!? いや違っ……! これはそういう話じゃなくって……! しょ、書物運んでるの!? どうぞ続けて、ねっ!? あとでちゃんと説明するから───いやウソ今説明させて! 赤い顔してそっぽ向かないでちょっと待ってよ! あれ!? 視力悪いんじゃなかったっけ!? え? 声だけで十分? あ、そ、そうですよねー……ってこらっ、孫尚香もこんなときに抱き付くのは───やめてぇええっ!! 誤解が誤解を生んでここに居られなくなっちゃうぅううっ!!」

 

 前略華琳様───え? 略すな? え、えぇと本日はお日柄もよく……略! いいだろべつにっ!

 ……如何お過ごしでしょうか。僕は元気です。元気では居ます。はい……元気だけが取り柄みたいな感じです。

 孫呉の皆様はパワフルですね。胸囲とかもパワ……いえ、なんでもありません。

 先日(本日だけど)、修行……ああいや、鍛錬中に孫尚香に襲われました。

 なんでも話をきちんと聞いてくれるところが気に入ったとかで、やたらとぶつかってきます。

 ぶつかられると延々と話の相手をさせられ、鍛錬どころではありません。

 こちらの話は流されがちですが、それでも嫌とは言えず、ちゃんと向かい合ってみると面白い子だということが判明。思っていたよりもずっといい子です。

 ……そんなふうに考えていた時期が……俺にもありました。



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05:呉/青少年の心の葛藤②

 ……と、脳内手紙を華琳に出し終えたのち、現実に戻ってみれば……

 

「北郷……貴様は曹魏からの大切な客人だ……だが! だからといって小蓮をかどわかし、おおぉおおおとっ、おとととっ……! おとっ、大人の話がどうとかなどとっ!!」

 

 ただいま、中庭に正座させられた僕の前には孫権さんが居ます。

 宴の時、華琳にやらされてたのを見て、これが罰になるんだと思っているようで……。

 いや、正座は望むところだよ? こう、修行してた頃を思い出して気が引き締まるし。

 引き締まるんだけどさ……───なんで怒られてるんだろ、俺……。

 

「あ、あーのー……孫権さん? 雪蓮と」

「っ!」

「ヒィッ!?」

 

 雪蓮の真名を口にした途端、キッと睨まれてしまった。

 思わずヒィとか喉を鳴らしてしまった自分に、真剣に赤面。ヒィはないだろヒィは……。

 

「あ、あー……その、えぇっ……とぉお……!? ───あっ、そ、孫策……と、大事な話、してたんじゃっ……!?」

「そんなことはどうでもいい!」

「は、はいぃっ!」

 

 ……うん、とりあえず結論。

 孫呉の人、基本的に僕の話を聞いてくれません。

 この場合は話を逸らそうとした俺が悪いんだろうけど、それ以前に俺の話を聞いてくれないし……。

 孫権は高貴な者の心得を実践して見せているだけだって陸遜は言うけど……これ、思い切り嫌われてるんじゃないのか?

 いや、今はまず誤解を解くところからだ。孫尚香は孫権が来るや逃走しちゃうし、呂蒙もいつの間にか居なくなってるし…………あれ? 視線を感じ───ってうぉおっ!!?

 

(甘寧!? なんであんなところに……!)

 

 中庭の中央から見える休憩所。

 その柱の影から、顔半分だけを出して“ゴゴゴゴ……!”と睨むお方がおりました。

 ……うん、とりあえず逃げられないってことだけはよ~くわかった気がします。

 

「あの……もう一度確認していいかな……。なんで俺、怒られてるの……?」

「貴様が我が妹、小蓮をたぶらかそうとしたからでしょう!?」

 

 あ。なんか今、素で怒られたって感じがした。

 どうしてかなって考えてみて、そういえば今の言葉だけは、“でしょう”って……王族としてじゃなく、孫権としての言葉だったからかな……って思った。

 相変わらず“貴様”呼ばわりだけど。

 

「ん……とりあえず、まずはちゃんと聞いて。誤解があるから解かせてほしい」

「誤解などないっ! 曹魏の客人だからと、姉様が認めたからと容認していればこのようなっ───」

「……聞いてくれ。な? “王族だ”って自負するなら、まずはどんな声も耳にしてやれる自分であってほしい。感情任せに怒鳴ったら、起こさないで済む諍いも起こるよ」

「うぐっ……」

 

 正座をしながら、なによりもまず自分を落ち着かせて一言。

 偉そうに言っておいて、たぶん自分が一番ドキドキしてる。

 王族に王族としての態度を説くなんて、よほどの馬鹿じゃないと出来ない、というかやらない。

 けど、一番近くでとは言わないまでも、華琳の傍で彼女の凛々しさ、“王としての然”を見てきた。そんな俺だから、一言くらいは許してほしい。

 ……華琳もあれで結構、人の話を“最後まで”聞いてくれなかったけどさ。

 

「ん……」

 

 深呼吸をひとつ。

 心を引き締めて、俺を見下ろすその目を真っ直ぐに見上げ、言を繋ぐ。

 

「まず孫尚香のことだけど、俺はかどわかしたりしてないし、信頼に背くようなことをするつもりもないよ。むしろ、ここで鍛錬をしてた俺を構ってきたのは孫尚香なんだ」

「………それを証明する者は?」

「周泰がきっと。監視をしてても見ていてくれたって信じてる」

「………」

 

 孫権が城壁の上の周泰を見上げる。

 俺の向きからじゃあ見えないけど、頷いてくれていることを信じよう。

 勝手な俺の信頼だ、見てなかったとしても、がっくりするのが俺だけで済むなら十分だ。……がっくりするだけで済めばいいけど。……済むよね?

 

「では、その……大人の話、というのはどう説明つける?」

「孫尚香との話の途中で出た言葉だよ。自分はもう大人だって言い張る孫尚香に、じゃあ大人ってなんなんだろうな、って……そういう話をしたんだ。そしたら孫尚香が頬を染めて、って……そういうことなんだけど」

「………」

「………」

 

 視線が交差する。

 虚言を許さぬと言わんばかりの眼光が俺の目を貫くように射抜き、けれどいつか雪蓮にも返したように、息は飲んでも視線だけは逸らさずに。

 しばらくすると孫権は盛大な溜め息を吐いて、何事か考えるような仕草なのか、胸の下で腕を組んだ。

 するとまるで、故意にではないのだろうが胸を強調するような格好に───って落ち着け北郷一刀! 視線は目だ! 目に向けろ! 我が身、我が意思、我が心は曹魏にあり! 遠く離れた地で、しかも同盟国でオイタをしたりしたら……かかか華琳になにをされるか……!

 修行に明け暮れる一年間、魏のみを想い、なんというかこう……夜の一人遊びも我慢してきたんじゃないか!

 一年耐えられたならばこれから先も耐えられる! 信念に生きよ! 北郷一刀!

 

「……信じてもらえるかな」

 

 心に一本の太い芯を突き刺す。

 欲を捨てなさい北郷一刀……貴方はこれより僧となるのです。

 と、ととと友となる者に性欲を向けるなど……!

 

(……魏の種馬って言葉……否定出来ない自分が悲しい……)

 

 いつか呉の種馬になって華琳に殺されないよう、自分を戒めていこう。

 こういうのはちゃんとお互いの同意の下で……あれ? じゃあ相手がいいって言ったら俺───いやいやいや!!

 

「……嘘を吐いているようには見えないわ。けど、私はまだ貴様という男を……───? なんだ、頭を抱え込んだりして」

「ナンデモアリマセンヨ!?」

 

 手を出す!? とんでもない! 同意の下だろうがそんなことをしてみろっ! 魏のみんなになにをされるか……!

 命までとったりしない……と願いたいけど、最悪、今までの生を共にしてきた相棒と永遠の別れを……!

 「節操のない馬には去勢が必要でしょう?」とか言ってズブシャアアって……───

 

「ア、アワ……アワワワ……!!」

「ちょ、ちょっと……!? 顔が真っ青よ!? 体も震えているし……!」

「なななななんでもありませんっ! ごめんなさいごめんなさいっ! でも僕本当に鍛錬してただけなんです! 僕っ……う、うわぁああああああんっ!!!」

「えっ!? あ、待───思春っ!」

「はっ!」

 

 想像が行きすぎた俺は、目の前に立つ孫権に何度も頭を下げ、立ち上がるや逃走した。

 耐えろ……耐えるんだ北郷一刀! 魏に帰るその時まで、耐えてみせるんだ!

 じいちゃん……俺、清く正しく美しく生きるよ!

 

 

 

 

15/かずと とらとであう縁

 

 城壁の上に逃げ込んだ俺は、周泰が居る場所とはほぼ反対側に立ち、木刀を振るっていた。

 

(煩悩退散煩悩退散……! 我が相棒を守るため、今こそ一刀よ……忍耐を試されん時!)

 

 頭の中から女性に対する煩悩を消すため、ひたすらに剣の道へと没頭する。

 そもそも俺は甘えていたのだ。

 魏のみんなが好いてくれるから、好き合っているのならなんの問題があるだろう、なんて。

 日本では一夫多妻制度なんてない。結婚するわけじゃないんだからいいじゃないか、なんて話でもない。

 ここは日本じゃないんだから、なんて言葉だってただの甘えだ。

 確かに俺はみんなを愛している。魏のみんなを、魏国そのものを愛している。

 だが、だからといってそのままでいいのか?

 この世界ではいいかもしれないが───

 

(~っ……だから消えろってぇえええっ!!)

 

 煩悩を消そうとして思考の渦に囚われてちゃ世話ないだろ!

 ああそうだ! 開き直るならこの世界でならそれも許されるだろうさ!

 けど、許されるからって誰にもかれにも手を出して、俺はそれでいいのかっ!?

 俺が強くなるって決めたのは魏国のためだ! その魏国から離れた場所で、魏国の者ではない人にそういう感情抱いて!

 待て待て待て! そもそもそうなること前提で考えること自体がおかしいだろっ!

 だめだ! ここで一年間の禁欲生活のツケが来たのか、頭の中がピンク色だ!

 

(煩悩めぇえっ!! 死ねぇええええええっ!!!)

 

 木刀を振るう振るう振るう!!

 汗を散らしながら、頭が真っ白になるまでただひたすらに!

 集中しろ集中……! 剣術、剣術、剣術……! 頭の中を剣術でいっぱいにしろ……!

 

(…………はうっ)

 

 ぐおおおおっ! 頭の中でイケナイ妄想が!

 だだだだだ大体っ! 呉国の人達は露出度高すぎなんだっ!

 細いのに胸大きいし、キレイだし可愛いしいい子だし───……ていうか孫権って……下着つけてるように見えないんだけど、ってうあぁあああ! 消えろ消えろ消えろぉおっ!!

 

(殺す! 今日一日かけて、この煩悩……屠り去ってくれる!!)

 

 カッと見開いた瞳に賭けるは我が相棒の命運! 覚悟を決めろ、北郷一刀!

 ───さあ、勝負だ煩悩! 俺は今日一日かけて、貴様に打ち勝ってやるからな!

 

……。

 

 そうして振るい続けてしばらく。

 

「う、ぉおっ!?」

 

 手から木刀がすっぽ抜ける。

 気づけば手からは握力と呼べるものは無くなっていて、拾おうとしてもずるりと抜け落ちてしまった。

 それだけ振っても煩悩は消えてくれない。

 

「だったら───」

 

 ならば次は氣の鍛錬。

 どっしりと構え、両手に気を集中させる行為に没頭する。

 

……。

 

 失敗、失敗、成功、失敗……!

 誰かの視線を感じるが、それを確認する余裕すらないままに氣の鍛錬を続けた。

 失敗なぞものともしない。そもそもなかなか出来ないことをやろうとしているんだ、いちいち挫けてたらいつまで経っても上達しない。

 

……。

 

 誰かに食事に誘われた気がした。

 それを丁寧に断り、さらに没頭する。

 

……。

 

 辺りが暗くなった。

 時々しか成功しない。

 

……。

 

 真っ暗になった。

 誰かにいろいろ言われた気がしたけど、気にしている余裕がない。あと少しでなにかが掴めそうなんだ。

 

……。

 

 チリッ……と体の中で何かが弾け───少しだけ、氣の流れを感じた。

 

……。

 

 虫の鳴く声が聞こえる。

 辺りは完全に真っ暗……な気がする。

 見回りだろうか、時折誰かに声をかけられるが、あとちょっと、あとちょっとだから……

 

……。

 

 チッ───と、右手人差し指の先で氣が弾けた。

 途端に苦労が身を結んだ喜びに、煩悩が吹き飛んでゆく。

 氣……氣だ! 今、ほんの僅かだけど体外放出に成功した! やった……やったよ凪! 俺、やれたよ!

 

「……あれ?」

 

 ハッと気づけば朝だった。

 朝日が昇ってゆく様を呆然と眺め、それと同時に……俺は新たな自分へと生まれ変わる瞬間というのを味わっていた。

 

(………)

 

 スッ───と意識を自分の深淵に沈めるイメージを働かせる。

 次にその意識を右手に集中させてみると、そこへと氣が流れる感触がジワジワと伝わる。

 ……次いで呉の人達の姿を思い浮かべてみるが───いやらしい考えなど働かなかった。

 湧き出すのは同盟へ贈る信頼の心と、友達へ向ける信頼。

 それらが俺の心を、朝陽とともに暖かくしてくれた。

 

(…………我、極めたり)

 

 朝陽に一礼を送り、はだけていた胴着を正す。

 そうしてから、置いたままだった木刀を拾うと歩きだす。

 なにやら掛け替えの無いものを失くしてしまった喪失感に襲われるが、今はこのままで。

 

「……よし───、……?」

 

 ふと、ずっと俺を見ていた誰かの視線が消える。

 視線は感じてたけど、気にする余裕がなかったソレが、ふと。

 

「……?」

 

 首を捻りながら城壁を歩き、階段を降りてゆく。

 今さらだけど盛大に鳴り始めた腹に苦笑を漏らし、これからのことを考えながら。

 

 

───……。

 

 

 風呂を自分の都合だけで使わせてもらうわけにもいかず、小川まで歩くとそこで水浴びをする。

 徹夜での集中がこたえたのか、少し頭がボウっとしている。

 そんな頭を、小川の冷たい水で顔を洗うことでスッキリさせ、大きく深呼吸した。

 

「すぅ……はぁああ……!!」

 

 自然の香りが肺を満たしてゆく。

 小川も綺麗だし緑も多くあり、こういった場所の空気自体が日本のソレとは明らかに違っていた。

 ほんの一年前までは血で血を洗うような争いをしていたっていうのに、今じゃ血の匂いなんて少しもしない。

 

「………」

 

 孫尚香の顔を拭いてあげたタオルを一度水に浸し、それで体をこすっていく。

 川下で水飲んでる人とかが居ないことを願いつつ。

 ───そうした小さなことに笑むことが出来る時代が、ほんの一年前から始まった。

 それはきっと、みんなが喜んでいいことなんだろう。

 もう誰も死ぬことなんてない、家族が家族として一緒に居られる。そういう時代が来たんだ。

 

「でも……」

 

 でも。そのために散っていった人達のことを忘れていいはずもない。

 最後の戦いさえ切り抜けられれば生きていられた人だって、きっとたくさん居た。

 きっとこれが最後なんだからと戦に出た若者だって居たかもしれない。

 そうした人達の意思の先にあるこの平和を、俺達は全力で大事にしていかなければ……死んだ人達の意思が無駄になる。

 そこまで考えて、ふと疑問が湧いてくる。

 

「……呉の民たちは、どうして騒ぎを起こすんだろうな……」

 

 雪蓮から聞いた話でしかない。

 騒ぎを起こす人が後を絶たないから、それを治める手伝いをしてくれと言われた。

 呉を、内側から変えてほしいと。

 

「雪蓮たちに出来なくて、俺に出来ることって……なんだろう」

 

 小さく呟く。

 体を拭きながら考えてみたけど、結局……汗を流し終えても、私服に身を包んで一息ついても、その答えは見つからなかった。

 

「不満がある……? それとも、負けた上での同盟なんて嫌だった……とか?」

 

 呉はプライドが高そうな感じはするけど、それって誰かの命よりも優先させなきゃいけないことなのかな。

 いや、違うよな。民たちはどっちかって言えば、終戦を望んでいたはずだよ。

 じゃあ…………

 

(………もし。もし俺が、民の立場だったら)

 

 民の立場で頭を回転させてみる。

 そうだ、雪蓮や冥琳が王として軍師として頭を働かせるなら、日本では一般市民にすぎない俺は……民側の視点で物事を見ることだけは長けている。

 雪蓮だってそういうのは得意そう……というか、街に降りて民と笑い合ったりしてる場面とか見たことがある分、十分得意なんだろうけど。

 でも、雪蓮は戦いを知っている。戦いなんて終わっていた国に産まれた俺とは、そこに違いがある。

 だから……考えろ。もっと、戦をしない人、戦を恐れる者の視点で。

 

「………」

 

 …………。

 

(あ───)

 

 深く考えて、チリ……と頭に引っかかるものを引っ張り上げる。

 それはとても簡単なことで、だけど戦いってものを、覚悟ってものを知った俺がどれだけ考えても届きそうになかったもの。

 

(もし……三国が同盟を組むことで戦が終わるのなら、どうしてもっと早くにそう出来なかったんだ、って……きっと思う)

 

 でもそれは。三国がこの大陸に影響を与えられるくらいにまで大きくならなければ、到底成立させることができなかったもの。

 そして、そこまで大きくなった国が今さら話し合いだけで同盟を組めるほど、当時の民達の、将達の期待は薄いものじゃあなかったはずだ。

 

  ───ここまで来たのなら、己の手で天下を。

 

 そう思い、誰かに譲るだの三国が手を取って天下を手にするだの、そんなことをしようだなんて思う者は居なかったはずだ。

 だから誰も気づけない。

 同盟を組むことで世が平和になるって結果が今ここにあるのなら、どうして息子が、家族が死ぬ前に同盟を結べなかったのかという民たちの嘆き。

 民達が知るのは“結果”だけであり、そこに至るまでにどれほどの苦しみや苦渋の決断があったのか……それをその目で確認することができないままに今、平和の只中に居る。

 勝ってくださいと王に願うのと同時に、我が子に死んでほしいと願う親なんて居ない。

 本当は戦が起こらないのが一番だってことくらい、みんな知ってるんだ。

 だけどやっぱり理屈をどれだけ並べたところで、死んだ者は、その人と築いてきた日々は帰ってきはしないのだ。

 もし、そんな行き場の無い悲しみが、さっさと同盟を結ぼうとしなかった王へと向けられているために騒ぎが起きているのなら───

 

「…………そっか」

 

 たぶんだけど、そう間違ってはいない。

 雪蓮は“内側から変えてほしい”って言った。

 それはきっと、王や軍師の視点からではなく、もっと内側から。

 

「……雪蓮はたぶん、民が騒ぎを起こす理由を知っているんだな……」

 

 でもそれを力で押さえつけても意味がない。

 だから内側から変えてほしい、って…………そっか。

 

「まだ何をどうすればいいのかなんてわからないけど───」

 

 予想にすぎないけど、まだ“戦”ってものに囚われている誰かが居る。

 そんな人たちをこの“平和”に引きずり下ろして一緒に笑うため、頑張ってみよう。

 騒ぎを起こす人が本当に予想通りの理由で騒ぎを起こしているというのなら、教えてあげたいことがある。

 それを伝えるためならたとえ泥をかぶっても後悔はしないという覚悟を、今この場で、ドンッとノックした胸に刻む。

 

「うんっ」

 

 濡れたままの髪の毛を乱暴に拭いて、バッと前を見る。

 まずは情報を集めよう。そうしてから──────あれ?

 

「……、……あれ?」

 

 ……バッと見た視界に、想像だにしなかったモノが映ってる。

 目をこすってみても消えてくれないソレは、のっしのっしと森の奥から歩いてきて……「コルルル……!」と喉を鳴らした。

 

「───」

 

 マテ。百歩譲ってパンダは頷こう。

 うん、中国っていったらパンダ~って感じ、するし。ああそれは頷こうじゃないか。

 

(それがなぜ城近くの森に生息していて、今まさに俺を目指してのっしのっしと歩いてきてるんだ!?)

 

 自分の中でいろいろと方程式を組み立ててみた。

 ……ああ、無駄だったさ。

 

(ど、どうする……比喩とかじゃなく、間違い無く俺を見て、俺に向かって来てるんだが……!?)

 

 戦う……!? 木刀はあるが木刀で勝てる相手なのかそもそもっ……!

 じゃあ逃げる!? パンダって鈍足なイメージあるし……あ、でも一応クマ科なんだっけ? ヒグマあたりは時速50kmとかで走るとか言うし……ってそれじゃあ逃げられないじゃないかよ!

 ああくそ、こんなことになるならパンダの疾走速度とかも勉強しとくんだったなぁ、それがわかるだけでも行動の範囲が広がるっていうのに。

 逃げられないならやっぱり戦う? はいそこ、無茶言わない。たとえここでウル○ラマンセ○ンの歌が流れたって勝てるもんか。

 

(い、いや、パンダの足は遅いのだと信じよう。今は逃げ……)

「グルルルルルルッ」

(───)

 

 いや無理無理無理っ! あれパンダじゃないよ! クマ科っていうか、パンダっぽい色の体毛を持って産まれた熊そのものだよ! だってなんか黒の部分が薄いもん!

 あれ? でもどうして首に金色の輪っかみたいなのつけてるんでしょうか。ハッ!? もしかして誰かの飼いパンダ!? ……パンダって飼えるの!?

 

(どどどど動物園のパンダは檻に入れているだけであって、飼ってるとは言わないよな!? 懐いてもいないだろうものを飼ってるとかって言えるのか!? いやそれを言えば鳥とかだってそうだし、あぁあああああっ!!)

 

 近づいてくる! 落ち着け! 落ち着けるかっ!! ってセルフツッコミしてる場合じゃないっ!

 逃げる! 俺もう逃げるよ!? 相手が速いか遅いかなんて二分の一! だったらこのまま突っ立っているよりも走ることを選ぶ!

 

(覚悟……完了───!)

 

 胸をドンッとノックして心の準備を完了させる。

 そうしてからまず地面に落ちていた木の枝をゆっくりと拾い、それを逃走予定ルートとは別の方向へと投げて、パンダ(色の熊?)の注意を引く。───刹那にダァアッシュ!!

 

「グルッ!?」

 

 当然ながら、急に動き出した俺に敏感なる反応を見せるパンダ。

 城までのペース配分なんぞ考える余裕もなく、ただひたすらに全力疾走する俺。

 追って来ているのか来ていないのか……そんなことを確認する余裕なんてあるはずもなく、ただただ足を動かし、森を抜けることのみを目標に───!

 

(速く……速く、もっと速く……!!)

 

 足を動かす動かす動かす!

 足に意識を集中させ、より速く、もっと速くと強く願う。

 ───その時だ。

 足に集中がいきすぎたのか、両足に氣が集っていくと───足が軽くなり、走る速度が急激に上昇。

 いきなりの事態に転げそうになるが、なんとか体勢を立て直しながらなおも走る。

 

「う、えっ……!? はぁっ……これって……はっ、はぁっ───!」

 

 足が驚くほど軽い。

 そして、驚くほどの速度で細かく動き、しかし歩幅は変わらないままにグングンと地面を蹴っていく。

 こんな状況だ、原理を細かに分析している余裕も当然無いわけだが、感謝だけなら出来る。

 

(ありがとう凪っ……! お前に氣を習ってよかった!)

 

 遠い地に居る彼女に心の中で礼を叫び、地面を蹴る蹴る蹴る───!

 森の景色が倍速で映像を流すみたいに流れていき、やがてザアッ……と遮蔽物なく陽の光が降り注ぐ場所へと抜けた───まさにその時!

 

「へ?」

 

 同時に、木々や茂みを挟んだ右側の景色から飛び出る、白と黒のコントラストが栄える存在。

 四足で走るソレは、茂みを突っ切ったのか体のあちらこちらに葉をくっつけながらも、走る俺を凝視していて───

 

「うぉおおおおおおおおっ!!?」

 

 虎……虎ッ!? どう見ても虎ッ! ホワイトタイガー!!

 ホワイッ!? パパパパンダが虎に進化した!? 中国のパンダは人を追う際、虎に変身できるの!?

 だってほらっ! 首にパンダがつけていたものと同じ金の輪をつけてるし!

 いやっ! だめっ! 近づいたらメッ! 美味しくないよ俺っ! そんなぴったりついてこないで!

 

(否! 横に並んだだけなら、左側に走れば差は───!)

 

 そうと決まれば行動は速いものだった。

 ジリジリと距離を詰める虎に大して背を向けると、そのまま疾駆。

 さらなる氣の集中を意識して、今出せる俺の全力を以って、この危機的状況からの脱出を───って! うわぁもう横に並ばれた!

 

「速ぁああああああっ!?」

 

 虎の時速ってどれくらいだったっけ!? たしか80kmとかって───勝てるかぁああっ!!

 あっ! やめてっ! それ以上、いけないっ! それ以上近づいたら! あ、あっ、あ───!

 

 

   ギャアアアアァァァァ…………───

 



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05:呉/青少年の心の葛藤③

16/どれだけ煩悩を殺したところで自然体でソレをしてしまうから種馬なんだってことを自覚していない御遣い様

 

 目の前が賑やかだった。

 

「あははははははは! あははははははっ! あっはっ……ぷははははははは!!」

 

 場所は城の中庭の端の休憩所。

 ここから見下ろせる中庭では、先ほどまで死闘を繰り広げた相手である白虎とパンダ(熊猫)が寝そべっている。虎を周々、熊猫を善々というらしい。

 聞いてみれば呆れた話であり、どちらも呉に住まう護衛役みたいなものなのだとか。

 なのに襲われたと勘違いして必死の抵抗をした俺と、“いつまでも一人で居るな、危ねぇだろうが”とばかりに俺を連れ帰ろうとした周々と善々。

 少ない氣を全力で行使しての一大バトルはしばらく続き、いつしか息を乱しながらニヤリと笑う、心を許し合った僕らが居ました。……いや、俺正直泣き出しそうだったけどさ。

 そんなこともあって、握手は出来なかったけど虎と熱い友情を築き上げた俺は、その背に乗って城に戻り……そこで雪蓮とばったり。現在に至る。

 で、中庭から視線を戻してみれば、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に座り、笑い転げている孫呉の王。

 溜め息を吐くくらい許してくれ、頼むから。

 

「あっは……は、はぁあ~……! こんなに笑ったの、久しぶり……」

「……満足したかよ」

「うん」

 

 ジト目も意に介さず、にこーと笑顔のまま頷く雪蓮。

 なんかもうジト目から涙がこぼれそうだよ俺……。

 

「あはは、拗ねないの。うん。それにしても一刀がボロボロになりながら、周々の背中に乗って帰ってきた時は何事かと思ったわよ」

「俺も森の中でパンダと遭遇した時は何事かと思ったよ……」

 

 気をしっかり持たなきゃ「ママーッ!」とか叫びそうだったし。

 あー……思い出しただけで赤面モノだ。

 

「蓮華が護衛としてつけたのよ、きっと。一刀が一人で城を出ていくのを、思春が見たって言ってたし」

「甘寧が?」

「そ。まあ、その思春自体が、蓮華が向かわせた監視だったみたいだけど」

「あ、あー……」

 

 そういえば城壁の上での鍛錬の最中、ずっと視線感じてたっけ。

 でも移動を開始すると視線を感じなくなって……そっか、その時に孫権に報告しにいったのか。

 

「けどさ、事情を知らないままでの熊猫や虎との遭遇は心臓に悪いよ。先に話してくれてれば、あんな恐怖を味わわなくて済んだのに」

「呉では熊猫と虎が護衛にあたるから覚えておいて~って? どういう話の流れになればそんな言葉が出てくるのよ」

「………」

 

 無理……だな。うん無理だ。

 

「うう……なんか納得いかない……。でも孫権にはありがとうって言っておいて……。一応、心配してくれてのことみたいだし」

「んふー、やだ♪ そういうのは自分で言わなきゃ。誠意は見せないと意味がないんでしょ?」

「む」

 

 その通りだ。

 ちゃんと相手の目を見て言わなければ、届かない誠意ってのはいっぱいある。

 ……うん。感謝はきちんと俺の口から届けよう。(しこたま驚いたこととか、水浴びした意味がまるでないこととかは別としても)

 

「わかった、孫権にはちゃんと俺から言うよ。でも、その前に───」

「その前に?」

「……はらへった……」

 

 言った途端、自分の状態を説いてみせるかのように腹が“きゅるごー”と鳴った。

 恥は無い。だって自然のことだもの。

 

「一刀、昨日はなにを食べたの? 穏が食事に誘いに行ったのに、がっかりして戻ってきたんだけど」

「えぇっ!? 陸遜が!? い、いぃいいや俺知らないっ! そんなの知らないぞっ!? 知ら……って、あ、あー…………」

「一刀?」

 

 もしかして集中してる時に来たのか?

 うあっちゃああ……なんてタイミングの悪い。

 あ、でも気づいてたとしても、その時の俺じゃあ陸遜の格好をまともに見ること出来なかったかも。頭の中が煩悩満載だったあの時に、他の皆よりも過激な服装の陸遜と対峙してたら…………ど、どうなってたんだろ、俺……。

 

「う……悪い。たぶんそれ、氣の練習してて誰の声も気にかけられなかった時だ……」

「氣? へー……一刀、氣を使えるんだ」

「まだ練習段階だし、体外放出は指先一本程度の出力。武具に付加することも叶わないほどの微弱な氣だけどね……はぁ」

 

 言いながら気を指先に集中してみせる。

 人差し指の先でキラリと光るソレを見ると、雪蓮は感心したような芸を見たような、まあとにかく楽しそうな顔をした。

 放出はさすがにしない。放っちゃうと体への負担が大きいのだ。だから見せることだけをすると、体の中へと戻して一息。

 

「はぁ、ちゃんと陸遜に謝らないとな……って、ちょっと待った。なんだって陸遜は俺を誘おうとしたんだ? 自己紹介の時に少し話した程度で、卓を囲むほど親しくなんてなってないんだけど」

「だから、親しくなるために誘ったんじゃないの?」

「うぐっ」

 

 ぐさりと来た。

 なのに俺ってヤツは氣の鍛錬ばっかりで無視まで……!? やばい、軽く自己嫌悪に───

 

「それとはべつに用事があったって言ってたし、そっちのほうが本題だったんでしょうけどね」

 

 ───陥りそうなところで、ハテ、と首を傾げる。

 本題? 用事? いったいなんのことだ?

 

「用事?」

「ん。倉にある本の整理を手伝って欲しかったんだって。でも一刀は話し掛けられても妙な構えのまま動きもしませんでしたよ~って」

「妙な構え……?」

 

 ……重心を下ろして構えてただけなんだけど。

 え? あれって妙な構えだったの? 俺は至極真面目だったんだが…………ショックだ。

 などと心にダメージを受けていると、雪蓮が俺の顔を覗きながら“にこー”だった笑顔を“にま~”に変えて言う。

 

「ね、一刀。どんな構えだったの~?」

「ニヤケながら言わないっ! アヤシく聞こえるだろっ!?」

「えー? いいじゃないべつにー。あ、そうだ、ちょっとやってみせて?」

「やりませんっ! とにかく俺、朝飯を───」

「朝食の時間ならとっくに過ぎてるけど?」

「ぐおっ!? ……く、食いっぱぐれましたか、俺……!」

 

 先日から何も口にしてない俺としては、一刻も早く何かを胃に入れたいんだが……客人として、勝手に厨房を漁るわけにもいかない。

 はぁ……周々や善々と戯れすぎたか……。だったらどうしよう。と考えて、魏を発つ前に華琳に僅かだが資金をもらったことを思い出す。

 本当に、それこそ食事一回分程度の僅かな資金だが。

 華琳さん……くれたことには感謝だけど、この多いのか少ないのか微妙な金額は、絶対に俺をイジメるためですよね……?

 

「いい……じゃあ街で食べてくる……。手持ち少ないけど……」

「街? あ、じゃあ美味しそうな点心があったらお酒の相方に買って───」

「お金少ないって話、聞いてたっ!?」

「ぶーぶー、一刀ってば私にやさしくなーい。呉に来たその日に明命と亞莎を落としたくせに、一度手を繋いだらもう知らんぷりなの?」

「ややややめてぇえええっ! 誰かに聞かれたら確実に誤解されるだろそういう言い方ぁああっ!」

 

 先日のように甘寧が目を光らせてやしないかと、慌てて辺りを見渡す。

 見た感じでは居ないようだが、俺なんかに気づかれるような場所で監視してるわけもない。

 居ないと見せかけて居るのかも…………そう考えると、なんだかこう、胃がキリキリと……!

 と、怯えながらも雪蓮の視線に気づくと、“少し冷静になろう”と眉間を指で指圧する。

 

「…………」

「?」

 

 そうしてから一呼吸して落ち着いてみれば、小川で考えていたことが浮かんでくる。

 今俺が感じている胃の痛み……そういったストレスみたいなものは、俺よりも孫呉の王である雪蓮のほうがよっぽど感じているものだろう。

 戦が終わっても、騒ぎを起こしたがる民。

 今まで騒ぎがそう起こらないよう、力で押さえつけてきたとは言ってたけど……敗戦、同盟という事実が民に不満を持たせた。

 勝手な想像や予想にすぎないものだとしても、俺が想像してみた悩み以上のものを、雪蓮は抱えているんだろう。

 この笑顔の裏にはいったい、どれだけの苦悩があるのか。

 そういうのを取り除く……いや、せめて呉に居る間だけでも一緒に背負ってやれたら、いつか心からの笑顔を見せてくれるのだろうか。

 今見せてくれる笑顔がニセモノだとは思わない。

 でも、もしかしたらもっと綺麗な笑顔があるのかもしれないって思ったら───その笑顔を見てみたい、その笑顔を守ってやりたいって思えた。

 

「………」

 

 ふと気づけば胃の痛みはなく。

 代わりに、友への親愛が胸に込み上げてくる。

 

「一刀?」

 

 急に表情を正し、席を立つ俺に、首を傾げる雪蓮。

 そんな彼女の隣までを軽く歩いて、見上げてくる目を覗きこむ。

 孫家の遺伝なのか、瞳の奥にはキリッとした猫のような瞳孔。あぁいや、この場合じゃ虎って言ってやるべきなのか……?

 ともかくそんな目を覗きこんで、その奥にあるであろういろんな悩みや辛さ、背負ってるものの大きさを想像してみた。

 それはきっと王や、その傍に居た者にしか計り知れない重さ。

 背負っているものの数だけ人は強くなれるって言うけど、この細い体で国の全てを背負い込んで、人は果たして強いままで居られるものなんだろうか。

 俺には雪蓮を計れるほどの知識も情報もないし、真名を許されても特別親しいわけでもない。

 そんな俺じゃあ、彼女が“こんな重さくらい平気だ”って言えば、それを信じるほかないのかもしれない。

 でも───俺は、なんでもかんでも一人で背負おうとする、寂しがりの覇王を知っている。

 強がりを見抜けることくらいなら、出来るつもりでいるから───

 

「わっ……か、一刀?」

 

 気づけば、見上げる彼女の頭を撫でていた。

 髪を指で梳かすように、やさしく、やさしく。

 

「俺、頑張るな」

「え……?」

「もっともっと、頑張るから」

 

 ……この国で俺に出来ること。

 少しだけど、見えてきた気がした。

 ここに居る間だけはせめて、客ということを忘れてこの国に尽くそう。

 雪蓮は最初から遠慮なんてしないだろうけど、それよりももっと遠慮せず、もっともっと無茶なことも言ってくれるくらいになるまで。

 

「………」

「………」

 

 心の底からやさしい気持ちになれるのなんて、どれくらいぶりだろう。

 えらく自然に目を細めて微笑みながら、雪蓮の頭を撫でている自分に気づいて、今さらながらに気恥ずかしさと“なにやっとんのですか俺はっ!”って思考が俺を襲う。

 でも……そうさ。重さが少しでも、恥ずかしさやくすぐったさで紛れてくれるのならそれでいい。

 そうして、少しずつでも重さを支えてやれる自分になろう。

 雪蓮がそれを望んでいるかもわからないが、自分が彼女のさらなる重さにだけはならないよう───……腹が鳴った。

 

「はうっ!?」

「…………」

 

 ……な、なんてタイミングで鳴りやがりますかこのお腹はっ……!

 笑顔が……笑顔が“ミチチチチ……!”と赤面顔に変わっていくのがわかる……!

 撫でていた手も引きつったように雪蓮の頭から離れて、反射的に自分の腹部へと当てられた。

 雪蓮もなんだかぽかーんって……あれ? でもちょっと顔赤い?

 

「えはっ、はははっ!? そうだそうだー、俺朝飯食おうとしてたんだったー! あはっ、あははっ、あはははははっ!! …………失礼しましたぁっ!!」

 

 脱兎! 踵を返して休憩所から逃げ出すように、そのまま街へと大・激・走!

 ああもう! アホですか俺はっ! 俺の重さを恥ずかしさで殺してどーすんだぁあっ!! 穴がっ! 穴があったら入りたいぃいいっ!!

 

 

 

 

-_-/孫策

 

 …………。

 

「……行っちゃった」

 

 ポカンと、一刀が走っていった方向を見やる。

 何事か、と周々と善々が同じ方向を見るけど、もう一刀の姿は見えない。

 

「ふぅん……」

 

 頭を撫でられてしまった。

 あんまりに自然に動くものだから、避けるとか拒否するとか、そういったことが出来なかった。

 ふぅん、と出る声も何処か浮ついていて、なんだか少しだけ……ほんの少しだけ、心が暖かい。

 

「……うん」

 

 自分の頭を撫でる者など、この国には多くない。

 王の頭を撫でるなどという行為はもちろん、誰が見ているかもわからない状況下で、王が気安く頭を撫でられるなど。

 部下や民への示しにもならないし、甘く見られるのが当然の行為。

 …………なんて、普通なら思うところなんだろう。

 

「……悪く……ないかも」

 

 ところが自分は撫でられた頭に、梳かされた髪に触れて、美味しいお酒を呑んだ時のような軽い高揚感を抱いていた。

 彼の人柄が気に入っていたのは確かだが、こんなくすぐったい気分を抱くまでとは思わなかった。

 思えば彼は、いつも自分の目を見て話す。

 洛陽の町外れの川ででもそうだ。最初から怯むことなく真っ直ぐに目を見て、言葉をぶつけてきた。

 真っ直ぐな目が綺麗だななんて思ってたけど、からかってみればあっさりと崩れる真面目な顔。

 それがおかしくて、楽しくて。

 

「魏の子たちが一刀のこと気に入ってた理由、なんとなくわかっちゃったかな……」

 

 飾らない真っ直ぐなところとか、まあ飾っても飾りにならない馬鹿っぽさとか、そういうところがいいんだ。

 ……もちろん、からかい甲斐があるところも。

 

「頑張る、かぁ……」

 

 休憩所の円卓に両肘をついて、手の上に顎を乗せて溜め息。

 勘に任せて招いてみた彼がどんな頑張りを見せてくれるのか……それが楽しみでもあり、少しばかり不安でもあった。

 不安でもあったのだけど、頭を撫でられて、あのやさしい笑顔を見たら、その。不覚にも少し安心してしまったのだ。

 同時に、思ってしまったりもした。“撫でられるのも悪くないかなー”、なんて。

 

「……うん。退屈しないで済みそうかも」

「ほう? どこの誰が退屈だと?」

「はくっ!?」

 

 ───くすくすと笑んでいた顔が凍りつくのを感じた。

 後ろに居る。間違い無く居る。振り向きたくないのに振り向かなきゃいけないのは、まあそのー……

 

「仕事をさぼった上に“退屈”と。そう言ったな? 雪蓮」

「あ、あは、は……は~い、冥琳~……」

「雪蓮っ!」

「ひゃうっ! やっ、ちっちちち違うのよーこれはぁっ! 一刀がっ……そうっ! 一刀が私に“毎日仕事で大変だろ? 休憩もまた仕事だぜ”って歯を光らせながら言うからっ!」

「ほお……? それは奇遇だな。私もつい先ほど、走ってくる北郷とそこで会って話をしたのだがな。───妙な話もあるものですなぁ、孫伯符殿? 貴女が仰っていることは、北郷が言っていた言葉のどれにも当てはまらないのですが?」

「うあ……」

 

 ひくりと頬が引きつった。

 仕事をさぼったことは事実で、抜け出してきたところで周々の背に乗った一刀と会ったから、ここでこうしていたわけなんだけど。

 しまったわ……こんなことならそれこそ、一刀を連れて森の方にでも───っていたたたっ!? ちょ、耳! 冥琳!? いきなり耳引っ張るって!

 

「きゃんっ! いっ、いった……いたたたたっ! いたいいたい冥琳いたい~~~っ!!」

「さあ、楽しい仕事が待っておりますよ、孫伯符殿? ええ、もちろん退屈をする必要などありません」

「わ、わかったわよー! 行くっ、行くからっ! 耳離してぇえ~っ!!」

 

 これからはもうちょっと上手くやろう。うん。

 冥琳に引きずられながら、そんなことを考えてみた。

 その時は一刀も誘ってみようかな。共犯が居たほうが、なにかと楽しそうだし。

 

(…………ああ、なんだ)

 

 そこまで考えてみて、ああ、と心の中で掌に拳をぽんっと落とした。

 なんだかんだで自分は北郷一刀という存在を、やっぱり気に入っているんじゃないか。

 多少はあったであろう警戒もどこへやら、気がつけば彼を思い出して微笑んでいる自分が居た。

 

(うん、そうしよう。今度は一刀も連れ出して、えーと……冥琳に見つかったら一刀を盾にして~……あははっ♪)

 

 考えてみると止まらない。

 私はしばらくそうして耳を引っ張られていることも忘れて、これからの暮らしを思って微笑んでいた。



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??:現代/努力の過程②

17/守ることの意味

 

 風を斬る音がした。危ない、と頭ではわかっていても間に合わず、ソレを頭頂にくらってしまう。

 

「ぐあぁあっつぁあっ!!?」

 

 脳天が無くなったかのような痛みが走る。

 厳密に言えば痛すぎて感覚が飛んだ。

 雷が間近に落ちたと錯覚する“音”が、皮膚、頭蓋を伝って脳に叩きこまれた。

 点滅する視界に思わず体をくの字に折り、なにがなにやらわからないままに床に崩れる。

 “ごどしゃっ……!”と、大きななにかが倒れる音。

 自分が倒れた音だな~ってわかっているのに、どこか他人ごととして受け取り、あっさりと意識を手放した。

 

…………。

 

 ───目が覚めると天井。

 もはや見慣れてしまったそれを忌々しげに睨み付け、倒れた体を反動をつけずにゆっくりと起こす。

 あー……何回目だっけ? ぶちのめされるの。

 

「起きたか」

「……おはよ───っ、づあっ……~……!!」

 

 起こした体、起きた視線の高さで見る視界には、いつも通りの景色があった。

 じいちゃんが竹刀を持って立っていて、じいちゃんの視界では、綺麗に叩かれた脳天の痛みに顔をしかめる俺が居て。

 ほんと、いつまで経っても上達しない。 

 

「いっつつつつ……! っはぁあ~……!! あ、あのさぁじいちゃん」

「む? なんだ、情けない声を出しおって。手加減ならする気はないと先に言ったが?」

「違うって。そりゃもちろん加減があればな~とは思うけど」

 

 こう何度もボコスカ殴られてると、いい加減ぐったりしてくるし。

 まあそれはそれとして、今訊きたいのはちょっと違うことだ。

 

「……あのさ、ふと思ったんだけど───じいちゃんが教える剣術にも、“免許皆伝”とかってあるのかな~って」

 

 修行をする、剣を教わるっていうのなら、やっぱり気になる免許皆伝。

 いつの日かこう、じいちゃんに“お前に教えることは何も無い……!”とか言われて……ねぇ?

 期待とか不安とか、様々な感情が渦巻いて、だけどやっぱり“期待”が一番うるさくて───

 

「あるにはあるが、お前にくれてやるには50年は早いわ」

「長ッ!!」

 

 そんなうるささが、投げつけられた言葉にあっさりと四散。

 上半身だけ起こしている状態の自分の体を、そのまま倒してしまいたくなる衝撃が俺を襲った。大の字に倒れたら気持ちいいだろうなー、なんて考えが頭に浮かぶ。軽く現実逃避だ。

 ああいや落ち着け、いくらなんでも50年ってのはいきすぎだ……よな?

 

「じ、じいちゃん……? ごご50年はいきすぎなんじゃあ……」

「いきすぎなものか。一刀よ……では訊くが、お前にとっての免許皆伝とはなんだ」

「へ? なんだ、って……そりゃアレだろ? じいちゃんがこう、俺に教えることがなくなって……なぁ? そしたら俺がこう、胸を張ってヒャッホーってあだっ!」

「口が悪い」

「し……失礼しましたぁあ……」

 

 同意を求めてみれば、竹刀であっさりと殴られる俺の頭。

 ご丁寧に、さっき強く打たれた場所を殴られた。

 

「すぐ調子に乗るその性格、なんとかせいと言っただろう。だから皆伝なぞくれてやらんと言っている」

「……え? ちょちょちょちょっと待ったじいちゃん! ……え? 俺、口の悪さだけで皆伝与えられないの?」

 

 それはいくらなんでもあんまりじゃあ……と続ける俺に、じいちゃんはフンと鼻で笑う。

 

「だから訊いている。“免許皆伝とはなにか”と。お前にとっての皆伝は、儂がお前に教えることが無くなれば成立するものか?」

「……? 普通そうなんじゃないのか?」

「免許皆伝。師が弟子に奥義の全てを教え伝えること……とは言うがな。では奥義とはなんだ?」

「奥義……岩が斬れるとか鉄が斬れるとか? 斬鉄剣~とか斬岩剣~とか」

「お前は儂からそんなものだけを学べれば満足なのか。それで皆伝を謳いたいのなら余所へ行け」

「あだっ!」

 

 再度竹刀で殴られた。

 

「やっ、けどさっ! 奥義って言ったら───」

「儂はそんなものを伝える気などない。確かに剣士として、岩を鉄をと斬れれば───なるほど? 怖いものなどないだろう。だがそんなものは通過点よ」

「通過点!? 岩とか鉄斬ってるのに!?」

「学べ、一刀よ。武を背負う者としての在り方を、武道を歩む者としての生き様を。……師が弟子に教えるのは、なにも剣のみではない。皆伝とは、師が教え弟子が学び、師が教え尽くし、弟子が学び尽くした時にこそ自ずと得られるもの。師が“全て教えた”とどれだけ言おうが、弟子がまだだと言えば皆伝などではない」

「え───?」

 

 そうなのか? ……って、それってヘンじゃないか?

 弟子がどれだけ言おうが師匠が教え尽くしたって言ったら、そりゃ皆伝じゃあ───

 

「納得がいかんという顔だな。ならばいい。一刀、お前はこれで皆伝よ。もはや教えることなどなにもない、己だけの武を目指してみよ」

「なっ───それは困るっ! …………───あ」

 

 反射的に口に出た言葉が答えだ。

 自分が自分に突きつけた答えに対し、開いた口が塞がらない状態の俺へ、じいちゃんは「はぁ……」と出来の悪い弟子を持ったって顔で、もう一度俺の頭を殴った。

 

「それみたことか。師の勝手な押し付けだけで“皆伝”は成り立たん。双方が互いを知り、教え尽くし、教わり尽くすためにどれだけの時間がかかると思う」

「あー……だから50年……」

 

 軽くヘコむ。

 俺、そこまで理解力が無いって見られてるってことか?

 

「はぁ……あだっ! ~っ……じぃいいちゃんっ! そんなぼこぼこ殴るなよぉっ!」

「……まだまだ教え足らぬわ、まったく。言葉の意味も正確に受け止められんようでは、皆伝なぞ一生渡せんぞ、馬鹿孫めが」

「馬鹿孫!?」

 

 さらにヘコむ。

 俺……そんなに馬鹿かなぁ……。

 

「ほれ、とっとと立て。教え足らぬと言ったろう。50年でも100年でも、儂の気の済むまで教え続けてくれるわ」

「うへぇええ……って、どれだけ生きる気だよ!」

「フン? 無論、お前が儂に恩返しが出来るようになるまでよ」

 

 どこまでもパワフルな祖父様だった。

 この人、衰えとか知らないんじゃあなかろうか。

 それならそれのほうがいい。いつまでも……それこそ、俺がもっともっと強くなれるまで長生きしてほしい。

 肩を並べられるところまで、越すことの出来る時まで、恩を返せる瞬間に至れるまで。

 そこに辿り着けるまでは、守られていよう。

 現状に溺れるのではなく、追い越す努力を続けながら……いつでも守れるようになるために。

 

「……?」

 

 そこまで決意を刻みかけて、ふと違和感に気づく。

 

(……50年でも100年でも、じいちゃんの気が済むまで……?)

 

 なにか引っかかるんだけど……なんだ?

 気の長い話だな~とかって問題じゃない。

 もっとこう……ん、んん~……喉まで出かかってるんだけどな。

 言葉にしたいわけじゃないんだから、出かかってるって表現はちと違う。

 上手く纏められない気持ちを誤魔化すように、軽く髪ごと頭を掻いて───……その髪に、なにか引っかかるものを感じたんだけど……髪? 髪……50年? 100年? ……さっきじいちゃんが言った言葉に感じた違和感とは違う、べつのなにかが引っかかる。

 

「………」

 

 まあ、いい。今は目の前のことに集中しよう。

 

「……よし」

 

 立ち上がり、対峙する。竹刀を手に、互いの目を見て。いつからそうするようになったのか、自覚なんてない。

 ただ、己の意思を貫かんとするなら、それをぶつける相手の視線から目を逸らすのは卑怯だって思った。

 なにかを為すのならば、相手の目を見る。

 それはたぶん、じいちゃんに教わるようになってから自然に身に着いたものなんだろう。

 本当に、いつからそうするようになったのか~なんて自覚は、いつ芽生えたのかさえもわからないくらいに曖昧だ。

 じいちゃんがそうしていたから、いつの間にか俺も……うん、たぶんそうだ。

 

「迷いがあるぞ。いちいち切っ先を揺らすな」

「うあっと……!」

 

 思考に飲み込まれていると、早速飛んでくる師の言葉。

 だがここで慌てず、ゆっくりと息を吸うことで気を引き締め───

 

「っ───つぇええぁあああああっ!!!」

 

 突っ込む。

 多対一ではなく、一対一の心構えで。

 真っ直ぐに構えた竹刀を必要最小限の動きで走らせ、じいちゃんへと打ち込んでゆく。

 突き、払い、斬り上げ、斬り下ろし、突き───

 自分なりに隙を無くせるだろうかと考案した繋ぎ方で、じいちゃんに反撃する隙を与えな───無理でした。乱暴に振るってしまった間隙を縫うように、じいちゃんが振るう竹刀がちょっぴり見えた。

 

「びゅっ!? ~……ごぉぉぉぉおおおおお…………!!」

 

 あっさり頭を叩かれた、変な声を出した俺は、床に蹲って行動停止状態。真剣だったらすでに絶命だ。唸りつつ痛がる俺を溜め息混じりに見下ろすじいちゃんの第一声はというと───

 

「大振りすぎるわ、たわけ」

 

 蹲る孫へのダメ出しであった。

 それもまあ仕方ない。最初こそ細かな動きで隙を殺せていたんだが、当たらない焦りからか攻撃は大振りになり、当然生じる隙を縫うように動いたじいちゃんが一撃をくれて、簡単に終了。

 結局こうして蹲る俺の完成だ……もう泣きたい。

 

「じ、じいちゃん、やっぱり奥義───」

「我が流派に奥義が存在するのならば、それは鍛えた五体と精神とで放つ攻撃の全てよ。奥義を奥義をと願うのならば、その技術全てを手に入れることだ。───わかったらとっとと立たんか!」

「はいぃぃっ!」

 

 奥義に対する反論を許さぬ迫力がありました。

 クワッと睨まれたと思ったら、体がしっかり立ってたりするんだからなぁ……不思議だ、人体。

 

「あ───そうだじいちゃん! 俺に居合いを教えてくれ! 奥義じゃなくてもそっちならハオッ!?」

 

 で、また殴られる俺。

 思いつきでなにかを口走るもんじゃないなぁと、たった今思いました。

 

「……格好だけでもいい、居合いをやってみせい」

「えっ? 教えてくれるのかっ!? あれ? じゃあなんで叩いて───って、あ、あー……やりますやりますっ!」

 

 訊ね返すとギヌロと睨まれた俺は、慌てて竹刀を左の腰に構え、左手を鞘にするようにして支える。

 その途端にじいちゃんが襲いかかってきてってうわぁッ!?

 

「はぶぅっ!?」

 

 為す術なく殴られた。

 頭のてっぺんである……痺れるような痛みが頭から全身に伝っていく感触に、眩暈を起こして床に崩れ落ちた。

 

「つっ……はぁああ~っ……!! な、なにすんだよっ!」

 

 もちろん急に殴られれば怒りも湧いてくるわけで、頭を押さえながら見上げるじいちゃんに言葉を投げる。

 ……うん、客観的に見ると本当に子供みたいだな~とか思ったのは、今日の修行が終わったあとだった。

 

「一刀よ。居合いの利点はなんだ」

「へ……? そりゃ、速さ……なんじゃないかな」

「その速さを利点に置いた斬撃が、儂の攻撃に反応しきれなかった理由は」

「不意打ちだったからだろっ、急になにするんだよほん───と、に……」

 

 待て。

 不意打ちだったからもなにも、あの世界でそんな言い訳が通じるか?

 不意打ちだろうがなんだろうが、頭に一撃をくらえば死んでしまう世界だ。

 ……その事実にハッとして、じいちゃんを見上げると……じいちゃんは溜め息を吐いていた。それも盛大に。

 

「居合いが勝負の中で役に立つものか。鞘が無ければ速度を増せぬ、鞘から抜かねば速度が増さぬ、なにより一度鞘に納めなければ放つことすら叶わぬ。お前はなにか、真剣を秒とかからず素早く鞘に納められるのか? それとも納めるまで相手に待っていてもらうのか。降参したと見せかけてゆっくりと納め、実は降参してませんでしたと不意をついて斬るのか」

「嫌な言い回しするなぁ……そんなの、練習すればなんとか───」

「だめだな。貴様に真剣なぞ、それこそ50年速いわ。なにと戦うつもりだ、このたわけが」

「うわー……」

 

 俺に対するじいちゃんの認識が、“お前”から“貴様”にクラスチェンジした。……嬉しくない。

 

「あ、でもさ。刀で切ろうとする場合、やっぱり勢いをつけるために刀は後方に溜められるだろ? だったら速度が増す居合いのほうが───」

「“斬ること”ばかりに集中が行きすぎる。振り切ってしまうために腕が伸び、避けられれば咄嗟に戻せん。重心を落とすために切り込まれれば動けぬ上に、そういった時に立ち回る際には鞘が逆に邪魔になるわ」

「うぐ……」

 

 漫画とかでありそうだけど、真剣同士で立ち合えば鞘が盾になることなんてありえない。

 鞘を鉄作りにしてみれば平気かもしれないが、そんな重いものをぶらさげたまま戦うのは不利と言えるし、あっちの世界の誰かの攻撃は……なぁ? 片腕で受け止められるほどやさしくないって。

 むしろ鉄ごと砕いて我が身までを───……想像したら怖くなってきた。

 

「……修行、がんばります……」

「応。奥義だなんだ、口にするにはお前には基礎が足りな過ぎるわ」

「お、押忍」

 

 今は“お前”に戻してくれた事実だけでも喜んでおこう。

 うん……それがいい。

 

「それでいい。そういったことはもっと強くなってから言え。目指す自分に胸を張れとは言ったが、今のお前では教えたところで身に着かん」

「うわー、すげー言い方」

 

 実際そうなんだろうけどさ……ヘコムなぁ……。

 

「………」

「む……? なんだ、まだなにかあるか」

「あ、いや……うん。じいちゃんはさ、なんにも訊かないんだな、って」

 

 剣道で戦うと思っているだろう俺が、岩を斬るとか鉄を斬るとか、居合いを学びたいとか言っても、それに対する追求が特にはないのだ。

 ただ黙って教えてくれようとする。それがどうにも引っかかって仕方ない。

 そんな思いを込めて、怒られるんじゃないかと苦笑しながらも訊いてみれば───じいちゃんはフンッと小さく笑い、ニヤリと歯を見せて言ってみせた。

 

「男の成長に余計な詮索なぞ不要ぞ。儂が教え、お前が学ぶ。芯を曲げる要素なぞくれてやるものか。たとえどう教えようと曲がるさだめにあろうが、それがお前が望んだお前の成長ならば、この儂には文句も悔いもないわ」

「───……」

 

 この人、本当にとんでもない。

 どうしよう……このじじさま、自分の教えに自信を持ってるんじゃなくて、教えることで成長する俺を信じてくれてる。

 

「本気には本気をもってぶつからなければ礼を失する行為となる。それはたとえ、相手が孫だろうと親だろうと同じことだ。ならば儂も、お前の本気に本気をもって応えよう。お前が学びたいというのなら教え、高みに至りたいというのなら全力をもって協力する。それが儂の“本気”に対するぶつかり方だ」

「じ…………~っ……!」

 

 どうあっても曲がれないじゃないか、くそ……!

 ……ああもうっ! なんか知らないけどすごく疼くっ! じっとしてられないっ!

 

「じいちゃんっ! 再開だ! 免許皆伝、絶対にもらってやるからな! 10年でも20年でも、俺とじいちゃんが納得するまでどれだけ時間がかかっても!」

「……そうそうくれてやらんわ、この小童が。さあ来い一刀、お前には儂が得た全てを叩き込んでやる。知れ、学べ。儂のように、父親のようになるためではなく、憧れる者のようになるためでもなく。己が己であるために、己の目指した己になるために」

 

 姿勢を正し、竹刀を構えて心に喝を入れる。

 真っ直ぐにじいちゃんを見て、その眼光に負けない鋭さを以って睨み返す。

 そしていざ、踏み出そうとした時───じいちゃんが言いたかった言葉の意味がわかった気がした。

 

  “50年でも100年でも、儂の気の済むまで教えてくれるわ”

 

 それはつまり、どれだけ時間がかかろうとも見捨てることなく、俺に教え続けてくれると言いたかったって意味で───

 

(……はは)

 

 免許皆伝なんて、当分授けられそうもない。

 そう心の中で苦笑し、だけど表面では鋭さを保ったままで、俺は床を蹴り弾いた。

 全てを叩きこまれるために、全てを学ぶために。

 

 ……この後、一撃でノされたのは……伏せておきたい。

 ああちなみに、髪に触れた時に引っかかったなにかについては、結局理解に到ることはなかった。

 なんだったんだろうか、まったく。

 




 人差し指の先端を仕事で斬りました。大激痛。
 現在とっても編集作業がやりづらいです。
 文字を打ち込む時間より、打ち込んだ文字が誤字だらけになり、それを直す時間にばかり苦労しています。何故って、人差し指がぐるぐる巻き状態なわけでして。
 今まで通りにブラインドタッチをしても、てんで望んだ文字を打てません。
 これから完治するまで、投稿が遅れたらほんとすいません。


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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み①

18/街角探検隊……一人だけどね。

 

 ボロボロの私服で、顔を真っ赤にしながら走っていた俺を冥琳が止めてからしばらく。「そんな格好で街に出る気か」とぴしゃりと言い、冥琳が侍女さんたちに用意するようにと言ったのが……

 

「……あの。庶人の服とか……ないのかな」

 

 “ワー、これ高価ダー”って一目でわかるような服だった。

 もちろん俺はこれを断固として拒否。「公瑾様のお申し付けですから……」と渋る侍女さんをなんとか拝み倒して、庶人の服を用意してもらった。

 俺は王族でもなんでもないんだから、こんなの着てたら笑われるって。主に雪蓮とか祭さんとか雪蓮とか雪蓮とか祭さんとか雪蓮に。

 冥琳だってそのヘンはわかってると思うんだけど……あ。もしかして、魏からの客人に粗末な物は着せられないとか、そんなふうに思ったのかな。

 

「う、う~ん……それなら着ていかないのはかえって迷惑になる……のか?」

 

 けど考えてもみよう。

 これから街に食べに行く俺が、こんな王族御用達みたいな服を着ていったら───

 

 

 

=_=/想像です

 

 ワヤワヤワヤ……

 

「あぁちょいとっ、饅頭どうだい饅頭っ! 蒸かしたてだよっ!」

「おおっ、それはいいなっ」

「嬢ちゃんにはこんな服とかどうだい」

「ととしゃま~、わたちこれがいい~」

「はっはっは、そうかそうか」

 

 建業の街は賑やかだった。

 すたすたと歩くだけでもあちらこちらから楽しげな喧噪が聞こえ、それだけで頬が緩んでしまう自分が居る。

 

「ほらっ、そこの兄ちゃんもっ! 饅頭───はうあ!?」

「んあ? どしたい女将さん……うおっ!?」

「だ、誰だあれ……」

「いや、知らねぇ……あぁいや待て、そういや少し前に魏から天の御遣いが来たって……」

「あ、あいつが!? あいつが呉に降りなかったために俺達は!」

『死ねぇええええっ!!』

「ギャアアアアア!!」

 

 

                  /魏伝アフター……了

 

 

 

 

-_-/一刀

 

「庶人万歳!!」

 

 それはとても輝かしい笑顔だったという。

 けど、急に両手を天にかかげて叫ぶ俺に、当然侍女さんたちは奇異の目を向けるわけで。

 

「ア、イエソノ」

 

 急に恥ずかしくなった俺は、顔を赤くしながら街を目指し、歩きだしたのだった。

 っと、この服のこと、誰かしらに言っておいたほうがいいよな。じゃないと侍女さんが怒られるかもしれない。

 俺が無理言って庶人の服を用意してもらった、って……ああ、なんというか……状況的に嫌だからとか、ワガママ放題だな俺……。

 自分自身に呆れ、に溜め息を吐きながら、誰かとの遭遇を求めて歩いた。

まあきっとすぐに、雪蓮か祭さんあたりに会うだろうと思い。

 

「………」

 

 しかし、こういう時に限って見つからないのがセオリーというか、パターンというか。

 一通り歩いて、脳内マップを構築していくのをやめると、出発地点の近く、中庭に来ていた。

 さすがにここには居ないよなぁと見渡してみると、東屋に頬杖ついて座る祭さんを発見。

 そっと近づいてみると、こちらを見たわけでもないのに「うん? 北郷か」なんて気づかれてしまった。

 この世界の人って背中に目でもあるの? ってくらい、気配に敏感だよな、ほんと。

 

「祭さんは休憩中?」

「応、元はここに策殿がおったんじゃが……ああいや、皆まで言うまい。北郷は───……なんじゃその格好は。身分を捨て、庶人にでもなりたくなったか?」

「や、そーゆーのじゃなくて。街に出かけようとしたら、いろいろあって服がボロボロだったのに気づかされてさ。で、冥琳が侍女さんに頼んで豪華な服を用意してくれたんだけど……」

「なるほど、似合わんかったか」

「………」

 

 あっさり理解された。そうなれば、赤面しようがこくりと頷くしかない、恥ずかし乙女チックな俺が居た。

 い、いや、だってさ、あんまりにも似合わないっていうかっ……! 姿見を前にした俺のあの心境は、きっとあそこに居た侍女さんにしかわかるまいっ……!

 着てるっていうか、豪華な意匠の服に俺が飲み込まれてるっていうかさ、ほら……マネキンの方がまだ映えるっていうか。

 ……やめよう、悲しくなる。

 

「ふむ。しかし街に、か。……北郷」

「? なに? 祭さん」

「お主、ここが魏国でないことは、きちんと理解しておるな?」

「え? ……そりゃ、孫呉の地を魏のものだーとか、あの華琳が許してない状態で頷いたりはしないぞ?」

「そういう意味ではない」

「……民のこと?」

「なんじゃ、わかっておるのか」

 

 そりゃあ、これから行くつもりのところへのことを、そんな真剣な顔で言われればさ。

 そうだ、ここは魏じゃない。

 ここの民はきっと、魏の民ほど親しげにはしてくれないだろうし、御遣いだと言えば睨んでくる人だって居るかもしれない。

 祭さんはそんな人達に、俺が何かしらをされるのが怖い……ああいやうん、怖いっていうのじゃなくて、きっと心配してくれているのだろう。

 魏からの大使が民にボッコボコにされました、なんて笑えない。

 けど、ある程度は踏み込まなきゃ、諍いの原因を口にすることなて絶対にしないだろうし───いつまで経ったって問題の解決には繋がらない。

 

「説得、とは違うのだろうが……相手の状況の確認でもしてくるつもりか?」

「いや、正直に言えば普通に外に出かけるつもりだったんだ。気負いすぎもよくないし。ただ……うん、自然な目で見て、見たこと感じたことを参考にしようとは思ってた、かな」

「ふむ。策殿は内側から呉をよくしてくれ、とは言ったが、なにも北郷、お主に全てを丸投げにするつもりはないぞ? わからんこと、知りたいことがあれば、訊ねてみるのも手だろうに」

「“情報は足で探す”って意識を尖らせておかないと、怠けそうでさ。でも……必要になったらお願いしていいかな」

「まあ、今の北郷では気楽に頼れる相手も少ないじゃろう。応、どんと任せておけい」

 

 言って、かっかっかと笑ってみせる。

 おお……頼りになる……! とか、心に勇気を貰えた気分なのに……どうしてその勇気をくれる相手の背後に、豪快に笑う春蘭の影が見え隠れするのか。

 あ、あれー……? なんだか面倒になったら適当にはぐらかされそうな予感が……!

 

「………」

 

 けれど、まあ。

 気になることは気になるから、祭さんには相談に乗ってもらった。

 どうすればいいかの具体的な方法はわからないままってこととか、呉の現在の状況とかも。

 客人として来ている俺だけど、諍いを治めようっていうんだから、説得のために一発二発は殴られることを覚悟しているし、その上で向き合いたいって思ってることも。

 もちろん、殴られないに越したことはないのだが。

 

「そういう感じで、向き合ってみようって思ってたんだけど───まずいかな」

「当たり前じゃ馬鹿者」

 

 きっぱり言われた。そりゃ、現実的に考えれば当たり前だろう。

 現実的云々を言うんであれば、俺が呉に来た理由だって呉のためなんだから、この状況の鎮静、という意味では間違ってはいないわけで。

 そのことを祭に告げると、祭さんは難しい顔で唸った。

 

「大使に怪我でもさせたら、ってみんな言うだろうけどさ。俺自身が大丈夫ってどれだけ言おうと、自己責任ってだけにはならないのかな」

「応。無理じゃろうな。やるとしても、目立たない箇所を殴られる程度ならば誤魔化しも利くじゃろうが……」

 

 ああうん、その場合、顔面一発でも殴られたらあっさりバレそうだ。

 

「しかし、殴られることを前提で踏み込む、か。かっかっか、北郷、お主は随分とまぁ面白い性格をしておるのぉ」

「え、と……そう? 普通だと思うけど」

「ほう? 民に殴られてでも、と言えることが普通か? 随分とやさしくない場から来なすった御遣い様のようじゃな、まったく」

「いや……勘違いされてるかもだけど、べつに好んで殴られたいわけじゃないからね? 理不尽に難癖つけられて、武器を片手に追われりだとか、ぐっすり寝てたら虫が詰まった籠を持った軍師に襲われただとか、そういうことに慣れてるだけだから」

 

 ……あれ? それって俺自身の感覚がおかしくなってるって言えるのか? ……言えるな、うん。

 でもこればっかりは俺が悪いんじゃないって、声を大にして言いたいんだ。ていうか言わせてくださいお願いします。

 

「冗談じゃ。……まあ、生憎と一緒に行って護衛をする、なんてことはしてやれん。一応これから用事があるのでな。それに、まさか一歩出た途端に面倒事に巻き込まれる、などといったことはないじゃろう」

「? 祭さん?」

「やりたいことをやってみせぃ。もちろん儂が止められるようならば止めるが。……その場合、仕事のついでといった感じになるが」

「いや……もし仕事の都合で俺を見かけても、諍いの現場に俺が居た時はさ、ほらその……少しの間くらいは見守ってやってほしい。たぶん、国のお偉いさんとか将とかが出てくると、言いたいことも言えなくなると思うから」

 

 そう言う俺を見て、祭さんは「ほう?」と言いながら少しだけ笑い、けれどそれは拒否した。

 

「知らん。儂は儂で、その時に必要な行動を取らせてもらうだけじゃ。というか、お主がどこでどう諍いを起こすかをいちいち儂が見ておるわけにもいかん」

 

 そりゃそうだった。外に出たところでいきなり諍いの現場に遭遇するわけじゃない。

 大体それは仕事じゃなくて、国の者として当然の行動なんだろう。

 俺だってもし、たとえば魏に孫尚香が遊びに来たとして、民に囲まれていたのを発見すれば、とりあえずは止めに入る。

 けどやっぱり、そうして囲まれていたとして、自分が耐えられる程度の騒ぎは見逃し……とは違うけど、少しの間でも見守ってほしいとは思う。

 結局自分には、そうやって踏み込んでいって、自分を知ってもらうところから始めてるくらいしか出来やしない。

 自分の中で、あの頃の自分からの変化や成長を感じたところで、根本はそうそう変わってはくれないのだ。

 つまりは、やることがわからなくて踏み込んで、踏み込みすぎて、他人の仕事を奪ってしまったあの頃のまま、強く高くなんて成長は出来ていないっていうことで。

 

「諍いがどうのと、それを起こす者の気持ちもわからんでもない。だが、わかるからと見ない振りもできん。……戦が終われば、持つものが無くなる者が、そうしたものに踏み込んでいくべきなのだろうがな」

「祭さん……」

「“武”を手に駆けていた者も、いずれは手に持つものを改めねばならん。いや、儂などはまだいいが、思春はな……そこに集う部下の数を考えれば、一層考える必要が出てくる」

 

 思春? ……甘寧、だよな。甘寧っていえば……錦帆賊か。

 そうだ、自分のことだけじゃない、部下のことも考えなきゃいけない人はたくさん居る。

 今すぐじゃないにしても、解散するにしても、どうするのかは……だよな。

 俺がよく知る警備隊だって、警備だけで全員が繋げいでいけるかっていったらそうじゃないと思う。

 いろいろ考えないとだ。

 

「………」

 

 考えた上で、その考えとかの上から襲い掛かってくるような事態に見舞われるんじゃないかなー、とか。少し考えて溜め息を吐いた。

 予想の斜め上の事態とか、誰かさん達の所為で散々味わってるからなぁ……。

 ほら、魏武の大剣さんとか、猫耳フードのあの軍師とか。

 

「だがな、北郷。今のお主が呉の将のその後を心配しても始まらん。普通の行動で諍いが終わらんのであれば、多少の無茶くらいはしなければ始まらんのだろう。期待をしている、と言って気負わせるのもあれじゃ。ならばいっそ……そうじゃな、どどんと失敗してみせぃ。国にも王にも民にも迷惑をかける方向で」

「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」

「安定を願うあまりに思い切ったことが出来んのはどこも一緒じゃろう。平和を平和をと意識するあまり、敵陣……ああいや、この場合は民、ということになるが。相手の懐へも踏み出せんでいるじゃろう。ならばどうするか? ……外の者が一度、そういった意識をぶち壊してみせるしかなかろう」

「それ、下手すると同盟関係とかひどいことにならない?」

「ええい聞こえておるわ! 同じことを言わんでもわかっておる!」

 

 そうなんだけど。

 はぁ、やっぱりみんな、考えてることは同じなんだなぁ。

 平和を、泰平を手に入れても、じゃあその泰平がどうすれば長続きするのか、を考えすぎて、思い切ったことが出来ないでいる。

 たとえ踏み込んでなにかを起こしたとして、それがよくない方向に転がれば罰しなければいけないし、その確率の方が高いんじゃないかって思ってしまえば、もう踏み出せない。

 そうなれば結局は、誰かが一歩を踏み出してみせるしかないわけで。

 ……で。このお方が俺にそれをやってみせろと。

 

「お主だけにやれと言うのではない。どの道、武官もいずれは仕事がなくなるのだから、最後に国のための一歩をと踏み出してみるのもひとつの方法じゃ。そうしてもいいと思えるほどには、儂も国を愛しておる」

「祭さん……」

「というか、ほうっておけば策殿あたりが突貫しそうでな……。民に好かれておる者が失敗をすれば、よくないことにしか繋がらんだろう。ならば儂が、と考え───」

「いや、祭さんはたぶん子供に好かれてると思うからだめだと思う」

「ぐっ…………北郷、なぜお主がそれを知っておる……?」

「へ? あ、だってほら、建業に来た時、子供の目線が祭さんに集中してたから、てっきりそうなんじゃないかって」

「………」

 

 ばつの悪そうな顔って、たぶんこんなの。

 そんな顔になった祭さんは、片手で顔を覆って俯いてしまった。恥ずかしいらしい。

 俺は俺で、このまま話をするのも気の毒になったっていうか、一応参考にはなったから……ありがとうを口にして、歩き出した。こちらを見ない祭さんに、無理はするなと言われながら。

 

「外に出るなとは言われてないけど、出る場合は出来るだけ問題を起こさないように、だよな」

 

 言い回しが既に問題を起こすこと前提で言われていた気がするんだが……気の所為だよな?

 

……。

 

 そんなわけで、呉国は建業の街を歩く。

 魏からここへと来る時も盛大なお出迎えがあったわけだけど、やっぱり呉は賑やかだった。

 民たちは王の帰りを喜び、老人から子供まで元気に燥ぐように。

 ただ……どうしてだろうか。その喜びと視線のほぼが雪蓮のみに向かい、他の武将たちにはあまり向いてなかった気がするのは。

 たしかに向いてはいたんだけど、その数はあまり多くはなかった気がする。

 お陰で俺の顔を覚えている民はまず居ないだろう。うん、それはどうでもいいんだが。

 子供たちの視線が主に祭さんに向いていたのは、驚くのと同時に面白かったけど。

 王を出迎えるんだから、王に目を向けるのは当然といえば当然なんだろうけど……どうにも引っかかる───

 

「……うぐっ……」

 

 ───のだが、鳴る腹は抑えられない。

 モノを食べながらでも考え事は出来るし、とりあえずは適当な料理屋へ入ることに決めた。

 手持ちは……値段にもよるけど、軽く食べられる程度。

 本当に狙っているとしか思えない手持ち金だ……あまり高いものは頼まないようにしよう。

 

「いや待て」

 

 べつに料理屋に入らなくても、点心を買い食いするって方法もある。

 それなら情報収集もしやすいし……なによりがっつり食うよりも安値で済む。

 腹持ちは少ないだろうが、ようは昼まで繋げればいいのだ。

 この僅かながらだろうが“華琳がくれた金”……一回の食事で全て無くしてしまうのは忍びない。

 

「……って、違うだろ」

 

 この国に居る限りはこの国に尽くす。そう決めた。

 だったら……すまん、華琳、これより北郷一刀は修羅道に入る!!

 まずは呉に馴染むために華琳……お前にもらったこの金を使わせてもらう!

 そうだ! 店は適当に決めてぇえっ! ……あれ? 魏の通貨ってこっちの国で使えるんだっけ? ま、まあ訊いてみればいいよな! うん!

 

「おっちゃん! この店で一番美味いものをくれ!!」

 

 本当に適当に決めた店へと勢いよく入るや、声高らかに食事宣言!

 

 

  ……それは。客もまばらな時間に起きた、とある晴れの日の物語である。

 

 

───……。

 

 

 ……はい。結論から言いまして、お金が足りませんでした。

 

「……それ洗ったら次そっちだ」

「は……はいぃいい……」

 

 きっかけ欲しさの勢いに任せて、一番美味いものなんて頼むんじゃなかった……。

 「……うちはなんでも美味ぇよ……」とドカドカと出され、全てを平らげてからハッと気づけば足りやしない。

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 

(ああしかし、しかしだ……)

 

 ……大変おいしゅうございました。むしろ悔いはない。

 有り金全部と、あとは数日働けば返せるそうだから、そこはこう、なんとかしよう。

 代わりになるものよこせ、とか言われなくてよかったよ。

 

「……注文、取ってこい」

「っと、はいはいっ」

 

 適当に入ってみたこの店は、どうやらおやっさん一人で切り盛りしているようだった。

 味もいいし内装もいい。だけど、どうにもおやっさんは暗い人だった。

 美味いからそれなりに客も来るし、おやっさんに声をかける人が大半のようで、おやっさん自身に人望がありそうなんだけど……

 

「青椒肉絲ひとつ、麻婆豆腐ひとつ、餃子四つに大盛り白飯二つですっ」

「……おう」

 

 注文を聞いてくれば、また皿洗い。

 手が空けば指示されるままに動き、される中でも学び、次にどうすればいいのかを自分の中で組み立てていく。

 少しずつ、ほんの少しずつだが組み立てていったそれを実行し、失敗しようがそれも組み立ての材料にして、仕事のパターンを“行動の基盤”にするように身に叩きこむ。

 幸い、体力だけには多少の自信がある。

 今こそそれを活かし、国の役に立つ時さ。

 

「ありがとうございましたっ! いらっしゃいませっ! こちらが採譜になります! ご注文は以上で!? お待たせしましたっ!」

 

 キビキビと動く。

 集中し、ミスをしないように出来るだけ注意して。

 ミスをしたら反省し、同じ失敗は起こさないようにと胸に刻む。

 

(いやっ……しっかし……!)

 

 どうなってるんだこの店……客の入りが異常なんだが。

 これを普段一人で? おやっさんだけで? 冗談だろ?

 そんなふうに考えていると、客の一人が笑いながら声を張り上げた。

 

「おーいそこのお前~!」

「へ? ……お、俺!?」

 

 ……何故か、俺に向けて。

 

「そ、お前だよ。お前なにやらかしたんだぁ? 食い逃げか? おやっさんところで食い逃げするたぁ運がねぇ」

「食い逃げ!? 違う、違うって! 俺はただ───……えと、食ったら金が足りなくて」

「それを食い逃げって言うんだろうが」

「逃げてないっ! そこだけは譲れない! 金は足りなかったけど逃げなかった!」

「いや……それ胸張って言うことか?」

「あ……はい……正直もう泣きたいです……」

 

 俺の言葉に、豪快に笑うお客さん。

 どうやらおやっさんの知り合いらしく、麻婆を掻っ込みながらもおやっさんに気安く声をかけていた。

 そんな人なら知っているだろうかと、気になる疑問を投げかけてみた。

 

「あの……ここっていつも、おやっさんだけで……?」

「あん? ああ、そうだぜ? ここはおやっさんだけで切り盛りしてんだ。一年と少し前までは息子が居たんだけどよぉ」

「息子さん?」

「連れは早くに亡くなっちまってよ。男手ひとつで育てた、そりゃあ立派なやつだったよ。それがよぉ、なにを思ったのか兵に志願しちまって。そのままコレよ」

 

 男性が目の前で拝むように手を合わせた。

 ……ようするに死んでしまったんだろう。

 

「それからだよ。おやっさん、なにをやるにも覇気が無くなっちまって───」

「………」

 

 よっぽど親しいんだろうか、男性はまるで自分のことのように悲しんでいた。

 卓に飲み干した杯があるにせよ、顔が赤くなっているにせよ、この人が言っていることは事実で───

 

「おーい兄ちゃーん! 回鍋肉まだかー!?」

「ボーっとしてんなよーっ! こっち酒追加なーっ!」

「っとと、はいっ! ただいまーっ!」

 

 慌てて、止まっていた体を動かす。

 おやっさんのことを話してくれた男性はその後、何度か酒を注文して煽ると出ていった。

 まだ訊きたいことがあったんだけど……引き止めるわけにもいかないし、こればっかりは仕方ない。

 

(……卑怯かもしれないけど、料理屋は情報収集にはもってこいかもな)

 

 何気なく入った料理屋にでさえ、戦によって心に傷を負った人が居る。

 ただ賑やかなだけじゃないんだ……目を凝らして見てみないと気づけない傷だってたくさんある。

 俺の認識にしたってあの男性に言われなきゃ、おやっさんはただの“あまり喋らない人”ってだけで終わっていた。

 

(もっと視野を広げないとな……)

 

 金が足りなかったのは完全に失敗だったけど、こうして街の人の話を聞ける場に立てたことは一応成功だったってことにしておこう。

 ありがとう、華琳。……決してこんな状況を見越して、あの微妙な金額を渡したわけじゃないよね?

 

 

 

-_-/魏

 

 ……同刻、魏国洛陽。

 

「はっ───くしゅんっ!」

「……華琳様!? まさか風邪を!? ───すぐに閨の準備をっ!」

「……? 大丈夫よ桂花、大事ないわ。いちいち事を大げさに捉えないの」

「いけません華琳様。風邪を甘く見られては困ります」

「稟、“大事ない”と、この私が言っているのよ。構わないから話を続けて頂戴」

「は……」

 

 軍議というよりは些細な話し合いの場。

 集まった文官と話をする中で彼の想いが届いたのか、この後彼女が何度かくしゃみをすることになったのは、べつのお話。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ………………。

 

「はぁ~……終わったぁああ……」

 

 終わってみれば、すっかりぐったりな俺が居た。

 体力に自信があっても、やること自体が違うんだから疲れもする。

 そんなことを頭に入れずに動き回った結果がこれだ。

 

「………」

 

 最後の客が出て行き、それを送り出して、後片付けをして掃除をして。

 ようやく解放されて、店の卓にでも突っ伏したい気分になるが、なんとか抑える。

 もうすっかり夜だ。いい加減戻らないと、誰になにを言われるか。

 

「…………飯だ。食え」

「え? あ、おやっさ───って」

 

 卓に手をついて重苦しい溜め息を吐いていた俺の目の前に、美味そうな料理と白飯が置かれる。

 見ただけで溢れてくる唾液をぐびりと飲み、訊いてみると……おやっさんは何も言わずに背を向けて、自分の分と思われる料理を持ってきた。

 

「……座れ」

「あ、はい……」

 

 促されるままに座り、食卓を囲むことに。

 いきなりの展開に目をぱちくりさせるが、つまりこれは賄い料理なんだろう。

 俺はもう一度唾液を飲み下すと、いただきますを唱えて食いにかかった。

 

 

…………。

 

 

 食事が終わり、その片付けをして、終了。

 食事中、会話なんて一言も無かったけど……お疲れさんって言いたかったのかなって思うことにして、城に……戻ろうとして、肩をがっしと掴まれた。

 

「あ、あーのー……おやっさん?」

「……仕込みをする。手伝え」

「やっ、でも俺帰らないと……」

「……いいから、とっととこっち来い」

「おわったたっ!? わ、わかったよっ、行くからっ!」

 

 ……捕まりました。

 そりゃそうだよなー、今日会ったばっかりのやつを、ちゃんと金を返せてもいない状態で帰すわけがない。

 けど待て、あれだけの忙しさの中で働いても、俺はまだ返せてないのか?

 いったいどれだけ高いものばっかを食ったんだ、俺……。

 

(空腹すぎた所為で、覚えてねぇ……)

 

 自分の馬鹿さ加減に頭を痛めながらも、結局は仕込みを手伝うことに。

 仕込みっていったって、あれを用意しろこれを用意しろ、それを片付けとけこれを片付けとけと、雑用ばっかりだったが。

 ……で、仕込みが終わる頃には夜も相当に深く、促されるままに泊まっていく事態にまで至り───

 

(……戻った時の反応が怖そうだ……)

 

 無断外泊に不安を覚える学生のように、ひどく怯えながら夜を越すのだった。

 ……や、学生で無断外泊なのは事実なんだけどさ。

 仕方ない、周泰か甘寧が監視してて、雪蓮たちに伝えてくれることを願おう。

 “食べたはいいけどお金が足りなくてこき使わされてます”って……ただの恥さらしじゃないかっ!

 まずいぞ、なんとかして帰らないと───ああいや、足りなかったのは事実だしね。

 寝ます……僕もう寝ます……。

 明日はいい日になるとイイナー……。

 

 

 

19/痛み

 

 朝を迎えた。

 料理屋の朝は早く、仕込んでおいた具材や汁などがいい感じになっている中、仕込んでおいておけないものの準備を始める。

 冷蔵庫がないこの時代では、料理に使う具材の扱いも相当に丁寧にしなければならない。

 うっかりそこらに放置していれば、簡単に悪くなってしまうのだから仕方ない。

 

「ふぅっ……」

 

 昨日は昨日、今日は今日。卓を掃除して床も掃除して、夜を越す間に積もったであろう多少の埃を拭い、手を綺麗に拭いてからべつの仕事へと移る。

 最初は指示をされるがままに、徐々に疑問に思ったことのみを訊くように動いて。

 そうして始まる今日一日をこなす中で、人とふれあい、笑い合い、時には怒られて笑われて。

 そうしているうちに、昨日引っかかっていたことが……少しだけ、ほんの少しだけだけどたぐり寄せられた気がした。

 民の視線のほぼが雪蓮ばかりに向いていたこと。

 それはたぶん───雪蓮以外の将が、雪蓮ほど積極的に民と触れ合わないからじゃないか、ってことだった。

 雪蓮のことだから誰かを引っ張り出して、民と戯れることをするだろうけど───でもそれだけだ。

 他のみんな自身が率先して動かなきゃ、好印象なんて残らないに違いない。

 

「そういやぁよぉ……聞いたか? 御遣いの話」

「あぁ……魏から来たっていう男の話だろ?」

 

 そんなことを考える中でも、やっぱり人の噂話っていうのは耳に届く。

 聞きたくないことだろうと聞きたいことであろうと、届いてしまうのだ。

 

「“国王様”はなにを考えているんだろうなぁ……魏っていったらお前、かつては敵だった場所じゃねぇか」

「いくら同盟を組んだからって、息子を殺された俺にとっちゃあよぉ……」

「……仕方ねぇさ、戦ってのはそういうもんだろ」

「仕方ねぇことあるかっ! 同盟を組んではい終わりってんなら、なんでもっと早くしてくれなかったんだ! 一戦……! あと一戦早けりゃ、俺の息子は死なずに済んだんだぞ!」

「お、おいっ、飲みすぎだぞお前っ、おやっさんだって同じ気持ちなんだから、ここで騒ぐのは……なっ?」

 

 酒を飲み過ぎたんだろう、顔を真っ赤にして呂律が回らない男性は、さらに浴びるように酒を飲むと泣き出す。

 ……正直、居たたまれない。謝ってでもこの場から逃げ出したくなる。

 

(………)

 

 そんな弱い心を押さえ込んでいく。

 覚悟はしておいたはずだ。誰かのために乱世を駆けるってことは、誰かに恨まれること。

 そして俺は、そうすることで傷つく誰かに、たとえ自分がどれだけ泥をかぶることになろうとも、伝えてやりたいことがある。

 それが俺の、単なる押し付けだろうと構わない。

 叫ぶことで届くのなら伝えよう……戦はもう、終わったのだと。

 終わったのだから、いつまでも悲しむだけではいられないのだと。

 俺がここに呼ばれた理由を果たすなら、俺はここで───……内側から変えていくための努力を、するべきだと思うから。



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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み②

いい区切り部分がなかったので、ちょっと長いです。
そしてごっちゃりしてます。


 「俺が天の御遣いだ」って言った途端だった。

 賑やかだった料理屋の喧噪は一呼吸のうちにピタリと止まり、次の瞬間に生まれたのは俺を睨む幾多の視線。

 “もう少し親密になってからの方が良かったか”なんて考える暇もなく、人気の無い場所へと連れてこられ、壁に叩きつけられた。

 人気が無いなんて言っても、俺の目の前には結構な人数が居て、鋭い目付きで俺を睨んでいるわけだが。

 

「お前が天の御遣いだったとはな……。ここには何の用で来たんだ……? 偵察か……!?」

 

 俺を壁に叩きつけたのは、さっきまでの息子の死についてを話し、酒を呑んでいた男性だった。“見る者全てが敵”って目をしていて、一目で周りが見えていないのだろうと思える様相。

 怒りのためか目が血走っていて、握る拳もぶるぶると震え、語気も段々と力が篭っていっていた。

 

「それともなにか? 騒ぎを起こす輩を探して来いって言われたのか?」

「………」

「なんとか言えこらあぁっ!!」

 

 男性は叫びながら、乱暴に俺の胸倉を掴み、顔を寄せる。

 ぎりぎりと食い縛られた歯から漏れる荒い息遣いが、彼の怒りを俺に伝えているようだった。

 けど……ここで慌てるのはダメだ。

 怖がるのもいけない。

 どちらかが周りが見えなくなった状態で、もう一方まで暴走するのは一番危うい。

 だから、努めて冷静に。

 

「偵察しに来たわけでも……誰かに言われて来たわけでもない。俺はただ本当に偶然、あの店に───」

「嘘つくんじゃねぇっ!!」

 

 聞く耳持たずだった。

 そりゃそうか、相手にとっての俺は、ついさっきまで話していた自分の息子を殺した軍の人間なんだから。

 俺が何を言おうが、ただの戯言にしか受け取れないのかもしれない。

 幾多の視線に睨みつけられながら、気づかれないように息を飲み、目の前の男性の目を見る。

 相手が引くつもりがないなら、俺だって引く気はない。

 まさかこんな早くに騒ぎに巻き込まれるだなんて思ってもみなかったけど、無視なんて出来なかった。

 あのままおやっさんのところで働き、目の前の人と親しくなってから“自分が御遣いだ”なんて言えば、それこそ裏切られた気持ちにさせていたかもしれないから。

 だから言った。自分が御遣いだって。

 隠し事をしたまま仲良くなりたいだなんて思えなかったんだ、仕方ない。

 

(……覚悟を)

 

 静かに目を閉じて、今一度心に刻み込む。

 そう、じいちゃんが言っていた。“本気には本気でかからなければ礼を失する”と。

 だったら俺も、どんな結果になろうとも自分の本気をぶつけて、意思を通す。

 なにかが出来る状況でなにも出来ない自分は、もう卒業するって決めたんだから。

 思い通りにいかなかったとしても、せめて彼らが日常を放棄しないように頑張ろう。

 

「じゃあ……俺がもし偵察に来てたとして、あんた達は俺をどうしたいんだ」

「どうする……!? 決まってるだろうが! 気が済むまで殴って! 謝らせて! それから! それから……! ~……許せるかっ! 死ぬまで殴ってやる! 息子の仇だ!」

「死ぬまで……!? そんなことしたら───」

「同盟が決裂するってか!? はっ、ここでバラして埋めちまえば誰にも気づかれねぇ! お前が勝手に消えるだけだ! 何も変わらねぇのさ!」

「っ……」

 

 本当に……本当に周りが見えてない。

 後ろに居る人たちも、目の前の男性の言葉に賛同するようにウォオッと叫び、ギラついた目で俺を睨んでいる。

 

  ───どうするべきかを考える。

 

 時間はない。出来るだけ早くだ。

 祭さんと話し合ったように、殴られてしまうのはまずい、と思う。

 一応俺は客扱いだ。それが民に囲まれてボコられました、というのはまずいだろう。民の諍いを無くすために呼ばれたっていうのに、それに巻き込まれて怪我をしました、っていうのは。

 

「………」

 

 けど、と考える。

 雪蓮は“大丈夫。一人の兵士の死を大事なことだって悲しめる一刀なら、きっとそれが出来るから”と言ってくれた。

 調子に乗りたいわけじゃない。でも、わかりたいって思うことだってあるのだ。

 呉を内側から変えていってほしいと言った雪蓮の言葉を思い出す。

 

(たとえば……)

 

 たとえばここで、無傷でいるために逃げたとして、それから───呉の将に守られながら語る俺の言葉が、呉の民たちに届くだろうか。

 たとえばここで、全ての攻撃から、罵倒から身を逃がしたとして、それから“貴方たちの気持ちがわかる”なんて言葉を口にして、果たしてそんな言葉がどれほど届くだろうか。

 だったら殴られる? 無抵抗のまま、殴られ続け、出てくる罵倒の全てを受け止めるか? 

 ……いや、その場合この人達はほぼ確実に罰せられる。呉に来ている大使をよってたかって殴り続けた、なんて笑えない。国同士の問題として危機感ってものを考えるなら、そもそも名乗り出ること自体が間違っていた。じゃあ黙っていればよかったのかといえば、それも違う。

 あの飯店で話を聞いて、顔を知られていた時点で偵察だなんだって言われ、口にする発言のほとんどを胡散臭いものとして受け入れられていたに違いない。

 じゃあ抵抗する? いっそ全員を殴り倒してでも無力化させて、襲われたから鎮圧した、と。正当防衛って意味じゃあ真っ当であり、正解なのかもしれない。

 後日きちんと話し合いの場を設ければ、冷静には話し合えるのかもしれない。

 多対一は学んできたんだ、やれるところまでは頑張ってみるのもいいけど……この人数を相手に素手で? 出来るだけ無傷で? ……いや、無理だろ。どんな超人だよそれ。

 そもそも、鍛えた成果を向けたいのは“民へ”じゃないんだ。必要に駆られたのに使わないなんて持ち腐れだとは思うものの、イメージとしてしか多対一をやれなかった上、一斉に襲い掛かられれば簡単に捕まる未来しか想像できない。

 ……殴るのは最終手段だ。じゃあ、だったら、俺は……。

 

「~……!」

 

 波風立てないなら、きっと無傷で逃げるのが一番いい。

 逃げて、冷静になってから改めて話し合えば……そう思ってしまう。

 向き合わずに逃げたくせに、とどうあっても言われてしまったとしても、安全を考えるならそれが一番なのだろう。時間はかかるだろうけど、頑張ることは出来るのだと思う。

 でも……どうしてだろう。それをしてしまったら、もう二度と……彼らの“本音”は聞けない気がした。

 よせばいいのに、そんなことを考えてしまったから、俺は───

 

「あんた達は……それで納得出来るのか? それで治まりがつくのか? 俺を殺しただけで、同盟に納得して生きていけっ───!? ぐっ!?」

「うるっせえんだよ!!」

 

 口にする言葉も半端に左頬を殴られる。……殴られて、しまった。

 喋り途中だったために頬を噛み、口の中に血の味が滲んでくるのが解る。

 これでもう、無傷で逃げる、という選択肢はなくなってしまったのだ。

 

「どうなったって知るか! もう生きる希望もねぇ……! ねぇんだよ! たった一人の息子だった! 憎まれ口ばっかり叩く馬鹿な野郎だった……けどな! 大事な息子だったんだ! それを……それをてめぇらが! 魏が! 蜀が奪った! なにが同盟だ! 殺された息子のことを忘れて仲良くやれってか!? 出来るわけねぇだろうが!」

 

 隠すこともしない“怒り”という感情が、俺へ向けて振るわれる。

 出来る限り避けないと、と距離を取ろうとするも、すぐに背中が誰かにぶつかり、自分を囲んでいる民の一人に背を押され、俺は拳を振るう男の前へとたたらを踏むように突き出された。

 

「っ!」

 

 振るわれた拳を咄嗟に受け止める。けれどすぐに横から別の人に脇腹を蹴られ、再びたたらを踏む。

 次の瞬間には、再度目の前の男性が拳を振るい、俺の腹を殴りつけていた。 

 

「……っぐ……!」

 

 男性は目に涙を溜め、それを散らすたびに叫び、拳を振るって俺を殴りに走る。

 頬を、腹を、何度も何度も。

 見える部分への攻撃は出来るだけ防いで、もちろん他への攻撃も出来るだけ避けて。

 けれどそんな行動が火付けになったのか、後ろに居た人達も暴行に加わり、全員が全員、俺に向けて恨みを吐き出しながら拳を、足を振るう。

 

「っ……!」

 

 防げば突き飛ばされ、その先で蹴られ───そうになるのを防ぎ、背を殴られ、腹を殴られ、咳き込み、壁に押し付けられ───

 

(考えろ、考えろ、考えろ……!)

 

 狂気とは呼べない、ただただ深い悲しみに染まった目たちが俺を睨み、口からは恨みを吐いていく。

 全て俺が悪いのだと言われているようで、心が辛くなる。

 悲しみと恨みだけに飲まれた“人”っていうのは、こんなにも悲しく怖い存在なのか。

 殴られる事実よりも、そんなことが悲しかった。

 

(…………、このまま……)

 

 このまま殴られ続けていれば、いつかは彼らの気は治まるんだろうか。

 殴って殴って、殴り疲れた時……彼らは“自分”を取り戻してくれるんだろうか。

 悲しみに囚われるだけじゃなく、もっと……生きている今を大事に思ってくれるんだろうか。

 

(……ち、がう……それは違う……違う、よな……)

 

 ……違う。

 彼らはきっと治まらない。

 俺の“御遣いだ”って一言を簡単に信じて、こうして殴りかかってきている。

 周りが見えていないのは事実なんだ。

 悲しみが強すぎて、カラ元気でもなければ自分が無くなってしまいそうなくらいの心。

 そんな彼らが同じく子を亡くしたおやっさんのところに集まることで、なんとか絶望に飲まれずに済んでいた。

 けど、俺が御遣いだって名乗った瞬間、“カラ元気”も“自分”も、保つ必要が無くなってしまったんだろう。

 怒りのぶつけどころを見つけて、気が済むまで殴る。

 気が済むまでっていうのはいつまでだ? この人数が、この怒りが差す“果て”っていうのはどこにある?

 

(……簡単だ、俺を殺したその瞬間だ)

 

 彼らはきっと、“人を殺す”っていうのがどれだけ辛いことかを知らない。

 知らないからこんな人数で、たった一人を殴り続けられる。

 

(……なぁ、華琳……俺は……どうするべきなんだろう……)

 

 きっと、望んで息子を兵にさせたわけじゃない。

 そりゃあ、中には望んで向かわせた人も、息子さん自身が志願した家もあっただろう。けど、全員がそうなわけじゃないんだ。望んで向かわせた人も、息子さんが志願した人も、自分の子に限ってって、生還を信じていたに違いない。

 そんな彼らに俺はどうしてやればいいんだろう。

 哀れめばいいのか? 一緒に悲しんでやればいいのか? それとも……死んでやればいいのかな。

 

(───)

 

 違う。

 俺が死んだら、この人達が人殺しになる。

 俺はそんなの許せないし、そもそも死ぬわけにはいかない。

 哀れみたくなんてないし、“一緒に悲しむためだけ”に謝りたくもない。

 だったら……? ───だったら……!!

 

「……っ」

 

 歯を食い縛って、拳を硬く握って。

 一歩を踏み出して───それを、振り抜いた。

 

「……へ……?」

 

 拳と、肘と肩に重い衝撃。人が一人、俺から離れた。

 その一発で、あれだけ騒がしかった喧噪は止んで、俺を殴ろうとしていた目の前の男性の手が停止する。

 そんな彼の横で、一人の男性が倒れ伏した。

 ……俺が、拳で殴ったからだった。

 

「なっ……て、てめ……!?」

 

 抵抗されるだなんて思わなかったのかもしれない。

 男性はこちらが呆れるくらいに驚いた顔をして、俺と倒れた男性とを交互に見た。

 

「……くそっ……くそくそくそっ……! なんでこんなっ……!」

 

 苛立ちを吐き捨てる。すでに目立つ部位を守りながら、散々と殴られた自分に対してじゃない。眼前に存在する人たちの在り方にこそ、苛立つように。

 痛む体を庇うこともせずに、キッと真っ直ぐに睨み返して。

 

「なんだその目は……! てめ……今殴りやがったのか!? てめぇが! てめぇらが悪いくせに!」

 

 怒りと一緒に踏み込んできた男性の左頬を、

 

「ぷぎゃあっ!?」

 

 右拳で思いきり殴り───何人かを巻き込んで倒れた彼に一瞥をくれると、苛立ちを、悲しみを吐き出すように叫ぶ。

 

「誰が悪いとか……! なにが悪いとか……! そんなことを理由に戦ってたんじゃないっ!!」

 

 その叫びに数人が身を竦め、しかし次の瞬間には急に叫ばれたことに苛立ちを覚えたのか、殴りかかってくる。

 そんな彼らを、もはや殴られるだけの自分を捨て去った拳で殴り返していく。背後からは狙われないように、壁を背にして。

 多勢に無勢にもほどがある状況でも、退くことはせずに殴り飛ばしていった。

 相手が誰だろうが関係ない。守るべき民だから、なんて言葉は意味を為さない。相手が殴るっていうなら、こっちだって殴り尽くす。

 当然、超人なんて存在じゃない俺は、全てを思い通りに運ぶことなんて出来ず、殴られも蹴られもした。それでも……殴った先で“どうだクソガキが”と笑うように見てくる男性の顔を遠慮なく殴り───殴った上で、言いたいことを全部伝えてやる。相手の本気を受け止めるために、自分の本気をぶつけていく。

 

「誰かを殺したかったから旗を掲げたんじゃない! 誰かが憎いから武器を手に取ったわけじゃない! みんながみんな、自分なりの泰平を目指して立ち上がったんだ! 殺したくて殺したわけじゃない!」

 

 途端に殴られるが、仕返しとばかりに殴り、地面に叩きつけた。

 

「泰平だぁ!? だったらどうしてもっと早くに同盟を結んでくれなかった! 最初から争わずにいられたなら、そもそも誰も死ぬことなんてなかったんだ!!」

 

 相手の膝が腹に埋まり、痛みに肺の中の酸素を思わず吐き出し、そうした途端に顔面を殴られた。

 

「っ……ふざけんなっ! “最初から争いがなければ”なんてこと……! 誰も考えなかったって本当に思ってるのかよ! 争いたくなかったのは誰だって同じだ!」

 

 それでも殴り返す。

 手加減なんてしないで、思い切り振り切るつもりで振るった拳で。

 

「最初から俺達に国を動かすだけの力があればって! “そんな力があったら”ってどれだけ考えたと思ってる!」

「ぐっ……て、めっ……!」

「力を得るために戦った! 戦うたびに誰かが死んだ! 力を得るたびにみんなが“自国の王こそが”って期待した! 期待に応えるために理想を目指して戦った! 自国の王なら平和な未来を、って期待したんだろ!? そんな王を今さら否定するのか!? じゃあ訊くけどな! 期待に応えない王にあんた達はついていけたのか!? 信じることが出来たのか!? 理想を追い続けた王だったから、あんた達は息子を託せたんじゃないのかよ!!」

「っ……うるせぇうるせぇうるせぇええーっ!!」

 

 もう、誰が相手でも返事はきっと変わらなかった。

 叫び合い、殴り合い、血を吐きながらも自分の、自分たちの言葉を、怒りを、悲しみをぶつけ合っていく。

 痛みに負けて倒れてしまいたくなるのを、歯を食い縛りながら耐えて。

 

「人の生き死にを背負って、様々な命令を下さなきゃいけない将の気持ち、少しでも考えたことがあるのか!? その決断が間違っても間違ってなくても消えてしまった命があったんだ! 戦だから仕方ないだなんて言葉で片付けられるほど軽くない……軽く思えるわけないじゃないか! だってみんな生きてたんだ! 戦う前まではなんでもない日常の中で一緒に笑ってたんだ! あんた達にとってだけ大切なわけじゃない! 俺達にとってだって大切な命があったんだ!」

「だったらなんで死なせちまったんだ! なんで守りきらなかったんだよ! 強いんだろ!? 国を守るやつらが弱いわけないだろうが!」

「~っ……このっ……! どうしてわかろうともしないんだよ! 王だけで国が成り立つもんか! たった一人が強いだけで、戦で勝てるわけがないだろうが! どれだけ強くたって、どれだけ頭が良くたってなぁっ! 俺達は同じ人間なんだよ! 守りたくても守れないものなんて山ほどあるんだ! 守りたいって思うだけで守れるんだったら……っ……俺だって、……俺、だって……! 誰も死なない“今”が欲しかったよ!!」

 

 涙が溢れる。

 滲む視界をそのままに向かってくる人たちを殴り、慟哭する。

 殴られようとも蹴られようとも、歯を食い縛って受け止めて。

 

「俺達にだって魏の兵を殺された辛さがある! 悲しみがある! あいつらが死なずに、今を笑って生きている未来があるなら欲しいって思うさ! 最初からそうだったらって今でも思うさ! でも───でもなぁっ!!」

 

 次々と殴り倒し、殴る数が減っていき、気づけば立っている人なんて二人程度の今。

 おやっさんと、料理屋で息子を殺されたことを苛立ちながら話していた男を前に、俺はおやっさんではないもう一人の男に掴みかかり、壁に押し付けた。

 その人は俺の手を掴んで抵抗したけど───

 

「そんな“もしも”に手を伸ばして“自分が生きている今”を手放したりしたら! 死んでいったあいつらの意思や託された思いはどこに行けばいい!? あいつらと目指した平和な世界を捨てるのか!? その世界を選ぶ代わりにこの世界の全てを忘れるっていうなら───そんな世界なんていらない! 辛くても悲しくても、この世界で生きていく!」

「っ……」

「平和を目指したんだろ!? 天下統一を! みんなが笑っていられる天下泰平を王と一緒に! だったらどうして一年も腐ったままで生きたんだよ! たしかに目指した形とは違う泰平かもしれない! けどもう戦は終わっただろ!? 平和になったんじゃないか! なのにどうして笑おうともしないんだよ!」

「……笑う、だと……!?」

 

 怯むことなく思いをぶつけるが───次の瞬間には頭突きをされ、たたらを踏んだところへ腹部に前蹴りをくらい、無理矢理引き剥がされる。

 

「笑えるわけねぇだろうが! 子を殺されて……へらへらへらへら笑ってろってのか!?」

「づっ……く……! ああ、そうだよ……! 笑わなきゃいけない……! 笑ってやらなきゃ嘘になる……! だって───俺達は生きて“今”に立ってるんだから……!」

「今だぁ!? なに言ってやがる!」

「死んでいったやつらが、争いのない未来を望んで武器を手に戦ってくれたなら……その“今”に立ってる俺達が笑ってやらないで、誰が今を笑ってやれるんだ……! 与えられた平穏かもしれない……望んだ泰平じゃないかもしれないさ……! それでも、“平和”に辿り着いた俺達が“ここまで来れたよ”って笑ってやらなきゃ……っ……あいつらが安心して眠れないんだよぉっ!!」

「!!」

 

 勢いをつけての“ストレート”とも呼べない乱暴な右拳が、男の顔面を捉え、叩きのめした。

 

「ぶっはぁっ!!」

 

 地面に倒れる男を見下ろしながら涙を拭い、嗚咽と疲労に乱れる呼吸もそのままに歩く。

 間違った考えかもしれない。怒られて当然のことかもしれないけど、せめて言葉だけでも届きますようにと願い。

 

「俺達は……っ……はぁ……! いろんな人の犠牲の上で、今……ここに立ってるんだ……。傷ついた人はもちろん、癒えない傷を負った人……体の一部を失った人や……死んでしまった人たちの思いの先にある今に……、いつっ……!」

「………」

 

 殴られたり蹴られたりした腹部の痛みに、身を竦めながら近づいてゆく。

 立っているのは、おやっさんだけ。

 倒れながらも聞いてくれている人は居る。

 だから、きちんと聞かせるように、痛みに声を震わせながら伝えてゆく。

 

「そうだ……犠牲の上に、なんだ……! 最初からこんなところに立っていられたわけじゃないんだよ……! 起きたことがきっかけでこうして集まることが出来て、それがあったから続けられることもあるんだ……! だから……っ……頼むよ……! 生きている今を、“どうだっていい”だなんて言うなよ……。“生きる希望がない”なんて……言わないでくれ……っ!」

「………」

 

 体を庇いながら歩み寄った先の彼───おやっさんは、昨日と今日、見てきたそのままの沈んだ顔で、俺を見ていた。

 睨むのではなく、“なにも見ていない”ような様相で。

 それでも俺は言う。どうか届いてほしいと願いながら。

 この世界においてなにが正しいのか、自分は本当に正しいのかなんてのは結局のところ誰にもわからない。

 わからないから信じるしかないし、信じるなら貫かなきゃ嘘になる。

 だから……たとえ間違っているのだとしても、我を通すと決めたなら歩みを止めちゃいけないんだ。

 

「足りないものがあるなら補い合えばいい……。届かないものがあるなら、手を伸ばし合えばいい……。不満があるなら言ってくれ……届かないなら叫んでくれ……! 叫んで、自分はこんなにも苦しいんだ、助けてくれって……もっと周りに頼ってくれ……! “それは絶対に届かないものだ”って決めつけないで……わかり合う努力を、っ……!」

 

 言いたいことがあるのに視界が揺れ、意識が保っていられなくなる。

 一撃で確実に立ち上がれなくするためとはいえ、氣を無理に移動させすぎた。

 ふらつき、倒れないためにと伸ばした手はおやっさんの肩を掴み、俺の体重がそこへと加わる。

 けど。倒れてしまう───そう思ったのに、倒れることはなかった。

 

「補う……? 無くしたものを……子をお前が補えるとでも言うのか……?」

 

 目の前から聞こえるのは歯が軋む音。

 触れている手がおやっさんの震えを感じとり、語調が怒りに染まる事実に息を飲んだ時、少しだけだけど消えかけていた意識が戻ってくれる。

 

「子を失った悲しみを、お前みたいな孺子が補えると……? 不満を言えば届くと……!? 叫べばこの苦しみが! 悲しみが! 届くとでもいうのかぁああっ!!」

 

 だっていうのに、意識が戻った瞬間に思い切り怒気をぶつけられ───思わず、怯んでしまった瞬間。

 ……鈍い音が、自分の体から聞こえた。

 

「……、え……?」

 

 見下ろせば赤。

 その赤は、俺が着ている服から……いや。俺の腹部から滲み出し、流れていて。

 伝う先には赤く染まっていく……ついさっきまで、誰かが美味しいと喜んでくれる料理を作っていたであろう包丁が。

 

「補える代わりなんて居ねぇ……居るわけねぇだろ! ───届くわけねぇだろ! 俺達の痛みが、命令するだけの将に! お前らはそうやって、自分たちは安全な場所で命令しているだけなんだろう!」

「……っ……あ、ぐ……っ……」

 

 刺された。

 そう意識した途端、おぼろげだった意識が無理矢理覚醒させられるくらいの痛みが走る。

 

「馬鹿者! なにをしている!」

 

 その時だ。

 声が聞こえて、自分の感覚が傷口に向かう前に、その姿を視界の隅に捉えた。

 おやっさんはその誰かを気に留めることもなく……いや、たぶん怒りに呑まれているから気づかぬままに、俺へと怒りをぶちまけ続けた。

 

「どうだ刺された気分は! どうせ味わったこともない痛みなんだろう! 息子はそんな痛みよりも、もっと痛い思いをして死んだに違いねぇ! 苦しいか! どうだ! 苦しいかぁっ!!」

 

 ……痛い。

 頭が考えることを放棄してしまうくらい、痛い。

 痛くて痛くて、なにもかもを放棄して叫び出したくなる。

 叫べば痛みが引いてくれるだろうか、なんて考える余裕もない。

 ただ痛くて、苦しくて。訳も解らないままになにかに謝りたくなった。

 “痛い思いをしているのは自分が悪いからだ、だから謝ってしまえ”って、ようやく考えることを始めてくれた頭の中が混乱を見せる。

 長く吐けない息がもどかしい。

 痛みに呼吸が乱れて、呼吸が苦しくて。

 

「~っ……」

 

 知らなかった。

 ドラマとかで刺された人が、あっさりと倒れていく理由がわからなかった俺だけど、今ならわかる。

 人はあまりの痛みの前では、立っていることすら出来ない。

 ひたすらに痛みから逃れたいと願うあまりに、体が“立つこと”すら放棄する。

 現に俺の膝はゆっくりと折れていき、力を入れないで済む格好を求めるかのように多少の力を込めることさえ放棄しようとする。

 

(……、でも…………)

 

 ……でも。

 刺された場所が熱いのに、体は冷たく感じる気持ちの悪い状況でも、視線だけは戻し、おやっさんの目を見た。

 つい今まで俺を見て、罵倒していたその目を。

 その目は俺しか映しておらず、駆けてはきたが刺激しないようにと速度を緩めた彼女を映さず、だからこそ……ようやく、広がってゆく赤を見て、息を飲んだ。

 

「ど、どう…………だ………………どう…………」

 

 震え、少しずつ力を失っていく俺を見て、おやっさんはやがて顔を青くしていった。

 俺の腹の赤と、血で赤く染まった手を見て、どこか見下すように歪んでいた表情は怯えに変わり、足が震え、歯がガチガチと音を鳴らしていた。

 

「え……、え……? お、俺……?」

 

 取り返しのつかない間違いを起こしたその姿に、もうさっきまであった怒りなど消え……人を殺してしまうという事実に怯える姿だけが、そこにはあった。

 そうだ……どんなに間違っていても、人を殺すなんてしちゃいけない。

 まして、この包丁は───誰かを刺すためじゃない、料理で人を満たすためにあるのだから。

 

「……ち、ちが……違う、俺はっ……! 違うんだっ、これは───! ほっ……ほらっ、すぐ抜くからっ!」

 

 頭がボウっとする。

 だから、混乱したおやっさんがなにをしようとしているのか、咄嗟に判断できなかった。

 伸ばされた両手が、腹部に刺さったままの包丁を掴んで───そして。ぐい、と引っ張られた気がした。

 ……それがどういう意味に繋がるのかに気づいたのは、傍まで来ていた彼女の声が耳に届いた時だった。

 

「よせ! それを抜くな!!」

「へ……?」

 

 聞こえた声におやっさんは振り向いた。

 ……その手で、包丁を掴んだまま。

 

「がっ……! ──────!!」

 

 瞬間、噴き出す鮮血。

 ぐぢゅり……と、体を伝って耳に残る嫌な音が俺の五感の全てを支配した。

 声にならない叫びが場に響き、その声に振り向いたおやっさんの顔に、鮮血が飛び散った。

 

「え、あ、……えああ……っ!?」

 

 もう、怯えも怒りもなにもない。

 ただ、もはやなにがなんだかわからなくなってしまい、目の前の光景の意味だけを求める子供のような目が、俺を見ていた。

 そんなおやっさん目掛け、一気に距離を埋めて、己の武器を抜き取らんとする姿が視界に入った。

 

  そんな姿を見たら、もうダメだった。

 

 よせばいいのに、このまま死ぬんじゃないかってくらい苦しい体を無理矢理に動かして……呆然とするおやっさんと、地を蹴り走る───甘寧との間に立った。

 

「───!? ……なんの真似だ」

 

 甘寧が言う。“信じられない愚か者を見た”といった、冷静さに驚愕を混ぜたような顔で。

 ああ、本当に……なんの真似なんだろうな。自分でも笑えてくるよ。

 

「い、ぐっ……つ…………ぁ……は、はぁっ……は、ぁ……!」

 

 借りた庶人の服が真っ赤に染まる。

 あまりの赤さに気を失ってしまいそうなのに、痛みが気絶を許してくれない。

 ……、今はその痛みに感謝を。今、気絶するわけにはいかないから。

 

「っ……なにを……するつもりなのかっ……知らない…………けど……っ……はぁっ……! この人を……傷つけるっていう、なら……っ……黙ってなんか、いられない……!」

 

 心臓が鼓動するたびに、脈の鼓動さえもが激痛を走らせ、言葉が途切れ途切れになる。

 こんな思いまでして、本当に……なんのつもりなんだ。

 自分でそう思えてしまうくらい、今の自分は滑稽だっただろう。

 でも。でもだ。

 

「正気か? そこまで殴られ、刺されてなお民を庇うなど」

「っ……はは……うん、馬鹿みたいだけどさ……正気、だよ……」

「貴様がどう出たところで、その男には相応の処罰が下る……当然、貴様を見極めようと傍観していた私にもだ」

「え……」

 

 傍観、って……それって、俺が囲まれてた時にはもう来てたってこと……?

 じゃあ、すぐに助けに入らなかったのは…………もしかして、聞いていたんだろうか、俺と祭さんとの会話を。

 

「───だが、貴様がこうして間に立つことは無意味だ。……この路地へ踏み入る前に、兵に治療の出来る者を呼ぶようにと伝えた。黙って死なない程度に倒れていろ」

 

 甘寧は俺が刺された事実に眉ひとつ動かさない。

 包丁を抜くなとは言ってくれたが、ようするに死ななくて済むかもしれない者を殺したくはなかった程度の忠告。

 普通は抗議でも口にする場面なんだろうけど、そんな冷たさを前に、逆に俺は安心していた。

 

「無意味なんて、そんなこと……ないさ……。は、は……っ……少なくとも、ぐあぁっづぅっ……ぁあああぁぁ……!!!」

「喋るな。本当に死ぬぞ」

 

 ハキハキと喋れもしない俺を横に押し退け、甘寧がおやっさんへと歩み寄ろうとする。

 それを、俺は通せんぼするように腕を左右に伸ばした。

 

「……もう一度訊く。なんの真似だ」

「~っ……刃物……抜かないでくれ……! 罰は……、人を刺した罰は、必要なのかもしれないけど……それは、自国の民に、躊躇なく向けていいものじゃ、ないし……っ、この人は……言って当然のことを言って……届かない思いを、届けようとしただけなんだから……」

「……? なにを言って───」

 

 歯を食い縛る。

 人を刺した事実に腰を抜かし、逃げることも出来ないおやっさんを後ろに庇いながら。

 そうだ、歯を食い縛れ……力を抜くな。

 脱力するのなんて、全てが終わってからでいい。

 覚悟を……意思を貫け。どれだけ泥を被ろうと、貫き通すって決めただろ……?

 

「間に立つことが無意味なんてこと……ない……! 伸ばしても届かない人の手を……繋いであげられる……! 届かない、届けられない小さな声を……代わりに届けてあげられる……!」

「………」

「だから……頼むよ……! っ……辛い、って……苦しいって……助けを求めてる人に、他でもない自国の将が……刃物を抜いて、威圧を向けるようなこと……しないでくれ……!」

 

 甘寧が俺を睨む。

 本当に、なにを言っているんだって目で。

 内心、呆れているのは俺も同じなんだろう。

 誰を呆れるでもない、自分自身を一番呆れる。他人に刺されて、その事実を後回しにしようなんて、本当に馬鹿な話だと思う。誰かから“そんなヤツが居る”と聞かされれば、きっと頭がどうかしてる、だなんて思ったんだろう。……現代に居れば。

 

 でもここは戦が終わったばかりの世界で、これから手を取り合って平和に生きようとしている、大事なスタートラインだ。よその国の男が大使として向かって、他国の民に刺された。……詳しく言えば、冷静さを失い、気が動転したまま勢いで刺してしまった。

 刺されたヤツは生きいてるけれど、じゃあその刺した民は殺そう、なんてことにはなってほしくない。

 大事なスタートラインだからこそ、見せしめに、なんて考える人だって居るのだろうけど、出来ればそれはしたくないし、そうなってほしくない。

 呆れるくらいに甘い考えだって自覚もあるけど、そんな血生臭い処罰は乱世と一緒に置き去りにしてしまうべきだとも思うのだ。

 

 祭さんの言う通りだ。平和をと願うあまりに、それを乱す者の全てを排除することを意識しすぎているのだろう。

 それは確かに大事なことだ。

 やっと手に入れたものだ、それこそ様々な人の犠牲の上にあるものなんだから。

 無くすわけにはいかない……それは当然だよな。誰かの勢いや気の迷いで潰していいものじゃない。

 それでも、たとえば……そんな意識がいきすぎればきっと、警備隊がきちんと組まれる前の“曹の旗”の下、あの息苦しい街の光景しか、未来には残っていない気がするのだ。

 ……届けたい言葉は受け取りたいって思う。けど、常に剣を構えた人を前に、いったい誰が本音を届けられるのだろう。言ってしまえば斬られるってわかってて、そこに自分の悲しみを届かせるには、民と国の偉い人とじゃ差がありすぎるんだ。

 

  刺された全てを許すことは、それはもちろん無理なのだ。

 

 そんなことをすれば、民は人を傷つけてばかりになる。

 だから、力を振るわれれば力を振るおう。振るった上で、だからといって刃に対して刃を振るうのではなく、言いたいことは届けてくれって何度だって伝えたい。

 貫くと決めた意思を、決めて向かった覚悟を、最後まで責任として刻み込むために。

 

 ……ああ、やっとわかった。

 この国の王でも重鎮でもない俺に出来ること。雪蓮や孫権に出来なくて、俺なんかができること。

 ただ俺は俺として、真っ直ぐにぶつかってやればよかったんだ。

 国のことをどうとか言うんじゃなく、民の苦しみ、辛さを受け止めてあげればよかったんだ。

 それがたとえ怒りでもいい、王に向かってなんてとても叫びきれない嘆きの全てを、殴れる、殴らせられる立場の自分が受け止めてあげれば。大使って意味じゃ相当無謀だし、華琳には本気で怒られそうだけど。

 この国の王は民を傷つけることなんて出来ず、民は王を傷つけようだなんて考えれない。

 だから……いくらボロボロになろうとも、俺に出来ることなんてのはこんなことでよかったんだ。……避けられるなら避けて、その上で話したかったけど……だめだなぁ。鍛錬不足だ。

 

「集団で殴りかかる相手を……自分を刺した相手を庇うというのか? 正気を疑う」

「だよな……うん……。でもさ……疑われてもいい……笑われたっていいよ……それでも俺は、補いたいって……そう思うから……」

 

 だから、痛みの所為でいい加減下げてしまいたくなる両手を、横に伸ばしたまま言うのだ。

 甘寧が構えた刃を見ながら───さっきは否定された、補うための言葉を口にした。

 

  “俺の親父たちだ、手を出さないでくれ”、と。

 

 “刺されたから刃を構えて斬る”のではなくて、無力化から入ってくれてもいいから、せめて言葉だけでも受け取ってほしいと願い。

 それが暴徒の類なら仕方ないのかもしれない。

 こちらがいくら受け止めようが、相手は受け止めてくれないかもしれない。

 伸ばした手は伸ばされたまま、相手は握ってくれないかもしれない。

 

 それが泥を被るってことで、道化だなんだって馬鹿にされようとも───伸ばした手は引っ込めたくない。

 そんな道化を見て誰かが笑ってくれるのなら、それでもいいじゃないか。

 子の死を嘆くだけで、笑むことが出来ないよりかはずっといい。

 一方的な気持ちの押し付けなんだとしても、誰かがいつかは踏み込まなきゃ始まらないなにかって、やっぱりどうしてもあるんだ。民を、国を愛するあまりに踏み込めなかった、雪蓮や祭さんが想うように。

 そういうことをしてもいいくらいには、この国を愛していると祭さんが言ったように……俺だって、魏のみんなのためにならって思えるものが確かにあるんだから。

 

 死人はさ、そりゃあ……もうなにも伝えてはくれないよ。

 どれだけ綺麗事を並べたって、理想でしかないことばっかりだ。

 でもさ、生きている人に元気でいてほしいってくらい、故郷から遠く離れた子が、故郷の親を思うくらいには……たとえカラ元気だとしても、元気であってほしいとは考えると思うんだ。

 だからどうか、彼らが目指したこの平和の中で笑うことを……忘れないでほしい。

 

「睨み合うだけじゃなく……もっと歩み寄ってくれ……。言えないことも言い合えるくらい……歩み寄って……。不満を持ったまま、っ……つぅ……! っ……平和の、中に居ても……はぁ……きっと、笑えないから……だから……」

 

 もう力の入らない手で、右手でおやっさんの手を、左手で甘寧の手を取って、触れさせる。

 二人は手を繋ぐことはしなかったけど、嫌がって手を振り払うことをしなかっただけでも、俺は嬉しかった。

 

(あ───)

 

 そうして喜びと安堵を得た途端、体から力というものの全てが消える。

 まだ言いたいことがあったのに、力を込めることを放棄した体は、なんの受身もとれないままに地面に倒れ───ず、甘寧に支えられた。

 意識が遠くなるさなか、俺を呼ぶ声が何度も聞こえる。

 それが、甘寧とおやっさんの声だったことがどこか嬉しくて……それを安心の材料にするみたいにして、俺は意識を手放した。

 



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06:呉/民の痛み、御遣いの痛み③

20/いつか、本当の笑顔で笑い合えるその日まで

 

 ふと、意識が浮上する。

 静に開いた視界で見たものは天井。

 道場の天井じゃないだけ、少しマシかなって思ったのを、少し反省。

 ここは宛がわれた自室だろうか……なんにせよ生きていることを喜ぼう。

 

「……よあいぃぃいいっ!?」

 

 “よっ”、と起き上がろうとして激痛。掛け声と悲鳴が混ざり、おかしな声が完成した。「なに!?」と自分の体を確認してみれば、腹部が包帯ぐるぐる巻きにされている事実に驚愕。

 あれ? 俺……ってそうだよ、さっき生きてることを確認したばっかりじゃないか。

 

「あ……そうだった。刺されたんだよな、俺」

 

 現実的じゃなかったからか、刺されたって事実を飲み込むまで時間が要った。

 いや……うん、ほんと、現実的じゃないよな。まさか自分が、って、こういう時にこそ思うものだろう。

 

「……うん」

 

 でも、これだけはわかる。こうしてなんていられない。

 おやっさんたちがどうなったのか、確かめに行かないと。

 そう思って起き上がろうとするんだけど、痛みが勝って力が入らない。

 

(……よく立ってられたな、俺)

 

 人間、無我夢中の時は案外無茶が利くようだ。

 二度とごめんだ~って思うくせに、同じ状況になったらまたやりそうな自分が自分で怖い。

 

「はぁ……あ、そうだ。傷口に氣を集めたら治るとか、そんな漫画的なことはないだろうか」

 

 早速集中……霧散。

 

「あれ?」

 

 上手く集中が出来ない。痛みの所為? 違う、なんかこう……下半身がムズムズするっていうか。

 

「…………エ?」

 

 テントがあった。

 腹部ばっかり見てて気づかなかったけど、こう……寝起き特有の“おテント様”ではなく、明らかに強大な力を秘めているであろうおテント様が……!

 

「い、いや待て、俺は極めたはずだろ? 落ち着け~、落ち着け~……!」

 

 あんなことがあって、目が覚めたらこんな状態って笑えない。

 静まれ、鎮まれと二つの意味で落ち着かせようとするが、一向に落ち着いてくれやしない。

 そこでハッと気づくが、服が刺された時のものとは違っていた。

 あの服よりも若干高級感がある服で、その上着だけをはだけられた状態で寝ていたようだった。

 いったい誰が着替えさせてくれたのか……って、はうあ!?

 

(き、着替え……させた? こんなおテント様を張っている俺を、誰かが……!?)

 

 事実に気づくや赤面状態だ。

 顔がチリチリして、今すぐ頭を抱えて七転八倒したい気分である。

 い、いやいやいやいやいや!! きっとその時はおテント様を張ってなかったってきっと!

 じゃなくて状況を弁えろよ俺ぇえええっ! あんなことがあった直後だぞ!? それを───……

 

「……待て。直後?」

 

 ……今、何時だ? いや、時計なんてないからわかるわけもない。

 俺が気絶してからどれくらい経ったんだ? そもそも今日は同じ日なのか?

 

「………」

 

 わからない。

 わからないなら、少し冷静になろう……そう思って、水差しでもないものかと横へと視線を逸らせば、寝床の端に自分の腕枕を構え、すいよすいよと眠っている……周泰と呂蒙。

 

「───……うあ……」

 

 胸がとくんと大きく鼓動する。

 看病してくれたんだろうか、心配してくれたんだろうか、ありがとう、ごめんな……いろんな思いが胸に溢れ出して、申し訳ないと思う気持ちと感謝の気持ちがごっちゃになる。

 そんな彼女らの頭を撫でようと手を伸ばしかけるが、ふと目に映ったおテント様がその行為を停止させる。

 落ち着きなさい一刀、まずはこちらをなんとかするのが先でしょう? 自分を心配してくれた友達に、こんなものを見せつけるつもりですか?

 ていうかこんな状態で頭撫でてるところを誰かに見られたら、それこそ取り返しがつかないだろ。

 

「よ、よーし落ち着け落ち着け……ってさっきよりも猛っていらっしゃる!?」

 

 え、えぇえっ!? なんで!? 徹夜の修行の成果は!? 極めた俺は何処に───……ハッ!?

 

「………」

 

 あの時の状態を思い出してみる。

 睡眠不足で、空腹で……でも煩悩を掻き消そうと躍起になってた。

 ここで問題。人間の三大欲求ってなんだったっけ?

 

(うあぁああああああああ…………!!)

 

 今こそ頭を抱えて転がり回いだぁああだだだだ!!

 

「うぁああだだだいがががぁああ……っ!!」

 

 痛みよりも恥ずかしさが勝り、ゴロゴロ転がり回った途端に激痛に苦しむ馬鹿者がここに誕生した。

 ソ、ソウカー……ハハ、ソッカー。

 俺、ただ三大欲求のうちの食欲と睡眠欲で、性欲を押さえつけてただけなんだー……。

 

(ぐあぁあっ……! 死にてぇっ……!)

 

 極めた気になっていて、蓋を開けてみればこんなものである。口調が悪い? こんな時くらい勘弁してくれじいちゃん。

 そして、睡眠欲が消えるまで寝ていたっていうのに、窓から見える景色が明るいってことは───今日は俺が刺された日じゃないってこと。

 いったいどれほど寝ていたのか。

 

「………」

 

 いや、今がいつかなんてどうでもいい。

 今はおやっさんたちが心配だ。

 どうする? いっそ抜け出て───……いや、それは、いいのか? 客が怪我して、手当してくれてあるのに、勝手に外に出て傷を悪化させたとあっては、いろいろ問題が……。

 

(……っ───)

 

 それでも気になる。馬鹿なことしてるってわかっていながらやるんだから、本当に馬鹿だ。ごめん。あとで何度だって謝ろう。謝って済む問題じゃなくなった場合は……ああ、もう。もっと自分の立場を考えろって、俺……。これが雪蓮の言う“内側から変えること”に少しも繋がっていなかったら、民をいたずらに刺激しただけの馬鹿大使だぞ俺……。

 ……刺された時点で、いや。あの飯店に行った時点で手遅れだったのか。

 

「………でも」

 

 ごめん、と呟いて、行動に出る。

 一応、傍にあったバッグからメモとシャーペンを取り出して書き置きをして、ゆっくりと……傷口を刺激しないように起き上がる。

 体に必死さが伝わったんだろうか───氣が傷口に集中し、痛みを和らげてくれた。

 そうなれば起き上がることもそう難しいことじゃなく、散々騒いでおいてなんだけど、ぐっすりと眠っている周泰と呂蒙に気づかれないよう、そっと寝床から下りて歩き出す。

 おテント様も自重してくれたようで、安堵の溜め息を心の底から吐きつつ、静かに部屋を抜け出た。

 ……まあその、窓から。

 歩き回っているのを見つかったら、寝ていろって言われそうだったからだ。

 

(甘寧あたりにはもう気づかれてそうな気もするけどね……)

 

 だとしても、押さえつけたりしないならありがたい。

 一度こくりと頷くと、走る───ことはさすがに痛すぎて無理だったので、ゆっくりと歩いていった。

 

「おでかけですか?」

「ああ。おやっさんたちのことがおぉっ!?」

 

 その途中、声を掛けられて返事をすると、にっこにこ笑顔で隣を歩く周泰さん。

 ……待って!? さっきあなた寝てませんでした!?

 

「だめですよ一刀様。応急処置はしてありますけど、しばらくは動かないようにって言われているんですからっ」

「う……いや、けどさ。街のおやっさんたちがどうなったのか、気になるっていうか……その。ね?」

「だめです」

「ちょっと見たら戻るからっ」

「だめですっ」

「そこをなんとかっ」

「だめですっ!」

 

 頼み込めば許してくれそうな印象だったけど、さすがに無理だった。

 

「で、でもなー……ほらなー、気になっちゃって傷もゆっくり癒せないしなー……。ほ、ほんと、ちょっとでいいんだけどなー」

「う……で、でもでもだめです、だめなものはだめなんですっ」

「ちょっとだけだから! ほんのちょっと!」

「だめですっ」

「そこをなんとかっ!」

「だめですー!」

 

 ぷんすかー、といった様相で怒られてしまった。

 

「だいたい、一刀様は今、歩き回ることだって許したくない状況なんですっ! だというのに窓から抜け出したりなんかして!」

「え? 歩くのもだめなの?」

「だめです!」

「………」

 

 えぇとその。じゃあ。

 歩かないんだったらいいのカナー、なんて。

 ちょっとした試し。試しのつもりで、ひとつ訊いてみることにした。

 

「じゃあそのー……周泰が俺を負ぶっていく、とかは───」

「…………、───!!」

 

 あ。なんか“はうあ!”って感じの顔で固まった。

 きっと相当真面目なんだろうなぁ。歩いちゃいけないって言われたなら、歩かなければいいって穴を突かれると戸惑う、みたいな感じだ。

 たぶんからかい好きな人には騙されやすいタイプ。……あれ? この場合、騙してるのって俺?

 ……いぃいいいやいやいや! 騙してないぞ!? 要望を口にしてるだけだし!

 

「で、でででもですよっ? 勝手に出て歩くと冥琳様に怒られますですっ」

「うっ……冥琳かー……」

 

 周公瑾。

 “孫呉の融通”という名の壁を担いまくっている軍師さま。

 これまでも雪蓮と祭さんに振り回されてきたお陰で、問題児への容赦というものがともかくないことで有名である。……俺が振り回したわけじゃないのに、最初から容赦ゼロとかあんまりじゃないですかちょっと。恨むぞ雪蓮、祭さん。

 そこだけは声を大にして言ってもいいよな? ……“俺悪くないじゃん!”

 刺されたのは自業自得だけど、最初から冥琳の容赦が無いのに俺は関係ないよね!?

 なんて、軽く雪蓮や祭さんへの文句を脳内で叫びつつ、実際の口では外出許可をもぎ取ろうと「ちょっとだから」「だめですっ」の応酬を続けていたら───本人が来た。雪蓮じゃなくて、祭さんが。

 

「なんじゃまったく、騒々しい」

 

 酒を肩に引っ掛けるようにして、半眼でこちらをじとりと睨みながら歩いてくる。

 あ、あー……こりゃ本格的に諦めるしかないかな……。

 助っ人ですとばかりに祭さんに駆け寄って、事情を話す周泰を眺めつつ、諦めを胸に抱くと、「なんじゃそのくらい。気になるなら連れていけばいいだけの話じゃろうが」なんて言葉をあっさりくれた。

 

「えぇえっ!? でででですが歩き回るのは禁止されているのですよ!?」

「なにをけち臭いことを言っておる。北郷が少しでいいと言っとるんだから、ここで問答を続けるよりも連れて行って戻ってくるほうがよっぽど早く、手っ取り早いじゃろうが」

「あ、あうあぁあ……!」

 

 祭さんが仲間に加わった! 百人力の説得で、周泰を説得してゆく!

 いやこれ説得じゃなくて屁理屈押し付けて強引に頷かせる手法だ。しかも慣れてらっしゃる。慣れてらっしゃるってことは常習犯さんなわけで。

 ……上司の気が強いと、下は大変だよな……。わかるわかる。

 

「わ……わかりました。少し、ですからね? 一刀様。ほんと少しなんですからね?」

「周泰……! あ、ありがとう! 我が儘言って悪い!」

「いえいえですっ、そうと決まればすぐに行きましょう!」

 

 言うや、周泰は俺を横抱きにしてみせ、「え?」なんて俺が戸惑っているうちに駆けだした。

 横抱きにされた俺を見て、祭さんが笑いまくってたのが、流れる景色の中で確かに見えた。ほっといて!? 好きでお姫様抱っこされたわけじゃないから!

 

 

───……。

 

 

 そしてやって来た建業の街。

 暖かな賑わいを見せるそこは、誰かが刺されたとか乱闘したとか、そんな事実を忘れるかのような賑わいを見せていた。

 肉まん片手に呼びかける、少しぽっちゃりした威勢のいいおばちゃん。

 買い物をしていった客を送り出す服屋。

 書物の整理をしているのか、バタバタと慌しく走り回る本屋。

 目に映るもの全てが元気に溢れ、笑んでいた。

 

  ただひとり、ある店の前に座りこんでボウっとしているおやっさんを除いて。

 

 行き交う人の流れを静かに眺め、何をするでもなくボウっとしているおやっさん。

 店は開いているというよりは、あの時以来開けっ放しのだったのかもしれない。

 噂ってのは伝わりやすいものだ。

 本人が口にしなくても、その場に居た誰かが口を滑らせるだけであっという間に広がる。

 恐らくは……俺を刺したことが誰かの口から漏れたんだろう。

 刺したことじゃあなかったとしても、周りから一歩引かれるような噂が。

 そうでなければ、あんなにも込んでいた店を誰もが避けて通るはずもない。

 

「………」

 

 でも、よかった。おやっさんがちゃんとここに居てくれて。

 もしかしたら厳罰に処するとかいって、二度と会えなくなってたりしないかって不安だったんだ。

 刺されたのが雪蓮とかじゃなく俺でよかった、とは言えないけど、今は───うん。心配ごとはあるにはあるけど、今はおやっさんだ。

 誰にともなくそう頷くと、店の前に座りこむおやっさんのもとへと向かう。……周泰に運んでもらいつつ。

 もちろんある程度近づくと下ろしてもらい、声をかける。

 途端、自分は邪魔になるとでも思ったのか、周泰がシュパッと…………消えた!? え!? 消えた!? ……あ、ぁああいや、今はそれよりこっちだ、うん。こっち。

 

「…………? う、お、おめぇっ……!」

 

 おやっさんは俺を見るなり───刺した感触でも思い出したのだろうか、表情を驚愕の色に染めた。

 座ったまま俺を見上げる、そんなおやっさんの隣に立つと、困惑顔をしているおやっさんにとりあえずニカッと笑ってみせる。

 

「や、おやっさん」

「っ……無事、だったのか……」

「それはこっちの台詞だけど。よかった、処刑とかになってたらどうしようかと思ってた」

「王が……“雪蓮ちゃん”がよ……わざわざここまで来て、言ってくれたよ……。客人であり他国大使を刺した罪は重い、とさ。ただ、お前の言う“補い合う一歩目”を“見せしめ”にするのは出来れば避けたい、だそうでよ。……普通、それなりの地位に立つものなんて、ちっとでも傷をつけられりゃ、やれ死罪だなんだって言いやがるのに、お前はそれをしなかったんだから、ってな……。けどな、まあ、当然だけどよ、無罪には出来ない、追って別に下されることがあるから、それは覚悟しておけ……だとよ」

「………そっか」

 

 雪蓮がそんなことを……って、“雪蓮ちゃん”?

 

「お、おやっさん? 雪蓮ちゃん、って……」

「こう呼べって言われたんだよ……民に手を伸ばすその一歩だ、ってな……。言いたいことがあるなら言ってほしい、一緒に国を善くしていこう、だとよ……」

「………」

 

 真名を、そんなあっさりと───と思ったけど、それは俺がここに来るより前どころか、そもそも相当前のことらしい。ヘタすれば孫堅の代からそんなことを許していたのかもしれない。

 

「……」

 

 おやっさんが、俺から街の雑踏へと視線を戻す。

 ちらちらと行き交う人が店を、おやっさんを見るが、視線が合いそうになると慌てて目を逸らし、足早に歩いていってしまう。

 

「───建業で騒ぎを起こしてたやつらはよ……雪蓮ちゃんに言いたいこと言って大分すっきりしてたようだぞ」

「……? 名乗り出たのか?」

「お前を殴ったやつの大半がそうだったってだけだ……。結局騒ぐだけ騒いで、殴るだけ殴って……少しはすっきりしたんだろうさ。俺も、あいつらも」

「おやっさん……」

「けどよ……見てくれ、今の俺を。お前の言う通り、あいつの死を悲しむばっかりじゃダメだってことには気づけた。けどな……もう街に自分の居場所が無いみてぇによ……みんなが俺を、店を避けやがる。あれだけ“許せねぇ”とか“死ぬまで殴る”とか言ってたやつらまでもがだ」

「………」

 

 黙って同じ雑踏を眺めている。

 おやっさんのようには座らず、だけど同じ景色を。

 そうしていると、おやっさんは長い長い溜め息を吐いたあとに口を開いた。

 

「あいつのために“今”を笑って過ごしてやりたい……今ならそう思えるのによ……。こんな状態で何を笑える……? 滑稽な自分を笑えばいいのか……?」

 

 言葉のあとに、嗚咽が混じったような溜め息を吐くおやっさん。

 そんな彼に、小さく言ってやる。

 “それはとても簡単なことだよ”、って。

 

「簡単……? 簡単だったら俺は───」

「すぅっ───……みんなぁあああっ! 腹減ってないかぁーっ!?」

「うおっ!?」

 

 おやっさんの言葉に返事をする代わりに、大きく息を吸いこんで大声を発する。

 何事かと街の人たちが振り向く中で、俺は大きく手を振って自分の存在をアピールした。

 

「さーあ美味いよ美味いよー! 軽く食べられるものからガッツリ食べられるものまで! なんでも作れる料理屋だよー!」

「お、おいっ……!?」

 

 当然おやっさんは困惑顔で俺を止めようとするけど、俺はその顔に向き直って笑いながら言ってやる。

 

「ほらっ、客が来ないなら呼びこまなきゃダメだろ? ここは休憩所じゃなくて、料理屋なんだから───なっ、親父っ!」

「───……お、や…………?」

「俺さ、結局のところ呉に来たところで自分になにが出来るのか、はっきりとわかってない。受け止めるにしたって、一人でやることには限度があるし……さ。でもさ、無理に見つけてそれをするんじゃなくて、自然に見つかったものをやっていくだけでもいいんじゃないかなって今なら思うよ」

「……? なに言って───」

「そのためにはまず言ったことを守る! 息子さんの代わりになんてなれないってのはわかってるけどさ、手伝えることなら手伝いたいって本当に思うんだから仕方ないっ!」

 

 その一歩目として“親父”と呼ぶことを胸に刻む。

 補うための第一歩として踏み出し、行なう行動の全てを笑いにするために……道化でもいい、誰かが笑える道を歩みたいと思う。

 

「難しく考えることなんてなにもないんだよ、親父。無駄かもしれない行動がなにかに繋がることって、俺達が気づかないだけできっといっぱいある。こんな呼びかけでも“誰か”に届けば来てくれるし、そこから増えていくかもしれない。そうしてさ、自分たちの手で少しずつ呉って国が変わっていくのって、凄いことだって思わないか?」

「! ───……」

 

 俺の言葉におやっさん……親父は目を見開いて、俺を見たまましばらく固まっていた。

 その間にも俺は呼び込みを続けて、何人か止まってくれる人に事情を説明しては、食べていかないかと促していく。

 そんな中で───

 

「……おかしなもんだなぁ息子よぉ……。顔も性格も全然似てねぇのに……言うことばっかりがいちいちお前に似てやがる……」

 

 すぐ隣から、やっぱり嗚咽混じりにも似た声で親父が何かを言ったんだけど、呼びかけるのに夢中で聞こえなかった。

 一度気になったら知りたくて問いかけてみても、親父はどこか吹っ切れたように笑うだけで。座らせていた体を立ち上がらせると、頬をびしゃんっと叩いて呼びかけに参加してくれた。

 

「おらっ、そんな小さな声じゃ誰にも届かねぇぞ孺子!」

「……ははっ、ああっ! 親父こそ声が小さいんじゃないのか!? 気が沈んでた時間が長すぎて、声も出なくなったか!?」

「んーなことはねぇっ! ───おらー! 腹減ってるやつはいいから寄ってこーい!! 俺の料理が食えねぇってのかーっ!?」

「なんで喧嘩腰なんだ!? それじゃあ客が逃げるだろっ!」

「うーるせぇ! どうせ今の状態が最悪なら、これ以上悪くなんてならねぇよ! それよりおめぇも声出さねぇか!」

 

 二人して店の前で叫ぶ。

 いろんな人が逆に逃げてる気もするんだけど、そうなればたしかにヤケになるしかないわけで。

 なるほど、今が最悪ならこれ以上悪くなりようがない。

 それなら形振り構わず、むしろ無茶なことも言えるのだ。

 

「いらっしゃいいらっしゃーい! 美味いよ安……なぁ親父。この店の料理って安いのか?」

「こっ……こらこら……! それ今ここで訊くことか!?」

「い、いや……いろいろ食わされて金が足りなかった俺としては、安いのか高いのか疑問で……う、うん、まあいいや」

 

 叫んでいく。

 カラ元気でもいい、最初はそこから始めて、笑うことを少しずつ思い出して。

 

「おっ、そこのぼうず、腹減ってそうな顔してんなぁ。どうだ、食ってかねぇかい? 心配すんな、金ならこの兄ちゃんが」

「金ないから雑用押し付けられたんだよね!? 俺!!」

 

 冗談半分にじゃれあうように喧嘩をしながら。 

 チラリとこちらを見て、そのまま素通りする人が多かったけど───

 

「いらっしゃーい! 手頃な値段でいい味が楽しめるよー! ……時々人を刺すけど!」

「なっ! こ、こらっ!」

「……ぶふっ! は、あっはははははは! 刺された本人と、刺した本人だーっ! でも刺された本人はこの通り元気で、刺されたことなんて気にしてないから! だから食いに来てくれ! もっともっとお互いを知っていくために!」

「…………おめぇ───」

 

 ───手を繋ぎたいなら、仏頂面はだめだ。

 だから自分の気持ちを打ち明けて、笑顔で呼びかける。

 すると……

 

「お、おい……刺されたって……あの……?」

「じゃああいつが魏から来たっていう御遣い……」

「刺したって聞いたときはもう同盟は終わりかと思ったが……」

「大丈夫……なのか? また戦が起こるなんてことはないのか……?」

 

 いろいろな囁きが聞こえてくる。

 それを受け止めながら、やがて全員の目が俺に向けられるのを確認してから口を開いた。

 

「みんな、聞いてほしい。戦なんて、もう起こす必要はないんだ。俺はたしかに腹を刺されたけど───こうして生きて笑っていられるなら、俺がその事実を許せるなら、どうしてまた戦をする必要があるだろう」

 

 ひとつひとつ、丁寧に……ちゃんとみんなの耳に届くように。

 

「俺達は互いに、大事な家族を殺してしまったかもしれない。でも、死んでいった人たちが天下の泰平を目指して戦ったなら……今。その泰平に立っている俺達は、笑うべきなんだと思う」

 

 伸ばした手が、たとえ今は振り払われても、いつかは届くと信じて。

 

「俺はこの人に、子供を死なせてしまった人たちに、無くしてしまったものを“補う”って言った。大事な家族を補うってことは無茶がすぎると思うけど……代わりにはなれないかもしれないけど。でも、どうか手を握ってほしい」

 

 今もまだ、戦に囚われて悲しむことしかできない人に届かせるために。

 

「俺達はこれから国を善くしていく。そのためには王ひとりが頑張るんじゃなく、民だけが頑張るんじゃなく、国のみんなが力を合わせて頑張らなきゃいけない。それでも善くできなかったとしても、今の俺達には手を伸ばせば伸ばし返してくれる同盟国がある。だから……伸ばしてほしい。助けが欲しいって、辛いって思ったなら……迷わず声を届けてほしい。ずっとそうやって、無くしてしまったものを補っていかないか? せめて……死んでしまった人たちのことを、悲しいだけじゃない……いつか微笑みながら“自分にはこんな息子が居た”って誇れるように───」

 

 そう。国のために武器を手にして、彼らは戦った。

 それは無駄なんかじゃなかったし、むしろ誇りに思ってもいいことだった。

 それを悲しむことしか出来ないなんて、あんまりじゃないか。

 

「死んでいった人たちは国のため、家族のため、理想のために戦った。そのことをどうか、誇りに思いこそすれ……悲しむだけしかしてやれない現状のまま、踏みとどまらないでほしい」

『………』

 

 民のみんなが俺をじっと見る。

 それは親父も同じで、だけど今度は俺を刺す前に見せた、どこか虚ろな表情じゃない。

 新たな思いを心に刻むみたいに、困惑色だった表情をすっきりしたようなものに変えていた。

 

「あ、あー……みんな、聞いてくれ」

 

 そんな親父が、みんなを見て口を開く。

 

「俺はよ、その……息子を失った悲しみで、この一年……なにをやってもだめだった。一年って長い時間、ずっとボウっと過ごしてたよ。……けどよ、この男に会って、叫びたいこと叫んで……その、刺しちまったら……俺の息子もこうして誰かを刺したんだ、斬ったんだって思っちまったら……もう、なにも憎めなかったよ……」

 

 ざわりと民がどよめくけど、親父は続ける。

 

「そうだよな、誰も誰かが憎くて戦ってたんじゃあねぇ。息子たちは国のため、王の理想が眩しかったから志願したんだよ。金欲しさに立ち上がった野郎もそりゃあ居ただろうさ。でもよ……それも結局はよ、国を善くするためだったんだよ」

「親父……」

「こいつはよ、刺されても俺のことを恨みもしなかった。補うって言った言葉は守るなんて言って、俺のことを“親父”なんて呼びやがる。いつかあいつが言ってたみてぇに、“自分たちの手で呉が変わっていくのって、すごいことだって思わないか?”なんて言いやがる……」

『………』

「俺は……俺はよ、あいつが死んじまった時点で、あいつは国を変える手伝いをできなかったんじゃないかって思ってたけど……違ったんだな。違ってくれた。あいつはたしかに国を変えるために戦って、理想のために散っていったかもしれねぇが……あいつが死んでも、あいつが求めた国は作られていってるんだ。俺は……そのことを誇りこそすれ、無様に思うことも情けなく思うこともねぇ。国のために立ち上がったやつを情けなく思うなんて、そもそもしちゃあいけねぇことだったんだ」

 

 親父の言葉が続く。

 そんな中で、一人が歩くともう一人も、と……人々の足がこちらへ向く。

 

「俺はこいつを刺したことを後悔してる。もうこんな気持ち、誰にもさせちゃならねぇ。誰かの命を奪うのが当然の“戦”なんてもの、もう起こしちゃならねぇんだ。死んでいったやつらの……呉だけじゃあねぇ、他の国のやつらのためにも……よ」

 

 親父にかける言葉なんてない。

 ただ、その肩を何人もの人がポンッと叩き、店の中へと入っていく。

 親父はそんな光景をどこか力が抜けたような顔で見て───

 

「よっし親父っ! 客だぞ、ホウケてないで仕事仕事っ!」

「へっ? あ、お、おうっ!」

 

 まだ言いたいこともあったんだろうが、俺達を見る人たちの中で、この店に向かっていない人が居ないなら、もう十分なんだ。

 しこりは残るかもしれないけど、完全にわかり合うのはやっぱり難しいのが人間だ。

 だから、今はこれで。ゆっくりと、気づけたことの輪を広げていこう。

 みんなが心から笑っていられる国にするために。

 

「きりきり働けよ、馬鹿息子代理!」

「ばっ……!? 馬鹿息子代理じゃなくて一刀だ! 北郷一刀! そっちこそ疲れ果てて倒れるなよっ!?」

「あぁそうかよ! だったら一刀! きりきり働けよ!」

「わかってるって!」

 

 叫べば届く言葉がある。叫ばなきゃ届かない言葉がある。

 言わないでもわかると思えるまで、俺達はどれだけの付き合いをしなければならないのだろう。

 どうして付き合いが浅いのに、言わないでもわかるだろうと決め付けてしまうのだろう。

 

「親父!? 親父ーっ! 採譜は!? 掃除は!?」

「うおおおーっ! どうせ誰も来ねぇだろうって散らかしっぱなしだったーっ!」

「な、なんだってーっ!? うぅあどうするんだよこれ! 仕込みは!? 材料は!?」

 

 もし決め付けてしまったことで繋げなかった手があるとしたら、それはいつか後悔に繋がるかもしれない。

 そうならないためにも……届けたい言葉を口にしよう。繋ぎたい手を伸ばしていこう。

 そういう小さなことから人の輪が生まれるなら、こんなことからでも国は変えていけるのだから。

 

「ととととにかくお客さん第一! まずは卓の整理を───!」

「おうよ! ……って、どうしてこんなに散らかってるんだよ!」

「親父たちが、俺が“御遣いだ”って言った途端に暴れ出すからだろっ!? とにかく急いで用意をいぢぃっ!? ~ツァッ……! そ、そういえば歩くの禁止って……ギャーッ! 傷口開いたーっ!!」

「うおぉおお!? 一刀ーっ!?」

 

 そんな些細なことが出来る今を、精一杯生きていこう。

 騒ぎが起きてたのは建業の街だけじゃないだろうけど、だったらこの街を第一歩にして笑顔を増やしていこう。

 どんな辛さも、いつかは笑って話せる日が来るまで、ずっとずっと。

 

 

 

 ……ちなみに。無断外泊や乱闘騒ぎを起こしたこと。

 刺傷事件のことや、抜け出したことについては、あとでしっかりと冥琳に怒られました。祭さんと周泰も一緒に。

 今回のことは、周泰と同じく起きていたらしい呂蒙より冥琳へと伝えられ、彼女は堂々と店まで来訪。この場で雷が落ちた。

 店の中で正座をしながら怒られた俺は、その迫力に怯える民のみんなを見て思った。

 民と将が手を繋げる日って……いつ来るんだろうなぁ……と。

 

 ……そのさらに後に、城に戻ってから雪蓮と祭さんと周泰と呂蒙に怒られたことを追加しておく。

 いや……悪かったけどさ……。祭さんはむしろ共犯みたいなもんなのに、なんで怒るのちょっと……。

 あ、でも周泰にはそれはもう心から謝った。祭さんと一緒に謝りまくりました。

 明らかにとばっちりだったし。



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07:呉/訪問者と罪①

 “───拝啓、曹操様。最近暖かくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて本日は、近況をお報せしたく筆(ボールペンだけど)を取りました。

 呉の国は魏国に劣らず賑やかであり、人々の笑顔が絶えない場所ですね。

 辿り着いて早々からいろいろあって、悩んでいる暇もあまりありませんでした。

 それでもやはり心細さがあったのですが、そんな中で周泰と呂蒙が友達になってくれて、心が救われた気分です。

 こんな泣き言みたいなことを言ったら、きっと貴女は怒るか呆れるのでしょうね。

 

 友達といえば、虎の周々と熊猫の善々とも友達になりました。

 どうやら自分はよほどに人間の男と縁が無いらしく、今のところ友達になってくれる男性が居なかったりします。

 男友達よりも早く動物が友達になるなんて、正直……ちょっぴり切ない気分でした。

 ああそうです、凪にお礼を伝えておいてください。貴女に教えられた氣のお陰で、自分は今を生きています。

 というのも少し前、呉の民と悶着を起こした際、包丁で腹を刺されまして。

 祭さん曰く、無意識に腹部に氣を集中していたお陰で傷の治りも速かったそうです。

 ええ、完全に癒えたわけでもないのに街に出て騒いで、傷口を開いて冥琳に怒られた自分は本当に馬鹿だったと、今なら本気で思います。

 

 ですが安心してください。私は確かに生きています。

 ええ、はい、私は元気ですので、刺した者を差し出せとか始末しろとか、今は仰らないでくれるととても助かります。

 王としての権力を振り翳すのは、今の呉としてはまずいのです。

 今必要なのは権力ではなく、手を差し出せる隣人なのです。

 ならばどうしてこんな手紙を送ったのかといえば、黙っていたくせにあとで伝えでもしたら怒られると思ったからです。

 秘密が嫌いですからね、貴女は。

 そんなわけですので、私は呉で元気に過ごしています。

 帰るまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、善い方向には進んでいると思うので、暖かく見守ってやってください。

 

                  北郷一刀

 

 追伸:たとえ何処に在れど、魏を、貴女を愛しています。”

 

 

 

 

21/近況と鍛錬と

 

-_-/曹操

 

 執務室にこもり、なにを読んでいるかといえば小さな紙。

 以前、一刀が言っていた“めも”とかいうものを折ったもの、らしい。

 つい先ほど執務室に届けられたばかりのそれを、部屋から出ることも誰かに報せることもなく、一人で読みふけっていた。

 ばか丁寧に書かれた筆跡には以前までの迷いがなく、真っ直ぐ綺麗に綴られている文を読み進めるうち、頬が緩み……最後まで読んだ瞬間には顔が灼熱した。

 なんてものを書くのだろうか、あの男は。

 刺されたことへの胸のざわめきなんて、別の胸の鼓動で掻き消されてしまった。

 耳がじわぁああと熱くなり、本来外の音を拾うべきはずの機能は鼓動の音ばかりを拾い、顔が痺れるようにじんじんとする。

 だからだろう。

 そうして私は執務室に響いた音にも誰かが入ってきたことにも気づかず、最後の文面を見て胸を暖かくさせ───

 

「華琳様?」

「ふぐぅっ!?」

 

 ───声をかけられ、変な声を漏らした。

 それが自分の声だと気づくまでに時間を要するほどの小さな悲鳴。

 途端に手紙の所為で赤くなっていた顔は、己への羞恥で赤く染まり……そんな顔をキッと掻き消してみせると、声をかけてきた人物へと振り向いた。

 

「───稟。人の部屋に入るのなら、まずは“のっく”をするなり声をかけるなりしなさい」

 

 振り向いた先に居たのは稟。

 声の時点で気づくべきだったが、あまりに動揺が激しすぎたために、声質すら確認しきれずにいた。

 ……しっかりしなさい、曹孟徳。こんな無様……まったく。

 

「いえ、“のっく”もし、声もおかけしたのですが……失礼しました。少し小さかったのかもしれません」

「………~」

 

 片手で顔半分を覆い、俯きたくなるような状況だ。

 一刀からの手紙に夢中で気づけなかったなんて、口が裂けても言えない。

 つくづく、存在でも手紙でも、あの男は曹孟徳という存在を狂わす。

 そんな溜め息混じりのぐったりとした思考のさなかに、稟は用件を思い出したかのように口を開く。

 どうやら悲鳴のことは流すつもりらしい。

 逆にむず痒く羞恥の念が増すが、わざわざ蒸し返すようなことでもないだろう。

 

「“学校”についての話を進めたいとの報せが、蜀の諸葛亮より使者とともに届いております」

「朱里から? 事を急ぐなんてあの子らしくないわね」

「いえ。急ぐというよりは、それを成さなければ状況が進まぬとのことで……」

「…………そう」

 

 それはそうだろう。

 公立塾の話を耳にして、一刀を紹介したのは他でもない私だ。

 だというのに先に呉に行くだなんて言い出して、あの男は呉に向かった。

 蜀の行動の流れが滞るのも無理はない。

 

(さっさと行って、さっさと帰ってこいって言ったのに。……ばか)

 

 心の中で愚痴をこぼしながらも、しかし表面では冷静な対応を。

 

「蜀から誰か一人を呉に向かわせて一刀と話を進ませることくらい、朱里なら考えそうだけれど?」

「はい、それは当然考えたそうなのですが……」

「ですが……なに?」

「それを任せるとなると……才知に富む者。理解力と応用力を持つ者が必要とされ、ならば自分がと諸葛亮と鳳統が動きましたが」

「回りくどい言い方はいいわ、稟。はっきり言いなさい」

「……率直に申し上げます。諸葛亮、鳳統の両名が不在になると、劉備殿たちだけでは政務をこなしきれないのだとか……」

「なっ───~……あの子はぁあ……っ」

 

 今こそ片手で顔を覆い、俯いた。

 目を閉じれば浮かんでくる、泣きながら書簡や書類を睨む桃香の姿。

 仮にも三国同盟の一方を担う王が、なにを無様な……! などと呆れてみてからつい先ほどの自分を振り返るに至り……無様と思いはするものの、悪く言うことなど出来そうもない自分が居た。

 いえ、待ちなさい。蜀には他にも才知に富んだ者くらい、いくらでも居るでしょう? 音々音もそうだし……そう、詠だって。

 

(………)

 

 彼女と月が賈駆と董卓だということは、真名を聞く際に知らされた。

 争いも終わったのだし、そもそも反董卓連合自体が仕組まれたことだったのなら、謝罪をすべきは私たちの方だったのだが───董卓……月はそれを笑みとともに許し、“散っていった兵たちのためにも善い国を作りましょう”と口にした。

 その笑みがどこかのばかと重なって見えた所為で、不覚にもなにも言えなくなってしまったのは秘密だ。

 と、そんなことはどうでもいいのよ。ようは人手が足りないってことなんでしょう?

 

「……使者に伝えなさい。泣き事は許さないわ。それをこなすのが王の務めであり将の務め。出来ないでは困るのよ」

「はい、たしかに伝えておきます。……しかし華琳様? 諸葛亮、鳳統が不在となるのは、確かに蜀にしてみれば問題が───」

「わかっているわ、稟。七乃……張勲を呼びなさい。一刀が言っていた通り、彼女には三国のために働いてもらいましょう。あの子を蜀に向かわせ、雑務を任せるよう桃香に伝えなさい。当然、よからぬことを企てないために、可能な限り監視とともに行動させること」

「はっ。───袁術殿はいかがしましょう」

「一緒に向かわせることは許さないわ。あの子たちは一度離さないと、互いの成長の妨げになるだけよ」

 

 言いながら───つい先日、好き勝手に城内を走り回り、誰も使っていないという理由で一刀の部屋を荒らし、挙句の果てに霞と凪に本気で怒られた二人を思い出す。

 あんなことをいつまでもし、七乃がそれを煽るのでは……第二の麗羽の誕生もそう遠くない。

 

(あの二人は一度切り離して、いろいろな物事を徹底的に叩き込む必要があるわ)

 

 あれならまだ話を聞くだけ、鈴々や季衣のほうが可愛いわ。あの二人は顔を突き合わせれば騒ぎを起こすけど、声を投げればきちんと聞く。

 それに比べて美羽と七乃は……暇さえあれば悪巧みを考えては悶着を巻き起こし、城では春蘭と秋蘭、街では警備隊に面倒をかけてばかりだ。

 それが先日、一刀の部屋を荒らしたことで凪と霞の怒りを買い、これでもかというほどに叱られた事実は、魏の皆の心を少しだけすっきりさせた。

 思い出した事実に小さく苦笑をこぼし、目の前の稟に頷いてみせると、稟も頷いた。

 

「では、そのように」

「ええ、下がりなさい」

 

 稟が頭を下げ、去ってゆく。

 ……少しののち、扉が閉ざされ、足音が遠退くのを確認してから…………もう一度手紙に目を通す。

 

「早く……帰ってきなさいよ、ばか」

 

 呆れや脱力の気持ちもどこへやら───あっさりと頬が緩んでしまった自分では、やっぱり桃香を責められそうもなかった。

 

「……さて」

 

 そんな緩んだ顔を正し、もう一つの報せへと目を向ける。

 一刀が刺されたことへの雪蓮からの報せだ。

 民と殴り合い、挙句に刺されたこと。それを思春が傍観していたこと。傍観についてはそもそも一刀がそうしてくれと言ったこと。なので、それを罰するのはやめてほしいと言っていたこと。

 雪蓮はお咎め無しとしたいようだけれど、私は───

 

「………」

 

 私情を挟まぬのなら、一刀の立場は本来警備隊隊長。

 天の御遣いという立場もあるけれど、国としての立場は将にも届かない。

 私情を挟むのなら、刺され、しかもそれを傍観されたとあっては黙っていられない。元々が一刀が護衛もつけずに、さらに悶着が起きてもしばらくは見守っていてくれ、なんて願ったから起きたことではあるらしいけれど、それでも───魏の将にこのことを話せば、ほぼが私情に走るだろう。

 さて曹孟徳? この場合、貴女が見るべき道は私情の視点? それとも王の視点?

 

「考えるまでもないわね」

 

 求められているのは王としての意見。

 だが、将に届かぬとはいえ国の同胞が傷つけられたのだから、黙っていられるわけもない。

 一刀は王としての権力を振り翳すのは良くないとは言うでしょうけれど、これはそういう問題ではないのだ。

 だから……そうね───魏の大使を刺したとあれば、その民に課せられる罪の重さは死罪となる。

 集団で暴行を加えた者も同様とする、でいいのではないかしら。

 ただし、まあ。

 死ぬ、という意味が特殊ではあるけれど。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 宛がわれた私室に、話す声ふたつ。

 

「いいですか~一刀さ~ん、今現在、たしかに呉は穏やかな状況には立っていますが~」

 

 知らないことが多すぎる中で、まず国の内情を許されるところまで教えてもらって、片っ端から頭に叩き込んでいく。

 俺の教師役として冥琳に選ばれた陸遜を前に。

 

「えっとつまり……野党化している民は居ないけど、問題を起こす民が減らないってこと?」

「う~ん、ちょっと違いますね~。この一年、雪蓮様のお陰で、問題を起こす民はちゃ~んと減っていってるんですよ?」

「そうなのか? ……ん、でも野党化する民が居ないのは喜んでいいことだよな」

 

 聞いた話を、シャーペンでメモしながら纏めていく。

 書簡ではないコレを見て、呉のみんなは珍しがっていたけど、天の国には当然のようにあるものだって説明すると、みんなは“ほぉおおお……”と溜め息に近い感心を口から吐き出していた。ああまあ今はそれはいいとして。

 

「そういえば雪蓮も野党が居て困ってる、なんて一言も言ってなかったな」

「きっと野党さんのほうがまだやりやすいって思いますよ~?」

「え? なんでだ?」

 

 動かしていた手を止めて、視線をメモから陸遜へと向ける───と、陸遜は少し難しい顔をしながら口を開く。

 

「相手は野党でも盗賊でもない、呉の民ですから。話をして納得してくれればいいですが、それが出来てるなら、そもそも誰かに頼ったりなんかしませんよ?」

「………」

 

 陸遜の言葉を聞きながら、宴の日に雪蓮に言われた言葉をもう一度思い出してみる。

 あの時、雪蓮はなんて言ったっけ? こう……内側……そう、内側から変えてほしい、って───…………あの……雪蓮さん? あの時言った“内側から変えて欲しい”って、まさか本当に内側って意味なのでしょうか。

 “呉に産まれてきてよかった”って思わせる? ……そんな騒ぎを起こしたがるヤツ相手にそんなこと思わせること、出来るのか?

 

「なぁ陸遜。この数日間、雪蓮の行動を見てて思ったんだけど……雪蓮って結構街に出て、民と親しげにしてるよな?」

「はい~、それはもう。雪蓮様は呉の民の笑顔のため、親である孫文台様の意思を含めた孫呉の宿願のため、剣を掲げたお方ですから」

「宿願っていうのはちょっとわからないけど、“力で押さえつけてた”って聞いてたから……もっと殺伐としてるのかと思ってた」

「一刀さん、それは誤解ですよ~? 雪蓮様や私たちが“力”で押さえつけるのは、あくまで“暴徒”です。もし呉に不満を抱いていて、自分のほうが力があるんじゃあ……って思った民が居たとしたら、その人はどうすると思いますか~?」

「あ……そっか。ここで言う力ってのは、文字通りの力って言うよりは───」

「はい、一言で言えば脅しみたいな力ですね~。人間、小さな可能性でも見つけてしまうと試したくなってしまいますから~」

 

 なるほど、だから力を誇示して、よからぬことを考える民を鎮めておく必要があったのか。

 それを脅しって呼ぶなら、たしかに“力”で押さえつけている。 

 

「それで~、一刀さん~?」

「ん? なに?」

「一刀さんはこうして呉に呼ばれたわけですけど、一刀さんはどうやってそんな人たちにわからせるつもりですか~?」

 

 ……ド直球だ。

 うん、さっぱりしてていいんだけど、この語調を聞いていると素直に感心できないのはどうしてだろうなぁ。

 

「ん……いきなり“どうするか”とかじゃなくて、まずは知らなきゃどうにも出来ないと思うんだ。俺はまだここに来て日が浅いし、この国の民がどんなふうにして暮らしているかも知らない。まず知ること。そこからかな」

 

 思考を回転させながら“うん”と頷く俺を見て、陸遜はほにゃりと笑って頷いた。

 そうだよな、まずは地盤作りからだ。

 急になにかが起きても対処できるように、もっともっとこの国のことを知っていこう。

 その急ななにかがどういった状況下で起こるのか。それが想定できないと、とんと意味がないわけだが。

 

(……そうすることはいいとして。俺がこの国のことで知ってることってなんだろうか)

 

 小さく考えて、一番最初に浮かんだことがあった。

 はい。とりあえず……呉国の人、みんな露出度高いです。

 

 

───……。

 

 

 ……などという考えをしていたあの頃を思い、苦笑する。

 今現在の自分はといえば、宛がわれた私室にほぼ軟禁状態。

 ほぼっていうのは、少なくとも誰かがその場に居て、外のことを話してくれたりするからである。

 

「ね、ねぇ祭さん? 交代交代で俺の看病なんてつまらないでしょ? お、俺~……外に出たいな~……なんて」

「ええいくどい、だめじゃと言ったらだめじゃ」

 

 うずうずしながら声をかけたら怒られてしまった……それも仕方ない。

 この会話ももう幾度となくしていて、いい加減祭さんもイラっとくるだろう。

 ……まあそれも、すぐに笑みに変わってしまうんだが。

 

「……祭さん、仕事しなくていいの?」

「小煩いのぉ……仕事ならしておるじゃろ。ほれ北郷、おぬしの監視じゃ」

 

 そうですね、病人のすぐ隣で酒を飲みまくるのが監視って言えるなら、それは立派な仕事だと思います。

 ほら、怒った顔もどこへやら。酒を口にするたびに緩ませる頬に、素直に感心する。

 この人の心はあれだな、子供がおもちゃをもらって笑むのと同じで、酒をもらって笑むんだろうな。

 

「ん……ねぇ祭さん」

「うん? なんじゃ」

 

 ぐびりと酒を飲んだ祭さんが、少し赤くなった顔で俺を見る。

 

「えっとさ。直接訊きたいとは思ってたんだけど……俺とおやっさんたちのことって結局のところどうなったの? 民と殴り合ったり刺されたりしたのにさ、すぐにどうこうってわけじゃないっていうのは、なんというか釈然としないっていうか」

「ふむ……策殿は北郷が不問とするのならと言ったが、権殿は反対した。他の民に示しが付かん、許してしまえば他の民もより騒ぎを起こすとな」

「そう、それ。それがちょっと気になっててさ。あと───甘寧のことも」

「うむ。お主が民に殴られているところを傍観しておったんじゃったな。興覇は否定するじゃろうが、大方儂とお主の話を聞いておったんじゃろう。それはお主の自業自得と、お主を見極めようとした興覇が悪いのだろうが、よりにもよってお主が民に刺されるという始末じゃ。とっとと止めておれば問題も起こらんかったろうが───」

 

 そこまで言って、もう一度酒を飲む祭さん。

 あの、話してる時くらい置いときませんか徳利。

 あ、いえ、ほんとそもそも、俺が少しの間見守っていてほしいとか言わなきゃよかっただけの話でしたねごめんなさい。

 

「公瑾が言ったな。お主に何が出来て何が出来ないか、まだまだ知らんと。それと同じじゃ。連れ出されるままに人気のないところまで行き、殴り殴られ。……やはり、興覇は見定めようとしたのじゃろう。策殿自らがお主を呉に招いた理由を、お主に何が出来るのかを」

「……その途中で俺が刺されたから飛び出てきたと」

「民は今まで“騒ぎ”は起こしても、誰かを刺すなどという奇行には走らんかったからのぉ」

「………」

 

 祭さんの話を聞いて、じっくりと考えてみる。

 ……けど、それで甘寧が罰せられる理由なんて、ひとつもないんじゃないか……?

 ていうかそれイコール俺が悪い。罪悪感がすごい。

 

「その……甘寧はただ見てただけだよ。監視めいたことをしていたかもしれないけど、止めようと思えば止められたかもしれないけど、そこにはちゃんと理由があるんじゃないか。あれは俺が勝手にやったことで、刺されたことだって想定外のことだよ。甘寧は俺の行動のとばっちりを受けてるだけだ」

「北郷よ、それでもじゃ。罰がなければ国の治安は成り立たん。仲良くするだけで悪事を働く者が居なくなるわけでもない」

「う……」

 

 痛いところを突かれる。

 確かに暴行を当然のことと許してしまえば、民たちは続けて暴行を行うだろう。

 奇麗事ばかりじゃ国は成り立たない。それはわかってるけど───

 

「傍観することで、同盟国の客に刺傷を負わせたんじゃ。興覇には罰が下されるのが当然。こればかりはお主がどう言おうが変わらん」

「っ……」

「“北郷が勝手にしたことで何故思春が”と権殿も怒っておられたがな。だがそれを許すのが王であるならば、事はそう深刻には運ばんのじゃよ」

「───え?」

「北郷よ。こんな話を知っているか?」

 

 こんな話?と首を傾げる俺に、祭さんは笑みをこぼしながら続ける。

 

「実を言うとな。策殿の悲願は天下統一などではなかった、という話じゃ」

「へー……えぇっ!?」

 

 感心してから驚いた! 天下統一じゃない!? じゃあいったいなんのために!?

 

「策殿が目指した悲願……それはな、”呉の民や仲間が笑顔で過ごせる時代”じゃった。いつか、おめおめと生きながらえ、策殿と顔を突き合わせた時に笑って言われたわ。“天下だの権力だのには興味はない、生きて祭が笑ってくれるならそれでいい”とな」

「………」 

 

 そういえば雪蓮が言ってたっけ。祭さんが生きていたことを知ったのは、同盟を組んでからしばらく経った頃のことだったって。

 その時にそんな話をしてたのか。

 

「戦が終わった頃に死に損ないが帰ってきてもと、最初はこの命を呉に献上してくれようとさえしたのじゃがな。その言葉のほうをばっさりと斬り捨てられたわ」

「雪蓮が……───だからか。民を罰するよりも、和解を選んでくれたのは」

「策殿は民を大事に思うておる。もちろん仲間のこともじゃがな。今例えとして言ったが、策殿はことあるごとに孫呉の一大事だと将を街に連れ出しては、民の仕事の手伝いをしておった。打算などではない、純粋に呉の民が好きなだけなのじゃろうよ」

「……そっか」

「自ら極刑を申し出た興覇にも似たようなことを言ってな。同盟が組まれ、ようやく争いが減ってきたというのに死ぬことはないと」

「極刑!? ちょっ……」

「策殿が自ら望み、“来てもらった大使”を自国の民が刺し、理由はどうあれ近くに居たのにそれを許した。興覇はその際、権殿に命じられてお主を見ておった。監視として立っておった筈なのに、民の暴挙を許し、客に傷を負わせたのだ。天下泰平も成り、これからという時に、よりにもよって民の暴行を許したとあってはな」

「……っ……でも」

「罪は罪、じゃろう。そこで、策殿は公瑾と話し合い、“刺されたお主”の王である曹操殿に、興覇の処遇の全てを委ねることにした。“対等の在り方”を曹操殿が望めばこそな。そこで死罪と決まれば死罪。どんなことでも受け入れると」

「そんなっ! なんで……」

「曹操殿はなんだかんだ、“身内”には甘いと聞いておる。……だのに、魏の種馬とさえ呼ばれているお主を傷つけられたのだ。よほどに気に入っておらなんだら体を許すとも思えんし、なにより宴の席で、ああも魏の将らがお主に人懐こく寄ってはこんじゃろう」

 

 「戦場では羅刹が如き猛者どもがあそこまでとは。目を疑ったぞ」、なんて言いながら、祭さんは笑う。どうして笑えるんだ、って訊きたかったけど……。

 

「大事な時期だからこそ、戦が終わった今だからこそ、己の命で平和が続くのなら。……振るうもののなくなった武官の考えそうなことじゃろう。儂とてそのつもりでいて、それを策殿に怒られた」

「うん……」

「もちろん興覇も怒られておったが、しかし考えることは変わらん。王として暴行を加えた民のそっ首を斬り、塩漬けにでもして詫びでも入れてみぃ。それを非道と受け取られてしまえば平和は崩れ、民も必要以上に怯えるじゃろう。どちらかを立てれば不安も沸けば恐怖も増す。言った通り、皆平和というものに囚われすぎておる。……王も、将も……民もじゃ」

「……うん」

 

 安堵から一転、胸にざわめきが蘇る。

 自分がしたことで誰かが死ぬことになる……もうそんな思い、することないんだってどこかで思っていたのかもしれない。

 また誰かが死ぬかもしれないって恐怖が足下から体中に這い上がってくる気分に、覚悟が飲まれそうになる。

 華琳を信じよう、なんて言うのは簡単だ。けどもし望んでいた結果と違っていたら、俺はどう思うんだろう。

 勝手に裏切られたって思うのか? 華琳に罵声を浴びせるんだろうか。

 …………少し冷静になろう。雪蓮だって委ねた。自分の国の事を、華琳に預けたんだ。

 だったら俺も、答えが下される時を待とう。待って、それがどんなことでも…………受け入れる覚悟を。

 

「……わかった」

「うむ」

 

 全てがいい方向に向かうことなんてない。自分が無茶をするだけ周りには迷惑がかかるんだ。

 ……反省しよう。全て上手くやれるなんてこと、まだまだ自分には出来やしないんだと。

 

「……北郷」

「ん……なに? 祭さん」

 

 落ち込む俺に、祭さんが言葉を投げる。

 俯かせていた顔を持ち上げれば、何故か差し出されている徳利。

 ……え? いやあの……祭さん?

 

「そんな辛気臭い顔をしておっては治るものも治らん。飲め」

「飲っ……て、俺病人なんですけど?」

「いちいち細かいことを気にするでないわ。ぐいっと飲んで少しすっきりせい。一緒に居る儂まで息が詰まるわ」

「そんな性格じゃないでしょ……ってわかったわかった! 飲みます! 飲みますから!」

 

 言葉の途中でギロリと向けられた眼光に、思わず怯んでこくこくと頷く。

 途端に笑顔になる祭さんから徳利を受け取り……この人は不安じゃないんだろうかと思いながら、徳利を傾けて酒を飲んだ。

 

「んぶっ!? ぶっ……げっほ! な、なんだこれっ! キッツ……!!」

「おうおう、なんじゃこれしきの酒で咽おって、情けない」

「だって祭さんっ……これ、キツすぎじゃ……っ………………あの、祭さん? なんでそんな嬉しそうなの?」

「べつに嬉しそうではないぞ? 儂は元々こういう顔じゃ」

「………」

「………」

 

 ……あの、祭さん? もしかしてビールで咽た時のこと、恨んでらっしゃる?

 なんて思った瞬間にぐらりと揺れる視界。

 酒が回るには早くないですか? と疑問を投げかけるのも出来ないままに、俺は寝床へと倒れた。

 

……。

 

 そんなことがあってから数日。

 腹の傷が癒えないままに訪れた今日という日に、俺は寝床に上半身だけを起こした状態のままでいた。

 

「………」

 

 今日は三日に一度の集中鍛錬の日。ちなみに前回は鍛錬していない。

 だっていうのに動くことを禁じられている俺は、こう……掃除が出来ない潔癖症の人のようにうずうずそわそわと体が疼いて、現在の監視役兼看病役である祭さんを前に唸っていた。なんで祭さんが、って……ほら。結局俺が抜け出して街に行くことを許可したの、祭さんだから。

 

(……はぁ)

 

 魏からの報せは……まだ届かない。もやもやした気持ちを消すためにも、鍛錬をしたいところなんだが───

 

「祭さぁああん……」

「な……なんじゃ、気色の悪い声を出しおって。酒が不味くなるじゃろう」

「ちょっとだけ、ほ~んのちょっとだけでいいから鍛錬しちゃだめ? 鍛えないと体が鈍りそうでさ……」

「だめじゃ」

 

 綺麗だと思うくらいに即答だった。

 あまりの綺麗っぷりに泣きたくなるくらいに綺麗だったさ。

 

「………」

 

 なもんだから、さすがに落ち込み気味にもなる。

 寝床の上で傷口に負担をかけない程度に体育座りをしながら、なにかいい方法はないものかと思案。

 そうこうしていると、さすがに後味が悪いと思ったのか、祭さんが少しだけ困った様子で口を開く。

 

「ああわかったわかった、これしきのことで落ち込むでないわ、まったく」

「いいのっ!?」

 

 俺はといえば、そんな言葉に敏感に反応し、叫ぶように訊ね返す。

 ───先ほどまでの暗い表情もどこへやらというやつだ。

 自分自身で、それがカラ元気なのも知っている。頭の中は、正直甘寧とおやっさんのことでいっぱいだ。

 そんな俺を前に、祭さんは少し苛立ちを混ぜたような顔で溜め息を吐くと、一度俺の頭に“ごちん”とゲンコツを落とした。

 

「北郷。お主、氣が使えたな?」

「いてて……え? あ、うん。まだかじった程度にしか出来ないけど」

 

 言われて、自分で書いた手紙の内容を思い出す。

 仮にも王に出すものだからと馬鹿丁寧に書いてしまい、魏に用事がある商人か誰かに届けてもらってと祭さんに預けてからしばらく、あれでよかったんだろうかと思い悩んでいた手紙だ。

 “他人行儀すぎる”とか“丁寧に書けばいいというものではないわ”とか思われてないだろうか。

 ……雪蓮が処罰についてを華琳に委ねたことを祭さんに聞いたのは、そのあとだったわけだけど。

 

「今、体を動かすのはお主にとっての毒にしかならん。体を動かすのではなく、その氣を思う様に扱えるために鍛えてやろう」

「ほんとに!? するする! どうすればいいんだっ!?」

「お……っと……」

 

 何はともあれ、鍛錬が出来る事実に体が疼く。

 俺はよっぽど嬉しそうな顔をしていたんだろう。祭さんは小さく吹き出すと、俺の背中をばしんっと叩いて笑ってみせた。

 

「さ、祭さん?」

「ふふっ……これは教え甲斐がありそうじゃ。お主くらいの孺子といえば、強くなりたがるくせに楽をしようとばかりする。教えてやると言えば表情を歪ませる者ばかり……お主のように真っ直ぐな喜びを向けられたことなど、ここしばらくあったかどうか」

「………?」

 

 祭さんは俺のそんな顔が嬉しかったのか、クックッと笑っている。

 そんな笑いをかみ殺すこともせず、笑顔のままで“うむ”と頷くと、「まずは氣を集中させてみろ」と言う。

 俺はそれに頷くと、自分に出来る精一杯───指先に氣を集中させてみせる。

 

「…………これだけか?」

「ん……ごめん。実は氣の扱い方を教えてもらったのって、つい最近なんだ。こうして体外に出せるようになったのも、刺される前日ってくらいだ」

「ふむ……なるほど。これは本当に教え甲斐がありそうじゃ」

 

 ニヤリと笑う祭さんを前にたじろぎそうになるが、教わることに不満はない。

 むしろ感謝しか湧いてこないのだから、そんな祭さんの目を真っ直ぐに見て「お願いします」と口にした。

 ……取り切れない不安が、心の隅に突き刺さったまま。




ああ、やっぱり今回もダメだったよ。
一日一話が出来たらいいなぁとか思ってましたが、編集中に力尽きました。


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07:呉/訪問者と罪②

 そうして始まるリハビリ&鍛錬。

 私室の中でなら動いて回っても構わないという言葉に感激し、一通り体を温めてから氣の鍛錬。

 

「よいか北郷。腹に力を込めるのではなく、腹の内側に氣を集める。意識を集中させることで氣を感じるのは基本中の基本。それが出来るようになったのであれば、意識せずとも出来て当然になれ」

 

 祭さんが言う“必要最低限の体力”はこの一年でつけてあり、さらにそこに御遣いの力が加わることで、俺なんかでも氣を扱える。

 教わる立場ならば全力で受け止め、必死に学ぶ努力を。氣を扱える状況に自分が立っているうちに教わり尽くさぬ手などないのだから。

 

「意識せずに氣を…………うん、やってみるよ」

 

 込めるのは力ではなく氣。

 しかもそれを意識せずにやってみろと言う。

 人間っていうのは不思議なもので、今まで自然とやってきていたことが、時には自分の邪魔をする。

 “腹に力を込めない”と思えば思うほど、勝手に腹筋は締まり、そのたびに祭さんに注意される。

 それでも“出来ないのだから仕方ない、自分には無理だ”なんて弱音は捨てる。

 むしろ強くなるための方法を教えてくれる人が居るのだ、学ばないでおくのはもったいない。

 

「あ、でも祭さん、ちょっと待って」

「うん? なんじゃ、まさかやめるなどとは言うまいな」

「言わない言わないっ、せっかく祭さんが教えてくれてるのに、そんなもったいないこと出来るもんかっ! そうじゃなくて、まずは氣の流れを掴むまでは意識するのを許してほしいんだ。凪にも言われたんだけど、俺の氣は少なくてさ。それを感じられるようになるまで、結構時間がかかる有様なんだ」

「ふむ、なるほど。その氣は楽進に教わったか。やつはなんと言っておった?」

「え、と……“氣が少ない内は無理に体外放出をせず、氣の扱いを当然のように出来ることを目指したほうがいいです”……だったかな」

 

 実に的を射ている。

 今の自分では、指先からの体外放出一発で気絶できそうな気さえするのだ、仕方ない。

 だから焦ることはせず教えてもらい、答えばかりを求めるのではなく、どうすればいいのかを自分の体と相談しながら知っていく。

 

「……ん、よし。“氣”は捉えたから、あとはこれを腹に───」

 

 ん……意識せず、意識せず~…………だめじゃん! 意識してるじゃん俺!

 い、いやそうやって逃げるな北郷一刀! 祭さんが“意識せず”と言ったなら意識せずにできるようになるんだ!

 意識せずに腹に! 丹田に送り込むように~……!!

 

……。

 

 …………。

 

「できませんごめんなさい……」

 

 15分がすぎた頃だろうか……祭さんを前に謝る俺が居た。

 様々な方法、様々な工夫を凝らしてやってみるも、全てが空回り。

 これなら出来る、これならやれると思うたびに結局は意識してしまい、意識せずに集めるなんてことは無理ですということばかりが心に刻まれた。

 

「まあ当然じゃな」

 

 だっていうのに祭さんは満足げに笑ってみせた。

 腰に手を当て、かんらかんらと。

 え? あ、あれ? 祭……さん?

 

「と、とと当然って……え? 俺に出来ないのが? それとも意識しないで氣を集中させるのが?」

「後者じゃ。そんなもの、咄嗟のことでもなければ出来るはずもなかろうに。しかし、お主の懸命さは見てとれた。それだけでもこの一刻、無駄ではなかろう」

「うあー……」

 

 もしかして試されてましたか。

 や、集中してやったお陰で、やる前よりはほんのちょっとだけ自分の“氣”を感じ取りやすくはなったけどさ。

 

「すぐに答えを求めず、己の頭で手段を探る姿勢は見事じゃ。答えばかりを求め、一を教えればニを教えろとせがむ者はどうも好きになれん。お主の体、お主の氣じゃ。お主が探ろうとせんで、誰が探れるものか」

「……ん」

「よし。では早速始めるとしよう。北郷、重心を下げず、肩幅に足を開いて立ってみせい」

「え? あ、ああ」

 

 言葉通りに“早速”だったことをやってみる。

 肩幅に足を開き、重心を落とすことなく立ち───祭さんを伺う。

 

「うむ。ではその状態で腹下に力を込め、他の余計な力は一切抜け」

「うぇっ!? け、結構難しいな……」

 

 腹ってやつはどうにも様々な部分と繋がっている。

 “腹だけに力を”と思ってみても、案外意識していない場所(たとえば首とか)に力が入ってしまったりする。

 それでも言われるままに腹下……丹田に力を込め、他を脱力させるべく息を吐いてゆく。

 

「氣の流れを知れば自ずと見えてくるものもあるじゃろうが、そここそ氣を練るための部位よ。お主に足りぬのはその部位の鍛錬と受け皿の大きさじゃな」

「受け皿? ……あ、氣が流れる場所のこと?」

「おう。いくら氣を練ろうとも、氣を流すべき道が小さいのであれば流れはせん。ほれ、酒の川があったとして、滝のように酒が流れようともそれを飲む喉は小さきものじゃろう? 飲める量は限られる……それと同じよ」

「………」

 

 なるほどって頷いてやれないのは、例えが酒だからだろうか。

 

「じゃあ、そこを鍛えていくのが……」

「うむ。とりあえずの目的じゃな」

 

 なるほど、目指す場所があるならやりやすい。

 凪の言う通り、それは一朝一夕で出来ることじゃないんだろうけど、だったらたっぷりと時間をかけてでも鍛えていこう。

 教えてくれる人が居るなら、その速度も捨てたものじゃないはずだ。

 

「あ、それはそうと祭さん? 外に───」

「それはだめじゃ」

 

 やっぱりダメでした。

 ああ……親父たちどうしてるかなぁ……心配だなぁ……。

 今すぐ外に飛び出して、出来ることなら手伝いたいのに……ああ、うずうずするっ……!

 

「………」

 

 い、いやー、落ち着け~北郷一刀~。

 こういう時は落ち着かないとだめだ。些細なことで慌てるところが目に付くって、冥琳に言われたじゃないか。

 COOLだ、COOLになるんだ。

 まずは言われた通りのことをやっていこう。

 手探りじゃなきゃ出来ないことを教えてくれる人が居るんだ、教わって知ろうとすることは恥ずかしいことじゃない。

 むしろ好機なのだと、全てを受け入れていく!

 

「んっ」

 

 ぱちんっと頬を叩いて気合い一発っ!

 ぐっと体に力を込めて───いやいやいや……! 力は丹田以外に込めないんだってば。

 “なにやってんだか”と頬をカリ……と掻く中、祭さんは俺の戸惑いを見透かすようにくっくっと笑っていた。

 ……少し恥ずかしかったけど、怒られないだけマシかな、うん。

 

……。

 

 ……なんて思ってた時期が、ついさっきまで確かにありました。

 

「むう……そうではなくてじゃな……」

「え? こ、こう?」

「ええい、違うと言っておろうが!」

 

 怒られました。はいバッチリ。

 

「もう一度じゃ! 丹田に力を込め、氣を集束させるところから!」

「はいぃっ!」

 

 迫力に負けて、すっかり敬語です。

 どうにもこう、氣の集束の仕方に問題があるらしく……開始からすでに相当経っている今も、合格点がもらえないでいた。

 

「氣を集束させてから、それを膨らます感覚で……」

「そう……そうじゃ。散らすなよ……破裂する寸前で氣を保ち、絶対量を強引に広げてゆけい」

 

 荒療治って言葉をこの人は知っているんだろうか。

 療治って言葉はそりゃあ適切じゃないけど、無理矢理広げて大丈夫なのか、俺の“受け皿”って。

 ちまちましたことが嫌いだろうなぁとは思っていたけど、人の氣のことでもそれを実践させるとは思ってもみなかった。

 

「っ……祭、さん……! これっ……やっぱりキツ……ッ……く、お……!」

「耐えてみせい。その状態で耐えていれば、次いで練られる氣が膨れた氣の中に溜まり、絶対量は確実に広がるわ。……まあ、若干の苦痛を伴うがの」

「えぇっ!?」

 

 若干!? 祭さんの若干とかってすごく痛そうなんですけど!?

 あっ……あ、アアーッ! なんかきた! ミシッてきた! 丹田が……腹下あたりがミキミキって……! 物理的に痛いっていうんじゃなくて、こう……神経そのものが殴られてるみたいな───いぁああだだだうぁだだだだぁあああーっ!?

 

「っ……~……ひ、ひっぐ……ぐぅううぁああ…………!!」

 

 それでも膨らませた氣のイメージを捨てない自分は、もういっそ馬鹿って言われても否定出来ない馬鹿だろう。

 口から漏れる息に勝手に混ざる嗚咽を堪えることができないくらいに痛い。

 腹を刺されたときもこんな感じだっただろうか……思い出すと傷口に響くような気分になるので、出来るだけ思い出さないようにする。

 今は……とにかく……!

 

「くっ……う、ぐあっ……つぅっ……! あぁあ……がぁあっ……!!」

 

 涙を流しながらでも情けない声を漏らしながらでも、言われた通りのことを続けてみせる。

 汗がぼたぼたと床を濡らし、丹田に力を込め続けている所為で苦しくなっても……それでも。

 やり方がわからないのなら言われるがままを行って、そこから覚えるしかないのだ。

 反発するだけなら誰にでも出来る。

 必要なのは、言われたことをやってみせて───そこから学んだことで、言われなくても出来る自分を作り上げること。

 だから今は“言われたことを馬鹿正直にやる自分”であればいい。

 力を込め続けろ。風船のように膨らんだ氣の空洞にさらに氣を作り上げ、氣の絶対量を増やす。

 この全身の痛みは受け皿が広がっている結果なのだと受け入れろ。

 いつまでも弱いままで立ち止まっていることなんて、もう嫌だ……! 嫌なら、耐えて……っ……みせろぉおお……!

 

「っ……───、……あ───」

 

 ばづん、と。内側からヘンな音が鳴った途端、痛みも熱っぽさも消え失せた。

 首を傾げたいけど感覚もなくなっているためか、首も動かない。

 視線を動かすこともできず、丹田に力を込めて直立したままの俺自身が、そんな自分を客観的に見ているような気分。

 

(えっと……なんだこれ)

 

 体と感覚がばらばらに行動してるみたいになってる……例えるならそういった感じだろうか。

 ちゃんと“俺”としてのものを見ているんだけど、視覚以外の全てが機能してくれない。

 ……え? いや、ほんとちょっと待て、なんだこれ。

 痛くないのはありがたいけど、このまま体が固まってるのってまずくないか?

 ほ、ほら、祭さんも慌てた調子で俺を揺さぶってるし……返事したいんだけど口も体も動かない。

 

(………)

 

 こんな状態でも絶対量って増えるのかな。

 だったらちょっと得した気分に……───ハッ!?

 そ、そういえば聞いたことがある……! 人はあまりに辛く苦しい状況に陥り、体が苦痛に耐えかねたその時……エンドルフィンとかいうのを分泌し、苦痛から逃れるのだと!

 

(……………………いや、それないわ)

 

 痛みだけを飛ばしてくれるなら、体が動かないなんてことがあるはずがない。

 それともこの体にはすでに痛覚だけしかなく、それが原因でエンドルフィンパワーでも動かすことさえ出来ない状態だとでも…………いうのだろうか。

 

(あぁ……でも……)

 

 でも……なんだろ、飛ばされた感覚っていうのか、今の俺自身がぽかぽかと暖かくなってきたような……。

 それも、なんだかお空に向けてフワ~ッと浮いて行く感じで───

 あれ? なんだろうか……天井だったものが青空に変わって見えて、その先から差し込む光と一緒に小さな天使たちが僕を迎えに、ってオワァアアッ!?

 

「生きてるからァアア!! 俺まだ死んでないかっ……いぁあっがぁあああああああああああっ!!」

 

 叫ぶとともに感覚が体とひとつになった! ……途端に襲う大激痛!!

 いッ……! な、なんだこれ! もう感覚云々じゃなく痛みしかない! 全身が痛覚にでもなったみたいに、多少の空気の動きでも痛い!!

 傷ッ……傷口が開くよりもよっぽど痛い……! な、なるほど……! そりゃ、こんな痛みが急に襲ってきたら、感覚を手放して死にたくもなる……!

 

「北郷! 北郷!? 聞こえておるなら今すぐ集中をやめい! 死ぬぞ!」

「っ……あ、祭さ───」

 

 脂汗にまみれた全身。その両肩をしっかりと掴まれ、面と向かって喝を入れられた瞬間───俺の中にあった氣はゆっくりとしぼんでいった。

 

「は……あ、がぁああ……っ……」

 

 途端に力が緩み、その場に尻餅をつくと同時に深い深い息を吐いた。

 自分の汗で濡れていた床は俺をびしゃりと迎えると、そのまま吸いついたみたいに俺を離してはくれなかった。

 ……違うか、もう立つ気力も残ってないんだ。

 だったらいっそのこと大の字に倒れたいのに、倒れる力さえ残っていない。

 尻餅をついて上半身をくたりと前に倒し、立てかけられた熊の人形のように動けないでいた。

 

「北郷!? 北郷!」

「~……、……」

 

 あー……言葉を返したいんだけど、息しか漏れない。

 もうどこも動いてくれない……困った。

 とりあえずあのー……祭さん? 寝かせてくれると大変ありがたいんですが~……あ、だめ……意識が遠退く。

 ごめん祭さん……今の俺にはこれで限界みたいで……あ───

 

 

 

22/訪問者と罪

 

 意識が覚醒する。

 体はもう十分に休みましたよって言ってみるみたいに元気……なはずなんだが、少しだるい気がする。

 体を起こしてみると、ほんのちょっとだけ体に重りをつけられたみたいに重い体。

 あれ? 眠る前にはなにをしてたっけ……なんて考えながら上半身だけを起こし終えると、体が重かった理由が寝床に転がっていた。

 

「……あ、あ、ぁあ゛……かはっ……ん、んー……うん。……あのー、孫尚香さん? 人の寝床でなにをしてらっしゃってるんでしょうかー……?」

 

 人の上ですいよすいよと寝ていたらしく、むしろ今も規則正しい寝息を吐いている彼女に……喉になにかがへばりついているような不快感を吐き出しつつ、語りかける。

 しかし返事がない。熟睡しているようだ。

 

「…………ふむ」

 

 なんだろうこの状況。

 俺、どうしたんだっけ? たしか……そう、刺されて騒いで傷口開いて、祭さんとか呂蒙とか周泰が交代で看病してくれて、時々来る雪蓮が騒ぐたびに冥琳に連れていかれて───……あれ?

 いや待て、本当にどう……ってそうだそうそう! 祭さんに氣の使い方を教わってて、それで、それで……うわぁ。

 

「それで気絶した、と……」

 

 強く……なりたいなぁ……と、しみじみと思う瞬間がここにありました。

 

「っと……」

 

 それはそれとして、体に異常はないかを確かめる。

 動かない場所は……ないな。痛みももう残ってないし、むしろ意識がすっきりしてくると、気絶する前よりも体が軽い気さえする。気がするだけで、起きた時と同様に、頭に圧し掛かるような奇妙な重さはある。風邪を引いた時の頭重に似ているアレだ。

 あ、でも刺された部分も不思議と傷まない……あれ?

 

「……、……あれ?」

 

 気絶する前のものとは何故か違う服をはだけて、刺された箇所を見てみると……痛みが無いはずだ、傷口は随分と塞がっていた。

 なるほどー、傷口が少ないなら痛まないよなー、ってなんで!?

 

「塞がってきてる!? なんだこれどうなってるんだ!?」

 

 刺されたのつい最近だよな!? こう、サクリと!

 それが……それが今じゃこんな鍵穴程度に……!? あ、でも痛い! 地味に痛い!

 じゃなくて今日はあれから何日たった今なんだ!? なにが! いったいどうなって───ハッ!

 

「……しー……」

 

 寝てる子の前で騒ぐなんていけません。静かに、静かに。

 どうやって塞がったのかは今は保留だ……誰かに訊けばわかるさきっと。そうだ、祭さんを見つけて訊いてみよう。

 うんと頷くと、孫尚香の頭をやさしく撫でてから起き上がる。

 体の上に居た彼女が目覚めないように、極力ゆっくりやさしく丁寧に…………よし。

 

……。

 

 で、制服に着替えて、書置きもしっかりした上で黒檀木刀を片手に部屋を出て。で、適当に歩いてみているわけだが───

 

(静かだなぁ……鳥のさえずりがよく聞こえる)

 

 朝の空気だとわかるそれを胸一杯に吸いこんで、すたすたと歩く。

 しかしその中で、兵には会うものの……将の一人とも会わないのはどういったことだろう。

 そりゃ孫尚香とは目覚めから会えたわけだけどさ、眠ってる彼女がこの静けさの理由を語ってくれるわけもない。ていうか自然に部屋を出ちゃったけど、出て大丈夫だったんだろうか。厠に行く以外はダメだって言われてたのに。

 

(なにか大事な用があって、全員が一箇所に集まってるとか?)

 

 それともみんなで街に繰り出してるからこんなに静かとか……いや、そんな楽しい状況を孫尚香が逃すはずが無い。

 じゃあ……前者? 大事な用っていったら玉座の間だろうか───行ってみよう。

 もしかしたら甘寧のことについて、魏から報せがきたのかもしれない。

 胸にざわめきを抱きつつ、俺は静けさにそぐわない急ぎ足で玉座の間を目指した。

 

───……。

 

 結論から言ってみると、場所という意味での予想は正解のようだった。

 雪蓮たちは玉座の間に集まっているようで、その玉座の間の前に立っていた兵に訊ねてみたところ、なんでも蜀から諸葛亮と鳳統が訪ねてきたらしく、それを迎え、話し合うために席を設けたんだとか。

 じゃあ中は“遠路はるばる、ようこそ”って雰囲気なんだろうか。

 

(……甘寧のことじゃなかったのか……うん、邪魔しちゃ悪いな、移動しよう)

 

 俺は兵士さんに礼を言って会話を終わらせると、歩き出す。

 全部受け入れるって決めたのに、ざわめきを隠せない心に負けそうになりながら。

 そんな中、途中で見かけた周々と善々に軽く手を振って……少し深呼吸をしてみた。

 

「………………いい天気」

 

 通路の端から仰いだ空に、すっきりとしない気分のままに呟く。

 すぐに結論が欲しい、でも怖い。先延ばしにしてほしい、でも怖い。

 どっちに転んでも怖いばかりで、そんなどうしようもない気分を払拭するように頭を振ると、街へ向けて歩き出した。



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07:呉/訪問者と罪③

 さて。

 奇跡的に傷が塞がり……といってもある程度だけど、ともかく塞がり、歩けるようになると、人というのは欲望に左右されるわけだ。

 たとえばほら、街に行きたいとか。

 親父に会いたいとか。

 そうなるとうずうずしてしまい、しかしやっぱり無断にはまずいよなと自室へ戻る。

 ただ宛がわれただけの部屋だから、自室って言っていいかは微妙なところだが。

 

「………」

 

 そこでは先ほどと同じ格好で眠る孫尚香の姿。

 ……一応、王の妹様の許可を得られれば、外出とかも許されるのではないでしょうか。

 なんて考えてしまう自分は、もうほんとただの阿呆なんだろう。

 勝手な行動で迷惑をかけておいて、それでもこんな行動を取りたがる。

 許可を得ようとするだけマシだ、なんてのは理由にはならないんだろうが───うん。

 

「孫尚香、孫尚香~?」

 

 訊くだけ訊いてみよう。だめなら諦める。

 そう決めて、俺は孫尚香に声をかけた。

 

……。

 

 結論。許可降りた。あっさり。

 なんかむにゃむにゃしてたけど、許されたよ。許した途端、すぐ寝ちゃったけど。

 え、えーと……いいんだよね? もう街に来ちゃってるけど、よかったんだよね?

 寝ぼけてたからそれは無しとか勘弁してくださいね?

 

「………」

 

 そんなわけで降りてきて歩く街は、以前より賑やかに見えた。

 活気付き、道をゆく民たちにも笑顔が絶えない。

 憑き物が落ちたみたいにすっきりした顔で、和気藹々と“日常の賑やかさ”を見せてくれていた。

 そんな賑やかさに、少しだけ心が救われる。

 

「……弱いなぁ、俺……」

 

 小さく呟くと、足は勝手に親父の居る料理屋へと向かった。

 ……いや、向かっていたんだが、ずんと目の前に割り込んできた姿によって足は止まった。

 目の前には………、……誰?

 

「その服……あんた、御遣いさんかい?」

 

 少し太り気味のおばさまが、俺をじろじろと見ながら笑顔で言う。

 笑顔には笑顔を。俺の不安を押し付ける必要なんてないから、笑顔で迎えた。

 そうして話が始まるうちに、自然な笑顔になっていってる俺は、どこの主婦……もとい、主夫なんだろうか。

 ご近所付き合いに敏感な奥様のように気軽に会話に乗り、気づけば満開の会話の花。

 

「そうそう、うちの人が貴方を殴ったとか言ってねぇ、後悔してたみたいで……」

「いえいいんです、俺も随分殴っちゃいましたし。それに殴りあった分、本気の会話が出来たと思いましたから」

「ああ、そうだねぇ……雪蓮ちゃんと話をするまで“俺は悪くねぇ”の一点張りだったあの人が、話し終えた途端によ? あの御遣いってやつにゃあ悪いことしたなぁ……なんて言うのよぉ~」

「そうなんですか、あっはっはっはっは」

「おっほっほっほっほ」

 

 あの……それって俺、直接的には関係なくないですか?

 なんて疑問を抱きつつも、こうやって構えもせずに話し掛けてくれることを嬉しく思っている自分が居た。

 

「……それに、うちの子のために泣いてくれたんでしょう? ありがとうねぇ、御遣いさん。貴方だって国の仲間を殺された辛さはあるでしょうに……」

「……いえ。かえって自分の意見ばっかり押し付けたみたいで」

「いいのよ、あの人にとっても私にとっても、いいきっかけになったと思うわ。忘れることなんて当然出来ないけど、あの子が目指したこの今を……私も笑顔で過ごしたいって思うから。それに気づかせてくれた分だけでも、私はいくらでも貴方に感謝したいの」

「おばさん……」

「あら。料理屋の旦那は親父で、私はおばさんなのかい? ほら、もっとあるだろう? 親しみやすい言葉がさ」

「え? あ、あの…………その。お……」

「お?」

「お……ふくろ」

「───、……」

 

 少しだけあった抵抗。

 本当なら、甘寧に“俺の親父達だ”って言った時点で、この街の人たちを家族と思おうと決めていた。

 しかし傷口が開いて部屋に閉じ込められたり、氣の鍛錬で気絶したりといろいろあって時間が空いてしまって、まあそのー……機会を逃したと言いますか、言いづらくなってたのに。

 目の前の女性はそんな俺のおそるおそるとした言葉を、目を閉じてゆっくりと息を吸うようにして受け止めていく。

 

「……ああ、いい響きだねぇ……。御遣いさん、あんたの名前は?」

「え、あ、“あんた”って……いやいいんだけど……───ん……一刀。北郷一刀だ」

「そうかい……いい名前だねぇ。それじゃあこれからは一刀って呼ばせてもらうからね」

「え───と……?」

 

 な、なに? 何事? どんどんと話が進んでいって、なにもわかってない所為か状況についていけないんだが……?

 望んでいたことがころころと叶っていくような気分だ。

 しかも目の前の女性……おふくろとの話が終わるや、他の民までもが俺を囲み、「俺のことは父上と呼べ」と「母上と呼びなさい」とか、子供に「おまえはおれのおとうとだー!」と言われたり、もうなにがなんだか。

 

「ちょ、ちょっと待った! いったいなんなんだ? みんなして親とか弟だとかって」

「な~に言ってやがる、俺達のことを親って言い出したのはお前だろうが」

「へ? お、親父!?」

 

 他の人よりは多少は聞き慣れた声に振り向けば、頭に捻り鉢巻を巻いたおっさん。もとい親父。

 

「親父、店は?」

「お前が来ないから、連日ひーひー言いながらやってるよ。お前こそあれだ、その……よ。傷はもういいのか?」

 

 バツが悪そうに鼻先を掻きながら言う親父。

 そんな彼に頷き、もう平気だって言ってみせると、彼は安心したのか大きな溜め息を吐いたあとに笑顔を見せる。

 

「それで親父、これは……」

「おっと、そうだったな。よーするにあれだ、みんなお前にゃ感謝してるってこった」

「感謝?」

「おうよ。なにせ、カラ元気じゃなくて普通に笑って今を過ごせてるんだからな。前向きにさせたことへのありがたさだけでも感謝してえし、なによりよ……城の将たちがよく話を聞いてくれるようになったんだよ。以前までは恐れ多くて声をかけるのも怖かったんだがなぁ、今じゃ向こうから声をかけてきてくださる」

「へえ……」

 

 雪蓮はわかるけど、他の人たちがっていうのはちょっと想像がつかなかった。

 特に……言っちゃなんだけど、甘寧とかは。……マテ、甘寧?

 

「それってその……甘寧とかも……なのか?」

『───』

 

 あれ? なんか……甘寧の名前を出した途端、民の笑顔が凍りついたのですが……?

 

「い、いやぁ……それがよ? 甘将軍はよ、こう……仲謀様と一緒の時にしか見かけず、声をかけようにもよ……みょ~に警戒しててよぉ?」

「そうなのよぉ、一度服屋の旦那が声をかけたんだけどね? “───私に話しかけるな”って、鋭い睨みとともに言うもんだから、服屋さん腰抜かしちゃってねぇ」

「うーわー……」

 

 それは無理だ。

 俺でも怖いよそれ。

 

「え……じゃあ孫権は?」

「声をかけようとはするんだがなぁ……」

「甘将軍がなぁ……おやっさんがおめぇを刺したことが気になってんのか、仲謀様に声をかけることさえ許してくれねぇんだ。こう、孫権様の後ろから目を光らせてるっていうのか?」

「孫権の後ろから……?」

 

 孫権の後ろに常に存在し、話し掛けようとする者全てを鋭い眼光で射抜く赤き幻影……怖ッ! 怖いよそれ! 守護霊も走って逃げ出すよそんなの! 守護霊の立場ないじゃん! 居ればの話だけど!

 

「ただ……最近見なくなったねえ」

「そうなんだよな。歩いているのは仲謀様だけだ」

「……? それってどういう……?」

「いや、俺達のほうが訊きてぇくれぇなんだけどよ」

 

 わからない、か……あとで誰かに訊いてみよう。

 

「他の人たちはどうなんだ? 冥琳とか祭さん……あ、えと、周瑜とか黄蓋さんとか、陸遜とか呂蒙とか周泰とか」

「公瑾様は以前から雪蓮ちゃんに引っ張ってこられてたから、そう構えることはねぇやなぁ」

「だなぁ」

 

 冥琳……苦労してたんだなぁ……。

 あの雪蓮に引っ張り回されるって、想像しただけでも疲れそうだし。

 

「伯言様や子明様や幼平様もよくお声をかけてくださる」

「そうそう、子明様の目は最初は怖いと感じたがなぁ」

「目が悪いんじゃあ仕方ないもんなぁ」

 

 民たちの間で、はっはっはと笑いが起こる。

 ……よかった、あれから呉のみんなも積極的に民と繋がりを持とうとしてくれてたのか。

 うん……民だけが、将だけが手を伸ばしても作り出せない明日がある。

 こうして民と将が手を繋ぎ合っていけば、もっともっとこの国も賑やかになるだろう。

 そのきっかけになれたなら、刺されたことだって無駄じゃない。

 

(けど…………まあ)

 

 甘寧のこと、なんとかしないと。

 このまま孫権と甘寧とが民の間でよく思われない時間が続いたら、手を伸ばしたくても伸ばせなくなってしまう。

 人と人との仲良くなるタイミングって、結構難しいしな……この時代だと特にだ。

 こうしてみんなが“繋がりを持とう”としている今こそがチャンスなのに、何故睨むのですか甘寧さん。

 それは……やっぱり、自分のしたことは死罪だって確信して、繋がりを持つだけ無駄だって思ってるから……なのか?

 

「あ、ところで一刀は知ってるかい? 今日、蜀から客人が来たんだよ。なんでもすごい人らしくてねぇ」

「そうなのか? おいらが聞いた話じゃ、可愛らしい子供だったらしいが」

「違うぜおめぇら、その方々はなんでも蜀の軍師様らしくてな、大変高名な方々なんだとよ」

「へぇえええ……たいへんなお方がいらっしゃったのねぇ……」

「お、おー……一刀? 俺達ゃなんにもしねぇほうがいいんだろうか」

「それとも食材掻き集めて、こう……なぁ?」

 

 民たちがそわそわとし始める。

 うん、それはそれとして俺が何を言うまでもなく、すっかり一刀って呼ばれているのが不思議だ。

 

(嬉しいからいいか)

 

 気にしないことにした。今はそれよりもだ。 

 

「歓迎するならモノで迎えるよりも、気持ちと言葉で迎えよう。滞在するのかもわからないけど、ここは通ると思うし。下手にモノで迎えると、相手も畏まっちゃうかもしれないからさ」

「そうか? んじゃあ誠心誠意、迎えてやるかいっ」

「次通るのが帰り道だったらどうするんだい? 帰る人を迎えるのかい?」

「う……んじゃあ送り出せってか?」

「まあまあ」

 

 難しい顔で話し合う親父とお袋をなだめて思考を回転させる。

 出た結論は……“なってみなけりゃわからない”だった。

 

「ん……滞在するのかもわからないし、帰るならそれらしい素振りも見せるよ。だから今はそんなに気にする事ないんじゃないかな」

「お……そっか、そうだよな。んじゃあ……っとと、そろそろ俺も戻らねぇと」

「そっか。じゃあ俺も一緒に。あ、お袋たちもあんまり考えすぎないで、自然の笑顔で迎えてあげればいいと思うから」

「そうかい?」

「お~っし笑顔なら任せとけっ」

「お前、笑顔を任せるって顔かぁ?」

「るせっ! ほっとけってんだ!」

「だっはっはっはっは!」

 

 また湧き起こる笑いに俺も笑いながら、親父と一緒に料理屋へ。

 そこはあの日以来賑わっているようで、卓の空きもない状態だった。

 こんな状況でよく話に混ざる気になれたな、親父よ……。

 

「おぉっ? 一刀! 一刀じゃねぇか!」

「傷はもういいのかー!?」

 

 で……俺の姿を見るや、あの日殴り合った人たちや、食べに来ていた客までもが俺を一刀と呼ぶ始末。

 俺はこんな状況にどういった態度で向かい合うべきなんだ?

 

「ああっ、親父達も元気そうでなによりだっ」

 

 考えるまでもないよな。

 諍いはあの時点で……みんなが無言でだろうがこの店に足を運んだ時点で終わったのだ。全てが許せるようになるにはまだまだ時間がかかるだろうが、今は精一杯努力してわかり合うべき時だ。

 だから俺は作り笑顔なんかじゃない素直な笑みで親父達にそう返すと、店の手伝いを開始する。なにか忘れているような……こう、すっきりしない気持ちを抱きながら。

 

……。

 

 と、そんなわけで仕事をしてどれくらい経った頃だろう。

 “朝早くから店を開けて大変だなー”なんてしみじみと思っていた俺に、突然の来客現る。

 

「いらっしゃ───あれ? 冥琳?」

 

 周公瑾殿である。

 何故か少し口の端をヒクつかせ、苛立った様子で店に入ってきた。

 俺は丁度開いた卓の膳を下げ、綺麗に拭いてから冥琳を促すのだが。

 

「お前は……。ここでいったいなにをしている」

 

 座った途端にそんなことを仰られた。

 

「なにって……仕事だぞ? いやぁ、楽しいよなぁ。俺が作ってるわけじゃないけどさ、自分が運んでいったものを食べてさ……誰かが美味しいって笑ってくれるのって、なんかこう……嬉しいよなぁ」

「そうではないだろう。北郷、傷はどうした」

「傷? あ、あー……忘れてた。や、不思議なんだけどさ、祭さんとの鍛錬で気絶してから、目が覚めると傷が随分塞がっててさ。もう殴ったりでもしないと痛まないくらいなんだ」

 

 そっかそっか、俺……軟禁状態だったんだっけ?

 孫尚香に許可を得て、街に出て親父たちと会ってからはそんなことも忘れてしまっていた。なにか忘れてるって思ったんだよ、そっかこれか。

 孫尚香が寝ぼけてて、許可のことを覚えてない可能性とかが引っかかってたんだ。

 

「そんなわけで親父の手伝いに来た」

「小蓮様が監視についていたはずだが?」

「孫尚香? 寝てたぞ、気持ちよさそうに。…………え? 孫尚香って監視役だったのか? 一応、孫尚香から外出の許可は貰ったんだけど……もしかして寝ぼけてたか?」

「~……あのお方は……」

 

 来て早々に頭が痛そうだった。

 うん、がんばれ冥琳。

 

「さてお客様。ここは料理屋ですので、注文をいただければと。こちら、採譜になります」

「………」

 

 差し出した採譜を無言で受け取る冥琳。

 ざっと目を通し、注文したのは……青椒肉絲と白飯。量は控えめで、とのこと。

 俺は採譜とともに注文を受け取り、親父に注文を通すと、再び冥琳の卓の傍へ。

 

「あのさ、諸葛亮と鳳統が来てるんだって?」

「ああ。北郷、お前に話があるらしい」

「俺に? なんで───ってそっか、学校のことでか」

「そうだ。だというのに客人を通してみれば、もぬけのからの部屋。城中探し回っても見つからず、兵に訊いてみれば好き勝手に歩き回り、街へと向かったというではないか」

「あー、そのぉ……まずかった……よな?」

「当たり前だっ!」

「うおっと!?」

 

 おっ……怒られた! そりゃそうだごめんなさい!

 それでも孫尚香には許可をもらったんだぞ!? 何度も何度も“本当にいい? 絶対? 怒られない?”って! そしたら“んもー! うるさーい!”って怒られたから!

 

「祭殿の話では、お前は氣の暴走で死にかけだったというのだ。三日三晩眠り続け、そんなお前に客人が来て。通してみれば部屋にはおらず、笑いながら料理屋で仕事……客観的に聞いた今、お前ならばどう思う」

「………」

 

 話だけ聞くと、そりゃあ心配にもなるな。

 そっか、死にかけだったのか俺。そんな俺が笑顔で仕事の手伝いをテキパキやってるのを見れば、口の端もヒクつくってもんだ。

 

「……ありがとう。心配してくれたんだよな」

「感謝の言葉を口にするよりも城に戻れ。今頃、小蓮様がお前を探し走り回っているだろう」

「うぐっ……」

 

 監視としては寝てしまうのは失敗だっただろう。

 起きてみれば俺は居なくて、任された自分だけがすいよすいよと寝床で寝てる。

 ……うん、気まずいよなぁ相当に。寝ぼけたままの許可とかも忘れていたら、さらに気まずい。覚えてても気まずい。つまり気まずい。

 

「親父ー! ごめん! 用事が出来たから戻るなー!」

 

 叫ぶと、「おー!」という声が返ってくる。それに頷くと、冥琳にもひと声かけてから走り出そうとして───

 

「……そういえばさ、冥琳が青椒肉絲って、ちょっと意外だったかも」

「ああ、なに。幼い日に口にする機会があっただけのことさ。今ではすっかり食べられなくなってしまってな。だから時折、こうして口にしたくなるのだ」

「…………?」

 

 よくわからないことを言われた気がした。

 意味を探ってみても答えは見つからず───結局、城へと急く気持ちに負けて、軽く挨拶をすると走り出した。

 

……。

 

 で、だ。

 

「あのー……なんでまた、俺は正座させられてるんでしょうか……」

「知らん、己の胸に問うてみるがよいわ」

 

 城に辿り着くや祭さんに捕まり、引きずられて辿り着くは自室の床。

 すちゃりと座らされた俺の前には祭さんが居て、その後ろには諸葛亮と鳳統が立っていた。

 

「胸に……、……無実を主張してるけど」

「ならばそんな胸など捨ててしまえ」

「死ぬよ!?」

 

 胸に訪ねてみても無罪を主張。そんな言葉もあっさり斬り捨てられた。が、今はこんなことをやってる場合じゃないよな。

 

「祭さん、正座をさせるよりもさ、そっちの二人が俺に用があるってことが重要なんじゃないかなぁ……」

「そもそもお主が脱走なぞ企てるからこんなことになったんじゃろう」

「脱走じゃなくて街に出てただけだって! 企ててることなんてなんにもないから! そもそも孫尚香の許可だって取ったし! 結局大絶賛寝ぼけてて許可のことも覚えてなかったけどさ! とにかく印象悪くするようなこと言わないでくれよ祭さん!」

 

 言いながら、ちらりと二人を見る。

 ……まるで他人の家に来たウサギのようにカタカタ震えている。

 いや、適材適所だと思うよ? 諸葛孔明と鳳士元って言えば、三国志を代表する軍師じゃないか。

 そんな二人が俺を訪ねてきただなんて、普通なら恐れ多いくらいなのに───どうしてこう、感激ではなく保護欲のようなものに駆られるんだろうなぁ……。

 

「二人とも、学校のことについて訊きに来たんだよね?」

「は、はい……はわわ……」

「そ、そうです……あわわ……」

「………」

「話になるのかの」

 

 言って、胸の下で腕を組んで、半眼のままフスーと鼻で溜め息を吐きながらのへの字口。はい祭さん、あまりハッキリ言わない。

 けど、こうしてはっきりと鳳統と顔合わせするのは赤壁以来になるのかな。

 あの時のほうがまだハキハキと喋っていた気がするんだが。

 あれか、軍師モードと通常モードがあるとかそんなのか?

 一度スイッチが切り替われば、目をキリっとさせて次から次へと勝利への道を論じてみせるとか……?

 

「……? ……?」

 

 いや……見つめてたら、物凄くビクビクしだしたのですが?

 こんな子が軍師で大丈夫なのかと言いたくなったが───

 

「………」

 

 うん。頼りないのは自分だって同じだし、彼女も帽子で顔を小さく隠してはいても、その目だけはずっと俺の目を見ていた。

 一方的な認識を押し付けるのは失礼だよな。

 

「ひとまず自己紹介からかな。俺は北郷一刀。よろしく、孔明さん、士元さん」

「はわぁ!? しょしょしょ……じゃなくって、姓が諸葛、名を亮で……えとえと……!」

「あわわぁあ……! お、おおおお落ち着いて朱里ちゃん……!」

「…………北郷。ほんに話になるのか?」

「聞かないでくださいお願いします」

 

 うーん……この二人もこんなにガチガチになることないのに。

 なにかリラックスさせる方法とかないかな…………あ、そうだ。

 

「二人とも、こんな話があるんだけど、聞いてくれるか?」

「ぇ……?」

「ぅ……?」

 

 困惑の声すらがか細い声で、聞き取るのもひと苦労である。

 そんな彼女の緊張をほぐすべく、俺は口を開いて───“桃太郎”をゆっくりと話して聞かせた。



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07:呉/訪問者と罪④

 シーン1、桃太郎……誕生。

 

「はわわ!? 天の国では桃から子供が産まれるんですかっ!?」

「……ごくり……」

「なるほどのぉ……天の国天の国と聞いておったが、よもや誕生の仕方までもが違うとは」

「違うよ!? 一緒だって!」

 

……。

 

 シーン2、桃太郎……犬、猿、キジと出会う。

 

「て、天の国では動物が喋るんですかっ!?」

「す……すごいね、朱里ちゃん……」

 

……。

 

 シーン3、桃太郎……鬼と激闘。

 

「なんと……兵も連れず、動物を共に鬼と戦ったというのか。見事じゃのお」

「はわわわわわわ…………!!」

「あわわわわわわ…………!!」

「……ところで北郷? 二人とも、鬼が怖すぎて聞く耳を持っておらぬが」

「あれ!? なんで!?」

「お主が鬼の特徴ばかりを事細かに説くからだろうに……」

 

……。

 

 ラストシーン、桃太郎……帰還する。

 

「はわ……!?」

「え、え……えぇ……? 手に入れた財宝……民に返さないん……ですか…………?」

「民が救われん物語じゃの……それでよいのかこの話は」

「うん……今考えてみると、結構ひどいよな、桃太郎……」

 

……。

 

 昔話終了。

 一息をつくと同時に諸葛亮と鳳統は今の話について話し合い、祭さんは納得がいかない風情で腕を組んで唸っていた。

 

「どうだったかな、俺の国に伝わるお話なんだけど」

「はわ……桃太郎が急に鬼を退治する理由が掴めません……」

「村から宝を盗むから悪い鬼だったはずなのに、それを返さないのなら……その……鬼と変わらない気がします……」

「ふむ。きっと酒が欲しかったんじゃな」

「それだけは絶対に違うと思うよ祭さん……」

 

 苦笑混じりに返しながら、“春蘭も似たようなこと言いそうだな”と思わず頬を緩ませる。

 続けて言う言葉に、二人がどういった反応を見せてくれるのかが楽しみだ。

 

「……じゃあ、自己紹介を再開しようか」

「え? ……あ」

「あわ……」

「……ほう、なるほどのぅ」

 

 いい具合に緊張がほぐれてくれたらしい二人は、俺を見て少しの驚きを見せた。

 けど祭さんはニヤリと笑って二人の背中を押し、押された二人は俺の前にたたらを踏みながら来て、体勢を立て直して俺のことを見上げた途端に、またはわあわ言い出して……どうしたものか。

 

「え……っと……あ、あー……改めてー……北郷一刀だ。よろしく」

 

 それでも自己紹介をしてみるが、

 

「はわっ……」

「あわっ……」

 

 差し出した手に怯える二人の完成である。

 思わず祭さんを見て、「祭さぁあん……」と恨みがましく呟いてしまう。

 

「な……なんじゃ、儂が悪いとでも言うのか?」

「や、背中を押すことは大事だったかもしれないけど、勢いがありすぎたんじゃないかなぁと」

「むう……」

 

 さもありなん───まったくその通りであると頷く。のだが、何故か手を握ってもらえない俺に追い討ちをかけるかのごとく、二人は祭さんの後ろへと隠れてしまった。

 え? あれ? どうして!? ……俺? これ、俺が悪いの?

 

「あの……祭さん、俺……泣いていい?」

「これしきで泣くでないわ」

「うう……」

 

 ただでさえ不安を抱えているのに、こんなふうに怯えられたんじゃ泣きたくもなる。

 不安……そうだ、不安っ!

 

「───祭さん。その……甘寧のこと、報せ来た?」

「………」

 

 俺の言葉を聞いた祭さんは、ここで言うことではなかろう……とでも言うように眉間に手を当てて俯いた。

 でも気になるんだから仕方ない。

 

「仕方の無い……興覇、入ってこい」

「え?」

 

 祭さんが声をあげると、私室の扉が開かれ、甘寧が入ってきた。

 いつものような赤の着衣ではなく……どうしてか、庶人の服を纏い、結っていた髪を下ろした彼女が。

 

「え……え? 祭さん、これって───」

「段落をつけて話してやろうと思ったんじゃがな……お主が知りたいというのなら話してやろう。魏国、曹操殿からの報せはお主が気絶している内に届いていた。内容は───」

「……内容は?」

「甘興覇が持つ将としての全権剥奪、権殿に付き従うことも良しとせず。事実上、呉の将としての死を命ずる」

「───!」

 

 ずくんっ……と胸が痛んだ。

 納得するより先に、胸が……とても痛んだ。

 

「剥奪って……そんなっ、街で会った冥琳はそんなこと一言も!」

「魏に任せ、どんなことでも受け入れると決めた以上、それは当然のことじゃ。納得出来ぬこともあるじゃろうが、それが軍師というものじゃろう」

「っ……」

 

 息が詰まった。何かを言い返したいのに、なにも浮かんでこない。

 ただ申し訳ないと思う気持ちと、死ぬなんてことにはならないでよかったという気持ちを抱き、甘寧を見るが……彼女は俯いたまま何も言わない。

 

「江族頭としての立場を奪われたわけでもない。将としてでなく、錦帆賊の頭として呉に尽くすことを剥奪されたわけでもない。……が、だからといって実際にそうすれば、屁理屈を並べ好き勝手を働く恥知らずの誕生じゃ。興覇はそのようなこと、望むまい」

 

 祭さんがちらりと甘寧を見やる。

 甘寧は変わらず、俯いているだけだ。

 

「己で撒いた種だと馬鹿正直に受け取りおって。たしかに曹操殿に委ねはしたが───……いや、もはや言うまい。儂らがどう言おうが、受け入れたものは変わらぬ。むしろ問題があるとすれば、その後とお主のほうじゃ」

「え───俺……?」

 

 甘寧が処刑されずに済んだことに、とりあえずの安堵をする中、再び飛び跳ねる心臓。ごくりと息を飲み、続く言葉を待つと───それはたっぷりと間をとってから発せられた。

 

「……曹操殿から、お主への罰も届けられている」

「華琳から!?」

 

 飛び跳ねた心臓はやかましいくらいに鼓動を繰り返す。

 そ、そうだよな、警備隊長風情の俺が、他国の民に手をあげて無罪で済むはずがない。正当防衛がどうとかの問題じゃなく、逃げようと思えば逃げられた場面で、逃げずに他国の民を殴り、しかも刺され、自国の王にも他国の王にも迷惑をかけたのだ。

 罰なんて、あって当然だ。

 

「曹操殿より届けられた処罰の内容はな、お主に存在する拒否権の剥奪じゃ。今後、お主が呉を発つまでの間、呉の将の発言等に対し、拒否することを禁ず。ただし死ぬことは許さぬものとし、どんな無理難題だろうが死力を尽くして実行すること。ただし“呉に留まれ”等の拘束する類の命は許可範囲外とする……とのことじゃ」

「………」

 

 愕然とする。

 なんだそれ、何かの悪い冗談か?

 呉の将の言葉全てを受け止めて、全てを実行しろって?

 

「それって……その。誰かを殺してこいとか言われたら、実行しなきゃいけないって……ことなのかな───いってぇっ!?」

 

 頭に重いゲンコツが落とされた。

 

「見縊るでないわ。仮にも同盟国の客にそんなものを頼むわけがなかろうが」

「ち、ちがっ……一番悪い例えとして出しただけでっ……! くぅうぉおおお……!!」

 

 落ち着かないと……自分が思っているより混乱してる。

 自分の軽率な行動がこんな事態を招くこともある……そう、刻み込まないと。

 ていうかこれ、思い切り華琳さんの私情だったりする? いきなり刺されたなんて報せを受ければ驚くに決まってるだろうけど……呉に居る間だけ、言われたことをこなすって、いきすぎなんじゃないでしょうか。

 

「ふぅ……では次じゃ。お主に暴行を働いた民への処罰じゃが───」

「───! 祭さん、それはっ……!」

「黙っておれ。“拒否は許さん”」

「うぐっ……」

 

 黙ってられない……黙ってられないけど、これは俺の行動への“責任”、心配させたことへの“罰”だ。

 言われたなら受け入れなきゃいけない。どんな無理なことでも、真っ直ぐに。

 呉に居る間だけっていうなら、そう難しいことじゃない…………と思いたい。

 

「これはお主の口から、暴行を働いた民へと届けよとのことじゃ。“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。……よいな?」

「…………え? それってつまり、騒ぎを起こさずに呉に尽くせば罰がないってこと?」

「無論、別口で罪を犯せば相応の罰が下る。力を示すことをやめていくにせよ、罰がないわけではない。ようするに……そうじゃな。処刑とするのではなく、呉に己の生涯を捧げよという罰じゃな。“呉の為に生き、呉の為に死することのみを許可する”。それが曹操殿が出した処遇じゃ」

「……雪蓮はそれを頷いたの? その……民の処罰と甘寧への処罰の差とか、いろいろ」

「先にどんなことでも受け入れると言っておったからな。頷いて、それで終わりじゃ。むしろ興覇に“気負いなく庶人とぶつかってみなさい”と笑って言っておった」

「雪蓮さんよぅ……」

 

 い、いや……でもよかった。誰かが死ぬ結果にならなくて、本当に。

 俺からは拒否権ってものが無くなって、甘寧は将としての地位を失ってしまったけど、俺のほうは完全に自業自得だ。

 死ぬことを除いた全てを受け入れるってことが、逆に生き地獄になるんじゃないかと不安だけど、みんなが生きていけることを今は喜ぼう。

 甘寧も自棄を起こして自害、なんてことをするつもりはなさそうだし。

 ……なんて思っていた時だった。

 

「さて、後回しにしていた“その後”についてだがな、北郷よ」

「エ? あの、罰についての話ってこれで終わりじゃ……」

「先に言っておいたじゃろう。“問題があるとすれば、その後とお主のほうじゃ”と」

「あ」

 

 その後……その後? その後って、その前はどんな話を……甘寧のことだな。うん。

 

「その後って……甘寧にまだなにか罰が下るってこと!? そんなっ───」

「黙っておれ」

「うぐぅうっ……!!」

 

 再びぴしゃりと言われてしまう。

 華琳……これって罰にしては相当に辛いよ……いや罰だから辛いのか……?

 がっくりと項垂れる俺の頭上から、見下ろす祭さんが言葉を落とす。

 俺はそれを耳にして、しばらく固まった。

 

「よく聞いておけ? 興覇にはの、お主の下についてもらうことになった」

「…………」

 

 ………………。

 

「─────────………………はい?」

「むう、ちゃんと聞いておかんか。興覇には、お主の下に、ついてもらうことに、なった、と言ったのじゃ」

「…………」

 

 エート……ナンデスカソレ。

 噛み砕いて言ってもらっても、いまいち理解が追いつかないといいますか。

 

「な、ななななな……なななんで!? だって俺魏国の警備隊長だぞ!? そんなヤツの下につくって、そんなの……自分で言うのもなんだけど、将として屈辱にも値するんじゃないか!?」

「なんじゃ、お主は警備隊の仕事を誇りに思っておらんのか?」

「誇りだよ! 誇りだけどさ! なんだってそんな……!」

「下手をすれば見殺しになる刺傷沙汰じゃ。死罪を免れるのであれば、屈辱のひとつも被るは当然というものじゃろう」

「っ…………かっ、甘寧はさ、その……それでいいの?」

 

 ちらりと、微動だにしない甘寧を見上げて言う。

 俺の言葉に甘寧はピクリと肩を震わせ、正座をしている俺を俯かせていた目で見ると───

 

「よくはない。だが罰は罰だ。貴様が殴られる様を傍観し、刺されることを許してしまった。が、その結果として騒ぐ輩が消えたなら、呉の憂いの一つが消えたということ。呉のためならば、私の地位などいくらでもくれてやる」

「う……わぁあ……!」

 

 物凄くさっぱりした、だけど熱い答えをくれた。

 聞いた途端、じっとしていられなくなるような熱い言葉だ。

 褒められたものじゃないかもしれないけど、国を思い地位にしがみつこうとしない姿勢が、とても眩しく見えた。

 そんな彼女の目が俺に向けられ、一言。

 

「貴様の下につくなど、舌を噛み切りたくなるほどに反吐が出るが、私は生きると決めた。蓮華様が死ぬことは許さぬと言ってくださった。それが、私が蓮華様に仕えた内の最後の願いであるなら、私は只管に生きるのみだ」

 

 …………うう。

 

「祭さん……祭さん……俺なんかすっごく罪悪感が湧き出てきてる……! ていうか噛み切るのに反吐が出るの!? どんな嫌われ方なのそれ!!」

「ぶつくさ言わずに噛み締めい。建業での騒ぎは今のところ起こる様子もない。結果がどうあれお主は建業の騒ぎだけでも鎮めてみせた。それによって恨まれる物事もまた、負った責任にはつきものじゃろう」

「うぐっ……でもさ、やっぱり俺の下なんかには───」

「ええい駄々をこねるでないわ! “拒否は許さんっ”!」

「うあぁっ!? ……うぉおおおおおおっ! 華琳さぁあああーん!!!」

 

 なんて罰を与えるんですか貴女は! そんな思いを胸に、頭を抱えて絶叫した。

 その声に諸葛亮と鳳統がビクゥと肩を震わせるのを見て、慌てて口に手を当て黙る。

 ……そういえばこんなことになって、まだ自己紹介も済ませていなかった。

 俺は泣き出したくなる気持ちを胸に抱きながら、正座をしたままに彼女たちをちらりと見て言う。

 

「えっと……こんな状況でごめん……。出来れば自己紹介させて……。もういろいろと辛い…………って、あの……なぜ、困り果ててる顔に輝く関心の視線を向けてるんでしょうか……」

「はわっ!? ななななんでもないですよ!? そんな、困っている顔が可愛いなんて!」

「あわわ朱里ちゃん、言ってる、自分で言っちゃってるよ……?」

「……祭さん、泣いて良しと許可してくれませんか?」

「だめじゃ」

 

 ……呉の民が笑顔になる代わりに、俺と甘寧は暗雲にも似た空気を背負うことになってしまった。

 しかもそんな民たちに自分の口から言わなきゃいけないことがあるんだよ……。

 呉に“生涯の忠誠”を誓ってくれ、出来なきゃ鞭でブッ叩きますって感じの言葉を。

 華琳さん……これって思いっきり力での制圧じゃあ……? しかも俺の口から、って……。

 ああ……今さらだけど、どうりで民たちが今日、普通に話し掛けてきたわけだ。このことを知っていれば、俺にあんな態度はなかなかとれないと思う。

 

(ああ……)

 

 あんな笑顔にそんなこと言わなきゃいけないなんて……。

 あ、いや。ならもっと、静かに伝わるようなやわらかな言い方を選んで───

 

「ああそうじゃ言い忘れておった。民に伝えるべく用意した言葉、一言一句違えることを禁ずるとある」

 

 華琳さん……俺のこと嫌い……?

 

「わかった……街に行って、伝えてくる……」

 

 突破口を開いたと思えばこの始末。

 項垂れながら立ち上がって、とぼとぼと歩き、扉を開けて外へ出ようとした───その時。

 くいっと両手が後方に引かれて、ハッとする。

 

「あ……」

 

 顔だけ振り向かせてみれば、俺の手を握ってくれている二人の少女。

 

「あ、あのっ、姓は諸葛、名は亮、字は孔明っていいましゅっ!」

「あのあの……姓は鳳、名は統、字は士元……でひゅ……」

「………」

 

 陰鬱な顔をした俺を見上げる少女達が投げかける自己紹介。

 自己紹介を返そうとするも、喉に痰がへばりついたみたいに上手く言葉になってくれない。

 だから一度手を離してもらって咳払いをすると向き直り、二人の目を真っ直ぐに見て、この時だけでも笑顔で返す。

 自己紹介の時に陰鬱な顔だけ見せるわけにはいかないから、深呼吸してから。

 

「……姓は北郷、名は一刀。字と真名がない世界からきた。……よろしく、二人とも」

 

 言葉とともに差し出す手。

 それが、今度はきちんと握られた。

 友達にならないかと言おうとしたけど、ふと自分の立場を考えてみた。

 

(……奴隷?)

 

 言われるままに拒否せず働く御遣い様の誕生である。

 そんな人と友達になりたいだろうか。

 

(どちらにしたって───)

 

 どちらにしたってまだ早い。

 今はこんな奴隷みたいな状況でも、生があるだけ良しとしよう。

 そんな状態でも信頼が得られたなら、その時は改めて手を伸ばしてみる。

 それまでは呉のために頑張ろう。どんなことを願われても、耐えられる覚悟……決めないとなぁ……

 

(どうなるんだろ、これからの俺……)

 

 これは泥を被るって意味でいいのかなぁ、じいちゃん。

 そう思いながら歩き出す俺に、何故かついてくる甘寧に頭を痛めた。

 

(ねぇ、祭さん……“俺の下につく”って、“俺の後ろに憑く”の間違いじゃないよね?)

 

 そう思えて仕方が無い自分を飲み込みながら、部屋を出て通路を歩いていった。

 重い空気を背負ったまま、民にどう切り出そうかと迷いながら。

 

(……あ)

 

 傷がどうして塞がりかけてたのか、祭さんに訊くの忘れた……。

 氣のお蔭だとかどれだけ言っても、それだけで治るのかとか訊いてみたかったのに。

 



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07:呉/訪問者と罪⑤

23/認めること、生きること

 

 ───たとえばちいさな頃のこと。

 なにをするにも理由を求めず意味をも求めず、やりたいことをやっていた。

 楽しければそれでよかった。

 意味のないことが楽しくて、たとえそれで服を泥だらけにしてしまったとしても、それすらもが“楽しい”の一つだった。

 

 ───なにがいけないことで、なにがいいことなのか。

 そういうことを少しずつだけど知っていくと、“楽しい”もまた減っていった。

 自分は大人にならなきゃいけなくなって、いつしか“僕”は“俺”に変わり、見るものの全てが変わってしまっていた。

 小さなシャベルを持つ手はシャーペンばかりを持つ手に変わり、

 道に落ちていた木の枝を振り回していた幼い手は、竹刀を振るう手へと変わり。

 そうして気づけば大人になって……でも、砂場で山を作る楽しさを、砂に水をかけて泥にするだけでも笑えた頃を、時々だけど思い出す。

 そして、同時に考えるんだ。

 自分はかつて描いていた夢の自分に、少しでも近い自分でいられてるんだろうかと。

 子供の頃に描いた夢なんて、もう覚えてはいないけど───笑みを絶やさなかった自分は、当時なにを夢見ていたのか……そんなふうに過去を振り返ってみても、思い出せるのはどうでもいいようなことばかりだ。

 

 高いところに登っては、そこから全てが見えている気になっていた。

 怖いものなんてなくて、犬にだろうが猫にだろうがぶつかっていって、大人が気持ちの悪がる虫を手で掴んでは、自分は大人よりも優れていると笑っていた。

 けど……いつかはそんな自分ともさよならをしなくちゃいけなかった。

 恐怖を覚えた代わりに、純粋に楽しむ心を凍てつかせていく。

 恐怖を知ることが大人になるってことなら、それはどうしても避けられないことであって、受け入れなきゃいけない大事なことなのだろう。

 

 ……それでも、やっぱり思い出す。

 怪我をすることさえ恐れず、喧嘩をしても謝れば許し合えたあの頃を。

 どれだけ願っても、帰ることも辿り着くことも出来ないあの頃を。

 手を伸ばせば届くのだろうか。

 声帯が許す限りに叫べば、あの頃の自分に届くだろうか。

 そんなことを、本当に時々だけど、考えた。

 

……

 

 ───深く思考に沈んでいた頭を振って、溜め息を吐く。

 建業の街から仰ぐ空に感想のひとつも唱えず、視線を街に戻してから、ふと気になって振り向く。

 そこには何も言わない甘寧が居て、目が合うとギロリと睨みつけてくる。

 そんな目に少し苦笑気味に、振り向かせていた体を戻し、歩いた。

 

「……たぶんさ。華琳は民を許したいなら自分が罪を被れって言いたかったんだよな」

 

 独り言みたいに呟くけど、返事はない。

 そんなことにも苦笑しながら続けた。

 

「民への罰が騒ぎの禁止だとしても、ようは呉の民として、悪事らしい悪事を働かなければお咎めなんてないわけなんだから」

「………」

「そんな民への罰の“重い部分”が俺に降りかかって、でも……拒否権の剥奪っていったって、命を取ることもこの地に縛ることも禁じた。甘寧のことにしたって、俺が一人で出歩くのが危険だからって理由でわざわざ“俺の下”につくようにって言ってくれたのかもしれない」

 

 それでも気になることはある。

 どうして雪蓮や冥琳は、魏に処罰を任せようとしたんだろう。

 刺されたのが俺だからって、処罰の権利を他国に譲るっていうのは、それこそ部下や民に示しがつかないだろうに。

 権力に興味がないから? それとも華琳なら面白い裁き方をしてくれると思ったから?

 考えれば考えるほど、雪蓮っていう人物が掴めない。

 

「あのさ、甘寧。囲まれてボコボコにされる状況で民を殴るのって、罪になる?」

「なるわけがないだろう。そもそも貴様に罪があること自体がおかしい」

「……それってやっぱりさ、民を無罪にしたいなら俺に罪を被れってことで、いいのかな」

「罰を受ける必要があるとしたら私と民だけだ。罪は罪。相応の罰は受けねばならない。民の分をわざわざ貴様が被るというのなら、止めはしない」

「ん……確信なんてないけどさ、華琳は“死罪が嫌ならそれを除いた刑を、王としてすればいい”程度のことを書いただけで、詳しいことなんてのは書かなかったんじゃないかな。処罰というよりは、“意見”を書く程度で」

「何故そう思う?」

「えっと、それはその」

 

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”

 

 そうまで言ってみせた彼女が、理不尽な裁きなんてするはずがない……そう思ったから雪蓮たちは信じたんじゃないだろうか。

 華琳が家臣に求めるのは絶対の忠誠。桃香と雪蓮に“私に仕え、大陸を立て直す力を貸しなさい”とは言ったけど、平和を乱さない限り各国の在り方に干渉しないとも言った。

 それはつまり、他国のことは他国が決めるべきだってことで───

 

「華琳はさ、国が平和であるなら干渉はしないって言った。俺が刺されたことでそれは崩れかけたんだろうけど、罪は罪だからって理由で民の悲しみ全部を死刑で処理したら、それこそ平和が乱れるよ。華琳は望んで平和を乱すようなこと、しない。だから無罪だけは許さない方向で、こうしたらどうか、みたいに書いた……って、そう思うんだけど」

 

 華琳からの報せを見ることが出来ればいろいろと理解も早まるんだろうけど、今俺が許されているのは“民たちに罰を伝えること”だけだ。

 書簡か巻物かは解らないけど、王から王へ届けられたものを俺なんかが見ることは出来ないだろう。

 

「ならば貴様への罰はどう説明をつける? 曹操殿は貴様が罪を被ることも予測できていたというのか?」

「罰かぁ……拒否権を剥奪と、俺の口から民たちに報告、だよな?」

 

 予測もなにも、手紙を出してしまっている。

 あんな文章を見れば、俺が庇おうとしているのなんて丸わかりだ。

 雪蓮だって“俺が無罪にしたがっている”ってことは書いただろうし、予測できないはずもない。

 

「……愚問だったな」

 

 甘寧も自分で言って気がついたのか、目を伏せながら小さく呟いて、溜め息を吐いていた。

 

「甘寧はさ、華琳から届いた報せには目を通せなかったのか?」

「届いた時点で権利剥奪が決まっていたなら、私が拝見できる理由がない。私はその時すでに、将ではなく庶人だったのだからな」

「う……ごめん」

「いちいち謝るな、鬱陶しい。貴様が謝る理由がどこにある」

「だってさ、俺が───いや。そうだよな……うん」

 

 ごめんばっかりじゃだめだ。

 俺は俺がやりたいように動いて、甘寧はそれを止めずにいてくれた。

 刺されたことは想定外だったろうけど、自分の立場が危うくなることも知っていただろうにそうしてくれた。

 だったら言うべきことはごめんじゃなくて───

 

「ありがとう、甘寧」

「なっ───」

 

 歩かせていた足を止め、向き直ってから真っ直ぐに目を見て感謝を。

 止めようと思えばいつでも止められたあの騒ぎ。

 そうしなかったのは、祭さんとの会話を聞いていたのもあったんだろうけど───急に招かれた俺なんかにも考えがあったからだと思ったからで、雪蓮に呼ばれたってことでそれなりの信じる価値があると判断してくれたから。

 だからありがとうを。真相がどうあれ、あの時割って入ってこないでいてくれてありがとうと。

 

(………あれでもし、多少も問題が解消されなかったら、俺……物凄い最低男だったよな)

 

 自分の足りないものをいろいろと考えて苦笑いしていると、目の前の甘寧がやっぱりギロリと睨んできた。

 

「あっ、いやっ! 今のは甘寧を笑ったわけじゃなくてっ!」

「………」

 

 言っても睨むことをやめない甘寧は、さっさと行けとばかりに視線で先を促した。

 そんな態度に一度頭を掻いてから、料理屋目指して向き直って歩き出すと、逸らしていた思考をもとの位置へと戻してゆく。

 

(華琳からの罰……だよな)

 

 甘寧への罰が、本当に華琳からのものかは解らない。意見だけを書いて寄越したにしたって、一応は魏の人間である俺が刺されたことに対して、なにも言わないままっていうのもおかしい。

 ……これについては祭さんか雪蓮に訊いてみよう。

 で、俺の罰のことだけど───これは確実に華琳からの罰だとは思う。

 

  “貴方ね……騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方自身が騒ぎを起こしてどうするの。少しは反省しなさい”

 

 ───的な感じで。

 その罰の内容っていうのが……1、呉の将からの“頼み”、または“命令”あたりを拒否することなく死力を尽くして行うこと。

 そして2、民への罰を、俺自身が一言一句違えることなく伝えること。

 ……1については、言われるがままに動くってことでもいいから、きっかけを作ってさっさとみんなと仲良くなって、力を合わせて迅速に問題を解決して、とっとと帰ってこいってこと……なんじゃないだろうか。

 もっと別のきっかけ作りの方法もあるだろうに……これってやっぱり、心配させたことへの報復だったりする……?

 じゃあ、2。俺の口から言えっていうのは───

 

(拒否権のことは置いておくとして、“俺の口から一言一句違えることなく民に伝える”っていうのは……刺された俺自身の口から言うことで、罪っていうのを民に刻み込むため……かな)

 

 “二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。

 この罰自体は……うん。呉の民として普通に暮らしていれば、そう間違ったことは起こらない。

 起こせば鞭打ちになるってわかっているのに、好きこのんでそれを受ける輩は居ないだろう。

 

(こういうことって、普通は民を集めてから言うんだろうけど……)

 

 一言一句違えることなく伝える。でも、伝え方くらいは選ばせてほしい。

 そうしたらもう我が儘は言わない。許可なく城を抜け出すこともしないし、華琳に心配させるようなことはしないから。

 

「……考えは纏まったか?」

 

 いつの間にか地面ばかりを見ながら歩いていた。そんな視線を真っ直ぐに戻すと、後ろから聞こえてくる声。

 それに「ああ」と返すと、少し速度を上げて歩く。

 

「今、仮説をいくら立てても仕方ないよな……知識は足で知っていくよ。今はまず、親父達に言うべきことを言わないと」

 

 言ってはみるけど気が重い。

 息子代わりになるって言って数日で、“罰がありますよ”なんて言わなきゃいけなくなるなんてなぁ……。

 

「…………おい」

「ん? なに?」

 

 仮説がどうこう言いながらもまた考え込みそうになっていた俺に、甘寧は特に感情を込めずに声をかけてきた。

 なんとなくだけど、振り向かずにそのまま歩いて聞けって言われている気がして、振り向けなかった。

 

「そういえば貴様は、民を親と呼んでいるな。子を亡くした者たちへの同情か」

 

 やっぱり随分とストレートな人だ。遠慮ってものを知らない。

 だからこそ返しやすいってこともあるわけだけど。

 

「……ん、同情なんだと思う。子を亡くす痛みはわからないけど、誰かが急に居なくなる痛みはわかってるつもりだから。……本当に同じ痛みを感じることなんて出来ないだろうけど、可哀想とも素直に感じた。どれだけ理屈を並べようと、同情以外のなにものでもないよな」

 

 でも、今ではよく受け取られがちの“見下す感覚”のそれとは違う。

 空いてしまった穴があるなら、俺を利用してでもいいから埋めて、微笑んでほしいって本気で思った。

 こういうことって、言い始めたらキリがないけどな。

 

「俺はいずれ魏に帰る。ずっとあの人達の息子代わりではいられないけどさ。たとえばこうして、今ここに居る間だけでも息子代わりになって、少しでもあの人達の心の隙間を埋めることが出来るならさ。それって、きちんと意味のあることだって思うんだ」

「そうして隙間を埋めておいて、時が来ればさっさと帰るか。……無責任だな」

「うん、それだけだったら本当に無責任だ。でもさ、思い出にだって隙間を埋める力はあるよ。息子さんの思い出でも、俺との思い出でもいい。それが“悲しい”だけの埋め方じゃなければ、きっと笑ってられるよ」

「………」

「……それにさ、二度と会えないわけじゃないんだし……まあ、二度と来るなって命令されたら、従わないわけにはいかないけど」

 

 俺じゃなくても、今なら呉の将だって民と積極的に繋がりを持とうとしてくれている。だったらきっと、俺が空けてしまう少しの隙間も埋まってくれると信じよう。

 

(うん)

 

 頷くと同時に、ザッ、と辿り着いたそこは親父の料理屋。

 まだ賑わっているらしく、中からは笑い声が漏れてきていた。

 その賑わいを崩すかもしれないと考えると、やっぱり気が重い自分が居る───が、ここでこうしていても始まらない。覚悟を決めると、店の中へと入っていった。

 

「んぐ? ……むぐっ……ほっ……ふぁぶふぉばべぇぱ(訳:一刀じゃねぇか)」

 

 迎えてくれたのは卓に着いて炒飯をモリモリと食べていた別の親父。

 その声に、次々と視線を俺に向ける食事中の皆様方。

 ……困った、予想以上にみんなが笑顔だ。

 

(でも、言わないとな───……よしっ)

 

 深呼吸をしながら、どう伝えるかを思案。

 ストレートに? それとも遠回しに? 遠回しって言ったって、一言一句違えることなくだからなぁ……。

 

「みんなっ! ……その……ちょっといいかな」

 

 笑顔を向けてくれる民たちに、まずは自分の声が届くように声を張り上げてから、あまり良い報せではないことを解らせるように沈んでいく声。

 故意にそうしようとしたわけでもないのに、自分の心境がそうさせた事実に自分が一番驚いた。

 

「な、なんでぇ、急に沈んだ顔して。もしかしてメシ食いにきたのに懐が寒いとかか?」

「はっはっは、だったら俺が食わせてやる! ……と言いてぇところだけどよ、俺の懐も寒いもんだしなぁ……」

 

 料理屋の中に笑いが響く。

 こんなふうにしてみんなが笑っていられる日を望んでいたはずなのに、それに水を差すっていうのは…………いや。罰は罰、だよな。

 

「えっと……さ。雪蓮からの“罰”を報せに来た」

『───』

 

 口にしてみればほんの一瞬だ。

 今まで賑やかだった場は凍てついたように静まり返り、耳を澄ませば一番離れた卓に座る人の息遣いまで聞こえてきそうな静寂に支配される。

 

「罰か……やっぱり流れたりはしねぇよなぁ……」

「覚悟はそりゃしてたけどよ…………なぁ一刀。俺達はどうなるんだ? 死刑にでもされるのか?」

 

 反応は様々だ。

 落ち着いて受け止める者、震え出す者、叫びたくなる自分を抑えて呼吸を荒げる者。

 そんな彼らに、俺は罰を告げる。死ぬことはないのだと、せめて早く伝えるために。

 

「“二度と騒ぎを起こさぬと誓い、呉の発展のために生涯を尽くすこと。これを破りし時は鞭打ちの刑とす”。これが、罰の内容だ」

 

 すぅ、と息を吸ってからしっかりと届ける。一言一句違えることなく、はっきりと正確に。

 すると親父達は、言葉を聞いていたにも係わらずビクリと身を竦ませて…………たっぷりと時間を取ってから、パチクリと目を瞬かせた。

 

「…………へ?」

「ん……あ……? ちょ、ちょっと待て一刀。今なんて言った?」

「さっ……騒ぎを……起こさなけりゃいい、って……?」

 

 それぞれ困惑を口にする。

 かつての敵国に居た者に暴行を加え、刺傷まで負わせたというのに、事実上の無罪───それがみんなに逆に不安を覚えさせる。

 

「ああ。騒ぎを起こさなければ大丈夫。呉に尽くすって部分も忘れずに暮らしていけば、問題らしい問題は起こらないはずだ」

「そ……う、なのか……?」

「や……けどよ。なんでそんな……」

 

 一度は静まった場が再びざわざわとざわめきを見せる。

 不安なのは俺も同じだけど、そんなにひどい結果にはならないはずなんだ。

 真っ直ぐに受け止めて、どうかまた笑顔を見せてほしい……そう思うんだけど、不安っていうのはなかなか取り除けないものだ。

 笑顔を取り除くことは簡単なのに、不公平だよな……。

 

「大丈夫だからさ、不安に思わなくても平気だ。きちんと決まったことだし、騒ぎを起こさなければ罰せられることはないよ。だから───」

 

 どうかわかってほしい……そう届けたいのに、みんなは不安を口にするばかりで俺の声を聞いてくれない。

 一刻も早く自分の中の不安を取り除きたいから質問を投げかけるのに、投げかけることに必死で俺の声が届いていないのだ。

 まるで報道陣みたいだなと思いながらも、一人一人の質問を受けるたびに、その人の目を見てから質問に答えていく。

 いっぺんに片付けようとするから届かないなら、一人一人に届けよう。それでもダメなら……えっと、どうしようか。

 そんなふうに少し困りかけていたその時だった。

 

「静まれ」

『───っ!!』

 

 低かったのによく通る声が、店の中を一瞬にして静寂の空間に変えてみせた。

 声を放ったのは……甘寧だ。

 

「かっ……甘将軍……!?」

「甘将軍がなぜ……?」

 

 キンと張り詰めた緊張が場を支配する中で、今度は疑問によって静かにざわめき始める場。

 しかしそれも、横に立った甘寧がギンとひと睨みするだけで静まってしまった。

 あの……僕の発言は彼女のひと睨み以下なんでしょーか……。

 

「………」

「あ……っと」

 

 軽く、本当に軽くショックを受けていると、甘寧が視線で先を促してくる。

 これじゃあいけないと気を取り直して、罰についてのことを事細かに説明していく。

 ……のだが、やはり納得がいかないのか、俺を殴ったことをそんなに重く感じてくれているのか、みんなは中々受け入れようとはしなかった。

 そうして、どうしたものかなと考えていると───

 

「納得出来ないというのなら聞け。お前達の罪の残りは、この男が被った」

 

 甘寧の一言で、場はあっさりと混乱の渦へと投げ出された。

 

「ちょっ、甘寧!? それはっ───!」

「黙っていろ。事実上の無罪では納得がいかないというのなら、多少の罪悪感を持たせてやればいい」

 

 民がそれを望んでいるならなおさらだ、と続ける甘寧に、思わずポカンと開口。

 そんな俺へと、彼女はさらに言葉を投げた。 

 

「貴様はこう言ったそうだな……“届けたいなら手を伸ばせ”と。ならば貴様も手を伸ばせ。自分だけが全てを背負う気で向かったところで、民も将も喜ばん」

「………」

「民が笑顔になり、代わりに誰かが背負いすぎるのが貴様の言う手を取り合うことならば、私から言うことなどなにも無いがな」

「───……いや」

 

 そうか……そうだ。また間違うところだった。

 手を取り合うって、一方的に背負ったりして相手の負担ばっかりを消すだけじゃないよな……。

 まいったなぁ、本当に。

 じいちゃん、俺……まだまだ守られる側、教えられる側みたいだ。

 

「かっ……甘将軍? 一刀が背負ったって……いったいどういうことなんで……?」

「お前達が受けるべき罪は重いものだ。騒ぎを起こすことには確かに理由があったとはいえ、同盟国の者への暴行。さらには刺傷までを負わせれば、無罪で済むはずもない」

「う……っ……そ、そうですが、なぜそれで一刀が……っ」

「この男がお前達の罪の軽減を願った。代わりに、とまでは言わないが、その分の罪はこの男が背負うことになった」

『っ……』

 

 みんなが息を飲み、ざわざわと話始める。

 けどその話し声も長くは続かず、シンと静まってから……親父がみんなより一歩前に出てきて、言った。

 

「一刀。正直に答えろ。お前は……それでいいのか?」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て、虚言を許さぬ凄みを持って。

 だから俺も真っ直ぐに見つめ返して、頷くとともに返事を返した。

 

「ああ。それでこの件が治まってくれるならそれでいい。だから……みんな、お願いだ。今を、思いっきり楽しんでくれ。べつに俺は死罪を背負わされたわけじゃないからさ、死ぬなんてこともないし」

「一刀……お前……」

「ごめんな、親父、みんな。補うって言ったのに、もう手伝いとか出来ないと思うんだ。もう勝手な行動は取れない。ここに来た理由を果たすために、呉の国に尽くすんだ」

「理由? そりゃ、なんだ?」

「ん……」

 

 チラリと甘寧を見る。と、「好きにしろ」と目で返事をされた。

 

「……うん。えっとさ、俺が呉に来た理由ってさ。……民の騒ぎを止めること、だったんだ」

 

 その一言でみんなが再びざわめく。

 みんなが俺を見て、視線を外さないままに。

 

「でも、間違わないでほしい。確かに最初は頼まれたことだった。雪蓮は気まぐれみたいに頼んだんじゃないかなって今でも思うけどさ。でも……みんなにわかって欲しいって思ったのは俺の本音だ。戦いはもう終わったんだ、“笑ってやらなきゃウソだ”って言った言葉だって、俺の本当の気持ちだ」

「あたりめぇだ。下手な同情から出された拳があんなに痛くてたまるかよ」

 

 いやあの……こっちだってめちゃくちゃ痛かったんだけど。

 ああうん、今はそれはいい。

 

「うん。そうやってみんなと向かい合ってぶつかり合ってさ。今まで上っ面ばかりしか見えてなかったものの内側が、見えた気がした。考えるだけじゃわからないこと、ぶつかりあってみて初めて聞ける本音っていうのがあるんだって」

「……おう」

「……痛かったけどさ。殴られた場所も、殴った拳も痛かったけどさ。知ろうとすることが出来て良かったって今なら思えるよ。器用な人なら殴り合わずに解決できるのかもしれないけど……うん。こうして生きてる今だから言えるんだろうけど、殴り合えてよかった」

 

 殴り合えてよかったなんて、言葉としてはおかしなものかもしれない。

 戦は終わったんだって教えたかったのに、殴り合ったことがよかったなんて、本末転倒だ。

 でも……そんな中で斬られる痛みを知って、民の痛みを知って。自分は少しは以前の自分よりも“何か”を学べたんだと思う。

 

「おめぇはやっぱり、どこかヘンだよなぁ」

「天の国ってのはお前みたいなのばっかりなのか?」

 

 苦笑する親父たちが口々に呆れをこぼしていくと、さすがにヘンなんだろうかとか考えてしまいそうだが、どう思われようともそれが自然体なら胸を張れるってものだ。

 

「そんなお前が騒ぎを起こすやつを静めるってか……お前一人でどうこう出来る問題じゃあねぇだろう」

「ああ、それは俺だけでやるんじゃない………………よね?」

「私に訊かれたところで答えられん。私はもう将ではないのだからな」

 

 親父からの疑問に答えつつも訊ねてみると、甘寧はそんな俺をばっさりと切り捨てるように言った。

 うわーい、この人俺にはとっても冷たいやー。

 

「え……? か、甘将軍……? 今、なんと……?」

「私はもはや呉の将ではないと言った。現在の私の立場はお前達とそう変わらん。この男がお前達に暴行を加えられているところを傍観し、あまつさえ刺されるのを見過ごした。この結果は当然のことだ」

「っ……───申し訳ありませんでしたっ! あ、あっしらが騒ぎなんぞ起こしたばっかりに……!!」

「構わん。お前達が騒ぎを起こしていたのは、家族を失った悲しみからだろう。戦ばかりをしていた私達では、力で押さえることくらいしか出来なかっただろう」

 

 そこまで言ってから一度口を閉ざすと、甘寧は俺を横目で見てからもう一度口を開く。

 

「……それをこの男が、綺麗にとは言えないが、治めてくれた。お前達の心が少しでも救われたのなら、私の地位くらい安いものだ」

「かっ……甘将軍っ……!」

 

 言い方は素っ気無いものだった。だけど、すぐ近くで見ていればわかることがある。

 口調がどれだけ素っ気無くても、みんなを見つめるその目は鋭く冷たいものではなく、とても暖かいもので───あ、あれ? なんか急に目付きが鋭く……って甘寧さん!? なんで睨むんですか!? 俺ただ感動して見つめてただけだよ!?

 

「……そうだな、貴様の言う通りだ。戦はもう終わったのだ。今必要とされるものは武器を振るう手や立場ではなく、人を思う心だろう」

「え……甘寧?」

 

 睨む目は変わらず……なんだけど、口から出るのは目つきとは逆の言葉。

 ……素直に驚いた。さっきもそうだけど、この世界ではみんながみんな、自分の立場を大事にすると思っていたから。

 それを安いものだと言ってみせるなんて……自分の地位よりも民を優先させることが出来るなんて。

 

「……将としての甘興覇はもはや死した。命ではなく、地位を失うことで人が救えるのなら、今の私はそれを誇りに思うべきだろう」

「甘寧……」

 

 言いながら、睨む目を穏やかな色に戻し、自分を見つめる民たちを見渡す。

 そうしてから一言、小さく「ああ……悪くない」とだけ呟いた。

 ……そうだ。きっといろいろな人が思っている。

 武を振るい、戦い続けることで国を、民を守ってきた者は、戦を失ってからはどう国を守るべきか。

 ただずっと監視を続けていればいいのだろうか。騒ぎが起こらぬよう、警邏だけをすればいいのだろうか。

 そうだとしても、そこに今までの“将”としての地位は必要だろうか。

 戦に己の生を費やし、確かに国を守ってきた。

 けれども戦が無くなった今、国を守るのはむしろ将ではなく民なのかもしれない。

 食物を育み、人を育み、国を大きくしていくのは民の手であり武ではない。

 だったら───武から離れんとするその手で出来ることは、いったい何なのか。

 それは……

 

「甘寧」

 

 それはきっと、とても簡単なこと。

 踏み出す勇気さえあれば、誰にだって手が届くもの。

 戦が無くなる国を守るのが民の手だというのなら、自分も民の一人なのだと認めればいい。

 同じ“国に生きる者”として、武を振るっていた手を……今度は食物を育み、人を育む手へと変えて。

 

「俺と、友達になってほしい」

 

 ───手を伸ばす。

 民を見ていた彼女へと真っ直ぐに、この平穏を生きるために、国に返していくために。

 どこか優しげだったその目が驚きに変わるのを見ながら、伸ばした手と彼女の手が繋がることを小さく願う。

 

「……何を言っている。私が貴様に付かされたことを忘れたか。すでに将ではないが、下された罰は───」

「地位よりも人を思う心、なんだろ? 一緒に国に返していこう。一人より二人のほうが、出来ることが増えるよ」

「………」

 

 返事らしい返事はなかった。

 ただ少しだけ、将としての自分は死んだと言ったことに頭を痛めるような素振りを見せると───

 

「友として認めるかは後回しだ。下に付くからといって、貴様ごときに真名を許すほど、貴様という人間を認めてもいない。だが……国に返すという言葉と、経緯はどうあれ貴様が作りだした民たちの笑顔。それは認めよう」

 

 伸ばしていた手に、彼女の手が繋がった。

 

「ただし、こうして手を繋いだからには貴様の奇行は全て防がせてもらう。民と殴り合おうというのなら、実力を行使して黙らせるぞ」

「オッ……! ォ……オテヤワラカニオネガイシマス」

「私が認めたのは、“貴様の行動によって民の騒ぎが治まった”という一点のみだ。それを増やすも減らすも貴様の行動次第ということを忘れるな」

「……冥琳にも似たようなこと言われたよ」

 

 空いている左手で頭を掻いて一言。さて、そんな経験済みのことに対して、俺はどう返すべきか。

 ……思うままにが一番だな。

 

「甘寧、奇行を防ぐってことはさ、間違ったことをしたら止めてくれるって受け取っていいんだよな? ……ん、ありがとう。そうしてくれる人が居てくれるなら、心強いよ」

「なっ……!」

 

 心の底からの感謝とともに、自然と笑みがこぼれる。

 俺はまだまだ学ばなきゃいけない子供だ。そんな自分を戒めてくれる人が居てくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 だから右手で握っていた手に左手を重ね、ありがとうを唱えた。

 途端に戸惑う風情を見せて、顔を赤くする甘寧……って、ハテ? 何故に顔が赤く? なんて思ってるとスパーンと手が振り解かれ、甘寧は俺からこれでもかってくらいにゴシャーと距離を取った。

 ……あの、そんなに離れてちゃ友達としてはどうかと……。やっぱり俺、嫌われてるのかなぁ……。

 そんなふうにして少し落ち込んでいると、親父たちの笑い声でハッと復活。

 

「なぁ一刀よ。お前はいつまで呉に居るんだ?」

 

 そんな親父が、前置きもなく単刀直入で訊いてきたのがこれだ。

 答える覚悟は以前からしていたから、多少驚きはしたけど……大丈夫。真っ直ぐに目を見て答えられる。

 

「ある程度の騒ぎが治まるまで……かな。それ以前に“貴方には無理だ”って上から言われればそのまま帰ることになりそうだけど」

 

 自分の力は過信しない。過信しないで、引き上げられるところを上げ続ける心が大切だ。

 慢心は敵だ。自分ならこれが出来るって突っ込んで、結果が何も出来ないんじゃあ笑い話にもならない。

 だってのに考えもなしに行動するのが自分で、殴り合ったり刺されたりするのも自分なら……それが監視だろうがなんだろうが、近くに居て“止める”と言ってくれる人が居るのは嬉しいんだ。

 自分がそういった行動に出る時は、もちろん相応の理由もあるだろうし譲れないこともあるんだろうけどさ。

 ……今はこんなことは後回しでもいい。今は……言うことをちゃんと言わないと。

 

「な、なんだなんだ? 帰っちまうのか一刀……」

「俺ゃお前はずっとここに居るとばっかり……」

「ごめん、そういうわけにもいかないんだ。すごく身勝手なことを言ってるって自覚もあるし、無責任だってこともわかってる。補い合えばいいって言っておいて、時期が来れば勝手に居なくなるんだ、怒られる覚悟も殴られる覚悟も出来てたよ」

「……だが、知ってほしかったってんだろ? 悲しいだけの思い出に浸ってんじゃねぇ、ってよ」

「親父……」

「あまり大人ってのを甘く見るなよ、一刀。俺の親父の言葉にこんなものがある。“思い切り泣いてから、涙を拭って立ち上がった野郎は弱くねぇ”。今よりも昨日よりも、一昨日よりも過去よりも。泣いてから笑うことの出来たやつってのは、以前の自分よりも一歩も二歩も前を歩いているもんだ、ってな」

 

 そう言うと、親父は俺の胸をドンとノックした。

 

「お前はお前のしたいことをしてりゃあいいさ。涙を流すのに大人も子供も関係ねぇ。散々絶望しても、せっかくの言葉も忘れて自暴自棄になっちまっても、またこうして前を向けたならよ、俺達はそう簡単にゃあ折れねぇよ」

「……うん」

「胸を張って前を見やがれ。お前が自覚しなくても、お前は俺達に悲しむ以外のことを思い出させてくれたんだぞ? 兵なんぞに志願して、勝手に死んじまった馬鹿息子を、“国のために戦った自慢の息子”にしてくれたんだ。……どんな肩書きがつこうが、悲しい気持ちが変わるわけじゃあねぇ。胸に空いた隙間が完全に埋まるなんてことはきっとねぇだろうけどよ。馬鹿息子じゃねぇ……自慢の息子なら、俺もいつか誰かに誇って話せるに違ぇねぇんだ」

「っ……」

「いつか、この世の中が本当に呆れるくらい平和になってよ。昔は戦なんてものがあったんだってことを聞かされた悪餓鬼がよ……? じゃあどうして戦は無くなったんだ、なんて訊いてきたらよ……」

 

 真っ直ぐに見つめる自分の目。そこに映る親父の顔が、まだ“作っている”ってところを払拭できていないけど、確かな笑みに変わる。

 

「こう……こうな? 笑顔で言ってやるんだよ……俺達の息子や、国を守るみんなや……同じように世の中を変えようとしたやつらが頑張ったから、戦は無くなったんだ、ってよ……」

 

 嗚咽が混ざった声だったけど。

 それを必死に抑えようとする、震えた声だったけど……それはとても胸に響いて、心を暖かくさせた。

 

「だからよ……お前は俺達がそうやって、俺達の息子やお前って息子を自慢出来る世の中を作ってくれ。天の御遣いってのがどんなことが出来るやつなのかわからねぇ。どれだけ偉いのかも知らねぇけどな。お前みてぇに真正面から俺達とぶつかり合ってくれたやつなんざ居なかった。それだけでも、信じてもいいって理由にはなるんだ」

 

 そんな嗚咽を誤魔化すように俺の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でると、ニカッと笑ってみせてくれた。

 

「全部やり終えたら、また会いに来やがれっ! そしたら美味いもん、たらふく食わせてやらぁっ!」

「親父……っ!」

「ま、金はもちろん貰うけどな」

「だぁっ!? ~っ……ちゃっかりしてるなぁおいっ!」

 

 こんなやりとりで、胸の痞えは取れるんだから不思議なものだ。

 見せてくれた笑顔に安心したって理由もあるけど、もしかしたら俺が被った罪のことで、城のほうに押しかけたりしやしないかって心配だった。

 ……そんな心配が顔に出たのか、親父は苦笑するように笑ってから真面目な顔をする。

 

「すまねぇな、一刀……今はまだ、罰を背負うお前に頼ることしか出来ねぇ。どんな罰かも知らねぇのに、こんなこと言うのはずるいだろうけどよ……死罪なわけじゃねぇって言葉を信じるなら、ここは笑ってやるところだろ?」

「───……ああ。笑って欲しい」

「よし、んじゃあ決まりだ。いつでも“帰ってこい”、馬鹿息子代理。どれだけ時間がかかろうが、俺はお前を迎えてやらぁ。みんなも……それでいいか?」

『………』

 

 他の親父たちに振り向いて言う親父だったけど、親父達からの返事はない。

 代わりにあったのは……その場に居た全員からの、俺の胸へのノックだった。

 ……うん、嬉しいけど、この人数全員からだとさすがにいろんな意味で胸が痛い。

 

「気になることはそりゃあ多いさ。だがお前が大丈夫って言うんなら、それを信じてやるのが仮だろうが親の務めってもんだ。お前が胸張って進んでいけてるんなら、俺達から言えることなんざ一つだけだ」

「けほっ……い、言えることって……?」

 

 最後にドンと親父にノックされて、軽くムセてるところに疑問の浮上。

 次から次へと降りかかる情報処理に苦笑を漏らしながらも、やっぱり真っ直ぐに目を見て受け取る。

 

「“元気でやれ”ってだけだ。刺しちまった俺が言うのもなんだけどよ」

「………」

 

 人が学べることって、なにも本や偉い人からの言葉だけじゃない。

 自分より経験の多い人だろうが、経験が少なくても自分とは違う感性を持った人が教えてくれることは多い。

 あとはそれを、自分がどう受け取れるかだけであって───

 

「ははっ……今すぐ帰るってわけでもないのに、帰らなきゃいけないムードになってるのはどうなのかな……」

 

 ノックしたあと、その高さのままに俺の前に差し出された腕が、自分を試しているようだった。

 その腕に、自分の腕をドスッとぶつけると、苦笑を笑いに変えて言う。

 

「ああ、元気で生きていくよ。親父達も元気で」

「おう。息子代理が教えてくれたことだ、もう間違わずに頑張っていけるさ。なぁ、おめぇら」

『おめぇに言われるまでもねぇっ!』

「うぉっ……たはは、手厳しいなぁおい」

 

 振り向いて言ってみれば、一斉に同じことを言われる親父。

 その顔が苦笑でも笑ってくれていることが今は嬉しい。

 ……うん、いつになるかは解らないけど、絶対にまた会いに来よう。

 そのためにはまず、自分に出来ることをしていかないと。

 

「じゃあ……行くな?」

「おうっ、行ってこい馬鹿息子っ」

「また来いよー、一刀ー!」

「絶対だぞっ、絶対にまた来いっ!」

「生きてその顔見せねぇと承知しねぇからなー!」

 

 一歩を引き、一礼をしてから歩き出す。

 背中には様々な言葉が投げかけられるけど、伝えたいことはきっと伝えられたから、もう振り向くことはしない。

 さあ、頑張ろう。

 全てが思う通り、願う通りにならないってことは、今回のことで痛いほど学べた。

 これからするのはその清算だ。

 どんなことが命じられるかなんてわからないけど、俺はそれを拒否することなくこなしていく。

 それが、俺が願った“親父達の未来のために出来ること”だったに違いないんだから。

 



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08:呉/権力? なにそれ

24/権力? なにそれ

 

 城に戻るなり、兵から俺に告げられたのは玉座の間に行くこと。

 雪蓮が待っているらしく、俺は心にきつくきつく覚悟を作り上げながら、長い長い通路を歩いていく。

 甘寧は“庶人の私が行けるのはここまでだ”と城の前で待機することになった。

 下に付くことになったならいいんじゃないかとも……まあその、遠慮がちに言ってみたんだが、首を縦には振ってはくれなかった。

 そんなわけだから一人、城の通路を歩いているわけだが……自分はよっぽど怖い顔をしていたんだろう。途中の中庭からドスドスと歩いてきた周々が、俺の顔をそのデカい舌でベロォリベロリと舐めてきた。

 

「ぶわっぷ!? ちょ、周々!? いきなりなにをっ!」

 

 離れようとするが、こう……ボクシングで言うクリンチをされるみたいにガシリと掴まれ……って重ォッ!! 重ッ……ぐぉおあああああっ!!

 

「んっ がぎっ……! くはっ……! し、心配っ……して、くれてるの……かっ……!?」

 

 メリメリと足とか腰とかに来る重みを、筋肉に力を込めることで緩和させていく。

 それでもハイ、重いものは重いわけですが。

 

「……ありがとな。そうだな、気負ってばっかりじゃあ潰れるのも早いもんな」

 

 どんな命令をされようが、それは呉の国のためになる。

 そう思えば、死力だって尽くせるってものだ。

 命令だから、従わなきゃいけないからって理由で向かうんじゃなく、国のためになるならって前向きに行こう。

 

「……よしっ!」

 

 ぽぽんっと周々の左前足を軽く叩くと、周々は舐めるのをやめてクリンチを外してくれた。

 それからドスッと俺の腹に頭突きをすると、もうなにもせずに寝転がっていた位置まで戻っていく。

 

(……動物にまで教えられて……はは、まったく俺は……)

 

 自分の頬を二度叩き、喝を入れる。

 どんなことを言われるかなんて二の次でいいだろう。

 呉に居る間は呉に尽くすと決めたからには、どんな命令や願いだって───!

 

……

 

 覚悟を胸に、玉座の間に立つ。

 段差の先の玉座に座る雪蓮を前にし、掌に拳を当てて一礼。

 玉座の間に並ぶ呉の将を一度横目に見てから、真っ直ぐに段差の先の雪蓮を見る。

 さあ、まずはどんなことが───と、ヘンに構えていたんだが。

 

「ご苦労様、わざわざ呼び立てたりしてごめんねー、一刀」

 

 ……ハテ? と首を傾げてしまう。

 雪蓮の態度は以前となんら変わりなく、むしろ笑顔が何割か増している気がする。

 いやいや待て待て、自国の将が将としての権利を剥奪とかそんな事態になってるんだぞ、それがこんな笑顔だけで終わるはずが───

 

「……一刀? ちょっと一刀、聞いてるのー?」

「へぇぁっ!? あ、ああ、聞いてる聞いてる」

 

 考え事をしながらでもちゃんと耳には入れていたが……み、妙ぞ……こは如何なること……?

 なんだか世話話みたいなものから始まって、罰のことも確かに話の中には出てきているんだが……いや、でも口を挟むわけにもいかないし。

 

「というわけで一刀には、呉に居る間は私達の言うことを聞いてもらうってことになったんだけど」

「ああ、それは覚悟してる」

「いいの? そんなに簡単に了承しちゃって。たしかに華琳から一刀への罰だけど、一刀の意思とか無視しちゃってるでしょ?」

「それについて、話をすることを許可してもらいたいんだけど……いいか?」

「うん、べつにいいけど」

 

 ……玉座に座ってるのにどこまでもマイペースというか。

 普通、キリっとした顔で向かい合うんだろうに……いつかの宴の時で見せたみたいにさ。ほら、冥琳だって少し頭痛そうにしてるし。

 

「俺に罰が下るのは、誰も間に挟まずに一気に踏み込み過ぎたアホさ加減とか、民の分を俺が背負うってことで納得してるから構わない。意思を無視しているっていうよりは、きちんと汲んでくれてるんだって思えるから。でも、雪蓮はいいのか? 俺の所為で甘寧は───」

「思春のことは思春のことよ、一刀には関係がないわ。傍観していたのは思春の意思で、相応の罰を受ける事実に思春は頷いたんだから」

「……華琳は手紙になんて書いてきてたんだ? 死罪にならない程度に、王として貴女が罰を下しなさい、くらいしか書いてなかったんじゃないか?」

「わ、すごーい。よくわかったわね一刀~」

「………」

 

 ビンゴだった。思わず手で顔を覆って俯いてしまうほどにビンゴだった。

 しかもそれをあっさり認めてしまう雪蓮も……ああ、冥琳が溜め息吐いてる……。

 

「あ、でも一刀への罰はちゃ~んと華琳が考えたものよ? “その状況で民を許したいなら、貴方が罪を被りなさい”、って」

「……ん」

「あと、“騒ぎを鎮めに行ったのに、貴方が騒ぎを起こしてどうするの”って」

「はぐうっ!」

 

 胸にグサリとくる言葉でした。

 ……うん、ほぼ予想していた通りだったからまだ耐えられるけどさ。

 

「とにかく、思春のことについてはちゃんと私が決めたことだから。罰は罰。一刀がどう言おうが、これは覆らないわよ?」

「……わかった、受け入れる」

 

 息を吸って、吐いて。しっかりと胸に刻み込む。

 自分がやったことが本当に正しかったのかは、各自が決めることだ。

 親父たちは笑顔になってくれた。甘寧は呉のためになるならばと受け入れてくれた。

 だったら俺が考えるべきことは───

 

「ってちょっと待った。雪蓮が決めたって言ったよな? ……俺、祭さんからは華琳からの罰報告として聞いてるんだけど」

「華琳がねー、そうしないと一刀が受け入れようとしないだろうから、そう言いなさいって。私もそっちのほうが一刀が慌てたりして面白いかなーって。ほら」

 

 ばさっ、と巻き物らしきものが広げられる……が、生憎とここからではてんで見えやしない。

 見えやしないが……あの、華琳さん……? 俺、今とっても母親と一緒に別の親御さんに謝りに行っているような気分なんですが……?

 しかもそんなことを伝えるために巻き物一本って……書簡じゃあダメだったのか?

 

「そ、そんなことしなくても、それが罰ならちゃんと受け止めるつもりだったのに……」

「ほう? そうかのぅ。随分と食って掛かっていた気がするが?」

「うぐっ……うぅうう……」

 

 横からの祭さんの言葉に、見事に言葉を詰まらせてしまう。

 はい……思い切り食って掛かってましたね……。

 それってつまり、全部華琳が予想していた通りの俺の行動だったってわけで…………穴があったら入りたいです、はい……。

 

「じゃあその……甘寧が俺の下につくってことを考えたのは……」

「? 私だけど?」

 

 きょとんとした顔であっさりと言われた。

 

「罰は罰としても、それが善い方向に向かう罰の方がいいに決まってるでしょ? 死罪と受け取って死刑に処するくらいなら、孫呉に生きて孫呉に死んでもらったほうがいいに決まってる。それに、思春はどうもこう……ねぇ? 固いところがあるから。一刀の下に付くことになれば、柔らかくなるかな~って。それと一緒に民との交流も持ってくれればいいなって。ほうっておけば四六時中蓮華のことばっかり考えてるんだもん、これくらいしなきゃね」

 

 アノー……雪蓮サン? 少し離れたところから冷気が……いや、鋭い殺気めいたものが……。

 これ、彼女ですよね? 間違いなく孫権さんですよね……?

 そんな孫権さんがクワッと雪蓮を睨み、声を張り上げた。

 

「雪蓮姉様!」

「え? なに?」

「なにではありません! そのようなっ……そのようなことのために、思春をこんな男の下につけたというのですか!!」

 

 ズビシと指差された上にこんな男呼ばわりである。

 やっぱり孫権には滅法嫌われてるようだ。甘寧があんなことになったんだから、仕方の無いことなのかもしれないけど、結構ツラい。

 

「こんな男って、失礼ね蓮華。一刀はね、こう見えて…………」

「………」

「こう見えて、見えてー……んー…………なにか特技あったっけ?」

「いや……うん……雪蓮さん? 虚しくなるからそこで俺に訊くの、やめようね……?」

 

 自分で自分の特技を口にするのって勇気が要る。

 しかも自分で考えてみても、自信をもってこれだと言えるものなんてまだまだ全然だ。剣術はまだ修行中だし、勉学だってまだまだ……あれ? じゃあ俺の特技ってなんだろ……?

 なんて、顎に手を当てながら本気で考え込んでいると、ふと感じる視線。

 見れば、孫権が俺を睨んでいた。

 

(きっ……嫌われたもんだなぁああ……)

 

 だけど挫けない。

 目標があるのなら挫けそうになっても進んで、挫けてしまっても立ち上がる覚悟をもって挑むべし。

 挫けたら終わりなんじゃなく、立ち上がれなくなったら終わりなんだ。

 だから今は“こんな男”でいい。特技が思い当たらなくてもいい。

 魏のため、そしてこの国のため、自分に出来ることをやっていこう。

 そうしてうんうんと小さく頷いている間にも、雪蓮と孫権は話を進め……いや、ややこしくしてるのか?

 

「そう睨まないの。心配だったら一刀に“思春に近づくな~”とか命令すればいいのよ。一刀は拒まないだろうし、貴女も満足するでしょ?」

 

 あっはっはー、なんて暢気に笑いながら、ひらひらと手を揺らして言う雪蓮。

 孫権はそんな雪蓮の言葉にムッと顔をしかめると、一度目を閉じてから息を吐き、吸ってから目を開いた。

 

「……姉様。私は北郷が民のためにとぶつかったことを、認めていないわけではありません。そんな存在に、自分が気に入らないというだけの手前勝手な理由で命を下すなど、出来るはずがないでしょう」

「え?」

 

 首を傾げたのは俺だけ。

 てっきりとことんまでに嫌われているんじゃないかと思っていたのに、まさか認められている部分があるなんて。

 雪蓮はそんな俺を見て“にこー”と笑うと、孫権へ視線を戻して口を開く。

 

「それがわかってるなら、どうしてそんなにつんつんしてるのよ」

「つっ……つんつんなどしていませんっ! 私はただっ! こんな、他国の男に思春をつかせるという行為自体が間違いだとっ……!」

「じゃあ庶人のままのほうがよかった? 庶人のまま、呼び出さなきゃ城にも入れない状態のほうが?」

「そ……それは……」

「一刀の……警備隊長の下につくってことは、たしかに将としては屈辱に値するかもしれないけどね。同時に一刀が願えば城の中に入ることくらいは出来るってことなのよ。そこに王の許可も入れば、堅苦しいこと言いっこなし。ね?」

「あ……」

 

 ぽかんとする孫権を玉座の上から見つめながら、組んだ足に立てた頬杖の上で笑顔を見せる。

 下した罰をマイナスだけで終わらせないのは見事……なのかもしれないが、引っ掻き回される人のこともちょっとは考えようね、雪蓮。

 いや、むしろその引っ掻き回すのを楽しんでいるのか?

 

「罰は下さないと示しがつかない。それは当然よ。でもね、一刀と殴り合う中で思春が割り込んだりしたら、民はそれこそなにも吐き出せないままに鬱憤を溜めてたわよ。一刀が何も聞かずに逃げても同じで、ただ殴り倒して満足して去っても同じ。そうでしょ?」

「それは……そう、かもしれませんが」

「極論みたいに言っちゃうなら、将の誰かを盾にするみたいに民の話を聞いたところで、山賊に人質に取られた子が、助けを呼べば殺すなんて言われてるような状況で“俺達への文句を言ってみろ”なんて言われてるようなものでしょ? 全てを丸く治める、なんてことにはならなかったけど、結果としてはあれはあれでよかったのよ。ね、冥琳」

「ああ。他にもやり方はあったろうがな」

 

 あー……言葉がさくりと突き刺さる。

 がっくりと項垂れた俺に、雪蓮が“落ち込まないの”と言ってくれることだけがささやかな救いだった。

 

「起こったことは変えられないし、変えられないなら少しでもいい方向に向かうように努力するのが大事なの。皆が笑っていられる国を目指すのに、一刀が受け止めたかったこととか民が言いたかったことを見守っただけで死罪なんて、あんまりでしょ?」

「だから、庶人扱いでも比較的に傍に居られるよう、北郷の下にと……?」

「どう結論づけるかは各々に任せるわよ。けどね、蓮華の下に庶人として付かせたとして、今までの扱いとなにかが変わる? 罰になる?」

『……………』

 

 総員、沈黙。

 みんながみんなそっぽを向きつつ、だけどきっと同じことを考えている。

 “なにも変わらない”と。

 

「戦はもう終わったの。死を強いる必要なんてないし、死んでもらうくらいならその生をこれからのことのために尽くしてほしいって思う。なんでもかんでも死罪死罪で通したら……うん。たしかに騒ぎは治まるだろうけど、きっと誰も笑わなくなるわよ。そんなのは私が目指す呉の姿じゃないわ」

「姉様……」

「天下は取れなかったけど、極端な話をすれば、世が平穏に至っているなら争う理由も勝とうとする理由もないのよ。ただ、みんなが笑顔で今の世を生きてくれたらいい。……でもねー、思春ってばあまり笑わないでしょ? だったら一刀の下につかせれば、表情も豊かになるんじゃないかなーって」

「オイ」

 

 思わずズビシとエアツッコミを入れる。

 途中まではキンと引き締まった空気が流れていたのに、“でもねー”のあたりであっさりと吹き飛んだ。

 

「文官は知識を生かすことが出来るけど、武官はなかなか難しいのよ。乱世にあってこそ武を振るうことが出来るけど、平和になっちゃうと逆に自分が何を為すべきか、わからなくなるの。明命は一刀と“自分に出来るなにか”を探す気でいるみたいだけど、思春は自分から誰かに手を伸ばす性格してないからねー」

「本人が居ないからってひどいな……」

「そ? べつに本人が居ても、私は言うわよ?」

 

 ぐ~っと伸びをして、座っているのにも飽きたのか玉座から降りて、たんとんと段差を降りてくる。

 そんな様を、“あー、たしかに遠慮なく言いそうだ~”とか思いながら見守った。

 

「じゃあ最後に言いたいことだけ言うわね。一刀もなんだかんだで責任感じてるみたいだし。……思春の全権を剥奪したことで一刀を恨んでる者は、名乗り出なさい」

「っ」

 

 ビクリと肩が震えた。

 いきなりだったってこともあって、おそるおそる伺うようにみんなを見るが………………名乗り出る人は、誰一人として居なかった。

 

「え……なんで……」

 

 首を傾げるどころじゃない。

 雪蓮は“甘寧がしたくてしたことだから”みたいに言ってくれたけど、みんながみんなそれで納得出来るとは思ってなかったのに。

 そういった考えが頭の中でぐるぐると回って、やがてなにも考えられなくなりはじめた頃。自分の両手が、なにか温かいものに包まれる感触にハッとした。

 

「一刀様、もっと胸を張ってください」

「周泰……」

「そ、その、えと……一刀様は、私達には出来なかったことを、し、しししてくださったのですからっ……」

「呂蒙……」

 

 見れば───両脇に立ち、片手ずつを手に取ってくれた二人。

 繋がっている手が暖かく、その暖かさと包みこむようなやさしさが、二人が心から自分を励ましてくれている証なのだと理解させてくれた。

 

「そうだよ一刀。ちょぉっと乱暴だったかもしれないけど、町の人たちが笑ってくれてたんだったら、一刀はちゃ~んと“呉のために”なにかが出来たってことなんだから」

「孫尚香……」

「むー……! シャオでいいって言ってるでしょー!?」

「ええっ!? ここで怒るのかっ!? い、今すごくやさしい雰囲気がうぉわぁっ!?」

 

 俺の目の前でにっこにこ笑っていた孫尚香が、突如として俺と呂蒙の間を潜るようにして背後に回ると、俺の首に抱き付いてきて……はうっ! こ、このささやかだけどたしかに感じられるやわらかな感触……じゃなくて!

 ややややめてくれぇええっ!! 押さえていた(ジュウ)が! 俺の中の獣が目を覚ましてしまう! こんな状況でそれは嫌だ! 困る!

 

「おうおう、随分と懐かれておるのぅ、北郷」

「……我慢は体に毒だぞ、北郷」

「ちょ、祭さん! これは懐かれてるとかじゃなくて首っ! 首が絞ま───冥琳!? がが我慢ってナンノコトデスカ!?」

「一刀さんはケダモノですね~」

「チガイマスヨ!?」

 

 両手を周泰と呂蒙にやさしく包まれ、背中には孫尚香。

 目の前には慌てる俺を見て穏やかに笑う、祭さんと冥琳と陸遜。

 嫌われることがなくて良かったと安堵するのと同時に、少しでも認めてもらえたことが純粋に嬉しかった。

 たしかに、やろうと思えばもっと別のやり方があったのかもしれない。

 殴り合うんじゃなく、時間をかけて少しずつでも親父たちの心をほぐしてやればよかったのかもしれない。

 そうすることが出来たなら、甘寧だって元のままで居られたのかもしれないけど───

 

「ほ~ら~……シャオだよ、シャ~オ~。言ってみて~一刀~……♪」

「ふひぃっ!? みみみみ耳に息吹きかけるなぁっ!!」

 

 受け止めてやれるかもしれない状況で、なにかが出来るかもしれない状況で、歯噛みするだけの自分は嫌だった。

 そんな時でも状況を弁えて踏みとどまるのが賢い生き方なんだろう。

 あの時の俺は賢くなんかなかったのかもしれない。

 

「大人気だな、北郷」

「め、冥琳…………人気って言えるのかこれっ……って、そうだ。冥琳、一応聞かせてほしいんだけど、親父の青椒肉絲、冥琳の思い出の味に届いてたか?」

「───っ!? なっ、う……北郷! それはっ───」

「うん? 思い出の味の青椒肉絲? ……ほほう、それは興味があるのう公瑾」

「……いえ祭殿。これは北郷が適当なことを言っているだけで、私は青椒肉絲など……」

「そういえば北郷を見つけたのがお主だったわりに、公瑾。お主は戻ってくるのが遅かったと聞くが……」

「───ああ祭殿。話は変わりますが、次回の同盟会合のために寝かせておいた酒の(かめ)が一つ消えているのですが。ところで甕といえば───祭殿は何故か、北郷の監視に就く日は決まって酔っぱらっていたと報告が来ていますね」

「うぐっ! …………あ、あー……いや、青椒肉絲なぞ、意味もなく急に食したくなる日もある……のぅ」

「ええ。酒を甕ごと飲みたくなる日などそうそう無いとは思いますが」

「ぬぐっ……! 卑怯じゃぞ公瑾!」

 

 賢くなかったかもしれない───それでも。それでよかったんだって思える今がある。他に方法があったのかもしれない。他にやりようがあったのかもしれない。けど、生憎と人間は、最初から成功出来るようには出来ていないんだと思う。

 殴られたり刺されたりもしたけど、その痛みの分だけ親父達が笑顔になるのも早かった。それが自分にとって嬉しいことだったのなら、喜ばなければ嘘になる。

 もちろん、見守ってくれていた甘寧にとっては、とんだとばっちりになってしまったわけだけど、彼女がそれでもいいと言ってくれているのなら、俺も受け止めないと。

 と、決意を新たにしながらも、現状といえば───

 

「もーっ! シャオだってば! いいから言うのーっ!!」

「ぶはっ!? ぶはははははっ! 孫しょっ……脇っ、脇はやめうひゃははははっ!!? わかった! 言う! 言うからやめてぇえええっ!! ヘンなところに力入って傷がまた開くから!」

 

 ……周泰と呂蒙に両手を封じられて、孫尚香に脇を擽られているなんて有様である。

 どこの国でも女って怖いなぁとか思いながらも、一番怖いと思うと同時に大事に思える人の顔が浮かんでくると、こんなのも悪くないって思えるんだから不思議だった。

 

「じゃあほら、言ってみて? みんなが居る前で、た~っぷり愛を込めて」

「愛はともかくとしてちゃんと……あの、孫権さん? 甘寧のことで俺が気に入らないのはわかるけど、そう睨まれると……」

「に、睨んでなどいないっ!」

 

 う、うそだっ! 隙を見せれば襲いかかってきそうなくらい睨んでた!

 まるで理解に至らないものに出会った科学者みたいに……どんな顔だそれ。

 

「なに、権殿はお主の扱いに戸惑っておるだけじゃ。孫家の者として、功績は認めるべきじゃが……北郷、お主のやり方の問題もある。民を殴り飛ばして教え込むなぞそうそう出来ん。儂はこういったわかりやすいやり方も好きじゃがな」

「え……そうなのか?」

 

 祭さんに言われ、孫権へと視線を移す。

 孫権は目を合わせようとはせず、そっぽを向きながら思い悩むように呟いた。

 

「っ……守るべき民を殴ることで治めるなど……! だがその結果として民が笑んでいるのも事実…………貴様という存在がわからん。なんだというのだ、貴様は」

「なんだと言われてもな……どわっと!?」

 

 孫権の方を見て戸惑っていると、ぐいぃと孫尚香に引っ張られる。

 振り向かされれば、ぷくーと頬を膨らませる孫尚香。

 

「一刀、今話を逸らそうとしたでしょ~! ダメなんだからね、ちゃんとシャオのこと呼ばないと!」

「逸らっ───!? そんなつもりありませんが!?」

 

 言いつつも、多少は認めてもらっていることに喜びと戸惑いとを混ぜた心境のさなか、目を逸らしつつさらに意識を逸らそうとする俺の腕を、さらにぐいっと引っ張って現状に戻すのは孫尚香。

 いっそのことほうっておいてくださいと言いたいのに、今の僕は呉の将の願いを叶える御遣いさん。

 だから呉の将の言葉は絶対で………………マテ。じゃあ、た~っぷり愛を込めてっていうのも死力を尽くさないといけないのか?

 

「……っ……、……」

「? 一刀様、どうかされたのですか? なんかすごい汗出てます」

「青春の汗です」

 

 心配してくれる周泰に、スッと汗を拭って、ニコリと満面の作り笑いで返した。

 その動作で二人と繋がっていた手は離れて、まずは深く深呼吸。

 ……そ、そう……そうだよ、な。これが民のための罰なら、俺は……俺は……!

 

「孫尚香っ!」

「あんっ、どうしたの? 一刀」

 

 背後から目の前に立たせた孫尚香の両肩をがっしと掴み、その目を真正面から覗き込み…………そう、あたかも華琳へと思いをぶつけるかのような気持ちで───

 

「───小蓮」

 

 心から、たった一言に想いを乗せて、彼女の耳元へスッと近づけた口で呟いた。

 すると、“ぐぼんっ!”と音が鳴りそうなくらいの速度で、孫尚香……じゃなくて、シャオの顔が真っ赤に染まって……

 

「───………………はっ! あ、や、やぁだ~一刀ったら、そんなまるで伴侶の名前を呼ぶみたいに~!」

 

 たっぷりと間を取ってから、彼女が反応を見せた。

 妖艶に笑むのではなく歳相応といった風情で、俺に背を向けて。

 そんな僕らの様子を見ていた祭さんが一言。

 

「なんじゃ。北郷は少女趣味か?」

「違いますよ!?」

 

 ええ、そりゃもう全力で否定させてもらいました。

 ここで言ってしまうのもシャオに悪い気もしたけど、誤解だけはしないでほしかったので本音をぶつける。

 

「……なるほど~、つまり小蓮様の真名を呼んだのは、小蓮様の命令だったからと~」

「だぁあっ! それも違うからぁっ!!」

 

 誤解はさらなる誤解を生むっていうけど、どうやらそうらしい。

 にっこにこ笑顔で間違ったことを言う(多分わざとだ)陸遜に待ったをかけ、さらに事細かに説明を……ああっ、なにやってるんだ俺っ……!

 

「じゃあ、ややこしいから決め事を作りましょ?」

「決め事? ……雪蓮、またよからぬことを考えているのではないだろうな」

「だ、だーいじょうぶ! 大丈夫だから! どーして冥琳はすぐそうやって疑うかなぁ!」

「疑われたくないのなら、私から必死に耳を隠すその手をどけてからにしなさい」

「うぐっ……一刀~、冥琳がいじめる~、やっつけて~」

「なんてこと命令しようとしてるんだぁっ!! そんなことに死力を尽くしたら、俺に明日なんて来ないだろっ!!」

「ぶー、一刀ったら私にやさしくな~い」

 

 こんな状況でどうやってやさしくしろと!?

 なんて目で訴えかけてみると何故か俺のすぐ傍まで来て、少し身を屈めて頭を軽く突き出す雪蓮。

 ……エ? あの……まさか撫でろと? 冥琳がやさしくないから、俺にやさしくしろと? ……無理です、無理ですから話を進めてください。

 俺の反応を伺ってか、投げかけてくる視線にそう返すと、及川が拗ねた時みたいに口を尖らせてぶーぶー言う雪蓮。

 ああ、及川よ……キミは今どうしている? 俺は今、とても困った状況に立っているよ。どうせ帰ったとしても一秒も経っていないんだろうけど。

 

「それで、姉様。決め事とは?」

「むー……冥琳?」

「ああ。では北郷、今日よりお前にはこの国を離れるまで、呉に尽くしてもらう。とはいえ、我々が言う言葉全てに死力を尽くされては、こちらとしても話し掛けづらくもなる」

「え? あ、あー……そう、だよな」

「そこでだ。北郷に命令をする時は、命令だときちんと伝えること。これを“決め事”とする。それ以外のことはあくまで“してもらいたいこと”に留める、ということでいいな、雪蓮」

「さすが冥琳、わかってるー♪」

 

 ……すごいな、言葉が無くても理解するって、こういうことを言うのか…………と感心してみるが、普通に雪蓮が話したほうが明らかに早かったよな、今の。

 “ここはツッコんだら負けなんだろうか”と思いつつ、話を続けてくれている冥琳をじーっと見つめていた。

 

「私達が何気なく言った言葉でも、北郷は死力を尽くして実行しなければならない。そんなことになれば、北郷が保たないだろう。それはそれで面白そうではあるが」

「……途中まで少しでもじぃんと来てた俺の心のやすらぎを今すぐ返してください」

 

 言ってはみるけど、すでに撤収モードに入ってしまったこの雰囲気は流せそうもない。

 暗い気持ちなんてとっくに流されてしまっているし……ああ、いい。

 流されてしまったなら、教訓としては刻み込もう。もう何度も何度も刻んだことだけど、もう一度。

 そして、雪蓮が甘寧を俺につけた理由が罰と……それと彼女の笑顔を望んでのことなら、その願いを叶える努力を……うん。

 

(誰かのためかぁ……そういや、いつだったかじいちゃんが言ってたっけ)

 

 他人のためではなく自分のために生きられる男であれ。

 自分のために全てを行えば、失敗を犯した時も誰かの所為にすることもなく、己だけが傷つくだけで済むのだから、って。

 自分が自分のために動くことで、結果として誰かが助かる……そんな生き方をしてみろって。

 

  これは……どうかな。自分のためではあるのかな。

 

 そう自分に問いかけてみても、そんな自分に対して漏れる苦笑しか耳には届かない。

 つまり、それが答え。

 

「孫権」

 

 自分の“苦笑”って答えを耳にして、一度笑ったあとに孫権へと向き直る。

 呼ばれて振り向いた孫権とは違い、雪蓮は暢気に「がんばれー」って笑っていたりする。

 今はそんな、声も笑顔もありがたい。

 

「まだ、少しでもいい。ほんのちょっとでも認めてくれている部分があるなら、見ててほしい。俺……もっと頑張るから。この国のために出来ること、頑張って探して返していくから。だから、いつか孫権が俺を本当に認めてくれたら……俺と、友達になってほしい」

 

 そんな笑顔に励まされながら、握られないであろう手を差し出す。

 そして、その予想通りに孫権は俺と目を合わせることもせず、俺の横を通りすぎようとするけど───その足音が、擦れ違った一歩目で止まる。

 

「……私は貴様を認めていないわけではない。祭の言う通りだ、貴様という存在を持て余す」

 

 振り向こうとしたけど、振り向いちゃいけない気がして、静かに息を吐く。

 

「思春のことで苛立ちがないと言えば嘘になる。だが貴様の監視を思春に任せたのは私だ……そう、私が“監視せよ”と命じたのだ。思春は命令を忠実に守っただけで、本来罰などというものがあるのなら私が───」

「───……」

 

 ……ああ、そっか。

 甘寧がそうした意味が、なんとなくだけどわかった。

 

「……そう言うと思ったからなんじゃないかな」

「なに……?」

 

 だとするなら伝えたい。そう思った時には、もう口は動いていた。

 孫権が振り向いたであろう音と気配に意識を傾けながら、自分は振り向かずに言葉を続けた。

 

「甘寧はさ、孫権がきっとそう思うだろうって思ったから、孫権が自分を責める前に“その罪で構わない”って受け入れたんじゃないかな」

「……思春は私のために、反論もせずに受け入れたと……?」

「誰かのためにとか、そんなのじゃないと思う。自分がそうあってほしいと思ったから、孫権に罪の意識を持ってほしくなかったから、そうしたんじゃないかな」

 

 誰かのためにと頑張れば頑張るほど、人は案外挫けやすい。

 自分のためだからと頑張れば、確かにどこかで自分を甘やかしてしまうのが人間だ。残念だけど、きっとそれは変わらない。けど……そこで挫けたままでいるか、立ち上がれるかは自分次第なんだ。

 そして甘寧は庶人扱いでもいいと頷いて、罰を甘んじて受けながらも前を向いている。挫けていないのだ。彼女にはそんな強さがある。

 

「……そうだな。そうかもしれない。ならば───私がこうして悔やむことも、思春の行為を無駄にする」

「え? いや、無駄とまではあだぁっ!?」

「命令だっ、振り向くなっ」

 

 命令って……! 振り向こうとした顔を無理矢理に捻り戻しておいて、命令もなにも……!

 

「と、とにかくっ。決まってしまったことは覆せない。思春は庶人扱いとなって、貴様の下についた。だがそれは貴様も同じだ。思春の上に立つというのなら、部下に不自由を強いるようなことは許さない。……“見ている”から、それを証明してみせろ、“北郷”」

「………」

 

 ……北郷。

 貴様でもお前でもなく、北郷と呼んでくれた。

 それがなんだか、むず痒いくらいに嬉しくて───

 

「ふっ……振り向くなと言っただろうっ!」

 

 ───振り向こうとしたら首を思いきり捻られた。

 こう、骨を通して聴覚に直接響いたみたいな“ごきぃっ!”って音とともに。

 するとどうだろう……全身から力がスゥッと抜けていって、体が傾き……あれ? 景色が明るい……。傾いてゆく真っ白な景色から、また天使っぽいなにかが───ウワァイ綺麗ダナァー…………

 

「…………北郷!? ちょっ……北郷!?」

「……? どうかされたのですか蓮華様……───一刀様!? かずっ……はぅわあっ!? かかか一刀様が白目むいて泡噴き出してますーっ!!」

「えぇっ!? ちょっ……なにしたの蓮華!」

「なななにをと言われても! 私はただっ……!」

 

 視界の白さを越えた先で辿り着いたお花畑を前に、なにやらいろいろな声が聞こえてきた。

 そんな穏やかな状況の中、俺は……何故かお花畑の先にある川のさらに先で、“なんでここに居るんですかー!”とか“隊長! 来ちゃだめだー!”とか叫んでいるかつての仲間たちと出会いながら、今日という朝……いや、仕事手伝ったり話したりで昼になっていた時間を、気絶って形で終わらせた。

 



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09:呉/傍らを歩く朱の君よ①

25/朱の陽の落つる日に

 

 同日、気絶から復帰した少し遅い昼のこと。

 さらりと出た話題に二つ返事で頷いた俺は、ある場所のある人たちの前に行き、

 

「てめぇの所為で頭がぁあああっ!!」

「キャーッ!?」

 

 錦帆賊……もとい、海軍の皆様に首根っ子を掴まれ、女みたいな悲鳴をあげていた。

 

「頭ァ! この野郎、(チン)しちまってもいいですかぃ!?」

「沈がダメなら縛り上げて吊るして……やっぱ沈だ!」

「やめてやめてぇええええっ!! そんなっ、俺達出会ったばかりじゃないか! 話し合おう! 話し合えばきっとわかり合えるよ!」

 

 掴まれ、持ち上げられ、熱き男たちの頭上に寝かされた状態で騒ぐ俺。

 もちろんこんな体勢では逃げることもままならず、救いを求めて案内してくれた甘寧を見るが───

 

「やめろ。海が汚れる」

「助けるにしたってもう少し言い方ってものがあると思うなぁ俺!!」

 

 所詮こんなもんだった。

 それでも離してくれた水兵の皆様の行動に心からホッとしながら……解放された理由についてを考えて、果たして解放されたことを喜ぶべきかを少し考えた。

 ……さて。

 いわゆる呉軍の軍事機密であるらしい海軍集まる港にやってきたのは、俺と甘寧。

 目覚めてすぐに雪蓮に伝えられたことにたまげつつも、俺は甘寧とともに建業という町と城を歩いていた。

 というのも雪蓮が───

 

 

 

-_-/回想

 

 それは気絶から戻ってきたときのことだった。

 綺麗な花畑、綺麗な小川を跨ぎ、散っていったかつての仲間たちと涙ながらの再会を喜んだあと。

 誰かに呼ばれた気がして意識を浮上させると、自分は宛がわれた部屋の寝床に寝かされていて、目を開けた先には雪蓮。

 無理矢理起こそうとでもしたのか右手を振り上げていて……ってちょっと待てぇえっ!!

 

「まま待ったぁっ! いきなりなんだっ!?」

「あ、起きた」

 

 きょとんとした声とともに、振り上げられた(たぶんビンタ用の)手は下げられた。

 起き抜けからどうして安堵の溜め息なんぞを吐かなければならんのかを、急激な覚醒を強いられた頭で考えてみるが、こういう時は纏まらないものだって決まっている気がする。

 

「あ、あー……あれ? お花畑は? あいつらは?」

 

 見渡してみても、しんと静まった部屋があるだけ。

 部屋に存在するのは俺と雪蓮だけで、雪蓮は寝床にきしりと腰を預けると、俺の顔を覗くようにしてにこーと笑う。

 

「ん……えっと、なに?」

 

 彼女が笑顔になると、大体が俺に用があるって……なんとなくだけど感じた。

 用もなにも、一人でここに居るってことは“用がある”ってことだけは確定なんだろうが。

 

「ん、これからの一刀が出来る行動について、言っておこうかなーって。目が覚めたら言うつもりだったんだけど、一刀ったら全然起きないんだもん」

「そっか。そりゃ悪いこと…………マテ」

 

 目が覚めたら? 全然起きない?

 

「……あの。雪蓮さん? 貴女、仕事は───」

「それでねっ、話のことなんだけどねっ」

 

 俺の言葉を遮るみたいに手をぱちんっと叩き合わせ、声を張り上げる雪蓮……って、誤魔化したよこの王様。

 それでもなにを言われるのかと思いながらも体を起こし、聞く姿勢を取る。

 一国の王の話を寝床に座りながらってのも問題すぎるとは思うが。

 

「───一刀。貴方は今まで通り、この呉で好きに行動していいわ。それなりの規律は守ってもらわないと困るけど、縛り付けるために呼んだんじゃないからね。貴方が“呉のためになる”と思う行動を、思う存分やってくれて構わない。あ、ただし必要になったら呼ぶから、その時はどんなことの最中であろうとも駆けつけること。これを“命令”として受け取って。あとは好きにしていいわ」

「………」

 

 物凄く奔放なことを、一気に仰った。それこそ、途中で口を挟むことを許さないってくらいに一気に。

 客将とまではいかないものの、他国の客人に好きに振る舞えなんて普通言わないだろうに。なのに言っちゃう雪蓮は、物凄い大物なのかただ単にお気楽なだけなのか。

 

「や……でもな。俺が勝手に出歩いたりするのは迷惑に───」

「城に閉じこもったままで、どうやって騒ぎを起こす民を説得する気?」

「あ」

 

 本末転倒。

 ここにきて、自分が呉に呼ばれた理由を思い出して赤面した。

 

「私は一刀に騒ぎを治めてほしいって言ったのよ? もちろん私達だって一刀だけに任せっきりにするつもりはないし、その中で、一刀は呉の子たちと手を繋げる機会を作ればいい」

「ん……」

「なに、打算的に言うつもりはないが、建業の民を先に鎮めたのは見事なものだ」

「そうなのか? って冥琳!?」

 

 あ、あれ!? いつの間に!? さっきまで雪蓮しか居なかったよね!?

 

「部屋に入る時はのっくをするのが礼儀だ~って、華琳に教わらなかった?」

「ほう? お前がそれを言うか雪蓮。仕事をほったらかしにして身を潜めているどこぞの王に逃げられないよう、そっと入ったつもりだったんだがな」

「一刀が悪い!」

「なんで俺!?」

 

 やっぱり仕事、ほったらかしだったのか。

 しかもそのことを問答無用で人の所為にしようとするし。随分と自由気ままな王様だ。

 

「まあ雪蓮のことはひとまず置こう」

「そうね、うん。出来ればそのまま置きっぱなしの方向で」

「それは駄目だな」

 

 キッパリだった。ものすごーくキッパリだった。

 

「一刀~、冥琳がひどい」

「そこで俺に振らないでくれ……で、あのー……冥琳? 雪蓮のことを置いておくのは賛成なんだけど、“ここ”の民を鎮───あ、そっか」

「………」

 

 ハッと答えに行きついた俺の横で口を尖らせて沈黙している雪蓮を余所に、目を伏せて口の端を持ち上げる冥琳を見上げる。

 あの、雪蓮さん? 置いておかれることを望んでたんだったら、そんなジト目で睨まないでほしいんだけど。

 

「まあ、そういうことだ。悲しみに追われた者は後先を考えずに行動するものだが、それも“先に動く者があれば”だ。民の騒ぎも最初にこの建業で起き、それに加わるような形で各町でも騒ぎが起こった。“呉の王や将の一番近くの町の者が騒ぎ出したから”だ」

「そっか……悲しかったとしても、進んで騒ぎを起こして処罰されたいわけじゃないもんな。だから、誰かが動いて、それに乗じる形で騒げば、少なくとも“一番に騒ぎ出したのは自分じゃない”って安心が得られる」

 

 あとは簡単だ。

 そうやって、子を失った悲しみや国に対する不満を持った者、果てはただ騒ぎたい者たちや関係のない者まで暴れ始める。

 でもその始まり───建業の民たちが笑顔を取り戻してくれたなら、少しずつでも騒ぎの勢いは鎮まっていくのだろう。

 ……もっとも、それは鎮まるだけであって解決じゃない。

 不満が募ればまた騒ぎは起こるだろうし、鎮まっただけであって笑顔を見せてくれるわけじゃない。

 そんな人たちを笑顔にすることが……

 

「お前だけの仕事、というわけではないぞ、北郷」

「へ? …………あ、あれっ!? 声、出てたっ!?」

「一刀って結構隙だらけよねー。秘密とか話したら、ぶつぶつ呟いてそう」

「い、いや……そんなことは……」

 

 ない、と言いたいんだが……たった今呟いていたところだ、きっぱりと言えるわけもない。

 

「北郷。最初に雪蓮が言ったが、お前の仕事は“民の騒ぎを鎮めること”だ。呉の将に存在する仕事を手伝う必要も、手伝わせるつもりもない。……そんな顔をするな、邪険にしているわけではない。ただお前には誰よりも民の傍に“在って”ほしい」

「民の傍に?」

「ああ。あれほど悲しみに暮れていた民たちに活気が戻った。他にやり方があったろうと言ったが、あれは私達には出来ないやり方だった。……いや、もし私達がやっていたとしても、それは“上に立つ者”が一方的に押し付ける感情としてしか受け取られなかっただろう」

「自国の民を殴られたことに引っかかりを感じないでもないけど、あれはあれでよかったのよ。だ・か・らっ」

 

 言葉のあとに、トンッと俺の胸がノックされる。

 手の行き先を追っていた俺の視線が戸惑いとともに雪蓮の目を見ると、雪蓮はやっぱり“にこー”と笑って続きを口にした。

 

「一刀。貴方は貴方のやりたいことをやりなさい。それが呉のためになるなら、私達が妨げに走る理由なんてこれっぽっちもないんだから。なんだったら呉の将と好き合って、呉の人間になってくれても───あ、うちの蓮華なんてどう? あれでけっこう───」

「だぁああ待った待ったぁああっ!! いきなりなにっ!? なんで急にそんな話になるっ! どぉおして雪蓮はいつもそうなんだっ!」

「え? なにが?」

「っ……め……めいりぃいいいん…………」

 

 マイペースな王様である。つい迷子の子供のような声で冥琳に助けを求めるが、「それがこの国の王だ、慣れろ」とだけ返される。

 この時、雪蓮が“ソレ”扱いされたことに抗議申し立てを実行に移したが、物凄く綺麗にスルーされた。王様なのにこんな扱いって……。

 

「とにかくっ! たしかに俺はこの国に居る間だけは呉に尽くそうって覚悟を刻んだけど、それとこれとは話が別っ! 揺るがないって言っただろ最初にっ!」

 

 混乱を払拭するように身振り手振りまで合わせて声を張り上げるが、「まーまー」と静かになだめられた。

 途端に取り乱した自分が恥ずかしくなるが、対して雪蓮は冷静な笑顔を浮かべると、靴を脱いだ片足を寝台の上に立て、その膝に両手と頬を重ねた状態で俺の顔を覗きこんで言う。

 

「ね、一刀。本当の本当に揺るがないって言える? ここで仲良くなって、たとえば明命や亞莎が一刀のこと好きなっちゃったりしても、“俺は魏に生き魏に死ぬから断る”ってきっぱり言える?」

「えっ……や、それはっ……」

「あのね一刀。私はべつに、一刀に呉に降れ~とか言ってるんじゃないの。同盟国だし、たしかにそうなれば絆も深まるわよ? でも私が言いたいのはそういうことじゃない。本気で惚れちゃったりした子に対して、一刀が本当に国の名を理由に断るかどうかを訊いてるの」

「うぅ……」

 

 何気に痛いことを言ってくれる。

 そもそも複数の女性と関係を持つことに抵抗が……いやいや俺が今さらそれを言うか?

 

(けどな……! それだって魏の仲間だったからで……!)

 

 困惑。

 真剣に考え、自分の答えを探すが……断る? ……断れるのか?

 覚悟を持って告白してきてくれた人が居たとして、例えば俺がその子の笑顔が好きだったとして……そんな子に笑顔以外の顔を、俺自身の言葉で……?

 

(…………でも)

 

 そう、でもだ。俺にも譲れないものがある。

 好きになって、守っていきたい、守ってやりたいって思える人が、町が、国がある。

 誇り高くて気高くて、寂しがり屋なのに素直じゃなくて。そんな人の隣で、ずっと同じ覇道を歩いていきたいって思える心がここにある。

 誰かの涙と比べていいものじゃないけど、魏を……彼女たちを悲しませてしまうくらいなら、どれだけ悪者になったって構わない───俺はその告白を断るだろう。

 

「……ごめん、雪蓮。それでも俺は揺るがないよ。俺は魏を、華琳達を“そうなる”ってわかってて悲しませる行動は取りたくない」

「ふーん……でもさ、一刀。好いた惚れたに国の都合を出して拒否するなんて、男として失格じゃない?」

「ああ、そう思われちゃうなら仕方ないよ。それでも譲れないものがあるなら、どれだけ自分の評価を落としてでも貫く覚悟が俺にはある」

「……ほう」

 

 トンッと胸をノックして、真っ直ぐに雪蓮の目を見る。

 と……どうしてだろうか。雪蓮の目はつい先ほどよりもやさしいものとなり、そんな笑顔のまま俺を見つめている。

 

「そっか、一刀は“華琳のもの”じゃなくて“魏のもの”なのね。私が言っても散々断ってた華琳が、こうして一刀を送り出した理由……なんとなくわかっちゃったかも」

「え?」

 

 俺が……なんのものだって? と訊き返そうとしたんだけど、穏やかな笑みがまたも“にこー”に変わると、雪蓮は声を出して笑って……冥琳は溜め息を吐いた。

 

「でもね、一刀。意思が強くてちょっぴり頑固な貴方に教えてあげる」

「? 教え……?」

 

 さて、どうしてだろうなぁ。この、目の前でにっこにこに笑う彼女を見ていると、こう……背中の辺りがゾワゾワと寒気に包まれていくんだが。

 ああっ、なんか続く言葉がとっても聞きたくないなぁ! どうしてなんだろうなぁ! 本能!? これが本能ってものですか!?

 

「一刀が魏や華琳達に悪いからって罪悪感があるなら、その魏の象徴である華琳に許可を得ればいいのよね?」

「……ひゅふっ!?」

 

 ぞくりとした寒気が現実のものとなって襲いかかってきた! お陰でヘンな声出た! よろしくない……この状況はよろしくない!

 コマンド:どうする!?

 

  1:たたかう(説得)

 

  2:まほう(巧みな話術で対抗)

 

  3:ぼうぎょ(聞こえないフリ)

 

  4:どうぐ(携帯電話を見せて話題をすりかえる)

 

  5:にげる(知らなかったか? 大魔王からは逃げられん)

 

  6;たすけをよぶ(冥琳への救難要請)

 

  7:ねる(堂々と。おそらく殴り起こされます)

 

  8:いしんでんしん(華琳へ届け! この思い!)

 

 結論:1! 正々堂々、試合開始!

 

「待った! もうさっきから何回待ったをかけてるかわからないけど待った! 許可がどうとか以前に、同盟国から呼ばれてきた俺なんかを呉の人たちが好きになるわけがないだろっ!? なのに華琳に許可なんてとったら、ただ恥をかくだけだぞ!?」

 

 と、押し退けるように言ってみるのだが───

 

「そう? なんだかんだでみんな一刀のこと認めてるし、あとでどうなるかなんて一刀にだってわからないでしょ?」

「ぬごっ!?」

 

 あっさりと反論を殺された。だめだ……なんとなくだけど、俺って一生、言葉じゃ女性に勝てないような気がしてきた。

 いや……いや! 困った時の冥琳さん! 彼女ならきっと、雪蓮のこういった行動を諌めてくれるに違いない!

 

「冥り───!」

「“あとがどうなるかわからん”という点については……なるほど、頷こう。私は軍師ではあるが、予知ができるわけではない。私が北郷に惹かれることが無いとは、残念ながら言いきれない」

「アイヤーッ!?」

 

 何故か頷いてらっしゃる!

 そんなっ、あなたが頼りだったのに! この大魔王を止められる勇者は、きっとあなただけだったのに!

 

「それともなんだ? 北郷は我々では全てにおいて魏に劣り、不満だと言うのか?」

「えっ!? やっ、やややっ! そんなことはっ! ってそうじゃなくて! いやでも、それは、不満とかそういう話じゃなくて、そりゃ綺麗だし可愛いし───って何言ってるんだ俺はぁあっ!!」

 

 神様助けて! なにか、なにか黒い陰謀が俺の知らないところで渦巻いている気がする! 頭に太陽をシンボルにしたような人形を乗せた軍師さんの力が、何故か俺だけ狙って蠢いているような……!

 風!? 風ーっ!! これってどういった陰謀なんだ!? まるで俺を大陸の父に仕立て上げたいみたいな……!

 ……いや落ち着け……逆だ。そうだ、逆に考えるんだ。

 雪蓮は“華琳に許可を得る”って言ったんだ。そんなことを、果たして華琳が許すか?

 

(…………)

 

 

“一刀に惚れた? まぐわいたい? ……そうね、ならば双方ともにどう可愛がったか、どう可愛がられたかを行為のあとに私に報告しなさい。さらに、そうした者全ての女性は私とも閨をともになさい? そうすると約束できるのなら、許可するわ”

 

 

(……許しそうだぁああ~……!!)

 

 頭を抱えて、心の中で思う存分叫んだ。

 そんな俺の様子を見てだろうか、ハッと気づいた時にはもう遅く……雪蓮は満面の笑顔を見せると、

 

「じゃ、私行くから。思春のこと、ちゃんと気にかけてあげてね。民の前でも笑顔になれるくらいにしてあげてねー」

「へっ!? や、ちょっ……待ってぇええええっ!!」

 

 軽い言葉のわりにズンズンズンズンと足早に歩くと、扉を開けてさっさと出ていってしまった。

 止める声虚しく、伸ばした手もなにも掴めず、俺は軽く目尻に涙を浮かべ、自分のこれからを思って頭を抱え直したのでした。

 ……うん、そんな俺の肩を、何も言わずにぽんぽんと叩いてくれる冥琳が、いっそ女神に見えました。……助けてくれなかったけどね、冥琳も。

 

 ……。

 

 

-_-/一刀

 

 そんなわけで、俺と甘寧は建業を歩き回っている。

 詳しく言えば甘寧に案内してもらう形で……まあ探検みたいなものだ。

 孫呉の王直々に今まで通りに過ごしなさいと言われ、さらにそれが自分の仕事だとまで言われては、部屋の中でうじうじしているわけにもいかず。

 夕方あたりまでを広い城内の散歩(みたいなもの)、夕方からは宛がわれた私室にて諸葛亮、鳳統と学校についての話。これには冥琳、呂蒙、陸遜も参加してくれるらしく、随分と豪華で大掛かりな話になったもんだと苦笑する。

 ……まあ、どちらにしろそんな言葉があったからこそこうして動けるわけで。

 我が儘を言わずに、城の中で国のことを考えるつもりだった俺にとってはありがたい言葉ではあった。

 そんなことを祭さんに話してみれば、雪蓮に次いで祭さんにまで「城に閉じこもったままでどう民を説得する気じゃ」と呆れられたのは記憶に新しい。

 

「それで頭ァ、今日はなんだってこんな男を連れて来たんで?」

「やっぱ沈ですかぃ!?」

 

 束ねた縄を“ギュッ♪”とウキウキした顔で握る水兵さん。貴方の笑顔が今、とっても怖い。

 

「その束ねた縄を何に使う気だよ! たたた助けて甘寧ぃいいっ! 沈されるぅうううっ!!」

「あっ、てめっ! 頭を呼び捨てたぁいい度胸じゃねぇか! やっちまえ!」

「だぁあああっ!!? 待っ……うわわわわぁああっ!?」

「やめろ。お前らの拳が腐る」

「腐らないよ!? って、だから助けるにしたってもう少し言い方ってものが……!」

 

 どうしてだろう。

 助けられてるのに、甘寧の言葉のほうがとっても痛い。あはは、泣いてもいいかなぁ俺。

 

「私が将としての全権を失ったのは、全て自身が原因のことだ。この男がどう動こうが、止めなかった私にこそ罪がある。生きて恥を被るくらいなら、とも考えたがな……私は生きると決めた。ここに寄ったのは私がこの男の下につくことになった事実を教えに来ただけだ」

「なっ……ありゃ本当だったんですかい!?」

「てめっ! やっぱ沈だ! 頭がてめぇなんかの下につくだなんて冗談じゃねぇ!」

 

 言うや、男たちが俺を組み敷いて縄でぐるぐると縛ァアーッ!?

 

「うわーっ! うわーっ!! やめやばば縛るな縛るなぁぁああっ!!」

「やめろ。ソレが死んだところで何も変わらん」

「…………うっうっ」

 

 もう素直に泣きました。

 連れてこられて縛られて、挙句の果てにソレ扱い……俺って……俺って……。

 

「北郷。そんなところに転がってないでさっさと起きろ。次へ案内する」

「ふ……ふふふ……どこへなりとも行きますよ……。もういっそのこと、自分が人ではなく“ソレ”でしかないとわかる果てにまで……」

「……? なにを言っている」

 

 はたはたと泣きながら、縛られかけていた体を起こして縄を払う。

 水兵の皆さんもなんだか呆気に取られているようで、ぽかんとした顔で甘寧を見ていた。

 そんな様子を見て、さっさと歩いていってしまう甘寧を小走りに追って、耳もとで囁いた。

 

「なぁ甘寧? あれ───はぶしっ!」

 

 痛っ……って、あれぇ!? 殴られた!? なんで!?

 

「なんのつもりだ……! 急に耳に息を吹きかけるなど……!」

「えぇっ!? ちがっ……ただ内緒話のつもりで───」

「頭ァ! どうかしたんですかい急に殴って!」

「やっぱ沈ですかい!?」

「ヒィ!? ちがっ! それこそまさに違うからっ!! なんでもないからウキウキ笑顔で走り寄ってこないでくれぇええっ!!」

 

 笑顔……それは、笑顔を忘れた人達に思いだしてほしいもの。

 だけどこの笑顔はちょっと種類が違っ……違うから縛らないで縛らないでぇえええっ!!

 

「よっしゃあ孺子(こぞう)! てめぇに海軍水兵の地獄の(しご)きってやつを叩き込んでやる!」

「腕が鳴るぜぇええ……!!」

「扱くだけなのにどうして腕が鳴るんだぁああっ!! かっ、甘寧! 甘寧ぃいーっ!! 止めてくれるって! どんなことでも阻止するって言ったよね!? 今こそその言葉を真実に───」

「───よせと言っているのが聞こえなかったか!」

『っ!!』

 

 俺の悲鳴を遮るように張り上げられた声が、縛った俺を抱えて走る水兵たちの足をビタァと止めさせた。

 叫んでいた俺さえもが、喉をぎゅっと絞るようにして息を止めるほどの威圧感。

 そして、おそる……と振り返る水兵たちの目には、ツリ目をさらに吊り上げた鋭い眼光を放つ赤の魔人が……!!

 

「たしかに私はもはや呉の将ではなくなった。だが武力までは捨てたつもりはない。聞き分けを知らず、平定した呉の内部で騒ぎを起こす気であるなら───、……我が“鈴音”で貴様らの首を刎ね、黙らせるまでだ」

(こっ……怖ぁあーっ!!)

 

 恐らく、俺を含めた男の全てがそう思っただろう。

 氣が使えなくたって、気配を感じられなくたって、生命としての本能が報せる“恐怖”ってものがある。

 庶人の服に身を包んだ彼女のソレ……殺気といわれるものは凄まじく、暗殺なんてとんでもない……“呉のためならば本気で黙らせるまでだ”って顔で、俺達を睨んでおりました。

 

「へ、へいっ! すいやせん頭ァッ! お、おらっ! てめぇもっ!」

「へあっ!? ご、ごめんなさ───あれぇ!? 俺なんか悪いことしたっけ!?」

 

 どこから出したのかわからない曲刀に陽光が反射する様を見ながら、もうこんがらがってしまった頭の中でいろいろと考える。

 うん、こういう時ってとことん纏まらないよね。わかってたさ。

 ともあれ地面に下ろされ、縄をほどいてもらうと足早に甘寧の傍へと駆ける。

 そうしなければ危険な気がしたんだ。水兵の皆さんではなく、甘寧が。だからなんとか説得して刃を納めてもらい、ようやく安堵。

 「今度はてめぇ一人で来やがれぇーっ!」と叫ぶ水兵さんの皆さんに引きつった笑顔で手を振りつつ、彼女の案内のもと、建業を歩き回った。



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09:呉/傍らを歩く朱の君よ②

 で……陽も暮れようとする頃、城への道を歩く中で甘寧に言った。

 

「あのさ、甘寧」

「なんだ」

 

 感情が湧いた様子のない、押し退けるような声で返事がくる。

 やっぱり嫌われてるのかなと思いつつ、それでも話を続けた。

 

「いくら知ってる相手だからって、武器で脅すのはちょっとまずいんじゃないか?」

 

 水兵さんたちのことだ。

 あれから親父のところへ挨拶しに行って驚かれたりもしたけど、ずっとそれが気にかかっていた。

 

「将ではなくなったとはいえ、あれは私の管轄だ。即座に黙らせる方法はよく知っている」

「それにしてもだよ。どこから出したのか知らないけど、戦いは終わったんだってことを伝えたいのに刃物を見せたら、相手だって構えるだろ? そういった噂がどこからか流れたりしたら、民だって甘寧のことを怯えた目で見るかもしれない」

「私は構わん。それが民にとって、必要である緊張までを緩ませ過ぎんがための薬になるのなら───……なんだ」

 

 ザッと、先を静かに歩く甘寧の前に立つ。

 甘寧は足を止めて鋭い目で俺を睨むけど、その目を真っ直ぐに見て、自分は退く気はないんだとわからせてから───

 

「俺が構う。それは、俺が嫌だ」

 

 自分勝手なことを、それこそ真っ直ぐに甘寧へとぶつけた。

 町をゆく民たちがチラチラと俺と甘寧を見るが、立ち止まろうと思う者はおらず、後ろ目にしながら去っていく。

 

「貴様が? 私の都合で何故貴様が嫌悪感を抱く」

「俺は、民には甘寧にも自然体で向かってほしい。怖がることなんてしないで、子供達も笑顔で寄ってきてくれるくらい。……俺、民を見る甘寧がとてもやさしいことを知ってる。民のためならって、自分の地位を投げ出すやさしさを知ってる。だから───」

「黙れ」

 

 言葉の途中、甘寧がさらに鋭い目つきで俺を睨む。

 息をすることさえ許さぬといった威圧感とともに、その目に怒気さえ孕みながら。

 

「知ったふうな口を叩くな。民を見る目がやさしい? 地位を投げ出す? ……そんなものは打算でしかない。民のためなどではない、私はただ蓮華様のために───」

「違う」

 

 けど、そんな目に睨まれながらも、次に言葉を遮ったのは俺だった。

 いまだ怒気をぶつけられながら、話の途中に否定されたことに怒気を増させる甘寧を前に。

 

「違う、だと……? 貴様に私のなにがわかる。手を繋いでやった程度で全てを知った気でいるのなら、貴様という男の程度が知れるぞ」

「俺の底だとか程度なんてどうでもいい。底が知れるなら、むしろ知ってほしいくらいだし、教えてほしいくらいだ。でも、間違ったことは間違ってるって言ってやる誰かは誰にだって必要だ。……なぁ甘寧。甘寧の行動は全部孫権のためか? 将って地位を捨てたのも、俺の下につくことに頷いたのも……あの時、民を見て“悪くない”って言ったのも……全部孫権のためか?」

「そうだと言っている。私の全ては呉の、蓮華様のためにある。尽くすことを禁じられ、貴様の下につこうがその想いは変わらん」

 

 目を逸らすこともせず、真正面から言われた言葉が突き刺さる。

 彼女は本気だろう……呉のため、孫権のために自分はあるのだと心から言っている。

 けど、そこに民への思いが無ければ、あんなやさしい顔を見られるはずがないんだ。

 

「それでも……いや。それならなおさらだ。……笑ってくれ、甘寧」

「なっ……」

 

 なにを言い出す、と言わんばかりの戸惑いの顔。

 そんな顔を真っ直ぐに見つめたままに、俺は険しい顔を引っ込めて笑ってみせた。

 

「甘寧。雪蓮が目指す呉の姿は、みんなが笑っていられる国だろ? 全ての民、全ての将、その全てが……同じ時間、同じ場所、同じ日じゃなくてもいい、日を跨いででもいつか、笑っていられるような国があればって……俺だってそう思う」

「……だが笑ってばかりでどうする。泥を被ろうが、誰かが緊張を忘れぬための刃にならねばならん。それがたとえ王の願いだとしても、誰かが成さねばならんことがある」

 

 甘寧は引かない。俺を睨みつけたまま、視線を動かさずにずっと俺の目を睨みつけていた。

 

「ああ、そうだ。でもさ……」

「っ!? な、なにをす───」

 

 手を繋ぐ。俺の目を睨んでいた目は途端に繋がれた手へと落ち、振り払おうとする手を強く強く繋げた俺に、その視線は再び俺の目へと戻る。

 

「甘寧、俺に言ってくれただろ? 全部一人で背負い込むことはないって。今日、甘寧が泥を被ってくれたなら、明日は俺が被ればいい。明日俺が被ったなら、次は誰かが被ればいい。ずっとそうやって、みんなが笑っていられる国を作っていこう? ……俺は、みんなが笑ってるのに甘寧だけが笑ってないなんて、そんなの嫌なんだ」

「…………な、う…………」

 

 甘寧の顔が、じわじわと赤くなってきた気がした。

 ふと気づけば陽は沈もうとし、ああ、夕陽の所為かなんて暢気に思っていた。

 

「俺の仕事が民の騒ぎを鎮めることで、俺のやりたいことが民を笑顔にすることならさ。俺は今、甘寧っていう綺麗な女の子を笑顔にしたいよ。誰に頼まれたからじゃない。きっと、甘寧が庶人扱いになってなくても手を伸ばしたし、笑顔が見たいって思った。だからさ」

「あ、う、う……」

 

 陽が沈んでいく。

 人の通りもまばらになった町を、最後に朱が駆け抜けるみたいに。

 そんな朱は甘寧によく似合うな、なんて思いながら……大地に伸びる自分と甘寧の影をそっと見て、恐らく俺の肩越しに沈みゆく夕陽を見ているであろう甘寧を改めて見つめて。

 

「笑ってくれ、甘寧」

「───!」

 

 陽が、最後の輝きを見せる。

 自分の肩越しに見える光の所為か、目を細めた彼女に心からの笑顔を送って、繋いだ手から思いが届くようにと強く強く握って。

 

「………」

「……、……」

 

 やがて陽が完全に落ちて、暗くなるまでその状態は続いた。

 返事を……笑顔を待っているつもりだったけど、甘寧は俺の顔を見たまま動かない。

 硬直してる……わけないよな。むしろ……あれ? 夕陽は落ちたはずなのに、顔が真っ赤っかなような……?

 心無し、目が少し潤んでいるような……いや待て、肩も震えて……まさか風邪!?

 しまった、海(いや河か?)を見に行ったり歩き回ったり、案内されるがままで甘寧の体調のこと全然考えてなかった!

 ど、どうする? これはすぐに城に戻ったほうが……い、いや、ここで「風邪引いたんじゃないか?」なんて言えば、甘寧は否定し続ける気がする。なんとなく主思いというか、誰かを思ったら一直線ってところは春蘭に似ているし。人はそれを頑固と言うが。

 だったらここでの最善は、あー…………

 

 

 

-_-/甘寧

 

 …………不思議な感覚だった。

 味わったことが無い……ああそうだ、味わったことのない感覚。

 真っ直ぐに覗かれた瞳に、繋がれた手。落ちる陽に重なる男。

 私の目を見る男など今までで何人居ただろう。

 見たとしても即目を逸らし、あらぬ方向を見てはぼそぼそと用件を話す。

 錦帆賊の部下にしてもそう変わらない。

 たしかにこちらを見るが、目ではなく“甘興覇”を捉えて話すといった風情だった。

 目を覗きこまれ、そのまま意思を叩きこまれたことなど、呉の将や戦場以外ではされたことなどなかった。

 だというのにこの男は、少しも逸らすことなく真っ直ぐに私の内側へと語りかける。

 

 ───おかしい。

 心の臓の鼓動が早まり、それが肺臓の働きを阻害し、呼吸が乱れる。

 苦しいくらいに呼吸が乱れ始め、陽が完全に落ち切る頃には平静さを保っているのも辛くなってくる。

 なんだという。

 この男の笑顔が落ちる陽に重なった刹那より、私はどこかを壊された。

 この男を見ているのが、たまらなく辛い。苦しい。

 繋がれている手をとても振り払いたくなり、払った途端にこの男から逃げ出したく───……逃げる? この男から、私が?

 

「………」

 

 癪だ。

 武将ですらない男から逃げるなど、将ではなくなったとはいえ恥だ。

 逃げん。私は……わわ、私、は……逃げ、逃げ……!!

 

「う、うわっ! 呼吸が荒くなってきた……! 風邪、だよな、やっぱり……えぇっと……とにかく城にっ!」

「? ……っ!?」

 

 目の前の男……北郷が、繋いでいた手を急に引くと、情けなくもあっさりと体勢を崩した私を己の背に乗せ……な、なぁあっ!?

 

「き、ききき貴様、なななにをっ───」

「いいから任せて甘寧は休んでてくれっ! 大丈夫大丈夫、これでも体力だけには自信があるからっ!!」

「ちち違う、貴様はなんのつもりでこんな……!」

「風邪なら風邪だって言わなきゃだめだろっ! そんな、呼吸が苦しくなるくらい我慢してたら国に返す前に倒れるだろっ!?」

「…………なに?」

 

 今、なんと言った? ……風邪? 風邪と言ったのか、この男は。

 

「………」

 

 何故だろうな、この時の私は素直に苛立った。

 動悸も激しく呼吸も荒い、恐らくは顔も赤いのだろうが……なるほど、症状だけで唱えれば風邪と言えるだろう。

 だがこの息が詰まる衝動を風邪と、どうしてか他ならぬこの男に言われたことがとても癪だった。

 癪だったのだが……。

 

「はっ、はっ……はっ……」

「………」

 

 理由はどうあれ私のために走り、極力私の体が揺れないようにと、足を大きく振り上げて走るのではなく高さを保ったままの重心の低い走りをするこの男。

 そんな男を見ていると、不思議と癪だった心も治まりを見せた。

 

「………」

 

 誰にも届かぬような声で、もう一度だけ唱える。

 自分だけに届いたその言葉に自分で驚きながら、今さら何を言っても下ろさぬだろう男の背に、諦めの息を吐きながら体を預けてみた。

 

(……甘寧という女の子の笑顔を、か……)

 

 女として扱われたことに驚きを感じた。

 怒気を浴びても目を逸らさぬ在り方に驚きを感じた。

 私に笑ってほしいと微笑みかけた、北郷一刀という男に驚きを感じた。

 

(調子が狂う。こんな男は初めてだ……)

 

 こうして他人に体を預ける自分も意外ならば、こうすることで胸の高鳴りが落ち着きを見せたことも意外だった。

 よくはわからん。よくはわからんが───

 

(……別段、悪くはない、とは思う)

 

 自分だけに聞こえた言葉をもう一度繰り返し、目を閉じようとするその途中。長い自分の髪が、北郷が駆けるたびに揺れ、それが自分が女であることを思い出させる。

 この衝動がどういったものか、自分のことだというのに掴み兼ねているが……悪くないと思えるのなら、その方向へ歩んでみるのもまた新たなる一歩なのかもしれない。

 将としての自分は死んだ。

 ならばもう一人……ここから庶人として生きていく自分は、衝動に任せた行動を取ってみるのも一興なのかもしれない。

 

(……そうだな、貴様の言う通りだ)

 

 ふと目を開けると……城への道、最後に擦れ違った町人と目が合う。

 その目がすぐに逸らされることを、当然のこととして受け取ってしまっていた自分にようやく気づけた。

 私はもはや将ではないが、ならば将であった自分に出来たことはなんだというのだろう。

 睨みを利かせるだけなら今の私でも出来る。

 威圧感だけで場を鎮圧することすら、今の私でも出来るだろう。

 ならば、私が将であるうちにやればよかったことなど───

 

(笑顔か……)

 

 上に立つ者が常に気を張った顔をしていて、どうして下の者が心から笑えるのだろう。

 私は……笑っていればよかったのだ。

 笑って、民に戦は終わったのだと言ってやればよかった。

 すまなかったと、子をむざむざ死なせてしまってすまなかったと、心から謝ればよかった。

 それが真実、“地位よりも民のため”と胸を張れる行為だったのではないか。

 

「……北郷」

「なんだっ? はあっ……もう少しで着くぞっ、大丈夫だからなっ」

「………」

 

 声を掛けた理由もわかっていないというのに、どうしてか私のために走っていることが事実なこの男。

 そんな男に、不覚にも力が抜けるのを感じた。

 ……さて、私は……この男に何を言うべきだろう。

 もはや遅いことだが、気づかせてくれたことに対しての感謝? それとも───

 

「……、」

「ん……? うおっ!? か、かか甘寧!? ますます顔が赤いぞっ!? ごめんっ、俺足遅いかっ!? 一応不慣れなりに氣を使って走ってるんだけどっ……!」

 

 間近で覗かれた顔が灼熱する。

 だが、嫌な感じはいまだに感じない。

 

(なるほど。こんな男だから、曹操殿は……)

 

 こんな男を傍に置いておく魏の連中の考えがわからなかった。

 しかし、今ならわかる気がする。それはとても漠然としたものだが───不思議と、思わせてくれることが一つだけあった。

 

  “この男は裏切らない”。

 

 たとえ呉を離れたとしても、一度信じさせた者を決して裏切ることなく受け止めてくれるのだと。

 ならば───

 

「……甘寧? 急に喋らなくなったけど……熱とか上がったりしてるか?」

「“思春”だ」

「……へ?」

「私の真名だ。貴様に預ける」

「へー……えぇっ!? 真名!? 真名を預けっ……ちょ、ちょっと待ってくれ! 城まで運ぶお礼だとしたらあまりにも行き過ぎだろっ!」

「黙れ」

「だまっ……!? え、っと……その、いいのか? 甘寧は俺のこと、嫌いだと思ってたけど」

「“友”に真名を許さないでは、私の気が済まん。ただそれだけのことだ」

「───……」

「………」

 

 戸惑ってばかりの北郷に言ってやると、北郷は息を飲み、そのまま黙った。

 いつの間にか足も止まり、誰も居ない城の通路で二人、言葉もなく互いの鼓動と呼吸だけを感じていた。

 つくづく調子が狂う。蓮華様で占められていた私の意思を、少しずつ、だが確実に北郷という男が蝕んでいく。

 それが嫌でたまらないと口で言うのは簡単だが、私の内側にはそれを喜んでいる私がたしかに存在していた。

 

「……なにか言え」

「え、やっ、だまっ……黙れって言ったばかりだろ!? そりゃ話もなくこんなところで立ち止まって、なにか言わないのは変だとは思うけど───あ、甘寧っ!?」

 

 わあわあと焦ることをやめない北郷の、私の足を支える手を解き、自らの足で通路に立つ。私の身を案じているらしい北郷は、すぐに私と向き合い心配そうな顔で見つめてくるが───

 

「貴様は……よく、人と目を合わせて話すのだな。大事なものだ、逸らすことなく真っ直ぐに、そのままでいろ。……無論、今もだ」

「……いい、んだな?」

「何度も言わせるな。早く───、っ!?」

 

 何故か妙に気恥ずかしいので、さっさと言え、と言っている最中、目の前の男が急に手を握ってきた。

 

「だったら、まずはちゃんと手を繋がせてほしい。……届いた、って……伸ばしてくれたって、受け取っていいんだよな?」

「は、早くしろと言っているっ」

「ああっ、ははっ……よろしく、“思春”」

「………、───」

 

 その言葉に、その笑顔に、我が真名に、不思議と小さな喜びを感じた。

 それは、些細なことで蓮華様と喜びを共有した時のような感慨。

 ああ、私はどうなってしまったのだろう。誰かに説うたところで答えは来るのだろうか。顔が熱く、体から力が抜け、だが視線だけは目の前の男の目を見つめたままで───

 

(あの朱……)

 

 あの朱の陽が、私のなにかを破壊した。

 落ちる日差しにこの男の笑顔が重なった瞬間、私はその朱に惹かれていたのだろうか。答えを教えてくれる者はおらず、しかし目の前の男の目が、答えは足で探そうと言っている気がした。

 そう、この男は言ってくれた。“一人より二人のほうが、出来ることが増える”と。私だけでは見つけられぬものも…………見つかるのだろうか、この男とともになら。

 ……いや、だとしても、寄りかかるつもりなど私にはない。それでいい。

 

「で、ではな。私は戻る。……風邪など引いていない、そう心配そうな顔を向けるな鬱陶しい」

「うわっ、友達になっても容赦ないな……! うん、でもまあ……はは、甘寧……っと、思春らしくていいかも」

「………」

 

 もはや顔が熱くなっていくのを止めることも出来ない。

 ここまで我が身が思い通りにならないものだとは想像だにしなかった。

 そんな自分を見られることがなんとなく嫌になり、足早に城を出ようとするのだが。

 

「あ、待った思春!」

「なななんだ!」

 

 急に声をかけられ、勢いのままに振り返る。

 怒鳴るような声が出たことに自分こそが驚いたが、北郷はそんな私の怒声にも似た声を笑って受け止めた上で、切り出した。

 

「あの。そっち、出口しかないだろ? 思春は何処で寝泊りするつもりなんだ?」

「? そんなものは決まっている。馬屋だろうとなんだろうと、借りられるものを借り───」

「却下」

「?」

 

 ぴしゃりと却下され、思わず思考を停止し───否だ。

 

「待て、何故貴様に却下される。雪蓮様の許しを得たとはいえ、私は庶人であり町人とそう立場は変わ───」

「だったら一応の上司として言うから。そんなものは却下。女の子が馬小屋で寝るなんて、俺は許さないしみんなだって許さない。思春が俺の部屋で寝てくれ、俺が馬小屋に行くから」

「あれは貴様に宛がわれた部屋だ。貴様が使わんのでは意味がない」

「意味ならある。宛がわれたお陰で、友達がきちんと寝られるよ」

「…………~……!」

 

 “この男、いっそ殴ってくれようか”。

 何故こうも軽々とこういうことが言えるのかと考えていると、自然とそんな言葉が浮かんだ。

 この男について一つわかったことがある。

 “友”に対しては、随分と遠慮が無くなる。だがなるほど、それが友というものならば、それもまた当然か。

 自分はたしかに、この男に友と思われているということだ───が、それとこれとは話が別である。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……そうして、どれくらい経ったのだろう。

 俺が私が、貴様は関係ない、いいや関係あるなど、ギャーギャーと通路で訴えかけ合い、しかし決着などはつかないまま。

 甘……じゃなかった、思春がここまで頑固者だなんて思わなかった。

 友達になることを受け入れてくれたのは嬉しいんだけど、だからこそ友達を馬屋なんかじゃ寝かせられない。

 まして、相手は戦地を駆けた猛将とはいえ女の子なんだ、そんなことはさせたくない。させるくらいならいっそ───

 

「………」

「…………? どうした」

 

 いっそ……いやいやっ、それはまずいだろっ! 絶対に誤解されるって! そんな、“じゃあ一緒に寝よう”なんて……!

 せっかく友達になれたのに、いきなり絶縁状突き出されるようなこと言ってどーすんだ!

 

「やっぱり思春が使うべきだっ! 馬屋には俺が行くからっ、なっ?」

 

 口早に話し、そそくさとその場から離れ───ようとしたが回り込まれた!

 それは音も無しに動くという、暗殺者の行動にも似た素晴らしい動きで……! って感心してる場合じゃなくて!

 

「何処へ行く気だ。貴様はこれから軍師殿達と話をするんだろう」

「あ」

 

 顔が灼熱するあまり、これからの行動を忘れていた。

 しかしそれも仕方ない。相手も自分も譲らない上、浮かんだ結論は友達にも同盟国の人にも言うような言葉じゃない。

 勝手な行動は慎もうとか誓ったその日に、同じ部屋で同盟国の女性と一晩過ごすとか、危ないだろ……!

 わ、我が身我が心は魏とともにあり。なのにそんな、友達になったからって“部屋に来ないか”なんてさすがに節操がないにもほどが……っ……! ほどっ、ほどが……ほ…………ほど?

 

(……あれ?)

 

 節操? そんなの俺にあったっけ……。

 そんなことを考えてみたら、少しだけほろりと涙がこぼれ───そんな涙を見た思春はなにを思ったのか、少々困惑顔をすると、

 

「わかった。ならば馬屋ではなく兵舎を借りるとしよう」

「いやそれはもっとまずいからっ!」

「な、なにっ?」

 

 目を伏せ、小さく言ってくれた───言葉に待ったをかけた俺がおりました。

 規律に富む呉の兵達が、まさか思春に手を伸ばすなんてことはしない。しないが、たとえしないとはいえ女性が一人男たちの巣へ舞い降りてみろ。

 

(むしろ兵たちが可哀想だ)

 

 うん、ということで却下。

 そんなことさせて、兵たちに緊張と恐怖で眠れぬ夜を過ごさせるくらいならいっそ───い、いっそ……。

 

(困ったな……えぇと)

 

 少し考えてみて、実は自分が女性を誘うようなことをしたことがなかったと、今さら自覚する。

 どちらかというと魏のみんなからは誘われて行為に移ることばかりで、行為に移らなかったとしても、こうして意識して言うことなんてほぼなかった。

 ……じゃあ待て? これって俺が、初めて誰かを誘う行為になる……ってことか? って待て! 話が逸れてる! 誘うって言ったってそういう意味じゃなくて───ああもうなに通路の真ん中でこんなこと考えてるんだよ俺っ……!

 

「一緒に来てくれっ、思春っ!」

「なっ……?」

 

 このままだと埒が空かない。

 今はとにかく思春を一人にしないで、監視って意味でも一緒に居るほうが大事な気がしてきた。

 一人にしたらいつの間にか馬屋に居そうだし……仕方ないよな。

 これから冥琳達も話し合いに参加するんだから、その時に思春のことも話せば、きっと部屋くらい用意してくれる。

 

 

───……。

 

 

 ……さて、そうして。

 何故か俺の私室に集うことで始まった、蜀の軍師と呉の軍師を混ぜた話し合いなのだが。

 

「ほぉ……? 真名を許されたか」

「……!」

「手が早いですねぇ~、一刀さん」

 

 学校についての議題が持ち上がる前に、思春が何処で寝泊りするかを議題にかけてみたんだが……呉の将の反応は様々。

 一番に思春に真名を許されることが意外だったのか、多少の驚きを見せながらも悠然と構える冥琳。

 同じく思春が真名を許したことが意外だったのか、相当の驚きを見せ、口を長い袖で覆いながらふるふる震えている呂蒙。

 そして、なにを勘違いなさっているのかにこにこ笑顔で手が早いと仰る陸遜。

 諸葛亮や鳳統に至っては、二人で小さく話し合っては顔を赤くし、時折「きゃーっ」と声を殺して叫ぶという、器用なことをしていた。

 

「えーと……それで、思春が何処で寝泊りするか、なんだけど」

「今までの部屋で構わん……と言いたいところだがな……さて、罰は罰だと言った手前、そういうわけにもいかんな」

「では~、上司である一刀さんと同じ部屋で寝泊りする、というのはどうですかねぇ」

「ぶほっしゅ!?」

「ひゃあっ!?」

 

 ふむ……と腕を組み、眉を寄せる冥琳とは逆に、のほほん笑顔であっさりと言う陸遜に、思わず咳き込むように噴き出した。

 近くに居た呂蒙はそれはもう驚いたようで、カタカタと震えて……って、あぁあもう……!

 

「ご、ごめん呂蒙! ───陸遜っ、人が散々悩んでたことを、なにそんなあっさり言ってのけてるの!? さすがにそれはまずいだろって、それだけは口に出さなかったのに!」

「いいえぇ、お役に立てたのなら~」

「“言いづらいこと言ってくれてありがとう”ってお礼言ってるんじゃないんだけど!? 冥琳、何か言ってやってくれ!」

「ふむ。まあ、たしかにいろいろと問題は出てくるが───北郷が納得出来ないのであれば、誰かが言ってやるより他はないだろう。馬屋では寝かせたくない、だが罰は罰だというのであれば、そういう方法も手だ」

「えぇっ!? ……りょ、呂蒙……? 呂蒙はその……反対とかしてくれ……るよな?」

「い、い……い、一緒の部屋に、ででです、か……? 一刀様と思春さんが……? あ、あうあうあゎあ……!」

「あぁああっ、呂蒙! 考えすぎちゃだめだ! そういうのはないっ! ヘンなことは絶対にないからっ!」

「必死になるところがぁ……んふふふ、あやし~ですねぇ~っ」

「りぃいいくそぉおおおんっ!! 話をややこしくしないでくれぇええっ!!」

 

 一言。人選ミスである。

 冥琳はちゃんと考えようとしてくれているのだが、陸遜は赤面する俺を突付くことに夢中であり、呂蒙は真っ赤になった顔を長い袖で覆ってしまい、話をしようにも顔をふるふる振るって聞いてくれない。

 諸葛亮と鳳統は相も変わらず囁き合っているし……当の本人、思春は少し離れた部屋の隅で気配を殺して待機なさっておられる。

 ああ、なんだかもういろいろと困った状況になった。この場を鎮めて、話を進めさせるためにはどうすればいいのか。

 誰も不快にならず、場を鎮めるには……えぇと。

 

「───わかった。じゃあ……思春。今日からここで寝泊りしてくれ」

「はわっ!?」

「あわぁっ!?」

 

 決意を胸に口に出した途端、諸葛亮と鳳統がとても高い声で驚いていた。

 その一方で呉の将……冥琳と陸遜と呂蒙は息を飲んで俺を見て……あ。呂蒙が顔を真っ赤にして倒れ伏し───って呂蒙さん!? 呂蒙さぁーーーん!?

 

「呂蒙!? 呂蒙! しっかり! ああもう、ヘンなことはないって言ったのに……!」

 

 どうしたものかと悩んだりもしたが、ここは仕方ない。

 呼びかけても起きない呂蒙をお姫様抱っこで抱き上げると、寝台にぽすんと寝かせ、大きな溜め息を吐く。

 

「さて北郷。話の続きだが───まさか“ここで寝泊り”と、そうくるとは思っていなかった。が、いいのか? 仮にお前が手を出さなかったとしても、そういった噂は広まるものだぞ。主にこの者から」

「ひどいですよぅ冥琳さまー、わたしだって結ぼうと思えば口を結ぶくらいできるんですよぅ? ねぇ、一刀さんー」

「………エット」

「あぁんどうして目を逸らすんですかー!? 一刀さんは頷いてくれるって信じてたんですよぅ~!?」

「そういうことはその、人をからかう態度を改めてから言ってくれ」

 

 しかし、心に決めたからには曲げられない。

 そんな心が、どこかで“誰かが否定してくれないかな”なんて弱音を吐いているが、思春が馬屋で寝泊りすることや、兵たちに眠れぬ夜を過ごさせるよりはよっぽどマシってもんだ。

 ちらりと思春の表情を盗み見てみたが、目を伏せ微動だにしない様子はさっきとまるで変わっていない。……代わりに、顔がやたらと赤かった。

 

「じゃあ……学校についての話、始めようか……」

「そうだな。暇だと豪語できるほど、時間が余っているわけではない。───諸葛亮、始めよう」

「は、はいっ! それではまず、私塾との違いの明確化ですが……」

 

 そうして、ようやく学校についての話し合いが始まる。

 呂蒙がはうはうと目を回している中で、あんな話のあとだというのにみんなは真面目に話に乗ってくれた。

 俺の世界の学校の在り方や、こうであればいいなということ。それらをまず話して、効率問題やこの世界と天との相違点を議題に挙げ、煮詰めていく。

 そうしていると案外時間が経つのは早いもので、途中から目が覚めた呂蒙も混ぜた話し合いも終わりを迎え───

 

「………」

「………」

 

 沈黙の時、来たる……!

 諸葛亮や鳳統も案内された部屋へと戻り、俺達も食事を済ませ、風呂の時間も過ぎ、あとは寝るだけというところに至っていた。

 俺の部屋で寝泊りの件については、それはもうしっかりと陸遜の口から漏れ届き、一時は孫権が乗り込んでくるという恐ろしい事態にもなったのだが。

 孫権は俺の目をギンッと睨むと、何度も深呼吸をしてから一言だけ言った。

 

  “真名を許されたそうだな”

 

 ……たったそれだけ。

 それだけ言うと、来た時とは対象的にどこか嬉しそうな顔で、孫権は部屋を出ていった。

 

「じゃあ……寝よう、か……?」

「………」

「あ、いやっ! べつにヘンな意味じゃなくてっ! 大丈夫! 誓ってもいい! 間違いは起きないっ!」

 

 そう……高くあれ北郷! 胸を張って魏に帰れる自分であれ! 同盟国の女性に手を出してしまう節操無しではないんだと、胸を……!

 

(…………素直に張れないのはどうしてかなぁ……)

 

 前科というか……魏のみんなを愛した過去があるからでしょうか。

 ともあれ、手を出さないという覚悟を胸に、自分の中の(ジュウ)が暴れ出さないように構えるだけでも案外手一杯。

 暗くなった部屋で二人、一つの寝床に横たわると、思春の吐息とか行動がやたらと気になって───アウアーーッ!!

 

(無心だ、無心……! 寝苦しい夜でも“それが当然”と思えるようになれば寝苦しくない! そうだ、心頭滅却しても熱いものは熱い! ……ダメじゃないかそれ!!)

 

 ……結局。

 一年の禁欲生活に加え、戻ってきても華琳たちとその、いたしていなかった俺の衝動は膨れる一方。

 しかし手だけは絶対に出すまいと無理矢理に(ジュウ)を押し込め、耐えに耐え続け………………ようやく眠気が欲に勝ったと思った時、既に外は白んでいた。

 …………神様…………俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 



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10:呉/波乱の一日【上巻】①

幕間/日々の合間に

 

 時間は流れる。

 さっさと行ってさっさと帰ってきなさいと言われたにも係わらず、その実てんで帰れる様子もなく。

 気づけば一週間、二週間と軽く過ぎ……やがて呉に来て一ヶ月も過ぎようとする頃には、ようやく呉で起きる騒ぎも減ったと思えるくらいになった。

 雪蓮や孫権は精力的に民との交流を望み、民の声を聞いた上で、より豊かに過ごしやすくなるような国を作る……いや、作っていこうと口にし、実行に移していった。

 離れた町に行く際には必ずと言っていいほどに俺が同行を命じられ、俺もそれには喜んで同意。様々な町を回り、民と会話をして、少しずつだけど笑顔を増やしていった。

 

「んー……冥琳、もっとこう……民も将も楽しめる娯楽を作ったらどうかな」

「娯楽か。ふむ……資金面はどうする気だ? 娯楽と言っても、作ろうと口にするたびに出せるものではないぞ」

「賭博場……はまずいよな。もっと明るいのがいい。子供も大人ものんびり楽しく……う、うーん……争いから離れるため、だから……喧嘩に近いものは却下として、えー、あー、おー……何か、何かないか何かぁああ……!! ……ん、あの、諸葛亮、鳳統? なんで俺のこと見て目を輝かせてるんだ?」

「はうあぁっ!? えとえとはうぁああっ……!!」

「あぅっ……な、ななななんでもないですぅう……!!」

「悩み苦しんでる男なんて見てても楽しくないだろ? それより一緒に考えてくれるとありがたいんだけど……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「考えますっ……!」

 

 様々な町を回っては、どちらかというと子供たちに捕まって遊んでくれとせがまれるばかりの俺。

 その後方で、仕方の無い……といつものように溜め息を漏らすのは思春だった。

 それでも交流は続き、主に俺を介するかたちで民たちとの仲は、以前に比べて確実に良くなっていった。

 もちろんトラブルがなかったわけでもなく、そのたびに雪蓮が騒いでは、俺も呼び出されて思春も付き合わされて。

 

「一刀っ、国の一大事よっ! 手伝って!」

「ああもう今度はなんだよ! 馬の子でも産まれたかっ!? 作物の収穫が間に合ってないのか!?」

「両方っ! それが終わったらちょっと遠くの町まで行くからっ! いいお酒が出来たそうだから、祭連れて飲みに行くわよっ!」

「なんだってぇええっ!? ひっ……人使い荒いぞ雪蓮! ていうかそういうのって普通、お酒送ってくれたりとかするんじゃないのか!?」

「だって届くまで待ってられないもん、私も祭も。あっはははは、命令だから一緒に行こっ? ほらほらーっ♪」

「それは命令じゃなくてお願いだろっ! どこまで酒好きで……ってこらっ、引っ張るなぁあーーーっ!!」

「あ、そうそう一刀っ、華琳がね、無理矢理じゃないなら構わないって許可くれたわよ~♪」

「とわっとと……へ? 許可? なんの?」

「“本当に本気なら”一刀に手、出していいって。今や一刀は、“魏の一刀”じゃなくて“同盟国みんなの一刀”ってこと」

「へぇっ!? え、あ……な、なななっ……華琳さぁああああんっ!!」

 

 日々に休まる日なんて無く、ほぼフル回転で走り回る日常が続いた。っていうか今も続ている。右から左へ東から西へ、ってレベルで。左右ばっかだな。ちゃんと他にも行ってるから安心してください。華琳さん。

 だっていうのに民の笑顔が見られることが思いのほか嬉しいらしく、疲れた体もむしろ心地がいいと笑い飛ばせる毎日を送っている。

 呉の将との交流ももちろん混ざっているため、少しずつだけど打ち解けてはいる。

 

「よっし本日の手伝い終了ぉっ! 呂蒙~! 約束通りごま団子作りしよう~!」

「一刀様っ、その前にお猫様の子供を見に行く約束ですっ!」

「だったらごま団子を食べながら猫の観察だ! 呂蒙、こっちは準備出来てるぞ~!」

「は、はい~! すす、すぐに用意しますっ!」

 

 朝起きて軽く運動。食事をして町の人たちの手伝いをして、日が落ち始めれば軍師たちと集まって、学校の話やこれからのことについての話。

 三日ごとの鍛錬もまだ続けていて、祭さん、思春、周泰にしごかれる日々。

 結局……氣の強化を祭さんに教わったあの日、いつの間にか傷が塞がりかけていたのは、俺の氣の絶対量が増えたからだと教えられた。

 氣ってやつは体内を巡るもので、扱いによっては傷を塞いだりも出来るそうで……そんなものは漫画やアニメの中だけだと思っていたのに、実際に自分の傷が塞がったなら信じないわけにもいかなかった。

 

「あぅぁああ~ぅうんんん……!!! こ、子猫様……可愛すぎますですぅう……!!」

「ううぅ……ごまが少し焦げてしまいました……」

「大丈夫大丈夫、全然美味しいよ。周泰~、食べないと無くなるぞ~?」

 

 諸葛亮や鳳統は情報があらかた固まると一度蜀に戻って、それらを自国で纏めると、しばらくしてからまた訪れる、ということを繰り返していた。

 学校を建てる計画も、順調に進んでいるらしい。

 

「冥琳、風邪か? 最近よく咳をしてるみたいだけど」

「…………ただの寝不足だろう。気にするな、北郷」

 

 気になることも幾つかあったけど、日常は普通に流れていた。

 ……さて。

 今日はそんな、いい加減に呉で暮らすのも慣れてきた、とある日の話だ。

 

 

 

26/長い一日のきっかけ、なんてもの

 

 いい天気だった。

 陽光の下、中庭で“すぅっ……”と息を吸った俺は、フランチェスカの制服の上だけを脱いだ状態で、ゆっくりと構えを取る。

 

「今なら……今なら撃てる気がする」

 

 魏から呉に落ち着き、既に一ヶ月。

 民との交流を増やし、よりよい街づくりに貢献し、飯店のメニュー追加や服の意匠についての提案、トラブルが起これば移動を開始して何日経とうと来訪、解決。

 そして呉の将にしごかれて得たものは知識や経験だけでなく、氣に寄るものが多かった。

 一ヶ月かけて、ようやく掌全体に気を集められる程度っていうのは情けない話だが、今はそれだけで十分なのだ。

 

「ふぅ……よしっ!」

 

 運動時の水分補給にと常備している竹筒(竹の水筒)を傾け、水を軽く飲んでリラックス。重心を下に、足を大きく広げ、両手は自分の右腰に揃え、半開きに。

 皆様ご存知、子供の頃からアレを知っている人ならきっと一度は真似たアレを今、実現させるため……!

 

「かぁあ…………めぇええ…………はぁあ…………めぇえ…………!!」

 

 放出系はまだ習っていない。習っていないが、いないからこそ成功した喜びも高まるというもの。

 ならばこそ、この素晴らしき蒼天に届けよ我が氣! これは子供達の夢を込めた光! 今なお夢見る大人達の希望だぁぁああっ!!

 

「あ、一刀~っ♪ あのねぇ、今、祭が───」

「波ぁああっキャーーーァアアアアッ!?」

 

 いざ両手を突き出し、思いの全てを空に! ……ってところでシャオが中庭へ参上。途端に子供達や成長した大人達の夢と希望は、恥ずかしさに邪魔された俺の手の中で見事に霧散。

 俺はすぐに姿勢を正すと、顔が赤くなるのを感じつつもわざとらしい口笛を吹き、そわそわと視線を彷徨わせた。

 

「……むふん? ねぇ一刀~? 今なにやってたの~?」

「イヤベツニナナナナニモシテナイヨ!?」

 

 大人って……恥ずかしがりだね。

 でもね、解ってくれシャオ。一人かめはめ波はね? 決して誰かに見られちゃあいけないんだよ……。

 だからそんな、ニヤリと笑った興味津々顔で近づかないで? ね? お願いやめてください、俺べつに悪くないのに謝りますから。

 

「えー? 今おかしな構えしてたでしょー。ほらぁ、言ってみなさいって~!」

「いやほんとっ……なんでもないから! それよりなに!? 祭さんがどうしたって!?」

「むー……。えっとね、祭がねぇ、一刀にお酒買ってきてほしいって。大きな(かめ)の」

「いや、それって───」

「断ったら“命令じゃ”って伝えておいてくれ~だって」

「………」

 

 あの人は本当に、俺に酒を買わせに行くのが好きだ。これで何回目だっけか。

 ほぼ毎日がばがば飲んで、よくもまあ飽きないもんだ。いったいいくらの給料を貰っているんだろうか、気になるところである。

 ……それ以前に王の妹君に言伝頼まんでくださいお願いですから。

 

「代金は?」

「もらってあるよー。はいこれ」

 

 ぢゃらりと代金を渡され、一応確認を……ん、よし。

 誰にともなく頷いて、中庭横の通路の欄干にかけておいた制服の上着を着ると、いざと歩き出す。

 ……と、突然背中にぶつかり、首に手を回して抱き付いてくる少女が一人。言うまでもなく、シャオである。

 

「シャオ?」

「えへー、シャオが一緒に行ってあげるね?」

「あ、結構です。シャオと一緒に行くと、甕とか無事に持って来れそうにないから」

「一刀ってば照れちゃって~♪ じゃあ今日はずぅっと手、繋いでてあげるね? 一刀、手を繋がれるの好きでしょ?」

「あの……シャオさん? 片手ずっと塞がれてて、どうやって甕を持ち帰れと?」

 

 片手か? 片手でやれと? い、いやぁああ……そりゃあ今の自分なら多分、いやきっと、出来るには出来ると思うが……。

 けどもし、つるっと滑ってゴシャアと割れば、酒屋の旦那や祭さんに申し訳が……ていうか祭さんに殺される。

 

「これってでぇとだよね?」

「強制同行をそう呼ぶならね……」

 

 埒空かずして歩を進める。

 俺の左腕にはシャオがぶらさがるような勢いで抱きついており、嬉しいかどうかで喩える以前に歩きづらい。さっきのように背中におぶさっっているくらいのほうが、まだ歩きやすい。

 そりゃあその、まだ成熟しきっていないが、たしかに存在するこのやわらかさに少しトキメキを感じないでもないが……いやいや落ち着け……!

 こんなことをやってたんじゃあ、今日の夜なんて地獄だ。

 思春と同じ部屋で寝るようになってからというもの、極力煩悩抹殺に励んできた俺じゃないか……耐えろ、耐えるんだ……!

 今さら言うことじゃないけど、しみじみと言おう。禁欲って……大変だ……。

 

(華琳のヤツ……絶対に俺が自分から手を出さないってわかってて許可したんだろうなぁ……)

 

 少しはこっちの苦労も考えてほしい。

 ……いや、考えた上で苛めてるんだろうね、うん、わかってる。

 早く帰れなくてごめんなさい。

 謝りますから連絡項目に俺をいじる案件を追加するのやめてください。

 

……。

 

 そんなこんなで建業の町を歩く。

 賑やかな喧噪に囲まれて、今や沈んだ空気を見せないそこは、人々の笑顔の集まる場所。

 当然、悲しみの全てが無くなったわけではないけれど、そんな悲しみも一緒にひっくるめての、“笑顔がある国”になってくれればと願っている。

 笑ってはほしいけど、悲しみを捨ててほしいわけでもない。“悲しい”も抱いた上で、“楽しい”の中で笑ってくれるなら、きっとそれが一番の笑顔になってくれるだろうから。

 

「おお一刀っ、今日も手伝いか?」

 

 町を歩けば誰にも彼にも声をかけられ、その誰もが笑顔だという事実に自分の顔も綻ぶのを感じる。

 

「手伝いっていうよりはお遣いかな。酒を買ってきてくれって祭さんが」

「おお、あの方か。出来ればご自分で来てくださればなぁ……子供達が会いたい会いたいってごねるんだよ」

「はは、祭さん、子供に好かれてるからね」

 

 一人に手を振って別れれば、少し歩いた先で誰かに捕まる。

 自分のペースで進めない状況に、シャオは少し不満そうだったけど、そもそも酒を買いにきたのだからあまり拗ねられても困る。

 ともあれ酒屋で酒を買うと、大きな甕をぐっ……と持ち上げ、歩いてゆく。

 その大きさを見てか、さすがにシャオも腕を解放してくれて、お陰で助かった。

 なにが助かったって……まあその、アチラのほうが。やわらかかったなぁ……じゃなくて。

 そんな考えをあっさり見破ってか、隣を歩きつつ俺を見上げる顔が盛大にニヤケていた。妖艶というかなんというか……実年齢よりよっぽど大人だよこの子。

 

「は、はは……なんにせよ、これを祭さんに届ければお遣いは終了っと。で……今日の予定は───」

「シャオとぉ……で・ぇ・と♪」

「んー……悪い、シャオ。もう今日の予定埋まってるんだ」

「えー……? じゃあ命令。一刀は今日、シャオとず~っと一緒に居ること」

「………」

 

 俺に死ねと?

 

「あのー……シャオさん? 以前そうやって、予定があるのに命令だ~って言って連れまわして、孫権に大目玉食らったの、忘れた?」

「お姉ちゃんのことなんか今はいーのー! でぇと中に他の女のことを考えるなんて、だめなんだからねっ!?」

(……思春)

(……諦めろ)

 

 気配を消してついてきてくれている思春にそっと声をかけるも、返ってくる言葉は無情。ん……それでもいつもありがとう、見守ってくれていて。それだけでもう嬉しいよ俺……。

 

「じゃ、じゃあまずは祭さんにこれ届けないとなっ。城、城に戻ろ~」

「……? 一刀、何か企んでる?」

「……イエベツニ?」

「あー! 目、逸らしたー!」

「いやこれはっ……て、天に伝わる技法、“散眼”といってだなっ! けけけ決して眼を逸らしたわけではっ……!」

「ふーんだ、どうせ城に戻って、誰かにべつの命令してもらえば~とか思ってたんでしょー!」

 

 あっさりバレた! 俺の考えわかりやすいですか!?

 

「イ、イエェ……? ベベベベツニソンナ……! モ、戻リマショ? ホラ、酒届ケナイト祭サン怒ルシ……!」

「んふっ、いいよー? 祭にお酒届けたら、問答無用で走って城から出るからねー?」

「…………ワーイ……」

 

 ニーチェは言った。神は死んだと。

 

 

 

27/そして波乱の一日へ

 

 祭さんの部屋の前まで行くと、まずはノック。

 しかし返事はなく、どうやらまだ仕事中か放浪中かのどちらからしい。

 仕方も無しに探しに行こうと踵を返すのだが、シャオは俺の服をぎゅっと掴むと、天使の笑顔で床を二回ほど指差した。

 ……よーするに甕はここに置いていけ、ってことらしい。なるほどー、合理的ダナー……祭さんのばか。

 部屋に居なかった祭さんに、せめてもの悪態と心の涙を零しつつ、俺はシャオに引かれるままに町へと繰り出した。

 途中で誰かがご光臨なさってくれることを切に願ったのだが、こんな時に限って呉の将の誰とも擦れ違わないのは、どういった陰謀だったんだろうなぁ……。

 

(ああ……)

 

 そんなわけで始まった波乱の一日。

 シャオに連れられ……というか、右腕にしがみつかれながらのったのったと歩く建業の町は、先ほどまでの輝かしさから一変、恐怖の町に変わっている気さえした。

 約束があったのにそれをすっぽかして他の女性と歩く……これほど怖いものが他にあるだろうか。とりあえず魏ではない。絶対にない。

 もしそのすっぽかした相手が華琳だったりしたらと考えると、首のあたりがやけに寒くて仕方ない。だっていうのに、命じられればそれに死力を尽くさなければいけない俺。誰か助けて。

 や、けど大丈夫。どっかの誰かが言っていた。“どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある”と。……それを見つけられないから、人は困難に飲み込まれてばっかりなんだろうけど。

 

「───んっ!」

 

 だが死力を尽くさなければ、民の罪を担うことになりはしない。

 自分が全てを負うと覚悟を決めたならば、それを貫かなければ次の覚悟も怠けるだけだ。

 気合一発、だらりだらりと歩かせていた体に喝を入れて、キッとシャオを見下ろすと言った。

 

「よしシャオ! 今から思いっきりデート───あ」

「………」

 

 弾ける笑顔(ヤケクソともいう)で、シャオとともに駆け出そうとした俺の視線の先に、本当になんの冗談なのか、ごま団子の材料をゴシャアと落とす呂蒙さん。

 ……はい、これからごま団子クッキングの予定がしっかり入っていました。ごめんなさいセルバン……そ、そう、セルバンテスだセルバンテス! じゃなくてっ! ごめんなさいセルバンテス! 救いの無い運命はたしかにここにあった! 何度目か忘れたけど俺もう泣いていい!? 予定があるのに“思いっきりデート”とか言っちゃって、しかもそれを予定のある人に聞かれたとかもうほんと泣きたい!

 

「……そそ、そう……ですよね、一刀様は、一刀様は…………~~~っ!」

 

 さらには考え事をしているうちに、顔を長い袖で覆って走り出してしまう呂蒙。

 気の利いたフォローくらいしろっ! と自分に悪態をつきながら走り出そうとするが、それをシャオが引き止めようと───するのは予測済みだっ!

 

「ふひゃんっ!?」

 

 シャオに軽く足払い。

 浮いた体を素早く抱きかかえ、足に氣を溜めて駆け出す! その途中で落ちていたごま団子の材料を片手で器用に拾いきると、そのまま呂蒙を追って走るっ!

 死力を尽くせとは言われたが、誰かが悲しむ命令に死力なんて尽くせるもんかっ!

 

「か、一刀ー!? 今日は───」

「死力なら尽くすからっ! だけど誰かが悲しむのはだめだっ! 尽くすのもデートも一番最後っ! 命令は守るから、誰かが悲しむ結果だけは勘弁してくれ!」

「…………ぶー」

 

 雪蓮のように口を尖らせ、拗ねるシャオだが……お姫様抱っこが気に入ったのか、すぐに上機嫌になる気まぐれお嬢様。

 ああもうまったく……どうしてこの国の王の血族はこう、自由奔放なんだ。俺が言えた義理じゃないかもしれないけどさ。

 孫権くらいなもんだよな、いっつもキリッとしてて真面目なのって。

 

「っ……何処に行ったんだ……?」

 

 すぐに追いかけたつもりが、呂蒙の姿は人の波に消えるようにして見えなくなっていた。この天気だ、町は別の場所から来る商人や旅人で賑わっており、その中からひとつ背の低い呂蒙を探すのは中々に無茶があった。

 けど、見つけてやらなきゃいけない。命令だからって理由で悲しませるのってやるせないし辛いし……なにより、手を繋いでくれた友達が悲しんだままなんてのは嫌だ。

 

「すいませんっ! ごめんっ! と、通してくれっ!」

 

 知り合いの町人や見知らぬ人に謝りながら、人垣を進みゆく。

 ああ本当に……いい天気だと思ってかめはめ波を撃とうしてから、なんだってこんな事態になってしまうんだろう。

 嘆いたって事は終わらないが、嘆きたくもなる。とりあえず次の鍛錬の時には、祭さんへ全力でぶつかっていけそうだ。

 

「シャオっ、どっちに行ったかわかるかっ? 雪蓮譲りの勘でこう、ピピンとっ」

「んう? んー……たぶんあっち」

「あっちだなっ!?」

 

 指差された方向に躊躇いもせずに方向転換。

 いわゆる人通りの少ない裏通りへと突っ込むように走り───その先で、蹲るように座りこんでいる少女を発見した───!

 

「あぅぁぅぁぁあ~~~……♪ モフモフ最高です~~~……♪」

 

 ……周泰だった。

 うん……とりあえず、訊いておいてなんだけど……シャオの勘は当てにならないと覚えておこう。

 けど丁度良かった、せっかくのモフモフお猫様タイムのようだが、呂蒙を探すのを手伝って───

 

「あいたっ!?」

「あ」

 

 いざ話し掛けようとした途端、猫は「ええ加減にせぇやオルラァッ!」といった風情で周泰の手を引っ掻いて逃れるや、ゴシャーと物凄い速度で走り……視界から完全に消え失せた。

 逃げる時の猫って、どうしてあんなに速いんだろうな。っと、暢気に考えてる余裕なんてなかった。

 

「周泰、大丈夫か?」

「はぅわっ!? かかっ、かかか一刀様っ!? ど、どうして一刀様が……」

「えと……ごめん、急いでてあまりのんびり話してる余裕がないんだけど───」

 

 でもせめてと、お姫様状態で俺の首に抱き付いていたシャオを地面に下ろし、不満を口にする彼女を華麗にスルーしつつポケットを探ると、取り出したハンカチを引き裂いた。

 周泰はそんな俺の行動がよくわかっていないようで、急に近寄ってきて自分の手を取った俺を前に困惑するばかりだ。

 

「あ、あの、一刀様……?」

「じっとしててくれな───んっ」

「───あぅあぁっ!!?」

 

 手にある小さいけれど痛々しい傷口に口をつけ、滲む血と傷口を舐める。舌だけ出して舐めとるのではなく、唾液が空気に触れないように唇を密着させて、やさしくやさしく。

 それが終わるとさらに取り出した常備用竹水筒でハンカチの切れ端を軽く湿らせ、ポンポンポンと叩くように傷口を拭い、水筒の残りの水を傷口にのみかかるようにかけていく。途端に周泰が驚きの声をあげたが、今は続きを。

 傷口周りについた水を軽く拭った時点で用済みになったハンカチの切れ端をポケットに突っ込み、残りのハンカチを包帯代わりにして、傷口に巻いて……よし。

 

「あ……」

「これでよし、と。ごめんな、軟膏とかがあればよかったんだけど、最近鍛錬の方で生傷だらけだったもんだから、使い切っちゃってて」

「ぁ……ぅ……」

「城に戻ればあると思うけど……ごめん、今ちょっと急いでて戻ってる暇がないんだ」

「あ、い、いえ、それは……大丈夫……です」

「ん……ほんと、ごめんな」

 

 傷が早く治りますようにと、手をやさしく撫でてやる。

 そんなに深いものじゃないけど、傷は傷だ。痕が残ったりしなければいいけど───……っと、そうだ、呂蒙。

 

「なぁ周泰、呂蒙を見かけなかったか?」

「………」

「……? 周泰? …………あ、わ、悪いっ」

 

 今さらながら、撫でっぱなしの手に気づいた。

 周泰は顔を赤くして俯いたままで、自分の手が解放されると……その手を胸に抱くようにしてさらに俯く。

 うおおしまった……! 考えてみれば、怪我してるからって女の子の手に唇つけて、血を舐めたりして……! い、いや、けどなっ!? よく“ツバつけときゃ治る”とか言うけど、あれって口つけて直接やらないと意味がないって何処かで聞いた気がしたからっ! ちちち違う! 断じて違うっ! 邪な気持ちとか全然ないぞっ!? 指にツバ付けて拭ったりなんかしたら、逆に傷口を化膿させることになるからであって……あぁあああっ!!

 あ、でも真っ赤になって俯く周泰って可愛い……じゃなくてだなぁっ!! ととととにかく───あだぁっ!!?

 

「いだっ! いだだだっ! ちょ、シャオ!? 耳っ! 耳がっ……あだだだだ!!」

「もー! いつまで変な空気出してるのー!? シャオとのでぇとを後回しにしたんだから、用が済んだらさっさと行くのぉっ!」

「わか、わかったわかりました! わかりましたから耳引っ張るのやめてくれっていだだだだぁああっ!!」

「………」

 

 急に耳を引っ張られて叫ぶ俺を見て、周泰はきょとんとした顔をしていた。

 そんな彼女に要点だけを明確化した今の現状を話すと、すぐに呂蒙を探すのを手伝ってくれると言ってくれた。

 走り出してしまった理由を訊くより早く頷いてくれる周泰を見て、やっぱり友達っていいなって……そう思える。

 赤くなった顔をぶんぶんと振るいつつ走りだす周泰を見送ると、俺もシャオを抱えて走───……あれ? 待てよ?

 

「一緒に行くよりも別々に探したほうが早くないか?」

「ヤ」

 

 即答だった。



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10:呉/波乱の一日【上巻】②

 そんなわけで呂蒙を探して建業を走り回る時間が始まり───

 

「呂蒙ー!? 呂蒙ぉおおーっ!!」

「ああ一刀? どうしたの、そんなに慌てて」

「あっ……とと、おふくろっ、実は───」

 

 地を駆け店を巡り、親父に呼び止められ、表通り裏通りを駆け抜け、町人たちに呼び止められ、さらに駆け、呼び止められ、呼び止められ、呼び止められ……その度にどうしたのどうしたのと訊かれ───また走り、また呼び止められ───

 

「んもーっ!! 一刀ってばいったいどれだけ呉の人たちに手を出したのー!? さっきから呼び止められて走ってで、シャオ疲れたよ~っ!!」

「誤解されるような言い方するなぁあーっ!! それだけ信頼があるってことなんだからいいことじゃないか!!」

 

 途中、シャオがキレた。

 ちなみに疲れたとか仰っておられるが、走っているのは俺だけである。

 

「それにみんなも見つけたら教えてくれるって言ってるんだから、感謝以外にすることなんてあるもんかっ!」

「ぶ~っ! 一刀って本当、町人にばっかりやさしいんだから~!」

「……はぁ。あのね、シャオ。俺はやさしくしたくもない相手を抱きかかえて、町を走り回ったりなんか絶対にしないぞ?」

「…………」

 

 何気ない言葉を発しながら走る。

 途端にシャオがなにも言わなくなったんだが……ハテ、と思いお姫様抱っこ継続中のお嬢様の顔を覗いてみると、なんだかとろける笑顔と妖艶さを混ぜたような、とても華琳チックな笑みを浮かべたシャオが……!

 うあ……なんだか今ものすごく、シャオのことを下ろしたくなってきたかも……! もちろんそれはしないわけだが……そうした途端に首に巻きついてくるシャオの腕が、もう離さないって意思を存分に放っていた。

 

「えっへへぇ~♪ ねぇ一刀~」

「───! あっ……呂蒙見つけた! 急ぐぞシャオ!」

「へぁぅっ!? ~……もーーーっ!」

 

 人ごみに紛れて、微かだけど赤い……キョンシーのような帽子が見えた。

 数瞬だったから呂蒙かどうかなんて確信は持てないけど、手掛かりが無いよりはマシってもんだ。

 グッと足に力を込めて速度を上げる俺に、どうしてかシャオがぷんすかと怒っていたけど、今はごめん、追わせてくれ。

 

……。

 

 気づかれたのかそうでないのか、途中で再び視認したキョンシーハット(?)は駆け出し、人通りが少ない場所までを走る。───それを追い続けることで、それが呂蒙であることを確信する。

 あれだけ騒いでいれば、目が悪かろうが気づかれるってもんだが……それでも今、ようやく追いついて───

 

(……あ、猫)

 

 ───人通りが少ないことに安心しきっていたのかもしれない。

 呂蒙と俺の間にある距離の隙間にひょいと現れた猫が居た。

 当然このまま走ればすぐに逃げるか、俺が飛び越えるかをしていた筈なのだが。

 

「お猫様っ!」

「へっ……? あ、だぁあわぁあああっ!!?」

 

 困ったことってのは重なるもんだって、どれだけ理解すれば気が済むんだろうなぁ。

 猫を追ってシュザッと参上なされた周泰を、猫の小さな体を飛び越えようと準備していた俺が飛びこせるはずもなく。

 肩に手をついて跳び箱の要領で飛ぼう! とも思ったが、俺の両手に小蓮さん。

 きっと途中で呂蒙を発見して、すぐさま追ってきたんだろうけど……途中で猫を見つけてしまったんだろうなぁ。

 とろける笑顔に「勘弁してください」とツッコミを入れつつ、俺は周泰との激突を果た───さなかった。

 

「へっ?」

「呆けるな、さっさと行け」

 

 衝突に備えて硬直していた体が、最初に踏みしめるはずだった大地に落ち着くや、声がする。

 即座に状況を理解して、周泰を進行路からどかしてくれた思春に感謝しながら走る。

 ……って、腕も軽い……と思ったら、シャオも居なかった。

 

「ふあっ!? 思春殿っ!? い、いえあのここここれはっ……!」

「言い訳は聞かん。代わりに別のことを話し合おうか。……まさか、呉国の将たるお方が庶人の話を聞かんとは言わんだろう?」

「しし思春殿、なんだか公瑾様みたいで───あぅあぁーーーーっ!!」

「ちょっと思春~っ! シャオは一刀と~っ!」

「ご容赦を。あのままでは追いつくのに時間が───」

 

 遠ざかる声に苦笑をもらしながら、今は一直線に。

 氣を込め、身を振るい、自分が出せる全速力で駆け───やがて通りを抜け、景色が開けたところで───ようやく、その手を掴ん───だぁああああっ!!?

 

「ふえ……っ!? ひゃっ……ひゃぁああーーーっ!!」

「呂蒙っ!!」

 

 通りを抜けた先は坂になっていた。

 そこまで急斜面じゃないにしても、平面を走るつもりでいた体は急な差についていけず、あっさりとバランスを崩して……というか、止まろうとした呂蒙を俺が勢いよく掴んだために、俺が巻き込む形で転がり落ちていった。

 当然すぐに呂蒙を腕に掻き抱き、来たる衝撃を彼女に受けさせないために身を捻って自分を下にして。

 転がってるんだから、完全に守ることなんて出来やしないが……やがて転がり終えて、仰向けに倒れた自分の上に呂蒙を抱き締めた形のまま、とりあえずの安堵を吐いた。

 

「呂蒙……呂蒙? 大丈夫か?」

「ふ……ぁ……あ、は、はい……大丈───ひゃうっ!?」

 

 片方だけの眼鏡越しの瞳に、俺の顔が映る……と、呂蒙の顔は瞬間沸騰したかのように真っ赤に染まり、慌てて離れようとするんだが───

 

「は、ふっ……? あ、あれっ……動けなっ……あれ……!?」

 

 ……なにやら腰でも抜けたらしく、動けないでいた。

 涙目でわたわたとして、どうしようかと戸惑うたびに俺と目が合って真っ赤になる。

 人の顔なんてよっぽど親密でもなければ間近で見つめ合えるものじゃないだろうけど、こう何度も逸らされると切ない気分になるな……。

 

「落ち着いて、呂蒙。ゆっくり下ろすから、あまり慌てな───……」

「……? か、一刀様? どど、どうされましたか……?」

「……ごめん。俺も腰……抜けたみたい……」

「え……?」

 

 腰が抜ける……あまりに驚いたり慌てたりすると、脳が体に正確な信号を送らなくなるために起こる現象……だったっけ。

 まさか坂道から転がり落ちただけでこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 

「ぷっ……ふ、くふふっ……あっはっはっはっは!!」

「え? え……? か、一刀……様?」

「い、いやごめっ……あっはははははは!!」

 

 他のことが考えられなくなるほど、呂蒙を守ることで頭がいっぱいだったって……受け取っていいんだろうか。

 そんな答えに行き着いたら可笑しくなって、気づけば声をあげて笑っていた。

 急に笑い出す俺に、呂蒙は戸惑いと慌てた風情を混ぜた顔で呼びかけるけど……だめだ、無駄にツボに入ったらしい。

 呂蒙の呼びかけにも途切れ途切れにしか返せなくて、俺はしばらくそうして笑い続けていた。

 

 

 

28/接吻という名のスイッチ

 

 …………。ツボに入った笑いも終わりを迎え、いい加減体も動くだろう頃になっても、離れるタイミングを無くしたままに寝そべっている俺と呂蒙。

 下った坂の先は人気のない開けた場所で、とりあえず呉の将が腰を抜かした、なんて状況を見て笑うような輩は居なさそうだ。

 そんな場所で仰向けに倒れる俺の上に寝そべる形で、呂蒙は顔を赤くしたまま俺の顔を見ては逸らしを繰り返していた。

 そんな呂蒙に、俺は……言い訳になるだろうけど、事の経緯を話すことにした。

 

「呂蒙、まずはごめん。呂蒙との約束があったのにシャオと───」

「っ……い、いえ、いえっ……! 一刀様が謝るようなことは、何もないんですっ……! その……本当は、わ、わかっているんです……一刀様は約束を違えるようなお方ではありませんから……。そ、その、尚香様に命じられてのこと、だったのだと……」

「呂蒙……」

「それなのにわたし、わたし、はっ……。一刀様が、約束を破らないと知っているのに……わ、わたしはっ……勝手に裏切られた気分になって、悲しんで……」

 

 顔を長い袖で隠し、目をきゅっと瞑りながら……全て自分が悪いかのように語る。

 まるで懺悔だ。呂蒙は何も悪くないのに、どうしてこんな……罪を吐き出すような……。

 

「一刀様という人としてだけじゃない……私は“友達”を信じきれなかったんです……。何よりも自分が許せなくて……すみっ……すみませっ……! わた、わたしはっ……こんなわたしでは、一刀様の友達としてっ……!」

「………」

 

 黙って聞いている理由なんてなかった。

 もっと早くにそれは違うって否定してあげればよかったんだろうけど、全部を聞いてからじゃなくちゃ、何を言っても届かないと思ったから。

 だから、手を伸ばすなら今で……安心させてやるならこの時にこそ。

 客観的に見ればほんの些細なこと。それでも彼女にとっての人との関係っていうものは、とても大切で……こんな状況は辛かったのだろうという事実をしっかりと受け止めた上で、頭を撫でて……やさしく微笑みかけた。

 

「あ……か、一刀……様……?」

「勝手なんかじゃないし、友達だよ。それと……ありがとう、呂蒙。繋いだ手のこと、そこまで大事に思ってくれて」

「そ、そんなっ、わた、わたしはっ、わぷっ!?」

「こっちこそ、本当にごめんな。どんな理由があっても、呂蒙を悲しませたことに変わりはないよな」

 

 何かを言おうとする呂蒙の顔を、彼女が被っていた帽子で覆う。

 突然のことにわたわたと帽子を被り直し、改めて俺を見る呂蒙に、俺は続く言葉を言ってやる。

 

「こんな俺でも……まだ友達だって言ってくれるか?」

 

 卑怯な言い方かもしれない。

 罪の意識を利用するみたいで本当は嫌だけど、こうでもしないと彼女は自分を責めることをやめてくれない気がしたから。

 

「と、ととっ当然、ですっ! わたひっ……わたしのほうこそ、一刀様の友達でいられるのか……いていいのかっ……!」

「………」

 

 今まで散々と逸らされていた目が、真っ直ぐに俺の目を映す。

 不安なのか、涙さえ滲ませている彼女の瞳に自分の顔が映っていることが、どうしてか嬉しい。そうとわかるほどの距離で、俺と呂蒙は言葉を発していた。

 

「わたし……わからなくなっていたんです……。一刀様に目のことを褒めていただいて、手を繋いで……お友達になって。それだけでとても嬉しくて、楽しくて……。一刀様が呉にいらしてから、手を繋いでから、世界が広がった気がしました」

「世界が?」

 

 世界が広がって見える……それは普通、喜びと一緒に聞ける言葉だと思ってた。

 だというのに呂蒙の目は涙に滲んだままで、その涙もやがてこぼれ落ちそうになるほど溜まってきていた。

 

「一緒にお話をしたり、天の国の学校についてを教わったり、足りない知識を分け合ったり……とても、とても楽しくて、嬉しくて……でも、でも……」

 

 伝えたいことがあるのに上手く動いてくれない喉に、自分自身が悲しむみたいにきゅうっと目を閉じて……拍子、涙がこぼれ、俺の頬を濡らした。

 

「わたしは……今日のことだけではありません、一刀様が思春さんを真名で呼び始めたとき……自分で自分がわからなくなるくらい、悲しい、寂しいと感じてしまいました……」

「え……?」

「思春さんが仰っていました……友になったから真名を預けただけだ、と……。で、ですが、でしたらっ、わたしは……一刀様に友達だと言われ、わ、わたしの目を真っ直ぐに見て微笑んでくださった一刀様を、口では信じていると言っているのに真名を預けていないわたしはっ……いったいなんなのかとっ……」

「…………呂蒙……」

 

 何かのきっかけ、なんてものは……本当に、自分の預かり知らない物事から起きるものだ。

 けど、たとえ知っていたとしても、俺に何が出来たのだろう。

 真名を預けてくれた思春に“畏れ多い”と言って断り、自分から伸ばした手を拒絶すればよかったのか?

 俺から“仲良くなったんだし真名を預けて”なんて図々しいことを言えばよかったのか?

 “そうとわかっていても回避出来ないこと”はどうしようもなく存在する。ああ、それはわかってる。

 問題なのは、“それ”が起こってしまったあとに“自分が動けるか否か”なんだから。

 だから……北郷一刀。今ここで動けない、動かないなんていうのは……人として、男としてウソだろ?

 目の前で、俺との、人との関係のことのために泣いてさえくれる人が居る。

 ……俺の手は魏を守るためにある───それは確かだけど、目の前で泣いている人の涙も拭ってやれない俺が、いったい何を国に返していけるんだろう。

 目の前で困っている人の全てを助けるだなんてこと、俺一人で出来るなんて思ってないけど……それでも。伸ばせば届いて、届けば助けられる人が居るのなら、伸ばしたいって思うんだ。

 

「な、呂蒙」

「…………?」

 

 声をかける。ひどくやさしい気持ちのままに出した声は、自分でも驚くくらいにやさしいもので。

 そんな声に反応して俺の目を見る呂蒙の滲んでいた涙を、指でやさしく拭ってやる。

 ハンカチでも……と思ったが、周泰の治療のために使ってしまった。

 

「俺さ、嬉しいよ。本当に、そんなに大切なこととして受け取ってくれて」

 

 俺の胸の上で、まるで猫が体勢を低くする格好のように折りたたまれている呂蒙の手を、そっと握る。

 友達として、そんなにも悩んでくれてありがとうって思いを込めて。

 

「でも、焦らないでほしいんだ。“誰かが預けたから自分も預けたい”じゃなくて……うん。呂蒙が俺に真名を預けたいって……預けてもいいって思ってくれたときにそうしてくれたほうが、俺はすごく嬉しいよ」

「一刀様……で、でも、だって……」

「もっと“自分”を持って。俺は誰かに言われたから預ける真名や、誰かが預けたから自分も預ける真名じゃない……呂蒙が俺に預けたくて、呼ぶことを許してくれた真名で呼びたいよ」

「え、あ……ふええっ……!?」

「だからさ。焦らないで。せっかく友達になったんだから、もっとお互いを知って、仲良くなってから……呂蒙が預けてもいいって思った時に、預けてほし……い?」

 

 言葉の途中、真っ赤だけど強い意思に溢れた目が俺の目を真っ直ぐに覗き、やさしく包んでいた手にはその意思の表れか、強いと思えるくらいの力が込められた。

 「……呂蒙?」と疑問を込めた視線を送ってみるけど、呂蒙はさらにさらにと顔を赤くして……やがて、言葉を発した。

 

「あっ……あー、しぇっ……!」

「……え?」

「亞莎……亞莎と、呼んでくださひっ、か、一刀様っ……」

 

 喉を通らず、詰まってしまった息を吐き出すかのように言う呂蒙。

 つい今、焦らないでいいと言ったばかりなのにどうして……と口にするより先に、涙に滲んでいるけど真っ直ぐな瞳が俺の目の奥を覗いていた。

 そこから受け取れるのは真っ直ぐな意思。

 言われたからとか、誰かが許したからとかではなく、自分が自分として預けたいと思ったから……そう思わせてくれる、強い意思がこもった視線だった。

 

「………」

 

 口ではどもってしまっていたけど、目は口ほどにモノを言うとはよく言う。

 握られた手にさらなる力が込められたとき、俺は自然に微笑んで、彼女の真名を口にしていた。

 いいのか? とは訊かず、真っ直ぐに見つめ返し、空いている手で彼女の頭をやさしく撫でて。

 

「……これからもよろしく───亞莎」

「っ………………はいっ!」

 

 真名を呼んでから、一呼吸も二呼吸もおいてからの返事。文字にすればたった二文字を噛まないよう、きちんと返事できるように何度も心の中で繰り返したのだろうか。

 赤くした顔を再び隠そうとする手が俺の手を掴んだままだということも忘れ、彼女はまるで俺の手に頬を摺り寄せるようにし───それに気づいた途端に余計に顔を赤くして慌てた。

 そんな彼女の頭をさらにさらにとやさしく撫でて、落ち着いてと何度でも口にする。

 慌てる人を見ると逆に冷静になれることもあるだろうけど、冷静というよりはやさしい気持ちになれた。

 口足らずながらも精一杯に伝えようとしてくれた彼女を見たからだろうか。

 それなら逃げる前に話を聞いてほしかったな~とは思うけど、人間そんなに器用には生きられないし、不器用がどうとかの問題じゃない。

 不測の事態を前にしても、心身ともに冷静で居られる人間を俺は知らない。

 知らないからこそ、逃げはしたけど……今こうしてきちんと話し合ってくれた彼女の勇気に感謝を。

 

「……うん」

 

 泣き笑いの眩しい笑顔を僅かな眼下に。

 吐いた息とともに真っ直ぐに戻した視線が、大きく広がる蒼を映す。

 そんな蒼が、ふといつかのように遮られ……誰かが自分を見下ろしていることに気づく。

 

「かっ、かか一刀様っ」

 

 いやに真剣な目をした、けれど顔は赤い周泰だった。

 頭部の少し先に立って俺を見下ろす彼女は、何度か深呼吸をしながら手に巻いたハンカチにもう片方の手を重ねると、急に身を屈め、吐いた息が互いの顔に触れるほどの間近で俺を見た。

 

「しゅ……う、たい?」

 

 そんな彼女に「どうした?」と投げかけるも、周泰は「あぅぁう」と目を回し始め、一向に話は進まなかった。

 えぇと……これはいったいどういった状況なのか。

 

(ていうかな、呂蒙……じゃなかった、亞莎を腹に乗せたままで真面目な話をするのって、どうにもおかしな気が…………あれ?)

 

 ふと、腹というか胸というか、そこにきしりと圧し掛かる重み。

 周泰が目を回しているなかでチラリと見てみれば、頭を撫でられながら穏やかな寝息をたてている亞莎……って、えぇえっ!? ね、寝るか!? この状況で寝れるのか!?

 かっ……仮にも男の上で、こんなにも穏やかな顔で…………あれ? もしかして俺、男として見られてない?

 や、そりゃあ友達になろうって言って手を伸ばしたんだから、そのほうがむしろ付き合いやすくもあるかもしれないし、血迷って手を出す確率だって十分に減ってくれるわけだが……手放しで喜べないのはどうしてだろうなぁ。

 

「………」

 

 そうは思うものの、そんな預けられた体の重みがくすぐったい俺を、どうかお許しください華琳様。

 と、心の中で盛大な溜め息を吐き、苦笑をもらした丁度その時。

 

「話は済んだか」

「ん……? ああ、思春」

 

 頬を膨らませているシャオを連れ、俺の頭部の左横に立つ思春。

 済んだには済んだんだが、今の状況がよく解らない俺は、どう説明したものかと思案する。

 しかしながらまあ……なんだ。女性を寝転がりながら胸に抱き、頭を撫でている彼女は眠っていて、そんな俺の目の前ではもじもじと顔を赤くしてなにかを言おうとしている周泰。

 こんな状況、他人の視点で見れば何事かってもんだ。いやむしろ……亞莎には悪いけど、状況を改める必要がございませんか? これ。

 

「あ、い、いやっ、これはだなっ」

 

 思考がそこに行き着けば行動は速いものだ。

 出来るだけ眠っている亞莎を揺らさないよう、少しきつめに抱き締めたままに体を起こした。

 いや、起こそうとした。

 しかし、やっぱり人生っていうのは無情なものであり、嫌なタイミングっていうやつは重なるもんなのさ、と心の中の自分が呟いた気がした。

 

「あ、あああのっ! 一刀様っ! 私も、私も真名で呼ふぐっ!?」

「んむっ!?」

「あ」

「───」

 

 上半身を起こそうとした俺と、座った状態でペコリと頭を下げた周泰との口が、その……重なった。

 微かに“がちっ”という音が鳴って、それが互いの歯と歯が小さくぶつかる音だということに気づくまで、随分と時間がかかった。

 つまり……それだけ俺と周泰は硬直していたわけだ。……唇と唇を重ね合わせたまま。

 お辞儀する瞬間はきゅっと閉ざされていた目も、口の違和感に気づいた瞬間に見開かれていた。当然俺もそんな調子であり、俺と周泰は───

 

「あぅあぁあああーーーーーーっ!!!」

「うわっ、う、うわわわぅわぁあーーーーーっ!!」

「あぅあぅあぅあぁあーーーーっ!!」

「うわっ、うわっ、うわぁあーーーーーっ!!!!」

「はぅぅあぁあーーーーーーっ!!!」

 

 互いの顔の熱さが最高潮に達するや、喉の許すかぎりに叫び続けた。

 もうこうなってしまえば胸に抱いた眠っている亞莎を気遣うことなど出来るはずもなく。

 心の準備も出来ないままに起こった出来事を前に、俺も慌てるだけ慌て、叫ぶだけ叫ぶしか自分を保つ方法が見いだせなかった。

 



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11:呉/波乱の一日【中巻】①

29/「いつでも正解を出せる存在なんて居ないけど、それが正解だと自分が信じていれば、それはきっと正解なのだ」というケース29

 

 人間、慣れているつもりでも急なことには弱いもので。

 魏のみんなとは散々としたキスも、当然そういった雰囲気の中でするものだと確信していた俺にとって、周泰との突然のキスはとてもとても驚くべき出来事だった。

 と、城壁の上の硬い石畳で正座をしながら考えてみる。どうしてこんな場所でとツッコみたいところだが、硬い場所でなければ罰にならんと言われたからで。

 

「お前には客としての意識がないのかっ! 聞けば真名を許そうとした明命に、とととっとと突如接吻をしたとかなんとか! お前の言う友というのは真名を許した途端に唇まで奪うとっ……はっ!? ま、まさかそうして、雪蓮姉さまや冥琳の唇まで……!」

 

 見上げる先には孫権さん。この一ヶ月で、もう何度こうして怒られたか。

 や……だからね? 見上げる先で胸の下で腕を組むの、やめてください。絶景すぎてもう……じゃなくて。

 でも、なんだろう。少しずつ、ほんの少しずつ扱いが柔らかくなっている事実に、少しだけ頬が緩む。

 “貴様”だった呼び方も“お前”に変わり、たまにだけど話に夢中になると、言葉使いが王家の者としてではなく少女然としたものになることがある。

 それを聞ける瞬間が、この怒られている時の癒しでもあったりするわけで。

 

「聞いているのか北郷っ!」

「ああ、大丈夫。聞いてる」

「ならば言い訳の一つでも述べてみせろ! こうして座らせられ、一方的に言葉を突きつけられれば言いたいことの一つでも出てくるだろう!」

「友についてのこと以外は、違いはあっても大体事実だから言い訳はないよ。あ、でも雪蓮と冥琳とはそんなことにはなってないから、それは安心してほしい」

 

 胸に行きそうになる目を強い意思で正し、孫権の目を真っ直ぐに見上げて言う。

 対する孫権は……解決しない事態に頭を掻き毟るような面持ちで、震える息を吐いたのちに……ふと、静かに言った。

 

「お前は…………私と話す時は、随分と冷静に話すのだな」

「?」

 

 自分に言われるべき言葉かどうかが理解できず、言葉の意味が一瞬……文字通りわからなかった。

 冷静? ……冷静だろうか。こうしている今も、何気に自分の中の獣と戦っていたりするのだが……ただ、どちらかが熱くなってしまった状況での会話は、どちらかが冷静でなければ纏まらない。

 春蘭が熱くなれば秋蘭が落ち着かせて、春蘭と秋蘭が熱くなれば華琳が落ち着かせる……そういった状況を近くで見れば、嫌でもそういったことが身に着くってものだ。まあその、自分が冷静な状態でいられる状況なら、の話ではあるが。

 

「言いたいことはわかる。どちらも熱くなっては、交わす会話も実りにならん。だが、そこでただ只管(ひたすら)に冷静でいられては、熱くなっている私が愚か者のようではないか……」

 

 俺の目から視線をずらし、拗ねるような声でそんなことを言う。

 だからといって「よしわかった」と熱くなるわけにもいかず……俺はどうすれば目の前の人が笑ってくれるのかを考えてみた。

 思えば思春と合計したところで、笑っている顔を見たことなど数えるほど…………も、あっただろうか。

 

「怒ってもらえるって、大事なことだよ。褒められてばっかりじゃ見えないことっていっぱいあるからさ。見るところをちゃんと見て怒ってくれてるなら、俺はそれが嬉しいって思える。だから、孫権は愚かなんかじゃないよ」

「う…………それだ。お前はいつもそうやって、拍子もなしに人を褒める。お前が呉に来てから、私の調子は狂わされ続けている」

「調子?」

 

 調子……いや、身に覚えがないんだが。

 お、俺……なにかやらかしたか? 考えてみるが、思い当たる節が……どうしよう。いろいろあって、どれが原因だか解らない。

 と、首を傾げていると、孫権は大きく息を吐いてから寂しげに俺を見下ろした。

 

「私は……少なからずお前に嫉妬している。孫家の未来を思い、姉さまの傍で呉のためにと気を張ってきた。だがその実、私に出来たことなど限られている」

「孫権……?」

「……見ろ、北郷。眼下に広がる町を。そこで生きる民を」

 

 孫権が憂い顔で城壁から眺められる景色へと向き直る。

 ……促されても、現在正座中な俺にはどうすることもできなかった。

 

「皆、私などよりもお前に信頼を寄せている。口で呉のためとどれだけ並べようと、実行に移せなければそれは虚言と変わらない。私は……私には、お前のように民の怒りや悲しみを我が身で受け止める勇気がなかったのだ」

 

 口を開こうとする。それは違うと。

 けど、そうするより早く孫権が言葉を発していた。

 

「違わないのだ、北郷。“お前”を見てきたからこそわかる。将ではなく警備隊長という身分でありながら、曹操の、魏の信頼を受けているお前が……かつての敵国で出来ることなど高が知れる、すぐに馬脚を現すと踏んでいた。だが……お前は僅かばかりの信頼に応えるだけでなく、民を笑顔にしてみせた。……私には出来なかったことだ」

「………」

「私はお前が嫌いだった。自分に持っていないものを持っていて、それを姉さまに認められていることが悔しかった……そう、嫉妬していたのだ。そんなことをしている暇があるのなら、自分に出来ることを探せばよかったというのに、それすらせずに───」

 

 さあ、と流れる風が、孫権の長く綺麗な髪を揺らす。

 城壁から城下を眺める孫権の顔は、この角度からでははっきりとは見えないけど……小さく震える肩が語っている。自分には足りないものが多すぎると。

 

「なぁ、孫権。孫権は本当に探そうともしなかったのか?」

「なに……?」

 

 そんな顔が振り向く。表情はキリッとした顔だったけど、振り向く一瞬にだけ見えた悲しげな顔を、見ないフリなんて出来そうにない。

 

「雪蓮が言ってた。必要なのは将や王じゃなく、それ以外のなにかだって。だから雪蓮は俺に天の御遣いとしての在り方を望んだし、実際になんとかなってくれた。でも、その間に孫権が何もしようとしなかっただなんて思えない」

「なっ……なにを根拠にっ……」

「孫権が約束通り俺を見ててくれたなら、俺だって孫権のことを見てた。真面目でやさしくて、雪蓮や冥琳にも負けないくらい、孫呉の未来を思って頑張ってただろ。たしかにお互い、年中見てることなんて出来なかったけどさ、それでも一月だ。怒られながらでも注意されながらでも、言葉の中に見えてくる意思って、あると思う」

「う……っ……」

 

 思ったことを素直に真っ直ぐに伝える。……まあその、正座したままで。

 人っていうのは案外“見ている”もので、無意識であろうと印象に残るものは印象に残っていたりする。

 たとえば退屈な毎日を送る中、つまらないテレビドラマを見ながらでも好きな歌が流れたりすれば、“○○○のドラマで○○○の音楽が流れていた”と記憶できるように、他の内容は覚えていないのに、その音楽が鳴った部分だけは鮮明に覚えている。不思議だけど、それが印象ってものである。

 俺にとっての孫権のソレは、民のためと口にしないながらも仕事を決してサボらない在り方だった。どっかの誰かさんとは大違いである。

 おそらく今日も、どこぞの木の上で酒でも飲んでいるんだろう。それか町のじいちゃんと話をしているか。

 時々、孫権が王になったほうがいいんじゃなかろうかと本気で思ったりもする始末だ。もちろん雪蓮には雪蓮のいいところ、いっぱいあるけど。……あるよな?

 

「俺が持っているものを孫権が持ってないなら、俺が持ってないものを孫権が持ってるよ。自分だけじゃ出来ないことを成そうとするなら、自分に持ってないものを持っている人と手を繋げばいいよ」

「だが、それは……甘えになってしまわないか? 困難があればすぐに手を伸ばしたくなる、なんてことになってしまわないか?」

「……俺は魏の人間だけどさ、手を伸ばしてくれるなら喜んで繋ぐよ。もちろん、助けるだけじゃなくて、どうしたら変えられるかを一緒に考える。……国に返していきたい気持ちに、他国だからって考えは関係ないと思うから。なにより、自分がこうしたいって始めたことで誰かが笑ってくれるのってさ、うん……凄くさ、嬉しいんだ」

「北郷……お前は……」

「な、孫権。自分では出来ないことだ、なんて思う必要なんてないんだよ。雪蓮は孫権や冥琳や陸遜が政治を纏めてくれるから民と王との堺を削っていけるし、俺だってみんなが俺に自由をくれたから親父たちを笑顔にするために動ける。それはさ、誰かが欠けてちゃできないことなんだ」

「………」

「思春の権利剥奪はいろいろと不都合が出たかもしれないけど、誰も文句を言わずにそれが穴にならないように庇ってる。将だけじゃ足らないなら、水兵のみんなが、それでも足らないなら民のみんなが国を善くしようと頑張ってる。それはさ、そもそも“孫呉”って国がなければ出来ないことで、雪蓮や孫権やシャオは何よりも先に、一番大事なことをやってくれてたんだ。……だからさ、孫権が落ち込むことなんてない。全然ないんだよ」

「っ……」

 

 息を飲む音がする。俺を見下ろす瞳には困惑が混ざっていて、俺の言葉を真っ直ぐに受け止められない理由があるのだろう……一度頭を振ると、今度こそ「それは違う」と口にした。

 

「孫呉は母が……孫文台が育んだ国だ。そこに私の意思は関係ない。私はただ“娘だから”孫家に居るだけだ。名に負けないため、そして孫呉の宿願を果たすため、姉を追い母を追い……見ろ。辿り着いたのが今の私だ。私でなくともこなせることを坦々とこなし、いざとなれば一歩を踏み出す気概も出せない。……こんな私にでも……北郷、お前は一番大事なことをしてきたと言えるのか?」

「言える」

 

 考える必要なんてない。真っ直ぐにそのままの言葉を発した。

 

「娘だから孫家に居るだけじゃない。親が成した大業を大切に思って、孫文台の娘としての責任の重さから逃げずにここまで来たんじゃないか。たとえ王になるのが雪蓮だって決まっていたとしても、その妹になにも圧し掛からないわけじゃない。そこから逃げなかっただけで、親の意思を貫こうとしただけで、孫権は自分にしか出来ないことをやっていられてるじゃないか」

「………」

 

 驚きの顔のままに、孫権は俺を見下ろす。身動きひとつもとらず、真っ直ぐに。

 俺も真っ直ぐに見上げながら、これ以上自分を追い詰めないようにと砕けて笑ってみせた。

 

「過去のことは起きたことだし、過去に手を伸ばしても繋げる手はないよ。残念だけどさ。でもほら、笑顔でいてくれる人たちに手を伸ばして、もっと笑顔を増やすことは今でも出来ることだろ? だったらさ、“今出来ること”に手を伸ばすことから始めないか? にこっと笑ってさ、賑やかさに身を投じるだけでも見つかるもの、きっとあるよ」

 

 祭さんは“仲良くするだけで悪事を働く者が居なくなるわけでもない”って言った。

 それはたしかにそうだけど、町に笑顔が増えた今なら、受け取り方も多少は変わってくれているはずだ。

 悪事を働く人が居なくなるわけじゃない。だけど一人でも悪事を働かないで、笑顔を尊いものだって思ってくれたなら、そこにはちゃんと意味がある。

 たった一人程度、じゃない。一人でも居てくれることに意味があって、それが一人ずつだろうと、増えていってくれたなら、変われるなにかもきっとある。

 騒ぎを起こす人が全て居なくなるわけじゃない。ないけど、同時に笑顔が溢れる中で、少しでも“こんなのもいいな”って思ってくれたら……それを想像するだけで嬉しいから。

 

「俺や……たぶん孫権も、まだまだ教わる立場にある。教わった上で、自分がどう受け取るか、考えるかも学ばなきゃいけない、そんな立場だ。だからさ、よかったら俺と───」

「それはだめだ」

「あらっ!?」

 

 伸ばそうとした手が、膝から持ち上がるより早く却下された。

 思わずがくりとくるが、改めて見上げる孫権の顔は……笑顔だった。

 

「……本当に困った男だな、お前は。認めなければならない部分がまた増えてしまったではないか」

「……え? 認めてくれてたの? 俺のこと」

「あっ……と……当然だろうっ、見ていてやると言ったこと、よもや忘れたかっ」

「いや、それは覚えてるけど」

 

 見ていてくれたからって、認めることにイコールするわけじゃないから……そ、そっか。少しずつだけど、ちゃんと認めてくれた部分、増えてたんだ。

 それで呼び方も貴様からお前に昇格していてくれたなら、なんというかうん……むず痒いけど嬉しいような。

 

「だが、私はお前と手は繋げない……───そんな顔をするな、嫌いだからではない。言ったろう、“嫌いだった”と。お前は呉の……いや、皆の笑顔のために動いている。将も兵も民も関係ない、ただ人のために動いている。そんな者を嫌えるはずがないだろう」

「そ……そっか」

 

 そういった意味の“嫌いではない”って意味だってことはわかっているんだが、こう真正面から言われると……困った、照れる。

 って、照れてる場合か。じゃあどうして手を……理由があるんだよな、そりゃもちろんだ。理由もなく手を繋ぐことを拒まれたんだとしたら、ちょっと、いやかなり、うん、いや……すごくショックだ。

 

「……? なにを俯いているのかは知らないが、きちんと私の目を見て構えてほしい。私はお前のそういったところも、その……評価しているのだから」

「う、ぐっ……」

 

 言いたい放題言った代償ですか!? なにやら恥ずかしいことを正面から言われた気がする! 認めてくれたのが嫌とかそんな話じゃなくて、こう……だめだ頭が熱くて表現出来ない!

 

「……え、えっとその……あ、ありがとう。意外だったけど、嬉しいよ」

「う、うるさいっ、意外とはなんだ貴様っ! 私は嘘は言っていない!」

 

 こちらも恐らく赤くなりながら言葉を返すと、孫権も真っ直ぐに言葉をぶつけられるのに慣れていないのか、息を飲むのと同時に真っ赤っかになった。

 そんな時だ。俺と彼女は案外、何処か似ているのかもしれない……そう思ったのは。

 まだまだ勉強しなくちゃいけないことが多くて、だっていうのに目指す場所は無駄に高いところで。

 諦めたくないから目指しているのに、目指す場所の高さに戸惑っている。

 そんな……小さな弱さを、彼女の中に見た気がした。そしてそれはおそらく、彼女から見た俺の弱さも。

 

「……孫権。訊いてもいいかな。どうして手を繋げないのか」

「───わかっているだろう?」

 

 だから、そんな言葉が返ってくるんじゃないかって……どこかで予想が出来ていた。どうしてと問いかけることもなく、たったそれだけで胸の中で納得出来てしまったんだ。

 

「私とお前はどこか似ている。未熟なところも、誰かに教えを請い、学ばなければいけないところも。どこから手をつければいいのかもわからず、だというのに理想だけは高く持っている」

「……うん」

「けれど……私はお前が羨ましい。誰にでも手を伸ばせ、請いたい教えを真っ直ぐに教えてくれと願えるお前が。それに比べ……雪蓮姉さまの妹だからと、孫文台の娘だからと、小蓮の姉だからと気を張っては、何を成すべきかが私には見えない」

 

 言いながら天を仰ぐ。まるで広大に続く空を自分の状況に重ね、手を伸ばしても何処にも辿り着けない未来を思うように。

 空に伸ばされた手が何もない空気を掴むと、孫権はその手を視線と一緒に下ろして……自虐と寂しさを混ぜた表情で小さく笑った。

 

「私はまだまだ未熟だ。手を繋ぎ、力にはなってやりたいが……その“力”が見いだせていない」

「孫権、それはっ」

「わかっている。未熟だからこそ手を繋ぎ、支え合っていくべきだと。だが私は……きっと甘えてしまう。今、雪蓮姉さまの……孫伯符の妹であることに甘えているように」

「………」

 

 目を逸らし、呟くように言う孫権。

 そんな姿を見ると、ふと思い出すのはじいちゃんの姿。

 

(……そっか)

 

 いつかの自分はこんな顔をしていたのかもしれない。

 魏に、この世界に帰ることばかりを考えていた俺に、じいちゃんが言ってくれた言葉があった。

 

「孫権。シャオにも言ったことだけどさ、無理に背伸びすること、ないと思う」

「なに?」

 

 逸らされていた視線が俺へと戻る。

 その目は……まるで道に迷った子供だった。

 なるほど、こんな顔をしてれば、じいちゃんも言わずにはいられなかったに違いない。

 

「この世界は怖いよ。一人で無理して立とうとしても、一人じゃ出来ないことが大半だ。そんな中で自分は大人だ、なんでも出来るって言うのは怖いことだし、自分の虚勢で誰かに迷惑がかかるのはもっと怖い」

「……ああ、そうだな」

「いつかさ、俺はシャオに“大人ってなんだろうな”って言った。そのことで孫権に怒られるだなんて、夢にも思わなかったけど」

「うっ……あのときのことはっ……その……」

 

 気まずく思ったのか、孫権は顔を赤くして俯く。

 そんな姿に俺は逆に頬を緩めて、一度大きく深呼吸をしてから言葉を続けた。

 

「俺さ、大人になるってもっと大きなことかと思ってたよ。大きくなって、じいちゃんみたいに武道を伝えていくとか、結婚して子供を作って、教え導くこととか……そんなふうに」

「違うの? それはとても立派なことじゃない」

(あ)

 

 きょとんと返すその言葉が、いつの間にか砕けていた。

 歳相応の言葉で返すその顔は真実歳相応で、目をぱちくりとさせて本当に疑問に思ってるって顔が……その、可愛いって思えた。

 

「うん、違わない。でも、立派なのと大人になるのとじゃあやっぱり意味が違うんだ。子供でも立派なやつはきっと居る。じゃあ大人ってなんなのかなって考えて……考えてみたけど答えらしい答えなんて出なくてさ。大人に聞いてみたら、そんなことを訊いてくるうちは子供だって断言されたよ」

「……そうなの。貴方もまだ知ら……あ、おほんっ! お、お前もまだ知らないのか……」

「………」

「な、なんだっ」

「い、いやっ……」

 

 困った……この娘、すごく可愛い。思わず笑ってしまう自分を抑えられない。

 

「ははっ、でもさ。わからないうちはそれでいいって思えたのはよかったって思うよ。大人っていうのはなりたくてなるものじゃなく、自然になるものだって」

「北郷……」

「国のために生きて、自分のために生きて、誰かのために生きて。そんな自分をいつか昔話として誰かに話せる時が来たら……きっと、それが自分が大人になった時なんだって。自分はこんな壁にぶつかって、だけど自分の周りには助けてくれる人が居たからやってこれたよ、って……自分の子供でも町で(はしゃ)ぐ子供でもいい。誰かに伝えられる日が来たら、その時の自分はきっと笑顔であるようにさ、諦めずに頑張ってみるのも面白いんじゃないかな」

 

 俺はじいちゃんの言葉から、守ること、守られることの意味をほんの少しだけ知ることが出来たから。

 そこからどう学んでいくかが俺に出来ることなら、次は学べたことを誰かに広めることが出来るまでを、頑張っていきたいって思う。

 

「まずは自分のために動いてみないか? 誰かのためって重く考えるんじゃなく、自分のために動いてみて……今度はその“自分のため”が“誰かのため”になる行動を選んでみる。自分がやりたいことで誰かが笑ってくれるって……そんなに嬉しいこと、他にないよ」

「……そうか。だからお前は手を繋ぐのだな」

「え…………そうなのかな。俺はただ、俺には出来ないことのほうが多いから、それを支える人、自分にも支えられる人が欲しくて……あれ? なんか矛盾してるな、うーん……」

「ぷっ、く───ふふふふっ……! な、なんだそれは、まるで言っていることが滅茶苦茶じゃないか」

(あ……笑顔)

 

 俺を見下ろしながらくっくっと笑う孫権は……困った、やっぱり可愛かった。

 そんな笑顔を、偶然とはいえ俺が引き出せたことも嬉しかったけど……なにより、俺に向けて笑顔を見せてくれたことが嬉しい。

 

「じゃあ俺もまだまだ子供なのかも。実際に“教わること”のほうが多いんだから、無理して大人だって言っても仕方ないけど」

「そうだな。私もまだ……今はまだ、もう少しだけ子供の自分を自覚していよう。……そしていつか、自分にも守れるものが出来た時が───」

「ん。きっと、大人になれた時だ」

 

 孫権が屈むことで、二人、同じ目線で頷き合う。

 

「北郷。これからもお前を見ていていいだろうか。私は……自分の視界をもっと広げてみたい。今の自分では見れないものも、お前を通してなら見える気がする」

 

 事実、今までがそうだったのだと続ける孫権。

 そんな彼女に、俺は静かに右手を差し伸べた。

 

「い、いや、北郷。つい先ほども言ったが私は───」

「甘えられるのは子供の特権だよ。甘えられるうちに甘えておかないとさ……相手が居なくなってからじゃあ甘えられもしない」

「それは……、母さまのことを言っているの?」

「違うよ。俺は孫文台がどんな人かも知らないし、甘えさせてくれるような人なのかも知らないから軽口なんて言えない。けどさ、片意地張って過ごして、いつの間にか大人になってたらさ、甘えたかったな~なんて思っても誰も相手にしてくれないだろ?」

 

 にこやかに言ってみる。対する孫権は、「仕方の無い人……」と苦笑と溜め息を漏らした。

 

「貴方の考えはまるで子供ね。それなのに、不思議と不快にはならない」

「はは……実際、考え方が子供なんだよ。俺さ、行動力って童心から来てると思うんだ。興味から始まって好奇心で動いて、楽しければ笑って、悲しければ泣く。俺はそんなことが出来る自分のまま大人になりたいし、そのいい例がこの国には居るから、目指すのが楽しみになってきた」

「……祭と雪蓮姉さまね。あの二人を手本になんて、貴方は相当の度胸持ちか無謀者かのどちらかよ」

「まだ“誰のことか”も言ってないのに、祭さんと雪蓮を挙げる孫権もね」

「っ! あ、ち、違うわっ、今のは───あ、おほんっ! 違うっ、今のは言葉のあやというものでだな……わ、笑うなぁっ!!」

 

 腰を落ち着けて話してみれば、こんなにも楽しい。

 俺が伸ばした手は繋がれることはなく、いつの間にか俺も下ろしていたけど───うん、今はいい。彼女にも彼女なりの進み方があるし、俺にも俺の進み方があるのだから。

 そうして一頻り笑って、何を言っても無駄だと悟るや否や、同じく微笑をこぼして笑い始めた孫権を前に、言葉を紡ぐ。ライバル宣言じゃないけど、お互いがお互いへの勇気になるようにと。

 

「なぁ孫権。今度三国のみんながどこかの国に集まるような日が来るまでにさ、どっちの方が国に貢献できるかを勝負しないか?」

「勝負? 国への貢献を勝敗の対象にするのは感心しないぞ」

「もちろんそういう意味じゃなくて、俺達の気持ちの問題。焦る必要はそりゃあないけど、自分以外の誰かが自分よりも頑張ってるかもって思えば“出来ること探し”にも気合いが入るだろ? 勝負っていうのはあくまで意識的なきっかけで、それを糧に自分がどこまで頑張れるかを試してみないか?」

「………」

 

 再びにこやかに。孫権はきょとんとした顔で俺を見ていたけど、「そんな気概があってもいいかもしれない」と呟くと、俺に「立ち上がり姿勢を正し、左手を構えろ」と告げた。

 

「?」

 

 その意味も解らないままに立ち上がり、とりあえず左手を見下ろしたあとに「こう?」と軽く肩あたりの高さまで挙げてみると、孫権は右拳を構えた。

 ……子供みたいな考えかもしれない。けど、まだまだ自分たちが子供だっていうなら、それもいいと思えた。そんな自分だから、孫権がなにをしようとしているのかが反射的に解って、軽く構えた左掌に力を込めた───途端、“ぱぁんっ!”といい音が鳴って、俺と孫権の掌と拳が合わさった。

 

「私達がまだまだ未熟ならば、私達は二人でようやく一人前だ。いや、そこまでにも辿り着けていないのかもしれない。特に私は……つくづく傍に思春が居なければ駄目な存在なのだなと痛感している。頼り切っていたのだと。姉さまもそれを見越して、お前に思春を付かせたのかもしれない」

「雪蓮が? …………」

 

 頭の中に、にこーと笑う女性が浮かんだ。結論としては……うん、それはないんじゃないかなぁという結果になった。

 

「私達はまだまだ様々な人に支えられ、守られて生きている。だがそれを当然のことと受け止めず、その中でどれだけ努力出来るかが“今自分に出来ること”だと……お前と話していて思った」

「ああ」

「私の“(ほこ)”はお前に預けよう。これから私が進む道に“人を殺めるための戈”は必要ない───いや、必要が無くなるように努力をする。そのための覚悟をお前に預けよう」

「……ああ、預かった」

「そして……我が右手を武とし、お前の左手を文として───ともに知識を求め、この地、この国、この大陸からこそ学んでいこう。お前が言うように、そこから得た全てを以って、いつかこの国に返していくために」

 

 視線が交差する。

 逸らすこともなく赤くなることもなく、ただ真っ直ぐに、意思と覚悟を分け合うように。

 そして、その覚悟の意として彼女は告げる。

 

「……北郷……いや、一刀。貴方に私の真名を預けるわ。未熟な者同士、私を支え、貴方を支えさせてくれる?」

「もちろん。受け止めた覚悟に誓うよ。その……れ、れ……蓮華」

「ふふっ……ええ。頼むわね、一刀」

 

 手を繋がない代わりに、お互いを高め、支え、競い合うことの誓いを。

 初めて呼ぶ恋人の名前に躊躇するみたいな心境だが、なんとか口にした真名と、口にされた自分の名前を自分の中で反芻して頷いた。

 

(頑張る理由がまた増えたな。……やれやれ、もっともっと頑張らないと)

 

 やがて離れる拳に俺も手を下ろしながら、これからのことを思って……苦笑ではなく笑ってみせた。

 突然笑う俺を見て、蓮華が「どうしたの」と声をかけてくる。

 

「あ、ああいや、これからのことを考えて、ちょっと。苦笑が出そうになったけどさ、笑うなら笑顔だろ? 目指す場所が濁らないようにさ」

「───、ふふっ……ええ、そうね」

 

 言ってから蓮華も笑う。

 大きな声でではないものの、静かに笑う笑顔は綺麗であり可愛くもあり……───って落ち着け俺、事実は事実だけどいちいちときめいたりだな……!

 

「それじゃあ一刀? 支え合うその一歩として、私の剣術鍛錬を手伝ってくれる?」

「落ち着け落ち着───へ? 鍛錬?」

 

 急に言われた言葉に、今度は俺がきょとんとした。

 ……はて。彼女はつい今しがた、“戈”は俺に預けると……あれ?

 

「あ、あのー……蓮華? 蓮華は戈を俺に預けるって───」

「? それは人を殺めるための、でしょう? 民を守るための自身の研磨は今こそ必要だって、一刀ならわかると思ったのだけれど……」

「あ、あーあーあー! ソウ、ソウデスネ!?」

 

 根本的な間違いをしてしまった。

 そっか、殺すためじゃなくて守るため……なるほど、うん。

 

「あ……けど俺、そんなに強くないぞ? 俺だってまだまだ祭さんや思春や周泰に教わってるくらいだし」

「その三人に教えられている者が、いつまでも弱いわけがないわ。それに……一人より二人のほうが競い合えるし支え合える。そうでしょう?」

「う……」

 

 うっすらとピンク色に染まる頬を見て、思わず息を飲む。

 困った、可愛い───じゃなくて! 修行、修行な!? 己の研磨! いい言葉!  けど待ってください蓮華さん! 貴女性格変わってませんか!?

 

「……? ……おかしい? 今の私は」

「おかっ……いやいやいやっ! でも随分と変わったなぁとは……じゃなくてあぁあっ……!!」

「ふふっ、構わん。自分でも驚いている。自分にもこんな、誰かに甘えるという行為が出来るとは……夢にも思っていなかった」

「ウェ?」

 

 変な声が出た。甘え……甘える? エ? 誰に……俺に!?

 

「な、なに? 甘えられるうちに甘えろと言ったのは貴方でしょう?」

「やっ……そーだけど……」

 

 ころころと変わる口調に、どうしても頬が緩んでしまう。

 そ、そっか、甘えて……甘え……甘ァッ!? 雪蓮や祭さんや冥琳や陸遜じゃなくて俺!? 俺なのか!?

 や、うん……嬉しい、嬉しいぞ? 俺に甘えてくれるなんて思いもしなかったし。

 そりゃあお互いの現状を話し合って、弱いところも曝け出して、普段は言わない弱音を吐き合ったりもしたけど…………あれ? そうすると逆に、俺も蓮華以外にはあまり弱いところを見せたくないような……あ、あれぇ……?

 いや待て、俺はたしかに甘えられるうちに~とか言ったぞ? 言ったけどそれは、手を繋げる人と素直に話し合う~とか支え合う~とか寄りかかる~とか、そういった意味で合って……マテ、何処でなにを間違えた。

 

「?」

「………」

 

 穏やかな笑みが目の前にありました。

 それを見たら、いろいろぐるぐると考えるのが馬鹿らしくなった。

 だって……笑顔を前に難しい顔して悩むなんて、無粋もいいところだもんな。

 けどその前にっ!

 

「ごめん蓮華、その前にさ」

「わかっているわ。明命のことね?」

 

 はいと言わざるをえない。

 事故……と言ったら相手に失礼とはいえ、偶然であることは確かで。

 いや、なにも言うな。こんなときに偶然なんてない、あるのは必然だ~なんて言おうものなら、どこぞのU子さんであろうと今だけは許したくない。

 

「……支えると言ったのなら、私も行くべき……よね」

「あ、いや……ごめん、一人で行かせてほしい」

「そう? 力を貸してほしくなったらいつでも言って。私に出来ることなら、喜んで力を貸すわ。ただ今回のことはさすがに、事が事なだけあって支えるのは無理そうだけど」

「………」

 

 物事ってものには、どうしようもなく“反動”ってのがつくものなんだろうか。

 あれだけ一線引かれていたっていうのに、今ではやさしいこの態度。人の感情って不思議だ。

 

(でも……)

 

 わかる気もする。

 蓮華は俺を“見ている”と言ってくれて、その実しっかりと見ていてくれた。

 そんな蓮華を俺も見ていて、お互い話し合ったことなんて僅かだっていうのに、俺達はお互いのことを多少は知っていた。

 知人以上で友達未満……そんな関係を続けてきて、いい所も悪いところも、苦笑するところもおかしいところも見つけて───ここでこうして意見や弱音を吐き合った。

 そう。やっぱりきっかけなんてものは、何処にでもごろごろと転がっているものなのだ。ただ“それ”をソレと気づけず、掴めないままに流していってしまうだけ。

 お互い、見ているばかりじゃなくさっさと話し合っていればとも思う。

 しかしながら、ずっと見ていたからこそじっくりとわかり合える会話を成立させられた。

 たとえばこれが初見のときで、急にじっくり話し合いなんて始めて、俺達は寄りかかり、支え合う関係に至れただろうか。……って、考えるまでもなく無理だよな。

 距離をとっていた時間は無駄なんかじゃなく、目の前の笑顔はそんな時間があったからこそのものだ。

 そう思うことにして、蓮華に軽く挨拶をして歩きだす。

 

「事が事なだけあって、かぁ……」

 

 キスだもんなぁ……それも、おそらくファースト。だめだ、考え始めたら止まらない上にヘコんできた。

 ラッキ~、とかそんな次元の話じゃない……これは相当に辛いぞ。あんな……あんないい子のファーストを、よりにもよって事故まがいに俺が奪ってしまうなんて……!

 な、ななな泣いていたりするんだろうか。それともショックで寝込んでいたりとか……!

 

「いや。悩むよりもまず話してみないとな」

 

 考えるとループする。

 まずは突貫して……そ、そう、当たって砕ける精神で。ゴー・フォーブローク! ヘイテリー、ゴー・フォー・ブロークヨ!!

 ……などと。せめて頭の中だけは賑やかにして、城壁のから下方へ続く石段を降りていく。

 さて、どうなることやら……。

 



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11:呉/波乱の一日【中巻】②

30/勇気をお出し……

 

 周泰の部屋の前に立ち、まずはノック───……返事なし。

 ならば声をかける───……返事なし。

 

「フゥォオオハハハハハ……! 万策尽きたわ……!」

 

 今……全てが終わった。少し老人チックに。

 などと心の中で僅かな救いを求めている場合ではなく……そっか、居ないのか。

 

「そ、それじゃあ仕方ないかー! あっはははははー! なんて言うかばかーっ!」

 

 まずい! 探さないと! 逸る気持ちにばかり背を押され、城を出て城下へ。

 何処に居るのだろうか……何処かで誰かを監視中? いやそもそも仕事がなかったから猫と戯れてたんじゃないのか? ととと年頃の少女の気持ちはきっと繊細! 俺なんかとのキスでショックを受けて、ままままさか自害なんてことは……!!

 いやまず落ち着け俺! 焦るとろくなことにならないって、今まで散々学んできたじゃないか! 冷静に冷静に~……まずは周泰を探して、謝っ……謝る?

 

   事故とはいえっ、接吻してもうしわけないっ!

 

 よし待とうか。それはなんだかいろいろと地雷臭が……。

 少しは学ぼう、北郷一刀。それはなんだか……そう、今まで鍛えてきた我が身と精神が危険だと叫んでいる。

 だったら───そう、むしろ褒めるかたちで。

 

 

   周泰…………キミの唇はまるでお猫様のように温かく。

 

    そして、肉球のように柔らかかった……!

 

 

 って何処のキザ男だぁあっ!! しかも違う! なにか違う! 褒めてるのか笑い者にしたいのかわからないだろこれ!

 

(あ、でも周泰は猫が好きみたいだし、これはこれで褒めに……? いや無理だろ。よし次)

 

 こんなことを考えながら、建業を歩いた。

 時々、というかしょっちゅう声に出ていたらしく、いろいろな人に微笑ましい顔で見られていたということを知るのは……もう少しあとの話だったりする。

 

……。

 

 ……と、散々と歩き回ったりしたわけだが。

 

「居ない」

 

 街を駆けずり回り、城を徘徊し、城壁の一番高い場所でフーアムアイを叫んでみても、周泰は見つからない。

 城に居ない、町に居ないなら……あ、もしかして川か?

 ポムと手を打つ俺は、それなら見つからないはずだと城壁の上で頷いて、再び走り出す。

 石段を降りて石畳を駆けて通路を駆けて庭を駆けて、かつて周々と善々に襲われたと勘違いしたあの場所へ───!

 

「あぁ~、一刀さ~ん」

「!?」

 

 ……と、走っていたのだが。

 突如として聞こえた、どこか間延びした声に構え取りつつ、止まった。

 止まって、確認してみれば……視線の先には陸遜さん。

 

「…………あの~、一刀さん……? 近頃の一刀さん、私と話をするとき、妙に構えていませんかぁ?」

「や……だって」

 

 少し前のことを思い出してみる。

 あれはそう、俺が民と殴り合い、華琳から罰報告が来て、思春と友達になった次の日のこと。冥琳と民との交流についてを話しているときのことだ。

 

 

  魏に操を立てているのなら、穏には気をつけろ。

 

   特に、書物整理など“書物に関すること”を頼まれた際は(ことごと)くを断れ。

 

 

 念を押されて「いいな」と真顔で言われた日には……怖くて近寄れなくもなるってもんだ。

 そりゃあ話し合いの時とかは普通にしていたが、こうしてプライベートの時に会うのはとてもまずいのではなかろうか。

 だって……命令されたら断れないし。

 

「だって、なんですかー?」

「イエナニモ。あー、僕周泰のこと探さなきゃいけないからコレデ、って、な、なにをなさるか! 拙者、急いでいると───!」

 

 そそくさと逃げようとしたら捕まった。

 振り向いた先にある笑顔がとても怖かったです、はい。

 

「むー、用があったから呼びとめたんですよぅ? それなのにそんな、慌てて逃げようとすることないじゃないですかぁ~」

「…………」

 

 むう。たしかに今の態度はない。

 気を付けろと言われたのが書類というか書物系のことであるなら、それ以外のことだったら構える必要などないわけで───よし。

 

「ごめん。それで、呼びとめた理由っていうのは?」

「はい~、実は書物」

「おぉっと急に用事が! じゃ!」

 

 書物と聞いて即座に行動。……捕まった。

 

「待ってください~! 急に何処に行く気ですかぁ~っ!!」

「いやもうほんと離してください! そういえば俺、とてもとても大事な用があったんです! ていうかね、冗談抜きで周泰探さなきゃいけないから! 書物のことは他の誰かにお願いして! ね!?」

 

 さらに逃げ出そうとした俺の腕を、さらにぎゅっと掴んでくる陸遜!

 なんてこった! この人、何気に握力あるぞ! 振り払って逃げられない!

 

「他のことなら聞けるけど書物だけは駄目! 他の人から陸遜が書物関連のことを頼んだら、断固として断れって言われてるんだよ!」

「え……ふえぇえええ~っ!?」

 

 考えてもみよう。誰かが冗談混じりに笑いながら“気をつけろよ~”って言うくらいならいい。まだ“ああ、ちょっと気にかけとくだけでいいか”ってくらいで受け取れる。

 しかし……冥琳だ。あの冥琳が真顔で「悉くを断れ」と言ったのだ。……自殺行為だろどう考えても!

 泣きそうな顔で困惑する陸遜には悪いが、こればっかりは頷けな───あ、あれ? あの、陸遜さん? その笑いはいったい───

 

「だったらいいですよぅ……私も命令、使っちゃいますから……」

「……!!」

 

 血の気が引く音を聞いた気がした。

 体中がニゲロニゲロと信号を発しているのに、ぎゅっと握られた腕が俺の逃走を許してくれない。

 本気を出せば振り払えるんだが、理由はどうあれ助けを求めている人を振り払うことなんて出来そうになかった。

 ……ああ……俺の馬鹿……。

 

……。

 

 そうして辿り着いたのは一つの倉。中々に大きく、そこに書物がごっさりと仕舞われているらしい。

 物置き代わりにしているとは言うが……物置き? この大きさで? ……昔の人ってやっぱりわからない。

 一家に一つあるような物置きとはそもそも規模が違うぞ。そりゃ、国の物置きなんだから当然かもしれないけどさ。

 

「倉に行くのは久しぶりなんですよぉ~。楽しみで楽しみで、どうしましょう~!」

「楽しいって、いいことだよなっ! ジャア僕ハコレデ」

「だめですー! だめですよぅ~!」

 

 逃げ出そうとしたらあっさり捕まった。

 「一緒に倉に来てください」というのが命令だったなら、もう逃げていいはずなんだけど。

 それでも俺の腕を咄嗟に掴んだ陸遜は、心細そうな顔を左右に振るう。

 ……この体でこの子供っぽさ……なんとかなりませんか神様。

 

「それで、俺はなにをすれば? 掃除か?」

「いえ……いえ! 一刀さんはただ、私が正気を保っていられるように止めてくれれば……!」

「正気?」

 

 ハテ。なにやらいっつもぽやんとしている陸遜の目に、燃え盛る意思が見受けられるのですが。

 

「その……実はですね? 私、本が好きなんです」

「本が? へえ、いいことじゃないか。……あ、もしかして正気を保っていられるようにって、本に夢中になりすぎないようにってこと?」

「うう、その……似たようなもの、なんですけど。こ、ここここのたび私、陸伯言はっ……じゃじゃ弱点を克服しようと思いましてっ!」

「おおっ!?」

 

 どーん! と思わず背景あたりに擬音が出そうなくらい、張られた胸の迫力が……ああいやげふっげふんっ!

 

「でで、ですからっ……ンッ……はぁ……一刀さん、にぃ……」

「…………?」

 

 アレ? なんだか陸遜の様子が……ヘン。ヘンだな、うん。

 急に顔を赤くして、もじもじしだして……あ、あれー、なんだろ。背筋のほうからギチギチと寒気にも似たなにかが……!

 逃げろ、逃げないと危険だと叫んでいる……! や、でもな、正気を保っていられるように~って頼まれてるし───あ、そうか。既に正気を保とうと戦ってるから辛そうなんだな?

 

「陸遜、正気を保たせるにはどうすればいいんだ? 叩けば直るか?」

「た、叩くなんてぇ……一刀さんはぁ、そういうのが趣味なんですかぁ~……? きゃぴぃっ!?」

 

 大変失礼なことを言い出したので、遠慮せずに頭頂に手刀を落としておいた。

 

「そーかそーか、俺がそういった趣味の男に見えるかー。大丈夫だぞー陸遜。こう見えても俺は、Sッ気たっぷりの華琳のもとでこの世界を学んだ男だ。陸遜が本の虫から卒業できるまで、いくらでも頭を叩いてやる」

「ふぇえっ!? え、えと、そのー、それは私の頭が保たないんじゃあ……」

「大丈夫! 俺もこの一ヶ月の中、様々な欲望と戦いながら生活してるんだ! こんな痛さがなんだ! 痛い思いをしたくないなら制御すればいいんだ! こんな近くに己の欲求と戦う仲間が居たなんて……! 幸せの蒼い鳥はいつだって近くに居るものなんだな! よし! オーバーマンズブートキャンプへようこそ! そうだ! 我々は出来る!」

「え……ぇえええっ!?」

 

 感動の瞬間であった。

 俺はこれから孤独に欲望と戦っていかなければならないのかと思っていたのに、ここに己の欲望というか欲求を克服するために戦う人が居た。

 あれだ、どこか異郷の地にて、かけがえのない同志を見つけた……そんな心境。実際にちょっと前までは右も左も知らない土地だったわけで、あながち間違いなわけでもなく。さらには自分の弱点を自ら克服しようとする姿に心打たれた。

 誰にも努力するところを見せず、影で努力するのもいいが───こうして自分の弱点を認めて、協力を求めるなんて誰にでも出来ることじゃないだろう。

 ああ、協力しようじゃないか! 俺に出来ることならなんでもしよう! さあ、特訓の始まりだ!

 

……。

 

 と、意気込んだまではよかったんだが。

 

「…………」

「あ、あー……陸遜~……?」

 

 しばらくして、頭から煙を出して机に突っ伏し、動かなくなる陸遜が発見されたという。

 いや、俺が手刀を落としすぎた所為だろうけど。煙だって比喩表現だ。なにも出ちゃいない。

 や、だってさ。弱点っていうか……妙なんだもんな。目をとろんとさせて、艶っぽくなって。

 物置きって言われるだけあっていろいろ置いてある中で、少し古ぼけた机に座らせていたんだが……大好きな本に囲まれて、酔っ払いでもしたんだろうか。次第にとろんとした目、どころではなくガタガタと震え出して、謎の奇声を発したかと思うと俺に飛びかかり───ええと、まあその。日々の鍛錬の賜物か、うっかり放ったカウンターチョップが見事にクリーンヒットし、現在に至る。

 

「………」

「………」

 

 いやしかし、突っ伏して気絶……机で寝ると、目覚めた時には体がぎしりと軋むもんだが、これはなんというか……天然クッション状態?

 大変な主張をなさっておられる双丘様が、陸遜の顔面に机の跡が付かないように守っていらっしゃる。

 ……目に毒だ、精神統一をしよう。

 

「しかしまあ……あれだ」

 

 彼女はここで産まれ変わろうとした。新たなる陸伯言として。

 それはとても素晴らしいことだが、志半ばで気絶。ううむ、起こしてやりたいんだが、生憎と目のやり場に困る状況。なんだかんだで俺も我慢しているだけであって、克服出来ているわけじゃないから。

 

「こうしよう」

 

 毒の中で産まれる、もしくは生まれるモノは、その毒に対して抗体を持っていると聞く。必ずしもそうであるとは限らないが、多少なりとも耐性はあるわけだ。

 ならば大好きな本に囲まれ、その中で目覚めた彼女の中にもきっと、抗体、または耐性が出来ているかもしれない。

 

「グッジョブ素晴らしい。もしまた特訓したくなったら、いつでも呼んでくれ。また次回に会おう」

 

 相手が気絶中でスリーツーワンビクトリーを言えないのは残念だけど、小さく手を振ってから倉を出た。

 

「…………」

 

 ……いい天気だった。

 長い間、陸遜と倉で戦う時間に追われ……空がこんなにも蒼いものだということを忘れ───ってそれはどうでもいい。

 

「……よし」

 

 昼の眩しさを目にしたら、思考が一度リセットされた。

 ならばと走り出して、探すは周泰の姿。

 町にも居ない、城にも居ないなら……まず一番に浮かぶのが離れた場所にある川だ。

 海……あれで河って呼ぶのはウソな気もするが、海兵の皆さんの方には居ないと思った。

 あんなことのあとで、すき好んで人が……それも男が集まる場所には行かないだろう……ってそう思えるんだったらどうして真っ先に川に行かない俺ぇええ……!!

 

……。

 

 流れる水の音が鮮明に聞こえてくる頃には、そこに居る一人の少女を発見できた。

 川を見るわけでもなく、恐らくは半分あたりを地中に埋めているであろう岩に背を預け、膝を抱えるようにして座っていた。

 普段なら気配ですぐに気づかれるんだろうが、周泰の意識は思いの外内側に沈んでいるようで、たとえ俺が隣に立ってみせても、気づく様子を見せなかった。

 

「………」

「………」

 

 そう。気づいた様子もなく、ただ膝の上の先に見える地面を眺める周泰。

 そんな彼女の隣に腰をかけてもまだ、周泰は視線を動かすことなく俯いていた。

 

「はぁ…………」

 

 溜め息。次いで、傍にあった小石をシュパァンッ!と川に投げた。

 “チョヴァアン!”と水に落ちた音とは思えない音が鳴り、少し先の水面に魚が浮かび、流されていった。

 

(………)

 

 偶然なんだろうけど、流れていく魚へと静かに十字を切った。エイメン。

 

「…………はぁ……」

 

 で、再度溜め息。

 十字を切った動作にさえ気づかず、ず~んと重苦しい雰囲気を肩に乗せ、さらにさらにと肩を落とす。

 

「………」

 

 覚えておくのだぞ一刀。見守ることもまた強さよ。……などと、言われたこともないことをじいちゃん的に心の中で囁いてみた。

 ああ、もちろん意味なんてないぞ。意味なんかないが、落ち込んでいる人の傍っていうのはこう、喉が渇くもんだ。それも、原因が自分にあるなら余計だ。

 

「はぁ……」

 

 さらに溜め息を吐いて、もう一度拾った石を川へと投げた。……魚が流れていった。なにか魚に恨みでもあるんじゃなかろうか。というか、石で魚を仕留めるとか、どこの達人だ周泰よ。

 さて、どう声をかけたものか───落ち込んでいる人を励ますのは、正直勇気が要る行為だ。

 原因である俺だから、ってわけじゃない。励まし、背中を押してやるだけなら誰にだって出来るけど、それじゃあただの応援だ。

 言葉を交わし、納得してもらって立ち上がらせるのは、自分の意見や知識を押し付けて納得してもらうものだから。

 全ての人が自分と同じ意見を持っているわけじゃない。同じ意見だって思っていても、深い部分では違うものだ。

 そんな意見をぶつけ合って、譲り合えるか合えないか。そういった行動を、この一ヶ月で何度も民としてきた。

 時には殴られ、時には泣かれ。時には罵声を浴びせられ、それでも手を伸ばし続けて……手を握ってくれた人と、手を払い除けた人。嫌悪を抱く人や、警戒する人……様々だった。

 

「………」

 

 叩かれた手は痛くて、罵声が聞こえるたびに胸が痛くて、泣かれるたびにただただ辛くて。

 自分が目指すものがどれだけ人の心を抉るのか、痛みを思い出させているのかを、ある日に俺は知った。

 自分がそうしたいって思うことばかりに真っ直ぐになって、相手のことを本気で思えてやれていたのかと疑問に思った。

 ……そう。まるで、罵声を浴びせられるたびに、自分が全てを殺してきてしまったと思えるような感覚。

 泣きながら俺へと叫ぶ民を前に、俺はその人の大事な人を自分が殺してしまった、と……そんな風にさえ思ってしまったんだ。

 だって仕方ない。その罵声は、その人の大事な人を殺した誰かではなく、間違い無く俺に向けられていたのだから。

 親父たちに殴られた時ももちろん痛かった。けど、その時はまだ完全にわかっていなかったんだ。人殺しへと向けられる視線、言葉、恨み。それが、どれほど胸を抉るものなのかを。

 戦いだったのだから仕方ない……そんなもの、待っている人には関係がないのだから。

 亡くしてしまえば辛いのは誰だって同じなんだ。

 ───そんなことを、周泰の悲しげな顔を見ていたら思い出した。

 

「……はぁ」

 

 もう一度吐き出された溜め息を耳に、俺も小さく溜め息を吐く。

 ……結局、手を繋げた人と繋げない人は存在して、繋げた人のため、繋げない人のために出来ることを今も探している最中だ。

 国のため民のためと駆け回っては、喜びもされ恨まれもする。

 

  そんなことをしてなにになる

 

 いつか、一人の老人に言われたことだ。戦で息子もその妻も、孫までもを失った老人だという。

 目には世の未来を目指す光もなく、ただ生きていられているから生きている……そんな、希望を持たない老人が俺に向けて言った言葉。

 伸ばした手を掴んでくれた人でもあり、その上で「それは無理だ」と言った人でもある。

 辛いだけの過去に笑顔を……そう思い駆けた俺はその時、“辛いだけの過去”のままにしたい人を初めて見た。

 

 辛い思い出のほうが鮮明に覚えていられるから。こんなおいぼれでも、いつまでも涙を流してやれるからと、その人は言った。

 全ての人を笑顔にするなぞ無理なことであり、それをするならば誰かが笑顔を(かげ)らせなければならない。誰かが幸せになる分、誰かが不幸にならなければならない。世界は平等には出来ておらず、誰かの笑顔の裏には、必ず誰かの涙がある。

 そういった世界だからこそ誰かが勝ち誰かが負け、自分の家族は死に、どこかの家族は生き残った。

 そんな当然のことを、ただ静かに聞かされ───それでも伸ばした手を老人は拒まず、小さく握ってくれた。

 

「無理、か……」

 

 繋がれた手はとてもざらざらしていて、冷たかった。

 終始笑むこともなく怒る様子も見せずに別れた老人は、今なにをしているだろう。そう考えてみて、右の掌で顔を覆う。

 なにもしていない、ただ生きている。そんなことが簡単に想像できてしまった。

 恐らく、何をしても何を言っても彼が笑むことはない。そうも思えてしまった。

 自ら命を絶つことはしない。長生きをしている分、命を大切さを知っているからだ。ただ生きて、ただ死んでゆく。

 そう。いずれ食べる物も無くなり、弱り果て、死んでゆく。それはとても自然なことで、それを助けるならば全てを助ける覚悟をしなければいけない。

 だって、知っているだろう?

 

  “働かざる者食うべからず”

 

 弱るだけで助けてくれる人が居るならば、人は何もしない弱った存在に成り下がっていくだけだ。

 だから働く。生きるために、食べるために。そういったことが出来ない家族の居ない老人は、ただ生きてただ死を待つしかない。

 それを助けるならば、次に現れる、もしくは別の場所に居る弱った存在も助けなければいけない。

 助けなければ、ただ信頼が崩れるだけだ。

 

  “そいつはよくて何故自分は”

 

 人は差別を嫌う。

 誰かが別の誰かを救ってくれるなら、自分も助けてほしいと手を伸ばす。

 そんな伸ばされた手に、俺は果たして自分の手を伸ばさずにいられるだろうか。伸ばした上で、助けきることが出来るのだろうか。

 

「………」

 

 華琳が劉備……桃香に言った言葉を思い出す。

 あなたはやさしすぎる。王になるべきではなかった。

 全てを救おうとする彼女を、華琳はそう言って力で捻じ伏せた。

 だったらこんなことを考えている俺も、いつかは華琳に捻じ伏せられるんだろうか。

 貴方は八方美人すぎるわ。天の御遣いになんかなるべきじゃなかったのよ。ザグシャー、って。

 

「怖っ!!」

「はぅわっ!?」

「ゲェーーーッ!! しまった!!」

 

 シリアスな思考を置き換えてみただけで、あっさりと恐怖に屈してしまった俺の悲鳴で、隣に居た周泰がさすがに気づいた。

 いや、しまったって思うことなんて本当はないはずなんだ、もともと話し掛けるつもりだったんだし、うん。

 

「ふへっ……は、ふっ……!? か、かかかかずとっ……さま……!? ひゃぁうんっ!?」

 

 けどまあとりあえず。暗い気持ちになっていた自分に喝を入れると、逃がさないためにも周泰の手を取り、きゅっと握る。

 それにより周泰が顔を真っ赤にして目を泳がせまくり、さらには呂蒙……亞莎のようにあわあわとどもりまくっていたが、どれも気にしない。

 ……老人はいろいろなことを思い出させてくれた。ただ救いたい、ただ手を繋ぎたいって思うだけじゃあ駄目なこと。善意だけで動いても、それが全ての人のためになるとは限らないこと。本当にいろいろだ。

 

 だからといって、自分がやる行動の根本が変わるのかといえばそうじゃない。

 俺は結局手を伸ばすだろうし、困っている人を見かけたら黙っていられないだろう。それにより誰かに偽善的だと言われようが、それが北郷一刀のやりたいことだというのなら───貫かなきゃウソ……なんだよな。

 この国や魏や蜀、この大陸の全てを笑顔にすることが俺の望みじゃない。国に返すという言葉はその実、ひどく曖昧なものかもしれないけど、返したい感謝や返したい謝罪はきっと、この胸の中に、自分が知っているよりもたくさんある。

 

 それでもいつかは感謝だけを。

 巡りゆく時節の中で同じ夢を描いてきた。そんな過去をいつか振り返って、全てのものにありがとうと言える未来を“今”として迎えられたなら、俺はきっと国に返していけてるんだと思うから。その“今”を、宝物と思えるだろうから。

 だから、今はそれでいい。無理だと言われることも、手が繋がったというのに無力だと実感してしまうことも、全て受け入れる。

 いつか俺がその“今”に辿り着くまで、どこまで自分が頑張れているのか───大切なのはそこなのだから。

 



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12:呉/波乱の一日【下巻】①

31/互いを知るということ

 

-_-/周泰

 

 ───暖かいのは嫌いじゃあなかった。

 お日様の暖かさが好き。暖かくなった風が好き。陽の光を浴びて、温かくなったお猫様が好き。

 日差しを感じて、風に撫でられて、それらの匂いを含んだお猫様のモフモフを感じるのが大好き。

 だけど、この温かさは少しだけ、ほんの少しだけ怖いです。

 

「ぁ……ぅ……」

 

 先ほどまで一人でした。

 一人で、なにをするでもなく座りこんで……いえ、はい、座りこんでいました。なにもしていなかったです。

 考えることは……ぅぅっ……一刀様と、その…………を、してしまったこと、ばかりで。

 けれど。

 

「怖っ!!」

「はぅわっ!?」

「ゲェーーーッ!! しまった!!」

 

 急に耳に届いた声に驚きました。

 何故って、いつの間にか隣に一刀様が座っていたからです。

 慌てた様子で叫ぶ姿は、なんだかその……とても普通です。

 最初は天の御遣いと呼ばれていたから、凄く偉い人なのかと思っていましたが……偉ぶる様子もなく、むしろ誰とでも肩を組んで笑うことの出来るお方でした。

 そう、最初は洛陽。

 監視を命じられ、村の外れの川での会話を聞いていました。

 次に兵とも笑って話せる彼を、宴の中でもいつの間にか中心に居た彼を見ていました。

 ……それは、とても不思議な光景です。

 あの曹操殿に認められていて、魏の皆さんに迎えられ、恐縮することなく笑顔でただいまを言える人。

 どこか陰りがあった魏の皆さんに笑顔が戻り、手を伸ばす存在……友達、というのがとても眩しいものに思えました。

 私の友達は……亞莎です。けど、私が亞莎と手を繋ぐことはあまりない……いえ、最後に繋いだのがいつだったのかも思い出せません。

 一刀様と出会ってから意識して繋ぎ合うことがあったくらいで、それより以前を思い出せないでいます。

 

「………」

 

 そんな手が今、一刀様の手に包まれています。

 とても暖かいけど、少し怖いです。

 心臓が痛いくらいに脈打って、気づけば体が震えていて。

 敵を前にした時は、むしろ心は冷えるというのに……どうしたというのでしょうか、私は。

 一刀様に傷の手当てを……い、いえ……傷口に口付け……はぅぁあうっ! 違います違いますっ!

 あ、あれは手当て、そう、手当てをしてもらっただけでしてあうぁぅあぁあ~……!!

 

「うぅ……」

 

 でも。一刀様の唇が傷を覆い、直線に走る赤を一刀様の舌がやさしく撫でた時から、たしかに私の鼓動はどうかしてしまいました。

 一刀様と城壁の上を駆け続けても、呼吸はそう乱れません。走ることで苦しいと思うことなど、ここしばらくありません。

 ではこの息苦しさは、熱っぽさはなんだというのでしょうか。不思議です。不思議で……やっぱり少しだけ怖いです。

 こんなこと、今までありませんでした。

 一刀様の傍はなんだか居心地がよくて、やさしい声、笑顔、どれもが暖かくて好きです。

 まるでお猫さまのモフモフを体感しているときにも似た高揚が、私の心を満たします。

 なのに、今の暖かさは……何度確かめてみても、少しだけ怖いです。怖いのですけど……それよりも、ふと見た一刀様の表情に驚きました。

 変わらずの笑顔をくれるのですけど、その笑顔がいつもと違う。

 寂しげであり悲しげであり、けれどどこか強い意思を抱いたような……言葉で表すのは難しい笑顔。

 表面だけで受け取れれば、きっと私も笑顔を返せていたのかもしれません。けど、内面を探ろうとしてしまう癖は、乱世を終えてもまだそうそう抜けるものではなかったのです。

 

「一刀……様……?」

「ん、あ……ごめん、少し考え事してた」

「考え事、ですか?」

「そ、考え事」

 

 それは軽い返事でした。なのに、笑顔はみるみる翳りを含んで、苦笑になってしまいます。

 

「か、一刀様っ」

「え? あ……ど、どうした?」

「一刀様っ、元気を……元気を出してくださいっ。そんな苦笑い、一刀様には似合いませんっ」

「……へ?」

 

 だから言いました。

 一刀様にはそんな笑顔よりも、民の皆さんも思わず笑ってしまうような笑顔が似合っています。

 こんな笑顔、一刀様の笑顔じゃありません。そう伝えるために。

 すると一刀様は困惑を含んで、頬を一度掻いたあとに……笑い出しました。

 

「え? え? あの、一刀様?」

「あ、や、ごめっ……はははっ、まさか励ましに来て、励まされるだなんて思ってもみなかったから」

 

 そして、一度深く溜め息。

 次ぐ行動は、繋いだ手とは別の手を私の頭に乗せ、撫でるという行為であぅあぁあーっ!?

 

「かかっかか一刀様っ!?」

「ごめん。それから、ありがとう。今ちょっと、自分の弱さとか相手の強さに悩んでた」

「……?」

 

 仰る意味が上手く頭の中に通りません。

 けれど笑顔になってくれたことが、どうやら私はとても嬉しかったようで、胸が暖かくなるのを感じました。

 

「頑張ろう頑張ろうって意識すればするほど、自分に出来ないことばっかりが見つかってさ。“それ”が出来ていればすぐにでも助けられる人が居るのに、自分にはそれが出来ない───そんな悔しさとか無力さがさ、頭の中いっぱいになったら……ごめん、変な顔してただろ」

「あの、それは」

「はは、自覚あるから。それより……えと。さっきのことだけど───」

「!!」

 

 息が止まるのを感じた。急に話を引き出され、少しだけ忘れかけていたことが頭を占めてしまいます。

 そうなっては先ほどまでのように顔が熱くなるのを止められず、息が苦しくなるほどの胸の締め付けが止みません。

 

「まずは、ごめん」

「───ぁぅ」

 

 けれど、そんな熱さもその一言で冷たい傷口のように凍てついてしまいました。

 なぜ謝るのですか? あれは、そんなにも悪いことだったのですか?

 そんな思いがぐるぐると頭の中を占め、それなのにどうして痛いのか、苦しいのかがわかりません。

 わからないのに、事故として片付けられてしまうのが苦しくて、悲しくて───

 

「俺、さっきのその……キス、あ───接吻っていったほうが通るかな。とと、とにかくっ、接吻、のこと……謝りたくない。そのことをまず、ごめん」

「え?」

 

 ところが、その悲しみや苦しみが困惑に飲まれます。

 謝りたくないことを謝りたい……おかしな言葉ですけど、私は困惑とともに……少し熱さを取り戻しました。

 

「あ、あの、かずっ……!? えぇ……?」

 

 何を言えばいいのかがわからないです。

 訂正させてほしいです。少しどころではありません、すごく、すごく熱いです。

 

「どんな形であれ“してしまったもの”をごめんなんて言えば、傷つくかもしれないって思ったんだ。俺の勝手な言い分だし、謝れって言うなら謝るべきなんだろうけどさ。……でも、それで許しちゃったら、その……周泰の接吻はそんな、謝るくらいで許せるものなのか、とも考えちゃって……えぇ、っと……な、なんて言ったらいいのかすぐ出て来ないけど……うん。周泰」

「はぅあっ!? ななななんでしょうっ!?」

 

 一刀様が、ひどく真面目な顔で私の目を覗きこんできます。

 真っ直ぐに、逸らすことのない眼差しで。

 

「俺達は友達だ。だけど、だからってなんでも許し合うのはちょっと違う。友達だからこそ言わなきゃいけないことは言って、間違ったことは止めるべきなんだって思う。だからさ───もし周泰が俺がしたことを許してくれるなら、俺に罰をくれないか?」

「え……ば、罰、ですか?」

「ああ。周泰が、それなら許せるって思える罰を……俺に。それを実行して、もし俺を本当に許せるんだとしたら……また、手を繋いでほしい」

「そんなっ、私、怒ってないですっ! 私が頭を下げたりしたからあんなことになったのに───!」

「だめだよ、周泰。女の子の唇とは、そんな好きでもない相手と交わしてごめんなさいで許されるものじゃ───」

「ち、ちが……!」

 

 胸が痛みます。

 好きでもない相手……そう言われたのが、どうしてか辛いです。

 そうだ……私は、嫌だったのでしょうか。あんなことがあって、胸が苦しくて……苦しいということは、嫌だったのでしょうか。

 嫌だったとして、ならば何故、好きでもない相手と言われて苦しいのでしょう。

 私は───……私は……。

 

「………」

 

 深く……自分に問いかけるように考えていると、ふと……大きめの甕を傾けてお酒を飲んでいた祭さまのことを思い出します。

 「辛気臭い顔をするな、酒が不味くなるわ」と仰られた祭さまは、何をどうすれば顔の熱さや胸の苦しさを克服できるのかを教えてくださりました。

 お酒を飲み、とろけるようなお顔で「辛いことなど回数をこなして慣れてしまえい。どれだけやっても死に繋がらんのなら、それほど簡単なことはあるまいよ」と。

 ……そうです。わからないことだらけならば、自ら飛び込んで知っていけばいいのです。

 ならばまず、私がすべきことは───

 

「……わかり、ました。───~っ……では一刀様っ、目を閉じてくださいっ。思い切り、いかせていただきますっ」

「おもっ……!? お、おぉお……おおっ、わわわかった、俺も男だ二言は───な、ないといいなぁ……」

 

 どこか驚いた様子で、一刀様が目を閉ざします。地面に座して、すぅ……と息を吸って。

 だから私も、繋がれたままの手をきゅっと握り返して───怖いままだったけれど、怖さから逃げずに真正面からぶつかってみました。

 嫌だったのか、嫌ではなかったのか。それを知りたいのなら、同じことをしてみればいい……そう思い、その……綺麗な姿勢で座し、目を閉ざしている一刀様の唇へと、自分の唇を押し当てました。

 

「ふぐっ!? ん、んんっ!?」

 

 驚いたのか、一刀様が暴れようとします。

 でも……まだです、私の中で答えがまだ出ていません。

 嫌だったのか嫌ではなかったのか。その答えを出すために、私は一刀様の首を抱くようにして唇を押し付けました。

 恥ずかしさのあまり目を開けてなどいられるわけもなく、きゅっと目を閉じて、息をするのも忘れて。

 

「………」

「………」

 

 どれだけそうしていたのでしょう。

 いつしか一刀様からの抵抗は無くなり、訳がわからないままでも……押し退けるようなことはせず、軽く背中をたんたんっと叩きました。その拍子に私の心はひどく落ち着きを取り戻します。

 次の瞬間には慌てて一刀様から離れたわけですが───……嫌、だなんてとんでもないです。私は……私は、離れた瞬間に“離れたくない”とさえ思ってしまいました。

 そう、嫌だなんてとんでもない。私は、偶然とはいえ一刀様とあんなことになってしまったことを喜んでいて───

 

「あぅぁっ……も、申し訳ありませんです一刀様っ!! わわ私はなんというっ!」

「い、いやっ……申し訳ないって言われるよりもその…………え、えぇえええええっ!!? しゅしゅしゅしゅうた───あ、いやっ……あ、あー……落ち着け、落ち着けぇえ……! 両方が慌てたら落ち着くものも落ち着かない……!」

 

 すぐに逃げ出したい衝動に駆られますが、きゅっと握られている手がそれを許してくれません。

 ……いえ、許してくれないのではなく、そうしたらだめだと伝えてくれているような気がします。

 

「すぅ……はぁ…………うん。えっと……周泰? 俺、てっきり殴られるかと思ってたんだけど、なんだってこんな……」

「はぅわっ! そそ、それはそのっ……ですねっ……! あの……うう……っ……そのっ、私はその、嫌だったのか嫌ではなかったのか、知りたかったんですっ!」

「……嫌? え、それって───」

「は、はい……一刀様との接吻が嫌ではないかを……。わ、私は……一刀様に“好きでもない相手”と言われたとき、とても悲しく感じたんです。けれど偶然とはいえ一刀様と接吻をしてしまったあと、私は……全てのことが訳がわからなくなってしまう中でも、一刀様のことばかりを考えていました」

「………」

 

 一刀様は口を挟まずに真っ直ぐに私を見て、聞いてくださっています。

 困惑が混ざったままの表情ですけど、嫌な顔をせずに聞いてくれる姿が、どうしてかとても嬉しいと思える自分が居ます。

 最初はきっと困惑ばかりで、嫌だったかとすぐに問われれば“嫌だった”と返したに違いありません。けれどそれがきっかけで一刀様のことばかりを考えて、あの時の一刀様はだとか、あの時に仰った言葉はとか、いろいろ考えているうちに……溜め息を吐けば吐くほど、困惑も、嫌な気持ちも、薄れていったんだと思います。

 

「ですからその、祭さまのお言葉に習うよう、回数を重ねて理解してみようと───」

「ちょっと待った!」

「ふえ?」

 

 ……どうしたのでしょう。祭さまの名前が出た途端、一刀様は片手で顔を覆うと“たはぁ~……”と深い嘆息を吐きました。

 さらには「周泰が急にあんなことするなんて、やっぱりあの人の入れ知恵か……」と小さく呟いて───

 

「いいえっ、祭さまは私に助言をくれただけであって、その……今の接吻は私の意思で───あぅあぁっ!? い、いえこれはそのっ……!」

 

 自分の意思で接吻をした……その言葉が、私の頭の中を熱で埋め尽くします。

 やっぱりすぐに逃げ出したくなるのですが、立ち上がり駆け出そうとした私の手を引く、繋がれたままの手がありました。

 それは私の手をクンッと引き、思わず体勢を崩した私をすっぽりと受け止めて───……頭を、撫でてくれます。

 

「落ち着いて、周泰。その、事情はまあ……いろいろわかったから。確かめた上で、嫌だって思わないでくれたなら……逃げないでほしい」

「………」

 

 一刀様の胡坐(あぐら)に座りこむように、すっぽりと後ろから抱きすくめられ、頭を撫でられる。

 そんなことをされるだけで心が暖かくなり、いっそ荒れていると言えるくらいにざわめいていた胸の中も落ち着いて、私は……小さな熱い溜め息とともに、そんな状況を受け入れてしまいました。

 

「……よかった。嫌われたんじゃないかって、すごく怖かった」

「嫌うなんて、そんなことしないですっ! はうわっ……!」

「そっか、うん。よかった───そっか」

 

 勝手に動いた口が即答を返した途端、私の心はざわめきを取り戻し……たのですが、やさしくやさしく頭を撫でられると、そのざわめきもどこかへ行ってしまいます。

 ……うう、お猫様が頭や喉を撫でられると目を細めるのは、こんな気持ちになるからなのでしょうか。

 ですがどれだけ撫でられても、私の心は一刀様の手から逃れたいとは思いません。お猫様は途中で嫌がり、逃げてしまうものなのですが……。

 なんだかいろいろなことがわからなくなってきました……冷静に、冷静にならなければいけないということだけはわかっているのに、頭が上手く働いてくれません。

 えと、えとえと……あぅぁうぁ……なな、何故こんな状況になってしまったのでしょうか。

 お猫様と戯れていたら一刀様が駆けてきて、お猫様に引っ掻かれて、一刀様が手当てをしてくださり、亞莎を探して、思春殿に捕まって、亞莎が一刀様に真名で呼ばれている姿が……その、羨ましくて……それから、それから───

 

(そうですっ、真名───!)

 

 はっと思い至る。

 結局一刀様は私を真名では呼んでくださってません。

 その事実を思い出したら、もう止まれませんでした。

 

「か、一刀様っ」

「うん? なんだ? 周泰」

「あぅあっ……」

 

 自分の肩越しに見上げる一刀様の顔……やさしい笑顔。

 全てを包みこむような穏やかさと包容力があるその顔が、自分にだけ向けられているという事実に頭が燃え上がりそうに───いえいえいえいえっ!

 

「一刀様っ」

 

 頭を振って、熱を逃がす。

 結果として、頭を撫でてくださっていた一刀様の手を払い除けるような形になってしまいましたが、今は心の中で謝ると同時に先へ。

 

「周泰?」

「あのっ、……あのっ。その……ま、真名を……」

「……? あ───」

 

 いつもなら躊躇することなく出せる言葉が、喉に痞えて出てきてくれません。

 届けたい言葉があるのに、はっきりと口にできません。

 だから……一刀様が言ったように、届かないならば伸ばそうと……繋がれた手に力を込めました。

 すると一刀様は安心したような嬉しそうな顔で、私の目を真っ直ぐに見て───

 

「……うん。これからもよろしく、“明命”」

「~っ……」

 

 嬉しい……はい。この感情を言葉で表すのなら、きっと“嬉しい”なのでしょう。

 真っ直ぐに目を逸らさずに言われた自分の真名……大切なものが聴覚を伝って内側へと流れる。

 そんな感覚を“嬉しさ”として受け取った瞬間、私は言葉も発せられないくらいに頭が熱くなるのを感じて、なんだか意識が薄れて───

 

「……あれ? 周泰……じゃなかった、明命……って熱っ!!? どうしたんだみんめ───うわぁ目ぇ回してる!! 救急車ァアア!! 救急車を呼べェエエエ!! ってそんなのないからっ! ととととにかく城に運ばないとっ……思春っ、先に戻って寝床の用意を───」

「貴様が私に命令するな」

「命令じゃなくてお願いだからっ! ていうかほんとに居たのか!? 居たなら探すの手伝ってくれたって───ああもうっ! とにかく頼むよっ! 俺も明命背負ってすぐ追うから!」

「………」

「そんな目で見なくたってなにもしないからッ!! 何を疑われてるんだ俺!! ただ急いで明命を運ぼうと……って言ってる暇があったら走ろう!」

 

 薄れていく意識の中、一刀様の背負われながら、そんな会話を聞きました。

 なんだか可笑しくて、笑いそうになるんですけど……笑みをこぼすくらいしか出来ず。

 やがて、温かくて大きな背中を胸一杯に感じながら、私は目を閉じました。

 ……その。閉じたというか、開けていられなかっただけですけど。




 えー……はい。またしても花騎士やってました。
 あとは別作品を書いていたり、BookLiveで買ったこのすば全巻を見ていたり。
 やばいですね、このすば面白いです。
 なんというかするする読める空気があるといいますか、えーと……はい、更新放置状態でごめんなさい。
 花騎士のガールズシンフォニーコラボも終わったので、今度こそ普通に編集できるはず……!
 ではまた②で。

あ、今回初めて誤字報告なるものをしていただきました。
虚和さん、ありがとうございました。


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12:呉/波乱の一日【下巻】②

32/「音速を越える拳は、鞭を真似た攻撃に劣る。1点 ●」

 

 ───さて、同日。

 どこから漏れたのか(言うまでもないが)、周泰……ではなく、明命が俺と接吻したという噂が建業に溢れ返り。

 蓮華や亞莎がドキドキソワソワ、雪蓮や小蓮や祭さんや陸遜がニコニコニヤニヤ、冥琳や思春がジロリと僕を見ていらっしゃった。

 どちらかといえば蓮華も睨むふうではあったんだが、思春から「明命からしたことです」と聞くと、顔を真っ赤にして「油断しているからだっ」とそっぽを向く始末。

 うん……どうしてか知らないけど、全て俺が悪い感じで伝わっているような。

 そんな事実に睨むように祭さんを見るけど、酒でご機嫌なのか、わっはっはと笑うだけで話にもなりゃしない。

 さて、そんなわけで俺は明命の部屋に駆けつけた皆様の前に居るわけなんだが……どうしてまた正座させられてるんだろうなぁ……。

 

「あの。みんな? なんだって何かあるたびに俺に正座させるの?」

「面白いから」

 

 以上、雪蓮さんからの即答でした。

 なぁ華琳……この“命令”、地味に辛いのですが……? こんな小さなことから大きなことまで、全て承諾しなきゃいけないって……本当に地味に辛い……。

 正座しろと言われれば正座して、なにがあったのか話せと言われれば包み隠さず言わなきゃいけない。

 俺の……俺の自由は何処にあるのでしょうか……。

 

「それでー? 明命を足の上に乗っけてからどうしたの~? ほぉらぁ、一刀~!」

「いやっ……か、勘弁してください! 口にすると凄く恥ずかしいっていうか……っ!」

「だぁめ~♪ 命令だから、言うの~♪」

「たすけてぇえええええっ!!」

 

 一番性質が悪かったのが、シャオが明命の気絶の理由を事細かに掘り出そうとした時。

 そこでなんと言ったのか、どうしたのかを言えと命令されては言わないわけにもいかず、俺は顔を真っ赤にさせながら詳細を……!

 

「へぇー……一刀ってば明命にそんなことしたんだ。ね、一刀。私にもやって?」

「雪蓮さん!? 貴女はもうちょっとその好奇心を抑えるべきかと思うんだけど!? そ、それに王を足の上に座らせるなんてそんなっ───」

「命・令♪」

「ちっ……ちぃいっくしょおおおおおおっ!!」

 

 一人が何かをしでかすと、他の者の抑えが効かなくなる……よくある話だ。

 今回の場合は命令から来るものではなかったとはいえ、明命とキスをしたという事実が呉のみんなのなにかを動かしたらしく。

 この頃から、やたらと難しい命令がみんなの口からこぼれるようになった。

 そう、これは───“一人かめはめ波”から始まった長い一日の続きのお話である。

 

……。

 

 明命との和解 (とはちょっと違うけど)も済み、にこにこ笑顔の雪蓮を胡坐に乗せて頭を撫でる行為を終え、今現在は予定外での剣術鍛錬。

 とはいっても、川まで明命を探しに行く前に蓮華に誘われたものであり、こののちにはシャオとの“でぇと”が待っている。

 

「はぁっ───」

「───ふっ」

 

 その後には陸遜との書物鍛錬(?)があり、その後には諸葛亮や鳳統とともに学校の話、一通り終わったら明命の様子を……ぬおお、やることが多すぎる。

 

「……随分と余裕なのね。鍛錬とはいえ、立会いの最中に考え事?」

「考えてても目の前には集中出来てるから大丈夫」

 

 忙しさはともかく、今は目の前に集中。

 模擬刀を振るい、最初は互いの調子に慣れるまで軽く動かす程度にセーブ。

 それに慣れると速度を上げ、互いに剣合と進退を繰り返す。

 時に左手だけで、右手だけで木刀を振るう鍛錬も混ぜてだ。人間、いつ、どこでどうなるかなんていうのはわからない。だから片腕だけでも戦える自分をきちんと作っておくためにも、片腕鍛錬は経験になった。

 ……さすがに誰かと手合わせするときにはしないけどさ。

 

「っ……華雄に勝っただけのことはあるわね。速いし、正確だわ……!」

「ははっ……け、結構必死だったりするんだけどねっ……!」

 

 模擬刀とはえ、立派な剣。

 当たるところに当たれば骨だって折れるし、斬れはしないだろうが大激痛は免れない。

 それらを躱し、受け、逸らし、弾き───打ち合うよりも避ける行為を選んで立ち向かい、相手の肩の動きや踏み込み方で攻撃の種類を予測、対処していく。

 この距離、あの攻撃ならば半歩下がれば避けられる。

 あの構え、踏み込み、視線───この軌道ならば跳躍して躱せる───そういった行動を瞬時に分析、行動に移す。

 

「はっ……く……! 一刀、貴方は……っ! 本当に曹操の傍に居た時は軍師として働いていたの……!? こちらの動きが全て読まれているよう……!」

「軍師とも言えたか、怪しいけど、ねっ!」

 

 横薙ぎに振るわれる模擬刀をバックステップで躱し、着地と同時に足に氣を送ると、地面を踏み砕く勢いで蹴り弾き、一気に間合いを詰めると同時に蓮華の喉元に模擬刀の腹を突き付ける。

 

「───……はぁ。それが事実なら、私は落ち込むわ。貴方はたった一年でこれほどの技量を身に付けたというの?」

「知識向上と学校での生活以外のほぼを鍛錬に向けてたからなぁ……。三日毎に全力で鍛錬して、体を休めてる間は勉強。もちろん筋肉を使うわけじゃないなら型の練習とかイメージトレーニングも出来たし」

「いめー……?」

「ああ、ごめん。想像の相手と戦うこと。それに限ったことじゃないけど、たとえば相手があいつならこう動くに違いないって頭で想像して、それと戦う鍛錬」

「ああ……祭に勧められたことがあったわ。私の場合は思春を相手に鍛錬をしてばかりだったから、相手はほぼ思春だったけれど」

「俺は春蘭だった。この世界に戻ってからは、春蘭や華雄、祭さんや思春や明命って増えていったけどね」

 

 そこには凪も混ざってはいるんだけど、結局はオーバーマンだった俺を追い掛け回しているイメージだったために、あまり役には立っていない。

 向き合った時も、結局は逃げちゃったしな、俺。

 

「俺の剣はじいちゃん……祖父から教えてもらったものだ。そこに我流めいたものを無理矢理組み込んだのが、今の俺の型。型なんて呼べるほど、完成なんてしてないけどさ。それならそれでいいかな~とも思ってる」

「……? なんなの? それは。型はきちんと身に付けたほうがいいに決まっているわ」

「そうなんだけどさ。型ってのを体に染み込ませるのは一年や二年でどうにかなるもんじゃないよ。何気なく身についた~って思うだけじゃない、無意識にそういった構えが出来るようでなくちゃ、それは型とは言わないってじいちゃんから教わった。事実その通りだと思うし、いざって時に構えることも出来ずに闇雲に振る体は型とは呼べない」

「…………」

「慌てた時でも死を身近に感じた時でも、咄嗟に構えて対処できる……そんな場所に至れるほど、自分を磨けているだなんて思わないから。今はまだ完成じゃなくていい。どうせなら型も囮に出来るような強かさを身につけたいな~って」

「型を囮に……?」

 

 蓮華の言葉に、ひょんっと一度振るった模擬刀を正眼に。

 

「この状態から一番早く攻撃するとしたら、突きだよね」

「え、ええ……そうね」

「頭を割ろうとするなら、振り上げて下ろすって二回の動作が必要になる。相手が達人だったら、振り上げた瞬間に首が飛ぶ。……つまり、敵にしてみればこの構えを見た瞬間、一番に気を付けるべきは突きか小手ってことになる」

 

 言いながら、突きと小手、そして面の動作を見せる。

 蓮華はそんな俺をじっと見つめ、時折首を縦に動かしていた。

 

「上段の構えは……まあ、振り下ろす以外に選択がない。下段は突くか払うか振り上げるか。その中で一番速い攻撃に意識を向けるのが、まあ……多分達人って人達だと思う」

「ええそうね……“気を付けるべき一撃”はどの構えにも存在しているわ」

「うん。だから、相手が達人であり、“自分が達人だ”と相手が自負するほどに効果が出る。達人が正眼に構えれば、相手は頭の片隅ではどうしても突きを意識する。上段では面、下段では突きか小手、って感じに……ああ、そこは正眼も同じか。けど、だからって“払い”を狙っても動きが大きすぎて躱されるか受け止められる」

「……? なにが言いたいの? それじゃあ結局、囮には使えないでしょう?」

「いや、突きを意識させる。それだけで囮役にはなってるんだ。あとは───自分の攻撃を加速させてやればいい」

「加速……?」

 

 ぐっと構えていた体に脱力を。

 そして、体に通っている“道”に氣を通し、まずは軽く模擬刀を振るう。本当なら名前の通り、刀の形をしていてくれたならやり易かったんだけど。

 置いておいた鞘を左手に、模擬刀を右手に居合いの構えで持つと、意識を集中。

 重心を落とし、左に構えた鞘に模擬刀の刀身を当て、ギリ……と力を込めていく。

 まあ、ようするにデコピンの要領だ。鞘をつっかえ棒にして、居合い斬りの再現。諸刃である模擬刀と真っ直ぐな鞘とじゃあ、刀でやる居合いは完成しないから仕方ない。

 

「あ、この鞘は例であって、普通じゃ使わないから。どれだけ加速されるかだけ見といて」

「……」

 

 低く構えた姿勢に興味が湧いたのか、返事らしい返事はせずにただ頷いた。

 さて、集中集中……。実際に何度か試しはしたけど、誰かに見せるのは初めてだ。成功してくれればいいけど───

 

「すぅ───」

 

 原理は……言うだけなら簡単。

 俺の体は氣の巡りで加速することが、周々や善々から逃げる際に確認できた。

 てっとり早く言うと、これはその延長にすぎない。

 ただ漠然と足に氣を集中することで加速する速度があるならば、それを細部に行き渡らせたらどうなるか。

 足、と漠然に流すのではなく、細かな部位に集中して氣を送る。

 

(じいちゃんが言ってたな。抜かなきゃ加速しない一撃はどーのこーのって)

 

 じゃあ、その一撃が抜く前に加速したらどうなるか。

 そのたった一言を見返してやりたくて、地道に経験を積んでいた裏技。

 とある格闘漫画からヒントを得たものでもあるが、俺にはあんな芸当は不可能だ。

 だからその“不可能”を“氣”でサポートする。

 

「───しぃっ!」

 

 聞こえたのは綺麗な音。

 模擬刀と鞘とが弾き出す音とは思えない音ののち、振り切られた剣は空を裂いていた。勢いが強すぎて、ちょっと肩とか肘関節とか手首がゴキンと鳴って痛いのは内緒だ。……だ、大丈夫大丈夫、脱臼はしてない。

 そんな安堵を吐いていると、目の前に舞い降りてきていた木の葉が空中で真っ二つに割れた。

 ……あれ? もしかして、切れた? 狙ってやったわけじゃあなかったんだけど……。

 

「……信じられないわ。模擬刀で空中の葉を切ったの……?」

「え? あ、いやっ、偶然っ! こんなことが出来るなんて俺だって知らなかったよ!」

「そ、そうなの?」

 

 改めて、速度ってものの怖さを知った瞬間だった。……おまけに、肩が痛くなるからあまり脱力しすぎるのも考え物だとも学んだ。

 と、素直に驚いている俺を、きょとんとした顔で見る蓮華に、どういった表情で返せばいいのか……苦笑とも困惑ともとれない顔をしていた。

 

「……ほわぁ……」

 

 変な言葉とともに、今はもう地面に落ちた葉っぱを拾い上げる。

 切れないもので切る……そんなことが本当に可能なんだなぁ。っとと、そうじゃなくて、続き続き。

 

「えっとつまり、一番速い攻撃……突きとかに意識を集中させておいて、他の攻撃をより速くして放つ、っていう物凄く強引な力技なんだけど」

「油断以前に、放たれたのを確認してから躱せる速度じゃないわ……。こんなものを全ての攻撃に合わせたら───」

「あ、いや……それ無理。俺の“氣”が保たない。随分と集中するし、腕とかにかかる負担も大きいから……連続でやれたとしても二回までで、二回撃てばしばらく腕が動かせないかも……」

「……役に立つのか立たないのか解らない技法ね……」

 

 盛大な溜め息をありがとう。

 けど、ようは振り過ぎなければいいわけで、細かく速度を上げるだけなら結構放てるはずだ。

 

「やるとしたら“ただ当てるだけ”を目的にした攻撃だけかな。相手を打ち倒すつもりでやると、どうしても力が入るから。それでも脱力できるところまで行けてないし、行けてたら逆に脱臼しそうだしなぁ……」

 

 言いながら、細かい動作に氣を混ぜての行動を繰り返す。

 面、突き、払い、戻し払い、そこから型外れな連撃を繰り返し、ふぅと息を吐く。

 ……うん、ただ速いだけの一撃ならそう苦労せず出せる。

 や、それ以前に鞘の支えが無ければあれほどの速度はそうそう出せない。

 

「連撃に体が耐えられるようになれば、それだけでも強みになると思うんだけどね。なかなか思い通りにはいってくれないよ」

「……そう? それだけ出来れば十分な気がしてきたのだけれど……」

「自分で上達した~って思えても、穴なんて探せばいくらでもあるから。そういうのを一つずつ埋めて、上を目指す。型のことで言えば、埋められてない場所なんて腐るほどあるんだけどね、はは……」

 

 それでも、と構えて蓮華を見る。

 彼女もすぐにフッと笑うと剣を構え、俺と対峙してくれる。

 

「競ってくれる相手が居るなら、負けられないって思えるし、頑張れもする。……ありがとな、蓮華。正直……ひとりでがむしゃらに“強くなる”って意思を貫くの、大変だった」

「……ひどい人。そんなことを言われたら、負けていられないじゃない」

 

 一呼吸ののちに踏み込み、剣を合わせる。

 本気を出してぶつかることは、まだしない。

 今は相手の癖を読み取ることを意識して、何度も何度も攻撃と受けとを繰り返していく。

 普通であったらこんなもの、戦場ではなんの役にも立たないけどさ。俺としてはイメージトレーニングの相手が追加されることは、いい刺激になる。

 なにせ今までの相手は俺自身が逃げ回るイメージから来るものだから、まともに相手が出来なかったりした。

 祭さんや思春や明命のイメージは頭に叩き込んであるけど、まだまだ本気で戦って貰えてないんだから仕方ない。

 だったらこうして、相手も自分も本気……とまではいかないまでも、競うように戦える相手のイメージは大変嬉しいわけで。

 

「はぁああああーっ!!」

「へっ!? うわっ、ちょ───!」

 

 けどまあ、負けていられないって言葉が本当なのだとしたら、当然相手は本気でくるわけで。

 鋭く振るわれた一撃を躱───せない! 弾く!

 

「っ……く……!」

「蓮華サン!? いきなりは怖いからやめてくれって言ったろっ!?」

「それでも受け止めたじゃないっ……あぁあああーっ!!」

「ほわぁっ!? あっ、とっ! たわっ! たっ、とっ……!!」

 

 次いで振るわれる剣を紙一重で避け、前髪に掠る剣の硬さに背筋がひやりとしつつも躱して弾いて打ち返して……!

 しかしそれも長くは続かず、鋭い気迫とともに放たれた一撃が、俺の手から剣を弾き飛ばした。

 

「うわっ……と。ま、まいった」

 

 次の瞬間には俺の喉元には剣が突きつけられ、勝敗は決した。

 降参の意として両手を軽くお手上げしてみせると、蓮華はふっと笑って剣を納めてくれる。

 いきなりだったから体勢を崩した~なんて、言い訳だな。どんな状況でも受け止めて返してみせるのが達人ってやつだ。

 やっぱり俺は、まだまだその域じゃない。

 

「随分と簡単に手放すのね。これが実戦だったら首が飛ぶわよ?」

「“当てること”を目的とした型だから、余計な力が入ってないんだ……って言ったらただの言い訳だよなぁ。当てることを目的にした脱力なのに、当てる前に弾き飛ばされてちゃ世話ない」

 

 受け止める時にも脱力して余計な力は分散させろ~なんて、何処の達人だ俺は。

 ……と、そこまで考えて、じゃあそれをやってみせる宅のお爺様は何処の達人なんでしょうねと溜め息を吐く。

 この世界でも俺の世界でも、周りは達人だらけだなぁちくしょう。

 

「引き分けたことだし、今日はこのくらいにしようか」

「……そう、ね。思春以外と剣を交えるなんて、思いの外戸惑ったけど……いい刺激にはなったわ」

「刺激……そういえば、平和になっても鍛錬は続けてるんだな」

「? ……当然でしょう? いくら平和になったからといって、戦が確実に起こらない保証なんてないわ。私達が良かれと思ってやってきたことが民の反感を買って、暴動が起こらないとも限らないし……そういった民が野盗化しないとも限らないでしょう?」

「そっか」

 

 それはそうだ。

 どれだけ信じていても、相手が不満に思わないと確信できるわけじゃない。不満が無い世界なんて、作れるわけがないんだから。

 それでもそんな世界を好きになってくれたら、わざわざそういった世界を壊したがる人なんてのは出て来ないと思うんだ。

 俺たちは民の声に耳を傾け、手を伸ばす努力をしている。伸ばした手が届くよう、積極的に交流を持って。

 そういった物事に素直に感謝してくれる人が大半だが、よく思わない人だって当然居るんだ。

 人間の全てが同じ考えであったなら、こんなこともないんだろうけど、そこは個性ってやつだ。文句を言っても始まらない。

 

「ふぅっ……それで、一刀? 貴方はこれからどうするの?」

「シャオがデートしろって……あ、デートっていうのは仲のいい男と女が買い物したり食事したり……───ごめん、いまいちデートってモノを説明できない」

 

 買い物したり食事することをデートって呼ぶのかどうなのか、いまいち解らん。

 ようは当人次第なんだろうが、少なくとも俺はデートとは思ってない。

 デートしたい相手を思い浮かべてみても、どれだけ考えても魏のみんなしか浮かんでこないのだから仕方ない。

 ……って、あれ? な、なにやら蓮華の目がとても鋭くキツイものになったのですが……?

 

「……一刀。貴方はそんなことをする男とは思っていないけど、もし小蓮に手を出したら───」

「出さないからっ!! 俺は魏のみんな以外とそういった関係になるつもりはないし、もし心変わりしたとしても華琳が許さないからっ!」

 

 思わず手が股間を守りそうになるのを止めた。

 思い返すのはいつかの戦慄……欲望よりも相棒の無事を願うが故に、俺はたとえどれほどの魅力的な人に出会っても、手を出さないと沈む夕陽……には、誓ってなかったな、うん。

 それ以前に華琳や魏のみんなを裏切るみたいな行為はしたくない。いくら俺でもそれくらいの節操は…………ある、って断言出来ないのは、実際に“誰か一人”じゃなく“魏のみんな”に手を出したからだろうなぁ。

 

「と、とにかく。明命のことがあったとはいえ、俺は呉のみんなに手を出したりしないよ。華琳の許可が下りてるからって、そういった部分に踏み込むつもりもない。……そもそもあの華琳が、こういったことを許可するっていうのが油断ならないんだ。手を出したら出したで、あとできっと恐ろしいお仕置きが……!」

「……一刀?」

「はうっ!? ……あ、いや……な、なんでもない」

 

 よし、冷静になろう。

 薄くかいた汗をタオルで拭って、大きく大きく深呼吸。

 それが済むと、焦っていた頭も落ち着きを取り戻し……ようやく、安堵の溜め息を吐けた。

 じいちゃんがこの場にいたら怒るだろうな……“心が乱れすぎだ、馬鹿者め”とか。

 元の世界に居た時は、こんなでもなかったはずなんだけど。……結構浮かれてるのかもな、俺。

 

「ん。それじゃあ行ってくる。っと、そうだ蓮華。今回だけじゃなくてさ、よかったらまた一緒に鍛錬しないか? 時間が合った時だけでもいいからさ」

「それは構わないけど……ええ、そうね。それなら私も、引き離されずに競えそう」

「俺は三日に一度だけ鍛錬してるから、その時になったら出来るだけ声をかけるよ。……その時は大体、祭さんか明命か思春が一緒に居るとは思うけど」

 

 考えてみれば、呉の猛将たちに武を教わってる……それってすごいことなんだよな。けどまだまだ。教えてもらえるうちは教わって、どんどん高みへ上っていこう。いつか強くなれたとしても、その頃には“武を以って守る世界”じゃなくなってるかもしれない。それならそれでいい。きっと守ること以上に笑顔でいられていると思うから。

 

「それじゃあ、また」

 

 いろいろと考えながらも蓮華と別れ、歩いていく。

 

(……シャオのところに行く前に、汗流したほうがいいよな。今はいいけど、汗が乾いてきたら“臭い”とか言いかねない)

 

 ふう、と息を吐き、摸擬刀を片付けてから城を出て森を抜け、小川へ。

 さらさらと静かに流れる川の水でまずは顔を洗って、すっきりしたあとにタオルを浸して首に巻く。

 ひんやりとした感触に少しだけ体を硬直させてから、着ていた胴着を脱いで汗を拭っていく。

 

「………」

 

 以前この世界に居た頃と比べて……筋肉、随分とついたなぁ。一年間の頑張りの成果だ。

 いつか恐れたようにゴリモリではないものの、細くしっかりとした筋肉が密集したような、異常な盛り上がりのない筋肉。

 余分な脂肪はなく、けれどガリガリってわけでもない。

 ついポージングなんかを取りたくなるが、そこはやめておく。

 

「結構動いたけど、汗は出ても呼吸は乱れてないし……うん」

 

 スタミナも大分ついてきた。

 氣と技術面はまだまだだが、なんだか嬉しいらしく、頬が緩んでいくのを感じた。

 氣のほうもなんとか底上げしていかないといけないんだが……あの死ぬほどの痛みをまだまだ味わわなきゃいけないとなると、さすがに躊躇する。

 強くなるって決めたなら、痛みも我慢しないといけないわけだが、人間ってやつはどうしても痛みには慣れないわけで。

 

「………」

 

 あの日から軽く……そう、ほんのちょっとずつの氣の拡張は行っている。

 以前のが無理矢理すぎたこともあって、やっているのはミリ単位(推定)の拡張。

 マトリョーシカの中に一回り小さなマトリョーシカを入れるための空洞を作る───そんな程度の、ほんの少しの拡張だ。

 それでも結構痛いんだから、無茶はしないようにとジリジリとやっている。

 このことを知るのは祭さんと……あとは同室で寝泊りしている思春くらいだ。

 氣は使えば使うほど上達するとのことなので、寝る前に思春にいろいろと教えてもらっていたりするんだが、そういった行動のお陰で煩悩を押さえ込めていたりする。

 氣のことに意識を集中させていれば、余計なことを考えずに済むからなぁ……。

 情けないと言うのなら、毎日毎晩、綺麗な女性と同じ寝床をともにしてみるといい。いやまあそもそも、寝ていても緊張を捨て去ってないから手を出せば首が飛びそうではあるのだが、それでも意識するなってのは無茶がある。

 死んだように眠るって表現があるけど、思春のは本当に寝息も小さいし気配的なものが少ないし、そのくせ意識を過度に向けると殺気がジワァと溢れて……!

 ……結論。手を出したかったら死ぬ覚悟を持て。そんな状況なら嫌でも煩悩を抑えるしかないだろ……?

 

(頼むぞ相棒……溜まりすぎて夢せ……あ、いや……粗相なんてしないようにな……?)

 

 もっぱらの心配ごとはそういうことだったりする。だって男の子だもん。

 そもそもこんなにも女性だらけなのがいけないのだ。そりゃあ、親しくなれて嬉しくないわけじゃないんだが───うう、誰かこんな悩みを話せる男友達が欲しい。

 

(今度、周々や善々に話し掛けてみるかな……)

 

 会話ができるわけもないんだが、愚痴だけでも聞いてくれたら満足です。

 いやほんと……男友達が欲しい。こういったことを話せる男友達が……。及川とか? いや、あいつの場合、“女の子と仲良くなれただけでウッハウハやないかーい!”とか、すごい顔して叫びそうだし。怒る顔、怖いんだよな、あいつ。雰囲気とかじゃなくて、顔が怖い。及川自体は怖くない。

 顔が。怖い。

 

(……今日の締めくくりに、水兵の皆様のところにでも行くかなぁ……)

 

 沈されそうになってからここ一ヶ月、散々と弁解というか説得をしたり、男なら拳で勝負だと殴り合いをしたりと、いろいろあった。もちろんその際には、また国の問題にならないようにと雪蓮の立会いのもとでの殴り合いだったが、そうした経緯もあって、そう仲が悪い状態ではなくなっている。

 むしろ最近じゃあ「てめぇも苦労してるんだな……」と哀れみを込めた目で肩を叩かれるような仲。

 原因は呉のみんなに振り回され続ける俺を見かけたから、だそうだが。

 人の噂なんて何処から広まるか解ったものではなく、建業を始めとする様々な町で、日々民との付き合いや将との付き合いから鍛錬、様々な物事をこなしている俺は、周りから見れば黙して荷馬車を引く馬の如し。

 そんな噂に尾ひれがついて、さらに羽ヒレがついて胸ビレ、背ビレがついて、果てにはエラ呼吸な有様な噂が呉中に広まり、今の俺は天の御遣いというよりは雑用の達人って感じである。

 ちなみに言うと羽ヒレっていうのは実際の言葉としては存在しないらしく、造語だという話を及川あたりに聞いた。実際どうなのかは謎である。

 

「ふぅ」

 

 汗を拭いきって一息。

 これで結構心がまいっているのか、思っていることが纏まらない。

 周々や善々に話し掛けてみるのか、水兵の皆様に会いに行くのか、どっちなんだ。

 

「いやいや……今は早くシャオのところに……」

 

 あの気まぐれお嬢様は、人のことは散々と待たせたりするのに、自分がそうされることを極度に嫌うからなぁ。

 ただでさえ後回しにしたことで頬を膨らませていた彼女だ、今日はいったいどんなことに付き合わされるのか……。

 

 

 

32/デート:異性に会うこと。らしい。日々はデートでいっぱいだ。

 

 ざわざわざわざわ……

 

「おい……また一刀が連れられてるぞ……」

「あいつも大変だなぁ……」

 

 建業の町は今日も賑やかです。

 ……さて、シャオに連れられて道を歩くこと数分。早くも町のみんなに同情の目を向けられている事実に、俺はどうするべきなんでしょうか。

 

「そういえばさっきもなんだか走り回ってたな……」

「おお、俺も見たぜ俺も。必死に走り回ってた。あれか? 料理屋のおやっさんがまたなにか頼んだのか? 大変だよなぁほんと」

「なに言ってんだい、あの子が一度でもそういうこと、嫌って言ったかい? むしろ喜んでやってるじゃないか。大した子だよ、まったく」

「………」

 

 噂が一人歩きしているようでむず痒い。

 たしかに嫌がることはしないけど、あまり大した子だとか言われると困る。

 というかあのー、小蓮さん? なぜ貴女が得意そうに「ふふーん」なんて上機嫌なのですか? しかも組んでいる(しがみついているとも言う)腕をさらにぎゅっと掴んで……あ、柔らか───じゃなくて!!

 

「あのさ、シャオ。今回は亞莎が引いてくれたけど、命令で予定を崩すのは今回限りにしてくれよ?」

「ぶー……今はシャオと一緒なんだから、他の女の名前なんて出しちゃだめ。解った?」

「今言わないでいつ言えと」

 

 普段からやたらと二人きりになりたがるシャオが相手じゃあ、こういう時にしか言えないっていうのに。

 

「それよりぃ……えへっ♪ ね~一刀~? 今日はどこに行こっかぁ♪」

 

 人の話なんて話半分にしか聞かないのは、孫家家訓にでも刻まれているのでしょうか。

 ああ、さっきまで話してた蓮華が物凄く輝いて思い返される。

 

「何処でもいいって言ったら怒って、シャオが行きたいところって言ったら怒って、じゃあ適当にって選んだら怒る……と。さあシャオ、俺にどうしてほしい」

「んふん? 一刀がシャオのことをよ~く見ててくれてるのはわかったから、ちゃ~んと一刀が先導してくれなきゃやだよ?」

「………」

 

 よ~するに今回もまた、ちゃんと考えてエスコートしろと……そう言いたいわけね?

 はぁ、デートなんて言葉、教えるんじゃなかった。遊びに行ってくるとかならまだ、蓮華に睨まれたりとかしないで済んだだろうに。

 

「……シャオ? ひとつ訊いておきたいんだけど。自分の勉強とかほったらかしにして出てきたとか……そんなこと、もうないよな? ───ってシャオさん!? どうして物凄い速度でそっぽ向くの!? しかも無言!? それならまだいつもの軽口で流してくれたほうが安心できるんだけど!?」

 

 ……え? これってもしかしなくても“俺が”シャオを連れ出したってことになるの? もしくはシャオが怒られる前に、“俺が連れ出したことにして”って命令されたら俺もそうだと言うしかなくなるとか……!?

 か、かか華琳さん? なんだかいろいろとシャレにならなくなってきましたよ? この命令システムは、たしかに命を奪われたりはしないんだろうけどとても危険です。主に立場的なものが。

 ……それでも親父たちの罪を被ったならば、頷くのが男魂。

 じいちゃん……俺、いろいろな意味で強くならなきゃいけないみたいだ……。

 

……。

 

 人との付き合い、主に子供との遊びはとても疲れるという事実を知っているだろうか。

 

「ほ~らぁ、一刀~? こっちだってば早く~!」

 

 ある時は腕を引かれ、ある時は背中を押され、ある時は遠くから呼ばれ、ある時は居なくなった相手を探して。

 

「も~、勝手にどっか行っちゃって、一刀ってば子供みたいだよね。これは将来、シャオがしっかり支えてあげないとね~♪」

 

 だが知りなさい。それら全てを許容し受け止める者こそが男。

 デートだと言われたならば、その期間中は歯を噛み砕く覚悟で全てを受け止める。

 それが、デートにおける男の生き様というものなのだ。

 

「一刀、あれ買って~? ……え? お金ないの? ぶー、一刀の甲斐性なしー」

 

 そう、たとえ他国で文無し人生を送ってるっていうのに、ブツの購入をねだられ、勝手に落胆されようが、我慢することこそ男の務め。

 男って……損な生き物だね。泣けてくる。

 

「じゃ、次はこっちだよー」

 

 ああそうだとも。たとえ“デート中は文句言うの禁止”と命令されたって、我慢してついていくのが男ってものさ。

 擦れ違う親父や父さんや父ちゃん、おふくろや母さんや母ちゃんに「頑張れよ」とやさしく肩を叩かれても、泣かないのが男の子さ!

 ……でも、時々そんなやさしさが胸に突き刺さります。

 

「……? 一刀? なんで泣いてるの?」

「人生という素晴らしい壁に負けそうだったから」

「?」

 

 それでも立ち上がり、前を向ける男が漢になれる。

 俺はそれを、じいちゃんの背中に学んだ。

 だから泣き言を口にするよりも、むしろこの状況を楽しむべきだと心に喝を。

 

「よしっ、これからは俺がエスコートするよ。金が無くても楽しめることはたくさんある……それを今からシャオに教えてやるっ」

「んふー……♪ それってシャオを満足させてくれるってことー?」

「満足っていうのは約束できないけど、退屈はさせないと思うよ」

 

 ……人は弱い生き物ですね。きっぱり断言してやれないのは、俺がまだまだシャオって女の子を理解しきれてないからなのかもしれない。

 理解しきれていたなら、何処へ連れていけば喜ぶのか、なにをしてやれば喜ぶのかもわかっててやれただろうに。

 そういったこともわからない事実が、自分はこの一ヶ月、民とのことばかりで将とは深く交流を持ってなかったのかもなぁと考えさせた。

 そんな理由もあって、俺はこの日、シャオを連れてあちらこちらへと時間が許す限りに走り回った。

 走り回って……っていうか途中から大方の予想通り、振り回されまくった。



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13:呉/本の虫と鼻血と結盟①

33/説いて教えると書いて説教。教えになっていない言葉は説教とは言わない。

 

 で……次。陸遜の本の虫攻略の時間なわけだが。

 

「ねぇ一刀、大丈夫なの? 穏は冥琳に倉には入らせるな~って言われてるよ?」

 

 何故かシャオは俺の右腕に貼りついたまま、離れようとしなかったりする。

 あれからお姫様抱っこで町中を歩き回ったり、服屋でシャオに似合う服を見立てたり(代金はシャオ持ち)、空気が綺麗な小川近くの草原で膝枕や腕枕をしてやったり、周々や善々と散歩に出かけたり……本当に、時間の許す限りに無茶な命令を言われ続けた。

 今はこうして陸遜との約束の時間だから落ち着いてくれているが、これがもし俺の自由な時間だったらと思うと……は、はは……大丈夫、忘れよう。

 

「特訓のためだから、冥琳には黙っていてくれると助かる」

「へー……これが初めてじゃないんだぁ。じゃあさっき穏があられもない格好で倉の中で発見されたのは一刀が原因なの?」

「いや違ホワァッ!? 違いますよ思春さんっ!!」

 

 頚動脈あたりに冷たい感触! 居る! 気配は感じないけど振り向けばきっと居る!!

 思わず背筋を伸ばして絶叫する俺に、きょとんとした顔のシャオが口を開く。

 

「思春? ……どこに居るの?」

「あれ?」

 

 右腕をぎうー……と抱き締めた状態で、見上げてくる顔に逆に疑問。

 すぐ近くのシャオが気配を感じないとか、どれほど隠密に長けてるんだ……とも思うが、もしかしたら気の所為かもしれな───

 

「………」

「ヒィッ!?」

 

 居るっ! 絶対居る! 今“見ているぞ”って言った!!

 なのに姿は見えない! 怖っ! 滅茶苦茶怖っ!!

 

「はぁ……どうなるんだろ、これから……」

 

 手を繋いだあの日は遠く、少しずつだけど確実に、民や兵、将といった呉の人たちとの交流関係は良好という方向へと進んでいる。にも係わらずこうして脅しめいたことを言われるのは……。

 

(まあ、いいか)

 

 違うって言葉、ちゃんと受け止めてくれたみたいだし。

 いや、そもそもあのとき近くに居てくれたんじゃないのか?

 四六時中、姿隠して近くに居ることなんて出来ないとは思うが……うん、やっぱりいいや。

 見ているぞ、ってことは、危険なときは止めてくれるってことだ。勝手に“信頼の証”として受け取っておこう。

 

「それで、その陸遜は……」

 

 倉までの道のり、べったりと引っ付いたままのシャオとともに、歩み辛くも進んでいくわけだが、倉が見える位置にまで達しても陸遜の姿が見えない。

 ……変だな、倉の前で待ち合わせをしてたんだけど。と、首を傾げながら倉に近寄ったんだが。その歩みが途中で止まる。

 

「……聞こえた?」

「……ふぇ? んー……あ」

 

 俺の言葉に、シャオも気がつく。

 なにやら……なにやら倉の方から、ええと、なんだ、その……女性の艶のある声が……。なんだろう。俺の五体に宿る経験と知識が、今は倉に近寄るなと叫んでいる。叫びを無視すれば、マイサンに明日は無いと言うかのように。

 

「シャオ先生。逃げていいですか?」

「孫呉の旗の下に撤退の二文字はないのっ!」

「いやでも俺魏だし! ───うおお余計に撤退のニ文字が無さそうだ!」

 

 でも構わない、俺は逃げる。こういう時の悪い予感ってのは当たるものなんだ。

 そう、当たる、絶対に。そして、絶対に当たる予感から逃げることが出来ないことも、俺はよ~く知っていた。

 知っていたからこそ、まずはシャオを片手で持ち上げ、その口をもう片方の手で塞ぐと……気配を殺してそろりと倉の中へと入り、陸遜を探す。

 途中、シャオが暴れようとするが、なんとか拝み倒して黙ってもらった。

 

(そう、待ち合わせをした。弱点克服を手伝ってくれと言われた。それは一秒でも刹那でも、その場に立ち合えば果たされる命令だということに───とてもしたい! 今すぐしたい!)

 

 ふと見つけた陸遜さん───は、大変なことになっていました。

 一言で唱えるならば、モザイク無しでは語れないというか───っつーか本に囲まれてなにやってんだアンタァアアーッ!!

 

「ふやぁあ~ん……♪ ……あぁ、一刀さ───」

「あっ、やっ! ごめんっ! 覗くつもりじゃっ……あのっ……とととにかくごめんっ!!」

 

 勇気ある逃走! なんてことっ……女性の、しかも関係を持ったこともない人の自慰まがいの行為を見てしまうなんて! いやそれもそうだけど、なんだってあんなところであんなことを!? 待ち合わせしてたよな、俺!! それがどうしてあんなことに!? もしかして見せたかっ───いやいやいやいやそんな馬鹿な! 大体俺に見せてなにに───はっ!?

 

(……まさか)

 

 もしかして、だけど。……冥琳の言っていた言葉の意味って、これだったのか? そういえば初めて倉に行った時も、なにやら艶っぽい声を出していたような……うわぁ本気かっ!? そうなのか!? 本当にそうなのかっ!?

 うああ……な、なるほど……! 一途に魏を思うのなら、本と陸遜を合わせるべきではなかった……ってことか……!

 

(今でも目を閉じれば、脳裏に陸遜の肢体がうぉおあぁあああああああ消えろ消えろ消えろぉおおおっ!! 今の俺にはそんなの、生き地獄でしかないからっ! これ以上眠れぬ夜をもたらさないでくれぇえーっ!!)

 

 ───俺は走った。頭を振りながら走った。シャオの口を塞ぎっぱなしで走った。何故ってそりゃ、あの場に居ること、なんて命令をさせないために、

 

「んー! んんー! んー!!」

 

 日々猛獣を身の内に宿している俺に、あんなところに踏みとどまれとか言われたら……! だめだ! 絶対ダメ! そんなこと言わない可能性のほうが高いだろうが、それでもだめ!

 忘れるんだ俺! 俺は何も見なかった! 見な───だぁあああっ! これからどんな顔して陸遜に会えばいいんだぁああっ!!

 

「んむー! ん、んー……! ん…………!」

 

 い、いやしかし、随分と立派なものをお持ちで───ってだからそうじゃないだろ俺ぇえっ!!

 落ち着け俺! 俺が愛するのは魏のみんな! それもどうかなって思うときがやっぱりあるけど、俺は魏を愛している!

 いくら一年と一ヶ月以上も獣を封印しているとはいえ、おかしなことをすれば俺の首……どころかマイサンが……!

 に、逃げといてよかった……! もしあの場に踏みとどまっていたら、理性を保てていた自信がない……!

 

「……、……」

 

 いいか北郷一刀……お前は試されているんだ。

 あの華琳が、いくら同盟国とはいえ他国の女性と関係を持つことを心から許可するはずがない。

 たしかに風が言うように絆が深まるかもって考えは出来るけど、そんな方法なんて今さら取ることもないはずだ。

 

   ザサァッ───

 

 ……と、考えながら突っ走っていたら、いつの間にか外れの小川に立っていた。

 走り方なんか考えもせずに体を動かしていたためか、息切れがひどいし汗も相当だった。

 加えてタオルなんかもシャオとのデート前に自室に置いてきてしまっているときた。

 汗を流すのは無理か───……ふぅ、と溜め息ついでに頬をコリッと掻いた途端、「ぷあぁあっはぁああっ!!!」と、今にも窒息してしまそうでしたと言わんばかりの呼吸音が聞こえた。

 

「……あれ? ど、どうしたんだシャオ。走ってもいないのにそんな、息切らして」

「はっ、は……! か、一刀がっ……もぉおおーっ!! 一刀がシャオの口も鼻も塞ぐからでしょーっ!?」

「え? 俺? ……いや、俺は口だけを塞いで……」

「途中から鼻も塞いでたもん! 死んじゃうかと思ったんだからー!!」

 

 俺に小脇に抱えられつつ、ぱたぱたと暴れてみせるシャオ。

 人間一人を片手で持ち上げられるって……やっぱり、筋肉ついてきてるんだろうな。それとも氣が?

 

「じゃなくてっ! ごめんっ! 逃げるのに夢中で気づかなかった!」

 

 ひとまず小脇に抱えた尚香さんを地面に下ろし、土下座でもしかねないくらいに頭を下げ「はぴうっ!!」───火花が散った。

 

「あだぁっ!? ───……ぐお」

 

 ……人間、焦ったら負けだという状況が視界と心にざっくりと刺さる瞬間だった。

 距離も測らず物凄い勢いで下げた頭はシャオの頭頂に……そう、激突という言葉が似合い過ぎるほどの鈍い音とともに直撃し、呉が誇る元気娘さんを一撃で気絶に導いた。

 

「………」

 

 そして訪れる“やっちまった”感。

 はは……そーだよなー……。落ち着こうとする人間って、まず落ち着けないよな……うん……。

 

「……」

 

 頭をひと掻き、目を回しているシャオ背に抱えると、一度深呼吸をしてから歩き出す。

 何処へ、と言われれば、陸遜が今も悶えているであろう倉へ。

 あんな恐ろしい状況だったとはいえ、克服しようと頑張る人を放置して逃げるのは嫌だった。

 誓って言おう、彼女のあられもない姿が見たいからではない。

 大丈夫、大丈夫だ。理性を失わないために、こうしてシャオを背負っていくのだ。

 欲望なんかに負けるな俺……というか、本が好きなのは解るけど、何故淫らな方向に走るのだ、陸遜さん。

 

「ああいや……人の性癖に口出ししても、きっとろくなことにならないよな……」

 

 Sで女好きな覇王様が世に居るくらいだ、本で淫らになる女性が居たってなんら不思議は……───なぁ、及川。ここで“ない”って言い切れない俺は弱い男か……?

 まあそれはともかく。陸遜は“克服したい”って言ってたんだ。

 そしてそれに協力するって言ったのは俺だ。……その過程でなにが起ころうが、途中で投げ出すのはあまりに無責任だろ。

 

(無責任か……今さらって気もするけど)

 

 俺が果たせる責任なんてものが、果たしてこの国に存在するのだろうか。

 息子役を買って出たくせに時がくれば帰ってしまう。手を伸ばしてくれればその手を掴むと豪語しても、離れていれば掴める手などありはしない。

 その場その場でしかいい方向に働かないような言葉を口にしては、一時的に人の心を軽くしているだけなんじゃないか。……そうやって、小さく考えた。

 

「……華琳だったらもっと上手くやるんだろうな」

 

 考えても仕方が無い。

 人間一人に出来ることは限られているし、この国での俺の立場はただの客だ。

 王としての発言力を持っているわけでもなければ、将並みの権力があるわけでもない。

 ついてくるのは天の御遣いって二つ名と、魏から来た客って肩書きだけ。

 それ以外は兵……もしくは民とそう変わらないのが俺だ。

 あとは……うん、町のみんなとは、ほぼ誰とでも肩を組んで笑い合えるような立ち位置。……あれ? これって客以前にただの町人なんじゃなかろうか。

 そんなことを思いながら森を抜け、小川をあとにする。

 やがて城に辿り着いて、内部を歩いてもざわざわとした頭の中はすっきりとしてくれない。

 

「一時的にしか心を動かせない言葉じゃあ、いつか親父たちの笑顔も崩れるのかなぁ……」

 

 だからだろうか。倉への道を通りすぎる途中、そんな言葉が思わずこぼれた。

 

「───ほう? ふふ、面白いことを言うな、北郷」

 

 で、そんなこぼれた言葉を耳にした人が居たわけで。

 つい、と視線を動かしてみれば、通路の先からこちらへと歩いてくる影一つ。

 

「倉に用事か? やめておけ、今は穏が居る」

 

 長い黒髪を揺らしながら俺に声をかける存在……冥琳が、紐で硬く結い纏められた本を手に小さく溜め息を吐く。

 

「冥琳……あ、や、陸遜が倉に居るのは知ってる。むしろさっき見ちゃったから」

「……あすまない、見苦しいものを見せたな」

「いえ、こちらとしても大変結構なものをウソですごめんなさいっ!?」

 

 つい口が滑った途端、再びヒタリと首に冷たいものが!

 焦る俺を前に、訝しみを浮かべた表情で冥琳が言う。

 

「……北郷?」

「あっ! やっ! なななんでもないからっ!」

 

 だから落ち着けって俺……! 監視されてることを忘れるなぁああ……!!

 ……うん、冷静、俺冷静。冥琳に物凄く変な目で見られているが、気にしない方向で。

 

「……あ、そういえばさっき、“面白いことを言うな”とか言ってたけど」

「うん? ああ、あれか。……なに、少々呆れていただけだ」

 

 呆れ? ……ハテ、呆れるようなことを言っただろうか。

 ……いや、言ったか。心当たりがないわけじゃない。

 

「北郷。お前は自分の言を“一時的にしか心を動かせない”ものと言ったな。たしかにお前の言の全てが民に届いたのかと言えば、断言としてそうだとは言ってやれない。だが───」

「だが……?」

「人は悲しみには弱いものだ。子を亡くし、心が凍てついた民も居ただろう。しかし、うわべだけの……それこそ一時しのぎの言葉なぞで笑顔を見せてやれるほど、人の心はやさしくなどない。どれだけ奇麗事を並べようと、それが民の心に届かなければ意味が無いだろう?」

「……そう、だけど」

「お前は、きちんと民の心へ届かせられる行動と発言をしてみせた。やり方に問題はあったとしてもだ。問題があるからといって全ての行動を禁止すれば、人などなにも出来ないだろう。……お前が行なった、私たちでは出来なかったことの結果が民達の笑顔であり、我々の笑顔だ」

 

 冥琳はふっと小さく笑みながらそこまで言うと、一度区切りを挟んで……溜め息を吐いた。顔は一目でわかるほどの苦笑顔だ。

 出来の悪い弟を見るような様相で、今にもやれやれって言いそうで───

 

「やれやれ、これでも褒めているんだ、少しは嬉しそうにしたらどうだ」

 

 ……本当に言われた。

 

「……? なんだ? 話をしている相手を前に口を開けて呆けるのは、天の国の礼儀か?」

「断言するけどそれはないよ、うん。たださ、褒められてるって実感が湧かなかっただけだから。むしろ冥琳に褒められるなんて思ってもみなかった」

 

 人を褒めるタイプには見えなかったからだ。

 そんな人が急に褒めていると言うんだ、驚きもするし呆けもする。

 そして、やっぱり───この世界を生きてきたみんなと自分とでは、考え方のそもそもが違うんだと思い知る。

 どれだけ褒められても不安は残るし、胸を張ってみせるには自分が成したことが見合っていない気がしたんだ。

 民に届いたとしても、その思いはいつまで民の心に残ってくれるのか。どれだけ経てば、民たちは俺の言葉を忘れてしまうのか。

 そんなことをうじうじと考えてしまうあたり、俺は将寄りというよりは民寄りの人種なのだ。

 

「なぁ冥琳。俺は人に褒められるだけのことを、ちゃんと出来たかな」

「出来たか、というよりはこれからもしてほしいと願っている。お前の行動で民の笑顔が増えたのは事実だ。それによって騒ぎも確実に減り、今では届けられる報せに騒ぎについてのものが無いこともまた事実だ」

「でもさ、だからって今後ずっと騒ぎがないわけじゃないし……」

「ふむ。お前が魏に帰ることで悲しむ者や寂しがる者は当然出てくるだろうが……その者達が騒ぎを起こしてでもお前に会いたいと思うかどうかと言えば、そうでもないはずだ。……お前は既に、呉に来た理由を民に話したと聞いたが?」

「ああ、話した。驚いてたけど受け入れてくれたよ」

「ならば次は民が立ち上がる番だ。お前がやれる仕事は民に笑顔と手を差し伸べるまでだ。あとは民の心次第だろう。お前が居なければ立ち上がれないほどに弱いのであれば、立ち上がったところでなんの解決にもなりはしないだろう?」

「………」

 

 あまり俺が居すぎるのも、民のためにはならないって……そういうことだろうか。

 それは……そうかもしれない。自惚れみたいに感じるけど、依存しすぎて俺が居なくなるだけで親父達が笑えなくなる、なんて状況は嫌だ。

 そんなことにはなるわけがないって頭ではわかっていても、むしろ俺の方が依存してしまう。いつでも会いに来れるとはいっても、魏から呉への道は決して短くはない。

 俺にだって警備隊の仕事があるし、魏の民とだって話したいこと訊きたいこと、たくさんある。

 

(……補助輪、か)

 

 俺は、親父達が“息子”無しでも笑っていられるための補助輪だ。

 近すぎてもだめだし、離れすぎてもいけない。

 人の心を強くするのは、馴れ合いだけで出来るほど簡単じゃないんだ。

 

「お前が魏に戻ってからも、永劫騒ぎが起こらないとはもちろん断言は出来ない。だが、我々とてそれを黙って見ているつもりもない。お前がきっかけを作ってくれたのなら、私達はそれが崩れぬように支えていくだけだ」

「冥琳……」

「現実として、お前は“呉の騒ぎ”を鎮める手伝いを成し遂げた。雪蓮が頼んだことは、既に達成していると言っていい。……魏に帰りたい、蜀に行きたいと思ったなら、私達に遠慮はせずにここを発て。いつまでも呉に居るわけにもいかないのだろう?」

「………」

 

 あ……少しちくりとした。

 冥琳の言葉が、やることが終わったならさっさと出て行けってふうに聞こえたからだ。

 でも……違う。たった一ヶ月ちょいの仲だけど、冥琳は言いたいことはきっぱりと言うほうだと思っている。

 回りくどいとは言わないけど、今のは……やっぱり違うと思う。

 

「……ありがと、冥琳」

「うん? ……おかしなやつだな。私はお前に、出て行けと言っているんだぞ?」

「“好きな時に”でしょ? ……このまま依存して、仲良くなりすぎたら離れるのが嫌になる。多分、今の言葉は誰かが……いや、むしろ俺が言わなきゃいけないことだった。やることが終わったら帰る、いつまでもここには居られないって」

「……お前は。鋭いのか間が抜けているのか解らないな、まったく」

 

 言いながら、冥琳は俺の眉間に細い人差し指を押し付けた。

 

「……? 冥琳?」

「難しく考えるな。静かに受け取り、自分の思う通りに行動してみるといい。考えて考えてようやく出たものが間違いだと言うつもりはないが、お前は自然体で動くほうがよほどに似合っている」

「………そう、かな」

 

 眉間にシワでも寄っていたんだろうか。

 人差し指がやさしく動いて、俺の眉間をほぐす。

 

「……驚いたな。こうされることを嫌がると思ったが」

「まあ……以前だったら払い除けるか逃げるかしてたかも。でもさ、肩肘張ったり格好つけて無理するのは、もうやめたんだ。日本……天の国に帰った時、自分がどれだけ子供だったのかを教えてくれた人が居たから。自分じゃあ守れないうちは、守ってもらってもいいんだ、って。それは恥ずかしいことじゃなく、無理に守ろうとして守れないことのほうがよっぽど格好悪くて恥ずかしいんだって……そう、教えてくれた人が居た」

「そうか。その御仁は武の師にあたる人か?」

「えっと、そうなる……かな。俺のじいちゃん───祖父なんだけどさ。これまで生きてきて初めて、あの人が祖父でよかったって本気で思った。……勝手だよな、本当に。いろいろ世話にもなってきたはずなのに、世話になった気さえ持ってなかったんだ。それがこの世界から一度戻って、いろいろ考えて一年を過ごしたら……もう、感謝以外に言葉が無くなってたよ」

 

 本当に馬鹿な話だ。

 散々と稽古にも誘われていたのに向き合おうとせず、強制だけはしないじいちゃんからずっと逃げていた。

 父親に怒鳴られて渋々稽古をしたりして、多少は強くなった気で剣道を始めて……多少勝てたからって天狗になって、やがて……本物に出会って、愕然として。

 目標を見つけて稽古を乞てみても、その差を埋めるためには、それこそ自分が怠けていた分以上に頑張らなきゃいけなくて。

 結局はなにもかもが半端な自分だけが残って、この世界を生きて、覚悟を知って───土下座して、強くなろうと決意して。

 そうして始めた鍛錬の中で、ようやく俺は稽古を強制しなかったじいちゃんの真意を知った。

 どれだけ嫌々にやろうが、本人に強くなろう、学ぼうとする意思がなければ意味がない。

 そんな薄っぺらな“覚悟”を、あの人は自分の孫に持ってほしくなかったのだ。

 自分の意思で強くなりたいと本気で思うまで、ずっと待っていてくれた。だからこそあの日、土下座した俺を嫌な顔せず迎えてくれたんだと……そう思う。

 

「俺は天でもこっちでも、いろんな人に迷惑かけてばっかりだからさ。迷惑を全然かけないようにっていうのは無理だと思うから、せめてかける迷惑を減らしていきたいなって思う。それに……漠然とだけど、それを続けた先に“国へ返す”って思いの答えがある気がするから」

「国に返す、か……。そういうところも気に入ったのだろうな、祭殿は」

「へ? なんでここで祭さん?」

「ふふっ、いや……なんでもないさ」

 

 ここに来て冥琳は、初めて楽しげな笑顔を見せた。

 ちょくちょくと咎めたり咎められたりの現場を目撃したりしてるんだけど……もしかして冥琳と祭さんって結構仲がよかったりするんだろうか。

 そうじゃなきゃ、今みたいな素直な笑顔、滅多に見れるものじゃ……というか。

 

「……可愛い」

「っ……!? あ……北郷? 今の発言の意味を噛み砕いて説明してほしいのだが?」

「え? ───うわっ!?」

 

 え? ちょ、ちょっと待て!? 今俺なんて言った!? 頭の中で思ってただけのつもりだったのに、もしかして口に出てたか!?

 可愛い、って……うわわ可愛いって言ったのか俺!!

 

「ごっ、ごめんっ! 今の可愛いはそういう意味じゃ……そういう意味ってどういう意味だ!? え、えっと違くてっ……! あ、あー……いや冥琳が可愛くないってわけじゃなくて、むしろ今の笑顔がたまらなく可愛かったからつい口が滑ったっていうか、あああそうでもなくていやそうなんだけどっ! 普段は綺麗だとかそっちの言葉のほうが似合ってる冥琳なのに、今の無邪気な笑顔が物凄く印象強かったっていうか、だからその思わず可愛いって───! いやでもほんとウソとかじゃなくて本気でそう思ったことが口に出たわけで───」

「ま、待てっ、もういいっ! やめろ北郷っ……!」

「えぇ!? で、でも冥琳、説明してほしいって、眉間にシワよせながら……」

「説明を求めはしたが、そこまで丁寧に噛み砕けとは言ってないだろう……っ! 私が悪かった、頼むからもうやめてくれ……!」

 

 目を伏せた困り顔でそんなことを言う冥琳。

 ……もしかして、綺麗だとかは言われ慣れてても、可愛いとかは言われ慣れていないんだろうか。

 ちょっと納得。可愛いっていうより、本当に綺麗って言葉が似合う女性だ。きっと子供の頃から、こんなふうにピンと背筋を伸ばして寡黙で美麗な女の子だったに違いない。

 そんな冥琳を想像してみると…………

 

「……困った、本当に可愛い」

「かっ……!? ~っ……北郷? からかっているのなら、物分かりが良くなるまでその背を白虎九尾で叩いてやってもいいんだぞ……!?」

「へっ!? うわっ、また口に出てた!?」

 

 思わず口を押さえる俺を、冥琳は少し赤くなった顔で睨んでいた。

 けど待ってくれ、たしかに口に出てたかもしれないが、ウソを言ったつもりはない。

 考えてもみてほしい。小さな体でたくさんの書物を運んで、亞莎のように頑張って勉強をする姿を。呉のため雪蓮のため、寝る間も惜しんで頑張る少女の姿を。

 プライドが高いから教えを乞うことはせず、書物から学んで孤高に生きる少女……いつしか空腹に顔をしかめるけど、知識を得ることを優先するが……ふと部屋の外に気配を感じ、出てみると……足下には暖かな湯気をたてるたくさんの青椒肉絲が……!

 少女は辺りを見渡すが、すでに人の気配はなく。どれだけ意地を張って見せても自分は誰かに支えられているんだと感じながら、少女は暖かな食事で今日も頑張る……───

 

「………」

「……なぜここで泣くんだ、お前は」

「へあっ!? あ、あー……うあー……」

 

 指摘されてみれば、たしかに泣いている俺。

 冥琳から見た俺は、果たしてどれほどの百面相をしてみせているんだろうかなぁ。

 

「……冥琳は子供の頃、どんな子だったんだ?」

「お前がここに来てから今までで得た私の在り方を、そのまま小さくしてみればいい」

「………」

「だから、何故泣く」

「い、いや、ついさっき得た想像からの印象が深すぎて」

 

 小さい頃から眼鏡をつけていたとは限らないし、裸眼のままで本を両手にてこてこ走り回る姿を思い浮かべて───違うよ!? ロリコンじゃないよ!?

 

「えっと。つまり冥琳は昔っから冥琳だったってことでいいのかな」

「……。当然のことを言われたはずなんだが、頷くのが戸惑われるな。それはどういった印象だ?」

「冷静沈着で慌てることをせず、キリッとしてて頭が冴えて、青椒肉絲が好きで雪蓮に振り回されてて───」

「後半が引っかかるが、概ねそういった感じ───」

「───で、祭さんが好き」

「───」

 

 ……言った直後、俺はその場で正座をさせられ、みっちりと説教まがいに祭さんとの仲の悪さを説かれた。なんでだ。




「更新遅いぞコノヤロー! なにやってんだ! どーせモンハンでもやってたんだろコノヤロー!」
「……仕事です」
「……なんかごめん」

 モンハン? 買いました。あんまり出来てません。
 Xから引き継いで、☆7のクック先生を切り刻んだくらいです。
 ジェット噴射で飛ぶ古龍とか、迅竜のナルガさんが素早さで涙するほどの演出ですが、はい、出来てません。
 みんなもうG級に行ったのかなウフフ……。
 ぼっちですから常にソロです。ラオシャンロン楽しみダナー!

 もうちょい、もうちょいでいいから時間が欲しい……!
 え? 休日? …………家族サービスで潰れました。
 休みってなんだったっけなぁ……。
 それでも楽しんだんだろうって言葉は勘弁してください。ただの足です。
 移動して、車の中で待っているだけです。
 ありがとうございます、皆さまの小説が待っているだけの自分の心の支えです。
 だって途中で自分だけ帰ったら怒るんだもの! なにこの理不尽! 買い物行って、せっかくの休みに4時間以上待たされるだけのこっちの身にもなって!? その間家で小説の編集するくらいいいじゃ───あ、いや、げふんげふん。
 ……男ってそんなもんですよね、はい。
 そのあとも約束事があって結局時間も潰れて、わしは……わしはよォオオー!!

 そんなこんなで遅れています、ごめんなさい。
 だんまちのSSとかこのすばのSSとかオバロのSSとかFateのSSとか、待っている間に読んでは飛んで読んでは飛んで。最終更新が去年とかだとオーマイガーとかそんな気分になって、いえまあ自分だってそのくらい滞ってるのがごろごろあるので、なんかごめんなさいな気分になって。
 ……ハルメアス、まだカナ……《ボソリ》。あはっ、あはははは! 僕が言っていい言葉じゃないですねごめんなさい! ……ほんとごめんなさい。

 はい、というわけで気合い入れていきましょう。
 なんかちっとも休んだ気になれない休日も終わりましたし、また仕事漬けの日々ですが、頑張りましょう。

 本日も予約投稿。
 これが投稿されている頃には、僕は走って仕事場に到着している頃だと思います。
 片道3.5キロ。よい運動……なんでしょうかね。
 ではではみなさま、今日も元気に、花丸な日をお過ごしください。
 ただし花粉、てめーはダメだ。


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13:呉/本の虫と鼻血と結盟②

34/誤解、戸惑い、擦れ違い。それと結盟

 

 人を背負ったまま正座をするという初体験ののち、ようやく解放された俺は夕焼けの空の下、倉の一角にあった机でぐったりしている陸遜を覗き見た。

 一応、服は正してあるらしい。が、頭を抱えてうんうん唸っている。

 ちなみに。シャオは冥琳が溜め息を吐きながら抱えていってくれた。ありがたい。ありがたいが故に、こうして倉の入り口から中をそ~っと覗き見ているわけだが。

 

「り、陸遜~……?」

「!」

 

 声を掛けると即座に顔を起こした。

 ……なんかこっちに走ってきたな。揺れる胸が目に毒だ。

 だが大丈夫、逃げるな俺……マイサン、お前は俺が守る。だから反応は起こすな。

 

「かぁああずぅううとぉおさぁああああはははぁああ~ん!!」

「見える!」

「ふえっ!? あわぁああああーはぶぅいっ!!?」

 

 走り寄ってきて、その勢いのままに涙目で飛びついてきた陸遜を紙一重の距離で避けてみせた。

 おお、なんと恐ろしい……! 抱きつかれていたら相棒が反応してしまうところだった……! ……陸遜は顔面から地面に転倒したけど。

 

「あー……だ、大丈夫か? 陸遜」

「よ、避けましたぁあ~……! 今、思いきり避けましたねぇ、一刀さんんん~……!!」

 

 顔を起こした陸遜は、どうやら本当に顔面をしこたま打ちつけたらしく、鼻血が……あーあーあー……。

 これはあれか。胸がクッションになるどころか支点になって、倒れる勢い+胸で弾んだ所為で首から先が加速されてゴシャアと……なぁ?

 そんな陸遜さんだったが、鼻血がこぼれるのも構わずに体を起こすと俺の手をきゅっと握って、

 

「あーああああのあのっ!? さっきのは違うんですよ!? さっきのはその、本を見ていたら体が疼いてしまってですねぇっ……!!」

「いや、うん……そういったことについては、さっき説教ついでに冥琳に聞いたから……。うん、人それぞれだもんな。それを克服しようとしてたんだから、むしろ手伝うべきだ」

「うぅ、わかっていただけで幸いです……」

 

 しょんぼりと溜め息。

 しかし本で興奮ねぇ……人それぞれとはいえ、凄いもんだ。

 

「けどさ、本を見て興奮するっていうのは……その。克服できるものなのか?」

「大丈夫ですよぅ、戦も終わりましたし、こうして日々を書物に囲まれて過ごせば……う、うぷっ」

「ああほらっ、鼻血鼻血っ! 鼻押さえてっ!」

「ふあ……あ、治まりました……」

「………」

 

 なぁ稟……どうして遠方に来てまで、誰かの鼻血の心配しなくちゃいけないんだろうな、俺は。というか鼻血を噴くまで本に興奮する人なんて初めて見たぞ。しかも他人に鼻抓まれて鼻血を止める女性ときたもんだ……。

 

「あー……えっとその。どうして、って訊いていいか? 本に興奮するってことの時点でもうわからないんだけど、その興奮がどうして性欲に向かうのか」

「そ、そんなのわかっていれば苦労しませんよぅう……」

 

 まったくだった。

 

「じゃあ解決法もわからないままってことか……げほんっ! えと、処理する以外」

「はぐぅっ! はっ……~……はいぃ……」

 

 倉で男女二人、顔を赤くして見つめ合う……激しく誤解される状況なのに、危機感もなにもあったもんじゃない。

 軽く引き受けた本の虫克服作戦がこんなことに繋がるなんてなぁ……。

 

「その欲求、睡眠や食欲に向けることはできないのか?」

「眠くはならないし食べたくもならないですよ~……それに本を見るたびに食べてたら、太っちゃいますよぅ」

「………」

 

 どうしてだろう。その脂肪はたぶん、全部胸に行くと断言できそうな気がした。

 

「こんな状況だから言うけど、その。俺だって日々性欲と戦って生きてる。今のところ俺だって勝ててるんだから、陸遜もやろうと思えば出来ると思うんだけど」

「…………無理です」

「へ?」

 

 黙ってはいたものの、考え込んでいたわけでもなかったように見える陸遜。

 そんな彼女の口が、きっぱりと“無理”を主張した。

 

「う~……だってだって、こんなにも本があるんですよ? もう匂いとか雰囲気とか倉特有のしっとりした空気とかで、ンッ……わ、私の心はぁあ……!!」

「やっ! だ、だからっ! そこで我慢することが必要だって言ってるんだって! だめっ! 手を伸ばさない! 耐えるんだ! ていうか耐えてぇえええっ!!」

「やぁあ~ですぅう~……。我慢は体にぃい……毒なんですよぅう……?」

「俺にとっては目に毒だからっ! あ、あぁあもうとにかくっ! えぇと……これっ!」

 

 本を結わうために使うものなんだろうか。

 倉の入り口の脇に吊るされていた細めの紐を数本とると、キツくなりすぎず、しかし抜けないように陸遜の腕を後ろ手に縛っていく。

 

「な、なにするんですかぁ一刀さぁん……!」

「こうでもしないとすぐに欲望に負けるだろっ! いい、俺決めたからなっ。絶対に陸遜の性癖を治してみせる!」

「こ、これは性癖じゃなくてですねぇ……」

 

 異論は認めません。

 一度頼まれたことを投げ出すのは誰にでも出来ることだが、それを受け入れた上で困難に打ち勝つことこそ願われた者の務め。

 熱っぽく息を荒くする陸遜を前にするのは、正直辛いわけだが……ならば俺もさらなる自分の向上を目指して───ってこらこらこらぁっ!!

 

「ちょ、陸遜! 机の角でなにしようとしてるの! だっ……ああもう!」

 

 人が考え事をしているうちに陸遜は倉の机へと歩みより、あろうことか、……ごにょごにょ。

 ともかくそれを、無理矢理椅子に座らせることで阻止し、再びそんなことがないようにと椅子にしばりつけていく!

 

「やぁあああ~っ! やめてください一刀さんんん~っ! 体が、体が熱いんですよぅ~っ!」

「だからそれに耐えるための克服運動なんだって! そもそも陸遜のほうから俺を頼っておいて、やめてくださいとか言われると俺だけが悪いみたいに───」

 

「おや?」

「ふえ……?」

 

 嫌がる陸遜を椅子に縛り付けている最中、入り口付近から聞こえる物音。

 はて、と振り向いてみると、顔を真っ赤にした孔明さんと士元さんが……!

 

「いや違───」

「はわわわわわぁああぁぁぁぁーっ!!」

「あわ、あわわわ……!!」

 

 う、と続ける間もなく絶叫。

 書物でも借りにきたのか、こんな状況で鉢合わせなんてどれだけツイてないんだと思いながらも、彼女等の視線がただ只管に、俺が持つ紐と泣きながらイヤイヤと叫ぶ陸遜に向けられれば……辿り着く答えなんてひとつに決まっているわけで。

 

「いやちょ、待って誤解だから待って! これは陸遜に頼まれて!」

「ひうっ……! い、い、いい、いえ、あの、その、あわわ……!」

「だだ、大丈夫です、その、人の趣味はいろいろ、ですから……」

「違う! そんなやさしい理解力が欲しいんじゃないんだってば! 聞いて! 頼むから聞いてお願い! 思春!? 思春居るんでしょ!? 説明してお願い! 俺はただ良かれと思って……!」

「だ、大丈夫ですっ、わわ私たち、誰にも言いませんからっ! ね、ねっ? 雛里ちゃんっ」

「あわわ……う、うん……言いません、言い、ません……!」

「言う言わないとかじゃないんだってばぁああっ! 違う本当に違うこれ俺の趣味とかそういうのじゃないって聞いてお願いだから聞いてくれお願いしますからぁあああっ!!」

「あ、の……大丈夫、です……。朱里ちゃんも……その、このあいだ、隠してたいやらしいご本を詠さんに見つけられて」

「雛里ちゃんっ!? どどどどうしてそれを言っちゃうの!?」

「ふえ……? で、でも一刀さん、困ってたから……」

「それでもだよぅっ! ちち違いますよ一刀さんっ! あ、あれはお勉強っ、お勉強のためにっ……!」

 

 ……散々慌ててた自分が、急激に落ち着いていくのを感じた。

 うん、目の前でここまで、いっそ自分よりも慌てられたら逆に冷静にもなるよね。

 ああ、さようなら、知将諸葛孔明……貴女のイメージは今死んだ。とはいえ、それが軽蔑に向かうかっていったら否だけど。

 

「うん、とりあえず呼び方はそのまま一刀さんでいいから。それより二人とも、落ち着いて」

「おちついてましゅっ! …………~っ……!!」

 

 あ、噛んだ。

 

「だ、大丈夫か、孔明……。ただでさえ舌がもつれやすいんだから、そんな力一杯喋ったら舌噛むぞ……ってもう遅いか」

「うぅう……うぅうう……お勉強……お勉強のため、なんですよぅ……?」

 

 そして、噛んでなお必死だった。

 ついさっきまでの俺も、きっとこんな感じだったんだろう。

 俯いて、痛さからか羞恥からか顔を真っ赤にして目を滲ませている彼女。

 そんな孔明の頭を、ちょこんと乗った帽子ごとふわりと撫でて、微笑んでみせる。

 

「……ん、わかった。そこまで必死なんだ、疑う理由なんてないよ。それと……こっちのことだけど」

「……? はうあっ!?」

 

 倉の中の陸遜を見るように促す。

 と、椅子に縛り付けられたままにうねうねと動く怪しい生命体がそこに居た。

 

「……本を見ると欲情するっていう、困った性癖の持ち主らしいんだ。それの克服を手伝ってくれって頼まれて、ああして縛りつけた。そうしないと、その……たぶん、孔明が勉強のために持ってた本と似たようなことをやりだすから」

「信じますっ!」

「あ、えと……そ、そう?」

 

 物凄い迫力での即答だった。

 そして、頭を撫でる手を両手でハッシと握ると、そんな状況に少し戸惑いと困惑を混ぜた俺の顔をじっと見る孔明。

 ……そういえば、孔明と士元ってやたらとその……俺が困った顔とか考え事をしてる時にジッと見てくるよな。面白い顔でもしてるんだろうか。

 

「あ、あのっ、か、かか一刀さんっ……」

「へ? っとと、士元? どうかした?」

 

 右手を孔明に掴まれていた俺の右後ろから、服をちょいと引っ張って見上げる士元さん。

 振り向いた先で困った顔をしていた彼女は、今度は俺に倉の中へと視線を促して……

 

「あの、そのっ……は、伯言さんが、鼻血を───」

「───……だぁああっ!! どこまで頭を沸騰させればそこまで鼻血が出せるんだよもぉおおおおおっ!!」

 

 急ぎ、孔明の手と士元の手を乱暴に振り解く───わけにもいかず、軽く離してくれるよう身振りをしてみるが、孔明は鼻血とはいえ血を見て驚いたのか、ぎうーと力を込めて離してくれず……教えてくれた士元までもが怖くなったのか、服をぎゅっと掴んで離してくれない。

 ……ひどい怯えようだろ。ウソみたいだろ。三国きっての軍師なんだぜ、これで。たいした血の量でもないのに、ただ、ちょっと鼻血を出しただけで……もう離してくれないんだぜ。な、ウソみたいだろ。

 などと某野球漫画の真似をしている場合ではなく。

 仕方も無しに身を捻ると、一言謝ってから彼女らを小脇に抱えた。

 右手を掴んでいる孔明を右腕で、左後ろでうるうると怯えている士元を左腕で。

 二人とも相当驚いたようだったけど、暴れないでいてくれたことには素直に感謝だ。

 そうして倉の中へと入り、とろけるような幸せ笑顔で鼻血ドクドクの伯言さんの傍へと駆け寄ったわけだが───どうしようか、これ。

 

「鼻に詰めものを…………ティッシュなんてものはこの世界じゃ高級だろうしな」

「てっしゅ……?」

 

 首を傾げる士元になんでもないと言うと、小脇に抱えたままに観察。軽いもんだなぁとしみじみと思う。片手ずつで持っているっていうのに、それほど苦に感じられない。

 …………マテ、そうじゃないだろ俺。何故抱えたままで観察してるか。とりあえずおろそう、じゃないと陸遜を介抱できないし。

 

「よっ……と。よし、それじゃあ……あれ?」

「………」

「………」

 

 二人を両脇に下ろし、いざ一歩をと前に出てみれば引っ張られる違和感。首だけで振り向いてみれば、暖かいなにかに包まれている俺の両手。

 いや、なにか、じゃないな。孔明と士元の手だ。

 

「あ、あーの、孔明? 士元? 離してくれないと……」

「はわっ、いえっ、あのっ、そのっ……! そそそそそれがいけないことだとは言いませんでしゅけどっ! でででもしょのっ、あにょっ……はわわぁあ!!」

「……? あの、士元? 離してくれると───」

「~……!!」

「…………」

 

 二人は顔を、これでもかってくらい真っ赤にして首を横に振るう。

 待ってくれ、俺……なにかしたか? 俺、ただ介抱しようとしているだけで───……あれ? ちょっと待て? もしかしてこれ、俺が陸遜にエロいこと、つまりその、達するまでアレコレして、落ち着かせるつもりなんだとか……思われてる?

 

「はははは伯言さんの興奮が、あの本のようなことで治まるんだとしてもでしゅっ! そそそそれをわたしゅっ……私達の前でなんてはわわわわぁああーっ!!」

「うわぁーおやっぱりだぁあーっ!! 違う! それ違うから! ていうかどれだけ過激な本読んでるの孔明さん!」

「そ、それはその……あわわ……と、とても口では言えないような……。わた、私も……一緒に見たのに、よくわからなくて……」

「雛里ちゃん!? その言い方だと私だけがいやらしいみたいに聞こえるよ!?」

 

 この状況がようするに、俺が陸遜を襲うような状況であると誤解した彼女らは再び混乱し始め、そんな中で俺は、孔明がかなりのエロスであることを確認した。

 ……世の中、わからないものだなぁ……と、見えもしない倉の奥のさらに先……遠い空を眺めるように、ここではないどこかを眺めた。

 

「あぅう……な、内緒ですよ? 私と雛里ちゃんがその、そういった本を持っていることは……」

「え……? 持ってるのは朱里ちゃんだけで───」

「内緒ですよ!?」

「ふえぇええ~、朱里ちゃぁあ~ん……!」

 

 乙女心は大変複雑らしい。とりあえず俺は苦笑ながらも笑ってみせて、それを了承。

 士元が大変不服そう、というかがっくりと項垂れていたが、それを合図にするかのように手は離れ───た、と思ったらまた掴まれた。

 

「みみ、みっ御遣いさまっ!」

「うわぁなにっ!? 呼び方は一刀でいいってさっき───」

「頷くだけじゃだめですっ! そそ、そうです、正式に誓約書を書いて……はわっ! それならいっそ秘密を持つ三人で結盟を……!」

「オイィイイイッ!! なんだか恐ろしい言葉がさっきからごろごろこぼれてるぞっ!? 大丈夫だからっ! 誓約書とか書かなくたって俺は───って秘密を持つ三人って俺も!? 俺はべつに秘密なんて───陸遜を指差して目を潤ませないのっ! これは俺の性癖とかじゃないって言ってるだろっ!?」

 

 俺ってそんなに信用ないんでしょーか。そりゃ知り合ってから半年も経たない俺だけど、こうまで暴露すること前提みたいに言われるとかなりショックだ。

 が、ここでこうして動かないでいるわけにもいかない。未だに陸遜が鼻血地獄であるわけだから、早急に介抱してやらないといけない。のだけど───うあああ……! こういうときはどうしたらぁああ……!

 

「………」

「………」

 

 と、悩んでいると、そんな俺をぽーっと目を輝かせながら頬を染め、見つめてくる二人。

 

「いや、だから。どうして二人とも、俺が唸ってると顔を赤くして俺のことを見るんだ? 俺、へんな顔してるか?」

「はうあっ!? ななななんでもないでしゅよ!?」

「あぅ……なんでも、ないです……!」

 

 ……顔になにかついていやしないかと確かめたいものの、こうぎゅっと掴まれていると出来ることも出来ない。

 彼女たち……もとい、孔明はそうまでしてその本とやらのことを知られたくないんだろうか。

 話から察するに、すでにその詠さんとやらにはバレてるわけだよな? その人がきちんと秘密を守っているならまだしも……いや、案外知られていないと思っているのは彼女だけで、みんな知ってるのかも……。

 そう思うと、ここまで必死になる孔明が少し可哀想に思えてきた。

 

「わ、わかったわかった……誓約書でも結盟でもなんでもするから。今はまず介抱を───」

「本当ですかっ!?」

「二言はないっ! ただし書いた誓約書はちゃんと隅から隅まで読ませてもらうからっ!」

「はわ……しっかり者です……」

「なに書こうとしてたの!?」

 

 ひとつわかったことがあった。孔明は普段は慌てたりはわはわ言ったりしてるけど、そのー……いやらしい本? のことになると随分と人が変わる。

 それが本性なのか、普段の彼女が虚像であるかと問われれば、たぶんどっちも本性。

 必死になれば悪巧みのひとつでも働くってもんだろう。と、そんなこんなで解放された俺は陸遜を縛る紐を解いて───

 

「あぅうう~ん! 一刀さぁああ~ん!!」

「うわっ!? うわぁああーっ!?」

 

 解いた途端に両手を広げて襲いかかってきた陸遜を前に、大変驚愕! あれだけぐったりしてたのに、げに恐ろしきは人の欲求……!

 

「あ」

 

 しかし興奮が最高潮に達したのか、顔はおろか体まで真っ赤にさせた陸遜は、“きゅううう~……”と喉の奥から変な音を出して……俺と擦れ違うようにして倒れた。

 

「……うん」

 

 無理だねこれ。

 荒療治も駄目、地道な克服も無理っぽい。

 鼻血が出るまで、ぐったりするまで耐えてみせたというのに解放した途端にこれである。

 

「はぁ……とりあえず倉の外に出すか」

 

 仕方もなし。完全に目を回している陸遜の背と膝裏に手を通して、お姫様抱っこで倉を出る。

 そこから少し歩いた木の下に彼女を横向きに寝かせ、ハンカチで鼻血の処理を……ってしまった、ハンカチは明命の怪我の治療に……。

 ここからじゃあ小川も遠いし……

 

「……はぁ」

 

 溜め息ひとつ、陸遜の小鼻を軽く抓みながら、空いた手で鼻血を綺麗に拭っていく。

 拭くものがないのは問題だが、ここは大地に在住の雑草様に犠牲になってもらおう。ごしごし……と。

 

「まあ、完全に拭うのは無理か」

 

 鼻の下にも指にも、血の赤が染み込み残っているような状態だが、諦める。

 鼻血が止まったら小川にでも直行しよう。城で水を借りるって方法もあるけど、出来るだけ俺からの負担は削っていきたい。それがたとえ、手を洗うだけの水であっても。

 

「……さて。澄んだ空気にそよぐ風。ざあっと流れるように揺れる草花にゆっくりと赤らんでいく空。座る隣に綺麗な女性、と……耳にだけすればいい状況なのに……どうして俺は相手の鼻を抓んでるのかなぁ……」

 

 現状を口に出して愚痴ってみた。……返事はゼロだ。

 そうした今に溜め息の一つでもと思ったが、倉のほうからパタパタと走ってくる音に気づくと顔を上げ、走ってくる孔明と士元の姿を確認。

 その手には……倉の中で書いていたのだろう、一枚の質素な紙と筆が握られていた。……どうやら本気らしい。

 

「しぇっ……しぇい……誓約書、書けましたっ」

「………」

 

 はいっ、と突き出される紙を受け取って、たった今書かれたばかりの文字に目を通す。

 

 

 『◆秘密結盟誓約書

 

  一、各々、結盟せし者の秘密を他者に話すことを禁ず

  一、話すことをせず、図として知らせることも禁ず

  一、互いを信頼し、よほどのことでない限り隠しごとも禁ず

  一、保管せし書物は結盟者同士の共通の宝とす

  一、それらの書物を手に入れた際、結盟者にも報告することとす

  一、結盟者の危機には手助けをするものとす

 

  以上の誓約を守れぬ時、その者には辛い罰を与える      』

 

 

 …………といったことが書かれていた。

 えーとつまりなんだ。秘密をもらさず互いを信頼して? みんなで隠してあるいやらしい本を財産として? 危ない時は助け合いましょう、って……そういうことか?

 危機ってあれか? 本が見つかった時はフォローしてくださいとかそういうことか?

 そういうのは二人のほうが回避しやすい気もするが。なんてったって蜀にその人ありってくらいに有名な諸葛孔明と鳳士元───…………ああ、なんだろう。今日のこの時のことだけで、それがどれだけ無謀な信頼かがわかる気がした。

 

「それではここに、一刀さんの名前を」

「………」

 

 さらにはい、と渡された筆を手に、連ねられた孔明と士元の名前の下に自分の名前を書く。

 書き渋っていると泣かれそうな雰囲気だったんだ、勘弁してほしい。

 共通の宝とす、ってところに多少の引っかかりを覚えないでもないが、大丈夫だろう。

 

「じゃあ、これ」

「はいっ、北郷、一刀……はいっ♪」

 

 紙を渡されて何度も頷く孔明は、それはもう大変嬉しそうだった。

 一方の士元も誓約書を横から覗き見て、顔を綻ばせていた。

 秘密を守れることがそんなに嬉しいのかな……と考えてみて、そりゃそうかと納得する傍ら。

 二人がどこか興奮した風情で、陸遜の隣に座りつつ鼻を抓み直した俺へと詰め寄った。

 

「おわっ……な……なに?」

「あ、あの……私達、同志ですよね?」

「え……あ、ああ……そうだよな? 同じ志っていうのがいやらしい本で結ばれているのはどうかと思うけど」

「お勉強のためですっ!!」

「そ、そうでしたっ、はいっ」

 

 間近で凄まれると、ぷくっと膨らませた頬でも怖いことをたった今知った。

 

「それでですね、あの……互いを信頼するのでしたら、もっと、呼び方も……えと……」

「あぅ……朱里ちゃん、頑張って……」

「えぇっ!? 雛里ちゃんも言ってよぅ!」

「………?」

 

 呼び方? ……あれ? もしかして孔明とか呼ばれるの、嫌だったとか?

 

「あのそのえと、呉で一刀さんと正式に知り合って、お話をして……一刀さんがとてもその、やさしい人だっていうことはわかっているつもりです。それはまるで桃香さまのようで、兵にも民にもやさしく、気づけば人に囲まれているようなお方で……」

「なぁ、孔明、士元。もしかして字で呼ばれるの、嫌だったか?」

「はわぁっ!? いえいえいえいえいえいえいえそんなことないです絶対にないでしゅっ!」

「違います違いますあわわぁあ……!!」

「………」

 

 違うらしいけど、じゃあ……って、まさか真名で呼べと?

 

「あの。まさかとは思うけど、真名で呼べ、なんて……」

「その通りでしゅ…………~っ」

「うわっ、また噛んだっ! だ、大丈夫か? 慌てることないって言ってるのに……! ほら、ちょっと口開けてみて」

「ふえっ!? はわっ!?」

 

 ズイと顔を寄せて、二度目ともなる(知り合ってから何回噛んだかは伏せておくが)舌噛み。その傷がないかを調べる。

 恥ずかしがっていた孔明も真剣に頼むと頷いてくれ、小さく開かれた口から覗く舌は……うん大丈夫、傷らしき傷はなさそうだ。

 

「ん、大丈夫。しばらくすれば痛みも引くだろうから、あまり噛んだところを刺激しないようにすること。嫌な感じに喉が渇くかもしれないけど、そのときは唾液じゃなくて水を飲むこと。無理に唾液を搾るようにして飲む動作をすると、薄い傷が広がるから」

「わぷっ……わ、わかりました……」

 

 最後に帽子の上からぽふりと頭を撫でて終わり。

 さあ、陸遜の鼻血も止まったことだし部屋に戻って学校の話を───と起き上がった途端に、手をがっしと掴まれた。

 

「その……結盟を結んだから、というわけではありません。私と雛里ちゃんは、きちんと自分の目で一刀さんのことを知った上で、真名を預けるんです」

「迷惑なら謝りますから……逃げるみたいにしないでください……」

「はぐぅっ!?」

 

 いたっ……痛い! 自然的にそうして、呼び方とかは学校の話の最中でもいいかなって思っただけなのに……逃げるつもりなんてなかったのに、確かに今求められていることを後に回すのは逃げかなとか思ったら痛い! とても痛い!

 

「迷惑なんかじゃっ……! ただ、その……いいのか? 俺、二人の信頼を得られるほどのこと、してきたつもりがないぞ……?」

「信頼なら……他国であれだけの民や兵に慕われているところを見れば、十分です」

「一刀さんは、とてもやさしくて頼りがいがあって、その……あぅ……困った顔が可愛くて……」

「雛里ちゃんっ!?」

「へぅっ? あ、あわわ、今のはちがっ……あわわぁあ~……!」

 

 …………空耳? 困った顔が可愛いとか言われた気がしたんだが。

 問い返してみようにも、士元は大きな帽子を深く被って俺の目を見ようとしない。

 え? なに? じゃあ今までどこか赤い顔で俺のこと見てたのって……つまりそういうこと?

 ……はは、まさかなぁ。男の顔を見て可愛いだなんて、思うわけがない。

 

「と、とにかくですねっ、一刀さんが呉の民や兵のためにあちらこちら走り回っていたのを、私も雛里ちゃんも知っていますっ。本来なら魏の発展にこそ尽力をするべきお方なのに、他国の物事に尽力を振るう……そんな姿を私も雛里ちゃんも凄いなって思っていたんですっ」

「……!」

「う……や、俺は、ただ……」

 

 真正面からそんなことを言われ、無言で必死に頷かれると、さすがに照れる。

 素直に受け取っておけばいいんだろうが、まだ全ての人の心を救えたわけじゃない。

 全てを救うなんてことは普通に考えて無理だが、それでも手放しで喜んでいいのかが、俺にはわからなかった。

 

「一刀さん、その……私が言うのもなんなのですが、一人で背負い込みすぎるのはよくないですよ」

「そ、そう……です。自分に出来ないことを誰かが支えてくれる……そういうものを目指しているのなら、えと……もっと、呉の皆さんや、えと、えと……わ、私たちを、頼ってください……」

「孔明……士元……」

 

 心の中に、涼風が吹いたようだった。

 どれだけ考えても頭を熱くするばかりで、答えなんか見つけられない中で───それは一人だけで頑張るものじゃないと教えてくれた。

 そんなもの、自分こそが周りに散々と言ってきた言葉なのに、自分こそがそれを見失っていた。

 誰かの助けになればと思うあまり、なんでもかんでも自分で背負おうとしてしまっていたのだろう。

 結局俺は……誰かの助けになれるって部分がどこからどこまでなのかを、てんでわかっちゃいない。

 ……もう少し、力を抜いてみようか。自分はまだまだ守られる存在だ。そこから早く抜け出たいからって、焦ってしまっても仕方ない。

 以前にもこうやって自分の在り方についてを考えたけど、今度こそはと。

 

「……ありがとう、孔明、士元。俺……もうちょっと肩の力を抜いてみるよ。……今にして思えば、周りがとんでもない人だらけだから焦りすぎてたのかもしれない。みんなに追いつこう追いつこうって、そればっかり考えて。結果として善い方に転がってくれたけど、一歩歩く道を外していれば、こんなふうにして笑っていられなかったかもしれないんだ」

 

 何かを受け入れるのは難しく、何かを許すのはとても難しい。

 学ぶことは簡単だけど、覚え続けるのは大変で───栄えるのは簡単で、維持することは難しい。

 この世界はなにもかもが難しくて、いっそ全てを投げ出したいと思うことはあっても、それを本気でするなんてことは、結局自分には出来ないのだ。

 人は、本当に好きなものからは離れがたく、意識的にではなくても大切に思えるものだ。

 誰かが言ってたな……“私は私という個人ではなく、もっと大きな何かの中の一つだ。私には私として産まれた、何かの意味がある”って。

 俺にとってのそれが御遣いとして華琳に求められ、乱世を治める手伝いをすることだったなら……今こうして誰かに頼りながらでも強くなることも、俺にとっての何かの意味の一つなんだろうか。

 考えてみたところで答えらしい答えは見つかってくれない。それでも腐らないでいられるのは……

 

「………」

 

 こうして、たくさんの人に支えられ、励まされているからなんだろう。

 ああ……どんな場所でも状況でも、一人じゃないっていうのは……こんなにも暖かい。

 きゅっと握られた手から二人の温度が伝わってきて、そんな温かさがこんなにも心地よい。

 

(……やっぱり、誰かと繋がっているって……いいな)

 

 日本で鍛錬に明け暮れていた時には得られなかった温かさがある。

 ただ只管にこの世界に戻れる日を夢に見て、戻った時の自分が情けないままの自分で居たくないと思ったからこそ鍛えていった。

 今……その鍛えたことが役に立てているのかもわからない現在に立って、それでも俺は鍛え続けた自分よりも、他の誰かにこそ感謝せずにはいられない。

 だから、そっと二人の手から自分の手を逃すと、ゆっくりとやさしく、二人の頭を撫でた。

 感謝を、思いを、想いを込めて……やさしく、やさしく……。

 

「ありがとう、二人とも……ありがとう……ありがとうな」

 

 口から自然と漏れる感謝に、自分こそが驚いた。

 けれど嫌な気分など微塵もなく、自然に───本当に自然に微笑んでいる自分だけが少し恥ずかしくて、おかしてくて。

 二人はどうして感謝されているのかわからないといった風情でわたわたとしていたけれど、やさしく撫でているうちに目を細め、気持ちよさそうにしていた。

 

……。

 

 さて、そんなことがあってから数分。

 すっかり血も止まり、目を覚ましてくれた陸遜を前に、俺はきっぱりと言ってやった。

 

「ごめんなさい無理です」

「うぅぇええ~っ!? そ、そんなぁ一刀さぁ~ん!!」

「克服のために身動き取れなくしたのに、解放した途端に客人に襲いかかってどうするんだっ」

「うう、あれはなんといいますか頭がぼ~っとしてたから、つい、ついなんですよぅ? そんないつでも発情してるみたいに言われましても……そ、それに私、見境なしなんかじゃないですからね? 一刀さんだったから、ああして───」

「言い訳はいいから、とりあえず鼻を洗いにいこう」

「うぅう~……言い訳だけってわけでもないのに……その証拠に真名だって許せるんですよ……? なのにいつもいつもどこか線を引いた接し方をして……。亞莎ちゃんと明命ちゃんは頑張り屋さんですよねー……そんな線、ぴょいと飛び越えちゃったんですからー……」

 

 とほー、といった感じの表情を見せた陸遜は、拭いきれなかった赤を鼻に残したまま立ち上がると、ぶつぶつ言いながらよろよろと小川のある方向へと歩いていった。

 なんだろ、やたらと気になることを言っていた気がするんだけど。

 

「……よしっ、それじゃあ今日も学校会議をしようかっ。その後に食事で、最後に軽いおさらい……いつも通りってことで、大丈夫かな」

「はいっ。それで、あの……一刀さま」

「さん、ね? 様は勘弁してほしい。せっかく御遣い様って呼び方もやめてくれたんだから、様もやめてみてほしいかな。亞莎と明命はもう馴染みすぎちゃっててだめだけど、二人は今ならまだ変えられると……勝手に信じる」

「はう……か、勝手に、ですか」

「……期待に応えるのが、軍師の務め……だよね、朱里ちゃん……」

「…………あのっ、では一刀さんは私たちのことを真名で呼んでください。私達は固い絆で結ばれているんですから」

 

 えっへんと得意げに胸を張りながら言う孔明さんなのだが、その固い絆とやらが“いやらしい本”という事実が、ほら、こう……ど~しても頭の中に浮かんでは消えるわけで。

 そんなことに頭を痛めているうちにあれよあれよと話は進められ、

 

「姓は諸葛、名は亮、字は孔明。真名は朱里っていいます」

「あぅ……せ、姓は鳳、名は統、字は士元…………えと、雛里って……呼んでください……」

 

 もはややっぱりだめだなんて言ったら泣かれてしまう場所にまで辿り着いてしまっていた。(特に士元)

 なにせ、うー……と唸っていると、不安とか可愛いものを愛でるような目とか、いろいろな色の目で見られ───って、だからどうしてそんなほやほや顔で見るんだ。

 まさか本当に可愛いとか思って……? いやいやまさか。

 っと、本当に早く決めないと泣きそうな……ってきてる! ウルウルきてる!

 

「わわわわかったわかりました! 同志だもんなっ、大切な仲間だもんなっ、盟友だもんなっ! 大丈夫っ、二人が頭脳で俺を守ってくれるなら、俺は力で二人を守るよっ! これからよろしくなっ、朱里、雛里っ!!」

 

 口早に言うべきことを言い放ち、まずは一息。

 二人の様子をソッと覗き見ると、二人はとてもとても嬉しそうな顔でこくこく頷いていた。

 俺はそんな二人の頭を改めてやさしく撫でると立ち上がり、城へと歩き出し───たところで、再び二人に片手ずつを握られた。

 

「あ、っと……?」

「…………えへへ」

「……~……」

 

 夕陽が沈んでゆく。

 そんな眩しい景色の中を、今日一日だけでいろんな人との距離が縮まったなぁと思いながら、三人揃って歩きゆく。

 朱里は俺の手を握りながら、小さな声で「一刀さんが蜀に下りてきてくれればよかったのに……」と呟き、雛里は一度俺と目が合ってからは、俯いたままに目を合わせようとはしてくれなかった。

 なのに二人とも、俺の手だけは大事に大事に離さないようにしっかり握り、逃してはくれない。

 どこか擽ったい気持ちのままに、俺たちは城への道を歩いていった。もうすっかりと、どこになにがあるのかが大体はわかってしまった、住めば都のような他国の地を。

 ……その。エロ本というブツで結ばれた、固い絆とともに。



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14:呉/仲良くなるきっかけ①

35/日々を語る

 

 宛がわれた一室にて、話し声が幾つか。

 学校についての話のおさらいをしている俺、冥琳、亞莎、陸遜、朱里、雛里は陽が落ち切ってもまだ、話を続けていた。

 一つの机に俺が座り、今までメモに書いたものを確認しているんだが……あ、ちゃんと漢文でね? って、誰に言ってるんだ俺は。

 

「えぇっと~……学校というのは私塾が大きくなったようなもので~……」

「幼子が通う“幼稚園、保育園”から、小、中、高、大と学ぶ段階に分けての場がある、と……ふむ」

「えと、小、中までは義務教育として学ぶことが義務づけられていて、そこまでは給食という学校から提供される食事がある……で、よかったでしょうか」

「うん」

 

 そんなわけで、メモに纏めたものを陸遜、冥琳、亞莎が確認していく。

 それを俺の両脇から覗く朱里と雛里がふんふん……と頷きながら、小声で復唱しているのが聞こえて、少し可笑しかった。

 頭に叩き込むなら、復唱に勝るものはそうそうないとか聞いたことがあるし。

 

「この場合、すでに学のある者とそうでない者を段階ごとに分け、小中高大に分けるべき、なのでしょうか……」

「でも朱里ちゃん……下に見られて怒る人も……居ると思うよ……?」

 

 出た言葉がこれ。

 そう……雛里の言う通り、いくら歳が上で武力が素晴らしくても、勉強はてんで……という人物はこれで結構居たりする。

 秋蘭や凪あたりはそこらへんキチっとしてそうだけど、我等が魏武の大剣様は……アレだからなぁ。

 秋蘭が高校、または大学生だとすれば、春蘭は小…………でも通用するのか? ……だめだ、小学扱いにした途端に不平を漏らしつつ、一日でクラスの番長とかになってそうだ。確信に近いレベルで。

 

「じゃあまずはテストをしよう。簡単な問題から難しい問題を出して、それが解けた者を分けるって感じに。べつに三国の将の全てが通うわけでもないんだし、学びたいって言う人だけにそうした確認をする形で」

「…………北郷。その、“てすと”というのは実力を調べさせてもらう、といった意味で受け取っていいんだな?」

「っと、ごめん。そうなる」

「そうか。……実を言えば私も雪蓮も、公立塾を作るというのは反対だったがな。国も平和になったんだ、民に学ばせるのもそう悪いことには繋がらないだろう。事実、天の国では民が学ぶことが一般常識となっているんだろう?」

「うん。中学までは義務として学んで、高校、大学を受けるかは自由かな。学校に行かないなら社会に出る……まあ働くことになる───って、もう散々説明したな、これ」

 

 無駄にしないためにも出来るだけびっしりと書いたメモ。

 時々及川の落書きを発見するあたり、あいつは人のメモになんてことをしてくれてるんだとツッコミを入れたくなる。

 

「知恵を付けた民が暴動を起こさないとも限らない、ですか。私も桃香さまには同じことを言ってはみたんですが……その」

「少ししか話さなかったけど、桃香なら笑顔で“大丈夫だよ~♪”とか言いそうだな」

「人のことが言えるのか、北郷。私はむしろ、お前こそがそう言い出しそうだと思うのだがな。劉備が案を出さなかったら、お前が出していたんじゃないか?」

「……否定できない自分が怖い」

 

 朱里や雛里に言わせてみれば、俺の在り方は桃香に似ているんだそうだ。

 民や兵、将のために頑張る姿は本当によく似ていますと、この話し合いが始まる前ににっこり笑顔で言われ───雛里もその言葉に顔を赤くしながらこくこくと頷いていた。

 ……雛里ってやっぱり、物凄い恥ずかしがり屋……だよな。彼女らがここに来て、ちょくちょくと帰った日があったにはあったけど、結構顔合わせもしているっていうのに未だに慣れてくれない。拾われた猫と対面している感じだ。

 それなのに、やたらと手を繋ぎたがるというか……や、嬉しいけどさ。

 だってほら、ウチの……魏の軍師さんっていったらあんな調子だろ? こんなふうにして笑顔を向けながらとか恥ずかしがりながらとかで手を握るなんて…………あ、なんか視界が滲んできた。

 風も稟も桂花も、もうちょっと俺にやさしくしてくれてもいいと思うんだ……うん。

 

「話を戻そうか。学びにくる生徒たちには食事を振る舞うのか? それによっては学費問題が出てくるけど」

「そうですねぇ~……国が豊かになったとはいえ、無償で学や食事の提供を出来るほど、国庫は無限ではありませんから~……」

「じゃあ……弁当持参って形になるのかな」

「高等学校と言われる場ではそうなのだと言っていたな。だが金銭問題で学びたくとも学べない者も居る中で、通うごとに食料を必要とするのも問題があるな」

「だよな。出来れば“学びたい人”に優先的に学んで欲しいって思うし……」

「はぁ……たしかに嫌々学ばれても、教え甲斐は無さそう……ですよね」

「その点亞莎は熱心だから、安心だけど」

「え? ……ふえぇえっ!? わ、私ですかっ!?」

 

 一度話が始まれば、出てくる言葉は後を絶たない。

 こうすればいい、じゃあこれはどうなる、そっちはこうしようなど、学びたい者のためになる方向と金銭問題で学べない者のことも考えて考えて考えて……これがまた、結構難しい。

 

「あ、じゃあこういうのはどうかな。お金が無いけど学びたいって人は、国の仕事を手伝うことで免除される、って感じで」

「初めはそれでいいかもしれませんが、仕事というのも無限ではないです……。蜀はただでさえ、生活に困った人が仕事を求めてやってきますから……」

「その、桃香さまもそういった人たちを無下には出来ないお方ですから……」

「な、なるほど……」

 

 徳で名を知られる桃香だ、たしかにその通りなんだろう。

 となると、これは難しい。

 学びたいけどお金がない、お金がないから学を身につけ出世したい、けど金がない。働きながらでいいなら頑張りますから、なんて人はたくさん居ると思う。

 もし学びたい人たちが全員そうなら、国はかなり参るだろう。

 たしかに発展はするが、国庫が尽きるのが先か国が栄えて国庫が潤うのが先か。平行はまずないと思うから……これは難しいな。

 

「呉から学びに行きたい、魏から学びに行きたいって人の場合は、旅費も考えないといけないし、滞在するためにも金が…………んー……いっそ寮制度に───って、余計に金銭面での問題が出るか?」

「寮制度?」

「あ、うん。学校自体を大きな宿みたいに喩えて、学校で寝泊りをしながら勉強する、って感じかな。遠い場所から来る人は、どうしても金がかかるだろ? それを、一定の料金さえ払えば用意された部屋で寝泊りしながら学べる、って……そういうもの」

「なるほど……蜀だけで考えた場合でも、町から町へ歩くだけで陽が暮れてしまいますし……あれば便利かもしれませんね」

「それ以前に、蜀のみに学校を構える、というのが無茶ではないだろうか、と……思うようになってきたのだが」

 

 朱里の言葉に、冥琳が目を伏せた難しい顔で言う。

 うん、いっそ各国に学校を作ってみてはどうか、という話も少し前に上がった。

 けど、教えるのが頭の回る軍師たちである以上、国の仕事もあるわけだからそうそう時間も取れないわけで。

 特に呉は他の国と比べて将の数は少ない。

 学校を作り、たとえば冥琳、陸遜、亞莎を教師として任命したとしたら…………なんだろう、いろいろ危険な気がする。

 

「なぁ、確認したいんだけど……学校で教えるのは文字や歴史や……農作業とかそういったものでいいのか?」

「ああ、そうなるな。たしかにいつかは再び戦が起こるかもしれない。が、だからといって学を学びに来る者全てに戦術を教えるわけにもいかないだろう」

「学びに来る皆さんには、平和の実りになることを学んでいただければと思ってるんです。民の皆さんに頑張っていただいて、私達はその平和を守るために尽力する。そういった形でいいんだと思いますよ」

 

 冥琳と朱里の言葉に頷き、その上で考える。……戦は教えない、か。そりゃそうか、兵に志願しに来るわけでも、将に志願したいわけでもない。

 それぞれの民がどんな考えで学びに来るのかなんて想像することしか出来ないけど、今よりももっと上の自分で在りたいって気持ちはよくわかる。

 それは知識ででも力ででも技術ででも、きっと変わらない。

 

「う、んん……難しいですね……。あの、ではいったいどうしたら纏められるんでしょうか」

「そうですねぇ~……亞莎ちゃんはどうしたいですか~?」

「わ、私……ですか? 私は……出来るなら学びたい人全てに学んでほしいと思っています……。私はこうして、学べる場へと迎えてもらえたから学べましたが……そうでない人はたくさん居ると思うので」

「う~ん……そのためにどうするか、ですね~……」

 

 ニ国の軍師がうんうんと唸っている。

 俺はといえば……頭を捻り続けていても良案が出ず、多分ほかのみんなよりも余計にうんうん唸っていて……相変わらずというか、両脇の二人がそんな俺をどこかうっとりした顔で見ていた。

 

「あ、の……やはり、一刀さんの言う通り、学費が払えない人には仕事を提供する形でやってもらうしか……」

 

 と、ここでそんなうっとりさんの片割れ、雛里が帽子の端をきゅっと握りながら言う。

 その言葉にみんながうぅん……と難しげに声を漏らすと、雛里は自信なさげに俯いて、深く帽子を……被る前に抱き上げ、椅子に座る俺の足の間へと、すとんと下ろした。

 

「ふわっ……!? あわわっ……!?」

 

 当然大慌てである。あるが、俯く必要も怯える必要もないんだよ、と伝えるため、ゆっくりとやさしく体を抱き締めながら頭を撫でてゆく。

 途端にみんなが驚きの目を向けるけど、俺は雛里には見えない位置で目配せをした。

 どうもあがり症の気がある雛里は、学校の話の時でも喋ることが滅法少ない。

 そんな彼女が落ち着けるようにと、驚かせない程度にゆっくりやさしく撫でていく……って、抱き上げて座らせた時点で相当驚かせてたか。

 

「……大丈夫、落ち着いて。言いたいことがあるなら言っていいんだ。怯えないで、もっと自分を出して。……はい、吸って~……」

「すぅうう……」

「吐いて~……」

「はぅうううぅぅ~……」

 

 吐く息が涙声でした。

 ……な、なんだろうなぁ、この……湧きあがる保護欲のようなものは。

 すっぽりと腕の中に納まる体躯に、びくびくおどおどとした風情……理由もなくただ守りたくなるこの衝動……! もちろんそんな欲が思考よりも先に走ったから、こうして抱きかかえるなんて行動に出てしまったわけだが。あ、もちろんいやらしい意味は一切ない。困難の時には守るって血盟を守っているだけだ。

 そう、二人が知識で守ってくれるなら、俺は力で守ると言ってしまったから余計……なのか、守ってあげたくなってしまう。

 そんな理由からかどうなのか、俺は雛里をやさしく撫で続け、声でも落ち着けるようにと大丈夫、安心して、力を抜いて、などなど、不安材料を出さない程度の言葉を投げかけ───こてり。

 

「あれ?」

 

 ハッと気づいた時には、雛里は俺の胸に頭を預ける形で眠ってしまっていた。

 

「………」

『………』

 

 ……やあ、何故か他の皆様の目がとても痛いような。

 

「えーと……どうしよう」

 

 と、朱里へ。

 

「一刀さんさえよければ、寝かせておいてあげてください。雛里ちゃん、いつまで経っても呉で眠るのに慣れてなくて、あまり眠れてなかったんです」

「……そうなのか」

 

 そのツケが今になって溢れたと。でもこのままじゃあ風邪引くだろうし……

 

「じゃあ抱きかかえて運ぶから、部屋まで案内してもらっても……あれ?」

 

 抱き上げようとしてみて気がついた。雛里の小さな手が、俺の服を握り締めたまま離さない。

 助けを求めるようにみんなを見るが、みんなは何やら微笑ましいものを見る目や、仕方の無いものを見る目で同時に息を吐いた。

 

「一人が寝てしまったなら仕方ないな」

「うーん……そうですね~、知らないうちに話を進めてしまうわけにもいきませんしね~」

「あの、それでは今日はここまで、ということで……いいんでしょうか」

「ああ、それで構わんさ。……亞莎、穏ととも今日のことを軽く纏めておいてくれ。私は今回のことを雪蓮に通してみようと思う」

「は、はいっ」

「任されますね~」

 

 で、そんな視線に戸惑っているうちにあれよと人は散っていき、最後に……雛里を抱える俺と、ぽかんとする朱里だけが残された。

 ……ああいや、気配を殺してるだろうけど思春も居るだろうな、きっと。

 つまり血迷って雛里や朱里に手を出そうものならサックリ切られるか腕をキメられて床に倒されて、監禁されたのちに華琳からの直々の命令でグッバイマイサンってギャアーッ!!

 

「あの、すごい汗ですよ?」

「い、いや……なんでもない」

 

 心配そうに俺を見上げる朱里に、“ニ……ニコッ?”と疑問的に笑んでみせた。

 さてと。これからどうしようか。

 雛里は俺の服の胸部分をぎゅっと握ったままだし、引き剥がすにしたってあまり乱暴なのはな。

 

「…………まあ」

 

 寝るにはまだ早い。城に戻るのが遅かった所為もあって、食事は学校会議の前に終わったし、今することといえば、寝る時間までをどうするか、だ。

 兵舎に行って兵のみんなと話をするのが結構好きだったりするんだが、この状態じゃあ無理ってものだ。

 だったら…………あ、そうだ。氣の練習でもしようか。

 

「……よし。目標は、小さく……けれど大きく」

「?」

 

 口にした目標に朱里が首を傾げるけど、気にしないで解放。

 発する氣に雛里が驚いて目覚めたりしないよう、氣の気配は小さく……だが、氣自体は大きく鋭く。

 ん、集中───……まずは右手にうっすらと集めて、と。自分の頬に触れてみてから、刺激がないことを確認。その上で、そっと雛里の頭を撫でてみた。

 

(……むっ、顔をしかめた)

 

 これじゃあいけない。もっと細めて、安定安定……!

 やさしく、やさしく……眠る赤子を撫でるくらい、やさしく───……

 

「………」

「?」

 

 やさしくやさしくと意識していたからだろうか。自然と目が細り、笑むような表情になっていた俺の視界の隅に、ふと朱里の顔が映る。

 映る……といえばたしかに映っているんだけど、その顔は赤く、その目は薄く潤んでいるようだった。

 あ、あれ? また俺、おかしな表情とかしてたのか? ……いやいや、こういう気になることがある時だろうと集中出来るようでなきゃ意味がない。

 深く眠れば雛里も手を離してくれるだろうし、リラックスさせる意味も込めて、ゆっくりと撫でてゆく。

 

(……こっちにも妹が居たら、こんな感じなのかな)

 

 魏の妹分的存在、季衣や流琉を思い出しつつ、普段はどこか、びくびくおどおどとしている雛里を見下ろす。……自分の世界の妹はいろいろとアレなので、思い出さない方向で。

 さて。そんな雛里が、眠気が溜まっていたからとはいえ自分の腕の中で眠ってくれることに、くすぐったいような嬉しさを感じる。

 妹と意識してみて最初に思い浮かんだのは季衣と流琉……なのだが、女性として触れ、交わってしまったからにはもう妹とは見れない自分が居たりした。だから妹“的”存在だ。

 後悔なんて、二人に失礼なことをするつもりはないけど……反省はしような、うん。

 

「あの……聞いてもいいでしょうか」

「ん……朱里?」

 

 考えにふけっていた俺の聴覚に届く声。

 意識を思考から外して彼女を見ると、朱里は言葉を続けた。

 

「その……今さらですけど、一刀さんは何故、魏に下りたんですか?」

「魏に下り……あ、ああ」

 

 御遣いとしてって意味だよな? 何故と言われても……偶然だとしか言い様がない。もしくは、華琳が望んだからか。

 

「俺自身、何処に下りるかなんて自分で決められたわけじゃないんだ。“気づいたら、そこに居た”。魏に下りたってわけじゃなく、たまたま華琳が追っていた男たちの前に下りた」

「たまたま……ですか」

「そ。たまたま。そこで趙雲に助けてもらったし、一緒に稟や風にも会った。もしあそこで趙雲が俺を連れていってたら、俺だって魏に居たかどうかもわからない。稟か風と一緒に行ったなら、しばらくあとに魏に入ってたかもしれないし、能力不足で入れもしなかったかもしれない」

「え? あの、それでは……」

「うん。俺が御遣いとして扱われるかどうかなんて、あの時点では一択しかなかったんだ。趙雲にも稟にも風にも拾われず、華琳と出会う。それが、俺が魏へ下りた御遣いになるきっかけだ。そりゃあ、別の場所に下りていれば呉にも蜀にも居たかもしれない。きっかけっていうのはさ、なにが始まりかなんてしばらく経ってみないとわからないものだけどさ。俺にとってはそれがきっかけだったって、華琳に招かれた時点からわかってたんだと思う」

 

 意地っ張りで寂しがりで、本当は容姿相応に弱いけど強がりな少女。

 そんな華琳に出会って、一緒に天下を統一して。いつの頃からか華琳と見る景色が常になって、好きになって、愛して、別れて。

 いろいろあったけど、離れていた時間は余計に華琳への、魏への想いを募らせた。

 そんな想いも、この世界に戻ってこれたことで安定を見せてはいるが……“彼女のため”になることをしたい、抱き締めたいって感情はきっと、どこに居たっていつだって消えることはないのだろう。

 そこまで考えてみて、まるで恋愛に夢中になる女の子みたいだって思って笑ってしまったことは、一生華琳には内緒にしておこう。

 

「けど……そうだな。もし呉や蜀に下りてたら、華琳の敵になってたわけか。そこではどんな生きかたをしたんだろうな、俺」

 

 想像してみる。

 蜀はまだそう面識が高いわけじゃないからイメージ出来ないけど、呉なら少しは……と。

 んー…………まず雪蓮に振り回されまくって、祭さんに酒の相手をさせられたり、字が読めないから陸遜に文字を教えてもらって……うわ、襲われそうだ。文字は冥琳か亞莎に教わるべきだろ。な?

 あとは……明命と監視というの名のお猫様ウォッチングをしたり、蓮華と鍛錬をしたり思春に監視され続けたり…………あ、あれ? 魏に居る時とあまり変わらないような気がするのはどうしてだろう……。

 

「なんか……どこに下りても俺の立場ってあまり変わらない気がしてきた……」

 

 けど、秋蘭が死なずに済んだ一点においては、魏に下りることが出来た自分を褒めてやりたい。

 もちろん、赤壁の戦いで華琳が敗北することがなかったことに対してもだが。

 死んでいってしまった兵たちには謝っても謝りきれないけど……どうか、国の堺なんて気にせず、みんなで見守っていてほしい。

 必ず“笑顔で溢れる大陸”に辿り着いてみせるから。

 

「朱里はどう思う? 俺がもし蜀に……そうだな。桃園の誓いの前に、俺が桃香や関羽や張飛に拾われてたりしたら……なにかの役に立ててたと思うか?」

「はわっ!? か、一刀さんが蜀に、ですか? えっと…………」

 

 どうしてか顔を赤くしながら俯いて、胸の前で指をこねこねしながら思考にふける朱里。

 なにを考えているのかは知ることも出来ないだろうけど、なにやら小声でぶつぶつと……聞こえないな。理想のご主人様、といった部分がなんとなく聞こえた気がしたけど、はっきりとじゃないから確信は持てない。

 理想のご主人って……桃香のことだよな、きっと。結構慌てやすいイメージがあったけど、そっか。そんなふうに言われるなんて、案外しっかり者なんだろうな。

 真っ直ぐに慕われる桃香が羨ましく思えて、真っ直ぐに慕える朱里が凄いって思えて、すぐ隣の彼女の頭に手を置いてなでなで。慌てる必要はないって意味も込めてだったんだが、撫でた途端に俯いた顔は一気に真っ赤になって、もうなにがなにやら。

 

「そ、そそそそのっ、内緒ですよっ? 私がこんなこと言ったなんて、内緒なんですからねっ?」

「え? あ、うん、なにを話す気なのかは解らないけど、わざわざ言いふらすようなことはしないから、安心して」

「はわ……そ、そうですか、それでは、その……」

 

 うん、と一呼吸おいて、もう一度俯かせた顔を起こして……彼女は口を開いた。胸の前で両手をきゅっと握り締めて。

 

「その、ほかの皆さんがどう思ったかは解りませんけど、私と雛里ちゃんと桃香さまは……もっと頑張れたと思いましゅっ! ~っ……!」

「うわっ! また噛んだ!」

 

 きゅううう……と細い声を出して痛がる彼女を、雛里と同じく足の上に抱き上げる。

 咄嗟の行動だったにも係わらず、「はわぁっ!?」と声をあげるだけで抵抗らしい抵抗を見せない朱里の口を覗き、血が出てないことや血豆がないことに安心しつつ、ほぅと一息。

 

「………」

「………」

「すぅ……すぅ……」

 

 ……マテ。俺、なにやってますか?

 心配するのは解る。咄嗟の行動もまあ頷けないわけじゃないが……その咄嗟がどうして朱里を抱き上げて引き寄せることと繋がるんだ俺!

 欲求!? 欲望!? 俺の中の獣はそこまでどうしようもない状況に達しているのか!?

 い、いや……これは心配の表れだ。だって、引き寄せて一番最初にしたのが傷の心配だっただろ?

 俺はやりとげたのさ……そう、これはただの心配だった。だからこの手を離して、今すぐ朱里を解放……しませんよこの右手さまったら!

 

(あ、ありのまま今起こったことを話すぜ……! 俺は舌を噛んだ朱里が心配になった……と思ったら、いつの間にか隣の彼女を椅子に座る自分の膝の上に引き寄せていた……! な、なにを言っているのか…………普通にわかるよな、これ)

 

 よし落ち着こう、俺。

 手を離さないことにはそれなりの理由がある。きっとある。いつの間にか言葉通りの両手に花状態だが、左腕の彼女が服を離してくれない以上、これは仕方のないこと……なのか?

 でもまあとりあえずは。

 

「はわ……か、一刀、さん……?」

 

 雛里と同じく、膝に乗せた彼女を胸に抱くようにして頭を撫でた。こう、片腕で頭を抱き、その手で引き寄せるように。

 舌を噛んでしまった痛みに出た涙を見た瞬間、こうしてやりたいって思ってしまった。

 こうして引き寄せる行動がそこから来てたとするなら、もう無理矢理にでも納得しよう。

 

(……泣いている子をほうっておけるわけ、ないもんな)

 

 ぺふりとヘコむ帽子ごと、さらにさらにと、雛里の時と同じく氣を込めて、やさしく撫でる。

 胸に抱き寄せて、片手で抱き締めながら撫でる……はっと気づくと、それってまるで恋人同士みたいじゃないか? なんて考えが浮かんでしまって、しかし今さら急にやめるのも気まずくなりそうで。えーと。

 

(………)

 

 細かいことは気にしないことにした。今は朱里の涙をなくすことが最優先。

 舌を噛んだだけで泣くことなんてとも思うだろうが、朱里や雛里は迷子になっただけでも泣くからなぁ……。

 と、思い出すのは半月くらい前のこと。

 新たに出た本を買うために、朱里と雛里が町へと繰り出した時のことだった。



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14:呉/仲良くなるきっかけ②

-_-/回想

 

 その頃の俺といえば、誰に命令されるでもなく町を駆け回り、親父や他の父上様、母上様の手伝いをしていた。

 頼まれればサーイェッサーとばかりに振り向き、頼まれるがままに駆け回り……気づけば陽が落ち、眠る。そんな日々の繰り返し。

 その最たる原因が、俺を振り回す元気な元気な雪蓮さんであることは、もはや言うまでもないだろう。

 頭を撫でたあの日からかどうなのか、何故かやたらと俺を引っ張り回したがる彼女は、騒ぎが起こるよりも早く“不穏な空気を感じるわ”などと言い、俺を引っ張り出しては兵も用意せずに自分と俺の二人での遠出。

 人の三日毎の鍛錬も頭に入れず、辿り着いてみれば(いさか)いが起こっていた街や(むら)で、へとへとになるまで奉仕活動をさせては、一人茘枝(らいち)酒を飲んで“あっはっはっは”と笑っていた。

 そんな小さな愚痴を祭さんにこぼすと、「何故儂も誘わんのだっ!」と怒りだす始末であり……いや、あなた酒を呑みたかっただけでしょう? などと呟こうものなら説教でも始まりそう……っていうか、その矛先がど~してか俺に向けられる事実は、もういろいろと諦めるべきなのだろうと、呉の暮らしにも多少は慣れてきた頃のこと。

 

「へえ……じゃああの服の意匠は魏から受け入れたものなのか」

「は、はひ……あのっ、あああ、あれは一刀様が意匠した、と聞きましたがっ……」

「そうそう、いやー懐かしいなぁ。そっかそっかぁ、そうだよな、同盟組んだんだし、技術の相談なんかもそりゃあするか」

 

 漢文の勉強はしたといっても、これで結構細かい部分での違いはあるらしく、そこのところを呂蒙に教えてもらっていた。

 その途中、ふと宴の時に呂蒙が着ていたエプロンドレスのことを思い出し、訊いてみると───俺が服屋の主人と話し合いながら組み立てていった意匠の中の一つに工夫を混ぜて仕立ててみせたものだ、というのだ。

 不思議な縁もあるもので、けれど確かにこの時代で普通にエプロンドレスを作る人が居るわけが……いや、居るか? この時代でも外国……といったら聞こえは悪いが、あっち側の方ではエプロンドレスくらいはあるかもしれない。

 事実、下地となる意匠があっただけでもあんなに見事に作ってみせるのだ、呉の人のセンスに感心を抱くのは当然だった。

 

  それはそれとして、現在休憩中。

 

 ほうっておけばいつまでも机にかじりついて日々を過ごす呂蒙を見かね、冥琳が外の空気でも吸ってこいとお暇をくださった。

 俺の手にはほんの一握りのお小遣い。といってもまあまああるのだが。

 まるで「このお小遣いをあげるから外で遊んでおいで」と送り出された子供である。

 ……気持ちはわかるんだけどね。俺も呂蒙も、一度なにかに集中しちゃうとそれにかかりっきりになっちゃうし。俺の場合は鍛錬のほうでよくそうなって、呂蒙は勉強だな。そんな二人が一度机に座って集中し出すと、いつの間にか陽が落ちていることばかり。

 そんな前科(と言うべきだろう)もあってか、冥琳は俺達の反対意見など最初から聞く耳持たずで、半ば追い出すように町へと向かわせた。おまけに今日は誰かの手伝いをすることを禁じるとまで言ってだ。

 今日はいわゆる、気力充実のオフ日ってやつだろう。

 しかしこんな、まだ一日が始まったばかりの時分に出されてもな、と思うわけだが───

 

「………」

「………」

 

 会話が続かない。

 呂蒙は俺の質問に一生懸命になって返事をしてはくれるのだが、自分から語りかけてくることがまずないのだ。

 まだ慣れてくれていないのか、それとも純粋に男が苦手なのか。そこのところを掴みかねているんだけれど、無視をすることは絶対にせず、話し掛けようとしてくれる雰囲気は見せてくれるので、周泰と同じくとてもいい子なのは目に見るだけで明らかだった。

 一歩近づけば一歩離れるような、素晴らしきパーソナルスペースの持ち主でもあるわけだが、そんなものは誰だって一緒だろう。

 嫌われていないってわかるだけでも、今はそれで十分だ。

 

「なぁ、呂蒙」

「ふえぇえっ!? ふわっ、はひっ!? なななんでしょおぉっ!?」

「………」

 

 いや……十分だよ? ほんとだよ?

 ちょっと話し掛けただけでも叫ばれるほど驚かれても、嫌われてないってことだけは……うん、わかる……よ? 北郷ウソつかない。

 

(どうにかしないとな)

 

 俺と一緒に居る呂蒙が、息苦しい思いをしないためにも。

 誰かと一緒に居て、話しづらかったりするのは辛いだろうし……んー……。

 なにかプレゼントしてみるか? 新しい筆───はちょっと手が出せそうにない。使い慣れたもの以上となると、どうしても値段が上がりそうだ。

 だったらどうにかして自分で作ってみるとか……いつ出来るかわからないな、却下。

 

(もっと単純な、軽くにこやかになれるようなものとかはないだろうか)

 

 呂蒙の性格は魏にはなかったものだからな……真面目と弱い部分とでみると、どちらかといえば凪に近いものを感じないではないけど……凪はここまで人見知り的ではなかったし。

 うーん…………及川だったらこんなとき、どうコミニュケーションを取るんだろうか。

 

  「そら自分、モノで釣るに決まっとるやろ」

 

 ……思い出の中の眼鏡男子が、口を歪ませ眼鏡を輝かせ、自信たっぷりに仰った。

 モノ? モノって……やっぱりプレゼントか。

 

  「や、そら自分、違うわ。そんな、大して親しくもない相手から形として残るモン急に渡されて、きゃ~んありがとぉ、なんてことになる思とんのか?」

 

 いや……逆に引くな。むしろどうしてプレゼントされるのかって警戒する。

 

  「せやろ? やからここはなぁ、まず食べ物から入るんや。渡されて嬉しい、しかもお腹も満たされるっちゅう一石二鳥のモノ! それが食べ物っちゅーわけや!」

 

 お、おお! なるほど! 冴えてるじゃないか及川!

 

  「ふふーん、伊達にモテへんわけと違うんやでかずピー。俺かて本気出せば───」

 

 伊達にモテつつフラれつつしてないなっ!

 

  「うわぁあああんかずピーのドアホォオオオオオオッ!!!!」

 

 ……思い出の中の眼鏡男子が、顔を歪ませ涙を散らし、走り去っていった。

 えーと……ありがとう、及川。お前がくれた助言、胸に刻むよ。

 

「………」

 

 とはいったものの、“モノで釣る”っていう言い方の所為でこう、罪悪感のようなものがじわじわと滲み出てくるんだが。

 い、いや、これは必要なことなんだ。呂蒙が緊張しないために、“まず”の一歩。よし、うん、じゃあ問題は“なにをあげるか”だよな。

 

「んー……」

「……?」

 

 辺りを見渡してみる。

 少しずつぎこちなさが剥がれ始めた賑わいの中、誰もが急ぐわけでもなくのんびりと、その喧噪を楽しんでいる。

 呼びこみの声やものを焼く音、香ばしい香りや甘い香り、目を向けなくても何をしているのかがわかるくらい、声や音や香りが溢れていた。

 そんな中で俺が目を向けたものは───あんまんだった。

 

「おや一刀。どーだい? 食ってくかい?」

「や、おふくろ。んー……」

 

 湯気が漏れる店の前、集まる客を捌きつつも俺を見つけ、声をかけてくれるふっくらしたおふくろさん。

 威勢がいいことで有名で、一度“皆にゃ内緒だよ”と食べさせてもらったあんまんはとてもとても美味しかった。

 考えてみれば魏では野菜や肉やラーメンばっかりで、こういった……甘味って呼んでいいかは判断がつかないものを食べる機会はあまりなかった。

 凪や真桜や沙和と食べに出かければ、麻婆豆腐や餃子などが主だし、季衣とともに食べる流琉の料理はがっつりしっかりと食べるものばかりで、デザートのようなものはあまり……だよな?

 たまに華琳が春蘭と秋蘭を連れて甘味を食べに行くのを見ていたくらいで、俺が食べたのなんて数回程度だ。

 と、今はそんなことより呂蒙だ。

 どうするかを思考する中でちらりと見れば、店には寄らずに離れたところにちょこんと立つ呂蒙。

 どこか、親とはぐれた子供のようにそわそわと微妙に肩を揺らし、視力の弱い目で必死に俺を見ていた。……相変わらず睨まれているようにも見えるわけだが、俺を見失わないようにしてくれているのであれば“嬉しい”の一言で済ませられるんだから不思議だ。

 

「ん、ごめん。今回はいいや」

「おやそーかい。まぁ、またいつでも来るんだよ。あぁ、なんなら今手伝ってくれてもいいし」

「ごめん、それはまた今度。今は先約があるから」

「先約?」

 

 きょとん、と俺が振り返る場に視線を向けるおふくろ……の目が呂蒙をおどおどとしている呂蒙の姿を捉えるや、

 

「あぁあらあらあらあらっ、子明様じゃないのさっ。一刀ぉ、あんたいつから子明様とそんな仲良くなったんだいっ?」

 

 さっぱりとした笑顔がにたりとした笑みに変わり、店からどすどすと歩いてくるや俺の背中やら肩やらをバンバンバシバシと叩いてエェッフ! ゲッフ! ちょっ……妙なところキマった!! 少しは加減を知ってくれおふくろっ!

 

「そ~かいそ~かい、一刀は大人しい子が好きかい。だったらもう子明様は文句なしだろうねぇっ、あっはっはっはっは!!」

「あっ! だっ! ぐはっ! ちょ、おふっ、オフッ! ゲッフ! おふくろっ……! 客っ、お客さん困ってるって!」

「おぉっとと、しまったしまった。仕事ほったらかしにしちゃ、おまんまなんて食えないってねぇ。ま、上手くやるんだよ、一刀。あんたにゃもったいないくらいの相手なんだから」

「それと勘違いしないっ! 俺はされてもいいけど、呂蒙が迷惑するだろっ?」

 

 散々と叩かれた背中をさすりつつ言ってみるが、おふくろは「馬鹿言うんじゃないよ」とすかさず言ってみせ、

 

「女ってのはねぇ、興味のかけらもない相手をああやってずっと待ってたりしないもんだよ。ほら、とっとと戻っておやり」

「おふくろさん!? なんだかとっても勘違いされている気分が足下からじわじわと体をよじ登ってくるのですが!?」

「あぁもう男がうだうだ言ってんじゃないの、しゃきっとしなさいっ、もう!」

「いやそんな急に典型的なかーちゃんみたいなこと言われても……! あ、じゃ、じゃあ一つ訊いていいかな。女の子が喜びそうな食べ物っていったら……なんだろ」

「……ははぁん……?」

「ごめんやっぱりなんでもないです」

「お待ち」

「離してぇええーーーーーっ!!」

 

 女性に年齢などないのだと感じた瞬間、逃げようとした俺はニヤリと笑うおふくろに肩を掴まれた。子供からおばさままで、女性というのはとかく、色恋には興味津々なようだ……だから逃げようとしたのに。

 

「ふっくっくっくっく……なぁんだかんだ言って、やっぱり本気なんじゃないのこの子ったら……!」

「…………」

 

 俺の本当の母さんも、俺に恋人が出来たとかって聞いたらこんな顔して笑うんだろうか……そんなことをしみじみと思ってしまうほど、滅茶苦茶に嬉しそうな顔で笑われていた。

 どうしよう、今すぐ逃げ出したいのに逃げられない。

 どの時代でも、奥方様というのはこういう話に飢えているものなのかもしれないなぁ……。

 

「そう嫌そうな顔をするんじゃないの。一刀、あんた金はあるのかい?」

「あ、うんまあ、多少なら」

 

 一応仕事の手伝いやらをして、給金はもらっている。

 

「んー……そうかいそうかい、こんだけあれば買えるだろうさ。ちょっと待ってな、今材料と地図を書いてやるから」

「?」

 

 材料? 地図? ……急すぎて話が見えてこない。

 しかしながら、ざっと書かれたにしては案外丁寧な地図と、行くべき場所を丸で囲った目印が書かれた……えと。饅頭を包む紙袋を切って使われた地図を手に、「頑張ってきなっ」と背中を押された日には、なにがなにやらわからんまでも頑張らなきゃいけない気にはなるというもので。

 首を傾げつつも呂蒙のもとへと戻ると、呂蒙は睨むような眼光を落ち着かせると同時に、ホッとした表情で迎えてくれた。まるで寂しがりの子犬を見ている気分で、こう……抱き寄せて無茶苦茶に撫で回したくなるような衝動に駆られ───落ち着け俺! 思春様が見ている!

 

「お、おまたせ。行こうか」

「は、はあ……」

 

 “どうして俺がどもるのかわからない”といった風情で、けれど訊くことはせずについてきてくれる。

 そんな様子にただ思う。呂蒙に恋人が出来たら、彼女はきっと恋仲になった相手を立てる女の子になるに違いない、と。こう、なんていうのか……男の後ろを三歩離れた位置からついてくるような……そんな感じ。

 

(俺は……隣を歩いてくれていたほうが嬉しいけど)

 

 もしくは俺が三歩後ろを歩くとか。───って、俺の好みはどうでもいいから。

 

「あのさ、呂蒙。おふくろになにかのメモ貰ったんだ。今からこの材料を集めてみようと思うんだけど、時間、大丈夫かな」

「ふえっ……あ、は、はひっ、だだ大丈夫ですっ」

「そ、そか」

 

 いつまで経っても慣れてくれない。

 他のみんなにいくら声をかけられても、ここまでおどおどすることはないんだけどな。

 やっぱり男が苦手なんだろうか……と思いつつも、いつか手を握って友であることを約束したことを思い出せば、少なくとも自分は嫌われていないと頷けるわけで。

 

(焦らない焦らない)

 

 まずは一歩一歩だ。

 距離を縮められないなら、方法を探せばいい。

 そして今俺がしている行為は、おふくろが言うにはいいことに繋がる……はずなのだ。

 自分だけじゃどうにもならない状況なんだ、素直に従っておくべきだろう。

 そんなわけで俺は呂蒙を連れ、点々といろいろな店を歩いてまわり───

 

……。

 

 一通りの材料を揃えたのちには、城の厨房に二人で立っていた。

 

「じゃ、始めようか」

「は、はい……」

 

 腕まくりをする俺の隣には、エプロンドレスに着替えた呂蒙。

 どうやらおふくろは俺に材料を集めさせ、さらに一緒に料理をすることで親密度をUPさせよう、という魂胆の下に俺の背を押したらしい。

 書かれていたものは材料と地図、そしてレシピだ。

 そんでもって、俺達がこれから手をつける料理というのは、ごまダンゴという物体。

 簡単で、しかも美味しいのだという。

 そんなので呂蒙との距離が縮まるのかな……と心配になったが、料理というよりはおやつ作りというのも初めてに近い。

 なにごともとりあえず経験だと思ってしまっては、もう後に引くことなど考えることもなく、こうして腕をまくっていた。

 

「では確認! だんご粉!」

「えと、これ……ですね」

「声が小さいっ」

「ひゃうっ!? え、えと……?」

「だんご粉!」

「う、う……ば、ばっちりですっ!」

「よしっ、あんこっ!」

「まあまあですっ!」

「ごまとごま油っ!」

「揃っていますっ!」

「よぅしっ! それじゃあこれからクッキングタイムに入りたいと思います」

「はひっ! ………………くっき……?」

「とりあえずでも大きな声で返事してくれてありがとう」

 

 叫んでから首を傾げた呂蒙が可愛くて、思わず頭を軽く撫でてしまう。

 呂蒙は顔を赤くしたけれど、逃げることはせずに撫でられたままでいてくれた。

 ……よし、それじゃあ始めよう。

 

「えー…………? まずだんご粉を水で溶いて……? 耳たぶくらいの硬さになるまでよくこねる、と……ダマにならないようにしないとな……」

「だま……?」

「ん? ああ、ほら、こうして水を入れてさ、箸とかで溶いてみると……ほら、粉の塊の表面だけが固まって、玉みたいになるだろ? これがダマ。これは箸とかじゃなくて手でこねたほうがいいらしい」

「そ、そうなんですか。それじゃあ……えと……」

 

 戸惑いながらも、呂蒙はぐっ、ぐっと生地となるだんご粉を練っていく。

 俺は横から水を少しずつ加えてやり、硬さを調べながらジリジリとサポート。

 こういう場合は男の俺がやるべきだろ、って? いや、それは確かにそうだけど、勉強大好きの呂蒙さんにも勉強以外のことを学んでほしいと思うのだ。

 これはその過程のひとつ。勉強も大事だけど、他にも学べることはあるんだよって言葉を、声としてじゃなあなく届けたいんだ。

 俺の言葉を届けるっていうよりは、おふくろの言葉をってことになるんだろうが。

 

「あ、隠し味に生地にも砂糖を混ぜてみるのもいい、って書いてあるな。砂糖は…………って、勝手に使って大丈夫なんだろうか」

「それは……その、ちょっとわかりません……」

「だよな。じゃあ今回はこのままでいってみよう」

「はいっ」

 

 ねりねりとこねていく。

 単純作業だが、これで案外共同作業のようなものが好きなのか、生地をこねている呂蒙の顔は綺麗な笑顔だった。

 

「よし、これくらいかな」

「はふっ……結構疲れます……」

「ははっ、普段使わなそうな筋肉だもんな。代わろうか?」

「い、いえ、やってみたいです。じゃ、なくてっ……そのっ、い、いい……いしょ……一緒、に、その……」

「……? ああ、うん。一緒にやろうか」

「…………はいっ!」

(あ……笑顔)

 

 ぱあっと綻ぶ表情に、どこか安心を覚える。

 呂蒙は……正直なところ、あまり笑顔を見せてくれない。

 周泰のようににっこにこで元気ッ子というわけでもないため、だけでもない。

 男が苦手だ~という仮説はいくらでも立てたが、そもそもの時点で人が苦手なのだろう。いわゆる人見知り。

 見知らぬ人に吠えるでもないのだから、番犬のようだ~とは言わない。猫だな、うん。それも子猫タイプ。

 そんな彼女の笑顔を見られる瞬間には、知らずのうちに入っていた肩の力だろうがなんだろうが、そういった強張りがスッと抜けるくらいの可愛さがある。

 滅多に見れないものへの安堵感やら感動やら、そういったものが混ざるからだろうかなぁ。見ると安心するんだ。

 

「じゃあ次に生地をいくつかに千切って薄く伸ばして───……このくらいかな?」

「餡子を包めるくらいの大きさ……ですよね」

 

 ぐっ、ぐっと手の付け根あたりで押し広げるようにして伸ばしてゆく。

 薄白い生地が上手く円の形に広がっていくと、たったそれだけでも俺と呂蒙は互いの顔を見て笑い合った。

 そこにせっせと小さく取った餡子を乗せ、生地で包みこむようにしてこねこねと丸める。

 

「なになに……? 丸める際には、厚いところと薄いところ、ばらつきがないように綺麗に丸めること……か」

「は、はい。えと……伸ばす時に注意すれば大丈夫ですね。なんとか出来そうです」

 

 こね、こね、こね、と。生地と餡子を合わせ、団子を作っていく。

 現時点ではただの団子。これに白ゴマという名の装飾を施したのちにごま油でカリッと揚げたものがごまダンゴとなる。

 しかしまだだ。この餡子を包むという作業、これでなかなか難しい。

 大きな生地から千切った小さな生地には、どれだけの餡子が包めるのかが把握できないのだ。餡子が大きすぎれば包み込めず、小さすぎても中身のないただの空洞ダンゴになる。

 当然餡子の大きさの問題だけではなく、千切る生地の大きさにもよるので、これがまた余計に難しい。

 にこにこと笑っていた俺と呂蒙はいつしか無言となり、キリッとした顔で黙々とダンゴを作っていき───

 

「できましたっ!」

「こっちもだっ!」

 

 生地と餡子が尽きた頃には、ほぼ同時に顔を上げ、目が合うとにっこり笑顔。

 出来上がった団子の数々を見せ合うと、どうにも二人ともデコボコだったりした。

 それに気づくと、恥ずかしがりながらも笑って、形を整えるべく再びこねこね。

 まだマシっていうレベルの“見られる形”になってくると、今度は適当な容器に開けた白ゴマの上に団子を落とし、軽く押し付け埋め込むようにぐっぐっとゴマをくっつけてゆく。

 あとは熱しておいたゴマ油にごま団子(未完成)を投入、カリッとなるまで揚げれば───と、はい。ここに完成しているものが───あるわけがなかった。

 

「ガスコンロだったら微調整もできるんだけどな……愛英知クッキングヒーターでもいいけど」

「天では“英知”で火の加減が調整できるのですかっ!?」

「あ、いや……愛英知っていう、火を使わないでモノを熱くする道具があるんだ。モノが燃えることはないけど、とても熱くなる」

「す……すごいです、そんなものが天にはあるんですか……」

 

 呂蒙の言葉ももっともだ。感心する姿勢を取ってみないとわからないことだが、よくもまあそういったものが作れるなと感心する。

 なにもないところから始めて、手探りでそこまでの技術に達したんだから、つくづく先人って存在は凄いと思える。

 

「まあ……じゃあ、揚げてみようか」

「は、はいっ」

 

 気合一発、ぐっと両の握り拳を胸の前に構えた呂蒙が熱された油の前に立ち、素手で掴めるだけ掴んだダンゴをンゴゴゴゴと震える手で油へと───ってちょっと待ったァアアッ!!

 

「呂───」

 

 否! ここは叫んで駆け寄るところじゃない! なんというかその……あれだ! そのパターンはびっくりさせてバッシャーンでギャアーなパターンだ!

 故にここで正しいと思われる選択! それは静かに駆け寄りそっと止める! 結論を出したその瞬間には既に行動は終わっており、俺は静かなる無駄のない動作で呂蒙の両手をそっと掴み、行動を停止させてい───

 

「───~っ!! ひゃうぅあぁあああああっ!!?」

 

 ……た、はずなのに響く絶叫。

 なにを間違えたのかと言えば、彼女がひどく人見知りの激しい子だって事実を閃きの中に混ぜなかったことが敗因。

 急に抱き締めるように後ろから止められた呂蒙は、絶叫とともに身を振るい、手に持った団子を宙へと飛ばし───って、なにぃ!?

 

「───!」

 

 飛ばされた団子の数……およそ6!!

 うち四つが同じ方向へと飛んだが、残り二つはバラけて困った方向に……!

 

「呂蒙! 左側、任せたっ!」

「ふえっ!? は、ひゃうっ!?」

 

 俺は右側───四つ飛んだ方へと駆ける!

 といっても城の厨房とはいえそこまで大きなモノではない分、呆れた距離を駆ける必要も無い……のだが、壁や天井にぶつかってしまうくらいならば多少無茶でも止めてみせる!

 

(錬氣集中!!)

 

 練った気を足に集中させ、石造りの床を蹴る! 瞬間、床から離れた足の底は勢いよく壁に衝突し、その勢いが無くならぬうちに壁を駆け上がるように走り───団子が壁の高い位置に衝突するより早くトチャッとキャッチすると、安堵の瞬間集中が切れ───ドグシャアと床に落下した。

 

「あいっ! ~っ……つっはぁあ~……!」

 

 しかし、しっかりと団子は死守。

 ホッと息を漏らしつつ呂蒙のほうを見てみれば───……

 

「………」

「………」

 

 運悪く、天井の出っ張りにさっくりとくっついてしまっている団子が二つ。

 棒かなにかで落とそうか……と視線を外した途端、デドッ、と妙な音。

 視線を戻してみると、見上げていた顔面に団子を二つ乗せつつ、手をクロスさせて天井へと向けている呂蒙の姿があった。

 …………たぶん、落ちてくる団子を手で受け止めようとしたんだろうけど……なんだろう。後ろから見ると、バイクで走る仮面なライダーヒーローの変身ポーズにしか見えない。

 そんな彼女の顔の上からひょひょいと団子を取ってあげると、いろいろな意味で恥ずかしいところを見せてしまったといった様子で、俺からババッと距離を取ってあたふたと言葉にならない言葉を放ち出す呂蒙。

 ……うん。とりあえずは手にある団子を器に戻すと、二つの団子のへこんだ部分を包丁で刳り貫き、パックマンみたいになったそれをささっと丸めていく。

 そうしてから、何故かカタカタおどおどと震えている呂蒙を笑顔で手招きして、手を差し伸べる。

 

「失敗なんて気にしない気にしない。一緒にやるって言っただろ? 失敗は次回に活かせるけど、挫折は失敗の念しか引きずれないよ。……やるなら最後まで、一緒に楽しく。な? ていうかそもそも俺が急に止めたからだよな、ごめん」

「……あっ、いえそのっ……考えてみれば、一気に全部を入れようとするのは危なかったと思うのでっ……あのっ……!」

 

 おずおずと近づき、伸ばされた手が俺の手を握る。

 俺はそれを笑顔で握り返すと、少々照れくささを感じながらも……ちょっと待って? 今なんて言った? 全部? ……全部入れる気だったの!?

 

(……気合い。き、気合い入れよう。主に呂蒙が暴走しない方向に……!)

 

 心も新たに、改めて、ごま団子との格闘を再開させた。

 大丈夫、なんとかなる……! 少なくとも春蘭が料理をする以上にひどい結果なんて、そうそう起こるわけがないのだから───!

 

……。

 

 と、いうわけで。完成したものがここにあります。今度は本当に。

 

「できましたっ」

「おぉ~っ!」

 

 出来上がってみれば、焦げたりゴマが剥げたり餡子が飛び出て悲惨だったり、“大小”と“代償”が様々な団子が……。だがそれがなんだというのだろう。俺達は互いに懸命に、こうして形になるものを作り上げたのだ。

 うん、餡子がごま油に溶け出して爆発したときは、呂蒙ともどもホギャーって感じだったけど。

 銃弾や矢、魔法やら落下物から女の子を守る男ってのは聞いたことも読んだこともあろうものだろうが、跳ねる油から女の子を守るスケールの小さい男なんて、俺くらいなもんなんじゃなかろうか。

 しかしそんな寂しい調理感想は横に置くどころかポリバケツにでも捨てて、回収してもらうとしてもだ。

 焦げたものはいくつかあるものの、初めてにしては十分な出来じゃないか。

 ただひとつ言えることがあるとすれば、もはやどれがどっちが作ったごま団子なのかが、まるで、ちっとも、てんでわからないといったことくらい。

 出来上がってみれば、形が整ったものなど大してなかったのだ、仕方ない。

 

「じゃあ、せっかくだから外で食べようか」

「はいっ」

 

 形を問題にするのはお金持ちや見栄っ張りさんに任せよう。

 華琳はブスッと怒るだろうが、今ここで重要なのは一緒に作ったものが美味しいかどうかなのだ。

 それに……べつに不味くてもいいじゃないか、重要って言った矢先だけど、一緒になにかを作るっていうのはこれで案外楽しく、悪くなかったといえる。

 あのままただ漠然と歩いたりしているだけじゃあ、呂蒙のこんな笑顔は見られなかった自信があるから。

 

「~♪」

 

 いそいそと紙を敷いた籠にごま団子を移す呂蒙を見る。

 鼻歌まで歌って、本当ににこにこ笑顔だ。

 ほら。形こそ歪だし、もしかしたらその多少の違いで美味しいものが美味しくなくなるかもしれないけど……こんな笑顔が見られたなら、俺も笑うべきだ。というか自然と笑ってる。

 それに気づいた呂蒙が、もはや気恥ずかしさも見せずに純粋な笑顔を見せてくれるくらい、なにかを作るって作業はささやかだけど確かな興奮を、俺達にくれたのだ。



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14:呉/仲良くなるきっかけ③

 そうして訪れたのは、東屋の傍にある軽い斜面。

 さらさらと整った毛並みのように茂った緑に腰を下ろすと、呂蒙はその横にちょこんと腰を下ろした。

 互いに無言。

 でも嫌な空気はなく、むしろ自分たちで作ったものの味を今こそ……と、妙に気負った空気がこの場にはあるのだが───その時、ふわりと吹いた風が、甘い香りを鼻腔に届けてくれた。

 

「……ははっ」

「ふふふっ……」

 

 なんとなく見つめ合って、小さく笑う。

 俺は悪餓鬼みたいにニッとした表情で目を細め、呂蒙はくすくすといった感じに。

 そして、まだ熱々のごま団子をお手玉しながら口に頬張ると───

 

「おっ───」

「わあっ───!」

 

 ふわりと広がるごまの香りと、ふゆり……と歯で千切れる生地の食感。そして、追ってやってくる餡子の甘みが口一杯に広がって。

 

「んまぁーいっ!」

「お、おいしい、です───!」

 

 続く言葉なんてそれだけで十分だった。

 でも熱かったのは事実で、ほふほふと口に空気を招きながら食べていく。

 

「香ばしくって、もちもちしてて、甘くって……こんな美味しいもの、私初めてですっ!」

 

 呂蒙は興奮冷め遣らぬといった様子で、小さく開いた口で懸命にぱくぱくとごま団子を口にした。

 

(す……すげぇぜおふくろ……!)

 

 甘いもの、おそるべし。

 おどおどしてばかりだった呂蒙が、こんなにも笑顔を持続させて、それどころかここまで(はしゃ)ぐなんて……。

 思わず強敵と出会ったバトル漫画の主人公のように、意味もなく顎の下に伝った汗を手の甲で拭った。

 

「はむっ……はふっ、~……♪」

 

 こちらはのんびりと味わいながら、右隣に座ってぱくぱくとごま団子を食べる呂蒙を見る。

 歳相応、笑顔がとても可愛いその姿からは、普段の書簡や文献とにらめっこをしている姿は連想できない。

 無邪気で、甘いものが好きで、こんなにも笑顔が可愛くて。

 そんな笑顔を、自分との作業で見せてくれたことが、俺は思いの外嬉しかったんだろう。

 緩んでいく表情を抑えることができず───いつしか俺も、自然と、引き締められない笑顔のままでごま団子を食べていた。

 

……。

 

 ……さて、おやつの時間も終わり、ほっこり笑顔でそれではーと手を振って別れた呂蒙を見送ると、俺もまた歩き出す。

 きっと少し経てばまたおどおどな呂蒙に戻るんだろうけど、それを今ツッコんでみて自覚させてしまうのはもったいない。

 妙な達成感を胸に、これからのことを考えつつ城から街へと下り、町の賑やかさに笑んでいたところで…………ふたりの少女に、出会った。出会ったというか、一方的に発見した。

 

「あれは……しょ……っとと、孔明に士元?」

 

 つい諸葛亮に鳳統と口にしそうになるのをこらえる。

 そこまで親しいわけでもないという理由で、名を呼ぶのは控えているところだ。

 その割には孫権のことは普通に孫権って呼んでるけど……うん、でも仲謀って呼ぶのも違和感があるんだよな。

 印象の違いっていうやつだろうか。諸葛亮っていえば孔明。孔明と呼ぶのになんの引っかかりもないのに対し、孫権を仲謀って呼ぶのは、言ってはなんだが孫権らしさがないというか……わかってくれるだろうか。

 親父たちは仲謀様と呼ぶんだけど、咄嗟に言われると誰のことだか考えてしまったりするわけで……うん、そういった意味では真名っていうのは本当にありがたい。

 

「おーい、孔───……?」

 

 声をかけようとした。したんだが、二人はのんびりと歩くことはせず、ぱたぱたと走っていってしまう。

 出てきた場所は……書店? でもなにか買った様子はなかったな。

 もしかして本を探してるのか? たしかあと三件ほど、書店はあったはずだが───……うん、なんだか普通に建業のどこになにがあるのかがわかる自分が、少し面白い。

 この短い間で雪蓮にさんざん引っ張り回されたからな……人の顔も、住む位置も嫌でも覚えるってもんだ。

 たとえで言うなら、これだけ広いのに……そう、目に見える位置にご近所さんが出来たって……そんな感じ。

 目に見えるっていうのはもちろん実際の視覚的なものじゃなく、感覚的なものだ。遠く離れていても、まるで近所に住んでいるように親しいとか、そういった感じ。

 

「……にしても、なんだってあんなに慌てて……?」

 

 まるで人目を避けるかのように、ぱたぱたと駆けては通り道の角に張り付いて、あっちをきょろきょろこっちをきょろきょろ。

 てっきり見つかるかな、なんて思ったけど、丁度目の前を通った町人に遮られ、彼女らは俺に気づかなかった。

 

「~!」

「……? ……、……」

 

 二人ははわあわとなにかを話し合っていて、突如真っ赤になって叫んだり急にしぼんだりと忙しい。

 いったいなにを求めて書店に行ったのか、あんなに慌てる内容の本が、果たしてここらに売っているのか。

 なんとはなしに気になったので、尾行(つけ)ることにしました、オーバー。

 

「………」

 

 しかし、俺はといえば、歩けば“俺”と丸判(まるわか)りのフランチェスカの制服。陽光を受けてさらりと輝くソレは、町民と商人だらけの町中ではあまりに目立ち過ぎた。

 そう、こんな人通りの中だろうが、孔明と士元の二人がよく目立つのと同じように。

 

「ふむ」

 

 追うのはいい、決定だ。決定だが、バレるのは気まずい。

 よいか北郷一刀よ、これはミッションである。彼女らに気づかれず、彼女らの怪しい行動の意味を知るのだ。

 そのためにならば、俺は修羅にも羅刹にもなろう。ついでにアシュラマンにもなろう。ごめん無理です。

 

「……お」

 

 と。さささっと歩く途中、はた、と目が合ったのはさきほどいろいろと都合をつけてくれた饅頭屋のおふくろ。

 きょとんとした顔ののちににこぉっと笑って、「上手くいったようだねぇ」と言ってくれる。

 

「ああそうだ、さっきちょいと桃をもらったんだけどねぇ、ちょっと量が多くて余っちゃってるんだよ。三つって半端な数だけど……一刀、いらないかい?」

「へ? ……い、いいの?」

「ああ、いいんだよ。悪くなりかけだってんだから、あたしもつい貰っちまったんだけどねぇ。ちょいと全部は食べ切れそうにないから。ちょっと待っといで。え~……とぉ? たしかこのあたりにぃ~……ああほら、これこれ、これよぉ」

 

 ガサリと、桃が入っているらしい紙袋を渡してくれる。

 それを受け取ると、やはり不安だったので中身を確認すると……むわっと広がる桃の香り。

 なるほど、ちょっと柔らかくなりすぎているらしい。店に置いておけば、あと半日と経たずに台に接触している部分が崩れ、そこから腐るだろう。

 これはすぐに食べないともったいないことに───……あれ? 三つ?

 

「………」

 

 ガサリと紙袋を揺らしつつ、もう結構先のほうまで歩いていってしまった二人の少女を見やる。……丁度いい、かな? 話すきっかけくらいにはなるかも。

 

「ありがとな、おふくろ。これ、もらってく」

「ああ、またおいで。今度は、ちゃあんと買っていくんだよ?」

「ははっ、お金があったらね」

 

 急ぎ、見失わないように駆け出す。

 さて、距離はとれているけど見失うのもほんの一手先。相手がほんのちょっと道を逸れてしまえば、簡単に見失ってしまう。

 そのためにもあまり距離を離しすぎるわけにもいかないんだが……いや、待てよ? 紙袋……紙袋?

 

「!」

 

 閃きを感じた俺は、すぐに行動に出た。

 あまり大きな行動はとらず、だが急いで……服屋へ。

 そこで鋏と書くものを借りると、紙袋に細工をして───

 

……。

 

 ───変装をして、服屋から産まれ出でた。

 

「イエイ」

 

 じゃーん、とか脳内で効果音を鳴らしたい気分で、陽光を浴びて大地に立つその姿、まさに別人。

 制服の上は脱ぎ、腰に回した両袖を腹の前で縛ることで固定。

 上をシャツだけにし、頭には先ほど細工した紙袋。目の部分に長方形の穴を空け、額となる部分には“校務”の二文字。

 両手には、いい香りを放つ桃を右に二つと左に一つずつ。

 ズシャリと歩き出すその姿……その名を校務仮面。

 学校に存在し、用務員的なことをこなす、不思議な不思議なマスクマンさウフフ。

 

「さあ、これで見つかる心配もなく孔明たちを追え──────……見失った」

 

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。

 

 ……その日。とある町の一角で、大地に両手両膝をついて項垂れる奇怪な輩を発見したと、雪蓮に報せが届いたとかなんとか。

 あ、桃はきちんと持ったままだったから問題ない。ついていたのは手の甲だから。落ち込まずにはいられなかったのだ、ほっといてほしい。

 

……。

 

 で。

 

「…………」

「………」

「……」

 

 自分の馬鹿さ加減に頭を痛めつつ、町を駆け回ったのちに……探していた孔明たちは、そういえば本を求めていたのでは───という答えに辿り着くまで、そう時間は要らなかった。

 そうして見つけた二人を眺めつつ、一定の距離を取って監視する俺がいる。

 時々、ちらちらと孔明がこちらを見るが、俺は隠れることもせず堂々と、彼女らを見守った。うん、ストーカー行為だよね、相当に悪質の。

 しかもどうしてか桃を持っているので、さしもの孔明もこの校務仮面の目的がまるで掴めておらぬと見えるわ、ゴワハハハ。などと悪役になっている場合ではなく。

 ……ちなみに、士元のほうは怖さのあまりかこちらを振り向こうともしない。

 ただ、彼女たちが歩き、俺も歩く音にびくり、びくりと肩を震わせるばかりだ。

 

「…………」

 

 しかしこう、なんだろう。そろそろ嫌な予感がしてきた。

 落ち着こう、俺。もしここで二人が町人か誰かに助けを求めたりしたら、校務仮面を被って彼女を追っていた俺って……問答無用でとっ捕まるんじゃないだろうか。

 そうなれば騒ぎを鎮めにいったのにまた貴方が……と華琳に怒られて……い、いかん、それはまずい。

 だったら今こそこの桃の出番です。えー……おほんおほんっ!

 

「もし、そこの二人」

「きあぁああああぁぁぁーっ!!」

「あわぁああああぁぁぁーっ!!」

 

 …………。

 

「…………」

 

 あれ? …………え? 声かけただけで逃げ───? って!

 

「のっ……逃すかぁああーっ!!」

 

 はい、と桃をやさしく渡すおじいさんを演出しようとした俺を前に、逃げ出した二人を即座に追う!

 もちろん人通りの多い場所に辿り着く前に、氣を関節に集中させて加速した足でだ。で……軍師殿二人の足は、予想通りと言うべきか遅く、あっさりと回り込みに成功した。

 

「は、はわ、はわわ……!!」

「~……!!」

「…………えーと」

 

 で、回り込んでみて、余計に怯えられていることに気づいた。

 そりゃそうだ、ストーカーが自分より足が速く、しかもあっさりと目の前に回り込んできたら、俺だったら勘弁してくれと嘆くだろう。

 え、えーと……違うよ? 俺ただ、桃……そうっ、桃だ桃っ!

 よし、俺だとバレない程度に大げさな話をしつつ、警戒も解いてもらって……

 

「娘らよ。我は校務道を究めし者、校務仮面。世に在る全ての雑用、こなさずにおれん!!」

「……!」

「……! ……!」

「……Oh……」

 

 大げさすぎた。急な大きな声に萎縮してしまった二人は、それ以上深くは被れないだろうに必死に帽子を引っ張ると、懸命に顔を隠して俺が見えないように視界を遮り震えていた。

 

「あいや落ち着きめされい。実は旅の道中、辺りを警戒しながら歩くうぬらを見かけてな。心配になったがゆえ、こうしてあとを追った」

「……、……」

「……っ……っ……!」

 

 ……あの。ものすごい勢いで震えてらっしゃるのですが。しかも涙流してる!

 

「あ、あー……ごほんっ! ……娘らよ! うぬらにこの桃を進ぜよう! この桃、ただの桃と思うことなかれ! 一口食べればたちまちに背が伸び、」

「はわっ!?」

「ニ口食べればあがり症が治り、」

「あわ……っ!?」

「三口食べれば───……何故かゴリモリマチョ……筋肉モリモリになります。上半身だけ」

「ふぇええええっ!!?」

「あわぁあっ……!!?」

「さあ……食べられよ!」

「い、いぃいいいいりませんっ! いりませんんんっ!!」

「いらないですっ……!」

 

 怯えていたわりに即答でした。

 どーん、って迫力ある(つもりの)渡し方をしてみたんだが……全然ダメだったようだ。

 

「いや……なにもそんな全力で拒否しなくても……ほ、ほら、美味しいよ? いい匂いだし」

「いりませんっ!」

「い、いらない、ですっ……!」

「いやほんと、毒とか入ってないからっ!」

「いりませんっ!」

「美味しいってば!」

「いらっ、いらない、ですっ……!」

「いやちょ……───よ、よしわかった、だったらキミたちにこの中の一つ、どれでも好きなのを選んでもらって、その一つを俺が食べよう。それで毒が入ってないって安全性は理解してもらえるよな?」

「騙されませんっ! き、きっと口の中に薬が隠されているんですっ!」

「どこまで用意周到なの俺!! そんなことしないからっ! ───はっ!?」

「…………?」

「…………!」

 

 うわまずいっ、つい地声でツッコミをっ……!

 見れば孔明は首を傾げて俺を見て、士元はハッとなにかに気づいた様子で───!

 

「あ、あわっ……み、みつはみゅっ……!?」

 

 悪いとは思ったが、小さく開かれた口に桃を押し付け、チャック代わりに!

 咄嗟に口を庇うように伸びた手が桃を掴むと、即座に手を離してダッシュ!!

 

「そ、それでは気をつけて! さらばっ!」

 

 擦れ違う瞬間に、ひょいと孔明にも桃を投げ渡し、俺は人気のない道を全力で駆け抜けた。

 ……バレた? バレたよな、たぶん。御遣い、の“みつ”まで出かかってたし、孔明は孔明で、もう少しで答えに辿り着きそうな顔してたし。

 まいったな……校務仮面の正体は絶対に秘密なのがルールなんだが───

 

……。

 

 ……などと馬鹿なことを考えながら、二人の様子を見守る時間は続く。

 二人はきょろきょろと辺りを見渡しながら道を進み、三件目となる本屋に入ると───……しばらくして、顔を赤くしながら一冊の書物を手に出てきた。

 ハテ……赤く? などと首を傾げた俺だったが、恐らくこれがのちに俺と彼女らが結盟を結ぶきっかけとなるものの一冊なのだろう、と思うのは、これから約半月後のことである。

 そんな事実もわからないかつての俺は、首をかしげつつも……なにやら興奮しているらしい二人があっちへふらふらこっちへふらふらする様をハラハラと見守りつつ、さらにさらにと後を追ったのだが。

 

  それから……軽く五分後。

 

 ……俺は、軽く眩暈を起こしそうな頭痛にため息を吐いていた。

 

「はぁあああ~うぅうう~……!!」

「あぁあああ~……うぅう~……!!」

 

 赤かった顔も興奮もどこへやら。

 いつしか涙を目尻に溜め始めた二人は、手を繋いだまま───迷子になってらっしゃった。

 どうやらここまでの道のり、本を買うことばかりに意識が向かいすぎていて、来た道を忘れてしまったらしい。

 加えて今の時間は人が最も賑わう時間帯。ざわざわと行き交う人たちに飲まれては、頑張って互いの手を離さないようにするので精一杯のようだ。

 あ、うん、あと買ったらしい謎の本を決して手放さぬようにするのに。

 

「………」

 

 ちらりと眺めてみれば、実は一番最初に通った通りであるこの場所。

 二人は迷子になったという混乱のあまりにそれに気づいておらず、先ほど桃をくれたおふくろの前を通っては、おふくろにきょとんとされていた。

 けれどおふくろもこの人の波を饅頭で捌いていくので手一杯だ。声をかける余裕なんてあるはずもなく、ようやく少し時間が空いたかと思えば、少女二人はもう離れた位置へと歩いていってしまっているわけで。

 

「………」

 

 さて。

 そんな人垣の中を、人の流れを予測してすいすいと歩いている俺なのだが。

 これで結構イメージトレーニングというものはありがたいものだなぁと実感している。

 相手がどう動き、それに対して自分がどう動くか。それを想定に入れた修錬の一つなのだから、こうした場面でも役には立ってくれた。

 ……イメージしてきたのが春蘭や華雄、祭さんや思春や周泰である分、むしろこういった町人の動きはゆったりとしたものにも思える。

 

「………」

 

 そうしてじわじわと近づいて……じゃないっ、近づきすぎだっ! なんというかこう、すでに撫でやすい位置に二人が居らっしゃるじゃないですか!

 ……あ、でもこれならコケそうになった時は咄嗟に───

 

「……?」

「あ」

 

 ハッと気づけば、鼻をひくひくと動かした士元が俺を見上げていた。

 そして思い出す。俺の手には、桃の一つが握られっぱなしだったということを。

 風かなにかでふわりと流された香りに、こてりと首を傾げるように振り向いた士元の目が、はっきりと……そう、俺を捉えていたのだ。

 途端に、絶望の中で神にでも出会ったような喜びと不安たっぷりの顔からぶわぁっと涙が溢れてホウワァアーッ!?

 

「はぐっ……みちゅっ……御遣いさまぁああ~っ……!!」

「だわーったたっ!? ち、ちがっ……俺は校務仮面でっ!」

 

 突如として腰に抱きつかれた。当然そうなると、手を繋いでいた孔明も引っ張られる形となり───……校務仮面の正体は、泣く少女二人を前に、あっさりと露呈することとなる。

 だってさ、御遣い様御遣い様って何度も言って、そのたびに違うって否定すると、すごく悲しそうな顔するんだぞ?

 たとえ、もし、本当に、今ここに居る校務仮面が俺じゃないべつの誰かだとしても、ここまで泣かれてここまで御遣いであることを望まれたら、目を逸らしながらでも「御遣いです……」って言わなきゃいけない使命感みたいなものに襲われる。絶対にだ。

 

 

 

-_-/一刀

 

 と、そんなことがあって以来、俺と二人の関係は少しずつだけど近づいた。

 まず御遣い様だった呼称が一刀様に変わり、それからの付き合いや説得により一刀さんに変わり。

 そして、亞莎ともごま団子がきっかけでよく話すようになり、時々暇を見つけては、“もっと美味しいごまだんご”を目指し、頑張っている。

 ……お金が亞莎持ちというのが申し訳ないところだが。

 

「……っと、あれ?」

 

 思い出に浸っていると、胸に重みを感じた。

 見下ろしてみれば、いつの間にやら朱里も眠ってしまったらしく、俺の胸に頭を預けるようにして穏やかな寝息をたてていた。

 

「……この体勢で寝るって……息苦しいだろうに」

 

 二人をきゅっと抱き寄せるようにして、自分の頬をひと掻き。

 こうしないと指が届かなかったんだから仕方ない。

 ……仕方ないんだが………………どうしようか。

 立ち上がろうにも、二人は完全に俺の太股と胸に体重を預けてしまっていて、無理に下ろそうとすればあっさりと起きてしまうだろう。

 とはいえ、このままだと俺も眠れないというか……せめて寝台には行きたい。

 ひょいと持ち上げて下ろす、という方法もあるんだが、下ろすって何処に? 俺の寝床に?

 ……か、勘弁してくださいよ神様。俺、ただでさえ思春と同じ寝台で寝てて、彼女の息遣いとか自分のものとは違う体温を感じたりとかで、大変な思いしながら寝てるんですから……!

 などという嘆きを頭の中で口にしてみても、脳内神様は「長寿と繁栄を!」と言うだけだった。

 

「…………えーと。どうしようか、思春」

「それは貴様が決めろ」

 

 意識ある者が居なくなった途端、俺の問いに応える人、降臨。

 しかも椅子に深く腰掛けている俺の後ろで、なんの断りもなしに聞こえる衣擦れの音。

 ……相変わらず、こちらの都合などお構いなしの人だ。着替える姿を見せないのは、むしろ俺はやさしさだと受け取ってるけどね。

 見せられたらどうなるか、想像に容易い。もちろん全力で踏みとどまる気は常に最大値ではあるが。

 

「………」

「………」

 

 それから思春は特になにも喋ることなく、寝床に潜ってしまう。

 俺はといえばこの状況をどうするか~と考えて、

 

「……あ、じゃあ」

 

 抱き締めた二人の感触に、ちょっと頭がボウっとしてきている。

 こんな自分の目を覚まさせるためにも、少し素振りでもしようか。

 そうと決まれば行動は速い。出来るだけ揺らさないように朱里と雛里を片手ずつで持ち上げ、思春が横になり目を閉じている横に寝かせてゆく。

 

「……? なんのつもりだ」

「いいよ、寝てて。俺ちょっと、素振りしてくるから」

 

 目を開いて質問を投げかける思春にそれだけ言い残すと、護衛のためというか監視のためというか、起き出そうとする思春を押し留める。

 しかし思春は聞いてくれず、解いていた髪をシュタタタタッと纏めると、先ほどまで着ていた庶人の服を纏い、俺を促した。

 

「うう……だめ、って言っても聞いてくれないんだよな?」

「それは貴様とて同じだろう」

「……そうかも」

 

 だったら行くしかないか。

 寝台の傍らに置いてあるバッグの横、立てかけてある竹刀袋に入った黒檀木刀を手に取ると、歩き出す。

 

「……な、思春。今日はちょっと真面目に相手してもらっていいか?」

「元よりそのつもりだ。満足に寝床につけると思うな」

「怖いよっ!? えっ!? 俺なにかしたっ!?」

「必要なこととはいえ、次から次へとよくも女を懐柔する言葉が湧いてでるものだ……その口、一度徹底的に叩きのめす必要がある」

「あ、あー、あーのっ!? 意味がよくわからないのですが!? 女を懐柔って……俺ただ普通に───」

 

 発する言葉も右から左へ。

 思春が歩くままについてゆき、中庭に辿り着いた俺はその後、見張り番というか見回りの兵に声をかけたのち、軽い準備運動のあとに思春と実戦訓練を開始。

 何故だか怒っている思春を前に、空が白むまで戦いは続き……その間中、俺はこれでもかというほどにビシバシと、厳しい鍛錬に突き合わされたのだった。うん、突き合わされた。主に木剣で。

 結果は……うん。

 錦帆賊の頭は強かったよ……。とっても強かったよ……。



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15:呉/明命書房刊【氣の使い方:応用の巻】①

36/明命書房刊【氣の使い方:応用の巻】

 

 思春と鍛錬……た、鍛錬、をされて……もとい、して……もとい、ボコボコに……もとい、鍛錬をしてから幾日。その日は綺麗な青空が……無かったりした。本日雨天、激しいスコールに見舞われるでしょう。

 ざんざんと降り注ぐ雨の雫を、宛がわれた自室の椅子に座りつつ、読書の合間に眺める。

 気の所為か、鍛錬の日に限ってよくないことが起こっている気がするのだが───き、気の所為、だよな?

 

「……ん、今日の読書終了」

 

 と言って、読んでいた本をパタムと閉じる。……まあその、胴着姿で。

 机に置いた本は、冥琳に「これを読め」と勧められた絵本だ。

 べつに今となっては漢文が読めないわけでもないのだが、細かな文字……ええと、なんと喩えればいいんだ?

 ほら、あるだろ? 日本にも、同じ国の文字なのに達筆で読めなかったり、似た字なのに意味が違ってたりする文字。

 そういうのを、他でもないこの大地で学ぶため、時々書庫の本を借りては読んでいる。

 見てはいけない、と言われたものもあるので、そちらの書物には決して手を触れないでだが。

 

「………!」

 

 で、ちらりと寝台の上へと視線をずらしてみれば、そこを椅子代わりに座っていた明命が「終わりましたかっ!?」とばかりに顔を輝かせていた。

 ……そう、今日は明命と少しだけ本気バトルの予定だったのだ。だから胴着姿。

 手加減されたままでのイメージトレーニングでは、少々物足りなくなってきてしまったのだ。だから、一度叩き潰して欲しい。この間、思春に叩き潰してもらったおかげで思春のイメージは再び強いソレに戻ってくれたんだが、人の脳っていうのはこれで案外都合がいいものだ。

 しばらくして慣れてしまうと、勝手に自分が有利な創造へと状況を運んでしまう。そうなってしまっては、それはもうトレーニングなんかじゃなく自分が強いだけの都合のいい妄想だ。

 それが嫌だったから、思春に立ち合いを頼んだ。……まあ結果、ボコボコにされたわけだが。意外と本気でいったのに、全然だったな……さすがに乱世を駆け抜けただけはある。

 今度は、いろいろと小細工も駆使してやってみよう。氣を使うことが小細工って呼べるのかはべつとして。

 

「えっと……見ての通りの雨なんだけど……」

「あぅ……先ほどまでは、あんなに晴れていましたのに……」

 

 言葉だけ聞くと、丁寧でお嬢様チックにも聞こえる明命の言葉はしかし、残念そうに外を仰ぐ姿と合わせると、外で遊べなくなった子供の寂しそうな声にしか聞こえなかった。

 ……あんなことがあってから数日。そう、数日だ。

 俺と明命はお互い、顔を真っ赤にさせながらも謝り、譲り合い、なんとかこうして些細なことで笑い合える二人に戻っていた。

 なにせ真名を呼んだあの日から、目を見て真名を呼ぶたびに真っ赤になって、時には気絶してしまうこともあったほど。

 ここまで回復するのには、やっぱりそのー……時間が必要だったのだ。

 けれどつい一昨日の夜、部屋のドアをノックした明命は、決意の面持ちで言ってきたのだ。

 

  慣れるまで傍に居ますっ、いえっ、居させてくださいですっ!

 

 ……と。

 それからは大変だ。

 夜を越え、朝から晩までを飽きることなく、一日中……そう、親父達の手伝いをする中でも片時も離れず(厠とかはべつだが)、ず~っと俺の傍に居続けた。

 最初は流石にそれはと断ろうとしたのだが、泣きそうな顔で言われた日には……ああ、本当に俺って弱い。

 女の涙を蹴落とせる男になりたいって言うんじゃないけど、もう少し自分の意見を貫ける男女関係を作りたいなぁとか…………うん無理だね。なにせそもそもの相手のほぼが、三国にその人在りと謳われた猛者ばかりなのだから。

 

「あの。一刀様? 今日はどうしましょう……部屋の中でするわけにはいきませんし……」

 

 いつもなら元気よく“ぽんっ”と叩き合わされる手も、今はちょこんと胸の前で合わせられているだけだ。

 見て明らかとはよく言ったものだ、今の明命は物凄く元気が無い。

 

「こういう時は素直に氣の鍛錬だな。出来ないことを思って時間を潰すのはもったいない」

「あぅ……そうですか。お手合わせ、したかったです……」

 

 そう言って、本当にしょんぼりとするから困る。

 そんな顔をされると弱くて、つい俺は椅子から立ち上がると明命の傍に立ち、その頭を撫でてやる。

 

「……あぅ」

 

 昨日の夜から、気づけばこうして撫でている自分が居る。

 何故かといえば、こうすると明命は気持ちよさそうにして、気絶することも落ち込むこともやめるから。

 猫の喉や背中を掻いたり撫でたりするのと同じ要領なのかもしれない。目を細め、ハスー……と小さく吐息して、気の所為か自分の周囲に小さな花を咲かせていた。……幻覚?

 

「………」

 

 けど、いろいろと、まずい。

 自然体で接してきたつもりでも、情っていうのはどうしようもなく移るものであり。たとえばもし、明命に好きですとか言われたら……俺には断れる自信が……───ない、なんて言えない。

 弱気になるな、北郷一刀。誓ったはずだろ? 俺自身がどれだけなにを言われようと、俺は……俺は魏に生き、魏に死ぬのだ。

 

「……?」

「ん……あ、や……はは、なんでもないなんでもない」

 

 苦笑が漏れる。

 俺からの妙な雰囲気を受け取ったからか、撫でられていた明命がきょとんとした顔で俺を見上げていた。

 ……揺らぐな。それは、最初に心に決めたことだ。

 華琳がいいと言っても、俺がそれを曲げるわけにはいかない。

 情はある。あるけど、それは恋愛感情までには届いていないんだ。

 だから抑えられる。抑えられてるうちに…………俺は、冥琳が言うように、そろそろ呉を離れるべきなのかもしれない。

 ここは本当に居心地がいいから───ふとした瞬間に、自分が呉の人間だと思えてしまうくらいに空気が暖かく、人々の手が温かいから。

 町人も兵も、そして将も……みんなみんな、あたたかすぎるから。

 

「……な、明命。明命からなにか、奥義的なもの、教えてもらっていいか?」

「奥義的……ですか?」

「ああ。たとえばこうすると足が速くなる~とか、こうすると気配が消せる~とか」

「はぁ……そういったことは私よりも思春殿のほうが得意なのですけど……はいっ、誠心誠意、教えさせていただきますっ」

 

 今度は元気に、胸の前でぱちんっと手が合わせられた。

 そうして始まるのは、気配の消し方や音を消して走る歩法講座。

 それは、人の中にある個人個人の氣を、周囲に溶け込ませることで可能になる、という。

 どういう意味なんだろう、と首を傾げていると、明命はにこりと笑んで実践してみてくれた。

 

「えと、まずは……」

 

 明命はきゅっと俺の左手を掴むと、「意識を集中してみてください」と言う。

 言われるままにしてみると、自分の中に流れる氣の他に、自分以外のなにか……掴まれている左手に自分の氣ではないものを感じられた。

 それは……今にしてみれば懐かしい、凪に氣の誘導をしてもらった感覚と似ている。

 ……そっか、じゃあこれが……この暖かさが、明命の───

 

「この感覚を覚えておいてくださいね。ずっとずっと、意識してみていてください。───それではっ!」

 

 ヒュトッ───

 

「……え?」

 

 小さな物音。喩えるなら、消しゴムが絨毯に落ちた時の音にも似た音が、床に軽く響いた……瞬間には、目の前に居るはずの明命を、どうしてか一瞬見失った。

 目の前に、今も目の前に……居る、居るのに……え?

 

「どうでしたでしょうかっ」

 

 “私、お役に立てましたかっ!?”といった風情でにっこにこの明命。

 ……凄い。目の前に居るのに見失うなんて、そんな……

 

「すごい……すごい、すごいなっ! ど、どうやったんだ今の! 目の前に居るのに見失ったような気分で───!」

 

 そんな“神秘”とも言えるような“業”を目の前で見せられた俺は、もうオモチャに喜ぶ子供のようにきゃいきゃいと明命に説明を求め───つつ、どうやってやったのかを考えてみていた。

 

「はいっ。まずですね、これは相手が多少は気配察知が出来ることが前提なのですが───」

 

 そんな俺を前に、明命は気を良くしたように説明をしてくれる。

 ───明命の話では、こういうことらしい。

 

 1、やってみせるには、相手に多少の気配察知能力が必要

 2、相手が自分の姿ではなく気配に集中していること

 3、それを利用して、氣を散らして動揺を誘う

 4、気配ばかりを頼りにしている相手は突然消えた気配に驚く

 5、ただし気を消すために丹田にある気までも散らせる所為で、

   次ぐ動作に気を織り交ぜることが出来ない

 6、散らさずに消してみせる場合は、

   逆に体に気が充実していなければいけない

 7、体中に充満する気を景色へと溶け込ませる

 8、ただし気が充実しているため、

   少しでも攻撃の意識を見せると気取られる

 

 …………。

 いろいろ大変なんだ、隠密って。

 一応、想像していた“氣を最小限に保って溶け込む”といった方法も無いわけじゃないらしいけど、それは“己を殺せる者”にしか向いていないらしいです。

 ()を殺して欲らしき欲を出さず、気配どころか意識や(おの)が五体全てを景色に溶け込ませる。

 それらを出来る者が……思春らしい。

 思わず「え? 我を殺して欲らしき欲を出さず?」と突っ込みたくなるが、考えてみれば思春の口から聞ける言葉は“国のため”ばかり。

 蓮華のためにってところもあるんだろうけど、というかそれが大半だって思ってたんだけど、それは欲というよりはもう自然体のレベルにまで達しているんだろう。

 だから“欲”としては現れず、鈴の音だけが景色に溶け込んだ彼女の居場所を教えてくれる。

 

(すごいな、本当に達人の域じゃないか)

 

 達人以上な気もするけど。気配殺しに関しては仙人級なんじゃないだろうか。とにかくすごい。

 そんなことを自分のことのように笑顔で話してくれる明命も、なんというかこう、やっぱりいい子で……

 

「よ、よし。ちょっとやってみてもいいか? えーと……」

「ひゃあうっ!?」

 

 まず、明命の手を握って俺の氣の在り方を感じてもらう。

 握った手に氣を集中させて、これが俺の氣だよ、って。……なんて思ったんだが、そもそも明命は俺の気配くらい簡単に気取れるだろうし、意味なかったかな、と途中で気づく。

 そうして手を離した途端、「あ……」と寂しげな顔で見上げられたりしたけど、今は集中。ええと、相手が俺に集中しているのを利用して、氣を散らして動揺を誘う……だよな。

 散らすっていうのがよくイメージできないんだけど……要するに一気に消耗してみせろってことか?

 いや待て、まずは氣を充実させるほうでやってみよう。

 

(集中、集中……集中……!)

 

 丹田で氣を作り、全身に流すイメージ。

 祭さんの強引な鍛錬によって増加してくれた“氣の絶対量”が、ゆっくりと満たされていく。

 あとは自分の気配を周囲の気配に溶け込ませるんだけど……あれ? そういえばどうやって?

 

「………」

「………」

 

 よ、よし、じゃあ空気。俺は空気だ。空気になろう。

 空気、空気~……目立たなくて出番なくて、いっそ居なくてもいいような存在をイメージして……あ、あれ? どうして“一昔前の俺は空気だった”なんて意識が溢れてくるのかな。

 一昔前っていつ? 一昔前って誰?

 

「はうわっ!? す、すごいです一刀様っ、実践してみせただけで気配を殺せるなんてっ! ……あぅあぁっ!? ななななぜ泣いておられるんですかっ!?」

「い、いや……なんでもない……」

 

 ふふ……悲しいな……。悲しい夢を見たよ……。

 夢というか幻覚だな、うん。気にしないようにしよう。

 

「ごめん、このやり方だと俺の心が保ちそうにないから……。え、えっと……空気になるのは勘弁を……」

「……あの。でしたらその感覚だけを別の何かに向けてみてはどうでしょう。一度出来たのなら、要領は受け取れたと思いますし」

「う……」

 

 掴めたコツとか感覚でさえ思い出したくないんだけど……せっかく出来たことを否定するのももったいない。

 えーと……空気、よりも広い範囲。たとえばこの部屋全体が自分であるかのように……そう、俺は相手を囲う建物。部屋。日々の象徴。当然としてそこにあるものとして、自分を“無”としてではなくあえて“有”に───

 

「……? あぅぁっ……!?」

 

 相手……明命を包み、そこにあるのが当然のものとして……イメージ、イメージ、イメー…………あれ?

 

「……! ……!」

 

 なにやら明命が顔を真っ赤にして、かたかたと震えて目を潤ませて───ってストップストップ! なにか危険な気がするから、氣を充実させる方向はストップ!

 

「は……はふ……!」

「大丈夫か? 明命」

「は、はい……なんだかわかりませんけど、急に、その、一刀様に抱き締められているような気分になりまして……あぅあっ! なななんでもないです忘れてくださいっ!」

「………」

 

 一応成功してたってことでいいんだろうか……って待て。それってつまり、今のやり方でやると相手が誰であれ、俺が抱き締めているような感覚に襲われるってことか?

 もちろん気配を探ろうとしていることが前提だろうけど…………男がやられたらトラウマになりそうだな、それ。

 いや、考えるのは一旦中断。顔を真っ赤にさせている明命を落ち着かせるためにも、むしろもう一度充満じゃなく消す方向で試してみよう。

 

「明命。氣を散らすって、どうやればいいんだ? やっぱりこう、一気に使い切る感覚か?」

「あ……いえっ。たしかにそれが一番気配を殺せますけど、多少は残しておかなければ次の行動が起こしにくいです。ですから氣は微弱に、息を潜め、音を無くすことに集中するんですっ」

「音を……?」

 

 言われるままに氣を小さく……って、丹田に溜まってるからこれを小さくなんて出来そうにないぞ?

 雪を固めるみたいに凝縮できるわけでもないだろうし……いや、待てよ? 凝縮?

 

「………」

 

 氣の扱いがてんで出来なかった時、一応集中させてみれば集まった、指先に小さく灯る程度だった氣。

 あのイメージを今、自分の中にある全ての氣を集中させるために使って───一気に散らす!!

 

「───」

「はうわぁっ!? か、一刀様!? 一刀様ーーーーっ!!」

 

 パァンと散らしてみたら、倒れた。

 うん……ソウダヨネー、俺程度の氣を一気に散らしたら、動けなくもなるよねー……。

 でも圧縮することは本当に出来ると解ると、いろいろと応用が出来そうで……わくわくしたと同時にぐったりした。

 いい、しばらく動けそうにないから、少しだけ日々を振り返ってみようか……。

 



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15:呉/明命書房刊【氣の使い方:応用の巻】②

-_-/最近の出来事

 

 現在より二日ほど前のとある日。蜀から華佗がやってきた~と聞いたのは、その日の夕刻だった。

 日々、人々を病魔から救うために大陸を旅する彼は、あまり一箇所に留まることをせず、放浪にも似た旅を続けているそうだ。

 そんな彼と顔合わせをするのは、一年以上も前のあの日、華琳の紹介で診てもらって以来となる。

 相変わらずの格好と赤い髪に、どこかで聞いたような特徴のある声が目と耳に懐かしい。

 思えばこの世界に降り立っての日々、男との付き合いといえば兵士や民との間だけ。こうして腰を落ち着けて話す相手なんて、個人としては初めてじゃないだろうかと少し涙した。

 そんなわけで現在は宛がわれた自室にて、一応の検診を受けているわけだが。また消えたりしないかと不安が残ってたっていうのが理由だ。

 

「もう体にかかる違和感はないのか?」

「一応そこは解決済みってことで。すこぶる健康だよ」

「そうか。それはよかった」

 

 顔を合わせるなり目をギンッと光らせ、俺というよりは俺の内側を診た華佗は、ニカリと笑って安堵の息を吐いた。

 顔合わせの途端にすることじゃないだろう、なんて言葉も出るはずもなく。むしろ、心配してくれてありがとうって言葉を返した。

 

「それで、急にどうしたんだ? まさかあの日からずっと、今でも医療の旅を続けているとか───」

「我が身、我が(はり)に誓い、病魔と戦う者は誰一人見捨ててはおけない。旅を続けるのは俺の使命であり、病魔の排除は俺の役目。生きようとし、死にたくないと思う者を俺は戦以外で救いたい。医師の仕事は戦ではなく治療だからな」

 

 “だから旅を続けている”と続ける華佗に、素直に感心した。

 以前から思ってたけど、本当に真っ直ぐな人だ。

 

「急にどうしたんだ、と訊かれれば……諸葛亮に“周瑜が来て欲しいと言っていた”と言われたからなんだが───」

「朱里に?」

 

 そういえば少し前、蜀へ定期報告と学校についてをまとめるために戻ったんだっけ。

 「書簡に纏めてそれを送ったらどうだ?」って言ってはみたけど、「その場に居ないと通じないこともありますから」と、律儀に蜀へと戻っていったのだ。

 

「へえ……けど冥琳が華佗に用事か。どんな用だったんだ?」

「…………いや。すまないがそれは言えない。秘密にしてくれと言われているんだ」

「秘密に……そっか」

 

 いろいろあるのかもしれない。女性って大変だって聞くもんな。深く考えないようにしよう、うん。それに最近、咳をする冥琳をよく見るようになった。以前気になった時から風邪が続いているなら、診てもらわないと危険かもしれない。

 などと、少し慌てた風情で無駄にうんうんと頷いている俺を、華佗が緑色の眼で鋭く射抜くように見つめる。

 

「ん……えと、華佗? どうかし───はっ!? もしかして悪いものでも見えたのか!? 困るぞそれっ! 俺はもう消えるわけには───」

「ああいや、違うんだ。ただ……北郷、氣の鍛錬をしているのか? 以前とは明らかに体の作りも気脈の大きさも違う」

「へ……? あ、ああ、なんだそっか、そのことか……」 

 

 以前の続きのように始まった診察なのだから、急に焦られれば自分が消えるんじゃあ、と思うのも仕方ない。

 けれど逆に、安堵に繋がった言葉を聞いて、俺は一年前から始めた鍛錬のこと、ここ最近になって始めた氣のことを話した。

 

「そうか。同じく世の全てに平安を願う者として、俺も負けていられないな。しかし……そうか。氣を……」

「?」

 

 考え込む仕草をして、華佗はぶつぶつとなにかを喋っているんだが……なんだ? “同じ氣が”とか“淀みが”とか、よくわからない言葉がぽつぽつと聞こえてくるけど。

 ……と、首を傾げていると、急に俯かせていた顔を上げて口を開く。

 

「北郷。近日中に手伝ってほしいことが出来るかもしれない。それまでに、氣の絶対量を出来る限り増やしておいてくれないか」

「ああ───ってなんで!? つい返事しちゃったけど、どうして急に俺の氣の絶対量の話になるんだ!?」

「必要なことなんだ、頼む。それから───ああ、恐らくは甘寧か周泰あたりがいい。気配の殺し方、氣を自分以外のなにかに溶け込ませる方法を訊いて、身に付けておいてほしい」

「………」

 

 要領を得ないというか……そりゃあ、教えてくれるのなら喜んで学ぶけど。教えてくれるだろうか。特に思春。

 ……勘繰りを混ぜるとしたら、華佗が必要だって言うことは、誰かの病を治すことにも繋がるって考えられる。

 特に……呼んだっていうのが冥琳なら、それも頷ける気がした。

 

「わかった、一応訊いてみるよ」

「ああ、頼む。だが、間違っても高めすぎないでくれ。気配を殺しきれないほどに高めすぎたら意味がない」

「随分とまた難しい注文だな」

 

 そう言いながらも、そうすることを前提で鍛える気満々な俺が居るわけだけど。

 少し前から冥琳がしている咳は、どうにも頭に残ってて気になっていた。もしそれを治すために必要だっていうなら、それに全力を注がないわけにはいかない。

 いろいろ世話になっているし、なにより病死なんてことになったら絶対に後悔する。

 

「それじゃあすまないが、俺は町のほうに行ってくる。ぎっくり腰になった老人が居ると聞いたんだ」

「……ああ、あのじいちゃんか。落ち着いたふうで、結構元気な人だからな」

 

 雪蓮が城を抜け出しては会いにいく老人だ。

 雪蓮のことを雪蓮ちゃんと呼び、随分と仲良しの老夫婦。

 ぎっくり腰って……大丈夫なんだろうか。そんなことを思っているうちに華佗は軽く手を上げ、部屋から出て行った。

 それをボウっと見送りつつ───少しの時間が経過したのち、“ぱぁんっ!”と頬を叩いて喝を入れる。

 

「よしっ! 絶対量の拡張、もうちょっと頑張ってみるかっ!」

 

 痛みが怖くてほんのちょっとずつしか拡張させていない氣の量を、ジリジリと増やしていく。すると膨張した氣の膜が氣脈を押し、全身が膨張するような錯覚とともに痛みが体を襲う。

 今度はそれを我慢出来る程度の痛みに抑え、それが常になり、やがては慣れるように耐えていく。

 

「お、おおうっ……! 歩くだけでも結構辛い……!」

 

 体をボンドで固められたボンド人間のようだ。足が突っ張ってて、上手く曲げられないような……ううん、なんと喩えればいいんだ?

 これに慣れる、これを常とするようにってなると、一日二日じゃあ辛いかも……いやいや、弱音厳禁っ! 孫呉のため、冥琳のため、国に尽くす北郷一刀として、今はひたすらに頑張ろう!

 

「痛みを恐れるからこんなふうになるんだ……足が攣った時は曲げる勇気と伸ばす勇気、それが大切。瞬間的な痛みを恐れていては、逆に延々と痛みを味わうだけ───だったら!」

 

 キッと扉を見据え、ギシリギシリとしか動かない体を無理矢理に動かしてゆく。

 そして扉を開けたその先からは、長く続く通路を───一気に駆ける!!

 

「走るンだッ!! 祭さんスピリッツを忘れるな! 辛い時こそさらなる辛さ! キツい辛さで軽い辛さを乗り越える!」

 

 ベキビキと筋がヘンな音を立てている気がするが、それも無視だ。

 通路を駆け、中庭を突っ切り、城の端までを駆け、やがて見えてきた石段を登って城壁の上へ!

 今日は鍛錬の日じゃないが、必要だと言われたからにはその高みへ! 急に起こったことに慌てるんじゃなく、準備期間があるんだったら求められるものより一歩先を目指す!

 

「さらなる痛みにも耐えて、守れるものを増やすことを……今ここで胸に誓う! 覚悟───完了!!」

 

 そして走る! 広い広い城壁の上を、鍛錬の時に駆けるように全力で!

 胴着じゃなく私服だが、動きづらいわけでもないからこのまま走───あ、明命。

 

「おーい明命ー!!」

「? ……どなたかはうわぁあああああっ!!?」

 

 城壁の角をひとつ曲がった先に明命。

 声をかけてみると辺りをきょろりと見渡し……俺を見つけると同時に絶叫。

 瞬時に顔が真っ赤になり、どうしてか視線を彷徨わせるどころか首ごと彷徨わせるようにぶんぶんと視線を……泳がせるどころか豪泳させている。

 

「かっ、かかっ、かずっ……一刀様っ!? あぅあっ……あぅぅうううぅぅーっ!!」

 

 しかも次の瞬間には俺に背を向け、走っていってしまう始末。

 ……いったいなにが? と思うより先に、もしかすると仕事中にも係わらず俺の鍛錬に付き合ってくれるんじゃあ……と、暖かな勘違いをした俺は、先を走る明命を追いかけるように走った。

 

(明命……いい子っ!)

 

 拝啓、曹操様。他国の地で、僕はとてもやさしい子に出会いました。

 仕事中にも係わらず、こんな僕の疾走鍛錬に付き合ってくれるのです。

 え? 顔が赤かったのはどうしてだ、って? きっと猫でも見てとろけていたんだと思います。

 だから走りました。走って走って、走り続けて───やがて夜が訪れる頃には、空腹と疲労と……おまけに眩暈と酸欠とで城壁の上にへたり込み、目を回す俺と明命が居た。

 

……。

 

 そんなことがあっての就寝時刻。

 結局、逸早く回復した明命には逃げられてしまい、俺はといえば気脈拡張にともなう痛みと無理矢理に走ったために痛みとでダウン。逃げる明命を追えず、空腹のまま今まで城壁の上でぐったりしていた。

 こうしてなんとか部屋に戻ってきたのもつい今しがたであり、もうこのまま寝てしまおうと寝床へと倒れこもうとした……その時だった。

 

「一刀様っ!!」

「キャーッ!?」

 

 急な来訪。勢いよく開け放たれたドアに心底驚いた俺は、女性の悲鳴にも似た声を出し、寝台の前で変なポーズをとっていた。

 

「え……あ、あれ? 明命?」

「は、はいっ、明命ですっ! せせせ姓は周、名は泰、字は幼平っ! すすすす好きなたべものはぁあああ!!」

「ちょ、待って! 落ち着いて! どうかしたのか明命!」

 

 目をぐるぐると回しながらあわあわと口早に喋る明命に、さすがにただ事ではないと睡眠モードを解除。

 寝台の傍から離れると、ドアは開いたものの、そこから先には入ってこようとしない明命の傍へと歩く。

 

「明命……ほんと、どうしたんだ? なにか大変なことがあったなら言ってくれ。俺で力になれるなら、喜んで協力する」

「…………」

 

 俺を見上げる明命の顔は、夕刻の時と同じく真っ赤。

 けれど逃げることはせず───というか逃げようとする体を強引にこの場に留めている感じがする。

 いつものように胸の前で手は合わせ、俺の目を見上げては、逸らしそうになる自分を戒めている、というのか……な、なんだ? なにが起こってるんだ?

 

「か、一刀様っ」

「え? あ、うん。なに?」

「……っ……か、かか、一刀様っ!」

「うん……えと、なに?」

「~…………きょきょ今日はいいお天気ですねっ!」

「へあっ!? ……え、えああ……? や、そりゃあ……いい天気ではある……かな? もう夜だけど、雲ひとつなかったし……」

「はぅっ……う、ううー……」

「……?」

 

 いや……本当になんだ?

 合わせた手をこねこねとして、俯きそうになる視線を無理矢理俺の目へと向け、逸らすことなく逃げることなくこうして向き合って……いったい何がしたいのか。

 

「───……~……、……すー……はー……っ、かか一刀様っ!」

「……うん。どうしたんだ? 明命」

 

 今度こそ話してくれるだろうと、たっぷりと待ってから笑顔で迎える。……と、なにやら逆効果だったらしく、明命は目を潤ませつつあわあわと慌て始めた。

 ……思わず抱き締めて頭を撫でてやりたくなるが、やったらやったでマリア様以外の“見ている誰か”の手によって、俺の首と胴体がオサラバしそうだからやらないでおく。

 

「う、うぅ……うー……一刀、様……───一刀様っ!」

「おおっ!?」

 

 しかし今度こそはと、頭を振ってキッと俺を見上げた明命!

 その口から、ついに衝撃の事実が明かされようとしていた───!

 

「慣れるまで傍に居ますっ、いえっ、居させてくださいですっ!」

 

 ……うん、明かされた。明かされたんだけど……いや、明かされたらしいんだが……明かされたんだよな?

 あのー……明命さん? もーちょっと噛み砕いて仰ってくださると……私、北郷めにも理解できると思うのですが……。

 それともこれはとてもわかりやすいことで、ただ俺がわからないだけ……だとでも? だったら大変だ、これだけ真っ直ぐに打ち明けてくるのだ、なにか大切なことに違いない……!

 

「───わかった。明命がとっても真剣だっていうこと、きちんと受け止める」

「ふわっ……かか、一刀様……」

 

 とりあえずは一緒に居るとなにかに慣れるそうだ。一緒に居るだけでいいなら、いくらでも付き合おう。

 そうすれば、明命とのキスのことだって少しは───…………

 

「…………アレ?」

 

 キス? ……キスって……って思い出したぁああああああっ!!

 

「な、あぐっ……!!」

「……? か、一刀様……?」

 

 わかった! 理解できた! 赤くなる理由も、急に走り出した理由も、目を逸らそうとか逃げ出そうとかしてた理由も、全部っ!!

 慣れっ……慣れね! 必要だねうん! よくわかった、本当によくわかったよ! 確かに必要だ! 必要だけどっ……ぐっは……! 慣れるまでずっと!? ずっとこんな、ざわざわしたような逃げたくなる気分と激闘を繰り広げろと……!?

 いやいや待て待て!? キスしたことに慣れるとか、それを了承したこととか、挙句の果てに“真剣だってことをきちんと受け止める”って、まるで告白を受け入れたみたいなぐあああああああっ!!

 

「一刀様っ!? 頭を抱えて震え出して、どうされましたかっ!?」

「なんでもないよ!? 大丈夫大丈夫!」

 

 大げさともとれるほどに大きな声で大丈夫宣言。

 でも反射的に唱える大丈夫って、大体大丈夫じゃなかったりするよね。この北郷めも例より外れることもなく……大丈夫だとは思ってなかったりもしました、はい。

 

(…………けど、まあ)

 

 俺と明命に、慣れる時間が必要なのは確かだ。

 けれどそれは永遠に与えられたものではなく、実に有限。俺はいつか帰るし、明命もそれを知っているからこそ、早く関係を修復したかったに違いない。

 そうなれば俺が言葉を改めて断る理由なんてなく───むしろ賛成する理由しか見つからなくなっていた。

 

「………」

「ふわ……一刀様……?」

 

 そうなれば自然と心も穏やかになって───気づけば、自分との時間を大切に思ってくれる目の前の彼女の頭を撫でていた。

 さらさらの黒髪を指で梳かすように、やさしく……やさしく。

 それから部屋の中に招いて、夜から朝まで他愛ない話の連続。

 夜更かしをしていろいろなことを話し、朝が来る頃には二人ともぐったりしていて、けれどそんなことを気にすることなく、むしろハイになったかのように語り明かした。

 猫のことや鍛錬のことやモフモフのことや猫のことや肉球のことや猫のことや……ああ、つまりは猫のことばかり。

 結局祭さんが乱入してきて、さっさと起きんかーと怒られるまでそうしていたわけだけど……うん、寝てないんだよね。

 だから乱入してきた祭さんも少し呆れた顔してた。うん、してた。

 

「それでは今日も奉仕活動へ……」

「……うにゅうにゅ……」

 

 しかし国に返すという言葉を偽りにしないためにも、どれだけ眠かろうと仕事は仕事、奉仕は奉仕。

 仕事だから親父たちを手伝うってわけじゃないにしろ、やることはやらなきゃこの国に居る意味がない。

 だから俺は明命と二人、ゾンビのごとくン゛ア゛ア゛ア゛ア゛……と奇妙な声を出しつつ、今日も町へと繰り出した。

 ───長い長い、明命との一日の始まりであった。

 



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15:呉/明命書房刊【氣の使い方:応用の巻】③

-_-/一刀

 

 そんなこんなで一日中ずっと明命と一緒に居た俺は、こうして昨日も夜を共にしたわけだけど……や、いやらしい意味は一切なくだぞ?

 そのままの延長でこうして早朝から鍛錬の話やらなにやらをしている。明命の仕事については、祭さんや蓮華が“今のままでは仕事にならないから”と送り出したと聞いている。代わりに誰かが担ってくれているんだろう。

 しかし、一日かけて多少は慣れた俺達だけど……氣の扱いは一日にしてならず。

 ようやく氣が落ち着いてくる頃には、俺は長い長い息を吐きながら苦笑を漏らしていた。

 

「散らす方向は向いてないみたいだ。や、まいったまいった」

「気を付けてください一刀様。氣の全てを散らしてしまうのは、いくらなんでも無謀ですっ」

「はい……反省してます……」

 

 まさかいきなり倒れるとは、自分でも予想だにしなかった。当然のことだけど、氣って大切だね。

 

「でも、面白いな。自分の気配をべつのなにかに溶け込ませるなんて」

「溶け込ませることが“自然”に出来るようになれば、より察知されなくなりますです。でも、本当にすごいです。教えたばかりでやってみせてしまうんですからっ」

「うん、自分でも驚いてる」

 

 イメージトレーニングばっかりだったからな、俺。

 そういったものが活きてきてるんだろうか……だったら嬉しい。

 強くイメージすることでなにかになれる……不思議なもんだなぁ、氣っていうのは。

 もちろん、なるべきモノのことをよく知っている必要があるんだろうけど───あれ? 華佗が言ってたことってつまり、治療かなにかにこういったものの応用が必要だから……なのか?

 

「んー…………」

 

 じゃあ、とイメージを開始。たとえば春蘭。荒々しくて、素直で、時々間が抜けてて、華琳を愛していて、それから、それから…………

 

「あの、一刀様? どうしましたか? 氣が随分と揺れてます」

「ん、んー…………うう」

 

 だめだ。そもそも俺、氣を扱えるようになってから春蘭と鍛錬のひとつもしてない。

 相手の氣を感じ取ることも出来なかった俺が、春蘭の氣ってものをわかるはずもなく……もしかしたら春蘭の気迫とかを真似できるかもといった考えは、あっさりと潰れてしまった。

 

「………」

「……? あの?」

 

 ならば。

 鍛錬に付き合ってくれる明命や祭さん、そして一度多少の力を見せてくれた思春の氣なら、真似ることが出来るだろうか。

 えぇええ~っと…………思春、思春…………と。

 

(蓮華が好き。国を愛している。俺に厳しい。厳しいけど……実はやさしいところもある)

 

 思春に関するイメージを纏めてゆく。

 で、おそらく今も傍に居るであろう思春……そんな彼女の、微量にも感じ取れない気配に自分を溶け込ませるように。つまり、無に自分を溶け込ませるように───……

 

「………」

「あぅあっ……!? か、一刀様っ!? なんだか急に目が鋭くっ……気配も……」

 

 欲を殺して、孫呉のため、蓮華のため、我が全てが呉への忠誠にて構築され、それが然としてあるべしと、身体全てに理解させて───自分の気配を無に散らす!

 ……直後に倒れた。

 

「一刀様ぁああーっ!?」

 

 いや……だから……。散らすのはダメだって……ぐはぁ……。

 

……。

 

 人間、なにかに夢中になると、一度教訓として覚えたものをも忘れてしまう。

 “何かに熱心になったときこそ、冷静な己を胸の中に備えよ”……じいちゃんの言葉だ。

 今、思いきり身を以って味わいました、ごめんなさい。

 

「うーん……氣の集中、移動はいろいろ出来るようになっても……気配を殺すのは得意になれそうにない」

 

 床に立ち、明命と対面しながらのぼやき。

 現在はといえば、氣の使い方を別の方向へと向ける練習をしている。

 やっているのは武道的なものだ。氣を込めた拳と普通の拳とでは、どれほど威力が違うのか、攻撃を受けきるにはどうすればいいか、どう対処すればいいのかなど、そういったものを学んでいる。

 こういったことは凪のほうが得意そうだけど、残念ながらここに凪は居ない。

 

「こういうのって……化勁(かけい)みたいなものか?」

 

 敵の攻撃がどこに当たるかを予め予測。その部分に氣を集中させ、体ではなく氣で受け止める。受け止めた瞬間に氣を全身に広げ、衝撃を一点ではなく全体に逃がすことでダメージを減らす……と、言葉だけ聞けば奥義ともとれそうな技法。

 たしか中国拳法にそういった受け流しの技法があったような気がするが。

 

「それともまた違いますです。氣を使った逸らしかたは、たしかに受けの面ではとても有効なのですけど……氣を一点に集中させる分、他の部位に氣が回せず、集中させる場所を間違えると……」

「……いい、言わなくても想像がついた」

 

 この世界の人たち相手では、下手したら胴体がブチーン、ってことに……怖っ!!

 でも……そっか。氣にもいろいろあるんだな。

 

「ちょっと試してみたいんだけど……明命、手を広げて待ってるから、ここに拳をこう……打ってもらっていいか?」

「そんなっ、一刀様を殴るなんてっ」

「いや殴るんじゃなくて! こ、ここにこう……な? ぱちんって。氣を集中させておくから、衝撃を散らせるかどうか試してみたい」

「はー………一刀様は強くなることに余念が無さそうです」

「なんでもやってみたいって言ってる子供みたいなもんだよ。氣の扱いかたが少しわかってきて……はは、今ちょっと楽しいんだ」

 

 子供みたいな理由を聞いて、明命は少しだけぽかんとするけど……すぐに笑顔になると、はいっと言ってくれる。

 

「ではいかせていただきますっ」

「よしこいっ!」

 

 構えた右手に氣を集中! むんっと笑顔で構えた明命を見て、振るわれる拳の速度を予測、当たった瞬間に……氣を散ら───じゃなくて逃がす!! 散らしたらまた倒れ

 

「いっだぁああああぁぁぁーっ!!」

「一刀様ぁああーっ!?」

 

 考え事に意識が向かったために集中が途切れ、丁度そこに明命の拳がばちーんと!

 い、痛っ! これ痛っ! 少女の拳じゃないよこれ! 世界だって狙えそう!! 痺れっ……手が、じんじんと痺れてっ……!

 

「あぅあっ……だ、大丈夫ですか一刀様っ! すいませんですっ、私───」

「ち、違う違う、謝らないでくれ明命! 俺が考え事なんかした所為だからっ!」

 

 じんじんと痛む手を振って、少しだけ痛みを紛らわせる。

 それからもう一度、と手を構えて、萎縮してしまった明命に行動を促す。

 

「あぅ……」

「大丈夫、明命は悪くないから。それに鍛錬の中で相手を気遣ってばかりいたら、身に着かないだろ? ほら、もう一度。頼むよ、明命」

「…………は、はいっ、いかせていただきますっ」

 

 そうして再び、むんっと構える明命。

 それを微笑ましく思いながら、構えている手に残る痛みを感じ……もうちょっと間をとったほうがよかったなーと後悔した、とある雨の日のことだった。

 

……。

 

 成功したのは一度きりで、あとの全てが手が腫れる材料。仕方もなしについさっきまで、また氣を溶け込ませる技法を教えてもらっていた。

 手がじんじんと熱を持ち、痒いような痛いような、たとえば思いきりハイタッチをかまして苦しむような感触が、俺の右手を支配している。

 ……現在、早朝を越しての朝。雨もすっかり治まり、曇り空だけど水に濡れた草花の穏やかな香りが、風に乗ってくる。

 ぺこぺこと謝る明命に、「晴れたことだし、あとで鍛錬に付き合ってほしい」とお願いし、了承を得て別れた俺は、森を抜けた小川で手を冷やしていた。

 ずぅっと手を水に突っ込んだまま微動だにしなかったからだろうか、魚が近寄ってきて、俺の人差し指をつんつんと突付いている。復習として、気配を自然に溶け込ませているのも原因のひとつかもだけど。

 試しに突付き返してみようか───と意識を魚に向けた途端、魚はピュウッと視界から消え失せてしまった。

 

「…………おおう」

 

 気配ってすごい。ますますそう思った瞬間だった。

 過去に学ぶことはたくさんあるな……もっともっと頑張らないと。

 

「本日の課題。気配を殺して魚を素手で捕らえてみましょう」

 

 大丈夫、素手ではないけどチャ○ランも尻尾で釣っていた。

 即座にたぬきあたりに強奪されてた気もするけど、気にしない気にしない。

 

「じゃ……っと」

 

 欲を殺し、気配を溶け込ませ、魚が俺を自然の一部だと思うまで、動くことに意識を向けるのを殺してゆく。

 イメージは樹の根。川の中まで伸びる大木の根をイメージして、水に手を突っ込んだままにする。

 少しの雨でも増水はするものなんだろう、いつもより少し勢いのある川の流れを感じながら、ただひたすらに待ってみる。

 と……ようやく警戒が解けたのか、魚がこちらへ泳いでくる。……そんなことにホッとした途端、またピュウッと泳いでいってしまう。

 

「や……これ無理じゃないか?」

 

 ホッと、気を緩めた途端にこれですよ?

 魚を手で掴むとか、それこそ仙人にでもならなきゃ……い、いやいやいやっ、さっきは突付き返す寸前まで行けたんだ、へこたれるな北郷一刀っ!

 

「これじゃあだめだ……いっそ川を流れる水にでもなった気で───!」

 

 服をばばっと脱いで、少し湿っている岩の上へとばさりと落とす。

 そうしてトランクス一丁で川へと入ると───……冷たッ!! ってだからそんなことで身を縮みこませているくらいなら集中!

 

「ふ、ふー、ふー……!!」

 

 流れが早くなっていることもあって、水の冷たさを感じる速度が上がっているというか。

 こう、氷水に手を突っ込んでいる状態よりも、そこから手を動かしたほうが冷たいって感じるだろ? それを自動でやられている感じ。

 陽光が落ちていない分も水の冷たさに影響して、脱力しようにも逆に緊張してしまう。

 いやー……こんなんじゃだめだ、集中、集中……。流れる水に身を任せるように、いっそ自分も水になるつもりで───

 

「………」

 

 ちらりと見ると、護衛のつもりなのか周々と善々が草むらから俺を見ていた。

 座りつつ、くわぁ……と欠伸をしている。

 あ、パンダといえば……パンダって熊科だっけ? 鮭を取る要領で、魚の獲りかたとか教えてくれないだろうか。

 

「手で掴むんじゃなく───こう、熊みたいに手で弾いてみるといいかも」

 

 腰を屈め、すっと集中。

 魚を獲るのではなく、水を叩く……そのつもりで。魚という存在を、水と一緒に見て……魚自体への意識を極力殺していく。

 こうすれば魚への殺気なんてなくなる。自分への意識が無意識になれば、魚だって察知しようがないはずだ。

 だから、水を……水だけを見て……そこになにかが通った瞬間!!

 

「ぜいやぁっ!!」

 

 振り切った腕と手が水を叩き、草むらへと水の飛沫を飛ばす。

 思い切りやった所為で、手が相当に痛かったが……その甲斐あり! 飛んだ飛沫の中には一尾の魚が───!

 

「あ」

「………」

 

 魚が……飛んだ先に、何故か冥琳。

 物凄い勢いで飛んだ魚は、鞭で何かを叩いたかのような音ととも、冥琳の顔面に……ア、アワワァアアーッ!!

 

「ア、アワワワワ……!」

 

 心と体が同時に動揺の声を漏らす。

 魚はビチチッと跳ねると冥琳の顔から落下し、冥琳の足下で華麗な酸欠ダンスを踊っている。

 冥琳は溜め息とともにそれを拾い上げると、なにを言うでもなく歩き、川に逃がした。

 ……うん、命を粗末にするの、ヨクナイですよね。

 

「め、めめ冥琳……? どうしてここに」

「なに。少なくともお前がここに居ることとはなんの関係もない。少々、一人になりたかっただけだ」

 

 一人に? 珍しい。

 あまり冥琳が一人で居るところなんてみなかったと思うのに……でも、そっか。そう思うのは俺の勝手だったってだけで、一人になりたい時くらい誰にだってあるか。特に呉王様に振り回されて心労が溜まってる時とか。

 おおそりゃそうだ、と妙に納得して、岩の上に置いた胴着を身に着けて息を吐く。

 

「……? 鍛錬でもしていたのか?」

「ああ、うん。本当は早朝から晴れててくれたら、明命と戦ってみるつもりだったんだけどね。生憎の雨だったから、部屋の中で氣のことについて教わってた。この胴着はその名残」

「名残……そうか。ところで北郷? ひとつ訊きたいんだが───何故早朝だというのに、明命がお前の部屋に居たんだ?」

「……エ?」

 

 いや、それは明命が慣れさせてください~って来て……ねぇ?

 たしかに一緒の部屋でニ晩明かしたけど、やましいことなんて魏の旗にかけて何一つしちゃいない。それについては明命の仕事の割り当てのことで話し合ったじゃないですか! ……え? 寝食を共にしろと言った覚えはない? デスヨネ!

 でででですがね!? ほんとやましいことなんて……! といった問答を事細かに身振り手振りを混ぜて説明してみるのだが、冥琳はフッ……と苦笑をひとつ、「冗談だ」の一言で片付けてしまった。

 ア……アー……冗、談……デスカ……。

 

「間違いがなかったことくらい、思春から聞いている。そもそも、お前自身がそれを許さないだろう。……曹操からの許可を得てもまだ、誰にも手を出さないお前だ。そこは信用しているさ」

「……そりゃどーも」

「ふふっ、なんだ? 不貞腐れでもしたか。天の御遣いとやらも、存外子供っぽいな」

「───」

 

 う、うーん……なんだ? なんだかこう……あれ?

 

「い、いや、不貞腐れたには不貞腐れたかもだけど。……うん、子供っぽいのも認めよう。俺、まだまだ誰も守れてないし……うん」

「……意外だな。突っかかってくると思ったんだが」

 

 妙な違和感が先立って、突っかかるような怒りが沸かなかった。

 逆に事実だよなーと受け入れてしまったくらいだ。まあそりゃあ、手を出したとか思われるのは勘違いだろうがウソだろうが心外ではあるのだが……信用しているって言葉を貰えたなら、それで十分だって心が落ち着いてしまった。

 

「なあ、冥琳」

「北郷。悪いが一人にしてくれないか」

 

 ……また、違和感。

 冥琳はそれだけ言うと、俺に一瞥も残さないままに歩いていってしまう。

 

「………」

 

 “漠然とした違和感なんだ、気にするほどのことじゃない”なんて、自分が自分に言い訳しているような気分で、少し上流へと歩いていく冥琳を見送る。

 不思議なのは、そんな違和感を抱いたままで何もしないでいると、嫌な予感がじわじわと胸を支配していくこと。

 何かをしなきゃいけない気がするのに、漠然としすぎていて何をどうすればいいのかがわからない。

 もたもたしているうちに冥琳は川の上流の先……小さな滝の上方へと歩いていってしまい、途端に俺の中に、“見えなくなったなら仕方ない”、といった諦めにも似た感情が───

 

「ウゴォアッ!?」

 

 浮かんだ途端、そんな意気地のない自分の肩に、得体の知れない重量がッッ!! ななななにごとっ……て、この白と黒のコントラストのモフモフ様は……!

 

「しゅっ……周々っ……!? ごおおおお……! ぜぜ、善々、も……!? くはっ……!」

 

 周々だけではなく、善々もだった。

 どうしてか俺の肩に前足を置いたり、俺の脇腹を鼻というか顔全体でドスドスと押したり……ちょ、待っ……! 潰れる、潰れる、潰れる……!! なんか腰あたりからメキメキって嫌な音が……!

 

「い、行けって……? や、けど追ったところでなにを言えば……く、くはっ……とり、あえず……! 下りてくれ、ない、か……!?」

 

 急に子供に背中から抱き付かれて、「はっはっはーこいつー」とか言う全国のお父さん、貴方は偉大だ。尊敬の念すら抱けるよ。

 ただ俺の場合は息子でも人間でもなく、重量の違いが倍どころでは済まないために、不公平を覚えそうだが───

 

「………」

 

 違和感を覚えたのは事実なんだ。そこにきて、動物的直感が俺に前進を促しているのなら……行かないわけにはいかない。

 

「よしわかった任せとけ! 俺、行ってくハオッ!?」

 

 ……と、決意を胸にキッと小さな滝の上を目指そうとした刹那。

 俺の腰から、なにやらゴキンッという音がギャアァァァァ…………───!

 



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16:呉/えほんのきずな①

37/えほんのきずな

 

 ……。

 

「うう……」

 

 ぎっくり腰とまではいかないものの、強烈な痛みを抱えたままに進むのはなかなか辛かった。

 老人が多少の段差で腰を庇う理由がわかったような……。

 

「たはは……朱里に“もしも”の話をしたけど……どの国に下りようが、やっぱり俺の在り方なんて変わらなかったんじゃないかな……」

 

 だって、どこに居ようと結局は北郷一刀だ。

 相手の受け取りかたもあるだろうけど、下りたのが俺なら、やっぱり警備隊長をやりつつみんなと仲良くなるくらいしか想像がつかない。

 ……や、仲良くなるっていっても、決してその、ああいったことを想像しているわけでは───って消えろ消えろ! イメージが得意になったからって沸いてこないでくれ桃色妄想っ!

 

「っと、冥琳は……」

 

 痛む腰を庇いながら周囲を見渡す。

 思えば小川小川~としょっちゅうここにはお世話になっているわりに、探検などはしたことがなかったりする。

 いっつも森を抜けると丁度見える滝と岩と小川を眺めつつ、汗を流したり頭を冷やしたりと……頭を冷やす理由は察してくれるとありがたい。桃色妄想を払拭したばかりなのだ。

 

「……居ない?」

 

 ハテ。たしかに腰痛の所為で、登るまでに時間はかかったものの……見渡しても居ないなんて、いったいどこに……。

 

(………)

 

 ───鳥が(さえず)る、空気のいい景色を見渡してみる……けど、それらしき人物は見当たらない。

 耳を澄ましてみても、聞こえてくるのは小川の流れる音と、小さな滝からこぼれる水が、水を打つ音ばかり。

 注意して見渡してみても、特に目立つものは───……え?

 

「……? なんの音……?」

 

 滝の音に混じり、嫌な音が聞こえた気がした。

 それはまるで、重病患者が出したくもない咳を、無理矢理絞り出させられているような、苦しげな……ッ!?

 

「冥琳!!」

 

 注意深く眺めたなんて、どこがだ。

 景色の先、木と大きめの岩とが並ぶその場所に、一瞬だが綺麗な黒髪が見えた。

 地を蹴り、今聞こえた音が冥琳が出した音かなんて確信も持てないのに走り、その途中でどうしてか冥琳に「来るな」と言われるのも構わず近寄り……───

 

  ───俺は、赤を見た。

 

「……冥琳っ!? それっ……」

 

 屈み、咳き込んでいたのだろう。

 自嘲めいた笑みを見せながら俺を見上げる冥琳の手には、赤い液体がべっとりと……

 

「血を、吐いて……!?」

 

 驚くよりすることがある。咄嗟に駆け出そうとしたのは、自分にしてみればいい判断だったはずだ。

 すぐに誰か、信頼のおける医者───華佗を呼ぼう。そう思ったのに、駆け出そうとした俺の手が、赤に染まる手で掴まれた。

 

「……め、冥琳?」

「すまないな、北郷……悪いが、皆に知られるわけにはいかない」

「なにっ……なに言ってるんだよっ! 血を吐くなんて普通じゃないだろ!? すぐに華佗に見てもらわないとっ!」

「……見てもらわなかった、とでも思うか? “ようやくこれから”という時だというのに、ほったらかしにするとでも思うか」

「───」

 

 自嘲の笑みは消えない。そして、俺の中の“駆け出そうとした自分”が急速に冷えていってしまうのが、自分でもわかった。

 

「今まで保ったのが不思議なくらい、だそうだ。赤壁の頃から違和感を感じていたが、終戦し……ああ、そうだな。北郷、お前が消えたという報せを受けた夜、苦痛は消えた」

「え……?」

 

 俺が消えてから? なにかの偶然ってこともあるんだろうけど、たとえば。そう、たとえば……俺が存在することで捻じ曲がった正史があるとして、すでに外史めいた軌道を進む今がある。

 この世界では雪蓮……孫策が死ぬことも、夏侯淵が死ぬことも、曹操が敗北することもなかった。

 同じく病で倒れるはずの周公瑾は健在でいて、でも……もしそれが、俺が係わったことで一時的に捻じ曲がっていたものだとするのなら───

 

「………あ」

 

 これもまたたとえば。

 俺が係わることで、死ななかった命があるなら……逆に、係わったことで死んでしまう命もあるのでは……?

 孫策が死ななかったために散る兵が居る、夏侯淵が死ななかったために散る兵が居る、曹操が敗北しなかったために……つまり、そういうこと。

 辻褄合わせのいたちごっこをするわけじゃなく、たしかにそういった事実が存在するんだ。

 そう、散る兵が居るのなら、孫策が、夏侯淵が生きていたおかげで生きていられる兵も居る。

 俺がこの世界から消えることで、捻じ曲がった辻褄合わせをする必要が無くなった途端、冥琳の病気が治ったっていうのなら、そこには少なからず歴史改変の影響が出ているのだろう。

 

「……もしかして、冥琳は自分の病気に俺が関係してるの、知ってたのか?」

 

 だから聞いてみる。思い出したのは、必要だからといっても急に言われた言葉。

 やるべきことを成したのなら出ていくべきだと言われ……思えばあそこには多少なりの焦りが見えた気がした。

 そしてさっき感じた違和感の正体は……そっか、なるほど。

 

「知ってたから、原因かもしれない俺を遠ざけようとしてたんじゃないのか?」

 

 思い当たったのはそんなこと。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。曖昧すぎることだけど、冥琳はもはや関係もなしといったふうに溜め息を吐いた。

 

「そうであろうとそうでなかろうと、もはや関係のないことだ、北郷。人はいずれ死ぬ。この病がたとえお前に影響していることだろうが、私がお前を恨む道理はない。感謝さえしているくらいだ」

 

 岩に背を預けた冥琳は、もう落ち着いたのか、咳をすることもなく言葉を吐く。

 

「お前が天より大陸に戻った途端、少しずつ蝕まれていったのは事実と受け取るべきなのだろう。一年という時間が多少の回復を見せてくれたのだろうが、完治には至らなかったらしい」

「冥琳……」

「そんな顔をするな。むしろ、逆に解けない難問に向かうようで楽しく思う自分さえ居る。何故、お前が消えるだけで癒えたのか……それを考えながら死んでいくのも、悪くない」

「───……」

 

 悪くないなんて、そんなことない。悪いに……悪いに決まってる。

 せっかく平和の只中に居て、ようやく騒ぎも治まってきたっていうのに……報告に騒ぎのことがない、って喜んでくれていたのに、病気って形で終わるなんて……そんなのあんまりじゃないか。

 どういうことなんだ、これ。俺が消えると治まる病なんて、どんな性質の悪い冗談だ。

 “俺”っていう存在の所為で歴史に亀裂が走った? 誰かが生きる代わりに誰かが死ななきゃいけなくなった? それとも……変わってしまった歴史の中に“俺”が残るためには、他の誰かが居なくなる必要が……?

 

「………」

 

 嫌な予感っていうのは当たるものだ。でも、こればっかりは当たってほしくない。

 だって、そうなればきっと冥琳は助からない。あの日、消えたくないと思っても華琳の前から消えるしかなかった俺と同じように。

 ……この世界が続くには、“枠”が必要なのか? 誰かが増えれば誰かが消えるなんて、そんな枠が。

 普通なら居るはずのない俺が、この世界に下りたから、冥琳に限ったことじゃなく、他の誰かが……

 

(それって……)

 

 考えてみたらゾッとした。だって、もしかしたらそれは華琳かもしれなかったんだ。華琳じゃなくても、魏の誰かかもしれなかった。……だからって、魏の人じゃなくてよかった、なんて単純に考えられるほど、呉での暮らしに嫌悪を抱いたことなんてない。

 仮説にこんなに怯えてどうするんだって思う……思うけど、理屈じゃない。目の前で病に侵されている人が居て、その人は俺の存在の有無で苦しんでいる。それは……たとえ仮説だったとしても、心が凍るくらいに恐ろしいことだった。

 

「華佗に……自分を呼んだのは冥琳だ、って聞いた。その意味がこれで、華佗でも治せなかった……のか?」

「ああ……そういうことらしい。すでに思い付く限りのことはした。病であることは間違いがないのだが、華佗でも治せないそうだ……病の気を辿ってみたところで、病の底……気の淀みが見切れないと言っていた。似たような事例など、北郷。お前の時以来だと聞いたぞ」

「そんな……」

 

 たしかに“周瑜”は病死するって歴史がある。でもそれは、俺が係わってどうこうって話であるはずがない。

 助けようと思えば助けられたのが今までで、その度に俺は“存在”を削りながら生きてきた。

 でも、じゃあもし、それが“存在”を削る程度では救えないものだとしたら? たとえば……俺が存在を削ることで、この世界の歴史が完全に“正史”の枠から外れたために、“冥琳が死んで当然”という世界になってしまっているのなら?

 ……救えるのは以前俺が下りた世界までで、もう一度こうして下りたこの世界は、すでに完全に“世界”として確立されていて……存在を削るくらいじゃあ助けられるものがなにもなかったら?

 

(……あ)

 

 なにか、繋がった気がした。

 俺は歴史を知っていたから自分の存在を削ることで歴史を捻じ曲げてこれた。

 でも、この歴史はすでに華琳が天下を治めた新たな歴史。俺が歴史の先で知る三国志にはない世界だ。

 だからもう、未来の知識を活かすことで誰かを救うことなんて出来ないし、それによって俺の“存在”が欠けることもない。

 その代わり……死が誰かを迎えにきた時、それはまるでそうなるのが当然のようにその者を殺す。俺が、どれだけ未来における知識を駆使してもだ。

 だから華佗でも救えない。祭さんが助かったのはあくまで世界が捻じ曲がり切る前であったからであって、今こうして未来が読めない世界に至った時点で、重い病を患っている冥琳は───きっと、助からない。

 

(……な、なんだ、それ……はは……)

 

 乾いた笑いがこぼれそうになるのを、なんとか留める。

 死ぬ? 死ぬだって? そんなに簡単にか?

 死ぬのがもう定められたことだから、医者が手を打とうとしても助けられないって?

 

「……冥り───っ……え?」

 

 ……ちょっと待て。救えない? 未来の知識をどれだけ駆使しようと?

 

「なぁ、冥琳。華佗は? 諦めてたか?」

「……? いや……可能性は低いだろうが、最後まで諦めるつもりはないと……言っていたな」

「そっか」

 

 それだけ聞ければ十分だ。華佗は俺の力が必要になるかもしれないと言った。

 氣を高めろと。気配をべつの何かに溶け込ませることの出来る自分に至れと。

 ……そこに、治療の鍵があるんじゃないか?

 

「冥琳、華佗のところへ行こう」

「なに? ……無駄だ、と言ったはずだが?」

「ちょっと考えがある。無駄がどうした、そんなの歴史をもっと捻じ曲げてでも変えてやる」

「…………」

 

 きょとんとした顔で見られた。次の瞬間には咳き込む冥琳だが、どれだけ促しても動こうとしてくれない。まるで自分の死をすでに受け入れているかのように。

 ……くそっ、どうしてこの時代の人はこうなんだ。死ぬことは天命だとか仕方のないことだとか───どうして最後まで、無様だろうが生にしがみつこうとしないんだよっ……!

 

「周々! 善々! 言葉が通じるかどうかじゃなくて直感で受け取ってくれ! 今すぐ医者を───華佗を連れてきてくれ!!」

 

 滝の下へと声を張り上げるが……果たして、届いたかどうか。

 

「やめろ北郷、私は無様にもがくつもりなど───」

「だめだ、もがいてもらう。無様でも生きて、死ぬならおばあちゃんになってからゆっくり、娘にでも孫にでも見守られながら逝ってくれ。じゃなきゃ───俺が嫌だっ!」

「……な……っ!?」

 

 そうだ、相手が万策尽きて死を受け入れようとしてたって知るもんか。

 やれることがあるかもしれないならなんでもやる。やれないことがあるなら、やれるようになれるまで頑張ってやる。

 だって───そのために、今まで自分を鍛えてきたんだから。

 

「……北郷。無駄な努力ほど見苦しいものはない。お前も魏で軍師まがいのことをしていたのならわかるだろう」

「わからないよ……わかるわけないだろ、そんなの。努力に無駄もなにもあるもんか。そんなものはないって信じたいから、みんな努力するんだ。出来ないから努力する。やれるようになるために努力する。出来ないことがあるなら、出来るようになるまで努力すればいい。時間が無くたって、最後まで諦めないことが努力だろ……! 無駄な努力なんて、ない……あるもんか……! 死んでほしくないって意思が固まってるなら……死なせないようにする以外のなにが努力だよ!!」

「…………北郷……」

 

 ……決めろ、覚悟を。

 確実な答えはもう出ている。“絶対に失敗できない”。そして、“絶対に簡単にはいかない”。

 最悪、冗談抜きで死ぬ可能性だってある。あるけど……やるって決めたならな、一刀。怯える必要も、躊躇する必要もないんだ。ただ真っ直ぐに、自分のやりたいことをやってみろ。

 その果てが死であったなら、幽霊になってでも魏のみんなに謝りにいけ。

 

(魏に生き魏に死ぬって、誓ったくせに……)

 

 本当に、俺ってやつは優柔不断の八方美人だ。どれか一つって選択肢をいつもいつも選べないでいる。

 でも……はは、仕方ない、よな。そうしたいって、そうしてやりたいって思っちゃったんだから。

 

「冥琳。今からやることに、あまり口を出さないでくれると嬉しい。俺が勝手にやることだし、最悪の場合は本当に嫌な思いをさせると思う。だから、全部終わって全部上手くいったら、もう本当に、引っ叩いたりしてもいいから」

「……待て。本当に、お前はなにをする気だ……」

「治すんだ。未来の知識じゃなくて、“この世界で学んだ知識”で」

 

 ……未来の知識を振り絞っても治せない。もはやそういった影響力は消えてしまっている。

 だったら、この世界で得た知識、経験の全てを以って、冥琳を治す。

 出来る保証なんて何処にもなく、本当に覚えたばかりで曖昧な方法での治療……いや、もはや治療と呼べるのかもわからない。

 だから、全ては華佗が来てからで決まる。華佗が、もし“それでいい”と頷いてくれるなら───!

 

「頼むぞ、周々、善々……! 早く華佗を───」

「───連れてきたぞ」

「へ?」

 

 まだかまだかと待っていると、誰よりも早く……周々や善々よりも早く、小脇に男を抱えた思春が……駆け込む動作も見せず、立っていた。

 速ッ!! なんて速い! ───なんて驚いている暇はないっ!

 

「華佗!」

「あー……北郷? 俺に用か? 何も説明されないうちから無理矢理連れてこられたんだが……」

「再会の挨拶よりこっちだ! 冥琳が───!」

「───」

 

 小脇から解放された華佗が、岩に背を預けて呼吸の安定に集中している冥琳を見る。

 その目は、冥琳の言う通り……助けることの出来ない無力感を抱いており、ただ俯き、首を左右に振るだけだった。

 

「悪いが北郷、今のままでは俺に彼女は救えない。無力を噛み締めることしか出来ない俺は、もはや五斗米道を名乗る資格さえ……くっ!!」

「いや、“くっ!”じゃなくて! なぁ華佗! ひとつ訊きたいことがあるんだっ!」

 

 いっそ、胸倉を掴むくらいの勢いで顔を近づけ、口早に言う。

 

「な、なんだ……? 俺に訊きたいこと……?」

「───華佗、お前はたしか、体に宿る病魔をその目で見分けて、危険なものだけを鍼で突くことで消していく……んだったよな!?」

「ああ。我が五斗米道は氣の流れの中に蔓延る病魔を的確に突き、淀みを無くすことで人々を救う業。だが、しかし……! お前の病魔と周瑜の病魔、これを見分けることが俺には出来なかった……! それは俺がまだまだ未熟者である証拠! くああっ……! このままではこの技を授けてくれた師匠に顔向けすることもできん!!」

「わざわざ頭抱えて叫ばなくていいからっ! とにかくっ、病魔が何処に居るのかが判断できれば、助けることが出来るんだろっ!?」

「あ、ああ……それはそうだが……今の俺には見つけることが出来なかった。それは俺が未熟───」

「それはいいからっ!! ……ってごめん、もうひとつ訊きたい! 華佗がその目で見る病魔っていうのはどんな形をしてるんだ!?」

「形……形というよりは気脈に詰まった黒いモヤのようなものだ。それは体の中に幾つも存在するが、全ての病魔が悪というわけじゃない。善い方向に作用する病魔も居るからな。それを消してしまっては、逆に体調を崩すことに繋がる」

「モヤ……モヤだな!? ───よし!」

 

 ヒントは得た。得たら、待ってなんかいられない。

 冥琳の傍に座り、彼女の手を握ると───早朝、明命に教えてもらったばかりの方法で、氣を解放する。

 

「北郷っ……? なにを───」

「病人は黙ってるっ! ───華佗! ちょっと無茶をする! けど、意地でも成功させてみせるから、俺が指示した場所に鍼を落としてくれ!」

「なんだって……? まさか北郷、お前はすでに氣の変換を会得して───!? そうか! ならばいけるかもしれない!」

「いやごめん! 実は今朝教わったばっかりだ!」

「なっ……!? なにぃぃいーっ!? い、いや……だがそれでもやろうとするお前の意思、俺は覚悟として受け取ろう! 人を救おうとする男の覚悟を止める理由が、俺には存在しない!」

 

 正直に言ってみたら、しこたま驚かれた。

 絶対量の拡張はやっていたけど、自分の氣をべつの何かに溶け込ませる業は、本当に今朝教わったばかりだ。

 だがしかしだ。血を見てしまったからには、彼女がいつ力尽きてしまうのか気が気ではなく、一週間氣を鍛えてから~とかそういった悠長なことは言ってられそうもなかった。

 

「華佗……! なにを申し合わせたように熱く語ろうとしているのかはわからんが、止められるなら止めろ!」

「だめだ。北郷はもう覚悟を決めている。医術を学んだ者としては止めるべき行為だろうが、この俺も医者である以前に───一人の男! ……熱き男の魂は、たとえ病魔であろうが止められはしないっ!!」

 

 俺の覚悟に華佗が共鳴するように叫び、その肩越しに見える景色が赤く燃えてゆく! そうだ……やるって決めたなら、躊躇するだけ自分の覚悟にも失礼なんだ!

 

「な、なにを言っているんだこの男は……! 思春、お前からもなにか───」

「……今だけは北郷と同意見です。私は、貴女が死ぬ事実を呉にとっての善として受け取れない」

「っ……」

 

 思えば、ひどい“勝手”の押し付けだ。

 死んでほしくないから死なせない……本人が諦めているというのに無理矢理生かそうとすることに善はあるのだろうか。

 ……いや、たとえなくても構わない。今だけは本当に、自分勝手でもいいから“生きてほしい”って心から願える。

 願えるなら───人の命を救おうとしているのなら───!



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16:呉/えほんのきずな②

「───錬氣、集中!」

 

 意識を沈めていく。未熟で、完成もされていない氣を以って。

 自分の形として確立できてもいない、中途半端な氣を以って。

 一ヶ月やそこらで誰かに追いつけるほどの実力もないままに、頑張って頑張って覚えようとしたところで、自分よりもっと前から鍛錬を続けていたものに追いつくこと……それは全然まったく容易じゃない。

 でも……今はそんな未熟に感謝しよう。未熟だからこそ、完成されていないからこそ、“俺”の氣はイメージにも景色にも溶け込むことが出来るのだろうから。

 

(っ……)

 

 イメージは、空気になろうとした自分、水になろうとした自分、熊を真似ようとした自分、様々だ。

 しかし鮮明に呼び起こさんとするのは、思春の気配を真似ようとした自分。

 誰かの氣を真似ることでその人に近づけるなら、俺は俺の全てを行使して冥琳の氣を真似きってみせる。

 真似て、そして内側から冥琳の中に存在する“淀み”を見つけ、そこへと……華佗の鍼、を……!

 

「かっ……ぐ、……」

 

 まず初めに感じたのは鋭い頭痛。

 次に、“自分”がばらばらになるような、なにも掴めない場所で溺れるような、ひどい孤独感。

 それは、そうだ。自分であったものの全てを、冥琳に書き換えようとしているようなものだ。

 冥琳の手を握る自分の手から一番遠い場所から、じわじわと溶かされていっている幻覚めいた痛み。

 幻覚のはずなのに確かに痛みとして走り、座るという格好を保てずに“崩れた”。

 

「北郷……よせと言っているだろう……! 今日明日に死ぬというわけでも───」

「じゃあ明後日は! 一週間後は生きてるのかっ!? そんな血を吐いて! 真っ青な顔をしてっ! こんな場所にまで来なきゃ苦しめないヤツを、死ぬ瞬間まで見て見ぬフリをしろって言うのかよ!」

「っ……北郷、お前は……」

 

 そんなことを頷けるわけがない。受け入れられるわけがない。俺は、そういうことを見過ごさないために強くなろうって思ったんだ!

 それを、運命だからだとか天命だからだとか……そんなことで諦めたくない!

 天命がなんだ! 冥琳がそんなにあっさり死ぬことが天が決めた“正史”だっていうなら───華琳が望んだ天の御遣いである俺が! そんな運命を捻じ曲げた未来を、この世界の“正史”にしてやる!

 

「───北郷! 目で見るんじゃない……心の目で見るんだ! 氣を集中させ、相手の氣の流れを手で、目で、心で感じろ!」

「っ……簡単に言ってくれるなよ……!」

「……おい貴様。よくわからんが貴様は、今北郷がやろうとしている方法を知っているような口ぶりだな。何故すぐに実行に移さなかった」

「この方法は酷く集中が必要となる。氣での治療は知っているだろう? 己の氣を対象の氣へと変化させ、傷口に当てることで傷を癒す。氣の力で治癒能力を高めてやるんだ」

「ああ」

「今、北郷がやろうとしていることは、そのさらに上を行く方法……己の中にある氣を相手の氣脈へと流し、その中から氣の淀みを探知するといった、いわば自殺行為にも等しい方法だ」

 

 いや……そりゃわかってるけど、こういう場面ではっきりそういう言い方をだなっ……! くはっ……しゅ、集中、集中……!

 

「これは相手の傷のみに、相手の気の波長と同じように変化させた氣を当てるといった……そんなやさしいものじゃない。相手の氣脈に自分の氣を変化させたものを満たしてやる必要があるんだ。なぜ満たす必要があるのかといえば、そうしなければ淀みが何処にあるのかを調べようがないからだ」

「淀み……だと?」

「ああ。目で見えないのなら目以外で見つける。俺や北郷はそこに目をつけた。だが一人ではどうやっても解決はしない。淀み……病魔を見つけたところで、その病魔を殺さなければ意味がないからだ。だから───ここに俺が居る!」

 

 視界の隅で、華佗がババッと妙な構えを取り───一度閉じた目に片手を翳すと、横にザッとずらす───のと同時に開かれた目は、薄ぼんやりと奇妙な輝きを持ち……その眼光が冥琳と俺とを睨むように射抜く!

 

「周瑜の氣を辿ることが出来ないのなら、北郷が流してゆく変化した氣を辿る! 我が身、我が鍼、そして師に教えられし技を以って───俺は! 誰も死なせはしない!!」

(……暑苦しい男だな)

 

 なんだか、話を聞いていた思春の心の声が聞こえた気分だった。

 

「北郷! お前の覚悟、お前の勇気、そしてお前の努力を……俺の全て、五斗米道の全てで支えよう!」

「っ……信頼してくれ、るなら……! 一刀、って……呼び捨てにしてくれ……!」

「そうか───わかった。だったら俺のことも華佗と───」

「いや、それもう言ってるから……!」

「そ、そうか……? くっ……そうだったか……!」

 

 ……こいつ、何処か抜けてないか……? なんだか俺が言えた義理じゃない気もするんだけど、

 

(~っ……)

 

 気づけば、冥琳はもうなにも喋らなかった。

 諦めたのかと思えばそうじゃない……彼女は苦しげに息を荒げながら、気を失っていた。

 口からは血の滲みが小さく零れ、顔はもう真っ青だ。

 急がなければいけない───なのに、どういう冗談なのか───!

 

「っ……? まずい、雨だ……! 一刀、急がないと周瑜が体を冷やす! そうなれば体力も低下し、病が進行してしまう……!」

「わかっ……て、る……!」

 

 ズキズキと体が痛む……が、城へ移動をするなんて悠長なことは出来ない。

 それに城に移動したとしても、集中してみせるには人が多すぎる。

 だから、冷えるだろうけどここでやるしか……、……?

 

(あれ……?)

 

 ふと、雨が途切れる。

 何事かと思ったけど、冥琳だけを見ている自分の視界の隅に、先ほど俺の肩の上に乗った白黒のコントラスト。

 それだけで、戻ってきた彼らが屋根代わりになってくれたのだと理解する。

 ……時間はかけられない。雨に濡れなくても、空気が冷えれば一緒だ。もっと、もっと集中して氣を……、氣……を……っ……!? あっ……!

 

「よし、いいぞ一刀……! その調子で───……はっ!? し、しまったぁっ!」

 

 気づいた事実に重なるように、華佗の叫びが聞こえる。

 ……なんてこと。予想してはいたけど、ここまで早く……!

 

「……なんだ、どうした」

「っ……」

 

 思春が疑問を投げかけると、華佗は一度息を飲むようにして、今が最悪の状況であることを話す。

 そう……ちょっとシャレにならない。

 冥琳の中にある淀みを調べるために、冥琳の体に通る気脈を俺の氣で満たさなきゃいけない……それはいい。

 だが、肝心なのは俺の氣の絶対量と、冥琳の氣の絶対量の問題。

 大体一ヶ月程度しか氣の開発をしていない俺にとって、たとえ前線で戦わぬ冥琳であっても、この世界の武人の氣を満たすには至らない。

 

「……つまりせっかく変換しても周瑜の氣脈を満たすには至らず、それでは数ある病魔の中から“重要な一つ”を見極めることが出来ない。まして、一刀は五斗米道が使えるわけじゃない。気脈の中から害になる淀みだけを特定するなど───不可能だ」

「なんだと……!?」

 

 そう……いつも、一歩も二歩も足りない。

 こんな後悔をしないために鍛錬をしたっていうのに、それでも足りてくれないのだ。

 移し身みたいなことが出来る未熟な氣だからいい。が、その絶対量が足りなければまるで意味がない。

 冥琳の氣脈が細いことを願ったんだけど……ダメ、だった。

 

(じゃあ……仕方ない、よな……)

 

 ……本当に、仕方ない。出来ればやりたくなかったけど……ごめん祭さん、またちょっと無茶をする。

 

「っ……く、ああああっ……!!」

 

 自分の意識を、繋ぐ手と丹田とに分ける。

 歯を食い縛り、“錬氣”と“変換”の繰り返し───丹田で氣を作った先から変換、冥琳へと流していく……!

 

「───! よせ一刀! そのやり方じゃあお前の体が先に壊れる!」

「いっ……が、はっ……ぁあああ……!!」

 

 以前、祭さんに教わった絶対量の拡大と同じ理屈だ。

 自分の体を錬氣工場として意識して、氣を練り続け、変換し、流し込む。

 けれど錬氣する速度も遅ければ、変換する速度も流す速度も遅すぎて話にならない。

 

「壊れるだけならまだいい! 氣を練ることが出来なくなり、満足に動くことが出来なくなることはおろか、最悪死ぬことにっ……!」

「……!」

 

 華佗が身を案じてくれている。その隣では思春が息を飲み……でも。

 やめろと言われたってやめられない。それは固めた覚悟を捨てて、自分が辛いからって理由で相手の命を諦めるのと同じだ。

 崖に落ちそうになっている人の手を、自分が疲れたからもういいって理由で手放すのと、状況は違えど理屈は同じ。

 ……俺は離さない。

 手が痺れようが自分まで落ちそうになろうが、死なせたくないって思ったら最後まで一緒に生きるための突破口を探してやる───!

 

「っ……は、ぐ、う……!」

 

 俺が今やっているのは、“確立したこの世界”の軸を狂わせることだろうか。

 散々曲げてしまったからこそ、今この世界が確立しているっていうのに……俺はそれを、また捻じ曲げようとしている。

 自分がそうであってほしくないって理由ばかりで“理”(ことわり)を捻じ曲げ、自分にとって都合のいい世界を作ろうとしている。

 この捻じ曲げが成功したとして、そのために誰かがまた苦しんだりするんだろうか。彼女が生きることで、別の誰かに不幸が訪れたりするんだろうか。

 ……いや。仮説に怯えていたって進めない。今は、なによりも彼女の無事を願───

 

「がっ───!? あ、ぐあぁあああっ!!」

「一刀!?」

「北郷!」

 

 ───う、より先に……きてしまった。

 祭さんに教わったやりかたで無理矢理気脈を広げていた時と同じ。

 鋭い痛みが全身を襲い、先ほどまでの痛みとは比べ物にならないくらいの苦しみが全身を支配。

 痛覚がおかしくなったんじゃないかってほど、痛みしか感じられなく───……なってもまだ。

 

「っ……は……! め、いりん……! …………っ……冥、琳……!」

 

 握った手は離さず、息を荒げ、痛みのあまりに吐息が嗚咽に変わろうとも、彼女の気脈を満たすために氣を練ることをやめはしなかった。

 

「一刀……お前って男は……! 俺達も負けていられないな……甘寧、あんたはたしか、自分の気配を周囲に溶け込ませることが得意だったな」

「あ、ああ……」

「だったら、一刀がやっているのと同じように、一刀か周瑜の氣に合わせて流してやってほしい。……いや、ここで周瑜に氣を混ぜるのは危険か。病魔不可視の病に侵されたことのある一刀だからこそ、今の状態が保てていると、慎重に考えたほうが良さそうだ。となれば……できるか?」

「……やってみよう。多少の付き合いだ、北郷の氣の在り方くらいは理解している」

「なに? ……ふっ、どうやら一刀は他国の者にも想われているらしうわっ!?」

「それ以上口にすれば手が滑るぞ、己の首は大事にしろ」

「……、わ、わかった、すまない……!」

 

 ……ていうか、あの……? 人が苦しんでいる横で、いったいなにを……!?

 思春さん……!? 今は曲刀で人を脅してる時じゃないんじゃ……っ……づぐっ……だ、だめだ……! 集中、しろ……!

 痛い……! すごく、痛さ以外のことがどうでもよくなったみたいに、体が痛みしか感じてくれない。

 瞬きでさえ痛く感じて、息をすることだけでも体内に焼きごてを沈められているような鋭い痛みが……!

 死ぬ、冗談抜きで、死ぬ……! 体が死を選びたがっているくらいに辛い……!

 いっそ死んでしまえ、そうすれば楽になる、って、祭さんの時のように体が勝手に意識を手放そうとする……!

 

「は、ぐっ……い、ぎぃいぁああっ……!!」

 

 それを、歯を食い縛ることで襲いかかるさらなる痛みで塗りつぶし、溢れる涙を拭うこともなく流し、集中を続ける……!

 

  ……本当にこんな方法で見つかるのか?

 

 するとどうだ。

 今度は体が、頭が、こんな“馬鹿げたこと”をやめる言い訳を探し始めた。

 誰かを救う覚悟ってものを、もう頭が“馬鹿げたこと”だと言い張っているのが悔しい。

 なのにやめろやめろと投げかけられる信号を受け取った先から捨てて、少しずつ作られる氣を変換、流すことをやめない。

 

  彼女が助かったからって、なんだっていうんだよ。

 

 弱音ばかりが聞こえる。

 助けたところで何があるわけでもない。“運命なんだから仕方ないだろ?”とでも言うように。

 

  それよりも俺が五体満足で魏に帰るほうが重要だろ?

 

 死んでしまっては意味がないと。

 お前の身も心も、全ては魏のためにあるんだ。死んでどうする。

 命を張る理由がどこにある。相手がいつか死ぬって受け入れてるなら、そっとしておけばいいじゃないか。

 そんな言葉を、何度も何度も浴びせてくる。

 

  誰もお前を責めないさ。むしろ助けようとしたことを褒めてくれる。

 

 だから、な? もうやめろ。

 ……ジワジワと、俺の体までもを止めさせようと信号を送る。

 無意味だ、無価値だ、適当にやって適当に甘い汁でも吸っていろよ、と。

 

  お前は民たちだけ笑わせてればいいんだ。それが仕事だ。

 

 ざわざわと胸がざわめく。

 感情が殺さていくように心が冷たくなっていき、自分が生きるためにそんな命は捨ててしまえって心が、じわじわと……

 

  な? 命張る理由なんてないだろ。捨てちゃえばいいじゃないか、そんな───

 

「……ふっ……ざぁ……けるなぁあああああっ!!!」

「おぉぅわっ!?」

「! 貴様、急に声を───」

 

 捨てろ!? 仕事!? だからなんだ! そんな理由で人との繋がりを簡単に手放して、そんな先で拾った命をこれからの人生に費やして、笑っていられるもんか!!

 

「命を張る理由が、っ……ない、だって……!? 理由ならあるさ……! 誰か一人の命を救おうとしてるんだぞ……! 自分が命を張らなくて、そんなことが出来るもんかぁあああっ!!」

 

 メキメキと体が軋む音さえ聞こえてきそうなくらいの激痛の中で叫び、さらにさらにと氣を練ってゆく……!

 そうだ、命を救いたいなら、己の命すらもかけるほどの覚悟を……!

 命と命が等価だっていうなら……それを救いたいなら、代償に命を賭けなくてどうする!

 勝負に勝てば命が救え、負ければ消える……ただそれだけの、単純な賭けだ!

 それを成し遂げるまでは、自分の弱音になんか耳を貸してやらない……そんなにもヤワなら、これから先の鍛錬なんてやっていけない! きっと、誰も守っていけない!

 だから……俺の中の臆病な自分にだって届くように、何度だって叫んでやる!

 一度覚悟を決めたなら最後までそれを貫き通してみろ! それが、俺がこの世界で学んだ、未来の知識よりも大切なものだろう!?

 諦めるもんか! “今日や明日死ぬわけじゃない”って、じゃあ時間が経てば死んでしまうってことじゃないか!

 血を吐いて! 苦しそうに気を失ったりまでして! 心配させたくないからって、人目を気にして……こんなところで独りで苦しまなきゃいけない人を、他人事だからってなにもせずにほうっておけるか!

 

「があぁっ!! ……ぅ、あ……!」

 

 ───頭痛がする。頭が割れるくらいの……ああくそ、まいった。

 漫画や小説で見るものに、どんなものなのかって思っていた時期もあったけど……これほどの痛みか、“頭が割れるくらいの”っていうのは……。

 光を受けたわけでもないのに視界が点滅して、バランスを保っているはずなのに体が傾いて。

 痛み以外の感覚を呼び起こそうにも、今は氣を送るので精一杯で……他の機能なんて、痛がるか涙を流すか以外に働いてくれない。

 ……ああ、そうだ。馬鹿なことをしてるって自覚はあるよ。

 他人のため他人のためって動いて、それで死んでしまったら本当に馬鹿かもしれない。

 こうでありたいと歯を食い縛ったところで、人間の体には悔しいけど限界ってものがある。

 どれだけ救いたいと願っても、どれだけ“これを耐えれば”と思っても、叶えられる願いとそうじゃないものがどの世界にも存在する。

 出来ないと確信が持てるものをやろうとすることは、本当に……呆れるくらいに馬鹿なことかもしれないけど。

 

(で、も……!)

 

 そう。“でも”だ。

 誰がそれを、“俺には出来ない”と確認したというのだろう。

 こんなことをするのは初めてだし、経験からすれば無理だとは言いたくもなる。

 俺だって出来るだなんて確信を持っているわけじゃない。───わけじゃないけど、出来ないって確信だって持ってない。

 どれだけ苦しくても辛くても、助けたいって思ったんだ。それを“俺じゃあ無理だからやめておく”って逃げたら、それは一生俺の中の後悔に変わる。

 もちろん助けようとして助けられなかった辛さのほうが重く圧し掛かるだろう。自分が係わって、なのに助けられなかったんだ。他人事だ~って笑いながら気取って逃げるのとはわけが違う。

 けど……けどさ。付き合いはほんの一ヶ月程度だけど、俺はもう係わってしまったから。

 抜けているな、とか仕方のないヤツだとか、いろいろ呆れられたりもして……思い返せば苦笑しか残らないようなことばっかりの係わりだけどさ。

 ああ、そうだ。どんな些細なことでもいい。心残りがあるのなら、別れたくないって思えるのなら、手を伸ばすのは当然なんだ。

 

(だから……だからぁあっ……!!)

 

 歯を食い縛る。途端に歯に電流が走ったような痛みが走るのに、もはや全身が痛すぎて怯んでもいられない。

 そんな中で、ふと感じたのは暖かさ。

 痛みしかない点滅した世界で、背中にやさしく触れるその暖かさが、無理矢理の錬気や拡張のために弱っていた氣脈に流れてゆく。

 

「……集中しろ。貴様の氣に合わせたものを流してやる。失敗は許さん」

 

 “なにが……?”と振り向くことも出来ない俺の耳に、聞こえる声がやさしかった。

 こんな時じゃあなければドスの利いた声に聞こえたんだろうけど……本当に責めるような言葉なら、こんな温かさは流れてこないだろうから。

 

「……、……」

 

 満たしてゆく。

 自分と、自分に流れてくる思春の暖かさで冥琳を暖めるように。

 それはゆっくりとだが確実に、冥琳の中へと流れていき…………やがて、雨に塗れた華佗が見届けた者の目で頷いた時───冥琳の気脈を満たす行為は、ついに完了を迎えた。

 

(っ……つ、は……) 

 

 繋いだ掌から伝わる、氣の充実感。

 むしろ空っぽになりかけの俺の気脈へと逆流しそうになるそれを暖かく感じながら───気が緩んでしまった。

 俺は、手放したくもない意識を手放してしまい、冥琳の手を握ったままに、その場に倒れた。

 

(……、待ってくれ…………。まだ、……淀みが……)

 

 もはや痛みしかない体は限界を迎えていた。

 意識を保とうとしても意識は遠ざかるばかりで、俺は……繋がれた冥琳の手から少しずつ流れる暖かさを感じながら、完全に意識を断った。



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16:呉/えほんのきずな③

-_-/公瑾

 

 …………なにが優れていた、というわけでもない。

 他人との差という意味で明確に離れる理由があるのなら、それは単に受け取り方に問題があった。

 幼い頃から他人に連れられ、学を得て戦を学び、人の死を見て人の生を見る。

 孫文台という存在は絶対的であり、国の象徴とさえ呼べた。厳格であるかと思えば飄々とし、娘には厳しくあたるというのに影では心配ばかりをしていた。口には出さなかったけれど、態度を見ればわかりそうなものだった。

 そんな人に連れられ、今日もまた戦を見る。死と生、どれだけ上手くことを運ばせても、戦である限りはこれ以上にもこれ以下にもならない。

 絶対的な存在。周りからはそう見られていたけれど、私にしてみれば子の未来を思う母親以外のなにものにも見えなかった。

 子、というのはもちろん、実際の娘であり。また、呉という国でもあった。

 

 その娘である者と知り合い、ともに明日を夢見た。

 子供の頃の自分といえば、特に物事に口を出すほうではなく、国のためにというよりは自分のために学び、自分のために生きていた。

 一言で言えば自分勝手で生意気な小娘、といったところだろう。

 他の者よりも一歩でも二歩でも前へと進み、気づけば自分と同じ考えを持つ者はあまり居なくなっていた。 

 子供心に思ったものだ───周囲の者の考えは自分とは明らかに違う、自分が特別なのではない、周りがおかしいだけなのだと。

 しかしそれが違うことに気づくのに、時間はそう必要ではなかった。

 周りがまず言い出した。“お前は他の者とは違う”と。

 その才能を埋もれさせるのは惜しい、これからの国のために役立ててくれ、思い返すだけでもいろいろだ。

 その言葉に惹かれるものがあったから学んできたわけでもないが、その頃の世では学を活かせる方法が国のため以外のどこにも存在してはいなかった。

 

 特別な者として扱われ始めた自分は、より多くの学を得て、戦をこの目で見て学んでゆく。

 孫文台という大きな存在の下、彼女が死するまでを長く、そして短く。

 ……いつだっただろう。周りが特別なのではなく自分が特別だということを教えられてしばらく、自分は周りへの関心が薄れていっていた。

 当然だろう、己の思考に追い付けない者へ、わざわざ後ろを向いて手を差し伸べる余裕などない。

 特別だどうだと言われようと、自分が特別であるのは思考の回転の早さを買われたにすぎないのだから。

 味方であろうと上を目指すのであれば叩き落とす。自分のためになることを率先して選び、己が生のために知恵を絞る。

 そうした生きかたを続けてきたある日、私はある意味での“本物”に出会う。

 

 ……いや、出会うという喩えは適当じゃない。

 その存在のことは随分前から知っていたし、なにより彼女は孫文台の娘であった。

 ともに戦場で育ち、戦をこの眼で見ながら育った、いわば馴染みの深い存在。私が知恵で特別に至ったのなら、彼女は産まれた瞬間から特別だったに違いない。

 そんな彼女がその日、急にだが私に語りかけてきた。

 「この戦場の末をどう見る?」と。まるで遊戯を楽しむかのように、にこーと笑って言ってくるのだ。

 私はまだ発達しきっていない頭を駆使し、目の前の戦場の行く末を唱えた。

 するとどうだろう。

 彼女は一度きょとんと不思議そうにすると、「そっかー」とまた笑う。

 そして……私が出した答えにさらに補足を唱え、「なぜそう思う」と問いかける私に言ってみせた。

 

  ただの勘だ、と。

 

 その後のことと言ったら笑えもしない。

 予測した通りの終わりを迎えた戦を前に、私は……予測通りだったというのに唖然とした。

 人が精一杯考え、出した答えに補足をした彼女……雪蓮の言った通りの結果が待っていたからだ。

 他人が他人に興味を持つ、なんてことは、案外なんでもないことから始まる。

 “特別”であることに意味など要らない、特別というのはこんな存在のことをいうのだ……それを知った私が自分から“特別”を脱ぎ去った時、私の頭は彼女の行く末を知りたいという気持ちでいっぱいになっていた。

 

 意識して交流を持つようになってみてまず感じたことは、この女がとても我が儘で自分勝手だということだった。

 私も恐らくはそうなのだろうが、彼女には負ける自信がある。というか負けたい。

 しかしながら、そんな勝手な彼女の周りにはいつも人が居た。

 彼女が持つ資質……と受け取るべきなのか。人を惹き寄せるなにか、というよりは自分から怯まず突っ込んでいく度胸が彼女にはあった。

 魅力と呼ばないのは、それがあまりに魅力と呼ぶに相応しくない行為だからだと、本能的に唱えられるからだろう。

 

 そんな彼女と長い時を生き、気づけば子供であった頃などずっと以前に置いてきてしまって───私達は大人になっていた。

 仲間も増え、国として確立し、掲げた旗を誇りとして戦い……だが、ついには敗れた。

 雪蓮は確かに特別だっただろうが、向けられた目が天下統一よりも民の笑顔だったことが、今では勝利に一歩届かなかった原因なのでは、と……嫌な夢を見る自分が居る。

 その夢を見る私は決まって子供で、膝を抱えながら暗闇に差す光の下で、ずっと絵本を読んでいる。

 誰かの夢を叶えるために“特別”を脱いだ自分。そんな自分は間違っていたんだと、“ここまでに至った私”を突き放すように……子供の頃の私は絵本だけを読んでいた。

 特別であった頃のほうがよかった。皆が驚き、褒めてくれた。私は天狗になっていただろうが、よく出来たという事実は私を決して裏切らなかった。

 比べて、今の自分はどうだろう。

 彼女の行く末を見届けようと“特別”を脱ぎ捨て、ともに国のためにと立ったというのに……辿り着いた場所にあるのは、別の意思によってもたらされた統一。

 それが悪いと言うわけではない……確かに“宿願”は果たされた。

 笑顔で満ちた民たちを見ていれば、回り道をしたけれど間違ってはいなかったと思える。

 思えるのに……どれだけ知恵を絞っても、もう誰も自分を褒めてくれないことが、悲しいといえば悲しかった。

 

 最後にあの人に頭をワシワシと撫でられ、あの料理を食べさせてもらったのはいつだっただろう。

 よくやったと言われ、不覚にも嬉しさで自然と笑顔になってしまったのはいつが最後だっただろう。

 もはや出来て当然、出来なければ落ち度にしかならない世界で、私は……いや、小さな私はなにを求め、この場で絵本を読み続けるのか。

 

  ……そんなことを考えていると、ふと……光が強くなる。

 

 暗闇と、小さな私しか映さない夢の中、暗闇の空から差す光だけが強く眩しく輝いていた。

 ……なにか気配を感じて、小さな私が顔をあげる。

 絵本しか見ていなかった目が、初めて眩しい光を見ようとした。

 天から伸びているのだろうか……果てもないような光の先を仰ごうとして、小さな目が……人影を捉えた。

 頭から光を浴びている所為か、暗闇だらけのこの世界ではよく顔が見えない。

 それでも…………ああ、それでも。

 

「……やっと、見つけた」

 

 “それ”が誰なのか、私はどうしてかわかっていた。

 ずっと感じていた、この手だけにある暖かい感触。やがて全身に広がる暖かさが、“それ”からは感じることが出来たから。

 

  くしゃり、と……頭を撫でられた。

 

 くすぐったくて暖かくて、久しく忘れていた暖かさが頭から体を暖かく、もっともっと暖かくしてくれる。

 あの日、“特別”を脱ぎ捨てることで置き去りにしてしまった子供の頃の私までもを、ひどく暖かく、そして……やさしく包みこんでくれた。

 

「……どうしてなでるの? わたし、なにもえらいことしてないのに」

 

 だというのに、“わたし”は意地っ張りだった。

 嬉しいはずなのに不思議そうな顔で、そんなことを言った。

 困らせたいだけなのか、甘えたかっただけなのか───そんなことすらもう忘れてしまった私の視界の中で、“それ”はそれが当然のように……言ってくれた。

 

「絵本、貸してくれただろ? 最初は気づいてあげられなかったけど、ちゃんと手を伸ばしてくれたじゃないか。……思い出したから、ここに届けた。絵本って繋がりがなかったら、キミを助けられなかった」

 

 そう言って、繋ごうかどうしようかと彷徨っていた手をやさしく握ると……座りこんでいた“わたし”を、絵本ごと引き寄せ、抱き上げた。

 

「わっ……」

「それにな? 頭を撫でるのは偉いことをした時じゃなくていいんだ。俺は、撫でたかったから撫でたんだよ」

「………」

 

 眼鏡をかけていない、常にへの字口の“わたし”を肩車し、より光に届く位置へと持ち上げる。

 “わたし”は戸惑い、だが……自分で“それ”の頭を抱くようにすると、込み上げる思いを抑えることもできずに───

 

「……また、なでてくれる?」

「もちろん」

「“いいこだね”っていってくれる?」

「ああ」

「わたしも、おにいちゃんのことほめていい?」

「ははっ、褒めたくなったらだぞ?」

「……いやなかおしないで、いっしょにいてくれる?」

「嫌な人のために、ここまで来ないって。な?」

「~……じゃあ、じゃあっ……」

 

 ……光が強くなる。

 暗闇を照らし、影を消し、黒の空を蒼の空へと変え───

 

「じゃあっ……わたしたち、ともだちだねっ───」

 

 …………最後に。

 目を覆い尽くすほどの眩い光の景色の中で、私は───

 初めて、子供の頃の自分の……“満面の笑み”を見た。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ばづん、と。ブレーカーが持ち上げられたみたいな衝撃とともに意識が浮上する。

 気を失っていたのはどれくらいか───いや、失うのとは違った。

 なんの冗談か、俺の氣で冥琳の氣脈を満たした途端、俺の意識は冥琳の意識と重なっていた。

 さっき見たのは……恐らく冥琳の過去と、その深淵と呼べる場所。

 誰も居ない真っ暗な闇の中で、ずっと一人ぼっちだった少女と出会った。

 そして───そして。

 

「はっ───華佗!!」

「……ああ! 任せておけっ! っ……はぁああああああああっ!!!」

 

 満たした気脈の中、一際濃い淀みを発見した俺は、華佗にその位置を即座に伝える。

 途端、華佗の両目が薄緑色の輝きを放つと───彼の体から放たれる氣の量に、息を飲む。

 ……それは、ある意味で幸いだった。こんな氣圧でもぶつけられなきゃ、内側がボロボロな今の俺じゃあ今度は本当に意識が途切れる。

 

「今こそ我が全てをこの鍼に込めて! 我が身、我が鍼と一つなり! 一鍼同体全力全快(いっしんどうたいぜんりょくぜんかい)! 必察必治癒病魔覆滅(ひっさつひっちゅうびょうまふくめつ)! 我が金鍼(きんしん)に全ての力、()して相成(あいな)るこの一撃! 輝けぇええっ!! 賦相成(ふぁいなる)・五斗米道ォオオオッ!!」

 

 取り出されたのは金色の鍼。

 そこへと持てる限りの氣を集め、華佗がそれを高く高く振り上げる。

 続けて言う言葉は───俺の時には成功しなかった、あの言葉だとわかっていたから。

 

「元っ───!」

「気にぃいっ───!」

『なれぇえええええええええええっ!!!!』

 

 彼の言葉に声を合わせ、声帯が許す限りに高らかに叫んだ。

 淀みの奥底で、たった独りで居た彼女にも、この声が届きますようにと願いながら。

 

  ……やがて。

 

  鍼は、逸れることなく真っ直ぐに、気脈の淀みを……断ち切った。

 

 

 

38/“悪くない”世界

 

-_-/周瑜

 

 とたたたたっ……ばたばた……どたたっ……!

 

「…………ん……」

 

 いつの間に目を閉じていたのか。ふと開けた視界が映すのは、毎日飽きることなく見上げる天井。

 いや、横たわっているのなら見上げるという言い方は適当ではないか?

 ……小さなことだな、忘れよう。

 

「……ここは」

 

 体を起こし、辺りを見渡してみれば自分の部屋。

 天井を見た時点でわかりきっていたことだが、それとは別に、何故自分がここで眠っていたのかがわからない。

 ……それよりも気になることが、先ほどから部屋の外で騒いでいるわけだが。

 

「ふむ」

 

 耳を澄ますまでもなく、どたばたと何かが走り回る音。

 そして……慌しい音に混じって耳に届く、人の声。

 

「……ったわよっ……蓮華っ───」

「……い! ……蓮姉っ……!」

 

 聞こえてきたのは雪蓮と蓮華様の声……だけではなさそうだ。

 呉の将総出でなにかをしているのか、少なくとも知らない声はない騒がしさを耳に、これ以上は眠れそうもないなと溜め息を。

 

「やれやれ……落ち着いて眠っていられもしないか」

 

 自国の、自分の部屋だというのに。つくづく自分の周りには騒がしい者が集いやすいらしい。

 溜め息を吐きながら立ち上がろうとするのだが、体を襲うだるさは酷く重く、どうやら立ち上がれても歩けそうにはなかった。

 

「ほれ亞莎っ! そこじゃっ!」

「ひゃうっ!? ごご、ごめんなさい一刀様っ!」

「ごめんって言いながら暗器を飛ばっ……っと、たわっ!? ギャアーッ!!」

 

 …………。騒ぎの元凶は、どうやら北郷らしい。

 丁度部屋の前を通ったのだろう、はっきりと聞こえた声に……

 

「うん……?」

 

 普段なら呆れるだけで終わるはずが、どうしてか心が暖かく、そして寂しいと感じる。皆の輪から半歩ずれた位置に立ち、傍観することが自分の生き方のはずなのに……なぜ、こんな寂しさに襲われるのか。

 

「………」

 

 寂しいのだとしても、体は思うようには動かない。まるで自分の中が、自分のものではないもので埋め尽くされている気分だ。

 ……本当にどうかしている。自分の体が自分のものではないような曖昧な気分だというのに、私はそんな気分にこそ、“嫌悪”を感じるどころか満たされているのだから。

 

「…………?」

 

 ふぅ、と息を吐き、すぅ……と息を吸ってみると、どこか懐かしい香りに頭が覚醒し切る。

 どこかぼうっとしていた睡眠への欲求も完全に吹き飛び、香りのもとを視線で辿ってみれば……

 

「………………」

 

 机の上に、懐かしいものが乗っている。

 あの方の気が向かない限りは作られないそれは、あの頃となんら変わり無い香りで、この部屋を満たしていた。

 

「あ……」

 

 やれやれ、といった大人びた溜め息など出たりはしない。

 代わりに、“小難しいことは考えずにあれを食べたい”と思うのに、立ち上がることさえ満足にできない我が身を、少し呪いたくなった。呪いたくなったのに、全身を満たしているこの感覚が暖かくて、嬉しいのだから救えない。

 

「重症だな……」

 

 他人事のように呟き、仕方も無しに寝床に身を預ける。

 今は……眠るだけでいいだろう。体が何かに満たされ、心も何かに満たされ、鼻腔までもが何かに満たされている今……不思議と確信していることがあって、私は笑った。

 

(おそらくは……もうあの夢を見ることもないのだろうな)

 

 思い出すのは、暗闇の中で独りきりの子供の頃の自分。

 どんな言葉を投げかけてみても届かなかったというのに、あっさりと……本当にあっさりと暗闇の外へ出ていった“彼女”は、いったいなにを望んだのか。

 ……今は、その全てがこの部屋と自分の中を満たしている確信がある。だからもう、あんな夢を見ることもないのだろう。

 

「あ、あっ……あのなぁ雪蓮んんっ! 病み上がりの人にこの仕打ちってどうなんだー!?」

「一刀が逃げるからでしょー!? 大人しくお礼受け取ってって言ってるのにー!」

「冥琳が無事だったならそれでいいじゃないかっ! なのにそのお礼が呉の女性とよよよ夜をともにするとかっ……滅多なこと言うなこのばかっ!」

「あー! 馬鹿って言ったー! 一国の王を馬鹿呼ばわりしてただで済むって思わないでよ一刀ーっ!」

「みんなが冥琳のことをどれだけ大切に思ってたのかは、そのお礼の内容だけで十分わかったからっ! だだだけど俺は魏に全てをだなっ……!」

「いいじゃないのよ華琳から許可は得てるんだしー! いっそほらー、蜀の子たちも落としちゃって、大陸の父になっちゃえばいいのよ。私、今さら誰か適当な男との間に子供なんて欲しくないし───って、あー! 逃げたーっ!!」

「逃げるわぁあああっ!!」

 

 ……人の部屋の前でなにを騒いでいるのか。

 呆れ果てるくらいの会話の内容だというのに、誰も見ていないのをいいことに、私は表情を崩して笑っていた。

 ふっ……と冷ややかに笑むのではなく、もう……どれくらいかぶりに、小さく声を上げて。

 

(……子供か。ああ、悪くないかもしれないな……)

 

 いずれ我々も老いてゆく。

 次代の呉を担う者も、それなりのものを持つ者でなければならない。

 そういった意味では天の御遣いの血は……今の民にも親しまれ、大事にされることだろう。

 ああ、なるほど。雪蓮の行動は、全然これっぽっちも間違ってはいない。

 たった一月と半分程度の時間で、呉という国の信頼を得た彼が国の父になるというのなら、民も兵も将も、大多数の人が笑顔でいられるのだろう。

 ……いや、そんなことを抜きにしても、雪蓮の言う通り……今さら誰とも知らぬ者と子を成すためにともになる、というのは怖気しか生まれない。

 そこまで考えてみれば、祭殿はおろか亞莎までもが北郷を追う理由も頷ける気がした。

 

「はっ───くふっ、ふふふふふ……あっはっはっはっはっは!」

 

 いろいろと問題になることはありそうだが……今は笑っていよう、たった一人の存在が変えてしまった呉という国と、これからの呉を思って……子供のように。

 そして、自分の体が回復したら、同じく北郷を誘惑してみるのも悪くない。

 やりたいことなど山ほどある。それをやれる今があることを、それをやりたいと思える自分が居ることを、この天の下に感謝しよう。

 望んだ平穏ではなかったかもしれないが……なるほど、民の心に届くはずだ。こんなにも楽しいと思えるのなら、“もっと早くにわかり合えれていばよかったのに”と思ってしまう。

 

「文台様……呉は、今に笑顔で満たされます。言うほど容易ではないでしょうが、必ずそれは叶うと……我が名に懸けて誓いましょう。……貴女は、笑ってくれますか?」

 

 ……。私の言葉に応える声など、もう返ってきはしない。当然だ、もうこの世には居ない人だ。

 それでもあの方が望んだ呉の未来が“誰もが笑っていられる国”だというのなら、皆が笑っている中であの方だけが笑っていないはずがない。そう考えれば私も自然と笑み、笑っていた。

 

(…………)

 

 ……さて。それでは少し休むとしようか。原因はわからないでもないが、体がひどくだるい。

 ゆっくりと眠り、体が動くようになったら……冷めていてもいい、机の上の青椒肉絲をいただくとしよう。

 そして、空腹も満たしたら…………

 

 

  “友達”に、絵本の感想でも訊きに行くとしようか───

 

 



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17:呉/今はまだ気づいていない、その違和感①

39/信頼されるということ

 

 のちに聞いた話では、目を覚ましたのは四日後の昼。

 今はもう見慣れた天井になったソレを眺めながら、目を何度か瞬かせると起き上がる。

 体の鈍りは大したことはないが、問題があるとすれば氣脈のほうだろう。

 

「はぁああ~あぁああっははぁ~ぃ……」

 

 随分と無茶なことをしたもんだと、“呆れ”をそのまま口にだしたようなよくわからない、途中で裏返るような溜め息が漏れるが、とりあえずは生きていることに感謝を。

 母上様、丈夫な体に産んでくれてありがとう。華琳、頑丈な御遣いとして呼んでくれてありがとう。

 

「んっ……ぃしょぉっ……!」

 

 寝台から下りて立ち上がってみれば、これが案外軽いもの。

 体はむしろ以前よりも軽くなり、氣脈は……随分とすっからかんな気もするが、気分的にはそう悪いものじゃあなかった。

 

「うん、今日もいい天気」

 

 窓から見える呉の風景は今日も穏やかだ。

 この回復具合から察するに“昨日”ではないんだろうが、今日もまたすっきりとした一日が過ごせそうだ。なんて思ったあたりで腹が鳴る。

 

「……おおっ!?」

 

 差し当たり、まず最初にすることは食事の調達らしい。うん、健康な証拠です。

 しかしそれ以前にどうも汗臭い体に苦笑を漏らす。あとは……うん、まあその、いろいろ。

 

「思春。思春? 居る?」

 

 …………。声をかけてみても反応はなし、と。

 こんな朝っぱら……じゃないな、たぶん昼頃だと思うけど、こんな頃から風呂が用意されてるとは思えないし……それに今日が風呂の日とは限らない。

 行水くらいはしたいから、一応断りを入れるくらいはしたいんだけど。誰か、居るかな。

 

……。

 

 シンと静まった通路を歩く。

 もうすっかり慣れてしまってはいるが、この緑の香りが好きだったりする。

 部屋から出た途端が一番感じられるな。もちろん部屋に居たって十分に香るわけだけど。

 

「えーと」

 

 バッグ片手に、このまま川へ行ってしまうか、断りを入れてから行くかを考える。

 以前冥琳に怒られたこともあり、無断で出歩くことはやめようとは思ったものの……うん、どれだけ汗かいたのか知らないけど、臭う。こんな状態で外出許可を得に行くよりも、さっぱりしてから行ったほうがいいのでは、と思いたくもなる。

 さてどうしよう……。

 

 1:ありのままの僕を見てください(許可を得に行く)

 

 2:身を清めてきます(このまま川へ)

 

 3:否、食事が先である(厨房へ)

 

 4:さっぱりする前に鍛錬 (とりあえずダッシュ)

 

 5:冥琳や華佗が気になる(香る僕のままでGO)

 

 結論:……清めてきます。

 

 ……。

 

「ハハ……なんか……川にお世話になってばかりだね……俺……。悪いね……なんだか……」

 

 ぐったり気分で誰に言うでもなく、後頭部をカリ……と掻きながら言い訳みたいなことを言ってみた。

 いや、いーんだワカってる。我が儘言える立場じゃないもん、俺。そりゃあお風呂の日にはしっかりお世話になってるけどね。

 

「じゃあこのまま川へ」

 

 うん、と頷いて歩き出す。

 冥琳や華佗のことも気にはなってるけど、行った途端に臭いとか言われたら泣いちゃうよ俺。

 だからまずは体を清める。

 タオルも服も、全部バッグの中だ。もちろん黒檀木刀も。たとえ襲われても、それなりの対応が……出来るといいなぁ。

 

「……服が胴着じゃないのは非常に気になるところだけど」

 

 雨に濡れたし、誰かが着替えさせてくれたんだろうか。

 そういったことを世話してくれるのは……と考えて、何故か祭さんしか浮かばない俺が居る。

 

(あの人、結構世話好きだよな。面倒くさがりなところもあるけど)

 

 思い出し笑いをしながら歩く。

 通路を抜け、出会った兵に「やあ」と挨拶をして、擦れ違って森へ───って時。何故か急に肩を掴まれた。

 

「オワッ!? ……な、なにっ?」

「お、おーい誰かー! 北郷が! 北郷が目覚めたぞーっ!!」

「え? あれ? ちょっ───」

 

 掴んだ張本人さんの兵が声高らかに叫ぶと、ぞろぞろと駆けてくる───兵の皆様!?

 

「な、なに!? みんなどうしたんだ!? え? お、俺なにかやらかした!? 寝てただけだよね俺!」

「あー……悪いなぁ北郷。公覆様に、お前が起き出したらまず何処かへ逃げるだろうから、捕まえておいてくれって言われてるんだ」

「なんですって!?」

 

 こんな……こんなところに祭さんの魔の手が!?

 そんな、俺ただ体洗いたいだけなのに……! ……ていうか逃げるの確定って思われたんだね、俺。まんまとその通りに動いてしまった自分がちょっと悲しい。

 

「えっとさ、俺……ただ体が汗臭いから、川まで洗いに行くだけで……」

「悪い、仕事なんだ」

「あぁ……うん、じゃあ、仕方ないよな……」

 

 ここ一ヶ月で、兵とも仲良くはなった。しかし、仕事だと言われれば融通はきかない。だってこれで食ってるんだ、それを放棄したら給金なんて貰えない。

 俺もそれがわかってるから暴れることはせず、言われるままに部屋へと戻った。

 

……。

 

 で……まあ。どうせ汗臭いなら何をやっても一緒だーってことで、念入りなストレッチを開始。

 はい伸ばしてー……畳んでー……伸ばしてー……畳んでー……。

 勢いで伸ばすのは危険だからやめようね。ゆっくり時間をかけて、ぐぐぅうう~っと伸ばすんだ。勢いでやると一気に筋が伸びて、悪い時には断裂が起こったりするから気をつけよう。

 それと息を止めるよりはしっかりと、少しだろうが呼吸しよう。

 ストレッチしていると、どうも力が入って呼吸を止めがちだけどね。むしろ伸ばしている部位に酸素を送りこむような気分でやってみよう。あ、あまり力まずに、自然に伸ばせるようにしてね。

 

「……うん」

 

 ……誰に言ってるんだろね、俺。

 

「ストレッチ終了、と…………腹減った」

 

 動いた分だけ胃袋が刺激されたらしい。

 なにか食べるものはと思うものの、今が何時なのかも解らないし、むしろもう朝か昼かもわからない食事の時間は過ぎて、俺はまたしても食いっぱぐれてしまったのではと心配になる。

 そうなると不思議なもので、食えない、食いたいという思いが俺の神経を研ぎ澄ませた。

 だからだろう。ふと届いた香りに、我が双眼がクワッと見開かれた。

 

「この、香りは……!」

 

 青椒肉絲。それも、親父が作るものよりも香りからして明らかに違う……!

 ……うっ、唾液がじゅわりと……! 匂いだけで強く“食べたい”と思うのも久しぶりな感じだ。

 親父の手伝いや他の町人の手伝いをしている時は、なんだかんだと食べさせてもらったりしているから、俺が食べたいと思うよりも相手が“食わせたい”と思うかどうかで決まるわけで。

 むしろ“いいから食え、どんどん食え”って感じで食べさせてもらっている。遠慮する時はもちろんするけど。

 

「…………腹減ったぁあ……」

 

 これはどういった拷問なのでしょう。

 良い香りがするというのに、部屋から出られない苦しみ。

 もういっそ窓から……とも思ったが、きっとそっちも包囲されているんだろう。試しに窓を開けずにこそりと外を覗いてみれば……うあ、やっぱり居る。

 

「なにか空腹が紛れることでも…………鍛錬!」

 

 空腹っ……それに打ち勝つにはやはり鍛錬ッッ!!

 よく思い出すんだ一刀、俺は煩悩を鍛錬……じゃなくて睡眠欲と食欲とで抑えたんでしたね、ごめんなさい。

 あー……なんか俺、いろいろアレだ……。

 煩悩……ああ、もう耐えることに慣れてくると、よっぽどじゃない限りは暴走しそうにはないんだが。いつかその暴走を起こしそうで怖い。

 だったら空腹なのはむしろありがたいことなのかなぁ……腹が減っては戦は出来ぬ、こんなグルグルキューな状態で女性に手を出すなんてこと、暴走したってそうそうないだろ。

 

「よしっ! 鍛錬鍛錬っ! 何をすればいいのかよりも、何が出来るのかで考えよう! そして今の俺には鍛錬が出来る!」

 

 それに空腹時に動いた方が、ミトコンドリア先生が多く分泌されて、体力の絶対量が増えるらしいとのこと! ───ならば、やるしかないだろう。

 バッグから黒檀木刀を取り出し、まずは型から。

 ストレッチで体は温まっているから、あとは型から入って剣術用の筋肉をほぐさないとな。

 

「ふっ! ふっ! …………んー……」

 

 体が軽い……本当に軽い。

 こう、今なら自分の胸近くの高さまである柵でも、無助走で飛び越えられるんじゃないかなーって思うくらい軽い。

 試してみたいけど外には出られないし……あ、あれぇ……? 俺、気絶してただけだよなぁ? どうしてこんなに氣が充実してるんだ? さっきまで空っぽだったのに。

 鍛錬らしいことなんて、気絶しながら出来るはずも───ハテ。

 

「……冥琳のこと助けようって必死だったけど、もしかしてあれが原因なのか?」

 

 無理矢理の錬氣と絶対量拡張。

 絶対量って名前なのに拡張できるのは何故? と首を傾げたくなるような名前だが、“現在は”そこまでしか氣を溜めておけないから、“絶対量”。なんてことはどうでもよろしい。

 限界を越えてーって言葉があるけど、あれも似たようなものだろう。

 人間の限界はいろいろと高い位置にある。なにせ普段は本能的に力をセーブしているっていうんだから、自分たち人間が出せる“限界”なんていうのは遥かに高みにある。

 その気になればデコピンでリンゴくらい破壊できるんじゃないか? もし100%引き出せたらの話だけど。

 

「そっかそっか……」

 

 と、限界の話はべつにしても、冥琳を救おうとしてやったことが、どうやら氣脈や体にとって善い方向に進んでくれたらしい。

 氣が練られる速度も上がっているようで、それでも凪のようにすぐに手に溜める~とかそんなことは出来ないが……それでも。

 

「集中、集中……!」

 

 今までの自分にしてみれば、かなりの速度で氣の集束が可能になった。

 よかったー……ちゃんと学べてるんだな、俺……。

 一か八かすぎたけど、なんとかなってよかったよ……冥琳が五体満足かは、まだ確認出来てないけどさ。

 でも、診たのは華佗だ。一方的ではあるけど、人を救いたいって言って大陸中を旅する人を信じないで、誰を信じろっていうんだ。

 信じるだけで救われるなら苦労しないといっても、一方的に押し付ける信頼なら、だめだった時は俺だけ落ち込めば済むことだ。

 ……もちろん、冥琳が助からなければ、悲しむ人は俺一人じゃあ済まないわけだ。そうやって嫌な方向で想像を巡らせても、兵たちのあの様子から察するに、そう悪いことにはなっていないはずだ。

 

「───はぁあああ……」

 

 さて、と息を吐く。

 氣の移動の仕方、溶け込ませ方は実戦というか気絶する前のことで大体掴めた。必死だった分、体が“忘れちゃいけない”と刻み込んでくれたみたいに……いやむしろあの時、俺の中に少しだけ逆流してきた冥琳に流した氣が……俺にそれを覚えてて、と言っているかのように、忘れさせてくれない。

 

「ん、んー……んっ!」

 

 では応用を。

 今回は一人かめはめ波はやらずに、木刀に氣を流し込んでいく。

 もちろん木刀は氣脈なんて無いものだから、伝導させる意味も含めて“触れている”必要がある。少しずつ、少~しずつ自分の氣が手から木刀に伸び、覆っていく。

 肉眼で自分の氣をハッキリ見ることが出来る……そんなところまで来られたことに、若干どころか強いトキメキさえ覚えているのが現状だ。

 頑張ったな、俺……うん、俺、頑張った。ありがとう凪……俺、お前と出会えて本当によかった。

 お前に出会わなきゃ、きっと救えなかった命が……えと、救えたよね?

 

「……っ……は、はぁっ…………ふぅう~……!」

 

 ごちゃごちゃ考え事をしていたためか集中が乱れて、覆い尽くすまでに時間がかかってしまった。

 うっすらと額に出た汗をバッグから取り出したタオルでポンポンと拭いつつ、片手に持ったままの木刀を見て誇らしげに笑う。

 

「……うん、鮮やかな金色だ」

 

 氣っていうのはこういうものなんだろうか。

 むしろ黒紫色っぽかったら、“第六天魔王、降臨せん!”とか言いたいような気分だったんだけど。

 

「これって、氣の錬度によって硬度が増したりとか……はは、まさかそんな、ゲームみたいなこと……」

 

 試しに、「えいやー」と笑いながら机の隣にある二つの椅子のうちのひとつに、木刀を振り落としてみた。

 すると、ばごきゃあという鈍い音とともにヒビが走る木製のお椅子様。

 

「あっははは、ほ~らオワァアアアァァァーッ!!」

 

 ヒビッ……ヒビ割れッ……!? そんな、いや、でもまさかそんなアワワーッ!?

 なんて想定外なっ……! こんな、綺麗にヒビがっ……ホワッ!?

 ノノノノック!? 誰!? どなた!? こんなタイミングでなんていったいなに!?

 

「一刀~、ちゃんと居る~?」

「ヒアーッ!?」

 

 雪蓮!? 貴女がノックなんて珍しい! じゃなくてああもうなんでこんなタイミングで、よりにもよって王様が来るのさっ!

 いやいつ来たって結局直しようもないんだけどさっ! いやむしろ貴女、普段からノックなんてしないのになんだってこんな時だけ!?

 ひょっとして俺をからかうための勘が働いていらっしゃるの!? だったらひどいプレッシャーだぞこれ! 僕もうお家帰りたい!

 どどどうする!? 故意ではないにしたって、椅子を破壊したとか……うああああ! 弁償できる金なんてないぞ俺!

 

  コマンドどうする?

 

 1:にげる(気配を殺して逃げてみる)

 

 2:ぼうぎょ(寝床に潜って震えてみる)

 

 3:じゅもん(私は椅子になりたい)

 

 4:どうぐ(タオルをヒビの部分に被せて逃げ切る。その際、「鍛錬してたんだ……!」とサワヤカに言うのも忘れない)

 

 5:たたかう(ひたすらに謝ってみる)

 

 結論:……ろくな選択肢がない……ああ、たたかうが一番下なのは仕様だからほうっておいてほしい。

 

 などと考えている内に、待ちきれなくなったのか、どばーんと扉を開けてくる雪蓮。思わず「キャーッ!?」とか女性の悲鳴にも似た……いやうん、悲鳴だね、うん。悲鳴をあげた俺を気にすることもなく、ノックをしたくせに返事も待たずに侵入してくる国王様。

 

「やっほー一刀~♪ あ、起きてる起きてる~♪」

 

 誰ですか、この傍若無人を王様にしようなんて仰ったのは。

 

「ヤ、ヤアシェレンサァ~ン、キョーモオウツクシイ……!」

「なに隠してるの?」

 

 たった3秒でバレた! もうダメ! 俺隠しごととか苦手みたい!

 それにしてもバレるの早すぎだよなにやってるの俺!

 

「一刀。貴方普段から女性を褒めるようなこと言わないでしょ? 特に私達には。魏のために~とか言って、出来るだけ私達の領域に足を踏み込まないようにしてる」

「うぐっ!」

 

 そしてこっちもバレていた。

 自分から線を引いておかないと、あとあと大変なことになるんじゃないかと思っていたからだ。

 だっていうのに自分から首を突っ込んではいろいろやっているわけで……だめだ、自分から関わってしまっている以上、なにか言われても断り切れる自信がない……。

 

「………」

 

 ……このままじゃ……いけないよな。

 

「雪蓮、聞いて欲しいことがある」

「え? なに? もしかして冥琳のこと? 大丈夫、気にしないで。冥琳が病気だったってことは、私も知ってた───」

「俺、次に朱里たちが呉に来たら、一緒に蜀に行こうと思う」

「───から……?」

 

 だから言った。……言ったら、びしりと停止する目の前のにこにこ笑顔の王様。

 凍りついたにこにこ笑顔が、少し心にさっくりと痛い。

 

「……えーと。一刀? 今なんて言ったの? な、なんか、蜀に行く~とか聞こえた気がしたんだけど……」

 

 そんな彼女が耳の近くをとんとんと指で突き、「疲れてるのかな……」とかぶつぶつと言っている。

 俺は……訊き返す彼女に迷うことなく、同じことを噛み砕いて言ってみせた。

 

「……朱里と雛里が呉に来て、次に学校のことについてを纏めに蜀に戻る時……俺も一緒に蜀に行く、って……そう言った」

 

 真っ直ぐに、いつものように彼女の目を見ながら。

 すると雪蓮は一瞬悲しそうな顔をしたあとに───

 

「やだ」

「へ?」

 

 拗ねた子供のような顔で、とんでもないことを仰った。

 

「だめ、却下、認めないっ。なんで急にそんなこと言うかなぁ一刀は! せっかく呉にも慣れて、民からも兵からも笑顔ば~っかり向けられるようになったのにっ! ……だめ、とにかくだめ。華琳もそうかもしれないけど、私だって気に入ったものを簡単に手放す性格してないんだからねー!?」

 

 …………。あー……目の前で、ぶーぶーと口を尖らせる女性は本当に一国の王なんでしょうか。俺、ちょっと自信なくなってきたかも……。

 

「いやあの……雪蓮さん? なにをそんな、子供みたいな……。もともと俺は客だろ? それに、最初にってほどじゃないけど、華琳から言われてるはずだ。俺に命令する権利はあるけど、縛り付ける権利はないって」

「はぐっ! ……ねぇ一刀? 華琳ってこうなることを見透かしてたんだと思う……?」

「……まあ。俺が誰からの誘いも受けないことを見越して、手を出していいって言ったのも含めてね」

「ふーん……信じ合ってるんだ」

「ははっ、そうじゃなきゃ、一年離れても好きでなんかいられないって」

「…………むうっ……」

 

 というかどうしてここまで渋るのかが解らん。

 いつものように飄々と、「そーなんだー、あははー」くらい言えばいいのに。……いや言わないか、こんなこと。

 変な想像は置いておくとしても、雪蓮はどこかつまらなそうな顔で口を開いた。

 

「……ねぇ一刀。華琳のこと、好き?」

 

 俺の顔を覗くように、体を少し折って。

 不貞腐れたような顔はもうやめたのか、真剣に訊いてきていた。

 だったら俺もと、にやけることもなく真っ直ぐに雪蓮の目を見つめ返して、言った。

 

「……ああ。愛してる」

「ふあっ───!?」

 

 キリッとしたつもりでも、うっすらと笑んでしまうのは仕方ない。

 心から出た言葉がどれほど届くのかは解らないが、それでも胸一杯に広がるこの思いを雪蓮に解ってもらおうと、真っ直ぐに伝えた……んだけど、雪蓮さん? 何故貴女が赤くなりますか?

 

「…………うあー……まいったなぁ。まいった……うう、まいったぁああ……」

 

 しかも何かがまいったらしい。

 赤くなった両の頬に手を当てながら、うんうんと唸っている。

 なんだか知らないけど、俺の言葉に思うことがあったってことで……いいのか? 俺、そんな唸るほどヘンテコなこと言ったっけ?

 

「…………、」

 

 ふぅ、って感じに鼻から息が出た。いつか雪蓮にされたみたいな、仕方ないなぁって感じの苦笑めいた溜め息だ。

 うんうん唸っている雪蓮は、普段の子供っぽさもあってか本当に子供のように見えて……だからだろう。俯いている彼女の頭が丁度いい位置にあったっていうのも手伝って、いつかのように彼女の頭を撫でていた。

 

「ふ、あ…………? 一刀……?」

 

 少し潤んでいた目が、きょとんと俺を見上げる。

 その顔もまた、先にある不安に怯える子供のようで───そんな彼女を落ち着かせるように、やさしくやさしく頭をなでる。

 

「そんなに悩むことなんてないんじゃないかな。親父たちにも言ったけど、もう二度と来ないわけじゃないんだ。来たいと思えばまた来れるし、会いたいと思えばまた会える。だって……俺はこの大陸に、確かに存在してるんだからさ」

「……かず……」

「だからさ、そんなに悩まないでくれ。雪蓮には、今までみたいに真っ直ぐにみんなの笑顔を求めてほしいよ。俺……言ったろ? 頑張るって。だから……お前も。頑張れ……頑張れ、雪蓮」

 

 心を込めて、何度も何度も。

 頑張れって言葉のたびに、自分の言葉が勇気になるようにと。

 

  ……今にして思う。これは、明らかに地雷だったと。

 

 雪蓮が抵抗らしい抵抗も、嫌がる素振りも見せないために、いつしか俺は雪蓮の頭を胸に抱くようにして頭を撫でていた。心が道に迷った時は、誰かにこうしてもらえると、ひどく安心することを……俺も、華琳にされたことで知っていたから。

 汗臭くないだろうかと不安に思ったものの、雪蓮はやっぱり嫌がる素振りも見せず、撫でられるがままに……あれ? ていうか反応が───

 

「雪蓮っ?」

「はっ!? うわわわーわわわっ!!」

 

 気になって声をかけてみれば、まるでたった今撫でられていることに気づいたみたいに、俺の手から逃れる雪蓮。

 数歩離れた位置に立ち、真っ赤な顔で俺を睨むと、離れる時に変な声を出していた自分を恥じ入るように頭を抱えて落ち込み出した。

 ……今日はやけにいろいろな雪蓮を見れるなぁ。

 今だって据わった目で俺をねめつけるように……あれ?

 

「決めた……決めたわ」

「あ、あのー……雪蓮さん? 前にその言葉を言ったあと、華琳がものすごーく迷惑してたって記憶が俺の中にあるんですが……?」

 

 宴の席で、華琳が雪蓮に絡まれてギャーギャー叫び合っていたのを思い出す。

 

「一刀。冥琳の命を救ってくれて、ありがとう」

「え? あ、……そ、そっか。無事だったのか……~っはぁあ……よかったぁ……!」

 

 雪蓮がこんなに陽気で元気だったんだから、死んだりとかはしてないとは思ってたけどさ。こうしてきちんと伝えられると、本当に安心する。

 

「それでね? 是非その恩賞を一刀にあげたいんだけど」

「や、それはいらない」

 

 キッパリ。嫌な予感がするのでいらない。こういった時の俺の予感は当たる。100%当たる。だからいらない。

 

「だめ。受け取らないと許さない」

「恩賞与えようとする王の言葉じゃないだろそれっ!! だ、大体俺は国に返すために動いてるのに、これで恩賞とか報酬とかもらってたんじゃあいつまで経っても返しきれないだろっ!?」

「あ、大丈夫大丈夫。これはちゃ~んと国に返すことになるから。むしろこれ以上に国に返すって言葉が似合うことなんて、きっとないって思うんだけどなー、私」

「……え?」

 

 またも、にこーと笑う雪蓮の言葉にハッとする。

 そうだ……内容を言われる前に断るのって、あんまりにひどいんじゃないか? 雪蓮は良かれと思って言ってくれてるんだし、せめて内容を聞いた後でもいいはずだ。

 ……なのに、俺の中で警鐘が鳴り響いているのはどうしてだろう。

 

「えっとね。いくら私達がいい国にな~れ、って国を善くしていっても、次代を担う子が居なくちゃ意味がないでしょ? だから、一刀にはこの呉で、みんなの種馬になって貰───」

「長い間お世話ンなりましたァアアァァァァァァーッ!!」

「えっ? あ、ちょ───一刀ーっ!?」

 

 逃げたね。ああ逃げたさ。脇目も振らずに、開けっぱなしだった扉から逃げ出したさ!!

 さあ、これから何処に行こうか……。何処だっていいさ、この足が健康なら、俺は何処までだって走っていける。

 俺達の冒険は───始まったばかりだ…………っ!

 



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17:呉/今はまだ気づいていない、その違和感②

 まあ……そんなこともあって。

 

「そっち行ったわよ! 蓮華!」

「はいっ! 雪蓮姉さまっ!!」

 

 雪蓮が適当な理由をつけて呼んだ援軍が俺を捕まえようと躍起になり。

 

「ほれ亞莎っ! そこじゃっ!」

「ひゃうっ!? ごご、ごめんなさい一刀様っ!」

「ごめんって言いながら暗器を飛ばっ……っと、たわっ!? ギャアーッ!!」

 

 鍛えた体と氣を駆使して逃げるが、やはり多勢に無勢。

 

「あ、あっ……あのなぁ雪蓮んんっ! 病み上がりの人にこの仕打ちってどうなんだー!?」

「一刀が逃げるからでしょー!? 大人しくお礼受け取ってって言ってるのにー!」

「冥琳が無事だったならそれでいいじゃないかっ! なのにそのお礼が呉の女性とよよよ夜をともにするとかっ……滅多なこと言うなこのばかっ!」

「あー! 馬鹿って言ったー! 一国の王を馬鹿呼ばわりしてただで済むって思わないでよ一刀ーっ!」

「みんなが冥琳のことをどれだけ大切に思ってたのかは、そのお礼の内容だけで十分わかったからっ! だだだけど俺は魏に全てをだなっ……!」

「ぶー、いいじゃなーい、華琳から許可は得てるんだしー! いっそほらー、蜀の子たちも落としちゃって、大陸の父になっちゃえばいいのよ。私、今さら誰か適当な男との間に子供なんて欲しくないし───って、あー! 逃げたーっ!!」

「逃げるわぁあああっ!!」

 

 亞莎に暗器で狙い撃ちされそうになるわ、角を曲がったところで蓮華に斬り殺されそうになるわ、祭さんに矢で射抜かれそうになるわ……!

 雪蓮はいったいどんな理由でみんなを集めたんだ!? 明らかに殺意が篭ってるだろこれっ!!

 

「うえぇえっ!? あ、あのっ、孫策さまっ!? わわ私、一刀様が国の宝を持ち逃げしようとしたとっ……!?」

「うん? 策殿、儂は北郷が、儂に贈られるはずだった酒を独り占めしたと聞いたが───」

「なっ……どういうことなのですか姉さま! 私には北郷が姉さまの大事なものを奪ったと!」

「しぇぇえええれぇえええええええええんっ!!! どれだけウソ並べてるんだお前はぁあああああっ!!!」

 

 聞いてみれば捏造上等もいいところ! そしてみんなもそんなウソをポンポン信じないでください!

 

「こ、細かいことはどーでもいいからっ、とにかく捕まえて! このままじゃ一刀、蜀に行っちゃうんだからっ!」

「! ったぁああああっ!!」

「うおぉおっ!? え!? なっ……く、鎖分銅!?」

 

 亞莎の長く余った袖から伸びた幾束の鎖が、俺の左腕へと巻き付いた!

 なんてこと……亞莎が! 亞莎が何故か積極的に俺の捕縛に踏み出した!? しかも、戦いに身を置く男として、地味にだけど一度は体験してみたかった腕縛りまでして! ……なんか物語の主人公になったみたいでちょっぴり嬉しい……!

 こ、この、ほらっ! 引っ張られるままにギリギリと耐えるのがなんとも!

 

「ほお……帰るか。それは事実か、北郷」

「祭さんっ、ほお、とか暢気に構えてないでっ! 事実は事実だけど、まず助けてからにしません!? ……つーか痛っ! 鎖痛っ!!」

 

 何気に痛い! 何気っていうか普通に痛い!

 こんなの巻き付けられて踏ん張れる人、凄いよ素直に! 俺も踏ん張ってるけどさ!

 

「かずっ……一刀様っ……帰って、しまうんですか……?」

「亞莎まで……! 確かに帰るけど、またいつか遊びに来るからっ、ていうかさ、みんな勘違いしてないか!? 俺はなにも今すぐ帰るだなんて言ってないぞ!?」

「だが帰るのだろうっ?」

「蓮華……それは、うん。帰る」

「! …………うぅうぅぅううぅぅ~……!!」

「ぎゃだぁああああーだだだだっ!? ちょちょちょ亞莎!? 痛っ! 引っ張らないで引っ張らないでぇえーっ!!」

 

 引っ張られると、ミリミリと肉が……腕の肉がぁああっ!!

 鎖ってよく出来てるなぁ! 交互に横と縦とが混ざってて、相手を絞め付けるのに丁度いいったらない!

 けどこうして踏ん張ってる限りは……たとえ格好悪くても無理矢理抜け出す!

 巻き付いてるからって、なにも両手が不自由なわけじゃないんだっ、こうしてこうして、外してしまえば……!

 

「わっ! 分銅引っ張って一つずつ外しにかかってる! 亞莎、もっときつく引っ張って!」

「千切れるわぁっ!! あーもうっ───頼むから落ち着いてくれぇえええっ!!」

「! 逃げたわ! 追うわよ明命!」

「はい蓮華さま!」

「あれぇええっ!!? 明命までいつの間に!?」

 

 で、鎖を丁寧に解いて逃げ出してみれば、いつから居たのか明命までもが謎の捕り物帳に参戦!

 いやむしろ、逃げるたび追い詰められるたびに人数は増え……───

 

……。

 

 で…………

 

「ゴメンナサイ……もう逃げませんから……追い続けるの、勘弁してください……」

 

 いつしか、中庭の中心で自主的に正座して、呉のみんなに囲まれている俺が居た。

 追われるのって辛いね……神経がジリジリと磨り減っていく気分だよ。

 

「じゃあ一刀、呉の父に───」

「あ、それは嫌だ」

「えー? ……むー、じゃあ仕方ないか」

(ほっ……)

 

 拒む俺を前に、少し口を尖らせたものの、本当に仕方ないって顔で頷いてくれる雪蓮。

 ……うん、話して解らない人じゃないんだ。ちゃんとこうして、真正面から嫌だって伝えれば───

 

「じゃあ命令ね? 一刀、呉の───」

「おわおあうぇあいあぁああああああああっ!!!! なななななんてこと命令しようとしてるかぁあーっ!!」

 

 前言撤回! 話してもわかってくれませんこの人!!

 

「だって仕方ないじゃない。一刀、頷いてくれないんだもん」

「頷けるわけないだろっ! 俺の全ては魏のもので───」

「その魏の象徴である華琳が、手を出していいって言ったんだけど?」

「い、やー……そ、それはそのー……そ、それにしたってさ、俺の意思くらいは尊重されるべきじゃないか?」

「うん。だから命令で───」

「それ一番尊重してないからァアアアアッ!! 俺の意思全然関係ないからァアアアッ!!」

「んー……そうでもないでしょ? だってほら、命令を受けるのは民の罪を被ったからで、一刀が進んで頷こうとしたものじゃない? 私ね、一刀はたとえ華琳が言い出さなくても、民が助かるんなら~って言いそうだと思うの」

「………」

 

 空いた口が塞がりません。

 それどころか話せば話すほど、どんどんと逃げ道を塞がれていっているような……!

 

「ね、一刀。私はべつに、一刀に無理矢理な要求をしてるつもりはないの。一刀が本当に私達とは関係を持ちたくないっていうなら、もうこの話は終わり」

「雪蓮……いいのか?」

「いいわよ。強要しても頷いてもらえないなら仕方ないし。……でもね、覚えておいて。私達はいずれ男を受け入れて子を成すわ。誰のためでもない、国のために。たとえ相手のことが好きじゃなくても、いつかは強制されることになるかもしれない。一刀は……そういうの、手放しに祝福できる?」

「い、いやっ、けどさっ! みんなだって俺のこと、そういう意味で好きでもないんじゃ───」

『そんなことないですっ!』

「うわっと!?」

 

 好きでもないんじゃないか、と続けようとした俺に、明命と亞莎の声が重なった。俺は思わず息を呑み、正座したままの状態で硬直。

 自分の声に驚いているのか、同じく固まっている二人に「ア、アノー……?」と小さく声をかけると、二人は真っ赤になりながらも言葉を並べてくれた。

 

「か、一刀様っ、私は……子を宿すなら、一刀様との子がいいですっ」

「わ、わわわ、わたっ、わたひはっ……! 私もっ……他の人となんて、考えるだけでも……! …………怖い、です……!」

「………」

 

 いつの間にそこまで好感度が上がったのか、なんて疑問が走るものの、そもそも男性と話すきっかけ自体が非常に少ない皆さまである。少し考えれば、親しくなって気心が知れて、重くないし一緒に居て楽しいし気が楽だと感じれば、好感度云々以前に、親しくもなければ知りもしない相手よりかは、と考えるのは当然かもしれなかった。

 けど、結論から言えば、俺は二人の言葉を聞くべきじゃあなかったんだ。

 俺は結局断ることしか出来ない。魏を思えばこそ、辛い鍛錬にも耐えられたし、魏に戻りたいと思い続けたからこそ、今の自分が居る。

 もしそういった意味で二人が“俺がいい”と言ってくれるのなら、俺は余計にその告白を受け容れられない。

 

「……かっ、いい若いモンが何をうだうだ悩んでおるか……北郷!」

「は、はいっ!?」

 

 悩んでる最中に、よく通る祭さんの声が俺の耳と貫く。

 俯きかけていたために猫背になっていた体がシャキーンと伸び、そんな俺を見下ろしながら祭さんは続ける。

 

「どうせ国がどうとか魏がどうとか考えておるのだろうから訊くがな。お主の気持ちはどうなんじゃ。肝心なのは魏でもなんでもなく、そこじゃろう」

「……それは」

「男ならばはっきりと言ってみせんか。好きか嫌いか。結局はこの二択だろうに」

「………」

 

 あのー……祭さん? それが難しいからいろいろ悩んでいるんですが?

 俺は“魏が”好きだから、同盟国だからって他のところに手を出したくないんだ。

 

「みんなのこと、嫌いじゃない。むしろ好き……なんだと思う。でもさ、じゃあ祭さんはどうなんだ? 子を成すにしても、俺みたいなヒヨッコ相手でもいいって頷けるのか?」

「む? …………な、なに?」

「え? ……あ、いや、だから、俺なんかで───」

「………」

「………」

 

 しばし沈黙。

 祭さんは何を言われたのかが解らないといった風情で、しばらく顎に手を当て目を線に、口をへの字口にして考えこんでいる。

 

「あー……つまりなんじゃ? お主は儂とまで子作りをしたいと。そう言いたいのか? いやそもそも、この老人まで孕ませるつもりでいたと」

「ふえぇえあぁあぅ!? え、えっ!? そういう意味で言ってたんじゃないの!? ───違うの!?」

「ふ……ふわっははははは!! いやいや結構! そうかそうか、それも悪くないやもしれんっ!」

 

 急に上機嫌になった祭さんは、豪快に笑いながら正座中の俺の横に屈むと、バシバシと背中を叩いてくる。

 ああ、なんだろうかこの地雷臭は。踏んでしまったが最後、逃げることも出来なければ死を選ぶのを俺が嫌だと思うこの八方塞がりな状況。

 いや、解ってる。拒否すればいいんだ。俺は魏が好きだから、みんなとは一緒になれない、って。どれだけ泥を被ろうとそうすると決めたなら、そうしないのが逆に不自然…………なのに。

 

「まさかこの歳で子を育てることになるとはのぉ……世の中、一手先も見えんものだわ」

「うー……祭さんはさ、それでいいの? その……相手が俺なんかで」

「うん? なんじゃ、そんなことを気にしておったのか。その答えならば、策殿が似たようなことを言っておったじゃろう。儂は自分が認めた者以外の男の子を成すなど、許容しきれんわ」

「……それが国のためであっても?」

「真に必要ならば埒も無し。儂の意見など無視されて然りじゃ。……が、今はお主がおるじゃろう。この老人の発言が通されるのであれば、生娘的な意見ではあるが、どうせならばお主との子を選ぶじゃろうな」

 

 言いながら立ち上がり、両腰に片手ずつを当て、けらけらと笑う。

 いつも楽しそうだよなぁこの人……じゃなくて。“どうせなら”って……これは喜ぶところなのかがっくりするところなのか? 

 

「なんじゃ。どうせなら、という部分が不服か? 物事がどちらに傾いているかなど、時と次第によるものじゃろうが。自分に傾いているうちは、手放しに喜んでおればよいわ。男ならどしっと構えんかい」

 

 言いながら、祭さんがどしっとした構えをする。

 ……この人を前にどしっと構え続けられる人が居るなら、見てみたいよ俺。

 

「ほら一刀。賛成ばかりみたいだけど?」

「賛成って……まだ明命と亞莎、祭さんくらいじゃないか」

「そんなことないわよー。私に蓮華に小蓮に───」

「姉さまっ!? いつ私が賛成などと言いましたかっ!」

「わっ、ちょっと蓮華、急に怒鳴らないでよ」

 

 指折りに名前を挙げる雪蓮に、横に立っていた蓮華が待ったをかける。

 俺はそんな景色を横目に、中庭の広さを眺めながら現実逃避を……したかった。問題が問題なだけに、適当にはぐらかすわけにはいかなかったのが理由である。

 というか祭さんがどいた途端に背中、というか首に抱き付いてくる小さな暖かさに苦笑し、それどころじゃない。

 ああ……目に見える東屋の近くで、亞莎とごまだんごを食べた平和さが懐かしい……。

 

「あのー……雪蓮? いろいろ問題が出てくるだろ。シャオだってまだこんななんだし」

「あーっ! ちょっとそれってどういう意味ー!?」

 

 首に抱き付いているシャオが耳元で叫ぶが、話を通すなら多少無茶をしなければいけないときがあるんだっ……!

 ……あるんだよ? あるのに、自分で自分の首を絞めている気がするのはどうして───はっ!?

 

「え? 問題ないでしょ? だって一刀、魏でも季衣や流琉に手、出してるんだし」

「ぐはっ……!」

 

 気づいた時には手遅れ。というかその情報源は何処ですか?

 ともあれ自分で逃げ道を塞いでしまった俺は、ぷんすかと怒るシャオに絡まれるためだけの発言をしてしまったことに、激しく後悔した。

 いいんだ……僕もういろいろといい……。草むらを走る蟻でも眺めてよう……。

 

「ひ~と~り~が~大好きさ~……。ど~せ死ぬときゃ……ひとり~きり~……」

「……? 一刀、それなに? なんの唄?」

「いや……なんでもない……」

 

 首に抱き付いたまま、肩越しに俺の顔を覗いてくるシャオの頭をぽんぽんと撫で、いっそ目の横の面積分、滝の涙を流したいような気分でがっくりと項垂れた。こういう時に限って見つからない蟻に、僅かな逆恨みを飛ばしながら。

 

「………」

 

 顔をあげれば、ギャースカと騒ぐ雪蓮と蓮華。それを酒の肴にでもしたいといった風情で笑う祭さんと、目を閉じつつ何も言わない思春。

 そして、「一刀様の子供……」と言いつつ、顔を真っ赤にしている亞莎と明命。

 俺の首にはシャオが抱き付いていて……で、そんな俺の正面に屈み、にこーと笑う影ひとつ。

 

「なぁ、まさか陸遜までこんなことに賛成とか……言わないよな?」

「いえいえぇ、私は賛成ですよ~? ……他でもない、私のあんな姿を見てしまった殿方ですからぁ」

「……あんな姿もなにも、呼ばれて行ったら勝手にあんな姿してたんじゃないか……」

「あぅ、あれはその、耐えられなかったといいますかぁ……」

「とにかく俺はあいぃぃぃぃいーっ!?」

 

 喋り途中の俺の耳を襲う謎の痛み! いや、謎なんて何もなく、首に抱き付いていたシャオが俺の耳を引っ張ったんだが……!

 

「あんな姿ってなに!? 一刀ってばシャオっていう妃が居ながら、他の女とーーーっ!!」 

「だだ誰が妃だーっ!! 最初っから言ってただろぉっ!? 俺は魏と、華琳とぉおあぃたたたたぁあーっ!! 耳っ! 耳千切れるいだぁたたたたぁあっ!!」

「なぁにっ!? この期に及んでまだ他の女の名前を出すのっ!?」

「だからっ、他の女もなにもっ! 俺は華琳あぃだだだぁああーっ!!」

「あぁ~、そうでしたそうでした。一刀さん、私のこと、これからは穏と呼んでくださいね?」

「うわっ! さらりととんでもないこと言われた気がっ! ちょっ……陸遜!? そういうのはもっとこう、こんな騒がしさのない場面で……!」

「冥琳様を救ってくれたんですから、これくらい当然ですよぅ? ……むしろ今まで真名で呼ばせてほしいそぶりを全然見せてくれなかったのが、穏的にはとても寂しかったといいますか……」

 

 あ、いじけた。

 

「でもですね、こうなれば本のことも解決すると思ったんですよ一刀さぁん。なにせ、興奮してしまったら……一刀さんに鎮めてもらえばいいんですからぁ」

「ヒィッ!? な、なにやら寒気がっ……!?」

 

 一度足を踏み入れたら、足腰立たないまで絞り尽くされる未来を、我が五体が案じているような……!

 え? 案ずるより産むが易し? 易くなる前にべつのものが産まれるからっ!! むしろ一線踏み越えてる時点でアウトだアウトッ!!

 

「こっ……ここ、こ……!」

 

 こんな時、普段からみんなを諫めてくれる存在……冥琳が居ないのはとても辛い。……辛いのと同時に、普段から冥琳にどれだけの苦心があるのかが少しだけわかった気分だった。

 

「……あ、あのさ。俺、どちらにしてもそれを受けるわけには……」

「一刀はシャオが知らない男に孕まされちゃってもいいっていうのー!?」

「こらこらこらこらこらぁあっ! 孕ますなんて言葉を軽々しくだなぁっ!」

「か、一刀っ! 貴方はっ……小蓮に変な言葉を教えてどうするつもりなの!?」

「蓮華さん!? 話聞いてた!? 俺はむしろ叱ろうとしてたところで!」

「というわけで決定ね? 私達は呉に天の御遣いの血を受け容れる。で、一刀にはその手伝いをしてもらう方向で」

「待ってぇええーっ!!」

 

 ワーイ俺へのお礼だとか言いながら俺の意思は完全無視だーっ!! もうほんとどうしてくれようかこのお天気国王様はぁああっ!!

 

「ハッ!? そ、そうだ! お礼だっていうなら、一つだけ叶えてほしいことがあるっ!」

「えー……?」

「なんでそこで嫌そうな顔するの!? おっ……お礼だろ!? お礼なんじゃないのか!?」

「じゃあ今決めたことを否定するようなお礼は無しね? これは命令。いい?」

「でも否定以外の言葉でお礼が成立したら、そもそもお礼としての口実は無くなるわけだから断っていいんだよな?」

「じゃあやっぱりだめ」

「おっ……王様がそう簡単に発言を撤回しないでくれ頼むからっ……!」

 

 そうは言うものの、「言うだけ言ってみて」と拗ねた顔で言われたために、話を進める。

 叶えてもらいたいものっていうのはあれだ、壊してしまった椅子。厳密に言えばヒビというか亀裂が走ってしまった木製の綺麗な椅子のこと。

 

「実はさ、部屋で鍛錬してたら木刀が椅子に当たっちゃって……少し亀裂が入っちゃってて、それを許してくれればなーと……」

「…………」

 

 口にして聞かせてみると、雪蓮は困ったようながっくりしたような重い面持ちで顔を片手で覆い、

 

「一刀……あれはね、実は我が孫家の家宝で───」

「家宝が置いてある部屋を他国の客が寝泊りする場所に宛がうヤツが居るかぁっ!!」

「わっ、もうばれた」

「………」

 

 あ……なんかもう悩んだり叫んだりで疲れた……。

 このままここに居たら、俺……いつか誘惑に負けちゃいそうで怖いよ……。

 

「あ、あのさ……朱里と雛里はまだ蜀から戻ってないのか?」

「…………ああっ!」

「?」

 

 俺の言葉に、雪蓮がポムと手を叩く。名案だっ、といった顔で。

 あのー……なんですかその、じゃー朱里たちが蜀から来なければいーんだー、みたいな顔は───ってそれが答えかっ!

 

「もし朱里と雛里が来ないようだったら、俺一人でも蜀に行くからな?」

「えー? 一刀ずるーい!」

「ずるくないずるくないっ……!」

 

 本当にやる気だったのか……雪蓮、怖いコッ……!

 と、いい加減話を進めないといつまで経っても正座のままだ。

 ……いい、もうぶつけよう。真正面から、逸らすことなく。

 

「……みんな、聞いてくれ」

 

 真剣な面持ち、真剣な声に、みんながいろいろと言葉を投げるのをやめ、視線を俺へと向ける。

 そんな中で俺はすぅ……と深呼吸をしてから───言葉を紡いだ。

 

「俺は……魏に全てを捧げたつもりだし、魏のために生きて魏のために死ぬ。その覚悟もある。たしかに呉に来てからは“呉のために尽くそう”って覚悟は決めたけど、それは魏のみんなに後ろめたいことをしてまで、やらなきゃいけないことじゃない。だから……悪いけど、この話は受けられないよ」

 

 噛み締めるようにしっかりと。みんなに届くようにはっきりと言葉にして、息を吐く。どんな理由があろうとも、たとえ華琳が許可していようとも、華琳以外のみんなが頷いてくれるとは限らない。

 そもそも俺がそれを頷けないんだ、仕方ない。

 

「……はぁ。一刀って結構強情なんだ。なに言われても曖昧にうんとかああとか言うだけかと思ってた」

「この世界に下りる前の俺だったらそうだったかも。けど、この世界で戦を知って、人の生き方っていうのを知ったらさ。きっともう、曖昧なままでなんていられない」

「………………惜しいなぁ。一刀がそもそも呉に下りてくれてたら、こんなややこしいことにならなかったのに」

「俺が呉に? ……みんなの足を引っ張るイメージしか湧かないけど」

「そ? 結構頑張ってくれたんじゃないかなーって思うんだけど。ほら、頑張り屋だし」

「はは、頑張り屋になったのは華琳たちと別れてからだから。どの道役には立てなかったよ。大方、思春に怒られてばっかりでひぃひぃ言ってたと思うよ」

 

 そう。“起こること”についての助言は出来ても、解決は出来ないと思う。

 もし時間軸ってものがあるとして、並列上に呉に下りる俺が居たとしたら、いったいどんな道を歩んだだろう。

 あの時の俺が自分を削りながら秋蘭を守ろうとしたように、雪蓮を守るために身を削ったんだろうか。冥琳が死なないようにと頑張れたんだろうか。

 考えたところでわかるはずもないんだけど……どうしてだろうな。最後はきっと笑っていられたって、そんな気がした。

 

「じゃあもうあれね。ようは後ろめたいことじゃなくしちゃえばいいのよ」

「…………へ?」

 

 話の結末がどうあれ、ようやく正座も終わらせていいかなって頃。

 にこーと笑って再び話を蒸し返さんとする雪蓮さんが居た。

 

「一刀、頑張って蜀の子たち落としてね? そしたら三国共通財産、同盟の証として一刀が───」 

「だからそういうのはやめてって言ってるだろぉっ!?」

「同盟の証としてなら、魏の子たちだって文句言わないでしょ? それともなに? 魏の子一人一人に許可を取りに行ってほしい?」

「───……」

 

 気が遠くなるのを感じた。たぶん真っ青だよ俺。

 魏のみんな一人一人に許可を取りに……? そんなことしたら───

 

 

 

-_-/軽いイメージです

 

「なにぃ? 北郷の血を呉に入れる? 北郷一人の血で呉を血まみれにできるのか?」

「姉者、それは意味が全然違う。……我々は華琳様が良しとするなら異論はない」

「北郷の血を? 血なんて言わないで北郷ごと貰ってほしいくらいだわっ、汚らわしいっ」

「へぇ、一刀の血ぃを……そんならいずれは呉が一刀の子ぉでいっぱいになるっちゅうことか。っははー、そら面白そうやー♪ けど断る。一刀はウチらのもんや、誰にも何処にも渡さへん。それが天であってもや」

「せやなー、姐さんの言う通りや。ただでさえ魏の将全員に手ぇ出しとるゆーのに、呉なんかに流れた日には……」

「きっと呉が妊婦だらけになるのー!」

「自分は反対です。が、隊長の判断に委ねるつもりでいます。……自分は隊長を信じていますから」

「はー……やっぱり予想通りに呉の皆さんに手を出しちゃったんですねー……。お兄さんは本当に見境なしです。もはや女の子だったらなんでもいいんですかー?」

「わざわざ呉王自らが許可を取りに来るとは……はっ! まさかすでに責任問題になるほどのことを……う、ぶぶ……ぶーーーっ!!」

「血を入れるってどういう意味だろ……よくわからないけど、もし兄ちゃんを傷つけるようなことだったら、ボクが許さないから」

「血を入れるって……わ、わわ……兄さま、他国の人にまで……」

「だめだめだめだめぜ~~ったいだめー! 一刀は私のなんだからー!」

「ちょっと姉さんっ、一刀にはちぃが先につばつけたんだから、一刀はちぃのものよっ!」

「ちぃ姉さん、つばとかそういうことは、あまり大声では言わないで。それと、一刀さんは三人のもの、でしょう?」

 

 

 

-_-/一刀

 

 …………。ちらりと想像してみても、とても微妙だった。

 いろいろあるみたいだけど、どう転んでも“華琳任せ”になりそうな予感。その華琳が許可を出しちゃってるっていうのに。

 そうなったら……あれ? 俺が断り続ける意味、もしかしてない?

 

(……俺の意思ってどこにあるんだろ……)

 

 もちろん俺の中だけにだろう。

 そんな俺が断り続けても、だめ、却下、と言われるのなら……もういっそ、みんなに委ねるべきなのだろう。

 

「わかった。けど俺は断ったってこと前提で話をしてほしい。じゃないと───」

「じゃないと?」

「…………俺が八つ裂きにされそうだから」

 

 想像するだけで怖い。

 特に春蘭と秋蘭あたりには冗談抜きで殺されるんじゃないだろうか。

 「貴っ様ぁああ! 華琳様に仕える身でありながら呉の人間に手を出すとはぁああっ!」……って……痛っ! 胃ぃ痛っ!! ああ、ああもう、どうして俺ばっかりこんな目に……っ!

 

「ほんと一刀って意思がしっかりしてるのか弱いのか、わからないわよね。キリっとしてるかと思えば簡単に怯えたりするし。鍛錬の時とか国の話をするときは、すごく真っ直ぐだったりするのに」

「一番最初に“揺るがない”って言ったのに、聞いてくれない誰かさんが居るから苦悩するんだろ……?」

「……えへー♪」

「なんで嬉しそうなの!?」

 

 俺の顔をぺたぺた触り、何故かにへら~と笑う陸遜……穏の後ろに立ち、表情を緩ませて笑う雪蓮。

 こんなふうに女性に囲まれて、事実上では誘われているという状況の中……嬉しくないと言えばウソにはなるけど、喜べはしないのは、やっぱり状況が状況だからだろう。

 うん、たしかに……そもそも呉に下りてきたりしたなら、こんなに悩んだりはしなかったとは思う。

 

「じゃ、この話は終わりね? あとはこれを冥琳には内緒で魏に通して、と……」

「話そう!? そこは話そうよ! 軍師を通さず国の問題を進めるって大変なことすぎるだろっ!?」

 

 心の中でのブレーキ的な人をあっさりスルーしようとした雪蓮に、全力で待ったをかける! 冥琳なら……冥琳ならきっと止めてくれる! そう思ってたのに、あっさりスルーするなんてあんまりだ!

 

「大丈夫よ一刀。冥琳もきっと頷いてくれるから。むしろ頷かせるから」

「事前に頷かせてくださいお願いしますから!! 事後じゃあ頷かなくても意味がないってそれ!」

「むー……あ、祭ー? 冥琳起こしてきてもらっていいー?」

「おう、任されたっ」

 

 上機嫌であっさりと承諾、中庭から通路へ歩いていってしまう祭さんを成す術なく見送り、死を待つ死刑囚な気分で項垂れた。

 や、そりゃあ死刑囚がどんな気持ちで死を待つかなんてのはわからないけどさ。この、どうなるかわからない状況はとても心に毒というか……。

 

(い、いやっ、先延ばしはよくないっ! 冥琳に訊いて、ダメだって言われればきっとこの話も終わる!)

 

 “なにせ冥琳を救ったお礼”って意味らしいから、冥琳がそれを断れば全てが治まるはずなんだ!

 大丈夫、希望は捨てない! むしろこれでダメだったら、魏に戻ったあとにどうなることか……! みんなきっと断ってくれるだろうけど、“俺が呉のみんなを口説き回った”とかあらぬ噂が蔓延するに決まってるんだ……主に桂花の口あたりから。

 い、いけない……それはとてもよろしくないっ! せっかく帰ってきたのに、兵はおろか民たちからも白い目で見られるなんて冗談じゃないっ!

 冥琳……冥琳! キミだけが頼りだ! ……そもそも呉王が俺の話をちゃんと受け容れてくれていれば、こんなにややこしいことにはならなかったはずだけど。

 けど、いくら雪蓮でも冥琳の言葉だけは聞くはず! そう、冥琳……キミさえ……キミさえ───あれ? 冥琳?

 

「……はっ!? 雪蓮!? 冥琳ってもう目が覚めてるのか!? そうじゃないなら、無理に起こすのは危険なんじゃ───」

「あぁ、大丈夫よ、うん大丈夫。華佗が言うには、氣脈が一刀の氣で満たされてるから、体が慣れるまでは上手く動けないそうなんだけど……病魔は滅ぼしてあるから、体自体に異常はないんだって」

「そ、そうなの?」

「うん。でも一刀も思いきったことするわよねー、自分が死にそうになっても他人のためになんて、普通できないわよ? その人に忠誠を誓ってるならまだしも、他国の将のためになんて」

「ここに居る間は、呉に尽くすって決めたから。それなのに呉の人を救わないのはウソだし、なにより……“俺が”死んでほしくないって思ったから」

 

 天の御遣いだからなんでも出来る、なんてことはない。

 呉に来る前に氣を教わらなければ、祭さんに絶対量の増加法を教わらなければ、華佗に氣を鍛えておいてくれと言われなければ、結局自分にはなにも出来なかったに違いない。

 だから……確信できる。“求めていてよかった”と。

 誰かのために出来ることを、魏との絆として、凪から教わっていてよかったと。

 

「……ほんと、華琳……一刀のことくれないかしら」

「? 今何か言ったか?」

「うん。華琳、一刀のこと私にくれないかなーって。血のためじゃなくて、私の伴侶として」

「んなっ……!?」

 

 なんてことを仰るかこの人は! 散々と魏に生き魏に死ぬって言ってるのに、どうしてこういうことをハッキリ言えるかなぁこの人!

 などと思っていると、首に抱き付く圧迫感がさらに増し───

 

「むふー♪ 残念でしたー♪ いくらお姉ちゃんでも一刀は渡さないからねー? 一刀はもう私の夫なんだから~」

 

 背中におわす小蓮さままでとんでもないことを仰りました。

 ああ……こうなるともう流れが読めてきたような……。

 

「小蓮! なななにを言っている! 一刀がお前の夫だなどと! お前はまだまだ子供なのだぞ! お前にはもっと相応の年齢の相手をだな……!」

「そんなこと言ってぇ~……一刀のことシャオに取られるのが嫌なんでしょ~♪」

「ななななななぁあーっ!? そそそんなことはないっ! 私はかずっ……北郷のことなどなんとも……!」

「……すぐそーやって隠す。シャオ知ってるんだからね? このあいだ、東屋の傍で一刀に膝枕してもらって、ごろごろ甘え切ってた───」

「わあぁぁぁーっ!! うわぁあああああーっ!! しゃっ……しゃしゃしゃ小蓮んんんっ!!! い、いつからっ……!!」

「“貴方だけには甘えてもいいんでしょう? この一時だけ、私が休める場所でいて……”ってところから」

「~っ……!! ~……!!」

 

 うわ赤っ!! 涙目になって凄く赤くなってる!

 シャオの言い方はやたらと大げさで、冷静で居られていればウソだって思われそうなものなのに……そこまで真っ赤になったら、もう事実だって認めてるようなものじゃないか……。

 

「まあぁ~……♪ 蓮華さまったら一刀さんにそんなことを~♪」

「へー……蓮華も結構やるわね……ほんとなの? 一刀」

「や、それはヒィッ!? サッ……サーイェッサー!! 黙秘します!!」

 

 怖ッ! 眼力で人を殺せるよ今の蓮華! 正座しながらつい敬礼しちゃったよ!

 

「あはは、まあその態度で丸解りだから、訊くまでもないか。一刀も罪作りな男ね~♪ 孫呉の将全員に気に入られるなんて」

(……俺もう逃げたい……)

 

 どう気に入られたら、こんな胃に穴が空くくらい睨まれるんだろう。

 シャオが首に抱き付いて、さらに頬を俺の頬に摺り寄せるたびに、蓮華から放たれる殺気が増してくる。

 雪蓮も何故かシャオを羨ましげにしてるし、そんな視線に気を良くしたのかさらにすりすりって……うあああああ殺気が……殺気が増して……!

 

「策殿~!」

 

 と、今まさに胃袋が血の海になりそうな緊張の中。ついに届いた祭さんの声!

 正座のままに首だけ動かしてみれば、肩を貸すことで冥琳を連れ出している祭さん! ……って……

 

「……なぁ雪蓮……。これってさ、そもそも俺達が冥琳の部屋に行けばよかったんじゃないかな……」

「あ」

 

 あとには、恥ずかしそうに「頭の中が一刀のことばっかりで、回らなかったわ」という雪蓮だけが残された。

 いや……だからさ。俺、そこまで気に入られるようなこと、したか……?

 



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17:呉/今はまだ気づいていない、その違和感③

 さて、そんなわけで……くたりと辛そうに座る冥琳。

 そう、上手く動けないのをいいことに、何故か俺の肩にもたれるように座らせられている冥琳。

 シャオも陸遜も俺からは離れて、肩を寄せ合って座る俺達をニコニコ笑顔で見ていたりする。

 ……もう一度言うが、寄せ合ってというよりは寄せ合わされて座っている。

 

「ね、冥琳。ちょっと訊きたいんだけど」

「……はぁ……なんだ?」

 

 冥琳はひどく気だるげだ。

 いくら変換したとはいえ、氣脈が他人の氣で満たされているなら仕方の無いことなのかもしれない。

 

「あのね、呉はこれからどんどん大きくなっていくでしょ? 騒ぎを起こす民も、一刀のお陰で随分減ったし」

「……そうだな」

「それを維持するためには、ここから先のことももっと考えなくちゃいけない。そうでしょ? だから私達もそろそろ後継を考えないといけない」

「ほう……? お前の口からそんな言葉が聞けるとは……思ってもいなかったが……」

「むぅ、失礼ねー……まあいいわ。で、その後継の話なんだけど。現在の呉王の座を蓮華に譲って、私は一刀と子作りに励もうと思うの」

「姉さまっ!?」

「お姉ちゃん!?」

 

 ……………口を挟むなよ北郷一刀。

 口を挟めば……絶対に矛先がこちらへ向かいますよ。

 僧になりなさい。如何なる騒音の中でさえも、草花のそよぐ音を感じ取れるところまで、悟りを開くのです。

 

「なにを勝手な! この、民の信頼が集中してきた大事な時に王を辞めるなど! 王はこれまで通り姉さまが続けるべきです!」

「えー……? じゃあ蓮華が一刀の子、産むの?」

「なぁああああーっ!? そそそそれとこれとは話が別です! 私には国を担うほどの力がないと言っているのであって!」

「そうそう、お姉ちゃんじゃあきっと、一刀を満足させてあげられないもん。一刀の子はシャオが産むから、まっかせて~?」

「小蓮! お前はまたそのようなことをっ!! 私は国を動かす力が無いと言ったのであって、一刀を満足させられぬ、と……は……かか……っ……!?」

「わお、蓮華ってば大胆♪」

「かかかか一刀ぉおおっ!! 貴方の所為でぇええっ!!」

「ええぇっ!? なんで俺!?」

 

 お湯でも沸かしましょうかってくらいに真っ赤になった蓮華が、何故か矛先を俺に向けてきました。

 はい、口を挟もうが挟むまいが、どうあっても俺は巻き込まれるらしいです。

 なんとかならないもんでしょうかと困り果てていると、ついに僕等の救世主が気だるそうに口を開いたのだ……! ……さっきから開いてはいるけど。

 

「はぁ……将の前で、あまり騒ぎ立てるものではありませんよ、蓮華様。それから雪蓮、お前も少しは冷静になれ」

 

 溜め息と同時にそうこぼすのは、無理矢理に連れてこられた冥琳。

 連れてきておいて蚊帳の外にでもしようかってくらい騒いでるんじゃ、冥琳もいい迷惑だろうに。

 

「し、しかし冥琳!」

「私、冷静なつもりだけど?」

 

 けれどさすがというべきか、双方にとって僅かでも気になる言い方をすることで、二人の意識はきちんと冥琳に向き……そうなれば一人で騒げるはずもなく、シャオの意識も冥琳へと向いた。

 そうしてから改めて咳払いをすると、

 

「そもそもだ。好きでもない者の子を宿すのが嫌、という話だが、それは北郷にも言えることだろう。魏を愛す北郷にとって、雪蓮。お前との間に子を作ることが、お前の言う好きでもない者との間に子を作るのとは違うと言い切れるか?」

「むー……ねぇ一刀。私のこと嫌い?」

「好きだよ。大切な友達だと思ってる」

「わ、即答なのは嬉しいんだけど、望んでた答えとちょっと違う……」

 

 そんなこと言われたって、似たようなことを何度も言ったはずなんだけどな……。

 

「さらに、北郷には“騒ぎを鎮めてくれ”とは頼んだが、“子作りを手伝ってくれ”などと頼んだ覚えはない。招き、逃がさないようにしてから“気が変わった”と告げるのは、いささか卑怯ではないかな? 孫伯符殿」

「うっ……それ言われると弱い……」

 

 おおっ……! 雪蓮が……雪蓮が押されている! すごいや、さっすが天下の周瑜さんだ!

 あの雪蓮を言葉だけで追い詰めている!

 

「しかし公瑾よ。後継を残さんとする意思は、早いに越したことはなかろうよ。策殿が逸る気持ちもわからんでもないだろう?」

「祭殿、これはただ北郷を手放したくないだけです」

「うわっ、これ扱いだ……理由に関しては否定はしないけど」

 

 しないのかよ! しなっ…………しないんだ……。してくださいよ……。

 

「あ、でも勘違いしないでね一刀。気に入ったからってだけじゃなくて、傍に居てほしいな~って思うのは本当よ? 一緒に居ると退屈しないし、一刀なら~って思えるし」

「そんな、今はそうでもあとで俺よりよっぽどいい男に会え───」

「やだ」

 

 ……物凄い早さの即答でした。

 しかも会えないとかそういう文句じゃなく、きっぱり嫌だと。

 

「むー、どうしてわからないかなぁ。あのね、一刀。私は一刀がいいって言ってるの。そりゃあいつかは一刀よりもいい男が現れるかもしれないわよ? でもそれって何年後の話? すぐ? それとも10年も先? 今目の前に居る一刀を逃して、いつ来るか解らない男を待つよりも、一刀を選んだ方が楽しめる時間が長いに決まってるじゃない」

「うわー、この人楽しむことしか考えてない」

「あっはは、当たり前当たり前~♪ なにをするにしても、楽しいほうがいいに決まってるんだから。戦も政治も食事も、もちろん恋愛もね」

「うぐっ……」

 

 ひどく正論……なんだけど、戦を楽しむのはどうかなぁ。

 そりゃあ、後味が悪すぎる戦よりも快勝出来たほうがいいに決まってるけどさ。

 

「そんなわけだから冥琳、一刀の血を孫呉に入れるわ。打算的に言えば一刀って支柱を糧に同盟としての在り方も強化できる。華琳の許可も得て、私は本気なんだから文句はないはずよね?」

「あの……俺の意思は?」

「一刀……政略的な物事に当人の意思なんて関係ないのよ?」

「うそだっ! このこと自体が雪蓮の意思だけで構築されてるようなものじゃないかっ!」

「失礼ねー。ちゃんとみんなの意思も入ってるわよ。ね、明命?」

「はうわっ!? は、はふぁっ……ふふふふふふふつつかものですがーっ!!」

「待て明命、早まっちゃだめだっ!! 雪蓮もっ! 急に明命に話を振って混乱させないっ!」

「だって一刀が私だけが悪いみたいに言うんだもん。いいじゃない、明命だって賛成みたいだし」

 

 だもんって……貴女何歳ですかもう……!

 しかしこのまま突っ込まれ続けると勢いだけで負けてしまいそうな……というかいくら断っても話が終わらないのは何故?

 と、助けを求める視線で冥琳を見ると、冥琳はもう本当に気だるそうにしながら雪蓮を見た。……むしろ盛大に溜め息を吐きながら。

 

「わ……物凄い溜め息」

「雪蓮。大切な友達、とまで言ってくれる者に無理矢理襲いかかるものではないだろう? 少し冷静になれ。今は友でものちにどうなるかなど、誰にもわからん」

「あ、そっか。ようは時間かかっても、一刀が納得する形で子供が作れればいいのよね。上手くすれば華琳よりも私のこと好きになるかもしれないし」

 

 にこー、と面白いオモチャを見つけた子供のように微笑む王様がいらっしゃったとさ……って、いいのか? これ。

 たしかに時間があれば、どうなるかなんて断言できたものじゃない。ないけど、逆だって当然あるわけで。

 現時点で言えることは、たしかに呉のみんなに好意は向けられるし、“大切なものの中のひとつ”にはとっくになっているが、一番ではない。こんな暖かな場所に居る今でさえ、俺の中には魏に勝る故郷がないのだ。

 だから、言えることは一つだけ。“今”の俺に、誰かから向けられる恋慕を受け止めることは出来ない。

 

(難しく考えなければいいっていうのはわかってるんだけどな……そう簡単にはいってくれない)

 

 複数の女性と関係を持ってしまっている自分が言えたものじゃないけど、国の先を決める大事なことなんだから、もっと冷静になって考えてみてほしい。

 今さら一人二人増えたところで変わらないだろ? なんて言えた状況じゃないんだ。だって、他国の重鎮だぞ? 重鎮じゃなければ手を出すとかそういう意味じゃなく、それ以前に無理。自分に向けられる好意こそが信じられないくらいだ。

 実は好意ではなく悪意でしたって言われたほうが、ショックは受けるだろうけどまだ納得できる。

 

「とにかく。“今の私”は一刀以外は考えられないわ。時間が経てば心変わりするかもだし、そればっかりはいくら勘を働かせたってわかることじゃない。他のみんながそうじゃないって言うなら、べつの誰かと一緒に子を成せばいいだけのことだし、それは各自に任せるべきよ」

「じゃあ僕魏の人限定で───」

「それはだめー♪」

「ひ、ひどい! なんてひどい!」

 

 基本的に俺の希望は除外済みらしい。

 うう、“命令”がある分、下手なことは言えないし……華琳、これはいったいどういった試練ですか? 過去に打ち勝つどころの試練じゃない気がするよ。

 いっそ泣き出しながら逃走したい心境の中で、ただただ黙して見守ってくださる呉の皆様がいっそ厳しい。もっと踏み込んでツッコミ入れてください、“俺なんかとは子作りなど出来ません”とか。

 念を込めつつ、ざっと皆様を見渡してみるのだが。亞莎、明命は目があっただけで真っ赤になって俯いてしまい、蓮華には目が合うより先にフンッといった感じにそっぽを向かれ、シャオと祭さんと穏は満面の笑顔で雪蓮の行動を見守り……思春はずっと沈黙を守っている。

 ……アー……なんかもう……だめっぽいやー……。

 

「さて、北郷。これがこう言い出した以上、相手が納得するか自分が心変わりをするかしなければ、いつまでも話が終わらないわけだが。お前はどうしたい?」

「うわ……さらりとまた“これ”扱いした……」

 

 で、ぴたりと視線が冥琳で止まると、待ってましたとばかりに投げかけられる質問。“お前はどうしたい?”と……そう訊いてくれたのだ。

 もちろん俺の意思はNOしかない……が、たしかに未来のことを断言できる人なんてそう居ない。知る限りでは華琳くらいだろう。いっそ無鉄砲とも思える行動ばかりだけど、それを未来に繋げる“力と意思”を持っている。

 俺にもそういった意思があればなぁ……望みすぎか、それは。

 

「……わかった。たしかに一歩先さえがわからない今で、頭っから否定ばかりなのは卑怯だ。今の意思がどうであれ、どれだけ経っても“同じ気持ちだ”って決まってるわけじゃない」

「ああ、そうだな」

「今わかってるのは、今頷いておかないととんでもない命令が飛び出しそうってことくらいだし……」

 

 ちらりと見れば、満面の笑みを浮かべているシャオとか祭さんとか穏とかが、怪しい眼光で俺を見ていたりした。

 

「受けるよ、その条件。けど、“揺るがない”って言ったのは一年前から今にかけての俺の意思だ。捻じ曲げるつもりは全然ないから、頑固者って言われようが知ったことじゃないからな」

「ふふっ……ああ、それでいい。雪蓮も、それでいいな?」

「うんうん、これで無理矢理じゃなくなるわけだし、十分よ。“揺るがない”って言った一刀の意思が相当強いっていうのも知ってる。その上で、私は絶対に一刀に“うん”って頷かせるつもりだから。無理矢理はよくないわよね、無理矢理は」

「それ……今まで散々と、人のことを命令で引っ張り回したやつの台詞か?」

「あれ? 本気で嫌がる命令、した覚えなんてないけど?」

「ぐっ……」

 

 これだ。雪蓮は本当に見るところをよく見ている。

 される命令はほとんどが結果的には民が喜ぶことばかりで、俺が本当の本気で断る理由が存在するものなんて、とことんまでに無かったと言える。

 その分、シャオの命令はとことんまでに予定破壊を前提としたものばっかりだったけど。世の中って上手くバランスが取れてるもんなのかな。

 

「えと……じゃあその。話はこれでおしまいでいい……のかな?」

「まだでしょ? 一刀のこと、ちゃんと話さないと」

「俺の? って、そうだった」

 

 突然追われることになったもんだから忘れてた。言わなきゃいけないことがあったよな。

 大事なことなんだ、どさくさで流していいことじゃない。

 え、えぇっと……どう説明するか。ストレート? それとも遠まわしに…………だめだな、呉の人は遠まわしが嫌いなイメージがある。ここは直球で。

 

「あのさ。俺……次に朱里や雛里が呉に来て、話を纏めに蜀に帰る時、一緒に蜀に行こうと思うんだ。だから、呉に滞在する期間はそれまでってことになる」

 

 直球。言葉のひとつひとつの中で呉の皆の目をきちんと見ながら、自分の予定を報せていく。きちんと、心を込めて。正座のままなのは気にしないでくれるとありがたい。

 すると明命と亞莎は驚きと寂しさを混ぜた目で、蓮華と祭さんはきょとんとした顔で俺を見て……

 

「ふぇええ~~~っ!? そんなぁ、真名を許した途端にお別れなんてあんまりじゃないですかぁ~」

「だめだめだめーっ! 一刀はずぅっと呉の、シャオの傍で暮らすのーーっ!」

 

 ……極一部、元気に騒いでらっしゃるお方もおります。

 せっかく離れててくれたのに、ぷんすかしながら俺に抱き付いてくるシャオと、とほー……と肩を落として口から魂でも出しそうな陸遜……じゃなかった、穏。

 程度の違いはどうあれ、この二人ってなにをやるにも全力っぽいよね。シャオはもうちょっと加減を知ってくれればなぁとは思うけど。

 

「途端じゃなくて、朱里や雛里が戻ってきてからだから。そこのところは───」

「祭~! 二人が来たら牢に閉じ込めっ───やぁんっ!」

「シャオさん!? あまり物騒なこと言わないで!? 些細なことから誤解が生まれてせっかくの同盟がっ……みんなの努力が水泡に帰すよ!? ……ていうか“やぁん”ってなに!? ただ口を塞ごうとしただけだよね!?」

「口を塞ごうと、なんて……一刀ったら気が早いんだから~♪」

「手で! 塞ごうとしたのは手でだから誤解を招くような言い方を───」

「かかか一刀っ! お前はっ……小蓮にまで手を出す気かっ!! どこまで手が早いのだお前という男はぁああっ!!」

「アレェェェェーッ!? ちょ……目の前! 目の前で展開されている事態に目を向けて!? 人の話はちゃんと聞かないと、いい大人になれないんだよ!?」

「問答っ……問答無用だっ! お前は誰にでもそうやってやさしくしてっ……! なぜそうなのだっ! お前は王ではなく警備隊長だろう! 王のように大衆に目を向けるのではなくて、もっと範囲を狭めて……その、もちろん隊長というからには視野が狭すぎるのも問題だが、民から兵から、そんななにもかもに目を向けるのではなく……そうっ、たとえば、たとえばだぞっ!? 小蓮よりもより成熟した私ひとりにやさしくすべきで───!」

「お願いだから話を聞いてくれぇええーっ!!」

 

 はい……一月経とうが一年経とうが、きっと変わることはないんだと思います。呉のみんな、基本的に僕の話を聞いてくれない。

 一番の原因は話し始めたら他のことが見えなくなることにあるんだと、ここまでの付き合いでわかった気がする。

 あ。あと焦ると目の前の誰でも見えなくなるというか……うん、ともかく巻き込まれてばかりだといい加減涙も乾きます。枯渇って意味で。

 

「じゃあこれから朱里や雛里が帰るまで、一刀にはいろんな命令をしましょ。やっておきたいこととかあったら、後悔のないようにしておかないとだめよ?」

「一刀~、シャオと一緒に遊びにいこ~?」

「だめ。今日は俺が気絶してた所為でできなかった、明命との割りと本気の鍛錬があるんだから」

 

 でも言うことは言いましょう。断ることは断りましょう。

 命令だと言われない限りは断る権利が俺には存在して───

 

「だめー。命令だから一刀はシャオと遊ぶんだよ~?」

 

 ───あっさり権利が剥奪されました。

 

「こ、こらシャオっ! 前にそれで亞莎を傷つけたの、もう忘れたのかっ!? 人の都合に割り込んだ命令は禁止っ!」

「うー……!」

 

 渋々といったふうに引き下がってくれる。

 わからない子じゃないんだよな……ただ強引すぎて人の話を聞かなくてある意味で歳相応なのにある意味で歳相応じゃないというか。

 この、妙に大人びた思考がなければもっと素直でいい子なんだろう。残念のようなこれでいいような……はぁ。

 なんて溜め息が、次の瞬間には驚きに変わった。

 

「あ。じゃあこうしよっか。ここに居るみんなで、一度一刀と戦ってみよ? もちろん一人ずつで、武器は刃引きしたものを使うこと」

 

 それは安堵には程遠い、とても重苦しい状況の到来であった。

 

「おお、それはしごき甲斐がありそうじゃっ」

「へわっ!? かか、一刀様と、たた、た、たたかっ……!? む、むむむ無理です、無理です~っ!」

「一刀様……覚えていてくださいました……」

 

 三者三様。

 雪蓮の一言で一気に騒然とした中庭で、俺は今もなお正座をしながら、隣で盛大な溜め息を吐く冥琳と一緒に天を仰いだ。

 

「……すまないな。あれは真実、これと決めたら意思を曲げない」

「いやー……いいよ。辛くなりすぎない程度に纏めてくれた。ありがとう、冥琳」

 

 皆が騒ぐ中で、視線を合わせず空を見上げながらの会話。

 ぎゃーぎゃーと響く騒ぎの只中にあって、それでも凜と耳に届く冥琳の声に、素直に感謝を届ける。

 すると、隣からくすぐったそうな、苦笑にも似た笑みが聞こえて……

 

「ふふ……“友達”を庇うのは当然のことだろう?」

 

 そう言って、視線を下げないままに、俺の手に彼女の手が重ねられ───

 

「お前を信頼しよう、北郷。いつか全てが落ち着いたら、絵本の感想でも聞かせてくれ」

 

 それだけが伝えられると、俺は……はっとしたあとに込み上げてくる嬉しさがくすぐったくて、こんな騒ぎの中だっていうのに可笑しくなって、笑った。

 

  “私はあまりお前に期待はしていない”

 

 そう言われてから今まで、自分は期待に応えられるだけのことが出来たのかはわからないまま。信用だって増やせたのかもわからなかった。

 そんな、“人柄への信用”しかされてなかった俺が、“信頼しよう”とまで言われたら嬉しくないはずもなく……みんなが驚いて注視するのも気に出来ないまま、俺は……声を出して、綺麗な蒼へと笑いを届けた。

 

  ───……ちなみに。

 

 このあと本当にみんなと手合わせすることになり、その後にどうなったのかは……想像にお任せしたい。

 

 途中まではいい線いけたと思う。……思う。

 

 だけど……はぁ、まだまだだなぁ。

 



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18:呉/笑顔のために出来ること①

40/笑顔が見たい

 

 ある日の建業。

 城の中庭で準備運動がてらに始めた、左手のみの木刀の扱い方【応用編】を終わらせた俺は、鍛錬を手伝ってくれた思春と昔話をしていた。

 何気なく口に出た“誰かのため”とか“自分のため”とか、そんな言葉をたまたま深く考えてみようと思ったために、こんな話題が出てきた。

 起源、なんてものが自分の人生のどこから始まったものなのかーなんて、わかりそうにもないことを延々と話しては、“貴様について知る必要のあることなど何一つとしてない”とか一息で言われたんだが……意外なことに、きちんと最後まで聞いてくれた。

 そもそも鍛錬に付き合ってくれること自体が驚きだ。そう思いながら、呉に来てからのことを思い返してみるわけだが、思春が付き合ってくれる理由らしき理由など見つかるはずもなく。まあ、なんだろう。やっぱり気になるわけで。

 

「なぁ思春。鍛錬とか話に付き合ってくれるのは正直に言って嬉しいんだけど……どうして付き合う気になってくれたんだ? 俺、どっちかっていうと嫌われてるんだと思ってたんだけど」

「………」

 

 ……あれ? なんだか“なにを言ってるんだこの馬鹿者は”って顔をなさってる?

 

「国に尽くそうとする者に対して、話も聞いてやらぬ者が、いったい国に対してなにをしてやれる。やり方はどうあれ、貴様は呉に尽くそうとしているんだろう。それに───」

「それに?」

「…………いや、なんでもない。続きを話せ」

「?」

 

 昔話の続きを促す思春は、木に背を預けながら自分の右手を見下ろして、一度だけ「……フン」と言うとそっぽを向いた。

 そんな仕草でさらりと流れる長い髪の毛や、落ち着いた雰囲気の庶人の服が、これで結構似合っている。

 動きづらくないのかと訊ねてみても、「貴様相手ならばこれで十分だ」と言われる始末で。この世界に在って、今さら男は女より強いなんて言うつもりもないけど、それはそれで寂しかったりした。

 そんな彼女と対面するように胡坐をかいている俺は、前までだったら見えてしまっていたであろうFUNDOSHIに目を逸らす必要もなく、足首ほどまで長いスカートに安心を得ながら、にこやかに話を進めることができた。

 

(けど───右手か。怪我でもしたんだろうか)

 

 綺麗な手を見ていると思春に気づかれ、彼女は顔をほのかに赤くして……またそっぽを向いた。

 赤くなるようなことをした覚えはないんだが……右手? 俺が思春の右手に関係することっていったら、あの日に握手したことくらいだろ?

 

(…………わからん)

 

 気にしないことにして、話を続ける。

 正義への疑問を通りすぎて、日々の中で疑問に思ったことや、自分が天の国でどんな生活をしてきたのかとか、無駄な話から真面目な話まで。……なんだけど、なかなか難しいもので。自分では可笑しかったはずの話も、思春は静かな眼のままに聞いていた。

 話して聞かせた言葉が右から左へ流れて行くわけでもなく、雪蓮に言われた“思春の表情を豊かにする”って言葉をそのまま実行に移しているわけでもないんだが、どのみち思春は笑わなかった。

 むしろこうまでキリッとした顔をしていると、意地でも笑顔を見たくなる。

 武に真っ直ぐで真面目な女性……思い出すのは凪なんだが、凪はあれで結構表情は豊かだった。隣に真桜と沙和が居たことも相当に影響しているんだろう。だったら何故、同じく仲間が居る思春がこうも表情を崩さないのかといえば……

 

(錦帆族……海賊だったっけ。その頭をしてたっていうんじゃあ、それも仕方ないのかもしれない)

 

 そんな彼女の表情を豊かにさせるためには、いったいなにをどうすればいいのか……うんうんと考え込んでいると、思春が「何を唸っている」とツッコんでくれる。

 

「あ、んっと…………んん、なぁ思春?」

「なんだ」

 

 華琳……悩んでわからない時、あなたならどうしますか?

 俺は直球でいってみようと思います。

 

「笑ってみせてくれないか? こう、やわらかな笑顔でぇえっひゃああーいっ!?」

 

 いつの間に抜かれたのか、俺の首にヒタリと当てられる曲刀。思わず喋り途中だった言葉が裏返り、そのまま悲鳴になった。

 あ、あぁああの思春サン!? 言っちゃなんだけど庶人扱いの貴女がどこから刃物を!? どうせ当てるなら、鍛錬用に借りてきた木刀を当てましょう!?

 

「貴様……なにをふざけたことを言っている」

「い、いや~……ふざけてなんか……! ただ、笑顔が見てみたいかなって……。ほ、ほら、雪蓮が望む呉の在り方が、みんなが笑って過ごせる呉なら……ね?」

「……一理ある。だがたとえ笑顔になろうと、何故“貴様に”見せなければならん」

 

 わあ、物凄い正論だ。

 俺が見たいからってことじゃあ理由にはならなそうだ。ならなそうだけど、それは思春にとっての理由ってことで……うん、俺は見てみたい。

 

「俺が見たいからってことじゃ、理由にならないかな」

「ならん」

 

 真正面からの言葉がゾグシャアと胸を抉っていった。

 一応は納められる曲刀を見て安堵の息を吐きつつ、ああ……容赦ないなぁ思春さん……などと、相変わらず情けない思考ばかりを働かせながら、胡坐で座したままに後方の草むらに両手をついて空を仰ぐ。

 

「………」

 

 ───呉のみんなと戦うことになり、ボッコボコにされたあの日からしばらく。

 大した間もなく朱里と雛里は呉にやってきて、学校がそろそろ出来そうだということを教えてくれた。

 そろそろとは言うが、まだ手を加えられる段階ではあるらしく、追加する意見次第では建築期間は伸びます、とのこと。

 決まった事で重要になったものといえば、町人や兵などに学ばせるより先に、教師にこそ学ばせるということ。まず、気心知れている将を相手に“きちんと教鞭を振れるか”、“教える物事は相手に伝わりやすいものであるか”を調べるためにだ。

 教える側が“知っているのが当然”って考え方で突っ走れば、誰も付いていけないしさ、仕方が無いよな、これは。

 仕方がないんだけど……どうして俺が教師役を任されなきゃならんのだろう。

 

「話は変わるけどさ、思春。どうして俺が教師なんだろう」

 

 考えてみても解決しなかったから、いっそ訊いてみた。

 すると思春はあっさりと返してくれる。考える素振りすら無しでだ。

 

「“がっこう”とやらについては、貴様が一番詳しいからだろう」

 

 うん……そりゃあ、“学校”についてはね?

 でも教えれば理解出来そうな内容だし、俺がやることもないんじゃないだろうか。

 

「それってさ、“塾”って意味ではみんな知ってるんじゃないのか?」

「必ずしも同じとは限らん。だから貴様に委ねられたのだろう」

「………」

 

 学校(新築)。教師(俺)。生徒(蜀の将)。

 どうしてこうなったのか……俺は、教師として蜀に招かれるらしい。

 しかも蜀の将を相手に教鞭を振るってみせる必要があるのだと。

 教える内容は俺の世界のものと同じでいい、と言われたけど……丁寧に教えられるかなんてわかるはずもない。

 むしろ俺が、“相手も知っていることを前提”にした教え方をしそうでいけない。いけないのに二つ返事って……馬鹿だなぁ俺……。

 でもさ、仕方なかったんだ。朱里と雛里がさ……涙目で服を引っ張ってきてさ……お願いしてくるんだもの……。

 あれ、狙ってやってるんじゃないよな……? あれを断れる人が居たら凄いよ。

 

「…………ん、それなら仕方ない……のか? 全部が納得できるわけじゃないけど、今は納得しておくよ」

「貴様はいちいち考えすぎだ。魏の人間には、もっとお調子者だと聞いていたぞ」

「そうなの!?」

 

 ショ、ショックだ……! お調子者……かもしれないが、まさか本当にそんなこと言われていたなんて……!

 

「与えられた仕事はほどほどにこなすが、部下に任せてあちらこちらへとうろつくことが多い。兵や部下には人柄で慕われてはいたが、息抜きが多すぎるのが玉に(きず)だと」

「………」

 

 正論すぎて何も言い返せませんでした。

 こういうこと言うのは真桜か沙和だろうか……うう、苦労かけてごめん。

 だけど率先してサボリまくってた二人に言われたくはないかなぁ……ああ、じゃあ言い方を変えよう。凪、迷惑かけ通しでごめん。

 うん、しっくりだ。

 

「さて、くだらん雑談もここまでだ。北郷、貴様の予定を話せ」

「いつもながら、爽やかなまでの“貴様”をありがとう。準備運動的な鍛錬は終わったから、これからイメージトレーニングに入るよ。出来ればまた手合わせしてくれると嬉しいんだけど、思春もいろいろ忙しいだろ?」

「…………」

「うわ。今小さく溜め息吐いた……? そ、そんなに嫌だったか……?」

「庶人扱いの私に。貴様の監視以外のどんな忙しさがある。蓮華様に貴様の行動の全てを逐一報告すればいいのか?」

「や……それはちょっと困るけど」

 

 そう……だよな。思春も、訊ねられない限りは冥琳や雪蓮にもなにも言っていないっていう。

 それは庶人がするような仕事ではないからであり、訊ねられれば報せるのは、食を賄ってもらっている恩があるからだ。

 思春の態度で忘れがちになるけど、一応俺付きの人なんだよな……庶人で付き人って、変な感じだけど。

 

(それ以前に、手を繋いだ時からずっと、友達のつもりだけどね)

 

 思春はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、一緒に居てくれている。

 嫌な顔をひとつせずに。……ただ単に無表情なだけかもしれないけど、これで結構“表情”はある。

 最近それがわかってきて、思春と話すのも楽しいくらいだ。そう思うと、もうすぐこの国ともさよならなのは惜しい。惜しい気もする、どころじゃなくて素直に惜しいって思えた。

 

「もうそろそろ思春ともお別れか……ありがとな、思春。俺の傍にずっと付いてるなんて、辛かっただろ」

 

 寝床も一緒で食事も一緒。鍛錬の時はこうして付き合ってくれて、風呂以外ではほぼ一緒だった。

 俺のことを嫌っているのだとしたら、これほど辛い日々はなかったんじゃあなかろうか。

 ……なんて思ってたのに、やっぱり「なにを言っているんだこの男は」って顔をされる。

 

「貴様は馬鹿なのか?」

「えぇっ!? え───な、なに!? そんなに真っ直ぐに言われるほど馬鹿なの俺!」

 

 で、何故か前振りもなく馬鹿かと訊ねられた。

 ばっ……馬鹿……いや、自分で天才だーとか言うつもりもないが、俺だってこう……この一年、頑張って勉強も鍛錬も頑張ってさ…………そりゃ、この世界じゃああまり実りになった実感なんてないけど。

 歴史に名を残す人たちに囲まれて生きてみろ、自分の努力が物凄くちっぽけなものだったって思えて仕方ない。

 それでもいつかは役に立つって信じて頑張ってるっていうのに…………ば、“馬鹿”かぁあ…………落ち込むなァ……これは地味にこたえる……!

 

「忘れたか。私は、貴様に付けと、命じられたんだぞ。将でもない私が、庶人として、貴様にだ」

「あの……そこまで噛み砕かなくても、わかるつもりだから───って、え? ご、ごめん、今なんて……?」

「………」

「じゃなくてうんっ! 聞こえたよ!? 散々と噛み砕かれたのに理解できなかったとかそういう意味じゃなくてっ!」

 

 ま、待て待て? じゃあなにか、思春はこのまま俺についてくるって───そういうことになるのか!?

 だって呉のことはっ!? そりゃあ戦が終わったんだから、武人側は監視や兵の調練くらいしかやることなさそうだけど……呉って結構人手が少ない感があるし、そんな中から思春が抜けたら……ってもっと待てっ! 海兵のみなさんはどーなるっ!

 みんな一緒についてくるとか、やめてくださいよ!? 進軍かと勘違いされるって絶対!

 

「あのー……つかぬことをお訊ねしますが…………海兵の皆さんはどうなるんでしょうか……」

「問題はない。海の上が故郷だと言うつもりもなければ、呉が故郷でないはずもない。そこいらのモノを知らぬ孺子でもあるまいし、私が抜けて均衡が崩れるようなら下につけていた私の目が狂っていただけのことだ」

「……そっか。信じてるんだな、みんなのこと」

「なっ……! と、当然のことを当然だと言っただけだっ、然を然と呼ぶことに信頼などいらんっ」

「………」

 

 “やっぱりこの人も呉が好きなんだなぁ”って、しみじみと感じられた。

 だって、呉の話をする思春の目は、どこかやさしいんだ。キリッとした眼光のなかに、ほんの少しだけど……歳相応の、やさしさが含まれる。

 俺は、彼女のそんな瞬間の瞳が嫌いじゃあなかった。だからこそそんな目で笑ってみてほしいんだけど……だめだな、世の中思う通りには運ばない。

 

(うん)

 

 こんな話があったな。世界は様々な“軸”で構築されている。

 パラレルワールド、なんてものが存在していて、ようは自分とは違ったべつの自分が存在する世界の話だ。

 その世界は今俺が立っている世界とまるで一緒だけど、明らかに違う事実が存在する。それは、そっちの世界の俺が、必ずしも同じ行動を取るわけじゃない、ということ。

 たとえば剣道を始めるか始めないかでいえば、始めた俺が今の俺で、始めなかった俺がどっかに居る。始めた俺はこんな俺になって、始めなかった俺はこの世界に下りることすらなかったかもしれない。

 剣道をしなかった所為で性格がスレたかもしれないし、始めたお陰でこんな俺になったかもしれない。ようは確率の話になるんだが、パラレルワールドが存在するとしたら、その時その時に感じた直感通りに動くかそうでないかで、そのパラレルってのはいくつも作られ続けてるっていうこと。

 もちろんきっかけは俺だけに始まることじゃなく、そもそも父と母が結婚しなければ俺が産まれなかったりもした、という世界もあるわけで。

 世の中が上手くいかないのは、それだけ昔から続いてるパラレルの一つを変えちまうってことなんだから……自分の思う通りにするのは並大抵のことじゃないってこと。世界を変える気で挑まないと、叶うものも叶わないってことだろう。

 そんなものを一介の学生に望むのは……そりゃ、大変なことだ。大変なことだけど…………ははっ、仕方ないよなぁ。見たいって、俺が思っちゃったんだから。

 

「な、思春」

「……なんだ」

 

 また右手を見ていた思春に語りかける。

 返ってくる言葉が解っている分、そこからどんな話に持っていくのかを予想してみるのも……うん。これで案外、俺は楽しかったようだ。




 先日、あ、モンハンXXの話でごめんなさいですけど、先日ようやっと村のバルファルクさんと戦いました。
 新モンスター! しかも古龍種ですよ! きっと無印のリオレウス、2ndGのナルガほどの緊張感と怖さを与えてくれるに違いないのです!
 といっても乱入自体はグラビモスさんをコロがしたあとにされて、見事にゴシャーと逃げられたわけですが。
 乱入の時の緊張感は凄かったです。try要素が組み込まれてからというもの、新モンスターはどうにもトリッキーというか、勘弁してくださいって挙動が増えた気がしますので、絶対にこやつも戦いづらいに違いない……! と土器王記、もといドキドキ。

  見事に予測の範疇を越えた動きでボッコボコでした。

 構わんハンターの基本はごり押しor様子見だ! とばかりに突撃、粉砕、撃退。
 あの、空を見上げたあとにジェット噴射で飛んで行く様がステキでした。

 のちに再戦。
 様々なお方は即座に仲間とG級制覇を目指すのでしょうが、ソロプレイヤーな僕はまずは村制覇。
 そしてバルファルクが~───来た!
 ようし準備万端だ! 翼からのエネルギーショットで、龍属性やられ受けたからウチケシは……あ、属性武器じゃないから別にいいか。
 というわけでライトヴォウガン! 最近ライトに心奪われている凍傷です。
 ああ緊張する! ムービーの終わりから見るに、遺跡の天辺のあそこにおるのよね!
 ようしあそこまでひたすら走ってゲェーーーッ!! いきなり目の前から!? やだもうやめてこういうの! 心臓に悪いから!

 そんなこんなでバトル開始。
 見慣れない攻撃にあたふたしながらもバトル、バトル、バトル。
 相手の挙動に集中して、この格好をしたらこのタイミングでジャスト回避! ……⇒追撃で大ダメージ。翼を槍みたいに二回伸ばしてくるの、ジャスト回避後を的確に狙われてほんと困ります。
 しかしXMENはくじけない! Xメン関係ないけど!
 勝利条件は討伐か撃退ってなってたと思うし、きっと新モンスターだからって体力とかめっちゃ多めに設定されてるに違いねぇぜ~~~っ!
 ならば多少無茶でも攻撃出来る時に攻撃を重ねる! 相手の挙動が頭に入ってきてからはきちんとタイミングを見計らう! 
 そして───やがて、バルさんがゴドシャアア……と倒れた。

「オッ───……あれ? え?」

 討伐完了。え? 死んだふりとかじゃなくて?
 ……いやいやいや、まぁさか嘘でしょう!
 だって、え、えー……? あ、そっか、集中してたから、実はめっちゃ時間かかってるとか!
 と、クエスト確認でクエスト状況を確認。

 残り時間───43:24

(゚Д゚)

 じょっ……上位だからネ! うん! 上位だしネ!
 上位で村だから! うん! 仕方ないよトニー! 誰だトニー!
 うん、でも、調合分と持ち込み分、閃光玉投げて貫通弾撃ってただけでほぼ終わった気がします。

 大体、プロの方々ならこげな強敵だろうと5分以内で倒せるに違いない。
 というわけで本日、村アルバトリオンを倒してまいりました。
 村制覇! と思ったら村人の依頼がまだぽろぽろ残ってるっぽいです。
 いやー、しかしですよ。クエストでなにが一番苦しかったって、卵運びが一番怖かった!
 砂漠で二個目の卵を運んでいる時、「蟹さんたら僕に気づいてないよキャワイイのぅウフフ」とか思いつつ、えっちらおっちら走っていると、エリアチェンジの境目あたりで急にヌウっとイビルジョーが出現。
 リアルで「ホワァォア!?」ってヘンな声出ました。

 端っこ歩いていたお陰で気づかれることもなく素通りだったわけですが、真っ直ぐ行ってたらあの強靭な顎タックルで【竜の卵が!】になるところでした。
 ジョーさんはあの、『人を発見したらまず顎でタックルしたくなる病』をなんとかしてほしいです。

 や、でもやっぱりモンハン楽しいです。
 リゼロのデスオアキスも、復活のベルディアもまだてんでクリアできてませんが、面白いです。だだ大丈夫! SSの編集もちゃんとしてますよ!?
 と言うわけで、別に読まんでも平気な日常でした。
 さ、次はG級ですぞ~!


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18:呉/笑顔のために出来ること②

41/続・笑顔が見たい

 

「え? 親父、これは?」

 

 予想通りの言葉と予定通りのことを聞き終えてやり終えて、今現在は親父の店の手伝いを終えたところ。

 思春の返事は実に予想通りで、「笑顔を見せて」と言えば「断る」、「微笑むだけでいいから」と言えば「断る」。

 いろいろ誘導してみせては断るの一点張りだった思春と鍛錬をしながらも、同じことを訊ね続け……汗を川で流すと、次は仕事の手伝い……だったんだが。

 仕事が始まり、店の手伝いを終える頃……俺は自分の手の上に乗せられた巾着を、首を傾げながら見ていた。

 ちなみに俺が手伝う時間が終わっただけで、店の中はまだまだやかましい。

 

「今まで働いてくれた分の給金ってやつだ。一応、他の店の連中の分も入ってる」

「へ……? や、ちょっと待ってくれっ、俺はそんなつもりで───」

「だはぁっ……いーから受け取っとけってんだ。どーもお前はヘンに遠慮がちでいけねぇ。知ってるよ、国に返すためだーってんだろ?」

「あ、ああ……」

「あのなぁ一刀よ。給金無しで人を働かせられるか? 金も無しに働かせるのが、お前の目指す国の在り方か? 違うだろうが」

「うぐっ……」

 

 会話開始から一分と経たず、あっさり反論を潰された。

 さすが親父……俺の性格をよく理解している。言葉に詰まったところで、俺の手にあった巾着は俺の手ごと俺の胸に押し付けられ、「返すっつっても受け取らねぇ」ときっぱり言われた。

 

「どうしてもいらねぇってんなら、道端にでも捨てろ。金を粗末に出来るんならな」

「ぐっは……! き、汚いぞ親父……!」

「ははっ、なぁに言ってやがる。俺の手が汚れたのは、おめぇを刺した一度だけよ。それをおめぇが許して、笑顔を向けてくれるんならよ。俺は自分を見失わず、汚れとして受け取らずに立っていられるんだ。胸張って受け取れ、馬鹿義息子(ばかむすこ)

「親父……」

 

 本当に……本当にうっすらとだけど、もしありえるなら……何処かに別のパラレルがあったとして、俺が両親のもとに産まれる前……前世ってのがあるのなら、この人の息子であったらいいなって……そう思った。

 そんな人生も悪くないって思えた。歴史通りにいけば、俺は戦の中で死ぬんだろうけど───きっと、嫌なことばかりじゃないって思えるから。

 

「今言うことじゃあねぇかもしれねぇけどよ。また、いつでも来い。おめぇは俺の……あぁいや、この街の息子なんだからよ」

「親父……ああっ、絶対にまた来るよっ。……はは、でもたしかに、今言うことじゃないよな」

 

 別れまでは時間がある。けど、無限じゃない。

 一歩先で已むに已まれぬ事情があって、何も言えないまま別れることもあるかもしれない。そう考えれば、こういう遣り取りだって無駄じゃない。

 俺の胸をドンッとノックする親父に、俺も自分で胸をノックして頷いた。

 

「親父たちはまだ仕事か?」

「ああ。おめぇは……どうするんだっけか?」

「俺は朱里……ああえっと、蜀から来てる軍師と、冥琳や亞莎や穏を混ぜての話し合いがあるんだ。まだ結構時間はあるけど───」

 

 ちらりと卓を見れば、相も変わらず人で埋まる席。

 

「早くに抜けさせてもらってなんだけど、大丈夫なのか? 捌ききれる自信とかは……」

「ふっ……そんなものはねぇ。だが努力と根性と腹筋でなんとかしてみせる!」

「いや、ポーズ取りながら言われてもな……」

 

 力こぶを作ってみせる親父に、いささか不安を感じた……無茶して倒れたりしないといいけど。それでなくとも最近のこの店の込みようはすごい。

 どういった理由からか人が集まって、がつがつむしゃむしゃと食べていくわけだ。暗黙の了解なのか、以前までは食べ終わっても話し込んでいた人も、さっさと帰って卓を空けるもんだからフル回転は確実。

 一日中仕事を手伝うと時なんかは、夜には目を回していたりする。

 

(それも最初の頃に比べれば、全然楽にはなってるけどさ)

 

 客に気を使いながら動くのは、肉体じゃなく精神を疲労させるよ。

 さて、今気にするところはそんなところではなく───

 

「なぁ親父。ものは相談なんだけど……」

「あん? どうした」

 

 ……気は引けるけど、思春の笑顔を見るなら呉の中がいいと思うから、少しだけ無茶をしてみようと思った。

 引けるのが気だけでいいなら、もっとやりやすいんだけどさ……俺の中から魂が引かれたらどうしようか。

 

……。

 

 ───店が沸いていた。

 厳密に言えば、店に集まっていた客のほぼが沸いていた。叫んでいた。

 

「素晴らしきかな、エプロンドレス……ッ!! まさか、まさか思春にこうも似合うとは……っ!」

 

 ……理由は簡単。

 思春に頼み込んで、店の手伝いを一緒にすることになったからである。

 服屋のオヤジに訊いてみれば案の定というか、亞莎が着ているエプロンドレスとはまた違った意匠のエプロンドレスが存在していた。

 黒と白の二色で占められた色合いに、手首まである袖、丈の長いスカート───いわゆるロングドレスに、さらりと流れる長髪のてっぺんに存在するホワイトブリム。この場合はわかりやすくメイド服と呼ぶべきなんだろうか。

 なんの資料もなく、手探りでこのドレスまで辿り着くなんて……服屋のオヤジのイメージ力に乾杯したくなる。

 そんな服を着た思春が、どんよりとした顔でこの場に立っていた。

 俺はといえば、“そういえば宴の時も、亞莎以外にもエプロンドレスを着た娘が居たな……”なんて思い返しながら、そんな思春を眺めていた。

 

「こんな格好で働けというのか。……一度脈という脈の全てを止めてみるか?」

「やめよう!? それ世間一般では“死んでみるか?”って意味だよね!?」

 

 言いつつもエプロンドレスを着ている思春は、ひらひらとした感触を嫌がってか難しい顔をしている。庶人の服はもっと大人しい感じだから、無理もないのかもしれない。

 

「ほ、ほらほら、民の、国のためを思えば軽いことだって言ったのは思春じゃないかっ」

「…………こんな格好をするとは聞いていなかったがな」

 

 ギラリと睨まれても、今なら可愛いって言葉だけで通せる気がした。親父たちもそれは同じ意見のようで、拍手しながら涙さえ流している人まで居たくらいだ。

 

「美しい……これが美しさか!」

「今日もここへ来てよかったぜ……」

「なんちゅうもんを……お前なんちゅうもんを見せてくれるんや……!」

 

 え? なんで京極先生? ……などと親父たちの反応を見ながら、俺もまた感動の涙すら流せそうだった。

 頼んでみた時は冷や汗だらだらだったけど、まさか本当に着てくれるなんて。自分で言っておいてなんだけど、どうして着てくれる気になったんだろう。やっぱり……呉の民のためにって言葉に反応してくれたんだろうか。

 

(……だとしたら俺、親父たちのことを利用して無理矢理着替えさせた鬼みたいな気が……ぬおお)

 

 嬉しさと罪悪感とが乱れて浮かぶ。けど、蜀に行けばしばらくこっちには来れないだろうし、蜀でやるべきことを終わらせたら、きっとそのまま魏に帰る。

 いっそ忘れられないくらいの脳裏に焼け付く思い出を作っておいたほうが、蜀でもやっていけるかもしれない。

 

(あ……そっか)

 

 たぶんそれだ。だから思春もこんなことを了承してくれた。

 

「もはや将としての威厳などないな。なにをやっているのだ私は……」

「───ん。なにって、国のためになることじゃないのかな。自分がそうだと信じれば、きっとそれは国のため。だから頑張ろう! まずは接客業の基本、笑顔から!」

「笑顔……? そういえば貴様、城でもそんなことを……───まさか」

「やっ、やー……!? ソソソソンナコトナイヨ!? 思春の笑顔が見たかったからこういうことに誘ったとかそんな!」

 

 人を殺せそうな眼光が俺の目を真っ直ぐに射抜きました……怖ッ! いつまで経っても慣れないよこれ!

 

「……まあいい。国のためになるならと納得した時点で、こんなことになることも覚悟の範疇だったはずだ」

「あれ?」

 

 また曲刀でも突き付けられるんじゃあと身構えていたが、そんなことはなく。思春は溜め息とともに、「それで? 私は何をすればいい」と俺を促した。

 なにを、って……笑顔のことは華麗にスルーしたいらしい。

 

「そ、そっか。うん、そうだな……まずは───」

 

 基本の笑顔はあとにして、まずは軽く仕事に慣れるところから。慣れてくればきっと、自然に笑顔になるであろうことを信じていこう。それがいい。

 

……。

 

 ……で。

 

「よく来た。もたもたせずに注文し、速やかに食しさっさと出て行け」

「ヒッ……ヒィイイイイッ!!!」

 

 …………。そしてまた、一人の客が逃げ出した。

 もう呆れる他ない。

 

「思春んん~……」

「…………なんだ」

 

 さすがに思春も自分が客を退けていることには気づいているらしく、眉を下げ、目を伏せながら考え込んでいる。

 訪れて早々にあの目でギンと睨まれれば逃げ出したくもなるよ。俺が客だったら、きっと逃げ出すに違いない。

 

「貴様が言う通り、相手の目を見て言葉で迎え、席に案内しようとしただけだぞ、私は」

「ごめん、それやっぱりちょっと待った……。笑顔、笑顔でやってみて? そうすればきっと───」

「む……なぜ私が…………いや。───こ、こうか」

「ヒィッ!?」

 

 持ち上げられた口の端から覗く白い歯に、ピンと吊り上げられた目の端。ニコリというよりはニヤリという言葉が怖いくらいに似合い、それを真正面から受けた俺は、思わず悲鳴を上げて後退っていた。

 

「だめっ! それ絶対にだめ! 笑顔っていうのはもうちょっとこう……暖かく柔らかく! なんで笑顔になるだけなのに殺気がこもってるの!?」

「なぜ私が……いや」

 

 やっぱりいろいろと葛藤があるらしい。

 思春はさっきから“なぜ私が”を繰り返すけど、その度に「私は庶人だ」と自分に言い聞かせるように呟いて、いろいろなことに挑戦してくれている。

 それがいい方向に向かっているのかといえば……思春が迎えた客は全員逃げ出しているという結果だけが残っているわけで。

 

「えっと、そうだな……たとえばほら、蓮華を迎えるみたいに、蓮華を安心させるようにやってみたらどうだ? そうすればきっと逃げないだろ」

「………」

「あとは……言葉のほうも。“いらっしゃいませ、どうぞこちらへ”、だけでもいいからさ。さすがにさっさと出て行けはまずすぎるって」

「くっ……いいだろう、やってやる。このまま貴様から下に見続けられる屈辱を思えば、容易いことだ」

(あの……どこまで俺のこと嫌いなんですか、思春さん……)

 

 そんな悲しみを胸にしている俺をよそに、思春は早速来た客へと歩み寄り……逃げられた。ってなんで俺のこと睨むの!? ヒィとか思い切り叫んでたのってお客様であって俺じゃないよ!?

 

「わ、わかった! 笑顔の練習をしてみよう! ちょっとさっきの客にしたみたいに笑ってみて!? ね!?」

「……屈辱だ」

「笑顔を見せるだけで屈辱なの!?」

「あのよぉ……どうでもいいが、さっきからてんで注文が来やしねぇんだが……。客、追い出してるわけじゃあねぇよな……?」

「大丈夫だ親父! 今にきっと、思春の笑顔を受けて入ってくれる人が現れるって!」

「はぁ……そりゃあよ、たまにはこんな日もねぇと休まらねぇからいいけどよ」

 

 悲しそうに愚痴をこぼす親父にはひとまずごめんなさいを。

 けどそれを済ませたら思春だ。この恐ろしき笑顔を、なんとか柔らかなものに変えないと危険だ……危険すぎる。今に“死神の笑み”とかヘンテコな噂が流れるに違いない!

 

(そんなの、絶対にだめだ)

 

 いくら将ではなくなったとはいえ、思春だって呉のために戦った人のひとりだ。そして今も、国のためにって頑張ってくれている。

 他のみんなが民との交流を深める中で、彼女だけが浮くなんてことは俺が嫌だ。だからこれは、もはや俺が思春の笑顔を見たいなんて理由に留まることじゃないんだ───!

 

「思春、このままじゃだめだ。呉のため民のため、思春はもっと綺麗に微笑むべきだっ」

「頭がおかしいのか貴様は。私が微笑むことが、なぜ呉のためになる」

 

 わあ、今度は気変わりせずに最後まで否定された。でもこのままじゃダメなことは変わらない。

 

「し、思春っ、笑顔は幸福の第一歩だ! 笑顔無くして弾ける喜びは叶わない! だ、だからそのー……もういっそこの時だけでもいいからさ、俺の言う通りに行動してみてくれないか?」

 

 このままではいけない。そんな言葉が俺の心に火を灯した───

 

「断る」

 

 ───途端に断られた。

 

「えちょっ……! すっ、少しは考えてから断ろう!?」

「黙れ」

「だまっ……!?」

 

 取り付く島は、僕らが出会う前から水没済みだったらしい。

 問答無用で断られてしまえば続く言葉なんて出るはずもなく……俺は、開いた口を閉じることも出来ずにポカンと───

 

「いやっ……いや! 俺はその“断る”と“黙れ”を断る! 国だけが良くなったって、そこで生きる人が笑顔じゃないならそんなものは本当の幸せじゃないだろ! だから思春! 俺はキミの笑顔が見たい!」

「なっ……!?」

 

 ───ポカンとするだけでは終われない。開いたままの口からだって吐ける言葉は山ほどある!

 身振り手振りまでして熱く語り、自分が本気であることを理解してもらう。その上で、俺は彼女が逃げ文句を考えるより先に行動に入る。

 なんだか思春の顔が赤くなっている気がするが、今は驚きの顔より笑顔だ笑顔。

 

「一方的な押し付けだって感じたなら、もういっそ殴ってくれたって構わないかぷおっはぁっ!?」

 

 言った途端に殴られた。

 そんな思春の顔はやっぱり真っ赤で、珍しく焦りが浮かんでいた。

 

「え、えぇえっ!? そんな、言い終える前から殴るほど押し付けがましいか!?」

「はっ!? い、いやこれはっ……きき、貴様が笑顔を見たいなどと言う、から……! ───つまり貴様が悪い」

「………」

「……な、なんだ」

 

 無理矢理にキリッと戻した表情に、少しだけ……むずりとくすぐったいものを感じた。それは睨めっこをしている時のようなくすぐったさで、まるで思春が“笑わないように顔を引き締めた”ように見えて……不覚。相手を笑わせるつもりが、気づけば自分が笑っていた。

 

「はっは……あはははははっ───はぁあああーっ!?」

「貴様……何が可笑しい……!」

 

 笑い始めた俺の首に当てられる、恒例なのかどうなのかの曲刀。

 スッと引けばブシャアと首が飛ぶことが容易く想像できるほど、綺麗に手入れをされていた。でも……叫びはしたけれど、怖くはなかった。

 

「ははは……な、思春。顔を真っ赤にしながら凄まれても、怖くないぞ?」

「っ……き、ききき貴様はっ───!」

「手。……繋いでくれただろ? 俺の勝手な言い分なのは重々承知だ。承知の上で、思春が自然に笑顔を見せてくれるような場所が欲しい。全ての場所で笑顔でいてくれなんて言わないからさ、まずはここから始めてみないか?」

「~っ……」

 

 とある日、とある晴れた昼下がり。

 俺は、顔を真っ赤にして目を伏せながら……小さく、本当に小さく頷く目の前の彼女を見て、改めて笑った。……途端に殴られた。

 

 

 

-_-/孫権

 

 町が賑わっていた。

 笑顔と活気に溢れた道を静かに歩き、かけられる声全てに声を返し、この賑やかさを胸一杯に吸いこむように呼吸をしながら歩く。

 心地よい風が時折に吹くと、様々な香りが風に乗って届けられ、それが吹く度に違う香りを運んでくるものだから、少し可笑しくなって笑った。

 そういえばもう昼になる。たまには外で食事をとるのもいいかもしれないと思い、辺りを見渡す。

 

「………」

 

 どこで食べるのか、なんていうのは……実はもう決まっていたりした。彼は今日もそこで手伝いをしているのだという。

 最初こそ、その存在が疎ましかった者……北郷一刀。

 天の御遣いなどという胡散臭さは元より、姉さまに気に入られたという事実に……そう、私は嫉妬していたのだ。

 彼という存在を受け容れられず、“彼”という人間は見ても、“北郷一刀”という人間を見ようとはしなかった。

 何処にでも居る存在だと決め込み、一刀自身を見ようとしなかった。

 

「……愚かしいな、私は」

 

 “何をやるにも国に迷惑がかからなければいい”。その程度の見方で放置し、刺傷事件の頃から注視するようになり……国のために懸命になる彼から、いつしか目が離せなくなっていた。

 彼にとっては他国だというのに、国のためだと尽くしてくれた。

 ……人というのはおかしなものだ。

 嫉妬のために、憎くすらあったというのに……頭の中が嫉妬でいっぱいだったために、一刀という存在を認めてしまったら───頭の中を占めていた分が、全て裏返しになってしまった。

 嫉妬で占めていた分だけ、彼を認めてしまった。

 そうなれば、面白いくらいに彼のことを知りたくなる。自分しか知らない彼が欲しくなる。“逆になった”という意味で唱えるなら、嫉妬の対象は一刀ではなく姉さまになったくらいだ。

 姉さまだけが知っている一刀を私も知りたい。

 その上で、私しか知らない一刀を知りたいと、そう思ってしまっている。

 本当に、愚かしい。

 

「………」

 

 歩いて歩いて、考え事をしながらでも辿り着けるくらいに簡単に辿り着ける店の前に立つ。

 彼のことが気になって、こうして訪れはするものの……中に入ることが出来ずに戻る、という行動を何度も繰り返した。

 けれどそれももう終わりだ。彼はやがて帰ってしまう。

 ならば帰ってしまう前に、少しでも彼のことを知りたいと……そう思ったからこそここに立ち。今、まさに店の中へと───歩を、進めた。

 すると。

 

「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ」

 

 見惚れてしまいそうな笑顔で、自分がよく知る人物が迎えてくれた。

 流れるような髪に、綺麗な意匠の衣服。僅かに傾けられた体勢と、柔らかでやさしい笑顔が、他の誰でもない私に向けられ……その目が私を確認するや、びしりと硬直した。

 

「あ……し、思春……? 貴女、なにを……」

「れ……れれれ、れ……っ……れ、ん……!?」

 

 しかもガタガタと震えだし、笑顔のままに硬直した顔に汗がだらだらと流れると───

 

「北郷ぉおおおおおおおおおっ!!!」

「キャァアアアァァァーッ!?」

 

 直後に爆発。

 笑顔なぞ最初から無かったという形相で、奥に居た一刀へと走り。女性のような悲鳴を上げた彼に向け、固く握り締めた拳で───って!

 

「よ、よせ思春! このような場で暴力を振るうなっ!!」

 

 慌てて追い、逃げ惑う一刀を追う思春を止めに入る。

 思春を止めるには相当な時間を要し、止められた頃には……店が無事な分、一刀が随分とぼろぼろだった。

 



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18:呉/笑顔のために出来ること③

-_-/一刀

 

 「思春の笑顔を?」という蓮華の疑問に、正座をしながらハイと答えた。ええ、また正座です。俺、なんにも悪いことしてないのに……。

 救いなのは、思春も俺の隣で正座中ってことくらいだろうか。

 

「たしかにさ、打算的なことだったとは思うよ? 人との交流を増やしていけば、自然な笑顔を見せてくれるんじゃないかな~って、うん、そう思った。でもまさか我を忘れるほどに襲いかかってくるなんて……」

 

 借り物の服がすっかりボロボロである。

 これって、もしかしなくても俺が弁償しなきゃいけないんだろうね。

 お給金貰ったばっかりだったのに……トホホイ。

 

「思春、どうしたというのだ……公共の場で拳を振り回すなど、お前らしくもない。店に誰も居なかったからよかったものを、これでひどい重症でも負わせれば、庶人扱いのお前は……」

「……面目次第もございません」

「はぁ……このことは不問とする。私は何も見なかったし、店主。お前も何も見なかった」

「へ、へい……店が荒らされてないなら、こちらも……」

「あれぇ!? 俺への心配はゼロ!?」

 

 そりゃあ前みたいに刺傷事件じゃあなかったわけだし、ボロボロになるのは鍛錬でも慣れてるからいいけどさ。

 そのー、少しくらい心配してくれたって……。

 

「ふふっ……急所は全て避けていたでしょう? 傍目から見ても、心配するほどのこととは思えなかったのだけど?」

「……そうだけどさ」

 

 うん、たしかに避けるのだけは上手くなった。

 イメージトレーニングってやつは、何度も何度も繰り返すと“こう来る”と見切った瞬間には体が動く。だから通常よりほんの少しだけ早く動けるわけで……蓮華の言う通り、急所だけはひたすらに避けた。代わりに他がボロボロなのは、どうかツッコまないでほしい。

 しかしなんだ、人によって口調を変えるのは大変なんじゃないだろうか。そうである時もあればそうでない時もあるようだけど、なにやら俺に向けての言葉は柔らかく、他へ向ける時はシャッキリした口調。

 慌てた時などはその範疇ではないものの、言葉だけでも忙しないイメージがあった。

 

「それで、これはいったいどういうことなの? “思春の笑顔が見たい”というのはわかるけれど、思春に手伝いをしてもらう理由にはならないでしょう?」

「ああうん、それなんだけどさ。接客業は笑顔が命だから、少し続ければ自然な笑顔が見れるかな~って……思った俺が浅はかだったよ……」

「……一刀? 説明からそのまま後悔に向かわないでほしいのだけど……」

 

 だって実際がこんななんだから仕方ない。得られたものは、思春のエプロンドレス姿と怒りの矛先だけなんだもんなぁ。

 けどまあ、口で後悔を語るわりには心の中は嬉しさでいっぱいなんだから、しょうもない。俺には見せてくれなかったけど、客として迎えた蓮華には笑顔になってくれたって事実が、俺自身どうやらたまらなく嬉しいらしいのだ。

 

「それで、蓮華こそどうしてここに? って、昼だもんな。今日はここでメシ?」

「え? え、ええ……そう、そうなの。それでその。なにか一刀のお勧め出来るものはある?」

「───っ」

「───!」

 

 蓮華の言葉に、俺と親父の視線が交差し、輝く。

 次の瞬間には立ち上がり、ダダンッと親父ともども地面を踏み、力一杯叫ぶ!

 

『この店は! なんでも美味いっ!!』

 

 拳を握り締めて熱く熱く!

 しかしながら、こういう熱さっていうのはどうにも───

 

「…………」

 

 ……うん。周りには受け容れられ難く……蓮華もそれが当然であるかのように、目を瞬かせて停止していた。ご丁寧に“バァーン!!”なんて効果音を頭に思い描いてみたところで、届くかどうかなんて解らないもんだ。

 

「あ、ああえっと……そういえば以前、冥琳が青椒肉絲を食べていったぞ? たまに食べたくなる~みたいなことを言ってたし、いいのかも」

「……熱く勧めたわりには、自信はあまりないのね」

「やっ、美味しいのは事実だ。これは譲れない。けど、相手にとってもそれが美味しいかはまた別なわけで……親父~、自信作ってあったっけ~?」

 

 俺が考えても仕方ない。作り手の親父の自信作を食べてもらうのが一番だろう───と思ったんだが。

 

「いや。ここは一刀、おめぇが作ってみろ」

 

 ……ニヒルな笑みでニカッと笑い、腕組みをした親父さまがとんでもないことを仰いました。

 どうやら停止する順番が俺に回ってきたらしい。

 

……。

 

 俺になにが作れるのか、なんてことは……考えてみれば簡単にわかることで、ヘンな見栄を張らなければきちんと作れるものは何品かはある。

 それを丁寧に愛情を込めて作ること……それが“食べてもらうこと”と俺は受け取った!

 

「覚悟……完了!」

 

 俺が蓮華の食事を作る。呆れた事実に引きかけはしたものの、誰であろうと客は客。客に素人の作ったものを食べさせる気かーとか言われそうだが(というか思春には言われた)、食べてもらう人への愛情をもって誠心誠意作らせてもらおう。

 俺なんかじゃ無理だと断るのは簡単。ならいっそ難しい方向に進んでみるのも悪くない。そんな考えの下、あっさりと請け負った俺は現在調理中。

 作るものは……オムライスだ。ただし中身はチキンライスではなくチャーハンでいく。無理に背伸びをしようとしたところで、失敗は目に見えているんだ。難しい料理はいい……簡単かつ美味しく作れるもので勝負をする!

 

「すぅ……はぁああ……」

 

 自分の氣を厨房の空気に溶け込ませていく。余計なことは考えず、ひたすらに蓮華のために調理する男であれ。

 

「よしっ」

 

 まずはチャーハン。

 チャーハンはスピード勝負だ。何よりもまず、全ての材料を火の傍に置いておくことが重要だ。あれが足りないこれがない、と取りに行っていたのでは焼きすぎてしまう。故に、材料から調味料まで全てを揃えておく。ここで忘れがちなのが盛り付ける皿だから、材料ばかりに気を取られて用意し忘れないように、と。

 

 肉、野菜を細かく刻み、米と混ざっても存在を主張しない程度の大きさに纏めておくといい。肉や野菜も小さく刻んだほうが火が通りやすいし、油も絡みやすいから焼く時間を短縮できる。ただしご飯を焼いているところに投下すると、野菜はもちろん肉からも水分や肉汁が出てご飯がくっつきやすい。気になる方は予め、別の鍋で肉や野菜を炒めておきましょう。

 

 油は少しで、よく熱して鍋に馴染ませておく。油を多く使う予定があるなら、むしろ中華鍋で油をたっぷりと熱して、問答無用で鍋に馴染んだ時点で別の容器に油を取っておくって手も有りだ。こうすればご飯が油でギトギトになることもない。

 

 では、梳いておいた卵を火にかけた中華鍋へと。ジュワァッとよい音を耳にしつつ、すかさずお玉と鍋とを捌きつつ軽く回すように焼き、固まりすぎるより早くご飯を投下。油と卵とご飯が上手く絡まるように小刻みに混ぜて、ご飯の固まりはお玉で叩くようにしてほぐす。

 

 油を吸ったご飯が熱でパラパラになり始めたら肉や野菜を投下。小刻みに混ぜ、大きく宙に飛ばし、浮いたご飯の一粒一粒に熱を当てていく。

 味付けはお好みで……といきたいところだけど、ここはあっさり目。この時代では濃い味付けよりも薄い味付けだ。

 出来上がったら手に構えた大きなお玉に、混ぜっ返す要領で宙に放りつつ炒飯を入れてゆく。で、お玉に炒飯が溜まったら、熱い中華鍋の内側に押し付けるようにして形を整え……カンッと皿に移せばドーム状の炒飯の出来上がり!

 

「次っ!」

 

 お次はスピード勝負。

 すでに油を馴染ませておいた別の中華鍋に、下味をつけた梳き卵を投下!

 お玉の底でオガーと掻き混ぜるように卵を焼き、固まりすぎるより先にクルクルと器用に丸めて……ま、丸めて……! ぐわっ! 中華鍋だと案外丸めるの難しい! オムレツが上手く出来ない!

 ですが諦めません。焼きすぎを注意しつつもなんとかくるりと卵を丸め、オムレツ状に。これを盛りつけておいたチャーハンの上に寝かせ、プツプツと切り開いていけば……とろとろオムライスの完成である!

 

(……正直、ライスを包む形じゃないとオムライスって呼びにくい気がするんだが)

 

 固いことは言いっこなしだ。

 あとはこれに薄味のスープをつけてと……(よし)ッ! 完成!

 オムライスとスープだけっていうのも寂しいが、なにせ女の子……あれ? つい女の子は小食って先入観で作っちゃったけど、考えてみればこの世界の女性って大体が結構食べるような。

 い、いやいい、量の問題じゃない、今は蓮華に食べてもらうことが目的だ!

 

「さあ! 食べてみてよ!」

 

 どこぞの味ッ子のように声を上げ、蓮華が座る卓の上にオムライスを乗せる。蓮華は目の前に置かれたそれを見て“ほう……”と息を吐くと、レンゲを手に食事を開始する。

 さあ、反応や如何に……!?

 

「………」

 

 口に運ばれ、咀嚼されるオムライスを見送った。

 ごくりと鳴る俺の喉は、さっきからやけに渇いている。こういうときの渇きは、困ったことに水を飲んだところで潤ってはくれない。

 蓮華が一口を咀嚼し飲み込む過程で、いったい何度喉を鳴らしただろう。唾液が滲むことも間に合わず、息を呑むような行動を繰り返しては余計に喉を渇かせていた。

 

「───……」

 

 やがて、一口目を嚥下した蓮華がスープを口にしてから───評価を下す。

 

「……普通、ね」

 

 …………。

 

「…………」

 

 ……フツー? 普通……普通? ふ…………

 

「普通……そっか、普通か! よかったぁ、不味いとか言われたらどうしようかと思ったよ!」

 

 シンと静まり返った店の中、俺の歓喜だけが響いた。

 途端に蓮華や思春、親父の不思議そうな視線が俺に向けられるけど、俺はそんなことは気にせずに喜びで胸を満たした。

 

「お、おいおい一刀? 美味いって言われたわけでもねぇのに、なんでぇその喜び様は」

 

 そんな俺に向けて親父がツッコミを入れるけど、嬉しいものは嬉しいのだ。

 

「だってさ、味付けの好みもわからない状態で“普通”って評価が貰えたんだぞ親父っ! むしろここは喜ぶところじゃないかっ!」

 

 そう。俺は蓮華の味の好みを知らない。薄味が好きかどうかなんてことも知らなければ、ただこの世界の食事全般が薄味だからって理由で薄味にしたくらいだ。

 そうした味付けをした料理をきちんと噛み締めてくれて、評価をくれた。レンゲを置かれて黙って去られるとか、そんなことにならなくてよかったって思えたら、もう嬉しさしか残らなかったんだ。

 ……あー、ほら。魏には居るだろ? 料理にとことんまでに駄目出しをくれる人。あんな前例があると、人様に料理を作るなんて恐ろしくて恐ろしくて。

 だけどよかったー、普通か、普通……ああ、普通ってステキだ……!

 

「……よくわからんが、料理に関しての貴様の理想は随分と底辺をうろついているようだな」

「な、なに言ってるんだよ思春! 料理は……料理はなぁ! 立ち直れないくらいボロクソに罵られた上に、同じ材料で次元の違う美味さを表現されて絶望を味わわない限り、決して底辺なんかじゃないんだぞ! 思春は……思春は“普通”と言われる喜びを知らないからそんなことをっ……!」

「……付き合い切れ───……いや。そ、そうなのか?」

「~……俺さ、思春がそうやって“聞く姿勢”を取るようになってくれて、本当に嬉しいよ……!」

「なばっ!? 何を馬鹿な! わた───私は、普段から話を聞く姿勢を保っている。単に貴様の話が聞くに堪えんだけの話だろう───な、なにが可笑しいっ、笑うなっ!」

 

 こうして様々な人を見ていると、呉も変わってきているんだなって実感がある。なにがどう変わった、なんて言葉に出来るほどのことじゃないんだ。それでも少しずつ一人ずつ、誰かが変われば誰かを取り巻く環境も変わり、それがやがて別の誰かを変えて……そんな連鎖が少しずつ広がっていっていた。

 一番変わったのはきっと思春。最初の頃からは考えられないくらい、彼女は俺の話を聞こうとしてくれていた。以前の思春だったら俺の言葉なんて聞く耳持たずだったのに、今は条件反射的に憎まれ口みたいなことは口にしても、自分でそれを否定してでも聞こうとしてくれる。

 彼女の中でどんな心変わりがあったのかは……訊いたら反感くって、最悪“聞く姿勢”を取ること自体を拒絶しかねないから怖くて訊けない。本当に庶人のようになろうとしているのかもしれないし、気が向いただけなのかもしれないけど……うん、なんだか嬉しかった。

 

「………」

 

 もちろん、そんな思春の変化に戸惑っている人も居る。盛大に慌てる思春を見て、食事を続けるのも忘れてポカンとしている蓮華がそうだ。

 普段が冷静すぎる分、突然こんな思春を見れば……うん、普通は驚くよな。俺も驚きと嬉しさが混ざったような状況に陥ったし。

 

「思春、お前は……」

「……失礼しました蓮華さま、どうぞ食事を続けてください」

「い、いや、食事よりも……、……いや。せっかく一刀が作ってくれたものだ。いただこう」

 

 あからさまに思春のことが気になっているんだろうに、ちらりと俺を見ると咳払いをする仕草を取ってからレンゲを手に、食事を進めてくれる。

 てっきり掻き込むように食べるのかなとも思ったものに、蓮華の食べ方は優雅であり静かであり綺麗だった。きちんと一口一口を味わって食べてくれて、それだけでもこう……胸の中に喜びが浮かんでくるというか、むずむずする。

 今言えることがあるとしたらたったひとつだろう。

 

(“作って良かった”)

 

 暖かなむず痒さは蓮華が食事を終えるまで続いた。……うん、続いたんだけど。口周りを拭いて一息ついた蓮華が思春に詰め寄ると、そんなむず痒さは四散した。

 苦笑いを浮かべつつ卓の上の食器を片付ける俺に、ポンと肩を叩く親父の手が大きく暖かかった。

 だ、大丈夫だよ? ちょっとだけでも味の余韻に浸って欲しかったな~とかそんな贅沢なこと思ってないから。普通、そう、普通だったんだから余韻なんて、ねぇ? はは、はははは……はぁ。

 

 

 

42/飴と……鞭ではなく練乳蜂蜜ワッフル。ようするに甘さカーニバル

 

 笑顔作戦が頓挫したものの、蓮華は「綺麗な笑顔だった」と言ってくれたので良し……でいいんだろうか。どうせなら俺も見たかったんだけどなぁ。

 ちなみに思春はもうとっくに着替えて、また気配を殺して消えている……んだと思う。なにせ気配がないからわからない。

 

「じゃあ昨日の復習から。俺が住んでいた国ではこういう文字を使ってて───」

 

 と、そんなことはさておいて。現在は呉と蜀の軍師を前にしての勉強の時間。教えるのが天の国のことでいいということなので、まずは理解力の早い軍師様たちを相手に教鞭を振るってみている。

 場所はいつも通りというべきか、俺が借りている一室。机は大きいのが一つと小さいのが一つ、椅子は三つしかないから、別の部屋から借りてきたものをそれぞれだ。

 

「ふむ……まず文字を覚えるところからかと溜め息を吐いたものだが、なるほど。北郷もこの大陸に降り立ってばかりの頃は、こんな調子だったのだろうな」

「あ、わかってくれる?」

 

 いつか桂花が子供達相手にやってみせていたように、大きな木板に紙を張り、そこに文字を連ねていくんだが。みんな難しそうな顔で眉を寄せていた。

 黒板とチョークがあればなぁと思うものの、それはさすがに贅沢……なのか? なんというか探せばあるような気がしてならないんだが。

 

「……丁度いいかも。俺、大陸のことに関してはそこまで詳しいわけでもないし、いっそ俺に当てられた時間は頭を鍛えるためのものって割り切ってもらえば」

「はぁ……頭を鍛える~……ですかぁ?」

 

 たは~……とぐったり気味な顔で言う穏に、「そう」と返して説明開始。うん、日本語……特に平仮名は皆さんには不評のようである。

 

「人間の脳はまず、“考えること”で刺激される。考えなければ使われないんだから、当然といえば当然だけど。で、この脳ってのを鍛えてやると物覚えの良さや早さが身に着いて、記憶力も良くなる」

「覚える速度が……か、一刀様っ、その、“脳”を鍛える具体的な方法はっ……なななにかないでしょうかっ……!」

 

 覚える速度に自分で不満があるのか、挙手をしてまで発言する亞莎に「うん」と返す。

 

「具体的っていっても、やっぱり“考えること”なんだ。細かに言うんだったら、“考える、声に出す、書く、聴く、読む”の五つ。それを繰り返して脳を刺激して、鍛えていくんだ」

「え……あの、一刀様? それだけでいいんですか?」

「うん、“それだけ”。けど、実際にやってみるのは難しいよ。聞いただけじゃあ簡単だって思うけどね、なにより継続させるのが難しいんだ。何事も意思が強く、根気がないと続かないものだから。でもさ、それを“授業”として受け容れれば、案外なんとかなるものなんだ。もちろん、本人のやる気も必要にはなるけど」

 

 継続は力なり、とはよく言うけどね。まずは“やろうとする気”と継続させるための根気、そして遣り遂げようと思う意思が必要だ。

 継続する力が日常ってものに溶け込めば、あとはもう当然のように出来る。俺が鍛錬を続けるみたいに、日常化が出来るんだ。

 ……問題があるとしたら、“そこまでに至れるかどうか”なわけで。

 あとは……普段やらないこと、自分だったらその方向への考え方はしない、と思うことを真剣に実行する、考えてみる、とかか。

 

「じゃあ亞莎、今から言う言葉を平仮名で書簡に書きながら自分でも復唱してみて」

「ひゃうっ!? わ、わわわ私がっ、ですかっ!?」

「ん、亞莎が。いくよ?」

「ままま待ってくださっ……!」

「だ~め。じゃあ───」

 

 わたわたと慌てる亞莎を余所に、言葉を連ねる。あまり難しいものを口にして、書けないのでは意味がないから……うん、名前でいこう。

 

「呂子明。これを平仮名にして、書いてみて」

「はうっ……あ、あの……それはつまり、これを書けないと……」

「ふむ。己の名も字に書けぬ愚か者ということになるのか?」

「ふえぇええっ!?」

「ないない、そんなことないって。もしそうだったら、字を習ってない人はみんな愚か者だろ? 冥琳、あんまりつつかないでくれ」

「ふふっ……いや、こうして誰かとともに学ぶことなど久しいのでな。それに“学校”とは難しくもあり楽しくもある場所だと言ったのは北郷、お前だろう?」

「“楽しむ”の方向が明らかに違う気もするけど、間違いだって断言できない……」

 

 くっくと笑う冥琳に苦笑を返しつつ、うーうー唸りながらも平仮名を書簡に綴っていく亞莎を見る。

 悩みながらも筆を進め、“出来ません、無理です”とは決して言わない姿勢に、なんというかこう……応援したくなる気持ちが溢れてくる。

 ……俺も、ここに来たばかりの頃からしてみれば、変わったんだろうな。誰かが、小さなものだろうが“変化を持つこと”で周囲にも影響を及ぼすっていうなら、きっと。

 

「りょ・しめい……か、書けましたっ」

 

 やがて、どっと疲れた風情で挙手する亞莎。そんな彼女の傍に寄って文字を見ると……“りよしぬい”と書かれていた。まあ……そうだよなぁ、漢文に小文字なんて無いもんな。言われてここまで書けるなら、お見事ってくらいだ。

 

「ん、よく出来ました───って言いたいところだけど、ちょっと惜しい」

「あ、えっ? まま間違ってましたかっ!? そんなっ」

「これだと“りよ・しぬい”になるんだ。ほら、漢文にも似ているようで違う文字があるだろ? それと同じで、これは“め”じゃなくて“ぬ”。“りょ”って読ませるなら“よ”は小さく書くこと」

 

 木板の前に戻って文字を連ね、事細かに説明。出来ないのが当然ってくらいの考えなんだから、間違うのは恥じゃない。問題になるのは、失敗を苦に投げ出してしまうことだ。

 

「う、うう……頑張ります……」

 

 しょんぼりとする亞莎を見て不安になるけど、早速復習をするかのように書簡に筆を滑らせているのを見て安心した。頑張り屋だなぁ……こういうところ、真桜や沙和にも見習ってほしい。あいつらは別の方向に意識が行きすぎて、こういった勉強は最初っから“わからん”、“わからないのー”で済ませそうだし。

 

(……っと、いかんいかん)

 

 ふとした時に魏のことばかりが頭に浮かぶのは、もはや癖以上のなにかだ。離れていた分だけ、頭の中が魏で埋め尽くされてしまっていることは、もはや隠しようもない事実で、隠す必要もない現実だ。

 しかしこういった場で魏のことだけを考えているわけにもいかず、俺は頭を振って“この場”に意識を集中させる。

 

「しゅう・こうきん……と。北郷、私も書いてみたが───これでよかったか?」

「えっ、あ、ああっ……えっと……おお」

 

 さすがと言うべきか当然と言うべきか、冥琳は達筆ともとれる完璧さで平仮名での自分の姓字を書いてみせていた。……うん、むしろ俺より上手いよこの字……。

 

「文句無しどころか俺より上手いよこれ、さすがだなぁ」

「ふふ、そうか。……しかし、これは確かに難しいな。見知らぬ文字を学ぼうとすることがこれほど───!?」

「うん、よく出来たな、偉い偉い。冥琳は本当にいい子だな」

「ほぶっ!?」

「ふわぁあああーっ!? かかかか一刀様っ!? なななにをーっ!?」

『あわはわわぁあーっ!!?』

 

 突如、穏がスズーと口に含んだ茶を噴き出し、亞莎が叫び、朱里と雛里が騒ぎ始め……ハテ? なに……なにを、と言ったのか? なにをって……。

 

「………」

 

 自分を振り返ってみる。むしろ今の自分を。

 “何を”もなにも、ただ冥琳の頭を撫でてるだけじゃ……おぉ?

 

「……アレ?」

「……! ……っ……!」

 

 首を傾げながらも、とりあえずは冥琳の頭を撫で続ける僕の右手。

 傾げた拍子に真っ赤になって俺を見上げる冥琳と目が合ったわけだが……ウワー、真っ赤になった顔も綺麗だー……ってそうじゃなくてっ!

 

「あ、う、うわすまんっ! なんか物凄く自然に手が出てたっ! あ、いやっ、この場合の手が出たってのは変な意味じゃなくっ……しゅ、朱里! 雛里っ! きゃーとか黄色い悲鳴をあげないっ!」

 

 な、なにやってるんだ俺はっ! 目上の人(で、いいんだよな?)の頭を気安く撫でるなんてっ! そりゃあ以前雪蓮の頭も撫でたけどさっ、これはあの時よりも明らかに状況が悪いだろっ!

 出来て当然のようなことで偉い偉いって頭撫でられて、誰が喜ぶって───と、ヒビの入った椅子とは別の椅子に座った冥琳を見下ろしてみたわけだが。

 

「…………~」

 

 ……あれ!? なんか喜んでる!?

 顔真っ赤にしたまま俯いて、文句も飛ばさずに……撫でられた頭を触って───はうあ!? 今笑った!? 小さくだけど笑った!?

 なに……!? なにごと……!? 今、公瑾さんの中でどんな混乱が巻き起こっていらっしゃるの……!? それはどういった公瑾の乱であらせられるの……!? いや待てなんだそれ。

 お、俺はただ、冥琳の中で会った小さな冥琳と約束した通り、頭を撫でただけであって……やっ、そりゃみんなが見てる前でやることじゃなかったって気づいたよ!? 気づいたけどさ! 気づいたからこそ今慌ててるんだけどさ! 仕方ないじゃないか、気づくまで本当に自然に手が出てたんだからっ!

 

「……? あ~、もしかして上手く書けたら、一刀さんが頭を撫でたりするご褒美があったりするんですか~?」

「へっ? あ……えと、そう……なのかな? たしかに“褒美”って意味では違わないだろうし……それに、頑張った人を褒めるのは悪いことじゃないから」

 

 自分の手を一度見下ろしてみて、こんなものに褒美としての価値があるのかと疑問を抱く。抱くが……

 

  “また、なでてくれる? いいこだねっていってくれる?”

 

 あんなことを言われてしまったのだ。

 そうなるとたとえ自分の身の一部であろうとも、馬鹿にしたらいけない気がしてくるんだから不思議だ。

 

(まあ、そうだよな)

 

 頭を撫でられることが嬉しかった昔がある。褒められて嬉しかったあの頃を覚えている。子供の頃のことだ~なんて否定するよりも、そうやって褒められることに一喜一憂していた自分を取り戻すことが出来れば、逆にいろんなことを学ぼうと思えるんじゃないだろうか。

 見栄なんか張らずに……いや。見栄を張ったっていい、それで前を向けるなら、子供も大人も一緒だ。辿り着きたい場所に向けて馬鹿みたいに真っ直ぐでいられる心を持ち続けていられるなら、それでいいだろ。

 

「よし、それじゃあ───」

「しょかっ……しょかつこうめい、書けましたっ!」

「ほ、ほう……ほうほほ……ほう、しげん……かかかけまし……た……」

 

 ……と、見下ろしていた手から視線を戻せば書簡を突き付けられる。顔を離して見てみれば、そこにはきちんと書かれた二人の名前の平仮名バージョン。なのだが……えーと。

 “しょかっ・しょかつ・こうめい”に、“ほ・ほう・ほうほほ・ほう・しげん”……ね……。

 

「……なるほど、言葉通りだな……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「ががが、がんばりっ……ましたっ……」

 

 文字でどもるって……いろいろな意味で凄いぞこれ。そして何故俺は期待がこもった爛々と輝く目で見上げられているんだろうか。

 ……撫でろと?

 

「……亞莎、あ~~しぇ」

「……? は、はいっ? なんでしょう一刀さまぁっひゃぁぁあーっ!? かかかかずっ……!?」

 

 俺の声に、書簡を睨む視線を俺へと向けた亞莎の頭を黙って撫でる。なんだかとんでもない悲鳴みたいな声をあげられたが、振り払われないのをいいことに、いい子いい子と丹念に撫で上げる……丹念に撫でるってなんだ? まあいいや。

 ともかく撫でた。きちんと心を込めて。だって、ここで朱里や雛里を撫でたら、最初に頑張りを見せてくれた亞莎が可哀想だ。だから先に、じっくりと……いつもの頑張りを労うように、やさしくやさしく……。

 

「いつもいつも頑張ってること、ちゃんと知ってるから。たまにはさ、力を抜いてやらないと倒れちゃうぞ? 力を抜いて~……? はい、脱力脱力~……♪」

「ふあっ……ふぁ……ひゃ……はぃい……!」

 

 俺を見上げる目がぐるぐると回ってきたあたりで、なんとなくだが危険を感じた俺は亞莎の頭から手を離した───途端、かくんっとその頭が垂れ、ドシャアと机に突っ伏した亞莎は……頭から湯気を出したまま、動かなくなってしまった。

 ね……熱暴走? なんで? と疑問を抱いていると、クンッと引かれる制服。

 

「………」

「………」

 

 振り向いてみれば、期待に満ちた目で俺を見上げる二人が居て───あ、あー……なんだか間違った方向に進み始めてないか? 俺はただ、学校計画の発展や脳の強化のために、教師役を請け負っただけだっていうのに。

 それが、褒美を餌に授業をさせる怪しい教師的立ち位置に納まりつつあるのはどうしてなんだ。

 

「はわわぁあ~……♪」

「…………♪」

 

 そう考えながらも撫でてしまう俺は、本当に馬鹿なのでしょうね神様。馬鹿だから、次の展開もなんとなく読めるわけですよ神様。

 

「………~♪」

 

 椅子が引かれる音を聞いて振り向いてみれば、“りく・はくげん”が微笑んでいた。

 予想通りだよ、ああ予想通りだとも。予想通りで、しかも寄ってきた彼女の頭に手を伸ばしてしまうあたり、どうやら俺は……スパルタ教師には永遠になれそうにはなかった。

 ……なりたいわけでもないけどね。



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19:呉/何気ない日常の中で①

43/こんな日常、そんな日常

 

 視線を感じるようになったのは……なんて言葉は今さらだろう。気づけば誰かに見られていて、それは朝起きてから朝餉を食し、運動をして手伝いをして、遠くの町まで突っ走る中でも変わらない。

 前にも確認した通り、民の諍いは全くなくなったわけではなく、過去を嘆く人や飲み込めきれない人、なにかに当たらなければ感情を処理出来ない人なんて、普通に居た。

 

 そんな人達と向き合い、時に罵倒されようが付き合いを続け、なんだかんだと時間は過ぎ。気づいてみれば三ヶ月目に突入した呉での生活は、他国だっていうのに居心地が良すぎて戸惑うことなどしょっちゅうだ。遠方の町の人の中には随分と仲良くなれた相手も居て、兵や水兵のみなさんとも仲良くさせてもらっている。

 だから歩けば声をかけられて、それを返せばまたかけられてと、案外歩くだけでも忙しないわけだが……それは嬉しいからいい。ああ、全然構わないとも。

 

 正直二ヶ月三ヶ月でここまで仲良くなれるなんて出来すぎてるなーとは思うけど、ようするに親父の一言が正論としてみんなの心に響いたってことなんだろう。

 憎くて戦ったわけでもないし、殺さなければ殺される世界。殺したのはなにも他国の者だけじゃなく、自分の子供だって何処かで誰かを殺していて……恨まれながら、自身もどこかで誰かに殺されたのだろうと。

 そういったことに気づいてしまえば、どれだけ憎くても憎みきれなくなる。……そういうのが広がって……俺も、少しずつ受け入れられたんだって思ってる。

 俺一人の力で呉国全てが鎮まってくれるなら、きっと他の誰にだって出来たはずだろうし。

 

「おぉおおおりゃああああーっ!!」

「ふぅううあぁあああああーっ!!」

 

 と、そんなことを鍛錬中に考えていたわけだが。考えごとが出来るなんて、結構余裕が出てきたなーという今、俺は明命と限界ブッチギリダッシュバトルを繰り広げていた。

 ああ、簡単に説明すると限界ブッチギリダッシュバトルとは、疲れを無視してただひたすらに走ることを意味している。よーするに日がな一日城壁の上を走り続けるわけだ。全速力で。

 もちろん全速力とはいえ、わざわざ疲れるような走り方はしない。内臓への衝撃を極力抑えるように、足を持ち上げ、着地し、足を持ち上げを繰り返し、速く、しかし疲れぬように身を動かし続ける……それが限界ブッチギリダッシュバトルの醍醐味。だと思う。

 見張りの兵にしてみればやかましいことこの上なしでしょう。ええそうでしょう。けどごめん、俺は魏のため華琳のため、三日毎の鍛錬だけは決して手抜きをするわけにはいかないのだ。

 

「一刀様すごいですっ、とても速くなりましたっ!」

「任せてくれ明命! お前と走り続けたこれまでの日々、決して無駄ではないと証明するためにも俺は走り続けるぞ! 手加減は無用だぁあっ!!」

「はいっ、負けませんっ!」

 

 人間、走り続けてると妙なテンションになるもんだ。

 よく居るだろ? レースゲームやってて体が動く~とか、推理ゲームの意外な展開に叫ぶヤツとか。……ほぼの該当者は及川なわけだけど。

 それと似たような感じで、朝から走り続けている俺は……隣を走る明命の元気の影響もあって、暑苦しいまでのテンションを保ちつつ息を乱さぬままに駆けていた。

 

「うぉおおおおおおっ!!」

「あぁあぅあああーっ!!」

 

 全力疾走。叫ぶ余裕もあるくらいに体力が出来たといえば聞こえはいいけど、種明かしはこうだ。自分で走る力は僅かに、氣を上手く行使して走っているというべきか。

 筋肉はあまり使ってないから、足がすぐに疲れることもない。しかし筋肉だけに頼って走るのよりもよっぽど速いのだから、以前の俺からしてみればずるいって感じる方法だ。

 肉体は、使っていけば自然と乳酸も溜まるってものだが、氣の扱いにも大分慣れた今なら、まだまだ疲労が訪れるのは先ってわけだ。

 

「さあ! そんなわけだから今度もこの角を華麗に曲がってギャアアーッ!!」

「あぅあっ!? 一刀様っ!?」

 

 あ、マズイ。氣を集中させるパターン……思い切り間違えた。

 足がっ! 足がグキキっておぉおわぁあああっ!!? 壁っ! 目の前! 壁が───ぶつかる前に倒れる! 綺麗に前転して勢いを殺す! ……無理でした。

 

「おぶぼホッ!?」

 

 壁に激突するくらいなら、とすかさず前転! ……距離が足らずに、勢いよく壁に背中を打ち付ける結果に到った。

 

「一刀様っ!?」

「あ、い、痛っ……あ、ははっ……だ、大丈夫、大丈夫……!」

 

 咄嗟に頭も庇えたし、身を丸めたのが良かったと言うべきか、大事には至らなかった。あの速度でコケてこれなら、良かったってことにするべきだろう。

 

(いかんいかんっ、慣れた頃こそ油断の時だってじいちゃんに散々殴られたじゃないか)

 

 頭を振りつつ起き上がる。背中がしくりと痛んだが、大げさに痛がるほどのことじゃないな、よし。

 

「よし明命、走ろう!」

「え……ですが一刀様っ、一応怪我をしていないかを───」

「大丈夫! 無駄に頑丈なのが取り柄に───なってるといいなぁっ!」

「あうあっ!? 一刀様っ!? 急に走ったら体に負担が───」

「うぁあだだだだぁあーっ!?」

 

 一歩を駆け出した途端に忠告通りの大激痛! ぶわわっとこぼれる涙がその痛さを実感させてくれる───が!

 

「はうぁあっ!? し、思春殿っ、思春殿ーっ! 一刀様がぁあっ!!」

「くっは……! だ、大丈夫! 走るんだ明命、俺達はまだ前回の限界に至っていない!」

 

 足を止めずに駆け、慌てて追いついてくる明命に脂汗だらだらのスマイルを贈る。大丈夫、痛いけど……よく経験した痛みだ。

 猪みたいにじいちゃんに向かっていって、あっさり避けられて道場の床に激突するみたいに転倒したっけ。あの頃とは速度が違うけど、逆にこんな痛みが懐かしくも感じられた。

 

「聞いてくれ明命……鍛錬っていうのは“同じこと”を繰り返しているだけじゃあ、一定には至れても一定以上には至れない! 三日前に出来たことより一歩先へ進むことで、肉体がもう一歩を踏み出そうと三日間の休憩の間に強化されることを“超回復”っていうんだ!」

「ちょ、ちょお……?」

「そう、超回復だ! けど肉体にだって年齢っていう壁がある! やるなら、鍛えるなら若い今が一番大切なんだ! だから走ろう一歩先へ! 三日前の自分より一歩でも先に出るために!」

「か、一刀様……? あぅ……あの、やっぱりどこか打ち所が悪かったのでは……」

「大丈夫! い、痛みを紛らわせるためにっ……つはっ……さ、叫んでる……だけだから……っ!」

「全然大丈夫じゃないですっ!?」

 

 “現状維持は悪いことじゃないけど、進む気が無いならそれは普通ですらない”って言った彼女に、自分は頑張ってたって認めてもらうために。

 そうだな、心配してくれる明命には悪いけど───もう本当にここに居られる時間は少ない。昨日、朱里と雛里が書簡を纏めているのを見たし、その整理をした数日後には二人が蜀に帰るパターンはずっと続いている。

 そう思えば、“ここでやり残した鍛錬”が無いようにと走り続けたくもなる。ダッシュが終わったら祭さんと摸擬刀での実戦稽古だ。特に“ここまで”って決めているわけじゃないから、付き合ってもらえる限り……やり続けるつもりでいる。

 

……。

 

 

 走り続けて息が乱れた頃、明命に断ってから祭さんが待つ中庭へ。黒檀木刀を手に、休む間も無く摸擬刀を持つ祭さんと打ち合っていた。

 

「はっ! ふっ! せいっ! はぁっ! つっ! たぁああああっ!!」

 

 氣の鍛錬も兼ねて木刀には氣を纏わせており、摸擬刀相手でも傷ひとつつくことなく打ち合える状態で立ち回っている。当然、氣の集中を乱せば良くて傷モノ、運が悪ければ摸擬刀の一閃で圧し折れる可能性もある。

 呆れるくらい、今の自分では無理している鍛錬ではある。が、だからこそやる価値があるんだという覚悟を胸に、祭さんに付き合ってもらっている。

 木刀と模擬刀での打ち合いなのに、まるで金属同士がぶつかる音が、幾度もこの場で高鳴っている。氣を纏った木刀は、模擬刀にそれほどの衝撃を与えるほどに硬くなっているということだろう。

 

(木刀を壊したくなかったら集中集中……! 氣と体を別々に動かそうとするんじゃなく、むしろ一体。一緒に動かせて当然ってレベルにまで引き上げホワァーッ!?)

 

 あ、あぶっ……掠った! 今髪の毛少し切っていった! 摸擬刀なのに怖い! ほんとうに刃引きしてあるんだろうなぁこれっ!!

 

「ほれどうした北郷っ! へっぴり腰は直ったようじゃが、振るわれる一撃一撃に目を瞑りそうになるところは、いつまで経ってもちっとも直らん! そんなことでは目を閉じた瞬間に首が飛ぶぞっ!」

「そんなっ! ことっ! 言われっ! たって! さっ!」

 

 振るわれる攻撃は極力避けるんだが、紙一重で避けようとするとどうしても目を閉じかける。

 それはじいちゃんとの稽古の時からずっと直そうとして、直せなかった厄介なクセで……恐怖に目を閉じる臆病さは、どこまでいっても自分が一般人である証拠かな、と……諦めかけてもいたわけだが。

 

「まったく……だというのに避けることばかり上手くなりおる。男ならがつんと受け止めてみせんかいっ」

「無茶苦茶言ってるって自分で気づいてる!? うわぁっと!?」

「ほっ。今のを避けられるとは意外じゃのぉ、ふっはっは!」

 

 こ、この人絶対楽しんでる……! 何事も楽しんでやれるのが一番だってのはもちろんそうだが……よし、だったら───!

 

「……ふ、う……」

「うん? なんじゃ、休憩か?」

「いや。ちょっと脱力したかっただけ」

 

 軽く距離を取って、流れる汗を腕で拭う。

 それから……木刀にのみ集中させていた氣を体にも流し……キッと祭さんの目を真っ直ぐに見つめる。

 

「……うむ。良い面構えじゃ」

 

 ニヤリと笑うその人へ、離れた位置から───たった一歩で間合いを詰める。

 

「───! む、おっ───!?」

 

 体は十分に温まっている。体を動かすための部分も、木刀を振るうための部分も、全て。“氣で走る”鍛錬も散々としたし、一歩だけの速さなら俺でも虚を突くことくらいできる。地面を蹴る足に氣を込めて、それを爆発させたのだ。

 そして、間合いを詰めるのと一緒に攻撃を開始。イメージは螺旋。関節の回転に氣を混ぜて加速させて、通常では出せない速度を以って、左腕で押さえつけた木刀での鞘無しの居合い抜きを。

 

「つっ───せいっ!!」

 

 腕に引っ掻け、溜めた力を一気に放つように振り切、る……あ、あれ? 腕が伸ばせな───あ、足? なんで俺の腕を祭さんの足が押さえ───足ぃっ!? 足でこっちの腕押さえるって───そ、そんなっ!

 

「そんな無茶なぁあああっゲブゥ!!」

 

 無茶でも苦茶でもどーでもいい、やれる人が最後に勝つ。

 あっさりと虚を突く行動も居合いも見切られた俺は、振り切るはずの腕が速度を持つより早く押さえつけられ、肩に摸擬刀の一撃を落とされてあっさり転倒。

 ああ、うん……鍛錬に没頭するあまり、一つ忘れてたことがある。この世界の人たち、基本的に能力がズバ抜けてるって。

 つくづく痛感したね、疲れさせる方法を取らなければ、俺は絶対に華雄には勝てなかったんだーって。

 

「さ、祭さん、無茶苦茶だよ……」

「おう。今のはちとひやりとしたがのぅ。じゃが、相手が馬鹿正直に手持ちの武器だけで戦うと決めつけてかかっては、こういった事態に対処出来ん。お主はもっと頭の柔らかい男かと思っておったが」

「む……」

 

 たしかに、以前の俺だったら“そうくるかもしれない”程度の考えは頭のどこかに置いておいたはずだ。

 それをすぐに引っ張り出せなかったってことは、俺は……ここの生活に慣れるのと同時に、俺が暮らしていた場所での“臆病さ”を忘れかけていたのかもしれない。

 臆病なら“こう来るだろう”“ああ来るだろう”と、いくらでも最悪のパターンを思い浮かべることができるが……緩んできた自分に呆れる。慢心でも出来ているつもりなんだろうか、俺は。

 もっともっと自分を低く見ろ。小さな段差も巨大な壁だとイメージしろ。

 そうすれば、どんな時でも油断なんてせずに構えていられるんだから。

 

「~っ……よしっ!」

「ほう、向かってくるか。では続きじゃ、かかってこい」

「すぅ───応っ!!」

 

 気合い一発、再び地面を蹴って祭さんへと向かっていく。

 居合いは無しで、今度は腕に氣を溜めて、蓮華との鍛錬の時に見せた腕の高速化を以って攻撃を仕掛ける。

 

「とぁあっ!!」

 

 細かくイメージ。腕を振る速度に氣を、戻す速度にも氣を乗せて、威力はないけど速度重視の攻撃を連ねてゆく。……連ねていったんだが。

 

「うぇえっ!? 全部受け止めおぼぉっほぉ!?」

 

 様々な方向からの斬撃が、一本の模擬刀にあっさりと弾かれる。そんな事実に驚愕し、攻撃の手が緩んでしまったところに、祭さんの前蹴りが俺の腹に埋まった。

 胃液でも吐きそうってくらいの気持ち悪さに襲われるが、祭さんから目を逸らすことなく歯を食いしばり、距離を取る。

 

「うむ、正解じゃ。どんな攻撃を受けようとも生きている限りは敵から目を逸らすな。吐きそうになろうとも、それを我慢することで体勢を崩すくらいなら、吐いてでも敵を見据えい」

「はっ……ぐ、はぁっ……! んっ……わ、わかってる……!」

 

 敵から目は逸らさない。そんなことは、イメージトレーニングをやっていれば嫌でも身に着くものだ。“見ようとしなければ見えない”のがイメージ。そういった意味では間違いはなかったといえる……のだが。悲しいかな、目を瞑りそうになるのだけは直っちゃくれなかった。

 でもな、北郷一刀。今はそんなことを言っていられる状況じゃない。こうして立ち合えるのだって、あと何回あるか。

 覚悟を決めろ……もっと深く、もっと深淵に。命の遣り取りをしている……そうイメージしろ。命の遣り取りをする中で、お前は暢気に目を瞑るのか? 相手の命を絶つかもしれないって戦いの中、目を瞑るような攻撃で相手の命を奪うのか?

 

(っ……そうじゃないだろ……!)

 

 ───覚悟を。

 あとでどれだけ震えてもいい、怖がってもいい、泣いたって構わない。でもな……この瞬間を、胸に刻め、目に焼きつけろ。全てを見るつもりで向かって、視覚に体を追いつかせてみせろ。そうすれば、焼き付けた分だけ必ず経験として体に刻み込めるから。

 

「……いくよ、祭さん」

「ほお? 鍛錬中に見せるような顔ではない……───本気か?」

「心構えは。小さな理想に自分が追いつけるかを試すだけだよ。……けど、全力だ」

 

 前ならえをするようにピンと伸ばした腕の先で突き出された掌。その親指と掌に挟んで持つ木刀に力を込めるようにして精神を集中させてゆく。

 

(いつも……思ってた)

 

 鍛錬の時とは違う。心にいくつもの覚悟を刻み込んで、氣を練れるだけ練って氣脈に満たして。そして……駆けた。

 

(鍛錬のたびに、負けるたびに、教わってるんだから負けるのは当然だ、なんて)

 

 振るえば届く距離になると、遠慮無しに木刀を振るって撃を連ねる。

 

(でも違う。勝ちたいって思ったなら、負けたことには悔しさを抱くべきで)

 

 祭さんは避けない。必ず全てを模擬刀で受けて、逸らして、弾いてくる。

 

(悔しいって思えるなら、もっともっと早くに、こうしてぶつかれてたはずだった)

 

 弾かれる。逸らされる。受け止められる。渾身でいっているはずなのに、まるで構えた模擬刀に自分の力を吸収されているみたいに簡単に捌かれ、それでも。

 

(覚悟覚悟って言っているくせに、俺は……一度も本当の悔しさを抱いたことがなかったのか?)

 

 力でダメなら速さで向かう。それも全て弾かれ、しかし今度は呆けることはせず、振るわれた一閃を躱してみせた。

 

(違う。悔しい思いなら散々味わった。無力な自分を嘆いた。一緒に戦ってやれない自分が情けなかった。死んでいく兵士に謝ることすら出来ない自分が嫌いだった。そう思うのに、いざ戦いになれば、“震えることしか出来ない自分”を簡単に想像できる自分がっ……たまらなく、嫌だった……!)

 

 振るう木刀に迷いはない。目の前の人に勝つ。“負けてもいいから思い出にするために”なんてことは思わない。

 

(今の自分は、逝ってしまった彼らと肩を並べられるくらい強くなっていますか───?)

 

 振るう。

 

(今の俺は、あいつらが目指した平和の中でちゃんと笑えていますか───?)

 

 振るう。

 

(今の俺は───……俺はっ……!)

 

 振る───っ……!?

 

「……、つ、あ……!?」

 

 ……振るおうとした木刀が、強く弾かれる。たったそれだけなのに、纏っていた氣ごと、思い切りブッ叩かれたような衝撃が俺の体を貫いた。

 じぃんと痺れる手はしかし、木刀を落とすことなく強く強く握り締め、そんなことになっても……俺の目は、目の前の人から決して逸れることなく。

 

「“本気”だというのに考えごとか北郷。儂も随分と舐め───」

「───違う、刻んだんだ……覚悟を。決して曲がらない、たった一つの“芯”ってやつを───!」

 

 勢いよく弾かれたことで、木刀ごと体を持って行かれそうになる。……祭さんもよくやる。フンッと鼻で笑ってみせると、もう“次”を構えていた。

 

「終いじゃな」

 

 そして。その一撃が、俺の意識を刈り取ろうと振るわれる。

 それは本当に自然な動作で、最初っからそうすると決めてあったことをなぞっただけ、ってくらいの……なんでもない動作。

 向かう先はどうやら肋骨辺りらしく、どうやら骨がイカレることを覚悟しなくちゃいけないらしい。らしいんだけど……でもさ、祭さん。俺がつい今刻んだ覚悟はさ、“そんな覚悟じゃない”。

 

(親父に刺された時、痛かったのを覚えてる)

 

 熱かった。そして、悲しくて、悔しかった。

 

(俺は、こんな痛みを抱えながら死んでいく彼らに、なにもしてやることが出来なかった)

 

 そう思うと、泣きそうなくらい悔しくて、辛かった。

 

(一緒に戦えなかったのが悔しかったとか……正直に言えば、きっとそうじゃない。俺が武器を手に一緒に戦ったところで、“ただ俺の分の死体が増えるだけだ”なんて、最初から敗北しか見えていなかったんだから、当然だ)

 

 “自分がそこに居れば何かが出来た”なんて幻想すら抱けないくらいに弱かったのだ、俺は。

 

(何も出来ない辛さを、消えていく命の重さを、憶えてる……!)

 

 ───俺には何が出来ますか?

 無力を噛み締めることでしょうか。それとも、誰かを思い、泣くことでしょうか。

 ───俺には何が出来ますか?

 この世界に戻ることばかりを考えて、それだけにとりあえず没頭するだけ……でしょうか。

 

(違う……違うさ)

 

 難しいことも、難しく考えない。

 辛いことだって、無理にでも笑って辛くないって意地を張る。

 泣きたい状況でだって、泣きながらでも笑っていよう。

 だから……だから、俺は……

 

(ずっとずっと“北郷一刀”のままで……そうさ華琳! お前の傍にずっと居る!)

 

 宴の夜、華琳に“貴方どこまで一刀なの”と言われた。

 変な言葉だなんて思ったし言い返しもしたけど、考えられる頭も答えられる口も、この大陸に俺ごと在る。

 俺に出来ることなんて、あの日華琳に拾われてからずっと変わっていない。俺はあいつが手に入れたいもので、俺はあいつのものだから。

 

「───、な……!」

 

 そのためにも、負けることを“当然”なんて受け取らない。

 現状維持に甘えないで、華琳と一緒にあいつらが目指した“平和の先”を見続ける。そんな“北郷一刀”で在り続けることが、俺にしか出来ない俺に出来ることだ。

 あいつは負けることが嫌いだし、もし負けたとしても次は勝つって思うやつだから……負けっぱなしで笑う自分は、たとえ鍛錬でももうサヨナラだ。

 その覚悟を、俺は刻んだ。刻んだから……!

 

「馬鹿もんがっ! 腕を盾にする馬鹿が何処に───っ!」

 

 木刀を弾かれたことで、腕を広げるみたいになっていた俺の体。

 そんな中で左腕だけを無理矢理下ろして、脇腹を狙うはずだった模擬刀を無理矢理受け止めた。当然、というべきか……祭さんは怒りと心配とを混ぜて俺の左腕に意識を集中させるけど。

 

「───祭さん。……意識、逸らしたね?」

「なに……? ───っ!?」

「じゃあ───俺の勝ちだっ!!」

 

 誰も勝負ありを宣言なんてしていない。

 弾かれた分だけ反動がついたこの右腕に、盾にした左腕に集めておいた氣を流して───!

 

「ま、待たんか馬鹿者!」

「聞く耳持たんっ!!」

 

 普段では絶対に使わない、勢いに任せた乱暴な言葉とともに、一気に振り切った。



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19:呉/何気ない日常の中で②

 ……鍛錬とは名ばかりの本気バトルから数分後。

 

「いくらなんでもあれはないだろ祭さんっ!! あの場面で殴るか普通! 蹴るかよ普通!!」

「ええいやかましいわっ! 男なら潔く負けを認めいっ!」

「潔くないのはどっちだぁっ! あんなところで拳使うなんて、自分だってよっぽど負けたくなかったんじゃないかぁーっ!!」

 

 俺は祭さんに殴られた左頬を押さえつつ、踏みにじられた覚悟ごと悲しみを吐き出しておりましたとさ。

 

「し、仕方なかろうが……負けたくなかったんじゃもん」

「じゃもんって……! あぁああ……俺の覚悟の瞬間を返してくれぇえ……!」

 

 気が抜けた。抜けたら立っていられなくなって、中庭の木の幹に尻餅ついて頭を抱えた。

 ……そう。結局、俺が振るった一撃は祭さんに届くことはなかった。

 殴られて、空を飛んでしまったら……届くはずのものも届かなくなるのは道理であり、俺がこうして落ち込むのも、最後の最後で読みきれなかった自分の不手際ってことで。

 納得したら血の涙だって流せそうな心境なわけだが。

 うん、負けは負けってことで。

 

「次───」

「うん?」

 

 幹に背を預け、項垂れながら髪をわしゃわしゃといじって……でも、“言うべきことは”としっかりと敗北を認めた上で。

 

「次は、負けないからな、祭さん」

 

 言うべきことを、きちんと言った。

 負けは負けだし、今さらながらに凄く悔しいけど……死んだわけじゃない。またいくらでも挑戦できるし、諦めなければ……試合は続くんですよね? 安西先生。

 

「…………」

 

 現状とはてんで関係のないことを頭に描いて笑う俺に、祭さんはきょとんとしたあとに……豪快に笑ってみせた。

 それでこそ男じゃとか、ますます気に入ったとか言いながら、俺の頭をわしわしと乱暴に撫でてゆく。

 ……ああ、覚えてる。暖かな手の平を、子供の自分には大きすぎた指の感触を。俺はこうされるのが好きで、褒められることを探しては無茶ばっかりをして。

 いつしか褒められることが無くなってくると、途端にモノを見る目が変わって、やる気ってものをなくしてしまった気がして。

 

(でも……ここにあった。ずっとあったんだ)

 

 童心なんてものは、昔っから変わらず心の中に残っていた。

 それはずっとそこにあったから忘れてしまうくらいの自然さで、ずっとずっと俺が子供に戻るのを待っていてくれた。

 子供はなりたくてなるんじゃなく、思い出して戻るもの。子供の頃の自分に手を伸ばして、届かせて、握って、引き寄せて。

 全部を受け取って、全部を思い出して、恥もなくそれを実行できたなら───いつだって自分は子供に戻れるんだ。

 そんな自分に戻れたから、悔しくても立ち上がれる。次は負けないって思える。悔しいくせに冷静な振りをして、また負けた~なんて笑って受け容れるのは……もうやめだ。

 

「よしっ、じゃあ祭さん、もっと付き合ってもらっていいかな」

「おうっ、どんと来いっ」

 

 胸の熱さが無くならないうちに立ち上がって、氣が散ってしまっている木刀を握り締め、再び氣を纏わせていく。

 

「かっかっか、随分と氣の扱いが上手くなったものだのう」

「日々精進してるからねっ……! いくよっ!」

「おうっ!」

 

 疾駆する。

 今度は俺も木刀だけに頼るんじゃなく、五体を駆使して。

 しかし、ならばこちらもと本気でかかってくる大人げない祭さん相手に、俺は逆に子供のように意地になって挑みつづけた。

 そうなるともう剣術修行というよりは喧嘩訓練である。

 

「せいっ! ふっ! だぁっ!」

「甘い甘いっ、もっと踏み込まんかっ」

「踏み込んだら掌底かましてくるでしょーが!」

「なんじゃつまらん、やる前から見切るでないわ」

「本気でやるつもりだったの!?」

 

 木刀を避けられれば蹴りを放ち、受け止められれば足払いをされ、体勢を崩したところに追い討ちを放たれ、それを躱し───と、動きっぱなしの喧嘩訓練を一時間以上も続け。足腰立たなくなった頃には、俺だけが土まみれで転がっていた。

 

「北郷、まだやれるか?」

「いっ……いやっ……はっ……も、もー無理っ……!」

「うむっ、ならば今日はこれまでっ」

 

 ぜはーぜはーと息を切らして転がる俺に、まるで平然とした祭さんが終了を口にする。そりゃさ、祭さん目掛けて動き回ってたのは俺ばっかりで、祭さんは自分から動こうとはしなかったけどさ。

 こうまで疲労の差が出ると、さすがにショックだ。

 

「はぁ……もっともっと、持久力つけないとな……」

 

 一年前から比べれば、持久力は倍以上は増えていると確信が持てるというのに……この世界の人たちはバケモンです。てんで追いつける気がしない。

 出る溜め息を止めることも出来ず、スタスタと歩いていってしまう祭さんを見送り、もう一度溜め息を吐く頃には、仰向けに倒れるままに蒼い空を真正面に見てから目を閉じていた。

 考えることは山ほどあるけど、今は少し休みたい。汗の処理くらいはしたほうがいいのはよ~~く解ってるんだけど、動けそうもない。

 

(少し寝てもいいだろうか……)

 

 すぅ、とゆっくりと息を吸うと、疲労と一緒に眠気が襲ってくる。

 息の乱れが治まると、俺の体は眠気をあっさりと受け取って、深い眠りへと……旅立てなかった。

 

(……マテ。誰か見てる)

 

 閉じかけていた薄目で辺りを見渡してみる。視線を感じるって程度だが、一度気になると眠気も裸足で駆けてゆく。

 殺気的なものは感じないから、怖いものじゃないはずなんだけど……なんだろう、嫌な予感が消えない。目を閉じて眠りについたら、なにか大変なことになりそうな予感がフツフツと。

 

(この手の予感は可能性が高いぞ……なにせ魏に居た頃から感じてた類のものだ)

 

 そう、この感じは……主に女性関係で振り回されるときに感じたものというか───え?

 

(…………)

 

 引き始めていた汗が噴き出てきた。今度は冷や汗として。

 え? なに? も、もしかして俺、ここで寝たら誰かに襲われる? いやまさかっ! そんな大胆なことをする人が、呉に居るはずが……居たな、一人。

 

(…………)

 

 恐らく視線の正体はシャオ。

 どこかから俺を見て、機会を伺っているに違いない。

 

(……うん、逃げるかっ)

 

 ひしひしと感じる怪しい目線は、俺に身の危険しか感知させてくれない。呉の将の中でも無駄に大人びていて、マセているのがシャオだ。

 こんな疲労を抱えて眠りこけたら、茂みに引きずられていって何をされるかっ……!

 

(…………男が心配することじゃないよなぁ、これ)

 

 普通逆ではないだろうか、なんて考えつつ。疲れた体に鞭打って起き上がると、一息吸ったのちに疾駆!

 逆だろうがどうだろうが、俺の終着は魏にこそっ! 背伸びをしたくて襲いかかるとか、大人になりたいから襲いかかるとか、理由はそりゃあわからないけど受け容れることはとにかく出来ない!

 そもそもそこまで好かれるようなことをした覚えがないんですけど俺っ! ただ自覚が足りないだけですか!? 最初は“話を聞いてくれる”ってだけで気に入られて、ことあるごとに抱きつかれたりしてたけど、その延長がこの“身の危険を感じる視線”じゃあ笑えないって!

 

(汗を流しに川に行きたいところだけど、自分から一人になるのは危険だ)

 

 なにせ俺は“命令”に縛られている。

 もし、仮に本当にもし“関係を持て”とか言われたら、俺はそれを全力で実行しなければいけないわけで。嫌がる人相手にそういった行為を強制しない、って意味で雪蓮の言葉を受け容れたけど、シャオだけは油断ならない。

 彼女はきっと、自分がしたいと思ったことをやるに違いない───

 

(………いや)

 

 待て、俺。だからって逃げ出すのはあんまりだろう。

 怪しい視線を送られてたからって、そこで逃げてちゃ“償い”にもならない。俺は“命令”で償いを背負ってるんじゃなく、自ら望んで“罪”を受け容れた。

 ここで逃げて、誰の言葉も命令も聞かないようにするのはただの卑怯者だ。償いじゃない。

 

(……うんっ)

 

 胸に覚悟を。深呼吸を一度して、振り向いてみると───目の前に、俺目掛けて飛びかかる大きなホワイトタイガーさんが居た。

 

  ……ある、のどかな日の昼。

 

  中庭に、天の御遣いの悲鳴がギャアアアアと響いた。

 

 

……。

 

 水が流れる音がする。

 川面に反射する陽光が眩しく、じっと見ているだけで自然と薄目になってしまう。

 そんな景色に「ああ、眩しいナ~」とか口に出してみても、あの川で汗を流したいなーとか思ってみても、現在の俺といえば……

 

「シャオさん……? あの、逃げないから離してもらいたいんだけど」

「えへ~♪ だめ~♪」

 

 うつ伏せに倒れた状態で、どっしりと周々に乗っかられていた。

 うん、つまり逃げられません。

 

(し、思春! 助けて!)

(無理だな。庶人である私に、王族に楯突けと言う気か)

(アイヤァーッ!?)

 

 頼みの綱の思春さんにも、さすがに無茶は頼めない。

 小声の訴えに返事をしてくれてありがとう、姿は見えないけどその声が聞こえるだけでちょっぴり安心を覚えました、謝謝。

 

「シャオ~……? こんなところに連れてきて、いったいなにをする気なんだぁ……?」

 

 押し潰された状態で訊いてみると、シャオはバババッと衣服を脱いでホギャアアーッ!?

 

「ななななにしてるんだシャオっ! そんな、男の前で服をっ……!」

「えぇ~? 水浴びするのに、なんで服脱いじゃいけないの?」

「水浴びっ!? みっ…………あれ?」

 

 見れば、服を脱ぎはしたものの、シャオはきちんと水着らしきものを着ていた。……背伸びしすぎのビキニ型のそれを見せびらかすように、なにやらポーズをとっている。

 ……時々、この世界というかこの時代というか、ともかくこの歴史の服屋のセンスを疑いたくなる。いいものはいいものなんだが、時代を先取りしすぎてやしないだろうか。

 ところで真桜のあれも水着のカテゴリーに入るんだろうか。解らん。

 

「ほぉらぁ、一刀もいっぱい汗かいたんでしょ? こっち来て一緒に水浴びしよ?」

「………」

 

 ……考えすぎ……だったんだろうか。シャオは無邪気な笑顔で川の中に入ると、潰されている俺に手を振った。

 それが合図だったのか周々は俺の上から退いてくれて、自由の身となった俺は……同じく周々が銜えていてくれた俺のバッグを受け取ると、そこからタオルと着替えとを取り出した。

 そうだな、警戒しすぎてただけなんだ。

 つい先入観からいろいろ警戒してしまったけど、なんだ。ただの取り越し苦労だったんだ……よかったよかった。

 

「よしっ、すっきりするかっ」

 

 ならばと服を脱ぎ捨てた俺は、トランクス一枚で川へと飛び込んだ。途端にきりりと冷えた水が一気に体を冷やしてくれて、震えはしたけど火照った体にはありがたく染みこむ。

 

「ぷっは……あぁ~、目が覚めるっ」

 

 さっきまで眠たかったのは確かだった。それを、水の冷たさが完全に忘れさせてくれる。

 両手ですくった水で、いっそ乱暴ともとれるくらいに顔を洗って水を散らすと、童心を思い出したこともあってか、無性に燥ぎたくなるんだから、なんというかおかしな気分だ。

 と、そんな俺の燥ぎを見て気を良くしたのか、シャオは輝く笑顔で笑ってみせて、俺の胸へと飛び込んできた。

 

「うわっと!? ど、どうしたシャオ」

「んふぅ♪ ねぇ一刀~。シャオ、一刀の子供が欲しいなぁ~♪」

「エ?」

 

 それは───なんだ?

 将来、誰かとの間に子供が出来たらシャオに献上しろと?

 シャオ……怖い子ッ!!

 

「いや……シャオ? それはいろいろまずいだろ」

「えぇ~? なんでぇ~? シャオ、子供を立派に育てる自信あるよ~?」

「そういう問題じゃなくてさ、ほら。子供はきちんと俺が育てるし」

「やぁ~ん一刀ったらぁ! つれないこと言ってたけど、本当は子供が欲しかったんだぁ~♪」

「エ?」

 

 お待ちになって? 何故ここでシャオが顔を赤くしてクネクネ動くのでしょう。というかあの!? 左腕っ……左腕は今はマズイ! 祭さんの一撃受けてから、じくじくと痛んでるんです抱きつかないでください!

 

「子供が欲しいって……将来的にはって意味で、自分を高めることで手一杯だと思うから、今はまだいいよ」

「大丈夫だよぉ。面倒ならちゃ~んとシャオが見るから、一刀はその間に鍛錬とかすればいいんだもん。で・もぉ、ちゃ~んと愛してくれてないと、すぐに関係に亀裂が入っちゃうよ?」

「………」

 

 そういえばよく聞くよな。子供が出来た途端に人が変わった~とかなんとか。子供に付きっ切りになって、夫の扱いがぞんざいになる妻や、子供と妻を守らんとするあまりに仕事に没頭しすぎて、団欒に手を伸ばさない夫やら。

 なるほど、そんなことにならないよう、もし俺に子供が出来たらそれらを両立できる覚悟をしておくべきだ。

 

「シャオ……すごいなぁ。そんな先のことまで考えてるなんて」

「えへへ~、あったりまえだよ~♪ だってシャオってば、大人のオ・ン・ナ、だもぉん♪」

「でもそれに甘えるようじゃあ、俺もまだまだ一人前にはなれそうにないからさ。子供は俺と相手とで育てるし、シャオを困らせるようなことはしないから」

「───」

 

 …………。おや?

 さっきまで爛々笑顔だったシャオの顔が、びしりと固まりましたが? そんな先のことまで考えてるなんて、俺なんかよりずっと立派だなぁとか思ってた矢先に───

 

「ど、どうしたシャオ。体でも冷えあいぃいいーっ!? え!? なに!? えっ!? 噛まっ!? あいだだだだちょっとシャオさん腕っ! 左腕はまずいって噛まないで噛まないでぇええーっ!!」

 

 ───矢先に、噛まれました。しかも左腕の、丁度祭さんに強打されたところでアイヤァーッ!!

 

「なななにっ!? なんなんだっ!? 腹でも減ったのギャアーッ!! 咀嚼だめ咀嚼やめていだだだだぁーっ!!」

「ぷはっ……一刀ってほんと鈍感っ! シャオは一刀とシャオの子供が欲しいって言ってるのー!」

「それはだめだあいっだぁああーっ!!」

 

 きっぱり言った途端に噛まれた。しかしこればっかりは頷くわけにはいかない。“俺”は心身ともに魏のものであり、全てを捧げてでも守りたいって思える人たちが既に居る。

 魏を愛し、魏に生きる……俺はそのために今まで鍛えてきたんだ。浮気がどうのなんて今さらな気もするけど、魏のみんなに関しては真剣に受け止めてきたし浮ついた気持ちなつもりは全然ない。

 周りから見ればそうでもないんだろうけど、魏に生きようと思えばこそ、“他国で別の人と”なんて気持ちはさっぱり浮かんでこない。こればっかりはわかってもらうしかない……んだけど、わかってくれない場合はどうしたらいいんでしょうか。

 

「シャ、シャオッ! ちょ待っ……やめてくれって! どんなに言われたって迫られたって、俺は他の人と関係を持つつもりなんてないんだ! 子供が欲しいとか言われたって頷けるわけないだろぉっ!? たたた頼むからあまり無茶な我が儘言わないでくれぇっ!」

 

 ゴリゴリと歯を立てられつつも、逃げずにきちんと言う。本当にこればっかりはわかってもらうしかない。あとでどうなるかわからないからと受け容れはしたけど、だからって今すぐ心変わりするわけでもないしするつもりもない。

 それを受け取った上で雪蓮も俺も頷いたんだ、こればっかりはたとえ命令でも、頷くわけには……い、いやでも命令のほうは罪を被ったわけだから───いやいやしかし……!

 

「だぁーっ! とにかくだめっ! 子作りなんて手伝いませんっ! こうやって遊ぶくらいなら喜んで付き合うけど、肉体関係はとにかくだめ!」

「ぷはっ……むぅう~、一刀はシャオのこと嫌いなの?」

「好きだし大事な友達だよ。でも、こうして無理矢理迫るシャオは嫌いだ。どっちか一方が受け容れられないことを強要するのって、好き合うって気持ちとはちょっと違うと思う」

「………」

「だからさ、今すぐ好きとか愛とか騒ぐよりも、友達で居られる頃を大事にしないか? せっかくこうして出会えて、笑いながら話せるんだ。無理に迫って嫌われるのと、友達として騒げるのとじゃあ、いい方なんてわかりきってるだろ」

 

 ……迫られても嫌いになれないのが、自分としては少し嬉しくて悲しいけどね。それに、強引にでも迫らなきゃいけない時があるのも確かだし、そうしたら絶対に嫌われると決まっているわけでもない。どっちにした方がいいかなんてわかりきっている、なんて言葉は、心に余裕がある時に考えてみると、案外わからないものだ。

 こうでも言わなきゃ納得してくれないんじゃないかと思った故の言葉だけど……そうだ。シャオはちゃんと言えばわかってくれる。ずるい言い回しなんてしなくても、解らなきゃいけないことはちゃんとわかってくれるはずだ。

 

「……ごめん、撤回する。どっちのほうがいいかがわかりきってるなんてこと、きっとない。多分俺はよほどに無茶を強要されない限り、みんなを嫌うことなんて出来ないし……こうして迫られても、困りはするけど嫌わないんだと思う」

「じゃあ好き?」

「好きだし、大事な友達だ」

「…………」

 

 区切って言い直してやると、不服そうに頬を膨らませた。けどすぐににこ~と笑うと、噛んだ部分をぺろっと舐めて俺の顔を見上げてくる。

 

「はぁ……ほんと、一刀ってばしょうがないんだから。じゃあまずは友達からで、じ~っくりシャオのこと好きになるといいよ?」

「もう好きだよ。友達としてだけど」

「それだとシャオが納得しないのっ!」

「うわわ待った待った! もう噛むのはやめてくれっ!」

 

 カッ! と口を開けて腕に噛み付こうとするシャオをなんとか止めつつ、そんな拍子に足を滑らせ思いっきり転倒。飛沫をあげて川にどっぱぁ~んと沈んだ俺とシャオは、水の中で目を合わせつつぱちくりと瞬きをして……酸素がこぼれるのもおかまいなしに、笑い合った。

 もちろんすぐに酸素欲しさに川から顔を出すわけだけど、ひんやりとした水の冷たさがどうしてかくすぐったくて、考えていたこととか全部そっちのけで俺とシャオは笑顔になる。

 

「周々~! 善々~! 一緒に遊ばないか~!?」

 

 そうなれば二人きりだとかそういうことは意識しない、ただの遊び好きの悪ガキの誕生だ。草むらで退屈そうにしている周々と善々に向けて手を振り、その隙にシャオに飛び付かれて再び転倒。その上から周々が飛び乗ってきたりして、軽く意識を吹き飛ばしながらも燥ぎ続けた。

 

……。

 

 空蒼く、水の冷たき季節。散々遊び、二人と二頭が疲れきった頃には陸に上がり、寝転がった周々に背を預けるシャオの髪を拭っていると、聞こえてくる寝息。

 大人びてはいるけどまだまだ子供だよな、なんて自分にも当てはまることを考えながら、シャオの髪や体を拭き終えると今度は自分。

 髪を拭いて体を拭いて、トランクスを代えのものに代えると、意味もなくポージングをしてみた。“スゲ~ッ爽やかな気分だぜ”とか言いたくなる。……うん、本当に意味はない。

 

「……っと、シャオも着替えさせなきゃいけないんだけど……思春、頼んでいい? ていうかお願いします」

「ああ、任されよう」

 

 すぐ傍に居たらしく、スッと俺の横からシャオのもとへと歩いてゆく思春。こうまで気配を殺せるって凄いなぁと感心しつつ、俺は氣の鍛錬の復習。

 手に取った木刀に軽く氣を流しつつ、そういえば真桜がやるみたいにギミック的なことは出来ないだろうかと、いろいろ試してみる。

 なにもドリルのように回れとは言わないから、こう……ジャキィーンと木刀が伸びるとか……無理で無茶だなそれ。

 

「じゃあ今日の鍛錬の締めくくりとして、放出系の練習でも」

 

 錬氣、集中、付加あたりは多少は出来るようになった。錬氣で氣を練って、集中で一定の箇所に氣を集めて、付加で木刀などに氣を込める。……あ、あと変換か。まだ全然底辺だろうけど、これからしっかり身に付けていきたい。

 しかしどうせなら、まずは広く浅く。ここらで放出系も覚えてみてはどうだろう。凪がよく使うのが放出系で、結構憧れだったんだよな。結局一人かめはめ波以来、一度もやってないから……よし、今やってみよう!

 

「まず、木刀を逆手に握ります」

 

 気分はトンファーを握るが如し。重心を落とし、どっしりと構える。さらに身を捻って、ゆっくりと呼吸を整え……木刀に氣を満たしてゆく。

 ここからだ。

 

「はぁああ~……フッ!」

 

 捻って溜めた分を戻す動作を氣で加速。振り切る木刀に篭った氣を一閃にて解き放つつもりで───!

 

「アバァーン! ストラァアーッシュ!!」

 

 この青き空へ向けて、一気に放つ!!

 

「お、おおっ!!」

 

 振り切った木刀からは光り輝く剣閃が! 凪が放つものに比べればまだまだ小さいものの、空へと放たれたそれは確かな三日月の形をしていて……!

 

「北郷、小蓮様の着替えが───……なにをしている」

「ふ……ふふ…………燃え尽きたぜ……真っ白にな…………」

 

 剣閃を見送った俺は、体の中から氣が無くなるのと同時に草むらに倒れ伏していた。

 うん、無理。俺にはまだまだ放出系は早かったみたいです……どれくらい放って大丈夫なのかも見切れないようじゃ、使う意味もないや……ハハハ……。



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20:呉/国から受け取る様々なもの①

44/騒がしい日常へのさようなら

 

 日常。

 何事も続けていけばいつかは慣れてしまうように、難しかったことも、覚えてしまえば簡単なものへと変わることがある。

 慣れていき、それが常となり、過ぎ行く日々の中に“在って当然”のものになると、それはいつしか一つの日常の構築要素へと変わる。

 それは自覚が必要なものではなく、自覚した時にはすでに“そうであること”が大半だ。

 

「雪蓮っ! そっち!」

「任せて! はぁっ! ───って、わっ、逃げられた! 冥琳!」

「こちらへ追い込め! 罠は仕掛け済みだ!」

「猫一匹捕まえるのに、国王と軍師が出るなんて前代未聞だよなぁもう……! 明命は!?」

「つ、ついさっき、もう一匹を夢中で追って、民家の壁に激突して……その……」

「あぁ……いいよ亞莎……。亞莎が悪いわけじゃないから落ち込まないで……」

 

 俺もきっと、“そうであること”を自覚したうちの一人。

 最初こそどたばたと、雪蓮に振り回されるままにあちらこちらへと走っていた俺だが、そんなものはいつしか過去になってしまっていた。

 雪蓮が珍しく忙しかったりする時は、俺と思春だけで遠くの町まで行って手伝いをすることなんて、“普通”になっていたんだ。

 三日毎の鍛錬の時は必ず建業で鍛錬をするが、それ以外では親父を手伝ったり一日中を別の町で過ごしたりと、いろいろだった。

 それが俺の“日常”を構築する一部になっていると気づいた頃には、本当にそれは“そうであること”が当然になっていたんだから不思議だ。

 

「御遣いのあんちゃんだー!」

「あそぼあそぼー!」

「おぉおっととと!? わ、わかったわかった、わかったから足に抱き付くのはやめてくれっ、倒れるっ!」

「はわわ、すごいです……こんな離れた町なのに、一刀さんを知ってる子供が居るんですね……」

「時間ならいっぱいあるからね。遠出が許された時はいろんな町を回るようにしてるんだ。……でもさすがにこの人数相手はこたえるかも。次来る時は祭さんをなんとか誘ってくるかなぁ……」

 

 気づけば傍で誰かが笑っている。

 なにをするにも笑顔があって、それは俺一人で動いていても同じだった。町を歩いても笑顔があって、城に戻っても笑顔がある。

 それが嬉しくて俺も笑顔になって、その笑顔がまた笑顔を生む。

 そうした循環が続く日常ってやつの中を駆け抜けて、自分のためと誰かのためを混ぜた意思をもって国に返していく。

 

「あぁ、一刀さ~ん。今日も倉に来て欲しいんですけど~」

「じゃあいつも通り、興奮したらハリセン叩き込むから」

「はい~、なんだか最近は叩かれるのも楽しくなってきたので、うふふふふ喜んで~……♪」

「……やっぱり縛ろうね」

「えぇええ~っ?」

 

 現状維持が“進まないこと”なら、日常には変化を望むべきなのかもしれないと思ったことがある。

 けれどこの国では毎日でも違うことが起こるため、俺が望む望まないに関わらず、日々変化を続けていた。

 それは人の心だったり笑顔だったり、怒りと悲しみばかりだった民たちが、笑顔と楽しさを自然と出せるようになるといった変化。

 けれど、いつか“お前に何が出来る”と釘を刺してくれた人や、打ち解け切れていない民のみんなは、俺に笑顔なんて向けてくれるはずもなく。変化するところがあれば、変化してくれないところもあるのだと……全ての人に笑顔を望むには、まだまだ時間と努力が必要なんだと痛感した。

 「それらのことはお前だけが背負うものではないと」言ってくれた冥琳に感謝を唱えつつ、俺は俺に出来る方法で民との交流を続けていった。

 殴り合いに繋がることはなくなっても、言い争いになることは何度もあって───その度に落ち込む自分と、自分の力不足に嘆くことなんてしょっちゅうだ。

 

「亞莎亞莎! これ、俺と明命からのプレゼン───じゃなかった、贈り物! 受け取ってくれ!」

「え……? あ、あのっ? 私、なにかを贈られるような覚えが……」

「亞莎は頑張りすぎですっ。だからこれは、その頑張りが少しでも楽になるようにと一刀様といろいろ苦労して用意したものですっ」

「苦労……?」

「こ、こら明命っ……! ……えーと、それでこれ……眼鏡なんだけど。つけてもらえるかな」

「……ふぅえええええっ!!? どどどうしてっ!? えっ、私、一刀様に眼鏡の大きさを教えた覚えがっ……」

「はいっ、ですから私が、気配を察知されないよう亞莎が眠ってるところにむぐっ!? むー! むー!」

「ぐぐぐ偶然っ! 偶然だからっ! あー! 困るなー! サイズ合わなかったら困るなー! わはっ、わははははー!?」

 

 けれど、現状維持とはいうけど、日々はわりとあっさりと過ぎ、違う一日が来る。

 “自分が何かをしなければいけないいつか”を待っているわけでもなく、望んでいるわけでもなく。どうしたって一日は過ぎるのだ。

 一生を同じ状態で過ごせるわけでもなく、維持できる現状なんてものは限られている。それを自分にとってどれだけいい方向に変えていけるかが大事なんだってことを、華琳は言いたかったんだと思う。

 

「わあっ……見えますっ、すごい見えます!」

「亞莎、亞莎、私のこと見えますかっ? はっきりくっきり見えますかっ?」

「はい見えますっ、はっきりくっきり見えますっ」

「そっかそっか、良かった~……あ、じゃあ俺の顔は?」

「はい、くっきり見え───ひゃぁああぅううあああああっ!?」

「おわぁっ!? な、なんだ!? え……お、俺の顔、なにかついてるか!? 明命、ちょっと見てくれるかっ!?」

「はいっ、誠心誠意、見させていただきますっ! …………」

「…………」

「…………はうっ」

「あ、あれ? 明命!? どうして顔を赤くして……って倒れるなぁあーっ!!」

「すすすすすすいませっ……ここここれは私には過ぎたものでっ……!」

「贈り物をあっさり突き返さないでくれっ!!」

「でででででもでもでもっ、かかか一刀様がっ、一刀様が輝いてっ……ひやぁあぅうう……」

「倒れるなぁああーっ!!」

 

 見知らぬ場所だった場所がよく知る場所に変わり、遠慮がちだった自分が遠慮の皮を一枚一枚剥いで、自然体を晒してゆく。

 気づけば大声でツッコミ入れてたり怒られたり笑ったり。思えばこんなふうにして自分を曝け出すことが出来るのは、俺の時代では主に及川、この時代では魏の人達しかいなかった。

 住めば都……とでも言うべきなのか、変わったのは周りだけではなく、自分でもあることに苦笑を漏らし、苦笑がやがて素の笑顔に変わる。

 

「はい麻婆お待ちっ! 親父ー! 青椒肉絲と飯一つずつー!」

「あいよ! ほれっ、餃子あがったぞっ!」

「はいはいはいはいっと!」

「おーい! こっちに酒頼むー!」

「はいよー! ……ほいっ、餃子と取り皿ねっ!」

「ああ一刀、飯追加頼むわ」

「親父ー! 飯追加ー……って自分でやったほうが早いなっ」

「おう! どんどん盛っていけっ!」

「おう! 大盛りで盛って、その分無理矢理金を取るんだなっ!?」

「ばーかやろっ! 俺ン店でそんなセコい真似したら承知しねぇぞ!」

「はははははっ、わかってるわかってるっ」

 

 けど、日常が変わってもやること自体はそう変わらない。変わらないけど確かな変化はあって、それは自分を現状維持のままで居させてなんてくれない。

 手伝うことが上達すれば新しいことを頼まれるように、鍛錬で新しいことを発見すれば、やることもどんどんと変わってくる。

 それは受け容れやすい“変化”であり、自分にとって嬉しい“変化”だった。

 

「明命、聞いてくれ。俺が住んでいた天……日本には、忍者っていうのが居てな? こう……水の上でもスイーと滑って歩けるんだ」

「すっ……凄いですっ、それは是非一度見てみたいですっ」

「うん、俺も一度見てみたかった。常々、そんな歩法を見てみたいって思ってた。残念だけど、それらの奥義を使える人って随分前に居なくなっちゃったんだけど」

「あぅあっ!? もったいないですっ、かかか一刀様はっ!? 一刀様はできないのですかっ!? 見てみたいですっ!」

「いや……俺にも無理だ。けど明命なら……明命ならなんとかしてくれるかもしれないと思って、こんなものを作ってみた」

「……? あの、なんでしょう、この……えっと」

「忍者道具の一、水蜘蛛だ。忍はこれを足の底に付けて、水の上をスイスイと歩いたと云われている」

「す、凄いですっ! 一刀様はそんなものまで作り出せたりするんですかっ!?」

「いや、知識的なものをこう、水に浮く素材で繋げてみただけだから過信すると怖いかも───って、あ、こら明命!?」

「一刀様が作ったものならきっと大丈夫です! いえ、絶対に大丈夫ですっ! 川に行きましょう! 実は常々、水の上を歩ければと考えていたんですっ!」

「…………そ、そうかっ! よしっ、出来ると信じればなんだって出来る! 失敗してもそれは教訓になって、成功を目指すための糧となる! 行こう明命! 俺とお前とで、水を制するんだ!」

「はいっ!」

 

 冗談を言い合える友達、悪ノリも一緒に出来る友達。変化にはいろいろなものが一緒についてきて、俺はそれを笑って受け取った。

 相手にとっての自分も“ついてきたもの”だって思えるなら、それはそんなに難しいことじゃなく。手を伸ばして、伸ばされて。掴んで、掴まれて、そうして繋いだ絆の暖かさが一人一人の笑顔に繋がるなら、心の底から“受け取ってよかった”と思える。

 

「……? 一刀、今日も川で汗を流すの? その……必要なら言ってくれれば、毎日は無理だけど風呂の準備くらい───」

「ああっとと、蓮華か、ごめんちょっと急いでるんだっ! 風呂のことはありがとうだけど無茶は言えないし、これは勇者の体を拭くためのタオルだから気にしないでっ! それじゃっ!」

「あ、一刀っ? …………勇者?」

 

 そう。日常なんて“そんなもの”だ。

 いろんな物事が一分一秒を埋めていって、一時間が過ぎて十時間が過ぎて、やがて一日が終わる。

 起きて寝て学校行って、勉強して帰って風呂に入って寝て。それを繰り返していたあの頃に比べれば、今なんて変化続きで逆に疲れるくらいだ。疲れすぎて毎日が大変だ~とか、前の自分だったら言っただろう。

 それでも今の方が充実しているって思えるんだから、まったく何が大変なのか。自分の考え方が根本から可笑しくなって、笑うこともあった。

 ……突然笑ったことで、雪蓮に華佗に診てもらうようにって本気で心配されたけど。

 

「そんな理由で俺は呼ばれたのか。健康体そのものだ、治すところなんてなにもないぞ」

「だよなぁ……───っと、そういえば華佗。ひとつ訊いてみたいことがあったんだけど……ゴットヴェイドォーって五斗米道って書くんだよな。どうして“ヴェイ”なんだろうな」

「その方が格好いいからだ」

「…………なんかこう……熱いなっ」

「ああっ! 熱いともっ! ……しかし北郷、お前は不思議な氣を持っているな。以前に診察した時は微弱すぎてわからなかったが、俺はお前が持つような氣を見たことがない」

「へぇ……そうなのか?」

「治癒にも長け、身体強化にも使える臨機応変型と言えばいいのか……? 氣というのは大体、治癒か強化かのどちらかに分かれているものだが……お前の氣は普通とは違う。まるで……そうだな。お前の中に二つの氣が存在し、重なり合っているように感じる」

「二つの氣?」

「ああ。さっきも言ったように、氣には大きく分けて二つの種類がある。穏やかで争いを好まない、あ~……割り切って言えば、治癒や防御面に長けた氣。荒々しく、強化や攻撃面に長けた氣だ。お前にはその二つが一緒になって存在している───気がする」

「気がするだけなの!? あ、あー……でも心当たりがあるかも……。俺、天では凡人で、ここでは天の御遣いとして謎の力発揮してるし。……そっか、傷の治りが速かったり、無駄に頑丈になった気がするのはそれの所為だったのか。あ、そ、それでさ。華琳の性格から考えると、御遣いとしての俺の氣が攻撃タイプなんだろうか……」

「? よくわからないが、とにかくお前の氣はとても珍しい。さすがは天の御遣いと言ったところか……どうだろう北郷。その氣、その熱い意思、医術のために役立ててみないか!?」

「……ごめん。人を救うっていう素晴らしい提案なのはわかってるけど、俺にも俺のやりたいことがある。いつか……そうだな。じっくり腰を下ろせるようになったら、その時に遠慮無しに教えてくれるか?」

「そうか。だがな、北郷。病魔はいつ、何処で姿を現すかわからない。あの時に学んでおけばといつか後悔することもあるだろう。それでもお前は選択を曲げないか?」

「その時は華佗に頼むよ」

「遠方に居たら、間に合わないかもしれないぞ?」

「ははっ、その時は俺が、氣を枯らしてでも間に合うように保たせるよ。誰も死なせないんだろ? 間に合うよ、絶対に」

「……そうだな。北郷、いや一刀。お前がお前のしたいことを為し遂げるまで、俺はお前を待っていよう。俺は俺の為すべきことを全力で為し遂げる。そして俺達二人が腰を落ち着けられると判断した時。俺とお前で、“病の無い国”を作ろうじゃないかっ」

「お……おぉおおおっ! 熱いなっ! 夢が熱いっ!」

「ああっ! 熱いともっ!! この熱さを鍼に込め、俺は人々の体に巣食う病魔を滅し続ける! 三国に住まう人々よ! 大陸全土、生きとし生ける全ての者よ! 俺は誰も死なせない! この鍼に誓い! 我が意思に誓い! 我が師、我が身に伝承された技に誓い! この世の全ての者よ! げ・ん・き・にっ……なぁああああれぇえええええええっ!!」

 

 叫ぶ華佗に、「お前の元気を周りに分けることが出来るなら、病人なんて居なくなる」って言ったのも今は過去。

 振り返ってみれば全てのものが過去となり、目の前にある未来は……呉へ向けるさようならだけだった。 

 

……。

 

 ぐしゅり……ぐすっ……ぐしゅり……

 

「うぉおお~おぉおお……一刀ぉお……一刀ぉおお……! 本当に行っちまうのかよぉおお……! お~いおいおい……!」

「お、親父ぃ……みっともないからそんなに泣くなって……。というかおーいおいおいなんて泣かないでくれ、頼むから。むしろそんな泣き方を本当にされると、喜んでいいんだか悲しんでいいんだか」

「みっともねぇたぁなんだ一刀っ! 俺ぁあ……俺ぁよぉ! おめぇが居なくなっちまうことが悲しくて泣いてんだぞぉ!?」

 

 目の前でオヤジの大群が泣いてくれていた。なんだかんだで付き合いの長い建業の男たちは、泣いたり意味もなく怒ったり、何故か説教してきたりといろいろだ。

 そんな理不尽を真正面から受け取っても、頬が緩んでしまうのは……きちんと自分はこの国で、誰かの役に立てたって実感を持てたからなのだろう。

 

「一刀……またいつでもこの町に来るのよ? 貴方は私達の息子なんですから」

「お袋……」

「そうだ一刀っ! 次に来た時にゃあ俺の料理の技を教えてやる! そんでもって誰かいい嫁さんでも見つけて俺の店を継───」

「なに言ってんだいっ、一刀はあたしの饅頭屋を継ぐんだよっ!」

「え、えーと……」

 

 そう……今日は呉を離れる日。とうとうと言うべきか、朱里と雛里が蜀へと帰る日が来たのだ。

 もちろん以前言った通り、俺もそれに同行する形で呉を離れ、蜀へと向かうことになっている。

 みんな、送別会のようなものをしようと提案してくれたが、これは俺が遠慮させてもらった。そんなことをしてしまったら、余計に離れたくなくなってしまう。

 

「あ~……みんな、ごめん。そろそろ城に戻らないと……」

「かっ……一刀ぉおおお~ほほほぉおおぅうう……!!」

「おっ、親父っ!? さっきまでお袋と怒鳴り合ってただろっ!? どうしてそこまで一気に涙流せるんだよ!」

「絶対、絶対にまた来いよ!? おめぇは俺の……俺達の息子なんだからなっ!? そんでおめぇっ、もしお邪魔しに来たよ~とかぬかしたらただじゃおかねぇぞ!」

「───……ははっ……ああっ、わかってる。次来る時は“ただいま”だろっ?」

「おうっ、それでいいっ! そんじゃあ行ってこいっ!」

 

 背中をバシンッと叩かれる。その痛みの分だけ、俺は親父の言葉を胸に刻み込んで……笑顔で返す。

 

「ああ。行ってきます」

 

 他の町での挨拶はもう済ませてある。建業を最後にしたのは、ここが一番お世話になった場所だから……だけではなく、恐らく一番時間がかかると思ったからだ。

 実際にいろんな人が集まって、腕を引っ張られて抱き締められたり胸をノックされたり、背中をバシバシ叩かれたり号泣されたり、かと思えば泣きながらフェイスロックされたりやっぱり泣かれたりと、他の町とは比べ物にならないくらいに別れを惜しまれた。

 ……本当に、居心地がいい。今誘われれば、ころりと“残る”って言ってしまいそうだった。それは自分が許可できないと知りながらも。



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20:呉/国から受け取る様々なもの②

 ───波の音が聞こえ───

 

「ギャーッ!?」

「北郷ぉ! 頭を頼むぜ!?」

「俺達もついていきてぇが、さすがにこの人数で押しかけるわけにもいかねぇ……俺達はここで姐さんを待ってるからよ」

「それは解ってるけど、どうしてみんなフェイスロックしてくるんだよ!」

「ふぇいすろ? なんだそりゃあ」

 

 ……波の音が聞こえる。

 海兵のみんなが今日も駆け回る港(?)で、俺は……挨拶中にフェイスロックをくらっていた。

 沈められそうになること数十回、ようやく仲良くなれたみんなとも今日でお別れだ。

 

「もしも向こうで冷遇なんかしてみやがれ、何処までも追いすがって今度こそ沈だ!」

「しないしないっ、何処に行ったって変わるわけないだろっ!?」

「そりゃなんだ!? 何処でも冷遇されてるってのかっ!?」

「どうして悪い方向にばっかり捉えるんだぁーっ!! そうじゃなくて、何処でだって大切な人(友達として)をぞんざいに扱ったりしないって、そう言ってるんだ!」

「……たっ…………大、切……な……!?」

「て、てめぇ本気か!? 俺達の頭を───!」

「え? ……本気だ!」

 

 急に迫力が変わったと思うや、本気顔でズズイと詰め寄ってくる海兵の皆様。俺の顔を両手で固定して、真っ直ぐに目を覗き込んできていた。

 俺はそれに応えるように確固たる意思を以って、いっそ睨むように見つめ返す。

 

「……だったら北郷! てめぇの本気を見せてみやがれ! 俺を倒したら、頭のことはてめぇに任せる!」

「いいや、試すのは俺だ! 俺を倒したら頭を!」

「ふざけんな試すのは俺だ!」

「順番くらい守りやがれ! 俺が先だ!」

「え? い、いやあの……試すって、どうしてこんな話に……?」

『うるせーっ! 問答無用だっ!!』

「うぇえっ!? ちょ、全員では卑怯じゃキャーッ!?」

 

 ……何処の頑固親父たちだったんだろう。まるで娘を託す相手に喧嘩を売るかのように、海兵のみんなは俺に襲いかかった。

 もちろんって言っていいのか、俺はそれを真っ直ぐに受け止め……ずに避けまくる。さすがに以前乱闘騒ぎや刺傷騒ぎが起こったのに、懲りずに殴り合いをするのはまずい。

 みんなも途中でそれに気づいたのか、拳は振るわずに締め技でかかってきた。それでも十分に危険な香りがするものの、血が出るわけでも死ぬわけでもない。気づけばソレは子供同士がやるようなプロレスごっこへと変わり……

 

「……まあその、よ。悪くなかったぜ、てめぇがここに居た時間」

「ごおおおおお……!!」

 

 裸締め的なことをされつつも感傷に浸られ、本気で光の扉を開けそうになりつつも、笑って見送られた。

 思春は終始その様子を見守って、溜め息を吐くでもなく怒るでもなく、言葉を交わすこともなく……やがて俺と一緒にその場を離れた。

 背中に「行ってらっしゃいやせぇえっ!」と熱い声をかけられてもそれは変わらず、だけど……どこか苦笑にも似たものを一度だけこぼすと、俺を睨んで先へ進むことを促した。

 

……。

 

 辿り着いた兵舎では、兵たちがざわざわとざわめき、俺が入ってくるや……あー……まあその、町でのことと似た感じになった。

 

「北郷っ、今日帰るって本当だったのかっ!?」

「水臭いぞ北郷、どうして言ってくれなかったんだ!」

「えぇっ!? 言っただろ俺!」

「ああ聞いた! 聞いたが聞こえないふりをした!」

「オォオオイ!!? どうしてそれで俺が責められるんだよ!」

 

 笑いが溢れる。

 最初こそ警戒されまくりだった関係も、一人と仲良くなった途端に砕け、噂が広まって仲良くなった。

 天の御遣いにして魏の警備隊長~なんて肩書きはあるものの、話し合ってみればなんのことはない普通の存在。

 砕けた話し方や付き合い方に安心を抱いたのか、こうして肩を組んで笑い合うのにもそう時間を要さなかった。

 ……まあ、心の中は複雑なものでいっぱいなのは、わかるんだけどさ。誰かが折れて踏み出したなら、自分も、っていう集団的な考えはどうしたってある。

 敵が居たから死んでしまった仲の良いヤツだって居ただろうし、それは俺も同じだ。だから言い合えることは言い合ったし、殴り合いまではしないにしても、口での喧嘩は随分としたのだ。

 結果は今に繋がっている。

 全部を全部飲み込むことはできないって人も居たけど、吐き出す前よりは落ち着いたんだと思う。

 

「そっかぁ……本当に帰るのかぁ……」

「しかし、これが天の御遣いって……未だに信じられないよ俺」

「“これ”とか言わないでくれ……頼むから」

「いやいや、けど一緒に居て楽って気持ちはわかるかな、ってさ。あーほら、お前って自国……魏でもこんな感じで一介の兵とも話してるんだろ?」

「将や警備隊長の肩書きの手前、あまり砕けてくれないけどね。お前らみたいに気安くしてほしいな~とは思うけど、慕ってくれるのも嬉しいからなんというかこう、むず痒い」

「なるほどなぁ……ん、まあいいや。どうせいろんなところで散々言われただろうけど、俺達も言うな。……絶対にまた来いよ?」

「ああ、約束する。警備隊長って身で、どれだけ休みが取れるかなんてわからないけどさ。許可が下りればすぐにでも飛んでくる」

「……よしっ、それで十分だっ。じゃあここらで、久しぶりにアレな話でも」

 

 俺と肩を組んでいた兵が、ニヤリと笑って言う。アレっていうのはまあなんだ、アレだ。男が集まるとどうしても出る、アレ。

 

「そろそろ北郷の魏でのこと、教えてくれてもいいんじゃないか? 誰か好きな相手とか居なかったのか? というかほら、魏の将と燃えるような恋をしてたって噂を聞いたんだが……」

「あ、それ俺も聞いた! ……も、もうそのー……シ、シシシッシ……シ、シたのか?」

「いや、けど最近はこの国の将とのこともいろいろ噂を聞いてるぞ?」

「ああ。尚香様が特にご執心だとか……あ、興覇様も北郷の近くにしょっちゅう居るとか……もしかして北郷が好きなんじゃないか~って噂してたんだ」

「あれ? でもそれってアレだろ? 庶人扱いになった上に北郷の下につけられたからで───」

「そうだけどさ。あの甘将軍だぞ? 嫌なら嫌って言うんじゃないか?」

「あ……それもそうだよな。じゃあ……」

 

 話が勝手に弾んでゆく。

 もう俺が声をかけるまでもなくワヤワヤと賑やかになっている兵舎は、笑顔の生産工場のようになっていた。

 そこに、真実という名の爆弾を投下してみる。

 

「……どうでもいいけどさ。さっきからそこに思春が居るんだけど」

『へ?』

 

 ちらりと兵達の視線が動き……その先に、冷たい冷たい視線と殺気を放つ興覇様。

 

「……もう一度言ってみろ貴様ら。私が北郷に……なんだと?」

『…………しっ……ししし失礼しましたァアーッ!!』

「だめだ許さん」

『助けてぇえええーっ!!』

 

 殺気を込めて、ジリジリと追うだけでも物凄いプレッシャーだ。

 さすがに取って食うようなことはしないし、追うだけなんだが……兵のみんなはもう涙目で逃げ回っている。

 そんな光景に思わず声を出して笑ってしまい、いつから他国でもこんなふうに笑えるようになったのかを考えてみて、すぐにそれを無駄な考えだと断じて捨てた。

 いつから、なんてどうでもいい。今こうして笑えているんだから、それだけ自分にとっての呉って国の見方が変わったってことだ。

 それは喜ぶべきことであり、喜んでいるからこうして笑える。そんな嬉しさや光景を決して忘れないと胸に誓って、歩き出す。

 すぐに背中に「絶対にまた来いよー!」とか「来なかったらこっちから会いに行くからなー!」という声が聞こえてくる。……恐怖に怯えた声に混じってだけど。

 

「思春、そろそろ行こう。きっとみんな待ってる」

「……フン、命を拾ったな、貴様ら」

『ヒィッ!? いっ……行ってらっしゃいませ、興覇様ッ!!』

 

 庶人扱いなのにこの調子。

 そりゃそうか、相手の位が下がったところで、その人から漏れる覇気が低くなるわけでもない。むしろあの殺気は、自分に向けられればヒィと叫べる自信があるものだ。情けないけど。

 そんな考えにまた笑みをこぼしながら、兵舎をあとにする。

 ……さて、次は……

 

……。

 

 玉座の間に来ると、ピンと張った冷たい緊張が俺を襲った。何故こんなにも冷たいと感じるのか……と視線を動かした途端に、雪蓮と目が合う。

 

「あ、来た来た。一刀、中庭に行くわよっ」

「へ? な、中庭に? なんでまた、ぁあぉおわぁっ!?」

 

 目が合うや、玉座から飛び降りるように下りてきた雪蓮が、勢いのままに走ってきて俺の手を引く。

 

「え? いやなになになんなんだっ!? 俺なにかしたか!? それともこんな時まで町の緊急事態に走るのかっ!? 今度はなんだ!? また茘枝(らいち)か!?」

「んー? 違う違う、一刀、帰る前に一度私と思いっきり戦わない?」

「……へ? って、ここで訊いてくるっておかしくないか!? 今こうして思いっきり引っ張ってるのは、むしろそうするって決めてるからだろ!?」

「うん」

 

 あっさり頷かれた!?

 

「平気よ、ちゃんと摸擬刀で戦うし、勢い余って足の骨とか折って滞在期間を延ばすなんてこと───……ふむ」

「ふむじゃないっ!! 自分の思い付きを名案みたいにして頷くなよ頼むから!」

「いーからいーから。ほら一刀、走って走って」

「いやっ、ちょ、待っ……! 止めっ……みんな止めてぇええええええっ!!」

 

 玉座の間に居たみんなに声というか悲鳴をかけるも、みんなは諦めたような顔をして俺を見送りました。

 俺が行く前の玉座の間でいったい何があったのか……それを知ることもなく、中庭へと引きずり込まれた。……引きずり込まれたって言うのか? この場合。

 

「ほら一刀っ、木刀木刀っ」

「なんでそんなに元気なんだよ……」

 

 少し離れた位置で、どこからいつの間に出したのか……模擬刀をぶんぶんと振るっている雪蓮を見る。

 俺はといえば……どうしてか思春が突き出しているバッグを受け取ると、そこに重ねられている竹刀袋から木刀を抜き取り、バッグを置いて構える。

 ……構えて、どうしてこんなことになったのかを考えてみても、答えが舞い降りてきやしない。

 

「なぁ雪蓮、急にどうしたんだ? もしかして送別会させてもらえない腹癒せか?」

 

 ……あ、いや、そういうのは理由をつけて酒を呑めないことに怒った祭さんあたりの仕事か。

 

「ほら、以前一刀と手合わせしたのって、みんなと戦った後。つまり私が一番最後だったじゃない? 一刀ったらへとへとだったし、勝てても面白くもなかったし。だから今ここで、帰っちゃう前にって。ああ大丈夫、みんなにはしばらくしてから来るように言ってあるから、邪魔は入らないわ」

「……旅立つ前に汗だくになれっていうのか」

「うん、そう」

 

 とてもとても輝かしい笑顔でした。そんな笑顔を見て、「ああもう」と頭をワシワシと掻くと、木刀を構える。

 

「一刀?」

「わかった、やるよ。俺も引かれる後ろ髪は無い方が歩きやすい」

 

 言うや、戦闘意識を研ぎ澄ませる。多対一の意識を一対一、一騎打ちの意識へと。氣を練り、木刀に纏わせ、さらに全身の関節にも集中させて。

 

「いい? 最初から本気よ? 手を抜いたりしたら本当に足の骨くらいもらっちゃうから」

「───……。わかった。じゃあ、俺も」

 

 雪蓮の言葉に、さらに集中力が増す。

 殴っていいのは殴られる覚悟がある者だけ。ならば、足の骨をもらう覚悟に対しても、相手の足を砕くほどの覚悟を。……そうだ、手加減なんてしない。そんなものをして勝てる相手なら、あの乱世を生き残れるはずもなし。

 

「……う、うわー……一刀、目が凄く怖いかも」

「……本気で。行くぞ?」

「ん、いつでも。それを合図にするか───」

「シッ!」

「───らっ、て、わわっ!?」

 

 了承を得た刹那に地面を蹴り弾いて前へ。一気に間合いを詰めて、撃を振るうが───これを即座に弾かれる。

 

「もう、一刀っ!? 急にはびっくりするじゃないっ!」

「いつでも、って言ったのは雪蓮だろっ」

 

 弾く勢いを利用してのステップ。距離を取りながらの言葉に言葉で返しながら再び間合いを詰めて、連ねること三閃。それらを雪蓮は鋭い目つきで、しかし口元で笑いながら弾いてゆく。

 

「うん、速い速いっ、この調子で鍛えていけば、十分武将としてもやっていけそうじゃないっ」

「まだまだだっ、結局祭さんにだって、まだ一度も勝ててないんだからなっ!」

 

 そもそも武将になるつもりなんてない。せっかく平和になったんだ、出来れば戦のない世を願いたい。

 しかしそのことと己を高めることとは別だ。国に返すため、守ってくれた人をいつかは守るため、まだまだ自分を高めたい。

 

「そこっ!」

「ウヒャアイ!? こ、こら雪蓮っ! 摸擬刀っていったって突きは危ないだろっ!」

「ふふー、大丈夫♪ 一刀なら避けられるって信じてたからっ」

「それって俺が避けられなければとっても痛くて、しかも無駄に信頼裏切ったことになるだけだよな!? 踏んだり蹴ったりだよ俺だけが!!」

 

 あーだこーだと叫びながらも、俺が振るえば雪蓮は弾き、雪蓮が振るえば俺は避けた。本当に、この時代の人は避けることよりも受け止め、弾き返すことが好きらしい。

 幾度も木刀を振るっても弾かれ、振るわれても避けをして、動きっぱなしで一分二分と過ぎても、戦い方はまるで変わらない。雪蓮は疲れた様子も見せずに模擬刀を振るい、俺もまた木刀を振るい続けた。

 

「一刀一刀っ、もっと、もっと本気で!」

「無茶言うなよっ! これでも相当頑張ってるぞ俺っ!」

 

 疲れはまだ沸いてこない。筋肉はじっくりと時間をかけて、持久力のあるものとして仕上げた……つもりだ。下手をすれば一日中走ったり木刀を振るったりの日々のお陰で、多少の無茶は利く。筋肉っていうよりは、これは氣のお蔭だろうが。

 けれどそこから、無理矢理に力を引き出せっていうのはさすがに無茶がある。確かに本当の本気ってわけじゃないが、それをすればどっちも怪我で済めばいいほうだ。

 ……いや、むしろ傷つくのは俺だけでは? なにせ相手は雪蓮だ。

 

「嘘。祭から勝ちを取りに行こうとする一刀の動き、こんなものじゃなかったもん」

「見てたのか!?」

「うん。だからほら、本気本気っ」

「ぐっ……」

 

 あっさり見破られていた……いいや、確かにここで、まごまごしていても終わらない。だったらいっそ本気で……それこそ、相手の足の骨の一本でも貰うつもりで───!!

 

「───いくぞ雪蓮! 待った無しだ!」

 

 後ろにステップして、言葉を発すると同時に左手で自分の胸を殴りつける。覚悟を刻むために、本気で応えるために。

 覚悟っていうのは、何かを“始める前”よりも“やっている途中”で刻んだほうがいい。……いや、何度でも刻んで、決めて、強くしていくものだ。

 やる前から“こうである”と決めたものなんて、きっと長くは続いてくれない。相手が完全に自分が思い描いた通りに動くのならそのままでもいい。けれど、戦局っていうのはいつも予想の裏へと運ばれる。勘で動くくせに、実際にその通りに戦局を運べる相手だと特に。

 決めるなら最中。そして、何度でもだ。刻んだ数だけ強くなると信じて、強く強く自分を奮い立たせる……それが覚悟だ。

 

「───」

 

 にこー、とさっきまで笑っていた顔が、真剣さを含めた笑みに変わる。まるで、獲物を前にした獣だ。

 そんな彼女へと真っ直ぐに疾駆し、勢いと体重を乗せた突きを放つ。

 

「ふっ!」

 

 が、それを横薙ぎで乱暴に弾かれる。俺の腕は弾かれた方向へと……右腕ごと持っていかれ、衝撃で離してしまった左腕にも痺れが残るくらいの強打に冷や汗を垂らす。

 こんなの、まともに食らったらそれこそ骨の一本くらい簡単に持っていかれそうだ……けど。すぐに構え直して一閃を放とうとする雪蓮とは逆に、俺は弾かれた方向へと勢いに逆らわずに飛び、雪蓮の攻撃を躱す。

 脱力っていうのは、ここぞという時に武器を落としやすいのが難点だろうけど、“逆らわない利点”っていうのがきちんと存在する。

 当然こんなこと、いつでも成功させられるようなものじゃないし、逆らわなかった所為でボコボコっていうことも十分ある。ありすぎて、祭さんに何度叩きのめされたことか。

 

「へー、器用な避け方するのねー。与えられた勢いに逆らわないなんて、面白いかも」

「基礎は過去に、昇華は未来に。知識でしか知らないことも、出来るようになれればきちんと武器になる。こう出来ればいいなって理想も、形に出来れば業になる。……氣が使えるようになったお陰で、俺の見る世界は広がったよ。多少の無茶もしたくなる」

 

 話しながらも攻防は続く。

 避けて攻撃、弾かれて避けて。その繰り返しをしつつも、お互いがいつでも“一撃”を狙っている。本当に殺すわけじゃない、この戦いを終わらせるって意味での“必殺”を、ずっと。

 

「無茶って言ってるけど、わわっ!? ~っ……随分軽く避けてくれたじゃ───ないっ!」

「っと……! 顔に焦りを見せないのもっ……相手の動揺を引き出す手段だろ!? ……っはは……じ、実は今も心臓バクバクいってる」

「あははっ、それを私に言ったら意味がないじゃない」

 

 笑いながら武器を振るわれる。それを避けようとすると、雪蓮は武器を振るいながら前に出るなんて器用な真似をして、“避けられる距離”を無理矢理狭めてきた。前に出ながら武器を振るうなら解るけど、振るいながら前にって……順序が滅茶苦茶だ。

 攻撃範囲には多少の差しか出ないが、その多少を見切って避けるのが“避け”という動作。思いがけない距離がプラスされ、刃引きされた雪蓮が持つ剣が俺の右腕目掛けて───だめだ、普通に振るったんじゃ間に合わなっ……いぃっつ!?

 

「あ。当たっ、たわっ!?」

 

 右腕……二の腕に鈍い痛みが走る中、左手に持ち変えた木刀で一閃。簡単に受け止められたが、距離を稼ぐきっかけにはなった。

 

「おっどろいたー。一撃受けてもすぐに返せるなんて。祭とどんな鍛錬してたの?」

「スパルタ。意味が通じないとしても、それ以上は教えてやらない……っつーか痛っ……! ほんと遠慮無しにやっただろ雪蓮……!」

 

 話すうちに右腕は痺れきって、もはや満足に動いてくれなくなっていた。ううむ、これは困った、やられ放題のフラグが立ってしまった。避けは成功すればノーダメージで済むけど、食らわされると無防備になるから辛い。

 氣を集中させて右腕を癒す……いや、無理だから。いくら治癒や防御に長けてる氣があるからって、そんなすぐに癒えないから。ゲームとかだったら1ターンでシャラ~ンって感じだろうけど、悲しいけどこれ、現実なんだ。

 

「……腕、上がらない? じゃあもうやめる?」

「雪蓮……冗談はやめてくれ。目がやめるって言ってないぞ? むしろそれくらいでやめるな~って言いたげだ」

「……えへー」

 

 言わなくてもわかってくれたのが嬉しいのか、雪蓮はにこーと笑う。そんな笑みを悪魔の笑みのように受け取りながら、木刀を左手だけで構える。

 困ったことに本当に右腕が動かない。……お、折れてないよな? 折れて、今は痺れてるから痛覚がないとか……そんなことないよな?

 ほ~らちゃんと関節もしっかり~……折れてらっしゃるぅううーっ!!

 

「うわっ! なんかぷらぷらしてる! 折れっ……オォオーッ!?」

 

 い、いや落ち着け! だったら気合いでなんとかする! 痛みが浮上するより早く、腕じゃなく折れた骨にこそ氣を通して……木刀を強化する要領で、しっかりと固める!

 

「……よし! 動かないけどぷらぷらは無くなった!」

「うーわ……無茶するわね、一刀……。氣でくっつけたの?」

「いや、添え木代わり。ぷらぷらしてたら内部で折れた骨が刺さるかもしれないから。それよりも……続きだ!」

 

 再度、左手で木刀を構える。雪蓮は少し“失敗したかなー”って顔をするけど、きちんと構え直してくれた。右腕を折ってしまったことで、楽しめる戦いが楽しめなくなることに落胆しているのかもしれない。

 たしかに両手持ちではなくなったために一撃の重みは確実に減ったけど……右手ほどじゃないが、左手での鍛錬もやってきた。本当に、右手に比べれば粗末なものだろうが……それでも踏み込む足も振るう手もあるのなら、諦めるのはもったいないだろう。

 だから……威力の分は速度で。無茶をするなら痛みがないうちだ。

 一年前なら即座に降参、そもそも仕合自体を断っていただろうけど、困ったことに今の俺は、とんでもない負けず嫌いだ。だい、だいじょうび……! いぃいい痛みが本格的に襲ってくるまでは、根性、こここ根性……!

 根性論で立ち上がれる物語の主人公の皆さま……! 俺に力を貸してくれ!

 

「いくぞ雪蓮!」

「左一本で戦える? 本当に?」

「そーいう問答は野暮ってもんだろっ!」

 

 意識を集中。

 氣で攻撃を加速させ、雪蓮の胴目掛けて容赦一切無しに木刀を振るう。

 それは確実に虚を突いた攻撃だった───はずなのに、勘で弾かれたというべきなのか。そこに来るだろうと踏んでいたかのように構えられた模擬刀に、一閃は弾かれてしまった。

 

「あ、あはは……っ……今のは危なかった、わぁっ!? ちょっ、話してる最中にっ」

「不安の通り、余裕はないからなっ……一気に行かせてもらうぞ!」

 

 危なかったもなにもない。しっかりと受け止めておいてよく言う。

 左手一本なために速度も乗り切らないが、それでも一撃一撃を確実に振るってゆく。

 その全てを弾かれたことにはさすがに驚きを隠せないが、今のところは反撃の全ても“攻撃”になるより早く潰している。……代わりにこちらも攻撃ではなく、攻撃潰しにしかなっていないわけだが。



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20:呉/国から受け取る様々なもの③

 速度を増し、雪蓮の攻撃を抑えたらすかさず攻撃。その繰り返しをしていると、自分が多少でも押されたことが嬉しいのか、雪蓮の顔が緩んでいく。

 

「はっ! ふっ! せいっ!」

「よっ、とっ、~……♪」

 

 なのに目の奥は鋭いままで、変わらずに“一撃”を狙っていることが伺い知れた。……油断はするな、したら今度こそ終わる。

 

「~~~っ」

 

 こちらは割りと必死だが、雪蓮には笑う余裕がある。そのことに悔しさを覚える。当然といえば当然なのだが、それを理由に笑って済ませることはもうやめた。だから悔しい。

 振り下ろし、横薙ぎ一閃、突き、そのどれもを弾き、緩い攻撃……フェイント用の攻撃を仕掛けようとすれば、それが餌になるより先に強打で返され、バランスを崩したところへ追撃がくる。

 さすがに強い。強いけど……。

 

(チャンスはたぶん、一度きり……だよな)

 

 こちらの攻撃を“確実に受け止める”なら、考えがある。

 動かない右腕は氣で固定してあるから、力を溜めるつっかえ棒にはなる。これを利用して、あとは……出来るだけ、雪蓮の隙が多い攻撃を狙う。

 

(俺に出来ることなんて、最初っから決まってる)

 

 知らないことを教えてもらい、教わったものからやるべきことを見いだす。それは仕事であれ鍛錬であれ変わらない。

 凪から教わった氣に、祭さんに教わった扱い方に応用を利かせることができたように、今この状況さえも頭に叩き込み、己を一歩先に進ませるための糧とする。

 俺が今、雪蓮から教わっているのは……“彼女の戦い方の全て”だ。俺はこれを知ることで彼女の癖を頭に叩き込み、ある一定の行動から次にどう出るかを刻んでゆく。

 こう構えればこう来て、こう怯めばこう来る……そういったものを覚え、攻撃を誘い、次に次にと備え───!

 

(っ───ここっ!)

 

 払うように下から上へと斜に振られる剣を紙一重で避けた───直後、振り上げられた剣が即座に戻り、紙一重で避けた状態の俺を狙い打つ。

 これは予測済み。体勢は悪いけど、来るとわかっているのなら、避けるための体勢の良さを多少残しておくくらいわけはない。

 

「くぁっ!」

 

 耳鳴りのようにも聞こえる風を斬る音を、すぐ傍で聞きながら避ける。雪蓮の驚いた顔も一瞬。すぐに突きを放ち、隙を殺しにくるが───身を捻ることでこれも避け……いや、背中を掠ったようだけどなんとか避け、捻ることで溜めた勢いを存分に利用し、固まったままの右腕に当てた木刀を滑らせるようにして───居合いの要領で一気に放つ。

 

  全力で振るった木刀が、空気を裂く。

 

 以前蓮華の前でも見せた即興居合いだが、氣で加速されたそれは空中の葉も両断する。

 本気で当てれば相当に危険なものだが、これくらい本気を見せなければ雪蓮は納得しないだろう。

 ……なんて思ってた自分へ一言を。大馬鹿野郎め。

 

「っ……ん、な……!?」

 

 理解出来なかった、というのが正直な感想。

 これも“勘”だ~なんて言うなら、ゴッドはいったい彼女にどれだけのギフトをくださったのか。

 雪蓮は今まで“受け止めてきていた”俺の攻撃を避けてみせ、振り切られた俺の腕の下で鋭く笑ってみせたのだ。

 瞬間、感じたのは寒気か。

 今まで余裕があった雪蓮の目からは甘さのようなものが消え、蒼い瞳の奥の猫科動物のような縦に長い瞳孔は、目一杯ギュッと引き絞られ、猫の目から虎の目へと豹変していた。

 ……それを見てしまったら、感じたのは寒気でもなんでもない、恐怖だという確信を得てしまった。

 

「───!」

 

 恥もなにもない。自分で振るった腕の勢いに任せるように後ろに飛ぶと、綺麗に体勢を立て直すのも出来ないままに乱暴に距離を取って雪蓮を見る。

 言える言葉があるのなら、「なんてこった」だ。というか出た。言った。普通に口からなんてこったって出た。

 雪蓮のやつ、今まで全然“本気”じゃなかった。骨を貰うつもりとはいったけど、殺す気でなんて言ってない。つまり今感じている殺気めいたものが本気の合図であり、雪蓮が“戦う”と決めたって意味でもあり───

 

「……う、わぁ……」

 

 足、震えてる。

 考えてみれば、ここまで真正面に殺気をぶつけられたのなんて初めてかも。それも覇気と一緒にだ、震えたくもなる。

 下手をすれば死ぬ? むしろ殺される? ……簡単に自分がやられるイメージが出来て、泣きたくなった。

 

「………」

 

 それでも構えることはやめなかった。

 あの一撃が雪蓮の心に火をつけたのかどうか知らないが、つけたほうにも責任があるだろうし───……っ!?

 ……思考へと意識を軽くずらした途端だった。目の前には姿勢を低くして疾駆してきた雪蓮が居て、俺目掛けて模擬刀が───大丈夫、受け止められる!

 

「へっ───!?」

 

 乱暴なまでに思いきり振るわれた一撃を木刀で受け止める……いや、受け止めたはずだったんだが、俺の足は……地面を踏みしめちゃいなかった。

 じょ、冗談……だろ? 威力は殺したのに、しっかりと構えていたっていうのに飛ばされるなんて、いったいどんな力で剣を振るえばこんなっ……!

 

(───ヤバイ)

 

 浮いた足が地面に触れた途端、後ろに下がって距離を───取れない!? もう目の前まで……!

 

「うっ、あ、だわっ!? くあっ!」

 

 振るわれる連撃を木刀で逸らしてゆく。

 恐ろしいことに、速度や威力が先ほどの比ではなく、目が慣れていないのに避けるなんてこと、出来そうになかった。

 だから逸らしているんだが、一撃で男を宙に浮かすような攻撃だ、逸らすだけでも左腕が痺れてゆく。

 これ以上は危険だと判断して降参を口にしても、雪蓮は止まらない。まるでスイッチが切り替わったかのように、冷たさと興奮を混ぜ合わせたような目で俺を睨み、攻撃を連ねてきた。

 

「つあっ!? しぇ、雪蓮!? 待……雪蓮! 顔を狙うのはさすがに───雪蓮!?」

「───」

 

 雪蓮の虎の瞳孔が、撃を連ねるごとに鋭く鋭く細ってゆく。その度に力は増し、速度は増し、それがやがて最高潮に達したかと思うや、俺の手からは木刀が弾かれてしまっていた。

 それで終わる……と思うのは甘い。雪蓮の目は鋭いままで、木刀を弾いた摸擬刀はすぐに戻され、改めて俺を攻撃しようと振るわれる。

 

「このっ───!」

 

 これじゃあ戦闘狂だ。

 舌打ちでもしたくなるような状況の中で、武器が俺を砕くより先に左手を伸ばし、雪蓮の肘に掌底を割りと本気で放つ。

 

「っ───つはっ……!?」

 

 途端に腕がピンと伸び、発生する瞬間的な痺れによって雪蓮が模擬刀を落とした。

 

「はっ……こ、これで、っ!?」

 

 それで終わったと思ったのに、雪蓮は俺を……蜘蛛が獲物を捕まえるようにがしりと掴むと、戸惑う俺の反応を楽しむでもなく、

 

「雪蓮!? 急になにをいっ───!?」

 

 あろうことか、俺の首筋に歯を突き立てた。

 

「しぇ……れん……!?」

 

 寒気がする。ひやりとしたものではなく、じくじくと足下から這い上がってくるような寒気が。

 突き立てられた歯のうちの二つ、犬歯が容易く皮膚を破り、ブツッ……という嫌な音を立てて血が出ることを促す。

 そんな状況になっても歯はさらにさらにと深く沈み、背中に回された雪蓮の手が俺の背を掻き毟る。

 

「………」

 

 熱い。穿たれた首筋も、私服を破られるほど掻き毟られた背中もだが、なにより雪蓮の体が。

 恐ろしい、という言葉が一番似合うくらいの寒気の中で、俺を捕らえて離さない雪蓮の体は異常ともとれるほどに熱かった。

 身をよじると、逃がさないとばかりに強く強く抱き締められ……いや、締め付けられると言ったほうが適当だ。

 動かなかった右腕ごと抱き締められた状態で、折れた腕が圧迫されることで初めて骨折の痛みが浮上する。刹那に悲鳴をあげかけるが、歯を食いしばってどうにかそれを耐えてみせた。

 目には涙が滲み、息も簡単に荒れてしまうほどの痛み───だけど、痛みに任せて雪蓮を振り払うことはせず、されるままでいた。

 

(あー……痛ぇ……)

 

 ずっ、と涙と一緒に出る鼻をすするように息を吸って、掌底をしたために持ち上がっていた左腕……まあ左手だ。それで、雪蓮の頭を撫でてみる。

 今の雪蓮、まるで人が怖くて噛みついて来る子犬だ。だから、自分は怖くないんだよって意思を伝えるように、やさしくやさしく頭を撫でる。

 すると雪蓮の体がびくんと跳ね、噛まれていた首筋にかかる圧迫感が薄まる。

 

「………」

 

 だからというわけでもない。最初からそうするつもりで、俺は雪蓮の頭を撫で続けた。痛さから解放されたいからじゃない。この熱さが怖いからじゃない。

 ただ、本当に単純な話で……こんなに苦しげな雪蓮を見ていられなかった。だからもし、こんなことで落ち着いてくれるのならいくらでも撫でよう……そういう気持ちで、雪蓮の頭を撫でていた。

 

「……? 雪蓮……?」

 

 ふと、痛みと熱だけが走っていた首筋に、温かくて柔らかい感触。

 少し考えればわかることで、雪蓮は噛み破った首筋から流れる血を、まるで動物がそうするように舐めていた。

 そんな返し方が、本当に犬みたいで……くすぐったさを胸に、頭を撫でる。動物を宥める撫で方から、子供をあやす撫で方へ変えて。

 “どうしたんだ? 豹変したみたいに襲ってきて”とか訊いてみたかったけど、そんなことを言える雰囲気でもなかった。

 今はこうして、落ち着かせることが大事で───オウ?

 

「あ、あーの……雪蓮さん?」

「………」

 

 ……あの。何故私服のボタン、外していきますか?

 何故、肌を触ってきますか?

 

「っ……ね、一刀……私……わたし、ね……? 熱くて……」

「あ……熱いのは、わかる、けど……」

 

 そんなことは首を噛まれる前から感じていた。俺が訊きたいのは、何故に服を脱がそうとしているのか、であり、そんなことじゃないのですが?

 もしかして風邪かなんか引いてて、無理して思い出作りのために俺と手合わせを……? だったらこんなふうに暢気にしている場合じゃあ───ってマテ、それが理由ならこうして触られる理由はなんだ?

 熱い? 熱いって……この熱っぽい視線とか、とろんとした目つきとかは……えっとその。どっかで見たような。何処だったかなぁ……わりと結構な回数見た感じが───

 

「……あ、そっか。今まで一緒にブッファアア!!? そっかじゃないっ! ちょ、待て待て雪蓮っ! それはまずいっ! お前、人の旅立ちの日になにをしてくれようとしちゃってるんだよ!」

 

 どんな場面で見たのかを思い出せば、冷静ではいられなくなった。思い出した途端に噴き出した。それが笑いであったならどれだけよかったことか。

 そうこう考えているうちに雪蓮の手が俺の下半身へと伸び、ついには───!

 

「うりゃあっ!!」

「はきゅっ!? ~いったぁーい!! な、なにするのよ一刀っ!」

 

 身の危険を本気で感じた俺は、俺を見つめる熱っぽい視線の持ち主の頭にヘッドバットをくれてやり、怯んだ隙に距離を取った。

 

「なっ……ななななにをするはこっちの台詞だっ! どさくさまぎれになんてことしようとしてくれてるんだっ!」

「だ、だって……熱くて……」

「………」

 

 雪蓮の様子はやっぱりおかしい。

 虎のような目つきは大分穏やかに放っているものの、殺気めいた気配は依然落ち着きを取り戻さないままだ。

 自分で自分の肩を抱くようにして俯き、気を張って居ないと、その場にへたり込んでしまうんじゃないかと思わせるくらいに弱々しい。

 だというのに、ここから一歩でも近づけば牙を突き立ててくる、と……そう確信させる強い曖昧さを纏っていた。

 

「……風邪、じゃないよな」

「───」

 

 声を掛けてみるが、再び鋭く細った瞳孔は何も映さず、虚空にある何かを見つめるように虚ろだ。

 

  ……ジャリ、と……歩が進められる。

 

 動いたのは雪蓮だ。俺はそれに合わせるように退く……いや、退きたいところだけど、それをすると刺激することになる、と本能が告げていた。

 逃げる者を追うのは獣の本能だろうか。だったらせめて、逃げずに迎えてやろうと思った。

 そして撫でてやろう。ヘンなことをしない限りは、出発の時間まででも───なんて思っていた、まさにその時だった。

 

「……? うわっ!?」

 

 足に妙な感覚を覚えて見下ろしてみれば、足に大きな謎の虫がへばりついていた。それを振り払うために足を振るった……のがまずかったらしい。

 ハッと気づいた時には、その動作を逃走と捉えた雪蓮が突撃を開始し、こんなことで刺激してしまった事実に頭を抱えて叫びたい俺が居た。

 もういっそこのまま逃げてくれようかとも思ったが、それをするより先にあっさりと捕まってしまう。しかも先ほどと同じく正面から抱き付かれ、律儀にもと言うべきか、カッと開いた口が再び首筋へと───って!

 

「いい加減にしろぉおおおおおーっ!!」

「んきゃうっ!? い、いったぁああ!! か、一刀っ、また───」

「頼むからっ! そんな簡単に欲求に飲まれないでくれよ! 理由はわからないけど、噛みついたり襲ってきたりなんて、そんなよくわからない衝動に負けるなっ! 喝を入れれば一時的にでも正気に戻れるなら、何発でも頭突きでも拳骨でもするから!」

「え……あの、一刀ー……? そんなにぽんぽん、他国の王を殴ったりするのはよくないと思うんだけどなー、私……、~……だ、め……やっぱり熱い……かな……。一刀……ね、一刀ぉ……!」

「雪蓮……」

 

 苦しげな表情……いや、事実苦しいんだろう。

 大量の汗を流しながら、立っているだけでも苦しいのか、ゆらゆらと揺れている。

 助けることが出来るのなら助けてやりたいのに、その方法は恐らく───

 

「気合いでなんとかしてくれ!」

 

 ───踏み出せない答えにしか至れなかった俺は、なんとも難しい注文を無茶を承知で言ってみる。……が、当然無理だし、俺も冗談なんかで和ませられない状況でふざけている場合じゃない。

 

「あ、はは……一刀、ちょっと祭に似てきた……?」

 

 それでも笑ってくれた雪蓮に、少しだけ尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

 ……でも雪蓮? 武の師ってことにはなると思うけど、祭さんには似ても似つかないよ俺。じいちゃんと祭さんならよく似てると思うけど。

 うん、困ったことにこの二人、結構性格が似ているのだ。だからまあ、教えを乞うのもやりやすかったってこともあるけど。

 一度始めると叩きのめすまでやめないところとか、よく似てる……なんて考えてる場合じゃないよな。

 

「とにかく、熱くてもいいから落ち着かないと。落ち着かないんだったら……えぇっと、こっちにも考えがある」

「え……? 一刀が、鎮めてくれるの……?」

「ああ。沈めてやる。───…………川に」

「意味が違うわよそれっ!!」

「いやっ……もしかしたら熱が消えるかもしれないだろ!? それに俺が鎮めるって……ダメ! 無理だ無理っ! 大体こんなどさくさまぎれでそういうことしたって、雪蓮も俺も絶対に後悔するから! そんなの頷けないっ!」

「一刀…………ありがと、そんなに真剣に考えてくれて……。でも、ね……そう言ってられる余裕、ないみたい……。私、本当に……」

 

 はぁ、と……いっそ蒸気でも吐き出すんじゃないかってくらいに苦しげな息を吐く。そんな雪蓮を目の前にしながら、手を差し伸べようとしては踏みとどまり、頭を撫でてやろうと思っては踏みとどまり…………けど。

 

「……どうしてもダメなら、来い。全部受け止めてやる。受け容れるんじゃない……全身全霊を以って、雪蓮の熱が下がるまで抗い続けてやる」

 

 もし興奮しすぎて“自分”を保っていられなくなっているのなら、助けてやらなくちゃいけない。たとえそれが暴力的な解決法であっても、“助ける”と決めたなら選り好みなんてしてられない。

 

「う……わぁー……。嘘でも抱き止めてやる、くらい言ってくれてもいいのに……。もう……本当に、頑固なんだから……」

 

 頑固で結構。譲れないものがあって、相手が傷つくかもしれないっていうなら……右腕が痛いままでもいい、全力で抗うだけだ。

 抗って、どんな手段を使ってでも正気に戻してやる。戻せなかったら……その時は、いろいろと覚悟を決めよう。

 

「………は、はっ……はぁ…………ふぅっ……!」

 

 よほどに熱いのか、“しばらくしてから来るように”と言われていた呉将のみんながゆっくりと集まる中でも、雪蓮は“ふっ、ふっ”と息を荒げていた。

 危険は目に見えている。が、苦しんでいる人を見捨てられるわけもなく、落ち着かせようと……危険を承知で手を伸ばした───途端、目を鋭くして襲いかかってくる雪蓮!

 

「見える!」

「えっ!? わ、ぷぎゅっ!?」

 

 ……だったのだが、反射的な行動っていうのは物凄いもので。

 日々の修行の成果か、突如襲いかかってきた雪蓮の猛攻を横に避けると、雪蓮は勢いのままに俺の背後にあった木へと激突。

 静かに立っていた木を、助走なしの勢いだけでバサバサと揺らした。

 顔面から……だったな。ああ痛そうだ。

 

「あ、あー……雪蓮? そのぉ……だ、大丈夫、か……?」

「………」

 

 木から顔を引っぺがした雪蓮が、涙目で鼻血を流しながら俺を睨む。

 

(あ、なんかヤバイ)

 

 そう感じた時には、彼女はもう性質の悪い吸血鬼と化していた。

 

「お……お~おぉお落ち着こうなぁ雪蓮……? 俺とお前は手合わせをしていたんであって、噛みつきごっことかはうひぃっ!? や、やっ……だからちょ、待、あいっだぁああああああーっ!!」

 

 噛まれた途端、軽い恐怖で誤魔化せていた右腕の痛みがぶりかえしてくる。今度こそ遠慮なしに叫びまくったが、雪蓮も今度こそはと離してくれない。なにが今度こそはなのか、俺の思考に訊いてみたいところだが。

 などと冗談混じりに言ってみるが、痛みまではもう誤魔化せない。噛みつかれただけにしては異常な俺の叫びに、のんびりしていた呉のみんなが駆け寄ってくるが、一部の人たちは雪蓮の様子を見て「うっ……」と歩みを止めた

 

 どうやら足を止めた人たちは、雪蓮のこの状態をよく知っているらしい。知っているなら是非とも止めてほしいんだけどな……というか旅立ちの日にどうして、腕折られて首噛まれて背中掻き毟られなきゃならないんだ。

 明命がすぐに華佗を呼びに行ってくれたのは本当にありがたいが、今はまず雪蓮をなんとかしてほしい。どういう形だろうと止めればいいなら、このまま左腕で抱えてブリッジして行動不能にさせるって方法もあるんだが……さすがに国王にフロントスープレックスはヤバイだろう。

 

「めめめめ冥琳! 祭さんっ!! しぇれっ、雪蓮が急にこんなことにっ!」

「むう……あー、なんじゃ、北郷。落ち着かせたいなら、策殿の熱が下がるまで───」

「下がるまで!? どうすれば!? 言っていいから言ってお願い痛い痛い痛い!」

「抱け」

「うぇええええーっ!?」

 

 はい無理ぃいいいっ!!

 ていうか腕組んで胸張って言ってくれる助言がそれ!? だ、抱けって!? じゃあさっきの雪蓮の行動、その準備をするために触ってきて……!?

 予想通りっていうか、やっぱりあの熱っぽさは、穏が書物に興奮した時と同じものだったってことなのか!?

 

「冥琳! 断固拒否したいから攻撃許可を頼む! というか気絶させる気でやっていいか!?」

「許可しよう」

 

 祭さんと同じく腕を組んで胸を張って言ってくれた。すぐ隣で蓮華が「冥琳!?」と戸惑っているが、確認し直す時間が惜しい、というか腕痛い! もう耐えられそうにない! だから、今出来ることを───!

 

「雪蓮───」

 

 雪蓮の腰に腕を回し、しっかりと抱き締める。

 きつくきつく、まるで恋人が「もうキミを離さない」とでも言うかのようにしっかりと。途端に雪蓮の体の熱が上がったような気がしたが、そんなものを気にしている余裕もなかったのだ。

 

「───ごめんっ!!」

 

 そして、ブリッジである。

 

「ふぴぃっ!?」

 

 思い描いた通りのこと……ようするにフロントスープレックスで雪蓮を大地に沈め、一人、むくりと起き上がった俺は、目を回して倒れている雪蓮にもう一度ごめんと謝った。

 そしてこの日より俺は、呉国の王、小覇王、江東の麒麟児にフロントスープレックスをかました男として、歴史に名を連ねることに……したくないので、みんなには見なかったことにしてくださいと頭を下げた。本気で。もう本気で。

 



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20:呉/国から受け取る様々なもの④

 軽い状況説明を済ませて、明命が連れてきた華佗に腕を診てもらう。

 説明を聞いたみんなは「あぁ……」と全てを悟りきったような風情で頷いて、それをよく知る大人な人たちが、俺の肩をポムポムと叩いていった。

 

「綺麗に折れてるな。これならくっつくまでには時間がかかるが、痛みを抑えてやることくらいは出来る」

「本当か? ははっ、頼むよ……正直な話、もう暴れて紛らわしたいくらいに……っつつ……痛くて、さぁ……!!」

 

 さっきから嫌な汗がだらだら出ている。

 氣で誤魔化せる時間を過ぎてしまえば、もうあとには痛みしか残らないわけで───

 

「なんじゃだらしのない。男ならそれしきの痛み、耐えてみせい」

「へっ!? あ、ちょ待っ、───~……!!」

 

 そんな箇所へ、祭さんからの何気ない気合いの一発。

 絶叫は声にもならないほどの高音で発せられ…………今度こそ、俺は暴れ回った。

 

……。

 

 ……で、またしばらく。

 鍼を通してもらうと不思議と痛みは引いてくれて、滲み出ていた汗も引いてくれる。

 先ほど雪蓮が顔面から衝突した木に背を預け、ホッと一息ついていると……頭にたんこぶを作り、線にした目からたぱーと涙を流す雪蓮が近寄ってきた。

 

「うぅうぅぅぅー……」

 

 どうやら冥琳に拳骨をくらったらしい。

 

「あんまり無茶しないでくれな、頼むから……。事情は聞いたけど、急に豹変されるとなにがなんだか……寿命が縮む思いだったよ」

「だってー……思ってたより一刀がいい動きするから……。あの一振り、勘でなんとなく避けたけど、勘が働かなかったらどうだったのかな~って考えたらこう……興奮しちゃって」

 

 貴女はなにか、興奮したら人に噛み付くのか。……噛みつくんだろうね、実際そうだったわけだし。

 

「それでね、一刀。ちょっと訊きたいんだけど」

「うん?」

 

 背中に木の感触を感じながら、ん~と伸びをしていると、真剣な面持ちを向けてくる雪蓮。

 真剣には真剣をと、胡坐をかきながらも真っ直ぐに雪蓮の目を見つめ返すと、言葉の続きが紡がれる。

 

「私の動き、覚えたわよね? で、えーと……“いめーじとれーにんぐ?”で一刀は私との戦いを繰り返すわけよね?」

「ん。そうなるな。あそこまで本気で食い下がったのはたぶん初めてだ。いい刺激になると思う」

「そっかそっかー。じゃあ次に会うまでの課題を命令していい?」

「……?」

 

 課題? なんのことだかさっぱりだが……雪蓮さん?

 

「命令していい、って……こっちの許可を取ってちゃ命令にならないんじゃないか?」

「あ、それもそっか。じゃあ命令。……次に会う時までに、もっともっと強くなっておくこと。で、興奮した私を武で押さえ込めるくらいにまでなっておいて? そしたら私、いろいろなことや刺激のない毎日でも耐えられると思うから」

 

 いつもと同じ、にこーって笑顔で言ってくる。

 それは……つまり興奮するたびに、俺が武で鎮めろ……と? あんなに滅茶苦茶な強さを見せつけた雪蓮相手に?

 

「…………」

 

 想像してみるけど、今すぐにとか少しあとでは無理だ。

 無理だけど、今出来ないからって断るのはよくない……よな。

 

「……ん、わかった。出来る限りのことを頑張ってみるよ。今度会う時っていうのがいつになるかは解らないけど、今よりは強くなっていることは約束できるはずだから」

「うん、それでじゅーぶん。じゃあ一刀、またいつでも来てね。私は貴方の来訪を、いつでも、心から歓迎する。……あ、でも強くなってなきゃだめだからね? こう……興奮した私も叩きのめして、全てを奪えるくらいの強さを見せてくれたら、もういろんなものを一刀に託しちゃってもいいかなーって、わっ、ちょ、はにゅっ!?」

 

 デコピン一閃。額を両手で庇って涙目でぶーぶー言う雪蓮に、「命令だからってあまり無茶言わないでくれ」という言葉をプレゼントした。

 

「……とにかく。お別れは言わないからね? あと、あんまり待たせるようだったら私から乗り込むから」

「俺、頑張るよ!! だから勘弁してください!」

「えー……? ふふっ、まあいいわ、それじゃ」

 

 ……はぁ。元からそうするつもりだったとはいえ、妙なプレッシャーがかかってしまった。興奮状態の……あの獣みたいな雪蓮を打ち倒すほどに強くなれって……? まだまだまだまだ難しいだろ、それは……。

 と、そんな思考に頭を痛めていると、雪蓮はすたすたと歩いていってしま───あれ? 別れの言葉とかは?

 

「あのさ、雪蓮?」

「? ……ああ、忘れてた。“いってらっしゃい”、一刀」

「………」

 

 雪蓮はそれだけ言い残すと、にこー、と笑顔のままで去って行ってしまった。

 ……え? 別れの言葉、それで終わり?

 

「ふむ。いずれ戻るならば、引き止める理由も無しか。策殿も中々に勝ち気よ。ならば儂も、最後に命令の一つでも残すとしようか」

「え?」

 

 去って行ってしまった雪蓮をポカンと見送っていた俺の耳に届く声。振り向くより先に祭さんだって解る声は、俺に嫌な予感を持たせてくれる。……困ったものだ。

 

「北郷。次に会う時は弓の手解きでもしてやろう。じゃが、基礎から教えるのは面倒じゃ。蜀の黄忠、魏の夏侯淵、どちらでもよいから多少かじってから来い。学んだことの全て、儂の色に染めてやろう」

「……それって結局、一から教えるのと変わらないんじゃないかな」

「何を言うか。叩き直すから面白いんじゃろうが。ゆえに命令するぞ。“弓を学べ”。武術の一つのみを極めさせるのも面白そうじゃが、せっかく奇怪な氣を持っておるんじゃ、いろいろ叩きこむのもそれはそれで腕が鳴りそうじゃ」

 

 うわあい寒気が来たー! 嫌な予感が寒気として俺を襲うよぅ!

 

「そ、それってつまり、他人の教えをぶち壊して、祭さんの技術に塗り替えるって意味で……あの。そんなことされたら俺、教えてくれた人に殺されますよ?」

「なに、安心せい。殺そうとするのならば、儂が口添えしてやるわ。“悔しかったらお主の色に塗り替えてみよ”とな」

「……で、塗り替えられたら祭さんが塗り返すと」

「おう。そうすればお主の技術は高まる一方で、これほど嬉しいことはあるまい?」

「技術を全部叩き込む前に、誰かに刺されてそうで怖い……」

 

 誰とは言わないけど。

 ……技術の中のいいところだけを身に刻む、なんてことを教えられるままに受け取ろうとしても、どれだけ達人の域に達した人でも癖がないわけじゃない。

 しかし、達人は達人。教えると決めたら、きっと全てを叩きこもうとするだろう。

 それを誰かの教えで上書きして、また別の人の教えで上書きして……確かに技術は上がりそうだけど、いいところばかりを刻んだ技術は、果たして“良い技術”として活かせるのだろうか。

 欠点や、つたない部分を昇華させて、少しずつ鍛えていくのが技術だ。

 いいところばかりを残したところで、欠点のない理想を形に出来たところで、そこには“欠点を補おうとする力”がない。

 

(うん……理想ではあるけど、苦労して身に付けた意思や覚悟がまるで宿ってないと思う)

 

 過去の人が技術を磨いたから後世に残る技術があって、開拓する必要もなしに身に着けていける。過去の人が拓いた道があるから、迷わずに進める道もある。

 けど、そこで楽をしたら、本当の意味での教えは身に着かないんじゃないかって……いつか思ったことがある。

 だから、覚えたことから先を目指す。

 教えられるだけじゃない、教わったことを糧に、自分で出来る何かを探す。

 そうして見つけたものを頑張って身に着けて、それをまた次の世代へと受け継がせて……いつか、教えというものもどこかで途切れたりするんだろうか。

 

(途絶えるとしたら、そうした歪んだ教わり方をした時……なんだろうな)

 

 きっと、ちゃんとした形としては残らない。

 混ざってしまったら、残せない。

 混ざった状態でもそれが誰々の技術だ~って言い張れるなら、それもそれでいいんだろうけど。

 

(じいちゃんに教わってるのに、祭さんに教わった時点で、俺が何を言っても説得力なんてないけどさ)

 

 でも……ああ、そっか。

 たとえ祭さんの技術を叩きこまれたところで、俺がじいちゃんに教わった技術を忘れなければそれでいい。

 教わったことの中からいいところだけを取るんじゃなく、きちんと悪いところも覚えた上で先を目指せば……それはきちんと、みんなの技術として俺の中で生きていく。

 悪いところも受け取らなくちゃ、その人の技術をその人から受け取ったなんて言えやしない。

 

(……そっか)

 

 師が教えきったと断じても、弟子がそうでないと言うのなら皆伝ではない。弟子が教わるべきを教わったと断じても、師がそうでないというのなら皆伝ではない。つまりはそういうことなのだ。

 格好のいいところばかりを教えたところで、格好の悪い部分も教わらないのでは皆伝とは言えない。師が経験したこと全てが技術として身に宿るなら、恥だろうがなんだろうが、一つ一つが技術の切れ端として生きているはずなのだから。

 

「……ん、わかった。ちょっと迷ったけど、教わってくる。でも、いくら祭さんが教えようとしても、塗り替えさせる気なんてないから」

「ほう? 儂の教えは身に着けぬと、そう言いたいのか?」

「そうじゃないよ。俺は、秋蘭や……許されるなら黄忠さんの技術も身に着けた上で、祭さんの技術も身に着ける。何かを忘れることなく、上書きしないで身に着ける。そうじゃないと、ちゃんと祭さんのことを師として見れないから」

「う……むぅ……そ、そうか。…………~……まあその、なんじゃ。あまり年寄りを待たせるな。他の地でしっかりと技術を身に着け、もう一度来い。その時は、儂が教える技術こそに自信を持たせてやろう」

「はは、そればっかりは学んでみなければわからないよ。俺としては、秋蘭の技術が上であってほしいけど」

「かっ、言いおるわ、孺子めが」

 

 言葉のわりに、腰に手を当て満面の笑みをくれる。

 弓を学べ……それは命令でもなんでもないものだったに違いないけど、俺に喝を入れる意味ではありがたい言葉だった。

 武術ってものがいろいろなものから学び、いろいろなものへと伝え、応用するものならば、剣ひとつを学ぶのではなく別の何かを身に着けるのも知となり血となり、武となるだろう。

 俺の笑みに満足いったのか、祭さんはそれ以上のことは何も言わずに離れてゆく───と、そこへすかさず走り寄る影ひとつ───シャオである。

 

「一刀~? しばらくシャオと会えなくなっちゃうけど、泣かないで頑張るんだよ~?」

「よしわかった任せとけ絶対に泣かない約束する」

「もーっ! どうして一刀はそーなのー!? シャオと別れちゃうんだよ!? 離れ離れになるんだよー!? もっとわんわん泣いてもシャオ、べつに一刀のこと情けないとか思わないよー!?」

「えぇっ!? 泣くなって言ったのはシャオだろ!? え……な、なんで俺怒られてるの!?」

「…………あんっ♪ そうだよねぇ、男の子は人前じゃ泣かないんだもんね~? んふぅ、素直じゃないんだから~っ」

「……シャオにとっての“素直”が、時々異常に気になるよ……」

 

 相変わらず人の言葉を聞いてくれない。

 都合のいい解釈って言葉があるけど、きっとシャオの思考回路のために存在する言葉なんだろうなぁとしみじみと思った。

 

「シャオ、ずっと待ってるからね、一刀が呉に帰ってくるの。でぇ……帰ってきたらシャオと子作りふむっ? む、むー!? むむー!」

「おうおう尚香殿、策殿が呼んでおる。少し向こうへお付き合い願えますかな?」

「ふぉっほ、ふぁいー!?」

 

 ……言葉の途中で連れ攫われた。不憫な……。

 けどあのまま続けられてたら、怪しい会話になりそうだったから。さすがに旅立ちの日に生々しい送り言葉は勘弁してほしい。

 

「ふふ……北郷。お前が中心に居るだけで、随分と周りが賑やかになるな」

「冥琳……」

 

 祭さんに連れ攫われたシャオを見送りつつ、くっくと笑いながら歩み寄ってくる冥琳。その隣には穏が居て、助けを求めて暴れるシャオにニコニコ笑顔で手を振っていた。

 

「結局克服、出来なかったな」

「はいぃ……ちょっと残念ですけど、穏は一つ学びましたよ一刀さん」

「学んだ? なにを」

 

 手を軽く持ち上げ、ピンと伸ばした人差し指をくるくる回す穏。本で興奮する、なんて珍しい体質の中、彼女はいったいなにを学んだのか。

 いろいろと荒療治を試しても効果が無かったが、なるほど、ただでは転ばない。きっと克服の足がかりを───

 

「興奮を無理に抑えるのは体に毒という結論ですよぅ~。だから今度一刀さんが来た時は、興奮を抑えることなく心の許すままに───」

「あ、ところでさ冥琳」

「あぁあぅう~、無視しないでくださいぃい~……!」

「真正面からそんなこと言われてどう反応しろと!? む、無理! 絶対無理だからっ!」

 

 顔が熱くなるのを感じながら、ぶんぶんと首を横に振るう。

 本当に、今でこそこんなふうにして拒否出来ているけど……もし一年前のあの時、日本に帰ることなく呉に来て同じことをしていたらと思うと……少し怖い自分が居ます。

 その頃の自分だったら、きっとやさしく受け止めていたんだろうな……ごめんなさい。

 

「誘惑には屈しないと。結局、愛国心は別れの時まで変わらずか」

「……その。冥琳が俺だったら、同じ事を貫いたと思うけど?」

「ふふっ、違いない」

 

 そう言って目を伏せ、何かを懐かしむように息を吐いた。

 思えば冥琳は、会った時から溜め息の似合う大人の女性って感じだったなぁと、俺も過去を振り返って懐かしむ。

 ……一言で片付けられる言葉があるとしたら、苦労人ってだけで十分そうだ。不名誉だし、本人は否定したがるだろうけど。

 

「さて、今生の別れでもない。友を送り出すのにいつまでも後ろ髪を掴むのも迷惑だろう。……今度はお前の身の回りが落ち着いた時にでも来い、北郷。絵本の感想はその時にでもゆっくりと聞かせてもらう」

「……ああ。他にお勧めの絵本があったら、それも読ませてくれると嬉しい」

「ふむ……見繕っておこう。その言葉だけでも、お前の中で絵本がどういう評価だったのかが解りそうなものだが」

「感想はまた別だよ。……楽しみにしてる」

「………」

 

 俺の言葉にフッと笑うと、冥琳はそれ以上を口にはせずに歩いてゆく。逆に穏は「絵本ってなんですか!? 冥琳様と秘密の読書会でも!?」と妙に興奮した風情で迫ってきて……拳骨一閃、冥琳に引きずられていった。

 痛そうだな、としみじみとした気分でそれを見送ると、今度は亞莎と明命が目の前へ。

 

「一刀様……」

「~~~……」

 

 明命が俺の名を呼び、亞莎は悲しむ自分の顔を見せたくないのか、長い長い袖余りで自分の顔を隠している。

 俺は二人に向けて何を言うべきかを少し迷い、結局最後に言うことは変わらないなという結論のもとに口を開く。

 

「亞莎、明命、ありがとうな。いろいろ世話を焼いてくれて。すごく……すごく助かった」

 

 立ち上がり、亞莎と明命、一人ずつ頭を撫でてゆく。同時に撫でてやりたかったのが本音だけど、右腕がこの調子なんだから仕方ない。

 ……折れたんだよな、うん。あの痛みは思い出すだけでも背筋が凍る。痺れと、人間の防衛本能に……謝謝。

 

「か、一刀様……“また”って言っていいでしょうか……。また、呉に来てくれますか……?」

「ああ、もちろん」

「かっ、かかかっ、か……一刀様っ……わ、私、次に会うまでにもっともっと美味しいごまだんご、作れるようになっておきますからっ……! そしたら、一緒に……食べてくれますか……?」

「……うん。もちろん」

 

 いっぺんに頷くのではなく、一人一人の目を見て頷く。

 来てばかりの時に友達になってくれた二人だ、きちんと向き合って“いってきます”を言いたい。真名を許してもらうまではいろいろあったけど、許してくれてからは距離が近づいたのも事実。

 俺の中で、それはきっといつまで経っても“友愛”なんだろうけど……二人の目はきっと、それ以上のものへと向かおうとしている。もしくは、辿り着いているか。

 以前言われたっけ、好いてくれている人に、揺るがないことを理由にその気持ちを断ることが出来るのか、って。自分の言葉で人を傷つけるってわかっているのに、“守りたい人の中の一人”にもうなっている人を、傷つけることが出来るのか。

 答えは……YESだ。揺るがないっていうのはそういうのを全部ひっくるめての意味だって、今の俺は思っている。いつか、もしなにかのきっかけでコロリと自分が変わってしまうのだと決まっていたとしても……今の俺だけは、揺るがないことを口に出して誓える。

 いつか破ってしまうことは誓いでもなんでもないのかもしれないけど、俺は……魏を、華琳を愛しているから。

 

「………」

 

 その意味も込めて、やさしくやさしく二人の頭を撫でた。

 ごめんなさいと言いたいわけじゃない。許してほしいとも言わない。自分の気持ちを貫いた結果が誰かの涙になるとしても、傷つけたくないからって理由で全てを受け容れたらそれこそ二人に失礼だし、いつか本当に傷つけることになるだろう。

 気づかないフリをするには遅すぎて、受け容れるわけにはいかなくて。じゃあどうすればいいのか、なんて……きっと。誰かが思い描く以上の幸せな結末なんてありはしない。

 意思を貫くってことは、誰かの意思を否定するのに近しいのだろうから。

 

(蜀に行って、魏に戻ったら……)

 

 ああ、こんな時にばかり、自分の弱さを実感する。

 思考の渦に飲まれては、彼女のことばかりが頭に浮かぶ。

 誰に好かれようとも誰に思われようとも、何を許されようとも何を促されようとも、頭の中を支配するのはいつも彼女のことばかりだった。

 結局自分は、この国に居る間はこの国のためにと思いながらも───彼女、華琳のことばかりを思い返していたのだと苦笑する。

 そのことが、頭を撫でている相手に失礼だと思うのに……やめられない自分が、今は悲しかった。

 

「また来るよ、きっと来る。その時は、もうちょっと落ち着いていられてると思うから」

 

 華琳に会って、宴のあとでは言いきれなかったことをぶちまけられたら、きっとこの心にも余裕が出来る。心に余裕が出来たら、今度は頭も。

 そうして自分を落ち着かせたら、ゆっくりとこの大陸を見て回ろう。

 羅馬に行くのもいい、一人で旅をしてみるのもいい。

 この世界がどれほどの静けさと賑やかさを得られたのかを、この目で見てみたい。

 大きな場所だけじゃなく、ちゃんと自分の足で、ひとつずつ。

 ……そう考えると自然と笑みがこぼれ、それを見た二人も……俺に笑顔を向けてくれた。

 

「では……その。いってらっしゃいませっ」

「わたっ、わたひっ……もっと頑張りますっ。勉強も、料理も、もっと……!」

「うん。その前に、もうちょっと噛まないようにしような?」

「はうっ……! が、頑張ります……」

 

 ぺこりと頭を下げると、二人も行ってしまう。

 見送りは……きっとない。別れを言いたいんじゃなく、いってらっしゃいだから。遊びに行くやんちゃな男を見送らないのと同じなんだろう。

 

「……一刀」

「……や、蓮華」

 

 最後。ゆっくりと歩み寄ってきた蓮華に、軽く手をあげて応える。

 交わす言葉は……そう多くない。視線を交差させただけで、何が言いたいのか、何を伝えたいのかが、困ったことにわかってしまったのだ。

 だから蓮華は“ふっ……”と笑うと、

 

「思春のことを、よろしく頼む」

 

 キリッと、王族然とした姿勢でそう言っただけで、踵を返した。

 通じ合った恋人同士でもないのに、こんなことが可能なのは蓮華が相手の時だけだ。何も言わなくても相手が望むことがわかってしまい、結果的に……そう、甘やかしてしまう。

 それをシャオに見られていたと知った時は相当に恥ずかしかったものだけど……うん、過ぎてみればいい思い出……だよな?

 

(……揺るがないのは結構だけど、もしそれが反転したら……か)

 

 蓮華の視線から受け取った言葉の意味を、考えてみる。

 嫌っているわけでもないし、みんなのことはむしろ好きだ。

 もし、なんらかのきっかけがあって、友愛だと決めつけることで抑えている感情が、本当に“好き”に変わってしまったら……その反動は、きっと恐ろしいものなんだろう。

 誰かを泣かせるくらいならいっそ、受け容れてしまえばとも思う。

 好いてくれているのなら、かつて魏のみんなをそうして受け容れたように愛せばいいと。

 でも……今は無理だ。どうあっても、魏のことが頭に浮かんでしまう。そんな心のうちに受け容れたら、絶対に相手を傷つけることになる。

 

(しっかりしろ、一刀)

 

 揺るがないって決めておきながら、断ることはやっぱり辛い。

 真正面からぶつけられる好意を避けるのも、断るのも辛い。

 いっそ全てを受け容れられたら、この辛さも拭えるのか。

 それともより一層の辛さを背負うことになって、いつかパンクして泣き出したりするんだろうか。

 そんなことを考えて、軽く頭を振って……思考をリセットさせると、近くでそんな俺を見ていた思春に声をかけた。

 

「……思春はなにも言わなくていいのか?」

「言うべきこと、伝えるべきことはもう伝えてある。生きろ、と……それ以上のことは言われていない。私はそれを糧に生き、他は自由にしろと言われたようなものだ。……貴様の生きかたを傍で見ているのも、悪くないだろう」

「思春…………───それって俺がさらす醜態が面白いって意味?」

「他の意味に聞こえたなら、改めて───」

「言わなくていいです」

 

 本当に遠慮がない人である。

 でも、今はその遠慮のなさがありがたい。

 

「………」

 

 ぐぅっと伸びをする。拍子に仰いだ空は今日も晴天にして蒼天。真っ青な空が、視界の許す限りどこまでも続いていた。

 そんな空をしばらく見つめてから視線を下ろすと……そこに、朱里と雛里。……期間が長かった分、いろいろな書簡を突っ込んであるのか、荷物が重そうだった。

 それらを黙ってひょいと受け取ると、困惑の顔で俺を見上げる視線に笑顔で答える。「じゃ、行こうか」と。

 

 

 見送りはやっぱりない。

 城から出た途端、親父たちに再び捕まったことを除けば、見送りらしい見送りもなく……後ろ髪を引かれることはなく、俺達は呉国をあとにした。

 そんな中で、俺が呉で過ごした証があるとしたらなんだろう……と考えて、包帯ぐるぐる巻きの腕が視界に映ると、盛大に溜め息を吐いた。

 うん……華佗、落ち着いたら本当に医術を教わるよ。どう考えても、これから生傷が絶えなさそうだからさ……。

 

「それじゃあ……また」

 

 故郷っていうのは増えるものなんだろうか。

 そういった奇妙な感覚を胸に抱いて、俺は呉国をあとにした。

 見送りは本当になかったけど……城を出て、町を出て……少し離れた場所から、世話になった城へと手を振って。

 



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21:呉~蜀/一路、蜀国へ①

幕間/彼の無意識と彼女らの思惑

 

 -_-/呉

 

 ……一刀、思春、朱里に雛里が建業から出立し、しばらく。

 

「行ってしまったのう」

 

 姿は最初から見えやしないが、彼らが進んでいったであろう方角を見やり、祭がつまらなそうに呟いた。 

 “姿が見えなくなった”どころか見送りもしなかった彼女らだが、一刀らが向かった先(城壁だが)を眺めては、やがてつまらなそうな顔をどこか面白そうな笑みに変え、息を吐く。

 

「さて公瑾よ。あれをどう思う?」

「ふふ……どう、とは?」

「わかっとるんじゃろうが。含み笑いなぞ止め、さっさと言わんかい」

 

 彼女ら、とは祭と冥琳の二人。

 雪蓮とともにさっさと仕事に戻ろうとした冥琳だったが、その首根っ子を祭に掴まれ、東屋で酒に付き合わされていた。

 想像するに容易く、戒めのない呉王さまはとっくに仕事をほったらかしにし、どこぞを駆け回っていることだろう。

 

「……少なくとも、あれで諦める女は呉にも蜀にも……いえ。視野を広めて言うのであれば、この大陸の何処を探しても居ないでしょう」

「まあ、そうだろうのぅ」

 

 かっかっかと笑う声が響く。

 あれで諦めるようであれば、恋に焦がれる女としては失格だと笑い飛ばすかのように。

 

「策殿も、気づいていて“北郷の思う通りにする”などと。まったく人が悪いというか面白いというか」

「あれは気づいていますよ。近日中に魏に乗り込むつもりのようで、少し前に曹操へと書簡を送ったようです」

「ほぅ……書簡を? 何が書かれているかは公瑾、お主は知っておるか?」

「北郷を三国共通の財産にする、だのどうのと言っていたのでそのことかと」

 

 静かな笑みを浮かべながら酒を傾ける。

 中々に強い酒だが、まるで水を乾すが如くだ。

 

「はっはっは、なるほどなるほどっ、策殿もまた思い切ったことをするっ! ……ところで公瑾よ、返ってくる返事も予想がついておるんじゃろう?」

「ふふっ……ええ、それは。曹操は恐らく雪蓮任せにするでしょう。我々よりも北郷を知る者です。雪蓮からの書簡に目を通せば、雪蓮の好きにさせるでしょう」

「まあそうじゃろうよ。“噂”がつくづく真実なのだとすれば、何もせずとも北郷自身が気づきおるわ」

「必要なのは時間と心の整理、そして余裕。今の北郷には全てが足りていない。これではああいった言葉が出るのも頷けるというもの」

「全ては北郷が魏に帰ってからか……───くっく、それとも……」

「ええ。諸葛亮もどうやら気づいていた様子。蜀でどういった行動に出るのか、楽しみではあります。どちらにしろ、北郷が気づくか蜀の者が気づかせるか」

 

 「私としては、北郷自身に気づいてほしいものではありますが」と続け、再び酒を傾ける。

 対する祭といえば、若干不安を浮かべ、「それはちと難しいのぅ」と呟きながら酒を飲んでいた。

 

「ふむ。今のままではどちらにせよ難しいと、そういうわけじゃな。まあ無理もなかろうよ。いつでも好きな時にこの大陸に降りれるわけでないというのなら、北郷が過ごした一年は───およそ魏のこと以外は考えられん毎日だったのじゃろうからの」

「雪蓮などは“そうでなければ落とし甲斐がない”と言いそうですが───……うん?」

 

 段々と上機嫌になってきた己の機嫌に笑みを零し、再び傾ける酒は美味の一言。

 機嫌が悪い内に含むものなど、よほどに美味くない限りは美味ともとれぬは当然。その味が美味と感じられた……というのに、横槍が入ることにさすがに眉を顰めた。

 

「あ、はっ───失礼ながら申し上げますっ!」

 

 まさに大慌てという言葉がよく似合う風情で、兵士数人が駆けてきたのだ。

 

「騒々しいのぅ……いったい何事かっ!」

「は、はっ! それがっ……伯符さまが急に馬に乗り、“ちょっと魏に行ってくる”と言い、止める言葉も聞き流して外へ……!」

「なっ───!?」

「ほっ……! ふわはははっ、はっはっはっはっは! これはまたっ……なんと思い切りが過ぎる行動っ! のう公瑾っ!」

 

 冥琳が機嫌ごと平静さを吹き飛ばし、目を見開く中で。祭はむしろ見事といった風情で高らかに……いや、酒に酔い潰れた人のような、豪快さと危うさとを混ぜたような声で笑い出した。

 だというのにさらにさらにと酒を呑み、「い、いかが致しましょうか」と訊いてくる兵の頭をべしべしと叩くと「気が済めば帰ってくるだろうよ、ほうっておけい」と笑って言い、そのままの足で東屋から去ってゆく。

 冥琳はといえば溜め息の連続であり、書簡を送ったのはこのための下準備だったかと……気づけなかった自分にこそ溜め息を吐いた。

 いつか決行するとは思っていたが、まさか相手の出立日だとは……随分とまた急ぎ足だな───と呆れる他なかった。

 

「仕方のない……。蜀をのけ者にして話を進めるわけにもいくまい……」

 

 劉備に書簡の一つでも届けるとしよう。

 突拍子もない内容だが、諸葛亮が戻ればその内容もきちんとした形で伝わるだろう。

 そう思い、彼女もまた東屋を後にする。

 残された兵たちだけが、いまいちどう行動すればいいのかを掴めず、しばらく互いの顔を見たりしながら動けないでいた。

 

 

 

-_-/一刀

 

 とある青空の下の、とある大きな樹の下。黒檀木刀と、鞘に納めた鈴音とがぶつかる音が響く。

 

「よっ、とっ……ほっ!」

 

 ヒビが入らないようにと纏わせている氣が微量なためか、祭さんとの鍛錬や、雪蓮との戦いの時のような金属音は鳴らない。

 

「……ふう。ありがと、思春。十分だ」

「ああ」

 

 蜀へと向かう過程、一日やそこらで辿り着ける距離でもなく、こうして三日毎の鍛錬は腕をポッキリやったあとでも続いている。

 痛みがないっていうのは大変ありがたいもので、骨自体は氣で固定してあるから走ったりしても揺れないしで、右腕が動かないこと以外は不自由を感じないでいる。

 なもんだから、鍛錬の日が来れば思春が駆る馬から下り、自分の足で走ったり……休憩を取る際にも思春に付き合ってもらって鍛錬をしていたりする。

 

「………」

 

 息は乱さずに汗だけを拭い、一息。

 折れた骨に回す分の氣が無くなるまで鍛錬を続けるわけにもいかず、剣術鍛錬自体はそう長くはしないで終える。

 体が鈍らない程度に動かしていれば、今はいいだろう。

 怖いのは左腕ばかりの鍛錬で右腕での感覚を忘れることだ。

 よく漫画とかでも“体が覚えているもんだ”というけど、それは体が覚えてくれるまで、条件反射でできるようになるまで鍛えた場合に限るわけで……俺のはそこまで至っていない……と思う。

 怖いんだな、ようするに。どうなるか解らないから怖いんだ。

 

「治れ~、治れ~……」

「………」

「いや大丈夫、頭がイカレたとかそういうのじゃないから……お願いだからそんな目で見ないでください」

 

 だから右腕に氣を集中させながら、こんなふうに念を込めるように唸ることがあるわけだが、きまって思春に哀れなものを見る目で見られてしまう。

 

「たださ、腕が動かせない分、鍛えてきた筋肉のバランス───えと、釣り合いとか均衡って意味だけど、それが変わるのが怖いんだ。だから早く治れ~って……わ、わかるだろ? ……わかってくださいお願いします」

 

 華佗の言うことが本当なら、俺の傷が癒える速度は普通の人よりも速いはずだ。

 それを今、固定と合わせて氣で癒そうとしている。

 右腕が使えなくても、これはこれで左の鍛錬には丁度いいんだけど……やっぱり右を動かせない事実は、たったそれだけでもストレスに変わる。

 

「左……左かぁ。左手だけで出来ること……んー……届かざる左の護剣(マンゴーシュ)!」

 

 ……うん無理。剣っていうか木刀だしこれ……。そんな問題以前に、そういった奥義自体を俺は知らない。

 なにせ、じいちゃんが言うには北郷流に奥義はなく、そんな都合のいい左手奥義なんて存在しないからだ。

 

(鍛えた五体こそを奥義と思え……かぁ。ほんと、無茶言ってくれる)

 

 左手に持った木刀を、左手一本で正眼に構え、突きを放ってみる。

 ……速度も大して乗らず、なんだか寂しい気分になってしまった。

 

「思春、蜀……成都に着くまでどれくらいかかるかな」

「正確な日数はどうあれ、それは幾度も往復をしている諸葛亮や鳳統に訊くべきだろう」

 

 広大なる荒野を眺めつつ、こちらを見ることもなく返す思春。まったくその通りなのだが、その二人が今は水浴びの最中だから仕方ない。

 これから荊州を抜けて益州に入って、成都へ……って時なんだが。こう遠くては「ちょっと遊びに来たよ」って気安く遊びには行けない。

 

(学校のためとはいえ、何度も往復するのは大変だったろうな、朱里に雛里……)

 

 と、広大な荒野から視線を背後に移せば、鬱葱としげる森林。

 この奥に泉があって、朱里と雛里はそこで水浴び中だ。

 ああちなみに、毎度朱里や雛里を送り迎えする護衛兵のみんなには、森を囲むように立ってもらっている。

 いくら平和になったからといって、女の子二人で旅をしていいものかと訊かれれば、誰もがノーと答えるだろう。

 

「………」

「? 思春、どうかしたのか?」

「……空気が湿ってきたな。ひと雨来るぞ」

「え───」

 

 空を見上げる。……晴天の蒼がそこにあった。

 

「こんなに晴れてるけど?」

「だから今動く必要があるんだろう。雨足を防げる場まで行くぞ」

「……そっか、うん、わかった。じゃあ朱里と雛里を呼んで来ないと、な……ってごめん思春……頼んでいいか?」

「諸葛亮と鳳統を呼んで来る。貴様は兵達に出る準備を整えろと言って回れ」

「ん、了解」

 

 素直に頷いて走る。こういう時の天候への判断は、俺なんかよりも思春のほうが上だろう。

 大して広くもない森の外周を回り、護衛兵に出発を告げると兵たちは準備を始めた。

 俺はといえば……その準備を手伝って、「悪いです」と言われても笑顔で返して、黙って準備を手伝った。

 

……。

 

 出発から程なくして、空は突然の曇り空へと変わる。

 いったい何処から集まったのか。見上げてみれば、幾つもの分厚い雲が我こそはと名乗り上げるかのように、重なりに重なり、蒼かった空をどんよりとした泥水のような色に変えてしまっていた。

 そんな空の下を朱里と雛里と思春が馬で進み、俺は早歩きで進む。走ることはしない。馬の体力も考えると、自分が濡れないために急がせるのは馬の脚によろしくない。らしい。

 

「……なあ朱里。天候を操ることって出来そうか?」

 

 こんな急な天候を見て思い返すのは、三国志の赤壁の戦い。

 将と兵とが時間を稼ぐうちに諸葛亮が祈祷を捧げ、風向きを変えてみせるっていうとんでもないもの。

 本来ならそれで敗れるはずだった曹操……華琳は、火計に襲われることもなく勝利を勝ち取ったわけだが……

 

「天候を操る……ですか? う……ん……その。道士であっても難しいんじゃないでしょうか……」

 

 何気ない言葉に対しても、ちゃんと考えた上で言ってくれたんだろう。両手を胸の前で握り締め、難しそうな顔で言う。

 道士、と聞いて頭に浮かんだのは、拳と蹴りとでキョンシーを殲滅する男の姿だった。いや、あれはある意味で間違った例だ、忘れよう。

 

「道士か……そういえば、五胡……っていったっけ? そこには妖術使いが居るって話だけど」

 

 宴のあの日、雪蓮が五胡が襲いかかってきたことがあった、と言っていた。妖術なんてものを使うんだったら、それこそ天候とかも簡単に操れたりするんだろうかと、何気なく訊いてみたのだが。

 

「妖術、というのはいろいろな捉え方があります。たとえ本当に術を持たなくても、相手にそれが妖術だと思いこませれば、それは妖術になるんですよ」

 

 朱里はどこか真面目な顔で、きっちりと答えてくれた。

 

「たとえばです。空気に湿り気を感じたので、誰かが気づくよりも先に“雨が降る”と言ったとします。街の皆さんは空の蒼を見てそんな馬鹿なと言いますが……一刻後、本当に雨が降ったとしたら───」

「あ……なるほど、たとえその一度目で信頼されなくても、小さなことでも回数を重ねていけば……」

「はい。知を持たない人にとって、それは確かな“予言”に変わるんです」

 

 ……いや、うん。思春さん? べつに貴女を悪く言っているわけじゃないんですから、気配を殺しつつ背後で俺にだけ殺気を飛ばすの、やめてくれませんでしょうか。というか俺が言ったわけじゃないのに……。

 

「ただ、それは私達がそう考えているだけであって、“妖術というものが存在しない、またはする”といった証拠があるわけでもありません。なにをとって妖術と決めるかは、やはり己の見聞で決めるほかないかと……」

「妖術……うーん」

 

 軽く、思考を回転させてみる。

 妖術っていうのが本当にあったとして、それはたとえばどういったものを見ればそう思うのか。

 きっかけになった通り、天候を操れれば? ……いや、それは妖術っていうよりは神秘に近いと思う。むしろ崇められる側、神の能力とかと謳われて然りだ。

 じゃあ……あ、そっか。紙から兵を作ったりとか、死者を蘇らせたりとかか。うん、妖術って感じがする。

 ……魏にはそういう方向ではなくて、現在の技術でマイクとかを操る妖術師が居たりしますけどね。あれこそ妖術じゃなくて、まったく別のなんらかの技術、としか受け取れないのが……なんだかなぁ。

 

「地和、元気でやってるかなぁ……っと、そうだ。妖術ついでで訊きたいんだけどさ。五胡ってところ、どうなったんだ? 雪蓮の話だと、俺が元の───天に戻ってから、ひと騒動あったそうだけど」

 

 そのことに関しては、華琳も魏のみんなもなにも言わない。

 言いたくないのか、それとも訊かれない限りは答えたくもなかったのか。

 朱里は俺の質問に対して……気の所為か軽く身震いして、弱々しい笑顔で返してくれた。

 

「五胡……ですか……。ひと騒動で片付けられる規模ではありません……異常ともとれる兵力を以って、理由さえない……あるとするなら、その……“邪魔だからそうした”としか思えないひどい攻め方で……三国に向けて進軍してきました」

「三国に……? どれかひとつの国じゃなく?」

「そうだ。幸いにしてと言うべきか、国境の兵が異常に気づき、報せに走ってくれたお陰で迎え撃つことが出来た」

「………そっか」

 

 朱里に続き、説明してくれた思春に頷きを返すが……小さく耳に入った“人が死んだ”という言葉。それだけが、胸にズキリと響いた。

 自然と俯きかける俺に、雛里が悲しそうに告げる。

 

「やっと……平和になって、みんなが笑顔を見せるようになった……途端、でした」

 

 馬を歩ませる兵の後ろで帽子を深く被り直し、囁くように。

 

「持ち堪えてくれていた国境の兵はほぼ全滅。近隣の街も潰されかけていて、そこになんとか駆けつけることが出来た……そんな戦いでした」

 

 同じく、かつてを思い出してか……震える声を絞り出す朱里。

 そして───

 

「幸福の中にこそ危機がある。その言葉を現実として突きつけられた。……貴様ならわかるだろう、北郷。いくら手を伸ばしても声をかけても、手を握らなかった民たちの悲しみを。三国の何処かが憎いのではない……五胡こそが憎く、だからこそ許せず、手など握れなかった」

「あ……」

 

 ……そう。そして、こんなところでようやく理解に至る。

 届かないはずだ、頷けないはずだ。

 憎しみが向けられた場所がまるで違う。

 魏を、蜀を憎んでいるのではなく、ただ戦を憎み……五胡という得体の知れないものを憎んだ。

 それはきっと、事情を知らない俺がいくら、なにを言ったところで届くものじゃない。

 

「……それを俺に教えなかったのは、なにか理由があった?」

「知らないほうが踏み込める心もある。下手な同情ではなく、心から純粋に伸ばす手……それが必要だったと雪蓮様は言った」

「……そっか」

「いつか貴様にした“子を亡くした者たちへの同情か”という質問に対し、貴様は“同情以外のなにものでもない”と言ったな。だが、貴様が同情だと頭で思うよりも、事情を知ってしまって同情するのとではあまりに違う。考え方も、接し方も、その全てが一挙手一投足に現れただろう」

「…………。だから、教えなかった……か」

 

 伸ばした手を断り続けた彼らには、いったい俺はどう映ったことだろう。

 俺へと罵倒を叫び続けた人の中に、五胡に家族を、友人を殺された人は混ざっていたのだろうか。

 同情ではなかっただろうけど、果たして……馬鹿にしているのかと憤怒を覚える者は居なかったのだろうか。

 そんなふうに、自分の意思とは関係なく次々と苦しさが込み上げる中で、ふと……冥琳の言葉が頭に浮かんだ。

 

「でも、きっともう大丈夫です。五胡との戦いから今まで、私達は国境や砦の強化、街の警備強化や櫓の増設など……五胡から付け入られる隙を無くすために様々な手を打ってきました」

「そうなのか?」

「は、はい……朱里ちゃんの言う通り、出来る限りのことはしてきました……。たとえもう一度進軍されるようなことがあっても、三国連合が辿り着くまでの時間稼ぎは十分にできるはずです」

「………」

「……、……?」

 

 軍師モードだからだろうか。噛むこともなくすらすらと喋ってくれる二人に、なんとなく感謝したい気分。

 ……そっか。手を打つことが出来たなら……もう、血を見なくて済むんだろうか。

 

「不安そうな顔だな」

「いや───もう血を見なくて済むのかなって思ったら、腹の底から安心したっていうか……うん」

 

 よかった。

 安易に言っていい言葉じゃないかもしれないけど、よかった。

 これでもう、民や兵のみんな、将のみんなだって辛い思いや悲しい思いを背負うこともない。

 これからはずっと、みんなが笑って過ごせる日々が……きっと来る、そう信じよう。来なければみんなで無理矢理にでも、そんな日常を迎えに行こう。

 

(お前になにが出来る……か)

 

 あの言葉は、何も知らない俺にこそ向けた言葉だったのかもしれない。

 家族全員を失い、自分だけが生き残った老人。

 あの人は魏、呉、蜀、どれかの戦いに巻き込まれて家族を失ったのではなく、おそらく……五胡の戦いこそで全てを失ったんだろう。

 だって、そうじゃなければ……家族全てが死んでしまうなんてこと、想像できない。華琳も雪蓮も桃香も、民を大きく巻き込んでしまうような戦い方はしないはずだ。

 だというのにあんな老人が居て、ただ生きることが出来るから生きる、なんて人生を歩ませてしまっている。

 答えは最初からそこにあっただろうに、俺はそれに気づけなかったんだ。

 

「悔いているか?」

 

 自分の手を見下ろしていた俺に、思春が声を投げかける。

 悔い? 悔いは……

 

「ん……そうだな、きっと……うん、悔いている。どうして気づいてやれなかったんだって、どうしようもなく思っちゃうんだ、仕方ない」

 

 頭の中が勝手に、悔いに埋め尽くされそうになる。

 どうして、なんで、滑稽だ、なんて。

 

「けどさ。あのお爺さんは……最後には俺の手を握ってくれた。“ただ生きているだけ”の、希望を持たない人でも───伸ばした手を握ってくれた。“どうでもよかったから”って言われればそれまでなんだろうけどさ」

 

 滑稽なんて言葉は今さらだ。

 滑稽でなくなるために手を伸ばすことをやめなきゃいけないなら、俺は滑稽のままでだって構わない。

 

「それはたぶん、思春が言うように“同情”で手を伸ばしたら得られなかったものだと思うから───うん。悔いはあっても、誰に向ける文句もないよ」

 

 いつか、雪蓮にも言った言葉を口にする。

 祭さんを殺したことを後悔しているかと問われ、俺は後悔はしていないと答えた。

 自分の“存在”を賭けて、結果として俺の言葉がきっかけで祭さんが討たれたとしても、そこには後悔はないと。

 逆に自分が殺されれば、悔いは残っただろうけど文句はなかったと答えた。

 そうだ、文句なんてない。

 悔いは残るけど、それは必要な悔いで、受け止めるべき悔いだった。

 

 ───手を繋いでくれた老人が居る。

 繋いでくれなかった町人が居る。

 繋いでくれたから大事なんじゃないし、繋いでくれなかったからどうでもいいわけじゃない。

 今さら真実を知ったところで発した言葉が取り消せるわけでもなければ、取り消すつもりだってない。

 俺は、俺がそうしたいって心から思ったから───

 

「ん……あ、雨?」

 

 重くなりかけていた心を、熱くなり始めていた頭を潤し、冷やすかのようにぽつぽつと降り始める雨。

 護衛兵たちは軽く馬を駆けらせ、朱里や雛里を雨宿りできるところまで運ぼうとする。

 思春もすぐにそれに続き、同じく駆けてゆく兵を見送りながら、俺は歩いた。

 

(なにか出来ること、ないだろうか……)

 

 真実を聞いたばかりで手を伸ばせば、明らかに同情として受け取られるだろう。

 同情としての自覚がある分、俺が伸ばす手は余計に性質が悪いんだろうけど……はは。

 

「同情になるからって線を引いて接したんじゃ、届くものも届かないもんな」

 

 俺は俺のままでいいのかもしれない。

 どれだけ泥を被ることになっても、最後に伸ばし続けた甲斐があるのなら、誰かの笑顔が見られるのなら、その時は俺も笑っていられると思うから。

 たとえそれが俺に向けられる笑顔じゃあなかったとしても───それが生きることを諦めない笑顔ならそれでいい。

 泥を被るっていうのはそういうことだ。

 

「……頑張ろう、もっと……もっと」

 

 トンと胸をノックしてから走り出す。

 蜀での暮らしがどんなものなのかが全然予想もできないけど、あの劉備さんの国だ。きっと穏やかで笑顔に満ちた国に違いない。

 そう思ったら少しだけ胸が熱くなって、頑張ろうと決めた意思にも暖かさが増した気がした。



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21:呉~蜀/一路、蜀国へ②

45/関係ないけど“蜀”は“イモムシ”と読める

 

 そう、暖かさが増した…………そんなふうに思っていた時期が、俺にもありました。

 

「………」

「………」

 

 蜀入りを果たし、ようやく成都まで辿り着いた俺達は、何処かで休むこともなく城へと直行。

 普通なら玉座の間で待っているべきであろう桃香に、何故か城に入った途端に迎えられ……朱里と雛里が頭を下げ、思春もまた軽く頭を下げる中。俺はといえば、桃香の後ろで般若が如き形相をしている関羽さんに睨まれ、冷や汗だらだらで固まっておりました。

 

(根に持ってる……! まだ根に持ってるよ……!)

 

 ……え? いやこの場合、根に持ってるとかいうのか?

 確かに桃香の着替えを覗いてしまったわけだが、あれはその、なんというか不可抗力であったわけでして。

 しかもそのことについては桃香からはもう気にしていないって許しを得たわけで……あの……。

 

「おかえりなさい、朱里ちゃん、雛里ちゃんっ。御遣いのお兄さんも、ようこそ成都へ。歓迎しますっ」

「へっ? あ、ああ、久しぶり、桃ヒィッ!?」

「ひゃうっ!? え、どど、どうかしたのお兄さん……と、逃避? どこかに逃げるの?」

「え、いやあの……ナナ、ナンデモナイデス……」

 

 怖い……怖いです関羽さん! 桃香のことを真名で呼ぼうとした途端に目が光った! ていうかあの!? ここ城内で、迎えてくれただけですよね!? どうして青龍偃月刀を構える必要が!?

 

(………)

 

 桃香、って言葉とヒィッて悲鳴が合わさって、逃避って言葉と勘違いされた。

 微笑ましいことだ。その悲鳴が本気の悲鳴じゃなかったら、きっと俺も笑えてた。

 

「コノ度ハ、ワタクシゴトキヲ教職ニ招イテクダサリ、アリ、アリガ……アリ、アリアリアリアリアリーヴェデルチ……!!」

「わぁお兄さんっ!? なんか口の端から泡が噴きこぼれてるよっ!?」

 

 殺気が……殺気がね……!? こう、誰にも向けることなく俺にだけ向けられて……! 喉が、肺が鷲掴みにされているような気分になってきて……!

 今すぐ“アリーヴェ・デルチ(さよならだ)!”とか言って逃げ出したい気分です、というかもう言ってるので逃げていいですか?

 

「桃香」

「はい?」

「よく……聞いてほしい。俺はここに、学校についてを説明するためにきた……そうだったね?」

「うん。でも朱里ちゃんと雛里ちゃんには、教師役もしてくれるって聞いたよ?」

「将を相手に、“ちゃんと教えることが出来るか”って課題だったね。うん、覚えてる。で、その……授業には、関将軍も……?」

「当然だっ!」

「ヒィッ!?」

 

 ボソリボソボソと話していたはずなのに、カッと目を見開き叫ぶ関将軍。思わず同じ読み方の甘将軍たる思春に、ヘルプとばかりに視線を送ってみるが……わあ、無視だ。

 

「貴様、まさかこの機に乗じて桃香様によろしくないことをおおおお教えたり……! 許さんっ、この関雲長の目が黒い内は、この地で貴様の好きなようになど───!」

「……どうしてだろう。今の関羽さんなら、春蘭と仲良く出来る気がする」

「同感だな」

 

 俺の何気ない呟きに、思春が即答で頷いてくれた瞬間だった。

 ヘルプな視線はあっさり無視したのに。

 

「もー、愛紗ちゃんてばまだお兄さんのこと怒ってるの? その、べつに愛紗ちゃんが覗かれたわけじゃないんだから、そんなに怒ることないのに……」

「桃香様はもう少しご自愛すべきですっ! 誰とも知らぬ男に肌を覗かれ、事も無しとしたのでは示しがつきません!」

「え? いやあの……俺、戦ったよね……? かっ……華雄と戦わされたよね!? あれってなんのための戦いだったの!? 事も無しって、あの戦いさえ無かったことにされてるの!? ねぇ! 関羽さん!?」

「そうだよー、愛紗ちゃん。お兄さんはちゃんと戦って勝って、私にも許されたんだから。愛紗ちゃんが怒る理由、ないと思うよ?」

 

 うう……桃香、いい子だなぁ……。

 不可抗力とはいえ着替えを覗かれたのに、こうして庇ってくれるなんて……。

 ……いや、もしかすると天然なだけなのかもしれないけど。

 

「う……しかし桃香様」

「とにかくだめ。せっかく平和になったのに、小さなことで諍いを起こしてたら台無しになっちゃうよ。……それに、朱里ちゃんや雛里ちゃんの報告を聞けば、お兄さんが悪い人じゃないってことくらい……愛紗ちゃんもわかるよね?」

「そっ……それはっ、この男が朱里や雛里の前でだけ自分を演じただけかもしれないでしょう!」

「ウワー、凄ク信用サレテナイヤー」

 

 いっそ爽やかとも取れるくらいに信用されてない自分を笑いたくなった。

 ここまで嫌われてると、さすがにヘコムなぁあ……。

 

「えと……ごめん、話を進めてもいいかな。俺が関羽さんに嫌われてるのは、よくわかったから……」

「えっ、や、違うんだよお兄さんっ、愛紗ちゃんはただきっかけが掴めないだけで、本当は仲直りしたいな~って。ね? 愛紗ちゃん」

「有り得ません」

「もぉ~っ! 愛紗ちゃんっ!?」

 

 冷めた視線を俺にくれると、腕組みをしてそっぽを向きつつぶつぶつと呟き始めた。

 うん、ヘコミはするけど、慣れてないってわけじゃない。

 と、いうかね、桃香。今の言い方って、まるで謝れない子供を叱りつける母親のようだったよ?

 ……そっぽ向いてぶつぶつ言う関羽が子供っぽく見えるって意味では、あっさり頷けるほど納得だけど。

 

「それで……桃香。俺はこれからどうしたらいいかな」

「え? あ、うん。お部屋を用意してあるから、まずはそこに案内するね? それで……えっと」

「? ……ああ」

 

 胸の上で指を組みながら、ちらちらと思春を見る桃香。

 思春が一緒に来るなんて報せはなかったんだろう、戸惑いは当然だ。

 

「玄徳様、事情は存じておりましょうが説明させていただきます。私は自身の罪と孫策様の命により庶人扱いとなり、今はこの男……北郷の下に就いております」

「あ、はい、聞いてたけど……わー、本当だったんだぁ……」

 

 素直に驚いたらしい。

 ホワーと口を大きく開けたまま、俺と思春とを見比べている。

 そうして見比べられる俺はといえば、思春の口調に驚いて……うん、ホワーと口を大きく開けたまま固まっていた。

 てっきり孫家の人以外には敬語は使わないかと思っていたから、なおさらに驚いた。

 そんな俺の顔になにか関心を引くものがあるのか、朱里と雛里がじぃーっと見つめてきたり……いやほんと、なんなんだ? 俺の顔ってどこかおかしいんだろうか。そう思いながら二人の顔を見つめ返してみると、慌てた様子で目を逸らして……朱里が、桃香に話し掛ける。

 誤魔化したな……うん、誤魔化した。

 

「はわっ……そ、それでは桃香しゃまっ……はわわ、桃香さまっ、一刀さんたちをお部屋に……」

「あ、うん、そうだね。それじゃあ……」

「………」

 

 笑顔で頷きながらもチラチラと関羽を見る桃香───……え? ま、まさか桃香? 関羽に案内を任せるつもりか!? ちょっと待って!? いや永久に待っててくれていいからやめて!? 今その人、威圧感がすごいから! 漫画とかだったら仁王立ちに腕組みまでして、右肩の上部から“む”で始まって、波線で繋がれた“ん”が左肩上部にまで描かれてるってくらい、“む~~~ん”って感じの威圧感がすごいから!

 

「そんな自殺行───」

「っ!」

「───為、なんて思ってマセン!! お、おおお俺っ、かかか関羽さんに案内されたいなぁ!!」

「わっ、そうなんだ、よかったー♪ このままずっと仲が悪いなんて、悲しいもんね。……愛紗ちゃん、頼んでもいいかな」

「はっ」

 

 関羽がキリリとした表情で頷くと、俺の胃もキリリと痛んだ。

 俺と思春……じゃなくて、俺だけを一瞥したのちに歩き出す関羽に戸惑いつつもついていくと、思春も黙ってついてきてくれて───うん、先行き不安……いろいろと疲れる生活になりそうかなぁ……。

 でも衣食住が保証されているなら、そう悪いこともないか。うん、頑張っていこう。

 

……。

 

 ……などと思っていた時期が、俺にもついさっきまでありました……。

 

「………」

「………」

「………」

 

 案内されるままについてきてみると、

 

「ヴォルヒヒィ~ィィン」

 

 ……心地よい高音域で馬が鳴いてらっしゃった。

 え……? あれっ……? 目……っ、目が悪くなった……っ!?

 否……否…………っ! 馬屋…………っ! どう見ても馬小屋…………っ!

 

「え、えぇと……関羽さん? 馬でも愛でに来たんでしょーか……」

「………」

 

 問いかける俺に対し、彼女は馬小屋の隣、小さな……文字通りの“小屋”を目で促す。

 ……え? 隣になっただけで、結局馬小屋(隣)?

 

「………エ、エエト……?」

 

 状況が飲み込めず、カタカタと震える俺。

 そんな俺をほったらかしにすると、関羽は思春を連れてどこぞへ歩いていってしまった。

 

「───」

 

 残される俺。そして視界いっぱいに広がる馬小屋。

 

「……悲しい時は……泣いたって、いいんだよ……?」

 

 マイホームが出来ました。出来た途端に泣いてました。

 セルフ慰めももはや虚しいだけでしたさ……。

 

 ……ちなみに。

 この時、関羽も思春も俺についてくるように促してくれていたらしいんだが、馬小屋を宛がわれたと勘違いした俺はショックのあまりにそれに気づけず、多くは語ろうとしない二人に置いてけぼりにされた。

 それが冗談だったとわかるまで、まだしばらく時間が必要だった。

 必要だったのだ……。

 

……。

 

「昔ベツ○ヘ~ム~の~……馬ぁやぁ~どぉ~にぃい……うぐっ……ふぐっ……うぅうう……」

 

 馬宿に産まれしイエス様……ネロとパトラッシュと僕に贈られる奇跡の鐘は何処にあるんでしょうか……。

 馬小屋でTAIIKU-SUWARIをしつつ歌っている俺の目からは、もはや雇われ教師とは思えないくらいの待遇に感動の涙(皮肉)が溢れ出て止まりません。

 

「い、いやっ、こんなふうに泣いたら、ここで暮らしている馬に失礼だっ! 大丈夫だよ俺っ、呉では周々や善々と一緒に夜を明かしたことだってあるじゃないかっ!」

 

 最低限、寝泊りできる環境があるんだ……もはや何も言うまい。

 関羽さん……俺はこの待遇を、蜀における今の自分の地位とし、覚悟として受け取るよ!!

 

(覚悟───完了!)

 

 決まったらあとは早い。

 早速お世話になる場所の掃除を開始するべく、腕をまくってから鼻息も荒く作業に取りかかった。

 

「ふんふんふふ~~ん♪」

 

 敷き藁を天日に当てたり、タワシで壁や溝を磨いたり、雑巾がけをしていったりする。

 物置だったのか、清掃や作業に使われる道具一式は揃っていたようで、なんの不自由もなく行動に移せた。

 ふふふ、こう見えて雑巾がけなどの掃除は得意なのだ。稽古をつけてもらう代わりに、じいちゃんに道場の掃除をやらされた。

 ……最初は本当に“やらされた”んだけど、途中からは率先してやってた。自分を鍛える場所が綺麗になるのって、嬉しいもんなんだ。

 

「よしっ、あとは……オウ?」

 

 お馬様と目が合った。

 ……うぅむ、体を洗うにしても、こういう場所じゃなくて川とかでやるほうがいいよな。でもさすがに放すわけにはいかないし。

 

「お客さん……痒いところ、ありますか?」

 

 特に名案が思いつくでもなかったので、馬とスキンシップをとることにした。

 今はもう少なそうな、床屋の常套文句を使いつつ。

 

「ごめん、ちょっと触るな? ん、んー……」

 

 しなやかでありつつ、筋肉もしっかりとした様……しなやかマッスルに触れてゆく。

 時折に指を滑らせ、痒いところに反応があるかどうかを調べつつ。

 そういえば馬にもそういうのってあるんだろうか。犬とか猫はよく後ろ足で体を掻いたりしてるけど、馬のそれは……ちょっと想像つかない。

 痛覚がある限りは、そういうのもちゃんとあるだろうけど……うーん。

 

「指圧の心は母心~♪」

 

 ついでに、大きく盛り上がった背中……あ、いや、肩甲骨……でいいのか? ともかくそこに、軽い指圧をしてゆく───と、その馬は首を傾げるように振り向くと、俺の顔に自分の顔をこすりつけてきた。

 

「お、おおっ? もしかして気持ちよかったりするか? だったら……うん、嬉しいかなぁ」

 

 最初は助言者、次は教師……挙句が馬屋番バッサシ。というか馬屋に住む者になった俺。

 そんな俺にも誰かを喜ばせることが出来た……そんな些細なことが嬉しかった。……うん、まあその……相手がたとえ人間じゃなくてもさ……。

 

「いやいや、そんなことじゃいけないよな」

 

 呉で得た理想、誰もが笑っていられる世を作ろうって思いは実に素晴らしかった。

 そんな意思に関心を得たならば、動物にだって心地よく住みやすい環境が必要だ。

 

「よし……俺、頑張るよっ! 出来ることからコツコツと!」

 

 差し当たり、俺が出来ることは……この場に居る馬のみんなを喜ばせることのみに絞られる、というか絞る。

 さあ始めよう……刻んだ覚悟の分だけ、俺はここに居るみんなに笑顔を───!

 

「あ、でも勝手にそういうことやってると怒られる……か?」

 

 もしかしたら馬屋番の誰かがここの掃除をしていて、それで給金をもらっているかもしれない。

 だというのに、俺が勝手にそんなことをしたら……いつか華琳に怒られた時みたいに迷惑をかけてしまう。

 

「うぐっ……でももう随分と掃除しちゃったしな……」

 

 いや、今日はせめて、宛がわれた部屋の掃除をしていたってことで納得してもらおう。

 それじゃあ元気よく……いや待て、どうせなら───

 

 

 

-_-/馬超

 

 近々客が来る、と聞いてたけど、それが今日だと知ったのはついさっきだ。

 桃香様が魏からの……えっと、なんていったっけ……なんとか“ごう”……ほん? ほんだっけ、ほん、ごう、だっけ? ……ああそうだ、ほんごうとかいう男だった───を、迎えに行った。

 天の御遣いだかなんだか知らないけど、魏からの客人だからって桃香様が直々に迎えるっていうのもなぁ……相手は警備隊長なんだし。

 全員で、玉座の間で迎えるべきだと思ったけど、朱里の報せでは畏まられるのが苦手な相手だっていうことで、迎えるのは桃香さまと愛紗だけって形になった。

 心配っていえば心配なんだけど……愛紗が居るんだ、警備隊長くらいならたとえ暴れ回ったとしても、ものの数秒で鎮圧できるさ。

 

「ま、いいや。あたしはあたしの仕事を~っと……あれ?」

 

 今日も馬の世話を───と馬小屋にやってきた。

 それまではいい。それまではよかったのに……

 

「誰だっ!!」

 

 その馬小屋で、片腕で馬をべたべたと触っている謎の存在を発見した。

 紙袋を被ってる所為で顔は見えないけど……

 

「?」

 

 あたしの声が届いたのか、ぴくりと反応を示すと……軽く手をあげて、「やあ」と挨拶をしてきた。

 

「………」

 

 拍子抜けって、こういう時に使うんだなって……気が抜けた瞬間だったよ。

 

「な、なんなんだよお前! 軍馬に手を出してただで済むと思ってるのか!?」

「あいや、落ち着きめされい。我は校務道を極めし者、校務仮面。世にある雑用の全て、こなさずにおれん体質なのだ。どうか勘弁してほしい」

「は……? こ、こうむ……?」

「うむ。近々開かれる学校にて、雑用をこなす気である」

 

 声からして男らしいそいつは、紙袋をごそごそと鳴らしながら喋る。

 言葉を信じるなら───……あー、なんだっけ……学校っていったっけ? の、関係者らしい。

 けど、その“なんたら仮面”って名前は聞き捨てならない。

 

(こいつ、あの華蝶仮面とかいうやつの仲間か……?)

(……ちょっと正体がバレないように掃除するつもりだったのに……えらいことになった……!)

 

 心無し震えているようにも見える……けど。あいつの仲間だったとしたら、あれも油断させる手段なのかもしれない。

 

「おいお前……華蝶仮面の仲間か?」

「……かちょ? いや、聞いたこともないが」

「───じゃあもういい、まずはそのおかしな被りものを取って、顔を見せてもらおうか」

 

 槍は持ってきてないけど、注意だけは怠らないままに近づいていく。

 まさか、見せられないほど醜い顔があるわけじゃないだろうな……と少し不安に思いながら。

 

「いかん! 校務仮面の素顔は絶対に秘密なのだ!」

 

 けどそいつは、あたしがジリっと近づくや挙動をおかしなものに変えると、距離を取る。

 怪しんでくれって言ってるようなものじゃないか。

 

「…………今なら素顔をさらすだけで勘弁してやるって言ってるんだよ、当然そのあとは桃香さまの前に突き出してやるけど」

「それ全然“さらすだけ”じゃないよね!? 断固として断る! この校務仮面は、己の住む場所への感謝を込めて掃除をしていただけなのだ! 後ろめたいこと一切無し!」

「住むぅ!? なんだそれ、馬小屋に住むように言われたってのか!?」

「言われてない! 言われてないけど関羽さんにここに連れてこられた! 部屋さ……ここは部屋なんだ! この校務仮面にはもはや、ここが黄金卿にすら見えるさ理想郷にすら見えるさエルドラドだよちくしょぉおおーっ!! 部屋に案内するって言われたのに馬小屋に連れてこられたこの校務仮面の気持ち、誰が知る! それでも……それでも突き出すのってかぁあーっ! それでもさらしものにするってのかぁあーっ!! そっ……それでもっ……うぐっ……ぐすっ……うぇえええ……!!」

 

 うわっ、泣いたっ!?

 

「お、おいっ、なにも泣くことないだろっ!? わかった、わかったよ! ちゃんと事情聞いてやるから……!」

 

 なんだかよくわからないうちに、突然泣き出した校務仮面とかいうやつの話を聞くことになってしまった……。

 なにやってんだろ、あたし……。



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21:呉~蜀/一路、蜀国へ③

-_-/一刀

 

 不覚にも泣いてしまったのち。

 困った顔を浮かべるものの、聞く姿勢をとってくれたポニーテールな彼女に感謝しつつ、話をする。

 ……しかしなんだろう、何処かで見たような気がするんだけど……宴の時に会ってるのかな。

 

「へえ……じゃあ本当に愛紗に連れられてここに来たのか」

「はい……」

 

 頭には校務仮面を被せたまま、がっくりと項垂れてみせた。

 一応事情は理解してくれたらしく、彼女は「なにやってんだ愛紗のやつ……」と愚痴のようなものをこぼしている。

 

「それであんた、名前は?」

「校務仮面だ」

 

 訊ねられれば即座に姿勢を正し、誰の耳にも届くようなはっきりした声で名乗ってみせた……途端に胡散臭い視線を向けられてしまった。

 

「格好としての名前じゃなくてふつーの名前だよ。あるだろ? あたしは馬超。字は孟起だ」

「ば……あ、あーあーあー!」

 

 馬超……馬超か! どうりで見た覚えがあると……! ううん……ここは秘密だとか言ってる場合じゃあ……ない、か……?

 蜀の将が名乗ってくれたのに、それを返さないとくれば無礼にもあたる。仕方ない……よな。ごめん、校務仮面……自ら正体を明かす俺を許してほしい。

 

「ふぅ……俺は北郷一刀。魏で警備隊長をさせてもらってる。宴で顔合わせくらいは出来てたと思うけど」

「へ?」

「え?」

 

 校務仮面を取って、真っ直ぐに馬超の目を見ながら名乗った……ら、馬超は目をぱちくりと瞬かせたのちに───

 

「あっ……あぁあぁあーっ!! お前っ! 桃香様の着替えを覗いたっていう天の御遣いっ!!」

 

 人を指差しながら、大声でとんでもないことをおっしゃいました!!

 

「それはもうわかったから大声で叫ぶのやめてくれお願いだからっ!! 関羽さんに嫌われたり華雄と戦わされたり、関羽さんに恨まれたり馬小屋を部屋に宛がわれたり関羽さんに睨まれるだけじゃなく、さらに曝し者にする気なのかっ!?」

「あ、あぁああ悪いっ、悪かった! あたしが悪かったから泣くなよっ……!」

「え? うわっまた泣いてる!」

 

 言われてみて、視界が滲んでいることに気づいた。

 ああ……俺、蜀に居る間中はずぅっと変態覗き魔として十字架を背負わなきゃいけないのかな……。王の着替えだもんなぁ、そりゃ引きずるよなぁ。

 そんな未来に軽く眩暈を感じながら、ばつが悪そうにする馬超さんに“この世界に戻った時のこと”を事細かに説明し始めた。

 

……。

 

 ……さて。

 懺悔室で神父様に悲しみを打ち明けるような気持ちで、馬超さんに自分の罪を打ち明けた。

 覗くつもりもなければ、偶然が罪になってしまう悲しき状況で、果たして俺はベツ○ヘムで暮らすべきなのでしょうか否か。

 ……いや、正直に言えばもう覚悟を決めてしまったあとなので、今さら部屋に案内されても頷けるかどうか。

 

「ふ、不可抗力だろうが覗いたのは事実なんだろっ? だったら完全にあんたが悪いんじゃんか、このエロエロ大魔神っ!」

「………」

 

 ベツ○ヘム(馬小屋。勝手に命名)在住決定。俺もう馬小屋在住の遠征痴漢野郎で結構です。

 エロエロ大魔神……エロエロ大魔神か……ハハ……いろいろありすぎて否定できないよ、魏のみんな……。

 と、落ち込んでいる俺の腹に、ごしごしと顔を摺り寄せてくる馬が一頭。

 

(ああ、そういえばこいつのマッサージ、やり途中だった)

 

 胸にぐさりと刺さった棘を落とすように、馬のマッサージを再開する。

 人間のものと感覚が同じかどうかは別として、より負担のかかりそうな場所に、最初は軽く、次第に強く。

 それが気持ちいいのか、馬はさらにさらにと顔を擦り付けてくる。

 

「ちょ、ちょっと待った、くすぐったいって! ていうかそんな押されるといっだぁああああああーっ!?」

 

 少し距離を取ろうとした途端、さらにと寄せてきた馬の頭が治りきっていない腕に衝突。痛みはもう随分引いていたけど、やっぱり衝撃があると響く。

 

「……麒麟が一目で懐くなんて……」

「?」

 

 麒麟? 麒麟っていうのか、この馬。

 

「なぁあんた、もしかして警備隊長ってのは嘘で、名のある馬屋番だったりするんじゃないのか?」

「名のある馬屋番ってなに……? いや、生憎と馬に乗るのもまだまだ不慣れで、誰かに誇れるほど、馬との付き合いはないかなぁ」

 

 魏では多少かじった程度……普通に乗れる程度の経験しかない。

 思い返してみれば、関羽さんや恋を相手に立ち回っていた華琳を馬に乗って助けに入ったのは、相当な無茶だったと震えられるくらいだ。

 あの時、もしも呆れるくらいに馬に乗ることすら出来なかったら……俺はその時の自分を一生恨み、悔いていただろう。

 経験っていうのは大事だよな、それが後悔だろうと楽しいことだろうと。何気ないところでも、何かの糧になってくれる。

 嫌々やり始めたことだろうが実りになって返ってくれば、経験を積むことにも躊躇なんて無くなるもんだ。

 

「あ、でも警備隊の仕事は本当に誇りに思ってるし誇れるよ。自分が頑張れば頑張るほど、民や兵が笑顔になってくれる。……てっきり、ずっとそうやって笑顔を見守りながら過ごしていくんだろうなぁって思ってたのに」

 

 どうして俺、呉に行ったり蜀に来たりしてるんだろうね。

 ……と、そういうふうに思うことはあっても、それが後悔に向かうかといったらそうじゃない。

 結果として冥琳を救うことが出来たし、呉にも笑顔が増えてくれた。友達も出来たし、信頼も得られた。

 

「結局さ、とんでもないことに巻き込まれたなーとは思うけど、自分の足で、意思で、華琳の隣に居たいって思った時から……その“とんでもないこと”は俺にとっての常、ってやつになってて……“日常”ってやつだったのかもしれない」

「日常?」

「そ、日常。だからさ、情けないことに泣いたりもしたけど……良かったらここ、使わせてもらえないかな。理由はどうあれ、こうしてここを宛がわれたのも何かの縁だと───無理矢理思うことにした」

 

 ……俺の突然の言葉に、ポカンとする馬超。

 本当に突然な言葉だったろうから気持ちは解らないでもないし、そもそも“馬小屋に住まわせてくれ”なんて言う客人なんて普通は居ないだろう。呆れるのも頷けすぎる。

 

「あ、や、まいったな……んなこと言われたって、あたしが勝手に許可出せることじゃないしさ……」

 

 当然のことながら馬超は眉を八の字にしつつ、困った様相で頭を掻き始めた。

 

「それ以前にいくら愛紗に嫌われてるからって、あの愛紗がそんな陰険なことを本気でするとは思えないんだけどなぁ」

「え……じゃあ冗談だったのを俺が本気にしちゃった……とか?」

「あたしはそう思うけどな」

「………」

 

 ……ありえるかも。

 そういえばショックのあまり呆然としてたし、その時になにか耳に届いたような届いてないような……あ、あれぇええ……!?

 

「で、どーすんだよ。誤解かもしれないって思ってて、まだここに住むとか言うのか?」

「言います」

「言うのかよっ!?」

「だってもう覚悟決めちゃったし……決めた覚悟は意地でも貫くって決めてるんだ。なんかもう今さら泣きたくなってきたけど、俺は俺の覚悟を貫く!」

 

 そうと決まれば善は急げだ。

 力強く頷くとともに駆け出し、さっきまで桃香が居た場所へと向かった。

 後ろから馬超の俺を止めようとする声を聞き流しながら。

 

……。

 

 で……

 

「許可を貰ってきたよ~」

「なぁああーっ!?」

 

 しこたま驚かれた。

 

「あ、あんた魏からの客人だろ!? それがどうして馬小屋に住むことを許可されるんだよっ! いくら桃香さまでもそんなことの許可なんてしないはずだぞっ!?」

「“馬と仲良くなりたいから”って言ったら満面の笑顔で“それじゃあどうぞ”って」

「うぁ…………言われてすぐに“言いそうだ”って納得できた……。なにやってるんだよ桃香さまぁ~……」

 

 桃香はどうも、“仲良く”って言葉に弱いのかもしれない。

 結果としてそれに付け込むような形になって申し訳ないが、これも男の小さな意地のためと思って。

 

「えっと……馬超さん。なにかやっちゃいけないこととかってあったりする? 馬と一緒に生活するにあたって、気を付けることとかがあったら教えてくれるとありがたいかも」

「………」

「?」

 

 訊いてみるが、なにやらじーっと顔を睨まれるだけで、返事はない。

 俺もその視線から目を逸らすことなく見つめ返すと、馬超は急に顔を赤くしてそっぽを向いてしまい───

 

「な、なぁあんた。ほんとに、ほんっと~に、ここに住む気なのか?」

 

 そんな状態のまま、視線をこちらには向けないでそんなことを訊いてくる。

 もちろん俺はその質問にうんと頷いて、お世話になりますと言ってみせた。……もう後には引けない。

 

「そっか……はぁ。……あんた変わってるな。魏の連中って、もっと固いやつらばっかりだと思ってたのに」

「……? 固い、かな。結構砕けてると思うけど……ああでも確かに、華琳以外にはそういうところを見せない人ばっかりかも」

 

 季衣や流琉、凪に真桜に沙和、霞や春蘭や風…………あれ? 思い出すだけでも結構砕けてそうなヤツ、居るぞ?

 秋蘭や桂花や稟は確かにキリッとしたイメージが沸きそうではあるけど、それ以外は打ち解けやすいと思うんだが……。

 けどまあ、気持ちはわかる。

 魏は“そういう空気”を纏ってる感があるにはある。

 なにせ王が華琳なんだ、自然とそういう空気を纏ってしまうのも仕方ない。

 

 どう仕方ないんだーと訊かれたら……ううむ、どう説明したらいいものか。

 華琳にはこう……桃香や雪蓮にあるような、にこーとした雰囲気がない、と言えばいいのか? 年中キリッとしてるわけじゃないけど、誰かに寄りかかることを良しとせずに生きる者、というか。

 だからこう、宴の時に俺の胸の中で眠ってくれた時はかなり感激だった……のは、華琳にはずっと内緒にしておこう。じゃないと殺されそうだ。

 殺されないまでも、張り手のひとつは飛んできそうだもんなぁ。

 

「………」

「?」

 

 思考が顔に出てたのか、馬超が俺を物珍しげに見ていた。凝視と言ってもいいくらいにだ。

 さっきまでそっぽ向いてたのに……俺の顔って珍しいのかな。呉でもしょっちゅう見られてた気がするし……。

 

「……なにかついてる?」

「! なっ……ななななななにもっ!? べつにあんたの顔なんか見ちゃいないさっ!! なに勘違いしてんだよっ! べつにあんたのニヤケた顔なんてっ……!」

「……え? 俺ニヤケてた?」

「うぁっ……しし知らないって言ってるだろ!? ~っ……あたしもう行くからなっ! 住むっていうなら勝手にすればいいだろっ!?」

「え、あ───」

 

 呼び止める間もないままに走っていってしまう馬超さん。

 あれ? 俺、まだ注意するべきこととか全然聞いてないんですけど……? 勝手に……? 本当に勝手にしていいの? それよりも思いきり避けられたというか逃げられた気がして、むしろそれがショックというか。

 

「……誰か今の状況を事細かに教えてくれる人、居ませんか……?」

 

 だからだろう。

 微妙な心細さが心に突き刺さったとき、そんな言葉が口から漏れて───

 

「ここに居るぞーっ!」

「うわっ!? だだ誰だっ!?」

 

 ───呟きに返事が返ってきたもんだから、ビクゥと肩を振るわせて辺りを挙動不審者のように見渡しまくった。

 すると、馬小屋の裏側からひょいと顔を出す少女……!

 少女……少女が……………………誰?

 

「あの、失礼ですがどちらさまで?」

「ありゃっ……もうっ、ここはもっと溜めて、ばばーんとたんぽぽが名乗るところだよ~?」

「───」

 

 口調、物腰、纏っている雰囲気……宴の時に出会ってはいるはずだが、感じたものの全てで判断しよう……彼女は間違い無く“シャオ”と同じ、もしくは近い雰囲気を纏っている。

 俺の心が気を付けろと必死に訴えかけている。

 

「えーと、それでその、いったいどこから聞いてらっしゃったんで?」

「むかしべつれ○~む~の~、ってところから」

 

 最初からだった。しかも聞かれてた……歌聞かれてた! はっ……恥ずかしぃ……!

 

「あははははまあまあ、そんなに恥ずかしがることないじゃん。哀愁漂っててとってもいい歌だったよ? たんぽぽ的には、宴で歌ってた歌のほうがじぃんときたけど」

「うぐっ……」

 

 やっぱり宴で会っているようだ。

 そういえば季衣や流琉、張飛と混ざってほわーほわーと叫んでいた子の中に、こんな子も居たような……。

 

「おにいさんって歌人かなにかなの? 警備隊の隊長さんだって聞いてたけど」

「普通に警備隊の隊長だよ。天の御遣いは役職じゃないと思うし」

「へぇえ~……」

 

 なんか……物凄い勢いで全身隈なく見られてる……。

 桃香との謁見に合わせて、服はフランチェスカの制服を着てたわけだけど……それが珍しいのか、本当にじろじろと。

 

「綺麗だね~、何で出来てるの?」

「ポリエステル……って言ってもわからないか」

「ぽりえすてーる? それって上等な絹かなにかの名前?」

「化学繊維……天然繊維じゃないよなぁ。えっと、天の国の素材で作られた服なんだ。天の国の学校では、大体がこういう服を着るのが義務付けられてる」

「えっ、そうなんだっ? じゃあもしかして、ただで貰えたりとかっ……」

「それはない」

「あっはは、だよね~♪」

 

 退屈してたのか、普通に話すだけで楽しそうだ。

 そして質問の答えは依然として返ってこなかったりする。

 ……俺、一番最初に“誰?”って訊いた……よなぁ?

 

「それでえぇと……俺は北郷一刀。ここには学校のことについての助言と、お試し教師をするために来たんだけど。名前、よかったら教えてもらえるか?」

「そしてたんぽぽもお姉様みたいに口説き落とすんだねっ……!」

「落としてないし落とさないしお姉様って誰!?」

 

 軽く握った手を口に添え、物憂げな顔をして言う彼女にツッコミ三閃。

 お姉様、ってところには先ほど物凄い速度で走っていったポニーさんが該当しそうだけど、落とすつもりも落としたつもりもまるでない。

 しかし俺の慌てっぷりがお気に召したのか、少女はにっこりと笑うとようやく自己紹介をしてくれる。

 

「お姉様はお姉様だよ、従姉の馬超お姉様。で、たんぽぽの名前は馬岱。蜀の南蛮平定美少女戦士とはたんぽぽのことだぁーっ!」

 

 エイオー! と右手を天に突き上げて元気よく発声。

 うん、本当に元気だ。シャオと同じ感じがしたと思ったものの、そんなものはどうやら第一印象だけだったらしい。

 少し子供っぽいところはあるものの、それも歳相応といった感じで、シャオのように無理な背伸びはしてなさそうだ。

 

「で、その美少女戦士さんは……いい加減状況を事細かに説明してくれるのでしょうか」

「つれないなぁおにいさん。もうちょっとたんぽぽに付き合ってくれてもいいのに。あ、もしかしてお姉様に夢中? お姉様とお近づきになりたいとか? ───だったらまずたんぽぽを倒してから言えぇえーっ!!」

「まずは人の話をきちんと聞かないか!? どこでなにがどう誤解になってるのかがこっちもわからないから!」

「問答無用! お姉様に近づく輩はたんぽぽが認めない以上はたとえお姉様が許してもたんぽぽが───! ……あれ?」

 

 馬岱が背中に手を回す! ───ミス! 武器は持っていないようだった!

 

「うゎえっ!? あ、あれっ!? おかっ、おかしいな、や、槍、どこに置いてきちゃったかなぁ~……」

「………」

「……えっと」

「………」

「…………許す!」

「……お願いします……話、聞いてください……」

 

 武器がないと知るや、腕を組んで胸を張る彼女に脱力以外のなにも生まれなかった。

 

……。

 

 で、砕けて話し合ってみれば解ることもあるもので、馬岱はむしろ味気ない日常にはうってつけの調味料を見つけたとばかりに、俺のことを根掘りまがいに訊ね続けた。

 え? こっちの質問? うん、ほぼがスルーです。

 

「ねぇねぇおにいさん? おにいさんはさぁ、魏のみんなを抱き締めちゃったわけだよね?」

「………」

「誰が一番よかったの? やっぱり胸の大きい人? それとも慎ましやかな───」

 

 シャオが自分の恋慕に真っ直ぐ正直なら、馬岱は他人のことに真っ直ぐだ。わかったのはそれだけ。

 あれだな、奥様が話題を欲するあまりに、立ち入ったことを訊き漁るアレによく似ている。

 “名乗りあったばかりの人にそれを訊くか”と言い返したいことばかりを平然と訊いてくるもんだから、こちらとしても面を食らうばかりで……面を食らってたらどんどんと話が勝手に広がるし、否定しようとしても笑顔でスルー。

 ……神様、僕もう逃げていいですか?

 

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)

(も、孟徳さん!)

 

 出る!? 出るって何処にですか孟徳さん!

 ……ハッ、そうか! スルーされるからって受身のままなのがいけないんですね!?

 よ、よし! だったら……乗ってやるぞ、その話に!

 

「馬岱!」

「ひゃあっ!? え? な、ななななにかな、おにいさん。まさかこんな話してて、たんぽぽに欲情しちゃったとか───」

 

 休むことなく喋り続ける馬岱の左肩をガッと掴み、その眼を真っ直ぐに覗き込む。

 途端に彼女の表情に焦りが生まれるが、もはや遅い。

 

「……今ここに居るのは俺と馬岱だけだ。この意味、わかるよな?」

「えっ……や、やだっ、まさか本気で……?」

「ああ、本気さっ。本気じゃなければこんなこと、出来るもんかっ!」

「で、ででででもおにいさんっ!? たんぽぽたち出会ったばっかりなのにっ! ほらっ、名前だって知ったばっかりなんだよっ!?」

「促したのは馬岱だ……俺も、もう覚悟を決めた」

「はうっ……! や、やっ───」

 

 そう、俺はもう覚悟を決めた。

 真っ直ぐに見つめるままに、震える彼女へと顔を近づけ───

 

 

 …………魏のみんなといたしたことを、その耳元で赤裸々に語ってみせました。

 

……。

 

 ふしゅぅううう…………

 

「はう……はぅ、はぅう……」

「………」

 

 今の心境を一言で片付けるとしたら、「やっちまった……」に限るんだと思う。

 質問攻めにぐったりしていたのは事実だが、なにもこんな少女な彼女にアレやコレやを生々しく伝えることはなかった……うん、なかった。

 お陰で馬岱は顔を真っ赤にさせて目を回しながら、馬小屋の戸に背を預けてへたり込んでしまっている。

 心なし、湯気が出ているようにも見える……刺激が強すぎたんだ、正直にごめんなさい。

 

「けどこれで少しは───ハッ!?」

 

 待て!? これってもしかして……教師として蜀に来た俺が初めて教えたこと……ってことになるのか!?

 

「………」

 

 今度は俺が、戸に背を預けて崩れ落ちる番だった。

 ……変態教師って噂が流れないよう、ただただ祈ろう……本気で。

 



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蜀国修練編
22:蜀/違和感の片鱗、顔合わせでの出来事①


46/顔合わせ

 

 蜀の忙しさは結構なものであり、桃香も関羽さんも忙しさの合間に迎えてくれたらしく、何処を歩き回ってもみんながみんな走り回っているような状態だった。

 俺はといえば、よろよろと歩いていく馬岱を見送ったのちに馬小屋の清掃を終え、そういえばこれからの予定とかをなにも聞いていないことを思い出し、朱里と雛里を探して歩き回っていたのだが。

 この目で見るその忙しさっぷりに開口。閉口が出来なくなるような状態であり、ちらほらと見かける張勲が涙目で作業する姿には、なんとなくごめんなさいを言いたくなった。

 三国に降ってもらおう、って言ったのは俺だもんな……うん。

 何か手伝えるものはないかなと声をかけてみるも、急に混ざられても混乱するだけだからと断られる始末。

 だったらと足を別の方向へと向け、歩くことしばらく───建設中の学校を見つけ、ホウ……と息を吐いた。

 

「へぇえ……」

 

 纏めていた通り、それは結構な大きさだ。

 しっかりとグラウンドもあるところに特に驚く。

 勉強だけじゃあもやしっ子になるだけだからと助言をした形がこれか……すごいもんだ。

 

(あ、朱里と雛里)

 

 作業をしている男たちの中に、大まかな見取り図を書いてあるであろう紙を広げ、話し合っている少女二人を発見。

 指示をする二人の少女はキリッとしていて、とてもはわはわあわあわ言っていた二人には見えない───と思うのも束の間。

 突然吹いた強風に見取り図を飛ばされると、「はわわーっ!?」とか「あわわっ……!」とか叫ぶ始末であり、なんというかこう……うん、やっぱりあの二人だなぁとしみじみ思う俺が居た。

 

「ほっ! ……ふう」

 

 丁度こちらに飛んできてくれた見取り図をバシッと掴むと、慌てて駆けてきた二人に「はい」と渡す。

 二人は腹の底から安心したような溜め息を吐くとそれを受け取り、ぺこぺことお辞儀を……って、

 

「お、お辞儀はいいからっ、二人とも顔上げてっ」

「うぅ……助かりました……」

「ありがとう、ございます……」

「気にしないでくれって……よかったよ、こっちに飛んできて」

 

 キリっとした顔は何処へやら、持っていた風船が飛ばされてしまった子供のような顔でしょんぼりしていた。

 そんな顔を見ていたら、この手が自然と頭を撫でようと動きだしたのだが───さすがに蜀国内。軍師様にそんなことをしては、周りからの二人への印象が悪くなるのでは……と考えたら、伸ばしかけた手はピタリと止まった。

 落ち着け俺……指示を出す軍師がそんな、この国の将でもない輩に頭なんて撫でられてたら、作業中の工夫に示しがつかないだろう。

 ……というかそもそも、どんな時でも撫ですぎだ、俺。

 ここは魏じゃないんだ、二人の頭を安易に撫でたりするのは危険として構えよう。

 

「………」

「………」

「う……」

 

 そう決めたのに、二人が伸びかけた俺の手をじぃーっと見るわけだ。なんかこう……下ろすに下ろせない状況といいますか。どうしよう。

 いや一刀よ、ここは鬼になれ……じゃないだろ、これくらいで鬼とか言っててどうする。

 

「朱里、雛里……ほら、一応みんなの前だからさ……。他国の警備隊長に頭を撫でられるとか、示しがつかないだろ……?」

 

 だから小声で、そっと囁く───と、ショックを受けたと言わんばかりの表情ののち、寂しげな顔をして俺を見上げて───いや孔明さん!? 士元さん!? 仮にも蜀の名を担う軍師様がそんな、頭を撫でられないだけで悲しそうな顔しないでください!

 たしかにことあるごとに頭を撫でたりしてたけど、それが今さら無くなったからってショック受けること……あれぇ!? なんで!? なんでこんな罪悪感を味わってるの俺!

 

「そ、それでさ、朱里、雛里……俺、蜀に来てからなにをどうすればいいのか、聞いてなかったんだけど……。あ、いろいろあって寝泊りする場所を馬小屋にしてもらったんだけどさ、一応桃香に許可もらって───……えーと」

「………」

「………」

 

 ……落ち込んでしまった。

 俯いたまま顔を上げてくれず、返事も特に無しという、とても息苦しい状況の完成である。

 どうしてこんなことに……とは思ったものの、ふと思い当たることがあったにはあった。

 国に戻れば軍師として働いて、思いつく限り、閃く限りの最善を提案しなければならない立場にあって、常に気を張って視界を広げ、トラブルが起きればそれを解決するためにまた知恵を絞る。

 ようするに彼女たちにとっての俺は……蓮華にとっての俺がそうであったように、“甘えていい場所”なのかもしれない。

 けど待とう。それは嬉しいが、気を張るべき場所でも甘えてしまっては彼女らのためにならない。

 ならばどうするか───

 

「……時間が取れたらいくらでも付き合うから。今は、ちゃんと仕事に目を向けような?」

 

 再び小声で。

 途端に頭の中で、華琳の声で「甘いわね」とツッコまれた気がした……けど、聞こえた声が笑み混じりのものだったからだろう。俺も頭の中で「違いない」と笑って返して、二人に「頑張って」と……それだけを伝えた。

 

「……!」

「………」

 

 するとどうだろう。

 朱里はきゅっと拳を握り締め、雛里は帽子の位置を軽く直すと頷いて……工夫ざわめく男の楽園へと走っていった……はずが、ぱたぱたと戻ってくる。

 

「かじゅっ……一刀さんっ、陽が落ちてから、その、蜀の将全員と一刀さんの顔合わせを予定していますので……えと、忘れずに覚えておいてくださいっ」

「へ? 顔……えぇっ!?」

 

 何を言いに戻ったかと思えば、そんなとんでもないことを!?

 や……それはたしかに、顔も知らないヤツから急に「教師です」とか言われても困るだろうけどさっ!

 でも宴で歌わされたからには知ってる人も居るだろうし……いや待て、そういえば酔い潰れて寝てた人や、俺が一方的に知ってるってだけの人や、相手が一方的に知っているだけの人も……うう。

 

「あ、それから馬小屋に住む件ですけど、私と雛里ちゃんとで桃香さまに却下を出させていただきますね?」

「エ……それはちょっと」

「だめです、却下です」

「や、だから」

「だめです」

「あの、覚悟がね?」

「だめです」

「でも」

「だめです」

「………」

 

 お……怒って……らっしゃる?

 取り付く島が見当たらない……ここは何処の大海原で、どうして俺はそんな大海に放り出されたのでしょうか。

 怖い……! 笑顔なのに怖いよ朱里……!

 

「ひ、雛里───」

「却下……です……♪」

 

 ゆったり笑顔で却下された。

 

「甘寧さんにはきちんと部屋が用意されています。はい、そこが一刀さんの部屋なわけですけど。庶人扱いの甘寧さんが部屋で寝泊りするんですよ? それなのに桃香さまが“来て欲しい”と招いた一刀さんを馬小屋で寝泊りなんかさせたら、“示し”がつかないじゃないですか」

「………」

 

 ウアー……怒ってる、笑顔なのに怒ってる。

 しかもやばい、逃げ道塞がれた。他でもない自分の発言に。

 

「それでは、夜のこと忘れないでくださいね。いこ? 雛里ちゃん」

「うん……♪」

 

 ……少女二人が満面の笑みで駆けて行き……そして俺だけがぽつんと残された。

 いや……うん……なんて言っていいやら……。

 

「この北郷も老いておったわ……。かの諸葛亮、鳳統の理性の量を見誤るとは……」

 

 “寄りかかってもいい場所”を見つけた人っていうのは、これで案外強くなれるのかもしれない。

 寄りかかる場所自身に矛先が向くのはどうしてなのかーとか、そういうことは度外視するにしても。

 

(……とりあえず馬超さんと馬岱を探そうか)

 

 馬小屋の件は却下になりましたと伝えないと……。

 

……。

 

 時は流れて夜。

 陽が暮れる頃には蜀のみんなの仕事も多少の段落を得たのか、本当の本当に顔合わせをすることとなった。

 忙しい中でそんなことしなくてもと止めはしたんだが、みんなはみんなで“天の御遣い”っていうのをじっくりと見たかったらしい。

 玉座の間に集った蜀の主要人物を前に、俺……萎縮しっぱなし。

 隣で桃香がにこにこしていたりするが、それでも気分はソワソワしたりでまいっている。

 なるほど、呉での朱里と雛里はこんな気分だったに違いない。

 そんな中で、同じく別の国の存在(俺だけど)が居れば、多少の気休めにはなったんだろうけどさ。……俺もそんな存在を募集したい気分だよ。

 気を紛らわす意味も込めて、隣の桃香に「王なのに玉座に座ってなくていいのか?」という質問をしてみるも、「お友達とお話するのにあんなところに座ってるの、変だよ」とあっさり返された。

 なるほど、違いない。

 

「お兄さん、そんなに固くならなくても大丈夫だよ? みんなとってもやさしいから」

「桃香? たとえば自分一人が魏国に招かれて、魏の将全員に囲まれる自分を想像してみてくれ。しかも自分は、事故とはいえ相手国の王の着替えを覗いちゃったんだ」

「………………ごめんなさいぃ」

 

 例えをあげただけで、線にした目からたぱーと涙が溢れてた。

 ……さて、ともあれ顔合わせというからにはみんなの顔を知って、自分も知ってもらう必要があるわけだけど。

 

『………』

「あ、あのー……?」

 

 見られてる。

 ものすごーく見られてる。

 みんなきっかけが掴めないのか、ただ様子を見ているのか、じろじろと見てくるだけで近づいて来ることはしない。

 ……と思えば、どこか楽しげに歩いてくる女性が一人……趙雲さんだ。

 

「これが噂の御遣い殿か。なるほどなるほど、気弱そうに見えて、中々不思議な氣を纏っている」

「……どーも、趙雲さん。こうしてまともに話すのは、槍を突きつけられて以来になるのかな」

「ふむ? ……おお、そういえばそんなこともあったかな」

 

 思い出すのはこの世界に初めて降りた時のこと。

 右も左も解らない状態で、身包み剥がされそうになっていたところを助けられ、真名というものの意味を知りつつ槍を突きつけられたね、うん。

 

「だがあれは御遣い殿に責があろう。許可なく真名を口にしたのだから、問答無用で貫かれていようが文句は言えぬというもの」

「ん……そりゃあ今でこそ頷けるけどさ。真名を知らない天の住人がこの世界に降りたら、一日で何人死人が出るかわかったもんじゃないよ、その理屈」

「む……知らぬは罪にならぬと、そう言うつもりか」

「知らないまま問答無用で殺されるのは可哀想だって話。もしそういうことがあっても、まず一度だけ待ってやってほしいかなって。そういう意味では、あの時は突きつけるだけに止めてくれて本当にありがとう、趙雲さん」

 

 正直、あそこで死んでたら恨みがどうとかのレベルじゃなかった。

 どういう理屈で“俺”が降ろされたかは知らないけどさ、助けられた相手に殺されたんじゃああまりに浮かばれない。

 

「……ふふっ、曹操殿のもとに降りただけあって、中々話せる。さて御遣い殿、我が名は趙子龍。お主の名をお聞かせ願いたいのだが?」

 

 ありがとうと真正面から言われたことが可笑しかったのか、趙雲は妖艶に笑んでみせると名乗ってくれた。

 ……あの時もせめてこうして、まず名乗ってくれれば……と思うのは贅沢でしょうか、趙雲さん。

 

「姓は北郷、名は一刀。字も真名もない世界からこの大陸に来た。天の御遣いとか呼ばれてるけど、なにか特別に凄い事ができるとかそんなことはないから、普通に接してくれると……その、ありがたいです」

「ほほう……これはおかしなことを。特別なことが出来ない者を、曹操殿がいつまでも傍に置いておくとでも? 北郷殿の考えがどうであれ、曹操殿や魏の将にしてみれば、お主という存在に“見えるもの”があったからこそ傍に置かれたのだろうに。……というか最後の後込(しりご)みはどういう意味か」

「や、だから……俺自身が俺自身をそう特別だなんて思ってないんだ。庶人が蜀の主要人物に囲まれれば気後れしまくりにもなるでしょ? そういう心境なの、今の俺」

「………」

 

 ぽかんとした顔で見られる……けど、事実は事実。

 特別なことが出来ない者を傍に置くはずがないってことだって、最初は天の御遣いっていう“名前”に利用価値があったから傍に居られただけだ。

 そうやって考えれば、警備体制の見直しや三国志に関する知識を使った助言が出来たこと以外に、主立(おもだ)った“特別”があったかどうか。

 “現状維持は大事だけれど、進む意思がないのなら、普通とさえ呼べない”と彼女は言った。

 以前と比べれば、自分にはそれなりの進歩があるかもしれないが、あの頃を思えばよくぞ捨てられなかったな、と。そんな考えが顔に出ていたのだろうか、趙雲はクスリと笑うと言う。

 

「なるほど。北郷殿が特別なことをしたのではなく、“曹操殿らの中で”、北郷殿が特別なものに変わってしまったと。なるほどなるほど、それは手放せぬはずだ」

 

 特別……になってくれているんだろうか。

 イマイチ自分自身にはそう自信を持てない。けど、そう言われて悪い気はしない。

 悪い気はしないから……愉快そうに笑う趙雲を前に、俺も小さく笑みをこぼした。

 そんな笑みに多少の気を許してくれたんだろうか、てこてこと歩いてくる影ひとつ。

 

「面白い話をしてるなら鈴々も混ぜるのだっ」

 

 張飛である。

 俺と趙雲の傍まで歩いてくると、両手を頭の後ろで組んで、にししーと笑いながらのこの言葉。

 離れた場所では関羽が「こら鈴々っ」と声を張り上げていたりするんだが……いやほんと、嫌われたもんだなぁああ……。

 

「……大丈夫? あとで怒られたりしないか?」

「にゃ? どうしてなのだ?」

「ほら、俺……関羽さんには滅法嫌われてるし」

「愛紗だけじゃないのだ、焔耶にも嫌われてるのだ」

「………」

 

 少女の……少女の無邪気さが胸に痛い……!

 焔耶……? 焔耶って誰……? と辺りを見渡してみると……黒髪に、白に近いほど薄い肌色の髪が混ざった女性が、人をも殺せる眼光で睨んでいて───って、あー、あの人かー。間違いないよ絶対あの人だー。

 気づかなければよかった。絶対に本能的に気づこうとしなかったよ今までの俺。

 だって今まで気づけなかったのが不思議なくらいに殺気放ってるし。

 頼む、お願いだ……今一度働いてくれ、精神の防衛本能……!

 胃が……胃が痛い……! キリキリ痛い……!

 

「その……張飛は怒ってないのか?」

「お姉ちゃんがいいって言ってるのだ、鈴々が怒ることじゃないのだ」

「……人間って温かいなぁ、趙雲さん……」

「ふふふっ、これはまたおかしなことを。その人間に、殺気を込められ睨まれているのだろうに」

「……そうでしたね、はい……」

 

 殺気を込められているのを知っているのに、軽く笑って流すなんて貴女も中々にひどいです。

 それでもそうして笑ってくれるなら、俺も軽く流すことが……すいません出来そうにないです、胃が痛い。

 

「焔耶ちゃんもあんなところで見てないで、こっちに来ればいいのに……」

「あの、劉備様? 来たら僕の首が飛びそうなくらい睨んでらっしゃるんですけど?」

 

 貴女はそれを“見てないで”で済ませてしまうのですか?

 見るっていうか睨んでますよ? あまりの殺気に泡噴いて気絶したくなるくらい睨んでますよ!?

 

「劉備様、じゃなくて桃香だよ。友達は友達を様づけでなんて呼ばないんだよね? お兄さん」

「………」

 

 はい……俺が朱里や雛里に言った言葉ですね、それ。

 明命と亞莎がそうだった分、せめてと拝み倒して了承を得たんだけど……今の“劉備様”はそういった意味で言ったわけじゃないと、せめて悟ってほしかったです、はい。

 と、そんな会話さえ聞いていたんだろうなぁと心配しつつ、ちらりと、えーと、え、えんや……さん? の方を見てみれば───あぁああああほら! 睨みがさらにヒートアップしてるよ! 友達って言葉にメラメラと怒りの炎のようなものが! 怖ッ! 関羽さんの比じゃないよあれ! なにが彼女をああまで怒らせているのですか!? ……覗きだよねごめんなさい。

 

「あ……でもごめんなさい、お兄さん。馬小屋のこと、朱里ちゃんと雛里ちゃんに……その。魏からの客人を、本人たっての希望だからって馬小屋で寝泊りさせては示しがつきません、って止められちゃって……」

「ああ……うん……本人達から直接釘刺されたから……うん……。こっちこそごめんな、無茶言っちゃって」

「あ、ううん、それはいいんだよっ。お兄さんの誰とでも友達になろうって気持ち、私もわかるし。ちょっとでもその手助けが出来ればいいなって思ったんだけど……」

「………」

 

 どうしてかなぁ……殺気込められてジッと見られてるからかなぁ。

 誰からの理解も心に染み入って嬉しく、心にやさしい……。

 

「あなたが噂の天の御遣い……」

「うーむ……名ばかりの洟垂れ孺子と踏んでおったが───まあ多少は想像の域を外れてはおるな」

 

 再びほろりときそうな心境のさなか、音も静かに歩み寄る姿がふたつ。

 

「あ……ど、どうも、北郷一刀です」

 

 一目で目上とわかるや、自然と頭を下げてしまうのは……じいちゃんの躾の賜物と受け取っていいんだろうか。

 

「ふふっ、そんなに畏まらないでください。私は黄忠、字は漢升。魏での貴方の武勇、しかと聞き及んでいますよ。そんな貴方に畏まられては、こちらのほうが困ってしまいます」

「……え? 武勇? ───いたっ!?」

「とぼけた顔をしおって、ほんにわかっておらんか? っと、わしは厳顔、名前くらい知っとるだろう?」

「そ、そりゃもちろん知ってるけど……っ、近い近いっ!」

 

 背中に張り手を一発、まるで友にそうするかのように俺の首に腕を引っ掛け、ぐいと顔を寄せて笑う厳顔さん。

 いや、あの。素面、だよな? なのに酒の香りがするのは、常日頃から酒をかっくらっているから、なんだろうか。

 あー、どうしてだろうなぁ。頭の中で祭さんが「当然じゃろ」とか言って笑ってらっしゃる。

 

「あ、の……? 自己紹介は嬉しいんだけど、武勇って……?」

『………』

「?」

 

 俺の言葉に、二人がにこりと笑ってある一点を指差す。

 疑問符を浮かべながら、方向を辿って見ると……顔を赤くして馬超の後ろに隠れながら俺を見る馬岱さんが……ァアアアアアアアアアアッ!!?

 

「……ア、アノー……モシカシテ」

「もしかしなくとも、そういうことよ。くっく、険厚き魏の連中が、お主の前では猫となる。思い浮かべるだけで酒の肴になるわ」

「……俺も、厳顔さんの性格が誰かさんによく似てて、これからの自分を思い浮かべるだけで挫けるなって言いたくなったかも……」

「むう? 何処ぞでわしに縁のある者とでも出会うたか?」

「いや……関係は全然ないかも」

 

 馬鹿なことを……いや、早まったことをした。

 豪快に笑う厳顔さんの腕に首根っ子を捕らえられつつ、なんで馬岱にあんなことを話したのかなぁと、本日何度目かの溜め息を吐き散らしつつ項垂れるしかなかった。

 



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22:蜀/違和感の片鱗、顔合わせでの出来事②

 と、溜め息を蒔き散らかした直後。

 

「桔梗様っ! そんな男に触れていては穢れが伝染(うつ)ります! い、いくら桃香様が平気だ大丈夫だと仰ったからとはいえ、この魏文長───もはや我慢の限界!!」

 

 ウソですごめんなさい、たった今から溜め息以上の何か(主に悲鳴とか)を吐き出したい気分です。

 ズカズカと近寄ってくる睨んでた人(たしか魏延)を前に、俺の胃痛はすでに臨界点に。今なら血だって吐けそうな気がする。

 

「焔耶よ、たかだか覗きくらいでいつまで引っ張りおるか。男に覗かれる女というのは、それだけ魅力があるということ。ある種、女の誉れぞ。それともなにか、焔耶よ。お主は桃香さまには男が気にするほどの魅力もないと言うのか?」

「そんなことは在り得ません! むしろワタシが覗きたいくらいです!!」

「……焔耶ちゃん……」

「───ハッ!? い、いえ違うのですよ桃香様! ワワワタシはべつにおかしな意味で言ったわけではっ! 護衛……そう、護衛という意味であって、決してやましい気持ちなどっ!」

「……と、こやつはこういう女だ。よく覚えておけ、御遣い殿よ」

「うん……なんかすごーくよくわかった……」

 

 知力じゃなく、武力に長けた桂花みたいなもんだね……うん。

 彼女からは百合百合しいオーラがひしひしと伝わってくる。

 大丈夫だよ、えぇっと魏延さん。魏で生きた俺にしてみれば、百合の花の一本くらい、野に咲く花ほどに見慣れている。……自慢することじゃないな。

 違いがあるとするなら、桃香がその思いを受け取っていないってことくらいか。華琳あたりなら「いいわよ、たっぷりと可愛がってあげる」とか言って一発OKが出そうだけど。

 そんな彼女も酔っ払った桃香だけは苦手とくる。……世の中、どんな得手不得手がどう引っくり返るのかなんてのはわからないもんだなぁ。

 

「貴様ぁああっ! なにをへらへら笑っている!」

「うぃっ!?」

 

 困り顔の華琳を思い出して笑っていただけなんだが、どうやら自分が笑われたと思ったらしい魏延さんが、顔を真っ赤にして矛先を俺に向けてきた。

 正直に「思い出し笑いをしてただけだって!」と言ってみるも、何故だか問答無用で俺を悪者にしたげな雰囲気を纏いつつ、厳顔さんに捕まっていた俺の襟首を強引に引き寄せて……お、おおぉお!? 片腕!? 片腕で持ち上げられっ……!?

 

(お、おぉおおお……春蘭に勝るとも劣らぬこのパワー……! まさに国宝級である……!)

 

 って感心してる場合じゃなくて……! あ、あの、魏延さん!? 俺一応怪我人でしてっ……右腕使えないから上手く首とか庇えないし、喉が痛くて……あのぉ!?

 いやいやそれよりも、顔合わせの場でこんなことしたら、いくら蜀国内でも魏延さんの立場がっ!

 

「元を正せば貴様が桃香様の着替えを覗くなどという最低行為をするからっ! 全て貴様が悪い! ききき貴様のせいで、桃香様からあらぬ誤解を……!」

「ええっ!? 今のってどう見ても聞いても、魏延さんが勝手に自爆しただけだろっ!? たしかに覗くって結果になったのは何度だって謝りたいけど、それで魏延さんの覗き願望まで俺に押し付けられても困るぞっ!?」

「おっ……押し付けなどでは断じてないっ! 貴様のような八方美人にワタシの桃香様への崇高な想いを語られてたまるか!」

「へ? すっ……、……崇高だから覗くのか……!」

 

 思わず、自由である左腕で顎を拭い、片腕で俺を持ち上げる彼女を量りかねていた自分に呆れを抱く。

 覗きにまで崇高さを求めるなんて桂花でもやらないことだろう。彼女の桃香への想いはつまり、そこまで出来てこその愛というわけで、ってうわ、ちょ、待っ……喉が絞まる喉が絞まる……!!

 

「口の減らないやつめ……! そうして口八丁に魏でも呉でもおべんちゃらを立てることで、信頼をはぴゅうっ!?」

 

 ……心が冷えそうになった瞬間、目の前でゴヅンと物凄い音が鳴った。

 途端に魏延の手からは解放され、ストンとようやく床を踏み締めることが出来たわけだけど……危なかった。今のはちょっと、いろんな意味で危なかった。

 

「馬鹿者っ! 民や兵や将の信頼が口八丁程度で得られる物なら、誰もが労せず天下を取れるわっ! ちぃと考えれば解りそうなことを、何を血迷っておるかっ!」

 

 冷静さを取り戻そうと努める中で聞こえる声に、俯かせていた顔をあげると……拳を硬く握り締め、魏延に向けて罵声を発している厳顔さん。

 ……なるほど。あの拳が唸って、あの音か……。

 

「すまんな、御遣い殿。こやつはどうにも桃香さまのこととなると我を忘れてな……」

「……いや。いいんです、ありがとう。こっちもその、助かりました」

 

 ……そうだ、助けられた。

 危うく叫び出すところだった。

 俺のことなんて、どれだけ侮辱されても馬鹿にされても構わない。

 そりゃあ、ちょっとは怒ることくらい許してほしいけど───こんな俺を信じ、手を握って信頼を託してくれた人を馬鹿にされることだけは、心が冷えるくらいに許せなかった。

 厳顔さんが先に拳骨を見舞ってくれなかったら、正直どうなっていたか……自分でも想像できないくらいだ。わからないくらいだけど、自分が考え無しだったことにも気づいた。冷静さが足りなかった。

 崇高だと正面から言えるくらいの思いなんだ、馬鹿にしていいことじゃなかったはずだ。冷静にならないと……と、そう思いながら気づかれないように深呼吸をしていたら、ふと……頭をやさしく撫でられた。

 

「え? あの」

 

 振り向いてみれば黄忠さん。

 穏やかな顔で俺の頭を撫でて、振り向いた俺の目をそのまま真っ直ぐに見て……言ってくれた。

 

「……貴方はやさしい人ね……。誰かのために本気で怒ることが出来る、やさしい人。でも───」

「ちょ……、いつッ……!?」

 

 やさしい言葉のあとの、やさしい行動。

 何一つ痛がる要素はなかったのに、俺の左手はずきりと痛んだ。

 黄忠さんの手に持ち上げられるままに左手を見てみれば、その手は赤く濡れて───!?

 

「え!? 赤っ……血!? なんで!?」

 

 たった今気がついた。

 原因さえ解らないままに、どういうわけだが血に濡れている俺の左手。

 

「気がついていなかったの……? 真っ白になるくらい、握り締めていたのに……」

「………」

 

 全然気づかなかった。

 どうやら自分の指の爪で、掌を傷つけてしまったらしい。

 漫画とかでよくある表現だな~とは思ってたけど、まさか自分がやるとは思ってもみなかった。

 

「ふぎゃんっ!? ~っ……き、桔梗様っ!? 何故無言で拳骨を……!」

「やかましい、わからんのなら黙って受けろ、馬鹿者が」

「~…………?」

 

 首を傾げている俺をよそに、黄忠さんは慣れた手つきで俺の手に布を巻いてくれた。

 自分のを使うから───と止めにかかろうとするが、そういえば俺のハンカチは明命の手当てに使った上に、引き裂いて使ったからそのままゴミ箱直行コースの代物だった。

 ……困った、まるで母親に手当てされる子供のような心境だ。

 しっかりと布で巻かれたあと、再度頭を撫でられるし。

 振り払うわけにもいかず、黄忠さんの気が済むまで堪えよう……と構えれば、黄忠さんは「あらあら」と呟いてにっこり。何かが彼女の気を良くしたらしく、自分の頬に手を当ててにこにこ笑顔な黄忠さんは、さらにさらにと俺の頭を撫でて───って!

 

「ちょっ……ななななにっ!? 俺、何かした!?」

 

 笑顔にさせるようなことをした覚えがない俺としては、それは本当に謎の笑顔。思わず頭を撫でる手から逃げ出してしまったが、黄忠さんはやっぱりくすくすと笑って、怒る様子の欠片も見せない。

 それどころか申し訳なさそう……なんだけど、笑顔でごめんなさいを言われた。

 

「ふふっ、ごめんなさい。あなたくらいの歳の子は、頭を気安く撫でられることを嫌がると思っていたから。本当に、着飾りのない素直な人だって思ったら、止まらなくて……」

「いや、そんな嬉しそうに言われてもばっ!?」

「おうよ。威勢ばかりが強く、触れる者すべてに棘を見せる誇りだらけのボウズどもとは大違いよ」

 

 ……どっかで聞いた言葉だ。そういえば祭さんにも似たようなこと、言われたっけ───と、厳顔さんに再び首を引き寄せられつつ思った。

 

(前略華琳様……酒が好きな人は豪快な性格になるものなのでしょうか。もしこれで、酒を呑むとさらに豪快な性格になるとしたなら……それが絡み酒なのだとするのなら、俺は今すぐ逃げ出したい気分です、はい)

 

 黄忠さんに頭を撫でられ、厳顔さんに首を捕まえられて。どう動けばよろしいんでしょーかと困りつつ、間近にある四つの丘から目を逸らし、目のやり場に困っていると……それすらにも気づかれてしまいまして。

 

「ふっはっは、今さら女性の胸などに赤面するとは。魏将相手に見飽きるほど奮戦したのだろう?」

「あ、飽きるほどとかそういう問題じゃないって……! 二人ともちょっと無防備ですよっ!? その、こんなに近くに居られると、正直目のやり場が……!」

『………』

 

 顔に熱がこもるのを自覚しながら、なんとか離れるようにと頼もうとする。しかし大人の女性にとってはその焦りこそが心擽るものだったのか、撫でる手にも引き寄せる手にもさらなる感情がこもり……ハッとした時はいつかのように手遅れだった。

 

「あらあら、なんだか照れるわ」

「女として見られるなぞどれくらいぶりか……よしっ、気分がいいっ。どうだ御遣い殿、これからわしらと酒の一献でも───」

「あの……今顔合わせの最中だってこと、忘れてませんか? って運ばないでくれません!? まだ顔合わせが終わったわけじゃっ、って酒飲みながら男を引きずるってどんな力をっ……!」

 

 有言実行が過ぎます厳顔さん!

 黄忠さんもにこにこ笑顔で俺のこと引っ張ってらっしゃるし!

 しかしガッチリと左腕を固められ、抵抗が出来ずに困っていたところへ救いの声があがる。

 

「だ、だめだよぅ桔梗さん、紫苑さんっ! お兄さんには早くこの国に馴染んでもらわないといけないんだから~っ!」

 

 桃香である。

 少しぷんすかと怒ったような表情で、他国の客を拉致しようとした二人をハッシと捕まえてくれる。

 と、桃香……! ホワホワしてる天然さんかと思ったら、目上の人にもちゃんと怒れる娘だったのか……! ごめん桃香、俺……認識を改めるよ。キミはしっかりとした、蜀の王だ───!

 

「うーむ、しかしな桃香さま。女として褒められたのであれば、女として返さねば名折れというものでしょう。この厳顔、いくさ人として生きてはきたが、女を捨てた覚えはありませぬ」

「少しだけ、お酒に付き合ってもらうだけですから。ね?」

「ね、じゃないですっ! 桔梗さんと紫苑さんの“ちょっと”は、私達で言う飲みすぎなんですっ! あ、愛紗ちゃんも黙ってないで止めて~!」

 

 ……という感動も束の間、あっさりと関羽さんに「たすけて~」と助けを乞う玄徳さまに、笑顔のまま真っ白に燃え尽きそうな心境な自分がいた。

 なるほど……たしかに俺と桃香、似てるのかもね……。

 

「はっはっは、良いではないですか桃香さま。どの道いつかは捕まり、たっぷりと付き合わされる破目に陥るのであれば、洗礼として受け取っておくのも馴染みに繋がるというものでしょう」

「星ちゃん……で、でも~……」

「いえ桃香様。むしろ二人に任せ、酔うだけ酔わせて醜態のひとつでも曝させれば、馴染みも深まるというものです」

「愛紗ちゃんまでっ!? う、うぅ……そう、なのかなぁ……」

 

 いや違う、桃香、それ違う。

 負けないで、お願いだから負けないで。今気にするべきところは酒のことよりむしろ、女として褒められたとかそっちのところだから。

 

「ねー愛紗ー、桔梗はいつ女を褒められたのだー?」

「しっ……知らんっ」

「ふふっ、見当はついているだろうに。何を焦っている、愛紗」

「なっ───焦ってなどっ!」

「にゃ? 星は知ってるのかー?」

「ふむ……女として産まれたからには、戦無き時くらいは女として見られたいもの、ということだろう。将が将として武勲を得るのが誉れならば、女は女として認められ、好かれることこそ誉れ。そうだろう? 北郷殿」

「………」

 

 あーではないこーではないと話し合う女性に囲まれ、掴まれてるために逃げ場がない状態でソウデスネ……と呟いた。

 うん……ちょっと───いや、かなりか……? 蜀の人たち、無防備かも……。というかね、趙雲さん。ニヤリと笑んでないで助けてほしいんですけど。

 

「……御遣いのお兄ちゃん、顔が真っ赤なのだ」

「ふふっ、いろいろと当たっているからだろう。左右に四つ、前方に二つ。大方目のやり場に困り果て、内なる獣と戦っている最中、といったところかな? 当たらずとも遠からずだろう、北郷殿」

「わかってるなら助けてくれませんっ!?」

「貴っ様ぁああ!! 貴様を庇ってくださっている桃香様のやさしさを無視し! そのお美しい胸ばかりに欲情していたというのかぁあっ!! 許さんっ! 貴様のような外道はやはりワタシが───!!」

「うわわわわやめてくれ魏延さん! また話がややこしくなるから!」

 

 さらにここで、魏延さんという名の二つの丘が増えました……もう勝手にして。

 もはや目を瞑る以外に方法は無く、俺はただただ早くこの状況から逃れたいと思うばかりだった。

 安易に動けばむにゅりとこう……わ、わかるだろ? 動いたらあらぬ誤解を受けるって確信が持てる。だから動くわけにもいかず、目を開けておくわけにもいかず……ああ、動けないってこんなに辛かったんだなぁ……。

 

「…………愛紗よ。お主の目には、あれが嬉々として女性の肌を覗かんとする男の姿に見えるか?」

「………」

「顔を真っ赤にしながらも、よく堪えている。聞けば確かに魏の将全てと関係を持っているという。女たらしもいいところだとお主は言ったがな。生憎と私の目には、女と見たら即座に欲情するような男には見えんのだが」

「しかし星、だからといって───」

「そこに双方の同意があれば、何を咎める必要がある。無理矢理でも迫ろうものなら、魏の連中のことだ。それこそ北郷殿の首が先に飛んでいただろう」

「ぐっ……」

「私はむしろ、あの百合百合しい空気の中で全ての将を落としてみせた北郷殿に、感心の念すら抱いている。……鼻の下も伸ばさず、必死に堪えているところを見ると……なるほど? 魏の連中に操でも立てているのだろう。男だというのに生娘のように初心(うぶ)であり、なんとも面白───もとい、美しいではないか」

「………」

 

 ……動かないで目を瞑るのって、結構残酷だ。

 聞かなくてもいいことが耳に届いたっていうか、むしろわかってて言ってるのか。

 感心しなくていいからむしろ助けてくれってとても言いたい状況なのに、言ってしまえば余計に魏延をあおることになりそうで、なにも言えやしない。

 ていうかあの、趙雲さん? 今、面白いって言いそうになったよね? 今絶対、面白いって言いそうになってたよね?

 

「結果がどうあれ、あれが誤解で始まったのなら、長引けば長引くだけ抜けない棘になるだけというもの。……幸いにして、どうやら助けを求めようにも求められず、困っているようだ。いい加減、互いの棘を抜いてしまったらどうだ?」

「………」

 

 ……スッ、と……感じていた険しさの一つが緩んだ気がした。

 次いでこちらへ向けて歩いてくる気配。

 俺はおそる……と目を開けて、願わくばこの状況を打破してくれる彼女に、改めての謝罪と今贈る感謝を───

 

「おーっほっほっほっほ!!」

 

 ───……台無しにされた。

 

「そこの凡夫さん? この袁本初に生涯仕えると誓えるのなら、助けて差し上げてもよろしくってよ?」

「れれっ……麗羽さま……っ、ここはさすがに空気を読まないと……!」

「あー……ほら、あっちで愛紗が固まっちゃってますよー?」

「そんな石像ごっこなんて知りませんわ、勝手にやらせておけばよろしいでしょう?」

「うあー……ほんとこの人は……」

「文醜さん? なにか仰いまして?」

「いーえー、なにもー?」

 

 ……えーと、たしか袁紹……だっけ。袁本初って言ってたから、まず間違い無いよな。反董卓連合の時、華琳をびりっけつ呼ばわりしてたから嫌でも頭に残ってる。特にあの高笑いが。

 後ろの二人は文醜と顔良で、反董卓連合の前……季衣を探しに来た流琉との騒動の時に一度会ったよな。やあ、懐かしい。

 宴の時はろくに挨拶も出来なかったし───と、ほのぼのと考える余裕なんてなさそうだった。

 

「魏の連中、主に華琳さんとか華琳さんとか華琳さんを垂らしこんだその手練手管……その実力を手中に納めれば、もはや華琳さんなど敵ではありませんわっ! さ~ぁ泣いて喜び、この袁本初に助けを───」

「あ、結構です……」

「んなっ……! ちょ、ちょっと貴方? 囲まれていて困っていたのではなくて? 今ならこのっ、わ・た・く・し・がっ、救ってさしあげてもよろしいと言っていますのよ?」

「いや、結構です……」

「ッキーッ! どーいうことですの!? ついさきほどまで情けない顔でピーピー喚いていたというのに! 貴方、自分が置かれている状況を正しく理解していますの!?」

「いや~……理解してないのは麗羽さまただ一人じゃないかなー……」

「猪々子さん!? なにか仰いまして!?」

「いーえー、なにもー?」

 

 ……蜀っていろんな意味で賑やかなところだなー。

 こんな場所で過ごして、果たして心安らぐ時間は手に入るのだろうか。

 そんなことを思いつつ、心の中を落ち着かせていると、朱里と雛里が傍までやってきて、俺のことを心配そうに見上げる。

 ん、大丈夫。心のざわめきは、もう起こらない。

 

「えっと、袁紹さん。悪いけど目的がどうであれ、華琳に……魏に迷惑をかけることに繋がるなら、俺は意地でも助けは乞わない。それにさ、そもそも俺なんかを盾にして、あの華琳が油断とか加減とかをしてくれると思う?」

「………」

「……えと。袁紹さん?」

「まあ、そうですわね。あの華琳さんがこんな下男のために戦を投げ捨てるなど、想像出来ませんわ」

「げなっ───いや……いいけどね」

 

 こんな下男扱いでも。意味的にはあまり違わない気もするし。

 けど、実際はどうなのかな……もし俺が敵に捕まったりしてたら、華琳はどういう行動に出てたんだろう。

 いやむしろ……どういう行動を俺に求めただろうか。

 むざむざ殺されるくらいなら、将の首を道連れにして息絶えろとか言ったかな。それとも無様を見せずに静かに死になさいと言っただろうか。

 いろいろ想像するだけなら簡単だけど、しっくりとくる結末がどうにも思い浮かべられなかった。

 

(逆に今の自分ならどうかな……)

 

 考えてみる。

 多少武術をかじって、氣も使えるようになった自分なら……だめだな、余計にだめだ。

 そもそも武でくぐりぬけるとか、自分のガラじゃない。

 自分を高めるために鍛錬をして、いつかは守れるようになれればとは思っているけど……力を得たからって力で解決しようって考えが出るのは一番まずい。

 鍛えるのはいい、強くなることもいいだろう。

 けど、その結果、“自分”を消してしまうのは最悪だ。笑えもしない。

 俺は俺のまま、自分を高めるって決めたんだから。

 

(……ああ、そっか)

 

 さっき厳顔さんが魏延を殴ってくれた時、助かったって思ったのは心の冷たさ云々の問題だけじゃなかった。

 なにをするかわからない、なんて……それこそ暴力を振るってたかもしれないって考えが頭の隅っこにでもなければ、浮かぶこともなかったはずなのに。

 

(一歩間違えれば……)

 

 暴力、振るってたかもしれなかった。

 守るためにと高めている五体で、人を傷つけるところだった。

 魏や呉の信頼を、思いを守るためなんてそれこそ口八丁だろう。

 あの瞬間に俺が守りたかったのは、彼女らを思う俺の心だけだったのだろうから。

 そう考えたら……呉では、迫られたとはいえ高めた力で強引に避けることが多かった事実に気づいて、愕然とした。

 魏のためにと高めた五体で、自分はいったいなにをしていたのかと。

 以前までの自分だったら、頭突きをしたり投げたりなんてしなかったはずなのに、今の自分は……と。

 ……骨、折られてよかったかもしれない。じゃなきゃ、ゆっくり考えることなんて……きっと出来なかった。

 そんな自分の情けなさに、ふと泣きたくなってしまった。

 

(……強くなりたいなぁ……体だけじゃない、心も……意思も、もっと強く……)

 

 男なら、頭の中では最強の自分を思い描いたりする。

 それは理不尽なまでの強さで、誰もが敵わないと言っている敵にだって簡単に勝ち、褒め称えられる自分だ。

 褒められるのなら、強いのならそのままそれを受け容れればいいのだろう。胸を張っていればいいのだろう。

 けど、俺が目指した強さは……そういうのとはちょっと違ったはずだった。

 最強じゃなくてもいい。守りたいものを守れて、守った先に誰かの暖かな笑顔があれば、次もきっと頑張れるって……そんな強さが欲しかったはずなのに。

 

(……泣くなよ、北郷一刀。強くあれ、もっと強く……)

 

 大きく深呼吸を───と思った途端、誰かに引っ張られ、人垣の中から救出された。

 ……のはいいんだが、急に引っ張られたものだからたたらを踏んで、なんとか体勢を立て直したところに……関羽さんが居た。隣には桃香も。

 

「愛紗ちゃん?」

「あ……いえその。失礼ながら、客を囲んで口論をするのも国の醜態を曝すだけかと。この者───北郷殿も、困っているようだったので」

「───……」

 

 ……困った。

 関羽さんは俺の手を掴んだまま口早に言葉を発して、小さく息を吐いた。

 ……困った。

 繋がれた手から伝わる温かさが、女性特有の小さく柔らかな温かさが胸に染み入る。

 ……困った。

 自分の在り方に落胆して、弱ってしまった心に……その温かさは困る。

 

 ───道を間違わず、真っ直ぐに歩くのは難しい。

 目指した場所があるのならそれは余計で、道に迷っているのに迷ったことにさえ気づけないことなんて何度でもあるだろう。

 沈んだ心のままでこの国で頑張っても、いい結果なんか残せなかったに違いない。

 それどころか、信頼してくれたみんなのことを悪く言われた時点で暴力を振るっていたら、自分はもう戻ってこれなかったかもしれない。

 そう思ったら沈むばかりで、けど……そんな場所から引っ張ってくれたこの手は、俺のことが嫌いだったはずなのにとても温かくて。

 気づけば、繋がれた手に軽く力を込めて握り返して───

 

「うわぁっ!? き、貴様、なにを───!」

「……ありがとう」

「っ───……え……」

 

 ……泣き笑いみたいな顔で、感謝を口にしていた。

 次の瞬間には厳顔さんに引っ張られ、また騒ぎの中に連れ込まれたけど───その時にはきっと、弱い自分を殺した笑顔の自分でいられたと思う。



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22:蜀/違和感の片鱗、顔合わせでの出来事③

-_-/雲長

 

 …………。

 なにを……私は何をしていたのだろう、と……ただ漠然と、そう思った。

 

「うん? どうした、愛紗よ」

 

 玉座の間にて天井を仰ぐ私にかけられる声も、どこか遠くに聞こえる。

 そうして天を仰ごうとしても、見えるのは冷たい天井だけであり、聴覚に意識を向けてみても、聞こえるものは北郷という男を愉快そうに引っ張り合う者たちの声ばかりだ。

 感覚が曖昧といえばいいのだろうか。

 ただ……そう、ただ。北郷───殿、に握り返された手の感触と、あの……泣いているような笑顔だけが、自分の中から消えてはくれない。

 だからだろう。不覚とまでは言うつもりはないが、口から言葉がこぼれていた。

 

「…………人間…………だった」

 

 人間。

 当然のことだと誰もが笑う言葉だろう。

 そう、人間だったのだ、間違いであってほしいと思ってしまうくらい。

 

「……? すまんが愛紗。話が見えんのだが?」

 

 私の言葉に、当然のことながら星は眉を顰める。それこそ当然だ、私とて眉を顰めたい。顰めたいが……事実がそこにあってしまった。

 

  ───天の御遣い。

 

 管輅に予言された存在。

 天より遣わされ、世に平安を齎すとされた存在。

 予言の通りと言えばいいのか、あの男は魏に相当な貢献をし───そう、最初は知らなかったとはいえ、己の“存在”を賭けて戦ったと聞いた。

 前線に出ないというのに“存在を賭けて”というのがどういうことを意味するのかは知らない。魏の将から曹操殿がそう言っていたと聞いたにすぎない。

 それと関係しているのかどうなのか、三国の戦の全てが終わる頃には、魏の将と交わした約束を果たせぬままに───天の御遣いは最初から居なかったかのようにその姿を消した。

 天に帰った、とは曹操殿の言葉だ。

 魏の将達は北郷という男が約束を果たさぬまま消えるものかと口にはするが、天に帰ったと口にするのが自らが信ずる主ならば、信じないわけにもいかない。

 各国が一つの国に集まる最中、酔っ払った張遼が涙ながらによく愚痴をこぼしていたものだ。

 

(…………)

 

 戦局を一手も二手も先読みし、覆される理屈が存在しない状況を看破、覆してみせた存在。その力が蜀にあったなら、と……時折に朱里と雛里が口にしているのを私は知っていた。

 違うな……蜀と名乗るよりももっと前。

 乱世を歩む歩が、まだ桃香さまと私と鈴々のみだった頃に出会えていたなら……もしやすると我々も、もっと別の目的のためにも奮闘できたのではないだろうか。

 

(……いや)

 

 考えていたことはそうではない。

 私はどうしようもなくわかってしまったのだ。

 天の御遣いとどれだけ謳われようと、彼の者は“人間”だった。

 いつだって不安に駆られ、しかし守りたいものがあるからと震える足で立つような……そう、考え方の根本こそは違えど、彼の者は本当に桃香さまに近しかった。

 悲しければ泣きたいと思い、辛ければ逃げ出したくもなっただろう。

 あの曹操殿の下に居たのなら、余計に責任というものが重く感じられたに違いない。

 しかし彼はそんな中で今も魏に立ち、胸を張って生きている。

 だが───どうなのだろう。

 桔梗が言ったな……こやつの前では魏の連中が猫になる、と。

 それは魏の猛将たちが、北郷という男を拠り所に、寄りかかれる場所にしているということだ。

 

(ならば……)

 

 ならば。

 自分の都合ではなく、勝手に乱世に降ろされた彼の拠り所はいったい何処にあるという?

 天の国から来たというのであれば、当然この大陸に身寄りなどあるはずがない。

 孤独の身で乱世に降り立ち、予言があったからと勝手な期待を抱かれ、働きが想像以下ならば勝手に落胆される───……果たして、私達が先に出会っていたとして、私は彼に自分勝手な幻想を抱かずに居られただろうか。

 勝手な期待を押し付け、期待で押し潰し、期待していた分だけ勝手に落胆していたのではないだろうか。

 

(私は……)

 

 桔梗や紫苑に囲まれ、困り顔ながらも笑っている彼を見る。

 そこにはもう、一瞬だけ見せた儚げな笑顔の影は欠片も無い。

 ……それで、ひどく納得してしまった。

 彼はきっと、これからも弱さなど見せないのだろう。

 気を許した相手にでも、恐らくは一時程度しか見せようとはしない。

 そんな生き方を誰に学んだのだと言ってやりたいくらい、なんと不器用なことか。

 

「……おーいぃ……? そろそろ私も自己紹介くらいしたいんけどー……」

「にゃ? 白蓮いたのかー?」

「居たのかってなんだ! 居ちゃ悪いのかっ!」

 

 桃香さまには人を惹きつける力がある。

 それと同じく、あの男……北郷殿にも人を惹きつける不思議な魅力があるのだろう。

 敵意をまるで感じさせない笑顔は本当に桃香さまのようで、どれだけ振り回されても、慌てはするが“本気の文句”のひとつも飛ばさない。

 

「おー! この前のエサにゃー!」

「エサじゃないぞ!? 久しぶりに会って、開口一番でエサ扱いとかしないでくれ猛獲!」

「……? ん~………………おー! イノシシにゃ!」

「違うって! 北郷! 北郷一刀っ、人間であって食物じゃあ断じてないっ!」

「無論そうであろうとも。北郷殿は“食べる側”だ。……それも女性に限り」

「趙雲さん!? 誤解しか生まないことを当然のように言わないでほしいんだけどっ!?」

「む、これは心外。誤解以外にも、皆との距離が生じているのに気づかなんだか、北郷殿」

「……俺、もう泣いていい?」

「はっはっは、男子の涙とはまた貴重な。うむ、存分に見せるがよろしい。泣き方を忘れた御仁よりも、素直に泣ける御仁のほうが、私としては好ましい」

 

 星が一瞬、こちらを見て穏やかに笑ってみせた。

 ……星も気づいたのだろうか。北郷殿の中にある、無理矢理に押し込めたような小さく儚い感情に。

 

「……やっぱりやめた」

「おやそれは残念。泣くというのであれば、この胸くらい貸してくれようかと思っていたのに」

「趙雲さん、冗談でも男に向けてそういうこと、言っちゃだめだ。いつか傷つくことになるかもしれないぞ」

「フッ……生憎とこの趙子龍に見合う男子など、容易に見つかろうはずもない。いつか傷つくのであれば、傷ついた自分ごと包みこんでくれるほどの、広い包容力を持った男と出会いたいものではあるが」

「包みこんでくれるだけでいいなら、そこらへんにいっぱい居ると思うけど」

「ふむ。好みに合わんので遠慮しよう。民として、兵としてなら見れるが、男としては無理と言っておこう」

「……男の事で苦労しそうだね、趙雲さんは」

「ふふっ、その言葉は苦労の分だけいい男に会える……という意味として、受け取っておこう」

 

 星が今一度こちらを見て、肩を竦めてみせた。

 苦労の分だけ……つまり、時間をかければ寄りかかれる場所にでもなれようと、そう言いたいのだろう。

 ……そう。桃香さまに似ているということは、頑張り続けてしまう癖があるということにも繋がる。

 桃香さまも人に頼りはするが、寄りかかることをしないお方だ。その癖は、あの日……曹操殿と刃を交えた頃から拍車をかけている。

 “王になるべきではなかった”という言葉が、重かったのだろう。その言葉とともに打ち下されたのだ、当然だ。

 

「へぇ? 天の御遣いって聞いて見に来てみれば、あんたイノシシなの」

「え、詠ちゃんっ……そんな言い方、御遣い様に失礼だよぅ……」

「様ぁ!? ちょっと月!? なんでこんなやつに様とかつけちゃってるのっ!? だめよだめっ、同盟国だろうと位の高い相手ならわかるけど、警備隊長程度のこんな男を、……な、なによ」

「……ごめん。俺のことならどれだけ馬鹿にしてもいいから、隊長としての俺を信頼してくれるやつらのためにも、警備隊を“程度”呼ばわりしないでくれ。……これでも、俺の誇りの一つだ」

「え……う……」

「……詠ちゃん」

「うっ……わ、悪かったわよっ」

「……うん。ありがとう」

「わ……」

「ほう……?」

 

 ふと、北郷殿を囲んでいた皆の口から、溜め息にも似た声が漏れる。

 何事かと、自然と俯いていた顔を持ち上げれば……そこに、桃香さまの笑顔によく似たやさしい笑顔があった。

 

「己の立場よりも兵や民の信頼のために、か。北郷殿に思われている兵や民は幸せだろうな」

「……? どうしてだ?」

『……ぷふっ!』

 

 星の言葉に、心底わからないといった顔で首を傾げる北郷殿。

 その様を見て、周囲の皆は軽く笑みをこぼした。

 

「え? え? どうして笑うんだっ!? えっ!?」

「みんな、どうしたのっ? え? 今の笑うところだった?」

「はっはっは、いやいや桃香さま。そういうわけではござらん」

「はい。一刀さんの反応があまりに桃香さまに似ていたために、少しおかしくなっちゃっただけです」

 

 知らぬは本人ばかりなりというのか……桃香様も北郷殿も、たしかに解りようがないのかもしれないが、不思議そうに首を傾げていた。

 対する星と朱里は心底楽しそうだ。

 

「うーん……似てるかなぁ……」

「いや、俺に訊かれても……えっとそうだな……。桃香に思われてる兵や民は幸せだろうな」

「え? どうして?」

『……ぶふっ!! あっはっはっはっは!!』

「えっ───どうしてお兄さんまで笑うのー!?」

 

 気づけばそこに笑みがある。

 先ほどまでたしかにあった多少の緊張など何処に飛んでいってしまったのか、今では蜀の将の全員が桃香さまと北郷殿を中心に、笑みを浮かべていた。

 外見が似ているとかそんなものではなく、何気ない行動、何気ない言動。民や兵を思い、自分よりも他人を優先させるその在り方が、そうさせているのだとしたら───そうか。

 

(なるほど……桃香さまが我々を頼りにしているように、北郷殿も魏を拠り所にしているのか)

 

 魏の連中が北郷殿の前で猫になるというのなら、北郷殿もそうなのだろう。

 だが……そうだな、星の考えもわかる。

 あくまでそれは“魏に居れば”の話だ。

 たとえば桃香さまがたった一人で魏に行き、何ヶ月も滞在することを想像してみれば……私は少し怖くなる。

 王であるが故に、たしかに持て成されるだろう。

 だがそれが一介の警備隊長であったならどうだ?

 天の御遣いという名があるとはいえ、地位で言ってしまえばそこまで。

 もし、桃香さまが同条件で呉や魏に向かうとしたなら。

 その場に、私や焔耶のようにその者を嫌うような輩が居たとしたなら。

 

(桃香さまは、果たして笑顔でいられただろうか……)

 

 そんな心の不安の現われが、先ほどの弱々しい笑顔だとするのなら、私は……

 

「聞いたよ。あんた結局、馬小屋に住む事を却下されたんだってな」

「ああ、馬超さん。そうなんだよ、せっかく決めた覚悟がこう、霧散した思いで……」

「そんなものに向ける覚悟があるなら、もっと別のなにかに向けろよ……」

「いや、うん……俺も正直、そうは思ってたけど」

「それを言うために、さっきはお姉様を探して走り回ってたんだもんねー?」

「馬岱はすぐに見つかったのにね……逃げられたけど」

「だってあんなこと言われたあとじゃ、さすがに心の準備が……」

 

 そんな想像をしてみたところで、そんな状態になるのはどうせあの男なのだから、と下に見てしまっている自分が居る。

 その事実が、胸に痛い。

 

「あんなことっ!? お前っ、たんぽぽに何言ったんだっ!!」

「言えないっ! ていうか言わないっ!」

「言えないよねぇー……あれはお姉様には刺激が強すぎるもん」

「いいから言えっ! もしヘンな事を吹き込んでたりしたら、お前っ……!」

「えへへぇ、仕方ないなぁお姉様は。じゃあ教えてあげるから耳貸して? えーとねぇ……」

「いやちょっ……馬岱!? それはマズ───!!」

「……? この男が? 魏で……? ………………★■※@▼●∀っ!?」

「───桃香サン、僕、コノ国ニ来レテ楽シカッタ。デモモウ行カナキャ」

「え? 行くって何処に? だめだよぅ、まだ恋ちゃんとねねちゃんと話してないのにっ」

「キュッ……急用が出来たから行かなきゃっ───っとわぁっ!? ちょ、桃香離して! 離してぇえええーっ!!」

「~っ……こ、ここっ、こっっ……このっ……ここここのエロエロ大魔神!! たんぽぽにっ……人の従妹になんてこと教えてるんだぁああーっ!!」

「うわー、お姉様顔真っ赤。えっへへー、もしかしておにいさん、学校でもこんなこと教えてくれるの~? そしたらお姉様の恥ずかしがりなところも治るかもしれないねっ」

「☆□○△×~っ!!? かっかかかかか帰れぇええっ!! 帰れこのエロエロ大人! お前に教わることなんてあるもんかぁああっ!!」

「エロエロターレン!? 中国スケールで壮大にエロエロ扱いされた!? ……趙雲さん。胸は貸してくれなくていいから泣いていい?」

「うむ。存分に泣きなされ」

 

 …………。

 小さく頭を振った。

 考えて考えて、考え続けてみたが……結論など一つだ。

 あの男は、弱くもあり強くもある。

 いや……本当は弱いのだろうが、強くなろうと努力をしている最中なのだ。

 現実と向き合い、自分に出来ることから一つずつ一歩ずつ、目指したものへと歩んでいっている。

 その目指す道というのが何かまでは流石にわかりはしないが───

 

「……ああ」

 

 嫌う理由は、もはや無くなった。

 ……それも否だな。桃香さまの言う通り、私はきっかけを探していただけなのだろう。

 あの男に悪意がなかったことなど、呉での働きぶりを聞けばわかりそうなものだ。

 どれだけ誘われようとも、親しくなろうとも、魏のみを愛すと呉王孫策に言ってみせたと聞く。

 そんな男が間違い以外で覗きなど……するはずもなかったのだ。

 

(己が恥ずかしいな、雲長よ……)

 

 桃香さまのこととなると、自分は我を忘れすぎる。

 まずは一歩だ。

 あの男のことを知るところから始めてみよう。

 

「……? あれ? そういえば七乃ちゃんは?」

「あっちの隅っこで落ち込んでるのだ」

「飽きませんわねぇ……美羽さんの何処に、尽くそうと思えるところがあるのかしら。理解しかねますわ」

「いやー……それを麗羽さまが言いますか?」

「わわっ……文ちゃんっ」

「……文醜さん? ちょっとこちらにいらっしゃい」

「うわっ、聞こえてたっ! 助けて斗詩ぃっ!」

「えぇえっ!? れ、麗羽さま、ここは穏便に───」

「お黙りなさいっ」

 

 いつも通りの騒がしさの中を歩く。

 あの男が来てから、線を引いていた距離を軽く踏み越えて。

 まずは何を話そうか。謝罪か、それとも普通に話すべきか。

 急に謝罪されても困るかもしれない……ならば普通に? いや、それでは一方的に怒っていた私が、それを無かったことにしているようで……ううむ。

 

「いやいや、まさか本当に泣き出すとは。しかし子供のように泣き喚いたりはさすがにしないようだ」

「そんなの望まれても困るんだけど……でもうん、少しすっきりしたかも」

「無論だ。無理をして我慢していたものを解放するのなら、負担も軽くなるというもの。どうせ吐き出すのなら、本気で喚いてもよかったと思うが」

「趙雲さん、それってただ俺の泣き喚くところが見たかっただけじゃない?」

「弱きところを見せ合ってこそ信頼は生まれるというもの。お主がそういう部分を見せてくれるのであれば、私もやぶさかではなかったという話だが……ふむ。自分から見せるには、些かばかり無駄な誇りを持ちすぎた」

「苦労しそうだね、武人っていうのも」

「苦労も面倒事も、興じてこその武人。なに、これで案外楽しんでいる。己が誇りに道を左右されるも、己が意思で誇りを捻じ曲げ左右されぬも、己の選択一つで変わること。選ぶ権利が自分にあるだけ、我らはまだまだ幸福だ」

「へぇ……じゃあたとえば、ここで友達になってくださいって手を差し出されたら、どんな選択をする?」

「ふむ。今は断ると言うだろう。生憎とまだまだお主のことを量りかねているところ。手を伸ばすのは、互いをより知ってからでも遅くはなかろう?」

「そっか。じゃあ、これからしばらく……よろしく」

「うむ。……これでしばらくは退屈せずに済みそうだ」

「え? なにか言った?」

「おっと。独り言だ、お気になさるな」

「……敬語とかは勘弁してくれな。もっと砕けてたほうが話やすそうだし」

 

 星はおどけ、随分と砕けて話している。

 飾らない雰囲気が気に入ったのか、警戒の色はすでに無い。

 なるほど、悩むよりも話してみればわかることなど山ほどある。

 ならばともう一歩を踏み出し、彼に近づこうと……するより早く、北郷殿の服を“くんっ”と引っ張る姿がひとつ。

 

「え? なに───って、恋?」

 

 ───瞬間、辺りが騒然とした。

 ざわりと空気が震え、その後に発せられる言葉など一切無く。

 ただピンと張り詰めた冷たい空気のみがこの場を支配した。

 

「……あ、れ……? あのー……どうしてこんな、急に冷えた空気が───」

「…………?」

 

 真名を。今、真名を口にしたのか、あの男。

 何処で知ったのかは知らんが、軽々しく真名を呼ぶ者と知ったなら、今こそ───!



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23:蜀/メンマで繋がる絆、大陸の父のお話①

47/続・顔合わせ

 

-_-/一刀

 

 ……気づけば氷河地帯で目が覚めた。そんな心境だった。

 いつからここはこんなにも寒くなったのでしょう。

 ついさっきまで、みんなが談笑していたというのに。

 ここは何処だ、とか言いたくなるくらい、さっきまでの空気とはあまりにも違いすぎた!

 

「……あ、れ……? あのー……どうしてこんな、急に冷えた空気が───」

 

 一応、疑問を口に出してみる。

 一緒になって恋も首を傾げているんだが、俺のそんなとぼけた調子が気に障ったのかどうなのか、

 

「ちんきゅーきぃーっく!!」

「うぼはっ!?」

 

 ずかずかとこちらへ歩み寄ってくる関羽さん……に気を取られていた隙を突かれ、何者かに脇腹をキックされた……い、いや、キック? 今、キックと申したか?

 と視線を向けてみると、両手を上げ、口から犬歯を覗かせながら何事かを叫びまくる……えっと、技名からいってたぶん陳宮殿───を確認した次の瞬間には、喉元に青龍偃月刀が……って思春もだけど何処から出してるんだよみんな!

 

「う、わ……!?」

「……貴様。世間知らずというわけではないだろう。いきなり人の真名を呼ぶとはどういう了見か!」

「誰の許可があって軽々しくも恋殿の真名をっ! もはやこの陳宮、辛抱たまりませんぞーっ!!」

「………」

「………」

 

 ……パチクリ、と。俺と趙雲さんの視線がぶつかった。

 次の瞬間にはなんだかおかしくなって、関羽さんが真面目なのに肝心の恋が首を傾げているもんだから……趙雲さんも気づいたんだろう、二人一緒に笑っていた。

 

「なっ……なにがおかしい!!」

「はっはっは、まあまあ、まずは落ち着け愛紗。今の状態では、おそらく世間知らずは愛紗のほうだ」

「なに……?」

「あの。俺もう、恋には真名を許されてて。あ、朱里と雛里にも、だけど」

「なっ───!?」

「なんですとぉーっ!?」

「桃香の真名のことは宴の時に聞いてると思うけど……あの、言ってくれてあるよね? 桃香」

「うん大丈夫。でもびっくりしたよ~、急に恋ちゃんの真名を呼ぶんだもん」

 

 う……やっぱりか。

 あまり交流があったわけじゃないけど、恋の性格を考えたら自分からそういうことを教えるような人じゃないって、わかりそうなもんだもんな……。

 ……マテ。交流がないのに、どうして俺は真名を許されたんだ。

 

「恋、この者が言っている言葉は真実なのか?」

「……許した」

「恋……そういうことは先にだなぁ……っ」

「? ……? ……ごめん……?」

 

 だはぁっ……と力を抜くように出た溜め息ののち、関羽さんが疲れた顔で言う。

 対する恋は首を傾げて謝るもんだから、関羽さんは余計にぐったり。

 

「れっ……恋殿ぉおおお~っ……なぜこんな男にぃい~……」

「……ねね、泣かない……」

 

 陳宮殿は何が悔しいのか悲しいのか、涙目で恋に訴えかけていた。

 うーん……失敗だった。ここに着いた時点、もしくは前もって朱里か雛里に“恋からは真名を許された”ってだけでも教えておけばよかった。

 一応、場の空気は元に戻ってはくれたけど。

 と、そんなことを思い、辺りを見渡しつつ溜め息を吐いていると、小さく頭を下げる関羽さん。

 ……途端にこっちのほうがとんでもないことをしでかした気分になった。

 あの関雲長に頭を下げさせるとか、悪いわけでもないのに罪悪感がっ……!

 

「……失礼したっ! 誤解で客人に刃を向けてしまうなど、この関雲長一生の不覚っ……!」

「あ、い、いやっ、この場合はこっちが悪いだろっ! 俺が朱里や雛里にそういうことを教えておけば、関羽さんやみんなだって混乱することなかったんだからっ!」

 

 こんなことを一生の不覚にされたら、向けられたこっちは重すぎて潰れる。

 

「いやしかしっ……」

「これこれ愛紗、本人がいいと言っておるのだ、そう追いすがらんでも良いだろう」

「だが星っ!」

「北郷殿が真名を呼ぶことで刃を向けられることは、今回が初めてではない。いい加減慣れる頃だろうし、気にすることでも───」

「気にするぞっ!? それはさすがにさせてくれ! ていうか“いい加減慣れる”とか言われると、俺が何度もそういうことやってるみたいに聞こえるだろ!?」

「なるほど、するとこれが二回目か。魏でも似たようなことをやっていたのではと鎌をかけてみたのだが」

「勘弁してください……お願いしますよ……」

 

 ……さっきまでは話しやすい人かな~と思ってたけど、とんでもない。

 この人、人をからかうのが相当に好きだ。

 と、肩を落としていた俺の顔を覗くようにして、桃香が話し掛けてきた。

 

「えと……お兄さんは星ちゃんと知り合いだったの?」

「ん……っと。初対面で槍を向けられた仲だ」

 

 俯かせていた頭を持ち上げ、記憶の通りのことを話してみる。

 うん、経緯はどうあれ、槍を向けられたのはたしかだよな。

 

「……北郷殿、それでは一方的に私が悪だ。賊に襲われていたところを助けた恩、よもや忘れたか?」

「忘れてないよ。あの時は本当に助かった、ありがとう」

「……うむ。というわけで───桃香さま。この者とは急に真名を呼ばれた仲にござる」

「ちょっと待った! 俺が呼んだのは風の真名であって、趙雲さんの真名を呼んだ覚えはないぞっ!?」

「……北郷殿。あまり細かいようでは女性に嫌われますぞ?」

「趙雲さん……? あまり冗談がすぎると、いつかしっぺ返しを食うぞ……?」

「ふふふふふ……」

「ははははは……」

「あ、あの~……?」

 

 桃香を中心に、俺と趙雲さんの視線がばちばちとぶつかり合う。

 うん、なにやってるんだろうね、俺。

 

「桃香、軽く説明すると……俺がこの大陸に降り立った時、丁度そこには黄巾の連中が居てね。そいつらに襲われそうになったところを、趙雲さんに救われたんだ」

「その通り。すると、ともに旅をしていた風の真名をほれ、この者が軽々と口にしたわけで」

「その時は真名の意味なんて知らなかったんだよ……訳もわからず大陸に落とされて、訳もわからず襲われて、訳もわからず槍を突きつけられる俺の気持ち、桃香ならわかってくれるだろ?」

「む。知らなかったからとはいえ、そういった場に下りた限りはその場の風習に従うもの。桃香さま、この趙子龍の言こそを認めてくださるな?」

「え? え? あ、あのぉ~……二人とも……?」

「何言ってるんだよ趙雲さん! それじゃあもし幼児が間違えて真名を口にしたら、槍でも突きつけるってのか!?」

「それは極論というものだろう北郷殿っ! 以前のおぬしならまだしも、今のおぬしならば真名の大切さもわかろうもの!」

「当時の俺の、真名に対する知識は幼児以下だったって言ってるんだって! お、俺だって知ってたらむざむざ槍を突きつけられるようなこと、言うもんかっ!」

「強情なっ! もはや過ぎたことだろうに!」

「あぁーっ! 一方的に俺だけが怒られるような言い方を始めた趙雲さんがそれを言うかっ!?」

「言いもするっ! この国にやってきたからには胸の内を曝け出し、心から笑い合えんようでは未熟千万! 素直に泣けもせぬ者よりも素直に泣ける御仁の方が好ましいと言ったはずだ! わからんのならその耳でしかと聞くがよい! そのように沈んだ顔をした者から教わることなど皆無! 今のおぬしは“教える者”として、あってはならん顔をしている!」

「なっ───!?」

 

 おっ……教える者として、あってはならん顔……!?

 なんてことだ……俺の顔が、教える者としてあってはならないなんて……!

 せっかくこうして、学校のことを相談しつつ教師としてやってきたっていうのに、まさか俺の顔が…………俺の……俺の……、……あれ? ……どんな顔だそれ。

 

「……あのー、趙雲さん? 教える者としてあってはならん顔ってどんな顔?」

「む? ……さて、そういえば恋がおぬしに用があるのだったな」

「あれぇ!? ここでスルー!? ちょっと待て趙雲さんっ、それじゃあいくらなんでも納得がいかないだろっ」

「ええいどこまで強情かおぬしっ! 過ぎたことをぐちぐちとこぼし続けるようでは───!」

「それを言うなら誤魔化して引こうとする趙雲さんだって───!」

「わ、わーちょっと二人ともっ、喧嘩はだめだよ喧嘩はっ!」

「桃香さま、これは喧嘩ではござらんっ!」

「そうだ桃香! これは互いを知るための語らいさっ! 喧嘩なんかじゃあ断じてないっ!」

「では続きといこうか北郷殿!」

「望むところだ趙雲さん!」

「あ、あぁあうぅう~……」

 

 桃香を挟んでの口論は続く。

 うん、実際怒ってるわけじゃないんだ、からかい合いの延長のようなもので、馬鹿にするような言葉は一切無い。

 遠慮なく様々なことを言ってはいるけど、不快に思うことなどなく、むしろ楽しんでいた。

 

「その風習に則ったら俺、姓が北で名が郷、字が一刀って感じになるだろっ!?」

「無論! むしろそう思っていたくらいだ!」

「胸を張るなぁっ!! 俺にとっての真名と呼べるのは一刀って部分なのっ! 一刀が字じゃどう考えても変だろっ! それなら趙雲さんだって、趙子龍って───趙子龍……趙子……?」

「……どうされた? 私の名に何か不満でも?」

「あ、いや……ちょっと待って、なにか思い出せそう……」

 

 趙子龍。

 趙雲、って名前が頭にこびりついてて、つい子龍って字を忘れがちだったけど……そうだ、名よりも字。

 字は名を気安く呼ばせないためにつくもの、って言われてた。

 だったら趙雲、と書くよりも趙子龍って書くのが普通で───

 

「趙子龍……趙子……趙……あ、あぁああああーっ!!」

「お、おおっ……?」

「わっ、ど、どうしたのお兄さんっ」

 

 思い出した! ───途端に叫んでしまったもんだから、傍に居た趙雲さんと桃香を無駄に驚かせてしまった。

 けど思い出した……そう、その名前は───!

 

「趙子龍! そっか、趙子! な、なぁ趙雲さん! もしかしてメンマとか作ったりしないか!?」

「……? それは確かに、多少かじった程度ではあるが作りもするが……」

「星ちゃん……あれで多少なの?」

「なにを仰る、私などまだまだ、うわっ!?」

 

 フッ……とどこか憂い顔だった趙雲さんの右肩を掴み、その目を真っ直ぐに見る。

 間違い無い……メンマで趙子……絶対にそうだ!

 

(今でも思い出せる……あの素晴らしきメンマ……!)

 

 思い出すのは季衣と食べたあのメンマ。

 趙さんには感謝しないとね、なんて季衣と言い合っていたが、まさかこんな場所に……! というかあの趙子龍がメンマ製作をしていたなんて……!

 ええい右腕が動かないのが悔やまれる! 両肩をしっかと掴んで感謝をしたかったのに!

 

「俺、多分だけど趙雲さんが作ったメンマを食べたことがある! あの時はありがとう! 俺、あんなに美味いメンマを食べたの、初めてだった!」

「…………メンマが、お好きか?」

「ああっ、あの瞬間に味に目覚めた! いつか趙さんにお礼を言えればと思ってたけど、まさかそれが趙雲さんだったなんて……!」

 

 興奮に我を忘れることってあると思う。

 さっきまでの言い合いはどこへやら、俺の心は感謝の気持ちで、頭の中はメンマの味でいっぱいになっていた。

 対する趙雲さんは……───わぁ、キリッとしようと努めてるんだろうけど、顔がどうしようもなく緩んでる。

 

「それは素晴らしい。いったい何処でこの趙子龍のメンマを食したのかは知らんが、私程度の腕で味に目覚めてくれるとは……これは認識を改めなければなりますまい」

「…………星? お前それでいいのか?」

「なにを言うか翠。メンマ好きに悪人など居るものか。北郷殿、我らはこれより友だ。ともにメンマの真髄……極めようではないかっ!」

「趙雲さんっ!」

「北郷殿っ!」

 

 ガッシィッ! と手が繋がった。

 メンマで繋がる絆がある……その感動、プライスレス。

 ……うん、プライスレスなのはいいんだけど、さっきからずっと俺のことを睨んでいる陳宮はどうすれば……。

 

「あの……陳宮? なんでさっきから俺のこと睨んでるのかぼほぉっ!?」

「馴れ馴れしく話し掛けるなです! おまえごときが恋殿の真名を口にすること! 恋殿が許してもこの陳宮が許さんのです!」

「…………」

 

 うん、どっかで聞いた言葉だった。

 どの国にでも居るもんだなぁ、こういう人……ていうか不意打ちキックはやめてください、地味に痛い。

 

「さ、恋殿! こんな男の傍に居ては孕みますぞ! 今すぐ離れるのですー!」

「近くに居ただけで孕むの!? どんな生物だよそれ! 俺はそんな特異体質なんて───桃香さん!? なんで無言で離れようとしてるの!?」

「あはっ、あはは、はっ……な、なんでもないよ~? うん、なんでもない~っ」

「……趙雲さん」

「うむ、泣きなされ」

 

 目を細め、あっさりと言ってくださった。

 そんなわけでもう、片手で顔を覆って泣きました。両手じゃないのが少し悲しい。

 ひどいや、いくら魏で種馬とか言われてたからって、他国に来てまで孕ませられるとかそんなこと言われるなんて……。

 

「お兄ちゃん泣き虫なのだ。ひょっとして弱いのかー?」

「───……ああ。めっちゃくちゃ弱いぞー? 弱いからいつだって泣いていいんだ。それは泣き虫で弱虫な存在の特権なのさ……。魏の中でも特別弱くて、いっつもいっつも後方で戦いを見てばっかりだったくらいだ」

 

 今は強くなろうと努力しているところ。

 多少力がついたからって、慢心は敵でしかない。

 国のために、いつかみんなに返すためと力をつけているが、身も心も強くなる、なんてものはとても難しくて。情けない話だが、時々こうして弱音めいたものを吐き出したくなる。

 

「そーなんだ。だったら鈴々が鍛えてあげるのだ!」

 

 だからなのか……そう、よっぽど自信なさげで落ち込んだ顔をしていたのか、張飛は頭の後ろで手を組みながらそう言った。

 なのに俺はといえば、一瞬何を言われたのかもわからずにぽかんとして……ようやく思考が追いついた頃には、そのままの顔で口を開いていた。

 

「……え? ほんと?」

「鈴々に二言は……えーと……あるかもしれないけど今は無いのだっ!」

 

 胸をむんっと張って言う張飛。

 こんな体型だが、その強さは一騎当千。

 呉では祭さんや明命や思春に付き合ってもらい、道中ではずっと雪蓮(暴走)のイメージと戦ってきたけど……まさかこっちで張飛に教えてもらうことになるとは。

 あ、ちなみに、雪蓮のイメージには一度たりとも勝てなかった。強すぎです彼女。

 

「そっ……そっかそっか! 鍛えてくれるかそっかーっ! ありがとう張飛、ありがとうっ! あ、でも鍛えてくれるのは三日に一度でいいか? 俺、もうずっとそうやって鍛えてきたから、それ以外の日にやると体の調子が悪くて」

「……? よくわからないけど、手伝ってほしくなったらいつでも鈴々に言ってくれればいいのだ」

「おお……!」

 

 思わぬところで鍛錬を手伝ってくれる人が……!

 蜀に来てからはずっと、思春と一緒に鍛錬をするんだとばかり……って、思春どこ?

 そういえば居ないけど……ハッ!? もしやまた近くに……!?

 

(……なんて思っても、気配なんてわかるはずもなく……)

 

 思春は本当に、空気にでもなったみたいに気配を殺すから怖い。

 いつ、何処で見られているかを考えると、おちおち落ち着いてもいられない。

 ……現状だけでも、落ち着けるわけもないんだけどさ。

 

「なにはともあれ、客人が来たわけだ。酒の一献でも付き合ってもらっても罰はあたるまい」

 

 主に、やたらと首根っ子を引き寄せたがる、この厳顔さんの所為で。

 

「や、でも。顔合わせは済んでも自己紹介がまだの人が」

「そんなものは酒を呑みながらでも出来ようが。ほれ、まずは───」

 

 ニタリと笑み、常備しているらしい酒徳利を取り出して───ってどうして常備なんか!?

 酒が好きなのはわかるけど、祭さんといい、この口調の人はみんな“酒大好き人間さん”なんだろうか。

 さすがに顔合わせにと用意された席で酒を呑むのはいけないと思っているのに、この腕が……首根っ子を引っつかんでいる腕が、俺なんかの力よりもよっぽど強くて……! あ、だめ、逃げられな───

 

「桔梗、それくらいにしておけ」

 

 ───い、と続くはずだった意識が、聞こえた声に救われる。

 誰? と確認するまでもなく、その声に最初こそは身を震わせたけど……振り向いてみれば、予想通り関羽さんが居た。ちなみに呆れ顔。

 

「む? なんだ愛紗か。せっかく酒を呑める口実が出来たんだ、そっとしておかんかい」

「わあ、本人の前で口実とか言っちゃった」

 

 酒飲みの方々ってもうこんな人ばっかり。

 でも不思議と憎めないのは、その取っ付きやすさからきている人徳的ななにかなのだろうか。

 や、わかってる、呉でも祭さんの元気っぷりには随分と助けられたし。でもこの、いつでも何処でも酒を勧めてくるのは勘弁してほしいです、はい。

 

「愛紗、お兄ちゃんのこと嫌ってたんじゃなかったのかー?」

「はっ……初めから嫌ってなどっ……! ただ私は、けじめの問題をだな……っ!」

「? けじめならお兄さんが謝って私が許した時点で、もうついてるんじゃないの?」

「いえっ、桃香さま、これはっ…………わ、私個人のけじめの問題ですっ」

「愛紗ちゃん自身の? え~と…………」

「ふふっ……桃香さま、察してやりなされ。愛紗もいい加減、自分一人が一方的に嫌う理由に見切りをつけたいのでしょう」

「星!? 貴様っ……!」

「……あ、そっかー。愛紗ちゃん、かわいー♪」

「桃香さまっ!? ちがっ……これは!」 

 

 ……当人そっちのけでの言い合いが始まった。

 こうなると長い上に、肝心なところだけ答えを俺に求めるというパターンが軽く想像出来るんだから、俺もこれで結構経験値が積めてきたんじゃないだろうか。

 ということで、俺の首から腕を離して酒に手を伸ばした厳顔さんの隙を突いて、その場から離れる。

 

「ふうっ……」

 

 名物なのかどうなのか、蜀の将は人垣の中心で展開されている騒ぎを「やれやれまたか」って感じの苦笑で眺めている。

 そんな中から自己紹介を済ませていない人を探し、きっちりと自己紹介を済ませ(袁紹さんは物凄く苦労したが)───一応の段落を得た。

 ……それが済んでもまだ言い争っている彼女らは、どれだけネタに苦労していないのか。

 苦笑をもらしながら、最後に玉座の間の隅でTAIIKU-SUWARIをしている張勲に話し掛け、自己紹介を……と思ったのだが。

 

「……お嬢さま……」

「あのー、張勲?」

「お嬢さま……」

「張勲? 張勲~?」

 

 声を掛けてもどことも知らぬ世界を眺めているようで、振り向きもしない。

 むしろ壁に向けて体育座りをしている時点で、壁しか見えてないんだが。

 

「うん……いいです……。ご飯も、暖かい空気もあります……。しばらくはここでご厄介になるのも悪くないです……。ただ……お嬢さまがいらっしゃらないんですよね……」

「………」

 

 壁に向けて、どこぞの死刑囚のような言葉をぶつぶつと仰ってる。コンビニを襲ったあとに、警視正の口に肉まん数個を突っ込みそうである。

 仕方も無しにその肩にポンと手を置くと、“ビビクゥッ!”と器用な跳ね方をしてこちらへ振り向く張勲さん。

 

「お嬢さまっ!? ───ひゃっ!? あ、あなたはっ……!」

 

 多少の驚きをその全身で表現しつつ、怯えた様子で今まで見ていた壁の隅へとじりじりと下がる。

 そんな彼女に「やあ」と軽く手を上げてみたんだけど───

 

「私とお嬢さまが助かる可能性を身勝手に完膚なきまでに打ち砕いてくれた上に忌々しいことに私とお嬢さまを離れ離れにした天の御遣いさんじゃないですかぁっ」

「…………出会い頭に一息で、どれだけ自分の都合で人を悪く言うんだこの人は」

「いえいえ、褒めてもなにも出ませんから。それであの、あなたがここに来たということは、私はもうお嬢さまのもとに帰ってもいいってことでしょうか」

「いや、そんな話は全然聞いてないかな。朱里と雛里づてでキミがここに居るのは知ってたけど、そもそもキミをここに来させた覚えは俺にはないぞ?」

「いえいえいえいえいえとぼけたって無駄なんですよー? あなたがあの時、“三国に降るように~”とか“必要になった時にすぐに動ける人員に~”とか言っちゃわなければ、今頃私はまだお嬢様とっ……お嬢さまとぉおお~……」

「………」

 

 うん、どうしよう。

 この人から物凄く“自分勝手臭”が漂ってきてるんですけど。

 

「あの。張勲?」

「はいっ♪」

「………」

 

 で、話し掛けてみれば泣きそうな顔もどこへやら、笑顔で人差し指をピンと立て、続く俺の言葉を待った。

 無駄に元気だ……T-SUWARIのままだけど。あの、こっち向きながらその格好じゃあ下着見えますよ? ていうか見えてて目のやり場に困るというか……ええい目だっ、目を見て話せ俺っ!



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23:蜀/メンマで繋がる絆、大陸の父のお話②

 咳ばらいを会話のクッションに、極力張勲の目を見るようにして会話を続ける。

 無防備と言えばそうなのか、それとも狙っているのか、張勲はどこかからかうような様子を見せていた。……寂しそうなのは確かなようだが。

 

「ここに来るように言ったのは華琳なんだよな?」

「はい、その通りです。ある日曹操さんが玉座の間に私を呼び出したかと思うと、“このまま美羽とは会わずに蜀の桃香のもとへ向かいなさい。条件付きの勝負に負けた貴女には一切の拒否権はないわ”と言いまして~♪」

「………」

 

 口調は嬉しそうなのに、顔は泣きそうだった。

 器用な人だ……。

 

「それは、賊まがいのことをやっちゃった私達が極刑を免れるには、結果としてあの条件を飲むしかありませんでしたよ? でも条件を少しでも軽くする方法は、考えればいくらでも出てきたはずなんです。なのに華雄さんが勝負と聞いた途端に“どんな条件でも私の勝ちは揺るがない!”とか言い出して……っ」

「………」

 

 やばい泣ける……! この娘ったらなんて不憫っ……!

 

「あなたが……あなたさえその外見通りの顔だけっぷりを発揮して、華雄さんにぱこーんと負けてくれれば……」

「顔だけで悪かったなっ! つーかあの。張勲さん? 逆恨みって知ってる?」

「はいそれはもちろんですよ? わかってて言ってますから~」

 

 ……爽やかな笑顔でした。目尻は涙でいっぱいだったけど。

 この娘、天然なのかなぁ……言うことはいちいちもっともっぽいんだけど、どうにもそこに皮肉をつけないと喋れないような……そんな印象を受ける。

 袁家の下で働いてると、こうして性格も歪んでくるんだろうか。

 と、軽く考えてみたけど……反面教師にして物凄く真面目になるか、影響を受けてヘンテコになるかのどっちかしかないんじゃないかという結論しか出なかったよ。

 

「それでさ。せっかくの機会だからきちんと自己紹介とかしたいんだけど」

「ああ、それでしたら───」

 

 俺の言葉にシャキッと立ち上がり、スカートのお尻の部分をパパッと払うと姿勢を正し、一度軽くお辞儀をすると───

 

「姓は張、名は勲。お嬢様……袁術さまの側近からお世話まで、お嬢さまのことならなんでも知っている、まさにお嬢さまのために産まれてきました存在です」

「随分とまあご心酔というか……」

「もちろんですともーっ♪ お嬢さまのことなら、いいところも悪いところも、恥ずかしいところも全て、そう……全て知っていまーす♪ ……男性の方でしか知り得ないことも当然……ふふふ……っ」

「………」

 

 いちいち喜びと負の感情を混ぜ合わさなければ喋れないんだろうかこの人は。

 今だって男性の方がどうのって部分では、物凄くニヤケた顔してたし。

 

「いつかお嬢さまにも色を知る歳が来るんでしょうね……たとえば目の前の、悔しいけど顔だけはいい男性にいいように扱われて……扱われて……っ……その時は是非とも私も混ぜてくださいね?」

 

 それでいいのかアンタ……と、本気でツッコミ入れそうになった。

 そんな俺の頭の中はほったらかしに(当然だけど)、どんどんと話し続ける張勲はどこか目が回ったような───あれ? 目が回ってる? なんで?

 

「お嬢さまが実際の殿方によって涙を散らす瞬間……それを見なければ、私としましては一生悔いが残りますので。お嬢さまの全てを知ってこその側近。お嬢さまの無茶振りの全てを受け止め、やさしく包みつつ、時にはからかって涙に滲むその可愛らしいお顔を愛でる……それが、この張勲の至高の喜び……! ああもうっ、お嬢さまったら可愛すぎますっ!」

「おーい……帰ってこーい……」

 

 胸の前で両手を絡ませ、キラキラ光る瞳でどこぞを見ている張勲さん。

 なんかもう……いろいろと深い世界の住民のようで、さすがに顔が引きつってます俺……。

 

「そんなわけですのでー……はいっ♪ これからよろしくお願いしますね、御遣いさん」

「……っと、そっか。姓は北郷、名は一刀。字も真名も無いから、好きなように呼んでくれていいよ」

「はいっ、種馬さんっ♪」

「それはやめてくださいっ!?」

「いえいえ、どうせお嬢さまを散らしたあとには、私も散らしていただくつもりなのでぇ。お嬢さまが味わった痛みを、直後に私も……といっても私もお嬢さまも散ってはいるんですけどね。野生の蜂蜜って怖いですよねー。でもでもやはり、殿方に実際にされるのとそうでないのとでは違うでしょうし」

「なんで散らすこと前提で進めてるんだ!? こっ……断るぞっ!? 断固として断るからなっ!?」

「では寝込みを」

「襲わないでくれっ!!」

 

 だ、大丈夫なのかこの人……!

 袁術に仕えてて、袁術が大事だっていうのは話をしているだけで十分すぎるほどに解るけど、いくらなんでも話が飛びすぎて───あれ?

 

「………………」

「あの……張勲さん?」

「……ここの仕事は……ですねぇ……? すごく大変で、そりゃあやり甲斐もあるんですよ~……? でも……ですけど……お嬢さまが命令してくれないと、その大変さもただひたすらに辛いだけでしてぇえ…………」

「……えーと、つまりなに? 袁術が居ない所為で───」

「辛いだけって……本当の意味で辛いですよね……。癒しが……お嬢さまの笑顔が欲しい……」

 

 また影が差した顔でぼそりと言う張勲さん。

 もぞもぞと足を折り、ふたたびT-SUWARIをしてしまった。

 どこまで袁術のことが好きなんだろうかこの人は……なんて思いながらも、これだけ忠誠を誓えているのはある意味凄いかな、と───感心してしまった。

 

「お嬢さまの笑顔が……お嬢さまの喜ぶ顔が……お嬢さまの……希望を手にした途端にどんぞこに突き落とされた顔が見たいです……」

「………」

 

 ……感心しちゃったよ俺。しちゃったよ。前言撤回していいかな。

 と、それはともかく、なにやら禁断症状みたいなものを出しているっぽい。

 愛煙家がタバコから無理矢理引き離されたような、そんな状態……なんだろうか。

 

「……あのさ。だったらここで、ここに居る間だけでもいいからなにか別の目的を探してみたらいいんじゃないか?」

「はい……? 別の……目的、ですか?」

「ん、そう。なにも袁術に限ることなんてないんだし、ちょっと興味が引かれたことに手を伸ばしてみると、案外……楽しめたりするんじゃないかな」

 

 言いながら、しょんぼりとしている彼女の頭をやさしく撫で───そうになるのを止める。蜀に来る道すがら、朱里や雛里にやっていた癖だこれ。誰彼構わず、しょんぼりさんを見かけると手が伸びそうになるのはヤバイ。

 なので止めてみたつもりだったんが、しょんぼりしているのを見ていたらやっぱり止めきれず、気づけば撫でていた。

 頭に乗ったスチュワーデスキャップのようなものがゆらゆら揺れるが、一度撫でてしまったのなら気にせずやさしく。払われたら二度とすまい。

 

「…………そう、ですねぇ……そうですよ。いずれ大陸の父になるかもしれないお方なんですから、その人となりを知っておくのも───」

 

 ───そんな手が、ピタリと止まった。

 たぶんやさしく笑んでいた顔も引きつらせた状態で。

 

「あの、今……なんと……?」

「え? ですから大陸の父になるお方なのですからー、と。聞いてません? 魏に孫策さんが乗り込んで、将一人一人に御遣いさんに手を出していいかを訊きに行ったって話」

「な、なんだってぇえーっ!?」

 

 本当に実行に移ったのか!?

 そりゃあそういう話はしたけどっ……いくらなんでも行動が早すぎじゃありませんか伯符殿!!

 

「そんな話、どこから……」

「はーい、執務室で話しているのを盗み聞きしてましたーっ♪」

「張勲さん、貴女笑顔でなんてことを……」

 

 でも気になるのはたしかなわけで。

 

「えーとその。俺が大陸の父になるって、雪蓮……孫策が言い始めたのか?」

 

 発端は間違い無く風だろうけど……あれはただ名称を語ってみせただけで、首謀者とは程遠い……よね? 違いますよね風さん。

 

「そう名づけたのが誰かは知りませんよ? 私は盗み聞きしただけですし、そういう話があるー、としか知らないんですよぅ」

「ウワー……」

 

 どうしてそんな話が……。

 むしろ驚くべきは雪蓮か……まさか、本当に行くなんて。いやそれ以前にこんなに早く行動を起こすなんて。

 

「あの……張勲さん? 絶対に早まった行動はしないでくれな? 俺は魏のみんな以外の人とは関係を持つ気は───」

「お嬢さまに誰とも知らぬ男に抱かれろって言うんですか!?」

「うわわわわっ!? ななななんてことを大声でっ……! ちょっ……なんでもないなんでもないっ! なんでもないからこっちのことは気にしないでっ!!」

 

 張勲の声にちらちらとこちらを見る蜀の将の皆様に、なんでもないと必死に説明して視線を戻してもらった。

 ……よかった、まだ言い争いが続いてて。終わってたら絶対にこっち来てたよ。

 

「……はい、わかりましたー。こうなればあなたがお嬢さまに相応しい男性かどうかをこの七乃がっ……お嬢さまのために見極めてみせますっ」

「そんなことしなくていいからっ……なにか言われたら断ってくれればそれでっ……!」

「うわーぁ、なにを言ってるんでしょうねぇこの人はー。もしそんなことで流してしまって、あなたがとても素晴らしい人だったりしたら私とお嬢さまのお先は真っ暗じゃないですかぁ」

「……酷く打算的な反応ですネ……」

「女は狡賢い生き物ですから。それに天の御遣いたるあなたと関係を持てば、お嬢さまがなにかしらの間違いを犯しちゃっても許されそうですしー♪」

 

 うわァいこの人本当に狡賢いやァアアーッ!!

 

「こ、断る! 俺は魏に全てを捧げた! だから───」

「あー、だったら私とお嬢さまが魏に降っちゃえばいいってわけですねー?」

「やめてぇえええええーっ!!」

 

 迂闊! しまった! その方法があった! たしかにそれなら理屈上は俺は断れないっ……!

 断れ……こと……こ……?

 

「……ちょっと待った。そもそも張勲さんって、俺のことなにも知らないだろ? いいのか、そんな関係を持つとか持たないとか」

「いやですねー、それをこれから知っていくんじゃないですか。時間ならたっぷりあっちゃいますし、全然まったく問題なしですねー」

「………」

 

 背中になにか冷たいものが走った気がした。

 いや、殺気とかじゃなく……寒気……?

 

「ですからお願いしますね、えーと……一刀さん? 是非ともここで、お嬢さまに相応しい男になっちゃってください」

「成長しろって言われてるはずなのにちっとも嬉しくないのは……どうしてなんだろうねぇ……」

「固いことは言いっこなしですよぅー。というわけで、さ、一杯」

 

 と。にっこり笑顔で徳利と杯を取り出す張勲さ───アァアアアッ!!?

 

「呑んでたの!? いやそれ以前にどこからっ……いや待て! 言動のおかしさもそれが原因かっ! ええいどこからツッコんでいいやらっ!」

「だぁいじょうぶですよぉ、これは厳顔さんにいただいた、寂しさを紛らわせる飲み物ですからぁ~……やぁああさしいですよねぇ、厳顔さん~……」

「寂しさの意味が微妙に違ってるからそれっ! ああもう宴での第一印象からだけど、本当に酒が好きだなぁあの人!」

 

 祭さん、霞と合わせて酒をがぶ飲みしていた厳顔さんを思い出す。……だけで、胸焼けにも似た気持ち悪さが込み上げてきた。

 無理です、あそこまで呑めません。乾杯だけで虫の息だった俺では、それ以上の酒は想像するだけで誰かに向けて謝りたくなる。

 

「……あのな、張勲。なんかもう“さん付け”するのが悲しくなってきたからこう呼ぶけど、こういう場で酒を飲むのは、こういう場を設けてくれた人に対して申し開きが───」

「………《にこり》」

「へ?」

 

 言葉の最中、にこりと笑って俺の後方を指差す張勲。

 ハテ、と振り向いてみると、将という人垣の中で……腰に括り付けてあった酒を呑み、豪快に笑っている厳顔さんの姿が。

 

「………」

「………」

「……飲もうか」

「はーいっ♪」

 

 一個の杯をさあさと渡し、酒を注いでくれた張勲の前でくいっと一飲みにする。

 途端、口の中から食道、胃袋にかけて熱が走り、少しだけ息が詰まったような気分になってくる。

 そんな体の変化を楽しむと、ありがとうと言って杯を返すと……張勲はとくに気にする様子もなく酒を注ぎ、くいっと飲み下してしまった。

 ……間接キスとか、気にしないのかな。それとも酔ってる所為で気にしてないのか───あ。物凄く苦そうな顔してる。

 

「……一刀さん?」

「うん? なに?」

「もし……私より先に魏に行くことになっちゃったりして、私より先にお嬢さまに会うことがあれば……七乃は元気に暮らしていますと伝えてもらえます?」

「袁術にか?」

「はい。お嬢さまは寂しがり屋ですから……気安い相手が近くに居ないというだけで、精神的にアレになってると思いますからー……」

「……アレなのか」

「アレなんです」

 

 その“アレ”にはどんな意味が含まれているのか、非常に気になるが……ここはあえてスルーしておこう。

 

「あとはー……えっとそうですねー。一刀さんが頼り甲斐のある人だとわかったら、是非とも魏でお嬢さまを守ってもらいたいんですけどー……」

「守る? 誰から?」

「やだなー、一刀さんたら。お嬢さまを取り巻く環境全てからに決まってるじゃないですかぁ」

「決まってるんだ……」

 

 酒徳利を持ちつつ、ピンと人差し指を立てながらのこの笑顔。

 かと思いきや、“寂しさが紛れる飲み物”を杯に注ぐとクイッと飲み下し……「うぇええ」と苦しげに舌を出していた。

 

「酒が呑めないなら無理に呑まないほうがいいんじゃないか?」

「いえ呑めます、呑めますよー……? でもこれは寂しさを紛らわす飲み物ですから、苦手でもなんの問題も~…………きゅう」

「うわっ!? とぉっ……!」

 

 笑顔から一転、目を回して倒れてきた張勲を抱き止める。

 顔は物凄く真っ赤で、何かを呟いているんだけど言葉にはなっておらず、明らかに嫌な酔いかたをしているなーとわかる状態だった。

 

「……俺の周りには、無鉄砲に突き進んで自滅するタイプの女性しか現れないんだろうか」

 

 必ずしもそうではないけど、“うっかり”なにかをしでかしてしまう人が多いような気がして仕方ない。

 騙されやすいのは、それだけ純粋だったってことにしておこう。本当に寂しかったからであろう、彼女のこの乱暴な飲みかたに免じて。

 

「よっ……と」

 

 ともかくこんなところで寝かせておくわけにもいかない。

 うんと頷くと張勲をお姫様抱っこ……しまった、右腕折れてるよ俺。

 

(……大丈夫……か?)

 

 ここ、成都に着くまでの間中ずぅっと氣で固定、氣での治療を集中させてやってきて、たぶん……そう、たぶんだけど繋がって……るといいなぁ。

 重いものを持って激痛に見舞われるのが怖くて、ものを持ち上げる動作を試していない臆病な俺を許してください。

 

「……《しゅるり》」

 

 ひとまず、そうひとまず。

 首から下げている包帯だけを歯と左手とで解き、右腕を解放してみる。

 重力でだらんと揺れた右腕は予想通りか痛んだけど、はっきりと折れてた頃とは違い、多少の痛みしか感じない。

 動かさなければ痛くないって暗示だったのかどうなのか、華佗の鍼治療には頭が下がるばかりだ。

 

「よし……とぃぐぅああっ!?」

 

 張勲の背に腕を回し、いざと力を込めた途端に大激痛。

 無理! 動かせはするけど薄皮一枚で繋がってるみたいな感じだ! このまま力込めたらまたポッキリいきそうだ!

 

「い、いぎっ……つ、っはぁああ~~~……!!」

 

 涙を浮かべながら痛みが引くまでを堪える。

 “完全に酔っ払ってしまえば痛みなんてないのでは?”なんて馬鹿な考えが浮かんだけど、当然のごとく却下だ。

 

「……はぁ。いたた……どうしよ」

 

 肩に抱えるか脇に抱えるか。

 いや待て、そもそも誰かを呼べば簡単に済むことじゃないか?

 

「おーい……うわぁ」

 

 早速振り向いてみれば、いつの間にか伝染している喧噪。

 呑まされたのか呑んだのか、気づいてみれば酒臭さがムワリと漂ってきていた。

 ……出てくる言葉なんて、「やれやれ」だけだ。

 仕方も無しに左腕一本で張勲を小脇に抱え……

 

(だ、大丈夫、持てないことも……ない……!)

 

 ……先ほどより一層に騒がしくなっている人垣の中心へ。

 酒を呑んではいても道を開けてくれる蜀の皆様に感謝しつつ、桃香のもとへと辿り着くと……桃香に張勲の部屋の場所と、むしろ自分が寝泊りすべき部屋の場所を訊くことに。

 桃香はいつの間にか俺の腕の中で眠っている張勲と、微妙に香る酒の香りで察してくれたのかすぐに場所を教えてくれた───っとと、そうだった。忘れる前に訊いておかないと。

 

「そうだ桃香、これから蜀を離れるまでの間、城壁の上と中庭の使用許可が欲しいんだけど」

「ふぇっ? 城壁の? …………ああっ、朱里ちゃんと雛里ちゃんが言ってたっ!」

 

 朱里と雛里から鍛錬のことは聞いていたんだろうか。

 桃香は胸の上で両の指を絡めると、にっこりと笑ってうんうん頷き始めた。

 

「うんっ、いいよいいよっ、どんどん使っちゃって? あ、でも見張りさんの邪魔にはならないように気をつけてほしいかな」

「ん、そのへんは努力する。あと……庶人扱いだけど、思春も一緒に行動させてくれると助かるんだけど……」

「うんそれも。大丈夫、庶人扱いだろうとなんだろうと、お兄さんの友達は私の友達だもん」

「桃香……」

 

 天然なんて思ってごめん、キミは本当にやさしい王様だ。

 力のない彼女のもとにこれだけの将が集まる理由、わかる気がする。

 

「でも鍛錬かぁ……ねぇ愛紗ちゃん」

「なりません」

 

 よくわからないけど即答だった。

 

「えぇっ!? まだなにも言ってないよっ!?」

「話の流れから予測くらい出来ます。たしかに日々を政務だけで過ごされては体に毒かもしれませんが、急に鍛錬を始めたところで体を壊すのが目に見えています」

「で、でもぉ~……そんなこと言ってたらずぅっと体に毒だけ蓄えることになるんだよ? 愛紗ちゃんはそれでいいの?」

「うっ……しかしですね桃香さま」

「よいではないか愛紗よ。近頃の桃香さまの仕事ぶりは目を見張るものがある。まあ恐らくは北郷殿に見栄を張りたい一心でしょうが───」

「星ちゃん!? ちがっ、違うよっ!? わわ私普通だもんっ! べつに、のんびり仕事してるところを見られて、華琳さんに報告とかされたら怖いなぁとか思ってたりなんか───」

『………』

「ぅう…………ごめんなさいぃ、ちょっとは思ってましたぁ~……」

 

 素直で天然だ。

 なるほど、力のない彼女のもとにこれだけの将が留まってる理由、わかる気がする。うん、色々な意味で。

 

「でもでもっ、少しくらい体動かさないと、このままじゃ私動けなくなっちゃいそうだよ。無茶はしないから、ね?」

「しかし……」

「ふむ。ときに北郷殿。お主の鍛錬とは、城壁の上でするものなのかな?」

 

 しばらく続きそうな桃香と関羽さんの会話の中、趙雲さんが俺を見て質問。

 城壁の上で? 走る……な。走る。思いっきり。

 

「ああ。って言っても、延々と走るだけだけど」

「なるほど、街を駆けずり回っては民に迷惑。城内を駆け回るわけにもいかぬのであれば、城壁の上を、か」

「呉に居た時もずっとそれをやってたからさ、今さら走らなくなるのは体によくないんじゃないかと思って」

「ふむ……それに桃香さまはついていけそうかな?」

「………」

 

 頭の中に、VS華琳戦が思い返される。

 剣を振るうというよりは剣に振り回されているような戦い方と、チャッと剣を構えていてもどこか引けていた腰とか……うん。

 

「ついていけるようにはなれる。出来ないならなればいいんだ。俺だって少しずつだけど伸びてる実感があるんだから、この世界の桃香が出来ない道理はないよ」

「おや。てっきりついていけないとすっぱり言うのかと思えば。なるほど、可能性というものを斬り捨てないところには好感を抱けもするが、果たしてそれが優柔不断に……ふむ。繋がっているから魏の将全員と───」

「それはもういいからっ!」

「おや残念」

 

 あの……残念そうというよりは、すっかり楽しませてもらったって顔してますけど……?

 と、少しこの人の人間性を訝しんで見ていると、朱里と雛里を呼ぶ趙雲さん。

 てこてこと歩いてきた軍師様二人になにかしらをぼそぼそと話すと……

 

「ん……ですがそれは……」

「なに、わからないことは教えればよい。どうやら天の御遣い殿は努力家のようだ。他人の可能性を捨てる気がないのであれば、自分の可能性も捨ててはおるまいよ」

「………」

 

 ……えっと?

 どんな話をしてたのか、朱里が顎に手を当て思考。

 趙雲さんは俺を妖艶な目で見つめ、雛里は何も言わずにじーっとこちらを見ている。

 

「北郷殿」

「っと、なに?」

 

 睨めっこでもしたいのかと、じーっと雛里を見つめ返していると、かけられた声に視線を持ち上げる。

 

「お主に一つ頼みごとをしても構わんだろうか」

「頼みごと? あ、うん。俺に出来ることならなんでも。呼ばれたとはいえ、急に来て厄介になるんだから、出来るかどうかに限らずなんでも言ってくれると、こっちも過ごしやすいよ」

「おお、それはなんとも殊勝な心掛け。しかし……桃香さまにも言えることだが、せめて内容を聞いてから頷いてみせんと……ふふっ、いずれ後悔することに───」

「後悔したら次に活かすよ。とりあえず、今は来たばっかりの俺にも頼みごとをしてくれることが嬉しいから、そんなことは気にしないし」

「……やれやれ。ふふっ、これは本当に退屈せずに済みそうだ」

 

 では、と。

 朱里と雛里を促すと、小さな二人が一歩前に出て俺にこう言ったわけで。

 

「あの。これから……はわわっ、今日の今すぐからって意味ではなくてですねっ!? あのっ……すぅ……はぁ……これから蜀に居る間、一刀さんには桃香さまのお手伝いを務めていただきたいんです」

「手伝い? ……それって政務とかの補佐ってこと?」

「はい。考え方が似通っているのなら、と。星さんが」

 

 聞いた言葉に趙雲を見てみれば、ニヤリと軽く微笑まれた。

 手伝いって……蜀の国の在り方に俺が手を出すってことだよな? いいのか? それって。

 

「それってまずくないか? たしかに張勲が手伝ってる今、手伝わないなんて言えないけどさ。桃香や朱里や雛里が纏めてるこの国の在り方に、俺なんかが手を出したら……その。いろいろ崩れる部分とかが出てくるんじゃ───」

「はい。ですから解らないことがあったら私か雛里ちゃんに訊いてください。もちろん、纏めてくれたものも確認のために目を通しますし、出来るだけ手伝いますよ?」

「そうなのか? それならこっちとしては安心だけど……」

「あわ……はい、ようは……その……この国の在り方を覚えるまで……」

「……なるほど」

 

 知らないことは教えてもらうか調べるしかない。

 けど、覚えたことや知ったことからは自分に出来ることが選べる。

 選んだものは朱里と雛里が確認してくれるし、最終的に許可か否かを決めるのは桃香なんだから、そう肩肘張らずに始めてみろ、と。

 

「……桃香に負担を背負わすことになりそうだな」

 

 苦笑とともに、まだ関羽さんと話し合ってる桃香を見やる。

 あっという間に劣勢になるかと思いきや、意外にも押されているのは関羽さんのほうだった。

 

「なに、あれで一国の王だ。北郷殿が思ってるよりもよほどに強いぞ」

「うん。だろうね」

 

 王になどなるべきではなかったのよ、と華琳に言われ……負けた。

 それでも王を続ける覚悟と意思があるんだ。

 民に願われたから、将に願われたからまたやっているってだけじゃない。

 期待され望まれ、そんな期待に押し潰されないままに立ち上がれる様は、素直に素晴らしいと思える。

 

「で、そんな信頼が必要な仕事を俺にやらせて、最終的にはどうしろと?」

「ふむ。そこまでわかっているなら話は早い。───桃香さまを少々鍛えてやってほしい」

「桃香を?」

 

 意外……でもないか?

 いや、やっぱり少し意外だ。

 徳や情があるからこそ、みんな桃香のもとに集まった。

 なのに、そこに力を加えるとは───

 

「表には出さないが、曹操殿に自分の理想を正面から叩き折られたことに、いつか涙していたことがあってな。今でこそ納得しておられるのだろうが、いつかまた似通った困難にぶつかった際、そのような涙は流してほしくはないのだよ」

 

 ……でも、その意外って点もすぐに消え失せ、逆に納得という言葉になって胸にすとんと落ちてくれた。

 そうだよな、悔しくないはずがない。

 もし本当に桃香と俺と似ているっていうのなら、今までの戦の中で死んでいった人たちのことを憂い、悲しまないはずがない。

 その涙の理由がそこにあるんだとしたら、俺がその申し出を断る理由なんて存在するはずがないのだから。

 

「体を鍛えることを人に教えるのって初めてだけど。大丈夫かな」

「ふふっ……言ったろう、北郷殿が思っているよりよほどに強いと。弱音を吐こうが引っ張ってやればよろしい。それが、桃香さまより先に一歩を踏み出したお主に出来ることだ」

「……そっか。わかった」

 

 そういうことなら喜んで引き受けよう。

 断る理由も特に無いし、むしろ一緒にやってくれる人が居るなら張り切り甲斐もあるかもしれない。

 

「あー……で、恋のことなんだけど」

 

 張勲を抱え直しつつ、ろくに相手をすることが出来なかった恋のことを思い出す。

 今何処に居るかな、と視線を彷徨(さまよ)わせてみたところで彼女は見つからない。

 

「何処に居るか、知らないかな。ろくに話も出来なかったから、声くらい掛けたいんだけど」

「恋さんでしたらたぶん、中庭のほうに……」

「中庭か。ん、ありがと朱里。……───って、もう出ていっても平気か? 顔合わせのために集まってくれたのに」

「はい、こうなってしまうと誰にも止められませんから」

 

 言って、彼女はもはや止まるつもりさえないのだろう騒ぎを「ほら」と促す。

 ……うん、この目で見れば納得も出来る。これは無理だ、止められない。

 

「そっか。じゃあちょっと行ってくる。桃香のこと、話が纏まったら教えてくれると嬉しいかも」

「はいっ」

 

 噛むことが少なくなったかなと感じながら、笑顔を向けてくれる朱里に笑みを返し、歩く。

 さて、まずは張勲を部屋に連れていってと───



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23:蜀/メンマで繋がる絆、大陸の父のお話③

 張勲が借りている部屋の寝台へと彼女を寝かせ、中庭まで歩いてきた。

 そっと思い返すのは、思わず「ヒィ!」と悲鳴を上げてしまうほどに積んであった、木彫りの袁術人形。

 あんなものを彫ってどうするつもりなんだろうか。もしかして呪いにでも使うのか。本気でそんなことを思ってしまうほど、こんもりと積まれたり並べられたりしていた。一体だったら可愛いものだったんだろうが……あれは夢に出そうだ。

 しかし手に取ってまじまじと見てみると、意外に完成度は高く。袁術に限らず、なにか木彫り人形でも彫って売りに出せば多少は稼ぎになるんじゃないか───などと言ったところで、袁術の人形しか彫らないんだろうなぁと、心が勝手に結論を出してしまったわけだが。

 

「さて」

 

 考えることはいろいろあるけど、とりあえずは中庭だ。

 こうして夜の空の下で歩いてみると、蜀も呉に劣らず落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 ん、んー……まあ、玉座の間から聞こえてくる喧噪には、さすがに苦笑をもらさずにはいられないけどさ。

 よく届くなぁ、こんなところまで。

 

「で、恋は、と……」

 

 蜀の皆様の声の大きさに、感心とか呆れとかを混ぜた説明しづらい感情を抱きつつ、茂みを掻き分けるように恋を探す。

 見渡せる部分では見つからないのだから、こういった場所に隠れてたりするんじゃないかって考えなんだが……そもそも隠れる理由が見つからない。

 もしかしてもう居ないのか? なんて思っていると……居た。

 たくさんの犬や猫に囲まれて、T-SUWARIをしている。

 声をかけようかと思うや、恋の前に座っていたセキトの耳がピンッと持ち上がり───

 

(あ、気づかれた)

 

 なんて思うのも束の間。

 一匹気づけば早いもので、猫やら犬やらが俺の方へと振り向き、セキトを先頭に突っ走ってきて、ってうわぁあっ!?

 

「ななななにっ!? なになになにっ!?」

 

 あれよという間に足下は犬猫で埋め尽くされ、“間違って踏んでしまわないように”と少し屈んだ瞬間には猫が俺の膝を蹴り弾いて肩に乗り、それを見たセキトが真似して膝を蹴って胸に飛び込み、落としたら大変だと片手で抱きとめたら……もうダメだった。

 次から次へと俺の体へと飛び乗る犬猫犬犬猫猫猫……!! 結び直した包帯の上にまで乗っかってきて、ズキリと来た痛みに「キアーッ!」とヘンな悲鳴を上げてしまった。

 

 しかしまあ、なんだ。人の体重にしてみれば猫なんて軽いもので、飛び乗ってきたのが小さな犬や猫だったことも幸いし、一度痛みが過ぎるとあとは耐えられた。

 ……うん、キミが重いって言ってるんじゃあ決してないからな、張勲。これは人間と犬猫の基本的な重さについての話だから。

 それはさておいて、さあどうしよう。犬と猫のフルアーマーが完成してしまったわけだけど。っていうか痛ッ!! こ、こらっ、しがみつきたいからって爪立てるな爪っ……! やめてぇええキズモノになっちゃ───はうあ!?

 

「…………」

「…………」

 

 こっち……見てる……。

 キャッツ&ドッグスアーマーを身に着けた俺を、恋がこう……じーっと。

 どうしようか。どうして真名を許してくれたんだーって、訊ける雰囲気じゃないぞこれ。

 しかも何も喋ってくれないから、間が保たないというか……うう。

 何かないか、場を和ませるような何か……思わず恋が口を開きそうな何か───ハッ!?

 凝ろうとするからダメなんだ、突発的な行動をとって、まずは相手の気を引くところから!

 ならばと脚を揃え、両腕をバッと横に広げ、高らかに!

 

「トー・テム・ポール!! ───いっだぁあーっ!!」

 

 馬鹿なことをしましたごめんなさい! 骨折している腕を広げようとした途端、大激痛再来!

 しかもそんなことやっておいて、恋は無反応だし、左腕だけ広げたお陰で、へばりついていた猫やセキトがなおもぶら下がろうとして爪立てて痛たいたいたいぁだだだぁーっ!!

 

「ふ、ふぅっ……ふぅうう……!!」

 

 しかし、どれだけ痛かろうとも振り落とすことはしない。

 何故って、呉で動物の温かさはしっかりと学んできたからだ。

 猫の扱いは明命に習い、決して乱暴には扱わないこと。

 犬は……嫌いなわけでもないし、何故か向かってくるなら追い払う理由もない。

 で、そんなおバカな一連の行動を、じーっと見ている恋と目が合ったわけで。

 

「……あの。恋?」

「………」

 

 声をかけると頷かれた。……意味は、ごめんだけどわからなかった。

 

「ごめんな、さっきはあまり相手してやれないで……って、えと。あまり面識があるわけじゃないけど、口調とか嫌なところがあったら遠慮せず言ってくれ───ってしまった! ごめん、そういえば俺、名前教えてなかったよな───」

 

 迂闊だ。

 真名を聞いておいて、自分が名乗ってないなんて。

 いや、そもそも誰とも知らない相手に真名を教えるって、この世界の呂奉先はどれだけ心が広いのか。

 と、自分にも相手にも多少頭を痛めていると、恋がふるふると首を横に振るう。

 

「……え? 知ってる?」

「ん……一刀」

「───…………」

 

 エ? 何故? どうして恋が……誰かに訊いた? いや待て、わざわざ訊くほどのことか? というか接触は短いけど、恋が誰かに訊く姿が想像出来ない。

 じゃあいったい……?

 

「……? 違った……?」

「あっ、いやっ……うん、合ってる……けど。恋? 俺の名前は誰から?」

 

 俺のことをわざわざ紹介してくれる人なんて想像がつかない。

 誰だ? まさか俺、影では相当に有名だったり!? ……そんなわけないだろ何夢見てるんだよ俺……現実を見ようぜ? な……?

 

「……言ってた」

「言ってた? ……誰?」

「…………みんな」

「みっ……ん、んんとな、恋。せめて誰かがわかれば───」

「えっと…………魏に行くと……みんな、言ってる……」

「………」

 

 えっと。つまり……?

 みんなっていうのは魏のみんなで……?

 

「街の人も……兵のみんなも……将のみんなも……」

「───っ」

 

 みっ……!? “みんな”って───本当にみんなっ!?

 けどそれにしたって真名を許すことには繋がらないだろ!?

 

「歩くだけでも……聞く。……会ったこともなかった……のに。恋、いろいろ知ってる」

「………」

 

 嫌な汗が出ます。

 ヘンな噂とか立てられてないかなーとか、まあそんな感じの。

 そんな汗を、犬猫が……特にセキトが張り切って舐めてくれるんだけど───こ、これっ、いけませんそんなものっ! お腹壊しますよっ!?

 

「一刀、やさしい……」

「うっ……」

「一刀……兵のこと、大事にしてる……」

「ぐ……」

「一刀、仲間のこと、見捨てない……」

「~……っ」

 

 ぐ、う、ああああっ……逃げたいっ……今すぐこのむず痒さから逃げ出したいっ……!

 真正面から無表情で、でも無邪気っぽいような顔で褒められ続けて、いったい俺はどうしたら……!?

 ダメージでかい! これはいろんな意味でダメージがっ……!

 

「あと……セキト、悪い人には懐かない」

「え? あ……」

 

 立ち上がり、てこてこと歩いてきた恋が、俺の腕に抱かれていたセキトをやさしく手に取り、抱き締める。

 そんな、本当に……それこそ“うっすらとした笑み”に、少し……えと、毒気を抜かれたと言っていいんだろうか……うん、ちょっと呆然とした。

 だからだろう。確認を取るみたいにして、俺はちょっとだけ意地悪な言葉を口にしていた。

 

「そうかな。案外、犬が好む匂いを出すものとか持ってるだけかもしれないぞ?」

 

 と。

 するとどうだろう。

 恋はそんな言葉を聞いても、まるで考えるそぶりも見せないで首を横に振るうと、「違う」と否定する。

 

「違う?」

「……恋、わかる」

「わか……?」

「……一刀、いい人」

「~……」

 

 ああ、ええと……こういう時はどう反応すればいいんだろう。

 顔が痛いくらいに熱くて、もういろいろ考えるのさえ辛い。

 真正面から、しかも目をしっかり見つめられながらこういうこと言われるの、滅茶苦茶恥ずかしいですね。

 なんだか今まで、呉とかでみんなが顔を赤くしていた理由がちょっとだけわかった気が……!

 そっかそっかー、俺もみんなを真正面から褒めたりとかしていたことがあったけど、その時の顔の赤さはこれの所為だったのかー……!

 

「……呉でも、やさしかった」

「うくっ…………朱里と雛里に聞いたのか……?」

「ん……泣いたり、怒ったり、刺されたり、庇ったり」

「………」

 

 端折って纏めてみると、いろいろと大変だったのに“情けない”の一言に尽きる気がするのはどうしてだろうなぁ。

 ……いや、結果として呉のみんなの笑顔があるんだ。それは悪いことじゃないし、命令っていう罪も背負い切れた。胸を張って受け止めないと呉のみんなに失礼だよな。

 失礼なんだろうけど……うう、認めると顔がまた熱くて。

 

「そ、そっか。えと……今さらだけど、ちゃんと言うな? 姓は北郷、名は一刀。字も真名も無い場所から来た。……真名まで聞いておいて今さらって感じだけど……よかったら俺と友達になってくれ」

 

 言って、折れていない左手を軽く差し伸べる。

 包帯こそないものの、爪が食い込んだ掌には布が巻かれていて、お世辞にも握手をしたいような状態じゃないだろうけど。

 そんな俺の手を見た恋は一度首を傾げたあと、

 

「…………信頼の証?」

 

 ぽそりとそう言って、俺の目を真っ直ぐに見てくる。

 真っ直ぐに見つめるのは今の俺には恥ずかしくて、けれど目を逸らしたら信頼もなにもない。

 “ここは根性だ一刀……!”と無駄な根性を発揮させ、恋の言葉に頷いてみせた。

 

「……桃香、言ってた。手を繋ぐ……信頼の証……」

 

 自分の左手を見下ろしながら言葉を紡ぎ、どこか……そう。どこか、なんとなくだけど嬉しそうに笑んだような雰囲気のあと───その手が、俺の左手と繋がった。

 

「……桃香、いろんな約束……守ってくれた」

「そっか……だったら俺も、恋の信頼を裏切るようなことはしないって誓うよ。……改めて、これからよろしくな、恋」

「……ん」

 

 頷いてくれる。

 ひとまず安堵……というか。

 一騎当千・三国無双、裏切り上等・恋には一途……そんなイメージがあったにはあったんだが……そんな飛将軍呂布がこんなに可愛い娘で、動物に囲まれてたりやさしかったりで、もうどこから驚いていいのか。

 “つくづくとんでもない世界だな”って改めて思ってしまった。

 そういえばこの世界に貂蝉は居ないんだろうか。

 呂布の“恋には一途”って部分を担う彼女だが……ああ、もしかして居ないから恋がこんなに可愛いのか? ……って何言ってるんだ俺……! 落ち着け、落ち着けぇえ……!

 

「………」

 

 ハテ。どうして一瞬、魏のとあるお店に存在していたゴリモリマッチョでオカマチックな漢女が頭の中に浮かんだんだろう。名前が貂蝉とか? ……いやいやあっはっはっはっは! …………ないよな?

 

「………」

「……?」

 

 手を握ったまま見つめ合う。

 俺の体には猫や犬が張りついたままだけど、そんな状態だろうがお構い無しに。

 

(───……)

 

 ……彼女の手は柔らかいものだった。

 戦の中、相当な重量であろう方天画戟を振るっていたというのに、硬いなんて印象は受けない。

 対する俺の手なんて、ここまでの鍛錬のためかタコが出来ていてゴツゴツだ。

 それでも布に守られている分にはすべすべしているのか、恋はその手触りを楽しむかのように手をすりすりと動かしている。

 あくまで目は俺に向けてるんだけど。……器用だね、うん。

 

「きゃうぅ~んっ」

 

 彼女の右腕に抱かれている三角耳のセキトさんが尻尾をはたはた、喜びにも似た声をあげた。

 どうしてだか、それが信頼関係を祝福している声のように聞こえて───勝手に頬が緩むことに耐え切れず、破顔。

 俺も恋の真似をして、すりすりと握手の感触を───

 

「ちんきゅーきぃーっく!!」

「ほごぉうっ!?」

 

 ───味わった途端、右側面から飛んできた小さな影からの突然の衝撃……!

 右脇腹にメコリと減り込むこの感触、まさに国宝級である。じゃなくてっ……!

 くっ……しっかりと比較的筋肉が少ない脇腹を狙ってくるとは……この娘、出来る……! でもなくてっ……!

 

「おまえこんなところに恋殿を連れ出してなにをする気だったのですーっ! ことと次第によってはこの陳宮、容赦しないのですっ!!」

「いっ……いきなり不意打ちかましといて容赦もなにもあるかぁっ!! 不意打ちが容赦の内に入るんだったら宣戦布告をする人はどれだけ聖人なんだよっ!」

「屁理屈を抜かすなですよ! おまえのような下半身と全身が一体化しているような男に、恋殿は近づけさせないのです!」

「一体化してなかったら死んでるよ!? どんなてけてけくんなの俺!!」

「ええい減らず口を叩くなです! とにかくおまえなんて、恋殿に代わってこの陳宮がせーばいしてくれるのですっ!」

「…………てけてけくん……?」

 

 離れてしまった手に寂しさを感じながらも、ムキーと睨みつけてくる陳宮と対峙。

 といっても取っ組み合いなんてするつもりもなく、向かってくるのならば向かい合う覚悟を以って。

 一人、恋はてけてけくんの存在について首を傾げていたりするけど。

 

「成敗か……ふふ……。陳宮、キミにそれが出来るかな……?」

「なっ……どういう意味ですかそれは!」

「キミがどれだけ俺を成敗せんとしようが、キミの攻撃の全てを俺が受け止めなければ攻撃にはならない! ……うん、だから極力避けるし、攻撃されたからには返そう! 全力でキミが来るというのなら、全力で避けよう! それでもいいなら───」

「むぐぅうっ……脅しとは卑劣なっ! 恋殿、こんな男を信用などしてはいけないのです!」

「……襲われたら返す……当然」

「はぐっ! れ、恋殿ぉお~……」

「……だからねね、やさしくする。やさしくすれば……やさしくされる」

 

 ……うわ、簡単に見破られた。

 そうだ、全力で来るっていうなら全力で。やさしくするならやさしくで返す。

 今言った言葉にはそういう意味が含まれてたんだけど、恋はすぐにわかってしまったらしい。

 ……ああいや。それ以前に、取っ組み合いなんてもう出来そうもないけどさ。魏延さんに宙吊りにされた時の、あの冷たさを思い出すと……力を振るうってことに躊躇が現れる。

 力を得るっていうのは、どれだけ口で自分の中の大義を言い放ったところで……得た人の心が知らずに曲がってしまっていたら、きっと───……いや。今は忘れよう。

 

「嫌なのです! こんな男にやさしくするくらいなら、挨拶がちんきゅーきっくな生活のほうがまだましです!」

「挨拶すべき人全員にキックかます気なのかキミは!」

「おまえにだけなのです!」

「えぇっ!? なんで!?」

 

 俺、彼女が嫌がるようなことをした覚えが全然ないんだけど!?

 急に恋の真名を呼んだことについては解決したはずだし……え、えぇええ……!?

 

「………」

 

 いや待て? いくら俺でも少し考えればわかる……はずだ。

 つまり陳宮は……ああ。恋が好きなわけか。玉座の間での魏延と同じだ、きっと。

 

「……なにを急に理解のある目で見てるですか、おまえ」

「いや、大丈夫。女性同士の愛に関してはこの北郷、理解があるつもりです」

 

 魏国に生きた俺ですから。ええ、王が女性好きなことで有名な、魏国で生きた俺ですから。

 

「あっ……愛ではないのです! 信頼関係です! おおおおまえはなにを勘違いしてるのですーっ!!」

「大丈夫、大丈夫だから……な? 誰もお前を責めたりしないから……その愛を真っ直ぐ貫くことが出来るなら、いつかきっ、とぉおっほぉおおっ!!?」

「勝手に話を進めるなですーっ!!」

 

 みぞっ……鳩尾にっ……蹴り、とか……! げっほぉおおっ……! な、なんて足癖の悪い……!

 あの……華琳さま……? こういう場合は同盟間問題にはならないんでしょうか……? ならないんだったら、いっそ本当に真正面から受けて立ちたいものです……暴力ではなく、くすぐりとかで。

 

「……めっ」

「はきゃうっ!?」

「……怪我をしている人、蹴っちゃだめ」

「し、しかし恋殿ぉお~っ……」

 

 と、苦しんでいる間に物事は段落を得てしまったようで。

 恋が痛そうではない拳骨で陳宮を叱ることで、その場は落ち着いた。

 ……痛そうではない拳骨なのに、とても痛そうな声だった理由はといえば……きっと精神的な痛みゆえ、だったんだろう。

 

「……あのさ。一応犬とか猫が引っ付いてるから、蹴りとかするのはやめような」

「甘く見るなです! おまえ相手に目測を誤るこの陳宮か!」

「おお! なんか格好いい! ……でもやめようね?」

「ふん、おまえが恋殿に近づかなければ考えてやらないこともないです」

 

 両の頬を両手で包み、ぶーと唇を突き出し嫌味ったらしい顔をして言う陳宮さん。

 そんな彼女の言葉を───

 

「断る!」

 

 即答で断ってやりました。しっかり胸を張って。

 

「断るなですーっ! お、おまえに拒否権なんてないのです! なにを胸なんか張って断ってるですか!」

「拒否権剥奪地獄はすでに攻略済みだっ! たしかに俺は客人であり、厄介になるなら最低限はこの国での仕来(しきた)りに従うことが前提条件としてあるだろう! でも別に恋に嫌われてるわけでもないのに距離を取る理由がないからうん断る!!」

「なぁあーっ!? れ、恋殿言ってやってくだされっ! この男なんて嫌いだとっ!」

「……喧嘩、だめ」

「しっ……しかし恋殿ぉおお……」

「……喧嘩するねね、嫌い」

「!? っ……! ~……!!」

「うわあ……」

 

 (えぐ)った。抉ったね、今。むしろ貫通したかもしれない。

 言葉が突き刺さるって言葉があるけど、あれがもう螺旋の豪槍となって陳宮の胸をツキューンと貫いていった。

 

「お、おっ……おおぉお……おまえぇええ~……」

「……泣きたい時は我慢しなくていいと思うぞ?」

「うるさいのですっ! ひぐっ……れっ……恋殿に免じてっ……これから仲良くっ……ぐすっ……してやるですーっ!!」

「…………」

 

 ……俺、ここまで敵意丸出しで仲良くしてやるって言われたの、初めてかも。

 初対面の相手でも、もっとさわやかに手を繋げると思うぞ……?

 

「……ぐすっ」

「…………はぁ」

 

 けれども、泣く子には勝てない。

 苦笑をひとつ、涙目で俺を見上げる陳宮に手を差し出す。

 拍子に犬が落ちたけど、見事に着地してくれてホッと一息……している最中、きゅっとその手が握られる。

 その乱暴さに、やっぱり苦笑をもらしながら……自己紹介を。

 

「姓は北郷、名は一刀。よろしく」

「姓は陳……名は宮、……っ……字は……公台です……。仕方なく仲良くしてあげるです……ありがたく思うですよ……」

「……ああ。よろしく」

 

 繋いだ手を上下に振るい、笑顔で言う。

 彼女の場合は本当に仕方なくなんだろうから、友達って呼ぶには早いけど───一番に友達になってくれたのがあの呂布だっていうんだから、世の中不思議だ。

 桃香や朱里や雛里は宴や呉で仲良くなったから、事実上から言えば蜀での初めての友達は恋ってことになる。

 それが、なんだか嬉しい。

 

「な、なにをにやにやしているのですっ! ───はぁっ!? まさか陳宮に欲情して!?」

「げへへへへ実はそうだったんじゃぁああ……!!」

「きあーっ!? れれれ恋殿ぉおーっ!!」

「……!」

「冗談だぞ!? 冗談だからっ!! 本気で引かないで!!」

 

 俺の手を振り解いて、恋の後ろに隠れる陳宮と……陳宮を庇ってふるふると物凄い勢いで首を横に振る恋。

 そんな彼女らを前に、少し自分の在り方について真剣に考えようと思った……とある夜のことだった。

 

「大丈夫、本当にそういう感情は抱いてないから。俺はさ、ほら。キミたちが蜀に身を預けているように、魏に身も心も預けてる。だからむしろ、そういう心配はしないで普通に接してほしいよ。蹴ってくれても、そりゃあ避けるけど構わない。怒ってくれたっていい、理不尽じゃない限りはきちんと受け取るから」

 

 だから、と。

 恋の後ろで俺を睨んでいる陳宮に、もう一度手を伸ばす。

 猫にしがみつかれながら、犬に乗っかられながら。

 

「……今は嫌いでもいい。少しずつ、一歩ずつでいいから───友達になろう?」

 

 強制はしない。

 本当に、握ってくれたら嬉しいって程度の……なんでもないもの。

 ただし握ってくれれば友達として信頼するし、俺から裏切るなんて絶対にしない。

 利用されて捨てられたって、俺が悲しむだけで相手が悲しまないならそれでいいとさえ思える。

 俺はただ、握られた瞬間から最後の時まで、彼女との信頼関係を精一杯に育んでいくだけだ。

 いつか、増やすも減らすもお前次第だと冥琳が言ってくれたように。

 

「………」

「………」

 

 次ぐ言葉は紡がない。

 言うべきことは言ったし、あとは反応を待つだけだ。

 断られればもっと互いを知ってから。それでもだめならもっともっと互いを知ってから。

 むしろ今ここで手を伸ばすのは早すぎるくらいだ。

 断られるのが当然で、受け容れることが異常とも思え───……だが。

 

「……え?」

 

 てこてこと歩いてきた彼女が、伸ばした手を取った。

 

「なにをへんてこな顔をしてるです。……その。おまえと友達になるなど、本当にとてもとても嫌なのです。想像するだけで怖気さえ沸きあがるようです。けど───」

「けど?」

「おまえが恋殿を裏切らず、信頼を寄せるというのなら、おまえは敵ではないのです」

 

 そっぽを向きながらだけど、手は離れずに繋がれたまま。

 そこから伝わってくる体温が暖かくて、やっぱり頬が緩みそうに……いや、緩んだ。

 

「……いいのか? 恋のこと独り占めにしなくても」

「だから勘違いするなです! ねねは恋殿のためならばなんでもするですが、それは友愛の念であって愛情とかそういうものではないのですーっ!」

「えと、そうなのか?」

「恋殿の幸せがねねの幸せ! ならば恋殿を幸せにすることこそねねの宿願です! そのために大変不本意ではあるですが、その輪におまえも入れてやるのです! ……っ……悔しいですが、ねねだけでは恋殿を幸せには出来ないのです……だから───ひわっ!?」

 

 ……事後の言い訳になるだろうが、張っていた胸が頼りなく曲がり、しゅんとしてしまうのが見ていられなかった。

 気づけば俺は陳宮の手を引き、つんのめって倒れそうになる体を、膝を折って抱き止めていた。

 うん、咄嗟に反応して避けてくれた犬猫たちに感謝を。

 

「ふやわっ!? なななにをっ!」

「ん、約束する。けど、幸せになるなら陳宮もだ。誰かを幸せにしようって願う人が幸せになれないなんて、俺が嫌だ。だから、陳宮が認めてくれたんなら……俺は恋も陳宮も幸せになれるように努力する」

「なっ……な、ななっ……なぁあーっ!? なにを言ってるですおまえはーっ! ちちち陳宮は! 陳宮はぁあーっ!!」

 

 右腕が動かないのがもどかしい。

 誰かの幸せを願い、行動できる人が居るのが嬉しかった。

 その意思を受け止め、自分の無力に嘆くことは無駄じゃないと頭を撫でてやりたかった。

 けれど左手ひとつじゃあ抱き締めるだけで精一杯。

 それが、今はたまらなくもどかしく感じた。

 女の子の涙には弱い。弱いのに、拭ってやれないことすらもどかしいと感じるんだから、この腕も嫌な時期に折れてくれたものだ。って、考えることがいろいろとちぐはぐだな。良かったのか悪いのかどっちだ。

 えと、だったら───雪蓮、少し恨んでいいかい? ……いや、自分の未熟さを恨もうか。避けられたなら、そもそも折れなかったわけだ。

 力を得るって……難しいことだらけだ。

 ごめんじいちゃん、俺……今日だけ、弱くなってもいいかな。

 自分から望んだことだけど、寝て起きるまでの間だけでいいから、弱くなっていいだろうか。

 ……そんな自分の弱さに小さく首を振って溜め息。

 その様子を恋と陳宮が見てたけど、特になにも言わないでいてくれた。

 感謝を、と……心の中で呟いて、弱さを表に出しすぎることをせずに笑顔で。

 

「よろしく、陳宮。これからしばらく厄介になるけど、なにか間違ったことをしたら、遠慮なく叱ってくれぇえっふぇぇっ!?」

 

 言い終えるより先に脇腹に衝撃……!

 またもやキックが……と思考が走るが、抱き締めているこの距離だ、蹴りでこんな威力が出せるはずが───と見てみれば、

 

「ばうっ!」

「………」

 

 大きなお犬様がいらっしゃった。たしかセントバーナード。

 そんなお犬様を見て、恋が一言。

 

「……張々」

「蝶々!?」

 

 ちょっ……!? 蝶々ってレベルじゃないぞこれ! どうしてこんな巨大生物にそんな可愛らしい名前を───……あ、でも目とかはくりくりしてて可愛いかも……。

 いやむしろ可愛い……うん、可愛いじゃないかこの犬。

 

(……というか普通に考えて、蝶々って書き方じゃないだろうな)

 

 周々や善々の例もあるし、張々ってところだろう。うん。

 

「ちょ、張々、助けるのです! この男が急にねねを、ねねをーっ!!」

「───! ばわうワウワウオウッ!!」

「目が光った!? いやちょっ……待───!!」

「ふふんもう遅いのです! 張々はねねの言葉には忠実で───」

「ばかっ! 自分が今誰の腕の中に居るか考えてみろっ!」

「ほえ? ……まままま待つです! 張々、待───きあーっ!!」

 

  どっしぃいいーん………………

 

 

     ギャアアアアァァァァァ……───!!

 

 

 ───前略華琳様。僕はその日の夜のことを、腕が痛むたびに思い出します。

 そう。巨大な犬は、ある意味兵器になりうる。

 陳宮を抱き締めるために屈んでいた俺へと、前足を天高く翳し飛びかかるその様は圧巻の一言に付し、避けの行動を取るには全てが遅すぎた。

 遅すぎたからには左側から右へとドッシーンと押し倒され……いや、押し潰される結果となり、運悪く折れた右腕が下敷きとなり絶叫。

 多少くっついたところがまた折れるということはなかったものの、あまりの大激痛に素直に叫びました。

 ところで華琳様、策士策に溺れるという言葉を知っておられますよね?

 うん。抱き締めたままの陳宮も、張々のフライングボディプレスの餌食となりました。

 咄嗟に庇ったから多少の圧力は殺せたと思いますが、全てとまではいかなかったわけで。

 ただ、恋の言葉にどいてくれた張々の下から解放されたのち、痛がる俺に申し訳なさそうに謝ってくれた時……俺は素直に嬉しいと感じました。

 

 ……あとで聞いた話ですが、陳宮には友達と呼べる者がおらず、恋と出会うまでは苛められていたそうなのです。

 だから、“友達になってくれ”と言われて一番喜んでいたのは陳宮だと……恋はそう言うのですが。

 ええ、そんなわけで蜀国、成都での生活が始まりました。

 馬屋ではなくしっかりとした部屋を宛がわれ、そこでずっと待っていたらしい思春になんとなくありがとうを唱えて。

 で……その翌日、友達になったばかりの誰かさんにキックで起こされました。またしても鳩尾です。

 すぐに思春に羽交い絞めにされて悲鳴をあげましたが……あの、思春さん? そういうこと出来るなら、せめて蹴りを食らう前に……あ、わざとですか。起こしても起きなかったから? ははぁなるほど。

 さて、そんな輝かしき日々がこれからも続くと思うと、感動のあまり両手両膝をつきつつ流れる涙が止まりません。……感動じゃないね、これ。

 ともあれ、俺は元気です。

 あなたも風邪など引かぬよう、お気をつけて。

 

 俺も……自分の弱さに飲まれないように、今まで以上に気を張っていきたいと思います。

 

   以上、脳内手紙でした。

 



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24:蜀/力を振るうということ①

幕間/御遣いさんの扱いについて

 

 -_-/華琳

 

 情報だけは先に来ていたのだから、特に構えることもなく今日という日を迎えた。

 私室に迎えてみれば依然変わり無き呉王が現われ、私を見るや「はぁい」などと軽く手を上げ笑っている。

 会って早々に溜め息が出たのは、彼女が来る前に届けられたその情報によるところが大きい。いいえ、それしか原因が見つからないくらいよ。

 

「それで? わざわざ護衛もなしに国を跨いでどういうつもり?」

「あれ? 書簡を届けたはずだけど。見てないなんてこと、ないわよね?」

「ああ、あれ。届いて早々に燃やしたわ」

「ちょっとぉ、いくらなんでもそれはあんまりじゃない?」

「………」

「………」

 

 多くは語らず、それが冗談だと解っていて驚いてみせている。

 溜め息を一つ、話しを戻す。

 

「一刀を三国共通の財産にする、なんて。本気で考えているの?」

「もっちろん。じゃないと一刀が納得してくれそうにないんだもん。意地でも頷かせてみせるって大見得切っちゃった分、もう後には引けないのよねー……負けを認めるのは癪だし、他の男にこの体を許すなんてもっと癪だわ」

「それで、一刀ではなく私を説得しに? 生憎だけれど、そういう類の冗談は好きではないの。私は既に許可を出したはずよ? 無理矢理ではないならば、貴女が本気ならば構わないと」

「……なるほどねー。その旨、書簡に書いていた時もそんな顔してたんでしょうね、華琳は」

「あら。私がどんな顔で何を書こうと、貴女に迷惑がかかるのかしら?」

 

 顔が少し笑んでいるのが解る。

 一刀のことだ、どうせ誘われれば手を出すのだろうと踏んでいたけれど、まさか出さずに居るなんて。

 そんな事実が不覚にも私の心を暖かくし、さらに不覚なことに頬まで緩ませていた。

 だってそうだろう。

 雪蓮がわざわざ私に“許可”を得ようとするということは、すでに一刀は雪蓮からの誘いを断ったということ。

 魏の女性全てに手を出した一刀のことだから、呉でも手を出す……たしかにそう思っていた自分は居たのだが。

 それはそれでいいとも思った。

 自分が認めた王や将が、自分の知らぬくだらない男なぞに抱かれる様は、思い浮かべるだけで吐き気がする。

 だからこそ雪蓮らが本気で望み、一刀がそれを受け容れるのであればそれも良しとする気ではあったのだが……聞けばどうだ、一刀は結局一切の手を出さず、呉をあとにしたのだという。

 

「信じられる? 呉の将のほぼに言い寄られても、“俺は華琳と魏に身も心も捧げた”なんて言って断るのよ? そりゃあたしかに一番最初に“揺るがない”とは聞いてたけどさ~……まさかここまで揺るがないなんて思ってもみなかったわ」

 

 悔しそうに、けれどどこか楽しそうに語る雪蓮の様子が、彼女の口から語られる一刀の言葉が……おそらく自分は嬉しいと感じている。

 “王がこれしきで喜ぶな”と、自分の感情を戒めようとするのだが、どれもが空回りだ。

 けれど喜びも一時のもの。話の筋が見えてからは、逆に疑問点へと変化し……とある結論へと至らせる。

 

「だからね、一刀の願う通りにしてやろうって思ったのよ。魏の誰かを悲しませてまで受け容れることじゃないっていうなら、魏の将全員から許可を得て一刀に頷かせようってね」

「へえ、そう。……一つ訊くけれど雪蓮? 一刀は揺るがない、断ると言ったのね?」

「ええ、誰が迫ってもその調子よ。そのくせ人の心はしっかり揺るがしていくんだから、性質が悪いったらないわよ。もう」

 

 ああやだやだ、なんて大げさに手を振って疲れた表情を見せるが、口調は楽しげだ。

 どうやら本当に一刀にしてやられたらしい。

 でなければこんなにも楽しく一刀のことを話すことなどしないだろう。

 

「なら好きにするといいわ。桂花や春蘭あたりは軽く頷くでしょうけれど───ふふっ、あの一刀が“揺るがない”、ね……ふふっ……。雪蓮、貴女……凪と霞には絶対に苦戦するわよ」

「凪と霞に? ……ああ、そうね。あの子たちには相当苦戦させられそうだわ」

「私も、私が認めた者がくだらない男に抱かれ、次代を担う子を宿すなどということを想像するのは吐き気がする。ならばいっそ一刀を、とは思ったけれどね。一刀が頷かず、魏の娘全員に託すのであれば───雪蓮。様々な意味で、一人だけで上手く行くとは思わないことね」

「……ふふっ? 華琳、顔がにやけてるわよ?」

「っ!?」

「あら、自覚あったの? そんなに慌てて」

「───……」

 

 してやられた。

 どうも私は一刀のこととなると冷静ではいられなくなる。

 あの男は、この場に居なくても私から“覇王”という険を剥がしたがるのだから……困ったものだ。

 

「でもまあ、お礼は言っておくわ。可能性が全く無いわけじゃないなら、頑張り甲斐もあるもの。手に入りづらいほうが燃えるでしょ? そのために、待っていればいいものをこうして楽しみに来たんだし」

「───……ええ、そうね」

 

 まったくその通りだ。

 悔しいが、私はそれをとっくに実感している。

 手に入りづらいほうが燃える……どころか、手からこぼれてしまったものが再び戻ってきてくれた。

 それだけで人の心をこうも揺るがすのがあの男なのだから、私は……今度こそあの男の全てを手に入れる。

 勝手に居なくならないよう、一刀のことを要らない存在などとは決して思わない。

 宴の夜の杯にかけて、我が名、我が真名にかけて、魏という旗の全てにかけて。

 あれほど望んだ天下を手中に納めさせたくせに、人を泣かせたあの男を……私は絶対に許さない。

 絶対に許さないから───ずっと傍に居させるのだ。

 どこまでだっていつまでだって一緒に居させ、いつだって文句をぶつけてやろう。

 人がどれだけ辛かったのか苦しかったのか、我が生命の続く限り思い知らせてやるのだ。

 

(……ふう。少し落ち着きなさい)

 

 考えることは尽きない。

 打算的なことを言えば、この大陸での絆を増やせば、彼が再び天に戻ってしまうなんてことはないのではないかと考えた。

 だからこその、本気ならば手を出していいとの返事。

 しかし人の気持ちも知らずにそれを断って、あのばかは私や魏に全てを捧げたなんて言ったのだという。

 ……本当に。どこまで人の調子を狂わせれば気が済むのだろう。

 

「じゃ、行くわね。凪と霞は最後あたりに攻め落とすとして、まずは……華琳の言う通り桂花と春蘭ね。うん、むしろ桂花には協力してもらお。彼女、随分と天の御遣い様が大嫌いみたいだから」

「男を認めるのが嫌なのよ。他の男と比べれば一刀が多少優秀な分、“男の中では”自分の知る限りでは誰よりも秀でている。けれどそれを認めれば自分は、とね。ふふ、可愛いものじゃない?」

「意地悪いわね、華琳……」

「あら。やさしいくらいよ」

 

 ふっと笑い、来た時と同じく軽く手を上げながら去っていく雪蓮を見送る。

 扉が閉ざされ、人の気配が消えるのを確認すると……出たのは溜め息だ。

 

「……あの男は。いったい呉でどんなことを……」

 

 つい先ほどまでこの場に居た雪蓮のことを思い返す。

 あれではまるで、恋事に夢中な生娘だ。

 言葉のあちらこちらから、必ず一刀を手に入れるといった無駄な気力が溢れ返っているのを感じた。

 雪蓮はどちらかといえば、私に近しい存在だと思っていたけれど……男にもきちんと興味があったのは、少々意外だった。

 ……いや。気に入ってしまえば手中に納めたくなる気概は、たしかに似ているのかもしれない。

 それはまさに気概だ。

 困難であればあるほどに心に火が付き、どうやってでも手に入れたくなる。

 叩いて叩いて叩き潰して、自分のものになると歩み寄る者には慈愛を以って迎える。

 離れてゆくものには一切の容赦はせず、来るものは拒まない。

 

 そうだ。この私から離れてゆく存在なんて考えられなかった。

 欲しいと願い、手に入れてきたものは、全てが私から離れようとはしなかった。

 だからこそ過去より今まで、来るものを抱き締め、去るもののことなど考えたこともない。

 私の中の常識を破ってしまった、たった一人の例外が現れるまでは。

 

「……本当に。いつまで油売ってるのよ、ばか」

 

 その例外は、私に“女”を刻んだ。

 覇気を我が胸に、いつまでも覇道を進み、いつまでも覇王のままであるはずだった私に女を刻んだ。

 気づいてみれば心安い。

 もし一刀を拾わないで覇道を進んでいたのなら、それは果たして覇道であってくれたのか。

 そう、気づいてみれば心安い。

 覇王としてずっと気を張り、覇王のまま過ごす日々は、私にどれほどの夢を見せただろう。

 女として休む暇もなく、王として生き、覇道の役に立たぬのならとなんでも切り捨てていたら───きっと今の自分は存在しなかった。

 

「覇道、ね……」

 

 自分が目指したものが、いつしか自分だけのものではなくなる。

 その流れがあまりに自然だったから気づけなかった。

 けれど、気づいてみればそれはとても心地が良く、隣を歩む者が居なければ決して、気づけぬどころか手に入れられなかったもの。

 “利用価値があるうちは使ってくれ”なんて言っておきながら、勝手に消えてしまったあのばかへと言いたいことなど山ほどある。

 それら全ての思いを含め、今こうして彼を思っている自分はもうきっと、覇王ではなく“女”だった。

 宴の時も思ったけれど、せっかくこうして帰ってきたというのに……何故あの男は私の傍に居ないのか。

 いっそ、それこそ生娘のように「行かないで傍に居て」などと口にしていたら、彼はここに居ただろうか。

 

「……馬鹿ね、曹孟徳」

 

 それをしたら、もう北郷一刀ではない。

 馬鹿でいやらしくて、女とみればほうっておかない、けれど男に厳しいわけでもなく、兵であろうと民であろうとまるで仲間のように打ち解け、そんな在り方が魏の皆に親しまれている。

 それは私にはない立ち回り方であり、彼が彼である証だ。

 その中の一つでも狂ってしまったら、途端に興味が薄れそうな自分が居る。

 居るのだが……非常に腹立たしいことに、薄れたところで傍に居なければ苛立つであろう自分も想像が出来てしまった。

 

「……はぁ」

 

 北郷一刀という男は不思議だ。

 “自分の領域”というものに一度でも足を踏み入れられたなら、自分でも気づかないうちに領域の軸を捻じ曲げられていて、ふと振り向いてみれば───いつから彼を気に入っていたのかがわからなくなる。

 だからこそ離れがたく、傍に居ないと落ち着かない。

 だというのにあの男は頼まれれば嫌と言えず、まあ言ったところで無理矢理引きずりまわすだけだけれど、ともかく人の頼みには基本的に弱いのだ。

 弱いからこそ頼まれれば遠方にでも飛んで行くし、私はそんな彼に弱さを見せるのが嫌だから、戻ってこいなどとは口が裂けても言わない。

 ……本当に、嫌な循環でこの関係は繋がっているものだと呆れた。

 

「帰ってきたら、どうしてくれようかしら……」

 

 溜め息を一つ、座っていた椅子に深く背を預けて天井を仰いだ。

 ……少し、退屈だ。

 同じ大地に彼が居ることを実感しているためか、以前のような気持ちの悪い気分はない。

 

  何故消えたのか、嘘をついたのか、ずっと一緒に居るって言ったくせに、許せない、許せない、許せない……。

 

 そんな思いも溢れてこなくはなったが───一刀が戻ってくる前の自分を思うと、己の情けなさに頭を痛める。

 思考はいつまで経っても正常には戻ってくれず、周りは何も言わなかったが、迷惑をかけたことは自覚している。

 自分らしさを取り戻すまでにかかった月日は一年あたりに及び、ようやく自分の物語を生きていると胸を張れた矢先にあの馬鹿は戻ってきた。

 本当にどうしてくれようかと思った。

 川で姿を確認した時など、自分が幻でも見ているのかと目を疑ったほどだ。

 だというのに、人の悩みなんて気にしないとでも言うかのように両腕に女を寝かせる姿を見れば……頭にもくるだろう。

 最初こそその暢気な顔を踏んづけてくれようかと思ったほどだ。

 

(………)

 

 不思議だ。

 望んだものはなんでも手に入れて、今までの時を生きてきたというのに……傍に在ってほしいものが今、傍に無い。

 それがたまらなく寂しいと思っている自分が“覇王然”としていないことに苛立ちを覚えるのに、どうしてもそんな自分を切り捨てることが出来やしない。

 私は臆病だ。

 覇王として振る舞えば怖いものがないというのに、ひとたび女にされてしまっただけで、こんなにも色々なものが怖い。

 言葉にすればいろいろと、なにが大切これが大切とどれだけでも口に出せるというのに。何より怖いのが、苦楽をともにした同士や同志、育んできた国や邑、その場に生きる民たち───そして、天の御遣いが消えてしまうことだった。

 

  覇道は成ったと云えるだろうか。

 

 そんなことを時々にだが思う。

 天下を取ることが我が覇道ならば、それはとっくに成っている。

 しかし天下を取るだけが覇道でいいのであれば、天下を取った今、失うことを恐れる理由が何処にあるのか。

 ただ天下を取ることだけを覇道にしていたのであれば、今さら国がどうなろうが知ったことではない。

 現状維持が嫌だというのなら全てを放棄して彼の元へ駆けていけばいい。

 きっと、王としては見ることの出来ない“色々”が見れるだろう。

 しかし彼はそんな自分を受け容れるだろうか。受け止めるだろうか。

 

「───愚問ね」

 

 受け容れるに決まっている。受け止めるに決まっている。

 そして───受け容れた上で、受け止めた上で怒るのだ。

 天下を治めることが覇道ならば、その過程に手に入れた全ての責任と向き合えと。

 羽根休めの場にはなってくれるが、逃げ道にはなってくれない男だろうから。

 逃げ道になりなさいと言えばなるのだろうけど、恐らくは一時のみか、ならずに本気で拒むか。

 

(そうね……雪蓮。貴女の考えがどうであれ、一刀は誰かを故意に悲しませるようなことはしないわ。貴女がどうこうするよりも……時間が解決するわね。だって、どこまでいっても彼は北郷一刀だもの)

 

 どれだけ武を得ようと知を得ようと、その事実が基盤としてある限り、あの男が人の真摯なる願いを断り続けられるとは思えない。

 もし本当に必要に迫られた時にまで、私が、魏が、と言って断るようなら……頬の一つでも張ってあげるわよ。

 

(私が一刀に願うのは一つ。一刀が一刀として、どんなことがあろうが“私のもの”であればいい。それが約束されているのなら、いくらでも誰にでも手を出せばいい。男としてそれだけの胸の広さも無いようでは、私の相手など───……ふふっ)

 

 思考にふけっていると、ふと体の力が抜けた。

 頭の中が一刀のことだらけになっていることを実感しながら、心地よい脱力を味わう。

 余計な話しを加えていないのなら、“学校”についての話しを纏め終えた時点で彼は帰ってくるだろう。

 もしくは学校の完成のあとか。

 すでにこれだけ待たせたのだ、本当に……帰ってきたらどうしてくれよう。

 そんなことを思いながら、白んでゆく思考に笑みを飛ばして目を閉じた。

 最近の自分は張り切りすぎだ。

 何を浮かれているのか、何を望んで仕事を残しておきたくないのか。

 少し考えれば予想もつきそうなものを、敢えて結論づけずに笑う。

 

(さっさと……帰ってきなさいよ、ばか……)

 

 ほぼ毎日呟いていることを口にして、意識を手放した。

 机に詰まれたものに、手を出さなければいけないものなど残ってはいない。

 憂い無く夢の中へと飛び込んだ私は、せめて次に誰かが私室の扉を叩くまでは安らいでいようと息を吐いた。

 

 

 

48/新たなる生活、新たなる空気の中で

 

 蜀国成都での暮らしが始まった。

 やっぱり目まぐるしく過ぎ行く時間の中で、右腕が不自由なだけで“出来ること”が極端に減るなぁと何度実感したことか。

 

「じゃあまず、基本の体力作りから。体力がないとどうにもならないから、とにかく持久力をつけていくんだ」

「はいっ、お兄さんっ」

 

 なかなか政務を抜けられない桃香とは、これが初めての鍛錬となる。

 相も変わらず三日毎の鍛錬を続けている俺と、ようやく時間が合ったためにこうして中庭に立っている。

 着衣は道着。びしっと着付けたソレが、俺の心を引き締めてくれる。

 スカートはやめたほうがいいという俺の言葉に、「スカート?」と首を傾げる彼女にスカートとはなんぞやから説き、張飛のようなスパッツを……穿いてもらおうとしたけど目に毒そうだったので動きやすいショートパンツを。

 ……うん、この世界って衣服に関しては不思議なくらい品揃えがいい。どうなってるんだろう。

 まあそんなことよりも。

 無事に関羽さんとの話し合いに勝利できたあなたを、本気で凄い人だと認識しました。

 

「でも基本にも準備が必要。その一つとして、まずはその名の通りの準備体操」

「体操?」

「そ。体全体を、運動用にほぐしていくんだ。政務続きだったから、体とか硬くなってるんじゃないか?」

「えと……、んっ、ふくっ、うっ……うぁぅ……そうかも……」

 

 そんなことないんじゃないかぁと希望を抱きつつ、前屈やらなにやらをやってみるも、てんで伸びない曲がらないな自身の体に、目を太い線状にして、涙を滲ませつつ悲しそうにしていた。

 

「うん。じゃあまずは簡単なところから。関節をこう……ちゃんと意識してだぞ? 一瞬、本当に一瞬でいいから、ビキッと思いきり緊張させる」

「うーんと……はふっ!」

 

 びしっ! と桃香が体を緊張させる。

 直立不動で少し足を開き、肩を持ち上げ、下に下ろしている手はキュッと握り、甲が上になるように少し持ち上げている。

 そんな様をじーっと見ているんだけど、一向に緊張を緩める気配を見せない。

 

「……こらー、桃香桃香~? 一瞬だけだよ、一瞬だけ~」

「あ……ぅぅ……」

 

 思い出したのか、少し顔を赤くしてしゅんとする桃香。

 緊張は無くなり、けれどそれを数回続けてと言うと、素直にやってくれた。

 

「ねぇお兄さん? これってなにか意味があるの?」

 

 当然の質問だ。

 それに答えるべく、自分もやっていた行動を一旦止めて口を開く。

 

「関節や筋肉ってのは柔軟体操だけじゃ柔らかくなりきらないからさ。こうして関節や筋肉を瞬間的に伸び縮みさせてやると───桃香、前屈やってみて」

「? えっと……はっひゅっ!」

 

 不思議な掛け声とともに桃香が前屈をし───その指が、今度は足に届く。

 

「! えっ!? ななななんでぇえっ!? 届く……すごい、届くよっ!?」

 

 相当に興奮したんだろう。

 桃香は自分がやってみせたことが信じられないらしく、何度も何度も前屈をやってみせる。

 さらに、まあこれは大体の人がまず気づかないことなんだが、前屈の際に腰が後ろに退けてしまう人が多いのだ。それを指摘して、まあそのー……後ろに出過ぎてたお尻を戻す意識で、桃香がさらに前屈。

 地面につく指の範囲が増えると、ぱあっと表情を明るくさせ、興奮気味に見て見てほらほらと燥ぐ。

 それをやんわり落ち着きなさいとなだめ、関節や筋肉が多少柔らかくなっているうちに準備体操と柔軟運動を屈伸メインで始める。

 今度は一瞬じゃあなく時間をたっぷりかけて、多少柔らかくなった体をさらに一箇所ずつ重点的にほぐしていってから、そのまま時間が経っても元に戻らないように、伸びた状態を保たせておく。

 

「んっ、くっ、うぅうううぅぅ~……ちょっと……苦しい……かも……!」

「あ、息は止めないで、少しずつでもしっかり吸って吐いてをすること。こう、伸ばしている部分に酸素を送る気持ちで、ゆっくりと───吸って~……」

「す……ぅう……ぅ……」

「吐いて~……」

「はぁ、あぁああ~…………」

「ん、その調子。痛くなりすぎない程度まで伸ばしたら、その状態のままキープ……あ、いや、固定ね」

「う、うん……ふくっ……ふ、ぅうう……」

 

 ぺたんと地面に座り、足を両脇へと伸ばし……上半身は前へと倒す。

 体が柔らかい人は地面にぺたりと胸までくっつくんだが、固いとそうはいかない。

 桃香の場合は……まあその、胸の大きさのお陰でくっついてはいるけど……うう、目に毒だ。

 あとここでも注意点。

 腰から一気に曲げるんじゃなく、股関節から曲げる意識でやるといい。

 

「じゃあ次。手首や足首の運動。ここをよくほぐしておかないと、走ったり腕を振るったりする時にピキッと引きつる時がある。足首に妙なしこりみたいなものを感じる時は、特に忘れちゃだめだ」

「は、はいっ……」

 

 準備運動だけで息がきれていた。

 うん、たしかに体力無いかも。

 でも最初は誰だってこんなもんだ───根気よくしっかりと、諦めずにやれば身に付くさ。

 

……

 

 で……準備運動の全てが終わったわけだけど。

 

「……きゅう」

 

 ぐったりという言葉がこれほど似合う状態は無いと思う。

 中庭の中央に倒れる桃香蜀王様は、ぜひーぜひーと息を荒くして立てないでいた。

 

「これから城壁の上を走るんだけど……大丈夫か?」

「うぇえええ~っ……? お、おにいさっ……平気、なの……っ……?」

「全然平気だけど……たしかに最初はキツイよな、この準備運動。でも走るための体力を温存するために準備運動を欠かせたら、満足になんて走れやしないんだ」

「うぅ……」

「じゃあ桃香。好きなだけ休んで、走ってみようって思えるくらいに回復したら城壁に来て。出来るだけ体が冷える前のほうがいいけど、どうしても無理そうだったらそのままで。な?」

「う、うん……ひゃあっ!?」

 

 ぐったりな桃香を片手で支えるように抱え上げ、てこてこと歩いて木陰へ。

 今日は日差しが強いから、涼しいところの方が回復も速いだろう。

 

「じゃ、行ってくるな。───思春~、付き合ってもらっていいかー?」

「構わん」

「よし、それじゃ───あ、張飛~! 暇してたら一緒に走らないかー!?」

「走るのだー!」

 

 蛇矛を振るい、自身の鍛錬をしていた明らかに暇そうじゃない張飛を勧誘。あっさりノってくれた。

 思春は思春でなんだかんだでずっと傍に居てくれるし、誘えば鍛錬に付き合ってくれる。本当にありがたい。

 そんな彼女らと石段を登って城壁の上へと登り───走り出す。

 右腕が包帯に包まれたままだから、身振りの時点でどうにも違和感が先立つが───それでも全速力で、身体能力が許す限りにひた走る!!

 

「おー! お兄ちゃん速いのだ! 鈴々も負けないのだ!」

「よし! じゃあ勝負だ張飛!」

「にゃっ! しょーぶなのだーっ!!」

「………」

 

 城壁を走る。段差を越え壁を蹴り登り、一歩も譲らぬ激走を思春と張飛とともに繰り広げ。

 一周、二週、三週と続け、なおも落ちぬ速度をそのままに、我ぞ我こそと一歩を先んじようとし前へ前へ……!!

 

「昨日の俺より一歩前へ……! より昨日よりは二歩前へ……! されど三日前よりは四歩も五歩も前へ! 三日を糧とし己を鍛えて理想へ近づく! ……諦めない! 俺は俺に出来ることをこの二日で二歩、三日で数歩を歩みて目指す!」

「……なんか格好いいのだ! 鈴々もえーとえーと……とにかく走るのだ!」

「行こう張飛! 昨日の俺達よりも一歩先の自分を目指して!」

「行くのだお兄ちゃん!」

「…………暑苦しいな」

 

 走るのが楽しくなると、人間のテンションはいろいろと変わるものだ。

 それは、何かに夢中になると周りが見えなくなる感覚によく似ている。

 俺の場合は、いつか意気投合した華佗からの影響が大部分を占めているが。

 そこを素直に思春にツッコまれて、少し苦笑をもらしてしまうが───動かす足は変わらずに速い。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃーっ!!」

「くおっ!? さ、さすが張飛……! けど俺だって明命と一緒に足を鍛えたんだ……! さらに遊びだろうと負けを良しとしないと心に刻んだ! だから絶対に負けない!!」

「おおーっ!? お兄ちゃんほんとに速いのだ! だったら鈴々も本気でぇ~っ!」

「なんだって!? い、今まで本気じゃなかったと───!? フフッ……だったら俺はさらにその上を行く本気を見せてやる!」

「にゃっ!? だったら鈴々はさらにその上をいく本気を見せるのだ!」

「なんの! 俺はさらに……!」

「鈴々はさらに……!」

「いいやさらに!」

「もっとなのだ!」

「俺のほうが───」

「鈴々のほうが───」

『速い(のだ)ぁああーっ!!』

 

 走る走る走る走る走る!!

 足に氣を込め石畳を蹴り弾き、前へ前へ一歩でも早く一ミリでも張飛より前へ!!

 

「うおぉおおおおおっ!!」

「にゃぁあああぁーっ!!」

 

 我先に! 否、我こそ先に!

 そんな言葉がその姿から聞こえてきそうなくらい、俺と張飛は先を目指して駆け続けた。

 暑苦しい? いいじゃないか、冷静な自分を魅せたいとか思うあまり、動けず騒げずでいるくらいなら、俺は喜んで騒がしい自分になろう!

 ……あと、ここ数日で悟りました。

 蜀、騒ガシイクライ、丁度イイ。

 冷静デイル、ダメヨ。




 サブタイトル入力スペースで、エンターキー押しすぎたら投稿とか、怖いと思うの……!

 あの……ハイ、間違って投稿しちゃってごめんなさいでした。
 むしろ僕が一番驚きました。


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24:蜀/力を振るうということ②

 ややあって。

 

『負けた(のだ)……』

 

 終わってみれば、思春の一人勝ちだった。

 結局城壁の上を十週した時点で競い合いは終わり、中庭へと降りてきた俺と張飛は、けろりとしている思春を眺めつつ仲良く肩を落としていた。

 

「でもお兄ちゃん、なかなかやるなー! 鈴々、男の子であんなに速いの見たことなかったのだ!」

「うん、これでも頑張ってるからな。……っと。桃香ー、ゆっくり休めた───か?」

 

 木陰で休んでいた桃香のもとへ、手を振りながら戻ってみればアラ不思議。

 太線の目からたぱーと滝の涙を流し、ふるふるとゆっくり首を横に振るう桃香が居た。

 

「無理ぃい……無理だよぅぅぅ……私あんなに走れないぃい……」

 

 どうやら自分が至るべき場所へのハードルの高さに泣き出してしまったらしい。

 しかし否である。

 

「桃香、やる前から諦めちゃだめだ。誰だって、というかむしろ俺もあんなに走れなかった」

「だって、だってぇえ~……」

 

 やはりたぱーと涙を流しながら、城壁の上を指差す桃香。

 ……うん。その広さ、プライスレス。じゃなくて、学校のグラウンドなにするものぞってくらい広い。

 ていうか桃香、丁度指差しているところに立ってる見張り番の兵が驚いてるから、こっち見ながら適当に指差すのやめなさい。

 

「まずは体力作りだ。祭さん曰く、日に十里を走れるようになれば、氣を扱う下準備はとっくに出来てるって」

「じゅっ……!? むむむむ無理無理ぃいいっ!!」

「じゃあ祭さんの教えに従い、俺がやった氣の増幅法を。桃香、氣は使えるか?」

「え? えと……どうだろ。意識したことはあまりないかも」

「そっか。じゃあえっと……」

「ひゃうっ!? お、おおおお兄さんっ!?」

「ん? どうした?」

 

 氣の感覚を掴ませようと、桃香の手をやさしく握る……と、桃香がびっくりしたように身を竦ませ、手を引いてしまう。

 

「氣の感覚、感じさせようと思ったんだけど……嫌か?」

「あ、ううん、嫌とかそんなのじゃないんだけど……急に触るからびっくりしたよ~……」

「───あ、そ、そっか、ごめん」

 

 ここしばらくの出来事で、いろいろと感覚が麻痺してるのかな……。

 うーん……呉王の頭を撫でたり、頭突きしたりスープレックスしたり、振り返ってみればいろいろと危険なことをしてるな。

 いかんいかん、少し自分を取り戻さないと。

 

「じゃあ桃香。いいかな?」

「えと…………うん」

 

 改めて差し出した手に、桃香の手が乗せられる。

 そこに意識を集中させると同時に、自分の氣を辺りに溶け込ませるように散らす。

 散らしてからは桃香を包みこむように集束させてゆき、少しずつゆっくりと、桃香の中にある氣を外側へと引っ張るように……。

 

(あ、これかな?)

 

 桃香を包み込み、手に取った柔らかな手を通し、彼女の中に暖かい光を見た。

 今度はその光の在り方に自分の氣を変化させてゆき、内側に眠っているそいつの目を覚まさせるように───

 

「わ、わ……? なんだか体が暖かい……?」

「うん、桃香。それが桃香の氣だ」

 

 小さな小さなそれを、彼女の左手の先へと誘導。

 体外放出とまではいかないまでも、うっすらと栗色の輝きを放つ左手を彼女自身に見せて、そう呟いた。

 

「これが私の……わあっ、すごいすごいっ! 鈴々ちゃんほら見てっ? 私の───あ、あぅ……消えちゃった……」

「~……ぷはっ……! はっ……や、だめだっ……誰かの氣の誘導なんて初めてやるけど、これ疲れるっ……!」

 

 桃香の手を静かに離すと、その場に尻餅を着くようにして座りこんだ。

 そうして考えると、凪の氣の扱い方っていうのに素直に感心。

 魏に戻ったら是非ともいろいろと教えてもらいたい。

 ……などと思っていれば、輝く目をしながら顔を近づけてくる蜀王様ひとり。

 

「ねぇお兄さん、お兄さんんん~……!」

 

 主語を抜いてねだる桃香さん。

 ああ、わかる。その気持ちはよぉ~くわかるぞ桃香。

 俺も、“自分にも氣が扱えるんだ”ってわかった時は興奮したものさ。

 

「だめ。さすがに連続では無理。というか自分でコツを覚えてくれ、頼むから」

 

 しかし飴ばかりをくれてはやれない。

 こういうのは自分自身のやる気の問題だからだ。

 

「うぅうう~……」

 

 そんな意思が届いたのか、桃香は難しい顔で近づけていた顔を戻し……木の幹の前にちょこんと座り直すと、氣を浮上させようと……してるんだよな?

 怒った顔をしてみたり、急に「はーっ!」とか言い出したり、色々やってるようだけど。

 結局は自分の中の氣を感じることさえ出来なかったようで、再びたぱーと涙を流した。

 

「おにいさぁああ~んん……」

「こ、こらっ、一国の王がそんな情けない声出さないのっ」

「だって、だってぇええ~……」

 

 困ったもので、俺の服をちょこんと抓んでくいくい引っ張りつつ泣かれては、まるで子供におねだりされるパパのような───マテ、俺はまだそんな歳では……そこ、経験だけなら人一倍あるだろうとか言わないっ。

 

「お姉ちゃん、鈴々が教えてあげるのだっ」

 

 と、困り果てていたところに張飛からの助けが。

 両手をぐっと拳にして、ニカッと笑う彼女が今は女神に見えました。

 

「ほんとっ!? 鈴々ちゃんっ!」

「まっかせるのだー!」

 

 どんっと叩いた胸を張り、早速張飛先生の氣の授業が始まる……!

 

「まず、うーんってお腹の中に力を入れるのだ!」

「うんっ、えーと……う、うーん……!」

「次に、はーって込めた力をお腹から体全体に広げるのだ!」

「は、はー……!?」

「できたのだ!」

「できないよっ!?」

 

 即答だった。

 うん、見事な即答だったよ、桃香。

 どうやら張飛は説明とかが苦手なようで……まあたしかに教えるのは難しいよなぁ。

 

「桃~香。急ぐと本当に痛い目見るから、まずは体を鍛えないとだめだよ。俺みたいな方法で無理矢理拡張させるってことも出来るけど……軽口で痛みを表現するなら、死ぬほど痛いよ?」

「軽口なのに死ぬほど痛いの!?」

「ああ。一度天からお迎えが来て、危うく死ぬところだったし」

「ひぃいーっ!?」

 

 あ……また泣いた。

 

「うん。だから徐々にだ。体力の許す限り、教えた柔軟体操を続けてみてくれ。基礎体力がつくし、体も柔らかくなる。一石二鳥だ」

「ぇぅう~……お兄さん意地悪だよぉ~……鬼ー……」

「鬼で結構。辛くない鍛錬なんて、どうやったって糧になるもんか。一応の経験者が言うんだから、軽くでもいいから受けとってくれ」

「うう……思春さん、手伝ってもらっていいかな……」

「はっ」

 

 少しイジケ気味になりつつも諦めないところは、さすがと言うべきか。

 で、俺はといえば……

 

「………」

「え、あ……な、なに? 張飛」

 

 張飛にじーっと見られていた。

 なんだろう、居心地の悪さは感じないんだけど、嫌な予感が。

 

「お兄ちゃん、宴で華雄と戦ってたのだ」

「え? ……ああ、戦えてた、とは言えないかもしれないけどな」

 

 なにせ、避けて避けて、疲れさせたところを武器を弾いただけなんだから。

 もしもあれで、華雄が素直に私の負けだとか言わずに「まだまだだぁ!」とか言ってたらと思うと……おおうっ、寒気が……!

 

「お兄ちゃん、弱いとか言ってたけど華雄に勝ったのだ」

「逃げ回って相手を疲れさせて、不意をついただけ……って言いたいけどね。それじゃあ負けを認めて下がってくれた華雄に失礼か」

「そーなのだっ。だから鈴々とも戦うのだっ」

「そうだな───ってなんで!?」

「“強いやつの戦いを見たら武人として黙っておれん”なのだ!」

「なにその誰かの受け売りそのものみたいな言葉! だ、だめだぞ!? 俺まだ腕が治ってないんだからっ!」

 

 そう言いながら、あとは痛みが引くばかりの完治待ちの腕を庇いつつ下がる。

 しかしながら下がった分以上に詰め寄ってくる張飛を前に、顔を引きつらせ───

 

「星が言ってたのだ。戦いは終わったけど、“しげき”がないのはつまらないーって。だからお兄ちゃんは鈴々と戦うのだ」

「………」

 

 あの。理由になってませんよね?

 それ、趙雲さんの理屈であって張飛の理屈じゃあないよね?

 

「それはえぇと。張飛も刺激が欲しいから、ってことでいいのか?」

「そーなのだ」

「……俺、強くないぞ?」

「強くなければ強くなればいいのだ! だいじょーぶ、戦ってれば勝手に強くなるのだ!」

「無茶言ってますよね!? それ本当に無茶ですよね!?」

「腕が鳴るのだー……!」

 

 言って、ズチャアアア……と重そうな蛇矛を構える張飛さん。

 あ、あれ? 待って? 俺、やるなんて言ってませんよね? それがどうして腕が鳴るとか言われてるんでしょうか。

 そりゃあたしかに、思春と剣術鍛錬をするため、木刀はバッグごと持ってきてあるけどさっ……!

 

「さあお兄ちゃん、構えるのだっ」

「………」

 

 ああ……うん。もう逃げ道とか無いんですね?

 だって物凄くやる気だもの張飛さん。

 けどありがたいって受け取ったのも俺であって、都合がついたら鍛錬に付き合ってくれる張飛に今さら「やっぱりいいや」なんて言えるはずもなく───

 

「よ、よしっ! それじゃあ鍛錬をお願いする!」

「にゃはは、鈴々にお任せなのだ! それじゃあ……!」

「ぬ、ぬう! なんだこの凄まじい闘気は……! あまりの闘気にこの北郷、足が震え───ってわかってるよね!? 実戦形式じゃなくて鍛錬! 鍛錬だよ!? 気構えとかお役立ちの技法とかそういうのを教えるって意図のっ!」

「……だから、戦ってれば適当に身に付くのだ」

 

 ウワーイ強者理論だー! 高頭脳理論と全く同じ事を返された気分だよちくしょー! これを言っちゃう人はとことん他人の“わからない”を知りません!

 でも、それ以上に“教えてくれる”っていう気持ちを無下にすることを良しとは出来ない俺は、半ばやけっぱちでバッグから突き出ていた竹刀袋から、黒檀木刀を抜き取っていた。

 

「よしっ……っと、そうだ張飛。戦う前の心構えとかってあるか? こうすると冷静でいられるーとか、こうすると心を乱さずにいられるーとか、なんでもいいんだけど」

「にゃ? んー……と。気持ちで負けちゃだめなのだ!」

「気持ちで? ああ、それはそうだよな」

「うん、だから今から鈴々はお兄ちゃんの敵なのだっ。お兄ちゃん、敵から睨まれたらどうするのだ?」

 

 言って、ギシリと蛇矛を構えて俺を睨む張飛。

 威圧感が異常なくらいに感じられるのに、俺を睨む顔が頬を膨らませているもんだからいまいち緊張感が……。

 いや、でも覚悟には覚悟を。

 睨まれたのなら、その気力に負けじとさらなる気迫を以って───睨み返す!!

 

「それでいーのだっ。そうしてじ~っと見てたら、相手が弱く見えてくるのだ」

「……なるほど。気迫で相手に勝ってるって自分で思えば、相手もそう感じているって思えるもんな」

「なのだ。相手が鈴々のことを自分より強いって思って、鈴々も相手より自分のほうが強いって思ったら───」

「お、思ったら……?」

「倒すのだ!」

「倒すのだとな!?」

 

 たお……えぇ!? それだけ!? 気迫で勝って、いや、勝った気になって、戦闘準備が整ったら“おぉ~りゃ~”って戦って───終わり!?

 流石に唖然。

 果たして同じ説明をされて戦場で勝てる人が、この大陸に何人居てくれるのやら……!

 ……ああ。なんだか春蘭と季衣あたりなら出来そうな気がした。案外祭さんも頷いてくれるかも。

 

「あ、あのー……張飛さん? これって───」

「それじゃあ早速実践してみるのだ」

「実践ですって!? え───実践!? 誰と!?」

「鈴々に決まってるのだ」

「───……」

 

 あ。なんか今、血の気が引く音を聞いた。

 実践? 実践と申したか。あの張翼徳を相手に実践と。

 

「ほら! 教えたようにやってみるのだ!」

 

 さっさと構えちゃってる張飛を前に、溜め息と同時に覚悟を。

 キッと睨み、もはや逃げられぬことも理解した上で……氣を充実させ、本気で睨む。

 負けない、勝つ、絶対に勝つ。負けなどもはや良しとせぬ。必ず勝つ、負けるものかと。

 その気持ちを目に込めるようにして、真っ直ぐに張飛の目の奥を睨みつけた。

 蜀に着くまでと、蜀での生活の中でやっていた、暴走した雪蓮のイメージと対峙する時のように。

 想像の相手と対峙するだけでも震えてきたんだから、雪蓮のイメージは本当に化け物的だった。

 そんな相手と鍛錬をするには、まずは気迫を強くする必要があって───気持ちで負けないって意味では、想像の雪蓮に打ち勝とうとする気概はいいきっかけになったはずだ。

 だから、そこで得た経験の全てを今、目の前の張飛に───!!

 

「───ッ!」

 

 全力で、ぶつける! ───するとどうでしょう。

 張飛の顔が、まるで欲しいものを目の前にちらつかされた犬のように輝いて───

 

「にゃーっ!!」

「へっ? あ、ヒョアォアァアアアッ!?」

 

 一気に間合いが詰められ───張飛の射程まで踏み込まれ、攻撃を仕掛けられる。

 振るわれた蛇矛をなんとか避けたが……え? あの、鍛錬です……よね? 鍛錬ですよね!?

 今髪の毛掠りましたよ!? 張飛さん!? ちょっ……張飛さん!?

 

「避けたのだ! やっぱりお兄ちゃんは武人なのかー!?」

「避けたのだって……避けなきゃ顔面潰れてるよ!?」

「止める気だったのだ」

「嘘だぁああああっ!! 思い切り振り切ってたじゃないかぁあああっ!!」

 

 やばい! この子、どうしてか知らないけどすごく興奮してる!

 あの時の雪蓮と違って話は出来そうだけど、出来るからって受け取ってくれるかどうかは別なわけでして……ああもう!

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん、鈴々と勝負してー!? 男なのにあんなふうに睨める人、鈴々初めて会ったのだ!」

 

 はい、受け取るどころか尻尾をブンブン振るう犬のように、ハウハウ言って蛇矛をブンブン振るってます。

 イエスと言ったらあの蛇矛が俺の首を取りにきそうです……冗談抜きで。

 

(……、)

 

 ごくりと鳴る喉。

 やるか……? 本気でやるのか、あの張飛と。

 右腕は動かそうと思えば動かせないことはないとはいえ、痛みはどうしても付き纏う。

 振るったりしない限りは華佗のお陰で痛みは無いが、振るえば痛いのはどうにもならない。

 むしろこの短期間でくっついてくれたのは奇跡と言える。

 ありがとう華佗、ありがとう凪。

 とはいえ、だからこそここで悪化させるのはよろしくない。

 よろしくないのに、せっかく英名名高き張翼徳と一戦出来るって場面を逃してしまうのは……うん、大変よろしくないとか思い始めてしまっている。

 と、そんなふうに確認してしまったのが運の尽きだった。

 

「よしっ! 胸借りるぞ張飛!」

「……! うんっ、来るのだお兄ちゃん!」

 

 ああ……もう引けない。この口が勝手に先走ってしまった。

 しかもあんな笑顔で返されたら、今さら“冗談です”だなんて言えるわけもない。

 覚悟、決めろよ……一刀。

 暴力じゃない……鍛錬だ。得た力を正しく使うためのものだって、頭に刻め。じゃないと、俺は───

 

「すぅ……ふっ」

 

 トンッ、と軽く胸をノック。それだけで覚悟は決まった。

 決まればあとは早い。

 大地に全体重を預けるように低く構え、強く踏み締めた地面を蹴り弾き、一気に詰める。

 

「にゃっ!? ───せやぁーっ!!」

 

 途端、振るわれる長柄の武器が呆れるほどの速度で距離を殺し、襲いかかってくる。

 張飛までの距離はまだまだあるのに、手に持つ武器の長さ自体が反則じみている。

 ならばと、右真横から振るわれるそれ目掛けて駆けつつ、体勢を低くすると同時に氣を纏わせた木刀を両手で支えるように構え───張飛の一撃が直撃するより少し早く上方へと払い、真横に向かう一撃を斜め上へと一気に逸らす!!

 

「んんがっ……!!」

 

 支えにしか使わなかったのに、右腕が軋むほどの衝撃。

 きっちり逸らしたのに逸らしきれない恐ろしい威力がそこにある。ていうか右腕痛い。もう涙出る。完治してないのに無茶させすぎだ。

 けど、それだけの振りだ。よほどに勢い良く振らなければあれほどの威力は出せないはず。

 ならば逸らしてやった今こそ好機───だったはずなんだが。

 

「うりゃぁああーっ!!」

「う、ぇっ!? とわぁっ!?」

 

 戻すのも速すぎ。逸らした甲斐もなく、あっさり戻ってきた袈裟の斬撃に驚愕。

 これをなんとか逸らすことで一生を、続く突きを紙一重で躱すことで二生を得て、まるで竜巻のようにやまない連撃を死に物狂いで避け、弾き、逸らし……そ、逸らっ……うわああああ駄目! 駄目だってこれ! 一撃一撃が重すぎる!!

 相手の武器が長柄のものなら懐に入り込むのが常套手段だろうけど、それって入り込めればの話しだって!

 あれだけ重そうでいて長いっていうのに、まるでエアバットを振るうみたいにブンブンって……!

 あ、だ、だめ、もう腕が痺れて───離脱っ!!

 

「にゃっ!? どうして逃げるのだ!」

「ふっ……ふふふ……さすが、世に謳われた張翼徳……! その武に偽り無しか……!」

「ふえ? なんか褒められたのだ」

 

 うん、息は乱していない。

 ひやひやする竜巻の中にあって、これだけ息を乱さないで居れたのは我ながら見事だ。

 けど今は腕を休ませるために、それっぽいことを言いつつ休憩。

 卑怯者だと笑わば笑え、あのままじゃあ首は飛ばないまでも、確実に怪我はしていた。

 ……ああ、補足して言うと、首は飛ばないまでもっていうのは俺の実力とかじゃあなくて、加減されるからって意味ね?

 

「偽りなしならどーするのだ? 降参するの?」

「いや。その武技に敬意を表し、俺も相応の技を以って応えさせてもらおう!」

 

 痺れは落ち着いてきてくれている。

 あとはまあ……張飛の気をべつのところに向けられれば。

 

(ああくそ……こんなことならしっかりと硬気功も教えてもらっておけばよかった)

 

 そうすれば防御面の信頼度は相当に上がっただろうに。

 

「技なのかー!?」

「技なのだー!!」

 

 言って、ヒョンッ……と木刀を回転させ、逆手に。

 これに威力ってものがあるかどうかは未だにわからないが、虚を衝く行動にはなるはずだ。

 ならばと、木刀を纏っている氣をさらにさらにと増幅させ、身を捻ると……どうか多少でも氣が残りますよーにと願わずにはいられない心境のままに、一閃を放つ。

 

「スゥウトッ───ラッシュゥウッ!!」

 

 振るう木刀から金色の剣閃を。

 鋭い金属と金属がぶつかり合ったような高音を立てて空を裂くソレは、張飛目掛けて横一文字に飛翔。

 それを見て、ますます目を輝かせた張飛は逃げることもせずに蛇矛を構え、あろうことか剣閃目掛けてソレを振るい───轟音とともに、消し去ってみせたのだ。

 

「お兄ちゃんすごいのだ! 今のどうやって───」

 

 けど。

 それはただの囮だ。

 もとより気を逸らすことしか望んでなかった上に、張飛は雄々しくも剣閃を破壊することと、剣閃自体に夢中になりすぎていた。

 張飛が蛇矛を振り切り、目を輝かせたまま離れた位置に居るであろう俺に意識を向けた時には、俺はもう張飛の目の前まで駆け込んでいた。

 

「うにゃーっ!?」

 

 驚いて蛇矛を振り戻すが、それも予測済み。

 そのまま攻撃するでもなく、勢いのままに跳躍して張飛の背後に回った俺は、慌てて振り向く張飛を後ろから押し倒し───!!

 

「にゃっ!? にゃはははははぁあーっ!? ややややめるのだぁあーっ!!」

 

 ええはい、くすぐりました。

 武で勝てぬのならばやんちゃで勝ってみせましょう。

 唐突に身を襲う感覚に蛇矛を落としてしまったのが運の尽き。

 俺はニコリと満面の笑みで微笑み、地面に倒れ伏しながら自分の肩越しに俺を見上げる張飛を……やっぱりくすぐりました。

 

   にゃー……───!!

 

……。

 

 ややあって。

 

「にゃ……にゃっ……はふ……」

 

 手入れされた中庭の草むらにて、ぐったりと動かない張飛がいらっしゃいました。

 

「お疲れさま、張飛」

 

 俺はといえばそんな張飛の頭を胡坐をかいた自分の足に乗せ、頭を撫でていた。

 さすがの武人・張飛もくすぐりには耐えられなかったらしく、引きつった笑みを浮かべながら痙攣してらっしゃる。

 

「お兄ちゃん……むちゃくちゃなのだぁあ~……」

 

 もはや喋る言葉も弱々しい。

 まあでも……決着の付け方は特に決めてなかったし、これはこれで一本……か? いや、違うだろ、うん。

 

「まあまあ、殺すつもりで戦ってたわけでもないんだ。こんな決着があってもいいんじゃないかな」

 

 そもそもくすぐられてる間でも、張飛の力なら俺を払いのけることくらい出来ただろうに。

 それをしなかったのは怪我をさせないための配慮か、それともそんなことを忘れるくらいくすぐったかったのか。

 

「………」

「……にゃ……?」

 

 どっちもってことにしておこっか。

 

「張飛は強いなぁ。そりゃあ負けるわけにはいかなかったけど、もうちょっと粘れるつもりだった」

「にゃ……? 勝ったのはお兄ちゃんなのだ……」

「いや、残念ながら俺の負け。負けを認めるのは嫌だけど、だからって負けてないって言い張る自分にはなりたくないんだ。あのまま引き下がらずに張飛の攻撃を逸らし続けてたら、倒れてたのは俺だったし」

「にゃー……♪」

 

 笑いすぎの所為か、しっとりと汗を含んだ髪ごと頭を撫でる。

 まったく、この小さな体のどこにあれだけの力があるのか。

 腕なんてこんなに細いっていうのに……本当にとんでもない。

 

「んー……残念なのだー……。戦場で、お兄ちゃんと本気で戦ってみたかったのだ……」

「その時に俺が張飛と戦ってたら、一合目で俺死んでるから」

「にゃ? そーなの?」

「そーなの。俺が鍛錬を始めたのは、三国が同盟を組んで───俺が天に帰ってからなんだ。だから戦があった頃の俺なんかが戦場に立てば、味方の邪魔にしかならなかったってこと」

 

 さらさらと頭を撫でながら、きょとんとした顔を見下ろす。

 頭を撫でられることも足を枕にすることも嫌がらずに、張飛は少し楽しげだ。

 

「そーなんだ。でも残念なものは残念なのだ」

「そっか。じゃあ俺がもっともっと強くなれたら、その時は思いっきりやろうか」

「……いいの?」

「もっと強くなれたらな? それまでは鍛錬ってことで」

「わかったのだ! じゃあ鈴々、お兄ちゃんが強くなるまでたくさんたくさん鍛えるのだ!」

「……エ?」

 

 あれ? 今、なんだか光栄に思えるはずの言葉とか、地獄の一丁目が見えそうな言葉とかが同時に聞こえたような気がするんですけど?

 あ、いやうん、たしかに鍛錬に付き合ってくれるって話しはしたよ? 願ったり叶ったりだよね、うん。

 でもさ、けどさ、それでもさ。さっきの戦いを振り返るに、彼女……張飛さんたらどんな時でも加減が出来そうにないってイイマスカ……エエト。

 

「そうと決まればじっとなんてしてられないのだ! お兄ちゃん、構えるのだ!」

 

 言うが早し。

 ぴょーんと跳ねて起き上がった張飛は、落ちていた蛇矛を右手一本で拾うと“ゴフォォオゥウンッ……!”と風を巻き込むように振るい、無手の左手を俺へと突き出して構えた。

 俺はといえば、「どうしよう」と本気で自然に口からこぼし、自分の言葉に自分が驚く始末。

 とりあえず座っていては危険だと立ち上がり、木刀を拾った───その時には、彼女の中では鍛錬は始まっていたようで。

 

「にゃーっ!!」

「キャーッ!?」

 

 地を蹴り襲いかかる張飛を前に、俺は女性のような悲鳴を上げた。

 

「ままままぁぁーままま待った待って待ってくれぇっ!! 張飛さん!? 目がさっきよりもよっぽど本気の目なんですけど!?」

「お兄ちゃん! 鈴々のことは鈴々って呼ぶのだ! 鈴々、お兄ちゃんのこと気に入ったから真名で呼んでほしいのだ!」

「んなっ───……いや。じゃあ俺のことは北郷か一刀で───」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんなのだ!」

「や……そう言われる予感はしてたけどね……? ってヒワーッ!?」

 

 言葉で止められるのも多少程度。

 「お話しは終わり? じゃあいくよー!」と元気良く地面を蹴った小さな武人が、蛇矛片手に再来した。

 

「張飛っ、いいからひとまず落ち着こう!?」

「む~……鈴々なのだっ!」

 

 蛇矛が迫る! コマンド───どうするもなにも選択肢一つしかないだろっ!

 

「りっ……鈴々っ」

「はいなのだ! やぁーっ!!」

「返事しただけ!? 止まってくれぇーっ!!」

 

 思い切り振るうためか、一度引かれた蛇矛が横薙ぎに振るわれる!

 

「く、くっそ……俺だって避けてばかりじゃないぞっ!」

 

 もう破れかぶれで構わない!

 せっかく鍛錬(?)に付き合ってくれるっていうなら、それを受け止めずして何が男!

 今こそ木刀に氣を込めて、反撃を───……は、はん……はん、げ……ゲェーッ!!

 

「……あ、あはは……! 剣閃で氣、使い果たしちゃってたぁーっ!!」

 

 もはや笑うしかなかった。

 ……この日、僕は再度込み上げる寒気と血の引く音を聞き、桃香が柔軟で苦しそうな声を上げる中───喉から吐き出される本気の絶叫を蜀の国に轟かせたのでした。

 



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25:蜀/王が持つ弱さ、気づいてはいけないもの①

49/きみとぼくは似ている

 

 日を跨いで翌日。

 張……ではなく鈴々に真名を許してもらい、興奮が冷めてくれない鈴々に散々と追い回されたその後。

 騒ぎ(むしろ俺の悲鳴)を聞きつけた関羽さんが鈴々を止めてくれるまで続いた、あの恐ろしき鍛錬を思い返すと今も笑顔が引きつる。

 結局昨日は錬氣が済むまでは大したことも出来ず、関羽さんに叱られた鈴々を胡坐の上に抱きつつ、桃香が運動する様をじーっと見てたんだけど。

 なんとなく義姉妹三人の力関係がわかったかなーと思いながら、胡坐の上で撫でられるがままに燥ぐ鈴々を、運動しながらも何故か羨ましそうに見ていた桃香。

 そんな彼女を、執務室へと続く通路を歩きながら思い出し───やがて、執務室へと到着。

 成都での俺の行動は、主に学校建築の手伝い、自身の勉強、蜀の人への頭の回転授業、鍛錬、頼まれることの全て、となっている。

 頭の回転授業っていうのは天の国のことを授業として教えて、まずは“考えること”を覚えてもらい、頭の回転速度や柔軟性を鍛えましょうってものだ。

 自身の勉強はその名の通り、政務に関してのことや現在の街の様子などを朱里、または雛里に教わり学んでいくこと。

 頼まれることの全ては言うまでもなく、命令形式ではない呉での状況、といえばいいのだろうか。

 

「桃香? 桃香ー? 入っていいかい?」

 

 考え事をしていれば進む足が向かう場所に到達するのも早いもので、目の前の執務室をノックすれば元気な返事が───

 

「うぅううえぅぁああぃいいぅぁああ~…………」

 

 ………。うん。

 なんだろう、今ゲームで聞くゾンビのような唸り声が聞こえてきたんだけど。

 えーと……これ、大丈夫なのか? 入って大丈夫なのか?

 

「……失礼します」

 

 立っていても考えていても埒が明くわけでもなく。

 「ここまでだ」と言って執務室には入らずに、扉の前で待機する気らしい思春に頷いて返す。

 ……さて。

 そろそろいいかな~と包帯をとってある右手をぎしりと動かし……やっぱり少し痛いけど、リハビリも兼ねて身を引きつらせつつ、静かに執務室の扉を開くと中へと入り───……全てを理解した。

 

「ぁあああぅううう~……お兄さぁああ~ん…………」

「うおぉおっ!? 桃香っ!?」

 

 執務室の大きな机の椅子に座り、ふるふると震えながら涙を流す蜀王さまがいらっしゃった。

 べつに机にうず高く書簡が積まれてるとか、仕事が多すぎて泣き入っているとかそういうものではなく。震える手、振り向く速度が異常に遅い首、やっぱりたぱーと流している涙から見るに。

 

「ああ……筋肉痛か」

 

 あっさりと答えが出た。

 普段からどれだけ運動していなければ、そこまで苦しいのか。

 今では初めての筋肉痛なんて思い出せもしないから、悲しいけど桃香、その苦しみは多少しかわからない。

 日本で鍛錬を本格的に始めた頃なら、その苦しみもよくわかっただろうけど。

 

「からだがっ……からだがいたいぃいい……」

 

 仕事はそれなりにある。

 あるのに、体が思うように動かせずに難儀しているようだ。

 それでも机に向かうその姿は、まさに王の姿そのものなのでは……と、軽く感動した。動きはゾンビだけど。

 

「勉強しに来たんだけど……桃香、昨日ちゃんとマッサージしたか?」

「まっさじーってなにぃいい~……?」

「……わあ」

 

 しまった。鈴々に振り回されるがまま別れることになったから、マッサージとしか伝えてなかった。

 いや、でも普通は体を動かしたらマッサージくらい……しない人も居るんだね、ごめんなさい。自分の常識だけで考える、ヨクナイ。

 どうしたものかなと軽く考えて、“今からでも軽くマッサージをするべきか?”と判断。

 大きな机の大きな椅子に座る桃香の後ろに回って、相変わらずの太線眼からたぱーと涙を流す彼女に一言断ってから……まずは───耳たぶから。

 

「ふひゃあっ!? え、あのお兄さんっ……? まっさじーって……」

「大丈夫、おかしなことはしないから。ちょっとくすぐったいかもしれないけど、それは勘弁して」

「う、うっ……うー……」

 

 耳たぶを軽ぅく、やさしぃく揉みほぐしてから、輪郭をなぞるように顎を撫でてゆく。それを何度か繰り返したのち、首から肩、肩から二の腕をやはり軽く、しかし力を込めるべき箇所には込めて、じっくりと指圧する。

 右腕は軽く添えるだけだ。力を入れるとまだ痛い。

 先に首からやったのは、ここをほぐして暖めてやると、全身が軽く熱を持って暖まるからだ。

 あとは背中……首から少し下の部位や、肩甲骨の下、背骨周りなどを軽く済ませて……うん、ここから先は無理です。

 

「は……あぁあぅう~……なんだろう……体がぽかぽかしてきた……」

「えーとごめん、ここから先はさすがに男の俺には出来ないから。えーとそうだな……扉の前の魏延さーん、続きお願いしていいー?」

 

 言ってみた直後、扉の外側から激しい物音。そして、静かに開かれる扉の先には本当に魏延さんが。

 うわー……適当に言ってみただけなのに本当に居たよ。

 

「貴様……何故ワタシがここに居ると……」

「なんとなく、場の空気の流れ的にこうくるかなって。それでさ、魏延さん。桃香のマッサージの続きをお願いしたいんだけど」

「何故ワタシが貴様の言うことを聞かなければいけないんだ」

「桃香が苦しんでいるところ、助けてほしいから」

「はっ───桃香さま! 如何されました!? 貴ッ様桃香さまになにをしたぁあっ!」

「えーと……」

 

 この人は、とりあえず俺に怒鳴らないと気が済まないのだろうか。

 軽く春蘭を見ているようで、懐かしい気分だ。

 

「まあまあ。誰がなにをやったか、よりも優先させることってあるだろ? 今、いい具合に体が暖まってきたから、それがまた筋肉痛だけの熱になる前に全身を揉み解してあげないと」

「揉みっ……!? きききさっ───」

「違う違う、やるのは俺じゃなく魏延さん、キミだ」

「……ワタシ?」

 

 怪訝そうな顔で、叫ぶのも慌てるのもやめた魏延さんが、マジな顔で訊いてくる。

 俺はそれに「そう」と頷いてやると……彼女はお猫様を見つめる明命のようなとろける笑顔を一瞬だけ見せ、ビシィッと表情を引き締めた。

 

「では桃香さまっ! 奥の部屋でワタシが丹念にっ……!」

「……焔耶ちゃん? なんか顔が怖いよ? お、お兄さぁあ~ん……!!」

「街の警備についての案件なら、多少はこなせると思うし。そこらへんはあとから来る朱里や雛里に聞いておくから、桃香。キミは今はじっくり休むこと。いいね?」

「そ、そーいうんじゃなくて───」

「ささっ、桃香さまっ! そんな男のことはほうっておいて!」

「ひわぅ!? あ、あのっ、焔耶ちゃんっ!? 抱えてくれなくても私、歩くことくらいひぃいやぁあああーっ!?」

 

 いっそ男らしい風情で、魏延さんが肩に担いだ桃香を拉致していった。

 俺はといえば……閉ざされた扉と遠ざかる悲鳴を微笑みつつ見送り、机に積まれた書簡に目を……通していいのだろうか。

 うん、よくないだろうな。朱里と雛里が来るまで待とうか。

 

……。

 

 少しして、朱里が登場。

 雛里は倉のほうに書物を取りに行っているらしく、遅れるとか。

 

「はあ……街の警備の案件について、ですか?」

「うん。学校が出来るのもまだ先だし、学校についての情報提供と軽い勉強だけじゃ悪い気がしてさ。何か手伝えることはないかなって考えたら、やっぱり警備隊長に出来ることってそっちのことくらいしかないかな~って」

「それを含め、学んでもらって桃香さまを支えてほしかったんですが……そうですね。まずはやり慣れたことから入ってもらって、この国の在り方を学んでもらったほうがいいかもしれません」

 

 で、気になっていたことを相談してみれば、朱里はにこりと笑って頷いてくれた。

 それから「少し待っていてください」と言って部屋を出て行き、ぱたぱたと戻ってきた朱里は、その後ろに雛里を連れて息を切らしていた。

 

「そんなに走らなくても……あれ? 雛里は倉の書物を取りに行ってたんじゃ……」

「いいんですっ、ちゃんと必要なものは持ってきましたからっ」

「あ……そ、そう?」

 

 質問を遮るような答えと迫力を前に、つい一歩下がってしまう。

 そんな俺に近づき、「ど……どうぞ……」と一つの書物を渡してくれる雛里。

 ハテ? と書物を開き、目を通してみれば───

 

「あ……これ」

「これまで、街で起きた物事を軽く纏めたものです。さすがに細かく書くときりがないので、本当に軽くですけど……」

「いや、十分だよ。こういうのがあると助かる」

 

 大まかなものとはいえ、これは起きたことを記したものだ。

 それに目を通し、一つ一つの事件のことを深く考えていけば、どういったところに不満があってどういったところに穴があるのかも、多少ずつだが見えてくる。

 

「ありがとう。じゃあ早速───」

 

 ざ、と目を通していく。

 軽く纏めたとは言っても字は綺麗で、決して雑に纏められたものじゃない。

 その時に必要なことをしっかりと纏めてあるようで、別の国の俺から見ても見事の一言に付す。

 ただ、なかなか思うようにはいかなかった部分もあるようで、書かれている文字からも残念さが滲み出ている。

 

「警邏に出る人は毎回違うんだよね?」

「あ、はい。武に覚えのあるみなさんが交代で出てくれます」

「なるほど……」

 

 最初は雑……これはどこの国も仕方ないことだと思う。

 少しずつ改善され、少しずつ民との距離も縮まり、いつしか───

 

「なんだかこれ見てると───いつ、どんな時に誰が仲間になったのかがわかる気がする」

「……そう、ですね……みなさん、個性が強いですから……」

 

 うっすらと微笑む雛里の言葉に「まったくだ」と頷きながら、書物に目を通してゆく。

 某日、街にてメンマ騒動起きる。趙雲さんだねこれ。

 某日、荷車をひっくり返した農夫が手助けしてくれる人を探していると、ここに居るぞと叫ぶ少女現る。……馬岱だね。

 某日、奇妙な笑い声を上げて道をゆく───袁紹だね。

 某日、砂煙を上げて犬の大群から逃げる女性現る……誰だろう、これ。

 某日、酒───ああこれは厳顔さんだ間違いない。続きを読む必要もないくらいだ。

 某日、街中の食材が少女の軍勢に奪われ、大惨事に。猛獲……かな?

 

「うーん……」

 

 軽く見ただけでも、民が騒ぎをというよりは将が騒ぎを起こしている気がしてならないんだが。

 そりゃあ、魏でもそういうことはしょっちゅうあったというか、むしろ俺は巻き込まれてばかりだったというか。

 凪……キミは今どうしてる? 俺はまたいろいろなことに首を突っ込んでは溜め息を吐く毎日の中に居るけど、元気でやっているよ。

 真桜と沙和の相手は、慣れ親しんだキミでも大変だろうけど……どうか強く生きてくれ。……と。遠くを見るのもこれくらいにしてと。

 

「ん、うーん……やっぱり右腕が上手く動かないとやりづらい」

 

 包帯は取ってあるものの、持ち上げようとすればキシリと動作が遅れるし、やっぱり痛みは走る。

 氣で固定して、通常よりよっぽど早くくっついてくれたとはいえ、無理をすればポキリといってしまうだろう。

 うん、気をつけよう。気をつけつつ、早すぎるリハビリを……いやごめん、やっぱり痛いです。

 

「うーん……」

 

 さっきからうんうん唸ってばかりだね、俺。

 気づいてみればなにやら恥ずかしいもので、自分じゃ気づけないけどきっと難しい顔とかしてたに違いな───

 

「………」

「………」

 

 ───……見られてる。

 輝く瞳で、しっかり見られてる……。

 

「あ、あー……あのぉ~……朱里? 雛里? 前にも訊いたけど、そのぅ……どうして」

「はわぁっ!? みみみ見てないです! 見てないでしゅよ!?」

「あわわっ……朱里ちゃん、落ち着いて朱里ちゃん……っ」

 

 見てないって言われても、ああも輝く瞳で見られたら……ああいや、今はそれよりも役に立てることを探すことが先決だな。

 こほんと咳払いをひとつ、書物を読む目に力を込めていった。

 

……。

 

 ところどころで疑問に思ったことを素直に朱里や雛里に訊ねれば、全て頭の中に記憶してあるみたいにすらすらと教えてくれる。

 そんな事実に驚きを隠すこともなく、感心と尊敬の念を抱きながらもこの国の過去から現在を学んでゆく。

 こうしてしっかりと目を通してみれば、以前桃香が言ったように騒ぎらしい騒ぎはここしばらく起きていないらしい。

 起きているのはむしろ楽しげな騒ぎで、それは警邏に出ている将が首を突っ込み、止めなければいけないもの……というものじゃない。

 むしろ鈴々あたりなら自ら突っ込んで楽しみそうな、そんな民たちの娯楽のひとつだった。

 

「へぇえ~……っ! さすがに将が多いだけあって、色々な場所に手が届いてるなぁ……!」

「はいっ」

「……その分、将が起こす騒ぎの数も馬鹿にならない、と……」

「あわ……」

 

 両極端だ。

 だけど、それでバランスが取れているんだから面白い。

 果たして俺なんかの案でそれが改善されるかどうか───ああいや、改善じゃないか。みんながその瞬間をしっかり楽しんだ上でこうして纏まっているのなら、それはきちんと必要なことだ。

 

「じゃあ朱里、雛里。しばらくお世話になるね。ここはこうしたほうがいいって感じたら、遠慮せずにどんどん言ってくれ」

「はわっ! は、はははいっ、頑張りましゅっ!」

「お役に立てるよう、ししししっかりと……!」

「え? ははっ、この場合役に立たなきゃいけないのは俺のほうだろ? 大丈夫、呉でもそうだったけど……雛里はしっかりといろいろなことが出来てるよ」

 

 むしろ教えてもらう俺自身が、その知識量についていけるかが不安なくらいだ。

 鍛錬も勉強も、もっともっと頑張らないと。

 ……などと言いつつ、つい雛里の頭を撫でてしまうのは、もはや癖にも似た行動なわけで……

 

「…………《じーー……》」

 

 羨ましそうに俺を見上げる朱里の頭も撫でると、これまた嬉しそうに目を細めるんだからたまらない。

 ……一応言っておくけど、たまらないっていうのはその、べつにやましい意味でじゃないからな? 朱里や雛里にとってはいい迷惑かもしれないけど、やっぱり保護欲めいたものが沸いてくるのだ。

 

「じゃ、始めようか……っと、その前に。今さらだけどさ、桃香やこの国に宛てられた案件を、俺なんかが読んでいいのかな」

「はい、そちらのことは私と雛里ちゃんで判断するので、大丈夫だと思ったものを渡しますね?」

「うん、よろしく」

「はいっ」

 

 さあっ、気を引き締めていこうか。

 「まずはこれを」と渡されたものに目を通し、今の蜀というものを片っ端から叩き込んでゆく。

 もちろん一つを読んだだけで全てが理解できるはずもなく、「それを読み終えたらこれを」と渡されたものにも目を通してゆく。

 途中、雛里が用意してくれた椅子に座り、渡されるままに書簡書物に目を通し、疑問点や書簡では解らないことについてはきちんと質問を投げて。

 そうしたことがしばらく続き、いつしか質問の数も減ってくると……巻かれた書簡を解く音や巻く音、書物をめくる音や閉じる音だけが室内に響くようになる。

 

(……ふんふん……)

 

 さすがは諸葛孔明。

 今俺に必要だと思われるものから最善を選び、提供してくれたお陰で必要以上に時間をかけることなく地盤を知ることが出来た。

 といっても、もう大分時間は経っているんだろうけど。

 意識が集中してくると、不思議と話す声も小声になったりして、続く書簡や書物を持ってきてくれた雛里に軽い質問を投げかける時も、どうしてか小声な自分に笑みがこぼれた。

 

「……♪」

 

 それは雛里も同じようで、べつに悪いことをしているわけでもないのに、今この場で声を出すことが悪いことみたいに感じられて……うん、それがなんでか無性におかしかった。

 そんな小さな笑みに朱里が気づくと、ぱたぱたと静かに駆けてきて話に混ざる。混ざるのに小声なので、また可笑しくて笑う。

 そうしたことを続けていたら、いつの間にか朱里と雛里が俺の傍で作業をするようになって───

 

「……ここに書いてある騒ぎってさ……」

「……? はい……この日は大変でして……」

「鈴々ちゃんと……恋さんが……その……点心大食い対決をしちゃったんです……」

「うわぁ……」

 

 小声でも、声をかければ届く範囲で行動し、いつの間にか小さな丸テーブル……じゃないな、机を用意して、それを囲うようにして座っていた。もちろん椅子に。

 そこに並べられた書簡や文献をもとに、俺にもわかりやすいように説明をしてくれるわけだが……助かるけど、いいのかこれって。

 執務室に勝手に別の机を用意とか……まあ邪魔にならない範囲ならいいんだろうし、注意を投げかけるべき桃香も居ないし……そういえば奥の部屋に行ってから随分経つよな。

 魏延さんも一度も戻ってこないし。何やってるんだろう。こんなにたっぷりとマッサージしてるとしたら、逆に辛くならないだろうか。

 

「……そういえば朱里……あっちの扉の奥にはさ……なにがあるんだ?」

「はわ……? あ、えと……寝台など、少し体を休めるための用意が……」

「あ……なるほど、だから……」

「……? だから……?」

「あ……いや……なんでもない……」

 

 小声状態は今も続いている。

 いい加減やめてもいいんだろうけど、一度こういうものを始めてしまうとほら、一番最初にやめた人が負けたみたいな気分になるだろ?

 それがたとえ遊びだろうと、もはやこの北郷一刀……負けることを良しとしません。大人げ無くても、こういう僅かな一歩から覚悟っていうのは固まっていくに違いないのだから。

 なもんだから、自然と小声は沈黙へと変わり、渡してくれる書物の内容がわかりやすく纏めてあることもあってか、時間を忘れてゆったりリズム……ではなく、没頭していた。

 途中、くきゅ~と鳴った可愛い音に、微笑みと恥ずかしさとの表情を見合わせて休憩がてらに食事へ。

 用意された食事に舌を躍らせていると魏延さんが厨房に飛び込んできて、食事を手に取ると物凄い速度で走り去る、という謎の出来事もあったものの。

 食事が終わると再び机に向かい、今日という日の全てを蜀という国を知ることに費やした。

 

「ん、ん~~……っはぁああ~~~……読んだなぁあ~~……」

 

 いつの間にか暗くなってしまっている外の景色を椅子から眺め、ぐぅっと伸びをする。

 いい加減夜も遅いのだろう、切り上げないと二人に迷惑が……あ、あれ? なんで二人とも、「あ……」って感じに口を───あっ。

 

「…………負けました」

「はわぁっ!? いえあの勝ち負けとかべつに決めてませんでしたからっ」

「あの……ただ、そんな空気だったから……静かにしていただけですし……っ」

 

 伸びをする瞬間に、つい声量のことを忘れた。

 気づけば俺は敗北を喫していて、素直に負けを認めておりましたとさ……。

 というか二人もやっぱり同じ気持ちだったのか、大きな声を出したら負けーって。

 うう……二人のやさしさが染みるなぁ……。

 

「……ありがと。うん、元気になった」

「はわ……」

「あわわぁ……」

 

 感謝をすると同時に撫でてしまう……もう、本当に癖だ。

 なんとかしないと、いつか親しくない人の頭も撫でてしまいそうで怖い。

 つっ……と……右腕はやっぱり痛むな……。

 

「あの、ところでさ。奥の部屋に桃香と魏延さんが居るはずなんだけど、そろそろ呼んだほうがいい……よな?」

「え───いらっしゃったんですかっ!? てっきり、一刀さんが代わりを努めるから居ないものだとばかり───!」

「あわ……わ、私も……っ」

「蜀に来て一月も経ってないのに王の代わりが出来るわけないよね!? 違うからっ! ……あ、あーほら、昨日さ。桃香、運動してたから。今日はどうやら筋肉痛らしくて奥で休んでもらうことにしたんだ。付き添いに魏延さんが居るから、安心してたんだけど───食事を取りに来る以外、ちっとも出て来ないから心配で」

 

 大丈夫なんだろうか。

 筋肉痛なんだから、休んでればいずれ治るものだけど───俺は氣で和らげるのに慣れちゃったから、少し感覚が鈍ってたのかも。

 ちゃんと気にしてやらないとだめだよな。

 そうさ、呉に居た時と同じだよ。この国に居る限りは、この国に尽くそう。

 そして、国に尽くすのならば王の身を案ずるのも務めにして然であるべきこと。

 ……それ以前に、友達なら心配するのも当然だ。

 浮かんだ思考にそうして笑みを浮かべて、奥へと続く扉の前までをタタトッ……と軽く小走りすると、これまた軽くノックをしてみた。

 果たして眠っているのか起きているのか、そんなどうでもいいような答えを探して微笑む子供のように。

 

「~っ!? ーッ!!」

 

 ……しかしー……返ってきたのは「どうぞー」なんて返事ではなく、大いに慌てた魏延さんらしき人の悲鳴だった。

 次いでどんがらがっしゃーんとお約束のような倒壊音と、その中から聞こえる微かな桃香の悲鳴───悲鳴!?

 

「桃香! うわぁあっだぁああーっ!!」

 

 どうかこの愚か者を笑ってやってください。

 悲鳴が聞こえた瞬間に、完治していない右腕で扉を思いきり開け放とうとした結果がこの絶叫です。

 あまりの痛みに扉から離れ、蹲りそうになる俺を心配して、朱里と雛里が駆け寄ってきてくれる。

 そんな二人に「俺よりも桃香を」と扉の先を促した。

 

「ひゃ、ひゃいっ」

 

 俺の必死さが伝わったんだろう。

 朱里はすぐにこくりと頷くと(俺は背を向けているからわからないが)奥の部屋へと続く扉の前に立ち、一気に開け放った───!

 

「あ」

「はわっ!?」

 

 ハテ? と……困惑と驚愕が混ざったような声に振り向きかけるが、本能が俺に“振り向けば死ぬだけである”と知らせた。

 その直後だ。

 

「はわゎわわわわぁああーっ!!」

「うわっ、わわわぁあーっ!!」

「はわっ! はわっ! はわゎーっ!?」

「うわっ、わっ、わぁあーっ!!」

「はわっはわわわはわわわわぁーっ!!」

 

 朱里と魏延さんの悲鳴が、執務室に響き渡った。

 ……あとで固まっていた雛里に聞いたところ。

 なんでも魏延さんは動けない桃香の体を、その……拭いてあげていたらしい。

 マッサージで暖かくなった体は、そりゃあどうしても汗を掻くってもので。それを拭いたりしていたところを、丁度朱里が開け放ってしまったのだとか。

 それ以外の時間は、たっぷり時間をかけて痛くない程度のマッサージを続けていたんだとか。

 ああ……俺が開けていたら今度こそ殺されていただろうね……振り向くこともしないでよかった。

 なにせ体を拭いていたってことは、桃香はその……あれだ。着衣を肌蹴(はだけ)ていたわけで。そんな時に俺が開けたりなんかしたら───ああ、首がやけに気になるなぁ、ハハッ?

 ちなみに、女同士だというのに彼女が叫んだ理由は、桃香の胸が予想以上に大きかったこととか魏延さんが鼻血を出しながら拭いてたこととか、いろいろあってのことらしい。

 俺と彼女らが結盟することに至った書物の内容による妄想が、主な原因であることは想像に容易いけど。

 

(ありがとう雪蓮、キミに折られたこの腕は、俺の命を救ってくれたよ。とても複雑な気分だけど、ありがとう)

 

 ……と、爽やかにしめたつもりだったんだけど、後でしっかりと怒られました。主に桃香に。振り向かなかったのはいいけど、俺からマッサージを提案してきたなら、そういう状況も考えてほしかった、そうだ。……まったくだった。



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25:蜀/王が持つ弱さ、気づいてはいけないもの②

 再び日を跨いだ翌日。

 散々揉まれ、散々休んだ桃香は健気にも仕事に復帰し、カクカク震えながらも政務に励んでいた。

 本人曰く、「自分で招いた辛さを言い訳に休みたくない」だそうで、むしろ多少強引に休ませてしまった俺を怒ったくらいだ。

 ……便乗して、何故か魏延さんにも「そうだそうだ」と怒られたけど。俺、彼女に対して気に障ること、したっけ……?

 

「……ふぅ」

 

 ともあれ、そんな翌日。

 昨日に続き今日も執務室にお邪魔し、そう難しくない案件の処理を頼まれるがままにこなし、その量に溜め息を吐く。

 朱里と雛里は学校建設現場に行っていて、今はここに居ない。

 そんな事実に少しの不安を抱きながら、小さなことから確実に処理していっている。

 そう難しくないものだからこそ数が多く、簡単に見えても相手にとっては大変なものが多いからこそ手が抜けない。

 もちろん手抜きをする気なんて最初からないけど、これは本当に大変だ。内容よりも量だけで目が回る。

 そう思いながらも一つ一つにきちんと目を通して、どう対処すべきかを真剣に考える。

 呉に居た時は、猫の保護から作物の収穫、子供の相手から老人の相手と、どんなものでも全力で付き合わされた。

 それを思えばこういった小さなことだろうと、どれほど国にとって大切なことなのかも解るってもので───それが自国のものじゃないってだけでも余計に慎重に、って思える。

 

「んー……うん、うん……よし」

 

 他国から学べることっていうのはたくさんある。

 それはどんな些細なことからでも、どんな大きな出来事からでもだ。

 当然と言えるほど胸を張れもしないんだけど、俺からの知識でも蜀にとっての肥やしになる部分はあってくれたらしく、天の国の知識を生かしての問題改善は意外なほどに役立っていた。

 

「桃香、これチェック……じゃなかった、確認よろしく」

「うんっ、えーと……あははっ」

「え……な、なんだ? おかしなところとかあったか?」

「あ、ううんっ、全然平気だよっ? ただ、私だったらこうするなーって思えることを、ずばーって決めちゃうからすごいなーって。朱里ちゃんや雛里ちゃんが薦めるのもわかるかなー……って感心してたの」

「……言われても実感は沸かないかなぁ」

 

 自分自身っていうものが見えている。

 桃香たちが褒めるのは天の知識であって、俺が懸命に考えて、長い年月をかけて出したものじゃない。

 俺からしてみれば、先人の知恵を我が者顔でひけらかしているようで、それを褒められると小骨が喉に刺さったような息苦しさが現れる。

 だから俺は付け足すのだ。受け売りだけどね、と。

 

「うん、うんうん……わ、ぁあっ……!? やってみたいこととかこう出来たらってところ、全部解決してる……! お、お兄さんって本当に、警備隊長さんってだけだったのっ?」

 

 早速任された簡単な案件の整理を預かり、確認をしてもらえば驚かれる。

 そんな桃香にどう反応を返していいか、戸惑ったりもするわけで。

 

「ん。警備隊の隊長をやらせてもらってた。優秀な部下に恵まれて、優秀な兵にも恵まれて。俺にはもったいないくらいの役職だったけど、否定するつもりもないくらいに素晴らしい仕事だったよ」

 

 言いながら笑う。

 魏のことを思い返すと、それが悲しい思い出でもない限りは、大抵笑えるんだから凄い。

 そんな笑顔な俺を真っ直ぐに見て、少し顎に手を当てた桃香が言う。

 

「あのね、お兄さん。ひとつ訊きたいんだけど……呉でさ、“どうして呉に降りてくれなかったの”とか言われたりしなかった?」

 

 それは軽い質問だった。本当に、世間話でもしましょうってくらいの。

 黙る理由も嘘をつく理由もない。だから俺も軽く答えた。言われたよって。

 すると……地雷って何処にでもあるのカナーとか思ってしまったわけで。

 

「じゃあ私もっ。どうして蜀に……ううん、私達の前に降りてきてくれなかったの?」

「え゛ッ……」

 

 こんな話をすれば、同じ質問をされる予想すら出来なかったのか? と脳内孟徳さんにツッコまれた気がした。

 とはいえ答えないわけにもいかず、俺はしっかりと言葉を選んだ上、かつてのことを話し始めた。

 そもそも降りる場所を選べなかったことや、あの時点で自分が生き残る術は、華琳に拾われる以外にはなかったんじゃないかってこと。

 さらに趙雲さんや風や稟には華琳と会う前に出会っていたけど、たとえその三人についていってたとしても、きっとなんの役にも立てなかったと。

 

「え~? なんの役にも立てないなんて、そんなことないよ~っ」

 

 で、言ってみれば怒られた。

 ぷんすかという言葉が似合っていそうな……頬を膨らませてのお叱りだ。

 けれど俺はそれに待ったをかけて、こうして政務を手伝えるのは魏で働いた経験と、天で勉強や鍛錬をしたからだと補足する。

 たしかに以前の俺でも手伝えることはあっただろうけど、何かにつけてサボっている自分がありありと想像できるんだから……“そんなことない”と言われるのは逆に心苦しい。

 

「呉に居る時にも思ったことだけどさ。たしかに魏以外の場所に降りてたら、とは思うんだ。呉に降りて雪蓮と悲願達成をと躍起になってたのか、蜀に降りて一緒に頑張ってたのかな~って。華琳に認められるのでさえ一苦労だったんだから、そう簡単にいくものだなんて思えない」

 

 想像してみても、深いイメージが出来なかったりする。

 それは、どういった国かを理解した呉でさえ同じで、軽いイメージは出来ても……ど~にも自分が役立っているイメージが沸かないのだ。

 そもそも蜀に降りた時点で、なんとなく鈴々や桃香とは仲良くなれそうだけど……関羽さんが心を許してくれるイメージが全ッ然沸かない。

 

「……でも、とは思うけどさ」

「わぷっ!? え、わ……お、兄さ……?」

 

 蜀に俺が降りたとして、蜀全体と言わずに彼女……桃香だけにしてあげられることがあるとすれば、民のため兵のため将のためにと頑張りすぎる彼女の負担を、軽く担ってやるくらい……なんだと思う。

 きっと桃香は“辛い”とは言わないから、言わない分だけ何も言わずに支えてやる。

 ……蜀に来て間もないから、誰がどういった性格なのかなんてのは把握しきれていないけど───彼女はやさしいから、きっと色々なものを背負おうとするだろう。

 彼女が目指した理想は、たしかに眩しかった。あの乱世の頃、世界の在り方に苦しむ民たちならば誰もが望んだであろう世界だ。

 そんな徳と情とを持って乱世を進み、この国に居るみんなの信頼を得た上でこうして立っている。

 だからといって、俺に撫でられている彼女を見れば……威厳らしい威厳はなく、こんな小さな体にたくさんの期待や責任を背負ってここまで来たのだ。

 じゃあ。たとえば俺が彼女の前に御遣いとして降りたとして、彼女を支えながら出来ることっていうのはなんだろう。

 どうすれば、彼女は背負いすぎずに頑張れただろうか。

 

「………」

「……?」

 

 考えてみたところで答えなんて出ないか。

 “そうであった時”に懸命に考えて出した答えじゃなければ、きっと彼女は救われない。

 だったらせめて───ここまでを頑張ってきた彼女を労うためにも。

 

「……ごめんな。きっと、桃香の前に降りてこれたなら……色んなことを支えてやれたと思う。色んなことで、一緒に悩んでやれたと思う。大変な仕事を終えるたびに、お疲れ様って労えた。悲しいことが起こるたびに、もっともっと頑張ろうって励ませた。それ以外で役に立てる自分が想像出来ないけどさ……必要な時に寄りかかれる場所があるのって、きっと……凄くありがたいことだから」

「………」

 

 頭を撫でる。

 やさしく、やさしく。

 今までの道を頑張ってきたねと言うかのように、慈しむように。

 纏めた案件のチェックを頼みに来たのに、座る彼女の傍に立ってすることが頭を撫でること、なんてヘンな話だけど───それでも。

 雪蓮にも言えることだけど、半端な覚悟で挑んだわけじゃないんだ。

 その頑張りの分だけ、目指した理想の分だけ、誰かに頑張ったねって言われないのは寂しいって思ったんだ。

 それこそ下手な同情なのかもしれない。余計なお世話だって言われることだろうけど、それでも。

 

「……私……私、ね……?」

「うん?」

「どうして華琳さんが……お兄さんを傍に置いておいたのか、わかる気がする……」

「……うーん……あまり聞きたくないような」

「だめだよー? 国の王の頭を急に撫でたりしたんだから、ちゃーんと聞いてもらいますっ」

「……やれやれ。かしこまりました、蜀王様」

「あははっ」

 

 苦笑を漏らすでもなく、ただ撫でるのをやめると悲しそうな顔をするので、結局撫でながらの話になる。

 けれど長い話があるわけでもなく、ただ桃香は「……国の王ってね、なってみると……結構寂しいんだよ」……とだけ漏らした。

 寂しい……か。

 民から向けられる視線、兵から、将から向けられる視線。

 それは王を見る視線ばかりであって、対等の者は居ない。

 いくら仲間だどうだと言ったところで、みんな敬語で話して、やっぱりどこか一線を引いている。

 慕われていることが嫌だというんじゃない。

 ただ、みんなが仲良く暮らせる世界を夢見た彼女だからこそ、こんな身近にある一線が心のどこかで寂しかった。

 こうして頭を撫でてくれる人もおらず、一緒に笑ってくれる人はたくさん居ても、甘えさせてくれる人なんて居やしない。

 

(ああ……そっか)

 

 朱里と雛里が、撫でてもらえないことにあんなに落胆していた理由が、少しだけわかった。

 あの乱世にあって、甘えを捨てなきゃ生きていけないような日々を過ごし……けれど、結局どれほど追求したところで彼女たちはまだまだ子供に近しかった。

 甘えられる場所も肩を寄りかからせる場所も知らず、王が目指す理想へと邁進する……そんな日々を送っていた。

 臣下は王に寄りかかれる。己の武や知識を対価とし、寄りかかっていられる。

 じゃあ王はどうだ? 責任ある者として気高く立ち、臣下を不安に思わせないためにも胸を張っていなければいけない。

 仲間だ友達だとどれだけ言っても、きっと桃香は無茶をする。

 こういう娘は、ほぼ間違い無く。

 

「…………まったく」

「わぷぷっ!? お、お兄さんっ!?」

 

 それじゃああまりに報われない。

 勝っていれば、きっと報われていたんだろうが……勝ったのは華琳だ、桃香じゃない。

 ああ……本当に、下手な同情だ。

 こんなことをしても、ようやく落ち着いた傷口を開くことになるんだろうに、そうしようとする自分が止められない。

 

「───桃香」

「……ふぇ……?」

 

 わしゃわしゃと軽く掻き乱した桃香の頭を、そっと胸に抱いた。

 彼女が座る椅子の横から、軽く身を引き寄せるように。

 そして、やさしくやさしく撫でてゆく。

 不安も悲しさも包み込んであげられるよう、彼女を自分の氣でやさしく包み込んで。

 

「………」

「………」

 

 かけてあげる言葉があるわけじゃない。

 ただ、伝えたいことを行動で示し、どこまでもやさしく彼女の頭を撫でていた。

 思い出されるのは趙雲さんの言葉だ。

 いつか、自分の理想を実現出来なかったことに、自分の力不足に泣いたという彼女の話。

 それを思うと胸が苦しくて、こうせずにはいられなかった。

 ああ……本当に、彼女と俺は似ている。

 やりたいことはたしかにあるのに、力が足りない自分に嘆く。

 何も出来ずに歯噛みする自分が嫌なのに、どうしたらソレが出来るのかが自分にはわからない。

 だから勉強するのに、必要なことはいつも自分の知識より高い位置にあって……苦しくて、涙する。

 

「……あの、ね……? お兄さん……」

「うん……?」

「私……王だけど……。いっつも……みんなのために笑顔でいようって決めてたけど、さ……」

「うん……」

「いい、のかな……。友達の前でなら……。いいの、かな……王なのに……」

 

 震えている。

 腕の中で、発する言葉さえ震わせて。

 だから言ってやる。

 親しくなったばかりの俺だろうが、こんなにも似ている俺だからこそ───

 

「……当たり前だよ。全部受け止めてやる。だから桃香も、背負い込みすぎないの。もっと頼って、もっと寄りかかっていいと思うぞ? というか、みんなもきっとそれを望んで、っと……」

「~っ……ふ、ぐっ……うっ……うぅう~……!!」

「……まったく。こういう時は、大声をあげて泣くところだろ? やられたらやられたで、魏延さんか関羽さんが突撃してきそうだけど」

 

 声を殺して泣くことに、小さく怒ってやるが───それ以外に怒ることなんてない。

 俺の胸に顔を押し付けて、声を殺す以外は我慢することなく、存分に泣く桃香の頭を……ただただやさしく撫でていた。

 “来て早々に王様泣かすなんて”と大変なことをしてる自覚を抱きつつ、乱世の最中に心に傷を負ったのは、なにも民や兵だけではないことを改めて実感した。

 関わった人全てがいろいろな傷を負って、それでも今より先を目指して生きる。

 そういった人は支えがあったり、寄りかかれる人が居たりするから出来る人が多い。

 でも、王っていうのは慕われている分だけ孤独だ。

 対等な人は居なくて、敬語で話される分だけ、いつの間にか心に線が引かれている。

 じゃあ、そんな線を軽々しく越えられる存在はあるのか、といえば……俺みたいに図々しい人が、まず挙がるんだろう。

 ……言ってはなんだけど、朱里と雛里が居なくてよかった。

 居たら、存分に泣けなかっただろうから。



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25:蜀/王が持つ弱さ、気づいてはいけないもの③

 嗚咽も治まり、指で涙を拭ってやってしばらく。

 目を真っ赤にした桃香は、少し恥ずかしそうにして俯いていた。

 彼女が座る椅子にも目の前の机にも涙のあとはなく、ただ俺の制服には……こう、びっしょりと涙の痕が。

 

「ごめんなさいぃ……」

 

 ひどくしょんぼりだった。

 そんな彼女の頭をあっはっはーと笑い飛ばしつつ撫でて、気にしない気にしないと言ってやる。

 

「あーあ……無理してるつもりなんて、なかったのになー……」

 

 乱れた髪を直しながら、彼女はぽつりと呟く。

 言わせてもらえば、そういった呟き自体が無理でも我慢でもあるわけだが───言わないでおくべきだろう。

 下手なことを言って“呟くこと”さえ我慢されては、これから先が思いやられる。

 そんなことを考えていて、桃香の椅子の横でぼ~っと天井を仰いでいた俺を不思議に思ったのかどうなのか。

 桃香が言葉を投げかけてきた。

 

「あの、お兄さん? なんとなくこういうの手慣れてるようだったけど……もしかして他の人にもやってあげたりしたの?」

「手慣っ……いや、確かに似たようなことをしたことはあったけど」

「むー……誰? 誰にやっちゃったの?」

「………」

 

 あの……桃香さん? どうして少し怒ってらっしゃるの?

 しかも“やっちゃったの?”って……キミの前にやった人への言い方なのでしょうかそれは。

 

「雪蓮と……それから蓮華。頭を抱き寄せるって意味では雪蓮で、甘えてもいいよって意味では蓮華。……そういえば、どっちもって意味では桃香が初めてか」

 

 そもそもが華琳にしてもらったことの真似事みたいなものだ。

 力が抜けて、座りこんだところで頭を抱き寄せられたっけ。

 ……随分と落ち着いたんだよな、あの時。震えがピタって止まったんだから。

 

「……あの。お兄さん」

「うん? なに?」

 

 ハッと思考から戻ってみれば、桃香が不安そうに俺を見上げていた。

 いつからそうしていたのか、手は俺の服を掴んでいて……

 

「私、甘えてもいいのかな。本当はもっともっと頑張らなきゃいけないのに、誰かに甘えるなんて……。戦があったときだって、何も出来ないで見てるだけだった私だよ? みんなに頼りっきりで、なにも出来なかったのに……いいのかな」

 

 きっと、想像以上の葛藤が彼女の中にはある。

 それは俺が想像するよりも、将が想像するよりも、そして彼女自身が想像するよりも大きなものだ。

 だけど、だからこそ言ってやる。それは難しいことなんかじゃないって笑い飛ばせるくらい簡単に。

 

「甘えていいに決まってるだろ? 戦は出来なかったとしても、その分他の面で支えてあげられたはずだ。自分が知っている以外の様々で、桃香はみんなを助けてこれたはずだ。そうじゃなきゃ、蜀のみんなが桃香の傍に居るわけがない」

「そう……なのかな……」

「そうなの。だから思う存分甘えるべきだ。我が儘でもいい、そうしたいって思ったことに夢中になるのもいい。桃香はもっと周りに甘えてみるといいよ。そうすれば───」

「あ、ううん、そういうのじゃないのっ。私がその、言いたいのは───」

「……へ?」

 

 きゅっ……と、握られる服に力が込められるのが解る。

 あ、あれ……? 妙ぞ……こはいかなること……? どこからかわからないけど、地雷の香りが……!

 

「みんなにはもう、十分すぎるほど甘えてる。みんなはそんな私を許してくれるし、私も嬉しいけど……あのね、そういうのじゃないの。多分、雪蓮さんも……」

「……どういうことだ? ごめん、ちょっとわからない」

「あ、あのねっ、お兄さん。甘えるっていうのは、その……“国の王”でも甘えられる人って意味で……それはきっと、“天からの御遣い様”のお兄さんにしか出来ないことで……」

「…………」

 

 ……どうしましょう。

 今の俺、笑顔のまま固まってしまってます。

 そうだ、考えてみればそうだった。

 国の王として期待され、望まれて、色々なものを背負ってるんだ。

 甘えたいのは少女としての桃香であり王としての桃香だ。

 少女としての桃香が将のみんなに甘えられてるんだとしたら、俺に望んで泣き出した理由、っていうのはとどのつまり───わあ、俺が“当たり前だ”って言って泣かせてしまった時点で、もう断れないわけですね?

 ならばもはやこの北郷、迷いはしません。

 それが受け止めると決めた俺の責任ならば、俺はそれを覚悟として受け容れよう。

 痛む右腕を持ち上げ、そのまま自分の胸をノックした。左手では桃香の頭をもう一度撫でる。安心していいって意味を込めた笑顔を浮かべつつ。

 

「わ……? お兄さん?」

「わかった。王様でもなんでも受け止めてやる。ただし、甘えるだけしかしない王様は勘弁だぞ?」

「あははー、うん。それは大丈夫だよ。大変だとは思うけど、嫌だって思ったことなんてないもん。華琳さんは王になるべきじゃなかったって言ったけどね、それでも……私は良かったって思えるよ。弱音を吐いたらきりがないけど」

「そっか」

「はうぅ……く、くすぐったいよぅお兄さんっ……」

 

 しょんぼりが完全に無くなるまで、じっくりたっぷり、しかしやさしく頭を撫でる。

 言葉の通りくすぐったそうにしていたけれど、嫌がらない限りはそうするつもりだった。

 

「……ところで桃香? 随分とまあ今さらなんだけどさ。俺のことなんて大して知ってないだろ? いいのか? 友達~なんて言ったりして」

「……うーん……えっと。お話だけでならいろいろ知ってるよ? 魏のみんなと話してると、大体お兄さんのお話になるし。許昌の街を歩くだけでも、城を歩くだけでもお兄さんのことは耳に入るんだよ?」

「ウワー……」

 

 話しながらも撫でるのをやめません。

 しょんぼりはもう無くなってたけど、もういいと言われるまでは続けようかなと撫でているんだが……ハテ。一向に言われるような気配がないのはどうしてだろう。

 

「それ、恋にも聞いたんだけど……どんな噂なんだ?」

「ん、んー……そうだね。ぜ~んぶ本当のこと。嘘なんて一つもなかったよ、うん」

「いや、そうじゃなくて内容は───」

「えへへー、秘密~♪ ただお兄さんは、街のみんなにも兵のみんなにも将のみんなにも、大切に思われてたってことだけだよ」

「大切、ねぇ……」

 

 一部が物凄い勢いで俺を亡き者にしようとしてるんですけど。

 主に華琳大好きのネコミミフードっぽいものを被った軍師様とか。

 

「それに今じゃ、呉から来る商人さんからの噂も凄いんだよー? ひと騒動あったらしいけど、それからすっごく賑やかになったって」

「………」

 

 刺された甲斐があった、って言っていいんだろうか。

 悲しいことに、刺されなきゃ親父は“人を刺す恐怖”っていうのを知ることができなかった。

 それだけで街や邑の全てが治まってくれたわけじゃないけど、きっかけはあれと、親父の言葉だったんだろうし。

 ……うん、痛かったけど、やっぱりあれはあれでよかったんだ。

 

「そんなお兄さんだもん。私はお友達になれて、とっても嬉し───あれ? ……そうだよっ、私まだお兄さんから友達だって聞いてないよっ?」

「エ? ……言ってなかったっけ?」

「言ってない、言ってないよ~! 宴の時は、私が“男の人の友達は初めてかも~”って言っただけで……ほらー!」

「……言われてみれば」

 

 辿ってみても、俺から友達だなんて言った覚えはありませんでした。

 しかも“手を繋ぐ=友達”っていうのは、出発前に季衣と流琉との会話の中で思いついたもの。

 友達集め自体が呉から始まったことだから、深く意識してなかったのも仕方ない……大変失礼な話ではあるけど。

 

「うん。それじゃあ……改めて。姓が北郷で名が一刀。字も真名も無いところから来た。北郷か一刀か、好きなように呼んでほしい。……桃香。俺と友達になってくれるか?」

 

 言って、敢えて痛みが残る右手を差し出───した途端、その手が彼女の両手で包まれた。

 「もちろんだよっ」と元気に頷く様を間近で、しかも真正面で見ると、意外と恥ずかしい……ああいや、恥ずかしいとは違う……照れか? これ。

 ともかく照れとも恥ずかしさともとれない気持ちが渦巻いて、まともに桃香の笑顔を見れな……いいや見る。ここで目を逸らすのは友達に失礼だ。

 と、“何に対して意地になってるんだろう”と心の中でセルフツッコミをしてる内でも、桃香は本当に嬉しそうに俺の手を上下に振るって───

 

「いたったたたたたたた!!? 桃香ちょっと桃香っ!」

「うひゃああっ!? ご、ごめんなさいーっ!!」

 

 振り回したソレが“つい昨日まで包帯を巻いていた腕”だと知ると、例のごとく泣き顔めいた表情になり……そんな、どこまでも自然体な彼女を見て、俺も笑った。

 ああもう、本当に……人の毒気を抜くのがなんて上手いんだろうか。

 ……いいや、上手いとかじゃなく天然なのか。

 彼女に対しても蜀って国に対しても、毒気なんてそりゃあ持ってなかったけど───やっぱりだめだな、初めての場所じゃあ緊張してしまう。

 そんな緊張をあっさり取ってしまうんだから、徳で知られる玄徳様は本当に、色んな意味で愉快だ。

 

「……えへへー♪」

 

 呆れも半分(自分への)、軽く天井を仰いでいると、椅子に座ったままの桃香が俺の腕にしがみついてくる。

 ご丁寧に、ってどうしてつけるのかは脳内に問うてほしいが、ご丁寧に恋のように顔を摺り寄せて。

 ……何事? と思いつつ、なんとなく頭を撫でてみると……ほやぁ~とした嬉しそうな笑顔が俺を見上げた。

 なるほど、どうやら甘えている最中らしい。

 

「桃香サン? 魏延さんか関羽さんあたりに見られたら俺の首が飛ぶから、そういう直接的な甘え方は勘弁してほしいんだけど」

「……だめ?」

 

 笑顔が、親に突き放された子供のような顔に変わる。

 思わず息を飲むと同時に胸が痛むが……ああもう、受け止めてやるって言った手前、なんて断りづらい。

 

「見つかった時の説明なんて、しようがないだろ? というかこういうことは隠れてしてるとあらぬ誤解を招くって、遙かなる経験が叫んでる」

 

 この状況は非常にマズイ。

 なにがマズイって、たとえ魏延さんや関羽さんじゃなくとも、誰かに見つかった時点で彼女らの耳に入ることはほぼ確実なわけで───あ、ノックだ。

 ……ノック? って、ちょ! 桃香離れて桃香! 桃香ー!?

 

「桃香さま、学校に関する工夫の増員の件で───はわっ!?」

「……あわっ……!?」

 

 ……間に合わなかったよ、うん。来ると思った。こういうタイミングなんだよ、いっつも。

 執務室の扉を開けて入ってきた朱里と雛里を見て、もういっそ自然と涙が出ました。ブワッとではなく、スゥウ……と静かに。笑顔なのは、あまりに予想が的中してたのに嬉しくなかったからだと思ってほしい。

 

「いや違」

「はわわわわわわぁああーっ!!」

「あわっ……あわわぁああっ……!!」

 

 いつかの焼き増しを見ているようだった。

 あれはいつだったっけー……なんて考えるまでもなく、すぐに呉の倉での騒動が思い浮かんだわけで。

 

 ……その後、俺は駆けつけた魏延さんに絞め上げられた。

 これぞ、世に云うネックハンギングツリーである。

 

……。

 

 はぁ……と息を吐いてみれば、どっと疲れるこの体。

 桃香と朱里と雛里がなんとか宥めてくれたお陰で魏延さんは引いてくれて、俺も宙吊り状態から解放されたわけだけど。

 

「あの……俺さ、魏延さんの気に障るようなこと、したっけ……?」

 

 桃香のことが好きだとしても、問答無用で俺が悪いって思考基準はなんとかしてほしい。心から。

 

「焔耶さんが桃香さまのことで周りが見えなくなるのは、その……いつものことですけど。一刀さんが来てからは、随分と行動に棘があるような気が───はわわっ!? 違いますよっ!? 一刀さんが悪いって言ってるわけじゃっ……落ち込まないでくださいぃいっ!!」

 

 なんだろうか……桂花チックな人はみんな、基本的に俺が嫌いなのか?

 思わずずしりと重い陰を背負って項垂れてしまった。

 彼女に対して何かをしてしまったって記憶は全然ないんだけどなぁ……。

 執務室の前で聞き耳立ててたりするくらいだから、桃香のこととなると一生懸命なのはわかるけど───あれ?

 

「………?」

 

 待て、待て待て待て? 聞き耳を立てる?

 聞き耳……盗み聞き? …………あ。

 

「……桃香。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「うんうん、なに? お兄さん」

 

 朱里や雛里が居るのに、なんとなく甘えたがってるのがひしひしと伝わってくるようだ。

 でも訊きたいことはきちんと聞いてからじゃないと、いろいろと落ち着けない。

 

「えと。俺を“大陸の父”とやらにする話が、どっかから届いてるって噂を耳にしたんだけど」

「ふえ───?」

「はわっ───」

「あわ……!?」

 

 ……あ。今なんか、びしりと空気が凍った音を聞いた。

 

「……お兄さん。それ、誰から……?」

「あー……その反応からすると、本当なんだ」

 

 桃香からの質問を適当にぼかしつつ、話を進めようとする。

 さすがにここでの仕事がいつまで続くかわからない張勲の首を絞めるわけにはいかない。

 桃香もすぐにそのことに気づいたのか、頭をふるふると左右に振ると、顔を俯かせてハフーと溜め息。

 

「……うん。お兄さんが蜀に来る前に、雪蓮さんからそういう書簡が届いたよ。“お兄さんが今から蜀に向かうけど、しばらく一緒に過ごしてみて気に入れたら同意してほしい”って」

 

 ……それは桃香の言い方であって、本当に“お兄さんが”とか書いてあったわけじゃあアリマセンよね?

 いや、今はそういう思考は横に置いておこう。

 

「そのことで、私もお兄さんに訊きたいことがあるんだけど……いいかな」

「ん。なんでも」

 

 間を空けずに頷くと、朱里と雛里がそわそわし出す。

 「私達は席を外したほうがいいでしょうか」……その言葉に桃香はにこりと笑って「ううん、一緒に聞いて」と言った。

 どんな話になるのか……考えるよりも聞いたほうが早いな。よし。

 

「お兄さん。もし私や朱里ちゃんや雛里ちゃんが、お兄さんのことを慕ってますって言ったら……どうするかな」

「はわっ!? ととと桃香しゃまっ!?」

「あわわわわ……!!」

「あ、ううん違うよっ!? もしも、もしものお話だからっ!」

 

 しこたま驚いた。今のは朱里と雛里が驚くのも無理ないよ、桃香……。

 でも───……そうだな。

 

「ごめん、呉でのことも耳か目に入ってると思うけど、断るよ。俺は───」

「うん。たしかに書簡にも書いてあって、朱里ちゃんや雛里ちゃんからも聞いてる。お兄さんはちょっと頑固者だなーとか思ったけど───」

「けど?」

 

 言葉を一度区切った桃香は、少し楽しそうにして胸の上で指を組んだ。

 その“楽しそう”はやがて、いっそ口笛でも吹いてみようかってくらい可笑しさに溢れ、少しののちには彼女はにっこりと笑っていた。

 

「うん、けど。それじゃあ恋する乙女は絶対に引き下がらないよ? 恋をするってとっても素敵なことだと思うし、戦が終わった今だからこそ、そういうことにも本気になれると思う。だから───お兄さん。お兄さんも本気でぶつかってあげないと、みんな納得しないし……もしかしたらお兄さんが気づくより早く、誰かが傷ついちゃうかもしれない」

「え……」

 

 傷つく? どうして───と考えるより先に、誘いからなにから断り続けている自分を思い出す。

 でもそれは、魏のみんなを思えばこそで。

 ずっとずっと魏のことを思って自分を鍛えた。必ずまたこの地に下り立てると信じて。その時間が長ければ長いほど俺って存在は魏のことを想えて。

 それって普通じゃないか? 強く焦がれる人を只管(ひたすら)に愛したいと思う。同じ志の下、同じ旗の下で明日を夢見た人たちのみを強く想うって。

 言葉遣いが悪いとじいちゃんに怒られたり、曾孫を見せろと茶化されたり、信念を貫けって言葉を受けて意思を固くしたり───その全ては魏のためで、俺は……。

 

「お兄さんは魏のみんなのために頑張ってる。それはとても立派なことだし、お兄さんを見てると私ももっともっと自分に出来ることを増やしたいって思うよ? もっともっと笑顔が見たいし、自分に出来ることならそれがたとえ泥まみれになることだって構わない。ほんとにほんとにそう思ってるの」

「ああ……」

「でもね、お兄さん。このままだと、お兄さんは華琳さんに怒られちゃうかもしれない。誰かをとても傷つけちゃうかもしれない。みんながみんな強いわけじゃないし、戦の中では強くても、こういうことでは弱い人はきっとたくさん居ると思う」

「それは───えと。恋愛事って意味で?」

「……うん。だからね、お兄さん。お兄さんが噂通りの御遣い様で、泰平をもたらすすっごい人なら───もっと“お兄さん”を見せてほしいな。世の中だけじゃなくて、人の心も救ってくれるような……とっても暖かい“お兄さん”を」

 

 暖かな……俺? 噂通りの御遣いで、泰平をもたらす存在なら……?

 …………何かが引っかかる。

 言われてる意味はちゃんと受け止められてるはず……なのに、答えに届かずもやもやとしている気分だ。

 ただ、心の何処かから「早く気づけ」って言葉が聞こえて、けれど逆に「気づけば今までなんのために」って言葉も聞こえる。

 何のことだかわからないのに、気づかなきゃいけない焦燥感。

 気づかなきゃいけないのに、気づいたら今までの自分が否定されるような焦燥感。

 自分の意識に胸焼けを起こしそうだ……少し、気持ち悪い。

 

「桃香。それでも俺は……」

「……ダメ。今のお兄さんの言葉じゃあ、どんなに断っても誰も受け容れてくれないよ? すっごくやさしいし、あまり面識が無くても“この人なら寄りかからせてくれる”~って思わせてくれる不思議な人だけど、それはちょっぴり残酷だよ、お兄さん」

「え……」

「うん。言っちゃえばこれも恋しちゃった人の勝手な言い分だな~って思うし、きっと否定しちゃいけない部分だよ? 同じ人を好きになったりするのって、とても勇気がいることだと思う。逆に、魏のみんなを好きになったお兄さんもきっと大変。うん、それは私やみんなが“こうなんだ”って思うよりも大変だと思う」

 

 ……それは、そうだ。大変な部分もそりゃあある。

 けど、それよりも幸せだ。みんなと居ると嬉しい。

 そこから自分だけが消えてしまうことが、たまらなく嫌だったのを覚えてる。

 

「それでもみんながきっと、“お兄さんでいい、お兄さんがいい”って思えるんだよ。私とお兄さんはちょっと似てるんだ~って思うからこそ、お兄さん。怒られる前に、泣かせちゃう前に、ちゃんと気づいてね?」

「………」

 

 気づいてね、と言われても。

 正直に“なにに?”と訊き返したい疑問だ。

 俺は何に気づいてなくて、桃香は何に気づいているのか。

 呉からの書簡に書いてあったってことは、雪蓮も何かに気づいていて、俺だけが気づいていない……?

 それはいったいなんだろう。

 大切なことには違いない……朱里や雛里を見ていれば、それもわかりそうなものだ。

 だったら気づかなきゃいけないのに、それがなんなのかがまるで見えな───いや、引っかかっているものがあるのに、それが答えに至ってくれない。

 気づけと叫ぶ心と、気づくなと叫ぶ心。

 どちらを受け取ればいいのかが、今の俺には見えなかった。

 

「うんっ、じゃあこのお話は終わりだねっ。えへへー……ねぇお兄さん、肩揉んで?」

「ほへっ? ……───あー……あの、桃香ー……? 今までのシリアス空気は……」

「しりあ……? なに? それ」

「………」

 

 朱里と雛里が居るにも関わらずのこの甘えモードである。切り替えるのが早い。少しはこっちのことも───考えてくれてなきゃ、さっきみたいなことは言わないか。戒めよう。今の言葉をちゃんと心に刻んで、いつでも“何か”に気づけるように。

 

「よしわかった、肩だな? 指圧の心は母心~♪」

「はぁぅうう~……♪」

 

 桃香が座る椅子の後ろへ回り、その肩に指圧を。

 力を込めると相変わらず痛い右腕は、添えるだけに終わっているが。

 それでも左でグイグイと圧して、凝っている部分をほぐしてゆく。

 その際、軽く氣を使ってほぐすのがコツです。痛くなりすぎず、しかしきちんと圧する。

 きちんと血が通るように、適度に圧を緩めるのも忘れずに。

 ……と、そんなふうにして急にほのぼのな空気を発する俺達を、朱里と雛里はどこかぽかーんとした表情で見ていた。

 そんな彼女らに手招きをすると、指圧のコツを教えて……あとはまあ、指圧地獄である。

 

「ふひゃっはわひゃはははっ!? おにいさっ、くすぐったひゃぅううっ!? 朱里ちゃんそこ痛っ! ……あ、あぅうぁああ……!? ひ、雛里ちゃっ……そこ、力抜けるぅう……」

 

 筋肉痛はこれでしぶといから、来たる鍛錬に向けてしっかりとほぐしておく。

 うん、俺の問題と桃香の問題とはまた別だ。

 言われたことは胸に刻もう。だからといって他をおろそかにするのはだめだ。

 ……と、無意味に張り切ったのがいけなかったんだろうなぁ。

 

「…………はっ、はっ……はぁああぅうう…………」

 

 気づけば桃香はぐったりしていて、真っ赤な顔で机に突っ伏していらっしゃった。

 で、俺と朱里と雛里が視線を向けるのは、処理しなければならない書簡の山。

 

『………』

 

 長い沈黙が続いたのち、体が暖まったためか眠ってしまった桃香を、奥の部屋の寝台へと運んでから……俺達の戦いは始まった。

 本日の教訓。何事も適度が一番。

 それを、胸に刻んだものと一緒にしっかりと記憶した、よく晴れた日の出来事だった。



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26:蜀/違和感の正体、心の拠り所①

50/僕の弱さ、キミの弱さ

 

 政務の手伝いを終え、参加出来る人のみで開く勉強会。

 会場となっている俺の部屋で行なうそれは、勉強と言うよりは説明会にも近い。なにせ教える立場の俺が、自分の世界のことをなんでも知っているわけではないからだ。

 振るう教鞭なんてものはなく、代わりに振るうのは人差し指。

 拳からピンと立てたソレをくるくると回しながら、貸してもらっている一室で自分が知っている知識を話して聞かせていた。

 ためになることから、自分も疑問に思っていることまでいろいろと話し、空いた時間にはひらがなの勉強や算数の勉強。

 1と書くにも壱と書くもんだから、数字自体がすでに難問と化していた。

 ……の割には、結盟誓約書には“壱”じゃなくて“一”って書いてあったような……。気にしちゃいけないな。

 

「えー、はい。この時、吾郎くんは100円玉を持って買い物に行きました。消費税5%のご時世に5円の菓子を目一杯買うとして、何個まで買えるでしょう」

 

 消費税の定義を語るとキリがないものの、一応は説いてからの問題。

 「“ぱーせんと”ってなんだよー」と散々質問を投げかけられ、一割~十割の計算の説明の延長というべきか、そういった喩えを持ち出しながらの説明に入り、ようやくいざ問題をって頃。

 これに対し、手を挙げた生徒Aの文醜さんは、

 

「これで買えるだけよこせって言やぁ解決じゃん」

 

 物凄い正論を言ってのけました。うん、説明したパーセントのこととか完全無視の答えをありがと───ああっ、ちょっと待った! そうだそうかとか頷かないでっ! これじゃあ問題じゃなくてなぞなぞだよ!

 

「……問題変えようね。吾郎くんの目の前に10個の桃があるとします。食べたいと思う人はその場に3人。これを均等に分けるとして、一人は幾つ食べられるでしょう」

「あたいが全部食べる!」

「鈴々が食べるのだ!」

 

 で、問題を変えればこんな感じ。

 生徒Bの鈴々とともにハイハイと手を挙げるでもなく、素直な答えを───って違う!

 

「三等分! ちゃんと分けて!」

「うー……あたいが八個食べて、他のやつに一個ずつやればそれでいいじゃんかよ~……」

「鈴々、十個くらいじゃ足りないのだ」

「あ、じゃああたいもっ」

「問題ぶち壊して増加を望むと!?」

 

 ああ、うん……ええっと……ねぇ……?

 どうして今日は、文醜と鈴々と関羽さんしか集まらなかったのかなぁ……。

 学ぼうとしてくれるのは嬉しいけど、これって問題に対していちゃもんつけてるようにしか見えないぞ……?

 

「えーと……思い付いた答えをすぐに口に出すよりも、頭の中で様々な考え方で答えを求めてみてほしい。あととりあえずは吾郎くんの存在を忘れないで……。問題の主役は吾郎くんだから……」

「ちぇー……ずるいよなー吾郎は」

「いっつも美味しいもの食べすぎなのだ」

「空想の人物にまでイチャモンつけないでくれ、お願いだから……」

 

 問題を出せば、誰もが自分と照らし合わせて考えるものだから、仕方も無しに誕生した吾郎くん。

 今のところ、その活躍を見た日は一度も無い。

 こんなことが続いていると流石に辛くなってきて、泣き言の一つでも言いたくもなるんだが───本日の救いは、懸命に頭を働かせている関羽さんの存在だ。

 

「……一刀殿。桃の答えだが、一人が三つと三等分にした桃を頂くことで解決、と……これでいいだろうか」

「あっ───か、関羽さぁあ~ん……!」

「うわぁっ!? こ、こんなことくらいで泣くんじゃないぃっ! こんなもの、少し考えればわかることだろうっ!」

 

 本当はその個数を数字に表してもらう予定だったんだけど、もうダメ。普通に正解してくれただけでこんなに嬉しい。

 すぐに答えなかったのは、鈴々と文醜が答えるのを待ってたからなんだろうけど……うう、出来た人だなぁ。

 算数から始めてやがては数学を……とか思ってた自分に“オタッシャデー!”とか叫びつつハンカチーフを振りたい気分だったもんだから、それはもう嬉しかった。

 この時、関羽さんの言葉に少しだけ違和感を感じたんだが……喜びが勝ってしまい、気にせず次の問題へと駆けてしまった。

 

「じゃあ次。また三等分の問題だけど、今度はわかりやすく……えっとそうだな。文醜さん、三等分の時はさ、袁紹さんと顔良さんと何かを分ける時と一緒って考えてみて?」

「なぁんだ、それならそうって早く言ってくれよ~。じゃ、“麗羽さまが欲張って斗詩が遠慮してあたいがいっぱい食べる”でいいんだなっ?」

「ごめんなさい今の無し。じゃあ次、鈴々。……桃香、関羽さん、鈴々で何かを綺麗に分けるとしたら───」

「お姉ちゃん、自分の分はお腹が空いた誰かにあげちゃうのだ」

「………」

「わっ! お兄ちゃんがまた泣いたのだ!」

 

 ……人を喩えに出しての問題、よくないね。桂花もそれで失敗してたきらいがあるし。

 そして桃香……キミ、良い人すぎ。眩しいくらいだよ。

 

(……桃香か)

 

 桃香、ときて思い出すのは執務室での会話。

 気づかなきゃいけないなにかと、気づいちゃいけないという自分の内側。

 いったい何が言いたいのか、自分の胸を裂いて覗いてみたいくらいだ。

 自分のことは自分が一番わかると誰かは言うけど、記憶に関しては随分と曖昧だな。……そう心の中でぼやきつつ、視線を戻す。

 

 今度の問題も関羽さんが答えてくれて、幾分救われながら授業を続ける。

 “考えることを基準に置いてくれるように”という名目で始めたはずなのに、鈴々も文醜も考え方を一つしか用意せず、我こそ至上最強の猪ぞと胸を張るが如く、思い当たった先から口に出している。それが外れると、次の問題が出るまで考えることを放棄しちゃうんだから大変だ。

 

「うーん……なぁ鈴々。戦ってる最中はさ、相手が次にどう動くか~とか想像するだろ? その延長みたいに、“この問題はこう、それがダメならこう”って、どんどんと考えを変えていくんだ。……出来るか?」

「んー……難しいことはよくわからないのだ。戦ってる時は、“やーっ!”って振るって“たーーっ!”って振るって、勝つって気で適当にやってれば勝てるのだ」

「しっかりしろよ御遣いのアニキ~、そんなの当たり前だろ~? 負ける気で行ったって得するわけでもないんだから、いくぜーって行けばなんとかなるもんなんだって」

「………」

 

 自分を喩えにあげることが好きなら、いっそ自分に喩えて考えさせてみたらと思った僕が浅はかでした。

 そうだよなー……実力の基盤からして、そもそもが常識から外れてるんだから。こんな比喩を出した時点で敗北は当然だったのか……。

 

(い、いやいやっ、可能性を捨てるのはよくないことだっ、次だ次っ!)

 

 うんっ、と頷いて次の問題へ。

 文句を言いつつもこれで結構楽しんでくれているのか、鈴々も文醜も逃げ出さずに聞いてくれている。

 文醜は袁紹さんと顔良さんに言われて仕方なく、鈴々は関羽さんに連れられての参加だったんだが───うん、少し安心した。

 

「次の問題ね? 吾郎くんが敵に囲まれました。吾郎くんの実力は、せいぜいで二人を倒せる程度。しかし相手は三人居ます。仲間が居る場所に戻るには全力で走っても───」

『根性で三人ともやっつける(のだ)!!』

「吾郎くんの武力を無視しないで!? 二人までなのに三人居るんだってば!」

「それって吾郎的には死地ってことだろ? 人間死ぬ気になればなんでも出来るって」

「吾郎はそんなに弱い子じゃないのだ」

「文醜!? それって吾郎くんにとって地獄でしかないから! 鈴々、キミどこのお母さん!?」

「いいや一刀殿。敵はたかだか三人程度。援軍が来ないのであれば、信ずるは己が武力のみ。生きるか死ぬかならば、せめて一人でも敵を削らんとする吾郎殿の心、汲んでやることこそ───なに、心配など無用だろう。吾郎殿ほどの者ならば、三人程度の雑兵などに遅れは───」

「関羽さぁああああんっ!!」

 

 とうとう関羽さんまでおかしな方向に走り始めてしまった。

 うん、戦いのことを問題にしたのは間違いだった。

 さらに言えば問題の主役を吾郎くんにすることで、いつの間にか吾郎くんが何でも出来るスーパーマン的存在として、三人の思考に植えつけられてしまっていたらしい。

 

(相手が雑兵だなんて一言も言ってないのに……、ん? あれ?)

 

 で、また違和感。

 なにかな、と軽く考えてみると、いつの間にか関羽さんから“一刀殿”って名前で呼ばれていることに気づいた。

 今日会うまではずっと北郷殿だった気がするんだけどな。ハテ。

 訊いてみようかとも思ったが、ここで訊いてもいろいろと野次が飛びそうだ。関羽さんだけの時に訊いたほうがいいだろう。

 

「じゃ、じゃあ吾郎くんを話に出すのはやめて、次はべつの誰かを───」

「除名されるのー!? 吾郎いったい何をしたのだー!」

「おいおいアニキぃ、さすがそりゃまずいだろ……」

「一刀殿! 吾郎殿ほどの者を手放すとはどういった理由が───!」

「あぁあもうわかったよ! 吾郎くんで続けるよ!! ていうかアニキってなに!? いつから俺そんな感じになったの!? 反董卓連合前に会った時は、“兄さん”とかって言ってたのに!」

「あ~ほら、一応“天下の大将”の傍に立つ人だろ? 御遣い様~とか呼ぶのもあれだし、兄さんってのも今さらだし。んじゃあアニキでいいかな~って。でもなぁアニキ、吾郎を外すのは」

「外さないから! 外さないから次行こう次!」

 

 いつの間にか、みんなが吾郎くんを好きになっていた。

 皆に慕われる吾郎くん……複雑だけど、笑えるんだから良し、でいいのかなぁ。

 

(みんなに慕われる……少しキミが羨ましいよ、吾郎くん……)

 

 苦笑をもらしながらそんなことを思う。

 問題も次から次へと破綻し、いつしかまったく関係のない話に至り───ふと気づけば、可笑しな話で鈴々、文醜とともに大笑いしている自分が居て。

 視界の隅で、そんな俺を見て関羽さんが小さく笑っている気がしたんだけど……見てみればそんなことはない。

 頭の中で首を傾げる自分を想像しながら、笑い話から引き戻された思考を授業に戻してゆく。

 ようはあれだ、“わかる人”の基準から物事を教えようとするから失敗する。

 だったら相手の気持ちになって考えて、十から百を教えるのではなく一から十を教えてゆく。それでもダメなら一から二までを噛み砕いて細分化して、これでもかってくらい丁寧に教える。

 何かを教えるっていうのは地道な作業だ、気長に行こう。

 

……。

 

 で……しばらくして。

 

「わかったっ! 答えは十だっ、吾郎は十個桃が買えるんだ!」

「違うのだ! 吾郎は十個買えるけど、おじちゃんが一つおまけしてくれるのだ!」

「ばっかだなぁ鈴々、これは幾つ買えるかの問題なんだぜ? 答えは十でいいんだよ。けどあたいなら、吾郎だったら二つはおまけしてもらえると踏むねっ」

「じゃあ鈴々は三個なのだ!」

「なにをーっ!? だったらあたいは十個だ!」

「二十個なのだ!」

「いいや三十個だね!」

「やめてぇええっ!! 潰れちゃうからぁあっ!! 吾郎くんが行っただけでお店潰れちゃうからぁあああっ!!」

 

 みんなの思考レベルとともに、吾郎くんの地位がどんどんと上がっていった。

 経験値からすれば、みんなの取得経験値と吾郎くんの取得経験値とじゃあ倍以上の差があったわけだけど。

 

「……こほんっ、うん。正解は十。二人ともやれば出来るじゃないか」

「っへへぇ、まぁ、あたいにかかれば楽勝だよ楽勝」

「えへへー、お兄ちゃん、褒めて褒めてー♪」

「これで余計な付け加えがなければなぁ……」

 

 頭を撫でられ、「にゃー♪」と声を上げる鈴々を見下ろしつつ、そんなことをぼやく。原因はわかってる。わかってるけど……なぁ。

 

「“一つのことに対して他方向、または多方向から考えろ”って言ったのはアニキだろ?」

「あらゆる事態を想定して~とも言ってたのだ」

「だからって十個も二十個もおまけがつくわけないだろ……買った数より多いおまけってなんだよ。……ん、でもそういうことが大事だって伝わってくれたなら、これはこれでいいのかなぁ」

「いいっていいって、そういうことにしとこうぜ~?」

「食べ物の話ばっかりしてたから、鈴々お腹が空いたのだ」

「そっか。……じゃ、今日はこれまでにしようか。何事もほどほどが一番。一日のうちに詰め込み過ぎても、整理出来なきゃ意味がないもんな」

 

 一歩ずつしっかりと覚えていけばいい。

 無理して壊れるのは、なにも体だけじゃないんだから───とか思ってるうちに二人はさっさと飛び出していってしまって、呆れる俺と関羽さんだけが残された。

 

「関羽さんも、お疲れ様。今日はいろいろとありがとう、お陰で助かったよ……精神的に」

「いや、構わん。私も貴重なものを見ることが出来た。あれが……鈴々が、笑いながら勉学に励む姿を見られるとは……一刀殿のお陰だ、礼を言う」

「べつに普通に授業やってただけだし……ってそうだ」

 

 一刀殿。急にそういう呼び方になったこと、訊くつもりだったんだ。

 

「えっと、さ。急に話を変えてごめん。その……呼び方のことなんだけど、どうして……」

「あ……いやこれは、べつに深い意味があるわけではなくてっ……だな、その。~……そう、だな。一刀殿も関係しているというのに、桃香さまだけに謝罪するのはおかしい」

「へ? 謝罪……って、なんの?」

 

 謝られるようなこと、あったっけ。

 あ、もしかして───って、覗きの件は事故だったとはいえ……いやいや、あれは不注意がどうとかでなんとかなるものじゃないら。

 

「先ほどの執務室での話、失礼だとは思ったが聞かせてもらっていた」

「………」

 

 執務室での……あの話か。

 盗み聞きって意味では確かにいけないことだろうけど、俺自身が困るような内容は無かった───いや待て、大陸の父計画はどう考えてもマズイだろ、って、さらに待て。そうだ、さっきはすっぽり抜けてたけど、きっかけを思い出した。魏延さんがどうにも不機嫌な理由って、やっぱり張勲と同じく大陸の父計画の話を聞いてたから……なんじゃないか?

 

「一刀殿が……天の御遣いが大陸の父になる。それにより、各国の同盟意識が強まれば、確かにこれ以上の戦は起こり得ない。承服するか否かを別に見て取れば……なるほど、悪い話ではないはず。しかし一刀殿、貴公はそれを望んでいない……そうだな?」

「うん。確かに俺がそういった軸になれれば、争いの種なんてそうそう生まれない。ある意味で、もっと安定に向かうかもしれないって思うよ。けど───」

「けど?」

「三国の絆って、そんなことをしなくても十分強いんじゃないかな。大陸の父とか、共通の財産とか、そんなものを用意しなくてもさ」

 

 自分が三国っていう場の支柱になる。それは、想像してみれば光栄に思えることだろうけど、そんなに簡単に決められることじゃない。

 周りがどれだけ言おうと、俺は今まで魏のため華琳のためと自分を高めてきた。

 今の俺がここに居るのは、魏を思っていたからこそだ。そのお陰で到った自分だと思っている。

 だというのに、やっと戻って来れたと思ったら大陸の父って……待ってくれとも言いたくなる。

 

「たしかに、同盟の絆は高いものと言えるだろう。王の仲も、将同士の仲も悪いとは言わない。それどころかよい均衡が保てている。だが民は、兵はどうだろう」

「……それは」

「一刀殿の考えを無視したことになるやもしれない。好ましくないものと関係を持つことなど、我が身に換えて考えれば怖気も走る」

「うん……それは、そうだ」

 

 頷く───が、関羽さんは俺の頷きに首を横に振るった。

 

「しかし、それは相手をろくに知らぬがこその嫌悪と私は思っている。……貴公は今、蜀の地に居る。今は表面でしか知り得ぬ間だろうが、これからいくらでも互いを知る機会はある。そして、私は───」

 

 続ける言葉を一度区切り、彼女は自分の手を見下ろした。

 どこか寂しげに、どこか悲しそうに。

 けれど、その顔が俺に向けられた時には、もうキリッとした真剣な表情へと戻っていた。

 

「天の御遣いとしてももちろんだが───それよりも私は、人としての。一人の北郷一刀殿を知ってみたいと思った」

「え───……人としての……俺?」

 

 訊き返す声に、声もなく頷く。

 それは意外な言葉だ。

 みんな、天の御遣いって名前から俺を知って、それから俺って人物を知る人ばかりだった。

 それはきっと華琳だって、雪蓮だってそうだったはずだ。

 けれどこの人……関羽さんは、天の御遣いという名ではなく、俺って個人を知りたいと……

 

「人のため誰かのため、兵や民を大事に思い、一人の兵や民のために涙を流せる貴公を知りたいと思った。……桃香さまに似ている部分を感じるというのに、そんな貴公がなぜ我らではなく曹操の前に降りたのか。“なぜ桃香さまの理想のために……今ではなく、必要だった時に手を伸ばしてくれなかったのか”。もちろんそういったことを考える。だがそれは、御遣いとしての貴公であり、過ぎたことでもあり今さら言ったところで天下が手に入るわけでも、再び戦が起きてほしいわけでもない」

「……うん」

「我らが桃香さまの在り方に感動を覚え、彼女の理想を叶えようと思ったように、貴公にも理由があった。ただそれだけの過去だ。もちろん叶わなかったことへの悔しさがないかといえば虚言にもなる」

「でも、自分だけの我が儘を通して“再び天下を”って立ち上がったら、誰かがまた傷つくことになる」

「その通りだ。この平穏が我らが戦った末に得られたものであっても、我らだけのものではない。この平穏は兵と民、我ら将と……王のもの。命ある限り守らなければならない尊いものだ。それを今さら私欲で崩すなど、出来るはずもしようと思えるはずもない」

「………」

 

 その意思は固いのだろう。

 そうしたいという雰囲気さえ出さず、たしかに主の理想は叶わなかったが“結果”自体は得られたといった風情で、彼女は頷いていた。

 理想の全てが現実と一致していなければ嫌だ、なんて……どこまでいっても我が儘でしかないんだろう。

 そんな理想を叶えるためには並々ならない努力と犠牲が必要で、それは桃香も関羽さんも望んでいることではないはずで。

 

「故に───今はこの平穏に感謝し、今伸ばしてくれる手を取りたいと思っている。貴公の人となりは魏と呉からの噂で多少は知っている。加えて朱里や雛里、恋や鈴々が真名を許していることからしても、悪い者ではないとは思う」

「……ん」

「しかし私は己が目と耳で、貴公という存在を知らなければ納得が出来ないだろう。……疑り深いと思ってくれても構わない。だが私は───刀殿?」

 

 語る彼女の目の前で、待ったをかけるように手を突き出す。

 納得出来ないのも疑り深くなるのも当然だって思うし、信じようとしているのにまず疑わなければならない彼女が少し辛そうに見えたから。

 

「……ありがとう、そんなふうに言ってくれて。俺、もっと嫌われてるかと思った。顔合わせの時は嫌ってなどいないって言ってくれてたけど、大陸の父の話を聞いてからは……嫌われても当然かもしれないって。たぶん魏延さんも、覗いちゃったこととかそれが原因で嫌ってるんだろうし、仕方ないことなんだろうって」

「あ、い、いやっ……覗きの件は私が無駄に騒いでしまったからっ……! すまないっ、まさかここまで大事になるとはっ……!」

「あ、ううん、それはいいんだ。事故だったけど、すぐに出て行かなかった俺も悪い。呆然としている暇があったら、さっさと出てればよかったんだ」

「う……」

 

 戻れたことへの嬉しさと、それとは別に目の前にあった状況への戸惑いと……いや、あの時は戸惑いしかなかったか。

 人間、本気で戸惑うと相手の状態よりも現状の把握に走るのかもしれない。

 それも状況によるんだろうけど、少なくとも俺は固まることしか出来なかった。申し訳無い。

 

「関羽さん、これから用事は?」

「いや、特にこれといった用事は無いが……」

「そっか。じゃあ少し、話に付き合ってもらっていいかな」

「元よりそのつもりでここに居る」

 

 俺の言葉にフッと笑い、真っ直ぐに目を見てくる。

 俺もそれに習って目を見つめ、互いに小さく笑ってから───俺は寝台に、関羽さんは椅子に腰を下ろした。



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26:蜀/違和感の正体、心の拠り所②

 互いに座り、少し浮かんでくる緊張を飲み込む頃、早速と言っていいのか……関羽さんが切り出した。

 

「一刀殿。私は人としての一刀殿を、と言ったが───今さらですまないとは思うが、それは訊いていいことなのだろうか」

「ん……問題はないはずだよ。それってつまり、俺が日本……天の国でどんな生活をしてたか、とかでいいんだよな?」

「う、うむ。よかったら……いや、このように訊く姿勢を取らせておいてよかったらもなにも無いな、すまない」

 

 自分の強引さに呆れるように、彼女は少し俯いた。

 そんな彼女に、それは大したことじゃないって教えるためにも、笑みを含んだ言葉で「大丈夫」と告げた。

 そう、大丈夫。大したことじゃない。

 

「天の国の俺かぁ…………そうだなぁ、特別なことなんてなんにもない、普通の人だったよ」

「普通?」

「そう。争いがない場所で普通に産まれて、普通に遊んで普通に学んで。不自由なんて特にないくせに、あれが無いこれが無いって言っては、現状から抜け出す勇気もないのに……口では大きなことばっかり言ってるような、どこにでも居る普通の人間だった」

 

 そう、本当に……どうして自分がこの世界に飛ばされたのかもわからない、そんな存在。

 自分じゃなくてもよかったんじゃないか、自分じゃなくて別の誰かだったなら、もっと上手くやれたんじゃないか。そんなふうに思ってしまうことなんていくらでもあった。

 だってそうだろう?

 ただの学生だった自分の前で、戦を当然のように行なう人が居て、死んでしまった人が居る。

 そうしなければ生きられない家庭があって、死んでほしくないと願いながらも、子が戦に出なければ得られない糧があって───そんな世界を、特別なことをしなくても糧を得られた自分が見ていたんだ。

 なんの冗談だ、なんてことは当然のように思う。

 当たり前のように戦があって、当たり前のように誰かが死んで。

 子が死んだ家に届けられるのは弔いであって、二度とは戻らぬ子の笑顔に咽び泣く親が居て。

 

「もちろん天にも戦はあった。けどそれは何十年も前に終わっていて、世界のどこかでは確かに未だに存在しているものだけど……少なくとも俺が住む場所では、そんなものはなかったんだ」

「その中に在って、一刀殿は普通の存在であった、と───?」

「うん。俺より頭のいいヤツなんていっぱい居て、俺より強いヤツなんて山ほど居た。俺はそんな中で友達と馬鹿みたいに笑いながら生活をしてきて……気づけばこの世界に居た」

 

 結局俺は、それがどういった原因で起こったことなのかを知らない。

 華琳が願ったにしたって、どうして俺でなければならなかったのか。何故他の人が選ばれなかったのか。その理由を、俺は全く知らないのだ。

 だって、違う世界の……そう、この世界がたとえ本当の歴史であってもそうでなかったとしても、華琳は遥か未来の俺のことなんて知っているはずがないのだ。俺じゃなければいけない理由には繋がらない。

 御遣いの存在を願ったところで、どうして俺が御遣いでなければならなかったのか、その理由には至らない。

 誰でも良くて、たまたま俺だったってだけなんだろうか───なんて考えて、もし及川が降りてたらどうなってたのかな~なんて、可笑しなことを考えた。

 無駄にって言ったら失礼かもしれないけどさ、要領がいいからなぁ、あいつ。案外俺よりも上手く……ああいや、三国志のことはあまり詳しくないんだっけ。

 だったら……歴史の通り秋蘭は討たれて、華琳は赤壁で負けて……───いや。今考えることじゃないよな、これは。

 

「……一刀殿の言う“普通”とは、この国で喩えるとどのような……?」

 

 思考に向けて苦笑をもらしていると、関羽さんが質問を投げてくる。

 どのような、か。

 

「庶人」

「……は?」

「庶人となんら変わらない。俺は普通の街、普通の家に産まれて、普通に生きてきた。親に養ってもらって、成長して。違うとこっていったら、さっきも言った通り三食が約束されていることや、戦に出なくても糧を得られることくらい。むしろそんな辛さを知らない分、俺って存在は現状に甘えすぎていたくらいだ。この世界の民のほうがよっぽど逞しい……この世界から天に帰った時、心の底からそう思った」

 

 “生きることに必死になる”───それは、俺が知らなかった世界だ。

 地球のどこかの国で飢餓に見舞われている人が居ると聞いたところで、見たところで、可哀想とは思っても何もしないのと同じ。

 いざ目の前にして、手を伸ばせば助けられる人が居るならばと懸命になりはしたのだろう。じゃあ、もし自分の手の届かない場所でそんなことが起きたら? ……決まってる。その“現実”さえ気にせずに、“贅沢”を尽くしていたのだろう。

 目の前で起こらなきゃ“現実”には至ってくれないものが沢山あることを、俺はこの世界で知った。

 人の死も、生きる喜びも、食べられる幸福も、食べられない辛さも。

 

「庶人と同じ……? で、では貴方はっ……戦を知らぬ世界から来たというのに、乱世に身を投じたと……!?」

「……多分、それは違うんだよ関羽さん。俺は自分から投じたんじゃない、投じなきゃ生きられなかったんだ。兵にならなきゃ生きられなかった人たちと同じで、だけど戦場での立ち位置はまるで違った。俺は安全な場所で戦を眺めて、兵は“刹那”を生きるために必死で戦った。軍師に戦を望むべきじゃないとか言うかもしれないけど、俺は軍師としても役に立てたかなんてわからないんだ」

「一刀殿……」

 

 天の御遣い。

 その言葉が無ければ、俺はどこかでのたれ死んでいただろう。

 天の御遣いだから戦に身を投じることになったのに、天の御遣いじゃなかったら生きていられなかった、なんて……本当におかしな話だ。

 

「いつも守ってもらって、いつも誰が死んでしまうのか不安で仕方なかった。どれだけ“強い”ってわかってたって、誰もが死ぬときはあっさりと死んでしまう。……仲が良かった兵が居てさ、そいつとは随分と悪戯めいたことをやってたんだ。でも、ある戦のあと……そいつの姿は魏には無かった。ははっ……それがたまらなく辛くてさぁ……そうすると後方で何もしないで立っている自分が凄く情けなくて……」

「……それで、己を鍛えようと……?」

「理由の一つには……うん、なっていると思う。誰かが困ってる時に、何も出来ない自分が辛いからって鍛え始めたんだけど……ははっ、おかしいんだよ、それが。自分から鍛え始めておいて、それがいつからか自分の中で違う方向に向かい始めてる。守るために、出来ることを増やすためにって始めたのに、強くなるのは自分の気ばっかりで……」

 

 話ではなく力で解決しようとする。それは以前の俺からでは考えられなかったことだ。

 いくら魏のためだとか貞操がどうとか言っても、力任せに逃れるなんてこと、今までの自分はしなかった。

 そんな些細なことから、自分の力への疑問は始まった。

 

  “力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?”

 

 じいちゃんに、ちゃんと言われていたことだったのに。

 それに気づけずに、いつの間にか修羅に向かうところだったかもしれないんだ。

 

「顔合わせの時、魏延さんに信頼のことを言われて頭の中が冷たいくらいに冷えた。俺のことを八方美人だとか、出る言葉が口八丁とか、俺に向けられることはどうでもいい。でも、そんな俺を信頼してくれた人たちが馬鹿にされてるみたいで嫌だった。……その時さ、俺───どうしようとしたと思う? 話で解決がどうとかじゃない、“何をするかわからなかった”んだ」

「それは……大切な者を馬鹿にされて、黙っていられるほうがどうかしているだろう」

「うん、そうかもしれない。でも、以前の俺ならきっと、そんなことは思わなかった。そうなるとさ、力を得るってことは、やさしいままじゃいられなくなるのと同じなのかなって。そう思ったら、途端に……はは、情けないけどさ、自分の力が怖くなった」

「力を振るうことが……? ───なるほど、それが理由か。手合わせをしたがくすぐられたと鈴々が言っていた」

「…………ん。最初はさ、木刀を振るうつもりだったんだ。武器を振るう相手に勝つのなら、失礼のないように武器で、って。そしたら振るえなくてさ。咄嗟に後ろから押し倒して無力化を狙ったけど、鈴々の力だと簡単に返されるってわかってたから」

 

 だからくすぐった。

 そう判断するのに多少の時間があって、鈴々がそれで治まってくれたことにどれだけ安堵したか。

 もしかすると鈴々も、そういったものを感じ取ったから反撃しないでいてくれたのかと……今なら思う。

 

「“力を得ようとする者は、必ず力に溺れる時が来る。それを乗り越えられん者に力を振るう資格はない”。俺の師匠の言葉だけど、今さらになってぐさりと来たよ。自分が力に溺れてるなんて気づきもしなかったんだから、痛みも相当だった」

 

 そういった意味では魏延さんには感謝している。

 あ、いや、べつに持ち上げられたことに感謝したいわけじゃない。

 

「関羽さんは自分の力に疑問を抱いたこと、ある?」

 

 けど……俺はその溺れる自分から逃げたかったのか、そんな自分を克服したかったのか。

 気づけば自分の口からは勝手に言葉が紡がれていて、目を閉じ俺の話を聞いてくれていた彼女に質問を投げていた。

 関羽さんは……すぅ……と息を吸うとともに目を開き、俺の目を真っ直ぐに見て……「ある」、と言った。

 

「一刀殿。私の志は、桃香さまに“頂いた”ものなのだ」

「頂いた……? え? じゃあ今まで───」

「そう。私は桃香さまに頂いた志を以って、乱世を駆けていた。桃香様に会う前までの私は、世を憂い憤りのままに力を振るう粗暴な存在。その力を正しく振るう場も理解出来ず、村を巡り、盗賊達を討つだけで満足するような……そう。たったそれだけで、乱世を救う英雄にでもなったつもりでいた」

 

 かつての自分を思い出しているのか、関羽さんは視線を俯かせ、自分を恥じ入るように溜め息を吐いた。

 

「なんと矮小であることか。思い返せば顔が熱くなり、己が恥ずかしくなる」

「それは……間違いなんかじゃないだろ? その力で、確かに関羽さんは人を救っていた。そこに笑顔はきっとあって、助かった人だってきちんと居たはずだ」

「一刀殿…………いや。そうなのかもしれないが、もっと早くに気づいていればとも思ったのだ。己より弱き者に対してのみ力を振るい、遥かに強大な敵と戦うことなど考えもしなかった。“なぜ盗賊などが存在しなければいけないのか”。そこに目を向けることなど、しようともしなかったのだから」

「あ───……」

 

 ……そっか、同じなんだ。

 なまじ力があったために、何かが起きれば力で解決する。

 盗賊は悪でしかないと決めつけて、何故“盗賊をしなければいけなかったのか”など考えもしない。

 けれど盗賊を滅ぼせば村は救われ感謝もされ……誰かの笑顔が“自分に出来ること”を教えてくれたつもりになっても、それは叩き潰すことでしか得られない答えで。

 

「桃香さまは、そんな私の武に理由をくださった。武も才もないあの方が剣を握り、背に無力の民を庇い……百にも近い盗賊の前に立ちはだかる姿を、最初こそ理解が出来なかった。しかし理解できた時には───それがやさしさであり、あの方の強さであると知った時には、ああ……私の武とはなんと曖昧なものなのだろうかと。理由を持たず振るわれる力の、なんと矮小なことかと」

「関羽さん……」

「恐らく、ともに居た鈴々も同じ気持ちだったか……いや。純粋にあの方のやさしさに惹かれたのだろう。以来お姉ちゃんなどと言って、あとをついて回っていた」

 

 空を仰ぐように天井を見上げる彼女は、どこか懐かしさにひたるような穏やかな顔をしていた。

 そんな顔がふと俺に向けられて、彼女は言葉を続ける。

 

「盗賊達を追い払った後、そんな桃香さまが私達になんと言ったか、想像が出来るかな?」

 

 それは簡単な疑問。

 俺はその時の桃香の立場になってみて、その時の関羽さんを視界に納めるようにして……思考、イメージする。

 すると……

 

「……そんなに強い二人には、もっとたくさんの人を救うことが出来ると思うよ」

 

 するりと口からこぼれる言葉。

 それを聞いた関羽さんは、「ああ、やはり……」と小さくこぼし、穏やかに笑っていた。

 

「出会う頃、出会う形が違っていたなら、私は貴方の槍になっていたのかもしれない」

「え?」

「ふふっ……桃香さまに同じようなことを言われた。現状で満足し、限界を勝手に作っていた私には……その言があまりに眩しすぎた。かと思えば力が抜けたのか、腰を抜かして立てなくなる桃香さまを見て……眉間に皺を寄せてばかりだった私は、久方ぶりに大笑いをした」

 

 桃香サン……あんたって人は……。

 あれだろうか、ここぞという時に格好のつかない人なんだろうか───……あれ? それって俺もだろうか。

 

「いい具合に力を抜いてもらったと、今でも思う。それは己の武に、脆弱たる盗賊の群れに対して天狗になっていた私にとって、目が覚めるような脱力だった」

「……そっか。関羽さんにとって、桃香が寄りかかれる場所なのか。桃香にとっての寄りかかれる場所が関羽さんや鈴々であるみたいに」

「───そう、だな。だとするならば、私はそれを誇りに思う。と言っても桃香さまのことだ、蜀の将や兵や民を拠り所にしているのだろうが」

「理想的だね、それは。将も兵も民も、みんながみんなを好きでなきゃ出来ないことだ」

 

 眩しいなぁ……と一言口にして、装飾のついた窓から見える景色を見た。

 ……見えるのは庭と青空だけ。そんな空を、いつか学校の教室から空を仰いだ時のような気分で眺めていた。

 

「…………?」

 

 と、ふと会話が途切れていることが気になって視線を戻すと、関羽さんがぽかんとした表情で俺を見ていた。

 ……? なにかヘンなことを言っただろうか。

 もしかして、呉でやっていたみたいに思考が口から漏れてた!?

 

(それは危険だどうしよう! というか俺は何を考えてたっけ!?)

 

 軽くパニックになりつつ、しかし表情は出来るだけ平静に努めていると、ぽかんとした関羽さんが一度笑みをこぼした。

 

「な、なるほどっ……自分でしていることにまるで無自覚とくるっ……ふふっ、貴方は本当に桃香さまによく似ている」

「……、」

 

 あれ? なに今の小さいけど確かな痛み。

 なんだか「貴方は天然ですよ」って言われたような……あ、あれぇ? 一国の王に似ているって、誇っていいこと……だよな?

 

「……一刀殿。そんな貴方に訊きたいことがある。御遣いとしてでなく、北郷一刀としての貴方の拠り所は何処に存在する?」

「俺の? それは」

 

 それは魏……と答えようとして、声が続かないことに気づく。

 どうしてだろうと考えてみて、俺の頭が思い浮かべたのはどうしてか張勲と袁術。

 気づけと言い放ち続ける心がそんな考えを生み出し、気づくなと戒めようとする心がそんな考えを殺そうとする。

 拠り所の話のはずだろ? どうして気づく気づかないの話になるんだ? だってあれは“桃香の言葉”を聞いてから現われ始めた痛みで……。

 

(……繋がってるのか? 繋がりがあるのか? 気づけないなにかと、拠り所の話は)

 

 ……わからない。

 心が苦しかろうが、求められているなら気づかなきゃいけない。気づくべきだって思っているのに、俺はそれを否定したがっている。

 自分の心がわからない。

 俺はいったい何を……? 何に気づけてない……? 俺の拠り所は魏で、華琳の傍のはずだろ?

 だから俺は帰ってこれて、だから…………だ、から───

 

「…………俺」

 

 たとえば……ある普通の日常の中、誰かに「貴方の心の拠り所はなんですか」と訊かれるとする。

 思い浮かぶのはなんだろうか。趣味? 好きな人? 頼れる誰か? それとも……“家族”? 

 俺は“国”と答えようとした。だって“魏だ”と答えようとしたのだから、それは国だ。

 国を守り、国に頼り、国とともに生きていきたい。傍に居てくれる誰かと、傍に居たい誰かとともに。

 いつしか家族同然となったみんなとともに、生きた歴史を振り返ってみたい。

 

  でも……じゃあ、日本に置いてきた俺の家族は?

 

 この世界に来る(帰る)ことばかり考えて、どうせ時間は止まったままなのだからと安心して、夢中になって……。

 もし俺がこの世界で死んでしまったとして、家族はどうなる?

 たとえば、たとえばだ。

 俺が日本に戻った時、ただ単にこの世界に飛ばされる前の時間に俺が帰っただけであって、実際は時間が進んだ時間軸があるとして……その時間軸での母さんは? 父さんは、急に居なくなった俺をどう思う?

 気を使って遊びに連れ出そうとしてくれた及川は? 曾孫でも見せてみろって笑ってくれてたじいちゃんは?

 

「………」

 

 なんだ、これ。

 誰かを守るためにとか言いながら、一番一緒に居てくれた人を守れていない。

 育ててくれた人や、お世話になった人……導いてくれた人から、悪友まで……なにも、全然。

 

「ああ……だから、か……」

 

 魏を拠り所に、なんて言えるわけがない。

 

  あ~あ……気づいちまった……

 

 心の何処かで、他人事みたいに言う自分が居た。

 それはそうだ……気づかずに笑ってるべきだった。

 だってそうだろ? 家族よりこっちを選んで、この世界で笑って。

 もしかしたら自分の世界の先では周りを泣かせているかもしれないのに、自分だけ幸せに浸って。

 魏が拠り所だって? はは……北郷一刀、それは拠り所っていうんじゃない……捨てられるのを怖がって必死でしがみついている……依存、って……言うんだよ……。

 強くなって守るから、どうか自分をここに置いてくださいって。そう言っているようなもんじゃないか。

 気づかなければよかった、こんな弱さ。

 俺はいったい、今までなにを……。

 

(そんな言葉じゃあ、誰も諦めない……そうだよな、その通りだ)

 

 だってそれは、俺の言葉じゃない。

 魏や華琳のためと口にしてるだけで、俺の言葉では一切断っていないのだ。

 なぁ一刀……それも魏に捨てられないためか? 無意識下で、そうなることを恐れていたから断ってたんじゃないのか?

 

「一刀殿?」

 

 ぶつぶつと小さく呟いている俺を怪訝に思ってか、気遣うような声が耳に届く。

 ……本当に、嫌なタイミングで気づくもんだ。

 もっと早く気づいていたなら……そう、せめて呉に居る最中に気づいてあげられたなら、ちゃんと自分の言葉で言ってあげられたはずなのに。

 

「───あれ?」

 

 言う? 言うって……なんて?

 俺は貴女達の想いを受け取れないって……そう言うのか? 魏が、華琳が好きだから───いや待て、それじゃあさっきまでの自分となにも変わらない。

 誰かと比べるんじゃない、俺が俺として、彼女達一人一人をどう思っているかだろ? 魏でもそうして、彼女達の想いを受け止めてきたんじゃないか。

 俺自身は、雪蓮や呉のみんなをどう思ってる?

 迎えてあげられないくらい嫌いか? それとも、好きだけどそれはやっぱり友愛でしかないのか。

 

「───」

 

 そこまで考えてみて、自分に呆れた。

 俺は迎えるだけで、自分から好きと言ったことがなかったのだ。

 訊ねられれば好きだと言えて、愛していると言えて。

 自分から誰かに好きだと言ったことなど───……

 

(霞にタラシだって思われてたのも仕方ないのかもな……はは、本当に……まいった)

 

 雰囲気に流されやすいんだろうか……いや、じゃあこんな自分をどう説明すればいいのか。

 自分の気持ちに気づいたから、誰でもなんでも受け容れるって?

 ああそうだ、嫌いなわけがない。発展してゆく世界で精一杯に生きて、真っ直ぐに自分に好意をぶつけてきてくれる人たちだ、嫌いになれる理由がない。

 それを自分は魏が華琳がと言い訳して、断ってきた。

 でもそれは確かな理由であって……なのに自分の言葉ではなくて。

 

「俺の……拠り所は……」

「? あ、ああ……拠り所は?」

 

 間が開き過ぎたからだろう。

 突然拠り所の話をする俺に、関羽さんは戸惑いながら意識を向けた。

 俺の拠り所か……それは何処だろう。

 かつての生活を捨ててまでこの世界に来て、俺が頼った場所……いや。

 頼るだけなら依存と変わらない。

 自分が志を持ったまま、華琳にもこの大地にも誇れる自分であれる場所。

 そう、助け合い、思い描く未来に笑顔を見せられる場所は。

 

  ……なぁ、北郷一刀。一度誇りも、好きも嫌いも捨ててみろ。

 

 頭の中でそんな場所を描こうとしたら、ふと誰かの声が聞こえた気がした。

 それは自分がよく知る声で、俺が声帯を震わせたなら、きっと聞こえる声。

 

  愛だの恋だのじゃなくて、自分がそうでありたい形を描いてみろ。

 

 考えて考えて、自分の弱さに呆れていた自分に暖かさをくれる声。

 自分の声だっていうのにヤケに凜としていて、胸の内に響いてくる。

 

  気づいてしまったなら仕方ないだろ。

  ちゃんと考えて、ちゃんと答えを出さなきゃな。

  ……誰かのためなのはわかるけどさ。

  気づくのが早いのもどうかと思うぞ、俺は。

 

 呆れるように言う。

 叱りつけるようにも聞こえるそれは、まるで───

 

  なぁ一刀。華琳は、魏のみんなは───ただやさしいだけの女ったらしを仲間として受け容れるか?

 

 それは違う。

 種馬だとか女たらしとか言われてたけど、やさしさだけで言うなら……きっと桃香のほうが上で、受け容れられるべきだった。

 理想が高くて理屈に沿ってなかったかもしれないけど、出会う形が違ったなら……やさしいだけでよかったなら、俺じゃなくてもよかった。

 

  だったらそれでいい。

  軍師としても武人としても役に立たなかったなんてお前は言うが、だったらそれ以外でお前はきちんと助け合うことが出来てたんだ。

  一途な……って言ったら語弊が出るか? ははっ。

  ともかく、一途なのは勝手だけど、みんなのお前への想いを軽く見るな。

 

 俺への想い? みんなの?

 でもそれは───

 

  “お前らしく受け止めればいい”。

  後のことなんか気にしないで、想いを受け止めてやればいいさ。

  それが“北郷一刀”だ。

  これで呉や蜀の娘の想い、民や兵の想いを断り続けたら、それこそそんなものは要らないって……潰されるぞ?

 

「どこを!?」

「うわぁっ!? な、なにを急に大声でっ……!?」

「へ? あ、いやっ、ごごごめんっ!」

 

 突然出した大声に、聞く姿勢で待っていた関羽さんは滅法驚いたようだった……すこぶる申し訳ない。

 うん、でもいい具合に心が落ち着いた。

 うじうじと考えるだけだった自分の心が、少しだけ軽くなった。

 

  ここまで言えばいくら人の心に疎いお前……いや。俺でもわかるだろ?

  少しは学習しろ、まったく。

  曹孟徳はそんな不出来なヤツをいつまでも傍に置くほど、寛大じゃないぞ?

 

 う……それは、まあ。

 好きだからって気持ちを盾に、傍に居続けることを許すような存在じゃないかもしれない。

 ……素直じゃないとは思うけど、その場合は鬼になって突き離してでも成長を望むと思う。

 

  だったらこの呉や蜀を回ってる今が、その突き離されてる瞬間だって思っとけ。

  ……まったく、自分の心まで他人のため他人のためって。

  いつか後悔するぞ? せっかくまだ気づくなって言ってやってたのに。

  気づいちまったら、これからが大変だ。

 

 ……自覚してるよ。本当に、大変だ。

 もう魏や華琳を言い訳には使えないし、求められたらきっと───

 

  間違ってたら大人しく華琳や魏のみんなに叱られろ。

  最悪いろんな首が飛ぶかもしれないけど、それはお前の自業自得だ。

 

 飛ぶ首って一つしかないよね!? 頭以外どこが飛ぶの!?

 

  いーからいーから……じゃ、お節介はここまでだ。

  お前はお前らしくいろ。

  お前らしく、自分のことより他人のために走っていればいい。

  それがお前で、それが北郷一刀だ。

  それに…………ああいや、これは俺が言っても仕方ないな。

 

 ……“俺”の声が消えてゆく。

 それは俺の中へとしぼんでいくように、小さくなるように、納まるように。

 言いたいことは言った、伝えたいことは伝えたというかのように、綺麗に。

 

  ああそれと。どれだけ綺麗に纏めて見せても、華琳は絶対に仕置きを用意してるだろうから。

  そこのところは彼女の可愛い焼きもちだと思って、しっかり受け止めてやれ。

 

(エェッ!? いやちょっ……それは困っ……!)

 

 ……などと戸惑っているうちに、それは完全に“元の形”に戻ってしまった。

 流れる氣を追うように辿ってみれば、それは深い深い深淵に置かれた……小さな“絵本”だった。

 

(…………)

 

 何処で何がきっかけになって、何に気づけるのか。

 そんなものはわからないものなんだろう。

 たまたまやってきたことがプラスに働いてくれただけにすぎないし、これからもそうとは限らない。

 けれど“気づけた自分”はここに居て、“気づいてしまった自分”もここに居る。

 さて……俺はまず何をするべきなのか───と考えて、とりあえずは気づかせてくれた冥琳との絆や、治療を手伝ってくれた華佗に感謝を。

 

「…………うん」

 

 答えは胸の中に。

 言い訳がましく言うんじゃない、もっと前向きな気持ちで、はっきりと。

 

「ね、関羽さん。また話を変えて悪いんだけど……関羽さんは自分の力に疑問を抱いたことがあるって言ったよね?」

「うん? ああ。私の志は桃香さまに頂いたものだと言ったな」

「その志は、たとえ貰いものでも……今では自分の志として誇れるもの、だよね?」

「無論だ。貰いものだと、自分のものではないとどれだけ言われようとも、私はその志が眩しかったから桃香さまの槍となった。そこには迷う理由も足踏みする理由もない。ただ信じ、桃香さまの願う全てを叶えるための槍になりたい。私はそう思った」

「そっか。……うん、そうだよな」

 

 さあ、北郷一刀。お前の答えはなんだ?

 来るもの拒まず受け容れるのか? それとも自分の言葉で好意を断り、あくまで友として生きるのか。

 

(答えなら、もう出てる……んだけど、ちょっと卑怯というか男としてそれはどうかというか、なんていうかそれって今さらなんじゃないかって思って自己嫌悪というか……はぁ)

 

 まいった。本当にまいった。

 気づいたからには受け容れなきゃいけないことがあって、それはお世辞にも褒められる行動じゃないというか。

 客観的に考えたら、相当に痛い男になってしまう。

 まず考えてみよう。

 俺は華琳のもの……これが前提。

 けど華琳は俺を“大陸の父”……つまり三国の支柱にすることに“一応”の頷きを見せたというし、そこにどんな考えがあるにせよ“頷いた事実”は覆らない。

 

 絵本の俺が言った通りだ。そこは俺が行動で示して、結果として華琳になんと言われようと受け容れなくちゃいけない。

 で、もう一つ……これが自分の中の“男”の部分を疑いたくなりそうな考えなんだが、華琳が良しと言う限りは俺は三国のものであり、彼女が他国の将に“手を出してもいい”というのなら、受け容れてもいいわけで……ええと。

 つまり俺は華琳のものであって、魏の将のものではない。

 たとえどれだけ凪や霞たちがそれはだめだと言おうと、華琳が許すならば良し、ということになってしまうわけで。

 いや待て、それどころか雪蓮が魏に乗り込んだ時点で、魏のみんなへの説得はあらかた済んでいると考えるべきであって……えーと……案外俺、みんなの目からしてみれば「まーた一刀の女癖が始まったー」くらいにしか思われてないかも…………。

 

「……はうっ!?」

「一刀殿?」

「い、いやなんでもないっ! 泣いてない、泣いてないよ!?」

 

 もっと自分ってものを考えてみよう。

 鍛錬を始める前の、もっといろいろな部分が弱く、弱いなりに出来ることがあっただろう自分を。

 なまじ出来ることが増えてくると、見失ってしまう部分もある。

 だから…………だから……───

 

「───……」

 

 思考のリセットはさせないままに、もう一度窓から見える青を眺めた。

 先ほど見た時は、教室から仰いだ朱を思い出したのに……今は、ただただ青い空だけが視界の先に広がっていた。

 すると……するん、と……がんじがらめだった思考がほどけた気がした。

 

「……そうだよな。現状維持じゃない。もっと、行けるところまで高みへ───」

 

 手を伸ばす場所は魏だけでいいか? ───違う。

 笑顔を育む場所は魏だけでいいか? ───違う。

 一刀。お前が守りたいと思う場所は、未だ魏のみか? ……違う。

 だったら答えを確かめる必要なんてない。

 届く場所、届く人へ、限界にぶち当たるまで伸ばし切ってみろ。

 たとえ伸ばしすぎて微笑ますことが出来なかった人が居たとしても、次こそはって諦めずに精一杯足掻いてみろ。

 守るためにつけた力が人を傷つけることになるなら、そんなことをする余裕がないくらいに守るものを増やしていけ。

 そして───守れたと、自身を褒めることが出来た時こそ……その時自分の周りに居る人たちと、思いっきり笑い合ってみろ。

 それが、いつか“俺が求めた強さ”へと繋がるはずだ。

 そういった覚悟を胸に、俺は華琳の傍に居続ければいい。

 現状では満足せず、進めるのなら進み、繋げる手があるのなら繋いで。

 ……で、こういうのは自覚してしまうとただの女ったらしにしかならないわけで。あー本当だ、気づかなければよかった。

 

「関羽さん、拠り所、見つかった」

「……聞かせてもらって、構わないかな?」

「ん、是非。俺の拠り所は……」

 

 魏だけじゃないのなら、呉でも蜀でもない。

 それは人ではなく、もっと大きな場所……そう、それは───




 なろうの方でもツッコまれましたけど、このかずピーは確かに悩みすぎだと思う。


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27:蜀/それが大切なものだと気づいた時、人は少しだけ強くもなり弱くもなる①

51/それが大切なものだと気づいた時、人は少しだけ強くもなり弱くもなる

 

 すぅ……と息を吸い、ざわめいていた心を落ち着かせる。

 そうしてから真っ直ぐに関羽さんの目を見て、はっきりと。

 

「俺が帰ってきたいって願ったこの大陸。三国が手を取り合うことで守っていける、今この場にある平穏が……きっと俺の拠り所だ」

「……人ではない、と?」

「うん。俺は家族を置いてこの大陸に下りた。最初は偶然、次は望んで。それは本当の意味での家族との別れであって、俺はこの大陸で生きることを望んだ。そして今、俺はこの三国を御遣いとしても北郷一刀としても、もっともっと豊かで平和な場所にしたいって思えたから」

 

 だからこの大陸こそを拠り所に。

 三国何処へ行こうとも───自分が、皆が微笑んでいられるような、そんな場所を作りたい。

 そう。手を繋ぎ、国に返すことで。

 

「……? 待て。見つかった、と言ったな? それまでの拠り所はどうだったのだ?」

「拠り所っていうか……依存だったのかなって。確かに与えられた仕事もやってたし、警備隊の隊長としてやれるだけのことはやってた……はずなんだけどさ。魏を離れてからの自分を振り返ってみると、もっと出来ることがあったってことに気づけて……はは、関羽さんと同じだ。俺もその時の自分で満足してたんだ。警備隊が天職だ~みたいに考えて、それ以上もそれ以下も求めなかった」

 

 民を守ることは大切なことだ。疎かにしていいことじゃない。

 でもそれが出来るのは俺だけってわけじゃなく、それが凪に委ねられたところで、俺よりももっと上手く出来ると確信が持てる。

 凪を信じればこそ、真桜や沙和を信じればこそ。

 現に呉へと出発する前に見た許昌は穏やかなもので、それが警備隊によってもたらされたものだと理解したら───俺じゃなくてもそれは出来るってことだから。

 

「俺は知識を提供することで役に立てた。警備隊のことも、地盤さえ出来ていれば信頼のおける誰かに任せることで誰でも担うことが出来る。もちろんがっつくみたいに出世したいとか、そんな願望はないよ。俺はただ、役に立てるところで役に立ちたい。利用できるところがあるうちは使ってくれって、最初に華琳に言ったようにさ」

 

 じゃあそれが“利用”の域から出ることができるとしたら?

 華琳が利用ではなく、信頼から俺のすることに頷いてくれるのなら、俺はいつまでも自国の民や兵の笑顔で満足していていいんだろうか。

 大それたことだっていうのはわかりきっていることだし、言うほど思うほど簡単じゃないことだってわかりきっている。

 現状からの進歩を望みすぎれば、待っているのは自滅や落胆ばかりだろう。

 そんなことを起こさないためにも、彼女は───華琳は言った。

 頬を引っ張ったりいろいろと騒ぎながら、だったけど……うん。根回しはいけないよな、華琳。

 

 自分で“これはいい考えだ”って思っても、それは否だと言ってくれる人が居る。自分一人で決めて、上手くやれるのは素晴らしいことだし、正直そんな自分で居たいなーなんて幻想も抱くけど……理想の自分に溺れるだけじゃあ結果は残せない。

 そのために判断をくれる王が居て、本気で怒ってくれる仲間が居る。

 だから……これまた格好悪くて情けない答えになりそうだけど、まずは華琳に直接訊こうか。手紙でもなんでもいい、“俺はこうしたいんだけど、お前はどう思う?”って。

 返ってくるものが笑顔だろうが罵倒だろうが失笑だろうが、全部受け止めた上で目指してみよう。

 

(根回しとは少し違うけどさ。もし好き勝手にその、他国の人に手を出したりなんかしたら……)

 

 ……うん。なんだろうなぁ……首のあたりがスースーする。

 それでも答えはそれなりに纏めることが出来た……と、思う。纏めたことを報告して、その上でこう思うんだけど、って訊いて……まあその、根回しにならないように確認を、とろうか。

 よし。じゃあこれからは───

 

(魏や華琳を理由にしないで、きちんと俺として向き合おう)

 

 それが俺に出来る、俺らしい在り方のはずだから。

 普通だ普通、今までの自分で。その、構える必要なんてきっとないぞ?

 桃香だって言ってたじゃないか、“もしも”って。

 なにも本当に俺が大陸の父になるって決まったわけじゃない。

 というかそもそも俺なんかがそんな大それたものに宛がわれるはずが……そう、そうだようん……浮かれるな、北郷一刀……求められていた時に魏を理由に逃げていた俺が、気づけたからって受け入れますとか言えるはずも、受け取ってもらえるはずもないじゃないか。

 この際、大陸の父とかそういうのは忘れよう。

 俺はただ自分として、自分に出来ることをこなしていく。

 鍛錬や人脈によって出来ることが増えたなら、もっと出来ることを増やして、笑顔を増やしていこう。

 好いた惚れたよりも、天の御遣いとして世と人の心に安寧を。北郷一刀として、人々に絆ってものの暖かさを広めていこう。

 出来るかどうかよりも、まずは立ち上がるところから。

 

「関羽さん。えっとその……いきなりでなんなんだーって思うだろうけど、聞いてほしい」

「ああ、聞こう。いろいろと考えていたように見えたが、纏まったと受け取っても?」

「ん。で……その、えーと……うん。お、俺……さ。たた大陸の父の話、受けてみようと……思う。あっ、もちろん重要なのは、俺が三国の支柱になるってところね!? 男と女って関係よりも重要なのはそこということでっ……!」

 

 偃月刀を向けられてはたまらないと、すぐに自分で自分の弁護に回る……が、関羽さんは真面目な顔で続きを促すだけだった。

 

「……それは。いったいどういう風の吹き回しでだ?」

 

 話が始まってからは否定的な態度や言葉ばかりだった俺に対し、それは何故なのかと真正面から問うてくれる。

 ありがたい。聞く姿勢を取ってくれない人って中々多いから、この冷静さがとても嬉しかった。

 

「俺に出来ることを探すため……かな。俺は俺に出来ることで、いろんな人の笑顔が見たい。些細なことで微笑むことの出来る世が欲しい。けどそれは、宴の中で桃香が言ったように、自国の中だけで手を伸ばすだけじゃあ叶わない夢だ」

「……うむ」

「警備隊の仕事を、俺は誇りに思ってる。自分が警備することで、安心していられるって喜んでくれる人が居ることが嬉しい。誰かを守れてるって自覚出来た時、たまらなく嬉しかった。だから……そんな喜びを、安堵を、もっといろいろな人に知って欲しいって思った」

 

 手を繋げる喜びを、安心して暮らせる喜びを、もっともっといろんな人に。

 それは自分の素直な気持ちであり、そこには誰かに好かれるためだとか、そんな打算的な考えはちっとも沸いてこなかった。

 笑顔があればそれが嬉しい。笑顔で溢れる街を、城を思い浮かべるだけで、心がとても暖かくなる。

 民だけじゃない、兵にも将にも、そして王にとっても……暖かな笑顔を浮かべられるような、平和な大陸をみんなで築いていけること。

 それを思い描くだけでもこんなにも心が躍る。

 一国だけじゃあ全てが揃えられないのなら、三国全てが協力して作り上げる平和。それを、国に生きる一人一人が国へと返すことで築いてゆく。

 やさしさだけでは届かないから厳しさがあり、厳しさだけでは築けないから統率があり、統率だけでは築けないからやさしさがある。

 そうして三国で支え合いながら、ゆっくりと目指せばいい。

 みんながみんな夢を見れば、理想にだってきっと届くから。

 

 ……と、そういったことを真面目な顔で関羽さんに話してみたわけですが。

 

「…………失礼だが。そんな貴方が何故曹操の傍に居られた……?」

 

 そしたら本気で不思議に思っている顔で、そんな質問をされた。

 桃香の理想を折られた関羽さんにしてみれば、それは当然の疑問だったんだろう……なまじ似ていると思う俺からの、こんな理想だらけの言葉だ。不思議に思って当然だ。

 

「えーと……実はね、俺は華琳に拾われてから少しした頃、理想を語る口をボキリと折られたんだ。“国を越えて仲良くすれば、飢饉も争いも無くなるだろ?”って言った矢先に」

「……それは」

「俺は、俺が降り立った瞬間のこの大陸とは、真逆って言っていいほどに平和な世界に住んでたんだ。乱世を生きる人々の苦しみをよく知りもしないで、理想だけを口にする。そんな生きかたをしていた。桃香は苦しみを知っている分、俺よりも立派だったろうけど……それでもきっと、俺が桃香と同じことを口にしたところで、華琳がその場で口にする言葉は変わらなかったんだと思う」

「理想にすぎない、と?」

「うん。俺が生きる国は平和だった。戦なんてものはなくて、小さなことで悪友と笑っていられるような、本当に平和な場所だ。でもね、関羽さん……そんな場所でも、みんな仲良しってだけで成り立っている平和じゃないってことくらい、子供でも知ってる。俺はそれを、華琳に言われるまで本当の意味で気づけていなかった」

「………」

 

 そう。それに気づけたからこそ、俺は自分の世界と乱世とのあまりの差に愕然とした。

 理想は……確かに眩しい。苦しみの中で、そんなものを目指す人が目の前に現れてくれたなら。そんな人が、確かな力を持っているのなら、その人に賭けてみたいと思ってしまう。

 現実は残酷だっていうのに、一つ、また一つとその人が目指す理想への階段を上れば、周りはきっと願わずにはいられない。

 俺も連れていってくれ、私も連れていってくれと願うだろう。

 

  ───でも。やっぱり現実っていうのはやさしくない。

 

 やさしさだけで乱世に平和をもたらすのならば、誰かが鬼にならなければいけなかった。

 全てを救うことは難しい。いや、出来ないと言ってもいいくらいだ。

 けれど理想を振り翳してしまった時点で、手からこぼれてしまう誰かを見捨てちゃいけない。

 全てを受け止め、全てを守り、全てを理想が存在する高みへと連れていかなければいけない。

 ……明るいところだけに目を向けて、助けたつもりで笑っているだけじゃあだめなんだ。

 そう心に誓ったところで、暗いところで餓えに苦しんでいる人、自分の知らない場所で悲しむ人の全てを助けることなんて出来やしない。日本で頑張る自分に、遠い国で飢餓や疫病に苦しむ誰かを救うことが出来ないのと同じように。

 

「奇麗事は、名前の通り綺麗で眩しいよ。でも、どんな綺麗事も綺麗なままで保つのはとても難しい。保っていたつもりでいても、気づけば(ひずみ)が出来ている」

 

 それを気づかせてくれる誰かが傍に居ることは、きっと何ものにも代えがたい喜びだろう。

 俺は、そんな理想が志に変わる前に叩き折られた。

 ……それで良かったんだと思う。

 やさしくなるのは戦が終わってからで十分なはずだから。

 

「……では。一刀殿も桃香さまは王になるべきではなかったと?」

 

 ……真っ直ぐに俺を見る目があった。

 それは、言い訳や言い逃れを逃そうとしない、真面目な目。

 向けられるのは当然か。自分が信じた志を真正面から否定された気分だろうから。

 

「華琳はああ言ったけど、俺は“なるべきではなかった”とは言わないよ。桃香や関羽さんたちのお陰で救われた人はたくさん居る。大国を築けるまでに進化したソレは、ある意味で桃香の理想が叶ったって言ってもいいくらいだった」

「ではっ……!」

「それでも、全てを笑顔にしようとするには急ぎ足すぎたんじゃないかって思う。赤壁での策が成功に終わっていれば、負けてたのはきっと魏で……俺はそんな歴史に“自分”を懸けて挑んだ。じゃあ、桃香は“すぐそこにある理想の成就”のためになにをしてきただろう」

「……あ……」

「あと一歩があれば、赤壁の策が成らなくても桃香や雪蓮が勝っていた。あと一歩が足りなかったんだとしたら、それは桃香自身にある。自分には武の才が無いからと最初から諦めて、鍛錬をしなかった彼女に。もし才を気にせず懸命な努力で武を身に付けていたとしたら、華琳との一騎打ちに勝てたかもしれない。勝って、華琳が言うように武で納得させた上で……手を伸ばして、理想の天下を手に入れられたかもしれない」

「………っ」

 

 適材適所って言葉がある。

 それは、何かを自分より上手く出来る人が居るのに、自分でやってはいけないって効率的な答えや話に繋がっている。

 経済や難しい事柄に関しては、確かにそれは当てはまって作業の滞りを無くしてくれるだろうけど───それが戦に変われば、王と王の一騎打ちともなれば、誰かに“私は戦が出来ないから変わって”なんて言えるはずもない。

 理想ってものに壁があるのなら、桃香にとってのそれは華琳との戦いで……それに向かい合おうとしないのならば、理想を信じて付いてきた人が報われない。

 

「やさしいから武を持たない……それじゃあ生きていけない世界が確かにあった。終始“武”では戦わなかった俺が言えることじゃないけど、必要なことではあったんだと思う。あの時ああしていればって思いはきっと強い。思い出して悔し涙を流すこともきっとある。で……行きつく果ては、“自分以外ならもっと上手くやれてたんじゃないか”。そんな自分に辿り着くんだ」

「否だっ! この道は桃香さまだからこそっ! 私は桃香さまだから、ここまでっ……!」

「……うん。そんな関羽さんや、今でも桃香を支える将や兵、民が居るから。俺は桃香は王になるべきじゃなかったなんて思わないし、言わない。なるべきだったとは言わないけど、なってよかったんだとは断言できるよ」

 

 言えた義理が俺にあるのかもわからないこと。

 それを関羽さんは真正面から受け止め、目を伏せていた。

 俺自身も目を伏せていて、それは“今まで散々と悩んでいたくせに、他の人のこととなれば頭が回る”ことに対して頭を痛めている瞬間でもあった。

 そのくせ、気づいてと言われても気づけなかったりわからなかったりで、ああもう本当に馬鹿野郎、と毒づきたくなったりしている。

 

「人のことを口にするのは楽なのに、自分のことは難しいなぁ……。俺なんか、理想のために自分を削ることしか出来なかったのに……ごめん、関羽さん。キミの志に偉そうなことを言った」

「……いや。あの方はやさしかったが、やさしすぎたのだろう。責があるとしたなら我らだ。武は我らが、と……桃香さまが成長する機会を知らずに奪っていた。足りなかった一歩を想定することもせず、現状で満足していたのかもしれん」

「はは……それは気づけるほうがすごいよ。桃香の徳で人が集まっていたなら、それは余計にだし……逆に桃香が鍛錬ばっかりしていたらどうなってたのか、想像してみると案外怖い」

 

 なにせこの世界の女性は男よりもよっぽど強いから。

 それは民にしたって同じで、呉の饅頭屋のおふくろとかはもう親父でさえ恐れるほどだ。

 今考えている強さの意味からはちょっと外れているかもだけど、うん。女は強い。

 そんな人に俺なんかが鍛錬を……って……あとでどうなるんだろうなぁ。

 でもそっか、趙雲さんが桃香を鍛えてくれって言ってきた理由、わかった気がする。

 ただ泣いていたからってだけじゃない。桃香も自覚があったから「やる」って頷いてくれたんだろう。

 

「俺も頑張らなくちゃな……大陸の父になるためじゃなく、きちんと支柱でいられるために。……ち、父になるかどうかは、むしろそこらへんにかかってるんだと思うし」

 

 父になるため……つまり女性を迎えるために強くなるっていうのは、その……かなり違うと思う。

 むしろ女性の前で言う言葉じゃないだろそれ。

 顔が灼熱するのを自覚しながら呟くと、関羽さんはそんな俺を見てくすりと笑った。

 

「いや。貴方ならきっといい父になれるだろう。というより、貴公ならばと頷ける。……やさしいだけでは駄目だった。それは桃香さまに対する私達にも言えたことだったのだな。貴公なら、それを桃香さまに教え続けられると信じている。だから、どうか……御遣い殿。貴方は己を疑わず、魏の御遣いではなく三国の御遣いとして、北郷一刀殿として在っていただきたい」

「い、いやっ……支柱になれたらとは思うけど、蜀のみんなが納得するかどうかなんてっ」

「それはこれからの一刀殿次第だろう。が……なるほど。もし桃香さまと一刀殿が結ばれることがあれば、一刀殿は我が主も同然と───……」

「………」

 

 ああ、なんだろうこの嫌な予感。

 笑顔のままに冷や汗が流れて、とっても嫌な感じです。

 関羽さん? なんなのでしょうかその悪戯っぽい笑みは。趙雲さんあたりがしそうな妖艶な笑みは、貴女には似合わないと思うのですがー……。

 

「支柱になるも、大陸の父になるも、それは一刀殿次第。だが、そんな父を桃香さまが受け容れるかは桃香さま次第……私がとやかく言えることでは……今はない。その、その瞬間になれば突然口にすることもあるだろうが、それはその、受け止めてほしい……というか」

「う、うん……」

「だ、だがもしそうなれば、言った通り貴方は我らの主になるわけであり……ふふっ、慣れるためにもこれからはご主人様、とでも呼びましょうか?」

「やめてくださいっ!? 華琳に知られたらいろんなものが飛びそうだっ!!」

「ふふっ、失礼。遊びが過ぎました」

 

 の、割には敬語のままですよー……?

 まさかこれからは敬語で突き進むとか……ないですよね?

 

「今日、この場に来てよかった。理解出来ることもあり、頷けることもあった。天の御遣いは真実御遣いであると同時に人でもあり、我らと同じく悩み、苦しみ、その上で人々の平穏を願っていた。私には……それが嬉しい」

「……関羽さん……」

 

 どこか吹っ切れたような、軽いとっかかりが取れたようなスッキリした笑顔。

 そんなものが自分に向けられていて、ドキリと来ない人は居ないと思う。

 なにせ笑顔よりも冷たい目線を向けられることが多かったのだから。

 俺としてはもう、覗きのことを許してくれるだけで十分なんだけど……あの関羽さん? 何故そこで照れたような笑みをこぼしますか?

 

「やさしさと、己の無力……そして、向上心を持つ貴方ならと思える。どうか桃香さまの迷いや未練を取り払ってほしい。私はもう、あの方の涙は見たくない」

「………」

 

 どこまでも真っ直ぐに、真剣に。

 人にものを頼むことなど滅多にしなかったんだろう。自分の無力さに恥じ入る部分もあるのかもしれない。

 だっていうのに、その上であの関雲長が頼んでいる。他の誰でもない、俺……北郷一刀に。

 それは、いったいどれほど誇っていいことだろう。

 自分が信じた人、自分の武に志をくれた人を頼むと言われ、俺は───

 

「……うん。きっと」

 

 男の沽券だとか意地だとか、そんなものはかなぐり捨ててでも……それは受け取るべき意思なんだって感じた。

 損得ではない、器用ではない彼女のために、自分に出来ることをと。

 無力を知り、それでも道の先を願わずにはいられなかった……歩む道は違ったけれど、最初に求めたものは同じだった似た者同士として、彼女の助けになることをこの場で誓った。




 G級のオストガロアさんがハチャメチャに強い……!
 ラオシャンロンさんは武器なんて正直なんでもいいって感じで討伐できるのに……!


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27:蜀/それが大切なものだと気づいた時、人は少しだけ強くもなり弱くもなる②

 俺が頷いてからしばらく、宛がわれた自室には穏やかな空気が流れていた。

 いがみ合う理由もなく、だからといって浮かれる理由もなく、ただ普通の時間と空気が流れてゆく。

 

「こう来たら、こう?」

「いえ、そうすればこう弾かれ───」

 

 ただ、武を知る人との普通は、自分にとっての普通ではなかったかもしれない。

 なにをしているのかといえば、剣の手ほどきのようなものであり……納得はしたけど力を振るうことへの戸惑いが払拭されたかどうかなんてわからない俺に、関羽さんが手ほどきを、という状況。

 ただ気になることといえば、俺が頷いてからというもの……関羽さんが敬語で話し始めたことくらいで。

 

「あ、あのー……関羽さん?」

「? なにか?」

「その……どうしていつの間にか敬語に?」

 

 疑問はぶつけて然るべき! とぶつけてはみたものの、それはあっさりと予想外の言葉で返された。

 

「出会う場所が違えば、私は貴方からでも志を受け取れた。そして、私は“貴方ならば”と桃香さまの標として受け容れた。それは桃香さまがどう思おうと決めた私の意思であり……ふふっ、覚悟というものです」

「……っ」

 

 う、わっ……! 顔が熱くなっていく……!

 かか、覚悟? 覚悟って……ああっ、やめてっ! そんな穏やかに微笑まないでくれっ! 真似!? それって真似なのかっ!?

 

「ここぞという時には“覚悟”の言を口にする。呉での貴方の話は、朱里や雛里から嫌というほど聞かされてきました。暇があれば誰かの手伝いに走り、三日に一度鍛錬をし、その鍛錬が通常では考えられないほどの量だ、とも」

「う……」

 

 考えられないほどの量なんかやってないって……! それって朱里や雛里から見てって意味なんじゃないだろうか。

 そりゃあ、ほうっておけば一日中走っているような鍛錬なんて、誰もやろうとしないだろうけど。

 氣と体力が許す限りに、三日前に至った限界よりも一歩先へと体を苛め抜いて、三日後にはさらに苛め抜く。そんな方法やってる人、たぶん居ない。

 ……フツーに考えて、やりすぎなんだろうなぁこれ。準備運動だけで桃香がぐったりなのがいい例なのかもしれない。

 

「鍛錬、やりすぎ……かな。桃香が準備運動だけで筋肉痛になっちゃったんだけど、もっと控えめにしたほうがいいと思う?」

「一刀殿の鍛錬の程度は知りませんが、ものにならない程度の鍛錬ではやったところで無駄です。続けることで、桃香さまがこれから流すであろう涙が減るのなら……今が苦しくても耐えるべきだ、と……武人の私ならば言いますが。私個人としては、桃香さまの苦しむお姿は見たくは……」

 

 ままならないものです、と深い溜め息。

 って、鍛錬よりもその口調が……その……。 

 

「そればっかりは桃香の頑張りに任せるしか……。辛いから嫌だって言われたら無理強いなんて出来ないし、もっと簡単なのをって言われたって、うーん……この世界の基準から考えると、まだ楽な気もするんだよな……」

 

 強い女性がいっぱいだから、基本の時点で男より女が強いって思えて仕方がない。

 今だって、“桃香も実は力とか結構あったりするのでは……”とか考えてるくらいだ。

 

(桃香は軍師タイプなんだろうか)

 

 考えてみればこの大陸のみんなは武力か知力かで大体分かれていて、逆に武も知もある人は珍しい存在だ。

 華琳や秋蘭、関羽さんや黄忠さん、穏や亞莎はそのあたり、両道できている気が……しないでもない。

 特に穏や亞莎は思い切り軍師で武力も中々とくるから……なんだ、呉って本当にバランスがいいじゃないか。

 魏は……知と力とでとことん分かれてる感じがするなぁ。

 季衣と桂花の性格を融合させることが出来たら、知に長けた強者が完成するんだろうか───と考えてみて、悪巧みばかりに知を使いそうな気がして項垂れた。

 というかそれはえぇと……失礼だけど魏延さんになるんじゃないだろうか。主のためだけに知恵を絞り、主に近づく者全て、屠らずにおれん! って感じで。

 想像してみたら怖くなった。

 そんなことを考えながらも、木刀を小さく振るってから構えを取る。

 ふぅ……と出る溜め息は、いろいろな物事への悩みゆえだろうか。

 “もっとしゃんとしないとな”とは思うものの、思うだけでなんでも出来るんだったら苦労はしない、だよなぁ……。

 

(そもそも……雪蓮たち呉のみんなに揺るがないとか言っておきながら、こんな簡単に……)

 

 溜め息の原因の大半はそれだろう。自分が情けないのだ。

 

  “どうせ国がどうとか魏がどうとか考えておるのだろうから訊くがな。お主の気持ちはどうなんじゃ。肝心なのは魏でもなんでもなく、そこじゃろう”

 

 祭さんに言われた言葉を思い出す。

 今さら気づいて、本当に呆れた。あれには本当にいろいろな意味があったんだろう。

 魏が華琳がと断っていたその言葉は、俺自身の言葉なんかじゃなかったことや、何かを理由に“強さ”を求めれば、いつか躓いてしまうこと……本当にいろいろ。

 何かを理由にする前に、自分で立って自分を理由にしなければ、自分の“芯”で動くことなんて出来るはずがない。

 考えすぎかもしれないけど、受け取り方一つでそこまで考えられたはずなんだ。

 子供を作るとか、その……は、孕ませるとかの話でうやむやになったけど……それで流して、よく考えもしなかった。

 “気づける要素”はきちんとあったのに、それを俺は……“気づきたくなかったから知らないフリをした”……のか?

 

「~っ!」

 

 だめだだめだっ! 考え始めると暗くなるっ!

 いいか一刀、過去は確かに重要だっ、嫌なことだろうがなんだろうが、今まで生きてきた過去の全てが今の自分を形成している! よし、それはOK!

 今重要なのはなんだ? 後ろを振り返ってうじうじと考え続けることか? それとも現状をきちんと考えて、大陸の支柱のことをよく考え……いややっぱり待て。

 

「……関羽さん、ごめん。また話を聞いてほしいんだけど……って、あれ? どうかした?」

 

 むー……と考え込んで、思考の袋小路……むしろ無限ループに陥りかけていた自分を振り払うためにも、誰かの意見を───と思ったら、頼ろうとした相手がくすくすと笑っていた。

 

「いえ。朱里と雛里に、悩む姿が可愛───い、いえ、なにも聞いていません。話ですね?」

「?」

 

 どうしてここで朱里と雛里が出てくるのかなとも思ったものの、聞く姿勢を取ってくれたので話すことに。

 なにを話すのかといえば、もちろん悩んでいることについてだ。

 弱いところを多少でも見せてしまったからだろうか……どうも“頼ってもいい”みたいな感情が沸いてくる。

 ……ちゃんと立とう、考えようって思った矢先なのに、恥ずかしくも情けない。

 考えて考えて、どうしてもわからないことは訊くべきだってわかっていても、考えることを放棄して訊くのと、考え抜いてもわからないから訊くのとじゃあ確かに違う。

 違うんだけど……はぁ……おじいさま、一刀はやっぱりまだまだ弱い子です……。

 

「どうされました? 天井など見つめて」

「いや……ちょっと葛藤を受け容れる準備を、というかなんというか……えと、それでなんだけど」

 

 悩みすぎると、出す答えも歪むことがある。

 何かを考える場合、特に暗いことを考える場合は、“明るい何か”を思考の間に挟むといいという。

 案外それでスコーンと解決することもあれば、言うほど楽に挟めるもんじゃないよ……と落ち込むこともあるわけで。えーと……うん、つまり暗いことを考えている時は、他のことが考えにくくなっているから気を付けろってことで。

 考えにくいってことは、他のことも思いつきにくくなっているってことだから、ネガティブな答えばかりが頭に浮かぶ人は要注意。つまり今の俺は少し落ち着くべきであるということで……。

 ええいだから考えるなっ! 今は弱い自分のまま誰かに頼ってみろっ! 勢いでもいい、今まで悩んでいたこと全部をぶちまけるくらいの気持ちで───!

 

「うじうじ考えていても仕方ない……だから関羽さん! 率直な意見を聞かせてほしい!」

「───……真剣に、ということですね? 私で答えられることならば」

「うん! じゃあ───俺との間に子供が欲しいとか思う!?」

 

 ………。

 

「……は?」

 

 あれ? 今時間が止まったような……ってちょっと待て、今俺なんて言った?

 

「こ、こど……!? な、ななななにをっ!? 貴方は三国の支柱となり、桃香さまがもし望むのであれば、蜀の世継ぎを育むための連れ合いになるお方! それが急になにをっ……!!」

「待ったちょっと待った! ごめん今の無しっ! そうじゃなくてっ!」

 

 顔を真っ赤にして慌てふためく関羽さんを前に、両手を前に突き出して慌てる北郷一刀の図。って他人ごとみたいにして逃避してる場合じゃなくてっ!

 

「ごめんちょっとこんがらがってたっ! 祭さんとの会話を思い出してたら……! そ、そうじゃなくて、えっと……!」

 

 自分でもわかるくらいの顔の熱と、やっちまった感に包まれながら必死に思考を回転させるも……わあ、見事な空回りだ。

 慌てる時こそ落ちつけって偉い方は仰るけど、慌ててるから慌てることしか出来ないんじゃないだろうかと、こういう場合はツッコミたい。

 でも落ち着こう、本当に。

 

「すぅ……はぁ……! う、うん、ごめん……えぇとそれで……そう。揺るぎのこと」

「揺るぎ?」

 

 顔は赤いままだけど、一応落ち着きを取り戻してくれたらしい関羽さんが首を傾げる。

 俺もその間にもう一度深呼吸をして落ち着くよう努め、真っ直ぐに関羽さんを見つめてから続ける。

 

「うん……呉でのことなんだけどさ」

 

 始まりはその言葉。

 宴の日に“揺るがないこと”を口にし、呉に行っても揺るがぬよう努め、まるで……そう、魏を盾にすることでその言葉を守るように行動してきた。

 けれど今日、いろいろと気づいてしまった自分は揺るがぬままではいられないのでは。気づいてしまえばその気持ちは友愛どころではなく、祭さんが言う通り“問題なのは俺の気持ち”だったわけで……そのことで悩んでいると。

 自分の気持ちを隠すことなく、関羽さんにぶちまけてみた。

 すると───

 

「悩み始めると止まらないところまで同じか……はぁ。───そこまで想われているのに断り続けられるところは、見事と……言えるのでしょうか」

 

 呆れたといった様相で溜め息を吐かれました。

 それはまるで、悪さをしでかした子供を見るような親の目で……ああこれ、じいちゃんと対峙していた時によく見た種類の視線だよ。

 

「……星。盗み聞きもいいが、耳ばかり働かせるのではなく口も働かせる気はないか?」

「……へ?」

 

 腕を組み、呆れたままの表情で窓の方へと声を投げる関羽さん。

 すると、装飾が成された窓にひょこりと見えるナースキャップのような物体。

 

「おや。いい肴を見つけたと思えば、まさかそこに迎え入れられるとは」

 

 窓を開けて、ひょいと入ってくる姿を前に、俺も呆れるしかなかった。

 ということはもしかして、悪さをしでかした子供を見るような親の目の原因って……どっちもどっちだな、きっと。

 

「星っ、お前はまた昼間から酒をっ……! いやそもそも警邏はどうしたっ!?」

「いやそれがな、酒家のおやじにいいものが出来たとこれを頂いてな。しかし警邏中の身で飲むわけにもいかず、きちんと警邏はこなした。うむ、こなしたとも。しかしそこで同行していた焔耶がこう言ったのだ」

「……酒に意識が行きすぎてて役に立たないから、もう目立たぬところで酔っ払っていてください、って?」

 

 なんとなく祭さんの行動パターンに当て嵌めて口にしてみる。と、「ほお」と感心の声が聞こえ、

 

「……会って数日でそこまで読めるとは。なるほど、愛紗が認めるだけはある」

 

 と続け、笑ってらっしゃった。

 いや、笑ってられる状況じゃないからそれ。

 

「なに、心配ない。きちんと代理を立ててある。私としても仕事の最中に一人抜け、酒を飲むのは気が引けたのだが……そこへほれ、めしだめしだと街中を走る二頭の猪が」

『………』

 

 関羽さんと二人して頭に掌を当て、溜め息を吐いた。

 オチが読めたのだ。

 さて、関羽さんと話し始めるまで、ここには他に、二人居た。

 その二人はなにを目的に、さっさと出て行ったっけ。

 

「これは僥倖と、二人に肉饅頭を買って与えて取引を持ちかけたところ、快く引き受けてくれたわけだ」

「何が快くだ。どうせ口八丁を並べ、その饅頭が今でなくては食べられないものだとでも言ったのだろう」

「口が八丁だろうと、話を聞いた途端に問答無用で奪われ食べられては、騙したのだーといくら言われても涼しき微風。冗談だと言う暇も無かったなら、引き受けてもらうしかなかろうに」

「…………」

 

 ああ、関羽さんが自分の義妹の行動に頭を痛めてらっしゃる……。

 鈴々も少しは疑ってから食べようよ……ってちょっと待った。

 

「……奪われたの?」

「おや、友をお疑いかな?」

 

 その名、メンマ同盟。じゃなくて、奪ったっていうのがどうにもしっくりこない。

 

「疑うとかじゃなくて、是非ともその話をしていた時の趙雲さんの姿勢を訊きたいなーとか」

「………」

「星?」

 

 なんとなくだけど、饅頭を突き出したりなんかしてたんじゃないかなーと思うわけだが……もしかしてビンゴ?

 確かに“あげる”と言わない限り、突き出していようが目の前に置いておこうが、奪われたなら奪われたことにはなるけど……ソッと視線を逸らした趙雲さんを見るに、それが答えなんだろうなぁきっと。

 

「……では話を続けようか」

「ん、そうだな」

「………」

 

 さらりと流した趙雲さんに続くように頷き、ジト目で趙雲さんを睨む関羽さんも促しつつ再開。

 どの道奪って食べてしまったなら、今ここに趙雲さんが居ることだけが結果というわけで。今さら何を言っても何かが引っくり返るわけじゃないと受け容れ、話を続けることに。

 

「北郷殿の“揺るぎ”について、だったかな? それならば答えは出ているであろうに」

「答えが? …………んー……」

 

 考えてみる……が、答えが出ない。

 なまじ“これだ”と刻んだ答えがある分、たとえそれが間違いだとしても認めたくないものがある……そういった気持ちに似ている。

 余計なことを考えたな、と頭を振るう。

 

「わかりませんか?」

「難しく考えようとするから絡まる。北郷殿は少し思考を柔らかくするべきだな」

「って言われてもな……」

 

 答え……俺が揺るがないって言ったのは、そもそもどういう意味でだっけ。

 って、今話したばかりなんだから考えるまでもない。

 “魏からべつのところへ降るっていうのは考えられない”……雪蓮に“呉に来ないか”と誘われた時に、そう言ったのがきっかけ。

 それはいつからか気持ちの問題にもなっていて、“魏以外の人と関係を持つこと=揺らぐ”って考えに変わっていた。

 でもそれと今の……あれ?

 

「え? いやちょ、ちょっと待って?」

 

 力が抜けるような答えが見つかった気がした。自分に対して感じていた男としてのアレとかソレが、一気に膨れ上がるような問題が……。

 

「えーと……もしかしてさ。いや、なんかもう自分で考えてた部分に答えがごろごろ転がってて、それを答えにしなかったのが馬鹿みたいなんだけど……同盟の支柱になって、魏にも呉にも蜀にも身を置くようにするってことは……どこに降ったわけでもないから、揺らいだことに……ならない?」

『…………ぷふっ……!』

 

 同時に、盛大に噴かれました。

 俺から顔を背け、口に手を当ててこう……ブフッて。

 い、いや、確かにきっかけはそうだったよ!? 「呉に来ない?」って言われて、俺は魏に身も心も捧げたから“降ることはしない”って意味で「揺れないよ」って!

 そりゃあ支柱になるってことは何処に降るわけでも裏切るわけでもないし、むしろこの大陸に身も心も捧げるって意味では、考えていた“出来ること”をもっと増やすきっかけにもなるんだから、望むところではあるけどっ!

 

「ふ、ふむ、なるほどっ……くくっ……これは確かに、可愛らしいと思うのも納得がいくかもしれん……なぁ愛紗」

「い、いや私はべつにっ……」

 

 ……ていうかね、顔を真っ赤にして思い悩んでいる男を前に、そんな笑いを必死で堪えながらのヒソヒソ話はやめてほしい。むしろ聞こえてる。聞こえてるからね?

 

「まあそれも、桃香さまが受け容れるかどうかの問題。我々だけで判断するには荷が重い上に、簡単に答えを出していいものでもない。ようはお主がどう受け入れるかと、桃香さまの判断次第ということだな、北郷殿」

「う……」

「どちらにせよ呉がそれでよしと頷いているのなら、少なくとも魏と呉の支柱にはなれるわけだ。それこそ毎夜毎夜、体の許す限り魏王と呉王の体をむさぼ───」

「耳元でそういうこと言わないっ!」

「ならば堂々と」

「そういう意味じゃなくてっ!」

 

 あ……だめ……なんかもういろいろ考えてた自分が馬鹿らしく……いやいや待て待てっ、ここでそういうことを考えるのは危険だ。

 そう、支柱になるのはもう頷けることだ。自分が軸になることで、様々な人が笑顔になれる……こんな嬉しいこと、きっと他にない。

 そうだ、支柱になるってだけで、その……肉体関係があるわけじゃないんだ、考えすぎるな。

 呉で種馬がどうのとか言われてたから、どうにも“大陸の父=そういう関係”って考えが基準として頭を占めていた。そうだよな、大陸の父……じゃなくて三国の支柱って考えれば……待て、ちょっと待て。

 ああもう何回待ったっけ? でも待て。

 

「あーのー……関羽さん? なんかさっき、蜀の世継ぎをどうのって……」

「あ……そ、それは」

「ふむ。愛紗が多少であろうと認める男は多くはない。必然的に、いやこの場合は消去法でと言うべきかな?」

「何気に言葉の中に棘を仕込むのはやめてください盟友さん」

「はっはっは、いや失礼。ともかく、蜀の皆は桃香さまのことを大事に思い、好いている。その桃香さまの相手になる者となれば、これもまた皆に好かれるような者であるべきだろう。まあ私は桃香さまが認めた相手ならば、私の好みなどどうでもいいとは思ってはいるが───」

 

 口休めに「ふむ」と口に手を当て怪しく微笑み、俺を見つめる趙雲さん。

 うん。女性がこういう笑みをする時って、あまりいい予感がしなかったりする。

 

「北郷殿、友として忠告しておこう。我らの信ずる桃香さまと友になったからといって、迂闊に手を出せば信用はがたがたに落ちて……」

「ちょっと待った!」

「む?」

 

 それだ。そのことで今止めたばかりなのに、また「待て」と考えなきゃいけない状況に……。

 

「支柱になるのはいい、それは頷けるけどさ。支柱になる=王の相手になるって考えはおかしくないかな」

「はっはっは、なに。“いずれ”の話として受け取ってもらえればそれで構わんよ。我らだけが騒ぐ分には、それもこれも部下や臣下が勝手に騒いでいることとして、桃香さまも意識することもない。むしろ意識することで北郷殿を避けるか、好きならば突撃するか……いやなに、“平和”以外のことへ積極的な桃香さまも見てみたいと思っているのだよ、私は」

「星……桃香さまをだしに使い、遊ぶというのであれば───」

「おっと。やれやれ、相も変わらず桃香さまのこととなると冷静ではない。なるほど、これは確かに手綱があったならとも思うが……北郷殿、今からでも蜀に降らんか? お主が居れば、このじゃじゃ馬も少しは節度を持つと思うのだがなぁ」

「なっ……星っ!!」

 

 クイッと杯に注いだ酒を飲み干して、はぁ……と吐かれる息はどこか楽しげだ。

 なるほど。少しだけ、桃園三姉妹以外との関係内の、パワーバランスとかもわかった気がした。

 一言で言えば、飄々と人をからかえる人は強いってことだ。

 まあこういう人ほど、何気ないところでしっぺ返しを受けているんだろう。

 夢中になれるものの片隅で失敗を~とか。

 ……その場合はメンマになるのか? なるんだろうなぁ。



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27:蜀/それが大切なものだと気づいた時、人は少しだけ強くもなり弱くもなる③

 とまあそんな理解は別として、俺の返答はもちろん拒否。気づくことがいろいろあろうが、魏から別の場へと降ることを良しとしない自分はそのままだ。

 

「ふふっ……うむ。予想通りの答えで、しかしきちんと心に届いた。もっと前からそうしていられれば、呉の連中も早々に諦めたやもしれんのに……逆に火をつける結果になったと」

「仰る通りみたいだけど、あの……趙雲さん? 試すような言い回しはやめてくれないか?」

「“男”を試す機会はいくらでもあるべきだろう? そうして何度も試され、その度に成長してゆく存在であればいい。そうすれば桃香さまもコロリと」

「だっ……だからっ! 俺は桃香をどうこうするために支柱の件を受け容れるんじゃないんだってっ! “王としての桃香”が甘えられる場所になれればって受け容れはしたけど、だからってそんなよよよ世継ぎとかっ……!」

 

 話が飛びすぎなのにも程ってものがある。

 もう自分の顔が真っ赤であろうことを自覚しつつ、やっぱりぶんぶんと手を振るって拒否をするのだが……趙雲さんはむしろそんな俺を楽しんでいるようで、さらにさらにと追い討ちをかけてくる。

 ……関羽さんは……ああいや、関羽さんもいろいろと気になってるみたいで、止めようとする素振りは見せるものの、止め切ってくれませんですはい……。

 

「ふむ? 桃香さまのことがお嫌いか?」

「会ってまだそんなに話もしてないのに、好きとか嫌いとかって……はぁ。こういう流れって、どうして好きか嫌いかの二択しかないんだろうなぁ」

「友としてでもよろしい。まあ嫌いならば友のままで居るのもおかしなものではあるが」

「それは……好きだよ。近くに居て安心するっていうか、呉でも言えることだけど、あんな王は他には居ない。傍に居ると温かく包まれてる……守られてる感じがするのに、いざって時は守ってやりたくなる王様っていうのかな……」

 

 立てた理想はとても眩しく、眩しいからこそとても脆い。

 強さと弱さを持ちながらも、理想が眩しすぎたために早い段階で弱さの根っ子に気づけなかった。

 結果、理想ごと華琳に叩きのめされることにはなった───けど、華琳と戦うもっと前に答えを得ることが出来たとして、するべきことを変えられただろうか。

 理想が眩しかったから立ち上がることが出来て……関羽さんだけじゃない、無意識とはいえいろいろな人に志を与えてきた彼女だ。目指す場所はきっと同じで、ただもっと自分を高めるか否かの選択肢を選ぶだけだったんだろう。

 そんな道を自分から歩ける人を、尊敬こそすれ嫌ったりなんかできるはずがない。

 

「……結構。お主の言う“会ってまだそんなに話もしていない”間に、随分と理解しているようではないか」

「へぐっ!? あ、いやこれは……」

「人を見る目があるのなら、お主はきっともう迷わん。壁にぶつかろうと、乗り越えるのではなく抜け道を探すのも一つの手。馬鹿正直に乗り越えようだのどうのと考えれば、たった一つの方向でしか物事を考えられなくなる。そうだろう?」

「それは……うん、もちろん。考えることを放棄するのは自分にも周囲にもよくないことだよ。必要なのは壁にぶつかるたびに乗り越えようとする頭だけじゃない。回り道になろうと、なんとしてもその壁の先に行くことだ。先に行くこと……誰かと一緒に考えて乗り越える、回り道をしてでも先へ行く、一人で解決して先へ進む、壁を破壊してでも進みゆく……きっと方法は一つだけじゃない」

「そう。しかし桃香さまが立った場所には、答えなど一つしかなかった」

「……華琳が壁である以上、華琳は自分の理想……“力で打ち下す”以外の方法じゃあ納得しなかった、か……」

 

 けれどその先にこうした平和があることを、たとえ与えられた平和であろうとも喜ぶべきだ。

 それがたとえ、望んだ形とは違っていたとしても。

 

「北郷殿にはそういった答えにぶつかり、さらにその芯ごと叩き折られた桃香さまの“支え”になってほしいと思っているのだよ」

「支えに……?」

 

 俺の言葉に、壁にとす……と背を預け、腕組みをしながら頷く。……酒は手放さず。さすがだ。

 どこか気取っている格好なのに、それがよく似合うのは、様々にとりあげられたもので趙子龍が美形として扱われる所以(ゆえん)に近しいものなのかもしれない。酒は手放さないけど。

 

「聞けば、蜀王としての桃香さまの甘えられる場になったという。呉でも、孫権の甘えられる場になったと」

「あー……そんな情報、どこから───いや、なんでもない」

 

 情報源がはわあわ言っている様子が頭に浮かんだ。

 そんなに簡単にいろいろ話さないほしいなぁとは思うものの、あの大人しい二人のことだ。いろいろと掴まれていることもあるんだろう。

 

(なんとなくだけど、ほら……結盟のきっかけのアレとか)

 

 この人との会話時間はまだまだ多くはないが、それでもわかることはある。

 一言で言うなら、人をからかうのが好きそうな顔をしている。

 二言で言うのなら、どこぞの覇王様が人で遊ぶ時とよく似てらっしゃるのだ、妖艶に笑む様とか……まあその、いろいろと。

 三言を加えるなら、からかわれた相手の様を見て楽しむところとかもだ。

 これで女色で王の資質があるなら第二の華琳の誕生になるのか? ああいや撤回しよう、華琳は彼女ほどメンマにハマってはいない。

 食に関してはなかなかにうるさい華琳でも、この人ほどメンマを極めようとは思わないだろう。

 華琳が多に妥協をしない存在なら、趙雲さんは個に妥協しない人で……華琳が食で趙雲さんがメンマ、と……そんな感じか。

 

「我々は“桃香さま”を支えることは出来ても、蜀王の桃香さまを甘えさせることができません」

 

 と、また思考の渦に飲まれそうになっていたところへ、関羽さんの声が届く。

 

「そう。どれだけ頼ってくれようと、それは頼るだけであり……桃香さまは逆に頼ってばかりの自分に情けなさを感じてしまうやもしれない。ならばどうするのが理想的なのか」

「……あ、甘えさせること?」

「うむ。出された問題を、そうとかからず解いてみせた北郷殿だからこそ任せたい。普通ならばもっとうじうじと考え込んで、今日明日では答えを出せずに思考の海で溺死するものと踏んでいたのだが……ふふっ、認識を改める必要がありそうだ」

「………」

 

 いや……実際思考の海には何度も落ちた。

 取りつく島を探しては、どこにもそんなものがないことに気づいて答えを探して。けど、呉での出来事がそんな自分を救ってくれた。

 経験は裏切らない。

 少なくとも、そう思えた瞬間が確かに存在していた。

 たとえ何も解決できなかったとしても、それは経験の量が少なかっただけのことで……積んだ経験はきっと裏切ったりはしないのだと。

 望んだ結果から外れてしまう答えしか出せないのだとしても、経験を恨む必要はないのだと。

 

(……各国を回ること、やってみてよかったな)

 

 魏に篭っているだけでは至れない答えがたくさんあった。

 俺も基本的な考えは桃香となにも変わらない。

 助けられる人が居るなら助けたいし、手を繋ぐことで仲良くなれるなら、いくらだって伸ばしたいと思う。

 でも……なんの力もなく伸ばすだけじゃあ、期待させておいて突き落とすのと結果は変わらない。

 “俺に出来ることを”と足掻いてみても、手を伸ばした人が求めたものを与えてやれない手に、いったいなんの価値があるのか……そう考えてしまうと、伸ばしかけた手も途中で止まり、いつかは下ろしてしまうのだろう。

 そんな期待を国の王として背負い、手を伸ばし続けた桃香は本当に凄いと思う。

 けど。背負って立つだけじゃあダメだった。力を押さえるには力が必要で、理想を叶えるためにも力が必要だった。

 彼女にとっての力は仲間で、華琳にとっての力は自分と仲間だった。その違いが最後を決めた。

 じゃあ俺はどうだろう。

 力は……今つけている最中だ。なにかを背負うなんて大それたことはと思うものの、手を繋いだからには、友達になったからにはその人の笑顔をみたいと思っている。

 思っているからこそ、疑問は口にしよう。

 俺に桃香を任せたい、と言った言葉に対して。

 

「……自分たちが信じた国の王を、警備隊長に任せるって……どういうことかわかって言ってるのか……?」

 

 返ってくる言葉は予想がついていた。が、言っておかないといけないことなので、それは仕方ない。

 

「ならばその一国の王の甘える場所となった貴方は、よほどに無謀者か命知らずだな」

「あまり意味変わらない気がするんですけどっ!?」

 

 予想通りだった。趙雲さんも会話の流れを読んだような言い方だったし、特にあの顔は……俺の心内まで見透かして楽しんでいる華琳のようだ。

 あ、あー……ツッコミが入ったのは本能レベルだ。言いたくなる気持ちも察してほしい。

 

「まったく、おかしな御仁だ。降れだの愛を受け取れだのと言えば頑なだというのに、頼まれると嫌と言えないようだ。桃香さまの時もそうして押し切られたのだろう?」

「……お、押し切られたとかじゃなくてちゃんと頷いたんだって。いくら俺だって、嫌なことは嫌って言えるさ」

「ふふっ、そういう言葉で返す者ほど、そういうことが出来ないものだと思うが。まあそれはこれから知っていくとしよう。ところで北郷殿? 茶があれば淹れてほしいのだが───」

「あ、ああわかった。茶のことならじいちゃんに淹れ方を教わったから、多少は上手くできると思う」

 

 酒を飲んでいるにも関わらずお茶? とも思ったものの、そんな疑問を返すこともなく部屋から出ていこうとし、肩をガシリと掴まれた。

 振り向いてみれば、関羽さん。

 

「あ、関羽さんも飲む?」

「あ、はい───ではなくてっ! 言った先から断ることもしないでどうするのですっ!!」

「へ? や、べつに俺嫌だって思わなかったし……嫌なら嫌って言うけど、悪いことじゃないだろ?」

「……~……、……」

 

 ……あ、あれ? なにやら関羽さんが頭抱えて俯いた……?

 

「なるほど、言い方を改める必要がある。頼まれると嫌と言えないのではなく、嫌と言えるものが多くない……と」

「くっ……こんなところまで桃香さまに似なくてもっ……!」

「え? い、いや、俺が多少の面倒を負うことで誰かが笑ってくれるなら───だだ大丈夫っ、ちゃんと嫌なら嫌って言うしっ!」

「では北郷殿。厨房へ行き、酒を調達してきてはもらえんだろうか」

「管理してる人に事情を話せばいいんだよな。わかった」

「ついでに肴になるようなものを───」

「ああ、それならお願いして俺が作ってこようか? 多少は出来るつもりだから」

「酒の相手とまでは言わん、話相手になってほしいのだが」

「今日の予定全部こなしたら、その後にでも。ただし、それまではお酒はお預けだ」

「むっ……ではその予定を全て後回しにしろと願われたら?」

「趙雲さんの話が本当の本当に大切なものなら、何よりも優先させるよ。みんなには謝って、なんとか治めてもらう」

『………』

 

 ……あ。二人して溜め息吐いた。

 

「……愛紗に代わってもう一度言おう、北郷殿。そんなお主が何故あの曹操殿の傍に居られた……」

 

 頭に手を当て、はぁああ……とそれはもう重苦しい溜め息を。

 

「え? や、それは…………なんでだろ」

 

 利用価値があったとか、そういうことが基準としてあったなら、それでいいんじゃないだろうか。

 あとはそれまでの気持ちや、積み重ねていった事柄が、そういう縁を結んでくれていたってだけで。……いや、だけでで済ますと後が怖いことはよ~くわかってるぞ? おおわかってる。……わかっててもやっちゃうことと、しないこととは別ってことで。

 

「改めて訊かれると、返答に困るな、それ……。じゃあ逆に、趙雲さんはどうして桃香の傍に居られるんだと思う?」

「むっ……それは」

「自分が完璧で誰よりも強く素晴らしいから~とか?」

「い、いや、それはだな」

「星、顔が赤いぞ」

「ふ、ふむ。少し酔ってしまったらしい」

「自分でした質問に自分が返せないのが恥ずかしいだけだろうに」

「……ならば愛紗よ。お主は返せるのか?」

「当然だ。桃香さまが立つ場所、そこが私の居場所だからだ」

 

 どーん、なんて擬音が聞こえてきそうなくらいに張られた胸が、その自信のほどを表しているようだった。

 ……ちょっと春蘭みたいだーとか思ったことは、秘密だ。

 で、そんな言葉を耳にした彼女は面をきらりと輝かせ、そのくせキッと俺を睨みつつ笑むと……って器用な顔するなぁ。

 

「そう、それだ北郷殿っ、桃香さまの傍が私の───」

 

 そのままリピート。しかし、途端に俺と関羽さんからじとーっと見られると、一度咳払いをしたのちに“自分の言葉”で話し始めた。

 

「あ、あう。いやその……決して間違いではないが、もちろん私が桃香さまの傍に居るのは、だな……」

 

 当たり前のように傍に居ると、理由を訊かれた時は困るものだ。

 現に俺が華琳の傍に居られる理由は、華琳が必要としてくれているからだとしか答えられそうもない。

 何故って、華琳が要らないと言えば、俺は魏を出て行くしかないからだ。

 それは王の下で働く誰にでも言えることで、王の理想とともに生きたからこそ、その理想から出て行けと言われたなら従うしかない。

 でも……従うだけなのはちょっと違うって、言えるものなら言いたいから。

 

「じゃあ妥協して……“出来ることがあるから”、で……いいかな」

「出来ることがあるから……?」

「ん。もちろん出来ることが無くなったからって追い出されるわけじゃないけどさ。戦の中で深まった絆が理由っていうのももちろんだけど、そこに胡坐をかいて何もしないでいるのは間違いだ。偉い人が言ってたけど、世の中には二つの駄目な人種があるって。一つは言われたことしかやらない人間と、もう一つは言われたこともやらない人間だって」

「……つまり、仕事を提供されるままにやっているだけでは駄目な人間であり、その一歩先も出来てこそ、と?」

「はは……俺が言えた義理じゃないけどね。でもさ、ほら、こう~……えと。自分で自分の出来ることが見つけられるなら、少なくともそこに居られる理由にはなるよな。後ろ向きなのか前向きなのか微妙な考えだし、えーと……質問の答えにはなってないかもしれないけど」

 

 出来ることを探すのは難しい。

 なにせ人間、物事に慣れてしまうと先に進むことをしなくなってしまう。

 与えられればこなしはするのに、自分からこなしに行く人は案外少ない。

 俺も“出来れば楽なほうへ”と流されやすいしなぁ。

 でもその一歩が踏み出せる人は、自分で自分のするべきことの先を見つけられる。そういう人は滅多なことじゃ首を切られたりはしないし、むしろ優先的に仕事が回されてきて、その圧力押し潰されてゴシャーン……じゃなくてっ!

 

「何事もほどほどだね……。頑張りすぎるのも問題だったよ……」

「……? まあ、それは」

「くくっ……くっふふふはははは……!」

 

 いろいろと破滅の未来が見えた気がした。

 その時の俺の顔がよっぽどおかしかったのか、ただ単に酒が回っているためになんでも可笑しい状況なのか、趙雲さんは声を殺して笑っていた。声を殺して泣くって言葉はよく聞くけどさ……いや、なにも言うまい……。

 

「はっはっは、まあ小難しい話はこの辺りで終いにしよう。どうかな北郷殿、くいっと一息」

「? それよりも酒とつまみだろ? 今持ってくるから待っててくれな?」

「へぁっ? あ、いやさっきのは───、……北郷殿? わかってて言っているのなら、少々意地が悪い」

「やられたままで終わらせるなっていうのが、一応は我が国の暗黙のルールというか。って、勝手に今決めたんだけどさ。あんまりからかったりしないでくれな? 最近いろいろあって、考えすぎなくらい考えてて頭が痛い」

「北郷殿は、壁を与えればそれだけ成長する者だと私が勝手に信じている。魏の連中や呉の連中が気に入る理由も、もっとじっくりと理解していくつもりだ。それとは別に、個人として言わせてもらえば北郷殿のような人間は嫌いではない。努力家で他人のために行動が出来る。……なるほど、もし桃香さまではなく北郷殿が、桃香さまと同じ言を以って皆の笑顔のためと立ち上がっていたのなら───」

「星っ! 滅多なことをっ……!」

「やれやれ……言葉くらい許してくれてもいいだろう? 今さら桃香さま以外に仕える気など毛頭無い。蜀という国を愛している。将も兵も民もだ。今さら離れるのは、身を置き過ぎたこともあり非常に億劫だ。そんな面倒なことをする理由もなかろうよ」

 

 で、また酒を飲んでクハァと一息。

 ……あー、こういった口調で酒って言葉が合わさるだけで、どーして祭さんが頭に浮かぶのか。

 

「愛紗、お主こそ言っていただろう? 桃香さまの前に北郷殿に会っていたのなら~とかなんとか」

「ななぁっ!? ……い、いやあれはっ……! たっ、たとえばっ、たとえばの話だっ!」

「ならば私が例え話をすることになんの異議もなかろう?」

「うぐっ……! ぐ、ぐぐぐ……! いやっ! わわわ私のは桃香さまに出会う以前の話をしていたわけであって、星っ! お前の今現在の話とはそもそも事の重大さが───!」

「なんだ、例え話に重大さ云々を持ち出すとはっ。随分と懐狭く堪忍袋の緒が脆いなぁ関雲長よ」

「狭くもなければ脆くもないっ!」

「大きいのは胸だけか。やれやれ、その胸のようにもっと大きなやさしさを抱いてみたらどうだ。武器しか振るえず、料理も作れぬ女では貰い手というものが───おぉ?」

「……キサマ」

 

 ……はい、いつの間にか蚊帳の外で二人を見ていた一刀です。

 女の喧嘩に口を挟むとろくな結果が生まれないと、必死に勉強した結果がこれなわけですが……あ、あのー……趙雲さん? なぜそそくさと僕の後ろに隠れるんでしょうか~?

 

「えっとその……ちょ、趙雲さ~ん……? 今から謝るとかは……」

「む? 戦人に二言はありませぬ。口にしたからには相応の覚悟を以って───」

「相応の覚悟が俺を盾にすることなの!? ていうか嘘でしょ! 二言はないとか嘘でしょ!! 二言を語らない人が誰かをからかえるもんかぁっ!!」

「ならばその理想の極みは曹操殿ということになるのですかな? なるほど、では北郷殿はそんな存在が好きだと」

「そういうのじゃないから! って、え!? なに!? どうしてこんな時に敬語なの!? 盾にしてるから!? そんなのいいから盾にするのをやめません!?」

「……北郷殿、私とて一人の女。男に守られてみたいとは常々……」

「くっつかないでくれ! はっ、離れっ……ヒィ!? やややややや話し合おう関羽さん! いろいろ言ったのは俺じゃなくて……っ! い、いやこの場合は確かに男なら守るべきところなのかもしれないけどっ───え!? むしろこんな自分とは関係ないところから発生した諍いまで治めてこそ男なのか!? 男って損な生き物っ……! じゃなくてあぁああああどこから出したのその偃月刀! いつものことだけど、って趙雲さん!? 今笑った!? 笑ったよね今! 人を盾にしておいて───あっ、いやっ、待っ……あ、あぁあああーっ!!」

 

 ……そこからの記憶は、実はよく覚えていない。

 ただ必死で、何故巻き込まれなきゃいけないんだと思いながらも目の前の鬼神から逃げることで頭がいっぱいで。

 聞く話によると、なんでも俺は趙雲さんを背に負ぶったまま鬼神様から逃げ回っていたのだとか。

 ……ええとまあその、そういう話が外から聞かされるってことは、部屋を飛び出て逃げ回っていたということで……あとで趙雲さんに言われました。「降りられぬ状況で城内を駆け回られるのは、ある意味軽い拷問だった」と。

 ちなみに俺は趙雲さんを庇ったことについて関羽さんからお小言をたっぷりと頂き、やはり正座だったりした。

 もうね……拷問はどっちだよぉお……って泣きが入ったよ……。俺、悪くないのに。あ、いや、悪者を庇った時点で悪者か。



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28:蜀/何気ない蜀での日常①

52/何気ない蜀での日常

 

 ある……晴れた日のこと。

 キレた関羽さんに追われた翌日なわけだが、今日も今日とて政務の手伝いを終えたのち、学校建設現場に行こう……としたところで、つい出た言葉。

 まるで召喚に応じる精霊とか悪魔のように「ここにいるぞーっ!」と叫び現れたのは言うまでもなく馬岱だった。

 口に出した言葉っていうのが、「久しぶりに日本の歌とか聞きたいな~」や、「一人で口ずさむのも少し恥ずかしいし……」や、「誰か一緒に歌ってくれる人、探すかなぁ」だったわけだが……見事に召喚に応じて現れてしまったのだ、このお方は。

 

「~♪……と。天界にはこんな歌があるんだけど」

「へぇ~……あ、ねーねー御遣いのお兄様。ぷらいど、って何?」

「誇りや自負心や自尊心を差して言う言葉……だったかな。ようするにこれは、そういったものを保つことよりも誰かの喜びが嬉しいってことに気づけた人の歌……だと思う」

「へ~、へ~、へ~♪ ねねねお兄様、もっと歌ってもっと! 数え役萬☆姉妹の歌もいいけど、たんぽぽはお兄様の歌も好きだな~」

「何度も言うけど、この歌は俺が作ったわけじゃなくて、俺の国の───」

「はいはいそれはわかったからさぁ~っ♪」

 

 来て早々にあんなことがあったっていうのに、馬岱の接し方は随分と自然だった。

 ただ、目が合うと顔を赤くしたりするのは、それがカラ元気だからなのかな~とか思ったりするわけで。

 いやほんと、あの時の自分はどうかしていました、反省してます。

 

「じゃあ───」

 

 その謝罪の意味も込めて、乞われれば歌う。

 中庭の木に背を預けて、その隣に馬岱が座るカタチで。

 

「お兄様、がーどれーるとしんごうってなに?」

「天の国に存在する、人の安全や交通の安全に必要なもの……かな。ガードレールはこう、細くて曲がってたりして……信号は高い位置にあって、赤青黄色の光が灯ってて、赤は危険、黄色は注意で青が安全……みたいな感じで、えぇと」

「んー……よくわからないけど、いい歌だね~。犬に道を訊けば何処へでも、か~……あっははははっ、面白いかもっ」

「うん、いい歌だ」

 

 そしてまた歌い、終わり、また歌い、終わり。

 ところどころの疑問にきちんと解説を入れて、つくづく英語を混ぜなきゃ気が済まない歌たちに少し疲れを感じた。なもんだから、出来るだけ英語が混ざってない歌、もしくはまったくない歌を───と歌ってみると、これが案外混ざっていたりするわけで。

 英語じゃなかったとしても、信号とかこの時代にないものが出てくるとやっぱり答えなきゃいけないわけで。

 

「お兄様はどんな歌が好きなの?」

 

 いろいろと考える中、ふと歌についての説明を終えた俺に、無邪気な質問が向けられる。

 はて、好きな歌?

 

「流行歌も嫌いじゃないし、静かな歌も賑やかな歌も嫌いじゃない……童謡も案外内容があって面白いし───あ、でもただとりあえず作ってみたって歌はちょっと苦手かも。歌の中にも物語があるものが一番心にくるものがあるんだ。それでいて曲までもが良かったらもう最高かな」

「……?》」

「わ、わからないか? あ~……えっと、つまりさ。ただ良い言葉を並べて、良さそうな音程を組み合わせただけの曲は飽きが来るのが早いんだ。それとはべつに、物語が混ざった歌は心に残る。頭でこういうものかな~って描くから、その分余計にね。で、そういう歌が好きだったことをいつか思い出してみると、面白いくらいに当時の自分を思い出せる。それがまた面白くてさ」

 

 疑問符を浮かべながら一応頷いてみせる馬岱に、笑みをこぼしながらの説明。

 昔を振り返れるって意味では、童謡ほど暖かいものはないと思う。

 幼稚だどうだと思うよりも、そんな大人ぶった自分を置いてみて、真っ直ぐに聴いてみると、案外面白くなれるものだ。

 

「お兄様の子供の頃は、どんな感じだったの?」

「俺の子供の頃? って、そういえばなに? そのお兄様っていうの。前会った時はおにいさんだったと記憶してるんだが」

「え? ほら、私の記憶が確かならばっ! お兄様はすでにいろんなコから兄さまとか兄ちゃんとかおにいちゃんとかお兄さんとか呼ばれてるでしょっ? お兄さんはもう桃香さまが使ってるから、三人目になるのはこう芸がないなぁ~って。だからね? はい、お兄様」

「…………いや……うん、べつに嫌ってわけじゃないんだ。ただ驚いただけだから。でもあまり多用はしてほしくないかも……馬超さんあたりにまた睨まれそうだし」

 

 エロエロ扱いは相変わらずだ。各国を回ることで多少のことは学んできたけど、学ぶたびに些細なことで泣いている気がするよ俺。

 

「で、俺の子供の頃だったよね? そうだなぁ……子供らしかった、かなぁ」

「子供らしい? えっとお兄様~? それって全っ然答えになってないんだけど~? 子供が子供らしいのは当たり前じゃん」

「うん。だから、俺もその子供らしい子供の一人だったんだ。時間があれば外を駆け回って、友達と居れば騒ぐ……そんな子供。まあウチは剣道一家だったから、物心ついた時から竹刀握って適当に振るって~ってことをやってて、そうなると付き合いも結構無くなって……」

 

 子供の頃のほうがまだ素直に行動できていた。

 一つ歳を重ねるごとに、自分がひどく情けない存在になっていくようで、それが嫌だったのを覚えている。

 嫌だって思っているのに行動できない自分に落胆するのに、だけど今さらだ今さらだと行動しないことばかりだった。

 後悔、なんて言葉はあるけどさ、それってやりきれた人だけが言える言葉なんだろうなー……。悔やむ暇があるなら行動しまくって、後悔するのなんてのは自分が何も出来なくなってしまった時で十分なのかもしれない。

 

(後悔しないように生きる、かぁ……物凄い言葉があるもんだ)

 

 受け取り方によっては、それは“死ぬまで頑張り続ける”ってことになるんだろう。受け取り方の問題であって、前向きに生きるってだけでも十分なんだ。

 

「お兄様は鍛錬が嫌いだったの?」

「格好つけたいなら否定するんだけど。んー……ん。そうだな。本音を言えばね、嫌いだった。みんなが遊んでる中で黙々と竹刀振るってさ。そりゃ、さっきも言った通り随分と小さい頃は、それはもう元気に走り回るやんちゃな小僧で……でもさ、竹刀を握ってからはいろいろと大変でね」

 

 最初こそはカッコイイからと竹刀を振るった。

 手が痛くなった時、馬鹿馬鹿しくなってやめたくなった。

 漫画の影響で、それでも頑張ればモノになると思って頑張って続けた。

 豆が潰れて血まみれになった時、本気で自分のしていることを馬鹿馬鹿しく思った。

 手が痛いって理由で練習を休んで、久しぶりに友達に付き合った遊びはとても楽しくて───けど。

 その時に見ることとなった、寂しそうなじいちゃんの姿を今も覚えている。

 それからは、自由を手に入れた~とか思っていたくせに教えてくれる人への罪悪感に勝てず、結局練習の日々。

 

  けれどノリ気じゃあなかったからだろう。

 

 本気の本気で練習することはなく、言われるがままに竹刀を振るって、ただ適当にこなすだけ。

 それでも練習しているのとしていないのとじゃあ実力には差が出るらしく、誰かと向き合い勝負に勝つほど天狗になった。……それで練習にも身が入ればよかったんだろうけど、現実はそうじゃない。

 天狗のまま進んで……本物に出会って、ボロ負けして。本気で練習するには遅すぎて、どれだけ練習してももう遅くて。

 でも……そうだ。遅いとどれだけ思おうが、後悔を口にするには早かった。

 一年間鍛錬に集中して、この世界でも鍛錬を続けて、自分の実力を随分と上げることは出来たと思う。

 子供の頃に潰してきた時間はもう二度と取り戻せないし、潰してしまった時間分を鍛錬に費やしていたら~とはどうしても思ってしまうものだ。

 ……お陰で今の自分が居るんだぞ、と思えば、少しは救われるってものだけど。

 

「と、そんなわけで。俺は本当に何処にでも居るような子供だったわけだ」

 

 一通りの過去を軽く話してみた。

 あの時ああしていれば~という後ろ向きなことが多めだったものの、その分、今生きている時間を色濃く過ごせば、取り戻せるんじゃないかな~とかまあその、いろいろと。

 

「今、お兄様は色濃く生きてるの?」

「いやあの……これだけはハッキリ言えるけど、俺が暮らしてた天に比べたら、ここでの生活の色濃さって尋常じゃないよ?」

「へぇ~そうなんだぁ。あ、たとえばどんなところが?」

「え? たとえばぁ~……かぁ……んむむ……そう訊かれると、全部って言える気がする、んだけど……それだと答えになってないよな?」

「もっちろんっ」

 

 や、胸張られて頷かれても。

 んー……色の濃さなら間違いなく濃い。黒さで例えるならドス黒いってくらい。

 鍛錬から勉強から手伝い、兵や民との付き合いや、将との付き合い。

 日本に居た頃からでは考えられないくらい、異常ともとれるほどの経験を積めている自信がある。

 鍛錬をこんなに夢中でやったことなんてなかったし、誰かのために~って駆け回ったことだってそこまではなかった。

 自分が、“困っている人は見捨てておけない性質”だって気づいてからだろうと、ここまで人と関わろうとしたことはなかったはずだ。……それこそ、自分が刺されるまで、なんてことは。

 

「痛かった?」

「そりゃあね……って、俺また喋ってたか……」

 

 反省。

 口が軽いにもほどがあるだろ……無意識とはいえ。

 

「でも自分が刺されても相手を庇えるって凄いよね~。桃香さまあたりだったら許しちゃいそうだけど、桃香さまが許しても他のみんなが許しそうにないし。そのへんは呉ではどうだったの?」

「え? …………あ、そっか」

 

 俺は最初から許したいって思ってたから無茶を言えた。が、急に客が民に刺された、なんて報せを受けた雪蓮は気が気じゃなかったはずだ。

 元はと言えば俺が急ぎ足だったから……いやいやいやっ、あのことで落ち込むのは思春に悪いっ、忘れろとは言わないけど落ち込むのは禁止だっ!

 

「いろいろと助けてもらった……かな。はは、騒ぎを鎮めに行っておいて、自分が騒ぎの中心になってどうするんだ~って怒られたよ」

「刺されたところって、大丈夫なの? 結構危なかったって聞いたよ?」

「だ、誰から? いやうん、傷はもう塞がってるし痛くもないよ。腕のほうも……うん、随分とアイヤァアァァーッ!!」

 

 む、むむむ無理ですっ! やっぱり力を入れるととても痛い!

 昨日よりは楽にはなっているものの、重いモノを持つとかは無理だっ……!

 適当な大き目の石でもこれなんだから、もうほんと無理……っ!

 

「へー、やっぱり痛いんだぁ~……♪」

「なんで嬉しそうなの!? やっ……やめてくれよ? 氣のお陰で治るのが早いって華佗には言われてはいるけど、無茶な負荷を与えればそれだけ治りが遅くなるって……!」

「べつになんにもしないよぉ。近づきすぎて、押し倒されたりしたら困るし……」

「押し倒さないよっ!? なんでそうすることが当然みたいに言うの!? あ、赤くなりながらとかやめてくれってばっ! 誰かに見られたら」

 

 バサァッ……

 

「はうっ!?」

 

 ふと耳に届く、なにやら紙束めいたものが落ちる音。

 紙束、という時点でもう振り向きたくもないんだが、おそるおそる振り向いてみれば……顔を真っ赤にして、うるうる顔の馬岱とその行為をやめてもらおうと手を伸ばしかけていた俺を見て───固まってらっしゃる朱里さんと雛里さん。

 ……いや、もういいから……これ以上誤解をご招待してどうする気なのですか神様……。

 

「いや違」

「はわわわわぁああーっ!!」

「あわわわわぁああーっ!!」

「待ってくれぇええーっ!!」

 

 声をかけるや叫び出し、踵を返して即疾駆!

 落ちた紙束完全無視して走り去る二人を追うため、俺も立ち上が───

 

「あ、待ってお兄様」

「へ? うわばぃあっだぁああーっ!!」

「ふわぁっ!? わわっ! つい右腕を……っ!」

 

 大激痛という言葉がこれほど身に染みる瞬間はきっとないだろう。

 よく言うだろ? 傷口とかは治りかけが一番辛いって。……あれ? ちょっと違ったっけ。

 

「いがががが……! な、なに……馬岱……っ!」

「……えっとそのー。ほら、いろいろ書物とか落ちてるし、取りに戻ると思うからさ。慌てて追っても行き違いになっちゃったりしないかなーって」

「いやあの……追いつける自信があったんだけど……」

「大事な書物、そのままにして?」

「う……」

 

 たぶん学校関連のものであろうソレらを見る。

 たしかにこのままってわけにもいかない……よな、工夫のみんなや朱里や雛里、関係しているみんなにとって必要なものだ。

 だがツッコもう。止めるなら声で止めてほしかった。……って無理だな、走り出したらきっと止まらなかったよ。

 止まらず走って追いついて、二人を引き止めて、事情を話してここに戻って……あ、あれ? なんか俺、痛い思いをしただけ損な気が……? 書物だって馬岱が拾ってくれたらなんにも問題なかったんじゃ……?

 

「過ぎたことはどうにもならないか」

 

 溜め息を一つ、書物を拾ってゆく。

 学校に関してのことが書かれているであろうそれらは、恐らく書いた本人じゃないと説明することが出来ないくらい、びっしりと順序をバラバラに文字が書かれていた。

 報告は自分の口ですればいいし、ならばと書けるだけ書いたって感じ……かな?

 にしたってこの文字量はすごいなぁ、よくもまぁこれだけ書いて、紙がボロボロにならなかったものだ。

 ふやけて千切れるとか、そういうことが起こらなかったのが不思議なくらいだ───って、それも計算して書いたのかも。小さなことだけど、凄いことだ。

 

「……ふう。じゃ、戻ってくるまで待ってるか。馬岱の言う通り、行き違いになっても困るし」

「そーそー、焦っても仕方ないって~♪ じゃ、また歌って?」

「…………いや、いいけどね?」

 

 もう一度木の幹に背を預け、歌を歌う。

 書物は風で飛ばされないようにと手に持ったまま。これが飛ばされて紛失でもしたら、いろいろと作業に支障が…………朱里や雛里なら一文字漏らさず記憶していそうじゃないか?

 と、考え事をしながらでも意外と歌えるもので、ふと気づいてみれば隣で馬岱が拍手していた。

 いつの間にか歌い終えていた俺は、拍手に驚いたくらいだ。

 

「もっと元気が出る歌とかないかなぁ」

「元気……んー、元気が出る歌は、一人で歌うよりも大勢で歌ったほうが元気が出るぞ?」

「あぁうん、それわかるかも。数え役萬☆姉妹の歌を聞いて、みんなしてほわーって叫ぶと気持ちいいもん」

「一体感みたいなものがあるんだよな、こう……一人じゃ恥ずかしいことも、みんなでやれば怖くない~って感じに」

「あははははっ、そうそうっ」

 

 歌や叫び……つまり声か。声は不思議な力を持っているって、歌や鬨の声を聞いていると実感する。

 鬨の声なんかは聞いていれば勇気が沸いてくるし、やってやるって気になれる。

 歌は、そのリズムによって受け取り方も変わってくるし、同じ歌詞でもテンポが違うだけで別物にさえ聞こえる。

 本当に、声っていうのは不思議だ。

 

「天ではそういうのってないの?」

「あぁ、あるにはある。……や、二人でやるには少し恥ずかしくないか? それにほら、みんな仕事してるだろうし……騒ぐと迷惑に───」

「えぇ~? 騒いでの迷惑なんていつものことだよ、ほらやろ~? お兄様ぁ~~っ」

「……あの。いつものことって自覚があるなら、もう少し減らしていく努力、しようね……?」

 

 そうは言うものの、結局は押し切られるままに歌うことに。

 俺はといえば、相手が馬岱しかいないから少し緊張気味に、この言葉のあとにこう叫んで……と説明するんだけど。なにかなぁこのウケなかったギャグの説明をする時のような気恥ずかしさは。

 

「で、それが終わったらこの言葉を一緒に叫ぶ、と……あの、馬岱? やっぱりやめない?」

「え~? いーじゃんやってみよっ? たんぽぽ、お兄様の声聞きたいな~♪ ほらお兄様~っ」

「や、で、でもっ……こんなところでなんてっ……」

「そりゃ、たんぽぽも恥ずかしいけど……もっと恥ずかしいこと、お兄様にされたし……」

「えぇっ!? そそそそんなことした覚えがっ……」

「したよ~、ほら、馬小屋の傍で……」

「ぐはっ! い、いやあれはつまりその、あんまりに迫ってくるからっ……あ」

 

 ハタ、と気づけば視界の端に誰かの影。

 視線を向けてみれば、真っ赤な顔でふるふると震えている朱里と雛里さんが……って、ア、アアーッ!!

 

「いやだから違」

「はわわわわわわぁああーっ!!」

「あわわわわわわぁああーっ!!」

「うわぁままま待って! 待ってくれぇええーっ!!」

 

 どこから聞いていたのか……なんて考える必要がなさそうだ。きっと本当に途中から。

 思い返してみれば、それが歌のことであると知らないと誤解されても仕方がないことを言いまくっていた。

 もちろん今度こそはと足に氣を溜めて、書物はその場に置いて立ち上がると同時に、地面を蹴り弾いて疾駆! 二人の前に回り込んで、それでも逃げようとする二人の腕をとりあえず掴んだ。右腕が痛むが、今は我慢我慢……!

 はわあわと俯く二人に、例のごとく説明開始……もう僕泣きたい。何回誤解を生んで育めば気が済むんだろうか、俺は。

 

……。

 

 程無くして誤解は晴れて、現在は馬岱、朱里、雛里とともに木の幹に腰掛けておさらい中。

 何をと言われれば、先ほど落した書物についてのこと。

 もちろん桃香に報告するものだが、その前に俺の意見も聞きたかったんだとか……だっていうのに来てみればアレだったんだから、彼女達にしてみれば笑えない。

 

「ん……窓はもっと多い方がいいかも。暑い日は熱が篭るから大変だ」

「あ、そうですね。ではこことここに……」

「風が通りやすい位置も……考えたほうがいいですね……」

「うわー……見てても全然わかんない」

 

 いや、訂正しよう。

 “全員で木の幹に腰掛ける”じゃなくて、三人の少女は俺の周りに座って、書類を覗き込んでいる。

 朱里は俺の提案をすぐに受け入れて、うんうんと頷きながら頭の中で構造を描き、雛里は風の流通の計算をしているのか、軽く描かれた全体図に指を走らせる。

 で、馬岱はというと頭に疑問符を乗っけて首を傾げている。

 

「そうなると寒い時期のことも考えないといけませんね」

「あの……天の国では、寒い時期は……」

「うん? ああ、天の国にはストーブっていうのがあって……」

 

 エアコンなんてものは望むだけ無駄だ。

 それを言ったらストーブもか。寒い時期は大変だ。

 

「寒くなったらお兄様に暖めてもらうとかっ」

「授業にならないからそれっ!」

 

 暖かい日への対策の後は寒い日への対策。

 元気よく手を挙げての提案へ、真っ向からツッコミを入れた。むしろ暖めるってどうやってだ。抱擁とかは勘弁してもらいたいんだが───って考えるな考えるなっ! 自分でツッコんでおいて自分で考えてどうするんだっ!

 ……と、頭を振るう俺を見て満足げに微笑む馬岱が悪魔の子に見えました。

 ああ……悪戯好きな子って何処にでも居るものなんですね……。

 同属嫌悪みたいなものを出さないなら、案外シャオと仲良く出来るかもしれない。

 桂花と魏延さんは……だめだな、共通の敵とかを見つけた時ならまだしも、手を組むとかは……あれ? 共通の敵?

 い、いやいや、考えないようにしよう。そんなもしもは嫌だ。

 

「あ、そうだ。勉強始める前に鬨の声を張り上げるっていうのは? 熱くなるよ~?」

「馬岱。キミはいったい誰と戦う気なんだ?」

「んぇ? えー…………勉強?」

「却下します」

「え~?」

 

 こてりと首を傾げながらの答えに、当然の如く却下を。

 そんなふうにして案を煮詰めて答えにしてを繰り返して、大体を纏めたあとは……今度こそ木に背を預け、みんなで「は~」と溜め息。

 頭を働かせるのって、体を動かすよりもしんどい。

 なにせ、学校が完成してから「やっぱりここは違います」なんて、言えるわけもないから。直せるところは直せるうちにやっておかないと、後々面倒なことになる。

 

「あ、そうだ。ねぇお兄様? 二人増えたし、歌えないかなぁ」

「はわ? 歌ですか?」

「……?」

「なんでもないから忘れていいよ」

「なんでもなくないよ~! えっとね、二人が来る前までお兄様に歌ってもらってたんだけどね? 元気になる歌~っていうのを───」

 

 軽く流せば通るかなーと思った話は、馬岱によってあっさりと堰き止められた。

 で、そんな話をふんふんと真面目に聞いた二人の反応といえば……

 

『……!』

 

 輝く期待の顔で、俺を見上げてくることくらいだった。

 なんだかとっても予想通り───

 

「そういえば一刀さんの歌は、宴の場で聞いたきりでした」

「また……聞きたいです……」

 

 ───予想GUY(ガイ)デェス。

 そーなんですかーって流してくれると思ったのに、まさか聞きたいとは……!

 そんな思考の際に出た俺の表情が面白かったのか、馬岱は二人の後ろで口に手をあててニシシシと笑ってらっしゃった。

 

「い、や……俺の歌よりもほら、仕事とか……あぁああわかったわかったからっ! しゅんとしないでっ! 歌うからっ!」

 

 よ、よし、頭を切り変えよう。仕事をしている人への骨休めになればと考えれば、人前で歌うことなんて恥ずかしくない。

 宴の時だってそうだっただろう? せっかく盛り上がっている熱を下げるのは忍びないし、歌えと願われたならば応えて魅せるが漢道。

 ……魅せるほどの歌唱力があればの話だけど。

 

「じゃあ……」

 

 それならばと、馬岱と一緒に歌の説明を。

 先ほど馬岱にもした、“こう言ったらこう返す、ここで一緒に歌う”といったことを事細かに。

 

「はわぁっ!? わわわわたしゅたちも一緒に……!?」

「しゅしゅしゅ、朱里ちゃあぁあ~ん……!」

 

 で、ふと冷静になってみれば、俺や馬岱なんかよりもよっぽど恥ずかしがり屋な二人が人前でポンと歌えるはずもなく。二人は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

「……どうする? 馬岱」

「うーん……じゃ、最初は簡単な歌から入って、あとはみんなで~って感じでいいんじゃないかなぁ」

「そっか」

 

 そうして歌おうとしてみる……ものの、早速つまづく。簡単な歌ってなんだろう。

 日本で歌われていた歌の中から、彼女らにも歌いやすい曲を選ぶのって結構難しいぞ? ……とりあえず歌ってみようか。特に思い当たらないなら、宴の時と同じ歌、“今日の日はさようなら”でも構わない。

 まずは歌うことに慣れてもらって───



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28:蜀/何気ない蜀での日常②

 ……で、今に至る。

 

「ちょっと、そこ詰めてくださるっ!?」

「ここはたんぽぽが元々居た場所だもんっ、おばさんなんかに譲らないよ~だっ」

「おばっ……!?」

「斗詩ぃ~、喉渇いた水くれぇ~……」

「あんなに大声で、叫ぶみたいに歌うからだよ、もう……」

「な~んだその程度か。これからが本番だってのに……げっほごほっ!」

「ああほらお姉様も~っ。歌で勝負しようなんて言い出すから……」

「し、仕方ないだろっ、前の腕相撲は引き分けだったんだからっ!」

 

 いつの間にか、木の幹には人が集まっていた。

 軽く見渡すだけでも蜀将の半分は目に付き、木の裏ッ側まで見えるのなら大半を発見できることだろう。

 よせばいいのに無理矢理幹に腰掛けようとするから、ぎゅうぎゅう詰めだ。

 

「……あのさ。みんな仕事は?」

「終わったのだっ!」

「ん……終わった」

 

 声を掛ければ元気に返事をする鈴々と、とても静かに、頷きつつ言ってくれる恋。

 他の人も終わらせたらしく、むしろ終わったのだからのんびりしているのだとばかりに、さらに楽な姿勢へと崩れていく。姿勢を崩すっていうけど、こういう場合は適当なのかどうなのか。

 

「そう言う北郷殿こそ、歌を歌う余裕があるとは随分と……」

「いや、これでも政務を手伝ったり学校のことを煮詰めたりとやってたんだけど」

「おお、これは失礼」

「……言葉の割りに顔が笑ってるよ、趙雲さん」

 

 何処で歌声を耳にしたのか、ちらほらと集まっては……気づけば歌詞を覚えて歌う皆様が居た。

 俺と朱里と雛里と馬岱の時は、本当に喉を慣らす程度の静かな歌だった。そこに文醜、馬超が混ざった時点で激化。なんでか競うように歌いだして、その激しさに誘われた鈴々や趙雲さんも混ざり、離れていた位置で静かな歌を聞いていたらしい恋も寄ってきて……あとはまあ、泥沼。

 

「おまえがこんなところで歌い始めるから悪いのです! ちんきゅーきぃーっく!!」

「俺の所為なの!? って陳宮いつの間にボハァ!!」

 

 聞こえた声に返しつつ振り向く過程、脇腹を襲う蹴り。

 ゆ、油断した……! 恋が居るなら彼女も居ると踏んでおくべきだった……!

 

「ねね、きっくはだめ……」

「れ、恋殿……いえ違いますぞ恋殿っ、友の間柄に遠慮は無用なのですっ!」

「ゲッホッ……! た、確かにそうだけど……! 友達になった途端にキックされまくってたら、身が()たないだろ……っ!」

 

 遠慮は無用……俺が彼女に言った言葉ではあるものの、だからって日々蹴り続けられたら身が保たない。そしてイイところに入ったのか地味に痛い。結構痛い。かなり痛い。……痛みってこう、じわじわ強くなるから嫌いだ。

 

「あのさ、陳宮。いつの間にここに……? え? 最初から恋と一緒に居た? 気づかなオブォッフェッ!?」

「はぶっ!? ななななにをするのです! 離せーっ!!」

 

 腹に蹴りをくらいつつ、飛び込んできた体を捕らえて無理矢理腕の中にすっぽりと納める。

 当然暴れるが、俺の胸に後頭部を預けさせる形で座らせ、その頭を撫でた時点で「ぴうっ!?」とヘンな声を出し……停止。

 

「友達間での悪ノリはもちろん大切だけど、あまり無茶はやめてく……ぁああいだだだだ……!!」

 

 改めて。痛みって瞬間的なものと、後からジワジワくるものがあるよね。

 現在そのジワジワが脇腹を支配しているところで、陳宮の頭を撫でつつも顔が引きつる俺が居ます。

 

「友達? へー、お兄様と友達になったんだ」

「な、なんです? 悪いですかーっ!」

「んーんべっつにぃ~? ただちょっと意外だなーって。恋にしか懐かないと思ってたのに」

「懐くなど、ねねを動物みたいに見るのはやめるです!!」

 

 言いながら、俺の胡坐の上でぷんすか。……動物に近いな。気分屋ですぐに攻撃的になったり、かと思えば好きな物(恋)の前ではやたらと従順。

 とか思っていると、ちらほらと動物が寄ってきて、俺の周りに座ったり寝転がったり。

 そういえば成都に来て、恋や陳宮と改めて友達にって時にも動物が飛んできたっけ。その理由がまだ見えてない。……どうしてだろうなぁ。

 

「へ~、ここまで動物たちが集まるなんて、あの脳筋以来だね」

「脳筋?」

「焔耶……魏延のことなのです」

「……そうなのか。魏延さんはその、の、のう、きん……なのか?」

「あっはははは、見ればわかるじゃ~ん!」

「わかったらわかったで、それは大変失礼だろ……」

 

 それが当然のように笑われると、どう返していいのか戸惑う。

 そんな苦笑もそこそこに、魏延さんの話を聞く。

 どうにも彼女は動物に好かれやすい体質のようなものを持っているそうで、街中で犬の大群に追われることが何度かあったらしい。

 で、今の俺の現状がそれによく似ているんだとか。

 

「へぇえ……それって原因とかはわかってないのか?」

「犬が好きそうな匂いを出してるんじゃないかなぁ。ほら、思い立ったら考えずに突っ込むし、飼い主……桃香さまの言うことくらいしかまともに聞かないし」

『……っ……』

「あの……みんな? どうしてそこで“そんなことない”とかじゃなくて、顔を逸らして肩を震わせるのかな……」

 

 あまりに的を射ている言葉だったのか、なんかもうみんな笑ってた。

 けど、そっか。俺はそれに似た匂いかなにかを出してるのか。

 

「でも俺、日本……天ではあまり動物に好かれなかったけどな」

「へぇ~、そーなんだ。じゃあこっちに来てから好かれるようになったってこと?」

「そうなる。……けど、その理由はちょっと」

 

 なんだか楽しげに俺のことを訊いてくる馬岱に、俺も笑顔で返す。

 何がきっかけで動物に好かれたか~とかは気になるものの、考えてもわからないことっていうのはどうしてもあるものだなぁと諦め、また歌を歌った。……ら、腕の中に納まっている陳宮に、急に歌うなですと怒られた。

 

「ちょっとそこの凡夫さん? わたくし、もっとゆったりとした歌がいいんですけど?」

「ぼっ……や、はは……袁紹さん? 歌はそんな、好きなものばかり聞いてても案外飽きやすくて……」

「構いませんわ。飽きたら次を歌えばいいでしょう?」

「うわー……んん、うん。じゃあ、おとなしめのを」

「えー? たんぽぽもっと早口くらいの歌がいい~」

「あっ、あたいはこう、叫ぶくらいのやつがっ」

「ねねの後ろで歌うのですから、静かなものにするのですっ」

「いや、ここはもっとどっしりした歌だなっ」

「お姉様、もっと女の子らしい歌にしようよ……」

「おっ、お前だって人のこと言えないだろっ!!」

 

 つまりどんな歌を?

 ゆったりとしてて早口で叫ぶくらいで静かでどっしりしてて女の子らしい歌……? いや無理だろ、ないよそんなの。

 

「えぇ、っと……恋? 恋はその、どんな歌がいい?」

 

 助けを求めるように恋に振ってみる。……首をこてりと傾げられ、答えらしい答えは返ってこない。

 ああ……なんだ、つまり……俺に決めろと。このどれを選ぼうと角が立つ状況で、あえて俺に決めろと。そう仰るのですね神様。

 

「顔良さん、鈴々、キミタチは……」

「私はその……」

「叫ぶくらいのだよなっ、斗詩っ」

「あぅうう……」

「鈴々はもっと楽しそうなのがいいのだっ! 」

「………」

 

 マテ、何故何一つとして共通点がないものを選ぶんだみんな。

 蜀はみんな仲良しこよしじゃなかったのか? 俺が……俺が勝手な想像を押し付けていただけなのか……!?

 

「趙雲さんは……」

「ふむ? うーむ……おおっ、ではこう、塩辛くて小さな壷に入った美味なるものに合う歌を」

「メンマに合う歌ってどんなの!? こっちが訊きたいよそれ!!」

「はっはっはっはっはっは!」

 

 からかっていたのか、俺の慌てっぷりを見て盛大に笑う趙雲さん。

 あの、俺もう部屋に戻っていいかな……。そうは考えても口には出せず、世話になっているところの人の言う事だからと受け入れる。試練だ、耐えられよ。

 

「い、いい、わかった、じゃあ順番に歌っていこう。これがいいあれがいいって言いながらも、聞いてみると“これもいいな”って思えるもの、あるはずだから」

「あ、はい、そうですねっ」

 

 にこりと笑って賛同してくれた顔良さんに感謝を。

 袁紹さんがそれに待ったをかけたが、最初に袁紹さんのリクエストに応えることで、なんとか抑えてもらった。

 

……。

 

 それからしばらく経ったあとのこと。

 

「カー……カー……ッ!」

「だ、大丈夫ですか一刀さん……」

「声、出ないんですか……?」

 

 中庭で、喉を嗄らしてぐったりとしている俺が発見された。

 現在はリクエストを遠慮してくれた、朱里と雛里に介抱されていたりする。

 

「あ゛……いや……ちょっと声、出しすぎただけだから……」

 

 常に喉に何かが張り付いている気分だ。

 ここまで歌わせておいて、用事が出来ればみんなさっさと行ってしまうんだから、本当にこの世界に生きる人々は気まぐれだ。

 

「はぁ……けど、ここまで歌ったのは久しぶりだよ。体や氣は鍛えてても、喉の鍛えは足りなかったみたいだ」

 

 冗談混じりに言ってみても、向けられる視線は“心配”でしかなかったりした……反省。

 

「無茶はしないでくださいね……声が出なくなったりしたら大変です……」

「う……ごめん。拍手とかされると、つい調子に……」

「天の国には……その、いろいろな歌が……あるんですね……」

 

 そう言って小さく微笑む雛里に、「うん、まったくだ」と微笑み返す。

 本当にその通りだ。昔から今まで、覚えきれないくらいの量の歌があるのに、まだまだ全然似通いすぎている歌を聞かない。

 一時期問題になった歌もあったらしいが、それこそ一時期であり、作詞作曲は終わることを知らないのだ。ああいや、それは歌に限ったことじゃなく、漫画や小説にしたって一緒か。

 

「……で、さ。今さら気になったんだけど」

「はい?」

「?」

「二人とも、桃香への報告は?」

『───……』

 

 とある穏やかな日差しの下。

 笑顔が涙目に変わる瞬間が、そこにありました。

 

……。

 

 人が立っていた位置は、何処へ行ってもそう変わらないらしい。最近、よくそんなことを思う。

 

「ごめんっ、ほんっと~にごめんっ! 俺が歌なんかに誘ったからっ!」

「へぇ~、そーなんだー。私が報告をず~っと待ってる間、お兄さんやみんなは中庭でぇ……ふ~ん」

 

 訪れた執務室に、笑みを含んだ声が響く。

 静まり返ったその場に居るのは俺と朱里と雛里……そして、手伝った時の再現の如く、椅子に座った笑顔のままの桃香様。

 ……うん、笑顔なのが逆に怖くて仕方がない。

 

「あ、あのー……桃香? 怒ってる?」

「えー? 怒ってないよ~、あははははっ♪」

 

 怒ってらっしゃる……! 怒ってらっしゃるよ確実に……!

 怖い……ば、ばかな……これがあの桃香だというのか……!

 

「えーと……桃香? 肩でも揉もうか?」

「ほんと? ありがと~♪」

 

 伺うように言って、返事をもらうなり即行動。

 彼女が座る椅子の後ろに回り込み、肩に手を置き、優しく、しかし適度に強く揉む。

 そんな行為に「はう~……」と彼女の視線が俯きがちになる頃、俺はクワッと朱里と雛里にアイコンタクトを開始。

 お茶の用意や積んであった書簡の整理などに励んでもらい、俺は俺で掠れ気味の喉に負担がかからないゆったりとした歌を歌ったりして……ただそれだけで、気づけば日も暮れようとしていて───なんだかんだで最後には機嫌も良くなってくれたようで、いつものやさしい笑顔に安堵した頃には夜になっていたりした。

 教訓……出来るだけ桃香を怒らせないこと。普段はぽやぽやしている人が怒ると、それまでの本人でさえ気づいていない鬱憤が爆発するもんだ。地味に経験があるからわかる。アレは自分でもコントロールできない。あ、経験ってのは怒ったこともあれば怒られたこともあるって意味で。

 冷静って意味では、怒った春蘭よりも秋蘭の方が怖い。だって無言で弓構えるんだぞ? 眼前に矢を突き付けられるんだぞ? 問答が利くだけ春蘭のほうがやさしいじゃないか。

 

(はぁ……今日は本当に、蜀の将の一部だけでも、様々な性格の人が居るなぁと認識させられた日だった)

 

 心に段落を得てから、“気づかなければいけなかったこと”への報告をしようと思っていたけれど……今はまだやめておこう。

 もっとも、機嫌が直る頃には「お兄さんの口調、なんだかやさしくなった気がするな」って言っているところを見ると、案外もう予想がついているのかもしれない。

 口には出さないし、特別な行動なんて取らなかった。ただ心の中でありがとうを唱えながら……「お腹空いたね」と笑って言う桃香に手を引かれるままに、食堂へと歩いていった。怒り疲れたらお腹が減るなんて、子供みたいだなとも思いながら、確かに時間もいい頃合。

 パタパタと付いてくる朱里と雛里とも一緒に食堂までを歩き───……そこで桃香を待っていた魏延さんにあらぬ誤解を受けて襲われかけたことを、本日のオチにしようと思う。

 華琳、雪蓮……蜀には本当に、いろいろな人が居ます。

 これからのことを思うと、かなり不安ですが……それでも頑張っていきます。




 エロマンガ先生のエンディングテーマが良くて、毎度毎度じっくり聞いてます。
 自分は流行歌とかそういうのにはとことん疎く、そういう流れに乗るのも苦手でヤンス。
 たまたまじっくり聴いたら「良い歌じゃん!」となるのが毎度です。
 WANIMAの“やってみよう”もつい最近たまたま聴いて惚れ込んだ有様ですし。CMやってからどれだけ経ってると思ってんでしょうね、もう。でも大好き。やってみよう大好き。理由~なんて~♪ いらない、いらないいらない♪
 それから流れるように“ともに”も購入。amazonならデジタルミュージックで一曲ずつ買えるからステキ。よく利用しております。というのも、CDプレイヤーというかマルチドライブがうんともすんとも言わず、CD音源が聴けなくなって久しいもので。
 青空のラプソディーを買った時なんて、その時に初めて動かないことに気づいて、どうしたものかー!と苦労しました。
 何度も出し入れをしてたまたま起動してくれて、おお、と思った次の瞬間にはもう動かなくなりました。……寿命……だったんじゃよ……。
 そんなわけで、復活のベルディアをプレイするのにも一苦労だった凍傷です。

 あ、ちなみにわたくし、一般的に皆様が休みの日にこそとことん忙しい社畜でして、ゴールデンヌウィークとか地獄です。休みじゃないです。
 なので更新が無かったら「凍傷? ああ、家族思いのいいやつだったよ」とでも遠い目をしつつ、他者様の素晴らしい小説をどうぞ。
 いやー、心が癒されますぞフォッフォッフォー! とうとう両さんもこのすば入りかー! うんまあ、フリーザの攻撃くらってもギャグ補正で耐えちゃう人だものなぁ。ナイストゥミーチュー。

 いまー! わーたしのー! ねがぁ~いごとがー!
 かなーうーなーらヴァアアーーーッ!!

 …………休みをください。

 P.S.……ところでアニメソングってTVサイズのOPやEDを聞いたからこそ気に入ったー! ってなるのに、FULLが想像してたのと違うと、酷くショックだったりしません? 進撃の巨人一期OPとか、ろんぐらいだぁすOPとか、坂本ですがOPとか。
 TVsizeが狂おしいほど好きなのに、FULLになるとこう……にょろ~んって感じになるっていうか。ヒロアカ一期のOPでもそんな感じになってたり。

 ごめんなさい、なんかちょっといろいろ叫びたかったの。また黙々更新に戻ります。チェリオ~!


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29:蜀/強い自分であるために①

53/“いつもの”になってゆく日々

 

 将らの朝は早い。

 起きて早々にドタバタ走る者から、足しげくとある女性の部屋に通って朝を報せ、自分の仕事をほったらかしで執務室に張り付く者から、いろいろだ。

 俺はといえば、早朝とも呼べる頃から起きだして、水を一杯もらったのちに中庭に出て軽く体操。食事時になるまではまだ覚醒していない体を動かして、途中から起きだしてきた鈴々も混ぜての運動をした。

 ……といっても、すぐ傍で黙々と付き合ってくれている思春も居るんだけど。

 お願いだから、気配を殺したままでず~っと後ろに居るのは勘弁してもらえませんか? どうせならきちんと一緒にやりたいし。

 

「にゃむにゃむ……んー……まだ眠いのだー……」

「食事時までによくお腹を空かせておけば、もっと美味しく感じられるぞ。運動後、すぐに食うのはよくないっていうけど、それはダイエットしてる人に限ったことだって勝手に認識しよう」

「だいえと? また難しい言葉が出たのだ」

「ああ、ダイエットっていうのは、太っている人や、痩せているけどもっと痩せたい人がする行動のことだよ。食事を減らしたり運動をしたりと、いろいろ大変みたいだ」

 

 手首足首を曲げ、伸ばし、体の隅々に血液を送るイメージで体操。

 部分部分の柔軟が終わると酸素をよく取り入れて、次の部位へ。

 

「? ごはんはいっぱい食べたほうがいいのだ」

「そうだなぁ。けど、それを諦めてでも痩せたい人っていうのは居るから、あまりそういうことをハッキリ言わないほうがいいぞ?」

「んー……よくわからないけど、わかったのだ」

「ん、よしっ」

 

 納得してもらったら再び体操。

 にししと笑う鈴々とともに、今度はゆったりとした動きで体に持久力を思い出させてゆく。

 足を上げようともバランスを崩さぬように、芯は常に大地とともに。

 さすがによく鍛えられているのか、鈴々は高い位置まで足を上げてもフラつくこともない。

 しかも体が柔らかく、よく曲がる。一瞬子供だからかなーと考えたけど、それは失礼だな。きっと鍛錬のたまものだ。

 

「おや。朝から城の一部だけやけに暑苦しいと思えば」

「? 星なのだ」

「やっ、趙雲さんおはよう、いい朝だね」

「うむ、おはよう。何をもっていい朝だと決めるのかはわからんが、なにやら私もそう思うから賛同してふあああああひゅひゅひゅ……」

(……ねぼけてるのだ)

(……ねぼけてるな)

 

 朝、弱いんだろうか。

 欠伸をしたのちにふらふらと歩き、体操をする俺達の横にとんと立つ。

 すると途端に俺達の行動の真似を始め、そうする頃には目がキリッとしたものに───! ……あ、やっぱり眠そうだ。

 

「食事前に運動とは。なるほど、けだるい朝の体には丁度の良い喝だ」

「血のめぐりをよくするためだったんだけどね。一度始めると体が起きるまでやりたくなっちゃってさ」

「おなかすいたのだ~……」

「はは、うん。たぶんもうちょっとだから、頑張って鈴々」

 

 言いつつも続ける。

 動きは普通の速度に戻り、ラジオ体操的なものに。

 通路からよく見えるのか、気づけばちらほらと将のみんなが集まり、その場は体操に参加する人や傍観する人で溢れていた。

 視線も参加もどんとこいだ。見られようが参加しようがそのまま続けて、一度した行動を繰り返す。

 いい加減体も温まり、ほぐれてきたところで誰かが「そろそろ朝食ですよ~」と言って、体操は終了。

 朝の体操にしてはやりすぎた感もあるものの、目は完全に覚めたので問題はない。

 みんなでワイワイ騒ぎながら厨房までを歩き、食事を摂って、訪れる場所は再び中庭。

 桃香や朱里や雛里には「後で手伝いに行くから」と伝え、すこ~しだけ体を動かす。

 ……と、そこに視線を感じて、ちらりと見てみれば……通路の欄干に肘をつき、ぶすっとした顔で俺を見ている馬超さんを発見。

 お、怒ってる? 昨日の歌の時点で少しくだけてくれたかなーとか思っていたけど、甘い考えだったのでしょーか。

 

「………」

「………」

 

 少し緊張しながらも軽く胃を揺らす運動をする。

 激しい運動は脇腹を痛める原因になるけど、軽く揺らす程度ならばむしろ消化吸収を助けてくれると聞いたことがある。

 だからこそ、ゆるゆると運動をしていたんだが……そこへ、中庭の草をさくさくと鳴らしながら歩いてくる馬超さん。

 ぎょっとしそうになるのをなんとか押さえ、運動をやめた俺の前に立つ彼女を「?」と疑問符を浮かべつつ見つめる。

 

「……あのさ。その……食ったばっかりでそんなに動くと、腹の横とか痛くなるから……その。やめとけって」

「……エ?」

 

 相変わらずぶすっとしたような顔だったけど、口にしてくれたのは……なんだか暖かい言葉だったりした。

 あれ? どうして俺、こんなこと言われてるんだろ。と、そんな疑問が顔に出たのか、馬超さんは少し慌てた風情で口早に話してくれる。

 

「あ、いやっ、とと桃香さまから聞いたんだよっ。お前はたしかに魏の連中全員とその、かかか関係をもったかもしれないけどっ、それはきちんとした気持ちであって、浮ついたものじゃないって! だだだからそのっ、勝手に否定して勝手に帰れって言ったことを……その……」

「………」

「その……わ、悪かった! 何も知らないのにエロエロ大魔神とか言ったりしてっ! たんぽぽからも、自分がしつこく訊いたからだって聞いたし───と、とにかく悪いっ!」

「…………えーと」

 

 予想外再び。

 まさか謝られるとは微塵にも思っていなかった。自分自身、馬岱にいろいろ話した時点で“やってしまった”って感があったのに、そのことをまさか馬超さんに許されるなんて。

 どう返していいかわからず、しばらくぽかーんとしていると……傍から見れば拝み倒すような仕草にも見える姿勢(頭を下げた顔の前で手を合わせ、目を閉じるといった格好だが)の彼女が片目をチラリと開き、ぽかんとしている俺の様子を伺った。

 それでなんとか意識もハッと戻ってきてくれて、慌てながらもきちんと返すことに成功。

 

「あ、あぁははは、うん、大丈夫。むしろこっちが悪かったって言いたいくらいだ。迫られたからって、誰かに話していいようなものじゃあなかった……ごめん」

「………」

「? え、えぇと、なにかな」

「へっ? あ、いやっななななんでもっ!? とととにかくっ、これでお互いわだかまりは無しってことで! 改めて、モノ食べたあとにそんなに動くとだなっ……」

 

 あっさり許したとかあっさり謝ったからとか、そういうことが関係しているのか、ポカーンと停止していた馬超さんだったけど、ハッとすると口早に脇腹解説をしてくれる。

 しかしながら、「腹が痛くなるまでじゃなく、軽く運動する分には、消化を助けて太りにくくなるんだよ」と教えると、急に真面目な顔になって……参加した。

 

「かっ……勘違いするなよっ!? あたしはただ、急に運動がしたくなって……!」

「ん、付き合ってくれてありがとう」

「……うぅ」

 

 呉でも、誰かが鍛錬の付き合いをしたり、指導してくれたりしていたからだろう。一人で鍛錬するっていうのがしっくりこなくなっている自分が居る。

 思えば日本に居た時もじいちゃんが教えてくれていたし───なるほど、そう考えればそもそも一人での鍛錬は最初から肌に合わないものだったのかもしれない。

 

「けどお前、いつもこんな朝早くから一人っきりで鍛錬してるのか?」

「え? いや、思春───甘寧も一緒だけど?」

「甘寧? どこに居───」

「……すぐ横だ」

「うわぁあっ!?」

「うわっ!?」

 

 すぐ横で声をかけられた瞬間、思わず逃げ出すようなカタチで俺に抱き付く結果となった馬超さん。

 彼女自身、俺にしがみついていることに気づいていないのか、「居るなら居るって言えよぉおっ!」と思春を睨みながら叫んでいる。

 そもそも馬超さんが俺の隣で運動しようとしたから、思春が横にずれて間を空けてくれたんだけど……うん、やっぱり普通じゃ気づけない。

 最近になってようやく少し……本当にすこ~しだけ気配に慣れてきたから、“そこに居る”って事実だけはわかる俺から見れば、視界の中に確かに居るのに見えないっていうのは、もはや技術というより魔法めいたなにかだ。

 蓮華に言わせれば、「常に誰かに見られているというのは、向上心を持つ者にとってはありがたいものよ」、だそうなんだが。

 確かに誰かに見られていると思うと、手抜きなんて出来ないだろうし……それが例えば自分が恐怖する相手だったりすれば、なおさらだ。もちろん俺も、蓮華の考えにはまったく同じ考えを持っていたわけで。

 ……い、いや、僕はべつに思春が怖いって言ってるわけじゃなくてデスネ?

 ただ、傍に居てくれるなら、気配を消さずに一緒に頑張ってくれたらなーと思うわけで。

 

「………」

 

 だがだ。今重要なのはそこではなく……いや、そこも重要だけど、なによりもまずすべきこと。

 それは……服にしがみついている誰かさんに気づかれないよう、このしがみつきから逃れることであり。このぎゅ~っと握られた僕の服を、なんとかゆるりと逃がして……無理だ、ああうん無理だよこれ。

 だったらここで上一枚を脱いで……無理。

 

「……あの。馬超さん」

 

 なんとなくこのあとがどうなるのかを予想できる自分が悲しいけれど、言わないわけにもいかない。

 コホンと咳払いをすると……俺と、自分がどういう体勢でいるのかを確認した彼女に再びエロと言われるまで、時間はそう必要じゃなかった。

 

……。

 

 さて、そんなこともあった日の昼のこと。

 我ら結盟軍(桃色な結盟だが)の力を以って桃香の手伝いを終わらせた俺は、顔を少し引きつらせた桃香を連れて中庭へ。

 なんのことはなく三日経ったから鍛錬しましょという状況なのだが、繰り返して言うのもなんだけど、桃香が微妙な顔をしている。

 

「桃~香。筋肉痛にはもうなりたくないか?」

「へぁっ!? あ、ううんっ、頑張りたくないわけじゃなくてえっと……あの……う、うん……」

 

 大変正直でした。

 そうだよなぁ、好きこのんで筋肉痛になる人って、そうはいないと思う。

 そうしなくても鍛えられるのであれば、よほどのことがない限り誰もがそれを望むだろう。

 しかしながら筋肉痛になれば、それだけ鍛えているって実感が沸くものだから、慣れてくると“今回も頑張ったな”って思えてくる……ものの、最初からそれを望むのは酷だ。

 むしろ筋肉痛が好きって人もいるらしいし、世の中はまだまだ広く、時に狭い。

 

「あ、で、でも、やるって決めたから頑張れるよっ? 途中で投げ出したり諦めたりしたら、それこそ華琳さんに怒られちゃうもん」

「そうだな。じゃ、今日も頑張ろう」

 

 “華琳に怒られる”か。

 あれから手紙を出したけど、華琳はどんな反応をするだろう。

 怒るだろうか、呆れるだろうか。

 それとも───やっぱりどこまでいっても一刀ね、なんて失笑するのだろうか。

 計画実行の根回しにならないためにと思いながら、結局他人任せな自分が情けない。

 命令無しに動けない人たちは、いつもこんな気分で動いているんだろうか───そんなことが浮かんだ頭を軽く振るいながら、桃香や思春とともに準備運動を始めた。

 

  ……いや、桃香と思春だけだったはずなんだけどね?

 

「………」

 

 念入りな準備運動をしていたら、いつの間にやら人が増えていた。

 それは馬超さんだったり文醜さんだったり、魏延さんだったり馬岱だったりと……あ、あれー? どっちもやたらと競い合って運動してるんだけど……蜀ってもっと仲良しで徳と仁に溢れた国じゃなかっただろうか……?

 

「馬の扱いでは負けるけど、足でならあたいが勝つっ!」

「ぬかせっ! 馬でも足でもあたしが勝つっ!」

「力ば~っかりが自慢の脳筋じゃあたんぽぽには追いつけないよ~だっ」

「なんだとこのっ……! 小回りが利こうと歩幅ではワタシが勝る! 所詮背の小さなお前では、一歩目を先んじることは出来ても勝つのはワタシだ!」

 

 城壁の上を競って走る馬超さんと文醜さん、その後ろをギャースカ騒ぎながら走る馬岱と魏延さんを中庭から見上げ、蜀という国の在り方を少しだけ考えた。

 まあ……これも仲良しの証なのかな。

 

「思春ちゃん、これの次は……こうだっけ」

「はい、桃香さま。体をよく伸ばし、さらなる運動に耐えられる体を───」

 

 中庭でも桃香と思春が運動中だし。

 一人余った俺は俺でリハビリも兼ねて、木刀片手に素振りの練習。

 右手に持った木刀をゆるゆるジリジリと持ち上げる……だけなのだが、これがまた辛い。

 負荷をかけることでさらなる強度を~とか考えているわけだが、まずはきちんとくっついてからやるべきなんじゃないかなぁとか思い始めている。

 や、違うか。単に今まで鍛えてきた部分が弱ってしまうことを実感したくないだけだ。

 

「桃香、どうだ? 三日前よりは出来てる実感、あるか?」

 

 そんな焦る心も一呼吸で落ち着かせて、腕を大きく上げて背伸びの運動をしている桃香に語りかける。

 前回の時はこの辺りですらぐったりしていたのに対し、今は───

 

「はぅうぇえええ~……」

 

 ……ぐったりだった。

 運動のあとのリラックスとして取り入れた背伸びの運動らをする桃香は、目をきゅっと瞑りながらプルプルと腕を伸ばし、伸ばし終えると「ぷあっ! は、はぅうう~……」と。聞いているこっちが申し訳なくなりそうな苦しい声を出していた。

 そりゃそうか、たった一回でそんな簡単に強化されてたら、さすがに努力する人の立つ瀬がない。

 

「終わった?」

「う、うん……なんとか……」

 

 けれど三日前とは違い、そのまま倒れて動けなくなる、といったことはなく───実際僅かではあるが、効果は出ていると感じられた。

 ……見たまんまを口にするなら、ふらふらで今にも倒れそうだが。

 

「じゃあ、軽く氣の練習でもしようか。俺も腕がこんな状態だから、そのリハビリも兼ねて」

「……? りは……?」

「ああえっと。怪我をした部分がちゃんと機能するように~って、少しずつ慣らしていくことを、天ではリハビリって呼んでるんだ。俺の場合は綺麗に折れてるから、くっつくこと自体が早かったしさ……」

 

 なにより特殊な氣とやらのお陰で、本来なら完治にはもっとかかるような傷なども早い段階で治ってくれる。

 その恩恵なのか、骨がくっつくことも速かったし、華佗が鍼を通してくれたお陰で痛みもない。負荷をかければそりゃあ当然ってくらいに痛いけどさ、それは当然だから仕方がない。

 

「じゃあ……思春、手伝ってもらっていいかな」

「ああ」

「?」

 

 桃香を木の幹まで連れ、そこに座ってもらうと……俺が桃香の右、思春が桃香の左に座り、片手ずつを手に取る。

 桃香は「? ?」と疑問符を飛ばしまくっているけど、つまりはアレだ。冥琳を救った時と同じ方法。あ、いや、べつに俺の氣を桃香の氣に変換させて送るとかじゃなく。

 逆に自分の氣を桃香に似せて、桃香の氣を自分側に引っ張る。前回の時と同じ方法だな。

 

(ん……)

 

 集中。

 桃香の中に眠る氣を引き出すイメージ。

 彼女の手に触れている自分の手は、あくまで彼女自身のものと意識して、誘導、誘導、誘導……。

 

「………」

 

 ちらりと見ると思春も同じく集中していて、しかし俺と目が合うとフンとそっぽを向いてしまう。

 そんな様子に桃香がやっぱり首を傾げたあたりで、彼女が多少はリラックス出来たからだろう。ひゅるんっといった感じに桃香の奥底から昇ってきた氣が、彼女の右手と左手に集い、栗色のやさしい輝きを見せた。

 

「……! わ、わ……すご───はうっ!? ……き、消えちゃった~……」

 

 しかし桃香が喜んだ途端に霧散。

 彼女の喜びは氣の集中には向いていないんだろうか。

 

「まあまあ。こればっかりは気長にやるしかないって。俺でさえ出来たんだ、桃香もきっと出来る」

「……う、うん、頑張るね」

「………はぁ」

 

 励ます俺と、励まされた桃香。その横で、「またこの男は……」と溜め息を吐く思春さん。

 けれどその溜め息を吐く口調も、どこかやさしく感じられたのは……自分の心境の変化から来たものだと受け取ってもいいんだろうか。

 

「よし、じゃあもう一回だ。桃香、今度は喜ぶよりもまず、自分の氣に集中してみてくれ。引き上げたもの、自分の手の中にあるものを自分なりに感じる練習から始めよう」

「氣を感じる……うん、やってみる」

 

 もう一度集中。

 再び桃香の氣を自分のもとに導くように彼女の奥底から引き出し、手に集中させる。

 

「……落ち着いて。集中、集中……」

「う、うん……」

「強張らず、力をお抜きください。氣を特別なものとして考えず、自分の中にあって当然のものとして受け容れてください。それは元々、桃香さまの中にあったものなのです」

 

 俺の言葉に頷き、思春の言葉に小さく息を飲み、脱力を。

 深呼吸を繰り返し───…………手に集う氣に向け、やがて小さく微笑みかけてみせた。

 

「……あったかい……」

 

 成功だ。

 元々素質はあったのか、それとも単に俺に錬氣の才がなかったのか。

 桃香は二回目の集中で氣を受け容れることに成功。

 一度自分の内側に戻してみせると、もう一度手に集中させてみせた。

 俺も凪に“素質がある”とか言われたけど、準備運動で筋肉痛になる桃香がこれだ。

 この世界を……乱世を王として駆け抜けてきただけあって、そこらへんの素質はあったってことか。

 

「じゃあ桃香、立って剣を振るってみて」

「え? えとー……急に剣の修行なのかな……も、もうちょっと体をほぐしたほうが、その~……」

「はは、剣術鍛錬をするわけじゃなくて、ただ振ってもらいたいんだ。氣ってものの凄さがわかると思うから」

「……?」

 

 立ち上がり、剣を…………持ってないから、俺の木刀を「ほら」と渡す。

 木刀の中でも重いそれを、ひょいと受け取った桃香は、「?」と首を傾げつつもそれをブンブカと振るう。

 

「へぇ~……重く見えるのに、軽いんだねこれ」

「そっか、そう感じるか。じゃあそのまま氣を内側に戻してみて」

「? う、うん……? ───へわっ!?」

 

 ス……と栗色の輝きが手から消え失せると、持っていた木刀とともに体を前傾させ、へたり込む桃香がいた。

 普通に持てるはずなんだが、急なことに驚いたんだろう。目をパチクリと瞬かせて、自分の手と急に重くなった木刀とを見比べている。

 

「え、え……? これが……氣?」

「そう。上手く集中出来れば、身体能力を軽く支えてくれる。もちろん重いものが軽く感じられるってことも“多少”程度にしか作用してくれないけど、あとは鍛錬あるのみってことで……えと、桃香~? 聞いてるか~?」

「~♪」

 

 楽しげに木刀を振り回す桃香に、内心ハラハラしながら語りかける。

 もしあれがすっぽ抜けでもしたらと思うと、いったい自分はどれほどの金額を弁償しなければ……! じゃなくて、すっぽ抜けて誰かに当たったら大変だ。

 

(けど……ちょっと複雑)

 

 自分は二度目三度目を成功させるのに随分と苦労したのに、誘導したとはいえ一回……一回で成功か。

 凪……世界は広いなぁ。

 俺なんて、手に集中したところで光さえ灯らなかったのに。

 

「じゃあ次は足にそれを移動させる。氣の移動が出来るようになれば、あまり疲労せずに走れるようになるから」

「え? じゃあお兄さんや鈴々ちゃんや思春ちゃんがあんなに走ってたのって……」

「いや、あそこまで走るには地力ももちろん必要になるよ。氣を得たからって氣だけに頼ってると、逆に体が動いてくれなくなるから。だから、氣は送り方や集中の仕方さえわかれば鍛錬中は使う必要はないと思う。使うのはむしろ体自体で、氣は三日間の休憩の時に使うようにする」

「ふぇええ~~……お兄さんはそれをずっと続けてるの?」

「呉に着いてから少しずつ始めたものだから、まだまだだけどね。多少強くなったつもりでも、まだ一回も勝ててないし……は……はは……」

 

 蓮華には一度だけ勝った……けど、あっさり返されたのも事実。

 常勝出来るようにとまでは言わないから、せめてもっとねばれるくらいの力がほしい。

 ゆくゆくはみんなを守れるくらいの……そう、みんなに“支柱”として受け容れてもらえるくらいの力を。

 

(力だけで認めてもらうようなものじゃないだろうけどさ)

 

 それでも頑張らなきゃウソだ。

 重大なものを背負うのならば、背負えるだけの覚悟と努力を。

 トンッと胸をノックして頷くと、思春と桃香とともに氣に慣れるための鍛錬を始めた。

 扱いに慣れてからは、ただひたすらに自身の強化を。

 扱い方がわからないんじゃあ、三日間の休憩中で氣を使うことなんて出来ないからね……。

 




 ゴールデンヌウィーク終了……!
 長かった……長かったでー! ついに終わったんやー!
 いえこんなこと言ってると、休みだった人は嫌な気分になるかもですけど、ずっと仕事続きだった身としては喜ばずにはいられません。
 とりあえず暑くなっていく日々に向けて、美味しいものでも食べてゆっくり休みます。
 肉類は消化するために逆にスタミナ使っちゃうそうだから、職業モンスターハンターでもない限りオススメしません。
 肉を食ってスタミナつけるぜ~~~~っ! と焼肉屋いったのに、逆に疲れた~とかありませんか? 消化吸収の時点で逆にスタミナ使っちゃうとかで、疲れの原因はそれらしいですぞ。

 暑いからと氷水を飲みまくったり、パワーのために肉類ばかりと、摂取するものを間違えると逆にザムシャアと倒れてしまいます。

  だがそれがどうした! 美味しいものを食べてなにが悪い!

 そう言えたらいいんですけどね、ほんと。美味しい料理を食べてこその人生ですもの。生きるってことは体にものを入れていくことなんだなぁとゴローさんも言ってらっしゃるし。

 さて、今日一日頑張れば久しぶりの二日休みだ。
 ……ええのう、九日間とか休んでみたい……。
 では、更新再開ということで、コンゴトモ、ヨロシク。


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29:蜀/強い自分であるために②

 そうして鍛錬を始めること数時間。

 時は昼を通り過ぎ、夕刻へと向かってゆく。

 その頃には将の様々が自身の仕事を終えて戻ってくるのだが、中庭っていうのはどうしても目に留まるものなのだろう。

 蜀の王が鍛錬をしているところを目に留めると、皆が一様に足を止め、歩み寄ってくる。

 

「そうそうっ、相手からは目を離さないっ! 相手の目を見ることも忘れないっ! 目で行動を読めることもあるからっ! だからって目ばっかり見てるとフェイント……目の動きを利用して裏をかかれるから気をつけるっ!」

「はっ、はっ……! は、はいっ!」

「いや、“はい”はやめてってば桃香!」

 

 氣とともに散々と体を動かした桃香は、自分の体が疲れにくくなっていることに喜びを見せ、(はしゃ)いでいた。

 氣で体を動かす───筋肉を酷使することがないために疲労も少ないって教えたら、それを覚えてみたいと言った桃香。

 彼女にそれらを教えて、実際に誘導しながら覚えてもらったのがついさっきなんだが、次は剣を振るってみたいと言ったからさぁ大変。

 「俺が扱うのは受け売りばっかりの剣術だけど、いいか?」って俺の言葉ににっこり笑顔で頷いた彼女を前に、俺がした行動はといえば───もちろん“剣を振るうための準備運動”。

 「え……えぇええ~~……?」と、もう準備運動は嫌と言いたげな桃香に、準備運動の大切さをみっちり叩き込んだらいよいよ本番。

 木刀を持って受けへと回り、振るわれる模擬刀を逸らして(かわ)して、現れる隙のことごとくを突く。もちろん寸止めだ。

 

「剣は当てるだけで傷になるから、断ち切るんじゃなく切りつけることを意識することっ! より速く、より正確に、けど同じ動きは極力しない!」

「はぁっ……はぁっ……う、うんっ!」

「動きは細かく、隙は出来るだけ殺していく! そして……自分が振るうものは、どうであれ“力”であることを自覚する! それが出来ない人に剣は似合わない!」

「───! っ……はぁっ……ふぅっ……! ───うんっ!!」

 

 キッと目つきを変え、桃香が迫る。

 言われた通りに動きは細かく、“傷つけるため”の撃を向けてくる。

 それを避けて弾いて躱して返して……(ことごと)くを受けず、彼女が剣を握れなくなるまで捌ききった。

 

「かはっ……はっ、はぁっ……! はぁっ、はぁっ……!!」

「うん、お疲れ桃香。じゃあ最後に柔軟体操をして終わりだ。マッサージ、忘れないようにね」

「はぁっ、はぁっ……はっ……は、あぁ……っ、はっ……」

 

 返事をする気力すら残ってないらしい。

 いやむしろ、氣を使い始めたばっかりなのにこれだけ出来るほうがどうかしてる。

 やっぱりこの世界の住人と俺とじゃあ、基本能力とかが違うんだろうなぁ……。

 そう思いながらちらりと見れば、息を荒げながら中庭の草の上でこてりと倒れている桃香さん。

 あー、なんか祭さんと対峙してた俺って、こんな感じで倒れてたのかなーとか思ってしまうのは仕方がないことだと思う。

 少しだけ、ほんの少しだけ微笑ましい気分になりつつ、休憩を取ってから柔軟運動をと……思っていたのだが。

 

「待て」

 

 何処から出したのか、巨大な棍棒のようなものを肩に担いだ魏延さんが、桃香を木陰に運ぼうとする俺に待ったをかけていた。

 

「お可哀想に……こんなになるまで“無理矢理”こんな男の我が儘に付き合わされて……。貴様、覚悟は出来ているんだろうな」

 

 漫画とかで表すなら、ゴファォオゥウウンッ!! ……などと書かれそうな、多少距離があっても耳に残る巨大な物体特有の重苦しい音。そんな音が勝手に鳴ってしまうものを片手で平然と振り回して、魏延さんは何故か俺を睨んでいた。

 

(……え? 無理矢理だったの?)

 

 そそそそりゃあ確かにちょっと無茶させたかなーとは思うけど、自分の経験上ではこれくらいやらないと底上げになんてならないと判断したわけであり、そのぉおお……!?

 

「ワタシが桃香さまに代わり、貴様を討つ! 覚悟するがいいエロエロ魔神!」

「えぇええええっ!? いやあのっ……えぇっ!?」

 

 バババッと先ほどまで文醜さんと競って鍛錬をしていた馬超さんを探す。

 と、城壁の上から俺達を見下ろしていた馬超さんが、発見した俺と目が合った途端に物凄い速度で視線を逸らすのが見えた。

 あのー、嫌な噂でもお流しになられたのでしょうか、馬超さん……?

 

「たっ……! 戦う、理由がっ……無いん、だけど……!」

「ワタシにはあるっ!」

 

 振るう物がモノだけに、上ずった返事が自然と出る俺を前に、軽々しく振り回され、地面に立てられた鉄製(?)棍棒が、中庭の大地の一部をへこませた。

 その際に、ミミズの畑中さんが潰され、その生涯を終えることになった……とか、せめて心だけはかき乱さないようにふざけたことを考えて、平静を保つのだが……上手くいかない。助けてください。

 

1:たたかう(正々堂々、試合開始!)

 

2:とくぎ(無理だと思うけど話し合い)

 

3:ぼうぎょ(彼女の一撃を耐えられるか、今こそ試す時!)

 

4:にげる(重いものを持ってるなら逃げ切れる……? いや、なんかダメそう)

 

 結論:2!

 

「あの」

「うぉおおおおおおおっ!!」

「ぅぉわぁああああーっ!?」

 

 問答無用でした。

 グオオと振りかぶられ、力を溜めた一撃を疾駆とともに繰り出す魏延さん。

 それに対して、俺は素直に悲鳴を上げて───なんとか躱す!

 

(う、わっ……! い、今ゴフォオオンって……! ご、ごゴごごゴゴ、ゴフォォオゥンって……!!)

 

 目を前を通り過ぎる巨大な得物というのはそれだけで恐怖になる。

 癖を克服するためとはいえ、閉じないようにカッと目を見開いていたために、その恐怖も一入(ひとしお)だ。

 ああっ……俺の言葉じゃ止まってくれないなら誰かに止めてもらいたいのに、むしろみんな興味津々顔で見てる……!

 思春はっ───あ、なんかもう“いつものことだろう”って顔で溜め息吐いてる! 思春!? それはいくらなんでもあまりじゃあ!?

 

「魏延さん! 桃香が疲れているのは鍛錬をしたからであって! 疲れない鍛錬になんの意味がありましょうか!?」

「黙れ色欲魔人め! 翠から聞いているぞ、貴様は女と見れば見境無く手を出し、襲い掛かる男だと!」

「ちょっと馬超さぁああああああん!?」

 

 声帯の許す限りの大絶叫! キッと涙混じりに見上げた城壁の上では、わたわたと慌てる馬超さんが居てヒィッ!? だだだダメだぁあっ! 別のことに意識を向け続ける余裕無い! 今掠った! 少しだけ掠ったよ頬に!

 

「なんだっ! 違うとでも言うつもりか!?」

「違っ───、……み、みみみ見境無しなんかじゃないし襲い掛かりもするもんかぁああっ!!」

 

 違うときっぱり断言出来ない自分に、涙が出るほどのダメージがざくりと。

 それでも振るわれる攻撃を避けて避けて避け続け、出した結論のもとに説得を続けるんだけど───あ、なんかだめ、そもそもまともに聞いてくれてない。

 けど、説得できないから力で解決って、それでいいのか? 俺は───

 

「魏延さん! 足で勝負だ!」

「なに……?」

「城壁の上を走り続けて、勝ったほうが桃香を介抱する!」

「ふんっ……武では敵わないと見て足で勝負か。随分情けない判断だな」

「情けなくても力以外でも解決してくれるなら、俺の格好がどうだろうと関係ないよ。俺はただ、最後に笑顔があってくれればそれでいい」

「………」

 

 力で解決すべき世界は華琳が治めてくれた。

 そしてこれからも、治めていてくれるだろう。

 そんな世界にあって、俺達が出来ることといったら……その“力”の支えとなるべつの力になること。

 やさしさや笑顔、守りたいって心や救いたいって気持ち。そういうのを以って、力以外の何かになることで、覇王を支える。

 “力”が揃っているのに、自分までもが力で治める者になる必要なんてきっとない……ああそうだ、桃香の言う通りだ。

 かつては華琳に“力以外”を否定され、叩き折られたかもしれないが───今なら、それも無駄なんかじゃないって笑顔で言える。

 そんな世界を彼女が治めているなら、胸を張っていけるはずなのだから。

 

「……だめだ。貴様がそれを言うなら、まずワタシに“力”を見せろ」

「力を……?」

「そうだ。桃香さまは曹操に立ち向かい、“力”を以ってして折られた。その曹操の傍に立っていた貴様が“守ること”を、“笑顔”を口にするなら、桃香さまと同じく示してみろ!」

「───……」

 

 衝撃。

 それは確かにそうなのかもしれないが、まさか真っ向から言われるとは思わなかった。思ってもみなかった。

 けど、華琳は何も、ただ力を示したかったわけじゃない。

 彼女にだって守りたいものは山ほどあったし、それを守る術が力だと理解していたから“叩き潰し、膝を折らせてみせなさい”と言った。

 

「折られるわけにはいかない。だからって、そこから逃げてちゃ結果は変わらない。───わかった、力を示す。負けてもいいなんて気持ちは微塵も持たない。魏も呉も蜀も、どこの意思も今だけは関係ない。俺は俺の意思と覚悟を守るために、俺だけの“力”を示す」

 

 力ってなんだろう。自分を鍛える傍ら、時折に考えた。

 自分の迷いに気づいてからは向き合っていたつもりだけど、それでも足りないもののほうが多くて……何に手を伸ばせばこの気持ちは晴れてくれるのか。悩むことが増えただけで、いい気分にはなれなかった。

 けど今は───魏のことや華琳のこと、呉で学んだことや蜀でこれから学んでいくこと、様々なものを抜きにして……自分の覚悟を貫く時だ。

 もう、国を言い訳には出来ない。誰かを言い訳には出来ない。

 

(“自分を持って”、か……雛里には随分偉そうなことを言っちゃったよな)

 

 持ててなかったのは自分も同じだ。

 だからこそ今、自分として力を示そう。

 国に返していくのなら、国に依存するのではなく自分として立ってみる。全てはそこからだもんな。

 

「ああ、もう……随分長かったな、スタートライン……」

 

 マラソン大会の出発地点……じゃないな、受付がどこにあるのかわからなくて泣きそうな感覚……ってのがもしあるなら、こんな感じ?

 いやいい、うだうだ考えてないで、とっとと覚悟を決めてしまえ、北郷一刀。

 

「覚悟───完了」

 

 胸をノックして、魏延さんを見る。

 その後ろで、ちゃっかりと桃香を介抱している関羽さんが、俺が胸をノックするのを見て穏やかに笑っていた。

 あの。介抱するかどうかでもめてるのに、それはマズイんじゃあ───そんなふうにハラハラしている俺とは逆に、俺のことを叩きのめしたい一心なのか、やたらとギラついた目で俺を……俺だけを睨む魏延さん。

 

「………」

 

 戦う覚悟は決めたものの……生きて中庭を出れたらいいなぁと、随分小さな夢を胸に抱いた。

 「貴女の後ろで、貴女にとってとんでもないことが起こってますよ~」と言っても、「ワタシを油断させるつもりだろうがそうはいかんっ!」と言われた時点で、俺にはもう遠く眺める空の蒼が眩しすぎたのだ。

 しかしながら、覚悟を決めたのなら貫く意思を。

 深呼吸をしながら木刀を左手で持ち直すと、未だ癒えきらない右腕を軽く添えて構える。

 

「叩き潰される覚悟は出来たか?」

「ごめん、“それは”出来てない」

「だったら今のうちにしておくんだな。ワタシが貴様を叩き潰す前に」

 

 振り上げた棍棒(金棒のほうがしっくりくるか)を頭上で回転させたのち、中庭の地面にどごぉんっ! と振り下ろす魏延さん。

 言葉通り、叩き潰されるとたたじゃ済まない……むしろ死ぬ。 

 

「どこからでも来いっ」

 

 それを俺への牽制としたのか、持ち上げた金棒を腰に溜めるように構え、余裕の顔で俺を睨みつける。

 片手で軽々と……だもんな。本当に、この世界の女性はとんでもない。

 

「すぅ───フッ!」

 

 ならば躊躇なく攻撃も出来る。

 力云々を考えるよりも、全力を出し切らなきゃ相手にもならないだろう。

 地面を蹴り弾き、前に進むとともに決められる覚悟を幾度も幾度も決めてゆく。

 最初の一度で全てを受け容れられるほど、自分が強いと思ったことなど一度としてない。

 魏延さんがそんな俺に合わせて金棒を振るうまで、いったい幾つの覚悟を決めたのか。

 戦う覚悟、逃げない覚悟、武器を振るう覚悟、振り切る覚悟───数えたらキリがない。

 

「はぁっ!」

 

 右の腰に溜められ、右手で振るわれる金棒。

 自分の視界の左側から襲い掛かるそれは、見事に俺の疾駆速度に合わされていて、このまま馬鹿正直に進めば調度いいくらいに左半身を潰されそうだ。

 そういった心配を、両足に込めた氣を爆発させることで一気に掻き消す。

 

「! ちぃっ!」

 

 祭さんとの手合わせの時にもやった歩法。

 足に込めた氣を爆発させて、一歩で一気に距離を潰す方法を以って魏延さんの懐へと潜り込む!

 魏延さんは舌打ちをしただけで、そのまま金棒を振るい───俺が木刀を当てるより先に、“武器に力の乗り切らない状態”で俺を無理矢理吹き飛ばして見せ───って、うわぁぁぉっ!?

 

「ちょっ……!?」

 

 まるで腕でホームランをされた気分だ。

 蓮華の時のように木刀の腹を喉に当てて決着、なんて上手くいくはずもなく、近寄った分だけ殺されるはずの攻撃範囲の内側の力だけで、俺は宙を舞った。

 

「っとわっ……!」

 

 なんとか着地はしたものの、改めて彼女の腕力に冷や汗をたらした───なんて考え続ける余裕も与えてくれないらしい彼女は、俺が着地するより早く走っており、横薙ぎ一閃に振るわれた金棒がもうすぐそこに来ていた。

 ソレに木刀を当て、逸らそうと───したんだけど無理! 無理だこれ重すぎ!

 

(飛んでくるのが軽いものならまだしも、バットで巨大鉄球は打ち落とせないって!)

 

 鈴々の蛇矛のように、この金棒に比べれば細いものなら逸らしようもあるが───無理! うん無理!

 そう判断するや、木刀を当てたまま金棒が向かう方向へと全力で地面を蹴って跳躍。

 殺しきれない衝撃と自分の跳躍の勢いとで派手に吹き飛ぶが、それを丁度のいい気持ちの切り替えの時間に利用させてもらい、視界の先から走ってくる魏延さんへと着地と同時に疾駆。

 姑息な手など一切無しで正面からぶつかり合い、当然の如く吹き飛ばされ、それでも体勢を立て直すとぶつかりゆく。

 相手の動きを知って、戦いの中でだろうが対処法を学ぶ。

 やることなんていつも一緒だ、きっとこれからも変わらない。

 あとは自分が全力で、どうあってでも打ち勝つ覚悟、負けない覚悟、自分の全てを出し切る覚悟を決めればいい。

 

「───」

 

 集中。

 鍛錬の中や鈴々の立ち会いの中でも意識した、本気の雪蓮との対峙時の緊張感を我が内側に。

 もっと見ろ、相手の動きを読んで、一手先でも僅か半歩でも構わない……先んじるものを手に、対峙する者に打ち勝つ覚悟を……!

 

「動きが変わった……?」

 

 魏延さんの僅かな戸惑いの声を耳にしながら、魏延さんの攻撃を避けてゆく。

 まともに打ち合えば、逸らすことも出来ずに吹き飛ばされる事実はこの身に叩き込んだ。

 あんなに巨大なものを振り回しているにも関わらず、武器を戻すのも十分に速いことも知った。

 迂闊に踏み込めば吹き飛ばされるのは目に見えている。かといって、華雄の時のような方法は通じないだろう。

 だったら……よし。

 

「ふっ───」

「っ……どうした。逃げるのかっ!」

 

 一旦距離を取り、呼吸を乱していないことを双方ともに確認。

 一度深呼吸をしてから再び思考。決めた決意は……あらゆる手段を使ってでも勝つ。武器を木刀だけに限定させず、足でも拳でも使えるものは全て使う。

 右腕は……出来るだけ使いたくはないけど、必要になったら使う覚悟も決めておく。またポッキリいくかもしれないが、譲れない戦いってものがある。

 

「………」

「………む」

 

 真っ直ぐに見つめる。

 踏み込もうとしていた足が一旦そこで止まり、しかしすぐに一歩を踏み出し、迫る。

 俺はそれを迎えるべく重心を降ろしてどしりと構え───成功をただひたすらに望んだ。

 

「ちょろちょろ逃げるのはやめたのか!? だったら───これで終わりだぁああっ!!」

 

 振りかぶり、振り下ろす。

 ただそれだけの動作だが、俺を潰すのなんてそれだけで十分だ。

 まさか本当に潰すつもりじゃないだろうが、それでも立ち会った頃から怪我どころで済むとは思っていない。

 その覚悟、その意思を己の身に刻み直し、俺の目から見て左から斜に下ろされるそれを確認するや───即座に木刀を持つ手をスイッチ。

 右手一本でソレを持ち、何も持たない左手にありったけの氣を集中させる。

 

  さて。潰れる覚悟は出来てるか?

 

 自分の内側から聞こえた声に、ただ小さく笑ってみせた───それだけだ。

 左手は振るわれる金棒目掛けて突き出し、木刀を持った右手は震わせながらもなんとか肩と平行に右の虚空へと伸ばす。

 

「───」

 

 無駄な声は出さない。

 振るわれる得物の速度と添える速度のみに集中し、それが叶えば次の工程。

 手に走る重苦しい衝撃全てを氣に乗せて体内に逃がし、今度はその氣を右手に、さらに木刀へと───一気に流してぇえええっ!!

 

「っ───!!」

 

 左から来た破壊の衝撃が体内を駆け抜け、右手に持つ木刀に装填されるや、それを震える右腕で振り切った。

 完治していない腕でなんて無茶もいいところだ───けど。その甲斐はあった。

 

「あ───くぁああああぁっ!!?」

 

 振り切った木刀が魏延さんの左脇腹を強打した。

 あんな状況で反撃がくるとは思っていなかったんだろう、意識が完全に攻撃のみに集中していた彼女はまともにこれをくらい、後方へとよろめいてゆく。

 すぐに追撃をと足に力を込める───いや、込めたつもりだったんだが、困ったことに威力を殺しきれなかったらしい。

 いや、殺し切るとかじゃなく上手く逃がしすぎたからか?

 全身に激痛が走って、追うどころではなくなってしまった。

 

「あ、あー……あれ……!?」

 

 化勁の応用。

 外部からの衝撃を氣で受け止め、外へと散らすのが正しいやり方……だったっけ?

 けれどもそれを体内に吸収して移動、攻撃へと転換するって技法をぶっつけ本番でやってみたんだが……う、うん……体内通しちゃだめだね……! 氣で衝撃吸収した意味が、ないよ、こ、れぇえっだぁああああだだだだーっ!?

 痛っ! 体痛ッ!! 外傷ないのに内側痛すぎ!! ああいや外傷あったよ魏延さんの金棒の棘が手に刺さってた!

 

「ふ、ふっ……ふっ……ふぅうっ……!!」

 

 震えて涙目。だが倒れぬ!!

 勝つまでは倒れない! 覚悟と意地にかけても……い、意地に、いじっ……いぢぢだだだだだぁあーっ!!

 

(しっ……神経を鈍器で殴られたみたいなっ……! あ、そうか、鈍器で殴られる衝撃を体内に通したからっ……!)

 

 あ、やばい……涙止まらない。

 ボロボロこぼれてくる上に体動かないし……!

 

(これが……涙……? 私、泣いてるの……?)

 

 なんてどっかの物語の真似をしている場合じゃなくて!!

 落ち着け俺! 痛みを誤魔化したいからっておかしな方向に走りすぎるなっ!!

 

「っ……く、ぐぅうう……!」

 

 と、おかしな頭をぶんぶん振ってはさらなる痛みに涙する俺の前で、脇腹を押さえながら俺を睨む魏延さん。

 その手に持つ金棒が再び構えられ、「ああ……死ぬ……死ぬな、こりゃ……」と無駄に悟った。

 

  ……じゃあ、死ぬってわかっててただ死ぬのか?

 

 いや、それはないな。

 死ぬ覚悟を決めるなら、生きる覚悟も決めていく。

 死ぬかもしれないなら、それこそ死ぬ気で抗ってみろ。

 ただ死ぬだけじゃあ……なにも残せないだろ?

 

「とはいえ……いづっ! ~っ……氣は全部、今の一撃で使い果たしたし……はは、本当に放出系は全然だめだな俺……」

 

 けど、まあ。

 だったら今度は、氣が全然使えなかった頃の自分で戦うしかないってわけだ。

 痛みも……元々傷のないものだ、少しずつ回復してきている。

 あとは自分のやる気云々の問題だ。

 

「すぅっ……ふっ!」

 

 吸い、一気に吐く。それだけで気は引き締まり、ふらつきながらも足に力を溜めている魏延さんを睨み返すことが出来た。

 痛みに涙するさっきまでの自分にさよならだ。

 

「っ───はぁああああっ!!」

「っ……だぁあああっ!!」

 

 疾駆は同時。

 再び真正面からぶつかり合い、氣を用いらないかつての自分のままで捌いていく。

 当然走る速度も踏み込みの強さも桁で数えたほうが速いくらいに落ちているが───妙に自分にしっくり来るそれらに、どうしてか笑みがこぼれた。



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29:蜀/強い自分であるために③

 …………。

 

「はっ……は、はっ……かはっ、~っ……はっ……」

「ふぅ、ふぅっ……ふぅう……!」

 

 俺の氣が底をついてから僅か五分ほど経った今。

 しかし動きっぱなしの五分というのは実に地獄めいたものであり、双方ともに体を庇いながらでは余計だ。

 俺と魏延さんはもはや立っているのがやっとの状態で、けれど自分からは絶対に倒れないという意地を見せ、睨み合っていた。

 

「貴様……っ……はぁっ……それだけ戦えて……なぜ戦では前線に出てこなかった……!」

「戦があった頃……は、はぁっ……てんで、弱かったから、だよ……!」

 

 呉や蜀でも説明したことをもう一度。

 鈴々から別の誰かに伝わるといったことが起こらなかったのか、それとも話されても興味がなかったのか。

 魏延さんは小さく舌打ちをすると、「そんな男に追い詰められているのかワタシは……!」とこぼした。

 追い詰めているだなんて、随分買ってくれているけど……生憎ともう右腕が持ち上がらない。

 じくんじくんと蝕むような痛みに支配されて、そもそも右半身が痺れてきている。向かってこられれば、トンと押されるだけで倒れるだろう。

 だというのに自分から“まいった”とは言いたくないんだから、随分頑固者になったものだ。

 

「───」

「………」

 

 睨み合う。

 魏延さんは余力を残しているだろうが、こっちはカラッポ。

 しかし散々と相手の力を利用した、カウンターめいた反撃ばかりをされたからだろう。

 俺のこの直立不動の体勢が、何かを狙っていると踏んでいるのか踏み込んでこない。

 ……普通に考えて真正面からぶつかって勝つのは無理だよ。

 攻撃が当たっても「効かんっ!」とか言って無理矢理突っ込んでくるし。

 木刀に氣も込められないから、折らないためにも極力避けるしかないし。

 避けることを状況に強要されながら、一定の法則でしか振られない攻撃に合わせて木刀を当てていったんだ。

 結構当たった。相当当たったはずなんだけど……当たり続けた彼女より、当てた自分の方が追い詰められているのはどうしてなんだろうなぁ……。

 

「………」

 

 辛さは顔には出さない。

 むしろ誘うような目つきで魏延さんを睨んで、構えたいけど動けないから直立不動。

 一方の魏延さんといえば、ふぅ……と小さく息を吐いてからギシリと金棒を持ち上げる。

 あわわ……ど、どうやらやる気らしい。さよなら青春、ありがとう絆。友情フォーエバー。

 それはそうか、相手だって負けを認めることを良しとしない猛者だ。

 一年かそこら鍛錬をした相手に負けるなんて、武人としての誇りが許さないと。

 気持ちはわかる……いや、わかるようになったんだけど……

 

(ふっ……く、ぐぅう……!!)

 

 持ち上がらない腕を無理矢理持ち上げる。

 痺れて動かないくせに、固定されたみたいに木刀を離さない右手から木刀を抜き取って。

 最後の瞬間まで諦めない。

 それは誇りのためじゃなく、自分がこれから歩く道を“簡単に諦めてしまうもの”にしないため。

 貫こうって思ったなら、最後まで貫かなきゃウソだから。

 

「魏延さん……行くよ?」

「攻撃を待つのはもうやめたのか?」

「待ちもいいけど、進まなきゃ届かないものだってあるだろうから」

「……そういう考えは嫌いではない。嫌いではないが……叩き潰させてもらう」

「じゃあこっちは、叩き潰した上で友達になってもらう」

「……は?」

 

 一瞬の間。

 ポカンと、何を言われたのかわからないでいる顔で俺を見た魏延さんへ、本当に最後。立っているための余力の全てを注ぎ込んで疾駆。

 すぐに魏延さんもキッと俺を睨み、振りかぶるが───

 

「くあっ!?」

 

 普通の動作で振りかぶるならいい。

 けど、咄嗟の動作っていうのは必要以上に負担をかける。

 それは先ほどから緑と青を混ぜた色に変色してきている彼女脇腹にも、当然の負担をかけた。

 時間にしてみれば僅かな硬直。

 1~3秒程度だろうが、それだけあれば届く距離に居たのなら……この木刀が彼女の喉元に届かないはずもない。

 

「………」

「………」

 

 今度こそ、彼女の喉に木刀を突き付け、寸止めの状態で停止。言い方だけなら格好いいが、そこまでが限界だったのだ。

 足はしっかりと地面に根を下ろしてしまって動かない。まるで大木になった気分だ。

 けれども相手の目を見つめたまま、突き出した左腕もそのままに、俺と魏延さんは睨み合っていた。

 そうした時間が長く続いたのちに、ようやく彼女の口が動いた。

 

「くっ……言い訳はしない。ワタシの負けだ」

 

 ……言ってくれた。

 それは俺にとっての救いの言葉で、もうどっちが負けてるんだよと自分が自分にツッコミたいくらいで。

 緊張が解けると同時に一気に噴き出た汗や安堵の息や疲労やら痛みやらで、本気で倒れそうになる。

 けれどその前に……遣り残したことがあるから、と動こうとして───限界が訪れました。

 

  ぼてっ。

 

「……へ?」

 

 何が起こったのかわからないってくらいの、なんとも間の抜けた声が耳に届く。

 届けられた本人の俺はといえば、受身も取れないまま背中からぶっ倒れていた。

 そんな状態で綺麗な青を見上げながら、さっさと薄れていく意識に対して……まあその、いつも無茶させてごめんなさいと素直に謝ったのだった。

 

……。

 

 目覚めてみれば自室の寝台。

 あれから思春に自室へと運んでもらったような記憶があるようなないような、薄暗い景色の中で目を覚ました俺は、それほどの時間を気絶していた事実に対し、「はぁあ~……」と溜め息を送った。

 ええと、今日は今日でいいんだよな? 一日中気絶していて、実は翌日の夜でしたってことはないよな?

 

「あ」

 

 時間、日付といえばと思い出し、傍らにあるバッグから携帯電話を取り出す。

 ……が、電源オフモードでずぅっと置いておいたのにも関わらず、さすがにバッテリー切れ。

 一応最新型、太陽電池型ではあるのだが、バッグに入れっぱなしでは停止もする。

 今度、人目が無いところで太陽にさらしておこうか。

 今までそうしなかったのは、見つかって破壊されたら困るからってことだったんだが……この世界の住人は、珍しいものにはとりあえず触れてみないと気が済まないからなぁ……。

 

「というか、見れたところで昨日はおろか一週間前の日付すら知らなかった」

 

 意味ないね、うん。

 

「ん、んー……」

 

 右腕を動かしてみる。

 少しぎこちないが、動くには動く。

 またポッキリいってたらどうしようと不安になっていたんだが、これなら安心だ。

 携帯電話を再びバッグに戻して、キシリと痛む体を庇いながら寝台から降りる。

 何をする気なのかといえば、あまり長引いてしまわないうちにやり残したことをする気なのだ。

 魏延さんの気が変わらないうちに、会ってきっちり話をしないと。

 だからと歩くんだが、どうにも寝汗がひどかったのか着替えていないからなのか、着衣がじっとりと汗にまみれていた。というか胴着のままだよ俺。

 これは……着替えなきゃマズイ。こんな汗まみれで会いに行ってみろ、叩き出されるだけじゃ済まないぞ。

 

「えと……こういう場合、制服のほうがいいよな」

 

 フランチェスカの制服をバッグから出す。

 胴着の上を脱いでいざ着替えを……と思ったんだが、困ったことに下着もひどい有様だ。

 あそこまで呼吸を乱したのも久しぶりだったんだ、これだけ汗が出るのも当然……なのかな?

 まあ気にしない気にしないと、バッグから代えのトランクスとシャツを取り出し、

 

(そういえば思春は……)

 

 部屋の中をぐるりと見渡し、きちんと居ないことを確認してから着替えを開始。

 剣道袴を脱ぎ、汗でびっしょりのトランクスを艶かしく(いや、冗談だぞ?)脱ぎ、タオルで軽く体を拭いた───

 

「おい貴様っ! いい加減に起きろ! いつまで眠りこけ───て゜っ……!?」

「マッ……!?」

 

 ───ところで、勢いよく部屋の扉を開け放って中へと入ってきた……魏延さんと再会を果たした。

 ちなみに俺……全裸。薄暗いとはいえ体を拭いていた俺を、その鋭い目が下から上へとじっくりと凝視していき、ある一点に辿り着いた時。

 

「うぅうわぁああああーっ!?」

「キャァアアアアーッ!?」

「うわっ、うわ、うわわわぁああーっ!!」

「キャーッ!? キャーッ!!」

「うわぁあわわわぁああーっ!!」

「キャァアーアアアアアアアッ!!」

 

 もうどっちが男でどっちが女だよってくらいにお互いが叫び合い、だっていうのに全然視線を外さず叫びまくる魏延さんを前に、俺もまた……女みたいな悲鳴で叫び続けたのだった。

 

……。

 

 騒ぎを聞きつけて人が来るのにそう時間はかからなかった。

 とはいえさすがに全裸のままではいられないので、足音にハッと正気に戻った俺は、慌ててトランクスやらシャツやら制服やらと格闘。

 なんとかみんなが辿り着くまでには着替えを終え、息を荒げていた。

 

「で……あの。なんで俺、正座を……」

 

 明りが点いた宛がわれた自室にて、正座をする俺と魏延さん。

 そんな俺達の前に立っているのが桃香と趙雲さん。それが現状である。

 

「いや、なんとなくだが。朱里や雛里に訊くところによるとほれ、北郷殿は呉の連中にもよく正座をさせられていたと」

「好きでしてたんじゃないんだけどっ!?」

「びっくりしたよ~、お兄さんを呼びにいった焔耶ちゃんが急に叫んだり叫ばれたりで。慌てて来てみれば、焔耶ちゃんもお兄さんも顔真っ赤っかで……」

「はっはっは、あの生娘のような悲鳴は心地のよいものだった」

 

 暢気に笑わんでください趙雲さん。って、あれ? 話、逸らした?

 ええと……まあいいや、正座が嫌ってわけじゃあ───うん、ないから……ね?

 

「あの。食事に呼びに来てくれたのは嬉しいけどさ。なんでまた魏延さんが?」

「……? だってほら。お兄さん、焔耶ちゃんと友達になるんでしょ? それならもっともっと仲良くならないと」

 

 貴女の差し金ですか、桃香さん。

 お陰でひどい目に遭ったよ。

 そりゃあ元々そうするつもりで……友達になってくださいって言うつもりでさっさと着替えて、魏延さんの気が変わらないうちに手を伸ばすつもりだったんだけど……

 

「それで焔耶ちゃん。結果的にそのー……お兄さんのこと、のっ、ののの覗くことになっちゃったわけだけど、どうかな」

「う、ぐ…………。き、ききき貴様があんな時に着替えなどするからっ!」

「ええっ!? 俺の所為なの!?」

「これこれ焔耶、そうではないだろう。北郷殿の時も、お主とそう変わらぬ状況だったと桃香さまは言いたいのだ。中で誰が何をやっているのかなど、開けてみるまでは解わからん。まして、“のっく”さえせずに北郷殿の部屋の扉を開け放ったお主では、もはや何を言っても言い訳にもならんだろう」

 

 ……というか、どうしてここに駆けつけてきたのが桃香と趙雲さんだったのか。

 俺はまずそこが気になっているのですが?

 ……あ、なんか黙っていろって趙雲さんに目で語られた。

 それはこの部屋に思春が居ないことも関係しているのだろうか。

 

「立場は違えど、魏からの客人の裸を覗いたのは事実。というか北郷殿、なにも全裸でいることもなかっただろうに」

「………」

 

 黙っていろって目で語ったあとにそれを言いますか?

 

「そうだ貴様が悪い! ワワワタシはっ……!」

「焔耶ちゃん? お兄さんは、ちゃんと私に謝ってくれた上に、華雄さんとも戦ったよ?」

「うむ。ここで認めないのは、散々と罵倒したお主としては格好がつかんと思うのだが?」

「うぐっ……し、しかし桃香さまっ……!」

「焔耶ちゃん、ちゃんと相手を見て? 今重要なのは私とのお話じゃなくて、お兄さんとのお話だよ?」

「相手を……」

 

 チラリと、隣に座っている魏延さんが俺を見る。

 俺はといえば、なんだかこう……親に叱られている友達の傍に居る時のような心境であり、実際近いものもあるんだろうが……なんだろう、うん。ちょっと居心地が悪いかもしれない。

 ほら、あるだろ? たとえば学校で、たとえば家で。

 出来の悪い子と出来の良い子を比べられるようなあの感覚。

 自分は自分の能力を誇ることはしたくないのに、周りが勝手に仲がいいその人と自分を比べたりして、関係が気まずくなる瞬間というか……。

 あ、あの、魏延さんのことそんなに責めないで……? あんな場面で気絶した俺が悪いんだから……と言いたいところだけど、言ったら言ったでややこしくなることを、今までの人生経験が教えてくれた。

 

「ぎ……魏延さん?」

 

 加えて言うなら、そんなややこしさからはきっと逃げられないことも、僕は学んでいたんだと思う。

 桃香に言われたからか、真正直に俺のことを見つめる魏延さん。

 そんな彼女に対しての俺の反応なんて、戸惑い以外に存在しない。

 

「相手を見る……か。おい貴様」

「は、はい?」

 

 見るというより睨んでる彼女に、正座しながら引け腰になるという器用な真似をしつつ、続きを促す言を放つ。

 

「たしかに桃香様の言う通りだ。貴様という存在をよく知りもせず、見ることもせず、一方的に自分の意見ばかりを押し付けるのは褒められたものじゃない。だから……桃香さまの命令だ。ワタシは貴様という人間を知ることにする」

「エ?」

 

 知る、って……俺を? 魏延さんが?

 エ、エ~ト……ナナナンデショウカネ……!!

 既に思春が俺の傍に居る中で、魏延さんまでもが俺を見ていることになると、それはとても背筋が凍って胃がキリキリと痛みそうな……!

 もしこれで魏延さんまで俺と一緒に魏に来る、なんていう事態が……本当に、本当の本当に偶然起こり得たとしたら、俺もう溜め息吐くたびに一緒に吐血出来そうだ。

 だって、魏には桂花が居るし。

 

「ただしあまりにワタシの予想通りで下衆ならば、もはや容赦はしない。誰がなんと言おうとワタシは貴様という存在を認めない」

「………」

 

 深呼吸。

 そうだ、落ち着け。

 なにもそう難しく考える必要はない。

 自分を知ろうとしてくれている人を警戒する必要が何処にあるんだ。

 

「……ん、わかった。じゃあ俺も、魏延さんのことを知っていく。お互いが知ろうとすれば、きっと見える部分も広がるよ」

「へぇっ!? い、いやっ……貴様は知らなくていいっ! ワタシだけが知ればいいことだっ!」

「えぇっ!? いやそれはよくないっ! 俺だけが知られるなんて公平じゃないじゃないか!」

「そんなものは知らん! 大体貴様、なんの権限があってワタシを知ろうなどとほざいて───」

「えへへー、私が許すよー?」

「桃香さま!?」

 

 あっさり許可という名の権限が下された途端、魏延さんは本気で“がーん”って擬音が似合うような顔を見せた。

 それを見た趙雲さんが、顔を逸らしながらふるふると震えている。……ああ、あれ笑ってる。絶対笑ってるよ。

 

「ほらほら、二人とも手を繋いで? これからお友達になるんだから、ひどいこととか言っちゃだめだよ?」

「桃香さまっ! ワタシはこいつを知ると言っただけであって、友になるなど一言もっ……! お、おいっ! 貴様もなにか言えっ!」

「な、なにか? えーと……友達になってください」

「わかった。───って違うだろぉっ!!」

「うんっ、じゃあ焔耶ちゃんも頷いてくれたし、これでお兄さんも私も焔耶ちゃんも友達だねっ♪」

「と、桃香さまの……友達……───い、いえ! ワタシは桃香さまの臣下で在りたいのであって!」

 

 数瞬行動を停止させる魏延さんだったが、すぐに慌てた様子でお友達宣言を否定。

 すると桃香の顔が寂しげに陰りを見せる。

 

「焔耶ちゃんは……あくまで臣下のつもりで、私とは友達になりたくないの……?」

「えぇっ!? い、いえいえいえいえっそんなつもりはっ……! しかしワタシは桃香さまのっ……桃香さまの下に居ることにヨロコビ……もといっ、甲斐を見いだしているわけでっ……!」

「……ぶふっ! ぶっ……くふふふふはははは……っ……!!」

「………」

 

 いろいろと修羅場のようにも見えてきた掛け合いのさなか、俺は笑いをこらえようと必死な趙雲さんを傍観していた。

 ここまで笑っているところを見ると、なにか桃香に入れ知恵でもしたんだろうかと思えてくるわけで。

 結局その話は魏延さんが折れる明朝まで続いた。

 目をこすりながらも友達になれたことを喜ぶ桃香と、戸惑いのままがっくりと項垂(うなだ)れる魏延さん。そして、一人だけさっさと人の寝台で寝ている趙雲さん。

 なんだかんだで“仲間”から“友達”になってくれたことが嬉しいらしく、喜びを表現する桃香が……うん、可愛かった。

 可愛かったんだけど、万歳をした拍子にバランスを崩し、ぽてりと寝台に倒れたら……起き上がらなくなってた。

 いい加減疲労もピークだったに違いない。

 

「魏延さん」

「うくっ……か、勘違いするなよ。これは桃香さまの命令だから頷いただけであって、本来貴様なぞ……!」

「や、そうじゃなくて。俺のことなんてこの際後回しだってどうだっていいからさ。桃香のマッサージ、してあげて」

「なっ……───……言われるまでもないっ!」

 

 乱暴に言い捨てて、正座を解いて立ち上がる。

 だがいい加減痺れも最高潮だったんだろう。完全に麻痺していたであろう足は思うようには動かず、あっさりバランスを崩して倒れた魏延さんは───倒れざまに俺の顔面へと鋭いエルボーをキメてきた。

 それがいいところにキマったものだから、蓄積された眠気も相まって、俺は夢の国へと旅立った。旅立つ前に、大慌てで謝りまくる魏延さんの声が耳に届いて、痛く歯あったものの安心は出来た。

 最後に……なにか温かいことを言われた気がしたんだけど、鮮明には記憶できないままに、やっぱり気絶した。

 ……いい加減普通に寝る日々が続いて欲しいって思っても、いいよな……?



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30:蜀/流れる時間、見極めたもの①

54/青の下、ただ賑やかに

 

 慣れっていう言葉がある。

 習慣って言葉も習って慣れるって文字が一つの言葉になっているように、自分はまさに習慣の中に居た。

 政務を手伝い工夫のおっちゃんたちを手伝い、時間があれば街に出て子供と遊んで。

 

「馬超さーん! 街の警邏のことで相談があるんだけどー!」

「ん……あー、なんだー?」

「あ、お兄様。もしかしてでぇとのお誘い?」

「いやいやいやっ、違うし、警邏のことでって言ったよね!? えっとさ、この通りの……」

「あ、それって“めも”ってやつ? うわー小さい……って、お兄様これなに?」

「なにって───地図を描いたメモだけど」

「え、ええぇっ!? 地図!? 地図なのっ!? これがーっ!?」

「……お前って、絵……下手くそなんだな」

「………」

 

 筆を動かし書簡を処理し、教鞭の代わりに指を振るって、教えてもらったり教えてみたり。

 思いついたことを案として出してみたり、ダメだしされたらされたで煮詰めつつも別の案を出してみたりと、自分自身の頭を回転させることも続けている。

 

「ちょっと凡夫さん? もっと強く揉んでくださる?」

「凡夫じゃなくて……いい加減名前覚えて欲しいんだけどなー……」

「あっはっはっは、そりゃ無理だぜアニキ。麗羽さまがそんな、男の名前を覚えるなんて」

「もぉ~ちろんですわ。下男の名を覚える必要が、ど・こ・に・ありまして?」

「肩揉むだけの下男かぁ……」

「ま、まあまあ一刀さん。麗羽さまも一応、肩を許すくらいは気を許しているみたいですから」

「許すっていうか、暇そうだったからツラ貸せって感じで連れ攫われたんだけど。文醜さんに」

「男が細かいこと気にすんなよー、アニキとあたいの仲じゃん」

「や、いいんだけどね……ありがと、文醜さん。そう言ってもらえると嬉しい。どんな仲なのかは解らないけど」

「んっ、ん~……そうそう、その調子ですわ。やれば出来るじゃありませんの」

(集中集中。氣を込めて揉めば、血のめぐりも良くなるだろうし、鍛錬だと思えば───)

「結構。今日この時より……凡夫さん? 貴方を肩揉み凡夫と名付けますわっ!」

「……ワーイ、ウレシイナー」

「なー斗詩ぃ……前は確か、お茶汲み下男だったよなぁ……」

「は……あはは……はぁ。すいません、一刀さん」

「いや……いいよ……どうせ次に会った時には凡夫さんに戻ってるだろうし……」

「なにか仰いまして?」

「イヤー、袁紹さんの髪って綺麗デスネー」

「……? 当然のことを褒められても嬉しくもなんともありませんわ。けど……そうですわね。訊くまでもありませんが、華琳さんと比べ、どちらがより高貴で美し───」

「華琳」

『あ゛』

「へ? ……あ───アーッ!!」

 

 頼まれれば走り、本当に嫌だと思わない限りはこれを受け取り、なんでもかんでも首を突っ込んでは自分に出来る何かで国に返していく。

 何処に立っていようと心変わらず、この国、この大陸、この世界で生きてきた自分の過去と、これからの未来のために、自分に出来ることを笑いながら続けている。

 時間のほぼが自分の時間として使えない日々ばかりだったけれど、住む場所と糧を提供してくれるだけでもありがたいというもので。

 

「んむむむ……公、孫、賛……こう、そん、さん……と。どーだ北郷っ! ちゃんと書けてるだろっ、なっ!?」

「……“三つフてんちん”になってるけど」

「みつふてんちん!? あ、あれぇ……? ちゃんとお前が書いた手本の通りにやったと思うんだけどなぁ……。よ、よしじゃあ真名だっ! 白蓮っ! これなら間違えないだろっ! ぱいれん、ぱ~い~れ~ん~っと。どうだっ!」

「……“なじれん”になってる」

「えぇええっ!? そ、そんなぁ……どうして私はこうなんだぁああ……」

「がんばろ、公孫賛さん。今日は公孫賛さんだけみたいだし、付きっ切りで教えるから」

「北郷……お前……! あ、ああっ、よぅしやってやるぞーっ!」

「おーっ!」

「うん、よしっ、じゃあ早速“公孫伯珪”をひらがなに……えーと、五十音は習ったから~……こ、こー……わ、悪い北郷……“こ”ってどうだったっ───」

「北郷さん!? ちょっと北郷さんさっさと開けなさいっ! 部屋に居るのはわかっていましてよっ! 今日~こそはこのっ、わ・た・く・し・がっ! 華琳さんよりも高貴で美しいことを認めさせてくれますわっ!! さっさと出ていらっしゃいっ!!」

「───け……、……って───今の声、麗羽か? ……って北郷っ!? なんで泣いてるんだっ!?」

「いや……なんかもういろいろあってさ……。名前覚えてくれたのは嬉しいんだけど……」

 

 勉強も鍛錬も相変わらずだ。

 桃香も少しずつだけど慣れていっているし、俺も少しずつだけど独学で放出系の勉強をしている。

 ……加減が出来ずにぶっ倒れてばかりだから、出来るかどうかを試すのは毎回鍛錬終了間際になっている。

 

「ぬー……」

「…………」

「うー……」

「……え、えーとぉ……」

「んんんー……!」

「あのー、魏延さん? 桃香が“見て”って言ったのは、なにも四六時中凝視してろって意味じゃなくて───……どうせ街歩いてるんだから、一緒に歩かない?」

「黙れ。桃香様は貴様を見て、知る努力をしろと仰られたのだ。だからワタシはワタシのやり方で貴様を知る。貴様が勝手に思い描いた桃香様の言葉など知ったことかっ」

「見られてる張本人なのに、なんて救いのない……。じゃあいいよ、俺も魏延さんのこと見てるから」

「なぁっ!? み、見るな馬鹿っ! 貴様がワタシに見られて、無様を知られればそれで全てが終わることなんだ! 余計なことをするなっ!」

「余計じゃないっ! 俺が魏延さんを知りたいんだっ! だから見るなって言われたって知る努力は続ける!」

「強情なやつめ……! 貴様はひゃぅんっ!?」

「うわっとっ!? な、なななにっ!? 急にヘンな声……あ、犬───ってなんだこの数!!」

 

 ……あ。あと、なんか魏延さんが暇を見つけては俺を監視するようになった。

 物陰からこっそりと(のつもりらしい)、移動するたびにジワジワとにじり寄る感じに。

 それはまるで一昔前の恋する乙女のようで……ごめんなさい、不信人物にしか見えません。

 

「何故ワタシがこんなに走らなくては……! それもこれもっ……きききき貴様の所為だ貴様のぉおおおおっ!!」

「うぐっ……そりゃ最近なんだかやたらと動物に好かれてるけど、俺だけの所為じゃないだろこれっ! そもそも一番最初に足を舐められたのは魏延さんなんだから、あの犬たちは魏延さんを追って───って来た来た来たぁああーっ!!」

「うわわわわわぁああーっ!! 来るな来るな来るなぁあーっ!!」

「いったいこの街の何処にこれだけの犬が居るんだよぉおおっ!! って魏延さん!? もしかして以前もこうして犬に追われたりした!? 以前見させてもらった、朱里と雛里が起きた出来事をまとめた本にそれっぽいことが書いてあった気がするんだけどっ!!」

「………」

「なんでそこでそっぽ向くの!? 違うなら違うっていつもみたいにキッパリ言ってほしいんだけど!?」

「うぅうううるさいぃいいっ!! とにかくお前が悪いんだお前がっ!!」

 

 街中を犬に追われること数回。

 処理するべき騒ぎの件を自分で増やしていれば世話がない。

 それでも笑って処理出来るのは、迷惑から来る騒ぎじゃなく、町人たちも笑っていられる騒ぎだからなのだろう。

 

「いやっ! いいって俺はっ! ほんとにいいからっ!」

「だめですっ! これは結盟した者として目を通す必要があるものなんですからっ! 逃げないでくださいっ!」

「ぐおおすげぇパワーだ……! オラの十倍ぇはありそうだ……! じゃなくて朱里っ!? 普段か弱いのにどこにそんな握力隠してるんだっ!? ととととにかく俺はいいからっ! 見るなら二人でっ……!」

「だ、だめです……! か、かか、一刀さんもその、一緒に……!」

「勘弁してくれ雛里っ! 俺、これでも随分いっぱいいっぱいの生活送ってるんだっ! そこにきて艶本なんて見せられたら……!」

「ど、どどっ、どうなっちゃうんですかっ!?」

「え……そ、それはもちろん、俺のアレがナニして……はっ!? どっ……どうにもなりたくないから離してくれぇええーっ!!」

 

 禁欲のほうも相変わらずだ。

 何故かいつかのようにコソコソとする朱里と雛里に連れられ、武器庫の裏にやってきてみれば、ご開帳の結盟の秘宝書。

 頭が一気に沸騰しかけた俺はすぐさま逃走を図ったのだが、あっさり捕まった。

 強引に振り払うわけにもいかず、説得に入るのだが……逆に言葉巧みに丸め込まれてゆく自分。……蜀の軍師に恐怖を抱いた瞬間だけがそこにはあった。

 

「それで逃げてきたの? 情けないわねー……」

「え、詠ちゃん、理由を訊ねておいてそれはないよ……」

「賈駆さんも腕引っ張られて武器庫裏に引きずり込まれて、そこで女性に! 女性に艶本見せられるなんて状況になってみればいい! 絶対に逃げるって! ……はっ!? ……あ、ああうん、落ち着け俺……落ち着くんだ……。冷静な自分でいるって誓っただろ……? ……ん、んんっ、ごほっ! ……でさ、それをしようとしてるのが蜀の軍師だよ? 逃げたくもなるよ……」

「うっ……まあ、確かに普段のあの二人を見ていれば、あんな本を隠し持ってるなんて普通は思えないし……わからなくも、ないかもだけど……」

「贅沢は言わないから、少しでも解ってくれればそれでいいよ……ありがと、賈駆さん」

「……~、なんか……姓名で呼ばれるとこそばゆいわね……。桃香のところに来てからずっと、真名で呼ばれるのに慣れちゃってたし」

「あ、ごめん……やっぱり文和さんの方がいいよな。董卓さんも仲穎(ちゅうえい)さんって呼んだほうが───」

「ボクのことは賈駆でいいわよ。でも月のことは───“様付け”で呼びなさいっ!」

「なっ……!?」

「へぅっ!? え、ぇええ、詠ちゃぁあんっ!!? そそそんなっ……一刀さんに迷惑かけるようなこと……! か、一刀さんからも断ってください、こんな───」

「よろしく董卓様!」

「へぅううーっ!? へぅ、え、あ、う、うぅ~……」

「あっ……ちょっと! 月を困らせるんじゃないわよ!」

「どうしろと!?」

 

 ……そう、結局は習慣って言葉に落ち着く。

 初めてやることでもいつしか習慣に出来るように、この世界で生きることを普通と思えるようなった時のように。

 置き去りにしてきてしまったものもたくさんあるが、夢中だったとはいえ手を伸ばしたかった世界はどちらだと言われれば、いつだって自分はこちらの世界を選ぶのだろう。

 ……いつか、自分がこの世界に返すものが無くなるまで。

 

「ん……朝───かぁあっ!!?」

「すぅー……ん……んにゃにゃあ……」

「え、え!? 孟獲!? なんで人のベッ……寝台に!? うわぁっ!? なにっ!? 背中になにかホワァッ!? 孟獲だけじゃない!? 似たようなのがゴロゴロと……!」

「んにー……いい匂い……するにゃああ~……」

「あいっだぁああーっ!?」

「えふぁにゃぁあ~……いのふぃふぃにゃ~っ……」

「寝惚けてまで人をエサ扱いでイノシシ扱いかっ! ちょっ……離せ離せ痛い痛い痛いってまだ右腕はマズイ! 思春さん!? 見てないで剥がすの手伝っ……アノー、ナゼ、ユックリ得物、抜イテマスカ……?」

「それが遺言か、確かに聞いた。───蓮華さま、どうかこの見境の無い男を屠ることをお許しください」

「なんで俺の生殺与奪が蓮華に託されてるのかわからないけどやめて!? 誤解です! 誤解ですから! 俺なんにもしてないぞ!?」

「もはや貴様の存在全てが有害だ。このよくわからん苛立ち……貴様を血抜きして吊るせば晴れる気がする」

「それってつまり死ねってことだよね!? ははは話し合いをっ……平和的な解決をさせ───」

「一刀さんっ!? ちょっと一刀さんっ! さっさと出てきなさいっ!? 起きているのはわかっていますわっ! 今日こそこのわ・た・く・し・がっ! 華琳さんより高貴で美しく背も高くて胸も大きいことを───ってちょっと猪々子さん!? 急に引っ張らないでくださるっ!?」

「あーはいはいはいはい麗羽さまー? 朝っぱらから妙なこと叫んでないで、さっさと食べに行きましょーよ」

「妙なこととはなんですのっ!? わたくしはあの解らず屋の男にわたくしの美しさをっ……! は、離しなさい猪々子さんっ! はなっ……あーれー!!」

「………」

「………」

「───……て、ほしい、な……と……」

「……いつから名で呼ばれる仲になった」

「ヒィッ!? あぁあああああ、あれは袁紹さんが華琳に対抗意識を燃やしているだけであって、おぉおお俺もなにがなにやらいつの間にかそう呼ばれててべべべ別に嫌じゃなかったからそのぅ!」

「……刻むにはいい言葉だ。少々長いが、貴様の辞世の句として頭に刻んでおこう」

「たすけてぇええええーっ!!」

 

 賑やかな世界に居る。

 それは元の世界でもきっと変わることのない事実で、平和を手に入れられたからこそ心から大切に思える世界と、乱世を知ったからこそ自分が生きてきた平和を噛み締められる世界を、俺は知ることが出来た。

 どちらも大切で、どちらにも大切な人が居る。

 いつかこの世界で満足を得て、大手を振って元の時代に帰れる時が来たなら……その時に、まだ自分が外見から“北郷一刀”として認められる歳であったなら、必ずみんなに恩返しをしよう。

 父さんや母さん、及川や早坂といった友人や、剣道部でお世話になった不動先輩にも。そして、じいちゃんにも。

 いつになるかわからないし、そもそも帰りたいと思ったとして、帰れるかもわからない今があるのも確かだけど……そう、いつかは。

 

「あーのー……どーしてこんなことになってるのかな」

「んん? それは御遣い殿が紫苑に頭を撫でられたからだろう」

「厳顔さん、それ。俺が頭撫でられたことがきっかけで、どーして俺が厳顔さんと黄忠さんに膝枕をすることになるのかなーって訊いてるんだけど」

「お主はあまり畏まらず、自然体で接してくれおるからなぁ。なに、たまには男に無防備な姿を見せるのも悪くなかろう? しかし兵どもでは頼りない。ならばお主しかおらんだろうに」

「……黄忠さん、この人もう酔っ払ってる」

「ふふっ……貴方がここに来る前まで、そこの東屋で飲んでいたから。はぁ~……♪ 風が気持ちいい……」

「……いいですけどね、もう。眠たくなったら寝ちゃってください。起きるまでこうしてますよ」

「む、むうう……この頭を撫でられる感触はどうにも慣れん……こぞばゆい……」

「あらあら、ふふっ……私はくすぐったくて嬉しいけれど」

「膝枕をする条件が頭を撫で返すことの許可だったんだから、文句は聞きませんよ厳顔さん。こっちだってまさか、あんなに即答で“どんとこいっ”て言われるなんて思わなかったんだから。……むしろ断ってほしかったのに」

「い、いや、あれは紫苑の頭をという意味でだなぁ……」

「言い訳は聞きません」

「むぅ……男に言いくるめられるなどどれくらいぶりか……───紫苑、何を笑っておる」

「ふふっ、うふふふふっ……! ごめんなさい桔梗、あんまりに可愛らしく言いくるめられているものだから……」

「む、むうう……」

「それで、一刀さんはなにをあんなに慌てていたのでしょうか……? よかったら、相談に乗りますけど───」

「……朱の君(あかのきみ)に殺されそうになったんです」

「……?」

 

 やがて学校の建築もジワジワと完成に向かう中で、俺は今日も日常の中で現状維持の一歩先を目指し……いや、いろいろな物事に巻き込まれて現状維持なんて出来やしない日々を送っていた。

 誰かが騒げば誰かに伝染するように、騒がしさが広がり賑やかになれる国がここにある。

 蜀は本当に賑やかで暖かく、笑顔が絶えない国だって認識できた。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃぁあーっ!!」

「うおおおおおおおおって無理無理無理ぃいいいっ!! 鈴々っ!? かげっ……加減をギャアアーッ!!」

「一刀殿っ!? こら鈴々っ! 長柄の部分とはいえ、相手が飛ぶほど殴るやつがあるかっ!」

「わわわぁあーっ!? お兄さんが空飛んだぁーっ!!」

(嗚呼……空が青い……。仕事に明け暮れる毎日に、空がこんなにも青───おや?)

「……受け止めた。……えらい?」

「恋…………助かったけど、男相手にお姫様抱っこはどうかな……」

「……? 一刀、お姫様……?」

「断じて違うぞっ!?」

「簡単に弾き飛ばされたです。きっと体はお姫様なみに軽いのですよ」

「よし。俺はそれを友達に対する挑戦と受け取った。恋、下ろしてくれ。陳宮をお姫様抱っこする」

「なっ……なにを言いだすですかおまえーっ! れ、恋殿、下ろさなくていいのです! 一生そのまま───それでは恋殿に迷惑がかかってしまうですか!? な、ならばこの陳宮、恋殿のために苦汁を飲んでこの男の毒牙にぃいい~っ……!」

「いつからお姫様抱っこって毒牙になったんだ!? 抱きかかえるだけであって、毒牙として喩えられるようなことなんて全然やらないって!」

「お兄ちゃん、遊んでないで続きをするのだっ!」

「お兄さんっ、ほら早く降りてっ、鍛錬の続きしよっ!?」

「一刀殿、桃香さまの言う通りです。恋も、いつまでも男子を抱きかかえるものではないぞ。ほら、一刀殿を下ろして───」

「……一刀、お姫様は守るものだって言ってた。だから一刀は恋が守る」

「やっ! だからお姫様じゃないって! しかもそれ授業中の雑談でした超配管大工兄弟の話であって、俺とはなんの関係もないから!」

 

 認識できた───はいいんだけど、賑やか=生傷が絶えないってことにも繋がっていて、これはこれでひどい目にも遭っていると言えるわけでもあり。

 何故か誰かと仲良くなるにつれ、時折思春に模擬戦を挑まれたり思春に鈴音片手に追い掛け回されたり思春に思春に思春に……!!

 理由を訊いてみても「もやもやするからだ」だそうで。

 “俺の命 < もやもや解消”って答えにフと意識が遠退きかけた。

 でも───そうさ。そんなことさえ笑い話に出来る今がある。

 そんな世界で、そんな世界に至ってくれたこの三国で、俺達は……地に足をついて、今日も賑やかさの中を生きていた。



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30:蜀/流れる時間、見極めたもの②

55/ああメンマの園よ

 

 鳥の鳴き声で目が覚めた。

 寝台から降りるとぐぅっと伸びをして、天井にかかげた腕をさらにさらにと伸ばしていく。

 そうするとボウっとしていた頭から多少の鈍さが逃げ、はぁっと息を吐く頃には体のほうも起き始めていた。

 

「うん」

 

 予定通りに庶人の服に着替え、髪型をいつもとは違ったカタチに整えて準備完了。

 鏡を見たわけでもないが、これなら相当に見慣れた人でもない限りはただの庶人に映るはず。

 こくりと頷いて、既に起きていた庶人服姿の思春と朝の挨拶を交わし、一緒に部屋を出る。

 と───……

 

「ん……あれ、陳宮? 人の部屋の前で何やってるんだ?」

「ふぉうっ!? お、おおおおまえには関係ないのですっ!」

 

 部屋の前でなんらかの行動にもたついていたらしい陳宮を発見。

 話し掛けてみれば、両手を天に掲げてクワッと言葉を放つ。

 

「関係ないのに部屋の前に居るっていうのは……ああ、もしかして俺じゃなくてこの部屋に用があったのか? それとも思春に───」

「…………です」

「? ……んん?」

「おまえに用があったですっ! 悪いですかー!」

 

 ……関係、あるじゃないか。

 

……。

 

 早いもので、魏延さんとのいざこざが起きてから一週間以上が経っていた。

 そこまで経つといい加減、蜀での暮らしにも慣れるというもので、俺が起こす行動も一定になりつつあった。

 とはいえいつまでも同じことをしているわけにもいかず、日々変化を求めて、仕事も少しずつだが方向性の違う何かを紹介してもらっていた。

 

「そっか、今日は恋が仕事で退屈なわけか」

「……べつに退屈などしていないです」

 

 通路を抜けて厨房へ行き、朝食をいただくと仕事へ。

 今日は朱里と雛里に警邏を頼まれている。というのも、俺と朱里と雛里と桃香とで執務室にこもり、話していた会話にきっかけがあったわけだが───

 

「それで、おまえは今日、何をするのです」

「ん? ああ、街の警邏。庶人として街に紛れ込んで、町人の行動に目を光らせるって仕事」

「むむむ……? そんなことしてなにになるですか?」

「将からの視点じゃ見えないものを見てほしいんだってさ。というか俺も将じゃないから、将の視点っていうのがわからなくて」

「……それで甘寧が居るですか」

「そういうこと」

 

 俺と思春はともに庶人服。

 フツーにいつもの服なのは陳宮だけだが、たぶん問題にはならない……こともないか。

 

「というわけで、出来れば陳宮にも庶人服を着てほしいんだけど」

「ななっ!? なぜちんきゅーがそこまでしなければならないですっ!?」

「……仕事だから……」

「…………そうですね……」

 

 非番だというのにあっさり納得してくれた陳宮に感謝を。

 ただ暇だとか退屈だとか、相手が欲しいだけなのかもしれないが。

 それでも「あっさり頷ける理由は?」と訊いてみれば、詠や月───つまり賈駆さんや董卓さんがああいう格好で仕事をしているのを見慣れると、そう悪いものでもないと思えるようになったそうで。

 

  ───で、現在に至るわけだが。

 

「───~……!」

「……はぁ」

 

 陳宮は力を溜めている! ───じゃなくて。

 そうしてやってきた街中に立って、庶人服を身に纏い、縛っていた髪を自由にさせた陳宮がフルフルと震える。

 その様子が力を溜めているようにも見えて、妙な考えが浮かんだ……途端に、何故か思春に溜め息を吐かれた。

 

「顔赤いけど……どうかしたか?」

「ななななんでもないのですっ! それこそおまえに関係ないのですっ!」

 

 言いつつも顔が赤いのは変わらない。

 行き交う人の波の中、呉での朱里や雛里のこともあって、はぐれないように手を繋いでいたりもするんだが。まさかそれが原因だってことは……はは、ないない。

 

「~……それで、どうするのです? 警邏と言ったからには、きっちり見て回る気ですか?」

「うん。書簡から得ただけじゃわからないこともあるし……大丈夫っ、これでも見回り“だけ”は得意だっ!」

「胸を張れることじゃないな」

「ハイ……ソウデスネ……」

 

 胸を張ってみればあっさり返されるお言葉。

 ありがとう思春。キミが居てくれるなら、俺は絶対に天狗にならずに済む。

 ただ、見回りが得意なのは本当だ。魏と蜀を比べると、騒動の原因自体はあまり変わらない。将が暴れるって意味では。ただし解決出来るかどうかになると、話は別だ。……だって今の俺の信頼関係を振り返ってみても、蜀に俺の言うことに頷いて引いてくれる人が居るかって訊かれたら、完全なる自信を以って頷けない段階だし。

 

「それにしても、やっぱり賑やかだなぁ」

「成都に来て以来、城に閉じこもってばかりいたおまえが驚くのも無理はないのです」

「好きで閉じこもってたんじゃないって。自分に出来ることを探すのと、新しい環境に慣れるためにはいろいろとこう……それに最近は子供達と遊んだりしてたぞ? 兵たちとも少しずつ打ち解けてきたし」

 

 人々と擦れ違うたび、そこに笑顔があるのがわかる。

 子供たちがチャンバラごっこをしたり、大人が店の前で豪快に笑い合ったり、威勢のいいおばちゃんの声が聞こえてきたり。

 うーん……工夫の人たちになにか差し入れでもあげられないかな。

 懐は……そこまで暖かいわけじゃない。だったらお茶でも……いや高い、高いぞお茶。

 

(それにしても……)

 

 幸いなことに俺が俺だとバレた様子もない。まだまだ交流が足りないからか。それとも制服じゃないことが予想以上に効果が出ているのか……髪形の所為?

 ……理由がどういったものにせよ、今はそれに感謝だな。

 っと、それよりも……酒屋もきちんと見つけないとな。

 

(ふむ。手元には自分の金と、出てくる時に“ついでに酒を”って厳顔さんに握らされた金……か)

 

 何処に行っても酒のお遣いを頼まれるんだろうか俺は。

 そもそも何処に酒屋があるかも、きちんと確認出来ていないっていうのに。

 

「じゃあ、何処に何があるのかもこの目で確かめるついでも兼ねて、警邏警邏」

「……おまえ、書いてあることをわざわざ確認して、いずれ成都に攻め入る気なのですか」

「するっ……、~……しないよそんなことっ!! 俺って普段どんな目で見られてるんだっ!?」

 

 するかっ! と叫びそうになって止まり、言い直す。

 確かに位置確認とか政務の手伝いとか、怪しく思われたりしないかな~とか不安に思っていたりはしたけど、まさか真正面から怪しまれるとは。

 

「~……攻め入るとか騙すとか、そんなことをするつもりはないって。俺はただ、みんなで一緒に“大陸の先”を見たいんだ」

「大陸の先? ……なにを言ってるですかこの男は」

「はは……はぁ、うん。呆れられることは予想通りだ。でも、その未来が眩しいなら目指してみたいって思うだろ? 行動するきっかけなんて、そんななんでもないことで十分だ~ってわかっちゃったし」

 

 笑いながら街を歩く。

 陳宮の言う通り、俺はここにはあまり下りてきたことがなく、城での仕事ばかりを手伝っていた。

 降りてきたとしても軽い用事程度で、それが済めばすぐに城へ。

 鈴々や子供らと一緒に遊ぶことはしても、呉に居た頃ほど町人との交流は深くない。

 三日経てば鍛錬をして、それ以外はずっと手伝い。

 こうして朱里と雛里の案でじっくりと街を巡る理由が出来るまで、ずっとずっと仕事づけである。

 もちろん嫌だったわけでもなく、むしろ任せてくれるのが嬉しくて走り回ってばかりだったわけだが───

 そんな仕事ばかりの俺を見かねてなのか、桃香が「たまには街で息抜きとかどうかな」と誘ってきた。

 断る理由もなく、その時は俺も頷いたんだけど……予定していた昨日、桃香に突然の仕事が舞い降りた。

 急で、しかも量の多い仕事だったために今日まで長引き、結果はコレである。

 桃香が参加できないっていうから、朱里と雛里に相談ののち、俺と思春で“庶人として街を見る”を始めたのだ。……桃香が居たら、たとえ変装していたってバレそうだしなぁ。

 

「工夫の人だけじゃなく、桃香にもお土産買っていかないとな」

「普段から不思議と、楽しみにしていたことばかりが裏目に出る人なのです」

「あー……あるなぁそういうの。俺も何度かそういう経験があるから、わかるよ」

「貴様の場合は自業自得が原因だろう」

「そっ……そそそんなことないぞっ? そればっかりじゃないって……きっと、たぶん」

 

 声を大にして言えない俺はとんだ臆病者です。とはいえ、お土産も考えて買わないと、自分の首を絞めることになりそうだ。

 桃香が喜びそうなものっていったら~……んん、なんだろ、甘いもの?

 お土産として持っていけばなんでも喜んでくれそうではあるものの、どうせだったら桃香が普段でも喜びそうな何かがいいよな。

 よし。

 

……。

 

 そんなわけで警邏を続ける。

 とは言っても俺たちがする以外にも警邏当番の将はきちんと居て、それが今日は馬超さんだった。

 一応昨日の時点で話は通してあるし、会っても声をかけない手筈(てはず)になっている。

 蜀に馴染みのない俺と、髪を下ろして庶人服を着た思春だからこそ、バレずに民の素の姿を見られるだろうって話だったからだ。

 「覗き見するみたいで本当は嫌ですけど、そうしないと解決できないこともきっとありますから」とは朱里の言葉だ。

 

「ふむふむ……この通りには……」

 

 街の地図は確かにあった。

 随分と細かな地図だったが、全体図として細かなだけであり、実際に歩いて見る分には手が届いていない部分もある。

 だからそういったところをメモにとって、頭に記憶させていく。

 一応酒屋も見つけたし、厳顔さんに頼まれたお遣いも果たした。

 もっとも、届けるまでは気を抜けない。落としたりしたら、きっとお叱りが待っている。たとえ弁償したとしてもだ。お酒好きさんの前に、酒を台無しにしたお話でもしようものなら、怒りが飛ぶのは当然なのだ。

 

「地味な作業です……」

「“地味”が存在しない作業なんてあるもんか。いつかはこれが“派手”に繋がるって考えながらやってみれば、案外楽しいかもしれないぞ?」

「少なくともおまえに派手は向かないのです」

「……自分でもそう思う」

「自覚があるのはいいことだな」

「思春、いつも細かい追い討ちをありがとう」

 

 成都は広い。

 細かなところにまで目を向ければそれだけ時間もかかるというもので、ハッと気づいてみれば既に昼。

 歩き疲れたと言い始めた陳宮を、「だったら」と負ぶろうとしたのだが、彼女はこれを断固拒否。

 やれ「格好悪い」だの「そんなことをされる理由はないです」だの、顔を真っ赤にして叫ばれた。

 

「疲れたって口にして、ぜーぜーしてる時点で格好なんて悪い。そんなことをする理由なら、心配だし友達だからだ」

 

 だからキッパリと言って彼女を後ろから持ち上げた。

 「ぴあっ!?」とヘンな声を出したが、暴れ出す前にスッと持ち上げてしまって、そのまま肩ぐるまの状態に。

 ……うん、右腕も少しずつだけど負荷に耐えられるようになってきている。木刀を自由に振り回すのは、もう少し後になりそうだが。

 

「な、な、な……」

「肩車」

「そんなことはわかっているですーっ!!」

 

 足をしっかりと支え、歩き出す。

 陳宮からの言葉は全てスルー。疲れた人の言葉は聞きません、黙って休んでいてほしい。

 だから頭をべしべし叩くのはやめてください。

 

「よぉあんちゃんら、さっきもここ通ったな」

「え? あ、どうも」

 

 と、一番最初に通った通りで声をかけられ、振り向いてみれば頭に鉢巻を巻いた少し太り気味の男の人。

 こんなところに屋台があったのか……最初に通ったっていうのに気がつかなかった。

 

「見ない顔だが、ここには余所から遊びに来たんかい?」

「ええ」

 

 返事をしながら屋台に寄り歩き、失礼と思いながらも見渡してみる。

 ……ふと目についたメニューを見る限り、どうやらラーメン屋らしい。

 丁度昼時だし……いいかな?

 

「思春、いいかな」

「構わんが……金銭面で私に頼るのは間違っているぞ」

「大丈夫、俺が出すよ。ち───ん、んんっ! ……“宮”も、それでいいよな?」

「むむっ? なぜ急に名で呼むむぐっ!?」

 

 肩に乗せていた陳宮を下ろし、口を塞いでからその耳元でコソリと話す。

 一応お忍び調査&警邏をしているんだから、名前でバレるのはマズイということを。

 

「む、むう……そういうことなら仕方ないのです……」

「ごめん。じゃあ親父さん、焼売とラーメン大盛り、麺は硬めでお願い」

「お、食っていってくれるんかい、ありがとよ。お嬢ちゃんたちはどうする?」

「ふむ……ではラーメンで並盛り。それだけでいい」

「ち───きゅ、宮は餃子だけでいいのです」

「そうかい? ちゃんと食わねーと大きくなれねぇぞ~?」

「大きなお世話なのですっ!!」

 

 注文が終わればあとは早い。

 手際よくパッパと仕事を始める親父さんを余所に、ぷんぷんと怒る陳宮をなだめながら、横長の木の椅子に座って待つ。

 なんか……いいよな、こういう空気。 

 料理を待っている最中って、ちょっとワクワクする。

 

「へいおまちっ」

「って、えぇっ!?」

 

 待って五分も経たず、皿が出された。

 何事? と目を向ければ……なんのことはなく、メンマが盛られた皿がそこにあった。

 ……お通しみたいなものか?

 首を傾げながらも頂いてみれば、驚いたことにとんでもなく美味い。

 

「…………美味い……」

 

 思わず口からこぼれた言葉に、親父さんがニカッと歯を見せて笑った。

 俺の反応を見てから箸を動かした思春も、一口目だけで目に動揺を見せるほどだ。

 

「……なるほど、確かに美味い。これはラーメンにも期待が持て───……宮殿? どうされた」

 

 しかし、その中で陳宮だけが少し微妙な表情をしていた。

 

「う……敬語めいた口調はやめるのです。今の宮は庶人ですし、権利を剥奪されたとはいえ呉の将に敬語で話されるのは息が詰まるです」

「いや、そういうわけにもいかないだろう。呉では雪蓮様や北郷が、民とより親交を深めるためにと進んで真名を許し、手を差し伸べもしたが───ここは呉ではない。庶人である私が将であるきさ───こほん、宮殿に気安く声をかけるわけには」

「今“貴様”と言いそうになったですね……いったいどの口が気安く声をかけるわけにはと言うですか」

 

 そう返しながらも、何故か陳宮の顔色はよろしくない。

 メンマに嫌な思い出でもあるのだろうか……それともメンマが嫌いとか?

 

「宮、美味しいぞ? 食べないのか?」

「うぐ……ええい食べるですよっ、食べてみせますですよっ」

 

 ……? 何故か少々ヤケになっている気が。

 でも美味しいとは言っているし……う、うーん?

 

「へい、焼売おまちっ」

「おっ、きたきたっ、いただきまーすっ」

 

 いいや、悩みは少し落ち着いてから訊こう。

 言いたくない内は無理に訊くことは…………時には必要だけど。

 彼女の性格からして、無理に訊こうとすれば頑なになるだけだ。

 

「んぐむぐ……むむっ!? う、うめー! この焼売うめ───はっ!? あ、こ、こほんっ」

 

 落ち着け俺……じいちゃんに散々と口が悪いって怒られただろう。

 ……しかし驚いた、素直に美味しいし……新しい味だ。

 噛むたびにシャクシャクと小気味の良い歯ごたえがあって、しかもそのシャクシャクの味の濃さが肉汁と重なって絶妙な味わいに……!

 

「思春っ、宮っ、これ食べてみてくれっ、すごく美味しいぞっ!」

「飲み込む前に喋るなですっ! ~……まったく、なんだというですかこんな……んむっ、はちゅっ、あちゅちゅっ……、~……む? むむむっ!? これは新しい味ですっ!」

「なっ!? なっ!? ほら思春もっ! ───って、もう食べていらっしゃる」

「絶妙な歯応え……普通の焼売にはないものだな」

「……なぁ、宮……。思春がこういうこと言うと、いろいろと深く聞こえないか……?」

「……同感です」

 

 と、こんな感じで。

 次いで出された餃子も一個だけ分けてもらえば見事な味。

 この時代では一般的である水餃子ではなく、焼き餃子であることにも驚いたが、懐かしさや独特の食感に大絶賛だった。

 

「へっへ、そうまで美味い美味い言ってくれるとこそばゆいねぇ。っと、あいよっ! ラーメン大盛り硬めと並盛りねっ」

「待ってましたっ!」

 

 焼売、餃子でこの味なんだ。

 きっとラーメンもとんでもなく美味いに違いない。

 俺の興奮は今、遙かなる高みへと───!!

 

「……………」

「………」

「あぅ……やっぱりなのです……」

 

 停止。いや、この場合は高みに昇るはずが転落したような気分だ。

 ハテ……? ラーメンを頼んだはずなんだが……何故、茶色い物体が大盛りで目の前に?

 思春のも……わあ、茶色だ。やけに茶色のラーメンだ。

 あ、あれー? 俺、メンマ大盛りなんて頼んだっけ? 汁も無いし麺もないよ?

 もしかしてこれっておまけ? “ラーメン一杯につきゆで卵一個が無料!”とか、そういうラーメン屋でいうところのおまけ?

 だとしても多すぎじゃないか? これ、軽く拷問レベルなんだが……?

 

「あの……これってどう見てもメンマ───」

「おうよっ! この店、メンマ専門店“メンマ園”でラーメンって言やぁメンマのことよ!」

「ゲェーッ!!」

 

 絶叫。

 孔明の罠にかかってしまった者たちの絶叫そのものを再現したような、哀れな声が口から漏れた。

 ……ハッ!? ま、待て!? メンマ専門店!?

 

「まさか……」

 

 焼売を一口。

 シャクシャクと小気味の良い音が鳴るそれを咀嚼しながら、半分食いちぎった断面を見やれば……そこにある茶色のアレ。

 OH……メンマだよコレ。

 

「………」

 

 いや、食う。

 金を無駄にするわけにはいかない。

 この金は親父たちが俺の給料にってくれたものだ。

 

(故に、覚悟を。決して残さず、食い尽くす覚悟を……!)

 

 かつて、趙雲さんのメンマのお陰で味に目覚めたこの北郷一刀! もはやメンマに畏怖することなどありはしない!

 不味すぎるものならまだしも、専門店を名乗るだけあって美味いメンマならばなおのこと!

 

「……、んむ……ん、あぐっ……はもっ……、うん……うん……」

 

 でも……なんだろう。

 さっきまでのさわやかな団欒っぽい空気は、いったい何処へ向かって裸足で駆けていったのでしょうかサザ(こう)さん。

 最初はいい。いや、不味くなるわけじゃないし、美味いことは美味いんだが……予想出来たことだが、こう、おかずだけを延々と食わされている気分だ。

 味も濃い味一辺倒……うーんまいった、これはどこまでいってもメンマだぞ。

 中和剤として米が欲しい……いや、むしろこの味の濃さ自体を中和するなにかが……あ。

 

「親父さん、ちょっと厨房借りていい?」

「へ? いや、そいつはちょっと困るな。店を構えている以上、いろいろと───」

「悪いようにはしないからさっ、この通りっ!」

 

 拝み倒しを決行。

 このままじゃあだめだ、とにかくだめだ。

 思春なんて眉を寄せたまま箸を停止させてしまっている。

 陳宮はもともと餃子しか頼んでいなかったからいいが、正直この単調極まりない味を延々と食べ続けるのは苦しい。

 

「……じゃあ、一つだけ約束しろ。メンマってのはメンマ職人が八十八の手間と苦労を掛けて作る至高の一品だ。そのメンマを無駄にするような行為をするんじゃあねぇぞ。もしそんなことをしたら、ただじゃおかねぇ」

「八十八って……親父さん、それって米でしょ」

 

 言いながらも、了承を得たからには屋台の前からぐるりと回って厨房へ。

 使えそうなものはラー油にテンメンジャン、餃子に使ったであろうネギの残りと……厳顔さんに頼まれたこの酒くらいか?

 いや、卵があるな。歯応えを活かしつつ、濃い味をあっさりと仕上げるには卵は欠かせないだろう。

 ご飯もあるみたいだし……ふんふん。

 

「餃子ってことはニンニクも……お、あったあった」

 

 いける。

 なにやら今、俺の頭にキラリと輝く何かが降りた。

 右腕も……大丈夫、お玉や包丁を持つくらいどうってことない。

 いざ、料理……開始!

 

……。

 

 というわけでここに完成品があります。もちろんたった今作り終えたものだ。

 ざっと作ってみせた料理、その名もメンマ丼をドドンッとカウンターへ置き、ハフゥと一息。

 

「名付けて、極上メンマ丼っ! おいっしーよっ♪」

 

 慣れないウインクなぞをしつつ、どこぞの日の出っぽい食堂の少年の真似をして、どうぞと勧める。

 一応親父さんにも使わせてもらったお礼として差し出した。

 ……量が多すぎたから押し付けたんじゃないからね?

 

「お、おぉお……? な、なかなか上手く出来てるじゃねぇかい。だが、問題の味は……? んむっ、む───おぉおおおお!?」

「……これは」

「ど、どうしたです? 不味いなら吐き出すべきですっ!」

「いきなり失礼だなおいっ! 美味いって! 味見もしないで出すわけないだろっ!? ほらっ!」

 

 自分の分のメンマ丼(しっかり大盛り)を、小皿に取り分けて陳宮へ。

 大盛りを頼んだのは俺だから、きちんと思春は並盛り、俺は大盛り状態で分けた。

 ……ご飯と卵で増えた分は、たぶん親父さんのもとへ。

 

「む、むー……差し出されたからには食ってやらないこともないですが……、……む? むむむむむ!? こここれはっ!」

「な? ちゃんと美味いだろ?」

「うぐ……ま、まあまあです……」

 

 言葉での反応はまずまずだった。

 ……そっぽ向きながらも、黙々と口に運んでる姿だけで十分だが。

 

「おったまげた……米と卵、そしてメンマが互いを引き立て合い、個性を殺さずに上手く合わさってやがる……! メンマ丼はいろいろ食ってきたが、こんな美味い丼は食ったことがねぇ……!」

「蜀への道中、味気無いと言って授かっていた食を無駄に調理していた経験が活きたか」

「思春、そういうことは思ってても口にしないで……」

 

 それでも陳宮と同じく、黙々と食べてくれる。

 親父さんもがつがつと食らい、俺も大盛りである以上、みんなよりも頑張って顎を動かした。

 やがて食事を終えれば、きっちりと米と卵等の代金も払い、メンマ園をあとにする。

 心なし、親父さんがソワソワしたりと落ち着きがなかったのが気になったけど……警邏の続きやお遣いのこともある。

 膨れたお腹に満足しながら、仕事に戻った。



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30:蜀/流れる時間、見極めたもの③

 さて。

 そんなことから(勝手に酒を使ったことで、厳顔さんにゲンコツもらってから)三日後。

 政務の仕事にもようやく逃げ腰にならずに向かい合えるなーと、肩の力を抜き始めた頃のこと。

 その日は桃香が現場視察に行くと言うので、学校のほうを彼女に任せ、俺が執務室で書簡の山と睨めっこをしていた。

 もちろん、“俺が目を通していいもの”を分けてもらったものとの睨めっこだ。

 

「……北郷殿」

「ん? なにうわぁっ!?」

 

 音も無く執務室に滑り込んだらしいその人、趙雲さんがぐったりとした表情で……その、机を挟んだ向かい側に立っていた。

 まるで亡霊だ……声をかけられなきゃそこに居ることさえ気づけない。

 

「仕事中に……すまぬとは思うのだが……。探してほしい人物が……」

「探し人? や、それって俺じゃなくて別の誰かに───」

「と、友を見捨てるというのかっ!? 我らは同じメンマを愛する友であろうっ!?」

「だだだからいきなりなにぃっ!! まずきちんと説明してくれなきゃわからないだろっ!? 友だけど今は人探しの話で、メンマは関係ないだろっ!?」

「あるっ! あるからこうして北郷殿を訪ねたのだ!」

「……へ?」

 

 暗い表情から一変、元気に叫んだかと思いきや、しゅんと落ち込んだ子供のような顔で俯いた。

 え……な、なんだ? もしかして本当に重要なこと? 重要なのに俺を、友だって理由だけで頼ってくれた……? これは、ちゃんと聞かないとだ。人探しっていうからには、見つからないってだけで、趙雲さんがこれだけ落ち込むほどの人だ。本当に重要な人物なのかもしれない。

 

「ごめん、きちんと聞くよ。それで、どうしたんだ?」

「あ、ああうむ……実はつい最近のことなのだが……いや、私はその場には居なかったのだがな───」

 

 趙雲さんの話を簡単に纏めると、つまりこういうことらしい。

 行きつけの店に謎の男が現れ、自分が美味い美味いと思っていたものよりも遙か高みのものを作り、名も告げずに去っていったと。

 趙雲さんは是非ともその人物に会い、自分が見ていた世界を大きく広げてくれたことへの礼を言いたいんだとか。

 

「へえぇええ……! そんな人が……! ……あ、特徴とかはどう? わかるかな」

「む……それがどうにも、店主があまりの味に驚愕し、その味を覚えることだけに集中しすぎたために覚えていないと……」

「うわ……第一歩から躓いてるじゃないか」

「いや、待ってほしい。辛うじて成都の人物ではないことと、庶人であることだけは覚えていたそうだ」

「へえ……庶人か」

 

 そっか、庶人で成都の人間ではない。で、特徴はわからない。

 ……どう探せと?

 

「店主自身はその味を再現してみせ、私にも馳走してくれたのだが……あれは素晴らしいものだ。今やその店の名物として、客が並ぶほどだ」

「えぇっ!? すごいじゃないかっ!」

「うむ。ならばこそ直接会って敬意を表し、その御仁に礼を届けたいのだ」

 

 なるほど……確かにそれはわかる。

 自分の見ていた世界を広げてくれた人が居たのなら、きちんと会って感謝のひとつでも届けたい。

 俺が、この大陸に生きる人たちへと感謝を届けたいのと同じように。

 

「そっか……ん、わかった。手掛かりらしい手掛かりが無いんじゃあ探しようもないけど、別のお店で何かを教えているような人が居たら声をかけてみるよ」

「うむ、感謝する」

 

 軽く頷くように頭を下げて、趙雲さんが去ってゆく。

 手掛かりの無い人の捜索願いか……一応、頭に入れておいてみよう。

 

「んー……」

 

 趙雲さんの行きつけの店に訪れたってことは、そこにまた現れる可能性もある……か?

 そうしたらそうしたで、今度こそそこの店主さんが気づくだろうから俺がそこに張り付く必要はないよな。

 じゃあ───あれ? ちょっと待て、俺に出来ることってなにかあるのか? ん、んー……素晴らしいものを作った誰かを探してて、で……───マテ。

 

「メンマ?」

 

 メンマは関係ないと言った俺に届いた言葉、“あるからこうして北郷殿を訪ねたのだ”。

 謎の男が現れて? 美味いと思っていたものよりも遙か高みのものを作って? 名も告げずに去っていった?

 

「……行きつけの店ってまさか」

 

 あのメンマ園とか? ……まさかね、そんな偶然なんて無いって無い無い。

 大体閃いて適当に作ったメンマ丼が、そんな行列を生じさせるほど人気が出るわけがない。

 行きつけの店っていうのはきっと、どこかの酒が美味しいお店かなんかだったんだ。

 

「よしっ、仕事仕事っ」

 

 その誰かのことは頭に入れておいて、今度それっぽい人を探してみよう。

 今は仕事づくめの桃香を少しでも楽にさせるためにも、出来るだけ仕事を減らすことに集中だ。

 

 

 

56/見極めた小さなもの

 

 とある日の昼時。

 前日の雨がウソのようにカラッと晴れた晴天の下を、張勲と一緒になって歩いていた。

 

「ごめん張勲、荷物運びなんて手伝わせて」

「いえいえー、部屋に閉じこもってず~っと書類仕事をしているよりよっぽど有意義ですから。重いものは一刀さんが持ってくれますし、こんな楽な仕事ならどんどん頼んでくださいねー♪」

「……キミって時々物凄く正直だよね」

 

 掃除で忙しい賈駆さんや董卓様……もとい、董卓さんの買い物を引き受けたはいいが、俺一人で人二人が持つ荷物をスイスイ持てるはずもなく、丁度手が空いていた張勲に手伝いを要求。了承を得て、現在に至る。

 こう……腕力的で言うなら持てはするが、荷物の安全を第一に考えれば人を増やしたほうが安全と踏んだ。一応、右腕に負担をかけないことが理由のひとつにもある。

 

「今日は思春も軍事のほうに連れて行かれちゃってるから、俺一人だとちょっと大変だったんだ。ありがと、助かったよ」

「いえいえ。ところで甘寧さんへの用は、兵に喝を入れるためー、でしたっけ?」

「そう聞いてる。たまには蜀の将以外の気迫を浴びないと、兵が“戦”ってものを忘れるかもしれないからーって」

「それはまたなんともー……効果が抜群そうですねぇ」

「うん……素直にそう思う」

 

 俺も今でもヒィとか叫んでしまうし。

 あの殺気、あの眼光で睨まれたら、蛇に睨まれた蛙、チーターに追われるトムソンガゼル、アリクイに襲われし蟻の心境を味わえる。うん、ほぼ死ねる。

 

「でも、大丈夫なんでしょうかねー。ほら、甘寧さんは確かにお強いですけど、もう将ではないわけですし」

「蜀側に頼まれてのことなんだし、喝を入れるっていってもあの殺気をぶつけるだけなんだし───直接的なことを何もしなければ、問題にはならないよ」

「それってばつまり、勢い余って甘寧さんが兵を叩いたりしようものなら、大変なことになっちゃうってことですか?」

「うん、まあ。えと、ヘンな気、起こさないでね?」

「やですよぉ一刀さん、お嬢様からの無茶振りでもなければそんなことしませんよぉ」

「無茶振りだったらするんだ……」

 

 にっこにこ笑顔で言ってくれるけど、それが逆に不安を煽った。

 ありがとう華琳、二人を引き離してくれて。ここに袁術が居たら大変なことになっていたかもしれない。

 けど、この人は本当に袁術が好きなんだな。

 相手が小さいからかもしれないけど、そういう関係はなんだか心が暖まる。

 

(……っと、考え事してると足も遅くなるな。賈駆さんたちも掃除で忙しいんだ、こっちがのんびりするわけにもいかないよな)

 

 極力通らなかった道を歩く。

 必要なものの中にこの通りの店にあるものが無ければ、絶対に通らなかった。

 それは何故かといえば、

 

「? 一刀さん、あそこに人だかりが───」

「回り道して帰ろっか」

「はーい、気になるので却下しますねー?」

「早ッ!?」

 

 言った途端にばっさりで、しかもさっさと人だかりへと近づいていってしまう張勲。

 待ってと止めたところで聞いてくれもしない───いや、聞いた上で無視なさっている。

 ……これくらいの度胸とかが無いと、袁家の人とは付き合えないってことかなぁ。

 

「はぁ……」

 

 溜め息一つ、歩き出す。

 向かう先は人だかり……そう、メンマ園であった。

 

(大丈夫大丈夫、服は前とは違ってフランチェスカの制服だし、あの時は庶人服で、髪型だって違ってたんだから……大丈夫……だよな?)

 

 だめだだめだっ、こういう場面で弱気になるのはバレる未来を作りだすだけっ!

 いっそのことバレてもいいやってくらいの勢いでっ!

 いざゆかんっ、人垣の奥へっ!!

 

……。

 

 結論から言うと、人が多すぎて近づけたもんじゃなかった。

 

「本当に人が並ぶほどの人気だったんだなぁ」

 

 趙雲さんから聞いてはいたけど、意外だ。

 ということは、やっぱり噂のメンマの仕事人っていうのは……。

 

(俺、なのかぁあ……!)

 

 趙雲さんの行きつけって、多分あそこのことなんだろうし───どうしよ、趙雲さんに名乗り出るべきか?

 ……いや、なにか嫌な予感がする。自然に気づかれるまで、黙っておいたほうがいいかもしれない。

 メンマ園にも今まで通り出来るだけ近づかないようにして。……なんとなく、メンマ園の親父さんと趙雲さんの反応、怖そうだし。

 

「その口ぶりからすると、人だかりの正体を知っていたんですよね? やですねぇ一刀さん、知っているなら知っているって言ってくれませんと、余計な時間を食っちゃうじゃないですかー」

「あの……いつの間にか俺が悪いみたいな方向になってるんだけど、俺言ったよね? 正体については言わなかったけど、回り道して帰ろっかって言ったよね?」

 

 からかうのが面白いのかどうなのか、俺の横でピンと立てた人差し指をくるくる回しながら、にこにこ笑顔で俺を見る張勲さん。

 あぁ危ないからそんな、荷物を片手で持つなんてことは……! と、ハラハラしてみればそれすらもからかいの材料だったのか、ニコリと笑って持ち直す。

 だめだ、どうにもこういう女性には勝てる気がしない。

 

(まあ、いいか。顔会わせの頃の、鬱憤だらけで疲れた笑顔に比べれば……)

 

 人をからかうことでこんないい笑顔を見せてくれるなら、それもいいこと───だよな?

 度を越したからかいは、是非とも勘弁願いたいけどさ。

 

「もっと頑張ろっか。蜀でやるべきことを済ませていけば、それだけ帰るのも早まるだろうし……そうすれば袁術ともすぐに会えるよ」

「わかってませんねぇ一刀さん。ここはしばらく距離を取って、お嬢様を寂しがらせてから接するのがいいんじゃないですかー」

「……寂しがってるのはどっちだよ、まったく」

「わぶぶっ!? なななにをっ!?」

 

 負担をかけないようにと空けておいた右手で、張勲の頭を乱暴に撫でた。

 酒が入るだけであれだけの寂しさを見せる人が、素面だからって平気なわけじゃないだろうに。

 

「張勲、今日は仕事、ないんだよな?」

「え? あ、はーい、誰かさんが政務を手伝い荒らしちゃっているお陰で、この手は始末する仕事を探して彷徨っているところですよー」

「荒らしてるとか言わないっ。……でも、そっか。じゃあ仕事仕事って言わずに、今日くらいは楽しんでみないか?」

「うーん……もう十分楽しんでますよ? 一刀さんで」

「人で楽しまないのっ! そうじゃなくて、袁術の木彫り人形ばっかり彫ってないで、別の楽しみを───」

「ふふふっ、はいっ♪ ですからもう楽しんでますよー?」

「………」

 

 傾げた笑顔のまま、歩きながら俺の顔を覗いてくる張勲。

 人で楽しむのは……ともう一度言おうとしたんだが、どうにもそういう意味じゃないらしい。

 じゃあどういう意味なんだーと訊かれれば、俺には答えようがない。

 ないので……まあ。

 

「……そっか。楽しんでるならそれでいっか。じゃあ買ったものを城に運んで、賈駆さんと董卓さんに報告して……えぇっとそれから~……」

 

 胸ポケットからメモを取って、片手でペラペラと~……あった。

 今日の予定……もう何度も消して書いてをしているから随分と汚いページに、約束の文字は無い。

 時間があれば鈴々と一緒になって街の子供達と遊んだり燥いだりをしているから、ヘタに予定を割り込ませたりするとひどい目に遭う。

 

「蜀の皆さんとの密会予定表ですか?」

「違う違うっ、最近は工夫のみんなを手伝ったり氣の鍛錬の手伝いをしたり、勉強会開いたり大陸の勉強したりっていろいろ大変だから、予定表作っておかないと怖いってだけだよっ」

 

 そう、怖いのだ。

 勉強、鍛錬、工夫のみんなの手伝い、掃除も手伝ったり買い物を手伝ったり、やることはたくさんある。

 もちろん俺が進んでやらせてくれって頼んだことだ、文句はない。

 けど一度。そう……一度、珍しく仕事らしい仕事が無かった日、桃香の気晴らしに付き合うって約束をしていたことをスコーンと忘れていて、ひどい目に遭ったのだ。

 あれは恐怖だ。ちょっとしたどころじゃない、恐怖以外のなにものでもなかった。

 もしあの日に魏延さんが非番だったらと思うと、今を生きる自分を祝福してやりたくなるほどだ。

 反省。

 で、その反省の結果がこれで、一日周期……じゃないな。約束ごとや頼みごとをされるたびに書いたり消したりを続けているから、ずいぶんとメモがボロボロだ。

 シャーベンの芯も消しゴムも、物凄い速度で磨耗していく。

 ……消した跡の中に、少しずつ練習した絵の跡とかがあるのは秘密だ。

 

「行こうか。今日はこの買い物以外に予定はないし、付き合うよ。張勲がなにをそんなに楽しんでるのかは知らないけどさ、一人より二人のほうが、あー……えと。楽しいといいんだけど」

「んー……ああっ、これがでぇとのお誘いというものだったりしちゃうんですねっ?」

「デッ……!? ちっ、ちちち違うって! その言葉はもう呉で懲りたから勘弁してくれっ!」

「殿方が女性を誘い、遊びに出かけるのがでぇとではないんですか?」

「う……前にも勉強会で言ったけど、デートっていうのは気になる対象を異性が誘って、もっと好きになってもらったり気にかけてもらったりするためのもので───」

「なるほどー、つまり一刀さんは私とは微塵にも、好きになってもらいたかったり気にかけてもらったりなんて、してほしくなかったりしちゃうんですね?」

「へっ!? あっ、いやっ、今のはそういう意味で言ったわけじゃっ……」

「じゃあ好きなんですねっ」

「えがっ……あぁぃゃっ、その。……友達として、なら」

 

 嫌いではない。それは間違いないが、状況に流されるままに好きを口にするのは危険だ。

 好き、と自分からはっきりと口にした相手は居ないかもしれないが、愛していたと届けた相手なら居る。

 なんだかんだと国を回って様々な女性と顔合わせをしたものの、心の中にはいつだって彼女が居る。

 それが、言葉通りいつだってブレーキ代わりになってくれていても、届ける言葉はきちんと自分の言葉だ。

 もう、彼女や魏を言い訳にしたりはしない。

 

「うーん……現状維持ですかねぇ。“一刀さんを味方につければ曹操さんはおろか魏のみなさんも下手に動けなくなりますよ作戦”は、早くも頓挫でしょうか」

「うわー、そのまんまだー。しかも本人の前で、どれだけ度胸があるんだ……いや、ないからそんな作戦立ててるのか? ……どちらにしても、ある意味で勇者だよ」

「いえいえそれほどでもー♪ ただどうせ味方につけるなら、好きになっちゃったほうが私的にもお嬢様的にも一石二鳥になっちゃったりしまして、しかもその上、一刀さんが曹操さん以上に私達のことを好きになってしまえば!」

「いや。それはない」

「うわーい即答ですよこの人~。どこまで曹操さんが好きなんでしょうかねぇもう。蜀に来る前に集めた情報によれば、誘えば絶対に断らない煩悩だけで動いているような人、なはずなんですけどねー」

 

 ……なんでだろうなぁ。何故か無性に桂花と真桜と沙和にいろいろと問いただしたくなってきた。

 どうしてだろうなぁ、この人だーって言われたわけでもないのに。

 

「っと」

 

 なんだかんだで城に着く。

 ペコリと……ではなく、「お疲れさんっ」と元気よく声を掛けてくれる兵に、俺も「お疲れっ」と返しつつ。

 

「……一刀さんは両方いける人だったりするんですか?」

「訊き返して長引かせたくもない内容が予想できそうだけど、なにが?」

「いえいえ、女性を友達どまりにさせておいて、影では兵のみなさんを口説いてまわっ───」

「ってないっ!! なんでそんなことになってん───はっ!? ~……あ、あのねぇ張勲? 俺はちゃんと、女の子が好きだし、お、おぉおおお男とそんな関係なんて、まっぴらごめんな一介の青少年なんだぞ? 冗談でもそういうことはだな……」

「~♪」

「………」

 

 “楽しんでいる”って意味が解った。

 俺で楽しむってのは却下した。その上で彼女は「ですから」と言って、楽しんでいるとも。

 じゃあなにをどう楽しんでいるのかといえば……俺に限ったことじゃなく、人をからかって楽しんでいた。

 

「……あのさ。張勲にとって、俺ってなに?」

「……? はいっ♪ お友達ですよー?」

 

 人差し指を立てて、にこりと笑む。

 その言葉に数瞬、言葉を失うが───と、友達?

 

「え───……えと。おもちゃの間違いじゃないよな?」

「いえいえー、玩具の位置はもうお嬢様と───いえげふんげふんっ! ……えーとですねー、一刀さんはお友達ですよ? さっき擦れ違った兵の人と同じです。悪い人じゃないことはもうわかりきっちゃってますし、魏で得た情報はなにも、煩悩がどうとかって話だけじゃあありませんから」

「……? それって……」

 

 恋や桃香も言ってたっけ……魏に居れば俺の話は耳にするって。

 ……でもなぁ、俺の噂っていったら……だめだ、我ながらいい噂が想像できない。

 

「噂だけで判断するのは危険ですけど、困ったことにこの目で確かめちゃいましたから。面倒なことに首を突っ込みたがる困ったさんですけど、首を突っ込んでおいて慌てる姿とか、もう、こうっ……! なんて言うんでしょうね、見ていて気持ちがいいくらいに、……素敵ですから」

 

 ……最後ちょっと間があった。

 ねぇ。間があったんだけど今。なんて言おうとしたんだが言ってみてくれないか? 大丈夫、“え? なんだって?”なんて絶対に言わずに最後まで聞いてみせるから。

 

「アノ。ソレハ、トモダチ、イイマスカ?」

「言いますよ、言っちゃいますよ~? だって一刀さんは私を楽しませたくて、私は一刀さんと居ると楽しめて。安定している利害関係ですし、顔だけでなく性格もいいなら言いっこなしですもん。だから、友達です」

「……いろいろと悩むべきところがあるような無いような……。でも、うん。じゃあきっちり言わせてくれ。───張勲、俺と友、……?」

 

 右手を差し出し、友達に……と言おうとしたら、その口に彼女の人差し指が添えられた。

 いっつもピンッと立てている、あの人差し指だ。

 

「友達は、わざわざ確認し合うものじゃあありませんよ? 言いたい放題難癖つけちゃえば、私とお嬢様にとっての一刀さんは、自由になる好機を潰してくれた困ったさんですけど。難癖つけずにきちんと見れば、落ち着き始めた大陸で賊まがいのことをやっちゃっていた私達を処刑しないでくれた、恩人さんなんですから」

「張く───」

「“七乃”、ですよ。恩人の御遣いさん」

「───…………じゃあ。これからもよろしく、七乃」

「はいっ♪」

 

 過ぎる時間、過ぎる一日。

 笑顔であっさりと真名を許した彼女は、笑顔のままにいつの間にか止まっていた足を動かして、城の通路を歩いてゆく。

 慌てる必要なんてないのに慌てて追って、その横を歩く俺は、なんだか無性におかしくなって笑った。

 いいのか、なんて返すこともなく真名を呼んだのは、酷く簡単なことだ。

 顔合わせの時に彼女が言った言葉、“見極めさせてもらう”って言葉が、今に繋がったってだけなのだろうから。

 噂の一人歩きと呉や蜀での働きのお陰なんだろうが、意外に早かった見極めがありがたくもくすぐったく、つい笑みがこぼれた……ただそれだけの、なんでもない時間。

 

 荷物を置いて報告を済ませると、早速二人で城の中を歩き回ったりして、からかわれながらも今日という一日を過ごす。

 ……途中、ことあるごとに将や兵に捕まって、歩みを止めては世話話に付き合わされる俺に溜め息を吐いたりもしていたが、その後には「随分好かれてますねー、男女問わず」とからかわれた。

 それでも……───うん、それでも。互いがそんな関係を嫌だって思ってないなら、それは確かに心地のいい利害関係にあるのかもしれない。

 

「明日は工夫のみんなの手伝いがあるし……晴れるといいなぁ」

「はーい、それじゃあ雨乞いでもやっちゃいましょうかー♪」

「なんで!? 俺、晴れてほしいって言ったよなっ!?」

 

 そんなふうに考えられるくらい慣れることが出来たこの青の下で、今日もみんなが賑やかさの中を生きていた。



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31:蜀/良い学び舎を作るために①

57/良い学び舎を作るために

 

 黒板にチョークが走る音がする。

 教室の中は静かなもので、声を発する者など居ない。

 そんな中でチョークを走らせる手を止めて、振り向いて生徒たちを視界に納めると、

 

「はいっ! というわけでこの問題を───鈴々っ、解いてくれ!」

 

 基準も特になく、なんとなくで鈴々を指名。

 

「はいなのだ! 1+2+3-4で答えは2なのだ!」

 

 元気よく立ち上がった彼女はすらすらと問題を解いて、むふんと胸を張ってみせた。

 

「素晴らしい! 素晴らしいよ鈴々! キミは最高だ!」

 

 ───この日。

 かつては乱世であったこの大陸に、一人の天才が誕生した───……

 

……。

 

 と。以上、想像でした。

 

「こんな感じで、天の世界の勉強は成り立ってるんだ」

 

 学校完成を目前に控えたその日。

 今日は中庭に集まって、桃香、鈴々、関羽さんの三人で勉強会を開いていた。

 どうしていつも通り自分の部屋ではないのかといえば、ただ天気が良かったからなのだ。

 付け加えるなら、今日は読み書きをするんじゃなく、軽く天の勉強の仕方などを学んでみようか~ってことで。

 

「“ちょーく”ってなんなのだ?」

「墨で書くのと違って、水分じゃなく粉とか欠片で書く物かな。ほら、粉とかは手につくと白く残るだろ? それを黒……あ、いや、今では濃い緑色が普通か。緑色の板に書くんだ。墨とは違って粉さえ取れば消せるから、何枚も何枚も紙を無駄にすることもない。卵の殻とか貝殻を使って作ってるって話も聞いたことがあるから……んん、案外この世界でも作れる、か? 圧縮する方法がないなら、粘土でもいいし」

「……よくわからないのだ」

「そ、そっか。じゃあ砂がくっつく壁に砂で文字を書くとするぞ? で、その文字は砂で書かれたもので、くっつくけど叩けば落ちるから、また何度でも書ける。……わかるか?」

「それならわかるのだっ」

「そっかそっかー、偉いぞ鈴々ーっ」

「にゃははーーっ、褒められたのだーーっ♪」

 

 よく晴れた日の昼。

 日差しが暖かく、吹く風も心地よい。

 外で話し合いをするにはもってこいの陽気だった。

 そんな空の下、相変わらず教鞭ではなく人差し指を振るって、四人で芝生に座りながら話し合う。

 

「えっと、お兄さん? お話の通りに考えると、答えるたびにお兄さんが“素晴らしい~っ”て抱きかかえてくれるの?」

「いや、あれは大げさにしただけであって、べつに褒めたり褒められたりとかはないかな。出来て当然、出来なきゃ頑張れって、そんな世界だ」

「むー……」

 

 どうしてか不服そうだった桃香はさておき。

 

「それじゃあ続きだけど。授業はそれぞれ軍師が担当するとして、運動の授業……体育って言うんだけど、それを担当する教師も必要だと思うんだ」

「たいいく……ですか?」

「ああ。体を育むって書いて、体育。こっちのほうは軍師向きじゃないから、武官の誰かに担当してほしいんだ。あ、もちろん自分を基準に考えず、程度を考えて教えられる人がいい」

「鈴々がやるのだっ!」

「はい却下」

「却下だ」

「ご、ごめんね鈴々ちゃん」

「なんでなのだーっ!?」

 

 名乗りを上げた鈴々が、この場に居る三人全員から却下を言い渡された。

 どうしてって……経験上?

 顔合わせの時から今まで、鍛錬には付き合ってくれているが……加減が出来ない鈴々じゃあ学びに来る人たちが死ぬ。体力的な意味で。

 それに鈴々の教え方はアレだからなぁ……。春蘭あたりなら理解できるんだろうけど、普通じゃ無理だ。はーってやってうりゃーって振って勝つのだー、とか言われても、わからない人にはわからなすぎる。

 しかしそれでいいのかと言われれば……わからないならわからないなりに、歩み寄ってみせるのが知ろうと努力するということ。

 ならば……そだな。氣の練り方から集中、発動までを鈴々的に解説してみるとしたら……。

 

1:まず、「あ゙あ゙ぁぁぁあぁああ!!」と力を溜めます。

 

2:次に「ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙!!」と集中します。

 

3:「うおおおおおおおおおお!!」と放ちます。

 

 結論:これであなたも不破忍道入門!

 

 ……ただのすごい漢だこれ。忘れよう。

 うん、よし。まずは小さなところからコツコツといくのが理想的だよな。

 コツコツとくると……鈴々は向かない。向くとしても相当後になるだろう。

 だから今は無理だって話で、通う人達が相当に……相っ当っに! 慣れたあとでなら、なんというかそのー……平気なのではないでしょうか。

 

「あ、あー……そのー……。鈴々は最後の関門、みたいなもの……かな? ほら、まずは少しずつ慣れてもらう必要があるだろ? いきなり激しい運動とかしたら、体育の授業だけ逃げ出す人とか出るかもだしさ。だから最初の頃の体育の教師は桃香に頼みたいんだけど」

「ふえぇっ!? 私っ!? どっ……どーしてーっ!?」

「教えるのが国の王って、結構いいことだと思うんだ。呉と重ねるわけじゃないけど、もっともっと民と近づける。民はもっと桃香がどんな人なのかを知ることが出来て、桃香も民がどんな人たちなのかをもっと知れる。悪いことじゃないと思うんだけど……どう?」

「え、う、うー……」

「一刀殿、案としては悪くはないとは思いますが、桃香さまは王であり、日々の仕事もあります。そうそう授業に出られるほど時間に余裕がある身では───」

「そこなんだよな、問題は……」

 

 武官の中でも程度を知っている人……自分のペースで行き過ぎない人がいい。

 民の体力も察してあげられて、かつ一緒に頑張ってあげられる。……そんな都合のいい人、居るか?

 一人で考えてもピンとこないな。せっかく話し合いの場を設けてるんだし、三人にも訊いてみよう。

 …………と、口に出してみれば、三人が一斉に俺を指差した。

 

「? ……なにか付いてる?」

「いえ、そうではなく」

「お兄さんが適任って意味で指差してるんだけど」

「なのだ」

「……エ?」

 

 え……俺が? 体育教師?

 ……あっはっは、まっさか嘘でしょう。……え? ほんとに?

 

「初日に桃香を筋肉痛にさせたような俺がそんなことやって、民が耐えられるかな」

「あれは大変だったねー。でもほら、辛かったけど、きちんと実りになってるもん。大丈夫、きっと民のみんなもわかってくれるし、お兄さんなら出来るよ」

「お姉ちゃんみたいに運動すれば、胸が大きくなるのー?」

「ふえっ……!?」

「なっ……鈴々っ! 実りというのはその実りではなくてだな……っ!」

「にゃははー、冗談なのだ」

「も、もうっ、鈴々ちゃんっ!?」

 

 頭の後ろで腕を組み、にししーと笑う鈴々に向かい、桃香と関羽さんが叫ぶ姿を生暖かい目で見守る。

 元気な姿っていいもんだなぁ……誓いで結ばれた義理の姉妹とはいえ、本当の姉妹みたいだ。それなのに内容が内容なために、普通の眼差しでは見守れない自分へ馬鹿野郎を届けよう。大丈夫、会話に混ざるような馬鹿なことはしない。迂闊にそんなことをすればどうなるか、魏や呉で十分に学んでるから。

 混ざるっていうか、主に巻き込まれてる俺だけど。

 

「でも……そっか。俺でいいなら喜んで引き受けるけど……授業を受ける人たちが納得してくれるかな」

「いえ、それは問題ないかと。ここ最近では子供達や工夫、買い付け先の者から一刀殿の噂が広まっています。それに加え、呉から来た商人らの見聞も広まり、好印象はあれど悪い印象は無いはずですから」

「えと、そうなのか?」

「はい。ですからどうかご安心を。むしろ胸を張り、思うように指導すればよいのです」

「そうだよ~。やってる最中は辛いけど、慣れてくるときちんと自分の力になってるんだ~って実感が持てるもん。重いものを軽く振るえた時なんて、感動だったよ~?」

 

 胸の上で指を絡め、うっとり顔の桃香さん。

 確かに、人の話も右から左な状態で、ブンブカと木刀を振り回してたし。

 けど、それは氣を扱えたからであって、扱えない人にとっての鍛錬は結構……いや、かなり辛い。

 ただの体力作りとして体育をするならまだしも、氣の使用を目指して体を鍛えるとなれば……祭さんが言うように、十里を軽く走れるくらいになる必要が……いいや待て待て待て、あれは流石に大げさだ。

 ……そうだな、ランニングとか跳び箱とか、普通に学校でやるくらいので十分だろう。

 

「じゃあ……こんなところかな? あと気になることとかってあるかな」

「あ……ではひとつ質問が。結局のところ、学びに来る民たちからはいくらか……その、授業料というものを受け取ることになるのでしょうか」

 

 はい、とわざわざ挙手をしてくれた関羽さんにこくりと頷きつつ、答えようとしたら……桃香が先に答えてくえた。

 

「あ、ううん違うよ? まずはしばらく通ってもらって、続けられそうな子には続けてもらうってことにしたの。“たいけんにゅーがく”ってお兄さんが言ってたけど、そうだよね。続けられるかわからないのに、えっと……じゅぎょーりょー? を払わせちゃうのは可哀想だよね」

 

 そう、結局はこの案に落ち着いた。

 そもそも税をやりくりして建てた学校なんだから、もっと民にもオープンにするべきだと思うんだ。ほら、税を払っているなら授業料免除ですよーとか。教鞭を振るった数だけ給料に色がつきますよーとか。

 しかしそういうわけにもいかならいらしい。国って難しいね。

 だからまず体験してもらい、体験してもらった人たちからの意見も取り入れ、もっと煮詰めていきましょうと。

 この時代と俺の時代とじゃあ明らかに違う部分もあるわけだから、“こんなものだろう”って考えや流れだけで動かすのは無茶なのだ。

 故に授業料はそう高いものじゃなく、いわゆる“知識をつけて国のために頑張ってください方式”……嫌な名前だなこれ。

 

「とまあそんなわけだから。他に気になることとかあるかな」

「ごはんはどーなるのだー?」

「現地調達」

「えぇええっ!?」

「げ、現地調達……ですか? あの、一刀殿? それはいったいどういう───」

「体育の授業の中に“狩猟”を混ぜて、野山を駆けて猪を狩ったり山菜を摘んだりして、己の食料は己で手に入れる。そんな野性味溢れる世の厳しさをみんなにも知───」

『却下ですっ(だよっ)!!』

 

 あっさり却下された。

 むしろ当然だった。

 

「や、冗談だから冗談……山菜摘みならまだしも、猪と格闘なんてしたくもないよ」

「そんなことないのだ、現地調達のほうが面白そうなのだっ!」

「? 鈴々、山菜とかって好きだったっけ?」

「違うよー? 猪を狩るのが楽しそうって言ったのだ」

「……近辺の野山で猪が絶滅するからやめようね?」

 

 毎食牡丹鍋なんてやってたら、果たしてどれくらいの日数で絶滅するか。

 この世界の皆様はパワフルだから、本当にやりそうで怖い。

 

「けどまあ、みんなでやったら楽しそうって言えば楽しそうなんだよな、山菜摘み。みんなで採ってきた山菜をみんなで調理するんだ。そうして夜空の下とか青空の下で食べる食事がまた美味しくてさ」

 

 いわゆる合宿とかキャンプだな。ビデオカメラ回してると、大体心霊だったりするけど。

 人が賑やかそうにしていると寄ってくるっていうけど、川でのキャンプ中とかが一番危険らしい。

 そんな世界から離れて結構経つけど、この時代でも心霊写真とかは撮れたりするんだろうか。今度ケータイでパシャリと……ああいや、今はいいか。

 

「うん、食事の世話まではさすがに無償じゃあ無理だから、出すのは難しいということで。実際に山菜や魚を食料にするのもアリだと思うけど、時間がかかりすぎるのが難点だ」

 

 大自然の恵みに感謝を。感謝とか言いつつ、一方的に奪ってるだけだけど。

 恵みとか言うわりに、俺達って自然に対してどんな対価を払ってるんだか。

 覚悟を胸に刻み始めてからここまで、本気には本気をぶつけてきてみたからこそ考えるようになったんだが……うん、特になんにもしてないよなぁ。

 感謝しか送れない僕らを許してください。いつも水浴び、お世話になっています。

 

「授業料じゃなくて、食事を賄える程度を払ってもらえれば、それで食事が出せるんだけどね」

「毎日っていうのはちょっと高いよね~」

「それが問題なんだよ。まあ、最初はともかく体験してもらわないと意味がない。食事のこととかは一度後回しで、どうやって体験入学してもらうかも考えないとな」

 

 ただ漠然と「学校、はじめました」って冷やし中華チックに攻めてみても、きっと誰も来やしないだろう。

 こう……なにか。なにか心を揺さぶるキャッチコピーが欲しい。

 

「学校に体験入学してもらうために、なにか民の心を揺さぶる言葉とか、無いかな」

「心を揺さぶる……ですか」

「えっと……うーん」

「ご飯食べ放題なのだ!」

「国中の人が押しかけるよ! 潰れるよこの国! 他ならぬ愛する民の胃袋で滅びるよ!」

 

 元気なのは大変よろしいが、次代を支える民たちの成長を願ってのことで国を潰してどーしますか。

 元気に挙手しての言葉だったけど、当然却下とする。

 と、次は関羽さんが手を挙げて言ってくれる。

 

「では将や王が日々、どういったことをしているのかを覗くことが出来る、というのは」

「ぇええええっ!? みみ、みんなに見られちゃうのー!?」

「……桃香。王であるキミが一番に嫌がってどうするのさ……」

「え、えうぅ、だってぇえ~……」

 

 ままならない。

 しかし……蜀の将の日々か。

 ……あっち行って騒いでこっち行って騒いで、の連続な気もするんだが。

 

「そういうのは自然体を見せなきゃ意味がないからなぁ……そうなると、たとえば恋が昼寝していたりだとか」

「うぐっ」

「馬超さんと文醜さんがところ構わず競い合ってたりとか」

「はぐっ」

「陳宮が張々に乗りながら騎馬隊の真似をして雄々しく叫んでるところとか」

「ぐっ……」

「魏延さんが桃香のマッサージをしながら鼻血を出しているところとかを、赤裸々に見てもらうことに───」

「い、いえっ、却下の方向でっ!」

「……だよなぁ」

 

 やっぱりままならない。

 格好いいところだけ見せても仕方ないってことを、関羽さんもわかってくれている。

 だからこそ自然体を見せるのが一番なのだが……正直喩えに挙げたものだけでも民が引きそうな気がしてならない。

 失礼だとは思うけど、昼間から酒を飲みまくっている厳顔さんなんて余計に見せられない。

 でも、わかるんだよなぁ、格好いい自分だけを見せたいって気持ち。

 俺もいつか、自分の背中を見て育つような庶人の子とかと出会ったら、格好いい自分ばっかり見せそうな気がするし。いや、それとも苦労している部分は見せず、余裕のある自分ばかりを見せて、仕事を女性に任せて自分は働かないズヴォラ男として認識されるのだろうか。

 ……現状じゃあ、そんな自分が想像できなかった。まず、俺の背中を見て育つって時点でなぁ……。

 

「んー、むずかしいのだー」

「あ……じゃあこういうのってどうかな。体験入学してくれたら、今なら天の御遣いであるお兄さんと握手が出来るー、とか」

 

 次弾、桃香さま。

 ハイと手を挙げて言ってくれたのは嬉しいんだが。

 

「いや……俺との握手を望んで体験入学してくれる人なんて、居ないと思うぞ?」

 

 せっかくだけど却下の方向で。

 どんな人を狙えば、そんなので人が集まってくれるんだろう。

 

「えー? 悪くないと思うんだけど……ねぇ愛紗ちゃん」

「一刀殿と握手を、ですか。噂の天の御遣いを見ることが出来ると知れば、集まる人も居るでしょうが……」

「が……? あ、あれ? なにかだめだった?」

「はい……残念ですが、それで集まるのは授業目的ではなく見物目的の民だけです。恐らく一刀殿がどんな人物なのかを見ることで満足し、授業は受けずに帰る可能性が高いかと……」

「うーん……そうなのかなー……」

 

 民を信じるのはいいけど、こればっかりは違うと言いきれない。

 だからやっぱり却下の方向で。

 

「じゃあ、私達ばっかりじゃなくてお兄さんの意見は?」

「え? 俺?」

 

 はた、と振られてみれば……ううん、確かに訊いてばかりだった。

 来てもらうための行為か……。

 

「……あ。街に繰り出して辻教師をしてみるとか」

「? あの、それはどういった行動なのでしょう」

「道行く人に片っ端から1+1=2であることを教えたり、かと思えば1+1では41になるという昔ならではの───」

「却下ですっ」

「ソ、ソウデスカ……」

 

 算数となぞなぞの違いを説くっていう、子供達の関心を惹かせるようなことをしようと思ってたんだけど……だ、だめかぁ……。

 子供達は街では見かけても、学校には来なさそうだからなぁ……きっかけを作って誘おうって作戦を言う前に却下されてしまった。

 

「あ、お兄さんっ。もし来てくれるのが子供でもいいなら、“おやつあげるから一緒においで~”って言って、連れてくれば───」

「桃香さん。それ、天でも有名な誘拐の手口だから」

「えぇっ!?」

「驚かない驚かないっ……! この世界でだって十分にありそうだろ、それ……!」

「そうかなぁ。乱世だった頃なんて、“あげるから~”って言葉なんて、きっと誰も信じなかったよ? だって、自分が食べるだけでも大変だったんだもん」

「あげてばっかりだったお姉ちゃんが言っても、説得力ないのだ」

「ふふっ……確かに」

「うくっ……! も、もーっ! 二人ともひどいぃいっ!」

 

 実に微笑ましい義姉妹だった。

 

「ははっ……あ。じゃあ、もし“あげる”って言った人が豪華な服を着ていたりしたら、どうだったと思う?」

「あ……つ、ついていっちゃってたかも……」

「お姉ちゃんだったらそうじゃなくてもついていきそうなのだ」

「えぇ~? あははっ、いくらなんでもいかないよ~っ。ね、愛紗ちゃんっ?」

「………」

「……あれ? なんで目、逸らすの? ……あっ……愛紗ちゃぁあ~んっ!!」

「い、いえ、私はなにも……」

 

 説得力っていうのは武器だ。

 それをどう組み立てて証明するかで、交渉などは決まるのだろう。

 糧を餌に誰かを騙す人も、それなりの用意はしているんだろうし……引っかかったら引っかかったで、身包み剥がされたり殺されたりなんて、黄巾の乱の頃を思えば“無い”だなんて言えやしない。

 ……一応、降り立った途端に身包み剥がされそうになった、天の御遣いの経験論です。

 

「むー……難しいのだー」

「考えすぎって逆によくないよな……案外お茶でも飲んでホッと息を吐いたら、簡単に思いつけることっていうのもあるんだけど……」

「一刀殿自身、他に案は?」

「ん……地道に広めていくしかないと思う。で、来てくれた人には初日から厳しくいかないこと。段階を追って少しずつ難しいものを教える。それだけかなぁ……」

 

 来てくれるようにするっていうのは難しい。

 まずは少しずつ、必要になれば対処法を。

 天の時代とは異なった現在で学校を始めるんだ、全てが手探りに近くなるのはどうしてもこう……仕方がないことだ。

 



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31:蜀/良い学び舎を作るために②

 うんうんと唸りながら、本当にお茶でも用意しようか、と思った頃。一番うんうんと唸っていた桃香が、俺へと質問をしてくる。

 まだ“モノで釣られてついていきそう”って言葉を引きずっているのか、少し拗ねているように見える。

「うー……ねぇお兄さん。お兄さんはまず、来てくれた人にどんなことを教えるの……?」

「拗ねない拗ねない。大丈夫、前までの桃香を俺は知らないけど、今の桃香なら糧に惹かれてホイホイついていくような娘じゃないよ」

「ぁ……っ……! だよねっ!? そうだよねお兄さんっ! ほら愛紗ちゃん、鈴々ちゃんっ、お兄さんはそうじゃない~って言ってくれたよー!?」

「“前までのお姉ちゃんは知らない”って言ったのだ」

「はぐぅっ!? ……う、うぅうう~……! お兄さぁあ~ん……!」

「あぁはいはい、情けない声出さないの」

 

 目からたぱーと涙を流して寄ってくる桃香の頭をポフポフと撫で、落ち着かせる。

 ……ほんともう、示しがどうとかって次元じゃなくなっている気がする。

 ほら、関羽さんだって溜め息吐いてるし。……そして桃香? 何故僕の横に座り直しますか?

 あぁこらこら鈴々っ!? だったら鈴々も~とか言って人の膝の上に乗らないっ!

 

「桃香さま……甘えるなとは言いませんが、その……少々甘えすぎでは?」

 

 おお関羽さんっ、言ってやって、もっと言ってやってよ。

 

「愛紗ちゃんも甘えてみればいいのに。えへへぇ~、なんだかねぇ、頭撫でられると“ほにゃ~”ってなるんだよー?」

「知りませんっ! まったく、こんなところを兵や部下に見られたらどうするつもりで……!」

「いや、なんかもう見られてるんだけど」

「なっ……!?」

 

 つい、と促してみれば、城壁の上で自分を見上げられ、わたわたと慌てる何人かの兵士。

 そんな彼等は関羽さんの眼力一つで「ヒィ」と叫ぶと、そそくさと持ち場へ戻った。

 

「あぁ……っ……なんと締まりのつかない……っ……!」

 

 あ。頭抱えた。

 

「今さらって感じもするけど……。桃香、最近じゃあところ構わず甘えてくるし、兵の間じゃあ結構有名になってるし……」

「……桃香さま」

「ひゃうっ!? だ、だって愛紗ちゃん……」

「だってではありませんっ! 確かに私は桃香さまが誰かに甘えることを良しと思いはしましたが、ところ構わず甘えることを望んだ覚えはありませんっ!」

「で、でも~……」

「でもでもありませんっ!」

「う、うー……あ、だったら愛紗ちゃんも甘えてみたらどうかなっ!」

「うなっ!? なっ……ななななにを言い出すのですっ! 私はっ、そんなっ……!」

「赤くなったのだ」

「なってなどいないっ!」

 

 ……無だ。

 一刀よ、無になりなさい。

 貴方は会話に関わってはなりません。

 関われば…………もう、わかっていますね?

 

「ねー? お兄さんもそう思うよねー?」

 

 そして、関わらなくても巻き込まれることも……わかっていますね?

 神様……俺、どこか女性関連のトラブルが無いところへ行きたい……。

 

「エート。来テクレタ人ニ、マズ何ヲ教エルカ、ダッタヨネ?」

「お兄さんっ! そんなことはあとでもいーのっ!」

「えっ……とと桃香!? これキミが言い出したんだよね!? ちょ……あれぇ!?」

 

 俺に無は無理だった。

 ただそれだけの結果が残ったよ神様。

 

「はぁああ……えと……関羽さん……?」

「うくっ……わ、私はべつに甘えたいなどとは……。大体、頭を撫でられたくらいでどうにかなるなど有り得ません」

「あはっ♪ じゃあじゃあっ、撫でられても平気だよねっ、愛紗ちゃんっ」

「は? あ、いえ、今のはそういう意味では───」

「じゃあお兄さん? …………やっちゃってください」

「任されましょう」

「はわぇあっ!? かかっかかか一刀殿!? このような茶番に付き合う必要は───!」

「大丈夫大丈夫。茶番じゃなくて、俺自身がしたいことでもあるから」

「なっ……!」

 

 ひとまず膝の上の鈴々を抱き上げ、隣の芝生へ下ろす。

 そうしてから立ち上がり、てこてこと歩いて関羽さんの真正面に屈むと……何が不安なのか、少しだけ怯んだ顔で俺を見る関羽さんの頭に手を伸ばす。

 

「う、う……」

「?」

 

 小さな唸り。

 しかし覚悟を決めて姿勢を───正されるより先に、その頭を撫でた。

 

「はうっ───」

 

 やさしくやさしく、心を込めて。

 戸惑う視線が、座ったわけではなく屈んだだけの俺を軽く見上げるカタチで向けられるが───

 

「……いつも気にかけてくれてありがとう。正直……あの時の関羽さんとの会話が無かったら、いろいろなものに気づけないままでひどいことになってたと思う。だから……うん、状況を利用するみたいでごめんだけど、ありがとう」

 

 お礼っていうのは、普通に面と向かって言うのは恥ずかしいし、改まって言うのもむしろ言いづらい。

 だったらと、状況による勢いを利用させてもらった。

 感謝は本物だ。感謝してもしきれないほどのありがとうが、自分の中には存在している。

 それはもちろん、気づくためのきっかけを与えてくれた桃香にもだ。

 

「な、な、わ……」

「……?」

 

 しかしなんだろう。

 感謝と真心を込めて撫でているにも関わらず、何かがゴリリと動き始めているような。

 これはなんだろう……寒気? 未来に対する尋常ならざる不安?

 俺の心が“今すぐ手を離さないと大変なことになる”と告げている。

 や、でもな、心よ。これは感謝の意であって、べつにやましいことをしているわけじゃないんだぞ? それに相手はあの関羽さんだ。時に厳しく時にやさしく、この国でまだわからないことがある俺に、いろんなことを教えてくれる人。そんな人のいったい何が危険だって───

 

「何かお礼をさせてくれると嬉しいんだけど……関羽さん、俺に何かしてほしいことってないかな」

「肩車してほしいのだっ!」

「や、鈴々じゃなくて」

「政務をもっと手伝ってほしいっ!」

「桃香!? それはキミがもっと頑張ろう!? そりゃ手伝うけどさっ! はぁ……で、どうかな、関羽さん」

「……そう、ですね……」

 

 どうしてか赤い顔のまま、俯いたあとに再度俺を見上げる関羽さん。

 そんな関羽さんを、まだ撫でたままの俺。

 ……驚いた、髪がすごくさらさらだ。

 黒髪っていうのも珍しいよな……知っている中でも数人しかいないから、少し安心する。

 これも郷愁みたいなものなのかな。

 

「抱っこしてほしいのだっ!」

「やっ、だから鈴々じゃなくてっ!」

「あ、じゃあ私はこのあいだ恋ちゃんがやってたえーっと、おひめさま……だっこ? してほしいなー♪」

「桃香……そういうのは俺の腕が完治してからね……?」

「あ……そっか。えーと片腕で出来ることって……」

「あの。二人とも、話聞いてる? 俺、関羽さんのお礼にって切り出したよね?」

「………」

 

 言ってみたところで、二人は想像することをやめてはくれない。

 これはこれで脳を鍛えることになっているのかなぁとか考えたが、これはなにか違う気がする。

 と、悩む中、どうしてか関羽さんが、こう……どこか不満があるような、なにかが気に入らないような顔で、俺を見ていた。

 

「むー……難しいのだー」

「お兄さんにはいろいろとお世話になっちゃってるからねー……出来ればお兄さんも嬉しいことをしてほしいんだけど」

「あ、じゃあとっておきのがあるぞ? 今の鈴々と桃香にしか出来ないことさっ」

 

 努めて明るく餌を蒔いてみた。すると、

 

「え? なになにっ?」

「なんなのだー!?」

 

 ……物凄い勢いで食らいついてくれ。

 だから言いましょう。

 

「うん。関羽さんがしてほしいお礼を決めるまで、桃香と鈴々は静かにしといてください」

「いやなのだ」

 

 あっさり断られた。

 頭の後ろで手をくみ、きょとんとした顔でキッパリ鈴々さん。

 

「もーお兄さん? それ、お礼じゃないよー」

 

 笑顔で返す、俺の言ったことを冗談として受け取っちゃったらしいにっこり桃香さん。

 

「え? 関羽さんへのお礼なんだから当たり前じゃ……? いやあのええと……あれ? これって俺がおかしいの?」

 

 ……俺の明日ってどっちだろう。

 何処を向こうと明日を無視して、明後日辺りに突っ走っているような気がしてならない。

 と。それはべつとして、撫でられっぱなしの関羽さんが赤い顔をしつつ、どうしてかもじもじと視線を彷徨わせていたりするのだが……なにかおかしなこと言ったかな、俺。

 それとも撫で続けていたのが気に障った? ……普通そうか? そうだよな、俺も黄忠さんに撫でられたままだった時、恥ずかしかったし───と。手を引っ込めようとしたのだが。

 

「それでは、あの……真名で……愛紗と呼んでいただけますか?」

「え───…………」

 

 いきなり関羽さんにそう言われ、それが“お礼”だと気づくまでしばらく時を要し。

 答えを得たと思えば今度は思考停止。

 ───停止状態から復活してみれば、今度は停止した分、一気に疑問が沸いて出てきた。

 あれ? 急に真名? いや落ち着け、慌てる時じゃない。時じゃないけど忙しい。

 

「愛紗が男の人に真名を許したのだっ」

「あれ? もしかして初めて……かな?」

「な、何を仰るのですかっ! 男性に真名を許す者が極端に少ないだけの話でっ……鈴々や桃香さまとて一刀殿が初めてでしょう!」

「そういえばそうなのだ」

「そっかー、そういった意味では、お兄さんってすごいねー」

 

 感心される時でもない気もするけど……。

 だがしかし、冗談なんかで真名を預けようとするわけもない。

 どうしてこの場面でなのかは考えてみたところでわからない。が、きちんと受け取ろう。

 

「じゃあ、うん……喜んで。えと……でもさ、そのー……あ、愛紗さん?」

「はいっ」

(うわっ、すごい笑顔っ……)

 

 真名で呼ばれることがそんなに嬉しいのか、親に褒めてもらった子供のような輝く笑顔で俺を見上げる関……もとい、愛紗さん。

 み、妙ぞ……こはいかなること……!? もしかしてずっと呼ばれたかった……? いやいやまさかそんな。

 

「愛紗、嬉しそうなのだ」

「私や鈴々ちゃんが真名で呼ばれてて、愛紗ちゃんだけ関羽さん~って呼ばれてた時、なんだか寂しそーだったもんねー」

「うなっ!? ななななにをっ! わわ私はそんなっ! 気の所為ですっ!」

 

 気の所為らしい……よかった、嫌な気分にさせたりとかはしなかったようだ。

 魏のみんなや呉のみんなに言わせれば、俺はどうも女心というものが本当にわからない男らしいから、気の所為であってくれたなら本当によかった。

 ……なのに、何故か愛紗さんが俺のことをキッと睨んできた。ハテ?

 

「その。それから、言わせてもらうのならばですが……一刀殿。鈴々はおろか、蜀の王である桃香さままで呼び捨てにしているというのに、私だけ“さん”をつけるのはその、どうかと思います。ここは私も呼び捨てにされて然るべきかと───」

「え? でも今まで関羽さんって呼んでたのに、真名になった途端に呼び捨てはいろいろと気安すぎやしないかなって」

「そうかなー。私の時は“さん”を取ってくれたよ?」

「鈴々は鈴々なのだっ」

 

 あの、はい……それはそうなんですけどね?

 

「う……じゃあえと……あ、愛紗?」

「……、」

「赤くなったのだっ」

「なってなどないっ!!」

「よかったねー愛紗ちゃんっ、これで三人とも真名を許した仲だよー♪」

「桃香さまっ!? 私はそのべべべつにそう呼ばれたかったから許可したのではなくっ!」

「じゃあ取り消すの?」

「しません!」

 

 物凄い即答だったという。

 

「……ぶつけたかった疑問の続きだけど。流れからして、関───愛紗までさ、俺のことを兄とか呼んだり……しないよね?」

『───』

 

 何気なく思ったことを口に出してみれば、ピタリと止まる三人の動き。

 そして、“ハテ?”と首を傾げると同時に浮かび上がる嫌な予感───あ。やばい地雷踏んだ。

 

「ごめん今の無しっ! 何も聞かなかったことに───!」

「なるほどー、それは気がつかなかったよー。私も鈴々ちゃんもお兄さんとかお兄ちゃんとか呼んでるんだから、愛紗ちゃんも───」

「お構いなくっ!? 聞いて!? お願いだから聞いて!? 突っ走らないで! 一刀殿でいいから! ほんと一刀殿でいいからっ!!」

「だいじょぶなのだ、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから、鈴々はお兄ちゃんって呼ぶのだ」

「り、鈴々……! ってあれ? 今そのためにいろいろマズイことになってるんじゃなかったっけ?」

 

 考えてみれば蜀の王にお兄さんとか呼ばれて、俺の立ち位置ってどこらへんなんだ?

 蜀の王にお兄さんと呼ばれ、甘えさせて、魏の王に私物扱いされてて、呉の王に種馬にならないかって誘われて……う、うおお……目ぇ回ってきた……!

 などと両手で頭を押さえて蹲りたい心境の俺の前で、未だに撫でられっぱなしの愛紗が、うっすらと赤く染めた表情を上目遣いで覗かせて、一言。

 

「あ、あ……う、……あ……あに、あにに……兄、上……?」

「───はうっ」

 

 う、あ……やややばい可愛い……! この、彼女の頭と髪を撫でる手でめっちゃくちゃに撫で回してあげたい衝動が込み上げて……!

 いやいや乱暴はよくないだろ、ここは紳士的に湧き出る思いをそのまま手に込め、さらにさらにやさしく撫でてだな……!

 いや、順番は守ってもらわんと。ここはやはり彼女の頭を胸に掻き抱き、中庭の中心で愛を叫ぶくらいの思いをストレートにぶつけてだね……!

 

(出すぎだぞ! 自重せい!)

(も、孟徳さん!)

 

 ハッと正気を取り戻してみれば、頭がクラクラしたままでいろいろ考えすぎていた自分。

 落ち着け、まず落ち着くんだ俺。とか思いつつ、頭を撫でることをやめないこの手は……いったいなにを考えてらっしゃいますのやら。

 

「はぁ……ふぅ……───うん。愛紗、自分の呼びやすい呼び方でお願い。そんな、真っ赤になってまで言うんじゃあ言いづらいと思うし」

「うぐっ……申し訳ありません……」

「それと出来ればその敬語もやめてほし」

「お断りします」

「いな───って即答!?」

 

 どうしてか口調に関しては即答を以って断られた。

 

(俺からでも意思は受け取れた、か……)

 

 俺は愛紗と同じ道を歩んでこられたわけじゃないのにな。

 力を振るう意味を受け取ることは出来ても、たとえばその人が敵だったら……“振るう意味”のために迷わずその人を斬ることが出来るだろうか。

 

(ん……)

 

 同盟を結ぶことで、この大陸に確かな平穏は訪れた。

 呉国に居る親父たちのように、納得出来ずに苦しむ人もまだまだたくさん居るのだろう。

 それら全てを救うなんてことは、悲しいけど不可能だと断言できる。

 いつか、とても長い時間が哀しみを癒してくれると信じるほかないのだろう。

 行動することで笑ってくれる人は確かに居た。

 けど同時に、手を取ることを拒否し、ただ生きることを望む人も居た。

 だったら……今でこそ希望を抱けぬ心にも、いつかは希望が舞い降りると信じよう。

 そのためにも、何かを出来る誰かが頑張らなきゃいけない。

 いい国を、それこそいつか、“みんなで”目指せるように。

 そのために…………そぅだなぁ。

 

「悪と正義を説こう」

「なんですか急に」

 

 ぽんと口から出た言葉に、本気で疑問符を浮かべた顔で言われた。

 うん、そうだね。口調のことを話してたのに、急だよね。

 

「愛紗、悪と正義だよ。天の国には“戦争を知らない子供たち”って歌があるんだけどね、戦争は恐ろしいものだと伝える授業をしていったらどうかなって。もちろん、それだけじゃなく国語算数理科社会、体育や……英語はいらないよな。まずは少しずつ覚えることが重要だし」

「悪と正義……それを、民に教えるのですか?」

「戦争ってものを忘れない程度でいいんだ。現在より次代へ、次代よりさらに先へ、って伝えていくことが重要だ。些細なことで国と国とが喧嘩でも起こせば、それだけでどれほどの人が死ぬかわからない。だから……舞台が必要だ」

「舞台? お兄さん、それって数え役萬☆姉妹が立つみたいな───」

「いやいやそういう舞台じゃなくてっ! あ、いや、それでもいいのか? えーと……!」

 

 一休さん、俺に力を貸してくれ。

 戦争なんてものじゃなく、時にはどっちが上かを遊び感覚で決めるなにかが必要だ。血で血を洗うものじゃなく、戦いを終えた後も笑って“次は負けないぞ”って言えるような舞台。

 学力テストで競い合う? いや、そうなると“学校”がある蜀が優位だ。下手をすればどっちが上かで、他国を見下したり悪口言ったりする民が出てくるかもしれない。

 そんなことは無いって断言してやりたいけど、俺だって国に生きる全ての人の性格を知っているわけじゃない。断言は出来ないんだ。

 民と民がぶつかるようなことはやめておいたほうがいい……となると、将と将がぶつかり合う企画か? 年に一度大会を開いて、誰が三国無双であるかを決定する舞台……その名も天下一品武道会を開催する! とか……いや待て、いろいろ待て。

 

「なにも武道会にすることないよな。それだったら軍師に辛い点が浮かぶし……だったら分野ごとに分けて、それぞれの三国無双を決める舞台を……」

「お兄ちゃんがぶつぶつ言い出したのだ」

「お兄さん? お兄さーん?」

「奇妙な集中力ですね……声が聞こえていないのでしょうか。と、いうか、あの、一刀殿? いっ……いつまで、その、頭を……っ……!」

 

 武を競う舞台、知を競う舞台、料理を競う舞台、技術……たとえば馬術を競う舞台や、足の速さを競う舞台……いっそのことオリンピックでも開こうか?

 そこに学校で学ぶことも混ぜるとすると……と考えながら、撫でる手を止めて彼女の正面に座る……と、鈴々が今だとばかりに足の間に座りこんできた。

 …………ええい、思考よ回転しろっ、細かいこと───ではないけど、気にするなっ!

 

「反面教師って言葉を利用しよう。目上の人、もしくは先人の恥を教訓に、ああはなるまいと誓って己を生きる在り方を」

「反面教師……ですか? それをどのように?」

「そう。正しい道を目指してばっかりじゃ、邪道の中にある光を見つけられない。邪道に生きるだけじゃ、正道はただの盲目的な道。だったら、どっちにも目を向けられる自分を生きることこそが、自分の責任を以って進むってことなんだって……じいちゃんが言ってた」

「つまり?」

「一年に一度……何年かに一度でもいい、三国で競い合いの催しをしよう。武力知力技力、様々な力の中で三国無双を決める戦を。人を殺める戦なんかじゃない、終わったあとには笑っていられるような戦を何度も何度も続けて、血で血を洗う歴史の全てを教訓に出来る未来を作ろう」

「にゃ? みんなで戦うのー?」

「もちろん殺しはご法度。……だけど、そうはいっても将同士のぶつかり合いを見て、戦を思い出す民だって居る。殺し合いじゃない戦が出来るんだったら、どうしてもっと早くしてくれなかったんだって言う人だって、やっぱり居るんだと思う。それは呉だけの話じゃないんだろうから」

「大丈夫なのだ、その時はまたお兄ちゃんが刺されて───」

「刺されないよ!? 説得=俺が刺されるってわけじゃないからな!? ていうかそれのどこが大丈夫なのか教えてくれ! 少なくとも俺一人が物凄く大丈夫じゃないだろ!」

「にゃはは、冗談なのだ」

「勘弁してくれ……、ぁ……お、お願いだから」

 

 口調が崩れていることに気づいても、もう言いたいことを言ったあとだった。

 そんな心境を、がっくり鬱気分でお届け。

 無邪気ににししと笑う鈴々は気にしたふうでもなく、そんな彼女の頭を撫でる俺も、出る苦笑は楽しげだ。

 自分で自分にいろいろとツッコミたい部分もあるが、冗談に振り回されるのも悪くない。

 そんなことを思っていると、隣に座る桃香が顎に人差し指を当て、空を仰ぐように首を傾げた。

 

「……? ねぇお兄さん? 今のお話の中のどのへんに、反面教師に当てはまることがあるのかな」

 

 次いで出たのは「ああ確かに」と頷ける疑問。

 反面教師って言葉に合う言葉は説明できてなかったなと頷く中で、俺は七乃の真似をしてピンと立てた指をくるくると回した。

 

「まず、戦が終わって平和になったっていうのに、祭りめいたものとはいえまた争うことで、多少の緊張感を持ってもらう」

「うんうん、それで?」

「民たちは“戦”って聞いて嫌な顔もするだろうし、それが遊びとくれば笑う人も居ると思う。それを見て聞いて、“一年程度経ったばかりなのにまた戦か”って嫌悪するならそれでいい。血生臭い戦じゃないなら楽しもうって思うならそれでいい。戦を嫌悪するなら、自分はそんな戦好きにはならないように戦を嫌い続ける。楽しい戦を喜ぶなら、血生臭い戦なんてつまらないって思うだろ?」

「つまり、出来るだけ民に学ばせる形で物事を起こすと……そういうことでしょうか」

「なんでも思う通りに上手くいけば苦労はないんだけどさ、もちろん今挙げた心情以外を持つ人だってきっと居る。自分は関係無いって一線を引く人だって居るだろうし、真意を知らなきゃ“こんなやつらに国は任せられない”って怒る民も居るんだろうし……」

「んー……難しいのだー……」

「任せられない~って怒られちゃったら、あとが怖そうだね……」

 

 唸りながら、足の間に座る鈴々がポフリと体重を預けてくる。

 桃香は桃香で目を線にしていろいろと考えているらしく……愛紗だけが、真っ直ぐに俺の目を見ていた。

 そんな彼女が小さく緊張を緩ませ、ふぅと息を吐くようにして言う。

 

「……つまり、怒る民にも先を見てもらうと。そういうことですね?」

「一応、そういうつもり」

『?』

 

 やれやれこの人は……といった感じに目を伏せる愛紗とは別に、空を仰ぐように俺を見る鈴々と、隣に座る桃香が首を傾げた。

 

「桃香さま、つまりはこういうことです。反面教師の話になりますが、我々が他国と競い合うことで、“また戦を”と思う者が戦を嫌えばそれで良し、楽しむための血が出ない戦ならと喜ぶならばそれも良し。そして、こんなやつらに国は任せられないと思う者が居るのであれば、その者は知恵を身に付け、いずれ城に立ち、より良い国作りに貢献してくれるでしょう」

「───あ……」

「当然、全てがそう上手く運ぶはずもありません。そういった者を集わせ、国に牙を剥くとも限りませんが……」

「その時は鈴々がやっつけるのだっ!」

「こらこら……そうだけどそうじゃなくて……」

「そう。少なくとも、乱世の中を駆け、生き残った我らへと牙を剥くのは得策ではありません。戦をその目で見ていない民だろうと、それは理解出来るはずです」

「最初から全部をわかってもらおうなんて思ってないよ。だからさ、態度で教えられないそこらへんは……ほら、学校の出番ってわけで」

「……あ、そっかぁっ!」

 

 ポンッと桃香が両手を叩き合わせた。

 ……地味にいい音が鳴った。

 

「にゃ? そこでお兄ちゃんが悪と正義を教えるの?」

「やっぱり受け売りだけどね、心を込めて届けたいって思う。子供の頃は呪文みたいな言葉だったけど、今はなんとなく……わかる気がするから」

「悪と正義、ですか。あの、よろしければ───」

「へ? ……あ、うん、こんな話でよければするけど……案外つまらない話だぞ? 教えようってもののことをそんなふうに言うのもどうかと思うけど」

「いいっていいって、聞かせて聞かせてー?」

「楽しそうだね、桃香……」

 

 ワクワクウキウキ状態の桃香の横で、その勢いに少したじろいだ。

 さて……悪と正義、なんだって正義が後で悪が先なのかといえば、じいちゃんの話に影響されたから……だと思いたい。

 そうして俺は、三人に悪と正義の昔話をし始めた。

 なんの盛り上がりもない、静かで淡々とした、つまらないお話を。

 



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31:蜀/良い学び舎を作るために③

幕間/悪と正義

 

 

 ───誰かのために生きることは悪ですかと問う。

 

  問われた人は、悪ではないが正義では決してないと謳ってみせた。

 

 それは何故ですかと問う。

 

  問われた人は、誰かのために生きることは、誰かの所為にすることと同じだと謳ってみせた。

 

 ならば何のために生きれば正義となれるのでしょうと問う。

 

  問われた人は、正義を謳うのならば己のために生きなさいと謳ってみせた。

 

  決して曲がることなく、誰の所為にするでもなく、全てを己の所為にして生きてみなさいと謳ってみせた。

 

  それを貫き通した時、あなたが辿った道の全てがあなたにとっての正義となります。

 

  正義とは己です。他人の中にあなたの正義はないのですから、あなたの正義はあなたのみがあなたのために振りかざしなさい。

 

  問われた人はそう言って、笑むわけでもなく背を向けた。

 

 背を向けた彼に、しかし己のためのみに生きれば、それは悪となりますでしょうと問う。

 

  問われた人は、ようやく笑います。悪こそが正義であり、正義こそが悪なのですと謳ってみせて。

 

 

……。

 

 

  ───……子供の頃、世界は大きな図書館だった。

 

 見るもの全てが知識であり、目には見えない空気や、“見えている”はずなのに掴むことのできない光。見るもの全てに興味を示し、走り回っては少しずつ、けれどたしかに頭の中に“世界”を刻む。

 子供は無邪気だ。

 泥で汚れることも、傷を負うことさえも勲章みたいに誇らしげに構え、泣きはするけど逃げることをしなかった。

 逃げることを知ったのはいつだろう。

 傷つくことが怖くて逃げて、怒られることが怖くて逃げて。

 ふと気がつくと……大きな図書館だった世界は、自分にとって恐怖を教える場所でしかなくなっていた。

 怖さが満ちる世界……そんな中で、生きていくための知識を教わっていくと、子供は少しずつだけど視野を広め、小さな怖さを忘れる代わりに大きな怖さを知っていく。

 

 竹刀を持ったのはいつだったか。

 竹刀が木刀に変わったのはいつだったか。

 連想ゲームをするみたいに思考を回転させるけど、子供の頃の記憶なんて案外曖昧なもので。鮮明なつもりでいても、少し前に思い出したものと、今思い出したものとでは少し内容が違っていたりする。

 そんな曖昧さに思い悩んでも、どんなことがあっても変わらないであろう記憶っていうものは、大抵ひとつは存在する。

 些細なことでも、それが心の中に残るものであるのなら。

 

 いつだったか、ブラウン菅の中で格好よく戦う変身ヒーローになりたいと思った。

 子供の頃だ、今は違う。

 小さな体を目一杯に振って、変身のポーズを取ってはギャーギャーと騒いでいたのを覚えている。そんな俺に、じいちゃんが軽口のつもりで言った言葉が“正義とはなんだと思う”だった。

 俺の答えはといえば、「強くて格好よくて、悪いやつをやっつけること」、なんてものだ。じいちゃんは笑いもしないで、小さく溜め息を吐いてコメカミあたりをコリコリと掻いていた。

 

  今思えば、孫に対してなんて質問をしたんだあの人は。

 

 なにも言ってくれない祖父に、子供心にムカッと来たのか、俺は「じゃあ悪ってなんなの?」と問いかけてみた。

 返ってきた言葉は、なんと“正義だ”だった。

 

  “悪は挫けない。悪は悪のみを真っ直ぐに行い、自分が正しいと思う道を突き進む。それこそが真の正義というものだろう”

 

 ……あの日のことを、今でも時々思い出す。

 じいちゃんが言った言葉を子供独特の生意気な態度で否定した。

 それでもブラウン管の中のヒーローは、俺に現実を教えた。

 突き進み続ける悪と、己の行動に迷いを見せるヒーロー。

 果たして己の道を恥じぬと断じて悪を行い続ける悪と、正義を謳っているはずなのに迷い続ける正義……どちらが本当の正義なのか。

 いつしか考えることが怖くなって、ブラウン管に変身ヒーローが映ることはなくなった。

 そうして、まだまだガキだった俺は、正義と悪なんてものは誰がどう見るかで決まるものなんだと知った。

 悪にとっての悪は正しいことで、正義にとっての悪は悪でしかなくて。

 悪でしかないものなんてのは無くて、視野を広げてみれば、この広すぎる世界に生きる全てのものの数だけ、悪と正義が存在していた。

 自分だけが正しいんじゃない。

 自分が正しいのだと思った時にこそ、一度立ち止まって考えてみるべきなのだろう。

 悪を知り、正義を知ることが、自分たちが言う“正義”に最も近づける方法なのではないか、と……───

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 …………と。

 

「こんな感じなんだけど」

「わからないのだっ」

「即答でしかも笑顔!?」

 

 話し終えてみれば、くるりと向き直った鈴々の笑顔がそこにあった。

 さっきまでとは違い、俺と向き合うかたちでにっこにこ笑顔である。

 楽しい話をした覚えは全然無いのだが……不思議だ。

 

「なるほど……確かに悪は行動を躊躇わない。その行動力には時折感心することもありましたが……」

「だよねー。いくら“だめだよー?”って説き伏せても、すぐに問題起こしちゃうし」

「やっつけてもやっつけても全然懲りないのだ」

「うん。不思議なんだけどさ、正義よりも悪のほうが行動力と根気があるんだ。正道を歩く人が学ぶべきは、その歪んでようと諦めない心。いいことをしようって頭を働かせても閃かないのに、悪いことを考えてみると呆れるくらいに思い浮かぶ。そういったところを上手く取り入れるのも、そう悪いことじゃないと思うんだ」

 

 聞いていた三人が「ほぉおおー……」と感嘆にも似た熱い息を吐いた。

 感心を得られるとは思っていなかったから、こちらとしても「ほぉおおー……」だ。

 

「悪だからって叱るだけじゃあだめだ。見習うところは見習う。そういうところを教えていければって思うんだけど」

「ふむ……いい考えだとは思うのですが……」

「? だめかな」

 

 愛紗がむう、と小さく唸る。

 いや、実際言われるまでもなくこれはダメじゃないだろうかとは思っているんだ。

 悪にも学ぶべきは確かにあるんだが、学ぼうとして悪を見ていれば……その、わかるだろ?

 

「学ぼうとして悪を見ていれば、悪の中にある“楽に物事を達成する”といった、邪な部分も学んでしまう可能性があります。それでは大人はもちろん、子供の成長に宜しくないかと……」

「あちゃ……やっぱりか」

 

 愛紗も同じ考えに至ったらしい。

 難しいところだが、“いいところだけを取り入れる”のは楽じゃないのだ。

 なにせ、実際に見て、感じて、学ぶのは俺達じゃなく生徒だ。

 それをあーだこーだと説き伏せるばかりじゃあ、生徒の独創性を奪うことになる。

 なるほど、教師ってやつはこれで案外……いや、相当に大変だ。

 テスト内容を考える時も、こうしてうんうん唸っていたんだろうか。

 …………いや、案外意地悪く難しい引っ掛け問題ばかりを選んでいたのかもしれない。

 そう思ってしまう自分は、やっぱりただの学生なんだなぁと実感してしまう。

 学生だったら……いや、人間だったら大体が思うだろう。

 楽して強くなりたい、楽して高い成績を取りたいと。

 当然俺だってそうだ。だって学生だもの。

 

(今も勉強が好きってわけじゃないけどね)

 

 多少の努力の精神を得たからとはいえ、好きになれるものじゃない。

 が、教えるのはこれで案外楽しかったりするから、学ぶことの何がどちらに転ぶのかは、突き詰めてみなければわからないものである。

 

「じゃあ悪と正義じゃなく、学ぶべきことを教えていけばいいのか。難しく考えないで、これはいけないことですよ、これはいいことですよって」

「うーん……それが一番なんだと思うけど、たぶんそれが一番難しいと思うよ?」

 

 とは桃香の言葉。

 俺もまったくだと心で納得してしまうあたり、人からの理解を得るのは大変難しいのですってことなんだろう。

 ……だったら昔話風に説いてみようか。

 悪いだのいいだのを説くんじゃなくて、物語として悪と正義を覚えてもらうつもりで。

 朱里と雛里に話して聞かせた桃太郎のように……その、童話にありがちな残虐なところを出来るだけ省いて。

 不思議なんだけど、童話って案外怖いものが多いんだよな。

 マッチ売りの少女とかは人の無関心さを浮き彫りにしていると思うんだ。

 誰もが少女を助けずに、明け方の死体を見てから哀れむんじゃあ誰も救われない。

 しかも、誰も少女がしていたことを理解できていないのだ。

 確かにマッチの火で暖まろうとしてはいた。

 が、そもそも売れていればそんなことをせずに済んだのかもしれない。

 かと言って、誰もが買ってやれるほど裕福なわけじゃないだろう。

 

(それはたぶん……この世界で、あの乱世の頃に売ろうとしても一緒だったんだろうな)

 

 案外この世界にもマッチ売りの少女のような子が居たのかもしれない。

 誰にも気づかれず、空腹のままに死んでしまった少女か少年が居たかもしれない。

 そう思うと、とても胸が苦しくなった。

 自分に誰かを救うほどの力はない……誰だってそうだ、一人で出来ることなんて限られている。国という巨大な組織が、たった一人で機能しているわけではないのと同じように。

 それでもと思うのなら、自分が目指すことは一つ。

 そんな子を出さないためにも、もっと暖かな国を作っていきたい。

 みんなで、将だけじゃなく民とともに、国に返すことで。

 ……そう。そう思ったら、今度は胸の苦しみじゃなく、暖かさや希望が沸いて出た。

 もっと頑張りたい。安心して笑って燥げる子供達、それを見て微笑む大人達を見たい。

 自分一人で国を動かせるわけじゃないと思ったばかりなのに、動かずにはいられない衝動が俺の中で暴れ出していた。

 だからこそ、桃香の“それが一番良くて、一番難しい”って言葉をきちんと受け止め、考える。

 

「そうだよな……難しいことばっかりだ。でも、難しいからって諦めたらそこで終わっちゃうんだよな。難しくても、理解されなくても一つずつ説いてみるよ。小難しい話じゃなくてもいいんだ、面白い話に喩えて説明するのもいい。自分の目の高さだけで説明する必要なんて、ないんだもんな」

「自分の目の高さで……?」

「子供には子供の視線の高さ……物事を考える基準がある。それなのに大人の考えかたばかりを押し付けてたら、子供らしさが無くなると思う」

「ならば、大人には大人の考えかたでぶつかると?」

「臨機応変……かな。背伸びしたい子にはそれなりの高さで、甘えたい大人にはそういった甘えも必要だと思う。えーと、つまり~……もっとよく人を見ることから始めるってことで。民として見るんじゃなく、ちゃんと人一人ずつとして見るんだ。大変だけど、そこまでしなきゃ誰のことも覚えられないよ。相手を知る努力をまずしていかなきゃ」

「それはまた、随分と難しい考えかたを……」

 

 軽く規模を考えるだけでも眩暈がしそうだが、それでも……将の名前を、性格を覚えられるのであれば、いつかは民の名前も覚えられるだろう。

 ずっとそうやって過ごして、みんなのことを知っていく。

 生徒の名前も知らない先生っていうのは、ちょっと恥ずかしいだろうし。

 

「でも、その努力のお陰で桃香や鈴々、愛紗ともこうして笑顔で話せてる。大事なことだし、必要なことだよ、絶対に」

「う……それは、その。はい……その通りですが」

「愛紗、顔真っ赤なのだ」

「なっ……赤くなどっ!」

「愛紗ちゃんが男の人と仲良くするところって、あまり見ないもんね~♪」

「そそっ、そのようなことはっ……!」 

 

 普段ならカッと眼光を光らせ、二人に喝を入れるような立場の愛紗が、こういう時だけは弱気だった。

 顔を赤くしている理由は思い当たらなかったけど、もしそれが照れからくるのなら、喜んでもらえたって考えていいのかな……と暢気に考えているうちに、やっぱり爆発愛紗さん。

 怒声という名の雷が落ちると、桃香と鈴々はしょんぼりと正座し、愛紗にガミガミ怒られていた。

 なるほど、やっぱりこういう力関係らしい。

 そんな三人の様子を思わず笑ってしまった俺まで正座させられ、まとめて怒られたのはまあ……いずれいい思い出になるだろう。

 そんなこんなで、今日も一日が過ぎていく。

 話と説教だけで一日が終わるなんて、どんな一日なんだろうと呆れてしまうくらいだ。

 

「うぅう~……愛紗ちゃ~ん、足、痺れてきたよぅ~……」

「何を軟弱なっ! 日々、一刀殿からの鍛錬を受けながらそのようなっ!」

「せいざなんて習ってないもん~……」

「それでもですっ! 一刀殿は平気な顔で座っておられますよ!?」

「いや……正座はいいんだけど、そろそろご飯の時間じゃ───」

「なりませんっ!」

「えーっ!? 鈴々お腹空いたのだ~っ!」

「全員がきっちり反省するまでずっとこのままですっ! まったく! 何かにつけて、赤くなっただの照れているだの! わわ私はべつにそんなっ! 照れてなどっ!」

 

 ちなみに説教は、夕方を過ぎて夜まで続いた。

 気を利かせて賈駆さんや董卓さんがお茶を淹れてくれたり、点心を小分けして持ってきてくれるまで……つまり、「反省するまで食べることは許しませんっ!」と叫んでいた愛紗のお腹が可愛らしく鳴くまで。

 ……そこで鈴々が「やっぱり赤いのだ」なんて言わなければ、そこで終了だったのかもしれないのだが。

 

「鈴々……」

「鈴々ちゃん……」

「うー……ごめんなのだ……」

「聞いているのですかっ!?」

『聞いてますっ!!』

 

 授業へ向けての相談はその日、ただのお説教日和と化した。

 せめて部屋の中で話をしようと提案したものの悉く却下。

 元気に説教となる言葉を叫び続けた結果、翌日には風邪でぶっ倒れた愛紗の姿があった。

 

「……黄忠さんに弓を教わる約束、してたのになぁ……」

「うう……申し訳……ひっくちっ!」

「いや、いいよ。黄忠さんも納得してくれたし、病気の時は支え合わなきゃ。病気の時って不思議と心細くなるし。学校完成までには治そう? どうせならみんなで完成を喜びたいし」

「一刀殿……けほっ……は、はい……!」

 

 賈駆さんと董卓さんが用意してくれた水桶で布をよく絞り、額に乗せる。

 風邪独特の症状なのか目は潤み、寝台に伏せる愛紗はいつもよりも歳相応の、か弱い女の子に見えた。

 だからだろうか……俺の口調も自然のいつもよりもやさしい感じになっていた。

 

「あ、そういえば風邪は人に伝染(うつ)すと治るっていうな。愛紗、俺に伝染せば良くなるかもしれないよ?」

「ふふ……ならばその時は、私が看病を……けほっこほっ!」

「ああほら、あんまり喉に刺激与えないでっ……って、俺が話し掛けたからか、ごめん」

「い、いえ……」

 

 そうした会話を続けながら、先日話し合ったことを頭の中で纏めたりしていた。

 もちろん看病もきちんとやりながらだ。

 厨房を借りて卵酒を作ったり、お粥を作ったり、こまめに額の布の交換もして、話をしてほしいと乞われれば天の話をしたりして。

 お粥はふーふーと息を吹き掛けて、あーんと食べさせたりもしたが、嫌がっていたわりにはきちんと食べてくれた。

 さすがに体を拭くのは無理だから、賈駆さんと董卓さんに頼んだけど。

 そうして、鍛錬の日を丸々潰して看病を続けた結果、元々の強靭な精神のためもあってか愛紗は一日で復活。

 そして俺は───……見事に風邪を伝染され、寝台の上で自分の“伝染せば治る”発言を呪っていた。

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。



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32:蜀/真実を告げる夢①

58/床に伏せた日

 

 ───朝。

 頭の痛さで目が覚めた。

 体がひどく重く、起き上がろうとしても起き上がれない。

 もしかして体がまだ眠っているんだろうか、なんてことを考えた。

 

「……あれ?」

 

 手を持ち上げてみるんだが、重くてだるい。

 手を持ち上げるなんて行為がこんなにも大変だなんてことを、久しぶりに思い出した。

 寝転がりながら隣を見てみれば、そこにはすやすやと眠る思春。

 

「………」

 

 たしか、昨日は関羽さん……じゃなくて、愛紗の看病をして……ああ、なるほど。

 

「風邪だ、これ」

 

 結論に至ると、余計に体が重くなった気がした。

 なるほど。人間、氣がどうのこうのと言ってようと身に付けようと、風邪になる時はしっかりとなるらしい。

 

「ん、ん……ぐぐ……!」

 

 まず水を飲もう。この重い体に潤いを。汗をかくための水分を。

 重い体を無理矢理起こして(上半身で精一杯だったが)寝台から降りる。

 寝台に腰かける姿勢でだらりと足を下ろすのだが、踏ん張ってみても立ってくれないこの体。

 ……ううん、本格的に風邪か。誰かに伝染せば治る、なんて言わなければよかった。

 

「ん、うぅ……、……これで愛紗が治ってなかったら、引き損だよな……」

 

 頭がグワングワンしている。

 こう、体が重いくせに頭だけは軽くて、常時左右に揺さぶられているような。

 

「~……っ……」

 

 反動をつけて無理矢理立ち上がると、靴を履いて服を着て、いざ部屋の外へ。

 扉を押し開けた途端に訪れる空気の流れが、熱い体にありがたい。いやむしろ寒い。体が震える。

 

「あー……寒気なんて、ここ最近じゃあ対人でしか感じてなかったのに……」

 

 主に思春に睨まれた時とか思春に詰め寄られた時とか思春に追いかけ回された時とか……はて、思春関連ばかりが思い浮かぶのはどうしてだろうか。

 

「さて」

 

 厨房ってどっちだったっけ。困ったことに頭が回ってくれない。

 水……水が欲しい。

 

「水……」

 

 ともかく歩き出した。

 ふらふらよたよた、自分の体とは思えない体で、まるでゾンビが如く。

 

……。

 

 で…………

 

「ここはいったい何処なんだろうな……」

 

 いやわかってる。

 確かに水がある。さらさらと流れてる。

 でもどう見たって川だよ。水は水だけど川だよ。

 

「あ……あれぇええ……?」

 

 とうとうヤツもイカレちまった……ではなく。

 やばいぞ、いろいろとまともに認識出来ていない。というか気づけ、辿り着く前に。

 

「おおぉお……自然が……大自然が残像を……いや、これは分身……?」

 

 やばいしまずい。世界が滲んでる。

 様々なものが重なって見える。

 戻らないと……あれ? 戻る道ってどっちだっけ?

 

「………」

 

 遭難した時はね? 下手に動かないほうがいいんだよ?

 心の中で誰かが仰った気がした。

 

(今こそ好機! 全軍、討ってでよ!)

(も、孟徳さ───何処に!?)

 

 いよいよもって眩暈がしてきた。

 やばい、遭難じゃないけど、こんな風通しのいい場所に居たら悪化するだけだ。

 寒気も随分と増してきた。

 

「……い、いやっ! こんな時こそ体を鍛えるんだ! どんな時でも動ける自分であってこそ、ここぞという時に役に立てるんじゃないか!」

 

 キッと意識を覚醒させる!

 やがてその第一歩を踏み出し、不安定ながらも氣を使って走り出した───!!

 

  ……その後。

  森の中でぐったりと気絶しているところを、孟獲に拾われたらしい。

 

……。

 

 ズキズキズキズキ…… 

 

「うぅ……あたまいたい……」

「自業自得だ」

 

 目を覚ませば宛がわれた自室。

 寝台から見る天井に安堵の息を吐きながらも、痛みが取れない頭に嫌味のひとつでも飛ばしたくなった。

 どうやら部屋に居るのは思春だけらしく、いつもの庶人服に身を包み、髪を下ろした彼女は……まあその、寝台の横に運んできた椅子に座りながら俺を見下ろし、溜め息を吐いていた。

 

「俺、どうなったの?」

「森で倒れているところを孟獲に発見されたと聞いた。ご丁寧に手足を縛られ、棒に括りつけられて運びこまれた時は、文醜が腹を抱えて笑っていたな」

「…………」

 

 いつまで人を猪扱いなんだ、あの子は。

 ああでもなるほど、手首を見てみれば少しだけ縄の跡が。

 跡が残るほどではあるものの、頭痛に邪魔されて手首や足首からの痛みは感じない。

 ああ……水飲みに行って、悪化させてどーすんだよ……。

 

「思春……氣で病気を治すとかって……出来ないかな」

「華佗でもなければ無理だろう。安定していない貴様の氣に私の氣を送り、僅かに安定させてやることくらいならば出来るだろうが、華佗が言うところの病魔を消せるわけでもない」

「……だよなぁ」

 

 困った。

 常時頭が揺れている。お陰で気持ち悪くて仕方ない。

 そんな気分から解放されたいのに、無理に氣を使ったもんだから体全体が弱くなっている。

 あれだ、抵抗力が頑張って病魔と戦ってたのに、その抵抗力を自ら圧し折ってしまったような……うん、今回の場合、その抵抗力が氣だったわけで。

 あー……俺のばか……。

 

「………」

「………」

「…………」

「………」

 

 眠気が沸いてこない。

 会話もなく、そもそも寡黙であり自ら人に話し掛けることが少ない思春(注:蓮華は除く)と病気の俺とでは、話に花を咲かせろというのが無茶に近い。

 それでも話し掛ければ応えてはくれる思春にありがとうを。

 

「はぁ……これからって時に風邪引くなんて……」

「………」

「あの。思春さん? 病人をそんな、“なにを言っているんだこの馬鹿は”って顔で見るのはどうかと思うんですけど」

「貴様の言葉通りだ」

「……馬鹿ですいません」

 

 でもせめて、こんな時くらい貴様呼ばわりをやめてくれると嬉しいです。

 

「傍から見ても貴様は働きすぎだ。政務の手伝いから工夫の手伝い、遊びに誘われれば断らずに騒ぎ、買い出しや掃除、馬を洗いもすれば料理も手伝い、その中で延々と氣の鍛錬をし、三日毎の鍛錬。風邪がどうのの問題以前に、貴様のそれは過労だ」

「うわ……」

 

 視線でずぅっと“馬鹿め、馬鹿め”と言っているような目で、思春が口走る。

 対する俺はといえば、正論すぎて何も返せないでいた。

 なるほど、いくら体を鍛えていても、弱っていく部分はきちんとあるってことか。

 

「自分では普通にしてたつもりだったんだけど……なるほど、並べられてみると、それだけやってれば倒れもするって納得出来る……」

「……今まで倒れなかったこと自体が、そもそもおかしいと思うべきだろう」

「はは……いろいろ必死だったからさ……」

 

 そもそもが一介の男子生徒。

 それが、天下の統一に関わったり人の生死に関わったりだ。

 自分が特殊だったのかどうなのかはさておいても、平然と過ごせるわけもない。

 周りが優秀だった分、頑張らなきゃいけなかった。

 だからといって、好んで難しいことに首を突っ込みたかったわけでもない。

 誰かに任せれば済むことなら、なんだって任せていたかった。

 天の知識を以って、役立つことは出来ても……いつしかそれが、“自分が”役に立っているわけではないと気づいた。

 ……頑張らなきゃいけなかった。傍に居てくれるだけで安心するって言われて、嫌なわけじゃあ決してないけど……どうせなら役に立ちたいと思うことが出来たのだ。

 それからは努力の連続だ。いつかこの世界に帰ることを夢見て、それ以外のことへと思考を向けることなく突っ走って。

 気づけばあの世界の何もかもを置き去りに、ここへ来てしまった。

 

「…………」

「………」

 

 無言。

 考え事をしながら眠る努力をしてみるのだが、まだ朝だ。

 起きたばかりと言っても間違いにもならないこの状況で、どう寝ろというのか。

 

「昔々あるところにお爺さんとおばあさんがげぇっほごほぉっ!! うう……」

「何をしているんだお前は……」

「いや……耳が寂しいから、セルフ昔話を……」

 

 頼んでもやってくれそうにないし。

 結局は、とうとう出始めた咳に邪魔されてしまったが。

 

「……はぁ。何でもいい、してほしいことを言ってみろ」

「え……?」

「言え、と言っている。そういう気分だ。深い意味はない」

「………」

 

 深い意味はないのか。

 だよな、うん。

 してほしいことか……してほしいこと……うーん……。

 

「ただそんな気分なだけだ……そうだ、意味などない。当然だ。気分なのだからな、ああそうだ」

「?」

 

 ぶつぶつ仰っているが、本当にぶつぶつとなので耳には届かなかった。

 むしろ頭の痛みから逃げたいって意識ばかりに気がとられて、聴覚に意識を集中することが出来やしない。

 

「うー……」

 

 頭が痛い。眠りたい。なのに眠気が無い。

 どうしようか、いっそのこと治るまで気絶でも───あ。

 

「思春、思春……」

「なんだ、してほしいことがあるのか? 病気の時くらいは……特別だ、なんでも言え」

「うん……───俺を気絶させてくれ。正直、起きているのが辛い……」

「───……」

 

 ……あれ? なぜかビシリと空気が凍ったような。

 気の所為? ……気の所為だよね、ウン。

 

「貴様……仮にも“なんでもいい”という言葉に対して、気絶を求めるとは……!」

「え? あ、あれ? あの……思春さん?」

 

 景色が……! 景色が歪んでる!?

 某格闘漫画のようにぐにゃあああと! これは殺気!? ……ああハハ、熱があるだけだよきっと。そうだよそう、お願いしますそうであってください。

 

「いいだろう、黄泉路送りの渾身を叩き込んでやる。拳がいいか? 鈴音がいいか?」

「後者死にますよね!? そもそも黄泉路送り前提!? 気絶! 気絶希望ですよ思春さん! わかってくださってますよねぇっふぇげっへごっほぉっ!!」

「! ……あ、ああ、その、すまん」

「けほっ……い、いいよ、思春。勝手に騒いで勝手に咳き込んだだけだし……」

 

 そうは言うが、思春は少しだけしょんぼりとしていた。

 はて……思春がこんな顔をするなんて、もしかしてなにかあった?

 こんな顔っていっても、大した違いなんてないけど……なんとなくわかる。

 小さくだけど、「庶人……私は庶人だろう……刃を振るうな」とか言ってるし。

 あの。だからってゆっくりと拳を作るのはやめません? せめてキュッとひと思いにですね。

 

「ゴメンナサイやっぱり気絶は無しで」

「いいだろう」

 

 それで当然とばかりに頷かれた……と思えば、願いを叶える龍のような目で、寝転がる俺を見下ろす思春さん。

 

「ギャルのパン───なんでもないです」

「?」

 

 いろいろと落ち着こうな、俺。熱で脳味噌とろけてるのか?

 誰の、どんな人のものかもわからず喜ぶ豚人間の気持ちは、きっと俺には一生理解できないものなのだ。

 って、だからそうじゃなくて。

 

「えと……じゃあ………………ごめん、傍に居て」

「!? …………───」

 

 掠れた声で言う言葉に、返事は特になかった。

 が、椅子に深く座り直して目を伏せる彼女からは、しょんぼりした雰囲気は無くなっていた。

 

……。

 

 一言で“退屈だ”と言える時間があったのはいつだっただろう。

 風邪なんて引くもんじゃないな……退屈だと言えた時間が懐かしい。

 風邪なんて病気を患って、そんな様々な思いを抱くことになるなんて、俺は知らなかったんだ。

 

「………」

「………」

 

 眠れるわけもなくボーっと過ごした。

 思春は時折に額の布(タオルというよりは面積の多いハンカチのようなもの)を交換してくれて、どこまでも静かな時間を二人で過ごしていた。

 結構な時間が経ったと感じられても、案外時間は経たないもので───それでも。

 会話が無くても気にすることもなくても、“動かずに静かに過ごす”なんてことをするのが随分と懐かしく感じられた。

 結論からいえばそんなひと時も吹き飛ばしてしまう事態が起こってしまったわけだが、軽い現実逃避くらいは許されて然るべきだと思うんだ。

 

  朝飯。朝餉? 朝食。うん朝食。

 

 全てはそこに終着せん。

 食欲が無くても、食べなきゃ体が活動しないこともあり、思春が粥を作ってくれることになった……のだが。

 どうしてだろうなぁ、さっきまで思春が座っていた椅子には、KAYUが入った器を手にニコリと微笑む愛紗さんがいらっしゃる。

 その後ろには珍しくも気まずそうにする思春の姿があって、これからの俺の未来がその目に見えているかのようだった。

 とりあえず、元気そうでよかった。伝染った病は無駄ではなかったんですね?

 

「私が軟弱だったばかりに病を伝染してしまい、申し訳ございません。この関雲長、及ばずながら恩返しも含め、看病を」

 

 …………ニゲタイ。よかったと思う心と危険感知能力は別だった。

 粥と言うにはあまりに紫色で、何故かそこから魚が顔を突き出しているKAYUを前に、冷や汗がダラダラでございます。

 危険だっ……あれはあまりに危険だ……! アレからは春蘭の手料理並に危険な信号が飛ばされている……! 何故かモールス信号で……!

 否、まずはこのKAYUの安全性を確かめるのが先決!

 愛紗に気づかれないように思春と視線を交差し、目で会話を!

 

(……ちなみに味見は?)

(…………)

 

 静に首を横に振られた。

 ソウデスネ……ソウデスヨネ、こういうパターンデスヨネ。

 アイコンタクトなど容易に出来るはずもなく、ゼスチャーで言いたいことを察してくれた思春───から、絶望通告。

 味見は無しか……フフ、わかっていたよ思春。私こそが敗北者だったのだ。

 女の子に看病などと、甘く彩られた時間がその実、暗黒に満ち……───

 

「さ、一刀殿」

「あ、愛紗、待もごっ!? ───…………」

 

 ……その日。

 俺は確かに花畑と川を見たんだ───

 

……。

 

 世界が花の香りで彩られてから数分。

 ビクッと体を痙攣させた拍子に戻ってこれた俺は、何故か涙を流していた。

 

「一刀殿!? ……は、はぁあ……! よかった……! 急に泡を吹いて倒れるから……」

 

 見渡してみれば、愛紗と思春。

 自分の身に何が起きたのかを思い出すまで、少し時間が必要だったが───

 

「……暖かな……とても暖かな夢を見ていた気がする……」

 

 言えることはそれだけだった。

 あのまま走っていけば、とても暖かな世界へと旅立てたような……と、上半身を起こしながら涙を拭う。

 すんなりと起きれた───と思えば、それで体力を使い果たしたのか再び重くなる体。

 不便だ。

 

「まあそれはそれとして。愛紗、そのKAYUちょっと食べてみて? 世界が広がるから」

「? いえこれは一刀殿のために───もごっ!?」

 

 有無も言わさず、レンゲで掬ったそれを口に突っ込んだ。

 すると、ぼてりと寝台に倒れる愛紗さん。

 

「やさしいだけじゃ……人は成長出来ないんだ……」

「もっともらしいことを言って、復讐したかっただけじゃないのか?」

 

 なかなかひどい言いザマである。

 

「復讐って……いや、普通の時なら我慢してでも食べるけど、病人に味見してないものを出しちゃまずいだろ……これがもし桃香相手だったら、下手すると愛紗自身が責任感じて無茶しちゃうだろ?」

「……甘いな、貴様は」

「甘くていいんじゃないかな。みんな、一年前まで頑張ってたんだし。今は甘さを受け取るくらいが丁度いいよ」

 

 本人、気絶してるけど。

 

「それにしても……眠れないからって気絶なんてするもんじゃないな。余計に気分が悪くなったよ……」

「当たり前だ」

 

 うん、ほんと当たり前だ。

 余計に目が冴えてしまって、頭もガンガン痛むとくる。これは眠るのは絶望的に無理だ。

 と、なれば……

 

「よ、よし、お粥を作ろう……」

 

 無理にでも起きて、腹に何かを───あ、だめだ、眩暈が……!

 

「…………もはや俺にはこのKAYUしか残されていないのか……」

 

 ……いや、誰かが作ってくれたものを残すのは恥ではなく失礼と刻みなさい。

 人は思いの分だけ、せめて感謝の心を忘れぬ者であるべきだ。

 たとえ自分のためと唱えようとも、正義を胸に悪を振り翳そうとも、感謝だけは忘れてはなりませぬ。

 

「覚悟、完了───!」

 

 熱の所為かじくじくと痛み、震える右手を伸ばし、パクリ食らって───流れるような動作で身体が勝手に倒れた。

 

(ごふっ……! か、関雲長が義の刃……我が大望をも断つか……)

(孟徳さん!? しっかりしてくれ孟徳さん! 孟徳さぁあああん!!)

 

 たった一口で、夢の扉が開いた気がした。

 

……。

 

 さて。そうして二度目の気絶から帰還した俺なわけだが……相変わらずの頭痛と熱に苦しまされていた。

 世界がぐるぐる回って、汗が止まらない。

 風邪の時は汗を流すといいっていうけど、どうしてだろう……この汗はいろいろな意味で危険な気がする。

 今なら毒に侵されたRPGの主人公の気持ちがわかる……そんな心境を、寝台で仰向けになりつつ真っ青な顔でお送りします。わかりやすいですか?

 

「げっほごほっ! ごはっ! ごっほぉおっ~───~ほげっほごほっ!!! ~っ……はっ……な、なんでだろう……はぁ、はぁ……! 休んでるはずなのに……悪化ばかりしているような……!」

 

 呼吸が詰まるくらいの重い咳が絞り出る。

 ああ、頭がガンガンする、気持ち悪い、吐きたいのに吐けない、今吐いたら間違い無く脱水症状にも蝕まれる。

 呼吸すると気道が詰まったみたいにヒューヒュー鳴って、音が気になって眠れない。もともと眠気ゼロだけど。

 

「はぁ……ふたりとも、俺のことはいいからさ、あ~……な、なんだったっけ……えぇと頭がぐらぐらしてて、言おうとした言葉が……はぁ、はぁ……」

 

 咳のたびに手で口を押さえているとはいえ、近くに居てくれる思春や愛紗に風邪を伝染すといけない。

 だからえぇと……そ、そう、“この部屋から出ていったほうがいい”。これだ。

 

「この部屋から、いやむしろ俺から離れてくれ。じゃないと……うぁー……きもちわるいぃい……」

 

 続けようとした言葉が嘔吐的な呼吸になり、止まる。

 だめだ、風邪の時はどうも弱気になる。

 しかしここは鬼にならなければならない時だ。主に自分に対して。

 なのに、

 

「なりません」

 

 きっぱりと言う愛紗に、ぐったり気分。

 うん、なんとなくだけどそう言われるんじゃないかと思ってた。

 これと決めたら引かない人だということも知っている。

 彼女との会話は、よっぽど譲れないこと以外は一言目を受け入れるのが上策なのだ。

 伝染すのは大変嫌な事態だが、本人に出ていく意思がないなら仕方ない。

 

「……じゃあ、ごめん……正直もう喋るのも辛いから……」

 

 ちらりと思春を見る。

 はぁ、と溜め息をついた彼女が歩み寄り、寝た状態の俺の上半身だけを起こすと、頚椎あたりにシュトンッと手刀を落とした。

 それだけで意識は飛んで、俺はくたりと自分が闇に落ちるのを感じた。



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32:蜀/真実を告げる夢②

59/真実を伝える、別の意味での悪夢

 

 ざぁあっ……と風が吹いた。

 幾度も風に吹かれたためか、草の幾つかが茎から離れ、青空へと飛んでいく。

 それを眺めて、ようやく自分が緑の上に立っていることを知った。

 

「……ここ」

 

 景色はどう見ても日本。

 それも、フランチェスカの校内の、手入れの行き届いた呆れるくらいに広い芝生……ある意味で“草原”の上だった。

 どうしてこんなところに、と思うのだが、深く考えずに離れてしまったその世界を前に、懐かしさが込み上げた。

 空気はまだ大陸のほうが綺麗と感じる。

 流れる川も綺麗だし、聞こえる小鳥の囀りが耳に心地よいのを知っている。

 

「未練かな……って、当然か」

 

 大陸で生きていこうと思った。けど、日本での生活が嫌だったわけじゃない。

 いつか帰れるならしっかりとじいちゃんに恩返ししたいし、悪友ともまだまだ一緒に騒ぎたい。

 置いてきてしまったものと断言し、忘れてしまうにはあまりに思い出が多すぎる。それはどちらの世界にも言えることで、行き来出来るのならどちらの世界にも居たいと思うのは当然だ。

 

「……なあ一刀。俺は今、幸せか?」

 

 きっと誰にもわからないことを口にしてみる。

 自分にだってわからないことだ、誰に訊いてみたところでわかるはずもない。

 あの日。華琳のもとから離れ、学校で目を覚ましたあの日に感じた幸せの形が、今は思い出せない。

 気づいてしまったことがあるから。

 どちらか一方の世界で幸せだと唱える前に、必ずどちらか一方の世界が思い返されるのだ。

 家族は泣いているだろうか。

 それとも、時間は止まったままでいてくれているのだろうか。

 そんなことを小さく考えて、頭を振った。

 今は今。どちらか一方にしっかりと立っている今は、その場所のことだけを考えろ。

 あの時知った幸福の意味は、確かにこの胸にあったのだから。

 

「ごめん、じいちゃん。恩返しはずっとずっと先に───いや。もう戻れないかもしれないけど、学ばせてもらったことをせめて忘れずに生きていくよ」

 

 日本でも大陸に向けて、似た言葉を送った。

 戻れるかはわからない、それはどちらに居ても思うことだ。

 俺はべつに、日本での暮らしに絶望を感じていたわけでも出て行きたかったわけでもない。

 

「…………」

 

 もうとっくに“懐かしい”になってしまっている空気を胸いっぱいに吸う。

 そうすると、少しだけ勇気が貰えた気がして、いつの間にか笑っていた。

 

「夢……なんだろうな、これは」

 

 誰も居ない静かな世界に居る。

 動物の鳴き声も聞こえず、風に草花が揺れる音しか届かない。

 ドーム20個以上の敷地の傍ら、車が走る場所までは遠すぎるこの場は、本当の本当に静かだった。

 そんな中、ふと後方から草を踏む音が風に乗って聞こえてくる。

 この世界、この景色───こんな暖かな場所での“音”。きっと懐かしい誰かに会える予感とともに振り向いてみれば───

 

「ぬふぅうううん♪ お久しぶりねん、ご主人さまぁん♪」

「ぎゃああああああああああおばけぇええええええっ!!」

 

 視界の先に存在するマッシヴなビキニパンツ一丁(や、ヒモパンか?)の男を前に、絶叫する破目になった。

 しかもこの歳で“おばけー”である。

 

「あらやだご主人さまったらん、怖いくらいに可愛いだなんて、嬉しいこと言ってくれるじゃないのぉん」

「どれだけ脳内変換されたらそう聞こえるんだ!? ヘタなストーカーでもそうまで都合よく解釈しないだろっ! って覚めて! 夢覚めてぇええっ!! 夢っ! お願いだぁあーっ!!」

 

 おわかり頂けるであろうか……マッスルで髪が少ないビキニパンツの男性が、くねくねとしなを作りながら頬を染めて近づいて来る恐怖……! 足がっ、足が震えて動けない!

 

「そう……夢はいつかは覚めるもの。ご主人様もそれを理解した上で、ここに立っていると信じてるわよん」

「え……」

 

 マッスルが急に真顔になってそう言う。

 ……ポーズはいちいち女性のソレだが。

 

「夢から覚めた貴方がもし道に迷ったら、“繋がり”を探すこと。元よりこの世界は“外史”。何者かが何かを思うたび、違う行く末を思うたびに構築される世界なの。その中で繋がりを見つけ、求めることこそが繋がった心を届かせる絆というものなのよぉん」

「絆? いったいなにを言って───」

「い~いご主人さまん? よぉく考えてみるの。彼女たちのもとへ降りたのが、“何故貴方だったのか”を。貴方でなければいけないきっかけが確かにあって、その決着がつくまではいつまでも外史が作られ続けちゃうの」

「………」

 

 きっかけ……? それっていったい……。

 いやいや待て待て、それ以前に何故俺はオカマッスルにいろいろと説かれてるんだ?

 

「いぃつか“彼”もぉ、そちらへ辿り着いちゃうわぁん。そこで決着をつけられるかどぉかはぁ~……ご主人様次第にゃ~にょよぉん」

「……普通に喋れないか? 言ってることはなんとなくわかるけど」

「きゃぁん、わかってくれて嬉しいわぁ~ん♪」

 

 バチーンと雄々しいウィンクをして、頬を染めるカイブツが居た。

 それを視界に入れた途端、全身に鳥肌が走り───!

 

「うひぃいいっ!? そそそその顔できゃんとか言うなぁあっ!」

「だぁ~れが海坊主と般若が混ざり合って産まれた怪物みたいな顔ですってぇえーんっ!? しどいっ! いくらご主人様でもしどい! しどすぎるわ!!」

「いやいやいやいやそこまで言ってないだろ!? ていうかだ! そもそもそのご主人様ってなんだ!? そしてあんたはどうして男でおっさんなのにそんな───」

「喝ァアアアアアアアアアッ!!!」

「うわっ!? や、ちょ、いきなりなんだよおっさ───」

「喝ぁあああああああああっ!!!」

「だ、だから何───」

「おっさんって誰ェ!? おっさんって何処ォ!!」

「…………いや、それはあんたが」

「喝ァアアーッ!!」

「うぉわぁあああっ!?」

 

 ゴシャァアアと、音が聞こえるくらいに目を輝かせたマッチョでモミアゲ以外に髪が無いおっさんが、ギラリとこちらを睨んで───って怖ッ!! 滅茶苦茶怖い!!

 

「ひどい、ひどいわ! 花も恥じらう漢女をまたおっさん呼ばわりなんてっ!!」

 

 …………また、と申したか。

 以前会った覚えも言った覚えもないんだが。

 会ったら夢に出てきそうなくらい、存在感あるし───マテ、だから夢に出てきてるのか? いったい何処でエンカウントしてしまったんだ……?

 なんか以前、魏方面のとある店の店主として、似たような存在を見たような見ていないような……?

 

「………」

 

 とっ……とりあえず、だ。ええと……おっさんって部分には触れるなってことですね?

 

「あ、あー……うん、はい……おっさんじゃない、おっさんじゃないから。それであんたは、いったい何が目的でそんな格好をして俺の前に? そもそもコレ夢だよね? 夢であってください、お願いします」

「そうねん、確かにこれは夢。“可能性”を持つご主人様を探して、片っ端から夢に語り掛けているところなの」

「片っ端から? ……待ってくれ、前提からしてちっともわからない。引っかかることは確かにあるんだけど……」

 

 そもそもそんなことが出来るこいつは何者だ?

 只者じゃないのはこの格好だけでもわかる。よくわかるけど。

 

「“歴史に軸あり”よん。過去にこういうことがあったから現在がある、もしあの時そうだったらこの世界はああなっていた、様々な過程や仮定を用いても、その過程や仮定を肉付けするためには軸が必要よねぇん?」

「ああ、それはわかるが……俺にはそもそも、どうして俺が夢の中でビキニパンツ一丁のおと───こほんっ、誰かと草原で語り合わなきゃいけないのかがまずわからんのだが」

「そこは触れちゃダメ。だって夢に割り込んだだけですものん。語りかけることが出来たとしても、この外史がどの外史で、ご主人様が何処に居るのかまではわからない。そしてこの場所がたとえ氷室の中でも、わたしはこの格好で現れたわ。だって踊り子ですもの!」

 

 …………想像してみた。

 ……怖かった。

 草原でよかった。

 これが寝台の中とかだったら俺はショック死していただろう。

 あと踊り子だろうがなんだろうが、ビキニパンツで踊り子を名乗る存在なんて初めて見るわ。

 

「最初のご主人様……“北郷一刀”が外史に触れるきっかけとなったご主人様は、確かに新しい世界を創ったわん。けどそれは外史を纏める結果には繋がらなかった。幾つも存在する外史が増えただけ。わたしは祝福できるけど、納得出来ない者……それを壊そうとする者はやっぱり存在するの。だからわたしは未だにご主人様を探して、外史を旅し続けているのよん」

「…………マテ。いろいろ聞き捨てならない言葉が出たぞ? 俺が……なんだって?」

「だぁ~かるぁ~ん、外史に触れるきっかけとなったご主人様は───」

「そこっ!」

「きゃんっ」

「だからきゃんじゃなくてっ! きっかけ!? きっかけってなんだ!? 俺、なにかをした覚えなんて全然ないぞ!?」

 

 きっかけもなにも、俺は急に大陸に飛ばされたんだ。

 そこで初めて華琳に会ったし、世界なんて創った覚えもない。

 

「んもうせっかちさんなんだから……でも嫌いじゃないわ、そういうの……ぬふん♪」

「ウィンクとかいいから……!」

 

 疲れる……普通に話したいだけなのに、妙なところで流し目だとかくねくね動いたりだとか、もういや……言っちゃなんだけど視界の毒だよこれ……。

 

「いいわ、教えてあ・げ・る。事実として受け容れるかはご主人様に任せるけどねん」

「ああ、それでいい」

 

 わからないことがいろいろある。

 それを纏めるにはいい機会だ。

 たとえ夢の中だろうと、それが納得出来ることなら───

 

……。

 

 ……話を始めてしばらく。

 途中途中で妙な話に逸れたり逸らしたりを繰り返しながらも、“最初の北郷一刀”のことを知った。

 左慈という男と出会ったこと。

 彼が資料館から奪った銅鏡を資料館に戻そうとして争い、拍子に銅鏡が割れ、それがきっかけとなって大陸に飛ばされたこと。

 北郷一刀はそこで愛紗ら蜀の人物と出会い、“劉備”の位置づけで蜀を率い、乱世を駆けたこと。

 その中で彼……貂蝉も仲間入りをし、故に俺をご主人様と呼ぶこと。

 そして……最初の俺は託された鏡にて世界を創り、その世界へと消えたこと。

 けど、それだけじゃあ“外史の連鎖”は消えなかった事実が残った……と。

 いろいろとややこしいが、とりあえずはだ。一番最初の北郷一刀か、他の外史の北郷一刀が目の前の巨漢をおっさん呼ばわりしたと、そういうことらしい。

 よく言った、キミは正しい。でもショックを受けているってことは、訂正したってことであり……ああ、圧力に勝てなかったか。それも正しいよきっと。

 つまり、やっぱりそこには触れるなってことですね?

 

「外史が生まれるたび、わたしたちは走り回るのよん。左慈ちゃんはそんな連鎖を終わらせたがってたのよね。幾度も幾度も続く歴史、繰り返され続ける“自分”って存在を」

「じゃあ……結果的に、俺はそれを邪魔したことになるのか?」

「お互いに守りたいものと目指したい場所があれば、衝突するのは当たり前でしょぉん? ご主人様は鏡を使って世界を創り、そこへ旅立った。残された外史の欠片たちは、必要とされなくなった時点で消えていくしかないの。その中で、自分たちだけ幸せになったりして許せないわぁん!! ……なんてことを思う者も居たかもしれないけどねぇん」

「………」

「世界は確かに創られたけれど、それだけじゃあ終わりにはならなかったの。新たな世界が築かれることで、“外史”はさらに歪んだわ。ご主人様じゃなく、劉備ちゃんが蜀を率いる現在、孫策ちゃんが生きていて、周瑜ちゃんが黒幕じゃない現在、いろいろとねん」

「冥琳が黒幕!? 確かに頭はいいけど、そんなこと考えるようには思えないぞ!?」

「そういう外史もあったってことなのよん」

 

 外史か……って待て? 外史……外史?

 

「なぁ貂蝉、未だに貂蝉って呼ぶことに抵抗を感じるけど、その左慈ってやつも……」

「ええ、繰り返される世界の住人よん」

「そいつが、最初の北郷一刀の世界に現れたってことは、つまり───」

「そうねん。ご主人様が居る元の世界も、外史ってことになるわ。そうじゃなきゃそもそも、外史に干渉できるきっかけそのものがないのだからねぇん」

「───……」

 

 そうか。

 歴史に軸あり……つまりそういうこと。

 俺の世界では関羽たちが男であるが、この世界では女。

 俺はフランチェスカで学生をやっているが、もしかしたら実家の学校に通ってたかもしれない。

 平行世界、パラレル、鏡の中の世界……つまり外史ってのはそういうものなのだ。

 この世界が未来へ続き、そのまま俺達の時代まで続く可能性だって在り得る。

 けど俺の世界での歴史では劉備や関羽は男だ……つまりこの外史は俺が産まれた未来には繋がっていない。

 あくまで外史と接触するきっかけとなった“北郷一刀”って存在だから、俺はこの世界に飛ばされた……ただそれだけ。

 もし最初の軸で銅鏡を割ったのが及川だったなら、ここに降りたのは、別の外史に降りたのは及川だったってこと。

 

  この世界は銅鏡を割ってしまった者を基点として作られたのだ。

 

 即ち俺と───おそらくは、左慈って存在を基点に。

 元々俺達が存在する世界が“外史”って言葉で纏められていたとして。

 この世界も俺が産まれた世界と同様に銅鏡を割る前から存在していたとして、俺が飛ばされるきっかけになったのが“銅鏡を割ったこと”ならば。

 “飛ばされたのがこの大陸のこの時代”だった理由は……その左慈ってヤツがこの時代を生きるものだったから、なのだろうか。

 だからこの場に左慈ってヤツが居なくても、この世界は機能する。

 そこに“北郷一刀と大陸の歴史”って基点が存在するなら、いくらでも外史は作られるってことだ。

 

「……他の外史の俺は、どうしてるんだ?」

「そうねん……蜀に降りて劉備ちゃんと一緒に天下を統一したり、呉に降りて将の女の子ほぼ全員と子供作っちゃったり、まあいろいろよん」

「うわぁ……───で、そいつらとも今と同じ話をしたのか?」

「それがそうもいかないみたいなのぉん! んもうヤになっちゃうわぁん!?」

 

 目の前でぷんすかウネウネ動かれてる俺のほうが、もういろいろと嫌になってますが?

 ああ……いろいろ知るチャンスではあるけど、早く覚めないかなぁこの夢。

 

「こうして会話が成功したのはこの外史のご主人様。つまりあなただけなのよん……」

「へ? ……俺、だけ? なんでまた」

「ぬふん、それはきっとわたしが氣を辿って会話しているからねん。他のご主人様も何かに気づきはするみたいだけれどぉもぉ、声までは届いてくれないみたいなのよぉん……」

「そりゃ羨まし───あ、いや、なんでもない。それはつまり、俺に多少なりにも氣があるから……なのか?」

「そうみたいねん……こうして意識を研ぎ澄ませてみると───ああっ! ご主人様から甘ぁい香りがするぅん! もう抱き締めてスリスリしたくなっちゃう!」

「全力で遠慮する! お願いだからやめてくれ!」

「あんもうつれないんだからぁん……! でもそんなちょっぴりお堅いところもす・て・き、ぬふぅうん♪」

 

 つれない自分で本望! スリスリなんてされたらそれこそ意思が自殺を選ぶわ!

 大体甘い香りって……氣を辿って話し掛けてるとか言っているのに、そんないい匂いとかするわけが、……ん? いい匂い?

 

  “んにー……いい匂い……するにゃああ~……”

 

 ……以前、孟獲がそんなことを寝言で言ってたっけ。何故か俺の寝台で。

 もしかして、だけど……動物に好かれるようになったのって、“氣”の所為か?

 

「……ちょっと訊きたいんだけどさ。氣が多少使えるようになったからって、動物に好かれるようになるとか……そんなことってあるのか?」

「それはもちろんあるに決まってるわよぉん。動物が好きなのに、どうしてか子供の頃から動物に嫌われやすい人って居るでしょぉ? それと同じで、そういうのを内側に閉じ込めちゃってる人も居るのよねん」

「俺が……その例ってこと?」

「う~~~ん…………ちょぉっと違うわねぇ。確かにそれもそうなのだけれどもぉ……ご主人様には二つの氣があるのは知っている? 一つは北郷一刀としてのもので、一つは天の御遣いとしてのもの。感じるもの“そのまま”で言うなら、天が盾、人が剣だわぬぇ~ん」

「───」

 

 言われてみて驚いた。

 てっきり俺は、天が剣だと思っていた。

 だって、他の外史はともかくとしても……この外史に呼んだのは華琳だぞ?

 下手な守りよりも圧倒的火力で叩き潰し、攻められれば剛毅に迎え撃ち、下がることなど良しとしない華琳だ。

 そんな彼女に求められた俺が……天の御遣いの氣が、守りの氣だったなんて。

 

「多分だけれどもぉ……あまりに小さくて感じることが出来なかった氣が、鍛えられることで体の外へと出ちゃったからぁ、ご主人様が動物に好かれるようになったとか、そういうところなんじゃにゃぁ~いにょぉ~ん? もともと好かれる素質めいたものはあったものの、あまりに微弱だった所為で気づかれなかったとかぁ。何か心当たりとかってなぁ~いぃ?」

「心当たり……って、それはそれとして普通に話してくれ、頼むから」

「ンマッ、失礼しちゃうわご主人様ったぁ~るぁん、さっきから普通に話してるじゃなぁいのぉん」

「………」

 

 そのカマ言葉をなんとか……あ、いや、いいです。言った途端に妙なオーラ出しそうだ。

 で、引っかかること、と言えば……ある。

 

  “いえ隊長、氣の収束は成功しています。

   ただ体外に出せるほど、隊長には……その、氣が無いようで……”

 

 魏から呉へと出発する前のこと。

 氣のことを初めて教わった時に、凪に確かにそう言われた。

 纏めると……こうか?

 

 1:俺の中には動物が好む氣(この場合、雰囲気とか匂いとかで喩えるべきか?)が存在していた。

 

 2:ただしそれは「微弱すぎだ」と凪に太鼓判を頂けるほどの小ささで、今の今まで感覚が鋭い動物にさえ気づかれることが無かった。

 

 3:それを鍛え、纏うことが出来たからこそ、動物が遠慮なく突っ込んでくるようになった。動物並……否、動物に限りなく近い孟獲はそれを感じ取って噛みついてきた。

 

 4:それらは氣さえ鍛えれば誰でも懐かれるとかそんなんじゃなく、俺の氣にはそういった動物が好む何かがあった。

 

「………」

 

 こんなところ……か? 喜んでいいんだろうか、これは。

 ……あ、最初に恋が連れてたセキトが俺の上に乗ってたのも、天で頑張って鍛錬してたから……とかか? 使えなくても、前よりは多少は充実していたってことで……いいんだろうか。

 

「いろいろ考え込んでるご主人様も素敵だけれどもぉ……そろそろ時間もないわねん」

「え───……そっか。悪かったな、質問責めみたいになっちゃって」

「そんなことはいいの……わたしもとっても楽しかったから。……ンッ♪」

「……風が吹き荒ぶほどのウィンクをしないでくれ、頼むから」

 

 どういう瞼をしているんだろうか、この巨漢サマは。

 

「いーいぃご主人様ぁん? 左慈ちゃんはしばらくは動けない。けれどもいつかは必ずこの外史に辿り着くわん。それが先か、御遣いを望んだ者が息絶えるのが先か。行きつく先がなんであれ、この外史はいつかは滅びるわ」

「滅びる……? 外史が消えるってことか?」

「そう。何にでも突端と終端があるように、外史にももちろん終わりがある。いいえ? 正史だろうとそれは避けられないものよん」

「避けられない……滅び……」

 

 消える……? この世界の全てが……?

 みんな生きているこの世界が───

 

「どうして……って訊いていいか?」

「あぁあらやだぁあん、ご主人様ったぁらぁ、意外と冷静? いいわ、こうなったら教えられることは教えてあげちゃう。覚悟はいいわねん?」

「……ああ。頼む」

 

 ごく、と……自然と喉が鳴った。 

 それでも引くことはしない。

 また質問責めみたいなことをしてしまっている自分が嫌なヤツに思えたけれど、知っておかないといつか後悔する……誰かがそう言った気がした。

 

「わたしたちが存在する場所は、“軸”を中心に外史という名で枝分かれしているの。樹に果物が実るみたいにい~っぱいねん。たとえばこの世界は曹操ちゃんが天下を統一した世界だけれども、劉備ちゃんが、孫権ちゃんが統一する世界も当然存在する」

「他の外史だな?」

「そう。そんな外史は、誰かがそうあって欲しいと強く願うだけ実っていくの。そんな、願われれば増え続けるだけの実りを左右する力を持つのが、わたしと左慈ちゃんと于吉ちゃんってわけ。……卑弥呼はいいわ、恋敵になりそうですものん」

 

 于吉……左慈に続いて于吉か。

 

「でもねん、願う者が居るなら、もちろんそんな物語を認めない者も居るの。左慈ちゃんと于吉ちゃんはそんな、“外史を壊したい”って願いが具現化した存在。逆にわたしや師匠である卑弥呼は“外史を守りたい”って願いが具現化した存在にゃ~にょよぅ」

「願いの……具現? ……じゃあ、もしかしてこの世界に生きる全ての人が!」

「外史は正史をなぞり、ここがこうならばと願われることで実る果実。この戦いで曹操ちゃんが勝っていれば。あの場面で孫策ちゃんが死ななければ。そんな願いは人の数だけ存在するわよねん?」

「……その人達の願いで、外史は創られ続けてるっていうのか……」

 

 じゃあ、俺が生きた世界も、華琳とともに駆け抜けた世界も、全部が全部創りもので……俺達はその舞台を駆け回る傀儡でしかなかったと……?

 

「───…………」

 

 ……そう、なのかもしれない。

 けど、それで本望。

 

  俺達は確かに生きている。

 

 願われたことで、創られたことでみんなに会え、笑っていられたというのなら、何故それを否定する必要があるのだろう。

 世界は創られた。人も創られた。動物も、草花も、全て……そう、全て。

 ……それだけだ。俺が意識する世界の在り方と何が違う。

 俺が産まれた時、既に“世界”は存在していた。

 俺がこの世界に落ちた時、既にこの世界の過去は存在し、華琳もみんなもそうやって生きてきたんだ。

 

  そうだ、俺達は生きている。

 

 この世界が創りものの世界だろうと、やれることもやることも何一つ変わりはしない。

 ……生きるんだ、精一杯に。

 そしていつか迎えればいい……その、終端ってやつを。

 

「きゃんっ、なんてやさしい目……! わたしのハートにズキュンときちゃったっ……!」

「や、それはこなくていいから」

 

 ズビシと一応ツッコミを入れた。

 途端に力が抜けて、小さく笑う自分が居た。

 

「ご主人様。訊くまでもなさそうだけれど、この世界の真実を知ってもまだ、前を向いて歩けるかしらん?」

「当たり前。最後の最後まで生きていくよ。生憎と命を簡単に諦められるほど、つまらない人生を送ってないし。それに、諦めちゃうにはもったいなすぎるよ、この外史(いのち)は」

「……そう」

 

 すると、貂蝉も穏やかに笑んだ。

 オカマチックではなく、どこか……子の成長を見届けた親のような眼差しで。

 そんな目を真っ直ぐに見つめ、一度深呼吸をしてから言葉を紡ぐ。

 

「この世界が終端へ辿り着くのは、御遣いを望んだ者……華琳が召される時か?」

「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。どういうことなのか、基点であるご主人様が居なくなってもこの外史は終わらなかった。それは多分この外史のみんな、主に曹操ちゃんが貴方と強く繋がっていたからだと思うの」

「華琳と俺が?」

「そう。それとも外史の“意味”が無理矢理捻じ曲げられたために、外史自体が形を変えてしまったか」

「───あ」

 

 意味が無理矢理捻じ曲げられた。

 それってつまり……えぇと、俺が“そうなるべき世界”を自分の都合で変えまくった所為だったりする……のか?

 する、どころか絶対にそうだろうな……。

 その上、みんなとの繋がりがあるって点でも間違いはないと思う。

 仮説にすぎないけど、俺は確かに華琳の願いを叶えるべくこの地に降りたのだろうから。

 じゃなきゃ、天下を取って少しもしない内に天に強制送還なんてこと、有り得ない。

 

「どういう理由があるにせよ、これも愛の為せる業……。ご主人様ん? ご主人様がピンチの時はこの貂蝉、愛と正義と愛のためにぃ、一肌脱ぐわよぉ~ん?」

「………」

 

 愛を二回言う意味はあるんだろうか。

 

「……貂蝉。あんたにとっての正義ってなんだ?」

「ぅ愛ぃいっ!」

 

 …………物凄いニヒルスマイルでの、親指立てだった。

 そしてそれが本当なら、愛を三回言ったってことになるわけで。

 と、そんなことに疲れを感じた瞬間、貂蝉の体がゆっくりとだが光に包まれてゆく。

 

「あぁらやだん、もうオシマイなのぉん? これからがいいところだったのにぃいんっ」

 

 どうやら、本当に時間ってのが来たらしい。

 体の外側からじわじわと光になっていくマッチョはとても不気味ではあったが、届けたいことは感謝だけ。

 

「いろいろありがとうな、貂蝉」

「ぬふふんっ? 本当にご主人様ったらお人好しなんだからん。わたしが悪いことを企んじゃったりなんかしちゃってる、悪の親玉だったりとか考えないのん? ぜ~んぶウソだったりしちゃうかもしれないのにぃん」

「ウソだったらそれでもいいよ。情報が手に入って、危険があるかもしれないと知って、それに対抗するために努力をする。……したらまずいことなんてなんにもないしさ。それなら危険に備えたほうがいいに決まってる。そのきっかけを教えてくれたんだ……感謝以外に言葉は無いよ」

「~……きゃああん! 貂ォオ蝉ったらキュンときちゃっとぅぁん! あぁんご主人様ァア!! せぇめて夢の中だぁあけでもぉぅ! その唇を奪わせてぇええええんっ!!」

「うぃいっ!? うわやめっ! ひかっ! やめっ!」

 

 光り輝くマッチョが唇を突き出し飛びついてきた!!

 その逞しい腕が背に回され、厚い胸板が胸に押し付けられ、目の前にはムチュウウウと唇を突き出す、金色に光り輝くマッチョが───ってイヤァアアアアアアアッ!? もし、たとえ、万が一にも男とキスをしなきゃいけなかったとしても、こんな金色(こんじき)マッチョとはいやぁああああああっ!!!

 離せっ! 離せぇえええっ!!

 いやっ! やめっ……ギャ、ヤヤ……!!

 

  ぎゃあああああああああぁぁぁぁぁ…………───

 



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32:蜀/真実を告げる夢③

60/今あるこの現在

 

「北郷!? しっかりしろ北郷! 北郷!!」

「ぁぅうぁぅうあぅううああ……!? ───はうあっ!?」

 

 ハッと覚醒! 目の前にある顔! ……金色マッチョじゃない!!

 さっきからがっくんがっくん揺さぶられてたのか、頭がぐらぐらするけど……覚めた! ギリギリのところで覚めてくれた!

 

「は、あ……あ……? あ……思春……思春だよな?」

 

 上半身を起こした状態。

 そんな格好のまま、それでも眠りこけていたらしい俺は、現在思春さんに両肩を掴まれた状態で寝台に居た。

 こんな格好で揺さぶられて、よくすぐに起きなかったもんだ。

 あのマッチョの呪いか?

 

「……随分と(うな)されていたようだが」

「あ……うん。ひどい悪夢を見た……」

 

 本当に、なんてひどい夢。

 あの抱き締められた感触、全力で抗っても引き剥がせない腕力……そしてあのムチュリと突き出された唇……!

 ひぃいい! 思い出すだけで寒気が! 頭が揺れる! ……あ、そういえば風邪引いてたんだっけ、俺……。

 

「………」

「……?」

 

 急にピタリと停止、考え事を始めた俺を、思春が訝しげに見つめ……もとい、睨んでいた。病人に対してでもまるで容赦がない。

 

「……あぁ、もう……」

 

 頭の痛みが増した。

 寒気もひどいものだったし、既に“風邪って病気”を超越しているんじゃないかと誰かに問いたくなるほど。

 心はなんだか弱くなったみたいに気力を振り絞ってくれず、やたらと誰かに頼りたくなってきた。だからだろう……ああそうだ、そうじゃなければ今さら、こんなことを頼んだりはしないはずだ。

 

「思春……。お願い、もう一つ聞いてくれるかな」

 

 不安がりながらお願いする、まるで子供のような挙動。

 それでも思春は、溜め息を吐きながらも俺から視線を逸らさずに言ってくれる。

 

「特別だと言っただろう。言ってみろ。頷くかどうかはその後だ」

 

 特別な状態で、ようやく認可の上で叶えてくれるんですね?

 キミの中の俺の立ち位置ってどこらへんなんでしょうか……ああいや、そんなことは訊くだけ無駄だ。今は願いを届けよう。

 

「うん。嫌だったら素直に嫌だって言ってくれるとありがたいかな……。えぇと……うぅ、脳が揺れる……」

 

 ふらふらしながら、思春に起こされたままだった上半身を支えるように寝台に手をつく。

 思春の手はとっくに俺の肩から離れているけど、出来ればその手がもう一度こちらに来てくれることを願って───

 

「その。抱きしめて、いいかな」

「───……なに? ……、───……なっ!?」

 

 口にしてみると、思春の顔がたっぷり時間をかけて灼熱した。

 真っ赤って言葉がこれほど似合う色もないんじゃないかって思うほど。

 

「う、な、ななっ……何を言っている貴様……! 呉に居る時は、誰の求めにも応じることがなかったというのに、正気か!」

「……? え、っと……正気なつもりだけど……だめかな」

「とくっ……! 特別とは言ったには言ったが、それとこれとはそもそも別問題だろう! 大体、貴様は今、弱っていて……!」

「………」

 

 珍しいこともあるもんだ。

 思春が……あの思春さんが大慌てだ。

 真っ赤なままにわたわたとして、引け腰になっているんだけど、かつての武人としての誇りがそれを許さないのか、後退ることは一切しない。

 だから手を伸ばせば、その細い手を取ることが出来るんだけど……ハテ? なにやら会話に行き違いがあるような気が。……だめだ、頭が回ってくれない。

 

「んっ……」

 

 ある意味では必死だった。

 夢だったのに、この身をきつく締め上げるベアハッグ……もとい、抱擁……ああいや精神を保つためにもベアハッグにしとこう。あのベアハッグの感触から逃れたい一心で、重くけだるい腕を持ち上げ、思春の腕を掴み───引き寄せた。

 「ぴぃっ!?」なんて珍しい声が聞こえた。

 てっきり振り払われるかと思えば、なにをそんなに慌てていたのか力が篭らなかったようで、思春はほんの小さな震動で倒れてきた軽い置物のように、ぽふりと俺の腕に納まった。

 

「───」

 

 途端、呼吸を停止したみたいに動作も停止。

 預かりものの仔猫のように大人しくなり、俺の左肩に顎を乗せた状態で動かなくなって───俺はそんな思春をきゅっと強く抱きしめることで、あの雄々しい感触から逃れようと……したのだが。悲しいかな、熱の所為か力が入らない。

 確かにそれはそうなんだが、伝わる感触や匂いだけで十分だった。

 ゆっくりと、金色マッチョの悪夢が薄くなってゆく。

 俺はそんな心地よさに身を委ねるように集中し、だからこそ、ある音に気づけなかった。

 

「……一刀さん? 眠ってま───はわっ!?」

「へ?」

 

 思春の肩越しに見る景色の先、そろりとやってきた朱里が、思春を抱きしめる俺を補足。見事に“ぐぼんっ!”と瞬間沸騰をしてみせ……大いに慌てた。

 

「はわわわわわっ!? ごごごごめんなしゃい!! ののののっくをしたんですけどお返事がなくて、眠っているのかと思ったらまさかそんなっ! はわぁわわぁわわわぁあーっ!!」

「……? 朱里ちゃん、どうし───あわっ!?」

 

 その後ろにいらっしゃったらしい雛里もまた、俺の状態を見るなり瞬間沸騰を!

 騒ぎ慌てる朱里とともにはわあわと叫び始め、なのに一向に部屋からは出ずに暖かく見守っ……たわばっ!?

 

「こ、これはっ……違う! この男が勝手に……!」

 

 抱き締められているなんて状況を見られたのが恥ずかしかったのか、ハッとした思春に突き飛ばされた。

 ……加えて言うと、突き飛ばされた勢いで寝台の角に頭をぶつけた。

 ゴドォと素敵な音が脳内に響き渡った瞬間だった。悶絶。

 

「えっ……一刀さんが急に抱きついてききききたんですかっ!?」

「そう、そうだ。特別に出来ることなら聞いてやると言えば、抱き締めてもいいかと……」

「あわ……!」

 

 寝台の角の雄々しき固さに苦しむ俺をよそに、三人はどんどんと盛り上がっていった。

 そう、確かに抱きしめたわけだが、なぜにこんな嫌な予感ばかりが押し寄せてくるのか。

 

「魏に全てを捧げたと公言した一刀さんが、まさか……風邪を引いたことで豹変したんでしょうか!?」

「いちちち……! あ、あの、朱里? 確かに風邪は引いてるけど、俺……豹変した覚えなんてないぞ?」

「はわっ…………じゃ、じゃあ魏の種馬と呼ばれた狼さんがついに動き」

「出してないからぁっ!! ちょっと待って、落ち着いてくれ! 話が見えないってば! 抱き締めるって行為は朱里にも雛里にもしたことがあっただろっ!?」

「…………ふえ?」

「……?」

「───」

 

 痛みのあまり、熱でボーっとしていた頭が少しスッキリしていた。

 そんな状態を利用して叫んでみれば、朱里と雛里がぱちくりと目を瞬かせたのち、ちらりと思春を見上げた。

 ……途端、疑問に満ちていた彼女の顔(普通と大して変わらない)が真っ赤に染まり、バッと音が鳴るほどに目、どころか顔ごと逸らし、沈黙した。

 

「……あの。思春? いったい俺が貴女に何をすると思って───」

「言うな……っ……!」

 

 顔を逸らしていても見える耳が、さらにさらにと赤く染まっていた。

 恥ずかしさからか肩もふるふると震え、やがて無言で歩いていくと、開けっぱなしだった扉から外へと消えてしまった。

 

「………」

「………」

「……?」

 

 俺と朱里は微妙な苦笑いで見つめ合い、雛里は頬を染めながらも首を傾げていた。

 

……。

 

 沈黙からしばらくして、今が昼だということを知った。

 それに気づけたのは朱里が持っていたお粥のお陰なのだが、さっきのKAYUのことを思うと、どうにも手を伸ばしづらかったりするわけで。

 

「そういえば……愛紗は?」

「え……あ、はい。その……一刀さんにとんでもないものを食べさせてしまったと、厨房の隅で肩を落としてましたけど……」

「うぐっ……やっぱり無理してでも全部食べるべきだったかなぁ……」

 

 とは言っても、二度目の気絶から目覚めた時には、すでにKAYUが無くなっていたのだから仕方ない。

 

「桃香や皆はどうしてる?」

「皆さん大忙しで頑張ってますよ。私たちも、少しだけ時間を貰ってここに居るんです」

「……そうなのか。ごめん───じゃなかった、ありがとう」

「はわ……」

「あわ……」

 

 手を伸ばし、二人の頭を撫でる。

 熱の所為で痛む右腕は我慢だ。

 心を込めて撫で、惜しみながら離した。

 残念だけどいつまでも撫でていられるほど、体力が残っていない。

 何かを成すには体力が居る。体力といえばまず食事だ。

 食欲はない……ないのだけれど、食わなきゃ体力なんてつきやしない。

 ありがたく頂こう、朱里が持って来てくれたお粥を。

 

「じゃあ、ありがたく───、……あれ?」

 

 伸ばした手が何も掴まず空気を掻いた。

 エ? と朱里の顔を見てみれば少し顔を赤くしたままにレンゲを取って───ぬお。ま、まさかアレか? 俺も愛紗にやった、あれを……!?

 

「あ、あ~ん……」

「うぐっ……!?」

「あわわ……!? 朱里ちゃん……!?」

 

 予想通りだった。

 なるほど、やられてみてわかる恥ずかしさ……これは口を開くのに勇気が要る。

 フフフ、だが朱里……俺という男を甘く見てもらっては困る。これがからかいではなく、厚意でされていることなのだと理解出来ているのなら、この北郷。もはや何を恐れることもなく頂こう!

 ……うん、なに言ってるんだろうね、俺。いよいよもって頭が熱に負けてきたか?

 

「あ~……んむっ」

 

 ともあれ、ありがたくレンゲを口に含んだ。

 熱々のお粥をほふほふしながら食べ、飲み込んでから、美味しいと……言えない。

 

「……ごめん、きっと美味しいんだろうけど、味覚がどうも……」

「風邪を引いているんですから、仕方がないですよ。それに、ありがとうって感謝の言葉だけで十分ですから。ね、雛里ちゃん」

「あわっ!? あ、あわ……その、通りです……」

「………」

 

 あれ? なんだか雛里がやけに距離を置きたがっているような気が……気の所為? 口調もいつも以上におどおどしてる気がするし……あれぇ?

 思春を抱き締めてたことが原因なら、是非とも誤解を解きたいんだけど。

 

「……雛里。雛里にも食べさせてもらっていいかな」

「ふえ……? ───あわわっ!? へわっ!? あわっ!?」

「そんなに驚かれても困るんだけど……雛里も心配してくれたんだろ?」

「あぅ……」

 

 顔を赤くして、帽子を深めに被る雛里。

 そんな彼女に、はいとお粥を渡す朱里はとてもいい娘です。

 ……さて。この熱に浮かされた頭は、果たして何処まで突っ走りやがるのか。

 これじゃあ“あ~ん”をお願いしているようなものじゃないか。

 言ってから途端に恥ずかしくなってきたぞ、くそう。

 今からでも遅くはない、ちゃんと自分で食べるって───

 

「あ、あの、その……あ、あ~ん……です……」

「………」

 

 ───神よ……。

 

「あらあら、楽しそうなことをやっているわね」

「ひうっ!?」

「おおうっ!?」

「はわぁっ!?」

 

 今からじゃあ遅かった。そんな心境を神に届けていると、いつの間に入って来ていたのか……まさにいつの間にか部屋の中に、黄忠さんと───

 

「風邪を引いたらしいな。日頃から鍛えているわりに、軟弱なことだのう」

 

 かんらかんらと笑う、厳顔さんの姿が。

 

「黄忠さん、厳顔さん……いつの間に」

「なに。紫苑と二人、昼でも摂ろうかという時に丁度通りかかってな。扉が開け放たれたまま、中で何をしているのかと覗いてみれば……二人の可愛い娘が甲斐甲斐しくも一人の男を看病しておるではないか……んぐっ……ぷはぁっ」

「説明しながら病人の前で酒を飲まんでください……」

 

 昼を摂りにってことは、仕事の合間になんだろうに……酒なんて飲んで大丈夫なのか?

 などと思いながらも、粥を掬ったレンゲを突き出したまま、突然やってきた二人へと振り向いて固まっている雛里から、しっかりとお粥を口に含み、感謝を届ける。

 「あわわっ……!?」と振り向く雛里だが、何かを言われる前にその頭を撫でた。

 すると雛里は恥ずかしそうに顔を伏せながら、手に持っていたお粥を朱里に返す。

 

「あら」

「ほほう?」

 

 それを見ていた黄忠さんと厳顔さんが目を光らせ……あ、あらいやだ、嫌な予感がひしひしと……!

 

「そうかそうか、順番に食べさせておるのか。いや、甲斐甲斐しさここに極まれりだ。どれ、常日頃から何かと走り回り、蜀へと尽くしてくれる御遣い殿相手だ。わしも礼を返さねば失礼に当たるな」

「わたくしも、日頃から璃々の相手をしてもらっている恩がありますし」

「ヘ? あ、あの、べつにそういう意味で食べさせてもらってたわけじゃあ……」

「遠慮するほどのことでもあるまいよ。さあ御遣い殿、日頃の感謝の証だ。一口で受け取ってみせい」

 

 言いながら、わざと熱そうな底の部分をごっそりと掬い、差し出してくる厳顔さん。

 厳顔さん……貴女の感謝って、とっても熱いんですね……。

 ええいままよっ!

 

「はむっ! ───むぁああっふぃぃいいっ!?」

 

 熱かった。めっちゃくちゃ熱かった。

 だが吐くことはしない。これは気持ちなのだ……! 吐いてしまえばそこまでと知れ、北郷一刀……! ていうか辛いです! 熱さから逃れようと頭をぶんぶん振ってたら、頭が余計にグワングワンと……!

 

「あらあら、ふふふっ……それじゃあ次はわたくしの番ですね?」

「んぐっ、はぁ……。あの、出来れば少量で……」

「心得ておりますわ、ふふっ……」

 

 そう言って笑う黄忠さんは、厳顔さんから受け取ったお粥をレンゲで掬い、

 

「ふー、ふー……はい、あ~ん……♪」

「ななっ!?」

 

 出来れば一番してほしくなかった“ふーふー”をして、軽く冷ましたお粥を差し出してきたのだ。

 

「おお、真っ赤になったな」

「はわ……真っ赤っかです……」

「……どきどき……」

「…………あの。食います、食いますから、そんなみんなでじぃっと見ないで……」

 

 さすがは一児の母。

 食べさせ方も堂に入る様で、口に含めば食べやすいようにレンゲを傾けてくれたり、口の端に粥がついていたら、そっと拭ってくれたりした。

 ……うう、やばい。自分が子供になったみたいで、一番ダメージがデカい。

 

「はっはっは、なるほど。御遣い殿は母性に弱いと」

「ぐっ! ~……い、いや、その。男というのはデスネ? どうしても包容力のある女性には弱いものデシテ……」

「ほほ~う?」

「やっ! でもそういうのは憧れ的なものであって!」

「……雛里ちゃん。一刀さんはやっぱり大人な女性に弱いんだって……!」

「……~……」

「あの……だから違うんだってばー……」

 

 俺の言葉など右から左へ。

 目の前の四人はわやわやと賑やかなる会話をし始めて、俺はその賑やかさへと自分の在り方を任せるしかなかった。

 

「北郷一刀は居るですかー? せっかくですからお見舞いに来てやったのです……って、何してるですおまえらー!」

 

 と、そんな時に新たなる来訪者。

 陳宮が面倒くさそうな口調で、しかしどこかおそるおそるといった表情で、部屋に入ってきた。

 

「あらねねちゃん。何って、病気の殿方のお世話だけど……」

「おうよ。扉が開いているのでちと寄ってみれば、朱里と雛里が御遣い殿に粥を代わる代わる食させているのでな。そこに混ざってみただけのことよ。どうだ? お主も混ざってはみんか」

「なっ……ね、ねねは様子を見に来ただけなのです! 元気そうでせーせーしたですよ! 時間の無駄だったです!」

 

 がーっと八重歯が見えるくらいに口を開き、うがーと両腕を上げての咆哮。

 しかしながら、ちらちらと黄忠さんの手にあるお粥を見て……あー、うん。もういいです、いろいろ覚悟決めましたよ俺。

 ていうか元気そうで、に続く言葉は“なにより”とかであって、せいせいされても困る。

 

「陳宮、食べさせてもらえないか? 頭ぐらぐらしててさ、自分一人じゃ安全に食べられそうにないんだ」

「! ───うぐ……どうしてもと言うのなら、仕方ないのです。友達は、大事にしないといけないです」

「……はぁ」

 

 仕方なくの割には、大股歩きで黄忠さんの傍に行き、お粥の器を手に取る陳宮。

 差し出されたレンゲに掬われたお粥をありがたく頂き、ありがとうを伝えると───なんでか顔を真っ赤にする陳宮が居た。

 しかももう一度掬い、差し出してくる。

 

「…………」

「……、……」

「……」

「……、……」

 

 で、食べたらもう一度差し出され、もう一度食べたら……何故かじーっと見つめられる。

 ? ハ、ハテ? 俺はいったい何を望まれてるんだ?

 

「えーと……あ、ありがとう?」

「! ~……!」

 

 ビンゴだったらしく、感謝を口にしてみれば綻ぶ顔。

 感謝されたかった……のか?

 

「あらあら」

「なるほどなるほど、思えば誰ぞに真っ直ぐに感謝をぶつけられることなど、そうあることでもない。そうと決まればねねよ、その粥を寄越せ。残り全て、わしが御遣い殿に馳走しよう」

「何を言うですか! これは友達である陳宮が責任持って食べさせるです!」

「あ、あのー……それ一応、私と雛里ちゃんが作ったんですけどー……」

 

 ……あの。病人の前では静かにしてくださると、大変ありがたいのですが。

 何がどう間違ってこんな事態に……? 俺はただ、静かにのんびりと休みたかっただけなのに……。

 がっくりと肩を落として溜め息を吐く───と、黄忠さんが自分の頬に手を当て、きょとんとした。

 

「あ……。今まで気づかなかったけれど、結構汗をかいていますね。丁度水もあるようですし……体、拭いて差し上げますね?」

「え……や、それはちょっと、この人数の前じゃ……!」

 

 嫌な予感が走る……! てっ……撤退準備ーっ!! 身体が動きません。無理だね、うん。

 

「はいはい、匂ってしまうよりはいいでしょう? さ、服を脱ぎましょうね、ばんざーい」

「ばんざ───って何させるんですかっ!? いやあのっ、ほんと大丈夫ですから! 自分でっ、自分で出来ますからっ! みんなも止め───なんでそんな期待に満ちた顔で見守ってるんだよ! ここは止めよう!? 止めようよ! むしろ頼むから止めてくれ!」

「ほう。実際に見ると面白いものだが、真実、動揺したりすると口調が変わる……いや、戻るのか。あぁいやいや、体を拭くのは大事なことですぞ、御遣い殿。悪いようにはせぬゆえ、大人しくなさるとよろしかろう」

「大事だろうけどなんで敬語っぽくなってるの!? 以前の趙雲さんを見てるみたいで、ぃいっ!? ~……いづっ……つぅ……!」

 

 焦りのあまりに叫ぶと、気持ち悪さが全身に回り、頭痛に襲われる。

 あ、だめ……今ので抵抗する気力がすとんと抜け落ちてしまった……。

 そうこうしているうちに上の服を脱がされ、体が拭かれてゆく。

 

「ふむ。中々に逞しく育っておるな。まあ鍛え始める前の体なぞ知らんのだが」

「まあ……一応」

「その分、傷も結構あるのね。ふふ、やんちゃな子供みたい」

「“男はいつまでだってやんちゃなくらいがいい”ってのが、じいちゃんの教えでして……。童心を忘れた男に、新しいものを見つける力なんぞ一切無いって言ってましたよ」

 

 黄忠さんが背中を拭いてくれる。

 仰向けに寝ていただけあって、背中は特にひどいだろう。

 それを綺麗に拭ってくれて、その途中途中で厳顔さんが言葉を投げてくる。

 二人とも、どこか楽しそうだった。

 

「……あの。一刀さんはお爺さんが好きなんですか? よくお話に出てきますけど……」

 

 そこへ朱里が混ざってくる。

 体を拭くとかはしないけど、残りのお粥を「はい」と差し出してくれた。

 

「んぐ、んむんむ……うん。考え方とかがいろいろ凄いから。見習うところは見習わないと」

 

 ……しかし、なんだろう。

 背中を少し強く拭かれるだけで、体がぐらぐら揺れる。

 熱ってすごいなぁ……こんなにも体を弱くするのか。

 眠気は全然だけど、今倒れたら気を失うことだって出来る自信があったりする。

 実に無駄な自信だ。

 

「……ていうかさ、みんな仕事はいいの? 休憩っていったって、無限じゃないでしょ」

『あ』

 

 全員がハッとした。

 それからは蜘蛛の子を散らすようにと言えばいいのか、皆が皆、軽く言葉を残して部屋を去っていく。

 俺はそれを見送ってからのろのろと起き上がり、替えの服をバッグから取り出した。

 せっかく拭いてくれたんだから、着替えないと。

 あぁ、せっかく休みをもらってるのに、休むことに集中出来ないのも考えものだ。

 どうしてこうなったんだろうか……はあ。

 

「愚痴こぼしてても仕方ないよな……」

 

 ぼーっとした頭のままに着替える。

 もう、眠れなくてもいいからずっと倒れていよう、それがい───

 

「あーあー、開けっぱなしじゃないかよ、無用心だなぁ……。おーい、えと……ほ、北郷~……って呼び方でいいか? いいよな、よし。北郷~? 見舞いに来てやっ───」

 

 …………い……?

 

「───……た……ぞ……?」

 

 のろのろと着替えていたら、声が聞こえた。

 振り向いてみれば、どうしてか馬超さんが居て───その。

 僕はえぇとそのぅ、着替えをしていたわけでして。

 上半身は拭いてもらったけど、下半身もまた汗を掻いていたわけでして、そうなれば着替えるためには脱がなきゃいけないわけでして。

 だからつまりその───

 

「○※★×◆▼~っ!? うっ……うぅわぁあああああああっ!!」

 

 音にするとこう、

 

  ぶわぁっちぃいいいいんっ!!

 

 と喩えると丁度いいくらいの音が、脳にも部屋にも鳴り響いた。

 

 強烈なビンタを避けることも出来ないまま、本日何度目かの気絶旅行へと旅立った俺は、この国での自分の在り方についてを、いろいろと考えようと本気で思ったりした。

 ……ああ、あと。こういう時の女性って、どうして逃げもせずに近寄ってきてまでビンタをかますんだろうなぁ……とかも。



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32:蜀/真実を告げる夢④

 ……で。

 

「ゴメンナサイ……」

 

 ふと気づけば、寝台の傍に置かれていた椅子に座り、頭を下げる馬超さんが居た。

 その傍には賈駆さんと董卓さんが居て……あ、あれぇ……? 俺、いつの間にか服着て……あ、あの、賈駆さん? 董卓さん? どうして物凄く顔を真っ赤にしてらっしゃるんですか? そしてどうして目を合わせようとしないんでしょうか。

 

「と……とりあえず、んっ……起きた途端に頭下げられても……。顔、上げてくれないかな……」

 

 ひどくけだるい体を動かし、上半身だけ起こす。

 それだけで体力がごっそりと減った気分だ。既に息が荒い。

 

「け、けどっ! 毎度毎度あたしが勝手に勘違いしたりしてばっかりでっ! 驚いたとはいえ、病人殴って気絶させるなんて……~っ……何やってんだよあたしはぁっ……!」

「馬超さん…………うん。本当に、大丈夫だから。俺もぼ~っとしてたとはいえ、扉を閉めるの忘れてたんだから……ごめん」

「まったくよっ! お陰で、お陰でっ……おか、おかか……! ととととんでもないもの見ちゃったじゃないのよぉっ!!」

「詠ちゃん……風邪引いちゃってたんだから、仕方ないよぅ」

「ていうか最後に部屋出たの誰!? 言いなさい! むしろ言えっ! いろいろぶつけてやらないと気が済まないわっ!」

 

 賈駆さんが顔を真っ赤にさせながら、少々涙目で迫ってきた。

 けれど俺と目が合うと余計に顔を赤くさせて沈黙。

 ええほんと……大変お見苦しいものをお見せいたしました……。

 

「……ごめん、本当に頭がぼーっとしてたから、最後に出たのが誰なのかは……」

「~……まったく……っ! 出ていくなら扉くらい閉めていきなさいっての、もうっ!」

 

 メイド服姿の軍師さまが、腕を組んでそっぽを向く。

 それを「まあまあ……」と宥める董卓さん。

 ……うーん、いまいち力関係が読めない。

 

「どーのこーの言ってるわりには、“うわ……”とか言ってまじまじと見てたじゃんかよ」

「なっ!? んなっ……なななななに言ってんのよなんで私が! それ言うならそれを知ってるあんただって見てたってことでしょ!?」

「なぁっ!? いぃいいいやいやいやいや何言ってんだ違う違うぞ!? あたしは詠を見てただけで、こいつっ……北郷のアレなんかっ!」

「………」

 

 前略孟徳様……病人の前で女性が二人、マイサンの話を大声で叫んでいる時、当事者はどんな顔をしたらいいのでしょうか……。

 

(我が覇道……ここで潰えるというのか……)

(孟徳さん!? あれぇ孟徳さん!? 死んじゃ……死んじゃだめぇええっ!!)

 

 孟徳さんっていうか俺の精神に相当なダメージが!

 ウウ……いっそ殺───いや、死ぬのはだめだけど、いろいろがいろいろで───あっ、あぁああああもう!! 誰か! 誰かこの状況をなんとかしてくれる猛者はいないのかぁああっ!!

 

「ここにいるぞーっ!」

「へっ!?」

「へうっ!?」

 

 頭を抱えてぶんぶんと振り回し、乱していた視線を戻してみれば……いつから居たのか、片腕一本をエイオーと天に突き上げ、にっこり笑顔の馬岱さん。

 ……あの。今心を読んだりした? それともまた声が漏れてた? ……漏れてたんでしょうね。

 

「えっへへー、お兄様、風邪引いたんだってー? なんか厨房で、かの美髪公がぶつぶつ呟いてたから来てみたよー♪」

「あの、馬岱? そういう言い回しはかえって人を傷つけるからやめようね?」

 

 いろいろと頭痛い。

 それでも真っ直ぐに元気をぶつけてきてくれる人が居ると、こっちも多少は元気になるから不思議だ。

 

「で、とりあえず“居ませんか~”って聞こえたから名乗り出てみたんだけど……なにかあったの?」

「………」

 

 無言で、言い争いを続ける二人をじっと見つめた。

 最初は首を傾げていた馬岱も言い争いの内容に次第に頬を染め、赤くなり、慌てて二人を止めに入ってくれた。

 それからはいつものというか恒例というか……お前が悪いあんたが悪いと二人から責められ、俺が何をしたと言いたいのに、口を開けば問答無用の一言。

 

「馬岱……これって俺が悪いのかな……」

「えーと……ごめんなさい。確実にお姉様たちが悪いよ……」

「詠ちゃん、一刀さんは着替えようとしてただけなんだそうだから、責めたりしたら悪いよ……」

「で、でもね月、そもそもこの男が風邪なんか引かなければっ……!」

 

 わあ、物凄い無茶を言いなさる。

 馬超さんだって「おいおいそれ無茶だろ」ってツッコミ入れるくらいの無茶っぷりだ。

 

「詠ちゃん。いつも力仕事とか手が回らないところを手伝ってもらってるのに、そんな言い方しちゃだめ」

「うっ……でも、それだってこの男が勝手にっ……だから、ね?」

「詠ちゃん……」

「う、う……うー……! わ、わかったわよぅ……。その、悪かったわよっ、おかしなこと言い出して。ていうk、大体そもそもは愛紗が風邪引くから……」

 

 言いくるめられたと言うべきなのか。

 賈駆さんはしょんぼりとしながらも謝罪の言葉を投げかけてくれて、俺はそれをふらふらと揺れながら聞いていた。

 

「ほら、お姉様も」

「うぅ……何度も何度も悪かった。さっきのだって、扉が開いてても“のっく”するか確認をとるかをするべきだったよな……」

 

 次いで、馬超さんも。

 べつに大事にするつもりはなかったのに、いろいろなことが重なった所為でこうなってしまったのだ。誰が悪いかといえば、状況の重なり方が悪かったとしか言いようがない。

 

「まあ、開いてた扉も問題だったけど、勝手に入っておいて裸を見て、叩いちゃうお姉様が一番ひどかったよね~?」

「なぁっ!? やっ、だって仕方ないだろ! あんな、あん、あんん……あんなもの見て、冷静でいられるもんかぁっ!!」

「それでお兄様を気絶させたんじゃ、お兄様が一人だけ酷い目に遭っただけだよぉ。勝手に入られたのもお兄様で、見られたのもお兄様。叩かれたのもお兄様で、気絶しちゃったのもお兄様。……何処かお兄様が悪いところってあるのかなぁ」

『うぐっ……!』

 

 馬岱の言葉に、馬超さんと賈駆さんがぎくりと息を詰まらせる。

 

「にしししし~♪ これは謝ったくらいじゃ足りないと思うんだよね~。どう? お兄様」

「全然足ります」

「あちゃ……お兄様ってばやさしすぎだよぅ。もっとこう、無茶なお願いするとかさぁ」

「ごめん。でも、元を正せば心配して様子を見に来てくれた人に、言うことを聞いてくれみたいなことは言えないよ」

 

 ……ていうか頭が、頭がぐらぐら……あ、あれ? 馬岱が二人? いや、三人?

 いよいよもってやばそうだ……あの、そろそろ寝転がってもいいでしょうか……。

 

「お兄様っていろいろと筋金入りなんだねぇ。あははっ、なんか面白いかも」

「そっか……はは、そりゃ……よかった……」

 

 頭、あつ……。

 なのに体は寒くて……だるい、すごくだるい……。

 

「……大丈夫? あの……ごめんねお兄様。急に来て騒いじゃって」

 

 そんな俺の様子に気づいてか、馬岱が少ししょんぼりした表情で俺を見た。

 見つめられた俺はといえば、そんな顔をしてほしくなかったから、もう少しだけと力を振り絞り、馬岱の頭をゆっくりと撫でた。

 

「あ……」

「ははっ……確かにさ、頭に響くくらいの声だったけど……でも、賑やかなのは好きだよ。それだけみんなが笑っていられてるってことなんだから……さ。だから、大丈夫。そんな顔しないでくれ……」

 

 そこで限界。

 いよいよ倒れそうだったので、ゆっくりと寝転がる。

 すぐに馬岱と董卓さんが心配そうな顔で見下ろしてくるけど、心配しないでほしいと返してゆっくりと息を吐いた。

 

「ごめんな、馬岱……多分、明日か明後日には治ってると思うから……その時に、また……歌……で、も……」

 

 眠気とは違う苦しさが頭の中で渦巻く。

 目を閉じればこのまま気絶出来そうなくらいの気持ち悪さだ。

 四人には悪いけど、もう目を閉じてしまおうか……と、そう思った時だった。

 

「……ね、お兄様」

「……、ん……ん……?」

「眠っちゃう前にさ、聞かせて欲しいことがあるんだけど。あのねお兄様? たんぽぽとお兄様の関係って……」

 

 小さな質問。

 けれど、目は本気だったから……辛かったけど、逸らすことなく真っ直ぐに見て、返す。

 

「俺は、友達の……つもりだよ……。いや、つもりじゃない……友達だ……」

 

 絞り出すような声。

 掠れた小さな声だけど、馬岱はぱぁっと笑みを浮かべ、「じゃあ」と元気に返した。

 だらりと垂らした俺の手を取って、一言を。

 

「これからはたんぽぽのことは“蒲公英”って呼んでいーよ。ううん、呼んでほしいな」

 

 エ? と返そうとしたけど、熱もいよいよやばい温度に至ったのか、声が思うように出せないとくる。

 そんな俺の驚きを馬超さんが代弁するように「なぁあーっ!?」と叫ぶが、当の馬岱サンはにっこにこと笑っていた。

 

「蒲公英っ、お前それがどういうことかっ……!」

「わかってるよもー。いーじゃん、たんぽぽがいいやって思ったんだから。それよりもお姉様だよ。散々誤解して叩いたり騒いだり気絶したりを繰り返してるのに、手伝ってくれるとなるとこれ頼むあれ頼むーって働かせたりしてさー。悪いって思わないの?」

「うぅぐっ!? そ、そりゃああたしだって悪いとは……! って今はあたしのこととか関係ないだろっ!」

「関係あるもん。いっつも悪いことしたなーとか迷惑してないかなーとか、後になってから言ってるの、お姉様でしょ? お姉様が男の人とこうして話し合うことなんてなかったし、たんぽぽはいいと思うんだけどなー♪」

「なんの話だよっ!」

「お友達のお話だよー? お友達になるくらいいーじゃん。そうすればもう少しは女の子らしくしようかな~とか思えるかもしれないし」

「大きなお世話だぁあっ!!」

 

 …………喧嘩が始まった。

 武器こそ出していないものの、ギャーギャーと騒ぐ声が頭に響き、なんかもういろいろなものが重なって、本気で涙出てきた。

 ……そんな涙を、拭ってくれる影がひとつ。

 

「ちょ、ちょっと、泣くことないでしょ……? 悪かったって思ってるわよ……」

 

 意外や意外、それは賈駆さんだった。

 本当に悪いことをしてしまったって顔で、寝転がる俺を心配そうに見下ろしていた。

 ……その声が、表情が、疲れた心や体に暖かかった。

 

「……、ごめ……ん、けほっ……なんでも、ないから……」

 

 笑って言うつもりが、引きつった笑みにしかなってくれない。

 そんな俺を見て、賈駆さんは言う。

 「男子の涙が“なんでもない”わけないでしょ」と。

 

「それともなに? あんたは逆の立場だったら……その、もしボクが泣いてたりしたら、“どうでもいいことだ”なんて言って、知らん顔するっていうの?」

 

 心配そうな顔から一変、少し怒った表情でそう言われては、返す言葉など一つだけ。

 

「……い、や……。心配だ……。凄く、心配だ…………ほうってなんか、おけないよ……」

「っ……」

 

 いや、違うか。きっと状況がどうであれ、ほうっておくことなんて出来やしない。

 懲りずに首を突っ込んで、いらないお節介を焼いてしまうんだろう。

 そんな自分を想像したら、こうして純粋に人の心配をしてくれている賈駆さんにお礼を言いたくなって、口にした。「ありがとう」と。

 

「……べつにいいわよ、お礼なんて。そ、そもそもっ、ほうっておけないって思わなきゃ、丸裸のあんたに服を着付けさせるなんてこと、するわけないでしょっ!?」

「………」

 

 言われてみて、それもそうだと納得してしまった。

 してしまったら、もう頬が緩むのを止められなかった。

 笑い声を上げられるほど余裕がなくて、笑みを浮かべるだけだけど、賈駆さんも董卓さんも俺の泣き笑いみたいな顔が可笑しかったのか、穏やかに笑っていた。

 ……いや、賈駆さんはそっぽを向きながらか。

 

「ねぇ、詠ちゃん」

「……だめよ月。こんな男に真名を許すなんて───」

「……くすくすっ♪ 詠ちゃん? 私、真名を許すなんてこと、一言も言ってないよ?」

「うあっ!? え、やっ……だだだとしてもっ、言うつもりだったんでしょ!?」

「……うん。悪い人じゃないのは、もうわかりきってたし……それに、とてもやさしい人だよ?」

「だめよ。今はやさしくても、元気になったらきっと蜀中の女という女を───」

「───襲う、って……詠ちゃんは本当に思ってる?」

 

 …………。

 

「月のいじわる……」

「詠ちゃんはもっと素直になったほうがいいと思うんだけどな……ね、詠ちゃん。詠ちゃんも、呉での一刀さんの噂、知ってるよね……?」

「うー……」

「詠ちゃん、“男にもそんなやつが居るんだ……”って凄く褒めてたのに……」

「そっ、それはっ、~……うー……確かに、そうよ? 働きとか、民の騒動を鎮めた手腕は認めたわよ。やり方が無茶苦茶だったけど、事実として確かに民は落ち着いたんだから。でもだめ、呉が大丈夫だったからって、蜀で手を出さないとは限らないんだから。もしそんなことが起きて、月が暴力でも振るわれたって思うと……!」

 

 ……ひどい言われようである。

 うう……否定したいんだけど、本格的に辛い。

 口を開くのも重労働だ、なんて苦しんでいると、ふと……「めっ」て言葉が耳に届いた。

 視線を動かしてみれば、董卓さんが怖々と賈駆さんの頭に手を乗せていた。

 …………え? 今、叩いたの? めっ、とか言ってたけど……。

 

「え……ゆ、月?」

「へぅ……叩いちゃってごめんね、詠ちゃん。でも、人をいつまでも同じだって見ちゃ可哀想だよ……。魏の皆さんを、その、抱き締めたって……へぅ……き、聞きはしたけど、それだって魏の皆さんが嫌がってたなんて話、聞いてないよ……?」

「……月、でも」

「呉でも、民の皆さんと一緒に騒げる素敵な人だったって、商人さんが言ってたよ……?」

「うぅ……月ー……」

「詠ちゃん、ちゃんと見てあげよう? 嫌な噂なんて聞かないし、蜀でだって皆さんを手伝ったりしてくれるいい人だって……詠ちゃんもわかってるはずだよ?」

「………」

 

 瞼が落ちてきた。

 眠気は全然ないのに、意識が沈もうとしている。

 そんな俺の左手に、ちょんと触れる何か。

 なんだろう、と無理矢理目を開くと、複雑そうな顔で俺を見下ろしている賈駆さんが。

 

「……ねぇ。一つだけ訊かせて。苦しい時に、ひどいことしてるって自覚はあるけど……真面目な話なんだ。だから、ボクの質問に答えて」

「………」

 

 なんとか頷く。

 ……そして、しばしの沈黙。

 真っ直ぐに目を見つめられたまま、俺も逸らすことなく見つめ返し、その瞳に様々な覚悟を見る。

 直後に、沈黙は破られた。

 

「……あんたにとって、月は守るべき存在? それとも───」

 

 それとも。

 その先は紡がれなかった。

 ただ真剣な眼差しだけが俺を見下ろしていて、そんな真剣さに答えたい衝動だけが、けだるさを吹き飛ばしてくれた。

 だから、届ける。

 友達だと思っていること。大切だと思っていること。

 そして、友達ってのは守るものではなく、お互いが何かしらで支え合って構築される関係なんだと思っていること。

 助けたいと思えば助けるのは当然。

 守りたいと思うより早く、ほうっておけないと思うはずだから。

 そんな思いを、“チョン、チョン”と断続的に手に触れているソレをやさしく握りながら、届けた。

 

「~……そ、そう。そう……そっか、そうなんだ……へ、へー……」

 

 やっぱり複雑そうな顔がそこにあった。

 なのに、次に紡いだたった一言で、彼女の顔が灼熱した。

 ただ一言……「それは、賈駆さんに対しても同じだけどね」と言っただけで。

 ……ああ、もう……本当に俺は何を言っているんだろう。

 思考が上手く回転してくれない。

 なんだかとても恥ずかしいことを言った気がするのに、自分自身でよく理解出来ていなかったりする。

 

「…………詠」

「……?」

 

 ひどく重い頭と格闘しながら、ふと耳に届いた声に、賈駆さんを見る。

 彼女は耳と言わず全身を真っ赤にする勢いで赤くなっていて、そっぽを向きながら何かを呟いた。

 

「だ、だからっ……詠、詠だってばっ! ボクの真名!」

「………」

 

 ぽかんとしたい。しかしながら表情筋までもが動いてくれない始末で……感謝を伝えたくて、トン、トンと握ったままの彼女の手を指で叩いた。

 ……顔の赤さが、増したような気がした。

 

「私の真名は……月。月と、その……呼んでください」

 

 そして、そんな手に重ねられるもうひとつの手。

 小さく柔らかなそれが、寒気を感じる体にやさしい。

 ありがとうを言える状態ですらなくなってしまったので、彼女の手にもノックで返す。

 ……やわらかな笑顔が、そこにあった。

 あー……でも、もう本当に限界。

 ごめんなさい、少し旅立ちます……。

 

「───……」

 

 すぅ……と息を吸うと、それが合図になって意識が切れる。

 バツンッと音が鳴ったと錯覚するくらい、綺麗に。

 その瞬間に思い浮かべたのは、この世界の在り方について。

 世界の真実を知ったから、自分は何かを成さなくちゃいけない……そんな気分は、今のところ全然沸き出さなかった。

 いつ終端へ辿り着くかはわからない。

 わからないなら、そのことについて思い悩むよりも、今を精一杯生きなきゃ。

 たとえ創られた外史なのだとしても、死んでいったあいつらや、託された思いたちは、確かにこの世界の中で産まれたのだから。

 終端まで物語が続くというなら、行こうじゃないか、みんなで。

 人はいつかは死ぬ。その死ってものが終端だっていうなら、ただそこまでを生きるのみ。

 外史だろうと正史だろうと、一人一人に出来ることなんてきっと変わらないのだから。

 

「あ……お兄様寝ちゃった。ほらー、お姉様が早く言わないからー」

「だだだから大きなお世話だって言ってるだろぉおおっ!? あたしはあたしが許したいって思ったら許すんだよ! 誰かに言われて許す真名が大事なもんかっ!」

「うわぁー……そういう人も居るかもしれないのに。お姉様ってばひどーい」

「ひどくなんかないっ、普通だ普通っ!」

 

 そう、自分が行ける果てまで、みんなと歩いていく。願いなんてのはそんなものでいい。

 いつか終わるからなんて考えで諦めてしまうにはもったいない、あまりにも楽しい外史(せかい)なのだから。

 

「……一刀さん、笑ってる……」

「ぜぇぜぇ言ってるくせに、何が楽しくて笑ってるんだか。楽しい夢でも見てるとか?」

「へぅ……でも、なんだか……可愛いかも……へぅう……」

「……ま、まあ……黙ってれば、ね……」

 

 ───夢を見た。

 それはとても都合のいい夢。

 死んでいったみんなが生きていて、みんながみんな幸せに暮らす夢。

 笑顔があって、楽しいがあって……けど、現実味がない世界。

 それでもあいつらが笑っていてくれることが嬉しくて、都合が良くてもこんな夢を見せてくれた自分の脳に、涙を流しながら感謝した。

 

 民が笑い将が笑い、王が笑い国が暖かくなる。

 それは、そんな暖かさがずっとずっと続いてゆく……とても、幸せな夢だった。



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33:蜀/相変わらずの騒がしき日々に①

61/病み上がりの朝に

 

「ん、んうっ、んんぅうぃい~っ……!!」

 

 小鳥の囀りに目を覚ました朝。

 ぐぅっと伸びをして辺りを見渡してみても、誰も居ないこの部屋。

 思春はどうしたのかなと思考を回転させてみるが、おそらく風邪が伝染るといけないからと、別の部屋に案内されたんだろう。

 

「んん、と」

 

 拳を作ったり開いたりをしてみる。

 ……異常無し。

 動けなかった分、多少の鈍さは仕方ないとはいえ、体はすこぶる健康と見た。

 

「よしっ! 治った!」

 

 我、完治せり!(多分)

 

「うん、なんだか腹が異様に減ってるし、体も少し重いけど、頭痛とかはないし……うんうん、よし、まずは軽く運動をして血流をよくしてから、水を貰いにいこう」

 

 そうと決まれば行動は速い。

 まずは寝台の上で仰向けの状態で両手両足を天井へ向けて伸ばし、その状態でバタバタと両手両足を振るうことで、身体の先に溜まりがちな血液を循環させる。

 そうしてから寝台を下りると足踏み運動を開始。

 付け根と平行か、それ以上に膝を持ち上げ、さらに血液を循環。

 次いで始める柔軟体操でそれらを体全体へと流して。

 消化吸収を良くするために、軽く胃袋を刺激させる運動もして、と。

 さあ、これであとは水と食事を取るだけだ。

 

「今日の朝は何かなぁ」

 

 わくわくしながら部屋を出る。

 その頃には体の重さも無くなり、普通にてこてこと歩ける自分へと復活を遂げていた。

 

……。

 

 ……うん。

 

「はぁ~、満足~♪ やっぱり味がわかるって大事だよなぁ」

 

 苛め抜いてきた体が欲したからか、異常とも言えるくらいの量を食べた。

 咀嚼し、味わい、嚥下する。

 食事が喉を通る感触がひどく懐かしく感じて、それはもうムッシャムッシャと頂いた。

 なにやら厨房に居た侍女さんがやたらと驚いてたけど、何があったのかは教えてくれなかった。というか、「もう、良くなられたのですか?」「うん、もうすっかり」……会話がこれだけで終わってしまったのだ。

 うーん、いったいなにが……?

 

「考えても仕方ないか。よし、胃袋を軽く刺激してやってから、桃香に復帰報告をしにいこう」

 

 腹も膨れたところで、中庭で陽光を浴びながら、改めて軽い運動を開始した。

 ……その時の俺はまだ知らなかったんだ。

 今がいったいいつで、自分がどれだけ風邪で寝込んでいたのかを……。

 

……。

 

 …………。

 

「………」

 

 おかしい。

 おかしいよな、これ。

 

「なぁ璃々ちゃん? どうしてみんな、城に居ないんだ?」

 

 東屋の椅子に座りながら、退屈そうに足をぷらぷら揺らしていた璃々ちゃんを発見、お願いされたので俺も座り、足の上に乗ってきた璃々ちゃんを撫でながらの言葉。

 対する璃々ちゃんは首をこてりと傾げたあと、

 

「えーっと、がっこおが出来たから、見に行くって言ってたよー?」

「へぇ~……そっか、学校が……学校!?」

 

 え……ええぇ!? 学校が!?

 あれちょっと待て!? 今日何月何日だ!? ───や、それはわかるわけないな、うん。太陽光充電をした携帯電話でも、もう正確な時間も日時もわからなくなってしまっている。

 しかしだ、ここで驚くよりも、いっそ学校へ───……行こうとしたんだが、璃々ちゃんがきゅっと俺の服を掴んで、寂しそうな顔をするわけで。

 泣く子には勝てません……。

 

「黄忠さんが戻るまで、ここで遊んで待ってようか……」

「うんっ、あのね、璃々ねー♪」

 

 途端に笑顔になるんだから、女の子ってこわい。

 キミはきっと、立派な女性になれるよ……。

 

(けど、そっか。学校が出来たのか)

 

 何日寝ていたのかは知らない。

 見ていた夢が幸せすぎて、潜在意識が現実に戻ってきたくなかったのか、ただ単に疲れすぎていた体がこれを機に思い切り休んだだけなのか。

 事実として体は軽い。起きた時に体が鈍るくらいは寝てたんだろうが、頭も体も目覚めてからは軽すぎるくらいだ。

 ……いつの間に学校が出来たのかは、あとで誰かに訊くとしよう。

 今はもう少しの体のならしも兼ねて、璃々ちゃんと遊ぶことに専念する。

 

「ねぇ御遣いさまー? がっこおってなんなの?」

「学校? んー……いろいろなことを学ぶ場所……かな。自分の知らないことを、先生や同じ生徒から学んでいく場所、だと思う」

「?」

 

 突然の質問に、答えてみれば首を傾げる璃々ちゃん。

 そんな仕草に苦笑をこぼし、「えぇと」と受け取りやすい答えを頭の中から探す。

 そうして軽く説明しながらも、鈴々にするみたいに高い高いをしたり肩車をしたり、その状態のまま走り回ったり木に登ってみたり。

 その木の上に座りながら日本の御伽噺を聞かせてあげたり。

 快晴の空の下、しばらくそうして平和な時間を堪能していた。

 

……。

 

 ……まあもっとも、そんな時間がそう長く続くはずもなく。

 

「一刀殿! いったい何を考えておいでか! 病み上がりだというのにあちらこちらと走り回るなど!」

「あ、や、やー……これにはいろいろと事情がー……」

「事情云々以前の問題ですっ!」

「うひぃっ!? ご、ごめんなさい……」

 

 学校の見学もそこそこに、様子を見に戻ってきてくれた愛紗にこってりと絞られていた。

 部屋に行ってみれば寝込んでいた俺の姿はなく、探し回ってみれば中庭で璃々ちゃんに肩車をしながら走り回るサワヤカボーイ。

 うん、逆の立場だったとしても、それは呆れるか怒る。

 けど、逆の立場だったとしても、俺にはこれほどまでの迫力は出せません。

 ……ちなみに。璃々ちゃんは先に逃がした。

 中庭の中心で正座をする俺と違い、璃々ちゃんは東屋の椅子で俺の生き様を───

 

「聞いているんですかっ!?」

「はいぃっ!!」

 

 ───見ないでください、お願いします。

 もう怒鳴られるたびに「ヒィ」とか「ごめんなさい」とか言っている俺を、璃々ちゃんは終始心配そうな顔で眺めていた。

 楽しそうに、じゃないところに彼女の暖かさを知った、そんな晴れた日のことだった。

 

……。

 

 そんなこんなで説教も終わり、こほんと咳払いをひとつ、俺と対面するように座った愛紗に、学校のことを持ち出してみる。

 俺がどれくらい寝てたのかは、この際後回しか忘れてしまったほうがいいような気がしてきたから。

 

「ええ、学校は無事完成しました。先ほど拝見してきたところです。……その後、心配で戻ってみれば肝心の人物が部屋に居なかったわけですが」

「うぐ……」

 

 ジトリと睨まれて、思わず声を詰まらせる。

 しかし釘を刺したかっただけのようで、もう一度咳払いをすると、苦笑をもらしながらも学校の話をしてくれる。

 病み上がりなのだからと部屋に戻るように言われたが、せっかくの晴れだからここがいいって言葉に頷きながら。

 

「上手く回転しそう?」

「物珍しさからでしょう。民も集まり、体験してみたいと進言する者も少しずつですが集まっています」

「そっか。じゃあその体験入学で、どれだけ意欲を掻き立てられるか……だね」

 

 恐らくそれが一番難しいんだろうけど。

 小さく呟く俺に、愛紗は「では」と唱える。

 

「何か工夫をしてみては?」

「工夫?」

「はい。一度目は“これは楽しいものだ”と思わせるもので固めてみるなどして」

「ん……ちょっと難しいかな。それをすると、二度目からが途端に辛くなる。かといって最初から押し付けるようにすると、二度目は来なくなる」

 

 体験で終わってしまいそうだ。

 だったらやっぱり段階を経て難しくするしかないわけで……あれ? じゃあ結局工夫は必要になってくるじゃないか。

 

「えと、ごめん。目は覚めてるんだけど、上手く頭が働いてくれない。……うん、愛紗の言うように最初は楽しいと思わせるものでいいと思う。二度目はそれから少しだけ難しくしていけば……───そうなると“楽しい”を維持できるかが一番難しそうだね」

「ええ、まあその、勉学に楽しさを混ぜるのはなかなかに難しいかと」 

「一番怖いのが、教師が突っ走りすぎることで……後になって、“この先生嫌だ、あっちの先生がいい”なんて言われたら、軽く落ち込むよ……」

「……軽く、で済めばいいですが」

「だよねぇ……」

 

 朱里や雛里が教師をしている場面を思い浮かべ、“別の先生がいい”と子供に言われた瞬間を連想してみる。

 ……落ち込む姿が、想像だというのに鮮明に描かれた。

 だめだな、うん。立ち直るのに時間がかかりそうだ。

 

「よし、ここでこうして話してても思考がぐるぐる空回りするだけだし、やってみないとなんとも言えないよな。まずは体験入学生を迎えて、やってみることからだ」

「とはいえ、今日明日にでも即座に開始するわけでもありません。───一刀殿? 知識を拝借することにはなりますが、貴方には準備の間、大事をとって休んでもらいます」

「え? でも俺」

「問答無用です」

「ア……ハイ……」

 

 有無をも言わせぬ眼光が俺の視線と交差した刹那、反論は不可能になっていた。

 仕方もなしに立ち上がり、璃々ちゃんに手を振りながら部屋へと向かう。

 大丈夫って言っても付き添うのをやめない愛紗に肩を貸され、同じく戻ってきていたのだろう、宛がわれた俺の部屋の前でおろおろする桃香や鈴々に、物凄く心配されることになる。

 ……うん、肩を貸してもらっている時点で重症と見られ、「寝てなきゃだめだよー!」とか「大人しくしてないとだめなのだー!」とか散々怒られて、

 

「いやあの……俺、普通に歩けるし───」

『病人は黙って(るのーっ!)(いてください!)(るのだー!)』

「……ハ、ハイ……ゴメンナサイ……」

 

 口出ししようものなら、やっぱりクワッと怒られる始末……どうやら病み上がりの人に人権は存在してくれないらしい。

 心配してくれるのは嬉しいけど、本当に歩けるんだけどなぁ……。 

 

 

 

 

62/迎えた朝、勉学の日々

 

 あれから数日。

 “初めての授業”に向けての準備は細々と進められていき、現在。

 挑戦して作ったチョークや黒板は思いのほか綺麗に仕上がり、出来も上々。

 上々っていうのはあくまでこの時代での意味であり、天でいうチョークのように綺麗ではない。

 黒板に走らせてみれば、きちんと引ける白線に安堵する……も、力を込めすぎると軽くポッキリいってしまうモロさ。

 改良の余地ありだ。

 魏に戻ったら、真桜と一緒に煮詰めてみよう。

 

「え、え……えーと、はい。みみみ、みなさん、おはようございます」

『おはよーございまーす!』

「あーっ、あいつたまに、まちをうろうろしてるやつだーっ!」

「あのにーちゃんが“みつかいさま”だったんだー」

 

 ……で、俺が今何をしているのかといえば。

 とうとう来てしまった初授業って三文字と、正々堂々試合開始をしたところだったりするのだ。

 予想以上に集まってくれた子供たちと、それに付き添い訪れた親。

 仕事に出ている人が大半なのか、親とおぼしき人たちの数は少ないが、それでも教室の椅子を軽く埋めてくれるほどには集まってくれていた。

 …………1クラスの椅子の数は、多いものじゃないけどさ。

 

「にーちゃんにーちゃん、あそぼー? じゅぎょーなんてよくわからないことしないでさー」

「おにーちゃん、かたぐるましてー?」

「………」

 

 はい、早速ですが初授業の感想を。

 

(授業になるのか? これ)

 

 いや、なるのか、じゃなくてするんだよ、うん。

 頑張ろう、せっかく来てくれたんだから、楽しく元気に学んでもらうんだ。

 

「ごめんな、あとででいいなら遊ぶから。にーちゃん、今仕事中なんだ」

 

 手元に教科書も持たない仕事っていうのもおかしなものだけど。

 わやわやと騒ぐ子供たちにやんわりと声をかけると、仕事の大切さを知る親のみんなが、これまたやんわりと我が子を落ち着かせてくれる。

 子供たちも初めての場所での体験だ、次に何を始めるのかを楽しみにしている様子もあり、大人しくしてくれた。

 ……よ、よし、始めよう。

 まずは自己紹介から入ろうか? それとも……うああ、こうしようって考えてきたことが全部吹き飛んでしまっている……!

 落ち着けー、俺のほうこそが落ち着けー……。

 

「……うん。じゃあまず、軽く“学校”の説明をします。知った上で来ている人しか居ないだろうけど、簡単に話すので聞いてください」

『はーいっ』

(素直だ……!)

 

 じぃいんと無駄に感動した。

 俺の言葉に素直に返してくれる生徒が居る……! これが、これだけのことがこんなにも嬉しいなんて……!

 思えばこれまで、将って生徒にどれほど苦労させられたか……!

 

(じいちゃん、俺決めたよ……! この子たちを立派に導いてみせるよ……!)

 

 ……じゃなくて。だから落ち着こう俺。

 導くのはいいけど、先を決めるのはこの子たちなんだから。

 

「こほんっ、あー……」

 

 照れ隠しの咳払いをひとつ、学校の説明に入った。

 教室の数、教師の数、ここで学べること、食事や料金のことなど。

 教室の数は、現代の学校に比べればそう多いものじゃない。

 教師の数も同じくであり、みんななんのかんのと忙しい。

 軍師だった人の中からじゃなくても、知力に富んだ人に任せるのが無難と考え、今までしてきていた仕事は一先ず別の人に任せ、教師に専念してもらうことに。

 その人が慣れたら別の人にも教える形で……教育実習生に教える感じで学んでもらい、少しずつ教師枠も増やしていく。

 さすがに一人だけに任せてたら体が保たないし。

 

 次にここで学べることは……国語、算数、理科、社会、体育など……いわゆる現代の小学生が学ぶものを教えるつもりだ。

 国語は言うまでもなくこの大陸の文字の勉強。日本では子供でも文字を書けるけど、この時代は文字を知らない大人も居たりする。そういった人の多さに驚いたくらいだ。

 算数も言うまでもなく、将(主に鈴々や文醜さん)を相手に教えたものとそう変わらないものを教えて、理科ではチョークの作り方や、別のいろいろなものの作り方などを教えていく。授業と称してチョークを作ってもらうって、少し利用しているようで嫌だけど。

 社会では戦の歴史などを伝えていき、体育は……言うまでもないよなぁ。

 

  あとは……食事と、学費のこと。

 

 結局あれから数日間、みっちりと話し込んだ結果───教える側にも教えられる側にも安定が見られ、学校って場所がきちんと機能するようになるまでは三国が学費の大部分を負担することになった。

 魏や呉から学びに来る人も出るだろうからと、話し込んだ上での決断だ。

 負担と言えば格好はいいが、ようは出世払いみたいなものだろう。

 学んだ知識を生かして、のちの国に活かしてほしい。そういった願いを込めて、お金のことは気にしないで学べるだけ学んでほしいって話だ。

 教える人もころころ変わるわけだし、自分の仕事の枠が一つ増えたと思ってもらえれば。

 俺からして考えれば、書類整理と警邏の他に、先生役って仕事が増えた、って……それだけの話だ。ずっと先生をやるわけじゃなく、さっきも言った通り知性に富んだ人と入れ替わりで教師役を務めるわけだ。

 

「そんなわけで、一番最初に教える役が俺になりました。まだ人に教えることには慣れてませんが、どうぞよろしくお願いします」

「よろしくー、にーちゃん」

「よろしくー」

「よろしくー」

(素直だ……!)

 

 って、だから軽くガッツポーズ取ってじーんとくるのはいいんだってば。

 ほら、そんなことやってるから親御さんたちもくすくす笑ってるし……。

 

「え、えと。じゃあまずは自己紹介から。一応、今回教師役を務めます、北郷一刀といいます」

「おにーちゃんへんー♪」

「つとめますー、だってー」

「いいますー、だってー」

(…………素直だなぁ……ほんと……)

 

 いろんな意味で。

 子供たちとは鈴々との付き合いで遊ぶことはあっても、敬語で話すことなんてなかったわけで。子供たちにとってはそれが違和感としてしか受け取れないのか、俺のことを指差して笑っていた。

 いやいや、これくらいで寂しい気持ちになってる場合じゃない。

 きちんと仕事をしないとな。

 うんうんと頷きながら、一人ずつ自己紹介をしてもらう。

 それが終わると、いよいよ授業開始だ。

 簡単なことから、とはいったものの、いきなり授業を始めてはワケがわからない上につまらないだろうし───

 

「よし、じゃあここに居るみんなが、一人一人の級友ってことになるな。今日は体験するだけだから、どうか楽しむ気持ちで受けてほしい」

「“ます”はー?」

「つとめますー」

「ますー」

「いや……ああ、うん……もうどっちでもいいんだけどさ……」

 

 ───だからまず、書くことに慣れてもらう。

 数は少ないけど、チョークと小さな黒板を用意出来た。

 これを配って、机の上に置いたそれらに好きなことを書いてもらう。

 名前を書いてもらうのもいいかなって最初こそは思ったものの、自分の名前の文字さえ知らない子も居るだろう。

 だったらまずは、“書くこと”を学んでもらう。

 遊びで書くんじゃなく、授業として書くことを覚えてもらう。

 初歩の初歩、極々簡単なことだけど、それこそ初歩……第一歩として学んでもらおう。

 

「あ、最後に。今日は一通りの授業を体験してもらいますが、普段の僕……ああいや、“俺”でいいやもう。普段の俺が受け持つ授業は、天の知識を知ってもらうものになっています。真面目に覚える必要は特になく、いわゆる~……」

 

 黒板にチョークを走らせる。書いた文字は“脳力”。能力ではない。

 

「……“脳力開発(のうりょくかいはつ)”に役立てるものです」

「……? 御遣いさま? その“のうりょく”というのはいったい……?」

 

 さっき、俺に“肩車してー”と言ってきた娘の親らしき女性が、軽く質問を飛ばす。それに対して一度頷いてから、軽く説明を開始。

 

「細かに説明するのは逆に難しいし、俺も詳しく知ってるわけじゃないけどね。脳力は、いわゆる頭の力のこと。考える力とか、判断、決断する力のことだね。そういった記憶力や理解力の底上げをするための授業を、俺が担当することになりました」

 

 敬語と普通の喋り方が混ざったおかしな言葉が出るが、みんなは興味津々のご様子で聞いてくれていた。

 や、むしろわからないことは率先して訊いてくる始末で、“天の知識”をわかるように説明するのはこれで結構難しかったりした。

 

「つまりそのじゅぎょーってやつでは、御遣いさまがおいらたちに、そのー……天の知識を授けてくれるってぇわけですかい」

「ああいやっ、授けるなんて大げさなものじゃないからっ……! ただ、知らない知識を見て聞いて書くことで、脳に刺激を与えることが重要なんだ。難しいから諦めるんじゃなく、むしろこう……自分がわからないことを前にした時は、“脳を鍛える機会が巡ってきた~”って思ってみるのもいいかもしれない」

『…………?』

「あ、うん……まあ、細かいことはおいおい知ってもらうとして。難しい話だけど、なんでも楽しんでみよう。楽しめなかったら楽しむ努力をしてみるんだ。どうすれば楽しくしていられるのかを、心の片隅ででもいいから考えてみる。……それは些細なことだけど、子供の頃はいろんな人が持っている純粋な感情だから」

 

 そういったものを持つことさえ出来なかった時代を生きたのなら、たった今知ってもらうのもいい。

 そうして、少しずつ“楽しむこと”と“学ぶこと”を知ってもらおう。

 教えて、知ってもらうのが教師だ。押し付けるだけなら誰にでも出来るもんな。

 ……言うだけで、思うだけでその通りになるのなら、誰も苦労はしないわけだけどさ。



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33:蜀/相変わらずの騒がしき日々に②

 ───そんなわけで第一教科、国語。

 

「はい、ではまず簡単なところから。……(いー)。天では(いち)、って読むんだけど、国語らしく壱って書こう。文字にして書くと難しいけど、口にするのは簡単だなぁ」

 

 手本として、教壇に打ち付けられている大き目の黒板(現代日本のものほど大きくはない)にチョークを滑らせる。

 作りが荒い所為もあってかボロボロと砕けるチョークだが、書けないこともないので。

 

「~っと。これを見本に、壱を書いてみよう」

「かいたーっ♪」

「にーちゃんかいたー!」

「みてみてー!」

「早ッ!?」

 

 驚きつつも歩き、子供たちが座る机から机へと視線を巡らせるわけだが……

 

「………」

 

 見れば、とりあえずは何かが書かれていて、それがなんなのかが理解出来ない状態。

 一応形をなぞろうとした形跡はあるものの、それが見受けられるのは最初の一線だけ。

 あとは滅茶苦茶なわけだが……なんだろうなぁ……こう、無条件でその努力を褒めてやりたくなるほどの輝く笑顔で、「どう? どう?」って見上げられると……ま、まあ最初は楽しんでもらうためだし、いいか。

 

「ちょ、ちょっと違うけど……うん、書こうとした努力は伝わってくるぞー」

「えらいー?」

「ん、偉い偉い」

「《なでなで》わ……え、えへへー……♪」

 

 くいくいと服を引っ張り、見上げてきていた娘の頭を撫でてやる。

 すると、褒められたのが嬉しかったのか、今度はもっと上手く書こうとしてか教壇の黒板と自分の黒板とを見比べながら、チョークを走らせる少女。

 なんだかくすぐったい気分になっていると、その後方で「へっへっへ」と笑いながらチョークを走らせる男性を発見。

 

「っし、と。へへっ、どーですかい御遣い様、上手く書けてるでしょう」

 

 近寄ってみると、ニヤリと無邪気に笑う大人一丁。うん、いい笑顔だ。大人にしておくのがもったいないくらいだ。

 しかし書かれているのは“売”って字で……マテ、どーすればこう間違える。

 

「これは壱を書こうとしたってことで……いいのかな」

「いいえ違いまさぁ、同じものばかりを書いていては新しい道は開けないと思ったんで、少しばかりいじってみたんでさ」

「…………いや、考え方はいいかもだけど、これってそういう授業じゃないから」 

 

 でも楽しもうとする意欲は、他の誰よりも上だったりした。

 こういうふうに振る舞える大人は、この世界じゃあ貴重かもしれない。

 

 

───……。

 

 

 第二教科、算数。

 

「さてと。じゃ、算数の授業では、足し算、引き算、掛け算、割り算を教えます」

「おにーちゃーん、た、たし……? ってなにー?」

「うん、ちゃーんとそこから教えていくからなー?」

 

 チョークがバキボキ折れる中、小さくなったそれでコリコリと文字を書く。

 やってみてわかることもいろいろある。教師ってキツい。

 間違ったことを教えるわけにはいかないし、だからって“これが正しい、自分が正しいに違いない”と過信するのもアウト。

 子供の純粋な目で「どうして?」とかツッコまれると、「そう決まっていたから」としか返せないのは教える側としてどーなんだ。

 

「まず簡単なところから。ここにチョークが二つあるな? このチョークを、さっきの授業で教えた数、“壱”とする」

「いー」

「いー♪」

「うん、そうだな、“いー”だ」

 

 子供のノリがありがたい。

 嫌な顔をせず、笑顔で受け取り、返してくれる。

 そんな笑顔に応えるためにも、出来るだけわかりやすいように教えていく。

 自分の視点で見るんじゃなく、子供の頃……自分がどうやって足し算を覚えたのかを思い出しながら。

 

「……? いーがふたつだと、あーるになるの?」

「そう。いーといーを一緒にすると、(あーる)になる。この時間では、算数を使って国語の時間に書いた壱から(しー)までの数を、軽く勉強してみようか」

 

 黒板に文字を走らせ、……おおうチョークが折れた。が、気にせず書く。

 壱と壱で貮になることは教えた。じゃあ貮に壱を足したらどうなるか。

 

「どーなるのー?」

「貮は壱が二つあると出来る数っていうのはさっき教えたね? だから、次は(さん)になるんだ」

 

 黒板の高いところに、壱、貮、参、(すー)(うー)(りゅう)(ちぃ)(ぱぁ)(ちゅう)、拾を書いて、その下に足し算を書いていく。

 どの文字がどの数を表しているのかをまず説明して、少しずつじっくりと。

 

「よくわかんなーい」

「そ、そっか。じゃあもっとじっくりと。えー……と、ここに……一匹の、犬が……居ます」

 

 チョークの本数じゃなく、生き物のほうが関心が持たれるかなーと、黒板に犬の絵を描く。それが二匹になれば貮になって……って教えようとしたんだが。

 

「にーちゃんそれなにー?」

「え? なにって……犬だぞ?」

「えー? うそだー!」

「おばけだー!」

「おばけー!」

「えぇっ!? い、犬だぞ!? 犬だろ!? いっ……犬だってば! 犬なんだって!」

 

 描いてみたんだが、上達しない絵の酷さに対する素直な子供の反応が痛い。

 きちんと描いたつもりだったんだが……やっぱり俺、絵の才能ないのかなぁ……。

 軽く傷つきながら、それでも笑顔で授業を続けた。

 

……。

 

 第三教科、理科。

 

「御遣い様、“りか”ってぇのはなんです?」

 

 大体一時間ずつの時間を取ることはせず、要点だけを知ってもらうための授業も三つ目。

 壱を“売”と書いたおやっさんが、不思議な顔で質問を投げてくる。

 さて……理科、理科ねぇ。

 

「たしか……様々な物事、現象を学ぶこと。火はどうすれば点くのか、声はどうやって出るのか、そういったものを知ることって考えてもらえれば」

「へぇ……声は出せるから出るもんじゃあねぇんですかい?」

「声が出るのは、吐き出す呼吸が声帯を震わせるから、だったかな。だから高い声を出す時に必要なのは喉に力を込めて絞ることじゃなくて、逆に喉を開いた状態で上手く声帯に息を当てることで───って、でも声のことは一例で、理科とはそう関係深くないから、これは忘れてくれてもいいかな」

 

 それで、早速理科なんだけど……チョーク作りって理科って言えるのか?

 そりゃあ粘土(自然ブツ)をいじくるわけだから、ある意味では……いやいやでもなぁ。

 まさか電気実験や火を使っての実験をするわけにもいかないし。

 や、そもそも電気もビーカーもアルコールランプも無いってば。

 

(でも懐かしいな……小さい頃にやったなぁ、“電球がもっとも明るく光る電池の繋ぎ方は、どういう繋ぎ方でしょう?”って)

 

 答えは直列だった。あくまで“もっとも光るのは”に対する答えで、持続力で言えば並列だったっけ。

 さて……理科、理科ねぇ、ってさっきも巡らせたよ、この思考。

 うーん……チョーク作りの予定……で、一応粘土も用意してあるにはあるものの……いっそのこと粘土細工でも作ってもらおうか? や、それだともう理科っていうよりは図画工作の部類だ。

 もしかして理科、必要なかった?

 ……そう考えたら、この授業出されて喜ぶのって、真桜くらいしか居ないような気がしてきた。

 

「……よしっ、決定! 理科の授業では粘土で好きなものを作ってもらうっ!」

『?』

 

 チョークはその片手間で十分だ。

 粘土だって質のいいものじゃないし、貴重ってほどでもない。

 なにより楽しんでもらうことが第一なんだ、こんな日があってもいいだろう。

 

 ……そういった経緯もあって、用意した粘土で散々と遊ぶ時間が訪れたわけだが。

 子供たちは元気に粘土を叩いたり、こねくり回したりしてご満悦。大人は何を作るかを懸命に考え、子供に促されるや叩いたりこねくり回したり。

 なんのかんのと全員が楽しんでくれたらしい“理科……?”の時間は終わり、作ったものは後日、焼いてもらうつもりでいたのだが。焼き加減を誤り、ボロボロになったものを届けることになり、子供達や大人たちに笑われることにもなるのは、少し先の話である。

 

……。

 

 ……そんなこんなで時は過ぎて、ようやく今日の体験授業の全てが終了。

 一日中、“仮生徒”のみんなと付きっ切りの授業をこなした俺は、鍛錬よりもよっぽど疲れた体を自室の寝台にぐったりと寝かせていた。

 

「……」

 

 予算の都合上、豪華なものを出すわけにはいかなかった給食も、工夫(くふう)が良かったのか振る舞われたのが良かったのか好評で、みんな喜んで食べてくれた。……この時代だと、工夫(くふう)工夫(こうふ)ってややこしいな。

 って、それはよくて。……こうなると実際、食事だけを目当てに体験入学しようとする人が居そうだ。

 素晴らしく美味いわけでもないけど、美味いか美味くないかよりも食べられることが重要だという人も、きっとまだまだ居る。

 ……いや。むしろそんな人がきちんと自分が望む道を進めるくらいにまで、ここで学んでくれれば嬉しい。

 

(よし、もっと煮詰めないとな)

 

 体は疲れているくせに、考えることはそんなことばっかりだ。

 授業内容と民の反応を桃香に報告する時も、どうにもこう……妙に興奮していた自覚があるし。少し慌てていた桃香の顔を思い出したら、少しだけこちらも笑顔になれた。

 

「体験しようとする人が増える今だからこそ、“先生”を体験するのも今だよな。そこのところは桃香にも話を通してあるし、先生役を務めてもらう人と一緒に頑張っていこう。でも……ん、あぁ~……っ! ……、あー……」

 

 とりあえず今日はもう無理。

 こんな状態でさらにテスト作成とか予習復習もするんだろうから、教師の仕事は本当に大変なんだなぁ。

 そう思ったら“将来は先生になる”ってイメージだけは、どうにも沸きそうになかった。こんな自分が先生役でごめん。

 

 

 

63/鍋でコトコトではなく、様々な物事を煮詰める

 

 初めての体験授業の翌日から、学校計画は輪郭を持ち始めた。

 桃香の言葉から始まった計画だそうだから、桃香がこうしたいと思う学校の在り方を前面に出す方向で。

 俺が感じたこと、さりげなく民に訊いた反応を初日の分だけで話し合い、ここはこうするべきだ、ああするべきだと話し合う。

 体験入学者が増えると、俺が教師役を務めながら、“どうやって進行させていくべきか”を知ってもらうために、教師候補の人には横で授業内容を見てもらう。

 教師と生徒を同時に育てなければいけない状況はさすがに辛く、質問ばかりで混乱しそうになるのも……まあ、仕方の無いことだ……よな?

 質問に一つずつ丁寧に答え、どうするべきかをわかりやすく説明するのは難しい。

 けれど、難しいからこその反応が確かに返ってきてくれた瞬間が、こんなにも嬉しいのだから……頑張らない理由を、今の俺には見つけることが出来そうもなかった。

 

「って、考えた通りに物事が運ぶんなら、だぁ~れも苦労しないんだけどさ」

 

 あれよこれよと時は過ぎる。

 教師役を任された俺は多忙の日々を過ごすこととなり、鍛錬なんてしてる暇はございませんよとばかりに、あっちでドタバタこっちでウンウン。

 目が回るとはまさにこのことで、それでも体が鈍らない程度には鍛錬を織り交ぜてみれば、翌日は疲れでぐったりしていたりするわけで。

 ……どの道、三日間は体を休めることを鍛錬の中に織り交ぜているんだから、普通にしていればいいんだけどさ。鍛錬をした翌日はやっぱり体が重くなるのだ。

 なにせ授業が終わってからの鍛錬だから、時間も大分遅くなってしまう。翌日に響いてしまうのをどうしても防げやしない。

 

「北郷一刀ー! 子供たちが陳宮のことを馬鹿にするのです!」

「馬鹿じゃないことをその頭脳でわからせてあげればいいじゃないか」

「頭のことではなく、身長のことで馬鹿にするのですよ!!」

「………」

「無言でお手上げするなですーっ!! 天の知識には身長を伸ばす方法などはないのですか!」

「夜きちんと寝ること、食事の栄養をバランスよく摂ること、よく運動して、正しい姿勢でいること。ストレッチとかも、曲がった骨を矯正するためにはいいっていうな」

「ばらん……? す、すとれ……? ななななにをわけのわからんことをーっ!!」

 

 教師とは生徒に、自分が持つ知識や既存の知識を教える者。

 経験から知られるものも含め、自分はこうだと思っていることを、たとえ仮説であれ説得力を以って伝える。

 それを、聞いてくれる生徒がそういう考え方もあるのかと思うのならよし、真っ向から否定してくるのなら、その説得力で自分が学ぶのもまた良し。

 教師だって万能じゃないんだから、生徒に教えられることだって山ほどある。

 事実として、“生徒との会話が上手くいかない”、“生徒が自分を馬鹿にする”なんて言葉は少なくない。

 一応、「馬鹿にしていると受け取る前に、自分を象る一例として受け取ってみて」と返してみたものの、それを簡単に実行できれば、それもまた苦労はしないわけで。

 

「じゃ、今日の体育の先生は馬超さんだぞー」

『せんせーおねがいしまーす!』

「せっ……先生か……! な、なんかやる気出てきたーっ!」

「……加減を誤ると嫌われるから。気をつけてね、馬超さん」

「あっははー、任せとけってー♪」

(不安だ……)

 

 体育の方も、“程度のいい加減”を伝えながら武官たちに(おこ)なってもらった。

 文官のみんなとは違い、武官のみんなは先生なんて呼ばれることがほぼ無いと言っても過言じゃない。なもんだから、子供たちから先生先生と呼ばれると舞い上がる将が激増。

 指導はエスカレートするばかりで、行き過ぎないうちに止めることが日課になりつつある。

 

「よし桃香、今日は足運びの練習をしようか」

「うーん……ねぇお兄さん? 教えてくれるのはありがとうなんだけど……最近のお兄さん、ずっと休んでない気がするよ? 少しは休まないと、また体壊しちゃうよ」

「はは、むしろ充実しすぎてるくらいだよ。自己満足でしかないんだろうけど、民にいろんなことを学んでもらって、そこで学んでくれたことがのちの国のためになるかもしれない。そう考えたらさ……ははっ、なんかこう……“ああ、返していけてるんだなぁ”ってさ」

「それでもお兄さんは頑張りすぎだよぅ、私が見てもそう思うもん」

「桃香には言われたくありません。ついこのあいだ、徹夜で書類整理してて危うく倒れそうだったのは、何処の誰だったっけ?」

「うぐっ……! お、お兄さんずるいー! 今はお兄さんのこと話してるのにー!」

「はいはいずるくて結構。……ほら、続き。まだまだ頑張らないといけないんだ、体作りや体力作りはやっておいて損はないよ」

「う、うー……」

 

 それでも慣れないことなんてきっとない。

 恐怖や緊張にこそ慣れたいと思う時は多々あるが、慣れる前に死にそうだから、そういった感情的なものへの慣れは度外視するとして。

 教師役が少しずつ増えてくると、俺も時間が取れるようになってくる。

 そうなれば桃香の鍛錬や自分の鍛錬もすることが出来るようになり、書類整理のことで彼女が徹夜することも───……って、あれ? 七乃は? 手伝ってくれなかったのか?

 

「ひとつ彫ってはお嬢様のためー、二つ彫っては美羽さまのためー」

「あの……七乃? なんで部屋に閉じこもって延々と木彫りなんか……」

「だって……最近一刀さんたら全然会いに来てくれませんし。寂しかったんですよ? からかう人が居なくて……」

「……彫ってる暇があるなら仕事をしようね……。桃香が頼まないからって、何もしなくていいわけないだろ……?」

「ううー、だってこう、ただ与えられた仕事をこなすだけじゃあ、難しい物事をこなすための意欲といいますか、そういうのが無くってですねー」

「じゃあ今日中に、桃香が溜め込んだ書類を二人で片付けるんだ。拒否は許しません」

「きょっ……今日中にですかぁっ!? あの、わざわざそんな言葉をつけるということはー……ですよ?」

「うん、たーんと溜まってる」

「………」

「ヨカッタネー、七乃の好きな無茶振りデスヨー」

「あ、あのー、私急用が」

「ああ、月と詠が七乃の部屋をいい加減掃除したいとか言ってたから、今日のところは木彫りは無理だよ」

「えぇっ!? そ、そんなっ、勝手に掃除なんてっ!」

「木屑だらけのこの部屋に住みついてて、勝手もなにもないだろ……。ほら、これ見てもまだ文句言えるか?」

「……? これは?」

「七乃が俺に詰め寄った分だけで、そこに出来る木屑の道」

「…………わー」

 

 教師役が増えたことで桃香を手伝う人が少なくなり、最近じゃあもっぱら書類整理に追われている。桃香自身ももちろん頑張ってはいるものの、学校が出来たことで出てくる問題の量も当然増えたわけで。

 そこにきて、それらを細かに整理する朱里や雛里が、教師役として席を外すことになれば……まあ、手が足りなくなるのはわかりきっていたことなのかもしれない。

 

「貴様を見ているとなんというかこう……っ……モヤモヤするんだっ!! 直せっ!」

「いきなりなにっ!? あ、あの、魏延さん? 俺これから昼ご飯で……」

「そんなものは後でいい」

「えぇっ!? いやあのっ……俺朝から今まで授業のやり方をぶっ続けで教えてたから、朝も食べてなくて……!」

「黙れ。……貴様という男をこれまで見てきたが、どうして貴様はそうっ……やることなすこと桃香様に似ているんだ! 桃香様が迷惑している! 今すぐやめろ!」

「…………イヤ……ホント、イキナリソンナコト言ワレテモ……」

「子供たちのあの安心しきった顔……! ワタシが知る中で、桃香様にしか向けていなかった柔らかな微笑み……! それを何故貴様ごときが受け取れる!」

「……? あの、魏延さん? もしかしてこのあいだの体育の授業で、子供たちに目が怖いって泣かれたの、気にして───」

「うぐぅっ!? うぅうううるさいうるさいぃっ!!」

「うーん……ね、魏延さん。もう少し肩の力を抜いてさ、こう……笑ってみて? 子供っていうのは俺達大人が子供を見るよりもずっと、大人を見ているもんだよ。だからさ、そうしてずぅっとキッと厳しい目つきをしていたら、怖がられちゃうよ」

「何故ワタシが笑みなど浮かべなければいけない」

「その“何故ワタシが”を外した一歩が大事な時もあるからだよ。俺がその、魏延さんに嫌われてるのはわかってるし、俺に笑顔を見せてくれなんて言わないからさ。せめて子供達には───」

「………………」

「魏延さん?」

「癪に障る。そうして自分のことを後に考える姿が似ているからモヤモヤすると……!」

「屁理屈こねてるだけだって。子供の前で笑えれば、いつかは俺の前でも~って」

「……貴様を見ていてわかったことが一つある」

「? え、なに?」

「ワタシはその手の冗談が大嫌いだっ!!」

「へっ!? うわちょ、タンマッ! その金棒どこからギャアアーッ!!」

 

 実は最初───学校が完成したって知った時は、他国のお偉いさん……つまり華琳や雪蓮が見に来ていたりしていないかなと期待を持った。

 もちろんそんなことは無かったんだけど。残念に思う気持ちと、任されているから見に来ないのかもしれないって思いがごちゃ混ぜになっていた。

 自分の勝手な想像を働かせては、その期待に応えたいと思う自分。

 そんな馬鹿な自分なら、調子づかずに自分を磨いていけるだろうか───

 

「まったくっ……! まったくまったくまったくぅうう……!! 何故っ! どーしてあの男はわたくしをっ! このっ、わ・た・く・し・を・前にっ! 跪きも美しいと認めることもしないんですのっ!?」

「んー……なー斗詩ぃ? それ以前にさ、麗羽さまの“美しさ”の前に跪いた男なんて居たっけ?」

「わわわっ!? 文ちゃん!?」

「猪々子さん? よく聞こえなかったんですけど、今、なにか仰って?」

「あ、やぁ~……真面目な話なんですけどね、ほらえっとー……と、斗詩ぃ~っ」

「私に丸投げするくらいなら最初から言わないでよ文ちゃん……。あの、麗羽さま……?」

「……つまり。このわたくしが、華琳さんに劣るばかりか男の興味も引けていないと?」

「いやぁ、麗羽さまぁ? そういうんじゃなくてですよ? ほら、引けるんだったらとっくに認めてるんじゃないかなーって」

「文ちゃん!? それって結局意味があんまり変わってな───はっ!? あ、ぁあああのあの、麗羽さま!? 今のはっ……」

「~っ……! あ・な・た・た・ちぃいい~……!!」

「あ、あ……おち、落ち着いてください麗羽さ───“たち”!? えあっ……えぇえええ!? どうして私までぇーっ!!」

 

 ───そんなことを思っていた矢先に、少しずつ周りの反応も変わり始めていることに気づく。

 気づくきっかけになったのは、多分だけど袁紹さんだった。



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33:蜀/相変わらずの騒がしき日々に③

 ある日のことだった。

 ようやく学校も安定を見せ始め、教える側にも教わる側にも多少の余裕が出てきた頃。

 桃香や七乃と一緒に始めた書類整理も終わり、あとは軽く運動をして眠るだけって時に、部屋のドアをノックする音。返事をしながら開けてみると、いつもの“偉いですわよオーラ”をしぼませた袁紹さんが、一人そこに立っていた。

 

「袁紹さん? ……あれ? 文醜さんと顔良さんは?」

 

 いつも一緒に居るのになと不思議に思っての言葉に、彼女は途端に不機嫌になった。

 

「……ふん、どうでもいいですわ、そんなこと。それよりも……これで最後にしましょう? わからず屋の貴方にこれ以上問うても無駄でしょうから。……さて、一刀さん? 貴方から見て、わたくしは……美しいですわよね?」

「…………?」

 

 感じたのは違和感だろう。

 いつもなら訊ねるんじゃなく、“美しいと認めなさい”って押し付けてくるのに……それがどうして、今日で最後だとか、美しいですわよね、なんて疑問系になるのか。

 というか、答えを間違えたら大変なことが起こりそうな予感がひしひしと。

 

(あ、あれー……? 突然部屋に来訪されて、どうして急にこんな重苦しい空気が……)

 

 どうしてといえば、多分この場に居ない文醜さんと顔良さんに関係があるんだろう。

 まあその、主に文醜さんに。顔良さんは巻き込まれてばっかりだもんなぁ。

 にしても……こんな状況、どうすればいいんだ?

 この場合、俺がいつも言っている“華琳の方が”って言葉は無意味だ。俺から見て、袁紹さんが美しいかどうかを問われてるわけなんだし。

 じゃあ……

 

「……、……」

「……? じろじろ見ていないで、さっさと答えてくださるかしら?」

 

 言葉の割りに、瞳は何処か不安げに揺れていた。

 ここは美しいって返すべき……なのか? そしたら“おーっほっほっほっほ、えーえそうでしょうとも!”って元気になって、“で・は。華琳さんとわたくしとではどーですのっ!?”といった流れに……。

 

「………」

「………? な、なんですの?」

 

 ……考えたら負けか。

 彼女は俺の意見を聞きたくて、ここでこうしているんだ。

 考えた末の言葉じゃなく、今の彼女を見て思ったこと感じたこと、その全てを返そう。

 

「───……」

「…………」

 

 真っ直ぐに見つめる。

 彼女はきちんと人の目を見て話す人らしく、その目をじぃっと見ていたら、華琳が言うほど嫌な人物じゃないんじゃないかと感じた。

 美しさのことでムキになって、華琳と自分を比べるなんて可愛いなとも思う。

 ……そうだな、外見は綺麗で……中身は可愛い。

 華琳から聞いた印象からすれば───調子に乗りやすくて、おだてられたら突っ走っちゃうような人だそうだけど、それは多分……いい意味で純粋だからだ……と思いたい。

 もっと心に余裕と落ち着きを持てば、もっと綺麗に見えるんじゃないかな……。

 

(……軽く伝えるから、調子に乗っちゃうのかもしれない)

 

 もっとこう、自分が綺麗だってことを周りに自慢するんじゃなく……自分が綺麗だってことを誰かが知っていてくれるならいいって、そう思えるように。

 別に調子に乗っちゃうことがいけないことだとは言わないけど、高笑いをして見下してばかりの人に、好んでついて行く人は少ないだろう。

 そう思えば、袁紹さんはいい部下に恵まれてる。

 ……袁紹さんが恵まれている分、文醜さんと顔良さんは苦労してるんだろうなぁ。

 そんな風に連想してみたらなんだかおかしくなって、ついいつもの調子で……そう、まるで朱里や雛里にそうするみたいに手を伸ばし、袁紹さんの頭を撫でて───

 

「なっ!?」

「……うん、そうだね。綺麗っていうよりは……可愛いかな」

「は───……」

 

 最初から“華琳と比べる”って前提がなければ、いくらでも綺麗だって認められたんだけど……えっと、それを今言うのって……多分地雷……だよな?

 なので、華琳を混ぜずに今、自分の目で見た素直な言葉を届けたつもりだ。これで反感を食うなら仕方ないって諦めがつく。

 

(さあ袁紹さんっ、ヒステリックボイスでも見下した言葉でも、どんと来いだっ!)

 

 頭を撫でる手を静かに引っ込めて、ジッと袁紹さんの目を見つめた……んだけど。

 

「………」

 

 顔を真っ赤にして動かなくなった袁紹さんが、そこにいらっしゃった。

 

……。

 

 ……で……それからどうなったのかといえば。

 

「ねーねーお兄さん、おにーさーん」

 

 いつもの昼、暖かな日差しが差す執務室に、ねだるような桃香の声が響く。

 ……周りの反応が変わり始めていることに気づいたのはつい最近。

 袁紹さんが俺に訊ね、それに対して頭を撫でて返した瞬間といえるのだろう。

 むしろ周囲の反応がどーのこーのよりも、地雷なんてものは自分が考えている以上にいろいろな場所にあるものなんだってことに気づいた。

 

「え、えーと、この書類は~っと……、……あの、恋? 今仕事中だから、服を引っ張るのは……」

「………」

「うう……」

 

 選択肢ってものが見えるなら、きっと地雷なんて踏まずに済む道がひとつはあるんだ。

 でも俺には選択肢なんて見えないし、見えたとしても、選べる選択肢の全てに地雷が設置されていたとしたら、どうすることも出来ないのだ。

 俺が選んだ選択肢はまさにそれで、ハッと気づけば一部の将からじぃっと睨まれることになり……

 

「だからさ、その……袁紹さんのことを可愛いって言ったのはね? 美しいかどうかを訊かれたからで───」

「じゃあお兄さん、私のことどう思う?」

「……桃香サン? それ、今日で何回目の質問だと思う? ほ、ほら恋も……あんまり引っ張られると服が伸びるから……」

「………」

 

 原因の全ては、“あの”袁紹さんを可愛いと言い、頭を撫でたことにあった。

 「綺麗だーとかなら誰もが言う言葉でしょうに、あろうことか可愛いとはなんですか可愛いとは」と、どこぞの美髪公に正座させられながら詰め寄られた時は、わけもわからず怯えたりした。

 しかも散々と説教をしたあとに、「で、では一刀殿? 私のことはどう思われますか?」なんて訊いてきて……もう、どうしろと?

 そんな突端があったがために、みんなからはからかうように質問される始末である。

 ……えと、からかってるんだよね? 本気じゃないよね?

 

「いいなー、麗羽さんは。お兄さんに可愛い~って言われたんだよねー?」

「と、桃香ー? それ、笑顔でじりじり近づきながら言う言葉じゃないぞー? その……大体急に可愛いなんて言われて、袁紹さんだって怒ってたりするんじゃないか? ……俺だって今にして思えば、“美しいかどうか”を訊かれたのに“可愛い”はなかったよな~って反省してるんだから」

「えー? 私は言われたいけどなー」

「トウカハカワイイナァ」

「もーっ、心が篭ってなーいぃっ!」

 

 怒り方がまるでシャオだった。

 

「ほらほら、そんなことよりも書類書類。七乃だってもくもくと手伝ってくれてるんだから、国の主の桃香ももっと頑張らないと。最近は特に学校についての書類が多いんだ、発案者なんだからしっかり。な?」

「うぐっ……うー……ちゃんと言ってくれたら、もっともっと頑張るのになー……」

「頑張るって……それだけで?」

 

 うーむむ……それがわからない。

 以前、冥琳を可愛いって言ってしまって反感を食って以来、そういった言葉は使わないようにと思っていた。

 明らかに年下で、可愛いって言葉が似合う相手ならまだしも。

 璃々ちゃん相手なら抵抗なく可愛いって言える。言えるんだけど……我ながら、どうしてあそこで、よりにもよって袁紹さん相手に“可愛い”だったんだろうなぁ。

 袁紹さん、気を悪くしてないといいけど。

 

(結局あれから、停止状態だった袁紹さんを顔良さんと文醜さんが回収しに来てそれっきりだから……どうなったのかが気になってはいるんだよな)

 

 出会い頭に怒られたりしたらどーしよ。

 ……いやいや、今はそれよりも、次から次から積まれていく書類を片付けないと。

 恋は服を引っ張ってくるだけで、邪魔をしてくるわけじゃないからこのままでも構わないし。問題があるとすれば、この「ねーねー」とせがんでくる栗色の王様だ。

 

「あのー、一刀さん? ケチケチしていないで、頭くらいバーッと撫でちゃって、可愛いと言ってしまえばコロリとイチコロですよ?」

「あのー、七乃さん? ケチケチしてるつもりはないし、イチコロってなにが?」

「それでついでに私の頭もやさしく撫でてくれちゃいますと、なんと言っちゃいますかこう、やる気が沸いてくることもなきにしもあらずでしてー」

「うわー、にっこにこ笑顔で全然人の話聞いてくれないよこの人」

「あ、もちろん“可愛い”もつけてくださいね?」

「人の話は聞かないのに注文多くない!?」

 

 気づけばいつの間にか、俺が座る椅子の横にさっきまで黙々と仕事をしていた七乃が居た。

 いつものにっこり笑顔のままに、ピンと立てた指をくるくる回している。

 ……というか笑顔のまま、俺のことをじぃいいぃぃぃいぃぃ~っと見てきている。逸らすことなく。

 女性は怒った顔よりも笑顔が怖い。そんな言葉を、俺はこの世界で知りました。

 それでも、殺気を込めた華琳の笑顔に比べればまだまだやさしいと思うあたり、自分はとんでもない人を好きになったんだなぁとつくづく実感。

 

「はぁ……」

 

 既に書類はほっぽって、俺のことをじーっと見ている桃香と七乃を見て溜め息。

 そうしなければちっとも仕事が捗らない状況を確認するや、一度自分の胸をこつんとノックしてから手を伸ばす。

 可愛いなんて言葉、ウソで言うもんじゃない。

 だから心を込めて真っ直ぐに。その覚悟を胸に、やがて手を伸ばして───

 

「うわぁっ!?」

 

 ───驚いた。

 手を伸ばした瞬間、桃香の目がぱぁっと輝いたと思ったまさにその時、執務室の扉が外から勢いよく開かれたのだ。

 “ヒィまさか魏延さん!?”と命の危険をも感じた俺だったが、そこに立っていた人影は口元にその綺麗な手を軽く添えると、

 

「おーっほっほっほっほ!!」

 

 ……笑ったのでした。

 それだけで相手が誰なのかがわかってしまう。

 この大陸の何処を探そうと、こんな笑い方をするのは彼女だけだろう。

 アア、なんだろうなぁ……どうしてか知らないけど、俺の本能がニゲロニゲロと警鐘を鳴らしている……!

 伸ばしかけた手も半端なままに下ろし、それを見た桃香や恋がしゅんとしたりしたが、今はこの状況が無事に過ぎ去ってくれることをただ願うばかりで───

 

「あ~らやはりこちらにいらっしゃいましたのねぇ一刀さん」

「え、袁紹さん……あの、なにか用……?」

「ええ。わたくし、悟りましたの。このわたくしが、美しさでどぉ~しても僅かに、ほんのすこぉ~しだけ華琳さんに一歩及ばないというのなら、別のことで勝ればいいのだと」

「…………嫌な予感しかしないんだけど、それってまさか───」

「そう……可愛さで勝っていればいいのですわ!」

 

 ギャアアアやっぱりぃいいーっ!!

 じ、じじじ自信に満ち溢れた顔で何を仰ってるのこの人ォオーッ!!

 

「そうですわよねぇ、貴方がわたくしのことを可愛くて仕方がないと感じているのなら、美しいだなんて認めたくなるはずありませんものねぇ~」

「へっ!? あ、い、いいいいやっ……ちがっ……それ違っ───」

「恥ずかしがる必要などありませんわ~? わたくしのあまりの可愛さに、あんなにも気安くわたくしを撫でたのですから。今さらどう取り繕ったところで、仕方の無い照れ隠しにしか見えませんもの、ええ。それに……わたくし、殿方にあれほど気安く触れられたのは初めてでしたの」

「……お兄さん……?」

「ヒィッ!? ち、ちがっ……いや違わないけどっ! 袁紹さん!? 頬を染めながらそんなこと言わないで! あと明確に! そこは明確に言おう!? 頭だから! 気安く触れたのも撫でたのも頭だけだからっ!!」

 

 怖ッ! 笑顔に凄みを感じる!

 笑顔なのにとっても怖い! やっぱり女性って笑顔が一番怖いよ!?

 

「わたくしの新たな可能性を、わたくしよりも先に見抜いた人……貴方、気に入りましたわ? 華琳さんのことなんてほっぽって、わたくしのもとにいらっしゃい」

「ごめん無理」

「今なら斗詩と猪々子をつけますわよ?」

「なっ……余計にだめだっ! 自分の大事な部下を交渉材料に使っちゃだめだろっ!」

 

 少しカッとなって、扉を開けた位置から動いていない彼女の前へと早歩きで歩み寄り、その肩を掴んで瞳の奥を真っ直ぐに見つめる。

 見つめる、どころじゃない。いっそ睨むくらいに、キッと。

 

「………」

「………」

 

 しばらくそのままの状態が続いたけど、袁紹さんはつまらなそうに俺の手を払うと背中を向けた。

 

「……ふん、なんですの? この袁本初が直々に声をかけて差し上げたというのに」

 

 どうやら気に食わなかったようで、袁紹さんは振り向かずにそう言うと、歩いていってしまう。

 

(う……もうちょっと、言い方ってものがあったかな……)

 

 そんな様子を見て思わずそんなことを思ってしまったのだが、どうしてかその、姿勢よく歩いてゆく姿がピタッと止まった。

 

「……? 袁紹さん?」

「……麗羽で構いませんわ。訊き忘れていたから一応訊いて差し上げますけど、貴方の真名はどういったものですの? このわたくしの真名を口にする権利を与えて差し上げるのですから、その、……そちらも名乗るのが礼儀というものでじゃありませんこと?」

「へ? あ、いや……」

 

 立ち止まり、ほんの少しだけ振り向いた袁紹さん。

 どうして急に真名を許す気になったのかを訊ねようと思ったが……えーと。さっき言ってた可能性云々の発見の報酬ってことでいいのだろうか。

 でもなぁ、天には真名って風習はないから、俺だけが大切なものを許されることになるわけで、少し罪悪感が。

 や、ここで“どうして日本には真名って風習がないんだよ”って愚痴ったところで仕方ないか。

 

「あの、ごめん袁紹さん。天には真名って風習が無くてさ。だから俺の名前は北郷一刀で全部なんだ。強いて言うなら、一刀が俺の真名ってことになってて……あれ?」

「っ!? あ、あーらそうですの…………ということはわたくし、勝手に真名を呼んでいたことに……い、いいえ? 風習がないのであれば、そう大事なものでも……いえ、けど……一度呼んでしまったものは仕方ありませんわね……これからも一刀さんと呼ばせていただきますわよ?」

「? ああうん、それは───、……?」

 

 あの、袁紹さん? さっきからちょっと気になってたんだけど、耳……真っ赤じゃない?

 完全にこっちに向き直ってないから、耳しか見えないけど……赤い。赤いよな。

 もしかして今さら風邪が伝染ったのか? ……や、そもそも袁紹さんはお見舞いには来てなかったはずだから、伝染ったとはいわないか。

 じゃあ普通に風邪? ……一応、休んでもらっといたほうがいいよな。俺が決めることじゃないだろうけど。

 

「袁───じゃなかった、えと。……麗羽さん、その」

「!!」

「……?」

 

 少し躊躇しながらも、許された真名を呼んでみた───ら、肩が跳ね上がった。

 もしかしてやっぱり嫌だったのかなと思いながらも、跳ね上がったんじゃなくて、咳かくしゃみだったりしたら大変だと歩み寄る。

 回り込むようにして、ようやくその顔を見るに至るわけだが。

 

「………」

「………」

 

 ……一言。真っ赤っか。

 さっきまで見せていた真っ直ぐな視線はどこへやら、俺と目を合わすこともなく泳ぎまくる視線。

 どうやら耳が赤く見えたのは錯覚だったわけじゃなかったらしい。

 ここまで見事に赤いと流石に心配になり、一言断ってからその額に手を伸ばす。

 その途端にまた赤くなったような気がしたが、払われることも警戒されることもなく、手は額に届いて……熱い。熱いって。風邪じゃなかったとしても、これは確実に熱があるって。

 

「………」

「? 袁……麗羽さん?」

 

 額に触れる中、どーしてか麗羽さんが俺のことをじーっと見つめる。

 まるで、訪れるかもしれない何かに期待するように、じーっと。

 …………えと、まさか……だよな?

 さっきの桃香たちみたいに、頭を撫でて可愛いって言ってくれ~なんて……そもそもこれは頭を撫でてるんじゃなくて、熱を測ってるだけでありましてそのー……。

 いや、そりゃあさ、さっきまでおーっほっほっほだったお嬢様がこんなに大人しくなって縮こまってるんだから、状況が状況なら可愛いとさえ思うだろうけど……病人かもしれない人に可愛いとか言って頭を撫でるのはどうかと。

 ……あ。でもいつか及川が言ってたっけ。

 

  “お嬢様っちゅーのにはいくつかタイプがある。親に大切に育てられたお嬢様とか、厳しく育てられたお嬢様とか、両親が忙しくて寂しく育ったお嬢様、いろいろやなぁ。そないなお嬢様の中でも、おーっほっほとか笑うお嬢様タイプはこう……案外寂しがり屋なんや。せやから常に誰かを身近に置いたりして、その中心で高笑いしとんねや”

 

 とか。

 それと、なにかいいことも言ってたような───

 

  “そーいったタイプを落とすのに必要なんはなぁ、なんでもえーから一度、自分に夢中にさせたることなんや。そーすることで今までの寂しさの分、夢中になった相手に意識が向かう。その意識全部をひっくり返すことが出来れば───!”

 

 もうもらったもどーぜんやー、だっけ。

 あんなに熱く語ってもらってなんだけど、そうしてモテていた彼は何故、特定の彼女を作らなかったんだろうなぁ。

 じゃなくて。そういう話じゃないだろ俺。

 

  “まあつまりはや。そういったタカビーなお嬢様は、大体誰かに甘えたことが無いわけや。あったとしても、それはそれが当然としてやってもらえることって思とるんのが大半。わかるな? 執事さんとかにあれやってこれやってゆーて、やってもらうのんは甘えとは呼ばへんのや”

 

 ……つまり、自分が夢中になった相手……少なくとも自分が意識した相手に甘えるってことは───

 

  “せや。甘えになるっちゅーわけや”

 

 と。確かそんな会話をした。

 お嬢様だらけのフランチェスカにおいて、おモテになられた及川先生のお言葉だ。

 生憎と俺はモテたりなんかしなかったわけだが。

 でも……そっか、甘えることか。

 俺も愛紗もそうだったけど、風邪の時って誰かに甘えたくなるよな。

 麗羽さんが今、風邪かどうかは別にしても……大人だって誰かに甘えたくなる時がある。

 こうして実際に、何かに期待する目を向けられているのなら……今の俺には、麗羽さんを甘えさせることが出来るんだろうか。

 張ってばかりいる気を、少しは和らげることが───……いや、いちいち考えるな。

 そうしたいって思ったなら、覚悟を決めてしまえばいい。

 覚悟が決まったなら、あとでどんな報復が待っていようとも……構わない。

 さあ、心を込めろ。麗羽さんの家庭事情は俺の知るところじゃないが、あんな時代だったんだ……きっと親には甘えられなかったに違いない。

 だからまるで親がそうするように、やさしく、真心を込めて。

 

「……うん。そのまま一刀でいいから。それと、熱があるみたいだから休めるようなら休むこと。風邪なんか引いたら、せっかくの可愛い顔が台無しになっちゃうよ」

「───は、あ───!?」

「……あれ?」

 

 及川を意識して、出来るだけ労わる声をかけたつもり……つもりだった。

 しかしなんというかこう、こういうのはえぇと、俗に仰るバカップル様方がラブリーにささやくようなお言葉ではないでしょうか……!?

 あ、いや、ちょっと待った今の無し! 恥ずかしい! 今のは恥ずかしい! 可愛い顔が台無しとかって……う、うぁあああーっ!!

 あれ!? でも俺、今まででも結構似たようなこと言ってこなかったか!?

 ……あれ? じゃあ普通? 普通ってことでいいのか? それとも俺が既に、単体でバカップル様の片割れってこと……?

 

「あ、あの、麗羽さん?」

「~っ……」

 

 しどろもどろになりながらも声をかけるが、麗羽さんは顔を俯かせて肩を震わせていた。

 額から移り、頭を撫でていた手もすでに下ろし、どうしたらいいのかを考えていると……突如として、麗羽さんが何も言わずに走り出した。

 

「……エ? あ、え? 麗羽さん!? ちょっ、ホワッ!?」

 

 慌てて追おうとするのだが、何かにがしりと左腕を掴まれる。

 振り向いてみれば……栗色の鬼がおがったとしぇ。

 

「お・に・い・さ~ん? ちょおっとお話があるんだけどー……?」

「ヒィッ!? え、やっ、話って……!?」

 

 あの、桃香サン!? 笑顔なのに顔がとっても怖いデスヨ!?

 とか言ってる間に麗羽さん見えなくなっちゃったし!

 ……え? あ、あの? どうして恋や七乃まで来るのでしょうか……? あのっ!? どうして俺のこと囲んでっ……!? ちょ、待って! 俺なにかした!? 特に思い当たらないんだけど───あ、思春さん助けて!? なんだか知らないけどみんなが───って“自業自得だ”ってなに!? 俺はただ───あ、あっ、あぁあーっ!!!

 

……。

 

 ……その後の話をしようか。

 そう。仕事そっちのけで、可愛いと言いながら延々と頭を撫でさせられたあとの話を。

 あれから麗羽さんは部屋から中々出てこうとしなかったらしく、それは文醜さんや顔良さんが説得に当たっても結果は変わらなかった。

 学校に関する書簡等は増えるばかりで、様子を見に行きたかった俺も、中々そうはいかない始末。

 やっぱり“休日制度をつけるべきだ”と進言して、学校に初の休みが出来る頃、ようやくじっくりと話にいけると思っていた俺の前に、少々疲れた顔をした顔良さんと文醜さん。

 

「あ、丁度良かった。これから麗羽さんのところに行こうとしてたんだけど───」

「アニキ、それ違う。呼び捨てにしてくれ~だってさ」

「へ?」

「それとその、今は会わないほうがいいです。もう少し時間を置いてからにしてください」

「……? あの、話が見えないんだけど……」

 

 突然の引き篭もり、突然の呼び捨て宣言、そして何故か会わないほうがいいと言われた。

 これらを以って辿り着ける答えはなんだろうと考えて、考えて、考えて……答えが見つからないことに気づいた。

 

「いーからいーから。あ、それとあたいのことは猪々子でいいぜ」

「私のこともこれからは斗詩と呼んでください。その、これからいろいろと迷惑をかけることになりそうですから」

「えぇっ!? 麗羽さ───」

『………』

 

 麗羽さん、と呼ぼうとしたら、じとりと睨まれた。

 

「うぐっ……れ、麗羽、の時もそうだったけど、いきなり真名を許されてもっ」

「細かいこと気にすんなってー、アニキとあたいの仲じゃんか」

 

 いや……どんな仲さ、それ。

 あはははーと笑いながら肩をばしばし叩く仲? って痛い痛いっ、加減っ、加減をっ!

 

「その、ねぇ顔良さ…………うぅ……と、斗詩?」

「はい?」

 

 お願いだから真名で呼ばなかったからって睨まないでくれ。

 じゃなくて。いや、それもそうだけども。

 

「迷惑をかけるって……いったいなに?」

 

 もはや自分が選ぶ選択肢には地雷原しかないのだとなんとなく感じている俺にとって、この言葉がのちの世を知るためのきっかけとなるだろう。

 無意味に壮大な覚悟を胸に訊ねてみると、斗詩は困った顔で一つの書簡をはいと渡してきた。

 小首を傾げながらもそれを受け取り、カロカロと広げて内容を確かめると……

 

  “貴方を殿方として認めて差し上げますわ”

 

 ……とだけ。

 ウワー、どうしてだろう。たったこれだけの文字なのに、とっても嫌な予感が……!

 

「…………?」

「………」

 

 視線で確認を取ると、申し訳無さそうに頷く斗詩さんがおりましたとさ。

 一方の文醜……猪々子は実に楽しそうだ。「っへへー♪」って、綺麗な歯を見せながらお笑いになられていらっしゃる。

 って、あれ? この文字が確かならそもそも俺、男として見られてなかった? 両生類? オカマ? オカ……うぶっ……貂蝉のこと思い出した……!

 

「いやあの、男として認められたのはいいけど……これってどう解釈すれば……? 凡夫から北郷、北郷から一刀になったと思ったら、男として認められてなかったなんて」

「やー、あたいもようやく肩の荷が下りるってもんだよー。これで誰に遠慮することなく斗詩と結婚できるぜっ」

 

 言葉のあとに、やたら凛々しい顔で「キリッ!」とか言っている文醜……猪々子。

 

「いや、キリっじゃなくてさ。それに肩に荷があったのは斗詩だけな気がするんだけど」

「っへへー、大丈夫大丈夫、これからはあたいがその荷を背負ってやるんだから」

 

 いや……話が見えないけどそれってただ、荷が増えるだけなんじゃ……。

 

「ま、とにかく今日はそんだけ。いろいろ迷惑かけるだろうし、そうなったらそうなったで真名で呼び合えないのは堅苦しいから」

「ん、んー……と……。つまりさ、これって俺が、麗羽に“人間・男”って認められたってことでいい……のかな」

「……迷惑をおかけします……」

「なんで!? え、ちょ……なんでいきなり謝るの!? 麗羽に男として認められるのってそんなに怖いことなの!?」

「あたいとしては曹操がどんな反応するか、楽しみではあるんだけどさー」

「───、」

 

 しくんと、下腹部辺りが冷たさに襲われた気がした。いや、もらしたとかじゃなく。

 どっ……どうしてだろうなぁああ……!? 華琳の名前が出た途端、この書簡が悪魔の契約書に見えてきた……!

 うう……でも捨てちゃうわけにもいかないし、性別不明の凡夫からようやく人間・男として認めてもらった証明なわけだし……。

 

「……え、えぇと……うん……よくわかってないけど、一応……受け取った」

「はい。それでは───」

「これでアニキとあたいたちは普通の関係じゃなくなったわけだ」

「辛いことがあっても、一緒に乗り越えていきましょうね?」

「わあ、聞く場面で受け取り方が決定的に変わりそうな言葉だ」

 

 嬉しいのに嬉しいって言えないのはどうしてかなぁ。

 と、そんなことを考えていると、二人が俺の腕をとって歩き出す。

 

「え、ちょ……?」

「メシ食いにいこーぜアニキ、ここんとこ麗羽さまに付きっ切りだったから、満足に食べてないんだよー」

「せっかくこうして盟友になったんですから、ね?」

「や、ああうん、俺も食べてないからいいけど……盟友? いつの間に?」

「細かいことはいーからいーから」

「あ。ねぇ文ちゃん、これからはご主人様って呼んだほうがいいのかな」

「アニキでいーだろ、盟友なんだし」

「二人で納得してないで俺にも説明をっ……ちょっ……頼むからっ! 嫌な予感しかしないからお願い!」

 

 ……前略、華琳さま。

 今日、どうしてか盟友が増えました。

 一方の艶本で結ばれた同盟とは別に、こちらはなんと男として認められた途端の同盟。

 もう何がなにやらなのですが、俺を引っ張る二人が楽しそうに笑うので、次第にどうでもよくなってきました。

 ところで、以前送った手紙はもう届いたのでしょうか。

 それともまだ届いていないのでしょうか。

 どちらにしろ手紙を出してからいろいろあって、少しは強い心が持てたつもりです。

 学校のことも安定を見せ始めました。

 そろそろそちらに帰れるかもしれません。

 もし返してくれるのなら、その手紙が行き違いにならないことを祈ります。

 それでは。お互い健康の状態で出会えることを願って。

 ……本気で願って。

 今まで普通のものとして受け取っていた“五体満足”が、とってもとっても大事なことだって、この世界に来て深く知りました北郷一刀より。



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34:蜀/食休みにはご用心①

64/変わり始めた反応

 

 とある日、とある陽も高い昼の頃の中庭。

 昼食も済み、“ただ食休みするだけなのもな”と、許可を得てから弓を手にしての鍛錬。

 (やじり)を潰した矢を手に、弦を絞って放つ胴着姿の男が一人……俺です。

 たったそれだけの動作が、時として生き物を殺すものにもなるんだから凄いもんだ。

 

「うわっちゃ、また外した」

 

 狙った標的を、あっさり外しましたが。

 

「ん、と……姿勢正しく、力じゃなく姿勢で引き絞って……っと、右腕も大分調子がよくなったな」

 

 残念ながら指南役の黄忠さんは別の仕事でここには居ない。

 仕方も無しに独学と“少しの助言”とで、弓を引き絞っている。

 

「はぁ……今日というこの日まで、一度しか修行の話を出せなかった自分に呆れるよ」

 

 “俺に弓を教えてください!”って言って、すんなり教えてくれるのかといえば……どうなんだろう。一度は約束してもらえたものの、その日は愛紗が風邪を引いたことで流れてしまった。

 それから今日までこんな感じでずるずるとだ。

 祭さんからの最後の命令って理由もあるけど、それ以上に学べることは学びたいのが本音だ。けれど結局今日まで、仕事の手伝いや自分の鍛錬、桃香との鍛錬と続き……とどめの教師役で時間の悉くが潰れてしまった。

 何処でどんな陰謀が渦巻いているのかは謎で……って、言いがかりもいいところだろうけど、鍛錬の時間が取れる時に限って黄忠さんに用事があったり仕事があったりだ。

 そんな日が、こうしてようやく弓を手に取れるまで続いてしまった。

 

「思春、祭さんの弓術を身近で見てきた思春にお願いが……」

「姿勢の取り方なら教えただろう」

「うう……」

 

 それでも隣に誰かが居てくれるのはありがたいことで、今日は急な俺の我が儘に思春が付き合ってくれていた。“少しの助言”っていうのがつまり、思春の言葉だったりする。

 

「ん……」

 

 矢を番い、引き絞る。

 こうしてここで鍛錬できるのもあと何日になるのか。

 

(“あと何日”かぁ)

 

 学校のことが安定に向かうのなら、俺が蜀に留まる理由はそんなにあるわけじゃない。

 そもそもが“これから始める学校のことで相談に乗ってくれる人が居れば”って理由で、こうして蜀に来ているわけだ。

 学校が出来上がるまでに、随分と別のことをやっていた気がするのは……き、気にしないでおこう。

 ……あれ? 相談って意味なら、相談したいことがある内は……帰れない?

 

「はっ……ははっ、まさかなぁ、あはははは……」

「?」

 

 急に笑い出す俺を、思春が不思議な顔で睨んでいた。

 ……不思議な顔で睨まないでください。

 

「………」

 

 よし落ち着こう。

 雑念は払って、弓を引き、放つことに意識を向ける。

 

(腕に軽く氣を込めて……放つ!)

 

 手放した弦が引かれた分だけ戻り、その勢いの分だけ空を裂く。

 放たれた、鏃を潰された矢は真っ直ぐに飛……んでくれず、見当違いの方向へとぽーんと飛ぶと、ぼてりと落下した。

 

「………」

 

 いっそ、弓兵にでも教わろうかしら。

 そんなことを思い始めてしまうくらい、自分の腕に呆れた。

 

(集中が出来ればなんとかなる~なんて、調子のいいことを考えてた……)

 

 やっぱり大事だね、技術。

 いや、今までの鍛錬が順調すぎたのさ……俺なんて、天ではただの学生にすぎない小僧なんだから。

 

(丁度手元に矢が無くなったし、矢を拾ったら兵のところに行こう)

 

 矢が落ちた茂みへと足を運ばせ、茂みに突っ込むんじゃなく茂みに絡まるように突っ込んでいる、我ながら情けない飛び方をさせてしまった矢に手を伸ばした……その時。

 

「?」

 

 ガサリ、と矢が引っ張り込まれ、茂みに飲み込まれた。

 いや、引っ張り込まれたんじゃなくて滑り落ちたのかなぁと、茂みを掻き分けてみれば。

 

「………」

「………」

 

 目が合った。

 それは俺を見上げ、俺はソレを見下ろしていた。

 小さな体躯に、ぱっちりとした瞳が俺を見ていた。

 

「…………孟……獲? えと、こんなところで……その、何してるんだ?」

「……!」

 

 いやな予感が絶えず、茂みを掻き分けていた手を戻した……その瞬間、どういった習性なのか引っ込め始めた手へと「エサにゃーっ!」と叫んで飛びついてギャアーッ!?

 

「いだぁああだだだだだこらこらこらぁあっ!! 噛みつくな噛みつくなぁっ!!」

「! ……また(にぃ)にゃ……」

「噛み付かれて落胆されても困るんだけど!?」

 

 噛まれていた手が解放され、くっきりと歯形がついてしまったそれを見てがっくり気分。

 というかこの人型猫……猫型人間か? は、いったいここで何をしていたんだろう。

 

「~……はぁ、いちち……! それで、こんなところでどうしたんだ? もしかして寝てたりしたか?」

 

 だったら騒がしくしてしまって悪かった、と謝ろうとしたんだが、「いいにおいに釣られて来たにゃ!」……謝る気持ちがどっかへ飛んでしまった。

 もしかしたらで謝られても嬉しくはないだろうけどさ。むしろ今自分が悲しいよ。

 

(…………あ~……)

 

 貂蝉の話を信じるなら、俺からは動物が好む香りがしている……んだっけ?

 だから孟獲も俺を噛んだりする、と。

 自分で嗅いでみても、そんな匂いは全然なんだけどなぁ。

 

「しっかり目を合わせておきながら、エサと勘違いしないでくれ……お願いだから」

「ここに来てから狩りらしい狩りをしてないのにゃ……前に狩りをしたら怒られて、ずっとごぶさたにゃ……」

「狩り? 森でやるくらいなら、桃香も許してくれそうなのに───」

「街でしたにゃ」

 

 へぇそっか、街で……街───街ぃっ!?

 って、待て? もしかして以前、朱里が見せてくれた書物の……“某日、街中の食材が少女の軍勢に奪われ、大惨事に”っていうのは……。

 

「怒るよ! そりゃ怒るだろっ! そもそもそれって狩りとかじゃなく略奪だろっ!」

「怒られたからそれはもうしないにゃ! だから今はこうして、動いてるエサを───」

「いや死ぬから!! 狩られたら俺が死ぬから!!」

「平気にゃっ、みぃはただ狩りをしたいだけだから、兄は逃げてくれればいいのにゃ!」

「…………逃げ切れなかったら?」

「噛むにゃ」

「そういうこと、胸張って言わないで……お願いだから……」

 

 腰に手を当て、得意顔でそんなこと言われても嬉しくもなんともないよ。 

 

「それに今、弓の練習してるから狩りに付き合う時間は……って、その“兄”ってなに?」

「前にここで、桃香にお兄さんとか言われているのを聞いたにゃ。みぃはおまえの名前を知らないから、兄と呼ぶことにしたのにゃ!」

「いやいやいやいや自己紹介なら最初にしただろ!? 一刀! 北郷一刀! なっ!?」

「最初……───エサにゃ!」

「エッ……!? やっ、そりゃ最初って意味ではそうなるけど! あ、ちがっ、そっちの最初じゃなくてっ………あ、あー……うん……もう兄でいいです……」

 

 せめて人で居たいです。エサ扱いよりはマシだよな、きっと……。

 

「じゃあ早速逃げるにゃ! みぃはやさしいから、ここで少しだけ待っててあげるじょ!」

「待てっ! いつ狩りに付き合うことになったんだ!?」

「みぃがこの矢を拾ってからにゃっ。付き合ってくれないならこの矢は返さないのにゃ」

「えぇえっ!?」

 

 南蛮の王が! 南蛮の王のイメージが、街中を駆けるいたずら小僧のレベルまで下がっていく! ……でも可愛いから許してしまいそうになってしまう。

 …………おそる……と思春を見てみれば、“またあの男は……”って顔で、さっき立っていた場所から一歩も動かず睨んでいらっしゃった。

 素晴らしい聴覚だ。そりゃあ騒ぐみたいに喋ってるけどさ。

 

(……どのみち、兵だって自分の時間を大切にしたいだろうし)

 

 仕方ないのかもしれない。

 今度、時間の都合が合う時に……黄忠さんに教えてもらえばいいだろう。

 もちろん、きちんと独学での勉強もするつもりだし、落ち込んでいても仕方がない。それよりも困難に身を投じて、自身のレベルアップに励もう。

 

「よし、じゃあやるか。ルールは鬼ごっこと同じでいいか?」

「るーるってなににゃ?」

「っとと、ルールっていうのは決まり……規則みたいなものだよ。これはこうしなきゃいけないってやつ。孟獲が街で狩りをしちゃいけないっていうのと同じこと」

「むぅ、“るーる”は好きになれそうにないじょ……」

「たはは……まあ、みんな口ではそういうけどね」

 

 ルールに則る人と、反する人が居るから世の中上手く回ってるんだと思う。

 ずぅっと同じことばっかりやってても、新しい何かは見つけられないし……だからって反してばっかりだと軌道ってものを見失う。

 

「でもルールは決めような。ん~っと……わかりやすく言うと、相手を捕まえたら相手が狩人になって、捕まえた人が逃げるエサになる。当然エサになったら逃げなきゃ食べられるから全力で逃げて、捕まったら今度はエサが狩人になる」

「それじゃあ食べれないにゃ!」

「食べちゃだめでしょ! 食べられないよ!?」

 

 危なァァァッ!! ……あ、こほん。危なかった……! ルール決めなかったら食われていた……!?

 流石に本当に食ったりはしないだろうけど、確実に噛まれはしていただろう。

 そんなわけできちんとルールを話して、こくこくと熱心に頷く彼女と……

 

「思」

「やらん」

 

 思春を誘おうとしたら、物凄い速さで断られました。

 

……。

 

 結論から言おうか。狩りごっこは熾烈を極めた。

 

「うおぉおおおおおお、おっ!? うわっ、ちょ待いぁあっだぁああーっ!!」

 

 一直線に逃げる俺を、木や壁などを匠に利用し追い詰め、間合いに入ったら即飛びつき、……その、噛み付いてくる。

 鬼になったのだからと追いかけるんだが、これがまたすばしっこいのなんの。

 

「っ……そこだぁああっ! ───あらっ!? うわゎわわへばぶっ!!」

 

 全力で駆け、今ならいけると飛びついてみれば、あっさり避けられて木に激突する自分。

 これはいけないと心構えを変えて、孟獲の動きに一定の法則がないかを観察してみるも、

 

「は、はは……は……自由奔放すぎてわからない……」

 

 法則なんてなかった。

 来たら察知して避ける。ただそれだけなのだ。

 なもんだから捕まえられず、新たなルールを追加。(孟獲につまらないにゃと言われた)

 それは3分間捕まえられなかったら狩人交代というもので、まあそのー……そのルールを許可してしまったがために、散々と噛まれることになる。

 

「交代だ」

「うひぃっ!?」

 

 時間を数えてもらう役だけはやってくれた思春に、この場合は感謝を届けるべきなんだろうかなぁ……思春が「交代だ」と言うたびに背筋にぞくりと冷たいものが走り、

 

「エサにゃー! エサにゃああぁぁんっ!!」

「キャーッ!?」

 

 こちらへと向き直る孟獲を前に悲鳴を上げて逃げ出す俺が居た。

 

「けどっ……そう何度も捕まってばかりじゃないぞっ!」

 

 逃げている時に法則が無いのなら、狩りの時の法則を探す!

 そしてその成果は、孟獲は噛み付こうとする時は必ずとびついてくるということ!

 その瞬間を見極めれば、ぁあああだだだ駄目だぁああだだだだぁあーっ!?

 

「いたたたったたたた!? ちょ、ちょぉおっ!!」

 

 考え事に夢中になってて、飛びつかれたことに気づかなかった!

 せっかく法則がわかったのに意味ない! 全然意味ないよこれ!

 

「………」

 

 逃げる孟獲を五秒見送る。それがルールだ。

 で、五秒のうちに随分とお離れになられた彼女を追うと、もう細かいことは気にせずに彼女を捕まえることだけに集中することにした。

 そうだ、お行儀よく狩りをするヤツなんて居ない。

 法則なんてどうでもいい。木だろうが壁だろうが、利用してやろうじゃないか───!

 

「しぃっ!」

 

 地面を強く蹴り弾く。

 体は無駄に上に揺らさず、次に出す足が自分の体をより前に突き出すように、幾度も幾度も足を捌いてゆく。

 孟獲はもはや自分が捕まることはないって様子で、俺をからかう余裕すらある。

 その余裕の中にある、俺を目視しない隙を最大限に生かして距離を詰める。

 

「! 急に速くなったにゃ!」

 

 あ、気づかれた。気づかれるの早いって!

 ちょっ……これが野生の勘ってやつなのか!?

 いや、驚いてくれたなら動揺で動きが鈍る! 今はとにかく捕まえることだけ───!

 

「無駄だにゃ~っ♪ また木に登ってからかってやるにゃ~♪」

 

 孟獲が木に登る。

 その木へ足を伸ばし、走る勢いのままに駆け上がって手を伸ば───したが、ギリギリのところで逃げられた。

 

「お、おお~、今のはなかなか驚いたにゃっ、でもやっぱり勝つのはみぃなのにゃ」

 

 ……もちろん、一度捕まえられなかった程度で諦めるほど、諦めがいいほうじゃない。

 木を登る足をそのままに枝へと駆け上ると、既に別の木へと跳び移った孟獲を───こちらも跳んで追いかける!

 

「ふぎゃっ!? 真似するんじゃないにゃーっ!!」

 

 もういっそ、ここで彼女に野生の動きを習う気分で追いかけた。

 時には木を登り、時には壁を駆け、時には四足歩行で大地を駆け。

 道を外れて森を走り、山を登って雄叫びを上げ、山を下って川を泳ぎ(胴着だったから溺れるかと思った)、草原を走ったり茂みをくぐったり(この時点で結構渇いた)、中庭に戻って通路を駆けて、いよいよ追い詰められる───と、飛び込んだ先……が、その、風呂でして。

 その日俺は、丁度入っていた馬超さんと魏延さんによって、これでもかってくらいにボコボコにされたのでした。

 

……。

 

 ふしゅううううう……

 

「あの……はい……ほんと……すいません……」

 

 中庭の中心に座る男が一人。着替えはしたけど湯冷めするにはまだ早い上気した顔の二人に怒られていた。

 これが漫画とかだったら、絶対に“ふしゅううう”って擬音が鳴ってそうなくらい、ひどい地獄を見た。

 助かったといえば助かったことが一つだけ。

 二人とも丁度湯船に浸かっていたため、肩と顔しか見えなかったこと。

 しかしながら女性の入浴中に入ってしまったことは確かではあり、あとでたっぷりとボコボコにされました。……もちろん彼女らが上がり、きっちり着替えるまでの間、外で待っていたわけですが。

 説教をする場として中庭が選ばれたために、誰かが通ればちらちら見られるし、既に思春が溜め息とともに俺を見守っていたりする。

 見ないで……! こんな俺を見ないで……!

 

「かかかかか狩人ごっこだかなんだか知らないけど、そんなのに夢中になってるからって人が入ってるのに飛び込んでくるなんてっ! ななっ、なっななななに考えてんだよこのエロエロ大魔神!!」

「ごめんっ! 本当にごめんっ! でも本当に全然見てないし、すぐに外に出たしっ!」

「見たとかそういう問題じゃなくてっ! 入ってくること自体が問題なんだよっ!」

「そうですよねごめんなさい!!」

 

 例の如く正座な俺は、自分が犯してしまった罪をぐるぐると考えて、がっくりと項垂れていたわけだ。

 

(ああ……終わった……。比較的平穏(?)に過ごしてきた俺の人生が、狩りごっこに夢中になっていた……ただそれだけのことで全て……)

 

 どうなるんだろう。他国の将の湯浴みを覗いた罰は、どれほどの重罪なんだろうか。

 やっぱり打ち首獄門とか……?

 

「ああ華琳……たとえ次に会う時に首と胴体が離れていても、愛しているから……」

「首!? ぶぶ物騒なこと言うなよっ! 殺すなんてこと、するわけないだろっ!」

「え?」

 

 かつての日、雪蓮に祭さんのことを打ち明けようとした際、華琳に言ったことをもう一度口にすると、酷く慌てた様子で否定された。

 驚きにぽかんとしていると、「覗いたことへの罰ならもう散々殴ったし、二度としないようにこうして叱ってるんだから、それでいいんだよっ」と馬超さん。

 

「いや、だって……その気がなかったとはいえ、桃香の時でさえ愛紗に散々追われて死ぬ思いをしたし……てっきり俺、今度こそダメなのかと」

「当然だ。桃香さまのお美しい肢体を見ておいて、あれしきで済んだこと……桃香さまに死ぬまで感謝するんだな」

「うん、それはもちろんだけど……二人はいいのか?」

「……はぁ……いいよ。驚いたとはいえ、その……殴りすぎたし。あたしもあんたのその、えっと、みみみみ……見ちゃってるし…………ってななななに言わせんだよこのばかっ!」

「えぇっ!? そこで俺が怒られるの!?」

 

 もうどうしたらいいのか。

 けれど反省の心は消えない。

 同盟国の将の湯浴みを覗いてしまったなんて、ふりだしもいいところだ。

 不可抗力どころか、そもそもこの世界に戻ってこれるとも思ってなかったあの瞬間、桃香の着替えを覗いてしまったことで始まった二度目の三国での青春は、蜀国からの印象はマイナスでしかなかった。

 それを最近、“ようやくプラスに持っていけたかなー”って思い始めたところでこれだもんなぁ……もう自分の馬鹿さ加減に泣きたくなる。

 

「本来なら叩き潰してやりたいところだが、一度だけ見逃してやる。次はないと思え」

「………」

 

 それでも覗かれた恥ずかしさからか、顔を赤くしてそっぽを向く魏延さん。

 もし、以前に俺の着替えを覗かれてなかったら、俺の命はここで潰えていたのでしょうか。

 そう考えると、人生っていうのはつくづく何がプラスに働くのかわからない。

 そもそも追いかけっこに夢中にならなければ、こんなことにはならなかったわけだが……ってそうだ、孟獲は何処に行った?

 

「ありがとう。それと、本当にごめん。……ところで二人に訊きたいんだけど、孟獲が何処に行ったか、知らないかな」

「? いや、知らないけど。あんたより先に飛び込んできたのは見たけど……目で追うよりも先にあんたが飛び込んできたからな」

「うぐっ……ご、ごめん」

 

 謝ることしか出来ないね、うん。

 そうしてしゅんと項垂れていると、魏延さんが俺の腕を引っ張って無理矢理立ち上がらせて、「見逃してやると言っているんだから、いつまでも沈むな鬱陶しい」と言ってくる。

 そうは言ってくれるけど、許されてもこう、罪の意識っていうのは残るもので。

 だからこそ次はそうならないようにって気をつけられるんだろうけどさ。

 

「ん……うん、ありがとう。じゃあ───俺、弓の練習に戻るな」

「弓? 紫苑も一緒なのか?」

 

 口からこぼれた言葉に、馬超さんが首を傾げる。

 俺はそれに「ああいや」と返して、都合が合わずに教えてもらえていないことを話した。

 

「だから今、思春に付き合ってもらいながら弓の練習をね。そこに孟獲が来て、狩りがしたいって言い出してね……」

「断ればいいじゃないかよ」

「断ったら噛み付かれそうだったから。ほら」

 

 はい、と胴着の袖をまくってみせると、そこには無数の噛み痕が。

 それを見てしまっては、馬超さんも呆れるほかなかったようで、軽く目を逸らしながら溜め息を吐いていた。

 

「ワタシとしては、ワタシに向かってくる犬どもが貴様に向かうようになって、ありがたい限りだがな」

「……それって一応、お礼として受け取っていいのかな」

「皮肉も受け取れないのか、頭の薄い奴め」

「───……」

 

 いや……いい、いいんだけどね?

 ともかくもう一度、ごめんとありがとうを唱えると、立ち上がって思春のもとへと歩いていく。

 そこで弓を拾って矢を拾って……あれ? どうして矢が? と思春を見ると、どうにも先ほど孟獲が置いていったらしい。

 

「………」

 

 散々噛まれて、捕まえることも出来なくて、覗きをしてしまった上に正座と説教のコンボ……その報酬がこれか……。

 

(……空が青いや……)

 

 上向いてないと泣きそうでした。

 けどいつまでもそうしているわけにもいかないので、矢を番えて引き絞る。

 的はさっきまでと同様に太い木の中心。

 軽く印をつけてあるそこへと矢を放ち、当たればよし外れればがっくり。

 で、見事にあっさり外して見せた俺は、何処にも行かずにこちらを見ている馬超さんと魏延さんに気づく。

 

「? えと、まだなにかあった?」

 

 ハテ、と首を傾げながら言ってみるが……ハッ!? まさかやっぱり怒り足りないとか!?

 そんなことを思っていると、二人がどかどかと近づいてきて言葉を投げてくる。

 やれ姿勢が違うだの、そこはそうじゃないだの。

 いきなりのことで何がなんだかわからないんだが、どうやら弓のことを教えてくれているようで……

 

「え、と……こう?」

「違う。もっと姿勢を斜に、力強く構えろ」

「こう……かな」

 

 魏延さんに言われるがまま、大股で重心を下に、力強く弦を引き絞る。

 ……が、

 

「違う違う、もっと自然な姿勢でしなやかにやさしく構えるんだよ」

「えぇっ!? 斜で力強くて自然でしなやかってなに!?」

 

 馬超さんはまったく別の方向で教えてくれている。

 教えてくれているのは間違いないんだけど、二人とも何かが違う。

 こう……誰かを頭の中に思い描いて、その姿勢を教えてくれているようなんだけど、俺にはそのビジョンが全然浮かんでこないわけで。

 

「これが桔梗さまの構えだ」

「紫苑はいっつも静かに素早く構えるから、自然でしなやかのほうがいいに決まってるだろ」

「………」

 

 桔梗? 桔梗って……? 紫苑って……?

 …………あ、あー……そういえば黄忠さんと厳顔さんがお互いのことをそう呼んでいたような……。

 

「大体、桔梗は弓じゃなくて豪天砲だろ?」

「遠距離武器に隔てなどない。近接武器だろうと近づいて叩き潰すだけだ」

「なに言ってんだか。得物によって取る行動なんて変わってくるし、同じなんてことはないね」

「………」

「………」

 

 俺を挟んで睨み合う二人。

 あ……なんだか嫌な予感。

 

「あー……思春? 僕ら邪魔みたいだからあっちに助けてぇえーっ!!」

 

 そろりと逃げようとしたらあっさり捕まり、喋り途中だったのに思わず助けてとか叫んでしまった。

 思春は思春で暖かくもない目で俺のことを見守っています。助けてくれる状況は望めないようです。

 

「助けてなんて物騒なこと言うなよっ! あたしはただ教えてやろうと……!」

「理解ができたならさっさと弓を構えろ。時間が惜しいだろう」

(魏延さんがまるで思春のようだ……)

 

 でも教えてくれるのはありがたい。

 大変ありがたいんだけど───いや、諦めよう。逃げられない状況で何を言っても無駄なのだ。

 覚悟を決めよう、彼女らに教わるという、ただそれだけだけどとても大変な覚悟を。



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34:蜀/食休みにはご用心②

 

65/ただしいゆみのかまえかた

 

 ややあって、昼が過ぎていく。

 あれから馬超さんと魏延さんに弓の構えを叩き込まれ、言われるままに構える俺は、いい加減に目がぐるぐると回ってきていた。

 だって、言われた通りに構えても別の方向から注意されて、そっちに言われるままに構えれば別の方からって、決着つかずで疲労ばかりが溜まっていく。

 厚意を無碍には出来ないと思いながらも、「仕事とかはいいの?」とおそるおそる訊いてみれば、昼の時点で終わったと仰るお二方。神は死んだ。瞬殺だった。

 どんな仕事をしていたのかが大変気になるが、話はそういうところに落着してくれない。つまるところ、俺はまだまだ解放されないらしい。

 

「そうそう、それだよそれっ! それが紫苑の構えだっ!」

「う、うん……そうだね……」

 

 この遣り取りも何回目だろうか。

 で、次に魏延さんが割り込んできて厳顔さんの構えを……って───

 

「……撃ってみろ」

「エ?」

 

 ───意外ッ! それは射撃命令ッ!!

 てっきり別の構えを取れと言われると思っていた俺は、ぽかんとした顔で魏延さんを見つめていた。

 が、すぐに気を取り直して的を睨む。

 ここで話をしたら堂々巡りだ……というか、多分これで外したら……“言わないことではない! やはり桔梗さまの構えのほうが───!”といった感じに喧嘩に発展するのでは?

 

(しゅっ、集中! 集中!)

 

 外せない! これは絶対に外せない!

 狙いを定めろ一刀! 絶対に外すな! これは……これは彼女たちと俺の安寧を懸けた魂の一撃なるぞ!

 

「ッ───よく狙って……! ……、ここ───フワッ!?」

 

 いざ! ……といった瞬間、鼻に強烈なむず痒さ。

 思わずくしゃみが出そうになり、体が勝手に揺れ……無情にも弦は指から滑り、矢が……

 

「兄、続きをするにゃーっ!」

「うわぁったぁっ!?」

 

 ……放たれる瞬間、腰にしがみつく存在!

 体勢をさらに崩し、左手で支えていた弓も揺れ、矢は見当違いの方向に……飛ばず、見事にドッと的に命中した。

 鏃を潰し、布を巻いてあるから刺さることはなく、ぼとりと落ちる矢を眺めた。

 

「…………(あた)……った? あ、あた───おぉおおおっ!!」

 

 くしゃみの心配も何処へやら、体勢を崩したままへたり込んでいた俺は、がばりと起き上がると背中側の腰に抱き付いている存在……孟獲を前に回し、抱き上げて振り回して喜びを表現した。

 

「中った! 中ったぁあーーっ!! うわはーっ! 孟獲! 孟獲ーっ!!」

 

 これで喧嘩が無くなる! 二人が争う理由はきっと無くなる!

 そんな嬉しさがこみ上げ、それを(もたら)してくれた孟獲を振り回したり抱き締めたり、その状態で頭を撫でたりして燥いだ。

 そんな行為が孟獲も楽しく感じられたのか、両手を繋いだまま遠心力で空を飛ぶ状況に満面の笑みを浮かべて燥いでいた。……これで手を離したら飛んでいくね、ほんとに。やらないけどさ。

 と、ふと声をかけられて、ゆっくりと止まる。

 振り向いてみるとそこには魏延さんが居て、僕を睨んでおりました。

 

「次は桔梗さまの構えでやってみろ。美以に飛びつかれなければ中ったかも怪しいそれよりも、的中を見せるはずだ」

「え? あ、あの……え? あれぇ!?」

 

 結論。

 状況はなんにも解決に向かっちゃいなかった。

 それどころか、中ったことで魏延さんのハートに火がついたようで、さっさとしろと俺を促してアワワァーッ!?

 しかも直後に「紫苑の構えがそんなに気に入らないのかよ!」とか「そんなことは一言も言っていない!」とか喧嘩しだすし……。

 

「………」

 

 一刀よ……強くなりなさい。

 要するにどちらの構えも素晴らしいことを、二人に見せつければいいんだ。

 

(覚悟を……)

 

 全て的中させる───動かぬ相手にいつまでも外してばかりではいられない。

 そうだ、距離はそこまで遠くない。

 もっともっと集中して、二人を満足させることが出来れば───!

 

(秋蘭、祭さん、俺に力を貸してくれ!)

 

 矢を番い、引き絞り、二人が喧嘩する中、やがて矢は放たれた。

 

……。

 

 ……夜が来た。

 空は薄黒く染まり、昼の頃は暖かかった場もやがては寒くなり、だからといって寒すぎるわけでもなく……ええとつまり。

 

「桔梗の構えのほうが多く外しただろっ!?」

「それはこの男の腕が未熟だからだ!」

 

 ……ハイ、見事に外しました、ごめんなさい。

 そうですよね、願うだけで弓のド素人が必中とか出来れば誰も苦労しませんよね。

 真剣に、本気で、頭が痛くなるくらい集中しても、やっぱり外す時は外した。

 何発も何発も撃って、中ったり外したりして、現在は芝生に胡坐をかいているところ。

 その膝上に孟獲が乗っていて、猫のようにぐてーと脱力していた。

 俺はといえば、そんな孟獲の頭に汚れがつかないように気を使いながら撫で、ぼーっとしていた。弦を引き絞るなんて普段やらないことをしたためか、実はわりと筋肉がピキピキいっていたりする。

 普段使わない筋肉も出来るだけ鍛えていたつもりでも、やっぱりつもりはつもりだったようだ……弓の練習はこれからも続けよう。

 

「この喧嘩はいつまで続くんだろう……」

「それはあの二人に訊け」

「……だよなぁ」

 

 既に説得は試みた。

 「うるさい」、「ちょっと黙っててくれ」の一言ずつで全てが終わった。

 だって、なおも止めようとしたら武器取り出すんですもの。

 物騒だからって余計に止めようとしたら、何故か俺に向けてくるし……。

 一応教えてくれた二人だし、ほっぽって立ち去るわけにもいかないからこうして待ってるんだけど……一向に終わる気配がない。

 隣に居てくれる思春にも、ぐてーと脱力して頭を撫でられるままになっている孟獲にも、もちろん俺にも、この喧嘩の終わりが何処にあるのかなんてわかりはしなかった。

 ……こういった喧嘩は、魏延さんと蒲公英がよくするって聞いてたんだけどなぁ。

 

「ほら、二人とも、もう寒くなってきてるし、前の愛紗みたいに風邪でも引いたらまずいだろ? そんなことになったら桃香やみんなにも迷惑がかかるよ」

「ぐっ……桃香さまにご迷惑をかけるわけには……いや待て。もしワタシが風邪を引いたら、桃香さまが看病してくれたり……いやいやっ、それこそ迷惑や面倒をかけることに! あっ……いやしかし見舞いくらいなら……」

「………」

 

 どうしよう。魏延さんが何処かの世界へ旅立ってしまった。

 何も無い虚空を見つめて頬を染める魏延さんを前に、馬超さんが呆れとともに冷静になってくれたお陰で、一応喧嘩自体は終わったようだ……終わったよね?

 じゃあとりあえず立ち上がってと……ってこらこらっ、しがみつくな孟獲っ!

 

「えと、じゃあ解散しようか。いつまでもここに居たら見回り番の人が安心出来ないし」

「へ? あ、ああ、そうだな……って、お前その手っ……!」

「え……ああ」

 

 自分の右手を見下ろしてみれば、少し血が滲んでいる手。

 下がけや弓篭手をしていようが、一日中やっていればこうなるだろう。

 実は弓を構えていた左手も、人差し指と親指の間が赤く滲んでしまっている。孟獲の頭が汚れないようにって気をつけていたのは、これが主な原因だ。

 何事も無理はいけないって一例だなこれ……騒ぐほどの痛みじゃないものの、じくじくときて嫌な感じだ。それにプラスして、明日は筋肉痛だろう。

 軽くやるつもりだった練習が、いつの間にかキツい練習になっていた……そんな気分だ。

 

「も……もしかしてあたしたちが無理にやらせたからか……!? ~……ぁああああ……! ごめんっ! ほんっとうにごめんっ! つまらないことで意地になって!」

「ははっ……いや、いいよ。大変じゃなかったって言えば、そりゃあウソだけど……頑張って教えようとしてくれたことは、ちゃんとわかってるから」

「うっ……ごめん……」

 

 心底悪いことをしたといった顔で、小さくおろおろと視線を泳がす馬超さん。

 その横では魏延さんが未だに赤い顔でホウケているんだから、不思議な光景だ。

 

「ちゃんと学べることもあったし、謝られたらこっちが逆に悪いことをしたなって思っちゃうからさ」

「いや……学校の授業の時にも夢中になりすぎて、学びに来てくれているやつらに無理させそうになるの、助けられてるし……。ほんとあたしはこんなことばっかで……」

「えと……」

 

 どうしたものだろうか……軽い自己嫌悪状態に入ってしまったようで、何を言っても俯いたままで受け取ってくれない。

 そうやってどうしようかと考えていると、突然バッと顔を上げて俺の目を見る馬超さん。

 その突然の動作に後退りそうになりながら、しがみついている孟獲を仕方も無しに抱きかかえつつ、見つめ返す。

 

「覚悟、決めた。何かあたしにしてほしいこととかないか? その……そんなので許してもらおうとか、ずるい話かもしれないけど───って、ももももちろんエロエロなのは無しだからなっ!?」

「…………」

 

 馬超さんの中で、俺って何処までエロエロなんだろうか。

 そんなことを、遠い目をしながら考えた。

 でも……してほしいことか。そういうのって全然無いんだけど。

 別にいいよって言うのも彼女の覚悟に対して失礼な気が……というか、それを言った時点で“それじゃああたしの気が済まないんだよっ”とか言われそうだ。

 あ……じゃあ。

 

「………」

「……?」

 

 手を差し出した。

 わざわざ口に出してなるものじゃないって七乃は言うけれど、それでもこの手を握られる前に伝えよう。

 

「誓って言うよ。エッチなことなんてしないし、しようとしなくてもいいから。……俺と、友達になってください」

「───……」

 

 それ以上に伝えることは無く、差し出した手が握られる瞬間をただ静かに待つ。

 断られればそれまで。でも、だからって嫌いになる理由は何処にもない。

 今がダメならまた今度、改めて。

 そんな気持ちを胸に笑顔で、それでも望みは捨てずに待った。

 

「……………………はぁ!?」

 

 ややあって、第一声はそれだった。

 顔は真っ赤で、軽く体勢を仰け反らせる姿勢のまま、明らかに狼狽えてますよって顔での一声だった……と思った矢先に、捲くし立てるような言葉の嵐。「ななななななに言ってんだよ!」とか「改まって何を言うのかと思えばととと友達なんて!」とか……なにもそこまで驚かなくても。

 

「それにさ、あんたとかお前じゃいい加減呼びづらいだろうし。俺も出来れば一刀って名前で呼んでもらいたいんだ」

「な、名前……?」

「うん」

 

 手を差し伸べたままの状態で頷く。

 けれど馬超さんは、真っ赤な顔と引け腰のままでちらちらと俺の顔と手を見るばかりで───そこでハタと気がついた。

 

「あ……ごめん。血が滲んでる手で握手とか、気持ち悪いか。そこまで気が回らなかった」

「! ち、違うっ! 気持ち悪いとかそんなんじゃなくてっ……あぁあああもうっ!!」

 

 下ろそうとした俺の手に、バッと伸ばされた馬超さんの手が重なる。

 真っ赤な顔のまま、半ばやけっぱちの如く俺の手を掴むその手には物凄い圧が存在していて───

 

「いたぁあったたたたたた!! 馬超さん! 指! 指ぃいいーっ!!」

「うわわわわぁあああっ!!? ごめんっ! 悪いっ!」

 

 丁度血が滲んでいた部分を強く圧迫されたために、素直に痛かったです。はい。

 とか暢気に言ってると、滲むだけだった血がたらたらと……おお、どれだけ圧迫すればこんなに……。点だった傷が引き裂かれたかのようだ。

 で……視線を指から馬超さんに移してみれば、やっぱりしょんぼりな彼女が居た。

 俺はハンカチをポケットから……って、だから明命の傷の手当てに使ったから無いんだってば。

 溜め息とともに自分の手の血を舐め取ると、ちらりと馬超さんを見る。

 ……仕方ないよな。血よりはマシだと思ってもらおう。

 

「馬超さん」

「な、なんだよ……───なぁあああああああっ!!?」

 

 視線を合わそうとしない彼女の手を取って、付着してしまった俺の血液を舐め取る。

 幸い衣服にはついていないようだから、そこは安心した……直後に殴られた。

 血よりは唾液のほうがマシかなと思ったけど、そういう問題じゃなかった。

 

「なななっなななななにすんだよっ! エロエロなのは無しだって言っただろぉっ!?」

「いたた……や、そうじゃなくてさ。俺の血、ついちゃってたし、服についちゃう前になんとかしないとって思って……。拭くものがあればよかったんだけど、前に千切っちゃったから」

「そそそそれにしたっていきなり舐めるやつがあるかよぉおっ!」

「え、と……その……ごめんなさい」

 

 言われてみれば、いきなりはまずかった。

 でも、訊いてみたところで絶対に頷きはしなかったと確信を持てるのは、俺だけかなぁ。

 

「大体そんなっ……あたしみたいな女の手を舐めるなんて、気持ち悪いだろ……」

「………」

「………」

「………」

「………」

「…………エ? あたしみたいな? って……なにが?」

 

 言われた言葉の意味がわからず、じっくり考えてみたんだが……答えが見つからない。

 仕方もなしに訊ねてみると、馬超さんは自らの恥をさらすような様子で「だからっ」と怒声にも似た声を張り上げた。

 

「あたしみたいな可愛くない女の手なんて舐めても、気持ち悪いだろって言ったんだよ! 槍を振り回してるから綺麗なんて言えないし、そもそもあたしは他のやつらに比べて可愛くなんかないしっ!」

「………」

 

 エ? いや、ちょっと待って? 本気? え……これって本気で言ってるのか?

 馬超さんが可愛くないとしたら、可愛いってなんだ?

 

「可愛くないの?」

「可愛いもんかっ! あたしがそんなっ、可愛いわけないだろっ!?」

 

 怒鳴るように言ったと思うや、可愛くないところを熱弁されてしまう。

 可愛くない……? 可愛いといえば───と、少し考えると、浮かんでくるのは麗羽の姿。可愛くない、といえば、じゃあ別の方向。

 

「…………ああっ、じゃあ綺麗なんだっ」

「うなっ!? なっ……な、なななななぁああーっ!? ななななに言ってんだよそんなわけないだろ!? 可愛くもないやつが綺麗なもんかっ!」

「あの。それって随分と偏った意見だと思うんだけど。じゃああれだ、美しい?」

「違うったら違うっ! なに言ってんだよお前!」

 

 ……取りつく島がない。

 自分は可愛くないってことに無駄に自信を持ってしまっているんだろう……まるで凪だ。

 

「断言するけど……馬超さん、可愛いし綺麗だし、槍を構えてる時や馬に乗ってる時ってすごく“美しい”って言葉が似合うよ?」

「ひうっ!?」

 

 正直な感想を、真正面から目を見て届ける。

 馬超さんの赤かった顔はさらに赤みを増し、その狼狽え様は思わず心配になるほどのものだった。

 

「そ、そんなこと言って、どうせからかってるんだろっ! その手には乗らないんだからな!? いつもそうだ、どうせ今も蒲公英が何処かで見てるか、蒲公英にそう言えって言われたんだろっ!」

「えぇっ!? どうしてそこまで頑な!?」

 

 様々な理由を並べてでも自分が可愛いとは認めたくないらしい……この容姿でそう思えるのって、ある意味純粋なのかもしれない。

 ん、んー……まいった。こうなると意地でも気づかせてやりたい。

 凪の時は真桜や沙和がいろいろと手を回したみたいだけど、馬超さんの場合は……身近なところで蒲公英? いや、どうしてか余計にこじれそうな気がしてならない。

 

「じゃあ……馬超さん、もう一度手をとってもらっていいかな」

「え? な、なんだよいったい」

「友達として、誓って言う。他の人や馬超さんがどう思おうと、俺は馬超さんは可愛いし綺麗だと思ってる。この気持ちに嘘は無いし、この言が嘘だとしたら殺されても文句は言わない覚悟を、この手に込めるよ」

「ふえ……!? ばっ……馬鹿じゃないのか!? そんなことに命まで懸けるっていうのかよ!」

「うん、懸けられる。だって、可愛いって思うし綺麗だとも思ってるもの。これだけ言ってももし信じられないならさ、自分の容姿じゃなくて……友達の言葉を信じてくれないか?」

「や、な、う……うぅう……~っ……」

 

 決して目を逸らすことなく、虚言ならば本当に槍で貫かれて構わない覚悟をこの手に。

 繋がれた手に嘘はつかない。友達を裏切ることは絶対にしない。

 だからどうか信じてほしい……友達って関係を、存在を。

 自分の容姿にもっと自信を持ってくれるのが一番なんだけどさ、それを理解させるのはもっともっと時間が要りそうだから。

 というか…………あれ? どうしてこんな話になったんだっけ? 確か握手して血がついて……あれぇ……?

 

「~………………なぁ。本当に、本当に……あたしのこと可愛いって思ってるのか?」

「? うん」

「嘘じゃないか!? 本当にか!?」

「手を取ってくれれば、覚悟を約束にして誓うよ。馬超さんは可愛い。当然、今もそう思ってる」

「…………っ」

 

 手は差し伸べたままに言う。

 馬超さんは一瞬手を伸ばそうとするが、様々な葛藤があるのだろう。途中で止まった手は宙を彷徨い、けれど俺から掴むことは絶対にせずに、ただ待った。

 自分から認めないと、きっとこれからも自信なんて持ってくれないだろう。

 凪を見てきた自分の目で見た彼女の挙動は、自然とそう思わせた。

 ……ていうか、当然のことを当然って言うだけのことなのに、どうしてこんなに難しいことになっているのか。……あ、そりゃそうか、麗羽みたいに“わたくしは美しいですわ~!”って認めるなんて、しかも人の目の前で認めるなんて、普通は恥ずかしいもんだ。

 あれ? じゃあ俺、そういうことを認めろって言ってるようなもの?

 ……いや、でもここで“やっぱり可愛くない”とか言うのはおかしい、っていうか嘘はつきたくない。だって可愛いし綺麗だもの。男として好きか嫌いかとかそういう方向じゃなく、純粋に可愛いって思うもの。

 

「…………」

「………」

 

 沈黙は続く。

 横で魏延さんが「うへへへ……」と怪しい笑みをこぼしているけど、気にしたら負けだと思っている。

 そんな中で、吹いた風に肩を震わせた馬超さんが、ゆっくりと、本当にゆっくりと俺の目を見て口を開く。

 

「……い……いいんだな……? 信じる……ぞ?」

「ん」

「あたしは可愛いなんて思ってないのに、お前が勝手にそう言ってるって……お前にはそう見えてるんだって信じるぞ!?」

「自分でも思ってほしいんだけど、うん。それは自然にそう思えるようになってくれれば」

「もしこの後で“可愛くない”とか言ったら本気で怒るからなっ!?」

「その時は刺してくれてもいいよ。それだけの覚悟と自信があるから」

「ひうっ……」

 

 凪の場合は傷を気にしていた感があったけど、馬超さんは気にするべきところなんて見つからない。

 だからってもちろん、凪の傷が気になったかどうかで言えば否だ。

 自信を持って言えることだ……可愛いし綺麗だし、馬上で槍を振るう彼女は美しい。

 ……自信を持てるのは確かなんだけど、これってナンパとかの殺し文句じゃないでしょうか。いまさらになって気になってきた。でも取り消すわけにもいかないし……ええいなるようになれ! 本当にそう思ってるんだ! 取り消す理由なんてきっと無い!

 そう思った瞬間、きゅっと手を握られた。

 

「あ───」

「~……」

 

 血で汚れるだろうからと、滲んでいる部分は接触しないようにと構えていたのに、あえてその上からきゅっと。

 赤らめた顔を軽く俯かせ、口を結んで何も言わない彼女。

 でも、これでようやく届くだろう。

 受け容れる姿勢を“繋いでくれた”彼女へと、俺は一言を届けた。

 

「可愛いよ、馬超さん」

「……★■※@▼●∀~っ!!」

 

 自分が本当にそう思っているということを届けると、彼女は手を握ったままこれでもかっていうくらいに真っ赤になった顔を余計に俯かせた。

 手を繋いだ瞬間から“信じてくれている”のだから、きちんと受け止めてくれた証拠……なんだろうか。あ、あの、ちょっと赤くなりすぎじゃ……? 夜にその赤さがわかるほどっていうのは結構危ないんじゃ……? まあそれはそれとして。

 

「やっぱり届けたい言葉をちゃんと受け取ってもらえるのって嬉しいなぁ」

「~……お前、こんなこと平気で言えるって、どうかしてるんじゃないか……?」

「いや、結構恥ずかしかったりする……でも、嘘は言ってない」

「わ、わかってるよ……! その、約束、だし……え、と……か、か……一刀」

 

 …………。

 

「……うん」

 

 一瞬、自分の名前が呼ばれたことに気づけなかった。

 そっか、約束か……手を取った時点で友達で、嘘は言わない覚悟を誓って、俺の呼び方もあんたやお前から変える。

 それに習う、こうして手を繋いでいる時間が妙にくすぐったい。

 

(でも、温かいな……)

 

 誰かとこうして繋ぐことの出来る手が嬉しい。

 服にしがみついている孟獲を左腕で抱えていることも相まって、妙に温かいし。

 ほんとにいい匂いとかしてるのかな……自分じゃあわからないんだけど。

 

「……それからっ!」

「うん?」

「そ、そそそそれから、……あたしのこともその蒲公英と同じ……そうっ、蒲公英と同じで真名で呼んでいいからっ! いいんだ、何も言うなよっ!? 友達なんだからいいんだっ! 友達なんだからなっ!」

「いや……何も言ってないんだけど……」

 

 でも、ありがとうを。

 小さく礼を届けてから、握っている手に軽く力を込めた。

 さて───……ところで馬超さんの真名って……俺、聞いたっけ?

 いや、聞いた、聞いたよ。彼女本人からじゃなく、他の将との会話の中で。

 翠……そう、翠だったはずだ。けど本人から聞いたわけじゃないのに急に呼ぶのも。

 

「馬超さん。一応馬超さんの真名は知ってるけど……馬超さん本人から許してもらってないから───」

「ふえっ!? あ、ぁあそっか、そうだった、あ、あははは、は……こほんっ! 姓は馬、名は超、字は孟起、真名は翠だ」

 

 おおっ! キリッとキメ───たのに、顔は真っ赤だ……。

 しかもすぐに俯かせちゃうし。

 

「じゃあ俺も。姓は北郷、名は一刀。字も真名もない世界から来た。よろしく、翠」

「すっ───あ、あぁあああ……うあゎああああーっ!!」

「ほぼっ!?」

 

 顔の赤さが臨界点に達し、キッと俺を見る目が潤んでいるように見えた瞬間には、彼女の左拳が俺の顔面を捉えていた。

 拍子に放した手から逃れた彼女は叫びながら走っていってしまい、ハッと気づけばいつの間にか魏延さんも居なくなっていた。

 

「…………」

「………」

 

 残された俺と孟獲は、ただぽかんとしていた。

 思春は“やれやれ……”って感じで溜め息を吐いている。

 いっつも付き合わせるハメになってごめんなさい。

 

「みぃは美以にゃ」

 

 ……いえ、ぽかんとしてたのは俺だけだったみたいです。

 左腕で抱えていた孟獲が、とろんとした眠たげな顔で俺を見上げて言う。……恐らくは、自分の真名である言葉を。

 

「……いいのか?」

「今日は面白かったにゃ。兄と居ると面白いし、いい匂いもするからいいのにゃ」

「…………」

 

 いい匂いがするってところが強調されていた気がするのは気の所為ですよね?

 せいぜいまた噛まれないように気をつけよう……。

 

(うーん……)

 

 真名の価値って人それぞれなんだろうか。

 簡単に許しちゃう人も居れば、逆もまた。

 でも……許してもらうと距離が縮まったって思えて……こう、くすぐったいんだけど嬉しいんだよな。

 孟獲に習って俺も名乗るけど、自分に真名がないのが、やっぱりちょっと悔しいって思えた。

 

「……戻るか。孟獲……じゃなかった、美以の部屋って何処なんだ?」

「あっちにゃ」

 

 考えても仕方の無いことを、頭を軽く振ることで拭ってから促すと、美以は適当な方向を指差す。

 とりあえずは通路らしい。

 気を取り直すつもりで深呼吸。美以を抱え直して歩くと、思春も音も無く歩き始めた。

 それにしても、ちょっとの鍛錬のつもりが本当に大変な一日になったよな。

 そもそもが食休みの間の軽いものだったはずなのに。

 

(それでも楽しいって思えたあたり、無駄じゃなかったわけだし……いいよな)

 

 通路を歩く。

 訊ねるたびにあっちにゃこっちにゃと指差す美以の指示に従って、ひたすらに。

 やがてもはや歩き慣れた通路に差し掛かると、なんとなく嫌な予感がふつふつと。

 

「あのー、美以? こっちには俺が借りてる部屋しか……」

「そこでいいにゃ」

「よくないよ!? ちゃんと自分の部屋に戻らないと、他のやつらも心配するだろ!? あのほら、えーと……ドラえ───じゃなくて」

「シャムとトラとミケにゃ」

「そうそう、その娘たち。だから、な? きちんと戻ろうな?」

 

 言いながらも結局は部屋がある通路に差し掛かってしまう。

 どうしたものかなーと考えて……ふと、暗がりの先の部屋の前に誰かが立っているのに気づく。

 思春は……後ろについていてくれてるから、思春じゃないよな。

 朱里や雛里にしては背が高いし……えぇと? と、首を傾げながらも近づくと、やがて見えてくるその姿───よりも先に、ぐるぐるのドリル髪が見えた。……ワァ。

 

「ア、部屋間違エチャッタァ」

「あぁら一刀さん奇遇ですわねっ」

「部屋前の暗がりで待ち構える奇遇ってなんですか!?」

 

 そしてあっさり見つかる俺。

 や、そりゃあ声を出せば見つかりもするさ。俺の馬鹿。

 

「や、やあ麗羽……こんなところでどうしたんだ?」

「え~え、少しこちらに用事がありましたの。ええ本当に奇遇ですわ」

(……こっちの通路、この部屋があるだけで行き止まりなんだけどなぁ……)

 

 ツッコんだら負けなんだよきっと。

 そう思うことにして、無難な言葉を探りながら会話を。

 

「そ、そう。それは奇遇だね。それで、その用事って?」

「あぁ~らそれは言えませんわ」

「そっか、それは残念だなぁ。じゃあ俺もう部屋に、……な、なにかな」

 

 そそくさと逃走を図ろうとしたら、腕をしっかと掴まれました。

 振り向いてみれば、どこかぶすっとした顔の麗羽が美以をジト目で指差していた。

 

「気になったのですけど。その獣娘をどうするおつもりですの?」

「や、なんか部屋に来たがってるみたいだから」

 

 満足するまで遊ぶなりしてもらおうと思ったんだが。

 それを全部説明するよりも先に聞こえる高笑いに、嫌な予感しか沸かなかった。

 

「あぁらぁ~、それでしたらわたくしもお邪魔しても構いませんわね?」

「エ? な、なんで───」

「か・ま・い・ま・せ・ん・わ・ね?」

「ア……ハイ……」

 

 華琳さん……わかっていたことだけど、女って怖いです……。

 そして思春、溜め息を吐くよりも止めてくれるとありがたいんだけど……え? 庶人扱いなんだから無茶言うな? ……デスヨネ。



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34:蜀/食休みにはご用心③

66/突撃、貴方ン部屋

 

 結局、麗羽と美以が部屋へと入り、特に何をするでもなく平和な時間を───過ごせるわけもなく。

 風呂に入らせてもらい、服を寝巻き(借り物)に着替えて部屋に戻ってきたあたりで、既に平和なんて言葉は吹き飛んで無くなっていた。

 美以が麗羽を軽くからかってしまったために言い争い祭りが開催された。

 祭りというのも、その騒ぎを聞きつけた猪々子と斗詩が(麗羽が心配だったらしい)駆けつけ、部屋に入っていく二人を見た趙雲さんがこれは面白そうだと仲間(愛紗)を呼び、そこからぞろぞろと人が増えて……現在に至る。

 

「へー、お姉様ってば真名許したんだー。あれだけ渋ってたくせにー♪」

「うぅうううるさいなっ! あの時だってお前が妙にけしかけたりしなければ、もっと早くに……!」

「え? そうなの? そうなんだー、へーお姉様ってば大胆ー♪」

「ばばば馬鹿っ! 違っ……ななななに見てんだよ一刀!」

「いや、可愛いなぁって……」

「○※★×◆▼!?」

 

 この状況の中にあって、そうやって騒げる姿が羨ましい。

 なんでだろうなぁ……どうしてこんなことに……。

 

「なぁみんな……そろそろ自分の部屋に───」

 

 みんな……そう、今この場には蜀の将のほぼ全員が居る。

 その数は相当なもので、部屋はぎゅうぎゅう詰めにもほどがある。

 だというのに器用に座ったりつまみと酒を用意して酒盛りしたりと、無駄に逞しい。

 

「ごめんなさいね、弓を教えてあげられなくて。翠ちゃんに聞いたんだけど、大変だったでしょう?」

「いえ、これはこれで勉強にはなりまし───って、あれ? 黄忠さん? 今、話逸らしました?」

「ふふふっ……」

 

 穏やかな笑みではぐらかされた。出て行くつもりはないようだ……みんな。

 そりゃあさ、部屋を借りている身だから、みんなが翌日に支障がないっていうならそれでいいんだけどさ。

 

「焔耶ちゃんはお兄さんに許したりとかは───」

「とんでもない、そんなことは有り得ませんよ桃香さま。今日までこの男の行動を監視してきましたが、わかったことといえば───いちいちやること為すこと桃香さまに似ていてもやもやするということのみです。困っている民を助けたり、将の仕事の手伝いをしたりと、それはもうもやもやするのです───って桃香さま!? 何故落ち込んでおられるのですかっ!?」

「……焔耶ちゃん、私のこと嫌い……?」

「それこそとんでもないっ! ワタシは桃香さまのためならたとえ火の中水の中!」

「そのまま沈んで浮いてこなければいいのに」

「蒲公英貴様っ! ワタシと桃香さまの会話を邪魔する気かっ!!」

 

 そして始まる口喧嘩。

 あはは……と苦笑いを浮かべる桃香を横目に、俺はといえば……

 

「この状況ってさ、いろいろどころか相当にマズイと思うんだ、俺……」

「耐えてくれアニキ……あたいも見てて辛い……」

「でも貴重といえば貴重だよね、文ちゃん」

 

 きっかけはもちろん最初。部屋に訪れた麗羽が、寝台に座った俺の膝の上に乗ってきた美以に、あー……美以を、かな。羨ましがった、でいいんだろうか。

 きっかけがそれだとして、今現在どうしてその麗羽が俺の膝の上で眠りこけているのかは、きっと深く考えたらいけないことなのだ。

 最初こそ美以の真似をして、寝台の上に胡坐をかく俺の上へと乗っかってきた麗羽だったが、なんかちらちらと自分の肩越しに俺を見るもんだから、なんとなく華琳にやるみたいにお腹に軽く腕を回し、もう片方で頭を撫でていたらいつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 訂正するなら、華琳の頭はおいそれと撫でられないので、撫でていたらっていうのはちょっと違う。

 

「けど、こういう寝顔を見てると……やっぱりみんな、甘えられる人が欲しいのかなって思うなぁ……」

「? おかしなこと言うなぁアニキ。麗羽さまなら常に甘えてるじゃん」

「誰々にこうしろーってする命令的な甘えじゃなくてさ。こうして、誰かによりかかることで安心できるって意味の甘えのことだよ」

「んー……なぁ斗詩? アニキの言ってるのって何が違うんだ?」

「あはは、えっとね、とっても簡単なことなんだよ。ただ本人が気づけるか気づけないかが難しいだけで」

「?」

 

 斗詩の言葉に首を傾げて、近くに居た鈴々をとっ捕まえて同じ質問をする猪々子。

 ……首傾げ病が伝染した。

 そんな様子が可笑しくて、小さく笑いながら麗羽を膝から静かに下ろし、寝かせる。……その横では既に美以が寝ている。

 意外と大きい寝台ですうすうと眠る彼女の頭を軽く撫でてから、じゃあ実践をと猪々子に手招きをして、膝枕を実行。

 

「……なぁアニキ、これが甘えになるのか?」

「深呼吸して、余計な力を抜いてみて」

「……? すぅ……はぁ……」

「で、こうして今膝枕をしている相手が、見ず知らずの男だって想像してみるんだ」

「うえっ、それなんかやだっ!」

 

 バッと起きようとする彼女の頭をきゅっと抱いて、ゆっくりとまた膝へ。

 そうして目を見下ろしながら言ってやる。

 

「つまりさ、本当の甘えっていうのは多分……信頼も多少はないと出来ないってこと。命令だけなら甘えじゃなくても出来るだろ? 多少でも信用してるから、こうして頭も預けられるし、安心していられる。……まあ、ゴツゴツした足で申し訳ないけどさ」

 

 言いながら、包帯が巻かれた手で猪々子の頭を撫でる。

 せめて気分だけでも安らぐようにと、軽く氣を込めて、やさしくやさしく。

 

「ふわー……驚いたなぁ。あたいが認める膝枕は、斗詩以外にはそうそう無かったのに」

「お気に召しましたか、お嬢様」

「っへへー、うむ、くるしゅーないぞー」

 

 しししと笑い合いながら、撫でていた手を止めると猪々子が起き上がる。

 結構お気に召してくれたようで、「また今度頼むー」と笑顔で言っていた。

 ……さて。軽薄なことをしたとは思わないものの、他人から見たら軽薄なんだろうか。

 じとーと周囲の皆様に見られているような気がするんだが、それを確認するより先に鈴々が膝の上に頭を置いてきた。

 むしろこの場合は飛び込んできたって言うべきか?

 

「こ、こらこらっ、隣で麗羽が寝てるんだから、あんまりどたばたしないっ」

「えへへー、お兄ちゃん、なでなでしてー?」

「……はぁ」

 

 言われるままに頭を撫でる。

 キミの無邪気さにはいろいろと助けられているって感謝を込めて。

 まあその、はは……鈴々自身から与えられる苦労もいろいろあったりするけどさ。

 自分の思考に苦笑をしながらも撫で続けると、鈴々までもがくかーと寝てしまう。

 ……俺の手って睡眠誘発効果でもあるのだろうか。と、ここでてこてこと横に歩いてきた恋が服を引っ張って……あ。陳宮が鈴々を転がして……足の上が軽くなった。や、友達を助けるのは当然のことです、って胸張って言われても。

 

「…………じゃあそれに感謝するのも当然だよな」

「ほえ? ぅゎ、なぁーっ!? ななななにをするですおまえーっ!!」

「膝枕」

 

 言葉の割りにあまり抵抗らしい抵抗がなかったが、ともかく膝枕。

 小さな頭をやさしく撫でて、なんだかんだといろいろ気を使ってくれる友達に感謝を。

 しばらくぶちぶちと文句を放っていた口が、やがて口数を減らしていくと……規則正しい呼吸だけが聞こえるようになった。

 

「わっ、もう寝ちゃった」

「そう言いながら次は自分がってスタンバイしてる桃香さん? なにやってるんですか」

「すたんば、ってなに?」

「いや、なんでもないけど……」

 

 服を引っ張っていた恋は、寝台の中心に座る俺の背中側に猫のように丸まって寝転がり、丁度伸ばしやすいところに頭があって、俺はそれを静かに撫でていた。

 顔を覗いてみれば、なんとも気持ち良さそうな顔をしていた。

 

「けどさ。みんな、一緒に騒ぐことが好きなんだな。一人来たらまた一人って、もう夜なのに集まって」

「うん。こうして何もなくても集まってると、なんだか家族みたいで楽しいよね」

 

 厳顔さんと酒を飲み、すっかり酒臭くなってしまった母から逃げるようにやってきた璃々ちゃんを、ひょいと抱き上げて桃香は言う。

 確かに……親はいろいろと大変なことになってるけど、こんな家族なら苦労しててもきっと楽しいだろう。

 

(家族か……)

 

 突然、親が作る料理の味を舌が味わいたくなる時がある。

 お袋の味っていうのかな……安心できる味が、こう……恋しくなる。

 当然この大陸にそんなものがある筈もなく、時折に自分で作ってみては、そこに届いてくれない味に落胆する。

 味を似せることは出来るのに、どうしても一味が足りない。

 そこにはやっぱり、親でしか出せない味や、台所仕事を極めた者にしか出せない味ってものがあるんだろう。台所の覇王か……どれだけ上手くなっても、あの味を出せるのはきっと母さんだけなんだろうな。

 

「で、陳宮をどかして何をいそいそと寝転がっておりますか、蜀王さま」

「だ、だってー……ほら、みんな気持ち良さそうだったから……だめ?」

「…………いや。そうだよな、甘えていいって言ったのは俺なんだから」

「あはっ、やったっ」

 

 笑みをこぼしながら、璃々ちゃんを抱いたまま俺の膝に頭を乗せる桃香。

 その頭をやさしく撫でながら、部屋の中を見渡した。

 ……その様、まさに地獄が如く。

 宴会っぽくはあるのに、何処かで必ず喧嘩が起こっている。

 ほら、今も視線を動かせば、厳顔さんと黄忠さんが“どちらが飲んでいられるか”を勝利の標として酒を飲みまくり、その横では蒲公英と魏延さんが言い争いを始めてるし、そのさらに横では何故か趙雲さんと、さっきまでそこで寝ていた美以との言い争い(ほぼ美以が騒いでいる)が。……寝てるところに悪戯でもされたんだろうか。

 その横では翠と猪々子がどうしてか腕相撲をやってるし、その横では詠と月が七乃と妙なゲームをやってて、近寄りがたい雰囲気を出している。笑顔なのに、怖い。

 

「本当に、ここは賑やかだな……」

 

 将の集いだけでもこんなに暖かい。

 騒がしいのに、それが嫌な騒がしさと感じられないんだから不思議だ。

 ……もっとも、巻き込まれた時は本気で怖い目に遭っていたりするから、巻き込まれには注意が必要だ。見ている分には問題ないんだよ、ほんと。

 

「……っと、桃香も寝ちゃったか」

 

 抱き締められていた璃々ちゃんも、もうすやすやと眠っていた。

 振り向いてみれば恋も。

 そんな彼女らに毛布を被せて回っている朱里や雛里、愛紗や斗詩に小さくありがとうを届けた。

 手伝いたかったけど、生憎と恋に服の背中側を、桃香にズボンを掴まれてしまっている。離させようとするとまるで万力が如き力を発揮して取れやしない。本当は起きてるんじゃないだろうか。

 

「お疲れ。飲むか?」

「え? あ、ああ、ありがと」

 

 と、掴む手を外しにかかっていると、はいと渡されるお茶。

 差し出していた公孫賛に感謝を届けると、お茶を受け取って軽くすする。

 ……不思議な味だった。

 

「悪いな、詠や月が淹れたほうが美味いんだろうけど」

「いや、不思議な味だなって思っただけだから」

 

 一言で言うと……普通? これだけ普通の味を出せるなんて、中々出来ないだろ。

 そう、普通なんだ。まるで日本で一般的に飲むような軽いお茶の味。

 そうなると懐かしいような嬉しいような。

 

「………」

 

 それは“お袋の味”とはかけ離れたものだったけど、無性に何かに対してありがとうを言いたい気分だった。

 郷愁に襲われたら、公孫賛を頼ろう。

 故郷の味は、自分じゃなく他人の手でこそ味わいたい。

 身勝手な話だけど、自分じゃあどうやっても自分の味覚に里の味を与えられない。人間って多分そういう生き物だろうから。

 

「……公孫賛」

「うん? どうかしたか?」

 

 寝台に腰掛けながら茶を飲む公孫賛が目をぱちくりとさせ、俺を見る。

 そんな彼女へと、心と体に染み渡る普通のお茶を飲み乾してから心からのありがとうを送った。

 心を救われた気分だと。暖かなお茶だったと。

 

「へ? あ、うう……あんまり褒めるなよ……こっぱずかしくなるじゃないか。ていうか普通に詠のお茶のほうが美味いだろ」

「いや、この味、天の味に似てるからさ。帰ろうと思って帰れる場所でもないし、似た味があって、しかもそれを味わいながら“はぁ……”って安心できるものなのが嬉しくて」

「……そ、そっか。そうなのか。あ、お代わりいるか? いるなら淹れるぞ?」

「ごめん、この一杯でいいや。味に慣れるのがちょっと怖い。味わいたくなったらお願いしに行くから、その時に淹れてくれると嬉しいんだけど」

「ああ、それくらいならお安い御用だ。いつでも言ってくれよ、それまでに少しは腕を磨いておく───」

「いや。是非ともその腕のままでいてくれ」

「……いや、ああ……それがいいっていうならいいんだけどさ。なんか複雑だなぁ」

 

 腕を磨くって言っている人に“そのままでいい”っていうのは酷いね、うん。

 自覚はあるんだけど、どうしてもこう……なぁ。

 

「けど、北郷も中々手が早いよな。翠と美以に真名を許してもらったなんて」

「手が早いとか言われるとこっちも複雑だ……。でも、嬉しいよな、信頼してもらえるのは。友達になれるだけでも十分だって思ってたのに、それ以上の“嬉しい”があった。今まで天で生きてきて、こんなに深い“信頼”があることさえ知らなかったんだ」

 

 信じるもののために命を懸けられる人が居る。

 その人が目指す先を信じて、最後までともにあろうとする者たちが居る。

 信じる人が居て、信頼を向けられる人が居て。

 いつの間にか俺も、そういった信頼ってものを向けられる存在になっていた。

 それは時に重荷にもなって、状況によっては心を潰しかねないとてもとても怖いものにさえ変化した。

 そういった現実から逃げ出さなかったのは、そんな自分よりも重いものを、そんな自分よりも数え切れないくらいの信頼を背負った人が居たから。

 そんな人が自分を信頼してくれていたから。

 利用価値があるまではって約束でも、最後まで隣に居させてくれたから。

 

「天には真名が無いんだったよな。北郷はなんて呼ばれてたんだ?」

「かずピー」

「……へ?」

「かずピー。悪友によくそう呼ばれてた。一刀だからかずピー。ピーが何処から来るのか知りたいくらいだ」

「それは名前とは別の……字なんじゃないのか?」

「愛称だよ、愛しくもないけど。公孫賛のことを“賛ちゃん”って呼ぶのと変わらない」

「さんちゃっ───!?」

「? 良かったらこれからそう呼ぶけど」

「全力でやめてくれっ! こっぱずかしいにもほどがあるっ!」

「そ、そうか?」

 

 いいと思ったんだけどな……賛ちゃん。

 ちゃん付けで呼ぶ相手って璃々ちゃんくらいだろうし、新鮮な気持ちを味わえると思ったのに。

 

「私のことは今まで通り公孫賛で…………いや。そーだな、北郷の人となりなんてわかりきってるし……北郷」

「うん?」

「白蓮。私の真名だ、そう呼んでくれ」

「え……ど、どうしたんだ急に。まさかお茶に酒でも───」

「入ってない入ってない……っていうか酔っ払ってるように見えるか?」

 

 苦笑をもらしての否定だった。

 なんとなくこういった反応を予想していたのかもしれない。

 

「ああ、特にこれって理由は無いぞ? 私は北郷のこと嫌いじゃないし、悪いヤツじゃないことなんてわかりきってることだし」

「………」

「そこでそんな不思議そうな顔するなよ……。授業のやり方だって教えてくれたし、天の授業も教えてくれた。民にも兵にもやさしいし、動物にもやさしい。ほら、理由を挙げろっていうならぼろぼろ出てくるだろ」

 

 そんなことを薄く笑いながら言われた。

 ……授業以外では特にこう、自覚がないのだから違和感がふつふつと。

 普通に接してるつもりだから、やさしいとかは違うと思う。

 でも断るのも違って、俺に許してくれると言ってくれた彼女に悪いとも思った。

 

「……いつか絶対にお人好しってことで苦労するよ、白蓮は」

「苦労ならとっくにしてるよ。その苦労のお陰でこうして家族みたいなやつらが出来たんだ。辛いことばっかり思い返してないで、前を向く時は笑ってなきゃな」

「…………ん。そっか、そうだよな」

 

 なるほどって言葉がそのまますとーんと胸に落ちた。

 マイナスをプラスに受け取れる日が来るには、きっと随分と時間が必要だ。

 麗羽に攻め入られ、兵を削られたっていうマイナスを背負ってしまった彼女が笑顔でそれを言えるまで、きっと時間が必要だったことだろう。

 そんな彼女が今言った言葉は、本当にあっさりと胸に染み入った。

 この世界に学ぶことなんて、まだまだたくさんある。

 その中でじいちゃんやこの世界を精一杯に生きる人の言葉を、俺はきっと忘れないのだろう。刻み込んだ言葉はけっして。

 それでももし忘れてしまうようなことがあったなら、何度だってこの地、この大陸に学び、返していこう。

 

「? あ、ありがと」

 

 そんな風にしてこれからのことを考えていると、ひょいと横から差し出される飲み物。

 それをぐうっと一気に飲み込むと、お茶の爽やかな味───じゃなく、喉や鼻をツンと刺激するお酒独特の味わいが……ってお酒だよこれ!!

 え? そういえばこれ、どうして横から!? 公孫賛、じゃなかった白蓮は視線の先に居るわけだし、じゃあ横には───二人の魔人がいらっしゃいました。

 

「おうおう御遣い殿ぉ、女を侍らせてご機嫌だのぅ」

「あらあら、一度にこんなに相手しちゃうなんて、魏の種馬の名は伊達じゃないわねぇ」

 

 魔人の名はそれぞれ厳顔、黄忠といった。横に向けた視界の先の、ぐでんぐでんの酔っ払いを指します。

 常に笑みが絶えない。常時ご機嫌のようで、一気に飲んでしまって空になった容器に、勝手に追加をってちょっとちょっとォオオオ!!?

 

「さ~あ御遣い殿、お主の男前っぷり、存分に披露されませいぃい~っ! ふはっ……はーははははは!!」

「うふふふふ、ふふふふふふ……」

「イ、イヤ、僕モウ寝ナイト……」

「うんん? わしらのような年寄りには付き合えんというのか?」

「ぐっ……いや、そんなことは断じてないし、年寄りなんて思ってないよ」

「まあ……じゃあ付き合ってくれるのね~……♪」

「うわっ!?」

 

 白蓮と同じように、きしりと寝台の端に座った黄忠さんが、俺の頭を引き寄せ胸に埋め……うぇええーっ!?

 やっ、いやっ、ちょっ……ははははは離っ……!? 離してくださいお願いします! そっちとしては何気ない動作でも、こちらには大打撃と言いましょうか、とにかくまずいのです!

 いや、こんなこと考えてる暇があったら手を使って強引に離れる! さもなくば俺の中の獣が───あ、あれ? 手が動かない……って恋!? 桃香さん!? 掴む位置ズレてません!? どうして袖掴んでるの!? しかもどれだけ引っ張っても離してくれないし!

 って黄忠さん!? 頭撫でるのやめませんか!? じゃなくて体勢変えさせて無理矢理酒飲ませようとしてる!?

 

「やっ! ちょっ、待って! 厳顔さん! 黄忠さん! 正気に、正気にっ……助けて白蓮! たすけてぇええ!!」

「ええい堅苦しいっ、桔梗でよい、そう呼べっ!」

「だったらわたくしのことは紫苑と、そう呼んでくださいね……? うふふっ」

「うふふじゃなくて! 俺が言いたいのはそういうことじゃなくて!! ていうかこんなべろんべろん状態で真名許されて、もし二人が覚えてなかったら俺殺されるでしょ!? 三回も四回も真名のことで刃を向けられるなんて状況、勘弁してほしむぐぅっ!?」

 

 喋ってるうちから酒を徳利ごと突っ込まれる。

 この世界でどれだけの人が手間隙(てまひま)かけて物を作っているかと知っている俺にとって、自分が飲みたくないからって理由で食べ物を無駄にすることは最低行為。

 だから飲むしかなかったわけだけど、突っ込む量と肺活量とか少しは考えて突っ込んでくれませんでしょうか!?

 恋と桃香に腕の自由を奪われてるから徳利を掴むことは出来ないし、下を向こうにも黄忠さんにガッチリロックされてるし、もうどうしろと───つーか溺れる! これ溺れる! 黄忠さんあんまり圧迫しないで! 鼻が、鼻が詰まる!

 あ、愛紗、助け……げぇっ! 既にお潰れになってらっしゃる!

 そんなまさかっ、白蓮と軽く話していたうちになにがあった!? って言ってる傍からその白蓮が厳顔さんに襲われて───あ、あ……あー……オチた……。

 

「けほっ! ごっほげほっ! ちょっ……ふ、二人とも、はぁっ、おち、落ち着い……!」

 

 なんとか徳利の中身を空にした俺は、それを口から落として喋ろうとしたんだが───呼吸困難で上手く言葉に出来ない。

 両腕が封じられている中、呼吸が安定するより先に再び徳利を突っ込まれ、俺はお酒に溺れるって言葉を別の意味で受け止め続けた。

 

……。

 

 ……そして朝が来る。

 どれだけ苦しくても、朝は来るのだ。

 見てくれ、この光景を。まるで地獄のようだ。

 ボードゲームのようなものをしていた詠と月と七乃は巻き込まれて気絶、蒲公英も魏延さんも床に伏せたまま動かず、他のみんなにもほぼ一様に同じことが言えた。

 幸運だった者が居るとするなら、早寝をした数人の女性たち。

 寝ていたお陰で厳顔さんと黄忠さんに襲われることなく、心地良さそうに眠っていた。

 で、そんな地獄で目覚めた俺はといえば……

 

「ヴ」

 

 散々と飲まされた酒のお陰で、すっかり二日酔いだった。

 それも相当にひどい。気持ち悪くて仕方ない。

 けれどとりあえずは窒息死しなかった人体に感謝を。

 

「……朝起きたら、大体水を求めてる気がする……」

 

 ひとまずは潤いが欲しい。

 そんなこんなで、恋や桃香に解放されていた服の皺を軽く整え、痛む頭と揺れる体に耐えながらも厨房目指して歩いた。

 よく“こんな日がいつまでも続けばいいな”って言葉を見たり聞いたりするけど、少なくとも今の俺は、こんな日は続いてほしくないと心から思えた。

 身がいくつあっても足りない……どうせやるなら酒抜きでお願いします。

 

 ……ちなみに。

 厳顔さんと黄忠さんは、その日も元気に自分の仕事をこなしていた。

 他の将のほぼがぐったりしているっていうのに、元気に激を飛ばすほどだった。

 それがまた頭に響いて、二人が酒を飲むときは極力近づかないようにしようと心に決めた、俺達なのでした。

 

  あ……真名のこと訊いてみるの忘れてた……。

  でもだめ、今日は無理……倒れたらそのまま動きたくないくらい辛い……。

 



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35:蜀/歪でも暖かなカタチ①

67/月下の心と饅頭のカタチ

 

 朝と昼の中間の、鳥が元気に鳴いたとある頃。

 

「麒麟、今日も元気にしてたかー?」

 

 朱里に頼まれた用事で、馬屋の前を通った。

 馬屋番の兵に軽く挨拶をしながら覗いてみたんだが、麒麟は俺を見ると返事を返すように小さく鳴いた。

 そんな反応を何度か見ているからだろう。人の言葉がわかるのかな、なんて思ったことは実は結構あったりする。

 許可を得てから麒麟に近づいて、その顔をひと撫で。

 麒麟も機嫌がいいのか、俺の顔や胸にごしごしと顔を擦りつけてくる。

 

「不思議だなぁ、他の馬はここまで懐いてくれないのに」

 

 好かれていて困ることはないものの、少しだけ不思議な気分だった。美以が言うところの匂いってやつのお陰なのか、他の馬も好意的ではあるんだが、麒麟はその上をいっている。

 本当に言葉が理解出来ているのか、はたまた心が読めるのか、願った行動を取ってくれたりするから本当に不思議だ。

 ……っとと、あんまりのんびりしていられないな、用事を済ませないと。

 

「じゃあな、麒麟。ちょっと用事を頼まれてるからさ。また今度、翠に許可をもらったら川に体洗いに行こうな?」

 

 じゃあなーと軽く手を振って歩くと、麒麟も軽く嘶きを返してくれた。

 まるで見送ってくれてるみたいだ……本当に不思議だ。もちろん、こんな反応をされて悪い気がするわけもない。

 

「ここでの生活も慣れたもんだよなぁ」

 

 一時はどうなることかと思った。けど、なんとかやっていけている。

 軽い安堵をこぼしながら、胸に抱えた頼まれたものを見下ろしてみれば、そこには学校用の教材。最初は教えるばかりだった俺も、今では学校でのことも手伝う側になっている。

 少し寂しくもあり、それ以上にこの世界の軍師さまの物覚えの良さに驚いていた。

 諸葛亮って本当にすごいね。“すごい軍師”って軽いイメージしかなかったけど、目の当たりにすると尊敬できる頭の回転を見せてくれた。いい意味でイメージを更新させてくれたよな、うん。

 ……あの、慌てるとはわはわ言うのも、同じ人物だとしても。

 

「ははっ」

 

 小さく笑って、小走りに急いだ。

 今日も学校だ。

 少しずつ生徒も増えているし、休める時間はあまりない。

 それでも自分が魏に戻るその日までに、やれることが残っているならやっておきたい。

 生徒も教師も安定を見せているし、そろそろ……だよな。

 

「よし、学校が終わったら桃香に報告しに行くか」

 

 そろそろ魏に戻ろうと思う、って。

 

……。

 

 授業は普通に行なわれた。俺はそんな様子を、遠くから眺めている。

 最近はこんな感じで見守ることを続けている。

 以前までは先生役のみんなの隣に立って見ていたんだが、自分が傍に居ない時のみんなの様子を見てみようと思ったから。

 けどこうして見ても、もう俺が隣で見守る必要もないくらいに、みんな普通にこなして───

 

「よしっ! あと十周だっ! みんなどんどん走れーっ!」

「え~っ!?」

「孟起せんせーひどいー!」

「さっきあと一周って言ったのにー!」

「言い返せるならまだ走れるだろー!? ほら、どんどん走れー!」

 

 こなして……

 

「あ、あ、あわ、あの、その……こ、ここっここで言うててて敵の存在とは……っ……」

「士元さまぁ……いったいいつになったら慣れてくれるんですかい……」

「あわわっ……ご、ごめんなしゃ……! うう……朱里ちゃん……一刀さぁ~ん……!」

 

 こなして……

 

「つまり。ここでメンマをより美味にするために必要な“加える手”は……」

「子龍先生よぉ……いい加減メンマ以外の話を……」

「はっはっは、何を言う。こうして教える側に立ったのであれば、教わる者に己の知識を与え、さらに高めていくことこそが先に立つ者の務め。未だあのメンマ丼を越す味を見つけていない私は未熟者もいいところだが、だからこそ、ともにメンマの道を極めんとしているのではないか」

「いや……あっしはべつにメンマ道を極めようとは……」

 

 ……うん。こなしてるんだけどこなしてない……。

 これで普通にこなしているっていうなら、あまりにも個性がありすぎる授業だ。

 翠……いくらなんでも走らせすぎ。うんと運動したあとのほうが意識が授業に向かうって、以前テレビで見た気もするが……果たしてついていけるんだろうか、それは。

 雛里……あがりすぎだよ……。俺が隣に居る時は、全然普通にやってたじゃないか……。

 そして趙雲さん……歴史の授業でメンマの歴史を教えないでください……。

 

「どうしよう……」

 

 思わず頭を抱えて項垂れそうになった。

 これは生徒に慣れてもらうしかない……のか?

 

「そこのところも合わせて、桃香や朱里に話してみようか」

 

 案外“それも個性というものですよ”って言ってくれるかもしれない。

 ……そう、そうだよな。慣れればあれはあれでいい授業…………なんだろうか。

 そんな風にして、少々の不安を胸に残したまま、本日の授業が全て終了するまでの時間を過ごした。

 

……。

 

 そういったわけで、現在は執務室でうんうん唸っている桃香の前に居るわけだが……

 

「桃香~……?」

「ふえあっ!? だだだ大丈夫っ、寝てない、寝てないよっ!?」

「……また徹夜したのか」

「あぅ……」

 

 隈こそ出来ていないものの、ひどく眠たげな顔をしていた。

 朱里は何処か別の場所に行っているのか、ここに居るのは目の前の眠たげな王様だけのようだ。

 

「そんなに仕事溜まってなかった……よな? 昨日の時点で随分と減らしたはずなのに。なにかあったのか? 徹夜するくらいなら俺や七乃に言ってくれれば手伝ったぞ?」

「あ、ううん、私的なことだったし、さすがにそれで迷惑はかけられないから、うん」

「?」

 

 詳しくは話してくれないが、私的なことらしい。

 徹夜までしてすることなら大事なことなんだろう。

 となれば、心配はもちろんにしてもあんまりガミガミ言うのもお門違い……って……なんだろう。なんか今、物凄く“馴染んだもんだなぁ”って気分になった。

 蜀に来てからもう大分経つもんな、そりゃあ慣れるか。

 華琳がきっちりしていた分、雪蓮や桃香といった王を見るのは新鮮というか、落ち着けた。……その華琳様も、溜まった仕事を強引に片付けて自由時間を得たりとかしてたけど。

 懐かしいなぁ、そういえばあの時の華琳って徹夜で……徹夜───……徹夜?

 

「?」

 

 机を挟んで向かい側に立つ俺を、椅子に座った桃香が首を傾げながら見上げていた。

 まさか……いやぁ、まさかね?

 

「で、桃香。仕事を終わらせて空いた時間、何をしたいんだ?」

「えへへ~♪ 朱里ちゃんがお饅頭を作ってくれてるから、陽に当たりながらのんびり───はうぐっ!?」

「………」

 

 眠たげだからだろうか。

 目論見を簡単に喋ってしまった彼女は、慌てて口を閉ざしたがもう遅い。

 華琳さん……王っていうのは案外、何処かで似ているものなのでしょうか。

 

(あー……いや)

 

 雪蓮だったら徹夜なんてしないで堂々とサボるな。

 冥琳任せにしてサボる。絶対にだ。

 で、お酒飲んでるところを見つかって耳引っ張られて、何故か俺まで巻き込もうとして。

 こうして慣れた時だから言える言葉がある。“軍師って大変だ”。

 

「で。ここに朱里が居ないのは、そのピクニックるんるん気分を叶えるために厨房に居るからなのか」

「あ、あははー……ぴくにっくっていうのがなんなのかはわからないけどー……えっと……はぃい……」

 

 がっくりと項垂れる様は、悪さをしているところを見つかった子供のようだった。

 けどまぁ、あんまり無理しているようなら止めるところだが、徹夜してまで時間を取りたい気持ちはわからなくもない。

 ずぅっとここで仕事してるんだもんな、自由な時間くらい欲しくもなるさ。

 ……でもだ。

 

「今度からは俺や七乃じゃなくても、もっと他の人を頼ること。みんなで取り掛かったほうがすぐに終わるし、徹夜なんてしなくてもいいだろ?」

「ううん、さすがにそれは頼めないよ。だって、私の我が儘だもん」

「……だから。その我が儘で徹夜されるほうが、友達としてはよっぽど心配になるんだ。頼りなさい。頼みなさい。我が儘でいいから、言いたいことはきちんと言う。言ったからって全てが叶うわけじゃないけど、言わないでおいていざピクニックって時に、だ~れの都合も合わなかったら寂しいだろ?」

「うぐっ……う、うん……」

「そういうことはもっと大々的にやろう。あんまん……饅頭が少ないならみんなで作ればいいし、一人より二人のほうが楽しい。どうせならみんなも誘って、都合の合う時間をみんなで騒げば───」

「あ、ううんっ、違うの違うのっ! みんなとはまた今度一緒にやるから、今は……」

「?」

 

 ついついと胸の前で人差し指同士を合わせ、軽く俯きながらの上目遣いで俺を見上げる桃香さん。

 ハテ……?

 

「もしかして疲れすぎてたから、誰にも邪魔されず一人でのんびりと饅頭を食べたかったとか───!?」

「えぇっ!? ちちちちっち違う違うよ! どうしてそんなことになるのー!?」

「え? ち、違うのか?」

 

 甘いものは疲れにいいと聞いたことがあるし、俺はてっきり東屋でのんびりと風に吹かれながら、あんまんを食べていたいのかと……。

 

「あのね、お兄さん。最近朱里ちゃんや雛里ちゃんが、あんまりお兄さんと話せてないみたいだからね? そういう意味でこの……ぴくにくー、だっけ? をやりたいって思ったんだ」

「朱里と雛里が?」

 

 んん……? 結構話はしていると思うんだが。

 授業のこととか政務のこととか、書簡整理の位置とかでもお世話になってるし。

 

「結構話してる……ぞ? いい加減、朱里や雛里に訊いてばっかりなのもどうかとは思ってるくらいだ」

「あ、ううん、仕事のことじゃなくて、平時の時とか」

「平時、は…………」

 

 ……話してないな。

 

「え? じゃあ今回のことって桃香が立案者じゃないのか? 朱里や雛里がそうしたいから、桃香に話を持ち出して───“私的なこと”って言ってたから、てっきり桃香が言い出したのかとばっかり……」

「………」

「あの。なんでそこで目を逸らしますか?」

 

 立案者は桃香で間違いないらしい。

 

「けど……そっか。言われてみれば最近は仕事の話ばっかりで、世間話なんてものも出来てなかったかも」

「だよね、だよね? お仕事も大事だけど、ちゃんと息も抜かないとだめだよね? だからね? 今日はお兄さんと朱里ちゃんと雛里ちゃんと私とで、ぴくにくー!」

 

 と、元気に仰る桃香さん。

 桃香? もしかして自分はただ甘いものが食べたいだけだったりする?

 ……違うか。見るところは見ている桃香だ、そうじゃなきゃ、ピクニックしようなんて提案は出なかったはずだ。

 

(べつにピクニックじゃなくても話は出来ただろ、ってツッコミは無しの方向で)

 

 せっかくなら楽しまないと損だもんな。

 楽しめて美味しいなら、それはとても嬉しいことだ。

 

「じゃあちゃっちゃと終わらせて朱里を手伝いに行こうか。桃香、俺に出来る範囲を回して」

「え? や、それはだめだよ、これは私の仕事だもん」

「人のことを言えた義理じゃないけど、その“私の仕事”も朱里か雛里に手伝ってもらわなきゃあ、うんうん唸ってばっかりな人が見栄を張るんじゃありません。ほら、いいから回す」

「はうぐっ! ひ、人が気にしてることを……。お兄さんいじわるだよぅ……」

「意地悪で結構。いーから出しなさい」

「うぅ……」

 

 しぶしぶと、幾つかの書簡をこちらへ渡す桃香。

 ……幾つかって言っても、書簡は軽い山になっていたりする。

 えと……この量なに? てっきりこの山が終わった書簡だと思ってたのに……。

 え? 終わってるのってあっちの小さな山? あっちが残りじゃなくて?

 

(………もしかして、終わったのは昨日の分だけで、今日の分はてんで……?)

 

 徹夜していったいなにをしていたのでしょうか、この王様は。

 

「……見栄張るにしても、もっと出来るようになってからしような……。俺も、桃香も」

「うぅ……」

 

 軽く溜め息を吐いてから取り掛かった。

 桃香も自分で思っていたよりも進められなかったからなのか、ひどく申し訳なさそうにしょんぼりとした。

 そんな彼女の横まで歩き、くしゃくしゃと頭を撫でると、「頑張ろう」とエールを送って開始。

 いっそ朱里と一緒に書簡を滅ぼしてから、一緒に饅頭作ったほうが早かったんじゃなかろうかとツッコみそうになったが、それは言わないほうがいいだろうと心に決めて、作業を続けていった。

 

……。

 

 ……で、結局。

 

「くぅ……すぅ……」

「こうなるんだよなぁ……」

 

 桃香がオチてから数分。

 俺は彼女を執務室の奥の部屋の寝台に寝かせ、苦笑をもらした。

 こうなるとどれに手をつけていいかがわからなくなってしまうため、さすがにお手上げだ。

 国の重要機密が書簡に書かれているかを疑うのもどうかだが、だからといって適当に手を出していいものでもないわけで。

 と、そんな困った状況の中で感じる、軽い気配。

 執務室に戻ってみると、そこには授業後の反省会が終わったのか、幾つかの書物を持った雛里が。

 ……こういう状況は“渡りに船”で合ってただろうか。

 なんにせよ助かった、と……きょろきょろと執務室を見渡していた彼女の背中に声をかけた。

 

「雛里、丁度よかった」

「あわぁっ!? あわわわわわわわわわわ……!!」

 

 途端に肩を跳ね上がらせ、こちらを見ることもせずに出口へ向かう雛里───ってこらこらこらっ!

 

「逃げない逃げないっ! べつに驚かせたわけじゃないだろっ!?」

「ふぇ……?」

 

 呼び止める声に、ようやく振り向いた彼女の目が俺を捉える。

 と、長い長い安堵の息とともに、跳ね上がった肩が下りていく。

 うん……こんななのに、戦場に立つとキリッとなる……んだよな? 軍師ってすごいんだなあ……いろいろな意味で。

 あ、(ウチ)にも変わった軍師は居たか。華琳命でマゾっけのある軍師とか、鼻血を噴いて倒れる軍師とか、腹話術を使う軍師とか……あれ? むしろ魏の方がいろいろとおかしい……?

 

「………」

 

 呉って……すごくバランスの取れた国だったんだなぁ……。

 冥琳って弱点らしい弱点が見つからないし、亞莎は一つのことに集中すると、それしか考えられなくなるところがあるくらいでバランスがいいし、穏は……本に近づかせなきゃ頼もしいし。

 

(なんだろう……冥琳が物凄く偉い人に思えてきた……歴史云々は別にして)

 

 何度だってそう思える状況がここにはあった。

 ともあれ、わざとらしい咳払いを一つ、現状を雛里に話していく。

 この状態でピクニックは無理……むしろ時間的に夜になるから、ピクニックじゃなく誰かの部屋でのんびりお茶にしようと。

 そのためにはまず、この書簡をなんとかしなきゃいけないから、雛里に頼んで手をつけていい書簡の選別をしてもらう。

 あとはひたすらに整理。ひたすらに執務。ひたすらに確認。

 桃香じゃなければできないことは仕方ないから残すとして、仕事が終わったばかりの雛里に謝りながらも手伝ってもらい、手早く済ませると───次は朱里の手伝いをしに厨房へ。

 徹夜のお姫様は全部終わるまで寝ててもらうとして、書簡の確認を終えた雛里と一緒に腕まくりをして饅頭作りに励んだ。

 

「え、っと……こうか?」

「あ、いえ、もう少しやさしく……」

「む、むむむ……」

 

 饅頭作りなんて初めての経験。ごま団子なら亞莎と作ったが……饅頭は饅頭で難しい。

 生地に餡子詰めて丸めて蒸すだけだー、なんて軽く考えていた俺よ、さようなら。

 簡単だと思ってやってみればとんでもない、生地作り一つをとっても中々大変で、孔明大先生の指導の下、学びながらの調理(?)が続く。

 捏ねて伸ばして千切って丸めて伸ばして詰めて丸めて整えて。

 餡子を入れすぎると形が歪になり、少なければ生地が余りすぎてぼったりとした饅頭になる。手助けになると思っていたのに、饅頭製作ってものがこんなにも大変だと改めて思い知らされた。

 そういえば亞莎と作ったごま団子も、散々失敗したんだもんなぁ……。

 

「入れる量が難しいなっ……って、あぁああ入れすぎた……!」

 

 大丈夫だろうと思ってみても、丸めてみるまでわからないもので……丸めてみたら包みきれなかったり包めすぎたりと安定しない。

 そんな自分に頭を痛めながらちらりと視線をずらしてみれば、にこにこ笑顔で楽しく調理をする朱里と雛里が。

 ……おわかりいただけただろうか。この二人の姿が、普段はわあわ言っている二人だということを……。むしろ今、はわあわ言ってるのって俺だけな気がする。

 

(団子作りには多少は慣れたつもりだったのに……)

 

 思うように上手くいかないのが世の中っていうのは、どの世界でも言えることなんだろうな。気を取り直して頑張ろう。




 ドーモ、別のSSに集中してて、こちらが疎かになっていた凍傷です。
 いえ、そっちの方もまだ終わってないんですけどね、pixivで終わったらこちらに載せようかと。
 えー……無駄話をひとつ。
 花騎士でアネモネさん(☆6)がセレクションガチャに入ってまして、よっしゃーいと諭吉さんと、それまで溜めていた石をクラッシュ。
 結果、モモさん一人にシンビさん3人。あとは見事に爆死ーシ。
 虹ってどうしてこうも出ないのか……! ていうか11連やっても銀鉢で止まるのが多すぎる気が……。
 というわけで、あとは日々の一日一発ガチャに願いを込めて。
 


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35:蜀/歪でも暖かなカタチ②

 作り終えてみればとっぷりと夜。

 饅頭作りはこれで時間がかかるもので、練って詰めて包んで蒸してをひたすら繰り返せばこんなものだろう。

 時間がかかった一番の原因はといえば、甘い匂いに釣られてやってきた将たちにあったんだろうけど。

 

「さすがにあそこで“みんなの分は無い”なんて言えないもんな」

「ですよね……」

「はい……」

 

 学校の授業が終わってからの作業続きで、雛里はお疲れのようだった。

 そんな雛里を気遣いながら、現在はといえば執務室に向かって歩いているところ。

 確保できたあんまんは一人二つほど。

 それも、俺が作った形が歪なやつしか残らなかった。

 だってみんな、形のいいやつばっかり持っていくんだもん。そりゃ残るよ。

 

「蒸かしたての蒸篭(せいろ)を持って歩くのは初めてかもしれない」

「あはは……持ち歩くのはさすがにしないですね」

「……、……」

 

 重ねた蒸篭を持つ俺を、朱里が見上げて小さく笑う。

 左隣の彼女はそうしながらも、俺の右隣を歩く雛里にも心配そうに視線を向けていた。歩きながら寝るなんてことはしないだろうが、頭がゆらゆら揺れ始めている。

 倒れることがないように、気を配ってはいるものの、手が蒸篭で塞がっているから咄嗟に助けることも出来なそうだ。出来たとして、蒸篭を顔面に押し付けることになりそうだから少々怖いです、はい。

 おぶることも提案したものの、顔を真っ赤にして思い切り拒否された。

 ……ちょっぴり悲しかった。

 

「はい、到着と。雛里、大丈夫か?」

「…………ふぁい……」

 

 とても眠そうだった。

 食べ始めれば眠気も飛ぶだろうか……そんなことを考えながら執務室へと入り、そのまま奥の部屋の前へ。

 もちろんノックは忘れない。大丈夫、失敗はそう繰り返さないさ。

 

「……返事がないな。まだ寝てるのかな」

「そうかもしれません」

 

 それでも怖いので、朱里に中を確認してもらうことに。

 寝惚けた意識で着替えをしてました~とかいう状況だったら、今度こそ首が飛びそうだ。

 

「まだ眠っているみたいです」

「そっか。どうしようかな……起こすのも悪い気がするし」

「でも、そうしないと時間を作っていた桃香さまに悪い気がします……」

「そうなんだよなぁ……っとと、雛里? ……あ」

 

 腰にとすんとした重み。

 見てみれば、立った状態のままに俺の腰に抱きつくように脱力する雛里が───って倒れる倒れる倒れるっ!

 

「とっ! はっ!」

 

 しがみつく力も意識もなかったのか、ずりずりと腰から倒れかけていた彼女を右手で支え、蒸篭は左手一つで持って……って熱ッ!! うわちゃあちゃちゃちゃちゃっ!! ちょ、置く場所! 置ける場所!

 

「とっ……とととっ……! は、はぁあ……!」

 

 右腕で雛里を抱え、小走りに机までを走ると、そこに蒸篭を置いて一息。

 くたりとお眠りになられたお姫さまを抱え直すと、そこには穏やかな寝顔だけがあった。

 

「寝ちゃって……ますか?」

「ん、寝ちゃってる」

 

 どうしようかと朱里と視線を交差させる。

 お姫様抱っこ中のお姫さまは規則正しい寝息を吐いてらっしゃるし、こんな時間だしで……食べてすぐに眠ることになるかもしれないのに、起こすのは気が引けた。

 だから……

 

「また今度にするか」

「今度……ですか?」

「うん。今度改めて、俺も朱里も雛里も桃香も万全な時に。四人一緒にさ、“この時間は空けておこう”って努力すれば、時間なんていくらでもとれるよ」

「…………」

「? ……朱里?」

 

 じーっと見上げてくる視線を返す。

 少しののちにこくりと頷き、笑顔になってくれる彼女に笑顔を返してから、じゃあこのあんまんはどうしようかって話になるわけだが……うーん。

 

「あ」

「あ」

 

 ピンときた。

 そういえば、厨房に来たのは将たちであって、今は侍女の役を担っている彼女たちは来ていなかった。

 朱里と合わせていた視線をそのまま頷きに変えて、何処に向かうかも伝え合わないままに出発準備。

 まずは眠ってしまった雛里を桃香と同じ寝台に寝かせ、魔法使いのような帽子をひょいと取る。さすがにこれを被ったままだと邪魔になるだろうし。髪留めも取っておこう。

 

(……こう見ると、別人だな)

 

 さらりと流れた髪を見ての感想。

 っと、ここでこうしていてもあんまんが冷めるだけだよな、うん。

 

「………」

「?」

 

 と、ここで妙な童心が突き動かされた。

 雛里が被っていた帽子をじーっと見下ろし、なんというか……うん、被った。

 

「はわっ!? か、一刀さん……?」

「いや、天に居た時からさ、一度こういう帽子って被ってみたかったというか」

 

 被り心地は……みょ、妙な……感じ?

 大きな麦藁帽子を被ったような、でも通気性はあまり感じられないで、次第に頭に熱がこもりそうな……妙な感じだ。

 しかしこう、手を前に突きだして呪文の言葉の一つでも叫びたくなる。それだけの童心がまだまだ残っている限り、いつか自分でやらかしそうで怖い。

 呪文といえばなんだろうか。手を突きだして叫ぶ言葉とはなんだろうか。想像してみても特に思い浮かばないので、こう、“ひょいざぶろー!”とでも叫んでおけばいいだろう。

 

「じゃ、行こうか」

「しょのままっ……はわっ……そ、そのまま行く気ですかっ!?」

「最近話が出来てなかったしさ、雛里は寝ちゃったし……だったらせめて帽子を」

「………」

「いや、理屈が妙なのは認めるけど……」

 

 それでどこか羨ましそうに帽子を見るのはおかしいと思うんだ、俺。

 ともあれ行動開始。

 熱くないように蒸篭の両端を持って、とんがり帽子を被ったまま執務室をあとにする。

 

「っと、そうだそうだ」

 

 執務室を出て、少し歩いたところで思い出す。

 自然になりすぎてて普通に流すところだった。

 

「思春もよかったら」

 

 気配もない通路に立ちながら一言。

 朱里が「え?」と辺りを見渡すと、いつから居たのか彼女の傍らに思春さん。

 

「形が歪だけど、味は変わらない……といいなぁ」

「……それが、今からそれを食べる者の前で言う言葉か」

「ゴメンナサイ」

 

 でも心は込めた。

 心で美味しくなってくれるかもまた腕次第だろう。しかし味は落としてない……はずだ。

 そんなわけで行儀も気にせずあんまんを食べながら歩く。

 カスが落ちないように注意を払うことだけは忘れずに。

 

「はわわ……なんだかとってもいけないことをしている気分です……!」

「外出禁止の学校で、外に買い食いしに行く気分ってこんな感じなんだろうなー……」

「貴様は天でそんなことをしていたのか」

「へっ!? いやいやいやっ、こんな感じなんだろうなーって思っただけだって!」

 

 ……こっちでは、たまに仕事すっぽかして買い食いしたりもしていたなんて、言ったら言ったで激しく呆れられそうだから黙っておこう。案外云わずとも、皆さまには当然のように知れ渡っている気もするし……自分から言うようなことでもないだろう。

 さて。

 夜とはいえ、自室に居てくれればいいけど……居なかったらどうしようか。

 それ以前に夜なんだから物は食べないかもしれない。

 女の子だもんなぁ……季衣とはよく、夜食とかは食べた。

 あの時に食べたメンマ、美味しかったなぁ……。と、そんなことを思いながら、夜に蒸篭を持ち歩く自分。

 傍から見たらどんな存在に見えるんだろうかと考えて、ちょっとだけ悲しくなった。

 べつにやましいことをしているわけじゃないんだから、胸を張っていればいいんだろうけどさ……ほら、食べる人を求めて夜を歩く蒸篭携帯人間って……いや違う、俺は“美味しい”を届けたいだけだ。そう思っておこう。

 

「……あの。思春? 食べさせておいてだけど、美味しい……かな」

 

 そんなことを考えたら、果たしてこれが本当に美味しいのかが不安になりました。

 だって朱里や雛里が作ったやつは全部持っていかれたのに、俺のだけ残ってるのは不安材料でしかないし。

 

「………」

 

 訊ねてみれば、思春は俺を一瞥したのちに小さく饅頭を齧る。

 それから咀嚼、嚥下と続き、少し間があってから「……普通だ」と一言。

 

「そ、そっか、普通か。そっか」

 

 よかった……普通だったか。

 あ……普通で思い出したけど、以前蓮華にオムチャーハンを作った時にも“普通だ”って言われたな……あれ? もしかして俺って普通の料理しか作れない?

 ごま団子の時は亞莎に手伝ってもらったし、メンマ丼はメンマ園のメンマを使わせてもらったし……うわー、なんだかとっても普通だ。

 

「一刀さん?」

「っと、ごめん、なに?」

 

 考え事をしながら歩いていると危ないな。

 軽く謝りながら朱里を見下ろすと、視線を促されてそちらを見やる。

 案外体が道を覚えているのか、視線の先には通路を抜けた先にある中庭。

 その端の東屋で、静かに語り合っているらしき月と詠を発見した。

 

「なんか楽しそうだな……。えと、ここで割って入るのって邪魔になったりしないかな」

「はわ……だ、大丈夫だと思いますけど……せっかく作ったんですから、食べてもらいましょう」

「貴様はいちいち考えすぎだ」

「や、考えないとただの押し付けになりそうで。思春は普通だって言ってくれたけど、形の問題もあって少しだけ罪悪感が。ほら、なんだか失敗作押しつけてるみたいじゃないか? 形も歪だし、ところどころで餡がはみ出てるし……」

 

 パカリと蒸篭の蓋を取ってみれば、上る湯気の先に見えるヘンな形の饅頭。

 きちんとふっくらしてはいるのに、外見だけで食べたいって思う人がどれだけ居てくれるやら……と、そんなことを、中庭の途中で立ち止まりながら考えていると、隣の思春さんが少しだけ視線をキツくして俺を睨んできた。

 

「貴様……先ほどそれを軽々しくも私に勧めたのは誰だ?」

「や、あれは歪な中でも形のいいやつだったからさ……。日頃から思春にはお世話になってるし」

「………」

 

 思春が無言で蒸篭の中を見る。

 少し後、“私が食べたものと何がどう違う”って視線が俺を射抜いた。

 ごめんなさい。作った本人にしかわからない程度の、微妙な違いがあるんです。

 ともかく、蒸篭の蓋をコトリと閉じて、ここでこうしていても仕方なしと歩いていく。

 向かう先は当然東屋で、渡したい相手は月と詠だ。

 味は普通なんだし、形のほうはいずれじっくりと練習する方向で……って、やばいなんだかドキドキしてきた。不味いとか言われたらどうしよう。

 思春に渡したのだけが普通で、これの味が最悪だったら……?

 

(……バレンタインの時期の女の子の心境って、こんな感じなんだろうか)

 

 一度こつんと胸をノックして、覚悟完了。

 歩みも勇ましく、やがて東屋へと辿り着く……!

 

「やあ、お二人さん」

 

 まずは挨拶。

 話に集中していたのか、声をかけられてようやく俺が居ることに気づいたらしい二人が、ハッと俺に視線を移す。

 あぁああ……いきなりやっちまった感が……! 話の腰を折るつもりはなかったのに……!

 

「話の途中にごめん、差し入れなんだけど、よかったら食べて」

「差し入れ? へぇ……ぇ……、……残り物処分じゃなくて?」

「え、詠ちゃんっ」

 

 パカリと蓋を取りながら円卓に置いた蒸篭。

 その中の物をじっくりと見た詠さんの、正直な感想でした。

 

「や……ごめん、これでも頑張って作ったんだけど。食う専門ばっかりやってたから、どうも料理とかおやつ作りには慣れてなくて」

「へ? や、なっ……これアンタが作ったの!? 隣に朱里が居るし、形がおかしいからてっきり……!」

「っ……! ……、……!」

「はわわわわ!? え、詠さん!? えぐってます刺さってます~っ!!」

 

 正直な言葉が胸に突き刺さりまくりだった。

 いや……うん……正直な感想をありがとう、詠。

 ほっこりと湯気を出していても、残り物にしか見えないくらいに形がおかしいと……そういうことですね……?

 精進しよう……本当に……。

 

「や、やー……正直な感想をありがとう。でも味は普通らしいから、よかったら食べてほしいんだ。朱里と雛里が作ったやつは、生憎と他の将のみんなが食べちゃって……ノコッタノ、カタチガオカシナ……ボクノシカナクテ……ハ、ハハハ……」

「あぁあああわわわ悪かったわよっ! ボクが悪かったからっ! だからそんな陰のある笑い方するのやめなさいよっ!」

「た、食べます、食べますから……っ」

 

 慌てた様相で二人が饅頭を手に取り、食べてくれる。

 実際、生地や餡子は朱里と雛里と俺で一緒に作ったんだから、味だけはそう変わらないはずなんだ。

 それでも量のバランスとかで味が変わるのが、料理ってものだけど。

 

「んく……? なんだ、ちゃんと食べられるじゃない」

「あ……はい、とっても美味しいですよ?」

「エ……ほんと!? 普通じゃなくて美味しい!?」

 

 詠がきょとんとした顔で饅頭を見下ろし、月が顔を綻ばせながら言ってくれる。

 ……何気なくひどい言葉が混ざっていたような気もするが、食べられるなら良かったってことで。

 

「まあ普通かって訊かれれば普通に限りなく近い美味しさだけど。普通っていうのはきちんと食べるものとして作られてるってことなんだから、つまり、その……」

「?」

「だ、だからっ! ちゃんと美味しいって言ってるのっ! 褒めてるんだから、不安そうな顔でじっと見てくるなっ!」

「あ、ああうん、ごめん……?」

 

 褒められているのか怒られているのか、判断に迷う言葉を送られた。

 と、いつでも誰かが来てもいいようにって配慮なのだろうか、月が傍らにあった茶器で茶を淹れ、詠が席を促してくれた。

 

「え? いいのか?」

「そこでずっと立っていられたほうが、よっぽど迷惑なの。いいから座りなさいよ」

「ん、ありがとう」

 

 そんなわけで着席。

 詠が月の隣に移り、詠が座っていた場所に俺が。

 その隣に朱里、思春が座る。

 この人数で座るには、ちょっと狭い。

 

「で、どんな経緯で饅頭を作ることになったのよ」

「親睦を深めるため……かな。仕事のことばっかりで、こうしてじっくりと話す機会がなかったから。そんな場を桃香が設けるために、こうして饅頭を作ったんだ」

「へえ……で、その張本人は?」

「時間を作るために徹夜して、眠気に勝てずに眠ってる」

「………」

「あ、あの、詠ちゃん? 桃香さまもきっと、疲れてたから……」

 

 はぁああ……と深い溜め息を吐く詠に、すかさず月がフォローを入れる。

 そんな中で、「で、あんたのその頭のはなんなの?」と訊かれて、似たような返事を返した。ようするに雛里も途中で眠ってしまったってことを。

 

「連合の力があったとはいえ、かつてはこんなやつらに負けたのが少し悔しいかも……」

「こんな俺達でごめんなさい」

「その帽子を被りながらじゃ、心がこもってすらいないわよ……」

 

 俺の頭の上にある、雛里の帽子を見ながらの言葉だった。

 慣れてくると頭が暖められてる気がして、ほんのちょっぴり頭が良くなったような錯覚を覚える。いいかも、これ。……じゃなくて、格好の問題か。

 ともあれ、小さなお茶会が始まった。

 残すのももったいないので、俺も朱里も思春も饅頭に手を伸ばし、味を楽しむ。

 味は……確かに普通だった。

 おかしいな、朱里と雛里のをもらった時は、もっと美味しかったんだけど。

 心がこもりきっていなかったんだろうか。わからない。

 

「こんなんじゃあ、華琳には絶対にダメ出しされるだろうなぁ」

 

 普通じゃあ満足しない魏国の覇王様を思い浮かべた。

 普通も捨てたものじゃないのに、さらに上を望む覇王様を。

 確かに現状で満足するよりは、日々さらなる美味さを求めることを諦めちゃあいけないのだろうが……う、うーん……料理の腕、もっと磨いたほうがいいんだろうか。

 

「曹操さんですか?」

 

 と、難しい顔をしていたのか、どこか気遣うような口調で朱里が言葉を拾ってくれる。仕事や鍛錬で料理を習う余裕もないのに、これ以上やることを増やしても潰れるだけか。

 軽く結論を出すと、小さく笑んで言葉を返す。

 

「……そうだ、華琳で思い出した」

 

 ピクニックのことだけじゃなくて、言わなきゃいけないことがあったんだった。

 どうしようか。先にこの場に居る四人にだけでも話しておこうか。

 

「っと……あー……ええと」

 

 いや。言うにしたってどう切り出そうか。

 いきなり“帰ろうと思うんだ”って言うのもな。

 先延ばしにするのはよくない。さっさと言ってしまえばいい。とは思うのに、せっかくこうして穏やかな空気の中に居るんだし、と躊躇してしまう。

 ……だよな、やっぱり最初に報せるのは桃香にたほうがいいよな?

 

「そういえばあんた、いつまで蜀に居るの?」

 

 ───なんて思っていた時期が、ついさっきまで俺にもありました。

 時は来たれり。どう切り出そうか悩んでいたのが可笑しく思えるくらい、あっさりと。

 

「詠ってさ、すごく鋭いよな……」

「へ? な、なによ、いきなり」

「……? あの、一刀さん……? もしかして今言いあぐねてたのは───」

 

 小さく首を傾げて質問を投げる朱里に、うんと頷いて言葉を続けた。

 

「学校も軌道に乗って、みんなも授業に慣れてきたし、そろそろ魏に帰ろうかなって。本当は今日、学校が終わった時点で桃香に言おうと思ってたんだけどさ、って……あれ? みんな、どうかしたか?」

『………』

 

 俺の言葉を耳に、どうしてか俺を見たまま何も言わないみんなが居た。

 一人、思春だけが小さく溜め息を吐いてたけど。



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35:蜀/歪でも暖かなカタチ③

 吐いた溜め息がきっかけになったのか、隣に座る朱里がおどおどしながら「え……えぇ……? か、帰っちゃう……んですか?」と訊いてくる。俺はその言葉をまっすぐに受け止めて、きちんと理由を話していく。ここで濁したまま帰る気には、さすがになれなかったから。

 

「元々は学校について相談するために呼ばれた俺だし、教えられることは全部教えることが出来たって思ってる。最近は俺が見てなくても回転するようになってるし、そりゃあ今日覗いてみたら考えちゃう場面もいくつかあったけど───うん」

 

 ポフリと帽子の上から朱里の頭を撫でながら、言葉を紡ぐ。

 華琳にはさっさと行ってさっさと帰ってきなさいと言われたが、べつにそれだけが理由ってわけじゃない。

 帰りたいと思うことはよくありはした。それは事実だ。でも、心残りを残したまま帰るのは違う気がしたのだ。

 むしろ半端な仕事のまま帰れば、彼女はきっと怒るだろう。そうならないためにも、少しずつ回転が安定するのを待った。

 そうしてこういった機会が回ってきたわけだが───それでも少し早いと思うのは、自分が甘いからなんだろうか。

 出来ることならずっと見守っていたいとか、そんなふうに思ってしまう自分が居ることは否定出来ない。

 

「天についての授業は頭の回転に刺激を与えるだけのものだし、今一生懸命に字や農学を学んでる生徒のみんなには、どっちかっていうと必要じゃないものなんだ。それが必要になるのは、逆に学校で学ぶことが少なくなってから。今はじっくりと字や農学のことを学ぶのを優先するべきだ。そしてそれは、俺じゃなくても教えられることだろ?」

「はわ……」

「べつに蜀のなにが嫌いになった~とか、そんな理由で出て行くわけじゃないんだ。時間がとれたらまた来たいし、何も明日すぐに出て行くわけじゃないよ」

「……本当、ですか?」

「ん、もちろん」

 

 撫でられるままに上目遣いの質問。

 それに笑顔で頷くと、ようやく不安げだった朱里の顔に笑顔が戻った───途端、こてりとその体が俺へと倒れてくる。

 ……見れば、くーすーと寝息を立てる朱里さん。

 もしかして、眠かったのをずっと我慢してた?

 桃香や雛里に続いて、自分まで眠ったら悪いって思ってたのかな。……ん、違ってたとしても、ありがとうは届けられる。

 言葉にはせずに頭を撫でて、せめて枕代わりにでもなろうと、寄りかかられるままに苦笑した。

 そんな俺を見て、俺の正面に座る詠が“やれやれ”って顔で朱里を見ながら口を開く。

 

「はぁ……急と言えば急で、遅かったといえば遅かったくらいの切り出しだけど。べつに今日いきなり思いついたってわけじゃないんでしょ?」

「ああ。学校って場所の回転が安定化したら言おうとは思ってたんだ。だからここ最近は、自分の授業の数を減らしてみんなの様子を見てたんだけど───」

「あーはいはい、わかってるわよ。心配事が多すぎるっていうんでしょ?」

「へ? どうして……」

「ここの将が一を教えたら十を学んでくれたなら、ボクら軍師はもっと楽が出来たわよ」

 

 そんな言葉を口にする詠サンは、どこか影が差した憂い顔で……どことも知らぬ虚空を眺めていた。

 ご愁傷さまです。そしてやっぱり軍師は偉大だ。

 

「ま、まあ……いいんじゃない? 時々客だってことを忘れるくらいに溶け込んでたけど、事実は客なんだし。むしろ客だってことを忘れる理由の大半が、こなした仕事の量だったわけだし……なのにうちの将ときたら、隙があればサボったり買い食いしたり」

「………」

 

 すいません、少し耳が痛いです。

 以前、買い食いやサボリばっかりしててすいませんでした、華琳さん。

 

「そ、そっか? 世話になってるんだからって、手伝えることを手伝っただけなんだけどな……そっか。そう言ってもらえると、慣れないことに頭を働かせた甲斐もあったよ」

「“慣れないこと”できっちり教えられるほうがどうかしてるわよ。で? 出発はいつ頃にするつもりなの?」

 

 ……どうしてかじとりとした目で睨みながらの言葉。

 いつ頃……いつ頃か。

 

「一週間くらいは取りたいって思ってる。それこそ今言って明日帰るつもりはないし、一度じっくりと蜀って国を見て回りたい」

「そういえば……来て早々にどたばたしていましたね」

 

 どこかお疲れ様ですって言葉を混ぜた声で、月が言ってくれる。

 そうなんだよな……どたばたばっかりで、ゆっくりと街を見て回る余裕がなかった。

 そりゃあ、用事にかこつけて街の人との交流はちくちくと重ねていた。……が、子供の相手や、店の主人との世話話、魏や呉から来た商人との話ばっかりで、結局は時間を潰しては行くことの出来なかった場所だけが増えた。

 麒麟もじっくり洗ってやりたいし、弓の練習もしたい。

 魏延さんとも一度じっくり話し合いたいし、メンマ園にも……俺だとわからないように変装でもして、もう一度くらいは行ってみたい。

 結構な時間が経ってるし、今さらバレたりはしないだろう。……バレたらいろいろと大変そうだ。

 

「あ、もちろん仕事は今まで通りやるし、魏に帰るまでに気になることがあったら、どんどん訊いてほしいっていうのはあるから。……むしろ、最近朱里と雛里以外しか質問してくれなくなって、寂しいなぁとか思ってたりしたし」

「……そうやって頻繁に訊ねられてる理由、わかってて言ってる?」

「へ? わからないことがあるとか、相談したいことがあるから……じゃないのか?」

「……はぁ」

 

 あれ? た、溜め息? 何故?

 しかもその溜め息の仕方、思春がよくしているものに似ている気がするんですが?

 

「いいわよ、好きにすれば? むしろその一週間でやりたいことやってなさいよ。元々あんたは桃香が学校についてを相談するために呼ばれたんだし、執務まで手伝う理由はないわよ」

「や、けどさ」

「けどじゃない。“世話になってるんだから当然”なんて言葉、もうこっちが返したいくらいよ。桃香も以前より取り組む姿勢が良くなったし……まあこれは見栄を張りたいだけだろうけど。朱里や雛里も、他の将だって頑張ってるところをよく目にするようになったし……まあサボる時は平然とサボってるのが腹立たしいけど。だからね、むしろその一週間はありがたいくらいなの。わかった?」

「全然さっぱりわかりません」

「ちょっとは考えてから言えぇっ!! 馬鹿なの!? あんた馬鹿なの!?」

「ごめんなさい冗談ですなんとなく予想はつきましたっ!」

 

 ぶちぶちと愚痴っぽくなってきてたから、宥める意味も込めての冗談……だったんだが、かえって状況を悪化させただけだった。

 

「えと、つまり……その一週間はあまり仕事を手伝うなってことで……いいんだよな?」

「ふんだ、わかってるんだったら最初からそう言え、ばか」

 

 ジト目で放たれるそんな言葉に苦笑を返しながら、言葉の意味に頷く。

 手伝ってもらうことに慣れてしまった甘えん坊の王様を、一週間かけて直しましょうということらしい。

 甘えを見せてくれるようになったのはいいことだとは思うんだが、ところ構わず甘えてしまう癖は少しずつ直さないと、後々困ると……そう言いたいのだ。

 それこそいつか、前に俺が思い至ったような“依存”って言葉に後悔するより先に、なんとかしないと……って、さすがに、俺みたいにあそこまで考え込むことにはならないだろうけどさ。

 

「ん。詠がみんなのことを大事に思ってることは、本当によくわかった」

「な、なななっ!?」

「わ……詠ちゃん真っ赤……」

「……赤いな」

「ち、違うわよっ! 大体暗くて顔の赤さなんて……っ! ってそーじゃないっ! いきなりなに言い出してんのよっ!」

 

 すぐ隣に座る月に指摘され、大慌ての詠の言葉を聞きながら思う。慌てた時の詠って、翠に似てるよなー……と。

 

「見栄を張ってるだけとか、堂々とサボるとか、ちゃんと見てないとわからない部分ばっかりだろ。それって詠がきちんとみんなのことを気遣ってる証拠なんじゃないか?」

「別にっ! べ、べつにボクはっ……~……だ、だって仕方ないでしょ? ほうっておけば問題起こすし、無茶するし、ボクや月は侍女の役割も担ってるから嫌でも目に付くことはあるし……」

「そうして見たものをいい方向に持っていく努力をしてなきゃ、多分そういう愚痴はこぼせないと思うけど」

「ふぐっ!? な、ななななんであんたはそう……! してないわよそんなのっ! 戦も終わって兵の指揮をする必要もなくなったし、侍女でしかないボクがそんな───!」

 

 大慌てで否定。

 さっきから否定されてばっかりなのに、その慌てっぷりも赤い顔も、なんというか可愛くて。否定されて嫌な気分が浮かぶよりも、なんというかこう、微笑ましく思えてしまう。

 

「詠はツン子だなぁ」

「ふふふっ、はい、ツン子ですね」

「ゆっ……月ぇえ~……! 月までこんなやつみたいなこと言わないでぇ~……!」

 

 つい口からぽろりと出た言葉を月が拾った。……ら、ひどい言われ様だった。

 でもまあ、これくらいが丁度いいんだと思う。

 気安く出来るくらいが友達の位置としては最高だ。

 そして思春さん、“こんなやつ”って部分に激しく同意するみたいに頷かないでください。

 

「さてと。あんまりここでこうしてると朱里が風邪引いちゃうし、そろそろ戻るな」

「なんだ、もう行くんだ。もうちょっとゆっくりしていってもいいのに」

「……言葉と裏腹に“しっしっ”て動くその手に対して、俺はどう反応すればいいのかな、詠ちゃん」

「ちゃっ───ちゃん付けて呼ぶなぁっ! ボクをそう呼んでいいのは月だけなのっ!」

 

 わあ厳しい。

 でも余裕の笑みがあっさりと赤面の慌て顔になる瞬間は、確かにこの目に焼き付けた。微笑ましい。

 

「はは……桃香からの了承が得られるかは別として、これから一週間よろしくな。蜀を見て回るだけじゃなくて、お互いのことをもっと知れたらいいなとも思ってるから」

「あんたに知られたら月が(けが)れるわよ!」

「穢っ……!?」

「え、詠ちゃんっ、そんなこと言っちゃだめだよぅ……っ」

 

 遠き他国の地に来てまで桂花みたいなこと言われた!

 いやちょっと待て! 俺べつにやましいこととかしてないぞ!?

 そんな、仲良くすると穢れるとか言われるほど……言われ……言わ……───風呂、覗いちゃいましたね。ででででもあれは不可抗力ってやつでっ! いやっ、けどっ……!

 

「ゴメンナサイ……」

「うえっ!? な、なんで急に謝ってるのよ!」

「イヤ……イロイロ考エテタラ、情ケナクナリマシテ……」

 

 人生ってままなりません。

 強くあろうと誓ったあの黄昏の教室の日も今は遠く、辿り着いたこの世界で一体俺は何をしてらっしゃいますか?

 そんなことを、遠い目で虚空を眺めながら思っていると、詠がフリフリのメイド服の端をちょこんと抓み、一言。

 

「……この服の意匠。考えたの、あんたなんでしょ?」

「へ? や……俺が来る前から詠と月ってその服で───って、まさか」

「真相なんて知らないけど、そういうことなんじゃない? 呉にも一人、似たような意匠の服を着ている子が居るし」

「…………あのー。まさかそういった意味で、穢れるだのなんだのって」

(かくま)ってもらってたとはいえ、この名軍師賈駆さまがこんな格好をさせられて、日用品の買出しや掃除やお茶酌(ちゃく)み侍女の真似事までさせられて……。しかもこの服の所為で無駄に視線を集めて恥ずかしいったらなかったわ……!」

 

 ……ア。怒っテらっしゃル。

 口調にどんどんと怒気が混ざっていって、後になればなるほど声が震えて肩が震えて……!

 

「で、でも似合ってるぞ? 可愛いし、たとえ意匠だけが流れて出来たものだとしても、我ながらいい仕事が出来たと思う。な、なぁ、月?」

「はい。詠ちゃん、とっても可愛いよ?」

「うぐっ……そ、そりゃあ、月にそう言ってもらえるなら悪い気はしないけど……───だからってあの羞恥心を忘れたわけじゃないんだからねっ!?」

「………」

 

 あの。それって俺の所為なんでしょうか。

 俺はただ意匠を商人さんに提供しただけであって、作ったのは商人で……あのー……。

 

「なんか償うって言葉を使うのにこんなに戸惑いが生まれるのも珍しいなぁ。……なにかしてほしいこととか、ある? 掻いた恥の分だけ、俺に出来ることなら───」

「そんなの無いわよ」

「え……えぇええ……っ!? いや、じゃっ……じゃあどうしろと!?」

 

 ふん、とそっぽを向いてしまう詠を前に、おろおろするしかない俺が居た。

 あれだけ散々と言葉を投げてきたのに、いざ訊いてみれば無いって……どういった不思議空間?

 そうやっておろおろしていると、小さくくすりと笑った月がフォローしてくれる。

 

「あの、本当に無いんですよ、一刀さん。詠ちゃん、“この服の意匠を考えた人には絶対に文句飛ばしてやる”って、前からずっと言っていたんです」

「……す……っ! ……すごい執念だ……!」

「うっさいっ!」

 

 思わず言葉の途中で息を飲むほどの、深い執念を見た。

 詠は詠で、過ぎたことを執念深く引きずっていたことに多少の恥ずかしさがあったのか、言ってから後悔しているようで……なんかそれっぽいことをぶちぶちと小声で呟いていた。

 しかしまあ……商人さん、いい仕事、しています。一言で言うならグッジョブ。

 俺の趣味満載で、二人によく似合っている。

 ……もちろん口に出したらいろいろと言われそうなので、ここは言わないでおこう。っとと、言っておきながら話し込んでちゃあ、それこそ朱里が風邪引くな。

 

「はは、じゃあ俺はこれで───っと、そうだ」

「? な、なによ」

 

 詠に向けて、円卓を挟んだまま右手を伸ばす。

 彼女は何故かその動作を酷く警戒して、座ったままに後退するような動作を見せ……って、なにやら盛大に誤解されてる?

 

「握手。これからもよろしくって意味で」

「……あんた、そうやって目に映る女全員に甘言振り撒いてるんじゃないでしょうね」

「? 友達にこれからもよろしくって言うの、おかしいか?」

「…………」

 

 で、言葉の途端に警戒が呆れに変わった。

 百面相とまではいかない、警戒から呆れに変わるその瞬間は、その間に百面の変化があっても違和感無しと思えるくらいに凄まじかった。

 

「……ねぇあんた。ほんとに北郷一刀? 今更だけど、噂で聞いた人物像と全然一致しないんだけど」

「噂って? ……って、月? なんでそこで頬染めて俯くの? し、思春さん? どうしてそこで溜め息吐くの!? ねぇ!」

「女と見れば見境無く手を出して、目が合えば穢れて、触れれば妊娠するって」

「けぇえええいふぁぁあああああああああああああっ!!」

 

 もう言葉だけで誰から流れた吹聴なのかがわかってしまった。

 

「ち、違うっ! それ違う! 大体目が合うだけで穢れるとか、そんなことあるわけないだろ!? 触れられたら妊娠とか、ないないないっ! 大体、それが事実だとしたら、魏は天下を取る前に妊婦だらけで戦えもしなかったよ!」

「……あんた、それだけ手を出してるって自覚があるわけね……」

「ぎっ……!? や、それはっ! 違っ……わない、けどっ……でもあの、えっと……!」

 

 今度は俺が大慌てだ。

 そりゃあ、手を出しましたと言えば真実になり、手を出してませんと言えば嘘になる。

 

(でもそれはそのー……なんといいますか。うう……!)

 

 どう言っていいかを見失い、おろおろする俺。

 そんな俺の右手に、きゅむと小さな圧迫感。

 ハッとして視線を移せば、そっぽを向きながらも手を握ってくれている詠の姿。

 

「え……詠?」

「……これで、掻いた恥の分は無しにしてあげるわ。べつにあんたが魏の連中にどれだけ手を出そうが、ボクには関係ないし。ただし月に手を出したらぁああ……!!」

「あっ! 痛っ! や、やめっ……右腕はまだ病み上がりでっ……!」

 

 捻るように腕を引っ張られ、悲鳴をあげる。

 そんな俺を見て可笑しくなったのか、詠は小さく……ほんとに小さくだけど笑みをこぼし、自分でそれに気づいたのかすぐに不機嫌(のような)顔に戻る。

 その横では月が、「もう……素直に笑えばいいのに……」と呟き、詠の顔を赤くさせた。

 

「………」

 

 賑やかな二人の関係を前にして、俺も小さく笑む。

 「なに笑ってるのよっ!」っていきなり怒られたけど、それがまた可笑しくて笑う。

 そうした小さな賑やかさの中で、離れた手を少しだけ残念に思いながら……今度は月に手を差し伸べて───

 

「穢れるって言ってるでしょ!?」

 

 ───怒られた。

 

「だっ……だからそれは誤解だって! たった今握手した詠は穢れてないだろ!?」

「それはあんたがボクを穢すつもりがなかっただけで、本命は月かもしれないでしょ!? ───ハッ!? まさかボクと一番に握手することで油断させておいて、月を穢すつもりなんじゃないでしょうね!」

「自分の言葉に得るものを見たって感じに人を疑うのやめない!? そんなつもりはないからそんなに警戒しないでくれ!」

「なっ……ちょっと! 月に魅力が無いってわけ!?」

「どうしろと!? いや、そりゃ可愛いし魅力的だとは思───」

「本性を現したわねこの変態! それ以上近づくんじゃない!」

「まぁああーっ!? まままま待って待て待て落ち着けぇえええっ!! それこそどうしろと!? ていうかせめて最後まで言わせて!? 言葉の途中で変態扱いとか傷つくから!」

 

 前略華琳様。

 お元気でしょうか……僕は元気とともに慌てています。

 理不尽という言葉がありますね。僕は今、それを体感しているところなのだと思います。

 

「そもそもここで月とだけ握手しなかったら、俺が月を友達として認めてないみたいじゃないか!」

「うぐっ……月を盾にとるなんて、卑怯よ!」

「理不尽な上に卑怯って言われた!?」

 

 体感ついでにショックでした。泣いてもいいでしょうか。

 ……その詠も、直後に月に小さく叱られて、しゅんとしていた。

 

「ごめんなさい一刀さん……詠ちゃんはただ、恥ずかしがってるだけですから」

「はばっ!? 恥ずかしがってなんかっ! どどどうしてこの賈駆様がこんなやつ相手に恥ずかしがる必要がっ……!」

「詠ちゃん」

「うぐっ…………う、ううー……月ぇえ……」

 

 ……どういう力関係なんだろう。

 頭が上がらないとはまた違った意味があるんだろう。

 ぴしゃりと咎められた詠は、一層しゅんとしてしまい、しぶしぶといった感じに俺と月が握手するのを眺めていた。

 

「改めて、これからよろしくな、二人とも」

「……よろしくされてあげるわよ。少なくとも今のやりとりで、頭ごなしに怒鳴り散らしたり傷つけたりするやつじゃないってことの再確認は取れたし」

「再確認だけのために、どれだけ辛辣な言葉投げかけるの詠ちゃん……」

「だからっ! 詠ちゃん言うなっ!!」

 

 でも、そっか。

 そこまでしてまで大事にしたいのが、詠にとっての月なら……認められた上でよろしくって言われたことが、素直に嬉しいって思える。

 “言われた”というか、よろしくされてもらったんだけどさ。

 

 ───そういったやり取りのあとに小さく手を振って、二人と別れた。

 蒸篭は片付けておいてくれると言ってくれた二人に甘え、朱里を抱えて思春とともに歩く。

 そうして、せっかくだからと執務室の奥の部屋へ戻り、大きな寝台に朱里も寝かせたのちに自室へと戻っていく。

 

「あ……明るいって思ったら、今日は満月か。眺めながら酒でも飲みたくなるなぁ。……もっとも、お酒なんて持ってないけど」

「…………」

「思春って酒は強いほう?」

「知らん」

「即答であっさりしていらっしゃる……」

 

 その過程で見上げた空には綺麗な満月。

 かつて華琳を置いて消えてしまった時も、こんな満月の下に居たなと小さく思い、空を見上げながらの溜め息。

 今では自分が消えてしまう心配をすることもなく、ただ一言、明日もいいことがありますようにと小さく願う。

 それが終われば自室に戻り、思春とともに寝台へ潜り、いつまで経っても完全には慣れてはくれない緊張感に包まれながら、今日という日を瞼とともに閉ざした。



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36:蜀/“いい国にしよう”と唱え合った日①

68/その時間、一週間

 

 重たげにではなくパッチリと目が覚めた朝。

 隣を見れば既に思春はおらず、ぐぅっと伸びをしながら寝台を下りると体操を開始。

 及川あたりにはジジくさいとか言われそうだが、これをやるのとやらないのとじゃあ一日の体調が違ってくるのだ。

 

「……さて」

 

 念入りに済ませた体操のあとは、軽く出た汗を拭いてからの着替え。

 フランチェスカの制服に腕を通して、行動を纏めてみる。

 まずは昨日の夜に詠たちに話したことを、桃香にも話さないと。

 それで時間を貰えるなら良し、貰えないなら作れば良し。

 むしろ駐在せずにとっとと帰れーとか言われたらどうしよう。

 桃香じゃなくても、魏延さんあたりなら平然と言いそうだ。

 

「よし」

 

 姿見なんてものは生憎と用意されてないが、ビシッと決めたつもりで頷くといざ扉へ歩き、手を伸ばした途端、

 

「おおっ!?」

 

 出入り口である扉が急に開いた。

 

「おぉーっほっほっほっほっほ!! あ~ら一刀さん、ようやくお目覚めですのねぇ」

 

 で、目の前には声高らかに笑う麗羽さま。

 ようやくって……いつも通りの時間の筈だけど。そりゃあ時計がないから正確な時間なんてわからないぞ? ケータイだっていつまでも付けているわけにもいかないし、電源は落ちている。

 

「まあそんなことはどうでもいいのですわ。それよりあなた、これからわたくしの用事に付き合いなさい」

「………」

 

 ちらりと、通路に立つ彼女の脇を見てみる。

 と、ぺこぺこと頭を下げる斗詩と、片手で拝み構えをして謝る猪々子が居た。

 ああ、うん……つまり……行動を纏めた矢先から潰れるって考えて、いいんでしょうか。

 それ以前にまだ、一週間の暇を貰う許可も得てないんですけど俺。

 

「桃香さんから聞きましてよ? あなた、これからしばらくの間、ずぅっと暇なのでしょう?」

「聞いたっていうか、扉に耳当てて盗み聞きしてたんだけどなー」

「文ちゃんっ、言っちゃだめっ」

「ならばその時間。このわたくしに尽くすことこそ男としての誉れではありませんこと?」

「………」

 

 どうしよう。朝からいろいろと訳がわからない。

 とりあえず盗み聞きってことは、朱里あたりが桃香に話したってことで……いいのか?

 

「あー、っと……ごめん。何を聞いたのかは詳しく理解出来てないけど、許可を貰うのはこれからなんだ。元々遊びに来てるわけじゃないし、一週間なんて暇をぽぽんとくれるほうがどうかしてる。むしろこのことが華琳にバレたら、遊んでないでさっさと帰ってこいとか言われそうだし」

「む……華琳さんのことなどどうでもいいですわ。今はわたくしに尽くしなさいと、このわたくし自らが言って差し上げてるのがわかりませんの?」

「麗羽さまー、可愛さはー?」

「ハッ!? あ、あら、そうでしたわね……。 か、かかっかっか一刀、さん? このわたくしっ……ではなく、このっ……いえ、こ───~……わ、わわわわたくしとともにお茶を嗜みませんこと? 出来る限りの最高の茶会を開きましてよっ?」

「うわ……」

「ぶぶ文ちゃんっ、引いちゃだめっ」

 

 妙にくねくね動きながらの言葉に猪々子が引いた。注意している斗詩も、実は引いた。

 そして俺は、そのくねくねした動きにいつかの夢のオカマッスルを連想し、引いていた。

 なんだか、可愛いの方向性がいろいろと間違っている。

 麗羽の中での可愛いって、こんな感じなんでしょうか神様。

 あと“このわたくし”って言い方、もう随分と染み込んでるんだなぁと改めて思った。

 い、いやそれよりもだ。どう返せばいいんだこれ。

 考えろ、考えるんだ俺……その上で、その中から最善を……!

 

「………」

 

 ……うん。無理

 頷く以外に麗羽が納得する未来が浮かんでこないや。

 自分の思考に目を閉じるほどの笑顔を浮かべ、心の中ではたそがれた。

 

「や、やー……あの、俺、これからその……桃香にいろいろと話さなきゃならないことがうわぁっと!?」

「つべこべ言わずに従えと、このわたくしが言っていますのよ!? あなたが“わたくしの可愛さ”から距離を取ってどうしますのっ!?」

「仰る通りだけどちゃんと言わないとまずいんだってぇーっ!!」

 

 当たり障りの無いこと(事実だけど)を口にした途端、襟首を両手で掴まれてホギャーと叫ばれた。って近い近い近いっ! そんなに近くで叫ばなくても聞こえ……っ……おおお麗羽って声高い! 綺麗に通る声だから頭に響いてっ……!

 ていうかこの言葉のどこにも可愛さが見つけられません! これは俺が悪いんですか!?

 考え方を変えれば、“あの袁紹さん”が可愛さをアピールしようとしている姿が可愛いとかがあるかもだけど、この後のこととか考えるととても可愛いなぁなんて思っていられないわけでして!

 

「まずは桃香に報告しなきゃ! ほ、ほらっ! “相談相手”って仕事するために来てるのに、何もしなくなるんだからそこのところは───あれ?」

 

 相談を聞くために来てるんだから、もう“わからないことがあったら訊いてくれ”って言ってある場合、それでいいのだろうか。

 いや、自身の都合のいい解釈ばかりで未来を見ちゃだめだろう、北郷一刀。

 呉で話し合って、先生役を務めることにもなったんじゃないか。

 それを急に終わりにしますなんて言うんだから、許可を得るのは当然だ。

 

「やっぱりきちんと言わなきゃだ。だからごめん、麗羽。時間は取れるかもしれないし取れないかもしれないから、ここで時間が取れるなんて言ったら嘘になる」

 

 真っ直ぐに彼女の目を見つめ、真正面から言葉を届ける。

 襟首を掴んだまま顔を近づけていた彼女の目は、時折に(時折?)突拍子もないことを仰る彼女からは考えられないくらいにキリッとしていて───持ちかけられたこの話が、冗談や本人自身が忘れてしまうような話ではなく、本気であるって意思が受け取れた。

 ……本気の方向性もいろいろおかしい気もするけど。どうして俺? ……可愛いって言った張本人だからか。

 

「とにかく、話をしてくるから。答えを得るまでは俺も断言出来ないし、ここでこうしていても話が進まないよ」

「む……そうですわね。なら、猪々子さん? 斗詩さん? 今すぐこの場に桃香さんを連れてらっしゃい?」

「え゛っ!?」

「こ、ここにっ……ですかっ!? 桃香さまを!?」

「そう言っているではありませんの。さっさとなさいな」

「………」

 

 えぇと……麗羽サン?

 ここに桃香を連れてきて、いったいなんのお話をするおつもりで……?

 まさか僕のお話をここで……?

 盗み聞きしてましたからさっさと許可を出しなさい~……と?

 

「や、やぁあ~……麗羽さまぁ……? さすがにそれはやばいっしょぉ……」

「麗羽さま? その……私たちがどうやって一刀さんのお暇の話を知ったか、わかってて言ってますか?」

「歩いていたら勝手に聞こえただけでしょう? なにか問題がありまして?」

『…………』

 

 三人一緒に沈黙した。

 そんな中で麗羽は一人、ニヤリと笑んでいる。おかしな点など何も無いって顔だった。

 ……そして俺達は妙に納得するのだ。“ああ、袁紹だなぁ”と。

 真名と姓字の間には、いろいろな境があるのです。

 

……。

 

 結局は三人がかりで麗羽を言いくるめ……もとい説得して、俺は現在執務室。

 難しい顔をしながら椅子に座る桃香を前に、話をどう切り出そうかと悩んでいた。

 部屋の中を見る限り、どうやら桃香と話していたらしい誰か(多分朱里で、現在学校かと思われる)は居ないようだ。

 

「あ、あー……桃香?」

「だめ」

 

 そして即答だった。

 

「へ……えぇっ!? 俺まだなにもっ───ていうか極上の笑顔でそんなさらりと!?」

「だ、だってぇ~! ここでお兄さんに抜けられちゃったら私、忙しさで死んじゃうよー! お兄さんは私に死ねっていうのー!?」

「立案者が何言ってるの!? なんか俺が悪いみたいになってるじゃないか! 忙しくなるってわかってて、学校を作った人がそんなこと言っちゃだめだろ!」

「うう……私だってお休み欲しいもん……お兄さんが休むなら私も~って言ったら、朱里ちゃんてば笑顔でだめですって言うし……」

 

 や、それ当たり前です君主さま。

 

「それに昨日、頑張ったのにお饅頭食べられなかったし……お兄さんはいいよねー、朱里ちゃんや詠ちゃんや月ちゃん、思春さんと一緒にお饅頭食べたんだもんねー」

 

 ……笑顔で根に持ってらっしゃった。

 あ、あーの、桃香サン? 昨日のお饅頭騒ぎの目的が俺と朱里と雛里との親睦会目当てだったの、もしかして忘れてる?

 

「饅頭はまた作ればいいよ。時間も頑張って空ければいい。でも、そのためには“自分で出来る範囲”を広げないと、書簡整理の山が増えるだけだぞ?」

「お兄さん手伝ってぇえ~……」

 

 たぱー……と涙を流しながらの懇願でありました。

 ああうん……なんかいろいろごめんなさい詠ちゃん。俺に頼ってばっかりになるって話、ちょっと手遅れだったかも。

 

「桃香ぁ……俺だって近いうちに魏に戻るんだから、今からそんなんじゃあ潰れちゃうぞ? 甘えてもいいとは言ったけど、他人を頼りすぎて自分じゃ何も出来なくなるのはダメだ。ちゃんと言っただろ? “ただし、甘えるだけしかしない王様は勘弁だぞ”って」

「うぅ~……だってぇえ……」

 

 自分じゃ気づかなかった。ここまで頼られているとは……意外以外のなにものでもない衝撃を受けた。

 でもこのままなのは確かにマズイよな……それこそ依存になってしまう。

 じゃあどうするか。

 ……どうするもこうするもないな。それはきっと簡単なことだ。

 甘えるのに慣れてしまっているだけで、心の奥は絶対に変わっていないはずだから。

 

「じゃあ処方箋。───桃香、この国は好きか?」

「えっ……う、うん、それはもちろん、大好きだよ? 笑顔があって、賑やかさがあって、その中に混ざるととっても楽しいの。誰かの笑顔が誰かを笑顔にして、そんな笑顔を見てたら私も嬉しくて。うん、私はこの国が……ううん、この国だけじゃなくて、この三国が大好きだよっ」

 

 両の指を胸の上で絡め、本当にやさしい笑顔で……慈しみさえ感じるくらいの温かな笑顔で、彼女は言った。

 それは心の底からそう思えるからこそ出せる笑顔と語調であり、俺もその笑顔を見ていたら自然と笑顔になっていた。

 温かさは伝染する。それはとてもやさしい伝染病で、様々な人が理想と捉えど、意見の食い違いや考え方の違いで振りまくことのできないもの。

 そんな中でも彼女の笑みは温かく、俺は笑むことが出来たから───彼女の隣までを歩くと、その頭をくしゃりと撫でて伝えた。

 

「……だったら、大丈夫だ。どんなに困難でも、好きで、守りたいって思えるなら、弱音を吐こうと辛くて泣こうと、諦められないものだから。諦められないなら頑張ればいい。頑張って頑張って、それでも本当に駄目な時にこそ周りに手を伸ばすんだ。それまでの頑張りが嘘じゃなくて、みんなの心に届いてるなら、きっと助けてくれるから」

「うー……今すぐはだめなの?」

「ん、それはだめ。……桃香、答えならもう自分の中で出てるだろ? それをしようって思えたなら、そもそも迷いなんて無いはずなんだから」

「……? 答え……」

 

 桃香の言葉に頷いて返して、彼女の頭の上に置いた手をやさしく弾ませてから戻す。

 そうだ。

 頑張ろうって思って始めたことが、彼女にはきちんとある。

 一度挫かれてしまい、悔し涙さえ流したと聞く彼女。

 それでも今こうして王として立ち、国のためにと前を向いているんだ。

 剣の練習だって、氣の練習だって始めた。

 その国のための苦労がまたちょっと増えるだけの話。

 こうであってほしいと願うのなら。民の、将の、兵の、彼ら彼女らの笑顔と平和を願うのなら、今この時を頑張った分だけ、きっと彼女の周りは笑顔になる。

 突如として齎される至福には人は咄嗟に反応出来ないものだから、ゆっくりと一歩ずつ頑張っていく。積み上げたものを積み上げきった時の喜びを知っているから、また頑張ろうって思える。

 以前とは違い、血を流さず───人の死に涙せずに、頑張るだけで笑顔が見れるなら、それはどれだけ幸せだろう。

 こんな日がもっと早くから来ていれば……そう願わずにはいられないのはもちろんだ。何度考えたかわからないほどだ。

 それでも、犠牲があったからこそ諦めなかったし、意思を託されたから頑張れた。

 だから、「な?」と。彼女を促すようにして、俺は自分の胸をノックしてみせた。

 

「覚悟を。人の争いや人の死の先でしか目指せなかった笑顔を、今度は君の努力が咲かせますように」

 

 三国志と聞けば、思い返されるのは桃園の誓い。

 恐らくこの世界でも交わされたであろうそれを思い、もし彼女らの前に御遣いとして下りていたのなら、自分も誓っていたのだろうかと想像する。

 椅子に座って俺を見上げる彼女は、俺のそんな行動に一度だけ息を飲んだ。

 それからゆくりと立ち上がり、俺の目を真っ直ぐに見つめ、自分の胸をノックする。

 

「覚悟……そっか。うん、そうだよ。目標があるなら進まないと……理由があるなら立たないと。そうだよね……そうだったよ。私はもう……立ったんだもんね」

「ああ」

 

 いつか自分が、戦場の厳しさに苦しみながら辿り着いた答えを、桃香が言葉として吐き出した。

 あの乱世の中にあって、それでも手に手を取って仲良く出来たらと願った彼女だ。

 それはただひたすらに勝利を望むだけじゃあ得られない未来。

 そんな“奇跡”みたいな未来を願い、これだけの国を築いたのだ。

 仲間を得て、民の信頼を得て、兵を率いて大国を築いた。

 ここには笑顔があって、温かさがある。

 この温かさを守ることが、人の死の先じゃなくても見られる今があるんだ。

 あの乱世を駆け抜けた者だからこそ、それこそ無駄に出来るわけがない。

 

「いい国にしよう。魏も、蜀も、呉も。声を轟かせなくても遠い地へ、人と人とが言葉を伝えて届かせられるような温かな国に」

 

 いつか華琳に教えられた国と民の在り方。

 “強い指導者のもと、どこまでも声を轟かせられる強い国を作るためにはどうすればいいか”を問われた。

 答えは口で言うのは簡単で、実行するのはとても難しいものだった。

 そのためには街を大きく、国を大きく、けれど皆が住みたくなるような平和な街を作らなければならなかったのだから。

 国が大きくなれば、目が届かない場所は必ず出来る。そんな場所で行なわれることにも目を向けることは、口でいうよりも余程に大変だ。

 

  それでも……そう。目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。

 

 俺は華琳に、あの頃の世界の在り方を教えられた。

 それは、力で捻じ伏せて耳を引っ張りながら、それでも叫ぶことでしか相手に言葉が届いてくれないような世界の在り方だ。

 でも今は、平和になった世界の在り方をみんなで一緒に探す時なんだ。

 届かないのなら何度だって届けよう。

 自分が伸ばした程度じゃ掴めない手があるのなら、繋いできた手を伸ばし、みんなで掴もう。

 そうしてまた広がった手が、きっと誰かを笑顔にしてくれると信じよう。

 まだまだ笑うことの出来ない人が、この世界には大勢居る。

 戦の世を終えたのは、まだ“たった一年前”の話なんだから。

 

「……うんっ」

 

 桃香はもう一度自分の胸をノックして、大きく頷いた。

 俺もそれに笑顔を返し、

 

「というわけで一週間ほど暇を」

「だめ」

 

 一瞬で断られた。

 

「ここでだめって言ったら今までの会話が台無しになるだろーっ!?」

「そっ……それとこれとは話が別だよー! そりゃあもちろん私も、その……がが頑張る、よ……? でもでも、そんな急に、お兄さんがやってた分まで全部こなすなんてぇえ~っ……!」

「………」

 

 彼女のたぱーと流す涙を見て、ふと昨日の彼女を思い出す。徹夜して、大して種類整理を進められてなかった彼女を。

 あの……今更だけど大丈夫ですかこの国。

 自分で破壊しておいてなんだけど、シリアスが裸足で逃げていった気分だ。

 

「とはいっても、手伝うにしたって限度があるだろ。働かざる者食うべからずは華琳に教えられたことだし、“世話になるなら”って整理を手伝い始めたけどさ。てゆーかな、桃香。ここで俺に頼りすぎてたら、俺が帰ったあと何にも出来なくなるだろ?」

「うー……」

 

 ……ああ……これは“そうなった時に考えよう”って顔だな……。

 執務や鍛錬で顔合わせが多くなった所為かなぁ……無駄に表情が読めるようになってしまった。

 読めたからって、対処法が出せるかーって言ったら……実のところそうでもない。

 困ったことにこの蜀王様は、これで結構頑固なのだ。……わかりきったことだった。

 

「やる前から諦めないの。ほら、今日は朱里も雛里も居ないみたいだし、きりきり整理っ」

「ふぇえ~……お兄さんの鬼~……」

 

 そう愚痴りながらもきちんと椅子に座り、机に向かうところはさすが王様……と褒めていいんだろうか。

 いやいや、当然のことを当然として行うのって結構大事だ。褒めるべきだろう。

 ……口には出さないけど。

 

「ところで桃香? 暇が貰えないとなると、俺にはきちんと仕事をくれたりするのか?」

「うんっ!」

「……いくら笑顔で書簡を渡されても、それだけは手伝わないからな?」

「鬼ぃい~っ!!」

 

 ああもう、だから泣くんじゃあありません。ていうか誰が鬼だ誰が。

 

「はぁ……えっとな、桃香。多分俺が華琳に教えてもらったように、愛紗あたりにきっちり説教されてると思うけど。需要と供給で経済が動いてるみたいに、人と人とも自分の利益や周囲からの徳を得るために動いてる。国の王だからってなんでもかんでも押し付けるんじゃないんだ。いい国にしたいって街の全員が思ったなら、街の全員が頑張らなきゃあいい国なんて出来やしない」

「え……うーん……そんなこと、ないと思うよ? みんなが頑張ってれば、その誰かもきっと手伝ってくれると思うし」

「苦労して積み上げたものは、周りがどれだけ罵ろうと積み上げた人にとっては宝だ。でも、労せずにそんな宝を誰かが作るっていうなら、全員が全員手を休める。“やらなくても誰かがやってくれる”って思うからだ。人種ってものがあるように、全員が全員同じ状況や環境で同じ仕事をしているわけじゃないんだ。“自分に出来ない何か”が出来る人を集めるのは確かに重要だけど、必要に迫られた時に何も出来ない自分じゃあ、いつか描いた夢も覚めてしまう。そんな自分で居たくない……そう思ったから、桃香は剣の鍛錬を始めたんじゃないのか?」

「あ……」

 

 人の頑張りは同じじゃない。背負うものが大きければ、いっぱいいっぱい頑張らなきゃいけない。逃げ出す人なんてそれこそ大勢だ。だって、挫折ほど楽な道はないんだから。

 それでも描いた夢を諦めきれず、目指す目標と立ち上がる理由、そしてそれらを貫く覚悟がある者だけが最後まで頑張れる。

 じゃあ、桃香は? 挫折する人か? 立ち上がる人か?

 考えるまでもない。ここでこうして王として居る彼女こそが答えだ。

 

「流した悔し涙は、自分を楽にするためだけのものか?」

「っ! そんなことないっ!!」

 

 口にした途端、桃香がキッと俺を睨み、叫ぶように言う。

 ……そうだ、そんなことがあっていいわけがない。

 だって、その夢こそが彼女が積み上げてきたものであって、宝であったからこそ彼女は泣いたのだろうから。

 

「ほら、答えなんて最初から自分の中にあるんだ。背負うものが“重荷”じゃなくて、一度手からこぼしてももう一度掻き集めることが出来た“宝”なら、心が挫けない限り何度だって頑張れるに決まってるんだ」

「お兄さん……」

「自分の仕事はちゃんとやろう? それは桃香が“頑張ることが出来る部分”で、他の人にも他の人が頑張れる場所があるんだから。で、あー……自分で言うのもなんだかすごく情けない気がするけど、仕事は手伝わないけど“甘えちゃだめ”とは言わないから」

「…………」

「……桃香さん? 待っててももう一声なんて出ないから」

 

 苦笑交じりに頭を撫でる。

 桃香はくすぐったそうに、けれど心地良さそうに、されるがままになっていた。

 

「……特に任せたい仕事がないなら、教師役でも街の警備でも、街で困っている人を助ける仕事でもなんでも引き受けるよ。そこで頑張りながらもっともっと煮詰めれば、学校についての案件も街での問題も届かなくなる。そうやって支え合うことが、俺達の需要と供給になるんだろうから」

「~……う、うんっ……うんっ!」

 

 甘えていいって言った日、いろいろと背負いすぎたのかもしれない。俺が。

 “蜀全体とは言わず、桃香だけにしてあげられることがあるとすれば、民のため兵のため将のためにと頑張りすぎる彼女の負担を、軽く担ってやるくらい”なんて思っておいて、結果が甘えんぼさんだもんな。

 これであの日、“お兄さんは誰かを傷つけちゃうかもしれない”なんて語ってくれた人と同一人物だっていうんだから、何かがいろいろとおかしいって気分になってくる。

 まあでも、あれだ。困っている人を助けて回るのは、散々と雪蓮に付き合わされたお陰で慣れっこだ。本当に、経験っていうのは何処で何が生かされるのかわかったもんじゃない。

 

「そうだよ……私、もっと頑張るって言った! 言ったんだもんっ! こんなことくらいで立ち止まってなんか───! こんな、こん…………」

 

 腋を締めるようにしてエイオーと気合いを入れた桃香───だったが、うず高く積まれた書簡を前に……急激にしぼんでいってしまった。

 それでもぶんぶんと頭を振るうと、キリッとした表情で政務に励む。

 やっぱり難しいところがあるのか、何度か筆は止まっていたけど……それもきちんと考え、纏めることで次に向かう。

 

「ごめんねお兄さん。私、ちょっと弱くなってたかも」

 

 しかも手を動かしながらだっていうのに、こちらに話し掛ける余裕もあるよう……って、思った矢先から手が止まったよ。

 

「いいよ。そういったものを支えてあげられるのが、仲間であり友達だと思うし。桃香にとっての俺が、自分の弱さを見せられる存在だっていうなら、それはそれで嬉しい」

「はうっ……」

 

 恥ずかしそうに顔を俯かせる桃香。

 そんな彼女に軽く「それじゃあ、何かあったら呼んでくれ」と言って、執務室をあとにする。

 何か言いたげだった彼女を残したままで。

 手伝いたいのは山々なんだけど、生憎とこちらにも困った用事が残っている。

 今朝一番に部屋への来訪を果たした彼女に、暇は無くなりましたと報告しなくちゃならないのだ。

 

(ある意味拷問だよ……。はぁああ……どう切り出したもんかなぁ……)

 

 そんなことを考えながら、宛がわれた自室への道を歩いた。

 どうか穏便に済んでくれますようにと願いを込めて。



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36:蜀/“いい国にしよう”と唱え合った日②

-_-/桃香

 

 …………。

 

「行っちゃった……」

 

 ほんとに行っちゃった。

 どうやら冗談でもなんでもなく、手伝いはしてくれないらしかった。

 ……うん、元を正せば全部私の仕事だし、私が頑張らなくちゃいけない───あっとと、違った違った。“私が頑張ることの出来る仕事”なんだから、頑張らなくちゃ。

 ただ……こうして文字ば~っかりじぃっと見てると、頭が痛くなってくる。

 

「お兄さんはすごいなー……」

 

 私に持ってないものをたくさん持っている。

 知識もそうだし経験も。

 剣を教わってるし、氣の使い方も教えてくれる。

 大体の知識のあとに“受け売りだけどね”って付け足すのがちょっと気になるけど、とっても不思議でおかしな人。

 

「はぁ……」

 

 周りのみんなに“似ている”と言われた時から、少しずつ意識していた。

 そんなに似てるかな、そんなことないと思うけど。そんなことを考えながら───言ったことに答えてくれて、笑顔までくれるあの人に甘えきっている自分が居ることに気づいた。

 だって、それはちょっと仕方ない。

 私の知らないことをいっぱい知っていて、訊ねてみれば答えじゃなく考え方を教えてくれて、どうしてもわからない時は答えをくれて。

 鍛錬の時はちゃんと、怪我しないように気遣ってくれるし……いきすぎなところがあっても、やんわりと止めてくれるし。

 うん、ちょっとだけ仕方ない。

 先を歩きながら、それでも後ろに居る私に手を差し伸べて、ゆっくり歩いてくれる……そんな印象が強くて、頼ってしまうのだ。

 

「これって……憧れかなぁ」

 

 好きとか嫌いとかはよくわからない。

 以前、恋する乙女がどうとかってお兄さんに言っちゃったけど、そんなものは私にもわからない。わかっていることといえば、あの人の傍は温かいってことくらい。

 

「こんなんじゃいけないいけないっ、頑張らないとっ」

 

 自分に喝をひとつ、仕事の整理をするために筆を走らせる。

 さらさらと走らせる筆は竹簡や書類に文字を連ね、乾いた先から山から山へと移されていく。

 簡単なものなら、私だってさらさらと終わらせられる……つもり。

 確認や指摘をしてくれる朱里ちゃんや雛里ちゃんが居てくれれば、もっと早く出来るんだけど……生憎と二人とも学校で先生をやっている。

 もちろん私は、そんなみんなが安心して仕事が出来るようにと案件整理。

 学校のここが不便だーとか、翠ちゃんや鈴々ちゃんが、体育の授業で走らせすぎだからなんとかしてくれーとか、そんな文字をしっかりと読んでから、解決策を自分なりに頑張って考えて、書き連ねる。

 こういったものの確認は朱里ちゃんと雛里ちゃんに任せて、次の竹簡をからころと開く。

 

「………………静か……だなー……」

 

 頼めば七乃ちゃんは来てくれるだろう。

 手伝ってって言えば、きっと手伝ってくれる。

 力を合わせれば、すぐにとは言わないけど早く終わる。

 ……そうとわかっていても、“頑張らなきゃいけない”じゃなくて、“頑張ることが出来る”って言ってくれたお兄さんの言葉が頭の中に浮かぶ。

 軽い、考え方の違いでしかないそれは、だけど自分に活力を与えてくれる。

 頑張らなきゃいけないんじゃない。華琳さんに負けてしまって、みんなの夢になっていたものを叶えることが出来なかった私でも、出来ることが……頑張れることがあるんだと言ってくれたみたいで……。

 

「いい国にしよう、かぁ……」

 

 本当にいい国の条件なんて、きっと誰にもわからない。

 住みやすければそれでいいのか、笑顔だけがあればそれでいいのか。

 みんなが仲良くしていればそれだけでいいって考えは、あの日華琳さんに叩き折られた。

 “間違っていたから負けたんだ”なんて思わない。

 それでも、あの時の私がもっと頑張っていれば、もしかして華琳さんにも勝てたんじゃないか。そう思うと胸が苦しくて、みんなに申し訳なくて。

 

「………」

 

 平和はここにある。

 確かにここにあってくれている。

 不満があるとするならそれは、あの時勝てなかった自分だけ。

 自分に出来ないことが出来る人をたくさん集めて、それに満足しきっていた自分だけ。

 

「なんで……お兄さんは……」

 

 蜀に降りて、今みたいに私を支えてくれなかったんだろう。

 そんな、人の所為にするみたいな考えが頭に浮かんで……すぐに頭から消す。

 悔しくないはずがないけど、過去はもう起こったことで、変えられないんだから。

 

「うんっ、頑張ろうっ」

 

 ぱちんっと頬を叩いて気合いを───

 

「はうぅっ……いたたた……!」

 

 ───強く叩きすぎた。

 でもそのお陰で嫌な気分は飛んでくれたから、机に向かって筆を走らせる。

 自分に足りないものを補ってもらうのは悪い考えじゃない。

 誰かに頼りすぎて、現状に甘えちゃうのが悪い考えなんだ。

 頑張らないと。頑張ろう。自分にも、頑張れば出来ることがあるんだから。

 

「?」

 

 決意を胸に書簡を睨む中……ふと、耳に届く小さな悲鳴。

 遠くから聞こえてくるそれは、またもやもやと一人で考え込んでしまっていたものを、サッと吹き飛ばしてくれた。

 おかしな話だけど、気が逸れたお陰で暗い気分が飛んでくれた。

 空元気はやっぱり空元気みたいだ。無理矢理笑顔は作れても、心のもやはこんなことでもないと吹き飛んでくれなかった。

 

「…………?」

 

 悲鳴が聞こえたのはその一度だけ。

 首を傾げながらも整理を再開すると、難しい案件に頭を捻る時間がやってくる。

 そんな時間を過ごしてしばらく、ふと“のっく”の音が耳に届いて、返事をした。

 扉を開けて入ってきたのは……お茶を持ったお兄さんだった。

 

「あ、あれ? どうしたのお兄さん、忘れ物?」

 

 軽く手をあげて、気恥ずかしそうに歩み寄るお兄さん。

 そんな彼が、お茶をどうぞと二つあるうちの一つを私にくれる。

 戸惑いながらもありがとうを返して、飲み始めたお兄さんに倣ってお茶をすする。

 

(?)

 

 お茶は、当然といえば当然なんだけど温かかった。

 ぐるぐると嫌なことばかり考えていた心に、その熱が温かい。

 ふぅ、と息を吐くと、改めてお兄さんを見上げる。

 ……と、その頬に引っかき傷みたいなものがあることに気づいた。

 

「お兄さん、どうしたのその傷」

 

 訊ねてみると、お兄さんはきまりが悪そうな顔をして頬を掻く。

 困ったように溜め息を吐いて、ようやく一言。

 

「……名誉の負傷?」

 

 名誉らしいのに、疑問が含まれてた。

 

「まあ、それはいいから。桃香、そういえば聞き忘れてたんだけど、今日の俺は何をすればいい? 学校に行こうとも思ったんだけどさ、考えてみれば授業分担がもう済んでるから、安定した~って思ってたわけだし。独断で適当に始めれば、誰かの仕事を奪いかねないし……何か仕事、あるか?」

「………」

 

 ……ちょっとどころじゃなくて、すこーんって気が抜けた。

 張り詰めていたつもりの気はあっさりとしぼんで、みんな目の前の人が消し去ってしまう。

 そっか。誰でもなんでも知ってるわけじゃない。

 私がうんうん悩んでも中々解決策を見つけられないことでも、朱里ちゃんや雛里ちゃんは簡単に解決してくれる……けど、朱里ちゃんや雛里ちゃんにだって苦手なことはあるし、それを補える人が居るから信頼の輪が出来る。

 需要と供給。覚えていたはずでも、生きていれば考え方なんていくらでも変わっちゃう。大事なことまで忘れちゃったとしても、いつかは周りが思い出させてくれるものなんだ。

 そういうふうに出来ているから、誰かに感謝して笑顔になれる。

 私が夢に見たのはそういう……“今でも手を伸ばせば叶えられる世界”だ。

 

「ね、お兄さん」

「うん? なんだ?」

 

 もうお茶を飲み終えたのか、はふー……と息を吐いている彼に声をかける。

 穏やかな目が、私の視線を受け止めた。

 

「いい国に、しようね」

 

 そんな目を見つめ返して、一言を。

 お兄さんは自分の求めた答えじゃないものを、けれどしっかりと受け止めて笑う。

 あ……そうだった。お兄さんは仕事がないかーって訊いてきたんだった。

 

「え、えと。お仕事のお話だったよね」

「ごめんな、忙しいのに」

「えへへー……忙しいけど、急にやる気が出てきたから平気だよ。それでだけどお兄さん、案件の中に街で起こった困り事のがた~っくさんあるんだけど……」

「……たぁ~っくさんですか」

「えへへ、うんっ、たぁ~っくさんです」

 

 届けられた竹簡を集めて、検討中として選り分けていたものを渡す。

 お兄さんはそれらを開いて目を通すと、何度か頷いてからうっすらとした笑顔で何処か遠くを眺めた。

 

「じゃあ、まずは街の人と話してくるな。……っとと、前後したけど、これは俺がやっても大丈夫な仕事か?」

「うん、お仕事っていうよりは、困っている人を支えようってものだから」

「そっか……」

 

 もう一度竹簡を見下ろして頷く。

 そうしてからは軽い感謝を残して飛び出していってしまい、ぽつんと残された私は……なんだか急におかしくなって、笑っていた。

 

「はぁ……あったかいなぁ……」

 

 頬を緩ませながらお茶をすすった。

 お兄さんが淹れたのか、詠ちゃんか月ちゃんが淹れたのかは解らないないけど、安心する温かさが胸に染みる。

 頑張るなら休息は必要だよね。ちょっと早いけど。

 

「…………でもどうしたんだろ、あの頬の傷」

 

 引っかき傷みたいだったけど。

 もしかして美以ちゃん? それとも恋ちゃんやねねちゃんのところの猫さんや犬さんにやられたのかな。

 痛そうにしてなかったから、大丈夫だと思って踏み込んで訊くことはしなかったけど。

 名誉の負傷ってなんだろ。

 そんな疑問にやっぱり頬を緩ませながら、温かくなった心のままに湯飲みを置いて、作業を再開させた。

 ……いい国にしよう。

 もっともっと温かい国にしよう。

 今私が感じている温かさを、もっといろんな人が感じられるような国に。

 そのためにはもっともっと頑張らないと。

 

「えと、どうだったっけ。えーと……こうして、こうして……うんっ、覚悟、完了っ♪」

 

 トンと胸をのっくして、お兄さんの真似をした。

 ……やっぱりなんだかおかしくなって、執務室でひとり、頬を緩ませて笑った。

 

 

 

-_-/一刀

 

 さて。

 執務室って言うよりはむしろ城をあとにしてからしばらく。

 街に降りてきてすることは、竹簡に書かれていた案件の整理。

 差し当たり、自分にも出来るだろうと思ったものをこなそうと駆けてきたものの。

 

「おー! 御遣いさまー!」

「先生、今日はどうしたんで? “がっこう”はいいんですかい?」

「にいちゃーん、あそんでー?」

 

 …………街の人たちに捕まりました。

 教師として立つことで、天の御遣いだってことがバレてしまってからは、案外こんな感じだ。

 いや、むしろ最初はみんな避けていたくらいだった……んだけど。

 教師役を続けて、子供たちから好印象を得て、学校が安定に向かい始めた頃には、もうこうなっていた。

 やっぱり最初は、敵国の人間だった相手から何かを教わるなんて、とか思ってたりしたんだろうか……って、それは当然か。

 どれだけやさしい国で生きたって、かつては仲間を傷つけたり殺したりをした相手なんだ。戦が終わったからって簡単に割り切れるほど、軽いものじゃないもんな。

 みんな努力してるんだ。

 一人一人が歩み寄ることで、みんなが笑顔でいられるようにって。

 

(……桃香は幸せだな。将が、兵が、民が、みんな桃香の夢を眩しく思ってる)

 

 俺も、もっともっと華琳を支えられるような存在に……難しそうだけど、なりたい。

 もちろん俺一人が支えるんじゃなく、国全体が華琳を支えるものになる。

 そうだな、いい国にしよう。もっともっと頑張って、みんながみんな頑張って、もう……血で血を洗うような世が二度と来ないように。

 

「ごめんなー! 今日はちょっと仕事で来たんだー! えっと、このへんで……っていいやっ! なにか困ってることがあったら言ってくれー! 力になるぞー!」

「じゃああそんでー?」

「いきなりサボれと!? ご、ごめんな、仕事が終わって時間が取れたら遊ぶから、な?」

「困ってること……おお、そんじゃあ今回は御遣いさまが解決してくださるんで?」

「あ、ああ、一応桃香から許可を得て来たんだけど。もしかして相談届け出したのって……」

 

 出っ歯で揉み手を繰り返す男が、頭の後ろに手をやって「へぇ、それが……」と困り顔で言う。

 なんでも急な注文が入ったとかで、人手が足りない……ことはなく、別の問題があるんだとか。このいかにも服屋をやってますって格好の出っ歯さんは、真実服屋だったわけだ。

 

「いえね、あっし一人で仕立ててるわけじゃないんですがね、どうにもこう……言っちゃあなんですがやる気が出ねぇんですわ。やる気を出した時のあっしらはもう、何着の注文だろうがなんでもこなしてみせますってくらい有名なんですが」

「大変そうだけど、自分で言うことじゃないと思うよそれ」

「へへっ、まあまあ。それでなんですがねぇ……実は意匠を考えて欲しいんでさ」

「意匠を?」

 

 それまたなんで?と返してみると、服屋のおやじは揉み手を二度三度と繰り返し、「最近の手詰まりの原因がそれだからでさ」と言って返した。

 ……なるほど、スランプってやつだろうか。

 

「前はよかった。他国から流れてきた行商が変わった意匠を教えてくれましてね? や、それがまた物凄くあっしの心をくすぐるんでさ。そうしたらもう手も動く足も動く。地道にコツコツやってきたあっしですが、こうして飯食っていけてますわ」

「……でも、最近めっきりやる気が出ない、と」

「そうなんでさ……どういうわけか流れの行商も、変わった意匠がもう無いと言うざまで。聞けばその意匠ってぇのは、御遣いさまが考えたものだそうじゃないですかいっ! そこにあんたが来てくれた! こりゃあもう鬼に金棒だぁってなもんでさ!」

「そ、そっか」

 

 なるほど。天……元の世界に戻っている間にそんな葛藤があったのか。

 一年も居なくなれば、そりゃあ意匠のネタも尽きるってもんだ。

 さて、どうしたもんかな。そんな、いきなり意匠をって言われても……あ。

 

「………」

 

 すっと視線をずらした先の茶房の前。

 机と椅子が並べられた、世が世ならオープンカフェとか呼ばれそうなオシャレな店の、椅子の一つにぽつんと座るひとつの影。

 どこか物憂げな表情で、机に立てた両肘の先、指先だけで持ち上げたお茶の器を軽くくるくる回しながら、短い間に幾つもの溜め息を吐く……翠を発見。

 

「………」

 

 頭の何処かで閃くもの。

 自分が“可愛い”って言葉を届けた人に似合うものを、ちょっとばかり作ってみたいと思ってしまった。

 そうなればイメージは早い。

 自分を見ずに別の方向を向いている俺に戸惑う親父の手を引き、店に案内してもらってからはひたすらに意匠を描き出した。

 それを見るや、揉み手出っ歯のおやじの目には輝く何かが燃え上がり、描きあがった途端にそれを手にし、店の針子の女達を呼び集めて作業にかかった。

 …………あれ? いやあの、なにも今すぐやれとは……。

 と、戸惑っていると、背後に気配。

 振り向いてみれば街の人がごっちゃりと立っていて、手を引かれたと思えば───次はうちを、次はあっしンところをと引っ張り回され……

 

……。

 

 ……ハッと気づけば、街の通りは茜色。

 終わってみれば、手にはいくつかの城へのお土産と疲れた体。そして、充実感。

 一週間で帰ろうとは思ったけど、これが初日なら悪くないかもしれない。なにせ楽しかった。

 ちょっとだけ苦笑をもらしながら城に帰ろうと歩を進める。

 が、そんな俺を呼び止める声に振り向いてみれば、服屋の親父が元気に手を振りながら俺を呼んでいた。

 …………え? もしかしてもう出来たのか?  そんなすぐに出来るもんなのか!?

 すごいな針子さんたち……こういうのって普通、何日かに分けて少しずつやっていくものだろ。それを……よりにもよってゴシックロリータを丸一日すらかからず仕立て上げるとは……。

 

「で……」

 

 呼ばれるままに服屋に辿り着けば、はいと渡されるゴシックロリータ。

 黒をベースにした布地に、白のフリルが鮮やかなそれは、俺の意匠なんかからよく表現出来たなと思うほどに見事だった。

 犬を描いてもおばけだと言われる俺の絵なのになぁ……。

 

「すごいな……ここまで再現出来るとは」

「よかったらもらってやってくだせぇ、久しぶりに職人魂に火がつきやした。これはそのお礼でさ」

「え……いいのか? だってこんな───」

「構いやせんよ、これからしっかり稼がせてもらいやすんで。おっと忘れてた。もし誰かに贈るんでしたら、仕立て直しも請け負いやすぜ。またいつでもいらしてくだせぇ」

「………」

 

 気前のいい主人だった。

 というより、むしろもっと作りたいって風情で店の奥をちらちらと見ている。

 これ以上遠慮するのはかえって迷惑か。

 言葉通り、ありがたく受け取っておこう。

 

「じゃあ、もらっていくな」

「へえっ! 自分で言うのもなんですが会心の出来でさ! 大事にしてやってくだせぇ!」

 

 天で言うところの威勢のいい八百屋みたな口調で、送り出された。

 主人は途中までお辞儀をしつつも見送ってくれたが、それが済むとドタバタと店内へ。

 彼の仕立てはまだまだこれからが本番らしい。

 

「…………うわっ。手触りとかもすごいじゃないか」

 

 普通に買ったらめちゃくちゃ高いんじゃないか? これ。

 

「あ……しまった」

 

 もらったはいいけど、いったい誰にあげるべきなのか。

 桃香? 愛紗? 鈴々……にあげるには、ちょっと大きい。

 じゃあ…………やっぱり閃いた相手……翠にあげるべきだよな。

 

「……でだ」

 

 問題はどう渡すかだ。

 “服作ってもらったから着てみてくれー!”……違う。

 “可愛いキミに最高の服を仕立てたんだ……受け取ってくれ”……勘弁してください。

 “街でいい服を見つけたから、翠に着てもらいたくて……”……なんか違うんだよな。

 やっぱりここは正直に経緯から話すべきだろう。

 街からの案件でこんなことがあって、丁度その時に翠を見かけて、その時に閃いた意匠を裁ててもらったから着てみてくれって。

 よし、そうしよう。

 

「………」

 

 さて。

 そんなわけで、ゴスロリを手に茜色の景色を歩く男が一人。

 城までの道のりをのんびりと歩き、これからしばらくの蜀での暮らしを思い、笑みをこぼした。

 喜んでくれるといいなとか、いらないって言われたらどうしようとか、まるでプレゼントを渡そうとしても渡せない女の子のような心境で───不安に駆られながらも、渡すことだけは諦めるつもりはない自分のまま、ゆっくりと。

 

「あ」

 

 そして思い出す。

 もう一人、可愛いと言って頭を撫でた相手が居ることを。

 一着しかないって言ったらどうなるんだろ……やっぱり今朝みたいに顔面引っかかれたりするんだろうか。

 

「あぁ……本当に……」

 

 本当に、この国は賑やかで退屈しない。

 ここで生活するようになってから、いや、むしろこの世界で生活した過去や現在を思い返してみても、退屈を感じた時なんてものはほぼ存在しなかった。

 服を一着贈るだけでもいろいろな覚悟が必要なこの世界で、自分はそれでも……まだまだ歩いていくんだろう。

 退屈しない、忙しい日々の中にあっても、やさしい息を吐けるようになったこの世界で。

 

「……なにか食べ物でも買っていこうか」

 

 や。けっして誤魔化すためじゃないデスヨ?

 けっして顔を引っかかれないためじゃないデスヨ?

 そんな言い訳を胸に、おかしくなって一人で笑いながら───いつか呉でも歩いたこんな夕日の差す道を、今もまた彼女とともに。

 

「そういえばさ、ずっと隣りに居たの?」

「いいや。背後だ」

「怖いよ!? 隣り歩こう!?」

 

 声をかければ返してくれる人が居る。

 笑ってくれはしないけど、纏っている空気は穏やかなものだったから、顔には出さないけど彼女も笑っているんだと勝手に思うことにした。

 

 

 ……で。

 このしばらくあとに、翠を呼び出してゴスロリをプレゼントすることになるんだが。

 運悪くというかお約束と言うべきなのか、あっさりと麗羽に見つかり……例のごとく正座させられ、たっぷりと怒られた。「わたくしへの貢物がないとはどういうことですのっ!?」とか、「あんな馬子さんよりわたくしの方が可愛く着こなせますわ!」とか。

 でも猪々子が「きっと麗羽さまはそのままでも十分可愛いから、買う必要がなかったんですって」とフォローを入れてくれ、すかさずお土産としてもらった桃などを差し出したらあっさりと許された。

 

 ……それはそれで解決してくれたんだが、問題は翠だった。

 真っ赤になって、「こんな可愛いの、いくら可愛いことを認めたって着れるもんかぁあ!」って叫んじゃうし、そんな叫びを聞き付けて集まったみんなには散々からかわれるしで、とにかく散々だ。

 最終的には蒲公英に説得されて、一応受け取ってくれた翠。

 いつか着て見せてとは言ってみたものの、それがいつになるのかは俺にも翠にも予想がつけられなかった。帰る前に見たいなぁとは思うものの、どうなることやら。

 ……別れ際に蒲公英が口に手を当てて「にしししし……♪」って笑ってたけど、きっと気にしたら負けなんだと思う。むしろ思っておこう。



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37:蜀/ぶつけ合ってぶつかり合って、友達①

69/ジリジリと、六日間

 

 ───翌日の朝。

 

「おぉおおおおおおっ!!」

「にゃーっ!!」

 

 今日も今日とて鍛錬。

 対面するのは鈴々で、蛇矛相手に上手く立ち回───無理ぃいいい!!

 

(いやいやいやいや無理って言って簡単に諦めるのはだめだ! 相変わらず竜巻みたいな猛攻だけど、よく見ればクセとかが───あれば苦労しないってぇえっ!!)

 

 前略おじいさま。

 昔の戦人というのは素晴らしいですね。

 現代人は格闘の術や技術を得ましたが、それも先人あってのもの。

 でも俺、現代技術よりも目の前の技術(?)のほうが恐ろしいです。

 

「せぇえええいぃっ!!」

「にゃっ! えっへへぇ、軽いのだっ! てやぁーっ!!」

「うわぁあっと!?」

 

 だってこれだもの。

 こちらが素早く振るって攻撃を当てようとしても、軽々と受け止められて、しかも軽いと言われてしまう。

 逆に、振るわれる蛇矛の一撃は、速いくせに重い。それを根性でギリギリで避ける……いや、避けることができた。

 本当にギリギリ、なんとか避けられただけです、はい。

 いつ攻撃を喰らってしまうかを考えると、胃の下あたりがしくしくとしてくるので、出来るだけ考えないようにしながらぶつかる。

 

(ああもう、思いっきり振り切ってるはずなのに、この戻しの速さ……!)

 

 隙が無くて困る。

 反動とかそういうものを完全に無視している。

 なのに、華雄さん相手にやった疲れさせる行動も大して意味を発揮してくれず、むしろ鈴々から踏み込みまくってくるためにこちらのほうが疲れてしまう。

 結局は真正面からのぶつかり合いになるわけだ。

 

(右腕の調子も万全! 体調もすこぶるいい! それでも歯が立たないのはどうしようもないことなんでしょうか!?)

 

 そう思いながらもまいったを唱えず、持てる経験全てを振り絞ってぶつかっている。

 疲れない人なんて居ない。

 居ないはずなのに、目の前の小さな猛将は息切れさえしていないとくる。

 

(“戦場”を実際に駆け抜けた人は、やっぱりすごいな……!)

 

 そんな人とこうしてぶつかり合うことが出来る今に感謝しよう。

 天に居たままじゃあ絶対に体験できなかったことだ。

 

「はっ! ふっ! せいっ! たぁっ! ふっ! だぁああーっ!!」

 

 自分こそ、息切れをしないうちに攻めてゆく。

 もう結構な時間が経っている───と思う。

 目の前の鈴々に集中している所為で、正確な時間経過なんてもう気にしていられない。

 わかることがあるとすれば、そろそろ自分の呼吸は乱れますってことくらいだ。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃーっ!!」

 

 しかし連撃の甲斐もなく、連ねるそれらは重い数撃によってあっさりと崩される。

 まあ、つまりその……返された強撃で手が痺れたといいますか。

 

「にゃーっ!!」

「だわぁあーっ!?」

 

 そこへ振るわれる追撃。

 後ろへ飛んでも逃げられないように大きく横一文字に振るわれるそれを、ならばと真上に跳躍することで避ける。

 鈴々の背が多少なりに低いことが救いになった……けど、着地に合わせて戻ってくる蛇矛をどうしたらいいんでしょうか。

 

「っ───突っ切る!」

「にゃっ!?」

 

 後ろが駄目なら前だ!

 痺れた手に木刀を持ったまま、着地と同時に地面を蹴り弾いての疾駆!

 間合いを詰めるや、魏延さんの時のように腕だけで吹き飛ばされないようにと、まずは鈴々の腕を封じ───くすぐった。

 

「うにゃーはははははは!? ややややめるのだーっ!!」

 

 今度のはもう、力を振るうのが嫌だからとかそんな理由じゃない。

 勝てるイメージが出来ない自分の、せめてもの強がりです。

 

……。

 

 さて……鈴々にもくすぐり返されるっていう、思わぬ反撃を受けてしばらく。

 中庭で笑い疲れて倒れていた俺と鈴々は、綺麗な蒼天を見上げながら呼吸を整えていた。

 

「お兄ちゃんはいっつもくすぐるのだ」

「い、いや、これはな? あ、あー……いや、なんでもない」

 

 “戦場でだって組み伏せられたら終わりなんだぞー”……みたいなことを言おうとしたんだけど、俺が言っても仕方の無いことに思えたからやめた。

 前線で戦ってきた人に軽々しく言うようなことじゃないよな。

 

「けど、やっぱり鈴々は強いな」

「もちろんなのだっ」

 

 視線を動かしてみれば、寝転がりながら胸を張る鈴々。

 八重歯を見せながら、空に向けて“どんなもんだい”って姿で言ってみせた。

 そんな姿が微笑ましくて、気づけば笑っている自分が居た。

 

「よしっ、じゃあ……」

 

 笑いながら起き上がり、今の鈴々の動きを忘れてしまわないうちにイメージする。

 そうしてから頭の中の鈴々と戦ってみるんだが、やっぱり勝てない。

 ……うん、勝てないくらいがいい。その方がもっと頑張らなきゃって気に……なる前に、心が叩き折られそうだなぁ。

 そこはまあ教わる立場として、戦いは簡単じゃないって教訓として受け取ろう。

 

「………」

 

 さらに集中。

 相手のイメージを鈴々から雪蓮に変えて、深く深く呼吸をして───想像の相手との戦いを始める。

 呉を発った日から今日まで、彼女のイメージに勝てたことなんて一度としてない。

 それほど自分にとっての彼女の印象が強すぎたのか、はたまた自分が弱いだけなのか。

 自分が勝つ都合のいいイメージすら未だに想像することすら出来ず、今日もまた挑戦。

 イメージっていうのは案外残酷なもので、それが恐怖として植え込まれていると、自分が上達したって思っても……そんな自分でも勝てないって逆に思い込んでしまい、どうあっても乗り越えられない。

 それは、子供の頃に見た怖い話のイメージに似ている。

 子供心に怖いと感じたものは、のちに出るどれだけ怖いものを見た時よりも鮮明で、昔の怖い話のほうが怖かったと思い込んでしまう。

 これがまた、実際に見てみるとそうでもなかったりするんだが……雪蓮に関しては、そうでもないなんて思えそうにない。

 

(腕を折られたから余計だろうな、このイメージの強さは)

 

 苦笑を漏らしながらも、目の前のイメージに向けて木刀を振るう。

 攻撃は悉く避けられ、なのにこちらは追い詰められるばかり。

 次にこの攻撃が来るはずだと都合のいいイメージを湧かせてみても、その都合のいいイメージごと叩き伏せられる。

 それでも次こそはと何度も何度も立ち向かい、その度に打ちのめされて───

 

「だぁああっ……! 勝てねぇえっ……!!」

 

 ぐったりと、その場に尻餅をついた。

 心から自然と漏れた口調そのままに、勝てねぇと。

 そんな背中に鈴々が背中を預けて、ぐったりと体重をかけてくる。

 もしかして何気に疲れてた? ……あ、違いますか。ただ寄りかかりたかっただけですか。そうだよなぁ。

 

(しっかし……自分のイメージにすら勝てないなんて、どうなってるんだか)

 

 信じられないよなー……みんなはこんな覇気満点の小覇王さんと、それこそ戦場で渡り合ってたっていうんだから。

 

(……違うか)

 

 みんな、同じとまではいかないまでも、これだけの覇気は出せたってことだ。

 それか、それに屈しない精神をきちんと持っていた。

 俺は……まだそこまでには至れていないんだろう。

 実際、我を失ったように攻撃を連ねる雪蓮に恐怖した。

 寒気を感じて、恐怖に足を震わせ、振るわれる攻撃をなんとか捌きながら、なんとか落ち着いてくれるよう願った。

 そんな存在のイメージが相手だ、勝てと言われてハイと勝てるわけもない。

 

「………」

 

 ただ……うん。無駄に胆力は上がったような気がしないでもない。

 自分にとっての苦手な恐怖の対象(イメージ)に立ち向かうには勇気が要る。それを振り切っての鍛錬だ。

 腕はともかく、胆力だけは上がっていると……思いたい。

 べつに年がら年中ヒィヒィ言ってるなんてこと、きっとないよ、うん。無意識じゃなければ、きっと。

 

「よし、と。次は───黄忠さ~んっ、お願いしま~す!」

 

 体を温めるためでもなく、近接鍛錬を終えたところで黄忠さんへと手を振る。もちろん立ち上がってからだ。拍子にこてりと鈴々が倒れたけど、それをひょいと立たせてから改めて手を振る。

 そんな俺を見て、東屋で優雅にお茶を飲んでいた黄忠さんはにこりと笑うと、まるで子供に急かされる親のような“はいはい”って様子でこちらへと……や、そんな“しょうがない子ね”って感じで来られると少し罪悪感が……。

 あ、いや、厳顔さん? 貴女もそんなにこにこ笑顔で来なくても……っていうかこの組み合わせは翠と魏延さんとの一件を思い出すから、出来れば厳顔さんはそのままお茶を……なんて言えるはずないよなぁ。

 

「……? どうかしたの?」

「あ、いえ、なんでも……」

 

 落ち着いた笑顔でゆったりと訊いてくる黄忠さんに、苦笑混じりに返す。

 というか口調がなんだかお母さんです黄忠さん。

 むしろ辿り着くなり頭を撫でるのやめて……って言えない自分は、きっと自分でもいろんな人の頭を撫でてるからなんだと思う。

 ともかく、これから弓の練習だ。ようやく時間がとれたこともあり、黄忠さんも教える気満々で颶鵬(ぐほう)を手にしている。

 お手柔らかに~……なんて言葉は右から左へなんでしょうね。頑張ります。

 

……。

 

 黄忠さんの指から離れた矢が、一瞬にして的に突き刺さった。

 思わずヘンな声が漏れるほどに“的中”だった。

 秋蘭の弓術も見事だけど、黄忠さんのも見事……“矢が的に吸い込まれるような”って表現がよく似合う。

 

「………」

 

 では、と促されたので自分も構えてみる。

 黄忠さんの構えはじっくり見た。

 それを再現するつもりで番い、引き───放つ!

 

「あ」

 

 放たれた矢は、真っ直ぐどころか地面目掛けて飛んだ。

 スピードは速かった……のだが、地面に刺さるだけに終わった。

 あーあーあー……厳顔さんが豪快に笑ってらっしゃるよもぅ……! こんなはずじゃなかったのに……!

 

「力みすぎないで、もっと力を抜いてみてください」

「いや、えっと……力んでるつもりはないんだけど……ん、んんっ……やってみます」

 

 両腕をプラプラさせて、脱力のイメージ。

 最低限、弓を構え弦を引くだけの力だけを引き出して、あとは全て脱力。

 当てる、って“集中力”からも力を抜いて、“当てる”のではなく“届かせる”だけに意識を向かわせる。

 贅沢は言わない。ただ届かせるだけでいい。

 そんな気持ちのままに、引いた弦を───手放した。

 

「………」

 

 矢が風を裂き、やがて───厳顔さんの笑い声が増した。

 

「俺って……弓の才能ないのかなぁあ……」

 

 さすがにちょっとヘコんだ。

 いけると思った時こそ失敗する男でごめんなさい……わざとじゃないんです。

 そしてやっぱり頭を撫でられる。温かい手が俺の頭にあります。

 情けないと思う反面、その暖かさが表現通りに心に暖かい。

 上手くなろう。じゃないと教えてくれる黄忠さんに悪い。

 祭さんとの約束もあるし、こうして教えてくれる人が居るんだから、もっときちんと。

 そうだよ。才能がどうとかより、やろうとするか否かだ。

 桃香に似たようなことを言った俺がこんなのでどうするんだ。

 

「よしっ! 頑張るぞーっ!」

「おーっ! なのだーっ!」

 

 右手を振り上げての掛け声に、鈴々が付き合ってくれた。

 そんな鈴々とともに、あーでもないこーでもないと弓の引き方を学び、失敗する度に黄忠さんに撫でられた。

 ……誓って言うが、撫でられたいから外してるなんてことは絶対にない。

 どうにも飛び道具……氣でも弓でも、飛ばすのが苦手なんじゃあ……と自分でも思えてしまうくらい、放出は苦手っぽかった。

 それでも続ける。

 黄忠さんに“今日はここまで”と言われるまでそれは続いて、朝っぱらから続けていた鍛錬は幕を下ろす。

 気づけば昼の雰囲気を纏った景色に、もうそんな時間かと驚くと同時に鳴る腹の虫。

 「あらあら」と可笑しそうに俺の頭を撫でる黄忠さんに、恥ずかしさを隠すこともなく項垂れた。

 

「んぐむぐはむはぐんぐっ……! はぐんがむぐんぐっ……!!」

「食べ終わったのだ!」

「んぐんぐっ……ぷっは! ごちそうさまっ、今日も美味しかったです! よぅし鈴々、鍛錬の続きだぁっ!!」

「おーなのだー!」

 

 で、厨房で昼食を食い終われば軽い運動がてらに鍛錬。

 体を動かして、三日間休ませる方法は変わっていない。

 それを鈴々と思春に付き合ってもらい、近接鍛錬と遠距離鍛錬、城壁の上を走ったり、氣の鍛錬をしたりをずっとずっと続けている。

 筋肉痛は三日毎の恒例みたいなものだ、もう慣れ……ない。痛いです。

 

「激しく動くから脇腹が痛くなるなら、氣の鍛錬をすればいいんだよな」

「お兄ちゃんお兄ちゃん、またその“ぼくとー”から光を出してほしいのだー!」

「え゛っ……やっ……あ、あれやると動けなくなるからさ……か、勘弁してください」

 

 正直な言葉が素直にぽろりと口に出た。ほんと、勘弁してください。

 

「むー、つまんないのだー……」

「もっと上手くなったらまた見せるよ。こればっかりは独学だと時間がかかりすぎる」

 

 中庭の大きな木の下で、そんな会話をしながら氣の練習。

 もう大分扱いにも慣れてきた。

 ただし放出系は相変わらずだ。気をつけて放ったところで、氣を全部使い果たしてしまうのだ。これをなんとかしたいんだけど、どうにも上手くいってくれない。

 鍛錬終了時には試してみてはいるものの、失敗続きで逆に自信を……無くしても懲りずにやってる俺が居るわけなんだけど。

 

「そういえば桃香は今日……」

「仕事がいっぱいで来れないみたいなのだ」

「……だよなぁ」

 

 七乃に手伝ってもらっているらしいけど、学校が出来る前と後じゃあ仕事の量も桁違い。

 それでもキッと机に向かう桃香は、以前とは違った雰囲気を持っていた。

 はい、気になったんで少しだけ覗きに行きました。魏延さんに見つかったらあらぬ誤解を受けるところだった。

 

「ところで御遣い殿よ。お主先日、民の困り事を解決してまわったらしいな」

「? ああ、厳顔さん」

 

 俺と鈴々と思春以外には誰も居ないと思っていた中庭に届く声。

 見れば、通路側からゆったりと歩いてくる厳顔さん。

 昼食時に一度解散したから、もう来ないかと思ってたのに。

 

「って、また昼間っから酒を……」

「仕事のない平時くらいはこれも無礼講というものだろうよ。堅苦しいことは無しとしてもらいたい。はっはっはっは」

「………」

 

 厳顔さんと趙雲さんって似てるよなー……ただ酒かメンマかの違いだけで。

 

「氣の鍛錬か。中々に精が出る」

「もしかしてもう酔っ払ってますか? 少し口調が揺れてますよ」

「かっかっか、酒を飲んでおいて酔わずに済ますなど馬鹿者のすることぞ。美味く、そして酔えるからこそ酒はいいのだろうに」

「理屈はわかるけど。また無理矢理飲ませたりとか、やめてくださいよ?」

「うん? それをしたのは紫苑であってわしではないぞ?」

「ケタケタ笑いながら、他を巻き込んでたでしょーが」

「はっはっは、なんのことやらわかりませぬな」

「ああもう……」

 

 からかうように敬語になったと思うや、手にしている酒徳利を逆さに酒を飲む。

 ほんとに水代わりだよな……あんなに飲んで気持ち悪くならないのか?

 

「って、もしかしてあの日のこと、きっちり覚えてる?」

「うむ。酒に溺れようとも、記憶を吐き出してしまうほど弱くもない。真名は既に許したのだから、遠慮なぞせず桔梗と呼んでみるがよいわ」

「………」

「ん? ほれ、どうした?」

 

 あの。それって現在進行形で酔っ払ってるから覚えてるとか、そんなことないですよね?

 むしろその笑顔がとっても気になるのですが?

 

「じゃあ……桔梗さん」

「応」

 

 呼んでみればなんということもなく、ニカッと返事をされただけで終わった。

 かと思えば、鈴々と向き合って氣の鍛錬をしていた俺を、自分の方へと胡坐ごと向き直させると、その胡坐へと自分の頭を乗せてまったりと───ってちょっ!? えぇっ!?

 

「げ、げげげ厳顔さっ……じゃなかった、桔梗さん!?」

「桔梗で構わん。堅苦しいのは性に合わん」

「やっ……そういうことじゃなくて……」

 

 なんで膝枕? そう訊きたいんだが、何を訊ねるでもなく桔梗はリラックスタイムへと移行してしまった。

 ……もしかして、以前膝枕したのが気に入った……とか?

 いや……いいんだけどさ。

 せっかくだからと、今まで氣を込めていた手で桔梗の頭を撫でる。

 酒気が抜けるかどうかは別として、もっとリラックス出来るようにと。

 酔っ払いの相手は大変だ。

 大変だけど、べつにそれが嫌ってわけじゃないのなら、自分だってこうしてゆっくりと息を吐ける。

 祭さんの時からそうだった。絡んでさえこなければ、酔っ払いも無害なんだよ……本当に。

 

(こうして見下ろす顔も、思っていたより落ち着いてるし)

 

 豪快であるか、ケタケタ笑っているかの印象ばかりがあるためか、こうして力を抜いた状態の桔梗さ……桔梗は珍しく思える。

 そういえば以前膝枕した時は、どうも硬くなっていたためか……こんなに落ち着いた表情は見れなかった。

 そう考えると、少しだけ得をしたような気分にもなり、いつしか苦笑をもらす自分。

 

(………)

 

 ふと、考えないようにしていたことを考えてしまった。

 恩返しをしたいのは、なにもじいちゃんだけじゃなく……親にだって返したいものがたくさんある。

 自分は母さんにこんなふうに、リラックスさせてあげたことがあっただろうか。

 父さんに、立派になったなんて思わせることが出来ただろうか。

 そんな、ここで考えても絶対に届きやしないことを、静かに考えた。考えてしまった。

 

(でも……)

 

 どうしてかな。

 桃香と話すことで自分にも覚悟が湧いたのかどうなのか。

 親に返していないものがあるのなら、今ここで自分を磨いて……戻った時にこそきちんと返そうって、そう思えた。

 それがいつになるのかなんてことは、一生かかったってわかりそうもないけど。

 でも……そうさ。生きていればまたいつか会える。

 そう信じていなきゃ、それこそ親不孝だろ?

 自分は過去に飛んで、その場で骨をうずめるつもりだからさようならなんて、笑えない。

 笑えないから……受けた恩はいつか必ず返すことを、今この場で……何度だって誓おう。

 果たせないから誓わないんじゃなく、果たしてみせると心に決めたからこそ。

 

「………」

「……これは随分と氣が穏やかになったものだのぅ」

「っと、ごめん。気が散っちゃいました?」

「気にするほどのことでもない。それよりも堅苦しいのは好かんというのに……敬語もよしてもらおう、普通に話してくれて構わん」

「……そっか。うん、了解」

 

 なんか祭さんみたいだー……なんて思いながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 足を桔梗に、背中には鈴々が再び寄りかかり、動けない状態に。

 あの……なんですかこの状況。

 

「じゃあええと、話を戻すけど……気が散っちゃったか?」

「いや。氣が揺れていたから注意しようとしたのだがなぁ、己で解決したのか嫌なことを思い出していただけなのか、すっかり心地の良い氣に変わってくれた。はっはっは、出来れば揺れることなくこのままで居てほしいものだが」

「……そんなにひどかった?」

「応さ。まるで荒野に投げ出された孺子のようだったわ」

 

 なるほど、それはひどそうだ。

 初めてこの世界に落ちた時も、華琳に拾われるまではそんな顔をしていたに違いない。

 

「自分じゃあわからないもんだなぁ……」

 

 言いながら、深く息を吐いてみる。自分の中にある重い空気を吐き出すように。

 そうしてから、鈴々に寄りかかられながらも空を見上げた。

 ……綺麗な蒼が、変わらずそこにあった。

 

「桔梗は空の蒼は好きか? ……っていうかさ、呉でも祭さんをさん付けて呼んでたから、物凄く違和感を感じるんだけど……戻しちゃだめ? 出来れば敬語で……」

「断らせてもらおう」

「うぅ……」

 

 堅苦しいのがそんなに嫌いなのか。過去になにかあったっていうのなら、仕方ないのかもしれないが……うう。

 目上の人に対してそんなふうに振舞うの、じいちゃんの影響もあって苦手なのに。

 呉の親父たちの時は、相手が相手だったからいろいろと砕けることも出来たけどさ。

 

「じゃあそのままでいくけど……桔梗は空の蒼は好きか?」

「ふむ……その時の気分にもよるが、曇天よりはましというもの。好きでもなければ嫌いでもない……と言いたいところではあるが、雨の日よりも晴れの日のほうが酒は美味い」

「や、酒の話じゃなくて」

 

 頭を撫でながら見下ろし、そんな会話を楽しむ。

 されたツッコミも笑みに変えて、かっかっかと笑う桔梗は目を開け、空の蒼を見つめた。

 仰ぐまでもなく目にするそれを、どんな気分で見上げているのだろうか……そう思いながら、俺も再び空を仰ぐ。

 昼の空が、そこにあった。

 

「たまに……空を見るとさ」

「うん……? うむ……」

「あっちのこと、思い出すんだ」

「………………そうか」

 

 眺める景色が違っていても、見上げる空はきっと変わらない。

 蒼はそこにあり、朱がそこにあり、黒がそこにあって……白む空もそこにある。

 だから、この空だけは天に続いているんじゃないか、なんてことを思う。

 電線だらけで見れたものじゃなかったけど、電線を越えてしまえばあるのは空だけ。

 同じだからこそ、あの日教室から空を見上げたんじゃないかって、今でも思う。

 

「寂しいか? 御遣い殿よ」

「……そうだなぁ、きっと寂しい。今はやりたいことがいっぱいあるから誤魔化せてるんだろうけど、ふぅって……息を吐いたらさ、いろいろなものが零れ落ちそうで怖いんだ」

「それはここでは埋められん寂しさか?」

「………」

 

 見上げる視線と見下ろす視線が交じる。

 俺はその質問にどう答えるべきかを探ろうとして……すぐにやめた。

 

「覚悟はもう出来てる。この地に骨を埋めることになっても、家族を泣かすことになっても、せめて自分は出来るだけ悔いの残らない生を歩く。絶対に悔いを残さない生き方なんて、今の時点で“絶対に無理だ”ってわかってるからさ。親不孝どころか家族不幸だけど……今は自分に出来る精一杯をやっていこうって思ってる」

「…………応」

 

 桔梗は俺の答えに、笑みと頷きを以って返してくれた。

 “応”以外の言葉もなく、そのまま吹く風に身を委ねるように目を閉じると……一言だけ。

 

「……悔いが残る。お主が蜀に降りていたのなら、また違った“今”を見ることが出来ただろうに……」

 

 そう呟いて、やがて……少しもしないうちに寝息が聞こえる。

 

「…………」

 

 目を見て話すために下ろしていた視線を、もう一度空へ。

 どうもだめだな、なんて考えながらも……自分は元気にやっていますと空に届けた。

 

「さて、そろそろ鍛錬を再開……───どうしよう」

 

 考えてみれば桔梗が膝枕で寝たままだ。背中には鈴々だし。

 桔梗を起こして鍛錬……って状況でもないような、あるような。

 いや、せっかくの三日ごとの鍛錬だ、ここで妥協するのはなんだかもったいない。

 

「よし鈴々、続きをしようっ!」

「ん、んぐ……わ……ふぁひゅ……わかった……のだー……」

 

 ……あの。もしかして寝てました?

 背中預けて寝てました?

 

「………」

 

 でも、確かにいい天気。

 こんな暖かな日は眠りたくもなる……いやいやいや、だめだだめだめ、鍛錬鍛錬っ。

 誘惑に負けちゃいけません、せっかくの時間なんだ、有意義に───

 

「んんっ……うにゃー……っ!!」

「へっ?」

 

 鈴々が伸びをした。

 ただし、俺に体重をかけるように……むしろ俺の背中に自分の背中を乗っけるような感じでぐぅうっと。

 寝てしまおうかなんて気を抜いてしまっていた俺にとって、それはとんだ不意打ちで。

 かくんと前傾するままに───

 

「ふぐっ!?」

「……んん? むぐっ!?」

 

 押されるままに、唇と唇がぶつかった。

 一瞬、頭の中が真っ白になり、“ア、コレヤバイ”と本能が叫びそうになった矢先、どごーんと重いなにかの落ちる音。

 慌てて背中の鈴々を押しのけるように顔をあげると……視線の先に、金棒を落として呆然と立ち竦みつつも俺を見る魏延さん。

 それとはべつに、あらあらと頬に手を当てて微笑んでいる黄忠さん。

 

 

  ……前略、華琳様。

 

  ごめんなさい。北郷一刀は今度こそ死ぬかもしれません。



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37:蜀/ぶつけ合ってぶつかり合って、友達②

70/誤解。誤って解すること。一応“解っちゃってる”だけに性質が悪い。

 

 で……これである。

 

「きぃいいいっさまぁあああああああっ!! 酒で桔梗様を酔わせ、前後不覚になったところを襲うなど!! やはり貴様はワタシが想像していた通りの……いいや! それ以上のクズだ!!」

「い、いやっ……わざとじゃっ……ていうか俺はむしろ、酒のことは注意しようと……!」

 

 “怒り心頭に発する”って言葉がこうも似合う状況は、そうないと思う。

 始まった一週間の、たった二日目から鬼を前にした気分を、現在進行形で味わっている。

 鈴々に押されたからとはいえ、寝ている人にキスをしてしまったのは事実であり、そんなことを理由に詰め寄られればまあ……こうなるわけで。

 問答無用で突き飛ばされてから縛り上げられ、大木に括り付けられた。

 魏延さんは拳をわなわなと震わせ、いつ殴ってきてもおかしくない状態。

 黄忠さんが止めてくれてるんだけど右から左へ、今は怒声を発しているだけで済んでるけど、いざとなったら一発二発は覚悟しないと……だめ、だよなぁ。

 

「焔耶ちゃんも見ていたでしょう? 鈴々ちゃんが伸びをした所為でああなってしまったのを」

「いいや! この男はそんな状況をこれは好機と狙ったに違いない! でなければ押されることに抵抗のひとつも出来たはずだ!」

「邪なことを考えての行動を、桔梗が察知できないと……焔耶ちゃんは本当に思っているの?」

「うっ……い、いや、それはしかし……っ! それは桔梗様が寝ていたからで!」

「たわけが、寝込みを襲われるほどの未熟とわしを驕るか」

「い、いえっ……けしてそういうわけではっ……」

「………」

 

 そして罪悪感。

 キスしてしまったのは確かだし、気をつけていれば背中を押された瞬間に抵抗も出来たはずなのだ。

 それが出来なかったのは、まあその……いろいろと考えていたからで。

 気を張っていなかった俺が悪いといえば悪いんだけど、ここで謝るのは違う気がした。

 

「……いい機会だ。焔耶よ、お主も一度腹を割り、御遣い殿と話してみよ。お主が思うほどの見境無しの最低男かを、誰の存在も割り込まさずに己が目だけで判断しろ」

「ワ……ワタシの目で……?」

「おうよ。わしのことも桃香様のことも頭に入れず、己の目だけでだ。思考や発言に他の者を混ぜず、真正面から御遣い殿を知ってみよ。お主はどうも、他の者の反応を過剰に受け取り影響されるきらいがある。それを抑えて話してみよと言っておる」

「……こんな男に、知るべき部分など、え? あ、ゎ、んきゃうっ!?」

「それを探せと言っておるのだこのたわけっ!」

「う、うー……」

 

 拳骨一閃、痛がる魏延さんをどっかと俺の前に座らせ、自分はその斜め横にどっかと座る。そんな桔梗と対面して黄忠さんが座り、妙な四角形座談会が開催された。ちなみに鈴々は黄忠さんの膝の上に座り、思春は俺の傍に立っている。

 ……ええはい、俺は縛られたままです。なんだか俺ってこんなんばっかだなー……とか遠い目をしつつ、視線を戻して魏延さんと向き合う。

 

「……桔梗様はどうかしている。こんな男の何を知れと……」

「聞こえておるぞ」

「聞こえるように言いましたから」

 

 つまりそれほどまでに知る価値無しですか、俺。

 

「あらあら……でもね、焔耶ちゃん。貴女は理由があるからこの子のことが嫌いなんでしょう?」

 

 この子!? ……あ、ああうん……いや、いいんですけどね……?

 

「当然です。ワタシはここまでだらしのない男を見たことがない。聞けば魏の将全員に手を出し、呉でも女たらしの限りを尽くし、ここ蜀においてはあろうことか桃香さまの甘える場所になっておきながら、見ていて痛々しいほどの無茶を鍛錬だと口にし仕掛けるばかりで……!」

「はい、そこで一旦考えるのをやめてみて?」

「は? あ、え……?」

「おう。考えることをやめたら、次はそこから他の者の考えなどを度外してみぃ」

「度外? ……そんなことになんの意味が……」

「いいからやれと言っておる」

「は、はぁ……」

 

 魏延さんが難しい顔をしながら、腕を組んでぶつぶつと呟き始める。

 どんな想像されてるんだろ……物凄く気になる。

 

「それが出来たら、その状態のままの御遣い殿の在り方を口に出して言ってみぃ」

「口に出して……女たらしだが、民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者です」

「うふふっ……よく出来ました。それじゃあ焔耶ちゃん、その考えのまま、貴女がこの子を嫌う理由を探してみて?」

「それはこの男が桃香さまをっ───!」

「お主の怒りに桃香さまは関係ないだろう。度外しろと言うたろうが」

「うぐっ……う、ぅうう……!」

 

 いや……魏延さん? そこで俺を睨まれても。

 

「よいか焔耶よ。わしはお主に“己が目で見よ”と言っておるのだ。誰かの怒りに触発されて怒り続けるは愚考ぞ。主の怒りにともに怒るは忠誠やもしれぬが、お主のそれはあまりに一方的。怒る主人がこの国の何処におる」

「し、しかし桔梗さまっ! 桃香さまはお優しいお方! 許すと口で言おうと、心では!」

「口を慎め焔耶っ! お主が主人と認めた者は、敗れども民が王と信ずる桃香さまは、そこまで御心の狭い王かっ!!」

「!! っ……しかしっ……それでもワタシは……!」

「…………ん、んんっ! ……えっと。魏延さんに正面から訊いてみたかったんだけどさ」

「───!」

 

 緊張のためか口に溜まった粘っこい唾液を飲み込み、口を開いた……ら、睨まれた。予想通りだったからこのまま質問しよう……“睨まないで”とか口にしたら、話が滅茶苦茶になる。

 

「魏延さんは俺の何がそんなに嫌いなんだ? もし直せるものなら───」

「貴様という存在全てが癪に障る。直してみろ」

 

 俺の存在全否定!?

 

「えやっ、や、ぁああ……あの……死にますよね? 直したら死んじゃいますよね俺……っ!」

「焔耶ちゃん、その全てというのは、この子の全てを知った上での言葉?」

「………」

「いやあの黄忠さん、話の腰を折って悪いんですがその、“この子”って言うの、出来れば……やめてほしいなって」

「あら……ふふ、それじゃあ一刀ちゃんで」

「ちゃんはやめません!? 一刀! 一刀でいいですから!」

「だったら、わたくしのこともきちんと真名で呼ばないと、納得しませんよ?」

 

 穏やかな笑みで、「めっ」と頭をコツンと小突かれた。わざわざ立って、木に縛りつけられている俺の傍に寄ってまで。

 ……ほんとに子供扱いだ。

 

「じゃ、じゃあ……紫苑さん」

「………………うふふふふふふ……♪」

「いやっ! ちょっ! なななんで撫でるんですか!?」

 

 そんな、よく出来ましたみたいな笑顔で撫でられてもっ……俺何歳児に見られてるんだ? ていうか今横で、ぶふって……思春が居る筈の方向から、吹き出すようなぶふって音が……! わ、笑った? 思春、キミ今笑った?

 

「紫苑、です。敬語も無しで」

「や、やっ……けどそれはっ!」

「~♪」

「やっ、あっ……あああもうわかったわかりましたから頭撫でるのやめてくださっ……くれってば! しっ……しししし紫苑っ! これっ……これでいいだろっ!?」

「ふふっ……はい、よく出来ました」

 

 でもやっぱり撫でられた。

 もう好きにしてください……どうせ逃げられないし。

 

「……あのさ、紫苑。もしかして男の子が欲しかったりした……?」

「うふふ……ここに居るのは女の子ばっかりですからね。一刀さんみたいな素直な子が居てくれてると、つい構いたくなってしまって……」

 

 その結果がこの頭撫でですか……。

 い、いや……うん、まあその、正直に言えば心地良いんだけどね……? 素直に甘えられないお年頃といいますか……なんか、複雑。

 

「……こっちの暢気な話は置いておくとして。どうなのだ焔耶よ。御遣い殿の全てを知った上で、なお嫌うと言うか」

「それは……」

「桃香さまのことが無ければさして嫌う理由もないというのに、お主の言うところの“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”を嫌うとぬかすか?」

「………」

「今一度よく考えてみぃ。桃香様に言われた通り、“見ていた”お主ならば自分の答えくらい出せるだろう」

「………」

「それともなにか? まだ桃香さまがどうだだの、“他人”を盾に自分の言葉を隠すか?」

 

 ……あ。

 そっか、今の魏延さんって───と、理解に至った途端、紫苑が自分の口に人差し指を当てながら微笑み、俺の頭を撫で……ってだからやめてくださいぃ……。

 

(同属嫌悪みたいなものだったりした……のかな)

 

 お互い自分がそんなだとは知らなかったとしても、何処かでおかしいって思っているからこそ、鏡を見ているような気分になるのが嫌で───

 

「焔耶よ……戦はもう終わった。主の理想を叶えるべく奮起する理由も、そうあるものでもない。桃香さまもご自分の道を歩み始めておるだろう。お主はいつまで己の主張を桃香さまのものだと言い、振り翳すつもりだ」

「桔梗さまはワタシのこの感情は、あくまでワタシのものではないと……そう仰るのですね」

「違うというのであれば示してみせぃ。他者を抜きにし、己の考えだけで御遣い殿を見て。その上で嫌う理由を聞かせてみるがよいわ」

「………」

 

 その言葉をきっかけに、沈黙が始まった。

 誰も口を開くことなく、ただただひたすらに静かな時間だけが過ぎてゆく。

 ちらりと見れば鈴々は紫苑の膝の上で眠りこけていて、思春も俺が縛られている大木に背を預けながら立ち、話が終わるのを静かに待っていた。

 ……それから、ややあって。

 

「───そうだ! 女たらしだからです!」

 

 第一発言がそれでした。穴があったら入りたいです。

 

「女たらしか。ならばお主にのみ御遣い殿の気が向けば、解決するとでも言うのか?」

「なっ……有り得ません!!」

「ならば、理由にはならんな」

「くっ……」

 

 第一発言はあっさりと流された。

 しかしこう……なんだろう。

 改めて訊いている場面をこうして見ていると───なんというか、魏延さんは……。

 

「戦いの腕が未熟───」

「ほお? お主は御遣い殿に一度負けておるだろう? お主はそれ以下か」

「くっ! でしたら! 魏では仕事をさぼることが幾度もあったと! そんな輩を───」

「なるほど? 魏でのさぼりか。……では訊くがな焔耶よ。この国での御遣い殿はどうだったのだ? お主は御遣い殿の何を見て何を感じ、“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”と口にした?」

「……っ……それはっ……」

 

 言葉に詰まり、視線を彷徨わせる魏延さん。

 ……難しいよなぁ。自分が間違ってないって思っているなら、なおさらなんだよこの考え方。

 俺だって結局は……呉のみんなの言葉を散々と拒否してしまってから気づいた。

 もっと早く気づいていれば、自分の言葉を届けられたっていうのに。

 

「お主の考え、お主の言葉で返してみせい。それが出来ぬのであれば、お主に御遣い殿をどうこう言う資格はない」

「なっ……! こんな男に発言することに、何故資格云々の話が出るのですか!?」

「簡単なことよ。御遣い殿はな、お主が思い悩み、見い出せないでいることを己が思考で乗り越えた。そしてお主はそれが出来ずにおる。資格云々の必要性なぞ、それだけのことぞ」

「…………っ」

 

 ……で、何故か俺が睨まれる。

 ていうか桔梗? いったい誰から聞いて……なんか誰かさんがメンマ片手に話題として使ってる場面が簡単にイメージ出来た。もういいです。

 

「いい加減桃香さま離れをしろと言っておる。忠義を無くせと言うつもりはないが、御遣い殿が来てからのお主はちぃとそれが行き過ぎておる」

「それはこの男が桃香さまの肌を覗いた破廉恥極まりない存在だからです!!」

「そら、それよ。桃香さまが許しているというのに、いつまでお主がそれを引きずる。桃香さまがそれを望んでいるか? ならば幾度、お主にもう許したことだと説明した?」

「───……、……それはっ……そ、それは……それは……」

 

 声が弱々しくなっていく。

 彷徨わせていた視線もいつしか彷徨わせる力すら失ったように、地面だけを見つめて。

 やがて何かに気づいたようにハッと顔を持ち上げると……その顔は、迷子の子供のような表情をしていた。

 

「え…………え……? ならばワタシは……ワタシ、は……桃香さまのためと口にしながら、その実迷惑のみをかけて……?」

 

 それはやがて泣き顔にも似た表情となり、震える視線は再び地面へと下ろされる。

 思考が行き詰まってしまい、自分にとっての動きやすい理由が出せなくなってしまったのだろう。全てを理解する、なんてことは無理だけど……その辛さはわかるつもりだ。

 誰かの理想を盾にして歩く道、国の在り方を盾に歩く道、自分はこうありたいと思っていても、それは結局他人の理想でしかない道。そういった道の中で、“本当の自分”が持つ理想が挫かれない道ほど、安心して進める道はないのだろう。

 それがどこまでも無意識だろうと主の意に()ってなかろうと、大儀だと信じていれば救われたのだ。

 

  ……いつか、魏のためにと謳いながらも、自分の言葉を発さなかった自分のように。

 

 でも……それこそいつかは選ばなきゃいけない。

 誰かの理想を叶え続けるのがいけないっていうんじゃない。それが、自分の本当の理想でない理由なんてどこにもないんだから。

 ただ───

 

「全てが迷惑だなどと言える理由も存在せんよ。だが、お主のは行きすぎていた。主のためと思うあまりに自分自身としての考え方まで殺し、だというのに桃香さまの言葉も自分の都合のいいように受け取り、行動する。生き方を知らぬ幼子でもあるまいに、こうでなければならないと必死に信じ込み……似たようなことで悩んでいた御遣い殿を否定することで、自分が正しいとさらに信じ込もうとする。……わしにはここ最近のお主の様がそのように見えて仕方がなかった」

「あ……」

 

 そう。

 さっきから気になっていた。

 改まって問いただしてみれば、魏延さんは必死になって俺の悪いところだけを探そうとしていた。

 “嫌う理由は”と問われたからには当然なのかもしれないが、見つからなくても見つけなければ、いつか自分が───

 

(ああ、そっか。そうなんだ)

 

 魏延さんの立場になって考えてみた。

 すると、静かに答えに誘われた気がした。

 そうしてから改めて紫苑を見ると、穏やかな笑みで頷き、頭を撫でていた手を静かに引いた。

 心でも読めるのかな、なんて考えが浮かんだけれど……そうだよな。親って存在は、経験不足な自分たちが思うよりも周りを見ているものなんだろう。

 じゃあ……言葉を届けよう。

 行きすぎていたかもしれないけど、間違いばかりじゃなかったのだと。

 だって、そうじゃなかったらあの時、“力を示せ”なんて言わなかったはずだ。

 それさえも行き過ぎた行動の果てだったんだとしても、何度だってやり直せばいい。

 ……悪だと睨まれる対象が俺であり続けるなら、きっと何度だって許せるんだから。

 

「魏延さん、キミは───」

「すまんな御遣い殿、今は口を挟まんでくれ」

「───エ? あ、うん」

「………」

「………」

「………」

「………あれ?」

 

 許す以前の問題だった。

 え? あ、いやあの……あれ!? あれぇ!?

 

「あ、あらあら……桔梗? ここは───」

「紫苑も口を挟まんでくれ。こやつとは長い付き合いだ、己の頭のみで理解してもらいたいものもある」

「そ、そう? でもね、桔梗」

「あ、紫苑……いい、いいから」

 

 困り顔で説得を試みる紫苑を止める。

 他人からの答えや甘言が欲しいんじゃなく、自分で導き出した答えじゃなければいけない時があって、今がきっとそれなんだろう。

 桔梗には桔梗の考えがあるし、付き合いが長いのならそうであってほしいって願う気持ちも大きいのかもしれない。

 ……多分、それは紫苑も。

 でも、出鼻を挫かれた気分で少しだけショックだった。

 

「……ねぇ思春、無言で肩を叩かなくていいからさ……縄、解いてくれないかな……」

 

 シリアスな空間の中、自分だけが場違いな空間に投げ出された気分を味わった。

 いいさ。こんな恥ずかしさが、魏延さんが自分の言葉を思い出すために必要なら、いくらだって受け入れてやる。

 それが叶うなら、俺の恥ずかしさなんてどうってことない。どうってことないからやめて思春。こんな時だけやさしくしないで。

 

「…………桔梗さま。ワタシは間違っていましたか?」

「わしの言葉ではなく、お主自身はどう思っているのだ焔耶よ」

「ワタシは……間違っていたとは思えません。主の願いを叶えるのは臣下の誉れ。たとえ桃香さまに迷惑がられたとしても、ワタシはきっと同じことを───」

「ならばもし、その願いとやらを御遣い殿が叶えたとしたらどうする。魏ではなく蜀に降り、蜀の御遣いとして桃香さまの願いを叶えたとしたら。お主はそれを良しと、誉れとして見れるか?」

「っ……それは……」

「焔耶よ。よもやわからんわけでもあるまい? それは忠誠でも誉れでもなく、単なるお主の嫉妬よ。子が母に構ってほしくて我が侭言(わがままごと)を喚き散らす……お主のはまさにそれよ」

「しっ……嫉妬!? ワタシが、こんな男に!?」

「ほお? お主の言うこんな男とは、“民に好かれ民を思い、己の練磨も忘れぬ者”を指すのか。いちいち行動の悉くが桃香さまに似ていると、自分で言った者を指すのか。ならばお主が認める理想の男の像とはどういったものだ?」

「い、いえ……それは……」

 

 思春が無言で縄を解いてくれている最中も、話は続いた。

 ああ言えばこう返されるばかりで、魏延さんは口ごもりを繰り返す。

 それでも納得が出来ず、やっぱり“当たり所”を探しては、それを俺に固定して否定を繰り返す。

 そんな魏延さんを相手に、桔梗は辛抱強く会話を繰り返し……繰り返し……くり……っ……あ、嫌な予感がっ……! 話がループしだして、桔梗の肩がわなわな震えてきて───

 

「っ……~……いい加減にせんかこの馬鹿者がぁあああっ!!」

『うひぃいいいっ!?』

 

 ───爆発した。

 その迫力に思わず、目の前の魏延さんだけじゃなく俺まで身を竦ませてしまい、同時に叫んでいた。

 

「よーぅわかった! わからず屋だとは思うたがこうまで馬鹿とはさすがに呆れたわ! 立てぃ! その性根を今この場で叩き直してくれようぞ!!」

「なっ……し、しかし桔梗さま!」

「黙らんか! ぐちぐちと言い訳ばかりを吐き出す口を持ちおって! 早う立てい!」

「は、はいっ!」

「ほれ! 御遣い殿もだ!」

「は、はいぃっ! ───……エ?」

 

 あの、勢いで立っちゃったけど……あれ? 俺も?

 

「あ……あぁあああの、桔梗サン……!? なななんで俺まで……!?」

「うん? 元を正せばお主と焔耶の問題であろうが、何をいまさら」

「えぇっ!? い、いまさらって……やっ、でもっ! さっきは口を挟むなって……!」

「問答無用! 似た者同士、わしがしごき倒してくれるわ!」

「いたっ! いたたたたっ! きき桔梗さまっ! 耳はっ!」

「あだぁーだだだだっ!? ちょっ、ききょっ……あ、あぁああっ……! ななななんで俺までぇええーっ!!」

 

 耳を掴まれ、引きずられていく人間二人。

 どれだけ抵抗しても逆らえず、結局は大木から離れた場所で桔梗を前に構えることになり……その後、俺と魏延さんは苛立ち満点の桔梗の手で散々と叩き直された。

 こんなことなら、木に縛り付けられたままの方がよかったかも……。

 しかし鍛錬と思えば……! た、鍛錬と……お、おもっ……たすけてー!!

 

……。

 

 桔梗のしごきは夕刻に至るまで続いた。

 いくら今日が鍛錬の日だとしても、普段の鍛錬でもしないくらいの本気のしごき。

 体は既にくたくたってくらいに疲れ果て、そんな状態の俺と魏延さんは仰向けに倒れながら、正面になっている空を見つめていた。

 もはや桔梗、紫苑、思春や鈴々の姿もなく、ここに居る二人だけが、朱の空を見つめていた。

 

「…………北郷一刀」

「ん……うん?」

「貴様は答えを出せたと聞いたが……今でもそれを守れているか? 自分の言葉で、自分の考えで動けているか?」

「…………」

 

 言われてみて、じっくりと考えてみる。

 魏を言い訳にするのはやめた。

 自分の考えは確かに持っていて、それを叶えたいとも思っている。

 

「えぇっと……守れているかは、実のところわからないんだよな。誰かが守れているぞって言ってくれるわけでもないしさ、自分の言葉で動くっていうのはとっても勇気がいる行動だからさ。間違ってないかなって思うたびに怖くなって、それでも前を向かなきゃいけなくて……でもさ」

「でも……? なんだ」

「……ん。そんな不安や怖さと戦いながら、王として前を向いた人たちを知ってる。民や兵や将の不安を受けながらも、それでも笑顔であったり凜とした表情であったり、弱さを見せようとしなかった王を知ってる。そう思うとさ、こんなのじゃ足りない、もっと頑張らなきゃって思える。勇気を貰える」

「勇気を……?」

「ん。勇気を」

 

 不安に思うことなんて山ほどある。

 こうして一人、呉や蜀を回ること、傍には魏の仲間が居ないこと、自分の行動で誰かが傷つきやしないかと怖くなること。

 思春のことだって、そもそもが俺が無茶をした所為だった。結果はついてきてくれたけど、そうならなかった時を思うと今でも怖い。

 “そういった不安”を抱えながらも進めるのは、“そういった理由”や勇気があるから。

 

「本当に正しいことなんて、きっと誰も知らない。俺だったら余計に知らないし、怖いよ。答えを見つけられたからって、それが全て正しいんだとも思えないしさ。人には一人一人の見解ってものがあって、誰かにそれを知ってもらうには説得力が必要で。俺がそれを示すには、話し合うかぶつかっていって知ってもらうしかなくて……」

「………」

「話し合って、手を伸ばして、手が繋がれて……受け取ってもらえたらさ。なんか……なんかこう、すごく……嬉しいんだ。それが仕方ないなって妥協でもいい、とりあえずはって繋がれた手でもよくて……それで構わなくて。あとになってそれでよかったのかなって不安になるくらい、やすい信頼だったとしてもさ。ただ、知ろうとしてくれたことがあんなにも嬉しい。そんな温かさを知ったらさ───」

「なっ!? き、貴様───!」

 

 手を伸ばし、倒れた状態のままに魏延さんの手を握る。

 あの日、力を示した日の夜に、伸ばそうとしたけれども繋がれなかった手を。

 そうして、こちらに向けられた怒りと焦りを混ぜた視線を見つめ返し、真っ直ぐに届ける。

 

「───もう、自分に嘘はつけなかったよ」

「───……あ……」

 

 そうだ。

 自分が誰かの理想を眩しく思ったように、誰かもまた誰かに期待する。

 大きすぎる期待に応えようとして、頑張れば頑張るほど空振りする人や、押し潰されてしまう人なんてたくさん居るだろう。

 それでも嘘だけはつきたくないと思ったんだ。

 いつか潰されてしまうのだとしても、それが、高すぎる理想にまで届かない理想なのだとしても───自分の言葉が誰かに届く温かさを知っている。

 自分の言葉を聞いて、頷いてくれた時の嬉しさを知っている。

 そんな笑顔をもっと見たいと思った。期待に応えたいと思った。積み上げてきた様々な思いを叶えてみたいって思った。

 道のりがゆるやかじゃないことくらい、口にする前からわかっていることだ。なにせ、一歩目から刺されてしまうような、情けない自分が歩く道だ。

 それでも前を向こうって思えたのは、それが自分の口から出た自分の思いだったからに違いない。

 他人の理想を盾に生きて、他人の理想を諦めるのは簡単だから。

 自分の理想が傷つかなくて済むから、どうしてもそこへ逃げてしまう。

 だから何度も覚悟を決めて、胸をノックした数だけ前を向いて、何度だって夢を見る。

 軽口で嘘はついても、冗談に頬を緩ませて笑おうとも、自分の理想を裏切るような嘘はつかずに生きていきたいから。

 

「魏延さん、魏延さんはこの国をどんな国にしたい?」

「どんな? 決まっている、桃香さまが目指す理想の国だ」

「それが、“魏延さん”の理想? 臣下としてでなく友達としての、魏延さんの理想?」

「……何が言いたい」

「桔梗も言ってたけどさ。どれだけ眩しい理想を見ても、自分の言葉……自分の理想は捨てないでほしいんだ。誰かの理想の片隅に置くのだって構わない。桃香の理想と一緒に自分の理想も目指さないと、きっと桃香は喜んでくれないと思う」

「………」

「桃香も雪蓮も、華琳だって、今はみんなが笑顔になれる国を望んでる。それは王や将や兵だけが汗水流して作り上げて、民だけが笑顔の国じゃない。みんなが笑顔になれる国だよ」

「……、……」

「俺は……自分の理想を諦めた人が、本当に心の底から笑顔になるのは難しいって思う。桃香はさ、そんな人が自分の理想の先でぎこちなく笑うのを喜ばないんじゃないかな」

「……では貴様は、ワタシの理想を桃香さまに背負わせろと……そう言うのか?」

「桃香一人が背負うんじゃなくてさ、みんなで一緒に持っていくんだよ。だって……重荷じゃなくて宝だもん。宝は、大事に抱えるものだろ?」

「っ───」

 

 小さく息を飲む音。

 途端にぎゅうっと、握った手が握り返される。

 素直に痛かったけど、すぅっと深呼吸をすると握り返した。

 

「みんなの理想を少しずつでも混ぜた、いい国にしよう? 戻らない思いもいくつもある今だけど、あいつらが見たら絶対に笑ってくれるような、温かい国にさ。そのためには……“誰かが一人だけで頑張る”じゃあ絶対にだめなんだ。だから───」

「……桃香さまは……笑ってくれるか……? ワタシの理想も、宝だと受け取ってくれるか……?」

 

 魏延さんの質問に、一瞬きょとんとして……でも、そんな呆けを抜くように小さく笑って、届けた。

 だってその言葉は……紛れもない、魏延さんの言葉だったから。

 

「当たり前。そんな理想を叶えるために、桃香は今頑張ってるんだから」

「…………そうか。そうか……───そうか、……そう、かぁ……」

 

 小さく、少しだけ耳に届いた嗚咽。

 何を思って嗚咽を漏らしたのかなんて、きっと口にするだけ野暮だ。

 自分の言葉を受け取って、理解してもらえる喜びは、きっと何処にでもあるんだから。

 

「………」

 

 繋がれた手は離れない。

 視線を正面に戻して、空を眺めた。

 ただ俺は───彼女の気が済むまでずっとずっとそのままで、傍に居た。

 

……。

 

 で……とっぷりと夜。

 

「うぅううおおおおおおおおっ!!」

「でぇえやぁああああっ!!」

 

 中庭の暗がりに、一対の叫びと衝突音。

 あれから少しして目を拭った彼女に誘われ、今は鍛錬の続き……じゃなかったりする。

 

「そもそも貴様がへらへらとだらしのない顔で桃香さまに近づくから! ワタシが桔梗さまに説教をくらったのは貴様が原因だ!」

「それはただの八つ当たりだろっ!? 大体だらしのないとか近づくとかっ! 自分だって桃香の傍に居る時の自分の顔、見たことあんのかこのっ!」

「んなぁっ!? きき貴様まさかこの魏文長が、そのような締まりのない顔をしているとでも───!」

「してる! 思いっきりしてる!」

「ぐはっ!? ~……出任せを言うなぁあああっ!!」

 

 お互い、この際だから言える不満は言い合おうってことで、武器を手に割りと本気でぶつかっている最中。これが意外なもので、自分が思っている以上に相手への言葉は出てくる一方で、治まる場所を見失ったみたいに、口調も気にしない言い合いは続いていた。

 “焔耶”もそんな調子らしく、口からはぼろぼろと不満を出してはいるものの、顔は笑っていた。……まあ、きっと俺も。

 

「不満ばっかりのくせに真名を許したのは何処のどいつだぁっ!」

「今ここに居るワタシだ! 不満など腐るほどあるが、ワタシの言葉では貴様を嫌う言葉が出てこないんだから仕方がないだろう!」

「俺だって不満はいっぱいあるけどっ! 嫌いだって思ったことなんてきっとないっ!」

 

 叫びながら攻撃。叫びながら受け、叫びながら避ける。

 そんなことを何度も何度も繰り返し、やがてぜーぜーと息を乱しながらもぶつかり合いは続いて───……結局。

 

『はっ……は、はー……はー……はっ……あはははははははははっ!!』

 

 最後には中庭に座り込み、肩を抱き合って笑った。

 息が乱れている所為で、呼吸困難になりながらだったけど、その笑顔は本物で───温かいものだった。

 

「───……ふむ。どうやら治まるべきに治まったようだな」

「治まらなかったらどうするつもりだったの?」

「はっ、何度でも叩き直すだけよ。それしきの理解も持たんで、これから先、やっていけるもんかぃ」

 

 何処かからそんな声が聞こえた気がした。

 通路の欄干に肘をついて、こちらを見ている誰かさん二人を見たけど……うん。

 今は笑っておくことにした───

 

「ところで桔梗? 一刀さんの唇はどうだったのかしら?」

「ぶはっ!? ~……せっかく忘れておったというのに……!」

 

 ───と思った矢先に咳き込んだ。ご丁寧に、誰かさんと一緒のタイミングで。

 そんな様子を見てかどうか、聞こえた笑い声は遠退いていき……その日。

 俺と焔耶は肩を抱いたまま芝生の上に寝転がり、昔話をし合った。

 こんなことがあってこうなった、こういうことがあったからこんなふうになったと、それこそ今まで距離を取っていた分を埋めるように。

 そうすると案外気が合う部分があったりして、やっぱり笑った。

 ただ……うん、ただ。

 桃香のことになると周りが見えなくなるのは相変わらずらしく、そこはほら……うん、百合百合しさには理解のある魏国は許昌が警備隊隊長、北郷です、笑顔で受け止めました。

 そんなこんなで二日目も過ぎ。

 一歩、また一歩と別れへの時を積み重ねていった。

 



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38:蜀/友と同士、そして同志。ところにより雷①

幕間/泣かされた子の心

 

-_-/華琳

 

 私室の一角で小さく溜め息が漏れた。

 他の誰でもない、椅子に座りながら、呆れ顔をしているであろう私の溜め息だ。

 何故そんなものを出してしまったのかといえば、原因の一つは……今や魏でも他国でも種馬扱いされているあの男だ。

 ……一つ、どころかほぼがあの男が原因なのだけれど。

 

「大陸の父、ねぇ……」

 

 それだけの器量があるのならば、勝手にしなさいと言いたいところだが……雪蓮といい桃香といい、受け入れやすすぎだと思う。

 桃香はまだしも、雪蓮があそこまで一刀に入れ込むのは少々……いや、普通に意外だ。

 遊びに来るたびに将を口説く姿勢は、一刀のことで相談に来て以来まるで変わっていない。もちろんずっとここに滞在するわけにもいかないから、呉国に戻っているにはいるのだけれど……頻繁に来すぎじゃないかしら。

 干渉しないと言った手前、踏み込んだことは訊けない……むしろ訊く気もないが、それにしたって本当に懲りない。

 そこにきてこの手紙だ……溜め息くらい吐きたくもなる。 

 

「視野を広げたい、出来ることを探したい……その気持ちはわからないでもないわ。けれどね、一刀。それはちょっとやってみて、出来ないようならやめるなんて簡単に言えるものじゃない。それを知った上で言っているの?」

 

 ペラペラとした手紙を、頬杖をついた左手とは逆、右手の人差し指と中指で挟みながら口を開く。当然返事などあるはずもない。

 ……はぁ、と。手紙をゆらゆらと揺らしながら、二度目の溜め息。

 手紙……めも、とやらを切って作られたそれには、“自分はこうしたいんだけど、華琳はどう思う?”といったことが書かれていた。こんなことをわざわざ私に訊くなんて……いつか叱った、計画実行のための根回しのことを気にしているのだろうか。

 そうなのだとしたら、少しばかり訊きすぎだ。

 頼ってくれるのが……まあその、嫌なわけではないけれど。

 こんなことを事ある毎に訊かれたら、せっかく思いも溢れてこなくなったというのにまたもやもやとしてくる。

 

「はぁ……行動の全ての決定権を私に委ねるようでは、先が不安に……」

「でも委ねられなきゃ委ねられないで、怒るんでしょ?」

「っ!? なっ───」

 

 一人きりの私室───だった筈が、いつの間にかその場に居る雪蓮。

 無様なことに、盛大に驚いた私は何よりも冷静になるべきを手放し、ただただ慌ててしまった。慌ててしまったが、すぐにそんな自分を戒めると咳払いを一つ───って。

 

「……なにがおかしいのかしら?」

「だって華琳ってば、慌てた時の反応が蓮華に似てるから」

「………」

 

 けたけたと笑う雪蓮に呆れの視線を送ってやる。

 構わず笑う雪蓮は好きに笑わせてやるとして、問題は私だ。

 いくら私室だからといっても、手紙一枚に意識を持っていかれすぎだ。

 人が部屋に入ってくる音にも気づけないなんて、自分に対して自分こそが呆れる。

 つくづくあの男は私というものを狂わせる……おかげで恥を掻いてしまった。

 

「それで? 将は口説けたのかしら?」

「ああ、全然だめ。こうまで頑固だと笑うしかないかなーって思うわね」

「そう。それは残念だったわね」

「……可笑しそうな顔で言われても嬉しくないわよ。締まりのない顔しちゃって」

「あら。私室でくらい好きな表情をしても、誰にも迷惑はかからないでしょう? むしろ、何処でだって締まりの無い顔をする貴女には言われたくないわね」

 

 意外なことがあるとすれば、それは魏将にも言えたこと。

 一刀を三国共通の財産とする、なんて話を持ち出し、やる気を見せていた雪蓮だけれど、魏将の説得には一度たりとも成功していない。

 そう。

 春蘭や秋蘭は、元より“私が頷くのなら”といった姿勢であり、他の将は口々に拒否。

 意外なことに、あの桂花ですらそれを拒んだのだ。

 ……もっとも、桂花の場合は“共通の財産ではなく、そちらがもらってくれなければ意味がない”といった対応だったけれど。

 まあ、あの娘らしいといえばらしい。理由がつけば追い出せる、とでも思っているのね、まったく。

 

「それで? そんなことを報告しに来たの?」

「違うわよ。なんかここに来るといいことが起こりそうな予感がしたから来たの」

「………」

 

 つくづく思う。

 この女の勘は、“勘”って範疇を越えていないかと。

 隠すものでもなし、溜め息を吐きながら、指で挟んだ手紙を「どうぞ」と促す。

 雪蓮は子供のようなわくわくした顔で手紙を受け取ると、それに目を通し……表情を輝かせると、即座に部屋を飛び出ようと───したところに声をかける。

 

「? なによ」

 

 振り向いた雪蓮は笑顔のままに訊ねてくる。

 我は武器を得たり、といった顔だ……締まりの無い顔なのはどっちなのか、訊いてあげたいくらいだ。

 

「それを持って将の説得に回るつもりなら、勘違いをしないように言っておくわ。書いてあるのは“財産”ではなく“支柱”であることよ」

「ああこれ? 大丈夫よ大丈夫、むしろ大陸の父になるくらいのほうが、支柱には相応しいじゃない。魏の誰かを悲しませてまで受け容れることじゃないって、一刀が言ったんだもん。その一刀自身が支柱になりたいって決心したなら、応援しないとね~♪」

「………」

 

 頭が痛い。

 あのばかは本当に、なんだってこんな時に手紙なんてよこすのよ……。

 

「……はぁ」

 

 考えるだけ無駄だ。

 そもそも私は賛成だった筈だ。私が認めた存在が、くだらない男に抱かれて子を成すくらいならばと。

 だというのに……このすっきりとしない感情が、どうしても溜め息を吐かせる。

 何が気に入らないのか、何がすっきりしないのか。

 ……疑いや恨みがあるわけでもないから、釈然って言葉は適当じゃない。

 ただ……いいえ? 恨みならあるわね。人をこんなにもやもやさせるあの男には。

 

「ところで華琳」

「だから、なによ」

 

 変わらず溜め息を吐く自分に少々の嫌気を抱きながら、心底楽しそうな雪蓮を見やる。

 と、彼女は手紙を見直しながら、私も思っていたことを軽く口にした。

 

「こんな手紙が来るってことはさ。一刀、考えを改めたってことよね?」

「………」

 

 改めた? それはどうだろう。

 確かにこうして、手紙には“支柱になりたい”といったことが書かれている。

 それは“魏が、私が”と言っていた頃の一刀と照らし合わせれば、改めた考えと受け取れるだろう。

 けれど、大陸の父になりたいとは一言も書いていない。

 支柱になろうと、私や雪蓮が思うように、認めた相手を抱くことがないのだとするなら……それは改めたとはいえないのではないだろうか。

 乞われれば断りきれない性格も、真摯な思いには弱いところも、きっと変わっていない。変わっていないが、まあその、もしも、もしもの話だけれど、愛する対象があくまで魏のみだとするのなら、結局のところ私達の思惑通りに事は運ばない。

 

「……? 華琳?」

「その手紙がここに届くまでの間、一刀の中でどれだけ考えが変わったか、ね」

「?」

 

 誰にともなく呟いた私に、彼女はきょとんとした表情を向ける。

 そんな彼女に「なんでもないわ」と言いつつ、助言にもならないだろう言葉を届けた。

 

「雪蓮、恐らくだけど一刀はなにも改めてはいないわ。ただ、視野が広がっただけ。いいえ? 広げようとしているところなんでしょうね」

「視野を? …………あー」

 

 手紙をちらりと見て、少しだけ呆れた顔をする。

 構わずに続ける私に溜め息を吐く雪蓮は、部屋から出ようとしていた体をもう一度こちらへ向けると、人の寝台に腰掛け、ぐぅっと伸びをした。

 

「この手紙を出してから今まで、どれだけの経験を積んだかで、今持っている考え方も違うのでしょうけれどね」

「ああ、そういうこと。視野を広げすぎて、目が回ってないといいけど」

「すぐに思い知るわ。一人で視野を広げようとしたところで、そんな気になっただけで躓くだけだ。そうでしょう? そうなると、支柱になりたいという考えには頷ける部分は多少はあるわ。統率者には向いてないって断言できるもの」

「まあそうね。命令するっていうよりは、“頼む、お願いする”って感じだもの。それなら提案通り、大陸の支柱、父、財産になったほうがまだ同盟に貢献できるし」

 

 まるで物扱いだが、一刀もそれを承知でこんな手紙を出したのだろう。

 自分でも出来ることを探す……やり始めたことは責任を持って最後までやり通す。

 それは、彼がまだ曹の旗に降りたばかりの頃に、私が教えたことだから。

 ……本当に、どんな仕事をすればいいのかもわからずにおろおろしていた男が、随分と大きくなったものだ。この大陸の蒼の下でも……私の中でも。

 

(利用価値があるうちは、ね)

 

 自分でどんどんと利用価値を作ってしまう相手を、どう捨てろというのか。“いつか自分よりも国のために役立つだろうから、斬り捨てる”なんてことは、乱世のうちならばどこぞの心の狭い王が考えたでしょうね。

 なるほど、あの言葉は乱世においては随分と都合のいい言葉だった。利用価値を自分で増やせば、少なくとも死ぬことはないのだから。

 ……もっとも、本人にやる気があればの話だったんでしょうけれど。

 利用価値云々を唱えておきながら、仕事はさぼるわ将には手を出すわ。

 もし私がそれを許容しなかったらどうするつもりだったのかしら。

 

(………)

 

 魏を追い出される一刀を想像してみて、なんだかんだと運が重なり、桃香あたりに拾われている彼の姿が簡単に浮かんできた。

 行き倒れてそのまま死ぬ姿がちっとも浮かんでこないのは、どういうことだろうか。

 もう一度溜め息を吐いてから、にこにこと笑みながら私を見る彼女の目へと視線を戻す。

 

「それで? その手紙を持って、一人一人説得に回る?」

「華琳が皆を呼んで、報せてくれてもいいんだけどね。普通に考えれば手紙一枚のために招集するのは、皆がやっている仕事に対して失礼でしょ」

「そう? ここが自国で、貴女が王なら平気で招集させそうだけど」

「………んふー♪」

「……否定くらいしなさいよ」

 

 わかってるじゃない、って笑顔だけで返された。

 そんな理解が欲しくて国を任せたんじゃないのだけれど。

 まあ、いい。

 

「まあ、華琳もまだ仕事あるみたいだし。私が説得と合わせて報せてくるから」

「恐れ多いことね、まったく」

 

 言いながら、腰を下ろしていた椅子から立ち上がると、焦るわけでもなくゆっくりと歩き───

 

「いーじゃない、反応が面白そうだし───あっ」

 

 彼女の指と指の間でひらひらと揺らされていた手紙をひょいと抜き取り、きちんと折り畳んで……やはり溜め息。

 ……まったく、王であることを自覚しながら、よく言う。

 小間使いでもあるまいし、そんなことを王に任せたら私の人格が疑われるわよ。

 そう考えると、先ほど見送ろうとしていた自分は何をそんなに動揺していたのか。

 ……やはり溜め息が出た。どうかしている。

 

「恋しい?」

「ばっ……!? なっ……ん、んんっ! ……なにがかしら?」

 

 動揺の理由は簡単だった。

 “恋しい?”と問われ、真っ先に浮かぶ顔に腹が立つ。

 けれどここで浮かんだ存在の名前を口にすれば、このにこーと笑う女の思う壺だ。

 たとえ……そう、たとえ、動揺した時点で全てが思う壺であったとしてもだ。

 重ねて見透かされるよりは、まだしらを切るほうが心地良いわよ。

 

「………」

「?」

 

 つくづく上手くいかない。

 弱さを見せたくなどないのに、自分が不安定になるのを抑えきれない。

 自分が弱さを見せた瞬間など、生涯を通してあの月夜の下だけで十分だ。

 だから自分の物語をと立ち上がったのに、一年経って急に戻ってきて、なのに勝手な約束をして他国を回り始めて、まったくあの男は……!

 

「……ふーん」

「…………な、なによ」

 

 いつの間にか、折り畳んだ手紙を見下ろして固まっていた自分に気づく。

 そんな私を見て雪蓮が何を思ったのかなど、正直想像したくもない。

 

「ねぇ。もしもの話なんて今さらだけど……もし戦いの中で、一刀を人質にとったら……私達が勝ってたと思う?」

「それはないわね」

「ん、そうよね」

 

 確かに、今更だ。

 訊ねてきた雪蓮自体が“そうでなくちゃ”とばかりに笑っている。

 人一人の命で躊躇出来るほど、手に入れた今の世は安くない。

 たとえそれが、私達にとってどれだけ大事な人だとしても。

 私達にとってはただの兵の一人だとしても、“待っている者にとっては大事な一人”が何人も死んできた。そんな願いの先にある天下を、人質のために掴まないのは嘘になる。

 だから、訊かれた瞬間に返した。非道だと言われようと、それは譲れないことだ。

 

(………)

 

 けれど、思う。本当にそうなった時、自分がどんな反応をするのか。

 本当に見殺しにする? それとも、他人に殺されるくらいならばと己で弓を引くのか。

 突撃を仕掛けた時点で、人質は意味を為さないのだから殺されるだろう。

 私はそれを……───王だからと涙も流さず見送るのかしら。

 それとも、いつかのように一人になった時にこそ涙するのかしら。

 

「………」

「で? いつまで手紙と睨めっこしてる気?」

「っ、あ、なっ……───……はぁ……」

 

 だめだ。

 自分が保てない自分にこそ溜め息が出る。

 少し落ち着きなさい……と、こうして自分を戒めようとするのも何度目だったかしら。

 数えるのも馬鹿らしいわ。それこそ、さっさと帰ってきなさいと思った回数ほどに。

 

「招集をかけるまでもないわ。報告の時を待って、それぞれの経過、進捗を聞いたあとにでも私が報せるわよ」

「“一刀を大陸の父にする”って?」

「“一刀が支柱になりたいと言っている”……そう言うだけよ。なれるかどうかは一刀自身の問題だもの」

「………」

「……だから。なによ」

 

 寝台に座る彼女の横に立ったままの私を、どこか楽しそうに見上げる雪蓮。

 そして一言。

 

「華琳がそんな調子だから、一刀もああいう性格になっちゃったのかもねー」

「………」

 

 少し意味がわからない。

 なんとなく自分でも引っかかることがあるような気がするものの、それは自分自身で答えとして出したくないような、そんな心境だ。

 

「まあ、華琳がそれでいいっていうなら私もそうするけど。その方が面白そうだし」

 

 心底愉快そうに言いながら、寝台に寝転がり、足をパタパタと揺らす。

 私はそんな姿を一瞥だけすると扉へと歩き、部屋を出た。

 仕事は残っているが、篭りっぱなしではどうにかなってしまいそうだ。

 

「………」

 

 部屋から出て、通路を抜け、蒼の下に立つ。

 そうしてから深く吸い込んだ空気でも、もやもやした気分は払ってはくれなかった。

 いつ以来かしら、こんな嫌な気分。

 一刀が春蘭の部屋を覗いたっていう、あの騒ぎ以来? それとも一刀の膝に季衣が座った時? 人には一切の誘いもなく、霞や警備隊の三人娘と夕飯を食べたことを知った時? それとも…………

 

「………」

 

 やめなさい、馬鹿馬鹿しい。

 さっきから一刀のことばかりじゃない。

 一刀……一刀の………

 

「…………重症ね」

 

 振り返ってみて、こんな気分になったのが全て一刀絡みであることに気づいた。

 なら……そうなのだとしたら、私は…………嫌なのだろうか。一刀が、他の女の……いいえ、私以外のものになることが。

 一刀が魏将を受け容れる程度ならば、むしろ自分のものであることを深く認識出来る。

 魏と深く結びつくといった意味を感じられるから、それは当然だ。

 けれど、それが三国にまで広がるのだとするのなら───

 

「……冗談でしょう?」

 

 そんなにまで心は狭くない筈だ。

 なによ、たかだか男の一人じゃない。一刀は私のもので、だからこそ手元に戻ってきたのでしょう? それが今更……再び天に戻るわけでもないのに、なにをそんな……。

 そう、一刀は一刀として、私のものであればそれでいい。何処で誰に手を出そうと、最終的には私の傍に居ればそれでいいのだ。

 手に入れたいものはなんでも手に入れてきた。

 一刀だって変わらない。

 物扱いがどうとか、そりゃあ思ったわよ。思ったけど……けど──、……なんだ。思いが溢れてこなくなったなんて虚言もいいところ。

 

「……呆れた。本当に、呆れたわ……」

 

 ある月夜を思い出す。

 あの日、自分は初めて“泣かされた”。

 “悲しい”を味わわされて、何も出来ない自分が悔しくて泣かされた。

 女であることを思い知らされて、手が届かないものはどうしてもあるのだと、もう一度思い知らされて。

 いつか、馬騰を引き入れたいと願い、叶わなかった時でもあそこまで悔しくはなかった。

 当然涙なんて流さなかった。流すはずもない。

 ……それなのに、泣かされたのだ。子供のように。

 その瞬間、自分の中ではきっと、一刀は特別になりすぎていたのだろう。

 初めてこの私を泣かせた相手としても、初めて傍に置いておきたいと思った男としても、初めて傍に居たいと思った存在としても。

 

「本当に……なんて無様」

 

 一刀が、私に見せない表情を別の誰かに見せるのが気に入らない。

 一刀が、誰よりも私の近くに居ないことが気に入らない。

 一刀が、この私よりも別の誰かを優先させることが……気に入らない。

 そりゃあ許可したわよ。でもさっさと帰ってこいとも言ったわよね? それが守られていないのは何故? 私との約束よりも他国のことがそんなに大事?

 それとも“大陸の平和を乱さない限り、あなた達の国の在り方には干渉しない”と宣言したから、何も口出さないと思って他の女とよろしくしているっていうの? 気に入らない気に入らない、あれは私のものだ。私のもとに帰ってきた、私だけの───

 

「………」 

 

 静かに頭を振るった。

 もやもやは消えてはくれないけれど、それならそれでいいと受け容れた。

 “私だけのもの”と思っているのなら、今やこれからがどうあれ、自分のもとに戻ると信じればいい。

 そう、前から思っている通りだ。一刀が一刀として、私のものであるのならそれでいい。何も変わらない。

 気に入らないならぶつければいい。なにもかもをぶつけて、困らせてやればいい。

 子供みたいだと思われてもいい。だって、子供のように泣かせたのはあの男なのだ。

 “自分の物語を生きよう”と立ち上がるまでの一年は長かった。長くて、辛かった。

 そんな不安定さを私に晒させたあの男を、困らせてやればいい。

 だから………………だから……。

 

「さっさと……帰ってきなさいよ……ばか……」

 

 自分の物語を生きる覚悟も中途半端に潰されて、結局私は一刀に寄りかかってしまった。

 ……立ち上がるのに一年必要だったというのに、また一人で立ち上がるのなら、どれくらい必要だろう。

 それとも、自分の物語を歩く必要は、もうないのか。

 

「…………ああ、もう……」

 

 結局また一刀一刀だ。

 ……戻ろう。気分転換にもならない散歩なんて無駄だ。

 仕事をして、頭の中から一刀を追い出そう。

 このままでは本当に駄目になる。

 

(いつから……)

 

 いつから自分はこんなにも弱くなったのか。

 そんなもの、泣かされた夜からに決まっている。

 そんなことを自覚できる今だからこそ思う。

 雪蓮が訊いたように、一刀を人質に取られたなら……そう、今もし取られたのなら、私はどうするのだろうと。

 降伏する? ……いいえ、それは絶対にない。

 どれだけ大切な存在が捕まろうとも、答えは先ほどとなにも変わらない。もはやこの天下は私だけのものではないのだから。

 だから……許さない。

 人質を取った相手も、攻撃を仕掛けることで人質を始末する相手も、なにもかも。

 

「………」

 

 そしてまた一刀一刀だ。もう、本当に駄目にもなり嫌にもなる。

 溜め息を幾度も吐きながら、何も考えないようにして自室へと戻った。

 ……人の気も知らないで、人の寝台で暢気に寝ている呉王へ八つ当たりを仕掛けたのは、その直後だった。





「もっと私を頼ってくれていいのよ?」

 ところにより雷、とタイトルにあっても、そんな雷は出ません。

「ひどーい!」


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38:蜀/友と同士、そして同志。ところにより雷②

 

71/ああメンマの園よ(再)

 

-_-/一刀

 

「それじゃあおっちゃん、お大事に」

「おう、すまねぇなぁにーちゃん」

 

 寝転がりながら手を振るおっちゃんに手を振り返し、家を出る。

 外に出ると眩しい太陽が迎えてくれて、その眩しさに少し目を細めた。

 通りの賑やかさは変わらない。

 賑わい、笑顔が溢れるいつもの成都だ。

 その、耳だけ傾ければわやわやと聞こえる音に心地よさを感じながら、人の流れに紛れて歩く。

 そうして歩いた先で、駆けずり回るようなことはせず、ゆっくりと一つ一つ、頼まれごとをこなしながら。

 桃香に許可を得て始めたボランティアめいた仕事は、これで結構やりがいがあるもので、まあその……呉で雪蓮に引っ張りまわされた時のことを思えば、まだ無茶がない。

 正直に言うなら、あれはあれで楽しかった。問題なのは、本当の意味で“引っ張りまわす”雪蓮に問題があった。だって物理的なんだもの。この時代の武に長けた女性は、まっこと腕力が強い。そのくせ腕とか細くて綺麗。ずるい。

 俺の腕なんて、毎度鍛えてるからご覧の通り……、……なんだろう、改めて、まじまじと見てみると、この世界に戻ってきた時からあまり変わってないような気がする。

 これって妙な劣等感ってやつだろうか。周囲が細いのに強くて、自分はそうじゃないからせめて細さだけでも、的な。

 ……鍛えた後のたんぱく質摂取量が足りてないとか? ぶ、豚肉とかがいいっていったっけ。今度、ちょっぴり奮発してみよっかナ。

 ある日に一食だけ摂取量変えてみたって、大して効果が無いことくらいわかってるけどね?

 

「思春、次はこの通りの先の老夫婦の家みたいだ」

「ああ」

 

 傍らを歩く思春は、竹簡をカラコロと開いたりメモに描いた地図と照らし合わせたりをする俺を見て、何処か呆れ顔だ。……あまり表情変わらないけど。

 けど、文句も言わずについてきてくれる。

 さすがに一日で、しかも一人で全部を回るのは辛いってこともあり、今日は手伝ってくれる……とのことなのだが。

 

「ここに華佗が居れば、さっきのおっちゃんの腰痛も簡単に治せたんだろうけどなぁ」

 

 万能医術ってすごいけど、どうかしてるよなー、と続ける。

 そんな言葉に思春は反応を見せ、横を歩く俺をちらりと一瞥すると、

 

「治せぬものがないと豪語しているとはいえ、それに頼りすぎては万能医術以外が廃れる。死んでしまうよりは救われるべきだとは思うが、救われてばかりでは進歩がないだろう」

「……ご、ごもっとも」

 

 まったくだと納得できることを返して、変わらずに歩く。

 ……今更だけど、随分と落ち着いたよなと思う。

 最初の……呉についたばかりの頃なんて、なにかというと殺気を向けられたり、気配を殺して監視されたりなんてことばかりだったけど、最近は……うん、殺気をあまり感じなくなった。……うん、“あまり”。

 これって、少しは気を許してくれてるって考えて……いいのだろうか。

 友達相手に気を許すとか、順序がいろいろおかしい気もする。

 と、そんなことを思って苦笑していると、

 

「何を、締まりのない顔をしているのだ……お前は」

 

 いつの間にか思春の視線がギロリと俺へ固定されていた。

 そしてこの言葉である。

 ……殺気が無くたって、怖いものってのはあるよな。

 思わずヒィって言いそうになったよ俺。

 

「え、あ、いや……ちょっと考え事を、その。最近、あまり思春に殺気を向けられなくなったなーって、あはは───ハーッ!?」

 

 本人を前に何言っちゃってんだ俺!

 ていうか思春さん!? お望みとあらばって言うかのように殺気放つのやめよう!?

 ほ、ほら、ここ、街のど真ん中だし!

 こんなところで殺気放ったりしたら───あ、あれ? 誰もがにこやかに通り過ぎてる?

 ……俺限定の殺気!? どれだけ意識を絞り込めばそんなことが!?

 って、なんか前にもこんなやり取りをしたような……。

 それって、関係的にはあまり変わってないってことか?

 

「………」

 

 考えてみれば、あまり変わった気がしない。

 ただ、殺気が向けられる頻度が少なくなったのは確かだ。

 それは喜んでいいことだと思う。むしろ思いたい。

 

「え、えぇと。はは……じゃあ、家にもついたことだし……」

「………」

 

 老夫婦の家の前に辿り着くと、さすがに殺気は引いてくれた。

 そんなことに安堵しながら、声をかけてから中に入ると、老夫婦の困りごとをしっかりと聞いて───

 

……。

 

 あちらこちらへと歩いてはボランティアを続け、そんな調子のままに気づけば昼。

 街中に鼻腔をくすぐる良い香りが流れ始め、腹がギューと鳴り、脳が「食事をせよ」と訴えかけてくる。こうなると仕事どころじゃなくなる……ってこともないんだが、集中は出来ないよな。

 

「思春、そろそろ昼メシにしようか」

「ああ」

 

 返される言葉は少ない。それでも文句は飛ばさずついてきてくれる。

 や、何処で食べるかも決めてない状態だから、頷かれるだけっていうのは割りと困る。……どうしよう。久しぶりにメンマ園にでも行ってみようか? さすがにもう、顔や特徴なんて忘れてると思うし。

 

「よし」

 

 魏に帰ってしまう前に、店の親父さんが作ったメンマ丼を食べてみたい。

 そうと決まれば後は早いもので、思春を促すとメンマ園がある通りまでを歩いた。

 歩いて歩いて……で、肝心のメンマ園の前……じゃないな、近くで指を銜える恋と……ここだけはやめませぬかとばかりに恋を引っ張る陳宮を発見。

 ……アレ? いくら忘れてたって、この三人……俺と思春と陳宮の三人があそこに行くのって、とっても危険なんじゃないか?

 

「ア、アー、アノ……思春サン? コココココ混ンデルミタイダシ、他ノ場所ヘ……」

「呆れるくらいに空いているが?」

「…………うん……そうだよね……」

 

 たまたま人が来ない時間帯なのか、メンマ園は空いていた。

 それともなにか事情があって? いやいや、以前通った時も随分と繁盛していたようだし、やっぱり人気店でもそういう時はあるってことだろう。

 ……大丈夫、だよな? 

 べつに悪いことをしに行くんじゃないんだし、フランチェスカの制服着てるんだし、陳宮だって髪も服装もあの時とは違うし。

 大丈夫大丈夫、以前と同じところなんて早々…………

 

「………」

「? なんだ」

 

 思春を見て固まった。

 以前と同じところ……思春がまさにそのものだった。

 でも、だからって別のところで食うのもなぁ。もう、胃が、味覚が、ここで食べようって準備を完了させてしまった。こうなると意地でも食べたい。お腹もすっかりペコちゃんだし。

 そ、そうそう、大丈夫大丈夫、べつにこれで趙雲さんにバレるわけでもないし───

 

「おや珍しい。ここで会うなど、やはりメンマを愛する者同士は引かれ合うということかな」

 

 ───……神様。今ここにチェーンソーがあったなら、迷わずあなたを刻みたい。

 聞こえた声に肩を跳ねらせ、天を仰いだのちに後方へと振り向くと……そこにはやはりというか、趙雲さん。我、友の素顔を見たりといった輝かしい笑顔で迎えられた。

 

「いや。いつかはここで会うであろうと気を張り巡らせて幾数日。友であり同士でもある北郷殿が、忙しい仕事の合間を縫ってようやく訪れたこの瞬間に居合わせたこと、嬉しく思う」

 

 なにやら物凄くツッコミどころ満載のことを言われた。

 え? あの、それって……?

 

「趙雲さん? それってつまり、ほぼ毎日ここで張ってたってこと……?」

「む……それは当然というもの。いつメンマ神が再びここに訪れるのやも知れぬのに、待たないはずがなかろうに」

「メンマ神!?」

 

 なんかキリッとした顔でメンマ神とか仰ってますが!?

 どれだけ美化されてるんだよ趙雲さんの中の俺!

 い、いや落ち着け、まだ大丈夫……ここを抜ければずぅっと美しい思い出として趙雲さんの中で生き続けるんだ……!

 メンマの知識や愛で言えば、趙雲さんに敵うやつなんてきっと居ない。

 なのに俺が神だなんて、きっと趙雲さんだってショックを受ける。

 このままがいいんだ、このままが。

 ……なんて思ってると、大体バレるのが世の常なんだよな……よし、自然だ、自然体でいくんだ。バレるに違いないって構えるからいけないんだ。

 

「そっか。既に趙雲さんの中では神扱いなんだ、その人」

「自らが思いもしなかった方法でのメンマの可能性の開拓。それを成した者には、たとえ相手が誰であろうと敬意を払って当然。そういったものが認められるからこそ、小さな邑などからでも立派な将が登用されることもある。技や業、知識や徳、己の中には存在しないものを持つ者が集うからこそ、国があり助け合い、信頼が築かれる。北郷殿ならばそれくらい理解もしていように」

「……ん。そうだな」

 

 きょとんとした顔からキリッとした顔へ、そして最後にニヤリと笑う趙雲さんに笑顔で返す。……でも正直に言えば、メンマ神はいきすぎだと思うんだ、俺……。

 それだけメンマのことが大事ってことだもんなぁ……───メンマから国の話に繋がるとは思いもしなかった。

 ともあれ、少し話をしたら心も落ち着いてくれた。

 ふぅ、と小さく息を吐くと調子も戻ってきて、「さて」と促されるままにメンマ園へ。

 そうだよな、なんだかんだ言っても昼を食べに来たんだから、心配とかそういうことをしても始まらない。昼を食べに来たのなら、始まるのは食事をし始めた時だ。

 ……なにが始まるのかは知らないが……って、メンマの園での宴が始まるのか。

 

「おお、これは趙雲さま。ようこそいらっしゃいました」

「壮健でなによりだ、店主」

 

 ごちゃごちゃ考えているうちに店の前。

 なんだかんだと悶着をしていた陳宮も結局は根負けしたのか、恋と一緒に並んで座っている。

 俺も座り、将とともに座ることを遠慮しようとした思春も無理矢理座らせて、いざ。

 

「今日は何になさいます?」

「ふむ……ラーメン特盛りだけでいい」

「今日はメンマ丼はよろしいので?」

「ああ。今日は友が来てくれたのでな、のんびりメンマを楽しみたい」

 

 さすがに手馴れたもので、大して迷いもなく注文を済ませる趙雲さん。

 俺は……ってちょっと待て? 特盛り? 今特盛りって言ったか?

 大盛りでさえあの量だったのに、さらにその上?

 

「………」

「む? なにか顔についているかな?」

「い、いや、なんでもない」

 

 思わず信じられないものを見たって目で、隣の趙雲さんを見てしまった。

 ……女の子ってすごいな。甘いものは別腹っていうけど、あれって確か本当に胃袋がスペース空けるんだよな……? それと同じで、好物の前ではたとえそれがメンマであろうと、胃袋がスペースを空けるものなのだろうか。

 だって……この細身だぞ? なのに……い、いやいやっ、考えないようにしような?

 どの道、食べることになれば驚くんだろうからさ……なっ?

 

「えと、じゃあ俺はさっき言ってたメンマ丼を。米の盛りは普通で、メンマ大盛りで」

「……ほほう、通ですな。それでいて欲張りだ」

「や、わざわざ目を輝かせないでいいから」

「いやいや謙遜することはない。メンマを楽しみたいとラーメン特盛りを頼んだすぐ後に、メンマ丼をメンマのみを大盛りで頼むことでメンマを楽しもうとするその在り方……やはり私が友と認めただけのことはある」

「………」

 

 どうしよう桃香さん。この人、既にお酒臭い。

 もっと早くに気づいてれば、こうして付き合うこともなかっ……たことにはならないだろうなぁ。きっとそのまま引きずられていたに違いない。

 そうして、少しモハァ~と溜め息に似たなにかをゆっくりと吐き出しながら、みんなの注文を聞いていた。

 ここまできたらもう、なるようにしかならない……そうだよな、凪……。などと、ホロリと心の涙を流しながら、沙和や真桜に振り回されてばかりだった彼女を思い浮かべた。

 ていうかもうなんて言えばいいのか……俺がここを知ってて当然みたいになってないか?

 ラーメンがメンマであることを知っているところへのツッコミ、全然無いし。

 

「ふふっ……私もかつてはラーメン並盛り、メンマ大盛りをよく頼んだものだ。というよりはここ以外の店ではほぼそうしている。それを、誰に言われずともメンマ丼で注文してみせるとは。いやいや、やはりこの趙子龍の目、捨てたものではない」

「えーと……う、うん……?」

 

 どう返事をすればいいのか……。

 ともあれ、かつてのように出されたお通しのメンマをコリコリと味わいつつ、本命のメンマ丼が来るまでの時間を他愛ない話で潰した。

 そうして談笑していると、たんとんと出されるメンマ料理。

 焼売、餃子、メンマ炒飯にラーメン(メンマ並盛り)、そして……メンマ丼と、ラーメン特盛りが。

 

「───…………」

「な……わ……」

「……?」

 

 一同、停止。

 丼に盛られたメンマ……それはジャイ○ンのどんぶりメシどころではなかった。

 これは山……そう、チョモランマ……! 特盛り……これが特盛りかッッ……!!

 あ……でも恋はそう驚いた様子もない。案外、何度か来たことがあるのかもしれない。

 普通に驚く要素を感じないだけかもしれないけど。

 

「ふふ……相変わらずの見事なメンマ捌きだな。メンマが崩れぬよう、一本一本が支え合っている。素晴らしい職人業だ」

「へへっ、そう言ってくれるのは趙雲さまだけでさ」

 

 や、それって一本抜いたら崩れるって意味じゃないか?

 ……い、いやっ、食ってる! 一本一本味わいながら、ここを抜けば平気と言わんばかりにバランスを保ちつつ! な、なんかもう何が凄いのかわからなくなってきたけどとにかく凄い!

 

「ほれ北郷殿も。ともにメンマを堪能しよう」

「あ、ああ……」

 

 見ているだけで胸焼けしそうだ。しかも隣でこの量を食われると……。

 ……目の前のメンマ丼に集中しよう、それがいい。

 

「いただきます。……んむっ、……!? う、うめ───はっ!? こ、こほんっ、……美味しい」

 

 まずは一口。

 通しのメンマで、もう頷けるほどの美味しさだったわけだが……やっぱりここのメンマは他のメンマとは一味違う。

 専門店を謳うだけあって、普通じゃ出せない味だ。

 メンマの濃い味を卵が抑え、けれど邪魔することなく混ざり合い……ほのかにピリッと辛く、にんにくの風味とは別の柔らかい香りが……なるほど、以前俺が作らせてもらったものより全然美味い。

 そりゃそうか、「これだ」って自分で認められなきゃ店で出すわけもない。

 きっとあれからいろいろと研究したんだろうな……うん、美味い。

 思わずまた「ウメー」とか叫びそうなところをなんとか踏みとどめて、改めて言えるほどに美味い。

 

「へぇええ……美味しいなぁ」

「はっはっは、そうだろう。なにせメンマ神が残した一品にして逸品の料理。きっと友であるお主なら気に入ってくれると思った」

 

 かなりの上機嫌でメンマを食べる趙雲さん。

 心無し、食べる速度が上がった気がする……嬉しかったからか?

 

「……ん」

「へいおまちっ」

「……ん」

「へいおまちっ!」

「……ん」

「へ、へいおまちっ!!」

「……ん」

「へいおまちぃいっ!」

 

 で、趙雲さんを挟んだ隣の席で椀子メンマやってる恋と親父さんは……気にしないほうがいいよな。陳宮ももはや何も言わず、黙々と食べてるし。

 でも実際美味いし、箸もどんどん進むから、おかわりを願う気持ちもわかる。

 

「……ふむ……呉には無い味……新しい」

 

 思春もなんだかんだでハクハクと食べてるみたいだし……やっぱりここにしてよかった。

 バレる様子もないし、安心だ。

 ところで、なんとなく思春が料理評論家みたいな目になってる気がするのは……えぇと、気の所為か? 表情あまり変わらないけど、目つきがいつもより鋭い気がする。

 

「………」

 

 美味しいものを食べて、賑やかな場所で、息を吐く。

 なんていうか……平和だ。

 当たり前にあることって大事だなーって、そんなことを思った。

 

「親父さん、メンマおかわり」

「おっ、兄ちゃん食うねぇ! ここに来る奴はどーも一回食えばいいって奴らばっかりで、兄ちゃんみてぇに自分からおかわりを言わねぇからいけねぇや。せっかくメンマを追加してやっても、“もういい”だの“そんなにいらない”だの。こちとらメンマで食っていってんだ、メンマ園がメンマ出してな~にが悪いってんでぃ」

「はは、美味いものでも限度越えて出されたら、次に来る時に楽しめないって。この美味さなら、おかわりしたい人は自分から言うと思うし……自分の速さで食べてもらえばいいじゃん」

「むっ……そりゃ確かにそうだが」

「ふむ。あらゆる道も、押し付けるのではなく知ってもらい、受け入れてもらうもの……なるほど、それは乱世の頃の我らによく似ている」

「や、だからさ……なんでメンマが国とか大げさなところに繋がっていくのさ」

 

 それだけ趙雲さんにとっては、メンマは素晴らしきものだってことなのか? ことなんだろうな、当たり前じゃないか。考えるまでもなかった。

 

「趙雲さまのお連れならばと張り切ってましたが……へぇえ、落ち着いた方ですねぇ」

「私も噂で聞いていた人物との相違点ばかりが見られ、本人なのかと何度疑ったことか」

「そういうことを本人の前で、しかも本人を見ながら言うの、やめません?」

「はっはっは、そう気にすることでもなかろう。噂がどうであれ、私にとっては今見る北郷殿が全てだ。女にだらしのない魏の種馬……人に慕われはしたが、仕事もさぼり放題で買い食いを好み、しかし仲間の危機には己が身の危険も顧みずに飛び出す……だったかな?」

「……それって?」

「曹操殿と愛紗が話していたところを偶然。いつかの戦の際、危機に陥った曹操殿を不器用ながらも馬を駆って救ったそうではないか」

「………」

 

 なんつーことを話してるんですか華琳さん。

 もしかしてあれか? いつか愛紗を欲しがってたことがあったけど、その延長の話題作りでポロリと話してしまったとか?

 ……まさかなぁ。

 

「へ? あの、趙雲さま? 魏の種馬ってこたぁもしやこの方は……」

「うん? ああ、そういえば店主、お主は学校のことも詳しく知らないんだったな。……そう、この者こそが魏にその者ありと謳われた噂の人物、魏の種馬の北郷一刀殿だ」

「へぇえっ……! こ、この方がっ……!」

「…………なぁ思春。ここって怒るところなのかな、呆れるところなのかな、元気に自己紹介するところなのかな」

「とりあえず泣いておけ」

「……そうだね……」

 

 旅をして、絆も増えた。笑顔も増えた。それに比例して涙も増えた気がする。

 ああもう、泣きながらご飯食べると何故か美味しくないなんてことないぞ、ちゃんと美味いじゃないか。

 

「そんなお方に食べていただいて、しかも泣いてもらえるとは……。メンマを作っていて本当によかった……!」

「うむうむ、やはりメンマとは人を幸せにするものなのだ。メンマの道はまだまだ深い」

「おっしゃる通りでさ!」

 

 楽しそうに笑う二人を見ながら、美味しい美味しいメンマ丼を食べた。

 この味はもう忘れられないだろうなぁ……いろんな意味で。

 

(はぁ……種馬呼ばわりされる度に思い出しそうで、少し憂鬱だよ)

 

 鬱ではあるけど、笑えないわけじゃないなら泣きながらでも笑えばいいか。

 笑う門には福来る。来ないって最初から否定していたら、来たかどうかもわからないってね。

 楽観的だ~ってよく笑われるけど、ほら。そこにはもう笑みがあるんだ。

 多分、笑顔なんてのはそんなのでいいんだ。

 涙目でそんなことを思いつつ、丼を空にして一息。

 

「はぁ~……食ったぁ~……」

 

 自分で思うよりもあっさりと胃袋に収ったそれを腹越しに撫でた。

 そして……あの。いくらおかわりしたとはいえ、あの量をほぼ同時に食べ終わっている隣の趙雲さんはどう説明すればいいんだろうか。

 

「また腕を上げたな店主。有名になった途端に慢心して腕を落とすでもない……そのメンマに対する礼を忘れぬ心、実に見事」

「おそれいりやす」

「それでこそメンマの園の店主。それでこそのメンマ好きのメンマ好きによるメンマ好きのためのメンマ園……! まさに我らの理想が形になった理想郷だ……お主もそう思うだろう、北郷殿」

「だな。これほど美味しいメンマは、他ではそうそう食べられないよ」

「うむ。やはり私の目に狂いは無かった……北郷殿、やはりお主はメンマ征服の同士として相応しい逸材! これからも友として同士として、ともにメンマ道を歩もう!」

「ちょっと待て!? 今なんて言った!? メンッ……メンマ征服!?」

 

 世界征服じゃなくて!? メンマ……えぇ!? メンマ征服!? なにそれ!

 いや世界征服だって大それたことだけど、それよりもメンマ征服の方が言葉的にインパクトありすぎだろ!

 

「メンマ征服……! それは私達が目指す一つの到達点……!」

「以前までは趙雲さまが連れてきてくださるお客人以外には、客が訪れなかったこのメンマ園……その第一歩がメンマ神さまのお陰で拓かれ、今やお客人がごった返すこのメンマ園!」

「最初こそこの味わいは己のみが知っていればいいと、半ば独り占め紛いな外道行為をしていた……だが今は違う!」

「メンマの味を少しずつ、しかし確実に広め、全ての人をメンマ好きにする! それこそがあっしらの目指す“メンマ征服”でさぁ!」

「そして今ここに、私の友にして新たなる同士誕生の瞬間! 北郷殿! 我らの力でメンマを広めるのだ! この味を知らずに、満たされた気になっている者達に……メンマの素晴らしさを伝えんために!!」

「ア、エ……エェト……?」

 

 どっ……どうしろ……と……!?

 無駄に熱く語ってくれてるのに、この勢いについていけない……!

 というかこれは、乗った時点でいろいろとまずい方向に流れやしないか!?

 いや、確かに俺は趙雲さんのメンマに感動して、友達に、って握手したぞ!?

 でも……あれ?

 

  “ともにメンマの真髄……極めようではないかっ!”

 

 ア───……ア、アアァァァァーッ!!

 真髄!? これって真髄なのか!? えぇ!? メンマ征服が真髄!?

 まさかそんなっ……いや、けどっ、でもっ……あ、あぁあああもぉおおお!!

 ち、誓い合ったことは守る! 言われた上で握手して友達になったんだ! 守らなきゃ嘘だろ!? ああ嘘だともちくしょーっ!!

 大体不味いものを押し付けるわけじゃなく、知ってもらおうと努力している人たちなんだぞ!? べつに悪いことじゃないじゃないか!

 ……あれ? じゃあメンマ征服って……いいこと? ただ味を広めようってだけで……はて。なんで俺、いろいろごちゃごちゃと考えてたんだっけ。

 待て? なにかじっくり考えなきゃいけない筈なのに、こう希望に満ちた目を四つも向けられたら……

 

「行こう! 趙雲さん! 親父さん! 俺達が求めるメンマの末を求めて!」

「北郷殿!」

「種馬のにーちゃん!」

「はぐっ! …………あの、親父さん……呼ぶ時は一刀で……」

「お、おお? んじゃあ……種馬の一刀!」

「ぐふぅっ!? やっ……た、種馬はいらないからっ……!」

「なんでぇ、一国の種馬なんて、男冥利に尽きるってもんじゃねぇかい。胸張って受け取っときゃあいいじゃねぇか」

 

 仰る通りかもしれないけどさ……。

 

「うん? けど魏の種馬ってこたぁ……え? あの……趙雲さま? ついうっかりにーちゃんとか軽々しく口にしちまってますが……」

「うむ。曹操殿を始めとする、魏将全ての伴侶……将来的には配偶者……と考えて良い」

「あばよっ……我がメンマ道……っ!!」

「いきなり死を受け容れないでくれません!?」

「しっ……しししししっししし失礼しやしたぁあああああっ!! まままさかそんな方だったとは露知らず!!」

「いやいやいやいやそんな大袈裟に謝られても! むしろそうして砕けてくれたほうが俺も嬉しいし! そっ……それにほらっ、同士なんだから遠慮なんてっ……なっ!? ていうかさっき魏の種馬がどうとか話してたでしょ!? 露知らずじゃないだろ絶対!!」

「はっはっはっはっは」

「趙雲さんも笑ってないで! なんか震えながら店仕舞いしようとしてるぞ!? 放浪の旅にでも出そうだよ本気で!!」

「む。それは困るな」

 

 ……笑いを潜め、キリッとした顔になる。

 ほんと、メンマのこととなると真面目な人だ。

 人をからかう癖は、本当に直してほしい。

 ともあれ親父さんは趙雲さんや俺の説得で息を吐いてくれ、ようやく落ち着いてくれた。

 むしろ兵や他の民も平然と兄ちゃんとか一刀とか、気安く呼んでいることを教えると、ひどく安堵した表情を見せてくれた。

 その頃には……ええと、まあ。恋がようやく箸を置き、他のみんなも満足し、あとは席を立つのみとなったわけだが───

 

「んお……? そういやぁそっちの嬢ちゃん……どっかで見た気が」

「気の所為です」

 

 親父さんが思春を見ての一言に、キリッとした顔で返した。

 ……そして、それは地雷であると断言出来る自分に、瞬時に気づいた。

 一言で言えば“俺のばか”。

 

「……ふむ? 何故、そこで北郷殿が返すのかな?」

 

 釣りたくない誤解を釣ってしまった。ゴカイってあるよね、釣りで使うエサのゴカイ。誤解を釣ってしまったってことはつまり、何も釣れなかったってことで……自分にはなーんの得にもならないって意味に繋がっていて……ああもちろん嘘だとも。

 

「え、や……えぇえと……」

「………」

(陳宮……そんな、馬鹿者を見るような目で人を見ないでくれ……今自己嫌悪でどうにかなっちゃいそうなんだ……!)

 

 こんな時には案外悪知恵は働くものだが、誤解はさらなる誤解を生んでしまうもので……まあ、なんだろう。友だ同士だと言ってくれた人に嘘をつき続けるのって、心が痛い。

 むしろ話してしまったほうがいいんじゃないだろうか……“メンマ丼は、自分が教えました”って。そしたらきっと二人とも、“北郷殿……よもやメンマ神の遺した偉業を己の手柄と言い張る気かっ!”とか、“見損なったぜ兄ちゃん……! おめぇはそれでもメンマ道を歩む者か!”って、温かい言葉で迎えられて……───全然温かくないや。むしろ泣ける。

 

「……段階、追わせてもらっていいかな。結論から言うと、絶対に白い目で見られるから」

「む。北郷殿、あまり我らを見縊らないでもらいたい。我らは同士であろう、それを白い目で見るなど───」

「いや是非とも。今の言葉でむしろ流れが読めたというか……とにかく段階追わせて」

「? なにやらよくわからんが……そこまで言うのなら」

「はあ……馬鹿なのです」

「何かと言うとすぐに首を突っ込むからそういうことになる……」

 

 服装そのままな思春にも問題があるって、俺が言ったら許される?

 ……無理だろうね。同じ服装なのに、このメンマ園を選んだ俺が悪い。



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38:蜀/友と同士、そして同志。ところにより雷③

 そんなわけで暴露が始まったわけだが───

 

「ふむ? つまりその日、北郷殿は庶人服を着て警邏まがいのことをしていたと」

「まがいじゃなくて、警邏そのものだったんだけどね……ほら、庶人側から見た街がどんなものか、見ておいて損はないし。地図で見る街と自分で見る街はやっぱりちょっと違ってたからさ、一応警備隊の仕事をしてたし、何かの役に立てればって」

「なるほど。……はて? それと興覇殿とどう繋がると?」

「えー……それは……あー……なんというかその、おー……」

 

 演説で詰まる人の心境ってこんな感じだと思う。

 きちんと説明しようとするのだが、どうすればわかりやすく話せ、かつ、すんなりと受け容れてもらえるのかを考えて……いや、それ以前に格好いい自分を見せたいって部分もあるんだろう。

 うん? じゃあ、俺の格好良さって……なんかもう、今さらじゃないか?

 種馬呼ばわりされたりなんかしちゃって、噂が一人歩きしたりして、他国へ行っても種馬種馬って……今さらだな、うん。もう……恐れるものはなにも……!

 

「……おお、なにやら男の顔になりましたな」

「嬉しくないんだけど!?」

 

 いい、もういいだろ、格好よさとか。

 自然体でいこう……さっきもそれを理解したばかりなんだし。

 

「……今日の北郷殿はなにやら面白いな」

「真剣な顔になったと思えば、遠くを見つめて陰りを纏ったです」

「……呉でもああして落ち込み、悩み、走り回り、落ち込みを繰り返していたが?」

「なるほど、つまりあれが北郷殿そのものか」

「………」

 

 立ち位置なんて、きっとそう変わらないもの……なんだろうな……。今、ほんのちょっぴり……理解できたよ……。

 

「えっと、その……話、続けていいか?」

「うむ。存分に己の恥辱を披露されませい」

「なんで俺の恥辱って決まってるの!? やっ……思春! 思春の話だったろ!? ……そこで頬を染めない!! 思春の恥辱の話でもないから!」

「おや、それは残念」

 

 笑顔でそんなこと言われても。ああいや……とにかく続きだ。

 どこまで話したっけ……そうだ、警邏の話。

 

「で、警邏の話の続きだけど……警邏に出る前に陳宮と会ってさ」

「ふむ?」

「庶人視点での警邏だから、一緒に来るなら庶人の服を着て髪を下ろして、って話になってさ」

「なるほどなるほど?」

「庶人姿の三人が完成したところで、警邏と……ついでに桔梗に頼まれた酒を買いに出かけたわけで」

「ほう、酒を……」

「一通り見て回りながら地図も確かめてメモしてたら……ここで親父さんに声かけられた」

「へ? あ、あっしですかい?」

「? 待て、北郷殿……三人? 三人と言うたか?」

「言うたよ」

 

 種明かしの楽しさは、多分相手の動揺の部分にあると思うのだ。

 そこで楽しめるなら、後でどれだけ馬鹿にされてもいいってことにしておこう。

 いや、むしろ怒られるのか? ……怒られそうな気がする。怒られる……な、うん。

 

「俺と陳宮と思春はそこでラーメンや焼売や餃子を頼んだ。いやぁ、あまりの美味さに素直にウメーって叫んでたよ」

 

 しかしそれは覚悟の上で話そう。

 知っていた、というか本人だったのに黙ってたのは俺が悪い。

 探し人が俺だった、なんて……趙雲さんにしてみれば悪い冗談だ。

 

「そこで───」

「───そこまでだ、北郷殿」

「……うん」

 

 だから、多分わかった時点で止められるんじゃないかな、とは思っていた。

 思っていたから、姿勢を正して怒られる覚悟を。

 

「……店主、お主が言っていた者の特徴……それは、ここに居る恋と私を抜いた三人とで相違ないか?」

「へっ……? や……そう言われても、どうにも味を覚えるのに大変で……」

「……ふむ、そうだったな。それがわからぬから北郷殿にも詳しい人物像を話せなかった。成都の人物ではない、庶人であるとしか……───ならば」

「はいよ」

 

 スッと差し出された酒を手に、立ち上がる。

 つまり作ってみせろというのだ、極上メンマ丼を。

 ならばと、いつかと同じセリフで親父さんから許可を得て、厨房に立つ。

 制服でやると汚れるからと制服の上を脱ぎ、いざ。

 作り方はいつかと同じだ。

 ただ、酒が桔梗のではなく趙雲さんのものになっただけ。

 そうして手早く出来たものを、丼に盛ったご飯の上に乗せれば───

 

「名付けて、極上メンマ丼っ! おいっしーよっ♪」

 

 いつかと同じ状況の出来上がりだ。

 ただし今回は親父さんと趙雲さんの分だけだ……さすがに材料が無いから。

 

「おお……これはなんと見事な……!」

「この香り……この盛り……こ、これはあの時のっ!」

 

 興奮で震える声を絞り出すのもそこそこに、店主がメンマ丼に箸を通し、掬ったものを一気に頬張る。

 途端、店主は目を見開き、咀嚼から嚥下までを一気にこなして顔を上げた。

 

「こ、これだっ! この味っ! あの時のっ……! ちょちょちょ趙雲さまっ!」

「う、うむっ……、───……こ、これが……! この味が……!」

 

 二人がメンマ丼を口にして、体を震わせる。

 俺はといえば身なりを正すためにも制服を着直し、足を肩幅に開いて手は腰の後ろで組み、飛ばされるであろう言葉を待った。

 ……待ったのだが。

 

「はぐはぐはぐはぐはぐはぐっ!!」

「むぐっ! んむんむはぐっ! んがっ! かぐっ!」

 

 二人とも物凄い勢いで掻き込み咀嚼し嚥下するばかりで、こちらのことなど眼中にも……あ、あれぇ……?

 やがて二人がどどんっ!と丼を置き、キッと俺のことを睨むと……いよいよかと息を飲んだ俺へと、

 

『貴方が神か……!!』

「───…………へ?」

 

 予想外な言葉を投げて、真剣な目から輝く瞳へと変わったその目で、俺を見つめていた。

 ちょっ……え? あ、あれぇ!? え!? 怒声は!? 罵倒は!?

 かっ……覚悟は何処へ行けば!? 神って……えぇええっ!?

 

「まさかとは思っていたが北郷殿……貴方がメンマ神だったとは……! この趙子龍、見事に見誤っておりました……!」

「あっしもでさ……! 偉大なるメンマ神によもや得意顔でメンマ丼を振る舞っていたなど……穴があったら入りてぇ思いです……!」

「や、やー……あの、二人ともー……? もっとさ、ほら、思うところとかいろいろ……」

 

 何故黙ってたんだーとか、私が探している中でお主はのほほんとーとか、ほら……。

 

「自分がメンマ神でありながら、けっして自己主張することなく名乗り出ぬその在り方……実に見事!! 同士に願われた時にのみ腕を振るい、悟られてしまうとわかっていてなお味わわせてくれるとは……!」

「や、だから……ね?」

「さすがはメンマ神さまだ……こんな美味いもんを授けてくだすっただけではなく、あっしに改良の余地を与えてくれるなんざ……並のメンマ好きには出来ねぇことだ……!」

「いやっ! だからっ! ちょっと待ってくれいろいろと誤解がっ!」

「何を仰るっ、誤解などと! 貴公がメンマ丼を振る舞ってくださり、我らが心打たれた! いったい何処に誤解があると言いなさるか!」

「エ……あ、エ……?」

 

 アノ……俺がご馳走して……二人が喜んでくれて……アレ?

 ご、誤解……? 誤解ってどこ? 誤解って誰?

 

「いやいや誤解、あるだろ! あるよ誤解! そもそも俺、神とか呼ばれるほどのことはなにもしてないし、敬語使われるほどのことだって───!」

「それは否だ北郷殿! ……先ほども申したでしょう。己に出来ぬことを成した者には、たとえ相手が民であろうが兵であろうが敬意を払って当然だと。貴公は我らのメンマ道を確かに拓いてくれたのだ……敬うことの何が悪かっ!!」

「確かに言われたけどメンマだぞ!? さっきからメンマが国のことに繋がってたりしたけど、俺が作らなくても誰かが作ってたって! ていうか貴公ってなに!? どんどんおかしくなってない!? ああいやいや今はメンマだ! 俺じゃなくても作れたって話だろ!? メンマ丼だって普通にあるんだから!」

「それを誰より先に拓いてみせたのだから、こうして敬意を払い───」

「その払い方がいろいろ間違ってるって言ってるんだって!!」

「ええい強情なっ! 何故素直に感謝させてくださらぬかっ!」

「俺が作りたくて作ったもので、ただ美味しいって言ってくれればそれは嬉しいけどっ! これはなんか違うだろっ!」

「そんなことはござらん! 各国を回る旅をした私だからこそ言おう! このメンマ丼はその名に恥じぬ極上メンマ丼! 確かに店主がさらなる味に昇華させて見せはしたが、それは元があってのもの! その偉業を貴公は投げ捨てると言いなさるか!」

「だ、だからっ! 偉業とかをしたくて作ったんじゃないんだ! 味を変えたかっただけ! それだけなんだって!」

「メンマの、味を、変える……!?」

 

 ぎしり、と空気が凍った気がした。

 あ、と口が勝手に放った時には───

 

「なるほど……! その発想が極上を生んだのですな……!?」

 

 あれぇ!? 更なる誤解を生んだ!?

 

「不覚っ……メンマとはそれ単品、その味こそが至高と思うあまり、メンマの可能性を自らの意思で潰していたとは……!」

「目が……目が醒めた気分でさ……! 趙雲さま……メンマには、メンマにはまだまだ広がる世界があったんで……!?」

「ああ……ああ、そうだとも店主! 北郷殿が……メンマ神がそれを我らに教えてくださったのだ! ふっ……まだまだ我らも甘い……甘すぎた……!」

「………」

 

 ……もう、何も語るまいと思った。

 語ったら、余計に持ち上げられそうで……だから、きっと放っておけば熱も冷めると思ったんだ。こんなの一時の迷いだって。

 そう、だから……途中から他人のフリしていたみんなのように、何も語らず放心した。

 放心して放心して………………ハッと気づいた時には、

 

「姓は趙、名は雲、字は子龍。真名は星。北郷殿、貴公に我が真名を受け取ってほしい」

「………………」

 

 目の前で趙雲さんが真名を預けてくれていた。

 もはや訳がわからず、おろおろしているうちに話は勝手に進んで…………メンマで繋がった絆が、真名を許されるまで昇華した事実に気が遠くなるのを感じつつ、なんとかありがとうだけは送った。

 

 

 

 

72/友達の在り方

 

 放心状態から回復すると、そこは雑踏の中だった。

 自分が何故ここに立ち、陳宮を肩車しているのかもわからない。

 傍には思春と恋しかおらず、どうやら……あ、あー……あれだ。

 ただ言えることは…………

 

「メンマってすげぇ」

 

 それだけだった。

 口の悪さでじいちゃんに怒られようと、ここは素ですげぇと言いたかった。

 今まで散々と苦労しながら許された真名が……ええとその……メンマで、って……。

 思春の時は腹刺されたなぁ……冥琳の時は氣の道を壊しかけたし……麗羽の時は散々と振り回されていろいろもめたし、焔耶の時は本気で戦って痛い目みたし……メンマってすげぇ。

 そりゃあ友好的に教えてくれた子も居たけど……メ、メンマ……メンマかぁあ……。

 

「………」

「……? な、なんです? 今さら降りろと言っても聞く耳など持たないのです!」

「それって、なんだかんだで肩車が気に入ってるってこおぶっ!?」

「……貴様はいつもいつも、一言余計だ」

 

 肩車中の陳宮を見上げつつ訊ねてみれば、その顔面を見上げた先の張本人にぼごりと殴られた。

 そして冷静なツッコミが横から。

 ツッコミというか助言というか……とりあえず貴様呼ばわりはいい加減にやめてもらいたい。

 

「……? 一刀、どうかした……?」

「いぢぢぢぢ……あ、ああ……そういえばーって思っただけ」

 

 こてり、と首を傾げる恋に、続きを話して聞かせる。

 といっても本当にそういえばって思ったくらいのことで、強制する気も全くないのだが。

 

「そういえば、これで蜀で真名を許してもらってないのって陳宮だけかなーって」

「なぁっ!? な、ななな……なんですとぉおおーっ!?」

 

 とても驚かれた……んだが、本当にそうだよな。

 ……むしろ本人に言うことじゃなかったような……。

 

「お、おまえはねねの真名を許されたいのですか!?」

「え? いや、こればっかりは本人次第だし、無理にとは」

「許されたいのですか!?」

「やっ……だからな?」

「許されたいのですか!?」

「………」

 

 見上げたそこに、真っ赤だけど必死な顔があった。

 ……ハテ? 一体何が起きているのか、と首を傾げた途端、くいっと袖を引っ張られる。

 視線を下ろせばそこに恋が居て、ふるふると首を横に振るう。

 

「………」

「………」

 

 視線が交差し、言葉は語らずとも知れることが……あればよかったんだが。

 不思議だ……蓮華とは、目を見るだけで何が言いたいのかわかったっていうのに……。

 

「ん……、……ねね、言ってた……」

「言ってた? えと……な、なんてだ?」

「はぐぅっ!? れ、れれれ恋殿っ! それはっ、それはぁああーっ!!」

 

 恋がゆっくりと、つたない言葉で話してくれる。

 途端に陳宮が騒ぎだすが……そんな陳宮に向けてふるふると首を振りながら。

 

「……一刀、友達。だから、真名……呼んで欲しい……って……」

「へ? それって───」

「~っ……」

「恋もねねも、友達……大切。だから…………ねね」

「ふぐっ……! う、うぅうっ! なにをにやにやしているですおまえはーっ!!」

「いてっ!? たたっ!? こらこらっ! 肘はやめろっ! 顔も見ないで決め付けるなっ! べつににやにやなんてしてないぞ!?」

「ななななんですとーっ!? おまえはねねに真名を許されて嬉しくないというのですかーっ!!」

「ちょっと待とう!? どうしろと!?」

 

 肩車している相手と、ギャースカと問答をする。

 一方的に叩かれてばかりだが、不思議と下ろす気にもならない。

 そうしてまるで兄妹な感じで騒ぎ合って、疲れてみても状況は変わらず───

 

「陳宮ー、真名を許すのって恥ずかしいかー?」

「相手がおまえの時だけ、特別に躊躇するだけなのですっ!」

 

 それこそ兄妹が会話するみたいに軽く声をかけてみれば、肩の上で“がーっ”と両腕を振り上げ、声高く言い放つお姫様。や、肩の上の様子がハッキリわかるわけでもないが、なんとなくさ、ほら、相手の調子とか行動パターンを想像すると、この言葉の時ってそういうことしてそうだよなーっていうの、あるよな? 叫んでる時とか、大体両手を挙げて咆哮しているイメージだし。

 しかしそっか。俺の時だけ特別に躊躇……それって特別俺が嫌いってことなのかと問い返したくもなるわけだが、先ほどまた思春に「一言余計だ」と言われたばかりなので……二言目は少し待ってみた。

 ……状況は特に変わらなかったけどさ。

 いろいろ言いたくもなるけど、恋が袖引っ張って、思春が無言の圧力かけてきて……。

 あの……俺、なにか悪いことした……?

 

「じゃあ、躊躇しなくなったら預けてくれるだけでいいんじゃないか?」

「おっ……おまえは友達なのですっ! 友達なのに真名を許さないなどっ……!」

「ん、だから。親しき仲にも礼儀ありっていうし……って、これがこの状況で使うかは別としても、友達だからって全部を話さなきゃいけないわけじゃないだろ? 何事も隠さず話し合う関係って、多分すごく疲れるぞ? 俺はさ、もっと言いたいことは言い合えるような友達でいたいんだ。隠さない友達じゃないぞ? 言い合える友達だ」

「む……? 恋殿とねねのような仲ですか」

「え? あ、あー……なんでも言い合えているのかは少し疑問なんだが……まあ、うん。気を抜ける時は抜けて、話したい時はとことん話してさ。それが喧嘩腰みたいなものでもいいから、ぶつけてぶつけられての関係。傍に居るとほっとするけど、べつにその関係が重いわけじゃない。でも大事じゃないわけじゃないし、その絆を大切にしたいって思う。そんな関係」

「つ、つまり罵倒されたいのですかおまえはっ……!」

「やなっ……!? ななななんでそうなるんだっ、違うぞ!?」

 

 そしてまた広がろうとする誤解を必死になって解き、苦笑混じりに歩く。

 歩きながら何をしているのかといえば、昼を食べる前と同じ行動だ。

 とりあえず今日は仕事が無いらしい二人も一緒に、変わらずのボランティア。

 ボランティアっていうよりは、親切の押し売りなんだろうけどさ。

 それでも快く任せてくれて、ありがとうって言ってくれる内は押し売りでもいい。

 嫌な顔をされてまで押し売りする理由もないし、押し売りが断られたら真心込めてお願いしよう。手伝わせてくれー、って。

 

「……おまえはまだこんなことを続けていたのですか」

「ん? んー……まあ。私服警邏もこうした助け合いも、やってみれば案外楽しいし。あんまりやりすぎると、仕事の役割の意味が無くなる~って怒られそうだけどさ」

「それはそうなのです。いくら治安がよくても、警邏を仕事として請け負っている者も居るのです。それを奪えば怒られるのは当然なのです」

「いや、やる前にきちんと“ここらへんを回らせてくれ”って声をかけてるぞ? 仕事を奪うことの責任については、みっちりと華琳に教わったから。だから、俺が回るのはものすごーく細かいところなんだ。普通に回ってると、つい軽く見回っただけで済ませちゃうようなさ」

 

 そのために地図もメモしたし、こうして歩き回っては、何か問題はないですかーと声をかけたりしている。問題がありますよと返されれば、もちろんボランティアだ。

 だから、それがボランティアである以上は、“大きなお世話だ”とか“間に合ってる”って言われればそこまで。再度の確認として手伝わせてくださいってお願いをしても断られれば、また次の機会に。

 そんなことを続けているわけだ。

 

「……疲れないのですか? 他国のためにどたばたと走り回るなんて」

「基本的に、困ってる人は見過ごせないんだよ。理由なんてそれで十分だ。自分の力で救えるなら嬉しいし、ダメなら誰かに助けを求める。助けようとして助けられないって結構恥ずかしいけどー───……えーと……まあその、恥を上乗りさせようが、あとに待ってるのが“ありがとう”なら頑張れるだろ?」

「自分のためにです?」

「自分のためにです」

 

 お節介の先の行動なんだって理解した上での行動は、結局はお節介なわけで。

 それが他人のためかっていうと、これが案外そうでもなく……ただ自分が、救いたい救ってあげたい笑顔が見たいと思っての行動が大半だ。

 本当なら自分で乗り切れる力を持てたほうが、相手のためにもなるだろうし……手伝ってばかりだと相手のためにもならないって、じいちゃんに文字通り叩き込まれたから。

 

「結局おまえは何がしたいのですか? 困っている人を助けて、だからって何も求めないで、それが自分のためと言えるのですか」

「ん? んー……陳宮は絵本って好きか?」

「絵本? そ、そのような子供が読むもの、ねねは読まないのですっ!」

「……読んでる」

「恋殿っ!?」

「ははっ、そっか」

 

 隠そうとしたのにあっさりと恋に暴露されると、陳宮はビシリと固まった。

 俺はそんな陳宮を見上げながら笑って、隣を歩く思春は絵本と聞いて少しだけ眉を動かした。

 

「俺はさ、笑顔が見たいんだ。ただそれだけ。だから、笑顔を見せてくれた時点で自分のためになってるんだよ」

「笑顔……ですか? それは人心などではなく……」

「ん、ただの笑顔。手伝ってやるから何かよこせーとかじゃなくてさ、自分がやったことで誰かが笑ってくれる、そんな打算の上でやってるんだ」

「……なかなか黒いですね、おまえ」

「へ? …………ぷふっ、……ああ、黒いぞー? 黒いから、断られたら一度だけお願いしてみて、それでもダメなら知らん顔して別の人のところに駆け込むんだ。手伝わせろー、笑顔にさせろーって」

 

 くっくと笑いながら返す。

 黒いって言われたのってもしかして初めてか?

 そんなことがただ可笑しくて、小さく笑った。

 

「随分と回りくどいな、貴様は」

「最初から親切を親切って信じてくれる人なんて居ないって。押し売りしてるのは確かなんだし、だったら黒でもいいのかもなって───っと、……恋?」

「………」

「……ん。ありがと、恋」

 

 袖を引っ張って首を横に振るった恋の頭を、くしゃくしゃとやさしく撫でた。

 本当に黒に染まるって話じゃなかったんだけど、それはいけないことだって止められた気がして。

 悪いことはいけないことだけど、必要悪ってものがあって……はぁ。

 

「青鬼は偉大だな、赤鬼……」

 

 溜め息を一つ、歩を進めた。

 何か困っていることはないですかーと訊きながら、他愛ない会話をして。

 

「よく話題が尽きないのです……」

「世話話だし。学校の話もあるし、手伝いの話だったりするから」

「単に貴様が話題に困る生活を送っていないだけだろう」

「おぐっ……! そ、そうかも……」

 

 話した相手の中には、戦で子を無くした夫婦も居た。

 けれど恨み言を言われるわけでもなく、ただ……落ち着いた笑顔で話し相手になってほしいとだけ言われた。

 それからはいろいろな話をした。

 魏で経験したこと、呉で経験したこと、蜀で経験したこと。

 戦の中で知ったことや、それとは別に思い知らされたこと、楽しいことも辛いことも。

 夫婦は困るわけでもなく話を聞いて、自分の思ったことも話して聞かせてくれた。



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38:蜀/友と同士、そして同志。ところにより雷④

 空が朱色に染まるにはまだ早い青の下を歩く。

 相変わらずの肩車で、何故か時々恋が羨ましそうにこちらを見てくるけど、多分気の所為だろう。

 

「争わず、手に手を取れれば……かぁ」

 

 そうして歩く中で、思い返すのは夫婦が最後に言った言葉だった。

 やっぱり、行き着く果てはそこなのだろう。

 争わずに手を取れていたら、誰も死ぬことはなく、って。

 

「なぁ思春、人が一番手を繋ぐ可能性がある状況って、どんな時だと思う?」

「? ……急になんだ」

「子供の頃にさ、戦があったとしたらって仮定で、じいちゃん……祖父に訊いたことがあるんだ」

 

 まだヒーローがどうのこうのでじいちゃんと言い合ってた頃のこと……だった筈だ。

 変身ヒーローはあとから現れたヒーローと手を組んで、大きな悪をやっつける。

 そうすればすぐに勝てるのに、ぎりぎりまで手を組まないのはどうしてなんだろうって。

 ……つくづく、ひねくれた子供だったよなぁ。

 

「ほう……祖父はどう答えた」

「より大きな敵が現れた時、だってさ。いがみ合う二つをくっつけるには、別の大きな問題を……一人では解決できない問題を押し付けてやればいいって」

「───なるほど、一理ある」

「ただし、それはよほどに大きな問題であり、よほどの悪でなければ成立しないって」

「当然だ。そうであるからこその“大きな問題”だろう」

「ん……そうなんだけどな」

 

 だから、青鬼は偉大だって思う。

 自分が孤独になることも厭わず、友人である赤鬼のために悪を貫いた。

 絵本にはいい話が多いけど、“救われない誰か”が大体居る。

 誤解でそうなった者も居て、偶然そうなってしまった者も居て、そんな中で進んで悪を買って出るのは……勇気がどうとかの問題じゃないと思うんだ。

 それがさっき思った必要悪かと自問してみると、先ほどのように溜め息が漏れた。

 誰かが進んで悪にならなければ手も繋げないような世界にだけは、絶対に歩んでいきたくないな、と……そう思ったからだ。

 

「さて、二人はこれからどうするんだ? 俺と思春はもうちょっと回っていこうと思ってるけど」

「……、……眠い」

「恋……食べてすぐ寝ると太…………らないから、これなのか……?」

「……?」

 

 やはりこてりと首を傾げられた。

 改めていろいろ凄いな、この世界の人達は……おおう? 恋? 服引っ張らないで? 動いてる途中だと、切れちゃうかもしれないから。

 

「……一緒に、寝る」

「え? あー……ごめんな恋、せっかくのお誘いだけど、これも仕事……になるのか?」

「私に訊くな」

「…………えーと」

「ね、ねねに訊かれても知らないのです!」

 

 ボランティアって仕事じゃないよな? お金を貰うボランティアってボランティアって言うのか? ……有償制ボランティアがどうとか、本で見た気もする。そういうものもあるにはあるんだろう。

 ていうか、普通に金を貰う以上、仕事だよな。

 ……あれ? この場合、俺もそうなるのか? こうして歩き回って、確かに手伝った相手にお金を貰うことはしないものの……給金はもらっているわけだから。

 

「……ごめんな恋、やっぱりこれも仕事だから。桃香や、他の警邏担当にも迷惑がかかるし、サボるのは……」

「………」

「あ、あの……恋?」

「……………」

「だから……な?」

「…………………………」

「………」

 

 神様……。

 

……。

 

 …………。

 

「それで、ぺこぺこと頭を下げて堂々とさぼったわけですか。他国だというのに随分と態度の太いやつなのです」

「しっ……仕方ないだろっ!? あんな目でじぃっと見られ続けたらっ……!」

 

 そんなわけで……結局は見つめられるまま折れるまま、中庭の木陰でお昼寝だ。

 俺って押しに弱いのだろうか……いや、そんなことはないよな。

 弱かったらもう既に呉将とかに手を出してしまっていて、一部分がズパーン飛んでてヒィイイ!! か、考えないようにしよう! うん、それがいい!

 

「……何故私まで……」

 

 そんな中、同じく昼寝に付き合うこととなった思春が、俺の下につくことになってからの自分の在り方に頭を痛めていた。なんというかそのー……ほんと、ごめんなさい……。

 さて。そんなみんなを昼寝に誘った、当の本人といえばもう眠ってしまっていて、その丸まった体と腕の中にはセキトが抱かれ、こちらもまた気持ち良さそうに眠っていた。

 その隣に陳宮、そのまた隣に俺で、その隣が思春、といった並びだ。 

 隣ってこともあって、目が合えばあーだこーだと話をする俺と陳宮だが、街中で話した真名の話は……今は微塵にも出て来ない。

 改めて訊いてみることでもなし、それこそ陳宮が躊躇することなく預けてくれたら、喜んで受け取ろうと思っている。

 ……まあ、それがいつになるかは、全く見当がつかない。つかないけど、自分のペースで自分らしくが一番……だよな? 誰かに強制されて許されたら、呼ぶ時にも呼ばれる時にも小骨が引っかかるような思いをしそうだ。

 

「……その。北郷一刀……?」

「ん……んー……?」

「返事をもらっていないのです。おまえは……ねねの真名を許してもらえると、嬉しいですか?」

「んー…………んっ……それは、嬉しいか嬉しくないかを訊いてる……んだよな? さっきみたいないつか許してくれればいい、みたいな返事を望んでるんじゃなく」

「………」

 

 空を正面に見たまま返事を待つが、返ってくるものはなかったから……それが肯定だと受け取ることにした。

 だったら答えは……一つしかないよな。

 

「それは……嬉しいな。友達ってことでもそうだけど、伸ばしてくれた手は握りたいって思う。もちろん義務的じゃなく」

「………」

 

 やっぱり返事はない。

 代わりにひょいと、空へ向けていた視線を隣に向けると、陳宮がこちらを向きつつぎょっとしていた。……あれ? もしかしてなにかのタイミング誤ったか? 俺……。

 とか思った瞬間に寝返りまがいのちんきゅーきっくが───

 

「おふぅっ!? ごっ……げほっ! おっほごほっ!」

 

 ───見事に脇腹を襲い、思いっきりに咳き込んだ。

 陳宮はといえば、「ななななにを急にこっちを見ているですー!」と叫んでいるわけで……。

 

「あ、あのなぁああ……! 振り向いただけで蹴り入れられるって、どれだけ気安い友人なんだよ俺は……!」

 

 地味に急所……じゃないな、痛いところを蹴られたために、さすがに語調も震え、口の端も歪んでゆく。

 ……い、いやっ……語調が震える時にこそ、冷静で平静な自分をイメージするんだ。

 怒るな怒るな……まずは話を……うぶっ、なんか酸っぱいものが込み上げてきた。

 そういえば、昼食べたものもまだ消化し切れてないか、消化したばかりじゃ……?

 そんな気持ち悪さに呼吸を乱しながらも、手を伸ばしてがっしと陳宮の肩を掴むと、目を真っ直ぐに見て説得開始。

 

「ふ、ふ……ふー、ふー……! ち、陳宮……? とりあえず……な? とりあえず蹴りをぶちこむの、やめような……!? 慌てたり何がどうとか思っても、まずは一度立ち止まろうな……!? な……!?」

「う……め、目が血走っているのです……!」

「血走りもするわぁっ! やすらいでるところに不意打ちキックされて、咳き込まずににっこりできる人が居たらそれこそ尊敬するわ!」

「む、むむむー……元を正せばおまえが急にこっちを見るから───」

「…………」

「ひぅうっ!? わ、わわわ悪かったのです! 謝るから肩を掴んだまま睨むなですーっ!」

「えぇっ!? にらっ……!?」

 

 笑ったつもりだったんだが……? あ、あれ?

 って、落ち着け落ち着け……はぁ。

 いろいろと溜まってるものがあるのかな……こんなことで無意識に睨むなんて。

 あ、口調もか……はぁあ……。

 呉で砕けて以来……だっけ? “血走りもするわぁっ”なんて声を張り上げたのなんて。

 確か、冥琳をなんとか救えたあとに、雪蓮に追われた時とかに……うん、多分あの時以来だと思う。気をつけないとな……近くにじいちゃんが居ない所為かな、気を抜くとすぐに口調が砕ける。

 

「…………」

「………」

 

 まあ、そんなことは後回しだ。

 今はこの、何処か怯えた様子で、けれど俺から視線を外そうとしない友達をなんとかしよう。

 

「陳宮?」

「な、なんですか!? まさかおまえ、恋殿が寝入っているのをいいことに、ちちち陳宮をーっ!」

「どうすると!? ななななにもしないって! ただお互いに気まずいままで眠るのは嫌だからって、少し話をしようと思っただけだよっ!」

「話すことなどないのです」

 

 あ、いじけた。

 両の頬に手を当てて、ぶーと口を膨らませている。

 というか……自分の呼び方、真名と姓名とでころころ変えて、疲れないのだろうか。

 ……ああもう。

 

「陳宮、真名を呼ぶことを許してくれないか?」

「なっ……なななにをいきなり頭の悪いことを言ってるです? “許したくなったら”とか言っていたのに、なんと我慢の利かない男ですか」

「我慢が利かなくていいから。真名で呼びたいんだ、陳宮のこと」

「ひうっ!? な、な、なー……ななな……はうっ!」

「おおっ!?」

 

 俺の言葉に、再び蹴りの構えを取ろうとした陳宮だったが、さっき俺が言った言葉を思い出してくれたのか、とどまって───

 

「おふぅっ!?」

 

 ……改めて蹴られた。

 うん……一応、一度立ち止まってはくれただけあって、地味にツッコミづらい。しかも赤くなりながら言っていることがさっきとまったく同じで、ええいもうどこからツッコんでいいやら。

 

「げほっ……あの、ごめん……一度立ち止まるんじゃなくて……是非、蹴るのをやめてほしい……ごほっ、げっほっ……!」

「お、おおおおおまえがおかしなことを言うのが悪いのです! ねねは悪くないのですーっ!」

「悪い悪くないは別にしても、是非やめてほしいって言ってるんだけど……。見境無く蹴り込んでたら、絶対にいつか大変なことになるぞ? だから───」

「大きなお世話ですっ」

 

 あ、また拗ねた。

 …………やっぱり、無理に願うものじゃないよな。

 自分の人称も、自分で無意識に使ってるんだろうから……俺一人がどたばたしたって何も解決しない。

 

「…………すぅ……」

 

 寝よう。

 元々それが目的だったんだから、今度こそ痛みを忘れてこのやすらぎを受け容れて───

 

「………………友達とは、どう接するものですか?」

 

 ───……いや。

 すぅ、と吸った息は、投げられた質問に高鳴った鼓動によって、簡単に霧散してしまった。

 どうしてそんなことを訊いてくるのかなんて、きっと野暮だ。

 友達として質問されたなら、友達として返せばいい。

 

「ん……重すぎず軽すぎず。一緒に居ると楽しくて、そいつとならきっと、ずぅっと馬鹿やってられる……そう思える相手が理想……かなぁ」

 

 思い出したのは及川だった。

 戻ってから剣道や勉強ばかりだった俺に、なんだかんだと声をかけてくれた。

 軽くはあるけど、あれで思いやりがあって気が利くやつだ。

 そう思えば、なんだかんだと女の子に人気があるのも頷けた。

 親友にまではいかなくて、女性にとっても恋人とまではいかない。

 “永遠の友達どまり”の存在って、なんとなくがっくりするイメージはあるけど……それは多分、俺達が簡単に思うよりも凄いことだ。

 だってそれは、“たった一人の大切な人にはなれなくても、ずっと友達で居たい”とは思うってことだ。

 そんな関係で居られるのって、やろうと思って“ハイ”って出来ることじゃない。

 

「……いっつもおかしなことばっかり言うから、呆れてばっかりだけど……」

 

 それに救われたことは、自分が思うよりもあるんだろうなぁ。

 フと閉じた瞼の裏に、ふざけている及川の姿が見えた気がして笑った。

 

「傍に居ても嫌じゃないって思えたら、べつにもう難しく考えることはないんだと思うよ。一緒に居て窮屈に感じるんじゃなく、“楽だ~”って思えればいい……そんなのでいいんじゃないか?」

「むむむ……」

「陳宮は俺と一緒に居るの、嫌か?」

「……そういうおまえはどうなのです」

「俺? 俺は……普通。それこそ、一緒に居て楽だって思ってるよ。賑やかだしなぁ」

「そ、それは間接的にねねが煩いと言っているですかーっ!」

「はいパシッと」

「はうっ!? こ、こらっ! 離すですっ!」

 

 三度目の蹴りはさすがに受け止めた。

 で、仕返しとばかりに足ごと引っ張ると、暴れる陳宮をぎゅむと抱き締め、再び空を真っ直ぐに見つめ、息を吐いた。

 まあその、ようするに仰向け状態の自分の上に陳宮を寝かせてる……マテ、いろいろ誤解を生まないか、この状況。

 

「はははは離すですぅうーっ! れれれ恋殿っ! 恋殿ぉおっ! 種馬がついに本性を現しましたぞーっ!!」

「………」

 

 主にやられた本人が誤解しまくりだった。

 もう、真名がどうとかいう流れじゃない。

 苦笑をひとつ、暴れる陳宮の頭をゆっくりやさしく撫でた。

 どれだけ暴れようと噛み付こうと、動きは一定に、乱すことなく。

 

「………」

「………」

 

 次第に暴れる行為も鎮まって、陳宮も空を見上げながら「はぁ」と息を吐いた。

 

「おかしなやつです、おまえは」

「人はおかしなくらいが人生を存分に謳歌出来るって、どっかの誰かが言ってたぞ」

「ならばそれに輪をかけておかしいです」

「…………なら、輪をかけて謳歌出来るな」

「…………」

「………」

 

 沈黙。

 交わす言葉も特に浮かばなくなり、しかし嫌な空気は漂わず、さぁ……と吹く風に撫でられるままに目を閉じる。

 そういえば、こんなふうにではなかったけど……霞が凪の膝枕でごろごろしたりしてたことがあったっけ。懐かしいな……。

 

『……すぅ……』

 

 もう一度、体中に行き渡らせるように息を吸った。きっとたまたま、二人同時に。

 それが眠気を運ぶような感覚とともに、体が心地良いだるさに包まれてゆく。

 あとは身を任せるがまま、やがて訪れるであろう夢の世界へと───モニュリ。

 

「………」

「………」

 

 目が合った。

 陳宮とじゃない。

 俺を見下ろし、ふにふにの肉球を人の頬に押し付ける緑髪の野生猫と。

 

「兄ぃ、遊ぶにゃ!」

「にゃーっ!」

「にゃーっ!」

「にゃうー」

 

 名を孟獲。

 人の鼻の先を肉球でつついてきた犯人である。

 周りにはミケもトラもシャムも居て、遊ぶ気満々のようで……えぇと。

 

 コマンドどうする?

 

1:寝るからダメと追い返す

 

2:「楽しい夢の世界へようこそ」と、一緒に寝ることを促す

 

3:遊ぶ。力の限り。

 

4:名乗りを上げて戦いを挑む

 

5:眠ることの素晴らしさについてをみっちりと説く

 

6:歌おう友よ!

 

7:木天蓼(もくてんりょう)を探す旅に出ようと促す

 

8:俺達の睡眠は……始まろうとしたばかりだ!

 

 結論:2

 

 楽しい夢の世界云々はどうあれ、一緒に寝ようと誘うことにした。

 

「いやにゃ」

 

 そして即答だった。

 

「みぃたち、もうたっぷり眠ったにゃ。だから兄ぃ、みぃたちと遊ぶにゃ!」

「遊ぶにゃ!」

「遊ぶにゃー!」

「にゃん」

「し、静かに静かにっ……! 一応みんな寝て……いや、明らかに思春は起きてるけどさ……あれ?」

 

 そういえばと気になって、腹の上の陳宮の様子を見る……と、特に何を言うわけでもなく……規則正しい呼吸とともに、眠っていた。

 ……早ッ! ていうか思春さん、どうしてここで俺に殺気を飛ばしますか?

 美以たちが来たのは俺の所為じゃないと思うんだけど……。

 でも確かにこのままじゃあ二人が静かに眠れないよな。

 だったら……よし。

 

「ん、わかった。遊ぶかっ」

「遊ぶにゃーふむっ!? む、むむむむーむー!」

「だから静かにっ……! 遊ぶから、静かに……!」

「…………むぁふぁっふぁみゃ」

 

 一応こくりと頷いてくれた、空を隠すように覗いてくる美以の口から手を離す。

 それからそっと陳宮を草の上に下ろして、思春にも「ゆっくり休んでて」と声をかけると……地を蹴り駆け出した。途端に追いかけてきて、体にしがみついてくる美以たちを、出来るだけ三人から引き離すために。

 

(……なんか、逃亡劇の際に囮になる誰かみたいだな、俺……)

 

 しかも守る対象が誰かの安眠だっていうんだから、格好がつかない。

 格好云々はもう本当にどうだっていいんだけどさ。

 というわけで遊んだ。

 三人が居る場所から遠く離れた森を駆け山を駆け、いつかのように自然と混ざり合うように暴れ……ハッと気づくと何故か鈴々が混ざっていて、美以やトラたちと一緒ににゃーにゃー叫びながら暴れ回っていた。

 あとは……本当に原始と唱えるべきなのか。

 現れた猪と戦い、打ち勝ち(鈴々と美以が)、南蛮料理(というか丸焼き祭り)がその場で振る舞われ、あまり腹は減ってなかったけどせっかくだからと食べて、それが終わればまた暴れて。

 散々と自然と一体になった俺達は、ところどころに擦り傷切り傷を作った子供のように汗だくで城に戻って───……何故か腕を組んで仁王立ちして待っていた愛紗に捕まり、みっちりと説教をくらっていた。

 ……もちろん正座で。

 

「あの……愛紗? 状況がよくわからないんだけど……なんで俺、怒られて……?」

「ほう……自ら進んで始めた警邏を途中で抜け出し、美以らと遊び回り、使いを頼んだ鈴々まで巻き込んでおいて“わからない”と?」

「ア」

 

 あ、あ……アー……そっかそっかー、少し考えればわかることでしたね……。

 

「山から煙が出ていると報せが走り、何事かと駆けつければ、焚き火の跡と転がる骨。あちらこちらから聞こえる遠吠えに混じり、一刀殿の声が聞こえた際には、よもや何者かに襲われたのかと心配したというのに……!」

「………」

 

 ああ、うん……ね? なんかもういろいろ終わった気がした。

 よく見てみれば、愛紗もところどころに擦り傷があったり髪の毛に葉っぱが絡まってたり……え? もしかして追いかけてたりした?

 

「声を追ってみれば縄に足を取られて宙吊りになり、抜け出してみれば落とし穴に嵌まり……!」

 

 ……ごめん愛紗。本当にごめんだけど、話を聞いてる限りじゃあまるで愛紗が……い、いや、これは思うだけでも失礼ってものだよな。心配して追ってくれたんだし。

 そうだよそう、言わぬが吉、思わぬも吉ってことで───

 

「にゃははは、愛紗はまるで猪なのだ」

「キャーッ!?」

 

 思ってしまったことをきっぱりと仰ってしまった人が隣に居た。

 思わず左隣に座る鈴々へと物凄い速度で振り向き、妙な悲鳴をあげてしまった。

 そんな自分の悲鳴の中で確かに聞こえた、何かがブチリと切れる音。

 “ああ、振り向きたくない”と心の中で叫んだその日。

 正座をしていた俺達は、恐る恐る振り向いた瞬間───……般若と、出会った。

 

「いい国にしようと……桃香さまに仰ったそうですね……?」

「ハ、ハイ……!」

「その貴方がっ……仕事を抜け出し遊び呆けているとは何事ですかぁああああああっ!!」

「ごごごごめんなさいぃいいっ!!」

 

 雷が落ちた。

 途端に鈴々や美以らはピャーと逃げ出し、正面から般若の雷を浴びせられた俺は竦み上がって逃げられなかったわけで……たまたま通った桃香が止めてくれるまでの時間を、終わることがないのではと思うほどの長い長い説教を聞いて過ごした。

 

 ……ちなみに夜。

 昼寝がすぎて眠れなくなったらしい恋や陳宮に部屋を訪問され、眠れぬ夜を過ごした。

 結局寝れたのは空も白む頃のことで、「いつまで寝ている」と言う思春の殺気で起床。

 ……今日もまた、一日が始まった。しょぼしょぼした目で。

 教訓があるとしたら、きっとこれだ。

 どれだけ子猫のような純粋な目で見つめられても、仕事中は仕事をしよう。

 それだけを胸に、いつも通りに水を求め、厨房への道を歩いたのだった。



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39:蜀/将だけでなく、民たちの一歩も①

73/思い遥かに四日間

 

 へばりつくような喉に水を流し込んだ。

 それだけで、一度も水を飲まなかった一日の終わりに、ようやく飲めたかのように染み渡る水分。

 目は相変わらずしょぼしょぼだったけど、それはそれとして、水の冷たさが食道を通る感覚を楽しんだ。

 

「《パンパンッ!》よしっ!」

 

 頬を叩いて眠気に一喝。

 何事かと厨房に居た侍女さんに見られ、会話をするでもなく軽く謝ってから食事を済ませる。

 意識して咀嚼すると、案外眠気も飛ぶもので……食べ終わる頃には眠気は意識の奥底へと沈んでくれていた。……目のしょぼしょぼは相変わらずだけどね。うん。

 

「はぁ……こういう時にこそ目薬が欲しい」

 

 無いものねだりもそこそこに、歩を進めた。

 厨房を出てからは中庭へ向かい、朝の体操。

 それが終わると東屋へと歩き、椅子に腰掛けつつメモを取り出して、周りに誰も居ないことを確認すると……絵の練習を少しだけしてみて、相変わらずの酷さに空を仰いだ。

 仰いだところで東屋の天井しかないけどさ。

 

「……コツとかってないだろうか」

 

 言っても仕方の無いことを口にしてみる。

 これも積み重ねなんだってことはわかってはいるんだが、どうしてもそう思わずにはいられない。

 溜め息一つ、メモとシャーペンを仕舞って立ち上がる。

 

「よし、終わってない問題解決に行こうか」

 

 桃香のもとへと届けられる書簡は日に日に増えていく。

 その中の一部を受け取り、巡り、解決といった行動を繰り返しているわけだが、昨日は途中で抜け出してしまったために消化しきれていない。

 それどころか今日、また増えるのだろう。

 それらを消化するためにも、ここでボーっとしているより行動行動だ。

 

……。

 

 早朝の街は、やはりと言うべきか昼頃ほどの賑わいはない。

 けど、それぞれ店があるところからは時折良い香りが流れ、食事を終えたばっかりだっていうのに何かを口に入れたくなる。

 準備中なんだろう、さすがに仕込み中の厨房に乗り込んで“くださいな”と言うわけにもいかず、そんなことをやりたくなっていた自分を笑いながら歩いた。

 

(……親父、元気にしてるかな)

 

 思い出すのは呉に居る親父。

 仕込みだなんだって、結構どたばたしたっけ。

 ……乗り込んで、手伝わせてもらって、お裾分けを……ってだめだだめだ、何考えてるんだ俺。

 

「ん……失敗した」

 

 早朝の街でやることなんて、特に無かった。

 早起きの人とすれ違い、少し会話をしただけで、やることが無くなってしまった。

 試しに何か手伝いましょうかと訊いてみても、「伝統の味だから任せるわけには」と、さすがに断られた。

 餡子だもんな、いろいろと工夫して作ってるんだろうから、邪魔するわけにもいかない。

 仕方なく城へと戻り、中庭へやってきた。……がらんとして、ただただ静かな中庭へ。

 

「………」

 

 …………もしかして今、侍女さんしか起きてない?

 思春さん……貴女いったい、どれだけ早く人のことを起こしたんですか……?

 

「いやいや、早起きは三文の徳って言うし……あれ? 得だったっけ?」

 

 中庭で一人、考えてみる。

 メモを取り出して得と徳を書いてみるが……徳か?

 

「“徳を得る”って意味として受け取ればいいか」

 

 気にしないことにした。

 早起きすれば三文……ちょっとした徳が得られますよってことで。

 ……と、勝手に自己解決していると、ようやく見知った顔を発見。

 なにやら周囲を警戒しながらとたたっ、とたたっと駆ける……書物を持った朱里。

 あれれー? あの警戒する姿はひじょーに見覚えがあるぞー?

 桃とか同盟とかいろいろ思い出すあのソワソワした感じ。

 あれは間違い無い……例の書物を見る時の反応。

 

「………」

 

 ソッと木の後ろに隠れる。

 見つかるのはまずい。いろいろとまずい。

 思春と一緒に寝るのも大分慣れてきたところに、あんなものを見せられてはいろいろと、いろんな意味でたまらない。

 見つかっちゃだめだ……見つかっちゃ…………

 

(ああ……)

 

 後ろから服を引っ張られた。

 服を引っ張るなんて行動を取る人物は、蜀では結構限られている。

 呉あたりなら……亞莎くらいだろうか。でも蜀では恋か……雛里。

 そして恋ならきっとくいくいと二回引っ張るに違いないわけでして。

 つまりこの“一回だけ控え目に引く”なんて行動は……。

 

「………」

 

 ソッと振り向いた。

 既に誰がそこに居るかを確信して、少し視線を下に向けて。

 すると、魔女のような帽子を片手で被り直しつつ、俺を上目遣いに見上げる雛里が。

 ……どうしよう。

 

1:仕事があるからと、そそくさと逃走。

 

2:せめて用は聞こう。行動はそれからだ。

 

3:艶本を見る時間があるなら、一緒に警邏ボランティアをと誘う。

 

4:むしろ見る。艶本を見る。己の中の野生解放を今こそ。

 

5:いつもお疲れ様と労う。艶本は見ない方向で、街に連れていくなりして。

 

 結論:…………2……2だろっ……2っ……!

 

 ……こほん。

 

「お、おはよう雛里。早いんだな」

「………」

「……雛里?」

 

 朝の挨拶をすると何故か顔を赤くし、帽子を深く被り俯くことで、自分の顔を隠してしまう。

 けれど服は掴んだまま。

 きょろきょろと辺りを見渡すと、挙動不審なソワソワ朱里さんを発見、わたわたと朱里が居る方向を見ながら手をパタパタさせたりして───ハッ!?

 もしかして俺を探してたのか!? 朱里もか!? だからあんなに警戒してるのに部屋に戻らず、いつまでもあちらこちらを歩いて……!?

 ……じゃあ、こうして服を掴んでるのって…………俺を逃がさないため、とか?

 

「…………」

「……!? ふぁわっ、ふぁわわわわ……!?」

 

 ならば見つかる前に行動。

 やっぱりソッと雛里の口を塞ぐと、その体をやさしく抱き上げ逃走。

 怒られたばかりだから、さすがに仕事をしなくちゃまずいのだ。

 時間を作って誘ってくれるのは素直にありがとうなんだが……これで、見るのが艶本じゃなければなぁ。

 と踏み出していった先でベキャアと何かが砕ける音。

 

「あ」

「!」

 

 ……落ちていた枝を踏み折ってしまった。

 いっ……今時ドラマでもこんなベタなことしないだろ!? さすがにこれはないだろちょっと! って、今後方から「はわっ!?」って確かに聞こえた! ていうか来てる! パタパタと走る音がする!

 

(神様……)

 

 空を仰いだ。

 ……しょぼしょぼな目には痛いくらいの眩しさが、そこにあった。

 

……。

 

 悪い予感は裏切らない。

 あまりに予想通りのコトの運びに、少し遠い目をした。

 ただしそれは仕事が終わってからってことに“なんとか”なって、そこに辿り着くまでに散々たる説得があったことを、是非覚えていてほしい。と、誰にともなく心の中で呟いて、現在は東屋で学校のことについてのまとめを話している。

 二人は……今日はお休みなんだそうだ。

 

「……、……」

「…………、~……っ……」

「二人とも……とりあえず落ち着こう……?」

 

 話しているんだが、二人ともそわそわしすぎてて、文字通り話にならない。なんだかんだで“見ること”を約束してしまったために、二人のテンションが少し変なのだ。

 顔を赤くしてあちらこちらへと視線を動かして、声をかければ「はわぁっ!」とか「あわぁっ!」とか叫んで、宥めると顔を赤くして俯いて、少しすると視線を彷徨わせ始める。

 で、声をかけるとまた……と、ループな状況が出来てしまった。

 

「学校のことだけど、順調ってことでいいのかな」

「はわっ!? は、ははははいーっ!」

「返事だけにどれだけ力込めてるの!? しゅっ……朱里っ、朱里っ! 落ち着いてくれ本当に!」

 

 風の無いその日、東屋の円卓に広げられた学校の見取り図を見下ろしながらの話は続く。ただし、続いていようが、“進んでいるか否か”で言えば、否って答えられる。

 時はまだ早朝。

 ぽつぽつと通路を歩く将を見るようにもなったけど、それでもまだ賑やかには程遠い。

 そんな中でも、二人は一応聞いていてはくれるようで、話し掛ければ大袈裟に叫びはするけど返事はくれる。なので、せめて自分だけはと努めて冷静に話を進め……そんな雰囲気が伝わったのか、朱里も雛里も少しずつ冷静さを取り戻して……ああうん、顔が赤いままなのはツッコんじゃあいけない。ツッコんだら絶対に繰り返す。

 

「で、だけど。グラウンド……外の方に用具入れを作って、跳び箱とかを作るのはどうだろ」

「とびばこ……ですか?」

「うん。ずっと走っているだけじゃあ、来てくれる人も飽きそうだし……」

「いえ、あの……鈴々ちゃんが、その……先を走ると、みんな笑いながら……追いかけてますけど……」

「へ? そ、そうなのか?」

 

 走るだけでも案外楽しいのか? って……鍛錬の時、鈴々と競い合って走ってる俺が言っても、説得力がないよな。

 

「はい。走り回ってからは、皆さん静かに勉強してくれますし」

「ああ……そういえば、前に天でそういうのを見たなぁ」

 

 以前それをやってみたらどうかなとも思ったっけ。風呂を提供できるわけじゃないから、汗臭い体で授業を受けることになるんじゃあと躊躇したけど……わかる気がした。疲れてない状態だと、勉強中でも騒ぎ出しそうだし。

 子供だもんな、仕方ない。

 

「ですから最近では、まず体育を最初に持ってくるようにしているんです」

「うわっ、それは大変そうだ……。あ、あー……ちゃんと準備運動からやってるか……?」

「は、はい……それは、もちろんです……。お預かりしているんですから、無茶はさせられません……」

「だよな、うん」

 

 こくこくと頷く雛里に返し、自分の頭でもいろいろと考えてみる。

 跳び箱も、あれば使うだろうし……やんちゃな子供は結構好きそうだ。

 鉄棒は……作るの結構難しいか? あ、跳び箱作るなら、マットも必要だよな。

 

「あ、そういえば……走るのが辛い人を走らせたりは、さすがにしてないよな?」

「はわ……あの。一度、猪々子さんと翠さんが、腰を痛めている人を無理矢理走らせようとしたことが……」

「こ、根性があれば、どうにでもなる~って言って……」

「……猪々子と翠は根性論、好きそうだもんなぁ」

「それで見本を見せると言って、運動を始めて……翌日は二人仲良く“体が痛い”って涙を流していました……」

「うん……なんとなく途中でオチが読めたよ……」

 

 でも、確かに腰周りの筋肉を鍛えれば、腰痛も少しはマシに……なる前に、筋肉痛でどうにかなっちゃいそうだな……あの二人に任せると。

 

「走れない人には別の運動で、少しずつ体を丈夫にしていく方向でいこう。あと、走る以外の運動方法を探す方向も、じっくり探りながら追加してみよう。……で、勉強のほうだけど」

「はい。授業自体にそう問題はありません。雛里ちゃんも少しずつではありますが、一人で授業進行が出来るようになりましたし……他のみなさんも教えることに自信が持ててきたと言ってます」

「あわわ……しゅ、朱里ちゃぁあん……! それは言わないでって……!」

 

 自分のことを言われたのが恥ずかしかったのか、雛里は隣に座る朱里をぽかぽかと叩き始めた。……もちろん、痛そうではない。むしろキャッキャッと燥ぐような感じで、微笑ましいくらいだ。

 しかし、その後に言葉が続けられた。「でも」と。

 

「ただその……詠さんが厳しすぎると、生徒から言われたことがありまして……」

「詠が?」

「あわっ……は、はい……。教え込んでいるというより、その……叩き込んでいるといった感じだそうで……」

「………」

 

 試しにイメージしてみた。

 詠先生。

 教壇に立ち、チョークをごしゃーと走らせ、要点を口にし、生徒に答えさせ、間違っていたら“そうじゃないでしょこのばか!”って……ウワー、物凄く簡単に想像できたやー。

 

「それはその、詠の方に改善する気は…………ないよな」

『はい……』

 

 迷いはしたが、断言出来てしまう何かがあった。

 どこにでも厳しい先生は居るものだとは思うけど、あまり厳しすぎるのはよくない。

 よくはないんだがそれもバランス問題であって───う、うーん……難しいな。

 

「こればっかりは詠に任せるしかない……よな。天でもやたらと厳しい先生は居たけど、やさしいだけじゃあ進めない部分もあるだろうし」

「はい……それはそうなんですけど、他の皆さんが叩き込むようなことをしていない分、詠さんの行動が目立ってしまっていて……」

 

 うあっちゃ……それは少しまずいかもしれない。

 もしそんな、目立ってしまうものが不安となって生徒たちの中から浮き出たら、いつかは桃香に届けられる案件に詠のことが乗っかってくる。

 さすがに生徒が詠に向けて直接言えるとは思えない。

 いつかはそうなって、教師から下ろされたり注意されたりすれば、彼女としても桃香にしても嫌な思いをすることになる。

 じゃあどうするかといえば…………思い浮かばない。

 詠にそれとなく話してみる……か? 厳しすぎやしないか、って。

 そうすれば詠も考えを改めて、“こんなのまだやさしいくらいよ”ってさらに力を込めてあぁああああ違う違うだめだだめだ!!

 改める方向があまりに違いすぎる! 却下!

 

「なにかいい方法は………………って」

『…………』

 

 ……また……見られてる……。

 何故か頬を赤らめた二人が、悩む俺をじぃっと見つめていた。

 こっ……これはあれか? 話が終わったなら艶本を見ましょうって、目で訴えかけているのか……!?(*注:明らかに違う)

 や、でもまだ話は終わってないしなぁ。

 よしっ。一人で悩むんじゃなく、三人で考えたほうがよさそうだな、うん。

 

「それじゃあ───」

 

 そんなわけで会話を再開。

 詠のこととともに、学校の今後についても話し合い、さらに煮詰めていく。

 ボランティアに移ってからは、完全に任せっきりになってしまったが、そのことを口にしてみれば、二人は揃ってくすりと笑った。

 「元々相談をするためにと呼んだんですから、無理を言ってしまったこちらとしては、むしろ助かったくらいです」と返しながら。

 その言葉に「役に立てたなら」と返して、話を続ける。

 あーでもないこーでもない、それはいいこれもいいと話し続け、ふと気がつけば時間は経過し、もちろん正確な時間なんてものはわからないが、なんとなくそろそろかなと感じて話を終わらせる。

 

「じゃあ、詠のことはやっぱり成り行き任せで……いいかな?」

「はい。翠さんの無茶な体育にも、頑張ってついていこうとする皆さんですから、いつかきっとわかってくれると思います」

「その……厳しいなら厳しいなりに、得られるものもたくさんあると思いますし……」

「……そっか」

 

 得る前に諦めてしまわないかが不安……にしても、そこは勝手だろうと信じるところだ。

 誰でも“楽に学びたい”とは思う。ていうか俺もそうだし、多分誰だってそうだ。

 冥琳や穏や亞莎は真面目に学びそうだけど、どちらかといえば楽をしてって人の方が多いだろう。……むしろ穏には、本を見せたくなんかないが。

 ダメだった時はダメだった時だ。

 さりげなくもう少し柔らかく~とか言ってみれば、少しは……悪化しそうだなぁ。「私は私のやり方でやるんだから、あんたにいろいろ言われる筋合いなんかないわよ」とか言って……う、うーん……。桂花ほどではないにしろ、ツンツンしてるところが多いよなぁ。

 と、それはそれとしてと。

 

「じゃあ、そろそろボランティアに行ってくるな。二人はどうする?」

『………』

 

 声をかけると、互いの顔を見詰め合い、こちらを見て一言。

 ……同行者が三人になった瞬間だった。

 え? もう一人は誰? ……思春である。



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39:蜀/将だけでなく、民たちの一歩も②

74/ボランティア。無償の奉仕活動をすること。

 

 今日は少々足を伸ばし、遠出をした。と言っても、一日で往復出来る程度の距離の遠出。なにせ朱里も雛里も明日には仕事が待っているわけだから、何日もかけて行くような場所には連れていけない。

 もちろん桃香に許可を得ての馬での移動となったわけだが、俺は雛里とともに麒麟に乗り、朱里は思春と同じ馬に乗っている。

 以前から気になっていたことではあるが、成都以外の邑や街から来る案件も多い。

 それを、いつか呉でもやったように遠出をして解決しようってことになった。

 桃香に許可を貰って、はい、と渡された紹介状……というよりは証明書みたいなものか?

 桃香が書いて渡してくれたものだが……まあ、こういうもの無しで急に訪れて、ボランティアさせてくれーなんて言っても聞いてくれるわけもなく。そこのところは素直に感謝した。

 だからだろう。

 

「いきなり言い出したのに、よく了承をくれたもんだよなぁ……少し、これからの桃香のことが心配だ」

 

 澄んだ空気と森に囲まれた山道を進む途中、俺はそんなことを呟き、きょとんと振り向く雛里の表情に苦笑を送った。

 対する雛里は「あの」と口ごもり、けれどきっぱりと言った。

 「それは、一刀さんだからです」と。

 

「? 俺だから?」

 

 ……あ……そっか。信頼してくれてるってことか。

 そんなことに気づいたらむず痒くなって、何かを続けようと口を開こうとした雛里の頭を、帽子ごと撫でた。あわわわぅ……と困ったようなくすぐったいような声が聞こえる中、ただ笑いながら街への道をゆく。

 護衛もなしに平和なことだが、今のこの大陸なら、山賊なんてものとは滅多に出くわさないだろう。もちろん、滅多にと言うからには絶対に居ないわけでもないのだが。

 働くよりも奪ったほうが楽って考えを変えない人っていうのは、やっぱりどうしようもなく存在するのだ。けれど街を、邑を襲えば足がつく。ならば旅の商人を襲うなりして荷物ごと奪ってしまえば……と。なんだか物騒なことを考えていた矢先だった。

 

「たっ……助けてくれぇえええっ!!」

 

 腹の底から放つ、それこそ心の底から助けを求めるような声が耳に届く。

 森の中によく響いた声は、厄介なことに木々に囲まれたこの場では嫌に反響してしまい、正確な位置を掴むのは難しく───と、不安に駆られた途端に思春が向かうべきを示し、馬から飛び降りていた。

 走る方向は木々の奥。さすがに馬を連れてはいけない。

 俺もすぐに降りようとするが、雛里がそれを、服を掴むことで止める。

 

「……ごめん。ボランティアしに行こうってやつが、助けてって悲鳴を聞き流したら、誰にも顔向け出来なくなる」

 

 言いながらその指をやさしく解くと、麒麟から飛び降りて不安だらけの顔に笑みを返す。

 そして、麒麟に一言を。

 

「危険を感じたら、俺達を置いてでも逃げてほしい。朱里と雛里を守ることを最優先に。……お願いして、いいか?」

 

 ブルル、と小さく嘶く麒麟の目を見つめ、囁くように届ける。

 麒麟は……どう受け取ってくれたのか、俺の胸に一度顔を擦り付けると、思春が乗ってきた馬……朱里がはわはわと戸惑ったままの馬の傍に近寄り、こちらを向いて、ただじっと見つめてきた。

 ……行け、と言っているのだろうか。

 

「よしっ、じゃあ、頼んだ」

 

 そう返すや地面を蹴って、思春の後を追った。

 当然といえば当然ながら、どういう脚力しているのかってくらい速い。

 それに負けないように地面を蹴り続け、あちらこちらに生える木々を避けながら、全力で走り続けた。

 

「………」

 

 悲鳴は未だやまない。

 その声を頼りに駆け、腰に備え付けてある木刀に触れ、武器の存在を確認する。

 辿り着いておいて武器がありませんでしたじゃあ、思春の邪魔になるだけだ。

 というかもしかしたら思春だけでも十分かもしれない。

 そう思いながらも状況の楽観視だけはしない心構えを持ち、奥へ奥へと駆けた。

 駆けて駆けて、蹴って蹴って、やがて───一つの洞穴を発見する。

 

「洞穴……?」

 

 鬱蒼とした草花や木々に隠れるように、それはあった。

 ただし地面には何かを引きずったような跡と、それに抗おうとしたような跡がいくつもあった。

 俺は、それを見下ろしていた思春の横に立ち、これからのことを考える。

 

(どうするか───だよな)

 

 突っ込んでいったはいいが、敵だらけでは返り討ちに遭う。

 が、早く入らなければ連れていかれたかもしれない誰かが危険に曝される可能性が、時間が経過すればするほど増えていく。

 だったら───迷う必要はない、か?

 いや、なんだったら何か物音でも出して、相手を洞穴から引きずり出して……いや待て。考えていたとはいえ、これは本当に山賊絡みなのか?

 ただ村人か町人が何かの遊びをしていて、それの罰ゲームが怖すぎるから、腹の底からタースケテーって……それこそ言ってる場合じゃないよな。

 熊が現れて、旅人を引きずり込んだとかだったら笑えない。

 ……まあ熊だったら、洞窟の入り口にこんなあからさまな草花のカーテンなんて作らないか。

 

「行こう。どの道、状況を知ってみなくちゃなにも出来ない」

「同感だ」

 

 思春と頷き合って、洞穴へ。

 わざとそうしているのであろう、あからさまな存在感の草花のカーテンを押しのけて、中へ中へと進んだ。

 

……。

 

 ……暗がりが続いたが、しばらくすると照明代わりの松明を見つけた。

 それはところどころに存在していて、進むにつれ広くなる洞窟を、文字通り明るく照らしていた。

 

「…………?」

「………」

 

 人の声が聞こえる。そちらを指差すと、思春が頷いた。

 洞窟はそう入り組んだものではなく、進んだ先には自然物ではないだろう広さがある空間と、そこからいくつか続く道があった。

 ここに住んでいるのかいないのか、お世辞にも空気のいい場所とは思えない。

 ずっとここに居たら、肺にコケが生えそうだ。

 

「………」

 

 軽く進む。

 くすくす笑うのではなく、ガッハッハと豪快に笑う者が居るであろう奥へ。

 極力、松明の所為で伸びる影で、相手に見つからないように気をつけながら。

 ……やがて辿り着いた洞穴広間の先。

 そこにはさらに大きな空間があり───その中心で、男性数人が行商らしき男を縛り上げ、手に入れた売り物や金を手に笑い合っていた。

 

  本当に、嫌な予感っていうのは当たってしまうもんだ。

 

 苛立ちがチリッ……と心に走る。

 しかも、その行商が知っている相手ならば尚更のこと。

 けれど深呼吸を一つ、思春と向き合うと……思春は「時間を稼げ」とだけ言って、気配を殺して走った。

 

「……了解」

 

 これでも、一緒に過ごした時間は地味に長い。

 魏将を抜かせば多分一番。

 だからこんな時、彼女が何を俺に望んでいるかはわかるつもりだ。

 必要じゃない言葉は喋らない。つまり、ただ時間を稼げばいい。

 

「へははははは! つ、ついにやっちまった……! けどっ……こ、これでしばらく遊んで暮らせるぜ……!」

「ら、楽なもんだったなぁ、はは……! でもどうするんだ、この行商……逃がしたら絶対に喋るぞ……?」

「………」

「………」

 

 男性数人が、行商……呉で会った親父の一人を、恐々と見る。

 バレないためにはどうするか。バラされないためにはどうするか。

 そんなの、たぶんいろんなヤツが子供の頃から知っている。

 釘を刺すか、痛めつけてバラせばこうなると脅すか、……喋れなくするか。

 

「おい、おめぇ……俺達の仲間にならねぇか?」

「お、おい、それは……」

「いいんだよっ! ……奪われるのが自分だけってのは納得いかねぇだろ……? へへっ、悪い話じゃあねぇと思うぜ? なにせ成功すりゃあ、こうして楽に……」

 

 初犯なのだろう。

 不安に染まる顔を無理矢理ニタニタとした顔に変え、男はオヤジに提案する。

 だが───オヤジは「へっ」と一笑。

 

「冗談じゃねぇ。ここで首を縦に振ったら、罪を被ってまで許してくれた義息子に言い訳出来なくなっちまう」

「息子だぁ? そいつのためなら痛い目見てもいいってか」

「……俺にはもう家族がいねぇ。だからこうして一人身で行商をやっていられる。妻はとっくに病気で亡くなっちまった。それでも育てた息子は、戦で死んじまった。……けどな、腐るだけ、ただものを売って生きるだけの俺に喝を入れてくれた涙があった」

「あぁ? 涙だぁ?」

「痛い目見てもいいかだぁ? へっ、汗水流して生きようとしねぇやつの暴力なんざ痛くも痒くもねぇ! 自分が楽して幸せになろうとして、他国の野郎に手ぇ出して! こんなことが終わらねぇから戦が起こるんだってことも知ろうともしねぇで、ただ奪うだけのてめぇらの仲間なんぞに誰がなるかよっ!」

「───っ……てめぇっ! なにも知らねぇくせにっ───!!」

 

 男たちがオヤジに向けるための拳を構える。

 それが振るわれる前に、俺は地面を蹴っていた。

 

「!? お、おいっ、あれっ!」

「あぁ!? っ───な、なんだてめぇは!」

 

 なんだ、だって?

 そんなもの、あんた達には関係が───!

 

 

    時間を稼げ

 

 

 ───ア。

 ……いっそ、勢いのままに殴ってくれようかと動いていた体。

 それを理性で無理矢理止めて、せめてオヤジだけはと縛られたままの親父の前へと割り込んだ。

 

(っ……落ち着けっ……! すぐに暴力を振るうためにつけた力じゃないだろ……!?)

 

 愛紗に自分の在り方を話した時のことを思い出し、歯を食いしばって自分を止める。

 怒りに任せて行動するな、絶対に後悔する。

 俺は……俺はただ、思春を信じて時間を稼げばいい……!

 

「へっ……? か、かずっ……? お前、なんでこんなところに……」

「声が聞こえたっ……だから、来た……それだけ……!」

 

 なんの罪もないオヤジを殴ろうとしたこいつらを、震える手を押さえながら見やる。

 戸惑いながらもこちらを睨んだまま、けれど俺が一人だと知るや途端にニヤニヤとした顔になるそいつらを。

 息が荒れる。

 自分が思うよりも緊張している。

 それは何故? 相手が許せないから? それとも……力を振るうのが怖いから?

 

「……この人から奪ったもの、全部返してあげてくれ」

 

 今はいい。

 けれどやることはやる。言いたいことは言う。

 

「あぁ……? お説教でも始めようってのか?」

「説教……? そんなつもり、ないよ……。ただ、返してあげてくれって頼んでる」

「……いきなり現れて“返してあげてくれ”たぁどういうつもりだ、にーちゃんよぉ」

「そんな震えて、俺達を前にビビってんだろ、あぁ?」

 

 震える。

 ああ、震えている。

 今はいいって言ったって、理由も無く震えたままでいられるほど、自分には胆力ってものがない。でも、今必要なのは強敵に立ち向かう胆力じゃなく、力を振るう恐怖への胆力だった。

 出来れば振るいたくなんかない。

 やっと平和に辿り着けた先で、鍛えたからって振るわなきゃいけない道理なんて無い。

 だから言葉を紡ぐ。

 どうか言葉だけで終わってくれと願いながら。

 

「頼むから……これ以上奪わないでくれ……。笑顔で居られている人から、笑顔を奪わないでくれよ……! どうしてそうなんだ、いつも、いつも……! 自分が楽したいから、他人から物を奪って……! そんなことが続くから争いが始まって、死ぬ必要がない人まで死んで……!」

「へっ、随分な言い草だけどよぉ。おめぇだって思ったことくらいあるだろうが。楽して暮らしたい、圧力に負けずに生きていたいってよぉ。俺ゃあよぉ、山賊どもを見て思ったのさ。奪うあいつらが幸せで、奪われた自分がどうしてこんなに不幸なのかってなぁ。力が無いから悪いのか? じゃあ力があれば、奪うことも正当化出来るのか? ……違う、違うねぇ」

 

 リーダー格らしい男性が農具を手に一歩出る。

 剣なんてものは用意出来なかったのだろう、右手で持ったそれを左手で弾ませ、ニヤニヤした顔を鋭く変え、睨んでくる。

 

「黄巾や山賊だって農夫や楽したいやつらの集まりだった。俺達はその集まりにこそ奪われた。相手も元は農夫だったのにだ。なんだそりゃって思ったよ。おかしいだろ? ついこの間まで汗水流して働いてたやつが、人を殺してモノを奪うんだぞ? 頑張っても頑張っても奪われて、家族まで殺されたやつなんざ、呆然としたまま骨になるまで蹲ってやがった」

 

 語調が荒くなる。

 農具を俺の目の前に突きつけて、怒りに満ちた体で支えているためか、その切っ先が震えている。

 

「何が悪い? そんなもの、そんな国にしちまった上が悪かったのさ! 俺達が死ぬ思いをしてる中、上はどうしていた!? 保身ばっか考えて、俺達がどうなろうが知ったことじゃねぇって態度だったじゃねぇか! 駆けつけてくれても数で押されて敵いやしねぇ! 農夫に負けて死んじまう兵を見て、俺は絶望したね! 倒れた兵は兵とも呼べねぇ幼いガキだったよ! どういうことかわかるか!?」

 

 震える手が農具を握り締め、農具がカチャカチャと音を立てる。

 怒声が続くっていうのに、その音はやけに耳に届いた。

 

「お偉いさんは自分の身を大人の兵で固めて、邑のことなんざ気にも留めてなかったのさ! 兵に志願したばっかりの息子が目の前で殺された! それを見ていた妻の悲鳴を聞いた! その妻も俺の目の前で殺されたんだぞ!! 俺だけが生き残って、こんなのはあんまりだと城に行ったところで話も聞いて貰えず追い返された! だから決めたのさ……! いくら平和になっても君主が代わっても構わねぇ……! いつか俺達も奪う者になってやるってなぁ!」

「なんでっ……!! 奪う誰かに息子も妻も殺されたのにか!?」

「ああそうだ! 奪う者の気持ちってのがどんなものかも知らずに生きていけるか! 殺したやつは……笑ってたんだぞ!? 俺は息子と妻の亡骸を抱きながら泣いてたってのに! あいつらは笑ってやがったんだ!! てめぇが強いわけでもねぇ! 武器があったから殺せた! 数が多かったから殺せたってだけの野郎がだ!」

「………」

「ははっ……けどどうだ……!? やってみたところで乾いた笑いしか出てこねぇ……! なんだよこりゃあ! 俺達が長い時間をかけてようやく得られたものが、こんなに簡単に手に入るだって!? そんなに簡単にものを手に入れられるってのに、どうしてあいつらはそれ以上のものを俺から奪った! どうして生きるために志願しなけりゃならなかった息子が、奪った糧を持ったあいつらに殺されなけりゃあならなかった! 俺はっ……俺はこんな世界! たとえ国が変わろうが人が変わろうが認めねぇ!!」

 

 だから、と。

 男性は農具を振り上げ、俺へと───!

 

「見える!」

「へっ!?」

 

 ───振り下ろされた農具───大きな熊手のようなものをひらりと避けた。

 そうしてから縛られたままのオヤジを抱き上げると、緊張を保ったまま距離を取る。

 

「なっ……てめぇ、逃げる気か!」

「理由は聞いた。だからこそ、殴られるわけにはいかない。オヤジも直接被害は受けてないみたいだし、奪ったものさえ返してくれれば軽い刑で済む筈だ」

 

 報告しないって方法もあるけど、それは多分無理だ。

 だからせめて、下される罰がやさしいものになるように、攻撃は意地でも受けない。

 呉の時も避け続ければよかったんだろうけど、考え事とかいろいろしてたしなぁ。

 それに……あの時は受け止めていなきゃあ、今のオヤジとの関係もなかっただろう。

 そんなオヤジも、こうして確認したところ……農具を持った彼らに囲んで脅して連れ込まれたのかどうなのか、傷ひとつついてはいなかった。

 なおさら攻撃を食らうわけにはいかないよな。あ、でも助けてくれって叫んだなら、無理矢理連れてこられはしたんだろう。

 

「あぁ!? おまっ……この期に及んで俺達に投降しろってか!」

「奪う者の気持ち……もうわかったんだろ……? それが知りたくて行動したなら、“理由”はもう無くなってる筈だろ? それとも……誰かを殺さなきゃ治まらないのか?」

「っ……い、いや……」

「俺達は……そんな、殺しまでは……」

 

 リーダー格以外の大人達が、一歩また一歩と下がる。

 けれどリーダー格の男だけは前に出て、再び俺に向けて農具を構えた。

 

「そうだとしても、おめぇに止められる理由がねぇんだよ、俺には。まだガキのくせして偉そうに説教か? どこの誰だか知らねぇけどな……大人の意地ってもんに首突っ込んでんじゃあねぇ!!」

 

 けれどその農具を捨て、拳で殴りかかってくる。

 ……それを見て、なんとなく。

 先ほど、向けていた農具が震えていたのは怒りの所為などではなく───“命”に刃物を向けることへの恐怖がそうさせていたんじゃあ、と……。

 いや、あるいは……その向ける刃が、自分の息子を殺した刃物とダブってしまったのか。

 どちらにせよ、くらうわけにはいかない。

 紙一重なんて巧みなことはせず、一目散に逃げ出した。

 

「お、おいおい一刀っ!? 逃げるのかっ!? そんなことしなくても、その剣で脅かせばよぉ!」

「ごめんオヤジ! これ剣じゃなくて木刀! 木の棒なんだ! だから無理! というか頼まれてもああいう人に対して脅しとかはしたくないっ!!」

「んなぁっ!? じゃあなんでそんなもん腰に下げてんだおめぇは!」

「あはっ、あはははっ! なななななんでだろうなぁっ!?」

 

 まったくだ、下げている意味がない。

 なんて引きつった笑いを零しながら、追ってくる男性から逃げ回る。

 で───あの、ちょっと!? いつまで時間稼げばいいんだ思春!

 走り回るのはもう慣れてるけど、相手の人数がっ……あぁあああ男性があんまりに追うもんだから、他の人達まで妙な使命感を燃やして走り出してきたし!

 

「おぉおお、おいおいっ……どうすんだ囲まれちまったぞ……!?」

「…………怪我さえしてなければバレない……ってことは、ないよなぁ」

「おめぇは……どこまでお人よしなんだよ……」

「何処までって、俺のほうこそ知りたいよ」

 

 お人好しのレベルなんてのが自分で見れたら世話無い。

 絶対に驚くか笑うか呆れるかに決まっている。

 そんなことよりも、この囲まれた状態からどう逃げるかが問題で……でもダメだ、絶対に無傷で乗り切るんだ。家族を思って泣く人を、理由があったからって重罪人になんかしたくない。

 だからせめて無傷で……“未遂に終われた”ってところまで、なんとか……!

 う、奪ったものもすぐ返して、双方ともに無傷だから未遂ってことに出来ないかなぁ!

 

「……ごめん、ちょっと無茶してでも押し通るから」

「……怪我だけはすんじゃねぇぞ」

 

 小さくオヤジと話し合う。

 その途端、リーダー格の男性の合図とともに人垣が一気に迫り来る。

 とりあえずは人の体を取り押さえようとする人は無視して、凶器になるものを振るう人にだけ注意を払い、その脇を一気に抜ける───が、伸ばされた手が服を掴み、一瞬体勢を崩してしまい……そのまま強引に走ればよかったんだが、ここに来て寝不足による不安定さが身体を襲い、力を込めようとした足がふらつき───そこへ、クワが落ちる。

 

(あ)

 

 やばい……なんて言っている暇もなかった。

 ソレは体勢を崩した俺の顔面へと振り下ろされ、一瞬見えた振るった人の顔も、“え?”って感じに呆然としていた。脇を潜ろうとした俺を、棒の部分で叩くつもりだったんだろう。

 それが、ただ引っ張られることでズレてしまっただけ。

 ただそれだけの……非常に運の無い出来事だった。

 

  ザゴンッ!!

 

 鈍い音がする。

 思わず閉じたままの目を開きもせず、痛い箇所があるかを確認するが……あれ?

 

(痛く……ない?)

 

 パチリと目を開く。

 すると、棒を持っていない男が呆然と突っ立っていた。

 ……いや、持ってはいるんだが、握る部分より先が消失している。

 

「……時間を稼げとは言ったが、抵抗するなとは言っていないぞ」

「へ? あ……思春!?」

 

 思春だった。

 鈴音を構えた状態で俺を庇うように立ち、戸惑う男達を……その殺気と眼光だけで下がらせた。

 すると、その場に落ちているクワの先を発見。

 どうやら鈴音の餌食になったらしい……すごい切れ味だ。

 

「さて貴様ら。大人しく投降するなら良し。しないのなら……」

 

 とか思っている中、もう一度殺気が放たれる。

 一緒に居て、まあまあ慣れているつもりだった俺でも、やっぱり思わず“ヒィ”と叫びたくなるほどの殺気。

 そんなものを向けられて、対立していられる筈もなく……男たちは一人、また一人と、その場にへたりこんでいった。

 ……けれど、一人だけ。

 足を震わせるがらもこちらを睨む存在があった……さっきのリーダー格の男性だ。

 

「……一つ、訊かせてくれ」

「…………言ってみろ」

「あんたの目から見て、この国は、大陸はどう見える? そんな格好しちゃいるが、睨み一つでこの有様……庶人なんかじゃないんだろ?」

「………」

 

 男性は、震える足に勝てずにへたり込む。

 けれどその目でこちらを睨むことはやめず、答えを待っていた。

 

「……国がどう見えるか。そんなもの、人の答えに満足するべきことではないだろう。自分の目で見たもの聞いたものが全てであり、それを間違わずに受け取れたものこそが貴様の答えだ。私の言葉に満足し、頷ける程度の覚悟でこんなことをしたのなら、それこそそこいらの山賊以下の覚悟だろう」

「っ……な、なんだと……!?」

「───私にとってのこの大陸、そして国。それは既に変わったものだ。戦に溢れたあの頃とは違う。奪わなければ奪われる乱世は終わった。それは、将だけではなく貴様ら庶人も気を張らねば実現出来なかった結果だ」

「……あ? お、俺達……が?」

 

 殺気を引っ込め、鈴音も仕舞うと、今度は殺気は込めずにキッと眼光だけで男性を怯ませ、言葉を続けた。

 

「山賊や黄巾党が元はどんな存在であったのか。それを知るのは将よりも庶人が多かった筈だ。そして、どれだけ王や将が敵国に攻め入ろうと勝ち取ろうと、民が平和と地道を望まぬ限りは野党や山賊どもは減ることを知らなかった。……王や将がどれだけ気を張ろうと、届かぬ理想は存在する」

「な、なにを言って……!? 俺の質問はっ───」

「故に。貴様らがその理想の果ての現在を蹴るような行為をすることに、我慢がならん」

「そっ……そんなもん俺の勝手で、ぁ、っ……ひぃいっ!?」

 

 ア、アノー、思春サン!? 殺気が! せっかく抑えた殺気がまた……!!

 

「貴様らこそが知るがいい。この平和の世は貴様らだけのものではない。戦い、死した者。飢え、死した者。恐怖を前に立ち上がり、歩んだ者。それら全ての願いの果てに今が在る。……大切なものを亡くした者が、何も自分達だけだと思うな。貴様らのそれは、それでも歩いていこうとしている者達への侮辱だ」

『っ……!!』

 

 その言葉を最後に、殺気が治まる。今度こそ。

 俺も、オヤジもかちんこちんに固まった状態だ……まあその、つまりは怖かった。

 

「………………おれ、たちは…………な、なぁ……俺達はどうなる……っ?」

 

 そんな恐怖をぶつけられてもまだ、男性は声を放った。

 それを聞いた思春は、まるで俺に質問され続けた時のように呆れ混ざりの溜め息を吐き、

 

「何度でも始めてみればいい。幸いなことにこの国の主は民に甘い。もう一度前を向く勇気があるのなら、人に訊かずに自分の頭と行動で答えを出せ」

「へ……? お、俺達を捕らえたりは───」

「生憎と私は庶人だ。突き出すことは出来るが、捕らえる権利は無い」

 

 ……で、どうしてそこで俺を睨むのかな、思春さん。

 

「しょ、庶人!? あんたがか!? 冗談だろ……!?」

「大人しく投降するかどうかは好きにしろ。ただし、抵抗するとなるとこの男が黙っていない」

「えぇっ!?」

 

 思春!? もしかしてさりげなく俺に投げた!?

 そりゃ一応、あくまで一応ってことでは思春は俺の下に就いてるってことになってるけどさぁ!

 

「この男って……逃げ回ってばっかりだったこの男が……? なんだってんだ」

「天の御遣いだ」

 

 …………。

 空気が凍った音を聞いた。

 あばれん坊将軍あたりだったら、この瞬間に悪者あたりが“う、上様っ!”と叫んでいることだろう。もちろん相手が俺でそんなことが起こるはずもなく。

 

「天の御遣いって……げぇっ!? あ、あの魏の種馬とか云われてるっ!?」

「、……」

「な、なんだって!? 魏の将のほぼを骨抜きにした、あの見境無しの!?」

「っ……!」

「そういえば聞いたことがある! 今は各国を回って将という将を食らう旅に出ているとか……!!」

「~……! ~……! ……ゲフッ!」

 

 言葉の棘が刺さりすぎた。

 血を吐くような悲しみを前に、オヤジを下ろしてがっくりと項垂れる俺が居た。

 

「い、いや……今は各国の手伝いをしてるだけであって、将を食らうとか、そんなことは全然……!」

「骨抜きにしているのは事実だろう」

「思春さん!? お、俺がいつそんなことを!?」

 

 言われた言葉に返してみるが、あっさりと「自分の胸に聞いてみろ」と返されてしまう。

 ……俺、なにかした……? ただ友達増やしただけじゃなかったっけ……?

 

「……? 各国の手伝い……? 魏王の伴侶みたいなもんの御遣いが、なんだってそんなことを……」

 

 と、項垂れている俺へと疑問が投げ掛けられる。

 ……落ち込んでいても始まらない。

 気力を振り絞って立ち上がると、真っ直ぐに男性の目を見て話す。

 自分がやりたいと思っていること。

 そのために出来ることを探していること。

 自身を鍛えていること、いろいろだ。

 

「鍛えて、って……逃げてばっかだったじゃねぇか」

「力があるからって力で解決したら、力で返されるだけだって……この目で知ったから」

「あ……、……~っ……!」

 

 きっとこの人も知っていたことだ。

 けれど、最初に力を見せたのは奪った相手であって、返すことが出来ずに泣いたのがこの人だった。言葉にしてみればたったそれだけの過去。だからこそ今更になって力を手に入れたつもりで、立ち上がり、奪ってみて……後悔を味わった。

 “このままじゃいられない”って鍛え始めた自分だから、“あの時にもっと自分が強ければ”って気持ちはわかるんだ。

 わかるんだけど……きっと、力があったとしても奪う自分にはならなかった。

 そう信じたい。

 ───男性は苛立つように地面を殴ると、がっくりと項垂れた。

 

「お前はその目で……戦を見てきたんだよな……?」

「……ああ。華琳……曹操の傍で、ずっと」

「…………お前、家族は」

「天に居る。でも……多分、もう二度と戻れない」

「心細くなかったのかよ……そんな状況で、戦を見るなんて」

「天は天、ここはここだって……そう割り切らなきゃ、とても耐えられないものを何度も見たよ。強くならなきゃいけなかったんだ。誰かの死や奮闘のお陰で、自分がまだ五体満足で居られること、笑っていられることを自覚できるくらいに。でも、だからってやられたらやり返すをずっと続けていたら、きっと誰も救われないから……」

 

 いつかは誰かが折れなきゃいけなかった。誰かが預けなきゃいけなかった。

 あの人ならばと信頼されたからこそ、信頼している人達をこれ以上傷つけないために、受け容れなきゃいけないものだってきっとあった。

 

「……そうかよ。だから“奪わないでくれ”だったんか」

「はは……実際、怖かったのも確かだから、逃げた事実は変わらないんだけどさ」

 

 苦笑。

 そんな情けなさがおかしかったのか、男性もくすぐったさに我慢出来なくなったかのように笑い出した。

 頭をガリッと掻いて、小さく涙を滲ませながら。

 そんな中で思春が男性を見やり、「住んでいた場所が襲われていた時の太守の名は?」と訊く。それは───いや、思春も多分わかっていて訊いているんだろう。

 男性は笑い声を潜め、俯いたままにもう一度頭を掻くと、

 

「……劉璋だ」

 

 それだけを口にした。

 それは、桃香が蜀の王になる前の太守の名前。

 噂だけ聞いても、ひどい太守だったと理解出来る人だった。

 自分の国のひどさに気づかず、いや……気づいていたとしても、自分たちだけが豪奢な暮らしを出来ればいいと、税を搾り取るだけ搾り取り、守ろうともしない。

 そんなひどい太守が、確かに蜀には居たらしいのだ。

 

「ひどいもんだったよ……あんなのが太守なら、まだ適当な町人が太守をやったほうがましだって思えるくらいだ。自分が治める場所の民の話も聞かねぇ、自分や貴族以外はどうなってもいいみてぇに助けもしねぇで、それでいて税だけは搾り取って……」

「……太守が桃香に変わってからは、どうだった?」

「変わったさ。税も軽くなって、邑や街のやつらに笑顔が戻った。俺達ゃあ純粋に喜んださ。これでようやく、って。でも……でもなぁ……」

 

 それでも戻らねぇものはあって、どうしてもっと早くに……って、どうしても思っちまう。そう続けて、彼は顔を片手で覆うと嗚咽を漏らした。



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39:蜀/将だけでなく、民たちの一歩も③

 結局。

 男性たちは成都に連行することになって、当然といえば当然だが、別の街へ行く予定は無しになった。馬に跨って待っていた朱里と雛里に事情を話して、そういうことならと戻ることになる。

 湧き出る暗い気持ちに溜め息が漏れ、それを聞いたのか、思春が静かに睨んでくる。

 いや、ここは普通に見るなりしてくれ、思春。

 

「いや、さ。将が各地に走っても、どれだけ復興をしようとしても、辛い思いを持ったままの人はまだまだ居るんだなぁってさ」

「当然だ。それら全てが楽に治まるなら、民も兵も将も王も苦労などしない」

「ん……わかってた筈なんだけどさ」

 

 世の中いろいろある。

 そのいろいろっていうのが予測出来ないことばかりだから、本当に困る。

 ……予測出来ているからって、何が出来るかと言われれば、出来ることの方が少ない。

 だから余計に困る。

 力を付けたって、出来ないことの方がやっぱり多いんだ、暗い気持ちにもなる。

 

「しかし……一刀よぉ、おめぇは変わらねぇなぁ」

「へ? あ、そ、そうかな」

 

 もう一度溜め息が出そうになった時、重たげに荷物を背負ったオヤジが笑う。

 ちなみに麒麟には雛里だけが乗っていて、俺はその横を歩いている。

 荷物を持つよと親父には言ったんだけど、無茶言うなと断られた。

 無茶? ハテ。と首を傾げていると、朱里が「一刀さんは魏からの客人なんですから、その……」と囁いてくれる。

 ……あ、ああ、なるほど。でも俺、呉じゃ随分と雑用をさせられたんだけど? あ、それは仕事だからいいのか。なるほど。

 

「おめぇ、なんつったか……鍛錬とかしてたんじゃあなかったのか? その割りにゃあ大して変わってねぇと思うんだが……」

「え、いや、これでも結構筋肉ついてきてると思うんだけど……か、変わってないか?」

「顔つきはちぃとばかし変わったか? ま、なんにせよ、元気そうでなによりだよ」

 

 で、その笑いのままに背中をバシバシと叩いてきて、より一層笑った。

 ……相変わらずだ、この人も。

 そんなことに小さく安心を覚え、俺も苦笑して、それから笑った。

 

「………」

 

 そうして笑う俺達を見て、連行される男たちが面白くなさそうな息を漏らす。

 

「……おめぇ……北郷一刀っていったか? どうしてそう笑ってられんだ」

「っと……どうして、って」

 

 話し掛けてきたのはリーダー格の男性。

 つまらなそうに、けれどその目は真っ直ぐに俺の目を見て。

 

「ぶすっとしているよりさ、笑ってる方が楽しいから。そんな簡単な理由だと思う」

「……お、思うって、お前……」

「はは、自分のことながら、きちんとわかってないんだ。けど、どうせなら笑いたいって思う気持ちは嘘じゃない」

「ああそーだろうよ。じゃなけりゃあ、数人がかりで殴られて、腹まで刺されたってのに相手のことを親父だだの言えるもんか」

「オヤジぃ……それ、殴った本人が言う言葉じゃないだろ……」

 

 殴られた。腹を刺された。

 そんなことも、笑い話に出来る今がある。

 “人がいい”って言えばそれまでの話で、普通だったら逆上して殴り返したり刺し返したりもするんだろう。

 それをしないのは、やっぱり……戦場で戦っていた俺達だけじゃなく、民だって苦しんでいたことを知っているから。

 まあそもそも、それをするだけの度胸なんか俺にはないと思う。

 人を刺す感触なんて、出来れば一生知りたくない。

 きっと、誰だってそう思っている。

 

「殴って、刺して……そんなことになったってのに、笑えるってか。……なんだそりゃ」

「ほんと、なんだろなぁ」

 

 呆れる男性に対して……じゃないか、自分自身に呆れる。

 それがきっかけになったのかどうなのか、仲間だった男達からもいろいろと質問を投げ掛けられる。主に、“俺達はどうなるのか”、“殴ったやつらはどうして助かったのか”、“刺したやつはどうなったのか”、などなど。

 俺とオヤジはそれに対して顔を見合わせてから笑った。

 それから言う。

 なんだかんだで俺が罪を被ることで、許されることになったこと。

 けれど、もちろん俺だけじゃなく、暴力を振るった親父たちも国のためにと立ち上がってくれたこと。

 そうして!より良い平穏を”と願ったからこそ、今のこんな笑い合える関係があること。

 それらを話してみせたら、男たちは一様にぽかんと口を開けていた。

 ……歩きながらだから、中々に器用だって思ったのは内緒だ。

 

「……あんたが言ってた息子ってのは、こいつのことか」

「ああ、自慢の馬鹿義息子だ。殴られても刺されても、誰かを許して“親父”なんて呼びやがる。馬鹿以外のなんだってんだってくらいの馬鹿よ」

「───……ハ、は、ははっ、うわっはっはっはっは! そりゃあ違いねぇ!! 馬鹿以外のなにものでもねぇやなぁ、がっはっはっはっは!!」

「いや、そこ笑うところじゃないだろ……しゅ、朱里も雛里もそんな、笑ってないで!」

 

 笑顔は伝染するって、昔誰かが言った。

 実際にこうして笑顔が伝染り、みんな笑ってはいるんだが……そのタネが自分の馬鹿さ加減ってところにいろいろとツッコミを入れたい。

 けどまあ……いいか。事実だし、暗い顔で居るよりは。

 

「はーあ……俺達にもそうして、笑えるような処罰が待ってりゃいいがなぁ」

「まあ、被害らしい被害は無いから、そう難しい話にはならないとは思うけど。そういえば思春、俺が時間稼ぎしてる間、何やってたんだ?」

 

 そういえばと思い出し、訊いてみる。

 と、思春は朱里が乗る馬の手綱を引きながら、こちらをチラリと見て……

 

「敵の数を調べていた。奥にも分かれ道があっただろう。数を知るのは基本だ」

「……なるほど」

 

 無鉄砲に突っ込んで、数で囲まれたらおしまいだもんなぁ。

 実際、簡単に掴まれて死にかけたし。

 睡眠不足は美容と健康、そして生命にも深く関わることを改めて知った。

 気を付けよう、本当に。

 

「………」

 

 自分の在り方に溜め息を吐きつつ、ちらりと見ればいつの間にかの笑顔。

 さっきまで殺伐としていた空気はどこへやら、人のことをネタにげらげらと笑う男達。

 いいんだけどさ、人の笑顔、好きだし。

 どんな処罰が下されるかなんて考えるより、笑える時は笑っておくべきだ。

 もう一度溜め息を一つ、雛里が乗っている麒麟の手綱を引いて歩く俺は、せっかくの休みがこんなことになってしまったことを小さく謝罪した。

 対する雛里は、わたわたとしながらも「気にしていませんから」と言ってくれて、とりあえずは安堵した。

 

……。

 

 で……成都。

 

「完遂は阻止したにせよ、奪われかけ、縛られたことも事実です。桃香さま、どのようにいたしましょう」

 

 城まで案内された男性数人は、玉座の間の床に座らされ……ることはなく、案内された時点で桃香が普通に立ってたために玉座は空。

 同じ目線で話すことになった男たちは戸惑いのままに処罰を待ち……愛紗の言葉に軽く息を飲んだ。

 

「………」

 

 しかし桃香は処罰云々よりも先に、一緒に居たオヤジの前に立ち、「ごめんなさい」と頭を下げた。

 これには流石に、その場に居た全員が息を飲むどころか声を出すほど驚き、下げられたオヤジは完全に硬直、男性たちは自分の行動の重さに震えだしてしまう始末で───

 

「かっ……かかかっ、かおっ……お、お顔を上げてくだせぇ玄徳さま! そんなっ、俺、ああいやあっし……いやいやわわわ私めはべつになにもっ……!」

 

 そして、王が頭を下げるなんてことを目の前でされたオヤジは、もはや何を言っているのか自分でもわからないほどに動揺……って、それはそうだ。

 でも……そうしなきゃいけないだけの理由が、そこには確かにある。

 息を飲みはしたが、集まった将が何も言わないところにも理由がある。

 

「お、おぉおい一刀っ!? 俺ゃっ、俺ゃどうすりゃっ……!」

 

 慌てるオヤジが、俺に言葉を投げてくるが、俺は思春とともに男性やオヤジから少し離れた後方に立つだけで、何も返しはしない。

 そこへ、愛紗が前に出て、オヤジへ質問をする。

 

「もう一度確認をする。呉からの商人よ。お主は山道を歩く中、この男達に捕らえられ、洞穴へと引きずり込まれた。そうだな?」

「へ、へぇ……」

「が、荷物を奪われ、縛られたところへ一刀殿が現れ、双方無傷で決着をつけた」

「そっ……その通り、でさ……」

 

 愛紗、俺だけじゃなくて思春も……って聞こえないか。

 

「お主らも今回が初犯であり、他に盗みなどを働いたことはなかった。そうだな?」

「へ、へい!」

「それはもちろんっ……!」

「───だが。他国の者から物を奪おうとすることが、どれほどの罪になるかも考えないで行おうとした。それも事実だな?」

「は……───」

「そっ、それは……」

 

 男たちが、もう一度息を飲む。

 

「乱れた世は平定し、ようやく皆も落ち着いてきたという時に……お主らはそれを乱すようなことをした。過去にどれほどの辛い思いがあろうとも、今ここにある平和は個人だけのものではない。それを乱すようなことをした自覚が、お主らにはあるか?」

「~っ……」

 

 空気が凍る。

 もう、男性たちには後悔と罪悪感しかないのだろう。

 震え、頭を抱える者も出るほどだった。

 

「過去に対する怒りがあったとしても、それは自分たちだけが持っているわけではない。あの時ああであればと思う者など、お主らだけではない……死んでいった兵や家族を思う者ならばいくらでも居る。それでも平和になるならばと手に手を取った現在を───」

「すっ……すいやせん! すいやせんっ! あ、あっしらはそんなつもりじゃあ……!!」

「───~っ…………“そんなつもりはなかっただと”、と……怒鳴り返してやりたいところだが……」

 

 ちらりと、愛紗が俺と桃香を見た。

 そんな中で桃香もようやく顔を上げて、俺と愛紗の顔を交互に見たのち───

 

「ねぇ朱里ちゃん。どっちにも怪我が無くて、どっちにも平和を乱したくないって気持ちがあるなら……今回のこと、本人同士の問題に出来ないのかな」

「はわっ!? と、桃香さま、それは───」

「そう仰るだろうとは思っていましたが……桃香さま、自覚云々の問題ではありません。皆が血を流し命を落としながら、ようやく手に入れたこの平穏。いくら過去になにがあろうが、崩していい道理には繋がりません」

「でもっ! ……でも、もしお互いが許せるなら、誰も傷つかなくて済むんだよ……? せっかく戦が終わったのに、また誰かが傷つかなきゃいけないなんて……」

「……それだけのことをしたのです。当然の報いでしょう」

 

 桃香の懇願に、愛紗が返す。

 対する桃香は自分の服をキュッと握り締めると、肩を震わせながら深呼吸をした。

 そして、ついに、その震えた口から処罰が───

 

「だいじょぶなのだ。どんな罰もお兄ちゃんが背負うのだ」

「ブフォオッ!!?」

「へあっ!?」

 

 ───伝えられる前に、頭の後ろで腕を組んだ鈴々が、にっこり笑顔でそう仰った。

 あまりに突然のことで吹き出し、桃香もそんな言葉に驚いて鈴々へと振り向いていた。

 

「え、いや……な、なんで!? なんでそうなるんだ!?」

 

 もちろん戸惑う俺も、鈴々へと疑問を投げていた。

 そ、そりゃあもしそれで事も無しになるんだったらとは思うぞ!?

 これ以上誰も傷つかないんだったらって! でもなんか違うだろそれ!

 

「ふむ。確かに呉での刺傷の件に比べれば、未遂で崩れる均衡というのもおかしなもの。加えて今回は無傷で済んでいるのであれば、呉で北郷殿が呉将相手に苦労なさった甲斐もないかもしれんなぁ」

「星!? そりゃそうだけど、俺が言いたいのはどうしてそこで俺が罪を被ることになるのかってことで……!」

「おや。それで平和が保たれるのならと、むしろ進んで頷くと思ったのですが。なるほどなるほど、これで中々自分のことも考えておるようですな」

「なんか敬語が定着してる!? じゃなくて、いや、そうなんだけど、あ、あああ……!」

「あ、そっかぁ! いずれお兄さんが大陸の支柱になるんだから───」

「桃香さん!? なんか早速いろいろ押し付けようとしてません!?」

 

 ちょ、ちょっと待って、待ってくれ……!?

 や、そりゃあ出来ればいろんな人と心を許し合って、手を取り合っての平和を歩きたいとは思ったぞ……? でもなんでもかんでも俺が背負うのは───あ、あぁあああもう!!

 

「……桃香ぁ……。呉に使いか手紙、出せそう……? 一応、雪蓮にも“こういうことがあったから”って報せを出さないと、示しがつかないから……」

「あ、う、うんっ、それは大丈夫だけど───」

「あ、いえ、そのことなんですけど……」

「? 朱里ちゃん?」

 

 がっくりと項垂れて、諦めモードで桃香に話し掛けると、どうしてかそこで朱里から待ったがかけられる。

 

「実は呉王……孫策さんは最近、頻繁に魏に出かけているようでして……報せを送ったとしても会えるかどうか……」

「…………ウワー、凄い嫌な予感」

 

 魏に帰りたいのに、帰りたくなくなってきちゃった。

 雪蓮……もしかして本当に魏将全員に許可を得に行ってる?

 それっぽいことは聞いてはいたけど、まさか本当に……?

 

「じゃあこの場合は……」

「周瑜さんに相談を仰ぎましょう。もちろん孫策さんに報せることを前提として、ですけど」

「うん、それでいいよ。それじゃあお兄さん……とってもごめんなさいだけど……」

「あ……なんかもう確定なんだ……」

 

 申し訳なさそうな、だけど頼りきった目を向けられた。

 頼られて嫌な気はしないけど、もっと別のことで頼られたかったような……。

 

「ただし。……罪は罪だから、それなりのことをしてもらう」

「お、おう! なんでも言ってくれ! じゃなきゃ先に逝っちまったやつらにも家族にも顔向けできねぇ!」

「そっか。じゃあ───もうこんなことはやめて、国のためにみんなのために、頑張ってほしい。過去を振り返るななんて言わないから、せっかく生きてるんだから……楽しく生きていこう」

「へ?」

「え……そ、そんなことでいいのか!? もっとないのかよ、殴るだの、あるだろ!?」

「はは……もう最初に言っちゃったからさ。だから、俺から言えることはそれだけだよ」

 

 “役に立たないなら立つように教えればいいさ。人って成長できる生き物だろ?

  わからなければ教えればいい。覚えられないなら覚えるまで教えてやればいい。

  今役に立たないものの未来を捨てるよりも、役に立つように育ってもらって、同じ未来を目指せばいい。

  俺は、この三国の絆をそうやって繋いでいきたいって思うよ”

 

 ……今思うと、随分と偉そうなことを言ったもんだなと呆れる。

 それでも嘘は言ったつもりはないから、それでいいんだと思う。

 この場合、役に立たないとかじゃなく、一緒に復興出来る人をわざわざ削ることはないって意味になるわけだけど……うん。

 

「けどさ……この場合、俺が被る罪ってなんなんだ? どちらも怪我してないし、当のオヤジは固まっちゃってて……オヤジ?」

「だ、だだ大事なかったんですから、ああああっしはべつに気にしてやせんっ! へい!」

「……気にしてないって言ってるんだけど」

「もちろん、一刀殿に罪を被せるつもりはありません。これは確かに蜀の民が起こした過ち。というより……元より一刀殿は止めに入り、無傷で治めてくれたのですから。だというのに罪を被せたら、それこそ魏に失礼というもの」

 

 ……そ、そう、だよな? なんか当たり前みたいに俺が罪を被ることになってたから、流れで受け容れそうになってたけど……そう、だよな?

 でも、無関係だってばっさり言われるのもなんだか辛い気分で……はぁ。

 支柱の一歩、歩こうか。なぁ、北郷一刀……。と、一歩を踏み出そうとしたところで、思春にガッと肩を掴まれる。

 

「ししゅ───」

「玄徳さま。無礼を承知で発言させていただきます」

「え……思春さん? って、うわわわわっ、そんなっ、立って立って!」

 

 肩を掴んだまま後ろに引き下がらせ、自らが一歩前に出て。

 桃香の目を真っ直ぐに見て、跪き、了承を得てから言を続ける。

 当然桃香も慌てて“立って”と言うが、思春はそのままの状態で続けた。

 

「何もしていない蜀の王、ならびに将たちが罪を被る必要はありません。いくら平和だからこそと言おうと、許してばかりでは民の心も緩むというもの」

「え……う、うん……」

「私は、この者らこそを書状とともに呉に向かわせ、王に決定を委ねるべきだと思います」

「え……この人達を? えと、朱里ちゃんと雛里ちゃんはどう思う?」

 

 桃香が朱里と雛里へ目を向ける。

 二人は少し間を取ってから顔を見合わせたのちに頷き、

 

「はい、それでよろしいかと。ただ、今すぐに向かわせても呉の皆さんも困ると思うので、やはり先に書状か使者を送るなりすることになりますけど……」

「? い、いいのかな、任せちゃったりして」

「あの……一刀さんの時もそうだったそうですし……それに、この件に関しては周瑜さんもきっと頷いてくれると思います」

「冥琳さんが? へー……」

 

 よくはわかっていない様子だけど、とりあえずこくこくと頷く桃香が居た。

 えっと……なんだ? なんとなくの予想なら立てられるけど、ちょっとわからない。

 蜀の人間が呉に行くことで得られるもの……? 以前の雪蓮の言葉から考えると、処刑したりなんかはしないだろうけど……。

 みんなが笑顔でいられる平和を望んだ雪蓮だ、そういう方向に事を運んでくれると勝手に信じてるけど、じゃあその方向にある利益っていったら? ……あ、もしかして……?

 

「じゃあ……うん、うん。わかったよ」

 

 考え事をしているうちに、桃香も話を纏めたのか、こちらへ向き直ってこほんと咳払いをひとつ。

 キリッとした顔……じゃなく、少しだけ穏やかな顔で、口を開いた。

 

「それじゃあ……処罰を言い渡します」

「へ、へいっ!」

「か、覚悟の上ですっ!」

「……皆さんには少し待ってから、呉国建業へ発ってもらいます」

「呉に……ですかい?」

「はい。そこで、呉の皆さんのために奉仕してください。期間は相手側に決めてもらい、復興の手伝いと、各国との交流を深めてもらいます」

『……へぇっ!?』

 

 ……やっぱり。

 そう思った瞬間には、言い渡される言葉を待っていた男たちは全員で素っ頓狂な声をあげていた。

 

「こ、こここ交流って……玄徳さま!?」

「ふむ、なるほど。ようやく手にした平穏の均衡をこやつらが崩そうとしたのなら、再び交流を深め、絆を取り戻すもこやつらの仕事と」

「はい。“交流を深めましょう”と人材を送るのなら、処刑する理由も無くなると思いますので……むしろ呉にとっても蜀にとっても、民同士の絆を深めるいい機会になると思います」

 

 戸惑う男達をよそに、星と朱里はうんうんと頷き合っていた。

 ……でもさすがに、“命令されたら受け容れなきゃいけない”なんて、俺の時みたいな決定はないみたいだ。

 

(……………)

 

 ……い、いや別に、ちょっと羨ましいとか思ってないぞ?

 と、ふるふると首を横に振っていると、桃香が男たちに申し訳なさそうな顔で言う。

 

「呉に使者を出しますから、戻ってくるまでは今まで通りの暮らしをしててくださいね。あ、もちろん拘束なんてことはしませんから」

「玄徳さま……」

 

 桃香にとっては、必要なこととはいえ“処罰”を下すのは心苦しいものなんだろう。

 出来ればお咎め無しでいきたいのは、あの時の俺と同じだ。

 そんな桃香を横目に見つつも、こほんと咳払いをした愛紗が口を開く。

 

「一応釘は刺しておくが、逃げようなどとは思わんことだ」

 

 ただし、本気の目はしていない。

 これ以上、自らの罪を重くしないでくれとの純粋な願いだろう。

 ……まあ、まともに受け取ったりすれば当然、

 

「もー愛紗ちゃん? そんな、釘なんか刺さなくたって大丈夫だよぅ」

 

 って言葉が出るわけだが……うん、とりあえず桃香、将に愛されているようでなによりだよ。

 

「桃香さまは甘すぎるのです。確かにそのやさしさに惹かれた者が大半でしょうが───」

「それには愛紗ちゃんも含まれてるんだよねー?」

「なっ……う、うぐ……!」 

「はっはっは、愛紗よ。そう簡単に言い包められては、軽く釘を刺した甲斐も無いな」

「せ、星!」

 

 ……で、こうなってしまうとしばらくは騒ぎ合いが終わらないわけで───自然体と呼べばいいのか、ボロが出まくっていると言えばいいのか、蜀側にしてみれば身内の恥といえばいいのか……いや、恥はないか。

 とにかくこれはもうオヤジや男性たちには、見せっぱなしでいられるものじゃないだろう。溜め息一つ、朱里と雛里に目配せをすると、二人が桃香を促してようやく終了。

 オヤジは“仕事を頑張ってください”と桃香から激励を受け、男達は準備を整えるようにと言われ、解散。

 そんな中、俺と思春はというと───

 

「……どうしようか。成都以外でやるつもりだったから、成都でやらなきゃいけない案件分は、預かってないんだけど……」

「………」

 

 これからの行動に思い悩んでいた。

 今から出て、渡された案件分をこなすとしたら、今日中に帰れるかどうか。

 昨日こなせなかった分の仕事もあるから、やろうと思えば成都でも……いや、これも仕事仕事っ!

 

「出ようか。馬を長く借りることになるけど、きちんと話して。仕事はきちんとやらなきゃいけないって、説教されたばっかりだもんな」

「貴様が行くならそれについていくまでだ」

「………」

 

 その発言に喜ぶべきなのか、貴様って呼び方にまだ落ち込むべきなのか、俺にはまだまだ判断出来そうにないよ……。

 

……。

 

 ……その後。

 一日馬を借りる約束と、帰りは翌日になるかもしれないが、それでも行くことを桃香と翠に許可してもらい、成都を発った。

 朱里と雛里に、“せっかくの休みなのにこんなことになってしまって”と改めて謝ろうともしたんだが、呉への書状の案や使者のこと、その他の様々な段取りを通すための仕事が出来てしまったために、顔さえ見れない状況に。

 仕方ないよなと思いつつも、やっぱり残念なものは残念なわけで。

 本日何度目かの溜め息を小さく吐きながら、行ける場所までを馬で駆け続け、街に着くなりボランティアを開始した。

 もちろん最初は敬遠されてはいたが、なんとなく卑怯かなぁと思いつつも桃香の紹介状を見せると頷いてくれて、そこからは……もう本当に休む暇無しのボランティア地獄。

 渡された書簡に書いてあった場所以外でも乞われ、助けを求めたくても求めづらい、躊躇してしまう人はどの時代にも居るんだということを、改めて知った。

 

「桃香の紹介状を見た途端にこれって……みんな、遠慮無くすの早すぎないか?」

「それだけ困っているということだろう」

「……細かな雑用ばっかりだけどね。まさか初対面の人に、店の手伝いをやらせるとは思わなかった」

 

 ……それ以上に、桃香がどれだけ民に愛されているのかを知った。

 そんなことに小さく驚きつつも頬を緩ませ……店の手伝い、子守り、荷物運びや子供の遊び相手、本当にいろいろなものをやった。

 その遠慮の無さは、夜になる頃には笑いながら背中をバシバシ叩かれるほどにまで昇華していて、紹介された宿では……休みに来た筈なのに手伝いに回され、さすがに目を回した。

 ……そのお陰か、一応宿代は免除ってことになったんだけど……それに喜ぶ気力もない俺は、宿の女将さんに案内されるままに訪れた部屋で、長い長い溜め息を吐いていた。

 

「いや……だめ……もうだめ……さすがに疲れた……」

「はいお疲れ様。ありがとうねぇ、お陰で助かったよ。噂の御遣い様がこんなに働き者だったなんて……噂は全部信じちゃいけないもんだねぇ」

「……耳が痛いです」

「あぁでも、それならあっちの噂もあてにならないのかねぇ」

「あっち?」

 

 女将さんは会った時からの変わらない、やさしい笑顔で俺と思春を交互に見ると、小さく笑って───って、まさか。

 

「ふふっ、まあいいさね。やさしくしてあげるんだよ? 文句の一つも言わずに黙って男の後ろを歩く女なんて、あたしにしてみれば珍しいものだからねぇ」

「い、いや女将さん? 俺と思春はそんな関係じゃ───その、確かに黙って手伝ってくれたりしてるけど、それってただあまり喋らないからで……や、やっ!? もももちろん感謝してもしきれないわけでして、いつも一緒に居てくれてありがとうですよ!? ハイ!!」

 

 ほ、ほらっ! 今も背後からジリジリと肌寒い殺気めいたものが! これってお淑やかとかそっちの方じゃあ有り得ないでしょ!?

 

「ふふふふふっ……女心がわかってないねぇ。まぁ、これ以上はお節介になるかねぇ」

 

 そう言って、女将さんは笑顔のままに戻っていった。

 ……そして残される、少し気まずい空気の中の俺と思春。

 

「………」

「………」

「ね……寝よう、か」

「あ、ああ、そうしよう」

 

 目を伏せ、少しだけ頬を赤らめた思春が言葉を返す。

 いつも通りに行動して、いつも通りに一つの寝台に寝転がる。

 それだけなのに妙に意識してしまって、しばらく眠れない夜が続いた。

 だからだろう。

 一緒の寝台で寝る事に、いつの間にか随分と慣れてたんだなぁって実感を抱く。

 そして、一緒に居ることが当たり前になっていたことにも。

 そうだよな……見方はどうあれ、特に文句も言わずにいろいろなことを手伝ってくれていた。それが当たり前になるより早く、もっともっと言いたいありがとうがあった筈なのに、本当にいつの間にか“言わなくてもわかる”みたいな空気が出来ていた。言葉なんて、言わなきゃ届かないのに。

 

「……思春」

「っ……な、なんだっ」

「? あ、いや……その。…………いつもありがとう。当たり前になりすぎてて、改まったお礼なんて言えてなかったから」

「───……どうということはない」

 

 返事はそれだけ。

 でも、気まずい雰囲気のようなものはたったそれだけの会話で消えてくれて、妙に意識することもなく……俺と思春は翌朝を迎えた。

 そういえば……寝る前に話し掛けた時、どうしてあんなにどもってたのかなぁとか考えながら。

 



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40:蜀/悩める青少年①

75/旅ゆけば、三日間

 

 宿での朝を迎える。

 寝巻きという名のシャツを取り替え、フランチェスカの制服に身を包むと、今日も頑張るかと気を引き締めて部屋を出る。

 荷物は着替えと携帯電話等が入ったバッグが一つ。

 もちろん、と言うべきなのか、思春の着替えも入っている。

 これを片手にボランティアをしているわけだが……まあその、野党紛いのことが起こったこともあって、天……元の世界の思い出の品でもあるこれを盗まれたら、多分しばらく立ち直れない。

 なわけだから、邪魔になろうがどうしようが肩に引っ掛けて行動をしているわけだ。

 民を信じなさいって言われればそれまでなわけだが……盗むわけじゃないにしろ、子供とかが面白がって持っていってしまっても困る。

 ……なので、

 

「女将さん。この荷物、預かってもらってていいかな」

 

 女将さんに預かってもらうことにした。

 その女将さんの対応といえば、二つ返事……でもなかったが、「ああ構わないよ」とにっこりと笑い、預かってくれた。

 そうなるとあとは早いもので、早速宿から出た俺と思春はボランティアを再開。

 困ったことがないかを訊いて回り、あれば手伝い、無ければ探しを繰り返し、適度に休憩を挟んでは麒麟らの様子を見に行った。

 空を仰げば眩しいくらいの太陽。

 そんな空の下、人々は賑わいを絶やすことなく動いていた。

 

「…………うんっ、よしっ」

 

 そんな賑わいに負けないようにと気合いを入れて、またボランティア。

 ……とはいうが、仕事は仕事だと割り切っている人が中々に多く、困っている人というのもこれで案外見つからない。

 書簡に書かれた……リストと言っていいのかは疑問だが、連ねられている名前や場所は既に回ってしまったし、それほど難しい問題でもなかったので解決してしまっている。

 やる気だけが空回りする状況下で、さて俺は何をするべきなのかと考え……

 

「………」

 

 ふと、店先のごま団子が目に入る。

 ……い、いや、駄目だぞ? 愛紗に怒られたからこそ、こうして外泊(?)までして仕事をしているのに、その先でサボリとかはまずい。

 何よりもし華琳にバレでもすれば、“他国にまで行ってサボリ癖を見せつけにいったの? さっさと帰ってきなさいと言ったのに、随分と余裕なのね”とか言われて……まずい、それはまずい。

 言葉だけで済めばまだいいが、華琳のことだから絶対に罰が待っている。

 そう、俺は奉仕……蜀の国に情報を提供するために来たわけで、けっしてサボリに来てるわけじゃないんだ。……ないけど、でも、ちょっとくらい、団子の立ち食いくらい……!

 

「いやいやっ、(ゆる)んでる(たる)んでるっ!」

 

 頬をパンパァンッと叩き、喝を入れる。

 じいちゃんのもと───天から離れて結構経ってしまった所為か、確実に自分の中の様々が緩み始めていることを実感しつつ、強く叩きすぎた頬に涙を滲ませながら歩いた。

 鍛錬の日は明日だし、明日は体を動かすよりも座禅でも組んで精神修行でも……ハテ。周りがソッとしてくれなさそうだと思ったのは、蜀の生活にも完全に慣れてしまったってことで、笑って済ませていいんだろうか。

 

「……思春? えぇっと、なんだかんだで書簡分の仕事が終わっちゃって、他に困っている人も居ないみたいなんだけど……これって戻るべきなのかな」

「当然だろう」

 

 当然だった。

 それはそうだ、昨日は夜遅くまで散々と騒いで、今朝も早くから手伝い。

 見上げれば既に太陽は真上で、先ほど見上げた空よりもほんの少しだけ太陽の位置が変わっていた……気がする。

 ならばとお世話になった人達に声をかけて、また何かあったらと言い残して出発の準備。

 預けておいたバッグを手に、麒麟に跨っての移動が始まった。

 別の町か邑へ行く手も考えたが、下手に突っ込んだ行動をして、かえって迷惑になるのもいけない。

 いくらボランティアっていっても、俺が手伝う中に誰かの仕事が混ざっていては、その人のその日の内の給料を奪うことになりかねない。

 あくまでどうしても困っている人を助ける方向。

 手伝うにしても、必要な労働分以上を奪ってはいけない。

 いろいろあるが、やさしさの押し売りだけじゃあ褒められた結果は得られないのだ。難しい。

 そういった意味では、この時代のボランティアは難しいものだった。

 

(……べつに、褒められたくてやってるわけじゃないんだけどな)

 

 上手くいかないものってのはどうしてもあるなぁと苦笑する。

 そうして、麒麟のペースで道を行く。

 長い長い道のりを、時折に空を見上げながらゆっくりと。

 今日は何事も無ければいいなぁと、そんなささやかな願いを胸に抱きながら。

 ……抱いた途端に、“抱いてしまった時点で”何かが起こるんだろうなぁという直感が、どうしても働いてしまう自分が憎かった。

 

……。

 

 道中、一人の男と出会った。

 彼は商人であるらしく、久しぶりに我が家へと帰る途中なのだという。

 家が、先ほどまで自分たちが居た場所だというので、お世話になったことを話したり、困ったことはないだろうかと訊ねてみたりをした。

 奥様方の井戸端会議のようなノリで、穏やかに笑いながら。

 ……いつの間にか商人の間には俺の名前が通ってしまっているらしく、名乗ったら「おぉあんたが!」と驚かれた。

 慌てて“あんたが”って部分を訂正しようとする商人さんに、そのままでいいからと返して話の続きをする。

 当然、馬から下りてだ。

 見下ろすのってあまり好きじゃないし、どうせなら同じ目線で話し合いたいから。

 

 そうして話してみると、町から町へ、邑から邑へと移動しているだけあって、いろいろな場所のことを知っている。

 あの町はああいうことで困っていた、そこの街の一角ではああいうことがあって、その邑で子供が産まれた、など。話し始めると尽きることを知らないってくらいに教えてもらった。

 話だけ聞くと楽しそうとも思えるソレは、事実楽しいらしく……それが叶ったのも、この世が平穏になってくれたお陰だと、眩しいくらいの笑顔で言ってくれた。

 そんな、どこかの街……邑でもいい、歩き回れば無邪気な子供がしているであろう笑顔を、大人がしてくれていることがとても嬉しかった。

 

「………」

 

 まだそう遠くないからという理由もあって、商人を送り届け、再出発。

 あれだけの広い場所で追い剥ぎや山賊も無いものだけど、気になってしまっては仕方ない。

 初めてこの世界に降りた時、乱世とはいえ広い荒野で襲われた自分だ。不安にもなる。

 もう平和になったから絶対に安全だ、なんて言えない事態が昨日起こってしまったばかりだし……戦の中で辛い思いをした人だけじゃなく、太守の所為で辛い思いをした人だって山ほど居ることを、改めて思い知らされた。

 

「こうしてボランティアを地道にやってて、いい世の中になってくれるのかな」

 

 やらなきゃいけないことは、まだまだたくさんある。

 天……日本で例えてみれば、ボランティアなんて時間の無駄だって大多数の人が言うだろう。

 救われる人は確かに居るが……正直、この世界ほど必要とはされていない。

 じゃあ必要だからずっと続けるのかと言われれば……続けるんだろうな。

 笑顔が見たいし、もっと民や兵と近づきたい。

 こうして“民”って呼ぶんじゃなく、呉の人達みたいに気安く“親父、お袋”って呼べるくらいに親しくなりたい。

 そのためには自分から歩み出て手を伸ばす必要があって、強制じゃないのなら掴んでくれるまで待つしかない。

 だからしつこく食い下がらず、一歩一歩をゆっくりと歩いている……つもりだ。

 

「たった一人が何をどうこうしたことで、そう易々と変わるほどにやさしくはない。そんなことは貴様でも……いや、貴様だからこそわかっているだろう」

「……ん」

 

 つもりはつもりでしかないわけで。

 自分がどれだけ、どう進めているかなんてのは、誰かが四六時中見ていない限りはわかるはずもない。

 自分だけならいいけど、自分の行動が誰かのためにもなり、誰かの重荷にもなり得るって事実は案外怖い。

 けれどもそういった、一方じゃなく反対側の……正道で例えるなら邪道も知りながら、どちらか一方だけでは得られないものも受け取ってこそ覚悟になる。

 以前話した悪と正義の話のように、悪から学べることもあるのだから、一方のみを受け取っていては偏りが生じてしまう。

 悪を悪としてしか見られなくなるって言えばいいのか。

 えぇと、悪だから悪として裁くんじゃなく、そこにもきちんと理由があることを知ってみようとするのが大事……というか。

 

「一人で考えててもこんがらがるなぁ……思春、道も長いし少し話しながら行かないか?」

「………」

 

 はぁ、と溜め息が漏れた。

 次いで、「話をする程度のことで、いちいち否応を問うな、鬱陶しい」との厳しいお言葉が……。

 いや、だって……急に話し掛けたりすると睨むの、もう目に見えてるし……。

 ……こほんと咳払いを一つ、話をする。

 ボランティアのこと、これからの自分達のこと、蜀でやり残していることはないだろうかとか、魏に戻ってからの身の振り方とか、それこそいろいろ。

 

「……そうだよな。魏に戻ったらどうなるんだろう」

 

 “どうなるんだろう”とは、思春のことだ。

 今でこそ一緒の部屋、一緒の寝台で寝ていたりするわけだが……魏に戻ってもそれを続けるのか? それを華琳が許すだろうか。

 “貴方は私のものであることを、まだ自覚し足りないようね”とか、“それとも長旅の所為で忘れたのかしら? いい度胸ね、さっさと帰ってこいという言葉も満足に果たせなかったというのに”とか、痛いところを突かれまくって……あ、なんか胃が痛くなってきた。

 

「どうなるかは魏王───曹操様、が決めることだ。庶人らしく街で暮らせと言うのか、別の部屋を用意するのか、これまでと変わらず貴様とともに居させるのか」

 

 思春も俺の言葉の意味を正確に受け取ったようで、あっさりと返事を返してくれる。

 そうだよな……結局は俺も華琳の所有物扱いで、一応、あくまで一応思春はその所有物に仕えているってことになっているわけで。

 ……というか、一緒の寝台でず~っと寝てたってこと自体が、あらぬ誤解を生みそうだ。

 何もしていないって言ったところで、果たして信じてくれるのかどうか───

 

 

 

=_=/イメージです

 

 ようやく魏入りを果たし、許昌へと戻った俺は、思春とともに玉座の間に通された。

 そこでは相変わらずの威厳に、怪しげな微笑を混ぜた表情を浮かべる華琳が待っていて、幾段かある段差の頂点に存在する玉座に座り、足を組み、左手を頬杖代わりにして俺達を見下ろしていた。

 

「長旅ご苦労だったわね。学ぶことはあったのかしら?」

「ああ。呉でも、蜀でも、随分と学ばされたよ」

「そう。……ああところで……雪蓮から聞かされてはいるけれど、一刀? 貴方───道中、思春に手を出したりしていないでしょうね」

「へ? ああそれはもちろん───」

「もちろん!? 手を出したのか貴様っ!」

「春蘭!? “もちろん”だと手を出す理解ってなに!?」

「ふん、自分の胸に……いいえ? 自分のその汚らしい股間に訊いてみなさいよ、この汚物」

「人の股間が意思を持っているみたいな言い方するなよ!」

 

 説明云々より先に、あっという間に誤解が広まった。

 なんとか話をして理解を仰ごうとするのだが、慌てれば慌てるほど誤解が広まっていくのはどうしてだろうなぁ。

 だからと冷静になってみれば、「開き直ったわねこの変態!」って桂花に言われる始末。

 ええいどうしてくれようか、この軍師。

 

「と、とにかく! 手なんて出してないっ! 思春、思春からもなにかっ───」

「発言を許可された覚えはない」

「そうだけど、許可したって喋らなそうだって思うのって俺だけ!?」

「ならばわざわざ声をかけるな鬱陶しい」

 

 否定してくれない上にひどいこと言われた。

 ならばと孤独な説得を続けるも、次第に追い詰められていき……

 

「思春。今宵、私の閨へと来なさい。一刀によって散ったその身体、この私自らが慰めてあげるわ」

「!? い、いえっ、私はっ───お、おいっ……貴様っ……! 黙っていないでなんとかしろっ……! このままではっ……!」

「……イインダ……ドウセ僕ノ言ウコトナンテ誰モ信ジテクレナインダ……」

「呆けている場合かっ! 鬱陶しいと言ったことならば、その、あ、謝らなくもない! だから───!」

 

 思春が真っ赤な顔で俺の肩をがっくがっくと揺する。

 そんな声が俺に届かないままに、謁見めいたものは終わりを告げ───その夜。

 静かな夜に、一人の女性の叫び声が轟いた……───

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 …………。

 

「……強く生きていこうな、思春」

「? 脈絡も無く何を言っている」

 

 とりあえず、何を言っても聞いてもらえなさそうな気がしてきた。

 雪蓮が、華琳に“一刀は呉で、誰にも手を出さなかった”~とか言っていてくれれば、まだ話は変わるんだろう……けど。それで華琳が納得するかは別なんだよな。

 どちらかで言えば、本人の言葉と証明を以って事実とする、みたいなところがあるし。

 こっちの場合、言葉と事実を以って証明ってことになるのか?

 何がどうあれ、苦労はしそうだ。

 

(そんなドタバタすら楽しみにしてる自分が、何を言ってるんだか)

 

 この世界に戻ってきた事実は変わらない。

 そこには大事な人が居て、再び辿り着きたかった暮らしが在る。

 どれだけの苦労を積み重ねようと、その苦労さえもが楽しみなら、今は笑っていよう。

 いつか終わるものだとしても、この世界に骨を埋めることになったとしてもだ。

 

……。

 

 成都に辿り着く頃には当然のように昼も過ぎていた。

 こういうものは重なるものなのか、途中途中で誰かと出会ったりトラブルに巻き込まれたりで、ハッと気づけば見上げるまでもなく空は赤かった。

 ……川を見つけたついでに、勝手に麒麟に水浴びとかさせちゃったけど……大丈夫だろうか。

 

「おお御遣いさん、今お帰りで?」

「ん、ちょっと離れた町まで行ってきて、丁度帰ってきたところ」

 

 城へ戻る途中、声をかけられて振り向き、返す。

 馬にはもう乗っておらず、手綱を引いて一緒に歩いているところだ。

 同じ目線で話すことに慣れてくると、どうもこう……なんて言えばいいのか。

 馬に乗って、見下ろしながら話すのが苦手になってくる。

 けれど、歩くたびに誰かしらに話し掛けられて、思うよりも進めないでいた。

 

「…………」

 

 なんだか思春から、無言のプレッシャーをかけられている気がしないでもない。

 さっさと進めってことなんだろうか。

 そんな視線を受けても挨拶はしっかり。

 気になる話題が出れば奥様方のようにあらまあウフフと……いや、嘘だぞ?

 なんだかんだで結構走らせてしまったし、麒麟を早く休ませてやりたい。

 話もそこそこにして区切りをつけて、一言謝ると先を急いだ。

 麒麟たちを馬屋へ送り、城へ戻り、桃香への報告を終える頃には日も落ち、夜が訪れる。

 往復出来る距離とはいえ、移動を続けると疲れもするわけで───たまたま風呂の日だったらしいので、「ご苦労さまでした、お風呂でもどうぞ~♪」と、宿の女将さんみたいな仕草と、冗談混じりの笑顔で言う桃香の言葉に甘え、風呂に入ることにする。

 ……思春と一緒に入れられそうになったが、そこはなんとか説得して許してもらった。

 ああ、許してもらったとも。

 

「は……あ、ぁあ~……♪」

 

 熱い湯船に浸かる。

 すると、足の先から肩までが痺れるような感覚に襲われ、思わずヘンな声が出る。

 自分のそんな声に苦笑をもらしながらも、ぐぅっと身体を伸ばし、長い長い息を吐いた。

 

「この時代に居ると、いつでも好きな時にシャワーとか浴びられる現代って、すごい贅沢だよなぁ」

 

 どれほど汗臭くなっても、この世界では我慢しなければならない。

 水浴びで落とせるものにだって限度があるし。

 などと湯船のありがたさを感じながら、空を仰いでみる。

 いろいろとどたばたしていて、最近じゃあこんなにゆったりと星を見られなかった。

 星を見るのが好きかーと問われれば、それはまあ人並み程度だろう。好きでもなければ嫌いでもない……大体はそうだ。

 ただ、一人でのんびりと見上げる星は、これで案外風情があるというか。

 振り回されない時間っていうのは大事だなぁ、とか思ったりするわけだ。

 この世界は、現代とは違って夜の明かりが少ないから、星だってたくさん見れる。現代よりかは……まあ、きっと、星を見上げるのは好きでいられそうではある。

 

「風呂はいいなぁ……風呂は男と女が分けられる大切な場所だ」

 

 ……いや、そうでもないか。

 魏のお祭り好きの誰かさんは、町人の騎馬戦に紛れ込んで大人気なくも暴れ回った挙句、俺と凪を巻き込んで風呂に……い、いやいや思い出すな思い出すなっ!

 なんて思った時にはもはや遅く、自己主張を始めてしまう一部分に泣きたくなった。

 

「…………」

 

 なんとなく不安になって、辺りを見渡す……が、当然のことながら誰も居ない。

 こんな状況で混浴だけは勘弁だ……いろいろ抑えが効かなくなりそうだ。

 

「落ち着け落ち着け、煩悩退散煩悩退散……!」

 

 湯船の中で結跏趺坐(けっかふざ)を組み、深呼吸。

 大丈夫、大丈夫……何事もなく蜀での務めを果たすんだ。

 今日が終わればあと二日。

 それまで我慢して…………あれ?

 

(……我慢して、どうするんだっけ?)

 

 魏に帰って発散する? いや、なんか違う。

 みんなは欲望の捌け口じゃないし、そんな感情任せなことは絶対にしたくない。

 というか……あ、あー……。

 

「なんか……やっぱりっていうか、いつでも受身だったんだなぁ、俺って」

 

 改めて実感。

 自分から迫ったことってあったっけ?

 大体が何かしらが起こって、触れて、そして……まあその、そんな感じで。

 

「はぁ。状況に流されやすいのか、なんでも受け容れすぎたのか」

 

 顔をばっしゃばっしゃと洗い、溜め息。

 足は結跏趺坐なままに、自分に呆れながらも深呼吸を続ける。

 呉でも蜀でも抵抗しておいて、魏に戻ったら節操も無く欲望に飲み込まれる自分を想像してみて、やっぱり情けなくなり……抵抗する自分を想像してみるが、それでも誘われたなら、抗えられそうもない自分が容易く想像出来てしまうあたり、つくづく自分は押しに弱いのだと実感した。

 

「身体の鍛錬より、心の鍛錬の方を優先させるべきだったかなぁ」

 

 こんな時、華琳が隣に居たら怒ってくれるだろうか。

 情けないことだと、己を律することの出来る自分で在れと、言ってくれるだろうか。

 ……その前に溜め息をつかれるか、鼻で笑われそうだ。

 目を閉じて、顎を少し上げて、口元は笑ったままで、

 

  “我慢? 貴方にそれが出来るなんて、初めて聞いたわ”

 

 って感じに。

 はい……仰る通りです。

 

「……明日は鍛錬だ。今日はもうゆっくり休もう」

 

 考えごとをしていると、なかなか時間が経つのは早いもので……少し頭がボゥっとしてきている自分に気づく。結跏趺坐のままで。

 せっかく湯船に浸かってるんだから、のびのびとしないともったいない。

 幸いにして、自分への情けなさからかどうなのか、主張を続けていた部分は治まってくれていた。

 今のうちにとばかりに湯船から出て、洗うところを洗ってからさっさと出てしまう。

 

(また余計なことを考え出す前に、寝てしまえばいいんだ)

 

 パパッと着替えを終えればあとは早い。

 寄り道せずに宛がわれている自室へと向かい───…………部屋の前にある人影を見て、いっそ叫びたくなった。

 いや、人影だけならよかったんだ。

 その影が二つあり、かつ何かを大事そうに抱えているとかじゃあなかったら……俺はきっと、心から彼女らを迎えられただろうに。

 

(神様……)

 

 そういえば結局、うやむやになったってだけで、艶本の話は流れたわけじゃないことを思い出した。

 思い出したら……静かに、視界が滲んだ気がした。

 困ることっていうのは重なってしまうから困ることなんだって、昔誰かが言っていた。

 今ここにある状況もきっと、そんな困ることの一つなんだって胸を張って言える。こんなことに胸を張りたくなかった。

 

「………」

 

 無視をするわけにも、別の部屋を借りるわけにもいかず、結局は部屋の前……朱里と雛里が待っている場所へと向かった。足音に気づいて、扉からこちらへと視線を向ける朱里と雛里は、持っているものが持っているものだからだろう、ひどく挙動不審で、「はわぁっ!?」「あわぁわわっ……!?」と見事に小さな悲鳴を上げた。

 そんな姿を見ると、これから我が身に降りかかるであろう我慢の時も、なんだか気楽なものと思えてしまう……いや、気はしっかり持とうな、一刀。

 

「ヤ、ヤー……ドウシタンダイ、コンナ夜ニ」

 

 自分でもわかるくらい、明らかにおかしな声が口から漏れた。

 わかってる……緊張とか動揺とか、いろんなものが混ざってしまっていて、考えていること、喋ろうとしていることが上手く言葉になってくれないのだ。

 なんとか持ち直そうと努力すればするほど、朱里が持っている本に嫌でも視線が向いてしまい、恥ずかしいやら悲しいやらでいっそ逃げ出したくなる、と……ただいまはそんな状況なわけでして。

 そんな状況の中で“どうしたんだい”なんて質問を投げ掛けた俺だったが、恥ずかしがりながらもバッと突き出される艶本に、衝撃という名のカウンターを食らった。

 

 それは。

 彼女が持っていたソレが、実は学校に使う教材とかでしたー、なんてことを密かに期待していた俺の心が、ゴシャーンと大きな音を立てて崩れ去った、記念すべき瞬間だったとさ……。




6月18日に向けてアレコレ書いていたので更新が滞っておりました。
再び投稿を開始いたしますです。


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40:蜀/悩める青少年②

76/がんばりましょう、男の子

 

 何処かで虫が鳴いていた。

 そんな音が薄暗い部屋の中に聞こえるほど、部屋の中は静かだった。

 部屋の中には四人。

 俺、朱里、雛里、そして問答無用で巻き込まれることになった思春が居た。

 事情を話された思春さんは現在、部屋の隅で額に手を当て、項垂れながら「はぁあ……」と長い長い溜め息を吐いている。

 ……ごめん、俺も是非そうしたい。

 これが我が身に起こっていることじゃないのなら、絶対にそうしていた。

 

「し、ししゅ───」

「私はいいっ!」

 

 せめて一緒にと語りかけようと……した途端に断られてしまった。

 いや待て? 俺は今何を……? 艶本……キッパリ言えばエロ本を見ることになって、女性に“一緒にエロ本見ようぜ~”って誘っ……た……?

 

「いっそ……いっそ殺してくれ…………」

「はわっ!? どどどうしたんですかっ!?」

 

 寝台に腰掛けていた体勢から、膝から床に崩れ落ちるようにして自己嫌悪した。

 こう、両膝両手を床につけて、がっくりとするアレなポーズ。

 いろいろと動揺している自覚があるからって、人を……よりにもよって女性に艶本見ようと誘うのってどうだろう。

 罪悪感とかそんなものじゃない、例えようの無い奇妙な感覚に襲われた。

 恥ずかしさとかそういうのでもなく、名前をつけて呼ぶなら……この感情をなんと例えよう、と頭の中が混乱するくらいの謎の感情。

 そんなものに襲われても、状況は変わってはくれないわけで。

 朱里と雛里に助け起こされるみたいな形で、寝台に座り直すことになった。

 ……何故か、俺が中心で、両脇に朱里と雛里って形で。

 

「……おや?」

 

 口にしてみて唖然とする。

 座り直すと同時に、当然のようにハイと艶本が渡された。

 交互に左右を見ると、興奮して“さあ!”って感じで俺を見上げる朱里さんと、のちに待っているであろう興奮に、怯えながらも期待してるような表情の雛里さん。

 そして……真ん中に座り、艶本を手にすることで、逃げ道を失ってしまった俺。

 ちらりと見ると、思春がまるで“馬鹿者め……”とでも言うかのように溜め息を吐いていた。

 

(………)

 

 もはや何も言うまい。

 うっすらと笑みを浮かべ、天井を仰いだのち、俺は───無心になった“つもり”で、艶本を開くのだった。

 

……。

 

 救いってものは何処にありますか?

 そう、頭の中の俺が俺に質問してきた。

 艶本を見始めてはや十数分。

 俺自身が導き出した答え……それは、艶本の中にこそあった。

 

「………」

 

 内容は、ほぼが文字であった。

 図解のようなものも確かにあるのだが、写真ではないのでまだ平気だ。

 そりゃそうだと思いながら、この世界の技術発展度に感謝をする。

 絵も歴史書なんかで見るようなものだから、逆に歴史の授業をしているような錯覚を覚えて、興奮のようなものは沸き出してこない。

 ……じゃあ何故救い云々を、俺の頭が訊ねてきたのかといえば。

 

「わ、はわっ……はわわわ……っ!!」

「あわ、あわわわ……!!」

 

 両脇の二人がわざわざ文字を朗読して、その上で興奮したまま、自分が思っていることを口にしているからだ。

 男の人のアレがああで、これがそうであんなことまでーって、朱里さん、お願いだから横でそんなこと言わないで。

 雛里さん、小声でも最初から最後まで朗読しないで。静かだから嫌でも耳に届くんだ。

 しかも二人とも腕にしがみついてきているもんだから、逃げることも出来ない。

 ああもう、喉が渇く。口に溜まった唾液を飲む音が静かな夜に響いて、二人に聞こえるんじゃないかって不安になる。

 どうしてこういう時の音って聞かれたくないんだろうか。

 いや、理由なんかはどうでもいい、誰か助けてくれ。

 

「お、おおおお男の人のあれが、じょじょじょ、じょせっ、じょせいの……!」

「しゅ、朱里ちゃん……! おおきっ……声、大きいよっ……!」

「はわぁっ!?」

 

 ……正直、本だけなら大丈夫だった。断言出来る。

 そこに二人の解説が付かなければ、きっと俺は今日を平和に乗り切ることが出来たんだ。

 ただこんなことになって、両腕に女の子の感触を感じつつ、朗読なんかされれば……それは、ああなってしまうのは当然なわけでして……。

 ああなってしまったものを本で隠して、落ち着くまでを待っているわけだが、感触と言葉を触覚と聴覚等が感じるたび、散々我慢してきたそれは言うことを聞いてくれないやんちゃさんになっていまして……。

 まだまだ(ぺーじ)があることを喜ぶべきなのか、早く終わってもらえないことを嘆くべきなのか。真っ赤になっているであろう自分の顔を思いながら、二人の読む速度に合わせて頁をめくっていった。

 

「あ、あー……朱里、雛里ぃ……? ど、どうして文字を読んだりするのかなぁ……?」

「へぅ……? あの、一刀さんが、そうしたほうが頭の運動にいいと……」

「……? ……………………ア」

 

 雛里の戸惑い混じりの言葉に、気が遠くなるのを感じた。

 しかし鍛錬によって鍛えられてきた身も精神も、そう簡単に気絶することを許してはくれない。ありがとう鍛錬。俺、これからも強く生きていくから、今だけ思いきり泣いていいですか?

 

(俺の馬鹿っ……俺のっ……俺っ……馬鹿ぁああああああああっ!!!)

 

 頭の中で思いきり絶叫しながら、口では「ハハハソッカァー」なんて言葉を放つ。

 そして、聴覚と目で知ることで、頭の中に艶本の内容が嫌でもドカドカ入ってきて、無駄に脳内の記憶領域を潰していっていた。

 これ……どんな名前の拷問なんでしょう。

 

「あ、あのっ、一刀しゃぷっ!? ~……っ!」

「うわ噛んだ!? だっ……大丈夫か……?」

 

 やたら興奮した顔で、勢いのままに何かを口にしようとした朱里……だったのだが、盛大に噛んだらしい。口を押さえて俯き震えている。

 そんな朱里を、いつかのように落ち着かせる。

 呉に居た時から変わってないなぁなんて思いながら、こちらを向かせて口を開いてもらい、ちろりと出る舌を見て……傷はついていないことを確認して一息。

 と、なにやら異様な視線を感じて、朱里とは反対の右隣……雛里へと振り向いたのだが。俺に向けられていたわけじゃない彼女の視線を追ってみて、固まった。

 介抱……舌を噛んだ子を心配することを介抱と呼んでいいのかは別として、介抱しようとした拍子に本がずれてしまっていたらしく。

 彼女の視線は、現在進行形で主張をしている一部分へってギャアアアア!?

 

「いやちがっ! これはちがっ……!」

 

 赤かった顔がさらに赤くなった。

 雛里も、多分俺も。

 朱里は気づかなかったようで、顔をあげた時にはもう本で隠していた。

 ……じゃなくて! 逃げていい場面だったんじゃないか今のは!

 こんな状況でどうしてまた、“読み続ける”なんて選択をしてますか俺!

 

「……あ、あの……今日はこのへんにしないか? ほら、あんまり遅いと明日に響くし」

『………………』

「うぐっ……」

 

 ものすごい視線だった。じぃいいい~って、ねちっこいくらい。

 一度手にした本は、最後まで読みきらないと気が済まない性質なのか、二人はじぃっとこちらを見たまま動かなくなってしまった。

 というか雛里? ああいうもの見たあとだっていうのに、どうしてしがみついたまま?

 

(神様……)

 

 俺、この夜だけで何回空を仰いだっけ……。見えるのは天井だけだけどさ。

 いや、もう気にしないことにしよう。

 耐えるんだ俺。

 耐えた後には、睡眠と鍛錬が待っている。

 精神修行なんかじゃあだめだ、思いっきり身体を動かさないと、なにか大変なものが切れてしまう気がする。

 

「ムカシムカシアルトコロニ、オジイサントオバアサンガ……」

「一刀さん!? 本とは別のこと喋ってますよ!?」

「はっ!? い、いやなんでもない大丈夫大丈夫!」

 

 落ち着こうな、本当に。

 そう、勉強だこれは。頭の鍛錬だ。

 普段は読んだりしないものを読んで、脳の働きを活性化させるのさ。

 だってほら、これはかの有名な諸葛孔明と鳳士元のオススメの本なんだ。

 これを見て勉強しろってお告げなんだよこれ。……そう思っておこう。

 嫌がってばかりじゃあ、得られるものまで失うんだ。

 真面目に、勉強をしよう……!!

 

……。

 

 ……夜。自室で。男一人と女二人が。密着しながら。艶本を読む。

 頭の中で区切って考えてみると、どうすればこんな状況が完成するのかがわからない。

 けれども現実は今ここにあって、そのページも今、終わりを迎えようとしていた。

 

『…………はっ……ぁあああ~……』

 

 やがて静かに閉じられる本。

 三人同時に吐いた溜め息は、とてもとても濃いものだった。

 そして遅い時間だろうに、ちっとも眠たげでなく立ち上がる二人と、立ち上がれない僕。

 二人が“?”と疑問符を浮かべたような顔で見てくるけど、立ち上がれない理由が男にはあるのです。

 ……雛里は途中で気づいたのか、余計に頬を赤らめてもじもじし出す始末で……それを見てしまった俺は、余計に自分が情けなくなるのを感じた。情けないっていうか、恥ずかしいんだが。

 

「じゃ、じゃあ、もう夜も遅いし───」

 

 お開きに、と言いかけたところで、コンコンと響くノックの音。

 思わず「うひゃあいっ!?」なんて妙な声をあげてしまい、ノックした相手こそが驚いていた。って、この声……桃香?

 

「!」

 

 と、相手が誰かを知るや否や、朱里が俺の手から艶本を取ってキョロキョロと……ってあのそれがないと僕のアレがっ! じゃなくてこらこらっ!? そんな本を人の寝台の下にだなっ! ていうかそれは見つかるだろ! いっそのこと俺のバッグに……ダメだ絶対駄目!!

 

「ちょ、朱里っ……! そこはいろいろとまずいんだって……! 隠すならもっと……!」

「はわっ!? ま、まずいんですかっ……!? では───はわっ!?」

「へ? ───はわっ!?」

 

 必死だったってだけです。

 “艶本=男が疑われる”って印象が強かったためか、座りっぱなしだった自分は立ち上がり、まあその……朱里から本を奪った時点でいろいろとアレだったわけで。

 朱里がその部分に気づくとともに、視線を追った俺も叫んでいた。

 

「はわっ、はわわ、は、はわっ……はわわぁあーっ!?」

「うわっ! うわわっ! ……って慌ててる場合じゃなくてっ!」

 

 “コレ”は生理現象でまだ片付けられるが、物体……書物はまずい!

 とにかくこれを隠して……! 隠すってどこに!? どこっ……どっ───!

 

「お兄さん? 朱里ちゃんの声が聞こえたけど、やっぱりここに……あれ?」

 

 息が詰まるような緊張の中、桃香が扉を軽く開けて声を放つ。

 その間にとにかく適当な場所へ艶本を突っ込み、次にとった行動は───!

 

「あの。お兄さん? どうして正座してるの?」

 

 ───正座だった。

 理由は……察してほしい。

 

「い、いや、いろいろと反省したい気分だったん───だ………反省しよ……ほんと……」

 

 ぽろりと出た言葉が、本当の目的になった瞬間だった。

 

「それで……えっと、桃香? どうしたんだ、こんな遅くに」

「え? あ、うん。届けられた書簡のことで、わからないことがあって。頑張って頑張って一人で考えてみたんだけど、やっぱりわからなくて。こんな遅くに迷惑かもしれないって思ったんだけど」

 

 言いながら、どうしてか俺の視線の先に……つまり目の前にちょこんと正座する桃香。

 視線を合わせて話そうと思っての行動なのか、反省したい気分だったのかはわからないけど、ただ今女性を目の前にするってこと自体が目に毒なんですけど……うう。

 

「あ……もしかして私達を探していましたか?」

「う、うんー……ごめんね朱里ちゃん、雛里ちゃん。でもどうしても眠る前に片付けたくて」

 

 しかし俺の目の前……といっても距離はそれなりに離れているが、対面して座ったわりには、視線はチラチラと朱里や雛里に揺れていることに朱里が気づいた。

 探して回ったのに居なくて、ここに辿り着いたのか。

 そういえば“やっぱりここに”とか言ってたし。

 

「というより……無茶するとまた睡眠不足になるぞ? この前もそれで饅頭を逃したんじゃないか」

「うぐっ。そ、そうなんだけど、ほら、明日はお兄さんとやる最後の鍛錬だから、集中してやりたかったし……」

「あ……そっか」

 

 最後───最後になるのか。

 言われてみれば、明日を過ぎれば蜀での鍛錬は終わりだ。なにせ三日毎だから。

 俺は魏に帰って、そうそう何度も会えなくなるんだ。

 

「……そうだよな。残ったものがあると、それこそ集中出来なくなる。……よしっ、それじゃあ書簡、片付けちゃうか」

「ふえっ? あ、や、いぃいいい、いいよっ、これは私の仕事だもんっ!」

「朱里と雛里は巻き込めて、俺は巻き込めない?」

「あうぅっ!? …………お兄さんの、いじわるぅ……」

 

 痛いところを突かれたって顔で、線にした瞳からたぱーと涙を流す。

 そんな桃香の頭をひと撫で、気が抜けたのか鎮まってくれた聞かん坊に若干の感謝を飛ばしつつ、立ち上がる。

 桃香は頬を軽く膨らませて、自分の処理能力への不満や俺の首の突っ込みたがり様へ、ぷりぷりと呟きをこぼしていた。

 “これでもうちょっと要領が良ければなぁ”と思ってしまうあたり、俺も誰を基準に人を見ているのかと笑ってしまう。

 比べて、何が変わるわけでもないのに。

 

「朱里と雛里はどうする? 労働時間外になりそうだけど」

「はい、もちろん一緒に」

「あわっ? あ、わ、私も……」

「そっか。じゃあ……」

 

 蜀での生活も僅か。

 帰るまでに自分が出来ることをやっていこう。

 提供出来る情報があれば、提供出来るだけ。

 

(……ほら、あんまりちらちら見てると感づかれるから)

(はわっ!?)

(あわわっ……)

 

 艶本が気になって、チラチラと視線を動かしていた二人の背中を押す。

 気になるのは……うん、ものすご~くよくわかる。

 でも見つかって困るのは俺だけになりそうだから、その……あんまりあからさまにチラチラ見ないでくれな……?

 

「?」

 

 ぼそぼそと話す俺達に首を傾げる桃香に乾いた笑いを三人で提供しながら、さあさあと背中を押して部屋から出た。

 思春も立ち上がってくれたが、そんな思春に三人一緒にお願いする。

 どうか、あの本が人様に見つからないように死守してほしいと。

 モノがモノなためか瞬間的に真っ赤になった顔で盛大に驚かれて、珍しくもおろおろしていたが……なんとか承知してくれたらしく、溜め息を吐かれたけど、どうかわかってほしい。

 あれが見つかってしまうだけで、いろいろと危険だということを。

 

(俺のじゃないのになぁ……とほほ)

 

 朱里や雛里と同じくらい必死にお願いする自分に気づき、頭を抱えたくなった。

 男って……悲しいなぁ……。

 

 

 

 

77/明けて翌朝、二日間

 

 朝。

 待ち遠しい日、来て欲しくない日が当然のように訪れるように、今日って日も普通に訪れた。

 夜遅くまでの竹簡、書類整理をこなした割りに、目も頭もすっきりとしている。

 桃香がギブアップして朱里や雛里を探すだけあって、その量は結構なものだったのだが……三人寄れば文殊の知恵。こうしたらどうか、ああしたらいいんじゃないか、そんな意見を出し合い、悩み合ったら案外すんなりと終わった。

 主に頑張っていたのは朱里と雛里ってことになる。

 俺と桃香は頼りっぱなしに近く、逆に申し訳ない結果になってしまった。

 

「学ぶことはまだまだあるなぁ……」

 

 寝巻きから胴着に着替えて、頬を二回ほどぴしゃんぴしゃんと叩いた。

 よし、眠気は本当に残ってない。

 アレな本も……書簡整理が終わってから、二人が回収してくれたし問題無しっ。

 ……本を守ってくれてた思春には、なんだか微妙な目で睨まれたけどね……うん……。

 

「んっ」

 

 気を引き締めることで気を取り直して、バッグを片手に部屋を出て厨房へ。

 朝から気合いを入れた所為か順番が逆になったが、先に朝餉をとってから胴着に着替えればよかったと後悔。

 やる気が空回りすることって、気をつけてても結構あるなぁ。

 

「ん……っと」

 

 食事と水分補給が済むと、中庭に出て木刀を構える。

 って、だから逸るな逸るなっ、まずは準備運動からだ。

 

「緊張してるのかな……ううむ」

 

 抜き取った竹刀袋に入った木刀をバッグの傍らに置き、準備運動を開始する。

 広い中庭に、胴着を着た男が一人……日本ではそう珍しくもないんだろうけど、場所が大陸ってだけで随分とまあ……。

 いやいや考えない考えない。

 

「よしっ」

 

 準備運動を終えると、改めて木刀を取り出し、中庭の中心まで歩いて構える。

 桃香が来るまで、少し集中しよう。

 

「集中、集中……」

 

 千里の道も一歩から。

 千里を歩くにはまず一歩。でも一歩じゃ一里すら越えられない。

 積み重ねは重ねるだけ人を強くするが、重ねたつもりなのに、見えないそれが崩れていたら……果たして人は千里に届くのだろうか。

 ふと、そんなことを考えた。

 集中した途端だっていうのに、なにを小難しいことを考えているのかと呆れる。

 それでも一度考えると、集中とは名ばかりの自問自答が始まった。

 

「………」

 

 幼い頃、三途の川の存在を知る。

 親不幸な子供が、そこで石を積むって話を聞いたから。

 けれども積んでみれば鬼に崩され、また積み直さなきゃいけなくなる。

 親不幸な子供はずっとそうやって、いつまでもいつまでも泣きながら石を積む。

 そこに救いなんてないのでしょうかと祖父に問うた。

 祖父は、救われないのなら、親不幸が理由で落ちたのなら、せめてその親不幸を貫けばいいと返した。

 とことん、子供に対しても容赦のない祖父だと思った。

 親を泣かせた子供が、石を積む程度で許されるはずもない。

 理由があったにしろ、それは確かな親不幸だった。

 ならばせめて、その“理由”というものが自分にとっての譲れぬものであったのだと証明する。

 石を崩す鬼にも、河原の先で裁く閻魔にも、その親不幸を裁く権利などないのだと。

 

  理由を以って死した孺子が石積み如きで泣くな。

  泣く暇があるのなら、石を崩す鬼と戦い、己が持つ“理由”を貫いてみせい。

 

 本当に、無茶苦茶だ。

 でも、そんな言葉に笑った自分が確かに居た。

 

「子供相手に“鬼に勝て”~なんて、普通言わないよなぁ」

 

 宅の祖父様は少しおかしい。

 冗談なのか本気なのか……それでも、泣いて積み続けるだけならって、別の考え方を受け取れたのも事実だった。

 子供だから、相手が鬼だからを理由にしない考え方。

 楯突いたところで何があるのかと言われれば、きっと殴られて終わるだけ。

 最悪、審判も無しに地獄に落とされるのかもしれない。

 けど……ほら。もしそうなるのなら、結局は相手が決めるしかないのだ。

 言われるままに石を積んで、言われるままに裁かれて、言われるままに飛ばされる。

 言われるままが嫌なら行動するしかない。じゃあそこで取れる行動っていうのは?

 

「……そこで“鬼に攻撃する”って考えるあの人が、普通じゃないと思うのは俺だけか?」

 

 まあ……せっかく積んだ石を崩してしまうヤツが相手なら、それはそれで攻撃の意思も増えるってものだ。わざとじゃないならまだしも、積み上がりそうになると故意に崩すなら、弁慶くらい殴ってやって然るべきだ。

 泣き所押さえて痛がる鬼っていうのも見てみたい。

 

「そっか。もし天に帰れずに、親不幸のままに死ぬことがあったら……」

 

 そうしてみるのもいいのかもしれない。

 そんな風に思って、気づけば笑っていた。

 武器は石がいいだろうか。きっと木刀は持っていけない。

 相手は金棒でも持ってそうだけど……そういえば賽の河原でも氣は使えるんだろうか。

 いろんな考えが頭に浮かんでは、そういえば死んだあとのことばっかり考えてる自分に気づいた。気づいたら、もっと笑っていた。

 

「死んだあとのことは、死んでから考えようか」

 

 死んだあと、生前の記憶を持っていける保障なんてない。

 だから石を積む行動しか取れないのかもしれない。

 だとしたら、なんのために石を積むのかもわからないなんて、なんの罰になるんだろう。

 最後にそんなことを考えて……苦笑混じりの溜め息をひとつ、考えるのをやめた。



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40:蜀/悩める青少年③

 鍛錬を始めてからしばらく。

 

「うぉおおおおおおおおおっ!!」

「にゃーっ!!」

 

 頭の後ろで腕を手を組みながら、にっこにこ笑顔でやってきた鈴々とともに、城壁の上を駆け回っていた。

 桃香も既に来ていて、中庭で思春や愛紗に型を習っている。

 

「もうっ……ちょっと……っ……! 今日こそは勝つっ!!」

「まけないっ……のだっ……!! 今日も鈴々が───!!」

 

 もはや鍛錬ではなく競い合いだ。

 長く走れるようにとか、一呼吸でどれだけ走れるかとか、そんなものをそっちのけで手足を動かしている。

 ややあって、最初に走り出した場所までを走り切ると、その勢いのままに城壁の角までを走り、ゆっくりと速度を落とす。

 

「よっしゃ勝ったぁあーっ!!」

「う、ううー……! 負けたのだぁ~……!」

 

 どっちが子供だっていうくらい燥いで、腕を天へと突き上げての歓喜。

 蜀に来てからのほぼを一緒に走っていた鈴々に、とうとう勝てた。

 その喜びは凄まじいもので、それこそ子供のように身体全体で喜びを表現。

 ハタと気づけば“よっしゃあ”なんて言葉を使っていた自分が居た。

 

「だったら次は戦って勝つのだ!」

「よぅし望むところだ鈴々! 今日こそは───!!」

 

 調子に乗るのと勢いに乗るとは違うって誰かが言っていた。

 でも、だからって勢いまでを殺すのはもったいないって思うからこそ、調子に乗る形でもいいからそのままGO。

 

「うりゃりゃりゃりゃーっ!! 今度はもうくすぐられないのだーっ!!」

「いつまでもくすぐってばかりだと思うなよっ! 今日こそは実力でっ……じつ、じっ……キャーッ!?」

 

 結果は……まあ、聞かないでほしいけど。

 そうして騒ぐように鍛錬をしていると、自然に人も増えるものなのか、ぽつぽつと見物人は集まっていた。

 それは本当に見るだけの人だったり、楽しそうだからって混ざる人だったり、いろいろなわけで……仕事は大丈夫なのかと聞いてみれば、返ってくるのは“大丈夫”の一言ばかり。

 ちょっとやったらすぐ戻るからさーとは翠の言葉だが、軽い気持ちで始めた槍の演舞に猪々子が対抗。そこからは競い合いを始め、“すぐ戻るから”は“いつか戻る”にクラスチェンジした。

 そんな様子を、紫苑に弓を教わりながら見ていた俺はたまらずツッコミを入れるが、「ここで仕事を理由に戻ったら負けたみたいじゃないか!」と返される始末で……。

 ……えっと、翠? 一応、この場に蜀王が居ること、わかってて言ってるんだよな?

 

「次はあたしが勝つ!」

「っへへー、悪いけど、次に勝つのもあたいだねっ!」

 

 戦いは続く。

 チラリと桃香を見てみるけど、模擬刀を振るうのに必死で全然気づいてなかったりした。

 代わりに桔梗が立ち上がり……こう、翠の耳を引っ張って、通路の先へと消えた。

 

「んー……んっ!」

 

 ビッ……ヒュドッ!

 誰かの様子ばかり見ていられないと、弓を引いて矢を放つも、やっぱり外す俺。

 何が悪いのかをもう一度考えてみるが、どうにも上手くいかないことばかりだった。

 ゆったりと教えてくれる紫苑に感謝感謝だ。

 それに報いるためにもと気合いを入れるのだが、「気を張りすぎてはだめよ」とやんわりと怒られる。

 ……本当に、上手くいかないものである。

 

「おっ兄っさまーーーっ♪ たんぽぽ、一度お兄様と戦ってみたいんだけど、いいかなー」

「っと。紫苑?」

「ええ、どうぞ。これ以上やると指が痛んでしまいますから」

「? うわっ」

 

 言われて見てみれば、弓懸(ゆが)けを外した指は真っ赤になっていた。

 気づかないもんだ……そんなに集中していたんだろうか。

 その割には周りにばっかり視線が飛んでた気がする……って、なるほど。つまり周りに集中が飛んでたってことか。

 

「よし、やるかっ」

「おー!」

 

 何故か物凄くやる気で槍を握る蒲公英を促し、将ばかりが集う中庭の空いている場所に立つ。どうしてこんなにやる気なのかなーと思い見ていると、ニシシと笑いながら焔耶を見て、妙な言い合いを始める。

 あー、つまり、なんだ。

 以前なんとか焔耶に勝てた俺に勝てればーとか、そんなところ……なのか?

 焔耶は焔耶で「北郷一刀! そんなやつはさっさと倒してしまえぇっ!」とか叫んでいる。

 無茶言わない。さっさと倒せるほどの力があれば別だけどね?

 

(そんな簡単に言ってくれるなよ……)

 

 けど構える。

 それを横目に見た蒲公英も構えて、「いつでもい~よ~♪」と上機嫌に言った。

 いつでもか───よしっ!

 

「せいぃっ!」

 

 だったら最初っから全力!

 戦術の基本は、相手が油断しているうちに全力を出して勝つこと。

 様子見ももちろん大事だが、それは様子見をして勝てるほどの洞察力とかを養ってからの問題だ。

 

「え? わっ、速っ!?」

 

 地面を蹴って真っ直ぐに突き、払い、戻しを小刻みに。

 蒲公英はそれらを槍で捌くが、戸惑いに食われた緊張を戻すには、もう少し時間が必要のようだった。

 そこへ一気に追撃を仕掛け───

 

「ふわっ───……あ、あー……まいり、ましたぁ……」

 

 腹部への突きに見せかけた顔面への突きの寸止めで、決着はついた。

 ……わあ、焔耶が腰に手を当て胸を張って笑ってる。

 得物を戻しながら苦笑すると、蒲公英がぶすっとした顔で文句を飛ばして来た。

 

「お兄様ったらずるいー、意識はぜ~ったいにお腹に向かってたのにさー」

「こうでもしないと勝てないって思ったんだよ。大体フェイント……というか誘いで相手の隙を突くのは常套手段じゃないか」

「じゃ、もう一回やろ? 今度はたんぽぽが勝つから」

「……軽いなぁ」

 

 ゲームに負けた子供のように“もう一回”を要求するたんぽぽに、また苦笑が漏れた。

 それでもあっさり頷いてしまうあたり、俺も人がいいのか馬鹿なのか。

 ……馬鹿なんだろうね。

 今度は自分に苦笑してからの再開。

 油断無しのぶつかり合いをして、自分が出せる全力を放ってゆく。

 その悉くが弾かれたり逸らされたりして、しかしこちらも避けて弾いてを繰り返す。

 

「うわわっ、男の人でここまで強いって、確かに初めてかもっ」

「隙ありっ!」

「って、うひゃあっ!? ~……危なかったぁ~……! ……ちょっとお兄様ぁっ!? 人が喋ってる時に攻撃とか、ずるいよぉ!」

「喋るほうが悪いっ!」

 

 俺のその言葉に、視界の隅で、焔耶がうんうんともっともらしく頷いていた。

 そんな中でも連撃を絶やさず放ち、とうとう─── 

 

「あ」

「もらったぁ! えいやぁーっ!」

 

 手にした木刀を空へと弾かれた。

 瞬間、槍が戻され、俺がそうしたように俺の眼前へと槍が向かい───!

 

「…………」

「…………」

 

 ───双方ともに息を飲み、硬直した。

 

「……ねぇお兄様? もしかして負けず嫌い?」

「……実は、割と」

 

 氣を纏わせた左手で槍を逸らし、その上で踏み込み、突き出した右の突きが……蒲公英の喉の前で止まっている。言われて当然だなぁとは思うものの、そう簡単に諦めたくないって理由で体が勝手に動いていた。

 まあ、負けず嫌いじゃなければ、鈴々を擽ってでも勝ちにいこうなんてしないよなぁ。

 そう思いながら、緊張を緩ませて蒲公英の頭を撫でた。内心、成功してよかったって思いでいっぱいであり、背中は冷や汗でじっとりとしていた。

 そんな状態のままに落ちていた木刀を拾い上げると、

 

「えーっと、どうしよっか」

「もう一回!」

 

 訊ねてみて、失敗だったかなぁと溜め息を吐いた。

 ……三度目は、ムキになった蒲公英の勢いに押される形で敗北。

 「どーだー!」って焔耶に向けて胸を張る彼女に、焔耶は「二度負けたくせに威張るな」ときっぱり返し、そこで始まる喧嘩劇……って、おーい焔耶ー……? お前確か、今日休みじゃなかったよなー……?

 

「焔耶って確か、今日は警邏があるって桃香に聞いたような……」

「ふむ。恋に代わってもらったと言っていた筈ですが?」

「…………星? いつの間に隣に?」

「はっはっは、それはもちろん、北郷殿が蒲公英と焔耶に目を奪われている時にです。世が世ならば一突きで絶命しておりましたな。精進なされよ」

「……ん、りょーかい。忠告ついでに一度手合わせ願いたいんだけど、いいかな」

「ほほう……?」

 

 どうせ最後ならばと持ちかけてみると、星の目がゴシャーンと光った……気がした。

 改めて見てみればそんなことはなく、どこか楽しげな目が俺を見ていた。

 

「殿方に手合わせを乞われるなどどれほどぶりか。無鉄砲なだけの輩ならば、怒気であろうと殺気であろうと放ち、目の前から失せてもらうところだが……ふむ、よろしい。では手合わせ願おう」

 

 どこから出したのか、赤い槍をヒョンと回転させ、手で掴むや斜に構える。

 普段から斜に構えているような人だが、今この時の意味はまるで違った。

 殺気でも怒気でもない、かといって酷く冷静なわけでもない、なにかを発している。

 それに対して深呼吸とともに構え、放たれているのが何かを軽く考えてみる───が、わかった時にはもう始まっていた。

 

「参る!」

「応ッ!」

 

 木刀と槍が激突する。

 双方ともに地を蹴り、己が全体重を乗せた一撃を放った故の激突。

 しかし鍔迫り合いめいたものが行われることはなく、即座に互いが互いを弾き、体勢が整うよりも先に振るい、弾き、また振るう。

 木刀だけではなく氣を込めた手までを使い、木刀で逸らしていては間に合わない圧倒的手数をとにかく捌く。

 一歩間違えば腕が串刺しだ、まったく笑えない。笑えないが……それだけ、挑戦するからには負けたくないって気持ちが強いのだ。

 言い訳をして負けた悔しさを誤魔化すよりも、最初から全力───勝つ気で行って、どうしても勝てなかった時こそ悔しさを噛み締めよう。

 

「しぃっ!」

「ふっ、甘い甘いっ」

 

 しかし、どういう目をしているのか。

 まだ手合わせを始めて少しだというのに、こちらの攻撃が見切られてしまったかのように当たらなくなってしまった。

 攻撃をしても容易く躱され、しかし最小限の動きで避けているために反撃が早い。

 俺もすぐに木刀を戻して攻撃を弾くが……相手にはまだまだ余裕が見えた。

 

「っ……すぅ……はぁああ……!」

「む───」

 

 ならばと一度距離を取って、呼吸を整えてから再び疾駆。

 氣を込める場所を幾度も変え、攻撃の度に弧を描く速度を変化、相手の反応を混乱させていく。

 

「これはっ……」

 

 あくまで攻撃は速く、星の速度に追いつけるくらい。

 だがその上で速度を速めたり鈍らせたりを繰り返し、混乱させる。

 遅すぎればその間隙を縫って終わらされるだけだ。

 だから、追える速度以下は絶対に出せない───んだけど、それでも速度ごとに合わせて反撃してきてる目の前の人は、いったい何者ですか!? ……趙子龍さんですね。

 

「つぇええええぃやあぁああっ!!!」

「中々に面白い動きをなさる! だがこの趙子龍の目は誤魔化されませんぞ!」

 

 ヒュッ───と息を止め、今出せる最高速度での連突を放つ───が、そのどれもが、震脚にも似た重心移動と同時に放たれる連突によって弾かれる。

 足って根を地面に下ろした今ならと間合いを詰めにかかるが、そうした時には既に地面を蹴られ、攻撃範囲の外に逃げられていた。

 

「おお、危ない危ない。まったく油断も隙もあったものではない」

「はっ……ふぅ……よく言うよ、息も切らさないで」

「いやいや、ここまで私相手に粘る殿方も珍しい。が───」

「……それでは勝てない?」

「ほう、わかっておいでか」

 

 本当に、よく言う。

 自分が言うより早く理解してくれて嬉しいって顔をしておいて、わかっておいでかもなにもない。

 とはいえこのままただ負けるのは嫌だし……全力を出す以上は無茶でも苦茶でも勝ちたいって思うのが、往生際の悪い男ってもんだ。

 

「誘いには無理矢理合わせてくるし、かといって真正面からぶつかってもだめ。だったら」

「ふむ。だったら?」

「無理矢理にでも出し抜いて勝つ!」

「やれやれ。力量の差がわからぬ目でもありますまいに。それとも、そうとわかっていても向かうのが殿方というもの、ですかな?」

 

 地面を蹴り弾き、間合いを詰めるや攻撃に移る……んだが、やはり躱され続ける。

 というか星は避けながらでも喋る余裕があるようで、口に笑みを浮かべて……って! どういう身体能力だよっ! 鈴々も相当デタラメだったけど、星も異常だ!

 

「はっはっは、息が乱れてきておりますなぁ。そんなことではいつまで経っても───」

「じゃあ問題。俺の最初の呼吸は、どんな間隔だったでしょう? ───セイッ!!」

「───おっ───!? ……お、おおっ……! い、今のはなかなかっ……!」

「それでも避けるのか!?」

 

 何度も呼吸と氣のリズムを変えて、ようやく引っ掛けた罠もあっさりと見破られ……というか引っかかった上で避けられた。……どうなってるんだろうか、この大陸の武将たちは。

 

「ええいくそっ! こうなればヤケだぁあああっ!!」

「かすり傷とはいえ、この趙子龍に当てるとは……見事! ではここからは本気で参る!」

「うぇええええ本気じゃなかったの!? えっ、いやっ、ちょ───待ぁあああっ!?」

 

 悲鳴にも似た叫びを上げながら、しかし今更立ち止まれるかと激突。

 技術もへったくれもなく力任せに振るった木刀はしかし、斜に構えられた槍にあっさりと流され、返す槍の石突が俺の腹部目掛けて真っ直ぐに突き出される!

 ……が、そう来ると予想した時には俺はもう木刀を手放して、奥の手を用意していた。

 僅かな距離しかないのに一歩前に踏み込み、むしろ当たりに行くつもりで前進。

 木刀が地面に落ちるより早く、氣を込めた左手を伸ばして石突を受け止め、同時にそこから走る衝撃を氣で吸収。氣の道ではなく身体の表面を走らせるイメージで右手に集わせ───いつか焔耶にもやったような化勁の応用を以って、今こそ攻撃に転じる!!

 

「! くっ───!」

 

 直感だろうか。

 くらってはまずいと思ったのか槍を引こうとし、しかしそれを俺に掴まれていることを確認するや、落ちる寸前だった木刀を蹴り上げ、突き出そうとしていた右腕の肩にぶつけてきて───って何処まで達人だあんた!!

 なんて思った時には遅く、一瞬の勢いの緩みを突いて、星は槍を捨ててまでして距離を取ってしまった……んだけど、その手には俺の肩にぶつかり、上手い具合に跳ね返った木刀。

 俺の手には星の槍があって、えぇと……って痛い痛い!

 

「ふっ!」

 

 とりあえず吸収した衝撃を、震脚と一緒に地面に流し、一息。

 得物は変わってしまったものの、やっぱり降参は悔しいので構えてみる……が、結構重い。普通に重い。普通にっていうか……重い。

 これをあんな細腕で……やっぱり凄すぎないか、大陸に住む女性たち。

 

「……北郷殿。これは、あの状態で見事避けてみせた私の勝ちでしょう」

「……いいや。ここは攻撃を受け止めて反撃に出た俺の勝ちだ」

「………」

「………」

 

 顔合わせの時からなんとなく感じてはいた。

 が、今なら断言出来るだろう。

 星も俺に劣らず、負けず嫌いであると。

 

「今のはどう見たところで私の勝利以外は有り得ぬでしょう!!」

「どっちもどっちだったじゃないか! 武器を手放して攻撃に転じるのがどれだけ───」

「なにを強情な! 私とて武器を手放し相手の得物を手にし、なお対峙したでしょう!」

「だからどっちもどっちだって言ってるんだろ!? “本気で参る”って言った星を引かせてみせたんだから、それくらい───!」

「あれはほんの冗談にござる!」

「ちょっ、それは大人げないだろ星! だったら今すぐここで白黒つけるか!?」

「望むところ! 私が槍のみに長けているわけではないことを、その身を以って知っていただこう!!」

「だったらこっちだって、木刀ばかりじゃないことを見せてやる!」

「参る!」

「応ッ!」

 

 そして始まるボコスカ劇場。

 慣れない武器を使っての攻防はなんとももの悲しいもので、しかしそれでも勝敗が決まるまではと無駄に振り回し、重さや扱い方に慣れてくると───

 

「うぅぉおおおおおおっ!!」

「はぁああああああっ!!」

 

 二人して気合いを込めての攻防が、再び繰り広げられていた。

 

「ていうか星! 星っ! 木刀っ! 木刀に氣を込めて! じゃないと砕ける!」

「ふふっ……そうして私が疲労するのを狙うわけですな?」

「違いますよ!? いや本当に!!」

 

 困るって! それはいろいろと大変な代物で───ええいどうにでもなれ!

 覚悟完了、と同時に、ヒョイと……本当に無造作に星へと槍をパスする。

 星は急な出来事に目を真ん丸くして、思わず槍を手に取ろうと体勢を変えた───ところに、額へのデコピンを一閃。

 

「あうっ! ……あ、え……?」

「……っへへー、はい、一本」

「なっ……卑怯な! 北郷殿っ、こんなっ……戦乱の世をともに生きた獲物を投げ渡され、手に取らない者がおりましょうか!」

「氣を纏わせない木刀を振るって、心底楽しげにしてた人の言葉かそれが! それだって俺の、俺が天に居た証みたいなものなんだって!」

「むうっ……!」

「とにかく、勝負は勝負ってことで、今回は───って、星? なんで槍構え直してるの? ……え? どうして俺に木刀握らせて……」

「? なにを仰る。勝負というものは三本勝負と、昔から決まっておりましょう」

「なっ───ど、何処まで大人げないんだあんたはっ!」

「ふははは、なんとでも仰られませい。もはやこの趙子龍、油断のかけらも見せませぬ」

 

 ……言葉通り、さっきのだだ漏れの気迫とは違って、引き締まった気迫を持っている。

 殺気でもない怒りでもない、純粋な気迫が目の前に存在する。

 だけどマイペースだ。相手に惑わされるな。

 

「参る!」

「応ッ!」

 

 本日三度目のやり取りと同時に、無駄な思考を捨てての戦いが始まった。

 

……。

 

 ……で、現在に至る。

 

「また始まったのだ~……」

「お兄さんと星ちゃん、仲いいよね~」

 

 あれから何回目の勝負をしただろうか。

 もう数えるのも馬鹿らしいくらいへとへとになって、それでも負けたくないから戦い続ける。

 二人ともが負けず嫌いだと、終わるものも終わらなかった。

 

「はっ……はぁ、はぁあ……! ……な、なぁ、星……? 俺達……何を競ってたんだっけ……」

「ふっ、ふぅ……はぁ……───む……何、と問われますと、なんとも……」

 

 負けた数では俺のほうが確かに上なんだが、星がこれでかなり強情で、“自分が負けた数も挽回できずして何が将!”とか言って、結局戦いになって、星の凡ミスで俺が勝ちを拾って……の連続だ。

 なんだかんだで挽回されてしまい、挽回されていない勝利数といったらたった一つ程度。

 やっぱりと言っていいのか、過去の英傑は強い。

 普通に戦ったら絶対に勝てないもん。悔しいけど、断言出来る。

 

「さあ、北郷殿……! 最後を……次の勝負を……!」

「いや……ごめん、もうだめ……立ってるのもっ…………辛い」

「むうっ……では、次の機会に……」

 

 互いに、尻餅をついてから倒れた。

 型を気にせず思い切りやると、本当に疲れる。

 この動作のあとにはこの動作へ戻る、なんてものがないから、武器なんてほぼ振り回しっぱなしだ。そりゃ疲れる。

 

「お疲れ様、星ちゃん、お兄さん」

「あ、あー……桃香かぁ~……うん、お疲れ……っへ、へはっ……はぁ、はぁあ~……」

「ふふ、だらしがないですなぁ北郷殿。これしきの疲労で情けない声をげっほごほっ!」

「………」

「………」

「い、いやっ、今のは少々唾液が喉に……」

 

 どっちみち情けなかった。

 それを自覚したのか星も顔を赤くして、倒れたままに向きを変え、俺から見て自分の顔が見えない方へと、さらにそっぽを向いてしまった。

 そんな星の傍らを歩き、俺のもとへとやってくる影ひとつ。桔梗だった。

 

「……桔梗? どうかし───」

「うむ。せっかくなのでわしも手合わせ願おうとな」

「え゛っ……」

 

 俺の中の時間がびしりと音を立てて凍った。……気がした。

 

「これが、御遣い殿が蜀で行う最後の鍛錬なのだろう? ならば撃の一つは合わせておいたほうが、次に(まみ)える時が楽しみになるというもの」

「あ、あの、今俺、とっても疲れて……」

「乱れた世の戦場の敵は、そんな世迷言には耳など貸さぬものぞ」

「ここ中庭でしかも平和なんですけど!?」

 

 抗議も空しく立ち上がらせられ、戦いが始まった。

 ……疲労しながらもなんとか立ち回り……当然の如く、ノされた。

 

「だっはっ……は、はぁっ……はああっ……!」

「おうおう、疲れているのに随分と威勢のいいことよ。次に会う時には、より腕を磨いていることを、精々期待するとしよう」

「あ、あのねぇええ……!! 疲れてるって解ってて……───アノ。翠サン? ど、どどどどーして、待ちくたびれたみたいに近くに立って……?」

「ん? だって次はあたしの番だろ?」

「エ?」

 

 い、いつから? いつからそんなことに!?

 

「桃香!? 止めっ───」

「えへへぇ、確か呉でも呉将のみんなと戦ったんだよね、お兄さんは。だったら蜀のみんなとも頑張れるよねー? 思い出作り思い出作り~♪」

「…………わあ」

 

 首謀者が国の王でした。

 逃げ道はなかったのだ……なんてことだ。というかだなっ、呉のあれは帰る時にやったんじゃなくて、なんというかこう成り行きで───! こんな風に明らかに疲れている人を、続けて狙うようなものじゃあなかった筈!

 そもそも違う! これ、俺が知ってる思い出作りと違う! 違うぞ!?

 思い出作りって、いつから脱出不可能の“将複数VS俺”ってものになったんだ!?

 

「ほら、いつまでも座ってないで立てって」

「いやっ……ほんとっ……勘弁してほしいんだけど……!?」

 

 言いつつ起き上がる自分に、さすがに呆れる。

 思い出作りって言葉に体が動かされてる……? ちょっと待ってくれ、いくらなんでもこれ以上は身体が保たないんだが……!?

 

「~っ……だぁああっ! どうにでもなれぇええええっ!!」

 

 気力を振り絞って構える!

 そうだ! どれだけ疲労しようが、明日のために戦った人達に倣い、こんなことで弱音を吐き続けたりはしない!

 強く在れ北郷一刀!

 雪蓮の時のように腕を折られたりしたくなければ、全力で抗って全力で───勝つ!

 

「せぇえええやああああっ!!」

 

 氣だってまだ出せる!

 なんだ、まだまだ頑張れるじゃないか!

 頑張れるなら───その言葉の通り、頑張るだけ───だ、だけっ……だっ───

 

 

  ……ギャアアアアアァァァ───…………!!



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40:蜀/悩める青少年④

 

「……はあ。あんたら馬鹿でしょ」

『はうっ!』

 

 鍛錬が、いつの間にか地獄の強化訓練みたいなものになってから数十分。

 俺は脱力しきったナマケモノのようにぐったりと倒れ込み、ただし呼吸だけは荒く、行動を停止していた。

 じいちゃん……俺……やったよ……? やり切ることが出来たんだ……。

 なんて、目を白黒させながら思う中、騒ぎを聞きつけた詠と月がやってきて、武官に喝を飛ばして落ち着かせてくれた。

 

「あ、あのー、詠ちゃん? 今日は学校だったんじゃ……」

「何言ってんのよ、もう昼でしょ? 休み時間になったからこうして休みに来たんじゃない。そうしたら武官のほぼ全員で一人をぼっこぼこにしてるんだもん、さすがに呆れたわ」

「はうっ、で、でもこれは思い出作りで~……」

「思い出より先に、御遣いの干物が作れそうなくらいボロボロだけど?」

 

 桃香と話していた詠が、チラリと俺を見下ろす。

 うん、自分で言うのもなんだけど、あのまま放置されてたら干物くらいにはなってたかも。

 月が介抱してくれてるけど、こればっかりは呼吸で正さないと落ち着いてはくれない。

 氣がもうすっからかんだ、今日はもうこれ以上の鍛錬は望めそうにない。

 予定通りに精神修行でもしようか……? じゃなくて、まず休もう、それがいい。

 

「うう、う、うー……」

 

 情けないが、月に肩を貸してもらってなんとか立ち上がり、大きな木の傍までを歩いて腰を下ろす。

 木に思いきり体重を任せて吐く息は、なんとも気持ちのいいものだった。

 

「大丈夫ですか……?」

「はぁ、はっ……は、は……ごめっ……ちょ、無理……っ……!」

 

 勝負自体はそりゃあ大変なものだった。

 けど、得るものもあった。

 それぞれがどういった立ち回り方をするのか、こんな場合はどう動けばいいのかを学ばせてもらった。その代償がこんな状態っていうのも、なんというか割りに合うのか合わないのか。

 合うってことにしておこう。じゃないと報われない。

 

「すぅ…………はぁあああ…………すぅうう……はぁあ…………」

 

 ゆっくりと呼吸を整える。

 汗は依然として出たままだが、せめて呼吸だけでも。

 しばらく呼吸だけに専念していると、ソレも大分落ち着きを取り戻し、ようやくゆったりとした呼吸が出来る。

 ……身体は乳酸だらけで動いてくれないけどね。

 

「おいおいなんだよアニキー、だらしないなー」

「笑いながら大剣振り回して、人のことを追い掛け回してた人の言葉がそれか」

 

 ケタケタ笑いながら寄ってくる猪々子にとりあえずのツッコミ。

 弱っている人をいたぶる趣味でもあるのか、この人達は。

 

「っと、昼ってことはそろそろ体育の授業があるんだよな。あたしも戻らないと」

 

 などと思いつつ、槍の管理を蒲公英に託し、歩いて行こうとする翠に声をかける。

 

「……よーするに時間までの暇潰しだったわけね……」

「そ、そう言うなよ、あたしだってまだ子供相手とかは緊張するんだから。朝は走らせてればいいだけだけど、授業としてやる体育は気を使うんだぞ?」

 

 そんな合間を縫ってまで、槍の匠を見せてくれてありがとう。ありがたくて腹に風穴が空くところだった。

 頭の中に浮かんだ皮肉もそこそこに、手を開いたり握ったりを繰り返す。

 あー……握力が戻らない。これじゃあ木刀は握れない……どころか確実に筋肉痛到来だ。

 なるほど、確かにこれは思い出作りにはなったみたいだ。

 筋肉が痛みを感じるたびに思い出しそうだしね、ほんと。

 

「うう……ごめんねお兄さん、もう少ししか時間がないから、思い出作りがしたくて」

「いや、いいよ。こっちも忘れられない思い出に出来そうだ。それより今日はもう動けそうにないんだけど、桃香はどうする? 氣の鍛錬でもしてるか?」

「あ、うん。愛紗ちゃんが付き合ってくれるみたいだから、頑張ってみるよっ」

「そっか。俺はもう氣もすっからかんだから、休ませてもらうよ」

「うん。……本当にごめんね、お兄さわぷっ!? お、お兄さんっ?」

 

 申し訳なさそうにしている桃香の頭を、無理矢理持ち上げた左手で撫でる。

 それだけで完全に力尽きたが、言いたい言葉だけは届けよう。

 

「気にしないでいいから、頑張ってきなさい。なんだかんだで楽しかったし、思い出作りとして残すなら“ごめんなさい”よりも───」

「あ……う、うんっ、ありがとう、お兄さんっ」

「…………うん」

 

 にっこり笑顔で返されて、俺も思わず笑った。

 いやぁ……人間、疲れきってても笑うことは出来るんだなぁ。

 なるほど、今際の際に微笑むことが出来る人、というのはこれで、案外フィクションばかりじゃないのかもしれない。

 小さな発見に息を吐きながら、パタパタと愛紗のもとへ駆け寄る桃香を見送った。

 月も詠に呼ばれて歩いていったし、ようやく周囲に気を張らずに休めそうだ。

 

「………だはぁ」

 

 ……さて、思い切り脱力して休もう。

 他の将たちも予定があるのか、散り散りに行動を開始している。

 疲れに任せて眠るのもいいだろうか……だめだな、疲れきってはいるけど、眠気に変わるのはもう少しあとだ。

 

「………」

「あ」

 

 目が合った。

 槍を二本抱えた元気はつらつ少女と。

 すると彼女はにっこり笑顔でパタパタと駆けてきて、槍を地面に置くと……熊のぬいぐるみの如く足を投げ出してもたれている俺の脚の間に座り込み、背中を預けてきた。

 

「……蒲公英さん? これは……」

「ほら、喋るだけの力が残ってるなら、前に約束した歌を歌ってもらおうかな~って」

 

 鬼ですかアナタは。

 

「いや、いいけど……別の方向でダメ。胴着、汗でびしゃびしゃだからさ、もたれかかってきたら汗がつくぞ」

「別にいいよ? たんぽぽも汗びっしょりだし。ほら、汗を吸ってぺとぺとな服が、肌に密着して……」

「そーいうことは言わなくていいからっ」

 

 自分の身体の一部だっていうのに、動かすことさえ難儀する腕を無理矢理動かし、べりゃあと蒲公英を引き剥がす。

 そうしてから汗でも拭いて、着替えてきなさいと伝える。

 俺もこのままじゃあ乾いて臭くなるだけだし、汗を拭いて着替えるとしよう。

 

「ふ、ぐっ……ぬぅおおお……!!」

 

 しかし立ち上がるだけでこの有様。

 がくがくと震える足に、何故か“ぬおお”とか口走る口。いっそ“ええい立たんかこの足め!”とか世紀末覇者拳王様のように足でも叩きたいところだが、その手にさえ力が入らない始末。

 ご覧の通り、木を支えにしている手には握力らしい握力が入らず、気を抜けば倒れてしまいそうだ。

 そんな俺をきょとんとした顔で見上げる蒲公英が、突如としてにんまりと微笑み……

 

「えへへぇ……お兄様ぁ~? たんぽぽが着替え、手伝ってあげよっかぁ~♪」

「あ、結構です」

 

 嫌な予感が走ったので即答。

 この笑みは真桜とか霞がしそうな笑みだ、受け取ると絶対に痛い目を見る。

 「えぇ~? なんで~?」と不満を口に出す蒲公英だが、だったら鏡でさっきの自分の顔を見て、自分だったら断らない自信があるかどうかを問うてみたい。

 と、溜め息を吐く俺の傍らに、いつからそこに居たのか、思春がバッグを置いてくれる。

 素直に「ありがとう」を返しながらバッグからタオルを取り出して、汗を拭いていく。

 

「へぇ~……なんか二人って、息の合った夫婦みたいだよね。何も言わなくてもこうして荷物取ってくれたりとか」

「なばっ……!?」

 

 あ。赤くなった。

 

「……冗談ではない。こんな男が私の……? 冗談ではない」

 

 しかしそれも一瞬。

 キリッと凛々しい顔付きに戻ると、キッパリとそう言った。

 

「二回、冗談ではないって言われたけど……」

「わかってないなぁお兄様は。照れ隠しだってば」

「いや、あの、ほんと勘弁してください。思春はそういうことでからかい続けると、しばらくは俺を睨むことをやめなくなって───ヒィッ!?」

 

 ギロリと睨まれた。ご一緒に濃厚な殺気もいかがですかってくらいに。

 俺……なんかヘンなこと言った……?

 誤魔化すように汗を拭いていくんだが……ハテ。蒲公英がじーっとこっちを見て……?

 

「……? どうかしたか?」

「あ、うん。あれだけ鍛錬とかしてるのに、あんまり変わらないんだなーって」

 

 言いながら、腕をもにもにと触ってくる。

 

「俺としては、蒲公英たちの方が驚きだよ。こんなに細い腕なのに、あんなにブンブン武器を振るってさ」

 

 どんな筋肉をしているんだか。

 もしかしてこの大陸にはそういった謎があるものなのか?

 そこで鍛錬をしているからこそ、俺もゴリモリマッチョになったりしないとか。

 …………それはないよな。……ないよな?

 でも確かに、オヤジや蒲公英に言われてみて思う。

 呉や蜀を回る傍ら、三日ごとの鍛錬を続けてるのに、目に見えて筋肉が発達したって感じはしない。なんとなく変わったかな~って思うのは、あくまでじいちゃんのもとで修行した分が活かされた気がする程度で……うーん……。

 

(そういえば、じいちゃんと鍛錬をしていた一年……鏡でまじまじと自分の体を見るなんてこと、しなかったもんな)

 

 それで自分の成長に驚いたんだろうか。

 けどまあ、重いものも持てるようにもなってるし、内側の筋肉ばっかりが鍛えられているいい証拠だろう。べつにゴリモリマッチョになりたいわけじゃないもんなぁ。

 

「さてと。汗も拭いたし、一度着替えてくるよ。弓の練習をしたいところだけど、握力が戻らない」

「じゃあたんぽぽも行くー!」

「着替えについてきてどーすんだっ! 川とかにも寄るからいいって、自分の時間を大切にしてくれっ」

 

 けだるい身体を動かして、スタスタというよりはズシーンズシーンと歩いていく。

 これだけ身体が重いのもどれくらいぶりだろう……まるで人に乗っかられているような重さだ……!

 

「って、何故背中に抱き付いていますか蒲公英さん」

「え~? だって今日お休みで退屈なんだもん。終わったら終わったで、みぃんなさっさとどっか行っちゃうしさー?」

「……まあ、確かに」

 

 あれだけ騒がしかったのもどこへやら、見渡してみれば随分と広くなった中庭があった。

 つい先ほどまでは将で溢れかえっていたくらいなのに。

 

「でもだめ。男の着替えなんて、見ててもつまらないだろ?」

「……にしし~♪ いろいろと勉強になるかも~」

「是非ここで待っててくれ」

「ぶー、お兄様ったらひどい~!」

 

 そんなことを言いながらも顔は笑っているあたり、ただからかっているだけなんだろう。

 心身ともに疲れきっているために出る、深い深い溜め息を残して、もうともかく自室へ向かうことにした。

 

……。

 

 さて、そんなわけで着替えを手に川へ行き、改めて汗を拭って着替えたわけだが。

 戻ってきた俺を待っていたのは、俺が座ってた木の幹に背を預ける、らんらん笑顔な桃香と蒲公英だった。

 

「…………どしたの、二人とも」

「あ、うん。愛紗ちゃんがじゅぎょーの時間になったから学校に行っちゃって、氣の鍛錬が途中で終わっちゃったの」

「そこですかさずこのたんぽぽちゃんが、ここで待ってればお兄様の歌が聴けるよー! って」

 

 エイオー!と突き上げられた手とともに、王様を巻き込む少女が居た。

 いや、歌うよ? 歌うけどさ……。

 

「前の時は私は仲間はずれだったもんね~。えへへ、どんな歌を歌ってくれるのか、楽しみだよ~」

 

 ……桃香? その後執務室で、嗄れた喉に鞭打って歌ったの、忘れた……?

 

「はぁ……じゃあ、どんな歌からいこうか」

「元気が出る歌がいいなっ♪」

「激しい歌!」

「どうしていっつもいっつも統一性がないのさ、きみたち……」

 

 仕方も無しに歌う。

 桃香と蒲公英が並んで座っていたので、その隣に座ろうとした……んだが、どうしてか間に座らされてから歌う。

 どうしてこんなことになったんだろうかと考えつつ、それでも楽しんでいる自分にどこか安心しながら。

 しばらく歌っていると、警邏の仕事がひと段落ついたのか、それとも焔耶と交代したのか、恋がとことこと歩いていくのを発見。

 傍らには陳宮も歩いていて、俺を見るなり恋を呼びとめ、とたとたと走ってきた。

 

「また懲りもせず、女を侍らせているですね」

「開口一番がそれですか、友達のキミ」

 

 憎まれ口を叩きながらも、陳宮はどこかくすぐったそうだ。むしろ嬉しそうだ。

 友達って言葉に反応しているのか、顔がどんどん緩んでいっている。

 

「今日はどうしたんだ? 焔耶が警邏を交代してくれって頼んだらしいじゃないか」

「もう終わったですよ。街の平和は恋殿とねねがきちんと守ってきたのですっ」

 

 思わず“どーん”とか擬音が出そうな胸の張りようだった。

 “あんた引っ付いてただけでしょ”とか言いそうな蒲公英の口を咄嗟に塞いだのは……多分、いい仕事だったと思う。

 

「……お兄様ってば、たんぽぽのことなんでもわかるんだね」

「いろいろな人と関わってると、自然とね……」

 

 こう、危険回避スキルばっかりがどんどん上がっていくのだ。

 そりゃあ、いい加減に予想がついたりもする。

 

「で、つまり途中から焔耶が交代するって言ってきたと」

「うぐっ……そ、そうですよっ、悪いですかー!」

「悪くないから、わざわざ威嚇しないでくれ……」

 

 両腕を振り上げて、ムガーと叫ぶ陳宮をなだめつつ……さて。

 何も言わずとも木の幹に腰掛けた恋に釣られるように、陳宮もさっさと座ったわけだが……これ、つまり歌えってことだよな? ああいや、恋や陳宮がどうのじゃなく、さっきから俺をじーっと見てきている蒲公英の視線がって意味で。

 

「そういえば詠や月は?」

「少しもしないうちに学校に戻ったよ? 休み時間ってもうちょっと長くなんないかしらーとか言いながら」

「うわぁ……わかるなぁ」

 

 学生ならばきっと誰もが思い、教師も多分思うこと。

 さすがにそう上手くはいかないもんだけどね。

 さて……「それよりも」と言って制服を引っ張る蒲公英に促されるまま、再び歌を歌う。

 懐かしの歌から流行の歌までを一通り。

 しかしながら、やっぱり英語的な歌詞には首を傾げられ、一から説明しなければいけないことに。こういう時ばっかり、日本人なら日本語で歌えって思いたくなるのは、俺が我が侭だからだろうか。

 いっそのこと学校の授業に英語を追加してくれようかとも思ったが、そもそも俺自身がそう英語に強いわけでもなく……口にする前から却下の方向で幕を閉じた。

 それでも歌っていると、何かの用事か麗羽が通路を進むのを発見。

 歌声に気づくやズンズンとこちらへ歩み寄ってきて、また無茶なリクエストが続くわけだが……後から慌てて追ってくる斗詩や猪々子を見ると、気の毒になってくるわけで……断れないよなぁ、いろいろと。

 

「~♪」

 

 その少しあと、一人、また一人と人は増え、いつかのように木の周りには人だかりが出来ていた。将だかりか? この場合。

 簡単な歌を教えて皆で歌うのもこれはこれで面白く、いつしかそれは、俺だけが歌うリサイタルじゃなく……音楽の授業(のようなもの)に発展していた。

 桃香はそんな、“みんなでやる何かに”混ざれるのが嬉しいのか、終始笑顔で。

 他のみんなも、軽く歌詞を間違えながらも歌い、笑顔をこぼしていた。

 むしろ間違った時のほうが笑顔がこぼれるものだから、そんなくすぐったさが楽しかった。

 

  ……やがて、空に朱と黒が訪れる。

 

 いつしかみんな集まっての大合唱になっていたそれが終わりを迎え、静かになった中庭を見渡し、それぞれが思い思いに解散する。

 この楽しい時間とも明日でさよならだ。

 そんなことを思ってみると、やっぱり悲しいと感じる。

 待ち望んだ魏への帰路だというのに、どうしてこんなにも寂しく思うのか。

 それはやっぱり……大切なものが増えたから、なんだろうな。

 

(二度と来られなくなるわけじゃないんだ。元気出そう)

 

 “遣り残したことがあった”なんてことにならないように、頑張ろう。

 みんなの背中を見ながらそう思い、やがて俺も───

 

「っと、なに……って」

「………」

 

 歩き出そうとしたら、服を掴まれた。

 振り向いてみれば、そこには視線をうろうろと彷徨わせる……陳宮が。

 

「どうかしたか? ……もしかしてまだ歌い足りないとか」

「そ、そんなんじゃないのですっ! ───って、静かにするです!」

「……いや、どう聞いてもどう見ても、叫んでるのは陳宮だけだけど」

 

 いいから、と引っ張られ、木の後ろ側へ。

 そんなところに引きこまれ、何をするのかと思えば……なにもない。

 陳宮はしきりに視線を彷徨わせ、しかし俺と目が合うとバッと音が鳴るほどの速度で視線を外し、俯く。

 ……何事? ハッ! もしや!?

 

「陳宮……ごめんな、いっぱい待たせたよな」

「うぐっ……べ、べつに待ってなどいないのです。これはねねから言わなければならないことで、おまえの都合などどうでもいいのですっ」

「いや、それでも長く歌い続けてたら、辛くもなるよな」

「だ、だから待ってなどいないし辛くもなかったのですっ。……今日、恋殿と警邏をしながら話し合い、ねねは確信したのです。そ、そのですね、やはり友達だというのに、ま、まま、まっ、真名を許さないのは───」

「我慢は身体に毒だから、早く行ってきたほうがいいぞ?」

「───……待つです。何を言ってるですかおまえは」

「え? トイ……じゃなかった、厠に行きたかったんじゃオフェエゥ!?」

 

 それはそれは見事な、ちんきゅーきっくでした。

 

「ばっ……ばばばば馬鹿ですかおまえはーっ!! ねねねっ、ね、ねねはただおまえに真名を許そうとしただけなのですーっ!!」

「えぇええええーっ!? いやだって、あんな、辺りを気にして視線を彷徨わせたりしてっ……!」

「大体なぜ、かかかっかか厠に行くのにおまえの許可がいるですか! 少しはねねのように頭を働かせてから口を動かすです!!」

「やっ……それはそうだけどっ! ぐあぁああ……!!」

 

 自分が口走った愚かさに顔面が灼熱する。

 いや、わかってる。

 ここ最近、むしろ昨日の夜にあんなものを見たために、いろいろおかしいんだ。

 ぐああっ……穴があったら入りたいっ……!!

 

「何を頭を振ってうごめいているですか」

「っ……恥ずかしいんだって! ~……ごめんっ! 変なこと口走って!」

「今に始まったことではないのです」

「………」

 

 否定したいのに否定できない自分が居た。

 ごめんなさい、種馬で。

 

「それより……え? いいのか? 前はあんなに渋ってたのに」

「だから、恋殿と警邏をしている時に話し合ったのですっ! その……お、おまえは友達です。恋殿に危害を加えるわけでも、ねねを苛め……こほんっ、ねねを馬鹿にしたりもしないのです。だから……だ、だから───そうっ、真名を呼ぶくらいの人格は認めてやるのですっ!」

「………」

 

 えーと。真名を許すって……つまり心を許してくれるってことだよな?

 真名が大切なものだっていうのは痛いほど知ってる。

 槍を向けられたり青龍偃月刀を向けられたりしたもんなぁ。

 それを許してくれるってことは、より一層の友達として認められたってことで……いいんだよな?

 

「その……音々音、です。好きに呼ぶがいいです」

「ああ。じゃあ……音々音」

「ふぐっ! ……ね、ねねでいいのです」

「そうか? じゃあ、ねね」

「~……」

「?」

 

 何故か帽子を少しずり下げ、俯いて顔を隠してしまった。

 

「……おまえは他のやつとはどこか違うのです。他のやつらときたら、やれちんちくりんだのお子様だの、何かに付けて言葉の端でねねを馬鹿にするのです。でも……」

「いいじゃないか。言葉が自分に当てはまる内は、それに反発するように頑張れるし」

「え……?」

「言いたい人には言わせておくのが一番だ。案外、その中にも学べるものがあるかもしれないし、そう思えば案外どうってことないもんだよ」

「…………ねねはそこまで強くないのです」

「じゃあ強くなろう。方法がそれしかないなら、強くなって見返すんだ。もちろん、自分が潰れないように適度な方向で」

「なんですかそれは……」

 

 呆れた返事が返ってきた……けど、俯かせていた顔も上を向いたから、俺はそんな顔に笑みを送った。笑って、手を握って、そのままの笑顔で歩き出す。

 

「夕餉はなんだろうなぁ」

「そんなこと、ねねは知らないのです」

「そこで知らないって言ったら終わっちゃうじゃないか。ほら、日々の積み重ねがモノを言うんだから、頭を動かしてみよう」

「む、むー……麻婆豆腐です!」

「一品だけ?」

「む? むむむ……餃子と焼売もつくのですっ! ただしメンマ抜きです!」

「あれはあれで美味いと思うけどなぁ」

「何度も食べればさすがに飽きがくるものです、そんなこともわからないですか」

 

 他愛ない会話をして、色を変えていく空の下を歩く。

 通路まではほんの少しの距離。

 それでも手を繋ぎ歩いていく。

 見下ろす視線と見上げる視線が合わさっても、ただ頬が緩んで笑顔になるだけで、目が逸らされることはなかった。

 

「明日も晴れるといいなぁ。最後の日なんだから、思い切り頑張りたい」

「……恐らくおまえに仕事などないのです」

「え? なんで?」

「ここがそーいうところだからなのです」

 

 そういうところ? ……ハテ。

 軽く考えてみたが、ピンとくるものが何一つとしてなかった。

 明日、仕事が無い……? いや、今日休ませてもらったわけだし、何かしないと申し訳ないような……って、働き者になったもんだよなぁ俺も。

 

「まあいいや、今日はとにかくゆっくり休みたい」

「夜、おまえの部屋に遊びに行ってやるです。ありがたく思うがいいのです」

「休みたいって言ってるんだけど……はぁ、いいや、こうなったらとことん付き合ってやる」

 

 友達って関係を再確認したからか、陳宮……じゃなかった、ねねの中から“遠慮”ってものが無くなった気がする。上機嫌な笑みを浮かべ、八重歯を見せながら腕を振るって歩いている。当然、繋いだ俺の手も大きく振るわれるが、それが嫌だとはちっとも思わなかった。

 

(真名を許すだけの人格か……はは)

 

 それはそれで気安いからいいんだが、限度だけは守ってほしい……って思っても無駄なんだろうな。だったら受け止められるだけ受け止めるだけだ。

 

「よしっ、じゃあいっぱい食べて夜に備えるかっ」

「ふふふ、ねねの計画に穴などないのです!」

 

 二人して笑いながら歩いた。

 歌いすぎで少々喉がやられていたが、気にせずに笑いながら。

 そうして夜を迎え、自称穴無し計画軍師のちんきゅーさまを待つに至り……少しののち、満腹になった彼女が眠気に勝てずにオチたことを知る。

 結局、わざわざ教えに来てくれた恋と遊ぶことになり、こうして残り二日の夜も過ぎ、朝がやってきた。

 ……そのさわやかな目覚めの朝は、遊ぶことが出来なかった友人のちんきゅーきっくから始まりました。



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41:蜀/成都の長い一日①

78/訪れた朝に

 

 ちぃいいいんきゅうううう……───

 

「ん、んあ……?」

 

 きぃいいいいーっく!!

 

「ぶはぁあっほあぁっ!?」

 

 下半身と上半身が勝手に跳ねるほどの衝撃で目が醒めた。

 その瞬間に目に映ったものは、腹に突き刺さるちんきゅーきっく。

 ばたりと上半身と下半身が寝台に下りる頃には、陳……じゃなかった、ねねにマウントポジションを取られていて、俺は腹を押さえることさえ出来ない状態にあった。

 ……いや、それ以上に動けない理由があった。

 身体をミシミシと蝕む筋肉痛。

 これが自分を布団に縫い付けるようにして、動きを封じていた。

 

「げっほごほっ……! ね、ねね……!? いきなりなにをっ……!」

「それはこちらの言葉です! 遊ぶ約束はどうなったのですかーっ!!」

「へ? あ、遊ぶっ……? ───って、それはねねが眠りこけたから流れたんだろ!?」

 

 朝っぱらからの言い合いが始まる。

 思春は既に起きていたのか、どたんばたんと暴れる俺達を見下ろし、無表情なままに溜め息を吐いていた。

 ……暴れるたびに顔をしかめるのは、俺だけだったが。筋肉痛は強敵である。

 

「とーにーかーくっ! 朝っぱらから暴れない!!」

「むぎゅっ!?」

 

 暴れるねねを取っ捕まえて寝台に寝かせると、その上から掛け布団を被せる。ミシリと身体が痛んだが、それでもお構い無しに。

 当然バタバタと暴れ出すが、しばらくすると───あれ? 大人しくなった。どれだけ経っても暴れてると思ったんだけどな。

 ハテ、とめくってみると、眠たげにしているちんきゅーさん。

 ……まあ、わかる。温かい布団って眠くなるよなぁ。

 大人しい今が好機と、ちゃっちゃと着替えを済ませると、瞼が閉ざされそうな少女に一応声をかけてみる。

 

「……寝ていくか?」

「はっ!? ななななにを言うのです! この恋殿のお傍で常に成長を続けるねねをこんな温かくていい匂いのする誘惑程度で縛れると思ったら大間違いなのですーっ!」

 

 おお、一息で随分と───って、思った直後に咳き込んだ。

 叫びながら起き上がったその小さな背中を、筋肉痛で震える手で撫でてやると、はふぅ……と安心したような吐息が漏れた。なんかもう、それだけで手のかかる妹みたいに見えてくるから不思議だ。

 そんな姿が微笑ましくなって、そのまま頭を撫でてみた。

 

「………」

「……一応言っておくけど、子供扱いはしてないからな?」

「ふん、わざわざ言わなくてわかっているのです」

 

 不貞腐れているような顔をしつつ、そっぽを向く……んだが、撫で続ける手を払い除けたりする気は無いらしいです。

 しかしながらあんまり撫で続けるのもなんだろうしと、最後にぽんぽんと手を弾ませてから離す。

 ぐうっと伸びをすることで訪れる爽快感……ではなく、筋肉が突っ張るような悲鳴が朝の気だるさをブチノメしてくれて、眠気が物凄い勢いで退散した。

 そんな痛みに息を軽く荒げながら、今日のこれからの行動を考えるんだが───朝といったら、まずは水だよな。

 

「よし、行くか」

「仕方ないから一緒に行ってやるのです」

「仕方ない割りに顔がニヤケっぱなしだぞ~」

「なっ!? ななななんですとーっ!? そそっ、そんなことないのです! 目が腐ったですかおまえーっ!!」

「腐ったとまで言うか!?」

 

 ギャースカと騒ぎながらも、寝台から降りようとするねねに手を貸し、すとんと降りてからは思春も混ぜた三人で歩き出す。

 昨夜一緒に遊んでた恋も、少ししたら戻ったし……お陰で今朝から誤解でのトラブルが起こったりは無さそうでなりより……とか思ったらいけないな。油断は禁物だ。むしろちんきゅーきっくで起こされたし。

 

(ん。今日も頑張ろう。……主におかしな誤解を生まず、ゴタゴタに巻き込まれない方向で)

 

 自然とそうなる苦笑のままに部屋を出た。

 厨房へと向かう足は、まるで日課をこなすかのように自然に動く。

 だいたい何歩あたりで厨房に着くのかも予想がつくあたり、蜀での暮らしも長かったなぁと感慨深く思った。

 今度は、自然に出る笑顔とともに、筋肉痛も自然に体外へと出て行ってくれればよかったのになんて、しょうもない願いを抱きつつ。

 

……。

 

 水を喉に通し、食事を終えてからは桃香が待つ執務室へ。

 そこで今日の分の仕事を分けてもらおうとして───

 

「はーい、本日におけるお兄さんのお仕事は、一切存在しませーん」

 

 仕事に集中している桃香に代わり、手伝いをしている七乃に桃香の声真似までされて、きっぱり言われた。

 ……エ? 仕事、無い? ナゼ?

 や、そういえば昨日、ねねも言ってたけど……え? ほんとに無いのか?

 

「え、えと、七乃? それはほんとにほんとで? ほら、以前サボっちゃった成都のボラン……じゃなかった、奉仕活動は───」

「はい♪ 別の誰かにやってもらいました」

 

 にこやかにピンと立てられた人差し指が、くるくると回っていた。

 じゃなくて。

 

「じゃあ今日届いた案件とかはっ……」

「わざわざ手伝ってもらうほどの量じゃあなかったりしちゃいますねー」

「やっ、でも七乃は手伝ってるじゃん!」

「ですからあくまで私が手伝う程度にはあるってことですね。諦めちゃってください」

「………」

 

 諦めるって……仕事ってそういうものなのか?

 むしろ桃香が眉間にシワ寄せて案件整理する様は、なんというか怖いんだが……ほんとに“程度”ってくらいなのか?

 

「……そっちの桃香さんは、随分と張り切って仕事してらっしゃるけど」

「あー……♪ 一刀さんは他国の王様の仕事への姿勢にいちゃもんつけるんですかー?」

「へっ!? いやっ、そういうつもりじゃないけど……」

「はい、でしたら何も言わずに回れ右しちゃってくださいねー。仕事がありますから、今はまだ構ってあげられませんのでー」

「………」

 

 だめだ話にならない! 七乃はやる気だ!(仕事を)

 これ以上は邪魔になるだけだと判断して、執務室をあとに───……?

 

「……あれ? じゃあ今日は俺、仕事しなくていいってことか?」

「………」

 

 踵を返して出て行こうとして、顔だけでもう一度七乃へと振り返って訊ねてみる。

 と、七乃がとことことにこやかな顔で近づいてきて、ピンと立てた人差し指で俺の脇腹をドスッと突いてきて───

 

「あいぃいぃぃぃーっ!? おっ……お、ぉおおお……!!」

 

 急なくすぐったさやら痛みやらで身体を折った途端、ビキリと軋む我が肉体。

 筋肉が悲鳴を上げ、口からは勝手に奇妙な悲鳴が漏れた。

 

「そんな状態で仕事をされてもきっぱり迷惑です」

 

 眩しい笑顔で迷惑がられた。

 ここまでされると、さすがに何も言えなくなってしまうわけでして……。

 

「わ、わかった、今日はゆっくり休ませてもらうよ……」

「一刻もしない内に、どこかで元気に騒いでいそうですけどねー」

「……うん、なんだろう。俺もなんかそんな気がしてならないよ」

 

 ゆっくりストレッチでもしながら休みたいのが本音だ。

 けれど周りがほうっておいてくれなさそうだと思うのは、俺だけ? ……俺だけってことにしておこう、なにせ蜀王から直々にお休みをもらえたんだから。

 言ったのは七乃だけどってセルフツッコミも、この際は流してしまおう。

 うん、よし。

 

「じゃあ、のんびり休ませてもらうな。あ、でももし困ったことがあったら───」

「はいっ、どなたか別の人を呼びますねー♪」

「笑顔で普通にひどいなおい……」

 

 とはいえ、言っていても始まらないか。

 とほーと溜め息とまではいかない息を吐いて、それじゃあと執務室を出る。

 そこで待っていた思春とねねと合流、事情を話すと、“それみたことか”って顔でねねが胸を張った。

 しかしこうなると、これからどうしたものかと考えてしまうわけで───うーむ。

 

「…………あれ?」

 

 普通に流すところだったけど、ちょっと待て。

 

「ねね、お前……仕事は?」

「む? …………はっ!」

 

 訊ねてみれば、ビシィと固まる少女が居た。

 そしてあわあわと辺りを見渡したのちに、急に走り出して───……視界から消えた。

 

「………」

「………」

 

 特に何も言われずに置いてけぼりをくらった心境な俺と思春は、これからどうするのかを小さく考え始めるしかなかったのでした。

 執務室の前で二人、顔を見合わせての溜め息。

 ここでずっと立っているわけにもいかないので歩き出すが、いったい何処へ向かっているのか。ただ歩いているだけって自分でもわかっていながら、急にすることが無くなると手持ち無沙汰な主婦のように、ふらふらと目的もなく歩いた。

 

……。

 

 結局することもなく、突っ張る筋肉を伸ばすために中庭でストレッチを開始。

 制服の上を脱いで、ぐぐ~っと身体を伸ばして固定。

 伸ばす個所を変えながらのそれを何度か繰り返し、全てが終わると寝転がりながら空を見た。最近では珍しくもない、雲ひとつない青がそこにある。

 空を真正面に捉える仰向けって格好のままに、見上げる形で逆さな地面に目を向けると、太い木の枝にもたれかかるように眠る恋を発見。

 たった今気づいたが、その木の下には何匹もの動物たち。

 犬猫がカリコリと木の幹を引っ掻いて、ニャーニャークンクンと鳴いていた。

 いや……気づこうよ、俺。

 

「よっ……と」

 

 寝転がらせていた身体を起こす。

 立ち上がる過程で、血(のようなもの)がズズーと身体の下に下りていくような感覚を味わいながら、伸びをしたあとに犬猫が集まる木の下へ。

 

「………おおう」

 

 見上げてみると、木にもたれて寝ているというよりは、枝に引っかかって寝ているって方がしっくりくることに気づく。気づいたからなんだーって状況だが、苦しくないのか、あれ。

 

「ああいうのって、どっちかっていうと鈴々とかがしてそうな寝方だけどなぁ。……おーい、恋~?」

 

 枝に正中線を預け、四肢をだらんと垂らした状態の恋。

 もちろん顔は枝から逸らされてはいるんだが、どう見ても寝苦しそうな寝方である。

 しびれを切らした猫の一匹が、ザカカカッと木を登り始めるが、それを「はいはい無茶しない」と注意しながら引っぺがす。

 そうやって一匹を胸に抱くに至り、犬猫たちがようやく俺の存在に気づくと、木に登れない寂しさからか俺の身体を登り始めてってギャアアアアーッ!?

 

「いだだだだだだあぁぁあだだだだ!? 爪っ! 牙っ! 噛むな立てるなそもそも登るなぁああっ!」

 

 上を脱ぎ、シャツだけの身体に爪やら牙やらがザクシュドシュドシュと突き立てられる。

 もちろん、よじ登るために立てているんであって、悪意があるわけじゃないとわかっているだけに性質が悪い。

 振り落とすわけにもいかず、少しもしないうちに犬猫タワーが完成した。生温かい。

 しかしせっかくこういう状況が出来上がったのなら、滅多に起こらなそうなこの状況でなにかをしないのはもったいない。なので───思春に向き直り、頭の中に餡子だけがたっぷり詰まったヒーローのような笑顔で言った。

 

「やあ、僕はキャッツアンドドッグス。動物たちに愛と勇気だけを教えに来た悪の使者さ」

「……何を言っているんだお前は」

 

 真顔な思春さんが思い切り引いていた。

 うん……こんな状況じゃなければ出来ないことを、一つでもいいからしたかっただけなんだ……うん……。じゃないと痛みが報われない気がしたんだよ……うん……。なのにどうしてこんなに心が痛いんだろうね……うん……。

 気を取り直そう。こうしていても始まらない。

 

「おーい、恋? 恋ー?」

 

 犬猫にしがみつかれながら、大木を見上げて声をかける。

 あんな体勢でも一応熟睡出来ているのか、身動(みじろ)ぎはするものの、その目が開かれることはない。

 胸骨とか圧迫されて、呼吸しづらいと思うんだが……たくましいなぁ。

 

「どうしようか」

「そもそもお前がどうするんだ」

 

 真顔な思春さんが、犬猫タワーな俺を見て言った。

 いや、俺もどうにかはしたいんだけどさ。

 

「えと……ほらー? お前らー? お兄さんちょっと今用事が出来たから、降りてくれると助かるんだけどなー」

『………』

 

 猫が一匹、なーうと鳴いた。

 ……返事は…………それだけだった。

 

「俺……生まれ変わったら、動物の言葉がわかる世界の住人になるんだ……」

「逃避をするな」

 

 まったくですね。

 よし、とりあえず恋が降りてくれば、こいつらもそっちへ移動する筈だ。多分だけど。

 今はとにかく恋を起こして、と───。

 

「恋ー? 恋? れーんー? 朝だぞー? 恋ー、恋ってばー!」

「ん、ん………………うるさい」

「ヒィッ!?」

 

 殺気が! 殺気が放たれた!

 思わずヒィって叫んで、しかも犬猫たちがババッと退避してっ……!

 

「………」

「………」

 

 ……やがて、また寝息が聞こえ始める。

 その下に、引っ掻き傷やら動物の体毛まみれになった、ボロボロな俺を残して。

 

「……俺……ぐすっ……泣いていいかなぁ……」

 

 俯いたら零れそうだったものを、見上げることでこらえてみた……ら、あっさり端から零れた。上を向いたほうが零れる気がするよ、涙って。

 涙が零れないようにするにはどうしたらいいのかって? 拭ってしまえばいいのさ。男は涙を零さない。悪ガキはなんでも自分の腕で拭うのさ。鼻水だって鼻血だって、涙だって傷口だって。

 ……もう、悪ガキで通せるような歳じゃなくなっちゃったけど。

 

「……よし。することもないし、休みがてらに動物たちと遊ぶか。ほらー、おいでおいでー」

 

 恋は眠るのに忙しいらしいので、仕方も無しにその場から離れ、東屋近くの斜面に腰掛けてから動物達を呼んでみる。

 すると、言葉がわかったのか仕草でわかったのか、ぴうと素っ飛んでくる犬猫たち───に、再び圧し掛かられ、ばたりと倒れた。

 

(……あー……温かい……。このまま寝ちゃおうかしら)

 

 よく伸ばした身体に、動物たちの暖かさがやさしい。

 すぅ、と息を吸えば犬猫の香り。

 額に乗っかった子猫の暖かさにくすぐったさを感じながら、ゆっくりと目を閉じて……───

 

「……思春はどうする?」

 

 勝手に寝てしまえば、一人残される思春に声をかける。

 声をかけながらパチリと開いた目には、“今さら訊くのか”って顔で溜め息を吐く思春。

 見る度に睨んでいるか溜め息を吐いてるな、って感想は、間違っても言わないほうがいいだろう。

 

「今日は私にも用事がある。桃香様……に、一定の刻が来たら来るようにと言われている」

「そうなのか? あ、じゃあ俺も───」

「貴様は連れてくるなと、念を押された上でだ」

「わあ」

 

 これはいわゆるあれか? 自慢するだけしといてお前には触らせないとか言う、ス○ちゃま的な……? 仕事はあるけど、“お前にやらせる仕事なんて無いから”とか、そんな……?

 え……? お、俺、なにかした? ああうん、サボりましたね。

 

「………」

 

 特に言い残すこともなく、音も無く歩いていく思春を犬猫まみれで見送った。

 起き上がって見送ろうにも、犬猫の重さにも耐えられない筋肉痛な俺が居る。

 昨日は無茶しすぎたから……はぁ。

 

「なぁ? せめて制服の上だけでも取りに行きたいんだけど……」

『……なぅー……』

「………」

 

 “眠ろうとしてるんだから邪魔するな”的な鳴き声が返ってきた。

 もはや黙って寝る以外の選択肢が無いことを思い知り、とほほと声を漏らしながら目を閉じた。せめて、夢の先では飛び回れるほど元気でありますようになんて、意味のない願いを込めながら。

 

……。

 

 ふと目を覚ますと、体の熱さにハッとする。

 何事かと視線を下ろせば、ころりと子猫が転がって、目の前で「にー」と鳴いた。

 ……そこでようやく、自分が“動物が生える苗床”状態になっていることを思い出す。

 キノコ原木じゃなく、動物原木……こうまで動物に乗っかられているのを見ると、言い得て妙だった。

 

「んぐっ……ん、んー……」

 

 頭が重い。

 額に乗っていた子猫は器用に胸に転がったが、重さの原因は寝すぎにあった。

 頭の中がどろどろになった錯覚を感じながら、犬猫たちに謝りながらゆっくりと体を起こす。犬猫たちはくつろぎの時間を邪魔されたことに「なーうなーう」と声をあげるが、これはさすがに勘弁してほしく思う。

 

「筋肉の疲労が頭に来たみたいな重さだな……あーふらふらする」

 

 口に出して言ってみても、何が変わるわけでもない。

 何歩か歩いてみて、少し楽になってから通路の欄干に引っ掛けた制服の上着を手に、着───ようとして、体が動物の体毛だらけなことを思い出す。

 軽く叩き落としてみるが、これがまた案外落ちない。

 脱いで振るったほうが取れるだろうかと思い、上着を欄干に掛け直してシャツを脱ぐ。

 バッサバッサと振るってみるが、こんなことで落ちてくれれば苦労はしない。

 しかもシャツを振るうって行動だけでも腕がギシリと震え、痛みとなって行動速度を鈍くする。つまり痛い。

 

「……これは、しばらく走ったりとかは無理そうだ……はぁあ……」

 

 とほーと溜め息を吐きながら、叩いて落ちる程度の体毛は落としておく。

 それから上着も着て、当ても無くふらふらと───あ。

 

「………」

「………」

 

 木の上からこちらを見下ろす視線に気づいた。

 いったいいつから起きていたのか、ぼ~っとした目が俺を見ていた。

 

「や、恋。目、醒めたか?」

「……、…………、……──────?」

 

 ゆらゆらと頭を揺らし、左右をゆっくりと確認、最後にこちらへと視線を戻し、眠たげな目のままにこてりと首を傾げた。

 これで先ほど、思わず悲鳴をもらすような殺気を放った人と同一人物だっていうんだから、いろいろとおかしい。

 そんなことを思いながら、小首を傾げたままな恋の下までを歩くと、再びオゾゾゾゾと集まる犬猫たち。

 そのほぼが、意識のある恋を見上げて確認すると、木をガリガリと登って行って───

 

「だから落ち着きなさい」

 

 木登りの先頭を何よりも先んじた猫のうなじ(?)をひょいとつまみ、胸に抱く。

 それを見た犬猫たちは、懲りることも飽きることもせずに俺の身体を掛け登り……再び、犬猫タワーが完成した。

 もう、好きにして……。

 

「恋ー? 退屈してるなら一緒に暇潰ししないかー?」

「……?」

 

 そんな俺のままに声を掛けると、恋はやはり小首を傾げる。

 何をするのかと訊ねられれば、正直なにもないと胸を張れるのが現状。

 街に行って人通りの騒がしさに身を委ねるのもありだが、これといってやりたいことがあるわけでもない。

 というか、あれ? 魏で仕事をサボった時、主に何をしてたっけ? いざ時間がぽっかり空くと、何をしていいのか迷ってしまって……あ、あれぇ?

 

「………」

 

 恋が無言で、枝から地面にひゅとっと降りる。

 そして改めて犬猫タワーな俺を見ると、やっぱり改めて小首を傾げた。

 

「ん……恋? 誘っておいてなんだけど、この犬と猫たち、そっとどかしてくれると助かるんだけど……」

「……、」

 

 首振られた!? このままで居ろと!?

 

「……みんな、降りる」

 

 …………。

 たった一言で解決した。

 犬猫たちは揃ってトトトトトッと地面に降りると、俺を見上げて「なーお」と鳴いた……いや、鳴いただけじゃなく、足に自分の匂いをつけるが如く、ゴスゴススリスリと頭を擦り付けてきている。

 犬達もズボンを軽く噛んで、くいくいと引っ張ってきて……お、おいー? あんまり噛むと、大事な一張羅が……ってこらこらこらっ! 多方向から人のズボンをだなっ……!

 

「えと、恋? これ、どうすればっ……」

 

 これって好かれてるのか? それともみんなしていい匂いがする(らしい)俺を己がものにしようと? 嬉しいやらくすぐったいやら、あぁああ払ったばっかりなのに毛が! そして唾液が! いたたたた肉! 肉噛んでる! 爪立てるな爪! 「なーう」じゃなくて!

 いろいろな痛みやくすぐったさに耐えながら恋を見るんだが、恋もこんなことは初めてなのか、少しだけ戸惑いを見せながら首を傾げていた。

 ああえっと、やっぱり特殊なのかな、こういうのって───っていたたたた! 人のズボンで爪を研ぐんじゃあありませんっ! っておいいいいいっ!! 犬!? 犬さん!? 人の足にしがみついて腰をっ……いやぁああああああやめてぇえええええっ!!

 

「こら、やめる」

 

 ……少しだけ怒気を孕んだ声に、犬猫がババッと下がった。

 恋の言うことには忠実なんだな……匂いが好かれてるだけの俺とは大違いらしい。

 

「……? 一刀、どうかした?」

「いや……うん……またいろいろ、考えを改めようかと……」

 

 俺……今からでも魔法使いを目指していいかな……。

 いや、いろいろ手遅れだから、考えたって仕方が無いのはわかってはいるんだが。

 種馬かぁ……種犬じゃないだけ、まだ節操はあるんだろうか。

 でも馬って、飼い主の都合でその、なんだ、相手を決めさせられて、必要な時にだけ……あれ……? なんかもう何をどう改めていいのかわからなくなってきた……。

 必要な時にだけ、優秀な遺伝子を残すために種を提供する馬……それが種馬だったっけ?

 この場合、優秀な遺伝子を持つ存在っていうのが華琳たちなわけで……えぇと……つまりその、子孫を残すには相手が必要なわけでして……あー、確信が持てる……今絶対に顔真っ赤だ。

 

(出過ぎだぞ! 自重せい!)

(も、孟徳さん!)

 

 ……落ち着こう。

 深呼吸をして、頭から気持ちの悪い重さを取り除く。

 そうするだけで取れるのなら苦労はしないのだが、案外あっさりと頭の重さは消えてくれた。

 

「恋、少し話でもしようか」

「…………?」

 

 まだ寝惚けているんだろうか、少しふらついている頭が縦に振られた。

 そんな彼女とともに歩き、東屋の椅子へと座った……んだが、俺が一人で座る中で、立ったままの恋がくいくいと服を引っ張る。

 

「っと、どうした?」

「………」

 

 質問には答えず、ただ引っ張る恋。

 筋肉痛の俺には逆らう力はなく、蹴躓きそうになりながらも引かれるままに歩くと、恋は東屋の傍の斜面に座りこんだ。

 えと、なんだ? 硬い椅子よりも、草むらに座る方がいいってことか?

 頬をひと掻き、座ったまま俺を見上げる彼女の横に、とすんと腰を下ろした。

 途端に集まってくる犬猫達の頭を撫でたりしながら───ふと、些細だけど暖かなことに気づいた。

 ああ、なんだ。ようするに彼女は、犬猫たちが寝転がりやすい場所を選んだんだ。

 

「………」

「……?」

 

 そんなささやかな優しさがくすぐったいやら嬉しいやらで、自然と恋の頭を撫でていた。

 べつに俺がやさしくされたわけでもないのに。

 恋自身も撫でられる理由が浮かばなかったのか、気持ち良さそうにしながらも首を傾げていた。

 

「話、しようか」

「……する」

 

 始まるのは他愛無い話。

 「いつかのご飯が美味しかった」「ねねに真名を許してもらった」「みんな、一刀が好き」「それはわからないけど、恋だって好かれている」───話す話題はすぐに尽きてしまうかもと思っていたのにも関わらず、これで案外話題には困らなかった。

 話題のほぼが食べ物と動物で占められているのは、周りが動物たちに囲まれている所為……ってことにしておこう。実際逃げ道を塞ぐかのごとく、犬猫は喧嘩をすることもなくびっしり密集していらっしゃる。

 ……好かれているっていうのはあくまで動物の話で、将のみんなってわけではないのであしからず。

 

「出遅れた……」

「? 出遅れ?」

 

 他愛無い話をする中、ふと昨日のことが話題にあがるや、恋がぽつりと呟いた。

 出遅れの意味を考えてみるが、恋が居た頃にしたことといえば歌を歌ったこと。

 それ以外で言えば……って、まさか?

 

「一刀、昨日はみんなと戦ったって聞いた」

「あ、あー……あれは……なぁ?」

 

 たった今浮上した予想が、見事に的を射た。

 予想通りと唱えるには遅すぎて、つい口ごもる。

 下手な返事をしたらこんな身体のまま、かの飛将軍様と手合わせすることになりかねない。とてもとても貴重な経験だろうが、経験を積む前に大空へとはばたけそうだ。さすがにそれは勘弁させていただきたい。

 

「警邏、代わらなければよかった……」

「いや、でもそれは恋がきちんと仕事をしたって証拠だろ? 大事なことだよ、それは」

「……、………」

 

 「胸を張るべきだ」って続け、頭を撫でるんだが……何故かおろおろと視線を彷徨わせる恋さん。

 ………………まあ、なんとなく予想はついてたんだけどさ。

 

「もしかして、食べ物に釣られて警邏を代わった……とか?」

「………」

「あああいやっ、怒ってるんじゃなくてなっ!?」

 

 天下無双の飛将軍をヘコませた衝撃は、胸の痛みとなって返ってきた。

 その落ち込み様は凄まじく、膝を抱えてしゅんとしてしまう恋を前にした俺は、裏返った声もそのままに宥めるのだが───

 

「……じゃあ、戦ってくれる……?」

「………」

 

 断れば、涙が滲んでしまいそうなくらいの寂しげな瞳を前に、俺は……ここ一週間の間に何度仰いだのかも忘れてしまった空をもう一度仰ぎ見て、唱えた。

 神様……俺は本当に馬鹿なんでしょうか……。



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41:蜀/成都の長い一日②

-_-/桃香

 

 カロカロカロ……かしゃんっ。

 

「はい確かに。本日のお勤め、終了ですね」

「やった終わったよーっ!」

 

 竹簡を巻き、積み重ねられたそれらにさらに積み重なる音を耳に、両腕を振り上げて叫んだ。

 睡眠時間を削ってまで頑張った甲斐もあって、お昼が来る前に終えることが出来た事実に、むしろ胸だって張っちゃう。

 今日はお兄さんとゆっくり過ごせる最後の日。

 だからお兄さんには休んでもらって、今日一日の間、いっぱいお話ようって考えていたのだ。お兄さんが、魏に帰る日取りを決めてからずっと。

 

「それじゃあもう行ってもいいかな、いいかなっ」

 

 案件整理を手伝ってくれた七乃ちゃんは、至急片付けなければいけない分の書簡の見直しをしてくれている。

 えと、袁術ちゃ───美羽ちゃんの傍でいろいろとやっていた七乃ちゃんだけど、時々怖いくらいに的確な提案をしてくれる。

 お陰で整理も楽になった……んだけど、乱世の頃、もっともっと力を活かしていたなら~……とかどうしても思ってしまう。美羽ちゃんは雪蓮さんがやっつけたって聞いた。でも、その時に反撃らしい反撃はされなかったのかなぁ。

 

「はいどうぞー? 私はもう少しだけ、確認をしてますからー」

 

 癖なのか、握った手から人差し指だけを立てて、にっこりと笑う。

 そんな七乃ちゃんにありがとうを残して、いざ執務室を出てお兄さんの部屋へ!

 

「どんなことしよっかなー♪ 昨日みたいに歌を歌ってもらう? それとも街を一緒に歩いたり~……えへへー♪」

 

 お兄さんは、魏のみんなから聞いた噂ほど、暇じゃあなかった。

 どんなことにでも首を突っ込んじゃうし、揉め事に巻きこまれやすいのか、気づけば何かしらの騒ぎの中心に居る。

 でも危うい感じじゃなくて、一緒に居ると楽っていう、不思議な人。

 自分の知らないものをたくさん知っていて、教えてくれる時の目はとってもやさしい。

 頭を撫でる癖があるみたいだけど、お兄さんに撫でられるのは嫌いじゃあなかった。

 一国の王になった時点で、みぃんなどこか線を引いちゃっている中で、お兄さんは誰にだってやさしかった。

 王になった自分にも甘えられる人が居ることが、安心でもありくすぐったい。

 

「~♪」

 

 通路を駆けそうになるのをなんとか抑えて、少し体が弾むのを感じながらもゆっくりと歩く。わくわくする心は嫌じゃないから、長く長く感じていたい。

 昨日の鍛錬の疲れが少しだけ残っていて、走ると痛いのも事実だ。でも歩きたいのもまた事実だから、ゆっくりと歩く。

 鼻歌が、昨日お兄さんが歌っていた歌の一部分であることに気づくと、そんなことさえ笑みの種になるんだからくすぐったい。

 

「私、変わっていけてるのかなぁ」

 

 落ち込むだけだった自分にさよならをしたかった。

 王だなんだって言っても、私は華琳さんや雪蓮さんみたいに戦えない。

 的確な指示を素早く出せるわけでもなければ、戦の中で戦略を立てられるわけでもない。

 

  みんなは“私が私だから”集まってくれたんだって言うけど。

  役に立てないのって、結構つらくて、苦しいんだよ……?

 

 戦があるたびにそんなことを思っていた。

 

  私の笑顔を見れば頑張れるって言ってくれた人が居た。

 

 だから笑顔で居ようって思った。

 

  そんな笑顔を否定して、私が目指したかった天下を折った人が居た。

 

 だから弱い自分に泣いたことがあった。

 

「………」

 

 どれだけ強い人でも、一度も涙を流さずに強くなる人は居ない。

 それは本当の涙じゃなくてもいい。

 心の中で泣いて、表面では決して泣かない生き方もきっとある。

 その人はきっとそうやって生きてきて、私と雪蓮さんの目指したものに勝った。

 でも、と思う。

 ただ力だけを……本当に力だけを求め、振るうような人だったなら、華琳さんは何処にも辿り着けなかったんじゃないかなって。

 私が今、少しずつ自分を変えていけているように、華琳さんにも少しずつ、自分では気づかないくらいの速度で自分を変えてくれた人が居て、それがきっと……───

 

「天の御遣いかぁ……」

 

 お兄さんは“そんなことはない”って謙遜するんだろう。

 言わせてもらうなら、あの華琳さんの生き方とか考え方を変えていくなんて、きっと他の誰にも出来ない。

 ……元からそういう考え方を持っていたのなら、別かもしれない。しれないけど、いつかの舌戦の時に言った言葉を、今の華琳さんは二度と言わないと思う。

 

  “私に従えば、もう殴られることはないと教え込む”

 

 そんな考え方をずっと変わらず持っている人が、(くだ)したばかりの相手に元の国を託すなんてことをする筈がないんだから。

 

「どんなふうに華琳さんを説得したのかな。一緒にいて、すこ~しずつかなぁ」

 

 どちらにしろ凄い。

 華琳さんが自分で考えを改めた……とも考えられるけど、華琳さんって前言の撤回とか嫌いそうだし、自分が“こうだ”~って思ったら引き下がらないもん。

 うん、絶対にお兄さんが華琳さんを変えたに違いない。

 

「~♪」

 

 なにせ自分も変わっていけている自覚があるのだから、凄いことなのだ。

 いっそのことずぅっと蜀に居て、ずぅっと前を歩いて引っ張ってほしい。

 蜀に来てくれないかなーとか、でもでもお兄さんには華琳さんが居るしなーとか、いろんな考えがごっちゃごちゃになる。

 そこでハッとしてみれば、お兄さんのことしか考えていない自分を自覚して、嫌な気分どころかやっぱりくすぐったい気持ちのまま、通路を歩いた。

 

「お兄さんを蜀にかぁ……愛紗ちゃんや焔耶ちゃんに認められる男の人なんて滅多に居ないし、私もどうせ一緒に歩くならお兄さんみたいな……ううん、お兄さんが───……わわわっ」

 

 考えが行き過ぎるのを止めるけど、もう遅い。

 耳の内側がチリチリ鳴るのを止めることは出来なくて、きっと自分は真っ赤になっているのだと自覚する。

 

「………」

 

 その上で、お兄さんは華琳さんのものだから、私は別の誰かと……と考えてみる。

 ……たまらなく悲しくて、嫌な気分になった。

 よくわからない誰かと一緒になることを前提にして歩きたくなんかない。

 いいな、華琳さんは。天下も、お兄さんも手に入れられて。

 

「……お兄さんを三国の父にすること、本当に決定したら……一緒に歩けるのかな」

 

 ぽつりと呟いた言葉が、冷たくなり始めていた心に暖かさをくれた。

 支柱になりたいと言ったお兄さんの言葉……それを受け取った上で、そんなこれからをずっと一緒に歩きたい。

 一緒に居て暖かくて、一緒に居て楽しくて、一緒に居て頼もしくて……そんな男の人、初めてなんだ。だから……だから……───

 

「…………そっかぁ……そっか、そっかぁ……」

 

 なんのことはない。

 私はやっぱり、お兄さんのことが───

 

「………」

 

 通路を抜けて、中庭が見える場所まで辿り着く。

 その欄干に手をついて、空を見上げながら深呼吸をした。

 

「お兄さん……」

 

 お兄さんの部屋に行こうと思っていたけど、このままじゃあきっとだめだ。

 顔、絶対に真っ赤だ。

 胸が苦しいし、呼吸もおかしい。

 少し風に当たりながら休もう。

 そうすれば笑顔でお兄さんに会いに行ける。

 だからと、通路を逸れて東屋へと歩を進めた。

 変わらず、空を眺めながら。

 

「………」

 

 鳥が飛ぶ空を見て、思い出したのはお兄さんの歌。

 空を飛ぶ鳥のように、自由に生きる。

 自由って、どういうもののことを言うんだろう。

 王じゃなければ出来ないことがあって、でも王だと軽々しくできないことがある。

 私が悩んでいるのはつまりそういったもののことで……。

 

  ひゅおっ───

 

 風を切って影が飛ぶ。

 空を飛ぶ鳥を追うように、視界の隅から飛んだそれは、……あれ? 鳥……にしてはなんだか大きいような───ってお兄さぁああーん!?

 

「え!? わ、え、えぇっ!?」

 

 振り向けば、どうしてかこっちに飛んできているお兄さん。

 視界の端に映ったものを正面から見据えて、どうすればいいのかを必死に考えて───

 

「ふぴうっ!?」

 

 ……潰れた。

 なんとか受け止めようとしたんだけど、さすがに飛んできた男の人を受け止めるだけの力は、まだまだ養われてなかったみたいだ。

 

「ひたっ……ひたたたたっ……!!」

 

 身をよじる痛さのあまり、声調が高くなる。

 痛いって言ったつもりが「ひたたっ……」とおかしくなって、倒れた自分を起こそうとするけど───ぐったりと動かないお兄さんに圧し掛かられてて……んっ、んんん~っ……だ、だめっ……重いぃい……!!

 

「お兄さんっ……おっ、重いぃい……って、わひゃあっ!?」

 

 お兄さんの下から自分の体を逃がそうとする中、ふと見たお兄さんの顔。

 表情というものがなく、眠っているわけでもなく、ただただ完全に力を失った冷たさがそこに……ひえぇええっ!? ししし死んでるっ!? 死んっ……あ、ああっ……大丈夫だ、息してるよ……!

 ただ……うーん、完全に気を失っているみたいで、呼吸以外の行動全てが止まっちゃったみたいにぐったりさんだ。

 ぐいと押し退けるように抜け出すと、お兄さんの体がごろりと転がる。

 仰向けになったお兄さんは完全に脱力していて、多分ちょっと見ただけでも“これは気絶してる”ってわかる。

 

「お兄さん? お兄さ~ん……?」

 

 試しに頬をつついてみるけど、反応は全然なかった。

 

「?」

 

 そういえばどうして飛んできたんだろ。

 はたと気づいて、辺りを見渡す。……と、飛んできた方向の先から、大きな戟を手にじりじりと近づいてくる恋ちゃんが……!!

 え? え、ええ!? なんなのかなこの状況! おぉおおおお兄さんは恋ちゃんと戦ってて!? 恋ちゃんはお兄さんを吹き飛ばして!? 動かなくなったからととととととどめをぉおおっ!?

 

「だ、だめだめだめっ! だめだよ恋ちゃんっ! お兄さんが何をしちゃったのか知らないけど、それは───」

「……一刀、大丈夫?」

「───…………あれ?」

 

 引け腰ながらも、倒れたお兄さんの前に立って通せんぼをした私は、その格好のまま首を傾げた。

 大丈……あれ? とどめは? じゃなくて…………えっと。かんち……がい?

 

「~っ……!」

 

 また、顔が熱くなるのを感じた。

 口からは自分でもよくわからない言葉が出て、なんか言い訳みたいなことを言ってる。

 対する恋ちゃんは首を傾げるだけで、「そういえばどうして戦ったりなんか」とか訊いてみるんだけど、恋ちゃんが答える前に別の話を口にしたりして、全然全く落ち着きがなかった。自分で言うのもなんだとは思うけど。

 

……。

 

 少し経って、ようやく恥ずかしさを飲み込んだ頃には、私と恋ちゃんは東屋の傍の斜面で、お兄さんを挟んだ両隣に座り込んでいた。

 「東屋の椅子に座らない?」って提案してみたけど、そういえばお兄さんが居る。まさか円卓に寝かせるわけにもいかないし、そういう意味では芝生の上のほうが丁度いい。

 

「えと、つまり昨日お兄さんと戦えなかったから……?」

「ん……戦った」

 

 ぐったりしているお兄さんに、“お疲れ様”って本気で言いたくなっちゃった。

 言っても届かないだろうけど。

 鈴々ちゃんの時もそうだったけど、お兄さんはよく飛ぶよね。

 男の人にしては軽いのかな。……や、それにしては重かったよ、うん。

 飛んできたからってだけかもだけど。

 

「お兄さん、強かった?」

「……構えるだけで、息が乱れてた」

「…………お兄さぁん……」

 

 ひどい筋肉痛だったに違いない。

 それでも武器を手にして立ったっていうことは……?

 

(ああ……)

 

 わかる、わかるよお兄さん……! 恋ちゃんにねだられると、断れないよね……!

 

「でも、不思議」

「不思議?」

「……攻撃したら、……ん……受け止められた」

「………」

 

 ……?

 

「えっと。それは、痛い思いをしたくなければ受け止めるんじゃないかな」

「ん……手で」

「え───」

 

 それは痛そうだ。ううん、絶対に痛い。逆に痛いよ。

 どういうことなんだろう、手で受け止めるなんて。

 って……あれ? そういえば昨日、星ちゃんと戦ってる時も、槍の後ろのほうの、え~となんていったっけ……い、いー……石突き、だったっけ? を、手で受け止めて……あれかな?

 

「斬ったらだめだって思ったから、棒の部分で殴った。そうしたら返されて……びっくりした」

「返されたって……?」

「これで恋、攻撃された。受け止めたら……地面、滑った」

 

 ひょいと持ち上げられるのは、お兄さんがいつも使ってる木剣(ぼっけん)

 筋肉痛なのに、恋ちゃんを押し退けるくらいの反撃を……? お兄さん、無茶するなぁ。

 って……あれ? じゃあもしかして……?

 

「えとー……嫌な予感がするんだけど、もしかして……?」

「恋……、男の人に押し退けられたの初めてだった。だから本気でいった……!」

「………」

 

 少し興奮した様子の恋ちゃん。目が爛々と輝いていて、こくこく頷くたびにすんすんと小さく鳴る可愛いお鼻が、その度合いを教えてくれた気がする。

 ……お兄さんが空を飛んだ理由は、そんな調子であっさりと明かされた。

 きっと、待ってーとか言う暇も無かったんだろうなー。

 言ってたとしたら、私が欄干に手をついた頃あたりで聞こえてたと思うもん。

 それは気絶しちゃうよねー……お疲れ様です、お兄さん……。

 

(………)

 

 呼吸だけはしているお兄さんの髪に触れてみる。

 どんな戦い方をしたのか、汗に濡れている。

 えと、どんな戦い方もなにも、恋ちゃんと戦うってことがどれだけ大変なのかはわかるつもりだから、冷や汗も結構混ざっているんだろう。

 

「いつ起きるかなぁ……」

 

 でも、少し都合が悪い。

 せっかく早めに仕事を終わらせられたのに、これじゃあ報われない……なんて思っているくせに、隣に座るだけでホッとしている自分が少し悲しい。

 単純なのかなぁ、私。

 

「………」

「……?」

 

 私がじぃっとお兄さんを見ていると、恋ちゃんも不思議がってお兄さんを見る。

 触ってみてもなんの反応も返らない人っていうのも珍しくて、なんとなく悪戯心が揺らされた。ふにふにと頬をつついてみたり、唇をなぞってみたり。

 恋ちゃんもそれに習うように、小首を傾げながらもムニィーと頬を引っ張ったり、閉ざされている目をパチリと無理矢理開いてみたり……って恋ちゃん恋ちゃんっ! それは怖いよっ! 白目だよっ!

 

「はぁ……いいや、私も寝ちゃおう」

「……ん……恋も」

 

 腰を下ろすだけだった体を寝かせる。

 お兄さんを挟んだ隣に居る恋ちゃんも、そうしてぱたんと寝転がった。

 

「………」

「………」

 

 ゆるやかな風が吹く。

 そういえば愛紗ちゃんが、鈴々ちゃんはよく木の上とかで寝ちゃってるって言ってたけど……寒かったりしないのかな。

 

(……でも、お日様気持ちいい~……)

 

 少し眩しいけど、眠るには心地の良い風と太陽だった。

 そんな心地よさも手伝って、少し悪いことを考えた私は……動かないお兄さんの腕を動かして、それを枕にしてみた。

 ……うん。なんだか、“うん”って感じ。

 恋ちゃんもそれに倣ってか、ごそごそと反対側で動いて……多分、同じように腕を枕にした。

 

「はぅー……」

 

 息を吐けば、心地よい空気が体を満たしていく。

 そんな暖かさに包まれながら、抵抗する理由もなく眠気を受け取り、意識を手放した。



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42:蜀/乙女心と青の空①

79/同情の価値

 

-_-/一刀

 

 腕の付け根……腋辺りから走る、痺れるような痛みで目が醒めた。

 

「いづっ……! ~っ……つはっ……あぁ……!!」

 

 目覚めたと認識してからは既に腕の感覚はなく、思い出したのは気絶する前の光景。

 なんとか恋の攻撃を氣で受け止めて、吸収して返した……まではよかったんだが、そのあとがまずい。

 きょとんとした顔で俺を見たその姿が、今も目に焼きついている。

 “自分の力で吹き飛ばされた”なんて、まさか夢にも思わないだろうけど、その目が興奮に満たされるのにそう時間は必要じゃあなかったのだ。

 目を爛々に輝かせて、そのくせ本気かと見紛う“構え”を取って───えと、本気じゃなかったよな? さすがに俺相手に本気って……なぁ?

 

「えっと……こうして倒れてるってことは、あの一撃で気絶したってことだよな?」

 

 氣で受け止めようにも、恋の一撃を返した時点でほぼを使ってしまっていた。

 だから、掻き集められるだけ集めた氣を木刀に託して、それを受け止めた……───までしか覚えてない。その一撃で気絶したのは確実なんだろうな。

 

「しかしすごいな……腕の感覚が消えるほどの一撃か。こんなの戦場でされたら、そりゃあ人垣だって一撃で吹き飛ぶよ。三国無双の名前は伊達じゃ───OH」

 

 痺れた左腕を苦笑混じりに見た───筈が、その腕で三国無双さんが気持ち良さそうに眠っていた。

 そして、苦笑のまま固まる俺。

 ……アア、そりゃあ腕を枕にされちゃあ痺れるよな。ナールホドー。

 

「……アレ?」

 

 じゃあ右腕まで痺れているのはナゼ?

 

「……ゴ、ゴクッ……!」

 

 声として出るほどの大きな音で、息を飲む。

 バッと振り向こうとしているのに、あまりの緊張か嫌な予感のためかギギギ……としか動かない自分の首に、更なる焦りが生まれる。

 それでもなんとか振り向いた先に、栗色の髪と幸せそうに眠りこける蜀王さま。

 現実を直視したくない一心がそうさせたのか、ギシリとしか動かなかった首が、バッと空を正面に捉えた。

 その正面に、先ほどまでは存在しなかったにっこり笑顔の美髪公。

 ……喉の奥でヒィって悲鳴が出た。ホラー演出そのものだった。

 

「……………」

「……、……」

 

 笑顔には笑顔を返す……善き日々を送る秘訣です。だから笑顔。引きつろうとも笑顔。音にすれば、“ニ、ニコッ?”って疑問符が出そうなものでも笑顔。

 だがその日、わたくし北郷は確かに祈っておりました。

 どうか平穏無事に今日という日を乗り越えられますようにと、またしても神様に。

 

「一刀殿ぉおおおおおおっ!!」

「うわわわわわわぁあああああっ!! なんだか知らないけど誤解だぁああああっ!!」

 

 それが無理だということは、恋と対峙した時からわかりきってたことなんだけどね……。

 

……。

 

 説得。

 話して聞かせ、相手に納得してもらうこと。“説いたものを得てもらう”と書く。

 ただし納得するかはあくまで相手次第であり───

 

「まったく何を考えておいでか! 昨日の無理を度外視し、さらに恋に本気を出させるなど! もし命を落としたらどうするつもりだったのです!」

「い、いやぁ~……命が無くなってたら、どうしようもないんじゃあ……」

「そのようなことを言っているのではありませんっ!!」

「ごごごごめんなさいっ!?」

 

 ……どうしてかいつの間にか、説く方と説かれる方が逆転していた。

 そしてこの場合は説得じゃなく説教と言います。もちろん正座してるのは俺だけ。

 

「聞けば恋にねだられたから武器を手にしたそうですが、それでも本気にさせるのはやりすぎです! もしやすれば飛んでいたのは五体ではなく首だったのかもしれぬのですよ!?」

「いやままままま待って待った待ってくれってば! 俺はただ普通に返しただけなんだってば! くらうわけにはいかないから反撃して、そしたら恋が目を輝かせてっ!」

「何を馬鹿な! 恋がそれしきで本気を出すわけがないでしょう!」

「信じてくださいっ!? ほんとなんだって! なぁ恋!? れっ───あれちょっ……! 恋!? れっ……恋起きて! 恋ーッ!!」

 

 振り向いてみれば眠り姫。

 俺だけが雷を受ける中で、二人は未だに眠っていた。

 

「証明する者は眠っているようですが……さて、一刀殿? あの恋が相手を吹き飛ばすほどの力を振るうならば、それなりの理由が必要となります。争ったあともあるようで、重いものが落ちたような跡もある。確かに一刀殿は吹き飛ばされたのでしょう」

「ハ、ハイ……」

「では、なにが恋をそこまで本気にさせたかですが───」

「……あの、だから反撃しただけで───」

「───食べ物、ですか?」

「違いますよ!? 聞いて!? お願いだから聞いて愛紗!」

 

 愛紗の中では“恋=食べ物”なんだろうか。

 わからないでもないが、まずは聞く耳をどうか持って欲しい。

 半眼でジトリと見られたままだと、さすがに自分が悪いのかって錯覚を覚えてくる。

 

「……はぁ。わかりました、そうまで言うなら信じましょう」

「あ、愛紗……! ───……目が、全然信じてないんだけど?」

「気の所為です。ええ、気の所為でしょうとも?」

「………」

 

 ワ、ワーイ、信じてもらえて何よりだー。じゃなくて。

 

「……愛紗、じっくり説明するから、ここ座って」

「生憎と警邏の続きがありますので。ここには昼をとりに来ただけです」

「いいからいいから、すぐ済むから座って座って」

「なっ! い、いえっ、ですからその昼の時間自体がそう長いものでは!」

「誤解して貴重な時間を説教に使ったのは愛紗なんだから、自業自得。で、誤解かどうかは今説明するからきちんと聞く。ちゃんと知れば怒る必要なんて無くなるんだから、まず聞く耳を持ちましょう。いいね?」

「うぐっ……」

 

 正座をしたまま、愛紗の手を握って引っ張る。

 文句を言うわりには軽くすとんと座るその姿に笑みがこぼれるが、説明はきちんとしないと意味が無い。

 

「恋が本気になった理由だけど、多分これの所為だ。焔耶と戦うことになった時、ぶっつけ本番でたまたま成功したものなんだけど……あ、きっかけを教えてくれたのは明命───呉の周泰なんだけどね」

 

 まずは氣のことから、わかりやすく説明。

 明命と“相手から受けた衝撃を散らす方法”などの話をしたことや、化勁の話をしたことなどを説明しながら、それを焔耶との戦いで成功させたことを話す。

 で、実際に愛紗に俺の左手を殴ってもらい、そうするのとしないのとでの拳の威力を比べてもらった。

 

「これは奇怪な……。氣とは応用次第でこうも不思議なことが出来るものなのですか」

 

 愛紗はとても驚いていた。

 物珍しさからか「もう一度試しても?」と訊ねてくるけど、さすがにもう氣が底を尽きてしまった。気絶することで休まった体に、多少は戻った氣だが……今ので使い果たした。くらくらする。

 

「う……申し訳ない。勝手に誤解し、怒るだけ怒った私に、わざわざ説明させてしまうとは……」

「はは、いや、誤解が解けてなによりだよ。……えと、言っておくけど、俺自身も恋の攻撃で気絶してたから、どうして二人が俺の腕を枕にしていたのかは───」

「ええ、大方桃香さまがそうしたのを恋が真似たのでしょう。つくづく申し訳ありません」

「いいって、四六時中王で居る必要なんて無いと思うし、それで日頃からの頑張りが少しでも報われるなら、俺の腕も痺れ甲斐があるからさ」

「……そうですか」

 

 俺ならそう言うと思っていたのか、それともそんな言葉を期待していたのか、愛紗がやさしく微笑む。愛紗も相当気苦労が絶えないよなぁ……誤解とはいえ、こういうことが何度もあったら身が保たない。

 あ、だったら───

 

「なんだったら愛紗も寝てみるか? 俺の腕くらいならいつでも貸すけど」

「は? ………………、───!?」

 

 あ。赤くなった。

 

「ななななにを急にそんなっ……い、いや結構です! 私はそんなものを貸してもらわずとも毎夜毎朝を快眠で過ごしています!!」

 

 早口言葉大会で優勝出来るってくらいの早口だった。

 しかも活舌が素晴らしい。

 

「そ、そうか? いっつもとばっちりっていうか、面倒ごととかを回しちゃってる気がするから、俺に出来ることならって思ったんだけど」

「だとしても行きすぎです! だっ……大体! 貴方は妙に無防備すぎる! 魏を、魏に、魏がと呉では散々と拒んでいたと聞きますが、だというのにこうも甘い! 貴方にその気が無くとも、それではいずれ誤解をする女性(にょしょう)がっ……、……? ……一刀殿?」

「え……───あ、いや……うん……」

 

 言葉が突き刺さった。

 そして思う。善意はやっぱり、自分が思うほどに相手にとっての善にはならないのだと。

 それを真っ直ぐに突き付けられたら、さすがに言葉を失っていた。

 失っていたから……散々言葉に詰まって、出る言葉といえばこんなもの。

 

「ごめん、軽率だった。でも、何かしてあげたいって思ったのは本当なんだ……それは信じてほしい」

「あ───いえ、私も少々、勢いに任せて言いすぎました……」

「………」

「………」

 

 気まずい空気が流れる。

 でも、言われても仕方の無いことだったのかもしれない。

 そして、言われて良かったと思うべきことだ。

 

「ごめん、ちょっと頭冷やしてくるな? いろいろ考えておかないと、大事なもの……壊しちゃいそうな気がするんだ」

 

 自分に向けて“仕方ないの無い奴だ”って思ったら、自然と笑みが浮かんだ。

 そんな笑みを顔にくっつけたままそう言って、氣を使ったばかりのふらふらな体で立ち上がる。

 ……川にでも行こう。

 思いっきり頭冷やして、そして───…………そして……、ホワゥ!?

 

「っとぉ!? おわっ! たっ、たととへぶぅ!?」

 

 歩き出したところで、ズボンを掴む誰かの手。

 痛打した顔面を押さえながら、振り向いて指の間から見てみれば……眠たげに目をこする桃香と恋。

 

「い、ぢぢぢ……! ふ、二人とも、なにを……」

「ふぁう……ふぁひゅひゅぅう……おにいさん、おふぁよぅ……」

「……、……」

「…………お、おはよう」

 

 挨拶しながらもズボンは離してくれないのな。

 斜面降りるところだったから、その分速度が増して滅茶苦茶痛かったんだが……。

 そして今さらだけど恋って物凄く長く寝てなかったか? 何度寝なんだろう、それは。

 

「ぁ、あー……えっとその。二人とも? ……ごめん。少し頭冷やしたくてさ、離してくれるとありがたいなぁと───」

「え~? だめだよぅ、お兄さんはこれから、私とい~っぱい遊ぶんだから~……♪」

「……わあ、ばっちり寝惚けてらっしゃる」

 

 ちらりと恋を見てみても、どうやら同じ反応らしい。

 そんな中にあって、ただ愛紗だけが気まずそうに顔を伏せていた。

 ……普通に接していたつもりがああいうことに繋がるなら、普通じゃない自分で行くべきなんだろうかと考えた。───けど、その普通じゃない自分っていうのがイメージ出来なくて、少しだけ自分が嫌いになる。

 掴まれている手を叩いてでも逃げ出そうか?

 適当なことを言って離してもらおうか?

 それとも───……

 

「っ───せいっ!!」

『っ!?』

 

 自分の頬を、気合いと一緒にずばぁんと叩いた。

 それとも、じゃないだろっ……! なにを情けない言い訳ばかりを、って、ああああ痛っ……! 頬叩くにしたって、もうちょっと加減すればよかった……!

 

「……~……ごめん、愛紗。やっぱり頭冷やすの無しだ。自分が自分として、自分をそういう奴なんだって自覚して受け止めるなら、誤解する人が出てくるのは仕方ないってことも受け止めなくちゃ嘘になる……。そんないろいろを受け止めた上で、それでも支柱を目指したいって思うなら……そこで“自分の普通”を変えるのって、なんかずるいじゃないか」

「……一刀殿……」

「ふぇ……? なに? なんで叩いたの? わっ、顔赤いよお兄さんっ! 大丈夫!?」

「いや、ははは……正直滅茶苦茶痛いです……!」

 

 俺はこう思うんだが、貴女はどう思う?

 そんな言葉を誰かさんに送った。

 それなのに自分の意思をころころ変えてちゃ、面目の立つ場所が滅びてしまうだろう。

 そんなものが立ってくれるほど、自分の立ち位置が残っていたらの話なんだが。

 人は変わるもんだけど、自分が自分を信じられなくなるほど変わってしまったら、それはもう自分じゃない気がする。だめだろう、それは。

 

「俺は俺のまま支柱を目指すよ。誤解も罵倒も全部受け止めるつもりだ」

 

 俺は俺らしく。

 そうじゃないと、目指す意味も無い。

 その意味っていうのがどこに落ち着くかなんて、結局は自分と自分の周りのためっていうのに落ち着く。

 落ち着くくせに、困っている人は見捨てられないって自覚がある。自覚があるから行動に出て、誰かの笑顔が自分のためになる。

 行動の全てが笑顔に変わってくれれば、とってもありがたいんだけどなぁ。

 そう上手くいかないのが世の中だ。

 

「……それは、口で言うほど易いことではありませんよ?」

「うん。だからみんなで目指そう。断言出来るけど、俺一人でなんて絶対に無理だ。俺は出来る限りの天の知識を提供するし、自分に出来ることは“なんでもする”つもりだよ。だから───」

「───なんでも?」

「へ? あ、うん」

 

 愛紗と話している中、ピクリと肩を動かした桃香が割り込んでくる。

 斜面の下で、ズボンを引っ張られながらっていう、冷静に考えると妙に恥ずかしい状況で。

 

「ほんとになんでも? お兄さんが支柱になれば、出来ることならなんでもしてくれるの?」

「さすがに限界はあるぞ? 人一人に出来ることなんて限られてるし、俺だって朱里や雛里みたいに知力が高いわけでも───」

「じゃあ賛成っ!」

『───へ?』

 

 俺と愛紗の声が、綺麗に重なった。

 対するは桃香一人で、恋は俺のズボンを引っ張るかたちでずるずると俺に近づき、足を枕にまた眠りについてしまった。

 

「お兄さんが支柱になることに、私は賛成するよ?」

「え───なっ! 桃香さま!? 他の者の意見も訊かずにそれはっ───!」

「愛紗ちゃんは反対?」

「はんたっ……い、いえっ! 反対だとかそうでないとかを問うているのではありません! 現状───今のままでも十分だと言っているのです! 日取りを決め、他国に集い、宴をする! それを出来る今が一年も続いています! これ以上を望めば必ず、別のところで綻びがですねっ……!」

「そうかなー……街の人も村の人も、兵のみんなも将のみんなも、お兄さんのこと嫌いじゃないと思うんだけどなぁ。んー……愛紗ちゃんは、お兄さんのこと、嫌い?」

「なぁあっ!? 今はそういうことを話しているわけではないでしょう! す、好き嫌いの問題ではありませんっ!」

「じゃあ嫌いな人でも優秀だったら、誰でもいいの?」

「うぐっ……!」

「愛紗ちゃんは───口が悪くて態度も悪くて、だけど仕事がとっても上手で、綺麗に纏められる人なら誰でもいいの?」

 

 それは……俺だったら嫌だなぁ。

 だって、国は豊かになりそうだけど、代わりに笑顔が消えそうだ。

 そんな国に住んでいても、ちっとも楽しくない。

 

「それなら少なからず憎まれてもなくて、交友関係も多いお兄さんのほうがいいんじゃないかな。それに、支柱ってだけで、王様になってほしいって言ってるんじゃないんだよ? この国で頑張れるのは私で、その責任をお兄さんに押し付ける気は全然ないもん」

「…………と、桃香さま……! あの、口を開けば的外れなことを言い、仕事とくれば投げ出すばかり……街を歩けばつまみ食いをし、子供に手を引かれては仕事をほったらかしで一日中遊んでいた桃香さまが……っ! そ、そこまでの覚悟を決めていたとは……!」

「………………お兄さん。愛紗ちゃんって、時々本当に容赦ないよね……」

「うん……お前もそう思ってくれるか、桃香……」

 

 桃香に言葉の棘が刺さるのをなんとなく確信しながら、ただ見守った。

 いや、俺にも関係のあることなんだけど、桃香の目が本気だったから……ここで割り込むのは邪魔になるだろうって思って。

 

「わかりました。それとなく他の将にも話を通してみましょう。支柱というものがどういった形で働くことになるのかは、まるで見当がつきませんが───貴方が来てから、少しずつではありますが蜀は変わった。そんな貴方の目標を言葉一つで否定するのはあまりに無粋」

「愛紗───」

「ただし」

「───へ?」

 

 納得してくれたと喜んだ───次の瞬間には、相変わらず何処から出したのかもわからない青龍偃月刀が、俺の鼻先へと突きつけられていた。

 

「貴公がその器に相応しくないと感じた時は、曹操殿の進言と同様、迷わず貴公を討たせてもらおう」

「───……」

 

 “私が非道な王と思ったのならば……劉備、孫策。あなた達が私を討ちなさい”。

 いつか、華琳が言った言葉が思い返される。

 それは“自分は絶対にそうならない”という覚悟だ。

 華琳はあの時から今まで、そういった覚悟を抱いたまま生きている。

 つまり愛紗は、それほどの覚悟が無ければ、王など……ましてや支柱になることなど無理だと言いたいのだろう。

 だったらどうする? 怖いからやめる? 器ではないと判断され次第殺されるのならば、そんなものになどなりたくない?

 

(………)

 

 ちらりと桃香を見る。

 たった今、愛紗が言った言葉の意味を何度も何度も確かめて、その上で俺の言葉を待っていてくれているのであろうその姿を。

 でも大丈夫。答えはきっと、その時にこそ桃香と華琳に教えてもらったことなんだから。

 

「………」

 

 胸に手を当てて、深呼吸をした。

 桃香はもうこの時点でハッとして、同じように胸に手を当てる。

 その顔は───笑顔だった。

 

  覚悟、完了。

 

 誰にも聞こえない声で言って、けれど桃香にはきっと伝わった言葉の魔法。

 それをした時点で、逃げ道なんてものは無くなったのだ。

 先に進むしかないなら、進むだけだよな───じいちゃん。

 

「わかった。その時は、よろしく。って言っても、愛紗より先に華琳に斬られてそうだ」

「ふふっ、確かに。では私はその後でさらに八つ裂きにしましょうか」

「やめてくださいっ!?」

 

 軽口をきけるようになる頃には、俺も笑っていた。

 視線の先にも笑顔。愛紗も、桃香も笑っていた。

 

「………」

 

 いつか、様付けで呼ばれなくてもいい、ただの一人として誰かに感謝されたかった王。

 王になんてなりたくなかったと。

 ただ周りに居てくれる誰かと同じように、互いに感謝する誰かで居たかったと願った王。

 そんな彼女が本当の笑顔で笑っていられる一年後の青の下、俺は───自由にされた体で立ち上がり、同じく立ち上がる彼女へと伝えた。

 未だ眠りこけている恋に苦笑し、急いで昼を食べねばと慌てる愛紗を見送って。

 

「さっき……桃香が華琳と戦ってた頃のこと、思い出した」

「……うん」

「“王になんてなりたくなかった”。口にしたのは華琳だったけど、多分本当のことなんだろうなって思った。俺も、王で居るよりもみんなの隣に居たいって思う。様なんて呼ばれなくてもいい、もっと……町人だって兵だって、気軽に背中を叩いて笑い合ってくれる……そんな未来が欲しかった」

「……うん」

「でもさ、そんな考えに答えをくれたのも、やっぱり桃香だった。華琳が言うみたいに甘すぎたのかもしれないし、現実を見ることを、自分が頑張らなきゃいけないことまでを任せっきりにしていたら、絶対に辿り着けない場所があるってことを……知った」

「……っ……うん……」

 

 隣に立って、もう見えなくなってしまった愛紗を見送ったそのままの姿勢の桃香の頭を撫でる。

 王にはなりたくなかった。

 でも、誰かが変えなきゃいけなくて、待っているだけなんて嫌だったから立ち上がった。

 野望があったわけじゃなく、様をつけられ、尊敬されたいから立ち上がったわけでもない、小さな女の子。

 教えてもらったのは“現実”。

 そして、挫かれても立ち上がる“勇気”。

 そのこと全てを伝えるには長すぎて、だけど伝えるべきを伝えると、もう笑顔はそこには無く───ぽろぽろと涙し、かつての自分の弱さに泣く少女だけがそこに居た。

 

「“何も出来ない”って辛いよな。役に立ちたくても力が無くて、力が無いならせめて知力でって思っても、何にも提供出来やしない」

 

 “自分の知識”が活きたことなんてあっただろうか。

 天に当然のようにある知識だけが活躍し、それは自分じゃなくても出来たことで……御遣い様なんて呼ばれるたびに、自分は本当に様をつけられる立場にあるんだろうかと疑った。

 剣を握れば軽くあしらわれて、剣を握るほどの力が無いと勝手に決めつけた。

 自分のやるべきことは自分でと立ち上がってみても、それが他人の仕事を奪うことに繋がることを初めて知った。

 やることの全ては空回りばかり。

 どうすればいいのかを詳しく教えてくれる人などおらず、天の知識を武器に“様”呼ばわりされる自分が嫌になり……なのに、そう呼ばれることに慣れていく自分がたまらなく悔しかった。

 御遣い様なんて呼ばれなくてもいい。もっと傍で、同じことで笑ってほしかった。

 天の知識ではなく、自分の知識が活かされた時に……“一刀が居て助かった”って笑ってほしかった。

 

(ああ……)

 

 きゅっと、制服の袖を掴まれた。

 俺も、やさしく撫でる頭を、よりやさしく撫でる。

 この世界で桃香の傍に降りることが出来たなら、どれだけ助け合っていけただろう。

 別の場所に降り、敵として戦ったというのに……自分たちはこんなにも似ていた。

 ただ、桃香は戦で王としての敗北を知り───俺は、御遣いとしての勝利を知った。

 互いに勝利を知らず、敗北を知らぬ者としてこうして会ってとして……それでも、同情がどうとか言い合っても始まらない。

 同情なら戦いながら、姿も知らない頃から今まで、何度も、ずぅっとしてきたのだろう。同じ思いを抱き、それでも相容れることなく。

 口にしなくても、一緒に過ごす日々で気づけることがたくさんあったのだ。

 自分たちは本当に、いろんな意味で似ていたのだと。

 

『………』

 

 軽く見下ろし、軽く見上げて交差する視線。

 拭われることなく流れる涙を見て、その痛みがわかってしまう自分も相当だ。

 ───けどさ。

 わかってしまうからこそこうして笑んで、言うべきをしっかり伝えることが出来る。

 それは事実ってやつで、同じ思いを抱いてきたからこそわかる、同情っていう名の絆だ。

 

「───桃香」

「───お兄さん」

 

 じゃあ、言おうか。

 俺も、きっと桃香も、わかってくれる人にこそ心を込めて言われたかった言葉を。

 

「桃香が居てくれて、」

「お兄さんが居てくれて、」

『本当に、よかった───』

 

 笑んだまま、涙したままに交わされる言葉。

 涙は余計にぽろぽろと零れ出して、思わず拭おうと指が動いた途端───桃香は俺の胸に抱き付き、わんわんと泣き出した。

 “居てくれて助かった”じゃなく、“居てくれてよかった”と伝える意味は、とても単純なもので───自分達が互いに似ていると感じた頃から、互いに助かったと思うことなどたくさんあったのだ。

 だから、助かったじゃなくよかったを伝える。

 

(……うん。頑張ろう、もっと、もっと……)

 

 これからこの世界で、自分は何を学び、どんな明日を作れるだろう。

 考えたところでちっとも浮かんでこないイメージに、早くも苦笑が漏れる。

 けどまあ、難しい顔をしてうんうん唸るよりも、ヘラヘラした薄笑いを浮かべてでも、みんなが笑っていられる未来を目指そう。

 頭が足りていないって思われたって、それはきっと誰かの笑顔に繋がるから。

 王になるべきではなかったと言われても、御遣いとして力不足だったって言われても、もはや悔やむまい。

 力不足に嘆き、人が死ぬ世は……もう終わったのだから。

 




秋の空じゃあござんせん。
ちなみにこのお話は“成都の長い一日”の中に入っているものなので、長い一日が二話で終わったぞというツッコミはしなくても大丈夫です。


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42:蜀/乙女心と青の空②

80/賑やかさとやかましさは紙一重

 

 体力を回復させるためには食事は必須だった。

 だから食べた。

 ガツガツムシャムシャ、勢いよく。

 しかしよく噛むことも忘れない。しっかり味わわないと、作ってくれた人に失礼だ。

 ……作ったの、俺だけどさ。

 

「お兄さんは一口が大きいよね~」

「んあ? そ、そうか?」

 

 当然ながら、一緒に居た桃香も同じ卓で食事中。

 他国の城での食事にも慣れたものだったけど、そういえば桃香と一緒に食事っていうのはあまりなかった。

 そんなこともあってか、にこにこ笑顔で俺の隣に座り、のんびりと昼餉をつつきながら俺を見る桃香。……なんだか物凄く幸せそうだ。

 まあ、美味いよな、これ。

 散々と氣を使ったり緊張したりを繰り返した所為か、腹の減り方が異常だ。

 当然口にすれば味わい深いというか……いや、空腹は確かに調味料だが、それを抜きにしても美味しいわけで……って、誰に言い訳してるんだ、俺。自分にか。

 きっと通常時に食えば普通でしかない味わいなのさ。わかってる、北郷わかってる。

 

「そういえば、愛紗はもう居ないんだな……」

「あはは……私、結構いっぱい泣いちゃったから……」

 

 それにしたって早い。

 涙でびしょ濡れになった服をなんとかするために、着替えに戻ったとはいえ……ちゃんと噛んだだろうか。不安だ。

 

「恋は恋で、起こそうと思ったら“うるさい”って殺気飛ばしてくるし……」

「眠ってるのを邪魔されるのが嫌いなんだよ、恋ちゃん」

 

 にしたって、もうちょっと限度ってものを……無理か。

 

「っとと、そういえば今日はどうするんだ? 仕事は貰えなかったし、ボランティアも終わっちゃったらしいし……桃香もその様子だと、終わったんだろ?」

「うん。それでお兄さんを探しにいったら、お兄さんが恋ちゃんに吹き飛ばされてて」

「あ、あー……お恥ずかしいところを」

「お兄さん、前にも飛ばされてたよね、鈴々ちゃんに」

「うぐっ……」

 

 覚えてらっしゃったか……! だからどうって話でもないんだが、男の子としては恥ずかしい。

 なにせあのあと、恋にお姫様抱っこされて……ぬわーっ! ぬわーっ! 思い出したら恥ずかしさがっ! 消えろ消えろっ、消えてくれーっ!!

 ハッ!? い、いや、その恥ずかしさも今の俺を形成する過去の一つだから、受け止めなきゃいけないのか!? なっ……なんだこの切ない思い!

 

「……んむ」

 

 それはそれとして食べる。現実逃避じゃなく、食べる。ああ野菜炒めが美味い。

 侍女さんに頼んで厨房を借りて、自分で作った野菜炒め。

 なんのことはなく、桃香が急に“お兄さんが作った料理を食べたいな”と言い出したから、こうして作ってみたのだが。

 味はやっぱり普通だ。蓮華に食べさせた炒飯のように、可も無く不可もなく。

 不味いわけじゃないから、これはこれでいいだろう。

 

「食ってるか? 桃香」

「………」

「……? 桃香?」

「へぁぅっ? え、あ、な、なにかな」

「いや……食ってるか? って」

「えぁっ!? ああうんっ、食べてる食べてるっ、おいしーよー!?」

 

 言いながら、箸をコリコリと噛み始める桃香さん。

 彼女はその、なんだ、前世が兎だったりしたんだろうか。はたまた白蟻?

 

(……なんか、朱里や雛里が考え込んでる時の俺を見るような顔をしてたけど)

 

 もしかして蜀で流行しているのか?

 ……そか、流行なら仕方ないな。

 星もメンマを見る時は、あんな顔してるし───って、おや?

 

「そういえば桃香、思春はどうしてる? 呼ばれた~って言って、執務室に行った筈なんだけど」

「あ、うん。最後だし、兵のみんなに緊張感を持たせるために~って。ほら、前にも……」

「ああ、確かに」

 

 前にも他国の将の殺気云々で、緊張感を忘れないためにとか言ってたっけ。

 なるほど、それは確かに俺が行っても意味がない。

 むしろ筋肉痛に震える俺が行ったら、緊張感どころか笑いの種になりかねない。

 

(でも……なんだろ)

 

 くれぐれもと言われるほど、拒まれる理由じゃない気がする。

 ……気にしても仕方の無いことか。今はご飯だ。

 

「……うん、うまい」

 

 この野菜炒めは正解だった。

 味付けは薄いが、ご飯に良く合う味ではある。

 濃すぎるわけでもないから飽きが来づらく、いくらでもご飯が食べられそうだ。

 

「……、……」

「………」

 

 で、桃香もきちんと食べてるんだけど、視線は俺に向けたままだった。

 流石に箸を噛み砕くことはしなかったようだけど、この調子じゃあお手拭(てふき)まで食べてしまいそうで怖い。

 

「……桃香?」

「食べてるよー……」

「………」

「………」

「桃香?」

「食べてるよー……」

「………」

 

 見ればわかるんだが、こちらを見たままなのはなんとかならないか?

 何か顔についてるのかと触ってみたところで、なんにもついてやしない。

 逆に、桃香の顔は赤いし、どことなく熱っぽい、というか、ぽーっとしているというか。

 お互いに届けた言葉のあと……厳密に言えば桃香が泣いて、着替えて、合流してからだ。距離が近いというか……ふとした時に服を抓んでくるし、気づけば俺の顔を見ているし。いったいなにが……? はっ!? もしかして外で寝たりしたから風邪を!?

 

「…………」

「……ぴうっ!?」

 

 額に手を当ててみると、肩が跳ねて変な声が飛び出した。

 熱は……普通? 普通だよな。風邪の熱にしては低いほうだと思う。

 とはいえもし風邪なら、引き始めが肝心。

 

「桃香、熱っぽいか?」

「へぅ?」

 

 単刀直入に訊ねてみれば、返ってくるのは月や雛里のような声。

 額からは手を離してあるけど、自分でそこに触れた桃香はより赤くなっていた。

 

「あ、ううんこれはなんでもないのっ、本当になんでもないからっ」

 

 しかしハッとするとすぐにそう言って、病気とかじゃないことを熱心に語ってくれた。

 

「そ、それでなんだけどお兄さん、えと、そのー……ううー……こ、この後、街に───」

「兄、見つけたのにゃーっ!!」

「ウギャアーッ!?」

「きゃーっ!?」

 

 人はそれを不意打ちと言う。

 何処から現れたのか、背中に飛びついてきた美以が俺の首筋にがぶりと牙を立ててうぁああいだだだだだだぁあーっ!!!

 

「美以!? 急にどうした───じゃなくて出会いがしらに噛み付くのはやめなさいって言ってるだろうがぁーっ!!」

 

 椅子から立ち上がって引き剥がしにかかるが、その度に牙が皮膚を皮膚を皮膚をぉおおぁあああいだだだだだぁあっ!!

 

「兄、兄ぃ、にーぃいい~っ!! 聞いたにゃ! 明日帰るって聞いたにゃー! 兄はずっと蜀に居るんじゃなかったのにゃー!?」

「いつからそんな話に!? いや、そりゃ客だからやること終われば帰るぞ!? そしてそれを訊こうとしているのに噛み付く意味が繋がらないんだが!?」

「いやにゃーっ! ずっとここに居るにゃーっ!! 兄が居なくなったら、美以は何に対して狩猟本能をぶつければいいにゃーっ!!」

「人に狩猟本能をぶつけることをまずやめません!?」

 

 とにかくまずはぎうーと抱きしめられている(?)首にかかった腕を、なんとか外しにかかるんだが……途端にビキィと体に走る痛み。

 筋肉痛の脅威は未だ衰えを知らず、力が抜けたところにまた牙が降りました。

 

「いぁああああだだだだだだ!!? 痛い痛い痛いって美以!!」

「いい匂いですばしっこくて中々強い獲物なんてなかなか居ないのにゃ! 美以は兄がいいのにゃ~っ!!」

「うひゃあああっひゃひゃひゃひゃ!? やっ! やめっ! 甘噛みはもっとやめてくれ! くすぐったくていだぁああーっ!? だだだっだだからって強く噛めって意味じゃギャアーッ!!」

 

 もはや話にもならず、あまり騒ぐわけにもいかず、しかし食べ途中の食事を置いて外に出るのも気が引けて、ええいどうしたらいいのやらっ……───ハッ!?

 

「ほ、ほら~、美以~? 俺が作った野菜炒めだぞ~? お腹減ってるならこれを───」

「べつに減ってないにゃ」

「じゃあ噛むのやめよう!?」

 

 ええい男は忍耐! 噛まれようがどうしようが、食事の大切さはこの世界で十二分に学んだ! 残すことも粗末にすることも絶対にしない!

 我慢だっ! 噛まれても食べる! ご馳走様もきちんと言う!

 

「おーい北郷居るかー? お、居た居た。ちょっと話があるんだけど───って、どうしたんだ、背中のそれ」

「日常へのスパイスです」

 

 どうしてか俺を探して訪れた白蓮に、疑問符が出そうなくらいなラインの、笑みなのか笑みじゃないのか微妙な表情を返した。やっぱりこう、“ニ、ニコッ?”って感じで。

 ともあれしっかり食べて、しっかりご馳走様を言って、何故か頬を膨らませながら同じく食べ終わった桃香とともに厨房をあとにした。

 

……。

 

 それからのことは、正直目が回るようで思い出すのも辛いのだが……振り返らないわけにもいかず、ボロボロな自分を見下ろしながら振り返った。

 まずは白蓮の相談から始まったそれは、痛みとともに鮮明に思い返された。

 

  ───……。

 

「翠との勝負がつかない?」

「そうなんだ。馬での勝負で負けるわけにはいかないと、翠と競い合ってどれくらい経ったのか……ああまあ忘れたけど、このままじゃあすっきりしないから、何かいい方法はないかなって。勝負に集中するあまり、仕事を疎かにするのもどうかと思うし」

「馬……馬勝負ねぇ……。競馬場でも作って、そこで勝負を続けるっていうのは?」

「? なんだ? そのけい……なんとかってのは」

「馬が競う場所って書いて競馬場。馬の速さを競わせることと、それを賭け事にした場所だな」

「賭け事っ!? だめだだめだっ! 馬をそんなことになんか使わせてたまるかっ!」

「……多分、翠も同じこと言うだろうね。ただそれも鍛錬の……軍備の一環って思えば、すんなりと受け容れられるかもしれないぞ? すぐに競馬場を作れって意味じゃなくてさ、何処を何回先に回った方が勝ちっていうのを、何回かやってみればいい」

「それで決着がつかないからこうして訊いてるんじゃないか……」

「ん、だから、無益な勝負を有益な勝負にするんだ。国にお金も溜まるし、騎兵も鍛えられる。その中で何回勝負の内にどちらが何回勝ったかで勝敗を決めればいいよ」

「……じゃあ、やってみるだけだからな? やってられないって思ったら、すぐに───」

 

 白蓮に相談され、提案してみると案外あっさり通り、丁度騎兵調練をしていた翠を巻き込んでの勝負が始まる。

 翠はもちろん賭け事なんてと怒っていたんだが───

 

「あっはははははは!! どーだ一着だ一着! 見たかよあの兵たちの顔っ! あっははははは! 何人たりともあたしの前は走らせねぇーっ!!」

「お姉様、大人げないよぅ……」

「うっせ、ちゃんと遅れて出てやったんだから十分だ!」

 

 兵士たちが乗る馬を先に走らせ……つまりハンデを与えた上で、兵たちが賭け金無しで立てた予想をぶっちぎることに快感を覚えてしまったのか……さっきまでの怒り顔はどこへやら、不覚をとってしまった白蓮とともに、もう一度もう一度とのめり込んでしまった。

 俺と桃香はそんな二人を眺めながらポカンとするしかなく……「……行こうか」「……そうだね」の一言ずつで、子供のように燥ぐ二人を置いて、歩きだした。

 

「でもそっかー、けいばじょーっていうのが天にはあって、馬もそこで鍛えられるんだ」

「鍛えるとは違うけど、競ってるのは確かだな」

「兄もそこで鍛えられたにゃ?」

「……あの。種馬って、そういうことじゃないからな?」

「あはは……あ、と、ところでお兄さん? さっきは途中になっちゃったけど、これから───」

「おーっほっほっほっほ!! 聞きましてよ一刀さん! 白馬鹿長史で影の薄い白蓮さんに光を与えたそうですわね!」

「ア、俺用事ガアルンダッタイカナキャやだーっ!!」

 

 棒チックに喋りつつ歩き出した先であっさりと麗羽に捕まり、口から出るのはヤダーという悲鳴。もうほんとほっといてください! 俺に平穏をくださいお願いします!

 

「なんですのその言い草……このわたくしが声をかけて差し上げているんですのよ? もっと嬉しそうな悲鳴を上げるべきではありません?」

「嬉しそうな悲鳴ってなに!? って、今日はどうしたんだ、麗羽……最近静かだなーって思ってたのに」

「可愛らしさを磨いていましたわ。まあそんなことはこのわ・た・く・し・に・かかれば、造作もないことですから? どうでもいいことなのですけど」

「………むうっ……!」

 

 で、捕まって改められてしまえば、毎度の如く無理難題を乞われるわけで……とくに用事があるわけでもないので可能な限りを手伝うんだが、そのたびに桃香が不機嫌になっていっている気がする。

 

「ご苦労様、お礼にこのわたくしの頭を撫でることを許可して差し上げますわ。さあ……思う存分に」

「お礼の意味がいろいろとおかしくないかっ!?」

「やかましいですわね……いいから撫でなさいと、このわたくしが───」

「あーあはいはいはいはい、ちょっとこっち来ましょうねー麗羽さまー」

「も、申し訳ありません桃香さまっ、話の腰を折ってしまって……! 今すぐ退散しますからー!」

「なっ!? ちょ、離しなさい二人ともっ! わたくしにこんなことをしてただで済むとっ……! あーれー……───!」

『………』

 

 で……いつから何処で見ていたのか、頼まれごとが終わるやそそくさと現れた猪々子と斗詩に連れ攫われる麗羽を見送り、顔を見合わせてからまた歩く。

 な、なんなんだ? どうして今日に限ってみんな……? ってそうだよ、そういえば桃香が何か言おうとしてて───って、うわぁ……頬が凄い膨れてる……!

 

「な、なぁ桃香? さっき───」

「あ! お兄ちゃん見つけたのだーっ!!」

「何か言いかけばぶぅ!?」

「わひゃああっ!? り、鈴々ちゃん!?」

「鈴々なのだ! それよりお兄ちゃん、お兄ちゃんにはまだコリンをきちんと紹介してなかったから、今から見にくるのだ!」

「コリッ……げふっ! こ、こりん……!? なに……!?」

「コリンは鈴々の子分なのだ! 鈴々の子分だからコリン! お兄ちゃんも気に入るから、今すぐ行くのだーっ!」

「うぇえっ!? いやっ、鈴々待った! 俺筋肉痛だから、そんなに走れな……助けてぇえーっ!!」

 

 ……人の話は聞きましょう。

 腰にドゴォとタックルをくらった俺は、喋り途中だったこともあり少々舌を噛んでしまい……その上で問答無用で街までを一気に引っ張られ、途中で何度か転倒した俺は、身を庇うようにしてコリンさんと対面したのだが……「ばうっ」……犬だった。

 しかも連れ出したからにはと街の中を引きずり回され、さすがに体の軋みに涙が出始めた頃に、警邏中の愛紗さんに遭遇。裁きの雷が鈴々に落ちたところで解放はされたんだが……あ。そういえば美以が居ない。転倒した時に離れたか?

 

「はっ、はっ……お兄さんも鈴々ちゃんも、足速すぎだよぅ……!」

「……桃香、お願いがあるんだけど……」

「はふぅ……え? あっ、う、うんっ! なにかな、なにかなっ!」

「いや、そこの茶屋で少し休憩出来たら───」

「あ、丁度良かった。ちょっとあんた、これ持ってくれない?」

「え、詠ちゃん、そんな急に、失礼だよっ……」

『………』

 

 なんだろうな、今日の将との遭遇率。

 あれ? 今日って学校休み? それとも朱里や雛里が頑張ってる?

 そんなことを思っていると、詠に「はい」と渡される荷物。

 その重さに筋肉がミシリと悲鳴をあげた。声で表現するなら絶対にギャーだ。

 恐る恐る顔を覗いてくる桃香に、俺は涙を滲ませたスマイルを送った。“男には、頑張らなきゃいけない時があるのです”とばかりに。

 それからさらに城で使う必要な物を買い、持ち、運び、城の厨房にて「ご苦労さま、助かったわ」って軽い挨拶とともに解放された時には、なんだか腕が痺れていました。

 「お……お兄さん?」と再び恐る恐る顔を覗いてくる桃香に、やはり笑みを返して、今度こそ休もうと部屋へ向かおうとする中、

 

「おーう御遣い殿ぉ~!」

「うふふ、お散歩ですか?」

「も~、お母さん、お酒くさいよぅ……」

 

 いつの間にか酒鬼の巣窟と化していた東屋から酒鬼に発見され、いっそ泣きたくなった。

 部屋へと続く道に、この通路を選んだのは死亡フラグであったか……。

 素直に厨房で休んでいればよかった……嗚呼俺の馬鹿。

 

「おうおう、男子がふらふらと情けないのう。こちらへ来てがっと一献飲んでみせい!」

「お酒が強い殿方は、きっと好かれるわよ……♪ うふふふふふ……♪」

「ぐはぁ……すっかり出来上がっていらっしゃる……」

 

 是非とも近づきたくないんだが、来いと言ってるのに無視して行くわけにもいかない。

 ならば遠慮の言葉を返して、そそくさと……とも思ったんだが、こちらの話なんててんで聞いてくれません。

 なので仕方も無しと去ろうとすると、意気地の無い男よのぅとか飲む前から負けを受け容れるとはとか……ああもうっ!

 

「あ、あのですねっ……! 今日は筋肉痛がひどくて、はやく部屋に戻って休みたくてですねっ……! ってうわぁ!? 焔耶!? おい焔耶ーっ!?」

「ほう。ならば酒を飲むが良かろう。体も温まり、すぅっと眠れるぞ」

「……アルコールでの眠気って醒め易いから中途半端な睡眠になるって、誰かが言ってたなぁ。ていうか眠くはなくてですね、でもなくて焔耶がっ! 目ぇ回してますよ!? 大丈夫なんですか!? いくら飲ませればこんなにっ───」

「ええい堅苦しいのは好かんと言ったろうが! 不愉快にさせた罰として飲んでみせい!」

「無茶苦茶だこの人! し、紫苑! 紫苑からもなにか───あの。どうしてソッと徳利渡しますか?」

「お酒が強い殿方、好きですよ……? うふふ……♪」

「………」

「………」

 

 無言でぺこぺこと頭を下げる璃々ちゃんが、心にやさしかった。

 ありがとう、勇気もらった。もらったから……俺は“勝って”ここを去るよ───!

 

……。

 

 ……で。

 

「ア゛ー………」

「あ、あのー……お兄さん?」

「ア゛~………」

 

 その後、酒を飲むという勝利と引き換えに、幽鬼のように城の中を彷徨う御遣いが確認された。

 口からは生ける屍のような奇妙な声を放ち、のた、のた……と歩く異常な物体。

 しかしながらこれでも意識ははっきりしていた……つもりなので、気力を振り絞りキッと気を引き締めて、姿勢を正して歩き出した───途端。

 

「はわっ!? あ───やっと見つけましたっ!」

「う、うん、やったね、朱里ちゃん……っ」

「………」

 

 今日の俺に安息の二文字は無いのだと、静かに悟った。

 

「う、う……うー、うー……!」

 

 そして桃香のもやもやも最高潮に達しようとしていた……ような気がする。

 



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42:蜀/乙女心と青の空③

 

 ……そんなこんなで夜を迎え、倒れて動けない、心身ともにぼろぼろな自分を見下ろしているわけだが。

 今はもう朱里も雛里も出て行って、部屋には俺と桃香だけ。

 なんだかんだとドタバタやって、外はとっくに黒の空。

 ドタバタというか、最後だからととっておきの本を見せようとした朱里と雛里が、その本を星に発見されて騒ぎまくり、騒ぎを聞き付けた美以に再び捕まって、しかも今度はミケ、トラ、シャムにまで噛みつかれて───そのあとは戻ってきた麗羽と遭遇。斗詩と猪々子が止めるのも徒労に終わり、散々と引っ張り回されたりして……一言で済ますなら、ろくでもない目に遭ったというわけだ。

 

「今日、学校休みだったんだな」

「うん。お兄さんが居る最後の日だもん。みんな出来るだけ時間を空けられるようにって、無理言ってお休みにしてもらったの」

「そっか……ありがとう。それと、ごめん」

「? どうして謝るの?」

「えっと……ほら。結局言いかけたこと、聞いてあげられなかっただろ?」

「あ……そっかそっかー、えへへ……ちゃんと覚えててくれたんだ。うん、あれはもういいんだよ。ちょっとどたばたしちゃったけど、楽しかったし」

 

 寝台に寝かされた俺は、はっきり言って本当にボロボロ。

 服とかが本当にボロボロになっているわけじゃなく、筋肉とか氣道とか、いろいろなものに無茶させた所為でボロボロって意味だ。内側だな、つまり。

 なもんだから現在上手く動けなかったりする。

 無理してここに運んでくれた桃香に感謝だ。

 

「はぁ……最後の最後でとんでもない一日になったな……。せっかく休みをくれたのに、これじゃあ全然休みになってない」

「あう……ごめんねお兄さん」

「あぁ、はは、いいって。散々な目には遭ったけど、俺も楽しかったし」

 

 騒ぎに笑いはつきものって……いったっけ? まあいいや、つきものっていうし。

 なんだかんだで皆が楽しんでたなら、それはいい休日だった証拠だ。

 学校は休みでも、騎兵訓練や警邏は当然のようにあったみたいだ。実際、警邏中の愛紗には助けられた。

 

「………」

「………」

 

 ふと、会話が途切れる。

 話すことが特にあるわけでもない。

 自然と沈黙が増えるが、嫌な空気が漂うなんてこともない。

 眠気は正直無いものの、静けさに釣られるように目を閉じて息を整える……んだが、眠気のかけら程度も掴めやしない。掴めたら寝てしまおうと思っていたのに。

 氣を使い果たせば気絶出来るかなぁと試してみようとするが、死にそうだからやめた。

 

「……桃香? もう大丈夫だから、部屋に戻って」

「え───えと。ここに居ちゃ、駄目?」

「? ここにって、居ても話相手くらいにしかなれないぞ? 桃香だって一緒に巻き込まれて、疲れてるだろ? もう遅いし、眠れそうなら寝たほうがいいよ。それに───」

「は、話相手でもいいからっ! お昼寝しちゃったし、眠くもないからっ、だからっ」

 

 桃香が焦った表情で口早に言う。

 それはまるで駄々をこねる子供のようだったが……あの、桃香?

 話相手もそりゃあいいんだけど、ちょっと問題が───

 

「北郷一刀は居るですかーっ!!」

「ひゃうわっ!?」

「ああ……」

 

 扉を蹴り開けての突然の来訪者に、俺は溜め息を吐いて、桃香は短い悲鳴をあげた。

 部屋に明りがついていると誰かしら乱入してきそうだから、今日のところはって伝えたかったのに……。

 

「はぁ……居るけど、どうしたんだ?」

「動けなくなったと聞いて、友達が見舞いに来てやったのです。さあ、存分に歓喜に打ち震えるがいいのです」

「そっか、ありがとな。でもごめんな、生憎だけど打ち震える余裕もないんだよ……この通り体がガタガタで……」

「おまえはねねの貴重な時間をなんだと思っているのですかーっ!!」

「それって俺の所為なのか!?」

 

 両腕を上げて怒るねねをなんとか宥めようとするが……あれ? 宥めるって、俺なにか悪いことしたっけ?

 若干の疑問を抱きつつも体を起こして話そうと「おごぉっ!?」……無理でした。身体を起こそうとした瞬間、ビキィと痛みが走って硬直。中途半端に起こした姿勢のまま、寝台にぼてりと倒れた。

 笑えるくらいに体がボロボロだ。まさか鍛錬よりも皆との相手のほうが体を痛めつけることになるなんて、思ってもみなかった。

 加えて、開けっ放しだった出入り口からは次から次へと将たちが入ってきて……ちょっと待てみんないつからそこに!? 今来たばっかりじゃないよな!?

 

「よぉアニキ、お見舞いに来たぜ~」

「ごめんなさい一刀さん、麗羽さまの無茶に付き合わせてしまって……」

「……ちょっと斗詩さん? なぜそこでわたくしだけが悪いような言い方をするのか、きっちりと説明してくださる?」

「いや、結局あのあと散々アニキを引っ張り回したじゃないですか。アニキが倒れたのって絶対に麗羽さまの所為ですって」

「なっ……あ、あれしきで倒れる方が軟弱なんですわよっ! それは、最後だからと連れ回しすぎた感は……ごにょごにょ」

「あ……やっぱり少しは罪悪感があるんですね」

「斗詩さんっ!? 何か仰いましてっ!?」

「な、なんでもないですぅっ!!」

 

 ……。えぇと、あの。出来れば静かに───なんて願いが届くはずもなく、人が集まれば騒がしくなるのは当然。

 いつかのように蜀将でいっぱいになった部屋を見て、また酔っ払い地獄になりはしないかと……それだけを心配した。

 などと心配しているうちに、のしのしとすとすと寝台に登ってきた犬猫たちに、体の上や寝台の隅々を占領される。

 ……空気が、一気に犬猫臭に満たされた。

 

「あうう……ごめんね、お兄さん……」

「あ、は、はは……さ、騒がしいのは嫌いじゃない……から……」

 

 さすがに笑顔も引きつった。

 賑やかなのはいい。もちろんいいが、さすがに今日はもう勘弁してもらいたかった……はぁあ。

 ……って、あの。さっそく酒の香りが漂ってきてますが? これって犬猫たちにとって平気なものなのか? むしろ今日、俺が平気でいられるのでしょうか。

 

「うぅう……気持ち悪い……」

「だらしがないぞ焔耶、あれしきで酒に飲まれるとは」

「焔耶ちゃん、悪酔いには迎え酒がいいわよ? ほら、飲んで」

「い、いやっ、ワタシはもうっ……」

 

 チラリと見てみると、酒鬼に捕まった焔耶を発見。

 酒に負けながらも来てくれた根性には素直に感謝したいが、潰れる前に逃げたほうがいいぞ……と、せめて目で伝えた。

 一度も視線が交差することがなかったから、なんの意味もなかったけど。

 

「北郷殿、肉体の疲労回復にはやはりメンマ。美味なるものを食せば、疲労もたちまち吹き飛びましょう。私の手製ですが、いつか北郷殿が食したらしき私のメンマよりも、きっと美味に仕上がっておりますぞ」

「こらこら星、病人(?)にそんな塩辛いものを勧めるもんじゃない」

「おや白蓮殿。翠との話はもう?」

「これから煮詰めていこうと思ってるところさ。それよりも星、好物だからってそんなに勧めるのは───」

「む……これは心外。確かに好物ではあるが、何も無理矢理に食べさせる気は一切無し。メンマとは広めるものであり、押し付けるものでは───」

 

 ……寝台の傍で始まったメンマ談義に、少しだけ頭痛を感じた。

 酒、動物臭、メンマ臭、様々な香りが入り乱れる中で、“来てくれてありがとう、でもそろそろ本気で気絶したい”と思う俺が居た。

 気絶に限らず、もう休めるならどうでもいいです。

 多分、高熱を出して動けない状態なのに、周りが宴会を始めた~っていう状況が、今のこの部屋の状態なんだろう。

 呼吸を整えたって全然眠れやしない自分の体を、今日ほど恨んだ日は無い。

 お見舞いは素直に嬉しいんだけど、もう、ほんとうに、体が限界なんです皆さん。

 だから───あ。

 

「……桃香。みんなには、そのまま騒いでてくれて構わないって言っておいて」

「え? でもお兄さんが」

「ん、大丈夫。気配を感じたから」

 

 こんな時まで姿を隠す理由がわからないが、辛い時には傍に居てくれる人。

 そんな存在に感謝しながら、犬猫に埋もれた両腕をなんとか引き抜いて、頭の上の子猫をどかす。それから「すぅ……」と息を吸い、吐くと、トンッと軽い衝撃。

 視界が白んでいくのを感じながら、最後に見えた溜め息を吐く姿に感謝を飛ばした。

 

「……あれ? お兄さん? …………寝ちゃった」

 

 明日はどんな一日になるだろうと考えてみる。

 多分、あまり変わらない日が来るのだろうけど、それはそれで楽しそうだった。

 

……。

 

 何事も無かったように朝を……迎えられたらよかったんだが、目覚めてから目にした景色は混沌風景だった。

 昨夜この場に居た全ての人がそのまま居て、ただし全員眠っていた。そして酒臭い。滅茶苦茶酒臭い。

 犬猫たちはいつの間にか居なくなっていて、何故か隣には桃香が寝ていた。

 大丈夫だ、落ち着け俺。思春が居て、そんなおかしな事態が起こるわけがない。

 彼女が居てくれるなら、俺は誰にも手を出さずに……思春さぁあーん!?

 

「えっ、あっ、え、えぇえーっ!!?」

 

 皆が様々な場所で眠る混沌風景の中、呉から同行してくださっていた思春さんまでもが酔い潰されて寝ていた。

 思わず飛び起きて傍らに走る───前に、つい着衣を調べてしまうのは、悲しい男のサガとご理解ください。……ん、大丈夫。桃香のほうもおかしなところはない。

 じゃなくて思春!

 

「思春? 思春っ? どうしたんだいったい……」

「う、ぐ、ぅうう……! 喋るな、頭に響く……!」

 

 わあ、二日酔いでいらっしゃる。

 なんだか物凄く珍しいものを見た気分だ。

 

「や、けど思春が酔い潰れるなんて……酔い潰れたんだよ……な? まだ顔赤いし」

「ぐっ……と、止める間も無く酒を嗜んでしまった桃香様が、突然暴れ出して……な……」

「………」

 

 ちらりと、布団ですいよすいよと眠る桃香さんを見る。

 なるほど、王に勧められた酒を飲まないわけにもいかず、っていうやつか。

 そういえば酒癖悪かったもんなぁ……その、華琳の胸を触りに行くくらいの暴走っぷりだったらしいし。

 

「…………ところで思春?」

「なんだ……」

「こんな調子で俺……気持ち良く蜀を去れるのかな……」

「……濁しても仕方の無いことだからはっきり言ってやろう。不可能だ」

「ですよね……」

 

 まさか二日酔いの将に見送られることになりそうだとは、ここに来た時は思いもしなかった。ていうか普通思わないし思えない。

 これも記念になるのかなぁなんてことを思いながら、まずは思春を連れて、厨房へと水を求めた。

 

……。

 

 ……水をもらい、食事を取ると、ようやく体が目覚め始める。

 まさかぐったりな思春をそこらに置いて朝の体操をするわけにもいかず、今日は体は動かさずにいた。

 部屋に戻ると七乃がみんなを介抱してくれていて、戻ってきた俺をにっこり笑顔で追い出し、「乙女の弱った姿を見るなんて、いけませんよ」と言って、部屋の扉は閉ざされる。

 

「………」

「………」

 

 思春とともに、無言で待つ。

 しばらくして開かれた扉からは、ゆらゆらと歩く幽鬼が将と王の数だけ登場。

 あ~う~……とくぐもった声を出しながら、彼女らは部屋へと戻っていった。

 えと……うん、なんかもうこのまま蜀を出たほうが気持ち良く別れられる気がしません?

 こんなんじゃあ逆に心配で、出発しづらいんだけど……。

 なんて思いながらも、七乃に兵と街のみんなに挨拶を済ませたら、すぐにでも出発する旨を伝える。「随分と早いんですねぇ」と言う七乃だったけど、変わらずの笑顔でピンと人差し指を立てると、それをくるくる回しながら了承。

 「それらが終わったら玉座の間へどうぞー。なんとかそう出来るように運んでみますから」と言い残し、歩いていった。

 

「…………思春、俺は兵のみんなと別れを済ませてくるけど、どうする?」

「……昨日、喝を入れたばかりだ……。こんな無様を見せられるか」

「だよな。じゃあ部屋……は、酒臭いから東屋で待っててくれるか?」

「………」

 

 こくりと頷いて、よろよろと歩いていくのを見送る……ことは不安で出来ず、抱きかかえて問答無用で運び、椅子に座らせてから言い分も聞かずに駆けた。

 よし、早く回ろう。普段が普段なだけに、あんな思春は見ていて心配だ。

 

「え~っと……」

 

 足早に兵舎を回る。

 今日も頑張ろうと、互いを励まし合っている兵を見ると、こちらも頑張ろうって気になるから不思議だ。

 そんな彼らに声をかけ、笑い合いながら話をする。

 

「あ、そういえば今日だったか……悪いなぁ、昨日も調練はあって、抜け出したりはできなかった」

「いいって。昨日会えたとしても、体がガクガクで動けなかっただろうし」

「ガクガクといえば、聞いたぞ? 鍛錬の日に五虎大将軍と戦って、こっぴどくやられたって」

「あぁ、それ俺も聞いた。よく無事だったなぁ」

「……その反動で昨日は筋肉痛でさ。なのに恋……呂布とやることになってさ……」

「……つくづく思うけど、お前ってよく生きていられるよな……」

「あの飛将軍を相手に……というか、うちの将軍を相手に五体満足って……」

 

 ……笑いながら、だと思う。

 どちらかというと乾いた笑いの方が多かったかもだが。

 そうして見送られるままに歩き、擦れ違う侍女さん達にも別れと感謝を口に、また歩く。

 街へと向かい、ボランティアで知り合った人達と話し合ったりもして。

 

「そっかぁ、今日だったかぁ……あぁ、だから昨日は引っ張り回されてたってわけか」

「張将軍は走り始めると止まらないからなぁ、がっはっはっはっは!」

「まあ、なんにせよ楽しかったぜ、にいちゃん」

「またいつでも遊びに来るといいや。そん時ゃ、饅頭の一個くらいはおまけしてやるよ」

「たくさん買ったら、だろ?」

「はっはっはっは、よ~くわかってんじゃねぇか!」

 

 饅頭屋のおやっさんと話す傍ら、声が聞こえたのかぞろぞろと集まってくる人達にも事情を話す。

 すると、案外“近いうちに俺が帰る”って話は知ってはいたけど、それが今日だとは知らなかったって人が多かった。

 そのためか「今日だったのか」、「今日なのかい」という言葉ばかりを耳にした。

 そんなみんなに今までの感謝や挨拶をして、もう一度城へ。

 その頃にはさすがにみんなシャッキリと───していませんでした。

 

「うぅうう……頭痛いぃいい……」

 

 東屋で休んでいた思春を連れ、玉座の間に来た……のはよかったんだが、玉座に座る王様が頭痛に敗北し、ぐったりしている様は中々に衝撃的だ。

 愛紗に小さく「桃香さまっ……!」と怒られ、桃香はビクリと姿勢を正すんだが……今度はその愛紗が今の小さな叫びでも顔をしかめ、頭痛に負けていた。

 ああ……なんか“蜀に居る”って感じがする。

 強いんだけど、どこか家族の絆みたいな緩さを感じるこの国に、思わず笑みがこぼれる。

 辛いようだし、あまり喋らせるのも悪いから、伝えたいことだけを軽く伝える。

 あの山賊まがいのことをしてしまった民の出発は、いつ頃になるのか。

 それに対しての呉の反応はどうだったのか。

 訊きたいことはあったけど……なんとなく、訊かなくてもいい方向に転ぶ気がしたから、訊くことはしなかった。

 

「あまり長く話すのもなんだし……そろそろ行くな?」

「うぅう……ごめんねお兄さん……。こんな筈じゃなかったんだよぅ……」

 

 心底申し訳なさそうに、やっぱりたぱーと涙を流す王様が居た。

 変わるものはやっぱりたくさんあるけど、変わらないものもあるなぁと……そんな涙に感謝した。

 そうして“変わらないものへの安心”ってやつを受け取って、一度皆を見渡してから、「お世話になりました」という感謝の言葉と同時に頭を下げた。

 返事は無かったけど、皆一様に目を伏せ、笑みを浮かべて頷いてくれたから、それを返事として受け取って……歩き出す。

 

(じゃあ……帰ろうか)

 

 道中、兵をつけてくれるという桃香のやさしさに感謝しつつ、しかしながら思春がこんな調子なのでやんわりと断る。

 こんな調子だから、付き添いが居てくれたほうがいいかもだが、問題ないと言う思春の言葉を信じて、あくまで二人での出発。

 ……さすがに歩きで魏まで行くには、どれほどかかるか解ったものではなく……馬は借りることになったけど。

 

「………」

 

 馬屋へ行き、麒麟にも別れの挨拶を済ませ、城を出た。

 お供は名も無き馬が二頭。

 いつかの呉の時のように、見送る姿は一切無い。

 街を抜ける傍ら、街の入り口前に居た警備兵に声を掛け、成都を出る。

 二度と会えなくなるわけでもないのだから、別れは静かに。

 というかまあ、あんな状態で街の外にまで見送りに来られたら、さすがに町人たちが呆れる。

 そんな、どこかに感じる“蜀らしさ”にやっぱり笑いながら、大きな町を振り返った。

 落ち着いたらまた来させてもらおう。

 その時は、仕事とかは関係ない自分として、ゆっくりと見て回りたい。

 そんなことを思いながら道を進み───…………道中。

 馬に揺られた思春が、口も利けなくなるくらいにぐったり状態になりました。

 やっぱり付き添ってもらったほうがよかったかなぁと思いつつ……魏への帰路を進む歩は、ようやく一歩を踏みしめた。



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43:蜀~魏/一路、魏国へ①

81/一歩一歩を踏みしめて

 

 ゆっくりと呼吸をした。

 吐く息も、吸う息もゆっくりと。

 腹の下に溜めるようにして吸う空気が腹部を軽く膨らませ、吸うのが難しくなった時点で少々息を止め、ゆっくりと吐く。

 ズボンを捲くった膝から下は水に濡れており、さらさらと流れてゆく川の水がさらにさらにと体温を奪っていく。

 

「すぅううう……はぁあああ……」

 

 そんな冷たさの中にあっても筋肉を硬くせず、意識は緊張しても体は緊張させないままの脱力が続く。

 イメージってものは武器だ。

 イメージってものを氣に乗せて、体の隅々に走らせる。

 自分は水なのだってイメージを体全体に行き渡らせて、全てを一定にする。

 呼吸、体の揺れ、意識、全てを。

 もちろんそんな簡単に出来れば苦労しないわけだが、それでも感じられるものはあり。

 

「せいやぁっ!!」

 

 つん、と……水に浸った足が魚につつかれるのと同時に手を振るい、魚を川の中から弾き出す……つもり、だったんだが……うーむ。筋肉痛が動作を鈍らせてしまい、だっぱーんと盛大に水を叩いてしまった時には、魚はぴうと逃げ出してしまっていた。

 

「とほほ……今日の昼餉は山菜かなぁ」

 

 せめて魚が欲しいんだが、そう上手くはいかない。

 路銀は……一応やってきた仕事の分だけ貰えてはいるから、町から町へと移動して宿に泊まるくらいはあるはずだ。

 極力、食事等は質素にしないと難しくはあるが。

 野営続きもどんとこいな気分な俺だが、思春がそれで納得するかどうか。

 

「思春~、日が落ちる前に次の町に行きたいから───」

「野営で構わん。無駄使いをするな」

 

 むしろ大賛成のようでした。

 逆にかつての錦帆賊頭領は、そういったことに慣れてそうだったよ。

 ただ気持ち悪さは治ってはくれないようで、青い顔のままに近くの木の幹に背を預け、座っている。

 

「………」

 

 今日もいい天気。

 あんまり雨が降らないと作物等が心配だが、旅をするとなると「晴れが続きますよーに」と願わずにはいられない。

 呉から蜀に行く時は“歩きでも走りでもどんとこいー!”ってものだった俺も、大いなる筋肉痛様の前では何も言えなくなっていた。ありがとうお馬様、あなた方の背中がこんなにも心強い。今乗ってないけど。

 

「釣竿の一本でも蜀で借りればよかった」

 

 言っても仕方のないことでも口に出るのは若い証拠かな、なんてじいちゃんみたいなことを言って、川から出る。

 素足に草のさくさくした感触が伝わって、少々くすぐったい。

 川を上がってすぐの岩に乗せておいたバッグからタオルを取り、砂利やら土やらを払ってから拭いていく。濡れたまま靴下履くのも気持ち悪いし。

 

「はぁ……」

 

 岩の上に乗っかったまま、足をだらんと下げて空を仰ぐ。

 いくらタオルで拭こうが、細かな水分までは吸い取れない。乾くまで太陽の暖かさを感じつつ、その太陽を反射させてきらきら光る川へと視線を下ろす。

 ちゃぷちゃぷと揺れる水面の下、魚がくねくねと泳いでいた。

 

「あ」

 

 そこでふと思い出す。

 誰かさんが石を投げて、魚を気絶させていたこと。

 狙ってやったんじゃないにしても、集中力と投擲力さえあればいけるかもしれない。

 

「えっと……」

 

 手頃な石を拾い、集中する。

 投げ、当てることのみに意識を完全集中……ただそれだけをする化け物にでもなったつもりで───投擲!!

 ……だっぽーん、と大きな音が鳴り、水飛沫が上がっただけに終わった。

 

「……いい天気」

 

 現実逃避は得意です。じゃなくて。

 

「もっとこう、尖った感じの……」

 

 水の中にスッと入るようなものがいい。

 ほら、苦無(くない)みたいな……と探すが、都合よくそんなものがあるはずもなく。

 

「だったらモリでも作ろうか……ゴムがない」

 

 まさか衣類(主に下着類)から取るわけにもいかず、途方に暮れた。

 足が乾いたところで細かな砂を払って靴下を履き、靴を履いて行動の自由を手に入れる頃には、考えていたいろいろをとりあえず置いて、思春のもとへ向かっていた。

 ぐったりとしたその顔は、二日酔いで潰れている人の顔にしてはまだ凛々しい。

 キリッと真っ青。……一言で表すとそうなんだが、言ったら怒られそうではある。

 

「大丈夫か?」

「休めばどうとでもなる……」

 

 忌々しげに言葉を吐く口からは、自身への情けなさまでを吐く様子が窺い知れた。

 酒に酔うなんて、当然のことだろうに……。

 

「急ぐ旅でもないんだからゆっくり行こう。辛いものへの悪化は、なんであれ防ぐべきだ」

「………」

 

 俺の顔を一度睨み、やっぱり自分が情けないとでも言うような顔で、ふぅと溜め息を吐く。同時に立ち上がると「木剣を貸せ」と言い、貸せばよろよろと川へと歩く思春さん。

 なにを……と言いかけた瞬間、ふらふらだった体がビッと正され、切っ先だけを川に沈めた木刀がヒュピっと数度動かされた。

 

「?」

 

 動作はそれだけ。

 思春は俺へと振り向くと、「さっさと拾え」とだけ言って、俺がさっきまで座っていた岩へと心底だるそうに腰を下ろした。

 ……へ? 拾えって───おぉおおおっ!?

 

「魚っ!? え、なんで!?」

 

 ちらりと川を見れば、サラサラと流れる川を浮き、流れていく魚さん。

 慌てて追いかけて、川に入り、それを回収した刹那───自分が靴等を履きっぱなしだったことに気づき……空を仰いだ。

 

……。

 

 静かな森の中に流れる川の傍ら、(おこ)した焚き火で焼き魚を食す俺と思春。

 木刀でこづかれて気絶していた魚を川でさばき、原始的な方法でなんとか火を熾すと、靴下や靴を乾かしながら魚を焼いた。

 味付けなんてものは特に無く、内臓を取ったそれを黙々と食し、物足りなさを感じれば焚き木探しと一緒に採ってきた木の実などを食す。

 うん、うまい。なんというか野営食って感じの野営食だな。

 さすがに鼠や蛙を食ったりはしないが、食うに困ったら已む無しだろうと考えている俺も相当だ。

 

「昼はいいけど夜になったらどうする? さすがに野営は寒いだろ」

「風を防げる場所を確保出来れば問題はない」

 

 うおう……すっかり野営モードだ。

 それに素直に乗っかれないのは、部屋の有り難さに馴染みきっている弱さの所為か?

 昔の自分だったら、そういうのは一種の冒険みたいに感じて、“面白そう”ってだけで乗っかれたもんだけど……───じゃあ乗っかるか。

 

「そっか。じゃ、頑張ろう」

「………」

 

 素直に乗っかってみると、なんだか思春がぽかんとした顔で俺を見た。

 逆に俺はどうして思春がそんな顔をするのかわからず、ハテ、と軽く首を傾げたが……っとと、馬の食べるものも考えないとな。

 木の実って食べるんだろうか。人参だけしか食べないってわけでもないと思うが……牧草とか食べるんだよな? 牧草……牧草ってなんの草だ?

 ……しまった。牧草は牧草としか考えてなかった。牧草って種類の草があるわけないじゃないか。いやあるのか? それすらわからない。

 

「………」

 

 などと悩んでいると、ふと見た視線の先で、もしゃもしゃと自然草を食べるお馬さん。

 ……悩みは解消された。

 

(もっと勉強も必要だなぁ……はぁ)

 

 こんなことなら翠か白蓮に馬のことをもっと聞けばよかった。

 後の祭りだな、これは。

 

「ん……ごちそうさまでした」

 

 食事も終わると、乾かしておいた靴下や靴も……生乾きだった。

 仕方も無しに火の近くで揺らしながら、乾くのを待つ。

 乾けば履いて、少しは持ち直した思春とともに移動を開始する。

 

「馬、乗らないほうがいいか?」

「余計な心配だ」

 

 気力でビシッとキリッと凛々しい顔を見せる思春。

 その顔は……青かった。

 

……。

 

 夜。

 無理を通して再び真っ青になった思春とともに、野営の準備をする。

 ともに、とはいっても思春はぐったり状態だ。

 これ以上の無理はさせられないので、出来るだけ風通りの無い場所を選んでの野営。

 洞窟かなにかがあればよかったんだが、そう都合よくあるわけもない。

 結局森の中の大木の下で休むことになり、大木の幹に背を預け、その隣には思春。

 

「な、なんのつもりだ……」

「はーいはいはい、病人……病人? まあいいや、病人は文句言わない」

 

 思春には、バッグの中に入っている俺の衣類を毛布代わりにして被せた。

 洗ってるから匂わないとは思うが───……おお、大丈夫。

 

「くっ……情けない……。こんな状態でもなければ、こんなことには……」

「そう思うならただ元気になってくれればいいって。辛い時はお互いさま。だから寝よう」

「…………」

 

 まだ言いたいことはあるんだろうが、それこそ言っても仕方ないと思ったんだろう。

 “俺の隣で寝ること”に対しては既に文句の一つもこぼさなくなった彼女は、ただ毛布代わりの衣類だけを少々鬱陶しそうに、目を閉じた。

 切実に思う。慣れってすげぇ。

 

「………」

 

 それは俺も同じで、こんな状況だからかもだが、特に意識することもなく目を閉じた。

 その日に見た夢は……どうしてか土を掘るもぐらになる夢だった。

 

……。

 

 朝が来る。

 森の中だからか、虫や鳥が奏でる音が耳によく届き、すぅ……と静かに目を開けた。

 ……そのすぐ先に、穏やかな寝顔。

 それだけで一瞬にして意識が覚醒するけど、叫ぶようなことはなかった。

 

「………」

 

 髪を結った思春って長いこと見てないなと思いながら、毛布代わりと言えば聞こえがいい、衣類まみれの思春を見下ろす。

 いつの間にこうなったのか、俺の太腿を枕にするようなかたちで寝ている。

 

(そういえば……)

 

 俺が起きるたびに思春はもう起きていて、こうしてまじまじと寝顔を見る機会なんて無かった。

 

「………」

 

 綺麗な顔立ちだ。

 キリッとした表情ではなく、ただただ穏やかな寝顔だけがそこにある。

 子猫の寝顔を覗いているような気分で、こちらもただ穏やかな気持ちのまま、そんな彼女の頭を撫でた。

 やさしくやさしく、さらりさらりと髪を撫でるように。

 ふと思い立ち、バッグから携帯電話を取り出し……カメラ機能を起動。

 シャッター音をオフにして、その穏やかな寝顔を保存した。

 そうまでしても起きず、二日酔いというものの力をなんとなく感じた……ところで、ゆっくりと眠たげにその目が開く。

 咄嗟に携帯を仕舞うのは、黙って写真を撮った後ろめたさからくる行動なんだろう。

 

「………」

「………」

 

 ぼーっとした目がそこにあった。

 睡眠っていう心地のいいものに埋没していたい少女の顔だ。

 そんな目が、「……?」と軽い疑問に促されるままに俺を見上げる。

 

「………」

「………」

 

 その顔が、覚醒とともにみるみる赤くなるのを、ただただ観察していた。

 ……だって膝枕だから、俺は逃げられないもん。

 一応、「おはよう」と声をかけた。

 かけた瞬間、太腿の上から消え失せた彼女は、いつの間にか横に居て鈴音を構えていて、驚いて振り向いた瞬間にはギャアアアァァァァ……───

 

───……。

 

 道を進む中、昼には軽く雨が降った。

 大分回復したらしい思春は、いつかのように「雨が降る」と教えてくれて、現在は森の中で雨宿り中。

 

「天気雨か。なんか懐かしいな」

 

 木々の隙間から見える空は明るい。

 どこぞの狐でも嫁入りしたのか、なんとも不思議な天気だ。

 天気雨ってどうして降るんだったっけと考えてみて……調べた覚えがないものはどうやっても思い出しようがなかったと諦めた。

 あれか? 遠くで降った雨が風で飛ばされてきたりするのか?

 ……今日、風はないんだけどな。

 考えても仕方ないか。

 

「思春~、いい加減に機嫌を……」

「黙れ」

 

 寝顔を覗かれたこととか、頭に残った撫でられた感触とか、いろいろなものが怒りの要素になっているようで、思春は怒りっぱなしだった。

 何を言っても“黙れ”で終わる。

 しかしながら雨が降ると気づけば教えてくれたり、道をゆく中でも「そっちじゃない」と教えてくれたり……嫌われたわけじゃないんだろうけど、いろいろと辛い。

 これで写真まで撮りましたーとか言ったら殴られるだけじゃあ済まないな。

 むしろ今罪悪感がふつふつと……可愛いからってなんでも撮っちゃいけないよね。

 でも消すのはもったいないわけでして……ごめんなさい。

 

……。

 

 夜が来る前に洞窟を発見、そこで夜を明かし、朝には再び道をゆく。

 思春の体調も回復し、今日も元気に馬が走る。

 馬を下りて自分で走ろうかとも考えたが、鍛錬の日とその翌日に無理をしすぎたってこともあり、体に多少のだるさが残っている間は鍛錬をパスすることにした。

 しかし氣の集中だけは欠かさず行い、その日の昼。

 

「おい」

「うん?」

 

 山で見つけた川で、思春の真似をして木刀で魚を叩く練習をしていた俺に、思春のほうから声をかけてきた。

 膝下までを川の水に沈め、水面を睨んで集中していた俺は、集中を解いて振り返る。

 と、馬を川の傍に立たせ、体を洗ってやっている思春。

 

「貴様のその氣の使い方……それは明命に習ったものか?」

「ん……ああ。練り方こそ凪に教わったけど、応用は明命に教わった」

 

 あくまで応用であり、木刀に氣を纏わせたまま振るうなんてこと、教わってはいないが。

 

「んー……んっ! ……あっ……逃げられた」

 

 木刀に氣を纏わせ、水と一体になるイメージを自分に。

 魚の注意から自分が消えた瞬間に叩く……らしいのだが、叩くと決めると魚に認識されてしまい、逃げられてしまう。

 達人がどうとかいうレベルじゃないだろ、これ。

 出来ない人から見ると、とんだ仙人レベルだよ……って前も思ったな、これ。

 

「明命が、相手からの攻撃を受け止め、相手に返すような使い方を、貴様に?」

「へ? ……あ、ああ、それ、ちょっと違う。応用は教えてもらったけど、これは勝手な応用なんだ。“一点で受け止めたものを体全体に流して威力を殺す”。それを、殺すのはもったいないから相手に返せないかなって、俺が勝手に考えたものなんだよ」

 

 最初は成功するなんて思ってなかった。

 成功したらしたで、激痛のあまり動けなくなったし。

 

「“相手の攻撃を受け止められるだけの氣”が必要になるから、使うと物凄く疲れるし、恋相手にやったら一発で氣が枯渇したよ。意識が保っていられるギリギリの氣しか残せなくて、それもその次に振るわれた攻撃で全部散らされた。実戦じゃあ役に立ちそうもないよ」

 

 相手の5を受け止めるなら、自分の5を出さなきゃいけない。

 それより下なら……たとえば4なら、1の衝撃が全て自分にぶつけられる。

 吸収も出来ないし、4を受け止めた4は破壊される。

 5を吸収するなら5でこそ吸収出来て、そりゃあ6でも吸収出来るけど……“返さなきゃ”上乗せする自分の1が無意味になる。

 だから相手が繰り出す一撃をよく見なきゃいけないものの、恋相手じゃあよく見る余裕なんてあるわけがない。

 結果、恋からの攻撃を5や6どころじゃなく全力で受け止め、返した。

 その途端にあの気迫とあの一撃。ほんと、よく生きてたよ俺。

 

「最初の一撃目だって、左手を構え易い場所に来てくれたから返せた。じゃなかったら、一撃目で撃沈してたか……最悪死んでたかも」

「……なるほど。“氣の全てで受け止める”ために左手を用意するならば、左手以外は濡れた紙以下ということか」

「そういうこと」

 

 だから攻撃は直後でなければいけない。

 吸収して右手に移した時点で攻撃が完了しているのが一番なわけだが……上手くいかなきゃ移した箇所がその衝撃分激痛に襲われるっていう、なんとも情けない応用だ。

 もちろん自分の氣に転化できないかなーとか思ってやってみた。そして当然のように失敗。

 冥琳を治そうした時に、相手の氣に似せて云々の話をしたりされたりだったが、その意味がよくわかった。

 自分の気脈に自分以外の氣は毒だ。やればたちまち嘔吐だの昏倒だの、痛い目を見る。

 

「吸収した衝撃とか氣を自分の氣に変えることって出来ないかなーって、鈴々との鍛錬中にやったんだけどね。吐いたり倒れたりで迷惑かけたよ」

「あの時のがそうか。迷惑な話だ」

「いや……ほんとごめん」

 

 鈴々に石突きで腹を突かれたことがあった。

 一応左手で受け止めて吸収はしたものの、俺は吐いて倒れた。

 当たり所が悪かったって話になったが、実は自業自得だったのです。

 ただそれだけの話なんだが……冥琳の時は本当に一か八かだったんだなって妙に納得出来た瞬間だった。

 そういえば誰かの氣に自分の氣を似せること、しばらくやってなかったっけ。だからこうも容易く魚に逃げられるのかもしれない。水に模すのはやってみたけど、水になりきれていないのかも。

 華佗は“気配を殺しきれないほどに高めすぎたら意味がない”って言ってた。それってつまり、自分の氣が濃くなりすぎたら意味がないってことか?

 難しいが……魏に戻るまで、重点的にやってみようか。

 

(川……川───俺は川だ……!)

 

 深呼吸をしてから、呼吸の静かにする。

 水の中に集中し、膝下を飲み込んでいる川に自分を溶け込ませるように。

 そうして近づいてきた魚を……殴るのではなく、“川”として撫でるつもりで───!

 

「あ」

 

 逃げられた。

 けど、さっきまでよりは近くまで木刀を振るえた。

 ……あともうちょっと……とか言うと、もうちょっとが長そうだ。

 

「はぁ……思春ってすごいなぁ」

「貴様の技量が低いだけだ」

「……そうですね」

 

 気長にいこう。

 焦ると変な癖が出そうだし。

 

……。

 

 それからしばらく。

 結局一尾も獲れないままに訪れた時間。

 鍋が無いから山菜を採ってきても煮ることが出来ない事実に気づき、今さらかよと自分で自分にツッコミを入れた。

 キノコあたりなら水でよく洗って焼けばいけるかなと、キノコを探したんだが……なにやらおどろおどろしいキノコを発見。一気にキノコへの食欲が失せた。

 しかし諦めで腹が膨れるわけもないので、木の実を大量に集めると石の上ですり潰し、粉状にしてから水を混ぜるとどろりとした液体の完成。

 これを焚き火で熱した平べったくて大き目の石(ここまでくると岩か?)に垂れ流すと……ナン(のようなもの)の完成である。

 味は恐ろしくしないけど、腹の足しにはなりました。はい。

 

「こうして野営続きだと、容器の有り難さが解るよ」

「言っているうちはまだ未熟だ」

 

 なるほど、そうかも。

 じいちゃんみたいなことを言われると、妙にすとんと受け取ってしまう。

 しかし茶碗とかが欲しいと思うのはどうしてもこう……なぁ。

 木でも切り倒して木の容器でも作ろうかと考えたが、素人がそんなことやっても成功はしないだろう。ていうか器数個のために木々破壊とかは勘弁だ。

 じゃあ石でも削って…………それこそ無理そうだ。

 

(ヤシの実でもあれば、それを刳り貫いて……あるかそんなのっ!!)

 

 溜め息ひとつ、もしゃもしゃと草を食べてる馬の世話を始めた。

 

……。

 

 夜。

 出されたものを食べる癖がついていると、案外自分で用意したものでは満足できないもので……食後だというのに少々空腹を感じた。

 もう少し入れたいなーとか思うのは……贅沢ってもんだな。

 思春なんか俺の半分くらいで足らしているし。

 よ、よし。俺ももうちょっとハングリーに生きよう。節約節約。

 この森になにも齎さない俺たちに、食べ物を提供してくれることに感謝を。

 美以との追いかけっこを思い出し、自然と一体になるつもりでの旅は続いた。

 

……。

 

 …………あれから何日か経った。

 魏の領地に入り……つまり魏入りを果たしてからしばらく。

 のんびりとした旅もそろそろ終わるという頃には、もう鍛錬も以前のように開始し、元気よく走り回っていた。まるで子供である。

 氣のほうもいい調子で、思春の氣を真似ていると不思議な感覚を味わえた。

 けど、真似しているのを見つかると怒られるので、食べられる木の実等を探している時限定だったわけだが……。

 

「そろそろ許昌だなぁ……長かったような短かったような」

「のんびりしすぎだ。もっと急いでもいいくらいだろう」

「やっ……け、けどさっ、もうちょっと、もうちょっとで魚を叩けそうだったし!」

 

 鍛錬の日が来るたび、川に入って棒を構える俺が居た。

 木刀の切っ先が腐ったらたまらないから、使ったのは木刀じゃなく木の棒だった。

 しかし結局のところ一度も成功はせず、“あと少し”はてんで縮まりはしなかった。

 何がいけないんだろうなぁ……水を真似るんじゃないのか?

 でも魚は水に生きるものだし、いっつも水に撫でられてるんだから、水が襲いかかってきても───ア。

 いや待て? 水が急にバッシャアって音を立てたら魚は逃げるだろ。

 水面下の魚に水鉄砲撃ってみろ、逃げるに決まっている。

 じゃあ……あれ? つまりそういうことなのか?

 水になるんじゃなく、ならば川になるんでもなく───“無”になる。

 それこそ、いつも思春がやっているように気配を殺して。

 

(呉で試した時も、気配を殺すつもりが自然を模してただけだったもんな……)

 

 でもそれが気配を殺すってこと───じゃないよな。

 溶け込ませているだけで、殺すのとは違う。

 ……難しいぞこれ。光が見えたと思ったら、火に飛び込むだけだった虫になった気分だ。

 

「なぁ思春? 虫の習性として、光に飛び込むのは馬鹿なのかな」

「知らん」

 

 答えは返ってこなかった。

 ……でも、そういえば思春って訊ねれば返してくれはするんだよな。

 それが答えかどうかは別にしても。

 律儀というかなんというか、大変ありがたい。

 

「ふむ」

 

 変なことを考えながら、馬で道を進む。

 ちらりと見た思春の顔は、二日酔いで苦しんでいたころの青さなど一切ない。

 あれはあれで心がほっこりしたんだが……こう、保護欲に駆られるというか。

 口にしたら怒られるどころの騒ぎじゃないが。

 

(……けど、もう少しか)

 

 国境(くにざかい)に来た時点で、俺達の到着云々の報せは許昌へ飛ばされてると思うし、案外向こうから迎えが来たりして、とかそんなことを思っていた時期が……俺にもありました。

 結局はあと少しってところまで来ていて、わかっているのは明日には到着出来るだろうってことくらいだ。二日酔いと筋肉痛で始まった帰路も、今日と明日で終了。

 それからは魏での懐かしい日々が待っている。

 

(あ……なんかじ~んってきた)

 

 頑張ろう。

 いろいろと目を瞑りたくなるような困難はあろうとも、今のこのやる気さえあれば乗り越えていける気がする。

 帰路って旅が終わろうとも、俺達の覇道は始まったばかりなのだから───!!

 



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43:蜀~魏/一路、魏国へ②

82/そう来たら打ち切りのお報せフラグ

 

 翌日の許昌。

 特になんの歓迎もなく城までを通り、一足先に城へ走っていった兵により招集がかけられたのち───玉座の間に立ち、久しぶりに見た華琳に呉と蜀での出来事の報告。

 それが終わるや誰かに飛びつかれやしないかと不安だったんだが……全然そんなことはなく、その場で解散。

 意外なほどにあっさりとした報告を終え、俺は首を傾げながら、思春とともにかつての自分の部屋へと歩いていた。

 

(み、妙ぞ……こはいかなること……?)

 

 考えてもみたが、なにも思いつかない。

 えぇっとー……つまりそのー……俺、もしかして過剰なくらいに何かを期待してた?

 そして期待しすぎていた俺が、ただ恥ずかしいだけ?

 

「…………」

 

 考えてみたら恥ずかしくなった。

 よ、よし、よしよし、学んだよ俺。

 そうだよな、再会の挨拶は宴の時に済ませたんだから、今さらだよなぁ~、あはは、あはははは…………はぁ。

 

「……? どうした」

「イヤベツニナンデモナイヨ!? べべべつに恥ずかしくなんかないんだからねっ!?」

「表情に羞恥以外の一切がついていないが?」

「恥ずかしいです! なんかいろいろ期待してごめんなさい!」

 

 通路を進む、頭を抱えて悶える男が一人。

 だ、だって会いたいって思いはずっと胸にあったんだから、期待しちゃうじゃないか!

 ただ再会を喜び合う程度の会話でもよかったのに、報告以外なにもないなんて!

 

「俺……やっぱり五行山で孫悟空助けて天竺目指すよ……」

「目指してどうする」

「悟りを開きます」

 

 よく覚えていないが、偉い人が目指す場所なら悟りくらい開けそうな気がする。

 そしたら水中の魚を小突くくらい……! ……あ、無益な殺生や暴力は禁止されるか。

 

「はぁあ……妙なこと話してないで戻るか。というわけで、ここが俺の部屋」

 

 どうぞ~って促し、扉を開けた。

 すると懐かしの香りが───……漂ってこず、物凄い違和感を感じた。

 え……何この……え? ほんとなんだこれ。

 

『………』

 

 沈黙。

 部屋中に広がる、というか篭る、こう……なんというのか、女性特有の香りと、暴れたような跡。

 まるでいけないことの最中に誰かが来たから、慌てて逃げ出したような……あ、あれぇ?

 なんだこの、久しぶりの休日、または長い出張から家に帰ってきたというのに、休もうとしたら自室を好き勝手に荒らされていたお父さんのような心。

 

「えと……一応訊きたいんだけど……」

「ああ。私も貴様に言いたいことがある」

 

 互いに顔を見合わせ、溜め息。

 

『ここは、本当に貴様()の部屋か?』

 

 同時に出た質問に、互いに頭を痛めた。

 いや、位置的にはここで合っている。合っている筈なんだが……って、なんだあれ。

 寝台の上の布団が妙にこんもり……?

 

「………」

 

 思春が換気のために窓を開ける中、そっと寝台に近づいて……掛け布団をめくってみる。

 ……と、やたらと綺麗な服を着た、どこぞの金髪ちびっこさんを発見。

 心地良さそうにくーすーと寝息をたてていた。

 ……誓って言うが、髪をドクロの髪留めで結っていたりなどはしない。

 

「? どうし……うっ」

 

 窓際に居た思春が歩み寄り、ソレを見た。

 心地良さそうにと言えば聞こえはいいが、涎を垂らして寝るその姿はまるで子供。

 ……見た目的にも間違い無く子供なのだが……何がどうしてこうなった。

 

「おーい……袁術~……?」

 

 とにかく起こさなくてはと、頬をふにふにとつついて声をかけるが……おおっ、これは柔らかい! ……じゃなくて。

 う、うーん……魏に戻ってこれた所為か、どうもこう、テンションがおかしい。

 落ち着け俺。深呼吸深呼吸。

 とにかく起こそう。起こしてから事情を訊こう。

 訊いたら…………聞いてから考えよう。

 

「袁術~? 袁術、袁術~?」

「うみゅ……ななのぉ……今何時だと思っておるのじゃ……まだ真っ暗ではないか……」

「……目ぇ開く気すらないよこの子ったら」

 

 真っ暗なんてことはない。もっと目を開いてしっかりと見てほしい。

 

「ちゃんと心の目は開いておるわ……ばかものめ……」

「何処の仙人ですかあなたは」

 

 いっそ、くすぐったりとか───いや待て?

 確か七乃が……袁術が中々起きない時は、布団ごと寝台から叩き落とすのがいいって、付き人らしからぬことを言っていたような。

 

「よし。ではいざっ!」

 

 少し可哀相だが、お前の軍師様(?)推奨の起こし方だ!

 悪く思ってくれていいから、起きてくれっ!

 

「───せいやぁっ!」

 

 ズリャアッと布団を引っ張る!

 すると布団を引っつかんだままニャムニャムと妙な声を出していた袁術が、ずべしぃっと落下。ぴくぴくと痙攣したのちに……むくりと顔を起こした。

 落下の際、「きゃうっ!」と叫んでいたが……七乃? これ本当に大丈夫なのか?

 

「おはようございます、お嬢様」

「うみゅ……な、七乃か……?」

 

 白々しく声をかけてみるが、そこまで痛がる様子もない。え? もしかして慣れてるのか? ……すごいなそれは。っと、とりあえず質問には答えよう。

 ここで裏声でも使って“七乃ですよお嬢様”とか言うわけにもいかない。

 

「いや、残念ながら七乃じゃない」

「そうか……では妾はもう少し寝るのじゃ……」

 

 言って、もそもそと布団を抱くようにして、くるまり……ってこらこらこらっ、人が掴んでる布団にくるまってだなっ……!

 

「ぅくー……すー……」

「……寝ちゃったよ」

 

 立ったまま眠れるやつなんて居るんだな……あ、風とか普通に寝るか。

 

「……思春? これ───っとと、この子が、袁術なんだよな? 前にしっかり覚えたつもりだったけど、こんな姿を見せられると疑いたくなるっていうか」

「…………頭が痛いが、そうだと言っておこう」

 

 今さらな質問だが、こんな子がかつての大軍隊を率いていたって……世の中わからない。

 思わず“これ”とか言ってしまうほどに、無邪気な子供にしか見えないんだが。

 まあ、いい。とりあえずは抱きかかえて、布団で簀巻き状態にしてから寝台に転がした。

 あとは……

 

「………」

「……まあ、そうだな」

 

 じっと出入り口を見ていると、思春が頷いてみせた。

 

「雪蓮ー? 隠れてるつもりだろうけど、髪がばっちり見えてるぞー」

 

 声をかけてみると、びくりと髪が揺れた。

 開けっぱなしだった出入り口から、慌てて髪が隠されるが……意味ないだろ、おい。

 少しするとひょいと顔を覗かせてから、すたすたと部屋に入ってきた。

 

「……いつから気づいてたの?」

「まあ、なんとなく」

 

 充満していた匂いの中に、懐かしい呉の香りがした~とか言ったら、あらぬ誤解を生みそうだ。

 ていうかね、酒臭い。酒臭くて、けどいい匂いも混ざってる。

 キツイ酒の匂いじゃなく、ほのかに香るくらいだったから……しかもそれで呉の香りとくればって、そんなものだ。

 トドメとしていえば、髪が見えていた。位置が結構高い気がしたし、あの色なら雪蓮しかいないだろう。

 

「久しぶり……って言いたいところだけど、まさか本当にやってるとは……」

「あー、なによー。一刀が言ったんでしょー? だからこうしてわざわざ魏に来て、将を口説いてたのにー」

「ああ、うん、それはわかってるけど……で、そのこととこの部屋の荒れようと、あそこの袁術とみんなの態度、一から全部聞かせてもらえる? ようやく帰って来た部屋がこうまで荒らされてると、もう何処に何をぶつけたらいいのかわからなくてさ……」

 

 思い出深い場所が荒らされているとなれば、そりゃあ顔も引きつる。

 そんな俺を見てか、雪蓮が気まずそうに「あ、あはは……」と笑って、俺の顔を指で触れてにこやか笑顔にぐにっと変化させるが───

 

「人の顔を変えるより、状況の説明を求めます」

「わーん思春~、一刀が怖いー♪」

「笑顔で言うことじゃないだろそれっ!」

「あ、ところで腕はもう大丈夫なの?」

「~……お陰様で治るのに随分かかったけど、もう振り回しても平気だ」

「むー……いちいち細かいところつっつくわねぇ……」

「貴女はなにか、腕を折ることを細かいことで済ませる気か」

 

 ころころと表情を変える雪蓮は、以前とまるで変わっていなかった。

 元気そうでなによりだって言っていいのかどうなのか。

 

「思春も、変わりない?」

「はっ。この愚か者のお陰で、退屈だけはしておりません」

「そ? よかった」

「“愚か者”ってところにツッコもう!?」

 

 言ってはみるけど、雪蓮は思春の顔を見て本当に安堵していた。

 いろいろあったけど、望んで剥奪したわけじゃないもんな……何事もないところを見れば安心だってするだろう。

 

「で、袁術ちゃんのことだったわよね?」

「……ころころ話題を変えるの、やめないか……? ついていくだけで疲れるんだけど」

「あ、知りたくないの。ならいいけど」

「知りたいよっ! ああもう知りたいなぁ! いいから教えてくださいっ!」

「ん、素直な一刀って好きよ?」

 

 にこにこ笑顔で鼻をつつかれた。

 ……もういちいちツッコミ入れるのはやめよう、雪蓮相手じゃ疲れるだけだ。

 

「まああれよ。自分用に用意された部屋が気に入らないって、勝手にあちこちに入り始めたのがきっかけなの。で、たまたまこの部屋に潜り込んで、誰かさんがせっせと掃除してる所為でぴっかぴかなここが気に入ったのを皮切りに、次第に入り浸るようになってね」

「………」

 

 誰かさんって誰だろう。

 凪? …………凪かなぁ。

 

「で、いい匂いがするとかで布団も使い出すし、かといって綺麗に畳むわけでもなく食べ散らかしたり蜂蜜だらけにするしで、とうとう気づかれてね。それ以来、なにかっていうとこの部屋の取り合いみたいなことをしてるの」

「……誰と?」

「さあ? そこまでは教えられないかなー」

「つまりあれか? このぐちゃぐちゃな状態は、ついさっきまで袁術を誰かが追い掛け回していたから……?」

「うんそう」

 

 こくりと頷く呉王さま。

 ていうかあのー、貴女いったいどれだけの頻度でここに来てたんですか?

 ずぅっと居たかのようにいろいろ知ってそうなんですが?

 

「じゃあ、何やらやたらとみんなが素っ気無いのは、袁術をどう捕まえるかを考えてたとかそういう───」

「ああ、あれ? あれは魏のみんなに一刀の手紙の内容を話して聞かせたからよ?」

「───」

 

 …………アレ?

 えっと、支柱になりたいって……書いたんだよな?

 べつに素っ気無くされるようなことを書いた覚えは……。

 

「え、えぇえ……!? なんで……!? それって繋がるのか!? だ、だって俺、支柱になりたいって書いたんだぞ!? 俺はそんなふうになりたいんだけど、華琳はどう思うって! それがどうして!?」

「………」

 

 疑問が渦巻く中、雪蓮が自分を指差した。

 ハテ? 雪蓮が何かしでかした? いや、そういう意味じゃないよな?

 

「わからない?」

「ちょっと待って。え、あー……雪蓮に関係していること……?」

 

 考えてみる。

 考えてみるが…………答えは出ない。

 予想でいいから適当に言ってみようか……?

 

「え、っと……んん……? 雪蓮が魏将のみんなを説得に回っているのと、俺の“支柱になりたい”って手紙とで、俺が本気で“三国の父になりたがっている”とか思われたとか───あはは、まさかなぁ」

「一刀って時々すごいわねー……これだけで解っちゃうんだ」

「はは……ハァーッ!?」

 

 え……え、今、今……なんと……!?

 

「……そうなのか!? 本当に!?」

「だって普通そう思うでしょ? 私も一刀が欲しい~って将全員に持ちかけてるところに、一刀からの手紙で三国の父になりたい~なんて報せが届けば」

「支柱!! 父じゃなくて支柱!! ここ大事! ね!?」

「いーじゃないもう父で。まあそんなことは関係なしに華琳は……って、これはいいわね。これも教えたらつまらないし、華琳に怒られそうだし。それより一刀? 約束は守れてる?」

「やっ………………はぁああ……本当にころころと……。鍛錬は欠かさずやってるよ。でも、まだ雪蓮のイメージには一度も勝ててない」

「あらら、一刀の中の私って最強? それとも一刀、ちっとも強くなってないとか?」

「強さに自覚が現れるのって、随分後だと思うぞ? 俺なんてまだまだだ」

 

 不意打ち、くすぐり、氣での吸収等をやらないとちっとも勝てないしなぁ……とほほ。

 でも出来ることなら声を大にして言いたい。この時代の女性の強さがおかしいんだと。

 

「思春、どうなの?」

「いや……聞いてよ俺の話……」

「多少の上達は見られますが、立ち回りの危うさは少しも改善されておりません」

「はうぐっ!」

 

 す、少しもっ……!? 少しもなのか、思春……!

 これでも頑張って……いや、頑張っても結果が無ければ駄目っていうのは、どの社会でも同じなのでしょうね……。

 

「へー……一刀、その調子で頑張ってね。私はちょっと用事が出来ちゃって、戻らないといけないから。手合わせはまた今度ねー!」

「へ? え、いやちょっ……話聞いてたのかー!? 少しも改善されてないって───! あ、あー……行っちゃったよ……」

 

 相変わらず自由な王さまだ。

 それにしても用事? ……って、蜀からの民の話かな?

 そっか、もう出発したのか。それとも着いたのか……どちらにせよ、何事もなく交流が深まるといいな。

 

「…………で……結局俺はどうすればいいんだ?」

「私に訊くな」

 

 ごもっともだ。

 まずは誤解から解くか? それとも袁術を覚醒させるか……いいや、まず華琳に会いに行こう。全てはそこからだ。

 



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魏国翻弄編
44:魏/答えだけでは成長できないモノ


83/自分の在り処

 

 そうして現在、華琳の部屋の前に立っているわけだが……ううむ。ここを前にすると、相変わらず妙な緊張感が沸き出てくるなぁ。

 

(いやいや、扉に負けてどうする。俺はきちんと華琳と話すために───!)

 

 まずはノック。

 そして声をかけて「忙しいから後にして頂戴」…………一蹴。

 沸き出た緊張感もやる気も、早くも頓挫した。

 ……“なんということでしょうって、こういう時にこそ言う言葉な気がしない?”と、心の奥で誰かが語り掛けてきたような気がするくらい、あんまりにもあんまりな一蹴だった。

 

「この調子じゃあ誰も相手にしてくれなさそうな気が……はぁあ」

 

 ───いや。ここで諦めたら駄目だよな。

 こうなったら誰でもいいから話を聞いてもらうんだ。そうだ、誰かが聞いてくれれば、そこから別の誰かへと話は広がるはずだ。

 

「まずは───そう、まずは凪に……!」

 

 凪ならきっと聞いてくれると信じてダッシュ。

 通路を駆け、凪の部屋の前まで一気に走り抜けてノック。……返事はなかった。

 仕事中だろうか……うう、諦めるな北郷一刀! 次だ!

 次、次は……───!

 

……。

 

 その後、中庭の木の下でT-SUWARIをする俺が発見された。

 

「ひーとーりーがー大好きさー……どうせ死ぬときゃ……独りきり~……」

 

 散々と駆けずり回ってみても、みんな忙しい忙しいで相手にしてくれないのだ。

 仕事の大切さも学んできた手前、邪魔をするわけにもいかず……結局はこうしてぽつんと一人ぼっち。

 途中で思春が華琳に呼ばれたために、本当の意味で孤独を噛み締めていた。

 兵もなんかよそよそしいし……俺、何かした?

 支柱になるって、こんなにも孤独を感じることだったのか?

 もはや傍らで蠢く謎の虫でさえ愛しく思えてくるよ……。なんだろこれ……尺取虫? 過去の大陸にも棲息したものなのかな。

 

「風はいいな……いつも空と一緒で……」

 

 鍛錬でも……しようかな……。

 そうだ、こんな時こそ鍛錬をして、嫌な思いを吹き飛ばして───いや、でもな。

 みんなが忙しいのに俺一人だけ鍛錬って……う、ううう……。

 

「そうだ仕事だ! 警備隊の仕事があるじゃないか!」

 

 仕事をさせてくれって言えばきっと無碍には出来ない筈! なんか言ってて悲しいけど、それでもきっと───!

 

……。

 

 あっさり断られた俺は、中庭の木の下で再びT-SUWARIをしていた。

 

「ワー、綺麗ナ蝶々ダー……」

 

 俺……仕事……無イ……?

 これはつまりクビってこと……なんだろうか。

 帰ってきて早々に他国へ行って、いろいろなことを好き放題やった結果がこれ?

 ……いやいやいや、もしそうだとしても後悔はない。あっちゃならない。

 国に返すために、自分に出来ることをやってきたんだ。

 その結果がこんな状態なら……

 

「……胸、張ろう」

 

 座っていた自分を立たせる。

 胸をノックして、深呼吸。

 それが済むと、もう後ろ向きな思考は浮かんでこなかった。

 そうやって前向きになった頃、ふと……視界に通路を歩く思春の姿が入る。

 もう話は終わったのかなと近づいて声をかけると、

 

「貴様に構っている暇はない」

「───! ───!!」

 

 鈍色(にびいろ)の言葉の槍が、心臓を穿っていった。

 言葉の棘というか、もう槍だった。

 音も無く歩いていく思春を目で追うことも出来ず、せっかく前向きになった思考は再び後ろ向きへと───い、いや、だめだだめだっ!

 

「だい……じょうぶ、大丈夫……うん、大丈夫」

 

 全部誤解なんだから、きっといつか全てが解ける。

 それまでは我慢だ。

 思春が華琳に何を言われたのか、今の俺には調べようもないけど、それもいつかわかるさ。

 

「……雑念は殺そう」

 

 バッグから木刀を取り出す。

 さらに木陰に隠れて胴着に着替えると、改めて木刀を構え、素振りを始めた。

 体が鍛錬の動作に慣れると、次はイメージトレーニング。

 仕事が無いって言われたなら、もうこれしかない。

 部屋では袁術が寝ているし、フラフラとそこらへんをうろつくだけだと、物凄く申し訳ない気分になる。

 だってみんな仕事しているんだもの、その傍をスタスタ歩くだけって……堪えられない。

 なら、せめて実りあることを。

 

「ふっ! はっ! せいっ!」

 

 雑念退散っ! ただ武器を振るうだけの存在となれ!

 振って振って振りまくって、疲れ果てて寝てやるんだちくしょー!! じゃなくて雑念退散だって!

 ……と、周りのことを一切気にせず自分の思考と戦い始めた時だった。

 

「ほう……旅から戻って早々に鍛錬とは、中々見所のある奴だ」

 

 ざっ……と芝生を踏み締めニヤリと笑う者が、俺に話し掛けてきたのだ───!

 

「………」

「……? どうした」

「…………あの。今、俺に話し掛けてくれたの?」

「おかしなことを言うやつだな。他に誰が居る」

「…………~っ」

「うわっ!?」

 

 なんだか涙が溢れた。こう、ぶわっと。

 帰ってきて初めて、思春や雪蓮以外とまともに会話をした気がする。

 それが嬉しかったのか、俺自身でもよくわからない喜びとともに、涙がぼろぼろと流れた。

 気づけば俺はその人……華雄に抱き着いて“ありがとう”を何度も何度も発していた。

 ……その少しあとに、頬に拳の痕をつけて正座させられたけど。

 

……。

 

 正座での話は続く。

 律儀にも華雄は同じように正座で向かい合ってくれて、こんな俺の話を真面目に聞いてくれたりした。

 

「なるほど。つまりお前は仲間であった皆に相手にされなくなってしまい、雑念を捨てるために得物を振るっていたと」

「ああ……誤解なのにみんな聞いてくれなくて……」

「ふむ……それは真実誤解か? お前は本当に、魏将以外に手を出すつもりはないと?」

「? そりゃあ……まあ」

 

 だって、子孫を残すならなにも俺じゃなくてもいいと思う。

 揺らぎのことについてはいろいろ話したけど、それでも手を出す出さないは別だ。

 様々なものを受け止めるって、俺らしくいようって決めたけど、さすがにそれは。

 

「他の者がお前に気があるとしても、好きでもない者と子を残せと。お前はそう言うのか」

「……きつい言い方だな、それ。じゃあ訊くけど、華雄はもし俺とそういう関係になるとしたら、受け容れられるか?」

「お前が私より強ければなんの問題もない。自分より弱き者に己を託すなど、身の毛が弥立(よだ)つ」

 

 随分あっさりしていた。

 それって自分より強ければ誰でもいいってことか……?

 

「生憎と私は武に生きる者。己の色恋なぞ想像したこともない。ならば、より強き者に抱かれるほうがこの身も本望というもの」

「………」

 

 どう反応しろと。

 そんなのはだめだー、とか言うのか? や、そういうのって相手が決めることだし。

 

「じゃっ……じゃあさ、誰かを好きになる努力から始めてみるとか」

「強者以外に興味がない」

「……じゃあもし相手が強者で、華雄が負けたら?」

「相手にその気があるのなら、この身を捧げるのもいいだろう。夫婦(めおと)で武芸達者……おお、それはそれで愉しそうではないかっ」

 

 ……華雄ってもしかして、猪々子みたいな人?

 でも別に猪々子みたいに斗詩が好きとか、そういう相手が居るわけでもなさそうだ。

 

「そういえばお前には一度負けたな。負けは負けだが、あんなものでは私が納得いかん」

「まあ……ちょっとずるかったよな。つまり真正面から小細工抜きでぶつかって、負かされれば───」

「フッ……いいだろう。そうまで言うなら、貴様が勝ったら貴様のものになってやろう」

「人の話は最後まで聞くっ! 勝ったら体を許すとか、そういうのはダメッ!」

「な、なに? 駄目なのか? ……いや待て。何故私という存在の否応を貴様に決められねばならん」

「だっ……だっておかしいだろっ! 自分が負けた相手なら誰でもいいのか!? なんか違うだろそういうの! ほら、誰か好きな男性像とかもっとこう……!」

「強者だ」

「戦いのことしか頭にないよこの人!!」

 

 そしていつの間にか貴様呼ばわりされている。

 それはもう思春で慣れたからいいんだけどさ。

 ここまでの戦闘狂は珍しいぞ……春蘭だってまだ、好み云々の時点で……華琳って言いそうだな、うん。

 つまりあれか、戦が恋人なのか。

 

「え、えーとつまりな? 男と女が居まして……」

「ふむふむ……?」

 

 説明すると聞いてくれる。案外熱心に。

 でも聞いてくれるのと理解してくれるのとじゃあ意味は全く違うわけで、

 

「なるほど。恋に落ちるというのは、男を突くという意味なわけだな?」

「“つきあう”ってそういう意味じゃないから! お願いだから戦から離れて……!」

「だが霞が言っていたぞ? “恋っちゅーもんは戦なんやで華雄!”と。戦と聞いてはこの華雄、黙ってはおれん。戦とは突撃してこそ華! さあ、恋とは何に向かって突撃すればいいものなのだ!?」

「“冷静”って言葉にまず突撃してください。まずはそこから始めよう」

「なるほど、冷静さに打ち勝てばいいのだな? フッ……容易い」

「勝っちゃだめなの! 冷静になってほしいんだって!」

「む……そ、そうか?」

 

 困った……この人、春蘭よりも性質悪い……。

 春蘭もいろいろと勘違いはするけど、この人の場合はほぼ全てを戦関連で勘違いする。

 そういえば汜水関を攻めた時も、どうしてか突撃してきたっけ……あの状況であれはないだろうってくらいに。

 

「冷静さも大事だけど、まず戦以外の判断基準を持つ練習をしよう」

「判断基準? 私から武を取ったら何が残る」

「それ、自分で言っちゃだめだろ……」

 

 どうしよう華琳さん。この人、喋るたびにツッコミどころが増えていく。

 

「えと、じゃあまず着飾ってみるとか」

「武装か!」

「武から離れてってば!」

「ならば断る」

 

 なんか普通に断られた!?

 え……? えと、え? 会話終了?

 

「あの、華雄? 武以外で気になることとかは……」

「武以外? うむ。軍勢を吹き飛ばす心地よさがだな……」

「武で戦だよそれ! それ以外!」

「む…………」

「………」

「…………ぶ、武器の手入れ……」

 

 すごいこの人、本気で武のことしか頭に無い。

 なのに作戦とか戦略無視の突撃しか好まない凄まじい人だ。

 なんだろう、何かのアニメでこんな性格の人が居たよ。男だったけど。

 

「むう……よくわからんが、そもそもお前は何故私にそんなことを訊く。お前には関係がないだろうに」

「いざって時に武以外振るえるものがなかったら、いろいろ大変だろ? 戦自体が終わったこの世界だ、少しくらい武以外に目を向けるべきだと思う」

「何を言う、未だこの大陸には賊が───」

「その賊として蓮華に捕らえられたっていうのが華雄たちでしょうが!」

「ぐっ……! 反論出来ん……!」

 

 認めるところはしっかり認めるらしい。

 なんだ、凄く素直な人じゃないか……でもなくて。

 ええと、そもそも俺はなんでこんな話、してるんだっけ?

 話を最初まで戻してみよう。

 

「ありがとう。じゃなくて───ええっとちょっと待った。いろいろこんがらがった」

 

 自分の頭を押さえながら溜め息。

 話し掛けてくれてありがとうなのはもういい。

 それより次だ。

 

「そうだ、誤解の話」

「?」

 

 顎に手を当てての、朱里が考え込む時の仕草で顔が顰められた。

 一応話をもとのところまで戻すことを伝えて、話を続ける。

 すると───

 

「それはお前、全てを受け止めるとは言わないだろう」

「はぐぅっ!?」

 

 あっさり言って返された。

 

「い、や……だってさ、それだと女性の体が目的でそんなことをしているみたいに───」

「目的もなにも、相手がそう望まなければ成立しないだろう」

「………エ?」

 

 「無理矢理はいかんぞ、無理矢理は」なんて続ける華雄を前に、呆然。

 それはそう……なんだけど、あれ? 何処で間違えた?

 以前にも似たことを言われただろ、俺。

 

「お前はなにか、支柱とやらになった途端に全ての女を抱ける権利を得るのか?」

「順序が逆になってません!? いや逆でもないか!? 支柱になりたいって思ってるだけで、誰かを抱きたいとかは思ってないから!」

「……? ならばー……あー……それでいいのではないのか? 抱いてくれと言う者だけを、貴様の言う恋や想いとやらを込めて抱けば」

「………」

 

 …………。

 ハッ!? 思考停止してた!?

 

「けどさ、そんな、来る者拒まずで居たらっ……」

「……よくわからんが、貴様は支柱とやらになって何がしたいんだ?」

「みんなが手を繋いで、国に返していける未来が欲しい」

 

 思考停止状態だったにも関わらず、訊かれた質問を即座に返した。

 華雄は面を食らった様子でしばし沈黙したが、「ふむ」と言って改めて俺を見る。

 

「ならば嘘偽りなく全てを受け止めればいいだろう。抱いてくれと言ってくる者が嫌いならば拒めばいい。逆に好いているなら抱けばいい。そこに偽り無く、貴様の言う恋や想いがあり、支柱として存在出来ているのであれば問題はないんじゃないか?」

「………」

 

 で、言われた言葉に再び沈黙。

 春蘭もだけど、時々的確でグサッと来ることを言う人のようだ。

 あながち間違いじゃないから、余計に性質が悪い。

 

「華雄は、俺はそうしていていいって思うか? いくら恋や想いがあるからって、誰彼構わず抱くような男が支柱になったっていいって思うか?」

「……さっきから訊きたかったんだが。言葉だけで、一方に偏ったままの存在が支柱になれるのか?」

「!」

 

 核心を突かれた。

 それは、恐らく自分自身で必死に考えないようにと努めていたこと。

 “魏に生き魏に死ぬ”、なんて思ってた自分が支柱になりたいって考えて……でも、“自分のため”を周りに広げて、国に返すことでみんなのためになればな、って……。

 

「~っ……」

 

 自分の髪を乱暴に掻きまぜるように頭を掻いた。

 また、変なところで間違ったまま進むところだった。

 無意識に奥へ奥へと仕舞いこんでいたものが引っ張り出されて、正直気持ち悪いが……それは受け止めるべきことだ。

 嫌だからやっぱり支柱になるのをやめる、なんて口が裂けても言いたくない。

 なら、つまり……

 

「つまり……こういうことなんだな」

「? なにがだ?」

「……俺は、国に生き、国に死ぬ。支柱っていうのはつまり、そう生きることなんだよな」

「いや……私に訊かれてもな」

「そこで首傾げられるとこっちも戸惑うんですけど!?」

 

 決意が何処かへと飛んで行ってしまった。

 そこは素直にそうだなとか言ってください!? じゃないとこれからのことを覚悟として受け取れない!

 

「いいえ、それで正解よ」

「へ? ───って、華琳!?」

 

 正座をして話し合う俺達の───もっと言うなら華雄の背後から声をかける存在。

 普通に歩いてきたのか、いつの間にそこに居たのか、気づかないほどによっぽど悩んでいたらしい自分に呆れが入る。

 

「自分だけでは気づけなかったみたいだけれど、いつまでも引きずらなかったことは褒めてあげるわ。まあもっとも、引きずっていたら今のままの態度が続いていただけだけれど」

「って……じゃあやっぱり、皆のあの態度は……」

「貴方の覚悟を試したのよ。支柱になりたいと言っているくせに、それがどれほど重いことかも考えもしない。自分がただその位置に立てば、皆が笑っていられると勘違いしている御遣い様にね」

「うぐっ……」

 

 実際に迷ってしまっていた自分が居る手前、反論すら出来やしない。

 ていうか華琳さん? 説教してるのはわかるよ? とてもありがたいお言葉だ。でもそのー……なんというか、顔が滅茶苦茶嬉しそうじゃないですか? ……今さら気づいたけど、いろんなところの影から魏のみんながこっち見てるし! 気づこうよ俺! ……そしてみんな、仕事はいいのか……?

 

「魏に生き魏に死ぬ。私も貴方の在り方について言ったことはあったけれど、それは貴方が支柱になるとほざく前のことよ。私の言葉をどう受け止めたかは別として、いい加減に私に意見を仰いでばかりではなく、自分で決められるようになりなさい。成長が望めない者は、居ても玩具程度の価値しかないわ」

 

 厳しいことを言ってくるのはいつものことだ。相変わらず、ずしりと重たい言葉だが。なのに華琳? 顔がさ、どうしようもなく笑ってるんだが?

 

「一刀。貴方に機会をあげるわ。今ここで覚悟を決めなさい。私が雪蓮に言ったように、魏に生き魏に死ぬか。それとも支柱となり、国に生き国に死ぬか。呉、蜀での貴方の働きは確認しているわ。それを受け取った上で、貴方自身に答えてもらう」

 

 しかしここに来て、その表情がビッと……いっそ冷たささえ感じるほどの鋭さに変わる。

 ……でもな、華琳。俺もいろいろな覚悟を呉で、蜀で決めてきた。

 ここで中途半端な言葉を言うのは、いつまででも見捨てずに教え尽くすって言ってくれたじいちゃんや、この大陸で出会ってきたみんなのこと、そして自分の覚悟さえも裏切ることになるから───もう、覚悟は決まってるんだ。

 間違ったままで貫くところだったけど、もう……受け容れたから。

 

「国に生きて、国に死ぬ。俺が目指したいのは“みんなが手を繋いで、国に返していける未来”だ。だから、俺は支柱を目指すよ」

「……《チキッ》」

 

 言った途端、華琳が鎌───絶を構え、刃を俺の首に突きつける。

 殺気は……本物だ。

 

「魏を裏切るというのか。天より降り、魏に尽くすと誓った言葉は偽りか」

 

 振るわれれば頚動脈……どころの騒ぎじゃないな、首が飛ぶ。

 そんな冷たさを突きつけられても、目は決して逸らすことなく華琳の目へと。

 

「裏切りじゃない。魏は俺にとって特別な場所だし、自分を変えてくれた場所だ。大切だと思うことに変わりはないし、偏りはどうしようもなく出てくるに決まってる」

「ならば覚悟には程遠いわね。そんな薄っぺらなもので、三国を背負えるつもりでいるの?」

「背負わないよ。一緒に歩いていく。俺に出来ることなんて……いや。人一人に出来ることなんてタカが知れてる。だから手を繋いで、みんなで目指せる未来が欲しい」

「……甘いわね。桃香にさえ笑われそうな未来だわ」

「だから、俺も変わっていく。自分に出来ることを学びながら増やして、変わらないものに安堵しながら……変わっていきたい。目指していきたい」

「言うだけならば簡単よ。それだけでは私は揺るがない。それは貴方がよく知っていることでしょう?」

「……覚悟ならとっくに。これ以上何をお望みですか、魏王曹操」

「……三国に生きようとも、貴方が私のものである証を立てなさい」

 

 言って、書物を一つ、投げて渡した。

 受け取った俺はそれを開くと……頭痛で気が遠くなるのを感じた。

 

「あー、華琳? つまり……」

「うるさいっ!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 書物……巻物か。の、内容は……あまりにも単純。

 どうやら桃香が朱里とともに出したものらしく、俺が桃香に“支柱になったら出来ることならなんでもしてあげる”と言ったことや、俺が魏以外の他の女性に興味がないわけじゃないことがわかったこと、などなど……赤面せずにはいられないことが赤裸々に綴られていた。

 ようするにあのー……か、華琳さん? さっきまでの笑顔と今のこの殺気は……

 

「嫉妬して───いったぁあーっ!? ちょ、華琳! 首! 首切れる!!」

「いいから答えろ! 貴方は私のもの!? それともこの世界に居るためだけに、とりあえず頷いただけの存在なの!?」

「それって物凄い偏りを感じないか!? 言った時点でなんかもういろいろ守れなくなりそうなんだが!?」

「いいから答えろというのが……!」

「いたっ!? 切れてる切れて───って! だから! “言った時点で”って言ってるだろ!? そういうことなんだって!」

「なんのことかわからないわ。私はね、一刀。貴方に“口に出して言いなさい”と……そう言っているのよ……!」

「いやっ……そりゃあ好きだぞ!? どれだけ焦がれてこの世界に来たと思ってるんだ! 天に居た時だってずっとずっと華琳のことを思ってた! 忘れたことなんて無かったよ! 俺は華琳のものであり魏のものだ! この誓いは絶対に揺るがない!」

「…………」

「………」

 

 って、言っちゃったよ! 勢いに任せて!

 ……あ、華琳の顔がみるみる赤く……って痛い痛い痛い! 一応言ったのにどうしてまだ突きつける!?

 

「そ、そう、そうよ。わかっているじゃない。貴方は私の、そして魏のものよ」

 

 顔が赤いままに、鋭かった表情が緩んでいくのがわかった。

 ただし緩むとともに鎌を握る手も緩んで切れる切れる切れるーっ!!

 

「いいわ、それが自覚出来ているなら支柱にでもなんにでもなりなさい」

「へ? い、いいのか? 証っていうのは───」

「絶に吸わせた血を証として受け取るわ。それが虚言となった時、その首が飛ぶ。ただそれだけのことよ」

「……あ、ああ……わかっ……た……」

 

 本気の目だった。

 なるほど、裏切るつもりなんてそもそも無いが、余計に覚悟は決まった。

 

「まあもっとも、一刀が支柱になること自体で困ることなんて、一つもありはしないわ。私はただ、一刀を国に貸してあげるだけだもの」

「へ……?」

「呉、蜀へと行き、少なからず将や王、民や兵と深めたものもあるでしょう? それらが上手く纏まるには、そうした者が立った方が確かに効率がいいのよ」

「それは、わかるけど」

「打算的に言うのなら、呉の民は一刀が雪蓮の相手になるのなら大多数が認めるでしょう。蜀は桃香や将が選んだのならと納得する。貴方はそれらの思いを正直に受け取り、貴方らしく生きればいい。支柱があれば纏まるものがあるのなら、それらに綻びが出ないようにするのが周りの者が努めるべきことよ」

 

 知らずに口が開き、ぽかーんという音が合いそうな顔で、楽しげな華琳を見上げた。

 “うわ、そう来たか……”心の中はその言葉でいっぱいだったのだ。

 

「そして私は、私が認めた将や王がくだらない男に抱かれることを良しとしない。そんな者の子に次代を担わせるくらいなら、一刀の子を産ませるわ。大陸の父にでも支柱にでも好きなだけなりなさい。必要な知識くらい、私がいくらでも叩き込んであげるから」

「ウワー」

 

 その楽しげな目が語っていた。

 刺激の無い日々に、ようやく刺激らしい刺激が舞い降りたと。

 そんな、いっそ舌なめずりでもしそうな目が……俺を見下ろしていた。

 

「………」

「一刀?」

「いや……このことで散々と言われるって思ってたのに、むしろ華琳が賛成だったことに驚いてて。今までの悩みはなんだったんだろうかって……」

「……本当にいちいち一刀ね」

「だから、それはどういう言葉なんだ?」

「くだらないことばかり考えているっていうことよ。悩んだ分だけ言葉に説得力が生まれることもあるのよ。訊かれたことには出来るだけ迅速に。けれど訊かれてもいないことを無駄に話す者を、貴方は無条件で信じられる?」

「そりゃ……その人のことを知っているかどうかでも判断が変わるだろ」

「そうね。それがわかっているのならもう十分でしょう? 私は私として、一刀という所有物を判断している。その他の判断材料も届けられているし、私が知る北郷一刀という像にそれらの材料が加われば、答えなど自ずと出てくるものよ。呉でも蜀でも随分と悩んだそうじゃない」

 

 みんなどんな報告してるんだ!? え……俺の行動ほぼ全て!?

 なんだこの幼い頃の学校での出来事を、腐れ縁の友人の口から家族に暴露されたみたいな気持ち!

 

「……もしだけど。もしさっき、“魏に生きる”とか言ってたらどうしてたんだ?」

「貴方の言う“覚悟”を、一生信じなくなったでしょうね」

「…………」

 

 笑顔なんだけど笑っていない目に射抜かれた途端、冷たいものが背中を走っていった。

 選択間違えなくてよかった……!

 ……よかったけど、どのみち鎌は突きつけられたんだろうな。

 

「は……ぁあああ……」

 

 安心したら気が抜けた。

 正座のままに後方の地面に手をついて、脚を崩してから長い溜め息。

 そんな、胡坐をかいたような状態の俺に、今度こそ華琳が笑顔で言う。

 ……なんの冗談なのか、俺の動きに合わせて鎌をずらしながら。

 いい加減引いてくれませんか、華琳さん。

 

「他国で色目を使った所有物には、それなりの仕置きが必要だった。それだけのことよ」

 

 全然嬉しくない言葉だったが、楽しげな声調の華琳の声が聞けただけで、俺ってやつは笑ってしまうらしい。

 まったく、ちっとも制御出来ない体だ。人の言うことなんて全然聞きやしない。

 聞きやしないから、本能が導くままに───ようやく鎌を引いた彼女の手を引き、抱き寄せた。

 

「なっ……こらっ、一刀っ!?」

「仕置きにしたって、誰からも相手にされなかったのは正直キツすぎたから……」

 

 驚きとともに手放され、ドスッと地面に刺さる絶の傍ら、華琳の体を抱きしめた。

 途端に様々な罵声が飛ぶものの……抵抗がないのが不思議というか、なんというか。

 それが嬉しくて、自分のすぐ傍に華琳が居ることが嬉しくて、体が自然と動いた。

 

「か、か……一刀?」

 

 愛しい者の香りに惑わされたもののように、軽く抱擁を解き、目を見つめてから……やがて顔を近づけ、

 

「へぶぅっ!?」

 

 側頭部に靴が飛んできた。

 突然の激痛にくらくらしながら、飛んできた方向を見れば……そこには肩を震わせる軍師さまが───!

 

「こここっここここの変人! 変態! 華琳さまが慈悲で武器を引いた瞬間を姑息にも狙って、嫌がる華琳さまを無理矢理抱き締めて動きを封じたりして、ししししかもその上その美しい唇を奪おうだなんて───!!」

 

 いや確かに言ってることは間違ってはいないけど! だからって普通靴投げるか!? ていうか一歩間違えれば華琳に当たってたぞ!?

 そして俺こそ落ち着け! 今何しようとしてました!? と、そんな桂花の攻撃がきっかけになったのか、潜んで様子を見ていた魏将のみんなが一気に雪崩れ込んできて───ってちょっと待った待った! 待ったぁあーっ!!

 

「北郷貴様っ! いつまで華琳さまを抱き締めているつもりだ! 羨ましい!」

「っ! わ、悪いっ! って、相変わらず素直だなぁ!」

 

 春蘭の言葉にハッとし、靴をぶつけられながらも抱き締めていた華琳から手を離す。靴の一撃に痛がりながらも抱き締め続けるって、おかしな方向に根性あるな、俺も。

 そんなわけで解放された華琳はスッと立ち上がり……どうしてかぶすっとした顔で、

 

「……春蘭」

「はいっ」

「たった今から私が許可するまで、語尾に“どすこい”をつけなさい」

 

 呼ばれ、ぱぁっと表情を輝かせた春蘭へと、そう仰った。

 

「な、なぜですかどすこい!?」

「天の国の戦人(いくさびと)の掛け声だそうよ。貴女にはぴったりでしょう?」

「おお! 言われてみればなにやら力が漲るような気がしますどすこい! ……華琳さまどすこい? 何故急に顔を俯かせて震え出しているのですかどすこい?」

「なっ……なんでも……っ……ないわっ……!!」

 

 趣味が悪いよ華琳……確かに戦人といえば戦人だけど。 

 確か蜀で、学校の授業の傍らに俺が教えたことだったが……そんなことまで報告されてるのか。

 そんなことを考えているうちに霞に背中から首に抱き付かれ、砕けた胡坐のままだった足には季衣が座り、次いで真桜と沙和に押された凪がたたらを踏んで飛び込んできて───ってぇ!?

 

「あぶっ───」

 

 そんな凪を、伸ばした手でなんとか受け止めると、妙な体勢になってしまったところにさらに足に乗るなにか。

 はてと見てみれば、もはや懐かしいホウケイが。じゃなくて風が。って霞、首から血が出てるから、首に抱き付いたら───や、そんなんどうでもいいってそんなあっさり───!

 

「さすがはお兄さんですねー。風たちに嫌われてしまったと見るや、華雄さんに手を出すとは……その手の早さは呉や蜀に行ったことでさらに進化したのですか?」

「違うからな!? 俺はただ華雄の先のことが心配になって───!」

「うむ、その通りだぞ風よ。この男、北郷は───あー……自分が私に勝てたなら私を抱かせろと」

「言ってないよ!? 違うだろそれ! 俺は華雄に───ってみんな!? なにその“また悪い癖が”って顔!」

「おぉおそうかー、それやったら華雄にも恋っちゅーもんを知る機会がくるかもなー♪」

「霞……お願いだから煽るようなこと言うのやめて……っていうか風、華雄に真名を……」

「悪い人じゃないですし、霞ちゃんのお墨付きですからねー。他の方とも打ち解けてますから、その珍しい反応は風の時だけにしておいてくださいね、お兄さん」

 

 チロチロとキャンディーを舐めながら、いつもの半眼を向けて言う風。

 俺はといえば、そんな会話をしながらとりあえず凪を隣に座らせ───た途端に、みんなから質問攻めにされた。

 内容はこの旅で知った様々なことへの質問ばかりで、聞けば玉座の間では我慢していたとかで、改めての報告を今この場で……強要された。主に華琳に。

 

「そう。それで? 思春には本当に手を出していないの?」

「誓って出してないよ。命だって懸けられる」

「なら今すぐここで死になさいよ」

「桂花さん!? 手は出してないって言ってるんですけど!?」

「ふん、あなたの言う“手は出してない”なんて信じられるもんですか。これだけの将に手を出しておいて、よくもぬけぬけと言えるものだわこの変態」

 

 そしてみんなも……なんでそこで見たことのないものを見るような目で見るのさ。

 

「隊長どないしたん? もしかして立たななった?」

「お気の毒なのー……」

「いきなり失礼だなおい! 直球にもほどがあるだろ!」

「そうね、それはないわ。朱里からの報告で、それは確認済みらしいから」

「おおっ、さすがお兄さんですねー」

「いや……華琳、風……? そういう意味でもなくて……」

「ほらみなさい、他国へ行ってもこの男のそういうところは変わらないのよっ」

「………」

 

 なんかもう滅茶苦茶泣きたいんですが。

 俺……なんのためにあそこまで耐えてたんだっけ……?

 手を出すことが当然みたいに言われて、我慢した俺が別人を見る目で見られて……。

 

「それはそうと兄様? きちんと食事は取りましたか? 兄様は目を離すと、すぐに偏った食事ばかりを……」

「あ、ああ、それは大丈夫……くっ……!」

「なにを泣いているのよ」

「いや……疑われてばっかりの中で、普通に心配してくれたのが嬉しくて……」

 

 流琉はいい子だなぁ……直球で“立たなくなった”とか訊いてくる部下とは大違いだ。

 ホロリと来る心配に心からの感謝を捧げる。そんな俺の首に抱き付いたままの霞が、肩越しに笑顔を覗かせながらけらけらと笑って言う。

 

「うまいもんやったら、向こうでいっぱい手ぇ出しとったんとちゃうん?」

 

 つくづく楽しそうだ。

 ええいもう、だからそういうのは無いって言ってるのに。

 

「誓って手は出してないってば。霞……わかってて訊いてるだろ」

「へー……♪ そらあれか? ウチらに操立てて~とか、そういうことなん?」

「ぐっ……そ、そうだよっ、悪いかっ!? 他の誰かに手を出せば、みんなが傷つくんじゃないかって本気で考えてたよっ! 仕方ないだろっ、本当に大事で、本当に好きなんだからっ!」

「へ……?」

「───っ……!」

 

 茶化されるあまり、本音をぶちまけた。

 すると背中からは茶化す言葉は止み、周りのみんなも喋ることをやめ、華琳が……息を飲んだ。あれ? と見上げたその顔は……真っ赤だった。すぐに逸らされたけど。

 

「あ、あ……あー、そ、そかそか。そりゃあ……~……っ」

「うえっ? し、霞?」

 

 言葉を紡ごうとしたのに言葉に出来なかったのか、何も言わずにただ首に回した腕に力を込める霞。

 少し苦しくて変な声が出たが、緩める気も話す気も無いらしい。

 ホウケているうちに右手を凪の両手に包まれ、足は左に季衣、右に風、背中は言うまでもなく霞で、自由である左手でなんとか状況を変えようとしたら、誰かにがしりと掴まれた。

 振り向こうにも、左肩に霞の顔。何かをじっくり噛み締めているような穏やかな顔がそこにあった。

 しかしながら突然左方から聞こえた言い争いで、どうやら左手を掴んだ相手は人和だったらしいことがわかった。っていたたたたっ!? 脇腹抓ってるの誰だ!? って桂花しか思い当たらない! なのになんとかしたくても手足が封じられている!

 

「……えーと、俺はこれからどうしたら?」

「そのままで居ればいい。北郷、お前はそれでいい」

 

 誰かに届けと口に出してみれば、返してくれたのは秋蘭。

 穏やかな顔で目を伏せ、腕を組みながら少し離れたところでそう言った。

 そのままでいいと言ってくれたのが嬉しかったのに、せめてこの状態からは助けてほしいと思う俺は……贅沢なんだろうな。

 そう思えるほどの自覚はそりゃああるんだが……この脇腹だけはなんとかしてほしい。

 

「だ、大事……大事で、大好き……好かれているということは即ち、いずれいつぞやのように肌と肌を重ねるときが……と、とき……ぶーっ!!」

「うわわっ!? 鼻血飛んできたっ! ちょっと何すんのよっ!」

「あ……ちぃ姉さん、足に血が……」

「拭けば落ちるかなー?」

「ちょっ、天和姉さん!? そんな力任せにっ……滲む! 広がる!」

「うぶっ、うぶぶぶ……」

 

 ……見えないだけに、気になるんだが……なんだろうな。

 声だけで何が起きてどういう状況なのかがありありと浮かぶようだ。

 さあ風、久しぶりに見せてくれ、あのトントンを───と、懐かしさを期待していたんだが、これももはや茶飯事なのかどうなのか。風は軽く俺へと振り向くと、眠たげな半眼のままにニヤリと笑い、自分の口に手を当てて動こうとはしなかった。

 

「ちーちゃぁん、鼻血の時は鼻の上のほうを押さえるんだっけ?」

「違うわよ、こう、お腹をドスンと」

「それだと別のものが止まるわ。ちぃ姉さん、首の後ろを叩いてあげて」

「あ、わたしがやるんだ。よっし見てなさいっ? せいやぁーっ!!」

「ふぐぅっ!? ……」

「………」

「………」

「………」

 

 ……あれ? なんだか周りがやけに静かに……待て、今ドサッて何かが倒れなかったか? それっぽい音が聞こえたような……? ちょ……稟? 稟!?

 

「ちぃ姉さん……どうしてそこで思い切り叩くの?」

「え? 強く叩けば一回で止まるかなって。叩いてあげてって言ったでしょ? 人和」

「気絶するほど強くとは言ってない」

「……えっ? 気絶してるの? これ」

 

 …………体勢的に見ることは出来ないが、見ない方がいいこともあるんだと確信した。

 アア、今日もいい天気だ。

 

「うあー! 血が! 鼻血が止まらない! これってわたしが殴っちゃった所為!? どうすればいいのこれ!」

「落ち着いてちぃ姉さん。まずは止血から……でも上向きだと鼻血が気道を固めちゃって……ええと」

「うーん……こういう時は冷静な人に判断を仰ぐべきだよね?」

「そうだそれよっ! 天和姉さんが珍しくまともなことを言った! というわけで華琳さま!? これはどうしたら───」

「どうする? いつものことでしょう?」

『………………そういえばそうだった』

 

 三人同時に納得しちゃった!? 鼻血はいつものことだろうけど、流れっぱなしなのはまずいだろ!

 いつもなら倒れたあとでも風がトントンやって……あ、でも毎度発見した時は噴き出してからしばらくしたあとだったりしたし…………なんだ、いつものことじゃないか。

 

「………」

「………」

 

 そんな“いつものこと”を感じる場所へと帰ってこれたことに、じわりと暖かさを感じていると……華雄と目が合った。相変わらず正座のままに俺を観察していたらしいその目は、霞の穏やかな顔にも向けられ、様々な変化を育んでいた。

 

「うーむ……私も恋とやらを知れば、お前のような顔が出来たりするのか?」

「んー……? ははー、こればっかりはじっくり知らんと無理や。ただ知るだけやったらこんな、女でよかったーなんて思えへんもん」

「そ、それほどまでなのか? ……そうか」

 

 その変化が嫌な方向に向かっていそうな気もするんだが……今はこの穏やかさの中に埋没していたい。そう思えたから、そっと目を閉じて耳に届く様々な音に意識を集中させた。

 背中の霞から直接伝わる声、仕事を手伝おうとした俺に、突き放すようなことを言ったことへの凪の謝罪や、左足を陣取る季衣へと話し掛ける流琉の声。

 「仕方ないですねー」と腰を持ち上げ、恐らくは稟の介抱に向かう風の動きや、空いた右足を狙って急に喧嘩をし始める天和と地和や、その間にちょこんと足の上に座ってしまう人和。

 ……そして、今でも語尾にどすこいを付けて喋る春蘭……って、まだ許してもらってないのか!?

 思わず吹き出しそうになって目を開けた───その先に、華琳が立っていた。

 見えたのは足。

 視線を上げてみれば、腕を組んで俺を見下ろす姿。

 目が合った途端に自然と落ち着く心にフッと笑み、同じくそんな顔をしている華琳をそのまま見つめた。

 

「改めての再会の挨拶は済ませたわね? じゃあ一刀、貴方に伝えておくことがあるの」

 

 見つめ合ったまま、どこまでも届くような通る声を聞く。

 伝えることとはなにか、とか……そんなことは正直感が得ていなかった。

 懐かしさが何よりも先に走ったというべきなのか、続く声をひたすらに聞きたかった。

 その結果が───

 

「……貴方に、美羽……袁術の教育係りを命じる」

 

 ───これだった。

 思わず「え?」と返した俺だったが、穏やかな視線に反論を許さぬ迫力が含まれた時点で、俺の敗北は決定していた。

 

「いい返事ね。ああ、思春とはずっと同じ部屋で寝ていたらしいけど。これからは美羽と部屋をともにすること。あの子、貴方の部屋が気に入ったとかで動こうとしないのよ」

「まっ……待て待て待てっ、そんな畳み掛けるようにっ……そもそも返事してないだろ俺! ってそうだ思春! 話し掛けたらいきなり“貴様に構っている暇はない”とか言われたんだけど……あれって今の話に関係あるのか?」

「別に。貴方に対してこの子達が冷たかったことと同じ理由よ。そう言えと私が促したの」

「…………」

 

 まあ……なんとなく予想ついたけどさ。

 

「……じゃあ、袁術を俺に任せる理由は?」

「貴方の部屋の問題だもの。自分の部屋のことくらい自分でなんとかしなさい」

「あ……そういうこと」

 

 なるほど納得だ。

 別の部屋を用意してくれたりは、しないわけですね?

 と思ってたら、見つめたままの華琳の表情がニヤリとした怪しい笑みに変わり……あ、とても嫌な予感。

 

「それに。あの麗羽を落としたくらいだから、美羽くらい容易(たやす)いでしょう?」

「へ?」

 

 華琳がそう口にした途端、周囲がざわっとどよめく。

 むしろ俺も相当に動揺した。

 

「な、なんと……あれを落とすとは……どすこい。ところで秋蘭、落とすとはなんだ? どすこい」

「男が女に、女が男に、己に好意を持たせるようなものだ」

「おおなるほどっ、我らが華琳さまを好いているようなものだなどすこい!」

「姉者、それでは女が女になんだが……間違い、ではないな。うむ……」

 

 春蘭と秋蘭の話を皮切りに始まる質問の嵐。

 どうやって落とした、どうしてあれを落とそうって気になった、本当に手は出していないのか、などなど……暖かかった“音”の全てが弾け飛び、今ではがっくがっくと揺さぶられるばかりだった。

 

「……ところでさ。部屋が随分荒れてたんだけど、あれも全部袁術が?」

「ああ……あれは違うわよ。雪蓮が面白がって、怯える美羽を追い掛け回した結果よ」

「…………」

 

 やられた。

 最初に訊いた時、気まずそうにしてた理由はそれか。

 もはやこの場にはいないやんちゃ王を思い、溜め息を吐いた。

 結局……この日は質問攻め続きで懐かしむどころではなくなってしまい、やがて夜を迎えた。その頃にはへとへとになり、自室へと戻ったところで───

 

「ひっ!? な、なんじゃおぬしはっ……! こ、ここは妾の部屋であるぞ? 早々に出ていくがよいのじゃ……」

 

 ……小さな番人を前に、眩暈が起こるのを感じた。

 口調は王族的なものの、自信は全然無さそうだ。

 思春には別の部屋を用意させるって言ってたし……今日からこの子と日々を過ごすことになるんだが。あの……華琳さん? この様子だとその話、一切この子にしてない……よな?

 

(神様……)

 

 魏に戻っても自分自身の在り方があまり変わらないことに、軽く天井を仰いだ。

 そんな中でも借りてきた猫のようにびくびく震えて、寝台の奥側に屈んでこちらを睨む姿を見て、沸き出していた疲れを溜め息一つで追い払う。

 

(七乃に、任されたもんな)

 

 トンと胸をノックして近づいた。

 これからどうなることやらなんて、自国では考えることもないだろうと思っていたことを深く深く考えながら。




ネタ曝しです。

*鈍色の槍
 グレイブ。ほんとは鈍色の剣ですが。
 テイルズオブデスティニー・プルースト・フォーゴットン・クロニクルより。
 ドラマCDなんですが、これで聞けるグレイブの詠唱が大好きです。
 ただ思いっきり間違いをして、それを間違え続けた自分が今でも恥ずかしい。
 だって詠唱が書いてあるわけじゃないもの! 仕方ないよ!
 「我唱えん 我らを宿す黒き大地の上に
  さしずめ鈍色の剣の如く 太陽の目から遠く 死の岸辺に誘う」
 虹色じゃなく鈍色(にびいろ)だった……んだと思います。
 聞くと虹色って聞こえるんですよね……でもどう考えても虹色の剣じゃない。
 じゃあいったい……? と考えているときに、ニコニコで千年の独奏歌を知り、大笑い。
 それは、鈍色なんて言葉を知らなかった、一人のアホウの物語。

*何かのアニメでこんな性格の人が居たよ。男だったけど。
 AngelBeatsの野田くん。
 何故かいっつもハルバートを手にする男。
 この男の未練って……やっぱり燃えるような恋がしたかった、とかなのだろうか。
 それとも惚れた女を守れなかった? ううむ、先が気になります。
 (注:最終話でも明かされませんでした。小説版とかで明かされるのかなぁ)


◆後書き
 お待たせしました、久しぶりの投稿です。
 何故って? 私が来た!
 ……ではなく、PCがヤバくてヤバいからです。
 ブツッ……チュゥウウン……って勝手に電源が切れたり、ブルースクリーンになったり、そろそろ寿命なのやもって段階です。
 念入りに内部の掃除をしてから少しは保つようになりましたが、いつまた勝手に落ちるやらで、結構な頻度で編集保存を繰り返しながらの作業が続いております。むしろうんざりです。

 なのでまた更新が途切れたら、PC……いいやつだったぜとでも合掌してやってください。多分逝ってます。
 暑くなってくるとPCの壊れる確率もあがるんで、まいっちゃいますよね。

 では、PCが死んでいなければ、近い内に。


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45:魏/平穏日誌①

84/子猫の扱い方

 

 借りてきた猫は臆病である。

 稀に図々しくも走り回り布団の上で粗相をするものも居るが、大体は震えていたりする。

 

「~……」

「………」

 

 この場合は恐らく後者。

 震え、睨むどころか“苛めるのか? 孫策のように苛めるのかの……?”といった感じで見つめてきている。

 ……なんだ、この沸き上がる保護欲は。

 どんな脅し方をすれば、ここまで怯えられるのか。

 

「よしっ」

「ひうっ!?」

「あ」

 

 まずは自己紹介でもと口にした、小さな掛け声にすら盛大に怯え、ぎゅむと布団を握る袁術さん。なんか違う気がしてきた。小動物でももっと自信を持っている気がする。

 

「え、えー……まずは自己紹介からな? 俺は北郷一刀。姓が北郷で、名が一刀」

「~……」

 

 怯えてらっしゃる。

 目には涙が滲み、今にもこぼれそうだったりして……え? 俺、自己紹介で泣かれるなんて初めてなんだが……?

 まずい、泣かれるのはまずいだろ。

 

「あぁ、えっと、な? 生憎と字も真名もなくてさ。これが俺の名前なんだ。たまに誤解されるけど、教えたくないから字を言わないとかそういうんじゃないんだ」

 

 わたわたと身振り手振りで伝えるんだが、その動作にすらびくりと肩を振るわせて───だぁあーっ!! 雪蓮! 怯えさせすぎだ! 過去にいろいろと身勝手な指図をされてて恨みがあったのはわかるけど、ここまで人に怯えてるようじゃ、ストレスでどうにかなっちゃうだろ!

 ああもう考えろ……! 怯えさせず、かつ平穏に寝台を使用する方法を!

 

1:俺が机で寝る

 

2:俺が床で寝る

 

3:問答無用で布団に引きずり込んで寝る

 

4:動物的降伏ポーズで警戒を解きつつ、訴えかけてみる

 

5:ここは余の部屋ぞ! 無視して普通に寝るに決まっておろう!

 

 結論:3、4、5は却下したい。特に5。

 

 ……マテ。

 それだと俺が布団で眠れない。

 怯えさせずに平穏に寝台を使用する方法だってば。

 

1:なんとか説得して一緒に寝る

 

2:なんとか説得して床で寝てもらう

 

3:問答無用で気絶させて一緒に寝る

 

4:魏国魂に則り、力で捻じ伏せて寝台を得る

 

5:ここは余の部屋ぞ! 余の部屋を我が物顔で利用する者め! 失せるがよい!

 

 結論:3、4、5は絶対にない。特に5。

 

 ……普通に考えような。

 もう1でいいだろ。

 でもこの様子じゃあ説得も届くかどうか……。じゃあ……?

 

1:遠くからじっくりと警戒心を解く。主に食べ物で釣って

 

2:むしろ近づいて危険は無いことを教える

 

3:七乃に任されたんだと語りかけてみる

 

4:全裸になり、傷つける武器が無いことを教える

 

5:ここは余の部屋ぞ! 余の(略)

 

 結論:……だめだこれ。

 

 何が好きなのかは、そりゃあ七乃が自慢気に話していたから知っている。

 が、それで釣るだけじゃあどうにも弱い。

 蜂蜜だけ舐めて警戒は解かない可能性が高すぎる。だからといって無遠慮に近づいてしまえば、雪蓮が部屋を荒らしてしまったのと同じ結果になるに違いない。

 七乃に任されたと正直に話しても、任されたからそうするって接し方じゃあ心は開いてくれない気がするんだ。全裸は当然却下として、5は落ち着こう。

 

(だったら……あ)

 

 そうだ、鍛錬。

 いつか明命に氣の応用のことを聞いていた時に、やってみたことがあった。

 それは、氣で相手を包み込むイメージ。

 それを以って、自分には敵意がないことを教えられないだろうか。

 

(丁度自分の氣を何かに模す練習をやってたところだし、いいかもしれない)

 

 そうと決まればと、集中を開始する。

 たしか……部屋全体を自分であるようにイメージして……。

 

(相手を囲う建物。部屋。日々の象徴……)

 

 当然としてそこにあるもののように、“無”ではなく“有”として……相手を包み込む。

 

「ふゎうっ!? な、なんなのじゃ!? なん……ふ、ふくっ……えぐ───ななのぉ……七乃! 七乃ーっ!!」

 

 ……やってみたら、謎の感覚にとうとう泣き出してしまった。

 あ、あれー……? 上手くいくと思ったんだけどな。いや、それよりも泣き止ませないと───と近づいた途端、

 

「ひうっ!? ななななにをする気じゃ!? 近づくでなぃいいっ!! 妾はっ、妾はお主に何もしてないであろーっ!?」

 

 物凄い怯えられ様に、体が自然と立ち止まった。

 

(…………うん、無理)

 

 天井を仰ぎながら、笑顔でそう思った。

 警戒レベルが異常だ。

 雪蓮に華琳、他のみんなも、面白がって苛めたりしたのだろうか……。

 

「……わかった、近づかない。ただ、俺はさ、袁術。キミにひどいことをする気はないよ。それだけは───」

「どうせそれも嘘なのであろ……? 皆でよってたかって妾で遊んでおるだけなのじゃ」

「……皆が何をしたのかは知らないけどさ。約束する。誓ってもいい。ひどいことはしないし、そんなふうに怯える必要がないよう、出来るだけ守ってやる」

「…………どうせ嘘なのじゃ。そうしてお主が何を得すると言うのじゃ」

 

 ああもう……物凄く疑り深くなってるじゃないか……。

 でも、そうだな。得、得ねぇ……。

 

「得か。袁術と仲良くなれるじゃないか。理由なんて、それだけでいいんじゃないか?」

「……つまりお主は妾に仕えたいと申しておるのかの?」

「断じて違います」

「やはり嘘だったではないかーっ! いつもいつもそうなのじゃ! そうやって妾の心を弄んで! 影では笑っておるのであろ!?」

「あぁもう違う違う! まずは落ち着きなさいっ!」

「ひうぅうっ!? ゆゆゆ許してたも! 許してたもーっ!!」

「………」

 

 前略、華琳さん、雪蓮さん。

 あんたらいったいどれだけこの子のことを苛めたのさ……。

 ちょっと強めに言って近づいただけで、頭庇うようにして屈み込んじゃったぞ……?

 

「………」

 

 眉を顰めて頬をひと掻き。

 氣では依然袁術を包み込んだまま、怯えているうちに寝台の傍までを歩く。

 丁度、袁術とは寝台を挟んで向かい合うかたちになった。

 

「……袁術。いきなり……あぁ、その。語調を強めたりして悪かった……って、おかしな言葉になったような……まあいいや。でもな、袁術。本当に、俺はお前にひどいことをするためにここに居るんじゃないんだ。ここは俺の部屋で、でも袁術はここを自分の部屋にして過ごしてるって聞いた」

「~~……そ、そうか、つまり妾を追い出しに来たのじゃな……?」

「追い出さない」

「い、苛めると申すのか……?」

「苛めない」

「ならば……ならばぁあ……!」

 

 返される言葉の一つ一つに、やさしくやさしく答えていく。

 叫ぶことはせず、ゆっくりとでいいから、彼女に安堵が戻るように。

 なにせこの国、この城でずっと過ごしてきたんだ……魏国の王と将、そして呉王の性格を考えるに、苛め、はないにしても、いじくられていないとは考えにくい。

 質問の内容から言って、追い出されもしたし、ちくちくとからかわれたりもしたんだろう。それも終わりにしてやらないと。というか、もうそれをする理由もない……と思いたい。

 

「では、お主はいったい何が目的で妾に構うというのじゃ……?」

「だから、さっきも言ったじゃないか。袁術と仲良くなれる。それだけが目的だ。寝台だって使えばいい。部屋にだっていつでも来るといい。だからな、袁術」

 

 恐る恐る、頭を守っていた手をどかし、俯かせていた顔を上げて俺を見る袁術。

 そんな彼女へと寝台越しに手を差し伸べ、きちんと口に出して届ける。

 

「俺と、友達になろう?」

 

 思い出深い場所、かつてのままで置いておかれただろう部屋を荒らされた辛さっていうのはある。

 行方不明になっていた人がようやく帰れて、変わらない部屋に安堵することだってあるだろう。実際俺もそれを望んでたし。

 そういったものを荒らされ、まるで───遠くから帰郷してみれば、自分の部屋が乱雑な物置にされたような心境を味わっても、怒るよりも差し伸べたい手がある。

 

「ともだち……? 妾に仕えたいわけではなくてか……?」

「そ。立場とかそういうのを気にしないで、手を繋いで仲良くしよう」

「立場……? ……お、お主は……」

「うん?」

「……城に紛れ込んだ町人ではないのかや……? ───ひうぅっ!?」

 

 盛大にズッコケた───拍子に寝台の角に頭をぶつけ、地味に悶絶。

 その蠢く物体(俺)を見て、手を伸ばすどころか怯え始める少女が。

 頭の中に本末転倒の四文字が浮かんだ瞬間である。

 

「あ、あ、……~───すぅ……はぁ」

 

 “あのなぁ……!”と、思わず力を込めて言いそうになるのを、深呼吸で落ち着かせる。

 怯える子に怒りを持ったらいけないだろ。穏やかに、穏やかに。

 氣で包んでいるっていうのにそれを怒りの色に変えてしまえば、また泣かせてしまう。

 

「……えっとな? 俺は、この魏国で警備隊の隊長をやってて、天の御遣いとか言われてるんだ。以前、三国が集まった宴の時に華雄と戦ったんだけど……覚えてないか?」

「……? …………、……覚えておらぬの……」

(……だと思った)

 

 戸惑いの顔で言う袁術に、さすがにがっくりくる。

 遭遇して早々に“なんじゃお主は”だったもんなぁ……そりゃ、覚えてないよ。

 

「ただ……そうじゃ、“かずと”のことならば知っておるぞ……? 孫策が、“かずと”には恩があるから、そやつが三国に降れと言ったからには、もう妾が悪さをしない限りは脅しもせぬと……」

「………」

 

 そりゃあまあ、賊まがいのことを普通にやるような子供が相手なら、脅したくもなるだろうけど。ちょっとやりすぎじゃないか? 雪蓮さん。

 

「お、お主がその……一刀、かや……?」

「ああ、一応。じゃあもう一度だ。名前は北郷一刀。この魏で警備隊の隊長をやってる。字や真名って風習がない、天から来た」

 

 はい、と促してみる。

 すると、目をぱちくりとさせたあとに───あ、と口が動き、

 

「袁術……妾は袁術、字は公路じゃ。か、河南を……~……なんでも、ないのじゃ……」

「……そっか。よろしくな、袁術」

 

 ようやく名乗ってくれたことを喜びながらも、役職の話をしたことを少し後悔した。

 同じく現在の自分の立場を語ろうとした袁術が、顔を俯かせてしまったのだ。

 でも、それはちょっと違う。だから後悔は少しだけで、改めて手を差し伸べた。

 

「……? この手はなんなのじゃ……?」

「言ったろ? 立場なんて気にしないで、手を繋いで仲良くしようって。俺は袁術がどんな立場に立ってたって気にしないし、仲良くしたいって思ってるよ」

「……ぅ……」

「怖がってばかりじゃ笑えなくなるよ。俯いてたら前は見えない。だから、そんな怖さなんて隣の誰かに分けちまえ。分けて、笑ってみれば、俯く理由なんて無くなるからさ」

「…………~……う、嘘であろ! 嘘なのじゃ! 孫策の知り合いが妾に甘い筈がないのじゃ!」

 

 しかし差し伸べた手は拒絶とともに叩かれ、次の瞬間には袁術は怯えた顔になる。

 俺が寝台を回り込み彼女へと近づいたからだ。

 

「ひっ……す、すまぬのじゃっ……許してたもっ……! 叩くつもりはっ……ひくっ……七乃、七乃ぉお……!!」

 

 それだけで彼女は壁と寝台の間で縮こまり、泣き出してしまった。

 ……怯えすぎだろうって安易に思ったこと、取り消そう。

 桃香にも言ったじゃないか、“自分一人が魏国に招かれて、魏の将全員に囲まれる自分を想像してみてくれ”って。この子がここでずっと感じていたのは、そういったものだ。

 しかも七乃がああで袁術がこんな性格では、七乃に頼りきりだったのは言うまでもない。そんな頼る相手もおらず、恐怖の対象らしい雪蓮までもが遊びに来るとなれば、ここまで怯える理由もわかってしまう。

 ───でも。こうして手を叩かれ、近くに寄ったからって、叩き返す気も苛める気も最初からありはしない。

 

  ただ傍らに静かに屈み、いつか自分がそうされたように、その頭をやさしく抱いた。

 

 震える体に触れた瞬間に暴れられ、振り回された手で頬などを殴られても動じることはしないままに、涙に濡れる顔を胸に抱き、やさしくやさしく頭を撫でる。

 氣で包み込んだまま、己自身でも包み込みながら。

 

「……大丈夫、怒ってないよ。許すし、袁術が泣くことなんてない」

 

 それでも暴れる。

 自分だけだと閉じこもっていた殻に入ってきた者を追い出さんとして。

 それでも撫でる。

 だったらその殻の中にだろうと手を伸ばして繋いでやる、と……こちらも半ば意地になった子供のように、引くことをしなかった。

 ずっとそうやって、袁術が落ち着くまで敵意を混ぜない氣で包み込み、撫で続けた。

 



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45:魏/平穏日誌②

85/落ち着きのない二人

 

 ……朝が来た。

 大して疲れが癒えない体で伸びをして、そのまま寝台の上の袁術を見やる。

 結局、落ち着いてはくれないままに泣き疲れて寝てしまった少女。

 その傍へと体をほぐしながら歩み寄り、頭をやさしく撫でる。

 

「いちち……! 椅子で寝ると、やっぱり関節によくないな……!」

 

 ミキベキと乾いた音が鳴る。

 寝てしまった袁術に寝台を提供して、自分も……とは思ったものの、目を覚ました時に余計に警戒されても困るってことで、机と椅子で寝ることになったんだが……体によくない。

 

「体操でもしてほぐしたいけど……はぁ」

 

 さすがにようやく寝てくれた子の傍で体操をするわけにもいかず、まずはと部屋を出て、厨房へ。

 乾いた喉を乾かすために水を貰い───ここどこ?

 

「………」

 

 …………おや?

 

「うわしまった! 蜀に居るつもりで歩いてた!」

 

 厨房とはまるで逆の場所に立っていることにたった今気がついた。

 どうやら頭が上手く動いていないらしい……なにせ寝不足。

 

「厨房はこっちだったな、はは、ははは……」

 

 蜀での暮らしが長く、しかもどこへ何歩歩けばいいのかも体に叩き込んだほどだ。

 知らずに蜀での動きをしていた自分が恥ずかしい。

 

(だ、誰にも見られてないよな?)

 

 視線をあちらこちらへ動かすと丁度中庭が見えた。

 そこには静かに鈴音を振る思春が居て……俺を見て、溜め息を吐いていた。

 あ……ウン、見られてたね、絶対。

 さらに言えばどうしてそうなったのかも見透かされている気がする。

 

「おはよー、思春」

 

 誤魔化すように言ってから、恥ずかしさのあまりに走り出した。

 通路を駆け、厨房に滑り込み、水を貰って喉を潤して。それから恥ずかしかろうが軋んだ体をどうにかしたくて、結局は中庭に戻って朝の体操。

 思春は……気を利かせてくれたのか、居なくなっていた。

 

「……考えてみれば、慣れたもんだよなぁ」

 

 思春が隣に居るのが当然みたいになっていた。

 部屋に戻ればいつも通りに思春と寝る、みたいになっていたくらいだ。

 それが今回は寝台を袁術に提供し、机に突っ伏して寝るってことになって……うーん、本当になんとかしてやらないとな。

 

「んっ、んっ……ん~っ……!」

 

 体操を終え、最後のしめに大きく伸びをした。

 体がグゴゴゴゴと伸びる感覚とともに、残っていた眠気が多少解消される。

 

「……よしっ、じゃあ今日も頑張りますかっ」

 

 久しぶりの魏での仕事に胸が躍って心が弾む……! やる気に漲る今の俺なら眠気にだって負けやしないっ! 帰ってこれた……帰ってきた! 今から俺は、国のために生き国のために死に、だがしかしせめてその場に居る時だけはその国のために尽力する修羅と化そう!

 あ、でもちゃんと華琳に復帰すること言っておかないとな。

 昨日はなんだかんだで騒ぐだけ騒いで解散になっちゃったし。

 

「警備隊のみんなにも謝らないとなぁ。これからはまた一緒にって言っておきながら、結局は呉、蜀って回ることになったんだ」

 

 我ながら要領が悪い。……我だから要領が悪いのか?

 あっはっはっは、まだ頭がちゃんと覚醒してないみたいだ。うまく回転しない。

 でも大丈夫! 努力と根性と腹筋でなんとかする!

 

(ただいま……ただいま魏の国よ!)

 

 荒ぶる魏国への愛を胸に駆け出した。

 恐らく華琳は俺なんかより早く起きて、俺なんかより難しいことを平然とこなしている。

 朝っぱらに乗り込んであーだこーだ言うのは迷惑かもしれないが、報告は大事だ。

 判断を仰ぎに行くわけじゃないから、大丈夫……だよな?

 

……。

 

 

 そして、華琳の自室へ。

 相変わらずの整った部屋に通されると、嫌でもビッと伸びる背筋が少々くすぐったい。

 そんな中を進み、左手で頬杖を、右手に書類をと、見るだけだとつまらなそうにしている彼女に声をかけた。

 そう、かけたんだ。今日から仕事に復帰するよと。

 そうしたら……

 

「仕事? 無いわよ」

 

 ちらりと視線を向け、小さく一言。

 その一言は確かに小さな一言だったが、俺にとってはとても大きな一言であり、俺の思考回路を混乱させた。

 

「……エ? し、仕事がないって……」

「当たり前でしょう? 一刀、貴方自分がどれだけ魏を離れていたのかわかっているの?」

「───あ」

 

 しまった、冷静になればわかりそうなことだった。

 

「あ、あー……そうだった。俺、魏でどういうことが起こったかとか知らないし……」

「そういうことよ。まずはそれらを頭に叩き込んでから出直しなさい。纏めなければならないものも随分と残っているから、ついでにそれも片付けて頂戴」

「うえぇっ!? だ、誰かが代わりにやっといてくれたりとかはっ……!」

「迅速に解決する必要があるものだけは処理してあるわよ。だから、そういったものも自分の目で確かめて、きちんと処理しなさいと言っているの。……貴方が残した“めも”には様々なことが書いてあったわよ。これが天の知識かと感心するものも随分と。お陰でとても助けられたけれど……書き方が悪いわね。残したものすらきちんと整理されていない。肝心の“どうしてこうなるのか”というものが詳しく書かれていなかったの」

「うっ……そうだったか? 一応、渡す前に確認したんだが……」

「お陰で私しか正確に受け取れなかったのよ。片手間に桂花や稟や風に見せたところで、“どうしてこのような考えに向かうのか”を私に訊きに来る始末。特定の者しか受け取れないようなものを残されても困るのだけど?」

「………」

 

 それでも華琳には理解できたようだ。

 少し、ほんの少しだけ胸がキュンとした瞬間だった。

 

「それは、ごめん。でも華琳にはわかったんだろ?」

「……一刀の考えそうなことくらい想像がつくわよ」

「そっか」

 

 顔がニヤけていくのを止められない。

 そんな俺を見た華琳が睨んできたところで、なんとかニヤける顔を引き締めて頷く。

 対する華琳は書類を纏めると竹簡を手にし、カラカラと広げていく。

 

「じゃあ今日は書類整理に励むな。忙しいところ、悪かった」

「構わないわ。それよりも一刀」

「ん?」

 

 出て行こうと踵を返したところで呼び止められる。

 何事かと軽く身構えてしまうのは、正した姿勢の先に居る女性をよく知るが故だろうか。

 

「……どうしてわざわざ身構えるのかしら?」

 

 こんな小さな動作でさえ見破るお前だからだが。とは言わない。

 まあまあと軽く濁して先を促してみれば、訊ねられたのは袁術のこと。

 

「あー……大変だった……じゃないな、大変だ。怯えようが異常だよ」

「あらそう、一刀でも梃子摺るのね」

「軽く言ってくれるなよ……ストレスでどうにかなっちゃいそうだったぞ?」

「すと……?」

「精神的な疲労とか、そういうこと。心を許せる相手が居なくて、人が近づくだけで泣くほどだ」

「……そう。それで? どうにかなりそうなの?」

「ん……どうにかするよ。とりあえず今日は一日中、一緒に居てみるつもりだ」

 

 さすがにあのままだと、いつか精神がパンクする。

 今日一日で多少の警戒心を解いてくれればいいけど。

 

「そうだ。袁術って食事とかはどうしてたんだ? ストレスがひどいと食べ物が喉を通らないって聞くから、ちょっと心配だ」

「近づくと怯えるものだから、一刀の部屋の机の上に置いていくのよ。一応食べるわ。好き嫌いが多くて困るけれど」

 

 言い終えると同時に溜め息をこぼし、カロカロと丸めた竹簡を脇に積むと、改めて俺を見る。

 

「心配ではあるんだな」

「城の中で餓死者なんて笑い話にもならないわ。妙な邪推はいいから、貴方はさっさと仕事をしなさい? それとも張り切るのは呉と蜀だけで、魏では精力だけに熱心な怠け者に戻るというの?」

「戻るとか言わないっ! 仕事はちゃんとするって! じゃなきゃ復帰報告なんてするもんかっ!」

「なら結構よ。せいぜい張り切りなさい、一刀」

「……りょーかい」

 

 結局のところ、どれくらいぶりに再会したって俺の扱いは変わらないんだなと理解した。

 まあそうだよな~……華琳だもんなぁ。

 最後にちらりと、新たな竹簡に手を伸ばす華琳を……ってあれ? その竹簡、さっき見てなかったか?

 

(…………気の所為か)

 

 なんだかそわそわしている気もする。

 指摘したらしたで否定されそうだし……ここで黙っていても邪魔になるしな。

 よしっ、じゃあ必要な書簡を揃えて自室に戻るかっ!

 

「俺が纏める必要がある書簡って、ここにはないよな? 隊舎の方か」

「凪に管理してもらっているから、そのことに関しては凪に訊きなさい」

「そっか」

 

 華琳も把握してるんだろうけど……忙しいんだろうな。

 踵を返そうとした時に、カタンと丸められた竹簡が積まれた。

 そして華琳に背中を向けた時には、その背中に強烈な視線。

 振り向いてみると、竹簡を見る華琳。

 

(?)

 

 気の所為か? 気の所為だな。

 

「じゃ、頑張ってくる」

 

 言い残して部屋を出る。

 後ろ手に扉を閉めるまで、ずぅっと視線を感じていた気がするんだが……特に何も言われたりはしなかった。

 

「気にしすぎかなぁ……」

 

 久しぶりの我が家(?)に興奮しているのかもしれない。

 歩き出そうとするが、“このまま残って華琳と話をしていたい”なんて欲に飲まれそうになり……なんとかそれを押し込めて歩き出す。

 復帰初日からサボるなんて、さすがに隊長職の名が泣く。

 もう散々泣いているとかいうツッコミは勘弁だ。

 

 

 

-_-/華琳

 

 カロ……カシャッ。

 

「…………」

 

 もう何度目になるかわからない竹簡を見下ろし、丸めて積んだ。

 喉が渇いている。

 水が欲しいが、部屋から出る気にはなれなかった。

 

「……~……ああ、もう……」

 

 顔が熱い。

 絶対に赤面している。

 何故? この曹孟徳が、一人の男を前にしただけでこんな無様な……。

 大体一刀も一刀だ。こんな朝早くから訊ねてきたかと思えば仕事の話で、こちらを気にかけもしない。言いたいこと訊きたいことを終えればさっさと出ていってしまった。

 私も私だ。出て行こうとするたびに呼び止めようとして、呼び止めたところで何を話すつもりだったのか。

 

「証は立てられたわ。それでいいじゃないのよ……」

 

 一刀は私のものだ。

 血を証に立て、それを吸った絶を私が所有している。

 けれど足りない。

 何が足りない?

 そんなものは決まっている。

 所有物なのに一番近くにソレが無い。

 けれどそこで“待って”の一言でも出してみなさい、私は一刀の仕事の邪魔をすることになる。

 私は雪蓮と桃香になんと言った?

 非道な王ならば討てと。私事を優先し、民を守る仕事を後に回す王は、王として然であるか? あるわけがない。

 

「戻ってきたらきたで、落ち着かないわね。どこまで人の在り方を乱せば気が済むのよ、あの男は」

 

 八つ当たりなのはよくわかっている。

 けれどこうして、私だけがもやもやしているのは不公平だ。

 大体なんなのよあの態度は。

 もっと一刀の方からせまって来れば、私ももっといい気分で……。

 

「……仕事が足らないわ」

 

 既に新規に出されたものなど処理しきってしまった。

 足らない、足らないのよ……! もっと意識を一刀から逸らせる何かが必要だわ……!

 

「早く仕事を片付けなさい一刀……! そうしたら……!」

 

 そうしたら。

 この行き場の無い気持ちのぶつけどころが、ようやく出来るのだから。

 

「……はぁ……することが無くなったわ。まったく、何を望んでこんなに……」

 

 来る案件来る案件、最善を最速で選び、決定を下す。

 空いた時間は当然のように別の仕事を片付け、いつでも手を空けることが出来るようにと準備をしてきた。それがどういった準備なのかといえば……口にするだけ無駄なことだ。

 

「蜀に乗り込めば、呆れるほどに仕事があるのでしょうけど……」

 

 笑顔の蜀王の姿を思い浮かべ、口角を持ち上げた。

 立てていた頬杖を、竹簡をいじっていた手と一緒に持ち上げ、少し伸びをする。

 

「退屈は敵ね。少し歩きましょう」

 

 顔の熱が引いたのを確認してから、誰にともなく呟き歩く。

 部屋を出てからはほぼ一直線に厨房へ入り、茶器を手にして。

 向かった先は…………あの男が居なかった間もほぼ毎日訪れていた部屋だった。

 どうせまた散らかされているのだろうから、美羽を追い出してからは掃除だ。

 一刀が既に書簡を持って戻っていたなら、茶を注げと命令でもしよう。

 不味かったら当然、美味くなるまで淹れさせる。

 

(……所有物の部屋を掃除する王なんて、誰にも見せられないわね)

 

 そういえば、雪蓮に見つかってしまった時は大笑いされた。

 あれは屈辱以外のなにものでもなかったが……今はそんなことはどうでもいい。

 まずはノックをして、中の反応を伺う。

 反応は……無しだ。寝ていたりするのかしら。

 けれど鍵はかかっていないようなので、遠慮も無しに中へと入った。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……意思の弱い自分をどうかお許しください。

 そんな、誰に向かって言ったわけでもない懺悔が、心の中で轟いた。

 あとはノック。反応を伺い、返事が無いことを確認すると少しだけ中を覗いてみる。

 

「華琳~……?」

 

 もしかしたら寝ているのかもと思ったが、朝なのにまた寝ることもないよな。

 予想通りに、覗いた部屋の中は(もぬけ)の殻。

 せっかくだから華琳と一緒にと思ったんだけどな……何処行ったんだろ。

 

「……ふむぅ」

 

 袁術と一日一緒に居てみると言っておきながら、書簡を持ってここに立つ自分が(むな)しくなる。誰も居ないとなれば余計だ。

 

「ここでこうしていても仕方ない。部屋に戻るか」

 

 いかんいかん、華琳もどこかの視察に出たのかもしれない。気を引き締めよう。こんな入れ違いの場面を見られてみろ、呆れ果てた溜め息から始まる説教が延々と……!

 

「ていうか……袁術のことほったらかしでわくわく気分でここまで来たりして……。自分ばっかり華琳のこと思ってるみたいで恥ずかしいな……」

 

 うん、よし、仕事を頑張ろう。

 っとそうだ、袁術。あれだけ泣いてたんだから、起きたら喉が渇いてる筈だ。

 厨房に行って茶器……は渋いか。“袁術は蜂蜜が好き”って話を昨日思い出したばっかりだが、昨日の今日でいきなり蜂蜜で気を引くのか? いやいや、喉を潤してやるだけだって。でも潤すだけなら水でもいいしな。

 

「水でいいか」

 

 いざ厨房へ。

 急ぐでもなく通路を歩いて、景色を懐かしみながら進む。

 

(はぁ~……魏だ……。当然のことだけど、魏だなぁ……)

 

 帰ってこれたんだなぁ本当に。

 

「…………はっ! たはは……景色を見てる筈が、華琳ばっか探してる」

 

 本当に、まるで恋する乙女だ。

 落ち着こうな、仕事だ仕事。

 

「ふふふん、ふふふん、ふふ・ふふふふふん♪ ふふふん、ふふふん・ふん、ふふふふふん♪……ん?」

 

 再び魏を歩ける喜びを鼻歌に託していたら、模擬戦(?)をする霞と華雄を発見。

 中庭でガンゴシャガンゴシャと得物を振るい、ぶつけあっていた。

 そういえば霞が模擬戦してるところってあんまり見なかったよな。

 ……ちょっとくらい寄り道してもいいかな?

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……来ないわね。

 

「何処で何をしているのかしら、あの男は……」

 

 一刀の部屋の椅子に座り、茶器は机の上に乗せたまま、ただ冷える時を待っていた。

 せっかく熱いお湯を用意させてもこれでは意味がない。

 ……まあ、熱すぎてはお茶の風味も無駄になるのだけれど。

 

「丁度いいのは今なのよ……さっさと戻ってきなさいよ、もう……」

 

 いらいらする。

 もやもやする。

 これを解消させたくて歩いたのに、どうして私は歩いた先でもやもやしているのか。

 ちらりと視線を動かしてみれば、一刀の布団にくるまってくーすー寝ている美羽。

 あの子が荒らすようになってから、この部屋からは一刀の匂いが消えた。

 それに気づいた時は随分ときつく注意をしたのだけれど……懲りない者も居るものだ。

 注意をして追放したところで、悪戯をしに戻ってきたと言っていた雪蓮の言葉も、あながち嘘ではなかったようだ。

 

「はぁ……このままじゃ埒が空かないわ」

 

 椅子から立ち上がって部屋を出る。

 何処かでサボっているようなら耳を引っ張ってでも連れ戻す。

 もう待つのはうんざりだ。恋する乙女なんて冗談じゃない。

 私は欲しいものは必ず手に入れるのだ。それは既に所有物であるものだって変わらない。

 邪魔をしなければいいのよ、茶を一緒に飲むくらいで邪魔になる程度の集中力なら、それは一刀が悪いのだから。

 

 

 

-_-/一刀

 

 笑顔で手を振る霞に別れを告げ、すっかり堪能した模擬戦を思い返しながら歩く。

 いやぁー凄かったなぁ……急に勢いづいた霞もそうだし、それに対抗する華雄も。

 よくあんな攻撃を防いだり返したり出来るもんだ。

 俺なんか、避けたり氣で受け止めたりしなきゃ、まず無理だ。

 

「いいものも見れたし、仕事に集中出来そうだ~♪」

 

 見ていた場所の所為で少し遠回りになったけど、どっちにしても部屋には着くんだし気にしない気にしない。

 そんなわけで辿り着いた自室の扉をゆっくりと開け、中の様子を見ながら入る。

 

「袁術~? 起きてるか~? ……あ、まだ寝てるな」

 

 誰も居ないのに口の前に人差し指を構え、し~……と声を小さくする自分が居た。

 そんな些細なことにくっくと笑みをこぼしながら───はうあ! 水貰うの忘れた!

 

「仕方ないな、書簡置いたら厨房に……おおっ?」

 

 どういうことか机の上に茶器が!? しかもお湯付き!?

 私はあまりの出来事に大変驚きました。

 

「誰かが気を利かせてくれたのか? ……うわ、お湯も適温じゃないか」

 

 今淹れるのが丁度いい。

 丁度器も二つだし、お湯がぬるくなる前に淹れちゃうか。

 

「こういう時はじいちゃんに習ってよかったな~って思うよな~」

 

 俺じゃあ白蓮みたいに天の味(普通の味)は出せないけど、あくまでこっちの普通なら出せる。白蓮のそこらへんの腕はどうかしてる。いい意味で。

 

「……はは、気持ち良さそうに眠ってら。いいよなー、のんびり眠れるって」

 

 多少の口調崩れも気にしない気にしない。

 美味しいお茶を作るなら、作法よりも茶を楽しむ心ってね。

 そうこうしているうちに、器二つに注いだ茶の片方を飲む。

 

「……ん、いい出来」

 

 満足いく出来に笑いながら、まだ起きない袁術を再び見やる。

 寝ている時は怖がったりはしないのになぁ……ストレスが続くと魘されたりとかもあるらしく、心配になってそっと覗いてみるが、そこまでひどくはないことにとりあえず安心した。

 

「うーん……でもいくら美味く淹れられても、袁術がお茶が苦手だったら意味ないよな」

 

 やっぱりここは水だろうか。

 ……だな。よし、ちょっと行ってもらってこよう。



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45:魏/平穏日誌③

 

-_-/華琳

 

 ~……まったく、うろちょろうろちょろと……!

 ついさっきまでそこで模擬戦を見ていた? 仕事はどうしたのよ仕事は!

 

「これで居なかったらどうしてくれようかしら……ふふ、ふふふ……」

 

 もやもやが頂点に達しようとする現在、霞の言葉を受けてそのまま一刀の部屋へと向かった。これで居なかったらさすがに我慢の限界だ。

 仕事はどうしたとかそんなことは後回しにして、とりあえず蹴りのひとつでも入れたい。

 

「一刀、仕事もせずに今まで何処に───!」

 

 だから、扉を乱暴に開けた先で声を大にして───……相手が居ないことを確認したわ。

 

「…………」

 

 なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。

 いっそ机に突っ伏して寝てしまおうかと思うくらいの疲れが。

 けれど目を向けた机には書簡が乗っており、確かに戻ってきたらしい痕跡が、……?

 

「?」

 

 茶が淹れられていた。

 ご丁寧に、二人分。

 一つは多少飲んだ跡があり、片方は淹れたばかりといった様子だ。

 

「………」

 

 不思議なことに、たったそれだけで……もやもやが消え失せてしまった。

 手に取って飲んでみれば、ほんの少しだけ冷めてしまっているとはいえ、美味しいとわかる味が喉を通っていった。

 

「………」

 

 意外だ、こんな特技があったなんて。

 淹れ直させることは……まあ、少々難しい。

 ただ、人が熱い状態で持ってきたものを冷ましてしまうのはいただけない。

 それについてはきっちりと仕置きが必要だ。

 

「……ふぅ……」

 

 椅子に座り、座る前に置いた器とは別の器を手に取り、傾けた。

 手に取ったのは量の少ない茶だったけれど、そんなことはどうでもいい。

 椅子に座ると丁度いい場所にこの器があったんだもの、仕方が無いでしょう?

 

「……静かね」

 

 鳥の声に紛れ、時折に霞と華雄の声が聞こえる。

 それくらいだ。

 あくまで穏やかな空間で、自分はゆっくりと息を吐いた。

 こんなにも落ち着けるのはどれくらいぶりだろうか。

 なにかというとあの男の所為でもやもやさせられたというのに、あの男の茶一つでそれが落ち着く自分が少々情けない。

 

「…………」

 

 しかしここに来て疑問点。

 これは本当に一刀が淹れた茶なのかと……

 

「ふんふんふふーん♪ って華琳!?」

「ひっ……!?」

 

 心の準備も無しに開けられた扉から、頭の中を占めていた男が現れた。

 瞬間的に顔に熱が溜まるのを感じる。

 

「なっ……な、ななななんだ、こっちに来てたのかっ? 自室に居ないからてっきり───じゃなくていやいやなんでもない! 仕事しようとしてたぞ!? あぁそのお茶さっき淹れてみたんだけどどうだ!? わはっ、わはははは!?」

「………」

 

 自室に居ないから? ……ということは───……

 

「すぅ……はぁ……、───……? 華琳? どうしたんだ、にやけたりして」

「!! な、なんでもないわよっ!!」

「おおうっ!? なんだか知らないけどごめんなさいっ!? って華琳華琳、しー……!」

「な、なによ……! ───?」

 

 一刀が私を探していたらしい事実に、不覚にも顔が笑んでいたらしい。

 指摘された恥ずかしさを誤魔化すために自然に出た叫び───それに対して、一刀が口に指を当てて静かにと促す。

 視線で促された先には暢気に寝ている美羽。

 少し、頬に空気が溜まった気がした。

 

「……おめでたいわね。部屋を占領する者の安眠が大事?」

「? 別に、居て困らない人なら誰でも歓迎するぞ? 華琳も休める時間があるなら是非そうしてほしいし」

「是非?」

「へ? あ、いやー……───ああ、是非。白状すると、凪から書簡を受け取ってから、一度華琳の部屋に戻ってたんだ。華琳と一緒に仕事出来ないかなーとか考えて。袁術と一日中一緒に居てみるって言ったばっかりだったのにさ」

「…………そう」

 

 再び熱が顔に集中するのを感じた。

 なんだというのよ、まったく。

 つまり探し回ったのは一刀も同じで、その過程で模擬戦を見たりしていたということ?

 

「昨日はみんなに捕まってたからさ、華琳とはゆっくり話せなかったし。華琳さえ邪魔じゃなければ、仕事をしながら話が出来ればなぁと」

「今なら時間はあるわ。そこらへんの問題はどうということもないけれど……問題は、一刀が仕事をしながら別のことに意識を向けられるかでしょう? 話に夢中になりすぎて、結局さぼることになるなんて許さないわよ」

「うぐっ……ぜ、善処します」

 

 言った途端に一刀の顔が赤くなり、俯く。

 ちらちらと机と私を交互に見て───、……っ!?

 ……赤くなった理由がわかり、私も余裕を無くして顔を赤くした。

 ま、まあ……そんなこともあったわね。

 けれど、せっかくだ。思い出したのなら心地のいい方を選びましょう。

 

「一刀、突っ立ってないで仕事を始めなさい」

「ああ、そりゃもちろん」

 

 手にしていた器を机の邪魔にならない程度の位置に置き、私が腰をあげた椅子へと座る。

 それを見計らい、私は一刀の膝の上へと腰を下ろした。

 

「……またですか、華琳さま」

「あら。季衣と風は良くて、私はダメなの?」

「……懐かしいやりとりだけど、いろいろ思い出した今やられると、その」

「我慢しなさい。呉でも蜀でも出来たのなら、ここでも出来る筈でしょう?」

「ぐっ……も、もちろんだ」

 

 声が強張る一刀の胸へ、背を預ける。

 ……良い座り心地と、良い香りに包まれる。

 苛立ちや心のもやもやの一切が消え、ただ一刀が言葉を口にするたびに、体を通して響く声さえ心地良い。

 

「………」

「………」

「………」

「………いてっ!」

 

 髪に鼻を埋め、香りを嗅いできた一刀の頭を振り向きもせずに叩いた。

 

「あなた、その調子でよく我慢なんて出来たわね……」

「うう……これでも必死なんだぞ……?」

 

 泣き言をこぼしながらも竹簡を広げ、目を通す。

 必要なことがあれば筆と墨を走らせ、纏める。

 ……なるほど、呉や蜀で手伝いをしていただけはあって、多少は早くなっている。

 字の間違いもなく、纏め方も大分上手くなっている。

 蜀では桃香の手伝いもしていたというし、呉蜀に向かわせたのは正解だったのだろう。

 

「………」

「………」

 

 一度集中しだすと止まらないのか、いつしか一刀は書簡の相手に没頭していた。

 カロカロと広げられては閉じられる竹簡。バサリと広げられては必要なことを書き足され、墨が乾くのを待ってから閉じられる巻物。

 それらを眺めながら、静かな時を茶を口にしながら過ごす。

 いつか注意をした推敲(すいこう)、文の読み易さにも注意を置いているのか、綴られる文にも好感が持てた。

 

「………」

 

 そんなものが一定の速度を保ちつつ処理されていく様を眺めていた。

 安心出来る時間が心に暖かい。

 間違いを指摘するでもなく、背を預けられる者に預けっぱなしで脱力する時が来るなど、この男が消えた時は思いもしなかった。

 ……いや、それはいつでも同じことだったのかもしれない。

 覇者を目指した頃でも、覇者に至った頃でも、それは変わらなかったに違いない。

 

「………」

「………」

 

 軽く視線をずらし、熱心に書簡を纏める一刀の顔を見る。

 一旦熱中してしまえば、こちらのことなど気にも留めない。

 いつかのようにあれが反応するでもなく、一心不乱に…………ああ、なるほど。

 

「べつの何かに集中しないと、耐え切れない?」

「わかってるなら言わないでくれっ!」

 

 図星だったようだ。

 口に出してみれば急速に赤くなった顔が、私の目から逃げるように逸らされた。

 書簡を扱っていた手はピタリと止まり、数瞬、私へと向けられそうになったけれど……

 

「~っ……我慢、我慢……! 空白の分を取り戻すんだ……!」

 

 驚いたことに止まった。

 再び書簡を手に、速度は乱れたものの、作業が再開される。

 へぇ、と思わず口にしながら、再び一刀の胸へと背を預けた。

 なんと無しに胸に耳を当ててみれば、早鐘を打つ鼓動。

 随分と動揺してくれたらしい。

 

(ふふっ……)

 

 そうしてまた、この男を軽くからかえることの出来る自分に笑みを浮かべ、脱力。

 眠れるようなら寝てしまおう。

 そのために時間を作っておいたのだから。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 懐かしい香り、心地良い重さに、温かな感触。

 それらが俺の自制心をじわじわと包み込み、溶かしていくのを感じた。

 

(~……我慢、我慢……! 我慢だ我慢……!)

 

 待ち望んだ少女の温かさがこの胸の中にあり、しかし仕事があるのにそんなことをするわけにもいかず、いやそもそも空白を埋めるために俺はっ……あうあーっ!!

 ……ハッ!? なんか今、心が明命みたいな声をあげた!

 落ち着こう俺! ここで折れたらまずい!

 

「~っ……」

 

 いっそ華琳に降りてもらおうか。

 

  否である。この感触を離したくなどないわ。

 

 触れられもしない感触なんてものよりも仕事が大事だろ?

 

  何を言う! 触れられぬのならこの心地良い重みを堪能してこそ雄!!

 

 そうは言うけどこれじゃあ生殺しだろ! 耐え切る前にいろいろと破裂するわ!

 

  耐えよ。耐え切ることに貴様が試されるべき“雄”があるのだ!

 

「………」

 

 頭の中で天使と悪魔が喧嘩をしていた。

 もうどっちが天使なのか悪魔なのかわかったもんじゃないが。

 葛藤のさなかに、やたらと静かになった華琳を覗いてみれば、静かな寝息を立ててらっしゃった。

 ……いつかみたいに寝たフリじゃないよな?

 

「……ちょ───いやだめだだめだ……!」

 

 ちょっと触るくらいなら、とか普通に考えそうになった!

 そんなことをすれば止まれなくなる!

 自重せい! 自重せい北郷一刀! それは自殺行為ぞ!

 

「ごっ……呉でも蜀でも我慢は利いたのにっ……魏に戻っただけでどうしてこう……!」

 

 それだけ愛しいから、だろうか。

 それは確かに自信が持てる。

 

(集中しろ、集中……! 仕事に没頭するんだ……!)

 

 煩悩め! 死ねぇえええぇぇぇぇーっ!!

 

 

───……。

 

 ……墨が乾くのを待って、丸めた竹簡が山に積まれたところで……終わった。

 必要以上に集中した所為か、思ったよりも全然早く。

 膝の上では未だに華琳が寝ていて、寝台の袁術と同様に、穏やかな寝息を立てていた。

 

(じいちゃん…………俺、やりきることが出来たよ……)

 

 煩悩に打ち勝った自分を褒めてやりたい。

 自分を上手く扱うには、自分で自分にご褒美を設けるといいって、誰かが言ってた。

 じゃあ今の俺に必要なご褒美ってなんだろう。

 

「───はっ!?」

 

 再び見た華琳から目を逸らし、首を振る。

 さすがにそれはない、絶対にない。

 熟睡している人を襲うとか、ないだろ!

 

「普通でいいんだってば……ほら、朱里や雛里にやったみたいに」

 

 大きく深呼吸をして、心を落ち着かせた。

 それからゆっくりと手を動かし……椅子に深く座ることで、より深く胸に背を預ける華琳の頭をやさしく撫でる。

 そうだ、普通でいい。

 我慢したからって、欲するのが体の結びつきとかそういうことばっかり考えてるから、我慢が利かなくなるんだ。

 落ち着いていこう。ゆっくり、ゆっくり。

 

「……ほらみろ、やろうと思えば出来るじゃないか」

 

 煩悩が、ただ慈しむ心へと向かう。

 愛したいのも確かだが、守りたいと思う心も確か。

 聞かん棒になり始めていた息子も治まりを見せ、心に平穏が訪れた。

 深く座ったままに手を伸ばして茶を取ると、口に含んで喉に通す。

 静かな部屋に、やけに大きく聞こえる嚥下。

 華琳が軽く身動(みじろ)ぎをしたが、起き出すことはなかった。

 

「………」

 

 終わったなら隊舎に行って、まだまだ積み重なっている書簡を持ってきて、確認しなければいけないんだが……眠り姫様を前にする王子様ってやつは、こんな気分なんだろうか。

 

  一言で言うなら───一歩も動きたくない。

 

 ただ傍に居て、ずっと守っていたいと思ってしまう。

 自然と目が細り、顔が穏やかに笑み……髪を撫でる手も、壊れ物を扱うよりも余程にやさしくなる。

 しばらくそうしてから、顔を引き締めて充填完了。

 

「仕事は仕事っ」

 

 欲望に打ち勝てる己でありなさい。

 難しいことだが、出来ないことじゃないのなら必ず出来る。

 

「よ……っと」

 

 自分の上の華琳をゆっくりと持ち上げ、椅子から自分の体を逃がし、華琳を座らせる。

 穏やかな寝息は続いていたが……心無し、顔が赤い気がする。もしかして起きてるか?

 じゃあ……一応。

 

「終わった分、片付けてくるから。ゆっくり休んでてくれ」

 

 放った言葉に返事はない。

 そんな些細に苦笑をこぼしながら書簡を持ち上げ、部屋を出た。

 どうしてかスキップしそうになるほどに浮かれている自分を、小さく笑いながら。

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……一刀が出ていってから、撫でられた頭に触れた。

 まるで子供扱いだ。

 だというのに、嫌な気がまるでしない。

 口付けをされるより、その口で愛を語られるより、余程に安心を覚えてしまった。

 包まれている、と……感じてしまった。

 

「…………」

 

 顔に集まった熱は、まだ消えない。

 丁度いいことに、机の上に水があったので飲んでみる。

 ……少しは落ち着いた、気がする。

 

「……まさかこれを見越して水を……なんて、有り得ないわね」

 

 ちらりと、未だに眠っている美羽を見る。

 大方、あの子用にと持ってきたものなのだろう。そして、それはたった今、空になった。

 ……冷めたお湯で代用が利くかしら。

 

「ふぅ……」

 

 息を吐いて、椅子に深く座る。

 眠気は……少しも残っていない。

 どれほど安心して眠っていたのか、自分でも不思議なくらいに深い眠りだった。

 遊びに来るたびに、一刀が一刀がと言っていた雪蓮も雪蓮だけれど、私も相当だ。

 たった一人に背を預けるだけで、ここまで安心を得られるなんて。

 

「………」

 

 冷めてしまったお湯で茶を淹れてみる。

 口に含んでみて、苦さばかりが口に残り、少々不快になった。

 それでも構わず飲み干すと、器を机に置いて立ち上がる。

 冷めたお湯の余りを水が入っていた器に入れて、茶器を手に歩いた。

 いつまでもこの場に置いていたのでは邪魔になる。

 どうせ今度は先ほどよりも多くの書簡を抱え込んでくるに違いないのだから。

 

 

 

-_-/一刀

 

 静かに扉を開き、自室を覗いてみると……華琳は居なかった。

 

「……、……あれ?」

 

 やっぱり起きていたんだろうか。

 勝手に出る溜め息を吐けるだけ吐いて、扉を開けるために床に置いておいた書簡を掻き集め、持ち上げる。何往復するのも面倒だからって、一気に持ってきすぎた。

 華琳が見たら計画性が足らないとか言うんだろうなぁ。

 

「よっ……ほっ……」

 

 足で開ききっていない扉を開け、机までの距離を歩くと、その上にがしゃりごしゃりと書簡を置く。

 よくもまあこれほど溜めたもんだ。勝手に居なくなった俺が悪いんだけどね。

 

「袁術は……まだ寝てるか。よく寝るなぁ」

 

 寝る子は育つ。いいことだ。

 さてと、俺もさっさと続きをやってしまおう。

 穏やかな気持ちになれたからか、普通にやる気が充実している。

 今の俺ならどんな無理難題でも解決出来る……そんな気がするのです。

 

「うみゅぅ……ななのぉ……? なにをがしゃがしゃ騒いでおる……うるさいのじゃ……」

「ゲッ!?」

 

 いや……前言を撤回します、しますから眠っていてください。

 いいっ! 寝台から降りなくていいからっ! そのまま布団にくるまって寝てて!

 一緒に居てみるよとは言ったけど、せっかく仕事にやる気が向いてたのに───!

 

「ひうっ!? だ、誰じゃお主は!」

(しかも忘れられてる……!)

 

 俺達の戦いは、始まったばかりだった。

 結局この日はこの瞬間から、俺のことを思い出してもらうことから始まり、残りの時間のほぼを説得に使った。書類整理を片手間にするなんて、趣旨が変わってしまったと言う他無い状態が続いたんだから仕方ない。

 思い出してくれたからかどうなのか、一応、あくまで一応俺には危険が無いということだけはわかってくれたのか、近づいても泣き出したりはしなくなったんだが……。

 

「これは妾の寝台じゃ! 早々に出ていけ、このし、し……しー……? しれものめー!」

 

 夜。寝台で寝ようとしたら蹴られた。

 元気が出てなによりだが、多少の怯え様と一緒に遠慮も投げ捨ててしまったらしい。

 そのくせ布団にくるまっておきながら、眠気が無いとくる。

 仕方ないので……自分の部屋なのに許可を得てから寝台の端に座り、寝転がる彼女に童話を話して聞かせた。

 話していくうちに警戒心を解いたのか、少しずつ質問を投げてくるようになる。

 それに穏やかに返すことが続き、質問が無くなる頃には……袁術はようやく寝ていた。

 

「…………」

 

 そして、重たい目で窓をみれば、綺麗な朝日。

 

「………」

 

 神様……俺、頑張ったよ……?

 頑張っていろいろ我慢したよ……?

 その結果がこれって…………華琳も結局、あれから来なかったし……。

 

「……いいや、もう……。机で寝よう……」

 

 ふらふらと歩き……座り、突っ伏して、寝た。

 机の上に積んだ書簡の全てを確認し終わるまでは、恐らく警備隊の仕事には復帰できないだろう。だから今は寝かせて欲しい。じゃないと本気で体を壊しそうだ。主に関節を。

 ああ……布団が恋しいなぁ……。



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46:魏/心の鍵と部屋の鍵①

86/子猫のあやし方?

 

「……終わらないな」

 

 昼。

 重ねた竹簡が山になる様に溜め息を吐き、伸ばした手の先にある竹簡の山にも溜め息。

 目覚めた昼から続く書簡整理も、まだまだ終わらない時間が続いていた。

 ちなみに今日は袁術も起きている。

 寝台の布団の上に座り、じーっとこちらを観察しているのだ。

 

「うぐ……目が霞んでる」

 

 机で寝た所為か熟睡も出来ず、寝不足がたたって、文字を追う目も霞んでくる。

 目頭をマッサージしたところで大した効果も得られず、眉間に皺を寄せながら見ることに……

 

「……、……っ……!」

「………」

 

 ……出来るはずもなく、穏やかな笑顔のままの作業が続く。

 だって少しでも怖い顔すると袁術が怯えるんですもの。

 目薬がほしいな、切実に。昔のCMの如く、一滴たらして“来たァァアーッ!”とか叫びたい。あ、うそです、目薬差して、ただただそのまま眠りたい。温かい布団で。

 華佗の鍼って眼精疲労にも効くんだろうか。

 そういうのがあったら是非ともやってもらいたいもんだ。

 

「……ん」

 

 気を使う時間が続いたからか、少し喉が渇いた。

 刺激しないようにゆっくりと椅子から立ち、ちらりと袁術を見る……と、布団を抱き締めて、子猫か兎のようにカタカタと震えていた。

 せっかくだからと、これまた刺激しないようにやさしく語りかけることにする。

 

「……袁術? 今から厨房に水をもらいに行くんだけど、一緒に───」

「嫌じゃっ! 出たくないのじゃ!」

 

 これぞ……のちのHIKIKOMORIの誕生である───!

 ……冗談のつもりで想像してみたのに、シャレにならなそうなので思考を打ち切った。

 

「そ、そか。じゃあ蜂蜜以外で飲みたい飲み物はあるか? 一緒に貰ってくるぞ?」

「……う……蜂蜜はだめなのかや? 妾は蜂蜜水がよいのじゃがの……」

 

 昨夜(昨夜?)の昔話が効いたのか、多少は話すようにもなってくれた袁術だが、ただ単に己の欲望に正直なだけであり、近づけばビワーと泣き出すところは変わっていない。

 自分を包む氣にはもう慣れたのか、もうどーのこーのと言うこともなくなったのに。

 

「だ~め。それは袁術が自分で外に出て……俺と一緒でもいいから、厨房に行った時にだ」

「うぅ……」

 

 俺の言葉にちらりと扉を見るが、動こうとはしないおぜうさま。

 そんな彼女を見て溜め息混じりの苦笑をひとつ、換気のためにと窓を全開。部屋の出入り口である扉も解放したまま、厨房へと向かう。袁術が窓と出入り口とを涙目で交互に見まくっていたが、何かを言われる前に歩いた。

 あのままじゃあ部屋の中の空気が濁り切る。

 そんな中での書簡整理はさすがに勘弁していただきたいのだ……本当に。

 

(さて……と)

 

 特に急ぐでもなく歩き、道を間違えることもなく厨房へ。そこで水をもらって喉を潤したところで、自分の分とは別にもらった水を片手に通路を行く。何処へ向かっているのですかと訊ねられれば当然、自室へと答えるわけだが……

 

「げっ」

「目にした瞬間に“げっ”はないだろ……」

 

 途中で桂花と遭遇した。

 そうすることが然であると断言する眼力が、全力で俺を汚物として睨んでくる。

 こいつの頭の中がどうなってるのか、本当に一度見てみたい。

 ……どうせ、俺への憎しみが2割、残りは華琳への愛で満たされているんだろうが。

 

「なに? わざわざ移動して水を飲むの? そんなもの厨房で済ませてきなさいよ。飲みながら歩かれたら、落ちた水滴で床が腐るじゃない」

「どんな生命体だよ俺は! 大体これは俺が飲むやつじゃないんだから、飲みながら歩いたりなんかしないっつーの!」

「あんたが飲むんじゃない……? はっ! まさかあんた、性懲りもなく華琳さまに!」

「ええい常時爛漫な脳だなちくしょう……時々お前の頭の中が羨ましくなるよ」

 

 前言撤回だ。一割が俺で九割が華琳だ。

 むしろ一割の中にも華琳が含まれていて、十割を占めることが出来ないからって俺を憎んでいる。突き詰めれば、そんな嫌な方程式が完成しそうだ。

 

「せっかく天に帰ったって安心していたのに、居なければ居ないで華琳さまに溜め息なんかを吐かせて……! 戻って早々に他国に飛んで、ざまぁ見なさいと思えばまた溜め息を……! しかもその上、戻ってきたと思えばねちっこくも華琳さまを付け狙う始末……!」

「“華琳って花”が爛漫なんだな、お前の頭の中って」

「なに当然のこと言ってるのよ。そんなことに今さら気づくなんて、よっぽど馬鹿ね」

 

 うんごめん、一割にも届いてないよ俺の存在。

 気づいていたとも、ただ理解したくなかっただけのことさ。

 たとえ既に理解していたとしても、忘れていたかっただけのことさ。

 頭の中が春、とか比喩的表現で言うものがあるけど、ここまで華琳のことで頭がいっぱい、桜花爛漫軍師も珍しい。春蘭だってもう少しは……ほら、秋蘭のこととか気にかけてるし。

 

「………」

 

 ただ知識が武か、どっちに得意分野が向いているかの差で、人は春蘭にもなれば桂花にもなる、なんて想像をして、身を震わせた。怖いわ。

 

「……それで、桂花はこれから何をするつもりだったんだ?」

 

 いい加減話を終わらせないと、延々と馬鹿呼ばわりされそうだ。

 なので、ちらりと桂花が手にするものに目を向け、訊いてみる。

 もちろん返ってくる言葉なんてのは容易に想像できるわけで。

 

『なんであんたなんかに私の予定を話さなきゃならないのよ』

「───なっ!?」

「あっはっはっはー、言うことが単純だなぁ桂花さんはー」

 

 だから声を重ねて言ってやると、カッと顔を赤くする軍師さま。

 そんなささやかな仕返しに、ふるふると肩を震わせた桂花が言葉にならない罵倒をする中でゆったりと歩く。……たまにはいい薬だろう。今日か明日あたりにでも仕返しされそうな気がするのに、寝不足でまいっている心に少しだけ活力が沸いた。我ながら嫌な活力だ。反省。

 背中に冷や汗、頭に嫌な予感を浮かばせながら、引きつった笑みのままに部屋に戻った。OK、反省とともに、仕返しにはきちんと正面から向き合おう。もちろん落とし穴に嵌りたいわけじゃないので、それは避けさせてもらうが……はぁ。

 

「馬鹿なことをした……。仕返しとなると、宅の軍師さまは手段を選ばないからなぁ……」

 

 しかし、それはそれとして……茶器なんて持ってどうするつもりだったんだろうな。

 そう、桂花は茶器を持っていた。

 茶でも淹れるつもりだった? にしては向かう方向が厨房だったわけだが。

 ……淹れたあとか。華琳に自分が淹れたものを飲んでもらおうとしたとか。

 

「まあいいや、それよりも、と」

 

 開け放たれっぱなしだった自室へ戻ると、袁術の様子をそっと見てみる……と、寝台の上にアダマ○タイマイ───じゃなくて、布団を被って丸まっている袁術を発見。

 掛け布団と敷き布団の隙間から、こちらの様子を伺っている。

 せっかくの換気も無視で、新鮮な空気を吸う気すらないらしい。

 

(しょっちゅう追い出されてたとか聞いたけど、そういう時はどうしてたんだか)

 

 何を思ってこの部屋に寄生し始めたのかは謎だが……居心地がいいとかいい匂いがするとか、やっぱりそこなんだろうか。自分の匂いを嗅いでみたところで、美以の時と同様に特別な匂いがするわけじゃない。

 あれか? 放置されすぎて野生に目覚めた? いやちょっと待て、氣を満足に扱えるようになったのは呉に行ってからだぞ? なのに俺からいい匂いなんて……じいちゃんとの鍛錬で、多少は氣が身に付いてたんでしょうか。初めて会う筈のセキトも、なにやら懐いてくれたし。……あ、なんかちょっぴり嬉しい……!

 と、それはそれとしてと。

 

「袁術~? 水、もらってきたぞ~?」

「………」

 

 様子を見ていたくせに、俺の声だと確認するまで顔を出しもしない。

 ようやく顔を出しても、じーっと俺が持つ水の入った器を睨むばかりで……

 

「……毒なら入ってないぞ?」

 

 仕方も無しに言ってやると、ようやく少しだけ睨むのをやめた。

 人に頼りきりの少女が一人になると、こうなるのか……覚えておこう。

 

(……? そういえば、風呂とかどうしてるんだろうな)

 

 静かに寝台に近づいて、その端に座って水を差し出す中で、ふと気になった。

 差し出した水を手に、掛け布団を押しのけて女の子チックな座り方をし、こくこくと水を飲む袁術。その髪を見てみると……少しごわごわしていた。

 まあ、布団に潜りっぱなしじゃあこうなる。

 少し梳いてあげようか───とも思ったが、男の部屋に櫛などあるはずもなく。

 

「………」

「うん? っと、一杯じゃ足りなかったか?」

 

 すっと差し出された器を見ると、中身は空っぽ。

 しかし俺をちらちらと見る目は何かを欲しがっているようで……ようするにお代わりだろう。ついでに何か食べれそうかと訊いて、蜂蜜水だけは却下しつつ、何を持ってくるかを軽く考えた。

 

「一刀は意地悪じゃの……」

「おお、意地悪だぞー? 意地悪だから、嫌って言っても食べ物は持ってくるぞー? きちんと食べて、今日も頑張らないとな」

「う、うむ……」

 

 困り顔の袁術から器を受け取り、あくまで自然な動きでその頭の撫でた。

 突然のことだったのか反応出来なかったらしい袁術は、撫でられるままに硬直。そんな少女に自然と微笑みながら、「じゃ、言ってくる」とだけ言って行動開始。

 換気は続けたままだから、開けっ放しの窓と扉からは心地良い風が流れている。

 そんな風に誘われるように、軽い足取りで厨房を目指した。

 先ほどと同様に軽い足取りで、しかし桂花が潜んでいないか注意しながら。

 ……居ないな。

 

(気にしすぎだな。大体、あいつだって暇じゃないんだし)

 

 気にするのはやめて、そのまま厨房へ。

 で、貰った昼食を自室に運び、袁術と済ませてからは書簡を整理する時間が続く。

 目はぼやけたままだが、見えないわけでもないので続行。

 飽きることなくカロカロバサバサと書簡竹簡を片付けて……そのたび、街で起こった些細なことで苦笑する。中には“その場に居合わせたかったな”と思うものもあって、惜しいことをしたと思うこともしばしばだ。

 ……その問題の原因のほぼが春蘭絡みだったりするのは、華琳の頭痛の種だろう。

 それでも兵や町人に慕われてるのは素直に凄いよ、春蘭。

 いつか秋蘭も納得してたっけ、春蘭が可愛いのは馬鹿だからだって。

 実際に俺が馬鹿って言ってしまった時は、剣を振り回して追いかけ回されたもんだけど。

 

「ふむふむ……」

 

 そういった、自分の知らない出来事を目で確認出来るのが嬉しくて、目はぼやけていても読むのをやめられない。机にかじりついている主な理由はそれなのだ。

 

(ん……真夜中に蠢く少女の影?)

 

 ふと、竹簡を見ていく中で不思議な事件(事件?)を発見。

 もう解決したのかどうなのかは読みきらないとわかりそうもないが……

 

「………」

「……?」

 

 寝台の上で俺を見る袁術へと目を向ける。

 もしかして袁術のことだろうか───とも思ったんだが、HIKIKOMORI状態の彼女がそんなことを出来るはずがない。もしやすればHIKIKOMORIになる前のことなのかもだが……まあいいや、とりあえず読み進めてみよう。

 

(……真夜中の街に怪事件。奇妙な音を耳に、起き出した何人かの町人が、街をゆらゆらと歩く少女を見たとのこと。話し掛けてみても返事もせず、呼び止めるように肩を掴むと、人とは思えないほどの冷たさを感じ、思わず離した……少女はそのまま、何も喋らずに歩いていってしまった、と)

 

 どうやら未解決のことで、その後も何度か目撃例があるらしい。

 発見し、肩などを掴むことで呼び止めた者は、一様に“冷たかった、硬かった”と言っているのだそうだ。

 ……町人が川へ行って、水浴びでもしていた……? にしては返事もしないでっていうのは気になるな。しかも硬いっていうのが……どうにも引っかかる。

 

(硬い女性? ……筋肉ゴリモリの不思議少女が、真夜中の鍛錬を終えたのちに……)

 

 マテ、それは余計にありえないだろ。硬いと思われるくらいの筋骨隆々少女ってなんだよ。むしろそれだけ筋肉があれば、体温も多少は高かろうに。

 ……わからないことは後回しだな、次。

 

(……ありゃ?)

 

 続きがあった。ご丁寧に硬い少女の話だ。

 

(竹簡って案外、書くスペース少ないもんなぁ)

 

 続けて目を通してみる。

 曰く、硬い少女は妙な音を出す。時折に鈍い音も出し、そんな時は何者かが驚くべき速さで連れ攫い……なんじゃこりゃ。

 

「あ、あー……うん……?」

 

 何かが引っかかるんだが……なんだろうな。

 ……わからん。次に行こう。

 

「怪奇、猫と会話する軍師? ……いつから警備隊はゴシップ新聞社になったんだ?」

 

 これ書いたの、もしかして沙和か?

 報告することが無くて(恐らくサボって)、目に付いたものを適当に書いてみたって匂いがプンプンする。

 これ、出した後は絶対に華琳に呼び出されたろ……。

 

「……くふっ、ぷっふふふ……」

 

 その後も、見ているうちにみんなの失敗等が発見出来た。

 どの国も同じだなぁと思う反面、完璧な人なんて早々居るわけもないことに、妙に安心する。そこのところは、鍛えても凡人だねぇと自分自身を笑う。

 

「……の、のぅ一刀……? 何ぞ可笑しいものでもあったのかや……?」

「お?」

 

 竹簡を見て笑うなんて、おかしなことをしている俺に興味を持ったのか疑問を持ったのか、袁術がおずおずと語りかけてくる。

 俺はそれに、大した思考も巡らさずに素直に手招きをした。

 袁術はふるりと、そんな動作に怯えさえしたが……やはりおずおずと寝台から降り、てこてことこちらへ……掛け布団を持ったまま歩いてってこらこらこらっ! ……あ、あー……いいや、布団はあとで叩いて埃でも取っておこう。素直に渡してくれたらの話だが。

 そんなわけで近寄ってきた袁術に竹簡を見せる。

 仕事のものだから、誰彼構わず見せていいものじゃないんだが……まあ、どうかここは仲良くなるためだと納得してほしい。

 見せるのは他愛無い街での出来事のものだし。

 

「字が……いっぱいじゃの……」

「読めないか?」

「ば、馬鹿にするでないのじゃっ、これくらい妾にかかれば造作もないことじゃ!」

 

 竹簡がばっと奪われる。

 そうした動作の中、離された掛け布団がドサッと落ちるが、袁術の意識はもはや掛け布団よりも竹簡に向かっているらしい。目を向けることもなく、竹簡を凝視していた。

 俺はといえば……そんな少女の意地を苦笑とともに眺めつつ、落ちた布団を抱えて歩き、窓際で叩いた。

 ……埃らしきものは、そう出はしなかった。

 そういえば誰かが定期的に掃除してくれてるとか言ってたっけ。誰なんだろうな……片手間で凪に訊いてみても、知らないっていうし。

 

「誰かは知らないけど、ありがと」

 

 なるほど、こんな布団なら包まれて寝たくもなる。

 寝不足だし、こうして抱いた布団に埋もれて寝れたら、それはどれだけ───お、おおっ?

 

「ふぇっ!? へ……あ、ああ……? 袁術か、どうした?」

 

 窓枠に掛け布団を掛け、そこに顔を埋めていたら本気でオチそうになった。

 そんな時に服を引っ張られる感触を覚えて振り向くと、竹簡を睨みながら俺の服を引く袁術。

 

「わ、わざわざ妾が読む必要もないであろ? 特別におぬしに読んで聞かせる任を与えるから、今すぐ読んでたも?」

「………」

 

 プライドが恐怖に勝ったのか、恥ずかしさや無知が恐怖に勝ったのか。

 任せるって言ったのに、読んでたも、と頼む姿に笑みながら受け取る。

 なんにせよ、おかしな方向で俺達の接触は始まるらしかった。

 

「じゃあ、そっち座るか」

「うみゅぅ……仕方ないの、妾はここから動きとうないのじゃからの……」

 

 早々と寝台の上に乗り、俺には寝台の端を指差し、提供する袁術さん。

 ここ……俺の部屋だよな……?

 ああいや、我慢我慢……とまあそんなこんなで寝台の端に座った。

 机の上から持ってきた幾つかの竹簡を敷き布団の上に置き、カロカロと広げては話して聞かせる。

 袁術は───そんな俺の隣に座り直すと、不安げな顔はそのままに、しかし足をぷらぷらと動かしては続く俺の話に耳を傾けている。

 

「昔々あるところに、お爺様とお婆様がおりました。お爺様は持ち前の武力を以って芝刈りに、お婆様は持ち前の知力を以ってどう芝を刈ればいいかを指示。二人は長い時をこうして生きてきた最強の老夫婦でした」

「……のう一刀……? それは本当にこの竹簡に書いておるのか……?」

「書いてないぞー? ただ、難しい話よりも楽しい話のほうがいいだろ?」

「むう……ど、道理よの? さすが一刀なのじゃ、ならば続きを話すがよいぞ?」

「ああ」

 

 どこの一刀さんがさすがなのかは、今の僕には理解できなかった。

 ただ、まあ……そう言いながらも不安げな顔で服を掴まれては、何も言えない。

 少なくともそう、危害は加えないってことだけは受け取ってもらえたのだと喜ぼう。

 

「お爺様は普段の温厚な性格、そして痩せ細った体とはまるで別物の、筋骨隆々の姿となって憎き芝めを刈り滅ぼします。素手で」

「ななななんじゃとーっ!? 素手なのか!?」

「素手なのです。彼が手を振るうとズバズバと切れる芝は、まるで刃物で切ったと見紛うほどの見事な切れ目。いつにもまして見事な仕事に、指示をするお婆様も満足げに頷きます」

「お爺様は凄いのじゃの……!」

「最強ですから」

 

 もちろん作り話なのだが……袁術は思いのほかお気に召したご様子。

 とはいえ、即興話だからどこでどうオチをつけるか───……

 

……。

 

 ……さて。

 

「流れてきた桃には、なんと赤子が入っておりました」

「なんじゃと!? だだだ誰が捨てたのじゃ!?」

「モノ言えぬ赤子を桃に封じ、流した者こそ……鬼ヶ島の鬼!」

「ひぅうっ!? ででででは鬼の子ではないかーっ!」

「いや、違うな……。その赤子、実はコウノトリさんが人里に送るのを間違え、鬼ヶ島に届けてしまった赤子。それを風の噂で知った、すくすく育った赤子は思いました。“おのれコウノトリ……! 何年経っても桃の匂いが取れぬこの恨み、晴らさでおくべきか……!”と」

「ひどい話よの……」

「そしてかつての赤子……桃次郎の旅が始まります。いや、始まるはずだったのですが」

 

 話始めてしばらく───……話はまだ続いていた。

 話しながらでもなかなかどうにか出来るもので、未確認分の書簡の数は大分減っている。

 しかしながら、当然の如く話はどんどんと脱線していき───

 

「なんとそこで桃次郎を気絶させたのがお爺様」

「なっ……なんじゃとーっ!?」

「子に恵まれなかった老夫婦です。そんな子供に旅をさせるほど、老いぼれてはいなかったのでしょう。身支度をするとお爺様とお婆様は頷き合い、諸悪の根源であるコウノトリさん、そして育てられないからという理由で、子供を桃詰めにした鬼どもを倒すための旅に出たのです───」

「おぉおお! お爺様は最強じゃからの! こうのとりや鬼なぞちょちょいのちょいなのじゃ! うわーはははははーっ!!」

 

 そしていつの間にか、袁術の中でお爺様最強説が定着してしまっていた。まるでいつかの吾郎くんが如く。

 ……これ、もう全然怯えたりしてない……よな?

 でもなぁ……話をやめると戻りそうだから、中々オチをつけられない。困った。

 この話をするまで、こんな元気な袁術なんて見なかったし。

 三国の宴以来か? こうして高らかに笑ったのって。

 そんな調子でゆっくりと話して聞かせていた話も、いよいよ佳境。

 それなりの山場を迎え、それなりの解決を経て、それなりの終端を迎えたわけだが───

 

「うぐっ……ぐしゅっ……お爺様……立派だったのじゃ……!」

「あ、ああ、うん……」

 

 話し終えてみれば、どうしてか感動の涙を流す袁術さんが居た。

 立派だったと言われても、別に戦死したとかそんなことはないのだが……なにやら感動された。お笑い中心のドタバタ活劇だった筈なんだけどな。

 ともあれ涙を指で拭い、頭を撫でてやると、袁術は恥ずかしそうに軽い抵抗をする。

 てっきりすぐに払われるかと思ったんだが……と思った途端にハッとした袁術が俺を押し退けるようにして離れ、掛け布団を被───ろうとしたが、掛け布団は窓枠に引っ掛けて干したままである。

 すぐさまそこを目指してパタパタと走り出す袁術を眺めつつ……俺はやれやれって苦笑を漏らして竹簡の片付けに入った。

 そろそろ陽も暮れる。

 夜も袁術と食べようか。せっかく、少しは慣れてくれたんだから。

 

「じゃあ、終わった分を隊舎に片付けてくるから」

 

 一応声をかけてから、布団にある書簡を抱える。

 そうして数瞬目を離したその時……視界の端に、なにか見えたような気がしたんだが……戻してみても、掛け布団を引きずり下ろして包まる袁術が居るだけだった。

 

「?」

 

 なんかこう……待ってとばかりに手を伸ばされたような……っと、陽が暮れる前に持っていかないとな。凪に迷惑かけることになる。

 自分で言うのもなんだが、作り話が長引いてしまったこともあり、急がないとやばい。

 なので気になることも半端に、軽く早歩きで部屋を出た。

 そして───

 

  近道とばかりに中庭を通るその途中、落とし穴に落ちたのは───

 

  そんな、陽も暮れようとしていた空の下でのことだった。



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46:魏/心の鍵と部屋の鍵②

 ……夜にもなる頃の自室で、呻く姿がある。

 他の誰でもない、俺なわけだが。

 

「くぅう……桂花のやつ……! 落とし穴を作る暇があるなら仕事をしろっての……!」

 

 大体茶器はどうしたんだ茶器はっ、茶を入れるつもりだったんじゃなかったのか?

 書簡ごと落下したところへわざわざやってきて、「おほほほほざまぁないわね北郷!」とか高笑いしてらっしゃった。ぜーぜーと肩で息をしながら。どれだけ急いで掘ったんだろうなぁ。

 しかしながら、なんとか竹簡が折れないよう書物が潰れないよう、咄嗟に庇えたのは我ながらよくやれたが……やっぱりつついても一切得のない軍師さまだ。

 まさかこんな早くに仕返しされるとは。

 結局、出られたのは隊舎も鍵をかけられた後で、凪に手間をかけさせちゃったし……はぁ。

 

「ただの穴だっただけまだマシか。これで槍でも仕込まれてたら死んでたよ」

 

 よくは無かったけど、ある意味ではよかった。

 どうせ掘るので精一杯で、そんなものを仕掛ける余裕がなかったんだろう。

 ああまあつまりは、自分の足元が見えなくなるくらいに書簡を持って歩いていた俺の不注意だったわけだ。

 穴自体もそう深いものじゃなかったし、腰をしこたまうちつけた……だけ、と言いたくはないなぁ。だって痛かったし、“だけ”扱いは自分でも嫌だ。

 

(寝不足、体勢の悪いままでの睡眠、ここに来て腰を痛打……はぁああ……)

 

 くそう、俺が何をした。

 ただでさえ腰に負担かけた寝方をしているのに……! と、ちらりと愛しい寝台を見てみれば、こちらをじーっと見つめる袁術。

 試しに「今日はそこで寝ていいか」と訊ねると、「ここは妾の閨なのじゃ!」の一言。閨は寝る部屋、寝室のことだぞーとか言って、これ以上機嫌を損ねることはしないでおこう。

 いっそ風邪引いてもいいから、中庭の芝生で寝ようかなぁ。

 

「………」

「………」

 

 じーっと見詰め合う。

 譲れぬなにかを懸けてそうするように、互いに目を逸らすことなく。

 俺はただ布団で寝たいだけなんだけどね……どうしよ、ほんと。

 と、もはや日課になりつつある……というかなっているかもしれない溜め息が口から吐き出されようとしたその時。微かに耳に届く、くぎゅる~……という可愛い音。

 俺は……すぅう……と顔を赤くする少女を、ただじっと見つめていた。

 

「晩メシにしようか?」

「わ、妾ではないぞ? 今の音は妾ではないのじゃっ」

「おや。では夕餉は要りませぬかな?」

「はぅぐっ!」

 

 真っ赤になりながら自分の腹の虫を否定する袁術に、星の口調を真似た言葉で返す。

 余計に真っ赤になりなさった袁術さまは、わたわたと身振りをしつつ何かを返そうとするのだが、もう一度腹が鳴った時点で……諦めたようだ。

 

「よし、じゃあ待っててくれな。すぐ持ってくるから」

「うむ……」

 

 痛む腰を持ち上げ、部屋を出ようとする俺を見て、何処か寂しそうな顔をする。

 ……一人になりたくないのかなと思うわけだが、その割に近づくことを嫌うしなぁ。

 っとと、俺の腹も鳴いている。早く貰って食事にしようか。

 

(夕暮れや 雷鳴響く 俺の腹)

 

 こうして厨房まで歩くの、今日一日で何回目だっけ。

 考えてみるが、そんなことより腰が痛い。

 くそう、動けなくなったらどうしてくれる。そんな空気への悪態も心の中で言うままに、大した時間もかからずに厨房へと辿り着く……と、なんか侍女さんに“またですか”って顔をされた。

 

「何度もごめんな……はは……」

 

 事情を話し、自室に食事を持ち運んで───……しっかり噛んでの食事も終了。

 片付けたあとは寝るまでの時間を休憩とする。

 さすがに目が疲れたから、追加の書簡は持ってきてはいない。

 だからあとは本当に休むだけなわけなんだけど……

 

(……はぁ)

 

 袁術に届かない程度の小ささで、溜め息を吐いた。

 結論から言うと尻が痛い。だってずっと座りっぱなしだもの。

 落とし穴での腰の痛みは大分引いたが、これは辛い。

 もう本当に、寝台恋しき心境です。

 そのくせ、袁術は布団に入って少し興奮気味に俺を見るわけで……よーするに昔話を聞かせろってことなんだろう。

 もういっそ袁術が寝たら、そのまま布団に潜り込んでくれようか。

 そんなことを考えてしまうくらい、寝台恋しき心境です。

 寝不足の所為で余裕が無いとも言うが。

 

「じゃあ、今日は……わくわくするのとドキドキするのとガタガタするの、どれがいい?」

「む……? がたがたする話とはなんじゃ……?」

 

 興奮顔を疑問に変え、こてりと首を傾げる袁術。

 寝転がってるのに器用だ。

 

「それは言えない。選ぶことの勇気が試されるのが今なのです」

「む、むぅう……やはり一刀は意地が悪いの……」

「まあまあ。選ぶだけなんだから簡単だろ? ただし、選んだからにはきちんと聞くこと」

「うむ、一刀のお話は面白いのじゃ。聞くだけならば、その、別に構わんぞ?」

 

 ……昔話の時だけは調子がいい。

 それでも許せてしまうから、まったく男ってやつは……。

 

「それで、どうする? わくわくやどきどきを選んでも、必ずしも興奮する内容であるとは限らないぞ?」

「むむ……妾を謀る気でいるのじゃろうが、そうはいかぬぞ? わくわくどきどきが駄目ならば、がたがたを選べばよいのじゃ!」

「おお! さすが袁術! これを選ぶとはさすがの胆力!」

「う? う……うむうむっ、そうであろそうであろっ? もっと褒めてもよいぞ?」

「それはまた今度で。じゃあガタガタ話で……“ゆめしびき”」

「……? 夢の話かの? 起きておるのに夢の話とは、なかなか趣の良さそうなものよの。やはりがたがたの話が正解だったのじゃ。これも妾の日頃の行いが良いからよの。妾の選択はいつ思い返しても見事なのじゃ~♪」

 

 布団の中で腰に手を当てているのか、もぞもぞと動く袁術。

 そんな少女の頭をやさしく撫でて、話を始めた。

 

「誰かさんが小さい頃、誰かさん……まあ仮に吾郎くんとして、吾郎くんは自分が寝た時に見る世界が好きでした」

「寝たときに見るものは夢であろ?」

「ああ。でもな、吾郎くんはそれを世界って呼んでいた。何故かと言うと、吾郎くんは夢の中でも自分が思うように行動出来るからだ」

「夢の中でも……それは凄いの! 妾も蜂蜜水が目の前にたっぷりと置かれる夢を見たことがあるのじゃが、何故か動けんかったことがあっての……今でもあれは悔やまれるのじゃ……」

「そ、そか」

 

 どこまで蜂蜜水が好きなんだか……っとと、話の続きをしようか。

 

「で、吾郎くんは、見る夢の中でいろいろな冒険をした。夢っていうのは都合がいいのが大半だから、その気になれば冒険して英雄になることだって出来たんだ。どんな強い相手と戦うことになっても勝てて、夢の中の英雄になれた」

「おおお……そんなことが出来るなら、妾も孫策をちょちょいと捻ってやれるのにの……」

「吾郎くんはいろいろな夢を見られるように頑張った。夢っていうのは記憶の整理だって話を聞けば、見たい夢に関するものを繰り返し考えるようにして」

「そうであろうのぅ、妾も絶対にそうするのじゃ」

「ああ、俺もきっとそうすると思うけどな。でもある日、吾郎くんは泣きながら友人に泣きついた。夢が消えない、夢が離れないって、訳のわからないことを言って」

「……う、うみゅ……? よく、わからぬの……」

 

 楽しげな雰囲気から一変、袁術は少し眉を顰める。

 俺は構わず話を続けた。

 

「話を聞いた友人は逆に羨ましがった。けど、それ以上に、泣きながらそんな羨ましいことを懺悔するように言う吾郎くんを不思議がった。そこで……ようやく友人は“どうしたんだ”と訊ねたんだ」

「う、うむ……」

「吾郎は詳しいことは何も説明せず、家に来てくれと言った。友人はやっぱり訳がわからないままについていくと……促されるままに家に上がり、異臭を感じた」

「う、ううううむ……? な、なにがあったのじゃ?」

「初めて嗅ぐ匂い……いや、臭いに駆け出し、友人は台所に辿り着いた。そこには───」

「そこ……には……?」

「腐り、蝿がたかる、吾郎の両親だったものが落ちていた」

「ふひぃいいい!? な、ななななんっ……なっ……何故なのじゃー!」

 

 布団の中に一気に潜り、それでもなお話を続けさせる貴女の勇気に乾杯。

 

「夢を見すぎたんだ。英雄になったつもりでいたそいつは、いつしか現実と夢の区別がつかなくなっていた。なんだかんだと口煩く自分を叱る親を、始末する夢を見た。……ただし、現実の中で」

「ゆゆゆっゆゆゆ夢を見るのは現実であろー!? 現実でなければなんなのじゃー!」

「結局そいつは、これも夢なんだ、醒めろ、醒めろってぶつぶつと呟きながら……夢の中でもそうして目覚めたことがあったんだろうな。一切の躊躇無く自分の命を断つことで、動かなくなった。……もちろん、夢から醒めることなんてないまま。結果はその家に住むものが居なくなっただけに終わったんだけどな」

「ひぃいいいっ!!」

「ただ、友人が時々見る昔の夢の中に……まあ昔の夢だから吾郎も出てくるんだけどな? 昔の夢のはずなのに、その吾郎がおかしなことを訊ねてくるんだってさ。“俺が死なない現実は何処ですか?”って。記憶にある当時は、“僕”って自分のことを呼んでいたはずなのに」

「うぅうう……!」

「吾郎がそんな質問をした途端に、三つの穴が空中に出てくるらしいんだ。で、それぞれを示すと……」

「し、ししっ、示すとっ……どうなるのじゃ……!?」

「左の穴を示すと吾郎はそこに入って、戻ってこなくなる。なのに夢から醒める時に、喉を締められたような声で“うそつき”って聞こえて、目覚めた自分の喉には、首を締めた手の平のあとがあるんだと。真ん中の穴を示すと、その途端に吾郎の首が切れて崩れ落ちる。実際に死んだときと同じ格好になるんだと。で、右の穴を示すと“怖いから一緒に来て”って引きずり込まれて……」

「こここっ、込まれて……!?」

「穴の中の暗闇を抜けた先で、落下するんだって。底が見えない落とし穴に落ちたみたいに、ずっとずっと。もちろん怖いから、その友人も必死に夢から醒めようとして……醒める直前、落とし穴は終わって……吾郎だけが目の前で潰れて、自分は目を覚ますんだ」

「……! ……───!」

 

 ……あ、返事もせずに震えるだけの存在になった。

 

「けどまあ、穴の先を見たのもその一度ずつで、一定の間隔で繰り返す昔の夢ってやつも、四回目を最後に見なくなったんだとさ。最後……昔の夢の、みんなで遊ぶ“世界”の中、どの穴も選ばずに“ここだよ”って言ってやったら、吾郎は“ただいま”って言って、消えたんだって」

「~……!! ~……!!」

「……って、もう聞いてないな」

 

 これにてガタガタのお話、“夢死引き”はおしまい。

 見下ろす布団さまが見事にガタガタ震えてらっしゃる。

 さてと、じゃあ俺もそろそろ机に戻って……また悪い体勢のまま寝ますか。

 

「やれや───……れ?」

 

 立ち上がろうとする俺の服が、がっしと小さな手に掴まれる。

 伝って見てみれば、布団から伸びる手。袁術のものでございました。

 

……。

 

 で……その後。

 

「………」

「………」

 

 何が吉と転がったのか、俺は布団で寝ていた。

 正しくは、袁術に引っ張り込まれたのだが。

 既に灯りも落とし、暗くなった部屋に二人の息遣いだけが響いている。

 寝巻き……という名のシャツ姿で、久しぶりの布団の感触を味わっているってわけだ。

 

「か……かずと……? 起きて……おるかや……?」

「起きてるぞ~……」

「わ、わわ、わわ妾より先に寝たら、ゆゆ許さぬぞっ……? 絶対じゃぞ……っ!?」

「わかってる、わかってるよー……」

 

 袁術は予想通りというか、眠れずにいた。

 トイレに行く時も連れ回され、寝ようとしている今もまあこんな状態だ。

 右腕にしがみついて、カタカタと震えてらっしゃる。

 俺はといえば、長旅にプラスした久しぶりの寝台の感触に、ようやく体を伸ばせる思いで……まどろみに包まれそうになるたびに起こされていた。ある意味生殺しである。

 

(……明日、そういえば鍛錬の日だけど……)

 

 どうしようか。華琳に頼めば鍛錬をさせてもらえるだろうか。

 駄目だったら駄目だったで、鍛錬できる時間を自分で作らないとな。

 体をナマらせてしまっては、今まで鍛えてきた時間がもったいない。

 ……なんて思っていると、微かに気配を感じる。

 

(───……)

 

 扉の外だ。

 しかも、感じた直後に少しずつ、音を立てずに開かれていく扉。

 

(こんな時間に誰が……?)

 

 生憎と陽が傾いてからは雲に覆われた空。

 月の無い夜には気をつけろとはいうが……この時を狙ってきたのなら、随分と周到だ。

 

(……迷わず寝台(こっち)に来てるな)

 

 狙いは袁術?

 いや、それとも袁術がここで寝てることは知らなかった、俺が狙いの誰か?

 友好的じゃないのは明らかだ。軽い悪戯目的にしては、穏やかな気配じゃない。

 

(誰だ、なんて馬鹿正直に声をかけたら、こっちが行動を起こす前に目的達成に走る……よな)

 

 だから声はかけない。

 寝息に似た呼吸をリズムよく繰り返し、相手の出方を───

 

「ねねね寝るでないっ! 妾を置いて寝るでないぃい~っ!!」

 

 ───見れませんでした。

 突然の袁術の声に相手は驚いたのか、なにやら持っていたらしきものを床に落とす。

 影が、落としたものに気を取られた隙を突いて掛け布団を投げ飛ばし、巻き込まれるままに倒れるそいつの動きを固め、封じる。

 すぐさま袁術に灯りをつけるように指示すると、暗いのがよっぽど怖かったのか、驚きの早さで灯りは灯され……

 

「………」

「………」

「?」

 

 掛け布団の下に、憎しみを込めて俺を見上げる、固められ中の桂花さんがおりました。

 

「あの……なにやってんの桂花サン。割とマジで」

「ふんっ、この私がそう簡単に、あんたなんかに口を割るとでも思っているの?」

「………」

 

 ちらりと、桂花が落とした“なにか”に目を向ける。

 ……なんかヌメヌメした生き物がたくさん蠢いていた。

 ああ、よーするにあれだ、落とし穴に仕掛けきれなかったものを、今さら追加で持ってきたと、そういうわけだ。

 

「……じゃあ現場はこのままに、袁術に華琳を呼んできてもらおうか」

「なっ!? ちょ、ちょっとあんたっ! ……ふんっ、呼べるものなら呼べばいいじゃない。こんな体勢じゃあ、あんたが私に手を出したって見てくださるに決まっているんだからっ!」

「へー。桂花は愛しの華琳さまが、真実を見誤るって思ってるんだ」

「そんなわけないでしょう!? 華琳さまのお美しい瞳は、千里先の真実までを見通す瞳! どんな虚言もたちどころに───た、たち、ど、ころ…………」

 

 あ。サー……って真っ青になっていく。

 

「あのさ。いざ寝ようって時にナメクジだの蛙だのを自室に持ち込む理由、説ける?」

「そ、そんなものっ! “北郷が新たな手技開発をしていました”で十分よ!」

「どんな趣味に目覚めようとしてるんだよ俺は!」

「ふふふふふ……? 売り言葉に買い言葉だけど、あんたには丁度いい趣味だわ。ほら、今すぐそこでヌメヌメしながら悶えてみなさいよ、この全身粘液男っ!」

「………」

 

 えーと、なんだ。

 もういっそこのまま引きずって、すぐ傍で手本を見せてもらえないだろうか。

 いや、さすがに本気ではやら…………ないぞ?

 迷ってない、迷ってないから。

 

「あー……桂花? 俺もう今日はいろいろと響いてて疲れてるんだ。ゆっくり休ませてくれません?」

「地獄に行って休みたいなら喜んで手伝ってあげるわよ?」

「あ、結構です。じゃなくて。ほら、袁術も怯えてるじゃないか。もういいから、お願いします、ゆっくり寝かせてください」

 

 言って、解放。桂花が落とした入れ物(入れ物?)で蠢くナメクジや蛙も、ソレから出てしまう前に拾い上げ、ハイと渡して部屋から追い出す。

 当然即座に鍵をかけて、ギャースカ叫ぶのを無視して寝台へ。

 そもそも鍵をかけなかったのがいけないんだ。

 そんなんだから毎度毎度部屋に侵入されて……華琳にも無用心だとか、本当にノックは必要なものなのかって疑われるんだ。

 さあ寝よう。布団が……明日の朝日が待っている。

 

「じゃ、寝ようか」

「う、うむっ、さっさと寝てしまえば怖くなどないのじゃからの!」

「そうそう」

 

 しばらくして消えた罵声も特には気にせず、灯りを消した部屋の寝台に寝転がり、もう一度呼吸を整えた。

 袁術にも“俺と呼吸を合わせてみて”と言ってみて、きゅむとしがみつかれていた腕を頭の下に回してやって、落ち着くように腕枕をしながら頭を撫でてやった。

 嫌がってはいたものの、なんだかんだで怖さは紛らわすことは出来たようで、袁術は結局俺より先に寝てしまい……俺に合わせた呼吸をそのままに寝息をたてた。

 

(はぁ……やっと寝れ───ういぃっ!?)

 

 それは突然の覚醒! じゃなくて、感触! いや覚醒もしちゃったけどさ!

 なにやら寒気を感じて自分の胸元を見下ろしてみると……ゲゲェーッ!?

 

(へ、へぇっ!? ななななんでっ……!?)

 

 ……袁術が、物凄い速度でお寝惚けあそばれ、あろうことかシャツの上から人の乳首に吸い付いてっ……ってどうすりゃこんな状態になる!?

 え!? なに!? 癖かなんかなのか!?

 ここここらこらこらっ! 吸うんじゃないっ! 吸ったってそんなもん出ないってば!

 離せっ! 離っ……待て待て! ここで強引に押し退けたりしたら、また起きてしまうだろう! 起こすのは可哀相だし、また寝るまでが大変だ! じゃあどうする!?

 

1:「存分に吸うがよい」───このまま吸われる

 

2:「俺……実は前世が乳牛でさ」───やっぱり吸われる

 

3:「すくすく育ちなさい……我が子よ」───むしろ聖母が如く慈しむ

 

4:「冷静になろう!?」───選択肢はいいからやっぱり起こす

 

5:「余がうぬの母である!!」───却下

 

 結論:……第6案を創造、代用物でなんとかする。

 

 ちうちうとシャツ越しに吸い付いてくる袁術の口に、左手の人差し指をなんとか突っ込むことで気を逸らす。案の定というかありがたいことにというか、今度は人差し指をちうちうと吸い始めることで、事なきを得るに至れた。

 ……しかしそれで離してくれると思っていた結果とはまたも違い、袁術は指に吸い付いたまま離れなくなってしまった。

 

「…………」

 

 途中途中、口の隙間から空気が入るから、吸われすぎて破裂とかはないんだが……ふやけます、絶対に。しかしまたも妙な保護欲が滲み出て来てしまい、起こす気にも離す気にもなれず……ええい寝てしまえ、寝てしまえば楽になる。

 自分にそう言い聞かせ、寝ることにした。

 許可が下りれば明日は鍛錬だ。睡眠だけはきちんと取っておかないと。

 長く息を吐き、そこからは袁術の呼吸に合わせて息を整え、眠りについた。

 吸われる指にくすぐったさを感じながらも、意識が許すうちはゆったりと袁術の頭を撫でながら。



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47:魏/人には必要な“恐怖”①

87/壊すのではなく、当然のものとして受け止める勇気

 

 よく眠れた翌朝。

 久方ぶりの熟睡を経て、俺はゆっくりと目を開いた。

 途中、桂花の来訪が無ければより快眠だったってことは気にしない。

 何故なら寝台……布団で寝ることこそが大事だったのだから。

 寝ようとしているところをヌメヌメ攻撃で邪魔されて、それでも机で寝なきゃいけない状況を考えてみよう。……現状でのこれ以上の快眠がありましょうか。いや無い。

 

「………」

 

 自然にこぼれる笑み。ゆっくりと休まった体。眠気から解放された意識。

 どれをとっても快眠要素満点である。あくまで個人的に。

 上半身だけを起こし、寝てしまえば俺の腕枕なんぞ知ったことではないとばかりに、妙な体勢で寝ている袁術を見やる。

 思う存分寝ていてもらおう。

 俺はこれから鍛錬をするための許可を、華琳から得なければならないのだ。

 寝巻きという名のシャツからフランチェスカの制服に着替え、いざ華琳の自室へ。

 許しが出るとは正直思っちゃいない。何故かといえば仕事が残っているからだ。

 それを華琳が許すとは思えないからこその制服。

 最初っから胴着姿で行けば呆れと注意をプレゼントされることだろう。

 桂花や春蘭あたりなら喜ぶだろうが、俺はそれよりも鍛錬の時間が欲しい。

 

「行ってくるな」

 

 すいよすいよと眠りこける袁術に小さく声をかけて、歩を進める。 

 扉を開き、通路を歩き、厨房で水を飲み、食事を済ませてから華琳の部屋へ。

 ノックし、声をかけ、許可を得る。

 三つの段階を経て中へ進むと、中には華琳の他に、桂花と稟が。

 

「用件はわかっているわ。帰ってきた日も合わせて三日間。今日が鍛錬の日、ということね」

「ああ、わかってるなら話は早いな。三日毎の鍛錬の許可、もらってもいいか?」

「………」

 

 今日だけとは言わず、いっそ欲を張った要求をする。

 三日毎にやりたいと思うのなら、最初からその意を知ってもらわなければ交渉の意味がない。と、そんなことを思っていると、華琳が言葉を返すよりも先に桂花が口を開く。

 

「三日毎? あんた頭に虫でも湧いたの? いくら平和になったからって暇なわけじゃないのよ? それを三日毎、毎回見逃せっていうの?」

「そうしてくれると助かる。そうしてもらえないなら、自分で時間を作ってやるだけだし」

「ふん、どうせサボるための口実でしょ? あんたが鍛錬なんて、この目で見たって信じられるもんですか」

 

 ひどい言われようである。

 そりゃあ……今の自分が前までの自分を見れば、似たような意見を持ちたくなるのもよーくわかるけどさ。

 見たならそこは信じてやろう? ほんと、お願いだから。

 

「そうね。稟はどう思う?」

「はっ……一刀殿が呉、蜀で鍛錬をしていた、という話は確かに耳に届いておりますが……その」

「己が目で見るまでは信じられない?」

「は……」

「まあそうね。そのことに関しては、私だってそう思うもの」

 

 そして結局ひどい言われようだった。

 お、おい華琳~……? 呉や蜀からの報告とか受けてるのに、それはないだろ……? 報告じゃなくても、雪蓮が直接話したりとかさぁ……ほら、なぁ……?

 

「それ以上に、その三日の内に貴方がこなすべき仕事を整理しきれるかどうかよ。鍛錬を理由にやるべきことを疎かにするようなら───まあ、雪蓮も桃香も黙ってはいないでしょうね」

 

 華琳が、言葉の中に故意に間を入れる。

 その間の中で桂花と稟は何を感じたのか、ちらりと俺を……稟は少々難しい顔を、桂花は変わらず汚物を見るような目で見てくる。華琳以外を見るって行為がそこまで嫌か、桂花さん。

 

「けれどそれは呉と蜀の話。魏には魏の、貴方に与えられた役割がある以上、それをこなさない限りは許可は与えられないわね」

「そっか」

 

 下された決定は、まあ想定内のものだった。

 だから素直に頷いて、仕事に戻ろうと───「待ちなさい一刀」───したところを呼び止められる。

 

「随分とものわかりがいいけれど、貴方にとっての鍛錬とはその程度のものなのかしら?」

「こなさない限りは許可は出せないって華琳が言うなら、こなさなきゃあ許可は下りないだろ? 大事だから時間を有効に使いたいんだ。早くしないと体がナマりそうだ。というわけでもう行くな? 仕事、お互い頑張ろうなー!」

「一刀、ちょっと待ちなさ───」

 

 余計に条件を増やされるより早く逃走! よい子のみんなは絶対に真似しちゃあいけません! あとが怖いから!

 そんなわけで扉を後ろ手に閉めて、全力で部屋の前から逃げ出す!!

 華琳は恐らく稟と桂花に呼び止めるよう指示を出すだろうから、二人が扉を開く前に視界から消える! 一定以上離れてからは気配を周囲に溶け込ませて、ゆっくりと隊舎を目指し……凪に捕まった。

 訊けば華琳からの通達で、俺が来たら捕まえるよう指示があったとか。

 

(仕事が……早ェえんだな……)

 

 隊舎に入らなきゃ書簡も集められないこともあって、あっさりお縄についた。

 そして……華琳の部屋まで連衡され、人の話は最後まで聞くようにと説教。

 

「い、いやっ、けどさっ、華琳が一度言ったことを簡単に変えるとは思えないし、俺だって魏で何が起こってたかを知るのはむしろ嬉しいんだ。なら早く目を通して時間を作ったほうがいいじゃないか」

「はぁ……おかしなところで頭が固いところは相変わらずなのね。つくづく一刀だわ」

「あの……華琳? その認識の仕方、やめてほしいんだけど……」

 

 進言してみるが、じろりと俺を見る目が“うるさい”と言っていたので黙ります。

 

「あのね。私はこなさない限りは許可を出せないと言ったの。戻った日は度外するとして───凪。一刀はこの二日で、どれくらいの書簡を片付けたの?」

「はっ」

 

 我らが故郷・魏国でも、説教の際には正座を要求された俺は、口にチャックをしたままことの成り行きを見守った。

 凪は俺が書簡を戻しに行った時にでも確認したのか、確認するように言われていたのか、その正確なる数を華琳に伝えていく。

 その話を聞いて驚いたのは、桂花と稟だった。

 

「その数をこの二日で!? この男が!? 何かの間違いよ!」

 

 しかも本人の目の前でキッパリと苦労を否定された。

 いや、楽しめたから苦労とは言えないかもだが……そりゃないだろ軍師さん。

 

「私も……些か、いえ……正直信じられません」

 

 稟まで!? 桂花だけならまだしも、稟まで!?

 ……う、うん、まあ……いろいろサボってたから、そう思われても仕方ない……のか?

 

「一刀。鍛錬をし、体を休める時間が三日として、その間に仕事は確実に進められる? 鍛錬の翌日が街の警備に当たる日だとしても、怠ける結果にはならないと誓えるのかしら?」

「……腕折られたり、五虎大将軍と戦うハメにならなきゃ、まず大丈夫」

 

 わかってて訊いてますって顔の華琳の質問に、動けなくなった時のことを思い出しつつ言葉を返す。とはいっても腕を折ったあとは呉を離れたから、仕事自体はなかったし……蜀で五虎将との強制模擬戦をした時あとは、筋肉痛で動きづらくなったあとに恋に吹き飛ばされて……うん、蜀を発ったから、城での鍛錬はしていない。五虎将だけじゃなく、猪々子にも大剣振り回されながら追い掛け回されたな、そういえば。

 それを考えれば証明にはならないかもだが、通常の鍛錬のあとに仕事を休むってことは、まずしてこなかったはずだ。

 

「将と戦って証明なさいとか言われなければ、明日も通常通り仕事は出来るよ」

「………」

「あの、華琳さん? なんですかそのチッて顔」

 

 大方、また春蘭あたりをぶつける算段をしてたんだろう。

 なんだかんだで俺との模擬戦経験が多いのって春蘭だよ……な? べつにそうしたかったわけでもないのに。

 思い出しただけで冷や汗が出る。何度死ぬかと思ったことか。

 

「なんでもないわよ。……いいわ、ここでどうのこうのと言ったところで始まらないもの。とりあえず───ふふっ、そうね。鍛錬の許可を出してあげる」

「ほんとかっ!? ───で、条件は?」

 

 意外や、許可はあっさりと下りた……が、途中に挟まれた笑みが気にかかり、喜び半分に訊き返す。だって相手は華琳だし、絶対にタダじゃない。

 

「……一刀? 喜びも半端に訊き返されると、見透かされているようで面白くないのだけれど?」

「正座しながら待ってる男をからかって楽しまないでくれよ……」

 

 床に直接だから足が痛い……なんてことはない。むしろ道場でもずっとそうだったから慣れてはいるが、女性四人に見られながらの正座ってのもさ、ほら……今さらですね、はい。

 

「はぁ……仕事と鍛錬の両立を証明しなさい。今日を終え、次の鍛錬の日までに確認するべき書簡を片付けること。さらにその過程で別件を頼まれようとも、己の仕事を言い訳にせず手伝うこと。これを守れるのなら、鍛錬に関して何も言わないことを約束するわ」

「華琳さまっ!? それはこの男に三日毎の堕落した日を提供するようなものでは……!」

「あら。桂花は一刀がやり遂げると、そう信じているのかしら?」

「なっ……そんなことはあり得ませんっ!! 誰がこんな男を!」

 

 はいはい、人を指差してまでこんな男呼ばわりしない。

 けど……あの量をあと三日で? 出来ないこともないだろうけど、別件を断ることは出来ないとくる。許可を出す側にすれば随分な譲歩だろうが、それでもこなすとなると……むむむ。

 

「それで? 出来るの? 出来ないの?」

「……わかった。三日で、いいんだな?」

「ええそうよ。いつかのように期限を延ばしたりはしないから、せいぜい頑張ることね」

「やれやれ……手厳しいなぁ」

 

 “いつかのように”って……さっきの笑みの正体はそれか。

 警備隊長になるきっかけもあれだったようなものだしなぁ。計画実行の根回しによる恐怖と、それら全ての責任を負う覚悟を決めたのも、大体はあそこらへんか。

 ……本当に、随分と懐かしく思う。

 

「じゃあ、いいのか?」

「守る自信があるのならね。守れなければ鍛錬は禁止とし、迷惑をかけた分は警備隊の者達にもそれなりの対応をすること。警備隊以外の者にも迷惑をかけることにもなるのだから、そちらの対応もね。もちろん罰も考えておくわ」

「……守れなかった時の条件が厳しすぎないか?」

「三日毎に、やりたいことをさせる日を設けさせろという進言よ? そんなものが生温い条件の下に手に入るのなら、私が欲しいくらいなのだけれど?」

「ア、アー……ソウデスヨネィ……?」

 

 微妙にエセ外国人風の口調になって、返事をした。

 俺……他国じゃあ優遇されてたんだなぁ。ありがとう、雪蓮、桃香。

 そして華琳さん? 別件頼まれても断れない状況ののち、失敗に終われば罰がたっぷりな結果が待っているのは果たして……他の者への迷惑に繋がるのでしょうか。

 ……いやいや、もう頑張るしかないじゃないか。条件呑んじゃったんだし。

 

「よしっ、じゃあ早速鍛錬に行くな? 城壁使うけど、いいかな」

「そんなもの、貴方が兵に声をかけなさい。そこまで私がやる必要はないでしょう?」

「む。そりゃそうだ。じゃあ───」

 

 ちらりと凪を見る。

 そういえば、氣の飛ばし方……訊こうって思ってたんだよな。

 でも凪にも仕事はあるし、むしろ俺が復帰出来ていない分は……真桜や沙和じゃなく凪が背負ってるんだろうし……ここで誘うのは結構残酷だよな?

 

「うん。それじゃあ中庭と城壁の上、使わせてもらうな。うるさかったらごめん」

 

 誘いたかったけど、それは仕事にきちんと復帰出来てからにしよう。

 その覚悟を決め、立ち上がって部屋の外へと出るなり思春を探した。

 呉では明命、蜀では鈴々と城壁を走り回るのに慣れてしまい、一人で走るのもなぁと思ったから、なんだが───

 

「……桂花、稟、凪。今の内に一刀に手伝わせる仕事を考えておきなさい」

『……はっ』

 

 部屋を出るなり思春思春と声を大にしたのは、失敗だったなぁと思うのは……しばらくあとのことだった。

 

……。

 

 それからしばらくして、中庭で準備運動をする俺と思春。

 やっぱりなんだかんだで一緒に居る時間が長かった所為か、鍛錬の時に隣に思春が居ると落ち着いたりする。時間と慣れって偉大だ。

 もちろん着衣は胴着。

 鍛錬といったらこれでしょう。

 

「城壁の上を延々と走ると聞いていたけれど、本気?」

「本気本気、華琳もやるか?」

 

 本日も晴天。

 どうのこうの言いながら、やっぱり自分の目で見なければ信じられないという華琳も中庭に立ち、綺麗な青空の下で体をほぐす俺を珍しそうに見ていた。

 

「冗談でしょう? 確かに今日は湯船の用意をさせているから、丁度いいといえばいいけど。そんな気分じゃないわよ」

「そうか? 慣れると楽しくなるんだけどな」

 

 延々と走るだけとはいえ、競う相手が居ると特に。

 今日こそは思春に……勝てるといいなぁ。

 鈴々にはなんとか勝てたから、次の目標は思春と明命に走りで勝つこと。

 ……とてもとても難しそうだ。

 

「ところで華琳こそ、仕事はいいのか?」

「あら、隙あらば私に説教でもするつもり? 生憎だけど、私がしなければいけないことなんて、とうに終わっているわ。まあ当然、“次”が届くまでの束の間ではあるけれど」

「……王は大変だなぁ。どっかの、自分の好きな時に他国に遊びに行く王様にも見習ってほしいよ」

「無理ね」

「即答!?」

 

 雪蓮さん、言われてますよ。俺も言ったようなもんだけど。

 ……っと、準備運動終了っと。

 

「あ、そういえば桂花や稟は? 凪は持ち場に戻ったんだとしても」

「仕事を探しに行ったわ。そんなことはいいからさっさと始めなさい。私はここで、貴方に下す罰を考えておくから」

「集中出来なくなるようなこと言わないでほしいんだけどっ!?」

 

 罰を下すこと前提か……いやそもそも桂花と稟が探してる仕事って、もしかして次の鍛錬までの三日間の内に、俺に頼む仕事……とか? いっ……意地が悪いにもほどがある! でも断らずに受けることって条件呑んじゃったよ俺!

 たはー……と額に手を当てて項垂れる俺を見た華琳が、やけにしてやったり顔をしてました。つまりはそういうことだったんだろう。

 くそう、こうなったら意地でも乗り越えてやる……!

 

「……華琳? やっぱり一緒にやらないか? 机にかじりついてばっかりじゃあ───」

「やらないわよ」

「そ、そか」

 

 それはそれとして、一緒にやれたら楽しいかなーと思ったんだが。

 宅の魏王さまは適当な木の下までを歩くとその幹に腰掛け、誘いに乗ろうとはしなかった。仕方ない、いつも通り思春とやろう。

 

「じゃ、いいか?」

「いつでも構わん」

 

 訊いてみれば頷く思春と一緒に城壁の上へ。

 そこから、中庭で俺達を見上げる華琳に一度手を振ってから───走り出した。

 

……。

 

 十数分後、体も十二分に温まったところで中庭に下りる。

 いい汗かいた~とばかりに歩き、華琳が座っている木の傍らにあるバッグ───その隣の竹刀袋を持ち上げると、そこから木刀を取り出して竹刀袋を置く。

 ちらりと華琳を見ると…………信じられないものを見る目が、俺を見ていた。

 

「……? 華琳? 華琳~?」

 

 しかも固まったままだ。

 一応右へ左へと動いてみると、そこへと視線も顔も向けられるんだが……言葉が出ないらしい。そんな華琳の目の前で、ひらひらと手を振るってみる。

 

「はっ」

 

 と、ようやくその目が、むしろ意識が、俺を捉えた。

 

「……どうかしたのか?」

 

 体調でも悪いのかと訊ねてみるが、そんなことはないらしい。

 むしろ俺がおかしいんじゃないかと訊ね返される始末だ。

 

「いやいや普通普通。これも鍛錬の賜物ってやつだな。氣を教えてくれた凪に感謝感謝だ」

 

 お陰で随分と“出来ること”が増えたんだから、感謝してもし足りないくらいだ。

 言いながらうんうんと頷く俺……汗は大量に出ているくせに、息は乱していない俺を見て、華琳は一言だけ訊ねた。

 

「……鍛錬ってそういうもの?」

 

 と。

 目を伏せ、溜め息と同時に吐かれた呆れ混ざりの質問だった。

 

「改めて訊かれると、確かにちょっと引っかかるところはあるものの……まあ、出来なかったことが出来るようになるって意味では合ってるんじゃないか?」

 

 実際こうして、体を動かす喜びを得た馬鹿者も居るわけだし。

 三日毎に体を動かさないと、こう……体がむずむずしてくる。鍛錬中毒者にでもなった気分だよ、本当に。

 

「そんなわけで、やっぱり一緒に───」

「はぁ……やらないわよ」

 

 きっぱり言われた。

 ごめんなさい、王様が混ざれば自然と公認にならないだろうか~とか、そんないけないことを少しだけ考えました。

 もちろん出された課題はきちんとこなす気だった。それは曲げない。

 

「仕方ないか。───よしっ、思春~、こっちの準備は出来たぞー」

 

 勧誘には応じませんな華琳に軽く言葉を返して、そこから離れた場所までを歩く中で思春に呼びかける。

 思春も既に準備が整っていたのか、模擬刀を手に俺が向かう場までを歩いた。

 そこからはいつもの如くだ。

 華琳の手前か模擬刀を使ってくれる思春に感謝しながら、しかし立ち向かうからには全力で。小細工無しのぶつかり合いをしてゆく。

 鈴々ほど一撃の重さはないものの、回転が速い。

 衝撃に吹き飛ばされることなく対応は出来るけど……一息ついて速度を緩めた瞬間、首が飛ぶイメージが簡単に出来てしまうから緩められない。

 ……それに、あくまで鈴々ほどの一撃の重さがないだけであって、普通の女性の一撃と比べるには少々、いや……かなり重い、重すぎる。

 これ、鈴々で慣れてなかったら数撃でアウトだったって絶対。

 鈴々の回転速度も異常だったけど、思春の場合は攻撃のほぼが次の攻撃への複線になってて切り返しにくいったらヒィイ掠った! 今掠った! 髪の毛削ってった!

 

「っ……せいっ!」

 

 受けてばかりじゃなく返してみるが、あっさりと逸らされて思春自身の次撃へと利用される。それをくらわないために腕に氣を集めて強引に戻し、振るわれた一撃をなんとか木刀で受け止めて……ってダメッ! 続かないっ! 氣を全身に戻すよりも思春が次撃を振るうほうが速い!

 

「だったら逃げ、あだぁっ!?」

「───!」

 

 これまた強引に体を逸らし、振るわれる模擬刀の軌道上から逃げたんだが……肩が逃げ切れなかった。幸いにも振るわれる方向と逸らす方向が同じだったために、激痛が走るなんてことはなかったものの……逆側に逸らしてたら、下手すりゃ砕けてたんじゃないだろうか。

 

「~っ……ちぢっ、いっ……いーっ、いひぃーっ……!!」

 

 そしてごめん、激痛がないっていうのは嘘になった。痛みが後から追ってきた。素直に痛い、大激痛……!

 避けが成功するのと同時に距離を取ったものの、痛くて次を仕掛けられないでいた。

 もちろん、思春の動きに対して注意は払ったままに。

 

「……間に合うとは思わなかったが」

「間に合わなかったらこれくらいじゃ済まないんですけど!?」

 

 何故か少しだけ嬉しそうに見えた思春を前に、痛みを我慢しながら木刀を構え直す。

 大丈夫、大丈夫……集中、集中……!

 痛みは氣で紛らわせつつ治めるとして、既に引き締まった表情の思春の目を見て、まだ終わっていない鍛錬に身を投げる覚悟を。

 

「……小細工で来るか?」

「ああ……そうしないと全然相手になれないってわかってるから」

 

 痛みで乱れた呼吸を整えて、準備も覚悟も完了させる。

 そうしてから気を引き締めて、ひと呼吸のあとに地面を蹴り弾いての疾駆。

 今まで少しずつ育ててきた氣や体、雪蓮のイメージに対して振るう全力を、思春にぶつける。雪蓮のイメージを相手にする際、なによりも必要なのは気迫だ。降参しても追い詰められ、恐怖に竦むイメージをなんとか飲み込むための、気迫。

 それらを目の前の彼女にぶつけ、体が動く限りの本気を以って───!



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47:魏/人には必要な“恐怖”②

 そう、本気だ。本気を以って───……負けました。

 

「う、うぇっ……げほっ! ごっほげほっ! おっ……ぅ、ぉぅえっ……~……ぶはっ、は、はっ……」

 

 動きすぎ、氣の使いすぎ、体に無茶させすぎ。

 それら全てが合わさる頃、俺は中庭に大の字で倒れ、咳き込んでいた。

 

(しっ……死ぬ気で戦うって……こんな感じ……なんだろうかっ……!!)

 

 頭の中のことでさえ纏まらない。

 口で息をすると咳き込み、しかし鼻で吸うには酸素が足らない。

 だから口でするんだが、咳き込むことでさらに酸素を逃がしてしまう。

 さらに深く咳き込みすぎて、吐きそうになってそれをなんとか押さえると、もう涙は滲むわ結局苦しいわ。

 軽い呼吸困難というやつである。

 “立ち回りの危うさは少しも改善されておりません”なんて言われたことを、自分が思っていたよりも気にしていたらしい俺は、死に物狂いで思春に勝ちにいってみたんだが……だめだなぁ、勝てない。

 蒲公英みたいに油断したりしてくれることもなく、鈴々のようにくすぐれる相手でもないわけで……これならどうだ、だったらこれだ、これなら、今こそ、好機と思う全てに連撃を投じてみても、全部空回りに終わった。

 思春も案外雪蓮と同じなのかもなー……いつか雪蓮にやったみたいに攻撃を加速させてみたんだが、やっぱりギリギリで避けられて……そこからはもう思春も目の色変えて……とっても怖かったです。

 

「は……は……、っ……~……はぁ……はっ……はひっ………あー………は、はぁ……はぁっ……~っ、……はぁああ……」

 

 どれくらい倒れていたのか、ようやく呼吸が安定してくれる頃には、思春は涼しげな顔で俺を見下ろしていた。これが差ってやつだろうか。

 俺もなんとか体を起こすと腰を抜かしたみたいな格好で、思春を見た。

 立ち上がるのに手を貸してくれるほど、慣れ合っているわけでもない。

 なので、一人でガタガタブルブルと震えながらなんとか立つと、立ち上がるまでを待っていてくれた彼女は何を言うでもなく、静かに弓を渡してくれた。

 どこから借りてきたんだろうな~ってくらいの手際の良さだ。そしてありがたい。

 

「ありがと、思春。すぅうう……はぁあ…………すぅう…………はぁああ…………」

 

 感謝を口に、呼吸が完全に整うまで深呼吸を繰り返す。

 そして、いざ───という時。

 

「……か、一刀?」

 

 華琳に呼び止められた。

 今の今まで、何も口に出してこなかったっていうのに……なにかあったんだろうか。

 

「すぅ……はぁ…………ん、どうかしたか?」

「どうかした、じゃないでしょう……貴方、こんな鍛錬を呉でも蜀でも続けていたの?」

「そうだけど……あれ? なにかおかしいか?」

「……あのね。今の言葉を聞けば、耳にした誰もがおかしいと返すわよ」

「………?」

「………」

 

 え? そうなの? と、ちらりと思春を見れば、こくりと頷く思春さん。

 

「思春まで!?」

 

 そんな……! ずっと付き合ってくれてたのに……! って、まあ普通に考えればおかしいのは確かだよなぁ。

 呉や蜀の兵も、うへぇ……って感じで見ていた気がするし。

 

「大丈夫大丈夫、もう体のほうも大分慣れてくれたから。それにこんなので音を上げてたら、五虎将と戦ったあの日のことなんてそれこそ地獄だ。もちろん次の日もだけど」

「………」

 

 あ。なんか今、的外れなことを言い出した春蘭を見る目で見られた。

 ……エ? それはあの、喜ぶべきところでしょーか。はたまた……いやいい、言わないでくれ。想像はつくから。

 

「……えと……」

「………」

「……一緒にやる?」

「やるわけがないでしょうっ!?」

「ごめんなさいっ!?」

 

 怒鳴られてしまった。かなりの本気声で。

 思わず反射的に身を竦め、謝ってしまうほど迫力……まさに国宝級である。

 

「だ、大丈夫だって、これからやるのは弓術の鍛錬だし。さっきみたいに死ぬ気で戦うこととかはもうしないから」

「次がそうでもその前が異常だと……! ───~……はぁ、いいわ」

 

 そしてまた、的外れを突っ走りきった春蘭へ向ける目のまま、溜め息を吐かれた。

 ……なんだろう、季衣なら喜びそうなのに、なにか大切なものを失った気がする。

 奇妙な喪失感に包まれる俺を見て、華琳も何か思うところがあったのか怒気を治めてはくれた。俺が持つ弓をチラリと見るその目は、いつしか怒気ではなく意外なものを見る目に変わっていたのだ。

 

「弓術……そういえば報告にもあったけれど。一刀、貴方弓なんて使えたの?」

「あ……いや、これが全然。何度か教えてもらったんだけど、真っ直ぐ飛んでくれないんだよな。……すぅう───んっ!」

 

 言いつつ、ビシィッと気を引き締めると同時に姿勢を正し、

 

「───……シッ!!」

 

 矢とともに弦を引くことに一切の迷いも混ぜずに構え、放つ。

 しかしながら狙った場所へは飛ばず、地面にザコッと音を立てて埋まる矢。

 

「とまあ、こんな感じ。狙ったところに全然飛んでくれないんだ。……これでもマシになったほうなんだって言ったら信じるか?」

「………………」

「……? あ、えっと? か、華琳? 華琳~……?」

 

 気を引き締め、姿勢を正したままにした質問は返ってこなかった。

 何事かと姿勢を崩していつもの調子で話し掛けてみるんだが……ここでようやくハッとした様子で俺を見て───

 

「え、あっ……そ、そうね。真っ直ぐどころか地面に放っては意味がないわね」

「……だよなぁ」

 

 少し狼狽えながらも言ってくれた言葉に、どうしたもんかなぁと返して頬を掻く。

 

「蜀では紫苑に教えてもらってたんだけどさ。不器用とかそーゆーレベルじゃないだろってくらい、物覚えの悪い生徒で通ってた。狙った的に“実力で”的中させたことが一度もないくらいだ」

 

 はい陛下、肉体労働は慣れてきたけど飛び道具は苦手です。

 なんてヘンなことを言ってないで、少しでも技術をあげないとな。

 凪にはいつか、効率のいい氣弾の飛ばし方を教えてもらうとして……秋蘭、弓術教えてくれたりするかな。祭さんにあんなことを言った手前、教えてもらえなかったら次に祭さんに会った時が怖い。

 大見得を切るどころか、大見得を八つ裂きにしてしまう結果になりかねない。

 それはとても危険だ。危険だから……頑張ろう。それこそ必死で。

 ゴクリと勝手に息を飲む喉、かきたくもないのに勝手に背中を伝う冷や汗。

 帰って早々、やることがありすぎて潰れてしまいそうな自分に、軽く眩暈を覚えたのが……こんな時であった。

 受け容れたのが自分だから、今さらぶつくさ言っても始まらない。わかってる、北郷わかってる。わかってるんだけどホラ、思わずにはいられないのが人間っていうかさ。

 

「………」

 

 そして、特になにも仰らない華琳を前に、俺はどうすればいいのだろう。

 少し様子がおかしいし、まさか無視して続行ってわけには……

 

「貸しなさい」

「へ? あ───」

 

 華琳が俺の手から弓を抜き取り、最初から整っている立ち方をさらに整えて、俺に矢を渡すように目で語りかけてきて───って待った待った!

 

「弓引く前にこれ。弓懸けつけないと指痛めるぞ」

「必要ないわよ、一度やるだけだもの、って、一刀っ? ちょっとっ!」

「一度だろうと駄目なものは駄目だ。俺が使ってたので悪いけど、とにかくつけるっ」

 

 弓懸けを外して華琳の右手に装着。

 なんだか随分抵抗されたけど、これで……サイズが合ってないな。

 ああっ、なんかジロリと睨まれてるっ!

 

「う……すまん。ちょっと大きいか……でも無いよりはマシだろ? 何もつけずにやって、指でも擦り切れたら春蘭と桂花に俺が殺される。それに……俺だって嫌だぞ、そんなのは」

「…………そ、そう。わかったわよ、そこまで言うならこのままやるわ」

 

 渋々弓懸けをつけたままで、やってくれることになった。

 当然俺はその事実に喜びを表しながら、華琳に鏃を潰した矢を持たせ、見守った。

 大概なんでも出来る華琳さまだ、華麗に決めるんだろうな~と見ていたら……

 

「───ふっ! ……、……まあまあね」

 

 予想通り、俺が狙っていた木に見事突き刺してみせた。

 ここまで予想通りだと逆に清々しい。

 

「すごいな……弓も出来るのか」

「当然でしょう? あらゆるものを興じてこその覇王よ。王は“様々”を知り、“一点を極める”は将に任せればいい。何も出来ない者は位や血筋でしか王にはなれないし、そもそもそんな王の下には、そんな王を利用しようと企む者しか集わないわよ」

「そうか? 位や血筋だろうと、人格で王になれるやつだって居るだろ。あとはその人が努力して、血筋や位以外に誇れるものを得ればいい」

「簡単に言うわね。人が変わるのはそう簡単なことではないのよ? 乱世の頃で唱えるのなら、あんな荒んだ頃にあんな性格をしていた桃香こそがどうかしていたの。位や血筋を持った者なら余計にね。それでも一刀? 貴方はそんな変化を望めるのかしら?」

 

 弓をスッと差し出す華琳と、それを受け取る俺。

 目は互いの目を見たままに、同じく華琳から渡された弓懸けをつけて弦を引き絞る。

 放った矢は……見当違いの方向へと飛んだ。

 

「自分じゃ変われないなら変えてくれる誰かが傍に居ればいいんじゃないか? 王が様々を知る者なら、その広く浅くの先を知る誰かが“その先はこうである”って教えられれば、少しずつ変わっていくって。ていうか華琳、わかってて訊くのはやめてほしいんだけど」

 

 返事を返す前から、どこか笑みを含んだ顔だった華琳。

 だから指摘してみれば、笑みを含むどころか小さく笑ってみせた。

 

「わかっていても訊くことに意味があるのよ。相手にさらに理解させ、口にし、耳で聞くことでその者の意思を確信に届かせる。知らない間に自分が変えられていたって、随分かかって理解する者だって居るんだもの。どれだけの慧眼や知識を持っていようと、確信っていうものは必要なのよ。国が国として、そうであるためにはね」

「そんなもんか?」

「ええ、“そんなもん”よ」

 

 まるで“貴方がそうさせたんじゃない。責任とれ、このばか”って言われてるみたいだ。

 ただそんな気がしただけで、華琳は変わらず穏やかな笑みを見せているだけ。しかしそんな穏やかな笑みを急に変化させると、俺に軽い弓術のレクチャーをしてくれる。

 立ち方、姿勢はそれでいいから、当てることから意識を外しなさいと。

 つまり“飛ばすことから始めなさい”ってことらしい。

 

「えと……姿勢はこのままでいいんだよな?」

 

 ならば早速と、弦を引き絞る。

 しかしながら目の前に華琳が居ることで、妙に意識してしまっているのか……姿勢が安定しない。授業参観で親を意識する子供のようだ。連想してみたら顔が熱くなったのは内緒。桂花が居たら変態呼ばわり一直線だろう。

 ……顔が赤いだけで変態って。でも、授業参観か。もし子供が産まれたりして、その子を学校に行かせたら…………

 

「一刀。鼻の下が伸びてるわよ」

「イエチガウンデスヨ!? おかしなことじゃなくて、先のことなんかをっ……! って違うやっぱりなんでもない! 忘れて! 忘れてくれ!」

 

 俺は確かに見たんだ……ジト目が少しずつ黒い笑みに変わるのを。

 だから忘れてくれと言った……のだが、聞いてくれるはずもなく。

 もし子供が出来たら~ってところから始まる赤裸々未来予想図を、華琳さまの気が済むまで延々と語らされ続けた。

 

「くぅ……! 穴があったら入りたい……っ!」

「おかしなことを考えているからそうなるの。いいから次を(つが)えなさい」

(そういう自分だって顔赤いくせに……)

 

 いやぁ、しかし子供か。

 もし華琳との間に子供が出来たら、やっぱりその子は曹丕になるんだろうか。あ、いや、曹丕は本来側室の卞氏(べんし)の子なんだっけ? となると、もし産まれたとして、名前は曹昂になるのだろうか、曹丕になるのだろうか。

 ……重要なのはもっと別で、“男だろうか女だろうか”か。あとは……俺のことはどう呼んでくれるだろうか、とか。

 やっぱり父上とか? それとも……ううむ、ととさまとも呼ばれてみたいな。

 華琳の子だからきっと……ああいやいや、理想を突きつけすぎるのは酷だな。でも我が子ならば可愛い! そうに違いない!

 

(……なんだろう。子供が出来たら、間違い無く親馬鹿になりそうな自分が居る)

 

 それはそれとして矢を放つ。

 安定しないソレは茂みに刺さり、見事に華琳に溜め息を吐かせた。

 

「一刀、次を番えて待ちなさい」

「ん? お、りょーかい」

 

 矢を弦に番い、引き絞る。

 と、その後ろから華琳が……あの、何故背中に抱きつくんでしょうか。

 

「か、華琳っ? いったいなにをっ……!」

「……一刀、今すぐ縮みなさい」

「無茶言わんでくださいっ!?」

 

 どうやら背中から的の狙い方などを教えてくれるつもりだったらしいが、どうにもいろいろと足りなかったらしい。何がとは言えない。

 

「正面からは無理か?」

「それだと私の感覚が伝えられないじゃない」

「む……ごもっとも」

 

 言いながらに向き直って、華琳とともにとほーと溜め息。

 桃香相手に教える立場に立ってみたからわかる。自分が教えられるのは、あくまで自分が経験したものだけだ。

 だから自分の感覚が逆になってしまえば、それは正確じゃない。

 じゃあ……?

 

「華琳、今すぐ成長してくれあだぁっ!?」

 

 軽口を返してみた途端、弁慶に走る衝撃! その正体は簡易式踵落(かかとお)とし! 背後から抱き着いたまま、器用に狙ってくるよこの覇王様……! 泣くっ……! 俺の泣き所が大号泣!

 

「弓を構えたまま死にたくなったの? 是非と謳えるならば考えなくもないけれど」

「お、俺には縮めって言ったじゃないかっ……! ったたたた……!」

「へえ? じゃあ私を蹴るというのかしら?」

「…………蹴っていいの?」

「いいわよ? 命の保障はしないけど」

 

 わかってて訊くんじゃないわよ、なんて顔をしている。

 訊くことに意味があるって言葉を実行に移してみただけなんだが……この言葉、そっくりそのままお見舞いしてくれようか。

 ……また弁慶を泣かせてしまいそうだから、やめておこう。

 

「王ってのも大変だな」

「? 急になんのことよ」

「いや、なんでもない。ところで華琳、一度腕を逆にして射ってみてくれないか? それが上手くいけば、俺にも余裕で教えられると思うんだ」

「……一刀。いつから私に教わることが前提になったのよ」

「───……あれ?」

 

 そういえばそうだった。

 当の華琳ももはや教える気もないのか、とことこと木の幹までを歩くと座り込んでしまった。……残念、もう少し話を───いやいやいやいや違う違う! もう少し話していたかったとか、そんなことないってば! 鍛錬鍛錬! 集中しろ俺!

 恋する乙女はいいんだってば!

 

「よし……弓、弓だ」

 

 とりあえず体に弓を持つ感覚と放つ感覚を覚えさせようか。

 イメージとしては……えーと……

 

……。

 

 結局一度も狙った場所への的中を出せないまま、指が赤くなる前にやめた。

 やめたなら、次は氣の鍛錬。

 それが終わるとイメージトレーニングをして、雪蓮のイメージと全力で戦う。

 ……で、あっさり負ける。

 何度試してみても越えることは出来なくて、自分の頭の中にゲンコツを食らわせてやりたくなった。脳が潰れるだけだろうけど、そう思ってしまった。

 

「………」

 

 頬を掻く。

 尻餅をついた格好のままに呼吸を整えると、もう一度立ってイメージに向かう。

 それでも勝てず、叩きのめされ───強くなろうという意欲さえ、叩き折られ続けている気持ち悪さと出会う。

 

「───、───」

 

 途中、誰かに何かを言われた気がした。

 よくわからない。

 立たなければ───立って立ち向かわなければ嘘だって意識を杖に立ち上がって、また戦い、負ける。

 

「…………、……」

 

 酸素が足りない。

 しっかりと呼吸をするのに、頭がまともに働いてくれるほど肺に届いていない気がする。

 ……なんでこんなに必死になってるんだっけ。小細工をしなきゃ勝てない自分が悔しいから? それとも、こんなに頑張ってるのに勝てない自分が情けないから?

 わからない。わからないからイメージと戦う。

 努力が実らないことが嫌で、上手く考えられない頭のままに考えて、戦う。

 頭は働かないくせにイメージばっかり鮮明で、崩れてもくれない、弱くなってもくれない想像の相手を前に、少しだけ泣きたくなった。

 けど、泣いたら立ち上がれなくなる気がして、そうしなかった。

 

  ……そして、また負ける。

 

 ぜ、ぜ、と息も荒く、まるで泣きすぎて呼吸困難になっているような自分。

 イメージに負けただけなのに仰向けに倒れ、空を見ていた。

 

「……、……、……」

 

 音が上手く拾えない。

 自分の呼吸がうるさくて、少しだけ苛立つ。

 止めれば自分が死ぬことくらいは今の自分でも理解できたから、それはしなかった。

 

(……、また、お前かよ)

 

 そんな鍛錬の先で、またソイツと出会う。

 うんざりとした思いが瞬時に心を支配して、疲れきっているはずの体が勝手に握り拳を作った。

 ソイツは自分の中にいつだって居る奴だ。

 弱音なんて吐きたくないのに現れるそいつは、冥琳を助けようとした時にも現れ、今も。

 

  お前なんかじゃ勝てやしない。相手は過去の英雄だぞ?

 

 息を整え、立ち向かい、負けるたびに声が聞こえた。

 心を折らせ、二度と立てなくさせたいのかと疑いたくなるくらいに、幾度も。

 

  こんな疲れる思いをしたところで誰も喜びやしない。それよりも───

 

 自分の内側の声は、ひどく保身的だった。

 それはそうだと納得は出来るものの、それを受け容れることで困難から逃げる癖がつくくらいなら、内側からの言葉なんて聞く必要は無いと思った。

 

  せっかく帰ってきたんじゃないか。もう鍛錬の範疇を越えている。無理はするな。

 

 それでも負けてしまう。

 イメージ相手なのに木刀を手から落としてしまったのは、握力が無くなってしまっているからだろうか。ふらふらになりながら落ちたそれを拾い、構えようとするが……やはり落ちる。

 そこまでして、ふと気になった。俺は何と戦っているんだろうと。

 相手は雪蓮の姿をしている。やたらと強い。

 腕を折られた、恐怖した。降参の意も受け取ってもらえない……蘇るのはトラウマって名前の恐怖だろう。

 降参しているのに振るわれる模擬刀と、親父に刺された時の冷たさ。

 戦場に居るわけでもないのに、降参って言葉で終わってくれない戦いと、刃物の冷たさを知った。

 

(……そっか)

 

 トラウマなら確かにその通りだ。

 これ……って言ったら雪蓮に悪いけど、これ……俺の恐怖の具現だ。

 守る力が欲しい。殺す必要はない。じゃあ振り下ろさなきゃ守れない時がきたら? 力である以上は振るわなければ役には立たない。じゃあ俺は振り回して脅す力が欲しい? それは絶対に違う。それが出来るなら、オヤジが盗賊まがいのことをされて攫われた時、躊躇もせずに振るっていた筈だ。

 

(………)

 

 鏃を潰してあるとはいえ、矢を的中させたらどうなる? 氣弾は?

 守るためにつけた力だ、殺すためのものじゃない。

 だから無意識に外して、無意識に次が撃てないようにしている? そんなことは無い、と思う。思いたい……のに、それから目を逸らすのが難しかった。

 

  お前にお前の恐怖は壊せない。恐怖が無ければ人は加減を覚えないからだ。

 

 ……呼吸を整えた。

 消そうとしていた心の中の声に耳を傾けながら、イメージの雪蓮を見つめたまま。

 虎のような目をした彼女の眼光を前に、恐怖に支配されそうになるのを僅かな勇気で我慢して。

 

  無理して恐怖と戦う理由がどこにある? “守る力を”って、何を何から守るんだよ。

 

 子供の屁理屈、大人の言い訳。

 いろいろな逃げ道が自分の中に、言葉として用意される。

 こう言えばみんなも頷いてくれる。こう言えば誰もお前を責めない。

 よく出来た言い訳だと思いながらも、疲れきっている自分でも───そんな言葉は笑い飛ばせた。

 

  鍛錬なんかやめて、仲良しごっこだけしてればいい。それだけでも支柱になれるだろ?

 

 そんな笑い声を無視して、ソイツは俺に甘言を投げ続ける。

 対する俺は、深呼吸を繰り返して……自分の恐怖と向き合った。

 

「……あのさ。勘違いしているようだから言うけどな───」

 

 そして、タンッと地面を蹴り───

 

「俺は、自分の恐怖を壊したいなんて……そりゃあ思ったことはあるけど、今は違う」

 

 無造作に木刀を振るった。

 それは雪蓮のイメージにあっさりと躱され、イメージは即座に反撃に転じる。

 

「ただ、打ち勝ちたいと思ってるだけだ。勝った上で、受け止めたい」

 

 そんな反撃をなんとか避けて、こちらも木刀で反撃。

 これも、あっさりと避けられた。

 

「俺は俺として華琳の傍に居るって……そう覚悟を決めたんだ。だから───」

 

 目を鋭くして、いつかのように迫る雪蓮。

 いつかの恐怖が体を支配しかけるが……

 

「恐怖を感じなくなった時点で、それはもう俺じゃないんだよ」

 

 そんな彼女の額に、デコピンをかました。

 当然、相手はイメージだから当たることもないが……───それだけで、イメージは掻き消えてしまった。

 まるでデコピンで消したようにだ。

 

  ───……

 

 たったそれだけで、頭の中のソイツの声は聞こえなくなった。

 最後に、意地の悪いことにじいちゃんみたいな笑い声だけを残して。

 その途端に体は限界を迎えたようで、立っていることすら“ごめん無理っす”ってくらいに放棄して、ゴシャアと倒れる俺の体。

 それがあんまりにも自然な動きだったために、受身なんて取れなかった。

 

「……あ、あれ?」

 

 我ながら変な声が出た。

 体を動かそうとするんだが、全然、まるで動かない。

 ……え? 氣……使い果たした?

 いや、それにしたってこの……頭の中、意識以外のどこにも力が入っていないような感覚は……こ、これが夢心地!? いや違うだろそれ!

 誰かに助けを……と、ようやく周囲に目を向けると、華琳と思春が呆れた顔で俺を見下ろしていた。

 

「あ、華琳、思春……なんか体が動かなくなったんだけど……何事?」

「何事、じゃないでしょう……。私が思春に“動けなくさせなさい”と命じただけよ」

「ホエ?」

 

 え? 何故?

 むしろ思春さん、いったいどんな方法でこうまで見事に脱力させたのですか?

 まるで力が入らないんですが?

 

「……呆れたな。気絶させるつもりでくらわせたというのに」

「いや、目は恐ろしいくらいに冴えてるけど。むしろ体だけが気絶中みたいな感じで」

 

 ……鍛錬のしすぎで、ついに悟りでも開きましたか、俺の意識。

 

「ていうか華琳? 動けなくって、どうしてだ?」

「あのままだったら貴方が死んでたからよ。鍛錬も結構だけどね、度が過ぎたものは体を滅ぼすだけよ」

「……え? 俺、普通に鍛錬してただけだよな? なんか途中から記憶が曖昧なんだけど」

『………』

 

 わあ、信じられないものを見る目だ。しかも二人して。

 

「一刀、質問に答えなさい。貴方は今、誰と戦っていたの?」

「雪蓮。呉でコテンパンにされてから、蜀でも魏に戻る中でも、ず~っと戦ってた相手なんだけどさ。いや、これが面白いくらいに勝てなくて」

「……次。どんなふうに戦っていたのか、覚えているかしら?」

「せめて一撃でも当てたいなぁと。自分に出来ることを出し惜しみせずに、諦めなきゃ試合続行だとばかりに……立てるなら突っ込むって感じで、こう……」

「で? 私が止めたことには気づいていたのかしら」

「へ? …………い、いやぁ~……と、止めてたのか?」

「…………思春、この馬鹿にとどめを刺してあげなさい」

「はっ」

「いやいやいやいやちょっと待とう!? 今体が動かないのにそんなことっ!」

 

 思春がゆらりと近づいてくる! ……怖ッ!!

 なんですかその“ようやく公認でこの馬鹿者をシメられる”って顔は!!

 ええ!? 俺ってそんなに馬鹿ですか!? ……うん、ごめん、馬鹿かも。

 

「……あまり無理をするな。それ以上意識を強めれば、体に負担をかけるだけだ」

「?」

 

 溜め息を吐きつつ、うつぶせの俺の傍らに屈む思春が、そんなことを言うんだが……意識? 負担?

 軽く疑問が浮かんだ時には氣を込めた手刀を頭に落とされ、意識も刈り取られた。

 

 ……あとで聞いたんだが、どうやら体は気絶、意識だけは氣の高ぶりで覚醒状態にあったって状態だったらしい。つまりあれだ、金縛りみたいな状況。

 負かされても気絶だけはしないようにと、氣を高ぶらせ続けてた結果なんだそうだ。

 ちなみに雪蓮のイメージと向かい合っていた時も、意識ばかりが強く前に出ていただけで、身体機能を意識が置き去りにした結果、呼吸だっておかしいし体の動きだって人のそれを越えていたため、気絶させたそうな。

 ……ああうん、死ぬね、それ……死ぬわ。気絶させてくれてありがとう、思春。ほんといっつも迷惑かけてます。




 押忍、大丈夫です。まだPCは逝っておりません。
 ただちょっと花騎士にお熱しちゃいまして……だ、だってなんとなくチョイと髪を引っ張られたような気分になって、11連ガチャやったら虹二人と金一人が来るとかテンション上がるじゃないですか! 欲しいと思ってたペポさんだったんですもの! ……もう一人はヒガンバナさんで、被ってたけど。
 ☆5以上確定チケットを団長メダルで貰って、引いてみたら虹さん来るしで、今月のあなたの運はとてもステキYO! とか言われてる気がしてテンションが上がっちゃったんです。……サフランさんで、また被ってましたけど。
 でも大丈夫、被れば被るほど虹色メダルも増えますし、装備枠も増えますし。虹色メダルが300集まったら僕……ずっと欲しかったマンリョウさんを迎えるんだ……!(……なお、誘惑に負けたらスイレンさんになる模様)
 いろいろ魅力的なお花さんがたくさんのフラワーナイトガールですが、大好きなのはオニユリさんです。好きなものを贈った時の反応とか、ログインした時に一人で角を愛でてる時とかもう……!
 個人的にいろんなものがストライクだったんだからね。仕方ないね。

 今のところPCもブッツリ切れずに安定しているっぽいので、やっぱりバックアップを取りつつ作業を続けております。
 一週間以上更新がなかったら、確実に逝ったと思ってやってください。
 ヘタすると来月以降の更新になります。今月ちょっとお金のアレがアレでして。
 ではではまた次回で。


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47:魏/人には必要な“恐怖”③

 

88/そこで取る貴方の行動

 

 思春にオトされ、自室に運ばれてしばらく。

 

「……、……」

 

 ゆっくりと深呼吸。

 次、手を動かしてみる。

 次、足、腰、胴。

 

「……完治!」

 

 思春に意識のことを説明され、華琳に説教をくらってから、自身の体に「もう大丈夫かい?」と訊ねたところ、オールグリーン。ならばなんの憂いも無しと立ち上がった。

 既に華琳も思春も退室した。ならば我を止める者などおらぬとばかりに。

 体は随分と重苦しかったが、動けないわけでもないので……ごめんなさいオールグリーンはウソです、辛いです、ギチギチと軋みます。

 しかし確かに動けないわけではないのだから、まずは着替え……の前に、風呂を借りようか。用意させているとか言ってたし、もし許されるなら。

 そんなわけで、のそりのそりと歩き、入浴の許可をもらおうと思ったのだが───ハタと思いとどまって、スンスンと自分の匂いを嗅いでみる。

 

「………」

 

 大丈夫だとは思うものの、軽く汗を拭いた上でフランチェスカの制服に着替える。

 俺が魏を離れてから一年と、さらに呉や蜀に行った月日も考えれば、新しい侍女さんとか居るかもしれない。そんな人と鉢合わせた際、俺のことを知らなければ胴着姿のクセモノが! とか言われそう。

 ならば北郷一刀=フランチェスカの制服ってことで、素早く……は無理なので、メェエキキキキ……とゆっくり着替えを終えると、ミシミシと軋む体を庇いながら……やっぱりまずは厨房へ。なにはなくとも水である。

 

「んん……ぷはっ、……はぁ」

 

 水を飲んでひと息つくと、今度は華琳の自室へ───行くはずだったんだが、少しでも書簡整理を進めておこうかなという甘い誘惑が俺を支配した。ほら、進めておけば鍛錬をするための条件とか進められるし、やっぱり汗臭さもそんな気にならないかなーとか……なので隊舎へ。

 華琳には安静にしてなさいって言われたけど、どうせ動けないなら目を通しましょう書簡の山。と、辿り着いた隊舎ではどういうわけか思春が仁王立ちしておりまして。

 

「ア、アノ、書簡ヲ」

「だめだ」

 

 たった一言を返され、たった一度の瞬きのうちに思春を見失った俺は、首に軽い衝撃を受けて気絶。

 どんなことをしてでも今日は安静にさせろとの華琳からの命だったらしく、そんなことを自室で目覚めてから聞かされた俺は、ただボーっとする時間を過ごした。

 あ、ちなみに風呂はまだ他の誰かが入っているそうです。

 

「………」

 

 ……暇! 書簡くらいいいじゃないか! 華琳のケチ! ……とは、口が裂けても言えない。むしろ言ったからこそ口が裂けそう。

 思春は伝えることだけを伝えると部屋から出ていっちゃうし、部屋には俺と袁術だけが残しで……どうしろと。

 

「袁術?」

「う……な、なんじゃ?」

 

 座り込んで丸まっていた顔をひょこりと持ち上げ、俺を見る袁術。

 そんな彼女に軽く手招きをして、寝台に乗っかってもらう。

 ……早い話が、話し相手が欲しかった。

 振り返ってみれば、鍛錬に熱中するあまり、自分のことに意識が回らなくなるなんて相当だ。ようやく魏に帰ってこれて、舞い上がってたのかなぁ……そりゃ、自分にだって自重しろとか言われるよ。

 

「今日はどんなお話をするのじゃ?」

「ん~……そうだなぁ。じゃあ───」

 

 鍛錬の疲れが重みとなって、少しずつ体を蝕んでいく頃。

 俺は寝台の上から動けなくなり、袁術は俺の隣に寝転がって、俺の口から出る作り話に終始楽しげにしていた。

 あくまで話の間は、であり……話が終わればすぐに離れる袁術さん。

 しかし猫のような目でじーっとこちらを見てきて、たまに少し視線をずらしていると、いつの間にか少しずつ近づいてきたりしていて……どこの猫だろうか、このおぜうさまは。

 

(そういえば鍛錬に集中しすぎてて気にする余裕もなかったけど、今はどのくらいの時間なんだろ)

 

 昼? ……にしては、窓から差す陽の色が……わお、もう夕方か。

 何事も夢中になると、周りが見えなくなるもんだなぁ。

 外に出たなら、隊舎に行った時にでも気づきもしようものなのに。

 まあ、仕方ない。向かう意気に対比するくらい、歩き方がゾンビっぽかったし、歩くことに集中しなきゃやってられないくらいだったし。

 なのに仕事をする意欲だけはあったんだから、人の意思っていうのはきっかけがあると変わるもんだなと思う。

 俺の場合、日本で何かをしなきゃって考えて、それを支えてくれるじいちゃんが居たから、せっかくのきっかけをおかしな方向に曲げずに済んだ例なんだろうが……普通は楽な方へ流されるよなぁ。

 で、言い訳を用意して、事ある毎に思うわけだ。人間、そう簡単には変われません、って。

 

「………」

 

 ……じいちゃん、厳しくしてくれてありがとうございました。

 そうじゃなきゃ、今でも前の頃のようにサボリ癖ばかりだったと思います。

 そ、そうだよな、集中力だって、あって困ることなんてないもんな。いいことだ、いいこと。……いいこと、だけど。

 

(はぁ……けど、鍛錬中に華琳が見ていることすら途中で忘れるほどなのはどうなんだろう)

 

 我ながらどういう集中力なんだか。

 しかもイメージトレーニング中だ。あれってほら、他人から見れば、人様の言葉を無視して一人で木刀振り回す変人だろ? さぞ異様な光景だったに違いない。

 あ、ところで穴はどこですか? あるのなら是非潜り込んで、しばらくそこに住み込みたいのですが。

 

「はぁ…………むぁ?」

 

 溜め息を吐いていると、頬に圧迫感。

 ちらりと見てみれば、やたらと真面目な顔の袁術が、俺の頬をつついていた。

 ……何事?

 気にはなったけれど、体がだるい所為で動く気になれない。

 つつかれるままに天井を眺め、少ししてから何回つつかれるかを数えだした。

 やがてそれが300回目へと辿り着かんとする時───

 

「……のう一刀?」

「ん……んー……?」

 

 つつくのをやめた袁術が、おそるおそる声をかけてくる。

 つつかれる感触に慣れてきた頃だったために、もう少しで眠れるって時だった。

 

「おぬしはほんに妾になにもせぬの……それは何故なのじゃ?」

 

 言いながら、300回目が達成される。

 何故? 何故って……

 

「友達だから」

「……友達? 妾と一刀は友達なのかや?」

「俺が勝手にそう思ってるだけだけどな。っと、じゃあ……ほい」

 

 重い体に喝を入れ、右手を差し出す。

 寝転がったままだから、ただ少しだけ持ち上げたってだけだが。

 

「袁術が嫌がることはしない。お話だって、出来る限りする。怖かったら一緒に居るし、楽しいことは出来るだけ共有したい。俺は袁術の友達になりたいんだけど、袁術はどうだ?」

「……友達になると、どうなるのじゃ?」

「ん? んー……特別何がどうなるってこともないな。ただ少しだけ、気持ちを共有したくなる……かな」

「むぅ……よくわからぬの……」

「だからいいんだよ。全部わかったら、その関係って友達どころじゃないだろうし。むしろ全部わかったら、ほっとけなくなるよ。お互いに」

 

 持ち上げていた手を、ぽてりと腕を下ろす。

 すると袁術は頬から手に意識を向け、ぺしぺしと軽く手を叩き始めた。

 

「……友達とは、叩かれても怒らぬのか?」

「軽く叩かれた程度なら……まあ。ただ、俺はどうにもいろいろと甘いらしくてさ」

 

 友人云々じゃなくても、そんな貴方がどうして曹操殿の傍に居られた~って、星に呆れられるくらいだからなぁ。

 

「ただ、自分が嫌だと思うことには素直に怒る……と思う。怒る自分があまり想像出来ないけど、たぶん怒るぞ」

「うみゅぅ……一刀の嫌なこととはなんじゃ? つまりそれさえしなければ怒られぬのであろ?」

「ははっ……故意にやられることもそりゃ怖いけど、一番怖いのは事故だろ。大丈夫、滅多なことじゃ怒ったりしないよ。そこのところはじいちゃんに叩き込まれてるし」

 

 怒る時は怒るけどね。理不尽に蹴られまくったりした時とか。

 ……あとはなんだろ。自分が怒るイメージが特に湧いてこない。

 まあ、いいか。怒らないで済むのがなによりだもんな。

 

「自分が怒ってる姿が想像出来ないし、大丈夫だって。故意に悪さしたりしなければ」

「う、うむっ、妾は一刀には何もせぬぞ? だから一刀? その……七乃が戻るまで、妾を守ってたも?」

「………」

 

 俺には、って……他には悪さをすると?

 

「………」

「?」

 

 こんな状態(HIKIKOMORI)じゃあ悪さがどうとか以前の問題か。

 今はなにやら俺の右手にすりすり触れてきてるし。こう、カイロを揉むみたいに。

 

「何から守ればいいのかわからないけど、とりあえず了解」

「おおっ、まことかっ?」

「ああ、まことまこと。ただし。あまり自分から、守ってもらわなきゃいけない状況に飛び込んだりしちゃだめだぞ?」

「うはーははははわかっておるっ! 侍女から聞いておるぞ? 一刀はこの魏にはなくてはならぬ者……その一刀が“友達”になったのなら、もはや妾に怖いものなどないのじゃーっ!!」

 

 僅か数秒で、寝台に立って腰に手を当てふんぞり返るおぜうさまが誕生した。

 ああ、その、なんだ。将への怖さよりもむしろ、後ろ盾が無くて怯えてただけなのか?

 

「そんなわけじゃから一刀っ? 外へ向かうぞ? 妾はもはや辛抱たまらぬのじゃ~♪」

 

 そしてあっさり脱HIKIKOMORI宣言。

 ……いいのか、こんなに簡単で。

 それともこの時代の貴族なんてものは、後ろ盾さえあれば何よりも勇気を得られるものなのか?

 

(…………)

 

 軽く、麗羽のことを思い出してみる。

 ……なるほど、後ろ盾じゃなくても、名門って意識と血筋さえあれば、意識の切り替えなんてどうとでもなるのか。

 きっと袁術も、ここで暮らすようにならなければ、いつまでも名門意識と血筋だけで乗り切れたんだろうな。なにせ麗羽の従妹だ。

 それを多少でも挫くことになったなら……袁術にとって、少しはいい方向に向かったのかな、ここでの生活も。

 

「……今日じゃないとダメか?」

「う、うみゅ? ふむ……そういえば一刀は疲れておるのじゃったの……。しかし妾はお腹が空いたのじゃ……朝から一刀がおらなんだしの、何も口にしておらぬ……」

「へ? だ、誰も持ってきてくれなかったのか?」

「一刀が来てからは一刀が運んでくれたしの。侍女のやつも恐らくはそういうつもりでいたに違いないのじゃっ、まったく妾をなんだと思って……!」

 

 ぷんすか怒り始める袁術だが、迫力はゼロだった。

 朝からじゃあそりゃあ辛抱たまらなくもなるよな。

 そういえば俺も、昼は食ってなかったし───一丁……しようか! 久しぶりに!

 

「……よし、じゃあ袁術。これから厨房に忍び込んで……」

「む、む? 忍び込んで……どうするのじゃ?」

「どうするって、決まってるじゃないか……つまみ食いだよ、つまみ食い……!」

「……うほほほほ、一刀、おぬしも悪よのぅ……!」

「うぇっへっへっへ、お嬢様ほどではありませんよぅ……!」

 

 体を起こし、顔を見合わせてニタリと笑い合う者二人。

 いたずらやつまみ食いなどの密かな連帯感……これはやった者にしかわからぬヨロコビ。

 ミシミシと軋む体を寝台から下ろし、ロボのようにンゴゴゴゴと起き上がる……!

 さあ、いざ……! 遥かなる厨房へ……!! と、歩き出したところで、バタムと開く自室の扉。

 

「隊長起きとる~? お、起きとる起きとる、メシ持ってきてやったで~♪」

 

 …………。

 

「ん? どないしたん隊長、それにちっこいのも。そしてなんやの、この“おいおいここでそれかよ空気読めや……”って感じの空気……」

 

 意気揚々だった俺と袁術の目が、昼餉(夕餉?)を持ってきてくれたらしい真桜に注がれた。その目は……まあ、真桜が言った通りの空気そのものを含んだ目だったに違いない。

 

「ああ……いや……なんでもないんだけどサ……。真桜こそどうしたんだ? 料理運んでくるなんて珍しい」

「やぁ~、なんや知らんけど大将が急に料理作る~ゆーてな? で、出来上がったら出来上がったでついでやから~って。……なぁ隊長? 出来たモンいっちゃん最初に隊長にもってけゆーの、ついでって言えるん?」

「……華琳的にはついでなんだろ。もらっていいか?」

「あ、ウチもちぃとばかしもらってええ? 運びながらもう何度手ぇ伸ばしかけたことか……!」

「真桜、口の周りに───」

「んなっ!? ちゃんと拭いたはずっ……───あ゛」

「………」

「あ、あ……あー……運び終わったし、用事あるんでウチもう行きますわ~、あはっ、あははははー」

「あ、こらっ! やっぱりお前、つまみ食いをっ!」

 

 言い終えるより早く、持ってきたものを机の上に置いて、ぴうと逃走。

 取っ捕まえようにもギシリと軋む体では追うことも出来ず、がっくりと項垂れるしかなかった。

 

「人のつまみ食いは阻止しといて、自分だけはできないとか……。なんだろう、この奇妙な敗北感」

「うみゅぅ……なにやら納得がいかぬのぅ……つまみ食いはどうしてか美味しいからの、是非ともやりたかったのじゃ」

「袁術……」

「一刀……」

 

 妙な連帯感が生まれた。

 トスと軽く叩き合わされた手の平が、そんな些細な連帯感を祝福する。

 ともあれ食事だ。

 運ばれてきたものを見て、むしろ香りの時点で何が来たかはわかっていたのだが。

 

「ところで一刀? これはなんなのじゃ? なにやらどっしりとした形……新たな饅頭かの……!」

「いや、これはな、袁術。ハンバーグっていう、天の料理だ」

「おおっ、はんばぐーとな!? いかにもな名前じゃの……!」

 

 名前と形に興味深々らしい。近づいて机の上によじ登り、四つんばい状態でスンスンと匂いを嗅いでいる。

 ……ごらん、みんな。あれが常識の枷から外れたお嬢様だよ……。

 と、妙にやさしい気持ちになってる場合ではなく。

 デカイな……デカイ、すごくデカイ。いつか春蘭が食べたキングサイズ並じゃないか?

 まあ……鍛錬するようになってからは、結構食が太くなったからどんとこいだけどさ。

 

「一刀一刀っ、早速食べるのじゃ!」

「っと、はいはい、今切り分けるから、一緒に食おうな」

「うむっ」

 

 レシピを覚えていてくれた華琳に、無性にありがとうを届けたくなった。

 華琳のことだ、あの頃よりも美味しく作れるようになっているに違いない。

 そんな、自分がここに居た証が目の前にあることを嬉しく思う。

 華琳がこの場に居たら、喜びのあまりに絶対に抱き締めていた。抱き締めて、手の甲を抓られるか、絶でさくりと刺されていたんじゃないだろうか。

 

「じゃ、いただきます」

「うむ、いただくのじゃ」

 

 椅子に座り、袁術が膝の上に座る。

 そしてハンバーグを切り分け───ちょっと待て。

 

「袁術? いつもみたいに寝台には行かないのか?」

「む? ……やれやれ、一刀はなんにもわかっておらぬのぅ。それではいざという時に一刀が妾を守れぬであろ? それならばここに座ったほうが妾も安心、一刀も安心。どうじゃ? 我ながら完璧な自衛手段であろ?」

「………」

 

 前略華琳さま。

 なんか今……物凄くこう……なんか、うん、じわぁと理解が広がったといいますか。

 ああ……本当に麗羽の従妹なんだなぁ……って……なんか……なんだろうね……。

 “なんか”って言葉が必要ななにかに変わってくれない、この切ない気持ちがこう……。

 

「それより一刀、早く食そうというにっ。妾はもうお腹が空いて倒れてしまいそうなのじゃぞ?」

「あー……まあ、わかった」

 

 一応心を許してくれたって考えて、いいのかな?

 ていうか真桜が来た時はそんなに怯えてなかったな。

 後ろ盾が出来た途端にこの強き……いっそ見習いたいくらいだ。

 

「じゃあ、食べ易いように切り分けて……と。ほい、もう食べれるぞー?」

「食べさせてたも?」

「………」

 

 あれ? 変だな……友達ってこんなんだっけ……?

 まあ、いいか。怯えた分くらいは甘えさせるのもいいかもしれない。

 そんなわけで食べる。ひたすら食べる。

 生憎と箸が一膳しかないから、袁術に食べさせて俺も食べてって感じで。

 

「おおっ、これは新しい味じゃのっ! こんなに美味なものは久しぶりなのじゃっ! 一刀一刀っ、もっと、もっとじゃっ!」

「はいはい」

「はぐはぐんぐんぐ……んん~っ……♪ この、食べたあとにじゅわぁと広がる旨味がたまらん……! 曹操もなかなか器用ではないか、こんなものが作れるのならば、妾も多少は見る目を変えてやらねばならぬの……それはそれとして一刀? 次をよこすのじゃ」

「ちゃんと噛んで食べてるか?」

「んむっ!? もっ、もちろんじゃ? ななななにを言っておるのじゃ? かか一刀は妾を疑うのかや……?」

「だったらいいんだけど。……ん、うん、美味い」

 

 ハンバーグを食べ、米を食べ、水を飲んで再びハンバーグ。

 野菜もショリショリと食して、二人して完食してみれば腹も満腹。

 俺は椅子に、袁術は俺の胸に背を預け、同時に『はぁ~……♪』と暖かな溜め息を漏らした。

 味わって食べたためか結構な時間がかかった……と思う。なにせ時計が無いからわからない。しかしながら窓を見やれば暗くなっている外。

 ……もうそろそろ風呂もいいかなと、軽く考えた。

 

「むふぅう……たまらんの……これは素晴らしい食べ物なのじゃ……。一刀は天で、いつもこのようなものを食しておったのか……?」

「いや、天でもここまでのはそうそう食えないな。華琳だから出来た味だ」

 

 ご家庭でお手軽簡単クッキング♪ なんてレベルじゃあ断じて無い。

 ……何処まで“食”ってものを追求すれば気が済むのやら。

 しかしさすがキングサイズ。動きたくなくなるくらいの量だった。

 袁術も食いすぎたのか、どっしりと俺の膝の上に腰を下ろして、動こうとしない。

 もちろん俺も動く気になれなかったから、なんとなく寂しい手で袁術の頭を撫でる。

 

「う……? こ、これ一刀? くすぐったいぞ……?」

「っと、ごめんごめん、どうも撫で癖みたいなのがついてるみたいで」

 

 再び腕をだらんと下ろす。

 はぁあ……それにしてもなんというかこう、心地良い重みだ。

 これはあれか? 華琳に背格好が近いからそう思うのか? 本人に言ったら八つ裂きにされそうだけど。

 腹も満腹になって、体も疲れと重みに軽い緊張を持っていて、すぅっと息を吸えばこのまま眠れそうな───……でも寝るなら寝台がいいね。今回も寝かせてくれるかはわからないわけんだけどさ。

 

(けどここですぐ寝たら、腹の中のものが上手く消化されないだろうし……少し動くか?)

 

 ……いや、今日はもう勘弁だ。

 これ以上は危険だと、今の自分ならよ~くわかる。

 ならば風呂に……いや、風呂は一番最後でいいや。じゃないといろいろとその、なぁ?

 ただでさえ風呂での別の人との遭遇率が高い気がするんだし、最後だ。うん最後。

 はふぅ~……と長い息を吐いて、考えることを切り替える。

 風呂風呂考えてたら、いろいろな経験からしてピンク色の思考に満たされそうになったからだ。

 何か無いか、何か。こう、キリッとした何か───っと、そういえば。

 

(……なんだかんだでイメージに勝てた……んだよな?)

 

 デコピンでなんて、おかしな勝ち方。

 一勝は一勝だって言うなら、あれは確かに勝ちだった。

 なにせ相手が消えてしまったのだから。

 俺の意識が限界だったって言えばそれまでの事実であり、どの道続行しようにも思春に気絶させられていた。

 だったら? ……そだな、次の時にもう一度頑張ってみよう。

 その時には、今までよりも多少は、恐怖への耐性が出来ていることを願って。

 

「袁術、このまま寝ちゃうか?」

「うむ~……そ~じゃの~……」

 

 心地良い満腹感に包まれているからだろうか、ゆったりとして、どこかポワポワした返事が返ってきた。ならばと袁術を持ち上げ、ひょいとお姫様抱っこに持ち変えると、そのまま寝台までを歩いてこてりと寝かせる。

 どうやら寝巻きも用意されていないらしい(恐らく袁術自身が拒否したんだろうが)豪奢な服そのままで、掛け布団をかけてやる。

 いっそこのまま寝てくれようかとも思ったが、さすがにそれにはためらいが走る。

 疲れてるから布団で寝たいのは事実。けれど、いくら自分の寝台だからって許可も得ずに……なぁ?

 仕方無い、机に行こう。

 そう思い、灯りを消して机へ。

 ……それ以前に風呂だ。もう結構いい時間だろうし、みんな入り終わったよな?

 

(……よし)

 

 バッグから着替えを取り出して歩く。

 袁術はまったりしているみたいで、特にこちらに注意が向いたりもしない。

 ならばと静かに部屋を出て、侍女さんにもうみんな入り終わったかを訊ね、風呂に向かい、ゆっくりと湯船に浸かった。マッサージで筋肉をほぐし、血液を巡らせ、出来るだけ疲れが残らないようにして。

 そうして風呂を出て自室に戻る中、明日するべきことをいろいろと考えてみていた。

 ───明日は書簡整理等、三日で済ませなきゃいけないものが待っている。

 出来るだけ早く、眠気を残さないよう明日を迎えて処理を始めるのがいい。

 だから早寝早起きはむしろ好都合。眠気は……なんとかなる。

 

(ではッ、就寝用意ッッ!!)

 

 ザムゥ~と自室の前に立ち、やはり静かに入室。

 ちらりと中の様子を見ながら椅子に座り、はふぅと吐息。

 背をぐったりと預けて目を閉じると、温まった体があたかもじわりじわりと眠気を召喚していくようで……! …………ハッ!? 視線ッ!?

 

「───」

「……、……」

 

 寝台を見てみると、おぜうさまが掛け布団を掻き抱きながらこちらを見て、ガタガタと震えてらっしゃった。

 

「……袁術? どした?」

「~っ……ばかものぉっ! どどどどっどど何処に行っておったのじゃ! 妾への断りも無しに! そのようなこと、妾は許した覚えはないぞぉっ!」

「え? いや、汗流すために風呂に───ていうかむしろ気づきなさい。あ、袁術も入ってきたらどうだ? 気持ちいいぞ?」

「ひうっ……!? い、いやじゃっ! 一人は嫌なのじゃっ……吾郎が出るのじゃっ!」

「え……あ、いや、あれは夢の話だろ? 風呂でまで怯える必要なんかないって。なんだったら侍女さんに頼んで一緒に入ってもらうか? 温まったほうがすとんと眠れるかもしれないぞ?」

「う、うー……そうかの……」

「そうそう。だから入ってきなさい。ほら、途中まで一緒に行くから」

 

 喋りながら傍までを歩き、寝台の主となっている袁術へと手を伸ばす。

 すると特に躊躇もなくきゅむと手を握ってきて、少々意外に感じながらも連れ出し、一緒に歩いた。

 しかし侍女に“この子と一緒に風呂に入ってくれ”と言うのも妙なもので、早速見つけた侍女さんに説明するのには、結構勇気が必要だったりした。

 幸いにも華琳に命じられて、何度か袁術の世話をしたことがある人だったらしく、快く……ではない、少し微妙な表情で引き受けてくれた。

 

「ふぅ」

 

 そして袁術が風呂に入る傍ら、どうしてか俺は風呂へと通じる通路の前で待機。

 まるで怖くてトイレに行けない誰かに付きそっている気分で、袁術が出るのを待った。

 だってさ、「そこにおるのじゃぞ? 絶対じゃぞ?」って、泣きそうな顔で言われたらさ……そりゃ、待つしかないだろ……。

 

……。

 

 女性の風呂は長い。

 案の定、袁術が上がる頃には体にこもっていた熱も大分消えてしまっていて、ほっこり笑顔で「では戻ろうぞ?」と言ってくるお嬢様が、少し……いや、なんでもないです。

 べつに“なんだろう……この、言葉通りの温度差……”とか思ってないってば。

 そりゃさ、これだけ長い髪だと時間もかかるって。

 そう納得するんだ。たとえ相手の体は温かく、自分の体は冷えていても。

 

「一刀の手は冷たいのぅ……妾が暖めてしんぜようぞ?」

「………」

 

 きゅむと繋がれた手を、両手で覆ってくる。そしてまた、カイロを揉むようにさわさわと撫でられ……くすぐったい。

 えぇと……うんん? この状況に対して俺は、感謝するべき……なんだろうか。

 ……するべきだな。さすがにこんな純粋な笑顔に、待たされた所為で冷たいのですよとか言えないし、そもそも言うつもりもなかったし。

 

「そういう袁術は温かいな」

「うふふはは~♪ そうであろそうであろっ♪ 心がやさしい者は手が暖かいと、七乃が言っておったからのっ。妾の手が暖かいのは当然というものよ。……でもなんじゃったかのぅ、その後になにか付けたされた気がするのじゃが……ま、気の所為じゃの」

「いや……うん」

 

 絶対に何か付けたしただろうな。なにせ七乃だ。

 と、そうこうしているうちに自室前に辿り着き、そのまま室内へ。

 袁術はそれで安心したのか俺の手から自分の手をするりと離すと、寝台へと飛び上がって低位置へ。

 俺も机へと座り、再びはふーと脱力。

 

(あ)

 

 しかしそこで思い出し、侍女さんに借りた櫛をポケットから取り出す。

 ちらりと寝台を見てみれば、自分の寝床を匠に用意する犬のようにバサバサと掛け布団を振り回し、心地良い体勢(?)を吟味しているおぜうさま。

 

(……今日はもう侍女さんが梳いたか)

 

 湿り気も随分無いようで、暴れるたびにさらさらと揺れる髪が、含んだ水分の少なさを教えてくれていた。

 侍女さん……いい仕事しています。

 この櫛はまた今度だな。よし、寝るか。

 

「じゃ、おやすみ袁術」

「う? うむ、おやすみなのじゃ、一刀」

 

 椅子にもたれかかって息を整える。

 ちらりと見た寝台の上では袁術が丸くなり、同じく息を───

 

「…………一刀? 眠るんでないのかや?」

 

 ───整える前にもぞりと体を起こし、訊ねてきた。

 

「? 寝るぞ? だからこうして───」

「っ……な、なにもそのようなところで眠る必要はなかろ? それではいざという時に妾を守れんというに。じゃからの、その……じゃのぉ……」

「……えぇと、袁術? 眠りたいなら眠気があるうちのほうが───」

「い、いぃいいいやなのじゃっ! 吾郎が出るのじゃーっ!!」

「……わあ」

 

 ふと気づけば、身を庇うようにして涙を浮かべてらっしゃった。

 すごいぞ吾郎くん……愛紗や鈴々や猪々子には大好評なのに、袁術にとっては恐怖の象徴になったらしい。

 少し呆れている中でも袁術は「はよう近う寄るのじゃー!」とか、「妾が寝るまで寝てはならぬー!」とか、「一刀は妾を守るのであろー!?」とか、もう言いたい放題である。

 そんなこんなで結局何を言ってもハチャメチャな返事でうやむやにされ───……気づけば、いつの間にか布団で寝ていた。

 

(吾郎くん……俺、散々話しても布団で寝かせてもらえなかったのに……。キミのことを知っただけで、布団が普通に提供されるようになったよ……。喜ぶべきなんだけど……やっぱり少しだけ複雑な気分だよ……)

 

 悲しみを抱きながら、袁術に腕にしがみつかれたまま目を閉じた。

 カタカタと震えている体は小さく、華琳っていうよりは季衣や流琉に近い。

 また頭を撫でそうになる左手を止め、右腕は動かせないままに呼吸を整える。

 袁術が慌ててその呼吸に合わせようとするのが、なんだかくすぐったい。

 

「おやすみ、袁術」

「うぃいいいぃぅう……い、いかんぞ一刀ぉおっ……わわ妾を置いて先に寝るな……っ! ぐしゅっ……寝るでなぃい……!!」

「寝ないから、大丈夫大丈夫……」

「ふみゅぅう……まことか……?」

「ああ、大丈夫。袁術が寝るまで起きてるよ」

 

 言って、頭を撫で───だからやめなさい、左手さん。

 ともかく睡眠時の呼吸をイメージしての呼吸を繰り返す。

 男と女じゃあ呼吸の仕方も違うかもしれないが、まあ些細なことだと構わずに。

 やがて静かな部屋に袁術の寝息が聞こえ始めると、可愛い寝顔を確認してから軽くあくび。改めて目を閉じる。

 明日はせめて、書簡整理だけで終わりますようにと願いを込めながら。

 

(あ……でも桂花あたりが無理矢理にでも用意してそうだ……)

 

 俺に任せるための仕事を探すとか、どうか冗談であってほしい。

 華琳はその手の冗談、あまり言わないんだろうけどね……ハハ……。

 よし寝よう。明日の苦労は明日飲み込もう! 今は一刻も早く明日に辿り着いて、何かを頼まれるより早く隊舎に進入! 書簡を強奪し、ここへと戻って読み漁る!

 隊舎で読むのもいいけど、書き足したいものとかがあった場合はここの方がやりやすいんだよな。隊舎では書けないってわけじゃないんだけど、あそこだと目立つし。

 あの場で書簡に埋もれながら整理するのもいい……けどその場合、見つかった時点であれよこれよと頼まれるだろう。それはよろしくない。

 なので回収し次第自室へ帰還、内容の確認と付けたし等を以って終了とします。

 よ、よし、これでいこう。

 鍵は凪が管理しているだろうから───まずは明日、華琳が凪に接触する前に凪と接触。鍵を得て隊舎で書簡を入手。自室で確認などをして返却、再び持ってきて……を繰り返す。

 なお移動の際は気配を極力周囲に散らすことで消し、あたかも忍のように行動。

 思春あたりにあっさり見つかりそうだが、それでも男にはやらねばならん時があるのだ。

 

(桂花は俺の悔しがる顔とか見たがるだろうから、直接俺に頼みごとをしに来るはず)

 

 華琳は誰かに任せて間接的に命令を飛ばすだろう。

 いや、そうする必要もないな……絶対に明日から三日、一刀に好きなだけ命令しなさいとか将全体に通達してある。

 じゃあ華琳より先に凪と接触するのもアウトに近い。

 接触の時点でなにかを頼まれれば断れないわけだ。

 ならば……ならば? 凪から鍵を強奪する? ……凪が怒られるな、やめよう。そもそも奪える気がしない。

 

「………」

 

 寝よう。

 今考えても答えは出なさそうだし……回りくどい考えはもうやめだ。

 明日から三日間で、意地でも書簡整理を完了させる。これは絶対に絶対だ。

 あとはそれを成すだけの体力を、この睡眠でどれだけ得られるかだ。

 

(……頑張ろう)

 

 ちらりと穏やかな寝顔を覗き、うなされていないことを確認すると、今度こそ沸き出す睡魔に抗うこともせずに眠る。

 どうか明日、平和に………って、願うと平和に終わりそうにないから、普通に終わりますようにと願いながら。

 ……でも、これですらも地雷臭がするのはどうしてなんだろう。

 少し、修行をセーブすればよかった。

 そんなことを思ったのは、激痛のあまりに仕事が出来ず、酷い目に遭う夢を見たあとのことだった。

 



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48:魏/がんばれ、男の子①

89/忙しき日々

 

 早朝───覚醒。

 寝巻きという名のシャツからフランチェスカの制服に着替えると、体にだるさが残っていないかを確認……多少はあるものの、動けないわけではない。

 確認を終えると、まだ眠っている袁術の頭を撫で───ってやめなさい。

 伸ばしかけた右手を左手で阻止し、部屋の外へ。

 厨房で水を貰ってそのまま歩くと、まずは鍵を管理している場へと向かい、そこに隊舎の鍵があるかを確認……無し。ならば仕方も無しと凪の部屋の前までを歩き、ノック。

 既に起きていた凪に事情を話し、ならば一緒にと同行してくれた彼女とともに隊舎へ。

 鍵を開けて中へ入ってからの行動は速かった。

 素早く必要な書簡を手に、周囲に注意しながら、しかし出来るだけの速度で自室へと急ぐのだ。

 

「……隊長、こちらへ」

「凪?」

 

 部屋へ真っ直ぐ続いている通路を歩く中、書簡運びを手伝ってくれている凪に声をかけられ、足を止める。何事? と思いつつもついていく。

 こっちからだと回り道になるが……と、そんなことを思いながらちらりと直行通路を見てみれば、そこで何かを待っている桂花が……!!

 

(……凪、もしかしてもう、みんな起きてる?)

(はい。隊長が厨房に訪れた時点で、侍女が華琳さまに報せる手筈になっていました)

(なんでそこまで周到なの!?)

(恐らく刺激が欲しいんだと思います。隊長が戻ってくるまで、いろいろとありましたから───隊長、伏せてください)

(? あ、ああ)

 

 ボソボソと小声で話し、中庭側へと辿り着く……のだが、その欄干までを歩いたところで凪に伏せろと言われる。

 言われるままに伏せていると、離れた場所から話し声。

 

「おー、沙和ー、隊長おったー……?」

「見つからないのー……」

 

 ……沙和と真桜らしい。

 俺達が身を屈めている欄干の傍の通路で立ち止まり、世話話のように言葉を連ねる。

 

「凪もおらんし……二人でこそこそ隠れとんのとちゃうん……? あ~……こない朝から行動することになるってわかっとったら、もっと準備しとったのに……」

「真桜ちゃん、沙和眠い~……」

「そんなんウチかて同じ……やけど、隊長さえ見つけられたら、仕事全部隊長に任せてウチらは……」

「うふふふふ、さぼり放題なの~♪」

 

 ……で、耳を傾けてみれば、聞こえてくるのは脱力するお言葉。

 いっそ奇声でも上げて襲いかかってくれようかと思ったのだが───

 

「……とまあお決まりのお約束は置いといてや。仕事にかこつけて隊長独占するまたとない機会や。またとないどころか明日もそん次もあるねんけどなー」

 

 どうやら自分が思ってしまったものとは違ったらしい。

 真桜の声調が、かったるそうな言葉から一変、キリっとした真面目な声に変わる。

 

「ねーねー真桜ちゃん? それだったら素直に凪ちゃんみたいに、たいちょーのこと手伝ったほうが早くなかった?」

「んや、こーゆーんは勝ちとってなんぼや。それに手伝いっちゅーても落ち着いて話が出来るわけと違うし、どーせ凪も今頃、隊長を逃がすために大変な目に遭っとんで?」

「そういう意味では北郷隊は少し不利だよねー。隊長、華琳さまに書簡整理が終わるまでは警備隊の仕事は禁止されてるみたいだし……」

「それなんよ……それさえなかったら隊長引っ張り出して街に出れば、城内ばっか探しとる連中に差ぁつけられるねんのになぁ~……。けど今日はちゃう。報告することを纏めなあかんから、隊長でも手伝えることや。これを隊長に頼めば、隊長ん部屋でじっくりしっぽりうへへへへ……」

「真桜ちゃん、また親父になってるの……───でも、絶対に捕まえようね」

「おぉ、もっちろんやっ。これやったら隊長も自分の仕事も出来るしウチらもサボりにならんし、一石二鳥どころか……一刀と三羽烏や~♪」

「………」

「ちょぉおっ、沙和~!? ここで黙るとかあんまりとちゃうん~!?」

 

 ぶつくさ言いながらとたとたと歩き、やがて話声は遠くへ消えた。

 

(……凪……)

(皆が隊長を探すのは当然です。隊長は現在、頼めば断れない状況にあります。己の仕事が楽にもなりますし、それにその……皆、隊長とゆっくりと話したかったでしょうし)

(うぐっ……ごめんな、慌しい日ばっかりで)

(いえ。自分は……隊長が壮健で戻ってきてくれたのなら、それで)

 

 薄く。だが確かに笑みを見せた凪が、さ、と促して先をゆく。

 思わず抱き締めそうになるところだった……動いてくれたのは、正直ありがたい。

 今抱き締めたりしたら絶対に声が出て誰かに見つかって……

 

(出すぎるでないぞ、自重せい)

(了解だ、孟徳さん)

 

 うんと頷いて凪のあとを追う。

 本気の本気でみんな既に起き出しているようで、警邏の準備をする者から調練の準備をする者、将であるなら人を選ばずほぼ全員が俺を探していた。

 ……捕まったら自室には戻れそうもないな……なんて考えながら、そういえば凪はどうなんだろうと考える。こうして味方してくれてるけど……いや。元気に帰ってきてくれただけでって言ってくれた。理由なんてそれだけで十分だ。

 

……。

 

 第一行動、成功。

 書簡を自室の机に置いて一息。

 中には誰も侵入していなかったようで、ひとまずは安心だ。

 

「これを片付けてもまだまだある……事件らしい事件なんてそんなにあったのか?」

「いえ、あの……まあ」

 

 歯切れの悪い返事とその顔が物語っていた。事件を起こしたのはやはり、将ばかりなのだと。

 目を通した限りでは、以前霞が紛れ込んだ大人げない事件……もとい、祭り騒ぎみたいなものが結構あったらしく、街での祭りの報告がほぼだった。

 あとは気になること気にならないこといろいろだ。夜を彷徨(さまよ)う冷たい女性とか。

 

「はあ、随分と留守にしてたししょうがないよな。ごめんな凪、出来るだけ早く復帰出来るように頑張るから。それまではお前に任せっきりになっちゃうけど……頼めるか?」

「隊長……いえ。隊長が任せてくださるのならこの楽文謙、期待に応えられるよう、一層の努力を……!」

「凪……」

「隊長……」

 

 凪って……本当にいい娘だ……。

 こんな娘が俺の部下って、いろいろと間違ってないかとか普通に思ってしまう。

 天に帰る前も何度助けられたことか……覚えているだけでも片手じゃ足りない有様だ。

 どうせなら沙和と真桜にもこうして手伝ってもらいたかったけど……逆に二人に見つかった方が安全なのか? 真桜の言うことが本当なら、俺も報告用の書簡の作成を手伝───えるわけないじゃないか。だって俺、街で何が起きたかとか知らないんだぞ?

 

(沙和……真桜よぉ……)

 

 俺もだけど、もうちょっと考えて行動しような……。

 ともかくこれで二人に見つかるわけにはいかなくなった。

 手伝えないと知れたら、無理矢理にでも手伝ってもらうことを捏造、とんでもない事態に発展すると、経験が語ってくれている。

 自分の隊の部下が取りそうな行動を考えてみて、少し身震いした。

 その拍子に視線がずれて、丁度寝台の袁術に目が行く。

 

「………」

 

 よく寝てるな、本当に。部屋に戻るたび、寝てる気がする。

 

「? ……あ……そういえばその、隊長は……袁術とその……」

「へ? あ、ああ、なんかいい匂いがするとかで、すっかり寝台を取られちゃってな」

「取られ───……あの、一緒に寝たりは……ごにょごにょ……」

「昨日今日と一緒には寝たぞ? 一人で眠るのが怖いらしくてさ」

 

 原因、俺と吾郎くんだけど。

 お陰でと言っていいのか、寝台で寝れる有り難さは再確認できた。

 

「………」

「?」

 

 ハテ。凪が俯いてしまったんだが…………俺、おかしなこと言ったっけ?

 

「凪? どうかしたのか?」

「いえ……親衛隊の二人の例もありますし、隊長にとっては袁術のような子でも……」

「親衛隊? 二人? 例?」

 

 親衛隊って……季衣と流琉だよな?

 どうして二人が? 二人の例もあるって……袁術のような子でもって───…ってぇっ!

 

「ななな凪!? 何か妙な勘違いしてないか!? 一緒に寝るってそういう意味じゃなくて、そのまんまの意味だぞ!? ただ眠るだけ! わかるか!?」

「───……」

 

 誤解を解くべく真正面から肩を掴み、きっちりと説明を……ってもしかしてみんなも誤解していたりするのか……!? だとしたらいろんな意味でまずいような……!

 い、いや、まずは凪だ! とにかく説明! ひたすら説明!

 少し顔を俯かせている彼女の正面に立って、身振り手振りでズヴァーとこれまでのことを説明して───いた時だった。

 

「おお~……なにやら戻って早々に大変なことになっているご様子。けれどそんなに顔を近づけたままでは、凪ちゃんも固まったまま動けませんよ、お兄さん」

『!?』

 

 突如として部屋に響く声。

 どこかぼーっとしていた凪とともに表情を引き締め、室内を見渡すが、俺と凪と袁術の他に人なんてものは……あ。

 

「相変わらず女性関連でお困りのようですねお兄さん。周りが見えなくなるほどお困りでしたら、風が手を貸しましょうかー?」

 

 ちらりと見た机の下。

 そこからにょきにょきと生えてくるホウケイと、それに続いて姿を現す風。

 いつからそこに居たのか、口に手を添えた半眼でニコリというかニヤリというか、絶妙なブレンドフェイスで微笑んでいた。

 

「風……いつからそこに?」

「やれやれヤボは言いっこなしだぜにーちゃん、今必要なのはそんな疑問解決よりも、書簡を片付ける時間ではないのかね?」

「む。そりゃそうだけど。気になることがあると集中出来ないのも……って、そんなことも言ってる場合じゃないか」

「うふふ、そういうことですよー。風がなぜここで寝ていたのか、などという質問は……お兄さん、些細なことなのです。風はただ懐かしい風に誘われてやってきただけなので」

「懐かしい風? ……あ、あー……なるほど、確かによく似てるかも」

「?」

 

 凪が首を傾げる中、ちょこんと椅子に座る風と一緒になって笑顔になる。

 あの時もこんなふうに周りが俺を探してたっけ。その時の凪は俺を探す側だったから、意識がそう向かないのもわかる。

 

「あ。お兄さんの安心のために言っておきますと、今日の風は非番なので警戒する必要はありませんよ? そんなわけですのでお茶でもいただきながらのんびりしましょう」

「いやいやいや、それだと書簡を読めないだろ、風」

「……書簡を読む?」

 

 わざとなんだろうか……いつかのように目を丸くして、机の上の書簡を右へ左へと首を傾げながら確認した。そこには当然というか、俺が持ってきた分と凪が持ってきた分の書簡が積まれている。

 

「これを全部ですか。お兄さん、しばらく見ないうちに頑張り屋さんになりましたねー」

「やれないと、三日毎の日課を……日課? まあいいや、日課だ。を、潰されることになってね……なんとしてでもやりきらないといけないんだよ……」

 

 言いながらも竹簡を一つ手に取り、作業を開始。机には風が座っているから、寝台の端に座って確認していく。

 凪は何も言わずとも扉の傍に立ち、風は……

 

「お兄さんお兄さん、そんなところに座っていては、いざ扉を開かれたら一番に見つかってしまいますよ」

 

 まるで亀をいじめる子供にこれこれと注意する浦島さんのように、軽く手を上下させながらそんなことを言ってくる。目は伏せたまま、悟りを開いた子が如く。

 

「や、それはわかってるけど……でもじゃあ、どうすれば?」

「ここへどうぞ。この場の安全性は風が先ほど確認しましたので。舞い上がっていたのかどうかは別として、凪ちゃんにも気づかれない程度には安全ですよー」

「なっ……ま、舞い上がっ……うぅ……」

 

 ちょいちょいと机の下を指差す風さん。

 凪はといえば自覚があったのかどうなのか、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 でも……たしかに机の下は安全だよな。華琳の件もあるし。

 

「そだな、じゃあ失礼して」

 

 机に近づき、風が椅子ごとずれるとその下へと潜り込む。

 ……俺の体じゃ少し窮屈だが、こんなものは慣れだろう。

 もし見つかりそうになったら、一目散に窓から逃げるということで。

 

「ごめんな二人とも、こんなことに付き合わせることになっちゃって」

「いえいえ、風は懐かしみたいだけですのでどうぞお気になさらず~……」

「……、その通りです、隊長。状況や動機がどうあれ、それは魏将の総意だと思います」

「“懐かしみたい”か……そうだよなぁ」

 

 ドタバタしていて落ち着けないってこともあるけど、それでもとは確かに思う。

 みんなで一緒に懐かしむことはもうしたとはいえ、一人ずつ向き合って懐かしみたいと思う心は俺にだって当然ある。

 あるんだが……今回ばっかりは俺にも譲れないものがございまして。

 懐かしみすぎて間に合いませんでしたじゃあ、じいちゃんにも雪蓮にも祭さんにも桃香にも合わせる顔が無くなる。

 

「お兄さんが三国の支柱になろうとしているという話は聞きました。その上で、一方を贔屓しているようではそれは成り立たないということも、だから風たちに手を出したくても出せないことも、なんとなく察しはついているのですよ」

「察してくれてありがとうだけど、手を出すこと前提なんだな、俺……」

「おお? もしやお兄さんは呉蜀を回ったために、風たちのことなど飽きたというのですか」

「そんなことあるもんかっ!!」

「ひうっ……!?」

「っ……!?」

 

 風の何気ない言葉に、無意識に大声が放たれた。

 やってしまった───とは思わない。ただ、居分の素直な思いが心の底から出ていった。

 

「あ、あ……あー……ごめん、大声だして。でも飽きたとかそんなこと、絶対にないから。俺にとっての魏は二つ目の故郷で、家族で、大切な場所なんだ。何があったってそれはきっと変わらないことで、俺は今も、今までもこれからだって魏とそこに住むみんなが大好きだ。それは……絶対に絶対だ」

「おおっ……熱烈な告白をされてしまいました」

「隊長……」

「これで机の下で縮こまったお兄さんでなければ、さすがの風も心打たれて抱き付いていたかもしれません」

「そういうこと言うのやめよう!?」

 

 机の下で愛を語る男、北郷一刀。嬉しくない二つ名だった。

 

「惜しいですねー、そんなことをみなさんの前で言ってあげれば、きっとこの騒ぎも……」

「沈静化した……?」

「いえいえ、もっともっと激化していましたねー。それはもう、誰が捕まえてもお構いなしの引っ張り合いが始まり、やがてお兄さんの体は将の人数分引き裂かれることになり……」

「死ぬよ!?」

 

 どこかのミ○トくんじゃないんだから、くっつければ治るとかそんなの無理ですよ!?

 って、話し合いしてたら書簡整理が進まないじゃないか……。えぇと、疑いたいわけじゃないけど、風……本当に応援に来ただけなのか……? いやそもそも応援とも一言も言ってなかったような。

 ま……まあいいか、仕事仕事……!



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48:魏/がんばれ、男の子②

 そんなこんなで始まった書簡整理は、風の言葉じゃないが確かに激化していた。

 

「ようやく見つけたわよ北郷! 女の下に隠れるなんて、あんたどれだけ情けないのよ!」

「情けなくたって成さなきゃならないことがあるんだっ! そんなわけだからさらば!!」

「あ、ちょっと! 頼まれごとは断れない約束でしょ!?」

「頼まれる前なら逃げる権利くらいはあると、この北郷は確信した!! あくまで別件を頼まれようとも己の仕事を言い訳にしない約束! 頼まれる前に逃げてはいけないなんて言われてないっ!」

「おおっ、見事な屁理屈ですねぇお兄さん」

「……なるほど、やはり根本はそう変わってませんね、隊長」

「凪……? しみじみ納得されると少し悲しいんだけど……」

 

 部屋に突入してきた桂花にあっさり暴かれ逃げ出し、逃げた先で書簡を広げて少しでも読み進め───

 

「あーっ! 兄ちゃん見つけたっ!」

「季衣かっ!」

「お兄さん、後ろに流琉ちゃんを確認しましたよ」

「流琉も!? 二人とも親衛隊の仕事は!?」

「へへー、華琳さまがお祭りには積極的に首を突っ込むべきだって、許してくれたよ?」

「王公認の鬼ごっこかなんかなのかこれは!!」

「隊長っ! 指示を!」

「指示もなにもっ……頼まれる前に逃げる!」

「はっ!」

「あっ! こらっ! 逃げるな兄ちゃーんっ!」

「おお季衣ちゃん、お仕事ご苦労さまですー。飴をどうぞ」

「え? くれるの? あんがとー♪」

「季衣っ! そんなの貰ってる場合じゃ───あ、あ……ぁああ……逃げられた……」

 

 途中で見つかればあれよこれよと手を尽くし、頼まれる前になんとか逃げては、逃げた先で書簡をチェック。

 

「なになに……? ついにからくり夏侯惇将軍の関節駆動を実現? 李典将軍の次なる野望……ってなんだこりゃ。どこのゴシップ新聞だよ」

「からくり夏侯惇将軍のお話ですねー。造形が美しいと、華琳さまもひとつ持っているのですよ」

「いや……これ街のことと関係ないし……。凪……凪が悪くないのはわかるけど、こんなことばっかりだと、さすがに逃げ回ってまで読み切る自信とか無くなってくるんですけど……」

「も、申し訳ありません……沙和にはきつく言っておきます……」

「でもこの次なる野望……全自動からくりってのはすごいかもな。実現したらそれはもう……マテ、全自動?」

「うー? どうかしたのですか、お兄さん」

「いや……ちょっと気になって。そういえば凪、以前の書簡で、夜に───」

「! 隊長、下がってください!」

「へ? ───うぐぇっ!? おぉわぁあっ?」

 

 読み進める書簡の中に気になることがあれば、せっかくだからと凪に訊いてみたり、その直後に凪に襟首を引っ張られ、目の前を斧が“ゴフォゥンッ!!”と通過していった。

 

「かかかかか華雄ぅうーっ!! 出会いがしらに斧振るうのは危ないってあれほど言っただろぉっ!?」

「む? 言われてなどいないが?」

「ごめん言ってなかった! でも危険だからやめよう!? 凪が止めてくれなかったら死んでたよ今!」

「いや、私もよく解らん。ただ貴様を見つけたら斧を振るってでも引き止めろと、春蘭が言っていたのでな」

「なっ……!」

「豪快な引き止め方ですねー……」

「まあ……春蘭さまらしいといえばらしいですが……」

「……じゃあ、引き止まったから俺達もう行くな?」

「なに? 我が斧に懸けて、貴様は私が引き止めておかねば───」

「俺を引き止めたら飴が貰えることになってるんだ。はい、おめでとー」

「……そうなのか。季衣が祭りがどうのと言っていたが……なるほど」

 

 捕まったりしてもなんとか誤魔化したり切り抜けたりで、風が疲れればお姫様抱っこ(書簡は風に持ってもらって)で運び、とにかく逃げ回りの時間が続いた。

 

「ううー、お兄さん? 風の飴は配布物ではないのですよー?」

「ごめんごめん、この騒ぎが終わったら、きちんと買って返すから」

「おお、金で解決とは中々狡賢くなりましたねお兄さん」

「人聞きの悪いことを言わんでください。───凪、周囲の気配はどうだ?」

「前方より一名……こちらへ近づいてきています。これは……霞さまです」

「霞っ!? まずいな……切り抜けるのは難しそうだぞ……」

「というかお兄さん? 一つくらい手伝っても罰は当たらないのではー?」

「そこゆく軍師さん? 軍師としての一言をどうぞ」

「捕まったらそれで最後ですねー。霞ちゃんの用事が終わったら次の誰かが待ち伏せていますよ」

「……だめじゃないか、それ」

 

 そんなわけで静かに逃走……したのだが、これで鼻の利く霞だ。

 あっさり見つかってしまい、追いかけっこになった時点で宅の神速将軍さんは馬まで刈り出してオワァーッ!?

 

「うわわわわわ霞あぁあーっ!! こんなことに馬まで出すなぁあーっ!!」

「それが人の顔見るなり逃げた男の言葉かいっ! 一刀はウチと居たないんかっ!?」

「居たいけど事情があるんだって! 三日の内に書簡整理しなきゃっ……!」

「おー! そんなら聞いた! 聞いたで一刀~♪ あの甘興覇相手になかなかしぶとく戦っとったらしいな~!」

「どんな理由でそんな嬉しそうな声出してるのかは想像がつくけどっ……! 馬で追いながら話すことじゃないだろぉおーっ!!」

 

 逃げ回った。

 不機嫌っぽかったのに、俺の鍛錬の話になると嬉しそうな声を出して、しかし馬で俺を追い詰める霞から。

 そっちがその気ならと馬が通れない場所に逃げ込み、その上でさらにさらにと走った。

 持久力は随分と上がっているから、走り続けることには慣れていた。

 鍛錬やっててよかった……それ以前に、氣を習っておいてよかったと心から。

 そんなこんなでやはり逃げ回り、

 

「そこまでです、一刀殿」

「っ! 稟か!」

「おお稟ちゃん、姿を見せないと思ったら……今まで“事”の流れを読んでいたと……そんなところですかー?」

「風ですか。なるほど、そちらに付いていたと。道理で姿を見ないと思いましたが……ですがそれもふひゃあーっ!?」

「うおおっ!? 稟!? 稟ーっ!?」

「これは……落とし穴、でしょうか、隊長」

「どう見ても……。しかもこんなことするのは……」

「あぁあーっ!! 人が苦労して掘った穴をっ!」

「やっぱりお前か桂花……」

「やることがもはや定着化してきてますねー……」

「風、こういう時は馬鹿の一つ覚えって言ってやるんだ。真っ直ぐに相手の目を見て」

「あんたなんかに馬鹿呼ばわりされる覚えはないわよっ! 大体あんたが落ちるはずだったのに稟を誘導なんかして! あんたが落としたも同然よ!」

「どういう理屈だそれはっ! そもそも掘ったのがお前なんだろーが! ……大体、味方の軍師を落とし穴にはめたりして、これが戦場だったら華琳になんて言われるかな」

「うぐっ!? ……な、なにが言いたいのよ……」

「きっと華琳の自室に呼び出されて、たった一人で想像もつかないようなお仕置きを華琳直々に……」

「お、お仕置き……華琳さま直々に……華琳さまが、華琳さまのお美しい手が、口が……ああっ、いけません華琳さまっ、そんなところ……っ……お口が汚れてえへへへへー……♪」

「じゃ、行こう」

「……久しぶりなのに桂花ちゃんの扱いに慣れてますねー、お兄さん」

「お仕置きという言葉に、あそこまで素直に反応する桂花さまも、その……相当ですが」

 

 書簡を見ながらの移動は続く。

 ある時は城壁の上へ、ある時は川へ、またある時は山へと登り、しかし書簡を読み終えると自室か隊舎に戻らなくてはいけなくて、そこがとにかく大変だった。

 なにせ……自室の前に、春蘭が待ち構えていたからだ。一応注意しながら覗いてみたこともあり、発見されることなく通路の角から様子を見ている状態である。

 

「お兄さん、合図をしたら大声を出してください。誰かから逃げているような声が理想的ですねー」

「わかった。……………」

「…………はい、いいですよー」

「よしっ。ウ、ウワー! 見つかったー! 逃ーげぇーろぉおーっ!」

「…………お兄さん、真面目に逃げる気ありますか?」

「真顔は勘弁してください……こういうのってどうも慣れなくて」

「あ……いえ、隊長。成功したようです……」

「ふはははそうか見つけたか! 何処だ北郷ぉおおっ! もはや逃れられんぞぉおっ!!」

「…………元気よく飛び出していきましたねー」

「春蘭が部屋の見張りでよかったよ……」

「しかし隊長、部屋の中にまだ誰か……! この気配は……秋蘭さまです」

「うあっ……それは、まずいな……ていうか今の、合図を待つ意味ってあったか?」

「う? べつにありませんが、なにかー?」

「……いや……いいけどさ……」

 

 本当に鬼ごっこみたいになってしまっているので性質が悪い。

 缶蹴りと鬼ごっこを足したような感じだ。ただし捕まって苦しむのは俺だけ。

 そんなことをやっているというのに、俺の顔はどうしようもなく笑っていた。

 なんだかんだで楽しいのだ。

 魏のみんなと一緒になにかをしているって、ただそれだけのことが。

 

「隊舎の方に行くか?」

「いえいえそれには及びません。丁度いい方向へと走っていってくれましたので、上手くすれば───」

「うあぁあああああーっ!?」

「…………? 春蘭の声? って、あっちは……」

「はいー、桂花ちゃんの落とし穴がー」

「姉者ぁっ!! ……姉者どうした! 姉者ぁああーっ!!」

「あ……秋蘭さまが……」

「ふふふー、これで誰も居なくなりましたねー」

「……軍師ってここまで読めてこそなのか?」

「相手を知ればこそですよ、お兄さん」

 

 そんなわけで、感心する速度で走っていった秋蘭を見送りつつ部屋へ。

 書簡を掻き集めると再び隊舎へ行き……片付けて───って、あ、見張りが───あ、見つかった。

 

「! 北郷隊長、ご無事でしたかっ」

「へ? ご、ご無事って……」

「隊長、北郷隊のほぼは隊長の味方です。誰かに見つかる前に中へ」

「……なんか、知らぬ間にどんどんとコトが大袈裟になっていってるような」

「まるで戦の中を駆けているようですねー」

「北郷隊長が無事に逃げ切れれば、復帰も早まると聞いておりますっ! 自分はそれを望むものであり、それを手伝えることを嬉しく思いますっ!」

「……お前……」

「お兄さんは両方いけるクチですか?」

「風さん!? ここでそういうヤボはよそう!?」

「隊長、急いでくださいっ!」

「うおおすまんっ! 今行くからっ!」

 

 ドタバタと走り、ドタバタと去る。

 いっそ味方の多い隊舎に居たほうがいいんじゃないかとも思ったが、それはあれだ。

 確かに北郷隊の本拠みたいになってはいるが、“上”にはどうしようもなく逆らえないのが下の務めの範疇。この時代では特にだ。

 なので別の兵に見つかる前に確認済みの書簡を置き、再び書簡を抱えて走るわけだ。

 ていうか腹減った! もう昼回ってるだろうけどなんにも食べてないよ俺!

 しかしここは我慢だとみんなから逃げ回る時間は続いた。

 さすがに俺を探すためとはいえ仕事を抜け出すわけにもいかず、しばらくすれば俺を追う影の数も減ってゆく。

 凪も「これ以上は……」と隊舎の方へ戻っていき、俺と風だけになる。

 人数が減るっていうことは見つかり辛くなることにも繋がるが、凪ほど氣の判断に明るくない俺では、人込みの中はかえって危険だ。

 というわけで川まで逃げてきた。こんなところで書簡広げて読むだけ、って……ピクニックに連れてこられた、特に趣味がないお父さん的存在でも、もうちょっとマシなことをするもんじゃないだろうか。

 

「お腹空きましたねー……」

「俺のことは気にしないで食ってきたほうがいいぞ? 俺は山の方で木の実でも取って食べてるから」

「……しばらく見ない内に野生味が増しましたねお兄さん。そんなお兄さんにもし襲われたら、風はどうなってしまうのでしょう」

「襲いません。……代わりに、抱き締めるけど」

「おおっ、まさかお兄さん、こんな川のほとりで風を……」

「襲わないってのっ! …………ん、充電完了。これでもう少し頑張れそうだ」

「……支柱になるのも楽ではありませんねー。いっそ皆さんを受け容れてしまえば、こんな我慢をする必要もないと、風は思うのですよ?」

「それも考え方次第なんだろうけどなー……理由が逆になりそうで嫌なんだ。他国の女性を抱きたいから支柱になった、みたいでさ」

「むー? 違うのですか?」

「違いますよ!?」

「───見つけたっ! 兄さまっ!」

「キャーッ!!?」

「やれやれ、急に大声を出すからこんなことになるんだぜー兄ちゃん」

「ホウケイは黙ってなさい! 逃げるぞ風!」

「はいはい~」

 

 逃げ回った。

 風を連れ、書簡を開き、一息つけば見つかり、空腹に苦しみながらも我が道突き進む一直線の光が如く……!

 

「おっ! 見っけたでぇ一刀!」

「霞っ!? すまん! 今追われてるからまたあとでな!」

「おー! って見逃すわけあらへんやろっ!」

「やっぱ駄目かっ!? だったら逃げる!」

 

 それはまるでいつかの光景。

 稟のことで華琳から北郷一刀捕獲指令が出された時のように、諦めない者はとことん諦めず……(主に霞と桂花)逃げる足も段々と遅くなってくると、危険ばかりが伴った。

 途中で風を解放して、昼餉を食べに行ってもらったけど、果たしてまだ昼が残っているかどうか。俺は……完全に食いっぱぐれだろう。それはもう諦めた。

 

「はっ……はっ……! み、みんなっ……しつこすぎっ……!」

「あーっ! 一刀見つけたー!」

「へ? ───天和!? ぐはっ!? しまった背中っ……って、」

「っへへー、ちぃも居るわよー?」

「私も居る」

「………」

 

 ぜーぜーと息を荒げ、ようやく逃げた先で……天和に見つかり、地和に抱きつかれ、人和に逃げ道を塞がれた。

 ああ……終わった、終わったね、これ。

 すまん風、凪……俺は志半ばで力尽きることに……!

 

……。

 

 で……

 

「というわけで、一刀さんには久しぶりに私達の世話役をやってもらいたいの」

「……代理は居ないんだな」

「やらせてみたけど駄目ね、あんなの駄目。自分がちぃたちのことを近くで見ることしか頭にないんだもん」

「それにぃ……三国連合舞台で正式にお披露目するのは、一刀と一緒にって決めてたしねー♪」

 

 久しぶりに連れてこられた事務所で、そんなことを説かれた。

 内装は……以前見たままだ、むしろ懐かしい。

 

「正式お披露目って、前の三国連合の時に歌ってたじゃないか」

「うーうーん? あれじゃあだめなのー♪」

「そうよ。ちゃーんと一刀が用意してくれた舞台で、一刀と一緒じゃなきゃ意味ないでしょ?」

「そう。次の三国が集まる時に合わせた計画を、早速今から纏めたいんだけど……」

 

 チラリと上目遣いで見られた。目が語りかけてくる……“手伝って……くれる?”って感じに。

 いや、それ以前に頼まれたら断れない状況にありまして……いや。

 

「よしわかった、華琳からの条件を抜きにしても、それは是非手伝いたいからな」

「っ───本当!?」

「おおうっ!? ほ、本当本当っ……!」

 

 顔を綻ばせ、急に近づいてきて俺の手を取る人和の勢いに、思わずたじろぐ。

 落ち着いた纏め役ってイメージがあるから、時々取るこういった行動には結構驚かされる。でもそれだけ素直に喜んでくれたってことだろうし、なんだか俺も笑顔になる。

 ……懐かしい感覚。

 なるほど。“懐かしみたい”って気持ち、今実感してるよ凪。

 

「連れてきておいてなんだけど、そんな安請け合いしていいの? 三日以内に自分の仕事、片付けなきゃいけないんでしょ?」

「わかってて突っ込んでくるのがお前達だからなぁ……いいよ、引き受ける。そのかわり、ちゃんと頑張ってくれよ?」

「えへへー……言ったでしょ、一刀。わたしにかかればみんなイチコロなんだから♪」

「大陸制覇は華琳さまが成した。次は、わたしたちの番だから」

「見てなさいよー? 一刀にちぃたちのこと、改めて惚れ直させてやるんだからっ」

 

 三人は相変わらずだ。

 一緒に“おー!”って叫んで拳を突き上げ笑っている。

 惚れ直す、なんてことは……天で恋焦がれ、戻ってきて……顔を合わせた時点でしちゃってるんだけどな。

 また惚れ直させてくれるんだろうか。そう思ったら、なんだかくすぐったくなってきた。

 

「じゃ、早速始めるか」

「その前にお昼!」

「その、一刀さんを探していたから昼餉がまだで……」

「一刀、もちろんおごってくれるよね?」

「…………お前らなぁ……」

 

 つくづく相変わらずの状況に、もう乾いた笑いしか出なかった。

 それでも三人に見つめられ、ねだられてしまってはこの北郷……財布の紐を緩めるしかなかったのだ───。

 すまん桃香。給金、使わせてもら───使えるよな? そういえば貨幣の合併っていうか、使えるお金の纏めというか、それはもうしたんだろうか。

 前までの金は普通に使えるし、呉でも蜀でも気にせずにいたけど。……ってことは使えるのか。よし、ならいける。

 

……。

 

 街で食事を取り、空腹のままで居る必要がなくなったことに歓喜しつつも書簡に目を通す。人和に行儀の悪さを指摘されてもなんとか許してもらい、食事が終わればマネージャー業務を再開。

 人和とともにこれからのことを話し合い、そこに天和と地和が首を突っ込み、纏まりかかった知恵を掻き混ぜていく。

 それでもなんとか“今日はこれくらいに”ってところまで漕ぎ着けると、ようやく解放されて───

 

「疲れた……懐かしめるけど、疲れ……ん? 誰───」

「か~ずと~♪」

「…………ドウモ、霞サン……」

 

 肩を叩かれ振り向いたのち……俺は“解放”の言葉の意味をしばらく考えた。

 

……。

 

 大人げない伝説を残した霞との突撃騎馬戦の練習(らしい)を終え、疲労した体で、城の通路をゆく。

 

「ぐっは……! なんだって今日、祭りのリベンジに向けての特訓なんて……!」

 

 練習は練習なんだが、ハチマキを取られないように躱しつつ、ウチのも狙ってみぃって感じのバトルだったもので、最初は嫌々、途中から無駄に白熱して……この有様である。

 ていうか仕事と関係なくない? 引き受け損だったんじゃあ……いやまあ、物凄く楽しそうで嬉しそうだったからいいんだけどさ。俺も嬉しかったし楽しかった。うん、それは確かだ。

 けど、書簡を読む余裕なんてなかったな……部屋に戻って早く……と、扉の前に辿り着いたあたりで肩を掴まれた。

 途端、ドッと湧いて出てくる汗と絶望感。

 

「…………ア、アノ……ドナタカ存ジマセンガ、僕……部屋ニ……」

 

 振り向くのが怖いんだが、怖くてもカタカタとゆっくり振り向く自分の顔。

 やがてその先にいらっしゃる魏武の大剣さまを前にし、俺は……少しだけ泣きました。



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48:魏/がんばれ、男の子③

 へとへとの体を引きずるように、通路を歩く。

 結局あれからどうしたかというと……春蘭に頼まれ、等身大華琳さま人形用の服を買いに行った。

 手が離せないから買ってきてくれと頼まれた、と言うべきか。もちろん一人で。

 ああ、それはもう服屋に生暖かい目で見られたさ……!

 

「もう、もう戻るぞ……! 帰るんだ……部屋に、俺は……!」

 

 警備隊の仕事に戻ってたらしい沙和と真桜にも見つかって、女性ものの服を買った事実にきゃいきゃいと茶化されて、けど等身大華琳様のことは内緒だから言うわけにもいかなくて……! くぅう……!

 ちくしょう神様俺が何をしたぁあーっ!!

 

「春蘭も春蘭だよ……華琳が成長するたびに手入れするのはわかるけど、そのたびに服を買い換えなくてもいいだろうに……!」

 

 今度無断で侵入して、華琳さま人形にメイド服でも着せておいてくれようか。

 いや、新たに意匠を凝らして春蘭秋蘭が熱い溜め息を吐くような、華琳さま人形用の服を……!

 

「なんかそれなら普通に華琳にプレゼントした方がいい気が……」

 

 ちょっと考えておいてみようかな。

 けど、ああやって人形の手入れをしている春蘭本人が、まさか人形のモデルになってるとは思いもしないだろうなぁ。

 からくり夏侯惇将軍……あれは確かに見事な出来栄えだし。

 真桜が調整して関節駆動を可能にしたものはより一層だ。

 

「……て、そうだよ。華琳さま人形」

 

 気になってたことがあった。

 動くからくり夏侯惇将軍の実現への目標、華琳さま人形、そして……夜に歩く冷たく硬い女性。

 案外それって真桜が春蘭と企ててる、動くからくり華琳さま人形だったり……?

 

「まさかな、ははは」

 

 でも夜の冷たい少女の話……あれを警備隊がずっと放置している理由が、もし真桜がしでかしていることだからって理由なら、妙に納得がいくっていうか。

 代わりに華琳の耳に入りでもしたら───うん? 華琳の耳、じゃなくて目にはもう入ってる……んだよな? ああして竹簡に記されてるってことは。

 

(わかってて放置してる……? たとえば関わり合いたくないから、とか。それとも犯人がわかった上で、得になることがあるから好き勝手させてる……?)

 

 ……わからん。

 なんにせよ部屋も目の前だ。

 

(もう陽も傾いてるし、追ってくる人影も随分減ったし、作業を進めよう)

 

 扉を開き、自室の中へ。

 

「うふふふふはははは! やっぱり戻ってきたわね北ご」

 

 ───閉めた。

 なんか居た。

 腕組んで仁王立ちめいた立ち方で俺を待っている何かが。

 猫耳フードのようなものを被り、ひらひらした服を着た役職軍師な何かが。

 

「───そうだ、京都、行こう」

 

 疲れていた俺はそう言い残し、とぼとぼと隊舎を目指した。

 もはや捕まって仕事を頼まれようとも構わない。

 ただひたすらに余った時間に書簡を見つめる修羅であれ……!!

 嫌な予感しかしないから、桂花からは逃げる方向で。

 なんて思っていると早速、通路の先からズシャアと滑り込む誰かの姿。

 

「あっ! 兄ちゃん見つけた!」

 

 季衣である。

 もう陽も傾く頃だというのにまだ探していたのか、今度こそはと走ってくるその姿へと───自ら駆け出す!!

 

「季衣!」

「兄ちゃん!」

「季衣ーっ!」

「兄ちゃーんっ!」

 

 ともに駆け、通路の真ん中でガッシィイと抱き合った。

 お約束といたしましては、その勢いを外側へと軽く向け、回転するのが美しい。

 そんなわけで抱き合ったままの状態でくるくると季衣を振り回し、すとんと着地させてから改めて向き合う。

 

「えへへー、なんかわからないけど楽しかった」

「こういうのはやったもん勝ちだからな。で、季衣もなにかしてほしいことがあるのか?」

「え? んー……もう終わっちゃったからいいや。流琉と交代でやってて、出来たら兄ちゃんと一緒にやりたいなーって思っただけだし」

「そ、そっか。なんか悪いことしたな」

「兄ちゃんにもやらなきゃいけないことがあったんでしょ? だったらいーよ、一緒に騒げて楽しかったもん」

「………」

 

 いい娘だ……!

 真っ直ぐ見上げられての純粋な言葉が、こんなにも胸に届く……!

 

「よし、じゃあ一緒に夕餉でも食べに行こうか」

「え? 兄ちゃん仕事はいいの?」

「なんとかなるっ、いや、なんとかするっ!」

 

 そもそも何か入れないと倒れそうだ。

 昼はなんとか食べたものの、引っ張りまわされた所為か消化が早い。

 まるで体が、必要な栄養素を胃袋の中のものから休息に吸収しているかのようだ。

 それよりなにより、純粋な言葉と瞳に心打たれただけってのもあるけど。

 そんなわけで途中で合流した流琉とともに厨房へ行き、せっかくだからと腕を振るう流琉を手伝い、完成させ、ともに食し、夜を迎えた。

 

……。

 

 騒がしい一日は流れるのが早い。

 あれから厨房を訪れた秋蘭に軽く頼まれごとをされたり、落とし穴に落ちて以降は見てなかった稟にも軽い頼まれごとをされ、ひと段落を得てからは書簡を手に自室へと戻った。桂花は……居なかった。良かった……! ほんとよかった……!!

 あ、で、袁術だけど。今日は侍女さんが食事を届けてくれたらしく、袁術も空腹に苦しむことはなかった様子。

 しかし一人じゃつまらなかったらしい袁術に軽く怒られながら、書簡整理を続けた。

 三日に分けるにしても量が多い。

 明日明後日となにが起こるか解らない以上、出来るだけ整理しておくべきだ。

 幸いにして鍵は俺が持っていていいことになったし、明日はいいスタートダッシュが出来そうだ。

 

……。

 

 二日目の早朝───起床、そして突撃。

 確認を終えた書簡を抱えて隊舎へ。

 書簡を納めるとともに、その場で確認出来るだけ確認し、誰かが近づく気配を感じれば即座に逃走。

 ちと反則だが昨晩の夕餉と一緒に作っておいたおにぎりを頬張り、腹を満たしての行動は続く。

 

「お兄さんお兄さん、こちらですよ」

「あっ───風! 昨日は助かっ───、……風? なんで腰に抱き着いてくるのかな?」

「むふふふー……♪ 昨日は非番でしたが、今日はしっかり仕事がありまして。それでですねー、お兄さんには少々手伝ってもらいたいことがあるのですよー」

「だー!! いきなりやっちまったぁあーっ!!」

 

 ……早朝、風によりあっさり捕獲される。

 

……。

 

 朝……解放。

 仕事といってもそう難しいものではなく、言葉通りの“少々”の手伝いだったこともあり、割と早く解放された。

 少々って言うだけあって、書簡を覗く暇もなかなかにあったし。

 

「よし、自室と中庭には桂花が居るかもしれないから……だわっと!?」

「兄ちゃんみーっけ♪」

「…………ヤア」

 

 ……朝、季衣により背後から捕獲。

 昨日のこともあり、断るなんてことは俺には無理そうだった。

 まあ……断れないことになってるんだけどさ。

 

……。

 

 いつかのように季衣が溜め込んでいた書簡の束の整理を流琉とともに終え、一息。

 「にーちゃんありがとー!」と元気に手を振る季衣に見送られて歩いた。

 

(あれ……? なんで俺、自分の書簡ほったらかしで別の書簡整理してたんだっけ……?)

 

 もういろいろとわからない。

 しかしあんな笑顔にそんなことを言えるはずもなく……うう。

 

「よ、よしっ! 今度こそ───、……どっ……どなた、でしょう……」

「隊長見つけたのー!」

「うっへっへー、みっけたでー隊長~♪」

「隊長……申し訳ありません」

「………」

 

 昼を過ぎた頃……三羽鳥に捕獲される。

 我ながら素晴らしい速度で季衣の書類を整理できたなと、ポジティブに考えていた時のことであった。

 

……。

 

 で。

 

「お前らなぁあ~……! あれだけ溜め込むなって言っておいたのに……!」

「だって~、そういうのって隊長がやっててくれたから、沙和たちじゃわからないことってこう、どうしようもなくあるんだもん~」

「ちゅーわけで勝手に消えた隊長が悪い」

「どう考えても溜め込んでるお前らが悪いだろっ!」

「うう……すいません……」

 

 報告するべきことの纏めを任された。

 今まで目を通してきた謎の竹簡の存在理由を確認できたわけだ。

 どう報告したものかを悩んだ挙句があのゴシップ記事めいた竹簡。

 なるほど、理由はよくわかった。わかったけど、納得はいかない。

 

「まだ俺も目を通してる最中だっていうのに……で、最近街で起きたことは?」

「あ、三区目の通りに美味しい甘味屋が出来たの~♪」

「おお、あれはめっちゃ美味かったな~!」

「わたしは、もう少し刺激があったほうが……」

「いや、好みの話じゃなくてだな……! ていうか最近の出来事を理解してない俺に、こういうのを任せるのって明らかに間違ってるだろっ!」

「や~ん、隊長怒っちゃや~なの~!」

「そやで~、他の娘ぉのは笑顔で手伝ってたや~ん……」

「だったら笑顔になれることを頼んでくれ……頼むから……」

 

 気分は子供の自由研究を手伝わされる親───うわぁ、シャレにならないくらい、気分的にぴったりな喩えだ……。

 頼りの凪も計算などは苦手なままなようで、そういうところは俺任せになっている。

 ……今度、以前桂花がやってた仕事を引き受けて、教師の真似事でもしようか。

 このままだと蜀の子供達に知能レベルで負けてしまう。

 

……。

 

 夕刻、解放。

 もう自分が何をするべきかわからなくなってきております。

 なんだったっけ? 書簡整理? アッハハハハハハハやだなぁ、たった今終わらせたばかりじゃないですか。そんな僕にまだやれと?

 

「…………ハッ!? いやいやいやいややらなきゃいけないんだって!」

 

 危ない危ない! 意識がいろんな意味で飛びかけてた!

 まだ時間はあるし、出来なかった今日の分のノルマを達成させる!

 

「そうと決まれば書簡を───」

「おー一刀~♪ 一緒に酒呑も~♪」

「…………OH()……」

 

 夕刻……霞と、その後ろでうむうむと頷く華雄に捕まった。

 泣いていいですか?

 

……。

 

 とっぷりと夜。

 酔い潰れるようにして眠る霞と華雄を寝台に寝かせ、掛け布団をかけてやる。

 ふらふらになりながらも霞の部屋をあとにして、自室に戻ると書簡整理を続行……するも、酔っている状態で満足に整理出来る筈もなく、撃沈。

 吾郎に怯える袁術に泣きつかれたが、寝台まで歩く余裕などなかった。

 

……。

 

 三日目、早朝。

 もはや一刻の猶予も無しと、昨日の分と今日の分の殲滅……もとい、整理にかかる。

 その気迫はもはや人を近づけさせなくなるほど激しい様だったと、のちに誰かが語る。

 それはそれとして自室と隊舎を、氣を行使しての疾駆で行き来する様は異様。

 誰が見ても書簡整理をしている男には見えなかったことだ───

 

「ギャアーッ!?」

 

 ───ろう、と続けようとしたところで落とし穴に落ちた。

 

「おほほほほほ! ついにっ……ついにかかったわね北郷! 寝る間を惜しんで掘った甲斐があったわ!」

「けっ……けぇえええいふぁぁあああああああああっ!!!!」

 

 無駄なことに時間と労力を割く軍師さまの登場である。

 

「おまっ……こんな誰でも通るところに落とし穴とかっ! 侍女の誰かが落ちたらどうする気だっ!」

「落ちる前に呼び止めるわよ。落ちるのはあなただけでいいんだし」

「とことん鬼ですね!? っと、こ……おっ……! あれっ!? 妙に体がハマって……」

「…………ふっ? ふふっ? うふふうふふあはははは……!? そう、体が。体が嵌って動けないのね? うふふふふ……!」

「いっ……いやっ! ハマってないっ! ハマってないぞっ!? だから人を見下ろしてそんなあからさまにニヤケるとかっ……! や、やめろ! ぶはっ! 土なんか被せてどうするっ───やめっ……! やめろぉおおっ!!」

 

 落とし穴自体は、そう深いものではなかった。

 が、問題なのは落ち方であり……妙な感じに体を庇ったために、顔と爪先とが穴から軽く出ているような……そんな状態。

 そこへと容赦なく土を掛け始める桂花……って、待っ……ほんとシャレにっ……!!

 

 

   ギャアアアアアアアアア………………!!

 

 

───……。

 

 

 で…………約束の日。

 

「……以前のように刻限は設けてなかったわけだけれど……見て明らかね。一刀、約束通り、鍛錬は禁止。ただし模擬戦等、他者の相手や必要な時は例外とするわ。……何か、言いたいことはあるかしら?」

 

 あっさりと鍛錬禁止が言い渡された。

 俺はといえば……

 

「───…………」

「一刀?」

「───…………」

 

 頭の中が真っ白になっていた。

 

「…………華琳さま、放心しております」

 

 とことこと華琳の傍から歩いてきた秋蘭が、俺を見て一言。

 玉座の間にて、跪きながら、言い渡された言葉に放心。

 これまでの努力が……落とし穴……よりにもよって、桂花の落とし穴に……。

 生きてるだけ凄いけど、抜け出すのにどれほど苦労したか……。

 まさか埋められるとは思ってもみなくて、なんとか顔は地上に出てて、呼吸も出来たけど……ご丁寧にその周囲をパンパンと固めていきやがりましたからね、あの軍師さまは。

 ああでもなんだろう、このまま心を放っていけば、どこへだって行けそうな気がした。

 見上げれば、天井しかないはずのそこから光が差し込んで、手を伸ばせば飛んでいけそうな───そんな予感が……

 

「秋蘭? 北郷の口から白っぽい煙のようなものが出ているようだが?」

「なに? おお、これは奇怪な……」

 

 ……ぼてり。

 

「っ!? かずっ───北郷!?」

 

 倒れた。

 なんかもう気が遠くなるって言葉が、打撃とか氣の使いすぎ以外で訪れるなんて珍しいって思いとともに、スゥっと意識が混濁して。

 秋蘭が“一刀”って呼びそうになったのを耳で受け止めながら、俺の意識はぶっつりと途切れた。

 

……。

 

 …………なでなでなでなで……

 

「うみゅ……の、のう一刀? なぜ妾の頭を撫でるのじゃ……?」

「ほっほっほ……それはねぇ……袁術がめんこいからじゃよぉ……」

 

 心がやさしさに満ちておりました。

 もはやこの北郷、何に対しての邪念も浮かびませぬ。

 儂はやれることをやり、敵の罠を見抜けず落ちた……このような老兵は、もはや戦場には要らぬのじゃ……。

 

「目覚めてからずっとこんな感じや……現実に耐えられなくて逃避しとんのとちゃう?」

「呉でも蜀でも鍛錬をしてたって聞いたの」

「た、隊長! しっかりしてください! 隊長!」

 

 目覚めて最初に見たのは天井。

 起き上がると傍で袁術が心配そうに俺の顔を見ていて、俺はといえば気を失う理由を思い出して……いろいろと落ち込んだ。

 落ち込んで落ち込んで……結局は書簡を整理しきれなかったのは、何がどうであれ自分の落ち度だと受け取り……受け取ったら心が酷く落ち着いた。落ち着いたら、俺が儂に変わっていた。

 ああ……何もかもがみな懐かしい……。

 儂ゃあ……何を躍起になっておったのかのぉ……。

 ほっほっほ、まるで全てが遠い昔のことのようじゃわい……。

 

「これこれ、そんな大声を出すもんじゃないよぉ……。おぉそうじゃ、お小遣いをやろうかの……これでお外で遊んできなさい」

「うわっ、なんか気色悪いほどやさしいで!?」

「隊長……わたしたちが自分の仕事を押し付けたばっかりに……!」

「うぐっ……さすがにこんな状態の隊長見ると、何も言い返せんなぁ……」

「でも、鍛錬ってそんなにしたいものなのかなー。隊長って前までは、鍛錬とか嫌がってたのに」

「そらぁ……へっへっへー、男として変わりたいとか思ったのとちゃうん?」

「え? それって───」

「~……やっぱりだめだ! 見ていられない! 華琳さまに話を通して、隊長の鍛錬の日を取り戻してみせる!」

「へっ? や、そら無茶やで凪っ! 大将が決めたことを簡単に撤回するお方やないこと、凪かて知っとるやろぉ!」

「だがこんな、ただただやさしくなっていく隊長などっ……! へわっ!?」

 

 傍の椅子に座り、儂を見ていた凪の手を掴み、引き寄せた。

 そして、「椅子にお座り」と促し座ってもらうと、その頭をやさしく撫でる。

 

「た、隊長……?」

「大丈夫じゃよ、儂は……なぁんも心配はいらんよ……。凪や、笑っとくれ。儂はもう、しっかりと受け容れたんじゃからなぁ……」

「……隊長……」

「や、受け取っとるんやったら元の口調に戻してくれへん?」

「……………………」

「うわっ! めっちゃ自然に涙流した!」

「隊長すごいの! 普通は瞬きとかするのに!」

「いや……あのね……? なんかさ……口調でも変えて、心が落ち着いたフリでもしないとさ……涙がこう……」

 

 やさしい気持ちにはなった。それは事実だけど、ただ単に苦労が報われなかったって悔しさが怒りにまで達しなかったってだけで……悔しくもあるし悲しくもあるのだ。

 行き場の無い悔しさの行き先が、やさしさだっただけ。ただそれだけ。

 

「はぁ……華琳の前で鍛錬してみせたのは失敗だったかなぁ……」

「お、口調、元に戻ぅとる」

「あ、あのっ、隊長……? そ、そろそろ……」

「そうなのー! 凪ちゃんばっかりずるいよー!」

 

 鍛錬禁止は決定。

 しかし他者の相手になるなら構わないというのなら、それはまだ救いがあった。

 氣の練習はいつでも出来るし……思春が誘ってくれても、それは他者の相手ってことで納得されるのかな。いや、無理だろうなぁ。

 そんなことを思いながら、看病(?)を任された凪、真桜、沙和に騒がしく看病されながら、鍛錬の日ってものを手放した。

 今度木刀を振るえる日はいつになるんだろう。

 小さく考えたことを頭を振るって追い出して、この日常を受け容れる。

 そんな俺を見た袁術が心配そうな目を向けたが、なんでもないよと返して。

 後ろ盾が出来た途端に対人恐怖症も多少は薄れたのか、自分に強い意識を向けない相手なら大丈夫なだけなのか、三人が居ても袁術は平気そうだった。

 ……ただ、左手でず~っと俺の服を掴んだままだったのは、気になるところではあったけど。

 

「よしっ、書簡整理するかっ」

「え゛……まだするん?」

「鍛錬は鍛錬、仕事は仕事だ。自分の知らないところで書簡溜められても困るからな。さっさと復帰しないと」

「うぐっ……言い返す言葉もないわ……」

 

 ドタバタして、鍛錬禁止が言い渡されてもやることはやろう。

 むしろ何もしないでいるとどうにかなってしまいそうだ。

 そんなわけで、三日後ってこともあり元・鍛錬の日ってこともあり、無駄に有り余ったやる気を仕事にぶつけた。

 せっかくだから三人に軽い授業をしてみながら。

 三人は多少嫌がっては居たものの、書簡整理を手伝わせた負い目もあってか素直に受けてくれた。

 ……ほんと、そんな軽いことでもう笑ってる自分が居るんだから、この国は心地良い。

 

「……うん」

 

 誰にともなく「これからもよろしく」と唱えて、仕事と授業を再開した。

 この三日間にあった、確かな懐かしさと騒がしい空気を振り返りながら。



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49:魏/がんばれ、女の子①

90/王として少女らしく、少女として王らしく

 

 “鍛錬の日”の剥奪が決定された翌日。

 なんだかんだで書簡整理を終えた俺は、華琳の部屋へと訪れその報告をしていた。

 時刻は昼を過ぎたあたり。

 外は生憎の雨だ。耳を澄ますまでもなく耳に届くくらい、なかなかの強い雨。

 報告とともに差し出した、纏めの竹簡を手に取り目を通す華琳は無言。

 俺はただその場で反応を待ち、そうした静かな時間の中でも地を打つ雨音、そして華琳のゆったりとした息遣いを聞いていた。

 それほど室内は静かだった。うるさく聞こえるのは雨音くらいだ。

 もちろん華琳の息遣いだって、よほどに注意しなければ聞こえることもない。

 

「…………結構。綺麗に纏めてあるわね」

「そっか、そりゃよかった。なにせ読むのに大分苦労させられたからな。これでダメだとか言われたら、禁止された甲斐がない」

「そうね。じゃあ逆に訊くけれど……邪魔が入らなければ三日以内に終わらせられたのかしら?」

「苦労させられたけど邪魔とは思ってなかったから、それには答えられないなぁ」

「ならいいわ。もし邪魔だったなんて言おうものなら、きつい罰を与えていたところだけれど……そうね。せめて罰は下さないでおいてあげる。三日以内には間に合わなかったけれど、皆の手伝いをしながらこの早さなら、逆に感心出来るくらいよ」

「いいのか?」

「いいわよ。ただし、警備隊や他の者にもきちんと言うべきことを言うこと」

「ん、そりゃもちろん」

 

 どうやら罰は流れてくれるらしい。あ、罰って言っても鍛錬禁止が撤回とかではなく、三日以内に終わらせると胸を張ったのに、果たせなかったことへの罰だ。“もちろん罰も考えておくわ”と、しっかり言ってたもんなぁ。

 けどそれが無しになるんだから、正直なところとても嬉しい。こういうことは気まぐれみたいに変えてくれるくせに、誰かの予定を曲げた時はほぼ考え直してくれないから困る。

 

「で……言うべきことを言いに行く前に、一言だけ言わせてほしいんだけど、いいか?」

「なにかしら?」

「……条件を満たせなかったから言うんじゃないけど、人の日課を禁止にしたりして、俺が愛想を尽かすとか怒り出すとか考えなかったのか?」

 

 正直な話をするなら、鍛錬禁止は勘弁してほしかった。

 雪蓮との約束はもちろんだけど、じいちゃんの期待に応えたいって思いが当然ある。

 条件つきとはいえ、ほぼ一方的に禁止にされた。

 悔しさは……やっぱり、どうしようもなく存在する。

 

「……そうね。思ったわ。むしろ当り散らしてくれてもいいとさえ思ったわね」

「え……? ど、どうして」

 

 予想だにしなかった言葉に、軽く混乱する。

 そんなふうに思っていて、どうしてそれを実行しようだなんて思ったのか。

 

「ねぇ一刀? 貴方、この大陸に来て、自分がしたいことをきちんとしている? 怒るべきに怒り、喜ぶべきに喜んでいる?」

「そりゃ、してるぞ? 笑いたい時に笑ってるし、泣きたい時に……まあ、泣いてる」

「そう。ならば……怒ってはいないのね」

「………」

 

 ……“心は乱さず”を心がけてはいる。乱しまくっているけど、心がけのほぼは怒りに向けている。けれどどうしても怒る時はあるし、苛立ってしまうことはある。

 だからそれは違うと答えても、華琳は俺の目を覗いてくるだけ。

 

「一刀。怒るべき時に怒れる貴方になりなさい。やさしさだけでは、いつか身を滅ぼすわよ。貴方相手なら何をしても許される、なんて……わたしはそんなことを許したくはない」

「じゃあ鍛錬のことは取り消して───」

「だめよ。あんなもの、見ているこっちが苦しいじゃない」

「や、だってやってるのは俺だぞ?」

(……だから苦しいって言ってるんじゃない、このばか)

「え? 今なんて……?」

「なんでもないわよっ! とにかく、あんな呼吸困難で死にそうになるほどの鍛錬なんて許さないわ。やるなら他の誰かと、あくまで普通にやりなさい」

「あ、ああ……うん……」

 

 怒られてしまった。

 ……あれ? ここってこっちが怒るところか?

 いや、けどそんないきなり怒れって言われても、怒れないぞ?

 

「三日間、貴方に皆を仕向けたのはわたしだけれど……三日目の桂花はやりすぎね。仕事を頼んでいいとは言ったけれど、落とした上に埋めていいとは一言たりとも言っていないわ。お仕置きが必要かしら」

「華琳がお仕置きしても、喜ぶだけだと思うぞ」

「……そうね。なら一刀、貴方がやる? 縛った状態で目隠しをして、あとは貴方の好きに───」

「はいストップ。そこまでにしてくれ華琳。無理矢理とかはもう勘弁してほしい。華琳が適当にお仕置きしといてくれ。喜んでもいいから、キッツイのを」

「───……そ……そう。まあ……埋められた本人がそう言うのなら、べつにいいけれど」

 

 どうしてお仕置き=肉体関係に走るんだろうなぁこの魏王さまは。

 無理矢理はもう勘弁だし、どうしてもやれと言われたら、さすがにいい加減なにかがプツンといってしまいそうだ。我慢は体に毒っていうけどね……怒りたくないって思いや仲良くしたいって思い、それと惚れた弱みってやつがいったいどこまで保ってくれるかだ。

 人間、堪忍袋ってものがあります。

 じいちゃんとの鍛錬でそういったものをキツく縛ってきてはいるものの、我慢も限界が来る時はどうしてもある。

 理不尽に叩かれたり殴られたり蹴られたり、条件付きの困難の最中に妨害されたり鍛錬潰されたり……そりゃさ、不満ばっかりだぞ? 怒るなって言われても怒りたい時はそりゃあある。

 いっそ華琳が怒るみたいにどっかーんと怒りたいもんだが……こういうのって性格なのかなぁ……やっぱりどっかーんと怒る自分が想像出来ない。

 普段怒らないやつが怒ると怖いっていうけどさ、俺の場合はどうなるんだか。

 ……ていうか随分とあっさり引き下がったな。

 “これは命令よ。拒否は許さないわ”とか言ったりしなかったし。

 

(?)

 

 怖い顔でもしてたかな、俺。

 まあいいや。

 

「それで……もう警備隊に復帰していいのか?」

「え、ええ……けれど、復帰は明日からにしなさい。今から復帰したら、他の者の予定を崩すことになりかねないわ」

「そっか……うん、そっか」

 

 明日から復帰出来る。

 消えることになったり、各国を回ったり、迷惑を掛け通しだった俺が、ようやく。

 よかった……本当に。これでまた、帰ってきたって実感を得られるに違いない。

 今から頬が緩んで仕方ない。きっとだらしのない顔をしているんだろう。

 

「…………一刀」

「へ? あ、わ、悪い、顔緩んでたか?」

「ええ、緩んでいるわね。それだけ望んでいたのなら任せ甲斐があるわ。……そうではなくて、支柱の話よ」

「……支柱の?」

 

 ハテ。てっきりニヤケ顔を指摘してきたのかと。

 こう、しゃきっとしなさいって感じで。

 いやいやむしろ、“そのだらしのない顔は変わらないのね、つくづく一刀だわ”って。

 けれど表情はどこか不安気というか……あれ? 気を使われてる? 気の所為?

 

「その、風から聞いたわ。貴方、まだ他国の女性を受け容れるかどうかを悩んでいるそうね」

「えっ……あ……はぁ。風のやつ、そんなこと報告しなくてもいいのに……」

「ということは、事実なのね?」

「……ああ。その理由も聞いたんだろ?」

「ええ。その上で率直な意見を言わせてもらうけど」

「? あ、ああ」

「貴方は……わたしとの会話で何を聞いていたの?」

「………………へ?」

 

 予想していた言葉と全然違う言葉に思考が停止した。

 しかしすぐに持ち直すと、どういう意味かを考えて……答えが出ないにもほどがある頭をいい加減殴りたくなった。

 華琳も、どこか不安が残っている表情のままに続け、しかし途中からは普段通りの表情になっていた。

 

「華琳との会話って、え……?」

「私が北郷隊───真桜、沙和、凪を貴方に任せたあとのこと、覚えているわね?」

「ああ、そりゃもちろん」

「ならば当然、わたしが貴方に北郷隊の調子を訊いた時のことも覚えているわね?」

「調子をって……あれか。なんでまたあの時のことを?」

「……だから、何を聞いていたのと訊いているんじゃない。思い出せないようなら耳を引っ張って、その耳元で叫んでくれようかしら?」

「勘弁してくれ。……えと、あー……つまり? ……───! 華琳、それはっ!」

「同じことよ。今貴方が何を思い出し、どう考えたのか。答えはそこでしょう? あの三人との結果はもう出ている。ならば貴方があの時に言った、“自然の流れ、貴方なりのやり方”というものが実ったということ」

「うぐっ……それは、そうだけど」

 

 確かに自然の流れ……ではあった。

 その流れの行きついた先が、あの時華琳が提案した“ひとつだけ”の結果だったけど。

 

「魏に操を立てるのは結構。ただ、わたしは貴方に言ったはずよ? わたしが認める者がくだらない男に抱かれることを、わたしは良しとしないと」

「ああ、聞いたけど……」

「男の甲斐性がどうのと唱えたのはわたしよ。相手が一刀に惚れ、一刀が相手に惚れたのなら行き着く先など自然の流れ任せでいい。そうでしょう? 貴方が妙に気負う必要はないし、貴方は自然の流れのままに支柱になり父になればいい。いいえ、むしろなりなさい」

「や……けどなぁ……」

 

 無茶苦茶だけど、既に手を出してる前例があるだけに反論しづらい。

 

「“人の気持ちの大事な部分を利用しているようで嫌だ”、と……以前言ったわね」

「言ったなぁ……」

「同じことで悩むなとは言わないわ。人である以上は状況が変われば見誤りもするもの。ただ、いつまでも悩んでいるようなら、それを叩き直すのは指摘出来る者の務めだと思わない?」

「それはつまり、華琳ってことか?」

「誰であろうと十分よ。簡単じゃない、一刀が迷っている答えを教えられれば誰だっていいんだもの」

「…………」

 

 そうだろうけど、それってつまり俺以外なら簡単にわかるって聞こえ───え? もしかしてそうなのか?

 や……実際“揺るぎ”のことについても、愛紗と星の前で赤っ恥曝した俺だし。

 もしかして今回も、物凄く簡単なことなんじゃ……?

 

「誰も無理矢理に抱けなんて言わないわ。以前の貴方が言ったように自然の流れに任せればいい。好いて、好かれて、そういう流れになったなら抱けばいい」

「……“そうでなければ、応えるはずがないでしょう?”だよな」

「ええ、その通りよ」

 

 愛は一つだけと決められているわけではない。

 俺は一人しか居ないけど、ならばそれぞれに愛を注げばいいだけ───だったよな。

 そんな言葉に対して、“そういうのは自然の流れだと思う。俺は俺の方法で、信頼を得られるように地道にやってみる”と答えた。

 結果としては三人と関係を結んで、信頼も得て……その、似たようなことが張三姉妹ともあったわけで。

 

「けど、あの頃は───」

「あの頃は仲間内だったから、なんてつまらない言い訳は言わないでほしいわね。魏という範疇が三国に広がり、貴方はその支柱になりたいと言ったのよ?」

「いや、それは……」

「なら訊くわ。支柱になった先で、もしそういった自然の流れで至るところに至った時、貴方は魏将だけを抱き、呉将や蜀将は抱けぬと断るの?」

「…………」

「答えをわたしに言う必要はないわ。ただ、国に生き国に死ぬと言った以上、次代を担う子を育む行為を断る貴方に、支柱である資格など───断じて有りはしないのよ」

「それだけで!? えっ……あ、いやっ、そうかもしれないけど、なんか一気にシリアスから別の方向に投げ出されたような……!」

 

 いや、わかる、わかるつもりだぞ? そりゃあそうだ、資格無いよ、うん。

 でも……あれぇ……?

 なんかこう、納得するために必要な覚悟が随分と高みにあるような……。

 

「小難しいことは言わないわ。本気で好きになり、本気で惚れられたなら抱きなさい。友だとどれだけ口にしようと……いいえ? 友になり気安くなったからこそ、好きになるということも有り得るものでしょう?」

「………そりゃ、そうだけど」

「それとも、貴方と友になったのなら、そういうことは一切されないと? 今はそれでもいいでしょうけど、雪蓮あたりは友をやめると言い出しかねないわよ」

「あー……だな、それは俺も考えた」

「そう? 考える頭がまだあるのなら、固定した考えばかりではなく柔軟な結論に期待させて頂戴。必ず抱けと言っているのではないわ、互いに好きになり、自然の流れでそうなった時に抱けと言っているの。貴方の言う揺るぎがどんな形のものであれ、証は私の手元にある。その証から外れないのであれば、いくらでも許可するわ」

 

 そうなんだろうか……手を出したら出したで、なんだかピリピリしそうな気が。

 

「自然の流れか。雪蓮には種馬になれって言われたことがあるけど、他の人はそれを望んでいるのかな」

「それは貴方が貴方の目で見て確認することよ。呉で、蜀で、そういったことが一切無かった、なんて言わないわよね?」

「………」

 

  “か、一刀様っ、私は……子を宿すなら、一刀様との子がいいですっ”

 

  “私もっ……他の人となんて、考えるだけでも……! …………怖い、です……!”

 

 ……軽く、いつかの呉でのことを思い返してみる。

 雪蓮がきっかけで始まった、次代を担う子の話。

 明命が、亞莎がそう望んでくれて、俺は…………

 

「……あった。そっか、断ることで頭がいっぱいだったけど……」

 

 人の真面目な告白、魏を理由に断ったんだよな、俺……。

 

(“お主の気持ちはどうなんじゃ”、かぁ……)

 

 そのあとに言われた、祭さんの言葉を思い出してみる。

 魏や国のことなど後回しにして、俺自身は明命を、亞莎をどう思っているのか。

 ……それは、大事な友達だ。

 言葉通りに大事にしたいし、守ってあげたいと思う。

 実力が伴わなくても守りたくなるほど大切な存在。

 そんな娘が……他の人は怖い、俺がいいって言っているのに、俺は……このまま突き放し続け、誰か適当な男に任せるのだろうか。

 俺には魏があるから、なんて理由で?

 大切な国なのは確かだ。それに、いつの時代だって好きな相手と結ばれないことなんていくらでもある。俺が首を縦に振ることで叶うそれを、俺は───……

 

  “儂は自分が認めた者以外の男の子を成すなど、許容しきれんわ”

 

 ……いいんだろうか。

 認められていると、自惚れてしまって。

 ……いいんだろうか。

 求められたからといって、全てを受け止め、受け入れてしまって。

 

(……俺は……)

 

 華琳の部屋の天井を一度仰ぎ、鼻から静かに、しかし長く大きく息を吸い、吐いた。そして考える。

 冗談半分、真面目半分で雪蓮が言った、政略的な物事に当人の意思は関係無いって言葉……あれはいつか、彼女らに降りかかるものなんだろう。

 それこそ本当に子が必要になった時、相手なんて選ぶことの出来ない状態で、彼女らは……抱かれるのだろう、地位が良く、中々に力のある誰かと。

 そう思った瞬間、嫌な気分になるのはどうしてだ?

 随分勝手な都合じゃないか、断ったくせに怒るのか?

 俺は……なぁ北郷一刀、お前は……本当に、それで───

 

「……なぁ華琳。一つだけ、訊いていいか?」

「……ええ。言葉通り、指摘出来る者の務めを果たしてあげる」

「ああ。果たしてくれ」

 

 息を吸い、そして吐く。

 結論はもう出ていて、やっぱり優柔不断なものだけど……華琳もそれがわかっているからか、リラックスした状態で椅子に座り直し、机に頬杖をつきながら笑んでいた。

 

「……俺らしさってのは……なんだ?」

 

 だから言う。遠慮なく。

 俺は俺としての支柱の在り方を目指す……そうは決めても、今だ鮮明に見えていないその在り方に、もやもやが溜まってきていた。

 だからこそ思う。どれだけ鍛錬しようが学ぼうが、自分はただの人間なのだと。

 自分で苦労して出した答えならば、必ず正解であるわけでもないことを知り、他人に与えられた何気ない一言が、苦労して考えたものよりもよほどに綺麗な答えであることを知ってしまう、人間なのだと。

 人は一人では生きていけない。

 間違ったことをしてしまったなら止めてくれる誰かが必要で、その誰かが間違えれば、止める自分も必要で。

 だからこそ俺は……それがどんな言葉でもいい。

 誰かの言葉を欲したのだろう。

 

「貴方らしさ、ねぇ……。悩んでも空回りばかりで、だというのに期待には無駄に応えて、退屈させないところかしら」

「……華琳の中の俺は、そんなもんか」

「ええ、“そんなもん”よ。そして、魏にはそういった馬鹿が必要だった」

「馬鹿って、随分はっきり言うなぁ」

「言ったでしょう? 貴方は言わなきゃわからないんだもの。言われたくなかったら、思い悩むよりも先に走りなさい。天の御遣いが真実、世に太平を齎す存在ならば……必要なのはむしろこれからよ。乱世の太平は成り、だからこそ北郷一刀は消えたのなら……今度はこの目の前にある平和な世をより幸福にしなさい。わたしがそれを見届け終えるまで、わたしは貴方を帰す気などさらさら無いんだから」

「………」

 

 楽しそうな顔だった。

 まるで、親に何かを自慢げに語る子供のような、そんな顔。

 いたずらが成功し、満面の笑みを浮かべた瞬間を切り取ったような……そんな、笑顔。

 そんな笑顔に真っ直ぐに心を打たれて、俺は……支柱がどうとか次代がどうとか関係無しに、自然と動いていた。

 机を挟んで向かい合っていた状態から、回り込んですぐ傍へ。

 突然の俺の行動にも余裕の姿勢で俺を見る彼女に、彼女が意外に思う行動を取ることで体勢を崩させ……

 

「なっ───!? かずっ……ふぐっ!?」

 

 深い深い、くちづけを。

 今や誰もが知る覇王の頭を正面から撫でるなんて、きっと誰もやらない。

 そんな油断があったのか、驚き、頬杖をやめて状態を起こし、盛大に体勢を崩してくれた華琳にキスをした。深く、深く。

 しかしながらその先に走ることはなく、これでもかと言うほど、いや……それ以上に長く口を押し付け、舌を伸ばし、唾液を交換し……ようやく、離れた。

 

「~……っ、……あ、あっ……あなたはっ……」

「……まあその。一応。思い悩むより突っ走ってみたんだボほゥ!?」

 

 胸を叩かれた。妙なところに当たって、地味に咽る。

 

「けほっ……! い、いきなりなにをっ……!」

「いきなりなにをはわたしの台詞だと思うのだけれど……!? 誰がいつそんなことをしていいと許可したの!? いつ!?」

「ほら。そうして拒絶反応が出る以上、どっちかが“自然だ”って思ってても、相手が自然の流れとして受け取れなきゃ受け容れられないもんだろ?」

「なっ……───一刀。貴方今、わたしで遊んだわね?」

「いや。遊んでないし、華琳が好きだからこそ思い悩むより突っ走ってみた」

「っ……! う、なっ……!」

 

 真正面から真っ直ぐに華琳の目を見て気持ちをぶつける。

 手を取り、自然に笑んでいく頬をそのままに。

 

「ははっ……思えばさ、俺達キスするのに夢中で、好きだとか愛してるだとか飛び越しちゃってたよな。……言ったのも、どさくさ紛れっぽかったし。だから───」

 

 天に帰り、離れてしまっていた分。

 他国を回り、離れてしまっていた分。

 焦がれた日々の全てを言葉にこそ込めるように、解き放つ。

 

「好きだ、華琳。お前を愛している。出来ることなら“過去”になんかしたくなかった。離れた時から今まで、ずっとずっとお前を想っていた」

「───、…………、~……~っ……!!」

 

 “愛していたよ”と過去にし、消えてしまったあの日を思う。

 どうして愛していると伝えられなかったのか。

 天で生きる日常の中で、目の前の少女を忘れる日など片時もなかったというのに。

 会えないのが辛い。胸が締め付けられ、行き場の無い思いを鍛錬に、勉学にぶつけていたようなものだ。

 

「やっと、真っ直ぐに伝えられる。明日まで待って、きちんと以前のままの俺で届けたかったけど……ごめん、我慢が出来なかった」

 

 じわりじわりと赤くなっていった華琳を抱き締める。

 抵抗は……無かった。

 ただ、突然の告白にどう反応すればいいのかを必死に探している少女のような様子で、華琳はかちんこちんに固まっていた。

 そんな彼女を胸に抱きながらやさしく頭を撫でることで、心の中にやさしい気持ちが溢れてくる。

 …………でも。

 

「……でも……そうだよな───そうなんだ。俺がやろうとしてることは……こんなやさしい気持ちの時に……相手に“お前の気持ちは受け取れない”って言うのと……同じなんだよな」

 

 それは……とても辛い。辛く、悲しいことだった。

 もし俺が華琳にそんなことを言われたらどう思うだろう。

 もし華琳にそんなことを言われたとしたら春蘭なら? 桂花なら?

 

「……うん、うん……」

 

 静かに頷きながら、少しずつ覚悟を決めていく。

 支柱になると決めた。けどそれはどれかの国に思いが偏っているようじゃあ、あまりにも贔屓に走る支柱だ。

 柱が傾いていては、周囲にあるものは安心出来るはずもない。

 じゃあどうするのか。

 その答えは……もう華琳が持っている。だから俺は、今度こそ俺らしく。

 

「強すぎる思いは絶に託していくな? それは証として、華琳が持っていてくれ」

「…………ええ。貴方なりの甲斐性というものを見せてみなさい。三国を愛し、三国を受け容れ……三国に死する貴方で在りなさい。天が御遣い、北郷一刀」

「……ああ。ただまあ、もしみんなが他の誰かを好きになったって言ったら……それはそれで、素直に引くからな? 悲しくないわけじゃないけど、その方が幸せだっていうなら……相手の男を一発殴った上で任せるから」

「勝手になさい。あり得ないことでしょうけれど」

「自信満々だな……どこからそんな自信が溢れ出すんだか」

「そもそも貴方が人を殴る姿からして想像がつかないもの」

 

 ……対蜀軍時、撤退の際にあなたを引っ叩きましたが? 想像できないっていう意味ならなるほどだ。が、わざわざ口にすることでもないよな。

 でもまあ……昔っから大事な娘……娘じゃないけど、大事な人を男に任せる時は、相手を殴るって決まってる。もし託すのだとしたら、俺はきっとそうして───……



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49:魏/がんばれ、女の子②

 静かに、抱き締めていた華琳を解放する。

 多少顔は赤かったものの、俺を見る目はいつも通りの華琳だったから、俺ももらった勇気とともに顔と気を引き締めて、華琳と向かい合う。

 

「というわけで華琳」

「……ふふっ、吹っ切れた顔になったわね。なに? 今からでも───」

「わたあめを作ろう!!」

 

 …………。

 

「……額に手を当てても、平熱以上の熱はないぞ?」

「なら、この状況でそれを言う理由はなによ……」

「や、明日から復帰なら、今日の今以降は非番扱いになるんだろ? 次の三国連合に向けて、催し物のネタを考えるのもいいかなって。目を通した書簡の中に、結構それっぽい話が混ざってたから気になってはいたんだよ」

「……わたあめ、というのは……貴方が消えるより大分前に話していたあれね? 凪が食べてみたいとか言っていた」

「そうそう。一応、簡易的なものではあるけど、綿菓子機の作り方も天で調べてきたから。あとは真桜さえ頷いてくれれば出来ると思う。砂糖結構使うけど」

「…………使う量は?」

「これくらいの大きさの綿菓子に対して、砂糖の量はこんなもの。なんだかんだで溶かした砂糖を棒に巻いただけだから、空気50砂糖50くらいの雲みたいなお菓子って考えればいいぞ」

「………興味深いわね。雲のようなお菓子……ふぅん」

「?」

 

 顎に手を当てながら軽く俯き、けれど視線はやたらとちらちらこちらへ向けてくる。

 なんだかその目に何かを期待されているような……顔が少し赤いままなことに関係がある? 綿菓子の話をしてるんだから、つまりは……───ああなるほど。

 そういや凪も言ってたもんなぁ、華琳さまに教えて差し上げたらお喜びになるのでは~ってな感じで。

 つまり華琳も綿菓子を食べたいと。

 

「大丈夫大丈夫、味に保障が出来るようならちゃあんと華琳にも届けるから」

「……本当に、どうしてこう望んだ時ばかり気が回らないのかしら、この男は……」

「え? なにが?」

「なんでもないわよっ!」

「うぇいっ!? ご、ごめんなさいっ!?」

 

 なにがなんだか、急に怒られてしまっては謝るしかない。

 図星だったってわけでもなさそうだし……気が回らない? なんのことだろ。

 

「まあ……とにかく少し考えてみるよ。っていっても、決心ってやつは自分が思うよりも固まってるんだと思う。魏は大事だけど、呉と蜀に行って得たものも大事だ。多分……魏を理由にしないなら、俺はもう呉のみんなや蜀のみんなのことが好きだから」

 

 それは、焔耶が俺に向けた言葉によく似ている。

 同属嫌悪がどうとか、思ったっけ。

 おかしなところで人っていうのは似ているもんだ。

 “自分の言葉で語れない自分”をなんとか横に置いて、自分の気持ちを語ってみても、そんな自分に自信が持てない時がある。

 ただ……彼女らを大切に思う自分が居て、伝えられた言葉が嬉しかった自分も居るなら、断り続けるのは確かに胸が痛い。

 

(惚れやすいのかな、俺……───惚れやすいんだろうなぁ)

 

 現に魏将や魏王に惚れ込んでしまっているんだから、否定なんて出来なかった。

 あとは、心変わりばっかりするくせに他人のことには首を突っ込みたがる自分でもいいのなら、自然の流れに任せていこうと思う。

 本当に……つくづく他人のことには気がつくのに、自分のこととなると頭が回らない。

 人間っていうのはどうしてそうなのかな。

 自分のことは自分が一番わかってるって言葉は、いったい誰が言い出して、誰に当てはまることなんだか。

 少なくとも俺は違うよな。自分のことなのに、周りに教えられてばっかりだ。

 

(逆に俺も、他の誰かに対してそう在れてるだろうか)

 

 少しでも周りに教えることが出来ているといいなと思いながら、「そろそろ行くな」と告げて歩き出した。

 一度真桜と相談してみよう。もちろん惚れやすい自分がどうとかの話じゃなく、綿菓子機のことで。次の三国連合の宴がどんなものになるのかは知らない。というより……宴の中に急に降りたような俺だから、どんなことをするのかもまるで見当がつかない。

 ドキドキはしている。またみんなに会いたいなって思いもあるし……会いたくなるようなみんなだからこそ、支柱になりたいと思った自分が居たわけで。

 

(……あー……なんだ、それってつまり……)

 

 自分はもう相当に、みんなに惚れ込んでいたんじゃないだろうか。魏を理由にしないのなら、友達として好きとかじゃなく、力量が不足していようが守りたいと思えるくらいに。

 

「~……」

 

 自分の理解の無さに顔が赤くなるのを感じた。

 部屋を出るはずだったのに、歩みを止めた足がある。

 ただ顔を片手で隠すようにして俯き、どうしようもないくらのむず痒さに襲われて、叫び出したくなった。ほんと、恥ずかしい。

 

「一刀?」

「あ……や、ごめん、ちょっと自分の情けなさに呆れてた」

「随分と今さらなことを言うわね」

「はぐぅ!?」

 

 今さら……まあ、今さらだ。

 さっきの例えじゃないが、自分が気づかなかったってことは周りはとっくに気づいていたんだろう。なにせ“自分のことは自分が一番わかっている”なんて人、その言葉の知名度以上に多くなんてないんだろうし。

 

「貴方は人はそう簡単には変われないって代表例だから、それでいいのよ。表面でどこがどう変わっていようと、根本が変わらない限りは変わったとは言えない。今の貴方が鍛錬だ勉学だとどれだけ走ろうと、根元が変わっていないのと同じようにね」

「うぐ……そうか? 自分では結構変わったと思うんだけどな」

「惚れ易い。女と見ればほうっておかない。困っている者は見捨てられない。妙なところでよく動くけれど空回りのほうが多い。他人のことには聡いというのに自分にはそれが向かない。だというのに他人が求めるとそれが逆の方向に向く。……まだあるけれど、全て聞きたい?」

「勘弁してください」

 

 ぼろくそである。

 なるほど、俺のことは華琳のほうがよっぽど知っているらしい。

 

「付け加えるのなら、鍛錬や勉学についても似たようなことが言えるわよ。勉学で言うのなら、この国の文字の書き方を知らなかった貴方が、この地で学び、書簡整理も出来るようになった。鍛錬で言うのなら、自ら警備隊に入り、体を痛めながらも隊長職につき、中々の安全を保障できるようにもなった。今の貴方はその鍛錬と勉学の幅が広くなっただけで、根本は何も変わっていないのよ」

「うわ……そうなのか?」

 

 と言ってみるものの、反論が思い浮かばない。

 

「貴方が貴方として、わたしのものであるのなら細かいことには目を瞑るわ。だから、他国の王や将に手を出すことくらい、同意があれば頷いてあげる」

「手を出すこと前提なんだな……はぁ」

「わたしがそう望んでいるからよ。───大陸制覇は成った。この平穏が乱れぬようにわたしは王としての然を守り通す。桃香はここからでも自分の願いを叶えることが出来るし、雪蓮も……“誰もが笑顔で”という宿願を果たすことが出来る。だから一刀、貴方はそれら三国の王の意思を守る支柱……礎となりなさい」

「礎?」

「ええそう。武力で得た平穏ではあるけれど、とりあえず一年は保たれたわ。宴を設けることで連合の心の安定も保たれている。好き好んで戦を起こす馬鹿も居なければ、賊の数も減ってきている。それらを戒める王や将が一層纏まるための礎になりなさい」

「それはまた、難しそうな注文が来たもんだな……」

「あら。支柱になるのと何が違うというのかしら? 貴方が口にした支柱というのはつまり、今わたしが言ったことの全て。三国を安定、邑を街を豊かにし、手と手を繋ぎ、人を笑顔でいさせる者のことよ? わたしたち三国の思いを支えるというのなら、それくらいも出来ないようでは支柱とは言えないわよ」

「…………まあ、そうだよな」

 

 頭を軽く掻く。

 わかっているつもりでも、いざ言われるとやることの多さに頭が痛くなる。

 だったらやめるかと言われれば、これが困ったことにやめる気なんてさらさらないのだ。

 どこまでお人好しなのか……って、これは自分で言うようなことじゃないよな。

 

「でもさ、それで例えると、その支柱が魏に住んでいるのはずるいーとか言い出す輩も出たりするのかもな。支柱なのにどうして三国の中心に居ないんだーとか」

 

 いろいろ考えてみて、ふと気になったことを口にしてみる。

 本気でそう思ったわけじゃなく、ただなんとなく……言葉で負けそうだったから、冗談でも言って緊張をほぐそうとしただけなのだが。

 

「……一理あるわね」

「あれ?」

 

 なんか頷かれた。

 いやあの、華琳さん? 今のはちょっとしたフランチェスカジョークってやつで……。

 や、そんなジョーク存在しないけどさ。

 

「そうね。もし不満の声が上がるようなら……三国の中心に都を構え、貴方の城でも設けようかしら」

「い、いや、今のは冗談で……」

「悪くない冗談だわ。今ほど“天の御遣い”という言葉が相応しくなる時が、いったいいつ訪れるというの? 予言も神も信じないけれど、少なくとも貴方という御遣いは存在した。わたしも桃香も雪蓮も、もちろん将も兵も民も、本当の意味で奮起するのはこれからよ。だから貴方も───御遣いである以上、この三国を照らす光とやらになってみせなさい」

 

 構わず続ける華琳に、どうしたものかと天井を仰ぐ。

 もちろん天井を仰いだのだから、今も聞こえる雨音から想像した曇天の空が見えるわけもないので、視線を戻しながら溜め息。

 

「はぁ……わかった。管輅も困った言葉を残したもんだよ……まさか乱世を鎮めるって予言が成っても、まだ御遣いで居なきゃいけないなんてな」

「あら。わたしがいつ、管輅の予言に従えなんて言ったの?」

 

 溜め息を吐いていると、ふと華琳がニヤリとした笑みを浮かべた。

 ニヤリ? フッとした笑み? ……ニヤリだよなぁ。

 

「へ? でも御遣いとして、って」

「乱世は鎮めたわ。その時点で貴方は役目を終えて天に戻った。けれどもう一度貴方は降りて、ここにこうして存在する。けれど管輅の予言の中に、再度御遣いが降りるなんて言葉は無いわ」

「……えと、つまり?」

「言ったでしょう? わたしは予言も神も信じない。ただ、この場に確かに存在する貴方のことは信じてあげる。予言にない御遣いが大陸に降りてすることなんて、貴方が決めなければ誰が決めるのよ」

「───……なるほど、そりゃそうだ」

 

 でもあの華琳さん? あなた今、御遣いである以上、三国を照らす光とやらになってみなさいとかなんとか……ああ、つまりそれが支柱なんだから、なるほど。決めたのは俺か。

 

「ただ───」

「ただ?」

「眉唾だとしても、予言が無ければ御遣いとして利用出来なかったというのなら……多少は管輅に感謝してあげるのも、悪くはないわね」

「………」

 

 そう言って華琳は可笑しそうに笑っていた。

 人生、なにがどう吉に転ぶかなんてのは本当にわからないもんだ。

 初めてこの世界に降りた時、最初に会っていたのが星や風や稟ではなく春蘭だったら、俺は絶対に死んでたし。何度想像してみても、華琳の真名をうっかり口にして首を刎ねられる自分にしか辿り着けない。

 あの頃の春蘭と華琳、やたらと俺の末路を首刎ねにしたがってたし。

 

「とにかく。貴方を三国の種馬にすることに、なんの異論も問題もないわ。仕事も随分と出来るようになったみたいだし、都一つを任せるのも面白そうだもの」

「面白そうって理由で都作りから始める気か覇王さま」

「もちろん、貴方が支柱になれてからの話よ。桃香や雪蓮にも話は通すから、貴方はそのまま支柱に必要な知識を学んでいきなさい。そればっかりは、書物に書いてあることだけでは学べないことが大半なんだから」

「そうだな……ん、頑張ってみる」

「ええ頑張りなさい? やると言った以上は結果を残さなければ許さないわ」

「了解。……って、じゃあ鍛錬却下の条件は? 結果、残せなかったけど」

 

 ハタと気づいて質問を飛ばす。

 すると華琳は今度こそハッキリとニヤリと笑み、仰った。

 

「あれは元々、貴方に鍛錬をやめさせるためのものだから構わないわよ。むしろ将の皆が付き纏わなければ、本当に三日で終わらせることが出来たっていうのが信じられないくらいよ。それがわかっただけで、結果は得られたと言うべきね」

「うわっ! ひでぇ! 人が散々苦労してる中でそんなこと考えてたのかっ!?」

「言ったでしょう? “様々”を興じてこその王よ。……まあ、意外といえば意外だったわね。大方、鍛錬が響いてすぐに捕まって、一日目から何も出来ずに終わると踏んでいたのに」

「うう……まあ、回復力だけは地味にあるぞ? 当時、自覚はなかったけど」

 

 警備隊に入ったばっかりの頃も、筋肉痛に苦しんでいた割に案外動けたし。

 あの頃から御遣いとしての力とか、あったりしたんだろうか。

 

「って、そんなことを言うってことは、だから都を任せるのも~とか言ったのか?」

「呉や蜀を回ることで、王の仕事の大変さは身に染みたでしょう? もっとも、雪蓮は楽しんでいただけでしょうけど。そういった経験を生かすなら、都を任せるというのはそう悪いことではないわよ」

「う……でもな。急に一つの場所を任されるって言われてもな」

「べつに貴方一人に全てをこなせなんて言わないわよ。むしろそうしたら、三国の中心だけが珍妙な場所になりかねないもの」

 

 う……否定出来ない。

 知識振り絞って面白い街とか作りそうだ……それはまずい。

 もしそうするんだとしたら、確実に真桜は連れていかないとだが……どうしてだろう、作ったとして、誰よりも目を輝かせそうなのが華琳な気がするのは。

 

「まあどちらにせよ、刺激の足らない日々にはいい刺激になるわ。その都に屋敷を構えて住んでみるのも面白そうだし。そうした時点で雪蓮は間違い無くとして、桃香も屋敷を構えたがるでしょうけれど」

「王が居ない国ってどうなんだ……?」

「移動することで国の在り方を見通せないなら、作った都で見通せばいいじゃない。場所が変わるだけで、することなんて変わらないわよ」

 

 誰かこのマリーさんなんとかして……。

 都が出来ること前提で話進めちゃってるよ……今の大陸ってそんなに刺激が無かったのか? ええい都が建ったらジュノ大公国とでも名づけてくれようか、ちくしょう。

 

「さて一刀? それはそれとして、貴方はこれからどうする気?」

「俺? 俺はこれから真桜のところに行って、綿菓子機のことを話してみようかって思ってる。カメラのことでもひとつ、見せたいものがあるし」

 

 隊の連中にも、迷惑をかけた人達にも謝らなきゃいけないしなぁ。

 

「かめら……北郷隊の訓練の際、真桜が言っていたものね?」

「ん、そう。今回は携帯も壊れなかったし、真桜に写真機能を見せるのも面白いかなって」

「───……」

「…………了解、まずは華琳さまにお見せします」

「良い心がけね」

 

 言うと思った。

 そんなわけで自室に戻り、バッグから携帯電話を取って華琳の部屋まで戻───る前に、寝台の上ですいよすいよと暢気に眠る袁術の寝顔を写真に収めると、今度こそ華琳の部屋へと戻った。

 

「というわけでこれが携帯電話っ!」

 

 ソイヤー! と無駄にテンション高めで見せてみると、華琳は珍しそうにソレを手に取り、シゲシゲといろんな角度から見つめた。

 

「今回は、と言ったわね。前に降りた時も持っていたということ?」

 

 その割には、と目が語る。

 生憎と前回はあっさり壊れちゃったからなぁ……。そういったことを伝えると、華琳は俺を見たまま「はぁ」と溜め息を吐いた。いや、俺べつに悪くないんですけど?

 

「それで? かめらというのは“けいたいでんわ”とは違うの?」

「ああ。この携帯に撮影機能ってのがあって……ちょっといいか?」

 

 手触りにホウ……と何かを感じていた華琳から携帯を抜き取り、パカリと開いて機能を選択。撮影モードに切り替えると、じっとこちらを見ている華琳の顔をパシャリと撮影。

 それを華琳に見せると、心底驚いたのちに……少し呆れていた。

 

「……こんな顔をして見ていたのね」

 

 顔が多少引きつっている。

 うん、まるでおもちゃを渡される前の、わくわくした子供みたいな顔だったしな。

 そんな自分を忘れたく、さらに消したい思いだったんだろう。

 華琳はよく知りもしないで適当なボタンを押してしまい、画像が次のものへと移る。そこには……俺と肩を組み、無駄に笑っている及川の姿が。

 一番最初、この携帯電話を買った時に「記念や記念!」とか言って、及川が撮ったものだ。だから及川の腕が携帯で見るこちら側へと伸びている。

 

「……?」

「ああ、そいつは天での友人で、及川佑(おいかわたすく)。その写真は、その携帯電話を買った時に無理矢理撮られた」

 

 写真を見下ろす華琳の横に立ち、眺める。

 楽しそうにしている及川と、一枚目からお前を撮らせるなとばかりに、携帯を取り戻そうと手を伸ばす俺が映っている。

 華琳は「へえ」と口にして、また適当にボタンを押す。

 俺が教えてやるとページ切り替えボタンを覚えて、次は迷い無く。

 学校やら道場やらが映され、及川が映り、プレハブ小屋が映り、及川が……おぉい及川!? お前いったい他人様の携帯でどれだけ自分を撮ってんだ!? 確認しなかった俺も俺だけどさ!

 

「……仲がいいのね」

「まあ、友達……じゃないな。悪友だから」

 

 そう返しながら、ちらりと華琳の顔を見る。

 ……また、少し不安を混ぜた表情をしていた。

 

「…………ねぇ一刀?」

「ん? なんだ?」

 

 顔を見てたのバレた!? と焦ったが、どうやらそういうことじゃないらしい。

 表情はそのままに、椅子に座ったまま傍らの俺を見上げてくる。

 

「不満はないの? 勝手に鍛錬を禁止したと思えば、次は都に住ませると言っているのに」

「不満はそりゃあいっぱいあるぞ? だって人間だもん。どうして俺がーとか、なんで俺までーとか、魏だけじゃなく呉でも蜀でもいろいろあったし。鍛錬は条件満たせなかった今でも、叶うならやらせてほしいって思う。都の話は、必要であり、そうしたほうがいいなら別にいいとは思うけど。えと、つまりだな。理不尽に対してはいつまでも冷静じゃあいられなさそうってことで。不満はあるけど、我慢出来ないわけじゃないし」

 

 言いながら考えてみる。

 桂花は少々どころか相当にやりすぎだ。

 あの時間からなら、頑張ればなんとか書簡整理も終わってたかもしれないのに。ツンデレどころかツン100%な所為でデレが無いなんて辛すぎるだろ。もう少し俺にやさしくあってくれ。

 

「逆に、俺が本気で怒ってたらどうしてた? というか……あそこで放心してなかったら、間違い無く暴れ回ってた気がするけど……───自分の怒った顔は想像出来ないくせに、そういうところはなんとなく感じるのってどうしてだろうな?」

「暴れるのは多方向、怒るのは一方。そういうことでしょう? 一方に怒鳴り散らして嫌われるくらいなら、多方向へ向けることで周囲からの嫌悪感を低くする。暴れる程度ならば周りが止める。けれど一点に集中された純粋な怒りは止めようとしても止められないものよ。貴方はね、一刀。そういったものを不満を覚えるたびに抱え込んでいるの。だから、爆発して誰かを傷つける前に怒りなさい」

「簡単に言うなってば。すぐ怒る人の気持ちはわからないけど、怒らないヤツの中には、怒らないんじゃなくて怒れないヤツだって居るんだから」

「…………」

 

 華琳は俺の言葉に目を伏せると「はぁ」と息を吐いて、再度俺を見る。

 その顔は、やっぱり不安を混ぜたような顔だった。

 華琳らしくもない、と言ってしまえばそこまでなんだろうが……誰にだって不安はある。何が原因で彼女がそんな顔をしているのか、なんてものは、この場に居る人を考えれば見えてくる。

 華琳を除けば俺しか居ないんだ、そんな顔をさせているのは俺なのだろう。

 

「……ねぇ一刀。貴方は忠誠があるから怒らないの? それとも誓いがあるから?」

「? なんのことだ?」

 

 ちらりと扉を見て、窓を見て、誰も居ないことを確認してからの言葉だった。

 居ないと判断するや、不安の色が増したように見える。

 

「天には貴方の友が居る。家族が居る。それをほうってまでこの大陸に居る理由は、わたしが天より降れと言ったから?」

「……なぁ華琳? どうかしたのか? さっきから少し変だぞ?」

「自覚しているわ。でもね、仕方がないでしょう? わたしは貴方がもう一度この地に降りた理由を知らない。以前はわたしが天下を手にしたら貴方は消えた。なら今回は? 次はあるの?」

「華琳……」

「理不尽に思われようが、あんな思いをもう一度するくらいなら、わたしは……!」

「………」

 

 覇王然とした険が剥がれ、その体躯に相応しいとでも言えばいいのか、悲しげに俺を見る少女が、視線の先に居た。

 俺はそんな華琳を見て、思わず息を飲んだ。

 かつて、消える前……似たような声を聞いた気がする。

 逝かないで、と言われた時、こんな声を聞いた気がする。

 その時の彼女はこんな顔をしていたのだろうか。

 けれどそんな顔も、俺が見ていることに改めて気がつくと……もとの表情に戻る。

 だから思わずにはいられない。王っていうのは大変だって。

 ……年がら年中、王で居る必要なんて無いのにな。



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49:魏/がんばれ、女の子③

 もやもやと溢れてきた思考を一旦打ち切るつもりで、静かに溜め息。

 そうしてから、改めて華琳と向き合って、その言葉を耳で受け止めていく。

 不安の正体を、自分でも知り得ない答えを、俺も探すように。

 

「……もし貴方が不満を爆発させて、一時であろうとこの世界を嫌ったらどうなるのかしら。貴方はそれでもこの世界に存在出来る? わたしが帰したくないと思えば、本当にずっとこの世界に居られる? 消えることに抗えなかった貴方がどれだけの言葉を並べたとしても、わたしはきっとそれを信じられないのよ……」

「……それは」

「証をと絶に血を吸わせたところでそれがなに? 証程度で貴方が消えることを止められたなら、わたしはあの時泣いたりなんか───」

「へ? ……な、泣いた?」

「!?」

 

 あ。なんか今、頭の片隅でカチリって音が。

 ていうか、目の前の華琳が慌てて自分の手で口を塞いだ。

 …………地雷踏んだ? いや、この場合はうっかり口を滑らせた華琳が……!

 ぁあああ……! 華琳の顔がみるみる赤くなって……! く、来るか!? 何が来る!? 拳、蹴り、ビンタ……はたまた絶!? くくく来るならこい! 出来ればこないで!

 

「そ、~っ……そうよっ! 泣いたわよ泣かされたわよ! この曹孟徳がよ!? 勝手に現れて勝手に人の中に入り込んできて! なのに勝手に居なくなって! 逝かないでって言わせたくせに! 大好きだって言ったくせに! この私にあんな無様をっ……!」

 

 何が来るのかと身構えていたんだが……あらやだ可愛い。

 じゃなくてっ、え、ええ!? 華琳!? 華琳だよな目の前に居るの!

 この、椅子に座りながら真っ赤な顔でギャーギャー叫んできているお嬢さん、魏の王で国の覇王さま、華琳だよな!?

 そんな華琳さまが椅子に座りながら、俺の襟首を引っ張って顔を近づかせて……!

 

「不安にさせるなっ! あんなに見てて怖くなる鍛錬なんかするなっ! もっともっとわたしの傍に居なさいよっ!」

「い、いいぃいいいいやいやいやいや、かっかかか華琳!? 華琳さん!? 落ち着こう! 落ち着こう、な!?」

「落ち着いているわよっ! 落ち着いてるから怒っているのよ!!」

「どこをどう見たって誰が見たって落ち着いてないだろ! むしろ華琳が泣いたって、それ聞いたらこっちが落ち着いていられないぞ!?」

「泣かせたのは一刀でしょう!?」

「そんなの想像つくもんかっ! ていうかそれこそ理不尽だろ! 悪いとは思うけど抗えなかったんだからどうしようもないだろっ!?」

「抗う様子も見せないで別れを受け容れたくせにっ! 大体“愛していたよ”っていうのはなに!? あんな言い方されたら二度と会えないって思うじゃない!」

「消えるってわかったならせめて別れくらい言いたいって思うじゃないか!!」

「いつわたしがそんなものを望んだというの!? わたしはずっと傍に居なさいと、それだけを願ったでしょう!?」

「やっ……だからそれを選べれば苦労はしなかったって……!」

「…………“しなかったって”……なによ」

「い、いや……ちょっと待ってくれ、少し心を落ち着かせたい」

「それじゃあ意味がないでしょう!? わたしは“怒りなさい”と言っているのよ!」

「えぇ!? 意味がないって……じゃあ今までの全部演技か!?」

 

 そうは言うけど、涙が滲んだ目でじろりと睨まれて、「そんなわけないでしょう」とハッキリ怒られた。

 そりゃあ、あそこまで全部演技だったら凄い。

 凄いけど……全部ではなかったにしろ、演技も混ざっていたとしたら……と考えると、心の中にざわりと動くものが。なので、じーっと睨む。

 

「………」

「な……なによ」

「いや、俺からもひとつ。華琳もさ、人に怒れとか言う前に、もっと自分を出したらどうだ? 覇王然とするよりも、普通の女の子している時の華琳のほうが好きなんだけど。いや、結論から言えばどっちも好きだけど」

「なっ───……一刀? 大きなお世話という言葉、知らないはずはないわよね?」

「そりゃあもちろん知ってる。ただこっちも言わせてもらえるなら、わざと怒らせるためにあれこれやるのは勘弁してくれ。ていうか少しは、ここまですると嫌われるかもとか思ってみてほしい」

 

 あんまり無茶をされるとこっちの身が保たない。

 むしろやさしくしてくれたほうがほら、無駄なストレス溜めなくて済むし。

 仮に怒り出したとしても、相手が魏王で覇王なら、駆逐されるのって俺一択じゃないか。

 駆逐は言いすぎにしても。

 

「非道な王にはならないなら、相手が所有物だからって無茶しないでくれ」

「はぁ……あのね、一刀。わたしはそう思うからこそ貴方に怒りなさいと言っているの。わたしが天より降れって言ったから無茶しているのか、王だからと遠慮して怒らないのか。所有物だからって我慢させているなら、それこそ非道じゃない」

「あ」

 

 ……そこまで考えてなかった。

 

「でも俺、華琳が原因で我慢してることなんて…………えーと。無い、と思うぞ?」

「断言出来ない時点で既に不安なのだけれど?」

 

 うう、でもなぁ。

 

「じゃあさ、もういっそ怒らせる気で何かするより、怒りを溜めさせない方向に気を向けてくれないか? 楽しかったり嬉しかったりすれば、怒りなんて溜まらないだろ?」

「嫌よ。ただ喜ばせるだけなんて、つまらないじゃない」

「……ゲンコツした上で激怒していいですか?」

 

 言いながらも、やるのは華琳の頭を撫でるだけ。

 撫でるっていうよりは、頭の上でポムポムと手を弾ませているだけ。

 

「……はぁ。怒っていいかと訊ねる者ほど、怒れないものね」

 

 華琳自身はといえば、そんな俺を少しがっかりした風情で見上げ、溜め息を吐いていた。

 そのくせ、手は払わない。滲んだ涙も拭わないので、その涙を軽く指ですくってあげた。

 

「自覚はあるかな。怒りやすい人はわざわざそんなこと訊かないもんな」

 

 訊くより先に怒ってるだろ。

 そう返して、俺もまた溜め息。

 

「なら……そうね。一刀、一度試しに怒ってみせなさい。嘘でいいから、一度だけ」

「思い立ったらなんでもなところは相変わらずか……。どんな言葉でもいいのか?」

「ええ任せるわ。大声でない限りは、誰も来ないでしょう」

「そっか。じゃあ……」

 

 素直に受け取るってことは、俺もこれで、案外外に出したい不満もあったのかな。

 そんなことを軽く考えながら、言うべき言葉を探してみる。

 えと……華琳は俺が何かを嫌うことで、消えてしまうんじゃないかとか思ってたわけだから……そだな、軽くでいいから嫌いって想いを出してみよう。

 嘘の言葉でも、氣を込めるように放てばなにかこう……言霊的なものになるかも。

 そんなわけで、許可を得てから軽く、軽ぅ~く、こう、ポクリとゲンコツをして、いざ。

 

「華琳……お前には失望したよ。お前が───大嫌いだ」

 

 一応言葉に氣を込めるようにして言ってみた。

 すると、軽くすくってはみたけど滲んだままだった涙がぽろりとこぼれて、え、なんて声が出ずに口が開いたところで、変わらぬ表情のままにぽろぽろと涙を零す華琳がホギャアアアアアアアアア!?

 泣いっ……泣いたぁあーっ!?

 え、あ、えっ……えぇええーっ!?

 

「ごごごごめんなっ!? ごめんなっ!? 嘘っ、嘘だからっ! なっ!? あああぇえとどうすればっ、こんな時どうすればっ!」

 

 訳もわからず狼狽える俺が誕生した。

 けれど体は勝手に動き、泣いた少女を胸に抱き、ごめんと謝りながら頭を撫でていた。

 

……。

 

 ……恐ろしいものを見た。

 結論はあくまでそこに落ち着く。

 ていうか泣かせてしまった。女性を泣かせてしまった。好きな人を泣かせてしまった。

 そのショックは大きくて、俺はまだ華琳を離せないでいた。

 

「………」

「………」

 

 華琳にしても珍しく、いっそ俺を締め上げるみたいにぎうーと抱き付いてきていて、少々腰から腹部までが苦しかったりする。

 言葉に氣を乗せるつもりで放ったのがまずかったのか、それとも嘘とはいえ“失望した、嫌いだ”と言ったのがまずかったのか。判断には困る……どころか、それはたぶんどっちもで、そしてこれだけは言える。“二度と言うまい”。

 

「……仕返しをしたら非道かしら」

「非道だと断言する」

 

 怒ってみろと言ったのは華琳なので、そこのところは勘弁を。

 ただ華琳自身にしても、受け取れるなにかがあったのか、食い下がろうとはしなかった。

 

「……一刀?」

「うん?」

「わたしが一刀を嫌ったら、貴方は居なくなる?」

「んー……わからない。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。そもそも華琳は何を願ったんだ? 俺がまたこの大陸に降りられたのは、華琳が何かを願ったからだろうし」

 

 この際だし、気になっていたことを訊いてみる。

 再会した時に聞いた言葉は、多分べつの願いとして放たれた言葉だ。

 だからもし他に理由があるならと。

 

「………、……っただけよ」

 

 すると華琳は、ぼそぼそと顔を赤くしながら……え? なに?

 

「ん?」

「だ、だからっ……“また会いましょう”って言っただけよっ! その少しあとに貴方が桃香の着替えを覗いてっ……! だからっ……理由があるとするなら、それくらいしか思い当たらないわよ……」

 

 また会いましょう、って……それだけ?

 ……どれだけ強く願えば、そんな願いを糧に降りられるんだ、御遣いってのは。

 でもそれだと、会った途端に願いが果たされないか?

 よく消えなかったな、俺。

 それとも“また会いましょう”っていうのは、どっちかが生きてる限りは何度でも繰り返せるわけだから……? ほら、たとえば夜眠って朝起きて会うだけでも、また会うことにはなるわけで。

 

(そっちの考えでいくと俺は、俺か華琳が死ぬまではずっとこの世界に……)

 

 俺が死んだ時点で、帰るとかそんなのは関係が無くなるんだから、事実上は華琳が死ぬまでか。

 ……ようこそ老後生活。

 ごめんじいちゃん、こっちの理由が確定だと、恩返しとか無理そうだ。

 宅の華琳さまは病気で死ぬようなヤワい人には見えないし、そもそも華佗がなんとかしてしまいそうだ。

 でも……覚悟はしてきた。

 いつかそうなるかもって思いを膨らませて、否定したい気分はあったものの……帰れないんだったらこの地に骨を埋めようと。

 

「そっか。その願いに応えることで降りたなら、俺もしばらくは大丈夫そうかも」

「………」

 

 抱き着かれながら、不安と不満を混ぜたような目で見上げられた。ちなみにまだ涙目であるため、なんというかこう、保護欲というか、抱き締めて撫でまわしまくりたくなる……あ、それもうやってる。

 

「大丈夫だって。たしかによっぽど嫌いになって、二度と顔も見たくないってことになれば、いつかみたいに“そうなるべき歴史”を曲げることになって、強制的に帰らせられるんだろうけど……あんまり無茶をしなければ、そうそう嫌いになったりなんか出来ないって」

「…………わかったわよ。無茶な要求はしないし、無理も言わないであげる」

「………」

「……なによ、その顔」

 

 いや……そんなあっさり了承してくれるとは。

 熱でもある?

 

「ああ、いや、ありがと。正直こんなにあっさり受け取られるとは思わなかった。じゃあ鍛錬も───」

「それはだめ」

「ですよね……」

 

 予想はついていたから悲しくないぞ? ほんとに。

 

「ま、それはともかくさ、写真の続きを見よう。たしかじいちゃんを映したやつもあったはずだから」

「一刀の……興味があるわ」

 

 そして俺の言葉にあっさりと抱擁を押し退け、携帯をいじくり始める華琳さん。

 ……いいんだけどね。珍しいもの、むしろ可愛いものも見れたし。

 

「お、それそれ。それが俺のじいちゃんだ」

「……良い面構えね」

「ああ。強くて怖くて時々やさしい、不思議なじーさんだよ」

「へえ……」

 

 言葉通りに興味深々なのか、食い入るように画面を睨む華琳。

 そんな彼女の手が珍し気に次へ次へとボタンを押し……ビシリと空気が凍った気がした。

 ハテ、と首を傾げながら画面を覗き込むと、そこには───はうあ!?

 

「ア、アワワ、ハワワワワ……!!」

「───ねぇ一刀?」

「な、ななななんでせう華琳さま……」

「なぜ……思春の寝顔がここに収まっているのかしら?」

 

 ア、ハ、ハハハ……ななななんででしょうね……!?

 それはなんというかその、悪戯心というか、僕の童心が黙っていられなかったと言いますか……!

 

「……へえ、次は美羽ね。次がわたし……そう。───一刀?」

「うぃっ……!? あ、か、華琳~? ほら、無茶も無理も言わない約束が……。っていうか笑顔で睨むの、やめようよ……な?」

「ええ、もちろん覚えているわよ。けれど、種馬の躾には無茶も無理もつきものだと思わない?」

「是非とも思いたくないんですが!? ていうかそれくらいで躾がどうとか言ってちゃ、もし他国の誰かに手を出したりしたら絶対に冷静で居られないだろっ!」

「ふぐっ……!? う、うるさいわねっ! そんなことは今はどうでもいいのよっ!」

「ひどっ!?」

 

 あ、でも自覚はあったみたいだ。言葉に詰まってたし。

 

「じゃっ……じゃあ華琳! 膝枕するから寝てくれ! それを俺が撮影すれば全て解決して───」

「だからっ……! どうして貴方はそう、望んでいない方向に聡いのよっ!!」

「仰る意味がわかりませんが!?」

 

 ただ、今日も元気に華琳が怒ってることだけはよーくわかる。

 そんな華琳が俺の腕を掴み、引っ張り、寝台に座らせると……ちょこんと寝台に寝転がると同時に、俺の膝の上に自分の頭を乗せた。

 

「………」

 

 結局やりたかったんじゃないですか。

 顔を真っ赤にさせて、俺と目を合わせないように目を閉じている華琳を見下ろしつつ、苦笑。

 しかし華琳様、携帯はしっかりと俺の手に返して……エ? 撮れと? ……何故こんな状況に?

 そりゃ俺も言ったけどさ……なんだか玉座に座らされた時のことを思い出させる状況だ。

 

(しばらく会わないうちに、随分と我が侭になったような……あれ? それは元からか?)

 

 苦笑しながらカメラ機能を起動。

 さらりと頭を撫で、目を瞑っているために急なくすぐったさに、軽く身を竦めたその顔をパシャリと収める。

 早速その写真を確認してみると…………まるで、くすぐったさに身をよじる猫だ。

 想像以上の破壊力がそこにはあった。

 春蘭、秋蘭、桂花、稟が相手ならば、一撃必殺の効力を弾き出しそうだ。

 

「撮ったぞ?」

「っ───見せなさいっ!」

 

 で、報告してみると飛び上がるように身を起こし、俺の手から携帯をひったくる。

 そして画面に映る可愛らしい女の子な自分を見ると、ますます顔を赤くした。

 

「一刀……? これを消すにはっ……どうしたら、いいのかしら……!?」

 

 さらに言えばその顔は、生涯の汚点と出会った表情にも近かったに違いない。

 が───それを消すだなんてとんでもない! これは宝……たった今から至宝にござる!

 携帯の命が続く限り、この写真はこの北郷めが責任持って預からせていただきます!

 その旨を熱く語ってみせると、華琳はもはや何も言えなくなり、逆ギレ気味に「だったら好きにすればいいでしょうっ!?」と携帯を俺の胸に押し付けた。

 ……うん、正直怒られたんだか照れてるんだか解らない。

 顔は真っ赤だし声も上ずっていた。ただそれが照れから来ている赤さなのか、怒りから来ている赤さなのか、俺には解らなかった。

 まあそれはそれとして、せっかくだし待ち受け画面にでも。あと、知恵をつけて消されても困るから、別フォルダにも……よし。

 

「思わぬ収穫が───イエ、ナンデモ」

 

 つい心のうれしさが言葉となって漏れたら、真っ赤な顔で睨まれた。

 可愛い。じゃなくて怖い。

 乾いた笑みを絞り出し、じゃあと去ろうとするのだが、袖を掴まれて再び座らされてしまう。その膝にもう一度頭を置く華琳は、顔を赤くしながらも今度は目を開け、うろちょろと落ち着きもなく視線を彷徨わせていた。

 ……出たのは苦笑。

 特に何も言わずに頭を撫でると、彷徨っていた視線は一方だけを向き、俺は気にせず頭を撫でた。

 

「華琳さ、甘え方を知らないって……前に言ったよな」

「っ───……言ったわよ。それがなんだというの?」

 

 言った時を思い出したのか、少しだけこちらへ向いた視線は、途端に別方向へと向けられた。

 

「いきなり拗ねられても困るけど……報告受けてるなら知ってるだろ? 蓮華と桃香のこと」

「あ、ああ……甘える場所になったという話ね?」

「そ。華琳も甘える練習でもしてみないか? 生意気に思われるだろうけど、華琳を見てるとやっぱり思うんだよ。年がら年中、王である必要なんてないだろって」

「………」

「非道な王にならないために頑張るのもいいけどさ。たまには息を吐くのも───」

 

 と、話していると、華琳が盛大な溜め息を吐いた。

 まるで、“今わたしがしていることがなんなのか、わかっていて言っているの?”ってくらいの溜め息だ。

 ……ハテ?

 

「これは、雪蓮も桃香も苦労するわね……」

「? なにがだ?」

「なんでもないわ。それに、息なら十分に吐いているわよ。……まったく、だからこうして引き止めたっていうのにこのばかは……」

「……? 悪い、最後のほうがよく聞こえ───」

「いい天気ねと言ったのよ」

「───?」

 

 雨だけど。

 今日の華琳はそういう気分なんだろうか。

 

(まあ、いいか。疲れてるからこうして膝枕を要求し続けてるんだろうし、こういう時くらいはせめてゆっくり───)

 

 手に氣を込めて、やさしくやさしく撫でる。

 心が穏やかになりますように、疲れが取れますようにと。

 袁術にもやったように、氣で華琳を包み込み、さらに頭も撫でて、ただひたすらに彼女を癒すためだけに。

 どうしてか赤くなっていた華琳だったけど、しばらくするとその呼吸は一定になり、やがて穏やかな寝息へと変わる。

 

「……いつもお疲れ様、華琳」

 

 その寝顔に言葉を届ける。

 熟睡しているのか、反応らしき反応も無い。

 俺はただ、変わらずに彼女の頭を撫で続け、その寝顔を見下ろしていた。

 

(───、はぁ)

 

 基本的にやることなすこと滅茶苦茶な人達。

 巻き込まれることもあれば、自分から首を突っ込むことも多々あり……こんな状況、もし俺が及川だったらどうしてただろう。喜んでいたか、それとも早々に逃げ出していたか。

 

(“怒りなさい”かぁ……)

 

 最初に必要だったのは役職。

 乱世の頃は、華琳の傍でなければ生きられなかった。

 だからこそ仕事を得て、努力して、次から次へと必要とされる要求に応じ、なんとか頑張ってきた。

 部屋の扉は春蘭に壊されるし、部下は言うこと聞かずにからくりいじりや阿蘇阿蘇読むのに夢中だし、世話役だからってなんでもかんでも俺に当たって俺に押し付けるし、模擬戦ともなれば武力のない俺に向けて楽しげに武器を振るって……思い返しても溜め息が出る。

 怒ることはそりゃああったけど、軽く流されるだけだもんなぁ……そりゃあ怒っても無駄って思えてくる。むしろ“別にいいじゃない”って感じで別の話題に走るのが大半だ。

 

(しかも今回のことで、余計に怒りづらくなった)

 

 泣かれるなんて思ってもみなかったのだ。

 だって華琳だぞ? あの華琳が……───って、それはこっちの勝手な言い分か。

 常時王で居る必要なんて無いって言い出した俺が、そんなこと言っててどうするんだか。

 消えたときにも泣いたと言う。

 それだけ大切だって思ってくれてたなら、この地で頑張った甲斐もあったってことだ。

 

(思わぬ本音も聞けたし───返したいこと、増えちゃったよ)

 

 国に返す想いは日毎に増えていく。

 全部返し終えることなんて出来るのだろうかと思うばかりだ。

 けれど、とりあえず今は……穏やかに眠っている少女の寝顔を堪能しよう。

 起きた途端にまた、「どうして起こしてくれなかったの」とか言われそうだけど……それも、あの時のように笑って受け止めて。

 それが終わったら……えーと。あの三日が過ぎてから、どうにもよそよそしい魏将のみんなに会いに行こうか。

 よそよそしい理由は見当がついているから、いつもの彼女らに戻ってもらうために。

 あ……でも加減は覚えてほしいから、そこのところはそのー……少しぼかしてみようか。

 

(ははは……)

 

 顔が勝手に笑むのを感じながら、甘え方を知らない少女の頭を撫でる。

 もし華琳が甘え方なんてものを知ったらどうなるんだろう。

 その姿を想像してみて、自然の笑みとは別の笑みが小さく溢れた。

 そんなことに肩を震わせながら、静かな部屋での静かな時間を、雨音と少女の吐息とを聞きながら過ごした。

 

 

 ……ちなみに。

 さっきのとはべつにもう一枚、寝顔を写真に収めたのは内緒だ。

 



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50:魏/静かな日①

91/静かな日

 

 ……………………復ッッ! 活ッッ!!

 

「警備隊復活ッ!! 警備隊に復活ッッ!! 復活っていうか復帰ッッ!!」

 

 よく晴れた朝。

 隊舎前で叫ぶ俺。

 両手を天をへと突き上げ、「ほわぁあーっ! ほわっ! ほわーっ!!」と叫んでみる。

 気持ちのいい朝だ……再度この地に降りた際、フランチェスカの制服を着込んだ時にも思ったことだけど……これでこそ帰ってきたって感じがする。

 

「さ、さあ今日は何をしよう!? 見回り!? 挨拶回り!? サボ……ゲフッ! ゴフッ! とにかくなにかしたい! 成し遂げたい! こんな切ない想い……!」

 

 鍛錬を禁じられた俺の体が仕事を求めている!!

 あぁいやいやいやでもまずはみんなに挨拶だよな! 俺を知らない新人も居るみたいだし!

 ……ていうかこの場合、なんだか俺のほうが新人みたいな感が否めない。

 ドキドキしながら隊舎の前をうろうろ。どんな挨拶をしようかとか考え込み、三羽烏が訪れるまでを挙動不審で過ごした。

 魏に戻ってから、隊舎に来るのなんて初めてでもなくせに。むしろここ三日の間には何度も足を運んだっていうのに。

 

「隊長、なにやっとるん?」

「おうっ!? あ、ああ、真桜か。っと、沙和に凪も。……いや、今日からようやく復帰だろ? けど俺、新しく入ったやつのこととか全然知らないし、どんな挨拶しようかなって、さっきから妙に緊張しててさ。や、そりゃ竹簡とかの報告に目も通したから、名前くらいは知ってるつもりでもさ、ほら、性格まではわからないわけだろ?」

「あぁそんなら心配いらんで隊長」

「軽い紹介くらいなら、もう沙和と真桜ちゃんとでしてあるのー♪」

「そ、そうなのか? そっか、そりゃ助かる」

 

 少し緊張が取れた気分だ。

 

「ところで沙和、真桜? 紹介ってどんな感じにしたんだ?」

「真桜ちゃんが隠し撮りしておいた隊長の写真を見せて、“この人が魏の全てを寵愛する天の御遣い、北郷一刀なの”って」

「うあ……なんだか恥ずかしいな、それ」

「んー? “魏に別の意味で伝説残した種馬~”ゆーて紹介したほうが良かったん?」

「勘弁してください」

 

 ニヤリと笑む真桜に、目を糸にし、眉を顰めて首を横に振った。

 と、それはそれとして……沙和、真桜の後ろで少し震えながら遠い目で何処かを眺めている凪に対して、俺はどう反応すればいいんだろう。

 

「んあ? あぁ凪なぁ。隊長が今日から復帰って聞いてから、もうずっとこんな感じやで……」

「話し掛けてもず~っと遠くを見てるの」

「そうなのか」

 

 ひょいと横にずれた二人の間を通り、凪の目の前へ。

 呼びかけてみても、目の前で手を振ってみても、心ここにアラズといった様子で、ず~っと遠くを見ている。なのに移動を開始してみればついてきて……おおう、物凄い能力だ。無意識でも仕事が出来るぞ。

 

「……凪って……」

「隊長が居なくなってからしばらくは、こんな感じだったの」

「あ~……せやったなぁ~。話し掛けてもなんも返事せんで、そのくせ仕事はきっちりやりおる。時々ハッとして辺り見渡して、目当てのモンが見つからんとま~た遠くを見てなぁ」

「目当てのものって?」

「ンなもん決まっとるやろ~……隊長や、た・い・ちょー」

「へ? 俺?」

 

 ズビシと指差された。

 それも真桜だけにではなく、沙和にも。

 しかも指差したままゾスゾスと、その指で俺の胸をつついてくる。

 

「凪ちゃん、隊長が居なくなってからずっと大変だったんだからねー? ごはんもあんまり食べないし、鍛錬にも身が入らないし」

「あー……そーいや久しぶりに氣弾で破壊行為しとったなぁ。茶店の看板、吹っ飛んでもーたし」

「うわっ……それはまた随分と懐かしいな……。で、相手は無事だったのか?」

「お、相手が居るってよー気づいたな、隊長」

「無意識だろうが、凪は街中で平気で氣弾飛ばすやつじゃないだろ。食い逃げかなんかか?」

「うん。野党上がりのウジ虫野郎だったの。普通なら包囲して捕まえるだけ、だったんだけど……」

「“隊長が託してくださった平穏を乱すなー!”とかゆーて、凪がどかーんと」

「………」

 

 喜んでいいのか悪いのか。

 くすぐったいんだが……ごめんなさい、茶店さん。

 いい迷惑だったろうけど、正直そんなふうに思っていてくれたのが……俺は嬉しいと感じてしまっている。

 お詫びの意を込めて、その茶店で一番高いのでも頼もうか。

 ……奢りは無しの方向で。

 

「んで隊長~? 今日はどーするん~?」

「どうするこうする以前に、その眠たそうな顔をなんとかしなさい」

「あたっ。……おお、なんや懐かしい感触」

「あーっ、ずるいのー! たいちょーたいちょー、沙和もぶって~♪」

「そういうこと大声で言うのやめなさい!」

 

 さて……軽く注意するつもりが、どうして注意を求められてるんだろうか。

 逆じゃないか? 普通。

 そう思いながらも、俺自身も懐かしく思いながら、目を輝かせている彼女の額に軽い手刀を落とした。

 沙和はそれを受け、やっぱり懐かしんでいるようで……そういえば、欲しがっていた服を買ってやった時にもこんなことをしたなって……思い出し笑いをした。

 

……。

 

 青い空の下、区画を一つ一つ回る足が、勝手に弾むのが可笑しかった。

 

「おお御遣いさま、お久しぶりでっ」

「御遣いさまはやめてくれってば……でも、うん、久しぶり」

 

 歩くたびに声をかけられ、久しぶりと言ってくれる人達が居ることが、嬉しかった。

 

「北郷隊長っ! 三区画目で喧嘩をする者がっ!」

「大人数で行くと刺激するだけだから、慣れてるヤツか力自慢のヤツを向かわせてくれ!」

 

 やたらと上機嫌な、懐かしい警備隊の男と一緒に、笑いながら駆けるのが楽しかった。

 

「隊長~! 迷子なの~!」

「おー! 預かっておくから沙和は真桜と一緒に親を探してあげてくれー!」

 

 泣き顔の少女を肩車し、探しているうちに泣き声が笑い声に変わることが、くすぐったかった。

 

「───、…………はっ!? 隊ちょ───……、いや、そうか……隊長はもう……」

「んあ? 俺がどうした?」

「え? ………………た、隊長?」

「? 隊長だけど……凪? ど、どうかしたか?」

「~……隊長ぉおおおおっ!!」

「どわぁああっ!? なっ、どっ……どどなっ……どうしたっ!? なにがあった!?」

 

 ハッとした時に凪が探していたものっていうのが、本当に俺だとわかった時、なんとも恥ずかしかった。

 

「……なぁ隊長? なんや突然凪がものっそいやる気出しとるねんけど……隊長なにしたん」

「いや、なんか突然抱きつかれて、いろいろ話し込んだら急に走り出してさ」

「……もしかして、抱きつく前にきょろきょろしとった?」

「ん、しとったしとった。隊長はもう……とかいきなり言われて、声かけたら抱きつかれて。つーか真桜さん? 親探しは?」

「……なるほど、そんなら凪の無意識も今日で終わりか。あれはあれでおもろかったんやけどなぁ」

「おーい……はぁ。もうちょい歩くか」

「ねーねーみつかいさまー? あっちにいこー?」

「はいはい、了解しましたお嬢さま」

「えへへー♪」

 

 親とはぐれたっていうのに楽しげな少女に、街を案内してやれる自分に安心を得た。

 

「もー! 隊長ー!? 人に親探し任せておいて、うろちょろするなんてひどいのー!」

「うっ……すまん、この子があんまりにも楽しそうだったから」

 

 それでも、子が親に向かって笑顔で駆ける姿ほど、安心出来るものはそう無いのだ。

 笑顔で手を振る子供に笑顔で手を振り返して、親がお辞儀をして歩き出すのを見送った。

 そして、また歩くのだ。

 賑やかな人の声が溢れるこの城下を、いつかの視線で見つめながら。

 

……。

 

 帰る場所があるっていうのはいいもんだ。

 そう思えるようになったのはいつだっただろう。

 大人になったと多少でも自覚してからか、それとももっと子供の頃だったのか。

 夕焼けを見ると、泥だらけの自分を思い浮かべるのはどうしてだろう。

 まだヒーローに憧れていた頃、剣道を多少でもかじれば、道端に落ちている木の棒だって正義の剣に見えたものだ。

 俺はそいつを振り回しては、今では考えられないくらいにとても小さなことで無邪気に笑っていた。

 家に帰れば親に怒られる。

 それが子供ってもんだろうってじいちゃんに教えられた時は、逆に泥だらけになることが誇らしくも思えた。

 そんな俺に悪と正義を説いたのが、そのじいちゃんだとしても。

 

「うあー……久々に張り切ったから肩こったわぁ~……」

「真桜ちゃんオヤジくさいの……」

「真桜、隊長の前だぞ、しゃきっとしろ」

「……なぁ隊長? ウチもう一度無意識で働く凪に会いたいわ……」

「はいはい、我が侭言わない。一応区画担当ごとに報告よろしくな。あとで纏めるから」

「うへーい……」

「はーい、なのー」

「はっ!」

 

 今日も一日が終わる。

 空の朱は別れの合図っていうのは子供の頃のことだが、こうして見上げる空はもう暗い。

 三者三様の返事を耳にして、警備隊の連中にも笑顔でまた明日を伝え、歩く。

 薄暗く、もう大分静かな街には、つい数時間前まで存在していた暖かさはなく……見渡してみても見つけることの出来ない虫の鳴き声だけが、人の声に代わって街を小さく賑わわせていた。

 

「あ、隊長~? これから今日のこと纏めるん?」

「ああ、自室でのんびりと」

「ならあとでお邪魔してもええ? アレのことでちぃっと話が……」

「……アレか。わかった」

 

 城へと戻る最中に、真桜と小さく笑い合う。

 あくまで小さく笑っただけであって、声自体は普通だったのだから、当然凪も沙和も反応する。

 最初から「なんの話なのー!?」と食い下がる気満々で割って入ってきた沙和に、発明のことだと話をしてやると……どこかぷくーと頬を膨らませて、結局は一緒にお邪魔するという結論に至ったらしい。

 ならばと俺は、ちらちらと少し離れた位置からこちらを見る凪へ手招きして、近づいてきた凪の頭を思う存分に撫でた。

 なにせきっかけは凪なんだから、この発明に関しては凪にも見届けてもらいたい。

 

「たたた隊長っ……!? なにをっ……!」

「いやそれがな、思い悩むより行動しなさいと我らが主に叱られまして。確かに躊躇するのも今さらだし、そうしたいって思ったなら、思った心ってやつも大事にしてやらないといけないかなぁと」

「や、隊長? 言ってる意味がなんやよぅわからへんで」

「少しだけ、自分の心に正直になってみようって思ったんだ。それだけ」

 

 さ、と促して城へ。

 準備もあるだろうからと途中で三人と別れ、俺は俺で必要な竹簡を抱えたまま自室に戻ると……お姫様が相変わらず、寝台の上で膨れてらっしゃった。

 

「一刀っ! お主、妾に断りもせずどこに行っておったのじゃー!」

 

 片手をズヴァーと突き上げ、怒るお嬢様一丁。

 そんなお嬢様に、買っておいた饅頭を懐から出して進呈。

 すると、ぷんすかな顔は一瞬で笑顔になった。

 もう冷めてしまっているそれを、しかし美味しそうに食べる袁術。

 そのくせ、温かいのがいいのじゃとしっかり文句は言う。

 ほんと、ぺろりとたいらげたあとのくせしてよく言う。

 

「では一刀、早速城を案内するがよいぞ?」

「だめですよーお嬢様。わたくし北郷はこれより、仕事の報告書を書かなくてはならないのです」

「なぜじゃっ? わ、妾の案内より大事なことなのかそれはっ」

「そりゃ、これで食っていくなら必要だろ。自惚れの域に達してもまだ足りないくらい、自分が街を守っているって意識しなきゃあいけないことなんだ、これ。だから、半端は出来ない」

「むぅ……そうか……。一刀が言うのなら、そうなのであろうの……」

「ごめんな、非番の時はいろいろと付き合うから」

 

 俺の言葉に「うむっ」と元気に返す袁術は、机の椅子に座った俺の横までを歩くと、俺の膝の上によじ登る。

 すっかりここが気に入ったのか、仕事に対して指摘を飛ばすでもなく、俺が片付ける書簡を眺めていた。

 

「ん……と。三区画の通りで喧嘩……それと迷子と……道案内、手伝い……」

 

 竹簡に、墨に塗れた筆が走る。

 昔からこの時代で漢文を書いていた人にはまだまだ遠く及ばないが、それなりに読みやすくはなっている……と思う。無理して上手く書こうとすると遅くなってしまうから、そこのところはそれなりの読みやすさで勘弁してほしい。

 素早く書いても上手く文字を書ける人は凄いな。

 こう、素早さ重視で書くと、ヘンテコな文字に……いや、それ以上に筆が上手く回ってくれず、もじゃもじゃ文字になってしまう。

 三区画の三(参)をさらら~とシャーペン感覚で書こうとすると、もう何が書いてあるのかわからない。黒い丸があるだけだ。

 

「筆、もっと細くするかな」

 

 言いながら、わざわざ取りに行くのもなんだしと、しっかりじっくり書いていく。

 袁術はそんな俺の手の動きを退屈そうに、しかし離れることなくじーっと見ていた。

 

「……っと、ここから先は他の通りの報告があったほうが、手に取る人にとっては読みやすいよな」

 

 うーむ、三人はまだだろうか。

 

「……む? 終わったのかの?」

「んや、まだまだ。あとは他の三人の報告が必要だから、三人が来てからだ」

「また誰か来るのかやっ!?」

「そう嫌がらないの。いい加減慣れなさい」

 

 そう言うと、袁術は俺の膝から降りると寝台の上まで走り……登るや、布団を被って亀と化した。

 そんな彼女を見た俺は、“妾を守るのが一刀の役目であろ”や“ならば早う来やれー!”等の言葉を言われる前に移動し───ようとしたところに、ノックの音。

 返事を返すと、凪の声。

 

「鍵はかかってないぞー」

 

 返事なんて前から変わっちゃいない。

 むしろ、同じにしたくてわざとそう言うと、少し呆れた顔の三人が中へと入ってくる。

 

「隊長はあれやな……変わった思ても隊長やな……」

「しみじみ言われると、わざと言った甲斐が無いんだが。っと、それはいいや。まず報告から頼んでいいか?」

「はっ!」

「了解なのー!」

 

 少しだけ浮かせた腰を椅子に落ち着かせると、机の前に立つ三人の言葉を受け取りながら筆を走らせる。

 ……こういう時、この携帯電話に録音機能でもあればなぁと思うのは贅沢か。

 通話中の声しか録音できないもんな、これ。

 そう思いながらも要点をしっかり、しかし補足をつけることを忘れず……あんまりにも説明的にならないように気をつけて……と。うん、上手くいかん。

 仕方ないのでまずメモにシャーペンを走らせ、書かなきゃいけないことだけをしっかり書いておく。……ん、これでよし。

 

「よし、っと。それじゃあ早速綿菓子機のことだけど」

「お~ぉ待っとったで~!」

 

 メモを胸ポケットに突っ込むと、いざとかけた声に盛大に反応する真桜さん。

 新たなものの開発に心を躍らせているのか、鼻息も荒く先を促してくる。

 落ち着いた様子の凪も、伏せている目を開くと……その目がキラキラと輝いていた。

 沙和も甘いものと聞いては黙っていられないらしく、この三人が同じことを目の前に興奮する、なんてものを珍しく発見出来た気分だった。

 それからは当然これをつかってああやって~という、この時代に合った素材での説明を……真桜の素材説明も混ぜながら煮詰めていく。

 必要になればメモを取り出し、絵を描くのだが……出来は相変わらずだ、下手と思わば笑ってくれ。

 

「で、ここに穴を開けてな?」

「なるほどなぁ……器に穴開けて、それを回転させながら熱すれば……溶けた砂糖が糸状に飛ぶってわけやな……」

「それを棒で絡め取って重ねていけば、綿菓子の完成だ。もちろん溶けた砂糖の糸が飛び過ぎないように、円形の壁とかがあったほうがいいな」

「ふむふむ……あー、熱を当てなきゃならんってのがなかなか難しそーやなぁ」

 

 そういや、ガスバーナーとかこの時代には……かといって、焚き火の上でやるわけにもいかないしな。

 

「なぁ凪ー? 凪の氣ぃで器を熱ぅすることとかって……」

「……わたしの氣はそんなことをするためのものじゃないぞ」

 

 ……ふむ。

 あらかじめ焼いておいた石かなんかを器の下に置いて、その熱で……ううむ。

 傍で石をたくさん焼いておく必要があるよな。

 なんだろうなぁ、真桜ならガスバーナーくらい持ってそうなイメージがある。

 でも炉がどうのこうの言ってたから、そんなものあるわけないし。

 

「そういえば真桜、お前の螺旋槍って氣で回転するんだよな?」

「んー、それがどないしたん?」

「台は鉄板細工みたいにして、器は氣で回転するように出来れば、焚き火でも出来るんじゃないかって。問題だったのは、回転させるための絡繰が火で焼け付かないかってことなわけだし」

「お……なるほどなぁ。けど隊長~? 氣で回転させるにしても触れなあかんやろ」

「む……いい線いってると思ったんだけどな」

「それに、食べるたびに氣ぃ使うとったらぶっ倒れんで……」

「そりゃそうだ」

 

 これは中々難しい。

 からくりを焼け付かせてしまえば器は動かないし、熱に強いからくりを作ろうにも、そこまでいくと素材費が結構な額にいきそうだ。

 ガスバーナー製作から行ってみるとか? ああいや、火は蝋燭を何本か拝借して、それで熱すればいいか。

 あと、受け止め台は……たらいかなんかでも借りるか? 使ってないやつがいいな。

 棒は適当に見つければいいし、回転させる器は……回転、回転かぁ……。

 よっぽど早く回転させなきゃいけなかった気がするんだよな。

 たぶん軽いからくり程度じゃあ糸状で砂糖を吐き出すなんて無茶だ。

 下手な速度だと、どろりとした粘液が器からこぼれることに…………考えるのやめよう。

 

「やっぱり回転させるなら、相当な速さが出せる方法があればいいな」

「そうなん?」

「そうなん。熱するのは蝋燭を借りよう。受け止め皿はたらいかなんかを借りるとして」

「たらいって、なんかあんまりいい感じじゃないのー……」

「まあ、食べる印象とはちょっと遠いかもな」

 

 かりかりとシャーペンを走らせ、次々と図を作っていく。

 三人で案を出し合い、あーでもないこーでもないと繋げ……夜も遅いっていうのに真桜が走り、…………戻ってこなくなった。

 俺と凪と沙和はというと、報告を纏めながら待っていたんだけど……いつまで経っても戻ってこない真桜を思い、凪がついにあくびを漏らしたところで解散というかたちになった。



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50:魏/静かな日②

 

 翌朝、寝ていた俺が何かの気配に目を開けた時、枕元に幽鬼が立っていた。

 

「ほぉおぅわっ!?」

 

 心底驚いてそんな声を出して起き上がった俺は、しかしそのままの勢いで立ち上がると構えて───……立っていたモノが真桜であることに気づき、停止。

 

「…………ど、どした?」

「たいちょ……いちお、試作……作っててん……ウチ……」

 

 しっかり喋っているつもりなんだろうが、眠気のあまりだろうか……口がもごもご動いていて、何を言ってるのかよくわからない。

 しかしズイと差し出された何かを見て、ほおと声を漏らした。

 形は俺が知っているものとは随分違うが、これは綿菓子機……だよな?

 少々小さいが……うん、それっぽいそれっぽい!

 

「ここ……ここな……? ここに氣ぃ伝わらせるとな……? 真ん中の器が…………」

 

 頭がぐらぐら揺れている。

 仕方もなしに工房試作品綿菓子機【小型】を机に置くと、真桜を抱えて寝台に寝かせる。袁術は……端っこで寝てるな、随分と気持ち良さそうに。

 

「たいちょ……? いややそんな、朝からやなんて……」

「ヘンな想像しない。今日非番だろ? 構わないからここで寝てろ」

 

 掛け布団をかけてやると、その額を軽くぺしりと叩く。

 なにか返すかと思いきや、よっぽど眠かったのかそのまま「すぅ……」と寝てしまった。

 

「……ふむ」

 

 で、俺はといえば……こんなものをもらったからには試してみたくはなるもので。

 童心が俺に動けと訴えかけているのだ。

 

「ん、と……これに氣を伝わせるっていったっけ?」

 

 小さな棒が、受け皿であるたらい(のようなもの)から突き出ている。

 それに触れ、一点集中で氣を込めてみると……ゴギャーと穴が開いた器が大回転する。

 

「……どうなってるんだろうな、これって」

 

 氣で回転させるっていう原理がよくわからない。

 実際回転してるんだから……まあ車をよく知らない人が、液体で車が動くことに疑問を持つくらいどうでもいいことだろう。

 この場合は氣がガソリン代わりってことでいいんだろうな。

 

「うん、うんうんっ」

 

 しかしながら男の子。

 仕掛けアリで回転するもの、もちろん仕掛け無しで回転するものにも興味や疑問を持ってしまうが、こういうものを実際に動かしてしまえば“作ってみたい”とも思ってしまうもので。

 砂糖だ! 砂糖と……蝋燭! ───厨房へ行こう! ……ザラメとかあったっけ? いいや無かったら無かった時だ!

 わくわくを抑えきれない子供のように、「うっひゃっほぉーい!」と叫びながら部屋を飛び出し厨房へ走る俺が居た。

 なるほど、楽しみたい時に思いっきり楽しむためには童心が必要だ。

 こんな時はじいちゃんの顔が頭の中に浮かぶなぁ。

 

……。

 

 そんなわけで、自室の机でごくりと喉を鳴らす俺。

 未使用の竹簡を四本、離れた位置に立てて、その上に綿菓子機を置く。

 当然、火を当てる中心には竹簡は無く、変わりに蝋燭が数本と火打石を用意。

 砂糖も用意した。絡め取るための棒も良し。

 さあ、いざ砂糖を入れて点火して……少し溶けるのを待ってから、氣を……送るッ!!

 

「お……おおっ! 速い!」

 

 ゴギャーと、まるでドリルのように高速回転する器に子供のようにはしゃぐ。

 そして、しばらくすると細かに開いた穴からは白い糸が吐き出されてゆく。

 

「おぉおおおお出た出たっ! っととととしまった!」

 

 ハッと思い出して棒を手に取り、それを絡め取っていく。

 次々と吐き出される糸状の砂糖が外気に触れて固まると、巻いていくたびに雲のようなカタチに纏まっていった。

 実際に綿菓子なんて作ったことがなかったもんだから、もう大燥(おおはしゃ)ぎである。

 調子に乗って氣を送り、砂糖を入れ、しっかりとしたフワフワ綿菓子を一本製作してみせた俺は、さらにもう一本───! と思い立ったところでなんとか自分を制御。

 いかん、この調子でいくと爆発オチが待っている気がしてならない。

 

「………!」

 

 そんなわけで、火を消して綿菓子機から手を離し、完成した綿菓子を構え、おもちゃを手にした少年の如き輝く笑顔をしているであろう俺。

 だっ……誰かに見てもらいたい! この完成を、誰かに!

 真桜、は……寝たばっかりだし、袁術も熟睡だし……そうだ凪! 凪に…………

 

「…………凪の部屋まで、綿菓子を手に笑顔で駆ける男を想像してください」

 

 ……童心があってもちょっぴり恥ずかしかった。

 ここで誰かが都合よくノックしてくれたりしたらなぁ───……コンコン。

 

「───」

 

 来た。

 え? なにこのタイミング。

 まあいいや! ともかく、せっかくのこの綿菓子! 開けた先に居るあなたに!

 無駄にテンション高く、扉へと走って、開け放つと同時にこれをどうぞと突き出して……

 

「………」

「………」

 

 桂花だった。

 いや…………うん、なんだろう、この物凄いテンションの下がりよう……。

 

「あー、えっと…………一口食べる?」

「っ……」

「おおっ……?」

 

 訊ねてみると、キッと睨まれた。

 ギリリと握り締められた拳がなんだか怖い。

 

「なんで……どうしてわたしがこんな男に……! いくら華琳様のご命令だからって……!」

「?」

 

 華琳? なに?

 呪い殺されそうなくらい睨まれてるんだが……。

 

「ほ、北郷!」

「ん? なんだ?」

「ご…………ごめっ……~……、~……! ~……っ……!」

「お、おおおいおいおい!? こっちまで聞こえるくらい歯がギリギリ鳴ってるぞ!?」

「うるさいわね黙ってなさいよこの汚物!!」

「朝っぱらからひどいなおい!!」

「いいから耳塞いでわーわー騒ぎなさいっ! その間に言うこと言えばそれで済むんだからっ!」

「?」

 

 よくわからんが、ならばと綿菓子を持っといてくれと渡して、耳を塞いで騒いでみた。

 するとそんな声に紛れて、やっぱりギリリと歯を食い縛りつつも口を開き、何かを呟いた───途端に目的を達成したとばかりに逃走!!

 

「へ……? あ、おい桂花!? 桂花ぁあーっ!? 綿菓子! 綿菓子返せぇえーっ!!」

 

 桂花が何かを呟いたと思ったら、綿菓子を手に逃走した!

 いったい何が……よもやこれは仕組まれたこと……!?

 華琳が綿菓子欲しさに軍師を向かわせ、この北郷めを謀り……!?

 

「………………」

 

 ならいいか。

 華琳にもあげるって約束を(一方的に)してたし、じゃあもう一本作って凪にも届けるか。と、扉を閉めて机に戻ると、再び綿菓子作りを開始した。

 

「よし」

 

 朝っぱらから部屋に甘ったるい香り。

 その匂いに誘われて起き出した袁術に綿菓子をあげて、遅くなった俺を呼びにきた凪にも一本、沙和にも一本。

 フワフワの形に目を輝かせ、感触に微笑み、味にきゃいきゃいと騒ぐ沙和と凪を見て───俺も試しに食べたら、子供の頃以来の感触に顔が勝手に綻んだ。

 せっかくだから、作る様も見せてみると……凪も沙和も袁術も、子供のように燥いでいた。ああ、俺もこんな顔してたんだろうなぁって思うと、奇妙な一体感とともに笑い合う。

 

(さて、今日も仕事だ。張り切っていきますか)

 

 朝から中々元気になれた。

 そんな気分に浸りながら隊舎へ向かい───……朝餉を食べていないことに気づき、空腹のままに仕事をする時間が続いた。

 神様……俺、馬鹿だったけど……綿菓子と笑顔は作れたよな……?

 

……。

 

 警邏を終えると空は暗く、周囲は静かになる。

 今日も一日頑張ったなーと、みんなして城へ戻り、あとは纏めるものを纏めて寝るだけ。

 夕餉も街のほうで食べたし、特に気にかかったりすることなんてない。

 そんなわけで自室前までを歩くと、特に心構えをするでもなくいつも通りに扉を開く。

 待っているのは、普段の自室風景に袁術が加わっただけのもの。

 そんな部屋の中をとことこと歩き、机に座ると早速竹簡を開き、纏めにかかる。

 報告等はメモにとったし……うーむ、やっぱり便利だなぁメモ。

 春蘭には嫌がられたけど、確かにシャーペンで書くんじゃなければ邪魔でしかない。

 体中に竹簡巻いて、カラカラと歩いていては落ち着けないだろう。

 

「………」

 

 試しに、何も書いていない竹簡をカロカロと腕や腰などに巻いてみる。

 …………邪魔だな。

 苦笑をひとつ吐いて椅子に座り直すと、筆を走らせて纏めていく。

 

「………」

 

 しかし、纏めることも案外少ない。

 毎日毎日騒ぎがあるわけでもなく、平穏に終わる日は本当に平穏なまま終わる。

 今日って日は、まさにそんな日だったのだ。

 

  “本日是平穏也(ほんじつこれへいおんなり)”。

 

 細かいことを抜かせば、その一行で終わってしまうほど静かだった。

 朝に綿菓子機をいじっていろいろやったって程度で、今日って日は本当に静かだった。

 それでも細かいことでも書いておかねばと軽く纏め、せっかくならばと書簡に目を通してから気になっていたことを煮詰める。

 各区毎の詰所による役割分担みたいなものだ。

 この区はこういう事件が多かった、この区はこういったことが少なかった、などのことを見直して、この区にはこれを任せるって感じのもの。

 そういったことを軽く纏めてみると……やっぱり本日のお勤めは終了する。

 

「それにしても、詰所を見て回ったけど」

 

 結構汚れてた。

 率先して掃除をする奴が居ない所為かもしれないが、今度思いっきり掃除したほうがよさそうだ。

 ……さて。やることも無くなったし……

 

「………」

「………」

 

 じぃっと袁術に見つめられていることに気づき、即興昔話のネタでも考えるかと苦笑と溜め息。

 考えるかっていっても即興だから、出だしをどうするか程度しか考えないんだけどさ。

 そんなことを袁術に見られながら思い、椅子から立ち上がると寝台へ。

 いつも通りと言えばいつも通りになるのだろうこの瞬間を、愉快な昔話を語りながら過ごした。



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51:魏/静かな日(再)①

92/静かな日(再)

 

 静かな日、騒がしい日。

 そういった日常が幾度か流れ、何度目かに訪れた非番の日。

 朝っぱらから自室で軽いトレーニングを始め、体がナマりきらないようにほぐしていく。

 鍛錬が禁止されてからというもの、模擬戦に誘われることは数回あったが───張りきりすぎて、誘われての鍛錬すら禁止されたらどうしようと、思い切り出来ずにいた。

 

「…………すぅ…………はぁああ……」

 

 なので“ならば部屋の中ならば迷惑はかかるまい”と、こうして部屋の中で鍛錬をしているわけだ。

 袁術に暑苦しいと言われようが構いません。

 そんなことを自覚しないで鍛錬が出来るもんか。

 

「……ふぅ」

 

 あれから───鍛錬が禁止されるきっかけになった鍛錬の日から、雪蓮とのイメージとは何度か戦ってみている。

 結果は……大体は負けいる。

 なにがどう吉に転んで勝てたのかは未だに解らないものの、“大体は”というからには時折に勝てていたりする。余裕で勝つのは無理すぎるが。

 

(イメージ、弱くなってきてるかな)

 

 自分の中の想像の雪蓮が、自分の思い通りになってきてしまっているんじゃあ、と考えると、勝てて嬉しい反面、素直に喜べない。

 自分の感情に“面倒臭い奴だなぁ”とこぼすものの、実際にこぼれるものなんて苦笑ばかり。

 

「あれから雪蓮も遊びに来ないし……何かあったのかな───ってはいはい袁術、雪蓮の名前が出た途端に震え出さないの」

 

 鍛錬を終える。

 汗をタオルで拭うと最後に大きく伸びをして、改めて袁術に声をかけると、ここ最近じゃあ恒例になりはじめている袁術との散歩が始まる。

 脱HIKIKOMORIとはよく言ったものの、俺と一緒じゃなければ部屋の外に出ようとしないのだ、このお子様は。

 

「それで? 今日は何処に行くんだ?」

「うむ、楽しいところへ案内せよ」

 

 訊いてみれば、腰に手を当て、目を伏せてのふんぞり返りがそこにあった。

 俺はといえばそんな言葉に“了解”と返し、扉を開けて移動を開始。

 慌ててパタパタとついてくる袁術とともに、許昌での散歩を始めた。

 とはいえ城を出るよりもまずは朝食だと、厨房を目指す。

 静かな日の静かな時間、そう騒がしくもない通路を歩き、どこからか聞こえる鳥の声に耳を傾けながら、何を話すでもなく袁術と歩く。

 袁術はノリ気だったくせに、外に出ると周囲に注意を払ってばかりで静かなものだ。

 ……しかしまあ、中々ずぅっと静かにとはいかないもので、

 

「む」

「お?」

 

 部屋から出て少しで、華雄と遭遇。

 軽く挨拶をしてみると、これから朝餉を取るところらしい。

 せっかくならばと袁術を促して厨房へ。

 散歩前の栄養を摂取すると、特にやることも無いらしい華雄も加わっての散歩が再開。

 

「目的は特にないのか?」

「たまの非番だしね。のんびり出来ることのありがたさがこの歳で理解出来るようになるなんて、この世界に下りるまでは思ってもみなかったよ」

「……、……、~……!」

「袁術はなにをここまで怯えているんだ?」

「気にしないでやってくれ」

 

 華雄と話し、袁術が周囲を警戒しての、よくわからない散歩。

 それでも通路を抜け、街に下りると袁術の目は輝き、食べたばかりだというのに美味そうな匂いのする店の前へと駆けては俺に手を……振ってないな。手は突き上げて、“さっさとくるのじゃー!”的なことを言っている。

 俺はお前の財布じゃないぞーとツッコミは入れるものの、ねだられると弱いのはどうにも前から変わっていないらしい。反省。

 

「華雄も何か食べるか?」

「ふむ……では饅頭をいただこう」

 

 自分の分は買わず、二人に饅頭を一つずつ。

 歩きながら散歩を続け……

 

「お?」

「む?」

 

 秋蘭と遭遇。

 その横にはなにやら紙袋を手にした春蘭が。

 

「二人とも、今日は非番?」

「うむ。武官はこれで、案外暇でな。文官としての仕事も無いから、姉者の入用に付き合うことになった」

「そっか。で……春蘭、何持ってるの?」

「秘密だっ!」

 

 目を輝かせながらの言葉だった。

 なんというかこう……“ほんとは話して聞かせたい子供のような笑顔”、と言えばいいのか。そんな春蘭を見ている秋蘭は、なんだか幸せそうだ。

 せっかくだから訊き出してみようと一歩近づくと、それに合わせるように秋蘭が声をかけてくる。もしかして聞かれたくない話? だったら無理に聞かないほうがいいかもだけど。

 

「北郷、お前こそどうした? 華雄に袁術を連れて歩くなど珍しい」

「いつもの袁術との散歩に、華雄が加わったってだけだよ。出る気はいっぱいあるのに、連れ出してやらないと部屋の外に出ないからさ」

「そうか。ふふっ……愚痴のような言葉を吐き出す割には、楽しそうに見えるが?」

「はは……警邏目的じゃなく、“楽しむこと”を目的に街を歩くと、どうもね」

 

 答えは予想出来ていたのか、秋蘭は目を伏せて軽く頷くだけ。

 それから軽く話し、別れると、また散歩が始まる。

 こっちの通りは前に案内したから……今日は向こう側の通りで行こうか。

 今日の計画を軽く組み立ててみるけど、どうしても平穏に終わりそうに無いって結論に至るのは、今までの経験の賜物だと受け取っていいんだろうかなぁ。

 

……。

 

 街を行く。

 

「おー隊長~、女侍らせて、えー気分やろなぁ……」

「真桜か。仕事中か?」

「今ようやっと溜め込んどったもんが終わったとこや……しかもこれからまた警邏とか……はぁ。たいちょ、変わってくれん?」

「溜め込んでたお前が悪いだろ、それ。前にもそんなことやってたのに懲りないなぁ」

「隊長が消えた分、それらの仕事がウチらに回ってきたんやからしゃーないやん。ウチにはウチで、炉のこととか作っとるもんとかの報告が結構あって、大変なんよ……」

「消えたのはすまん。で、今何か作ってるのか?」

「へへー、それは秘密……秘密やで。綿菓子機も順調やし、溜めた仕事も終わった。あとはこっちのことに集中できるし……完成したら絶対にたまげんで、隊長……。むしろたまげてもらわんと苦労が報われんわ……」

「そ、そうなのか」

 

 途中、真桜と会って会話をして、別れると歩く。

 朝餉は食べたわりにあれこれ食べたいと言う袁術に、俺もまたあれこれと買ってあげて。

 華雄は饅頭のあとは特に食べたいと言うでもなく、許昌の街をのんびりと見て回っていた。

 

「おや、一刀殿」

「稟? 稟も非番か?」

「ああいえ、わたしは風と───」

「おおっ、稟ちゃんが早速、男に声をかけられているのですよ───なんだ、お兄さんですか」

「なんだってなんだ」

「いえいえー、少々稟ちゃんと話しながら歩いていたもので。稟ちゃんは一人で歩くのと二人で歩くのと、どちらが声をかけられるのかと。そうして離れていましたら、なんと早速声をかける殿方が。……まあ、お兄さんでしたけどねー」

「で、稟。風となにしてたんだ?」

「おおう、無視ですかー。お兄さんも随分と大胆になりましたねー」

「ええ───少々、華琳さまに命ぜられた事をしに」

「命じられた事?」

「はいー。まずはこの家の中を覗いてみてくださいー」

「……? 桂花じゃないか。子供たちを前にして、何を……って、もしかして」

「桂花ちゃんのやり方ではわかりづらいとの不満が届きまして、時折にこうして風たちが駆りだされることになったのですよ」

「その。彼女に任せると、やれあの将はああだ、その将はこうだと、民たちに妙な理解を持たれてしまうので」

「いや、うん。よーくわかった」

 

 街を歩けば人に会うのは当然だが、案外将のみんなとも会ったりした。

 桂花も相変わらずらしく、耳を澄ましてみれば、やっぱり華琳をお題とした計算を子供たちに説く声が聞こえてきて……この一年、ずぅっとそれを通してきたのかと思うと、逆に感心した。

 

「あ、兄ちゃーんっ」

「…………なぁ華雄? 今日って将全員が非番……じゃないよな。稟も風も桂花も、仕事だったわけだし」

「うむ。大体、魏将の仕事の都合などをわたしが知るはずがないだろう」

「ごめん、それもそうだった。で、季衣、その格好からすると───」

「うんっ、お休みだよー♪ 今、流琉と一緒に春蘭さまと秋蘭さまを探してるんだけど、兄ちゃん知らない?」

「春蘭と秋蘭なら、こっちの通りに来る前の隣の通りで見かけたぞ。多分、城に戻ってると思う」

「あれ、そうなんだ。じゃあえっと……はいこれっ、あんがとねー兄ちゃーん!」

「え、あ、おーい! ……お、お礼に肉饅渡されたってなー……! ……行っちゃったよ。あ、あー……華雄、食べる?」

「むぅ……腹は空いてはいないんだが……」

「では妾に献上するがよいぞ?」

「……いい加減、腹壊すぞ」

「平気なのじゃっ、美味いものは、べ……べつ、ばら? と、七乃も言っておったしの!」

「それ、“甘いもの”の間違いだからな?」

 

 歩き、誰かと会い、話し、別れる。

 なんとなく周りにも注意を向けて、空を見上げては苦笑。

 

「そういえば華雄。今日、霞とは?」

「会っていないな。昨夜は部屋で飲み明かしたが、朝になると既に居なかった」

「酒もタダじゃないんだから、呑み過ぎないようにな……」

「酒がダメならハチミツをすすればよかろ?」

「……ハチミツもタダじゃないからな? けど、酒か……落ち着いて呑むなんてこと出来なかったから、久しぶりに……あ、丁度酒屋発見」

「のう一刀……? こんなところにハチミツが売っておるわけなかろ……?」

「や、蜂蜜じゃなくて酒を買うんだって。さってとー……おやっさーん、いい“黄酒”(ホワンチュウ)あるー?」

 

 なにに対しての苦笑かといえば、まあ……あれだ。

 “これ、警邏している時とあまり変わらないよな”、って意味での苦笑だった。

 それでも気分だけは違うつもりで散歩を続け、昼がくれば昼餉も取り───

 

「あ、一刀~!」

「一刀も昼、ここで食べるの? だったらちぃたちと───」

「言っとくが、奢らないぞ?」

「……一刀さん、いつもそうだからって、さすがにそれはないと思う」

「そーだよー、今日はちゃ~んと自分たちのお金で食べるって決めたんだもん」

「そっか、悪い」

「なんだったら今日は、ちぃたちが奢ってあげてもいいわよ?」

「……………………今日ってエイプリルフールだったっけ?」

「えい……なに?」

「エイプリルフール。天で言う、嘘をついていい日のことだよ」

「あー、一刀ひどーい! せっかく奢ってあげるって言ってるのにー!」

「ああいや、すまん。普段から聞き慣れない言葉だったからつい……でも、いいのか?」

「っへへー、たまにはどーんと食べさせてあげるわよっ! じゃ、一刀はちぃの隣ね?」

「だめだよちーちゃん、一刀はわたしの隣に座るんだから」

「どっちも隣に座ればいいでしょ。わたしはいいから、どうぞ」

「あ、じゃあこうしよ? ちーちゃんとれんほーちゃんは一刀の隣。で、わたしは一刀の膝の上」

「ちょっと待ていっ、どうしてそうなるっ」

「そ、そうじゃそうじゃ、大体一刀の膝には妾が座るのじゃっ」

『…………一刀……』

「いやいやいやいやっ! なんだその“またこの男は……”って目! 別に俺なにもしてないぞ!? ただ袁術が気に入ったとかで、いつの間に膝の上にだなっ……!」

「じゃあちぃも気に入ったから座るっ!」

「いつ誰が座らせて気に入らせたんだよっ!!」

「今から気に入るわよっ! 文句ないでしょそれで!」

「……理屈的には間違っていないわ」

「理屈ではそうかもだけどね!? ……ど、どうした? 急に黙って赤くなられると、困るんだけど」

「……じゃあ、その。あれ、の時になら膝の上に乗っかったから……っ!」

「人和!? それこういう場で言うことじゃないと思うんだが!? ってこらこら地和! 引っ張るなっ! 俺はただ静かに食べっ……あ、あーっ!!」

「……むぅ……どうでもいいが、早く済ませてほしいんだが」

 

 可愛らしくないた華雄の腹のお陰で、その後の食事は穏やかに……済むわけもなく。

 終始を騒がしく過ぎた昼餉は、張三姉妹と別れることで終了。

 引き続き散歩をしながら、“奢りで食べる料理は美味いなぁと思う暇も無かった……”なんて他愛の無い話をする。

 他愛はないが、いろいろこもっている気がするのはこの際忘れよう。

 

「何事もないのが一番だけど、何事もなさすぎると退屈だな……」

「そうじゃのぉ……」

「うむ……お前の周りはなんだかんだと騒がしいから、これほど静かなのも珍しいな」

「人を騒ぎの台風の目みたいに言わないでくれ」

 

 やがて街の案内も終わりに近づく。

 服屋できゃいきゃい騒ぐ袁術に対して、特に目を輝かせるでもない華雄。

 そんな彼女に服を見立ててみるも、これといった関心がないのか、試着すらしなかった。

 そうした時間が過ぎて、また夕日が空を染めていく。

 途中途中では騒がしかった散歩。

 静かな日っていうのはどんでん返しが仕掛けられた舞台みたいに、あっさりと姿を変えるものだと思っていたが……その日は本当に何も起こらずに終了した。

 

 

───……なんてふうに終わっていればよかったんだが。

 

 

 散歩を終えて部屋に戻ると一息。

 袁術はお目当ての蜂蜜水を手に目を輝かせていた。

 あれが飲みたいがために散歩に出たようなものだ。まったく、げに恐ろしきは人の食い意地か。

 

「ん、んー……あぁ……なんというかこう……足りない」

 

 体がナマらないようにと適度に動かしてはいるが、元々があの鍛錬だ。

 動かし方が全然足らない。

 もっとこう……体を思う様ブン回すくらいの運動がしたくなる。

 

「足りない? なにがだ」

「なにって鍛錬───って華雄!? あ、あれ!? なんで俺の部屋に!?」

「いや……なんでと言われてもな……。ただお前と袁術とで始めた散歩なら、そこについていくくらいしか思いつかなかった」

「………」

 

 知らない人にだって普通についていっちゃいそうな理論だった。

 そりゃあ、じゃあ今日はここまで、なんてことは一言も言ってなかったけどさ。

 途中でそれっぽいやりとりはしたから、てっきり途中で別れたものかと。

 

「でも、この部屋でやることなんて無いだろ?」

「ふむ……うん?」

 

 顎に手を当て、思案する仕草を見せていた華雄が、俺のバッグと竹刀袋を発見。

 興味があるのか近づくと、一度俺を見る。

 

「手荒に扱ったりしないなら」

「当然だ」

 

 武人だからかどうなのか、武器に対しては敬意を払うような姿勢で、竹刀袋から木刀を抜き取る。それを手に軽く構え、「ふむ」と言って俺に渡す。

 

「ん?」

「ただの木剣にしか見えんのだが……どうしてこれで模擬刀とぶつかり合い、傷ひとつ無くいられる?」

「ああ、氣を纏わせてるんだ。こう……───んっ」

 

 木刀を手に、氣を流し込む。

 最初の頃に比べると、随分と慣れたもんだ。

 祭さんに教えてもらって、無理矢理絶対量を広げて死にかけたのも……い、いい思い出……だよな? 今なら笑い話に出来るけど、あの感覚は出来ればもう味わいたくないなぁ。

 ともかく、本当に薄く、ぼんやりとした膜をまとった木刀がここに。

 これをもっと凝縮させて振るうと、アバンストラッシュみたいなものが出せて、俺が倒れます。ええ、どうせまだ氣の放出や弓術は下の下ですよ。

 意識がどっちに向いたか程度で技量が上がれば苦労しないよな、ほんと。

 

「こんなもので刃に対抗できるのか?」

「今のところは刃相手でも弾けてるし、振るえば椅子にヒビを入れられるくらいは確認してるかな。べつにそうしたかったわけじゃなくても」

 

 そういえばあの椅子、どうなったのかな。

 取り替えたんだとしたら悪いことをした。

 作ってくれた方へ、今さらながら謝ろう。ごめんなさい。

 

「集中してないといけないから、あまり焦りすぎると文字通り氣が散ってだめなんだけど」

 

 それ=木刀破壊に繋がるから、なんとも怖い。

 この世界ならまだしも、日本円で弁償して返すならしばらく働かなきゃならない。

 ……って……そういえば、鍛錬は何度かやらせてもらったものの、そういう時に限ってどうしてか華雄は居なかったよな。

 誰かの用事に付き合ってて居なかったりだのなんだの。

 模擬戦とか好きそうだから、率先して現れると思ってたのに。

 

「あ、ところで───」

 

 ふと、軽い疑問が頭の中をよぎる。

 なので思いそのままに口を開いた矢先、ダンドンドンッ! と豪快なノック。

 知る限り、こんなノックをするのは……

 

「春蘭か? 鍵はかかってないぞー」

 

 言ってみると、確認を取ったっていうのにぶち破らんとするような開けかたをし、現れたのはやっぱり春蘭。

 何故かぜーぜーと息を荒げ……って、なに、その格好。

 

「……春蘭?」

「かずっ……いや、北郷! わたしはっ……わたしは……!」

 

 春蘭だ。春蘭だよな。春蘭なんだけど…………格好がおかしかった。

 うん、一言で言うなら…………ごめん、表せる言葉がどうにも思いつかない。

 そんな春蘭が、動揺していたからかどうなのか、一刀、と俺を呼びそうになりながら───しかし華雄らを視界に入れるや言い改める。

 そんな状態でも溜めに溜め、やがて言い放たれた言葉が……!

 

「わたしはっ……道化にすらなれない愚か者だぁああーっ!!」

 

 ……これだった。

 言った本人は頭を抱え、崩れ落ちるように床に座り込むや、床をどすんどすんと殴り始めた。指の方ではなく、こう……なんだ、ハンマーって言えばいいのか? の部分で。

 

「…………道化?」

 

 何がそんなにショックだったのか、ビワーと泣き出す春蘭を前に動揺を隠せない。隠す必要もないんだが、冷静ではいたいと思う気持ちはとっくに裸足で逃げていた。

 そのくせ、道化って言葉に反応した頭は、あっさりと答えを引っ張り出して……

 

「……もしかして、戦が終わる前に言ってたアレか? つか酒くさっ!」

 

 傍に跪いて声をかければ、ツンと鼻を刺激する香り……どれほど飲んだんだいったい。

 そしてなんだってこの赤い人は、酒を飲むと人のところに突っ込んでくるのかっ!

 

「え、えーと……なんだ? もしかしてほんとに道化になってみたのか? むしろ道化になるって、どんなことしたんだよ」

「それが解らんから桂花に訊いた……」

「その時点でアウトだろっ!」

「うぅ、うぅううう……!」

 

 どうしてよりにもよって桂花に……。

 風あたりに訊いておけば、まだ救いはあったろうに……。



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51:魏/静かな日(再)②

 時間を戻せたなら二度とすまいと思う事って、絶対にあるよなー……。

 俺の場合は……もちろんあるけどありすぎて困るというか。

 春蘭の場合は、今まさにだろう。

 

「で……聞きたくないけど、桂花は春蘭に何をどうしろって?」

「“わたしを楽しませることが出来ないようなら、華琳さまを楽しませる道化になんてなれっこないわ”って言って……」

「……言って?」

「言われるままに妙な構えや妙な行動をとっているところを、華琳さまに見られた……」

「うわ……」

「桂花は笑ってたから、わたしはいけると思ったんだ……そしたら……華琳さまに“そんな道化など必要ないわ”と……!! わ、わたしはっ……わたしはっ……うわぁああーん!!」

「………」

 

 必要ですか? いや、要らない。

 泣き出してしまった春蘭を前に、自分の中で自分に質問してみた。

 即答だった。

 そうだよなぁ、それは華琳なら当然要らないって言う。

 で、あくまで予想だけど……

 

「それで、いたたまれなくなって華琳をほったらかしにして逃げ出してきたと」

「きっと華琳さまはわたしが道化になりきれていなかったから……ひくっ、呆れられたにちがひなひ……ひっく」

「うわ……いよいよ酔いが回ってきたか……? 華雄、厨房で水もらってきてくれるか?」

「あ、ああ、わかった」

「それと秋蘭~? 悲しむ春蘭を見てほっこりしてないで、なんとかしてくれー……」

 

 華雄が開けっぱなしの出入り口から出ていく中、そう言ってみると……部屋の外の壁に背を預けていたんだろう、音も無く姿を見せる秋蘭。

 

「気づいていたか」

「いや、言ってみただけなんだけど……まさか本当に居るとは」

「まあ、姉者が道化として振る舞うのを見てはいた。季衣と流琉に少々願われ、華琳さまと今後のことを話し合っていた時……だったのだがな」

「部屋で話さないなんて珍しいな」

「姉者も居なければ意味のない話だったんだ。しかし、姉者が想像する“道化”の服を手に入れてからずっと、姉者はそれを着て、華琳さまを楽しませる道化になることばかりに意識が向いていてな」

「その結果が桂花にからかわれて、探しに来た秋蘭と華琳にそれを見られた、と……」

「詳しく言えば季衣も流琉も居た」

「………救いが無いなぁ……」

 

 そりゃ、その組み合わせに見られた上に、そんな道化は要らないって言われたんじゃあ逃げたくもなる。

 

「けどさ、それってつまり……」

 

 思っていることを伝えてみると、秋蘭はあっさりと頷いた。

 

「そういうことだ。最後まで聞かなかった姉者が悪いと言えば悪いのだが……」

 

 言葉を区切り、ちらりと春蘭を見る秋蘭。

 その顔が、ホゥ……と静かに赤く染まる。

 

「……誤解に怯え、震える姉者も可愛いなぁ」

「言ってる場合じゃないだろ……どうするんだよこれ……」

「これとはなんらぁっ!」

「おおうっ!?」

 

 座り込み、ゆらゆら頭を揺らしながらうーうーと唸っていた春蘭。

 思わずコレ扱いしてしまったら、しっかりと反応された。

 ……ここまで反応するなら、最後までしっかりと聞いておけばよかったのに。

 華琳は“道化は要らない”と言っただけであって、春蘭のことを要らないなんて絶対に言わないだろうに……。

 

「ほんごぉお……きひゃま、わらひがこんなにくるひんでいるというろに……」

「……秋蘭、どうすればこんなに酔えるのさ。まさか城の酒全部とか」

「さすがにそれはないが、問題が無いわけではない。というか……それは北郷、お前に任せたい」

「え? 俺? なんで───」

「…………───ぁ……ぁああずとぉおおおーっ!!」

「へ!? な、なななに!? なになになにっ!?」

 

 なんで俺に? と返そうとしたら、遠くから俺を呼ぶ声!

 どんどんと近づいてきたそれは、勢いそのままに部屋へと滑り込み、俺だけをしっかりと見据えると近づき、俺の両肩を掴んでガックガックと揺らしてオワァアーッ!!

 

「一刀っ、なぁ一刀っ!? (とん)ちゃん見ぃひんかった!?」

 

 霞である。

 切ない顔で俺を見て、しかし切なかろうが奥底に熱い魂を燃やしているような、ちょっと怖い霞さん。

 元ちゃんて……春蘭だよな? すぐそこでしくしくと泣きながら、床にのの字を書いてるんだが。

 

「しゅしゅしゅ春蘭が、ががががが、どどどうか、したのかかかか……?」

 

 しかしながらしっかり教えたくても揺らされているので上手く喋れない。

 なのでまずは探している原因から───

 

「うー……! 聞いてぇ!? 一刀聞いてぇっ!? 元ちゃんなぁっ!? ウチが楽しみにとっといた大事な酒、みぃーんな一人で飲んでしもたんやぁっ!! 一刀が戻ってきてしばらくしたら、また夜の川の近くで飲も思っとったのにぃい……っ!! ひどいやろっ!? なっ、あんまりやろっ!?」

「…………」

「………まあ……すまん」

 

 ちらりと見ると、秋蘭が素直に目を伏せて謝罪した。

 ちなみに俺がどんな思いを込めて秋蘭を見たかといえば、“こんな霞を俺に任せると?”といった感じでございまして。

 いや……無理だろこれ……。

 

「し、霞……? そういうのはさ、ほら、男の俺が誘ったほうがさ、そのー……」

「そんなんゆーたって一刀、魏に戻ってきてから忙しそうなんやもん……。やから今日の夜、誘うつもりで用意しとったのに……」

「あー……」

 

 今日、霞を見かけなかったのはそれが理由か。

 準備までしたのに、酒を全部飲まれてしまってはそりゃあ怒る。

 ……逆に、街で道化服(と思っている)を買って、“秘密だ”とまで言っていた春蘭がこれだ。……フツーに霞は巻き込まれただけだもんなぁ、泣き顔の春蘭をフォローしたくても、こりゃ素直に無理だ。

 ちらりと再び秋蘭を見てみれば、気まずそうな顔で目を伏せていた。

 

「んー……よしっ、じゃあこれから外に出るか? 酒なら今日買ってきたのがあるし。……まあ、金の都合で高いものは無理だったけどさ」

「むぅっ……でもそれ、ウチのために買うてきたのとちゃうんやろ……?」

「それはまあ、勘弁してほしい。自分が飲むつもりで買ってきたものだからさ」

「………」

 

 胸の前で両の人差し指をついついとつつきながら俯く霞。

 しかし俯きながらもちらちらと俺の顔は見てきて……ていうか春蘭には本当に気づいていないのか、霞さん。

 ……まあ、今はそのほうがいい……のか?

 いや、今は霞のことだけを考えよう。俺を誘おうとしてくれたと言う。

 その思いに応えられるくらいの気持ちをもって。

 

「な、霞」

「………………ウチなりに“雰囲気”作ろって頑張ったの、わかってくれる?」

「もちろん」

「ホンマに?」

「ホンマに。だってそうじゃなきゃ、あんなに必死になって春蘭を探し回ったりしないだろ?」

「…………」

「ありがと、霞」

 

 そう言って、上目遣いにこちらを見る霞の頭を撫でる。

 まるで親に叱られた子供のように大人しい霞は、撫でられるがままになっていたけど……少しすると笑み、機嫌を治してくれたようだった。

 そして───いつしかニコニコ笑顔に変わった表情で俺の手を引くと、

 

「ほなら、イコ? なんやもう、こだわる必要なんて無いってわかってもーたし」

 

 そう言って、上機嫌で歩き出した。

 さっきまでの表情なんて、完全に忘れたみたいな笑顔だ。

 

「え? え……霞?」

「一刀……ウチわかった。ウチな? 一刀がこうしてやさしく女の子として扱ってくれたら、それだけで……そんな些細が、“雰囲気”になってまうんやな~って」

「霞……」

 

 そんなことを言われたら、もう戸惑う理由もなかった。

 戸惑いに理由が必要かって言われたら、これがまた案外必要だったりもする、ということで。

 聞かせてやりたいこともあるし、落ち着いてくれた今のうちに春蘭から離して……、おふっ!?

 

「……OH」

「ん? どないしたん、一刀」

 

 …………服を、引っ張られた。

 冷や汗だらだらで振り向き、見下ろしてみれば、こちらを見上げる魏武の大剣さま。

 

「ほぉおんごぉおお……わらひを置いていく気なのかぁああ……! わらひが、わらひがこんなに頼んれるろりぃい……」

「──────」

「………」

「───」

 

 いつ、何を頼まれたでしょうか……そう叫びたくなるのを必死にこられてみたが、もはや遅い。今まで気づかなかったほうがどうかしているわけだが、霞の目がしっかりと春蘭をとらえてしまった。

 もちろん認識してしまったからには黙っている霞ではなく───

 

「元ちゃん、手ぇ離し。過ぎたことはぐちぐち言わへんから」

 

 ───い、いや。さっぱりした様子のまま、そんなことを仰った!

 しかも穏やかな笑顔……これは余裕ってやつか……? 静かな笑みのまま、聞き分けの無い子に言い聞かせるように───

 

「いやらぁ! ほんごぉはここで、わらひのあたまをなでなでするんらぁ!」

「へっへっへー、悪いけどそら却下や。一刀はウチと一緒に外に行くし、勝手に酒飲んだこと許す条件まで入れてるウチ相手やったら、元ちゃんは引くほかないもんなぁ」

「らにをぉお~? わらひが、このわらひが退くもろかぁ~っ!!」

「……姉者、そのへんにしておけ。責められる謂れはあれど、責める理由は一切無い」

「むぅううう~っ……しゅ~らぁ~ん……」

「邪魔をしたな、北郷。それから霞も、すまなかった」

「ああ、べつにえーよ。楽しみにはしとったけど、きちんと飲まれたんやったら……酒も、造った人も喜ぶやろ」

 

 ケタケタ笑い、春蘭を抱えて歩き出す秋蘭を霞が見送る。

 ハッとして手伝おうとしたんだが……秋蘭は一言「構わん」とだけ言うと、そのまま歩いていってしまった。

 

「よしゃっ、ほなら一刀~♪」

「あ、ああ……よし、それじゃあ」

 

 行こうか、と……霞と二人して歩き始めた。

 今日は雲が少ない。

 きっといい夜空が見えるだろう。

 その空の下、自然の中で酒を飲む。

 いつか日本酒の約束をした時も、特に何を約束し合ったわけでもなく酒を飲んだっけ。

 約束して酒を飲んだのは“雰囲気造り”の夜だけだ。

 日本酒のことも、約束したあとに酒を飲んだといえば飲んだのだが。

 そう、聞かせたいことっていうのは他でもない、日本酒の造り方だったりする。

 生憎とワンカップやイェビスは祭さんにあげちゃったし、つまみ等も残っていたりはしない有様。

 ならば自分で造り、もしくは造り方を教え、造ってもらうのもいいだろう。

 どこまで出来るかわからないし、そもそも華琳の許可が下りるかだが……なんだろうなぁ、華琳ならあっさり許可を下ろしそうな気がする。あれで案外、天のことについては知りたがってたし。

 と、そんなことを考えながら、部屋を出───たところで、水を持った誰かさんに遭遇。

 

「水を持ってきたが」

「あ」

 

 ……部屋の中を、自分の肩越しに軽く振り向いて調べてみる。

 もちろん、そこには水を欲していた春蘭の姿など無かったわけで。通路の先を目で追ってみたところで、考え事をしていた所為ですっかり見えない夏侯姉妹。

 

「………」

「………」

 

 なんとなく申し訳なくなって、ありがとうを口にして受け取った。

 受け取って…………受け取って………………えーと。

 

「…………華雄、喉渇いてない?」

「………」

 

 返事はなく、呆れた視線だけが送られました。

 ただ喉は渇いていたらしく受け取ってくれ、喉を鳴らして一気飲みを見せてくれた。

 と、そんな様を見て、せっかくだからと口を開く。

 

「今日は散歩に付き合ってくれてありがとな。退屈じゃなかったか?」

「む? ……いや、たまには悪くないな。案内されるというのも、中々面白かったぞ」

「そっか」

 

 面白いか……不思議な表現をされた気がする。

 間違っちゃあいないんだろうけど、なんとなく。

 

「ん? なに? 華雄、一刀と一緒に街に行ってたん?」

「うむ。特にすることもなかったのでな。そこで豚まんを食らい、服を見て回り……まあ、特に気になることなどない散歩だったが───それもまた良し。一流の武人たる者、心に余裕を持つことも必要だからな」

「あー……せやったなー……“一流の武人はいつ如何なる時でも安眠出来てこそ”~とかゆーとったお前やからなぁ……」

 

 そんなこと言ってたのか。

 しかも“確かに”と頷ける。

 寝不足で戦えないなんて、話にならないしなぁ。

 寝不足で散々苦しんだことはあるから、それだけは深く頷ける。

 

「で、……あ……いや、なんでもない」

「?」

 

 どうせなら一緒に酒でも……と誘おうとしたんだが、霞に軽く服を引っ張ってきた。

 ……そうだな。元々は霞が誘おうとしてくれた小さな酒宴だ。ここで誰かを招くのが無粋なことくらい、いくら俺でも気づける。……引っ張られてから思い当たるくらいじゃあ、むしろダメダメだが。

 言葉を言いかけた俺を見て首を傾げる華雄に軽く悪いと返して、行動は始まった。

 酒を片手に手を繋ぎ、ゆっくりのんびりといつかの川のほとりを目指した。夜の道をゆき、ゆるやかに吹く風に撫でられながら。

 いつかの日は先に待っていた俺だから、なんとなく二人一緒にあの場所を目指すのは恥ずかしかったりした。それでもその場へ辿り着くと、二人で顔を見合わせて……照れくさくなって笑った。

 そこには、雰囲気作りのための蝋燭があるわけでも、美味しい料理があるわけでもない。自分で買った、少し安い酒と大きな杯がひとつあるだけだけど───霞は嫌な顔ひとつせず、いつかと同じ場所まで俺を引っ張ると、先に俺を座らせてから自分もその傍らに座った。

 

『………』

 

 なんとなく恥ずかしい。

 けれど嫌な気分じゃあなかったから、もう一度顔を見合わせて苦笑にも似た照れ笑い。

 景気づけにと杯に酒を注いで、まずはひと飲みずつ喉に通した。

 自分が口につけた部分を、指でキュッと拭ってから相手に渡す。そんな些細でさえ懐かしくて、困ったことに笑みが絶えない。

 霞もそうなのか、何を話すでもなく笑顔の彼女は、はぁ……と暖かな溜め息をこぼすと俺の肩に寄り添うように座り直す。

 そんな彼女を自分でも軽く引き寄せて、やっぱりいつかのように髪に鼻を埋めて香りを嗅いでみた。霞はもちろん嫌がったものの、それが頭を撫でる行為に変わると途端に大人しくなった。

 大人しくなって……一言。

 

「酒。あんま美味ないなぁ……」

「……そっか」

 

 聞いてみれば、この酒は俺が消えたあとに、ヤケ酒としてがばがばと飲んだものらしい。あくまで酒の中ではそう高いものでもないし、多く飲むには丁度よかったのだろう。

 なるほど、それを俺が買ってくるなんて、知らなかったとはいえ偶然的な嫌味になる。

 考え事をする俺を見て、なにか感じることがあったのか……霞は俺に酒を含ませると、飲み込んでしまう前に……俺の口に自分の口を押し付けてきた。

 突然のことに驚いて小さくこぼれた酒も、密着している口が吸い、舐め取り、嚥下していく。

 そんなことがしばらく続いて、やがて口の中から酒の香りが引き、甘い感触だけが残ると……霞は離れ、女の子な顔で言った。

 

「でも、今は……嫌いやない」

 

 顔を俯かせながらの穏やかな笑み。

 そんな霞を見て、赤くなっているであろう自分の顔を誤魔化すようにして、酒を注いだ杯を傾けた。

 

「……うん」

 

 その拍子に見えた空。

 あの時のような綺麗な満月はなかったけれど、二人でここに訪れるたびに思い出すんだろう。思い出すだけで、雰囲気なんてものは勝手に作られてしまう。

 そんなことがわかってしまうと、ただただ穏やかな気持ちだけが溢れて、何を言うでもない静かな夜を堪能する時間だけが続いた。

 

(……静かなままで終わらなくてよかった……かな)

 

 結果論ではあるけれど、春蘭が部屋に現れたことで吹き飛んだ静かな時間にさえ、妙に感謝したくなるほど穏やかな気分だった。

 酒をなみなみ注いで、交互に飲んで、満月ではない月を見ながら穏やかに笑う。

 落ち着いて、ゆっくりとした時間の流れの中でこうすることで、今さらながらに“ただいま、おかえり”と挨拶ができた気がした。

 

「……今度、勝手に居なくなったら承知せぇへんからな」

「ん……わかってる」

 

 一時的に騒がしくはあったけれど、静かな時間は続いた。

 酒が無くなっても、体から酒による熱が消えても。

 そうした時間の中で、日本酒のことをいつ切り出そうかと考えてみるのだが……なんとなく、今はなにを言ってもこの穏やかな時間の流れを壊してしまいそうな気がして、口には出さなかった。

 だったら……せめてこの時間を堪能しようか。

 飾った言葉も必要ない、喜ばせたいと思う言葉よりも、この時間が続く言葉を自然と紡いで。



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52:魏/騒がしい日①

幕間/ある日の建業

 

 -_-/呉

 

 魏を発った雪蓮が建業に着いた翌日のこと。

 城の自室で───ではなく。中庭の東屋の、その円卓の椅子に座って息を吐いた彼女は、届けられていた蜀からの巻物をゆらゆらと揺らして遊んでいた。

 

「んー……庶人交流ねぇ……。悪くないけど、良くするのも悪くするのも庶人の都合なのよねー……。交流にここをああして付き合いなさいって指示を出しても、余計なお世話な気がするし」

 

 傍には誰もおらず、もはや魏に遊びに行って戻ることに誰もツッコむ者は居なくなっていた。最初こそは蓮華が、それはもうガミガミと口煩くしていたものだが……言っても無駄だと早々に悟ったか、そうであると軍師さまに諭されたのだろう。いつしか王がふらふらと居なくなることを強く咎める者は居なくなっていた。

 

「ま、どうなろうと……わたしはべつに面白そうだからいいんだけど。笑顔でいてくれるってことが前提としてあるのなら、ね」

 

 揺らしていた巻物をもう一度広げ、内容を確認する。

 そこには───軍師らと相談し、これからのことを纏めたものなのだろう。桃香が書いた文字がぎっしりと並んでいる。

 そんな文字を見て、“なんとなく纏め方が上手くなっているかな”と感じた雪蓮は、それが誰の影響であるかを想像して笑った。

 

「王の仕事を全うするより、街でみんなの手伝いした方が楽しいし。いっそ蜀から来た庶人を一刀みたいに引きずり回……もとい、連れていって……」

 

 ふむ、と思案する。

 巻物は広げれば広げるほど文字が見え、恐らくはこの全てにびっしりと文字が走らされているのだろう。

 魏から戻ったばかりで、それら全てを見るのは少々億劫だ。あとで冥琳に目を通してもらって、纏めたものを聞かせてもらおう。

 ……そんなふうに思考を切り替えた彼女はもう一度溜め息を吐くと、巻物を巻いて円卓の上へと置いた。

 

「なんだかんだで桃香も落ちたみたいだし……一刀もちゃ~んと強くなっていってるみたいだし」

 

 世が平和になってから、戦をしなくなった分、街を駆け回り手伝うことは増えた。

 手伝いで収穫した茘枝が酒になる日を待つのも楽しい。

 老人に絵師を紹介し、喜ぶ顔を見るのも嬉しい。

 けれど、時折に体を襲う、何かに対する不満を満たすものは、いつまで経っても現れない。

 なにが足りないのか───そんなものは簡単だ。

 世は平穏に至ったが、平穏であるからこそ、肝を冷やすような緊張や興奮が圧倒的に足りなかった。

 天の御遣いである少年が彼女にもたらしたのは、そういった緊張と興奮だった。

 鍛錬をしているとはいえ、明らかに弱いのだろうと踏んでいた少年が放った一撃。

 勘に動かされるままに避けなければどうなっていたのか。

 それを考え、思い出すだけでも小さな緊張が走り、体がうずいた。

 

「んー……んん、んー……」

 

 軽い興奮状態になると、なんでもいいからめちゃくちゃにしたくなる。

 それは破壊衝動にも似ていて、たとえば傍に置いてある巻物であろうが、指が触れた瞬間にめちゃくちゃにするだろう自分を簡単に想像できた。

 

「んー……勘ってものがなかったら何度死んでるんだろ、わたし」

 

 勘が働いたために助かった回数を数え、彼女は「うわー……」と眉を顰めた。

 そう考えれば、軍師にも将にも随分と無茶なことに付き合わせた。

 

「………」

 

 興奮が少しずつ引いてゆく。

 一刀が強くなるのを待つのもいいが、自分で自分を抑えられるようにもなろうと思ったのだ。ことあるごとに興奮し、我を忘れるようではいつかは誰かを傷つける。

 本能のままに動くのもいい。冥琳を閨に招くのもいいのだが、なんとなく……一刀がそうしていたように、耐えてみるのも面白いかもしれないと思ったのだ。

 魏を愛しているからこそ、他に手を出さなかった少年。

 ならば自分は、呉を愛しているからこそ自分の興奮をぶつけるのを抑えてみようと思った。……思っただけであり、昨夜は興奮を抑えられずに冥琳を襲ってしまったわけだが。

 反省が必要だ。そういった意味も含めて、耐えてみようと思ったのだ。

 昨日の時点でこう……明日から本気を出そうって心構えで。

 

「珍しいこともあるわよねー……思春がちゃんと人を褒めるなんて」

 

 それだけ一刀は強くなってきてるってことだろうから、彼女としてはそれが嬉しかった。男で、しかも戦いで自分を満足させてくれる存在が至るべきところに至るかもしれない。

 そういった期待がやがて興奮となり、帰って早々に爆発した。

 彼女はそれを抑えようともせず、軍師さんを閨へと引っ張り込んだ。

 ……今、少し反省している。

 

「“我慢しようって思った時点で我慢出来ないようじゃあ、本当の我慢なんてのは身につかない”って、蓮華から有り難いお小言ももらっちゃったし」

 

 一刀が呉を離れてからの蓮華はいやに張り切っていた。

 それは姉である彼女が見ても妹が見てもそうだと思うものであり、ようするに呉に生きる将や王に張り切りすぎだと、自然と認識されるほどだった。

 訊いてみれば、ただ“約束がありますから”と返すだけ。

 蜀での彼がこうであると聞けばさらにさらにと行動を増やし、蜀での彼がああであると聞けばさらにさらにと努力する。

 いっそ危ういと思うほどの行動力だが、しかし当の本人の表情には笑顔が増えた。

 やり方はどうあれ、充実した日々を過ごしているのだろう。

 そう思うと雪蓮も何も言えなくなり、“体を壊さない程度に楽しみなさい”としか言ってやれなかった。……残せる言葉が他にあったとしても、あえて選んだのがこれだったと、軍師さまは語るが。

 

「思春が居なくなったことで、自分を見守る視線を気にすることが無くなったっていうのも、きっと関係してるんだろうけどねー……楽しそうで羨ましいわ」

 

 砂にまみれながらも祭に戦を習い、叩きのめされてなお笑顔な妹を思い出し、また笑う。

 無理がすぎれば即座に止めた思春はおらず、蓮華は限界までを突っ走っては中庭に倒れているのを発見されることが多くなった。

 しかし己の務めを疎かにはしない。

 そんな突っ走り方を誰に習ったのか。

 自分を高めようとすること、“出来なかったこと”を“出来ること”にするのが余程に楽しいらしい。

 そういった、妹の新しい表情を見るに至ると、なんとなくそれをもたらしたのが自分でないことに……微かな、ほんとうに微々たる嫉妬が彼女を襲った。

 生き方を見習えなんて言うつもりはさらさらない。むしろ蓮華くらいの固い存在が居てくれたほうが、次代の呉王としては丁度よかったとさえ思うほど。

 それが今は……

 

「……それが今は」

 

 思っていたことを口に出した彼女が、人の気配にちらりと通路を見やる。

 中庭の、階段の先にある東屋からでは丁度軽く見下ろすかたちとなるそこには、料理を片手に笑顔で歩く妹が。

 

「………」

 

 戦も終わったし、王は蓮華に任せて自分は……と思っていた孫伯符は、妹の可愛らしい姿を見て軽く途方に暮れた。

 笑顔があるのはいいが……なにがどうなって、あのしかめっ面ばかりだった妹がああなったのか。理由なんてものはもちろんわかりきっているわけだが。

 

「これだけは言えるわね。母様……宿願は果たされるわ。だって、ただ一人硬くて仕方なかったあの子がああなんだもの。もう笑うしかないでしょ?」

 

 空を見上げての、溜め息混じりの言葉。

 しかし憂いなどなく、むしろこれから作られてゆく呉の在り方というものを思い、楽しげですらあった。

 

「…………もし子供とか出来たら、どうなるんだろ」

 

 楽しげな顔から一変、通路へと視線を戻しての一言。

 既に蓮華の姿はない。

 料理は恐らく小蓮に振る舞われるのだろう。

 いや、そうではなく……と頭を巡らせ、勘任せに言葉を発してみた。

 

「……なんか、蓮華は育児は苦手ってことしか浮かばないんだけど。なにこれ」

 

 笑顔で料理を運ぶ妹には言えない言葉が浮かんだ。

 出来ないことを出来ることにしていってはいるものの、妹の育児技能だけはどうしてもその先が見えない感覚。

 対する自分はどうだろうと、適当に考えてみる。

 ……育児よりも、相手と一緒に居ることを選びそうな気がした。

 それは、王が仕事よりも街の手伝いをしていた自分を連想しての考え。

 小蓮はどうだろう……と、考えるまでもなかった。

 いつか、子が欲しいと言ってはいたものの……子よりも相手だ。絶対に。

 元々が縛られる生き方を嫌うのだから仕方が無い。自分も含めて。

 

「子供より相手。相手より自由時間。……うん、好き勝手にやれるのが一番ね。だって、好き勝手の時間の中で、子供も相手も相手にしたい時だけ相手にすればいいんだもん」

 

 “わ、名案だー”と続く暢気な声。

 妻と母の役割は、そうなる前から放り投げる気満々のようである。

 しかしながら真実などは、そうなってみなければわからないことで満ちている。

 相手が出来たなら、子供が出来たなら、自分がどうなるかなどは勘だけでは想像しきれるものではない。

 

「家督を蓮華に任せるのは良し。補佐は国全てに任せればいいし、その上で笑顔であればなんの問題もないわね。一刀のことも気になるけど、街のみんなのことも気になる。だったらどうすればいいかなんて、前みたいに一刀を連れまわして街を走ればいいんだもの。簡単簡単」

 

 そのためには、なんとしても一刀を大陸の父にする必要がある。

 それは彼女だけがどうのこうのと悩んでいても始まるものでもなく、各国の了承と当の本人である一刀の了承が必要だ。

 桃香は飲んだ。華琳もそうしたければすればいいとまで言っている。

 一刀は……そう、問題は一刀だ。呉に居る間も散々と仕掛けたけれど、どれもが拒否。 

 けれど魏を理由にしているって時点で、諦めるつもりなんかさらさら無かった。

 むしろ手に入らないなら逆に燃えた。火がついたのだ。

 その火が取らせた行動が、魏へ通うことだった。

 

「そういえば、全員で企んでた悪戯は成功したのかしら」

 

 一刀の反応を楽しむ意味も込めて、いろいろとやっていたようだけど……と考え、少しして“それは考えてもわからないことだ”と諦めた。

 それよりもなにか、頑固者を頷かせる方法を……と知恵を絞って……───

 

「あ。そうだ、これ……」

 

 巻物をもう一度広げて、ざっと目を通してみる。

 蜀には───桃香だけならまだしも、朱里も居るし雛里も居る。

 一刀のことを気に入っていた二人が、桃香が落ちた今、何もしないはずがない。

 呉に居た時から、一刀の言葉に何かしらの感じるものを抱いていた二人。蜀で行動を起こさなかったのならば、起こすとしたら今こそか。

 そうして巡らせた思考の中、彼女の目にとまるのは桃香の字とはべつのもの。

 これは恐らく……

 

「ふふっ……あははははっ、王が相手を好きになった途端になんて、二人とも大胆ね~」

 

 一刀を三国の支柱にする作戦。

 巻物の最後辺りには、そういったものが書かれていた。

 王である雪蓮は当然として、将や軍師、兵や民に至るまで、頷いてくれる者に協力を求めたい。協力は強制ではないのでよく考えてから答えを出して欲しいと。

 

「将や軍師、兵や民……ふぅん? まあ確かに、少しずるいなとは思ったけど」

 

 なにかしらの勘が働いたのか、彼女は薄い笑みを浮かべた。

 ここまでくると、勘どころか予知と言いたくもなるが。

 

「そうね……わたしなら、三国の中心に一刀を置く。同盟の証として自国の誰かをそこに駐在させて、一刀にはその中心を治めてもらう。こういうのってなんていうんだっけ? ん……まあいいわね、重要なのは名前よりもその場が果たすべき役割だし───あ。じゃあこの際、都でも作って、そこに駐在するのは家督を蓮華に譲ったわたしで……」

 

 考え始めると止まらない。

 ここはこうして、あれはこうしてと口にしながら煮詰めてみると、顔がどうしようもなく笑っていた。

 

「んっ、今度は蜀に行こっと」

 

 これからの行動が決まった。

 都なんてものを構えるのなら、確かに王だけの一存でどうのこうのと出来るものでもない。ならばこその民の交流と、皆の許可が必要になる。許可を得られたのなら、あとは走るだけ。

 

「めいりーん! めいりーん!? わたしこれから、蜀に行ってくるからーっ!」

 

 そうと決まれば行動は早く、呉国の女王さまは目を輝かせて東屋を駆け下りた。

 聞こえたのならそれでよし、聞こえなかったのなら言伝を頼めばよし。

 馬屋へと辿り着くと、馬が楽しげな彼女を見て恐怖したように見えた。

 こうして……休憩時間はたったの一日程度あたりで、馬の旅は再開したのだ───

 

「きゃんっ!? いたっ! いたたたたたっ! みみっ、耳ーっ!」

 

 ……った、と続くより早く、呉王の耳が引っ張られる。

 傍らに立ち、引っ張るのは……呉の軍師だった。

 

「豪放磊落、奔放不羈も大概にしろ、伯符」

「あ、あははー……やっほ、冥琳……………………怒ってる?」

「仕事の全てを人様に任せ、各地に飛び回る王を前に、怒らない軍師が居るのなら是非見てみたいのだが?」

 

 一言を放つごとに、メキリと指に力がこもる。

 当然引っ張られる方としてはたまらない。

 しかし“雪蓮”ではなく“伯符”と呼ぶ彼女からは、相手がどうたまらなかろうが関係ないと断言出来る凄みがあった。

 

「で、でもほら、いずれ蓮華に家督を譲るつもりなんだから、やる気になってる今こそ」

「……孫伯符。わたしはな……“いずれ”ではなく“今”の話をしているんだ……!」

「いたたたっ! いたっ! いたいー! 痛いってば冥琳ー!!」

「お前はなにか? 好き勝手によそで暴れ回り、興奮すれば戻って人を閨へ引きずり込み、興奮が治まったらまたよそへを繰り返す気か……!?」

 

 笑顔である。

 笑顔であるが、コメカミ近くに浮き出た青筋が、彼女の怒りの度合いを示していた。

 

「あ、あー! じゃあ冥琳も一緒に来るっ? 一刀を大陸の父にしようって、桃香や朱里から報せが届いてたんだけど───いたっ! いたたいたいたいたいいたい~っ!」

 

 耳がさらに引っ張られ、しかしすぐに離される。

 雪蓮は引っ張られていた右耳を片手で押さえながら、涙目で冥琳を睨むが……そこにある迫力は、きっと欠片ほどにも満たない。親に叱られた子供状態である。

 そんな彼女に冥琳が一言、「そういったものこそ軍師に任せるべきだろう」と口にする。

 

「やだ。こんな楽しいことを他の誰かに任せっきりなんて、つまんないじゃない」

「王としての仕事が残っている。つまるつまらんはそれをこなしてから言うんだな」

「うぐっ……」

 

 胸を張っての言葉はあっさりと返された。返す言葉はもちろん無い。

 

「諸葛亮とは少々話したいこともある。いいから伯符、お前は溜まりに溜まった仕事を片付けていろ。いくら処理をしようが、王であるお前の落款が必要なものなど山ほどある。それとも、お前は“要らない王”とでも呼ばれたいか?」

「要らっ……わ、わかったわよもう~……! 少しくらい空けたからって、そんな目くじら立てることないじゃない、冥琳のけちんぼ」

「お前はその“少しくらい”が頻繁すぎる。耳を引っ張るくらいは甘んじて受け容れろ」

「こんなのを甘んじてたら、近い将来わたしの耳なんて千切れて無くなっちゃってるわよ~だっ! 冥琳のばかっ、いけずっ!」

「…………」

「あ、うそ。落款くらいいくらでも押すから、ほらほら、わ、笑って冥琳~?」

「ほう、笑えばいいのか。いいだろう伯符、お前が落款を押し終えるまで傍らで見守っていてやる。当然笑顔でだ」

「あ、あー……あはは? わ、笑わなくていいから、ほっといてくれるって選択は……」

「あると………お思いか?」

「うんある───ふぎゃんっ!? いっ……いったーいっ! 殴ったぁっ! 今本気で殴ったぁ~っ!! いたたっ!? あ、やっ、ちょっ、冥琳っ、痛い冥琳っ、耳は、耳は~っ!!」

 

 拳骨が落とされてからは問答無用だった。

 耳を引っ張られ、抵抗も空しく執務室まで連衡される。

 そこでしっかりと監視されながら政務をこなし、ようやくそれが終わる頃には……一日二日など軽く過ぎていた。

 終えるまで、自由と呼べる時間がなかったことに文句を飛ばす王様だが、「誰が溜め込んだ仕事だ」と一言返されただけで、何も言えなくなっていた。

 

 ……しかし懲りることもなく、政務を終えたその日に城を抜け出す王が確認されたらしい。軍師が口の端を引きつらせ、あとのことを穏と亞莎に任せて飛び出したのは、その報せがあった直後であった。



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52:魏/騒がしい日②

93/赤いものを止めましょう

 

 -_-/一刀

 

 とある雨降りの日。

 ひと仕事を終え、体を拭いて頭も拭いて、しばらくしてからのこと。

 通路の端で血溜まりを発見したことがそもそもの発端だった。

 

「と、そんなわけで。妄想をして鼻血が出てしまうのは、鼻の血管が弱いからだと推測することにした」

「鼻の血管……ですか」

 

 発端というのであれば、消えてしまう以前から気にはなっていたわけだから、華琳に稟の鼻血のことを任された時点と考えていい。

 そんなこんなでいろいろあり、鼻血も止まったものの少しふらふらしている稟を招き、自室で教鞭代わりに指をくるくると回しているわけだ。

 

「部屋に来いなどというから、私はてっきり……」

「はい、妄想はそこでやめましょう。で、いいかな? 血管を強くするにはまず食生活。これをまず見直す必要があるんだ」

「は、はあ……」

 

 稟がいかにも“よくわかってません”って様子で“コクリ……?”と頷く。

 毎度一緒に居た風は今日はおらず、自室で稟と二人きりというのもこれで案外珍しい。

 袁術は霞に引っ張られて、今頃風呂で磨き上げられているところだろう。

 ほっとくとちっとも入ろうとしないからな、あのお子様は……。

 

「血管を作るのはたんぱく質……だったかな? 肉、牛乳、卵あたりがいいとか、そんなのを見た気がする」

「なにやら物凄く頼りない知識ですね」

「仕方ないだろ、なんでも知ってるわけじゃないんだから。本当に“自分の知識”で誰かを救える人なんて、そうそう居るもんか」

 

 いつかそれを成そうっていうのが、俺と桃香の一緒の目標だったりするんだから、中々に大変な目標だ。“夢はでっかく!”とはよく言ったものの、こういうのは逆に難しい。

 なにせ、案外知らぬどこかで何かを成しているかもしれないのだ。

 だってそんなの無意識に近いだろうし。

 お互い“居て助かった、居て良かった”と言い合える仲にはなれた。……ものの、どうせなら何かを成した際に誰かに言われたい。人って欲張りですね。

 というか稟が牛乳と聞いて顔をしかめた。やっぱり大陸じゃあ牛乳はそう広まってないのかな。美味いのに。

 アレルギーとかないよな? アレはちとシャレにならない。

 

「そんなわけで稟、ここに俺が作ったまろやかマーボー普通味がある。さぁ、食べてみてよっ」

 

 お料理番組のように、ここに出来たものがと差し出してみる。

 味身はしてみた。普通だった。牛乳と溶き卵のお陰でまろやかではあるものの、普通だ。華琳が食えば、様々なダメ出しが出されるであろう料理。

 しかし今の俺にはここまでが限界だ。ヘタに無茶な味付けをすれば、それこそキッツいダメ出しが落とされかねない。

 あ、もちろん牛乳は十分に加熱殺菌しております。ちょっと怖かったから念入りに。……成分飛んでなきゃいいけど。

 

「これを食せば治るとでも?」

「時間がかかることだけど、血管を丈夫にすればそうやすやすと鼻血は出ないよ。人間、なんだかんだで体が資本。肉は調理してもたんぱく質が崩れにくくて、卵や牛乳に含まれるカルシウムが、たんぱく質の吸収を助けてくれる……んだっけ? ごめん、鍛錬ばっかりだったから肝心なところが抜けてるかもしれない」

 

 あとは適度な運動か。

 カルシウムだけ摂取しても、運動しなきゃきちんと吸収されないって聞くし。

 

「文官だからって鍛錬はする必要ないって、その根本が間違ってたんだよな、きっと。そんなわけで稟、空いた時間だけでいいから、少しずつ運動してみないか? ───いや違う! 顔を赤らめるような運動じゃあ断じてないからっ!」

 

 春蘭が体を張って見せてくれた(いや俺は実際には見てないけど)、道化のススメが心に引っかかった。官僚……武官文官の中では、これからの平穏な日々に必要なものは文官だ。

 武官として働いてきた人達はそれこそ、武を振るうことで己を立てた自分は……と思っているようだが、たとえば警備隊には多少の武力が必要だし、城のことに関しても知識だけで固められた上では、暴動が起きた時には抑えられない。

 もちろん暴動が起こらないように政治をしていくのが、王や文官の仕事なわけだが……つまり、武官は勉強を、文官は鍛錬をしてみたらどうだろう。

 そんなことを、思ったわけだ。

 その一歩は一応の意味で、蓮華や桃香が踏み出してくれたと思っている。

 呉と蜀から、どうしてか俺宛に届けられる竹簡の中には、そういったことが書かれていることがあった。雪蓮からは“蓮華が鍛錬に勉強、己を高めるものに積極的になった”こと、桃香からは“氣の使い方に慣れてきて、結構走れるようになった”こと、いろいろだ。

 呉では民との交流が一層増え、蜀では学校って存在が民の知識の底上げに役立っているとか。話に聞く成都での流行りが、計算の謎かけだったりするのだから、世の中変わるものだ。子供に「1+1はー?」と訊ねられ、答えられない親が学校に訪れる……なんてこともあるらしい。親の威厳を保つのも大変だ。

 そんなわけで呉も蜀も順調。

 届けられる竹簡にも楽しさや嬉しさが滲み出ている感があり、俺も嬉しかった。

 

「……ふむ。この麻婆……味は普通、ですね」

「普通なんだよなぁ……。味にメリハリがつけられないっていうか」

「めり……?」

「落ち着かせるところは落ち着かせて、立てるところは立てるみたいな、キッチリしたこと……だったっけ? “減り込む”とかの“めり”と、“胸を張る”とかの“はる”……かな。それを繋げて“減り張り”って感じ。普通は味とかの話では使わないかもだけど、とにかく、そんな感じで味付けが上手くいかないんだ」

「なるほど。これはこれで、悪くはありませんが」

「華琳に出すとしたら?」

「確実に作り直しを命ぜられますね。いえ、作り直す価値すらないと言われるかも……」

「……それが怖いから、まだ華琳には料理を振るまってないんだよな……」

 

 溜め息をひとつ。

 まあでも、料理とは違うけど綿菓子は贈れた……はずだから。

 桂花に確認とってないし、味どうだった~とか華琳自身に訊いてないから、実際どうなったのかなんてのは知らないのだが。

 なんやかんやで忙しい日々に流されるまま、最近は華琳とゆっくり話せていない。

 俺がこうしてゆっくりしていられても、華琳もそうとは限らないしな。

 特に最近は呉や蜀から届けられる書簡整理に忙しいらしく、一度も顔を見ずに終わる日さえある。

 

「ところで……一刀殿? まさか毎食、これを食べるとか……」

「いや、一日一回くらいでいいと思う。もちろんこの料理じゃなくて、たんぱく質が摂れる料理をって意味で。朝昼夜、いつ食べるかを事前に言ってくれれば作るし……あ、なんだったら流琉に頼んで作ってもらうのもアリか。俺のなんかよりよっぽど美味いぞ」

「む……それはそれで少々もったいのない気が。いえ構いません、味に飽きるまでは一刀殿の料理でお願いします」

「そうか? よし、じゃあ少しずつでも腕が上達するように努力を───」

「いえ、現状維持でお願いします。不味くされても困るので」

「…………ウン……ソウダヨネ……」

 

 お茶のことについて、俺に現状維持を願われた白蓮の気持ちが少しわかった瞬間だった。

 

……。

 

 翌日から行動は始まった。

 朝、稟にまろやかマーボーを食べたい時間を訊いてみて、その時間には食後の運動に付き合えるように時間のやりくり。

 さすがにどうしても抜け出せない仕事はあるから毎度とはいかないものの、それなりに付き合えてはいる。武官のみんなにも声をかけて、嫌がらない限りは勉強を教えてみる。

 意外や、一番に受け容れてみせたのは春蘭。次に霞だったわけだが、「来るのが遅なっただけやもん」と、なにに対抗意識を燃やしているのか口を尖らせて、そんなことを言っていた。

 

「思春~! 手伝ってもらっていいか~!?」

「…………また貴様は……」

 

 いつかのように思春に声をかけて、桃香にそうしてみたいように稟の氣を探る。

 しかしこれが案外あっさりと浮上することに成功。むしろそういった素質があったのか、安定も早かった。……この安定が鼻に向かってくれればなぁ。

 

「これでどうだ北郷!」

「や、だからさ春蘭、これでどうだじゃなくて、書いた文字を自分で読むんだってば」

「“かこうげんじょう”だ!」

「そこまで気合い込めなくていいからっ! えーと……ごめん、一文字すら合ってない」

「なんだとぅ!? 貴様の目は節穴か! どこをどう見ても書いてあるだろう!」

 

 そんな傍らで勉強も同時に行っているものだから、これがまた大変なわけで。

 しかし時間はそうたっぷりとはとれないから、どうしようもない。

 

「ははー、元ちゃんはぶきっちょやなー♪ ~っと、“ちょう・ぶんえん”! どう一刀っ、これどうっ? どないっ?」

「はーいはいはい、ちょっと落ち着こうな霞も。えーと…………霞」

「なになにっ?」

 

 にこーっと眩しいくらいの笑顔で返事する霞。

 腰に手を当て胸まで張って、自分が褒められることを疑ってない顔で、続きを促してくる……のだが。

 竹簡を見てみれば、そこにあるのは“ちょう・ぶんしん”の字。

 あなたはなにか、既存を超えた分身でも見せてくれるのか。

 

「えぇええ~っとぉお……な、霞……。ちょう・ぶんしんになってる」

「んなっ、え、“え”ってこうやあらへんかった!?」

「近いんだけど……ん~……と。“し”はこうで“え”はこうな? なめらかに書こうとして出っ張りを忘れたんだろうな。うん、でもいい感じだぞ」

「…………そ、そか。そかそか……えへへ」

「むぅ……ならばこれでどうだ北郷!」

「だから無駄に迫力出しながら竹簡突き出すのやめませんっ!? しかも今回は文字としては読めるのに“かいルそ”になってるし!」

 

 “と”と“ん”が合体してるのか、この“そ”は! 合ってるのが最初の“か”しか無いよこれ!

 

「ふふんっ」

「しかもなんか得意気だ……! あ、あのな春蘭? これじゃあダメなんだからな? 一応読めるってことで進歩はしてるけど」

「当然だっ、道化が要らぬと言われたのならば、私は武を振るい知も振るえる……華琳さまのような存在になってみせる!」

「天下統一から一年、あちこちでの問題も少ななってきたし、武官が要らななるんもこれからや。ならそれまでに頭のほうをなんとかして───あ、けど待ちぃ? んー……な~一刀?」

「ん? どした?」

 

 春蘭に文字のアレコレを説明する中、霞がどこか楽しげな表情で声をかけてくる。

 ならばと春蘭への説明もそこそこに向き直ってみると───

 

「あんな? もし孫策が言ってたみたいに一刀が大陸の父になるとしてやけど」

「う、うん……? もしな、もし」

「ん、そんでな? もし一刀が大陸の父になったら、周りはたぶん……あれやな、“魏に住んどるんはずるい~”ゆーて、引っ張り合いみたいになる思うんやけど」

「……華琳とも似たような話をしたけど……まあ、華琳は三国の中心に都でも建てて、そこに俺を置くだなんて言ってたし」

「あ、やっぱそーなんか。でな、一刀。もしウチが武官として駄目だし食ろーて、住む場所無くしたら……一刀、ウチのこと都に拾てくれる?」

「───」

 

 ……オウ?

 今……なんと?

 

「あ……あ、あー……いや、霞? そもそも華琳はそんなことしないと思うぞ? 前にも言っただろ」

「ん、そらもちろんや。けどな、そうやのーて、一刀はどうしてくれるん?」

「…………そりゃ、拾うっていうかむしろ歓迎するよ。わか

らないことがあるなら教えるし、覚えにくくても覚えるまで付き合う。今覚えられないからって切り捨てるつもりなんて、全然無いし」

 

 それは三国の宴の時に、華琳に言った通りの言葉だ。

 役に立たないから切り捨てるなんて言うなら、何も知らない人は何も出来ないままに切り捨てられるだけだ。そんなことをしてしまうくらいなら、少しずつだろうと覚えてもらって、一緒に国を温かくしていきたい。

 

「民も兵も、将も王も、どうせなら全員で楽しめる今と明日が欲しいな。だから、俺が教えられることなら教えるし、手伝えることならなんでも手伝いたいって思うんだ。……この世界に来れて、華琳に、みんなに会えて本当によかったって思うから、そんな思いをこの大陸にこそ返したい」

 

 そのために勉強したし、そのために修行をした。

 得た知識が生かされる瞬間は嬉しいし、自分の努力が報われたことを実感出来る。

 確かに俺も桃香も、自分の力、自分の知力こそを認めてもらいたいとは思ったけれど……誰でもなんでも知っているわけじゃないんだ。基盤となる知識があるから、そこから派生するなにかを想像出来るんであって、勉強もせずに得られるものなどほぼ無いだろう。

 俺は天の知識をみんなに与えるために勉強をした。

 なら、その“自分が勉強した”って努力くらいは、自分自身でだけでも褒めてやらないと可哀相だ。

 ……悲しいことに、調子に乗ることと慢心は敵でしかないけどさ。

 

「……やっぱ、一刀はいろいろ考えとんのやなぁ……」

「主に、どうすればみんなが笑って暮らせるかなーってことばっかりだけどね。で、どう? 出来た?」

「ん、今度は完璧やっ」

 

 話しながらもさらさらと書き、今度こそはと竹簡を広げて見せてくれる。

 そこにはしっかりと、“ちょうぶんえん”の字。

 

「おおっ……しっかり書けてるじゃないかっ!」

「っへへー、同じ失敗繰り返す奴が生き残れるかっちゅーねん。ところで一刀? それ、止めてやらんと危ないのとちゃう?」

「へ? ……オワッ!?」

 

 促されて見てみれば、いつの間にか鼻血を噴いて倒れている稟が!

 え!? なんで!? さっきまで平然としてたのに! ああいやそんなことよりトントントンと……!

 

「大陸の父の話したら、ぶつぶつ言い出して静かに倒れとったわ」

「傍観してないで教えよう!? 稟!? 稟ーっ!!」

「ふははははどうだ北郷! 今度こそ完璧だろう!!」

「いや今それどころじゃ───お、おぉおおっ!? ちゃんと書けてる!? すごいじゃないか春蘭! しっかりと“かこう・えん”って───なんで秋蘭になってるの!? ていうか今さらだけど字の方を書こう!? 惇じゃなくて元譲のほうで!」

 

 まあ、なんだ。

 魏の騒がしさは相変わらずだ。

 今だからこそ思えるけど、戦場で華琳の凛々しさとかばかりを魏の印象として受け取っていた人達が居たのなら、同盟が組まれた今ではそのギャップに驚く人も随分居たんじゃないだろうか。

 多くは語らず、圧倒的武力で攻め、しかし知略にも富んでいる魏の精鋭。

 それが実際は───

 

「な、なんと……。これは“えん”と読めるのか。ならば……そうだ北郷! 華琳さまの名はどう書く!」

「え? 華琳? えっとな華琳はひらがなで……こう」

 

 春蘭の手から筆を抜き取り、さらさらと走らせる。

 “そう・もうとく”───文字が綴られ、春蘭はそれを見て「なるほど!」と頷いた。

 そして早速俺の手から筆をぶんどると、その文字を真似て書き始める。

 その表情は……自分の名を書く時よりも真剣であった。

 ほら、新しいノートの1ページ目はやたらと丁寧に文字を書いちゃう時とかみたいな。

 どれだけ華琳が大事ですか春蘭さん。気持ちはわかるけどさ。

 

「間違えられん……! これだけは、絶対に……!」

 

 目が血走ってらっしゃる。

 そんな春蘭を横目に、稟を介抱して持ち直させると、「大変やな~」と暢気に笑う霞に苦笑を送りながらもこれからのことを考えた。

 

「なぁ思春……こんな調子の俺が、大陸の父になんか……無理ってもんだよな?」

「貴様は貴様で支柱とやらを目指せばいい。重要なものは、周りが支柱である貴様をどのように見るかだろう」

「……それ、俺がどれだけ支柱だ~って言い張っても、周りの全員が父だって言えば父になるってことじゃないか」

 

 わかるけど、わかりたくない。

 でも、少しは考え方や、考える頭自体も軽くなった気がした。

 そうだよな、俺は俺の目標目掛けて走ればいい。

 周りがどう見ようが、それが自分が目指したものなら胸を張れってじいちゃんも言ってたし。




◆春蘭様の誤字劇場

 か=か
 い=こ
 ル=ラ→う
 そ=真ん中で横に分解
   上部/z→と
   下部/て→ん

「つまり……! 春蘭はきちんと“かこうとん”と書こうとしていたってことなんだよ!」
「な、なんだってー!?」
「いや……北郷。あまり季衣に姉者に関するおかしなことを吹き込んでくれるな……」
「? よくわかんないけどにーちゃんに驚いてくれって頼まれました」
「うむ、まあ……ご苦労だったな、季衣。北郷が言っていたことは忘れてくれて構わん」


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52:魏/騒がしい日③

94/武への想い、約束のお酒

 

 ……最近、誰かに見られている気がする。

 

「………」

 

 とある日の中庭でのこと。

 稟の健康管理も順調で、最近鼻血の回数が減ったかな~と思いながらの鍛錬は続く。自主鍛錬は禁止されているので、誰かの手伝いって立派な名目の下でだ。

 しかし……なんだろう。

 

「………」

 

 やっぱり誰かに見られている気がしてならない。

 現在は魏将のほぼが中庭に居るから、そりゃ誰か見るだろうってなものなんだが。

 なんかこう……ちらりと見られるとか、そんなんじゃないんだよな。

 街でも似たような視線、感じるし。

 

「よっしゃ一刀っ、ウチと軽く()ろ~!」

「へ? あ、おおっ! 武器はちゃんと刃引きしたものを───」

「な~に言うとんねん一刀、刃やろーが木剣なんぞで受け止めるくせして」

「受け止められなかったら斬られるんですけど!?」

「ほなら背刀(むね)でいくから、なっ? な~っ? 慣れたもんやないとやっても楽しないもん~!」

「あー……わ、わかったわかった、わかったからそんな駄々捏ねないの……!」

 

 しかしそんな視線も、一対一の模擬戦が始まれば気にしていられなくなる。

 ……今日は戦としてではなく、個々の鍛錬目的の模擬戦祭り。

 ちらりと見れば、用意された椅子にどっかと座る華琳が、せいぜい楽しませて頂戴って顔でこちらを見ている。

 ええい人の鍛錬は結局潰したままだっていうのに、楽しませることだけはしっかり要求するんだからな、あの覇王さまは……!

 

「……すぅ……はぁ……。んっ───覚悟、完了」

「……やっぱええな~♪ ウチ、一刀がそれ言う時の顔、好きやわ」

「いろいろ決めなきゃ武器も振るえないんじゃ、未熟もいいところだろ。……じゃ、行くぞ?」

「“いつでも”や───っと!」

 

 “いつでも”を耳にすると同時に地を蹴り一閃。

 霞はそれを軽く避け、飛龍偃月刀を突き出───されたそれを、さらに地を蹴ることで躱し、横に回り込むと再び一閃。

 霞も同じく足捌きでソレを躱すと、横薙ぎの一閃で俺を射程から退かせた。

 

「んー……♪ 男でこういう緊張持たせてくれるなんて、やっぱウチ一刀のこと好きになってよかったわ~♪」

「あっさり返してみせたくせに、よく言うなぁもう……!」

 

 距離が離れたからか、霞は片手で飛龍偃月刀を持ち、肩の上でトストスと弾ませながら笑う。それを隙と取って駆け込むか……と考えて、やめた。

 明らかに誘いだ。

 重心が前に向いていて、多分だけど走った途端にぶちかましが来る。

 怯んだところへ容赦の無い連撃……背刀打ちはするだろうけど、そんなの鉄棒でボッコボコに殴られるのと変わらない。

 

(もっと意識を集中させて……)

 

 氣は霞に付着させた。

 そうすることによって、霞の動きに相当集中出来るようにはなったものの……勝てるかと言ったらNOだ。が、NOだからって簡単に諦めたくはないのが、曲がりなりにも鍛錬をする者の根性というか。

 

(霞だけに集中……意識の全て、氣の全てを……。雪蓮のイメージにデコピンかましたあの時のように、ただひたすらに……)

 

 霞は俺の動きをじっと見ていた。

 俺も、それを返すようにじっと見る。

 周囲には俺や霞を見守る魏将と王。

 しかしそんな視線もやがて気にならなく……いや、意識することすら出来なくなるほど集中。

 意識の束をこよりのように細く束ね、霞という一点を穿つモノになった意識のままに、地を蹴り向かった。

 霞もいい加減待つのは飽きたのか、待ってましたとばかりに得物を振るう。

 それを、氣の移動、重心の移動、呼吸の移動、様々な支えを以ってして弾き、「おっ……!」と何処か驚きと嬉しさを混ぜた声を耳にする。

 

(集中しろ、集中……! 蒲公英や翠や星の槍に比べれば、点よりも線が多いんだ……!)

 

 突きではなく斬りの多さに対処し、連撃を弾いていく。

 まともに受ければ手が痺れるだけでは済まないそれを、氣で衝撃ごと逸らすことで。

 

(本気じゃない分、まだ恐怖に飲まれることもない……だったら今の内に慣れて……!)

 

 雪蓮っていう“本気”のイメージのお陰で、恐怖に飲まれることなく武器を受け、振るう自分を保っていられる。

 そしてそれは、武器を合わせる毎に自分に勇気を与え、一手ずつだがこちらの攻撃回数を増やしていく。

 

「おっ、おっ……おおっ!?」

 

 対する霞は意外そうな、しかしやっぱり楽しげな顔で、そんな一撃一撃を確実に弾いていた。ほんと、つくづく戦人です。戦うことで自分の存在意義を保つって言ってた意味が、文字通り骨身に染みる。

 

「~……一刀っ!」

「応っ!」

「前にウチがゆーたこと、覚えとるかっ!?」

「いぢっ……~っと……! もちろん……だっ!」

「ほっ……そかっ!」

 

 受け止め、返し、弾き、弾かれを繰り返しながら話す。

 自分はあくまで武官であり、戦が終われば用済み。

 戦うことで自分を自分と認められる彼女が、いつか俺にそんなことを話してくれた。

 それを思い出した上で、今の自分にその思いを返してやれるかを……木刀に乗せ、返す。

 

  “狡兎死(こうとし)して走狗煮(そうくに)らる”

 

 たとえ誰が……華琳が、俺が、誰もが否定しようとも、俺達が天下を取るための駒にすぎなかったのだとしても、平和さえ手に入ればいずれは人知れず始末されるだけの用無しの狗なのだとしても、狗には狗の生き方があるのだと。

 兎を追うだけが走狗の役割じゃないのだと、伝えるために。

 

「狩る兎が居なくなったなら、別のことが出来る狗になればいいさ! 飼い主がそれでも狗を煮て食らうって言い張るなら、その時点でもう飼い犬じゃなく食料扱いなんだから、牙を剥けばいい!」

「おー! そら孟ちゃんも喜びそうやなー! ほなら一刀っ、ウチが食われそうになったら一緒に噛み付いてくれる!?」

「本気で霞を食うつもりなら、喜んで一緒に噛み付いてやるっ!」

「───へわっ!? や、え……冗談やったのに、大きく出たな、一刀……」

「非道な王であるなら、討ちなさいって言ったのは華琳だからな。それを見過ごさずに止めるのが、臣下の務めってやつだろ?」

 

 急に動きが鈍った霞の眼前に、突き出した木刀が止まる。

 霞は「せやなぁ……せやった」と目を伏せて笑い、飛龍偃月刀の石突きをドンと地面に叩きつけると、さっぱりした顔で「まいった、ウチの負けや」と続けた。

 途端、周囲からは悲鳴にも似た歓声(?)が。

 

「隊長のアホーッ! なんで勝ってまうねんーっ!!」

「ここは綺麗に負けるところなのーっ!!」

 

 ……どうやら賭けられていて、しかも負けたらしい。

 悲鳴にも似た歓声だったのはその所為か。つーか少しくらいは隊長の勝利ってものを願ってだな……って、凪さん? あの……何故、少し嬉しそうな顔で俯いてらっしゃるの?

 え? もしかして賭けてた? いやむしろ無理矢理賭けさせられて……でも勝った?

 

「なんか複雑だ……」

「好きにやらしとけばえーよ。それより一刀~♪」

「うおっと!? し、霞!?」

 

 突如として霞が抱き付いてきた。

 何事!? となんとか顔を覗いてみると……なんだかとろけてらっしゃった。

 

「なぁ一刀~……? ウチの好み、覚えとる~……?」

 

 とろけた顔、とろけた声で訊ねてくる。

 好み? 好みって確か……

 

「えーっと、自分より弱いヤツは好かんねん、だったっけ。男はそれこそいっぱい居るけど、自分より弱いからいやや~って───あれ?」

 

 そこまで言って、思考が固まった。

 なにくそ、と無理矢理思考を回転させてみるが……いや待て、待つんだ。

 だってこんなの、会話の隙を突いた勝利で……霞が本気できたら、俺なんてあっという間にゲファーリゴフォーリ(悲鳴)ってコテンパンだぞ?

 むしろ星あたりなら“卑怯なっ!”とか言って無理矢理続行だ。

 それでも負けたら三本勝負だ~とか言い出して。うん。

 ともかく。そういったことをしっかりと話して聞かせると、霞は口を尖らせぶーぶーと文句を飛ばしてくる。素直に好きにさせろーと言われているみたいで、もう喜ぶべきなんだろうけど喜べないっていうか。

 

「せやったら次や! 一刀……ウチ今から本気出すから、受け止めて……くれる?」

 

 うだうだぬかすなー! とばかりに、がーっと勢いよく口を開いた霞……なのだが、最後には勢いが全く無くなってしまった。

 もちろん俺はそれを受け容れる。

 や、だってさ……不意打ちで惚れられるって、物凄く悲しいじゃないか。

 大事に思えばこそ、たとえここで負けたとしても、あれで好きになられるとかは勘弁だ。

 ちっちゃな男の子のプライドを胸に持ち上げてみるが、それでもなんとなく情けなく思うのはどうしてかなぁ……日頃の素行の所為ですか?

 

「………」

「………」

 

 そんなわけで再び対峙。

 俺はといえば緊張を飲み込み、再度覚悟を胸に、ノック。

 霞はといえば、なにやらぶつぶつと口からこぼしていて……えと、なに? 試練? 一刀をもっと好きになるための試練……って、なにを仰っておいでで!?

 うわ、なに!? 顔が勝手にニヤケ……じゃなくて集中集中!! ……ギャアだめ! 霞に集中すればするほどさっきの言葉が胸を叩いて……! だっ……だめぇええ! 胸はだめぇええ! せっかくノックと一緒に胸に込めた覚悟が散っちゃうぅうう!!

 

「……いくで、一刀」

「!!」

 

 ……一瞬だ。

 霞の、引き締められた表情を見た途端、その想いに応えるって感情が俺の心を殴り倒し、顔のニヤケを完全に無くさせた。

 ……想いには想いを、全力には全力を。

 向き合い、視線に視線を返し、フッと息を吐くのとほぼ同時に、俺達は駆けていた。

 大して離れていたわけでもない。

 本当に一瞬で決着はつき……───

 

「………」

「~♪」

 

 少し後。

 戦っていた中庭の中心からも離れ、春蘭と秋蘭の戦いっていう珍しいものを、みんなと一緒に座りながら見ている……んだが。

 ぶつかりあった時からずぅっと唖然としていた表情から一変、霞は俺の腕に抱き付き、離れなくなってしまった。

 

「………」

 

 なにをしたのかといえば、危険を承知で霞の攻撃を氣で“吸収”して返してみせたわけだが……その結果がこれだった。

 もちろんブチ当てることはせず、寸止めしたあとは吸収した衝撃も地面に逃がした。

 受け止め方が甘かったのか、左腕が滅茶苦茶痛いんですが。

 そんな返され方を男にやられたのなんて初めてだったんだろうなぁ……霞は少しだけ、ほんの短い間だけ、負けたことを悲しんで……それからはカラッと元気に……抱き付いてきたわけです、はい。

 

「あ、あのな、霞~……? さっきのは相手の攻撃を受け取って、相手に返すってもので」

「一刀が自分の氣ぃでやったことなら、一刀の勝ちやん」

「いやあの……そ、そうなの?」

「じっ……自分に訊かないでくださいっ」

 

 言葉に詰まって、近くに居た凪に声をかけてみると、凪も困惑なさっていた。

 

「んー……ところでやけど一刀? 甘寧相手の時にはなんで、さっきの使わなかったん?」

「あ、ああ……一緒に鍛錬やってた相手だから、こっちの行動の全部が見切られてるんだ。どうやれば出来るのかも、魏に帰る途中で話しちゃったし。だから全力でぶつかるしか方法が無くて」

「なるほど、手ぇ抜いとったわけやないんやな」

「いえあの、手なんか抜いたら俺が普通に死ねるんですけど」

 

 むしろ全力の全力で行っても見切られすぎてて全てが空回り。

 あの恋の一撃を受け止めたーとか、その上で返してみせたーとか、そんなものはなんの力にもなりはしない。見切られていたら、どうしようもないのだ。

 恋には勝てたわけでもないし、結局空を飛ぶハメになっただけなんだ。

 世の中、そう上手くはいかないものなのです。

 

「………」

「? 凪? どうかしたか?」

「あ、いえ……隊長が戻ってきてから、隊長の身の振り方を見るのは初めてでしたが……」

「凪ちゃん、驚いたやろー♪ ウチも初めて見た時はたまげたもんな~♪」

「なにもかも、凪に氣を教わったからだよ。そうじゃなきゃ、あんなに動けないし」

「ちゅーか一刀? 普段どんな鍛錬やっとったん? 天で一年間鍛錬しても大して上達せぇへんかったのに、呉、蜀と回って戻ってきたら段違いや」

 

 孟ちゃんが禁止するくらいやから、相当なんやろなーと続ける霞。

 そんな彼女に鍛錬メニューを話して聞かせると……軽く引かれた。

 

「あ、あー……なるほど、そら強なるわ。けどそれ、体っちゅーよりは氣を鍛えとる感じやろ。見たとこ、体つきとかそう変わったようには見えへんもん」

「そうなのかな。一応鍛え方にもいろいろあって、俺は盛り上がる方の筋肉じゃなく、内側の持久力が主な筋肉を鍛えてるから、体つきがそう変わらないのはその所為だと思うんだけど」

「へー、そんなんあるん?」

「一瞬の力よりも長く行使出来る力だな。それを鍛えると、そんな感じになる。ただ、あんまり盛り上がらないのも不気味って言えば不気味だ」

 

 胴着を軽くはだけ、力こぶを作ってみる。

 ……あまり発達したようには見えない。

 

「霞、ちょっと飛龍偃月刀貸してもらっていいか?」

「ん、一刀ならえーよ」

 

 片手で渡されるそれを、両手でぐっと受け取る。

 よし重い、こりゃ重い。

 すぐに氣を腕に集中させて持ってみるが、それでもやはりズシリとくる。

 こんなのを片手でかー……鈴々の蛇矛は何度か借りて振るってみてたけど、これもなかなか……。

 

「なぁ一刀? 走るだけやのぉて、重りをつけても走ったんやろ?」

「機会は少なかったけどな。武器を使わない誰かから武器を借りて、体に括り付けて走ったり……束にした模擬刀を背負って走ったり、いろいろやったなぁ」

 

 もちろん、最初は少しずつ。次の時には前より重く、一歩でも先へ。

 以前より先へ進めないなら鍛錬の意味なんて無い。

 だからこそ、どれだけ辛くても一歩前へ進むことは諦めなかった。

 

「ていうかすごいな春蘭。放たれる矢を片っ端から叩き落とすって、普通出来ないだろ」

「む。あんなんウチかて出来るもん」

「へ? あ、ああ、霞なら出来るだろうなぁ……俺はちょっと無理っぽい」

 

 どうしてか口を尖らせる霞に、軽く首を傾げながら返す。

 俺だったら……“見えた!”と思ったら突き刺さってただろう。

 

「凪はどうだ?」

「秋蘭さまの弓術の前では、捌き切れるかどうか……」

「そ、そうか」

 

 それってつまり、秋蘭以外から遅れを取るつもりはないと?

 訊けばそんなことはないって言いそうだけど、凪も結構負けず嫌いな感じってあるよな。

 ……っと、終わった。春蘭の勝ちか。

 

「放つ矢の全てを叩き落とされながら近づかれたら、間近に来られるより先に降参しそうだよ、俺」

「確かに、ちょおっと怖いかもやなぁ……もちろん、最初から負ける気もあらへんけど」

「そっか。それは、霞らしいな」

 

 霞が霞らしくなくてどうするんだって話だけど、霞はそんな俺の言葉を笑って受け取っていた。俺の腕に抱きついたままだから、そこからくる軽い振動がくすぐったくも心地良い。

 

「……あの、隊長」

「うん?」

 

 そうしてゆっくりと呼吸をしていると、突然横の凪が真面目な顔で俺を見る。

 「どうした?」と返すも、凪は数回視線を泳がせ……その間、何度か俺と視線を交差させながら、しかし最後にはキッと俺を見て───

 

「そのっ、じ、自分ともっ! 自分とも、手合わせを願いたいのですがっ……!」

「………」

 

 どこの告白劇場なのか。

 少しだけドキドキしていた俺の心は、軽くくてりと倒れてしまった。

 しかしながらせっかくのお誘い……断る理由もなく、俺は木刀を手に、華琳に一度断ってから中庭の中心へ。

 霞が楽しげにどっちも頑張れ~って声を投げ掛けてくる中、イメージを重ねながらゆっくりと構えた。

 武器が拳と蹴りである分、連撃精度は剣や槍よりも余程に早い筈。

 そしてなにより気をつけるべきは氣弾での攻撃……だよな。

 やってこないとは思うけど、確実とは言い切れない。

 なにはともあれ氣の師匠にぶつかるつもりで───挑戦させてもらう気持ちで構え、合図を待ってからぶつかり合った。

 そして、そのすぐ後。

 数撃合わせただけで、体術相手には木刀でも中々辛い事を知る。

 

「はぁあああっ……───せいっ!!」

 

 連撃を繰り出す……んだが、とことん手甲によって受け止められ、弾かれ、逸らされ、怯んだ瞬間にはもう、相手は攻撃に移っている。

 それをなんとか身を捻ることで避けるんだが、追撃の速度も長柄のものとは比べものにならないほど早く、秒を刻むごとに防戦しか出来ない俺が出来上がっていく。

 

「はぁあああっ!!」

 

 加えてこの攻撃の重さときたらっ……!

 一撃一撃にしっかりと氣が乗っているもんだから、受け止めるだけでもぎしりと重い。

 逸らすにしたって難儀して、けれど凪はこうやってねばる俺を相手にする毎に目を輝かせて、どこまで受け止めてくれるのかを試すようにどんどんと強くしてキャーッ!? 凪!? ちょ、凪っ!? 凪さんっ!? 回転が速い! 重い! 鈴々じゃああるまいし、この連撃はちょっ、とっ、たわっ、たっ、とっ!!

 むむむ無理無理無理! 一旦距離を取って───ってギャアーッ!?

 

「せやぁあーっ!!」

 

 戦いに意識が向かいすぎたのか、興奮した凪が足を振るい、燃え盛る氣弾を発射!!

 丁度氣で地面を弾き、大きくバックステップをした俺へ目掛けてソレは飛んでくる!

 

(エ? 死ぬ? 死ぬの? ……じゃなくて集中!)

 

 コマンドどうする?

 

1:鈴々のように武器で破壊してみせる

 

2:根性で耐えてみせる!

 

3:氣で吸収、こちらも氣弾で返してやる

 

4:甘んじて受ける

 

5:自ら後ろへ飛び、ダメージを低くする

 

 結論:……3!

 

 考える余裕なんてない!

 成功するかもわからないからこその一か八か!

 着地するより早く右手に木刀を、左手は飛んで来る氣弾に向けて構えて───着地と同時に左手を襲う痛みを、瞬時に自分の氣と一緒に体の表面を走らせて右手の木刀へ装填!

 氣弾を吸収するなんて初めてのことだったために激痛が走ったけど、熱くなったとはいえ全力には全力を以って返す。それが戦人への敬意だと俺は受け取った。

 だからと、足を振り上げた状態で硬直している凪へと、渾身の一撃を……返した。

 

「うおぉおおりゃぁああああーっ!!」

 

 アバンストラッシュと勝手に呼ばせていただいている剣閃を、凪の氣も乗せて放つ。

 金属と金属が鋭くぶつか合ったような音を立て、空を裂くそれは凪へと飛ぶ。

 そんな氣の向こうに見えた凪の顔は驚愕に染まっていて───轟音ののち、ソレは破裂した。発生する煙に凪の姿を見失う。

 

「っ───まだだっ!」

「っ!!」

 

 しかし、自分に向けられるなにかを感じ、構えもそのままに地を蹴り走った。

 直後、煙を裂いて走ってきたのはやっぱり凪。

 派手に爆発したわりには無傷。

 恐らくギリギリまで引き付けてから再び氣弾でも放ち、相殺してみせたんだろう。

 引き付ける理由は、当たったと見せかけるためか。

 軽い想像が終わる頃には木刀と手甲がぶつかり、緊張を保たせたままの連撃が続いた。

 いや、なんとか続けていられるって状況だ。

 なにせ今の剣閃で氣を思い切り使ってしまった。

 やっぱり飛び道具は苦手だ……! 底を尽きませんようにって願ったけど、そう上手くはいきませんねハイ。

 そしてそんな状態が長続きをする筈もなく……少しして、氣を使い果たして降参する俺の姿がそこにあった。

 

「は、は……はぁ……はぁー……やっぱ強いな、凪は」

「いえ。隊長こそ、よくここまで……」

「あーん隊長のどあほーっ! なんで負けてまうんやーっ!!」

「………」

 

 そしてまた真桜に怒られる俺。

 いや……人を、というか王が見てるところで普通にトトカルティックなことをするなよ。

 

「しかし隊長、途中から随分と動きに乱れを感じましたが……」

「あー……すまん、実は氣の放出には慣れてなくて。氣弾は放てるようにはなったものの、気をつけて撃っても大半を使っちゃって、長続きしないんだ」

「……なるほど。動きが急に遅くなった理由がそれ、ですか……」

 

 やっぱり目に見えて動きが鈍くなったようで、凪は少し残念そうな顔で俺を見る。

 そんな目をされると、こちらとしても申し訳ない気分で……

 

「そんなわけだからさ、また氣のことを教えてくれないか? もちろん、凪が良かったらだけど」

「あ、いえ、もちろんそれはっ! けどその……自分なんかで、本当に……?」

「いや、俺、凪以外に氣を上手く繰れる人、知らないんだけど。それに、教え方も上手かったし、むしろ凪にこそ頼みたいんだ」

「……わたし、こそに……」

 

 俺の言葉を自分で呟いた凪。

 その顔はみるみる赤くなってゆき、直後に「ハッ! 了解しました!」と元気な返事が。

 

「一刀が帰ってきてからの凪ちゃんは、素直でかわええなぁ~……あ、一刀? その鍛錬ウチも混ざってええ?」

「? べつにいいと思うけど……霞、氣弾を使ってみたくなったのとか?」

「ん、なんもない。これといった理由なんて、な~んもないよ」

「そうなのか」

 

 特に理由もなく鍛錬に付き合ってくれるのか……霞って基本的には付き合いはいいよな。

 面白そうって理由があれば大抵のことには付き合ってくれるし。

 ……つまらなかったらあからさまに退屈そうにするけどさ。

 

「兄ちゃーん、今度はボクとやろーっ?」

「お、ほれ一刀、呼ばれとるでー」

「え゛っ……いや、俺、氣を使い果たして……は、まだいないけど、それでも随分使っちゃってて……!」

「あ、そやった。あんだけやったらそら氣も底を尽くっちゅーもんやな」

「…………でもなぁ」

 

 ちらりと、俺を呼ぶ季衣を見る。

 嬉しそうにモーニングスター……岩打武反魔を軽々と振り回す季衣さんを。

 ……誰かと戦うたびに、地面にクレーター作ってたと記憶するアレと、氣が少ない状態で戦えと?

 

「…………霞」

「ん? なに一刀」

「いい酒の話があるんだ……。この戦いが終わったら、一緒に……華琳に話を通しにいこうな……」

「酒? 許可? …………もしかして前にゆーとった天のっ!?」

「いえあの、隊長……その言い回しだと、帰ってくるのは至難の業かと……」

「大丈夫だよ。約束したもんな、霞。絶対に……お前に天の酒の味を……」

「一刀……」

 

 死亡フラグを立てまくりつつ、俺もやがて立ち上がった。

 向かう先はにっこにこ笑顔の季衣のもと。

 

  ……その日。

 

  構え、模擬戦が始まった僅か3秒後に、俺の悲鳴が中庭にこだました。



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53:魏/G(魏)の食卓①

95/食に対する幸福度

 

 適度な運動は、体への栄養吸収を助けるっていう。

 むしろ運動することで、体が栄養を欲するから吸収するだけな気もするが、吸収しようと本人が意識すること自体が大切なんだから、それはそれでいいのだろう。

 

「なるほど。激しい運動ではなく、じっくりとする運動ならば私でも……」

 

 中庭で運動をするのは稟。

 こんな感じにやってみてくれと、事細かに説明してみせたのち、現在は風とともにストレッチ中。

 座り、足を広げ、芝生に胸をつけようとするのを風が手伝っている。

 食事も済んだあとだから、こうしてたんぱく質、カルシウム等を吸収していけば、上手くすれば鼻血も止まるんじゃないかと…………思うわけだ。

 ただ……まあその、止まったら止まったで、ただの妄想好きの女性が完成するだけな気もする。鼻血が出た時点で止まる妄想が、止まりどころを忘れたように展開され続け……あれ? 今度は血管破裂したりするんじゃあ───?

 

「余所見しとる場合やないでぇ一刀ぉっ!」

「サッ……Sir(サー)! YesSir(イェッサー)!! とわっ……ふんぎっ、いぁあっ……!!」

 

 腕に響く重い一撃。

 目の前には飛龍偃月刀を構えた霞さん。

 仕事の合間に軽く休憩しに城へ戻ったはずが、どうしてこんなことに……。

 ……いや、別に回想するまでもなく、ま~た華雄とがんごんとぶつかり合っていた霞が、そこへやってきた俺をとっつかまえて「誘われれば鍛錬してもえーんやろっ?」と仰った。

 その時の俺はといえば、休憩がてら、途中で会った稟に食事の世話と運動についてを質問され、振る舞ったあとだったわけだが……そんなこんなでこんな状況。

 風と稟は完全に我関せずモードで、俺の視線など見て見ぬフリである。

 ええいくそぅ! 男尊女卑も女尊男卑も大嫌いだーっ!

 

「あ、あのなぁ霞! 俺、これが終わったらまた仕事でっ……! 確かに鍛錬に誘われるのは嬉しいけどさっ、出来れば仕事が無い時にっ……!」

「あぁほら、一刀が強なれば、ウチ一刀と一緒におったらそれだけで楽しめそうやん? やから一刀、それまで我慢我慢やっ、男の意地、見せたりぃっ!」

「見せる相手が霞な場合はどうすりゃいいんだよっ!」

「んー……隙突くこと無しでウチに勝ったら、もっと一刀のこと好きなるよ?」

「ウワーイ嬉しいナー!! って質問の答えになってないだろそれはぁあーっ!!」

 

 でも鍛錬に誘われた時点で迷いもせずに乗った自分こそに馬鹿野郎をお届けしたい。

 そんなわけで木刀と飛龍偃月刀がぶつかる。

 もはや何を言っても、目の前の戦にしか目がいっていないらしい霞。

 そんな彼女とぶつかり合い、ねばりはしたけど負けてしまい、へとへとになりながら仕事に戻り……待っていてくれた凪に心配された。

 

「あの、隊長? 休みに行った筈では?」

 

 そうツッコまれるのも、一応想定内だった。

 一度でいいから、嬉しい想定の中で溺れてみたいもんだ。

 

……。

 

 警邏を再開、凪と一緒に歩く傍ら、思ったことを口にしてみた。

 街の賑わいの中にあっさりと消える言葉でも、口にすることでなにかを得られる瞬間はあると思うのだ。自己満足だっていいじゃない? だって一時でも誰かが満たされるんだもん。

 

「誘われた時点で断れれば、俺ももっと賢い生き方が出来るんだろうなって思うよ……うん思う」

 

 思うだけで実行しないのは、もう惚れた弱みでいいだろう。

 自分は国に返すためにここに居る。

 ならば望まれたことは出来るだけ叶えたい。

 頷いた時の相手の笑顔が好きだから断れないってのもあるけどさ、頼られるのって案外嬉しいんだよな。そうは思っても、余裕がある時だけに限って欲しいのは事実だ。

 

「世の中がもっと、漫画やアニメみたいに心の準備が出来るように出来ていればいいのに」

「……? 隊長、今なにか?」

「ああいや、なんでもないなんでもない」

 

 現実は無情で無常。情ばかりがあるわけでもなく、常である事柄なんて割と少ない。

 身に起こるほとんどのことなんて突飛で突発的なことばかりで、心の準備なんてそうそう出来ないものばかりだ。

 でも、じゃあ、先ほど起きた鍛錬への誘いを事前に知っていたとして、俺はどういった行動を取れただろう。

 仕事があるからだめだと言う? そもそも中庭には近づかない? …………なにがどうあれ、知っていてもいなくても鍛錬は受けた気がする。

 心の準備が出来るか出来ないかの問題だな。

 

「なぁ凪。もし今突然、でっかい地震が来たらどうする?」

「でっかい地震、ですか」

「そう。立っていられないくらいの、街ひとつを壊すような大きな地震」

 

 ふと声をかけられて、子供に手を振り返す。

 訊ねられれば道を教え、わからないというのなら案内も。

 もう警備隊っていうか街の案内人状態だ。

 

「それは、どうしようもないと思われます。自分個人が地震をどうこう出来る力を持っているならまだしも、“立っていられない”という条件が突き付けられた以上は……」

「だよなぁ……」

「……けれど、這ってでも行動はします。もしその時の自分が混乱していないのであれば、自分……わたしは、守りたいものを守るために動くのだと思います」

 

 言いながら、ちらりと見られた気がした。

 視線を向けてみればこちらを見てもいないわけで、自意識過剰かなぁなんて思ってしまうわけで。

 

「じゃあ、もしその地震を事前に知ってたらどうする?」

「それはもちろん───…………いえ、はい。皆に逃げてほしいと叫ぶでしょう」

「はは、だよな。俺もそうするよ」

「はい。ですが」

「うん。きっと、誰も信じちゃくれない」

 

 地震が来るから逃げろ。

 そんなことを言ったところで、住んでいる場所を捨てて逃げるには準備が要る。

 心の準備どころじゃない、もっとたくさんの準備が。

 動けない人だって居るし、住み慣れた場所だっていう事実と愛着もある。

 そんな事実が人にひとつの結論を持たせる。

 

  “地震なんてくるはずがない、どうしてあんたにそんなことがわかる”

 

 一度そう思ってしまえば疑うのは簡単だ。

 子供が、誰かに教えられたことを馬鹿正直に心に刻むのと同じ。

 

「地震が起きないならそれでいいし、起きるのだったらたくさんの人が死ぬ。起きなければ、地震が起こると言った人は街まるごとを騙した悪人として裁かれて、起こるのであり逃げ出せてたなら命の恩人。リスクを考えれば、街まるごとを騙そうとしている時点で信じる価値はあるんだけどね」

 

 なかなか信じてやれないのが人間だ。

 

「なぁ凪、人を簡単に騙せるウソって、なにか思いつくか? ……ああいや、誰かを騙すつもりで言ってるんじゃなくてさ」

 

 警邏中の小話程度に思ってくれと付け足して、歩く。

 途中、おやっさんから豚まんを貰ってしまい、頬を掻きながら食べたりして。

 仕事している最中なんだけどなぁと思いながらも、温かいうちにじゃないともったいない。そこのところは目を瞑っていただこう。誰に、とは言わないが。

 

「嘘……ですか。自分はそういったものは少し……」

「まあ、嘘が苦手そうだっていうのはわかるよ」

 

 性格からして真っ直ぐだもんなぁ。

 これと決めたら迷わないっていうのかな。これをこうしてくれって頼んだら、どんな手段ででもそれをそうすることしか見えなくなるような。会ったばかりの頃から比べれば、そりゃあ落ち着いてくれたわけだが。

 最初は凄かったもんなぁ……相手を捕まえると決めたら、躊躇わずに氣弾飛ばして。

 

「………」

 

 貂蝉の言葉じゃないけど、警備隊の纏め役を任されなかった軸があったとして、そんな状態で凪と知り合ってたらどうなってたんだろ。ただの役立たずとしてしか映らなかったのかな。

 

「なぁ凪。俺がもし警備隊をやめるって言ったら、みんなの中の俺の価値って変わるかな」

「!?」

「へっ!? あ、やっ、やめないっ、やめないって! もしもの話だっ! もしものっ!」

「……、……」

 

 ……おじいさま。僕は今、凄まじい安堵の息を目の当たりにしております。

 人とはここまで安心出来るものなのですね。

 

「隊長……たとえ嘘でも、その手の戯れはそう許容できません」

「すまん、ちょっと思っただけなんだ。俺が居なくても機能する警備に、俺が居なくても続く世界。……死んだ人が思い残すことなんて、生きていく人や世界にとっては、案外どうってこともないことなのかもなって……」

 

 何気なく生きてても、思う事なんてたくさんあるだろう。

 自分が死んだあとの世界なんて自分には知りようもないんだから、その時点で自分が見ていた世界は死ぬ。それなのに続く世界が確かにあって、そんな世界をいつか見れなくなることが辛くもあり……いつか誰かが頑張ったことが、誰かの頑張りの影に隠れてしまうのを知ることもまた、辛い。

 

「……やっぱり、心の準備が出来ようが出来まいが、起こることもやることもそう変わらないんだよなぁ……よし凪、夕餉は真桜と沙和も合わせてどこかで食べようか」

「はい。……しかし随分と急に、どうかしましたか?」

「あ、即答なのにしっかり疑問はぶつけるのね……。えっとさ、ほら。自分で最初に決めたものへ、心の準備期間を設けてみようかなって」

「?」

 

 首を傾げられた。

 そんな凪に細かな説明をわざとわかりにくく伝えて、考えるように仕向けてみる。

 凪もそれが授業の一環だとわかっているのか、眉間に皺を寄せながらも考えることを放棄しなかった。

 

……。

 

 さて、そんなわけで警邏が終わってからの食事。

 

「おっ、この料理、新しい味っ」

「んまいやろー? ここ、凪のお気に入りの店なんよー」

「や、それは聞いてたけど」

 

 凪と一緒に沙和や真桜と合流し、話を通すとあっさり了承。

 当然“食うんはえーけど、何処にいくんー?”とけだるそうに訊いてくる真桜に、凪と話して決めていた場所を提案。二人も気に入っていたのか前言通りにあっさり了承は得られ、ここにこうして居るわけだ。

 円卓に運ばれたものを舌で味わい、掻き込んだご飯と一緒に咀嚼……たまりません。

 他のところよりも辛味を前に出した料理が多いらしく、刺激と一緒に味が舌に残るからご飯が進む。そして追って現れる、舌を刺激する痺れ……花椒か? なるほど、これはいい。

 

「濃い味付けが恋しいと、こういう味付けは逆に嬉しいな」

 

 辛さの中にしっかりと味を感じられる絶妙な味付け。

 舌に残る刺激がそれを味の濃さと勘違いしてくれるのか、しっくりくる味というのか。

 唾液が溜まるし噛めば噛むほど口内が幸せ。

 ただし口の中を噛んだりしたら地獄を見そうだ。

 

「………」

 

 チラリと見れば、一心不乱に食事する凪。

 あるよなー、自分に合った食事処を見つけた時とか。

 誰にも邪魔されずに食いたくなるんだ。

 大体は数回来るうちに味が変わったような気がして、がっくりくるんだが。

 

「あ、たいちょー、その餃子一個もらっていい?」

「さっきからじ~っと見られれば、あげたくもなるわ。どうせ真桜もだろ?」

「お、くれるん? せやったららウチの焼売と交換しよ」

「ってこらこらっ、食いかけを寄越すんじゃないっ」

「隊長とウチらの仲や~ん、今さら食べかけがどうとか気にする間でもないんちゃうん?」

「じゃあ早々と米を食い滅ぼした真桜さん? 俺の食いかけの、少し赤い米、食べるか?」

「…………」

「………」

「なるほどなぁ……たしかに食い物となると、抵抗でるわぁ……」

「だろ?」

 

 言いながらも食事を進め、やがてそれも終わると店を出る。

 あとは見回りという名の道先案内人になった気分で、街を巡回するわけだ。

 平和になってからは悪さをする者は減ったという。

 むしろ大変なのが、将たちが起こす揉め事だったりするわけだが……そこのところはほら、華琳がしっかりと叱ってくれるから何度も何度も起こるわけじゃないし。

 ……たまに叱られること目当てで揉め事を起こす者が居たりするんだが、華琳もそういうところは見切っているので、相手が望むような罰は絶対に与えない。

 

「あ、そういえば聞いたで隊長、なんやわからんけど最近、稟に料理振る舞っとるそうやん」

「ん? ああ、あれか。ほら、稟って興奮しすぎると鼻血が凄いだろ? 鼻血が出るのは鼻の血管や粘膜が弱いからだ~って天で調べてきたからさ、だったらその血管自体を丈夫にしてやれば大丈夫かなって」

「隊長、血管も鍛えられるものなんですか?」

「鍛えっ……や、まあ間違ってはいないか。食生活で血管を鍛える、みたいな感じだ」

「へー、それで治ったりするの? 稟ちゃんの鼻血は食べ物なんかでは治らないと思うの」

「そうきっぱり言ってくれるなよぅ……えっとだな、どういう原因が付きまとうにせよ、一応俺達は食事で生きて、食事で体を作ってるだろ? だったら鼻のほうもなんとかなるって考えて、あとは少しずつ血管が丈夫になるまで、無理に興奮させたりしなければ───」

 

 きっと治る。

 そう続けようとした俺の耳に届く、俺を呼ぶ声。

 何事!? と声のした方向を見てみれば、こちらへ走ってくる警備隊の一人。

 ……わあい、なんだろう。なんとなく予想がついちゃった。いつかもこんなこと、あった気がするし。

 

「……なぁ真桜。これって……」

「あー……なんや予想ついたわー……。ツッコミきれんのが相手だと、駆け足も歩んでまう……」

「というわけで凪、沙和、あとは任せ……ハイ、行きます……」

 

 俺は凪に、真桜は沙和に、あっさり捕まった。

 そして警備兵に連れられるままに通りの先に行ってみれば……予想通りに血溜まりの中に倒れる誰かさん。驚くことでもないのは、その血の全てが鼻血であるからだろう。

 

「……いっつも思うんだけどさ。稟ってこの服、何着持ってるんだ? ここまで浸ってると、普通の洗濯じゃあ落ちないだろ」

「何着でも持っとるのとちゃうん……? んなことよりこの死体(なまもの)をどうするかやろ……」

「だよなぁ……」

 

 一応、兵たちにバリケードを作ってもらい、傍に屈んで頬をぺちぺちと軽く叩く。

 反応は……なにやら少し苦しげに呻いている。

 しかし、なんだってまたこんな場所で? いつかのように艶本にでも手を出したか? と見てみても、大事に本を抱き締めているわけでもない。

 となると、何かがきっかけになって妄想が膨らんで、爆発したと見るべき……なのか。

 どうでもよくないけど、近くの店の人にはいい迷惑だろこれ。

 “血を見てモノを食べたくなる”なんて人、そうは居ないし。

 

「とりあえず運んだほうがいいよな。風は……居ないみたいだし」

 

 キョロキョロと辺りを見渡してみるが、いつものように風が居るわけでもない。

 しかし、すぐ近くの店の奥から……どうしてか華琳が現れた。

 

「華琳?」

「あら、あなたたちも来てたの」

 

 俺、沙和、真桜、凪といった順に俺達を確認し、こちらへ歩みながらの言葉。

 その手には濡れた手ぬぐいがあって……なるほど、鼻を冷やすためか。

 ならばと稟を起こし、座るような状態にする。

 喉に血が溜まるのは大変よろしくない。

 そうすると華琳が俺に手ぬぐいを差し出し、俺はそれで稟の鼻を軽く圧迫する。

 冷やしてやると血管が収縮して、鼻血が止まる~って聞いたことがある。大体の場合は血管が収縮する前に、タオルとかがぬるくなって効果がないけど。

 どちらにしろ鼻血が固まるまで待つしかないよな、これって。

 血液中の成分が鼻血を固めるまで、その鼻血自体が流れ出ないようにするのがいいんだっけ? まいった、もうよく覚えていない。覚えるための勉強とかしたのに、なんとも情けない限りだ。

 でも仕方ないといえば仕方ない。

 鼻血の止め方とかって一般的すぎるから、偏りもそれはもうありすぎるのだ。

 どれが正しいのかなんて覚えきれない。

 あれだな、体質に合った止め方をしましょうってやつ。

 そうなると稟の場合は、首の後ろをトントンするのが丁度いいってことになるのか?

 

「……で、なんだって華琳はここに?」

「稟に訊きたいことがあっただけよ。最近、一刀に食事の世話をさせているらしいじゃない。天の料理には興味があったから、稟を連れ出して材料を揃えに来たのよ」

「………」

 

 それ、つまりデート?

 稟ってそれを勘違いしてこうなったんじゃあ……。

 

「ところで一刀? わたしはあなたに給仕係りになれだなんて、一言として言った覚えがないのだけれど?」

「鼻血のことを任せはしただろ? だからだよ。聞いてるとは思うけど、稟の鼻血のことの解決を、精神面じゃなくて体作りから始めてみようって思ったんだ」

「体作り……そう。食事をすれば鼻血が止まるっていう、漠然とした説明しかされなかったわよ」

「…………稟、案外大きな理解も無く付き合ってくれてたのかなぁ……」

 

 だとしたら、なんとなく申し訳ないことをした。

 ……さて、そうして話し合っている内に鼻血も止まり、軽く揺さぶりながら声をかけると、ゆっくりと開かれる稟の瞳。

 鼻血でいたるところが赤いが、そこはツッコんじゃあいけないところだろう。

 ほら、真桜も微妙な顔で見守ってるし。ツッコんでもツッコみきれないことだってある、なんてこと、戦が終わる前から悟っているのだ。

 

「一刀、あなた料理なんて出来たの?」

「一応って程度は。味気ないもので申し訳ないとは思ってるけどね、どうにも美味い物っていうのが作れないみたいだ。これでも頑張ってみてるんだけど、味が普通以上に上がらない」

「………」

「………」

 

 ぼーっとしつつも、のそりと立ち上がる稟の様子を見ながらの会話。

 やがてふらふらながらも立ってはいる稟だが……見てて怖いな、やっぱり肩は貸そう。

 

「そうね、一刀。わたしに一品作ってみせなさい」

「へ?」

 

 で、俺が稟に肩を貸して、これからのことを考えていると、そんなことを口にした。

 

「や、だから、普通なんだってば。華琳に食べさせるほどの腕じゃないし」

「あら。蜀では星を……あの趙子龍を唸らせたと聞くけど?」

「あれはメンマが良かったからであって俺の腕じゃないって。蓮華の時も稟の時も、普通としか評価が貰えなかった俺の料理なんて食べたら、華琳だって気分を害するに決まってるだろ」

「わたしが作れと言ったのだから、文句なんて言わないわよ。怒るけど」

「結局怒るんじゃないかっ! だだだダメだだめだめっ! 大体、食事じゃないけど天の食べ物ならもう渡しただろっ!?」

「───」

「………」

「…………?」

「……おや?」

 

 え? なに、この間。

 ぴたりと華琳の動きが止まって、俺の顔をまじまじと見てきて……

 

「もらってないわよ」

 

 一言、そう仰った。

 

「…………エ? や、だってほら、この間……桂花が綿菓子持っていっただろ? なんか俺に耳を塞いで騒いでろ~って言って、丁度綿菓子持ってたから耳塞げなくて……で、桂花に持っておいてもらったら、何かぶつぶつ言ったあとにビャーって逃げて」

「………」

「………え? と……届けて……ないのか?」

 

 な、なに? なんなんだこの嫌な空気。

 感じるコレは殺気ですか? むしろ華琳の回りの空気がモシャアアアアと歪んで見えるような……!! ぬ、ぬう、なんだこの異様な空気……! あまりの威圧感にこの北郷の足も震えておるわ……!

 

「一刀。その“わたがし”、というのを最初に口にしたのは誰?」

「華琳───になる筈だったんだけどな、桂花がきちんと届けていれば。でも届けてないとなると……あー……袁術、だな。次に凪、沙和の順で、俺も味見したから……」

「へぇ……そう」

 

 ……喉が、勝手にヒィとか叫びそうでした。

 怖ッ! 笑顔なのに怖いぞ華琳!!

 

「よ、よし華琳っ! 一緒に料理を作ろう! 作り方を全力で教えるから!」

「全力じゃなくていいわよ。あなたの言うとおりに作れば、普通にしかならないんでしょう?」

「はぅぐっ!」

 

 普通って言葉が突き刺さるものだと、改めて認識した。

 言葉の棘ってなかなか取れないから嫌いだ……けど、ここで諦めないのが賢い生き方だ。多分。

 

「や、やー……そうだったな、はは……。あ、でも頑張って作ろう今すぐ作ろう! 俺、なんだか急に華琳の作ったものが食いたくなっちゃったなぁーっ!!」

「なにを言っているのよ。食べるのは稟であってあなたじゃないでしょう?」

「ッ……ゴヘッ!」

 

 再度、華琳の言葉が突き刺さる。

 言葉を濁すどころかキッパリ言うもんだから、その刺さり具合といったらもう……。

 

「…………いや……うん……そうなんだけどさ……」

「ちゅーか隊長、さっきウチらと食べたばっかりやん」

「……へぇ、そう」

「空気読んでぇええーっ!!」

 

 神様こんにちは。こんばんはになりそうな空ですが、こんにちは。

 世の中ってとっても理不尽ですね。そして男ってやつはどうしてもいろいろなところで損をする生き物みたいです。

 惚れた女のためならなんにでも応える? 頼まれればなんでもこなす? どんな理不尽でも愛があれば大丈夫? そんなことがあるわけがない。

 そもそも俺は───………………アレ?

 

「えーと、華琳? 静かにお怒りのところを申し訳ありませんが、俺の役職って警備隊の隊長だよな?」

「……ええ、そうね」

 

 それがなに? と視線を向けられる。

 ふむ。───って、あれ? お怒りの部分に対する否定は無しですか?

 

「俺と華琳との“契約”みたいなのはあくまで“利用価値がある内は”であって、俺は華琳にそういった意味で拾われたのであって……えぇと」

 

 ……この平和になった世界なら、俺じゃなくても隊長務まらない?

 ていうか俺が復帰するまで平気だったなら、務まってたってことでして……その。

 

「なぁ華琳? 今の俺の利用価値ってなんだろう」

「そうね。支柱になることで同盟を安定させることくらいじゃない?」

「出来ないって言ったら?」

「魏を出て野垂れ死になさい」

「………」

 

 まあ、元々がそういう話だったわけだし、それはOK。

 な~んだ、つまり俺には元から最低限の拒否権くらいしかなかったのか、わっはっはー。

 

「……と、こう言われれば満足かしら?」

「ん。自分の立場を再認識したかっただけだから。俺は俺として、華琳のものであればいいだけだ。文字通りに拾われた命なんだし、返したいものも山ほどある。魏だけじゃなく、いろいろなものに」

「そう。なら蜀と呉から届けられたものに返事を飛ばさないといけないわね」

「?」

 

 返事?

 ハテ……なにやら嫌な予感が。

 

「返事って?」

「簡単なことよ。一刀を大陸の支柱にするために、蜀と呉が動き回っているだけ。三国の中心に都を置くことにも賛成だそうよ」

「早ッ!? いくらなんでも了承が早すぎるだろっ! ていうかそんな話いつからしてたんだ!? 全然聞いてないんだけど!?」

「雪蓮がここを発って、呉に戻った時点で蜀との話し合いが進んでいたそうよ」

「へー……って、あ、あぁああっ!? 頻繁に魏に遊びに来てたって聞いたのに、俺が帰ってきた途端に来なくなった理由はそれかっ!」

 

 呉と蜀が動き回ってるって、じゃあ桃香も……ってマテ? “呉に戻った時点で”? ということは……雪蓮が戻る前から、呉にはそういった蜀からの報せが届いてたってわけで……?

 

「どんなことをしてきたのかは詳しく知らないけれど。随分と好かれているようね、一刀」

「どんなって……ただ話したり喧嘩したり馬小屋だったりしただけで、これといったことなんて特には……」

 

 ていうかなんでいつの間にか俺への尋問みたいなものに?

 俺、ただ稟を介抱しようとしただけだよな?

 首を傾げる俺に対して、華琳は「馬小屋……?」と言って小さく困惑していた。

 

「華琳」

「なによ」

「綿菓子、ご馳走します。甘いぞ」

「あらそう? なら夕餉のあとにいただきましょう。より心を込めて作りなさい?」

「了解」

「ふふっ……それじゃあ夕餉も楽しみにしているから、せいぜいがっかりさせないで頂戴ね、一刀」

「ああ───……あ? えっ!? 晩メッ……夕餉も俺が作るのか!? 普通になるじゃないとか言ってたのに!?」

「教えてもらうのと作ってもらうのとじゃあ違うでしょう? 一刀の中の普通を基準に、わたしが美味しく完成させればそれで済むのだから」

 

 もはや普通確定。確かにその通りなんだが、それはそれで悔しいな……。

 いや、ここで妙な感情を燃やしたら普通以下の味になりそうだ。それは勘弁。

 模擬戦とかなら華琳も、模擬戦なのだから無茶な命令をしてみるのも面白いとか言うだろうけど……自分で食うとなれば話は別だろう。

 よし、普通に作ろう。不味くは作らないこと前提で。

 命大事に! 命大事に!

 

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)

(も、孟徳さん! …………つか孟徳さん!? 貴方にそれ言われて突っ込んで、よかった試しってあんまり無い気がするんですが!?)

 

 だが……ああだが、そう言われると出なくちゃいけないような気が……だって仮にも孟徳さんだし。脳内だけど。

 いや待て? 妙な手を加えて混沌料理を作るのは、味見をしないヤツか味覚音痴と決まっている! ならば厳重に味見をしつつ、注意しながら作れば……!

 

「任せてくれ! 俺の全力を以って作るから!」

「“余計”な手間は要らないわよ?」

「わかってるわかってる、あくまで目指すのは普通以上であって、普通以下は作らないから」

 

 腕が鳴る。

 そうと決まればと、話の腰を折らないようにと黙っていてくれたらしい三羽烏に手招きをして、肩を貸している稟も合わせて相談開始───と思ったら、稟は華琳にくいと引かれ、そのまま連れて行かれてしまった。

 ……まあそりゃあ、血を大量に失った人を引き止めるの悪いしな。

 

「三人とも、メシ食ったばかりですまん。これから華琳用に料理を作るから、味見や手伝いを頼んでいいか?」

「やー……ウチこれからちぃっと用事がー……」

「申し訳ありません隊長、実はわたしも……」

「わたしもなのー……」

「ゲッ……そ、そう……なのか……?」

 

 訊ねてみれば、こくりと申し訳なさそうに頷かれた。

 ……俺の全力とは言ったものの、実は凪の料理の腕にも期待していたりしたのですが。

 うわっちゃー……なんてことだ。確認を怠るからこんなことになるんだ。人生ってほんとに上手くいかない。

 だが諦めない! それが俺達に出来る戦い方だって、偉い人も言ってた!

 

「そっか、じゃあ他の人を探してみるから。あ、あー……俺、買い物とかしなきゃいけないからここで上がるな? あとは報告書を書くだけだから、それは俺が預かるよ」

「あー……なんやすまんなぁ隊長」

「気にしない気にしない、その代わり、俺に用事がある時も容赦なく断るから」

「うあ、みみっちぃで隊長」

「たまには我が侭くらい言わせてくれ。べつにほんとに断ったりしないから。もちろん、その時の状況にもよるが」

「……隊長の場合、どんな状況でも問答無用で連れて行かれてそうなのー……」

「不吉なこと言うんじゃありませんっ!! ……じゃあ凪、あと任せるな」

「はい。隊長……ご武運を」

 

 ……いつからか料理は武になっていたらしい。

 作る相手が相手だから、あながち間違いじゃないのがひどいもんだ。

 

(桂花がきちんと綿菓子を届けてくれていれば、こんなことにはならなかったのかなぁ)

 

 小さく頭によぎる思考に溜め息。

 流琉にでも協力を仰ごうかとも思ったが、それじゃあ俺の料理じゃなくなる。

 なので却下。あくまで味見役を……と考えたところで、料理を手伝ってもらわないなら別に流琉でもいいんじゃないだろうかという結論が。

 

「……いや、それだけじゃないしなぁ。ある程度、料理の知識がないと指摘も出来ないだろうし」

 

 たとえば春蘭だったら美味い不味いか硬い柔らかい、濃い薄いくらいの指摘しかしてこないだろう。……ダメじゃん。よ、よーし流琉を探そう! 流琉がいいな! 暇であってください流琉さん! お願いです!

 そんなこんなで結論を胸に、城を歩いて流琉を探したわけだが……親衛隊の報告纏めがあるそうで、季衣の手伝いをしているからこっちは手伝えないとのこと。

 まあ……相手があの華琳じゃあ、仕事を投げ出して料理の手伝いなんてのは無理だ。

 

「………」

 

 俺、サボったりしてよく無事だったよな……。




お待たせしております、凍傷です。
いえまあそのー、PCは無事なんですけど、いろいろありまして。
時間さえ取れれば更新はしていくつもりなので、のんびりと見てやってください。
基本、皆様が休みの日にはこちらは忙しいので……くそう夏休みなんて! 夏休みなんてー!
いえまあ今一番怖いのはお盆休みなんですけどね。
はぁ……僕も休みたい……。


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53:魏/G(魏)の食卓②

 夜が訪れた。

 食事時はとっくに過ぎていたが、それでも完成まで待ってくれた華琳に感謝を。

 ……調理している最中、どっかから桂花の叫び声が聞こえたりもしたが、大丈夫。俺は何も聞かなかった。結局誰もが忙しかったらしくて手を借りれなかったから、緊張の嵐だったし。聞こえなかったよ? うん聞こえなかった。

 そんなわけで厨房に招き、一対一のハラハラドキドキ状態で「さぁ、食べてみてよっ」とお決まりの言葉を。そう、一対一なのだ……緊張するなってほうが無理だ。断言する、無理だ。

 華琳は用意された場所に座り、「頂くわ」と返して少量のまろやかマーボーを一口。

 レンゲで掬われたソレは、湯気を元気に虚空へ揺らす出来たてアツアツのもの。

 塩分はやっぱり控えめだ。何故ってそりゃあ───

 

「……ふぅん」

 

 一口食べ、咀嚼して、嚥下。

 感想は“ふぅん”だけ。

 しかし出された分はしっかりと食べ、材料を無駄にはしないという姿勢を見せたのち、改めて……「一刀。これはいったい誰のために作ったものなのかしら?」とのお言葉。

 そう訊かれるであろうことを予測していたから、即答───では返さず、少し間を置いて返す。即答すぎると気分悪くなるし。

 

「それは稟のために作ったものだな。元々、稟の鼻血を止めようって作ったものだし、きっかけを忘れちゃあいけないと思って」

「随分と薄味なのね」

「塩分取りすぎたら血圧上がるからな、血管によくない。そんなわけで薄味。で、本命の華琳用がこちらに出来ております」

 

 はい、と差し出すのは華琳用に作ったまろやかマーボー全力味。

 稟用のものより少し赤みが強いが、辛さが強いとかそういうものかといったらそうでもない。なにせまろやかマーボーだし。

 

「さあ、食べてみてよっ」

「……あまりに少量だからおかしいと思ったわ」

 

 レンゲを手に、マーボーを掬って一口。

 まだ熱いそれを軽く口で転がし、咀嚼し、飲み込む。

 それが終わると華琳は「へぇ……」とどちらともつかない意味深な声をもらす。

 俺は……そんな華琳を冷静な顔で、しかし内心ハラハラドキドキで眺めつつ、正式採用綿菓子くんを使用しつつ綿菓子を作っていた。

 

「あ、もしかして辛かったか? 四時食制騒ぎのことも考慮して、辛さは控えたんだけど」

「だから! あれはわたしの好みの問題じゃないと言ったでしょう!?」

「お、おお……」

 

 怒られてしまった。

 いや……だ、大丈夫、大丈夫だ……落ち着け北郷一刀。

 ダメならダメで次に活かすんだ。

 大丈夫だってハハハ、ダメだとしたら同じ食材で次元の違う料理作られてボロクソ言われて落ち込んで立ち直れなくなってアァアア落ち着けねぇええーっ!!!

 ハッ!? く、口調口調! 心の中でも落ち着きを持つ武士然と構えよ!

 いやむしろ給仕的なことをしているわけだから、いっそ執事っぽく? ……一発で却下&ダメだし食らいそうだ。やめておこう。

 

「………」

 

 さて。考え事をしているうちに綿菓子が出来てしまった。

 考えごとに熱中するあまり、無駄な雑念が生まれなかったからなのか、今までで最高の仕上がりだったりした。俺、変に意識しないほうが物事成功させやすい性質なのかな。

 

(………)

 

 なんとなく、これを格好よく虚空に突き出し不敵な笑みを浮かべる華琳を想像してみる。

 ……意外や、なかなか似合っていた。

 

(っと、考え事もここまでか)

 

 華琳も食事を終えたようで、小さく息を吐いて俺を見た。

 さあ、どんな言葉が来るのか……?

 

「……………」

「………」

「………………」

「……」

「……?」

 

 あれ? 感想がこない……?

 

「……なにをしているのよ。早くそれ、渡しなさい」

「え? あ、ああ」

 

 ……やっぱり料理に対する感想は無しのようだった。

 ゴクリと喉を鳴らして待っていたのに、意外なくらいにあっさりと要求されるデセル(デザート)。

 あの華琳が俺の料理に対して何も言わない……? み、妙ぞ、こはいかなる……って、それはいいからとにかく綿菓子。

 

「………」

 

 はいと手渡したそれを、珍しそうに見る華琳さま。

 こころなし、目が輝いておられるような気が……しないでもない。

 やがて最初はチロリと舌で舐め、甘さに少し驚いてからハモリと綿菓子を口にする。

 一言で言えば甘いだけの菓子で、味も砂糖なソレだが……シンプルさとカタチが良かったんだろうか。華琳は綿菓子の感触と軽い甘さをモフモフと堪能して、少しだけ顔を綻ばせた───と思ったらビシッと引き締めた。

 あー……わかるわかる、綿菓子ってどうしてか顔が緩むよな。

 甘いだけで大して美味しいってわけでもないんだけど、緩むんだ。

 俺はもういろいろ考えるのはやめにして、そんな華琳の表情を楽しむことにした。

 ジト目で睨まれても知りません。だって華琳の傍に居るのが役目ですもの。

 

「………」

「………」

 

 ややあって、綿菓子がただの棒だけになる。

 無言なままに完食した華琳は、棒を置いてから……ここでようやく俺へと言葉を投げる。

 華琳の食事風景を堪能した俺はといえば、もはや何を言われても構わぬと心が満たされた状態で、そんな彼女の言葉を迎えた。

 

  ……で、それはもうボロクソ言われた。

 

 材料の切り方、熱しすぎて形が崩れすぎ、稟のものに比べると味が少し強い、落ち着かせたほうがまろやかではある、等々……表現は自分のためにもやわらかくしているが、こと料理関しては厳しい華琳。簡易的な説明じゃないのであれば、笑顔など吹き飛ぶほどのきつい指導がございました。

 そして…………そして。

 

「うまっ!?」

 

 同じ材料、同じ条件で、初めて作ったもので唸らされた。

 こ……これが覇王か……! 様々を興じてこそと言うだけはある……! 食べてからそう時間は経ってないから、そこまで腹は減ってなかったのに……っ……味覚が、味覚が俺に次を寄越せと命令を……!

 

「………」

「んぐっ、んっ、はぐっ、あちちっ……!」

 

 いつ料理の練習しているのかもわからないが、これは勝てない。

 マーボーを掻き込みよく味わいながら咀嚼し、飲み込む。その動作を何度も繰り返し、やがて全てを食し終えると……手を合わせて「ごちそうさま」を心から放った。

 さっきからじ~っと見られている気がしたが、食事に集中したかったから集中した。それも終わった今、暖かな満足感を胸と腹に抱き、ハフーと幸せな溜め息を吐く。

 

「いや……まいった。同じ材料でここまで差をつけられるとヘコムな。なのに美味いから満足しちゃうし。……もう言ったけど改めて、ごちそうさま、華琳。めちゃくちゃ美味かったよ」

「───! ……当然よ、このわたし自らが作ったんだもの」

 

 その割りに、一瞬だけ安心したような顔をしたような。気の所為? 本当に一瞬で、今は得意気に軽く胸を張っているだけだけど。

 や、でも美味かった。美味かった……けど、さすがに食いすぎた。

 食べてきたことは知ってたんだから、もうちょっと量を減らしてくれてもよかったのに。

 もしかして華琳って、少ない量じゃあ料理が出来ない人? ……まさかだよな。そうだとしても、完食してしまった俺が言っても説得力がない。

 

「稟の食事の世話って、華琳がやったほうが喜ぶんじゃないか? 俺じゃあこんな味出せないもん」

「だめよ。それは一刀、あなたの仕事でしょう?」

「む。それは確かに、俺が始めたことだけど」

「それにわたしのは一刀用に味付けをしたものよ。血管への作用なんて詳しいわけじゃないし、わたしの作り方で稟の鼻血が止まる確証も自信もないもの」

「おお……」

 

 塩分摂取が過剰になれば血圧を高める。なるほど、俺が言った言葉だ。

 血がさらさらな方が、鼻血が出た時に止まりにくいってのもあるけど……それはそれだな。味は薄いほうが健康にはいいと思う。

 

「じゃあ、これからも稟の食事の世話は俺がやっても?」

「ええ、構わないわ。それから一刀。天の料理を、知っている限りわたしと流琉に教えなさい」

「天の料理を? いいけど……どうしたんだ、急に」

「べつに。久しぶりに腕を振るったら、いろいろと試してみたくなっただけよ。いいものがあるのなら、四時食制に加えるのも悪くないと思うのも当然でしょう?」

「そんなもんか」

「ええ、そんなもんよ」

 

 そう答える華琳はどこか楽しげだ。

 ……あ、ちなみに華琳式まろやかマーボーはしっかりと辛さ控えめだった。

 彼女の味覚がそうさせたのか否かは別として、まろやかさは伝わった。

 

「じゃあ、片付けるか。あ、俺がやっておくから華琳は…………って、どした?」

 

 空になった食器を揃え、持ち上げようとした俺をじ~っと見つめる華琳。

 米粒でもついているのかと、食器から手を離して頬に触れてみるのだが、そんな感触は一切ない。なんだろ、俺、ヘンなこと言ったっけ?

 

「あれ?」

 

 しかしここであることに気づく。

 華琳が食べ終えてから置いたはずの、綿菓子の棒が見当たらず……

 

「………」

「………」

 

 なんか、華琳が持ってらっしゃった。

 視線に気づいた華琳がすぐに隠すがもう遅い。

 

「……もう一回、作ろうか?」

「~……!!」

 

 軽く俯いた顔が真っ赤になり、それが恥ずかしかったのか震える彼女に笑みを向ける。

 どうやら気に入ってくれたらしい。

 無言で差し出された棒を手に、もう一度綿菓子機の前へ。

 しかし一度置いた棒で作ると文句が飛びそうだったから、別の棒を用意。

 作る過程から見せて、無言で綿菓子が作られるのを見る華琳の顔を見るのは、口には出来ないが縁日で燥ぐ子供を見ているような気分だった。

 

「華琳さ、やっぱり辛いのより甘いもののほうが好きだろ」

「っ……だ、大事なのは味を判断する味覚よ。辛いだけでは味なんてどうでもよくなるって、前にも言ったじゃない」

「じゃあ、辛いものと甘いもので言ったらどっちが好き?」

「だからっ、辛いとか甘いとか、そんなことはどうでもいいのよっ」

「そっか。ちょっと思いついたものがあったから、甘いものが好きならやってみたいことがあったんだけど」

 

 ぴくり。

 甘いものって言葉に、なんとなく華琳が震えたように見えた。

 

「天では暑い日にはアイスってのが人気なんだけどさ。丁度大陸って場所でもあるし、真桜あたりなら硝石くらい持ってると思うし、牛乳もあるしでアイスが作れると思うんだが」

「あいす?」

「冷たいお菓子だよ。前に流琉に頼んでクッキー作ってもらったけど、それとはちょっと違う、牛乳とか砂糖とかを冷やしながら混ぜたもの……かな? 混ぜたものを冷やすでもいいけど」

 

 生クリームはほっとけば浮いてくるだろうから、それを取ってもらっておくとして……氷は水と硝石で作って、香り付け……バニラエッセンスとかは酒で代用しよう。みんな、お酒好きだし、たしかあれってバニラの香りをアルコールに溶かしたものだった筈。

 

「冷たいお菓子……天は本当に興味深いことばかりね。いいわ、それは明日にでもあなたが作ってみせなさい」

「明日か!? や、確かに非番だけどさ。華琳は仕事あるだろ? サボらない限り、ほぼ」

「時間なんて作ればいいのよ。それをするための準備はあなたが戻る前から出来ているのだから。……まあ、最近は呉蜀から来る要望整理に追われて、時間を割く余裕もなかったのだけれど」

 

 正直だなぁ……まあいいや、華琳が大丈夫だっていうなら出来るだけのものを作ろう。

 よし、綿菓子完成っと。

 

「はいお嬢ちゃん、綿菓子だよー」

「……………」

「いや、睨まれてもな。これが天の国の伝統というか、縁日の常套句なんだよ」

 

 ともかくハイと渡した綿菓子を、溜め息を吐きながら受け取る華琳。

 しかし次の瞬間には何処か楽しげな表情で綿菓子のモフモフとした食感を楽しんだ。

 さて、それじゃあ俺は下準備を始めなきゃだから……

 

「じゃあ華琳、俺これから材料集めに走るから。明日の昼あたりにはご馳走できると思うけど、どうする? 夜のほうがいいか?」

「ええそうね、夜でいいわ」

「そっか。じゃあ牛乳分けてくれたおっちゃんに、アレを捨てないでおいてもらって……」

 

 やることは多そうだ。

 そうと決まれば今のうちからおっちゃんのところへ行って、取っておいてもらわないと。

 

「じゃあな華琳、俺ちょっと出てくるから」

「ちょっと待ちなさい一刀。そのあいすとやらの材料は、そんなにも手に入りづらいものなの?」

「言ったろ、“ご馳走する”って。一所懸命に走ることに意味がある。まあそれは建前にしても、どうせならちゃんとしたの食べてもらいたいしさ。遅くなればなるほど手に入りづらいものもあるから」

 

 そんなわけだからと断ってから行動開始。

 食器を片付けて綿菓子機も片付けて、いざ出発!

 

「だから待ちなさいと言っているでしょう? ……思春を就かせるわ、あまり無茶をするようなら力ずくで止めなさい」

「御意」

「ゥヒィッ!? いっ……居たのか思春! ていうかまた背後!?」

 

 何故か俺の背後から聞こえた声に、悲鳴を上げながら振り向けば思春さん。

 相変わらずの表情で、ただ静かにそこに立っている。好きだなぁ背後。

 

「………」

「………」

 

 しかも俺が動くまで一切動く気が無いらしく、じーっとこちらを睨んで……もとい、見つめてきている。

 ……行くか。せっかく一緒に来てくれるっていうんだから。

 

「じゃあ、またよろしくな、思春」

「……ああ」

 

 目を伏せ、それだけを返すのを確認すると、今度こそと華琳に一言届けてから行動開始。

 厨房を出て、通路を歩きながらこれからの行動を煮詰める。

 

(ん~っと……)

 

 乳牛を飼う人はこれで案外少ないから、牛乳が欲しいと思ったら先に言っておく必要がある。この時代、まだ牛乳を飲んだりする習慣は多くみられないっぽいし。

 これでも増えたらしいんだけどね。

 さて、行動するにしてもまずはどうするか。

 明日は忙しくなりそうだし、今日のうちに出来ることを進めるべきなのは当然だ。

 あー……まずは真桜に訊いて硝石があるかどうかの確認だな。

 無かったら…………えーと、どうしようか。無かったら話にならないんだが。

 火薬の材料には使われてるんだから───って、硝石が火薬の材料として使われるのはもっと後か? いや待て、桔梗の豪天砲は火薬仕様だろ。

 火薬の調合が確立されてるんだから、硝石は普通にあるよな、うん、きっとある。……歴史的には、火薬の調合は唐の時代、今から400年近くあとの話だった気がするんだが、それを言うのはきっとヤボってもんだろう。貂蝉の言う通り、“ここがそういう世界”なだけなのだ。

 

「よし、あとは───」

 

 次の行動が決まってくると、通路を歩む足も早くなる。

 思春に必要な材料と、何処でどれが手に入るのかを話しながら真桜の部屋へ。

 硝石があることを知ると、今度は乳牛がある邑を目指して城の外へ。

 分けてもらった硝石と水を持ったまま氣を使用して、夜を駆ける。

 夜に馬に乗るのはオススメしない。馬も、乗ってる人も危険だ。

 

「三日置きの鍛錬が出来なくなっても、結構走れるもんだな……」

「それはその分、貴様が氣の扱いに慣れてきたからだろう」

「そっか。だったら、氣ばっかり鍛えてたここ最近も無駄じゃあなかったってことか」

 

 夜道を駆ける。

 一応、城を出る時にも街を出る時にも門番にひと声かけておいたから、妙な話は出回らないはずだ。乱世の中じゃあ絶対に出来ないことだな、これは。

 

「思春、思春っ、一から何かを作るのってわくわくするよなっ」

 

 夜空の下を思う存分駆け回っている所為だろうか。

 自分のテンションがちょっとおかしいことを自覚しながらも、湧き出るわくわくを抑えきれない。気分はまるで水を得た魚だ。……この場合、おもちゃを得た悪ガキだな、うん。

 そんなハイテンションな俺をちらりと見た思春は溜め息を吐くだけで、特に言葉を返したりはしなかった。

 だからなんとなく可笑しくなって、でもそんな可笑しさを溜め息で吐き出して……口を開く。城の中では言えないことを、口にするために。

 

「俺さ、思ったんだよ」

「……?」

「や、霞にも言われたことなんだけどさ。狡兎死して走狗煮らる……それってなにも、武を必要とされなくなった武官に限ったことじゃあなかったんだよな。俺だって利用価値が無くなればそれまでで、仕事があるからこうして生きていられる。天の御遣いだから大丈夫~とか、妙な先入観があったんだ」

「……ああ」

「でも、違うんだよな……御遣いだからってずっと何もしないでいいわけじゃない。王だからって踏ん反り返っていればいいわけでもない。やるべきことをやって初めて、自分の場所が提供されるんだよな」

 

 そこのところは結局、何百何千と時間が経とうが変わらないんだなと実感する。

 

「俺は狡兎を狩る走狗にはなれなかったけど、自分に出来ることがあったから魏に置いてもらった。活かせる知識を持っていなかったらって考えると、今でも寒気がするよ」

「それこそただの種馬になるか」

「種馬になる前に捨てられてたんじゃないかな。今の華琳じゃわからないけど、出会ったばかりの華琳なら迷うことなく役立たずは切り捨てたと思う」

 

 なにせ引き合いに利用価値を出したほどだ。

 あの頃の華琳なら、俺への興味を俺ごと早々に切り捨てただろう。そして俺はどこかで野垂れ死にしていた。そんなことを容易に想像出来る時代があったのだ。

 食だってただじゃない。役に立たない奴に食料を分け続けられるほど、豊かだったわけでもないんだ、それは仕方が無い。

 だから今は、こうして自分に出来ることを探しては実行するようにしている。

 利用価値ってものがどうか無くなりませんようにって……まあ、ようするにいつだって怖いのだ。天でだって、きっと働き始めれば同じ事を思うに違いない。

 前にも似たようなことを考えたが、霞と話をしたらそんな思いが強くなった。

 知識が無くても、乱世の中なら“天の御遣い”って名前だけで置かれていたかもしれないが、今ほど待遇はいいものじゃない気がする。天の知識が無ければ、ほんとにただのお飾りだったんだもんなぁ俺……。

 

「警備隊の隊長にはなったけど、根本からして変わってはいないんだよな。受け容れてもらったからって何もかもが許されるわけでもない。働かざる者食うべからずって色が天よりもよっぽど濃いこの時代だ、ただ食うだけのヤツなんて捨てられて当然なんだし……だったら何かをするしかない。俺にとってのその何かってのが多分……」

 

 華琳の傍に居て、自分らしくあること。

 警備隊の仕事もして、知識を提供して、魏の役に立つこと。

 

「魏のため……か。うん……もしなんだかんだで魏から追い出されたら、どうしようかな」

 

 無いとは思うが、人ってのは何が起こるかわからないから、安心を求めるものなのだ。

 考えるだけならタダだし、少し考えてみた。

 …………。

 傍に霞が居ても居なくても、一度羅馬に行ってみようか。

 自分を見つめ直すにはいい機会かもしれない。もしもだけど。

 大陸を離れて、いろいろな国を見て回るのもいいかもしれない。

 

「思春はもし“要らない”って言われたらどうする?」

「それは貴様が私にそう言うということか?」

「いや、それは絶対にないけど……ってそっか、思春って一応、俺の下に就いてることになってるんだっけ……隣に居るのが自然みたいな感じで、すっかり忘れてた」

「貴様は……」

「でも、うん。そんなことは絶対に言わないって。どちらかというと、言われそうなのは俺だと思うし。行動が行き過ぎて、お前じゃだめだーとか言われてさ」

 

 溜め息を吐く思春に、苦笑しながら言葉を届ける。

 ほんと、世の中っていうのがもうちょっと心の準備をさせてくれる世界だったらなぁ。

 

「今だから言えるけどさ。支柱って言葉に自分が向かった理由も、そんな不安からくる何かの所為なんじゃないかなって、そう思うんだ。支柱になれば利用価値は長く続くんじゃないかなって、そんな打算的なことを考えたことだってある」

「貴様は自分が魏に居る理由がほしいのか」

「今でもソレを探しているからこそ、こうして走り回ってるんだろうな。質問戻すけど、思春だったらどうする? 要らないって言われたら」

「貴様に言われないうちはせいぜい貴様の下にでも就いていよう。それすらもが却下されるというなら、農婦にでもなればいい」

「……おお。いいな、それ」

 

 「俺もそうなったらそうしてみようかな」なんてことを続けて口にする。

 すると思春は……あれ? なんか止まってる。

 

「思春?」

「! …………い、いや、貴様はやめろ。農婦は私一人で事足りることだ」

「え? いや、一人でって結構大変じゃあ……えと、それじゃあ俺は行商でもやってみるかな」

「と、いうか、だな……何故、一緒に居ることが前提で……い、いや……」

「? 思春? おーい?」

 

 そんな日がいつ訪れてもいいように、心の準備をしておいてみようか。楽しい日々に飲まれ、どうせ忘れてしまうであろう心の準備だとしても。

 そうして、来るか来ないかもわからない先のことを話しながら、辿り着いた邑。

 そこでおやっさんに話を通して、牛乳を貰えることになった。

 生クリームは熱するか冷やすかすれば勝手に浮いてくるものだから、そういった処理をしたものから生クリームを分けてもらえることにもなった。

 ただ、

 

「どうせなら朝一番で搾ったものが良いでしょう。翌朝になってしまいますが、それでも構いませんか」

「ん、確かにそうかも」

 

 ってことにもなったために、また一泊することになり───ません。明日一番に取りに来ますとも。

 やんわりとした断りの言葉を前にして、おやっさんは「そうですか」と少し残念そうに口にしていた。泊まってほしかったんだろうか……ていうか顔はおやっさんって感じなのに、喋り方が丁寧だから結構調子が狂う人だったりする。優しい人なんだけど。

 対する思春は咳払いを何度か繰り返して、どうしてか俺にだけは絶対に顔を見せない一人の修羅になってしまった。声をかけても近づこうとしても、何故か一定の距離を保ったまま近づけやしない。

 首を傾げながらも一応の了承を得たならば、ここでこうしていても仕方ないので街に戻り……結局、保存のために持ってきた水と硝石は使わなかったなーと思いながら、遅くなったことを門番に謝りつつ今日という日を終了させた。

 ……思春と別れて部屋に戻った途端、一日中のほぼをほったらかしにしていたことで、袁術にたんまりと文句を言われたりしたのは割愛させてもらおう。



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54:魏/爆発したもの①

96/あなたの沸点

 

 朝である。

 本日快晴、素晴らしき朝である。

 窓から差し込むうっすらとした日差しを見て軽く頷き、隣で穏やかに眠る袁術に視線を移してまた頷く。

 さて、今日は非番でございます。そして楽しい氷菓作りの日でございます。

 張り切っていきましょう。夜までに、この手でアイスを作るのだ───!

 

「よしっ、そうと決まればォうっ!?」

 

 上半身だけ起こしていた体を動かし、寝台から足を下ろしていざ立ち上がろうとした俺を、なにかがぐんっと引っ張った。

 引っ張られる感触へと振り向いてみれば、にゃむにゃむと眠ったままの袁術が俺の寝巻きという名のシャツを掴んでいて……どういう握力だ?

 

「………」

 

 ペリペリと指を一本ずつ外しにかかる。

 しかし一本外せば別の指ががしりと掴み、次の指に移れば外したばかりの指ががしりと掴む。外すって言うと関節を外しているに聞こえなくもないが、剥がすって言い方でも爪を剥がしているみたいで……ってそんなことはどーだっていいんだ。

 

「にゅむむぅう……なにをしておる、ばかものぉ……わらわをおいて、またどこかへいこうというのじゃなぁ……? ゆるさぬぞ、ゆるさぬぅう…………」

「……これで寝言だっていうんだからすごいよな」

 

 熟睡中の袁術の頬をぷにぷにとつつくも、その指がハモリと食べ───もとい、口に含まれてしまう。その感触に思わず引っ込めようとした途端、逃がすまいと歯が立てられてギャァアアーッ!!

 

「いたったたたいたいいたいいたいってぇえええっ!!」

 

 強引にひっぱると、ちゅぽんと解放される指……なのだが、見事に歯型がついていた。うぅ……美以じゃあるまいし、蜀を離れれば噛まれることなんてそうそうないと思ってたのに。

 しかも口から指を抜く感触にもめげずに熟睡してらっしゃるよ、このお嬢さまは。

 

「さらに言えば、シャツも解放してくれないとくる」

 

 どうしよう。

 

「あー……んー……」

 

 思考を巡らせる。

 巡らせて巡らせて、出た答えは……

 

「よし連れていこう」

 

 とにかく時間がない。

 まさか叩き起こすわけにもいかないし、シャツを掴んでいるだけならどうにでもなるだろう。寝言であそこまで言えるんだから、目覚めた先が蒼の下だって構うもんか。

 

「でもまず着替えないとな……って、あー……」

 

 簡単な攻略法に気づいてしまった。

 なんのことはなく、掴まれているシャツを脱ぎ捨てて、バッグから別のシャツを取り出すだけ。それを着て、フランチェスカの制服……じゃなく、庶人服を着て……と。準備完了!!

 シャツを掴んだまま寝ている袁術をもう一度見て、「ゆっくり休めよ~」と声をかけて頭を撫でる。寝たままの彼女はくすぐったかったんだろうか、身動ぎすると手を振るい、頭を撫でる腕を軽く払って……何故か、その拍子に服の袖をがしりと掴んだ。

 

「…………OH」

 

 代わりに解放された黒のシャツが、布団の上で伸びていた。

 …………どうしよう。(パート2)

 剥がしにかかるが先ほどと同様の結果しか得られない始末。

 そうなれば───

 

「よし連れていこう」

 

 結論もやっぱり一緒だった。

 袁術の寝巻きは庶人の服だから、べつにこのまま外に出て困るわけでもない。

 むしろちいさな街娘って感じでかわいいくらいだ。うん、似合ってる似合ってる。

 

「よい……しょっ、と……うわ、やっぱり軽いな」

 

 袖を掴む手がヘンにねじれないように注意しながら抱き上げ、そのまま歩く。

 必要なものはバッグに詰めて、代わりに胴着等は机に置いていく。

 あとはおっちゃんのところまでひとっ走りだ。───いや、さすがに馬でだぞ?

 

「となると余計に危ないわけだが。袁術? 袁術ー!? 袁術! 袁術ーっ!!」

 

 落馬は危険だ。

 やっぱり無理にでも起こして、離してもらうことにした。

 

「うぅう……どなるでないぃ……きちんときこえておるわ、ばかものめ……」

「だったらまず両の目を開こうな。そして掴んでいる袖を離してくれ」

「何を申すかうつけがぁ……。これは……妾の……蜂蜜水、じゃぞぅ…………むにぅ……誰がおぬしなぞに……くれてやるものか……」

 

 思いっきり寝惚けてらっしゃる。

 けれども寝ているところを連れていくよりはマシだと、起こす行為を続けた。

 その甲斐あって、ようやくうっすらと目が開かれ……その目が、俺を捉えた。

 

「や。目ぇ醒めたか?」

「………妾の蜂蜜水はどこじゃ……?」

 

 返事ではなく疑問が返ってきた。

 うん、べつに構わないけどさ。寝起きの人の言葉っていまいち要領を得ないよな……。

 

「残念だけどそれは夢の話だ。で、俺これから用事があるから、この掴んだ服を離してほしいんだけど」

「───…………、…………ふむ……? 何処に遊びに行くのじゃ……?」

 

 たっぷり時間をかけて、返す言葉がそれだった。

 

「袁術……キミの中で“俺+用事=遊び”は確定なのか……」

 

 とりあえずは手を離し、こしこしと目をこす……ろうとする袁術を止め、タオルでやさしく拭いてやる。寝起きの人と酔っ払いには紳士的に対応する。これが世の中の生き方です。

 

「わぷぷっ、なにをするか無礼者っ」

「無礼者らしく無礼を働いておりますお嬢さま。……はい、綺麗になりました」

 

 執事っぽく軽く頭を下げ、タオルも下げる。

 すると袁術は、「綺麗になりましたでは普段が綺麗ではないみたいであろ!」と怒ってらっしゃる。ええい、乙女心も女心も何もかもが男には理解しきれない。

 

「ところで一刀? なにやら用事があると申しておったの。何処に何をしに行くのじゃ?」

「ん。出来てからのお楽しみだから、それはちょっと言えないんだ。ごめんな」

「出来てから……? こっ……子供が出来るのかの!?」

「まったく疑いもせずにこの反応!! だ、誰だぁあこの子にこんなこと教えたのは一人しか思い当たらねぇええーっ!!」

 

 疑問がそのままあっさり答えに繋がった瞬間でした。

 桂花には何か仕返しを考えておこう。

 

「あ、あー……もう……! お菓子だよ、冷たいお菓子を作るためにいろいろと回るんだ。子供を作るわけでも誤解を生みに行くわけでも断じてない」

「おおそうか、ならば妾も連れていくがよいぞ?」

「…………あれ?」

 

 ハテ、何故こうなる。

 俺としては“面倒だからお主だけで行くがよいぞ?”的な言葉を期待していたのに……どうしてこう袁家の連中は人の期待の裏を掻くのが上手いのか。

 

「いや、袁術? 袁術はここでのんびりと待っててくれれば───」

「いやじゃっ、こんな狭苦しいところで何日も待つだけなどもはや飽いたわっ!」

「わー、さっすがお嬢サマ。積極的にHIKIKOMOってた人の言葉とは思えませんねそれ」

「うむうむ、そうであろそうであろっ」

 

 なんだろう……胸を張って「うわーははははー」と笑う袁術を前に、なんとなく七乃があんな性格になった理由、わかった気がした。

 元からだったら凄いな。けど少なからず袁術からの影響もあるんじゃないかと本気で思い始めてきた。

 

「でもダメ」

「何故じゃっ!?」

「なぜもなにも……」

 

 口に出して考えてみる。

 袁術を邑に連れていったらどうなるか───……

 

「1、勝手に動き回って迷子になる。その際、俺の方が迷子だったと言い張る」

「はうっ」

「2、勝手に買い食いをする。支払いは全部俺持ち」

「むぐっ」

「3、よからぬことを考える。手始めに邑の連中を妾の魅力で手下にしてとか言ってな」

「ふくっ!?」

「4、家畜に興味を示し、有無も言わさず突貫。邑の人に大迷惑をかけること前提で」

「う、うみゅう……」

「5、氷菓製作中にいろいろと邪魔をする」

「う、う……うー……!」

「結論。……それは置いていくわ。……な?」

「な、ではないのじゃーっ! 一刀お主、妾をなんじゃと思っておるっ! わわわ妾がそのような浅い考えをする筈がなかろ!? なかろ!? ないであろ!? の!? のう!?」

 

 もの凄いどもり様……ああそうか、考えてたのか……。

 

「とにかくだめ。大人しくここで待ってなさい───って、あ、こらっ! 離しなさいっ!」

「いやじゃいやじゃーっ! 妾も外に出たいのじゃーっ!」

「あぁもう! なんで言うこと聞けないの! いい子にしてなきゃだめでしょ!」

 

 服を掴まれ、駄々っ子さんを発動されてはこちらもオカンにならざるをえない……じゃなくて。確かにずっと部屋にこもりっぱなしで息が詰まるのもわかる。べつに捕虜ってわけじゃなく、三国に下ったことになっているんだから自由に歩けばいい……筈なんだが、どうしてか俺と一緒じゃなければ外を歩く気にならないらしいのだ、このお子様は。

 ソレを考えると、俺は随分と図々しかったんだなぁと改めて確認。

 呉でも蜀でも構えることなく動き回っていたからなぁ。

 

「……じゃあ、大人しくしていること。興味に導かれるままなんでもかんでも行動を起こさないこと。守れるか?」

「おおっ、そのようなことはこの妾にかかれば造作もないことじゃ。妾の素晴らしき大人しさぶりに、きっと一刀も満足すること間違いなしであろうの、うほほほほ」

「そっか。さっすがお嬢様だな。なら留守番よろしくなー」

「うむうむ、どーんと妾に任せるがよか───何故そうなるのじゃ!?」

「え? いや、べつに連れていくとは言ってないし」

「話の流れからしてここで連れていかぬは外道というものであろ!? い、行くのじゃ! 妾もいくのじゃー! お主だけ一人行くことは許さぬぞー!」

 

 そしてまた服を掴まれてのこの言葉である。

 こんな小さな子に外道と言われるのは、これでなかなかこたえるということがわかった。

 ああもう、どうするべきか……。

 

 

 

 

-_-/桂花

 

 ……いらいらする。

 北郷が帰ってきてからというもの、華琳さまがそわそわする時間が増えた。

 それが誰を思ってのことなのかを理解するのが嫌で、中途半端な理解のままにその原因への嫌がらせを考えている。

 今こうしてその男の部屋へと向かう足も、あの男を地獄へ突き落とすために動いている。それは当然のことであり、それ以外は考えられない。

 

「それに……あの男へ攻撃を仕掛ければ、華琳さまが私にきついおしおきを……」

 

 華琳さま直々に下してくださるお仕置きが、私の心を掴んで離さない。

 手違いで華琳さまを落とし穴に落としそうになってしまった時は、さすがに危険極まりなかったけれど……そう。こうして北郷へ仕掛けるのも全ては華琳さまを悪い悪夢から解放するため。

 あんな男の何がいいのか。

 今では私以外の将のほぼが、あの男に骨抜きにされている。

 ならば唯一正気でいる私が、あの男の魔の手から華琳さまが大事にする魏の名を死守しなければ……!!

 

「ふふふ、北郷……いまにあなたの頭から煩悩というものを追い出してくれるわ。そうよ、そうすればあの男だって多少は使える男になるんだから……!」

 

 調教が必要だ。

 あの男の意識の全てを、女に走る思考ではなく仕事のみに役立つ存在に変える調教が。

 どういうことか最近は女に手を出していないようにも見えるが、どうせ───と、そんなことを思っていた時だった。

 

「───いかぬは外道というものであろ!? い、イクくのじゃ! 妾もイクのじゃー! お主だけ一人イクことは許さぬぞー!」

 

 北郷の部屋の前に辿り着く少し前。

 通路の先で、そんな声が聞こえた。

 どこか泣き出しそうな震える声調と、なんとも卑猥な言葉が……!!

 

「ほらみなさい! 所詮あの男の本能なんてものはみぃんな下半身にあるのよ!」

 

 やはり必要なのは調教!

 ならばと、嫌がる袁術を無理矢理押し倒しているであろう状況を押さえ、弱みを握ってやろうと扉を開け放ち───

 

「とうとう本性を現したわねこの全身白濁男!」

 

 ───そう言ってやった。

 言ってやったのだけど……私に向けられた視線は、何故だかとても冷たいものだった。

 

 

-_-/一刀

 

 ……朝っぱらから大変おかしなことを叫ぶ軍師さまがやってきた。

 勢いよく扉を開けたと思えば、突然白濁男扱いである。

 で、なんだか固まってたから事情を聞いてみれば───

 

「……あのさ。あんな言葉で真っ先に“そっち側”を連想するほうが、よっぽど脳内が煩悩まみれなんじゃないか?」

「なっ! あんたにだけは言われたくないわよ!!」

「俺だって今のお前にだけは言われたくないわっ!!」

 

 ───これである。

 あくまでエロスの戦士は俺であると断言するこの軍師さまは、俺のことを指差しながらギャースカと叫んでらっしゃる。

 

「とにかく。俺はこれから、華琳に食べさせるお菓子を作るんだから、邪魔だけは……あ」

「華琳さまに食べさせる……?」

 

 言ってからしまったと思った。

 華琳大好き人間である桂花の前で、華琳に食べさせるお菓子の話題なんて出したら……

 

「ふん、なに言ってるの? あんたなんかが作ったものを、食にうるさいあの華琳さまが食べるわけがないじゃない」

 

 ……あ、邪魔するってところまではいかなかったようですハイ。

 よかった、これなら邪魔されないでそのまま行けそうだ。

 ていうか“味にうるさい”って部分は認めてるんだな……───そういえば綿菓子のこと訊いてなかったし、訊いてみようか? ……いや、ここで話を長引かせるよりも、早々に逃げ出したほうが良さそうだ。

 

「だよなぁ、あっはっはっはっは、じゃあ俺はこれで。無駄な足掻きでもしてみるから」

 

 サワヤカに返して、開けっ放しの扉へ。

 相変わらず袁術が離してくれなかったから、袁術もそのまま連れて行くことになったが。

 大丈夫、あの手この手で桂花に邪魔されるくらいなら、袁術と一緒に行動したほうがまだやり易いッッ! その確信が俺にはあるッッ!!

 しかしそんな、あっさりと認めた行動がかえって怪しかったのか、桂花はぴくりと眉をひそめ、俺を呼び止めようと───だが遅いッ! この北郷、もはや逃走の軌道に乗ったわッ! 貴様は知力が自慢だろうが速度ならば俺だ! 一生かかっても追いつけんぞ!

 

「に、逃げたわね!? あり得ないと思ったけど、まさか華琳さまが直々にあんたに!」

「そのまさか(・・・)だ! 読み間違えたな軍師筍彧! お前の敗因は常に、華琳を想うあまり意外性を見抜けぬところにある! ───ははっ、なにしに来たのかわからないけど、残念ながら今日は捕まるわけにはいかないんだー! またなー!」

 

 袁術を抱えて走る走る走る!

 氣を使っての疾駆はそれはそれは速く、抱きかかえた袁術も「おっ……おぉおおおっ……!」と驚くほどだった。そんな速さで走れば桂花が追いつけるわけもなく……俺は馬屋までを走ると、そこで既に待っていた思春とともに、行動を開始した。

 

「ここに来るってわかってたのか?」

「……“華琳様”からのお達しだ」

「……蜀でもそうだったけど、いつの間にか真名を許されてるよな、思春って」

「庶人に真名を許す王など呉にも居るだろう。これでも慣れている……つもりだ」

 

 ボソリと最後に付け足された言葉に、少し困惑が混ざっていた。

 華琳が真名を許したのは、“呉から蜀、蜀から魏へと、俺を護衛した褒賞”なのだそうだ。なるほど、確かにいろんな意味で随分と守ってもらってる。

 

「昨日の邑でいいのか」

「ん。そこで欲しいものを貰えたら、早速とりかかろう」

「……それを連れたままでか?」

「え? あ、あー……」

 

 思春が見つめる先は、俺が抱える袁術。

 対する袁術はぽかんとした顔で、「この無礼な庶人は誰じゃ」と言っている。

 あれ? 面識なかったっけ。それとも素で忘れてる?

 

「えっとな、袁術。彼女は元・呉国の将、甘興覇。いろいろあって、今は俺と一緒に居てくれている人だよ」

「──────」

「袁術?」

 

 説明した……んだが、その途端にびしりと行動を停止した袁術。

 馬に跨りながらだったため、今は馬の上、俺の腕の中に居るわけだが……その小さな体が段々と震えてきて───ってなに!? 何事!?

 

「ごっ、ごごっ、ごっごごごごごっ……呉将じゃとぉっ!? どどどどう見ても庶人であろ!? 甘寧といえば髪の短い褌女じゃと記憶しておるぞ!? わわわ妾を驚かそうとしたってむむむ無駄なのじゃぞ!? 嘘であろ!? 嘘であると言ってたもーっ!」

「………」

 

 物凄い怯え様がそこにあった。

 詳しい事情はそう知らないが、呉から連想して震えられるほどに雪蓮が苦手なのか。……ていうか、な、袁術。女の子がそんな、“ふんどしおんな”~なんて大声で言うもんじゃないぞ……? ほら、思春もヒクリと口の端を引きつらせてるし……。

 あと髪は短かったんじゃなく、結わっていただけだろ……。

 

「大丈夫だって。言ったろ? “元”呉将だって。それに、怖いことなんてないぞ? そりゃあ何故か背後に居たり器用に俺だけに向けて殺気放ったり、足音立てずに近づいたりとかいろいろする人ではあるけど大丈夫。な~んにも怖くないぞハハハハハ」

「か……一刀……? 目が、目が笑っておらぬぞ……?」

 

 ハイ。怖い時はめちゃくちゃ怖いです。思わずヒィって言いたくなるほど怖いです。

 俺のそんな表情が袁術の恐怖に拍車をかけたのか、さらに震え出した。

 恐怖っていうのはそう簡単には克服できないよなぁ……弱い俺でごめんなさい。

 そんな意も込めて、袁術の頭を軽く撫でてから馬に呼びかける。

 

「揺れるからしっかり掴まってくれな」

「ふふん、言われるまでもないのじゃ」

「やれやれ……」

 

 怒る気も失せたのか、思春は溜め息を吐きつつも馬を歩かせる。

 さあ、いざ牛乳を得る旅に。



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54:魏/爆発したもの②

 城を出てしばらく。

 綺麗な蒼の下、すぅ……と大きく深呼吸をしてみれば、胸一杯に広がる穏やかな空気。

 こんな穏やかさが一年前までは……とか考えると、静かになったなと頷ける。

 様々な道のひとつひとつで、どれだけの命が力尽きたんだろうか。

 何気なく通る道でも、雨に流されただけで、誰かの血が滲んでいたのかもしれない。そうして人を殺すことで国を守ってきた人も、獲物を無くした狩人のように必要無いと言われるような日がやってくるのかもしれない。

 

「………」

 

 華琳は“戦がなくとも、武と知を振るえる場所など作ってみせる”って言ってくれた。それは本当だろう。いつか残したメモにもそれっぽいことは書いておいたし……まあその、武だけじゃあ知を武器とする将の立場が無いって意味も込めて、武部門に天下一品武道会、知部門に論文発表会、酒好き部門に呑兵衛王者決定戦、料理好き部門に料理の徹人、その他にも大食い&早食い対決やら辛さ耐久対決やら、思いつくものを走り書きにしたっけ。渡した時点で、魏の勝利を疑ってなかった内容だったから、当時の華琳がどう思ったかはちょっとだけ気になってはいる。……きっと、何も言わないだろうけど。

 信じてるなら任せておけばいい、か。

 そうだよな、逆のことでも言えるけど、“任せる”って言ったのに心配してたんじゃあ任せるって言葉は適当じゃない。華琳が作ってみせるって言ったんだ、俺はその隣でゆっくりと見ていこう。三国が、民も兵も将も王も、笑っていられる国になっていく“歴史”を。

 

「俺もいつか、歴史ってものになるのかなぁ……」

「貴様は魏王曹操の名の影に隠れたまま、歴史から姿を消すのがお似合いだろう」

「うわーお、ひどいこと言われてるのに否定出来ないくらいしっくりくる」

「当然よの。天の御遣いがどうと云われようと、一刀が何を為したのかを妾は知らぬのじゃ」

「そりゃそうだ、全部華琳の名に目が向けられるようなことばっかりやってたし。俺はようするに天の御遣いって名前だけあればよかったんだ。あとは知識と行動が華琳の支えになってくれた」

 

 自分を卑下するわけでもないし、大きく見せたいわけでもない。

 自分ってものを知って、その上で何が出来たかを考えれば、俺には知識だけがあればよかったんだといつでも理解できた。

 知っていれば誰でもよかった。

 それを、一番最初の北郷一刀が銅鏡を割ることで“俺”って欠片を作った。

 軸ってのはきっと、割れた鏡なのだろう。

 欠片の数だけ世界があって、その一つ一つでいろいろな物語が展開される。

 たとえば……桃香と天下統一をした俺とか、想像できないけど呉で子宝に恵まれた俺とか……銅鏡を使い、新たな世界を作った俺とか。

 そして───きっと、こうして魏とともに天下へと至った俺にさえ、別の道を進む俺が居るのかもしれない。

 それはたとえば、こうしてこの世界には戻らずに、天……日本で家業を継ぐ俺、とかだ。

 

「……なぁ思春。思春は……もし自分が錦帆賊の頭を続けていたら~とか、考えたことってあるか?」

 

 軽い質問をしたつもりが、ちらりと見た思春は俺を見て難しい顔をしていた。

 難しいっていうか……呆れた顔。俺って思春を呆れさせる達人になれるかもしれない。

 や、そんなことはどうでもよくて。

 

「貴様はいちいち口に出すことが突発すぎる。脈絡というものを持て」

「あれ? そうか?」

 

 そうか……? そう…………うわ、そうかも。

 考え事を繋げばそれは普通に聞こえるかもだけど、さっきの話からいきなり錦帆賊の話は……いくらなんでも飛びすぎだよなぁ。

 

「……質問の答えだが、思ったことならそれはある。だが、満足は得られなかっただろう。それだけだ」

「満足? それってようするに、蓮華に会えてよかったーとか、そういうヒィ!?」

 

 睨まれた! 睨むっていうか眼力で人を殺せるくらいの殺気が俺を包み込む! なのに袁術ってば全然気づいてない! やっぱり俺にだけ!? あぁああああ器用だなぁもう!!

 

「何故そこで蓮華さまが出てくる……!」

「だ、だって思春っていっつも蓮華の傍に居たし、俺が蓮華と話をしてると常に俺だけに殺気を飛ばしてきたりしたし!」

「私は蓮華さまの護衛の任を任されていた。それをどこの馬の骨とも知れん輩に穢されたとあっては申し訳が立たない……それだけのことだ」

「何処の馬の骨かを理解してもらっても殺気を飛ばされてるんですが!?」

「馬の骨ならば当然だろう」

「あー……ぐっは!? なんか普通に納得した自分が悲しい……!」

「お主ら、よくも話の種が尽きぬものよの……。一刀、喉が渇いたぞ? 蜂蜜水を出すがよいのじゃ」

「はいお嬢様、そんなものはございません」

 

 そんなこんなで道をゆく。

 馬のペースで行っているから、結構気まぐれなスピードだ。

 いい一日にしたい日は、のんびりするのが一番だと思うわけだ。

 焦るとろくな結果を生み出さないからなぁ、世の中っていうのは。

 

「ところで一刀? その“あいす”は美味なるものなのかの」

「不味くはないと思うぞ? 俺が作るからには普通になるんじゃないかって不安もあるものの、素材がよければそれなりの味になるだろ」

 

 道をゆく。頭の中でいろいろと、アイスの作り方を組み立てながら。

 どうすれば市販の味になるのか。どうすれば、市販を越えた限定アイスみたいな味になるのか。出来れば美味しいのを作りたいが、果たして……? そんなことを考えながら、やっぱりのんびり道をゆく。

 しかしのんびりとしていても、話しながらだと遠い道も近いとはよく言ったもので、いつの間にか邑に辿り着いていた。

 

「……静かな邑じゃの。ほんに人がおるのかや?」

「そういうこと言わないの。袁術にもいつか……いつか、な? “静か”ってことの大事さ、大切さがさ……わかる日がくるから……」

「そういう貴様は少々達観しすぎだと思うが……」

 

 いや……賑やかなのは好きだけど、出来ればもう少し静かに暮らしたいなぁと思うことが多くなりまして。っと、そんなことは今はいいか。

 よし、と一言口にして、おやっさんが待っているであろう場所までを歩く。

 そこで待っててくれたおやっさんが、俺を見るなり嬉しそうな顔で「丁度搾ったところですよ」と言ってくれる。

 

「む……? 一刀、これはなんじゃ? 甘いのか生臭いのか、よくわからん香りがするの」

「これが今日の目的の一つだよ。家畜の乳を搾ったものだ。アイスにはやっぱりこれがないと」

 

 受け取った容器にはたっぷりの乳が搾られていた。

 容器自体がそう大きいものではないから、量でいえばそれほどでもない。

 これを以前のように加熱殺菌して、出てきた上澄みを回収して……うんうん、イメージが膨らんできた。

 

「それじゃあおやっさん、これ」

「え……あ、いや、やはりそれは……」

「いや、対価はきちんと払わないと、俺が華琳に怒られるから」

 

 ミルク代といえばいいのか。

 少ないながらも、おやっさんが以前頷いてくれた代金を払う。

 おやっさんは渋々ながらもそれを受け取ったが、これからも元気に育ててやってという俺の言葉に頷くと、笑顔で見送ってくれた。

 

「じゃ、戻るか」

「な、なんじゃとーっ!? こ、ここまで来たのはそれを得るためだけじゃというのかーっ!?」

「え? そうだぞ? ここらへんじゃあ家畜の乳搾りしてるのがここくらいしかなくてさ」

 

 乳牛は貴重です。

 だから快く分けてくれたおやっさんには感謝感謝だ。

 

「むぅう……つまらぬの……」

「はいはい、行くって言ったのは袁術だろ? あんまり無茶言わないの」

 

 ぶーたれる袁術を連れ、ミルクが入った容器を持って歩く。

 たらいとかではなく、不恰好なものの一応栓が出来る形のものだ。

 乱暴に扱わない限りは壊れたりはしない安心仕様! でも早速ミルクの温かさで容器も温かくなってきている。や、それはとっくにか。

 

「これ一刀や? せっかくこんな辺境の地に来たのじゃ、もそっと娯楽を探してみんか?」

「だ~め。こういうのは時間との勝負なんだ。早く許昌に戻って作業を開始しないと味が落ちそうだ」

「そんな容器ひとつのものよりも、妾の娯楽を優先させるべきであろ?」

「すまん。優先順位から言えばこっちが大事だ」

「なんじゃとーっ!?」

「……貴様は少々、いや、かなり……華琳様のこととなると周りが見えなくなりすぎる」

 

 うぐっ……自覚しているけど、あんな涙を見ちゃったあとじゃあなぁ。

 なんというかこう、今までは感じなかった奇妙な保護欲のようなものがふつふつと。言ったら怒鳴られるか蹴られるか切られるので言わないけど。

 でもそういうのにばっかり飲まれていたんじゃ、いつか周りを傷つけるかも、か。

 そういった何かに気づくか気づかないかで、やさしく出来ていても人を傷つけることもあるって桃香に教わったもんな、うん。

 よし、じゃあ少しだけ時間をとって───あ。

 

「あっ、こ、こらっ、大事なミルクをっ……!」

「うわーははは取ってやったのじゃ~♪ では一刀? これを返してほしくば妾の命を快く受け容れ、妾を存分に楽しませるがよいぞ?」

「………」

「………」

「…………忘れてた。袁術って、麗羽の従妹だったんだよな……」

「厄介なことこの上ないが、そういうことだ」

 

 思春とともに、ミルクを頭上に掲げて楽しげに笑う袁術を見て溜め息。

 強引に取ろうとすれば暴れそうだし、取らなくても何かの拍子で落としそうだ。

 なのに彼女の目的が達成されるまで、ほぼあの器が砕けることがなさそうとか……なんとなくパターンというものを読んでいる自分が居る。

 これって……そういう状況だよな……? 散々苦労して願いを叶え続けて、いざ返してもらえそうになるとゴシャーンって、そんなの。

 

「よし、おやっさんからもう一本もらおう」

「いい判断だ」

「なにーっ!? ままま待つのじゃっ! ではこのみるくはどうなるのじゃっ!?」

「ククク……お嬢ちゃん、駆け引きっていうのはもっと相手を追い詰める状況を作ってからするものだぜ……? そのまますぐにそれを渡すならよし、多少の時間を割いてでもお嬢ちゃんの要望に応えよう。だが返さぬというのなら……俺はミルクを搾り直すだけだぁ!」

「ふ、ふぐぐ……うみゅう……!」

「………」

 

 あの、思春さん? たわけものを見るような目で俺を見ないでください。

 こっちだって一番搾りを無駄にされないように、いろいろと必死なんです。

 だって朝からおやっさんが搾ってくれた乳だぞ? それを無駄にしたなんてことがあったら、おやっさんにも家畜にも悪いじゃないか。

 ていうかまさか袁術がこんな大胆な行動に出てくるとは……この北郷、予想だにせんかったわ。と無駄に老兵っぽく考えてないで、どうしたものかなぁこの状況。

 思春に素早く取ってもらう? いや、あとがうるさそうだ。

 強引に奪う? それこそ落として砕けそうだ。

 落とせば割れるようなガラス細工ではないものの、草むらの上でもない限りは簡単にヒビが入りそうな木の器。それを地面に落としたとあっては……割れるな、確実に。うん割れる。

 

「ふふん、ならば妾はこのみるくを持った上で、馬をいただいていくのじゃっ! そうなれば一刀も困るであろ? 困るであろ~?」

「……その前に馬に乗れるのか?」

「はうぐっ! ば、ばばば馬鹿にするでないのじゃ! うぅうう馬くらい妾がちと本気を出せば、歌で民草を支配するより容易く乗りこなせるのじゃーっ!」

 

 エイオー!と突き上げた拳がその勢いを語っていた。

 勢いだけで、視線は物凄く泳ぎまくっていたが。

 ちなみにその格好いいポーズ(?)も、片手で器を持っていられなかったようで、数秒も保たなかった。

 

「ならば馬に辿り着く前にうぬの手からミルクを奪うのみ!」

「ち、近づくでないのじゃ! 近づけばこのみるくの命が無事ではすまぬぞ!? このみるくがどうなってもよいと申すかー!」

「……なんなんだこの茶番は」

「遊びの一種です」

 

 呆れ果てる思春にそう返し、じりじりと間合いを詰めていく。

 たまにはこういうやりとりも必要だと思うのだ。

 本質が子供のままなら、悪ふざけには悪ふざけで。悪ノリが行き過ぎない程度にセーブしながら遊ぶのがコツだ。

 ただし、怒る時はきちんと怒らないと届かない言葉もあるので、時には心を鬼にする必要があるわけで……って、この場合、それをするのは俺の役目なのか? 七乃の場合だとそういうのは絶対にしそうにないからなぁ。

 怒る……怒るかぁ。華琳にも言われたけど、怒るっていうのは本能的なものであって、自分の意思で止められる怒りは怒りとは呼ばないんじゃないかって思うんだ、俺。

 だから叱ろうな。めっ、て。それでわかってくれる人が居るかを、俺は知らないが……さて、そんなこんなで言い合いを始め、追いかけっこみたいなものをして、騒いで燥いで……しかしながら馬は危険だからよじのぼらないことときっちり言って、袁術の要求を適度にこなしてきたわけだが……。

 

「一刀一刀っ、次は一曲ろうじてみせるのじゃっ」

「楽しそうでいいなぁもう! だ~め~だっ、いい加減ミルクがやばいっ! もう戻らないとアイスを作る時間が無くなるんだって!」

「ふふふ、よいのか妾にそのようなことを言って。妾の挙動の一つでこんな容器なぞ容易く割れてしまうぞよ? それが嫌なら妾を満足させるのじゃ~♪」

 

 ……うん。

 ひとつ勘違いしていたことがあったよ俺。

 俺の部屋での袁術は、文字通り籠の中の鳥状態であって、あれでまだまだ好き勝手には振る舞っていなかったのだ。

 それがこうして蒼の下、それも許昌から離れた場所に至るに、本性が現れ出したと。

 もうね、物凄い我が侭娘だ。

 今もほれほれとニヤリとした笑みのままに、ミルクが入った容器を振るっている。

 俺はそれを眺め、“ああ、もう随分と脂肪分が分離されたことだろうなぁ”とか思いながら、しかし弱気にならずに振る舞う。

 

「やってみろ。その瞬間、僕のこの丸太のように太い脚がキミの体を蹴り砕くぞ」

「……!」

 

 もちろん嘘なわけだが。

 あと言っておくけど、べつに丸太のように太くはない。

 “もう十分に楽しんだだろ?”と視線で訴えかけるも、袁術は口を尖らせて容器をかばいにかかる。まるで子猫を拾った子供だ。なにやらいろいろ間違ってはいるが。

 

「よくもまあ、これだけ遊ばれて我慢が利くものだな」

「へ? 我慢って? …………あ、あー……いや、俺もこれで結構楽しんでるし。基本的に中身が子供だからさ、俺も」

 

 だからそう苦ではない。

 楽しい時間は楽しいものだって割り切ったほうが、純粋に楽しめるってものだし。

 それに、袁術にとっては久しぶりの許昌以外での外だろう。

 たまにはこういう我が侭も聞いてあげないと、それこそパンクしてしまう。

 だから、本当に、怒りとかは沸いてなかったんだが───……

 

「ほら、もう戻るぞ。馬にもあんまりのんびりさせると、寝ちゃうかもしれないし」

 

 ───袁術を促して、馬を繋げてある場所へ向かい、歩く。

 それを帰る合図と受け取ったのか、まだまだ遊び足りなかったんだろう袁術は、俺と思春を追い抜いて駆けた。もちろん、馬が居る場所までをだ。馬の傍まで辿り着くや、袁術は繋いでいたものを外し、勢い任せに無理矢理によじ登る。おおう、よく登れたな、なんて感心していると、袁術はあろうことか馬を叩いて───

 

「って、ばかっ!」

 

 よじ登られただけならまだいい。

 それを、急に叩かれれば馬だって驚く。

 訓練された馬だったからほんの一瞬でそれは治まったが、そんな一瞬の驚きがあれば、小さな体を振り落とすくらい容易いものなのだ。

 その予想を裏切りもしないで袁術の体は容易く振り落とされ───予想が頭をよぎった瞬間から氣を足に込めて弾けさせた俺は、地を蹴り弾き続けて滑るように飛び───!

 

「っ……あぁああああっ!!!」

 

 頭から落ちそうになる袁術を、ギリギリのところで抱き止め、勢いのままに馬の下を潜り、倒れた。

 当然、舗装もされていない地面だ。服はところどころがほつれてしまい、腕や足も擦り傷だらけになって……

 

「~っ……つぅうう……っ……はぁ……!!」

 

 痛みに震え、ようやくそれを飲み込んでから、腕の中の袁術を見る。

 突然振り落とされたショックからか、小さく震えながら俺を見上げていた。

 ミルクがどうなったのか、頭の片隅に数瞬浮かんだが……それは思春が無事に受け止めてくれたらしい。いや……ミルクよりも袁術をさ……俺を信じてくれたんだったら嬉しいけど。

 

「袁術っ、痛いところはないかっ!? 大丈夫かっ!?」

 

 見る人が見れば、どっちがだと言いたくなるような状況だ。

 俺が着ていた庶人の服には血が滲み、擦り傷だけじゃなく結構大きな傷もありそうな予感が沸き出てくる。けれどもそんなことを後にしてでも、袁術の無事を確認した。

 その理由は、もう冷静じゃいられていない頭が理解している。

 

「う、うむ……大事ないぞ……? 妾は無事なのじゃ……」

 

 申し訳無さそうに、俺を見上げる少女が言った。

 …………そっか、傷はないか……そっか。

 

「そっか。じゃあ───」

 

 ……冷静ではいられない。

 そう。それは、こうして心配している今でも。

 そして、彼女が無事だというのなら───……いや、そんなことさえ考える余裕なんてものは、もうなかったのだ。

 袁術が無事だったとわかった時点で、俺はもうやることを決めていたのだろう。

 俺が自分の意思としてどうこうするより早く、“俺の体”は衝動に動かされるままに行動していたのだ。

 その行動っていうのが───

 

「ふぎゃんっ!?」

 

 硬く握り締めた拳を、袁術の頭頂に落とすこと。いや、それだけじゃない。

 急な痛みに頭を両手で押さえ、涙目で俺を見上げる袁術へ向けて、声を張り上げていた。

 

「このっ───馬鹿っ!! なにをやってるんだよお前はっ!! もう少し遅れてたら怪我だけじゃ済まなくなるかもしれないところだったんだぞ!?」

 

 真っ直ぐに袁術の目を見て、驚きに固まる袁術の両肩を掴んだ上で。

 

「よじ登るのは危ないって言っただろ!? どうして綱を外したりしたんだ! もし訓練されてない馬だったりしたら、振り落とされて平気だったとしても、踏まれたりしたかもしれないんだぞ!?」

 

 感覚は……体が勝手に喋っているような状態だった。

 なのに体の中には、ひどく冷静な自分が居る。

 止めてやりたいのに、その意に反して勢いは決して無くなることなく、目に涙をいっぱい溜めている袁術にこれでもかってくらいの言葉を浴びせ続けていた。

 そんな、自分のことながらどうしようもない状況に対して、華琳が言ってた言葉の意味がしみじみと心に染み渡っていた。なるほど、“いつ爆発するかわからない”かぁ……妙なところで爆発したもんだ。

 というかこれは怒りって言えるんだろうか。

 怒ってる……怒っているのはよくわかるんだが、そのきっかけが“相手を心配して”の怒りだなんて……俺の怒りの沸点って、他の人とは違うのかなぁ……。

 

「遊びたいなら遊びたいって言ってくれ! ものを奪って脅迫めいたことをしなくても、ちゃんと時間を作るから! 遊び足りなくても次も絶対に時間を作るから! 危ないことなんて絶対にするなっ! 死んじゃったら……本当にそれまでなんだぞっ!? わかてるのかっ!?」

「~、~っ……ひぐっ……う、っく……なっ……なぐっ……ひっく……! なぐったのじゃ……! ぶったのじゃ……!!」

「ああそうだ! 急に叩かれたり殴られたりすれば誰だって驚く! 当たり前だろ!? それをお前は馬にやったんだ!」

「ふ……う、ぐ……!」

 

 血を滲ませながらの説教は続く。

 本能任せの言葉が口から放たれ、恐らく口を開けば嗚咽が漏れるだろうから、なにも言わない袁術に向けて一方的に。

 泣きたい時に泣ける存在であってほしいって思うのに、この口はもはや説教しか飛ばさない。しかし無駄に正論が多いために、自分のことながら結構性質が悪い。

 

「七乃は……七乃はどんなことを言っても妾を叩いたりなどせなんだのに! なんじゃお主は! ぐしゅっ……せっかく、せっかく妾が気にかけてやったというのに……!」

 

 一方的な言葉に対して返されるのはやっぱり一方的な言葉。

 言葉を発するたびに震える声が痛々しくて、自分で殴っておきながら、怒っておきながら、抱き締めて宥めてやりたくなる。なのにこの体はじっと袁術の口から吐かれる罵声を受け止めるだけで、やさしい言葉もなにも、返しはしない。

 

「皆、妾を遠巻きに見るっ……! 皆、妾を避けるのじゃっ……! お主は違うと思うておったのに……! 一緒に居てくれても妾を殴る者などいらぬ! いらぬのじゃーっ!!」

 

 そしてとうとう涙は溢れ、袁術は声を出して泣き始めた。

 それでも何も言おうとしない自分って存在を、心の中で呆然と眺めながら……ただ穏やかに過ぎるはずだったこの非番の日が、音を立てて崩れるのを……止めることも出来ないままに、心の中で空を仰いだ。

 




すまぬ。爆発の方向性を考えると、かずピーの場合は自分の怒りよりも他人の心配だと思うのデス。

次回更新は午後5時間あたりで。
その次はたぶん午後11時。ファ、ファイト! ファイトネジョーヤブーキ!
え? 仕事? もちろんありますとも!
お盆休みなんて嫌いじゃー! 羨ましいわー!


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55:魏/後悔するもの①

97/やさしいだけの人ではなく

 

 コーン……

 

「ふむ……そうか、そんなことがあったのか」

 

 許昌に戻るなり部屋に閉じこもられた。

 もちろん俺が閉じこもった~とか、別の誰かが~とかそんなことではなく、袁術に。

 許昌へ戻る道中でも袁術は思春と一緒に馬に乗り、まるで怨敵を見るような目で俺を睨んできたりもした。

 心を許しかけたところへの裏切りと感じたんだろうか。

 あのくらいの子にそれはキツイだろう。

 

「それでなに? 美羽に拳骨して一方的に怒った挙句が“あれ”?」

 

 ちらりと見られた気がした。

 戻るなり、戻るべき部屋を占領された俺は、今はこうして中庭に居たりする。

 そこでは華琳と秋蘭が穏やかにお茶をしていたんだが、そこに大絶賛後悔中の俺と、呆れ顔の思春が到着したわけで……。

 ちなみに俺は、鍛錬中にはよく背を預けていた木の幹と向かい合い、T-SUWARIをしていたりする。そんな状態で頭を抱えて、「俺の馬鹿俺の馬鹿俺の馬鹿……!」と念仏のように唱え続けていた。

 擦り傷切り傷も治療済み、大袈裟だと思うくらいの包帯が巻かれてはいるが、動かすのに支障はない。支障はないんだが、心が辛い……辛いです。

 

「フフフ……ワイは男やない……外道や……! 怒り任せに女の子(めのこ)に暴力振るう腐れ外道や……っ!」

 

 “感情の爆発”について、華琳に注意されてはいた。

 けれどそれがまさか、拳骨込みだとは思いもしなかった。

 心配を理由に怒鳴り散らせば正当化されるなんて、そんなことは怒ったほうの一方的な考え方に決まっている。そうでもなければここまで落ち込むこともなかった……のかもしれないし、殴った時点でもうアウトだったのかもしれない。

 なんにせよ嫌われた。思いっきり嫌われた。

 ただそれが悲しくて、こうして後悔を続けていた。

 後から悔やむ……これほど合う言葉はございません。

 T-SUWARIをやめて正座をすると、木の幹にのの字を書き始めたくなるくらいの後悔が俺を包みこんでいた。

 

「話はわかったわ。というか、逆に丁度よかったくらいじゃない」

 

 思春からの状況説明を聞いた華琳の言葉はそれだった。

 丁度良かったってなにが?と視線を向けてみれば、東屋の円卓で足を組みながら、優雅に茶をすする華琳さん。

 

「怒る対象が美羽であったこと、甘えてばかりのあの子を真っ直ぐに怒ったこと、途中で手を差し伸べなかったこと、その全てがよ」

「……?」

「あなたが美羽にしていたことは、乱世のさなかに桃香がしていたことと同じなのよ。手を差し伸べてばかりで大した見返りは求めず、仲良しでいきましょう、とね」

「いや……でも乱世はもう過ぎただろ……? なのにそんな、気を張る必要なんて……」

「桃香の場合は彼女がやさしくして、けれど他の将が多少の抑制になっていたのよ。手を差し伸べられるだけなのに、甘えるだけしかしない民にならなかった理由はそれでしょうね。ただし一刀、あなたと美羽の関係では、その“抑制”の役目を担うものが居なかったの。そうなれば、ただ手を差し伸べられるだけの我が儘娘が行きつく場所なんて、容易く想像出来るじゃない」

「あ……」

 

 ……なんとなく感じてはいた。

 少しずつ、我が儘の幅が増えていたこと。

 “俺ならなんでも許してくれる”って目で見られ始めていたこと。

 俺はそれを、自分に心を許してくれたのだとばかり思って、なんでもかんでも許容してきた。その結果が……なるほど、あのいきすぎた我が儘か。

 

「怒っている中で手を差し伸べられれば結局は同じよ。なんだかんだでやっぱりあなたなら許す、と余計な確信を持たれるだけ。怒り任せの行動にしてはよく出来たほうだわ」

「いや……でも……拳骨はやりすぎだったんじゃあ……」

 

 小さな頭を殴った感触が、今もこの手に残っている。

 正直、気持ちのいいものじゃない。

 殴って、しかも目の前で泣かれて、これでこたえない人が居るっていうなら見てみたい。

 理由はどうあれ、甘く見られていようがどうしようが、多少は懐いてくれていた子なんだもんなぁ……。ああ、胸が痛い……罪悪感がザクザクと胸を刺す……。

 

「はぁ……一刀、いいから“あいす”を作りなさい。そんな沈んだ気分じゃなく、美味しく作る気で」

「…………あ、ああ……うん……」

「………」

 

 ぼそりと返し、のそりと立ち上がる。

 と、なにやら早歩きのような足音とともに俺に近寄るなにかが───

 

「あだぁっ!? えぁっ!? な、なにっ……!?」

 

 急に頭を殴られ、振り向いてみれば……華琳。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、「?」と疑問符を飛ばしていると、目の前の彼女が俺に指を突き付ける。

 

「あのね、一刀。私は沈んだ気分じゃなく、と言ったのよ? 今すぐに気持ちを切り替えなさい」

「ぢぢぢ……む、無茶言うなぁ……! 華琳は俺が、女の子に手を上げてからへらへら笑えるヤツに見えるのか……?」

「見えないわね」

「即答!?」

 

 いっそ気持ちがいいほどの即答。

 しかし華琳は突きつけた人差し指で俺の胸をゾスと突くと、「いいから作りなさい。沈まないで、いつも通りの気持ちで」と続けた。

 意図がわからないまでも、それが自分を心配しての言葉だと感じることが出来たから、結局は頷いて、歩き出す。途端に後悔が歩を鈍らせるが、頭を振るって“元気元気っ”と自己催眠をかけるが如く、ぶつぶつと呟きながら。……ハタから見たら危ない人だよな、これ。

 

 

 

-_-/華琳

 

 …………。

 

「……よろしいのですか?」

「あら。なにがかしら?」

「いえ。今日はここで、北郷が“あいす”を作って持ってくるのを待つ筈では?」

「……ふふっ」

 

 一刀が視界から消えてから、秋蘭が目を伏せながら、けれどどこか楽しげに語る。

 そうだ。

 今日はこの蒼の下、のんびりと過ごすと決めていた。

 ゆるやかに吹く風が心地良いこの日、わざわざ動き回るのは実に億劫というものだ。

 もちろんやるべきことも早々に終わらせた。……徹夜であることは、秋蘭にも言っていない事実だけれど……恐らく気づいているのでしょうね。

 

「まったく。袁家というのは本当に、いつまで経っても周りに迷惑ばかりをかけるんだから」

「ふふっ……その割には顔が嬉しそうですが」

「怒った一刀、というのも見てみたかったけれどね。怒る理由がまたおかしいじゃない。理不尽や無理難題、(おとしい)れられたわけでもない、ただの心配からくる怒りなんて。怒鳴り散らすだけなら誰にでも出来ることだけれど、まさか……ふふっ、あっはっはっはっは!」

 

 おかしくなって笑った。

 まったく、北郷一刀という男は本当に私を楽しませてくれる。

 いつかの警備の話でも、こうして笑わせてもらった。

 今はこうして三国に降っている美羽も、蜀に腰を下ろしている麗羽も、大人しくしてはいるが袁家の者。かつては強大な力を持っていたその存在を、落としてみせたり怒ってみせたりと、普通では考えられないことをしてみせている。

 

「気分が良さそうですね」

「ええ、良いわね。だから、こんなことをするのは楽しませてもらった礼としてで十分。精々、部屋に閉じこもる我が儘娘に、本気で怒り、本気で心配してくれる存在の有り難さというものを教えてあげるわ」

 

 突き放すことも時には救いに繋がる。

 それを理解できる者は存外に少ない。

 袁家の者に一人でその答えに辿り着けというのは、いささかどころかまず無理がある。

 ならばどうするか? 教えてやればいい。

 部屋から引きずり出して、みっちりと教え込んで、“いつも通り”の表情で作業をする一刀を見せてやれば、一刀が彼女を怒ったことになんの憂いも感じていないということが解るだろう。

 それは、美羽に自分がやりすぎたのだということを教えることにも繋がる。

 

「問題は一刀ね。いつまで表情を保っていられるかしら」

「一刻も保たぬかと」

「……まあ、そうね。思春、秋蘭、二人とも一刀の作業を手伝ってきなさい。天の料理だと言っていたから、面白いことをしているかもしれないわ。変わった技術を行使しているのなら、あとで私に報告すること。いいわね?」

「はっ」

「御意」

 

 二人が一刀を追うのを見送ってから歩く。

 ……さて、今頃鍵でも閉めて布団にくるまっているであろう我が儘娘を、引きずり出しに行きましょうか。……あぁ、けど扉を開けるためには春蘭が必要ね。

 今回は目を瞑るから、扉を開けてもらわないと。

 

「ふぅ。お節介になったものね、曹孟徳。あなたは今の自分に満足が出来ている?」

 

 蒼の下を歩く中、その蒼こそを見上げながら言ってみた。

 その答えはきっと、この沸き上がる“楽しい”という気持ちだけで十分なのだろう。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 じゃじゃーん!

 

「はい、それでは美味しいアイスを作りましょう。まず用意するものの確認です。これが無ければ始まりません。用意するものは………………なんだっけ?」

「いや、私に訊かれても知らんぞ」

 

 のたのたと厨房に来る途中で出会った華雄を連れ、現在はアイスクリーム製作劇場。

 華雄には助手になってもらうかたちで、二人でエプロンをつけて構えていた。エプロンというか割烹着というか……エプロンだな、うん。

 思春と秋蘭はそんな俺達の様子を、椅子に座りながらどこか不安げに眺めていた。

 

「いやいや、ちょっと待った。え~っと、確か携帯に保存しておいた画面メモが……あ、あったあった。えーと? 牛乳、生クリーム、砂糖に卵、バニラエッセンス……は酒で代用するとしてと。えーと、簡単に作るんだったらこんなもんか」

 

 よし、と材料を揃え、量を計って………………計って………………?

 

「───……大丈夫! キミなら出来る!」

 

 そんなに細かく計れるものがここにはなかった。

 でも大丈夫! そんなものがなくても朱里や雛里は美味しいお菓子を作っていた! 饅頭だってお手の物だったさ! だからこのままGO!

 

「よ、よーし、いつも通りいつも通り……! 空元気でも続けていれば元気になるってじいちゃんも言ってた! なんとかなる!」

 

 早速作業開始!

 まずはえーとなになに? 材料を全部ミキサーに放り込んで混ぜて冷やして完成? ちょっと待て! なんだこの簡単すぎるのにこの時代では出来ないレシピは! 保存するメモ間違えた! 詳しい作り方とか書いてないぞこれ! 材料にしか目が行ってなかった! うわぁどうしよう!

 

(拠点の守りを厚くせよ! 地の利無くして戦には勝てぬぞ!)

(も、孟徳さん!)

 

 拠点!? 守り!? 地の利!? え……なに!?

 いやいやようするに地盤無くして戦には勝てませんってことだな!

 そうだよな、材料はあるんだから……よし、勘を頼りに美味しくなりますようにとやってみよう!

 

「まず卵を適当な器に割り入れて、思い切り掻き混ぜます」

「ふむ」

 

 カシャリコシャリと卵を割って、ホイッパー……は無いので、何本か連ねた箸でカシャカシャと掻き混ぜてゆく。その際、空気を巻き込むようにして混ぜるのがコツ……とか誰かが言ってた気がする。あれ? それってメレンゲの作り方だっけ? あ、あ~……んん、ん……まあ……いいか? 白身と黄身に分けたりせず、全部入れちゃったし。

 ようは白身も黄身も部分的に残ったりしなければいいんだろうし。

 

「よく掻き混ぜながら、ここに砂糖と牛乳を混ぜていきます」

「砂糖か。入れるぞ?」

「ん、少しずつお願い」

 

 砂糖と牛乳を少しずつ混ぜ、攪拌(かくはん)。さらに攪拌。

 「オォオオオ!」と気合いと氣を込めながら混ぜ、卵がもったりとしたあたりで掻き混ぜを終える……ことにした。どこらへんがいいのかがいまいちわからない。

 さて、次は……生クリームと酒を混ぜましょう。

 ツンとしない、香りのいい酒を選んだほうが良さそうだよな。えーと……

 

「次に香り付けの酒と、生クリームを攪拌します。……これも思いっきりぼったりになるくらい混ぜたほうが、アイスとしては適当な気がするな。よしいこう」

「うむ」

 

 酒を少々加えた生クリームを混ぜまくる。

 ゴシャーアーッ!と全力を以って! 美味しくなりますようにと氣を込めて!

 やがて出来上がった、なんかもう泡自体が固体になってそうなソレと、先に混ぜたものを合わせ、今度は掻き混ぜるんじゃなく、溶け合わせるようにゆったりと混ぜる。

 そうして混ざったものを、さらに適当な器に流し込むと、今度は別の容器で実験開始。

 

「えーと、まずは水。それに硝石を砕いて入れて……」

 

 水を一気に冷やし、そこへさらに硝石を砕き入れることでさらに冷やし、そこにアイスの素を流し込んだ器を浮かべるように置く。もちろんバランスを崩して沈んでしまうと台無しなので、ミトン(のようなもの)で掴みながら、冷えた水の上でゆっくりと混ぜる。

 やがて水が凍る頃、氷に塩を散らすことで寒剤にして、一気にアイスを仕上げにかかる。

 もちろんアイスの中に含まれている空気までもが潰れてしまわないように、出来るだけゆったりと空気を含ませるようにして混ぜながら。

 

「驚いたな……硝石で水が凍るのか」

「ああ。で、氷と塩を合わせるともっと冷たくなる。原理はどうなのかは知らないけどね」

 

 急激に冷やされ、しかしゆったりと混ぜられたアイスの素は、やがてそのもったり加減も固めていき、混ぜるのにも抵抗を感じるようになると……アイスとしての完成に至っていた。

 

「よしっ、完成っ!」

 

 出来たアイスは、ほのかに良い酒の香りを冷気に乗せて放つ、なんとも美味そうなものだった。……見た目は美味そうだ。ほんとに美味いかは味見をしなければわからないものの、うん、美味そうだ。

 

「さすがに味見もしないで華琳に出すのは危険だよな……華雄、ちょっと食べてみるか?」

「む? いいのか?」

「ああ、手伝ってくれたお礼。はいっと」

「ではいただこう」

 

 さくりとアイスを掬い、あーんと差し出してみる。

 華雄は特に恥ずかしがる様子もなくそれを口に含むと、もむもむと舌で転がすように味わい……目を輝かせた。

 

「───………………ほ…………ぉ、ぉおおお……!! 口の中で濃厚な甘みと酒の香りが溶けていく……! しかもこの冷たさときたら、なんとも心地が良い……!」

「ん、それがアイスってものなんだ。……けど……ど、どうだ? 美味しいか?」

「う、うむ。これはいいものだ。こんなものは食べたことがない」

「……~おおぉおおっ! そっか! そっかそっか! そっかぁっ!」

 

 美味しいそうだ! よかった! 初めて普通以上の評価を───って、あれ? もしかしてこれも、ミルクや酒の質がよかったから……?

 うおお、余計なことを考えた所為で、せっかくの喜びが裸足で逃げていく……! しかも逃げると同時に緊張が解けたのか、後悔がずっしりと重く圧し掛かってきて……あぁああ気分が、せっかく高揚してた気分が沈んでいく……!

 

「い、い……いやっ……いやっ……! ここで落ち込んでいても仕方ないだろ……。しゅっ……しゅしゅ、秋蘭? 思春? 二人も味見してみない? 我ながら信じられないくらいに上手く出来たと思うんだ」

 

 さあ、と促してみると、二人は顔を見合わせたのちに味見に参加した。

 底の低いレンゲ(匙子(チーズ)っていったっけ? レンゲっていうよりスプーンだな)でひと掬い、口に含むと───二人して確かに目を輝かせた。

 ……何故かすぐにキリッとした顔に戻ったけど。

 素直に美味しいって笑顔で頷いてくれればいいのに。

 

「なるほど、これは美味いな」

「新しい味だな……悪くない」

 

 それでもやっぱり好印象。

 我ながら~と言いながらも味見をしていない自分も、一口ぱくりと食べてみれば……なるほど、確かにこれは濃厚で甘く、酒の香りがすぅっと抜けていくような感覚。

 口に広がる冷たさも、甘さも、なにもかもが心地良い。

 ……ちょっと口の中に甘さが残るが、そこまで気になるほどのものじゃない。

 でも……まあその。

 

「ん、かなり上手く仕上がってる。でも……」

「うん? なにか不都合があるのか?」

 

 味の余韻に浸っているらしい秋蘭が、少しばかりきょとんとした顔で訊ねてくるのに対し、こくりと頷く。

 問題点があるのだ。どうしようもない、問題点が。

 

「えっとな、美味しいし濃厚で冷たくてまったりできるけど、食べ過ぎると太る」

『───』

 

 たった一言放った“太る”の意味が伝わるや、三人がぴしりと固まった。

 その目が語る。“こんなにも少量なのにか”と。

 

「太る要因を詰め込んだような食べ物だからなぁ……脂肪、砂糖、高カロリー飲料に、卵も……。あ、もちろん少量食べるくらいならなんの問題もないぞ? むしろこの量だ、みんなで一口ずつ分けるくらいなら、どうってことないよ」

 

 それにこの世界の女性陣は一日の消費カロリーが高そうだものなぁ。

 そんなに心配しなくても、武官の連中は一日普通に過ごすだけでも簡単に消費出来そうな気がするよ。

 

「さてと。それじゃあ華琳を呼びに行こうか。秋蘭、華琳は中庭で待ってるって?」

「いや。そろそろ来る頃だとは思うが」

「? あ、ここに来るのか。じゃあ片付けておかないとな」

 

 でも……うーん、アイスかぁ……。

 これで袁術の機嫌も直ったりは……いや、モノで釣るのは誠意が足りないか?

 持て成しの心があればそれもまた変わってくるんだろうが、傷つけた時だけ都合よくモノを贈るなんて、それこそ誠意に欠ける。

 華琳も手を差し伸べなかったのが良かったって言ってたんだし、まずは様子を見ることにしよう。ダメだった時は…………どうしようかなぁ、本当に。

 

(手に手を取って、国に返していこうって決めたのに……繋ぐべきこの手がよりにもよって人を殴る……かぁ……)

 

 いつか、親父たちを殴った日のことを思い出す。

 あの時の痛みや涙は笑顔に変わってくれた。

 けど今回は………………ぁあ……あぁああ……あぁああ~……!!

 

「む……? 妙才、あの男が壁にへばりついて、ずるずると崩れ落ちていったが。あれは……なんだ、あの男の趣味かなにかなのか」

「趣味とは違うだろうが……ふふ、なに。少々事情があってな」

「……どの国でも面倒な男だ」

「うむ、違いない。が、ほうっておく気にもなれんから扱いに困る」

 

 女三人寄れば姦しいというが、秋蘭、思春、華雄っていう三人がそれを為すとは思わなかった。むしろ言われ放題な自分が滑稽である。

 が、それでも自棄にはならない強さを胸に。

 自棄になると後が怖い。だから落ち着こう。

 落ち着いて、華琳が来るのを待つんだ……! よくも悪くも主が来れば、ひたすらに冷静沈着な三人なんだろうから───!

 




次回! 緑谷少年がムキムキになるぞ!
ウソですなりません。出ることすらありません。

華琳様と美羽のお話。
次回更新は本日午後11時あたりなればいいなぁと思っております。根性だ。
花騎士の誘惑に負けたらごめんなさい。

 ……花騎士メンテだった orz


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55:魏/後悔するもの②

-_-/華琳

 

 目の前の光景に、頭を痛めた。

 同時に、素直に思う。ごめんなさい一刀と。

 

「………」

「華琳さまっ! ご命令通り、北郷の部屋の扉を蹴破りましたっ!」

 

 …………開けて頂戴と頼んだだけ……なのだけれどね。

 なにも助走までつけて蹴破らなくても。

 閉め切られ、淀んでいた空気を裂いて吹き飛んだ扉が、窓枠の傍で砕けているのを見ると、さすがに思慮が欠けていたと反省した。

 もっと細かに命を下すべきだったわね。……ごめんなさい一刀。

 

「ええ、ご苦労さま春蘭。ここで頼むことはもうないわ。先に厨房に行って待っていなさい、私もすぐに向かうから」

「はいっ」

 

 元気よく返事をし、助走の時と同様にずどどどどと走ってゆく。

 数秒もしない内に視界から消えてしまったその速さにいっそ感心する。

 と……今はそれはどうでもいいことね。寝台の上で震えているこのお子様をどうしてくれようかしら。

 

「美羽、さっさと出てきなさい。我が儘を通していられる時間を終わらせに来てあげたわよ」

 

 寝台に近づき、びくりと震える布団をひっぺがす。

 軽い抵抗もむなしく、あっさりと剥がされたその下には、離れゆく掛け布団を追って伸ばされる手と、泣き顔の小娘。

 袁家の娘の泣き顔なんて、随分と貴重なものを見たものだ。

 普段から見せていた、踏ん反り返った表情やにやにやとした表情から比べれば、随分と可愛く見える。

 ……少しだけ、以前の自分と重ねて見てしまったのは、恐らく誰もが知ることはないだろう。

 

「情けないわね、袁公路。自分を殴る者など要らぬと言ったと聞いたのだけれど? だというのに殴り、怒った相手の寝台に潜り込むなんて……いったいどんな神経をしているのかしら」

「ひぐっ……うぅ……」

 

 唇を噛むようにして縮こまり、悔しそうに私を睨むがまるで覇気がない。

 一刀に怒られたのが、殴られたのがそんなに辛かった? ……はぁ。まあ、不覚にも泣いたわたしがどうこう言えることではないとは思うけれど、“だからこそ”見ていて腹が立つ。

 

「あら。何も言い返さないのね。麗羽あたりなら、まだ虚勢だろうとも返してくるわよ」

「~っ……どこでっ……ひぐっ……どこで泣こうと妾の勝手であろ! お主なぞに妾の何がわかるというのじゃ! 目をかけていた者に裏切られ、辛いのに七乃もおらぬ! どうせお主がそうするように仕組んだのであろ! 笑うがよいのじゃ!」

 

 まるで癇癪を起こした子供だ。

 なるほど、一刀の前で私はこんな無様を見せたのか。

 あまつさえ一方的に自分の願いばかりを叫び、押し付けたわね。

 だというのにあの男ときたら、結局最後は笑顔で受け容れるのだ。

 怒れと言っても聞きやしない。

 一刀に対する呆れと苛立ちを飲み込み、半眼で美羽を見下ろし、その泣き顔に顔を近づけて言ってやる。彼女の見解への訂正も含めた指摘を。

 

「まず一つ。自分から自らの何一つも語ろうとしない輩が、軽々しく“何がわかる”とほざくな。二つ。私は一刀に、あなたに目をかけられる行動をしろと命じた覚えも、その信頼を裏切れと命じた覚えもないわ。そして三つ。全て勘違いだというのに、いつまでも引きこもっている相手を笑う? この私が? 残念ね、笑い話にもならないわよ。私を笑わせたいのなら、もっと私の予想を裏切る事柄を用意しなさい」

 

 私を見る目をまっすぐに見つめ返し、きっぱりと言ってやる。

 途端に目に溜まる涙の量は増し、それは美羽の目からぽろぽろとこぼれた。

 

「どうしたの? 言い返す言葉もない? ……なら、このまま続けさせてもらうわね」

 

 何かを言おうとしているのはわかった。が、嗚咽が邪魔をして喋れないでいるようだ。

 ならばと伝えることはさっさと伝えてしまおう。

 いつまでも自らのみが名乗った皇帝気分で居られるのも困るし、そんな者をずっと養う気もさらさら無い。

 

「美羽。しばらくは待ってあげたけれど、何もしようとしないあなたに言わなければならないことがあるのよ。間違いではあったけれど、言われた時点で仕事を探した一刀とは違う。自ら動こうともしないで、自分が傷つけられれば文句ばかりを口にするあなたにね」

「~っ……」

 

 私を睨む目に、怯えがさらにさらにと含まれてゆく。

 けれど構わず続ける。

 どう動くかは制限しないのだから、精々考えなさいと態度で伝えるように。

 

「役立たずは必要ないわ。あなたは乱世の頃、誰の役に立ったわけでもなく、平和に至ってからも賊まがいのことをして皆に迷惑をかけた。なんの功績があるわけでもないのに、ここまでの期間の面倒を見てあげたのは、一刀が“役に立たないなら立つように教えればいい”と言ったからよ。少なくとも、魏で生きることを学ぶ時間は十分にあげた筈よね? あなたはその間、なにをしていた?」

「ひくっ……ふ、ぅう……っ……」

「口を開けば七乃七乃と喚くばかり。何を言っても袁家がどうのこうのと口にして、気まぐれに与えた仕事の一つも放り出し、やろうともしない。あまつさえなに? 甘えることしかしなかったくせに、心から心配したが故に怒った相手を突き放し、泣くだけしかしない? 呆れるわね、それでよく名門を謳えたものだわ」

「っ……、~っ……」

 

 涙がこぼれる。

 けれど私を睨む目はさらに鋭くなる。

 

「あのね。わかっていないようだから教えてあげるわ。あなたも七乃も華雄も、一刀のお陰で今ここで生きているの。あの時点で一刀が帰ってこなかったら、賊紛いのことで平和を掻き乱そうとした存在が簡単に許されたと本気で思っているの?」

「ひっ……」

「雪蓮の前に突き出された時点で首を刎ねられていた可能性だってある。この天下、今や私だけのものではないのだから、それを一時とはいえ掻き乱さんとした罪は、重いなんてものではないのよ。けれどそれを許されたからこそ美羽、あなたは今ここで我が儘を口に出来ている。その事実、その理由の重さを理解なさい」

「………」

 

 睨む目を睨み返してやると、その目は逸らされた。

 ……弱いわね。周りに何も居ないかつての名門とやらは、こうまで弱いのか。

 

「…………妾は……ぐしゅっ……わらわ、は……」

「……? なに? 言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい」

 

 目は逸らしたまま。

 けれど涙を拭い、呼吸を整えてから、おそるおそる私の目を見た美羽が口を開く。

 

「妾は……一刀に救われていたのかや……? 一刀は、妾が心配だったから……あそこまで怒ったのかや……?」

 

 訊ねられたものは、一言で返すなら“そんなものは自分で考えなさい”で終わらせたいものだった。冷静でいられるのなら、誰でもわかりそうなことでしょうに。

 

「ようやく手に入れた平和を笑顔で掻き乱す存在が、どうやって三国が集まる宴の中で無事でいられるのか。私のほうこそ教えてほしいくらいなのだけれど?」

「ひうっ……!?」

 

 だから溜め息混じりにそう返し、さらに睨んでやった。

 すると低い悲鳴を上げ、震え始める。

 ……そんな様子を見ていると、なんというかこう……いじめたく───……はぁ、少しは慎みなさい、私。

 

「それと、心配だからこそ拳骨が出るほど怒るなんてこと、まず一刀でなくてはしないわ。それも、我を忘れるほどに怒らないと無理ね。……理解しなさい、袁公路。あなたがどれだけ我が儘を尽くそうが、確かに一刀なら見捨てたりはしない。けれど同時に教えようともしていたはずよ。するべきことではないことはするべきではないと、こう動くべきはこう動くべきと。それを聞きもしないままに怒られた殴られたと泣き叫ぶのなら、あなたを許し続ける一刀こそが報われない」

「………」

 

 そうでなければあの日、桃香との舌戦で頭に血が上っていたとはいえ“私を叩く”なんてことを、あの一刀が出来るわけがなかったのだから。

 

「いい加減、成長しなさい。あなた、このままだと誰にも慕われずに路頭を彷徨い、血でも吐いて死ぬことになるわよ」

「………………それでも……」

「ええそうね。それでも、一刀だけはあなたを守ろうとするでしょうね。だから、もう一度だけ“成長する機会”を与えるわ。救われた命、大事にされているという自覚を持った上で、あなた自身が決めなさい。七乃に相談するのでもなく、己自身で。そして気づきなさい。あなた自身には、相談する相手すら七乃しか居なかったという事実に」

「───っ……」

「それを理解した上で、差し伸べられている手をどうするのかは、あなただけが決められることよ。どうするのも勝手だけれど、いくら一刀があなたを見捨てないとしても、私はあなたを見捨てられる。それで非道と謳われるようなら、それは仕方の無いことと受け取るわ」

 

 だから、精々考えなさいと……それだけを言い残し、一刀の部屋をあとにした。

 

……。

 

 厨房に着く頃には、頭の中のもやもやも多少は晴れ、さらに言えば厨房から漂う甘い香りを嗅いだ途端にするりと簡単に、気分は晴れた。

 中からは歓喜の声と驚きの声。

 恐らくあいすは完成し、それの味見をしているところなのだろう。

 ……べつに、構わないわよ、味見くらい。どうしても一番に食べなければ気が済まないわけでもないし。

 

「あら、もう始めていたのね」

 

 だから、中に入った時点でそう口にする。

 厨房に居た一刀、春蘭、秋蘭、思春、華雄は揃って私へと向き直ると、どこか上気した顔で私を迎えた。

 

「華琳、結構時間かかったな。最初は春蘭を探してた~って聞いたけど、それからなにかあったのか?」

 

 続けて「探されてたって教えてくれた春蘭自身が勢いよく駆け込んできたから、何事かと思ったけど」と口にする一刀に、「べつになんでもないわ」と返すと、その手に持つものを見やる。

 これが……あいす?

 

「ん? ああ、これか? どうせならって、残った牛乳で作ってみたんだ。天の食べ物でプリンっていってな、冷蔵庫がないから寒剤で冷やしたんだけど……」

 

 釜戸を見てみれば、大きな鍋と蒸篭。

 どうやら蒸して作るものらしい。

 

「へえ……かんざい、というのは?」

「ああ、あれのこと。硝石で凍らせた水に塩をかけると、もっと冷たくなるんだ。二種類以上の混合物のことで、氷としての意図よりも冷却材としての意図を差す……だったっけ? まあそれよりもさ、アイスも出来たし食べてみてくれないか? 我ながら上手く出来たと思うんだ」

 

 まるで子供のように燥ぐ、目の前の男。

 ただそれが空元気であることは、少なくとも私の目には明白だった。

 

「……この香りは、酒ね?」

「あ……やっぱり気づくか。バニラエッセンスが無いから代用で悪いんだけど、これも案外いい感じになってくれたぞ?」

 

 そう言って、笑顔のままに匙子であいすを掬い、差し出してくる。

 

「…………なに?」

「はい、あーん」

「なっ───!? じっ、自分で食べられるわよっ!」

 

 差し出されたものの意味を理解した途端に、顔が赤くなるのを感じた。

 当然私はそれを一刀の手からひったくると自分で口に含み───……新たな味に、軽く身を震わせた。

 

「…………」

「……」

「………」

「…………」

「…………」

「……? あ、あのー……華琳? 美味しく……なかったか?」

「!? あ、えと、そ、そうね……わわ、悪くない味だわ」

 

 少し、意識が別の方向へと飛んでいってしまっていた。

 これは……美味しい。

 甘い饅頭にも限定の菓子にも無い味だ。

 濃厚な味わいでありながら滑らかな舌触りと、口の中でほどけるように溶ける甘み、そして軽く鼻を通ってゆく酒の香り。そしてなにより、この心地の良い冷たさ。

 説教まがいのことを美羽にして、少し気分が尖っていたところに、これは反則だ。

 

「悪くない味か……まあボロクソ言われるよりは一歩前進ってことで、お次はこれを」

 

 当の一刀は褒められたとは思っていないようで、「さあさ」と次を用意。

 ぷりん、と言ったかしら。それを差し出してくる。

 

「………」

「………」

「……? 華琳?」

「…………手が塞がっているのが見てわからないの? 食べさせて頂戴」

「……ははっ、かしこまりました。では心を込めて、差し出させていただきます」

「良い心がけね」

 

 ほら見なさい、突然のこんな我が儘にも軽く乗ってくる男だ。

 どれだけ美羽が我が儘放題したところで、見捨てる筈が無い。見捨てられる筈がない。

 だからあの子ももっと早くにそういったことに気づいていれば───

 

「───!」

 

 考え事をしている最中に、口の中につるりとした甘み。

 思わず目を見開いて、口の中に感じるつるつるとした食感に驚く。

 甘い。

 甘くて冷たくて、けれど今度は溶けない。

 そんな味を堪能したくて舌で触れてみれば、柔らかく砕けるソレ。

 しかし砕けてなお甘みは死なず、濃厚な味わいが口いっぱいに広がって……

 

「…………一刀」

「? なんだ? あれ? もしかして不味かったか?」

「結論を急がないの。それよりも……これ、気に入ったわ。作り方を教えなさい。もちろん“あいす”の作り方もよ」

「え……ってことはっ?」

「ええ、とても美味しいわ。綿菓子もよかったけれど、これらは特に。ただ少し味が残りすぎるわね。濃厚な味わいは新鮮味があるけれど……」

「あ、やっぱりそこはそう感じるか。後味までさらりと溶かすのは難しいんだよ、これ」

 

 なにせ材料が材料だからと言う一刀に、工夫次第でどうとでもなるでしょうと返す私。

 天というのは本当に不思議だ。

 こんな味の物をいくつも作り出しているというのだから。

 

「───」

 

 ……ふと感じる気配。

 決して大袈裟に振り向いたりはせず、ちらりと視線を向けてみれば、厨房の入り口の前で中を覗く存在。……どう見ても美羽だ。

 行動が遅いのか早いのか。

 

「えと……華琳、ちょっと」

「ほうっておきなさい。自分で動き切らない限り、それは動いたとは言えないわ」

「…………わかった」

 

 きゅっと握った拳で自分の胸を叩いて、一刀は後ろを向いた。

 硝石で作った氷と、それに塩を合わせた寒剤を見せてくれるのだという。

 

(……こんなことくらいで辛そうな顔をしているんじゃないわよ、ばか)

 

 小さく溜め息を吐いて、寒剤とやらを見ることにする。

 言うべき事は言った。どう受け取り、どう動くかは彼女次第。

 手伝う義理もなければ、言ってみればあんなことを言う義理だってなかった。

 なのにそうしたのは、言った通り楽しませてもらった礼でしかない。

 私は私で、今日というこの日を存分に楽しませてもらうだけだ。

 久しぶりに心が躍るような味に出会えたのだから、他のことをそう意識しては楽しさが半減するじゃない。

 

「おい北郷、このかんざいとやらは食えるのか?」

「食べちゃダメ! それは食べ物じゃないから!」

「しかしそれではふりかけた塩がもったいなかろう!」

「その気持ちはわかるけど、寒剤ってのはそういうものなんだってば!」

「ええい何を訳のわからんことを!」

「訳がわからんのはお前だぁあっ! ああもうっ、わかるように説明するから触っちゃダメだし食べちゃダメ!! つまりな、これの材料のそもそもが───!」

「なにぃ!? 貴様そんなもので作ったものを我々に───!」

「だからあくまでこれは冷やすためのもので───」

「ええい何を訳のわからんことを!」

「それさっきも言っただろ!? わかるように説明するって言ったのに、どうして───」

「貴様が訳のわからん言い方をするからだろう!」

「やっぱ無理だ助けて秋蘭!」

「うむ……なんというか、すまん、北郷」

 

 ふふっ……まあでも、春蘭が上手く引っ掻き回しているようだし、一刀も落ち込んだままでは居られないわね。

 これからどうするのか───あとは貴女次第。

 一歩を踏み出すも良し、踏み出せぬのなら……孤独な旅が待っているだけ。

 好きにすればいい。どうせ二択しかないのだから。

 “選べる”ということがまだ幸福であることを、じっくり感じなさい。

 この、それが許されるようになった蒼の下で。




仕事があるって、素晴らしいことだ。
でも休みたい。熱さの中、ひたすら仕事仕事仕事……もう、ぼかぁもう!
明日も更新できるカナ……。


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56:魏/一握りの勇気の行方①

98/傷つけることよりも難しいこと

 

 ……最近、誰かに見られている気がする。

 

「………」

 

 それは、非番の日……俺が袁術に拳骨してしまった日よりも前から感じているもの。

 それと同じものが、ずぅっと俺を追っている気がする。

 ある時は街で、ある時は城内で。

 誰かの鍛錬に付き合わせてもらっている時でもそれは存在し、いつか霞に模擬戦に誘われた日にも、同様の視線を感じていた。

 そして、その視線の正体は多分……

 

……。

 

 中庭の東屋で、進捗(しんちょく)報告をするための書を纏める。

 日も半ば。

 昼食を終えてから取り掛かった仕事は、自室では落ち着かない理由もあって、こうして風に当たりながら実行していた。

 前の非番の日、自室に戻ればどうしてか破壊されていた俺の部屋の扉。

 それが、実はまだ直されていないのだ。

 扉が開けっ放しの部屋って、最初から扉がない解放的な部屋よりも不安になるし、“だったらいっそのこと”とこうして中庭で仕事をしているわけなのだが……どうしてだろうなぁ。前までならあっという間に直されていた筈の扉は、今回はやけに直るのが遅かった。

 そりゃあ自然に直るわけじゃないんだから、当然といえば当然なんだが。

 

「もしや誰かが直すのをやめなさいとか言い出したとか? 最近になって部屋に施錠するクセをつけ始めた俺を狙う誰かが……!」

 

 …………そうなると一人しか思い浮かばないから困ったもんだ。

 けどまあ、さすがにそれはないだろう。

 出来ることがあるとしたら闇討ちくらいなんだし……あれ? 待って? それ全然安心できないんだけど?

 

「………」

 

 あれ以来、袁術は俺の部屋には来ていない。

 元々宛がわれていたらしい部屋へと戻り、以前ほど顔合わせをしない日が続いている。

 華琳は、どうして袁術が急に俺の部屋を出ていったのかについては、一言たりとも教えてはくれなかった。彼女と袁術との間になにかがあったのは間違い無さそうなのだが、言ってしまえば拳骨して泣かせた相手の部屋にHIKIKOMOること自体が、たしかにおかしいといえばおかしい状況ではあった。出て行くのも当然……なのだが、やっぱり気になるのだ。俺の部屋の扉のことも合わせて。

 気になるものは仕方ない。というのも実際、何度か袁術の部屋に向かおうとすることがあった。その度になんとか我慢して自室に戻るようにしている俺。相手が動き切るまでは我慢だ我慢。

 

「ん、仕事仕事っ」

 

 筆を走らせる。

 進捗報告とはいっても、何をするでもなく平和な時間が続いている。

 対処に困る問題が起こることもなく、どちらかといえば警備隊は誰かの案内をすることが多くなった。

 平和な証拠だよな、うん。

 町人も賑やかに過ごしているし、かつて治安の悪さが目立っていた区画も、いつか流琉と話した警備隊の職安の話が上手くいったのか、落ち着きを見せている。一部じゃあ、かつてはワルだった者でも料理の腕さえ認められればって、躍起になって有名になった料理店もあるくらいだ。

 

(まあ、実際に今日、その店に食いに行ってみたわけだが……)

 

 そこで働いていた男が見覚えのある男だったもので、衝撃を受けた。といっても及川ほどの面識があるわけでもなく、ただまあ……この世界に初めて下りた時に会った、あの黄巾党の三人組の中のチビのほうだったって話だ。

 ヒゲのアニキのほうも別の店で頑張っているらしく、デブの方はその力を活かせる範囲で町人の手伝いをしているらしい。

 会ってみれば、揃って“客の笑顔ってのも悪くねぇ”みたいなことを言っていた。

 人間、変われば変わるもんだ。

 難しいのはそのきっかけを掴めるかどうかか……。

 あのチャーシューが美味かった店は、やっぱりというかなんというか、別の場所に移転してしまったらしい。つまり、ここではきっかけを掴めなかったってことだ。

 かつてはそこにあったものを見るように、そこを通る度に季衣が“チャーシュー……”と漏らしている。

 

「はぁ……」

 

 どうか別の場所でも誰かを幸福にしていますようにと願わずにはいられない。

 美味かったもんなぁ、あの店。

 

「……マテ? あの頃のことを思い出せば、アイスなんてものも華琳の手にかかれば……」

 

 とか思った矢先だった。

 視界の隅にぴょこんと動くドリル……もとい、……もとい…………ドリルか。

 麗羽ほどではないにしろ、巻いた髪を歩くたびにぴょいんぴょいんと揺らす存在が。

 まあ、華琳だけど。

 

「“噂をすれば影が差す”か。いいや、ちょっと訊きたいこともあったし、少しだけ時間をもらおう。……って、華琳への報告のことなのに、華琳に訊くのってどうなんだ?」

 

 考えてみた途端に、溜め息を吐く華琳の姿が思い浮かんだ。

 よし、自分でなんとかしよう。考えるコト、大事。

 で、そんなことを思った瞬間に見つかるのが世の常ってわけで。

 バッチリと目が合ってしまったからには隠れるわけにもいかず、そもそも隠れる意味もなく、華琳がこちらへ来るまでを待った。

 

「こんなところに居たのね」

「こんなところって……それが数日前にここで優雅に茶を飲んでたやつの言うことか」

「……言葉のあやというものよ」

「ははっ、まあ少しでも誰かを探したりすると、場所がどこでも“こんなところに”とか言いたくなるのはわかるよ。で、どうしたんだ? 進捗報告書なら今まとめてるところだけど」

「ええ結構。けど用事はそれじゃないわ」

 

 そう言って差し出したのはひとつの容器。

 そこには甘い香りを冷気とともに漂わせる例のブツが。

 

「…………噂で現れる影ってさ。普通ここまで人の予想通りに動かないと思うんだ」

「? なんの話よ」

 

 アイスだ。

 間違い無くアイスだ。

 しかもこの香りは……

 

「果実で香り付けしたのか?」

「ええ。以前、呉で採れたものを雪蓮が分けてくれたものがあってね。一刀と一緒に収穫したものだからって、笑いながら言ってたわね」

「へぇ……」

 

 人のことを散々引っ張り回してくれたからなぁ、あの呉王さまは。

 思い立ったが吉日で、その瞬間の相手の都合なんてものはまず考えない。

 そのくせ本当に大事な用事がある時には突撃してこないのだから不思議だ。

 あれも勘の為せる業ってやつなんだろうか。

 

「なかなか面白いわね、このあいすというものは。ここまで素材の香りが前に出る食べ物もそう無いわよ」

「材料が少ないくせに、その材料が香りのあるものばっかりだからだろうな。そりゃあ匙加減ひとつで変わるよ。で、食べてみていいのか?」

「そうでなければこうして差し出したりはしないのだけど?」

「そりゃそうだ。じゃあ……いただきます」

 

 匙子でアイスを軽く掬い、口に運ぶ。

 すると、ふわりと舌で溶けるアイスが口に甘みとほのかな香りを残し……

 

「あっ、これ茘枝(らいち)かっ!」

 

 冷気に乗る香りだけでは確信が持てなかった正体が、舌に乗り、ほどけた途端に確信へと至る。

 途端に“あぁ採った採った! 雪蓮と一緒に収穫したよこれ!”って思いが一気に溢れ、俺の顔はどうしようもなく笑みに支配された。

 

「ていうか美味い! しかもいろいろ思い出せて面白い!」

 

 ああっ、頬がじぃいんってする!

 酸っぱいのとは違った頬への満足感に、体が痺れる感じだ!

 

「雪蓮には酒にでもと渡されたのだけれどね。せっかくだから余ったものを使ってみたのよ」

「“せっかくだから”でこの味!?」

 

 相変わらずどうなってんだこの完璧超人さんは。

 クッキーの時もどうすれば美味いかを見極めたし、ハンバーグの時だってキングサイズを作っちゃうくらいの手際と味を見せ付けたし、ラーメンの時だって店の大将と同じ材料で美味いもの作ってヘコませたし……あれ? でもこの茘枝、雪蓮と一緒に収穫したものだとしたら……大丈夫なのか? カビやすいって聞くけど。

 と、そんな俺の視線が気になったのか、華琳は簡潔に“茘枝酒用に浸けておいたものを使った”と教えてくれた。なるほど。

 

「いっそおかしいってくらいだろ……天以外でこんなアイス食べられるとは思わなかったぞ……」

 

 天と違って“そういったもの専用”の設備があるわけでもないのにこの味だ。

 やっぱり機械よりも手作りの温かさなのか? 心を込めるって素晴らしいですね。

 と、あまりの衝撃にぶつぶつと言う俺を見る華琳は楽しげだ。

 しかしまだ知識を詰め込む猶予はあるといった、挑戦的な目をしている。

 キミはなにか、己の知識がどこまで天に通じるのかを確かめ…………たいんだろうなぁ。

 あ、じゃあ……

 

「なぁ華琳。こんなに美味いものを作れる華琳に、もう一つ天のものを伝えたいんだけど」

「あら、この私に作ってみせろと挑発でもする気?」

「妙な受け取り方するなって。ただ、これが出来たらいいなって思っただけだから」

「……? 出来たら、いいもの……?」

 

 余裕の笑みに困惑が混ざる。

 さて。もったいぶる意味も無いし、ぱぱっと伝えてみよう。

 モノとしては伝えたことはあるものだ。

 

「こうして天で食べてたものが食べれるなら、郷愁とかもなんとかなると思うからさ。えーと……日本酒が造れるかどうか、試したいんだ」

「日本酒? それって酒のことだったわよね。あなたね、ここに酒蔵でも作れという気?」

「あ、やっぱり作るなら蔵からじゃないとだめか」

 

 テレビとかで酒蔵は見たことはあったが、やっぱり材料さえあれば何処でも作れるわけじゃないんだなぁ。

 

「作るにしたってコウジカビとかの採取から始めないと……って待てよ? ラーメンあるんだし、醤油はあるよな。醤油作るのに使う菌がコウジキンだった筈だから……まずは白米を蒸すところから……ふむふむ。(かめ)を用意して酵母も作らないといけないし……」

「ちょっと。作ること前提で話を進めないでほしいのだけれど?」

「あ、すまん。こういうのってどうも、考え始めると止まらないな」

 

 ……それだけ、郷愁があるってことなんだろうか。

 天じゃあ必然的に飲みたくても飲めないってことばっかりだったから、これが郷愁なのかはまた別な話なわけだが。

 でも、じいちゃんは胃の中から清めるために飲むとか言って飲んでたっけ。

 俺は飲めなかったけど。

 

「霞と約束したんだよな、日本酒を飲ませるって。だからなんとか作りたいんだけど……失敗したなぁ~、ビールもワンカップも、呉のみんなにあげたから残ってないし……」

 

 って、そういえば黄酒も米で醸造するんだよな?

 それって日本酒と大して変わらないんじゃ……いや待て? たしか黄酒は白米じゃなく糯米とか黍米で作るんだったよな。麹菌も麦麹を使うから、日本酒とはやっぱり違うか。

 

「ちょっと一刀! それはつまり天の食物を持ってきていて、しかも雪蓮にあげてしまったということ!?」

「へっ!? あ、ああ……まあ雪蓮っていうか、ワンカップはほぼ祭さん一人が飲んでたな」

 

 あ。あの瓶とか缶に原料とか書いてあるかな?

 ……さすがに捨てられてるか。

 ていうかそれ以前に、俺に詰め寄る華琳が怖い! なに!? 何事!?

 

「なんてことをしてくれたのよ! せっかくの天の食物を味わう機会を!」

「え、いや……ああ、そういうことか……」

 

 怒ってた理由がわかった。わかったところで対処のしようがないが。

 ワンカップ、柿ピー、缶ビール、あたりめ、チーかま、これらを用意しろと言われても俺には無理だ。干しホタテあたりならなんとかなりそうか?

 

「ん? でも待てよ?」

 

 及川のことだから、別のところにも何か詰めてたりとか……。

 一応傍らに持ってきておいたバッグを漁ってみる。

 メモ、シャーペン、シャーペンの芯、携帯電話……ティッシュにタオルに着替え一式……二重底の下にはもう何も無し、と。あとは何処かに……無いか。

 さすがの及川でも二重底が限界か。

 まあ、あったとしても衝撃とか日光とかで大変なことになってただろうし、この場合は無くて正解かもなぁ。

 

「けどまああいつのことだ、バックの中の上のほうにめくれる仕掛けとか───……あったよ」

 

 側面に糸のほつれがあり、軽く引っ張ればブチチチチと切れるソレ。

 中には予想通りにブツが入っていて───白いソレを取り出してみれば、

 

  “必死こいてモノ探したかずピーへ。おつかれさん。 及川”

 

「あのヤロォオオオーッ!!」

 

 白い紙に書かれた悪友の文字に素直に叫んだ。

 ええいいっそこのバッグ解体してくれようか!?

 探せばまだこういったものが出てきそうな気がするぞ?

 ていうか……空気読もうぜ……? な、及川よぅ……。

 ここは“ウワーこんなところに酒ガー”とかいって一気に解決をさ……? なぁ……?

 

「な、なによ、急に叫んだりして」

「なんでもないっ!! 期待した俺よりもさらに馬鹿が天に居るって、それだけだっ!」

 

 紙を引き裂いてぐしゃぐしゃに丸めて円卓に叩きつけた。

 ボスって乾いた音が鳴っただけで、気分は大して晴れはしなかったよ……。

 溜め息を吐く俺を前に、「……なによ。簡単に怒れるんじゃない」とか呟く声が聞こえた。いや、これ怒りっていうよりはツッコミ……ああいや、怒りか。

 

「天の酒とかについてはほんとすまん。あれはどうしたってもう用意出来ない」

「そうでなければわざわざ怒ったりなんかしないわよ……はぁ」

 

 溜め息をつかれてしまった……。

 や、でもあれは仕方ないだろ。こっちだって新しい地でドキドキしてたし、早く打ち解けるためにも……って、言い訳だな、これは。

 急ぐ必要なんてなかったし、じっくり仲良くなればよかったんだ。

 ただし、魏に戻るまでに酒等を死守していたとして、飲めたか、味わえたかと訊かれれば否だろう。だって賞味期限があるし。酒やビールはまだセーフだったろうけど、チーカマとかは確実にアウトだ。開けた瞬間、ある意味芳醇な香りが華琳を迎えてくれたことだろう。

 そう思えば、“宴の時に気づく”ってことが最善だったんだろうが……気づけなかったもんな、俺。仕方ない。

 ……と、そうこう話しているうちにアイスをたいらげてしまい、ハッとした時には遅い。

 慌てて全部食べてしまったことを謝るが、

 

「構わないわ。“味見”のために用意したものだもの、食べ切ってもらわなければ処理に困るし」

 

 わざわざそんな、“味見”って部分を強調しなくても……。

 

「うん、でも美味かった。よくこれだけ美味く作れたよな」

 

 流琉が言っていたことも嘘じゃなかったってことか。

 料理を食べた瞬間、調理法やらなにやらまで頭に浮かぶとかなんとか。

 で、気に入らなければ“この料理を作ったのは誰!?”と、某倶楽部のおじ様の如き特攻を開始する……そんな話を、今は消えたチャーシューが美味いラーメン屋で聞いた。

 

「失敗とか考えないよな、華琳は」

「この私が腕を振るうのよ? 失敗なんかする筈がないわ。……まあ、それも地盤があってこそだけれど。なんの知識もなしに成功するのは奇跡だし、知識があっても腕がなければより良いものなど作れないわ。あいすにしたってそうよ。現物をあなたが食べさせたから作り方の想像も出来る。そうなれば、一刀に出来るのなら私にも出来て当然でしょう?」

 

 うわーあ、物凄い自信だ。

 しかも実際にやっちゃうんだから、大した横槍も入れられないんだよな……。

 が、これだけは言わせてほしい。

 麻婆豆腐は丼で、ご飯にかけて一気に食ったほうが美味い!

 邪道の中からも受け容れられるものを拾えてこその、味の修羅だと思うのだ!

 ……あ、今度店でも設けてみようか。その名も邪道飯店。

 知る限りの、ぶっかけた方が美味しいものや単品では出せない味を用意してみるんだ。

 華琳のことだ、さすがにそういう店では、味も見ずに追い出すなんてことはしない筈。

 そうして食べてもらって、美味いって反応が得られたら───……いつかのように“この程度の店にしては、ね”と付け足されるんですね?

 やめましょう。ええやめましょう。

 

「一刀? さっきからおかしいわよ? 唸ったり頭を抱えたり」

「……いや。華琳を満足させるのって難しいなって考えてた」

「なにかと思えばそんなこと? 当然でしょう? 軽い事柄で満足するようでは、王なんて務まらないわよ。満足しないからこそ次があるの。鍛錬を続ける身で、それがわからないなんて言わせないわよ」

「あ……なるほど、そういうことか」

 

 誘われれば迷わず鍛錬に参加する俺だ、それはわかる。

 これが限界だ~って諦めてしまえば、伸びるものだってそこで終わる。

 国を作るのが工夫や町人なのだとしても、管理し金を出す者が居ないのであれば何も成立しない。

 国の主に“この状態で満足しているのだ、勝手な真似は許さん”なんて言われたら、それから先にはなにも作られないのだ。

 王は満足してはいけない……か。また難しい話だなぁ。

 

「じゃあ一時だけでも満足したいとか思うこと、ないか? アイスでもプリンでも満足してもらえなかったし、なにかあればなって考えてるんだけど」

「………」

 

 黙り込んでしまった。

 多少視線を逸らした顔は何故か赤く、そんな華琳に「華琳?」と声をかけつつ手を伸ばすと……ごすっ! と頭頂に空になったアイスの容器が落とされ、悶絶した。

 

「ごぉおおおおお……!! い、いきなりなにをっ……!!」

「おかしなこと言ってるんじゃないわよっ!」

「お、おかしいって……俺はただ……!」

 

 急な痛みに苦しみながらも見た華琳は、何故か少し機嫌が悪そうにしたまま、何処から出したのかもわからない絶を構えて中庭を促した。

 

「……一刀、体を動かしたい気分だわ。少し付き合いなさい」

「エ? や、俺はさ、ほら、さっきも言った通り進捗報告の書類を───」

「なに? 私の言うことが聞けないというの? ……一刀、あなたは私の“なんだった”かしら?」

「ああぁああもうわかったよ! やるよ! 木刀置きっぱなしだから取ってくるから! ちょっと待っててくれ!」

 

 全てが語られるより早く円卓を立ち、自室へ向かって走る。

 バッグはあるものの、竹刀袋は部屋に置きっぱなしだったのだ。

 ……それにしても、袁術もだけど華琳だって相当な我が儘さんじゃないか。

 あれでよく人のことを……いや、そりゃあ見合う分の仕事はしてるけどさ。

 

「…………はぁ。本当に、なんとかしないといけないわね。我が儘を断る気が最初からないのかしら、あのばかは」

 

 なにか大変失礼なことを、呟きではなく普通に言われた気もしたが、気にせずに走った。

 というかきちんと耳には届かず、俺はそのまま自室へと駆けていった。




日間2位……一時とはいえ、いい夢見させていただきやした。ありがとうごぜぇやす。
いきなりお気に入りが一気に増えて、何事かと思った……!


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56:魏/一握りの勇気の行方②

 戻ってきてからの鍛錬は、なんというか普通だった。あくまで華琳の中で。

 鍛錬の際、春蘭と秋蘭の本気を相手に立ち回るほどの武はさすがの一言で、その実力を以って、それはもう遠慮無用に踏み込まれた。

 しかも華琳は手加減なんてものを嫌うわけで、俺にまで全力で来いと言う始末。

 ならばと全力で向かい、余力を残そうともせずにぶつかり合った結果……体を動かしたい気分、なんて言葉から始まったソレは、双方がへとへとになることで決着、というかたちに落ち着いた。

 本当に、技術とかよりも無駄にスタミナばっかりついていると自覚する。

 というのも切り込めた回数は想像していたよりも少なく、華琳の隙の無さに逆に呆れる結果になった。だって鎌だぞ? 見た感じ思い切り隙がありそうなのに……ほんと、どうなってるんだこの世界の女性は。

 お蔭で、ほぼが華琳の攻撃をいなしたり躱したり、踏み込めずに攻めあぐねて怒られたりの連続だった。

 ……思い切り力を込めた一撃も、あっさり防御されたし。や、絶で受け止められた瞬間、華琳の体が軽く浮くくらいには衝撃を与えられたようだが……それが原因で、「そんな攻撃が出来るのなら最初から使いなさい!」とまた怒られ、絶を振り回した覇王様に追われる羽目になった。勘弁してください。

 

「………」

 

 そんなことが終わって、現在は中庭の立ち木に背を預け、座っているわけだが……どうしてかその膝……胡坐だな。に、華琳さま。

 

「はー……風が気持ちいいな」

「ええそうね」

 

 チラリと東屋を見る。

 書き途中の進捗報告書がそこにあるわけだが……しかしこの、足に乗る心地の良い重さも手放しがたく……手持ち無沙汰とはよくいったもので、心の中で自分に“仕方の無いやつだな”ってこぼしながら、その手で華琳の頭を撫でた。

 汗に濡れた髪が軽くくっつくが、そのまま引っかからないようにさらりと抜く。

 華琳はといえば、自分の汗が誰かにつくのが嫌なのか、閉じていた目を開いて自分の肩越しに振り向くように、俺を軽く睨んでくる。そんな顔に、“じゃ、膝枕やめるか?”って視線を悪戯笑顔とともに返してやれば、伸ばされて頬を引っ張る華琳の指ってあだだだだだだだ!?

 

「ひょっ……ふぁりんっ、いふぁっ……いふぁふぁっ!」

「一刀、あなた……呉、蜀を歩いてから生意気になったんじゃない?」

「ふおっ! ……~っつぅう……! そういう華琳は、随分と……」

「……? 随分と、なによ」

 

 甘えん坊になった。

 ……なんて言えるわけがないよなぁ。

 あの時……玉座に座らせて、“私のものという自覚を忘れないでいるのなら、春蘭たちに手を出すことには目を瞑ってあげる”と言われた時は、本当に随分と滅茶苦茶なことを言われたものだけど……最近はやたらと無茶を押し通そうとすることが多くなった気がする。

 それが甘えからくるのか、ただ俺を困らせて楽しみたいだけの話なのかはやっぱりわからないんだが……ただ、快く引き受けると呆れた顔するんだよなぁ、“ほらみなさい”って感じに。

 前にもそんなことがあって……あの時は俺を怒らせたかったから、だっけ?

 じゃあ今も? …………でも袁術相手に爆発させちゃったしなぁ俺。

 

(華琳自身が怒られてみたいとか? ……いやいやいや、また泣かれるのは嫌だぞ)

 

 ……ていうかそれはないだろ、だって華琳だもの。

 そりゃあいつか、蜀に攻められて撤退しようって時、引っ叩いて怒っちゃったけど───わあ、そういえば俺、怒ったの美羽が初めてじゃないや。

 あ、でも……“叩いた”ではなく“本気で怒った上で殴った”は初めてじゃないか……。

 殴った……ナグッタ……女の子殴った……!

 

(うおお……でも、でもあの時は……!)

 

 でも、でも……うーん、“でも”が頭から離れない。

 こういう時の気分って、あんまりいいものじゃない。

 もやもやが溜まっていくから、なんだかどっと疲れるのだ。

 じゃあ試しに怒ってみる? 逆に滅茶苦茶怒られそうだぞ? あ、じゃあそれは次に理不尽に何かを仕掛けられた時に……なんてことを考えていたんだが、ひょこりと視界の隅で何かが動いた。

 

「………」

「……ほうっておきなさい。一歩も進まない者に手を差し伸べるのは、やさしさじゃなく成長の妨げでしかないわ」

「ん……わかってる。わかってるんだけどさ……」

 

 袁術だ。

 ここ最近だけじゃない、ずぅっと感じていた視線の正体。

 目をかけてやったと言っていたけど、まさか本当の意味で目をかけていたとは思いもしなかった。

 俺はそれに気づかず、気づいたとしても深く気にしようとはせず、普通に過ごしていた。なもんだから袁術も気づかれていないと見て、部屋でもなにも言わなかった……か? 言うまでもなく、俺が勝手に気づくのが当然だ、とでも思っていたのかもしれない。

 妙に意地っ張りで頑固だからなぁ、袁家の人は。

 

(……でも、目をかけてやった、って……目をかけて、どうしたかったんだろうな)

 

 遊ぶだけなら俺じゃなくても、もっといっぱい…………。

 

(あ……そっか)

 

 さっき自分が感じた通りだ。

 よく知らない場所、よく知らない人に囲まれた時、酒やつまみを出してでも安寧が欲しいって思う。そんな状態の中、袁術は俺の部屋に居て……俺は、袁術が望まなくてもズカズカと話し掛けたりちょっかい出したりをしていた。

 自分がなにもしなくても、自分を構ってくれる存在。

 それはとても都合のいい存在で、心細さへのそのお節介は、嫌なくらいに受け容れやすかったに違いない。そりゃ、我が儘にもなる。自分から近づいてきたやつが、まさか自分を叱るなんて思いもしなかったに違いない。

 ……それ以前に、自分が怒られるってこと自体を意識してなかったっぽい。

 そう思えば、いつだって、自分が思うよりもずっと、自分以外の誰かの行動力なんてものは有り難いものなのだろう。

 

 

(こうなると、逆に今までの俺が壁になるのかな)

 

 今まではほうっておいても手を伸ばした。

 だからきっと、今でも視界に入れば手を差し伸べるのではないか。

 そんなことを……自分ならば考えるかも、と考えては、自分にそんな神経があるかなぁなんてことを考えた。ほら、多少は考えるものの、解らなくなって無神経に突っ走ってそうな気がするんだよ。我ながら計画性ってものがない。

 ないからこそ、少し考えてみることにした。

 

「……なぁ華琳? 支柱になったらどんなことをすればいいんだろうな」

「好きにしていればいいわよ。支柱として生きるための知識なら、私や他の知ある者が、嫌と言えなくなるほど叩きこんであげるから」

 

 それはあれですか? 帝王学ってやつですか? ……この場合、覇王学?

 ……帝王になるよりも、町人と遊んで笑っていられるような支柱になりたいなぁ。

 

「町人と遊んで笑ってるような支柱って、だめか?」

「そんなもの、ただ舐められるだけよ。自分は王ではないのだからと、そういう意味でそんなことを言っているのなら、それは大きな間違いだわ」

「え? そうなのか?」

「……あなたね。今、何処の誰があなたを支柱にしようと走り回っているのか、忘れたとでも言う気?」

「? 雪蓮に桃香に華琳だろ? それが…………あ」

 

 わかった。

 つまりこれは……

 

「王や軍師が進んで俺を支柱にしようとしているのに、俺が誰からにも舐められる存在じゃあ、推薦した王たちの面目が立たないってことか」

「そういうことよ。やさしいのは結構なことだけれど、限度というものを知りなさい。どれだけ平和になろうと、その平和を纏めるための王は必要であり、その王が支柱にしようとする者がただの能天気な男では、あちらこちらで不満が募るわよ」

「……そうかな。わかる気はするけど、平和のための支柱がそんな、怖い顔ばっかりしてたら息が詰まるだろ。ていうか呉の民のみんなとは随分と仲良くなったし、しかめっ面とかしていようものなら逆に不満が募りそうなんだけど」

「………」

「い、いやっ! 断じて根回しとかじゃないぞっ!? 俺にこんな先のことまで予見して行動しておくなんてこと無理だからっ! 自分で言ってて悲しいけど!」

「……まあ、そうね」

「…………いや……うん……」

 

 納得してくれてありがとう。でも納得されても少し切ないです。

 こんなんで本当に支柱になれるんだろうか。

 帝王学を叩き込まれて、人捌きも上手くなって、こう、キリッとした顔で胸を張って、バァアアーンって感じのオノマトペを背に引っ提げて、

 

(帝王、北郷!!)

 

 …………ウワァ…………。

 

「……ガラじゃないよ、これ」

「なによ。私の説明じゃあ不満?」

「いや、そっちじゃなくてさ。ほら、もしだけど、都に住むようなことになって、今の華琳みたいにいろいろな書類整理に追われるとするぞ? 三国の様々を把握しなきゃいけないし、呉や蜀だけじゃなく、魏からのものにも目を通すコトになったりしてさ」

「ええそうね。それがなに?」

「……あのさ。それって俺が華琳よりも高い位置に居る~、みたいに見えないか? あくまで民たちにとってはって意味で」

「ええそうね。雪蓮は間違い無く入り浸るでしょうし、桃香もやりそうだわ。私だってそうするでしょうしね。だから言っているのよ、舐められることになる、と」

「ああ、そっか……ていうか本当にジュノ大公国だなおい……」

 

 いっそ笑いたくなるくらい似合わないぞ?

 都に置かれた城の玉座に座り、頬杖をつきながら足を組んでニヤリと笑う俺。膝の上には猫でも置こうか? それとも猫の代わりに美以やミケトラシャムを? はたまた愛など要らぬと無意味に叫んでみるとか……いや、いろいろおかしいからそれ。

 

「そんな状態が続くと、大陸の覇王である華琳がおかしな目で見られたりしないか? 俺は支柱になりたいんであって、帝王なんかには興味がないぞ?」

「当然でしょう? あなたは支柱であって王などではないわよ。中心に都を構えるにしても、それはあなた自身が同盟を支えるものになる、という意味の支柱なんだから。王の務めは各国の王が務めるものだし、あなたは支柱としての仕事をすればいい。それだけのことよ」

 

 だから好きにしていればいいと言ったじゃないと続け、溜め息。

 ……そ、そっか。

 中心に構えるなんて言うから、てっきり三国の面倒ごとを全部押し付けられるものかと。

 華琳はただ“もしだけど”って言葉を受け取ってくれただけだったわけか。

 しかし……舐められないように、ねぇ……。

 俺、自分って存在にそこまでの自信が持てないんだけどなぁ。

 

「…………」

 

 静かに吹く風に撫でられながら、支柱としての生き方を考えてみる。

 自分の知らないところでどんどんと進む話に、正直気が遠くなりはするが……だからって全てを断りたいわけでもない。自分が柱になることで、手を繋げる場所がある。それって、宴の時に桃香が言っていたこととよく似ている。

 手を繋げない誰かと誰かの間に立って、それらを繋げるなにかになる。

 それが、俺っていう存在が支柱になることで果たせるのなら、素直に嬉しい。

 嬉しいけど…………

 

「………」

 

 ちらりと目を向けそうになり、我慢する。

 今近くに居る少女に手も伸ばせない俺に、そんな大それたことを果たすことが出来るのだろうか、なんて……弱気を抱いてしまった。

 必要なことだっていうのはわかるのに、理解しているくせに納得がいかない。

 もやもやとする中で、出来れば駆け寄ってでも仲直りがしたいのに、それではダメだと自分でもわかっている。そのくせ、やっぱり、わかっていても納得は出来ないのだ。

 ……なんだろな、ヤマアラシのジレンマって言葉が浮かんだ。

 

「難しく考えすぎなのよ、一刀は。どうせ今近くに居る誰かに手を伸ばせないで、とか考えていたんでしょう」

「うぇっ!? な、なんでわかった!?」

「……本当に考えていたの? まったく、単純というかお人好しというか」

「返す言葉が本気でございません」

 

 見透かされすぎな自分に、いっそ泣きたくなった。

 単純だなぁ俺……。

 

「とにかく。手を伸ばすばかりがやさしさじゃないとわかっているのなら、時に耐えるのは当然のことよ。いいから、普段通りにしていなさい」

「ん……わ、わかった」

 

 一応頷いてはみるが、どうも覚悟として飲み込めない。

 だから、ぐっ……と飲み込むようにして、自分の胸に当てた手でノックする。

 今日まででもう、何度同じコトを覚悟として胸に叩きこんだのやら。

 

「ず~っと他人任せな蒼天の下を歩いてきた日が懐かしいや……」

「……? ……ふふっ、なんだ、そういうこと。他人任せでサボれはしても、相手が一歩を踏み出さなければ成長に至らない状態で、他人任せをするのは辛い?」

「辛いなぁ……早く来てくれって思うのに、それは相手の覚悟の問題だから強くも言えない」

「あらだめよ。言った時点で接触しているじゃない。それも我慢しなさい」

「…………ん……わかって……るんだけどなぁ……」

 

 華琳は笑っている。

 なにがそんなに可笑しいのか、楽しげだ。

 ただ、「やっぱり私を笑わせてくれるのは大体があなたね」、なんてことを呟いていた。

 別の意味でどうにも納得がいかないが、楽しんでもらえているのならなによりだ。

 …………俺にはその愉快の沸点がどこなのかが、謎なわけだが。

 

「………」

 

 風が吹く。

 いつから俺を追い掛け回していたのか、少女は小さくくしゃみをした。

 無意識に体が動こうとするのを華琳に抓られることで耐え、座り直す。

 一緒に街に出れば、少しもしないうちから“負ぶってたも”と願った子。

 言われるままに負ぶったり、今日はだめだと突っぱねてみたりもしたけど、思い返せば返すほど、自分がどれだけ甘かったのかを悟る。

 悟りはするが、心配なものは心配なのだから仕方がない。

 せめて……せめて少女が一歩を踏み出してくれればと願うのに、それはあまりに勝手な都合じゃないかと自分に呆れることを繰り返す。

 自分が怒ったことでこんなことになってしまったのか、それともいずれは華琳が何もしない袁術に裁きを下したのか。

 華琳が…………華琳…………華琳?

 

「…………あのさ、華琳」

「なに?」

「もしかして、いや、これ言うとものすごーく嫌な顔されそうなんだけど、気になっちゃったから言うな? もしかして、袁術のこと、結構脅したりした?」

「助言と言ってほしいわね。成長するための物事を真正面から口にしてあげただけよ」

「……その時の袁術の反応は?」

「子猫のように震えていたわ。それがどうかしたの?」

「………」

 

 確定じゃないか? これ。

 

「いや……その。それってさ、袁術が今の俺に話し掛けづらい状況に繋がってないか?」

「震える原因が傍に居ようと乗り越えるから成長というのよ。大体一刀、今のあなたじゃあ話し掛けられた途端に許し、抱き締めでもすると思うのだけれど?」

「…………………………」

「穴があったら?」

「入りたいです……」

 

 見透かすように笑い、訊いてくる華琳に正直に答えた。途端に華琳は楽し気に笑った。彼女の肩越しに見るその笑顔が可愛かったから、ああもう可愛い、なんて思いつつ頭を撫でた。……ら、その手をぺしりと叩かれた。

 後ろから触れられるのが嫌なのか、警戒心が嫌でも刺激されるのが嫌なのか、華琳は笑みをふぅと吐き出すと同時に姿勢を変えて、あろうことか今まで自分が座っていた俺の胡坐に、ぽすりと頭を乗せて寝転がってしまった。

 これなら後ろから撫でることなど出来ないでしょう? とばかりに軽くドヤってる覇王様が可愛い。無意識なんだろうが、たまに子供っぽいところ、あるよな。華琳って。なので撫でた。……ぺしりと叩かれた。

 

「……でさ、華琳。恥ずかしいから早速話題を俺のことから逸らしたいんだけど、その……厨房のほうは大丈夫なのか? アイス、作ってたんだよな?」

「片付けなら桂花に任せてあるわ。味見役を任せたら目を輝かせて頷いたからね」

 

 犬だな、まるで。

 他人には懐かないで、あくまで主人だけに懐く。

 でもイジメられて喜ぶ犬ってどうなんだ?

 

「はぁ……ん、少しだけ気分が逸れたよ。どちらにしても待つしかないんだ、ゆっくりと……あ」

 

 視界の隅で、少女がコクリと頷いた気がした。

 そしてついにその一歩を踏み出し───

 

「華琳さま~っ! ご命令通り、全ての片付けを終わらせました~っ!!」

 

 ───……てくるより先に、誰かさんの声。

 視線を向けてみれば、ほっこり笑顔で中庭へと駆けてくる猫耳フードの軍師さま。

 

「華琳さま、華琳さま~っ? 何処に……あ」

「あ」

 

 目が合った。

 東屋の傍の立ち木だ、中庭に入った時点で目につきそうなくらい目立つ。

 そりゃ、すぐに見つかるわ。

 

「あ、ぁあああああんたぁあああっ!! かかかっ、かか華琳さまが日々の激務で疲れているところに付け込んで、ひざっ……ひざざっ……膝枕ぁああーっ!?」

「うわばかっ! 大声出すなっ! ていうかこんな状況で来るなんて、どれほど空気読んでないんだお前はっ!」

「北郷ごときがわたしを馬鹿呼ばわりっ……!? いいえそんなことは今はどうでもいいわ! いいから華琳さまの整った体から今すぐその穢れた体を退かしなさい!」

「大声を出すなって言ってるだろうがっ! せっかく一歩を踏み出してくれたのに、これじゃあ───」

 

 と、ちらりと目を向けてみれば、既にそこに居ない少女。

 ………………終わった。

 

「……この場合、桂花の大声よりもあなたの大声が原因でしょうね」

「怒鳴って殴ったの、俺ですもんね……」

「いいからどきなさいって言ってるでしょ!? 大体、進捗報告の時期に何を暇そうにしてるのよあんた!」

「その時期に主人の用事の後片付けをしてほっこりしてるお前に言われたかないわぁああーっ!! な、なにもこのタイミングで来ることないだろ!? もう少しでもやもやが晴れてたかもしれないのにっ!」

「はん? なに? 八つ当たり? 自分の失敗を人の所為にしないでよ汚らわしい」

「八つ当たりで汚らわしい言われたの初めてだぞ俺!」

 

 ていうかこれ八つ当たりなのか!?

 ああくそう! なんで俺の怒りは目の前のこの軍師の前でこそ爆発しなかったのか!

 それはそれで面倒なことになってただろうけどさぁ!

 

「はぁあああ………………もういい、作業に戻るよ俺……」

「働くだけ前よりはましなんだから、精々華琳さまの迷惑にならないように働きなさいよね。そして働き続けて死ねばいいんだわ」

「お前は俺の文句を言いながらじゃなきゃ喋れないのか……?」

「願えば叶うくらいなら、あんたなんて百回は死んでるわよ」

「どれだけ嫌いなんだよ俺のこと!」

 

 言いながらもソッと華琳の体を起こし、俺が座っていたところへと座らせる。

 この立ち木に背もたれすると、なんか安心するんだよな。

 あ~、魏だ~って感じで。

 そんなわけで東屋への階段を登って、円卓に座る。

 高い位置から見渡したところで、やはり袁術はもうおらず……俺は深い溜め息とともに、乗らない気分のままに進捗報告書の続きを纏めにかかった。



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57:魏/目を見ることで知る想い①

99/謝るよりも容易いこと

 

 一度決心が出来ればあとは早い……なんてものは、当然個人差が出てくるものだ。

 結局一歩を踏み出そうとした日以来、袁術が踏み出すことは……実は何回かあったものの、その悉くがタイミングって悪魔に阻まれ、気づけば彼女は姿を消している。

 

「にーちゃーん!」

「よしっ! 飯に行くかっ!」

「おー!」

 

 何度もそんなことが続くと、さすがになんとかしてやりたくはなるものの、自分にもやらなきゃいけないことっていうのはどうしてもある。

 空いた時間も誰かが誘いに来るし、そんなことを続けていれば袁術が一歩を踏み出しても構ってやれないことになり、罪悪感を抱きながらも……いっそ突き放すような感じで、全てを押し退けてでも踏み込む勇気ってやつを待っていた。

 ただ、間違っちゃいけないことがある。

 勇気を誰かに望むのは悪いことじゃないし、成長を望むのならなおさらだ。

 けど、それが全ての人にとっての成長に繋がるかといったら、そうじゃない。

 悩み続けて潰れてしまう人だっているし、袁術の場合は諦めてしまうかもしれない。

 

「おぉおおおおおおおっ!!」

「せぇええええぃいいいっ!!」

 

 それでも、視線は感じた。

 誰かに見られている感じは何処に居たって感じるってくらいに、ずっと俺を追い続けていた。振り向いて手を差し伸べられたらどれだけ楽だろうな、って思うのに……成長を望めばこそ、そんなことが出来ないでいる。

 華雄と模擬戦をし、へとへとになって部屋に戻っても、悪態をつきながらも迎えてくれる誰かが居るのはいいものだったんだなって……いつの頃からか感じるようになった。

 

「えっと、これで酒になってるはず……ん、んー……げぼぉっはぁあっ!? うぅわマズゥウッ!! な、なんだこれ!」

「また失敗か……これで何度目だ?」

「いや……華雄? そんなしみじみ言われても……でも大丈夫! 今日仕込んだこれこそ、明日を照らす太陽になる! 今のうちに名前でも決めておこうか。あー……鬼桜(きざくら)頭領(どん)】!!」

「む…………お前が今吐いたものの名前はなんだった?」

北濁里(きたにごり)……失敗だったけど、これは大丈夫! 多分!」

「前回もそう言っていただろう……酒蔵も無しに作れるものではないのではないか?」

「うぐっ……だってさ、酒蔵作っておいて失敗続きだとさすがに責任持てないだろ?でもやめる気にはなれないんだよなぁ……霞も楽しみにしてるって言ってたし」

「ふむ? しかし北郷。こんなことをしなくとも、曹操が酒蔵を作っているだろう。それに任せればいいだけの話ではないか?」

「…………ホエ? 酒蔵……って、え? なにそれ、知らない……」

「うん……? 本当に知らんのか? 少し前から城庭に工夫が入り浸っているが」

「いや、近くに居た桂花に訊いたら、“あれは俺用の拷問室を作ってるだけだ”って……。まともな返事はこないだろうって、諦めてたんだけど……」

 

 それでも時間は流れる。

 期待と不安を胸に、ただ待つだけではなく、あくまで自分の仕事やするべきことを続け、しかし待つべきを待っていた。

 なんとなく思い立って、作業中の工夫さんに余った木材を分けてもらい、あるものを作ってみたり、いつか届けられる勇気を待ちながら、待った分だけの笑顔が得られますようにと願っている。

 

「んあ? なぁなぁ隊長~? なんやのこれ」

「あ、これか? これはな、蜂の巣箱だ」

「巣箱? 蜂の……へー、こんなんが。で、隊長、蜜蝋でも集めて売るん?」

「んぁあ、いやいや、個人的に蜂蜜を集められればなって。真桜の目で見てどうだ? これ」

「やー……言われんと巣箱やなんてわからへんわ。ガラクタか思たもん」

「そっ……! そ……そこまでひどいか……?」

「よーするに蜂の巣ぅみたく網目状の穴がいっぱいある板が欲しいんやろ? そんくらいウチに言ってくれればぱぱーっと作ったるけど?」

「ん……なんか最近忙しそうだったしさ。それに、俺の手で作りたいかな、とも思ったし」

「そーなん? せやけど……こんなんで蜂蜜が採れるん?」

「蜂が中で巣を作ってくれればな。そのためには蜂の巣の近くでしばらく置いておかなきゃいけない。眼鏡に叶えばこの中に巣を作ってくれて、しばらくすれば蜂蜜も溜まるってわけだ」

「気が遠くなるような話やなぁ……」

「それより真桜、氣動自転車(きどうじてんしゃ)の話、どうなってる?」

「んっへへー、順調やでぇ……! けど考えたもんやなぁ、氣ぃで車輪動かす絡繰なんて。あれが完成したら一気に機動力上がるわ」

「俺、その気になれば空だって飛べると思うんだ。もちろん、絡繰でだけど」

「……氣ぃ使い果たしたら死ねんで、それ」

「ああ……見極めが難しそうだよな……」

 

 仕事に追われる日々が続く。

 非番はほぼ誰かと一緒に居て、それ以外は仕事。

 食事中でも常に隣には誰かが居て、袁術はそんな俺と誰かをじっと見つめていた。

 そんな日々が続いたある日………………ふと、視線を感じなくなった。

 

……。

 

 ……ドキドキしながら視線を落とした。

 手に持っているのは……グラタンもどき。

 クッキーが作れるならばと作ってみた、“手作りチーズ”と“ホワイトソース……?”のグラタン。残念ながらマカロニまでは用意出来なかったから、鶏肉と野菜のグラタンだ。

 ホワイトソースが疑問系でしか語れない理由は、ホワイトソースの作り方がうろ覚えだったからだと了承していただきたい。

 

「オーブンレンジが無いからって、炉で焼くのってどうなんだろうなぁ……」

 

 しっかりと外はサクサク中はしっとりクッキーを作ってみせる流琉は、ある意味料理の達人…………いや、この場合は炉の火力調整の達人って言うべきなのか?

 

「華雄、食べてもらっていいか?」

「ま、またわたしか。しかしこれは……太るのだろう?」

「食べた分動けば大丈夫だって。なんだかんだで華雄も鍛錬を怠らないし、今は平和でも……三国からじゃなく、外国からの攻撃にも気をつけないといけないし」

「ふむ……五胡や、それ以外か」

「平和なことはいいけどね。平和だからこそ、気を引き締めなきゃ」

 

 武官が要らなくなる日は近いかもしれないが、本当に要らなくなるのかは誰にもわからない。

 物欲が強い人が居れば、発展した大陸を狙う誰かも現れかねないのだ。

 もしかしたら日本とも戦うことに? ……さすがにそれは勘弁だ。

 

「北郷。お前はその……なんだ。鍛錬はしないのか?」

「しないんじゃなくて、禁止されたんだ。誰かに誘われるならいいんだけど、俺自身の鍛錬は禁止。今はもっぱら氣の鍛錬ばっかりだ」

 

 お陰で氣脈の大きさにも磨きがかかった……って、この場合磨きがかかるって言うのか?

 

「ふむ。たとえばどのようなものなのだ?」

「まず朝起きたら水と食事。体を温めるために準備運動をこれでもかってくらいやって、あとは城壁の上をひたすら走る。で、走り終わったら実戦訓練というか……華雄とよくやるようになった、模擬戦を誰かとやるわけだ。魏に戻ってくるまではずぅっと思春だったけど、自分が想像する相手とも戦ったな」

「…………それは“鍛錬”か?」

「鍛錬だよ、少なくとも俺や祭さんの中では。祭さんに、日に十里は走れ~とか言われたし。氣のことでもお世話になったから、この世界での事実上の師匠って祭さんってことになるのかなぁ」

「ふむ……っと、話もいいが、頂くとしよう。ん……むうっ!? このこんがりと焼けた、あー……ちぃず、だったか? と、その下にある“ほわいとそうす”とやらの味! そしてなにより肉の柔らかさ……! これは美味い……!」

「ありがと。熱いから気を付けて食べてくれな?」

「ふふっ……戦も食も怯めば負ける。既に処理された肉ごとき、何するものぞ!」

 

 華雄はそう言うと、無駄に気合いを入れて食い始め……って、あぁあああ!! そんな勢いよく食べたらっ!!

 

「───…………~っ……!!!」

 

 おお!? 震えてるけど耐えている!

 めちゃくちゃ熱いだろうに耐えてるぞ!

 悲鳴のひとつもあげないとは、さすがは華雄! ……さすがなのか?

 しかしやがて熱さにも慣れたのか、停止していた顎を動かし始めると……ごくりと嚥下。涙が滲んだ目で俺をキッと睨むと、

 

「……水をくれ」

「……だよなぁ」

 

 大変正直なお言葉を頂きました。

 そんなわけで水を差し出して、後片付け。

 華雄もゆっくりと味わうことにしたらしく、火傷したらしい舌を庇いながら、はふはふと食べている。ちびちび食べているところをみると、なんだかんだで味は気に入ってもらえたようだ。

 やっぱり乳製品料理は強いなぁ。

 

「む……この水は随分と冷たいな」

「ああ、華琳がアイス用に使った氷を使って冷やしておいたやつだよ。ああ、あくまで外側から冷やしただけで、水には入ってないから安心して。……で、どうだ? キンと冷えてる水っていうのも珍しいだろ?」

「うむぅ……確かにこれは……雪があるわけでもないのにこの冷たさは珍しい」

「うん。そういう冷たさを、暑くなってきた日にも味わえないかな~って思ってさ。今、硝石と塩を使って冷蔵庫が作れるかどうかを真桜と話し合ってるところ」

「れいぞうこ? なんだ? それは」

「いつでも冷たい、小さな倉庫みたいなもの。ただ、それを実現するだけの硝石と塩を確保出来るかが問題なんだよな」

 

 塩が貴重だっていうなら生産すればいい……のだが、これが案外難しい。海水がぽんぽん手に入るわけでもない。塩井、解池で生産出来る量もそう多いものじゃないし。

 や、解池は広ければ広いほど採れるだろうけど、欲しくなればすぐ採れるほどの便利さはない。海水を干すのが一番ではあるものの、その海水がなぁ……。塩井から汲み上げた塩水で塩を作るにしても、薪がどれだけ必要になることか。

 硝石や岩塩や海水がごろごろ取れたりするならいいんだけどな。

 硝石で冷蔵庫作るにしても、いったいいくつ必要になることやら。塩も硝石もそうポンポン使えるようなものじゃないのだ。

 難しいなぁ、知識だけがあったって生産出来るか否かはその場所にもよるわけだ。

 日本よりは硝石の生産(この場合自然生成っていうのか?)は、こっちの方が多かった筈ではあるが、それも無限ではないわけだ。

 しかも大陸全土で取れるわけじゃないとくる。

 

「理屈云々はわからんが……確かにこの冷たさが暑い日に飲めるのなら、それは随分と楽だな」

「がばがば飲んで、腹壊す誰かさんが目に浮かぶようだけどね」

 

 浮かんだのは春蘭と季衣と……袁術だった。

 他国でいうなら麗羽も猪々子もだな。

 ……呉って真面目だなぁ。せいぜいで雪蓮かシャオだろ? ……あ、王族だった。王がそっち方面で心配されるって、それでいいのか、呉よ。

 

(…………袁術か)

 

 ふと、頭によぎれば気になってしまう。

 どうしたんだろうか……視線も感じなくなり、華琳も何も言ってはこない。

 

「華雄、最近袁術のこと、見かけた?」

「む? いや……ああいや、見たな。少し前に、ガタガタブルブルと震えながら曹操に話し掛けている姿を見かけた。それが最後だ」

「最後!? それが!?」

 

 いや……いや、ちょっと待て? なんだこの嫌な予感。

 もしかして全てが嫌になって、華琳にとんでもないこと言って、カッとなった春蘭がその首をズッパァーンとだからちょっと待てああもう混乱するな一つずつきちんと考えろ!

 ……、……うん、落ち着け落ち着け。

 

「……なにがあったのかは知らないけど、とりあえずはそれって、華琳は何かを知っているってことだよな?」

「いや、見かけただけだから詳しいことは知らんぞ?」

「華雄……どうしてキミはそう、“あと何か一つ”が毎回足りないのさ……」

「た、足りんか……? むぅ……そんなつもりはないのだが……」

「ああいや、ごめん。なにかしらが足りないのは俺もそうだから、人のこと言えたもんじゃあなかった」

 

 一言謝ってから考えてみる。

 華琳……華琳かぁ。

 そういえば中庭とかでも見かけなくなったよな?

 アイス製作の残骸(キンキンに冷えた氷)以外も見かけなくなったし。

 片付けは相変わらず桂花にやらせてるんだろう。そりゃあこれは始末に困るだろうなぁ。この余った氷を使ってなにか出来ないかなって考えたのが、華雄が飲んでいる水なのだ。

 言った通り、周りから冷やすためだけであって、飲み水の中に直接この氷は入れられないけどね……。

 

「よし、ちょっと華琳に訊きたいことが出来たから、探してくるよ」

「ああ」

 

 パパッと片付けを終えてから、華雄に一言言って厨房をあとにする。

 通路を歩き、「さて、何処に行ってみるのがいいかなぁ」とわざわざ口にして。

 今日は簡単な書類整理だけで仕事が終わる。

 少しくらい時間がかかってもいいから、いい加減にこのもやもやを解消したい。

 なのでと歩く足も大幅になり、焦ってるなぁと自覚しつつも、もはやそんな行動さえ止められない自分が居た。

 やがて通路を抜け、角を曲がったところで───ぽすんっ、と、腹に当たる何か。

 それが人だとわかった瞬間には手を伸ばし、相手が倒れるより先に救出してみると……そこには、目をパチクリさせる小さな子。

 

「あれ? 袁術……なんでこんなと───」

「ぴきゃぁああーっ!?」

 

 なんでこんなところに、と続く筈の言葉が悲鳴に遮られた。

 袁術は真っ青な顔になると俺の手を払い、HIKIKOMOっていたとは思えない速度でババッと離れると、近くの柱の影に隠れた。

 ……え? なにこの状況。俺、なにかした? ───……拳骨したよ。怒ったよ。

 

「あ、袁じゅ───……」

 

 “ほうっておきなさい。

  一歩も進まない者に手を差し伸べるのは、

  やさしさじゃなく成長の妨げでしかないわ”

 

「………」

 

 伸ばしかけた手が、口から出しかけた言葉が止まる。

 手を差し伸べるだけがやさしさじゃない。

 やさしさだけじゃあ人は成長できないし、厳しくするにも意味ある厳しさじゃなければ受け止め切れない。

 そういったものは散々と、この世界やじいちゃんのもとで学んだ筈だ。

 だから、今は袁術が一歩を……自分自身で一歩を踏み出すまでは……。

 

「っ……」

 

 知らず、ギチリと歯を食い縛っていた。

 拳は握り締めたまま、伸ばさぬようにと耐えたまま。

 そして、怯える袁術の目を見て……勢いよく歩いていたことだけはきちんと謝り、歩き出す。

 …………もやもやは、今日も晴れそうになかった。

 

「あ……か、かずっ……一刀っ……!」

「───」

 

 そう諦めかけた瞬間、背中に届けられる声。

 自分が思うよりも強い期待に、通路を歩く歩は勝手に止まり、続く言葉を待った。

 が……

 

「あ、あ……う…………の、のぅ一刀? 一刀がどうしてもというのであれば、妾をぶったことも怒ったことも、聞かなかったことにしても……その、よいぞ?」

 

 ……期待した分だけ、続いた言葉に対するショックは大きかったのだろう。勝手に歩を止めた体は歩みを再開し、振り向くことも返事をすることもせずに通路をゆく。

 

「あ、あっ……待つのじゃっ……待って……待ってたも……!」

 

 歩は止まらない。

 後ろから、泣きそうな声で懇願されても歩みは続き……

 

「そうじゃっ、それで足りぬならば、七乃の代わりにずぅっと妾の傍に居ることを許すのじゃ。ど、どうじゃ? 我ながら惚れ惚れするような提案であろ?」

 

 歩く。

 袁家としてもプライドがそうさせているのか、それとも他の言い方を知らないだけなのか、自分を上に置かなければ済まないのであろうその態度から遠ざかるために。

 

「こりゃ……こりゃっ! 聞いておるのかや!? 一刀っ! 一刀っ!? ~……か、かず……うみゅうぅ……!」

 

 段々と嗚咽が混ざってきても、声も返さず振り向きもせず、ただ歩いた。

 何処へ向かっているのかも忘れてしまうくらいのショックを受けて、今、何処を歩いているのかもわからないままに。

 

「何故振り向かぬのじゃ……? 人と話す時は、相手の目を見て話せと妾に教えたであろ……? そ、それとも妾は、話す価値もないほど一刀を怒らせたのかや……?」

「………」

「う……ううぅ、うー……! ぶたれたのは……痛かったのは妾であろ!? 何故それで妾が謝らなければならぬのじゃ!? 妾が怒り返して当然であろ!? なのになぜ妾が無視されねばならぬ!」

 

 ……歩く。

 袁術はまるで、今まで話せなかった分を罵倒にして吐き出すかのように、本当に思っているであろう言葉を叫ぶように口にした。

 それを聞きながら、それでも待った。

 立ち止まらず、振り向きもせず、返事もせず……手も差し伸べず。

 

「なんじゃ……なんじゃなんじゃなんじゃというのじゃ!! 妾の目はもう見るのも嫌なのじゃな!? ならばもうよいのじゃ! 一刀のことなど知らぬ! 勝手に何処へなりとも行くがよいであろ!? 構ってくれぬ一刀など要らぬ! 頭を撫でてくれぬ一刀など要らぬ! 眠る前にお話をしてくれぬ一刀など要らぬっ……起きた時におはようと言ってくれぬ一刀などっ……ぐしゅっ……一緒に……朝餉も昼餉も夕餉も食べてくれぬ一刀など……ひぐっ……要らぬ、要らぬのじゃあ……っ!」

 

 ……嗚咽が続き、俺を追う足音が消える。

 数瞬だけ立ち止まろうとした俺の体が、けれどそのまま歩く。

 やがて、どれだけぐるぐると回っていたのか、最初に袁術とぶつかった曲がり角までに至り、その角を曲がることで俺の姿が見えなくなるその瞬間。

 聞こえなくなった足音が泣き声とともに近づいてきて───俺の服を、掴んだ。

 その引っ張られる感触に初めて振り向き……泣き顔で俺を見上げる袁術と、視線を交差させた。

 

「………」

「……ひぐっ……かじゅっ……一刀ぉ……」

 

 誇りも威厳もなにもない。

 振り向いた先には、ただただ弱いひとりの少女が居た。

 泣きながら、しかし真っ直ぐに俺の目を覗き込み……じっと、必死に嗚咽を殺しながらも覗き込み、我慢し切れず泣き出し……それでも覗き込む少女が。

 

  俺の目なんて見て何を得たいのか。

 

 目を合わせぬ俺に腹を立てたから? ……違う気がする。

 じゃあ言葉通りに目を合わせて話したかったから? ……それも、違う気がした。

 俺は袁術じゃないから、袁術が俺の目から得るであろう答えなんて想像もつかない。

 ただ一つ理解出来たことは、俺の目を見た袁術が、高貴さも血筋のことも忘れ、大声で泣き出したということくらい。

 ただしそれは安堵や怒りといったものからくるような泣き声ではなく、深く色濃い申し訳なさからくるもののようで……───袁術は、泣きながら俺に何度も何度も謝ってきた。

 すまなかったのじゃ、そんなつもりではなかった、許してたも……そんな言葉が、嗚咽混じりに何度も何度も。

 

「………」

 

 突然謝られた理由まではわからなかった俺だけど。

 ……ああ、ようやく。

 ようやく、この手を伸ばせるのだ。伸ばしてもいいのだと知り、小さく震える体を抱き締めた。



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57:魏/目を見ることで知る思い②

 よく晴れた日の昼。

 ある通路の先で、泣き終えた袁術に顔を洗ってくるように言って、何度も振り返る彼女を見送った。

 中庭で待っていると伝えてからはパタパタと走っていったが、そんな俺に、まるでタイミングを見計らったように話し掛けてくる誰かさん。

 

「思ったよりも簡単に打ち解けたようね」

「や、華琳。……説明は、もちろんしてくれるんだよな?」

「ええ、構わないわよ。これであの我が儘娘も一歩くらいは進めたでしょうし」

「そか。じゃあ……ここ最近、袁術を見なかったけど、どうしてたんだ?」

「仕事をさせてくれと言ってきたから軽いものを任せていたのよ。結果は、仕事が増えただけだけれど」

「仕事を……?」

 

 あの袁術が仕事…………そりゃあ、言ってはなんだけど仕事を頼んだ人も苦労しただろうな。や、華琳じゃなく望んだ人というかなんというか。

 

「今の自分では威厳がないと悟ったのでしょうね。せめて仕事が出来ればと張り切った結果が、全て失敗に終わった。役立たずは要らないと言ったのが相当効いたようね。泣きながらもっと簡単な仕事を用意しろと言ってきたわ」

「うわー……で、華琳はきちんと仕事を紹介してやったけど、全部だめだったと」

「そういうことよ。泣きながら戻ってきて、弱音ばかりを吐くものだから言ってやったわ。そういった苦労の先に袁家という栄光があったのだとね」

「容赦ないなぁ……」

「自分の立場を弁えないものが皇帝などと、自称するだけでも烏滸がましいと早々に理解できたのよ? 僥倖とさえ受け取れるくらいじゃない」

 

 僥倖は言いすぎだ。

 けど……そっか、そこまで言われたからこそ、最後の見栄とばかりに俺に……なるほど。

 

「でさ、なんか袁術が俺の目をじっと見てから泣き出したんだけど……あれは?」

「あああれね、簡単よ。自棄になって言葉として成り立ってもいないことを喚き始めたから、その中の受け取れるものを受け取って、言葉にして返してあげたのよ。“お主も一刀も平気な顔で妾を虚仮にする”などと言うから、ならば本当に、一刀が平気な顔であなたを見ているか、その節穴でしかない両の目で見てみなさいとね」

「…………あれ? 俺、おかしな顔とかしてたか?」

 

 常にいつも以上に気を張って、キリッとしていたつもりなんですが。

 

「泣きそうな顔でいたわね。どちらがどれほど悩んでいるのかがわからなくなるくらいの、突けば泣き出しそうなくらいの顔を」

「……マジで?」

「嘘は言っていないわ。どうせあなたのことだから、自覚もしていなかったんでしょうけど」

「ウワーア」

 

 ……はい、全然知りませんでした。

 

「あ……いやまあ、それは置かせてもらって。結局、袁術の仕事は決まったのか? 決まってないなら、なにか得意なこととか聞いたりは───」

「歌が多少は出来るそうよ。張三姉妹が居るから必要ないわと突っぱねたけど」

「ひどっ!? いやいやそこは拾ってやろうよ! 張三姉妹みたいにド派手じゃなくていいから、静かに歌う……そう、年寄りの層を狙ってとかさ!」

「冗談よ。私が用意する仕事では満足出来ないようだから、あなたに用意出来る仕事なんてもうないわと言っただけよ。あとは一刀、あなたが拾った命なのだから、あなたの好きになさい。……条件付きとはいえここまで見守ってあげたんだから、きちんと、あなたが、導きなさい。いいわね?」

「そんな、区切りつけてまでキッパリハッキリ言わなくても……」

 

 でも、それはそうだ。

 働かない者を今日まで許してくれたのは最大限の譲歩ってやつだ。

 これで袁術がどんなものでも働けないとくれば、さすがに庇いきれな……い、いや、なんとかしよう。手を差し伸べたからには絶対に見捨てたりするもんか。

 そうだよな、張三姉妹のところには若い人ばっかり集まるんだから、あんまり騒ぐのを良しとしない老人たちを狙ってみるのも……ありかもしれない。

 

「ん。じゃあ任された。いろいろと煮詰めてみるよ。上手く形になったら案件を届けにいくから、その時はよろしくな」

「ええ。良しと思えたのなら落款くらいいくらでも押してあげるわよ。上手く乗りこなしなさい、一刀。袁家の者というのは、確認するまでもないほどじゃじゃ馬集団なのだからね」

「……まあ、蜀でも随分振り回されたから、そこのところはわかってるつもりだよ。でも、どうしても話を聞かないわけじゃないからさ、少しずつ慣れてもらうとするよ」

「そう? ならば助言は不要ね。言った通りに今までをきちんと耐えもしたし……そうね。褒美に、わたしが作ったお酒を飲ませてあげる」

「酒?」

 

 華琳が作ったって……ああっ、あの俺専用拷問施設(仮)の!

 

「え……いいのか? それってある意味相当貴重なんじゃあ……」

「なによ。飲みたくないの?」

「いや、是非飲みたい。そうだな、せっかく褒美だって言ってくれてるんだし、喜んで」

「結構。出来たら一番に飲ませてあげるから、楽しみにしていなさい」

「…………」

 

 一番に? ……それって毒見───などと思った瞬間、俺の視界に鋭く輝く曲線が!

 

「……今、失礼なことを考えなかったかしら?」

「めめめめっそうもないっ!?」

 

 鎌がっ! 絶がっ! くくく首に……って、だから何処から出してるんだよ毎回!

 

「楽しみにしてるからっ! むしろ普通に興味があったから、一番に飲ませてくれるなら光栄だよ!」

「…………そう。ならいいわ、許してあげる」

「許すも許さないも、何も言ってないんだけどな……」

「顔がそう語っていたのよ。それじゃあね、一刀。しっかりやりなさい」

「ん? もう行くのか? てか、何処に行くんだ?」

「酒の様子見よ。そろそろ気候が変わる時期だから注意が必要なのよ。わかるでしょう?」

「あー、なるほど」

 

 気温が変わる時期は、余計な菌の発生とかにも気を配らなきゃいけないんだっけ?

 現代に比べて温度管理が万全なわけじゃないから、そりゃあ確認も必要になる。

 

「……俺も、もっと気を使ってみるかなぁ」

 

 自分で作った不味い“日本酒?”を思い浮かべ、だはぁと溜め息を吐いた。

 “普通の味”にもなれなかったからなぁ、あの“日本酒?”は。

 さて。

 そうこうしているうちに華琳も通路の先へと消えてしまい、ぽつんと残された俺。

 少し待てば袁術が来るだろうが……ただ待つのもなんだし、迎えに行くことにした。

 自分で言うのもなんだけど、ほんと……子供が出来たら親馬鹿になりそうだな、俺。

 と、そんなことを考えながら歩いていると、通路の先から走ってくる袁術。

 俺に気づくなり速度を速め、パタパタと……いや。ビターンとコケた。

 

「うおおっ!? 袁術!? 大丈夫か!?」

 

 慌てて駆け寄るものの、涙は滲ませど泣きはしない姿がそこにあった。

 

「う、うむ……大事無いのじゃ……」

 

 そう言う少女は鼻の辺りを軽くさすり、立ち上がると同時にムンと胸を張ってみせた。

 おお……強い。

 てっきりなにかしらに理不尽な文句でも飛ばすものかと……。

 華琳……これが……これが成長ってやつなんだな……?

 ……あれ? でも、じゃあ、ここで手を差し伸べるように頭撫でたり鼻さすってやったりすると、甘やかしになるのでしょうか、華琳さん。

 

「………」

「………」

 

 手が彷徨う。

 そんな俺を見て、袁術が……

 

「うみゅぅうう……やはり妾はまだ、一刀に許されておらぬのか……?」

「へっ!?」

 

 ……突然、そんなことを仰られた。

 

「いやいやそうじゃないっ、許してるし怒ってもないって! ただ、あまりやさしくしてばっかりだと、またいつか我が儘がすぎた時に殴っちゃうかもしれないだろ? ……出来ればさ、そんなことはもう無しにしたいから」

「………」

「っと……袁術?」

 

 そこまで言うと、袁術は再び俺の目を覗き込んでくる。

 そして……なにか得るものがあったのか、ぱぁっと弾けるような笑顔で言った。

 

「うむうむっ、大丈夫じゃぞ、一刀。妾は一刀の重荷になるようなことはせぬと決めたのじゃ。一刀が居れば妾は間違えぬし、間違えれば一刀が叱ってくれるのであろ? ならばきっと、重荷になぞならぬのじゃ」

 

 胸の前で両拳を構え、小さく上下に揺らしての言葉だった。

 ……変わろうとしている……んだろうか。我が儘放題だった子が、叱られて嫌ってをきっかけに。

 

「じゃからの、一刀。妾をずぅっと見守っていてくれぬかや? 妾、きっとしっかり勉強するのじゃ。仕事も……が、頑張ってするし、手伝えることがあったら頑張って手伝うぞよ? じゃから……の、一刀。妾を……ずっとずぅっと、見守っていてほしいのじゃ」

「………」

「妾は……七乃が居なければまったくだめだったのじゃ。何をすれば良いのかもわからぬ。何が間違いなのかも、教えられてもわからんかったのじゃ。じゃから……の。一刀が、傍で妾を導いてはくれぬかや……?」

「………」

「も、もう偉そうになどしたりはせぬぞ? く、口調も……頑張って変えてみせる……です、わ? のよ? う、ううう……! が、頑張るのじゃ! 頑張るから……! か、一刀……! 妾を、妾を……!」

 

 ……袁術は必死だった。

 もはや俺しか頼る当てがないと言う……のとはちょっと違う。頼る当てがどうとかじゃなく、それはまるで“離れたくない”と懇願しているようで……え? 誰と? ……俺?

 

「じゃあ、いくつか約束してほしい」

「約束……? う、うむ、妾、一刀がそうせよというのならきちんと守ってみせるぞ?」

「別にそんな、難しいことは言わないって。まず、危険なことはしないこと」

「うむ。叱られぬよう、ぶたれぬよう気をつけるのじゃ」

「ん。次、笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣くこと」

「うみゅ……? じゃがそれでは一刀に迷惑がかからんかや……?」

「我慢されるほうがよっぽど迷惑がかかるって自覚しちゃったから。だから、こんな胸でよければいくらでも貸すし、笑う時には一緒に笑う。だから、我慢ばかりをしないこと」

「う、うむ……」

 

 こくりと頷く袁術に、あれもこれもと約束をさせる。

 袁術はそれらについてをしっかりと考えてから頷いてみせ、わからないことはきちんと訊き返してきた。

 ……変わりたいと思っている覚悟は、本物らしかった。

 

「うむ、大丈夫じゃの。どれもこれも、一刀が傍に居てくれるならなんの問題もないことばかりなのじゃ」

「一人の時こそ気をつけなきゃだめなんだから、それは覚えておくこと。いいか?」

「…………」

「……? 袁術?」

「……うむっ、妾にどーんと任せてくりゃれ? けっして一刀をがっかりさせたりなぞはせぬのじゃっ」

 

 また、じーっと俺の目を見た袁術が笑顔になって頷く。

 ……俺の目って、笑える要素でもあるんだろうか。

 でも、そんな笑顔をまた見せてくれるのが嬉しくて、俺の手は勝手に袁術の頭を撫でていた。久しぶりということもあってか、やさしくやさしく、しかし長くたっぷりと。

 

「う、うみゅうぅう……くすぐったいのじゃ、一刀……」

「……ん。叱るためとはいえ、殴ったりしてごめんな、袁術。痛かったろ……?」

 

 いつか殴ってしまったところをやさしく撫でる。

 さすがに痛みなどは残っているわけもなく、袁術はくすぐったそうにするだけ。

 俺の質問にも、「痛くなければ忘れてしまうであろ?」と返した。

 

「………」

 

 ……そんな何気ない言葉に少しだけ救われた気がした。

 思い出したくもない思い出になったのなら悲しかった。

 けど、忘れたくない思い出になってくれたらしい。

 それだけで、救われた気がした。

 

「それより一刀?」

「うん? なんだ、袁術」

「それなのじゃ。一刀は妾と七乃とついでに華雄の命の恩人じゃというのに、いつまで妾を姓字で呼ぶ気なのじゃ?」

「え? だって……」

「……七乃にはもう許されておるのであろ? ならば妾のことも“美羽”と、真名で呼んでくりゃれ」

 

 にっこり笑顔でそんなことを言う。

 というか、言って言ってとせがむように服をくいくいと引っ張ってきている。

 俺は───

 

1:美羽と呼ぶ

 

2:間違えて麗羽と呼ぶ

 

3:羽繋がりで、斜めに飛んで関羽で

 

4:むしろ海洋深層水(MIU)と呼ぶ

 

5:頭を撫で続ける

 

 結論:…………いや、普通に1だろ

 

 ……というわけで。

 

「あ、んん、じゃあそのー……み、みー……美羽?」

「……~……う、うむっ、うむうむっ、なんじゃ? なんじゃ一刀っ、妾になんでも言ってたも? 妾、一刀が妾のことを見てくれているなら、もっともっと頑張れるのじゃっ」

 

 なにやらじ~んと来たのか、頬を少しだけ赤くした袁術……もとい、美羽はふるふると震え、こくこくと頷いてからやっぱり俺の服をくいくいと引っ張った。

 おお、元気っ子だ。

 

「随分強気に出たな……あ、じゃあまずは友達でも作ってみるか? 季衣や流琉あたりなら、案外あっさりと───」

「? 何故じゃ? 妾は一刀と七乃が居ればそれでいいのじゃ」

「……それはそれで嬉しいけどな、そういうわけにもいかないんだ。だから、ほら。頑張るんだろ?」

「……う、うみゅ……そうじゃの……。一刀の期待には応えねばならぬのじゃ。うむ、一刀がそういうのであれば、友の一人や二人……妾にかかれば容易いことなのじゃー! うわーははははは!!」

 

 あ。なんか失敗フラグが立ったような……。

 いや、あえて言うまい……せっかくやる気になってるんだからな。

 

「…………のう一刀?」

「ん? どした?」

「一刀には、真名は無いのかや? いつ教えてくれるのかと待っておったのじゃがの……」

「ああ、そっか。ごめんな、天にはあだ名って風習(?)はあっても、真名って風習はなかったんだ。だから俺は北郷が苗字で一刀が名前。それだけなんだ」

「そ、そうなのかや? むむぅ……ならば妾が真名を───」

「あ、結構です」

「なぜじゃっ!? 妾にかかれば一刀によく似合う呼び名もあっという間なのじゃぞ!?」

「一刀でいいよ。他人と同じ呼び方が嫌だとか、そんなことは言わないだろ?」

 

 言ってみると、ピタリと停止の美羽。

 何を思い出したのか、真っ青になってカタカタと震え始める少女に声をかけてみると、「ぴきゃー!」との返事。

 

「そ、そそそそ……孫策は……かかか一刀のことは、どう呼んでおるのかの……」

「? 雪蓮は───そうだなぁ。今の美羽と同じで“一刀”って呼んでくれて───」

「では別の呼び方にしようかの! のう一刀!? の!? のぅっ!?」

「……どれだけ雪蓮が苦手なのさ、キミ」

「そそそっそそそそそんなことなどどうでもよいであろっ!? それより一刀に似合う呼び方を考えるのじゃっ!」

 

 大変だなぁ……これからの美羽のこと。仕事をしてなくてもしていても。

 こんなどもり様をみると、さすがにそう思わずにはいられなかった。

 強く生きてもらおう。教えられることはきちんと教えて。

 

「ならば……そうじゃ! 妾は、これから皆が誰一人呼んでいない呼び方で一刀を呼ぶのじゃ!」

「え? も、もう決まったのか? もっとゆっくりでも───」

主様(ぬしさま)じゃ!」

「いい───……って、え?」

「聞こえなかったのかの? 仕方の無い主様よの……。では主様? 妾のことは美羽と真名で呼び、妾は主様のことを主様と呼ぶのじゃ」

 

 様…………様? よりにもよって“様”……。

 いや、それこそガラじゃないんだが。だって俺だぞ?

 そりゃあ、立場的に兵士に様をつけて呼ばれたりはするけど……これってどうなんだ?

 

「~……♪」

 

 うぐっ……でも、こんなに嬉しそうで楽しそうな顔を落ち込ませる勇気は、さすがに持ち合わせてないぞ……?

 これは……これはもう……受け容れるしか、ないのか……。

 

「ぬ、主様か。そっか、美羽の呼び易い呼び方で呼んでくれればいいからな? 呼び方に飽きたとかだったら、それはもう遠慮なしに。い、いいんだぞー? 飽きっ……飽きたら、すぐにやめるとか。なんなら今すぐにでも───」

「うむうむっ、ではそれまではずぅっと主様と呼ぶのじゃっ!」

「いや…………うん……そうだな……うん……」

 

 主様がよっぽど気に入ったらしい。

 ああ、これ止めるの無理なヤツだ。我が儘モードの先の、受け入れてくれて嬉しいって時の麗羽と同じ顔してる。

 

「じゃあ改めて、これからよろしくな、美羽」

「よろしくされたのじゃ主様。妾のことも、よろしく頼むまれてくりゃれ?」

「ははっ、ああ、了解。じゃあ、ようやく仲直りできたってことで……昼餉でも食べに行こうか」

「おおっ、ならば主様の昼餉は妾が作ってあげるのじゃ~♪」

「はい却下」

「なぁっ!? ななななぜじゃあっ!? わ、妾、頑張るぞよ? もっともっと頑張って、主様に喜んでもらいたいのじゃ!」

「ん、ありがとな。けど、そういうことはちゃ~んと覚えてからな」

「う……うみゅぅう……」

 

 ずっと続いていたもやもやが消えることになったその日。

 なんだかんだと騒ぎながら、俺と美羽は連れ立って歩き出した。

 くだらない冗談や無駄な見栄を張りつつ、以前のように、けれど以前よりももっと近しい位置で。

 そうして一緒に厨房へ行ってみれば、とっくに昼餉の時間などは過ぎていて……食いっぱぐれてしまった俺と美羽は、結局お料理教室を開くことに。

 美羽に料理を教えながらの調理が続き、出来た失敗作とともに作っていたプリンを差し出すと、随分と喜んでくれた。

 結局俺はこうして美羽を甘やかしていくんだろうけど───笑顔が見たいと思ったら止まらないのだから、見逃してほしい。

 

  そうして今日も一日が終わる。

 

 久しぶりに同じ部屋の同じ寝台で寝た俺と美羽は、同じく久しぶりの即興昔話を楽しみ、さらに久しぶりの一人じゃない夜とともに、夢を受け容れ眠りについた。

 そして……朝。

 なんとなく目を覚ましたら、隣の少女も眠たげに目を開けて……

 

「……おはよう、美羽」

「……おはようなのじゃ、主様」

 

 視線が交差した時に感じた空気にくすぐったさを感じ、笑いながらの一言を届け合った。

 そして、今日も一日が始まる。

 誰かを思って不安を抱いていた昨日とは違う、暖かな一日が。




 今回のお話が、編集中に消えたのが3回。
 チクショウメェエエ!! とオリジナルに逃げることも3回。
 骨とか骨とかボツとかをアップして、心を癒しておりました。
 さて、俺ガイルも9月20日に発売が決定しましたし、ガハマさんの方も頑張ろう。
 エイオー!

 あ、関係ないけど最近ゲーマーズ!が面白いです。
 よく“おい、ゲームしろよ”とかツッコまれてますけど、ほらアレですよ。
 うどんの国の金色足疋地蔵……じゃなくて金色蹴鞠だって、思ったよりうどんの話、出ませんでしたし!
 ……僕、うどん好きなんで、もっとがっつりうどん話とか出ると思って毎回ワクワクして見てたンスョネ……。気づけば子を心配する親物語を見ていた気分で、うどんとはいったい……と、呆然としながら最終話を見届けておりました。

 ゲーマーズ!。アニメのみを見ていっているわけですが、ゲーム部とゲーム同好会の話が出た時は、どこぞのDなふらぐのことを思い出しまして、ちょっぴりソワソワ。
 いやでも実際このお話はいったいどうなっていくのか……と思ったら、ジャンルがきっちり学園ラヴコメなので、あくまでゲームはきっかけにしかすぎなかったんだよ! と叫ばれれば「なんだってー!?」と叫び返せハッソマッソォじゃなくて頷ける要素もありました。

 おかしなことをだらだら書いている時は大体寝不足です。
 そして今もきっとそう。よし寝よう。
 余計に関係ないけど個人的には星ノ守さんが好みです。ですですっ。

 ハッソマッソォ書いてて思い出しました。
 ウルトラメン・マッソーを知ってる人ってどのくらい居るんだろう。
 いえいえウォルター・マッソー氏じゃなくてですね?


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58:魏/仕事風景①

100/なんでもない一日

 

 すぅうう……はぁああ……!

 

「はい、その調子です。身に宿る氣と木剣を繋げたまま放つのではなく、木剣自体に切り離した氣を篭らせる感覚です」

 

 とある日の中庭。

 その芝生の上に座り込み、凪と二人で氣の練習をする俺。

 今日もいい天気……と言いたいところだが、真上の空は綺麗な蒼ではあるものの、吹く風が微妙に水気を含んでいる。

 思春だったら間違い無く“雨が来るな”と言うような風だ。

 そんな日になんだってこんなことをしているのかといえば、凪が非番で俺が休憩中だからである。いや、それじゃあ理由になってないか。

 ドタバタが続いたから、少しゆっくりとしたおさらいをしておきたかったのだ。

 ここ最近の鍛錬といえば、ほぼが華雄との激突稽古。

 それ以外の時間は仕事に追われる日々が続く……そんな中で相も変わらず氣脈拡張鍛錬は続けているものの、やっぱりその“氣”自体を器用に扱うなら凪だろう。

 ……とまあ、そんな考えの下、休憩中に立ち寄った中庭で凪を発見。せっかくだからとご享受願った次第だ。俺のみの肉体鍛錬は禁止されているので、やれることはもっぱら誰かの鍛錬に混ざるか、寝る前の氣脈鍛錬くらいなのだが。

 

「なるほどなぁ……切り離した分を飛ばせば、そりゃあ根こそぎ無くなったりしないよな」

「得物に氣を宿らせる場合、気脈と繋げてしまった方が思い通りに動かせますから。けれどそのまま氣弾として放ってしまえば、気脈から直接流れることになってしまい、一気に氣を消耗してしまうんです」

「その典型が、俺のやり方だったわけか……」

 

 理解してみれば“そりゃあ当然だ”って思えることでも、気づくまでは難しいのが世の常。常って呼べるほど、そんなことがゴロゴロあるものかと否定したくもなるが、あるんだよなぁ案外……。

 

「ん……おっ、久しぶりに木刀が重い」

「切り離した氣の重みと、木剣に移ったために腕に氣が回りきっていないためです。木剣の氣と繋げないよう、氣を腕に運んでみてください」

「む、難しそうだな……っ」

 

 それでも言われた通りにやってみる。

 まず集中し、ゆっくりと氣を流し……うわっ、くっついたっ!

 

「うへぇっ……難しそうじゃなくて、普通に難しいなこれっ」

「はい。ですが自分が思うように氣を操れるようになっているのであれば、後は楽だと思います。やはり隊長は筋が良かったんですよ」

「そ、そか。それなら今まで散々と鍛錬した甲斐もあるな」

 

 言いながら、もう一度さっきの工程で氣を操作する。

 幸いなのが別に失敗しても氣が霧散するわけじゃないこと。

 いつかの明命との氣の鍛錬のように、間違って散らしたりでもしない限りは平気そうだ。

 

(明命かぁ……呉のみんなは元気にしてるかな)

 

 猫を追いかける明命の姿が頭に浮かんで、小さく笑った。

 途端に集中が乱れて収束に失敗する。

 ……反省。

 

「……そういえば隊長は……模擬戦の際、相手に自分の氣をつけているようですが」

「うん? ああ、あれをすると相手の動きがなんとなくわかるっていうか」

「はい。確かにそれをした途端に、驚くべき回避能力を発揮しているように見えますが」

「……や、言いたいことはわかるぞ? 逆に攻撃が完全に疎かになってるっていうんだろ?」

「はい」

 

 きっぱりだった。

 そうなんだよな……俺がやっているのは、華佗が言うところの攻撃と守りの氣の……攻撃の氣を相手に付着させて、守りの氣でその攻撃の……“昂ぶり”っていうのか? それを察知して避けているような感じだ。

 美羽の問題が片付く前のいつかの日、華琳と模擬稽古をした際に華琳に指摘されて、俺自身も初めて気づいたんだよな。相手につけていたのが攻撃の氣だ~ってことに。

 華琳がそうであるって教えてくれたわけじゃなく、急に守りばかりになった俺に対して華琳がツッコんだのだ。で、そういえばそうかも……って考えながら自分の氣ってものと向き合ってたら……そんなことがわかってしまった。

 失敗だよな……俺、桃香に“相手に自分の氣を付着させたら~”とか教えちゃったよ。

 華佗が言うには氣は一人につき一色……攻撃か守りしかないっていうんだから、もし桃香が氣を相手に付着させたとしても、まるで守りと守りの氣が磁石のように引かれ合って……やめよう、考えるの。

 

「隊長は不思議な氣をお持ちですね」

「華佗にも言われたよ。攻撃方向の氣と守備方向の氣、その二つが混ざってるらしい」

 

 華佗だけじゃなく、貂蝉にも言われたんだけどね。

 俺自身の氣が攻撃で、天の御遣いとしての氣が守りだっけ。

 華琳は……俺に何を守ってもらいたかったんだろ。

 華琳が願ったからこそ存在する御遣いってものの氣が守り。

 守りたかったのは……誇り? 栄誉?

 そんなことを軽く考えてみて、ふと浮かんだのは秋蘭の顔と……魏の旗。

 

「…………」

 

 ん……そーだな。

 何を守るためとか何を得るためとか、そういうのじゃあきっとない。

 もっと簡単でもっと身近で……だけど、だからこそ普段からは口に出せないような“当然”を守るために、俺は華琳に……。

 

「……んー……ん、んっ」

 

 集中。

 荒ぶる攻撃の氣を守りの氣で包み、合わせることで、一色ずつしかない氣に三色目を発生させるように。

 

「………………えーと」

 

 合わせることで…………合わせる……。

 

「隊長?」

「凪、ちょっと手を伸ばしてくれ。あ、氣を込めて」

「? はあ……」

 

 言った通り、手を伸ばしてくれる。

 きちんと氣も込めてくれているようで、火と見紛う赤い氣が軽くちらつく。

 そんな手に、俺も手を伸ばして重ね……集中してみる。

 凪の氣は……攻撃側、だよな? じゃあこっちは守りの氣を重ねてみて……。

 

「………」

「……、……」

「………」

「~……」

 

 あれ? 特になにも起こらないな……。

 強いて言うなら、凪が顔を俯かせながら、落ち着きなく視線をあちらこちらに動かしているくらいで……。

 

「なぁ凪? なにか変わった感覚とかあるか? 力が湧いてくる~とか、心が熱くなる~とか」

「へぁぇっ!? あっ……どっ、どきどきしています! 力が湧いて、心が熱いです!」

「え? そうなのか?」

 

 じゃあ一応、自分以外の誰かの氣を合わせても力になる……のか?

 難しいなぁ、氣って。

 そう思いながら手をするりと離し、今度は自分の手で氣を合わせてみる。

 左手に守りを、右手に攻撃を。

 その二つを胸の前でそっと合わせてみると、綺麗な黄金色の氣が完成する。

 あれ? 凪の氣と合わせてみても、なんの変化もなかったんだけど……ハテ? と、チラリと凪を見てみると、真っ赤な顔で俯きながら、さっきまで繋いでいた手を大事にそうに胸に抱いていた。

 

(……OH)

 

 …………いや、なんかごめん、いろいろ勘違いだったってわかった。

 一度、氣のことを頭から払い、真っ赤な顔で俯く凪の頭を撫でた。

 

「なわっ!? たた、隊長!?」

「あっはっはっはっは、凪は可愛いなぁ」

「そんなっ、秋蘭さまが春蘭さまに言うような言い方で言われてもっ……! ってそうではなくてっ!」

 

 さっきよりもよっぽど赤い顔をして、しかし俺の手を払うことを良しとはしないのか、おろおろするだけの凪を思う存分に撫でる。

 そうやって、心に暖かなものをたっぷりと溜め込んでから、深呼吸をして再び氣の集中へ。

 

「あの……今の行為に、なんの意味が……」

「え? いや……」

 

 凪が可愛かったから、なんて言ったら絶対に“可愛いことなどありません”って反発するよな。多少は耐性が出来たとはいえ、まだそういうのには完全に慣れていないっぽいし。

 ……慣れてもらわないほうが、なんとなく初々しくていいんだけど。

 

「集中するための準備と思ってくれ」

 

 なので精一杯の真面目顔、自信に溢れた語調でそんなことを言ってみた。こう、どーん、とか効果音が鳴りそうな感じに。

 あながち嘘じゃないから、嘘でしょうとか言われても真顔で本当だと返せるとも!

 なんて構えていたのだが、凪は少しばかり停止。のちにハッと身震いさせると、

 

「じ、自分の頭を撫でる程度で隊長が集中出来るのならば、そのっ……いくらでも!」

 

 と、目をきゅっと閉じて頭を突き出してきた。

 …………真っ直ぐだなぁ、凪は。

 華琳から見る桂花ってこんな感じなのかな。いや待て、桂花は俺には刺々しいのに、凪は華琳の命にも絶対だぞ? ……あれ? なんだろうこの不公平気分。

 当然のことなのにちょっぴり悲しい。

 

「……よしっ、じゃあたっぷり準備しよう!」

「うひゃぁあああっ!? あ、なぁわっ!? 隊長!?」

 

 モヤリと浮かんだ思考に少し嫉妬した。不公平に嫉妬なんておかしなものだが。

 なので凪の頭を抱き締めると、その頭を撫でる! 愛でる! 慈しむ!

 しかし、そうしてしばらく抱き締めたまま撫でたりしていると、突然胸の中の凪がくたりと脱力する。

 ハテ? と覗いてみると……目を回し、気絶した彼女がそこに居た。

 

「………」

 

 何事もほどほどだな……気をつけよう。

 せっかくの非番を気絶で潰してしまうのはさすがに気が引けるので、何度か呼びかけたり揺すったりを繰り返してみるも……凪はどこか満たされた表情のまま───えぇとそうだな。たとえば死地で、仲間を先に行かせたあとに力尽きてしまった人のような、いい顔だな。そんな顔のまま起きることはなく、駆け寄って抱き起こした人が思わず名を叫んびつつ天を仰いでしまいそうな状況がここにあった。

 ……べつに死んだわけじゃないからやらないけど。

 

「やらないのはいいけど…………」

 

 どうしよう。

 そろそろ休憩時間も終わる。

 凪をこのままにしておくのは危険だろう……危険じゃないかもしれないが、そこはそれだ。気を失った女の子を仕事だからと捨て置くヤツになんかなりたくないぞ。

 クビがかかっている瞬間だとどうだと訊かれると、流石に考えはするが……その時は、

 

「───再就職だな」

 

 と、気絶している凪にも負けないくらい、ニコリといい顔をしていないでと。

 華琳が再就職を許すかどうかも問題だし、最悪隊の誰かに頼んで代わってもらえばいい。

 というかそもそも、凪を部屋まで運べばいいのではなかろうか。

 もしくはよく座る立ち木に寄りかからせるとか。東屋って手もあるし。

 

「……でもなぁ、自分が原因で気絶した子を置いていくのって抵抗あるよな」

 

 よし、やっぱり誰かに頼もう。

 そうと決まれば行動は迅速にだ。

 まずは気絶中の凪を抱きかかえてと……えぇっと。

 

「おおっ……まだまだ陽は高いというのに女の子をお持ち帰りですか。お兄さんもお盛んですねー」

「…………。いつから居たのかな、風」

 

 きょろきょろと辺りを見渡し、人を探す俺のすぐ後ろ。

 そこから聞こえる声に振り向かずに言葉を返すと、むっふっふと笑うことさえ楽しんでいるといった変わった笑い声が聞こえてくる。

 

「風はお兄さんが、凪ちゃんを抱き締めてめちゃくちゃにしているところからず~~っと後ろに居たわけですから、いつからと言われればそんなところからと正直に返せるのですよ」

「あの。風? その言い方だと誤解しか生産出来ないから、是非とも言い回しを考えような?」

「凪ちゃんがお兄さんには逆らえないことを知っておきながら、抱き締め、その真っ赤に染まる顔を気にも留めずに撫でさすり、胸に抱き、震える体をそれでも逃がさず───」

「待とう!? 言い方変えるにしても、悪化の一途しか辿らない言い回しはやめような!?」

「嘘は言ってませんよ?」

「そういうこと言ってると絶対に一方的に誤解する軍師さまが現れるんだから、やめよう」

「おおぅ……誰と言われずとも頭の中に浮かぶ方がいらっしゃいますねー。……誰とは言いませんがねー」

「なぁ。誰とは言わないけど」

 

 そこまで話してようやく振り向くと、眠たげな半眼でキャンディーを口に銜えた風が。

 

「や、風」

「おう兄ちゃん。最近真面目になったと思ったら、仕事サボって女といちゃいちゃたぁいい度胸じゃねぇかい」

「……宝譿も、元気そうでなによりだよ」

「お兄さんも動じなくなりましたねー」

 

 少し慌てた気分が、風の登場だけで随分と緩やかになった。

 ……当然、気分的なものであり、仕事をしなくてもよくなったわけじゃないのだが。

 

「風は今日、非番か?」

「いえいえー、風はこれから稟ちゃんと一緒に書物を求めて書店巡りですよー」

「……や、だから非番じゃないのか?」

「華琳さまのお達しですからね、ただ本を求めるのとは違うのです。なのでお兄さんにも品揃えのいい書店を紹介して貰えると、非常に助かるのですがー……これからお楽しみなら仕方無いですねー」

「だから違うよ!? 凪の部屋に行って、凪を寝かせてこようとしただけだから!」

「そしてあたかも袁術ちゃんを毎夜閨に招くように、お兄さんもその隣で」

「眠らないからな?」

「おおっ……先に言われてしまいましたねー……。お兄さんは風のことならなんでも知っているのですか?」

「日常が日常だから、何を言われるかくらい予想がつくって。……約一名、会う度に悪口の格が上がっていく誰かさんは例外だけど」

「おおー……ですねー、例外ですねー」

「例外だよなぁ……」

 

 あそこまで悪口にバリエーションが持てるってことは、それだけ彼女の頭もそういったものに穢されているんじゃないかと思うのですよ。穢れているというか毒されているというか。人の悪口をああまで元気に口にするヤツが、この大陸の何処をどれだけ探せば他に見つかるのか。

 …………ああ、麗羽あたりなら言いそうではあるか?

 

「まあ、そんなわけだからちょっと待っててくれな。凪を寝かせてきたら、案内するから」

「いえいえー、ごゆるりとどうぞ~」

「ニヤニヤしながらそういうこと言わない」

 

 そんなわけで歩きだす。

 中庭から通路へ、通路から凪の部屋へと歩き、部屋に入って凪を寝かせると、その寝顔を覗きこんで……一度だけ撫でてから部屋をあとにした。

 さて。

 案内しながら氣の復習だ。

 

「ん……やっぱり風に水気があるよな。部屋とかから出るとよくわかる」

 

 雨が降るかもだけど、その前に案内し終えたほうがいいよな。

 

「……一応バッグを持っていくか」

 

 雨に降られてはせっかく書物を見つけても運びづらいだろうし、紙袋で守れる時間なんて僅かなものだろう。

 そんなわけで、少し回り道になるけど自室に戻ってバッグを持っていくことにする。

 で、自室というと……

 

「美羽のやつ、どうしてるかな」

 

 老人を客にした歌のことに関しては、イメージが纏まるまで待ってもらうつもりだが……まあ、今の美羽ならおかしなことはしてないだろう。多分、きっと。

 あんまり待たせるのもなんだし、少し速めに歩いて自室へ。

 つい最近直されたばかりの扉を開けて中に入ると、どうやら部屋の中を掃除していたらしい美羽がパッと振り向き、入ってきたのが俺だと知るや雑巾を床に置いたままぱたぱたと走り寄ってきて、抱き付いてきた。

 

「主様っ、お、お、おー……おつ、とめ? お勤め……じゃな、うむっ、お勤めご苦労さまなのじゃっ」

 

 そして、俺の腹部あたりの自分の鼻をごしごしとこすりつけるようにしたのちに、抱き付いたままに俺を見上げてにっこり。

 ていうか……掃除? あの美羽が?

 

「美羽……どうかしたのか? 掃除するなんて」

「うむ。ぶんじゃくのやつが、働きもしないならせめてこの部屋の掃除くらいしてみせよと言うのでの。なんでも他の者の部屋は侍女が掃除をするらしいのじゃが、なぜかこの部屋だけは掃除するなと言われておるらしくての」

「そうなの!? 初耳なんだけど!?」

 

 え……えぇええ……!? なんでそんな……!?

 あれ? でもその割には毎度毎度、いつのまにか綺麗だった気がするんだけど……?

 

「ならばと妾がこうして、真心込めて掃除しておるのじゃ。う、うー……その、主様は……喜んでくれるかの?」

「………」

 

 ふと思う。

 返事も大事だけど、一緒に居る中でわかったことがひとつあるのだ。

 それは、やっぱり言葉もだけれど、なにより美羽は俺の目を見る。

 だから見上げる視線に感謝の視線を向けて、笑みながら頭を撫でた。

 それだけで彼女は満面の笑顔になり、もう一度俺の腹部あたりに顔をこしこしと擦り付けてからパッと離れる。まるで動物に匂いでも付けられている気分だが、嫌な気は全然しない。

 離れた美羽はといえば、雑巾が落ちている場所へと戻って掃除を再開。

 ……夢でも見てるんだろうか。袁家の人が働いていらっしゃる。

 

(……じゃないか)

 

 何処がどうとかで見るのはやめよう、頑張っている美羽に失礼だ。

 今だってああしてせっせと床を拭いて、額に滲んだ汗を笑顔で拭っている。

 なんだろうな……すごくやさしい気持ちになれる。

 頭を撫でて、心からありがとうを届けたくなった。けれど邪魔をすることになりなかねないからそこは飲み込んで、自分の用事を済ませることにする。

 

「掃除してるところごめんな。ちょっとバッグを使うから中身を寝台の上に空けていくけど……そのままにしておいてくれればいいから」

「へわぅ? う、うむっ、わかったのじゃっ! 妾、この服にはなーんにもせんぞよ!」

「よしっ、じゃあちょっと出てくるから、また夜にな」

「うむっ! う、え、えと……」

「? ……ああ、ははっ。“いってらっしゃい”」

「おおっ、そうであったのっ! いってらっしゃいなのじゃ、主様っ」

「ああ。いってきます、美羽」

 

 美羽に見送られ、部屋の外へ。

 もう空気の湿っぽさも濃くなっており、いよいよ降りそうな予感。

 だからといって足を止めるわけにもいかず、城門前で待っていた稟と風とともに街へと向かった。一応、雨が降りそうだから急いで探そうと伝えつつ。



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58:魏/仕事風景②

 ……さて。

 街へ降り、知る中でもここ一年の間に立てられたらしい大きな書店へ行き、華琳に頼まれたという書物を探す。

 断っておくが、四時食制でも韓非子の孤憤偏でもない。

 最近出たものらしく、あるのなら買ってきてほしいと頼まれたものだ。

 そんなわけで大きな書店……アウト。見事に売ってやしない。

 ならばと次の店を案内する。ここは敢えて穴場の書店へ。

 するとあっさりと本は見つかり───支払いを終えて店から出ると、濡れた地面の香りと雨の音。

 

「あっちゃぁあ……見事に降ってるなぁ……」

 

 生憎と傘なんてものはない。

 しかし本を守るバッグはある。

 ということでバッグに本をソッと入れて、あとは……

 

「稟、風、これ」

 

 バッグを稟に、上着を風に渡す。

 二人はきょとんとした顔で俺を見る……って、当然か。

 

「雨を防ぐものがないから、これでも使ってくれ。あ、バッグは丁寧に頼む。本もあるし」

「いえ、そうではなく……一刀殿、それでは貴殿が」

「んー……こういう時は、あれこれ詮索せずに受け取ってくれるとありがたいんだけど。あれだ、軍師さまに風邪を引かれても困るってことで。出来るかどうかわからないけど、ちょっと試してみたいこともあるし」

「しかしそれは……」

「稟ちゃん稟ちゃん、ここは素直に受け取っておきましょう。見返りを求めない厚意にあれこれ言われては、言い出したお兄さんも困るというものです」

「…………やれやれ。わかりました、風の言う通りにしましょう」

 

 そう言うと、差し出しっぱなしだったバッグと上着を受け取ってくれる。

 ……この場面だけ見るとまるで、荷物を女に押し付ける面倒くさがりな男だよね。

 で、こういうときには大体あの軍師さまが偶然居合わせたりして───

 

「………」

「……? 一刀殿?」

「いや。過敏……っていうのかな、これも。少し勘繰りすぎてた」

 

 首を傾げる二人に「なんでもない」って笑って返して、先を促す。

 書店の軒下で空を眺めていた稟と風は、それぞれ頭の上にバッグと上着を翳してパタパタと走りだす。

 幸いにして雨はまだ降ったばかりなのか、地面はそこまでぬかるんではいない。

 走っていく二人を見送ってから、俺も……ん、んんー……。

 

「んー……んっ」

 

 氣を体の表面に纏わせてみる。

 そんな状態でサッと軒下から手を伸ばすと、タタタタッと一気に濡れていく手。

 ……やっぱり氣を纏わせたからって弾けるわけじゃないらしい。

 じゃあもっと、手にだけ集中させてみて……! ……結果は変わらなかった。

 そしてもたもたしている内に、ドザーと降り始める雨さん。

 

「やあ、これはまいった」

 

 わざとらしく言ってみても状況は変わらない。

 まいったなぁ……全速力で走るか? でもこの雨だ、一気にとはいかないまでも、びしょ濡れは免れない。

 せっかく美羽が部屋を掃除してくれたのに、濡れた自分が戻るのもな。濡れた状態で帰って、水も滴るいい男とか冗談言ったら絶対に引かれるだろうし、そもそも言いたくない。

 ふぅうむどうしたものか───……などと、結構な時間を悩んでいると……この雨の中を堂々と、動じることもなく歩く誰かさんを発見。

 

「……華雄? 華雄~? 華雄? 華雄ー!!」

 

 ザー……と降る雨の中、遮るものは己が服のみといった様相でずんずんと歩く。

 そんな彼女の名前を呼んでみると、これまた平然と「うん?」と振り向く華雄さん。

 しかも俺に気づくと「おお北郷」とか言ってのんびり歩いて寄ってきて……って、

 

「なんでそんなのんびりしてるの!? 風邪引くだろっ!」

「うむ。少々意地比べをしているのだ」

「いっ……へ? 意地っ……なに?」

「意地比べだ。霞がわたしと春蘭は似た者同士の馬鹿だというから、二人でどちらが馬鹿なのかを比べることにしたというわけだ」

「…………で、なんで雨の中を?」

「? お前の国では、馬鹿は風邪を引かぬものなのだろう?」

「今すぐやめなさいっ!!」

「む……? ま、まさか違うのかっ?」

「当たり前だあぁあっ! それは風邪を引かないんじゃなくて、風邪を引いたことにも気づかないから馬鹿だって話───だった気がするから、大きな間違いだっ!」

 

 言うが早し! 華雄の手を引っ掴んで走り出───冷たッ!?

 どれだけ雨の中を歩いてればここまで冷たくなるんだ!?

 昔じいちゃんは言いました! おなごが体を冷やすものではないと! いろいろ違う意味もあるだろうが、馬鹿比べで体を壊しちゃ笑えないだろ!

 ええいとにかく走る! 城に戻って風呂───って今日風呂の日じゃないぞ!? どうするんだよ! いや待て!? さっきの話が本当なら、春蘭もこの雨の中をゆったり気分で歩いて……!? あぁあああああもう!!

 

「華雄! ちょっとごめん!」

「ふわぁっ!? お、おいっ!?」

 

 引っ張りながらあちこち回るんじゃあ、冷え切った体では躓く可能性だってある。

 ならばとお姫様抱っこをして、足に纏わせた氣を弾けさせて一気に走る走る!

 華雄だけでも先に城へ……とも思ったんだが、春蘭の性格や華雄の性格を考えればこれが正解の筈。

 どうせ“先に城に戻った時点で貴様の負けだ”とか言うに決まってるんだ。

 だから二人同時のほうが……───つーか何処!? 春蘭何処!?

 

「むしろ誰か止めようとは思わなかったのかよもぉおおお……!! 発端を考えれば霞あたりがさぁあああ!!」

 

 叫びながら走る。

 結構な勢いの雨に、通りを歩く人の数は少ない。

 皆、軒下に避難している。雨って“難”に入るのか? まあいいけど───そんなみんなの視線をたくさん集める、お姫様抱っこ中な俺と華雄。

 華雄がなにか話し掛けてくるけどそんなものは知りません、少しは懲りてくれ。

 そして、ちょっと考えてみたけど霞なら……煽りはするけど止めはしそうになかった。

 

……。

 

 ……雨の中を走り、区画を二つほど飛ばした先の豪雨の中、震えている春蘭を発見した。

 雨もいよいよってくらい本格的なものになっている。

 ていうかこれもう台風に近いだろ。城壁とか壊れないだろうなぁ……壊れたら園丁†無双のみなさんに頑張ってもら───……無理だな、誤魔化ししか出来ないんだった、あの皆様は。

 

「春蘭っ」

「おっ……おおっ、北郷っ、きききっ、きききききっ……きぐっ、きぐう、だな、ななな……!!」

「そんな震えるまでこの豪雨の中なにやってたの!? あー、あー! わかった! 奇遇だからさっさと城に戻るぞ!」

「それはならんっ! 私があの馬鹿よりも馬鹿でないことを馬鹿なりにばばばば……!!」

「もうわけがわからないからっ!」

「貴様ぁああ!! 誰が訳がわからないくらいに馬鹿で阿呆で間抜けで愚者だ!!」

「そこまで言ってないって!! しかもそもそも悪口自体言ってないっ!!」

 

 埒が空かないので春蘭の手を握───れないよ! お姫様抱っこ中だよ俺!

 

「…………ええい構うかっ!」

 

 華雄を下ろしてからその腰に肩を当てるようにして一気に担ぐ!

 春蘭も同様に担ぎ、何を言われても無視! 日頃鍛えた氣の力、見せてやる!

 

「うおぉおおおおおおっ!!!」

 

 足と腕に氣を充実させて、走る走る走る!

 もうびしょ濡れだからどうでもいいとかそんなことは無い! 冷えれば冷えるだけ抵抗力ってものが低下するって聞いたことがある! なんだったっけ? 体温が1℃下がるごとに、免疫力やらウィルスに対する抵抗力やらが30%近く落ちるとかなんとか……まずいだろそれは!

 ……でも城に戻ったからって、暖まる方法があるわけでもない。

 ああ、裸で抱き合───却下です。春蘭とはその、そういうことがなかったわけじゃないけど……いや違う! 温まるだけだって! なに考えてるんだこの非常時に!

 ともかくその場合は華雄がいろいろと危ないだろっ! だから却下!

 じゃあどうやって暖まるかが問題であって、あ~……真桜に炉でも焚いてもらうか? 流琉に温かいものでも作ってもらって。

 生姜湯なんていいかも。玉子酒とかも……それは風邪引いたらだな。

 でも、一言言えることがあるとするなら結局はこれだな。

 “こんな雨の中、女性を担いで考えることじゃないよこれ”。

 

……。

 

 城に戻ると、すっかり冷え切った二人を秋蘭と霞が出迎えてくれた。

 二人用にお湯が用意されていたらしく、つまりは風呂は用意できないが、これで体を拭けってことだろう。俺の手から離れ、なおも平気だと言う強情な二人は待っていた二人にこそ連れていかれ、多分……それぞれがそれぞれの手でしっかりと温められたに違いない。

 

「で、俺の分のお湯は……?」

 

 誰も居ない城門の少し先で、少しだけ途方に暮れ───る前に、とことことのんびり歩いてくる足音を耳にする。

 ちらりと見てみれば、そこには桶に入ったお湯を持ち、ゆっくりと歩いてくる風が。

 

「ふ、風! それっ……!」

「生憎だが兄ちゃん、これは華琳の大将用のお湯だぜ。温かいのが欲しいなら自分で沸かすんだな」

「いやいやなんでこのタイミングで華琳がお湯を欲しがるんだ!? 冗談だろ!?」

「ええ~、もちろんですよーお兄さん。これは稟ちゃんと風からの、ほんのお礼です。お陰で大して濡れることもなく済みましたからー」

 

 はいと差し出される桶と手ぬぐい。

 それをありがたく受け取り、脱いだシャツ等の水をぎうーと搾り、改めて熱いお湯に浸し、搾った手ぬぐいで体を拭く。

 

「うぃいい~……! なんかこう、染みるなぁ……!」

「お兄さんは温かさで痛みを覚える人なのですか。これは大変なことを知って───」

「違うから! 風呂入った時も、熱さがじぃいんって染みるだろ!? それほど体が冷えてたんだって!」

 

 走ればすぐに温まるなんて、温かいところで育った人だけが言える言葉さきっと!

 ……そりゃさ? 俺も今日初めて、傘の存在の有り難さとか雨の怖さをたっぷりと知ったクチだけどさ。

 うーん……こういう時はあれだな、素直にシバリング。ロングブレスの要領でインナーマッスルをギウウと締めてやると、呼吸の度に体が芯から熱を持ってゆく。

 寒い場所で体が震える状態を、疑似的に引き出して体を温めていく。

 慣れないとヘンな呼吸になって頭とか痛くなるから気をつけよう!

 

「すぅっ……ふぅぅぅぅっ……! ん……あれ? そういえば稟は?」

「稟ちゃんなら、華琳さまに本を渡しに行っているところですねー……風も一緒にと誘われたのですが、ここは稟ちゃんだけに手柄を譲ったほうが、いろいろと面白くなりそうなので」

「あ、なるほど」

「へっへっへ、今頃大将に誘われるがままに跪いて、あんなことやこんなこととか」

「宝譿、キミちょっとオヤジくさい」

「散々と潰された恨みだそうですよ」

「一番最初に砕いたのは風だったよな」

「………」

「………」

「宝譿? あなたが悪いです」

「へへっ……女の立場を守るのも男の務めってもんさ、気にすんなよ」

「無駄に格好いいなオイ」

 

 しかもそれって、俺が男の務めを放棄したように聞こえるんですが?

 ……そして何故にこちらをじーっと見上げてくるのですか、風さん。

 

「見上げてきても、事実は動かないぞ?」

「いえいえ~、事実を知識で変えてしまうのも、軍師の能力の一つですから」

「事実を知識でか。能力なのか? それって」

「集団思考というものですねー。“事実”に必要な説得力以上の説得力を、捏造したものにくっつけるのですよ。すると真実よりも偽りが信じられるようになり、人を動かしやすくなるとー……まあそんなところですねー」

「なるほど。軍師らしい……って言っていいのかな」

「国のため、王のために、勝利するための知識を考えるのが軍師ですからね。もっとも、その勝利も国の流儀があってこそですがー……」

「ああ、わかるよ。下手な勝ち方なんてしたら、即刻首が飛ぶだろうからなぁ……」

「そうですねー……」

 

 “あのような勝ち方、あのような戦をこの私が認めると思っているの!? 春蘭、この者の首を即刻刎ねなさい! はっ、華琳さまっ!”……この流れだけで終わりそうだ。

 魏の軍師っていうのもある意味命がけだ。

 

「ん、よしっと。ありがとな、風。お陰で温まったよ」

「いえいえ礼には及びませんよー、風も稟ちゃんも、お兄さんのお陰でお兄さんの二の舞にならずに済んだのでー」

「……喜んでいいのか微妙な返事だな、それ。っと、そういえばフランチェスカの……ああその、貸した上着はどうした?」

「ぐー」

「寝るなっ!」

「おおっ? なにやら急に意識が遠退いて……」

「べつに持っててもなにがどうなるものでもないだろ……それに、あれは天の大事なものなんだからな? 大事なものでもあるし天との接点でもあるし、なにより……思い出が詰まってる」

「おお~……それは、もし誰かが誤って破りでもしたら───」

「……ごめん、そんなことが起こったら、いくら俺でもどうなるかわからない」

「………」

「………」

「今すぐ返しましょう~」

「ん、助かるよ」

 

 懐に仕舞われていたらしい制服を、どうぞ~と渡してくれる。

 助かるの一言と一緒にそれを受け取ると、部屋へ向けて歩き出す。

 風も華琳のところへ行かなければいけないらしく、キャンディーを舐めつつ「ではー」と静かに去っていった。

 ……何気に歩くのが上手いよな。足音とか全然聞こえない。

 これで気配を消せたら第二の思春の誕生に……?

 

(……首に鈴音を構えられないだけマシすぎるよな)

 

 ん、そうだよな。精々で背後から急に寝息が~とか───怖いよ!?

 いやいや、そんなこと言ってないで戻ろう。

 どちらにしろ着替えなきゃいけないし、どうせならって桶も手ぬぐいも借りてきたから、着替える前にもう一度温まろう。

 そんなわけで、出来るだけ水滴が落ちないようにと身振りしながら歩いて、ようやく部屋に辿り着いたわけだが…………部屋の前にバッグが置かれていた。少し濡れてるけど、間違いなく俺の。

 うん、お勤めご苦労さま。ちゃんと稟を守れたか? ……などと意味もなく思いつつ、バッグを拾って部屋の中へ入った。



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58:魏/仕事風景③

 ───その先で、美羽が寝ていた。

 寝台の上で、とても気持ち良さそうに寝ている。

 外の雨なんて知らんのじゃーってくらいに幸せそうだ。

 で……問題なのは、どうして俺の着替えを抱くようにして寝ているのか、なんだが。

 

「……“なんにもせぬぞよー”はどうしたんだ~、美羽~」

 

 幸せそうにすいよすいよと寝ている美羽の頬を、つんつんとつついてみる。

 反応は……身動ぎするだけだった。

 いつかと同じだな。また袖を掴まれそうだ。

 

「うんうん」

 

 だが大丈夫だ、こちらも同じ轍は踏まないぞ。

 えぇっと、たしかアレももう十分に冷えている頃だよな───…………。

 

……。

 

 と、いうわけで。

 

「こちらに出来ているものを用意してあります」

 

 厨房から自室に戻り、サッと持ち上げてみるのはよく冷えた蜂蜜。

 ……いや、どうせならさ、自分で用意した巣箱で採れた蜂蜜をあげたかったんだけどさ、これがまた中々溜まらないんだ。

 一応コロニーというか、ミツバチが巣を作ってくれはしたんだけど。

 蜂一匹が一日中花を巡って、ようやく集められる蜂蜜の量ってのがなぁ……なんでも小匙一杯分にも満たないらしい。

 ミツバチは確かに数が多いが、それでも花も蜂も気色悪いほどいっぱい居るわけじゃないのだ。巣の大きさに対して、存在出来る蜂の数は決まってるんだっけ? ともかく、美羽が蜂蜜を飲むために、ミツバチたちがどれだけ苦労していたのかを知る結果になったよ。いつもお疲れさまですミツバチさん。

 

「で……」

 

 蜂蜜水ってどうやって作るんだ?

 水、ってつくからには水で割ったりするんだろうか。

 いっつも蜂蜜~とか蜂蜜水~とか言うくらいだから、きっと美味い作り方があるのだ。

 好きな者にしかわからない黄金比率! とかさ。

 ふむ……それはそれとして、今度蜂蜜カラメルプリンでも作ってみようか? や、でもな、せっかく単品でも甘いのに、砂糖とか混ぜるのもな。

 少し焦がしてみれば、これもカラメルみたいになったりするのか? いや待て、なんか熱するのがもったいないぞ、これ。

 

「…………まあ、とりあえずご開帳」

 

 “帳”じゃないけど気にしない。

 カコリと蓋を開けてみれば、冷やされてなお濃厚な香りが、ふわりと辺りに漂う。

 すると寝ている美羽の鼻がヒクヒクと小刻みに動き出す。……こう見ると犬みたいだな。

 

「美羽ー? 掃除してくれてありがとうなー? お礼に蜂蜜持ってきたぞー……───ほぉうあっ!?」

 

 ぉおおお起きたっ!? 反動とか無しに無拍子で!? すごいな美羽! やっぱりこの時代の女性って、基本の体力とか身体能力とか、どうかしてません!?

 あ、でもなんか滅茶苦茶眠たげだ。

 産まれたばかりの子猫みたいに震えながら、閉じたままの目でふるふると辺りを探っている。……あのー、その調子で抱き締めてる服も解放してやってもらえないでしょうか。べつに“服質とは卑劣な!”とかは言わないから。

 

「美羽?」

 

 急に掴まれてこぼされても困るから、一応蓋をコパリと戻して蜂蜜を差し出してみる。

 反応は…………無い。

 

「行動の一つ一つが一種のクエストみたいだよな、もう……」

 

 着替え一つを得るために、どうしてこうも回り道を……。

 仕方ないので肩をゆすってみる。

 激しくではなくやさしく。反応が無いから蜂蜜を軽く掬って口に近づけてみると、ハモリと口にした。直後にとろけるような幸せ顔になり、ふるるるるるぃっ、と震えたのは言うまでもなく、一応は……それで起きてくれた。

 

「……うみゅ……? 主様……? おお、帰っておったのじゃな、お帰りなのじゃ、主様」

「ただいま、美羽。よく眠れたか?」

「むー……少々眠り足りぬの……。それで、主様の仕事はもう終わったのかの?」

「いや、まだまだ終わらない。着替えたら傘……あー……この場合は(がい)か? うん、蓋を差して戻らなきゃいけないんだ」

「大変じゃの……」

「警邏ってそういうもんだよ」

 

 雨の中で親とはぐれた子供が居たら笑えない。

 あの春蘭でさえガタガタ震えるほどの寒さだ、雨に当たりっぱなしは非常にまずい。

 

「というわけで美羽、その着替えを離してくれるとありがたい」

「着替え? 着替え……お、おおっ? お、おかしいの……何故妾は主様の服を……?」

「いや、俺に訊かれても」

「ち、違うのじゃ主様っ、妾、掃除をしていたら疲れてしまっての? その、あの、の……、すこ~しだけ休憩を取ろうと思った次第での……?」

 

 そんな、あからさまに視線を逸らされながら言われてもな。

 

「美~羽? 人と話す時は?」

「……“相手の目を見て話す”じゃの」

「ん、よし。べつに怒ってないから大丈夫だって」

 

 はい、と手を差し出すと、そこに着替えをはいと渡してくれる。

 受け取ってからは美羽に後ろを向いていてもらい、パパッと着替えて準備完了。

 濡れた服は……窓際で搾って、室内に吊るしておこうか。

 仕事着扱いにしてたから、これ着ないとほとんど庶人なんだけどなぁ俺……。

 

「よし、と。じゃあ行ってくるな美羽。留守番よろしく」

「うむっ、妾にどーんと任せるがよいぞっ? うわーははははーっ!」

 

 手を上に突き上げ、「主様の期待には必ずや応えてみせるぞよ!」と息巻く美羽。

 その頭をやさしく撫でてから出発した。一応、タオルを懐に仕舞った上で。

 

……。

 

 ざああと水滴の群が地面を打つ。

 その数は尋常じゃなく、傘を支える手もしんどく感じるほど。

 風が無いのが救いではあるが、この量は珍しい。

 

「天の恵みではあるものの、大陸で洪水はシャレにならないんだぞー……」

 

 言ってはみるも、空は雨以外になにも返しちゃくれない。

 降ってるのがせめて、ここだけならいい……ってわけでもないか。止んでください。

 

「北郷隊長、この区画には人は居ないようです」

「そっか。他の区画担当とも連絡を取り合って、早く終わらせちゃおう」

「はっ」

 

 ぶつぶつとこぼしながらも、傘を構えて走り回る。

 俺も魏兵の鎧とか着てみようかな。あれなら雨合羽代わりに……ならないか?

 むしろ誰も俺だと気づかなそうだ。それはそれで楽しそうではあるけど。

 

「あーっ! 隊長ずるいのー!」

「うあ~……女にそのまま働かせて自分は蓋持ってすたすたかいな……隊長、少しは空気読まんと嫌われんで……?」

「それ言う以前にその格好で雨の中はセルフ拷問もいいところだろ! 特に真桜!」

「え? なに?」

「なにじゃないって! いーからこれ着る! 兵たちにも目に毒だろ!」

「べつにスケたりせぇへんで?」

「そういう問題じゃないのっ!」

 

 着替えてきたのにいきなり上着を渡す俺……いっそ笑ってくれ。

 けれどこれは危険だ、いろいろな意味で。

 大体にして、胸に対して服の幅が小さすぎるだろ。

 ほら、あっちに居る兵なんか、そわそわしてこっちも満足に向けない状態だし。

 

「真桜ちゃんばっかりずるーい! ねぇねぇ隊長、沙和は? 沙和にはー?」

「……この蓋あげるから、真桜と一緒に休んでなさい」

「ほえ? ええの?」

「雨の中、ご苦労さま。さすがにもう上がれなんて勝手なことは言えないけどな、少し休んでていいよ。寒かったろ?」

「おー、もうめっちゃ寒かったわ……大地の上で溺れるか思うくらい降るんやもん……」

 

 その格好にも問題があると思うんだが……ともかく渡した蓋を差した沙和と、その下に潜り込んだ真桜をタオルでわっしゃわっしゃと拭いてやり、上着を着させる。

 タオルは……いいか。このまま沙和の頭の上にでも。

 

「……? たいちょー?」

「よく拭いておくこと。俺もちょっと兵たちと走ってくるから」

「隊長、胸は拭いてくれへんのー?」

「自分でやりなさいっ!!」

 

 にやにや笑いながらの言葉にそう返すと、地面を蹴って隊舎へ。

 流石に庶人服(上無し)のままじゃあ風邪を通り越して、最悪肺炎とかになりかねない。

 なので隊舎で、非番の誰かの鎧を借りてみようと思った次第だ。

 そうして鎧を纏い、区画ごとに人探しやら雨宿りをしている人を案内したりやら、いろいろしているうちに───

 

「おーい! 北郷隊長を見なかったかー!?」

「いやー! その代わり、やたらと脚が速いやつがあちらこちらで駆け回ってるぞー!」

「……ってあれ隊長だよ! 鎧なんか着てなにやってるんだあの人はー!」

「隊長!? 北郷隊長ー!? 示しが付きませんからいつもの天の服を着てください!」

 

 兵に捕まり、あっさりと鎧は返すはめになった。 

 しかもそれまでの経緯を話すや、「隊長こそ風邪を引いたらどうするつもりです」と注意されてしまう。まあ、そうなんだけどさ。

 

「北郷隊長が我々警備隊を大事にしてくれるのは嬉しいのですが、我々にとっても隊長はなくてはならない存在なのです。あまり無茶をされては困ります」

「うぐ……わ、悪い」

 

 まるで凪みたいなことを兵に言われ、口ごもるしかない俺がいた。

 その頃には激しかった雨も止み、ずぶぬれの俺達が残された。

 

「はぁあ……凄い雨だったなぁ」

「作物が喜ぶ前に地面が抉れそうなくらいの雨でしたよ」

「だなぁ」

 

 迷子も居なかったようでなによりだ。

 でもなぁ……あれだけの雨が降ったからには、絶対にどこかで不都合が起きている。

 その不都合を、華琳に報告される前に出来るだけ消化していかないとな。

 華琳の仕事を無駄に増やすわけにはいかない。

 

「よしみんな、一度着替えてからもうひと頑張りしよう! 頭もだけど、足もよく拭いておくように!」

「はっ!」

 

 動き回るのは、水びたしでふやけた足にはちょっと辛い。

 なので一度みんなには隊舎に戻ってもらい、その間の街の巡回などは俺が担当。

 どこか壊れたものはないか、倒れたものはないかを確認して、あればこなしてゆく。

 

(誰かに頼んでサボったりしなくてよかったよ、まったく)

 

 こんな日に誰かと交代したとあっては、さすがに気分が悪い。

 そんなことを考えてしまった分も含めて一層に張り切り、区画毎を走り回っては困りごとを処理。兵が戻ってくると交代で隊舎に戻って、自分も随分と濡れてしまった体を拭いた。

 そこまで長くは降らなかったものの、記録的な豪雨だろうなぁ。

 

「隊長、お疲れのところ、失礼します」

「っと、どうした?」

 

 足も拭き終えたところで、さてと立ち上がろうとしたところに兵の一人が。

 

「はっ、なんでも雨漏りがひどいと訴える者が幾人か居るとか」

「…………段々雑用係になりつつあるなぁ」

 

 民からの認識も、それでもやろうとする自分らから見ても。

 

「軽い処置なら出来るけど、そういうのは誰か工夫の人に頼んできちんとやってもらわないと、後が怖いって伝えておいて。下手なことして雨漏りが広がったら目も当てられない」

「はっ」

 

 笑顔のためにとどれだけ走ろうと、出来ないものは出来ないと言わなければ期待させ損だ。きちんと言うやさしさ……やさしさじゃないな、必要性か。そういうのもある。

 

「よしっ」

 

 じゃあ、残りの仕事もちゃっちゃと片付けようか。

 どうか風邪を引いたりしませんようにと願いつつ。



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59:魏/希望は百里先に①

101/難しいお年頃。それはきっと、全年齢に向けて言える言葉

 

 雨の名残も消えたとある朝。

 華琳が他国の王───雪蓮と桃香と直接会い、いろいろ話をするために許昌を発った翌日になる蒼の下、じっくりと呼吸をしながら体を伸ばす俺。

 

「……すぅうう……はぁああ……ん、んん~っ……」

 

 何をしているのかといえば、実はその。

 

「ええい北郷っ、貴様準備にどれだけ時間をかけているっ」

 

 早く体を動かしたいからなのか、そわそわしている春蘭とともに、中庭で鍛錬をしていたりします。していたりする、というよりはする予定である。つまり現在は準備運動中だ。

 

「や、せっかく春蘭が教えてくれるんだから、へばったりしないようにちゃんとやっておいたほうがいいだろ?」

「ふん、軟弱な。準備せずとも即座に動けてこその武人だろう」

「あのな。きっぱり言うけど俺、武人じゃないぞ?」

「警備隊も武人も似たようなものだっ」

「普段一緒にしたら怒るくせに、都合のいい時だけ一緒にしないでくれ」

「じゃあなぜ貴様は鍛錬をする! 武人でなければする意味がなかろうが!」

「や、それはいろいろと事情があってさ」

「ならばしのごの言わずにさっさとしろ!」

「だから準備が必要なんだってば!」

「武人ならば即座に動けてこそだと言っている!」

「武人じゃないってば!」

「ええいああ言えばこう言う! 警備隊長だろうが準備が必要だからともたもたしては、仕留められるものも仕留められんだろうがっ!」

「警備隊長になにを仕留めろと!?」

 

 春蘭って、武に関しては凄くまともなことを言うよな……戦略は度外視するとしても。

 そして警備隊長に突撃隊長的なものを望まれたって困ります、将軍。

 そうこう思っているうちに準備運動も終わると、立ち上がって真っ直ぐに春蘭を見る。

 

「よしっ……と。じゃあまず何をすればいいかな。素振り?」

「百里走れ」

「ああわかった、百里ね、百───百里ぃっ!?」

「? どうした?」

 

 百……百!? 百って、祭さんの鍛錬の十倍なんですが!? それをこの中庭で!? しかも、出来て当然って顔できょとんとなさってらっしゃる!?

 

「なんだ、まさかまた以前のように出来ないとか無理とか言う気か? これくらい、季衣や流琉なら平然とやるぞ?」

「何者ですかあの親衛隊! あ、いや、親衛隊だからなのか!?」

 

 確かに体力ありそうだけどさ……いや、ほんとどうなってるんだ、この世界の女性。

 力自慢は動きが鈍重とかって認識、語ることすら恥ずかしい。けどやろう。やりましょうとも……! なにせ今日のこの鍛錬に、俺の新しき明日がかかっているのだから───!

 

「よしっ! 春蘭、俺やるよ! お前の出す課題の全て、こなしてみせる!」

「なにをそんなにやる気になってるのかは知らんが……華琳さまが貴様をしごけというのだから、わたしも全力で付き合ってやろうっ」

「おおっ、頼むっ」

 

 ……そう、これは華琳からの命であったりする。

 鍛錬が命令だなんておかしなこともあるもんだが、事実そうなのだ。

 魏に戻ってから今日までいろいろなことがあったが、様々な事柄が順調。仕事もしているしみんなとの関係も変わらず、華雄や美羽とも仲良くやっている。

 そんな俺を見てどこか安心したんだろうか……華琳が俺にこんなことを言ってきた。

 

 

 

=_=/回想

 

 ……。

 

「一刀。あなた、私が蜀へ行っている間、春蘭と鍛錬をしなさい」

「…………ホワ?」

 

 玉座の間に呼ばれ、来てみればそれだった。

 どうやらこれから蜀へ向かうらしく、服装も王としてのきっちりしたものになっている。

 

「どうしたんだいきなり。俺に鍛錬するなって言ったの、華琳だろ?」

「ええ。ただ、少し気になった……違うわね。落ち着かないことが出来たから、そう言っているのよ」

「?」

 

 なんのことだかわからない。

 意味を探るように、春蘭と秋蘭、最後にもう一度華琳へと視線を戻すのだが……それだけでわかるなら苦労はしないよなぁ。

 で、確認した通り、この場には華琳に春蘭に秋蘭、そして俺くらいしか居ない。

 もちろん春蘭と秋蘭に目を向けてみても知らぬといった感じであり……あ、でも秋蘭は知ってるっぽい。

 

「自覚がないのね。一刀、あなたこのあいだの豪雨の日からおかしいわよ」

「おかしいって……なにが?」

「うむ。少々落ち着きがない。仕事はこなすものの、集中が出来ていないと、華琳さまは仰りたいのだ」

「落ち着きが……?」

「そういうことよ。報告によると、雨の中を濡れることも構わず走り回ったそうじゃない」

「ああ、そうなんだよ。誰か困っている人が居ないかなって走ってたんだけど、思いっきり走ったのも久しぶりだったから……なんかこう、走ることが楽しくなったというか」

『………』

 

 わあ。華琳と秋蘭に呆れ顔で溜め息つかれた。

 

「欲求不満で気も散漫の状態で仕事をやらせ続けたとあっては、いろいろと細かな疑いがかけられるでしょう? だから春蘭と鍛錬をなさいと言っているの」

「や、でもそれって」

「もう一度機会をあげると言っているのよ。今回はわたしが蜀に行き、帰るまでの日数を期間とします。その間、春蘭の教えに耐え、仕事もきちんとこなすようなら三日毎の鍛錬の日を設けてあげてもいいわ」

「───! ほ、ほんとかっ!? ほんとにほんとっ!?」

「……なによ。要らないのならわたしは一向に構わないのだけれど?」

「いやいや要るよ要る要る! 要るけど! 普通“なんで急に”って思うだろっ?」

「っ……べ、べつに、ただ気が向いただけよ」

「……気が向いた程度の気まぐれで、鍛錬の日を潰したり復活させられたりされてもなぁ」

 

 というか、心配させるなとか散々言っておきながら……いったいなにが?

 軽く目を逸らした華琳に、頬をカリ……と掻きながらそう返すと、脇に控える秋蘭がくすりと笑って代わりに返した。

 

「なに。華琳さまは北郷、お前が仕事も将との交流も普通にしているようだからと、安心を得た上でこうして声をかけたのだ。お前が久しぶりの魏に慣れる期間、魏将の皆が久しぶりのお前との交流を楽しむ期間を考えれば、今日までの時間はむしろ貴重だったといえるだろう?」

「なっ……秋蘭!? なにを勝手なことを言って……!」

 

 秋蘭の言葉に真っ赤になった華琳が止めに入るが、秋蘭はそんな華琳の姿を嬉しく思うのか、穏やかに笑ったまま特に訂正することもなく言い切った。

 あ……そっか。

 三日毎とはいえ、鍛錬ばっかりじゃあみんなとの交流も多くはなくなる。なにせ戻ってきたばかりな上に、なんでもかんでもやらなきゃって躍起になっていたんだ。

 あ、あー……! だからこそ、“誰かに何かを頼まれたら嫌と言わずに手伝うこと”なんてことを、鬼ごっこの条件につけてきたのか……? なるほど、確かにあれは、久しぶりにも関わらずに無駄に燥ぎながらみんなと走れたっけ。手伝いも嫌とは思わなかったし、むしろするりとみんなと溶け込む切欠になった。

 

「………」

 

 ほんと、何処まで先を見てるんだろうかこの完璧超人さんは。

 素直に感心しながら華琳を見ていると、そんな感心の視線は睨みで返された。

 あれ?と首を傾げても、その事実は変わらない。

 

「と、とにかくっ! あなたが、私が帰るまでに春蘭の鍛錬に耐えていられるようなら、これからも三日毎の鍛錬を許してあげる」

「……ほんとのほんとに、いいのか?」

「ええ、いいわよ」

「………」

 

 いい、と言われても、どうにも信じられずに、じぃ~っと華琳を見つめてしまう。

 華琳は不服そうに俺を睨むが、秋蘭は気持ちがわかるのか、華琳から見えない位置でやさしい目で俺を見て、苦笑していた。

 

「……だから、なによ」

「いや、嬉しいんだけど素直に喜べないっていうか。だって華琳だぞ? いくら理由があったにせよ、そんな急に条件付きで決めたことを曲げるなんて」

 

 ちょっとおかしいと感じた。本当はなにか裏があるんじゃないかと疑りたくもなるってもんだ。

 そして実際にそう訊ねてみれば華琳は溜め息を吐き、秋蘭はそんな華琳を見て、目を伏せて溜め息。春蘭はよくわかってない顔でとりあえず俺を見て溜め息。その溜め息の意味を考えてみるも、身に覚えがないし引っかかる知識もない。

 

「まあ、なんだ。実はだな、北郷」

 

 少しだけ沈黙が場を支配したが、それをさらなる溜め息ののちに打ち破る秋蘭。

 聞き漏らさないようにと耳に意識を向けて、聞く姿勢を取って待った。

 

「周公瑾からの願いと言うべきなのかな。“一刻も早く強くなり、あの馬鹿者を御せる男になってほしい”と書状が届いたのだ」

「冥琳から? 冥琳が馬鹿って呼ぶ相手なんて雪蓮しかいないだろうけど……いったいどうしてそんなことに?」

 

 余計にわからないな。

 冥琳が俺に何かを頼むなんて、それこそ稀すぎてどう反応をすればいいのか。

 

「わからない、といった顔だな」

「そりゃあわからないよ。奔放すぎるからなんとかしてくれって意味じゃあ、俺なんかよりも冥琳のほうがよっぽど対処できると思うぞ? なのにその冥琳が俺に……───あ、あー……」

 

 ちょほぃと待ちなは。

 雪蓮? 雪蓮が関係することで、俺が鍛錬しなきゃいけない理由っていったら……?

 

「あ、いや、いい、わかった。な、なるほどな、限度ってものは考えないといけないよな」

「へえ? 心当たりがあるの?」

「一応。華琳は雪蓮が興奮し始めるといろいろと大変だってこと、知ってるよな?」

「酒の席でも普段からでも、随分と思い知らされているわよ。特に乱稽古に混ざった時なんて血の雨が降りかねない勢いなのだから」

「うわぁ……ああ、うん、その気持ちはわかるかも」

 

 なにせ腕折られたし、本気で殺されるかと思ったし。

 戦狂いっていうのか? 恐いよなぁあれは。で、冥琳がそれを御せるようになれとせっついているわけだ。無茶を言ってくれる。イメージトレーニングの戦績を聞けば、溜め息を絶対に吐ける勝利数なのに。

 俺が思い出したのは、その戦狂いよりも祭さんが言っていた“熱が下がるまで抱け”って部分だ。まさか雪蓮が冥琳と戦うわけもないし、それを基本として思考するというなら……なぁ? 冥琳が俺を頼る理由なんて、雪蓮が冥琳をいろいろとアレしているってことに他ならない。

 

「ああ、つまりはあの報告のままの意味ってこと? で、あなたは馬鹿正直に雪蓮を御せるほどの力へ辿り着きたいと思っていると」

「あ、あー……そういうこと、かな?」

 

 どっちかっていうと過程なわけだが……そもそもの理由が“守れる時に守りたい”って理由だし、返せる時に返したいって理由でもある。今はまだ守ってもらう立場でも、いつかそういう時がきたらって……じいちゃんに教わったし、なにより俺がそうでありたいから。

 そういった意味では雪蓮の暴走を止めるのも、守ること、ひいては返すことに繋がっているのだろうか。……なんかあんまり繋がってるって気がしない。

 

「それで鍛錬か。鍛錬といえば、北郷はよく華雄と鍛錬をしているようだが」

「ああ、うん。なんか戦ってて楽しいんだってさ。俺と戦って何が楽しいのかは知らないけど」

 

 俺って存在は他の将みたいに化け物的に強いわけでもないのに、何が楽しいんだろうか。

 そう考えていると、どうしてか華琳が「わからないでもないけれど」と呟く。

 

「え? わかるのか? ……俺と戦って、何が楽しいんだ?」

「簡単なことよ。理由はどうあれ、己に勝とうと必死に向かってくる者を相手にするのは、武に心得がある者ならば誰でも嬉しく思うものよ。なにより一刀は氣の扱い方も得物の振り方も独特だから、定石で先読みをすると振り回されっぱなしになるから、そこも妙な緊張感があっていいわね」

「………」

 

 いや、華琳さん? それ、聞き方によってはただ俺が遊ばれてるだけっす。

 

「なっ……華琳さま!? 北郷と手合わせをしたことがあるのですかっ!?」

「あら。言ってなかったかしら?」

「そんなっ、言ってくださればわたしか秋蘭がお相手を……!」

「春蘭。仕事をこなさず鍛錬をするというのなら、鍛錬以前にただではおかないわよ」

「うぐっ……~っ!」

「なんでここで俺を睨むの!?」

 

 相変わらず華琳がらみだと理不尽さが増すようでたまらない。

 秋蘭はそんな春蘭の行動を眺めつつ、穏やかに微笑んでるし。

 

「それでどうするの? やるの? やらないの?」

「…………」

「さっさと決めろ! やるならやる! やるならやらない! 好きなほうを選べ!」

「やるって言ってもやらないって言ってもやらされるじゃないか!」

「なにぃいい!? 貴様ぁ、今わたしのことを馬鹿だと思っただろう!」

「思ってないからっ! だからことあるごとに武器構えるのやめよう!?」

「ならばさっさと選べ! まったく、男がネチネチと情けないっ!」

 

 この状況に男女の区別が通用するんでしょうか。

 ……しないだろうなぁ。だって今の俺の位置を桂花に変えたら、それこそ話が進まない状況になるってもんだ。

 

「じゃあ…………やらない」

「貴様ぁあああ! せっかく華琳さまが条件つきだろうと機会をくださったというのに、それを断る気かぁああっ!!」

「えぇえええええっ!!? やるならやらないって言ったのは春蘭だろぉっ!? いや、やるっ! やるよっ! やるってば!」

「ならばよしっ! いい機会だ、貴様の性根を叩き直してやる!」

 

 そう言って、腰に手を当てニヤリと笑む惇将軍がおりましたとさ。

 でも性根……性根?

 

「なぁ春蘭。性根って、どこを叩き直すんだ?」

「怠けている貴様を叩き直す!」

「あら。春蘭はわたしが、怠け者に三日毎の鍛錬を与えるほど甘い王に見えるのかしら?」

「えぇっ!? あ、いえ……な、ならば北郷! 貴様のその軟弱な体を───」

「姉者……北郷は時間が空くたびに華雄や思春と鍛錬をしているぞ」

「ええ。普段から氣の鍛錬もしているわね」

「うぐっ……な、ならばその女と見れば見境のない───」

「一刀? あなた、一年ぶりに戻ってから、誰かに手を出したのかしら?」

「……わかってて言ってるだろ、それ」

「当たり前じゃない」

 

 笑顔で言われた。

 当然のことながら、手なんて出してない。

 

「な、なに……? 手を出していないのか……? あの北郷が……?」

「気持ちはわからないでもないけどさ、本人の前でその反応はないんじゃないかな……」

「いいのよ、それで。支柱になるというのなら、手を出すのは支柱になってからのほうが都合がいいのよ」

「あの。華琳? 初耳なんですけどそれ」

 

 都合ってどの都合?

 自分の得にならないことをする人ではないとは思ってたけど、やはり裏が……!?

 

「言っていないのだから当然でしょう? 相手が望んだことだからって、見境無しに将を手篭めにされても困るのよ」

「いろいろ待ちなさいそこの覇王さま」

 

 ズビシと自然と手がツッコミの格好をしていた。

 俺が手を出すこと前提で考えるのは、もういい加減勘弁してほしいんですが……?

 

「一年経ってようやく軌道に乗ってきた政治を、将が、王が身篭りましたで崩されてはたまらないでしょう?」

「な、なるほど! さすがは華琳さまっ!」

「なるほどじゃないだろっ! 言われなくてもそんなホイホイと手は出さないってば!」

「それはわたしが許さないわ。時がきたらきちんと出しなさい」

「なんかもうほんといろいろ待てぇえええっ!! “そういうのは自然の流れで”って前にきちんと話し合っただろーっ!?」

「? 初耳だが?」

「やっ……そ、そりゃ、華琳にしか言ってなかったけど……って華琳! くすくす笑ってないで説明するの手伝ってくれって!」

 

 始まる問答はいつものこと。ともかく、そんなこんなで鍛錬の許可が、曹孟徳直々に下りることになった。ただし、けっして無茶はしないこと、と釘を刺された上で。無理したらどうなるんだろうと考えてみて、泣いてしまった華琳が頭に浮かんだらもうだめだった。無理、ヨクナイ。ウン。

 嬉しさはもちろんあったが、まあその……いろいろと別の問題も浮上したわけで。

 そりゃあみんなのことは好きだけど、だからって見境無くとか……あぁああいやいやいやいやここで今さらだとか考えちゃだめだ! 強くあれ、北郷一刀! 自然の流れ! 自然の流れでだ! な!?



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59:魏/希望は百里先に②

-_-/一刀

 

 ……そういった経緯もあり、現在は百里目指して走っているわけだが……あ、話の途中で華雄が来たから、誘ってみたらあっさり参加してくれた。結構いい人だよね、華雄。

 

「遅い! 貴様の足はその程度かぁ!!」

「その程度かーじゃないってば春蘭! ペースってものを考えないか!? 最初から飛ばしすぎだろ! そんなんじゃ百里なんて───」

「ぺーすがどうのと何をわけのわからんことを! 大体わたしはいつだってこうだ!」

「………」

 

 なんだろうな……桃香、今すぐキミに会いたい気分だ。

 思えば桃香は本当に、この世界の女性って意味では普通だったなぁ……胸は別だけど。

 

「むうっ……負けてはおれん! 北郷、走るぞ!」

「貴女もですか、華雄さん」

 

 隣を走っていた華雄が、前をゴシャーと走る春蘭に釣られるようにして速度をあげる。たしかにこのままの速度で走っていても、百里走り終えるのはいつになるやら。

 ……そうだな、いつまでも同じ速度じゃあ先には行けても先の先にはいけない。

 

「よしっ、付き合うよ華雄! 二人で春蘭をぎゃふんと言わせてやろう!」

「応! ふふふ、このわたしに勝負を挑むとはいい度胸だ春蘭……! いつぞやの真・馬鹿者対決では北郷に邪魔をされたが、これならば───!」

 

 雨の日もそうだったけど、そういえばいつの間に春蘭の真名を頂戴したんだろうかこの人は。ああいや、うん。何故だか妙に気が合いそうなのはわかるのだが。

 ……まあ、いいか。

 そんなわけで、俺達は走った。

 かつての十倍頑張るつもりで、城壁の上の地面を蹴り弾き続けた。

 だが、俺達はよ~く考えるべきだったんだ。先導するのが春蘭であると認識した時点で。

 

……。

 

 ドシャア。まずそんな音が鳴った。

 がくがく、どころかズゴゴゴゴと震える足が、立ち止まったところで“立っていること”を許してくれなかったのだ。

 

「ぜっ……ぜはっ……げほっ! ひっ……ひはっ、はっ……!」

「は、はっ……はーっ……! ふはっ、ははは、は……! なんだそのっ……ざまは……! ほ、北郷、華雄……! わたしはまだ……!」

「ふ、ふぅっ……ふぅうっ……!!」

 

 結論。

 春蘭がどれだけ走ったのか、途中で忘れた。そもそも百里って城壁の上を何周すればいいのだろうか。途中で目的が完全に入れ替わってて、百里どころかきっとそれ以上走ったんじゃないかと思わなければやってられない状況で、ようやく俺達は止まることを許された。

 氣で上手く走るのにもさすがに限界があり、なにより汗を流しすぎたために、今めちゃくちゃ水が飲みたい。つか死ぬ。死ぬよこれ。

 けど。ああけど、わかったことがひとつだけ。

 

「げっほっ……! に、人間……余力を残そうとっ……げほっ! しな、ければ……~っ……はっ……案外、百里も……はぁっ……い、いけ…………、…………ぐっはぁ」

 

 言葉にすることできっちり覚えておこうとしたが、途中で力尽きて、辛うじて起こしていた上半身も倒れた。

 次いで、

 

「はっ、はぁっ……! た、鍛錬にならんだろう、これは……! 百里どころか……いったい、どれほど……!」

 

 そんなことを言った華雄も、俺の隣にドシャアと。お互い、虫の息状態である。

 城壁の硬い地面に仰向けに倒れ、ただひたすらに酸素を求めた。

 おかしいなぁ……走る前は朝のいい日差しを見ていた筈なのに、空の蒼がどこにもない。

 

「春蘭……さすがに一日中走りっぱなしってのは、どうかと……げっほごほげほっ!! ぅ、ぶふっ……! ゥォェッ……~……っは、はぁ、はぁっ……!」

「いや……まあその、なんだ…………ええいしのごのぬかすな! 次はきちんとやる!」

「いや、ほんと……頼む……。か、華雄……華雄……? 平気か……?」

「どう、という、ことは……げほっ、ごほっ」

 

 朝餉以外なにも口にせず、結局夜まで全力疾走。あっさりと以前までの限界を越えてしまった俺は、鍛錬と己の限界についてを考えた。

 自分で無意識にストップかけてたのかなぁ……なるほど、無理を通さんとする指導者も時には必要ってことなのか?

 

「………」

 

 いや。さすがにこれはやりすぎだろ。断言できる。

 

……。

 

 三日後。

 前回が走るだけで終わってしまったために、今回は…………やっぱり走っていたりする。

 

「……なぁ北郷」

「なんだい華雄」

「親衛隊のやつらは、どうしているのだ」

「季衣と流琉なら華琳についていったよ。是非とも季衣が百里走る様を見てみたかったんだけど……ていうかほんとに走ってたのかなぁ。俺、あることがあって、季衣や流琉から逃げ出した時があったんだけど、普通に逃げ切れたりしたんだよな。そもそも百里走った~って、どうやって調べたんだろう……」

「むう。……なんというか、聞くだけで不安になる言葉だな」

「ごめん、言ってて俺も不安になった」

 

 走る。只管に。今回は秋蘭が監視してくれているから、走りすぎにはならない筈だ。きちんと「走り過ぎるようなら止めてやる」との嬉しい言葉もいただけた。

 あ、ちなみにこの鍛錬は春蘭にとっては仕事の範疇として扱われているらしい。

 きちんと給金も出るし、サボっていることにはならんのだそうだ……けど、代わりに他の将が春蘭の分まで仕事をしなきゃならないらしい。

 

「よしっ、どっちが一歩先へ走れるか、勝負だ華雄!」

「フッ、このわたしに正面から勝負を挑むか。よかろうっ、ならば勝負!!」

 

 そして走る。

 相変わらずはははははと笑いながら前を走る春蘭を追い抜くつもりで。

 三日前よりも一歩でも先へ……! 競う相手が居るのなら、さらに頑張れる……いつか蓮華と話し合ったことを思い出しながら、地を蹴り弾き続けた───!

 

…………。

 

 で……。

 

「ぜはっ……げっは……! しゅっ……秋ぅうう蘭んん……!!」

「い、いや、すまん……。姉者が懸命に走る姿など、落ち着いて見るのは随分と久しくてな……。つい、止めるのを忘れた……」

「止められるまで、止まろうともしなかった我らも我らだが、な……げほっ! ごっほ!」

 

 結局また夜である。

 春蘭は変わらず走り続けることに夢中で、俺と華雄はといえば競争しているうちに負けたくないって気持ちが膨れ上がりすぎ、一歩先を目指しすぎた。

 結論としては三日前よりもよっぽど先へ行くことになり、秋蘭が教えてくれた周回を聞いたら、笑うしかなかった。

 ああ、なるほど。兵のみんなも、春蘭の下で鍛えればそりゃあ強くなるよ。

 突撃しかしない理由も、なんだかわかった気がした。

 ただし、今日も百里を駆けれたかといえば、わかるはずもない。百里って400kmだっけ……? ああ、でも、魏での短里で考えると……な、7.5kmから9kmあたり……?

 たしかにそれならいけるけど。

 

「なんだなんだだらしのない。これから手合わせをするのに、なんだそのだらしのなさは」

「一回の全力疾走でそこまで慣れる春蘭がどうかしてるんだよっ! なにその順応性!」

 

 ちなみに春蘭は平然としていた。

 止まった理由はといえば、腹が減ったかららしく……俺と華雄がぐったりして、秋蘭に介抱してもらっているうちに食事を済ませてきたらしい。

 なるほど、これほどまで出来てこその魏武の大剣か。

 人間じゃないって言葉、こういう時にこそ使うんでしょうか。あれほど走ったあとにモノを食べるっていうのがまず信じられない。

 そして二回もだらしないって言われるほど、生易しくはなかった。

 

「つかっ……ちょっと……待って……! さすがに今、春蘭と、稽古なんてしたら……!」

「なんだとぉお!? 貴様、わたしでは相手にならんと言いたいのかっ!」

「誰もそんなこと言ってねぇええっ!! いやっ、ちょちょちょ待ぁああっ! ちがっ───たすけてぇえええええええっ!!」

 

 星が綺麗なその日。

 俺の悲鳴が夜空に散った。

 

……。

 

 三日後。

 

「物凄い勢いで、引きずられるままに限界を越えていく自分が恐い……」

 

 主に走りの面で。

 武術鍛錬、仕合等では、疲れきっていて学ぶどころじゃないもんなぁ……。

 春蘭の攻撃を避けるだけで手一杯だ。

 あんな状態で反撃に移ったら死ぬって確信が持てる。

 

「ふふっ……それだけ氣が充実しているということだろう。武人の中には体を鍛えるよりも、氣を極めたほうが強くなれると豪語する者も居る」

「そりゃ、聞いたことはあるけどさ」

 

 朝の中庭で準備運動を終え、手伝ってくれた秋蘭と軽い話をしてみた。

 春蘭はといえば、今日も元気に走る準備をしていたりする。聞けばここのところ、賊らしい賊もなくむしゃくしゃしていたんだとか。

 そこに転がり込んだ鍛錬の話は、延々と走るだけとはいえいい気晴らしになっているのだろう。案外華琳もそれを見越して、俺を春蘭に任せるなんてことをしたのかもしれない。

 ……その結果が走り続けるだけの地獄の特訓で、疲れ果てたあとに剣を降り回しながら追い掛け回される俺は、やっぱりただ地獄の特訓を受けている気分なわけだが。

 

「案外北郷は、氣を高めたほうが強者に辿り着ける者なのかもしれないな」

「まあ……三日毎の自主鍛錬を禁止されてからは、誘われない限りはず~っと氣の鍛錬をしていたわけだけだから、氣の通り道は無駄に広がってるみたいだけさ」

 

 でも、鍛えているって感じがしないから、強くなった実感は全然だ。

 氣ばっかり強くなっても、模擬だろうと誰かと向かい合わないと剣術の上達にもならない。雪蓮のイメージと戦うのにしたって、相変わらず連敗中だ。

 そのイメージも戦う度に強くなっていて、とても勝てる気がしない。

 

「北郷! 華雄! なにをしている! さっさと走るぞー!」

「……もう、走ることが鍛錬ってことになってないか?」

「すまんな……姉者もあれで、いろいろと溜まっているのだ。悪いとは思うが、付き合ってやってくれ」

「ああ、それは構わんが……北郷、妙才、もう一度訊くが、これは鍛錬なのか……?」

「三日前より何歩も先に進めてるんだから、鍛錬だろ……」

「むう、そうか……」

 

 いまいち納得いかない感は否めない。

 しかし元気に石段を登り、城壁に登る春蘭を見てしまっては断れないのだ。

 

「じゃあ、今日も元気に走るかぁ……」

「そう、だな……」

「あ、秋蘭も走る?」

「わたしまで走ったら誰が姉者を止める」

「………」

「………」

「いや……まあ、安心しろ、今日はきちんと止める」

 

 疑いの眼差しを向ける俺と華雄に、少し引きつった笑みで返してくれた。

 ……信じてるからな、秋蘭。

 

「止めてくれなかったら、次回からは秋蘭も」

「だな」

「安心しろと言っているのだが……」

 

 前科があるっていうのは恐いものだと続ける秋蘭に、軽い笑みを返して城壁の上へ。

 さて。今日も三日前より先へ───!

 

……。

 

 ぜー……ぜー……

 

「しゅっ……しゅっ…………しゅぅうう…………げふっ」

「なに、かっ……言う、ことは……がはっ」

「…………いや…………すまない」

 

 結局夜である。

 秋蘭は止めることを忘れ、俺達は止まれず、春蘭もまた止まらなかった。

 その結果が倒れ伏す俺と華雄。ちなみに春蘭はといえば、今日もまたしっかりと夕餉を食べてきたようで……

 

「はっはっはっはっは! 走るというのもなかなか気持ちのいいものだな! おーい秋蘭! 次はお前もどうだー!」

 

 まだまだ余裕といった様子で、夕餉が納まっているのであろうお腹を笑いながら撫でていた。……じいちゃん……世界は広いです、いろんな意味で。

 

「い、いや、姉者、わたしは───うっ!? ほ、北郷? 華雄っ!?」

「ふふふふふ……一人だけ逃げようったって……!」

「くくく……そうは、いかんぞ……!」

「うぐ……」

「おーい貴様らー! 気分がいいから夜通しで鍛錬だ! さっさと武器を構えろー!」

「うわぁーい!? と、止めて! 秋蘭止めてぇえ! 今こそ! お願いだから!」

「その場合、華琳さまとの条件の話が無くなるが?」

「…………カミサマ……」

 

 そんな彼女の前へと、疲れきった体を引きずり立たせた。ならば負けるものかと隣に立つ華雄も相当に頑張り屋だ。そして、そんな俺達の前で元気に笑う春蘭 は……“頑張り屋”じゃなく“どうかしている”と普通に思った。

 “○○○屋”を喩えに出したってのに、既にその範疇すら超えていた。怖い。

 けど……ああ、しかしだ。やるからには……だよな。

 

「やるからには勝つ気でいく!! いっくぞぉ春蘭んんんんっ!!」

「なんだ、今日は逃げないのか。だったら少しは見直してやってもいいぞ」

 

 で、その後。

 その体力と速度を生かして飛脚でもしてみたらどうだと……そんなことを提案する夢を、春蘭の一撃のあとに見た。道化になられるよりは……なぁ……。

 

……。

 

 三日後。

 天空を駆け、海を渡ることは出来ないが、日に百里の道を駆けることに疑問を抱く余裕も無くなる頃、それは起きた。

 もう、多くても9kmが百里でいいよな……? じゃないと辛すぎるよ……。

 

「………」

「……なぁ華雄。今日の春蘭、機嫌悪いよな……」

「むぅ……そのようだな……」

 

 鍛錬の日には元気に走る春蘭だが、今日は顔を合わせた時から不機嫌全開。

 今にも何かに当たりそうで、迂闊に声をかけられないでいる。

 しかしここで声をかけるのが勇気。肉体でも精神でも、常に一歩を先駆けたいのなら……一刀よ、躊躇は敵だと思いなさい。

 

「あの、しゅんら」

 

 声を掛けた瞬間、“ギラァッ!”と振り向きざまに物凄い形相で睨まれた。

 

「ヒィッ!? カッ……! カユウサンガヨンデルヨ!?」

「な、なにっ!? おい北郷! お前はっ!」

「ゴゴゴゴメンヨ! デモボクコワカッタンダ!」

 

 睨まれて、瞬時に涙が出るくらい怖かった。震えて、ちゃんと喋ってるつもりなのに声が裏返って泣いた子供みたいな声が出る。

 そんな俺と華雄の前へと、ズンズンと早歩きで歩み寄る春蘭さん。

 

「何の用だ! ことと次第によっては貴様を斬る!」

「えぇええ!? 声をかけただけで!?」

 

 咄嗟に華雄を促してみたところで、結局はこの七星餓狼さんは俺に向けられるらしい。

 そしてこんな日に限って秋蘭が居ないとくる。

 

「どどどどうしたんだよ春蘭っ、今日はやけにトゲトゲしてるぞっ!?」

「なんだと貴様ぁああ! 誰の肌が乾燥して荒く切った木材のように尖っているだ!!」

「誰も肌のことなんて言ってないんですけど!? そうじゃなくて、春蘭の今の状態! どうしてそんなに苛々してるのか知らないけど、とりあえず落ち着こう!?」

「わたしはいつでも落ち着いている!」

 

 いや、そう言われれば、苛立っているところ以外は春蘭らしいけどさ。

 この状況はいったいどうしたことか。

 もしかして鍛錬指導が上手くいかなくて怒ってるとか? ……走りまくって、気の向くままに夜通しで鍛錬することに、どう上手い下手があるのか聞いてみたい。

 あと他に原因といえば……ああそっか、華琳が蜀に向かってから、もう結構経つもんなぁ。

 俺もこう、会えない日が続くとさすがに寂しいというか。

 

「春蘭。華琳に会えなくて、もやもやする気持ちはわかるけど……それはさすがにしょうがないだろ」

「しようがないことなどあるものかっ! なぜわたしは駄目で桂花はいいのだ!」

「……あ、そういえばここ最近、あの毒舌を聞いてないなって思ったら」

 

 そっか、桂花も行ってたのか。ということは桂花と季衣と流琉とで行ったってことか?

 たしかに運動ばっかりしていると、流琉の料理を食べたくなるから人恋しくなるのもわかる。わかるけど、同じ大地に居るってだけで、まだ安心ってもんだよ、春蘭。

 

「けどそんな、十日近く会ってないくらいで心が不安定になってちゃまずいだろ」

「華琳さまに会えないんだぞ!? これが落ち着いていられるかっ!!」

「“いつでも落ち着いている”って、ついさっき聞いたばっかなんですが!?」

「そんなものは知らん! 北郷、貴様天の御遣いだろう! 貴様の妖術で華琳さまをここへだな!」

「いつから妖術使いになったんだよ天の御遣い! 出来ないからそんなこと!」

「なにぃ、だったらなにが出来るんだ天の御遣いとは!」

「なにってえーと……ここに小さな木の枝があります」

「それがなんだというのだ」

 

 何が出来るのかと言われれば、とりあえずは……華琳恋しさに暴走気味の大剣さまの気を、多少は紛らわすくらいならばと答えよう。

 まず手の平の横幅程度の枝を用意。それを左手にちょんと乗せて、右手で左手の親指以外の指を支えるようにしてゆっくりと閉じます。

 

「? だから、それがなんだと……」

「開けばもちろん枝がありますね? ではもう一度」

 

 ゆっくりと、小指から手を開いても当然そこにある枝。

 それをさっきと同じ方法で指の間に挟み……今度は覆った右手で枝をスッと抜き取る。

 手の横幅分の大きさじゃないといけない理由はここにあったりする。

 で、またゆっくりと左手を開いてみれば、当然枝はございません。

 

「!!」

「枝が……消えた?」

 

 そんな手の平を見て、無くなった枝に驚く春蘭は、これはこれで楽しかった。

 ていうか華雄さん、貴女もですか。

 

「貴様ぁああ! 華琳さまをたばかり妖術使いであることを伏せていたとは! 今すぐこの場で叩き斬って───」

「だぁああああから違うっての!! これは手品っていって、妖術とかそういうんじゃないの! ちゃんと説明できることなんだってば!」

「ならば今すぐ説明しろ! わからなかったら貴様を斬る!」

「それ死亡確定してない!?」

「なんだと貴様ぁあああ!!」

 

 だってどれだけ上手く説明しても、春蘭が理解してくれる気がまったくしないんだけど!?

 そしてなんで俺は気を紛らわすためにやった手品で、自分の命を賭して種明かしをするハメになっているんでしょうか神様。

 

「え、えっとだな? ほら、まずは右手にご注目。左手にあった枝が右手にあるだろ?」

「………」

「無言で剣を突きつけないで!? ちゃはっ……ちゃんとせつっ……説明するから! するっ……させてください!!」

 

 もうやめて! 消えた枝の先を教えただけで殺されてちゃ、全国の手品師さんみんな死んじゃう!

 とまあ、そんな恐怖の中で、命懸けで手品というものを教えて……───その後。

 

「“てじな”というのか……これは中々面白いな」

「こっちは死ぬ思いだった……」

「いや……うむ。姉者がすまん」

 

 午後から空いた時間に中庭にやってきた秋蘭に、楽しげに手品を披露する春蘭がいた。

 ちなみに春蘭がその手品を理解し、練習している間は俺と華雄は仕合(しあ)っていたりした。だって、せっかくの鍛錬の日を手品で終わらせるのもさ……。

 

「どうだ秋蘭! どうしてこうなるかわからんだろう! はっはっはっは! 知りたいか? 知りたいだろう?」

「子供みたいな燥ぎっぷりだなぁ」

「ふふっ……だからいいんだよ、北郷。姉者はこれだからいい」

「ダヨネ……殺気ト一緒ニ、大剣突キ付ケラレルヨリ、ヨッポドイイヨネ……」

「……姉者がすまん」

 

 ちらりと見てみれば、教えてくれとも言っていないのに種明かしを始める春蘭。

 その横では華雄も手品に挑戦していて、スッと抜き取るはずの枝を落としてしまい、「むぅう……」と眉間に皺を寄せていた。

 

「でだ。姉者よ」

「ん? なんだ? 秋蘭」

「鍛錬はどうした。華琳さまから預かった、大切な任だろう」

「あ」

 

 ピタリと止まる、手品を披露する手。

 やがて目をまん丸にしてカタカタと震え出すと、俺の胴着を引っ掴んで走り出してってオワァアアーッ!?

 

「走るぞ北郷! 鍛錬だ! 華琳さまより授かった大事な任を放置したとあっては、華琳さまに顔向けが出来ん! ふははははは! 貴様を鍛えれば華琳さまもきっと満足する! 今日は休みなしで鍛錬だ! 五体満足で部屋に戻れると思うなっ!!」

「な、いやちょっ……!? じゃあ俺は何処に五体満足で帰れば!?」

「……あの世か?」

「五体満足以前に死んでらっしゃる!? いやちょっと待って! 走るっ! 走るから引っ張るのは勘弁してくれ! コケるって!」

「なにぃ! そんな軟弱に鍛えた覚えはないぞ!」

「この間の仕合以外、ただ走らせてただけだろ!?」

「走りの鍛錬になっているではないかっ!」

「確かにそうだけどっ!」

 

 ギャースカ喚きながらもやがてはしっかり走り、結局また夜まで鍛錬は続いた。

 試しに「華琳に会えないって言ってたのはいいのかー」と訊いてみれば、「任を守ることが先決に決まっているだろう!」と返された。

 なるほど、華琳って人をよくわかってる……って、それは当然か。

 仕事もしないで会いに行ったら、それこそ本気で怒るだろう。

 

「はぁ……はぁっ……じゃあ、春蘭……今日はここらで……」

「んん? 何を言っている。休みは無しだと言ったろう」

「へ? ……あの、春蘭? もしかして、今日から華琳が帰ってくるまで───」

「鍛錬だ!」

「無茶言うなぁああっ! 仕事だってあるし、さすがに死ぬだろそれ!」

「なにぃ! 貴様は華琳さまからの任と仕事と、どっちが大切なんだ!」

「今は断言するけど仕事が大事! 任も大事だけど、華琳も言ってただろ!? 仕事もしないで鍛錬するようなら、って!」

「わたしにとってはこれが仕事だ!」

「そうだけどそうじゃないんだってば!!」

 

 夜通しの鍛錬は続いた。

 それに慣れようとする自分も相当だが、無茶はしないようにと華琳に釘を刺されていたのを、春蘭は覚えてい───ああ無理か。

 ならばと無理にはならないように、自分のペースを作っていく。

 三日前より先へ進める自分を目指しつつ、けれど無茶には届かないように。

 加減が難しいが、本当に危険になれば秋蘭なら止めるだろうと確信は持てる。

 そんな一方的な信頼を持てばこそ、今の自分を高めることを受け止められた。

 

 ……華琳、キミは今どうしてる?

 俺は、鍛錬を欲していたかつての自分に疑問が持てるほど、日々をヒィヒィ言いながら生きているよ。筋肉痛無くして語れない日常だ。

 それでも楽しく過ごしています。

 あなたも健康であることを願っています。

 そして休みをください。鍛錬中に。



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59:魏/希望は百里先に③

-_-/華琳

 

 模擬刀が宙を舞い、地面に突き刺さる。

 視線の先には息を切らせた桃香。

 

「はっ……はっ……はぁあ……」

「……励んでいるようね、桃香。けれど、これじゃあまだまだだわ」

 

 そんな桃香に言を投げ、手にした模擬刀を揺らす。

 手にする得物が絶ではない私に敵わないようでは、本当にまだまだだ。

 けれど、だからといってその努力に関心が向かないわけではない。

 

「あぅう……やっぱり……まだまだ、全然敵わなぃい……はっ……はぁあ……」

「当然よ。一刀に鍛錬の仕方を教えられただけで簡単に越されるほど、浅い己の研磨などしていないわ。精進しなさい桃香。今の貴女の目は嫌いじゃないわ」

「うぐっ……じゃあ今までの目は嫌いだったの……?」

「さあ? どうかしら。ふふふ……」

「うう~……」

 

 たまたま城内を歩いていたら見かけた光景。聞いてはいたけど、まさかあの桃香が本当に鍛錬をしているとは思わなかった。

 しかも氣を混ぜた、なかなか面白い鍛錬だ。少し試してみたくなり、剣を取った。

 結果だけを見れば一方的に私の勝ちではあったものの、以前の桃香から比べればまるで違った。得物を構える姿勢、覚悟、なによりも目が。

 その目は、私のよく知るあの男の目に似ていた。

 

「それで、華琳さんはこれから?」

「魏から届けられた書類の整理ってところでしょうね」

「うわー……蜀に来てまでですか」

「王としての務めを果たすのは王としての然よ。人が生きるために地を耕すそれと、なにも変わらないわ」

「うーん……それはそうなんだけど。ねぇ華琳さん? 戻ってきたお兄さんに、そればっかりじゃだめだ~とかは言われなかったの?」

「………」

 

 言われたわね。常に王である必要などないんじゃないかと。

 

「私はいいのよ。特別、したいことを我慢しているわけでもないもの」

「でもでも、そう言いながらすることしたいことを限定してませんかっ? これは王らしくない~とか、これは邪道だ~とか言ったりして」

「………」

 

 どうしてこの子はこう、妙なところで鋭いのかしら。自分のこととなると目を逸らしたがるくせに、人のこととなるとこうも首を突っ込みたがる。

 確かに、王として然であるなんて言ったばかりだし、一刀が勧めた料理も邪道だと一言で切ったわね。王道を王道だと信ずるあまり、道をせばめすぎるのも悪い癖ではあるのだろうけれど。

 

「というわけで華琳さんっ」

「な、なによ」

 

 急に近寄り、私の手を取って顔を寄せてくる桃香に、思わず軽く身を逸らす。

 けれどもそんなことは知ったことかとばかりに寄ってくる桃香に、軽く抵抗を感じながら返すと、にこーと笑う目の前の子。

 

「他国に居る時くらい、お客さんとして振る舞っちゃいましょう! 邪道とか王とか難しく考えないで、もっとこう、楽しく楽しくっ!」

「あのね、桃香。振る舞うもなにも、客でしょう」

 

 桃香の言に溜め息を吐くと、そんな私の言に溜め息を吐く者が。

 

「相変わらず硬いわねぇ……そう尖らずに、自然体になりなさいって言ってるのよ」

「あ、雪蓮さんっ」

「雪蓮……あなた、いつからそこに?」

 

 突然の声に振り向いてみれば、酒を片手に笑っている呉王。

 また昼間から酒を飲んでいるらしい。苦労に頭を痛める冥琳の姿が容易に浮かぶわ。

 

「さっきから居たわよ。ただし、木の上だったけど」

 

 笑顔で「あなたもどうー?」なんて、軽く徳利を掲げる。

 結構、と返してもまるで聞きやしないソレは、上機嫌でとことこと歩いてくるや、桃香を片手で抱き寄せた。

 

「やー、いいお酒造ってるじゃない桃香~♪ 鉱石のことでもお世話になっちゃったし、これは何かお返しを考えないとね~」

「わぷっ、雪蓮さん、お酒くさいっ」

「雪蓮、臭いわよ」

「ちょっ……ちょっと華琳ー! それじゃあ私がただ臭いみたいじゃないのよー!」

「酒を楽しむなとは言わないわ。ただ、絡むなと言っているの。で? 私の何が自然体じゃないというのかしら?」

 

 ぶー、と唇を尖らせている雪蓮へと続きを訊ねる。と、尖らせていた口をにやりと横に広げ、彼女は楽しげに笑んだ。

 「そういうところがよ」と返す言葉の真意は……まあ、わからないでもない。だからといって、素直に受け取る気があるわけでもないのだが。

 

「一刀のほうがよっぽど素直で面白かったわよ? 邪道だろうとなんだろうと、とりあえず首を突っ込んでは、邪道の中にある王道に活かせるものを見つけてくるんだもの。それなのに、どうしてそんな御遣いを迎えた王がコレなんだか」

「“コレ”で悪かったわね……生憎だけど、自分の生き方をそうそう変えるつもりはないわよ」

「そういうところまで頑固だって言ってるの。常に王である必要なんてない、なんてことを一刀に言われたことくらいあるでしょ?」

「……あるわよ。それがなんだというの? 少なくとも、砕けすぎて昼間から酒を呑んで誰かに絡む誰かさんよりは、よほどにいいと思うけれど?」

「ああー……たしかに」

「ちょっと桃香、そこで頷かないでよ……」

 

 邪道の中から王道ね……確かに一刀なら、そういったことも平然とやるのでしょうけれど。

 だからといって、自分の中の芯を曲げてしまうのはどうにも癪ではある。

 

「まあそれはそれとして、ほらほら、なんかないのー? 一刀が華琳に提案してきて、それは邪道だーとか言って断ったなにかとか」

「…………。麻婆豆腐をご飯の上にかけて食べると美味しいらしいわよ」

「麻婆豆腐を? ……あー、そういえば呉の飯店でも、たまに一刀がやってたかも」

「あ、それ知ってます知ってますっ! 前に魏にお邪魔した時に、凪ちゃんが案内してくれた飯店に特製麻婆丼っていうのがあってー♪」

「ああ、そういえばここでも星がやたらと勧めてくる、えっと───」

「極上メンマ丼っ」

「そうそう、それが美味しいらしいじゃない」

「勧めるだけあって、とっても美味しいんですよー? あ、せっかくだから今日の昼餉はそれにしませんか?」

「いいわねー、なんだかんだでお酒にも合いそうだし。ね、華琳も行くでしょ?」

「………」

 

 “王が三人揃ってそんなところに行ったら、店主が腰を抜かすわよ”。

 そうは思ったものの、そういうのも悪くないかもしれないと考える自分も居た。

 なにより……

 

(一刀が考えた料理、ね……。ふぅん)

 

 メンマ丼自体は知っている。

 季衣と一刀が食べていたのを見たことがある。が、好んで食べたいと思ったことはない。

 

「華琳さん?」

「華琳? ちょっと、華琳」

「聞いているわよ。……ええ、構わないわ。その極上メンマ丼とやらを、私も味わってみることにする」

「やたっ」

「なんだ、嫌がると思ったから話を振ったのに」

「美味しいものならばなんであれ食べてみようとは思うわよ。もちろん、それが邪道でなければだけど」

「あとは“辛いものじゃなければ”、でしょ?」

「かっ……辛さは問題じゃないわよっ!」

「じゃあ華琳のだけとびきり辛くしてもらいましょ? ほらほら、行くわよ桃香~」

「なっ! 待ちなさい雪蓮! なにをそんな勝手にっ!」

「問題じゃないんでしょ? だったら平気よ、へーき。あははははっ」

「あ、だめですよー? 味に関して適当な指示とかすると、星ちゃんが怒るから」

 

 喋りながらも歩は止まらない。

 雪蓮を追いかけ捕まえようとするも、けたけたと笑いながらひょいひょいと逃げる。

 桃香はそんな私たちを笑顔で追い、途中で道を逸れる。着替えてくるのだろう、小さく断りを入れると走っていった。

 

「へぇ……三日毎に鍛えてるだけあって、結構早くなったわねー」

「前の鍛錬では胸が痛いとぼやいていたけれどね」

「あははははっ、まあ華琳にはわからない痛みよねー」

「……何処を見てなにを言っているのよ」

「べっつにー?」

 

 まあ、好きに言えばいい。

 これが私なのだから、自分の物語を自分らしく生きると決めた時点で、そういったものにはさほどの興味も未練も無くなった。

 未練がましく、酔っ払った桃香の甘言に惹かれたこともあったけれど、それからはもうどうでもいいと思えるようになった。

 

「雪蓮? 桃香に関心を向けるのも結構だけれど、蓮華の方はどうなの?」

「蓮華? ああ、こっちも頑張ってるわよー? 王としての在り方、料理、三日ごとの鍛錬と、一刀となにを話し合ったのかは知らないけど、随分と張り切ってるわ」

「へえ、そう」

「桃香が一刀に鍛錬の仕方を教えてもらったそうよーって教えてあげてからは、特にね」

「そう。楽しそうでなによりね」

「そりゃもう楽しわよー? だってあの子ったら、桃香のことを知るや“負けるものか”ってくらいに鍛錬の時間を増やすんだもの。可愛いったらないわよもう」

 

 その在り方は姉として王としてどうなの?

 軽い疑問が浮かんだけれど、立場は違えど私や秋蘭も似たようなことを魏将や春蘭相手にしていることを思うと、言いたいことも軽く霧散した。

 

「あ、そういえば聞いてなかった。一刀って今も鍛錬やってる? 祭に、機会があったら聞いてきてくれーって頼まれててさ。あ、もちろん私も知りたいことなんだけど」

「しばらく禁止させたわ。鍛錬の域を越えていると判断した上でね」

「えぇえーっ!? なんてことしてくれてるのよ華琳っ! 一刀には、暴れ出した私を軽く止められるくらいに強くなってもらわなきゃいけないのにー!!」

「あのねぇ雪蓮? それは貴女が勝手に言い出したことでしょう? それを理由に一刀に無理をされたらこっちが迷惑なのよ」

「無理なんかじゃないわよぅー! 一刀ってば自分から好んで鍛錬してるじゃない! ほっといたって中庭で木剣振るってるような子なんだから、鍛錬くらい好きにさせなさいよー!」

「ええそうね。辛そうではあったけれど、楽しんで鍛錬をしていたわね。けれど、とりあえず無理もしていない、なんて言葉は腕の一本を折ってみせた貴女の言葉ではないわね」

「はぐっ! ……あ、あー……あははー……あれはそのー……」

「なに? まだ何か言えることがあるの?」

「一刀のことちょーだい?」

「あげません」

 

 呆れたことにとんでもないことを言い出す呉王に、溜め息混じりに返してやる。

 対する彼女はぷくーと頬を膨らませ、子供みたいに訳のわからないことを喚き散らしてくる始末。

 見るところも見ていて、武に関しても目を見張るものあり。

 民からの信頼も結構なもの……だというのに、この子供っぽさはなんだろう。

 これが王だというのだから、どうかしている。

 それとも私の中の王としての然の見方がおかしいのだろうか。……それはないわね。少なくとも雪蓮に対してだけは断言できる。

 

「で? どうなのよ。まさか本当に鍛錬の機会を完全に奪ったなんて言わないでしょーね」

「しつこいわね……もう一度機会を与えてきたわよ。私がここに来ている間、春蘭の鍛錬についていけるようなら許可しますって」

「春蘭の…………また随分と難題を振ったわね。あれでしょ? 春蘭の鍛錬って、百里とか走らせるっていう」

「ええ。季衣も流琉も普通にこなしてみせたわ。それくらい出来ないようでは、いざという時に身も振れないでしょう?」

「んー……まあそうだけど。ま、いいわ。一刀なら平気だろうし、今は無理でも華琳が戻る前にはなんとかなってるでしょ」

「? どういった理屈を以って、そうだと断言するのよ」

「んー? んふふ、勘よ、勘。ただの勘~♪」

 

 そう言って、彼女はやっぱり笑った。

 ───なんだかんだで気づいたことがある。

 今までの三国連合の集いの中、見てきた将や王の笑顔はもう無いのだということ。

 代わりにあるのは、以前にも増しての自然な笑み。

 一刀の話題が出るや、そこには穏やかな笑顔が浮かぶ。

 それは町人だろうと変わりなく、呉からの商人などは自分の息子として一刀を語るほど。

 報告だけでは全ては受け取れない。

 笑顔っていう“見るもの”は、書簡だろうが竹簡だろうが一刀の手紙だろうが、受け取ることは出来ないのだ。

 それがわかって、腹を刺されたり腕を折られたりしたというのに、あのばかが怒らない理由までもがわかった気がした。

 “誰かを好きになれる”というのはいいものね。

 一刀の場合、それが人を選ばずに向けられるのだから、ある意味では大したものだ。

 好かれるのを嫌う者は多くない。

 そんな人懐っこさや、困り人をほうっておけない性格が幸いとなったのだろう。

 

「ところで、貴女のほうはどうなの? 一刀を三国の中心に置くという話」

「順調よ。むしろ町人のみんなは魏だけで独占するなんてずるいーって言ってるくらいだし」

「はぁ……それは貴女の言葉でしょう?」

「わ、もうバレた。あはは、でも本当のことよ? 一刀のことを息子だ~って思ってる人達は、“大した野郎だ~”なんて笑ってるくらいだし。それに……」

「それに?」

「他の不満を抱いていた人もね、少しずつ変わってきてる。このあいだ話したおじいちゃんなんかは、独り言みたいに“それがお前に出来ることか”なんて言って、何度も頷いてたし。そもそも同盟の絆が深くなることに反対する者なんて、普通はそんなに居ないわよ」

 

 それはそうだ。

 好き好んであの乱世を繰り返したいと思う者など、よほどの戦闘狂だ。

 その一人である目の前の女性も、戦をしたいとは言うものの、乱世を繰り返したいだなんてことは口が裂けても言わない。

 

「まああれね。言った通りこっちは順調。華琳のほうこそどうなのよ」

「こちらはそもそも乗り気よ。天の御遣いとして降りて、事実魏は天下統一に至ったのだから。平穏の象徴として一刀を中心に置くことに異を唱える者は居ないわ」

「へぇ~? そうなると問題なのが……」

「ええ。蜀でしょうね」

 

 一刀の噂が商人を介して広まれば、少しずつでも印象は良くなるでしょうけど、どんな噂が広まるかも問題でしょうね。

 印象の良い噂が流れればいいけれど、これがもし種馬としての噂ばかりならば……逆に引かれる可能性が増えてくる。

 

「そうね……貴女のところに送った者達が、どう交流を深めるのかにもよるでしょうけど」

「悪いことにはならないわよ。味方が居ない状況で、自分の首を締めるようなことは子供だってそうそうしないわ」

「そうは思っても、どうしようもなくそういう輩が現れるから、かつての乱世が存在したのではなくて?」

「……はぁ。否定は出来ないわね」

 

 出る溜め息はいつの世も変わらないのだろう。

 私たちは民のお陰で生き、民もまた統率の中で生き、統率があるからこそ平穏があり、平穏があるからこそ満足の中で無理に不満を探し、暴れる者が現れる。

 いやな連鎖で成り立っているものだ、平穏というものは。

 と、そうこう話しているうちに戻ってきた桃香と合流、城を出ると、桃香の言う“メンマ園”という場所を目指して歩いた。

 メンマ園、というからには食事のほぼはメンマで占められているのだろう。

 

「さて、どんな味を楽しめることやら」

「えへへー、きっと雪蓮さんも気に入ると思うよー♪ えと、ただ……」

 

 言葉の途中で、桃香は胸の前で人差し指同士を合わせ、視線を私に向ける。

 途端に雪蓮は「あー……」と苦笑を漏らし、呆れ顔にも似た表情で言葉を投げてくる。

 

「ちょっと華琳? 自分の舌に合わないからって妙な話をしないでよね? わたし、お腹空いてるんだから」

「はいはいわかったわよ。けれど、言ってあげたほうがその者の上達にも繋がるでしょう? それをわかっていながら言わないのは、やさしさじゃなく()れ合いでしかないわ」

「華琳のは“言ってあげる”じゃなくて“言いすぎ”なの。貴女にとっては一番じゃないものでも、他の誰かにしてみれば替えようのない味っていうのがあるんだから」

「………」

 

 ふと、いつかの屋台のことを思い出す。

 あの程度の店にしてはいい味をだしていた、と認識している店だったが、店主が早々に引き上げてしまった。

 その跡地を見て寂しそうにしていた季衣を思うに、なるほどとは受け取れるものの……。

 

「……わかったわよ。けれど私だって、美味しいのならば口を出したりしないし、より美味しくなる可能性を秘めているからこそ口を出すの。味がよくなれば店のためにもなるじゃない」

「華琳に言われたことを正直に受け取って、自分のために活かせる商人や庶人なんてそれこそ稀よ。店を開くってことは、それなりに自分の味を誇ってるんだから」

 

 そんな話をしながら、護衛もつけずに歩いた。

 食に関してを話す私と雪蓮とは一線を引いて苦笑いをする桃香はともかく、雪蓮もなかなかに強情だ。どうせならば美味なほうが良いと解るからこその意見と、言い方に問題があるとの言い分。

 それらをぶつけあった先に辿り着いたメンマ園にて、

 

「これがメンマ丼ね……。先にメンマを食べさせておきながら、個別ではなくメンマを白ご飯の上に乗せる意味がどこにあるのかしら」

「わぁあっ!? 華琳さんっ! ここでメンマを悪く言うのは駄目ですよぅっ!」

「誰もメンマが悪いだなんて言っていないわよ。ただ、単品でもいい味を出しているというのに、こうも見た目の華やかさを食ってしまうような盛り付けをされてはね」

 

 出されたものに対して、早速この口は遠慮無用に動いていた。

 隣に座る雪蓮も額に手を当て溜め息を吐いている。

 

「フッ……嬢ちゃん、あんたぁ……このメンマ園へ来るのは初めてだな?」

「ええそうね。それがどうかしたのかしら?」

「へへっ、なぁに……味ってのは理屈で固めるものじゃあねぇ。その目、その鼻、その舌で知るもんさ。どれだけ言葉を放ったところでこの味は伝わらねぇ。……どういう意味か、わかるね?」

「へえ? この私にそうまで言ってみるとは良い度胸ね。いいわ、その度胸に免じて味を確かめるくらいはしてあげる」

「……恐れ入りやす」

 

 屋台を挟み、互いにニヤリと笑う。

 とはいえ、香りは悪くない。

 盛り付けに関しても決して大雑把というわけでもなく、メンマ園というだけはあり、メンマが栄えるように盛り付けられている。

 あくまでメンマが栄えるのであって、華やかさがあるのかといえば、言った通り否だ。

 

「あら。あなたたちは食べないの?」

「先に華琳に食べてもらうわ。そのほうが面白そうだし」

「えへへ、わたしも。美味しいのはわかってるんだけど、華琳さんがどんな反応するのかなーって気になるから」

「はぁ……物好きね。まあいいわ」

 

 箸を取り、早速メンマを摘む。

 卵が絡んだツヤのいいメンマが、私の意思で私に近づく。

 それを口に含み、ゆっくりと咀嚼すると、いい味ではあったけれど単調でくどくなりがちだった味がやさしさに変わり、口いっぱいに広がっていった。

 これは……酒と卵で濃い味を抑え、にんにくと……舌を軽く刺激するこれは……軽く山椒を振ってあるわね。

 メンマに絡む卵は固まる前の滑らかさを保ったまま。

 少々の辛さもあるけれど、これは逆に味を引き立てる辛さ。

 けれど……

 

「一歩も二歩も足りないわね。これでは合格点は───」

「ああ違う違う。嬢ちゃん、そうじゃあねぇんだ」

「───なんですって?」

 

 違う? いったいなにが? 軽くそう思ったが、すぐに意味に辿り着いた。

 ……そうね、そういうこと。

 

「そうだったわね。私はメンマではなく“メンマ丼”を注文したのだからね」

「へへっ、そういうことでさ」

 

 言う前に理解したのが嬉しいのか、店主は子供のように笑った。

 そんな店主の目を気にするでもなく、ご飯と一緒にメンマを口に運ぶ。

 すると、その瞬間に例えようのない味が口の中に広がった。

 

「───! これはっ……!」

 

 “味が広がる”。

 その意味が口から全身に広がる感覚を覚えた。

 先ほどメンマから受け取った味とはまた別に、メンマ、卵、にんにく、酒等が合わさって完成する旨味が白ご飯に染み込み、それをメンマとともに咀嚼することでまた違った味わいがあることを知る。

 その感覚は炒飯のようだが、それとは違う歯ごたえとこの味。炒飯のように混ぜるのではなく、白ご飯の上に直接乗せるからこそ完成する味だ。

 硬すぎず柔らかすぎず、かといって辛すぎるわけでも甘すぎるわけでもなく、噛めば噛むほど味が変わるとさえ思う味わいはどうだろう。

 なるほど、これがメンマ丼。

 一刀と季衣が、メンマメンマと落ち着き無く食べる理由も、まあわからなくもない。

 

「ちょっと桃香、どうなってるのよ。華琳ってば、なんか黙々と食べ始めたわよ……?」

「ど、どうって言われても……とりあえず、冷めちゃう前に食べちゃいましょうっ」

「……まあ、わからない以上はそうするしかないんだけど。冷ますのも癪だし、いっか」

 

 きちんと味わい、最後までを食し終えてから丼を置く。

 そうして一息を吐いてから店主を見やり、一言を。

 

「ご馳走様。中々に美味しかったわ」

「……その割にゃあ、なにか言いたそうだねぇ嬢ちゃん」

「ええ。店主、味そのものはいいものだわ。初めて食べたけれど、美味しいと言えるものね」

「そりゃあどうも。…………それで?」

「酒の量はもう少し減らしていいわ。メンマも、メンマの園だからといって多ければいいというものではないでしょう? 初めて食べに来てあの量では、少々味わいたい者にとっては苦痛よ」

「む……」

「あとは、にんにくの香りが少々強いわね。メンマを引き立てたいのなら、隠し味程度の量で十分といえるわ」

「むむむ……嬢ちゃん、あんた何モンだ……? 一食でそこまで見切るなんて、趙雲さま以外ではそうそう居なかったってのに……」

 

 何者? ……ふむ。何者、ねぇ……。

 

「べつに何者でもないわよ。強いて言うなら、ただの一人の料理というものが好きな者ね」

「ただ料理が好きってだけでそこまで言えるのかい。すごいもんだねぇ……」

 

 名乗りは伏せ、軽く濁してみればうんうんと頷く店主。

 そんな中、腕を引っ張られて振り向いてみれば、すぐ隣で私の耳に口を寄せて囁く雪蓮。

 

「どうしたっていうのよ、てっきりひどいけなし方とかするんじゃないかって思ってたのに」

「……あのねぇ雪蓮? 私だって“控えるべき”くらい見極められるわよ。星のお気に入りなのでしょう? そこを貶すようなこと、するわけがないじゃない」

「あ。じゃあ思ってはいたこととか、あるんだ」

「ええ。メンマ好きには気にならないのでしょうけど、味が濃いわ。卵で抑えていても、これは濃いと言えるわよ。それがこの量でくるのだから、初めての者には辛いでしょう? だからといって残そうものなら、拘りを持つものなら許そうとはしないはず。それでは次第に客足も途絶えるわよ」

「へぇえ~……よく考えてるわねぇ」

「まあ、美味しいと感じたのは確かなのだから、これを機に一層励んでもらいたくはあるけれど」

「名乗らないあたりで気を使ってるのは、なんとなくわかったけどね。っと、言うより食べましょ。あ~……んっ、んん~っ、おいしっ♪」

 

 ……でも少し食べ過ぎた。なんなのよあの量は。

 普通盛りを頼んであの量は、少々どころか異常よ。

 新しい味を味わえたのはいいけれど、あの量は無い。

 そんな風にぼんやりと考えていたというのに、この場に流れていた穏やかな空気はあっさりと霧散した。桃香が放った一言をきっかけに。

 

「へぇ~、食べただけでそこまで言えるなんてすごいなぁ華琳さんっ。やっぱりそこまでいろいろなことを知ってこそ、覇王だ~って名乗れるんですかっ?」

『───』

 

 空気が凍った。

 それは、私や雪蓮や桃香がどうこうと言うよりも、店主が原因で。

 

「はっ……は、ははは……覇王……!? 覇王って───まままさか魏の、そそそそっ……そそそそぉおおおぉぉぉーっ!?」

 

 店主が見る間に真っ青になり、震え出し、叫びだした。

 次の瞬間にはまな板に頭を衝突させるほどの勢いで頭を下げ、とても痛そうな音が鳴ろうとも頭をあげようとはしない。

 

「すすすっ……すいやせんでしたぁああっ!! まさか貴女がそうとは知らず、ぶぶぶ無礼な口をっ……!! 玄徳さまとともに居る時点で、そうだと気づくべきでっ……あっしは、あっしはぁあーっ!!」

『………』

「え……あ、あの、あれぇ……!?」

 

 私と雪蓮の視線が桃香に向けられ、桃香は困惑するばかりだった。

 わざと名を伏せたというのに、まったくこの子は……!

 

「だだだ大丈夫だよ店主さんっ! 華琳さんはこう見えても、そりゃあ体は小さいけど、心はとっても……ひ、広いっ……と、いいなぁ……!?」

「なっ……誰の体が小さいっていうのよ! というか桃香!? そこは嘘でも心は広いと言い切りなさい!!」

「あっははははははっ! いい! 桃香いいっ! 今のすごくいいっ! そうねー、広いといいわよねーっ!」

「……雪蓮っ! あなたもっ! なにがおかしくてそんなに笑っているのっ!?」

「んふー♪ 恥ずかしくて真っ赤になりながら怒る、華琳のそんなとこー♪」

「くっ……! ええそうよ小さいわよ! だからなに!? これが私なのだから、誇りこそすれ恥ずかしくなんかないわよっ! 大体心の広さだって、メンマを前に出す店なのだからメンマ自体が濃いとか味が単調とか言わないだけ十分に───! ……あ」

『あ』

 

 そして、場の空気はもう一度凍りついた。

 勢いのあまりに滑った口は、きっと後悔しか産まないことを散々と理解してきたつもりだというのに、どこまでいってもつもりはつもりだったらしい。

 今回ばかりは自分の軽率さに呆れるとともに、

 

「か、華蝶仮面だっ! 華蝶仮面が現れたぞーっ!」

「なにやら物凄い形相で駆け抜けていったぞーっ!」

 

 遠くから聞こえた声を耳にして、軽く空を仰いだ。

 よく一刀がやっていたことを真似てみただけだけれど、なんの解決にもならないことだけが理解できた。

 

 ───一刀、今あなたは何をしているのかしら。

 私は……何処に居ても、やることは大して変わっていないわ。

 けれどやはり、どこかで気が抜けるのでしょうね。こういった迂闊さを露呈しては、雪蓮に笑われたりしているわ。

 それとは別に、都を構える話も順調に進んでいる。

 時間はかかるでしょうけれど、あなたとこの世界との絆を深める方法をみすみす逃したりはしない。

 だから……あなたは私の傍に居させる。いいえ、居なさい。

 帰りたいと言えなくなるくらい、この世界のことで頭をいっぱいにさせてあげるから。

 

 日々のほぼを自由奔放な雪蓮や、どこか抜けている桃香に振り回されてばかりだけれど……まあ、これで存外楽しく過ごしているわ。

 あなたはどう? ……なんて、訊くだけ無駄でしょうね。

 精々頑張って鍛錬しなさい。健康であることを疑ってなんてあげないから。

 そして、魏に戻った時は……どうして麗羽が私に対して“可愛らしさ”で勝負を挑んできたのかを、きっちりと説明してもらうわよ。



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60:魏/慣れること①

102/慣れると出来ることもある

 

 とある、まだ景色に薄暗さの残る朝。

 飽きもせずに城壁の上を走るのは、俺と春蘭、そして凪。

 巡り巡って再び非番の日が来たらしく、それが三日毎の鍛錬に重なり、こうして二人で地面を蹴り弾き続けていた。

 凪と調子を合わせて走るでもなく只管に前を目指し、そうした中で中庭をちらりと見下ろせば、自身の得物をぶつけ合う思春と華雄。

 朝から付き合ってくれて感謝だが、ちゃんと寝ているんだろうか。

 特に思春には、俺が三日毎に鍛錬の日を入れることで、随分と迷惑をかけてしまっている。とどのつまりは警備隊で仕事をしてもらっているのだ。

 華琳も“思春ほどの人材を庶人扱いで遊ばせておくのはもったいないわ”とは言ってくれた。だから、まずは“俺の下に就いている”という俺でも時折忘れてしまう事実をもとに、警備隊に入ってもらった。

 思春自身も“貴様の下───警備隊長の下に就いているのだから、これが普通だ”と言ってはくれたんだけど、その勤務時間は主に俺が鍛錬をする日に集中している。だから俺の代役をやらせてるみたいで罪悪感がさ……ねぇ?

 

「ふんっ! なかなかやるではないか北郷!」

「調子が戻るまで長かったけど、これでも走りでなら鈴々───張飛に勝ったことがあるんだ! いつまでも置き去りにされたままでなんかいないっ!」

 

 負けてなるものか、離されてなるものかと、春蘭のすぐ後ろを駆け続ける。

 隙在らばたった一度でもいい、たった一瞬でも構わないから追い抜いてくれようと、前へ前へと地を蹴り続ける。

 だというのにあと少しの差がどうしても縮まらない。

 春蘭も春蘭で、俺に抜かれてなるものかと躍起になっているのだろうか。

 

「た、隊長っ! そう無理をされては……!」

「───っ!」

 

 その少し後ろを同じく走る凪が声をかけてくるが、声を返す余裕などは一切ない。

 走ること、前へと進む以外のことに強く意識を傾けてしまえば、それこそほんの少しの気の緩みが原因で差をつけられてしまう。

 だからちらりと凪を見て、せめて目で語った。

 

 「戦である! これは既に走りという名の道を、相手よりも一歩先に進まんとする戦いである!」という言葉を届けんばかりの眼光を向けることで。

 

 ……そんなんで通じれば苦労はしないけどね。

 けれど、無理はしていない。鈴々に勝ったことがあるのも事実だ。今すぐ追い越すなんてことはできないものの、まだまだ体力に余裕はある。

 もっとも───鈴々に勝てたのなんて、たった一度だけだが。

 

「───春蘭さまっ、隊長っ! 次の角で約束の“ごおる”です!」

『!!』

 

 なんてことを考えていようが、凪の声がかかれば一気にラストスパート。

 春蘭もさらに速度をあげんばかりの勢いだ。

 俺も、余力を残そうとはせず、ただ今この時の勝利を掴むために全力を振り絞る!!

 

『っ───……~っ!! おぉおおおおおおおっ!!』

 

 いっそ角にぶち当たる気で───否! ぶちあたるだけではなく破壊し、さらに突き進む勢いで走る!!

 体勢は前傾! 倒れるだろってくらいに体を傾け、足に込めた氣で地面を弾き、前へ、前へ、前へ、前へ───!!

 その、前に───只管に前に出んとする意識と姿勢が僅かだろうが善に転がったのだろうか。俺はとうとう春蘭の横に並ぶことが叶い、その事実に驚き───もせず不敵に笑う春蘭は、角が近付いているにも関わらず力を込め、視線は俺にではなくどうしてか城壁の角の先へと向けられ───って、まさか。

 

『───フッ!』

 

 角に辿り着く。と同時にやはり地面を蹴り、直角に飛ぶようにさらに先へと走る!

 

「なにぃっ!? 北郷貴様ぁっ! 真似をするなっ!」

「やっぱりかぁっ! どうせどっちが先に辿り着こうが、相手より長く走ったほうが勝ちだとか言う気だったんだろっ! 到着は同時……だったら次はどっちが一歩先を踏みしめられるか……!」

「むぅうう! 北郷のくせに生意気なっ!」

「追いすがっただけで生意気よばわり!? どっ……どこのスネちゃまだぁ!!」

 

 この場合はジャイアンか!? ええいそんなことはどうでもいい!

 売られた勝負は買いましょう! 一度でも今日は負けんと決めたのなら───一刀よ! 己の全てを吐き出してこそだろう!

 

『うぅおおおおおおおっ!!』

 

 そして走る。

 体力、氣、呼吸。体の様々が続く限り、負けはせぬと断ずるように。

 

「しゅっ……春蘭さまぁっ! 隊長ぉおっ!? いつまで走るつもりですかぁああっ!!」

 

 後ろから聞こえる凪の声も大分呆れが混ざっている。

 きっとここで自分だけ止まったら悪いと感じたのだろう、律儀に走ってくれる彼女に感謝と謝罪を心の中で届けるとともに、さらにさらにと前を目指し続けた。

 

……。

 

 走りの鍛錬が終われば次は実技。

 一対一で戦うことを実技と呼べるのかは甚だ疑問ではあるが、それでもやっぱり相手が居ると研ぎ澄ます意識のレベルも変わってくる。

 ……特に相手が春蘭だとね。

 

「はっはっはっはっは! どうした北郷! かかってこないのかぁっ!」

「おっ! だっ! とわっ! たっ、とっ!」

 

 振るわれる模擬刀の一撃一撃をなんとか避けていく。

 一度受け止めてみたけど、手が痺れました。受け止めるにも、威力を逸らす氣を付加させなきゃいけないなんて、対峙する相手としてはとても疲れる相手だ。

 鈴々もそうだったから、むしろこのパターンはありがたくもあり、実は焦りの量も口で慌てて見せているほどのものでもない。

 春蘭はこちらが何もしなくても追い詰め、撃を振るう───それはイメージトレーニングで散々した通りのもの。追い掛け回されるイメージと戦い続けたのだから、追われることにそれほどまでの緊張は抱かなかった。

 

「───」

 

 冷静に、その動きを目に、頭に叩き込んでいく。

 思い出してみても呆れるほかないのだが、回転力は長柄の得物だというのに鈴々のほうが速かったりした。

 けれどその分、春蘭からは“確実に追い詰めて相手を潰す迫力”ってものを常に感じる。

 ……普段から追い掛け回されて耐性を作っていなければ、睨まれただけで動けなかったかもしれない。なるほど、こんな武人を前に得物を突き出した兵は実に勇者だ。だから俺が“でも僕怖かったんだ!”って泣いても不思議じゃない。……不思議じゃないヨ?

 

「むう……興覇? 北郷は何故反撃をせんのだ?」

「……。何故それを私に訊く」

「私の時にも攻撃はせず、避けてばかりの日が随分とあったから、少し気になったのだが……お前は北郷の鍛錬をずっと見てきたのだろう?」

「………」

 

 少し離れた場所で、俺と春蘭の模擬戦闘を見る思春、華雄の声が耳に届く。

 意識を集中しているからだろうか、他の音といえば剣と木刀がぶつかり合う音ばかりが聞こえるのに、人の声がやけに大きく聞こえた。

 しかし、華雄の質問に思春は答えず、少しの間を置いてから凪が口を開いた。

 

「あれはおそらく……反撃をしないのではなく、見ているのだと思います」

「見る?」

「───……ああ。あの男は相手の動きや気迫、仕合うことで感じる殺気や緊張といったものを覚え、その感覚と戦うことを基本においた鍛錬をしている。凪の言う通り、あれは見ているんだろう」

 

 凪に続いて口を開いたのは思春。なんかもう、見透かされてて少しだけ恥ずかしい。

 心境はといえば、学校でなんとなく上手くいった物事を、“みんなに見せてごらんなさい”と教師に言われた時のような……喩えが長いか。

 

「そんなものが鍛錬に役立つのか?」

「意識して違う動作を混ぜるように仕合わねば、面白いほどに先を取られることになる。それは、逆を説けば鍛錬に付き合った期間が長いほど、知られるということだ」

 

 それでも勝たせてはくれないくせに、よく仰る。

 とはいえ、鈴々にも言えるけど、春蘭も本能で戦ってるみたいで攻撃一つ一つにクセがない。なもんだから、これがこう来たら次は……なんて予測がてんでつかない。

 ただし、本能で戦う相手だからこそ軽い誘導は出来る。

 わざと軽く体勢を崩したり、隙を見せたり……そんなことをしたって野生の勘は誘いに乗りはしない。ならどうするかっていったら、その行動。自分の隙に説得力を付加させる。

 本能で動いているのなら、相手の氣の乱れ、慌て様、様々なものに意識が向いているはずだ。ならば身だけで慌てる様を見せるのではなく、氣でも意識でも本気で慌ててみせる。

 そこまでやって誘えたとして、問題になるのが……それこそそこまで本気でやってみせて、思うような反撃が出来るかどうか。

 これは相手の攻撃を誘うものであるって意識がある限りは、ほんの僅かの差だろうが体は早く動いてくれる。それを上手く誘導させることを、さっきから試しているわけだが……

 

(こっち……次はこっち、こっち───ヒィッ!? 掠った! 今掠った!)

 

 そう上手くいかないのが世の中です。

 忘れてた! というか考えもしなかった! 本能っていうかもう好き勝手に振るってるだけで、相手の隙とか全然考えてないよこの人! 春蘭で、相手が俺だもんなぁ! そりゃそうだよ! 適当に振るっていればいつかは終わるって感じで、相手の隙を伺うとかそもそもそういった達人同士の探り合いをする気が全然ないよ!

 だったらどうする!? どう───って、鈴々と戦うつもりで突っ込むしかないだろ!

 小細工が通用しない相手ならそう! 最初から何も考えずに全力! ただし相手の動きとかはちゃんと頭に叩き込んで、いつでもイメージトレーニングが出来るように───!

 

「あ……見るのをやめましたね」

「見たところで参考にならんと踏んだのだろう。確かにどれだけ相手の動きを記憶しようと、本能で戦う相手に対してはあまり有効的とは言えんな」

「……“参考にならない”は、少し言いすぎでは?」

「相手を、ただ力で叩き潰せばいいと突撃してくる者の動きを覚え尽くす必要があるか? 相手を格下だと確信するあまり、攻撃の全てが避けられていることに気づいてもいない相手の動きを」

「───あ……」

 

 確かにそうだけど、簡単に避けられるほど楽じゃないぞこれ!

 追い掛け回すことが習慣化してたからだろうけど、大振りのソレでもどうしようもなく緊張はするし、大振りでも速いんだってば振る速度が!

 でも───よしっ! 男ならやってやれだ!

 

(集中……!)

 

 木刀に氣を込める。

 強く、強く。

 そして、大振りに放たれる春蘭の一撃にソレを添えるように振るい、自分に当たるはずだった軌道を強引に逸らす。

 

「なっ!? はうっ!」

 

 そんな事実に春蘭が驚いたまさに次の瞬間には、既に行動を移していた俺の中指が、春蘭の額をビシィと弾いていた。

 

「な、あ……う……?」

 

 春蘭はといえば、散々と逃げてばかりだった俺の急な反撃に、額を押さえながらポカンとして停止。

 俺はといえば……そんな春蘭を見て、方法はどうあれ一撃を当てたことを素直に喜んだ。

 ……喜んだけど、逸らした先の剣が地面を抉っていることに、さすがに背筋に冷たいものを感じた。氣で強化してなかったら、今頃逸らそうとする力ごと叩き潰されて、あの地面のように大変なことに……。

 

「…………」

「…………」

「……えと、春蘭?」

「……認めん」

「エ?」

 

 目をまん丸くして停止していた春蘭だったが、急にボソリと言うと、キッと俺を睨んで模擬刀を構えた。

 

「今のは無効だっ! 次は本気で貴様を潰す!」

「いやいや春蘭、それはそうじゃなくてな? 仕合は3本勝負と決まってるらしいから、これから春蘭が3回勝てば問題ないんだ」

「んん? そ、そうなのか?」

「そうらしい。蜀の趙子龍が自信満々に仰ってた。だから一回卑劣にも隙を突かれようが、春蘭がここから3回勝てばいいんだ」

「おおなるほどっ! それはわかり易いなっ!」

「あ。でも逆を言えばあと二回当てられれば春蘭の負けってことになるから、ちゃんと来ないとまた隙を突くからな」

「言われるまでもない!」

 

 ニヤリと笑う春蘭。けど殺気は明らかにさっきよりも重い。

 よ、よし、これでひとまずは目的の一つは達成。

 ただ適当に振るわれるだけだった攻撃も、これからは本物になるだろう。

 適当だったからこそ突けた隙がどれだけ変わってくるのかはわからないが───精々頭や体に叩き込もう。この意識が続く限り───!!

 

  続く───つづ、つ───ギャアアアアアアアアアアアア!!!

 

……。

 

 えー……はい、結論。甘い夢見た俺が馬鹿だった。

 あっという間に二本返され、その時に生まれた“やはり余裕だ”という意識を突いて一本を返した……まではよかったんだが、大マジにおなりあそばれた魏武の大剣さまの攻撃で、大空を舞う俺が居ました。

 ちゃんと木刀で受け止めたんだけどなぁ……で、飛んだ先の木に背中をしこたま打ち付けて、立てはしたけど動きが鈍くなったところへあっさりと落とされる一撃。それで、三本仕合という名の模擬戦闘は終了した。

 いや、でも結構粘れた。勝てはしなかったけど、きちんと向かい合って二本取れたのが純粋に嬉しい。

 どっちも相手の油断を突いてのことではあったが、それはそれだ。油断するほうが悪い。

 

「くぅうう……っ……はっ……はっ……! 腕が……ま、まだっ……痺れてる……っ!」

「春蘭さまと本気でぶつかり合うなんて無茶をするからです」

「そりゃ……はぁっ……そうかも、だけど……っ! 鈴々とも結構……やって、たから……はぁっ……いけるかなぁ……って……!」

 

 ピリピリとした感触だけを、何かが這うような感覚と間隔で伝えてくる手の痺れ。

 間隔というからには時折感触が薄れるのだが、やっぱり一定の間隔でゾワゾワと戻ってくる。

 そんな感触を、木の幹に座り、凪に付き添われながら味わっていた。

 ……そう、本気でぶつかりあった。あくまで俺は。

 二本取られて二本取って、互いの三本を狙う際には小細工無しの全力。

 氣を全力行使して、振るわれれば受け止めもして弾きもして逸らしもして、もちろんそれだけではなく攻撃も散々とした。

 手の痺れなど知ったことかと気合いだけでぶつかったようなものだな、うん。

 結局は、“これは逸らせる”と自分の力を少しでも過信したため、空を飛んだ。

 もっと慎重になっていれば、まだ粘れただろうに。

 と、がっくりきているところに楽しげに近付いてくる影ひとつ。

 

「はっはっは、今回も私の勝ちだなっ」

「あ、あー……ああ……負けたよ……はぁっ……やっぱり……勝てないなぁ……はは、はぁあ……!」

 

 腰に両手を当てて嬉しそうに言うのは春蘭だった。

 俺も全力を出して負けたのだから、素直に両手を軽く上げての降参ポーズ。

 負けず嫌いなのも結構だろうが、こうまで真正面から叩き伏せられるとね。

 というか呼吸辛い。なかなか落ち着いてくれない。これでもマシになった方なんだが……ん、んん……深呼吸深呼吸……。

 

「すぅ……はぁあ……すぅううう……はぁあ………………。んっ、よし、と。……で、これからどうするんだ? そろそろ昼……は、もう過ぎてるな。あっちゃあ……完全に食いっぱぐれたな。どうしよ」

 

 どうしようもなにも、口に入れても食べられるかが疑問だ。

 さすがに吐いたりは…………しないよな?

 

「どうしようだと? 当然、食事をするに決まっているだろう。そうだな、今日の貴様は逃げずに頑張ったから、外に食いに行くのなら貴様の食いたい場所でいいぞ」

 

 そしてこの人は、あれだけ動いても食事は余裕らしい。

 ……春蘭と鍛錬してると、ほんといつまで経っても自分はまだまだだなって思うよ……。

 

「え……いいのか? じゃあ、三区画目のあっさり塩ラーメンが……」

「あそこは量が少ないから好かん」

 

 いえあの、量が少ないのを選んだんですが───?

 

「そ、そうか? じゃあ同じく三区画目の杏仁豆腐が美味い───」

「あんなちまちましたもので腹が膨れるかっ」

「え……えぇええ……? じゃあその隣の豚まんが美味い……」

「今日はラーメンの気分だからだめだ」

「………」

「? どうした?」

 

 いや、“どうした”って……相変わらずだなぁこの大剣さまは。

 変わらず、少しずつ深呼吸を繰り返しながら、体の熱が引くのを待った。

 その間にも行くべき場所を頭の中で検索、絞り込んでみる。

 

「ラーメンが食べたいんだな? ちまちましてないで、がっつり食える。となると───」

「大通りの登龍麺店でしょうか」

「だな。あそこは量も多いし、味もいいし───」

「そこは昨日食べたばかりだからだめだ」

『………』

 

 俺と凪、二人して固まった。

 どうしろっていうんですかあなたは。あなたはあれですか、なんでも会長任せにしておいてるくせに、文句や意見ばかりはちゃっかり言いまくる生徒会役員ですか。

 いや、大分違うか。

 

「……凪」

「はい、隊長」

 

 見つめ合い、こくりと頷く俺と凪。

 だめだだめだと言うのなら、良しと言わせてみせるのが我ら北郷警備隊。

 警備隊のくせに、やってるのは道先案内ばっかりなのは気にしない方向で。

 

「おーい思春、華雄ー! 昼餉、一緒に食べに行こう! リクエス───じゃなかった、どこか行きたい場所があったら言ってくれー!」

 

 どうせなら行きたい場所が重なったほうがいいので、軽く仕合をしていた二人に声をかけてから、ようやく痺れが取れた手を地面について立ち上がる。

 

(……うん)

 

 なんだかんだで鍛錬にもついていけてるし、この調子なら華琳が帰ってくるまで続けられるだろう。そうなれば、三日毎の鍛錬が可能になる。

 もちろん仕事は仕事できちんと片付けなきゃいけない。今日までの中でも凪や真桜や沙和の報告に加え、思春からの報告もきちんと受け取って纏めたりしていた。

 自分が確認したものをわざわざ俺に報告するのが嫌なのか、思春は俺を睨んできてたりしたが……それでも、嫌とは言わないんだよな。だからつい頼ってしまう。だめだなぁとは思うものの……うーん。

 などと考え事をしているうちに華雄と二人、こちらに来た思春に軽く質問を投げてみる。

 

「ん……なぁ思春。思春はさ、嫌なことは嫌って言うよな?」

「貴様が相手ならば特にな」

「…………ははっ、だよなぁ」

「……?」

 

 予想通りの迷いの無い即答に思わず破顔した。

 だから、聞こえるか聞こえないかってくらいの声量で呟いた。

 これからもよろしくと。

 



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60:魏/慣れること②

103/慣れてもできないこともある

 

 筆を走らせる音が自室を支配する。

 鍛錬も結構だが、やっぱりやらなければいけないのが仕事。昨日の鍛錬の疲れがミシミシと体を蝕んではいるものの、本日の仕事は警邏ではなく書簡整理だからまだいい。

 それに“やらければいけない”と義務的な意味で言ってはみるものの、前にこの世界に居た頃よりも辛さは感じず、むしろ楽しんでやっている自分がいるのだ。

 何故かと言われれば、以前よりもわかることが多いことが大半を占めており……他を挙げるのなら、警備隊の仕事を誇りだと断じたことがあるってところからも来ている。

 事実、“やっぱり自分の仕事といったらこれだろう”と頷けるから。

 治安もよくなって、窃盗食い逃げもあの頃に比べれば随分と減った。

 たま~に他の街か邑かから来た人、裏通りの人がやったりもするが、そういった輩はあっさりと思春に捕まえられている。逃げ出そうとすれば俺もたまぁにやられる“ピンポイント殺気”をぶつけるのか、逃げ出した筈の相手が急に足をもつれさせ、転ぶことが大体だ。こっちとしては楽でいいが、ほんと……どうやってんだろうね、あれ。

 

「……よしっ、こっちはもう乾いたな」

 

 墨が乾いた竹簡をカロカロと丸め、積んでゆく。

 こうして山になったものを見ると思うのだが、こういうのって誰がどう作ってるんだろ、ってこと。

 絡繰はあっても機械はない時代だから、もちろん手作りだろうし。

 職人業だなぁ。

 

「た~いちょ~……退屈なの~……」

「はーいはいはい、それもう12回目だからな?」

 

 と、軽く別の方向に意識を向けてみれば、少しの間を黙っていた沙和が愚痴り始める。

 非番だからと最初は張り切っていたんだが、阿蘇阿蘇も読み終わり、爪などの手入れをなんとなく終了させた今、どうにも手持ち無沙汰らしい……って、こういったことを考えるのも何回目だろうか。

 しかも人の部屋に入ってきたらきたで、扉も閉めずに退屈だ~と念仏のように唱え続ける始末。

 ええいどうしてくれようか。

 

「沙和ー? そういう時はな、一人で出来る楽しいことを開発するチャンス……いい機会なんだぞ? なにせ上手く思い付ければ、暇になっても暇潰しが出来る」

「だったら隊長、でーとしてほしいのー!」

「……いや。あのな? 見ての通り書簡整理中なんですが? あ、なんだったら美羽と一緒に勉強でもするか?」

「え~……? 休みの日にまでそんなことしたくないのー……」

「ええいこの娘は……!」

 

 人の寝台で好きなだけゴロゴロして、阿蘇阿蘇を読みっぱなしで放置したりしているだけじゃまだ足りないと申すか……!

 

「なんか最近だるいし、働く時もぐったりしちゃうし……」

「はぁ……。なぁ沙和、もしかしてお前、眠る時に足出して寝てたりしないか?」

「え? あ、うん。暑い日とか、いっぱい動いて足が疲れちゃった日なんかはついやっちゃったりするけど……」

「たぶんな、原因それだ。頭寒足熱っていってな、夏の暑い日とかは暑いのを嫌って、腹だけは冷やさないように~とかしてる人が多いけどな、足ってのは第二の心臓って言われるくらい大事な場所なんだ。そこが冷たくなって血の巡りが悪くなれば、足からだるくなって疲れていくのは当たり前だろ?」

「……よくわかんないの」

「暑いからって、足は冷やしすぎないこと。風呂に入ったら少し浸かってすぐに出る~とか、シャワーだけでいいとかじゃなく───」

「沙和?」

「シャワーな。天にはそういうのがあるの。で、きっちり温まる。その際、肩まで浸かるのが辛かったら足だけでもいい。しっかり温めて、風呂から出ても冷やしすぎないこと。この時代の女性なんかはまだ筋肉とかあるからいいけど、現代、もとい天だとな、そういうのでさえ相当気を付けないと、ろくに動けなくなるんだよ。だるすぎて」

「むー、たいちょー、沙和は今この時の退屈の話をしてるのー!」

「退屈なら動けって言ってるんだよ俺も!」

 

 美羽を見なさい! 隣の円卓で静かに勉強してらっしゃるでしょう!?

 ……などと言おうものなら妙に反発されるのが目に見えているので言わない。

 しっかし、本当に静かなもんだ。

 俺に迷惑はかけない、俺の期待に応えたいと言っていたけど、だからこそこうして静かに勉強してるのか?

 

「………」

「う、うみゅぅう~……」

 

 まあその……それでもわからないものはわからないらしく、しっかりと理解しようと時間をかけた上で、申し訳なさそうに俺に訊ねてくる。

 ならばと俺も、答えではなく解き方をもう一度教えていく。

 “まずはきちんと考えること”。脳にとっては大事なことらしいから、まずはそれをやらせている。守ってくれる美羽が、なんというか尊い。他の人に言ったところで、たとえば沙和なら“わかんないものはわかんないのー!”とかあっさり投げ出しそうだしなぁ。

 

「むー……袁術ちゃんー、それ楽しいー……?」

 

 と、ここで人様の寝台にうつ伏せに寝転がり、足をぱたぱたさせていた沙和が質問を投げてくる。それすらもただの話題作りなのか、言葉にあまり感情がこもっていない。

 

「ふふーん、お主にはわからぬじゃろうの。こうして苦労して覚えたことは、けっして……けっして…………お、おー……?」

「自分を裏切らない、な?」

「おおっ、そうなのじゃっ、自分を裏切らぬのじゃ! それに、出来ると主様が褒めてくれるでの、たくさん覚えてたくさん褒められて、いずれは妾が主様を隣で助ける者になるのじゃ」

「……そっか。ありがとな、美羽」

 

 美羽は……殴ってしまい、仲直りしてからは随分と丸くなった印象がある。出来ることはなんでも自分でやろうとする姿勢になったし(あくまで“やろうとする”)、妙な見栄を張ることも少なくなった───のだが。丸いのは何故か俺にだけであって、魏将とはそれなりに衝突していたりする。そこのところは妙な意地があるのか、打ち解けるまではなかなか時間が必要になりそうだ。

 しかしまあ、なんだろう。隣で助けるって、知識的なことでだろうか。

 今からいろいろ学んで、活かせるようになるにはどれくらいかかるかを考えてみる。

 ……いや、期間は関係ないか。今ここで頑張って、いつか役に立ちたいと願ってる。それでいいんだよな、きっと。俺だって、国に返すためにこうして頑張ってるんだし、美羽の場合は“返したい気持ち”っていうのが俺に向いているだけなんだ。

 怒って殴って心配して、無視して振り向かされて抱きつかれて泣かれて───どこらへんに俺に返したいと願うきっかけがあったのか、いまいち掴みきれてない俺だけど……そうだよな。そういう気持ちは、“素直に嬉しい”……そういう、簡単だけど大事な感想でいいんだ。

 あの後の華琳の言葉や、美羽が俺の目を覗きこんだところに答えはあるのだとしても、それを真正面から受け取ってしまうと今以上に甘やかしてしまいそうで、それが出来ないでいる。

 断言しよう。俺、絶対に子供が出来ると甘やかしまくる。

 

「うーん……ねぇ隊長ー? 隊長は仕事、手伝ってもらえたら嬉しい?」

「ものや程度にもよるけどな。ほら、自分が得意な仕事があったとして、自分だけのほうが早く終わらせられるのに~……って思う時、あるだろ?」

「あ、うんうんあるあるー! 絡繰いじってる真桜ちゃんがそんな感じなのー!」

「真桜はなぁ……趣味が仕事になってよかったなとは思うけど、邪魔すると怒るからなぁ」

 

 俺が作った問題集を前に、うんうん唸りながらも筆を動かす美羽を、ちらりと見ながら頬を掻く。

 

「それはそうだよー、邪魔されて喜ぶ人なんていないもん」

「だな。で、そう仰る沙和さんは、いつまで俺に話し掛けますか」

「だって退屈はお肌の天敵なのー! たいちょーたいちょー、でーと~!」

「いつからお肌にそんな天敵が追加されたんだよ! だ~めっ! 仕事ほったらかしにしてデートなんてしたら、鍛錬取り上げどころか罰が下されるだろっ!」

「ぶ~……! 前の時はなに言っても聞いてくれたのに、ひどいのー……!」

「前回のが条件が厳しすぎただけなんだって。それよりほら、美羽と同じ問題を作ったから解いてみなさい。退屈しのぎにはなるだろ」

 

 ぐで~と伸びている沙和の傍まで歩き、書き、墨が乾いた竹簡をほいと渡す。

 こちらを見上げてくる表情は……実に面倒臭そうだった。言葉にするなら「え~?」だ。

 むしろ普通に言われた。

 

「いいから軽くやってみろって。ここでぶちぶち言ってるより、よっぽどいいから」

「えー? だって、ひゃぁんっ!? やっ……たいちょっ!? なに───」

 

 ぷ~っと頬を膨らませていた沙和を強引に抱き上げ、妙な誤解を受ける前にすとんと美羽が座る円卓の向かいの席に座らせる。

 そうしてから筆と墨と竹簡を渡し、ニコリと笑ってサムズアップ。

 幸運を祈る。

 

「むー……あ、隊長たいちょー? これやるから、なにかご褒美がほしいのー!」

「書簡整理の仕事を差し上げよう」

「そんなのいらないの……」

 

 即答だった。

 いや、もちろん冗談だし、差し上げる気もさらさらない。自分の仕事だしね。

 

「けどな、ご褒美っていったって急に振られてもなにも思いつかないぞ? あ、デートは却下だからな?」

「あうっ……さ、先に言われちゃったの……」

 

 やっぱりか。でも褒美……褒美ねぇ……。

 

「あ、じゃあ」

「艶っぽいのも却下。ほら、いいからやってみるやってみるっ」

「うぅー……こんなのつまんないのー……」

 

 それでも筆に墨をつけ、問題が書かれた書簡を見ていく。

 そんな様子を見て真っ先に思うことが、“こっちのほうでも黒板とかチョーク、なんとかしたほうがいいだろうな”なんてことだった。

 あって損はないし、そもそも便利だ。

 勉強のたびに竹簡と墨を用意するのもなぁ。本当に、竹簡等を作っている人に感謝だ。

 

「褒美ねぇ……満点取ったら昼餉をおごるっていうのはどうだ? 昨日は凪たちにご馳走したし」

「えー……? 満点なんて無理なのー……」

「いきなり随分な弱気だな……そんなに難しいか?」

 

 軽い授業の中でもきちんと教えてきたものだ。

 “これは?”と訊かれれば、こうですってすぐに返せるような問題なはずなんだが。

 と、そんなおり、

 

「でっ……できたのじゃー! 主様主様、見てくりゃれっ? 全部きちんと出来ておるであろっ?」

 

 うんうん唸る沙和の正面で、竹簡を両手で持ち上げながら喜ぶ美羽。

 きちんと考えて解けたことが嬉しいのか、はたまたとりあえず全てに答えを出せたことが嬉しいのか、文字通りの満面の笑みで席を立ち、竹簡を差し出してくる。

 そんな美羽の頭をよしよしと撫でながら竹簡を受け取って採点。

 さてさて、どうなっていることやらと、椅子に座り直したところで美羽がちょこんと膝の上に乗ってくる。

 沙和がぴくりと反応を見せたが、俺にとっては季衣を始め、他国の将にもこうして膝を提供したことがあり、なんかもう座りたいならどうぞって感じだ。

 だから特に気にすることもなく採点をする。

 美羽はその採点を俺より近くで見て、時折にごくりと喉を鳴らしていた。

 わかる、わかるぞ美羽……目の前での採点って凄く緊張するよな。

 俺もお菓子を作る際、華琳がどういった反応をするのかとか緊張……むしろ恐怖を感じることさえあるから……! だって、ヘンなものを食べさせれば華琳は起こるし春蘭は剣を抜くし桂花は罵倒するし秋蘭は落胆の目で俺を見るだろうし。

 

(問題は二十問。対する正解は……)

 

 この世界の問題じゃないから間違いが多いのは仕方が無い。

 大事なのは最後までやりきること。でも、仕方なく最後までやるのと諦めないで最後までやるのとじゃあいろいろと違う。

 そういったことを学んでほしくもあり、こうして暇が出来ると問題を出しているのだが……お、おお? 正解、正解、正解……おぉおおっ? 何気に正解が多い!?

 ……と思ったら、途中からは不正解の嵐。

 なかなか上手くはいかないもので、二十問中八問正解という形に落ち着いた。

 

「うみゅぅ……半分は正解じゃと思ったのじゃがの……わぷぅっ!? ぬ、主様!?」

 

 さっきまでの元気が嘘のように落ち込む美羽の頭を、ちょっとだけ乱暴に撫でる。

 頑張ったのに落ち込む結果の辛さを知っていればこそ乱暴に。

 

「落ち込まないの。八問正解ってことは、教えたうちの八個を覚えることが出来たってことだろ? じゃあ次は九問正解すればいいよ。べつに同じ間違いをしたって怒ったりはしないから」

「主様……」

「ただ、わからないからって考えること自体を放棄するのはだめだぞ? 覚える気があるならきちんと教える。覚える気がないなら、そりゃあやめちゃってもいいかもだけど……後悔ってのは先に立ってくれないからなぁ。教えてくれる人が傍に居るうちは、なんでも覚えてみるのもいいもんだよ」

 

 そう伝えてから、俺へと軽く振り向く美羽の頭を胸に抱く。

 どうしてそんなことをしたのかな、なんて軽く考えてみると、答えなんてあっさり出た。

 俺も、教えてくれる人に囲まれながら成長している途中だからだ。

 人に偉そうに言えるほどにこの世界を知っているわけでもない。

 半端に生きて、この世界に飛んで、戦を知って死を知って、“人が生きるために必要なこと”を何度も何度も様々なものを吐き出しながら知ってきた。

 些細なことで泣いて、些細なことで世界って箱庭から逃げ出したくなっても、“明日へ辿り着けば、まだいいことが待っているかもしれない”なんて理由で生きるのとは違う。

 

  生きたいからこそ、米の一粒のために死地へと歩む人を見た。

 

 この地に教わり、祖父に教わり、天の書物に教わり、再びこの地でどれほどを学んだだろう。

 他国を回ることで知ったこと、第二の故郷でもあるこの魏で学んだこと。

 それら全ての知識を合わせたところで、泣いた子供一人を笑顔にするのでさえ苦労する自分が居る。

 

「んみゅ……よくわからぬが……心地良いの、これは」

「……。ああ」

 

 いつかの戦、いつかの出城にて、華琳に頭を抱かれてありがとうを伝えられた。

 それを思い出したら、“俺もこうして、誰かにありがとうを伝えたいのかな”なんて考えが浮かぶ。もしそうやって、ありがとうを伝えるのだとしたら、どんな言葉がいいだろう。

 この世界に来させてくれてありがとう? みんなに会わせてくれてありがとう? もちろん思っていることだが、なにか違う気がした。

 

(……あれ? 来させてくれてありがとうなら、俺は貂蝉が言ってた銅鏡か、もう一人の誰かさんの頭を抱かなきゃならないんだろうか。待て、そもそも銅鏡に頭はないぞ)

 

 穏やかだった気持ちが、軽い疑問を持った所為で滅茶苦茶になってしまった。

 けれども美羽の頭は胸に抱いたまま、ゆっくりと撫でる……のだが、沙和が頬を膨らませながら睨んでいることに気づいた。

 しかもこの状態をどう受け取ったのか、ごしゃーとかつてない速度で筆を動かす沙和さん。そうして問題分の答えを連ねた竹簡をどうだとばかりにニッコリ笑顔で突き出してくると、勢いにたじろいだ俺へと今ぞとばかりに抱き付いてきて───ってこらこらこらっ!!

 

「袁術ちゃんばっかりずるいのー! 沙和も撫でてー!?」

「そういうことは採点くらいさせてから言おうな!?」

 

 そう言いながらも、こうしたドタバタにひどく安心している自分を感じた。

 本当に、どこまでお人好しなのか。

 結局そうしてドタバタに巻き込まれて時間を無くしても、仕方ないって笑っている。

 もちろん二度目まで失敗するわけにはいかないから、そんな仕方ないって笑みもどうにか引っ込めて仕事に戻るものの───そうだなぁ……。

 うん、そうだな。まずはこれだ。

 この世界で今まで経験したことの様々を思いながら……やがて、何を争っているのかギャーギャーと騒ぎ始める沙和と美羽を両手で抱き締める。

 二人は急なことに少しだけ硬直してみせ、そんな硬直の隙に言いたいことを言ってしまうことにした。

 

「傍に居てくれて、ありがとう」

 

 言いたいありがとうを数えればきりがない。

 届けたい気持ちを頭に描いたところで、いくら口にしても唱えきれないだろう。

 ならば今、あの乱世を抜けた先の今でこそ、生きて傍に居てくれる事実にありがとうを。

 

『………』

 

 二人は特に反応を見せない。

 何を言うでもなく、身動ぎをするでもなく───ただ、大事なものを離すまいとするかのように、ぎゅうっと俺を抱き締め返してきた。

 

「………」

 

 穏やかな時間。

 筆が走る音も、誰かが騒ぐ音も聞こえない。

 風に揺れる草花の音、鳥の鳴き声ばかりが耳に届き、そうした静けさの中で、俺は───

 

「一刀殿、今日のまろやか麻婆のことなのですが───はっ!?」

「あ」

 

 ───開けっ放しの扉の先から、ひょいとこちらを覗く稟と、視線を交差させた。

 少女二人を抱き締める俺。嫌がるでもなく何も言わず、抱き締め返してくる二人。

 抱き締めている二人からは見えない……というか見る気もないのか本当に身動ぎひとつしないが、見えてしまう俺の視線の先には、見る間に顔を紅潮させてゆく稟が……!!

 

「ま、ままま待てっ! ストップ稟! ここ最近は鼻血なんて出してなかったんだから、妄想だめ! 妄想禁止!」

「か、かかかっ……一刀殿がっ……両手に童女と少女を……! 嫌がる様子も見せない二人はこれから彼になにをされるかも知らず……い、いいえ、知っていても抵抗する気さえなくっ……! しかもそれを知ってしまった私までもを捕らえ、北郷隊や数え役萬☆姉妹とともに鍛えた三人同時に食らう淫技を……!」

「離れてても聞こえる声でそういうこと言うのやめよう!? り、稟っ! 抑えて! それ以上先に進んだら───」

「まずは一人ずつ、いつしか二人、やがて三人に……! 扉を開けたままという大胆なる行動も、恐らくは訪れた女性を次々と閨へと引きずりこむため……! あぁっ……華琳さまや桂花が居ないのをいいことに、抑え付けていた獣がとうとう解き放たれて、この国の女性という女性を……!」

「…………あれ?」

 

 鼻血が出ない。

 それどころか次々と妄想を働かせて、その度にうへへへとかえへへへとか怪しい笑みをこぼす稟は、もはやブレーキを無くした乗り物のように止まることなく怪しい言葉を放ち続け……って赤っ!? 顔すごい真っ赤!!

 

「りりり稟っ! まずい! 妄想やめてほんと!」

 

 抱き締めていた二人に断りを入れ、稟の傍へと駆ける。

 鼻血が出ないのは、食事での血管や粘膜強化の賜物といっていいのだろうが、この赤さは怖い! 血管破裂するんじゃないかってくらい怖い!

 そして人の話全然聞きやしないよこの妄想娘ったら! うへへへへじゃないってば!

 

「えーとえーとこういう時はぁああっ……!!」

「たいちょー! 抱き締めるのー!」

「! よしきた!」

 

 悩んでいる時に放たれる誰かの助言ってありがたいよね。

 だから咄嗟に、顔が段々と紫色っぽくなってきた稟を抱き締めたんだが。

 

  ……次の瞬間、世界は赤の色に包まれた。

 

「ギャアーッ!!」

「きゃああーっ!? きゃーっ!!」

「ぴきゃーっ!? 赤いのじゃーっ!!」

 

 抱き締めた俺を振りほどくほどに大きく仰け反り、そこから放たれるは赤の雨。

 我慢した分と妄想した分、その量は凄まじく……部屋の前の壁が真っ赤に染まったその日。

 俺はまず、血管強化よりも妄想癖を直させる必要があることを、心の奥に刻み込むことで知った。

 

 ……ちなみに。

 

 沙和の答案だが、一問たりとも正解はなかった。



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61:魏/既に貴方がしていることを“無理”と呼ぶ日①

104/三国連合へ向けて

 

 ……かしゃん、という音を合図に、心が軽くなるのを感じた。

 

「だはぁっ……終わったぁああ……!」

 

 墨が乾いた竹簡を積み、腹の奥から体に溜まった“仕事用の空気”を吐き出すつもりで息を吐く。あとはこれを隊舎に届けて、それからえーと……ああ、そういえば張三姉妹に呼ばれてたっけ。

 じゃあ竹簡届けたら事務所に行くとして……うーん、いかんな。非番に仕事を持ち込んでしまうようじゃ、華琳が認めてくれるかどうか。昨日の夜のうちに終わらせるつもりだったのに。

 

「まあいいや。まずはこれを届けるか」

 

 竹簡を抱えてそのまま立ち上がる……前に、扉を開けてから机までを戻り、改めて竹簡を抱える。春蘭と同じく、竹簡を持ったまま“蹴り開ける”という方法もあるが、新しく作り変えてもらったのにそんなことをすると、バチが当たりそうだ。

 さて、今日も一日が始まる。

 寝不足ではございますが張り切ってまいりましょう。

 

 

……。

 

 …………ごめん、張り切れない。

 

「くぁ……あ……ふぁああ~ひゅひゅひゅ……」

「北郷隊長……随分と眠たそうですね」

 

 隊舎まで来て竹簡を届けたのはいいんだけど、部下の目の前で盛大に欠伸をしてしまった。それ自体には兵も「普段から張り切りすぎなんですよ」と言って、呆れるどころか逆に心配してはくれたんだが……うう、やっぱり無茶してるのかなぁ俺。自分では上手くやれてるつもりだったんだけどな。

 

「楽進さまが心配なされてましたよ。最近の隊長は無理が過ぎると」

「え゛っ……む、無理してるように……見えるか?」

「隊長はあまり体裁を気にせず我々と接してくれますし、欠伸を見るのも初めてではありませんが……その顔とその欠伸を見れば、なるほどと頷けます」

「うぐっ……すまん」

 

 表に出しているつもりはなかったとしても、必ずしもそれが成功しているとは限らない。特に俺の場合、キリッとしているつもりでも全然そうではなかったことが、美羽ゲンコツ事件の時に明らかにされたのだ。

 キリッとしているつもりだったのに泣きそうな顔だったって、どれほど理想から懸け離れてたんだよ、俺の顔。

 

「休める時間があったら素直に休むことにするよ。じゃあ竹簡のほう、よろしくな」

「はっ」

 

 軽く手を振って、いざ張三姉妹が待つであろう事務所へ。

 その過程で、会う人会う人ほぼ全員に心配された。いったい自分はどんな顔をしてるんだかとも思ったが、確認すると一気にこう……ね? キそうな気がしたから、確認するのはやめておいた。

 手元に鏡があるわけでもないし、大丈夫大丈夫、なんとかなる。

 

……。

 

 そして訪れた事務所にて。

 

「…………誰も居ない」

 

 そこに誰も居ないことと、そういえば朝餉を食べていないことに気づいた。

 施錠もなく、あっさりと中には入れたんだが……大丈夫かこれ。無用心だな。……とは思うものの、軽い用事ですぐ戻ってくるのかもしれないからこその無用心か? その場合は無用心って言えるんだろうか。あ、だめだ、頭が上手く働かない。

 

「あ、いや…………そういえば昼からって約束だったような……? うう……」

 

 いろいろとこんがらがってきている。

 これはまいった、自分が思っているよりもずぅっと体が疲れているらしい。

 今も上手く考えが纏まらず、何かを思い出そうとするんだけど、何を思い出そうとしたのかさえ忘れる。

 そんなことを少しだったのか長くだったのか続けたとある瞬間、ふと体が床に引き込まれるような錯覚を覚える。

 

(え……う、あ……!? たち、くらみ……?)

 

 これはまずいと、倒れてしまう前になんとか机に手を着いて体を支える。

 しかしいくら手で支えても、足が支えるための力を無くしたかのように崩れてしまっては支えきれるわけもなく。俺の体は、まるで耳元でさざ波を聞いているような血の気が引く音を聞きながら、床へと崩れ落ち───ふんぬっ!

 

「~っ……ふっ……くっ……!」

 

 倒れるより早く、根性で再び机を掴む。

 ここで倒れたら無駄な心配をさせることになる……! いや、無駄な心配とか本人たちの前で言ったら本気で怒られそうだけどさ……!

 せめて、せめて机で寝てたってくらいの認識で済ませたいから……。

 

「……、…………あ、……」

 

 なんとか掴んだ椅子に、体を落とすように乱暴に座ると、途端に力が抜ける。

 抗うことも出来ないままに机に突っ伏し、俺の意識はバツリと音さえ出して途切れた。

 

……。

 

 ……つんつん、つん……。

 

「…………」

 

 つん……つんつん。

 

「……ん、あ……?」

 

 何かにつつかれる感触を、頬に感じる。

 あれ? 俺どうしたんだっけ。頭がハッキリしない。まるで頭の中が泥に沈んだみたいに何もかもが鈍くて……えと……ああ、そうだ、たしか事務所にいって、それで……。

 じゃあこの頬をつついてる何かは……天和か地和かな……? 人和はなんとなく、そういうことしそうにないし……。

 

「ん……」

 

 目を開ける。

 どれほど疲れていて、どれほど熟睡だったのか、目を開けたにも関わらず視界は定まらず、数回瞬きをしてからようやく多少の景色が見えるようになり───

 

「あらぁん? ご主人様ったぁ~らぁん、ようやくお目覚めぇん?」

「わ゛ぁああああぁぁぁーお゛!?」

 

 ───開けた視界の先に、褐色の肉ダルマが居た。

 思わず絶叫して、机に突っ伏していた体を起き上らせると───……らせると……?

 

「はっ……は……あ、あれ?」

 

 肉ダルマが居る……などということはなく、どうやら夢を見ていたらしい。

 これは、明らかに無理をしすぎですよとの天からの罰ですか? よし、睡眠大事。疲労回復大事。無理厳禁。

 

「は……はぁあ……夢かぁあ……!」

 

 そう、とりあえずゴリモリマッチョのモミアゲのみヘアーな誰かさんは居なかった。

 代わりにと比較するのも失礼な話かもだが、急に起きた俺を見て固まっている人が一人だけ。

 えぇっと、とりあえず───

 

「おはよう」

「……お、おはよ……う?」

 

 よっぽど驚いたのか、硬直しながらもそれだけを返したのは……地和だった。

 いやまあ、直後に「急に叫んだり起きたりしないでよ!」といった感じに怒られたんだが。

 よーし深呼吸だ。呼吸を整えて、せめて人に話すことで意識を落ち着かせるんだ。

 ……夢に出てくる筋肉ダルマの話なんて、聞いても面白くないだろうが。

 

「……。で、なに? 夢の中で筋肉ダルマに起こされて、それで起きた? ちぃとそんなバケモノを間違えるなんて、失礼にもほどがあるわよっ」

「……地和。お前はな、アレに抱き締められたことがないからそんなこと言えるんだよ」

 

 簡単な説明をされて呆れたままに言葉を返す地和だが、対する俺はあの凄まじき肉の感触を生々しく思い出しつつ、自分の体を庇うように抱きながら目を逸らして呟いた。

 バケモノは言いすぎかもしれないが、あれを間近で見るとさすがになぁ……。

 だって、フランチェスカを背景にビキニパンツ一丁で女口調なゴリモリマッスルだぞ? 景色と格好が合ってないにもほどがあるだろう。

 そんな変人が漢女口調でクネクネしながら近付いてきて人のことをご主人様って言いながら頬を染めて風が巻き起こるほどのウィンクまでして俺をきつくきつくぎゅってぎゅってギャアアアアアアアア!!!!

 

「一刀っ! ちょっと一刀どうしたのよっ!」

「はうあ!?」

 

 思考が暴走しかけたところで地和に肩を掴まれ揺すられる。お陰でなんとか戻ってこれた俺は、嫌な汗をかきつつ地和に感謝した。

 お、落ち着こう、落ち着こうな、俺。よーし大丈夫だ、ここは現実で、夢じゃない。

 

「はぁあ……よし、落ち着いた。ごごごごめんなー地和。急に来て勝手に寝てて、起きた途端に騒いだりして」

「……今だけでそこまで謝る要素がある人っていうのも珍しい気がする」

「俺もそう思うよ……」

 

 お互いに“とほー……”と溜め息を吐いてから、改めておはようと挨拶。とはいうものの、とっくに朝であった時間などは過ぎているらしく……なるほど、道理で腰とか首が痛いわけだ。やっぱり寝るなら布団だよなぁ。

 

「それよりどうしたの? 約束は昼だったはずだけど。あ、もしかしてちぃに会いたくて我慢できなくなっちゃったとか?」

「え゛っ! い、いや、それはそのー……」

「?」

 

 約束があったのに徹夜で仕事してました。いや、むしろ約束があったからこそ仕事を終わらせた? なのに辿り着いたここで寝てました。うわあい、逃げ道がない。

 視線と手を忙しなく動かしてみるも……フワハハハ、善となるであろう言い訳なぞこの北郷、思いつきもせぬわ。

 

「……───」

 

 明日は明日の、今日は今日の風が吹きます。

 ならば一刀よ、己が悔いを残さぬ返答を返してこそ男意気。

 ウソをついても格好つける男ではなく、馬鹿でも正直な漢であれ───!

 

「会いたかったのは確かだけど、早く来た理由は違うんだ。仕事が片付かなくて徹夜して、終わった竹簡を隊舎に届けたあとにここに来た。昼の約束だって思い出したのも、ここについてからでさ。寝不足の所為で立ちくらみがして、椅子に座ったらもう寝てたって、そんな情けない有様でございまして……」

「立ちくらみって、ちょっと一刀っ、大丈夫なのっ?」

「ん。寝たらもう全然平気みたいだ。やっぱりただの寝不足だったんだなぁ」

「そうなんだ。じゃあいいわ、約束の内容を忘れてたことは許したげる。ちぃに会いたかったことは事実なんだし、お陰で一刀の寝顔、独り占めできたし~♪」

「うなっ!? 俺の寝顔なんか見たって楽しくないだろっ!」

「楽しいかどうかはちぃが決めることなんだから気にすることなんてないじゃない。姉さんや人和が戻ってくるまでもう少しあるし、久しぶりに一刀を独占できるなら……」

 

 座っている俺の太腿に手を着き、体重をかけて顔を寄せてくる。

 見上げるようにして近付いてくるその顔には、どこか挑発的な色さえ混ざっており───俺は、そんな視線に飲まれるように顔を……

 

「わぷっ? ……ふえっ!?」

 

 ───抱き締めた。もちろん、地和の顔を。

 

「へっ? やっ、一刀っ? なにっ……!?」

 

 俺がこう来ることは予想外だったんだろう。地和は慌てた様子でいまいち言葉になりきっていない声を放ち、俺の腕の中で軽く暴れた。

 

「……ごめんな。三国の支柱になるまでは、そういうのは控えようって決めたんだ」

「えぇぇっ!? なにそれっ! 誰に断ってそんなこと決めてるのよー!」

「誰って……俺自身だけど」

「種馬がそういうことしなかったらいったいなんの役に立つっていうのよっ!」

「日々を忙しく過ごしております。役に立ってないなら別の仕事でも紹介してもらうけど」

「うう~……じゃあ、ちぃたち限定の種馬の仕事を紹介してあげる」

「支柱の話が裸足で逃げていくのでやめてください」

 

 そりゃあ傍に居ればキスしたいって思うし、抱き締めて愛したいけど。真剣だからこそしっかりとした意思を持って歩きたい。

 蜀でも思ったことだ。呉でも蜀でも女性に手を出さなくて、魏に帰ったら帰ったで、自分の欲望を発散させるために誰かを抱くのは違う。

 愛があればそれでいいなんて理屈はそもそも存在していなかったんだ。

 人と人との繋がりっていうものを各国で学んできた。

 過去に愛しきを知って、確かにみんなを愛した俺だけど……今はその時よりも、胸に込み上げる暖かさがある。

 抱くだけが全てじゃない。

 もっともっと大事にしたい。

 傍に居るだけで沸き出してくる“ありがとう”を、もっともっと伝えたい。

 

「前にさ、華雄に言われたんだ。“言葉だけで、一方に偏ったままの存在が支柱になれるのか”って。地和も聞いてたと思うけど」

「ああ、あの帰ってきたばっかりの時ね?」

「ん。その時からさ、少しずつ覚悟を決めていってた。もし本当に支柱を目指すなら、偏りがない自分で居なきゃいけない。それこそ、“国に生きて国に死ぬような自分じゃなくちゃ、本当の意味での支柱になんかなれやしないんだから”って」

 

 だからこそ様々を耐えた。

 前に華琳が俺の膝の上で寝た時なんて、どれほど抱き締めたかったか。自分への褒美として襲ってしまおうかなんてことを、“僅かとはいえ思ってしまった”くらいだったのだ。

 支柱になりたいって思い、国に生き国に死ぬことへと頷いた。つまりこれは自分への戒めであり、ひとつの覚悟だ。ならばこそ“決めた覚悟”は貫き通す。

 

「じゃあ接吻……キスだっけ? それは?」

「いやその、大変情けない話ではあるんだが、そろそろ危険だから勘弁してくれるとありがたい」

「危険? 危険ってなにがよ」

「い、いやっ……それはそのっ……」

 

 ……天で我慢して、この世界に降りてからも我慢して、はやどれほどでしょう。

 欲望に任せて抱く気はないとはいえ、我慢した年月が長すぎた。

 ようやく会えたみんなとだって、俺の勝手な事情もあってなにもしていない。自分で処理するにしたってほら……美羽が居るのにそんなこと出来るもんか。

 つまり、ようするに、あ、あー……そのー……いい加減、多少の刺激でも辛いのだ。

 などということを馬鹿正直に地和に話してみればニヤリと笑み、いいことを聞いたとばかりに行動を起こし───!

 コマンドどうする!?

 

1:熱き抱擁(さらに抱き締める)

 

2:竜禅寺流一本背負い(そもそも習っちゃいないんだが)

 

3:早坂流妹ナックル(待て、俺は妹じゃない)

 

4:及川撃退用アッパーカット&ストンピング(及川以外には危険なので却下)

 

5:全てを興ずるが覇王なれば、全てを愛する者こそ種馬ぞ(はい却下)

 

 結論:……1しかないだろこれ。どうしてこう攻撃的なんだよ……及川はいいとして。

 

 よし、そんなわけで、熱き抱擁!

 

「わぷぅっ!?」

 

 腕を振りほどき、無理矢理行動に出ようとした地和の動きを抱き締めることで封じる。

 それでもパタパタと暴れてくるが、もういっそ地和を軽く持ち上げるようにして、向きを変えてから抱き締めることで落ち着かせる。

 

「ちっ……地和~? 今日はそういう用事じゃなくて、美羽のことを話し合う約束だったろ~……?」

「うぐぅう……」

 

 ようするに向きを同じに、膝の上に乗せて胴を抱くような感じ。

 美羽がよく膝に乗ってくるようになってから、こうすると落ち着いたのでやってみたのだが……おお、意外に効果があった。

 しかしこうなると地和の感触がその、足に伝わってきて……一番最初に、意識をそっち側に持っていかれたのは辛い。主張こそはしないものの、むずむずする感触が走っている。

 それをなんとか落ち着けるべくうろ覚えのお経なんかを唱えたりして、煩悩を殺していった。このまま突入してしまえとか我慢する必要がどこにあるとか、同意のもとなんだからいいじゃないかとか、ありとあらゆる理屈をこねる自分の思考と欲望に打ち勝つために……!

 

「一刀……ちぃとしたくないの?」

「したいです」

「───……え?」

 

 ……ハッ!?

 

「あ、い、いやっ、今のは間違いっ……じゃないけどっ! ととととにかくこっちにもいろいろ事情があってな!? だから、えっと……! あ、あ~……!」

 

 自分の本音に心底呆れ、いっそ泣きたくなるくらいに困った状況に陥る。ほんと、だったらなにも気にせず愛し合えばいいって話なんだが……。

 

「俺に節操を持つなんてこと、無理なのかなぁ……」

 

 地和を抱き締めながら天井を仰ぐ。

 地和も雰囲気を察してか、俺の胸に頭を預けるようにして天井を仰いだ。

 

「ちぃたちのこと、嫌いになったとかじゃないわよね?」

「当たり前。好きで大事じゃなきゃ、こんなに悩んだりしないよ」

 

 抱き締める腕に力がこもる。

 地和も笑いながら遠慮なし体を預けてきて、心地良い重さが胸にかかる。

 

「でもそれってさ、支柱になった途端に誰も彼もに手をだすってこと?」

「いやいやいやいやっ、さすがにそれはないっ! あくまで自然の流れでそういうことになったらであって、そんな立場を利用してとかはっ!」

「ふーん? じゃあ一刀が支柱になったら、真っ先にちぃが自然の流れで愛してあげる」

「………お……おー……」

 

 あまりに急に、楽しげに言うもんだから少しだけ面をくらった。

 なのに頭に浮かんだのは、“戻ってきてからの初めては華琳がいいな……”なんていう、思い返すのも恥ずかしい乙女チックなものでぐああああああ消えろ消えろ今の無し!!

 

「この地和ちゃんに我慢させるっていうんだから、その時まで拒んだりしたらただじゃおかないからね?」

 

 すぐ後ろで悶える俺に、自分の肩越しに微笑み、軽くウィンクをして見せる地和。

 俺は……そんな笑顔と、一方的な我が侭な覚悟を受け容れてもらえた喜びとを胸に抱き、さらなる急な抱擁に慌てふためく地和に散々とありがとうを送った。

 それと、ヘンなことを考えていたことを心の中で詫びた。わりと本気で。

 

「あ、でも……他の誰かに誘われて、あっさり抱いちゃったりしたら本気で怒るからね?」

「イ……イエッサ」

 

 そのありがとうが、引きつった声に変わるまで。

 

……。

 

 さて。地和も落ち着いてくれたところで、まだ膝の上に居る彼女の頭を撫でながら話を進める。まだ天和と人和が居ないが、それはそれだ。二人でも進められる話をしてみる。

 

「袁術かぁ……うん、認めるのは悔しいけど歌は上手いわよ。ちぃたちには及ばないけど」

「そうなのか」

「うん、一度人気を横取りされそうになったくらいだからね。っていっても、老人に可愛い可愛い言われてただけみたいだけど」

「あ、やっぱり老人なのか」

 

 孫に居たら甘やかしたくなるタイプだもんな、うん。よくわか───マテ、わかっていいのか俺。え? 俺、老人脳?

 

「そ。で、ほら。そのおじいちゃんたちが、家族に“ちぃたちの歌を聞くくらいなら袁術の歌を聴きなさい~”とか言ったら……ね? わかるでしょ?」

「あー……なるほどなるほど」

 

 それは確かにありそうだ。

 我が家の祖父さまはそれをそうするぐらいなら~とは言わなかったものの、悪か正義かで言えば悪といった不思議じーさんだったし。“正義を選ぶくらいなら悪がいいぞ!”とは言わないんだが、回りくどく正義ではなく悪を説いてくるから逆に……なぁ?

 

「じゃあ客がきちんと好みで選べるようにしたほうがいいか。さすがに好きなものを強制されちゃあ、お客さんも嫌だろうし」

「しかも親やおじいちゃんおばあちゃんが相手じゃね」

 

 というわけでとメモに今後の予定を大まかに書いてみる。

 頭を撫でることをやめた途端に膨れっ面が振り向いてきたが、書くことくらい許してほしい。

 

「便利よね、それ。なんていったっけ? しゃー……?」

「シャーペン。シャープペンシルの略称だったっけ? 英語でいうならメカニカルペンシル、発明国で言うならプロペリングペンシル───って、こういう無駄知識はいいか。まあ、便利だよ」

 

 地和がじーっと見つめる中で、机に広げたメモに文字を走らせる。

 本当に便利だ。なにせ墨が乾くまでを待つ必要が無い。

 ……鉛筆の芯の原料が黒鉛と粘土だっけ? 真桜と相談して、開発してみるのも面白いかもしれない。

 それがだめならやっぱりチョークか。

 

「へぇえ~……一刀、それって一本しかないの?」

「ああ。このメモや制服、胴着と同じで大事な一品ものだ」

「ちょーだいって言ったら?」

「あげません」

「……人の大事な一品ものは奪ったくせに」

「そういうこと言わないっ!!」

 

 ぺしゃりと額を叩いて、メモとシャーペンをポケットにしまう。

 そうしてから改めて抱き締め、頭を撫でると、地和は騒ぐこともせずにどっかりと俺の胸に体を預けてきた。

 まあ……実際、今日の約束をとりつけて以降はてんで会えなかったし、とりつける前もあまり会えなかった。時間がなかったわけじゃなく、ただ単に時間が合わなかっただけ。

 世話役をもう一度って話だったのに、随分とほったらかしにしてしまったことになる。

 はぁ、と出る溜め息とほぼ同時に外から物音。扉が開かれると、天和と人和が───

 

「ちーちゃーん、一刀、もう来て───あ」

「天和姉さん、そんなに急がなくても───あ」

 

 ───地和を膝に乗せ、お腹に手を回し、頭を撫でる俺を見て固まった。

 Q:……なぁ北郷一刀? 今さらだけど、こうして抱き締めて頭撫でるのって、キスするのとなにがどこまで違うんだ?

 A:うん僕知らない。

 

「ちーちゃんばっかりずるーい! お姉ちゃんもー!」

「だめよっ! まだやってもらったばっかりだもん!」

「ちぃ姉さん、その割には顔がとろけきってた」

「そっ、そんなことないわよっ!!」

 

 開け放たれた扉からそよぐ風が気持ち良かった。

 俺はそんな風に撫でられるままに天を仰ぎ、見えた天井に向けて心中で語った。

 

(今日の昼餉はなにがいいかなぁ)

 

 人はそれを現実逃避といいます。

 

……。

 

 さて。しっかりと三人を膝の上に乗せて頭を撫でる(甘やかすで統一)ことを終え、すっかり上機嫌な三人を前に、椅子に座る俺。

 ご丁寧に四つ分ある椅子は、三姉妹とあと……俺の分、なのかなぁ。

 いまいち自信は持てないが、「一刀はこの椅子ね」と天和に座らされたのだから、思うくらいならタダだろう。

 

「というわけで、客の層を増やすのと美羽の仕事探しも兼ねて、歌を歌わせてみたいんだけど……って、この辺りは前に説明した通りなんだが」

「ええ、一方的に話されて、忙しいからまたなって走っていったわね」

 

 仕切り直しの言葉に、きっぱりとした事実を返すのは人和さん。

 

「う……ごめん。丁度、迷子探ししてたから……」

 

 そうじゃなかったら、多少の時間を割いてでも話をしたんだけど。

 なかなか思い通りにはいかないのが世の中の常ってやつのようで、そういう時に限って外せない用事があるものなのだ。

 子供と遊ぶ約束をしていたのに、急に仕事が入るパパさんの心境って、きっとこんな感じなんだろうな。

 

「いいわ。一刀さんのそういうところ、解ってるつもりだから」

「人和……!」

 

 わかってくれる人が居るっていいなぁ……。しみじみそう思いながら、コホンと咳払いをして話を戻し、これからのことを話していく。

 まずは美羽が人前で歌えるかどうかだが。

 

「歌ってたから老人層を美羽に取られたんだよな?」

「まあ、そうね」

「じゃあじゃあ、どんな歌を歌うかだよね。私たちの曲を歌わせるわけにもいかないし」

「そんなの、一刀の国の歌でも歌わせとけばいいんじゃない?」

「“でも”って、お前なぁ……」

 

 けど、いいかもしれない。“みんなのうた”あたりから攻めてみるか?

 童謡とかにもいい歌はあるし、むしろ激しい曲なんて歌ったって老人はついてきてくれないだろう。なにより、その……美羽が歌いきれるかが問題になってくる。

 

「その前に一刀さん、歌はいいとして、袁術側の音とかはどうする気なの? 楽隊に頼むにしたって、安くないわよ?」

「ぐっ……そ、それが問題なんだよな……」

 

 どうする? 誰か音を奏でることが出来る人を探す? ……誰?

 音……音ねぇ。音、音……音ぉおお……! 一瞬春蘭が浮かんだけど、奏でられるのは騒音だけだという答えが出た。そしてそんな答えに言い訳さえ出せない俺が居る。すまん春蘭。

 

「前に歌ってた時は、誰が楽器を……って、美羽の傍っていったら七乃しか居ないか」

「そうなのよっ! なんか腹立つけど上手いのよっ!」

「あー、わかるわかる。七乃って無駄になんでもソツなくこなすもんなぁ」

 

 今でこそ美羽とも離れて、蜀で頑張っているが……今頃どうしてるんだろうな。また妙に腹黒いこと、考えてないといいけど。



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61:魏/既に貴方がしていることを“無理”と呼ぶ日②

-_-/七乃

 

 むずっ……

 

「はぁっぷしゅうぅうっ!」

「わひゃあっ!? ……び、びびびっくりしたぁ~……七乃ちゃん、風邪?」

「ああ、いえいえー、ただちょこっとだけムズっときただけですから」

 

 桃香さまの書類整理を手伝う中、瞬間的にむずっときた痒さに耐える間もなく出たくしゃみ。うーん、これは……お嬢様がこの七乃のことでも噂しているんでしょうかね。

 静かな空間での急なくしゃみ……桃香さまが驚くのも無理はありません。

 盛大に驚いてくれたのを見て、小さく心が暖かくなりましたけど……はぁ、退屈です。

 お嬢様も一刀さんも居ないとなっては、このからかう相手の居ない寂しさをどう発散したものでしょう。桃香さまをからかうという手もありますけど、蜀将の怒りを買うのは得策じゃあありませんしねー……。

 からかうのにも命懸けでは、あまりに割りに合いませんから。

 まったく、孫策さんから逃げるためとはいえ、こうして仕事に集中するしかないなんて……寂しいことですね。お嬢様か一刀さんが居れば、まだ退屈凌ぎにも花が咲くんですけど。

 

「はぁ~……必要なことだっていうのはわかってるけど、この量はやっぱり辛いよ~……。お兄さんも今頃、こんなことしてるのかなぁ……」

「はぁ、そうですねー……曹操さんの仰ることが事実なら今頃、夏侯惇さんに三日毎の地獄の鍛錬を強いられて、街の警備も一切手を抜かず、部下が残した未整理分の書類との格闘、お嬢様の相手、その他もろもろの日々を送ってると思いますけど……代わりたいですか?」

「うううううううぅん!? ううぅん!?」

 

 物凄い勢いで、首を横に振られてますよ一刀さん。

 

「まあ、するのが書類整理だけならまだ大丈夫ですよ。鍛錬なんて休みたい時に休んじゃえばいいんですから。けど一刀さんの場合ですとー……たとえ鍛錬を休んでも、魏将のみなさんがほうっておかないと思いますしね。警備隊の仕事もあれば、将との付き合いも大事。町人や兵との交流も大事にする人みたいですし、なにより鍛錬をサボるようなことはしないみたいですし」

「うーん……体、壊してないといいけど」

 

 そういえば一度風邪を引いてましたっけ。

 まあ引いたら引いた時ですけどね。そんな時は次に会う時にでも自己管理について散々とからかってあげましょう。

 

「ところで桃香さまは、一刀さんが支柱になったら早速抱いてもらうんですかー?」

「ぶふぅっしゅ!? げっほっ! けほっ! こほっ!」

 

 書類整理をしながら軽く声をかけてみれば、丁度お茶を飲んで休んでいたらしい桃香さまが盛大にお茶を噴き出しました。

 あらら、一部の書類がお茶びたしに。

 

「なななっ……けほっ! なにを言い出すの七乃ちゃんっ!」

「だってー♪ 支柱になったら出来ることならなんでも聞くという、一刀さんの言葉を聞いて迷うことなく挙手したと聞いてますしー♪ それはつまり、一刀さんを支柱にしないと出来ないなにかがあったんですよね?」

「ふぐっ……そ、それはそのー……」

「今頃はこんな桃香さまも乙女心も知らず、魏のみなさんと肉欲の日々を送っているかもしれないのに、それでも?」

「あ、ううん? 華琳さんの話だと、お兄さんは魏に帰っても誰にも手を出してないんだって。あ……手を出してって言い方、ちょっと失礼だね」

「手を……?」

 

 出していないとは意外ですね。

 呉で散々と魏のため魏のためと騒いでいたらしいのに。

 なにかしらの心境の変化でもあったんでしょうかね。

 

「曹操さんはそのことについて、なにか仰ってました?」

「“あの様子だと、支柱になるまで誰にも手を出すつもりはないでしょうね……”だって」

 

 多分曹操さんの真似なんでしょうけど、キリッと目を鋭くさせて言う桃香さま。

 一言で言うなら全然似てませんね。

 その言葉を言うなら、どちらかといえばキリッというよりも目を伏せながら呆れて溜め息の一つでもついているところでしょうに。

 

「その口調からすると、曹操さんはそれでもいいと?」

「あ、あはは……“あの一刀がそれを我慢するほどの覚悟なら、逆に見物だわ”って言ってたよー? 私、魏でのお兄さんがちょっと想像できないよ」

 

 それはまあ、確かにそうですね。

 女と見れば手を出す、魏の種馬、節操無し、噂だけなら随分と聞きましたけど……帰ってきてからの噂の御遣いさまは、女性と仲良くしようとはしますけど男性とも仲が良いですし。

 どちらかといえば艶っぽい話から、わざと自分を遠ざけようとしている感がありましたしねー。

 

「やっぱりあれですかね、勃たなくなっちゃったんですかねー」

「立た……? なにが?」

「いえいえなんでもありませんよ。曹操さんは他にはなんと?」

「うん。おかしいなーとは思ったんだけど、それぞれの将にお兄さんに抱かれる気があるのなら好きにするといいって。それ聞いた時、あ、あっ、抱かれるとかは別のお話だけどねっ!? えと……なんだかお兄さんばっかり華琳さんのことが好きみたいで、やだなぁって」

 

 ふむふむ。

 

「つまり一刀さんばかりが曹操さんに夢中で、逆に曹操さんは一刀さんを、三国の種馬の位置に宛がおうとしているのが、なんとなく気に食わないと」

「うっ……やっぱりそうなのかなぁ。お兄さんの気持ちばっかり空回りしてるみたいで、少しだけもやもやしちゃって」

 

 はぁ、と溜め息を吐いて、濡れた書簡を拭い終える桃香さま。

 うーん、少し考えすぎな気もしますけど……ようするに嫉妬でしょうかねー。曹操さんばっかりそんなに思われていてずるいー、といった感じの。自覚はないみたいですけど。

 

「まあいいじゃないですか。そうなったらそうなったで、きちんと好きな相手と結ばれて、ゆくゆくは子を生せるんですから」

「うん───ってわぁああっ!? ななななに言ってるの七乃ちゃん! わたっ、私はただお兄さんのっ……じゃなくて華琳さんのことでっ!」

「それとも見知らぬ誰かと国のために結ばれて、子供を産みたいですか?」

「それはっ…………嫌だけど……」

「今の一刀さんもきっとそんな心境ですよ。支柱になるために立ち上がったのに、いつの間にか大陸の父の話が纏まっていて、しかも愛する華琳さんがそれに賛成。あくまで友達として手を繋いできた私達に種を提供する、ある意味本当の種馬状態になりつつあるんですから」

「───あっ……」

 

 実際に、私たちがこうして楽しく騒ぐよりも、よっぽど考えていると思いますけどね。

 

「私……お兄さんの気持ちとかあまり考えないで、燥ぎすぎちゃったのかな」

「そうかもしれませんけど、そういうこともきっと一刀さんは考えてますよ。あれで無駄に人の心はほうっておかない人ですしね。にぶいくせして」

 

 自分ばかりで散々悩んで、出来るだけ誰かが傷つかない道を選ぶような人。

 蜀に居る期間だけで、そんなことは軽く理解できるほどのお馬鹿さんを見ましたし。

 

「そうですねぇ……よく知りもしない誰かに抱かれて心から望まない子を宿らせるくらいなら、もし私たちが望んでくれるのなら俺が~……と、そんな風に思っているんじゃないでしょうかね、あの困った人を見捨てられないお馬鹿さんのことですから」

「………」

「それで桃香さまは実際どうなんですか? よく知らない誰かの子に蜀の次代を任せるのか。それとも一刀さんと結ばれて産まれた子に次代を───」

「…………あの。もしも、もしもだけど。もしその……えと。私がそう望んだら、お兄さんは受け容れてくれると思う?」

「まあ最初は絶対におろおろと戸惑うでしょうけどね。ですけどぉ……そうですねー……真摯な気持ちには応える人ですよ。それが、私がお嬢様を任せるほどには見極めた、一刀さんの人間性ですから」

「───……そっか。うんっ、そっかぁ~っ!」

 

 私の言葉で、なにかしら得心することが出来たのか、胸の上で指を絡めて満面の笑みを浮かべる桃香さま。初々しいですね~、花も恥らう乙女って感じです。

 さてさて、これで支柱の話も多少の加速を見せるでしょうし、一刀さんの慌てふためく顔が目に浮かびます。本当にもう受け容れきっているのなら、こんな加速なんて望むところでしょうけどね。

 

「それじゃあ残りの書類も片付けちゃいますか~」

「うんうんっ、やっちゃおー!」

 

 軽く促してみれば、やる気充実といった様子で筆を手にする桃香さま。

 結局私も多少はからかえましたし、少し頑張っちゃいますか。

 あとで蜀将などに言い触らしたりしないよう、軽く口止めでもしないとですけど。

 でもこのギリギリの緊張感も悪くないんですよね。ほら、お嬢様を、気づくか気づかないかのギリギリの褒め言葉と貶し言葉を織り交ぜた言で持ち上げる時のように。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 事務所にて話し合いを続けている俺と数え役萬☆姉妹。

 そんな俺を、「うぃいっ!?」って勝手に声が出るほどの悪寒が襲った。

 

「? なに? どうかした? 一刀」

「えっ……いや、今言い様のない悪寒が走って…………なんだろ」

 

 なんだかより一層に覚悟を決めて、さらに頑張らないといけないような何かを感じたような……なんだろ。

 ま、まあいいや、とにかくこれからの三国連合に向けての活動内容、美羽が歌うにしても誰が楽器を扱うかをきっちり話し合おう。せっかくこうして時間を取ることが出来たんだから、出来るだけ纏められるように。

 

「で、楽器のことだけど───」

「もう一刀がやるしかないんじゃない? だってあのちんちくりん、一刀にしか懐いてないし」

「え? 俺?」

「そうだよねー。あの子が居るから迂闊に夜這いに行けないな~って、みんな言ってたし」

「みんな!? みんなって誰!?」

「ち、ちぃじゃないわよっ!? ちょっと姉さんっ、急になに言い出すのよっ!」

「はぁ……そもそもどれだけ言っても、都合上夜這いは無理よ、ちぃ姉さん」

「ちぃじゃないったら!」

 

 ……あ、ああ……うぅんと……まあその、いろいろな葛藤があったらしい。

 確かに思春がついてくるようになってからは思春が、美羽と知り合ってからは美羽と寝ているから、誰かが侵入してきた~なんてことは一度しかなかった。その一度っていうのも桂花だったし。

 それに地和の言う通り、美羽は俺にばっかり懐いている感がある。というかそうらしい。なもんだから、必然的に美羽関連の話は俺に向けられることとなり、今現在もまあこうなるんじゃないかとは軽い予想はついていた。

 しかしそうなると、警邏に鍛錬、書類整理に楽器練習、みんなとの時間も取りたいし、稟の妄想をなんとかすることとかも考えなきゃいけないし……ワーオ、さらに時間が無くなる。が、それこそ“しかし”だ。悩んで時間を潰すくらいなら、やってみせましょ男の子。

 

「よし引き受けた!」

「えぇえっ!? え、あっ……~……か、一刀がいいって言うんだったら、そりゃあ夜這いのひとつくらい───ってさっき自分でそういうことはしないって言ってたじゃないの!」

「え? えと……なんの話だ? 俺はただ、楽器の話を引き受けるって───え?」

「え?」

『………』

 

 地和と顔を見合わせ、停止。

 えーと……なんの話だったっけ? 美羽の楽器の話をしていて、懐いてるって話になって、何故か夜這いの話が───ちょっと待て! じゃあなにか!? 今俺、夜這いを引き受けようとかそういうことを言ったと思われてる!?

 

「いやいやいやいや違うぞ!? 夜這いを引き受けるとかじゃなくて楽器の話をだなっ! 大体そもそもが楽器の話をしてたのに、どうして夜這いの話が主体になってるんだよ!」

「相手がぁ、一刀だからじゃない?」

「天和さん、あなた暖かな笑顔でそんな……」

 

 乱世の中でしみついた種馬の印象は、そう簡単には消えなさそうだった。

 そういう認識が染み付いているからこそ、民に“将の体が目当てで支柱になるんじゃないか”とか思われないために、自分を律しようと思ったんだけどなぁ……誰にも言ってないけど。霞あたりなら“あっはっはっはっはぁ、今さら何ゆーとんねん”ってばっさり斬りそうだし。

 だからこれは自分との根競べと意地みたいなもんだ。みんなには悪いけど、協力してもらおう。

 

「それじゃあ夜這いの話はここまでにして、一刀さん」

「お、おう?」

 

 こほんと咳払いをした人和が姿勢を正すように座り直し、さらにかけていた眼鏡を直して俺を見る。急に改まれると、結構戸惑うな……。

 

「楽器のことだけど、経験は?」

「楽器? ああ、小さい頃にハーモニカとかリコーダーを吹いた程度」

「はー……も? ……ごめんなさい、天の楽器じゃなくて、ここの楽器の経験の話なんだけど」

「あ、そか」

 

 ここの楽器の話か。

 経験って訊かれたから自分の楽器経験を素直に話したものの、自分で言っててハーモニカは随分と懐かしいと感じた。

 

「楽器の経験はないな。中国───じゃなかった、大陸の楽器っていったら二胡とか古筝(こそう)だっけ?」

「それだけじゃないけど……大体は」

「そか。前に美羽が歌ってた時は七乃が何かを弾いてたんだよな? どんな楽器を使ってたんだ?」

 

 それがわかれば俺も美羽に合わせやすいと思うんだが……考えてみれば楽器の類は練習経験もそうない。及川あたりならギターに夢を抱いてショーウィンドウの前で目を輝かせてるイメージがあるけど、生憎と剣道も中途半端、それなりの実力しかなった俺だ。“楽器が得意である”なんてステキなスキルは存在しない。

 

「二胡……だった気がする。いろいろと余裕の無いやりとりをしていたから、楽器までは」

「余裕のないやりとりって……? あ、あー、まあいいか。そこらへんは美羽に訊いてみるよ。問題はその楽器がいくらくらいするのかだし」

 

 この世界の知識が欲しくて、戻った天でいろいろ調べた経験はあるにはある。その中には当然、楽器のこともあったわけだ。そうじゃなかったら古筝なんて名前を知っているはずもない。

 しかしながら……お値段はとてもとても高いところにあったと記憶する。

 贅沢を言わなければ黒檀木刀ほどはいかないものの、同じ黒檀を使ったものだと……お、同じくらいしたっけなぁ……?

 

『………』

「そこで黙らないで!? むちゃくちゃ怖いから!!」

「あぁっ、なんだったら一刀が作ってみるとか」

「や、だから天和さん? あなたそんな、眩しい笑顔でなんてことを」

 

 作れと言いますか。

 確かにそれなら材料を自分で集められればよっぽど安いだろうけどさ。せっかく作った蜂の巣箱をガラクタ呼ばわりされた俺にそれを言うか。

 

「だーいじょーぶ大丈夫~っ。あんなの糸張って、同じく糸で弾けば音が鳴るんだから」

「いきなり投げっぱなすなよっ! 目がそれじゃあ無理だって明らかに語ってるだろ!」

「だってちぃたち歌専門だもん」

「楽隊はきちんと雇っているし」

「安くないけどねー。あ、じゃあ一刀が楽器を使えるようになったら、楽隊さんに頼まなくても済むかもしれないねー♪」

「たった一人にどれほどの楽器を扱えと言いますか、天和さん」

 

 今さらだけど、あれ? なんか三人とも少し怒ってない?

 や、理由はなんとなくどころかわかってはいる。いるから敢えて話題には出さないようにしている。話が本当なら、天和言うところの“みんな”が、美羽が居るからこそ思うように俺に会いにこれなかったなら、美羽が居ないところ。つまりはこういうところでならと考えたりもしたんだろう。

 なのに俺自身がそれを拒んじゃあなぁ。

 

(………)

 

 理由が違ってたらただの自意識過剰男だな、俺。はは……気の所為気の所為。睨まれてなんていないさきっと。

 

「それでさ、気になったんだけど……今度の三国が集まる日はいつなんだ?」

「一刀さんが帰って来る前までは一月に一度。帰ってきてからは、一刀さん自身に各国でやらなきゃいけないことが出来たから、学校の話や民の沈静が終わるまでは普通に過ごしましょうって話になったの」

「え……そうだったのか?」

 

 初耳なんだが……え? 俺が原因なの?

 そりゃあ、他国に民を鎮めに行ってるのに、そこに他国のみんながなだれ込んでのどんちゃか騒ぎをすれば、沈静化どころの話じゃなくなる。

 蜀にしたって学校の話を纏めようって時になだれ込まれてもなぁ。

 なるほど、そう考えてたからこその現在か。

 

「あれ? そうなると、各国での用事も済んだ今、そろそろ……?」

「ま、そろそろでしょうね。その時はちぃたちが他国のみんなも驚かせちゃうくらいにいい歌を歌っちゃうんだからっ」

「うん、お姉ちゃんも頑張っちゃうねー♪」

「燥ぎすぎて歌を間違えたりしなければいいけど……」

「あ、それは俺も不安……」

 

 二人同時に溜め息を吐いた。

 地和と天和はそんなことはしないと断言するものの、その自信がどこから来るのかって考え出したら、逆に不安を煽ることにしかならなかった。

 

「じゃあ、今度の公演は三国連合の時ってことでいいか?」

「もっちろんっ」

「お客さんの数は少ないけど、相手が各国の王や将だから……普段よりも緊張するのは確かね」

「れんほーちゃん? 緊張なんかしちゃうより楽しんじゃえばいいんだよー?」

「そうだな。いろいろ準備したのに三人が楽しめないんじゃ意味がない」

「それはもちろんだけど、緊張も必要なものでしょ?」

 

 まあ……天和と地和が燥ぎまくる分、せめて一人でも冷静な人が居ないと大変なことになる。そんな“大変”って光景が目に浮かぶようだよ。で、いっつも苦労を背負うのはその“冷静な人”なわけだ。

 俺と人和は無言でキュムと手を繋ぐと、やはり長い長い溜め息を吐いた。

 ええ頑張りましょうとも、次の三国連合まで。仕事も鍛錬も楽器のことも、全力で。

 ただ、事務所を出る時に念を押すように心配された。自分ではすっきりしたつもりだったのだが、どうにも顔色が悪いらしい。

 これで無理して倒れたりしたらそれこそ本末転倒だ。

 三人の忠告をありがたく受け取り、休める時は思い切り休もうと心に決めた。

 手始めに、食いっぱぐれた朝餉の代わりに昼餉を食べて、一息ついたら美羽と一緒に昼寝でもしようか。せっかくの非番なんだし、心置きなく。

 誰かしらの乱入を受けそうだけど、そうなったらそうなった時だな。

 



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62:魏/技を編み出した人を尊敬した日①

105/閃いても実用出来るとは限らないもの

 

 ……チュンチュンチュン、チ、チチチ……。

 

「……んあ?」

 

 小鳥の囀りで目が醒めた。

 もやがかかった視界を軽くこすり、ぐぅっと伸びをしてみれば、視界と同じくもやがかかっていた頭もようやく動き出す。

 まずは上半身を起こして軽く血の巡りを確かめつつ、隣で穏やかに寝ている美羽の頭をひと撫でしてから寝台を下りる。

 

「ん、んっ……ん~っ……!」

 

 そこでもう一度伸びをして、はぁっと息を吐いた。

 窓から差し込む朝陽を見ては“今日もいい天気だな”って頷いて、そこからは早い。

 寝巻きという名のシャツから胴着に着替え、襟をビッと引き締めると同時に───

 

「……あれ? 俺の休日は?」

 

 ふと、今日が非番の日の翌日であることを思い出した。

 あ、あれ? えーと……張三姉妹と話し合って、厨房で美羽と昼餉を食べてからは軽い腹ごなしをして、部屋に戻ってからは……美羽と昼寝をした、ところまでは覚えているんだが。

 エ? もしかしてそのまま朝までごゆっくりコースですか?

 

「どれだけ疲れてたんだよ、俺の体」

 

 だって朝、事務所で寝たんだぞ? なのにその後に朝までって……はぁあ。

 やっぱり無茶も無理もしてるんだろうなぁ俺。

 改めて考えてみれば、これが無理や無茶じゃなくてなんだって話だが。

 軽く身を振ってみても、けだるさの残る体。

 中庭で思いっきりほぐすかーと溜め息混じりにこぼし、準備を整えたらいざ厨房へ。

 

「じゃ、行ってくるからなー」

 

 俺と同じく随分と寝ているだろうに、まだ平然と熟睡中な美羽の頭をさらりと撫でていざ出発。竹刀袋が刺さったバッグを肩に引っ掻け部屋を出て、厨房までの通路を歩く。

 出来るだけいろいろなことを考えて脳を完全に起こそうとしてはみるものの、なかなか上手くはいかない。もやは晴れているものの、シャッキリとはしていない。

 それでも厨房へ辿り着き、「来る頃だと思っていました」と水と食事を用意してくれていた侍女さんにお礼を言って、早速喉と胃を潤し、食事で満たす。

 それが済めば、あとは中庭で散々と鍛錬をするのみ。

 食後にもう一度お礼を言うと、侍女さんが「本日も頑張ってください」と見送ってくれる。俺はそんな笑顔に何度か目を瞬かすと、しっかりと笑顔でありがとうを返して厨房を出た。

 ん、勇気もらった。

 それじゃあ改めて、頑張りますかぁっ!

 

「よしっ!」

 

 中庭にやってきて、まずすることといえば準備運動。

 急に激しい動きはせず、血の巡りをよくするのと胃袋を刺激することで、消化を促進させる。実際に胃の中を見て調べたわけでもないから、“本当に効果があるのか”なんて訊かれれば、当然わからないと答える。が、そういうもんだって思えば、人体っていうのは案外応えてくれるものだと勝手に信じている。だってやらなきゃ始まらないもの。

 そんなわけでストレッチから始め、軽い運動に繋げ、それが済んだ頃にやってくる春蘭と華雄に手を振る。思春は今日も警備隊の仕事だろう。

 

(ありがとう、いつも迷惑かけてます)

 

 心の中で感謝をして、準備運動なぞ知らぬといった風情で早速得物を手にする二人を前に、気を引き締める。

 

「って、今日は走りは?」

「飽きたから知らん。今日は最初から模擬戦闘をするぞっ」

「早っ!? 飽きるの早っ!!」

 

 しかも華雄もうむうむ頷いて、金剛爆斧を朝陽に翳してゴシャーンと輝かせてるし!

 

「いや待とう! 真剣はまずいって! これ言うのも何度目か忘れるくらい言ったけど、きちんと模擬刀でっ!!」

「なにを言う! そんなもので戦の緊張感を味わえるか! 貴様はなにか!? 本当に戦に身を投じることになった時にも、敵に模擬刀を求めるのか!?」

「なんでこういう時ばっかり物凄く説得力があること言うかなぁ!!」

 

 秋蘭!? 秋蘭! この大剣さまを止めて! 俺じゃあ何を言っても止められない!

 なんて願っても秋蘭居ないから無駄だった。はは……わかっていたさ……。

 

「ちゃっ……ちゃんとそのっ……! すんっ、寸止めっ! して、くれるよ……な?」

「寸止め? 何故だ?」

「いやぁあああああっ!? だめっ! やっぱりだめっ! 死ぬ! 今日こそ死ぬ!」

「ええい何をわけのわからんことを! そんなものは貴様がいつものようにのらりくらりと避けていれば済むことだろう!」

「かかかかかぁあああかか軽く言うなぁあっ!! 人がどれだけ神経集中させて攻撃避けてると思ってんだぁあああっ!!」

 

 しかしそんな言葉はどこ吹く風。

 春蘭は一言「そんなものは知らん」と言って、ニヤリと笑んだまま武器を構えた。

 ……さようなら、サワヤカな朝。

 そしてようこそ、地獄の始業ベル。

 

  覚悟、完了。

 

 一度決めてしまえばもう戻れない。

 目を閉じ、胸をノックすると心も大分落ち着き、静かに目を開けばお待ちかねな春蘭。

 やるからには勝つ気で。

 

「───よしっ! じゃあいくぞ春蘭! 今日は三本勝負じゃなくて真剣一本勝負だ!」

「ふははははいいだろう! 来るがいい! その威勢ごと潰してくれる!」

 

 気合い一発、声に出して向かってみれば返される言葉。

 それはまるで悪役の台詞のようで、少し笑ってしまったのは内緒だ。

 こうして唐突に戦うことになってしまったわけだが、運動は念入りにしておいたから十分に動ける。

 走り終わったあとだと俺のほうがへとへとになっているケースが多いから、仕合をするなら今は丁度いいと言える。

 

「せぇええいっ!!」

 

 まずは開始の合図とでも言えばいいだろうか。

 互いが振るった得物が互いの間で音を立ててぶつかり合う。

 それから軽い力比べののち、斬り弾くように互いを押し退け、下がった先でフゥッと息を吐き捨てる。

 あとは順序など知らない、己の全てを込めた戦いが待つだけ。

 

「……? 北郷貴様! 何をした!」

「いきなりなんのことだよ!」

 

 氣を纏わせた木刀を振るう。

 相手の胴を狙ったそれは彼女の七星餓狼によって容易く弾かれ、その動作そのものが攻撃へと転じる。それを軽く身を仰け反らせることで避けるや、到達の早い突きで反撃。

 武器を振るったあとだっていうのに軽くそれを避けて見せるややはり武器を戻し、反撃に移る。横薙ぎは弾き、突きはほぼ避け、かといって上段からの攻撃は力ずくで弾き返され、攻撃のほぼが無効化される。

 

「前よりも随分と攻撃の活きがいいぞ! なにかしたんだろう!」

「攻撃の活きってなに!? って、ああおわぁああっだ危ねぇっ!?」

 

 口調なんて気にする余裕も無い、格好の良さなども知ったことではない。

 戦に必要なのは当てること避けること防ぐこと、そして打ち勝つこと。

 格好など気にせず、避けられるのならどんな格好でだろうと避け、無様だろうが受け止めて、次へ次へと繋いでゆく。

 髪を掠める一撃に背筋を凍らせるのも一瞬。その一瞬後には反撃をし、その反撃さえ返されても返されたそれを利用して返してやる。

 そういった互いの力を利用した攻防が続く中で、まだ互いに一度も食らっていない、当てていないことにニヤリと笑みを浮かべる。

 俺は自身の成長の喜びのため。

 春蘭は恐らく……多少でも相手になるようになった俺への笑み。

 

「それでどうなんだ! 何かをしたのか!」

「ただ思いっきり休んだだけだよ!」

 

 言ってみれば体はいつもより軽く、気力は充実していた。

 振るわれる撃を見る目も普段より視界が広まった気がするし、集中力も随分と持続している。けだるさの残っていた体は準備運動ですっかり覚醒して、今では自分の意思に応じた動きをこなしてくれている。

 ……休むことって、やっぱり大事だな。

 

「ふっ! はあっ!」

「よっ! はっ! ほっ!」

 

 春蘭の攻撃の初動をしっかりと見て、どんな攻撃が来るかを予測。

 それに合った回避動作を取り、振り幅が大きい攻撃に際しては遠慮無用に突撃をかける。

 しかしそんな隙も、強引に戻した振りで難なく弾き返され、手が痺れたところに逆に突撃を仕掛けられる。

 

「はっはっはっは! なるほど! 華琳さまが言っていたのはこういうことかっ!」

「いづっ……! 言ってたことってっ!?」

 

 振り幅が小さな一撃でも腕に響くそれを受け止め、反撃をする中で訊き返す。

 しかし楽しげにニヤリと笑むだけで、これといった言葉は返ってこない。

 そう。ただそこにあるのは、いつしか俺相手でも楽しんで武器を振るう春蘭の笑みだけ。そういえば前に、俺と戦ってなにが楽しいんだかって話を華琳や春蘭、秋蘭としたっけ。

 それを思い出しての言葉だったのか、なるほど。確かに春蘭は楽しげだ。

 でもあの? こっちは本気で勝つつもりで行ってるのに、笑いながら捌かれると悲しいんですけど?

 ……くそっ、なんだか一泡吹かせてやりたくなった。

 そんなことを考えると大体失敗するのが常だが、それでもだ。

 

「───」

 

 脱力。

 体に満ちている氣を関節ごとに込め、残りを木刀に込める。

 いわゆる防御を捨てた攻撃重視の錬氣。

 身の振りで関節ごとに加速。あとは氣でゴッチゴチに固めた木刀を叩き込む。ただそれだけ。

 ただ攻撃の軌道が単調になりがちだから、誰が相手の時でも使えるものじゃない。

 避けることより受け止めることが多い相手だからこそ、信頼して振れるなんていう、案外失礼な攻撃方法だ。

 

「ひゅぅっ───!」

 

 呼吸をして疾駆。

 接近するや身を捻るとともに攻撃を加速、振り切った木刀が春蘭が構える七星餓狼と衝突。金属同士がぶつかったような、耳どころか骨身に響くような音を立てて、春蘭の体が軽く怯む。

 その事実に春蘭が驚いた───瞬間には、もう二撃目を振るっていた。

 関節に要らない負荷をかけてしまうものの、加速と威力は折り紙付き。

 避けられはしたものの、雪蓮を一時的にだろうと妙に本気にさせてしまった技法だ。

 当然避けられれば呆れるくらいの隙が出来る。だからこその、受け止める相手限定の技。

 

「むっ! ぐっ! 北郷貴様ぁあ! こんな一撃が出せるなら最初からしろ!」

「一応奥の手なんだから、後で出すのは当然だろっ!」

 

 加速させるには一定の工程を行わなければいけない。

 威力重視なら捻る関節が多いほどいい。ならば袈裟や払い等は威力重視に向いている。

 しかし突きは中々難しく、やるとするなら片手で突き出したほうが加速する。

 下半身から上半身の肩までの加速を最大として突き出すのだから、肘や手首の加速は多少落ちる。速さはそれはあるものの、攻撃の幅が点であることは変わらず、戦で散々と戦いの勘を鍛えた猛者相手に突きはあまり有効じゃない。

 やはり加速をしても避けられるものは避けられてしまい、お返しにと振るわれた攻撃を危なげに避けてばかりいた。

 一応、加速は避けのほうにも向いてはいるのだから、防御ではなく避けるだけならこれほど優れた技法もないかもだが……当たれば一撃でいろいろと大変だ。なにせ氣で体を防御出来てるわけじゃないから。

 氣があるのは関節と木刀のみ。そこ以外に撃を落とされれば、最悪“ゾブシャア! ギャアアアアア!”ってことに……!

 そんなわけだから集中だけは途切れさせるわけにはいかない。

 

(よく見て、避けて、攻撃して……!)

 

 時にはいつか自分が桃香に言ったことを思い出し、大振りで威力重視にするのではなく、あくまで速さを利用した連撃で攻める。

 そう。武器が刃物なら、当てることだけを考えるように。

 しかしながら攻撃が速さだけのものになると、受け止めるだけでは済まないのが宅の大剣さま。

 速度だけのソレはあっさりと豪撃によって弾かれて、本気で手どころか腕まで痺れたところへと、トドメの一撃が───!!

 

「見える!」

「なにっ!?」

 

 だがそれがどうしたとばかりに、健康である足を使って避ける。

 そして、手や腕が痺れていようが、氣で手にくっつけたままの木刀を肩で振るい、まさか避けられるとは思ってもいなかったらしい驚愕の表情を浮かべる春蘭へ───!

 

「させるかぁあああっ!!」

「うぃいっ!?」

 

 しかしここに来て、またしても強引に振り切った腕を戻す彼女。

 その戻しの速さは鈴々並みで、この速さでは確実にまた弾かれると判断。

 ならばその戻しに力が入りきらない今こそをと、既に加速が成された体から氣を掻き集め、その全てを木刀に託す。

 

『───!!』

 

 二人同時に何を口に出したのかは覚えていない。

 ただ、氣の光を帯びた木刀が春蘭の七星餓狼と衝突した瞬間、視界は光……いや。視界が眩むほどの火花で満たされ、聴覚は轟音によって耳鳴りをもたらし───

 

「───! あっ……」

 

 途端に、氣で繋げていた木刀は手から離れて宙に舞い、対立していた女性は地を滑り、腕を痺れさせたのか、だらんと下げられた手から七星餓狼がこぼれ落ちそうになるや、無理矢理それを地面に突き立て、落とすまいと構える。

 

「───! ……、……!? ───!!」

 

 そんな春蘭がなにかを叫んでいる……んだが、しかしながら耳がキーンって鳴っていて聞こえやしない。「耳鳴りが酷いからちょっと待って」と返してみたんだが、きょとんとした顔の後に怒りだす大剣さま。

 あ、やっぱり春蘭も耳、聞こえてないみたいだ。

 しかし相手が春蘭だから油断は出来ないと判断。一応注意しながら木刀が落ちた場所までを歩き、木刀を……ぼ、ぼぼ木刀をぉお……! くはっ! だめだっ! 痺れてる所為で手が上手く動かせない!

 

「こんのっ……おぉおおお……!!」

 

 ならばと搾り出した氣で手とくっつけてみようと伸ばしてみると、木刀にまだ残っていたのだろうか。木刀に流した氣と手に無理矢理集めた氣が結合して、木刀にこもっていた氣が体内に流れ込む。

 

「……えと。ものに氣を宿らせるのって難しいって聞いたんだけどな……。無理矢理宿らせすぎて気脈でも出来たか……?」

 

 不思議な感覚だと感じたけど、もはや他の武器でこうまで上手く立ち回る自信は無くなっていた。もちろん木刀に残っていた氣は、散っていたものまでを掻き集めたものではなかったため、込めていたもの全部とまではいかない。精々、けだるさを感じずに構えられる程度だ。

 そうこうしているうちに耳も聞こえるようになってきて、春蘭の声も……あ、丁度、怒鳴るのやめた……。あるある、聞こうとした途端に話が終わること。

 

「あのー、春蘭ー? 全然聞こえなかったから、もう一回言ってもらっていいかー?」

「なんだとぅ!? 貴様ぁっ! 人の話はきちんと聞けと教わらなかったのか!!」

「春蘭だって華琳の言葉ですらちゃんと理解してなかったことあっただろ!」

「わたしが華琳さまのお言葉を理解しなかったことなど一度たりとも───」

「韓非子の孤憤篇」

「はうっ!?」

 

 怒っていた様子が一気に怯みに転じた瞬間だった。

 よっぽど虚を突かれるかたちになったのか、武器を手放して後退った。

 

「なな、ななななにを言っている? あれはきちんと、華琳さまに“これだ”と言われただろう」

 

 平静を装っていても、言われれば瞬時に思い出すことではあったらしい。

 あからさまに声を震わせ、視線を……いや、視線だけはきっちりこちらに向けて言ってきた。春蘭のこういうところってすごいよなー……自分がどれだけ不利でも、目を逸らすことはしないし。見習いたいもんだ。

 

「その様子だと、あとから秋蘭あたりに説明されただろ」

「ええいうるさいっ! だったらなんだというのだ!」

「なんだ、って……いや、話の流れすら忘れたならいいんだけどさ……」

 

 話に夢中になってて意識がこっちばかりに向かってるとこ悪いんだけど、と。とことこと春蘭に近寄るその過程で七星餓狼を拾い上げるとまず一言。

 

「ところで勝負ってどうなったんだっけ」

「? そんなもの、続行に決まっているだろう!」

「で、春蘭? 武器は?」

「武器? 武器は───あ」

 

 ちらりと見る俺の手。そこには七星餓狼が握られており、それに気を取られた瞬間、俺はあくまで自然な動きで軽く木刀を振るい、木刀を春蘭の頭に撫でるつもりでぽくりと落とした。

 

「───」

「はい一本」

 

 ポカンと目をまん丸にして停止する大剣さま。

 生憎とこちらも余裕はなく、武器を返してもう一度となると“無理”としか言えない。

 

「なっ、あっ……ま、まだだっ! あと二本───」

「やる前に真剣一本勝負っていって、いいだろうって返したよな? まさか華琳の言葉を正確に受け取るっていった春蘭さまが、ウソをついたりなんかしないよな?」

「はうっ!?」

 

 なので、からかう意味も込めてそう言ってみる。

 勝ちには執着したいが、やっぱり真正面から勝ちたいって思うし……流れでこんなことになったけど、耳鳴りが無いまま対峙していたら、きっと聞こえなかった春蘭の言葉とかを聞きながらでも木刀を拾って、すぐに攻撃を仕掛けていただろう。

 その反応を見れば春蘭も、痺れていようが無理矢理剣を取って戦っていたに違いない。

 ほんと、妙なところであと一歩が足りないというか……格好いい終わり方は迎えられない。べつに格好いいほうがいいと言うわけでもなく、無様だろうが勝ちたいとは思う。格好つけて死ぬのは逆に格好悪いし。

 でもまあなんだろう。理屈をこねて勝ちを譲ってもらおうとするのは、戦いとは違う気がする。そういうやりとりをして楽しむ相手は星くらいで十分だろう。

 なのでハイと拾った得物を突き出すと、春蘭はそれをひったくるように手に取り───肩に担ぐようにして構える。

 勝敗に納得出来ないんじゃあ仕方ないもんな。

 

「じゃ、今のは無効で───」

「これからが本番だ!」

 

 春蘭の目に楽しげな色が再び浮上した。さっきまでの言葉のやりとりは一切なかったことにするつもりなのか、それとももう忘れたのか。

 どちらにせよ武器を構えて双方が距離を取った時点で始まっていたソレは、再び双方が地を蹴り、得物を衝突させた時点で止まらぬものへと発展していた。

 ───が、氣を扱えなければ“多少武をかじった程度”のレベル俺が、本当の武人相手にそう長く立ち回れるはずもなく───なんて弱音を早々に吐くわけにもいかず、気合いを込めての攻防が続く。

 

「はっ! くっ! てぁあっ!!」

「ふははははっはっはっは! どうした北郷ぉおっ! 見る間に動きが遅くなっていってるぞ!!」

「わかっちゃ……っ……いるんだけどなっ……!!」

 

 氣の絶対量が増えても、無駄に消費してしまう自分の在り方はあまり変えられていない。

 しかしながら男の意地というのか男意気というのか、愚かにも“これからが本番だ”と言われてからは“本気で打ち合おう”と決めてしまった俺は、押し退けられることはあっても自ら下がることは絶対にしない覚悟を刻んだ。

 避けることもせず退くこともしない。正真正銘の打ち合いを始め、受け止め受け流すとともに次から次へと氣を練成。

 少しずつ元の絶対量を目指して蓄積させ、それが満ちると本当の本気で打ち合う。

 春蘭の攻撃に合わせて普通に木刀を振るったところで、その木刀ごと吹き飛ばされる、もしくは精々で地面を滑る程度で済ませられる程度。

 ならば振るわれる一撃一撃に加速させた一撃をぶつけることで返し、轟音が骨身に響き、視界内で氣っていう閃光が弾けようが、構わず攻撃を続ける。

 氣で手と繋げている木刀からの振動は、嫌なくらいに体に響く。それはこちらの全力を弾いている春蘭だって同じだろう。

 なのに、そんな痺れや痛みは感じぬとでもいうように春蘭は笑みを浮かべ、俺だけが表情を歪ませていた。

 

「くそっ! なんだってそんな平気な顔でっ……!」

「なんでだとぅ? ふんっ、貴様とは潜り抜けた場数が違うっ! 貴様にしては中々の豪撃だが、これしきを放つ将など戦場にはごろごろ居た! それ以下のものを何度くらったところで、わたしが膝をつくことなど有り得んのだ! はーっはっはっはっはぁっ!!」

「んなっ……!?」

 

 無茶だ無茶だとは思ったけど、そこまで次元が違うのか!?

 ほんと、どうかしてるだろこの世界!

 

「だからもう一度、わたしを強引に下がらせたあの一撃を出せ! 今度は弾き返してやる!」

「あの一撃……!? な、なんのことだよっ!」

「だからさっきから何度も言っていただろう! 貴様が耳が聞こえなくなるほどの音を出させたあの一撃だっ!」

「へ!? ……あ、あーあーあー!!」

 

 それのことか! つまりなんかこっち見て叫んでたのは、今のをもう一度撃てとかさっさとしろとか叫んでたってことか! その割には剣も拾わなかったけど!

 

「っ───だったらどうにでもなれだっ!」

 

 どうなっても知らないぞなんて言葉は口にしない。

 こちらの最高をどれだけ出しても、軽く返されてしまうイメージが容易く頭に浮かんでしまっていたから。

 だから“下がらない覚悟”を“どうなってでも勝とうとする覚悟”へ変え、後ろへ低く跳躍するように下がり、着地と同時に構え。

 手を鞘代わりに居合いの構えをするや春蘭に向かって地を蹴る。

 まずは足に込めた氣にて、射程に入るや氣の大半を右足に集中。大地を踏み潰す勢いで叩きつけた足の底───そこに響く衝撃を氣で吸収、即座に足首に送ると加速を開始させる。

 

  相手の攻撃を左手で吸収、破壊力に転化する要領の応用。

 

 自ら発生させた衝撃を吸収した氣を螺旋のイメージで足から腰、腰から肩といった順に加速移動させ、最後には木刀へ。

 足での加速が終われば、足の氣は速度ととも次の加速部位へと飛ばされ、その部位の加速を助ける。冗談抜きで関節への毒にしかならないことを関節の数だけ続け、最後の加速が終わると───全身の氣が最高速度とともに木刀に乗り切る。

 鞘代わりにしていた左手の指が、急な加速で放たれた木刀の摩擦で火傷し切り傷を残そうが知ったことではない。そこのところは後で思う存分痛がろう。だが今は、せめて痛みに目測を誤る無様をしないため、痛みを飲み込み、見開いた目では確実に春蘭を捉え続けていた。

 

  ───やがて、先ほどよりも高く響く轟音。

 

 “振り切った”のは俺ではなく春蘭。

 俺の腕は俺の意思とは関係無しに後方へ弾かれて、関節どころか骨全体にミシミシと走る“音”が痛みとなって感覚を支配する。

 振るわれた渾身は恐らくの渾身で返された。が、弾かれてなお木刀を握る力は緩めない。

 しかし勢いに飲まれた上に骨に走る軋む音と痛み。それらを抱えた体がそう簡単に俺の意思を伝えてくれるはずもなく、瞬時に体勢を戻せない俺の目を春蘭は一瞥。それだけで受け取ってくれたものがあるのだろう。

 七星餓狼を構えると、体勢を戻せないままの俺へと向けて一歩。そののちに剣の腹が俺の腹部目掛けて振るわれた。それで終わり。───普通なら。

 

「っ……くおっ……おぉおおおっ!!」

 

 右腕は弾かれた状態のままに痺れ、戻せない。

 ならば左手だと、剣の腹を左手で受け止めて衝撃を吸収───……あ。氣、全部木刀にギャアアーッ!!

 

 

 

  錐揉みしながら見上げた空は

 

  とても落ち着きがなくて

 

  二度と見たくないと思いました

 



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62:魏/技を編み出した人を尊敬した日②

 で……。

 

「げっほっ……! つぁっ……はぁ~っ……! け、結局っ……負ける、わけか……!」

「………」

 

 ───地面に倒れる俺と、立っている春蘭。

 ただし春蘭の手には七星餓狼はなく、彼女の足元に落ちていた。

 今出せる渾身だ。なんとかもう一度、手を痺れさせることくらいは出来たんだろう。

 理屈や技術で攻めてみたって“敵わない本物”っていうのは、やっぱり強いなぁ……。

 

「おい北郷」

「はっ……ん、んー……? なん、だぁ……っ……?」

「貴様は力をつけてどうしたいのだ? 強くなったところで、平和な世では持て余すだけだぞ」

 

 そう言いながら、痺れていようが構うものかと無理矢理動かして七星餓狼を拾う。

 そうしてから俺が倒れる横にどかりと座って、横を……春蘭の方を向いた俺の眼前の地面に七星餓狼を突き刺す。

 ……思わず「うひぃっ!?」て悲鳴が漏れた。勘弁してほしい。

 

「“強くなってどうする”かぁ……恩返しがしたいかな」

「恩返し?」

「そ。いっつも守ってもらってばっかりだったから、いつかほら、たとえば春蘭が体調不良を起こしたとして、そんな時くらいは守ってあげられる自分になりたい」

「何を言っている? わたしは体調不良になどならんぞ?」

 

 本気できょとんとした顔で返された。

 どこまで自分の健康状態を疑ってないんだこの人。

 

「まあ……うん。もしもの話だって。俺の“国に返したい”っていうのは、ほんとにいろんな意味が混ざってるからさ。そんな場面になっても何も返せない自分でいたくないっていうのが大きな理由」

「……? よくわからんが、そうか」

 

 体調不良じゃなくてもたとえばほら、その。身篭った時とか。

 そうなったらなったで、俺なんかよりも秋蘭が群れのリーダーが如き野生味を発揮しそうな気がしないでもない。

 強いだろうなぁ……“姉者には指一本触れさせん”とか言って、殺気でも怒気でもない、ただ只管に冷静な眼光に睨まれて、気づいたときには心臓に矢が立っていた……! とか。

 想像したら怖くなった。やめよう。

 

「しかしまあ、今日はよくやった方だがわたしには勝てんなっ、そんなことではよくわからんが返すものも返せんぞ」

「そんな嬉しそうに言うなよ……これでも頑張ってるんだから」

「……おおなるほど、あれはこういう時にこそ言うんだな?」

「……春蘭? なにが?」

「あ、あー……“結果を残せなければどれだけ頑張ったと言おうとも意味が無い”だっ!」

「………」

 

 ……刺さった。

 華琳からの受け売りなんだろうけど、物凄く刺さった。

 うう……もっともっと頑張らなきゃだめか……。いやそもそも不意を突いた行動以外で勝てる気がしないんだが。

 星も“隙を突くなどしないで勝てれば”だのどうのこうの言ってたけど、それをさせてくれないのがこの世界の武人だと、この北郷めは思うわけですよ。

 

「肝に銘じておくよ……。でも今は休みたいや……」

「そうか? よし、ならば華雄! 次は貴様だ!」

「フッ……望むところ!」

「休み無しかよ! 華雄も“望むところ!”じゃなくて! 春蘭、少しくらい休んだほうが───」

「んん? 多少手は痺れたが、こんなものどうということはないだろう」

 

 “何を言っているんだ”って顔できょとんとされた。

 え……? 俺……? 俺が間違ってるのか……? なんて思っているうちに、早速ぶつかり合う二人を見て途方に暮れる。広いね、世界。いやこの場合広いのか?

 

「この場合、広いのは武の世界ってことでいいのかな……」

 

 全然元気に剣を振るう春蘭を見るとさすがに少しショックだった。

 少し休めば動けるようにはなる。……なるけど、あそこまで休み無しっていうのは無理だよ。うん無理だ。

 

「はぁ……氣を練りながら休むかぁ」

 

 木刀に宿らせていた氣もいつの間にか散ってたし……なんにせよ、今は休憩したい。

 溜め息をひとつ、倒れたまま空を正面に捉えてから目を閉じた。

 眠れるようならこのまま寝るのいいかもしれない。心地いいとまではいかないものの、眠るには丁度いいだるさが体を包んでいるし。

 ……いや、汗拭かないと風邪引きそうだ、やめておこう。錬氣錬氣。

 

……。

 

 疲れた体に鞭打ちながらの錬氣も終わり、いつもの木の幹に背を預けながら、元気に撃を連ねる春蘭と華雄を眺める。

 見ている分には“ああ、あそこはこう動いたほうが”とか“えぇっ!? そこはこうじゃっ……”とか思うものの、実際向かい合ってみればそんなことを考える余裕は生まれてくれない。

 迫力に飲まれるっていうのはああいう時のことを言うんだろう。

 頑張ってはみても、乱世を潜り抜けた武人の迫力っていうのはそう簡単に飲まれずにいられるものではなく、気づけばこう来たらこう動くって意識を手放してしまっている。

 そのくせ小細工は思いつくからなんとか頑張り続けてみるのだが、結局はどこかでポカをやらかして……まあその、空を飛ぶ。

 春蘭と華雄の動きを頭に刻みながら自分が戦うイメージを展開してみるものの、最後はやっぱり負けてるんだよなぁ……上手くいかない。

 さて、まあそれはそれとして。

 

「体力、よく保つなぁ」

 

 休み始めてから結構経つというのに、まだまだ元気に武器を振り回す二人を見る。

 持久力には自信がついてきたつもりだったけど、それはあくまで走りの方のもの、なのかも。

 まだまだ武器を振るうために使う部位の鍛えが足りないみたいだ。……どこまで鍛えればあそこまで戦えるのかは別として。

 と、自分が守れるようになる日ってのはいつの話になるんだろうって、本気で思い始めていた時。視界の端に見えていた通路をテコテコと歩く姿を発見。

 羽織に袴、胸にはさらしっていう、相変わらず寒くないのかって姿で歩いている。

 ……なんか機嫌がいいっぽい。にんまりとしている……つつけば猫耳でも出しそうだ。

 原因は手に持っている徳利だろうか。その顔があんまりにも嬉しそうだったから、声をかけるなんていう無粋な真似はせずに見送ると、やがて霞は通路の先へ───はいかず、中庭に下りてきた。

 ハテ?と思っていると、俺が座っているのとは別の立ち木に腰掛けて、模擬戦を肴に酒を呑み始めるじゃないか。

 

(……なるほど、よーするにいい酒と肴があったからにんまりしていたと)

 

 静かに飲みたい日の他に、激しく飲みたい日もあるようだ。

 楽しんでるみたいだし、やっぱり声はかけなくていいな。

 俺のほうも、今はちょっと女性に傍に居られたくない理由もあるし。

 全力の全力、思いつく限りの悪あがきをした達成感や興奮、生命の危機を味わったからだろうか……アレが大変元気になってらっしゃいまして。胴着の多少のたるみで誤魔化してはいるものの、気づかれたらいろいろとマズイ。

 ああもう、錬氣しているうちにさっさと治まってくれればよかったのに……!

 なにを考えてらっしゃるのか、このある種の独立意思はぁああ……! こんな時こそ冷静になりましょうと構えたって治まりゃしないよもう……!

 

「………」

 

 いやいや冷静に冷静に。

 なにか楽しいことを考えよう。これ以上興奮してはいけませんよ北郷一刀。

 楽しいこと……あ、夢のことを考える~とかでもいいよな。

 そういえば最近見た夢は───

 

「………」

 

 ───思い出した途端に、いうことを聞かなかったマイサンが治まりを見せた。

 ありがとう貂蝉、キミのことは必要な時には思い出す程度に忘れない。

 いや待て。それは“ありがとう”ってレベルじゃない。

 けど人はこうして知恵をつけていくのですねと、妙な知識を得たつもりになって空を仰いだ。大変な時は貂蝉を思い出そう。いろいろ間違っている気がするが、それはきっと支柱の道に繋がっている。そう勝手に思っておくことにして、呼ぶんじゃなく自分から霞が座る木の下へと歩いた。

 今日もいい天気。ただ座っているだけなのももったいない。そう思ったら、人の戦いを見ながら酒を呑むのも悪くないと思った。

 

 ……そう。

 思っただけだったんだが……。

 

「あのー……霞さん? どうして俺、木刀構えさせられてるのカナ」

 

 訊ねる俺の目の先には、偃月刀を構える霞さん。

 一応重いだけのレプリカだが、知っての通りこの時代の猛者な皆さまの手にかかれば、どんな鈍器だって凶悪な武器です。

 

「んー? なんでって、そらウチと仕合うために決まっとるやん」

 

 あと、鈍器でも速度さえ乗せれば案外なんでも斬ってみせるのが、この世界の猛将というものです。

 ……あれ? 今度こそ死ぬ?

 

「いやいやいやいや酒は!? さっきの上機嫌は何処に行った!?」

「上機嫌やからこうして得物構えとるんや~ん♪ ほら、なっ? はよやろ一刀っ!」

「う、うううっ……! 乳酸が勝手にエネルギーになる体が欲しいよぅ!」

 

 “どういうわけか”もなにもなく、戦いを見て酒を呑んだらじっとしていられなくなった霞に誘われるまま、いつの間にか霞と向かい合っていた。

 そして叫ぶ言葉は人体への挑戦と言ってもいいようなワケのわからない言葉であり、一言でいうなら“何故こんな事に……俺は間違っていたのか?”的ななにかな状況だった。

 誰か僕に乳酸をエネルギーに変えるクエン酸をください。

 

「やるからには全力で……! 覚悟、完了!!」

「よっしゃいくで一刀ぉっ!」

「来いっ! 霞ぁああっ!!」

 

 しかしながら一度覚悟を決めて構えてしまえば引くことはせず、地面を蹴ってぶつかり合う。錬氣が済んでいたこともあり、正面から全力で。

 筋肉は脱力させながら、氣で体を動かすなんて無茶を試したりもして居合いの精度や加速の精度の向上を図ってみるも、いつかじいちゃんが言っていたのと同じだ。

 秒とかからず納刀することは難しく、いくら手を鞘代わりにしたところで“戻す動作”は隙になる。ただでさえ相手は武人なんだから、自ら隙を作る動作は命取りってやつだった。

 ならば納刀も加速させてととことん工夫を重ねて、これでもかというほど打ち合った。

 

「おぉおお! 一刀それなにっ!? なになにっ!? 木刀光っとるよ!?」

「ただの小細工だ!」

 

 氣を二種類持っているだけで、武人ではない自分が出来る限りを尽くす。思いつく限りをとにかく詰め込むという意味で、総じて小細工と呼んではいるものの、あんまりいい印象じゃないよなぁこの呼び方。

 そんなことを小さく考えながら、春蘭にもやったように加速居合いや錬氣集中をしながら、木刀での攻防を続ける。威力は増すものの、やったあとに隙だらけになりすぎるのはどうかなぁ。

 轟音を高鳴らせ、守りの構えを取っていた霞を、その守りごと体勢を崩してやることに成功───したまではよかったが、木刀に全ての氣を込めてしまっているために、加速によって振り切られた木刀はそう簡単には戻せない。

 そうこうともたついているうちに霞が先に体勢を戻してしまい、あっさりと敗北を味わってしまう。……上手くいかないものである。

 

「うわー……まさか守りが弾かれるとは思わんかったわ……。威力だけは一級やな」

「……“威力だけ”はなぁ~……」

 

 立っている霞を、倒れながら見上げる俺の図。

 言われるまでもなくわかってはいるものの、これがまた上手くいかない。

 木刀が当たった瞬間に氣を戻してみる? いや、それはなかなか難しい。

 じゃあ木刀に込める氣をもうちょっと抑えるとか……いやいや、そうすると加速の流れが上手くいかない。

 せっかく編み出してみても持ち腐れじゃあ意味が無いよな、うーん……。

 

「ん、よしっ!」

 

 跳ね起きて早速構える。

 木刀に蓄積された氣を体に戻して、加速の工程から木刀への蓄積までを一気にやってみてからハイここで氣を戻「ウギャワオエァアアァァァーッ!?」───そうとした途端、関節に物凄い負担がかかって絶叫。 

 考えてみれば散々な加速で存分に早くなった肩から先だ。それを無理に戻そうとすれば、いつか華雄にやってみせた疲れを蓄積させるアレの負担が一気に襲いかかるようなもので……!

 

「っ……! ~っ……っ……っ……!!」

 

 あ、だめ、痛すぎて言葉に出来ない。

 A案、“氣を無理矢理戻して体勢を立て直す”は却下で。

 

「あほぉっ! いきなりなにやっとんねん! なにやりたかったんか知らんけど、体壊すようなことしとるんやったら承知せぇへんで!?」

「~っ……ふぐっ……い、いやっ……ぐすっ……! 今のはちょっとした失敗で……」

 

 お……おぉお~……痛かったぁあ~……!! 腕もげるかと思った……! あまりの痛さに素で涙が出たよ……!

 と、腕をさすりながら本気で思う。

 ああでも、腕は痛かったけど本気で心配してくれる霞にありがとうを。

 まるで自分のことみたいに怒ってくれた。

 

「ふっ……ふっ……ふぅうう……!!」

 

 徐々に引く痛みに安堵して、屈めていた体を起こす。

 そうしてからまた木刀を構えると、もういっそ戻そうとしないで回転してみたらどうかというB案を実行。

 

「振り切る速度に逆らわず、そのまま回転!」

 

 それはあたかも“某・龍の閃き”の二撃目が如く。

 加速した体を、木刀の遠心力に乗せてギュルリと回転! ……隙だらけだった。

 痛みもなく勢いを殺せたけど、これじゃあなぁ。霞の時みたいに相手が受け止めてくれたなら弾けるだろうけど、避けられたら死になさいって言っているようなもんだ。

 確実に当たる状況じゃなければ是非とも出したくない……自分でやっておきながら、なんとも穴だらけな技だった。

 そんな俺を見て首を傾げた霞が、酒を杯に注ぎながら訊ねてくる。

 

「なぁ一刀? さっきから何しとるん?」

「え? いやほら、霞も言ったろ? “威力だけは”って。だからさ、なんとか威力だけじゃなくて隙も無くせないかなって」

 

 言いながらあーでもないこうでもないと構えから氣の移動に至るまで、いろいろと工夫してみる。木刀に行った氣を、今度はそこから足の爪先に至るまで加速させて戻してみるとか? そうすれば回転してから正面向く時間も短縮出来たりとか……いやいやむしろ回転しながら軽く跳躍して……いや待て、その場合だと相手の武器を弾いても追撃出来ない。

 むむむ、これは難しい。

 あ、じゃあ弾いて戻せない木刀の代わりに蹴りを放ってみるとか。

 丁度いい遠心力がついてるから、威力にも期待できるかも。体勢がちょっとアレだけど。

 ……躱されたら素直に倒れるだけだろうな。

 だったらもう木刀を振り切るのと一緒に剣閃でも出してしまおうか。

 そしたら弾くのと一緒に相手を吹き飛ばせて、で、俺は氣が枯渇して動けなくなると。

 ……ダメだこれ。

 

「うー……こりゃ難しい。頭の中じゃあもっと上手くいく筈だったんだけどな」

 

 反動のこととか考えなさすぎだった。

 まさか泣くほど痛い結果になるとは……。

 

「ん……霞、今日これから用事とかあるか?」

「ウチ? んや、昼までで終わった。やからこうして酒持って肴探しててん」

「あ、なるほど」

 

 仕事があろうがそこに酒があれば手を出しそう、と考えてしまったのは黙っておこう。

 けどそっか、用事がないなら……。

 

「じゃあこれから鍛錬に付き合ってもらっていいか? いろいろと工夫したいものがいっぱいあってさ」

「おー! やるやるっ! 一刀と戦っとると退屈せぇへんもん! ま、贅沢ゆーたらもちっと強なってほしいけど」

「ははっ、だから、これからするのが“もちっと強くなるため”の鍛錬だろ?」

「おお、そういえばそやったな。じゃ、やろやろー!」

 

 言うや、なみなみと杯に注いだ酒をぐいっと呷って、下ろす動作と一緒に流れるように杯を投げ……たら割れるので、いそいそと木の幹に置いてから改めて構えた。……あ、ちょっと顔赤くなってる。酒の所為だけじゃないよな、うん。

 

「いいか?」

「ふふーん、いつでも───やっ!!」

 

 にっこり笑顔で言うや、地を蹴り飛龍偃月刀を振るってくる。

 範囲は“下がっても直撃”───なら詰める!

 思考も半端に決断して前へと踏み出す。同時に下から上へと弧を描く木刀が飛龍偃月刀の軌道を逸らし、えっ、と戸惑う霞の顔が勢いのままに眼前に。

 ぶつかるわけにもいかず、俺はそのまま霞を抱き止めると仕切り直しを要求した。

 霞自身、こうも軽く逸らされるなんて思っていなかったんだろう。ぽかーんとしつつもどこか赤らめた表情で、仕切り直しのために距離をとっていた。

 俺もちゃんとしないと。

 勢いを付けすぎて、逸らしたはいいけど次に繋ぐ手を思い付けなかった。

 注意することをもう一度纏めて、仕切り直そう。

 注意すること、気になったことは───

 

(…………いい匂いで、柔らかかった)

 

 ───じゃなくて! ああもう落ち着け俺ぇえっ! 煩悩退散っ!

 どーしてこういうのって我慢するって決めた途端に気になりまくるんだよもぉおおっ!!

 “でもちょっとくらいなら”禁止! 今は鍛錬に集中だ!

 

「しぃっ!」

「ほっ!」

 

 キッと睨み、地面を蹴り弾いて疾駆。

 霞は“いつでも”を謳った通り、いくぞとも言わずに襲いかかっても完全に反応してみせた。

 しかも俺がさっきやったように、こちらの撃の軌道を逸らしてくる。

 ならばと木刀が逸らされた方向───霞の左側へと自ら跳ぶことで、絡め取られかけた木刀を引っ込めることに成功する。───も、そんな俺を横目に見た霞は笑い、木刀を引っ込めた俺へとそのままの体勢で横突きを仕掛けてくる。

 着地したばかり、引っ込めたばかりと、状況的に言えば悪条件しか揃っていないこの状況で、左手に氣を全力で集中。腹を打とうとする刃引きされたソレに手を添えることで無理矢理逸らし、“なんとか逸らせた……!”と確認した時にはl一瞬引っ込められた偃月刀がもう一度俺へと襲いかかってきていた。

 

(だから速いって!)

 

 それをもう一度左手で弾き、弾き所が悪かったために多少切れた手を庇うこともせずに後ろへ低く跳躍。即座に追ってくる霞を前に、着地するより先に左手から全身に逃がした氣でもって応戦開始。

 突きを払い、横薙ぎを後方へ跳ぶことで避け、繰り出した突きが逸らされ、踏み込みと同時に振るわれた大振りの足払いを跳躍で躱す。跳躍からの落下と同時に仕掛けた、体重を乗せた振り下ろしが斜に構えられた飛龍偃月刀の柄を滑り、ならば武器ごと押し退けようと着地と同時に込めた力を利用され、位置を入れ替えられた。

 たたらを踏みかけた俺へと容赦無く振るわれるは剛撃。それを地面に向けて低く跳ぶことで避け───なんて格好よくいわず、むしろ逃げ、その過程で地面に手を付き思い切り氣を弾けさせることで跳び、両の足で着地してからは再び疾駆と衝突。

 

(錬氣も慣れた。体も大分動くようになったし、柔らかくなった。足りないのは氣の動かし方だ……!)

 

 そうしなければ大怪我を負うって状況を利用しての集中力は、自分で言うのもなんだけど相当なものだった。

 だからこそここで、出来るだけイメージを掴んでおく。

 願った場所に瞬時に氣を送る。

 ソレくらいの“小細工”が出来ないと、いつまで経っても最後は結局負けてしまう。

 だから出来る努力は出来るうちに───!!

 

「くっ……おぉおおおおおおっ!!」

 

 回転を上げる。

 危なっかしく攻撃を避けたり逸らしたりを続けると、霞もどんどんと面白がって回転を上げていく。俺がどこまでいけるのかを楽しんでいるのだろう。

 それは俺も知りたいところだから望むところ……なんだが、つっ……次に行くのが早っ……!? ちょっ……待っ……! ───否! 生ける……もとい、行けるところまで行く!!

 

「ふんぎぃっ!! ~……っつぁあ~っ……!!」

「おーっ!? これも弾くかっ! ならこれで───どないやっ!」

 

 危ないところを寸でで弾く……と言えば格好はいいが、こんなもの、夢中で振るった柄がたまたま弾いてくれただけだ。

 次が来る……いや、もう来てる! 弾く……どうやって!? 避ける……間に合わない! 後ろにっ! いやっ! 前にっ! けどっ!

 

(自分を信じるなら───前!!)

 

 一歩を踏み出す。

 意思っていう信号が間に合ったのはそれだけ。

 木刀を構えるって反応は間に合わず、俺は振るわれる偃月刀に自ら跳び込んだ。

 刃引きされてあるとはいえ、この人達ってばそんな鈍器でもモノ切ってくるから、刃の部分に当たるのは本当にまずいのだ。

 だから、それだけだ。

 斬られることは確実に回避できたが───……あー、なんだ、ほら。空が蒼かった。打ったのがボールだったらきっとホームランだったね。

 感想はほんとそれだけ。

 大地に受け止められるまでに今回のことを軽く纏めようと試みたが、強い衝撃と「げぺうっ!?」というヘンテコな悲鳴で中断された。その“ヘンテコ”の部分が自分の声だと気づいたのは、頭を抱えて転がり回る自分が、痛みから解放されたあとだった。

 すぐに慌てた様子で霞が駆け寄ってくれたけど、さすがに頭から落下はまずく、しばらく立てないでいた

 霞さん曰く、「あんまりにもついてくるもんやから、最後加減忘れた……」だそうだ。

 この時代の人は、夢中になったら人をホームランできるらしい。

 そりゃあ結構空飛ばされてるけどさ……勘弁してほしかった。




一度タイミングを逃しちゃうと、言えなくなっちゃうことってありますね。
そこで踏み出せるか出せないかなら、立ち上がる時は今なのだ的精神で。

なのでいまさらですが、虚和さん、両生金魚さん、真夜蒼さん、誤字報告ありがとうございました。
いえ、これでもチェックはしてるんですよ?
毎度毎度、書くよりもチェックに時間を取られてるんじゃってくらいに。
しかしどうにも上手くいかず、取りこぼしがあるようで。
いっつも不思議な文章にお付き合いいただきありがとうございます。
かつて誤字無しを一話だけでも完成させよう……! と意気込みましたが、とうとう一度も成功しなかった経験があるだけに、もっとこう……上手くできないものかなぁ。



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63:魏/毎日が宴ならば、宴自体も日常のように訪れる①

106/蒼の下の男と女

 

 蒼い空が好きだ。

 空の下、何も考えずに四肢を投げ出し、芝生の上で風に撫でられる時間が好きだ。

 しかし今の自分が四肢を投げ出しているのは自室の寝台である。

 

「なぁ思春」

「なんだ」

「俺、無茶な加速を使うの、もうやめるよ」

「当然だな」

 

 ……太陽も頭上へ昇った昼の頃。俺は静かに───編み出した技を封印した。

 何故って、それはもちろん理由があるからであり、こうして倒れている理由にも繋がる。

 霞と一緒に散々と加速や木刀に氣を込める練習をしていた俺だが、その翌日である今日になってソレは訪れた。

 筋肉痛ももちろんだが、なによりひどかったのが関節痛。

 “加速”を行使するために氣で関節の動きを速めたりなんかして、しかもそれを何度も何度も繰り返せば関節をおかしくしたりもする。

 よーするに負荷がかかりすぎて関節を痛め、満足に動けない状態になっていた。

 午前の仕事だけは根性でやり終えた。午後からは書類整理となっていたからなんとか助かったが、これじゃあ書類整理すら満足に出来ない。

 ちらりと視線だけを動かせば、机には思春と一緒になんとか運んできた小さな書簡の山が。……やらないわけにはいかないんだけど、もはや動きたくないと体が泣き叫んでいる……情けない。

 

「はぁ……ごめん、思春。午後から自由だったのに」

「貴様には早く復帰してもらわなければ、隊の士気に関わることなど確認済みだ。御託はいい、さっさと治れ」

「治れ!? 治せじゃなくて!?」

 

 同じく、といっていいのかといえば違うのだが、同じく午後からは警邏ではなく自由時間であった思春は、三羽烏の代理といったかたちで俺の看病をしてくれている。

 機敏に動けないだけで、動こうと思えば錆付いた機械が如くメキミシと動けるから、別にいいって言ったんだけど……今言われたこととほぼ同じことを返された俺は、渋々頷いた。そんなこんなで今の状況がある。

 

「はぁあ……さすがに関節は鍛えようがないと思うし、ほんとにダメだな、後先考えずっていうのは」

 

 並以下に逆戻りだ。

 “小細工”を使用してようやく、なんとか、どうにか勝てたとしても、次が待っている場合は確実に負ける。そんなことがわかっている技術をこのまま使い続けても仕方がない。

 加速を使ってようやく打ち返せたっていうのに、それが使えなくなるってことはほら、1からとは言わないまでも、3あたりからやり直しってことになるわけで。……はぁあ……下手な小細工なんて、考えるだけ無駄なんだろうか。

 そりゃあ多少の加速はむしろいいかもしれないが、積み重なれば関節を痛めることにはもちろんなるし、だからといって全く使わないのも寂しいというかもったいないというか。

 結論だけを一言で片付けるなら、“地盤強化に勝るもの無し”だ。

 時間をかけてもいいからゆっくり強くなっていこう。

 無茶に繋がる加速は一時封印だ。仕方ない。

 

「ところで関節痛って寝れば治るのかな」

「知らん」

「だよなぁ……」

 

 寝台で動かないまま、天井を正面に捉えながらの、いっそ大袈裟と思えるくらいの溜め息を吐く。

 濃厚な疲労物質が息と一緒に飛んだと錯覚出来るほど、本日の自分は疲れを自覚していた。そしてどれだけ吐こうが、疲労物質が体内から消える予感もまったくしないから困ったものである。

 やるべきことも機敏に出来ない以上、寝ていれば治るか否かは別にしても寝ていたほうが楽ではあるのだが……無理をすれば動けるって事実がある以上は、机に向かわないと華琳に合わせる顔がない。

 なにせ仕事と鍛錬を両立させる条件を飲んだのだ……ここで寝たきりになるのは敗北の条件を満たすだけぞ……!!

 

「ふぬぐっ……! ぬぅぉおおおおお……!!」

 

 ならばこの北郷、寝たきりになぞなっておられぬとばかりに体を起こし、関節が軋んでも構わず寝台から降りると……メェエエリキキキ……ズシャッ、メェエエエリキキキ……ズシャッ、と錆付いた機械のように机へ向かって歩いてゆくっ……!

 思春は……これまでの経験を思うに止めても無駄だと悟っているのか、特に口出しはしてこなかった。それどころか無言で肩を貸してくれて、机まで歩かせてくれる。

 

「思春……」

「どうせ言ったところで聞かんだろう。さっさと終わらせてさっさと休め」

「……ん。ありがと」

 

 目を伏せて、溜め息混じりにこぼす思春に感謝を。

 さて、頑張りますか。

 

「………」

 

 窓際に歩き、窓を開けて風通しをよくする思春を見たのち、開かれっぱなしの部屋の扉を見る。思春(むしろ孫呉の将)が来たということもあって、パタパタと駆けていってしまった美羽はまだ戻らない。

 「みみみみぃいーみみみ水をもらってくるのじゃーっ!」と言ったっきりだった。

 まったく、本当にどこまで雪蓮のことを怖がってるんだろうか。

 俺が理解できないほどの恐怖がそこにあったなら、軽く口出しするのも憚れるものの……逆に“いつまでも怖がってても仕方ないだろう”とも思うんだよなぁ。

 しかしながら自分に置き換えて考えてみれば、じゃあ貂蝉と熱い抱擁ができますかと訊かれたならば否であるわけで。なるほど、人のトラウマなんてそれぞれだ。安易に口出ししていいものじゃない。

 

「ふぅうっ……んぬぅうう……!!」

 

 そんなことを考えながらも手を動かす。

 相変わらずメキメキと軋む体だが、動かしているうちに慣れるだろうと勝手に結論付けて。そう! 辛い時こそ頑張る時だ! 俺ーズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! キミなら出来る!!

 

「………」 

 

 息を整えて、筋肉などではなく氣で体を動かすイメージ。

 走る時と一緒だ。無理に体を使わないようにして、激しい痛みを感じない速度で……。

 

「お……おおっ」

 

 書ける……否、動かせるっ!

 何かに引っかかるような感触もあるものの、安定して動かすことが出来る!

 痛いけど! 動かしていることには変わりないから痛いけど! でも筋肉痛な所為で力ませた体に引っ張られるように関節が痛むよりは遥かにマシ!

 いける……これならいける!

 

「………」

 

 そんなわけでようやく仕事が始まる。

 さらさらと筆を動かし、カロカロと竹簡を巻き、しゅるしゅると巻物を開いて、さらさらと筆を走らせ、乾いたら積んで、指が引っかかって書簡竹簡の山が崩れそうになるのを咄嗟に止めて、ズキーンと激痛が走って「ギャアーッ!!」……痛みに耐えながら、また竹簡を手にする。……と、延々とそれを繰り返す作業。いや、毎回崩してるわけじゃないからな?

 ともかくだ。

 内容はそれぞれ違っているものの、警備に必要なものや知識等、見て回って頭に叩き込んだものばかりだからそれほどの苦はなかった。

 華琳に言われて、仕事に復帰する前に今までの纏めを見たのは正解だったな。

 こんなの、いきなり言われてもわかったかどうか。

 

「思春、裏通り西側の壁の補強ってどうなってたっけ」

「壁全体が脆くなっていたな。補強するよりも一度崩したほうが強度は高い」

「あちゃ、そっか……そうなると資金のやり繰りがなぁ……」

 

 裏通りには少々薄い壁がある。

 以前食い逃げを働いたヤツがそこへと走り、下方に空いた穴をくぐってまんまと逃げおおせるっていう困った事件があった。

 それらを話し合った結果、穴を埋めてしまおうってことになったんだが……補強した程度じゃ絶対に穴を空けるに決まっている。ならいっそ壁全体を破壊して、新しい壁を……とは思春の考えだが、俺もそれは賛成だ。とは思ったものの……うーん。

 いっそ壁をとっぱらった時点でそのままにしてしまおうかとも思ったんだが、裏通りの人や表通りの人からも文句が飛びそうなのだ。ある人は“また食い逃げされたらたまらない”など。ある人は“表通りのやつらがじろじろ見るのは気に食わない”など。

 事情はそれぞれだよなぁ……華琳だったらズヴァーっと即決しちゃいそうだけど。

 

(いくら華琳に答えを仰がないようにっていっても、これは俺一人で決めていいことじゃないだろ、うん)

 

 保留。

 とりあえず穴には板でも打ち付けておこう。

 で、次は……っと。

 

「………」

「………」

 

 静かな時間が流れる。

 考えてみればこうして思春と二人きりになるのも随分と懐かしい。

 蜀に居た時なんか、寝る時は常にだったけど……魏に戻ってからは部屋も変わって、今では美羽と居る時間のほうが確実に長い。

 警邏を一緒にすることはもちろんあるが、なにせ警邏中だからこうして二人って状況にはまずならない。……いや、べつに二人きりになって何がしたかったとか、そういうのはないぞ? ただ懐かしいなぁって話だ。

 

(“懐かしい”かぁ……)

 

 及川のやつ、今頃どうしてるかな。

 相変わらず女の子のことばっかり考えているんだろうか。

 

(…………時間が動いてるなら、元気にしてるんだろうな)

 

 それは間違い無くだ。

 さて。故郷を思うのも結構だけど、今は目の前の書簡整理を優先させよう。

 華琳が帰ってきた時に、何もかもが中途半端なままだったりしようものなら、───しようものなら…………死ねる?

 いやいや、死ぬは行きすぎだ。散々呆れられたあとに鍛錬が結局封印させられるのだ。頑張らないとな。地盤を高めようって決めたばっかりなのに禁止されちゃあたまらない。

 

(華琳も今頃どうしてるんだろ)

 

 相変わらず食事にケチつけたりしていないだろうか。

 相手のためにもなっているんだから、そうするなとはそりゃあ断言できない。けど、メンマ園でだけはそれはやっちゃいけないと断言しよう。

 無用な心配だな。

 いくらあの華琳でも、あそこでメンマのことを言うなんて……なぁ?

 

(……ははっ)

 

 想像してみたら少し可笑しかった。

 そんな可笑しさに少しだけ元気を分けてもらった気になって、なかなか帰ってこない王であり愛しい人を想いながら筆を動かす速度を速めた。……直後に関節の痛みでギャーと叫んだが。

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……カロッ……かしゃん。

 

「………」

 

 痛めた頭をさらに痛めた気分で溜め息が出る。

 魏にも帰らずなにをしているのかといえば、書簡整理が大体だが今は違う。

 

「呆れたわね、本当に。一刀は“ぼらんてぃあ”なんて言って、こんなことまでしていたの?」

 

 倉から引っ張り出した竹簡等を東屋まで運んで読み漁り、一刀がこの国で何をしてきたのかを調べていた。もちろん魏から届けられる自分自身の仕事や、この国で必要な“しなければいけないこと”も進めている。

 そのしなければいけないことに必要なことがこの読み漁りなのだから、こうして書簡竹簡を紐解いては溜め息を吐いているのだ。

 

(まったく。随分とまあ学校とは関係のないことで動いたものね)

 

 なるほど、これならば帰ってくるのが遅かったことも納得出来る。

 学校の情報提供にと向かわせたというのに、これではいつ来るのかともやもやしていた自分が報われない。

 明らかに報告以上の回り道をしているじゃないの。帰ったら適当に理由をつけて蹴ってやろうかしら。

 

「華琳~? ねぇかりーん……そんなところで溜め息なんて吐いてないで、こっち来てお酒でも付き合いなさいよ~っ」

「あなたは少し他国に来ているという自覚を持ちなさい」

 

 木の上が好きなのか、何かと言うと木の上で酒を呑んでいる彼女にそう返す。

 相手のほうには視線も向けずにだ。

 竹簡を持ってここまで歩いて来る前から、東屋近くの立ち木の上で楽しげに酒を傾ける彼女は出来上がっていた。他国だというのにいい身分ねといった皮肉も右から左へだ。

 

「んー……? そういえば前からなに読んでるの? 仕事ほったらかしにして」

「……あのね、雪蓮? 失礼なことを言わないでくれるかしら。ひがな一日ふらふらするか酒を呑むかのあなたと違って、私はきちんとここでの仕事も自国の仕事もしているわよ」

「失礼ねぇ、私だって───」

「来る仕事の全てを冥琳に押し付けて、自分は酒を呑んでいる。……違っているのなら是非訂正願いたいわね」

「…………え、えっとー……」

 

 けれど、まあ。

 この奔放な王がそれをする理由もわかっている。

 そうして時間を空けては街に降り、民との交流を計っているのだ。

 雪蓮っていう存在がどういう者なのかを民が知れば、そういった部分にどうしようもなく存在する“信頼”という部分も補うことができる。

 補えれば、そういった部分───一刀を同盟の支柱にするという案を出している存在が、信用するに足る人物であることも理解してもらえるといったところだろう。

 ……これで本当に何も考えずに酒を呑んだり遊び呆けているだけならば、聖戦とは名ばかりの躾を差し違えてでもしたいところだわ。そうでもしなければ、かつては甘いことしか考えなかった桃香や、戦狂いというだけで基本的には仕事は投げ出し酒を呑んでばかりの王が、天下統一の壁になっていただなんて納得がいかないもの。

 

「それで? ず~っとそうやって竹簡眺めて何やってるの?」

「一刀がこっちで何をしていたのかを見ているのよ。知っていたほうが何かと都合がいいものだから」

「へー……で、どんなことしてるの?」

「気になるなら降りて来て勝手に見なさい。どうして私があなたに言葉で教えてあげなければならないのよ」

「ぶー、相変わらずけちんぼなんだから。いーわよーだ、勝手に見るから」

 

 唇を尖らせた雪蓮が、すとんと器用に降りてくる。

 結構な高さがあったのだが、あの体躯で随分と身軽なものだ。

 

「…………酒臭いわ。やっぱり戻りなさい」

「あっ! 失礼ねー! そんなにまで呑んでないわよー!」

 

 木の上からのじーっと見られる嫌な気配は無くなったものの、近くに来たら来たで軽く迷惑な王だ。存在自体がもう少し静かにならないかしら。

 どうしようもなく口からこぼれる溜め息を噛み締めて、竹簡を再び開いてゆく。

 カタカナというもので“ボランティア”と書かれているらしい竹簡はこれで最後だ。

 見ればみるほどあの男の無茶苦茶な働きに溜め息が出る。

 

「呉でも雪蓮に引っ張られて似たようなことをしていたとは聞いていたけど、これは相当ね……」

「まあ信頼は得られているようでなによりじゃない。やりすぎな感も否めないけど」

「事実やりすぎなのよ。見返りを求めない姿勢でこんなにも人助けをすれば、いずれ支柱になった際にも同じことを求められるわ。それを、前は出来たのに今は出来ないと言うのは細かな信頼に関わることよ」

「本当、一刀には厳しいわねー。なに? そんなに一刀を自分に相応しい人物に育てあげたいの?」

「なぁあっ!? ちっ……違うわよばかっ! 私はべつにっ……各国の王が認めた存在だというのに無様を曝すような支柱は必要ではないと思っているだけよ!!」

「ちょっ……ばかはないでしょばかはー! そりゃあ私だって一刀にはもっといい男になってほしいとは思うけど、華琳のは押し付けすぎなのよ! そんなことしてたらいつか愛想つかされて逃げられるわよーだ!」

「一刀が? 私から? 在り得ないわね」

「うわっ、余裕の笑み……。あのねぇ華琳……? 当然のことを当然って受け取るのは構わないけど、あなた、いつか絶対にその性格で後悔するわよ?」

「後悔ね……するのならそれは、自業自得というだけのことでしょう? それならそれでべつに構わないわよ」

 

 誰が悪いのではなく自分が悪いと確定しているのだから、何を嘆く必要があるのか。

 それは自分が未熟だからこそ招いてしまう事実だ。

 私は私が私として生き、その先で悔やむことがあるとするのなら……あの夜のように自分の力では抗いきれないものであると信じている。

 自分の力がまだ及ぶものであるのなら存分に努力し、叶わなかった時こそ存分に後悔しよう。だから、いい。自分はこのままでいいのだ。必要だと思った時に変えていけばいい。

 

「とにかく。静かに出来ないのならせめて邪魔はしないで頂戴。普通、こういったものに目を通す時は口数も減るものでしょう?」

「そ? 一刀の授業じゃ“書いたものを読ませる”ってことをやらせてたみたいだけど。えーとなんだったっけ? 書く、見る、口にする、そういう一つずつのものをいっぺんにやると、頭にいいんだ~とかなんとか」

「だからといってあなたが人の横で騒いでいい理由にはならないわよ。大体、いつあなたが書いて、見て、口にしたというのよ」

「うっ…………華琳のそういうところ、冥琳みたいよね……」

「あなたが相手なら大体の者がそうならざるをえないというだけのことよ」

 

 その言葉を最後に竹簡を巻くと、円卓の上に積まれている山にその一つを……立ち上がりながら足した。もう全て読み終わった。雪蓮が読むというのなら、片付けも全て任せてしまおう。

 ……もっとも、任せたところで片付けもせず、どこかへ消えるのでしょうけど。

 なら……そうね。

 

「雪蓮、これから支柱のことについてを纏めにかかるのだけれど、敢えて訊くわ。時間は空いているかしら?」

「───……もっちろんっ♪」

 

 数瞬瞬きをしながら、立ち上がったわたしを軽く見上げた雪蓮。

 けれど満面の笑みを見せるとそう返して、手元にあった酒をガッと呑み乾すと、竹簡の一つも持ち上げずにさっさと歩き出してしまう。

 ……はあ。結局こうなるのよ。まあ、自分が欲した知識の糧を誰かに任せて片付けさせるのもあまりいい気分のすることじゃない。

 もう一度溜め息を吐いて竹簡を抱えると、私も歩き出す。

 これはもう意地だ。

 必ずあの男を支柱にして、この地との絆を深めさせて……もう、絶対に、勝手に消えることを許さない。

 私が死ぬまで傍に居させてやるのだ。

 だから在り得ない。あってはならない。一刀が、私の前から居なくなるなんてことは。

 

「………」

 

 そこまで考えて、ふと思ったことを口にしてみる。

 ……雪蓮は、歩ませていた足をピタリと止め、私へと向き直った。

 

「管輅の話が眉唾であるかどうかは別として、現に一刀は消えたのよね?」

「ええそう。天に帰ったと言ったわ。何がどう働いてそうなったのかは別として、“一刀はこの大陸から天へと戻った”。つまり天に行く方法が全くないわけではないのよ」

 

 “この大陸から天に行く方法はあるのかしら”───その言葉は雪蓮にとっても気になることだったのだろう。さっきまでの楽しげな表情など瞬間的に潜め、鋭ささえ見てとれる目つきが私の目を見る。

 そんな目をいっそ睨み返すような目で真剣に見て返しながら私は考える。

 もし、本当にもしもだが、一刀が自分の意思とは関係無しにまた天に戻ってしまうことがあるのなら、天に行く方法を探してみるのもいいと。

 三国の王や将をここまでやる気にさせておいて、自分だけさっさと消えるような男にはきついきつい罰が必要だ。だから必ずその方法を見つけだして、乗り込んでやるのだ。

 ……いいえ、いっそ今から探した方が手間が省けるというものだわ。

 消えた瞬間にでもすぐに追えて、蹴り飛ばせるくらいが丁度いい。

 

「同盟の話を進めるのと一緒に、管輅に関することを調べるわ。雪蓮、あなたは?」

「付き合うわよ。ここまできて、もし直前で一刀が消えた~なんて言ったらやってられないでしょ? それこそ天に乗り込んででも連れ戻すわよ」

「でしょうね。私だってそうするわ。……さて、だったらもう一人の王にも声をかけてあげなくてはね」

「どうせ二つ返事でしょ? さってとー、久しぶりに頑張っちゃおうかなーっと♪」

「あなたは普段からもう少し頑張りなさいよ……」

 

 言ったところで「聞こえなーい」なんて言って耳を塞いでしまう。

 まったく。一刀も本当に厄介な相手に気に入られたものだ。

 けれどもそれが絆ってカタチに向かうのなら、私から一刀に向けて飛ばす文句なんてものはそうそう無い。

 今はただ、彼を傍に居させるための行動を続けていこうと思う。

 それでも消えるというのなら、それこそ天に行く方法を見つけて乗り込む。

 どうしてこの大陸に降りたのかはわからないと言っていたのだから、天の技術が関係しているとは思えにくい。そういった小さなことから辿って、必ず───

 

「……そうよ。今度は泣くだけで諦めるなんてこと、しないんだから」

 

 呟き、竹簡を持つ手に力を込めた。

 その呟きを、聞こえないとか言っていたくせに耳で拾った雪蓮が振り向くのに合わせて、竹簡の半分を持たせる。きょとんとした顔に笑みを返してやると、彼女は頬を膨らませながらも竹簡を持ったまま歩いた。

 

「………」

 

 空を仰ぐ。

 蒼の空……天とも呼べる、広き青を。

 天という場所がどんなところなのかもわからないけれど……私はもう、一刀を手放す気など少しもない。帰らなければいけないのだとしても知ったことではない。

 

(だから……奪おうとでもしてみなさい? その時は、この大陸全てが相手をするわ)

 

 誰が居るわけでもないのに空へと笑い、歩いた。

 出来ることは全てやっておこう。

 休む暇さえもったいない。

 努力すれば届き、後悔しないように動ける瞬間があるのなら、きっと今こそがそれなのだ。

 今必要であるからこそ自分を変える。天などに負けないために。

 管輅の情報の中に、必要なものがなくても構わないのだ。

 無ければ、別の場所から探す───ただそれだけなのだから。



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63:魏/毎日が宴ならば、宴自体も日常のように訪れる②

107/そして流れる時間

 

-_-/呉

 

 呉、建業。

 その城下では、以前からささやかながらある噂が流れていた。

 いつかの無茶ばかりをしていた馬鹿息子代理が、なんでも三国同盟の支柱になるかもしれないのだとか。

 孺子一人に何が出来るんだと呆れる者も居たものの、言ってしまえば“それ”を今から自分たちが確かめることになるのだ。何が出来るのか、なんてことはなってからじっくり見せてもらえばいいと。

 吉と運ぶならよし、凶と運ぶならやめてもらえば良し。

 そう単純なものではないだろうと、やはりそう言う者も居るには居るが、その顔は嫌がっているというよりは苦笑で満ちていた。ようするに、その馬鹿息子にそんな大役を任せることが心配だったのだ。

 しかしながら、聞けば三国の王や将がそれを望んでいるというではないか。

 ならばよほどのことが無い限り平穏は続き、望むのであればこれからでも……彼が望んだ“誰も死なない未来”を手に入れられるのだろうかと、彼ら彼女らは思った。

 

 

-_-/蜀

 

 蜀、成都。

 噂が広まる渦中では、やはり笑いながらいつかの青年を思い出す民が多かった。

 呉での噂を耳にして興味を示す者や、実際にボランティアで仕事を手伝ってもらった者からの印象は良好。そうでない者も興味が無い者も、“彼を中心に置くことで本当に均衡が保たれるのなら”と考える人が多かった。

 なにより自らが信じるやさしき王がその者を支柱にと謳うのならばと、当然といえば当然だが、支柱になる青年を信じるというよりは王を信じる者が多かった。

 彼を知る者に言わせれば、「それじゃあこれから知っていけばいい」、「玄徳さまが男になったみたいな、面白い男だった」など評価は様々だが、そうまで悪い印象は無かった。

 

 

-_-/魏

 

 魏、許昌。

 蜀から広まっている噂に、民たちはおろか兵も笑っていた。

 彼の人柄を知ればこそ、戻ってきてからの働きを知ればこそ、呆れと期待を含むなんていう変わった笑い方をしていた。

 

「ねぇねぇみつかいさまー! しちゅーってなにー?」

「へ? シチュー? ……えっと、誰から聞いたのか知らないけどな? シチューっていうのは天に存在する美味しい食べ物のことでな?」

「へー! たべものなんだー!」

「ああっ、うまいぞ~? っと、お父さんは元気か? このあいだ腰やってただろ」

「うんっ、このあいだ、“かだ”のおじちゃんがなおしてくれたよっ」

「…………来てたんだ、華佗のやつ。あ、えっとな? 華佗はおじちゃんじゃなくてお兄ちゃんだから、ちゃんとお兄ちゃんって言ってやろうな?」

「うんっ! みつかいさまがそういうなら! だからあそんでー!」

「よしっ! じゃあ肩車して、兄ちゃんと街の平和を守るぞーっ!」

「おー!」

 

 当の御遣いはこんな調子である。

 ようやく関節痛から解放されても、やることなどほぼ変わらない。

 魏の民からすれば、頼まれれば嫌とは言えない彼が支柱で大丈夫だろうかという心配ばかりが込み上げる。しかしながら、そんな人柄だからこそ期待をしているのも確かだった。

 

「あっ───北郷隊長! 第一区画で無賃飲食者が暴れているとかでっ……!」

「またいきなりだなおいっ! あ、あー……ごめんなっ、ちょっと危ない用事が出来たから、代わりにこの兄ちゃんに遊んでもらっててくれっ! ───この子を頼むっ!」

「? うん、いってらっしゃいみつかいさまー! ……いっちゃった」

「やれやれ、あの人は……。仕事中でも平気で遊ぶ癖は相変わらずのようだ……」

「ねぇおじちゃん、みつかいさま、どこにいったの?」

「おじっ……!? お、お兄さん、な? 自分はまだまだ若いんだぞー? ……まあ、そうだなぁ。“話をしに”かな」

「おはなし?」

「そう、お話。悪いことをしたから問答無用で力ずくってことを、あの人はしないんだ。この間だって、まあもちろん罰はあったけど、代わりに代金を払って肩組んで笑ってたりしたし……信頼はしてるけど、お人好しすぎるのが玉に瑕かな」

 

 それを助けるのが自分らの務めであり信頼でもあるが、と小さく呟いて、兵は笑った。

 

「ただ、人を傷つける人には容赦しない。温和な人は怒ると怖いっていうが、あの人のはなぁ……」

「みつかいさま、こわいのー?」

「答えづらいものだなぁ。なにせ本気で怒ったところなんて一度しか見たことがない」

 

 そう呟く彼を他所に、無賃飲食者が暴れるという区画までを走った御遣いが、その暴れる者を押さえつけることに成功。

 説得も聞かずに散々暴れた彼は酔っ払っていたらしく、店の卓を一つと椅子を二つ破壊。説得はその頃まで続いていたが、砕けた椅子の破片がその店の子供の頭にぶつかった時点で終了。

 酔いが醒めるほどの怒気と殺気を感じた彼が、家屋破壊から一刀へと意識を向けた時には腕を取られ、床に叩きつけられていたという。

 

「どう話したものかなぁ。あー……口では自分のためとか言いながら、他人のためばかりに怒る、と言えばいいのかな。はは、もっとご自愛してくださいと言っているんだがなぁ」

「おじちゃん、みつかさまのことすきなのー?」

「あの方は差別ということを知らないからなぁ。実は“お兄さん”、かつては袁家で兵をしていたんだが……まあ、そうはいっても平民の出で、米の一粒のために志願したくちだ。扱いもぞんざい、苦労も多かった。いつか曹操さまの軍に敗れ、こうして降るまではよく頭を抱えたものだが……その先で警備隊に入り、北郷隊長に出会い……こんな人も居るのだなと、自分の“ものを見る目”が変わったのを感じたものさ」

「ふーん……よくわかんない」

「はっはっは! そうかそうかっ! 実はお兄さんもよくわからんっ! 気づけばあの方と仕事をする自分がこんなにも好きになっていた。米の一粒のために命をかけるのではなく、民の笑顔のために懸命に走る。そんな生き方があったことを教えてくれた。知ることが出来た。わかることなど、それだけで十分なのかもしれないなぁ」

 

 警備隊の兵は笑った。警邏中に笑うなど不謹慎極まりないと、平和になる前は言われただろうが───今はそれを強く咎める者など居ない。

 なにせ、“街を、なにより人を守ろうとする人が怖い顔をしちゃいけない”と、隊長こそが笑って言うのだ。怖い顔をする時は、人質もなく、明らかな悪意を持った相手にだけ、と。

 

「おーい! 隊長が無賃飲食者を取り押さえたぞー!」

「早いなおい! で、相手に怪我は───させるわけないか」

「ああ。困ったことに自分の怪我より相手の無事を優先させる人だ。なんとかしてほしいよ、あの性格だけは」

「まあ……なんだ」

「無理……だろうなぁ。まあ、言ってみただけだって。それより子供が少し怪我をしたらしいから、連行を頼むって」

「こっ!? こっ……子供に、怪我……っ!? 相手、ほんとに大丈夫だったか……!?」

 

 連行とは言うが、大体はじっくり話せる場所まで連れて行き、説教をするだけである。

 そう、大体は。

 人に怪我を負わせた、何かを壊してしまったともなれば話は別であり、酔っ払って店のものを破壊してなおかつ子供に怪我までさせたとあっては、温厚で知られる御遣いさまも黙ってはいなかった。

 

「一瞬空気が凍ったね。包囲していた俺達が一斉に“あ”って言うくらいに冷えた。次の瞬間には床にどかーんだ」

「そ、そっか……隊長って今、夏侯惇将軍と鍛錬をしているんだろ?」

「いや、夏侯惇将軍だけじゃなく、張遼将軍や……呉国で将軍をやっていたらしい人や、董卓軍で将軍をやっていたらしい人とも鍛錬をしているんだとか……」

「………」

「………」

「よく……生きてるよな……隊長」

「な……」

「? よくわかんないおはなしはいいよー。おじちゃんたち、あそんでー?」

『おじっ……!? お、お兄さんなっ!? お兄さんっ!!』

 

 二人同時に同じことを言って、仕方も無しに歩いた。

 噂の御遣いは相も変わらず将には振り回されてばかりの日々を送っているが、本格的な鍛錬をしない者から見れば、既に身体能力は異常になりつつあった。

 

「しっかし……隊長も随分と強くなったよなぁ。俺が魏に来た頃なんか、食い逃げを追いかけるだけでもひぃひぃ言ってたのに」

「ああ。なんでも弱い自分のままで居たくなかったとかで、天で修行していたらしい」

「…………なんか、嬉しいよなぁ。天って言やぁ隊長の故郷だろう? そこよりも大事に思ってくれるなんてさぁ」

「俺達も“やらなきゃな”って気になってくるよな」

「でもあの様子だと……自分の強さとかに気づいてないよな、絶対に……」

「仕方ないだろ……将軍たち相手の鍛錬だぞ? 強くなっても勝てないんじゃあ、実感なんて沸かないって」

「だよなぁ。俺だったら絶対に途中でやめてるよ」

「そう考えると、本当に……大した愛国心だよ」

「愛国……? ははっ、そうか、それも一応愛国心だよなっ」

「俺達隊長に愛されてるなー」

「なー」

『………』

「馬鹿やってないで行くか」

「だな」

 

 説教だけでは終わらなかったにせよ、結局は無闇に力を振るうことはしない御遣いは、厳重注意、子供への謝罪、壊したものの弁償などを命じることで良しとする。

 結局は子供を連れたままでその裁きを見た兵二人が感じたことは、力を得たのに殴ったりはしない隊長への疑問や呆ればかりだった。

 試しに訊ねてみれば、

 

「へ? あ、いや、んんっ……えと。ほら。今まで守ってもらってばっかだったじゃないか、俺って。それを返したいと思ってつけた力なのに、“守る”以外のことで使うのってなんか違うだろ? それに……(ほこ)を預けてもらってる身で簡単に暴力を振るったら、申し訳が立たない相手も居るしさ」

 

 “まあ鍛錬は別として”とちゃっかり付け加えた彼は、頬をカリッとひと掻きしながら笑った。つくづく隊長の威厳はなく、話し掛けやすい人だなぁっていう認識が高まっただけだった。

 そんな彼も警邏が終われば多忙を極め……もちろん警邏が忙しくないわけでもないのだが、時間の許す限りはほぼ走り回ったり机に向かったりをしていた。

 三日が過ぎれば鍛錬を。

 三日を過ごす中では主に仕事と、将兵との交流を深め、また鍛錬だ。

 

「なぁ。鍛錬の話だけど……まず何からやるって言ったっけか、隊長」

「ああ、なんでも百里を走るとかなんとか」

「よし。ついていけば俺も強くなれるかなーとか思ったけど、すっぱり諦める」

「だよなー……まあ、辛さを共有出来ない分は仕事で返すか」

「だな」

 

 そう言って二人は歩きだした。

 いや、歩き出そうとしたら、クンと腕を引かれ、振り向いてみれば先ほどの子供。

 

『………』

 

 二人は顔を見合わせたのち苦笑、けれど次にはニカッと笑い、これも仕事だと頷いた。

 

 ───さて。

 子供に付き合い、渋々と遊んでいたこの二人がやがてはムキになり、本気で遊びだすのは少しあとの話。大人げも無く子供のように遊び始める大人を前に子供は喜び、友達を呼んでは一緒に燥いだという。

 子供の噂話は広まるのが早い。

 そんな“些細”が兵と民の距離を縮め、何かが起これば頼み易そうな一刀を頼っていた民も、僅かずつではあるが兵に歩み寄るようになる。兵たちからも張ってばかりだった気迫が弱まり、しかし注意が散漫になるかといったらそういうわけでもなく───その原因のほぼが、弛んでいれば注意を怠らない凪にあった。

 緩みすぎず厳しすぎず。

 そんな奇妙なバランスが取れた魏の城下は、以前よりも少しだけ暖かさを増やしながら、人々を笑顔にしていた。

 

 

 

-_-/───

 

 時間は流れる。

 当然のことが当然であるように、人もまた成長し、それは人が住む街も同様。

 笑顔があれば涙もあり、涙があれば人が走り、走った分だけ笑顔が増えた。

 警備などという言葉があって、それは街を守るだけではなく、なによりもその場に生きる人達を守るという意味が強かった。

 それもまた当然なのかもしれないが、人を守れば街が守られ、街が守られれば人も守られる。そういった“当然”の連鎖を続けることで、日常の中の笑顔ってものは増えていくのだと誰かが言った。

 

「これどうかしてるだろっ! よくこんなので音が出せるな!」

「うむむ……七乃は容易く奏でておったのじゃがの……」

「もっと力を抜いてみたら? ……んー、あー、ちょっとちぃにやらせてっ! 出来たら教えるからっ!」

「いやっ……これでも力は抜いてるんだけどな……こっ、ほっ、ぬむむむ……!! 難しいなぁ二胡って! ってちょっと待った! もうちょっと! もうちょっとで出来そうな気がするんだよ!」

「見ててじれったいんだもん、いーからちぃにやらせてみなさいってば」

「あ、ちーちゃんの次はお姉ちゃんねー?」

「……はぁ。こんな調子で次の会合に間に合うのかしら……」

「うぐっ……ごめん人和、迷惑かける……。美羽、悪いんだけどまたこっちで練習しててくれ」

「おおっ、“けーたい”とかいうものじゃのっ! ほんに奇妙よの……こんなものからひとりでに音が出るなぞ……」

「これあったら一刀の演奏いらないんじゃない?」

「人が努力してる横でそれを言うか!? く、くそう見てろ!? 絶対に上手く弾いて見返してやるっ! つか天和も地和も人和もっ! 自分たちの練習しててくれって!」

 

 騒がしくない日などなく、街が賑やかならば城もまた。

 覇王の提案もあってか魏で行われることになった三国会合の準備に、皆が普段よりも足を速め、動き回っていた。

 二胡を手に苦しむ御遣いが見れると聞けば、それを見ては冷やかしにくる将多数。

 しかし準備は確実に進んでゆき、忙しいながらもその顔は笑顔だった。

 それは魏だけではなく、向かうための準備をする呉や蜀も同様だ。

 

「ついにこの日が……。い、いや、今日行くわけでもないのだから、落ち着け……落ち着くのよ蓮華……、───っ! ちち違うっ! “落ち着け”っ! “落ち着け”よ蓮華っ! “のよ”じゃないわっ!」

「お姉ちゃんてばまた鏡に向かって騒いでる。最近ずっとだよねー? んふん? もしかしてぇ……一刀に“綺麗になった私を見て~”とか言うつもりなの~?」

「ひゃわぁあっ!? しゃしゃしゃっしゃしゃ小蓮!? あなたいつからそこにっ!?」

「さっきから居たもん。なのにず~っと鏡見てでれでれしちゃってさー? 今頃は一刀も立派な支柱になろうって頑張ってるかもしれないのに、お姉ちゃんがこれじゃあねぇ~……やっぱり一刀の后に相応しいのはシャオだよね~?」

「お前にはまだ早いっ! だだ大体っ! 私は一刀の后になりたいだなんて、そんな話は一度たりともしたことがないっ! かずっ───彼は、私が戈を預けた大切な人だからっ……だなっ……!」

「お姉ちゃんたら照れちゃって~♪ でもだめー、一刀は私のだもん。お姉ちゃんにだってあげないよーだ」

「……はぁ。自分のものだと騒いでいるのはシャオ、お前だけだ。とにかく、私と一刀は互いを高めると決めた仲だ。妙な誤解は正す必要があるし、そういった誤解をし続けるのは一刀にも、その……め、迷惑、だろう……」

「お姉ちゃんってほんとに顔に出るよねー……。思春から離れて少しはのびのびするようになったかなーって思ってたのに、肝心なところで頑固なままなんだもん。そんな落ち込んだ顔で言われたって全っ然説得力なんかないんだから」

「なっ!? 小蓮っ! お前はっ……!」

 

 純粋に祭り騒ぎを楽しみにする者や、一刀に会うのを楽しみにする者、そしてそれら両方を楽しみにする者、それぞれである。付け足すならば、“合法的に思う存分酒が呑める”と、そればかりを楽しみにする者も居たりもするのだが。

 

「ああっ、ついにお嬢様と再会する日が来るんですねっ……! この日をどれだけ待ちわびたことかっ……! この日のために溜め込んだ鬱憤の全てを、お嬢様を愛でる(からかう)ことで!」

「本音だだ漏れで目を輝かせるの、やめてほしいんだけど? そもそもなんであんたがここに居るのよ。せっかく月と二人でのんびりしてたのに」

「東屋は休憩所みたいな場所なんですから、べつに誰が先に居ようが来たっていいじゃないですかー♪」

「……詠ちゃん」

「うぐっ……どーして月はいっつもそうして相手ばっかり庇うのよ~……」

「ああっ、たまには味方をしてほしいんだけど正面からは言えないから、こうして来る人来る人につっかかっちゃってたりするんですね?」

「しないわよっ!!」

「まあそれは別にどうでもいいので話題ごとごみ箱にでも捨てておきまして」

「せめて置いておきなさいよっ!」

「実はお二人に折り入って相談があるんですがー……」

「嫌よ」

「ああそうですかー♪ 引き受けてくれますかー♪」

「嫌って言ってるのになんなのその返しかたっ!」

「いえ、だって“やっぱりお忙しい二人にこんなことを頼むなんて酷ですよね、ごめんなさいやめておきます”と言おうとしたら───」

「あんたそれ嘘でしょ!! 絶対に今思いついたでしょ!!」

「いえいえそんなことは全然これっぽっちも。で、お願いなんですけど、魏に着いたら少しの間だけお嬢様から一刀さんを引き離しておいてくれません? 一刀さんのことだから絶対にお嬢様をあの手この手で飼い慣らし……もとい、懐かせちゃってると思うので」

「だ、だから知らないったら! なんで私がそんなこと───」

「詠ちゃん、正面からお願いしに来ている人のこと、そんなふうに追い返したら悪いよ」

「ゆっ……ゆぅううえぇええ~っ……」

「はいっ、では決まりということでー♪」

「勝手に決めるなぁあーっ!!」

 

 喜び方にも若干(?)の違いはあるものの、嫌だと思う者はまずおらず、そうと決まればと自分に出来ることを探しては、準備に勤しんでいた。

 ……もちろん、ろくに準備もしないで酒ばかりを呑む王も居るのだが。

 

「んふふふ~♪ ねぇめーりーん、そんなに難しい顔ばっかりしてないで、お酒───」

「付き合っている暇などないな。後にもせずに一人で呑んでいろ」

「うわ、後にしろとも言ってくれない……。じゃあ手伝うから、空いた時間で───」

「必要ない。お前が手伝うなんて、よくないことを企んでいる証拠だ。その言葉は普段の時にこそ聞かせてほしいものだな」

「うぐっ……ね、ねぇ冥琳? 疲れてるんじゃない? なんか最近冷たいし。少し休んだら───」

「……いやなにな。そうしたいのはやまやまなんだが、しなければならないことはなにも書類整理だけではないというのに、酒を呑むか企むだけしかしない王が居るのでなぁ。出来れば企みようがない力仕事を手伝うか、黙っていてくれれば助かるのだがなぁ」

「う、うー……なによ冥琳のばかっ! 頭でっかちっ! せっかく休んでお酒しましょって言って───」

「それはお前が“お前の怠慢”に軍師を巻き込み、サボリの後ろめたさを誤魔化したいだけだろう」

「はうっ! う、うぅうう~……めーり~ん……」

「構ってほしいのならさっさとやるべきことをやればいいだろう。生憎と、私は何もしない王とともに交わす酒など知らないんだ。大体、集まりを楽しみにしているのは雪蓮も同じだろう」

「んー……そーなんだけどねー……。でも今は誰かに任せて楽に楽しみたいって気分で」

「…………もういい、お前は呼ばないから大人しく建業で酒でも呑んでいろ」

「あーんめいりーん! 冗談、冗談だってばーっ!」

 

 苦労ばかりを重ねる者はどの国にも居るらしく、魏では一刀、呉では冥琳、蜀では詠が頭を抱えていた。その瞬間が奇妙に一致したことは、恐らく誰も知ることはないだろう。

 そんな苦労や偶然がどうあれ準備は続く。

 なにかと面倒事を押し付けられる人というのはどうにも決まっているらしく、幾つかの問題を抱えながらでも出来ることだけはしておこうと奮闘する姿が各国で確認される。

 

「あぁあああぁぁぁぁあっ!! そういえば流琉が居ないのに魏で会合って! 料理とかどうするんだよぉおおっ!!」

「あちゃー……舌が肥えとる人らもおるんやしなぁ……隊長、料理出来る?」

「ふ、ふふっ……ふふふ普通の味なら任せてくれっ……!」

「んな腕で歯ぁ輝かせられても状況はよくならんよ、隊長……」

「…………~……たっ、隊長っ! ここは自分がっ───」

「な……凪……! ───……あ、あー……申し出は嬉しいけど、大丈夫か? 緊張して普段より辛くしたりとか」

「だめなの……凪ちゃん、きっと美味しく作ろうとすればするほど辛くするの……」

「うお……あ、でも俺の時は普通に美味かったけど」

「そらぁ隊長が相手やからなぁ……で、隊長? さっきから読んどるその竹簡、なにが書いてあるん?」

「え? あ、ああ、華琳がそろそろ帰るって。で、これが届いた日から華琳が戻る日まで、一切の鍛錬を禁ずる……って。なんのこっちゃ……」

「“鍛錬しすぎてるだろうから休ませろ~”ってことじゃないのー?」

「その通りだと思います。隊長はここのところ、無理をしすぎです。……その、非番の時などほぼ一日中眠ってらっしゃいますし……」

「う……ごめんな、これでも少しずつ慣れてきてるから、もう少しすれば余裕も出来ると思う」

「もう少して、どれくらいやねん……」

「………………いっ……一年……くらい……?」

「それってちっとも少しじゃないのー!」

「しょーがないだろーっ!? あれから小細工無しで鍛え直してるんだから! それよりも料理のほうをどうするかだよ! 今から料理の修業したって間に合いっこないし……!」

「あ、なんやったら隊長が華琳さま専用の料理ってことで、裸体盛りにでも───」

「職の首どころか物理的に首が飛ぶわっ!!」

 

 確認されるだけで、それが確実に実りになっているかはまた別の話なのだが。

 

「華琳さま、料理の腕に自信がある者を先に発たせる手筈が整いました。呉でも同様に整ったとの報せも」

「結構。流琉、先に戻って準備を進めておきなさい。季衣、万が一ということもあるから、朱里と雛里をしっかりと送り届けなさい。紫苑も居るのだから、そこまで気を張る必要もないでしょうけれど。桂花は引き続き、他国の軍師とともに会合の準備を進めて頂戴」

「はっ」

「はいっ」

「はーい」

「けど……華琳さま? 今回のこの話し合いには、なぜ私や季衣を? 会合の日までには確かに日数はありましたけど……」

「いつまでも“自分が食べること”ばかりに意識を向けられていては困るのよ。たまにはいい刺激になるでしょう? きっと今頃料理をどうするのかを、一刀あたりが思い悩んでいるところよ」

「うわぁ……」

「あははー……兄ちゃんも大変だなー……」

「これを機に、少しは調理に気を向けてくれればいいのだけれど」

「……あれ? 華琳さまー、じゃあボクは?」

「季衣、あなたも少しずつで構わないから作ることを覚えなさい。そうすれば食べる楽しさもまた増えていくわ」

「うーん……ボク、食べる専門がいいんだけどなぁ……」

「華琳さま、どうして急にそんなことを?」

「“学校”に関しての一刀からの報告を見た時から決めていたことよ。天には調理実習というものがあって、幼い頃から料理を学ぶ授業があるそうよ。けれど考えてもみなさい……我が軍の将の中に、調理が出来る者がどれほど居るというの?」

『あ……』

「食べるばかりで料理の一つも満足に作れないのでは、能力的に天の子供にすら劣るということ。だから決めたわ。ここの学校にも調理実習の科目を追加して、学ばせていく。広い目で見てみるとよくわかったのよ。この大陸には、食べることばかりで作ろうとする者が少なすぎるの」

「魏だけで言っても、ほぼが食べてばかりですからね……」

「えへへー、だって食べてる時のほうが幸せだもん」

 

 それぞれがそれぞれの考えを胸に、会合の日を待つ。

 その日のために努力する者、その日のために知恵を搾る者、様々だ。

 

「ぬぬぬっぬぬぬ主様っ! 主様ぁあーっ! 主様主様っ……ぴきゃああああ主様ぁあああっ!! 起きてたもっ! 起きてたもぉおおーっ!!」

「う、うぅうっ!? な、なんだどうしたっ!? まさか仕事に遅れ……って、まだこんなに暗いじゃないか……」

「で、出たのじゃっ……出たのじゃぁああっ……! “冷たい女”が……冷たい女が出たのじゃぁああっ……!!」

「へ? 冷たい───って、あの街を歩くっていう!? いったい何処にっ!」

「あっちの通路なのじゃっ……! か、厠に行こうとしたのじゃがのっ……? 声をかけても返事もせなんだから触れてみたらの……っ!? そしたらのっ……!? そしたらのぉおっ……!?」

「厠のほうか───よしっ! じゃあすぐに、ぃいっとぉっ!? み、美羽? どうした? 掴まれると走れないんだけど……」

「ふ、ふ……ふみゅぅううう……!!」

「…………あのー、美羽? まさかとは思うけど、まだ、その……済ませてなかったり?」

「……~! ……!! ……、……、~……!!」

「いやっ! ちょっ……待った待った! わかった! すぐ連れていくから我慢だっ!」

「ふっ……ひ、ひぅうう……!!」

「がまっ───頑張って我慢だぁあっ! 抱えていくからっ! なっ!? ほらっ!」

「……ぬ、ぬしさまっ……わらわ……わらわ、もう、もう……!」

「キャーッ!!? ががががぁああががが頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるって! やれる! 気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだっ! そこで諦めるな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張っ───……いやぁあああ頑張ってぇええーっ!!」

 

 会合とは名ばかりの宴の日がやってくる。

 準備に追われようとも騒がしさは変わりなく───どこまでも、ただ賑やかに。

 やがて、ただ普通に……“いつもの今日”が訪れるように、段々と宴という場が形作られてゆく。

 あとはなにが必要だっただろうか。あれを忘れていた、さあ早く。

 そんな些細なことでも笑みがこぼれ、忙しくても笑顔でいた。

 

「俺の目が黒い内は、裏通りのやつらに無茶はさせねぇさ。チビ、デブ、おメェらも目ェ光らせとけよっ!」

「へいっ! アニキッ!」

「わ、わがったんだなっ!」

「助かるよ、アニキさん」

「いいってことよ。兄ちゃんには出会いがしらに随分なことしちまったからな。だってェのにこうしてここで働くことを許してくれたんだ、こんぐれェは恩返しの範疇ってもんだ」

「お前、懐の広いアニキに感謝しろよな」

「バカヤロが、感謝するのは俺達の方だっての。元黄巾の俺達なんざ、首切られて当然……ましてや職を貰えるなんてのは奇跡みてぇなもんなんだぞ」

「そ、そうでやしたね、アニキ」

「さ、さすがなんだな、アニギ……」

 

 客が揃ってからお祭りが始まるのではなく、準備を始めた瞬間がお祭り。

 敵として見る理由などはもはや無い、見知った者や友を迎えるために奔走するのはどうにもくすぐったく。面倒だ、どうでもいいなどという言葉を聞くことは───結局、準備を始めた日から客人が訪れる日まで、そしてそれ以降も聞くことはなかったのだという。

 それは、民だろうと兵だろうと将だろうと、誰もが同じだった。

 もはや敵も味方もなく、許せるからこそ笑える今に、皆が皆、感謝する。

 そうした、訪れるであろうお祭り騒ぎの気配の中、ある一人が蒼天を見上げて唱えた。

 賑やかな城下、動き続ける人垣の中、そんな喧噪の中でもけっして掻き消されることのない、大きく、しっかりと通る声で。

 

「一筋縄じゃいかない客ばっかり来るけど、皆で力を合わせて頑張ろうな! ───さぁ! お祭りを始めよう!」

『おぉおおおおおおおおおおおっ!!!』

 

 それは別の外史の蒼の下、彼ではあるが彼ではない天の御遣いが口にした言葉。

 叫ぶとともに、会合に向けて賑わう城下が一層に賑わいを見せ、ともに叫ぶ。

 まるでこれから戦でも始まるのかと見紛うほどの熱気と、しかしそれを思わせはしない笑顔たちが腕を振り上げ心を震わせた。




彼ではない彼→萌将伝北郷さん


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64:魏~三国連合/宴の前の騒がしさ①

108/料理は愛情。スパイスには空腹をどうぞ

 

 花火でも打ち上げたい気分の朝が来た。

 今日はそう、三国が集まり親睦を深める日、三国の会合! ……ではない。

 何故ってそんな、辿り着いた他国のみんなをいきなり祭りに招くなんて無茶だ。疲れた人には休息を。これ大事。それ以前に、大声で祭りを始めようと叫んではみたものの、用意はまだまだ完全じゃない。主に料理とか料理とか料理とか。

 そもそも他国の客はまだだ~れも到着していないのだ。

 なので、俺は凪と思春、警備隊のみんなとともに城門前に立ち、同盟国の到着を待っていた。国境を越えたことは、前に早馬で知らされている。大袈裟だとは思うだろうが、こういうのは迎える気持ちが大切だ。だからこそ通ったら報せてほしいと書を送り、その通りにしてもらった。

 今度暇が出来たら、国境の兵にアイスでもご馳走しよう。

 

「報せによれば、こっちに向かってるのは季衣と流琉、祭さんに紫苑に───朱里と雛里だったよな」

 

 言葉に合わせ、確認するように指折りで数える。

 どうして各国の王や将、みんな一緒の到着じゃないのかを考えたが、恐らくどころか確実に料理のことだろう。流琉が来てくれるだけで随分救われるし、紫苑は一児の母だから料理にも期待出来そうだ。朱里と雛里とは一緒に料理(饅頭だけど)を作ったこともあったし期待が持てる。となると祭さんは……ど、どうなんだろ? なんとなく豪快な料理を作ってくれそうな予感はするものの……うーん。

 ああいやいや、せっかく来てくれるっていうんだし、そもそも呉が安心して送ってくれる人物! 腕に自信があるに違いない!

 

(酒のつまみを作らせたら天下無双とか! ……本気でそうなんじゃないかって思ってしまった)

 

 あれ? それってもしかしなくても、紫苑も同じなんじゃあ……?

 

(……料理が酒のつまみだらけになったらどうしよ)

 

 これからのことを考えて、少し頭を痛めた。

 そうしている内に、遠くの景色に見える動く影。

 俺が凪や思春に「あれ、かな」と確認を求めると、「恐らくは」と返してくれる。

 いよいよ宴が始まる。

 料理方面がひどい有様だから、料理が出来る人が戻ってくれるのはある意味、英雄の降臨とも受け取れた。悪じゃなくヒーローの登場を心待ちにする子供達の気持ちがよくわかる。調子がいいよね、人間。

 一応街の料理屋に話を通してあるから、飛び抜けて美味しい料理ではなくても用意だけは出来る。問題なのはそれを華琳が認めるかどうかなわけで。だからこそ華琳が認める料理の腕を持つ者……流琉が居ないことは不安以外のなにものでもなかったのだ。

 

 各国の王や将に出す料理を頼むなんて話をした時の、料理店の面々の顔を俺はきっと忘れない。お偉いさんに出す料理ってだけでも緊張するっていうのに、そこにきて自国の知る人ぞ知る、味にうるさい曹孟徳さまが食べる料理を作るというのだ。下手を打てば店が潰れかねない。

 なので余計な一言かもしれないが、言葉を贈らせてもらった。

 “とにかくやたらと食べる人が何人か居るから、味付けはしっかりしながらも量を多めにしてほしい”と。相手にとっては質より量だって言われた気分になるだろうと、怒られること覚悟で言ったものの……誰もが一様に安堵の息を吐いていたのは記憶に新しい。むしろこちらが溜め息を吐いた。

 華琳の料理へのうるささも、もう少しなんとかならないかなぁ……と、まあ、それはそれとして。

 

「人を迎えるのって妙にドキドキするな……」

「わかる気もします」

 

 俺の言葉に返事をする凪は、どこか慣れた風だった。

 そりゃそうか、俺なんかよりもこういうのには慣れているはずだ。俺が居ない時なんかは、会合の度に各国の王や将をこうして迎えていたのだろうから。

 俺も早く慣れないといけないよな。よ、よし、どーんと構えてどーんと迎えよう。

 迎える時はなんて言おうか? え、ぇえええ遠路はるばるようこそイラ、イラララ……! ライラァーッ!! ……じゃなくて! 慣れよう!? 想像だけでテンパるなよ俺!

 

「……隊長。とりあえず肩の力を抜いてください」

「うぐっ……悪い……」

 

 傍から見ても挙動不審だったようで、凪が少し困った顔で言う。

 小さく謝ると、自分も最初はそうでしたと言ってくれて、ほんの少しだけ救われた気分になった。単純だなぁ俺……。

 けどそうだな、最初から完璧にこなすなんて……華琳なら平気でやりそうだ。

 こんな気持ちをわかってくれる王が居るとしたら、それはきっと桃香なんだろう。だって雪蓮の場合、全部冥琳に任せて酒飲むかどっかで遊んでそうだし。

 ……その遊びが、民との交流だってわかった時は随分と感心したもんだけど……どっちにしろ仕事サボってる事実は変わらないんだよな。ごめんなさい、人のこと言う前に、俺もサボらないよう努めます。

 

「ところで……待つのはいいんだけど、相手がこっちに気づいてからここまで辿り着く間の空気って、こう……なんだろ、えーと……ああ、うん。少しだけ気恥ずかしいよな」

「……よくわかります」

 

 口にしてみた言葉に、しみじみと頷く凪。

 「だよな」、なんて俺も頷いて、遠くからこちらへ向かう集団を待った。

 ええっと、まずはなんて言おうか。久しぶり? ようこそ? いやそれ以前に季衣あたりが一人で突っ込んできそうな気がする。ただいまーとか言って。

 もちろんそうしてきたら、こちらも迎えるだけなわけで……うーん。とか思っていると、予想通りに一人だけ砂塵を巻き上げ突撃してきた! 手を振って、春蘭の話では百里を軽く走るその足でズドドドドと!

 

「なんだかとっても嫌な予感が沸き出てきたんだけど……」

 

 このままだとあの勢いのままに抱きつかれて、耐え切れずに宙を舞って地面をバキベキゴロゴロズシャーと転がりすべることに……い、いやいや、まさかそんな、あのまま抱き付いてきたりとか……しないよね?

 そんな不安をよそに、その元気な姿が確認出来るほどに近付いてきた季衣は、より一層速度を上げ───“俺のみ”をしっかりと目で捉えて走ってくる。

 

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)

(も、孟徳さ───死ぬよ!!)

 

 せめて防御体勢で行こう!? こっちからも突撃したら吹っ飛ばされるの俺だけだよ! でも避けたりしたら、せっかく元気に戻ってきた季衣を悲しませることになりかねない。こんなこと思う時点で俺ってやつは馬鹿なのだろう。

 ああもう馬鹿で結構! 大事な奴らが悲しそうにするくらいなら、一時の痛みがなんだ! どーんと構えてどーんと迎えるって決めたじゃないか!

 

「覚悟、完了───!!」

 

 胸をノックして大地をしっかりと踏みしめて構える!

 途端に凪と思春がささっと俺から離れて───ってあれちょっと!? それってあんまりなんじゃ───なんて思った直後に、衝突事故でも起こしたかのような衝撃が俺を襲った。どーんどころじゃない。“ドヴォッシャゲファア!!”って感じ。あ、ゲファアは俺の喉から勝手に出た悲鳴です。

 

(アア……空が青い……)

 

 見えたのは蒼空。

 それと、二本のエビ春巻……もとい、季衣の髪だった。

 

「くぅあ……っ!」

 

 しかしこのまま倒れては、客人を迎えるというのに砂まみれ。

 なんとか無理矢理体を捻って体勢を変えると、強引に地に足をつけて踏み止まった。

 

「おー、兄ちゃんすごいっ」

「げほっ……! す、凄さを見せなきゃっ……コケるような体当たりなんて……うぐっ……や、やめような、季衣……!」

 

 そう言いながら、胸に抱いた少女の頭を撫でるが、その時点で咳き込んだ。

 腹への衝撃が強すぎた。

 ううっ……少し酸っぱいものが込み上げてきた……。つか、いたっ……痛いっ……! ほんと痛い……!

 

「ともあれ、おかえりだな、季衣」

「えへへー、うんっ、ただいま兄ちゃんっ」

 

 元気に返す季衣をもう一度撫でて、こうなることが読めていたとばかりに道を空けていた警備隊に元の位置に戻ってと頼んで、それから自分も戻る。

 途端に思春に顔色が悪いと言われたが……腹にあんな突撃されれば悪くもなる。

 そんなやりとりをしている内に遠くにあった影も鮮明になり、懐かしい面々が到着を果たした。

 

「兄さま、ただいま帰りました」

「おかえり、流琉。ご苦労さま」

 

 まずは案内として歩く流琉に言葉を送り、すぐ後ろの祭さんに視線を移す。

 目が合うや穏やかに笑み、こちらへ歩み寄ってきた。……馬からは既に下りていて、警備隊が馬を預かって歩いてゆくのを見送った。

 同時に、季衣と流琉が春蘭と秋蘭に到着を報告してくると走っていくのを、これまた見送る。元気だ。

 

「おう北郷、久しぶりじゃのう」

「祭さんっ、久しぶりっ!」

 

 元気に挨拶をくれる祭さんに俺も笑顔で応えると、穏やかだった笑みがニカリといった笑みに変わり、バシバシと背中を叩かれゲッホゴホッ!? つ、強ッ! 相変わらず容赦無い!

 背中を庇いながら祭さんと向き合うようにして、痛みが治まるのを少し待った。祭さんは「なんじゃだらしのない」なんて言ってるけど、あんなにバシバシ叩かれて平気なのがおかしいんだと思いたい。

 

「うふふっ、相変わらずのようでなによりですね」

「けほっ……はは、紫苑こそ。長旅お疲れ様」

 

 祭さんの横で、紫苑が俺を見て頬に手を当てて微笑む。

 俺もそれに笑顔で返すと、その後ろに居る朱里と雛里と、将ではない人達に目を向ける。というか、誰もが見た顔だったから見ずにはいられなかった。なにせ、呉でも蜀でもお世話になった料理人の面々だったのだ。

 どうやら予想通りに料理が上手い人を送ってくれたようで、どたばたしてた最近を思うと心が救われる錯覚さえ覚える。……覚えるけど、大丈夫なんだろうか、自国の方は。

 

「はわわわわわかかかっかかか一刀しゃん! ほほほ本日もお日柄よくーっ!?」

「あわわ……わざわざのおでむかえ、たた、たたたたいへんありがたく……!」

「……ええと、とりあえず落ち着こうな、朱里、雛里」

 

 なにをテンパっておられるのか、蜀が誇る二大軍師様に顔を赤くしながらの挨拶をされた。なのに、落ち着きなさいとばかりに頭を撫でるとピタリと停止。……慌てた様子は一気に吹き飛び、ただただホヤーとした嬉しそうな顔がそこにあった。

 ……なんだろうか。俺の手には沈静作用でもあるのか?

 や、それは置いておくとしても、この二人まで先に来ちゃって本当に大丈夫なのか? ダメだって言うつもりはないけど、なにせ魏以上にドタバタ率の多い国だ。国から国へと移動するだけでもひと悶着もふた悶着もありそうなんだが……。

 そんな切ない気持ち(?)を伝えるかどうかを頭の中でなんとか纏めようとする俺へと、祭さんがやっぱりニヤリと……どこか嬉しそうな顔で見て言う。

 

「ほお? 随分と氣が鋭くなっておるのぅ。変わらず鍛錬は続けておるようじゃな」

 

 いや、顔どころか足から頭までじろじろと見られた。

 で、見たら見たでバシムバシムとまた背中を───って、だから痛っ! 痛いっ!

 

「いっ、いろいろとっ、揉めっ、事はっ、あったけっ、どっ! 一応……ていうか返事くらい普通にさせてって!」

「頑丈になっているかを調べておるんじゃろうが。ふむふむ……氣は鋭くはなっておるが、体の方はそうでもないのう」

「え? ……祭さんまで」

 

 祭さんに言われた言葉に少し焦りを感じる。

 なにせ、先日街角で偶然出会った、町人の具合を見ていた華佗にも同じことを言われたからだ。“鍛錬しているわりに、氣が研ぎ澄まされるばかりで筋力はそう変わっていない”って。ぜえぜえ言いながら鍛錬している身としては、相当にショックだった。

 筋力は鍛えても無駄だから氣だけでなんとかしろって言われたようなもんだよ、これ。

 

「華佗にも同じこと言われたんだけど……おかしいなぁ」

「呉に居た頃と同じ鍛錬をしているのか? ……おう興覇、お主の目から見てどうじゃ」

「呉に居た頃よりも鍛錬の質自体は上がっています。が、瞬発力の向上は見られるものの、それが筋力向上によるものかと言われれば否です」

「あの……思春? 恥ずかしいから即答で人の個人情報を喋らないで……」

 

 祭さんの質問に目を伏せながらペラペラと喋る思春にツッコミ。

 隣で凪も止めようとしてくれていたんだが、止める前に言い切ってしまった。

 神様……この世界に、俺のプライベートなんてものは存在しないのでしょうか。

 そりゃ、自分の時間を軽く潰すくらいで誰かが笑ってくれるならとは思うけどさ。

 

「弓の方はどう? あれから上達したのかしら」

「ヴッ……」

 

 とほーと溜め息を吐きそうになったところへと、紫苑からの追い討ちが突き刺さった。

 そうなのだ。

 氣ばかりが上達して、他の技術のなんと向上せぬことよってくらいに、俺ってやつは技術的ななにかが成長しなかった。

 いや、もちろん蜀に居た頃よりは上達してるぞ? なんだかんだで秋蘭は教えてくれるし、俺だって時間が取れれば練習する。……そうすれば必ず上達するなら、まだ救いはあったんだよなぁ。

 才能問題にするのはまだまだ早いだろうが、こうまで上達しないとヘコムよ……。

 

「なんじゃ、まだもたもたしておったのか。ならば、その多少の上達を儂の技で塗り替えてくれよう」

「それは見逃せないわね。わたくしも弓術ならば譲れないものを持っているから」

「んん? なんじゃ紫苑、儂と張り合おうという気か」

「……あれ?」

 

 弓のことになるや、急速に場の空気が低下していった。

 これから楽しい準備期間が待っているというのに、何故こんなことに───とか考えてる暇があったら止めよう!

 

「あぁほら二人とも! 今は俺の弓のことよりも祭りの準備をさ! ほらっ!」

「……というかじゃな、北郷。招かれる筈の儂らが何故に用意をすることになったんじゃ」

「え? 何故にって。今回の会合ってそういうものなんじゃないのか? 祭りに招かれるっていうよりは、みんなで祭りをするって……」

 

 てっきりそうだと思ってたから、招かれる人物にも疑問を持たずにこうして待ってた。

 だからそのー……え? ち、違うのか!? 違うなら相当に恥ずかしいんだが!?

 

「もう……祭さん? そんなに一刀さんを苛めては可哀相よ」

「はっはっは、北郷、そう慌てるでない。準備のことについては話を聞いておる」

「へ……?」

「ちょいと突けば不安になるところも変わらずか。もっとうだうだと悩まずにズバっと答えられるようになれ。それが男子というものじゃろう」

「………」

 

 いや……だってそんな、来訪したお客さんにいきなりからかわれるだなんて、誰が予測するのさ。

 どうやらからかわれたらしい俺は、少しだけそんなことを考えながら、「あれはあのお方の癖のようなものだ」と、気にするなとばかりに肩を叩いてくれる思春と、「案内を続けましょう」と、何処か遠い目で俺を促してくれる凪とともに、歩き出した。

 そんな凪の顔を見たら……凪も散々からかわれたりしたんだろうなと、自然に理解してしまった。思春も祭さんには振り回された経験があるらしく、ここに……奇妙な一体感が生まれ、俺と凪と思春は同時に溜め息を吐いた。

 

「ん、よしっ」

 

 しかしながらいつまでもそのままというわけにもいかない。

 気を取り直して、話しながら城までを案内した。

 むしろ門の前で馬から下りること自体が想定外だった。馬を連れて行った警備隊の連中だって困惑していたくらいだし。街の門から城までは結構あるのに……それでも他国のみんなは嫌な顔ひとつせず、料理のことについてを元気に語ってくれた。……主に俺に。

 

「隊長は……他国で随分と人脈を広げていたのですね」

「学校の知識提供だけじゃなくて、他のことに関しての知識提供やボランティアもしてたから」

 

 ひっきりなしに話を振られる俺を、妙に感心した様子の凪にそう返す。

 ボランティアで多かったものの中には料理店の手伝いなんてものもあり、そうやって出来た人脈が今こうやって役に立つ日が来ている。そんなことに、顔を小さく緩めだ。

 

「なるほど、呉では策殿に引っ張られてではあったが、蜀では自ら走っておったか」

「ええ、ふふっ……噂とはまるで違うから、別人かと思ったくらいよ」

「悩んでいる時の顔なんてとくに素敵なものでした」

「う、うん……だよね、朱里ちゃん」

「? 朱里に雛里、なんか言った?」

「はわっ!? いぃいいえいえなんでもないでしゅっ!」

「な、なんでもない、ですぅ……!」

「……?」

 

 悩みがどうとか聞こえた気がしたんだが……少し早口っぽくて聞き取れなかった。

 首を軽く傾げていると、隣を歩く祭さんが笑いながら言う。

 

「かっかっか、そうした行動が自ずと出来るならば、策殿に振り回された日々もそう無駄ではなかったか」

「いや祭さん? あれが無駄だったら俺、なんのために呉に行ったかわからないよ」

 

 こういった話がしたかったから門前で降りるなんてことをしたのだろうか。

 祭さんと紫苑、朱里と雛里は笑顔のままに他国での俺のことを語り、凪がそんな話に夢中になり、思春が二人で居た時の俺のことを、祭さんに問われるままに喋って───ってちょっと待て!? なんで俺の話になってるんだ!?

 

「い、今は会合の話をするべきでしょ! 俺の話はいいから、もっとこれからの準備のことを話そうって!」

「なんじゃつまらん。城に着くまでは好きに語ってもいいじゃろが」

「拗ねた顔で可愛く言ってもダメっ! 凪もそんな、俺のことを教えられたからって教え返さなくていいから……!」

「い、いえ自分はその……」

「うふふ、そんなに照れなくてもいいのに」

「街の中で自分のことを笑いながら話されれば誰だって照れるよ!!」

 

 いつかのように紫苑に頭を撫でられ、驚きながらも返す。

 気恥ずかしさで妙に声が大きくなったときには時既に遅く、他国の客を一目見ようと出てきた町人達の前で、客に向かって大声を張り上げてしまった俺の完成だ。……なのに紫苑に頭を撫でられ続け、祭さんには笑いながら背中をバシーンと叩かれ、朱里と雛里に励まされ、凪と思春には小さな溜め息を吐かれる俺を見て、町人たちは“なんだいつものことか”って感じに何事もなかったように、他国のみんなを迎える言葉を元気に放っていた。

 ……俺の魏での扱いってこんなもんですか? ……こんなもんでしょうね。考えてみると、いつもとあまり変わらなかった。

 魏での騒ぎでもほぼ巻き込まれて騒いでの連続だ、そりゃあ町人だって慣れる。

 加えて他国でも手伝いやらなにやらをしていたって話はみんな知っているのだ。他国でも相変わらずだったのだと、逆に暖かな目で見送られてしまった。

 ……これ、喜んでいいのかなぁ……。



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64:魏~三国連合/宴の前の騒がしさ②

 そうこうしている内に城に着き、迎える王の代理として春蘭が祭さんや紫苑や料理人達を迎え、それが済めばひたすらに準備。

 準備といっても不安要素は料理だけで、後のことはほぼ滞り無く進んでいるはずだ。しかしながらやはり到着したばかりの人に、すぐに手伝ってもらうわけにはと遠慮した……のだが、むしろ来てくれたみんなは準備をしたくてうずうずしているようで、俺の心配に向けてあっさりと笑顔で返して準備を開始した。

 

「料理人って逞しいよなぁ……」

「はい。ですがそれも当然です。逞しくなければ、何人もの客を捌けません」

「ああ、なるほど。それは確かに逞しくないと無理だ」

 

 穏やかに笑みながら厨房の様子を眺める凪と、小さく頷いてから凪と同様に厨房の様子を見守る思春。俺も二人に(なら)って厨房の様子を見ることにした。

 そうしてじっくり眺めていると、料理人に混ざって料理をする祭さんと紫苑は、なんというか意外なくらい料理が上手かった。豪快ながらも繊細な祭さんと、穏やかさそのままに、けれど手際よく料理を作る紫苑。

 祭さんはポカーンと戸惑ったまま硬直する俺を見て、してやったりといった顔でにんまりと笑い、紫苑は普段通りの笑みでそのまま調理を続けた。

 出来上がってゆく料理は、どれも長く保存が出来るものばかりだ。

 保存───そう、保存。

 そっか、保存できるなら作ってもいいわけだし……寒剤とかも氷室に保存してあるから、そこを上手く利用してデザートでも多めに作っておこうか。朱里や雛里も、料理よりも菓子作りを担当しているみたいだし。

 

「よしっ、凪、思春、ちょっと手伝ってもらっていいか? あ、出来れば華雄も呼んで」

「手伝い、ですか。客人も迎えたわけですし、手は空いてますが」

「何をする気だ」

「うん。せめて一人一個ずつくらいは、デザートにプリンでも作ってみようかなって」

「……あれか」

「全員分となると、中々に大変なのでは?」

「大事なのは迎える心! お持て成しの心なんだから、なんとかなるって」

 

 そうなると牛乳を手に入れなきゃだから、足りない分は取りにいかなきゃいけない。それは少し面倒かなと、思った瞬間に面倒に打ち勝てるこの高揚感。やっぱり準備期間中のこのワクワクには、祭り中では味わえない何かがある。

 一人では面倒なだけかもしれないのに、みんなで何か一つのためにと走り始めると、これが案外止まりどころが見つからない。美羽と一緒に二胡と歌の練習もしなくちゃいけないのに、今はともかく動き回りたい心が強く、不安要素なんてあっさりと押し退け、気づけば俺は走り出していた。

 華琳がプリンやアイスを作るようになってからは、以前の邑から定期的に牛乳やらを仕入れるようになったため、牛乳はまだ蓄えてある。

 新鮮ではないものの、それは仕方の無いことだ。

 で、もちろんあの人数分作るとなれば、蓄えてあるものでは足りないと予想できる。

 だから、足りない分は取りにいかなきゃいけない。

 

「よし、あそこまでの距離と時間とを考えると……」

 

 行動は早かった。

 やってきてくれた他国のみんなが保存のきく料理を作る中、俺はあちこちに手配して材料を入手。華琳が既に独自のルートとばかりに仕入れを繰り返していてくれたお陰で、手配についてはあっさりと通り、現在は蓄えてあった材料を使ってのデザート作りが始まっていた。

 周囲からは温かそうなよい香りが漂ってくる中で、こちらは朱里と雛里とともにひたすらに甘いもの作りだ。……なんか場違いな気がしてならないものの、これはこれで大事だ。

 作るものはアイスにプリンといった定番もの。そして、他の氷菓子にも挑戦してみるつもりで向かった。しかしながら塩や醤油、味噌の匂いが強い厨房の一角で甘い匂いを漂わせれば、他の料理人たちも気になるというもので……気づけば祭さんや紫苑を含むほぼ全ての料理人がこちらをちらちらと見るようになり、手が空いた頃を見計らって覗きにきた。

 

「北郷、それはなんじゃ?」

「へ? あ、ああ祭さん、これはアイスだよ」

「あいす?」

 

 材料を冷やしながら混ぜる俺を見ての一言に、なんだかんだと集中していた俺は顔をあげて応える。聞き覚えのない名前に首を傾げるが、細かな理解は食べてみてからのお楽しみということで。

 

「そ。俺、料理だと普通の味しか出せないから、だったら普通じゃない味を出せるもので勝負をかけてみようかなってさ」

「ふむ。勝負をかけるとはまた、穏やかではないな」

「喜ばせたら俺の勝ちってところで、自分の中で勝手に勝負にしてみた。ていうか、穏やかではないとか言うわりに楽しそうだね、祭さん」

 

 どうにも子供のように目を輝かせている祭さん。初めて見るものには案外弱いのかもしれない。なので味見出来る段階にまでいったものをどうぞと差し出し、一緒に覗いていた紫苑と、同じく菓子作りをしていた朱里や雛里にも味見をしてもらった。

 

「ほぉお……これは甘い」

「これは、子供なら目を輝かせて喜びそうね」

『……!』

 

 大人二人は意外な味を口に含み、驚きの表情を。そして朱里と雛里は紫苑が言うように目を輝かせていた。……子供ではないが、輝かせていた。しかしながら“美味しい”とは言っていないわけで、どうにもこう気になってしまったので……一応訊いてみる。

 

「どうかな、美味しいかな」

 

 祭さんや紫苑から見た今の俺がどういう様相だったのかはわからないものの、二人はどうしてか顔を見合わせて笑い、二人して人の頭を撫でたり肩をバムバムと叩いたりと……いや……な、なに? 俺なにかした?

 

「そうじゃのう……儂はもっとこう、濃い味付けがな……これでは酒には合わんじゃろう」

「是非とも酒から離れた考え方をお願いします。ていうかバニラエッセンスの代わりに酒が入ってるんだから、酒とは合うでしょ」

「こんなもん酒を入れた内にも入らんわ。もっと濃厚な酒の味がせねばな」

「それもうアイスじゃなくて牛乳混ぜて冷やした酒だよ!」

「ふふふっ……お酒が入っているのなら、逆に子供に食べさせる時は、もっとお酒を減らしたほうがいいかもしれませんね」

「あ……そっか、それはそうだ。じゃあお酒はもっと少なくしてと」

 

 いろいろと調節が難しそうだ。

 しかし料理ってのは面白い。

 工夫一つで完成品が随分と変わるんだから、やっていて飽きない。

 ただし工夫して成功する例は少なく、俺なんかは料理に余計な手を加えると不味くなる方だから困る。もっと上手く作れるようになりたいもんだ。

 苦笑を漏らしながら、次から次へとアイスやプリンを作ってゆく。

 その途中で他国でのことを秋蘭に報告しに行っていた流琉もやってきて、早速料理に取り掛かった。

 

「戻ってきたばっかりなのにごめんな」

「いえっ、逆に腕がなりますっ」

 

 おお、元気だ。

 疲れてるんじゃないかと思ったが、むしろ逆。

 自分が担当する厨房で仕事を始めていた他国の料理人に触発されたように、目に炎を燃やす勢いで調理を開始した。その手際は見事の一言で、あれよという間に料理が出来上がってゆく。

 きちんと保存のきくもので、温めればいつでも美味いものばかりだ。まあ、レンジがないからチンでOKってわけにもいかないんだが。

 

「相変わらず見事な手際じゃのう。これは儂も負けてられん」

「ええそうね。じゃあ一刀さん? 少し味見を頼めるかしら」

「え? 味見って……」

 

 ソッと自分の頬に手を当てながら、「はい、あーん」と匙子で掬った料理を俺に差し出す……えぇと、紫苑さん? 味見って、見るからにも嗅ぐからにも美味しそうなのですが、それは必要なことなのですか?

 いやまあ、差し出されたなら食べるけどさ。

 食べ……マテ。食べるのか? この“あーん”状態で? それ以前に差し出す前に俺に食べるかどうかを訊きません!? あ、訊かれたか。じゃあ返事を待ちません!?

 

「い、いや、食べるけど普通に食べさせて───」

「ふふふっ……ええ、だから食べさせますよ?」

「そうじゃなくて! 自分で食べるって意味で!」

 

 日本語ってややこしい! そして背後から言いようのない妙な気配が!

 後ろに居るのは凪と思春……振り向きたくない! なんだかとっても振り向きたくない!

 

「エ、エエトサァ!? そういえばこれだけ料理作ってて、他のみんなが到着する日まで保つの───ふぐっ!?」

 

 喋り途中に、口に料理が突っ込まれた。

 匙子ごとガリッと噛みそうになったが、なんとかつるりと口に含むことに成功した。……代わりに唇を少し噛んだが。

 するとどうだろう、やわらかな味が口に広がり、思わず“ほぉう……”と溜め息を吐いてしまった。もちろん不味いから吐いた溜め息ではなく、美味さへの溜め息だ。

 最初に主たる味が広がり、次に調味料の味、そして隠し味と続き、最後に鈍い鉄サビの味がした。もちろん俺の血の味だった。それは当然のように置いておくとして、これは美味しい。

 

「へぇえ……上手いだろうなとは思ってたけど、料理上手なんだな」

「種類はそれほど作れませんけど、これくらいなら」

 

 俺の言葉に気をよくしたのか、笑みながらの返事だった。

 ……べつに気をよくさせたくて出た言葉じゃなかったんだけどな……普通に、自然に、口からこぼれた感想だった。ええと、なんて喩えればいいだろうか……あー……は、母の味?

 特別な味付けがされているわけでもないのに、こう……温度とは別の温かさがあるというか。とにかく美味しい。

 

「ふむ。ならば北郷、儂のも食べてみろ」

「え? いいの?」

「儂が食べろと言っておる。遠慮はいらん」

「ん、それじゃあ」

 

 紫苑からの一口で味見に抵抗が無くなった俺は、口に突っ込まれた匙子を使って祭さんが差し出した料理を軽く掬う。まずは匂いを楽しんでから……あ、これ美味いや。匂いだけでわかる。好きな分類の匂いだ。

 その流れでパクリと口に含んでみれば、なんとも味覚を刺激する味がじゅわっと一気に口内に広がり───う、うわっ! ご飯食べたい! これ滅茶苦茶ご飯食べたくなる味!

 

「……う、うまい……」

 

 だからだろう。

 ごくりと口の中の味を飲み込んだ途端、感想なんてものは勝手にこぼれていた。

 そんな俺を見た祭さんは、腰に手を当てながら満足そうに笑い、もっと食らえとばかりに俺に───

 

「って祭さん! これ会合用の食べ物でしょ!?」

「男子が細かいことを気にするでないわ。材料なら呉から沢山持ってきた。お主一人がどれだけ食おうが、そうそう揺らぐものか」

「揺らぐとかそういう問題じゃない気がするんだけど!?」

 

 言ってみても聞いてくれず、味見だった筈がどうしてかどんぶり飯まで用意された。

 そんな祭さんの行動を前に、どうしてか紫苑まで味見どころじゃない量の料理をドッカと卓に置いて、俺に座るように促す始末で。

 え……え? 今って食事時だったっけ……? そりゃあ腹はそこそこ減ってるけど、料理を作る筈がどうしてこんなことに……?

 

「ちなみに拒否は……」

「出来ん。作ったものがもったいなかろうが」

「……みんなで食べるって選択肢は」

「ええい、男ならばうだうだ言っておらんでガッと食べてみせい!」

「性別がどうとかって範疇を軽く越えてる量なんですけど!? あ、や、ちょっ、思春!? なんで無理矢理卓に座らせるんだ!? ……凪!? なんで料理を作り始めるんだ!?」

 

 テキパキと俺を卓に座らせる思春と、どうしてかキッと決意を込めた表情を見せて、料理を始める凪。逃げ出そう……とは思えない状況があれよという間に整ってしまい、さすがに唖然とした。

 座らされた卓の上、膝に握った両手を置いて肩を尖らせながら俯き考える。ただひたすらに、どうしてこうなったのでしょうかと。

 ちらりと祭さんや紫苑を見れば、ニコニコ笑顔でこちらを見ているだけだった。一方思春は俺の後ろに立ち、なんというかその……逃げ出せぬように門番をする鬼の如く、ひたすらに黙していた。怖いです思春さん。

 

(なんだろう……この、“この子は私の息子です”的な空気……)

 

 育ての親と産みの親とで喧嘩をして収拾がつかず、決定権を子供に託したかのような。

 

(……き、気の所為……だよな? 別に子供がどうとかって話じゃないし、ただ俺が美味いって言ったから振る舞ってくれてるだけで)

 

 さっきの弓の上手さに関することの延長では断じてないと信じたい。

 そして北郷よ、知りなさい。

 誰であろうと料理を振る舞ってくれるというのであれば、この時代……食いきらなくては食に対して失礼というもの。

 ならば何を戸惑う必要があろうか。

 俺はただ、材料に。そして作ってくれた人に感謝しながら食べきればいいだけなのだ。

 

(でも……さ、量に対しては戸惑っていいと思うんだ、俺)

 

 小さく自分の心に救いの手を差し伸べてみた。

 ……状況は一切変わらず、周囲の人の在り方も変わらない。

 代わりに小さく頭を抱え込みたくなるような状況な俺と、そんな悩みまくりな俺を、熱い溜め息を吐きながら見つめる二人の軍師さまだけが残された気分だった。

 

(いざ!)

 

 どうせ変わらないなら食らうまで!

 美味しいことに変わりはないのだから、腹が壊れようが食べきってみせる!

 それが男だ任侠だ!!



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64:魏~三国連合/宴の前の騒がしさ③

 コーン……。

 

「うじゃぁああ~……」

 

 死んだ。

 もとい、ギブアップした。

 だって、食べてる途中で凪が辛い料理を、お世話になった料理人たちが一品料理をどんどんと完成させて、朱里や雛里までもが俺に食べてくれって菓子を突き出してきて……さすがに食べないわけにはいかず、それぞれを味わってみた時点でドシャアと顔面から卓に突っ伏した。

 ふふ……じいちゃん、俺……頑張ったよね……? もう、休んでもいいよね……?

 

「なんじゃ、だらしのない……」

「だらしないって問題じゃないと思……う、うぷっ……!」

 

 ふぅと溜め息を吐く祭さんだったけど、その顔は言葉とは裏腹にどこか楽しげだった。

 俺の背中をやさしく撫でてくれる紫苑も、なんだか手のかかる子供を温かく見守る親みたいな穏やかな顔で……えぇと、この場合、俺が手のかかる子供ってことになるのか?

 俺、ただ逃げ場を塞がれてご飯を食べさせられただけなんだけど……。

 い、いや、そりゃあ美味かったし、自分の意思でがっつり食べた。凪や朱里や雛里、そして料理人のみんなが追加しなきゃ、きっと全部平らげてごちそうさまを言えた。

 でも一口ずつくらいは味見をしないとと、全てを器に取って食べたのがまずかった。

 結局は何一つ完食出来ないままに倒れ伏し、けれど作ってくれたみんなはどこか嬉しそうだった。

 

「北郷ばかりに味見をさせても仕方ない。興覇、お主も食え」

「っ! ……は、は……」

 

 俺が倒れた辺りから気配を消して、空気になろうとしていた思春が肩をビクーンと弾かせた。

 随分と頑張って食べてはみたものの、量はまだまだ残っている。

 もちろん俺は直接箸をつけてなどおらず、取り皿に取って食べたから思春が嫌がる理由も一切無い。大丈夫、“こんなこともあろうかと”は敷いてこそ意味がある。

 よろよろと席を立ち、思春が俺にそうしたように思春を座らせると、せめてニコリと弱々しく微笑んでみせた。うん、腹が苦しい。そして思春さん、恨めしそうに俺を睨むのはなにかが違う気がするのですが。

 しかしながらこの量を一人でというのは確かに辛い。なので、料理人たちの動きや手捌き体捌きを感心するように眺めていた華雄を呼んで、一緒に卓についてもらった。

 そうして状況が固まっていく中で、小さく溜め息を吐いた思春が料理を口に含むと、その表情がほんの一瞬程度だが崩れた。キリッとした顔が、やわらかなものに。

 

(あ、笑顔)

 

 俺の視線に気づくや即座に元のキリッとした表情に戻っちゃったけど……その顔は、どこか赤く見えた。

 対する華雄は、なんとまあ豪快な食べっぷりを見せていた。

 鈴々のようにガッツガッツと食べるでもないのだが、静かに豪快といえばいいのか、よく噛んで食べているというのに食べるのが早いのだ。

 しっかりおかわりまでして、腹が満たされると満足げに箸を置いた。

 

「なんじゃ、もういいのか」

「無理に詰めてはいざという時に動けないだろう?」

 

 考える人のように顎に軽く手を当て、ニヤリと笑みながらのお言葉だった。本当に頭の中は戦のことばかりらしい。戦ばかりなのはさておき、腹八分目で終わらせるところは……出来るものならば俺も見習いたいです、はい。

 その場合は高い確率でスルーされそうな気がするのはどうしてかなぁ。

 そんなこんなであーだこーだと料理の完成度についてと、ここはこうしたほうがと意見を言い合う内に思春も食事を終え、卓を見やれば完食済み。続いてちらりと思春を見てみると、少しだけ苦しそうな様子を見せただけで、すぐにいつものキリッとした表情に戻った。

 これで結構、思春も呉では苦労してたのかなぁ……とか、しみじみと思った瞬間だった。

 しかしながら食事が終われば待っているのは仕事。

 といっても今日は案内と客人の持て成しに一日を費やすつもりだったから、することといえば料理の手伝いで十分なわけだが───料理人たちがこの国の厨房の扱いに慣れてくると、その手際は素人が迂闊に手を出していいレベルからはどんどんと離れてゆき……

 

「北郷! 皿が足りん!」

「はいっ!」

「一刀さん、こちらにも皿を」

「はいはいっ!」

「兄様ー! 出来た料理を置く場所がそろそろ無いです!」

「はいはいはいぃいっ!」

「はわっ……手がっ……か、一刀さ~ん、ちょっとそれ取ってもらっていいですか~!?」

「これだなっ!?」

「か、かじゅっ……一刀さん、この味、どうですか……?」

「……サ○゛エさん? いや、美味いよ、美味い」

 

 気づけばあちらこちらへと走り回る俺が居た。

 料理を手伝えないなら雑用をと買って出たのは確かなのだが、あのー……どうして俺にばっかり頼むのでしょうか。凪も思春も華雄もいらっしゃるのですが……? い、いや、わかってる。わかってるよ?

 

「隊長! 切れた材料は何処から補充しましょうか!」

「街の方に注文しておいたのが門まで届いてる頃だから、門の兵から受け取ってくれ!」

「北郷、薪が切れたぞ」

「中庭の脇に積んであるからそこから取ってきてくれ!」

「北郷、そういえば今日は鍛錬の日だが」

「華琳が戻るまで禁止だってば! それより手が空いてたら思春と一緒に薪持ってきて!」

 

 その三人までもが、俺にいろいろと訊いてくるからである。 

 なんでか俺が司令塔みたいなものになっていて、とことん俺に最終確認をしてくるのだ。

 なので頭をフル回転させながらあーだこーだと動き回っている内に時間はどんどんと経過し、忙しさの合間にフゥと息を吐いてみれば、外はもう暗くなろうとしていた。

 

「うわっ……もうこんなに暗い……。あ、あー……けどさっ! こんなに一気に作っちゃって大丈夫なのかっ!?」

 

 それだけフル回転で動いてもなお、まだまだ料理は続いている。

 そんな状況だ、次々と完成する料理を前に、そんなことを言いたくもなる。

 そうして生まれた小さな疑問に対し、ぐいっと汗を拭った流琉がきっぱりと返した。

 

「はいっ、むしろこれくらいじゃないと間に合いません! 私たちは料理等を用意するために先に各国を発っただけであって、華琳さまや他の方々も各国での引継ぎ作業が終わり次第、城を発つんですっ。その引継ぎ作業が手早く終わっているのであれば、早ければ明日……それかその翌日にでも到着するかもしれないんですからっ」

「明日ぁっ!? うわっ……それは確かにこれくらい作らないと間に合わないな……!」

 

 それは説得力満点で、ようするに皆が満足するだけの料理を味と量を揃えてみせなければいけないという、ある意味地獄めいた料理の始まりだった。いや、既にやってたんだから延長か。

 なんにせよ一切手が抜けないことがわかった。元々抜く気はなかったものの、相手の中に華琳が居るのでは余計に気を引き締めなければいけない。なにせ我らが魏王様は、味に対して容赦がないからなぁ。

 ならばと俺も手が空けばプリン作りに励み───たかったのだが、次から次へと飛んで来る指示や救援要請に、作業を中断せざるをえなかった。

 蜀には食べる人が多いしな……これで十分だろうって量よりもよっぽど作らなきゃいけない。魏にだって季衣や春蘭が居るし、真桜や沙和もおごりとなると結構食うんだよな……。

 

(そう考えると呉って燃費がいいなぁ……いっそ羨ましい)

 

 でも、どちらにしたってウチは蜀ほど食費はかかっていない筈。なにせ恋だけでどれほどかかるかがわかったもんじゃないからだ。加えて鈴々も猪々子もかなり食うからなぁ。それに加えて美以を始めとした南蛮兵も……食うな。食うよな。

 しみじみ思う。蜀ってよく食費の維持が出来るなぁと。いつもお疲れ様です軍師様。

 

「はぁ……こうして料理の手伝いしてるからこそ思うけど、みんなも料理くらい覚えたほうがよさそうだよな。いっつも流琉に頼りっぱなしじゃあ、いざって時に……既に大変だったなぁ……」

 

 独り言の途中で何処ともとれぬ方向を眺めた。

 壁があるだけだったが、遠い目をする時というのはそういうものなんだと思う。

 華琳の下に居るためか、魏将はなかなかに味にうるさかったりする。季衣もあれで結構、なんでもかんでも食べるイメージはあるものの、流琉の料理をいつも食べている所為か舌が肥えている。

 今回の蜀への用事には季衣も流琉も一緒に出たからいいものの、もし流琉だけが華琳と一緒に蜀に行っていたらと思うと…………あ、いや、大丈夫……だよな? いつか流琉が魏の傍の下に来るまでは、普通に過ごしてたんだし。

 

「っと、今はそれより手伝いだっ」

 

 思考を切り替えて行動再開。

 凝った料理については、華琳が戻ってきてから話し合おう。

 

……。

 

 過ぎてみればあっと言う間ということもなく、調理作業は続いた。

 材料が無くなれば走り、街のみんなに話を通し、アニキさんたちにまで協力を仰ぎ、それはある意味で許昌全体での作業に到った。

 結局全ての作業が終わったのは空も白む頃であり、へとへとになって中庭にへたりこむ俺達の前には、綺麗に並べられた料理の数々。

 そう。

 仕切り直しとでも言えばいいのか、今回もまた立食パーティー形式だった。並べられた長い卓にところ狭しと置かれた料理の数々が、訪れる人や既に居る人がどれほど食べるのかを物語っている。

 

「うへぇぁ……何日か分の忙しさを纏めて味わった気分だぜ……」

「ア、アニキぃい……」

「つ、疲れたんだな……」

 

 アニキさんも料理人のみんなも、ぐったりへとへと状態。

 祭さんも紫苑も普段はここまで作ることはないのか、ひと仕事を終えたって顔で溜め息を吐いていて、朱里と雛里は目を回して背中合わせに座り込んでいる。

 その一方で、結構平気そうな顔をして料理のチェックをしている流琉はさすがとしか言いようがない。普段から季衣が食べる量や、頼まれればサッと振るえる腕を持つ彼女は、これくらいでは疲れ果てるなんてことはないらしい。料理人の鑑……と言えるのだろうか。少し複雑だ。

 

「ふぅむ……これだけの量を捌くと、さすがにくたびれるのぅ」

「子供に振る舞う量どころの騒ぎではないものね……」

「祭さんも紫苑もお疲れ様。水もらってきたから、よかったら」

 

 二人並んで立ち、料理で埋められた景色を見ていた祭さんと紫苑に、どうぞと水を差し出す。二人は差し出されたそれをスッと受け取ると、紫苑はにこりと笑んで感謝。一方の祭さんは少しつまらなそうな顔をした。

 その時点で来る言葉など読めていたので、

 

「むぅ……───さ」

「ちなみに酒はありません」

「まだ“さ”しか言っておらんだろう……」

 

 キッパリ言ってみれば図星だったらしく、祭さんは余計につまらなそうな顔をした。

 けれどグイっと水を呷ると、「まあ、これはこれで悪くはないが」と薄い笑顔。

 

「うふふっ、まあまあ。今お酒を呑んだら潰れてしまうわよ」

「紫苑よ、疲れた時に飲む酒の美味さはお主も知っておるだろうが」

「疲れたならいつでも飲んでいいわけではないでしょう? そもそもわたくしたちよりもたくさん動いた流琉ちゃんが、ああして料理の数を調べているのに、わたくしたちだけお酒を呑むなんて出来るの?」

「……むうっ」

 

 紫苑が言う通り、流琉は今も料理のチェックをしていた。

 前までの会合でも料理担当をしていたんだろう、誰がどれくらい食べるか、何が好きかは頭の中に入っているんだと思う。

 真剣な眼差しで料理たちを睨み、やがて……調べ終えたんだろうか。がっくりと項垂れるように安堵の息を吐くと、その場にぽてりと座り込んでしまった。慌てて駆け寄ってみると、やっぱり安堵から力が抜けたようで、眠たげな目が俺を見上げていた。

 

「あはは……さすがにこの量は疲れました……」

「お疲れ様。ごめんな、任せっきりになっちゃって」

「あ、いえ、兄様が手伝ってくれたお陰で、料理に集中できましたしっ……任せっきりなんかじゃないです、本当に助かりました」

「………」

 

 いい娘だ……。

 思わず無言で頭を撫でてしまう。

 

「なんじゃ、頭を撫でる癖はどこへ行っても直らんか」

「はうっ!?」

 

 それがほぼ無意識というか、自然な動きだったものだから、周囲の視線なんてまるで考えなかった。見れば祭さんは少し呆れたような顔で溜め息を吐き、紫苑は頬に手を当てて笑み、アニキさんたちや料理人たちは肩を震わせ笑っていた。

 ……ええい笑いたければ笑え、自然な行為に悪意も恥ずべき心境もない筈だ! ごめんなさいそれでもやっぱり恥ずかしい!

 

「隊長、そろそろ───」

「う……そうだな。それじゃあ流琉、祭さん、紫苑、朱里……と雛里は、寝ちゃってるか。えと、俺これから警邏だから、これで抜けるね」

「えぇっ!? こ、これから……ですか!?」

「騒がしいときほど、別の騒ぎを起こしたがる輩が居るもんだからね。こればっかりは手を抜けない」

 

 正直、少しくらい眠りたい心境ではあるものの……これも仕事だ、頑張ろう。

 両の頬を両の手でばしんと叩くと気合を込めてから歩く。ぽかんとしている流琉に、「流琉も休んでおけよ~」と軽く笑いながら言って。

 

「華雄はどうする? 俺としては手伝ってもらえると嬉しいけど」

「特にやることもなければ眠いわけでもない……うむ、付き合おう。三国に下ったのだから、乞われて断る理由もない。ふふふ、暴れる者が居るならば、我が金剛爆斧で───」

「始末しちゃだめだからね!?」

「やれやれ……」

 

 思春に溜め息を吐かれながら、眠い頭を軽く振るって中庭をあとにする───前に、祭さんたちを部屋へ案内する。料理を作るためとはいえ、客人には変わりは無いのだから、みんなが到着するまでは存分に休んでいてもらおう。来て早々にこんなことになるなんて、正直予想もしてなかった。

 しかしそうなると眠っている朱里と雛里はどうしたものかと考えるわけで……さすがに二人同時は難しい。一人を背負って一人をお姫様抱っこ? 難度高いだろ。と思っていると、誰が言うでもなく紫苑が朱里を抱え、祭さんが雛里を抱えた。

 ……そうだよな、誰が誰をじゃなくて、俺しか居ないわけじゃないんだから頼ればいいん───……だ?

 

「…………あのー、祭さん? どうして俺の背中に雛里を押し付けるんでしょうか」

「男ならばしのごの言わず、女の一人や二人、率先して運んでみせんか」

「いや、それって祭さんが楽したいだけなんじゃ───い、いえ! 運びます! 運びますとも!」

「おう。いい返事じゃ」

 

 抵抗して落としてしまうわけにもいかず、背に手を回して雛里を負ぶりながら振り向いた先にじとりと睨む祭さん。……了解するしかなかった。

 盛大なる溜め息とともに雛里を背負い直す俺に対し、祭さんは腰に手を当てながら楽しそうに笑うだけだった。



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64:魏~三国連合/宴の前の騒がしさ④

109/賑やかさは平和の証。騒がしさは元気な証。喧嘩祭りは血気盛んな証

 

 早朝だというのに城下は賑やかだった。

 お祭り目前ということもあって、みんながみんな生き生きとしている。実際、お祭りっていうのは祭りそのものよりむしろ、準備期間こそが祭りだと思う。

 そんな賑やかさの中に立って、熱い溜め息を吐く者ひとり。俺である。

 

「はぁ~……賑やかだなぁ……」

「会合当日を思うと、兵たちが少々気の毒だな」

「………」

「? なんだ」

「いや。思春が兵の心配なんて、珍しいなーって」

「っ!」

 

 サッと、少し顔を赤くした思春に睨まれた。でも否定もせずに、睨んでくるだけだった。多少の自覚はあったのかなと思いながら、街を眺める。

 普段よりも行商人が多く、ここらでは見れない珍しいものを見せてくれたりした。つまりそういった行商人がたくさん居るのだ。

 当然興味が惹かれれば見てしまうわけで───

 

「おぉお……これはええもんやなぁ……!」

「へへっ、でしょう? 南蛮の森の奥で採れた伸縮性に優れた植物の蔓。それを丁寧に処理して作った紐ですわ。一本一本の強度もさることながら、それが束になって出来ていることもあって、そう簡単にゃあ切れません」

「おっちゃん、これなんぼ?」

「これは少々値が張りますが……へへっ、せっかくの祭りですからお勉強させていただきますぜ。……こんなもんでいかがでしょ」

「んん~……もうち~っとだけ負かられへん? お祭り気分でほら、な? どかーんと」

 

 …………で。

 あそこの絡繰好きは、行商人の前でなにを粘ってらっしゃるのでしょうか。

 というか……。

 

「自国の、しかも城下にやってきてる行商人に値切り交渉とか、何考えてるんだ……」

「今すぐやめさせますっ……!」

 

 隣に立っていた凪が拳を氣で輝かせ、赤い顔でのっしのっしと歩いていった。

 直後に響く悲鳴。

 大丈夫、俺は何も見なかった。

 寝不足で気が立っていたところに、自国で値引きする仲間の姿を見てカッとなっただけなのさ。涙ながらに引きずられてきた真桜がボロボロなのも、きっと寝惚けて幻覚を見てるんだ。そう、なにもなかった。

 

「自国に来てくれている行商相手に、その国の者が値切るなんてなにを考えている!」

「あ~ん、凪ぃ~、見逃してぇ~! 今ウチ手持ち少ないんよ~! ちょっと、ほんのちぃっとくらい値切ったってええや~ん!!」

「聞く耳持たんっ!」

 

 そしてズルズルと引きずられ、駐屯所がある方へと消えてゆく凪と真桜。

 「隊長~! 助けてーぇえっ!」と手を伸ばされるが、俺はニコリと笑って手を振った。すまん、さすがに今回のはフォロー出来ん。

 

「いいのか?」

「たまにはいいと思う」

 

 華雄が、真桜が連れて行かれた方向を眺めながら呟くが、スパッと返した。

 祭り前で人が多い中、ああいうことばっかりしていたらいろいろと危険だ。華琳に見つかったりしたら、なんて言われるか……想像しただけで怖い。

 

(ん……)

 

 そんな考えの途中、一瞬意識が飛びかける。寝不足はお肌の天敵とか言うが、お肌どころの騒ぎじゃない。しっかりしないと。

 頭を振って脳を揺らすように刺激してみるが、数瞬意識がハッキりするだけで、目が冴えたりすることは全然なかった。だはぁと溜め息が出る……そんな俺に、そういえばと声をかけるのは華雄。

 

「今日は何処をどう回るんだ?」

「ここの通りを重点的に。一番行商が多いから、トラブル……騒ぎが起こりやすそうだし。……って華雄? それについては祭さん達が来る前に決めておいただろ」

「む……? そ、そうだったか?」

 

 客が来る前に予定は決めておく。

 ここ最近、少し先まで予定がびっしりなのだ。

 この警邏だって、街を見歩いて、作業が捗っていない場所を見つけたら手伝うって仕事も混ざっている。それは俺自身がやりたいことだからべつに構わないんだが……この眠気が大変な状態で、果たしてこの北郷めがいかほどに役立つか。

 ……いやいや、文化祭の準備と思えば案外いけるもんだよな。

 脳も自在にコントロール出来れば、眠気なんて簡単に吹き飛ばせるんだろうなぁ。

 こう、エンドルフィンあたりがパパーッと。

 

(…………まずい、相当に頭が混乱してる)

 

 華琳たちが到着する前に、仮眠くらいとっておいたほうがよさそうだ。

 それはいいんだが───華琳たちがいつ戻ってくるかがわからないのが問題だな。

 流琉の予想が正しいとして、昨日で言う明日が今日であるなら、国境なんてとっくに越えてなきゃいけない。

 その報告は来てないんだし、これは今日明日に来るのは無理……かな?

 待てよ? 華琳が国境の兵に“早馬で報せる必要はないわ”とか言ってたりしたら、それはそれで報告が来ないのも頷ける。言っていたらの話なんだが、一度そう思ってしまうと気になってしまうのが人間というもので。

 

「………」

 

 まあ、やることなんて一つだな。警邏を続けよう。

 考え事をしていた所為で捗りませんでしたなんて報告、それこそ華琳が許さない───なんて思っていた矢先に早速トラブルが起きたようで、誰かが何かを言い合う声が耳に届いた。その頃にはもう走り出している自分が居て、反射神経がどうとかよりも、日に日に揉め事を止めに入ろうとすることに躊躇が無くなっていく自分に少しだけ呆れた。

 人垣に突っ込んで悶着の原因を知り、それを治めればまた別のところで悶着。

 どれもこれもが祭り前で昂ぶった町人たちのじゃれ合いみたいなもので、それがそこかしこで起こるものだから、もう笑うしかないってくらいにあちらこちらへと駆け回った。俺が走り回っている様子を見て、町人も「今日もあの人は大変だなぁ」なんて笑ってらっしゃる。

 もちろんそのことに疲れも怒りも沸いてくることもなく、逆に俺も笑い返して駆けていた。だって、祭りで騒がないのはウソだ。だったら走り回らなきゃいけないのだとしても、それは楽しみのひとつでしかないのだ。だったらそう、笑うしかない。

 走り回るのは大変で、楽しみのひとつならほうっておけばいいと思うかもしれない。けれど、楽しみの中で“しなくてもいい怪我”をしてしまう人だって居るのだ。巻き込まれる人だって居る。そうならないために俺達が走って、笑顔で済ませられる“程度”に抑える。平和になった世界での“警邏の仕事”っていうのは、そういうことのためにあるんだと思う。

 

「はぁ……どこも似たようなことで揉めるんだな……」

「他国から来た行商までもが己の出し物で競い合うか。以前からは想像出来んな」

「競い合いまでならまだいいけどね。争いになる前に止めるのが俺達の仕事だ」

 

 あちらこちらを駆け回ることになっても、華雄も思春も文句のひとつもこぼさない。

 むしろ華雄なんかは小さな競い合いを前に感心しているくらいだ。

 乱世の頃で言えば、庶人や行商は人との争いを避けて保身ばかりを前提にしていた。賑やかではあっても、“本当の笑顔で騒いだりする様子”なんてものは、そうそう見られなかった気がする。あの頃から比べればいろいろな人が自分の感情を表に出すようになったということだ。

 もちろん騒ぎがないに越したことはないのだが、喧嘩というよりもじゃれ合っている現場に駆けつけるのは結構楽しいのだ。だから促す注意なんて、「いきすぎないように」ってことくらい。

 相手も迷惑をかけるつもりはないようで、笑いながら頷いてくれる。

 

「貴様が各国を回ったことも、無駄ではなかったようだな」

「はは、そうかも。少し恥ずかしいけど」

 

 騒いでいるのは呉や蜀から来た行商と魏に店を構える者。

 それらが自慢の賞品を武器に笑顔で騒いで、行き過ぎない程度の勝負をしている。

 どっちが売れるかはもちろんだが、どっちが客を笑顔に出来るか、なんてことも勝負のうちに入っているようで、売る商人も買っていく客も笑顔でいるなんて珍しいものがあちらこちらで見れた。

 

「駆けつけた先々で“俺に迷惑はかけない”みたいなことを言われるとは思わなかったよ」

「それだけ各国で信頼を得られたということだろう。それは将よりむしろ、庶人や商人相手のほうが厚いように感じるが」

 

 呉から来た行商は元より、蜀から来た商人にも顔見知りが多かったのだ。

 それ以外の商人だって、各国での俺の噂を聞いたらしくてやたらとフレンドリーだったり興味を持ってくれていたりで、再会を懐かしんでくれる人や、会えて光栄だ~なんて言う人まで現れる始末。

 各国で駆け回ったことがこんなところで生きてくるなんて、本当に世の中っていうのは何処で何が先に繋がる行動になるのかわからないものだ。

 

「むぅ……なるほど。こうまで信頼が厚いからこその“支柱”というものか」

「その信頼に応えられているかが結構難しいところだけどね」

 

 落ち着いている思春とは別に、華雄は俺が行商たちに気軽に声をかけられている状況を感心したように見ていた。そのやりとりの中から“支柱”って言葉の意味を考えているようで、俺が呼び止められて誰かと話をするたびに、なにやらうむうむと頷いている。

 支柱って言葉自体、どういったものになっていくのかを漠然としたものとしか受け取れなかった以前とは違い、こうした僅かな実感があると、“ああ……こういうものなんだな”って思える。

 偉いから名が知れるとかではなく、心安く身構える必要もないからこその信頼関係といえばいいのか。もちろん前提として、天の御遣いって名前が走っているってことにも効果があって、もし俺がただの庶人だったらこんな関係はきっと築けなかったのだ。

 

  本当に、どこで何が役立つのかなんてことはわからないものだ。

 

 利用価値から始まった天の御遣いって名前も、いつしか“支柱の支柱”になる程度には役立ってくれたことになる。いつか桃香と話したように、俺は俺として役立ちたいとは思うけれど、それはそれなのだ。

 俺って存在と御遣いって名前があって初めて“利用価値”って言葉が華琳の中に生まれ、俺は魏に拾われた。俺って存在だけではダメだったのなら、そもそもその時点で死んでいたのだから。

 そこのところは、結局会うことも知ることも出来なかった管輅って存在に感謝したい。

 

「…………ふぅっ……」

 

 走り回っては笑い、結局一度も喧嘩らしい喧嘩は起きないままに、お祭り前日のような騒がしい一日は過ぎようとしていた。

 今日中に来るかもと思っていたみんなは来なくて、妙に身構えていた俺の肩からも力が抜ける。それは思春や華雄、途中で合流した凪も同じようで、じゃあ今日はここまでで───と本気の本気で力を抜いたところで、

 

「北郷隊長ー! 国境から早馬が!」

「なんだってーっ!?」

 

 報せを受けたらしい警備隊の一人が駆けてきて教えてくれた。

 ……はい、徹夜待機決定。

 って、いやいや大丈夫、早馬が報せに来たからって今日来るわけじゃない。

 なら眠る時間は十分ある。

 雪蓮あたりが悪戯を考えて、“報せるのを遅らせて~”なんてことをさっきの早馬の兵に頼んでいて、実はもう近くまで来ている……なんてことがなければ。

 「さすがにそれはないよなぁ」なんて苦笑して、城に戻ろうとした俺へ向けて駆けてくる兵が。───ああ、なんだろうこの嫌な予感。いっそ彼を迎えず逃げてもいいですか? なんて思えてしまうくらいに嫌な予感が───

 

「ほ、北郷隊長! 見張りの兵が景色の先からこちらへ向かってくる灯りを見たと!」

「くぁっ───! あ───っ……!」

 

 思わず“あの馬鹿ぁああっ!”と叫びたくなるのを思春の手前、思い切り抑えて走り出した。というかその思春も頭が痛そうに眉間に皺を寄せながら、片手で頭を押さえていた。

 そんなわけで寝不足と疲れでだるい体に鞭打って走る。

 走って、門の先に立って、夜の景色の中で確かに揺れる火の軍を見て……思春とともに盛大に溜め息を吐いた。

 早馬に使われた国境の兵に、今度高い酒でも送ろう。一番迷惑被ったのは彼だろうから。

 

「なるほど敵襲か! ふふふ平和になった世に在って夜襲をかけるとは───!」

「違うから! というかなんで嬉しそうなんだよ!」

 

 灯火の進行に目を輝かせて、一歩を踏み出し金剛爆斧を振り上げる華雄さん。

 そんな彼女の一歩後ろで慌てて止めるも、確かに実際夜襲だったら大変だ───とは思うものの、だったらそもそも早馬の彼が無事でいられるはずもないわけで。

 暗くて見辛いものの、下火に照らされるようにしてぼんやりと見えるのは呉の旗だ。

 

「……思春」

「言うな……」

 

 俺よりも目が利く思春は既に見えていたのだろう。

 俺が全部言うより先に溜め息を吐き、それだけ言うと顔をしかめて目を伏せた。

 

「あ、あー……来てるのって呉のみんなだけか?」

「いえ、魏の旗も蜀の旗も確認しました。途中で合流したのでしょう」

「そ、そっか」

 

 思春の代わりに凪が応え、俺をちらりと見てくる。

 ああわかってる、夜も遅いけど、迎えの準備をしないと……いけないんだよなぁ……。

 

「ごめんみんな、疲れてるだろうけど、迎える準備をしよう……」

「……すまん」

「思春が悪いんじゃないって。むしろあの中の冥琳の心労の量こそが心配だよ……」

 

 驚くくらいに素直に謝る思春に驚きながらもそう返す。

 あの人数で早馬並みに行進するのは無理があるし、情報操作なんてする意味がまずない。

 それでも“面白そうだからやる”というのが呉の王様なのだ。

 それに振り回されるみんなにこそ、お疲れ様を本気で唱えたい。

 

「あの……隊長? 急いだ結果としてこうなった、というのは考えられないのですか?」

「華琳だったら普通に、明るいうちに到着するように調節するって。そもそも驚かすために早馬を使ったりはしない」

「あ……そうですね……なるほど……」

 

 凪にあっさりと納得される呉王が居た。

 俺が居なかった一年の間、いろいろと理解に繋がる出来事があったんだろう。それさえも容易に想像出来るんだから、雪蓮って人間はきっと、何処に居ようと自由奔放だったんだろう。

 

「あまり時間が過ぎるのも問題だし、用意した料理的には良かったといえば良かったんだけどな……そうは思えても、この釈然としない気持ちはなんだろうなぁ」

「温かくはありませんが、どれも冷めても美味しいものや、冷めたほうが美味しいものを用意しましたからね」

 

 あえて釈然としない気持ちには触れずに返してくれる凪だけど、ちらりと見たその表情だけで十分返事になっていた。

 

「じゃあみんな、眠いだろうけどもうひと頑張り、いいかな」

「はっ!」

「応っ!」

「わかった」

 

 凪と華雄が元気に、思春がどこか申し訳無さそうに返事をする。

 それを聞いてからの行動は早く、出迎えの準備をするように警備隊に指示。城への通達を頼んで、俺もまた走る。

 さすがに今から徹夜で騒ぐわけでもないだろうし、部屋の準備───は出来てるけど最終確認と、風呂の準備に宴とは別の食事の準備と、あとは───

 

……。

 

 そうしてドタバタしたままに魏王と呉王と蜀王、それらの将を迎えた。

 玉座の間に集うは魏呉蜀の将、そして王が三人。

 夜ということもあって、出来るだけ静かに───

 

「お兄ちゃんなのだっ!」

「あーっ、一刀~っ♪」

「兄ぃ! 兄にゃー!」

 

 ───いけるわけがなかった。

 鈴々の突撃を皮切りにシャオが駆け美以が駆け、静かに行なわれて静かに終わる筈だった到着歓迎はあっさりと“騒ぎ”という名前に食われてしまった。

 突撃と言ったからには“元気にしてたか~”なんて手を振る程度で済む筈もなく。季衣がそうしたようにそれこそ突撃され、再び腹に痛撃を受けてなお踏み止まった───ところへ、シャオが背中から抱きつき、驚いた瞬間に腕に抱きつくやゴリリと噛み付く美以……ってぎゃだぁああっだだだだぁーッ!!

 

「こ、こらこらっ……! 今はこういうことしてる場合じゃっ……!」

 

 痛みを我慢しながら小声で伝えるが、三人はきょとんとした顔で俺を見るだけ。

 そしてそれ以外の人は、じとりと何故か俺を見てきて……

 

「……一刀」

「アノ……華琳サン? 俺別ニ何モシテイナインデスガ……?」

 

 久しぶりにじろりと睨まれると、背中につつーと流れる嫌な汗。

 しかし誤解だと唱えたい。

 だってそろそろ眠気がピークで、騒ぐ元気もない。……なんてのはあくまでさっきまでの話で、嫌な汗が噴き出るのと一緒に眠気は吹き飛んでしまったから言い訳には使えそうになかった。

 なので、もう俺の反応など知ったことではないとばかりに腹に背中に腕に抱き付いてきている三人をよそに、必死に言い訳を考えるわけだが……どうしてだろうなぁ、時間がかかればかかるほど、華琳からモシャアと景色を歪ませかねない殺気が放たれているように感じるのは……!

 

「いいじゃない華琳、堅苦しい挨拶なんて終わらせて好き勝手やりましょ? むしろ休み無しで今から騒いでもいいくらいよ」

 

 言い訳を考える必要なんてきっとなかった俺を救う言葉が雪蓮から放たれる。

 途端に救われた気持ちになってホッとしたが、そんなあからさまが華琳のひと睨みで奥に引っ込んだ。あの……俺、なにかした?

 

「大した休みも無しに夜に着くことになったのは貴女が原因で。早馬まで、驚かす材料にしてまでの行進で疲れているというのに。休みも無しに騒げというの?」

「うん、そう」

 

 にっこり笑顔での頷きだった。そしてやっぱり雪蓮が考えたドッキリだったらしい。

 ドッキリというか迷惑行為以外の何物でもない気もするけど。

 

「疲れてるほうが逆に自然体で騒げるものでしょ? 遠慮なんてつまらないし、騒げる期間中に騒ぐべきよ」

「………」

 

 あ。華琳が溜め息吐いた。

 恐らくここまで来る間にも、いろいろと笑顔で無茶を押し通されたんだろう。

 ちらりと見てみれば、冥琳も疲れた顔で俯いていた。

 

「はぁ……桃香はどう?」

「あ、うん。えっと、私も雪蓮さんに賛成かな。楽しい時間は長いほうがいいと思うし」

「………」

 

 玉座に座った彼女が、軽く頭を痛めた瞬間だった。

 そんな彼女を段差の下で見上げつつ、鈴々とシャオと美以を丁寧に引き剥がすが、再び突撃されて項垂れた。剥がしてだめなら受け入れろだ。頭を撫でてみれば満面の笑みで迎えられ、代わりに華琳に睨まれた。

 そうした状況にいっそ泣きたくなっていると、美以とは逆に腕……左腕に新たな感触。

 見てみれば、おどおどしながら抱き付いている美羽。

 抱きつかれて気づいたが、おどおどどころか物凄い速度で震えていた。

 そんな彼女の視線の先には、にっこり笑顔の雪蓮さん。

 ああうん、今ならわかるよ美羽。苦手なものって、誰にでもあるよなぁ……。

 

「まあ、いいわ。こうして集まるのもこれが初めてというわけでもないのだから。一刀、流琉、宴の用意は整っている?」

「ああえと、そうだな。仕上げをすればほぼ。料理は冷めても美味しいものを用意したし」

「はい。熱いほうが美味しいものの下ごしらえも出来ていますから、あとはすぐに作れます」

「結構。ならば料理の出来る者はすぐに仕上げに入り、手が空いている者は席の準備を手伝って頂戴」

「えー? ちょっと華琳~、客に席の準備を手伝わせるつもりー?」

 

 華琳の指示に頷き、行動を開始する俺と流琉を他所に、雪蓮は不服そうにそんなことを言う。しかしながら華琳もまた、笑顔でありながら口をヒクつかせながら返した。

 

「あのねぇ雪蓮? 誰のお陰でこんな夜遅くに、皆が疲れながら到着することになったと思っているの?」

「冥琳」

「雪蓮姉さま! 仮にも王が躊躇も無しに人の所為にするとは何事ですか!」

「ひゃうっ!? ちょ、蓮華、落ち着いて……!」

 

 そんな即答に即座に反応したのは蓮華で、驚く雪蓮に詰め寄って「大体姉さまは……!」と日頃の素行の悪さを将や王らの前で叫びなさった。焦りながらそれを止めようとする雪蓮だったが、冥琳に耳を引っ張られて小さな悲鳴を上げ、あとはまあ……見ないでおくのがやさしさなのかもしれない。

 俺は流琉に頷きかけると行動に出て、玉座の間をあとにした。……鈴々、シャオ、美以、美羽に抱きつかれたまま。

 ああもう……早くもいろいろと心配になってきた。大丈夫なんだろうか、この会合。

 なんて思いながらもどうやら俺自身も楽しみではあるようで、流琉に指摘されて初めて、自分が笑んでいることに気づいた。

 

(……そうだな。祭りなんて騒がしくてなんぼだろう)

 

 そして、こうして最後の追い込みをドタバタとするからこその準備だ。

 だったら笑わない理由なんてきっと無い。ならばと笑い、くっついている四人と隣を駆ける流琉、後を追って走ってきた季衣とともに、祭り当日の前の最終準備に追われる学生のように、焦りながらも燥いだ。

 性格上、焦っているのは俺と流琉だけだった気もするけど、視線がぶつかれば笑ってしまうんだから……否定しようもなく、これから始まる祭りってものを準備している今も、俺達は楽しんでいた。




 親~衛~隊~は~、洗い残しし~ない~♪
 これにて魏編終了、次回からは三国連合編です。
 それからIF、IF2と続いて外史終端編で終了となります。
 た、たぶん……300話以内には終わると思う……ヨ?
 あ……でも64部で170話いっちゃってるなら……ゴッ、500話以内には! たぶん!

■追記:本編は既に完結しているので、のんびり待ってやってください。
    “なろう”では一話が1万5千~3万文字でやっているので、それを分割してこちらに移しております。
    そのため、移したあとが何話になるかがわからないだけなので。


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三国落着編
65:三国連合/宴の中の騒がしさ①


110/お祭り騒ぎ

 

 祭り。

 この騒ぎを一言で纏めるのなら、きっとこれほど的を射ている言葉は無いだろう。

 各国のほぼ全ての将、そして王が揃い、騒いでいる。

 かつての世では想像も出来なかった状況だ。

 生きるために行動するだけで精一杯で、想像出来た未来なんて敵を蹴落とした先に立っている自分たちだけだ。

 まさか、こうして皆が一堂に会して笑える日が来るとは。

 言ってしまえば前回の会合の時も、俺が消えた日にだって笑顔はあっただろうけど……ここまでの賑やかさは無かったと言える。

 

「北郷隊長、この料理は───」

「ああっ、悪いっ、あっちのテーブ……もといっ、卓に置いてくれ!」

「はっ」

 

 そんな笑顔を絶やさぬために、すっかり雑用担当みたいになっている北郷警備隊はといえば、言葉通りに雑用と言う名の配膳係りをしていた。

 大食らいが多すぎるのだ。用意していた料理だけではまるで足りなかったために、こうして走り回る破目に陥っていた。街でも城でもこんな感じだよな……最近の警備隊。

 

「あの……北郷隊長……」

「いや……言いたいことはなんとなくわかる。わかるからこそ、何も言わずに頑張ろう……」

「いえ、しかし……あの。自分たち……警備隊……ですよね……」

「ああ……警備隊……だよな……」

「………」

「………」

『……はぁあ……』

 

 兵と一緒に溜め息を吐いた。

 向かい合う二人の手には料理の皿。

 お互いに苦笑した後にはその苦笑を笑顔に変えて、二人して笑った。

 そうだ、警備隊。守るのはなにも人の身や街の平和だけではなく……誰かの笑顔も。

 そう思えばこうして走り回るのも悪くはなく、そのお陰で誰かが笑っているのならそれでいいのだ。そんなことをすぐに考えられるくらいには、俺達も平和ってものに慣れることが出来たのだろう。

 交わす言葉は特に無く、二人して別の方向へと走った。

 それからはひたすらに料理を運び、空いているものは片付け、食材と格闘する流琉や料理人のみんなに差し入れをしたりと、落ち着きなんてものは相変わらず存在しない。

 一緒に来た季衣やシャオたちは準備の慌しさを見るや、何か指示を出される前にとっとと逃げ出す始末だし……流琉はいい娘だなぁ。……っと、頷いてないで仕事だ仕事。

 と、出来上がったばかりの料理が盛られた皿を手に、踵を返したところで少しフラついてしまった。…………寝不足だな。あとで少し休憩を取ろう。せっかくの会合の最中なのに倒れました~なんてシャレにならない。

 ……うん、休む。休むぞ。ただし、休むまでは全力だ。

 

「あっと。流琉、悪いんだけど点心が出来たら、蒸篭に多めに詰めてもらっていいか? 季衣が鈴々と大食い対決する~とかでさ」

「大食い……って……もうっ、手伝いもしないくせに注文ばっかり一丁前なんだからっ」

「お祭り騒ぎならではだよ。俺も手伝うからさ」

「お祭りだからではなく、季衣のはいつもですっ」

「あははははは……はぁ……」

 

 違いない。

 小声でそう呟いて、とりあえずは運べるものを運ぶと、眠気を吹き飛ばすためにも駆け足で厨房に戻り、流琉を手伝うために釜戸の前へ。

 正直、料理の腕は普通の域を脱しない俺だから、味付け等は絶対に担当出来ない。

 なので集中し、流琉の言葉に即座に反応できる自分をイメージしてゆく。

 

「あの、兄様」

「任せとけっ!」

「いえ、あの、まだ何も言ってませんけど……」

 

 歯まで輝かせた(つもり)で身構えてみせると、さすがに苦笑で返された。

 うん……なんかごめん。寝不足で少しテンションがおかしいんだ。

 

「それでえっと、どうかしたのか?」

「はい。兄様は食材を切ることに専念してもらっていいでしょうか」

「食材を?」

 

 どうして……って訊くまでもないか。味付けがダメならせめて仕込みを、だな。

 すぐに理解に至れば、二つ返事で十分だ。

 早速言われた通りの切り方で食材を切り刻み、早速切り方を注意され、そこから学ぶことになる。

 しかしまあ、なんだろう。こういうことでも鍛錬と同じく、注意されたことをきちんとこなせばそれなりのことが出来るというもので、食材を切り終える頃には多少のスキルを手に入れられたと思う。…………全てを切り終えてから得られても意味がないと、今は叫びたい気分ではあるのだが。

 いや、次に活かせばいいんだよな。無駄なんかじゃない、無駄なんかじゃ。

 ただ……活かす機会が訪れたとして、この腕がそのスキルを覚えていてくれているかがとてもとても不安なわけで。そういうことが身に着いていてくれるのなら、きっと調理の方も普通の域くらい脱していられたんじゃないかと、どうしても思ってしまう。

 

「うーん……親父のところで多少は勉強したつもりだったんだけどなぁ」

「むしろ勉強したからこそ、指示を受けただけで出来るようになったんですよ。出来ない人は本当に出来ませんから」

 

 刻んで山になっている食材を見ての言葉に、なるほど確かにと頷いた。

 なにせ“料理を普通にしか出来ない人”が自分なのだから、思わず苦笑が漏れるほどに“なるほど”と納得せざるをえない。えないんだけど……こうなると料理の腕もあげたくなるのは、基本が負けず嫌いな男の意地だろうか。

 

(じいちゃんの下で真面目に鍛錬するようになる前は、事なかれ主義の意識が強かったんだけどな)

 

 それを言うならこの世界に来る前まで……か?

 そもそもみんなと別れることになる前までは、じいちゃんの下で自分を磨こうなんて思いもしなかったわけだし。そんな意識が祭さんや雪蓮との鍛錬を通して強くなって、鈴々や焔耶とぶつかることで余計に強まって……で、今に至ると。

 こんな意識が無ければ、鍛錬の中で華雄や霞や春蘭相手に“やるなら全力だ”なんて考え、思い浮かびもしなかっただろうなぁ。だって、あったらあったで実力が伴わなすぎてコテンパンにノされるだけだもん。……コテンパンなんて言葉、久しぶりに使ったな。

 

「っと、他にやることってあるか?」

 

 考え事を中断して、そんな俺をよそに絶えず手を動かしていた流琉に問う。

 火の前で汗をかく流琉は、せっかくの宴の前だというのに楽しそうで、なんというかうん……ああ、料理人だなぁと思わせてくれた。友達に季衣って存在がなければ、そこに“作り甲斐”ってものを見い出せたかどうか、疑問ではあるけれど。

 美味しいって言って食べてくれる人が居てこそだよな、やっぱり。

 

「あ、いえっ、こっちはしばらく大丈夫そうなので、他を当たってみてくださいっ」

「そっか」

 

 そう言うならと、調理を続ける流琉から意識を逸らし、厨房をぐるりと見渡せば……やっぱり戦場なままのそこがあった。どれほどの速度でモノを食べれば、こんなに料理が必要になるのか。ドタバタとはさすがに行動しないものの、焦りってものを顔に貼り付けた警備隊の兵や女給さんがひっきりなしに料理を運んでいる。

 足りないものがあれば注文し、それを流琉が作る。

 それを繰り返すうちに流琉の目はぐるぐると回ってきて、見ているこっちが辛くなるほどだった。食べるだけの人って、ある意味幸せだよなぁ……。

 

「流琉、とりあえず水飲んで。火の前でずっと働きっぱなしなんだ、こまめに水分取らないと」

「あ、は、はいっ……すみません、兄様……」

 

 丁度料理を皿に移し終えたところで水を差し出すと、感謝の言葉とともに一気飲み。

 にっこり笑顔で器を俺に返すと、再び料理に取り掛かった。

 

「………」

 

 下ごしらえがあるからって、すぐになんでもパパーっと出来るわけじゃない。

 現に、俺が食材を切ることになるくらい、予想を上回った料理の数が必要になっている。なんとか支えてあげたいところだけど、料理方面で俺に出来ることは……あまりにも僅かすぎた。

 増援を求めようにも、祭さんや紫苑は既に酔っ払ってるだろうし……流琉クラスの料理の腕じゃないと、みんな喜びそうにないし……ああもう、みんな食い気ばっかりのくせに無駄に舌が肥えてらっしゃるから、なおさらに性質が悪い。

 周りがそうならせめて自分だけはと思うものの───

 

「あ、いたいた。ちょっと一刀~、こんなところでなにやってるのよー」

 

 ───その周りというか周囲が、“自分だけは”を中々許してくれないのだ。

 ひょこりと厨房に顔を出したのは雪蓮で、俺を見つけるなり少し口を尖らせての言葉。

 その割りに、それだけを言うと笑顔になって俺の腕をワッシと掴んで歩こうとする。

 

「ちょ、待った待った雪蓮っ、急になにっ!」

 

 しかし引っ張られた俺はといえば、雪蓮の急な行動なんて今さらだとは思うものの流琉のことが気になるから、ここで振り回されるのは御免なわけで。なにがしたいのかを訊いてみれば、答えはあっさりと返ってきた。

 

「宴を盛り上げるために一刀の腕を見せて欲しいのよ。もちろん相手は私で」

「どれだけの速度で娯楽を求めればそんな結果になるんだよ!」

 

 思わず本気でツッコんでいた。

 にっこり笑顔な口から発せられる言葉と吐息からは、もはや酒の香りしかしない。

 そのくせ顔はまだまだ余裕だ。

 余裕だからこそ、こうしてわざわざ俺を探しに来たんだろうけどさ。

 

「ほらほら戻って。会合で宴なんだから、王が席を外しちゃダメだろ」

「平気平気。だって私、家督を蓮華に譲るつもりだし」

「そうだとしても今は雪蓮が王なんだから、しゃきっとするっ」

「なによー、一刀までそんな、冥琳みたいなこと言うことないでしょー?」

 

 どうやら既に言われていたらしい。

 わかる、わかるよ冥琳。こんな王を見れば、たとえ関係者じゃなくても言いたくなるよな。

 

「とにかく戻る。あ、ところで雪蓮、季衣と鈴々って今どうしてる?」

「? ああ、あのコたちね。“点心が来ないから他の料理で勝負なのだー”とか言って、他の料理を食べ荒らしてるけど」

 

 ……がらんっ、とお玉が転がる音がした。

 振り向いてみれば、中身を皿に移し終えた中華鍋に、お玉を落としてしまったらしい流琉の姿が。

 作るのが点心だけって限定していれば、まだ作業も一定で済んだのに……。

 

「……雪蓮、料理得意だったりする?」

「食べる専門だけど?」

 

 そんなことで胸を張らないでほしかった。

 

「それより一刀はこっち。宴をきちんと盛り上げなさいって」

「だ、だから今はそれどころじゃなくてっ」

 

 掴んだままの腕をぐいと引っ張る彼女に抵抗をするが……悲しいかな、腕力で勝てない俺が居た。うう……強くなりたい……。

 

「そうそう、流琉ももう宴に戻って頂戴? さすがにずっと調理当番させておくわけにはいかないから」

「え? で、ですが」

「なんのために料理出来る者を先に寄越したと思ってるの。大丈夫大丈夫、それが仕事だし、むしろそれが出来ないなら流琉が仕事を奪うことになるんだから」

「あ……」

「うぐっ……なんか耳が痛い……」

 

 いつか華琳に言われたようなことを雪蓮が言った。

 そう言われては流琉もさすがになにも言えず、「それでしたら」と素直に同行。

 厨房のことは他の料理人さんたちに任せて、雪蓮とともに宴の場へと向かう。

 ───向かうんだが……

 

「あの……雪蓮? 俺も警備隊長って手前、みんなが頑張ってるのに一人で燥ぐのは……」

 

 俺自身は妙な罪悪感に囚われていた。

 一応言葉を放つのと一緒に雪蓮の手から逃れようとはするのだが、ぎゅうっと握られた腕が解放されるなんてことはない。むしろ抵抗することで余計にぎゅっと握られてしまい、逃れる術を自ら潰してしまった。俺の馬鹿……。

 

「んー……前の宴の時みたいに、残りものでいいなら騒いで良しって条件をつけるとか」

「この調子だと残りそうにないって思うのは俺だけか?」

「いえ、兄様……私もそう思います……」

 

 流琉と一緒に苦笑とともに溜め息を吐く……と、厨房を出るところまで歩いた際に秋蘭と擦れ違う。

 

「あれ? 秋蘭? どうかしたか? ───あ、もしかして酒が足りないとか?」

「いや、料理人の腕が足りていないのではないかとな。準備を手伝ってやれなかったのだから、せめて今くらいはと来たのだが」

 

 ちらりと雪蓮と目を合わせる秋蘭。

 その雪蓮の手が俺の腕を掴み、先に歩いているところを見て、おおよその状況は把握したらしい。小さく目を伏せて笑うと、流琉の背をポンと押した。

 

「秋蘭さまっ?」

「あとは私が預かろう。心配するな、華琳さまからの許可は頂いている」

「華琳が?」

「将の皆にな、一品ずつ料理を作らせよ、とのことだ。いくら料理が上手いからといって、流琉ばかりに作らせるというのもな」

「なるほど……って秋蘭? その話だと、いずれは春蘭が……」

 

 いつかの杏仁豆腐を思い出すのと同時に、つうっと嫌な汗が頬を伝う。

 そんな俺の反応に、秋蘭はただ目を伏せて俺の肩を叩くだけだった。

 しかしそれは“全てを俺に押し付けるような顔”ではなく、まるで“お前は一人じゃない”と言っているかのような顔だった。

 ……うん、つまりはその……うん。この宴に居る人全てが道連れということでよろしいのでしょうか、秋蘭さん。

 

「ちなみに料理の腕は……」

「前回の会合以降、作らせていない」

「だよね……」

 

 俺と秋蘭の話を聞いていた雪蓮も流琉も、俯くほかなかった。



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65:三国連合/宴の中の騒がしさ②

 そんなこんなで各国の各将が作る一品料理大会がいつの間にか始まった。

 流琉の料理は言うまでもなく満点。

 次ぐ秋蘭の料理も文句の付け所が無いほどに美味く、確かにこれは準備を手伝ってもらえなかったのが残念なくらいの味だった。

 いつか玉座の間でやった、飲めや歌えの大宴会の時にも味わった味だけど、思わずホゥ……と暖かな溜め息を吐いてしまう味。思えばあの時だったっけ、立食パーティーの話をしたのは。まあ、勝手に玉座の間を使った罰として、夜通しの片づけを命じられたのは、今となってはいい思い出だな。楽しかったし。

 

「ていうかさ……どうしてみんな、最初は必ず俺に一口食わせるのさ……」

「それはもちろん毒───味見ですよー、お兄さん」

「あの、風? 今絶対に“毒見”って言おうとしたよな?」

 

 俺の質問なぞ右から左へ。

 どうしてか作る人作る人がまず俺の前に料理を持ってくる。

 王を差し置いてこれはどうなんだと言ってみれば、

 

「構わないわ。あなたが先に食べなさい」

 

 きっぱりと仰る華琳さん。

 桃香に訊いても雪蓮に訊いても返ってくる言葉など似たようなもので、むしろ桃香は是非にとばかりに俺に勧めた。そんなことがあってから少し経った現在、俺は愛紗が作ってくれた“炒飯?”を見下ろしているわけだが……あの。なんで炒飯から小魚が顔を出しているのでしょうか。炒飯だよな、これ。魚が顔を出しているだけで、蜀で食べさせられたKAYUを思い出すのですが? え? 俺……また気絶する?

 

「えーと……華琳……?」

「食べなさい。そして、言いたいことはきちんと言うこと。正当な評価以外は認めないわ」

「………」

 

 あの。もしかしたらだけど、それって自分らでは言えない言葉を俺に言わせようとしてるだけだったりする? これは美味しくないとか、これはこうするべきじゃないとか。

 立食パーティーだから王も立っているっていうのに、そんな王をさらに差し置いて俺にだけ用意された卓に座らされ、そこに次々と運ばれる料理の数々。どうやら俺はそれを一口ずつ食べなければいけないらしい。

 ……これってある意味で拷問なんじゃなかろうか。

 言い訳を言って逃げることは出来そうになく、両脇には思春と凪が待機している。

 ……ちなみに、俺が“炒飯?”を食べるのを待っている愛紗の後ろには、自信満々の顔でなにかしらの容器を持っている春蘭が待機している。思い返されるのは秋蘭と季衣をノックアウトしてみせた杏仁豆腐だが……俺、逃げていい? ……はい、逃げられるわけがありませんでしたね。

 

「? 一刀殿、どうされましたか」

「あ、いやえっと、ななななんでもない」

「そうですか。では」

 

 どうぞと、にっこり笑顔で“炒飯?”を食べるように促される。

 知らずに喉がごくりと鳴り、手足が震え、香りを嗅ぐだけでも汗がだらだらと溢れ出てくるこれは、果たして料理と言えるのだろうか。だが男ならば女性の手料理はきちんと食わねば……いや、もちろん一口って意味で。

 う、宴用に作ったんだもんなぁ、俺だけが食ったらあんまりだよな? なっ!?

 

「い、いた、だ……きます……」

「………」

 

 俺の覚悟が決まる頃、愛紗の喉がごくりと動く。そして俺の喉も、いただきますを唱えることを止めようと頑張ってくれた。どの道逃げられないので根性で言うが。

 震える手で持つレンゲでざくりと“炒飯?”を掬い、途端に香る生臭さに「ウッ……!」と声が漏れそうになるのをなんとか堪え、一度だけ“神様……”と何かに祈ってから───ついにハモリと一気に食べる!

 

「───…………」

「……か、一刀殿?」

 

 目の前が真っ白になった。

 なのに耳は音を拾う。

 視界はどこもかしこも白で埋め尽くされていた。

 ハテ……これはいったいどうしたことだろう。

 疑問に思っていると、どこからか大きな鐘の音が聞こえてきて、なんとなく空から聞こえてきたような気がして、白の視界のままに見上げてみると───白でいっぱいの空から、布のようなものに身を包んだ翼を生やした少年数人が降りてきた。

 何故かラッパのようなものを片手にし、残った片手で俺の体を引っ張る。すると驚くくらいに容易く体が持ち上がって、まるで羽毛にでもなったかのように俺の体が宙に浮かぶ。

 何が起きているのかなんて気にするって思考すら働かぬままに、やがて俺は───

 

(なんだろう……体が軽い……。すごい爽やかな気分だ……。いろんなものから解放されたみたいな……)

 

 どうか連れて行ってくれ。俺を、この真っ白な空の果てまで。

 そこで俺は───……俺は……

 

「あだぁっ!? ───……あ、あれっ!? 俺っ……今……あ、あれぇ……?」

 

 急に脇腹に走った痛みにガバッと顔を持ち上げた。

 すると、卓を挟んだ目の前に慌てている愛紗。それに、俺の隣で長い長い安堵にも似た息を吐く凪と思春。どうやら俺は卓に顔から突っ伏していたようで───って……あれ? 俺……もしかして倒れてた? むしろ何処かへ連れていかれそうになってた? ……お花畑どころかお迎えが先に来たよ。危なかった。

 

「はぁ……秋蘭、愛紗の料理を下げさせなさい」

「御意」

 

 ふう、と冷や汗を拭う俺をよそに、華琳が目を伏せながら言う。

 愛紗はといえば……下げられる料理を口惜しそうに眺め、追おうとするも華琳に呼び止められた。

 

「愛紗、あなたはここに居る間にもっと料理の腕を磨くこと。いい機会だから料理が出来ない者に“調理”というものを教えてあげるわ」

「なっ……い、いやしかしっ……」

「あら。人を気絶させておいて、何か言いたいことでもあるのかしら?」

「はぐぅっ!?」

 

 呼び止められてからの言葉は全てが正論すぎて、愛紗は“ぐぅ”の音も……ああいや、代わりに“はぐぅ”なら吐いたけど、ともかく反論出来なくなっていた。

 

「皆にもここで言っておくわ。料理の出来ないものはきちんと作れるようになりなさい。食べてばかりだった者も、そうすることで食に対する意識が変わってくるでしょうから」

「うーん……料理かぁ……えと、華琳さんが教えてくれるの?」

「ええ。本人にやる気があるのならね」

「は、はい華琳さま! 私、今すぐにでも覚えます! な、なのでっ!」

 

 桃香の質問に答える華琳のすぐ傍で、挙手をしてまで自己をアピール。二人っきりで教えてほしいと体全体で示す我が国の軍師さまが居た。

 

「良い心掛けね。では最初の試験を与えるわ。一刀に料理を作り、美味しいと言わせてみせなさい。それが出来たのなら有資格者として認めてあげましょう」

「えぇっ!? ほ、北郷に……私が!?」

 

 この世の終わりのような顔をされた。小声で「毒を盛るだけなら喜んでするのに」とか聞こえたが聞こえないフリをした。アア、周囲がとっても賑やかだナー。

 これぞお祭り騒ぎって感じで、大変良いことなんだが……

 

「さあ食え!」

 

 ……どうして俺の前には、春蘭特製の杏仁豆腐があるんだろうか……つーかこれ杏仁豆腐っていうよりもフルーツポンチだろ……フルーツ無いけどさ。

 そういえば杏仁豆腐って中国じゃあ薬膳料理らしいね。

 郷愁と呼べるのかは別として、元の世界で急に杏仁豆腐が食べたくなって、調べてみたら薬膳料理だと書いてあった。

 

(どうして俺は、その薬膳料理を前に気絶する覚悟を決めなければならないのだろうか)

 

 いや、気絶で済むならいい。

 もし再びヘヴンズドアーを開いてしまえば、今度こそ戻ってこれないかも……って、料理でさすがにそれはないよな。それに春蘭だって同じ轍はそうそう踏まないはず。ただでさえ酔っ払って猫化までして謝罪してきてくれたかつての料理。これ……逆に期待出来るんじゃないか? ほら、春蘭だって自信満々だし。

 なんだ、心配することなかったじゃないか。

 

「いただきます」

 

 自分の思考回路が自分の心の緊張を解いてくれた。

 そうなれば、今度は逆にウキウキとしてくるというもので、春蘭の腕が何処まで上がったのかを確かめるように、パクリと杏仁豆腐を口にした。───途端に思い出される、“あれから作らせていない”という秋蘭の言葉。

 そして訪れる真っ暗な世界。

 あ、あれ? さっきまでみんなと一緒に宴の席に居たはずなのに、何処だここ。

 えぇと……あのー、なんで俺の足元からフードのようなものを被った骸骨が出てきなさっているのでしょうか。そしてその手に持つ物騒な鎌はなんですか? え? いやちょっと待って!? え!? もしかして俺、また倒れた!? さっきのが天使ならこれ死神!? まままぁーままま待った待った待って待った待ってくれぇえーっ!! たたた助けて! 助けて華琳! みんな! 誰かぁああっ!!

 

「ふぐぅっ!?」

 

 再び脇腹への痛みで目が覚めた。

 ビクンッと痙攣して夢から覚めるように、ハッと気づけば宴の席。

 …………天国の扉どころかヘルズドアー開いてたよ。

 

「ど、どうだっ」

 

 そして、気絶して本気の涙まで流している相手に良し悪しを訊ねるこの大剣さまに、俺はなにを言うべきだろう。

 ああいや、言うことなんて決まっている。

 武や学が日々の積み重ねだというのなら、食ももちろんそうだと言える。

 ならば練磨の機会を奪う言葉は“ため”にはならないのだ。

 

「……お願いだから、料理をするなら“味見”をしてください……!」

 

 言っている途中で、さらにさらにと溜まっていた涙がこぼれてしまい、さらには敬語になってしまうくらい切実な願いであった。しかし春蘭は「なにを言う! 出来たものは一番に相手に食わせるものだと聞いたぞ!」とか言い出す始末で。

 食べさせるのはいいけど、きちんと美味しいものを食べさせてください。

 最初からこれじゃあ、宴の最中だっていうのに自分の命が心配になってきたよ。

 などと自分の一歩先の未来を考えて空を仰ぐ俺に、「心配いらないわよ。一番ひどいのを一番に持ってきたのだから」と仰る華琳さま。……今の世に激辛マニアがあるのなら、彼女にこそ食わせたいと心の隅で思ってしまった。

 

「華琳は食べないのか?」

「気絶するようなものを食べる必要なんてないでしょう?」

「だったら俺が食う前に味見なりなんなりさせよう!? つか、春蘭もなんであんなに自信満々だったんだよ!」

「味付けを変えてみたんだ! どうだ! 美味かっただろう!」

「………」

 

 目の前で輝く笑顔を見せる大剣さまに、俺は両腕で×を作ってみせた。

 途端に「なんだとぅ!?」と騒ぎ出した瞬間、後ろに居た霞が羽交い絞めにし、すかさず俺が杏仁豆腐を口に突っ込むと、ぐしゃりと膝から崩れ落ちて動かなくなった。

 魏が誇る大剣が、杏仁豆腐の前に敗れ去った瞬間だった。

 

「………」

「………」

「………」

「あの……華琳……」

「えぇ、と……そ、そうね。皆、一刀に食べさせる前に一度味見をなさい。さすがに宴の席で医者を呼ぶことだけは避けたいわ」

「もっと早く聞きたかったよ、その言葉……」

 

 一応この宴には華佗も参加してくれてはいるが、そんな心配を胸に宴を続けるなんてことはしたくない。宴ってもっと純粋に楽しむものなんだろうし。……楽しむものだよな? 前回も覗きまがいのことして追われたり戦わされたりといろいろ散々だったけど、宴って楽しむものだよ…………な? あれ? 思い返せば返すほど心に緊張が走るのはどうしてだろう。

 

(……だ、大丈夫大丈夫)

 

 言いつつも胸をノックして覚悟を決める自分の未来を考えて、少し泣きたくなった。

 

……。

 

 さて。

 みんなが作ってくれた料理をひと掬いずつ口にして、それだけでお腹が大分満たされてしまった現在。実際に愛紗や春蘭ほどひどい人はおらず───といけばよかったんだが、三国の王が料理を振る舞うってとんでもない状況の中、蜀の王が味見の段階で昇天した。

 これにはさすがに場が騒然となり、まさか食材に毒が───なんて疑惑が浮上したものの、鈴々がきっぱりと「お姉ちゃんの料理が美味しくないだけなのだ」と言っただけで場は静まり、その腕を知る者達は一瞬にして落ち着きを取り戻していた。今は華佗が見てくれているから、すぐに良くなるだろう。

 

「料理は人を笑顔にするって、以前季衣や流琉と話してたのになぁ……」

「程度にもよるってことでしょ? それより一刀、私も作ったから食べて食べてー♪」

 

 独り言を拾いながら皿を出すのは呉王さま。

 その皿には…………酒のつまみが乗っていた。

 なるほど、一応乾物でそのまま食べるものではなく、調理が必要なものらしい。

 これならばと摘み、差し出された酒と一緒に飲んでみれば、確かに刺激される“美味い”という味覚。思わず顔を綻ばせると雪蓮も気分を良くしたのか、いつか華琳がやったように俺の手から酒をひったくると飲み干した。

 

「ん~、おいしっ」

「差し出しておいてひったくるなよ……」

「えー? いいじゃないべつに。私はこうやってお酒が飲みたかったんだもん」

「冥琳が見たら、王としての自覚が足りんとか言いそうだぞ」

「とっくに諦めてるでしょ」

「それは王の言葉としてどうなんだ……?」

 

 ちらりと離れた場所に立ち、穏と話をしている冥琳を見やる。と、視線に気づいたのか彼女も俺を見て、その前に立つ雪蓮を見るとズカズカと歩いてくる。

 

「北郷、腹は無事か?」

「いやちょっ……冥琳、第一声がそれって……」

「失礼ねー、ちゃんと味見だってしたわよ。美味しかったし」

「勘任せに適当な味付けをするのを横で見ていれば、心配にもなるというものだろう」

「心配だったなら是非止めてほしかったけど……でも、冥琳のは文句無く美味かったね」

「そうか。それはなによりだ」

 

 穏やかに笑みを浮かべる冥琳は、なんというかえーと……嬉しそうって取っていいんだろうか、これは。そんな彼女がふむと小さく頷いて、雪蓮が作ったつまみを摘み、口に含む。途端に雪蓮が「あっ」なんてこぼしたのがやけに耳に残った。それ以上に、「げふぅっ!?」と咳き込んだ冥琳の反応が目に焼きついたけど。

 

「…………」

「あ、あははー……や、ほら、だってさ、普通に作ったんじゃ面白くないし、なにかひとつだけでもおかしな味が混ざってたほうがお祭り的にはいいんじゃないかなーって、わ、ちょ、ふぎゃんっ!? たっ……いったぁーい!! ちょっと冥琳! こんな場で殴ることないでしょー!?」

 

 「一国の王になんてことするのよー!」と続ける雪蓮は、目に涙を滲ませながら両手で拳骨をくらった頭を押さえていた。しかしそんな王の講義も何処吹く風、冥琳は逆にギロリと……ではなく、余裕の表情で軽く睨んで返すと、力を抜いたような声で静かに返した。

 

「ほう? それは妙なことを聞いたな。お前は蓮華さまに家督を譲ると聞いていたが? それを今日この場で皆に伝え、自分は隠居すると。それともお前は、伝えるまでは自分は王なのだからと女々しくのたまうつもりか?」

「だ、だって実際そーじゃないのー! ていうかその理屈だと、隠居したら私のこと殴り放題みたいになるじゃない!」

「そうか。ならばこう返そう。お前がまだ自分を王であると言うのなら、王を正しきに導く手助けをするのは軍師の務めだ。殴ってでも正しきに導いてなにが悪い」

「うわっ、開き直ったっ! 悪いわよぅ! 痛いじゃない! 正しきに導くなら、殴る前にまずは言葉で───」

「いや、言葉で言ったところで“聞こえな~い”って右から左へじゃないか、雪蓮は」

「あーっ! ああーっ! 一刀裏切ったーっ!」

「裏切ってるのはいっつも雪蓮だろ! 呉でこんな揉め事が起こるたびになんでもかんでも俺を盾にして!」

「それだっていっつも一刀が口裏合わせてくれないから冥琳にバレるんでしょー!?」

「片棒担がせるくらいならまだしも、全部俺の所為にしようとする王の言う言葉かそれ!」

「…………」

 

 話し合っていたら、いつの間にか冥琳そっちのけで雪蓮と叫び合っていた。

 冥琳はどこかぽかんとしていたが、途中で小さく吹き出すとやっぱり小さく笑い、「困った友人が出来たものだ」とこぼしていた。友人か……なんかくすぐったい。でもあの日、俺と冥琳は確かに友達になった。絵本で結ばれた友情っていうのもちょっと変わった感じがするけど、それでも友情は友情だ。

 むしろ雪蓮っていう知り合いを互いに持っていることと、そんな雪蓮によく振り回されていることを考えれば、俺達は良き友人なのだろう。共通の困りごとを抱えている時点で。

 なんとはなしに手を同時に差し出し、俺と冥琳は握手をしていた。

 言葉は交わさない。

 ただ、互いの目で伝え合う。

 これからもよろしくと。

 

「ふーん……? なんか冥琳と一刀って、通じ合ってるわよねー」

「ふふっ、まあ……氣を分かち合った間柄ではあるな」

「あんな体験、そうそう出来ないだろうね」

 

 言って二人して笑うと、雪蓮がどこか面白くなさそうに口を尖らせる。

 

「むー……言っておくけど、冥琳は私のものだからね?」

「所有物扱いか……」

「ちなみに俺は華琳のものだぞ」

「北郷……お前はそれでいいのか?」

「ん。双方ともに納得済み。俺はそれでいいって思ってるし、華琳はあの性格だし」

「華琳てば欲しいものは手に入れないと気がすまない性質だからねー。まあ、いずれは一刀も私がもらうけど」

 

 なんとなく、もしそうなったとしても逆に華琳が冥琳を奪っていそうな気が……いや、さすがにそれはないか? そもそも俺は誰にも貰われるつもりはないし。

 そんなことを考えていたら自然とおかしな感じに笑みがこぼれ、雪蓮が少しムッとした顔をする。そんな彼女をまあまあと宥めていると、ついに訪れる最後の料理。そう……今宵最後の食を披露するのは我らが魏王にして覇王、曹孟徳だ。

 

「楽しそうね」

「あ、華琳。まあね~♪ 今ね、あなたからどうやって一刀を奪うかを話し合っていたの」

「あらそう。どうとでも好きになさい? 代わりに冥琳を貰うから」

「うわっ、余裕の発言。なに? もしかして一刀に飽きた? 交換でもしたい?」

「奪われても奪いきれないから“所有物”というのよ、雪蓮。それよりもどいてくれないかしら。ずっと私に皿を持たせておくつもり?」

 

 ニヤリと薄い笑みを浮かべる華琳は、なんというか本当に余裕そうだった。

 ただまあ、「ちぇー」とか言いながら俺の正面から移動する雪蓮をよそに、一瞬だけ俺をギロリと睨んできましたが。……ああ、わかってるわかってる……口ではどうと言おうと、気になりはするんだよな……。じゃなきゃ、絶に血を吸わせて証を立てたはずなのに、いつかみたいに怒り出したりなんかしないはずだ。

 大丈夫、俺も少しずつだがオトメゴコロというものを理解していっているつもりだ。

 ……つもりだ。り、理解してるよな? 俺。

 

「それで華琳……これ、俺が最初に食べていいのか?」

「そうでないのなら目の前に置く必要がある? いいから食べなさい」

「そっか。じゃあ───」

 

 目の前に置かれた料理を前にゴクリと喉を鳴らす。

 華琳の料理の腕は折り紙つきだ。

 稀にしか食べる機会が無いが、どれも一級。

 何かを作ってみせれば食べるだけで作り方などを頭の中で構築、自分で作ってみせて、しかも最初に作った人のものよりも美味しくつくってしまう……言っちゃなんだけどバケモノシェフだ。

 そんな華琳の手料理……それも一口目を食えるのだ。

 心していただこう。───と、用意されたレンゲを取って食べようとした時だった。

 

「華琳さまっ! こんな物体に一口目を食べさせたら、後に食べる者が全員孕みます!」

 

 いつもの……もう発作と言ってもいいものが発動。

 人をズビシと指差しての言葉は嫌でも人の目を惹き、料理に目が行っていた将の目はもちろん、世間話をしていた将の目まで惹くことになり、当然のことながら慌てて否定させてもらった。

 

「ひと掬い食べるだけだし別のレンゲで食べるのにどうすればそんな結論が出るんだよ!」

「あんたなら空気接触で孕むわよ!」

「孕んでたまるかぁっ!!」

 

 叫び始めた桂花に、だったらとレンゲで掬った料理をガポリと無理矢理食べさせると、おぞましさに歪んだその顔が───美味しかったのだろう、次第にとろけてゆく。

 これで静かになってくれるだろうと、俺は別のレンゲを手に料理を食べようとするのだが───何故かその料理が、他でもない華琳の手で取り上げられてしまった。

 

「へ? あ、ちょ、華琳? 俺まだ食ってな───」

「ひと掬いずつなのだから、もう一刀の分なんて無いわよ」

「え───えぇええっ!!?」

 

 え、いや、なんで!? 確かにひと掬い食べるだけだしって俺も言ったよ!? でもそのひと掬いは桂花に食べさせたわけで……! あ、余るだろ!? 桂花のひと掬い分が余る筈だって!

 慌ててひと掬いに存在する究極の味を求めるも、華琳はなんだか不機嫌そうだった。それはいつか、自分が一番に綿飴を食べられなかった時のような……いや待て、綿飴関係ないって。え? お、俺なにかした?

 早速オトメゴコロがわからない。いや、これはオトメゴコロとは関係ない……か?

 

「華琳って一刀が相手だと、やっぱり結構隙だらけよね~」

「え……そうかぁ……?」

 

 移動はしたものの、なんでか俺の近くからは離れようとしない雪蓮が言う。

 その顔はどうしようもなくニヤついていた。

 俺にはそのニヤつきの理由がわからない。

 結論。ごめん、やっぱりオトメゴコロってわからないや。

 なんとか落ち着いてもらい、怒った理由を訊こうとしたものの、料理目的の食いしん坊さんたちにあっという間に囲まれてしまう華琳。

 こうなってしまっては、潜り込めば五体満足にはいられないことなど明白。

 仕方なく、場が落ち着くまでを待つことにした。

 



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65:三国連合/宴の中の騒がしさ③

 さて。

 祭りなんてものに落ち着きがないことを思い知ったのは、華琳が料理を持ってきてから相当経ってからだった。

 なんやかんやと話し掛けられる中で、華琳は華琳で忙しく、いつしか宴会というの名の祭りの中にあって、しばらく顔すら見ていない状況にまで陥ってしまった。

 だからといってみんなと話すことが嫌というわけでもないのだから、胸に引っかかりを残したままでも話し掛けられれば普通に返した。

 何が引っかかるのかといえば、当然華琳が不機嫌になった理由なわけだが……なによりも、怒った彼女をそのままにしておくという状況が、どうしようもなく俺の未来を不安にさせました。そうならない人が居るなら、それはよほどの度胸の持ち主だと断言する。

 しかし今はようやく雪蓮から解放され、ぐうっと一息をついたところだ。

 あらかたの挨拶は終わったし、あとは賑やかなままに終わることを願うだけ……っと?

 

「その……一刀」

「あ───ああ、蓮華」

 

 そんな心配のさなかに声をかけられ、振り向けば蓮華。

 最初に出会った頃からは想像ができないような穏やかな表情で、俺に話し掛けてきてくれている。最初の頃の蓮華といえば……こう、尖がっているような、妙に気負っているような……ともかくキリッとしているんだけど、その奥に常に不安を背負ったような顔だった。

 それが今ではこんな、どこか落ち着いた表情で居るというんだから……人の在り方っていろいろと不思議だと思えてしまう。

 

「そういえばまだ言ってなかったな。ごちそうさま。料理、美味しかった」

「そ、そう? ……口にあったようでなによりだわ」

 

 安堵するようにホゥ……と息を吐いていた。

 なりゆきみたいな形で俺が毒見……もとい、味見をすることになったが、思いのほか料理が上手い人が多くて驚いた。いきあたりばったりで作った人もそりゃあ居て、でもきっちり味見をしてくれていたお陰もあって、愛紗や春蘭の料理ほどひどいものはなかった。

 

「……皆、楽しんでいるわね」

「急に料理を作るなんて、緊張しか現れないようなことをさせられたんだし、最初に緊張しちゃえばあとは騒ぐだけってことじゃないかな」

「ふふっ、そうね。挨拶もそこそこに、急に“料理を作りなさい”だもの。驚いたわ」

 

 なにせ相手は料理にうるさいことで知られる華琳だ。

 そんな彼女に料理を作りなさいなんて言われれば誰だって緊張する。

 作った先で第一に食べるのが、どうして俺だったのかは未だに謎なんだけど……本当に毒見させたかったり、せめて味見はしなさいとかそういう知識を植えつけたかったとか、そういうことじゃないよな?

 いや、正直な話、味見のことに関しては本当に願わずにはいられないのは確かだ。

 風邪の時に魚が顔を出したKAYUを食べさせられたり、宴の手料理で“炒飯?”やフルーツポンチ的杏仁豆腐を食べさせられて天使や死神に連れて行かれそうになったり、味見無しの食べ物ではろくな目に遭っていない。それを思えば桃香はいいとばっちりというか、味見で昇天してしまった気の毒な部類に入るが……それでもどうしてだろう。失礼な話ではあるが実体験のもと、少なくとも愛紗や春蘭のものほどひどくはなかったんじゃないかと思える。

 そうなると、食べてみたかったりもしたと思えるんだから不思議だ。

 

「料理といえば……蓮華は料理を習っていたりしたのか?」

「え? あ、ああ……いいえ、それが全然。見栄を張っても仕方のないことだから言うけれど、料理をしようと思ったのは一刀が呉を発ってからよ」

「そうなのか?」

 

 それであの味とは……俺、やっぱりちゃんと料理を習おうかしら。

 

「結構苦労した?」

「ええ……その。小蓮に味見を頼んでいたのだけど、最初のうちは逃げられてしまうくらいで……」

「あー……」

 

 聞けば盛り付けもひどいものだったのだという。

 祭さんに教わりながらやっていたそうだが、どれほど溜め息を吐かれたか、と。

 

「それで、味見は結局誰が?」

「自分でしたわ。最初の頃など食べられたものではなかった。食材を無駄にしたことで祭にも怒られる始末で……」

 

 踏んだり蹴ったりだったようだ。

 でも……どうして急に料理なんか始めたんだろうか。

 そこのところが気になって訊いてみると……

 

「一刀が呉を発つ前、一刀が働いていた料理店に行ったのを覚えている?」

「ああ。思春にエプロンドレスを着てもらって、接客をしてもらってた時だな」

「その認識の仕方はどうかと思うけど、ええ。その時の、客を持て成そうとする一刀の顔が忘れられなかった。だって、本当に楽しそうな顔をしていたから」

 

 ……そう返された。

 それを聞いて、当時の俺がどんな顔をしていたのかを軽く想像してみるのだ。“何がオススメ?”と問われ、握り拳を作って“この店はなんでも美味い”と叫んだあの頃を───って、なんかその一場面だけ思い出せれば十分な気がした。楽しんでるよ、十二分に。

 

「料理で人を喜ばせるとはどういう気分になれるのか。気になったら、もう止まる理由を考えることさえしなかった。ああ、もちろん自分に課せられた仕事はきちんとこなしたし、鍛錬もしたわ。どちらがより国に貢献出来るかと約束した通り、自分を高めることを脇に置いたことなんてしていない」

「ん。それはこっちも同じかな。いろいろと問題も起きたけど、なんとかやってるよ」

 

 一時は鍛錬禁止とか言い渡されたりもして、魂が抜けかけたりもしたほどだ。

 それをなんとか乗り越えた先で蓮華と再会できて本当によかった。

 もしそうじゃなかったら、約束もなにもあったもんじゃなかった。

 

「でも普通に美味しくて驚いたよ。悪いとは思うけど、蜀と魏でああいう料理を作る人が居ると、呉も心配だったから」

「ふふっ、ああ、構わない。私も今回のはたまたま上手く出来ただけだと自覚している。見栄になってしまうのだろうが、私はそのたまたまがお前に食べさせる時に働いてくれて嬉しいと思っている」

「蓮華……」

 

 やさしい笑顔のままに放たれる言葉がくすぐったい。

 離れていても、同じく己を磨いてきたであろう相手だからこそ親近感のようなものが湧き、蓮華がどういった経験を積んできたのかがなんとなくだけど感じ取れる。それは蓮華も同じようで、いつかのように視線を交差させるだけで相手の考えがわかるかのような笑顔で、目を見詰め合ったままに目を細め、肩を揺らして穏やかに笑った。

 やっぱり随分と変わったよな、蓮華。時折に“~わ”などと、女の子らしい言葉が聞けるものの、基本は少し気を引き締めた言葉使いの蓮華。そんな彼女のひとつひとつの行動に自然と目が動くのはどうしてなのか。そんな視線が数秒、あるいは数分の間交差し続けた結果、蓮華は途端に顔を赤らめて口早に言った。

 

「あ、と、ところで思春はどうしているの? 一刀が料理を食べていたときには、隣に立っていたようだけど」

「え? あ、そういえば───」

 

 雪蓮と話していた時もまだ傍に居たんだけどな……微妙に小さな気配を感じていたし。

 なのに今は少しの気配も感じない。

 どこに行ったのかと考える中でも蓮華から視線を外さないでいると、その顔がふと俯いてしまう。

 

「……弱いな、私は。まだ不安が込み上げると思春を探す癖がある」

「蓮華……?」

「強くなったつもりでいたんだが、まだまだ弱いままらしい。……だが、ふふっ……それはそれでいいと思っている。直さなければいけない部分を自覚できているのなら、まだ救いはある」

「………」

 

 何を言うでもなく、彼女は自分なりの歩き方というものを見つけていたようだった。

 気になるものは仕方ない。元々は傍に居すぎだとよそ者だった俺が思うほどにくっついていたんだ。そんな存在が急に居なくなって戸惑わない人が居たら、それは素質とかがどうとか以前に人として異常と取ってもいいくらいだ。

 

「……思春はよくやっている?」

「ん。随分と助けられてるよ。何度ありがとうと思ったか」

「ふふふっ、そう。ならば口に出してやってほしい。思春は“して当然の行動”には、感謝を向けられる理由を探すことをしないから。私も“助かる”と返すだけで、きちんと感謝を向けたことなど数えるほども無い気がする」

 

 つまり、“そうされて当然”と蓮華自身も思ってしまっていたということか。

 自分に出来ないことをやってくれる誰かの存在は、それがいくら心安い相手だからって、感謝の心を忘れたらいけない。相手のほうはこれで案外気にしていないものだろうが、感謝を忘れればそれこそそれが当然になり、いつかそれをしてくれなかったその人に理不尽な不満をぶつけてしまうことがあるかもしれない。

 “傍に居られることが当然”なんてことは、簡単に壊れてしまうことを……少なくとも俺と彼女は知っているのだろう。

 ああそうか、視線が外せない理由は簡単だ。

 自分になんとなく似ているから、彼女ならばここでどんな行動を取れるのか。

 それが気になって仕方が無いんだ。

 かつて互いに“見ていた”と伝え合ったのと同じように、俺も蓮華も互いを目で追ってしまうくせがついてしまっているのかもしれない。

 

「思春にお礼か。結構してるつもりなんだけど、軽く流されちゃうんだよな。蓮華の時はどうだった?」

「…………自分で言うのもどうかとは思うけど、珍しく感謝しても……“いえ、当然のことです”と返されるだけだった気がするわ」

「………」

「………」

 

 なるほど、それは感謝の甲斐も無いような。

 いやむしろ思春がやりたいからやっていることだから、感謝される謂れはないと……思春自身がそう受け取ってるのかも。

 それなら確かに当然のことだ。

 

「……今度、二人で思春に感謝の気持ちでも贈ろうか」

「ああ、賛成だ。しかし感謝の気持ちというのはどう現せば───」

「せっかくの機会だし、蓮華と俺で料理を作ってみるとか」

「うっ……い、いや、一刀……私の料理は本当に、今回たまたま成功しただけで……。姉様にも“あなたには家事の才能が無いわ”とか言われる始末だし……」

「だったらその時にも成功するように頑張ればいいって。今すぐするわけじゃないんだから、その時まで料理の練習をしよう。……その、俺も料理を上手く作れるようになりたいって、丁度思ってたところだから」

「一刀……」

 

 それに、なんでも“才能”で決めてしまうのはもったいない。

 覚えることを覚えて、その通りにすれば普通の料理は出来るんだから……あとは工夫を覚えていけば普通以上天才未満にはなれるのだ。

 

「あ、はいはーい! わ、私もその練習、参加するよー!」

「え?」

「あ……桃香?」

 

 突然の声に視線を向ければ、自分の料理で昇天したはずの桃香。

 思わずもうお腹は大丈夫なのかと訊きそうになったが、地雷……だよな?

 

「華佗に見てもらっていたのではないのか?」

「うん、もうすっかり平気。それで、料理のことなんだけど……うう、その……」

 

 胸の前で人差し指をついついと突き合わせ、目からたぱーと涙を流す王の図。

 いや……まあ、味見で気絶してしまえるものを作ってしまう腕をなんとかしたい……それはそうだ。わかる。

 

「そ、それで、どうかな」

「うん、俺は構わないけど」

「え───」

「わ、よかったよー、断られたらどうしようかと思っちゃってて」

「まあ、問題は華琳か流琉が教えてくれるかどうかだし」

「あぅ……華琳さんかぁ……。えっと、“だいいちのしけん”~は、お兄さんに美味しいって言わせればいいって言ってたよね?」

「───」

 

 あ、あれ? なに? なんだか寒気が。喉が勝手に、小さく「ヒィ」とか漏らした支力解除。

 いやっ……いやいやいやいや! さすがの俺も、美味しくないものを無理して美味しいって言うつもりはもうないぞ!? 前はあったけど! ていうか美味しくないものって決め付けるのは失礼だけど、こればっかりは俺にも大打撃になるから無理! 無理だっ!

 ややややややさしさだけでは人は成長できないと知りました! だから無理!

 

「え、えぇと……まずはそのっ……ふ、“普通”を作れるように頑張ろうなっ! 普通の料理だったら、俺でも教えられるからっ!」

「え? お兄さんが教えてくれるの?」

「あ……ああ。あくまで“普通”レベルなら」

 

 それなら大丈夫な筈だ。

 普通より不味くは出来ても上手くは出来なさそうな自分が悲しいけど、大丈夫、あくまで普通レベルなら教えてあげられる……と思う。

 

「蓮華も、それでいいか?」

「え? あ、いや私は」

「よろしくっ、蓮華ちゃんっ」

「うっ……だ、だから私はっ……!」

「一緒に頑張ろうなっ」

「うぅぅ…………わ、わかった……」

 

 渋々といった感じに頷いた蓮華だったが、少し間を開けてから、どうしてか……ほにゃりとやさしく笑んでいた。そのことに軽く触れてみると、これまたどうしてか突如として怒り出し、そっぽを向いて歩いていってしまう。

 ……あれ? 俺、自分では気づかないところでなにかした?

 

(オトメゴコロどころか、人の心がまずわからない……)

 

 その場その場で届けたい言葉は浮かびはするが、それが本当に人の救いになっているかもわからないのだから、人間っていうのは中々に難しい。

 それでも離れたいとは思わない……“思えない”だな、この場合。

 人恋しいのか、ただ単に自分が寂しがり屋なだけなのか。

 

(もし元の世界の住人に会えるのなら、たとえ及川でも構わないとか思っている時点で、相当に寂しがり屋なのは自覚出来るよなぁ)

 

 なにやってるのかな、本当に。

 苦笑とともに頷いて、宴の喧噪へと意識を戻す。

 蓮華は歩いていってしまったが、桃香は百面相をしていた俺をずっと見つめていたらしく、なんだかすこぶる機嫌がよさそうに笑っている。

 

「戻らなくていいのか?」

「うん。愛紗ちゃんにはきちんと言ってあるし、大丈夫」

「そっか」

 

 宴の席は既に酒宴となっている。

 酒の匂いがし放題といった光景が、どこを向いても巻き起こっているへべれけ騒ぎ。

 華琳の料理はよほどに美味かったのだろう。味をきっかけに盛り上がる宴を前に、恐らく巻き込まれて身動きがとれないのであろう華琳を思う。どうせ身動き取れなくしているの主な原因は雪蓮だろう。

 それに関しては少し安心。いや、華琳が傍に居ないのが安心って意味ではなく、“桃香が酒宴に巻き込まれていないこと”に安心を。

 ……酔うと怖いからな、この蜀王さまは。




 いつも評価と感想、誤字報告をありがとうございます。もう本当に、ありがとうございます……!
 評価の量はこの際気にせぬ、自由にやっているんだから相手も自由さ! と言ったいつかよりだいぶ経ちましたが、評価欄や、それ以外でも質問的なものがあったのでこちらで返事を。

Q:これ終わるの?
A:なろう時代でも散々言われました。(-_-;)
  終わった時、「正直終わるとは思ってなかったわww」とも言われました。(;^ω^)
  ご安心を、完結済みです。
  ていうか面倒でも目次の説明書きさんも見てあげて……!
  完結している、完結している本編のみの投稿です……! なんです……!

Q:心情が多くてくどいです
A:1から10までその瞬間の気持ちを書いているようなもんですもんね……。
  いっそ会話だけで進めてみたらどうなのか。

「大体あなたは悩みすぎなのよ」
「作者に自覚があって、悩める主人公とかタグをつけるほどだからね……。悩み以外でも考えすぎだけど」
「それで、どうするのか決まったのかしら?」
「………」
「一刀?」
「無駄に元気に話ばかりしてみたらどうだろう。ほら、作者が時間の流れを進める時によくやる、会話のみと、あっちでなにがー、こっちでなにがー的な書き方をずーっと続ける、みたいに」
「先ほどの沈黙の間に、どういった葛藤があればそうなるのよ」
「いろいろあったんだ。会話だけだからそこのところは察してほしい」
「それでは心変わりの理由もまるで理解が追いつかないじゃない」
「だからって心情を書きすぎたら、会話を読んでこそその人物らしさを得て楽しむタイプの人が楽しめないじゃないか。むしろ地の文なんて飛ばされてるよ。長いし」
「それを自分で言うのね……」
「誤字チェック、修正をしてる本人がそう思わないとでも……? これでもここは要らんだろって部分は削ったりしてるんだよ……。せっかく書いたのに削るって、結構ダメージでかいけど……!」
「だったら思い悩む回数を減らしなさいよ。むしろもっと、地の文を削っても理解できる書き方を覚えなさい」
「お、押忍。ただ人数が増えると、“誰が&どうした”ってものが増えるのは勘弁していただけると……!」
「会話だけでわかるよう努力なさい」
「ごめんなさいこれでも結構してます!」

Q:会話だけで、隊長か一刀かの文字が出てこないと、霞か真桜かわかりません
A:ですよねごめんなさい! 読み直しても、これどっちだっけって思うこと結構あります!

Q:終わりが見えない
A:分割前の量では155部で完結済みです。わからないのは分割後で何話までいくかであり、物語自体は完結しているのでご安心ください。
  修正、加筆、要らん部分の削除等をしていないものでよかったら、目次から“なろう”へどうぞ。その際注意書きがありますが、重ねて言います。番外編は読まなくていいです。
  「じゃあ消せ」って言われたら理由をくれてありがとうって感謝と責任を押し付けて消します。自HPには残しますが。

Q:番外編の続きを読みたい
A:押忍……! 書きたい意欲はあるのですが、その意欲が他作品の気持ちに負けてしまって申し訳ない……!
  あと凍傷に「近親アレしてソレしてなー!」の趣味はありませんからね!? じゃなきゃ番外のあんな回りくどい話にせず、外史終端編の時点で手を出し(略)
  最初からああしないで、家族愛としてほのぼのしとけばよかったんや……!
  まあでもその際、アレは苦痛でしかない、というのの云々が(略)

Q:番外編の公開の云々はどうするの?
A:番外編。元々自HPで自分だけが読むためにこんなんどうだろ、と書いていたものです。まだ時間に余裕があった頃の話ですね……懐かしい。今では仕事仕事家族サービスの毎日です。週休二日とか超憧れます。無理ですが。
  で、番外編ですが。ハッキリ言って設定がアレですし、ツッコまれた通り番外編で出す意味なぞ、公開する意味なぞなかったのです。ただし完結させる気はあるので、時間の許す限りに書きましょう。サグラダファミリアって言われたって、悔しくなんかないんだからねっ!?
  で、いろいろ終わったらまた、自HPのみに戻すつもりです。
  読まずともよいの文字に嘘はありません。余韻とか雰囲気を壊しますよ?
  で、そうなると「読まなくていいものをUPしてどうすんじゃい」ってものですしね。
  というわけで、番外編の公開はこちらへの本編の移動が済むまで、ということにします。自HPにはそのまま置いておくので、完全抹消ってことにはなりません。
  読み辛いかもですが。


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65:三国連合/宴の中の騒がしさ④

 酒+桃香の心配は横に置き、世話話を振ってみることにする。

 誰ぞがお酒等を彼女に渡さないよう、ささやかながらも警戒をしつつ。

 

「学校のほうは順調か?」

「うん。街を歩いてる時なんか、子供たちが算数の練習をしてたりして、賑やかだよ~?」

「へぇ……」

「あれから結構生徒さんが増えて、逆に教師のほうが足りないかもって思うくらいだよ」

「そんなにか……」

 

 それは、朱里とか雛里は大変そうだ。

 思い浮かべただけでも“はわあわ”と慌てる二人が容易く浮かぶ。

 ……い、いや、それはそれで見てみたいかもとか思ってないぞ?

 

「うん。朱里ちゃんや雛里ちゃんの提案で、お城とかの管理は若手の人に任せて、私たちは学校や別のことへ集中したほうがいいかもしれないって案も出てるくらい」

「あー……なるほど、それは確かにそうかも」

 

 平和になったのなら、戦への知識に意識を向けることも少なくなった。

 ならば城の管理等は若手さんに任せて、そりゃあもちろん慣れるまでは指示するとしても、段々と慣れていってもらえば、その分他に手を回せる時間が増えるわけだ。

 

「そうして空いた時間に、次はどんなことをするつもりなんだ? あ、もちろんよかったら聞かせてくれるって程度でいいんだけど」

 

 桃香の政務の手伝いをする~とかじゃないよな、さすがに。

 学校に専念するってわけでもないだろうし。

 と考えている俺の横で、当の桃香さんはきょとんとした顔で仰った。

 

「? お兄さんを三国の支柱にするためのことを進める~って言ってたよ?」

「───……エ?」

 

 あれ? ……え?

 

「え……も、もうか!? まだまだ先のことだと思ってたのに!」

「うん。だってもう争う理由もないなら、あとは仲良くなるだけだもん。中心がお兄さんならきっとみんなが手を繋げるし、みんながもっと笑顔で暮らせるようになるよ。私と雪蓮さんの願いが叶うならって、華琳さんも頷いてくれたし」

「ワーイとっくに承諾済み!?」

 

 宅の魏王様はどうしてそういう大事なことを、人を驚かせる材料として隠し持っておくかなぁ! 俺当事者だよね!? 思いっきり中心だよね!? どうしてそれなのにいっつも最後に知らされてるんだ!?

 そりゃあ話がそれっぽい方向に向かっていたってことは、きちんと知らされてはいたけどさ!

 それがここまで進んでいたとか初耳なんですが!? 朱里や雛里もとっくにやる気になっているみたいだし、まさかとは思うけど……もう都も作り始めてるとか……は、はははっ!? ないないっ! それはさすがに───……な、ないよな?

 

(………)

 

 いや。覚悟は決めた筈だろう? 北郷一刀。

 大きすぎる魏への思いは絶に託して、俺は三国のために生きる者となると。

 だったら躊躇も戸惑いも、そう必要じゃないだろう。

 なにより桃香は俺が支柱になることになんの不満も無いといった様子だ。

 一国の王がそうであるのに、俺がそれを拒否するのはおかしい。

 

(……きちんと自分で決めたことだもんな)

 

 俺が再び天から降りてきて、御遣いとして取る行動とはなにか。

 いつか華琳とそんな話をした。

 あの時はまさか、冗談で怒った途端に泣かれるとは思ってもみなかった。

 その瞬間を思い出して小さく笑い、けれど胸にこみあげる思いはノックとともに芯に刻んだ。

 

「はぁ……もっと頑張らないとな」

「え? あ、う、うん……」

「はは、いや、桃香じゃなくて俺がだよ。支柱になるならもっと自分を高めないと」

「あ、そっか。でも……うーん、お兄さんにはあんまり変わってほしくないなー」

「そうなのか?」

「うん。お兄さんはそのままがいいな。やさしくて可笑しくて、目を見て話してくれるままのお兄さんがいい」

「……自分じゃよくわからないな」

「あははっ、うんっ、そんなお兄さんだから、支柱にするならお兄さんがいいって思うんだよ」

 

 ……笑顔で言われても、やっぱりよくわからない。

 けど、桃香は本当に楽しそうに笑んでいたので、それを否定する理由が俺には浮かばなかった。第一心に刻んだ途端に否定するのは、自分の覚悟に対しても失礼ってもんだ。

 

(覚悟か。……じいちゃんも元気にしてる…………だろうなぁ)

 

 あの人は冷静なくせに元気の塊みたいなよく解らない人だから。

 もし帰ることがあるとしたら、一度くらい勝ってみたいな、と───そんなことを思いながら、一層に騒がしくなる宴の席へと桃香に手を引かれるままに突っ込んだ。

 

……。

 

 上限なんて知らないとばかりに騒がしくなる宴の席。

 

「と、桃香ー? 引っ張るのはいいけど、酒の匂いが濃い方はやめようなー……?」

「? うん」

 

 歓迎をするだけにしてはやりすぎといわんばかりの騒ぎの中で、歓迎というよりは絆を深めるための席なんだろうなと頷いてからは、俺も無遠慮に騒いだし燥いだ。

 桃香が酒を奨められれば、横から断って酒も飲んで料理も摘んで、腹がいっぱいであったにもかかわらず動き回って脇腹を痛めたりして、それでも楽しいからと思い切り騒いで。

 

「おー! やれやれ一刀ー!」

「ああ、もうっ……! まだ上手く弾けないっていうのに……!」

「だだだ大丈夫なの、じゃ? ぬぬぬ主様と一緒なら、ごごっごご呉の連中の前でも、ももも……!?」

「……よしよし、まずは落ち着こうな、美羽」

 

 願われるままに、未だに上手く弾けない二胡を手に舞台に上がらされ、緊張でガッチガチになった美羽とともに“歌?”と“演奏?”を披露。逆にそのヘッポコさがウケたようで思い切り笑われたが、まあ……恥ずかしかったからそれは濁そう。

 

「あっははははは! ねーねー一刀ー! もっとー! もっと歌ってー!?」

「くぅっ……! あのへべれけ呉王、人の羞恥を肴に……! こうなったら───」

 

 ならばと天の歌を携帯電話から流れるBGMとともに歌ってみれば、これは好評を得た。

 美羽も練習していたこともあってか、俺と一緒なら元気に歌うことが出来て、その歌声に表情を輝かせた七乃が褒めてるのか貶しているのか微妙なラインの賛辞を送り、美羽が踏ん反り返ったまま歌って舌を噛む。

 

「はいはいはーい! 次! 次沙和が歌いたい! 隊長、交代してー!?」

「へっ!? お前こういうの好きだっけ?」

 

 そんなことが何度と続くと、場は異様な盛り上がりを見せ……いつの間にか喉自慢大会が始まり、歌いたくない者を除いた歌合戦に発展していた。

 

「えへへーっ、一度やってみたかったんだーこれーっ! みんなーっ! 沙和の歌を聴けーっ! なのーっ!」

 

 ノリだけで歌を歌う者や、目立ちたいからとりあえず舞台に上がる者ばかりだが。

 

「おーっほっほっほっほっほ!! さあみなさん? 今からこのっ、わ・た・く」

「聞くまでもないから次」

「ちょっと華琳さん!? まだ歌ってもいないというのにあんまりではありませんの!?」

 

 華琳も歌ったりするのかなーと期待を込めてみれば、まあ予想通りというか、歌わなかったわけで。

 

「歌となればちぃたちの出番ね! 悪いけどこの戦い、圧勝させてもらうんだからっ!」

「いえいえー、いつも歌っている三人に、こんなところでまで歌ってもらうわけにはいきませんよー。というわけで三人は風と一緒にこちらへどうぞー」

「えぇっ!? べ、べつにいいわよっ、こんなところでまででも歌ってあげるからっ!」

 

 今回、数え役萬☆姉妹にはさすがに待機してもらった。

 ノリでもなんでもいいので、普段は出来ないことをみんなに積極的にやってもらうため。

 ここで本職に歌われでもすれば、みんな歌わずに引いてしまう可能性が高いからだ。

 

「おおーっ! 普通に上手いっ!」

「普通に上手いのだ!」

「ああ、普通だな」

「普通以外のなにものでもないな」

「普通普通言うなーっ!!」

 

 白蓮が歌ってみれば、同じく普通であった俺は拍手を送り、鈴々が笑顔で褒め、焔耶があっさりと言い、星が静かに頷いた。反応は見ての通りだ。

 いや……白蓮、普通に出来るっていうのはとても大事なことなんだ。

 それがわかるからこそ惜しみない拍手を送ろう。

 

「二番煎じだけど、たんぽぽの歌を聴けーっ!! ほらほらっ、お姉さまもっ!」

「い、いいよあたしはっ! こんな大勢の前で歌うなんて、出来るわけないだろっ!?」

「へー……じゃあ次はあたいが歌わせてもらうぜっ! いくぜぇ斗詩ぃっ!」

「い、いいよわたしはっ! こんな大勢の前で歌うなんて、出来るわけないでしょっ!?」

「歌わないならシャオにまっかせてー♪」

 

 あとは似た者同士が舞台の上で直接対決を始めたり、シャオが乱入してマイクを奪ったりと、まあ予想はついていたけど……本当に落ち着きがない。

 それでも盛り上がりを見せるのだから、宴っていうものは不思議な場だなと思う。

 

「おまえらー! 今から恋殿が歌ってみせるのです! 静かにするのですー!」

「…………、……?」

「さ、恋殿っ」

「………」

「…………恋殿?」

「あの……恋ちゃん? もしかして、まいくを触ってみたかっただけ……とか?」

「……ん」

「ななな、なんですとぉおーっ!?」

「あはははははっ! せっかく一緒に舞台に上がったんだから、歌いなさいよー!」

「え、詠ちゃん、そんな、笑ったりしたらかわいそうだよ……」

「ぐっ……ここで場を盛り下げるわけにはいかないのです……! ね、ねねの歌を聞くのですーっ!!」

 

 いや……ねね? それ、別に絶対に言わなきゃいけないわけじゃないからな……?

 詠の挑発にあっさりと乗っかるねねだったが、意外や、なかなか歌が上手かった。

 なもんだから一斉に視線を浴びることになり、テンパって後半はぐだぐだ。

 ……そんな様子を見て笑っていた詠に向かって、「だったらおまえが歌ってみるのです!」と言い出すものだからもう大変。

 散々笑った手前、引くに引けなくなった詠が月を連れて舞台へ立ち、そこで歌うのだが。

 これまた中々に上手く、思わず笑顔になっていた俺へと、

 

「こらそこぉ! にやにやしてるんじゃないわよ!」

「えぇっ!? なんで俺!?」

「へぅうっ!? え、詠ちゃん、まいく、まいくっ……!」

 

 恥ずかしさのあまりに目をぐるぐるに回しながら、何故か俺へと罵声を飛ばした。

 当然マイク越しだから声もよく通り、その場に居たにやけていたみんなが一瞬だけ姿勢を正した事実は、なんというか新鮮な一場面だった。

 

「雪蓮、あなたは歌わないの?」

「あっはは、私はいーの。こうしてお酒飲んでる方が楽しいもの。そういう華琳は?」

「聞いているほうが楽しいからいいわ。それより……呉将はあまり積極的に歌おうとしないわね」

「まあね~。我が国の将ながら、お堅い連中ばっかりだもの。小蓮はあの通りだけど。でもそれを言ったら魏もそうじゃないの?」

「あら。恥ずかしがっているだけよ。恥を掻くかもしれないからと、踏み出さないだけね」

「……?」

 

 視線を感じて振り向いてみると、なんだか華琳がやれやれって感じでこちらを見ていた。

 すぐに視線は戻されたけど、次いで隣に居た雪蓮がこちらを見て“あ~なるほど”って頷く。……な、なにごと?

 

「それって華琳にも言えることよね?」

「殴るわよ」

「冗談よ、じょーだん。さっきから冥琳に殴られ続けてるんだから、それは勘弁して」

「まったく……」

「ふははははは! よぅひしゅうら~ん! わらひたちも歌うろ~!!」

「あ、姉者っ、そんな状態で歌など───」

「おぉ~、見ひぇいろ北郷~っ! 今からひゅうらんがぁ……一人で歌を歌うのら~っ!」

「姉者!? 今、“私たちも”と───!」

「よひ行けひゅうらん! 優勝するんら~!」

「あ、姉者……」

 

 一緒に舞台に上がったと思ったら一人だけさっさと降りる春蘭と、一人残された秋蘭。

 しかし上がったからには華琳に恥をかかすものかときっちり歌い、顔を赤くしながらも拍手をされながら舞台を降りた。

 ……ちなみに直後、その彼女が春蘭だけを無理矢理舞台に上げさせて、無理矢理歌わせていたが……見ないでおくのが優しさだろうか。

 加えて言えば、ただの急に始まった歌唱大会だから、当然優勝とか賞品とかはない。

 

「よーっしゃ次はウチらの番やーっ! ほら愛紗に凪、まいく持ちぃ!」

「うあっ、い、いや、私は……っ」

「もう上がっとるんやから観念して歌えばええって~♪ 一刀も見とるし、張り切っていくでーっ!」

「うぅう……! た、隊長ぉお~……」

 

 ないんだが、どうしてここまで盛り上がるのか。

 愛紗と凪の手を“無理矢理”引っ張って舞台に上がった霞が、満面の笑みで歌を歌う。

 愛紗はといえば霞に合わせて歌ってはいるんだが……ぼそぼそと、マイク越しでも小さな声だった。一方の凪はといえば……途中からクワッと表情を切り替えた上で、しっかりと歌っていた。

 しかし俺と目が合うと、途端に声が小さくなり。終始、霞だけが元気に歌い続けていた。

 

「流琉ー、次ボクたち歌おうよっ」

「えぇっ!? わ、私はいいよぅ! 季衣だけで行ってくればいいでしょ!?」

「えー? でも一人じゃつまんないし……」

「愛紗愛紗ー、次は鈴々が歌うのだー! まいく貸してー?」

「あっ……あーっ! まいく返してよ! 次はボクが歌うんだから!」

「お呼びじゃないのだ! 春巻は黙ってるのだ!」

「春巻じゃないって言ってるだろーっ!? だったら勝負だ!」

「望むところなのだーっ!!」

 

 喧嘩しながら歌うって、どんな大会だろう。

 ふとそんなことを思ってしまえる状況が、舞台の上で完成していた。

 それでもみんなからのウケはよく、場は一層に盛り上がったり。

 

「季衣も鈴々も元気だなぁ……っと、華雄も行ってきたら? 大きな声で歌うの、結構気持ちがいいぞ?」

「むう……武ならまだしも、歌はな……」

「むふふ、せやったらウチが、誰でも歌が上手くなる絡繰を~……」

「そんなものがあるのか?」

「いや、あったらええのにな~と思っただけ」

「だよなぁ……」

「けど、もしそんなんが無くても、“コレ持っとけば歌が上手なる~”って吹聴すれば、大体信じてくれそうな気もするねんけどな……」

「それもわかる気がする」

「ふむ。気持ちの問題というものか。思えば、歌とはいえ“合戦”。何もせずに退いたとあっては名折れだな───よし!」

「あ、行ってくる?」

「うむ。戦に向かうのであれば意気も変わるというもの! では行こう!」

「!? なっ!? なにをするっ、離せ……!」

「いや、退屈しているようなのでな。じっと一方だけを見ているくらいなら、付き合え」

 

 華雄が歩いてゆく。まあその、蓮華が居る方をじ~っと見ていた思春を連れて。

 いつから傍に居たのか、まったく気づかなかったが……そうして舞台に上がり、蓮華に応援されては退くに退けず……結局歌う思春は、顔やらなにやら真っ赤っかだった。

 そんな赤さとはまた別の種類の顔の赤さを、どこか別のところで見たなぁなんて思いつつ、目を向けてみれば……少し離れたところで飽きもせずに酒をぐびぐびと飲み続ける三人。言うまでないんだが、祭さんに紫苑に桔梗だ。

 一応、「三人は歌わないの~?」と桃香がさりげなく声をかけたが、歌うどころか桃香を招き入れて、座るや祭さんが酒を……オォオオオオオオーッ!?

 

「うわわだめだぁ祭さんっ! 桃香に酒はぁあーっ!!」

「なっ!? い、いかん! 祭、それは───」

「祭さん!? 桃香様にお酒は───」

「…………ひっく」

『あ───』

 

 俺、桔梗、紫苑が……同時に硬直した。

 完全に酔っ払っている祭さんに、徳利ごと酒を飲まされた桃香はゆらりと頭を揺らし、近くに置いてあった徳利を自分で傾け、くぴくぴと喉を鳴らしてゆく。

 俺達三人に出来ることは、せめて生贄を捧げて距離を取ることで───

 

「む、む? なんじゃお主ら、なぜ儂をふわうっ!? な、こ、こらお主っ、どこを触って───」

「えへへへへ~……祭さんって……胸大きいですよねぇえ~……♪」

「もう酔っ払っておるのか!? りゅ、劉備殿? 儂は……って北郷! 紫苑に桔梗! どこに行く!」

「酒を飲ませた責任……取ってください」

「祭よ……せめて安らかに眠れぃ」

「祭さん……惜しい人を亡くしたわね……」

「勝手なことをぬかすでないわっ! こ、これ劉備殿! いくら宴の場といえど、到って良い物事というものがっ……じゃ、な……! な、なんじゃこの馬鹿力は!」

「えへへへへ~……さぁ~いさぁ~ん……♪」

「ぬ、ぬわーっ!!」

 

 俺達は振り向かなかった。

 きっとそれがやさしさであると、今この場だけはそう思ったから。

 だから視界から外した。外して、もうその場所にだけは目を向けなかった。

 大丈夫、あの場にはなにもない。

 そんなふうに思うことにした僕らの前に、元気な二人組が映りました。

 

「亞莎亞莎、次は私たちが歌ってみましょうっ!」

「うぇえええっ!? やっ……む、むむむ無理っ……無理ぃいっ……!!」

「大丈夫ですっ! きちんと歌えば一刀さまもきっと拍手してくれますっ!」

「一刀さまが……」

 

 明命と亞莎だ。

 いつかのように胸の前で掌をポンと合わせた明命が、真っ赤な顔で狼狽える亞莎を勧誘している。てっきり断るのかなと思っていたんだが、亞莎はしばらくあちらこちらへ視線を飛ばしてから……しかしはっきりと頷き、舞台の上で歌った。

 声は随分と小さなものだったが、きちんと届いたから……惜しみない拍手を。

 対する舞台の上の明命と亞莎は、俺に向けて手を振ってくれた。

 まあ……亞莎は随分と控えめで、それもすぐに下げてしまったけど。

 

「穏、あなたは歌わないの?」

「いえいえ~、蓮華さまこそ歌ってきたらいかがですかぁ? きっと一刀さんも喜んでくれると思いますけど~」

「な、何故そこで一刀が出るっ!」

「ふふっ……一人を思っての日々の政務や鍛錬や調理というものを考えれば、自ずとそういう答えに行き着くものです」

「冥琳まで……」

 

 そういえば稟と桂花はどうしてるんだろう。

 風は数え役萬☆姉妹の傍でキャンディー舐めてるけど……って、居た。

 舞台に上がって、輝く笑顔で…………叫んだ。

 

「華琳さまっ! 見ていてくださいっ! 華琳さまのために歌いますっ!」

「うぅ……出るつもりはないと言ったのに……!」

 

 桂花と稟だ。

 華琳へ捧げる歌のようで、なんというかこう……聞いていて恥ずかしくなるような言葉がゴロゴロと発せられる。

 なるほど……桂花と稟の組み合わせに“なんで?”と多少思いもしたけど、ようするに華琳への純粋な想いを持つ者が、稟くらいしか思い当たらなかったってことか。

 桂花はそれでいいんだろうけど……稟はちょっとやばいんじゃ───

 

「ぶーっ!!」

「うひゃあああっ!!?」

 

 あ……やっぱり鼻血出した。

 こんな歌詞を出した時点でこうなるんじゃないかとは思ったが……はぁあ、鼻血を出さないようにするための行動を、あまり無駄にしないでくれよ桂花ぁ……。

 いや、まあ……血塗れの桂花を見ると、因果応報ってこのことかなとは思うけどさ。

 

「はわ……はわわ……」

「どうしよ、朱里ちゃん……わたしたち、あんなに盛り上げられないよ……」

「だ、大丈夫、大丈夫だよ雛里ちゃんっ。やることにっ、やることに意義があるんだよっ」

「朱里ちゃん……! で、でも……」

「一生懸命頑張れば大丈夫っ! だ、大丈夫!」

 

 舞台の赤が掃除され、風が眠たげな表情のままに倒れた稟を引きずっていったのちの舞台に、二人の少女が立った。

 朱里と雛里だ。

 しかしながら何かを歌おうとするのだが、噛みまくりの間違えまくりで、次第に二人の目がぐるぐると回ってゆく。

 

「……うん。少女のカミカミ言葉……いいものだ」

「ほう、わかりますかな」

「もちろんですとも」

 

 そんな光景を眺めつつ、隣に来た星とともにうんうんと頷く。

 そうしながらもやがては噛む回数も減り、歌もきちんとしてきたところで歌が終わる。

 二人は終始顔が真っ赤だったものの、みんなから拍手を送られて笑顔で舞台を降りた。

 

「……なんだかんだでほぼ全員が歌ったんじゃないか?」

「ふむ。私は特に歌いたいとは思わなかったので、辞退させていただいたが」

「まあ、無理に歌うのもね」

 

 寝不足だったにも関わらずこんなにも騒ぐもんだから、眠たいなんて思う暇もなかった。

 けれどもこうして改めて息を吐くと、急に押し寄せてくる眠気。

 隣の星はふむと言って酒と猪口を片手に纏めると、俺に肩を貸して、いつもの立ち木へと連れて行ってくれた。

 

「ここでよろしいか?」

「ごめん、助かる」

 

 自分で思うよりも、酒も結構回っていたようだった。

 肩を貸してもらうまで、そんなことにさえ気づけなかった。

 

「なに。蜀でもこうして立ち木の下に座っていたのを思い出しましてな。恐らくは魏でもこうしていたのだろうと運んだまで。感謝されるほどではござらん」

「そっか」

 

 それだけ呟くと、すぅっと眠気が襲ってくる。

 みんなが騒いでいるのに、場の空気を下げてしまわないかと不安になったが───

 

「眠りなされ。そして、起きたならばともに騒げばよろしい」

 

 あっさりと言ってくれた言葉に甘えるように、目を閉じた。

 どうやら彼女自身もここで酒を呑むらしく、彼女が隣に座った気配を感じながら、やがて俺は眠りに落ちた。



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66:三国連合/国のため皆のため、そして己のために①

111/本日快晴、騒がしき日

 

 朝の眩しさに瞼の裏を焼かれ、目が覚めた。

 ボウっとした頭で一番最初に気になったのは、布団も無しに寝てしまって風邪でも引かなかっただろうかということ。

 しかしどういうわけか体は暖かく、立ち木に背を預けるというよりは、幹に頭を預けて寝転がっていた俺の体の上には美以を始めとする南蛮兵がごっちゃりと……!

 これはいったい……と戸惑いながら体を起こそうとするが、左腕に違和感。

 右腕は美以にしがみ付かれているとして、左腕は……と目を向けてみれば、すいよすいよと眠る流琉。……ますます何事だろうかと、シャッキリしない頭で纏めてみるが、どうにも上手くいかない。

 なのでもういい加減終わったであろう宴の場に目を向けることで、あれから何があったのかを考えることに───

 

「はっはっはっはっは! はぁーっはっはっはっはっは!!」

「酒らぁ~っ! 酒をもっれこぉ~いぃ!!」

 

 ───……ごめん、前言撤回。まだ終わってなかったよ、宴。華雄と春蘭が笑いながら酒を呑みまくってる。一目見て解る……酔っ払いすぎている。

 何人かの姿が見えないところを見ると、酒に弱い者は早々に部屋に案内されたようだが、酒に強い者や、そもそも飲んでもいない者はまだまだ元気なようだった。

 

「えーと……」

 

 救いのある仮説を勝手に立てるとしたら、今の俺と流琉の状況って……華琳あたりが、一番働いてくれた流琉を先に休ませた……とかか? いや、ただ単に流琉が力尽きているのを誰かがここに運んだってことも……いやいや、それなら部屋に連れて行ったほうがいいよな? そっちのほうが休めるし、こうして美以たちに乗っかられることなくゆっくり休める。……これはこれで温かいけど。

 んん……わからない。

 寝る寸前まで隣に居たであろう星の姿も宴の騒ぎの渦中にあるようだし、もしかしたら星あたりが流琉をここに連れてきたのかもしれない。

 あー……と、とりあえず、だな。流琉の頭の下から左腕を抜き取って、美以やミケやトラやシャムをゴリッと……そうそう、ゴリッ……ゴリ?

 

「あいぃいーっ!?」

 

 どかそうと思ったら左手を噛まれた!

 しかも骨の硬さを楽しむかのように、コリコリと歯で転がしてあぁああああいだだだだだだぁあーっ!! い、いや大丈夫! 幸い(?)にも噛んでるのは美以だけだから、空いてる手で外せば───って空いてないよ! 右腕、美以にしがみ付かれて動かせないままだよ!

 

「美以……! 美以~っ……! 噛むのはっ……!」

 

 流琉が寝ていることもあって、小声でやめてくださいと願ってみるが、幸せそうな顔で眠りながら手を噛む彼女にはそんな声がまるで聞こえちゃいなかった。

 仕方もなしに口に銜えられている指の何本かを動かして、舌とかを軽く刺激してやると、何故か急にビクリと体を弾かせ、パッと目を開く美以。

 

「な、なにごとにゃ!? 今なんかくすぐったかったじょ!」

「………」

 

 よし。

 今度から美以を起こす時はくすぐろう───……きょろきょろと見えない敵を探って辺りを見渡す美以を見て、静かにそう思った。

 でもまあとりあえずは。

 

「おはよう、美以」

「おお? おおっ、兄、起きたにゃ?」

 

 起きたには起きたけど、多少残ったまどろみは、文字通り貴女に噛み砕かれたのですが。

 軽く上半身だけを起こすと美以も右腕を解放してくれて、地面の硬さからか少し痛む背中を庇いながら小さく息を吐く。酒臭くて騒がしくて、残念ながらお世辞にも気持ちのいい朝とは言えないものの、これからのことを考えればこの賑やかさも楽しさに変わるのだろう。

 なんにせよまずは流琉を部屋に運ぼうか。

 くーすーと寝ている流琉の体を、出来るだけやさしく持ち上げる。

 いわゆるお姫様抱っこだ。

 

「美以、ミケトラシャムも起こしてついてきて。ここよりも部屋のほうが暖かいぞ」

「兄の部屋にゃ? いくにゃいくにゃ~♪」

「え? いや、楽しみにされても何も無いんだけどな……」

 

 まあ……いいか。

 よし、じゃあ出来るだけ酒に酔った修羅たちに見つからないように……と。

 

「………」

 

 起き抜けで、まだにゃむにゃむと謎の言葉を発するミケトラシャムと、それを連れる美以とともに歩き、 中庭をひっそりと抜けて、通路へ。

 酒の匂いはそこまで届いており、さらに言えば華雄と春蘭の笑い声はここまで余裕で届いていた。そんな声に苦笑しながら歩く通路はどこか静かで、いつもの朝よりも一層に静寂を孕んでいるように感じた。

 

「……周りがうるさかったから、そう感じるだけだろうけど」

 

 見張りに軽く声をかけて、部屋までの道をのんびりと歩いた。

 部屋の扉を美以に開けてもらい、中に入ると寝台までを歩き、そこに流琉を寝かせる。

 …………ってマテ、なんで俺、流琉の部屋じゃなくて自分の部屋に来てますか?

 

「おぉおおお! 兄にゃ! 兄の匂いがいっぱいにゃー!」

「にゃあう……あにしゃまのにおいにょ……」

「にぃにぃ~……」

「にゃん……」

 

 自分の行動に呆れを抱いた俺とは別に、美以は元気いっぱいだ。

 ミケトラシャムはまだ眠いのか、流琉が眠る俺の布団の上にトストスと乗り、丸くなって眠ってしまった。

 それに美以が文句を口にしながら参加すると、あっという間に部屋が静寂に包まれた。

 というか……俺が寝る場所が無くなった。

 

「………」

 

 寝つきいいね……さすが猫。いやもとい、自然児…………ああいや、児っていうのもなんか違うか? あ、あー……まあいいや。

 

「よし、戻るか」

 

 途中で寝ちゃった分を取り戻すためにも、少しは楽しまないとな。

 みんな存分に楽しんだんだろうし、俺も眠るまでは楽しんでいた。

 けれど誰かが起きているうちくらいは俺も───……と、戻ってみたのだが。

 

「……つわものどもが、夢のあと……」

 

 中庭に戻ってみると、みんながみんな撃沈していた。

 先ほどまで騒いでいた華雄も春蘭も重なり合うように潰れ、騒がしさとは間逆なくらいの静かな寝息を立てている。

 ちらりと視線を移してみれば、並べられた卓には料理が残っていない。……ほとんどどころか全然だ。

 これじゃあ兵達に振る舞えない……どうしたものか。

 準備を頑張ってくれた礼もしたいのに、それがこの有様とは……。

 そりゃあ給金は当然払われるだろうが、それと礼の気持ちは別だ。人間、感謝の心を忘れてはなりません。なので散々と食った飲んだをしたみんなは部屋に運んで……よし、反感食おうがどうしようが構わない。頑張ってくれた料理人や兵のみんなに作り置きのデザートを振る舞おう。

 

「酒の残りは……うわっ、見事に無い……!」

 

 本格的にデザートだけになりそうだなぁ……はぁ。

 

「ほら、華雄起きて。春蘭も、風邪………………引かないか」

 

 病原菌が逆に殺されそうだ。

 けどどちらにしても体が冷えることは確かだし、なんとか担いで……っと。

 

「騒ぎの片付けって、どうしてこう虚しいかなぁ」

 

 中庭で力尽きていた人を部屋に運んでいった。

 その過程で桃香にぎううと抱きつかれたまま苦しそうに寝ている祭さんを発見。……大丈夫、俺はなにも見なかった。

 丁寧にみんなを運び終えると中庭の片づけを───始めたところで、見張りをしていた兵や警備隊の何人かが駆け寄って止めてくる。

 

「あ、そのままで……! 我々がしておきますので……!」

「いいからいいから。“どっちかに任せる”よりむしろ、手伝ってくれるとありがたいんだけど」

「え……? あ、はぁ……」

「北郷隊長はやはり、他の方とはどこか違いますね……」

「ん? そうか?」

 

 困惑が小さな苦笑に変わる。

 そうなる頃にはみんな手伝ってくれて、感謝を述べれば「いえ、これが仕事ですから」の返事。……危うくまた仕事を奪ってしまうところだった。

 とまあ、それはそれとしてだ。

 

「はぁ~……がっつくわけじゃないけど、今回は見事になんにも残らなかったなぁ」

「おい、隊長の前だぞ」

「いいって。前回みたいに残ればいいなって思ったのは俺も同じだから」

 

 片付けられてゆく中庭を見渡し、兵のみんなはどこか寂しそうな顔をしていた。

 前回は酒も料理も多少は残っていた。

 しかし今残っているのは……みんなにと用意したデザートくらいだ。

 宴の席には出してなかったから、取りに行けばある。あるのだが……

 

(マテ。勝手に振る舞ったりして、華琳とか怒らないか?)

 

 …………大丈夫……か?

 まさかそんな、デザートひとつで目くじら立てるほど、覇王の器は小さくない筈。

 そ、そだな。そうだよな。よし。

 

「みんな。食事や酒は振る舞えないけど、今日はちょっと別のものを振る舞いたいと思う」

『?』

 

 俺の言葉にきょとんとするみんなを前に、静かに呼吸を整えて胸をノックした。

 大丈夫~……大丈夫~……自分でフラグ立ててる気がしないでもないが、大丈夫だと信じたい。もとい、信じよう。

 

……。

 

 そんなこんなで片づけを終え、それぞれがきちんと自分の部屋や宛がわれた部屋で眠っていることを確認してから行動開始。華琳だけは部屋で見つけられなかったが……今はやれることをしよう。

 サササッと走り、料理を手伝ってくれた料理人のみんなや女給さんも集め、中庭でデザート祭り。さすがに冷凍庫なんて気の利いたものがないため、アイスは多少溶けかけているけど、溶けかけているってだけで味が変わっているわけでもない。

 早速みんなに食べてもらうと、驚きの声が幾度も、多方向から上がった。

 料理は普通にしか作れないが、こういうのならまだ喜んでもらえるって事実に少し感動した。……出来れば料理でも喜ばせてやれるようになりたいもんだ。

 

「隊長隊長! これうまいですね!」

「こんなうまいもの、食べたの初めてですよ!」

「そっか、よかった。味わって食ってくれな」

『はいっ!』

 

 ……華琳はともかく、季衣あたりにいろいろ文句言われそうだなーなんて思いながら、今だけは満面の笑顔でこの時を楽しむことにした。

 

「なんか作ろうか。普通の味しか───って、そういえば」

 

 そう。そういえば、今回懲りずに醸造(?)した日本酒もどきがあったな。

 あれが上手くできていれば、少しは…………あー……量が少ないな。

 けど大事なのは持て成す心! 感謝の心!

 以前のように少量をみんなで飲み回すのでもいいし、それくらいなら出来る筈だ。

 そんなわけで醸造所(?)に小走りして、寝かせておいたそれを───………それを……

 

「…………華琳?」

「ふわっ!? …………か、一刀……?」

 

 普段は使っていない部屋に入ってみれば、ぽつんとあるソレを前にする華琳が居た。

 珍しいこともあるもんだ。

 もしかして俺が作った酒が飲みたく───……なるわけないよなぁ。

 結局“鬼桜【頭領】”も失敗に終わったし、次も、その次も失敗した。

 今回のも最初は自信があったものの、まあ……いつものことながら失敗かなぁと途中から思っていたくらいだ。

 どうして華琳がここに居るかは別としても、なんとなく気まずそうな顔を見るに、これは失敗なのだろう。だから───

 

「……あれ? いい匂い?」

 

 あくまで酒としての話だが、ふわりといい香りがした。

 そう……驚くことに、きちんと酒の香りがする。

 え……もしかして上手くいってた!? 完成してた!?

 

「か、華琳! それっ!」

「……あなたが作った酒なら、もうないわよ」

「───…………ハイ?」

 

 興奮が一気にゴシャアと崩れ落ちた。

 無い……え? 無い?

 

「え……でも、だってそれ」

 

 桶をちょいと指差してみせる。

 けれども華琳は目を伏せて溜め息を吐いて、事情を説明してくれた。

 

1:蜀に行っていた時、雪蓮に一刀が酒を作っていることを話してしまった

 

2:雪蓮がその酒を探して笑顔で宴の席へと持ってきた

 

3:友が作ったものならばと、宴でテンションが上がっていたみんなが少しずつ飲んだ

 

4:空っぽ

 

5:そこで呉王さまが一言。「代わりを置いておけばバレないわよ」

 

 結論:よし、デコピンの一発でもお見舞いしよう

 

「華琳。とても大切な用事が出来たから、雪蓮の部屋に行ってくる」

「ちょっと待ちなさいっ」

「やっ、だってっ! いくら不味かろうが飲んでくれたのは嬉しいけど、代わりを置いてバレないようにってのはヒドイだろ! 美味しくなかった~とか言ってくれるならまだしも、バレないようにするって!」

 

 危うくぬか喜びするところだったよ! ていうかしちゃったよ!

 いっつも正座させられる俺の思いよ彼女に届けとばかりに正座させて、やっていいことと悪いことについてをみっちり説いてやる! ……考えれば考えるほどに無理な気がしてきた。

 

「いいから落ち着きなさい一刀。お酒は確かにお酒と呼べない味だったけれど、そもそもまだ出来上がってもいなかったのよ」

「うぇっ!? ……って、そうだよ。寝かせてはあったけど、出来るにはまだ早いよな」

 

 最近ドタバタしてたから、時間の感覚がどうにも……。

 いや、それくらい覚えてないとダメだな……しっかりしよう。

 

「それを飲んでしまったっていうから、さすがの雪蓮も焦ったんでしょうね。勝手に私の酒蔵から酒を持って、ここに置いていったわ」

「それ華琳の!?」

 

 な、なるほど……道理できちんと酒の香りがするわけだ……。

 それに比べて俺のって……うう、すまない北濁里二号……お前の尊い犠牲は次に……活かせるといいなぁ。

 

「はぁああ……俺って醸造とかの技術、全然ないのかなぁ……」

「技術云々の前に、酒蔵も無しに作ろうとするからよ」

「うぐっ……だってさ、専用の酒蔵を作ったとして、それだけ大掛かりなことやっておいて作れなかったら話にもならないじゃないか。散財でしかないだろ、そんなの」

 

 これまで自分が作った酒の末路を考えてみた…………ら、酒蔵を使ったところで同じ結果しか見えなくて、少し悲しくなった。そうだよ。だからこそ大掛かりにならないようにと、ちんまりとした作り方をしているのだ。

 結果はずぅっと散々だけどさ、なんだか少しだけ安心が得られるじゃないか。

 まさか華琳の酒蔵の端を貸してくれ~なんて言えないし、言ったところで───

 

「だったら私の酒蔵を使いなさい」

「……あれ?」

 

 ───絶対に反対されると思った。

 醸造の材料が違うのだから~とか、そういうようなことを言われるものかと。

 

「え、あ……い、いいのか?」

「構わないわよ。こんな空き部屋でひっそりと怪しく作られるよりも、よっぽどいいでしょう?」

 

 「もちろん使われる材料にとってね」と付け加えて、彼女はニヤリと笑った。

 いや、それはありがたい。ありがたいけど……菌とかほんとに大丈夫なんだろうか。

 それって納豆作りの隣で味噌を作るようなもんじゃないのか? いや、さすがに納豆菌は使わないだろうけどさ。

 糯米と白米の違いはあれど、米の酒ではあるんだから平気……だといいな。

 うん、せっかく言ってくれてるんだから、試さずに断るのはもったいないよな。

 

「じゃあ、いいか?」

「はぁ……あのね、一刀。私は“構わないわ”と言った筈よ?」

「そ、そっか……そっか! ありがとう華琳! 上手く出来たら真っ先に華琳に飲ませるから! あ、でもその前に霞に飲ませないといけないか? あ、でも順番なんて無視して雪蓮あたりが盗み飲みしそうな……いやそもそも成功するのかどうかが───あだっ!?」

「御託は結構。私の酒蔵を貸してあげるのだから、必ず成功させなさい」

「………」

 

 期待が一気に不安でしかなくなった瞬間である。

 期待と不安が存在していた俺の心は、プレッシャーという名の悪魔に食われてしまった。

 

「あ、あのー……もし失敗したら……」

「罰を与えるわ」

「ひどっ!? せめて何度か失敗してもいいって条件で───」

「……言ったわね?」

「───はっ!?」

 

 まるでその言葉を待ってましたと言わんばかりに、華琳の目が輝いた。

 慌てて言い直そうとしてももう遅い。華琳は俺が言葉を発するより早く軽くひと睨みし、俺を数瞬怯ませた。その数瞬だけで、もう言いたいことを言ってしまったのだ。

 

「撤回は認めないわ。何度か失敗してもいいから、必ず美味しい日本酒とやらを作ってみせなさい」

「…………アウアー……」

 

 地雷踏んだ。そして早速爆発した。

 口からなんとか漏れたのは、明命っぽいけどちょっと違う謎の声だった。

 うう……口は災いのもとって言うけど、ほんとだな……。

 だからって何も喋らなければ勝手に話を進められるわけで、結局のところ“必ず成功させなさい”が“失敗アリでもいいから成功させなさい”になっただけだ。“だけ”と言うには随分と難度が下がっていて、嬉しいといえば嬉しいのだが。

 

「ん。じゃあそれも酒蔵に戻さないとな」

「ええ」

 

 頷きながら桶を手にする。

 しかしまあ……なんだろう。

 まだ完成してもいない酒を回し飲みなんてして、彼女らは大丈夫だったんだろうか。

 多少の甘みは出てたかもだけど……や、そりゃあきちんと妙な不純物が入らないようにって定期的に調べてはいたぞ? それでもさ、酒としての完成を見せていないものを飲むのは大変危険なのでは……。

 

「………」

 

 どうしてだろう。たとえ、もし、仮に麹菌が危険なものだったりしても、みんな菌くらいで腹を壊すようなヤワな人達じゃないだろって納得してしまった。

 

「俺もそういう心配のない体に産まれたかった」

「?」

 

 小さな呟きにきょとんと目を向けられながらも、部屋を出た。

 

「あぁそうそう。一刀? あなたに一つ訊きたいことがあったのだけれど」

「ん? なに?」

 

 訊きたいこと? 俺に…………なんだろ。

 最近のことで華琳に訊かれるようなこと、あったか? 逆に俺が、いつから鍛錬再開していいんだーとか訊きたいくらいなんだけどな。

 なんてことを、のんびりと歩きながら考えていたまでは平和であった。

 そう、この時までは。



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66:三国連合/国のため皆のため、そして己のために②

 後ろからフゥと息を吐く音が聞こえた。文字通り言葉の間に一息を入れたのだろう。

 そして自分の肩越しに軽く振り返ってみれば、彼女は俺を穏やかな顔で見つめ、言った。聞きたいこと、のあとの言葉を。

 

「蜀で、麗羽に可愛さで勝負を挑まれたことについてをね」

「ぎっ……!」

 

 ……一瞬だったのだ、平和が乱れる瞬間なんてものは。

 背筋に冷たい何かが走るのを感じて、思わず歩を進めるために出す足がどちらだったかを忘れ、コケそうになる。しかし意地でも酒はこぼさぬようにと、体勢はすぐに立て直したものの、おそるおそる見てみた華琳は……笑顔なのにとっても怖かった。

 

「ご丁寧に“一刀さん”。“一刀さん”に可愛いと言われたと。ええ、あの麗羽が男を下男呼ばわりせずに名前を覚えて、美しいではなく可愛いと言われて喜んでいたことなどこの際どうでもいいわ。ええ、どうでもいいことにしてあげる」

 

 あの!? 目が思いっきりどうでもよくなさそうですが!?

 え!? なに!?

 どうでもいいって口で言いつつ、いったいなにが気に入らないので!?

 

「私が気になるのはね、一刀。あなたが“あの”麗羽をどう落としたのか……それだけよ」

 

 口調は穏やかだ。しかし怖い。これ……もう怒ってる? お、怒ってるよな? 滅茶苦茶怒ってるよな!?

 

「おとっ───いやいやいや! 落としてない! どうしてそんなことになるんだよ! 俺と麗羽は友達でっ!」

「友達? ただの友達に、麗羽が直々に“男として認める”と文を寄越すと?」

「あ、あれ……? えぇええーっ!?」

 

 やっ……俺もあれはなんかヘンだなとは思ったけどさ!

 考えてもみてくれ! 下男下男言われ続けて、それから男として認められるってことになったんだぞ!? 拒否なんて普通しないし、男として認められたからこそ対等で、友達になれたんだとか思うだろ! ということを話してみれば、盛大に溜め息を吐かれた。

 

「麗羽はそもそも、男と見れば見下す存在なのよ。その上なんでも自分の都合のいいように解釈するし、気に入らないことがあればそれを実力行使で叩き潰そうとする」

「ああ、最初の頃の華琳みたいな弁慶!?」

 

 笑顔のままに足を蹴られた。俺の弁慶が大号泣。

 

「その麗羽が男を気に入るどころか、見下しもせずに対等……男として見るなんて。自覚がないでしょうけれど、とんでもないことよ」

「い、いや……それってただ感性が普通になっただけなんじゃ……」

「あの馬鹿の性格なんて、幾度出会っても変わっていないわよ」

「そうか? 華琳が変わったみたいに、きっかけがあれば誰でも変われるんじゃないか?」

「そう? そう思うのなら、変えたのは間違い無く一刀、あなたということになるわね」

「…………え? 俺?」

 

 蹴られた足を庇いながら、けれど立ち止まったまま話せばまた蹴られることを心配して歩く俺を、どこか気に入らなさそうに見つめながら歩く華琳様。

 そんな目で見られる覚えが思いつかない俺は、何が気に入らないのかを考え始めてみるのだが……悲しいことに全然さっぱり思いつかない。一瞬だけ“もしかして嫉妬かも”なんて考えたりもしたのだが、“それはないだろう”と自分の脳にこそあっさり却下された。

 確かに前から少しばかり、他の女性と何かあるたびにこの場の雰囲気に似た状態での質問があったりもしたが、俺が華琳のものであると自覚している限りはそれでいい、と言われたわけだしなぁ……うーん。

 

「ん、と……それで華琳は結局どうしたいんだ?」

「どうしたいって、何がよ」

「いや、そういうことを訊いてきたってことは、麗羽のことでも別のことでも、なにか答えが欲しかったんじゃないかなと。あ、ちなみに本当に落としたつもりはないぞ? 俺は認めてもらえたことや対等でいられることに喜びはしたけど、手は一切出してないし」

「………」

 

 訊き返してみれば沈黙。

 なにやらぼそぼそと言っているような気もするが、それは歩くことで桶の中で揺れる酒の音にさえ掻き消されるような声だった。

 

「? なんだ? よく聞こえなかった」

「だ、だからっ! あの女と私とでっ! 私が美しさで勝ったのはわかったわよ! けどだからって“別に悔しくなどありませんわ? わたくしの方が可愛いと認められていますもの、おーっほっほっほっほ!”とか笑われるのは我慢がならないのよっ!」

「───……」

 

 ……え? なに?

 ちょちょちょちょっと待った! え!? 顔赤くしてそんなことっ……!? どっちが可愛いって、美しさで勝ってるだけじゃ満足できないと!? ていうか美しさと可愛さが混在する存在って何者!? 普段は気安く可愛いとか言えば額叩いたり怒ったりするくせに、どうしてこういう時だけこだわったりするのかっ……!

 ご、ごめんなさい全世界の男子諸君……俺、乙女心がわかりかけてるとか世迷言を言っておりました。全然さっぱりわかりません。

 けど、けどだ。

 

「えーと……もしかして、どれかひとつでも麗羽に負けてるのが嫌だ、とか」

「そんなことはないわよっ!!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 クワッと怒鳴られた。

 しかし、すごい剣幕だったもののその言葉に嘘はないらしく、息を整えてからキッと俺を睨み直した。……嫌な表現だな、睨み直すって。

 思わず立ち止まって振り向いて、華琳の行動に軽く警戒してしまう。

 

「べつにあの女がどの点で私に勝っていようと構わないわ。ただ───」

「……? ただ?」

「………」

「?」

 

 じっと見つめられる。

 えと……なに? 何か俺に求めている?

 

「……背が足りないこととか弁慶!?」

 

 ふっ……再びベンケッ……! 弁慶の泣き所にトーキックって……!! 立ち止まるんじゃなかった……! すまない弁慶……!

 くぅう……! どうやら背のことじゃないらしい……! ていうか勝っていようと構わないっていってるんだから、背のことなんて口に出すのはおかしいだろ……!

 けど───“ただ”だ。“ただ”と華琳が言ったからには例外があるということ。何かが勝ってさえいればそれでいいと思える何かがある筈……! そしてそれは───!

 

(………………なんだろう)

 

 考えてみたけどわからなかった。空回りってやつだ。

 わからないならどうするかを考えてみて、わかりきった答えを口にすることにした。

 

「何が心配なのか知らないけどさ。何度でも言うけど、俺は華琳のもので、華琳を愛しているから」

「!!」

 

 じぃっとこちらを睨む少女に言ってやる。

 すると顔が一瞬にして赤くなり、息が詰まったように口をパクパクさせながら、涙が滲み始めている目を見開いてこちらを見ていた。

 

「~っ…………その言葉、軽々と別の誰かにも言っていないでしょうね……」

「え? あー……その。俺は魏の、華琳のものだ、ってことなら呉でも蜀でも言ったけど」

「!? ……、~……そ、そう」

「………」

「……、……」

「?」

 

 あれだけモシャアと溢れていた緊張感がスゥッと消えて、華琳は顔を赤くしたままに俯いてしまった。そのまま歩くと危ないぞと言っても右から左へである。

 え……え? つまるところ……やっぱり不安だったと? 血を証にする、あなたは私のもの、いろいろと誓いを立てたものの、前に“それがなに?”と言った通りに不安だったと?

 ……それはそうか。だって、俺自身でさえ何がきっかけで、いつまた自分が消えてしまうのかもわからないままなんだ。好きな人の前から消えなければいけない怖さを知っている。あんな思いは、出来ることなら二度としたくない。だったら不安材料なんてものは何度だって取り除かれるべきなのだ。

 

(……なるほど)

 

 そういう考えに至ると、さっきまでの華琳の行動の理由も見えてきた気がして、心が温かくなるのを感じた。考えてみれば、俺のほうはそういう方向では幾分マシなのだろう。華琳に言い寄る男は居ないし、そういった話があるわけでもない。乱世ならば政略結婚だってあったろうけど、なにせこの世界の英傑たちといったら全員女なのだ。

 俺はそこに安心を得ていたのだろうけど、華琳は逆だ。

 たとえ俺が“好き”とか“愛している”とか言って、華琳が受け止めるばかりの関係なのだとしても、あー……まあその、所有物を横から奪われていい気分でいられる人なんてものはそうそう居ないのだから。

 

「………」

 

 だからだろう。心が温かく感じたけど、これからのことを考えると少しだけ素直に笑えない心境が完成した。前にも思ったことだけど、こんな調子のままで三国の支柱になったら、いったいこの少女は日々をどれほどの不安を抱えながら生きるのかと。

 

(……いや待て。華琳ならすぐに順応しそうな気がする)

 

 もしくは殴り込みをかけてくるとか?

 どちらにせよ不安材料をそのままにしておくような人でもないし、そうと感じたなら言う人……だよな。今回は言わなかったけど。

 まいった。

 こういう状況ではどう声をかけるべきなのか……気の利いた言葉がこういう時に限って浮かんでこない。かといって何も喋らないと空気が重くなっていくだけであり……!!

 そ、そうだ、とりあえずは何か、思いついたものでもなんでもいいから話題に───!

 

「と、ところで華琳」

「……な、なにかしら?」

「あのさ、前後になっちゃったけどさ。兵や料理人たちにデザートをあげちゃったんだけど……えと、大丈夫だったか?」

「───」

 

 停止。

 歩む足も、赤くなり続けていた顔も停止し、冷たい空気と緊張感が再び……あ、あれ!? 待って! 待ってくれ穏やかな空気さん! なんかもうこの嫌な緊張感、感じ慣れてて逆に怖い! もしかして地雷でしたか!? 地雷でしたね!? この空気感じるだけでも十分だよね!?

 

「それでなに? あなたはいつかのようにまた次の時にも手伝うよう、約束でもさせたのかしら……?」

「いやいやいやいやっ! あの時のようなことじゃなくて! ていうかもうあの時の根回しのことは忘れてくれって! デザートをあげたのはただの俺の感謝の気持ちでっ! そういうようなことは全然考えてないって!」

「考えていなくても結果が同じならば変わらないじゃない、このばかっ!」

「ばっ!? だから違うって! 以前のは給金じゃなくて食べ物で釣ったみたいな感じで、今回のはきちんと働いてもらったし給金も出るけど、そこに感謝を足しただけだよ!」

 

 通路の真ん中で始まる喧嘩……のようなもの。不思議なことに、華琳は確かに怒鳴ってはいるんだけど、それはなんというか……そう、構ってほしいからそうしているような行為に見てとれた。しばらく美羽と一緒に居たからだろうか……そんな反応なら多少は理解出来るようになっていた。

 俺はといえば……華琳がそんな反応を示してくれるのが嬉しくて、怒鳴られているなら真面目に受け止めなければいけないのに、顔が笑いそうになるのを我慢するので大変だった。

 だって、あの華琳がだ。

 彼女を見ていて思うことと言えば、“いつも王で居る必要はないのに”と……そればかりだったのに。その相手自身がまるで甘えてくれているようで、俺もそれを妙に感じて取ってしまったようで、その……嬉しくてたまらない。支柱になる存在が偏るのはいけないとは思うものの、そんな些細が嬉しいのだ。

 ……この会話を終了させるのは簡単だ。それは、おそらく華琳も知っている言葉。

 お互いに答えは見つけてあるものの、それを呈示しないで自分の気持ちを勢いのままにぶつける。そんなことを目的に、ギャーギャーと叫び合った。

 

  “みんなが居るうちにまた作ればいい”

 

 答えなんてこれで十分なのだろう。

 けれどそうすることはせず、普通に話し合っていたんじゃきっとついてこない“勢い”ってものを引き出すために、そうして話し続けた。

 彼女に対して俺は、“四六時中、王で居ることなんてない”と思った。

 思ったところで華琳は王で、大陸を統べた責任ある立場だ。

 非道な王であるのならば自分を討ちに来いと、雪蓮や桃香に言ってみせるほど。

 そんな立場で甘えてばかりはいられないなんてことを、俺は───知ってはいたけど軽く受け止めていただけだったのだろう。

 今まで通り仕事をして、空いた時間に気が向けば甘える。それでいいんじゃないかとも思った。

 それは非道でもなければ、当然のことだとも思ったのだ。

 問題があるとすれば、覇王っていう威厳ある立場と彼女のプライドなのだと。

 

「………」

「………」

 

 一通り叫び合うと、怒った風情もどこへやら。

 軽く肩で息をしながら睨み合う二人。

 だというのに顔は多少笑んでいて、目の前の彼女は大げさに溜め息を吐くと歩き出す。

 

「華琳?」

「一刀。あなたのことだから、時間が空けばすぐにでも材料を手に入れに走るんでしょう? その時は私にも声をかけなさい。一緒に行くわ」

「え───大丈夫なのか? ほら、仕事とか」

「問題ないわよ。仕事をする時間が変わるわけでもないのだから」

「今度は徹夜とか無しだぞ? 無理して体壊したら、俺はそっちのほうがいやだ」

「………」

「………?」

 

 どうしてかじとっとした目で睨まれた。

 まるで、“何を言っているのだろうかこの男は”って目で言われているようだ。

 

「あの……華琳? どうかした?」

(この男は……! 常に王で居る必要なんてないとか言いながら、たまにこういうことを言えばそれを否定するように……!)

 

 気遣う目を向けると、むしろ一層に睨まれた。

 こ、こは如何なること……? とか思っていたら、胸を人差し指でゾスと突かれて後退った。

 

「か、華琳?」

「とにかく、呼びなさい。体の心配なんて余計なことよ。大体、仕事の心配と体の心配をされたら、私はいったいいつ心の休憩を取ればいいのよ」

「あ」

 

 言われてみればそうだった。

 というか、俺が心配する理屈を並べてみると、仕事と休憩しか存在してない。

 休憩っていうのはもちろん、徹夜の心配をしていたからには寝ることとかそっちの方。

 つまり……その理屈でいくと華琳に会う時間が存在してない。

 その結論に至った瞬間になんだかむず痒い衝動に襲われ、“なるほど、休憩なんてとってる場合じゃないな”なんていう答えを脳が弾き出した。

 

「よしわかった、絶対に声をかける!」

「……そ、そう? わかったのならいいけど」

 

 無理はいけないことだが、それよりも一緒に居たいと言われた気がして舞い上がった。

 うん……舞い上がり、自覚してます。

 あっ───でもこういう感情も抑えていかないといけないんだよな、支柱になるんだし。

 落ち着け俺、落ち着けー……。

 華雄に言われたじゃないか。偏った支柱なんてもろいものだ。

 ちゃんと自分を持て。ちゃんと自分を───………………

 

「……あの。華琳さん?」

「? なによ」

 

 自分を持とうとしたところで疑問にぶつかって、再び歩き出そうとした体を華琳へと向けると、なんだか上機嫌っぽい彼女に声をかけた。上機嫌で歩き出そうとしていたこともあり、振り向いた拍子に持っていた桶がちゃぷりと音を立てるが、こぼれるほどでもない。

 

「えーと……たった今、華琳ばかりに意識が偏った支柱なままじゃいけないと、自分を持とうという意識を高めたのですが……。既に魏の中で意識が散漫しまくっていた俺に、支柱なんて務まるのでしょうか……」

 

 それはある意味で最も重い部分。

 人に訊いてどうなるものでもないだろうと思っていたりもしたのだが、ことは魏だけでなく三国全体に及ぶのだ。訊いてみて損はないだろう。

 などと思っていたら、意外すぎるくらいにきょとんとした表情で華琳は言った。

 

「務まるわよ」

 

 出来て当然じゃないといった様相だった。

 その自信たっぷりの彼女を前に、逆にこっちが戸惑うほどだ。で、彼女はそんな戸惑いたっぷりな俺の胸を、俺がそうするようにトンッとノックして言う。

 

「確かに魏将全員を相手に、というのは散漫ではあるのでしょうけど。一人一人に向ける思いが本物だったのなら、そこにはなんの問題もないわよ」

「へ───?」

 

 「だって私が許したんだもの」と続けて、彼女は歩いてゆく。

 慌てて小走りに追おうとするが、走れば桶の酒がこぼれるかもしれないこともあり、それは出来なかった。そんな俺へと顔だけで振り向いた華琳は、可笑しそうに笑っていた。

 

「だから一人一人と本気で向かい合いなさい。一人一人を愛しなさい。好きでもないのに抱いたりしたら───それこそ許さないわ」

「………」

 

 きゅっと……言葉だけで喉を締められた。

 そんなことはないのだろうけど、本気で喉を締められる感覚に襲われた。

 つまりそれほど本気だってことで、不安になるたびに似たような疑問をぶつける俺に対して、華琳も真っ直ぐに答えてくれているって証拠なんだろうが……でもなぁ。

 

「……でも、怒るんだよな?」

「う、うるさいわねっ!」

 

 少し冷たさを帯びていたニヤリとした笑みが真っ赤になり、即座に前を向かれてしまった。そんな、我らが覇王さまのあとを追いながら苦笑する。

 苦笑しながら……なるほど、とようやく頷けた。

 もし、麗羽があらゆるもので華琳に勝ることあったとしても───……

 

「華琳」

「なによっ! ───ふぐっ!?」

 

 ───俺から自分に向けられる気持ちが勝っているのなら、華琳はそれでいいのだと。

 合っているのかもしれないし、合っていないのかもしれない。

 けど、それならと、声をかけるのと同時に小走りに駆け、振り向いた彼女にキスをした。

 答えとしては間違っていても、自分の気持ちは合っているのだからキスをする。

 軽く閉じていた目を開きながら離れると、顔を真っ赤にしてふるふると震える彼女を真っ直ぐに見つめて───……合っているでも間違っているでもない、酒が少しこぼれたことに激怒され、その場で正座させられました。

 

「えと……でも、キスのことに怒らないってことは、正解ってことでいい───」

「うるさいっ!!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 怒られながら笑ってしまって、そのことについても散々と怒られた。

 そうして俺は、“こぼれたのが俺の酒だったら、まだそこまででもなかったのかなぁ”なんてことを思いながら、華琳の口から放たれる言葉に耳を傾け続けた。



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66:三国連合/国のため皆のため、そして己のために③

112/いい国の中、笑顔で

 

 昼になるとみんなが起き出し、わやわやと世話話を始めるのを見掛け始める。

 その頃には片付けも済み、前の会合のように、酒の匂いを残したままの中庭だけが残された。

 

「はぁあ……しっかし、歓迎の宴ってだけで随分と騒いだもんだ」

 

 そんな中での俺はといえば、片付けを終えたところで少し酒くさい中庭から城壁に登り、天端に肘をついて息を吐いていた。あ、この場合の天端は天井とかそういう方向のものじゃなく、落下防止用の柵とかそっちの方を想像してくれるとわかりやすいかもしれない。それの城壁版。ようするに石の柵だ。回りくどいな。

 ともあれ一息。兵のみんなも料理人のみんなも、少ない量ながらデザートに満足してくれたし、なんだかこう……気分がいい。

 

「問題があるとすれば……」

 

 王や将のみんなにあげる分が無いこと……なんだよな。

 や、それはもちろん滞在期間中に作って振る舞えばいいだけのことなんだけどさ。食いしん坊万歳のみんながそれで納得するかどうか。

 

「納得しないと進まない状況だし、なんとかなる」

 

 一応口に出してはみるが、自分一人を納得させるのにも不安がつのるばかりで、少し早まったことをしたかなぁなんて考えてしまった。

 材料集めが一番大変なんだよな……なにせ牛乳を搾れる邑が……なぁ。

 

「いやいや、暗い考えばかりじゃいけないよな。せっかくの会合なんだし、明るく明るくだっ」

「あ、兄ちゃーん! 春蘭さまが“でざーと”を出せってーっ!」

「───」

 

 心に明日への希望を持ち、行動を開始しようと振り向いた瞬間、俺を探しにやってきた季衣によって……俺は石畳に両手両膝をついて、世界の厳しさに涙した。

 

「? どしたの兄ちゃん」

「い、いやー……それがその……」

 

 急に崩れ落ちた俺へと歩み寄る季衣に、おそる……と事情を説明する。

 いや……その時の驚愕の表情といったら……。

 

「え~!? 兄ちゃん、あの美味しいの全部兵のみんなに食べさせちゃったのー!?」

「ごめん、他に振る舞えるものがなかったから……」

 

 そりゃあ働いた分の対価はしっかりと給金で支払われるんだから、べつに食べ物をあげる必要はなかったかもしれない。けどその……なんか嫌じゃないか。王や将のみんなが楽しんでるのに、手伝ってくれた他のみんなは疲れるだけっていうのは。

 だから少しでもそういったものを分け合いたかった。

 

「みんなには次に届けられた材料で作るからさ。そこは我慢してもらおう」

「うー……楽しみにしてたのになー……」

「うぐっ……ご、ごめんな」

 

 軽く罪悪感。

 しかしながら悔いがそれを上回ることはなかったから、まだ前向きに考えることが出来た。そうだよな、きちんとみんなが居る内に作ればいいんだ。それはなにも、今日じゃなくちゃいけないわけじゃない。

 

「よし、それじゃあ今日も元気にいこう」

「あいす……」

「うぅ……ほ、ほらほら、季衣も元気にっ、なっ? アイス作ったら、少し多めにあげるから!」

「ほんとっ!? えへへー、約束だよ兄ちゃんっ!」

「………」

 

 落ち込んだ表情が一瞬にして笑顔に。

 じいちゃん……女の子って怖いです。

 それでも笑顔を向けられて悪い気はしないっていうんだから、俺自身も相当……なんて思いつつ、俺を見上げる季衣の頭をさらりと撫でた。「行こうか」なんて軽い言葉にも笑顔で応える季衣と中庭に降りて、他愛無い話をしながら何処へとも考えずに歩いた。

 いや、俺の頭の中は主に春蘭にどう説明したものかってものが大部分を占めていたが。なるほど、何処へとも考えずってのは自分で思っておきながら、随分と的を射た現実逃避だった。

 

「おお北郷! でざーとはどこだっ!」

 

 もちろん、そんな現実逃避が可能だったのは、厨房前の卓に座った春蘭を前にするまでだったわけですが。あの……僕逃げていいでしょうか。

 

(神様……)

 

 目を閉じ、軽く天を仰いで心の中で願った。

 どうか無事に今日を生きられますようにと。

 乱世が過ぎ去った現在の世の中で、どうしてこんなことを願わなくちゃいけないんだろうなぁ俺……。

 だがせめて願おう。Luck(幸運を)! Pluck(勇気を)

 

「え、えーとな、春蘭……そのことなんだけど……」

「? なんだ?」

 

 親を前に誕生日プレゼントを待つ純粋な子供のような顔で見られた。

 わあ、心が痛い。

 きっと子供と遊ぶ約束してたのに、仕事が入ってしまったことを伝えなきゃいけない親の心境ってこんな感じだ。

 ……そして俺は、そんな心境の中でとってもパワフルな人達にこの事実を伝えなければならないわけでして。俺、生きていられるカナ……。

 じいちゃん……俺、今日だけで何回胸をノックするかわからないです。

 

「そ、それがだな、春蘭。えー、あー……うー……」

「実はですね春蘭さま。兄ちゃん、あいすとかをぜーんぶ兵のみんなや料理作ってくれた人にあげちゃったんだって」

「キャーッ!?」

 

 幸運と勇気を願ったが、覚悟は決めていなかった俺の心がドキーンと跳ね上がる状況に思わず女の悲鳴のような声をあげてしまい……しかしそんな自分の声に驚くよりもまず、驚愕の顔で俺を見る魏武の大剣さまをどうにかしなければって無理! なんか無理そう! めらり……って妙なオーラが溢れ出てる! つか、朝までべろんべろんになるまで飲んでたっていうのに、昼に起きてこの快調具合ってどうなんだ!? どれほどアルコール分解能力が高いんだよ!

 

「北郷……貴様ぁああっ! 私は貴様がでざーととは食事のあとに食べるものだと言うから、宴の時は酒ばかりを飲んでいたんだぞ!」

「えぇええええ!? 俺そんなこと春蘭に言った!? 言っ…………た、かもしれないけどそれは極端すぎやしないか!?」

 

 空腹に酒は辛いだろ! って、だからあんなにべろんべろんだったのか!? いやいやそれにしたって極端だって! そんな、なんでもかんでも俺の所為にされても困る!

 

「だだ大丈夫! 材料が揃ったらすぐにまた作るから! それまで我慢してくれ!」

「すぐになら今作れ!」

「材料が無いんだってば! 宴だけでいったいどれだけ材料使ったって思ってるんだ!」

「? 無いのなら買えばいいだろう」

「………」

 

 春蘭。たとえ金がいくらあっても、存在しないものを買うことは出来ないんですよ……。そう言ってやりたかったけど、なんとなく返される言葉が読めていたのでやめておいた。

 ともかく春蘭を説得、なんとか落ち着いてもらって、こんなことをあと何人かに説明しなければならない状況に軽く眩暈を起こした。

 

……。

 

 みんなが揃い、酒臭さが大分納まった頃。

 ここ、玉座の間では静かな話し合いが進められていた。

 というのもデザート……ではなく、雪蓮が大事な話があるとかで集まってもらい、重大発表を大した前触れもなく口にしたのがきっかけだったのだが───

 

「私、孫伯符は本日を以って呉王の座から降り、その家督を妹の孫仲謀に譲ることをここに───」

 

 ───むしろ重大発表すぎた。

 デザートがどうとか思っていた俺の頭に、それはドシンと倒れ込んでくるくらいの衝撃だった。や、そりゃあ先にそういうようなことは聞いたけどさ、まさか本気だったとは。

 しかもそれって、もっと厳かで大きな場で言うことじゃないのか? ……それ言ったら、確かに今この場より大きな場っていうのはなかなか無いだろうけどさ。なにせ三国のお偉い方が揃ってる。

 

「ね、姉様っ!? 急になにをそんなっ!」

「急じゃないわよ? 前から思ってたことだもの。ね、一刀?」

「本当なの!? 一刀!」

「そこで俺に振るなよ! 俺だって宴の時に聞いたばっかりだぞ!?」

「はぁ……やれやれ……」

 

 どうやら呉で知らなかったのは蓮華と小蓮だけらしい。

 冥琳や祭さんは当然のこと、明命や亞莎は平然とその言葉を聞いていた。慌てているのが蓮華と小蓮だけなら、なんとなく予想もつくってもんだ。

 溜め息ひとつ、やれやれと口にした冥琳が場を鎮めると、覇王の前での家督の引継ぎが行われた。どうやらこの場でそれを伝える、という話は他の国のみんなにも通してあったようで、とんとん拍子に進む行事に喉を鳴らしつつ、南海覇王が雪蓮の手から蓮華の手にしっかりと渡されると……ようやく家督を受け渡すという場に立っているという実感が沸いて、今さらになって息が詰まっている自分に気がついた。

 

「しっかりね、蓮華。なにも私のように国を纏めようとする必要はないわ。あなたはあなたが思う呉というものを追いなさい」

「私が思う……呉……?」

「そう。母様でも私でもない、孫仲謀が思う孫呉というものを目指しなさい。あ、でも出来れば“誰もが笑っていられる呉”っていうのは外さないでほしいわね」

「むっ……姉様は、私が民の笑みを奪うとでも?」

「あははっ、それは蓮華の頑張り次第でしょ? うん。いい? 蓮華。私はあなたに期待をしない。けど、失敗したって失望もしない。あなたがこれから作る呉を見ながら、勝手に生きていくわ」

「……今までとそう変わらない気がするのは、私の気の所為でしょうか」

「うぐっ……な、なかなかひどいこと言うわね……」

 

 ごめん雪蓮、俺も同じこと考えてた。

 けど雪蓮は笑い、俺が自分でそうするように蓮華の胸をノックした。

 そして言う。「覚悟はここで決めちゃいなさいな」と。

 それに対し、蓮華はすぅ……と息を吸い、吐くと、キッと表情を引き締め、強く強く南海覇王を握り締めた。

 そんな光景の隅、呉の将側ではなく魏の将側に立っている思春は、どこか“見届けた”といった風情でゆっくりと目を伏せ、長い長い息を吐いていた。

 

「というわけで華琳ー♪ 勝手に生きていく第一歩として一刀ちょーだい?」

「あげないわよ」

 

 ……だというのに、そんな空気をぶち破る発言と、それを即答で却下する華琳。

 いろいろと台無しだよ……。温かく穏やかな顔で、ホゥ……とやさしく吐かれた思春の溜め息が、ムハァアア……と一瞬にして重苦しい溜め息に変わる瞬間、見ちゃったじゃないか……。

 

「なによー、どうせ支柱にするんだからいつ貰ったって構わないでしょー?」

「場を弁えろと言っているのよ。確かに絆を深めるために一刀を中心に置くことは認めたけれど、あげるなんて一言も言っていないわ」

「……ま、華琳の性格を考えるとそうでしょうけどね。ちぇー、あげるって一言でも言えば奪っていけたのに」

 

 言いつつも蓮華の前からつかつかとこちらに歩いてきて、俺の前に立って“にこー”と笑う雪蓮さん。……あの、なんだかとっても嫌な予感が───

 

「というわけで一刀っ、勝負よ勝負っ」

「なんで!?」

 

 ───して当然だった!

 あぁもう本当に戦うことしか頭に───ハッ!? ま、待て……? 呉っていう背負うものが無くなった→自由奔放→いつでも暇→……戦闘狂全力解放!?

 なんということか! 家督を持たない雪蓮って、酒が好きな華雄って感じじゃないか!

 あ、でも華雄は仕事はきちんとこなすよな。うん、これは間違いない。

 いやあの……今さらだけどさ、家督を蓮華に譲るのって、ただ自由人を増やすだけだったんじゃあなかろうか……。

 

「あ、の……雪蓮? キミ、家督を継がせるのはいいけど、その後の予定とかは───」

「? ……ああ、一刀の子を産むのもいいわねー」

「国に帰らせていただきま───離せぇえええ!!」

「ちょっと、女相手にそれはひどいわよ一刀っ!」

 

 キリッと顔と気を引き締めて歩き出したところで襟首を引っ掴まれた。

 ええ、逃げ出す作戦は当然の如く失敗に終わったさ。

 

「あ、あのなぁ雪蓮……俺はみんなとは友達のつもりで接してきたし、今でもその意識は変わらないんだよ。確かにさ、これからどうなっていくかなんてことは誰にもわからないよ。でも考えてもみてくれ、支柱になって早々にそういうことになるのは───っていうかまだ支柱になってないだろ俺!」

「あれ? そうだったっけ? それじゃあ華琳」

「ええ。……この場に集う皆に問う。この北郷一刀を同盟の証とし、無二の存在として認識するとともに、天などに二度と帰さぬようにせんことを誓えるか。誓えるのなら黙し、誓えぬのなら挙手をなさい」

「え、な、えぇえ!? 今この場で訊くのか!?」

 

 これって言い方を変えれば“俺がどれだけ好かれてるか、どれだけ嫌われてるか”を今ここで示しなさいって言っているようなもんじゃないか!

 こ、怖い! 見るのが怖い!

 ……でももしかしたらとか考えてる自分が少し恥ずかしい。

 なので目を瞑っていると、

 

「……誓えないのは桂花だけね。まあいいわ、いつものことだもの」

『華琳(さま)!?』

 

 閉じた状態から一気に目を見開き、叫んだ俺と桂花の声が重なった。

 途端に桂花にキッと睨まれるが、それどころじゃない。

 

「今さらな確認かもしれないけど、みんな本当にそれでいいのか!? 桂花はまあ当然としても、まさかみんな納得してくれるなんて……!」

「え……? お兄さん、もしかして嫌なの?」

「やっ……そりゃあ嫌じゃないぞ!? むしろ“自分に出来ること”が出来て嬉しいくらいだし! ……え、えーと……案外たくさんの人が反対するんじゃないかなって思ってたから、もう……どう反応したらいいかわからなくて」

 

 え? これ夢? 頬を抓ってみても痛いけど、いやそもそも痛覚で夢かどうかを確認するのって正解なのか? “嫌なの?”と訊ねてきた桃香が俺の前まで来て心配そうに見上げてくるけど、なんというか頭の整理が追いつかない。

 

「桃香、これって夢?」

「? えと、夢じゃない……と思うけど」

「そ、そか。夢じゃないか」

 

 …………。

 みんなの視線が俺に集中する。

 そんな中で頭の中の整理だけに意識を集中させようとしていると、桂花が華琳にお待ちくださいと反対意見を述べるが───近くに来るように命じられ、喉をツツッと撫でられただけでオチた。桂花……キミはもう少し強くあってもいいと思うんだ、俺。

 

「それで、どうなの一刀。反対する者は僅かに一人。あとはあなた次第ということになったのだけれど?」

「───……」

 

 しっかりと考える。

 華琳の目を見ながら、ひとつひとつ纏めて。

 覚悟も決めたつもりだったし、たとえ反対されても少しずつ認めてもらおうと思っていたことだ。同盟の支柱なんて大役が自分に務まるのかを考えてみたところで、こればっかりはやってみなければ結論なんて出せやしない。

 それに、ここで断ればみんなからの信頼を裏切ることにもなる。

 

(……って、だから違うだろ)

 

 みんなを理由に覚悟を決めるわけにはいかない。

 いつか、もし、上手くいかずに誰かを傷つけたとしても、誰かの所為にして逃げるのではなく、きちんと自分の覚悟が足りなかったのだと戒めるために───自分で考えて自分で決めろ、北郷一刀。

 お前はどうしたい?

 お前はどうしたかった?

 ただ漠然と“この世界”に居る理由が欲しかったから、支柱になろうと思ったのか?

 それともそういったものになることで得られるなにかが目当てだったのか?

 

「………」

 

 違うよな。

 そうだったこともあるかもしれないけど、今は違う。そう結論付けて、心配そうに見上げる桃香を見下ろし、じっとその目を見つめてから笑った。

 どんな理由があろうと自分で決めて、自分の意思で何かを為す。どちらが国に貢献出来るかという約束があるからという理由もあるだろう。それら全部をひっくるめて、自分が自分として誰かの役に立ち、“あなたが居て助かった”と言われる瞬間を夢見た自分を思い出せ。

 

「……天が御遣い、北郷一刀。俺は三国を繋ぐ手となり、伸ばしても届かないものを繋ぐ絆となり、我が身がこの地に立つ限り、同盟の礎となることを───自らの言葉を以って、今ここに誓います」

 

 言葉を、ノックとともに覚悟として胸に刻んだ。

 そしてその言葉に対し、華琳が頷き……「結構。その言葉を受け入れ、覇王の名の下に認めましょう」と言った瞬間。玉座の間は喜びの声で満ち、将の何人かが走ってきて、あ、お、おわぁああーっ!?

 

「ちょっ! ちょ待おぶおはぁっ!?」

「よくわからないけどこれでお兄ちゃんは蜀のものでもあるのだーっ!!」

 

 鈴々が飛び込んできた。ええ、鳩尾にエドモ○ド本田ばりの超頭突きが激突しました。

 しかもそれに対抗するようにぶつかってきた季衣が鈴々を押し退けて、しかし鈴々が譲らなくて片手ずつを引っ張られ始めて───ってぎゃだぁーっだだだだぁーっ!?

 

「はぁあああなぁああせぇえ~っ!! 兄ちゃんは僕の兄ちゃんだぁあ~っ!!」

「そんなの知らないのだ! たった今、鈴々のお兄ちゃんになったのだ!」

「い、いやはっ……!? あ、あのっ!? ふたっ、二人ともっ!? 腕っ! 腕がギリリミチミチって! 痛い痛い痛い痛いって!」

 

 前略おじいさま! 支柱になった途端に生命の危機なのですがどうすれば!?

 このままだと腕が抜けるか体が真っ二つに裂けるかっ……あ、あの? シャオさん? どうして腰に抱きつくんでしょうか? あのっ!? どうして引っ張り始めるんですか!? いやっ! べつにこれ三国対抗北郷引き裂きバトルとかじゃないんだぞ!? 無理に参加しなくていっ───いやぁあああああだだだだだだ!!

 

「こりゃー! なにをしておるのじゃ! 主様はっ、主様は妾のものなのじゃー!」

「え゛っ……み、美羽……!? どうして腰に抱きついて……!?」

「はぁ~なぁ~すぅ~のぉ~じゃぁあ~っ!!」

「あいぃいいいいいいいいーっ!?」

 

 シャオとは逆に、背中側から腰に抱きついた美羽が、渡すものかと引っ張って痛い痛い痛い! 待った待った! 四方から引っ張られる子争いなんて聞いたことも……痛ぁあーたたたたっ!! ちちち千切れるーっ! 大岡越前助けてぇええーっ!!

 みんな!? なんでそんな微笑ましいものを見る目で見てるの!? いやいや紫苑!? あらあらうふふじゃないってば! 華雄!? なんで腕まくりみたいな仕草しながらこっち来てるの!? いやいやいやいや春蘭!? 対抗するように出て来なくていいから! 愛紗、鈴々を止めて! 流琉、季衣をなんとかしてくれ! 蓮華っ……れん……蓮華さん!? 南海覇王持ったままキリッとした顔で天井見てないで、シャオを剥がしてくれると大変助かるんですが!? 七乃っ、美羽をなん、と……か……って───ちょっ……なんで桂花の隣で黒い笑み浮かべてるの!?

 嫌な予感しかしない! とにかくこの状況から、多少強引にでも脱出して───!

 

「ふっ! ぬっ! くっ! ウオォオオオオオーッ!! …………ふぅ」

 

 やり遂げた漢の顔で笑みを浮かべ、結論を出した。……力で勝てるわけなかった。

 しかし力を抜けば関節とか外れそうなので、そういった抵抗は一切やめない。

 氣を両腕に力を込めてみたところで、左手は季衣、右手は鈴々。しかも両手対片手ではそもそも力勝負にさえなるはずもなく。なんだかもう、絶望的状況に涙するしかありませんでした。

 だが死中に活あり! 身動きが取れないなら舌戦で打ち勝ってみせよう!

 

「季衣、鈴々っ、痛いから手を放───、……へ?」

 

 両手を塞がれ、腰に抱きつかれているために踏ん張らねばならず、足さえ封じられている状況の中。ふと……ふわりと首にかかるやさしい重さと、さわりと肌を撫でる柔らかな感触。

 まるで陽に当たり、風に梳かされた猫の毛に撫でられたような感触に、ふと……辛さの中に暖かさを感じゴリッ。……ゴリ? あれ? これって前にも痛ァアアアーッ!?

 

「兄、兄ぃいい~っ♪ これで兄はみぃたちのものにゃーっ♪」

「やめてやめて耳はやめてぇええええっ!! 痛い上に時々くすぐったくて力が抜けた途端に関節が外れそうになっていだだだだ助けてぇええええええっ!!」

 

 ……美以だった。

 首に抱きつかれて、耳をがぶりと噛まれました。

 そうこうしているうちに華雄が俺の右腕を、春蘭が左腕をがっしと掴み、その様子を見てふむと頷いた星が焔耶に耳打ちをして、途端に焔耶がズカズカと近寄ってきて「そうだな……危機を救うのは友の役目だ!」なんて言って俺の襟首を掴んで強引に引っ張ってゴエェエエ!? つ、強っ! 腕力強っ! 喉っ! 喉が絞まっ……腕がっ! 腰がっ! 喉がぁああっ!! たたたたたたすけてぇえええーっ!!

 

 

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……玉座の間は、かつてない賑わいを見せていた。

 その中心に居るのは私でも他国の王でもなく……一刀だった。

 

「華琳さま……よろしいのですか?」

「好きに騒がせておきなさい。騒げるのは仲の良い証拠でしょう?」

「は……その前に北郷が壊れなければ、ですが」

「問題ないわ。同盟の証、無二の存在として認めさせたばかりだというのに、途端にその証を壊すような同盟ならば、その時点で話にもならないわよ。それより秋蘭? 都を造ることに関しての民の声は届いているかしら?」

「現状では問題ありません。北郷自身が各国で民のために動いていたこともあり、期待の声もあるようです」

「……そう」

 

 小さく笑みがこぼれた。

 苦笑めいたそれは、けれど素直な笑みだと自覚出来るもの。

 本当に、あの男は私を退屈させない。いや、退屈させてくれないと言っていいだろう。

 問題を引っ張り込むこともあるが、大抵のことは多少の助力でなんとかしてしまう。

 人の能力的なもので一番怖く、最も頼りになるものは人脈だと誰かが言ったが、一刀は知らぬ間にそういったものを築いている。たとえば目で確認出来る民ならば私でも誰でも救うことが出来るだろう。しかし一刀はそれ以外の民も、その民の傍まで歩み、手を差し伸べる。

 私には……恐らくそんなことまでは出来はしない。

 桃香ならやるでしょうけど、私は……。

 

(そういった意味では、本当に一刀と桃香は似ているのでしょうね)

 

 ちらりと桃香に目を向ける。

 四方八方から引っ張られる一刀をなんとか救おうとしていたが、次の瞬間には騒ぎに巻き込まれて目を回していた。それに、ようやく天井から視線を戻した蓮華が気づいて駆け寄るが、結果はそう変わりはしなかった。

 

「……構わないわよ、行ってきなさい。一刀を救うという名目でなら、思う存分動けるでしょう?」

「!!」

 

 そんな光景をのんびりと眺めながら、傍に居た思春へと声をかける。

 まるで言葉にこそ強く弾かれたように疾駆した彼女は人垣に躊躇なく突撃し、迷うことなく蓮華と一刀を救い出すと、律儀にもこちらへと戻ってきた。

 

「し、思春? あなた……」

「っ───! ご、呉王となられた蓮華さまを小脇に抱えるなど、とんだご無礼を───! いかなる刑罰でも受ける所存で───!」

「げほっ! ごっほっ……! い、いや……首掴んで引っ張り出されるよりは……げほごほげっほごほっ! い、いいんじゃないか、なぁ……!!」

 

 小脇に抱えた蓮華と、首根っこを掴んで無理矢理運んだ一刀を下ろした思春が一歩下がり、頭を下げる。けれどそれは困る。蓮華はもちろんそんなことを許可などしないでしょうけど、そう簡単に命を粗末にされるのは好ましくない。

 

「思春? 勝手に死なれては、こちらの立場がないのだけれど?」

「はぁ……華琳の言う通りだ、思春。自力で抜け出せない状況で助けられたのだから、救い方がどうという小さいことで罰するなど、逆に恥ずべき行為だ。感謝はしても、罰など与えられるはずがない」

「蓮華さま……」

 

 それはもっともだ。

 ただ思うことがあるとするなら、あそこで目を回している桃香も助けてあげられれば満点だったのでしょうということくらい。その桃香も今、愛紗に助けられたようだけど。

 

「はぁ、はぁ、~……はぁああ……! ん……それで? これからどうするんだ?」

 

 玉座に座りながら頬杖をついていた私に、玉座前の段差に座った一刀が言う。

 賑やかな皆を見ながらの言葉だったけれど、それが私に向けた言葉だということがすぐにわかる。不思議なことに、すぐ近くに居る蓮華も思春も自分が言われたとは思っていないようで、一刀に向き直ることもせずに話し合っていた。

 

「? 華琳?」

 

 言葉を返さない私に座ったまま向き直る。

 急に視線がぶつかったことで、勝手に跳ねる鼓動に多少の苛立ちを感じながら、咳払いをひとつして見つめ返した。

 ……まったく、目が合ったくらいでいちいち弾むな。自分の体だというのに、どうしてこれはいつもいつも私の邪魔をするのか。

 

「ん、んんっ……それで、どう一刀。上手くやっていけそうなのかしら?」

 

 いつも通りのつもりで声をかけるが、一刀は目をぱちくりと瞬かせたのちに苦笑。

 人のことを笑ったことを後悔させてくれようかと立ち上がろうとした瞬間、一刀は笑顔で頷いた。

 そして言う。

 

「珍しいな、質問に質問で返すなんて。んん、そうだな……上手く、っていうか……うん。今の自分ならってみんなが頷いてくれたなら、今のまま成長できればなって思う。無理に上手くやろうとするんじゃなくてさ、えーっと……自分に出来るやり方で一人一人が力を合わせて……ん、んん……なんて言えばいいんだろ。あ、もちろん向上心はあるし、本当に“ずっと今のままで”だなんて思ってないぞ? あ、あー……何が言いたいのかというと、だな……えー……おー……」

 

 何が恥ずかしいのか、頬を掻きながら視線を動かす。

 私はそんな一刀の顔をじぃ……と見つめながら、続けて放たれるであろう言葉を待った。一刀はそんな私の反応に誤魔化しなんて通用しないと観念したのか、長い長い溜め息を吐いてから言葉を放った。

 

「自分に出来ることを、精一杯にやっていくよ。一人一人がそうやってやっていけたら、いつかみんなの理想がぎっしり詰まった未来が作れると思うんだ。そのための支柱に自分がなれたなら、こんなに嬉しいことはないよなっ」

 

 とびきりの笑顔とでも喩えればいいのか。

 私にだって滅多に見せないような笑顔で、彼は笑った。

 そんな笑顔に、またこの胸は跳ねてしまう。

 表情では平静を装ってはみるが、釣られるように笑んでしまうのは癪だった。癪だったから視線を外し、俯こうとした瞬間───

 

「な、華琳。いい国に、いい同盟にしような。死んでいったみんなが、あっちで笑ってられるくらいにさっ」

「───ぁぅ……」

 

 ───笑顔ではなく、やさしさに満ちた微笑が私に向けられ、私は黙した。

 いつもならば返すべき言葉が頭の中に流れてくるというのに、この時ばかりは頭の中が停止したかのように何も口に出せなかった。

 

「………」

 

 いつか、麗羽と一人の女を奪い合ったことがあった。

 この感覚は、あの時のものによく似ているようで、その実……今現在のほうが、思いが強くてどうにかなってしまいそうだった。

 それは独占欲とでも呼べばいいのか。

 三国連合の同盟の証として呈した一刀。(私の所有物)

 それが、他国の者でも手を伸ばせば届く位置に立ってしまったことに、若干の寂しさと……“あれは私のものだ”という思いが、最初はじわりと。しかし段々と色濃く込み上げてきた。

 

(……はぁ。しっかりなさい、曹孟徳)

 

 目を伏せ、一度だけ自分に怒鳴りつける。

 もちろん声に出して怒鳴るわけにもいかないから、心の中でだ。

 すると心は落ち着きを示すようにうるさいくらいだった鼓動を抑え、穏やかなものへと変わった。

 

(……本当に)

 

 本当に困ったものだ。

 自分を楽しませてくれるのが一刀ならば、自分にこんな思いをさせるのも一刀なのだ。

 そんな事実に改めて気づくと、そんな状況に自分が居るのが可笑しく、楽しませもするし悩ませてくれる張本人を目の前にくすくすと笑った。彼は逆に笑顔をぽかんとした顔に変えていたけれど、私が笑うのを見ると、もう一度やさしい笑顔になって笑っていた。

 

(いい国にしよう……ね)

 

 なるに決まっているじゃない。

 こんなばかな支柱を中心に、それぞれの国が今目指せる夢を目指して笑顔でいられているのなら、届かない道理などまるでないのだから。

 心の中で笑い飛ばして、直後に季衣と鈴々に引っ張られて段差の下まで連れていかれる彼を見送った。

 

「馬鹿ね。当然でしょう? 今でさえ私が、こんなふうに笑ってしまえるような国を、“いい国ではない”なんて……誰にだって言わせないわよ」

 

 なんて、小さな悪態をつきながら。




 先日、中華料理店に行くなんて珍しいきっかけがありまして、行ってまいりました。
 いえね、ラーメン屋とかはいっぱいあるんですけど、案外中華料理屋ってないんですよ、近所に。
 そこへ仕事の関係で行くことになりまして、仕事関係のお歴々が飲めや食えやをしている中、僕はアルコールを飲まずに食事に舌鼓を打っておりました。食事中は静かに食べたい型の人間なので、黙々と。
 うんウマイ、なんてゴロちゃんを思い浮かべながら食べてました。

 異世界居酒屋のぶの所為といったらアレですが、こういう店のトリアエズナマが無性に飲みたい凍傷ですが、半端に遠い店だったので車で来ていた僕が飲めるはずもなく。(雨でした)
 水とかウーロン茶とかちびちび飲みつつ、3~4時間をかけてようやくお開きムードになりそうな時、メニューの端に“ごま団子”を発見。
 酒の匂いと料理の匂いと周囲のやかましさにぐったりしていた僕の頭がシャキィンと覚醒しました。

  亞莎! マア亞莎! あなたが亞莎!

 もちろん思い出したのは亞莎。こりゃあ食べる一択でしょう。
 早速注文をしてみれば、それから結構時間が経過してから届けられたごま団子。
 写真と違ってだらしなくでろーんとしているのかなぁ、なんて思っていたら、丸の形を保ったまま。ごまがびっしりとくっついた、予想通りではなく思い描いていたごま団子がそこにありました。これがもう地味に嬉しかった。

 いざ、と見下ろしてみれば、ごまの香りが湯気とともにふわりと揺れて、いやあもう「あ、これ絶対美味しい」って食べる前から思ったのなんて久しぶりでした。
 いざ実食してみれば、ざくりとした歯ごたえと、もっちりとした中身、ぷちぷちと弾けるごまの粒たち。熱すぎて一口で餡のところまでいけませんでしたが、もう口の中がごまの香りでいっぱい。
 ごま好きの凍傷、大歓喜です。
 ぱらぱらと落ちてしまうゴマたちに、すまぬ! 落としてしまって済まぬー! と心で謝りつつ、とうとう餡にまで到達。
 餡は普通の餡子ではなく、黒ゴマ餡だったらしく、さらに口内に広がるごまの香り。アツアツの餡っていうのがまた、湯気と一緒に香りをこれでもかってくらい出してくれるわけで、もう幸せ。
 無意識にニヤニヤ顔でごま団子を食っていたらしく、仕事仲間様方から随分とつつかれました。押忍、ご馳走様でした。

 そんなごま団子初体験記録。


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67:三国連合/あなたらしく①

113/浮き足を地につけて、ゆっくりと

 

 三国の会合。

 初日から大騒ぎになったその日から、はや三日が経った昼。

 他国に来たということで妙に燥いでいた元気っ子たちがようやく落ち着きを取り戻す頃、俺はあまり変わり映えのしない書簡整理の日々に追われていた。

 仕事が増えたといえば増えたのだが、覚えることが増えたというだけだ。いや、これが“だけ”と言ってしまうのも問題なくらいの量なのだが……。

 

(はぁ……)

 

 出る溜め息も自然のものとして受け入れるくらいに繰り返し、やっぱりするのは書類整理だ。やってもやっても片付かないところは、平和な証拠なのか自分が平和ではない証拠なのか。

 

(……ん)

 

 悪い報せが一切ないのは平和と受け取っていいんだろうなと受け取って、お茶を一口すすったのちに書類整理を続行した。

 

「おぅれぇ~い! おぅれ~い! す・ぎ・け・ん・さっんっばーっ!」

 

 どうしてか部屋の真ん中にて、大声で、そしてノリノリで歌う美羽を横目に。

 

「お上手ですお嬢様っ! その、人の集中力を掻き乱すとわかりきった大声で歌うところなんてもう最高ですっ!」

「うははははーっ! そうであろそうであろっ、もっと褒めてたもーっ♪」

 

 原因は七乃だ。

 わかりきっていることだった。

 あの日───七乃と久しぶりの再会を果たした美羽は、それはもう燥いだ。

 七乃もそんな燥ぎ様を全力で後押しするもんだから、その興奮はあっという間に臨界点を超え……今ではこの有様だ。

 前までの、元気ではあったが無茶はしすぎない美羽はどこへやら───

 

「美羽。少し声を抑えような」

「おおっ、わかったのじゃ」

「!?」

 

 ───なんてことはなく。

 軽く注意をしてみれば、素直にこくりと頷いてくれた。

 それに対する七乃の動揺は凄まじく、その目が俺を睨むわけだ。

 “よもや私が居ないのをいいことに、お嬢様をあの手この手で……!”とばかりに。というか……うん、実際初めてこんな感じで注意した時に言われた。真正面から言われた。一切の遠慮もなしに言われた。つまりこの反応は初めてってわけでもないのだが、七乃にとってはそれだけ衝撃的な事実らしい。

 

「だ、だめですよぅお嬢様っ、ここは元気にっ、ねっ?」

「妾は主様には迷惑をかけんと決めておるのじゃ。いくら七乃の言葉といえど、それは聞けぬ」

「───!! おっ……おじょっ……お嬢様が……!」

 

 七乃の目を真っ直ぐに見て言う言葉に、七乃が驚愕という言葉を顔に貼り付けた様子で後退った。それはまるで、かつてない状況に怯えているかのようで……───そりゃそうか、蜀で会っていろいろと話を聞いていた限りでは、随分と……まあその、関係の偏りはあったものの、仲良くやっていたみたいだし。

 だっていうのに突然“自分よりも俺を信じる”みたいなことを言われれば……なぁ。

 

「従順なお嬢様も……これはこれで……」

 

 ───なんてことはなく(再)。

 七乃は怯えにも似た表情を上気したうっとり顔に変え、ふるりと震えたのちに美羽を抱き締めた。

 乙女心は未だに勉強中の俺だが、彼女の物事に対する反応はしばらく想像の域を脱しまくるんじゃないかと……小さく苦笑しながら思った。

 

「ということで一刀さぁん?」

「……な、なにかな?」

 

 と、ここで七乃が俺を怪しい目でぬめりと睨んでくる。

 獲物を逃がさぬ狩人の目と言えば聞こえはいいんだろうが……ギロリとも違う、擬音であらわせば“ぬめり”が一番しっくり来るような、嫌な目だ。

 動揺するな、睨まれる覚えもなければ、そもそも“自分の代わりにお嬢様を”と言ったのは七乃だ。まあ……そういうことも関係無しに行動した自分は居なかったのかといえば嘘になるが。

 そういう考えは無しにして、まずはお茶を───ってちょっと待った。こういう状況でお茶を飲むと、次の瞬間に七乃が爆弾発言をして……

 

「お嬢様をおいしくいただいたのなら、かつてのお話通りに次は私を───」

「………ウワーイヤッパリー」

 

 飲まなくてよかった。多少の心の準備をしておいてよかった。

 軽く頭痛がするのを感じながらも深呼吸して、霊性……もとい、冷静に対処を開始。

 

「えっとな、おいしくいただくっていうのがどういう意味なのか───」

「それはもちろん組み敷いて、あはぁんといただいてしまったという意味で」

「断じて無いっ! いただいてないっ!」

「えっ───あれだけの時間をお嬢様と一緒の部屋で過ごし、お嬢様と同じ寝台で寝ていたにも関わらず、あの魏の種馬一刀さんが一切……!?」

「あ……あのなぁ、いくら───って額に手ぇ当てても熱なんてないから!! 蜀でだって誰にも手を出さなかった前例ってものも少しは判断材料に入れてくれよ!!」

「実はあの頃から信用を得るために前準備を───!」

「するかぁっ!!」

 

 確かに魏のみんなに手を出したって前科はあるし、それは事実で認めるところだけど、だからって誰にでも手を出す男とか思われるのは心外だっていうのに……! そ、そりゃあもう魏だけのものって存在じゃなくなったぞ? けどそれを理由に手当たり次第にとか思われるのはやっぱり心外だ。

 そういうことはそう、自然の流れでするものであって、華雄が言ったように“支柱になったからって抱く権利が得られるわけじゃない”のだから。

 

「………」

「……な、なに?」

 

 思わず脱力しそうになる思考の最中、机越しに俺の目を真っ直ぐに見て、身を乗り出して顔を近づける七乃が。

 

「では一刀さんは、お嬢様には一切手を出していないと? どんな理由があろうと指一本出していないと?」

「あ、ああもちろ───…………」

 

 んだ、と続けようとした俺の頭の中に、少女の頭に落ちた拳骨が思い返された。

 

「いや、その。別の意味でなら手は出したな……うん」

「………」

「その“やっぱり”って顔なにっ!? 言っておくけど、いやらしいことは一切していないぞ!? 俺はただっ!」

「わかってますよぅ、一刀さんにとっては女の一人を食べるくらい、もはやいやらしいことでもなんでもないという」

「ことじゃないからっ!! あ、あーその……さ。前に美羽が危険な目に遭ってさ。その時にこう、手を出しちゃってさ」

「さっ……、さすが、です……! よもや危機的状況でお嬢様に欲情するなんて───!」

「人の話を聞こうな!? 欲情とかじゃなくて、拳骨しちゃったんだよ!」

 

 もうやだこの人! 基本的に俺をエロエロ魔人としてしか見てないよ!

 

「あー、そうなんですかー。お嬢様があまりにも従順なものだから、てっきりもっとすごいことをやらかしたものかと」

「“やらかしたこと”前提で考えるのをまずやめません?」

「お断りしますっ♪」

「………」

 

 前のように指をピンと立て、可愛らしい笑顔で言われた。

 七乃って、よーするに人をからかっていられたらそれでいいって性格なんだろうなぁ。

 

「まあその話は二度と話題に出ないように記憶の底に埋めておくとしまして、とうとう一刀さんは三国の支柱になったわけですが───……べつにしていることは変わりませんね」

「ん。強いて言うなら筆記仕事が増えたってくらいかな。なんでも三国の中心に都を作って、そこの管理を俺に任せるそうでさ。その前準備として、いろいろと覚えてもらうことがあるんだってさ」

「へー、そうなんですか」

「あんまり関心なさそうだね」

「はい。正直に言うとどうでもいいですね」

「その補佐役が七乃になりそうだって聞いても?」

「───…………え?」

 

 突然の事実にぴしりと固まる七乃。

 自分をおそるおそる指差して、きょとんとしているところへコクリと頷いてやると、随分と驚いてみせてくれた。

 

「いえいえいえいえっ! 私ごときが都の補佐だなんてっ! お嬢様を補佐するならまだしも、一刀さんを補佐していたらいつ誰に闇討ちされるかっ!」

「俺何者!? そんなことにはならないし、そもそもこれは華琳が決めたことなんだよ!」

「またまたっ、そんな嘘をっ」

「嘘じゃないって! え~っと……ほらっ、この書簡っ!」

 

 今回の計画についてを簡単に書き連ねた華琳の書簡。

 今朝渡されたばかりのものをズイと差し出すと、七乃は困った様子のままに受け取り、そこに書かれている文字を(あらた)めた。

 

「あのー……なぜ私に……?」

「たった一言、“暇そうだから”だって」

「……桃香さまのところで頑張って仕事していたんですけどねー……」

「その能力も認めているからこそだとも言ってたな。あ、ちなみにこの言葉は、“七乃がそう言うのを確認してから口にすること”って言われてた」

「先読みの達人ですかあの人は……。知り合ってから随分と経ちますけど、あの人の考えることは未だに理解で追いつくことが難しいですねー……」

「う……ちょっと同感」

 

 急に予想もしないことを言い出したりする状況は、まさにその一言に付す。

 とはいえ事実は事実で、実際にこうして先読みしてみせたんだから笑えない。

 いつか予言とかしそうで怖いよ。結構前に出会った占い師も凌駕しそうだ。

 

(……相手が言う言葉を予想してみせるのも予言っていうのかな)

 

 ちょっとだけ意味が違うか? ん、まあいい。

 とりあえずは仕事を片付けよう。

 

「ところで一刀さんがしているそれ、なんです?」

「ん? ああ、警備隊のことと、日本酒に関することについての華琳への報告、あとは都の管理をするために必要な知識もろもろと……」

「随分ありますね」

「はは……多少記憶力がついたってこともあって、前よりは役立ってるって証拠……だといいなぁ。未だに状況に困ると、同じことでも相談する癖は直ってないし」

 

 不安になるから何度でも打ち明けるといえば聞こえはいい……よくもないか? ともあれ、似たようなことで相談するのは出来るだけ減らしていきたいとは思っているのだが、思うだけでは上手くいかないもので。体の鍛錬もいいけど、頭のほうももっと成長させないとなぁ……。

 

「主様は最近、いつも忙しそうなのじゃ。もそっと息を抜いたらどうかの」

「そうしたいとは思うんだけどさ、困ったことに仕事を回されるのが嫌じゃなくなってきてるんだよな。もちろん休めるのは嬉しいぞ? サボリたい~と思うのは今でも同じだし。ただこう……きちんと役立ってるんだなって思うと、困ったことにやめられないんだ、これが」

 

 一年間をこの世界に焦がれる中で、自分は随分変わったんだろう。

 前の自分だったらボランティアがどうとかも、思ったとしても実行したかどうか。困っている人は見過ごせないものの、視界に納めてみなければ本当に困っているのかもわからない。それを理由に手を伸ばしもしなかったかもしれない。

 

「でも無理は禁物ですよー? ということで遊んじゃいましょうっ」

「それ、自分が遊びたいだけだろ」

「いえいえそんな。一刀さんが遊ぶと決めれば、たとえサボって遊んでいたとしても全て一刀さんの所為に出来るなんて」

「……思ってたんだね」

「思っちゃってました」

 

 輝く笑顔が眩しかった。

 なので遠慮なく補佐に関する書類を掻き集めると七乃に突き出し、こちらもにっこり笑顔で「じゃあこれ確認しておいて」と返した。

 対する七乃は笑顔を曇らせつつそれを受け取って、俺の寝台に腰掛けると、その横にちょこんと座った美羽とともに書類に目を通していった。

 

「はぁあ……蜀から解放されて、ようやくこれで自由だと思ったんですけどねー……」

「あっと。その言葉にも伝言。“野垂れ死にしたいのなら、いつでも出ていってもらっても構わないわよ”だそうだ」

「……あの。それって非道じゃないですか?」

「こらこら、衣食住を約束する対価として働かせることの何が非道なの。休みもあるし風呂にだって入れる。美羽とだって一緒に居られるし、七乃にとってはいいことづくめじゃないか?」

「あ…………そう考えると、確かに悪くないですかね」

「むしろ恵まれてるほうだよ」

 

 “この時代では”。そう続けようとしてやめた。

 実際、職にありつけていない人はまだまだ居る。

 仕事が必要だから開拓を続けて、開拓を続けるから仕事が増えて、仕事が増えるから作られる場所が増えていく。

 その連鎖を考えると、天の時代があんなにごみごみしている理由も頷ける気がした。

 1800年あたりでそこまでしか広がらなかったことを安心するべきなのか、1800であそこまで広がってしまったことを嘆くべきなのか。

 人が増えれば建物が増える。仕事も増える。増え切った先になにがあるのかといえば……正直、あまり考えたくない。

 学生やってる時はそんな難しいことを考えず、ただ漠然とした自分の将来を思っていた。

 

  “自分が進む道にはなにがあるのか”

 

 どうせ“なんとか”なるだろう───その“なんとか”がわからず、結局は流れるままに任せるしかなかったのだ。だって、“なるようにしかならない”と言っている人ばかりだから。

 この時代の人のように、“自分の手で”と考える人の方が少ないんだ、仕方ない。

 その点で言えば、俺は自分を変えられるほどの貴重な体験をしてこれた。

 人の生き死にはもちろん、自分の手で立とうとする人の強さや意思の眩しさ、厳しさの中に見えるやさしさや……人を心から愛するという気持ち。焦がれる辛さまでもを知った。

 どうせ“なんとか”なるだろう。

 そのなんとかを自分で決められる人は、まだ幸せなんだということも。

 

(決めてもらった道に文句の無い人も、まあ幸せ……なのかな)

 

 楽しんでいられるだけ幸せ、だな。

 自分で決めたことでも楽しめない人なんてごろごろ居る。

 そういった意味では自分は恵まれている方なのだ。

 死を見たし吐きもしたし泣きもした。けど、なかったことになんかしたくないのだ、仕方ない。そう思うってことは、無くしたくないと思うほどに、今日まで経験した全てを捨てたくないってことなんだから。

 時々過去に戻ってやり直したいと思うこともあるにはあるけど、今の俺がそれを望むのは贅沢ってものだと自覚している。

 

(現在の自分のまま、自分が変わるくらいの体験をするのと……過去。子供の自分に戻って人生をやり直すのと、どっちがいいんだろうな)

 

 過去の自分に戻れたとして、それまでの自分の記憶が無いという条件下ならば間違いなく前者。けれど記憶も持っていけるのだとしたら、それは───断言しよう。そんな風に考えてしまうヤツが、“自分の些細な行動”のひとつひとつで変わってゆく世界に順応出来るわけがない。

 きっとまた同じくらい成長した先で、あそこでああしていたらと後悔するのだ。

 困ったことに、それが人間ってものだから。

 この世界に来て、様々な人の動きを見て、その上で出たものといえばそんな答えばかり。自分たち───1800年先の自分たちは、随分と贅沢だという答えばかりに行き着いた。

 

「……よし、っと」

 

 だからといって自分はそうならないように、なんてことは考えないようにしたい。無理に気を張ると、ろくなことにならないことも同時に学んでしまったからだ。

 よーするにそう簡単には上手くいかないように出来ているのだ、この世の中ってやつは。……そう、それこそ1800年も前から。

 上手くやろうだなんて思わないこと。自分に出来ることを確実にこなして、そこから少しずつ自分に出来ることを増やしていく。一気に多くを望むのは、今の自分には荷が重過ぎる。

 だっていうのに支柱になることを望んだんだから、こうして必要な書類に目を通すことに戸惑いなんて感じちゃいけないのだ。───まあその、い、息抜きはもちろん必要だけど。

 自分に甘い思考にやれやれと苦笑をもらしつつ、椅子を軽く引きながら大きく体を伸ばした。それを終了の合図と受け取ったのか、七乃の隣に座っていた美羽がシュバッと顔を持ち上げ、タトトッと駆け寄ってくる。

 

「終わったのかのっ」

「ん、一通りは。あとは確認して、華琳に届けるだけだな」

「一刀さんはもうちょっと効率よく動いたほうがいいと思いますよ? だから仕事の無い日に書簡整理なんてしなくてはいけないことになるんです」

「仕事の時間に人の部屋に侵入してあーだこーだ質問しまくって仕事の邪魔した奴の言う言葉かそれが」

「……よく息が続きますねー」

「これくらい誰でも続くって」

 

 はぁっと溜め息を吐いて、もう一度伸びをしてから確認を始める。

 その途中、美羽が回り込んで俺の脚の間にちょこんと座ると、確認の真似事を始めた。

 せっかくだから声に出しながら確認をしていると、美羽もそれを真似る。こんなことがここ最近では珍しくなかった。

 

「声に出しながら読むと、脳に刺激が行く……でしたっけ?」

「一応。せっかくだし」

「? うむ、せっかくだしの」

 

 よくわかっていない様子の美羽の頭を軽く撫で、くすぐったそうに、しかし抵抗せずにそのまま読み続ける彼女とともに、平和な時を過ごす。ひとつが終わればまたひとつ。声に出しているからか、おかしな部分は七乃が待ったをかけてくれて、そこをきちんと調べてから修正をする。

 そんなことを何分か続けていると、いつしか俺と七乃は顔を見合わせて苦笑していた。

 補佐がどうのこうのと言っていたんだが、これが案外悪くないのだ。

 

「そうですねー、一刀さんも悪い人ではないですし、補佐も案外楽しいかもしれません」

「その確認と、いただいちゃってください発言が前後する理由がわからない」

 

 脱力と苦笑を混ぜた言葉に、七乃はくすりと笑うだけだった。

 ……さて、そうこうしているうちに見直しも終わって、晴れて自由の身。

 これからどうしようかなんて考えは浮かばず、今こそデザートを作り直す時!

 

「さってとー、これから、んおっと? 美羽? どうした?」

「……! ……!」

「うあ……」

 

 立ち上がろうとした俺の服の袖を、脚の間に座った美羽が掴む。

 空を仰ぐように俺を見上げるその顔は、輝きでいっぱいだった。

 一言で言うなら“遊んでたも”という言葉で埋め尽くされていた。

 

「あー……よ、よーし美羽っ! これから邑に牛乳を取りに行こう! いつか喧嘩しちゃったときのことを上書きするために、楽しい材料集めだーっ!」

「むむ? …………おおっ! それは名案じゃのっ!」

「よぅしそうと決まれば今から───」

 

 邑へゴーだ! ってところで、七乃が自分の頬に人差し指の腹を当てて、

 

「あのー、材料なら明後日にでも届けられると聞いてますけど?」

 

 ……そう仰った。うん、そうなんだけどさ。

 華琳には誘えと言われてる手前、出来れば今日中に入手して今日中に作りたいのだ。

 そもそも華琳が作った物流ルートなんだから、華琳が忘れてるはずもないんだけど……誘えと言うのなら誘わなきゃ怒りそうだし、それに華琳と一緒に行動するのは久しぶ───……あ。

 

「……? どうしたのじゃ、主様」

 

 俺を見上げる美羽を見下ろし、しばらく停止した。

 ……ごめん華琳、一人か二人増えることを、どうか許してほしい。

 一応そのために、機嫌を直してもらうための献上物でも用意しておこうか。

 流琉、手が空いてるといいんだけど。



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67:三国連合/あなたらしく②

 ぶっすぅうう……!!

 

「……………」

「あ、あのー……華琳さん? そんなに不機嫌そうな顔するとほら、馬も怯えて……」

 

 本日快晴。

 俺一人で華琳を誘いに彼女の部屋まで行って、仕事中の彼女を誘い出せたまではよかった。「随分来るのに時間がかかったわね」と言いつつ、何処か楽しげだった彼女を見た時は、きっといい日になると確信したものさ。

 だというのに馬屋で待っていた美羽と七乃を見た瞬間、彼女の不機嫌度は飛び跳ねた。

 今は無言で俺が走らせている馬に跨っている。ちなみに俺の前にすっぽりと。

 美羽は七乃が駆る馬に跨り、なんだかご機嫌だ。

 

「一刀? たしかに私も、あなたと二人きりでと言った覚えはないわよ。ええ、それはね。けれど、だからってこれはどうかと思うのよ」

「イ、イエアノー……これはそう、三国の交流のための……さ、ほら」

「……そう言えば納得出来るとでも思っているのかしら? そもそも美羽も七乃も三国に下ったのだから、今更交流がどうのと言っても仕方のないことでしょう」

「じゃあ今からでも他の誰かを連れ痛ァアーッ!?」

 

 (もも)を抓られた!

 いきなりなにをと言おうとした途端、抓られたことで跳ねた体に、華琳の体が深く沈む。

 

「………」

「………」

 

 そうされることで数瞬、胸が高鳴るんだが……不思議と、華琳から発せられる怒気が少しずつ減少していくのと同時に、俺の鼓動も落ち着きを取り戻して……それが当然って気分になってくる。息を吐いても吸っても心地よく、なんというかくすぐったかった。

 この身を三国のためにと誓ったが、やっぱり魏のみんなを一番に考えてしまう頭は、そうそう切り替えられるものじゃない。華琳と二人きりになりたいと思うことなんてほぼだし、そうならないように意識を周囲に向ければ仕事にも集中出来なくなって、そっちはくすぐったいっていうよりはもどかしかった。

 

『………』

 

 意識したわけでもなく、二人の呼吸が重なる。

 吸って吐いてをするだけのことなのに、そんな些細が心をひどく落ち着かせた。

 

(……一刀のことばかりをとやかく言えないわね。所有物だと謳うならば、もっと深く構えなさい、曹孟徳)

「ん? ごめん、聞こえなかった。もう一回いいか?」

「……なんでもないわ。ただ、少し自分を戒めただけよ」

「? そっか」

 

 まるで寝息のように吐かれた呟きが俺に届くことはなく、華琳は俺を見ることもなく一層に寄りかかってきて、長く長く息を吐くと目を閉じた。

 抱き締めたくなる思いをなんとか押し込めながら、今はただ、この温かい重みとやさしいくすぐったさを胸に感じながら、ゆっくりのんびりと邑を目指した。

 

……。

 

 村に辿り着く前に聞こえた牛の鳴き声に導かれるように、馬を繋いで歩いてゆく。

 辿り着いたそこには独特の香りと、笑顔で作業をする飼い主の彼。

 

「おやっさん」

「へ? あ、これは御遣い様。今日は牛の様子を見に?」

 

 穏やかな笑顔で迎えてくれた彼は、牛乳は明後日に許昌に届くことになっていることを知っているために、見学目的かと思っているらしい。それに笑顔で返しながら、事情があって牛乳が欲しくなったことを伝える。

 

「そうですか。しかし牛も人手もそう多いものでもないので、それだけの量を揃えるのは難しいですね」

「だよね……」

 

 元々そういう話だったと聞く。

 華琳が作ったルートにここの牛乳が含まれてはいるが、いっぺんに用意出来ないからこそ間を空けての納品となっている。

 それを今くれ、というのは明後日の納品にも支障が出るというもので。

 

「構わないわ。今日取れた分は今日いただいていく。明日も明後日も来るから、納品はしなくて結構よ」

「え? あの……」

 

 俺の横で飼育環境を調べていたらしい華琳が、視線をおやっさんに戻して言うのだが、おやっさんはどうやら曹孟徳の名前は知っていても顔は知らないようだった。

 名前で王であると認識している人は居ても、実際は顔も知らないって人は結構居る。

 天……日本でだってそういう人も居るくらいだ。子供なんかは特に。

 この世界ではテレビも無ければニュースも無い。

 こんな人だと噂を耳にする程度で、会うことも見ることもなく一生を終える人だって居るのだろう。

 

「おやっさん、この人は───」

「このお方は魏の象徴、曹孟徳さまですー♪」

「あ」

 

 順を追って、驚かせないように説明しようとした横で、にこりと笑って人指し指を立てた七乃が仰ってしまった───途端に笑顔が固まり、サーッと青くなるおやっさん。

 

「もももももっ、ももも孟徳様!? こ、これはっ、ようこそいらっしゃいましたでございます!!」

「おやっさん落ち着いて! なんか言葉がヘンになってる! 七乃もっ! 人の反応を見るために王の姓字を口にしないっ!」

「いえいえ、私はこの方が誰なのかを知ってもらって、迂闊なことを口にしないようにと注意を促しただけですから」

「う……」

 

 それは確かにそうだ……迂闊なことを口にしてしまえば、あとで事実を知ったら相当にきまずいし、ヘタなことを言ってしまえば罰さえ有り得る。地味に正論なために続く注意文句が出て来やしない。

 でもひとつだけ。

 

「……そういうところに頭働かせるよりも、もっと別の方向に向けような……」

 

 それだけ。

 七乃は、「でしたら一刀さんをからかうことに、この知識の全てを使いましょうか?」なんてことを笑顔で返してくださった。……ああ、「勘弁してください」って言うしかなかったよ。

 

「で、でででは今すぐに用意しますのでっ!」

「ってあぁああおやっさんおやっさん! そんな慌てないでっ! よかったら俺にも手伝わせて!」

「え───」

 

 おやっさんが俺の言葉を聞くや、慌てて駆け出した足を止めてゆっくりと振り向く。

 そんな視線を受け止めながら、「ちょっと……」と少し不機嫌そうに言う華琳に向き直って笑顔で伝える。

 

「乳搾り、やってみないか?」

 

 と。

 

……。

 

 提案しておいてなんだが、今俺は大変貴重な場面に立ち会っているんだと確信する。

 元々は美羽にやらせてあげようと思っていたことなんだが───

 

「ん……む……こうかしら?」

「ああ。親指と人差し指で付け根の部分を握って……あ、強くしすぎないようにね」

「わ、わかっているわよっ」

 

 華琳の隣に屈んで、まずは数回絞ってみせる。

 そう……現在、華琳が───あの曹孟徳さまが牛の乳搾りをなさっておられる。

 そんな様子を隣で見て、珍しく緊張している様子にこう……顔が自然と笑顔になるというか。いや、緊張しているのを楽しんでるとかそういうのじゃあ断じてない。

 ただこう、自然な顔の華琳を見られるのが嬉しいんだ。

 

「なかなか難しいわね……というかこれしか出ないの?」

「そ。これを何度も、何百回も繰り返して、あの量が採れるんだ」

「………」

 

 華琳がどこか感心した顔で頷いた。

 俺も子供の頃は、あれだけ大きいんだから牛乳も一気にいっぱい出るんだろうな、なんて妙なことを考えていたもんだ。

 それが、子供の頃に体験した乳搾りでは少量ずつ。しかも何度も何度もやらなきゃいけないから、随分と苦労したのを覚えている。それでもそのあとに飲んだ牛乳が美味しくて、それまでの苦労なんて綺麗さっぱり忘れてしまったんだから、今思い返しても“子供だったなぁ”って苦笑してしまうわけで。

 

「……これ、兵たちの握力強化に使えないかしら」

「いや……こういう時くらいは仕事を忘れてもいいと思うんだけど」

 

 真面目な顔でふむと頷き直す華琳は、見ていて少し……す、少しだけだぞ? その、可愛いかった。直に伝えたら蹴られそうだから言わないけど。

 

「それで、一刀? あの“なまくりーむ”というのは、具体的にどうすれば手に入るのかしら?」

「へ? あ、ああ、生クリームな。絞ってれば出るよ。というか、乳と一緒に出てるようなものなんだ。量が溜まってくれば自然に分離してくるから、それを採る。他の方法としては温めてやることとかがあるけど、まあそれも殺菌の段階で取れるから」

 

 乳搾りをしながら、その過程を自分の知識の範疇で伝えてゆく。

 その一方では七乃が美羽と一緒に乳搾りをしており、「面倒だから直接飲むのじゃ」と言い出す美羽を、七乃が慌てて止めていたりもした。七乃もあれで、からかったり驚かされたりでバランス取れてるからこそ美羽の傍に居るのかも。

 

「んっ、んっ……」

「………」

 

 民の行動を知るためにと、華琳は熱心に乳絞りをしている。

 俺もその隣で絞って、容器に乳を溜めていくのだが……地味といえば地味だ。ただ、そういう作業の上でああいった乳製品が食べれることを、もっとよく知るべきだ。そう思うからこそ、華琳も愚痴もこぼさずに続けているんだろう。

 そうして、民を知ろうとする姿に自然と笑んでしまう自分自身が少しおかしく感じる。非道な王にならぬようにと言ったのは華琳自身だし、こうするのはむしろ当然だというのに、そんな行為が嬉しいのだ。

 だからか、“最初に会った頃の華琳だったらどうしていただろう”と無粋なことを考えてしまう。今のように熱心に乳搾りをしただろうか。それとも効率性を優先させて、誰かにやらせて自分は別のことをと見向きもしなかっただろうか。

 

「主様主様っ、妾にも教えてたもっ!」

「っと、美羽? 七乃とやってたんじゃないのか?」

 

 思考にふけっていたところに美羽が割り込んできた。

 割り込んだという言葉が示す通りに華琳と俺の間を割って入るように。

 そんな彼女を慌てずに受け止めると同時に質問をするのだが、「七乃もわからんというのじゃ」とあっさりと返された。

 いや……おやっさんがちゃんと説明してくれたじゃん……。

 ちらりと七乃を見れば、おやっさんに教わりながら乳搾りをしている。

 あーなんだ、つまり上手く絞れなかったから“直接飲む”なんて行動に出たわけか。

 

「よし、じゃあ美羽はこっちに来てくれ。やり方を教えるから」

「うむっ」

 

 言ってみれば笑顔で応答。

 元気に頷いた美羽は、右隣の華琳とは逆の左隣に屈んで、目をキラッキラ輝かせながら“どうするのじゃ? どうするのじゃっ?”と訴えかけてきた。

 ……どうするもなにも、おやっさんが教えてくれた通りにやれば出るはずなんだけどな。

 

「いいか? まずはこの付け根を親指と人差し指で掴む」

「むむ……こうかの?」

「そうそう、輪を作るように。乳が逆流しないようにするため少し強く押さえたら、次は残りの三本……中指、薬指、小指の順に握るようにして乳を搾り出す」

「むむむー……てやっ! …………出ぬのじゃ」

「ははは、美羽、小指からになってるぞ。ほら、こうやってゆっくりでもいいから」

 

 美羽の手に自分の手を重ねて、ゆっくりと圧迫する。

 すると乳が勢いよく飛び出し、ぶつかるように容器に小さな水溜りを作った。

 

「おおっ、出たのじゃっ」

「よし。あとは今の感覚で、親指と人差し指で輪を作るところから始めて、それを繰り返すんだ。それを何度もやって、溜めていく」

「うむうむっ、こんなものは覚えてしまえばどうということはないのっ、妾にどーんと任せるのじゃ~っ♪」

 

 座りながらムンと胸を張った美羽───だったが、仰け反りすぎてぽてりと倒れた。

 ……おお、実に頼りない。

 けれどやる気は十分のようで、顔を赤らめながらも起き上がると、早速搾乳作業に入った……途端に七乃が満面の笑みでやってきて、

 

「お嬢様お嬢様っ、やり方を完全に把握したのでこちら───で……」

 

 と、途中までは元気に言葉を放ったのだが……俺の横で楽しそうに乳絞りをする美羽を見て、少しずつその勢いを殺すのと同時にゴギギギギ……とゆっくりと首を動かし、俺を睨んだ。冷たい笑顔で。

 ……あれ? なんで睨まれるんだ? 俺はただ、美羽が教えてたもと言ってきたから教えただけで……待とう!? あまりに理不尽だ! ああいやいや、それなら俺が華琳の右隣に屈んで、ここに七乃が来れば《がしぃっ!》…………立ち上がろうとしたら美羽に捕まった。さらに言えば、華琳までもが“そこに居なさい”とばかりに睨んでいる。

 

「………」

 

 否! ぶっ……武士道とは死ぬことと見つけたり!

 支柱になることを自ら望んだなら、一方に偏った考えは出来るだけ無くす!

 

「み、美羽、ほらっ、七乃がもっと上手な絞り方を教えてもらったそうだから、ちょっと教わってみたらどうだ? ───っ! ───っ!」

「───! そ、そうですよお嬢様っ、今私が匠の乳絞りを見せて差し上げますから~」

 

 喋りながら七乃に目配せをして、上手く乗ってくれるように頼む。

 即座に反応を示した七乃はあくまで自然な動作で俺の傍までを歩き、俺もあくまで自然な動作で服を掴む美羽の手をするりと緩め、離れる。

 

(……あれ?)

 

 そうしてからハッと気づくんだが、これで華琳の右隣に座ったら、結局華琳に偏ってるってことにならないか?

 

(…………か、華雄さん……偏らないって、物凄く大変なことですね……)

 

 偏り……偏りか。

 こういう場合、他の誰かだったらどうするんだろうか。

 平均的に上手く付き合っていく? それとも偏ったままでも構わないって、そのまま突き進む?

 

(たとえば及川なら……………………)

 

 少し考えて、やめた。女子からの人気はあるものの、特定の彼女が居ないのがあいつだ。

 女子の話題を出せば、いつもいつも別の女子の名前があがる不思議な男。

 

(少しどっしり構えてみればいいのにな───あれ?)

 

 それって俺のことか?

 

(………)

 

 そうかも。

 ヘンに意識して構えて、支柱になるならこうでなきゃいけないって考えすぎだ。

 もっと自分を客観的に見る癖、つけないと。

 誰かを見た時にそれは見苦しいだろうって思えるような生き様は、出来るだけしないように。

 

(……見苦しくても貫かなきゃならない芯だけは、捨てるつもりも変えるつもりもないけど)

 

 小さく頭を掻いてから、両手で両の頬を叩いて気合を入れた。

 それから結局華琳の右隣に屈むと、美羽に教えるのに夢中な七乃を眺めつつ、華琳に話を振る。

 

「華琳はさ、王になることで不安になることとかって、やっぱりいっぱいあったのか?」

「………」

 

 華琳は無言だ。

 けれど牛乳が容器を打つ音が消え、そちらに俺の視線が向かい、戻した時には目を閉じ、大きく息を吸い、吐いていた。

 そして言うのだ。恐らく、俺が想像している次の言葉、そのまんまのことを。

 

「なに? 今更支柱という役割が重くなってきた?」

 

 ……予想通り。

 だがその言葉に対する返事を、俺はじっくり考えてから返す。

 答えなんて既に出ているのに、それを何度も何度も自分に問いかけながら。

 “お前はそれでいいのか?”と心が自分の頭に訴えるのを、いつも笑って返す。

 “それがこの国に返すことになるのなら”と。

 自分を殺しているわけじゃない。

 国に返すということは自分のためでもあるし、自分で決めて自分で目指した、ある意味での“俺の夢”なんだ。あの日、俺に剣を向けて訊ねてきた雪蓮に発してから始まりだした、俺がこの世界で生きていく意味。

 御遣いとしてでもあり、北郷一刀としてこの世界に立ち、目指していける“俺に出来る何か”がそれなのだと信じている。

 この世界の様々に感謝して、その先で“俺が居て助かった”と誰かが言ってくれるのなら、きっとそれだけで俺は嬉しくてたまらなくなるのだろうから。

 だから言う。安心してほしいという意味も込めて、ゆっくりと、確かに。

 

「いや。自分で決めたことだし、重いっていうよりは浮き足立ってる」

 

 安心って言葉には遠い返事だったけど、華琳はどうしてかそんな返事にこそ安心するように息を吐く。そして言うのだ。やっぱり、どれだけ何をしても一刀は一刀ねと。

 ……いまいち自信が持てない自分で申し訳ない。

 

「やらなきゃいけないことはわかってるんだけど、どこから取りかかっていいかがわからない。いや、それもわかってるんだけど、迷うっていうか」

「漠然としすぎているわね」

「そうなんだよ……まさにそれなんだ」

 

 漠然としている。

 やらなきゃいけないことは今のところ、華琳に出された資料や知らなきゃいけないことを纏めて、頭の中に叩き込むこと。……あ、あとそれを実践出来るようになることか。それをやればいいだけという、道が無いよりは進み易い場所に立ってはいる───ものの、やっぱり浮き足立っているのだ。

 警備隊を任された時も妙に張り切った記憶があるが、今回はその比じゃない。

 

「悩むことはないわ。あなたはあなたらしく在ればいい」

「ん……それって、深く考えるなってことか?」

「一刀。ついさっき、“王になった時の不安”がどうとかと訊いたわよね?」

「ああ」

「私一人が自分が王だとどれだけ言おうと、国というものはなにも変わらないのよ。ここの主人が、王の名を知っていても私と言う姿を知らなかったようにね。国という場所があって、そこで生きる民が居て、それらからの信頼があって、ようやく王という存在が認められる。ならば支柱はどうかしら? 建物がない支柱に、存在の意味がある?」

「………」

 

 建物のない支柱? 支柱っていうものが俺として、じゃあ建物は……国?

 いや、この場合は───そっか。

 自分が王だとどれだけ言おうが国は変わらない。民が居てこそ王となり、民と王が生きてこその国がある。つまり建物っていうのは王であり民であり……現状で言うなら、そこに将も兵も含まれる。

 

「俺が支柱がどうだとか言って悩まなくても、国は動いてるってことか」

「そういうことよ。そしてわたしたちがあなたに望む支柱の在り方は、“無理にそうなろうとして作られたもの”などでは断じてないわ。北郷一刀という、お人好しの馬鹿でないと務まらないものなのよ」

「華琳さん、いいこと言いながらひどい言葉を混ぜるの、やめません?」

 

 事実すぎて反論出来ないのは確かだし、する気も湧いてこないからそれはそれでいいんだろうけどさ。

 そうだよな。

 支柱だからって一人で背負う必要はないんだし、支えるものがあるからこそ“支柱”っていうんだ。建物が支柱と、その周囲とで出来ているのなら、それは国も同じだ。それを理解した上で、自分らしくあればいい。

 

「………」

「一刀?」

 

 何もない宙を仰いでしばらく思考。そのさなか、隣の華琳が黙った俺へと声を投げかけると、苦笑しながら牛へと視線を戻した。

 

「いやさ、この世界に降りてからこれまで、いったいどれだけのことを学んで、どれだけのことをこれから学ぶんだろうなって」

 

 学ぶことが多すぎる。悩むことも多すぎる。当たり前だ。現代ほど人が進める道が確立されているわけじゃない。

 刃物を向けられる恐怖から始まって、女性の強さを知って、真名の怖さを知り、目の前の女性のことを知り。仕事の在り方で怒られて、些細なことでも何度も怒られて。その度に知って、学んで、それでも全然足りなくて。

 お陰で頭の中は学ぼうと努力することを覚えてはくれたが、他人のことでなら懸命になれるくせに、自分のこととなると諦めるのが早い自分は……たぶん様々なものを直しきれていないのだと思う。

 そんな自分が国の支柱になるのだという。

 振り返るように思い返してみれば、可笑しくて笑ってしまう。

 ───なのに、この気持ちに嘘はないのだから、そんな笑いも中途半端に消えるのだ。

 

「どれだけでも、何度だって学べばいいわよ。その理解の数だけ、国に返せるのだから」

「…………うん」

 

 そうだよな、華琳の言う通りだ。

 知れば知っただけ、この世界のことを理解出来る。

 理解出来ればどうすればいいのかももっともっと判断出来て、それが国のために繋がる。

 そういう需要と供給で出来ているから、俺達は信頼し合える。

 ……蜀で桃香とそういう話をしたっていうのに、まったく俺ってやつは。

 まあその、言い訳するなら、ちょっと前まで“こんなもんだ”っていろいろ諦めてた一介の学生に、都っていう場所を任せるなんて言われりゃ悩むよ?

 “やる! 俺に全部任せてくれ!”なんて言える人のほうが凄いんだ。

 しかもだ。周囲に自分より凄い人がたくさん居る状況があるっていうんだから、そっちに任せたくなる気持ちも汲んでほしい。

 

「ん、よしっ、少しすっきりした。ありがとな、華琳」

「感謝の気持ちがあるのなら、それは結果で表しなさい」

「了解」

 

 意識しないようにしていても、やっぱり自分は少し切羽詰った状況にあったのだろう。今は肩の荷が下りたみたいにすっきりとした考えが出来て、そんな状態で考えるこれからが楽しみですらあった。

 そんな気持ちを表すように元気に乳搾りに参加して、言葉少なくだけど不快な気持ちも空気もないままに乳搾りを続けた。

 途中で七乃に絞り方を教えてもらった美羽が、得意げに「主様には妾が教えてあげるのじゃ」と言ってきたりもして、苦笑しながらも教えてもらいながら。

 そうやって黙々と絞り続けて、一定量溜まった牛乳をおやっさんのもとへ。きちんと話を通して、代金と引き換えに今まで溜めておいてくれた牛乳も合わせて受け取ると、感謝を伝えつつ帰り支度。

 

「案外あっさりと終わったわね」

「時間にしてみれば随分と経ってるだろうけどね」

「……そうね。初めてだったから早く感じたのでしょうけれど、慣れてしまった時のことを考えると楽ではないわね」

「ん」

 

 幾つかに分けて、結構な量の牛乳を馬に背負わせる。

 馬が嫌そうな顔でこっちを見た気がするが、ごめん、少しの間だけ我慢してくれ。

 さてと、それじゃあそろそろ帰───って七乃と美羽が居ない。

 きょろりと見渡してみれば、穏やか笑顔のおやっさんに出来たて牛乳を受け取った美羽が、腰に手を当ててごっふごっふと飲んでいた。

 

「な、七乃ー? 美羽ー? もう戻るぞー?」

「あ、ちょっと待ってくださいねー。ほ、ほらお嬢様っ、もう帰るそうですからっ」

「ぷあはーっ、美味いのじゃーっ! 蜂蜜水以外にも、斯様に美味なる飲み物があったとはのっ! 聞いたことはあったが、これは今まで飲まなかったことを惜しむべき味なのじゃ。よい牛を育てておるの、褒めてつかわすのじゃっ」

「ふふっ、これはこれは……ありがとうございます」

 

 おやっさんは牛を褒められたことで今までで一番のいい笑顔で微笑んで、一方の美羽は口周りを牛乳で真っ白に染め上げながら、上機嫌で笑い返していた。

 喜んで貰えたなら、それでいいのか……な? と、とにかく今は少し時間が惜しい。

 流琉に頼んでおいたあれも出来る頃だろうし、出来れば出来たてがいい。

 

「一刀?」

「ごめん、ちょっと急ぎの用事があるんだ。出来れば急いで帰りたい」

「………」

「あからさまに不服そうな顔で睨まないでください。これは華琳に関係があることなんだ」

「……? 私に?」

 

 怪訝そうな顔をする華琳をよそに、戻ってきた美羽と七乃が馬に乗る。

 ……美羽の口周りが真っ白なままなのは、ツッコまないほうがいいのかな、七乃サン。そんな視線を送ってみると、キラキラ輝く瞳で“もちろんじゃないですかっ”と返された。もちろん言葉もない、アイコンタクトで。

 それに気づいた華琳がなんとはなしに美羽を見た途端、肩を弾かせて顔を逸らした。

 既に馬に乗っていた俺の脚の間に跨った彼女が、どうして俺の胸に顔を埋めて震えだしたのかは……ええとその、訊いてやらないほうがいいのだと思う。

 

「? ……よくわからぬが……のう主様?」

「ん? どうした?」

「これで、前の時の嫌な空気は少しは拭えたかの」

「───……ああ。もちろん」

 

 彼女も彼女で気にしてはいたのだろう。

 忘れないためにとは言っても、拳骨された後悔をずっと覚えているのは辛いことだ。

 それでも彼女は笑顔で「うむっ!」と頷き、七乃とともに嬉しそうに燥いでいた。口周りを真っ白にしたまま。

 辛い思い出だけを教訓にするのって、やっぱり苦しい。

 そこにきちんと温かさを混ぜる方法を、美羽は知っていたのだろう。

 ……ほんと、学ぶことが多い世界だ。

 説教した相手に教わることなんていくらでもある。

 自分もそうであるつもりであっても、ふとした時に忘れる考え方なんていっぱいある。

 そういったものを忘れないためにも、俺も……きちんと覚えておこう。

 また浮き足立って迷っても、今日という日を思い出して。

 



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67:三国連合/あなたらしく③

 ……さて。

 ひとしきり華琳が笑っ───もとい、震え、治まってしばらくした今。

 無事に許昌に戻った俺達を待っていたのは、にっこり笑顔の流琉だった。

 何故流琉が待っていたのかを考え始める華琳だったけど、すぐに俺を見て「何を企んでいるのかしら」と不敵な笑みで仰った。企むというか……まあ、企んでるか。ひとまずそんな視線には「まあまあ」と返して、流琉に訊ねるのは「出来てる?」という一言だけ。返ってきた「はい、ついさっき」という言葉を受け止めるや、ならばと急いで厨房に向かった。

 

「ちょっと一刀、なにが───」

「いいからいいからっ! えっと生クリームはこっちの容器だったな。よしっ」

 

 まだ温かいそれを振るいながら、馬を戻して厨房への道を走る。厨房に辿り着く頃にはいい具合に生クリームが水分と固体とに分かれており、それを別の容器に取り出して、そこに軽く塩を混ぜてから静かに混ぜ、十分に水分を取れば───香り良いバターの完成である。

 もうおわかりであろう……そう、流琉に頼んでおいたのはパン! これに出来たてバターを塗って食べてもらう! 地味であり、華琳にしてみれば料理とはおよそ呼べないものかもしれないが、だからこその美味がここにある!

 流琉が急いで出してくれたパンを食べやすい大きさにカット。

 そこに出来たてのバターを塗り、「さあっ!」と突き出す!!

 

「……これが企み?」

「食べてくれ!」

「あのね一刀。わたしは」

「た・べ・て・く・れ!!」

「……な、なんだというのよ……」

 

 華琳のことだ、出来たてのパンが香ばしくて美味いことくらい知っている。

 三国時代の歴史でも主食とまではいかないものの、結構食べてたっていわれてた筈だし、パンは知ってて当然だ。

 けどバターは違う筈。

 ならばこの新しい味を、少しでも新鮮なうちに!!

 

「……~……」

 

 しぶしぶといった感じにパンを受け取ると、それをさくりと食べる華琳。

 小さな口がパンを千切り、さくさくと咀嚼し───

 

「!!」

 

 仕方が無いとばかりに面倒くさそうだった目が見開かれ、頬には軽く赤みが差し、パンを見ながら固まった。……と見せかけて口は動いて、やがてコクリと嚥下。直後に俺をキッと睨み……なんだか悔しそうな顔をしてから、今度はさくさくとパンを食べてゆく。

 その反応だけで十分です。

 してやったり顔で流琉を見ると、驚きの表情をしながらも俺を見上げる彼女とハイタッチをする。

 

「兄様、これは?」

「よくぞ訊いてくれました! その名も───バター!」

 

 マーガリンではなくバター。

 出来たてのパンにはやっぱり出来たてのバター! 市販品とは違うこの味を、是非!

 ……などと心の中で宣伝していないでと。

 

「一刀、作り方を教えなさい」

「もう食べたの!?」

 

 どこかそわそわした華琳が、やっぱりちょっと悔しそうな顔で俺を睨む。

 えと……美味しかったから作り方を訊いてる……んだよな? なんで悔しそうなんだ?

 

「すごいです兄様……こんなにあっさりと華琳さまを味で納得させるなんて……」

「あ」

 

 あ、あー……つまりはそういう……こと?

 強引に突き出されてしぶしぶ食べたものが美味しかった……それが悔しかったと?

 ……華琳って結構負けず嫌いだね。

 

「美味しかったか?」

「……ええ。“あいす”にも“ぐらたん”にも驚かされたけれど、食べたことがあるものでこうまでの味の変化を見せつけられるとはね……」

「そ、そっか」

 

 恥ずかしそうに頬を染めて、しかししっかりと味を認めてくれた華琳。

 でもやっぱり素材の良さだし、“料理”とは言えない点を考えると自分で美味さを表現した気分になれない。今一歩足りないというのか、うーん……。

 いつかきちんとした料理で“美味しい”って言わせたいもんだ。

 その時もこんな、少し悔しそうな顔をしたりするのだろうか。

 

「な、なによ」

「ああいや、なんでも」

 

 想像してたら自然と頬が緩んで、そんな表情のままに華琳を見つめていた。

 よし、気を取り直して作り方だ。特に難しいこともないし、デザートを作りながらでもささっと説明しちゃおうか。流琉も興味津々で見つめてきてるし。

 

……。

 

 そんなわけで───厨房ではささやかな試食会が開かれていた。

 バターとパンの香りに誘われた食いしん坊さんを始め、勘で辿り着いたご隠居さんや、それに付き添っていた美周郎さん、そして小さな赤髪の食いしん坊さんと一緒に来た美髪公、数えればきりがないほどの方々が厨房に集い、出来た傍から一口ずつデザートを味見してゆく。

 ……ええはい、全員分作るの無理です。材料が足りない。というか生クリームの大半を華琳が取っちゃった。よっっっっっぽど、バターがお気に召したらしい。

 

「ちなみに華琳、そのバターを多めに使ってハンバーグをじっくり弱火で焼くと、かなり美味しく仕上がるぞ」

「……応用が利くのね……」

 

 で、その華琳なんだが……自分で作ったバターが入った容器を手に、おもちゃを手に入れた子供のような瞳をきらっきら輝かせていた。

 やばい、こんな華琳初めてだ。

 食のことでは多少人が変わるのは知ってたけど、ここまでなのは初めてだ。

 パンをパンのままでしか食べず、しかも今まで食べたのは硬いパンばかりだったというのだから、今回のは随分と衝撃的だったのはわかるけどさ。

 むう、でも……ちょっとだけ、その……あの。

 

「………………ハッ!」

 

 い、いやいや、撫でたくなったりなんかしてないぞ? 珍しく子供っぽい華琳をそんな、いい子いい子したいだなんて。───落ち着け俺、なんかいろいろと安心した所為か気が緩み始めてる。気をしっかり持て、おかしな気は起こすんじゃないぞ~~……!!

 そ、そう、いっそ一度無我の境地に! 欲を無くして仏の領域に達するつもりで! だだだ大体気安く頭を撫でたりしてみろ! 春蘭や桂花が黙ってないし、今のこの状況じゃあ二人きりになんてなれないし、二人きりの時でもなければそんなことは出来っこないし、出来たとしてもまたビシッと額を叩かれたりして……いやそもそも今の華琳を可愛いと感じたわけであって、二人きり時にまたこんな顔を見せてくれるとは到底思えないしあぁあああああだから煩悩消えろぉおおおっ!!

 

「ちょっとあんたっ、気色悪いから視界でうぞうぞ蠢かないで見えないところで干乾びてなさいよ!」

「今日初めて交わす言葉が“干乾びてろ”ってお前……」

 

 いつの間に居たのか、自分の煩悩に頭を抱える俺にツッコむ桂花さん。

 ああでもお陰で戻ってこれた。

 本気で落ち着け俺、煩悩もなにも、支柱になったからってそんなことが起こるわけがないじゃないか。真名も許してもらったし握手もしてきた。それは確かな信頼であり、友としての思い出な筈じゃないか。

 そうだよ、こんな煩悩を友達に向けるのが間違ってるんだ。

 

  貴方なりの甲斐性というものを見せてみなさい。

  三国を愛し、三国を受け容れ……三国に死する貴方で在りなさい。

  天が御遣い、北郷一刀。

 

 そっと、華琳に言われたことを思い返してみる。

 俺なりの甲斐性……三国を愛し、三国を受け容れ、三国に死する俺。

 あの時、華琳と絶に誓ったように、真剣に求められれば受け容れようとは思っている。もちろん、半端な気持ちでなんて無理だ。真剣に想い、受け容れ、その上で。

 その後もし、他に好きな人が出来たというのであれば、その相手を一発殴った上で託そうと思った。もちろん本気なら。政略結婚とかいいです。

 その時の俺がそんなに簡単に諦められるのかは、その時になってみないとなんとも言えないし、出来るかぎり考えもしない。

 今は……今の俺に出来ることをしていこう。

 何度も何度でも、同じ覚悟も違う覚悟も胸に刻みながら。

 

「一刀一刀~っ♪ お酒っ! お酒ないの? ねぇお酒~♪」

「……冥琳。このウワバミさん、なんとかならない?」

「無理だな」

『即答!?』

 

 そんな覚悟もどこへやら。

 どんな時でも酒を求める元呉王とともに、冥琳の即答に大変驚いた。

 

「普段からどれだけ心労かけてるんだよ……」

「べ、べつにそんなにかけてなんかないわよー! いつもいつも、そのー……」

 

 ぶちぶちと言いよどむ雪蓮の図。

 この態度だけでももう十分なんだが、てっとり早く知る方法としてお酒のことならなんでもお任せなあの人に声をかけてみることにした。

 

「祭さ~ん、雪蓮がお酒が飲みたいって~」

「なんじゃまたか。策殿よ、そう何度も飲むのは感心せんぞ」

『───』

 

 ……で。

 返った言葉に雪蓮がさわやか笑顔を見せ、そのままの表情で汗をだらだらと流した。

 そして祭さん、あなたがそれを言いますか。

 

「雪蓮……? 酒飲みも無茶振りも大概にしないと、本気で冥琳が心労死するぞ……?」

「うぐっ……だ、大丈夫よっ、だって冥琳、なんだかんだで無茶なことを自分の知識でなんとかするの、好きだしっ」

「………」

「ほんとだってば! なんでそこで胡散臭そうに見るのよもー!」

「日頃の行いの所為だろ」

「ぁぅぐっ……! ~……むうっ……!」

 

 あっさりと言葉を返すと、雪蓮は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 けど……無茶なことをなんとかするのが、か。

 じゃあ場違いだけど、ひとつだけ頼んでみようか。

 

「なぁ冥琳、ひとつだけ頼んでみたいことがあるんだけど、いいか? あ、もちろん無理だったらいいし、あくまで“頼んでみたいこと”だから」

「北郷……ああ、なんでも言ってみろ。お前には借りがある」

「いや……借りがどうとかじゃなくて、厚意で頷いてくれるとありがたいんだけどな。えと……呉のみんなと美羽───」

「無理だな」

「また即答!?」

 

 美羽の名前が出た途端に却下だった。

 呉のみんなと美羽との間のぎくしゃくをなんとか出来ないかと訊こうとしたんだけど。

 

「んー……なぁ雪蓮? 雪蓮は今でも美羽のことが嫌いか?」

「嫌いね。でもまあ……この三日の間、様子を見てたけど……随分と丸くなってて、悪い気はしないわ。一刀に従順で可愛いもんじゃない」

「そう思うんだったら───」

「でもだめ。そういうのってほら、一刀ならわかるでしょ?」

「……そりゃ、誰かに言われて許す許さないって決めるもんじゃないだろうけど」

「あ、言っておくけど袁術ちゃんに言ったところできっと同じよ? 今のあの子だったら“一刀がそう言うのなら”~とかそんな理由で話し掛けてきそうだし。それじゃあもっと許せないわ」

 

 そりゃそうだ、そんなのは俺だって嫌だ。

 

「まあこのまま気まずいのも嫌だし、避けられ続けるのもヘンに居心地悪くて嫌なのよ。だから───」

「だから?」

「袁術ちゃんから接触してきて、袁術ちゃんから謝るんだったら許すわ。決定するのはもう蓮華の役目だけど、わたしはもうべつに袁術ちゃんへの恨みとか怒りとかは無いから」

 

 そう言って、彼女は厨房の卓に肘をついた手をひらひらと揺らして笑った。

 もう恨みも怒りもないって……お、大物なのか暢気なのか……。

 でもまいった。

 俺が、雪蓮がこんなことを言ってたぞ~なんて美羽に言えば、美羽は俺に言われたからって理由で向かいそうだし……そうなったら雪蓮は許さないだろうし。

 かといってこのまま放っておいても、美羽から話しかけるなんてことがあるかどうか。

 

「……なるほど。“これ”にも精神的な成長を望むところだが、それは袁術にも言えること、ということか」

「……なるほど。たしかに“これ”には精神的に成長してもらいたいと、結構思ったことがあるけど」

「ちょ、ちょっとちょっと、二人して人のことを“これ”とか言わないでよ」

 

 困り顔で一応止めに入る雪蓮に「まあまあ」と返して、どうしたものかと考える。

 そりゃあ、美羽はきちんと……少しずつではあるが、以前の美羽よりも成長する努力をしている(……と思う)。呉でどれほどの勝手っぷりを発揮したのかまでは知らないが、知らなくても拳骨する前までの美羽がどれだけ我が侭だったのかくらいは俺にだってわかる。

 あの我が侭が人の命を左右していた時代があったっていうんだから恐ろしい。我が身がその場にあることを仮定として置いてみると、ちっとも笑えたもんじゃなかった。

 そりゃ、簡単に許せるわけもないか。

 

「……? そういえば、っと、話は変わるけど、桃香は?」

「桃香? ああ、あの子ならあそこで華琳に料理習ってるわよ」

「料理を? 桃香が……へぇ……」

 

 促されるままに視線を動かせば、デザートに夢中な将たちがごったがえす賑やかな厨房の中、釜戸に向かってお玉を手にする王と、それを見守る王が一人ずつ。

 訊けば、「蜀に居た頃から華琳に料理を教わってるのよ」だそうで───ようするに、華琳がいろいろと纏めに蜀に行ってた頃から教えてもらっているってこと……らしい。あの華琳が料理を教えるなんて……もしかして俺は、意外に珍しい光景を目にしているんじゃなかろうか。……ああ、なのに自らが味見で気絶する料理を作られちゃ、指導もしたくなるか。

 ていうか華琳さん、さっきまでそこでバター手にして目を輝かせておりませんでした?

 

「うちの蓮華にも一緒に教わったら~? って言ってみたんだけどね、あの子ったら“必要ありません”としか返さないのよ。せ~っかく料理の腕を盗んでもらって、美味しい料理をず~っと作ってもらおうっていい案、思いついたのに」

「自分で作りなさい自分で」

「北郷の言う通りだぞ、雪蓮。お前はやれば出来るんだからな」

「いや冥琳? それはちょっと」

 

 まるで親ばかのオカンみたいだー……などとは言えるはずもなく。

 続く言葉を出せない俺を、冥琳はただ不思議そうに見つめてきていた。

 

「……こほん。じゃあ、余った材料で何か適当に作るか。雪蓮、なにかリクエス……もとい、食べたいものはあるか?」

「私、またあいすがいいわ」

「太るぞ」

 

 どこまで食うんだと言う目を向けてみても、雪蓮は不敵に笑むだけだ。一口ずつって約束のアイスを一人でがつがつ食っている姿は、なるほど……確かに不敵かもしれないが。

 そんな不敵さんが目を伏せ自分の胸に片手を当て、少し踏ん反り返って仰った。

 

「食べ物ごときに負けるほど、やわな鍛え方なんてしてないわよ。だから一刀は安心して美味しいあいすを作って頂戴な。大丈夫大丈夫~♪」

 

 ……。

 届ける言葉を頭の中で検索してみた。

 ……検索件数、1。

 

「冥琳、よく見ていてくれ。天ではこういうことを言うヤツほど太るんだ」

「なるほど、よーく見ておこう」

「ちょっ……ちょっとー!」

 

 天という言葉に明らかな動揺を見せる雪蓮をそのままに、冥琳と軽く笑い合ってから釜戸へ。そこで奮闘している桃香を横目に、俺も腕をまくっ───……たら、まくった腕……ではなく、袖がちょいっと引かれた。

 何事かと振り向いてみれば、少し遠慮がちに俯き、しかしこちらはしっかりと見る蓮華。

 

「蓮華? どうかしたか?」

 

 ……ていうか蓮華もさっきまで居なかったはずなのに……この世界のみんな、気配を消すのが上手くて困る。

 ともあれ訊ねてみると、蓮華は顔を赤くしながらちらりと……桃香と華琳を見る。

 

「………」

「………」

「………………」

「………………」

 

 戻された視線が俺と重なる頃には、その瞳は期待と不安に揺れているようで。

 …………つまり、なんだろう。

 

(あれか、雪蓮には必要ないと言ったものの、やっぱり教わりたくなったから仲介を頼む……とか?)

 

 い、いやいや、それなら俺じゃない人にも頼めるだろ。じゃあ───……じゃあ。

 

「……えと。普通にしか出来ない……ぞ?」

「! あ、ああっ、それでいいっ!」

 

 間違ってたら気まずいなと思いながらも、言ってみればビンゴ。

 本当に俺に教わりたかったようで、蓮華は顔を赤くしながらも頷き返してくれた。

 

「………うあ」

 

 ごめん、アイス作るの少し遅れそうだ~……と報せようと、卓の雪蓮を見てみれば……雪蓮は楽しそうに手を振り、恐らく酒が入っているのであろう小さな猪口を傾けるとけたけたと笑った。

 ……ああ。いつか絶対にデコピンくらいかましてやろう。

 王じゃなくなった彼女なら、そんな些細をすることにももはやなんの憂いも……ない、といいなぁ。自分の思考に溜め息を吐きながら、しかし期待の視線を向ける蓮華に頼られたからには気合を入れてと意気込んだ。

 さて。せめて普通以上になれるよう、少し努力をしてみようか。

 どうせなら、華琳が教える桃香よりも、蓮華が美味しいものを作れるように───!

 

 

 

 

  …………余談だが。

 

  のちに完成した双方の料理は、一方が味付けがされてなく、一方が目を離した隙に好き勝手に味付けをするというアクシンデントが起き、双方ともに無理矢理味見役にされた雪蓮にダメ出しをくらった。

 

  もうひとつ余談ではあるが、味見役に立たされた雪蓮がお腹を壊して華佗の治療を受けることになったのは……まあ、それこそ余談。

 

 冥琳に「食べ物ごときに負けぬのではなかったの? 麒麟児殿」とからかわれたのも合わせての、内緒のお話だ。

 




今~、わぁ~たしのぉ~、ねが~ぃごとがぁ~!
かなぁ~うぅ~なぁ~らばぁ~!
……時間をください。


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68:三国連合/謎は解明されないからこそ輝くことを知った日①

114/謎というものは、解明されると案外どうということもないものだったりする例

 

 しとしとと小さな雫が見慣れた風景を打つ音を聞く。

 本日は雨天。

 昨夜から降り始めた雨によって、本日の予定は大いに狂わされ───ることもなく。

 

「よしっ、壁の補強終了! 次に行こう!」

「応!」

「………」

 

 勢いもなく、ただ静かに降り続ける雨の下、今日も警備隊という名の雑用係が街をゆく。凪と真桜と沙和には別区画に走ってもらっているため、俺と一緒に居るのは華雄と思春だった。

 どうして雨の日にこんなことをやっているのかといえば……思い返したくもないんだが、昨夜起こった騒ぎが原因だったりする。

 

 

 

 

-_-/回想

 

 カロカロと墨が乾いた竹簡を巻き、山を構築する材料としてまたひとつ積み上げる。

 本日曇天。

 朝から続く少し湿った空気は、天に居た頃の何処か懐かしい空気を思い出させてくれる。

 天に居た頃は、雨が降る度にだるく思っていたというのに、今では少し楽しみではある。

 それというのも……アスファルトは無いものの、雨が降ったあとの空気はどの世界でもそう変わらないからだ。

 澄んでいると言えばいいのか、それとも匂いが似ていると言えばいいのか。

 そりゃあこの世界ほど落ち着いた空気は無かったのかもしれないが、緑に囲まれたプレハブ小屋で目覚めた雨天の朝なんて、窓を開ければこんな匂いに包まれたもんだ。

 だからだろう。雨の日は静かに天のことを思い出す。

 晴天も晴天でいいけど、たまにはこんな日があってもいい。そう思えるのだ。

 

「よし、っと」

 

 日が落ち、暗くなり始めている今日という日の今、散々騒いだデザートパーティーを昨日という過去にして、現在は蓮華とともに勉強中。王になったばかりの彼女と支柱になったばかりの俺とで、これからのこと勉強しているわけだ。

 

「ん、んー……? 朱里、ここなんだけど」

「はい、なんでしょう」

 

 先生は朱里。

 知力100の頭脳を生かし、質問をしてみればスパッと答える小さな先生だ。

 

「ああ、これはですね。元々この邑の周りには水が豊富でして、それを知らずに居た者が苔がびっしりと生えた山の壁を掘ったのが始まりでして───」

 

 どこそこの邑では良い作物が取れる理由とか、小さな邑のことまで事細かに教えてくれる。歴史込みで。 

 

「へええ……そういうのってやっぱり調べてわかるものなのか?」

「はい。何かあった時に備えて、知っておいて損をすることなんてありませんから。魏のことや呉のことも、きちんと許可を得てから見てもいいものだけを見せてもらったりしています」

 

 ほああ……感心するほど勉強家だ。

 読書が好きで、しかも物覚えがいいからこそ出来ることなんだろうな。

 俺もこの世界の歴史を知るのは、以前は別としても今では割りと好きだったりする。好んで読もうとは思わないが、こうして必要だからとどっしり腰を下ろして読むのは嫌いじゃない。

 そもそも三国志には割りと興味があったし、その知識だけなら及川よりはあった。

 ……もっとも、“この世界の知識”とソレとでは明らかな違いがあるわけだが。

 

(男だと思ってた英傑が女で、歴史はバラバラ。死ぬ筈の人が死ななくて、今も元気に笑ってる)

 

 一言で言ってしまえば不思議な世界。

 そんな世界にあって、孫策も周瑜も失わなかった国の王をちらりと見る。

 ……熱心に勉強をしている。

 ともに学ぼうと誘われたときは驚いたけど……熱心だなぁ。

 よし、俺も負けてられないな。

 気を引き締める意味も兼ねて、少し肩をほぐしながら姿勢を正す。

 机に向かい、気持ちも新たに筆を取ると……朱里が少し遠慮がちに声をかけてきた。

 

「あ、あのですね、一刀さん」

「ん? どうかしたか? 朱里ヒィ!?」

 

 机に向けていた視線を朱里に向ける───と、そこには恥ずかしそうに、かつ遠慮がちに突き出された一冊の書物。“朱里+書物=アハンなアレ”という方程式を瞬時に構築してしまった俺は、思わず悲鳴にも似た……いや、悲鳴をあげてしまった。

 だだだ大丈夫! 朱里だからってそんな書物とは限らないだろ!? 大体、見るときは絶対に雛里も一緒にって決めてるみたいだし! な!? そうだよな、朱里!

 

「え……て、天の……知識───序?」

 

 突き出された書物にはそう書かれていた。

 「ひゃ、ひゃいっ」と返す朱里に続けて訊ねてみれば、なんでもこれは俺が学校で“基礎として教えていた知識”を纏めた……いわば教科書のようなものなのだという。試しに見せてもらえば、俺が教えるのよりもよっぽど効率のいいやり方で、基礎から応用までのことが書かれていた。

 

(じいちゃん……知力100ってすげぇ)

 

 わかり易いといっても答えがそのまま書いてあるわけでもなく、きちんと考えなきゃわからないもの。答えを知っているからこそ納得出来るわかり易さであり、つまりそのー……

 

(ふふ……儂に教えられるものなぞ、もはや何もないわ……)

 

 ……と、無駄に悟った老人っぽく言いたくなるほどの出来だった。

 普通に教科書として売れるレベルなんじゃないだろうか。

 

「ど、どどどどうでしょうかっ」

「や、どうって」

 

 それを俺に訊きますか。

 俺からしてみれば満点だってこれ。

 

「十分すぎるよ。これなら覚え易いし学びやすい」

「はわっ!? ほほほほんとですかっ!?」

「ん。むしろ売りに出してもいいくらい───……って、“序”?」

 

 “天の知識・序”……書物にはそう書かれていた。

 “序ってことは続きがあるのか?”……そう目で問うてみれば、どうしてか期待を込めた瞳を返された。まるで“それで終わりじゃないんですよねっ?”と、俺にこそ訊いているように。

 なるほど、確かに俺が学校に残した知識は小学校低学年で覚えるものばっかりだ。

 となれば、勉強熱心であればあるほど先が気になりもするんだろう。

 でもね、朱里さん。最初になにかためになることを教えられたからって、天のことならなんでも知ってるわけじゃないんだぞー……? そりゃ確かに勉強した。したけど、ほぼこの世界のためになること中心だったから、なんといえばいいか。

 学んだのは今まで手を出していなかった分野ばかりだったからなぁ。

 それらでいいなら喜んで教えられる……ん? 教え……あ、なんだ、それでいいんじゃないか。それはおかしいと感じれば、朱里や雛里、冥琳や穏、風や稟なら間違い無く言ってくれる。桂花は否定しかしないだろうから除外するとしても。

 

「じゃあ、それはおかしいって感じたら容赦なく言ってくれ。俺自身も図書館の本とか授業で習ったものだから、どこがどうおかしいのかには興味がある」

「ふぇっ? でででしゅがっ、そのっ」

「天の知識だからってなんでも正しいわけじゃないって。むしろ俺、そういう知識が否定されるところを見てみたくはある」

 

 俺が産まれた時から“それはそういうものだ”と決まっていた事柄。

 それが過去にまで遡った場所に居る人の知識で覆されるかもしれない。

 そういうのって、知識を残してくれた人には失礼かもだけど、楽しそうだ。

 

「……? 天の知識も完全ではない、ということ?」

 

 教科書に載っていた偉人の顔を思い出しながら、くすりと笑っていた俺へと言葉を放つ蓮華。考える必要もなく、完全ではない。

 

「確かに固定されて考えられてる物事が多すぎて忘れがちだけどさ。残された知識を使ってさらに考えるのが人間なら、知識を残してくれたのも同じ人間なんだよな。だから当然間違いもあるし、何度か過去の知識が新しい知識で覆された例もあるんだ」

「それは……ええ、それはどこでも一緒でしょう? 呉は歴史を重んじる場ではあるけど、冥琳や穏が否定した過去の知識なんてたくさんあるわ」

「だろうね……」

 

 あの二人が相手では、過去の偉人も形無しだ。

 それは華琳だって一緒だよな……孫子を綺麗に纏めたのも“曹操”だっていうしなぁ。

 

(孫子が成立する以前の“勝負は天運である”って意識なんて、この世界のみんなは軽々と覆しまくっていた気がするんだが……その時点で、成立させた知識なんて形無しだったのかもしれないよな……)

 

 この時代の人ってすごい。

 改めて思うこと───でもないか。ことあるごとに思い知らされてることじゃないか。

 

「確かに知識はたくさんあるんだけどさ。その知識も積み重なりすぎると、根底を覆すのが難しいんだ。えぇっと、べつに難しい理屈が必要ってことじゃなくてさ」

「えっと……知識自身ではなく、その知識を正であると思った人に理解させるのが、ですか?」

「そう、それ───って、朱里……」

「え? はわっ!? ち、違いましたかっ!?」

 

 そうじゃなくて……いきなりわかるのもどうかと思う。

 話が早くていいけどさ。

 

「いや、合ってる。そうなんだ。知識で書物に訂正を言い放つのは楽だよ。知識が無くても乱丁本を探せば誰にだって出来るし。でもそういう意味じゃなくて……」

「かつてはその書物に知識を貰い、学んだとしても、その途中で矛盾があることに気づく。そういうことでしょう? 穏が言っていたわ」

「うん」

 

 信じているものほど壊れやすい。

 ただ、間違いであることを、自分が間違ったことを学んでいたことを否定したいからこそ、それが間違いであることこそを否定する。

 最近覚えたばかりのことが間違いだと気づいて、学び直すならまだいいんだ。

 それが自分の生きる糧であり意味だった場合は、それこそ命懸けで否定に走るだろう。

 天の国……俺の時代では、命懸けでとは言わないまでも、負けず嫌いが多いから否定をし続ける。本当は間違いだってわかっているのに、そうではないと否定したがる。

 そんなのは俺だって同じで、俺がこの世界でやってきたことが無意味だ、なんて言われたら否定を続けるだろう。それが間違っているかどうかなんてのは誰にだってわからないのかもしれないが、もし間違いだなんて言われたら……

 

(……命、懸けられるのかな)

 

 胸に手を当てて訊いてみた。

 返事は、“命懸けなんて言葉はその時に使え”だった。

 そりゃそっか。

 

「一刀は……その、どう? 固定された考え方に囚われたりしていない?」

「俺? 俺は───」

 

 考えてみる。

 言った本人である蓮華も同じく考える様子を見せ、小さく頭を振る。

 俺は…………俺も、頭を振った。

 

「天とここ、行ったり来たりをしてみるとさ、いろいろと考えさせられるんだ。何が合っていて何が間違っているのか。答えは自分の中にある~なんて言葉がよく天では使われるんだけど、実際そうなんだ。答えを出すのは自分だ。散々と華琳に相談持ちかけてる俺が言えることじゃないけどさ、自分がこれだって決めて歩かなきゃ、それはただ人の所為にして生きてるだけなんだもんな」

「自分で…………、人の所為に……」

「………」

 

 言葉を探してみる。

 自分はどんなことをこの世界と天とで学び、どんな言葉を胸に刻んできたのかを。

 刻んだ覚悟の分だけ、探せる言葉がきっとあると、胸に手を当てて。

 “俺の答え”は───

 

「固定された考えももちろんある。それは譲れない俺の芯だ。固定されないものは───まだ学んでいる途中のたくさんのこと……かな」

 

 言ってしまえばまだまだヒヨッコ。

 俺がこれから生きていく中で学ぶことなんて、今の俺の中にある知識の倍を数えたって足りやしないし、これからも増えていくのだ。

 ここで“これはこうであるべきだ”なんて思わず、学べることはいくらでも学ぼう。

 ……って、そうか。だから華琳も“どれだけでも、何度だって”って。

 

(……ほんと、敵わない)

 

 “俺よりも俺のことを知っているんじゃなかろうか”とか普通に思わせる人だ。

 たまに、そんな人が自分を所有物とか言う意味を疑問に感じてしまう。

 感じてしまうだけで、好きなことには変わりがないのだから、その“たまに”がやるせなく感じることがあるわけでして。

 

(………)

 

 軽く華琳の顔を思い浮かべてみた。

 呆れる顔、訝しむ顔、怒った顔に見下す顔…………普通の顔。

 なんで普通の顔が後になってから出るのかは、恐らく目にした頻度によるのだろう。

 で、驚いた顔に照れた顔……その、痛がる顔に、………………涙した顔。

 一番最後に胸にずきりとくるのが思い浮かんだ。

 そりゃそうだ、言葉で泣かせたのなんてあれが初めてだ。

 試しにやったとはいえ、あれは罪悪感が異常だった。

 

「? か、一刀? 急に頭を振ってどうしたの?」

「い、いや、ひどい罪悪感がっ……!」

 

 正面きって覇王を泣かせたのなんて俺くらいだろう。

 あの事実は絶対に口外せず、墓まで持っていくと今誓おう。

 バレれば桂花や春蘭秋蘭に殺されるとかそういう理由ではなく、俺個人の秘密として。

 

「つ、続きしよう続きっ! あぁもう俺今すっごい勉強したいなぁーははははは!!」

「あ、あのー……一刀さん?」

 

 人間、秘密だと認識すると、妙に重いものを背負った気持ちになります。

 でもこれが重荷だとは思いたくない。なので胸をノック。

 華琳と、彼女の武器である絶に染み付いた己の血を思い、胸に刻んだ。 

 すると不思議なくらいに動揺が治まる。

 

「……ん。じゃあ朱里、授業のことで気になること、言ってみて。答えられる範囲で天の勉強のこと、教えていくから」

「はわっ、は、はいっ」

 

 治まったのなら勉強勉強。

 頭を整理して、朱里から投げ掛けられる質問に出来るだけ答えて、自分自身の勉強も進めてゆく。

 一気にいろいろな刺激が頭に叩き込まれるが、なんとか無理矢理押し込めるように。

 

(聖徳太子ってすごい)

 

 ───そんな感想も過去においやって、やがてとっぷりと夜。

 勉強も随分と進んだものの、休憩を混ぜたとはいえ少し体が強張っていた。

 そんな体をぐぅっと伸ばしてみると、硬くなっていた体が気持ちよくリラックスするのを感じる。

 

(……鍛錬したいな)

 

 結局まだお許しは出ていない。

 華琳が戻るまで禁止ってことになってたけど、じゃあ今すぐやってもいいのかといったらそういうことでもないのだ。

 そりゃあ柔軟運動くらいはやっている。氣の鍛錬だけはしっかりと。やらなきゃ身体が固まるからやっているが、やるとこう……自然と体が“いつでもこいっ!”といった感じに構えてしまうわけで。

 構えている体に“今日はやらないんだよ……”と告げても、一年を鍛錬で過ごし、この世界に戻ってからもあちこちで鍛錬付けになった体は、そんな言葉を聞きやしない。

 

(だからこう、疼くっていうか)

 

 激しい運動がしたい。

 何日か続いている、疲れを知らない日々ではこの体はもうダメなのだ。

 たまには発散してやらないと、体も心もまいってしまう。

 

(……なにか起こらないかなぁ。こう、体を動かすことが自然と許可されるようなこと)

 

 …………。

 願っても起こるものじゃないし、そもそも不謹慎だった。




 夢の国を~、探す君の名を~♪
 封神演義が再アニメ化ですって! ダンケ! ダンケ!

 いや~……前のはひどかったからなぁ。
 当時は原作(?)無視して真面目路線で突っ込むアニメが妙に多かったような。
 ハーメルンのバイオリン弾きもひどかったし。
 アニメなのに画面が動かず、音と声だけで進める場面とか、「アニメの意味ねぇ!」と純粋にツッコんだものです。
 アニメ化を喜ぶのは、その漫画や小説が好きだからであり、勝手にアレンジが加わってまったく別ものになったものを見たいからじゃないんですよね、あくまで個人的にはですけど。
 当時はそんな感じで、どうして変えちゃうのかなぁとか思っていたもんですが、成長してからのある日、俺妹のアニメを見るに到り、ああ……こんな感じで原作とは違うアニメって作られるのかなぁとか、京介氏の土下座回を見て思いました。

 成長してから裏切られたアニメは……あ、幼き日のヤシガニを屠るアニメは笑うしかなかったです。
 で、アニメですが……夢喰いメリーはアニメから入ったクチですが、原作との違いにポカンとしたクチでもあります。
 あれは是非とも原作通りに作ってほしかった。
 いい意味で裏切られたものの代表は、瀬戸の花嫁ですかね。あれは本当に楽しいアニメでした。

 え? キャベツ? 知らない子ですね。

 ちなみに、けよりなはPC版だとか移植版だとかその他もろもろ買ってプレイするほど、妙にハマったゲームでした。エ? アニメ化? シテナインジャナイデスカ?


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68:三国連合/謎は解明されないからこそ輝くことを知った日②

 少しして、蓮華も朱里も戻っていった。

 自然と自室であるそこに残された俺は、部屋の中心で小さく息を吐く。

 ちらりと見れば、バッグの上に寝かされた竹刀袋。

 うずりと心惹かれるままに近付き、それを氣の篭らぬ手で持ち上げてみれば、スッと感じる、もはや体の一部とも受け取れる心地良い重み。

 自然と顔が緩むのを感じて、「マテ、俺はどこの鍛錬マニアだ」と気を取り戻す。

 

「……た、鍛錬じゃない、鍛錬じゃない~……振るだけ、ちょっと振るだけだから~……」

 

 竹刀袋の紐を解く。

 しゅるりと緩むソレとともに頬が緩み、それに気づくや頬を引き締め、深呼吸を繰り返してから……いざ、黒檀木刀を……! あ、やばい、振るおうと思っただけで顔が緩む……! い、いざ、いざ───! と、そんな時に、扉を叩く音。

 

「はいぃいーっ!?」

 

 ───突如聞こえたノックに素っ頓狂な声を出して、自分でも驚くほどの速度で紐をキュッと結んで竹刀袋をバッグの上に! そして氣を練って足音を殺して即座に机に座ってさぁカムイン!!

 

「む? のう主様? かむいんとはなんじゃ?」

 

 おそるおそる扉を開けて入ってきたのは美羽だった。

 もう夜だし、寝に来たのだろう。

 

「い、いやっ……“どうぞ入ってくれ”って意味……だといいなぁ」

 

 それだけ焦っていた証拠なのだろうが、どうしてそんなことを言ったのかがわからない。

 焦ったために乱れた呼吸を正して、ふぅと息を吐くのと同時に氣も鎮める。

 

「美羽、もう歌の練習は終わったのか?」

「うむっ、主様にも聞いてもらいたかったのじゃ。妾の美声を」

 

 芝居がかった動作で手を振り上げ、小さく「あ~♪」と喉を震わせる。

 なるほど、いい声だ。

 

「七乃は相変わらずか」

「主様が弾ければ、ここで練習出来るのにの」

「はは……ごめんな」

 

 宴で歌を披露して以降、美羽は七乃と一緒に歌の練習をしている。

 俺の演奏では練習にならないのが第一の理由と、前に張三姉妹と話したように老人の層を狙う算段でもある。

 自分で仕事が出来れば俺の役に立てるに違いないと、美羽も俄然やる気だ。

 ……そのやる気が空回りしなければいいけど、今は中々安定しているようだ。

 

「あのけーたい、とかいうのは使えぬのかの?」

「充電の残量が少なくなったところでこの曇天だからなぁ……もうちょっと晴れてくれればまた動かせるよ」

「陽の光で動くなど、面妖なものよの……」

 

 ねだられ、はいと渡した携帯電話を手にしてシゲシゲ見つめる。

 そのうちにパカッと開き、多少のバッテリーが残っているそれをいじくる。

 あまり滅茶苦茶押すなとは言ってあるから壊されることはないとは思うが……不安だ。

 

「……のう主様?」

「ん? どうした?」

「この中に誰ぞ入っておるのじゃ」

「へ?」

 

 見せてくる画面には、及川の姿。

 ……ああ、画像BOX開いたのか。

 

「それは写真っていって、あー……絵みたいなもんだよ」

「絵じゃと!? これは絵なのか!? ほぉおお……主様はすごいの……!」

「え? いや」

 

 言いながらもカチカチと適当に触る美羽。

 それはいつか、華琳がそうしていた様子を思い出させ、俺の中から“止める”という選択肢を無くさせた。止めたほうがいいんだろうけどさ。ああもう、華琳のことになるとどうしてこう……。

 

「ひょわっ!? わ、わわわ妾じゃ! 妾がおるのじゃ!」

 

 で、適当に押しているうちに辿り着いたのか、自分の寝顔写真を見て盛大に驚いた。

 美羽は眠る自分の姿を初めて見たのか、ほおお……と食い入るよう見ている。

 ……そりゃそうか、この時代で寝てる自分を見ることなんて不可能だ。なるほどーと一人で納得しながら、興奮気味に様々な角度から自分の寝顔を見る美羽を眺める。

 楽しそうでなりよりだーと思う中、思春や華琳の寝顔は無視なのかと苦笑を漏らす。

 なにか感想があってもよさそうなのにな。

 

「主様は絵が達者なのじゃな」

「言いそびれたけど、それは絵であって絵じゃないっていうか……とりあえず描いたのは俺じゃない。その機械がやってくれるんだ」

「なんじゃとーっ!? お、おおお……! これはそんなに凄いものじゃったのか……!」

 

 小さな機械に改めて驚く美羽を微笑ましく眺めるが、それこそ改めて考えると凄いものだよな、携帯電話。当然のようにあるから興味って意識が薄れるけど、いったいどうしたらああいうものを創れるところまでいけるんだか。

 

「これがあればきっとなんでも出来るのじゃな!」

「出来ません」

「あの冷たいやつもきっと倒せるのじゃ!」

「冷たいやつ? ……あ」

 

 そういえば、結局アレの正体はわからず終いだったんだよな。

 なんなんだろうな、アレ。

 

「街は連日お祭り騒ぎ。問題を起こしてお祭りを中止にさせないためにって、みんなが注意してくれるのはいいんだけど……もしその冷たい女が街に現れたらって考えると、ちょっと笑えないよな」

「顔も見れなんだしの……」

 

 冷たい女がなんなのか。

 雨が降ったわけでもないのに冷たい体をしている……理由は外にずっと居た~とかで片付けられるんだろうけど、じゃあそこまで外に居る理由はって訊かれたら、適当な予想でしか語れない。

 大体、城にも入れる存在で夜に徘徊する人、しかも声をかけても返事もしない人なんて想像もつかな───……恋? いや待て、美羽が見つけた時にはまだ恋は到着してなかっただろ。

 じゃあ幽霊……触れたっていうしなぁ、じゃあ質量を持った霊!?

 ……少し冷静になろうな、俺。

 

「うーん……なぁ美羽」

「ほわ? なんじゃなんじゃっ? 妾に何か用かのっ」

 

 用事を向けられることが嬉しいのか、姿勢を正してまで俺に向き直る美羽さん。

 ……これがあの袁術だっていうんだから……何度見ても戸惑いを隠せない。

 っと、それよりもだ。

 

「今日、ちょっと待ち伏せしてみようと思うんだ。美羽はどうする?」

「まちぶせ? 何をじゃ?」

「もちろん、冷たい女」

「ひうっ!? ぬ、ぬぬぬ主様は正気なのかっ!? あのような得体の知れぬ者を待ち伏せるなどっ!」

「確かに得体は知れないけどさ、正体が解らないとずっと気になったままだろ? 街でも発見報告があるんだし、民の悩みの解決にも繋がる。せっかくの祭りなのに、そんな気分で騒いでちゃ気分も冷めるよ」

「うみゅううぅぅぅ……」

 

 へにょへにょとしぼんでいく。

 部屋に入った時の勢いは、既に何処にもないようだった。

 そんな美羽の頭を撫でて、大事な仕事を言い渡す。それはもちろん部屋を守ること。

 

「うみゅ……わかったのじゃ」

「いいか? 鍵をかけて、誰も入れないようにするんだぞ? で、誰かが来たらまず、合言葉は? って訊ねる」

「あ、合言葉……?」

「ああ。で、大体は答えられないか適当に答えるか、“遊んでいないで開けなさい”って怒るかのどれかだと思うから」

「…………最後が誰なのか、どうしてかわかるの……」

「はは、まあこれはまずないだろうから。合言葉の答えは……そうだな、“アフロと軍曹”……ほ、他のにしような。じゃあ……」

 

 美羽に耳を貸してと促して、そっと口にする。

 それを聞いて、こくこくと頷く美羽の顔は真剣そのものだ。

 

「う、うむ。答えられぬ者や間違った者は入れてはならぬのじゃな?」

「ああ。じゃあ、頼んだぞ?」

「うむっ! …………うむ? のう主様? よもやもう行く……のかの?」

「え? あー……」

 

 寝るにしては少しだけ早く、眠りについた人もまだ少なそうだ。とはいえ何もせずに待っているのも時間がもったいない気がする。

 仮眠を取るにしても起きれる自信が無いし、アラーム機能をつけて寝たところで、恐らく途中でバッテリー切れになる。

 

「美羽、ちょっといいか?」

「うみゅ? おお、これじゃな」

 

 美羽の手の中の携帯電話をひょいと取って見てみれば、いつの間にかバッテリーは切れていた。……アラーム作戦、する気もなかったけど却下状態。

 となれば、みんなが寝静まるあたりまでは……

 

「よし美羽、久しぶりに話でもするか」

「……怖い話は無しなのじゃ」

「もちろん。じゃあ着替えような」

「うむっ」

 

 美羽が着替えを始める中、俺は後ろを向いてこれからのことをメモに書いていく。

 とりあえず話をして美羽を寝かせて……服は制服のままでいいだろう。むしろこれじゃないと俺が不審者として見られそうだ。

 で、城を見て回ったら街にも行ってみて、と。

 

(報告があったのは街からだけで、城の中で見たのは美羽だけなんだよな)

 

 となると、街での発見例のほうが多いのだろう。

 なんだか予想がつく気もするが、だからって最初から疑うのは違う。

 現場を押さえた上で、実際にそうであったのならじっくり訊くとしよう。

 

……。

 

 ……。

 

「昔々あるところに、一人の少女が居ました」

「……? のう主様? 気になっておったのじゃがの、あるところ~とはどこじゃ?」

「天の何処かに存在すると言われる伝説の地、“アルト=コロ”だ。そこにはおじいさんやおばあさんはおろか、童話の元となる様々な人々が存在していると言われている」

「おお……そこは一つの国なのかの?」

「ああ。王様は裸の王様で、姫様は白雪姫を始めとした何人か。海には人魚姫という娘まで居るんだ」

「王様は随分と子沢山なのじゃの」

「俺も話しながらそう思ったよ……」

 

 もちろん作り話なのだから、遠慮もせずに誇張する。

 そうして話す世界が、少しずつ美羽の中で広がっていく。

 昔話は既に一つの世界となって構築され、国の名前はアルト=コロ。王は裸の王様で、娘や息子が王女や王子をやっていて、お菓子が動いたり人形が動いたり、隣国の悪い女王が毒入りりんごを手に悪巧みをしたりと忙しい。

 

「“あると=ころ”では、猫が靴を履いて戦うのか……! すごいのじゃあぁ……!」

 

 そして感心される長靴を履いた猫。

 あれ、ゲームにもなったりしたけど、話の内容って案外ひどかった……よな?

 童話は登場人物の一方の結末がやたらと無惨だったりするから、いくら悪いことをしたとしても冷静になると辛い部分がある。

 ともあれ、話を続ける。

 今日も思いつく限りの捻じ曲がった話を聞かせて、自分自身でもどこまで話が広がるのかを半ば楽しみにしながら、適当に繋ぎ合わせた話が夜中あたりまで続いた。

 そして……微かな話し声も人の気配も無くなった頃。

 

「くー……すー……」

 

 眠気に抗っていた美羽は静かに寝息を立てていた。

 冷たい女に気取られないために、燭台の火はとっくに消してある。

 そんな中での昔話は結構面白いもので、修学旅行などの夜を嫌でも思い出させた。

 

「よし……っと」

 

 静かに寝息を立てる美羽の頭をさらりと撫でて立ち上がる。

 一応木刀も手にして、気配を殺しながら外へ───って、あれ?

 

(しまった)

 

 美羽が寝てたら鍵も閉められないし合言葉も意味が無い。

 そんなことに今さら気がついて、自分も大分緊張していたんだなぁと、さらに今さら自覚する。

 ……大丈夫か? まあ、俺の部屋に侵入するヤツなんて早々居ないだろうし、居たとしても籠にナマモノをたくさん詰めたどこぞの軍師様くらいだろう。

 こくりと自分を安心させるために頷いてから歩く。

 扉を開けて、まずは通路の先の見張りの兵に軽く声をかけてと。

 

「北郷隊長? どちらへ?」

「眠れなくてさ、ちょっと散歩がてらに体を動かしに」

「ああ、それで木刀を。お気をつけて。その、あまり大きな騒ぎを起こさないでくれると助かります」

「いや、ははっ……それはもちろん」

 

 お互いに苦笑してから別れ、通路の先へ。

 なんだかんだとみんなに振り回される俺を知っているからこその苦笑。

 で、騒ぎを起こせば迷惑被るのは兵だって同じであり、俺が振り回される事態でも迷惑のいくつかを被っているだろう。

 それでも苦笑で済ませられるのは、好きで振り回されているわけじゃないからとわかっているから……なのだろうか。

 

(違うか)

 

 なんだかんだで、友達感覚に近いのだろう。

 顔を合わせればお互い愚痴ることもあるし笑うこともある。

 サボって買い食いすることだって───…………

 

「………」

 

 いつかそうして一緒に笑っていた兵のことを思い出す。

 あの日買い食いした桃が美味しかった。美味しければ美味しいほど、桃を見るたびに思い出す。

 

(……俺、少しは前より国のために生きることが出来てるかな)

 

 もはや話すことも出来ない彼を思い、心の中で呟いた。

 返事なんて当然ないけど、自分の思い出の中のあいつは最後まで笑顔だったから、俺も笑って歩くことにした。

 

……。

 

 城を歩き回っても不審なものなど何も無い。

 美羽が見たという場所に行ったところで何も無く、巡回している兵を何人か見つけるだけだ。

 そんなみんなと軽く挨拶をしながら擦れ違い、やがて城の見回りを終える。

 

(会おうと思って会えるものでもないよな、やっぱり)

 

 溜め息ひとつ、ならばと街へ向かおうとするも───さすがに門番である兵に止められる。外に体を動かしに~なんて言い訳が通るわけもなく。

 

「ほら、裏通りの壁、壊れてる部分があっただろ? その視察に……」

「こんな夜にですか?」

「夜だからこそだよ。誰かが穴を広げたりしてるかもしれないだろ?」

「む……」

 

 咄嗟だったけど、思い出したことを口にする。

 壁をどうするかってことは話し合ったことがあったし、穴のことはむしろ兵の方が知っているくらいだろう。

 

「わかりました。北郷様にはいろいろとお世話になっておりますし。ただ、危険なことは避けていただきたい」

「当たり前だって。俺だってそんな、自分から危険に飛び込むようなこと、したくもない」

「では今回のことは?」

「……視察ってことで」

「……はぁ」

 

 やっぱり苦笑で見送られた。

 結局兵もわかっているのだろう、木刀持って外に出る理由なんて、ここ最近ではそれくらいしか理由が追いつかない。

 兵の中にも冷たい女を見た者は居るのだろう。

 ただ、それを上に報告するのはどうかと見送った……か?

 

(なんにせよ、これで見つけられるのが一番だな)

 

 見つけた先でどうするのかは、正直自分でもよくわかっていない。

 会って話をするのか、それとも話すら出来ない存在なのか。

 そもそも発見することが出来るのか否か。

 ともあれこうして、静かで誰も居ない街までやってきたわけだが。

 警邏で見慣れているはずの景色も、こうまで人が居ないと不思議と別の場所のように思えてしまう。

 

(今日は真桜が夜間警備長だったよな)

 

 屯所に居るのか、それとも見回りをしているのか。

 問題らしい問題もないのか、今のところは静かなものだ……って。

 

「………」

 

 こしこしと目をこする。

 で、改めて前方を見る。

 …………なんか、ぎっしょんぎっしょんと歩いてる物体を確認した。

 

「…………アレ?」

 

 え? あの……えぇっ!?

 あれって……あれぇ!?



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68:三国連合/謎は解明されないからこそ輝くことを知った日③

「………」

 

 …………。

 

「ハッ!?」

 

 あ、あまりの出来事に本気で放心しかけた!

 あれ……あれだよな?

 確かに暗がりでちょっとわかり辛いけど、道のド真ん中をぎっしょんぎっしょんと歩いてる…………その、歩き方がまるで、テレビとかで見るような人型の機械の動き方。

 それを見るだけであれが生き物ではないとわかったし、機械に近いものといえば……この国、もといこの世界では一人しか居ないわけで。

 

「………」

 

 無言で歩いて、無言でソレの前に回り込み、無言でその顔を見た。

 ……華琳が居た。ただし表情は変わらないまま、ぎっしょんぎっしょんと歩いている。

 どうしよう、頭がとっても痛いんだが。

 

「見ぃいいたぁああなあぁあ~……!!」

 

 で、正体を見るや、自分から現れてくれる黒幕さん。

 区画ごとの脇道からゾロォ……と現れたのは、我らが魏武の大剣さまと、絡繰技師さんだった。

 

「いや……二人ともなにやってるのさ……」

 

 呆れとともにモシャアアアアと吐き出される溜め息が、そのまま言葉となった。

 だというのに真桜は仲間を得たって顔でにししと笑うと、

 

「んっへっへ~、見られたからには隊長にも協力してもらわんとな~♪」

 

 笑顔のままにそんなことを仰った。

 こんな時間にこんなところでとかそんな言葉は一切抜きで、仲間に引き込もうとしていらっしゃる。しかも真桜の言葉を聞いた春蘭が真顔で仰られた。

 

「なに? 斬り捨てるんじゃないのか?」

 

 と。っていやいやいや!!

 

「見た相手誰も彼もを斬り捨てる気でこんなことをやってたのか!?」

「なにぃ!? こんなこととはなんだこんなこととは!」

 

 じょ……状況は、わかった。多分。なんとなく。

 何がやりたかったのかもなんとなく。

 この二人が犯人で、冷たい女がコレなのだという考えもなんとなく。

 

「……華琳に報告ヒィ!?」

 

 これからの行動を口にした途端に、喉に七星餓狼が突き付けられた。

 

「させると思うか?」

「た~いちょ♪ こうなったら隊長も仲間や。今、春蘭様が新たに作った型をもとに、絡繰華琳様を作っとるんよ。似てるだけやない、きちんと動く華琳様人形! 最初は適当に動くだけで満足やってんけど……ほら、隊長が言った“氣動自転車”? あれの構造聞いてから“もう我慢できん!”てなってなー……」

 

 ニヤリと笑む春蘭に剣の腹で頬を撫でられ、にこりと笑う真桜に説明される。

 まさか氣動自転車の話がこんなところで利用されているとは……!

 

「え……じゃあこの人形、氣で動いてるのか……? つか春蘭、剣どけて」

「せやでー? ウチの氣ぃで動いとんのやけど……どうにもこう、キレが悪いんよ。動くには動くねんけど……な~にが足らんねやろなぁ……」

 

 ふんと吐き捨てて剣を納めてくれる春蘭を前に、ちらりとまだ歩く絡繰華琳様を見る。

 なるほど、今まで民や美羽が見てきたものは、その試運転中だったってことか。

 

「氣で動くのはわかったけど、直線に歩くだけか?」

「さすがに人のように精密に動いたりできんなぁ。ん、そこはこれからの課題やな。で、隊長にちぃ~っとばかし相談があるねんけど~……」

「金なら出さないぞ」

「金とちゃう。や、そら金も欲しいけど……こう、な? 御遣い様の氣で動かしてみてほしいんよ」

「………」

 

 俺の氣で? 絡繰華琳様を?

 

「ちょっと待った。それって協力した時点で、もし華琳に見つかったら───」

「当然隊長も捕まるなぁ」

「実家に帰らせていただきま離せぇえーっ!! や、ちょっ、やめろほんとやめろ! 毎度の如く人を巻き込むのも大概にしてくれ! 俺はもういい加減に平和に過ごしたいんだよ!!」

「たぁあいちょ~っ、ええや~ん、ちょっと、な? ちょぉっとだけやから~」

「ちょっともたくさんも関係あるかっ! 協力した時点で共犯なら、俺は絶対に協力しないぞ!?」

 

 そんな、俺の氣で華琳が動くだなんて…………ちょ、ちょっといいかもとか思ってないぞ!? ほんとだぞ!?

 とにかく目立った行動をして、また鍛錬禁止とか言われたらいろいろと耐えられない! ただでさえ日々いろいろと溜まってるのに、体が動かせなくなるなんて拷問もいいところだ!

 

「なら氣動自転車作ったらへんもん」

「うぐっ───」

 

 まるで霞みたいな物言いで、つんとそっぽを向く。

 あればきっといろいろと楽になるであろう氣動自転車。氣で動かせるという素晴らしき乗り物。思いついた時は心が躍ったが、その計画がパアになるかもしれない。

 だがっ……でもっ、ああしかしっ……!

 

「あ、あー……春蘭じゃだめなのか?」

「せやから、御遣い様の氣ぃでのことを調べてみたいんやって。華佗の兄さんに聞いてんけど、隊長の氣ってウチらとちぃと違うんやろ? それを込めたらどんな反応が見れんのか、それが気になってなー……そんなわけで、な? えーやろー?」

「………」

 

 一歩を踏み出せば共犯。

 とはいえ、逃げる方向には何故か春蘭がズチャリと立ち塞がって不敵な笑みを浮かべている。ええはい、逃げ道はとっくに塞がれているわけですが。むしろ来いとばかりに右手一つで大剣担いで左手で挑発してらっしゃる。

 ……選択肢はないようだった。

 丁度いい頃合いとばかりに氣も尽きたようで、絡繰華琳様もぎちりと行動を停止したようだし。

 

「はぁ……わかったよ。ただし氣を込めるだけだからな? 何かが起こっても知らないぞ」

「おおー! おーきになーたいちょー! あいしてるでー!」

「調子いいよなぁお前……」

 

 こんにゃろとばかりにぐりぐりわっしゃわっしゃを頭を撫でくりまわした。

 「ぐおー! やめやー!」とか言っているが、明らかに棒読みだし、月明かりの下でもわかるくらいに顔は赤かった。手を離せば少しぶすっとしてそっぽ向きつつも、直後には笑ってたので。

 そんな笑みや言葉に多少は報いるためにも、いっちょ気合いを入れてみましょう。

 

「で、どうやって入れればいいんだ?」

「まず両手を構えて、絡繰華琳様の胸を鷲掴んで───あだっ!?」

「ど・う・や・っ・て、入れればいいんだ?」

「ううー……隊長のいけずー……ほんの冗談やーん……」

 

 とりあえずデコピンしておいた。

 あんまりにもニシニシと笑うもんだから、すぐにウソだと理解した。

 そんなわけで教えてもらう。

 ……結構単純らしく、手を握って氣を送り込めばそれでいいんだそうだ。

 

「隊長は木刀にも氣ぃ込めたり出来るから、これも楽勝やろ」

「どうだろな。……んっ……」

 

 集中。

 自分の中で練った氣を、握った手を通じて絡繰華琳様に流してゆく。

 が……なんだか思うように入っていかない。

 

「んー……隊長、ちゃんと流しとる? ちぃとも動かへんやん」

「流してるって。でも……なんだろ、思うように流れていかない」

「ええいなにをやっているっ、そんなものはこう、ガーッとやってドバーッとだな!」

「その効果音でなにをしろと!?」

 

 ガーっとやってドバーっとって言われてもな。

 あ、あー……とにかく集中しよう。

 

「───……」

 

 さらに集中。

 繋いだ手を自分のものって意識を高めて、中々思うように流れない氣を……流すのではなく絡繰自体を包むように。それから少しずつじわじわと染み込ませるようにして…………う、うう? なんだ? やっぱり上手くいかない。

 真桜もなんだかじれったそうに「隊長~」と言ってる。

 言ってるんだが、それは俺だって同じ気持ちだ。

 もっとすんなりいけると思ったんだけどな。

 

「木刀と同じ感覚でやるからいけないのか? じゃあ───」

 

 いろいろと試してみるんだが、やっぱり上手く流れない。

 試しに真桜にやってみてもらうんだが、あっさりと流れて絡繰華琳様はギシシ……と動いた。つまり流れる状態にあるのは間違い無い。

 

「……氣が足りないのかもしれないな。よし、じゃあ全力でやってみよう」

「おっ、隊長もなんのかんのとやる気なんやないの~」

「ここまで来て自分だけ出来ないのって、負けた気がしてなんかヤなんだよ」

 

 細かいことでも負けないようにと決めた。

 だったらここで動かしてこそ、負けにはならないのだと知れ! 北郷一刀!

 動かす……絶対に!

 

「覚悟───完了!」

 

 こんなことに覚悟決めてどうするんだって話だが、譲れないものを譲れぬと断ずるならば、たとえくだらないことだろうと全力で取り組む! それがじいちゃんの教えだ!

 

「錬氣、解放!!」

 

 今自分に出せる氣を全力で解放。

 両手に込めたそれを、繋いだ絡繰華琳様の手を握ることで準備を終え、流す行為と練成する行為を同時に行う。流れていこうとしなかろうが無視して、流れない分で絡繰を包み、染み込ませるようにして氣を浸透させてゆく。いっそ、次々と練成する氣で氣が染み込まない場所をとことんまでに潰していくように。

 

「───~っ……!!」

 

 それでも中々流れない。

 ムキになって錬氣を続けるんだが、そろそろ疲れてきた。

 どうしてこう上手くいかないのかを考えてみて、いつかの冥琳のことを思い出す。

 

(あ)

 

 そうだ。

 これが氣で動くものなら、動く要素に似せた氣を入れてあげなきゃいけない。

 自分以外の氣なんて、治癒能力を高めてやるものでもない限りは毒にしかならないのだから。それはきっと、無機物だって同じなのだ。

 ならばと包んでいる氣で絡繰華琳様を探り、どんな氣が合うのかを知ろうとする。

 わからないなら知る努力を。

 単純だけど、大事なことだ。

 

「───」

 

 最初に感じたのは真桜の氣の残り。

 そして、真桜の氣が流れ込んだであろう氣を溜めているであろう場所。

 そこに触れるように意識して、流すのではなく受け取ってもらうつもりで───ぁ。

 

「う、おおあっ!?」

 

 蓄積されていた氣の全てが一気に流れた。

 絡繰華琳様を包んでいた氣も同じで、本当に一気に。急に氣を持っていかれた途端に膝が笑い、持ち直そうと意識した時には片膝をついていた。……絡繰華琳様の手を掴んだままに。

 それはまるで、王の手を取って跪くどこぞの騎士のようだった。

 いや、あくまで格好だけで言えばだが。

 

「おおおっ! 流れたっ! さ~あ絡繰の大将っ、どないな反応見せてくれるんっ!?」

 

 すぐに錬氣を始めて、少しずつ持ち直す過程で絡繰華琳様から手を離す……と、体が自然と尻餅をついた。

 俺は絡繰華琳様を見上げる格好になり、現状として見上げる彼女(?)はといえば……

 ガガガガショッ、ガガガガガッ……と震えだし、うっすらと笑みを浮かべた表情のままに頭をがっくんがっくんと前後に振り出して───って怖ッ!! 表情が表情なだけに怖ッ!!

 

「まままままま真桜!? まおっ……真桜さん!? なんか怖いんですけど!?」

「ウチもこんな反応初めてや……隊長いったいなにやってしもたん?」

「言われるままに氣を流しただけですが!?」

 

 ていうかどうしていつの間にか俺だけが悪いみたいな言い方になってる!?

 頼まれてやったんですよね!? 俺! あぁああでも断ろうと思えば断れたし、春蘭からも逃げればよかったわけだからあぁあああああ自己責任んんんんんん!!!

 

「どうするんだよこれ! なんか頭とか手とか物凄い勢いで回転して───怖ッ!!」

 

 せめてあのうっすらとした笑みはなんとかならないか!?

 あの表情のまま頭だけがぐるぐる回るのって物凄く怖いんだが!?

 かといって無表情ってのも怖いし! しまった打つ手が無い!

 

「強引に止めるにしたって、もう気色悪いくらいに回転し始めてるし……」

「貴様ぁああ! 私が作った華琳様人形を、こともあろうに気色悪いだとぅ!?」

「そういう意味じゃなくってな!?」

「あー……ほな隊長、一応隊長の氣ぃで動いとんのやし、なんとかでけへん?」

「物凄く無茶言うなお前!」

 

 けど待とう、冥琳に氣を流し込んだ時も、集中して彼女の深層意識に手を伸ばすことが出来た。だったら今も集中さえ出来ればなんとかなるんじゃ───?

 

「え、遠隔操作~……」

 

 自信もなく、ムンッと力を込めてみる。

 …………こころなし、絡繰華琳様の頭の回転速度が上がった気がした。

 

「……あのさ、真桜。もうちょっと人が出来る稼動限界っての、考えるべきだと思うんだ」

「ん……ウチも反省しとる……」

 

 ギュイイイイと音が鳴るほど大回転なさっておられる絡繰華琳様の頭。

 無駄に精巧に作られているため、かなり心苦しい光景だ。

 さっきまで強気だった春蘭も、なんだか覇気を失っておろおろとしているほどだ。

 そんな状況が出来上がってしまったらこう、妙にテンションも下がってしまって。

 

「……どうしよ、これ……」

「あー……どうにかならへんの?」

「これ以上俺にどうしてほしいんだよお前は……」

 

 一応遠隔操作が出来ないものかと試し続けてはいる。

 しかしながらなんの反応もなく……お? ……おおっ!? 止まった!?

 

「お、おー、止まった、止まったで隊長!」

「よしっ! 誰かが来る前に回収するぞ! さすがに稼動部分が大回転する王の姿なんて、たとえ作り物でも見たくないだろ!」

「もっちろんやっ! 隊長の氣ぃの所為でこうなったんやけど」

「さりげなく責任の全部を押し付けようとするなっ!」

 

 止まってしまえばこちらのものと、一気に回収にかかる。

 いや、かかったのだが、伸ばした手がひらりと躱された。

 

『へっ?』

 

 俺と真桜の声が重なる。

 状況を認識しかけた頃には絡繰華琳様は駆け出していて、呆れるほどの速度を以って許昌の街の中で風と化していた。

 

『速ぁあああーっ!?』

 

 またも重なる声。

 しかし悠長なことを言ってもいられない。

 すぐに止めないと……! 民の一人にでも見られれば限りなくアウトだ!

 

「春蘭! 全力で止めよう!」

「うん? なぜだ? 動く様が見たかったんだろう?」

「いやあれもう動きすぎだから! あのまま誰かに見られたりしたら、華琳に迷惑がかかる!」

「なんだとぅ!? それを先に言え!!」

 

 言うや、春蘭が姿勢を低くしてから地面を蹴り弾いて疾駆。

 その速度はいつぞやの鍛錬前の準備運動で見せた速度よりもよほどに速く、走り去った絡繰華琳様にも追いつけるほどの速度だった。

 ただ……追いつく前に体力が尽きないかどうかが心配だ。

 なにせ相手は筋肉の疲労を心配する必要もない、氣で動く絡繰。

 春蘭がいくら超人めいた能力を持っていても、やっぱり人間だ。あの速度で追っていけばいずれは体力にも限界がくるだろう。

 とはいえ馬鹿正直に追っても追いつける速度でもないわけで……ああもう。

 

「絡繰が走っていった場所から考えるに───」

 

 だったら俺は警備隊として追いかけるまでだ。

 さすがに無いだろうが、自己防衛機能でも搭載されてるのかって疑いたくなるくらい、壁に激突したりはせずに綺麗に曲がっていったから……よし、なんとかなるかもしれない。───とか思ったら、すぐ横の脇道から大回転しながら、絡繰華琳様がゴヴァーと飛び出し、そのすぐ後ろから大剣を振り回す春蘭が───って危ない危ない危ないって!!

 

「春蘭っ!? 街中で抜刀は! ってあぁああもう今さらすぎるけどまずいだろ!」

「言っても聞かず、このまま華琳様の迷惑になるのならいっそ私の手で破壊する!」

「おお春蘭さまっ、職人の鑑やなっ!」

「それ以前に破壊した壁に目を向けような!?」

 

 飛び出すのと同時に、脇道横の壁が破壊された。

 そんな事実に動揺している間にも絡繰華琳様は飛び出した勢いのままに壁に激突。

 しかし勢いを止めることなく別方向へと身を翻し、そこへ振り下ろされた剣が崩れかけた壁を粉砕した。

 

「…………あ、あー……ウチ、用事思い出したわっ! た、たいちょ? ウチはこれで───」

 

 まおう は にげだした!

 

「待たれよ」

 

 しかし みつかい に つかまった!

 

「あぁあん見逃してぇ隊長~っ!!」

「これが見逃す見逃さないで済む問題かぁっ!! いいから止めるぞ! せめてこれ以上被害が───あ、あぁあーっ!!」

 

 言ってる傍からまた破壊音。

 俺と真桜は顔を向き合わせると同時に頷き、全速力を持って暴れる彼女らを追った。



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68:三国連合/謎は解明されないからこそ輝くことを知った日④

 

 ……コトが治まったのはそれからしばらく後のこと。

 治まったというからには終わっていて、とりあえず絡繰華琳様は見事に大破。

 ようやく追いついた頃には、春蘭が涙をこぼしながら、壊れた絡繰の傍に立っていた。

 で……問題なのが……

 

「どーすんだこれ……」

「どないしょ……」

 

 壊れた街の修理……だよなぁ。

 衣服や毛髪などはもう絡繰から剥いであって、顔は無惨にも潰されてるからこれが華琳似の絡繰だったと解る者は居ないだろうが……これはなぁ。

 

「せや、こないな時こそ園丁†無双のみなさんに───」

「やめとけ……それこそ華琳に大激怒される……」

「せやなぁ……───お? と、なると…………自分らでやるしかない、わけやな……」

「だよなぁ……」

 

 ちょっと気が遠くなった。

 久しぶりに走り回ることが出来たといっても、これはあんまりだ。

 神よ、俺があんなことを望んだからこんな試練をよこしやがったのでしょうか。

 謝りますので平穏を返してください。

 

「うだうだ落ち込んでても仕方ないか。怒られるのは確定なんだから、さっさと修繕作業に入ろう」

「えぇえ~っ? ね、寝て朝になってからにせぇへんの~っ?」

「誰の所為でこんなことになったと思ってるんだよっ!」

「隊長」

「作ったのが春蘭と真桜で氣を入れたのが俺! 三人の責任!」

「え~……? やけど隊長があんな氣ぃ込めな───おあっ? た、たいちょ?」

 

 ごねる真桜の両肩に両手を置いて、息を吸って吐き、極上の笑みをあなたに。

 

「や・る・よ・な……!?」

「あ、や、ちょ、いたっ、いたたっ、たいちょ、いたいっ」

 

 加えて言うなら手には不機嫌を具現化したかのような力が込められ、真桜の肩を圧迫した。何をやるのも、何を試してみるのもべつに構わないが、自分で言い出しておいて、逃げ道を塞いで手伝わせておいて、何かが起きれば逃げようとして、挙句に手伝いもしないのはいただけない。むしろいい加減、堪忍袋の緒が切れるわ。

 力で解決しているみたいで嫌な気分にはなるが、だからといってこれは絶対に言葉じゃ納得しないパターンだ。

 

「うう……なんかあれやな……帰ってきてからの隊長は暴力的やな……」

「最初から言葉で受け取ってくれてれば、脅す必要もないってわかってくれよ頼むから」

 

 出来れば脅しめいたことなんてしたくないんだからと続けて、ともあれ歩き出す。

 修繕用の道具を隊舎から持ってこないといけない。

 

「んー……そらそうやけど、こう……妙なむず痒さっちゅうかなぁ……ほら。なんや知らんけど隊長のこと困らせたくなるんよ、最近」

「全力で“なんで”と問いたいんだが」

「自分でもよーわかられへんねよなぁ……あ、あれとちゃう? 構ってほしくて悪戯する子供みたいな」

「………」

 

 その言葉にポムともう一度肩を叩き、目の前に広がる現実を見てもらった。

 

「……あー……悪戯のたびに街壊してたら、首がいくつあっても足らんわ……」

「だろ……?」

 

 同時に出た溜め息が、まだ暗い空へと消えたわけで。

 構って欲しかったら是非とも口で伝えてください。こんなことになるくらいなら全力で構うから。

 そんなこんなで始まった作業は夜通し続き、直した先から春蘭が壊したりするのでこれが案外捗らなかったりする。

 「強度はしっかりしているんだろうな」とか言って殴ったりするのだ。

 ああもう、華琳様人形を作る時は恐ろしく集中するんだろうに……。

 

「うあぁあ~……隊長~……ウチもう眠い~……」

「それは俺も同じだけどな。真桜、朝からの仕事の都合は?」

「うっ…………や、休み……」

「よし。じゃあ頑張ろうな」

「あ~ん! こういう時って、なんでこう巡り合わせが悪いんやろなー!」

 

 たぱーと涙を流し、しかし黙々と作業を続ける。

 もはや口を動かしている暇があったら手を動かして、早く終わらせて休みたいという気持ちしかなかった。俺も、きっと真桜も。春蘭は……どうなんだろうか。

 懸命に作業を続け、あれだけ騒いだのに民が起き出して来ないことに安堵しながらの作業……だったのだが、本当に神様ってのは冷たいお方でいらっしゃる。

 

「ん、んんー……んあっ!? 雨!? 雨降ってきよったで隊長!」

「神よ……」

 

 空を見上げながら呆然とした。

 いやいや、それこそそんなことをしている暇があるならだ。

 しかし壊した場所と人手があまりにも見合わず、そうこうしているうちに朝が来て───

 

 

 

-_-/一刀

 

 で、現在に至るわけだ。

 途中から蓋を差しながらの作業になったために、進んではいるけどもたもたとした速度での修繕は続く。

 無言で参加してくれた華雄や思春には感謝してもしきれない。

 そして当然、華琳からは激怒が待っていたわけで。

 本当に馬鹿なことをした。

 

「ごめんな、華雄、思春。こっちが勝手にやって勝手に壊したのに」

「貴様の周囲で騒ぎが起きるのは、もはや呉に居た時からわかっていることだ」

「ソ、ソウデスネ」

 

 思えば思春との付き合いも長いなぁなんて今さらなことを思いつつ、熱心に作業を続ける華雄に習って作業を続ける。

 壊れた部分に木材をあてがい、釘を打ち込む。

 単純なものの、これが結構な重労働で、しかしながら“これも鍛錬”なんて思うと面白くも感じたりする。単純だな、なんて自分を笑いながら、やっぱり作業は続いた。

 

「うーん……もうちょっと衝撃に対する耐性もつけといたほうがいいかな」

「壁にか?」

「いや、俺自身の話。鎚打ってるとさ、結構振動が来るだろ? そういうのを受け続けても手を痺れさせて武器を落とす~なんてことがないように」

 

 言ってはみたものの、それって人体の構造上可能なのだろうか。

 俺の場合、手が痺れても氣で無理矢理落とさないようにしてるからなぁ。

 

「………」

 

 考えるのをやめて鎚を振るう。

 あちこちで聞こえるトントンカンカンと釘を打つ音を耳に、賑わい始めた街を横目に。

 ただ、その賑わいも雨の下では晴天の時ほどではない。

 

「はぁ……もはや将が街のどこかを壊してしまうのが当然みたいになってるのが悲しい」

「……今さらだな」

「ああ、今さらだな」

 

 何気なく呟いたことに、思春も華雄もあっさりと頷く。

 乱世の頃を思えば、あの凪だって悪を働いたものを捕まえるために、氣弾をブッ放してどこぞの店の看板とか破壊していたのだ。改めて言うほどのことでもないのかもしれない……と納得してしまう自分も少し悲しかった。

 だってさ、民がさ……「おや、またですか」とか気軽に声をかけてくるんだよ。悲しくもなるだろ……?

 

「もし仕事が別にあったら、そっちを優先させてくれな。こういう単純作業なら、俺一人でも頑張れるから」

「そして風邪を引くんだな?」

「いや、引きたいなんてこれっぽっちも思ってないからな?」

 

 思春の呆れた視線が俺を射抜く。

 蜀で風邪を引いてしまった例がある手前、大丈夫なんて断言は出来ないのが情けない。

 ……よし、だったらそんな過去を払拭するためにも気合いを入れて───!

 

(なんて意気込むと絶対に風邪を引くから、適度に頑張ろう)

 

 各国を歩く中で、少しは世の歩き方というのを学んだと思いたい。

 そんなわけで作業は続く。

 雨は時折に激しくもなり静かにもなり、急に吹いた突風に蓋を吹き飛ばされながらも作業を続行。そんなド根性劇場を面白がってやってきた鈴々や猪々子も混ぜて、なんかもう濡れても構うかとばかりの修繕作業が続いた。

 こうなると子供の意地をぶつけたような状況だ。

 

「なんかこうちまちましてても面倒だなー……よし、斗詩を呼んで金光鉄槌でどかーんと」

「壁がまた壊れるだろ!! 釘を打つどころじゃないよそれ!」

「突撃! 粉砕! 勝利なのだ!」

「突撃はいいけど粉砕はダメ! ていうかこの状況で、いったいなにに勝ちたいんだよ!」

「よくわからないけどとりあえず負けるのは嫌なのだ」

「………」

 

 似たような理由で絡繰華琳様に氣を送り込んだ自分では、もはやなにも返せなかった。

 そうなれば作業をするしかなく、コロコロと気分を変える空の下、いつの間にか賑やかになった修繕作業は……終わりを告げた。

 ハッと気づいてみれば結構な数の将。工夫に頼むわけでもなく、あくまで罰としての作業だったものの、各国の将たちがなんのかんのと手伝ってくれたらしい。

 「かえって工夫の仕事を奪っちゃったんじゃないか」と呟く中で、いつの間にか傍に居た冥琳が「それは違う」と……独り言を拾った。

 

「冥琳? 違うって……」

「頻繁にやるのなら奪うことにもなるが、民の仕事を知るのも上に立つものの務めだ。私たちは……少なくとも私は、北郷。お前にはそういう部分で期待をしている点もある」

 

 期待? ……ああ、支柱としてのか。

 警備隊として街を見たり、各国に回って民と接触したりをしていたことが多いからこその期待……そういう意味でいいんだよな?

 

「しかし、慣れない作業を急にするものではないな。肩に響く」

 

 あ。そういえばここに居るってことは、冥琳も作業を手伝ってくれていたってことか。

 軍師が鎚を打つ姿……想像してみたけど貴重だ。しかもそれがあの“周瑜”とくる。

 

「なんだったら鍛錬が許可されたら一緒にやる?」

「ああ、それもいいかもしれん。こちらにも暇を持て余して酒ばかり飲んで居る馬鹿者が居るのでな。そいつを引っ張って付き合わせるとしよう」

 

 それが誰なのかを瞬時に理解してしまうあたり、彼女の勘の鋭さは理解出来ずとも、彼女の行動自体はわかりやすい。

 

「で、その誰かさんは───……ごめん、やっぱりいい」

「ああ。あれの勘は想像の外を行くが、行動自体はわかりやすい。問うまでもないだろう」

 

 どうせ何処かで酒を飲むか騒いでいるんだろう。

 出る溜め息は笑顔で。

 苦笑ととれるそれも、すぐに笑いに変わり、くっくと肩を震わす冥琳とともに笑った。

 雨もすっかりと止み、晴れた空を見上げてみる。

 綺麗な青がそこにはあり、ようやく本来の許昌の賑わいを見せる街の中で、俺は───

 

「さて。随分と汗を掻いてしまったな。雨で衣服もびしょ濡れだ」

「あ、っと。華琳がお風呂の手配してくれてる筈だから、先に入っちゃって。俺は点検してから行くから」

「精が出るな。手伝いたいところだが、お言葉に甘えよう」

 

 くすりと笑み、冥琳が歩いてゆく。

 話を聞いていたらしい他のみんなも立ち上がり、俺はそれを見送りながらも歩き───作業が終わっても一緒に作業をしていた将と、壁の強度についてを話し合っていたみんなに声をかけて、それと一緒に点検を済ませる。

 

「あ゛~……なんとか穏便に済んでよかったわー……。華琳さまにバレた時は心臓飛び出るか思たもん……」

「散々と人の所為にしようとしておいて、よく飛び出るだけの心臓を持っていられるよな、お前……」

 

 体内にしっかりと根を張って、ちょっとやそっとじゃ飛び出なさそうだ。

 そんな俺の言葉に真桜はにししと笑い、「済んだことやしもうえーやん」と言う。

 ……まあ、箇所は多かったものの本当の意味での“破壊”じゃなかったことに感謝だ。

 家とかを完膚なきまでに破壊されてたら、さすがに怒られる程度じゃ済まなかった。

 

「ほら、そんなことよりも風呂。ちゃんと温まってこい」

「おー。あ、なんやったら隊長も一緒に入るー?」

「他国のみんなも居るのにそんなこと出来るか。いーから行ってこい」

 

 またしてもにししと笑いながら言う真桜に、溜め息と一緒に言葉を返す。

 しかしハッと気づいてみれば、その言葉が明らかにおかしいことを自覚する。

 顔に熱が篭るのを感じながら訂正しようとした時にはもう遅い。

 

「おーなるほどなるほど、他国の将がおらへんかったら一緒に入りたかったと。最近大人し思とったのに、やっぱ隊長やなー」

「い、いや違っ! …………はぁああ……」

 

 一瞬、違わないのかもとか考えてしまった。

 やっぱりいろいろと溜まっているのだろうか。

 

「お? 隊長ー? どこいくんー?」

「……久しぶりに川。昼以降の仕事にはちゃんと間に合わせるから」

 

 少し精神統一が必要だ。

 鍛錬とは別に、川になったつもりで氣を鎮めよう。

 もちろん、点検が終わってから。

 歩きながら振り返り、城へ向かおうとする真桜に手を振ってからまた歩く。

 

(さて……今日は魚を掴めるくらいまでいけるかな)

 

 そんなことを考えながら点検を済ませ、部屋にバッグを取りに行ってから向かった。

 

 

  ……ちなみに。

  雨の所為で川が増水していることに気づいたのは、川に辿り着いてからだった。

  氣を静かな川の流れと同調させようと思っていた俺にとって、その荒々しさは今の自分を見ているようで……少しだけヘコんだ。

 




ある日、僕の中の脳内ジョースター卿が囁いたんだ。

 なにジョジョ? 時間がない?
 それは時間がないと思い込んでいるからだよ。
 逆に考えるんだ。
 睡眠時間なんて最初からなかったんだと考えるんだ。

アー! ナルホドー!!

というわけで、良い分割ラインがなかったために妙な文字数に。
いえ、この話自体が2万5千とか分割しづらい字数な上、お話の中でも分割しやすい部分がなかったもので。
よぅし予約投稿セットイン! ラジャービュー!
いってきまーす! ははははは! 眠い! 眠いよムーミン!


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69:三国連合/滑舌をよくしましょう①

115/ある夜の晩はナイトだった

 

 意気消沈気味に川から戻り、みんなが入り終えてからの風呂をいただいた俺を待っていたのは、まだまだ覚えなきゃいけない物事が書き込まれた書簡だった。

 ぎっしりと高く積み上げられたそれらが机の上のほぼを占拠し、少し途方に暮れる。傍には今日の教師役なのだろう雛里が立っていて、部屋に入ってきた俺を見るや、わたわたと慌てていた。

 

「ごめん雛里、待ったか?」

「あわっ……い、いえ、わわわたしゅもいまきたところ、です……!」

 

 いったいいつから待っていたんだろうか。

 そう考えてみて、結構ゆっくり湯船に浸かっていたことを少し申し訳なく思う。

 かといってさっくり入ってきてもまた風邪を引きそうだから、そうも言っていられない。

 ……で、それでも浮かぶ申し訳ない気持ちを素直に口にしてみたんだが、どうして俺はデートのお約束の言葉をこの時代で聞いているんだろうか。

 

「そ、そか。じゃあ早速で悪いんだけど」

 

 ドライヤーなんて気の利いたものがない分、髪の毛はしっかりと拭かなきゃいけない。汗を拭く時に使うタオルで丹念に水滴を拭いながら、こくこくと頷く雛里を前に椅子に座る。

 そうして始まる勉強。

 今日も来るかなと思った蓮華は来ることはなく、静かな自室に俺と雛里の行動の分だけの音が響く。

 

(うーん……)

 

 ふと思う。

 こう言うのもなんだが、街が祭りで賑わっているのに仕事をしていると、居残りを命じられた生徒みたいだなと。俺の横に立って教えてくれる雛里は先生と呼ぶには小さいが、それは外見だけで……知識は俺の数倍だ。数倍で済んでいるのかは、深く考えないでおこう。

 

(考えてみれば支柱になったから始まったこの勉強のお陰で、ちっとも街を見て回れてないんだよな)

 

 牛乳を取りに行った時や、ついさっきまでの作業等を思い返してみれば、見事に落ち着いてお祭り気分の街を見れていない。だからってここで雛里に街に行こうと誘っても頷きはしないだろうし、困らせることになりそうだから……間を見て行くか。なにも休憩無しで勉強しろだなんて言われてないんだから。

 

(……“休憩してよし”って言われてないのも不安材料だけど)

 

 よし、深く考えないようにしよう。

 集中集中。

 やさしいだけじゃ支柱にはなれないなら、もっと知識をつけて、もっと国に返せるようにならないとな。

 

……。

 

 筆を走らせる音が続く。

 自分でも驚くくらいに集中を続けていられていた。

 覚えるべきことをきちんと頭に叩き込んで次の書簡を手に取り、見た書簡の内容を自分なりに解釈して竹簡に書く。

 それに雛里が目を通して、要点が纏められているかを確認。よければ次の書簡に移り、ダメなら軽い注意をくれる。(くれるというか、その様子を見極めて“言ってくれ”とお願いしないと言ってくれない)

 そんな作業を繰り返し続けた現在。

 

「……はい、問題ない、です……」

 

 最後の竹簡を確認した雛里が、どもりながらの言葉とともににこりと笑った。

 山のように積まれていた書簡をどうにか捌き切り、纏めたものにも合格をもらえた。

 もう何度顔を曇らせた雛里に“悪いところがあったら言ってくれ”って頼んだか……だめだ、思い出して数え直すのも面倒だ。

 ちなみにその雛里さんはというと、立ちっぱなしが疲れてた様子だったので、現在は俺の脚の上にちょこんと座っていたりする。

 “疲れたならここに座っていいよ”と言った俺に対して顔を真っ赤にして拒否しまくった彼女を、半ば強引に座らせたわけだが───集中しだすととくに何も言わなくなり、今では振り向いてにっこり笑うくらいにまで落ち着いた。

 美羽にいつも座られている所為か、俺自身にも誰かを脚の上に座らせることにそう抵抗がなかったのがよかった。無駄に緊張しなかったし。

 

「ん~っ、終わったぁ~っ!」

「おちゅっ……お、お疲れ様でした、一刀さん」

「ああ、ありがとな、雛里」

 

 はふーと息を吐きつつ、背もたれへと背中を預ける。その拍子にこてりと雛里の頭が俺の胸に倒れ、体重を預けられるかたちになる。

 ……あー、なんだか頭とか体とか、疲れた身には心地良い重さと暖かさが胸に染みる。

 もういっそこのまま寝てしまいたいような───っと、あれ? ノック?

 

「鍵はかかってないぞー」

「あわぁっ……!?」

 

 いっそ瞼が重い現在、特に考えも無しにノックに対する言葉を放つ。

 なんでか雛里が慌てた声を出したが、すぐにでも眠れそうなこの頭では“どうして”というところまで考えることが出来なかった。

 

「あ、あのー……一刀様? 華琳さまから言伝を頼まれてはうあぁあーっ!?」

「……ふあ?」

「あわわっ……!? あ、やっ……こここりゅはちゅがっ……ちがいまっ……!」

 

 やってきたのは明命だった。

 にっこり笑顔で、しかしどこか緊張を隠せない顔で訪れた彼女は、まったりしている俺とその上に居る雛里を見て……絶叫した。

 

「明命……いらっしゃい。ごめん、今ちょっと眠くて……ん、ん~っ……んっ、と。それで、華琳から言伝って?」

「はうっ、あ、あのっ、そのっ……───はいっ! “そろそろ皆も魏に慣れた頃だろうから、始めるわよ。───祭りを”……だそうですっ!」

「………」

 

 戸惑う彼女がキリッとなって、華琳の声真似をしてどこか大人びた表情を見せた───! ……と思ったら、にっこり笑って胸の前で手を合わせて見せた。

 ……って、祭り? 祭りって───

 

「じゃあ……祭りを?」

「はいっ、街ばかりが賑わう今の状態ではなく、皆さんが魏の空気に慣れた今こそ、様々な催し物をとっ!」

「てっ……! っていうことはっ! 俺ももう鍛錬していいのか!? 祭りってことは、準備期間中に何度か耳にした天下一品武道会もやるんだろっ!?」

「あ、はいっ、やりますし、華琳さまにも鍛錬のことを一刀様に伝えるようにと……って、えっ───一刀様、まさかあれに出るつもりですか……?」

「武道会は男の浪漫だ! 漫画やアニメや小説の中でしか無いと思ってたものがあるなら、優勝なんて出来なくても出てみたいと思わないで“何が漢”! 無謀でも出るさ! たとえボッコボコでメッタメタでぐっちゃぐちゃでゴッシャゴシャ血みどろな未来しか待っていなくても! 歩くから浪漫! 突っ走れ青春! 届けるから想い! 繋ぐから絆! そして闘うから強敵と書いて友と読む!! 他の人から見た俺が強敵じゃなくても、挑む思いは捨てられない! 負けて泣いても強くなる! ある人が歌った……涙の数だけ強くなれるって! たとえ訪れる明日がキミのために訪れたものではなくっても、ならば己で誇りましょう!! 我が人生はっ……輝いているっ!!」

 

 ………………。

 

「……あ、あー……とととっとととというわけでっ、でで出ようと思うんだっ! うんっ! あと今のは寝惚けてたのといろいろ溜まってたゲッフゴフゴホッ! ちょちょちょっと勢いに任せていろいろ晴らしたかっただけだから気にしないで今すぐ忘れよう! なっ!?」

「は、はぁ……それは構いませんが……」

「……?」

 

 雛里を胸に抱いたまま立ち上がり、熱く語った俺を見つめて首を傾げる明命に、苦笑いをプレゼントした。当然、俺を真っ赤な顔で見上げる雛里にも。

 はぁあ……なにやってるんだか……。

 鍛錬出来るのが暴走するほど嬉しいのか俺。

 いつからこんなに鍛錬馬鹿になったんだか……って、一年前からか。

 馬鹿にならなきゃ心がどうかしちゃいそうだったしなぁ……。

 

「で、武道会っ───もとい、城でのお祭り騒ぎはいつに?」

「はいっ、五日後だそうですっ!」

「五日後!」

 

 再びポムッと胸の前で手を合わせる明命とともに、俺もポムと手を合わせた。

 五日後……五日後! 五日後に開始するのか!

 

「おおお……───お? それまでは?」

「はい、お祭り騒ぎが五日後にありまして、それまでの四日間は、今まで呉や蜀で行なわれた祭りも合わせた催しの準備で、完成すれば各国で競うことになっていますですっ」

 

 いかにもな祭りだ。

 それはどれほど賑やかなものになるのか。

 そしてそれを安全な方向に導かんとして、我ら警備隊がどれだけ苦労するのか。

 ウワー、嬉しい反面怖いことだらけだ。

 でも準備自体は先にやっておいたものもあるし、そんなに難しいことじゃない筈だ。

 何に使うのかわからない舞台の案件も、なるほど。武道会のために作らせようって話だったわけか。

 てっきり新しい数え役萬☆姉妹の舞台かと思った。

 

「ところで明命? なんだってその報告を明命がしてるんだ?」

 

 まあともかくだ。現状を纏めてみよう。

 教えてくれたのは素直にありがたいが、なんだって明命が?

 丁度通りかかったところを~ってカタチにしては、ちょっとソワソワしてるし。

 

「あ、はい、実は中庭でお猫様を発見して、モフり回そうとしたところで華琳さまと会いまして。今は一緒に居た亞莎と、皆さんにお報せに回っているところなんです」

「へぇえ……華琳がそういうやり方で報せるなんて珍しいな」

「用事がいろいろと立て込んでいるらしいです。わたしと亞莎に言伝を頼むと、すぐに自室の方へ向かったようですし」

「あー……」

 

 やっぱり王っていうのは大変だな。

 特に今は各国の王や将までごっちゃりと集った状態だ、起こることもここだけのことじゃなく、各国でのこともこちらに報告が届くんだろう。

 

「よかったら俺も手伝おうか? 眠気覚ましに丁度いいし、今寝たらヘンな時間に起きるだろうし」

「いえいえっ、それには及びせんっ! 手伝ってくれるのはありがたいですが、いろいろと邪魔をしてはいけない気もしますし……その」

「?」

 

 胸の前でついついと人差し指同士を突き合わせ、上目遣いでこちらを見る明命さん。

 なに? と視線を追ってみると、俺ではなく俺の胸を見ていた。

 で、そこには俺に抱き締められて宙に浮いたままの雛里さん。

 

「…………」

 

 いや、違うんですよ明命サン。

 これはただ抱き心地がよくて、なんか気力が充実してきたらべつに重くもないし、嫌がられないならこのままでも別にいいかなとかなんかいろいろと考えてしまって。いや、だからって抱き続けていい理由にはそりゃあなるわけがないんですが、ほら、あれだ。

 

(………)

 

 人肌が恋しうぉおおおお!? ちょっと待て今何考えてた俺!

 恋しくない! 恋しくないぞ!? 大丈夫、恋しいけど恋しくない!

 大体これから鍛錬OKになったんだ、湧き出た欲求なんて全部そっちに回せばいい!

 

(でもなぁ……)

 

 ふと、支柱になる前に地和と話したことを思い出す。

 美羽が居るからそういうことをしには来ないが、もし居なかったらとっくに夜襲かけられていたのではと時々思ってしまう。いや、むしろ俺が期待してしまっているんだろうか。

 

(でも───やっぱり違うんだよな。肉体関係っていうよりは、もう“大切な家族”ってくらいにまで感情が向いてる。そりゃあ好きだし、愛したくもなる。ただ、その欲求よりも“大切にしたい”って感情のほうが強いんだ)

 

 煩悩はある。当然だ。だって人間で、年頃の男の子ですもの。

 ただそれが性欲ばかりに向いているかといったら否なのだ。

 

(禁欲生活が続きすぎて、とうとう妙な悟りを得たのかしら)

 

 少しご婦人チックに思ってみるが、べつになにかが変わるわけでもない。

 ただこうして大事にしていられる今こそが愛しい。

 守りたい気持ちって、きっと“そんなもん”なのだ。

 

「よしっ! 明命!」

「え、あ、はいっ」

「じゃあ俺、今から鍛錬してくるなっ!」

「はいっ! ……はいっ!?」

 

 自分自身に頷きながら雛里を下ろすと、輝く笑顔で伝える。

 なんにせよ鍛錬が出来る。体の疼きをそちらにぶつけることが出来る。

 もはや立ち止まる理由も無し! 本日の分の仕事も終わった今ならば、いったい誰がこの衝動を止められましょう! 眠気なんぞ既に吹き飛んだ! いける……俺いけるよ! この高揚感があれば、もはやこの北郷めに敵なぞおりませぬぞ!

 

「こ、これからっ? 鍛錬を、するん……ですかっ?」

「ああっ、ここしばらく出来なかったから体がナマっちゃってさっ! そりゃあ氣の鍛錬だけはずっとやってたけど、やっぱり体も動かさないとどうにもこう……」

 

 手を握ったり開いたりしてみる。

 もちろん普通に動くのだが、なにかが足りない気がするのだ。

 これって鍛錬中毒? どこかのやさしい野菜星人の魂でも混ざったんだろうか。

 木刀に攻守の氣を込めると金色に輝いたりするし、そうなのかも。

 と、冗談はここまでにして。

 

「今日はありがとな、雛里。お陰で早く仕事が片付いたよ」

「あわっ!? あ、あぅわわわ……! い、いえっ……あのそのっ……かかかかかじゅとしゃぶっ!? ~……っ!」

 

 うわっ! また噛んだ! 蜀の時でもそうだったけど、まだ直ってなかったのかこれ!

 すぐに断ってから舌を見せてもらうが……ああ、今回も傷らしい傷はないな。

 コレも直せるようにしないと、いつか思い切り血を見ることになりそうで安心できない。

 

「……そだな。鍛錬もいいけど、そっちもだ」

「ふぁ……?」

 

 舌をチロリと見せながら、疑問の視線で俺を見上げる雛里の頭を帽子ごと撫でてから、舌を診るために屈ませていた体を立たせて胸をノック。

 自分のことばっかりじゃ支柱失格! 支柱って言葉に囚われすぎるのもよくはないが、だからって自分勝手に行動しすぎるのもいけない。だったら俺が思うように動けば、少なくとも間違った時に怒られるのは俺だけだし、それならそれで良しだな。

 

「雛里、今朱里って何処でなんの仕事をしてる?」

「ひゃふ……? ひゅ、ひゅりふぁんでひゅふぁ……?」

「……ごめん、舌はもう引っ込めていいから」

「あわっ!? は、はいぃ……」

 

 もごもごと喋る雛里の肩にポムと手を置き、申し訳なく伝える。

 真っ赤になりながら舌を引っ込めて、改めて語られる朱里の現在の行動は───……訊かなければよかったです、はい。

 

「……? あの、一刀様? その“ひみつの書”とはなんですか?」

「うん……なんだろね……」

 

 遠い目をして返す他なかった。

 明命はしきりに首を傾げていたが、すまん。どうか純粋なキミのままで居てくれ。

 

「じゃあ、引き止めちゃって悪かった。他の人にも伝えなきゃいけないんだよな?」

「はうあっ! そうでしたっ! そ、それでは失礼しますですっ!」

 

 ビッと敬礼するみたいに姿勢を正し、明命が走ってゆく。

 廊下は走るな~的なことを言ってみようと思った時には既にその姿はなく、曲がり角で人身事故でも起こしやしないかと少し心配になった。

 ……まあ、たとえそうなりそうになっても、気配察知で躱せそうだ。

 

「あ、あの……? 一刀さん……?」

 

 で、一方こちらの鳳統さん。

 今日はもうどうせ遅いし、鍛錬は明日から始めるとして。

 

「雛里」

「ひゃうっ、ひゃひゃひゃひゃいっ……!?」

「いや、そんなびっくりしなくても。……あのさ、早口言葉の練習、しないか?」

「…………はい?」

 



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69:三国連合/滑舌をよくしましょう②

 カミカミ言葉はいいものだ。それは星も認めるところであろう。

 しかしこのままだといつか大変なことになる……かもしれない。

 なので喋る練習をしよう。

 分類的にはこう……稟の鼻血対策の延長みたいなもんだろう。

 多分。

 

「はやくちゅことば、でしゅか」

 

 早速噛みまくってる目の前の少女に苦笑を届けつつ、再び椅子に座って彼女を招く。

 おずおずと寄ってきた彼女をまたもや足の間に座らせて、リラックスした状態でレッスン開始だ。

 焦るとろくなことにならないのはもはやパターン的な何かだと断言出来る。

 なのでリラックス。落ち着いて、まずは基本から。

 

「雛里、俺が言う言葉を復唱してみて。焦らず、まずは深呼吸~」

「は、はい。焦らず、まじゅはしゅんこきゅ~……」

 

 そして早速ダメそうだった。

 深呼吸のくだりは復唱しなくてもよかったんだけどな……。

 

「じゃあ、いくぞ? まずはゆっくり。“生麦。生米。生卵”。はい」

「? ……なまむぎ。なまごめ。なまたまご」

「よし。じゃあ少し速度を上げて。“生麦、生米、生卵”。はい」

「なな、なまむぎ、なまごめ、なまてぃゃまぎょっ……」

 

 最後が少し絡まった。

 しかしもう一度と言い直すと、それは───……余計にこんがらがった。

 まあ、基本そうなるよな。

 

「えっとな、コツとしては一言ずつをハッキリ、ちゃんと口を開けて言うことなんだ」

「ちゃんと、ですか?」

「そう。あとは頭の中で“言う言葉”を組み立ててから言うこと。“思いつき言葉”って、慣れてる人でも結構噛みやすかったりするんだ。頭で言葉を組み立てるのが上手い人ならすらすら言えたりするんだけどな」

「へぅう……」

 

 雛里が、月みたいな声を出して帽子を深く被る。

 しかしその帽子をパッと離すと

 

「なまぎょっ! …………~っ!!」

 

 生麦すら言えずに噛み、カタカタと震えだした。

 

 ◆ナマギョ───なまぎょ

 どこぞで釣れるナマズのような小魚。

 ナマズではないのだが、ナマズに似ている。

 これをエサに大物を釣ろうと竿を振ると、弾丸となって飛んでゆく。

 ただし身は脆く、振った反動で口から針が取れ、それこそ弾丸となって飛んでゆく。

 *神冥書房刊『小魚なのに滅法硬いです。ただし表皮だけで、中は脆い』より

 

 ……と、無駄に妙なことを考えてないで。

 

「……うん。少しずついこうな」

「…………ふぁいぃ……」

 

 震えながらこくこくと頷く雛里の頭を撫でて、リラックスさせつつ発声練習から。

 ご存知、アエイウエオアオである。それを50音順に繰り返していく。

 もちろん言葉に合わせてきちんと口を動かすのを忘れない。

 

「はい、生麦生麦生麦生麦」

「生麦っ、なまむぎっ、なまむぎ、なまみゅぎゅっ」

「生米生米生米生米」

「生米生米なまっ、なっ、なままっ……!」

「はい、生生生生」

「な、なまなまなまなまっ!」

「米米米米」

「ごめごめごっ……ごめっ、ごめっ!」

 

 まずは難しい部分から早口で、次第に簡単にしてゆく。

 早く動かすことに慣れさせるなら、先に速い部分から練習した方が効率がいいのだ。

 

「はい、あめんぼ赤いなアイウエオ」

「あわっ……!? あ、あめんぼあかいな、あいうえ、お……?」

「よし。浮藻に小蝦もおよいでる」

「う、うきもにこえびもおよいでる……」

「ほら雛里、はっきりはっきり~。柿の木栗の木カキクケコ」

「ひゃいっ、かか、かきのきくりのき、かきくけこっ」

「よし。啄木鳥こつこつかれケヤキ」

「きつつきこつこつかれけやきっ」

「ひつきぼしの鳳凰の握りこぶしの奥深い意義の天翔の十字の鳳~!!」

「ひちゅっ……ひつきぼしのほうおうのにぎりこぶしのおくぶかいいぎゅのてんしょうにょじゅぶじゅにょほー!」

 

 ハッキリ、と言われてむんと構えてからは、途中途中でつっかえながらも声を出そうと頑張る。そんな調子でほんとに発声練習を始めた俺は、次から次へと言葉を放ち、復唱をさせてゆく。

 社友者(しゃゆうじゃ)が混ざったのは気にしなくていい。

 

「じゃあ戻ろうか。生麦」

「生麦」

「生米」

「生米」

「生卵」

「生卵」

「……いいか? じゃあ───生麦生米生卵っ!」

「───! 生麦生米生卵っ!」

 

 ───おおっ!? いった!

 

「すごいじゃないか雛里っ! 言えた言えたっ!」

「………………」

「ひなっ───……雛里?」

「…………~……」

「雛里? どうし───って顔赤っ!? 頭熱っ!! 雛里さん!? アナタ早口言葉でどれだけ脳細胞活性化させてるんですか!? こんなの難しいこと覚えるよりよっぽど簡単だろ!?」

 

 ひょいと横から覗いてみれば、顔を真っ赤にして目をぐるぐる回している雛里さん。

 軽くゆすってみると「あわわ……っ!?」と肩を弾かせて戻ってきてくれた。

 

「大丈夫かっ? 雛里っ!? なぁっ!」

「───…………あ、は、はぅう……」

 

 そのまま視線を彷徨わせて、俺と視線がぶつかると再び顔を赤くして俯いてしまう。

 なんにせよ、戻ってきてくれてなによりだ。

 まさか早口言葉が彼女にとってここまで難しいものだったとは。

 

(こういうの、真桜とか霞は上手そうだよな。地和は特に上手そうだ)

 

 よく喋る人を思い浮かべてみて、少し笑う。

 そんな軽い振動に、足の上に座っている雛里が少しだけこちらを睨んでくる。睨むというよりは、悲しそうに見つめてくる。

 

「いや、雛里を笑ったんじゃないって。魏には早口が上手そうなヤツが結構居るなって思っただけなんだ」

 

 蜀はどうだろうか。翠……は意外と苦手そうな気がする。テンパった時なんかしょっちゅう(つか)えてるし。となると蒲公英か。たんぽ……あぁ……考えるまでもないよなぁ。蒲公英は上手いよ、絶対に上手い。

 鈴々は……意外に苦手そうなイメージがある。

 呉では、閊えるって分を考えなければ亞莎が結構いけそうな気がするなぁ。雪蓮は普通に出来そうだ。穏は性格上向いてない、よな。

 

「落ち着いたか?」

「い、いえあの、もう少しこのままで……」

「ん、りょーかい」

 

 二人してフスーと息を吐いて脱力。

 慌てたお陰で逃げていった眠気は、どうやらしばらく帰ってきそうにない。

 で、帰ってこない眠気の代わりに控えめなノックがやってきた。

 先ほどの雛里の言葉を考えるに、やってきたのは間違い無く───血盟に従い参上した彼女でしょう。

 少し心に陰りが生まれるのを感じながら、さっきと同じように鍵はかかってないぞーと伝える。静かに、しかし素早く開けて素早く入って素早く閉めたのは……予想通り、朱里だった。

 雛里が俺の足の間でリラックスしてても特に問題視せず、興奮した状態でタトトッと近寄ってくると、大事に抱えていたそれを無言で俺に突き出してきた。

 ……ええはい、艶本……先程の“ひみつの書”です。

 

「………」

「………はわっ!?」

 

 遠い目をしてそれを受け取ったあたりでようやく雛里の状態に気づいたのか、朱里が小さな驚きを口にする。しかしながら雛里も相当に頭をフル回転させたのか、鈍い反応しか見せない。

 ……早口がここまで脳を使うものだったとは。驚きだ。

 そして朱里サン? これはけっして、やましいことをしたあととかではありませんからね? そんな赤い顔でちらちら見られても何もありませんから。

 

「あ、あー……その。じゃあ本を見る前に、朱里も雛里と同じこと……するか?」

「はわわっ!? お、同じことでしゅかっ!? そそそっそそそれは確かに一刀さんと雛里ちゃんとは秘密を共有する同盟同士でしゅがっ、そそそそれはっ」

 

 予想通りに盛大に勘違いなさっておられるらしい。

 心の中で溜め息ひとつ、くてりと動かない雛里をまず寝台へと運び、再び椅子に座ると朱里を足の間へ。赤くはなったもののなんの抵抗もなくすとんと座った彼女に、

 

(ハテ? 勘違いしてる割には随分あっさりと……)

 

 などと思いつつも、早速始める。

 まずは呼吸を合わせることから。

 

「はい吸って~」

「はわっ!? すすす吸う!? なにをでしゅか!?」

「なにって……息だけど」

「はっ───そ、そうですねっ、呼吸は大事だと言いますしっ!」

 

 慌てた様子でゴヒュウと一気に息を吸う朱里サン。

 その様子を見守りつつ、そろそろかなと思ったところで「吐いて~」と。すると再びゴヒャーと一気に吐く朱里さんの後ろで、こんな調子で大丈夫だろうかと心配になる俺がいた。

 

「雛里とやってたことをやるわけだが……何をやるか、わかってる?」

「はうわあぁっ!? ななななにをってそのあのっ!」

「……とりあえず艶本に書かれているようなことじゃないからね?」

「!?」

 

 やんわりと言ってみると、これまた余計に誤解したのか、ドキーンと跳ねる朱里の肩。

 

「えーとな……加えて言うと、この世界の艶本にはない、まったく新しい天の技術を教えるとか、そういうものでは断じてないからな?」

「……………っ!? あ、いえあのそれはもちゅろんわかってましゅたよ!?」

 

 だったらなんでそんな、あからさまに残念そうなんですか朱里さん。

 けど待とう。技術ではないにしても、一応は天のやり方ではある。早口言葉でカミカミを直すとは言うものの、些細なカドを…………どうでもいいか、そんなこと。

 

「雛里とは早口言葉の練習をしてたんだ」

「早口言葉……ですか?」

「そう。そしたらよっぽど頭を使ったのか、ああやってぐったりしちゃって」

「あの雛里ちゃんが……」

 

 読書するよりも頭を使うなんて、人による影響の上下ってわからないもんだよな。

 これ、絶対に書いて読んで口に出すより頭を使ってるだろ。雛里限定で。……そこに朱里が加わるかもしれないが、まだ断定はできない。だからこそ、さあまいりましょう。

 

「ほら、朱里も雛里も、よく言葉を噛むだろ? だからそれを直そうと」

「あ……そうだったんですか。私はてっきり───」

 

 ……………………てっきりの先は、しばらく待っても語られなかった。

 なんとなく予想がついたから、踏み込んだりはしない。ああしないとも。

 

「で、朱里もどうだ? ここぞって時に噛むと、結構恥ずかしいだろ」

「はうっ……そ、それは、たしかにそうですけど……」

「なら想像してみてくれ。ペラペラと軽快に喋る自分を。頭の回転が速くて仕事も正確! 問われれば即座に相手の望んだ答えを返し、三国会合の場でも滞り無く話せる名軍師諸葛亮孔明!」

「───………………!」

 

 想像したのか、困惑顔に輝きが宿り、少しずつ緩んでいく。

 そして言うのだ。振り向きざまに。

 

「かじゅとさんっ! 私やりますっ!」

 

 …………早速噛んだが、熱意は伝わったから、あえて突っ込まずに頷いた。

 いや、べつに艶本から話題を逸らすためとか、そんなんじゃないですよ?

 

……。

 

 はい、そんなわけでレッスン。

 

「生麦生米生卵っ」

「なまむぎなまごめななたまもっ」

「李も桃も桃のうちっ」

「すもももももももももうひっ!」

「赤巻紙青巻紙黄巻紙っ」

「赤巻がみあおまききゃききまきゃきょきゅ」

「笹の葉ささくれササニシキ」

「笹の葉ささくれササシシシッ」

「ひつきぼしの鳳凰の握りこぶしの奥深い意義の天翔の十字の鳳ー!!」

「ひつきぼしのほうおうのにぎりぶしゅのおくぶ、奥深い意義のてっ……天翔の十字のほー!」

 

 途中でレンタヒー○ーが混ざった。

 ササニシキよりよっぽど言い易い気もする。ササシシシ。……案外言いづらかった。

 社友者は恒例になりつつあった。

 

「ふ……は、はわわわわ……」

「あー……朱里~……? 頭がゆらゆら揺れてるぞ~……?」

「らい、らいりょ~ぶれふ……かっこいいわたしに……なるんれふ……」

 

 おお、なんか今にも目を回して倒れそうなのに、彼女の中の“格好いい自分を目指す心”が諦めることを許さない! ……あれ? じゃあもしかして、きちんと言えるようになるまで動けない?

 ……だ、大丈夫! キミなら出来る! ようはきちんと言えるようになればいいんだ! 俺の鍛錬なんてそのあとでも十分だ! じゅっ……十分、だよな……? ───十分だとも!

 だから恐れることはない───協力すれば出来ないことも出来る! そのために俺達は手を伸ばして友達にも盟友にもなったんだ! その絆を試す時が、まさかカミカミ言葉を直すためだとは思わなかったけどさ!

 けど、だからこそ言おう! Yes,We,Can(そうだ、私たちは出来る)!!

 

「よしっ、頑張ろう朱里! でもまずはリラックスだな。力を抜いて、深呼吸しながら体に溜まった嫌なことを少~しずつ少ぉ~しずつ吐き出すんだ」

「は、はいぃ……」

 

 言われた通りに深呼吸をする朱里。

 さっきのようなゴヒュウゴヒャアな吸って吐いてではなく、ゆっくりと深く。

 それが終わると、やはり雛里にやらせたように一言一言をはっきりと喋る練習を。ひとつひとつを積み重ねてから、いざ本番。

 

「なまぎょっ!───……~……!!」

 

 …………。ナマギョだった。

 

 ◆ナマギョ───なまぎょ

 どこぞで釣れるナマズもどき。

 ナマズに(略)

 

 ……だから無駄な思考展開はいいって。

 とにもかくにも練習続行。

 といってもやることなんて同じで、少しずつ身につけていくしかない。

 やればやるだけ確実に身につくって保証があるならやる気も起きるってものだが、困ったことにこういうのに限って相性ってものがあるのだ。

 人とあまり話していないと噛みやすいとか聞いたことがあるけど、朱里は雛里はその典型……かな。

 きっと人と話す機会よりも本を読む時間のほうが長かったんだろうし、その知識を以って人の役に立つ場合、人と話すというよりは“知識を語る”だけだったのだろう。人と話すって意識が無い所為で、いつまで経っても慣れやしない。

 ……あ、それで言うと亞莎はどうなるんだろうか。

 

(…………亞莎も呼ぼうか)

 

 何処に居るかもわからないし、まだみんなに報告している最中かもしれないが───訊いてみて、まだ途中だったら諦めて、終わってたら招こう。

 こくりと誰にともなく頷くと、ひょいと朱里を下ろしてから立ち上がる。きょとんとした目(回り気味)が俺を見上げるが、「水を貰ってくる」と言うと妙に納得した顔で頷いてくれた。

 



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69:三国連合/滑舌をよくしましょう③

 さて。水を貰うっていうのがウソというわけでもなかったので、茶器一式を貰ってきた俺は、その途中でたとたとと歩く亞莎を発見。気軽に声をかけてみれば、ビクーンと跳ね上がる彼女の肩。

 首を痛めるぞと思わず言いそうになるくらいにバババババッと首を振って俺を発見したらしい亞莎は、

 

「………………?」

 

 いつかのようにギヌロと目を鋭く細め、こちらを睨んできた。

 ああ、事情知らなかったら睨まれてるだけだよな、これって。

 

「一刀……様?」

 

 声だけの認識だとそんなものだろう。

 というか、いつかプレゼントした眼鏡は今はつけてないのか。それともあの眼鏡でももう度が合わなくなるくらいに目が悪くなったのか。

 うわあ……後者の確率が高すぎて否定できない。

 そんな状況の中、ふと心の中にいたずら心が。

 この状況で声色とか使ったらどうなるんだろうか。

 

(よ、よし、じゃあやってみよう。仲の良い兵の声くらいなら真似られ───)

 

 などと思っていると亞莎がハフーと息を吐いた。相当な安堵の。

 ハテと首を傾げているうちに、どういうことか「一刀様ですね」と確信を持たれてしまう有様。いったい何が───もしやエスパー!? ……いや、そういえば目が悪くても、氣で相手を判断できるとか呉に居た時に聞いた気がするよ。

 よかった、声色使う前で本当によかった。

 

「あ、あーその……こほん。明命に聞いたけど、もう報せは終わったの?」

「はい。手分けしたので案外早く終わりました。報せた先でも他の者には私がと進言してくれる方が多かったので」

 

 なるほど、秋蘭や愛紗あたりはそう言いそうだ。

 逆に麗羽や七乃は面倒くさがりそうな気がする。っと、それよりもだ。

 茶器を手にする俺を見て軽く首を傾げる亞莎に、お茶に誘うわけでもなく、軽く声をかけてみる。むしろ亞莎自体、俺が茶器を持っているかどうかを理解しているかがわからないので。

 

「そっか、よかった。今ちょっと、とある練習を朱里や雛里とやってるんだけど……亞莎もどう?」

「?」

 

 よかった、という言葉に首を傾げながらきょとんとする亞莎。

 「ある練習……ですか?」と訊ねてくるが、はてさて……内容を言ったら“わわわ私はいいですっ”とか言って逃げられてしまいそうな気がするのは何故だろう。

 いや、何故もなにも発声練習とか人前での早口言葉が恥ずかしいのはわかる。やってみれば案外その恥ずかしさも“楽しい”に変わるんだが、こいうのってなんでもやるまでが問題だったりするんだよな……。

 さて、どう誘ったものだろう。

 

「発声練習。言葉の途中でどもらないように、きっぱりはっきり喋ってみようって練習なんだけど」

 

 考えてみた結果がこれだった。

 逃げられるのだとしても、まずは本人のやる気があるかどうかだもんな。なので包み隠さず全部を説明してみると───……やっぱり少し困り顔になってしまった。

 しかし返される言葉は俺が予想していたものとはまるで違い、

 

「あ、あの。私ってそんなにどもって……ますか?」

 

 ……自覚がまるでない、自身に対する驚きの言葉だった。だったのだが、俺がぽかんと停止するのを見るや、それだけで納得してしまったらしい。

 

「すすすっ、す、すいませっ……! 自覚っ、自覚が足りませんでしたっ……!」

 

 長い袖で顔を隠すようにして目をきゅっと伏せる亞莎。

 そんな彼女を前に、すぐにフォローに入る。……のだが。

 

「いやいやいやっ、べつに責めてるわけじゃないんだって! むしろそれを直す練習をしてみないかって、こうして探しに───あ」

「え……? あ、の……わざわざ探してくださったん……ですか?」

 

 少し“あちゃあ……”といった感じに言葉を紡ぐ俺に、なにやら期待を込めた視線を向ける。俺はその言葉に若干の恥ずかしさを覚えながらも、隠すことなく頷いて返した。 

 

「そういうふうに見られるの、本人としては嫌だろうなと思ったから隠そうと思ったんだけど。ごめん。でも、よかったら一緒にやらないか?」

「───……!」

 

 対する亞莎はやっぱりどこか期待を込めた瞳のままに、しかしハッとすると───あ。これ、断ろうとする時の反応だ。

 

「じゃあ行こう」

「えっ……ふえぇええっ!? あ、ああああのっ、一刀様っ!? 私はっ───」

「亞莎。別の誰かが一緒だからって遠慮しない。先約がどうとかって考え方はもちろん大事だけど、みんなで出来ることは積極的に混ざるべきだ。確かに今、雛里も朱里も部屋に居るけど、それを理由に亞莎が断るっていうなら、俺はその断る理由を断る」

「あ───」

 

 ズカズカと近付いて亞莎の手を取って、ずかずかと歩き出す。

 抵抗は最初のひと引きだけ。

 あとは軽く俯いたままではあるものの、黙ってついてきてくれた。

 ……自分でやっておいてなんだけど、亞莎ってもしかして押しに弱かったりする?

 将来が少し心配だ。

 もし誰かに思い切り惚れられて、強引に迫られでもしたら───……あれ? ……今の、なに?

 

(胸がちくりって……あの、ちょっと待とう?)

 

 この痛さは自分の世界で魏に焦がれた頃のあの痛みに似ている。

 もしかして俺……自分で思うよりも、亞莎やみんなのこと───

 

「~っ……!」

 

 顔が熱くなるのを感じた。

 思わず手を放して顔を覆いたくなるのに、この手は“放してなるものか”とでも言うかのように亞莎の手を強く握る。

 

「………」

 

 大事であることには変わりはない。好きとか嫌いとか、そんなことを置いたとしても。

 それはみんなに対して言えることで、魏や華琳を言い訳にしないと決めた時から少しずつ芽生え始めていた感情。

 みんなってのは将や王に限ったことじゃない。

 兵や民だって大事で、なのに……その“大事”が、将や王に向ける感情とは違う。

 俺は…………この気持ちは……。

 

「あ、あのっ、一刀様っ……?」

 

 ただ歩いた。

 亞莎は呼びかけはするけど振り払ったりはせず、やがて呼びかけもしないままにただついてきてくれた。通路を抜け、やがて俺の部屋まで来ると、一度だけ小さく息を飲み、同じく小さく震えたのを……手を通して感じた。

 そこでようやく気づく。

 強引にとはいえ、男の部屋に女の子を連れてきたって事態に。

 俺の顔を真正面から見るだけで慌てて逃げ出しそうになるほどの亞莎。

 そんな彼女を、強引に男の部屋に連れてきたって事実に。

 

(わぁ)

 

 自分の内側に意識を向けすぎていて、そんなことに気づけなかった。

 これからすることがなんであれ、まるでさかりのついた犬だよこれじゃあ……それで亞莎を怯えさせてちゃ世話ない。

 当然の罰だとばかりに亞莎の手を放し、その手で拳を作ると自分を殴った。

 亞莎が驚いたが、そんな彼女になんでもないからと微笑みかけると、いざ自室へ。

 殴った反動で茶器が落ちそうになったものの、慌ててバランスを取って一息。

 つまりは強引ではあったものの、帰すつもりがないのだ、俺ってやつは。

 大事だとは思う。家族を大切に思うような感覚ではある。けど、胸を突いたちくりとした感覚は……家族に向けるものでは、きっとない。

 

「すぅ……はぁ───……ん。ただいまー」

 

 気分を変えるためにも元気な声で帰還を報せると、机に居たはずの朱里はおらず───ちらりと寝台に目を向けてみれば、雛里の隣でくーすーと寝息を立てていた。

 ……なんかもう、最近自分の寝台が自分のじゃないような気がしてきてならない。

 それは俺の部屋に訪れる客が多く、しかもよく眠っていくからだろうか。

 

「あ、ごめん亞莎、入って」

「は、はひっ」

 

 寝台で眠る朱里と雛里をちらりと見て、顔を赤くする亞莎。

 また始める前に誤解を解くところから始めなきゃいけないのでしょうかと誰にともなく呟いて、結局はそうなる状況に苦笑をもらした。

 

「というわけで、さぁさ」

「ふ……え、ぇえええええっ!!?」

 

 椅子に座って、ぽむりと自分の膝を叩く。

 朱里や雛里と同じように、足の間にどうぞというゼスチャーなわけだが……これに対して本気で驚きの声をおあげなさる亞莎さん。

 正直俺も恥ずかしいが、もう差別とかそういうのはしないと決めた───そう、決めたのですよ、この北郷めは。眠気の所為じゃないよ? ただハイテンションなだけだもん。深夜でもないのに深夜テンションみたいな、脳内が賑やかなだけだよ?

 というわけで、相手が誰であろうと自分らしく。

 飾らないまま。時には飾ってもいいから、自分らしくいきましょう。

 というか、うん。こういうのって相手に拒否されると余計に恥ずかしいので、是非とも座ってくれるとありがたいです亞莎さん。

 

(嫌いじゃない。嫌いじゃないなら、仲良くなって、好きになればいい)

 

 “そういう関係”になるのが目的なんじゃない。

 でも、そういう流れになれば受け入れるといったのは自分なのだ。

 三羽鳥を受け入れようと思った時も、そして今も、その気持ちは変わらない。

 じゃあ三人とみんなの違いってなんだ?

 嫌いじゃないから求められればすぐに抱くっていうのはなんか違う。

 なら、もっと好きになっておけばいい。

 “そういう流れ”になった時に、ひどい言い訳で相手を傷つけないように。

 支柱になることが、人を抱いていいことに繋がるわけがない。

 三国の父にといくら言われようと、その気持ちは変わらない。

 だから、父がどうとかなんてことはこの際忘れよう。

 不名誉な二つ名ではあるけれど、魏の種馬って言われても、がっくりはするけどせめて苦笑でも笑っていられる自分のまま───この大陸に居る人を好きになれる自分のまま。

 

(俺らしくって、そういう意味でいいんだよな、華琳)

 

 間違ってたら殴ってでも直してもらおう。

 他人任せな決断だが、間違いっぱなしな自分で居るよりはよっぽどいい。

 なので、もうヘンな遠慮はしないことにした。

 恥ずかしいが、恥ずかしくないって言い聞かせて。

 そんなわけで───

 

「ほいっと」

「ひやうっ!?」

 

 おずおずと近寄ってきた亞莎を引き寄せて、ぽすんと足の間に座らせる。

 わぁい、自分でやっててすごい胸が痛むよこれ。どこの女たらしだ。……魏の女たらしですね、ごめんなさい。

 で、でも大丈夫~、落ち着け、落ち着け~……これは練習、早口言葉の練習。

 やましい気持ちじゃなくて───

 

(練習……そう、練習!)

 

 クワッと目を見開いて心に決めると、そこからはやっぱりリラックスから。

 くいっと亞莎の体を引くと、その背中がトンと俺の胸をノックする。

 幸いなことに、それでいろいろと覚悟を決めると同時に冷静になれた。

 よし、覚悟完了。

 

「じゃあ、初めからだな。まずはリラックス。力を抜いて、深呼吸~」

「は、はははははひっ、ふふふふつつかものですがっ……!」

「いやあの、亞莎さん? って熱っ!? あ、亞莎うわぁあっ!? 顔赤っ! 亞莎!? 亞莎! 大丈夫かっ!」

 

 ひょいと覗いてみた顔は、これでもかってくらい赤く……目はぐるぐると回り、涙さえ滲ませて……やがてこてりと力なく傾ぐ頭が、彼女の気絶を物語っていた。

 

「………」

 

 気絶した彼女を抱き上げて、椅子から立つ。

 お姫様抱っこにした彼女を寝台まで運ぶと、くーすーと寝息を立てる朱里や雛里の隣へと寝かせ、掛け布団を被せた。

 で、思うことはひとつ。

 

「どうしよう……」

 

 これしかなかった。

 で、こういう時のパターンっていうのが大体誰かが部屋を訪ねてきて、誤解を生んで俺がギャーってことになるわけで。とか思っていると、コンコンと扉を叩く音がってゲェーーーッ!! ほんとに来たァァァァ!!

 

「え、えっと、誰だー?」

 

 いつもならば“鍵はかかってないぞー”と言うところだが、今回はまずい! なんか割りといつでもまずい気がするけどとにかくまずいっ! とととっとととにかくだっ! 三人が仲良く俺の布団で眠る理由を、勘違いされることなく伝える術を考えるんだ!

 

「北郷、少し話があるんだが、いいか?」

「へ?」

 

 この声って……華佗?

 




 ゲェーーーッ! の伸ばしが長いのはキン肉的仕様です。
 すまぬ……! やっぱり肉語(キン肉マン語)の語尾は無駄に伸ばしたい……!
 いえまあこんな状況じゃなきゃ使わないでしょうけど。
 今回は1万7千字の三分割。8千あたりの分割に出来れば、と思ったのに、例のごとく丁度いいラインがありませんでした。

 早口言葉の中でも、ひつきぼしの鳳凰の握りこぶしの奥深い意義の天翔の十字の鳳は楽な部類だと思うの。


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70:三国連合/肯定者①

116/境界

 

 なんだかんだですっかり陽が沈んだ中庭の景色の中、軽く灯りを揺らす東屋。

 そこに座る華佗を前に、茶を用意してどうぞと渡す。

 

「すっかり冷めちゃってるけど、まあ不味くはないよ」

「ああ、いただこう」

 

 俺が淹れたぬるいお茶をスズ……と飲んで息を吐く。

 そうしてから大した間も取らず、彼は切り出した。

 

「北郷。武道会には出るのか?」

「へ?」

 

 出たと思えば武道会。

 てっきり医療のことや、以前に言ったゴッドヴェイドォオーへの勧誘のことかと思ってたのに。そんな俺の戸惑いを受け取ったのか、華佗はうむと頷いて腕を組み、こんな会話になる経緯を説明してくれた。

 

「……なるほど。街で噂を聞いて、それで。でもさ、どうして俺のところに?」

 

 街で聞いたのはわかった。

 が、それで俺のところに来る理由が実に謎。

 というか、一刀でいいって言ってるのに。

 

「ああ。少し気になることがあってな。北郷、あれから鍛錬は続けていたか?」

「あれから…………いや。いろいろあって、あまり出来なかった。氣の鍛錬だけはやってたけど」

「そうか、なら丁度いい。少し手を見せてくれ」

「? いいけど」

 

 はい、と……東屋の卓越しに手を伸ばす。

 華佗が伸ばされた手を右手で掴み、左手で掌をぐいぐいと押したりして何かを調べているのだが……よしわからん。指圧してくれてるわけでもないだろうし……いや待て、まさか妙な病気にかかってたり?

 ちょっ……ちょっと待った! 冗談じゃないぞ!?

 せっかくこの地でもう一度ってところまでこれたのに、こんな時に───!

 

「北郷」

「あ、ああっ、なんだっ!? 俺、もしかして死ぬのか!?」

「…………い、いや。死にはしないが……」

「……あれ? そうなの?」

 

 思考が飛びすぎていたらしい。

 冗談とも受け取れない俺の迫力に、華佗が思い切り引いてらっしゃった。

 

「……北郷。原因までははっきりとわかっていないが、伝えたいことがある」

「ん……? なんだ?」

 

 病気とかでもないらしい。

 ただ華佗自身も理解に至ってないって様子のままに、次ぐ言葉を発する。

 

「親しい者と顔を合わせるたび、変わらないなと言われないか?」

「え……ああ、言われる。結構鍛えてる筈なのに、変わらないな~って」

 

 氣は大きくなった、とは言われることもあるんだが。

 どうしてか筋肉はあまり変わらないようで。

 

「お前の筋肉だが……呉で見た時と、まるで、全く変わっていない」

「───へ?」

 

 変わって…………エ?

 

「変わったのは氣のみだ。お前の体は、まるで鍛えられていない」

「ちょっ……ちょっと待った、なんだそれ。筋肉痛とか味わったのに、まったく……?」

 

 俺の疑問にあっさりと「ああ」と返す華佗。その顔には……冗談が一切含まれていない。

 

「どういう意味だ……? あ、いや、意味はわかる。筋肉がまるで成長してないって。でも、じゃあ……なんで?」

 

 首を横に振られる。そりゃそうだ、医者だからって相手の不安をなんでも説明してくれるわけがない。

 

「以前はどうだったんだ? 天に戻る前は」

「以前は……うう」

 

 今ほど真剣に鍛錬などしなかった。

 だから筋肉がついたかどうかなんてのはひどく曖昧だ。

 その頃から御遣いの氣ってものに支えられてた自覚が、今ならあるにはあるが───

 

「ごめん、覚えてない。魏将相手に軽い立ち合いめいたものをやったことはあるけど、どうせ負けるんだって半端な気持ちでやってたから」

「……そうか」

 

 思えば随分と不真面目だった。

 あの頃からもっと鍛えておけばよかったと後悔が浮かぶ。

 曖昧のままにその頃のことと今の自分の状態を説明してみても、華佗は眉を顰めるだけ。しかしながら思考を回転させて、予想の域を出ない言葉でもきちんと話してくれる。

 

「そうだな……今の北郷はまるで、氣と意識だけがここにあるような感じだ」

「え? 幽霊みたいな?」

「いや。体はきちんとここにある。あるが、まるで体の時間は止まっているような……」

「………」

 

 その言葉を聞いて、ぎしりと、身体の奥の何かが軋んだ気がした。

 …………あれ?

 ちょっと待て? 体の時間が……?

 

「………」

 

 乱世の頃、時間をかけて天下を統一した。

 服だってぼろぼろ、いろいろな経験をしたし、思ったよりも長い時間を生きた。

 なのに───……家族の反応は、どうだった?

 

(服がところどころ痛んでいたことに驚かれた。でも……)

 

 疑問が浮かぶ。その度、ぎしりぎしりと嫌な予感と、答えに向かってくれるのかもわからない予想がいくつも作られていく。

 その中でもとびっきり。

 当たって欲しくない予想ばかりが、自分の想像や状況と一致していく。

 それはつまり、自身への疑問だったり、確かにそうであることへの答えであったり。

 俺は……俺は。

 あの頃、そしてこの世界にこうして戻った今でも、一度でも───“髪を切ったか”?

 

「あ……れ……?」

「北郷?」

 

 体が震えている。

 考えてしまった事実に、頭が追いついてくれない。

 けど、予感や判断材料はあったはずだ。

 俺が天に戻った時、時間は少しでも動いていたか?

 服は確かに汚れた。けど、それは“体の時間”とは関係のないものだからだ。携帯だって壊れた。壊れて、そのままだった。

 じゃあ体は? そりゃあ擦り傷切り傷を負った。言った通り、筋肉痛だって味わった。

 でもそれは氣ってものや感覚が覚えていたもので、もし本当に体が成長するためのものではなかったのだとしたら───

 

「………」

 

 体は鍛えた分、天で成長しているかもしれない。

 それは、以前ならば極僅かだからこそ家族に気づかれなかった程度で、今回は別かもしれない。じゃあもし天に戻ったら、急にゴリモリマッスルになったりするんだろうか。……それは、さぞかし驚くだろうな。主に及川が。

 

「なにか心当たりはあるのか?」

「……予想でしかないけど、一応」

 

 周りに誰も居ないことを確認したのち、一応思春の氣も探ってから……話し始める。

 今の自分が予想したことの全て。

 もちろん予想でしかないないのだが、華佗は真面目に受け取り、何度も頷いていた。

 

「天でのことはなんとも言えないが……そもそもお前が天から降りてきたこと自体が不思議な現象だと俺は思っている。そこになんらかの不可思議が混ざったところで、それはそういうものだとしか受け取れない」

「……そうなんだよなぁ」

 

 そうなのだ。

 何がどう起こっていようと、これから起きようと、俺はそれを受け入れることしか出来ない。何故って、どういう原理でそんなことが起こっているのかさえわかっていないからだ。

 

「えっとつまり…………そういうことなんだよな?」

「そういうこと、というのが何を差すのか……予想はついているつもりだが……」

 

 辛いと言えばいいのだろうか。悲しいと言えばいいのだろうか。

 この世界はお前の本当の世界ではないと言われているようで、寂しくなる。

 

「覚悟は決められそうか?」

「今までで一番辛い覚悟になりそうだよ。なにせ───……」

 

 いろいろなものを見届けなければいけないことになりそうだ。

 その中で俺は何度泣くのだろう。

 それを考えるだけで、胸を突く痛みは大きくなるばかりだった。

 

「華佗。このことは───」

「大丈夫だ。医者は個人の秘密を他者に漏らしたりはしない」

「……はは、これが医療と関係あるかはわからないけど、助かるよ」

「ああ」

 

 ふっと笑い、華佗が息を吐く。

 ……まさか、こんなことを話すことになるとは思わなかった。華佗も、こんなことを聞くことになるとは思わなかっただろう。

 

「えと……」

 

 深呼吸をひとつ、静寂が辛くなったので話を振ることにした。

 えぇと、話題話題……そうだ。

 

「俺の体ってさ、鍛えても筋肉はつかないんだよな? でも氣は鍛えられてる」

「ああ。鍛えたなら強くなると思いがちで、勘違いをする時もあるとは思うが───筋肉はついていない」

「……あ、ああ……」

 

 つまりあれですね? 少し筋肉ついたなーとか思ってたのは、通販とかで高い金を出して手に入れた商品を使った際、なんとなくよくなったと思い込みたい見栄みたいな……アレですね?

 今さらながら、鏡の前でポージングを取ったりしていた自分が恥ずかしい。

 

「じゃあつまり、俺がこの世界で強くなるには───」

「氣をとにかく充実させることと、氣脈を広げること。さらには氣の扱いに慣れること。あとはお前自身がどれだけ相手の動きを見切れるか。それだけだろう」

「……走った日々とかは無駄だったり?」

「いや、無駄ということはない。動きながら氣を意識することで、確かに氣の流れを操れるようにはなっている筈だ」

「そ、そか」

 

 それを聞いて安心した。無駄だったなんて言われてたら泣いてたよ。

 

「はー……」

 

 そっかぁ……体は鍛えても無駄か、天の体に蓄積されているか、かぁ。

 でもな。殴られれば痛いし痛覚はきちんとあるのに、この体が本物ではないって言われてるみたいでこう、妙に違和感が。それについて訊いてみれば、

 

「行動するからには体が必要で、その体は天から降りたお前がこの世界で動くための器のようなもの、と考えればいいんじゃないか? 体というものは本人が気づいていないだけで、氣や意思といったもので動いている。それらはひと纏めにしてみれば、“命”としか言えないものだ」

「……ん、んん……?」

 

 どうにも判断に困る言葉で返された。……いや、俺が落ち着けていないだけなんだろう。今はどんな言葉を言われても、冷静のつもりでも冷静になれないままに聞くことしか出来無さそうだ。

 

「心臓が止まれば死ぬ。心臓が無事でも筋が切れれば手は動かない。血が無ければ死ぬし、だがそれ以前に生きている意思が無ければ、体が満足な状態であったところで機能しない。人というのはそういうものだろう?」

「まあ……確かに」

「医者としての考えでも普通の考え方でも、どれだけ考えようと確信に至れないものなど山ほどあるが───わかっていることはあるにはある」

「それは?」

 

 こっちはわからないことだらけなんだが。

 そんな気持ちも込めて訊いてみれば、

 

「北郷。お前は確かに生きているということだ」

 

 と返された。

 ……当然といえば当然のことだが……なるほど。この体がどうなっているのか、と考えるよりも、生きて大切な人の傍に居ることを考えるのも悪くない。

 わからないならわからないなりに、か。

 あれ? でも待てよ?

 俺が天に戻った時、天の時間はてんで流れてなかった。

 ハッと気づけば教室に居たんだ。学校に行く前に確認した日のままだった。

 

「……あのさ。この体、ちゃんと俺のだと思う」

「? どういう意味だ?」

「前に天に戻った時だけど、時間が全然経ってなかったんだ。この世界であれだけの時間を過ごしたのに、全然。それって俺が……えぇっと、おかしな話になるけど───」

「ああいい。話してくれ」

「……ああ」

 

 一度頭の中を纏める。

 時間が経たなかった理由や、氣ばかりが成長する理由。

 おそらく、そんなものはゲームや小説の中でしかありえないこととか考えていたが、現にこんなゲームみたいな現象とともに別の時代に飛んじゃってるんだから……改めて考えてしまえば、今さらすぎて逆に笑えてしまう。

 

「俺は天で生きるべき存在だから、天以外では時間の流れに影響されないんじゃないかな。傷が出来れば治るけど、それは成長じゃなくてあくまで治癒。氣が成長するのは、氣ってものが体の成長に影響されないものだから、とか……」

 

 自分でも確信に至らないことを並べる。

 纏めたところで何一つ正解に至ってなどいないんだと自分が疑いたくなるようなこと。

 でも、じゃあ説明しきれるかといえば無理なのだ。

 わからないから理解を求めるんだが、そもそも前例がない時点でお手上げだ。

 

「……確かに産まれた頃から異常に氣が高い者も居る。かと思えば一切の才もなく、氣さえ満足に持てずに産まれる者も。そういった意味では、氣というものは人体の成長にはそこまでの関係は無い、かもしれないが……」

「というか、成長しないのに痛覚はきちんとあるんだからたまらないよな……」

 

 どうせなら、不死身の男! 北郷一刀であるー! って勇猛で居られれば……ああ、なんか無理だ。不死身であっても怖いものは怖い。春蘭の眼力ひとつでヒィと叫んで逃げる自分しか想像出来ないや。

 

(……成長しない、か)

 

 他にも居たりするんだろうか。

 俺みたいに、わけもわからずこういう世界に飛ばされて、歳もとれずにずぅっと世界を見守っているような存在が。

 居たら友達になれたりするだろうか。

 そんなことを考えたら、夢の中に出てきた貂蝉が頭に浮かんだ。

 ……いや、いやいやいや、さすがにそれはないだろっ……なぁ!?

 

「………」

 

 “でも”、だ。

 もし貂蝉や、貂蝉が言ってた“彼”……左慈が、そんな存在だとしたら……。

 

(俺、どうするんだろうな)

 

 外史の肯定と否定の具現として生まれたと聞いた。

 生まれたって、どうやって? 俺はこの地で“産まれた”って過去を持たないから、“生まれた”というのなら降りた瞬間だ。

 どんなきっかけがあるにせよ、こうして降り立って前を見た。

 この世界を愛している。一緒に歩ける人を、手を繋ぐみんなを愛している。

 そんな世界を終わらせたくないという自分を自覚した時点で───

 

(……そっか)

 

 俺は肯定者なんだ。

 他の外史がどんな行動を取っていようと関係無い。

 俺はこの世界の終わりを認めたくはないだろうし、続いてほしいと思う。そう思った時点で俺は肯定者として生まれていて、いつか来るであろう、左慈ってやつの敵なのだ。

 そして、そう自覚するもっとずっと前から、左慈にとっての俺は敵でしかない。

 どんな目的があったにせよ、必要だった銅鏡ってやつを盗んだところを俺に邪魔されたとなれば、相当に恨んでいる筈だ。なら───

 

(強くならないとな。相手がどれほど強いかがわからない上に、こんな幸せを噛み締められる世界を否定しようっていうなら。俺とあんたは敵にしかなれない)

 

 説得が通じるのなら、きっと肯定者である貂蝉がとっくにやっていた筈だ。

 なのに今でも否定を続けているのなら、つまりは力ずくで納得させるしかないわけだ。

 

(ははっ……)

 

 なんだろうな、この状況。

 俺と桃香が似てるって自覚があるからなのかな。

 この状況……まるで、自分の夢の前に華琳って壁が現れた時の桃香じゃないか。

 力じゃなければ納得させられないなんて……辛いな。辛いけど……。

 

(───譲れない)

 

 ずっと考え事をする俺に、華佗が困惑の視線を送るが……俺は深呼吸をするとニカッと笑ってみせて、もう一度深呼吸をしてから……心静かなままに胸をノックした。

 強くなろう。

 いつ来るのかも知らない、あの貂蝉自体がやけにリアルな夢でした、なんてオチもあるかもしれないが───それでも、今自分に出来る全てを以って、この世界を肯定する。

 

(……目標、出来た)

 

 きっとずっと変わらない目標。

 この国を、大地を、人々を愛し、この世界を肯定し続ける。

 冷静に考えれば本当にファンタジックな話だし、裏付けるものなんてそうそう無いのも事実だけれど。ファンタジー……幻想に裏づけなんて必要ないのだ。起こらないことが起こるから幻想。そう思って受け入れれば、受け入れた分だけ意味を以って頑張れるのだから。

 

「よしっ! ふんっ!! ~……いァッ……!!」

「ほ、北郷……!?」

 

 両の頬を思いっきり、本当に思いっきりブッ叩き、喝を入れる。

 あまりの痛さにヘンな声が出て涙も出る。が、そんなものは無視だ。

 

「華佗っ、氣が異常に高いお前にお願いがあるっ!」

「あ、ああ。俺も元々その話をするために、武道会の話を持ち出したんだが……」

「え? そうなの?」

 

 涙で滲む視界をグイッと拭って、きょとんとする。

 そんな俺を華佗は苦笑で迎え、

 

「筋肉がつかないのなら氣を強化するしかないだろう。そういう話をするために、筋肉の話をしたんだ」

「……で、俺が急に勘違いをして話を逸らしたから今の状況があると」

「ま、まあ、端的に言えば」

「………」

 

 素直にゴメンナサイと頭を下げた。




 PCが届いたわけではありませんが、とりあえずなんとか分割。
 様々なスタートアッププログラムを停止させてみましたら、今のところ安定している模様。
 この調子で安定してくれたらいいんですけどね、なんか無理そう。
 ダメそうならとりあえず初期化。初期化すらだめならいろいろ考えよう。


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70:三国連合/肯定者②

 さて。

 そんなわけで話を振り出しに戻して、氣の話。

 

「北郷。お前の氣は天と地の両方で成り立っている。他に類を見ない希少な氣だ」

「ん……あまり実感ないけど」

 

 手に氣を集めてみる。

 右手に力、左手に守りといった感じに。

 それを胸の前でパンッと合わせてみれば、輝く氣の完成である。

 

「氣が輝くか。燃え盛る氣を見たことはあるが、輝くものは初めてかもしれないな」

「そうなのか? ……燃え盛る氣っていうのは身近に覚えがあるけど」

 

 氣弾で看板ブチ壊して悪者を捕まえてきて、犬のようにハウハウと笑顔だった誰かさんとか。うん、思い出さないようにしよう。

 

「だが、それはまだ完全じゃない」

「へ?」

 

 ホォオアァアア……と、アニメとかであるように輝く氣を右手に纏わせたまま、奇妙なポーズを取っていた俺へと言葉を投げる華佗。

 完全じゃないとはいったい?

 

「そもそも、産まれた時点で一つの体に一つの氣があるというのに、力と守り、一つずつを出せることが異常だ」

「……あ」

 

 言われてみればそうだ。

 体はひとつなのに、氣だけは二つ。

 天だ地だとどれだけ言っても、別々に出せるのは逆に怖く感じる。

 

「そこで、さっき手を見せてもらったわけだが───やはりお前の中には氣脈が二つ存在している。ようするに力と守りの氣脈だな」

「今さらだけど、それって大丈夫なのか? なにかの拍子で弾けて、氣脈が潰れたりとか」

「もちろんある」

「あるの!?」

 

 怖っ!? じゃあ下手したら俺の体、破裂してたかもしれないってこと!?

 こっ……これからは気をつけよう……! 本当に……!

 

「え、えええぇえっとぉおお……!? かっ……完全じゃないってのは、つまり……?」

「ああ。つまりお前は氣を出して本気で向かう際に、二つの氣を出して合わせなければ本気が出せない。闘うのにまずひとつの行程を終わらせなければいけないんだ」

「あ」

 

 またも、言われてみればそうだった。

 その行程も木刀に氣を流すことで合わせてたから、特に気にしてなかった。

 だって両手持ちですもの。

 

「じゃあ、完全ってのは」

「そうだ。氣脈をひとつにして、最初から攻守の氣を使えるようにしてやればいい」

「おおっ……! …………OH? あれちょっと待て? それって、失敗すると───」

「ああ。破裂するな」

「え、笑顔でしれっと!」

 

 やっぱり怖っ! 怖…………怖い、が……。

 

「それで強くなれるのかな」

「最初は持て余すだろう。だが、扱い方さえ間違わずに順応させれば、二つ分の氣脈の分、さらには一つの行程を終わらせる必要がない分、力強くも素早くも動けるようになるだろう」

「………」

 

 ごくりと喉が鳴る。

 

「俺ならその手助けをしてやれると思ってこうして来たんだが……最終的な判断はお前に任せる。こればかりは本人の意思がなければどうにも出来な───」

「やってくれ!」

「………」

 

 華佗の言葉が終わるより先に、そう言って返す。

 守るため、愛するため。なにより自分のために、自分の責任で以って受け止める。

 強くなれる可能性を捨てるなんてことはしない。

 強くなって、一歩でも理想の自分と理想の未来へ近付くために……躊躇も恐怖も捨て去って、真っ直ぐに華佗の目を見た。

 

「……よし。ならばもう問答は無しだ。俺の針と五斗米道の力を以って、お前の氣をひとつにする!」

「ああ、やってくれっ!」

 

 言うや否や、華佗が席を立ち、俺にも立つように言う。

 次に促されるままに卓の上に仰向けに寝そべり、先ほどよりも一層に険しくなった華佗の顔を見上げる。やさしさといった甘い感情は脇に置いたまま、一度目を片手で覆い───スッと払うようにどかした手の先には、異色に輝く瞳。

 

「はぁああああああああっ……!!!」

 

 途端に華佗の体から氣が溢れる。

 傍に居るだけでも息を飲むほどの氣の流れに息を飲むが、その氣がどんどんと収束していく。思わず感覚で辿ってみれば───それは全て、彼の目へと集っていっていた。

 

「必察……! 必治癒……!」

 

 いつ聞いても必殺必中としか聞こえないその言葉にやはり息を飲む。

 さらに、目に集う氣が俺を内部まで視線で射抜き、俺の氣脈の流れが凝視されている感覚。

 彼の氣を追えばこそ感じるその感覚に、不思議と安心を感じるのは何故だろう。

 気づけば物騒な言葉に聞こえた言葉への恐怖など消え、身構えることもなく、構えられた(はり)が落とされるのを安心して待っている自分が居る。

 ……なるほど。これは、華佗なら必ず成功させるって確信の表れなのだろう。

 でも正直、鍼で刺されるのは怖いです。

 

「───見えたっ! 我が身、我が鍼と一つなり! 二つの氣脈が重なる位置を、我が鍼を以って一つと成す! 元気にぃぃいいいっ……なぁああれぇええーっ!!」

 

 元気ですが!? とツッコミたくなる自分を我慢し、落とされる鍼を見送った。

 それが落とされたのは───なんと心臓付近。

 ズッ、と突き刺されたソレが一気に鍼を摘んでいる部分まで埋まると、鋭い痛みとともに体の中で熱が暴れた。

 

「っ───!? あ、あぐ、あっ……!? あっ……つ……!?」

 

 熱い。

 焼き(ごて)を押し付けられるとまではいかないまでも、熱湯をぶちまけられたような熱が心臓から広がる感覚。熱をなんとかして体から出したいのに、華佗がそれを制止する。

 

「かっ、……だ……!?」

「堪えるんだ。今、体の中で二つの氣が融合している。下手にどちらかの氣を閉ざすようなことをすれば、今まで均等に育てられてきた攻守の氣に乱れが発する」

「そ、んなっ……だってっ……! 無茶、言、う……あっ! がっ、あぁああああっ!!」

 

 熱い……熱い、熱い熱い熱い!!

 焼け爛れるような熱じゃないのに、ただ熱くて苦しい! いっそ焼き爛れれば熱いって感覚からも逃げられるだろうに、この熱はそれを許してくれない!

 

「無茶を言っていることはわかっている。だが、無理矢理にでもいい。ゆっくりと……氣を落ち着かせてくれ」

「っ……こ、んのっ……!」

 

 本当に、なんて無茶を言いやがるのか。

 熱さのあまりに暴れ出したい自分さえ抑えているというのに、これからさらに氣を落ち着かせろと言う。というかむしろ気絶でもさせてくれた方がありがたい……! ……のに、なんとか言葉として放ってみれば、「気絶したら死ぬ」のだそうです。

 けどっ……けど、落ち着かせればこの熱さから逃れられるかもしれない。

 だったら、苦しくてもやらないと……やらないと、心が折れる……! 折れたら、そのまま自分が壊れてしまいそうな気がする……!

 

(そりゃ、そんな簡単にっ……強くなれるとは、思ってなかった、けど……さっ……!)

 

 ギシギシと歯が軋む。

 その音でようやく自分が歯を思い切り食い縛っていることに気づいた。

 息は荒れ放題。

 指はミチミチと拳を作り、今にも掌の皮膚を貫きそうなほど力んで。

 しかし……意外にも、暴れることだけはしなかった。

 これだけ自分の意思の外で動いてくれているっていうのに、この体は……。

 

(無意識下でも、強くなることを諦めたくないのか……)

 

 さすがに呆れた。

 呆れたのに、荒くなっていた息遣いが、一度だけ大きく息を噴き出した。

 そう。笑ったのだ、こんな状況で。

 

(呼吸を……!)

 

 荒れる自分の中を、自分の意思でコントロールしようと努める。

 息を吐ききろうとする時、人はほんの少しだけ熱というものを和らげてくれる……そんなことを何処かで見たか聞いたかした気がする。だから、荒れる呼吸を無理矢理整えることも含め、さらには熱を吐き切る意味も込めて、長く長く息を吐いた。

 その、ほんの僅かな……本当に小さく、感じる温度が下がった気がするってだけの錯覚にも近い瞬間に、

 

(氣を───!!)

 

 迷うことなく氣を落ち着かせにかかる。

 しかし当然、そんなに容易く落ち着いてくれるわけもない。

 すぐに戻る熱の感覚に叫びを上げそうになるが、再び噛み締められた歯が言葉を発することを許さなかった。

 

「ぐっ、くっ、ぐ、ひっ……ふぐっ……! ふー! ふーっ……!!」

 

 自分の中の熱と戦う。

 コメカミ辺りに激痛が走り、視界がチカチカと点滅し出す。

 それでも意識はただただ氣を落ち着かせるためだけに───!

 

(っ……くっ……!)

 

 熱に堪える中である程度の覚悟が溜まれば、再び息を吐き続け、錯覚にも近い小さな体感温度差の中で氣を落ち着かせにかかる。それを、落ち着いてくれるまで何度も、何度も繰り返した。

 その過程で、いつか祭さんとやった錬氣術講座の中で起こった現象が何度か起こったが、舞い降りた天使さんには早々に退場してもらった。

 

「っ……~っ……つ……っ……はっ……!!」

 

 ……やがて、峠を越える。

 氣を落ち着かせ続け、ようやく訪れた脱力の瞬間に体が歓喜したのを感じた。

 手はとっくに血塗れで、体中は汗だく。

 どこにそれだけの水分があったんだってくらいに汗も涙も流し放題で、息苦しくてなんとか拭った口と手には、真っ赤な泡が付着していた。なるほど、こりゃ死ぬわ。

 歯を食い縛りすぎたんだろう、どこかが破裂したとかではなく、歯とか歯茎が痛い。

 氣を落ち着かせることに集中しきっていた所為か、息はとっくに整っているものの……全身はもう疲労で一杯だ。立ち上がるのでさえ難儀しそうなほど。

 しかしそんな体に、一度抜き取られた鍼がトストスと落とされると───今度は疲労しかないと言っても過言なんかじゃなかった体に力が宿る。

 疲労が逆転して活力になるような、そんな奇妙な感覚だ。

 

「か、華佗? これってあでっ!? いだっ、いたたたたっ!? あ、あいーっ!?」

 

 筋肉が軋む! 筋肉かどうかも疲れのためか判断し切れないけどとにかく筋が吊るっ!! いたっ! なななななんだこれ!

 

「ああ。氣の熱で痛んでいた氣脈に治療の鍼を通した。今日ゆっくり休めば、明日にでもよくなっているだろう」

「そ、そうなのっ……かっ……かかかぁああいだだだだだぁああーっ!!」

 

 痛さのあまりに、痛みに慣れようと無理していた体が、今度は無理矢理普通に戻されようとしている! なんかもう体が突然の変化に悲鳴を上げて、俺も悲鳴だらけだよ!

 しかしその痛さも、さっきの熱に比べれば全然マシだ。

 少ししたら痛さに慣れてきて、顔を顰めながらも息を吐くことが出来た。

 

「動けそうか?」

「ちょ、ちょっと待って」

 

 体を起こしてみる。……起きなかった。

 ならばと指を動かして卓の端を掴むと、力を込めて体を起こす。

 ミシミシと軋みながら起き上がった体で卓から降りる……のだが、足に力が入らずにその場にへたりこんでしまう。

 

「お、おおうっ……これはまた……」

 

 足が不自由な人の気持ちってこんな感じなんだろうか。

 ……いや、もっとひどいか。

 こっちはまだ、根性出せば立てないことも…………っく、ぬ、ふぅんぬぅううっ!!

 

「かっ……~っ……体が、言うこと聞かない……!」

 

 足がガクガクだ。

 いったいどれだけ筋肉を緊張させていたのか。

 けれどなんとか立ち上がると、一歩を進んでみて……ズキーンと走る痛みに停止。

 カタカタと震えたのち、また一歩を歩んで停止。

 華佗が見守る中でそんなことを続け、…………結局は肩を借りて、自室に戻ることに。

 うん……無理はいけないよね。素直に肩借りればよかった。

 

……。

 

 というわけで自室の扉の前に戻ってきた俺は、

 

「ア」

 

 部屋の中の状態を思い出して固まった。

 待て、部屋に戻っても寝れないんじゃないか? これ。

 でも着替えは部屋の中だもんな……入らないわけにはいかない。

 しかしながら扉を開けるということは、華佗に“俺の部屋の寝台で眠る3人”を見せることになるわけで。そうするとあらぬ誤解が生まれる……生まれないか。華佗ならそういうことは話さない。そう言ってたじゃないか。

 

「ん、ん、んんっ……」

 

 体を少し動かしてみる。

 ……よっぽどさっきの鍼が効果的だったのか、さっきよりは抵抗なく体は動いた。ただし痛いのは変わらない。

 

「よし……ちょっと待ってて。着替え持ってくる」

「? ここで寝ないのか? お前の部屋なんだろう?」

「う……そうなんだけど。今日はお客さんが寝台を占領しちゃっててさ」

「そうか。好かれているな」

「客=そういう人って考えは、もう誰もが持っているんだろうか」

「好きでもない男の寝台で眠る奴が居るか?」

「…………ああっ、そりゃそうだっ」

 

 なんだか妙に納得した瞬間だった。

 ポムと手を打ってみれば、ズキーンと痛む俺の体。

 涙を滲ませながらも扉を押し開いて中に入ると、さっきと大して変わらない状態のままの三人。その傍らにあるバッグを手に、やはりギシリギシリと歩いて部屋をあとにする。っと、灯りは消そうな。

 

(ん……あれ?)

 

 そういえば今日は美羽が居ないな。

 七乃のところでお泊りかな?

 

(それならそれの方がいいよな、今日に限っては)

 

 小さく苦笑して部屋を出る。

 

「……よし、と。お待たせ」

「ああ。それでお前は何処で寝るんだ?」

「隊舎の仮眠室でも使おうかなって。あそこなら、今の自室よりも狭い思いをせずに眠れそうだ」

「そうか。じゃあ俺も部屋に戻ろう」

「へ? ……部屋、用意されてるのか?」

「ああ。曹操に風邪を引く馬鹿が出るだろうから泊まっていけと」

「………」

 

 なんでもかんでも見透かしすぎです、華琳さま。

 でも……うむう、確かにこの格好のままだと風邪を引く。

 早く着替えないとな。

 

「じゃあ、風邪引いたらよろしく頼むよ」

「任せておけ。この鍼と五斗米道の名にかけて、その病魔を滅してやろう」

 

 頼もしい限りだ。

 出来ればもうあんな痛い目に遭うのはごめんだが、あれはモノがモノだったからだろう。

 そんなわけで華佗と別れて……隊舎へゾンビの如く辿り着くと、途中の見張りに事情を話して通してもらう。何か妙なこと言われるかなーとか思ったものの、兵たちは普通に招いてくれた。

 

「北郷隊長、また鍛錬ですか?」

「へ? あ、いや、今回はちょっと違うんだ。氣の……開発っていうのかな、あれ」

「開発……ですか?」

「ははっ、いや。仮眠室借りていいか? 空いてなかったらべつにいいけど」

「いえ、空いていますのでどうぞ使ってください。というか北郷隊長、隊長の身でべつにいいとか、あまり遠慮なさらずに。ここは警備隊の隊舎で、隊長の場所でもあるんですから」

「……そう言ってくれると、助かるよ」

 

 少しだけ遠慮の気持ちが軽くなる。

 ともかく仮眠室へと向かってそこで着替えて、すっかり冷えてしまった体で軽く運動。少しだけ暖まってから布団に入ると、深呼吸をした。

 

「あの。北郷隊長? まだ起きていますか?」

「ん? おー」

 

 その深呼吸に合わせるように聞こえた声に返事をする。

 軽い木製の扉の先に居るさっきの兵が、少し遠慮がちな声で訊ねてきた。

 

「今日はいったい何故こちらへ? いや、はは、隊長の場所でもあるとか言っておいてなんですけど」

「……いや。ちょっとお客さんに自分の寝台を占領されちゃってさ」

「…………北郷隊長も大変ですね。いろいろと」

「まあ、楽しいのが救いだし……大変だけど、嫌ではないから」

「そうですか。ははっ……」

「?」

 

 納得したという感じの返事のあとに、小さく“やっぱり隊長だなぁ”なんて声が聞こえた気がした。やっぱりってどういう意味かと訊き返そうとするのだが───それを口にするより先に瞼が勝手に下り、視界を塞ぐ。

 体はすっかりと脱力状態になっていて、続けられる兵の声も完全に聞き取り切れずに……いつしか、夢の世界へと旅立っていた。

 

 

 ……こののち。

 誰かが俺の部屋に忍び込んだりしたらしいのだが、目的の人物を発見出来ないどころか、女の子が三人仲良く寝ている寝台を見て暴走。

 三人に悪戯でもしようとしたのだろうが、その悪しき氣を感じ取ったのか急に目を覚ました亞莎に迎撃される。突然のことに訳もわからず逃げ出したその者は、結局何処に逃げたのか捕まえられず終いだそうなのだが……。

 翌朝、何故か擦れ違ったりするたびにギロリと睨んでくる、とある人物が居た。

 とある人物というか、まあ地和なんだが───そんな彼女の頭にたんこぶのようなものが出来ていたことには、触れてやらないほうが身のためなのだと思う。




 さて、暴露回……と言っていいのでしょうか。
 自分の中の外史を纏めるとこんな感じですといったお話です。
 あくまで個人の見解なので、自分の外史理論をお持ちの方はあらあらまあまあとスルーしてくだされば。

 そもそも左慈や貂蝉が否定や肯定で生まれたと言われても謎です。
 どう生まれたのかなーとか考えましたし。
 外史って力で、于吉がやるみたいにポポンッと人型を作る感じで生まれるのか、それとも外史に迷い込んだ誰かを肯定者にするのか否定者にするのか。いろいろ考えましたが、自分的には後者かなと。
 もちろん別の生まれ方とかもあるのでしょうが……あの姿のまま、ずっと外史を見守っているのなら、やっぱり産まれたというよりは生まれたのかなぁと。

 じゃあこんな考え方はどうでしょう。

 左慈や于吉や貂蝉や卑弥呼も、別の外史から呼ばれた存在で、それぞれがその世界を憎み、愛しく思ったままに取り残された存在だとしたら、という考えは。いや、強引臭満点かもしれませんが。
 否定を糧に生まれたなら人の思念の集合体だ、で片付ければいいんでしょうけどね。
 こういうの考え出すと、妙に深読みするタイプの人間なんです、自分。
 そのくせ学が無いから妙な方向へと跳ぶこと飛ぶこと。

 では、PCが無事ならまた近い内に!
 ダメなら───いいからテーピングだ!! ……テーピングで直ったら苦労はしませんが。


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71:三国連合/氣の扱い方【基礎強化編】①

117/ガンバルマン

 

 ギッ……ギッ……ギッ……ギッ……!

 

「いっちにっ、さんっしっ……!」

 

 朝が来た。

 快晴の空から降りる陽の光にあてられながら隊舎から戻った俺は、きたる武道会に向けての鍛錬のため、中庭に来ていた。

 自室の寝台に比べると硬さを感じる隊舎の仮眠室は、なんというかこう……懐かしい香りがしたりするのだが、いかんせん体が痛くなることがある。そんな体を伸ばすように準備運動から始めているわけだが……屈伸運動がやけに気持ちいい。バッグを持ってきたこともあって、胴着にもきっちりと着替えての朝の運動。それだけでも気持ちのいいものであるわけだが。

 

「よっし! 準備運動終わり! 走るぞ~♪」

 

 華琳から鍛錬禁止が命じられてから数日。

 うずいていた体を思い切り動かせることもあって、妙なテンションのままに中庭の端の石段を登って外壁へ。そこで見張りをしていた兵に朝の挨拶をしてから早速走る───のだが。

 

「ほっ、とっ、あ、ぉおっ!? とわぁっ!?」

 

 一歩、二歩と加速した途端に足がもつれた。

 慌てて体勢を立て直して、その場で立ち止まる。

 

「…………あれ?」

 

 氣の調節が上手くいかない。

 いままで通りに足に氣を込めて走ろうとしたのだが、今まで通りに動いてくれない。

 

「い、いやいや……そりゃ華佗には持て余すだろうとか言われたぞ? でも一歩目からこれはないだろ……」

 

 普通持て余すとかって、少しは今まで通りに出来たのに、一定以上いくと暴走~とかさ、ほら…………ねぇ?

 

「………」

 

 両足に氣を送る。

 少しだけピリッとした痛みが足に走った。

 構わず続けると、胴着の間から輝きが漏れた。……不気味だった。

 

「うーん……凪の氣が炎みたいに赤いように、俺の氣は光る……のか?」

 

 でも剣道袴の間からモシャアアアアと漏れる光は不気味以外のなにものでもない。

 インテリアとかでこういうのがありそうだとか考えると余計だよ。

 体内からは出さないようにしような。じゃないと、相手に次の行動を当ててみてくださいって言ってるようなものだ。

 

「ともあれ、まずは一歩」

 

 不思議な金色の氣。

 攻守……天の御遣いとしての氣と、普通の北郷一刀としての氣が混ざり合ったもの。

 それが一緒になった金色の氣ときちんと付き合うのはこれが初めてなのだ。

 急に走らず、まずはゆっくり慣れよう。

 大丈夫、人間は順応できる生き物さ。

 

「二歩~……」

 

 そろりと歩く。

 というのも、氣の感覚と足自身の感覚がひどく一致しないのだ。

 足の感覚で持ち上げても氣が重りのようにずっしりと圧し掛かり、ならばと氣の感覚で持ち上げると足の感覚が追いつくより先に持ち上がる感じ。結果的に素早く動けるのだが、麻痺した足を地面に下ろしたみたいに心許ない。下ろして一瞬置いてから“足が下りた感触”が足に届くのだ。これは怖いとばかりに別の動かし方を探してみれば、今度は氣が先走って体があとから動く始末。

 普通に歩く分には問題ないのに、鍛錬となるとちぐはぐになる。

 

「怖っ……!」

 

 なので一歩一歩慎重に。

 できるだけ足と氣の感覚を同調させて、一歩二歩と歩く。

 事情を知らない人が見れば、足場がきちんとあるというのに綱渡りの練習をしている人のように見えることだろう。でも真剣なんですわかってください。

 

「……………」

 

 “歩く”なんて行為にここまで集中したのはどれくらいぶりか。

 もはや自分では思い出せもしない、初めて立った時や初めて歩いた時にも匹敵するのであろう集中。それを以って、一歩一歩を───

 

「あっ、お兄ちゃんなのだっ!」

「あ、兄ちゃん!」

 

 ───ぽてりと踏み出した時。

 見下ろす中庭の景色に、立ち木の下の俺のバッグ近くに立ち、俺へと手を振る小さな猛将さんたちから……元気な挨拶がありましたとさ。なんだろう。とっても嫌な予感がする。

 そんな予感を抱きながら、ズドドドドと石段を登ってくる二人……鈴々と季衣を見る。

 元気に駆け寄ってきた彼女らは、俺が胴着姿なのをきっちり確認するやお互いを睨み始め、「足の速さで勝負なのだー!」とか「お前なんかに負けるかー!」とか言い出す。そんな彼女らの前に立つ僕はといえば、「ほ、ほどほどにな……」と言った途端にがっしと両手を片手ずつに掴まれ……逃げ道を失いました。

 

(───否!)

 

 諦めたらそこで終わり!

 ならば説得を───

 

「鈴々、季衣、あのさ───」

「お兄ちゃん、早速走るのだ!」

「え? あ、お、おう? えと、あのな?」

「むー! 兄ちゃんはボクの兄ちゃんだー!」

「え、ちょ、季衣? あの───」

「へへーんっ! よくわからないけど難しい話で三国のお兄ちゃんって決まったのだ! もう春巻きだけのお兄ちゃんじゃないもんねーっ!」

「こ、このー!」

「えっと……あのな、二人ともぉおっほぉおっ!!?」

 

 二人が走る。俺の手を掴んだまま。

 肩が抜けるんじゃないかってくらいのスタートダッシュに思わず奇妙な声が出るが、そんなことを言っている場合じゃない。倒れてしまえば西部劇であるような、縄で縛られて馬で引きずられるような状況に───! やっ……そりゃあもう霞にやられたことあるけどさ! やられて嬉しいものじゃあ断じてない!

 

「ふたっ! ふたりともっ! ちょっ、話聞いてっ! 俺今っ───キャーッ!?」

 

 角で二人が曲がる。

 石の床を蹴り弾き、半ば一歩一歩で浮いているような状況の中、遠心力ってものに振られた俺は見事に宙を浮く。なのに二人はそんな負荷も知ったこっちゃなしなままで走り続け、やがて速度という壁に足を後方に投げ出してしまった俺は、腹で地面を滑走することとなった。

 

 

  ガリガリガリガリギャアアアァァァァァァ……───

 

 

……。

 

 

 ……さて。馬ではなく人に引っ張られて滑走なんていう、普通じゃお目にかかれないような体験をしたこの北郷めでございますが、なおも競うように走る二人をなんとか止めることに成功。

 現在は中庭の芝生の上で正座をしている二人を前にこちらも正座し、説明をしているところである。

 

「うぅうう~っ……に、兄ちゃ~ん……これ、足がヘンな感じになる~……」

「だだだ、だらしないのだっ、りりり鈴々は平気なのだっ!」

「むっ! だったらボクも平気だもんねっ! お前なんか声が震えてるじゃないかっ!」

「そんなことないのだっ!」

「そんなことあるよーだっ!」

『うーっ!!』

 

 ほうっておいても元気な二人の額に、まずは痛くもない手刀を落とす。

 きょとんとしてこちらを見る二人をやんわりと叱り、隣同士で睨み合う状態から元の姿勢に戻ってもらう。

 

「と、いうわけで。今の俺は前みたいに走れないんだ」

「そんなの走ってれば直るのだ」

「そうかもしれないけど、走ってないからね? さっき確実に浮いてたからね? 俺」

「えー……? じゃあ走れないの?」

「それをさっき、なんとか慣れようとして歩いてたところだったんだが……」

 

 パワフルなお子さん二人に引っ張られて宙に浮き、地面を滑走しました。

 あれでどう慣れろと仰るか。

 

「慣れるまでに時間かかりそうだからさ、鈴々も季衣も、自分の好きなことをしててくれな? 情けない話だけど、今のままじゃ氣を込めて走ることも出来ない」

「だったら鈴々が手伝うのだっ! そんなの、うーんってやってばーんってやればすぐなのだっ!」

「………」

 

 ばーん、って音が、俺が壁かなんかに当たる音として脳内再生されました。

 “のろのろ歩くから出来ないのだ!”なんて言って散々引きずり回されて、どこかからご飯ですよーとか言われた途端に手を放された俺がどこぞの壁にばーん、って。

 

(どうしよう……)

 

 頭を抱えた。

 いや、申し出は嬉しいです。嬉しいんですが……いや、季衣もそんな張り合うみたいに手をあげなくていいからっ!

 

「兄ちゃん……もしかして嫌……? 迷惑かな……」

「へっ? あ、いやっ、そういうんじゃなくてなっ!?」

「だったら決まりなのだっ!」

「うえぇっ!? いやっ、そういう意味でもなくてだなっ! やっ、ちょっ、やめっ……引っ張っ───おぉおあぁあーっ!?」

 

 鈴々が立ち上がろうとする動作と一緒に、俺の手首をわっしと掴んで一気に地面を蹴る!

 その速度は凄まじく、やはりスタートダッシュから弾丸の如きスピードを見せ、だがしかし足が痺れていたらしい彼女は足の違和感に襲われてあっさり転倒。

 

 ……これは、小さな猛将の勢いの分だけ引っ張られた俺だけが宙を飛び、大地に舞い降りた伝説を綴った物語である。

 

……。

 

 ぴくぴくぴく……。

 

「……とにかく。まずはゆっくり始めるから、無理矢理引っ張らないように。いいな?」

「う、ううううん……わわ、わかったよ、兄ちゃん……」

 

 ちらりと俺の背後の芝生に倒れ、痙攣する鈴々を見て頷く季衣。

 ええはい、くすぐり地獄に遭ってもらった。足が痺れてる所為で逃げられなかった彼女に、俺は容赦無くくすぐりと足をつつくという地獄を味わってもらった。地味ながら、相当効いたことだろう。

 こういう時はきちんと罰を与えなければ学びません。

 

「ん……」

 

 そんなわけで立ち上がり、走れないんじゃ意味が無いってことで中庭で歩行練習。

 氣を足に収束させると歩き始めるんだが、やはり感覚がおかしい。

 

「よっ、ほっ……」

 

 むう。のっそりのっそりとしか歩けないもんだから、少し横着して引きずるように歩いてみる。……氣で動かすってイメージが無い分、結構楽だった。

 

「………」

「?」

 

 正座から足をくずした季衣が、足を庇いつつ俺を見る。

 鈴々は変わらずぐったりとしていたが、そんな二人に笑いかけ、思いついたことをやってみた。引きずる、って意味で思い出したアレ───ムーンウォークである。

 

「おおおおっ!? 兄ちゃんなにそれ!」

「歩いてるのに後ろに下がってるのだ!」

 

 好評だった。

 ぐったりしていた鈴々が活力を無理矢理得て、飛び起きるほどに。

 ……いいか。このまま座りっぱなしじゃ二人も楽しくないだろうし、どうせ歩く練習からしか出来ないんだから楽しみながら慣れていこう。

 

……。

 

 二人にコツを教えてしばらく。

 ようやく歩く速度が少し増してきたかなというところで明命が登場。

 元気に手を振る彼女に手を振り返すと、奇妙な動きをする季衣と鈴々を見てきょとんと首を傾げた。

 

「あの。一刀様? あれはいったい……」

「特殊な歩き方の練習。退屈だろうから教えたんだけど、意外なほどに熱中してる」

 

 真剣な顔でムーンウォークに取り組む二人は、我こそが先に会得するのだといった気迫をずっと保ったままで挑戦を続けている。

 

「はあ……では一刀様も?」

「あ、いや、俺は普通に歩く練習だよ。氣の使い方をまた一から勉強してるんだ」

「氣の……」

「そ。困ったことに、以前の感覚だと上手く扱えない状態になっててさ」

「………」

「明命?」

 

 じいっと俺を見てくる。

 俺、というか俺の胸の部分。そこらは丁度華佗に鍼を落とされたところで───え? もしかしてなにかある?

 

「そういえば、一刀様から感じる気配が変わってます」

「え……そうなのか? 自分じゃわからないんだけど……」

 

 手の平を見てみたところで、当然のことながらなんにもわかりません。

 収束させれば輝くだけだ。それは確かに変化だろうが、収束させなきゃ見えないんじゃあ明命が見ているものと自分のものは違う。

 

「はい。どのように、と言われると少し説明しづらいのですが」

「へえ……」

 

 わかるもんなんだな、そういうのって。

 っと、せっかくだし少し訊いてみようか。明命だったらこんな状態の時の上手い体の動かし方とか知ってるかもしれない。なんだかんだで、“気配”の扱い方の師匠だもんな。

 

「明命、ちょっと時間あるか?」

「? はい、お昼まではお祭りの準備を手伝うので、あまり多くは取れませんが」

 

 訊ねると笑顔で応えてくれた。

 そんな彼女に現在に至るまでの経緯を説明し、真面目に聞いてくれることに人の温かさを感じつつ───

 

「……ふぅ……」

 

 ───現在に至る。

 “ではこれでっ”と言って駆けていった明命に感謝を投げ、“いえいえですっ、お役に立てたのならっ”とやはり元気に駆けていく姿を見送ってしばらく。

 ようするにあれだ。

 今は体が、突然合わさった二つの氣に戸惑っている状態なので、それを慣らしてやる必要があるのだと思う、だそうだ。

 なるほど。確かにそれはそうだ。

 一番効果的なのはやはり基本。自分が苦に感じない程度の日常的な行動を、氣とともにやってみるのがいいと思いますです、とのことなので。

 

「ふっ……くぅう……」

 

 ストレッチをやっている。

 体の柔らかさは必要なことで、鍛錬出来ない日でもやっていたことだから、ある意味で日常的だ。歩くことはしないのかと言われれば、まあ……赤子だって立つための筋肉が出来てから立ち上がる。そのための地盤作りみたいなものだ。

 

「伸ばした部分にもきちんと氣が籠るように~……はぁああ……! すぅうう……!」

 

 息を吐ききってから吸う。

 肺には新鮮な酸素だけを取り入れて、残らないように。

 すると小さな運動でも体が刺激されて、汗が出てくる感覚。

 そんな感覚とともに体中を氣で満たしてやると、体がさらに熱を持つ。

 

「よっ……───っと」

 

 “筋肉がつかないのなら鍛錬も無駄じゃないか?”と言われれば、そりゃあ不安にはなる。が、いいのだ。それならそれで。氣がきちんと養われてるなら、それをきちんと扱えるようにするための鍛錬を。

 考え方によってはいつもと大して変わらないんだ。筋肉の代わりに氣を使ってるようなものなんだから。だから運動をすればするほど、氣で体を動かす方法に慣れてくる。そういった意味では、今やっているのも前にやっているのも、そう変わりはない。

 

「───ふっ!」

 

 柔軟が終われば木刀を手にして振るう。

 しかし一振り目でいきなりすっぽ抜けてしまい、頭上の空へと舞ったそれを小さな悲鳴とともにキャッチ。……危なかった。壊れたりしたらシャレにならない。

 

「…………歩こうか」

 

 歩く前に木刀を振るう赤子が何処におるか。

 じいちゃんならそう言いそうだなぁなんて思いつつ、木刀をしまって歩き出した。

 




「うおおおおおおおおおお!!」

 ……と。
 とりあえず師範出来るくらいには直ったと思われます。
 とりあえず初期化
 不具合発生
 初期化
 DVDドライブ動かない!
 キーボード認識しない!
 キーボ買ってくる
 一瞬認識したけどダメ
 説明書見ると、手順通りにしないと故障の恐れもあります
 やべェェェェ! 手順守るの忘れてたァァァァ!!
 それから手順通りにやり直してもやっぱり認識しない
 スクリーンキーボードさんでちくちくと作業
 結局認識しなかったのでまた初期化
 どのUSBもキーボだけ認識しないので、USBハブを買ってくる
 なんかこれつけて、そこにキーボのUSBつけたら前の使いやすいキーボも買ってきたキーボも絶賛認識中。金返せぇえええ!!

 そんな、時間と金の無駄の果てに帰ってまいりました。
 結局フリーズなんてしまいまま、現在快適にPCライフが送れています。
 やっぱり余計なデータがトラブルを起こしてたんでしょうかね。
 
 初期化したPC、起動速い! ステキ!
 立ち上がりまでがこんなに早いの久しぶりですよもう!
 なので重いバックアップデータ等は外付けHDDに入れっぱなしで、小説などに使うデータだけPCに移してやってます。
 辞書データはもちろん出力して取ってありますとも! これ忘れたらシャレになりません。登録した1000文字以上が無駄になります。98時代から愛用している辞書データなので、これ無くなったらキミだけの堕落スイッチが押されます。

 というわけで張り切って更新していきましょう。
 ……僕の張り切りと現実の時間が一致するかって言ったら全然なんですがね。


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71:三国連合/氣の扱い方【基礎強化編】②

 昼。

 全力で走るよりも体力を使った俺は、季衣や鈴々とともにこれでもかとメシを食らう。

 それが終われば再び中庭に戻り、早歩きの練習。

 歩くことには慣れた。ならば早歩き。次に走って、次が全力疾走。

 行程としてはそんなところだが、そこまで行くのが辛い。

 まさかきちんと歩くようになるまでに、昼までかかるとは思いもしなかった。どーせすぐ慣れるだろうなんて考えていたんだが……普通のこと、出来て当然のことがこれほど難しいことだったとは。

 すごいね、人体。

 

「はぉおおおお……!」

 

 奇妙な呼吸をわざとしてみて、氣や氣脈に影響がないかを調べてみる。

 うん、当然のことながらな~んにもなかった。

 しかしこういう試みは無意味かもしれないものの楽しいもので、早歩きをしながらも試し続けている。

 

「すぅうう…………はぁああああ……! すぅうう…………はぁああ…………!」

 

 呼吸はあくまで深呼吸。

 肺には新鮮な空気のみを残すように、やはり吐ききってから吸う。

 吐くのと一緒に締める腹筋が肺を持ち上げるような感覚とともに、肺の中の空気が出切るのを手伝う。

 

「うん、暑い」

 

 氣脈活性の影響と、呼吸の影響で体が暑い。

 といっても昨夜のあの熱さに比べれば、夏の日差しよりもてんで涼しいくらいだ。

 昨夜のが“熱い”で、今のは“暑い”だからな……。

 

「スッスッ、ハッハッ……スゥウウ……ハァアアア……!!」

 

 呼吸に変化をつけてみると、滲み出た汗がなんとなく体を冷やすような感覚に襲われる。そんな感覚をもっと燃やすために、早いとは思ったけど軽く駆け出してみた。

 ……バランスが取れずにコケた。兵の前で。

 

「み、御遣いさま、平気で……?」

「ん、ごめん。大丈夫」

 

 起きるのを手伝ってくれた兵に礼を言って歩き出す。

 事情はもう話してあるから、笑われたりはしなかったものの……はい、正直恥ずかしいです。

 

「無理はいけないよな、無理は」

 

 とにかく氣を扱うことに慣れないと。

 一歩ずつ一歩ずつ~……!

 

……。

 

 昼食時が完全に過ぎ、中庭が賑やかになる頃には多少は走れるようになっていた。

 だが無理はせず、だめだと思えば少しずつ速度を下げてから歩き、立ち止まったその場所で屈伸運動。

 氣とともに満足に動けるようになることだけを前提に体を動かして、少し休んでまた動く。その繰り返しだ。

 

「氣の鍛錬の効率がわからない……」

 

 筋肉は三日休んで動かしての繰り返しだったけど、氣のことは本当に謎である。

 一緒の原理でいいのかなーなんて思っても、俺普通に氣の鍛錬だけは毎日って言っていいほどやってたもんなぁ。

 

「………」

 

 城壁の上で空を仰ぐ。

 まだ陽が落ちるには少々ある空を。

 そうしてから中庭を見下ろし、こくりと頷く。

 誰も見ていない。兵は心配そうに見てるけど、それには大丈夫だから~という意味も込めて軽く手を振って返す。

 

「今なら……今なら出来る気がする」

 

 氣を持て余すのは仕方が無いとはいえ、体の中が違和感でいっぱいな現在。

 その原因を一度でいいから外に出したい衝動に駆られている。

 放出したいのだ。溜まりに溜まった氣を。

 

(……溜まるって言葉であっちの方を思い出してしまう自分がちょっと嫌だ)

 

 首を振ってから構える。

 どんな構えをといえば、以前は呉でシャオに邪魔をされてしまったあの構え。

 

「かぁああ……!」

 

 両手の手首をくっつけるようにして、手の平は少しだけ開くように。

 それを、重心を落とした腰近くに構え、深呼吸をするように言葉を放つ。

 

「めぇええ……!」

 

 氣の収束を掌にて。

 やはり以前の氣よりも扱いづらいが、朝一番のあの辛さに比べればどうってことない。

 

「はぁああ……!」

 

 金色に輝く氣を体外に。

 すると掌が輝き始め、その輝きが質量となって両掌の中心に集い───

 

「めぇええ……!」

 

 ───今。

 かつて果たせなかった少年の浪漫を、この大空に向けて!

 

「一刀様っ、鍛錬お疲れさまですっ」

「波ぁあああッキャアアアーッ!?」

 

 ……手を突き出した途端に背後から声を掛けられ絶叫する俺が居た。

 もちろん集中力が散った氣は体内に戻ってしまい、慌てて振り向いた先には……きょとんと首を傾げる明命サンが。

 

「? あの、一刀様? …………はうわっ!? もしかして私、何かの邪魔をしてしまいましたかっ!?」

「い、いやっ……邪魔、っ……ていうか……その……!」

 

 心臓がバックンバックン鳴っている。

 ど、どうしてだろうね。少年の頃の熱い魂を空へと打ち上げたいだけなのに、それを人に見られるのがとても恥ずかしい。それがどういう行為なのかなんて、天の少年の夢でございますとでも言えばあながち嘘なんかじゃなかった筈なのに。

 

「え、えと、そのっ……今のはっ…………あ、あー! 明命どうしたんだっ!? 準備があるって言ってたのにっ!」

「あ、はいっ! その準備もお昼までで終わりましたので、一刀様のご様子をっ!」

「そ……そっか。ありがとな?」

 

 心臓が跳ねてる所為で、どうにも上手く言葉が返せない。

 そんな俺の言葉に明命は素直に「いえいえですっ」と嬉しそうに返してくれる。

 ……なんだか軽く罪悪感。

 

「それで……どうですか? 少しは慣れましたでしょうか」

 

 胸に浮く罪悪感をドスドスと殴ることで打ち消す。そんなもので消えてくれれば苦労はしないものの、とりあえずは話を振られたことで隠れはしてくれた。

 

「多分順調。今は軽く走ることくらいは出来るようになったよ」

 

 といっても、スキップなのか走ってるのかわからない程度のものだ。

 呼吸のためのリズムなんて取る余裕もない。なので早歩きと走りもどきを繰り返しているところだ。

 

「あぅあぅ……随分と扱いに困っているようですね……」

「文字通り、困ったことに」

 

 もう少し自分の都合のいいように扱えればなと思ってしまう。

 しかしながら手足のように思い通りにはいかず、無理に扱おうとすればコケてしまう。

 なので一度吐き出そうとしたところへ明命が来た。

 

「ならばいっそ、一度思い切り外へ出して見てはどうでしょうか」

「あ……やっぱり明命もそう思う?」

「はい? やっぱりとは…………はうわっ!? まままさか先ほどのあれはっ!」

「あぁああ待った待った! 確かにそうだけどもう過ぎたことだからっ! それにあれはただの俺の都合の所為だし、そもそも見られて減るものでもっ…………あり、そうな気がするけどっ! だだ大丈夫! 今からやるからすぐやるからっ!」

 

 驚き、落ち込み始めた明命に待ったをかけると怒涛の勢いで言葉を並べる。

 ……並べてから、どさくさ紛れに“やる”と言ってしまった自分を呪った。

 俺の馬鹿……。

 

「うぅ……じゃあ、やるから……見ててくれな……」

「はいっ」

「おかしなところがあったら、遠慮なく言ってくれ。そうしてくれたほうが嬉しい」

「う、嬉しいですか。わかりましたっ、必ずやっ!」

「え……あの、そんなに気張らなくても」

 

 む、無理に悪いところ見つける必要はないぞー? などと心の中で言ったところで届くはずもなく、溜め息ひとつ、例の構えをとりつつ重心を下へ。

 

「……!《わくわくっ……》」

 

 そんな俺の真剣な顔を見るのが嬉しいのか、はたまた天での技術っぽいものを見られるのが嬉しいのか。明命は目を輝かせ、胸の前で手を合わせたままで俺をじぃっと見つめてきていた。

 うう……見られたくないものだけあって、凝視されるとやり辛い。

 だが我慢だ北郷一刀! こんな状況でも氣を収束出来る自分であれ!

 

(集中……集中……)

 

 深呼吸をして、人前で何かを為す時に現れる妙な高揚感を落ち着かせるよう努める。

 思いばかりが先走っては元も子もない。

 なので慎重に、呼吸も鼓動も鎮めて……。

 

「かぁああ……めぇえ……はぁあ……めぇええ……!」

 

 氣脈に充実している氣を掌に集める。

 氣の全てではなく、凪に忠告されたように放ちたい量だけを千切るかたちで。

 そうして集まり、体外───掌へと切り離された氣は輝きを放ち、空へと放たれる時を今か今かと待っている。

 明命はそんな輝きに目を向け、やがて掛け声や気合いとともに放たれる光弾を───

 

「波ぁぁぁぁーっ!!」

「はうわぁーっ!?」

 

 ───驚きの表情のままに、見送った。

 さすがにアニメのような音はならなかったし、光線のように放たれ続けるわけでもない。あえて言うなら操氣弾のようなソレが空へと飛んでいき、やがて見えなくなるまで……叫んだあとの俺達は、静かに見送った。

 

「…………」

 

 しかしなんだろう、この湧き上がる高揚は。

 抑えていた何かが弾かれるように自分の中で生まれては、俺に喜びという感情を与え続けている。

 そう……そうだよ。カタチはヤム○ャだったけど、出来た……出来たんだ。

 アバンストラッシュに続いて、ついに俺は───!

 

「あっははは! やった! やったぜ明命ーっ!!」

「はうわぁああっ!!?」

 

 喜びのあまりに口調が変わるのもお構い無しに、駆け寄って抱き締めた明命を自分の体を軸に振り回した。

 出来た! とうとう出来た! かめはめ波! 及川っ、俺やったよ! フィクションでしかないと諦めていた夢を叶えることが出来たんだ!

 やばい! すごい嬉しい! めっちゃ嬉しい! なんかもう意味もなく“超”とかつけたくなるくらいに嬉しい! 繋げて言えば超嬉しい!

 そんな嬉しさを彼女にも伝えたくて、彼女が教えてくれたことに報いるように自分の氣で明命を包み、感謝の思いを伝えまくる。言葉ですら全て届けられないこの思い、今こそ届けとばかりに。

 人の感情ってのは氣ってものに影響するのか、ひどくあっさりと扱えた氣が明命を包み込み、それと一緒に自分自身の腕でも彼女をぎゅうっと抱き締めた。

 するとなにやら、くてりと明命から感じる力が消失し…………ハテと見てみれば、目を回してぐったりとしておられる明命さん。───ってまたですか!? 昨日もこんな感じで亞莎が目を回して! ……で、いつものパターンだと、ここに誰かが来てまた俺が誤解されるわけで。

 大丈夫、伊達にいろいろ経験してません。本当に。

 

「こういう時は───素直に逃げる!!」

 

 ちらりと見れば、予想通りに中庭から石段を登ってこちらへ向かう将数名。

 恐らくは空を飛んだ光のことを確かめに向かっているんだろう。

 そんな彼女らに見つかる前に背を向け、明命を抱き締めたままに逃走。体内に渦巻いていた氣が解放された分、少しは自分の思い通りになるようになってくれた氣を行使して、地面を蹴っていた。

 

「止まれ」

「キャーッ!?」

 

 しかし僅か数歩で逃走劇は中断され、なんとか止まってみれば……曲刀を構えてらっしゃる思春さん。

 

「あ、あぶっ……! 止まれなかったら首飛んでたぞ!?」

「貴様の動きなど既に見切り済みだ。誤るものか」

「………」

 

 伊達に長い付き合いじゃないね、と言おうとしたけどやめた。

 むしろ見切られてる自分が悲しい。

 

「で、あの……な、なに? 予想はつくけど」

「訊ねることは二つだ。先ほどの光を放ったのは貴様か。そして幼平を何処へ連れていく気だ」

「………」

 

 庶人服のまま、以前ならば結わいていた髪をほどいている目の前の彼女。

 風が吹くたびに、さぁ……と揺れる長い髪が実に綺麗です。

 これで曲刀を人の首に押し付けてなければ大変眩しい光景だったのでしょうが。

 

「ま、まずひとつ……光を放ったのは俺。二つ目は……振り回しすぎて目を回しちゃったみたいだから、どこか落ち着けるところに寝かせてこようかと……」

「……貴様」

「ヒィ!?」

 

 ヒタリと喉を襲う冷たさ! 鈴音ですね! 確認するまでもなく!

 

「いや違うよ!? 俺の部屋とかじゃなくて!! ていうかなんでそういう考え方になるの! “貴様”としか言われてないのに解る俺も俺だけど!」

 

 ああもう本当に長い付き合いだよなぁもう!

 お陰で行動の一つ一つでも解ってしまえることが多くて怖いくらいだよ!

 わからなかったほうがよかったこともきっとあるでしょうに!

 

「で、えーと……逃げてよろしいでしょうか」

「だめだ」

 

 世紀末救世主並みの拒否速度だった。

 

……。

 

 結局やってきた季衣や鈴々を筆頭とした皆様に最初から説明するハメになる。

 中庭に降りて、まるで教師のように教鞭ではなく指を振るい、きちんと。

 掻い摘むとあとあと厄介なことになりそうなので、それはもう事細かに説明した。

 胡坐をかいて座る足には明命が猫のように丸くなって寝ている。

 そんな彼女の頭をやさしくさらりと撫でながら説明会───

 

「ふむ。ようするに明命に欲情して抱き締めたと」

「全力で違いますよ!?」

 

 なのだが、聞いた人の一人である祭さんは、からからと笑いながらそんなことを仰る。

 

「だからっ、今は氣が安定してなくて、体の中に渦巻いてたそれを、ずっと前からやりたくても出来なかった方法で放つことが出来たからっ! 喜びのあまりに明命に、そのっ、だだ抱き付いちゃったって話でっ!」

「ほう? 欲情はせんかったか? 微塵もか?」

「してませんったらしてません!!」

「なにもそこまで断言せんでもいいだろうに……。ときに北郷、お主が思う明命の好きな部分とはなんじゃ?」

「………」

 

 この人平気で話題変えてきます。

 おおらかと言えばいいのか、自由奔放と言えばいいのか。もちろん後者だろうな。

 

「なんでいきなりそんな話になるのかは知らないけど……そうだなぁ。素直で真っ直ぐなところがいいかな。こう……話してると安心するっていうか、いい意味で無邪気だよね」

「ほぉおう……?」

「……えと。なに? そのニヤァアアって笑みは」

「ならば興覇ではどうじゃ」

「思春? 思春は……気がつくと傍で見守ってくれてる安心感……かな」

「なんじゃ。そういうものは嫌がりそうなものだと思っておったが」

「呉から蜀、魏って旅をしてて、なんて言ったらいいのか……いつの間にか傍に居ると安心出来る存在になってました……かな? 曲刀向けられれば怖いし、悲鳴もあげる時もあるけど……」

 

 きちんと話を聞いてくれるのだ。

 問答無用で自由を奪うような真似はしないし、いろいろと理不尽な部分もあるにはあるものの、他の人達に比べてみれば無理矢理に押し通すような行動はしない、と思う。

 それらをひと纏めにして言ってしまえば、やっぱり“傍に居る安心感”なのだろう。

 

「だ、そうだが?」

「全てその男の世迷言です」

「ひどっ!?」

「わっはっはっ! どいつもこいつも素直でないが、恋する乙女をしとるのうっ!」

 

 にんまり笑顔で思春に話を振り、豪快に笑う祭さん。

 ちらりと思春を見てみれば、ギロリと返されて反射的に謝ってしまう俺。

 ……自覚できるほど情けない。

 

「あれ? でも、じゃあ思春って誰かに恋してハイ黙ります」

 

 口に出した途端に目にも留まらぬ速さで喉に曲刀を突きつけられた。

 ああうん、こういう時ってとことん俺に発言権がないですね。

 

「にゃ? 恋する乙女ってなんなのだ?」

「へへーんだ、お子様なお前には解らないよーだ」

「むっ……なんかむかつくのだっ! だったらお前はわかるのか春巻きー!」

「春巻きじゃないって言ってるだろー!? 言っとくけど、恋のことについてならお前なんかよりた~っくさん知ってるんだからなーっ!」

「だったら言ってみるのだっ!」

 

 季衣と鈴々の喧嘩も、迂闊に口を挟めば巻き込まれるのが目に見えているので無視。

 非道な男と笑わば笑え。猛将相手の喧嘩の仲裁がどれほど大変かを知るのなら。

 

「はあぁあ……」

 

 両手を挙げて降参したらようやく下げられた曲刀に安堵する。

 きちんと話は聞いてくれる。どう行動すれば許してもらえるかもわかる。

 けれど、何度も何度も刃を向けられては落ち着けないのも事実でして。

 

「あのさ、思春? その曲刀を突きつける癖、直さない?」

「貴様にだけだ。問題ない」

「いやあるよね!? あるでしょ!?」

「かっかっか、なにをびくびくしておる。それだけお主が特別ということじゃろう」

「なっ……祭殿!」

 

 特別……特別って。

 あの。いつでも切り捨てたいほど憎まれてるんでしょうか俺は。

 

「っ……何を見ている。斬るぞ」

「や、斬られるのは困るけど……。さ、祭さぁん……」

「情けないのぉ……そんなもの、感情の裏返しじゃろうが。もっと男らしくガッとかかってみんかい」

「裏返しって───じゃ、じゃあ思春? 鍛錬の練習、付き合ってもらっていいかな」

「いいだろう。同意の上での立ち合いならば間違いが起きても言い訳が利く」

「祭さん!? この人俺のこと殺す気満々なんですが!?」

 

 言ってみても祭さんは暢気に笑うだけ。

 その笑いがどうにも気に入らないのか、思春は少しだけ祭さんを睨んでいた。

 

「おうおう、怖い怖い。しかしあの興覇がこうまで感情を露にするとは……───ふむ。興覇よ。お主……相当に入れ込んでおるな?」

「っ───!」

「へ?」

 

 そっと思春に歩み寄った祭さんが、なにかを呟く。

 途端にバッと距離を取った思春は───どうしてか顔が真っ赤だった。

 

「ししゅ……あれ?」

「鍛錬を始めるぞ……今すぐだ」

 

 胴着の襟首ががっしと掴まれた。

 そのままずるずると俺を引っ張り、拍子に崩れた足の上からこてりと明命が落ちるが、それでも構わずのっしのっしと。

 ぬ、ぬうなんだこのかつてない殺意の波動は……! この北郷を引きずる彼女の背に、まるで鬼のオーラが浮かぶようだ……! つか怖ッ! もう怒気どころか殺気にも似たなにかを感じているのですが!?

 

「あ、あの、思春さん!? たんれっ……鍛錬ですよね!? 鍛錬に殺気は必要無いと思うんですが、その……!」

「黙れ」

「だまっ……!?」

 

 一蹴であった。

 思わず祭さんに助けを求めたが、「女の憤りを受け止めるのも男の務めぞ」とあっさりと笑って返されてしまった。じゃあ女の務めって───と言いそうになって、途中でやめる。だって祭さんがニヤリって笑うんだもの。

 それに、結局のところ鍛錬を手伝ってくれるっていうなら丁度いいって受け取ればいいんだし……うん。そんなわけだから、喧嘩している季衣と鈴々、こてりと転がってしまった明命のことを祭さんに任せ、思春と鍛錬をすることになった。



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71:三国連合/氣の扱い方【基礎強化編】③

 そして瞬殺であった。

 

「なんじゃなんじゃだらしのない。随分鍛えておると聞いて期待していたというのに」

 

 芝生に仰向けに倒れ、ぐったり状態の俺を見下ろす祭さん。

 いえ違うんですと言ったところできっと聞いてくれはしないだろう。

 

「強くなるどころか以前より弱くなっておるじゃろう、これは」

「いろいろと問題が出来ましてね……」

 

 それも昨夜。

 いやぁ……まさか一撃も避けられずにクリティカルヒットするとは思わなかった。

 本当に瞬殺だったよ、情けないことに。

 

「氣の状態が変わったんですよ……それを今、体に馴染ませるための鍛錬をしてるところです」

「ふむ…………おう、なるほど。確かに感じる氣が変わっとるな」

 

 言いつつ俺の手首を掴んで引っ張ると、まるで布をパンと伸ばし広げるように俺を振るい、ドトンッと芝生に立たせた。

 いきなりのことにカクンと足が崩れかかるが、慌てて体勢を立て直して瞼を瞬かせる。

 

(えっ……えぇえ……!? 片手で人を立たせるって…………えぇえええ……!?)

 

 何者ですかあなたは───……呉にその人ありと謳われた猛将でした。はい。

 

「北郷、氣が安定せんのはわかった。じゃが弓の方はどうなっておる」

「うぐっ」

 

 言われた言葉に返す言葉を失う。

 断じて言うが忘れていたわけではない。ないが、実力が伴わない。

 紫苑か秋蘭に習って弓を覚えるって約束だったのだが───結局のところ、てんで上手くなっていない。そのことを、出来るだけ穏やか~に説明して……みる、と……。

 

「ほう……? “儂の命令”を。こともあろうに儂の最後の命令を破ったと?」

 

 途端に周囲の温度が下がった! 気がする! こっ……これはちょっとどころかかなり危険なんじゃないか!? でもちょっと待とう!? 俺だって練習したよ! したのに、全然上手くならなかったんだって! そればっかりはなんというかその、こちらもいい加減才能問題なのではと頭を抱えたい状態でございまして! ───ということを必死に説明すると、祭さんは大きな溜め息を吐いた。

 

「向き不向きはそりゃああるじゃろうがな。どれ北郷。ひとつ射ってみい」

「射ってみいって……祭さん、その弓どこから出したのさ」

 

 背中に手を回した祭さんが、弓と矢を取り出してみせる。

 それを言ってしまえば、華琳や愛紗のほうがイリュージョニストって感じはするものの、タネも仕掛けもわからない人にしてみれば、どっちも謎なのは変わらない。本当にこの世界の住人は、いったいどこに武器を仕舞っておられるのか。弓ならまだしも、絶や青龍偃月刀は隠しきれないだろうに。

 

「……えーと」

 

 グイと押し渡された弓と矢を持ち、苦笑いを返す。

 射ってみいと言われても、果たして祭さんが満足する射を見せられるかどうか。

 ……───違う違うっ、見せられるかじゃなくて、今現在の自分の力を見せればいいんだっ! 妙な見栄は張らなくていいから、多少は積んだ経験の全てを今、この射に託す!

 

「───……」

 

 集中。

 体の中から射以外の意識を捨て去るつもりでまずは姿勢を正し、次に弓を手に矢を番え、離れた位置にある立ち木へと───

 

「シッ───!」

 

 ブンッ、と弦が揺れる音がする。

 矢を持つ手が戻されるのと同時に逸らした弓が、戻る弦の反動を持って矢を弾く。

 飛ぶ矢は真っ直ぐに立ち木へ。

 ドッ、と音を立て、文句のつけようもないくらいに立ち木の中心へと刺さっていた。

 

「……………」

「ほっ、なんじゃなんじゃ、口で言う割には中々やりおるではないかっ」

 

 後ろで祭さんが嬉しそうに言う中、俺の心は“ゲェーッ!”って言葉で満たされていた。何故って、こういう場面で大成功を治めると、後の鍛錬でも“ソレ”を望まれるからでございます。

 あ……ぁああもう……! なにもこんな時に的中めいた刺さり方を見せることないのに……! 

 

「いや祭さん? 今のは───」

「おう、言わずともわかっておるわ。たまたま上手くいっただけだとぬかすんじゃろう?」

「えっ……あ、うん。ぬかすけど、本当に本当だからね? 今までであんなに綺麗に当たったことなんて───」

「わかっとると言っとろうが、うだうだぬかすでないわ」

「だって祭さん絶対勘違いしてるでしょ!?」

 

 そりゃ刺さって嬉しいけど、素直に喜べない状況がとても悲しい!

 なので矢を抜いてもとの位置に戻り、もう一度番えて放つ。

 もちろん手は抜かずにきちんと集中して、中てるつもりで。

 するとなんの冗談なのか、またスコーンと刺さる矢。

 

「…………」

「♪」

 

 ちらりと見れば、両手を腰に当ててにっこりの祭さんが居た。

 まるで“染め甲斐がありそうな腕に育ってくれたものぞ”って感じに。

 ていうか……えっ!? なんで刺さるの!? むしろ中たるの!? 今まで全然ダメだったのに! 偶然にしたってあまりにもひどい! こんな時にばかり運がある自分が恨めしい!

 ───いや、違う。発想の転換だ。

 これはもしかすると氣の変化のお陰で別の方向にも集中の幅がついたのかも……!

 淡い期待を胸に、矢を抜いて戻り、集中して発射。それはあらぬ方向へと飛んでいき、茂みにサクリと突っ込んだ。「まあ……そうだよな……」と落胆とともに祭さんへと向き直ってみれば、じとぉお……っとこちらを睨んでくる始末。

 ほっ……ほら見ろ! 最初に上手くいくとろくなことになりゃしない! ビギナーズラックなんて大嫌いだ! どうせならもっと別の場で起こってくれればよかったのに!

 

「北郷。氣だけで体を動かしてみせい」

「エ?」

 

 心の神にどちくしょーと叫んでいると、そんな悲しみとは別の方向であろう言葉が投げられる。ハテ、と思いながらも、今日のうちに随分と馴染ませた“つもり”の氣を以って、体を動かしてみる。

 するとやはり、氣だけが先行し、体が後から引っ張られるように動くなんていう奇妙な感覚で動く体。

 そのことを祭さんに言ってみれば、「ほう」と感心された。

 

「祭さん? なんでそんな、珍しいものを見たみたいな顔で……」

「実際に珍しいからじゃ。北郷よ。氣の動きを抑えて体の動きに合わせる必要はない。むしろ体の動きを、先走る氣へ追いつけるように鍛えていけ」

「……? 氣の動きに体を?」

 

 言われている意味が、自分の理解に届かない。

 というか、この体はどうにも成長してくれないそうなのですが。

 

「なにも言葉通りに体を鍛えろと言っておるわけではない。……むぅ……そうじゃな。たとえばほれ、糸で繰る玩具の人形があるとするじゃろう。今のお主がまさにそれじゃ」

「人形? ……え? 俺が?」

 

 人形……人形?

 俺…………ア、アイアムドール! いや待て、妙なところへ跳ぶんじゃない北郷一刀。

 

「人形って、どういう意味? ……はっ! まさか日々を魏のため華琳のためとか言ってたから、そういう意味で───」

「落ち着かんかばかもんが」

「ご、ごめんなさい」

 

 叱られてしまった。

 でも人形か。今の話のどこに人形っぽい要素が?

 まさか自分の体を自分の氣が操ってるから~って意味で───……そうかも。

 

「えと。つまり俺自身が俺自身を氣で操る人形使いって意味で?」

「おう。そしてお主はお主自身を扱いきれておらん。以前のお主のほうが、まだ扱えておったな」

 

 それでも氣に振り回されているようではあったが、と笑いながら言う。

 まるで出来の悪い息子を笑うような、仕方のないって感じの笑み。

 だからなのか、傍に来てわっしわっしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でると、背中をバンと叩いてきてからもう一度笑う。

 

「氣の扱い方が振り出しに戻ったようなもんじゃ。ならば、妙な癖がつく前にまた叩き直してやればいい。どれ北郷、一丁もんでやる。かかってこい」

「えぇっ!? か、かかってこいって……」

 

 双方ともに素手ですがっ!? そんなゼスチャーをしてみても「構わん」と返ってくるだけだった。……うう、ええいもうどうにでもなれだっ!

 

「っ───せいっ!」

 

 持て余したままの氣を以って駆け、拳を振るう。

 だが軽く、まるで飛んできたハエを叩くかのようにパンッと軽く逸らされ、次の瞬間にはもう片方の手が俺の頭へとデシッと落ちていた。手刀である。

 

「前にも言ったじゃろうが……踏み込みが足りん」

 

 ぽかんとしているうちに突き飛ばされて、たたらを踏みながらも戻される。

 ……だったらとばかりにもう一度殴りかかるんだが、避けられ、はたかれ、逸らされ、躱され。どれだけ放っても当たらない攻撃に意識が散漫し始めたところへ、拳骨がゴヅンッと落とされた。

 

「いあぁあっだぁっ!?」

「心を乱すでないわ、ばかもん」

「くっは……っつ~っ……!!」

 

 まるでじいちゃんを相手にしているようなやりとりだと思う。

 けどまあ、とにかく。なんかもう意地でも一撃当てたくなってきた。

 集中は乱さずに、当てることだけを考えて……

 

「だぁあーっ!!」

 

 殴りかかる!

 一撃目! 避けられる! じゃあ次! これもだめ!

 だったら次! 次! 次次次次次次ぃいいーっ!!

 ……と、殴りかかり続け、また集中が乱れたところへゲンコツが落ちた。

 

「いあぁあっだぁあーーーーっ!!」

 

 こ、この人どうかしてる! いくら猛将だからってここまで避けますか!? なんて言い訳をどうしようもなく言いたくなるほどにお強くていらっしゃる。

 当の祭さんはやれやれって顔で俺を睨むし……。落胆はわかるけど、そんなあからさまに溜め息を吐かれるとちょっと悲しいです、祭さん。

 でもこの溜め息と視線は、どっちかっていうと落胆じゃなくて…………あ。

 

(そっか。じいちゃんがよくしていた目に似てるんだ)

 

 そういう時はきまって、俺が言われたことを出来ない時だったり───……あ。

 

(……そうだったァァァァ!! 単純に殴りかかる鍛錬じゃなくて、これって氣の鍛錬だ! つか祭さん言ってたじゃん! 先走る氣の動きに体を追いつかせるようにって!)

 

 なのにただ殴りかかってただけだよ俺!

 そりゃあ氣も使ってたけど、さっきまでみたいに体に合わせて振るってただけだ!

 じゃあ、拳骨の痛みが段々と増してきていた理由は……えと。そのぉおお……?

 

「どうした。打ってこんか」

 

 片手で指をゴキベキ鳴らして、言葉とは裏腹にいらいらしてらっしゃる猛将がおる。

 あのぉ……祭さん? 目的変わってません? もう俺に拳骨落とすことだけに変わってません? もう逸らすよりも殴ることが目的になってますよね? そこでゴキベキ鳴らす意味、ないですよね?

 

(……うう)

 

 困った師匠を二人持った気分だ。もちろんもう一人はじいちゃんだ。

 溜め息を吐いて、それから空気を思い切り吸った。

 

(ん……)

 

 ……氣が先走るなら、その気持ちばかりが走ってしまうような場所まで、自分ってものを持っていく。リハビリ中の患者みたいな意識だ。

 思うよりも難しいことだろうが、やるべきことを知っているだけまだやりやすい。

 

(どうなるかなんて二の次だ。まずはやってみる。それを受け止めてくれる人へ向かう。余計なことは……この際無しだ)

 

 氣を練成。

 丹田に力を込めて、氣を充実させると全身に行き渡らせる。

 動作は小さく、行動は大きく。

 地面を蹴り、いつかのように一気に間合いを詰め───って、やっぱり体が遅れる! ……が、どうした! 遅れてもいいから構わず行く!

 

「……ふむ」

 

 対する祭さんはようやく退屈そうな顔を緩ませ、しかしながら氣の籠もった拳も軽々と叩き落とす。それは蹴りだって同じで、振るえば振るうほど容易く落とされた。

 

「ほれほれどうしたっ、てんで遅くて欠伸が出るぞっ」

「~っ……だったらいっそ本当に欠伸してほしいよっ、まったくっ……!」

 

 それなら少しでも隙が出来るってもんなのに。

 

(いや、とにかく集中! 当てることに集中して、一歩遅れて動く体をその集中に辿り着かせる!)

 

 振るっても振るっても、まるで見えない泥沼に体を押さえつけられているかのように、上手く動いてくれない体にもどかしさを感じる。いっそこの泥沼ごと振るえたならと思うほどにもどかしい。

 ……いつか、夢の中に居る自分が何かと闘っている、なんてものを見たことがある。

 その時もこんなふうに体が動かず、イライラが募って思い切る振るうと……その動作で自分自身が起きる、なんてことを体験した。面白い夢の中だと、どうにも体ってやつも反応してしまうらしい。そんなことを思ったいつかが、天ではあった。

 ……そんな夢も、ここ最近では見ていない。現実が楽しすぎるからなのか、見る余裕もないからなのか、夢を見られないほど体が疲れているのか。

 

「───! ふっ!」

「ほっ?」

 

 攻撃ばかりに意識が行っている中、振るわれた足払いに目を向けることなく足で押さえる。当てることを考えろ。その他の行動が邪魔でしかないなら、それを阻もうとする相手の行動も邪魔でしかない。

 泥沼は夢だ。

 視界に映らないものに惑わされるよりも、目に見える相手に届くことを考えろ。

 

「───」

 

 足払いを防がれたのが驚きなのか嬉しいのか、祭さんはニッと笑むと再び避けや払いに集中する。一歩遅れて出る行動は当たらないまま。ならば遅れるという奇妙な現象を利用した行動をとも考えたが、それじゃあ意味がないのを思い出す。

 そう。やることは一つ。氣に体を追いつかせて───当てる。ただそれだけだ。

 じゃあ体は成長しないのにどうやって追いつかせる?

 ……そんなもの、先走る氣ってやつで完全に自分ってものを操ってやればいい。動くのは自分。動かすのも自分。氣って糸で自分を操って、先走る糸の先へと突っ走る!

 

「はっ! だっ! せいっ! ふっ! くっ! しぃっ!」

「わっはっは、おうおう、さすがに体力だけは無駄についておるな。三日毎の鍛錬は変わらずにやっておったか」

「いろいろと問題もあったけどねっ!」

 

 体が成長しなくても、氣を満たした状態で動かし続けた体には氣脈がみっしりと通っている。お陰で体を動かすことも随分と綺麗に出来るようになったし、筋力をそこまで使わないから乳酸が発生するのも遅い。

 だが、今はともかく体で使える部分はとことん使う。

 そうしても全てを避けられ、当たりそうになればぺしんと逸らされ、一向に当てることが出来ない。ならばと躍起になって、一層に氣が走る位置にまで意識を連れて行こうとするのだが───思うだけで届くのなら、人生苦労などしないのですとばかりに進展しない。

 

(歩けるようになった……早歩きも出来る。走れるようになったし、今はこうして拳も振るえる。少しずつ操ることにも慣れてきてるんだろうけど、まだ足りない……!)

 

 拳を振るう。振るう振るう振るう。

 もはや弾かれるのが当然、避けられて当然の状況ともなれば、相手の安全などは頭から消える。暴力のために力は振るわないなんて考えも無い、ただ当てることに集中した頭は、少しずつだが遠慮って枷を壊してゆく。

 届け届けとばかりに振るう拳は相変わらず叩かれ、逸らされる。

 突きも、手刀も、肘打ちや裏拳はもちろん、蹴りにいたっては逸らされると同時に蹴りの勢いを利用され、くるりと後ろを向かされて背中をどすっと蹴られる始末。

 

「ふっ! はっ! はぁああ……っ!!」

「お、おっ、おおっ?」

 

 重く、熱い息を吐きながらも放つ連撃は止まらない。

 自分の体力……この場合、操る氣の自由が続く限りに振るい続けるつもりで、体を動かし続けている。そう思えば、走る時にも体力を使うというよりは氣で体を動かしていたことは正解だった。

 

(速く───)

 

 普通の速度じゃ逸らされる。

 余計なことはいらない、当てることだけを考えろ。

 

(もっと速く───)

 

 速く? ならば加速を使うか?

 

(もっと───)

 

 行使。───逸らされる。

 しかし目に見えて驚いた顔をしていた。

 少し嬉しい。と、調子づいてもう一度放ってみれば、逸らすのと同時に頭に手刀を……割りと本気で落とされた。

 

(それでも、まだ───)

 

 早くではなく速く。

 以前よりもよっぽど満たされるのが早い輝く氣を用い、だらしのない体を加速にて無理矢理動かし、一呼吸で連ねること六撃。

 そのどれもが躱され逸らされ叩かれ弾かれ避けられ───最後に再び逸らされた。

 ならばとより速く、速く、速く───!

 そう、余計なことなど考えない。

 なんだかさっきから拳骨の数が減ったな、なんてことは考えず、ただひたすらに当てることだけを───!

 




 恋姫と全然関係ないけど、かめはめ波繋がりで。

 凍傷は地球防衛軍な後半ドラゴンボールよりも、摩訶不思議アドベンチャーなドラゴンボールの方が好きです。
 レッドリボン軍編はわくわくしたなぁ……懐かしい。
 今はドラゴンボールをめぐる冒険らしい冒険なんてせず、趣味:修行なのがちょっぴり悲しいですよ僕。


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72:三国連合/氣の扱い方【粉骨砕身編】①

118/ある意味きらきら輝くあなた

 

「───! ───!?」

 

 なにかが聞こえる。

 目の前の誰かが何かを言っている。

 もはや目の前の当てるべき存在が誰なのかも忘れるほどの集中の中、その声はどうしてか苛立ちに変わって……

 

「いっだぁあああああーっ!?」

 

 ……直後、脳天への痛みとなって俺を襲った。

 

「!? !?」

 

 訳も解らず両手で頭を押さえ、涙目になりつつ辺りを見渡す。

 というか……あれ?

 

「…………」

「あ、あー……あの、祭、さん?」

 

 むすっとした顔の祭さんが目の前におりました。

 どうしてか両手をぷらぷらと振るいながら、俺を睨んでおります。

 

「なんで俺、殴られたのでしょうか」

「やめいと言うのにやめんかったからじゃろうが! このばかもんがっ!」

「ええっ!? そうなの!?」

 

 言われた記憶がまったくございませんが!?

 そ……そんなに集中してたのか、俺……。

 そういえば途中から、目の前の人が祭さんだったことを忘れて……───殴られたあとに目の前に祭さんが居ることに驚いたくらいだった。

 これほど集中したのって……呉で氣を覚えようとした時や煩悩を殺そうとした時以来か? あの時も確か、話しかけてくれた穏に返事をしないどころか気づかなかったくらいの集中だった。

 それを攻撃を混ぜた鍛錬の中でやるなんて……大丈夫か、俺。

 

「そ、それはごめん。でも、なんでまた急にやめろなんて? 俺、まだ当ててないし……って、まさか当てられる見込みが全くないから中止!?」

「………」

「いたっ! いたたっ! ちょ、祭さんっ!? なんでっ!」

 

 続けざまに拳骨を三発頂いた。

 しかし本気のものではないらしく、その後すぐに溜め息を吐いて胸の下で腕を組んだ。

 

「北郷。拳を振るってみせい」

「拳? 氣で、でいいのかな」

 

 こくりと頷かれる。

 ならばと構えて、氣で操る感覚で拳を振るう。

 

「……おぉっ!?」

 

 すると、さっきよりもよっぽど早く体が動いてくれる。

 当然、何もない空中に腕が引っかかる感触は残っている。

 言ってしまえば攻守になる前の氣のほうがよっぽど早く動かせたが……それでも速くなってくれたって事実は、素直に俺を喜びへと連れ出してくれた。

 

「おおおっ! 動く! 動くっ!」

 

 拳を振るう。ヒュッ、ヒュッと素早く。

 以前の自分に届いていない悔しさとか、普通なら浮かぶ筈なんだろうけど、今の俺の中には感謝と喜びと驚きしかなかった。集中出来たのも、明命や祭さんが教えてくれたお陰だ。俺一人で自分が思う通りにやっていたところで、氣を無理に体の動きに合わせた速度しか出せなかったのだろうから。だから素直に言った。小さな子供が親戚の人にお小遣いをもらって燥ぐみたいに真っ直ぐに。

 

「ありがとう祭さんっ!」

「お? お、おう」

 

 なんか体が軽い! 拳もシュビッと出せる!

 なのに前の時のほうがスムーズだったって、ちょっとどうかしてる!

 少し前の自分を超人のように思えてしまうのも仕方ない……のか? いや、でも本当に仕方ないって。不思議な気分だもんこれ。

 自分が自分に憧れみたいな感情を抱くとは思わなかった。

 一応これも自惚れになるのでしょうか。

 今の自分には無いものを持っている前の自分。悔しさとかじゃなく、ただ素直に“自分では気づかなかったものの、実は凄かったんだな……”と感心しているわけで。

 

「……やれやれ。うちの連中もこれほど素直に感情を言葉に出来ればのう」

「? 感情って?」

「ふむ……まあ、いずれわかることじゃ、どんと構えて待っておればよい」

「どんと、って……」

 

 なんのことだか理解が追いつかなかった。

 ん、んん? うちの連中っていうのは呉のことだよな。

 呉のみんなが素直に感情を言葉に出来ない? ……出来てる気がするけど、それはつまり祭さんが知ってて俺が知らないことか。

 ……いいか。“どんと構えて待っておれ”って言うなら、どんと構えていればそれで。

 というわけで、再び興奮が舞い戻ってきた俺は、祭さんにさらなる鍛錬指導をお願いする。当の祭さんはその勢いに多少たじろぎを見せるが、やっぱり笑うと今度は……アレ?

 

「エト……」

「どうした、打ってこんか」

 

 ひょいと渡されたものをずしりと受け取った。

 それは、陽の光を受けてギシャアと鈍く輝くブツ。

 どう見てもHAMONO。剣でございました。

 

「刃引きはしてある……んだろうね、絶対に」

「当然じゃろう。でなければお主は遠慮せずに打ってこれんだろうからな」

 

 自分ってものを見透かされると、これが案外恥ずかしい。

 祭さんは知ってか知らずか笑顔のままに、模擬刀という名の剣を持つ右手とは別。空いた左手の人差し指でちょいちょいと“かかってこい”をアピールする。

 

「………」

 

 深呼吸。

 体に氣を巡らせて、剣にも………………あれ? 流れていかない。

 やっぱりあの黒檀木刀じゃないとしっくりこないなぁ……こういう状況にも慣れないといけないのに。いつでも木刀を手に出来てる保障なんてどこにもないんだから。

 

「じゃあ……行くよ」

「おう。確認は要らんからどんどん打ってこい。ただし、今度は儂も反撃をするぞ」

「いっ……!? ……、───すぅ、はぁ……! っ……応ッ!!」

 

 木と戦ってるわけじゃない。当然だ。

 だったら反撃が来るのも当然で、それに臆することなく走るのも当然!

 

「っ───おぉおおおおおおおっ!!」

 

 体ごと突っ込む。

 振るう一撃に力と呼べるほどのものは込めていない。

 速度だけのそれを、祭さんは一歩引いて軽く避けた。

 

「どうしたどうしたっ! 剣にまるで力がこもっておらんぞ!」

 

 次ぐ、戻しの一撃。

 それを下から跳ね除けるように弾かれ、剣が腕ごと頭上へ持ち上げられる。

 完全に無防備な状態になった途端に祭さんは次を構え、しかし構えが完成するより先にそうなるであろうことを予測して、予め足に収束させていた氣で地面を弾き、後ろへ跳ぶ。

 

「ほう? まずは様子見か?」

 

 生意気じゃのうと続けながらも、どこか楽しげだ。

 ……よし、勝とうとするんじゃなく、まずは学ぶ。学んで学んで、勝とうとするのはまたいつか。挑戦しようと思った時で十分だ。ただし、本気でぶつかる。片手で構える祭さんに、勝てないまでもせめて両手を使わせるつもりで。

 

(以前も軽く弾かれた俺の腕力じゃ、祭さんに押し勝つのは無理だ)

 

 成長していないっていうなら、筋力はあの頃のままだ。同じ手で勝つことはできない。

 じゃあどうするか。

 単純に威力を上げるなら、武器に氣を込めて叩くのが一番だ……けど、生憎とこの模擬刀じゃあ上手く氣を込められない。

 だったらやっぱり速度でいきつつ、振るう部分に氣を込めて、氣を筋肉の代わりにしてやるしかない。速度があがれば威力は上がる。ようは振るう速度をどこまで上げられるか否かなんだから。重みも硬さも武器に備わっている。問題ない。

 鍔迫り合いみたいなことになっても、使うのは結局氣。

 やれることをやりつくす。今はそれだけに集中しよう。

 

「よしっ!」

 

 再び踏み込む。

 振るう模擬刀が弾かれても相手からは目を逸らさず、予備動作のひとつさえ見逃さぬ覚悟を胸に、身を振るった。

 

「つわっ!?」

 

 振るわれる一撃をなんとか弾く。

 勢いに体を持っていかれそうになれば素直に従い、しかし下がった先まで一気に距離を縮められて背筋が凍った。すぐに弾かれた体勢のままの腕を振り戻そうとするが、やはり即座には動いてくれない。

 

「っ───だったらっ!」

 

 再び足に氣を収束させる。

 だが祭さんはその収束に気づき、ニヤリと笑うやもう一歩を踏み込んできて……って、やばっ!?

 一緒に同じ距離の分、地を蹴り跳ぶ俺と祭さん。

 完全に合わされた動作の中、祭さんが模擬刀を振るう。

 しかしここで逆に笑ってみせると、この動作の中で戻し切ることが出来た模擬刀で祭さんの一撃を受け止めた。

 

「ほっ」

 

 当然、ギシィンと骨身に響くような衝撃が体に走るが、そんなものは痛撃を食らって動けなくなることに比べればどうってことない。

 意外だったのか、感心したような息を“ほっ”て言葉に込めた祭さん。

 そんな、力を抜くような声だったのにも関わらず、連撃は続いていた。

 

「ほれほれどうした北郷っ! 威勢がいいのは最初だけかっ!」

「いあっ! つっ! さっ……最初だけとかどうとか以前にっ! 打たせる気ないでしょ祭さんっ!」

「当たり前じゃろうが、敵に打ってくれと待つばかもんがどこにおるっ」

「さっき言ってたじゃない!」

 

 片手で振るわれる一撃。

 なのに、ごぎんと受け止めれば体ごと吹き飛ばされかける。

 本当に、この世界の武将っていうのは人の筋力とか軽く無視してらっしゃる。

 そんな一撃が、一瞬の判断ミスで防ぎ切れずに当たることも幾度か。

 当たった場所は激痛とともに痺れ、じくんじくんと断続的に痛覚を脳に送ってくる。

 それでも目は逸らさず、膝をつくこともせずに対峙した。

 膝をつくのは砕かれてからでいい。戦場で膝をつくのは死ぬってことと大して変わらない。……なら、膝をつくのは死んでからでいい。

 鍛錬で死ぬつもりはもちろんないが、それは覚悟の量の問題だ。

 

(───ぶつかる)

 

 もっともっと、自分が出せる本気を見てもらおう。

 強くなれる要素があるのなら、叩き潰した上で注意してくれる。

 自分の全力を受け止めてもらって、その上で注意されたことを俺も受け止めて、また強くなろう。───国にも、そしてみんなにも返していくために。

 

「覚悟、完了……!」

 

 弾かれ、滑った先で体勢を立て直し、覚悟とともに胸をノック。

 模擬刀を正眼に構え、とにかく全力を出し切ることを己に誓う。

 誓ったら、あとは突っ込むだけだった。

 

「───しぃいっ!」

 

 力むことで自然と出た声だけを掛け声にするように地面を蹴った。

 普段なら木刀にも流す分の氣も体の駆動の全てに託し、ただひたすらに動かし続けることだけをイメージする。

 相手の力に飲まれぬよう、心に籠めるはイメージの雪蓮に負けぬようにと鍛えた気迫。

 それを真っ直ぐに祭さんにぶつけると、祭さんは飲まれるどころか、うずりと身を震わせて撃を振るう。疾駆の先でそれを受け、逸らした瞬間には斬撃合戦は始まっていた。

 互いに引かぬと覚悟を刻み、弾かれても即座に戻し、間に合わぬのなら手で逸らしてみせ、無茶としか言いようがない……しかしあくまで“鍛錬”であるものを続けた。

 充実する氣が体内から滲み出て、僅かに輝きを見せたところで祭さんは驚きもしない。

 今はただ、目の前の相手……俺に集中してくれていることが嬉しい。

 もちろん背後から小石でも投げられれば、軽く叩き落して見せるんだろうが。

 

「たわけがっ! これほど動けるのなら最初からせんかっ!」

「だから上手く動かせなかったんだってば! それを動かすための鍛錬でしょーが!」

 

 普通に放ったつもりの言葉もまるで叫びのように放たれる。

 そうでもしなければ模擬刀が模擬刀を打つ音に掻き消されるってこともあるけど、注意をしてみたところでこの声量で出てしまうのだ。力んでいる証拠だろう。

 しかし今はその力みが気持ちよく、むしろ祭さん相手に力みを無くせば殴られそうな気がしてならないのは俺だけ?

 ……ともあれ、連撃は続く。

 手が痺れれば氣で感覚を繋いで強く握り、握った模擬刀で幾度も幾度も撃を連ねる。

 さっき使った加速のイメージは、あくまで扱いきれる程度の速度まで。

 戻せなくなるほどの速度は出さず、そう。あくまで“速度を加える”イメージ。一撃を躱されればそれまでなんていう速度は出さない。出せば負けることが想像に容易いからだ。

 

「随分と保つようになったな。これだけやって、息を乱さんとは面白い」

「ははっ……汗は出しても息は乱さないようにって、ずっと鍛えてきたからね……!」

 

 行動で出る息の乱れはそこまででもない。

 ただ、打っていくたびに増えていく祭さんからの……覇気、といえばいいのだろうか。ともかくそれが、俺を俺の気迫ごと飲み込もうとしている。

 それがただ、その、信じられないのでちょっと怖い。

 そりゃあ相手は歴史に記されるほどの猛将だろうけど、こっちの気迫ごと、って。

 しかもそれが一気に飲み込むんじゃなくてジワジワくるもんだから、気迫を保っているこっちとしてはヘビにジワジワと飲み込まれるカエルのような心境だ。

 だからって降参するのは絶対に嫌だから、こうして挑戦を続けている。

 

(しっかし……ほんとどんな筋力だよ)

 

 片手で振るっているにも関わらず、一度もこれだと言えるほどに当てられた撃は無い。

 掠る程度にまではいけたものの、いけたらいけたで祭さんが嬉しそうな顔で襲いかかってくるんです。はい、滅茶苦茶怖かったです。

 

(この人は本当に……)

 

 どれだけ、人の……国の成長ってものを願っているのか。

 掠るって程度の成長でもあんなに喜んでくれる人を、じいちゃんを含めてでも俺は知らない。だから対峙する自分も、よせばいいのにこのままじゃ終われないって突っ込んでしまう。

 でも……いくら猛将といえど、片手で武器を振り回すのには限度がある。

 俺に気をつかって軽めの模擬刀を用意してくれたんだろうけど、それでも片手で振るい続ければ……そうだ、たとえば木の棒でだって、疲労は蓄積するのだ。

 

「くっく、なんじゃ北郷。片手では不服か?」

 

 そんな俺の視線に気づいたのか、祭さんがにやりと笑う───と同時に勢いよく振るわれた剣で弾かれ、距離を無理矢理取らされた。

 

「なるほど、確かに強くなっておる。策殿が楽しみにしておるだけはあるが」

「……まだまだだって言うんでしょ?」

「おう、当然よ。それしきで満足されては張り合いがない。もっと強くなり、鍛錬でもなんででも人を楽しませる者であれ、北郷」

「───もちろん」

 

 ニッと笑って、胸をノックしながら返した。

 それを見た祭さんは少しきょとんとしながらもやはり笑い、片手で持っていたそれを両手で構えた。……当然、俺はぎょっとした。

 

「それでよい。男ならば多少は無茶な夢だろうと、真っ直ぐに追い続ける日々こそが華。やりもせずに出来ないだのなんだのと言う者や、ちぃとばかりやってみただけで己の全てを悟った気でやめるような者にはなるでないぞ」

 

 それを、俺と同じ構えまで持っていく。

 ……正眼の構え。

 この時代にそういった構えがあるかどうかは別にしても、来る一撃がどういうものかという予想は容易くついた。

 恐らく最速。

 余計な小細工なんてしない、最短最速での一撃。

 

(───)

 

 今まで保っていた緊張や気迫、様々なものに氷で出来た杭を打ち込まれる気分だ。

 吐き気さえする濃密な気迫で包まれ、乱さんとしていた呼吸が乱れる。

 原因は、鷲掴みにでもされたみたいに強張りを続ける心臓の鼓動。

 ……上手く呼吸が出来ない。

 だが相手は呼吸が出来るようになるまでのんびり待ってくれるはずもない。

 “これは成長への選別じゃ”とばかりに、殺気は感じさせないくせに気迫だけで人を怯ませる猛将が地を蹴る。

 その音で心臓がドクンと跳ね。───瞬間、ゴヒュウと肺に送り込まれる酸素がようやく状況に追いつかせてくれる。

 祭さんはもう目の前。

 普通に防ごうとしても間に合わない。

 ならばと氣が、体が取った行動は───訪れるであろう、恐らくは本気の一撃に対抗出来る一撃を導き出した結果だったのだろう、もう使うまいと思っていた加速だった。

 一気に爪先にまで収束された氣が、今度は関節を加速させながら、足から右腕までの距離を駆け上がる。

 祭さんに当てるためではなく、振るわれる剣を弾くための加速の一撃。それを、両手持ちではなく片手持ちにしたことに、戸惑うこともなく振るわれる祭さんの一撃へ。

 

「っ───!」

 

 しかしやはり、今までのイメージ通りにやっても届かない。

 一手遅れて動く体は、これで良しとイメージしたタイミングにさえ届かない。

 弾くための一撃は、振るわれた剣に合わせることも───

 

「───っ……つあっ!」

「ぬっ!?」

 

 いや。だったら可能性を作ればいい。

 軌道が重ならないなら、間に合わないなら、自分の身を引かせてでも合わせる!

 氣の全てが右腕に集う中、加速の勢いに体が持っていかれないようにと踏ん張っている足で地面を蹴る。“成長しないからなんだというのだ”とばかりに……成長しなくても、この世界に来るまで鍛えた体を以って、自分を後ろへと飛ばした。

 ……そうだ。

 この世界で学んだことが全てじゃない。氣が使えない状態でもいつかを思い、鍛えた体が確かにある。それを信じてやらないのは、あの一年を自分で馬鹿にするようなもんじゃないか!

 

(と、どっ……けぇええええええっ!!!)

 

 身を捻る。

 既に身を砕かんとしている鈍という名の刃へと、身をよじり、強引に届かせ、強引に引き離すため。

 無理な行動の所為で体に軋むような負担がかかるが、負担程度でこの一撃を防げるなら全然安いっ!!

 

「い、っぎあっ!!」

「!?」

 

 ───結果は、なんとか届いた程度。

 祭さんの一撃は左腕にめり込み、左腕だけではとどまらずに肋骨まで衝撃を(とう)すほどの激痛を残してみせ。だがその模擬刀自体は、加速させた模擬刀の渾身を以って頭上へと弾いてみせた。

 当たる前に弾ければよかったんだが、それは……言いたくもないが、贅沢ってもんだろう。腕を砕かれなかっただけまだマシだ。振るうのがもっと遅かったらと思うと、寒気しか走らない。

 でも、これで。

 

「っ……ぎっ……だぁあああああっ!!」

 

 両腕を、剣ごと頭上に弾かれた祭さんが俺を見る。

 左腕は激痛のあまりにだらりと下がっているが、右手で模擬刀を持ったままに振りかぶる俺を。

 今度こそ。蹴りが来ても弾く。距離を取られても追う。

 だからこの一撃を、受け止めてもらおう。

 ───あなたへの、感謝を込めて。

 

「ちぃっ!」

 

 以前のように蹴りが来る。

 それを、痺れている左腕を盾にすることで押さえながら、強引に前へ出る。

 祭さんの顔が“しくじった”といった、苦虫を噛んだような顔になる。

 その頃には踏み込みも終え、この一撃を───

 

「ほえっ?」

 

 ───当てるだけ、だったのだが。

 踏ん張った足から力が抜けて、そのままバランスを崩す。

 そして気づく。

 そういえば氣を右手に収束させたままだったと。

 なのに、つい咄嗟に氣で足を引っ張るイメージを働かせたもんだから、氣っていう引っ張る力がない足は糸の無い人形のように力を無くし、蹴りのために片足をあげたままだった祭さんを巻き込んで……見事に転倒した。



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72:三国連合/氣の扱い方【粉骨砕身編】②

 ───魏にて天の御遣いを務めていた北郷一刀警備隊長(??)は、この時の様子をこう語っている。

 

 ───はい。

 天で暮らし、及川という悪友と青春を面白おかしく過ごしていたのだから、当然僕にも知識はあります。

 激倒(げきたお)し。

 街角や交差点などで、女の子と衝突、一緒に倒れてしまう状況を言うそうですね。

 ものによってはどうしてそうなると思うほどの倒れ方も存在し、何故か女の子が男の上に座った状態で倒れるものもあるとかないとか。いや、どうしてかあるんだよと断言しなければいけないような気がするわけですが───ともあれ。

 街角でぶつかったわけでもないのに、今それが起こってしまっているわけです。

 ええ、これは自分にとっても驚きでした。

 倒れて、すぐに立ち上がろうとして動かした、まだ痺れている手が柔らかいものを掴んだのです。いやまあ、ハハ……及川……ハイ、僕の友人に言わせれば、きっと王道なのでしょうが。

 ちらりと目を向けてみれば、掴んでいたんですよ。倒れた状態で言うのなら、下敷きにしてしまった目の前の女性の胸を。

 ───え? その時の感想ですか?

 ハハ……感触だとか考えてる余裕なんて無かったですよ。

 だって、

 

「何をしている貴様ぁああ……!!」

「キャーアアァアア!?」

 

 即座に思春に曲刀を突きつけられて、離していましたから。

 はい、当然僕もいつものように……ハハ、こう言ってしまうのも情けないものですが、言い訳を考えましたよ。もちろん事実をありのままに話すしか道はなかったわけですが、おかしいんですよ。

 戦う前は季衣と鈴々以外は静かだったはずの中庭に、いつの間にか各国の将が集っていたんです。……生きた心地がしませんでしたよ。ああ、死ぬ……死ぬな、こりゃ……って自然と思ってしまいましたから。

 ええはい、有無も言わさずに正座させられました。

 けれどこの時だけはその行動に救われたんだと思いましたよ。

 集中して全力を出す高揚感は素晴らしいものだったんです。

 その興奮がまあその、下半身に現れてしまっていまして。立てと言われても立てなかったでしょうねぇ……女性の胸を鷲掴んだあとでは尚更です。

 

「い、いや……だから……足がもつれて……」

「ほう? 貴様は足がもつれれば相手の胸を揉むのか」

「揉んでないったら!」

「一刀……」

「あ、蓮華! 蓮華からも言ってやって! 思春が人の話を───」

「不潔よっ!」

「そうっ、不潔───ふけっ……えぇええええええっ!?」

 

 ただ、理解(ワカ)っていることはあるんです。

 

  “激倒しをした男に発言権はない(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 これなんですね。

 様々なものを見ても見せられても、相手に許される以外に道がない。

 漫画アニメ小説、これ王道なんです。

 言えることはひとつですね。男って損な生き物です。

 

「言わないことじゃないわっ! この男はこうして、偶然を装っていつでも女を狙っているのよ!」

「いつでも目を光らせてそういうことを言いたがってるお前に言われたかないわぁっ!」

 

 しかし誤解は誤解、事故は事故なのだから、発言権が無かろうと言いたいことは言う。

 当然ですね。というか桂花に好き勝手喋らせておいて、自分にプラスになることなんて何一つないと言えます。はい、断言というものですね。そもそも発言権の有無を唱えていいのは触られた相手である祭さんだけの筈なんですから。

 

「否定しないってことは認めてるんじゃないのっ! 汚らわしい!」

「汚らわしいとか言うなよっ! そっ……そりゃあ男なんだしそういうこと考えることはあるけど、それを堪えるのだって男の務めであり男が男であり続けられる理由であって、桂花が言うような存在なんてもう漢はおろか男でもなんでもない、ただのケダモノだろっ!!」

「……なにが違うのよ」

「まっ……真顔でなんてことを! とにかく今回に関しては本当に事故なんだって! ここ一番って時にっ……あと少しで当てられるって時にそんなことするヤツなんて聞いたことないぞ!? ───無言で指差すなぁああっ!!」

 

 叫び合いながらも左腕と肋骨に氣を送って痛みを和らげる。

 ついでに妙に丁寧な、刃で牙な漫画風の現状説明もやめて、長い長い溜め息を。

 そうしていると、正座をしたままの俺の前に祭さんが屈み、真正面からじぃっと俺の顔を見つめる。

 あの、と声をかけると少し悔しそうに、しかし次の瞬間には自分の頬をコリコリと掻いたのち、俺の頭にぽすんと掌を乗せてから言った。

 

「あの体勢では躱しようが無かった。負けとらんと意地を張るのは簡単じゃが、まあ……それはお主の頑張りへの冒涜じゃろう」

 

 状況が掴みきれず、ぽかんとしたままの俺。対する祭さんは「つ、つまりじゃな」となにやら落ち着かない様子であちこちを見ている。

 そこへくすくすと笑う冥琳が来て、

 

「北郷。祭殿はお前の力を認めてやってもいいと、そう言いたいのだよ」

「え?」

「ぬあっ!? 公瑾っ!! またお主はっ───!」

 

 認めて、って……え? じゃあ。

 

「本気の一撃を、たとえ当たってからでも弾いてみせ、追撃を躊躇わずに行なう。戦場で相手に押し倒された者の末路など、わかりそうなものだろう?」

「あ……」

「く、くぅうっ……! 言わずともよいことをべらべらと……! ───北郷っ!」

「はいぃっ!? な、ななななんでしょう……!?」

「もう一度じゃ。得物を取れ」

「あ、はい。………………はい? は、え、えええっ!?」

 

 もう一度って、あの!? もう一度ってつまりそのままの意味で!?

 え!? あ、だって! 今の言葉の意味って、ようやく祭さんから一本取れたって意味で! なのにまたって……!

 

「いやいやいやいや祭さん!? それはちょっと!」

「ええいうだうだぬかすでないわ! 次は本気の本気で叩きのめしてくれるわ!」

「うわぁあああこの人おとなげねぇええーっ!!」

 

 そりゃあこういう人だってのはわかってたつもりだけど! なのに人の成長を望んでて、成長すれば嬉しそうに笑って、でも負ければ子供みたいに意地になって───ああもう本当に掴みどころの無い人だなぁ!

 

「ちょっと待つのだーっ!」

「!? はっ……あ、鈴々!?」

 

 まだあそこが落ち着ききっていない俺を無理矢理立たさんと引っ張る祭さんに、俺が「やめてぇ! やめてぇえ!」と悲鳴をあげる中、祭さんの後方から待ったを掛ける声! その正体は……まさかの鈴々! ……り、りん…………あのー、鈴々さん? どうして蛇矛をお持ちなのでしょうか。どうして、そんな輝く瞳で俺を見ておられるのでしょうか。

 ま、まさかですよね? まさかそんな───

 

「次お兄ちゃんと戦うのは鈴々なのだ!」

 

 まさかだったぁあああーっ!!

 ああいやいやいや確かにそうだけど今は無理矢理立たされても静まっているように、下半身に静けさを! そして左腕と肋骨が治りますようにと氣を……!

 と、目を閉じれば始まる言い争い。

 次は鈴々なのだいいや儂だと、最初は二人だったソレが、何故かどんどん増えていく。

 終いには聞き慣れた声まで混ざり、それが魏武の大剣さまの声と知るや、下半身に静けさどころか背筋に冷たさが走った。……お陰で一応下半身は鎮まってくれました。はい。

 ひとまずの安堵とともに、おそるおそる目を開けてみる……と、また武将の数が増しており、力自慢な皆様が揃いも揃って次は次はと話し合っていた。

 

(……ニゲテ、イイデスカ?)

(出来るものならな)

 

 胸の下で腕を組んで溜め息を吐いていた冥琳に、アイコンタクトを試みた……途端にダメ出しをくらった。

 軽い絶望を胸に秘めつつ、再び視線を姦しいどころじゃ済まない状況の中庭の中心にやると、その中からすたすたと歩いてくる人が。

 小さな壷を片手に歩くその人……星は、少々失礼と言うと正座する俺の背中側に回り、俺に背中を預けるようにお座りになられた。

 

「……あまり言いたくもないけど、参加しなくていいの?」

「うむ。それはまたいずれの鍛錬の時にでも付き合ってもらうとしましょう」

 

 コリコリとメンマを噛みながらの言葉がそれだ。

 あくまで傍観者で居ようとしているらしい。

 助けてくれと言ったところで断られるんだろうな。

 というかこの状況を鎮められる人っていうのを一人しか想像できない。

 その一人もこの場にはおらず、恐らくは今も自室で仕事をしているんだろう。

 などと考えていると星が座る位置を少しずらし、別の重みがとすんと加わる。

 何事かと見てみれば、そこに冥琳が座っていた。

 

「ほう? お主はもっと堅物かと思っていたが」

「なに。友には遠慮はしないと決めている」

「……なるほど。それはよくわかる考え方だ」

 

 俺と星と冥琳とで、背中を合わせて座る。

 そんな、実におかしな状況の中でも中庭の中心で闘争を叫ぶ女性たちの喧噪は止まらない。

 

「はっはっは、北郷殿はモテモテですな」

「喜んでいいの? これって」

「ふふっ……喜んでおけばいい。なにも殺すと言われているわけでもない」

「…………うー」

 

 そう言われても素直に喜べない。

 はぁと溜め息を吐きつつ、正座のまま背を預けるのもなんだと思い、足を崩す。

 

「しかし、あの祭殿を転ばせるか。運の要素もあったのだろうが、腕をあげたな」

「ふむ。まああれほどの鍛錬をずっと続けていたのなら、多少なりとも強くなっていなければ嘘だろう。大体の者は、それが身に付くよりも先に音を上げ、やめてしまう」

「小蓮様もあれほど熱心にぶつかってくれればな………いや。それは贅沢というものか」

「はっはっは、まあ腕に自信のあるものなど売るほど居る。鍛錬をしたくなったなら声をかければ、頼まれずとも走るだろう。北郷殿ならば特にな」

「うぅう……」

 

 ちらりと見れば、「だったら戦って誰が先に鍛錬するかを決めるのだー!」と叫び、そのノリのままにぶつかり合う武将の皆様。……出たばかりのため息が、また出た瞬間だった。

 

「鍛錬のために勝負って……なんかおかしくないかな」

「なに、どんと構えておればよろしい。皆、北郷殿とぶつかるきっかけが欲しいだけでござろう」

「いろいろ理屈が、前提から間違ってる気がしてならない……」

「……北郷。各国の武将に前提の理屈を正しく受け取ってもらえるのなら、我ら軍師はそうそう頭を抱える必要などないのだが?」

「ゴメンナサイ、失言でした」

 

 そんなものは春蘭を見ればわかりそうなものだった。というかわかってた筈だった。

 

「まあ……いいや。どうせ逃げられないなら、今は回復に専念しよ……」

「うむ。どんと背中を預けなされ。こういう時に背を貸せるのも友の特権。なんなら寝て頂いても結構。目覚めることなく血塗れになるやもしれませぬが」

「それって友を見捨てて逃げてるってことじゃないの!?」

 

 言ってみたところで笑って返されるだけ。

 背中に伝わる感触から、冥琳も笑っているようだった。

 

「はぁあ……」

 

 本日何度目かの溜め息とともに、心の底から脱力した。

 同時に二人に体重をかけることになったんだが、文句も言わずに背中を貸してくれる。

 二人にありがとうを言いながら目を瞑り、言われた通りに眠れるのなら寝てしまおうとさえ思った。

 

……。

 

 ……そののち。

 異様な気配に目を覚まし、ぱちくりと目を瞬かせてみれば───……並み居る猛将を押し退け、その中心に立つ者ひとり。

 だらだらと溢れる汗を拭う意思すら生まれるより早く、彼女はてこてこと歩いてきて首を傾げて仰った。

 

「……一刀。鍛錬……する」

 

 恐らくは随分と動いただろうに、どこか眠たげな瞳に……僅かながらの期待の火を灯した彼女……恋は、片手に持った方天画戟をごふぉぉおおぅんと振り回し、肩にお担ぎになられた。

 たんっ……鍛錬……!? た、たたた鍛錬ねっ!? 鍛錬っ!

 う、うんする! しますけど! 後ろに転がる皆々様を倒したあとだっていうのに、まだおやりになると!? ていうか無双すぎ! ほんとどれだけ強いんだこの子は!

 あ、あぁあうんやる! やるからそんなじっと見つめないで!?

 そして断言します! 模擬刀じゃ絶対無理! 木刀持ってくるから待っててください!

 

「ふたっ……二人ともっ、ありがとなっ!」

 

 背を貸してくれた二人に、どもりつつもありがとうを。

 そして走り出し、木刀を取って対峙した。

 対峙して……覚悟決めて、走って…………空を飛んだ。

 落下しながら“また飛んでるよ俺……”と涙しつつ、ゴシャーンと落下。

 不思議そうにてこてこと歩いてきて「一刀、本気出す」と仰る恋さん。

 ハ、ハイ、訳がわかりませ───はうあ!? もしかして以前、恋の一撃を上乗せして返したのを俺の本気とか思ってらっしゃる!?

 

「……もう一度」

「いやぁああーっ!?」

 

 襟首を掴まれて中心へと連れていかれた。

 そこで再び対峙して、吹き飛ばされ、連れ戻されて、空を飛び。

 ならばと覚悟を決めるに決めて、今一度、今度は切り離し方を覚えたやり方で、恋の攻撃を吸収、返してみせた。あっさり受け止めたけど、当の恋はようやく待っていたものが来たといった様子で目をきらっきら輝かせて(あくまで無表情)、そんな喜びのままに片手で振り回していた方天画戟を両手で持って……もゥォオオおおーッ!?

 いやぁあやややややや恋!? 死ぬ! それ死ぬからちょっちょ待ぁああああ!!

 

「───」

 

 強烈って言葉では片付けられない一撃が、目前に迫る。

 そんな状況の中でした。

 目で見るもの全てがゆっくりと動き、頭の中ではこれまでの出来事が一気にブワァアアと思い返されてってこれ走馬灯じゃないか!! じょじょじょ冗談じゃない! 死ぬか死ねるか死ねるもんか!!

 ゆっくり動いてるならせめて合わせる! 合わせて、…………空飛びそう。

 ああもう空飛ぶがどうした! まともにくらって胴体が千切れるよりよっぽどいいわ!

 よく見ろ! スローなら合わせられる! 合わせて、威力を吸収して軽減する!

 

(我が一秒先の未来に栄光あれぇええええっ!!)

 

 もはや泣きたい状況で心の中で叫びながら、氣を籠めるられるだけ籠めた左手を伸ばす。伸ばした先には方天画戟(刃引きされたレプリカ)。刃の部分を押さえるのは確実に無理だしそもそもレプリカだろうと恋の力なら絶対に人を斬れるああ斬れるね斬れないもんか! なので長柄である棒の部分をガッと受け止めると、一気にその衝撃を木刀に流す!

 

(よ、よし! なんとか成功、し、た───!? ~ッッッ!?)

 

 左腕の感覚の一切が吹き飛んだ。

 見れば、氣の全てを以ってしても殺しきれなかった力が左手を押し切り、腕が変な方向へオォオアァアアーッ!?

 

(っ───ダメだ、無理! このままだと腕ごと肋骨とかいろいろなところが砕ける!)

 

 意識してからは速かった。

 早いではなく速い。防衛本能ってやつが氣と一体になったのか、自分でも驚くほどの速度で木刀が振るわれた。

 

「───!」

 

 それに気づいた恋は即座に攻撃から防御へスイッチし、自分自身の攻撃と俺の氣の全てを託した一撃を方天画戟の柄の部分で防いでみせると───きょとんとした表情のまま、吹き飛んだ。

 それで俺の中の氣はすっからかんになり、同時に左半身が激痛に襲われる。

 立っていられないほどの激痛にうずくまりそうになるが、体を曲げることさえ苦痛である今、そんな動作さえ取れずに、声にならない声で叫んだ。

 

「っ……か、はっ……あ、あぁああ……!」

 

 どうせなら痺れていてほしかった。

 いっそ麻痺状態ならこんな痛みを味わうこともなかったろうに。

 荒く息を吐きながら木刀を杖代わりにする。

 滲む視界で見る景色の中、吹き飛んだ恋はどうやら倒れていたらしく、むくりと起き上がって目をぱちくりと瞬かせていた。その目が俺を捉えると、またきゃらりんと目を輝かせる。

 で、歩いてくるのだ。輝く瞳のままに、こちらへ。

 あ……やばい。これ死ぬ。

 本気でそう思いかけた時、違和感に気づいた。

 同じくらいのタイミングで恋もそれに気づいたらしく、ふと自分の右手を見て首を傾げていた。……そう、方天画戟が無いのだ。

 

「あ。いぃいっひぃいいっ!!?」

 

 僅かな声に体が軋んだ。

 けど見つけた。

 中庭から見える通路の欄干に突き刺さっている方天画戟を。

 う、うわぁ……随分飛んだな……───じゃなくて。ええと。

 

(と、とにかくっ……! 痛くてもなんでも、終わらさなきゃ終わらないっ……!!)

 

 必死だった。

 痛みなんてこれが終わればいくらでも味わってやるからと歯を食い縛り、ずるずると歩いて……きょとんとしている恋の目の前に立つと、その頭に軽くポコンと木刀を落とした。

 「あ……」と小さく吐かれる言葉。

 対して、もうどっちがどっちなのかを訊くのも馬鹿らしいくらいの激痛に襲われている俺が笑う。

 

「……はい。俺の勝ち」

「…………? ……、……!!」

 

 とりあえず……こ、これで終わった……よな? 終わってくれた……よな?

 もうさっきから涙が止まらないんだが……っ……くっふ……! お、おおぉおっ……終わってくれましたよね……!? ああもう叫びたい……! 叫んで痛みを忘れたい! でも叫ぶと振動で痛くなるのも目に見えてるから無理ですそれ!

 心の中では既に泣き叫んでいる俺を、信じられないものを見る目で見つめる恋。

 今度はその頭を、木刀を離した手でやさしく撫でると……自分に立てかけるように離していた木刀を手に、ガタガタと震えながら歩いた。普通に歩くだけで痛い。なので痛みにガタガタと震えながら歩いた。

 う、うん。まずは華佗を探そう。

 で、このなんかいかにも伸びてますよって感じの腕をなんとかしよう。



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72:三国連合/氣の扱い方【粉骨砕身編】③

(おれっ……折れてない……よな? 折れてたら……どうしよう。メシャってすごい音がなりましたが……せ、せめてヒビくらいでなんとか……!)

 

 ちなみにこの左腕、全く動かない。

 粉砕骨折とか覚悟しなくちゃだめだろうかと怖いことを考えていると、心配してくれたみんなが駆けつけてくれる。

 

「相変わらず無茶をする。腕を盾にするなど、と呉でも言ったろうが」

「あの場合盾にしないと命が危なかった気がするんだけどイアァアアアギャアーッ!!」

 

 腕を診てくれた祭さんに言葉を返すと、その腕をグイと掴まれた。

 途端に走る激痛。涙は意思とは関係無しにどばどばと溢れ、しかし……

 

「……ふむ。関節が外れておるな。骨にヒビも入っとるかもしれん。だが折れてはおらん」

「ひっ……ひ、ひぃー、ひぃー……! えっ……ほ、ほんとにっ……!?」

 

 痛みに息を荒げながらも、折れてないという言葉に素直に喜びを浮かべる自分がいた。……いたんだが、直後に祭さんがその腕をグイと強く掴み、グリッと捻った時には……その“素直な喜び”は絶叫に変わった。 

 ボグリッと聞き慣れない音が骨を通して鼓膜に伝わり、祭さんが「これでよし」と息を吐く。骨を嵌めてくれたんだろうなってことはわかるけど、くっついても痛みは全然消えなかった。そりゃそうだ、骨にヒビ入ってるそうだし。

 

「まあ念のため華佗に診てもらえ。で、くっついたら鍛錬の続きじゃ」

「こんな時くらい心配だけしません!?」

 

 そうお願いしてみてもからからと笑い、言ってみただけに決まっとろうがと返される。

 もちろん最初から華佗に見てもらう気だったから、前者はそれでいいんだけどさ。

 

「歩けるか?」

「いや……正直立ってるだけで精一杯だったり……。歩こうとすると、カクンって」

 

 試しに歩こうとしてみると足が崩れ、祭さんが慌てて支えてくれるんだけどその衝撃で腕がズキーンってギャアーッ!!

 

「そうか。なら華佗のところまで肩を貸してやろう。それとも抱き上げてほしいか?」

「それは勘弁してください」

 

 素直に肩を借りることにした。

 強がっても歩けないんじゃ話にならない。

 

「いえっ! 黄蓋殿っ! 隊長は自分がっ!」

「え……って凪!? 凪も見てたのか!?」

「はっはー、恋相手によー立ち回ったなぁ一刀~♪ 戦ってる一刀、凛々しかったで~」

「し、霞まで……」

 

 改めて見てみれば、さっきより人が増えていた。

 しかも今度は華琳まで。

 そしてその横には、目を爛々と輝かせる雪蓮さんのお姿が。

 …………うん。なんでだろうね。祭さんに弓術の腕を見せた時もだけど、どうしてこう奇妙なタイミングってのは発生しやがるのでしょうか。

 ああ……いいや、今はいろいろと疲れてる。あの表情の輝きが何を意味しているのかとかそんなことは後回しにして、ともかく華佗のところへ行こう。

 いろいろなものを諦めるような溜め息を吐き、祭さんに代わり、凪と霞に支えてもらいながら歩く。

 きっと華佗には呆れられるだろうなと予想しながら。

 

(昨日の今日でこれだもんなぁ……体を大切にしろとか怒られそうだ)

「………」

(最初はただの鍛錬だったのになぁ……どうしてこんなことに)

「……………」

(出来ればこんなことはもうごめ───……ん?)

「…………………」

「………」

 

 支えられ、歩く左隣。ヒビの入った左腕を注意して肩に回してくれている霞の隣に、何故か恋。どうしてかこちらをじーっと見つめてくる彼女が、歩調に合わせて追ってくる。

 

「……恋? どうかしたか?」

「ん…………悪いことしたら、ごめんなさい」

「………」

 

 悪いこと……怪我させたことか。

 まあこの時期に骨にヒビは相当キツいけど、前例が無いわけでもないし……前はポッキリ折られたわけだし。

 ていうかね、氣の全てを緩衝材に使っても抑え切れず、腕を潰しにくるその威力に驚きだよ。体で受け止めたならまだしも、氣の量だったら何気に自信あるつもりだったのに。

 

(……ふむ)

 

 腕は痛い。じくじくと痛い。

 でもそういう鍛錬をやって、恋に対する怒りはあるかって言われると……不思議と無い。またお人好しだだの言われそうだけど、誰かさんが教えてくれた言葉がある。“傷つかない鍛錬をいくらやったところで、向かってくる得物に対する恐怖は拭えない”。誰かといえば、我が家のじーさまだ。

 真正面から戦って打ち合って勝てた、とは言えないかもしれないものだし、あそこで恋が武器を手放してなかったら確実にヤバかったのも事実。そういうもしもは確かにあるが、今ここに立っている俺は俺の道を選んでいいわけで。だから───

 

「今度は、俺がもっと強くなれたらやろうな」

 

 言う言葉なんてそれでいいんだろう。

 無理矢理にニコッと笑ってみれば、痛みの所為で顔は引き攣り声も震えたが、言葉を受け取った恋は無表情のままに目を輝かせ、こくこくと頷いた。

 そしてさらにてこてこと近寄ると、凪と霞に小さく「恋が運ぶ」とだけ告げて───ひょいっと俺を抱き上げた。

 ……世に言うお姫様抱っこである。

 

「えっ───なぁっ!? ちょ、恋っ!?」

「なっ、ちょっ、なにをそんなうらやま───ハッ!? い、いやっ! わわわ私はなにをっ!?」

「なんや、凪もしたかったん?」

「そそそそんなけしてそのようなことはっ!」

 

 男を軽々と持ち上げる腕力に、相変わらず驚きを隠せない。

 以前吹き飛ばされた先でキャッチされた時も思ったが、これは相当に恥ずかしい。

 しかしながら以前のことを思えば、何を言っても下ろしてはくれないのだろう。

 だったら素直に運ばれたほうが、腕にもやさしいに違いない。

 

「うぅ……じゃあ、頼んでいいかな、恋」

「ん、任せる」

 

 いつになくキリッとした(感じがする)恋が頷き、すたすたと歩く。

 付き添いとして一緒に来てくれる霞や凪にも(抱っこされつつ)礼を言いながら、終わってくれた鍛錬に心底安堵した。

 

……。

 

 ……で。華佗に診てもらったわけだが。

 

「……どうやら関節が外れた先で骨が圧迫され、そこで骨にヒビが入ったようだな。筋もところどころに傷がついている。骨が折れていないのは不幸中の幸いだ」

「うぅわー……」

 

 だらりと下がったまま、力を籠めれば大激痛な腕を診てもらう中。

 華佗が状態を告げるたびに恋がしゅんとしていくのが、やられた本人ながら心苦しい。そんな俺を横目に、お人好しやなぁと漏らすのは霞。

 凪も「治るのでしょうか」と心配してくれて、心配してくれる人が居るのって嬉しいもんだなぁと心を温かくした。

 

「もちろんだ。五斗米道に治せぬもの無し。だが大会出場は無理だな。諦めろ」

『えぇええっ!?』

 

 ……温かくなった途端に冷やされた。

 俺と霞と凪は同時に驚きの声を出し、あまりに重なった声に華佗が驚く。

 しかし診断の結果は変わらず、俺達はそれはもうがっくりした。

 

「かっ……片腕出場とかは!?」

「無茶をしてまた腕を壊すお前が、俺には容易く想像出来るんだが……」

『ああ……』

「そこで二人して声を揃えないでくれよ!」

 

 女性二人にあっさりと頷かれた。

 ……とにかく出場は無理。

 集中すれば治せないこともないが、じっくり治さなければヒビが入りやすいかたちのままに骨が固まってしまうのだという。確かにそれはごめんだ。ごめんだから……

 

「そんなら一刀とやれるのは次ってことになるんか」

「へ? 次? ……もしかして、天下一品武道会って会合の度に毎回やってるのか?」

「毎回というわけではありませんが、今回が最後というわけではありません。ですから隊長、残念ではありますが、今回は見送ってください」

「凪……」

「せやなぁ。ここで無理されてポキポキ折れるような腕になったら、張り合いないもんなぁ」

「霞……───ん。そうだな」

 

 ポキポキって表現はどうかと思うけど、心から心配しての言葉だとわかったから、ここは素直に頷くことにした。すると恋が、無表情ながらもどこか申し訳無さそうな顔で歩み寄ってきて、ぺこりと頭を下げた。

 

「あ、いや、いいんだって。確かに残念ではあるけどさ。いきなり乗り込むには、確かに無茶だった。まだまだ氣のほうも馴染ませなきゃいけないし、ある意味丁度よかったのかもしれない」

 

 むしろこうして腕がゴシャるのが少し早まっただけだったかもしれないのだ。

 うん、武将って怖い。

 次がいつになるのかは知らないが、それまでにもっともっと鍛えよう。毎度毎度こんなに恐ろしい目に遭いながら戦ってたんじゃ、肝がいくつあっても足りないよ、本当に。

 

「次の大会までにもっと鍛えないとな。……って、その前にいろいろと片付けなきゃいけない仕事が盛り沢山だ」

「そらそうや。なんたって一刀は三国の支柱様、やしなぁ。あっはっはっは」

 

 自分のことのように胸を張って笑う。

 こういう時には霞の明るさはありがたい。

 とはいえ、やることも覚えなきゃいけないこともたくさんある。

 まずはそれらを消化していかないと、鍛錬どころじゃないんだよな。

 なにかを任されるっていうのは、警備隊の時も思ったことだけど大変なことだ。

 ……と、軽い笑い話を混ぜてみても、恋の申し訳無さそうな雰囲気は消えない。

 だからちょっと無理をして……あ、いや、ちょっとどころじゃないです。物凄く無理をして右手と左手を持ち上げて恋の頬をやさしく包むと、その目を真っ直ぐに見て言ってやる。

 

「ほら、恋。笑って? 折れてないから動かせるし、確かにいろいろと不都合は出るかもだけど、受けた本人がこうして笑ってるんだから。怒ってないし、恋がしょんぼりしたままなのは俺が嫌なんだ」

「………」

「……えっと。ほら、にこーって」

 

 相変わらずの無表情に、もう一度ニコッと微笑みかけてみる。

 すると…………表情は変わらないものの、その目がじぃいいいっと、俺の目の奥まで見つめるように長く執拗に見つめてきて……その視線に応えるようにじぃいっと見つめていると、口の端が少し持ち上がり、眉が少しだけ曲線を描く。

 ……あれ? もしかして今、笑ってる? 笑ってる……よな?

 

「……うん。やっぱり笑顔が一番だ。恋はかわいいな」

 

 そんなささやかながらの笑顔が嬉しくて、頬をさらりと撫でてから、痛まない右手で頭を撫でてやる。

 左手は下ろすだけで精一杯で、動かそうとしてみてももう動かなかった。

 肩から先が完全に痺れてしまったのだ。

 そのくせ痛みはあるんだからたまらない。

 

「………」

「? ……恋?」

「!」

 

 撫でられたままでじーっと見つめてくる恋に声をかける。

 いったいどうしたというのか、瞳を覗き込んだまま動かなくなっていたのだ。

 だからと声をかけてみると、まるで犬や猫が耳をピンッと弾かせるように肩を震わせ、急におろおろとあちらこちらに視線を投げる。

 

(……え? 一体何事?)

 

 しばらく様子を見ていると急にピタリと止まり、またじぃいいっと俺の目を覗き込む。

 もう何がしたいのか……って、あれ? なんか顔がさっきより赤いような……? なんて、顔を近づけた途端だった。

 

「え?」

「おぉっ?」

「なっ!?」

 

 恋が顔を寄せ、俺の頬に自分の頬を擦り付けてきた。

 まるで猫がそうするみたいに。

 こしこしと、まるで自分の匂いをつけるみたいに。

 前に美以にもやられたことがあるけど、これってつまり───え? マーキング?

 

「あー……あの。恋?」

「……一刀、恋に勝った。負けは負け。だから一刀は恋が守る」

「───」

 

 いや、そのりくつはおかしい。

 それって考え的には逆なんじゃ……?

 

「勝ったって言っても、あれは───」

「……武器を落としたの、初めてだった」

「そ……そうなの、か?」

「……驚いた」

「そりゃ驚くだろうなぁ……」

 

 俺も驚いたし。

 むしろ全部の氣を使って恋の力を吸収してみせたっていうのに威力を殺しきれず、腕を破壊しておいてなお、まだ威力は死んでなかったんだから……ほんと、呂布って人は存在自体が超規格外だ。だってあれ、即座に攻撃に移って恋に防御させなかったら、確実に腕が折れるか、それどころじゃ済まなかっただろ。

 飛将軍……恐ろしいコッ……!!

 

「驚いたら、ここがなんだかうるさい」

「ここって……」

 

 自分の胸に手を当てる。

 そうした時にはもう恋の顔は真っ赤とも言えて、それでも変わらずに目を覗いてくる。

 …………ト、イイマスカ…………エ?

 

(……アノ。コレーテ・ビクーリ・シトゥァトゥカ……サウイフ・ウィミノ・コトゥジャア……)

(ちゃうわっ!)

 

 霞に“これってびっくりしたとかそういう意味のことじゃあ”とアイコンタクトをしてみたら、物凄い勢いで無言の睨みを進呈された。

 じゃあ、じゃあ……?

 さっきのマーキング行為といい、この顔の赤みといい、ままままさか……!?

 ……と、まさかを考えていたらまた頬ずりをされる。

 

(胸に手を当ててたからって、この期に及んで“心臓病なのかー”だなんて言うつもりはない。ないんだが……)

 

 でもこの反応は予想だにしなかった。

 

「やっ……あ、あのなぁ、恋~……? さっきのはほら、恋が他のみんなと戦ったあとだから、得物を落としてしまったというだけであって───」

「ちょい待ち一刀。どんな理由や理屈があろうと、戦場に生きるんやったら武器落とした時点で詰んどる。どっちが勝ったとかどちらが優れていたかやのぉてな? 一瞬が命取り、運の要素もあるゆーんなら、それは間違い無く一刀の勝利や。それで納得しときゃええ」

「……納得したらしたで大変なことになりそうな予感がジワジワとさ……」

「いまさらなにゆーとんねん一刀。べつにウチは恋やったらええで~? 勝者なんやから笑って迎えたればええやん」

「うっ……ぐ……」

 

 支柱様とか言われてしまった手前、断り辛い空気がしくしくと。

 いろいろ考えている間にも頬擦りは続き、しばらくしてからようやく解放されると、これまたようやくヒビが入った腕に華佗の鍼が落とされる。以前のように痛みが随分と消え、「ぶつけたり引っ掛けたりしない限りは、そうそう鋭い痛みはないだろう」というのが華佗の言葉であった。

 それはもちろん無理に動かす気なんてない。ただひたすらに治すことを考えよう。

 

 

 ……こうして、平凡でいつも通りといえばいつも通り───で終わるはずだった鍛錬の日は、散々なことだらけで終わった。

 なんの冗談の重複なのか、武器を落としてしまった恋に勝てたり、氣のことをまた学ぶ機会を得たりだの、大変だろうと想像はしていたけど大変なことばかりで。

 けれど体を休めるには丁度いい時間だった。疲れていたこともあって、腕を引っ掛けないように着替えて寝台に転がると、すぐに眠気に襲われる。抵抗をすることもする気もなくあっさりと寝た俺は、翌朝までぐっすりと寝ていた。

 ……で、翌日になってソレに気づいた。

 寝台で起きた俺の隣に、何故か恋さんが寝てらっしゃったのだ。

 それを見て驚きの声を上げるより先に、丁度俺と恋とで挟んだ状態でにゃむにゃむと寝言を言う美羽に目がいく。……なんか、少しだけ自分たちが親子に見えた。いや、もちろんそんな行為には及んでいないのだが。

 

「………」

「……、……」

 

 ……で、大変困ったことに何処へ行くにもついてくる。

 包帯ぐるぐる巻きの左腕を見ては申し訳無さそうにするから、“近寄るんじゃあないッッ!!”とか言うことも出来ないし。……そもそもいうつもりもないが。

 かといって近寄ると頬ずりしてきたり耳を舐めてきたりして(驚きのあまり叫んだ)、もうどうしたらいいのやら。そういえば犬って、たまに耳とか舐めてくるよね。それに似た習性なのかしら。

 歩く先歩く先にてこてことついてくる。……ああなるほど、犬かもしれない。

 納得しそうになりながらも否定して、今日も元気にお勉強。なのだが、自室で先生の指導のもとに勉強をする中でも、恋は俺の傍に居たがった。しかし本日の教師役である冥琳は甘い存在ではなく、あれよという間に却下を出されて部屋から追い出される恋。

 それからしばらくは静かな勉強会が続いていたんだが、気配を感じてひょいと窓を見てみれば、じぃいい……とこちらを見ている恋さん。

 

「……北郷。お前はいったいなにをしたんだ……」

「ごめん冥琳……それ、俺こそが知りたい……」

 

 わかることがあるとするなら、恐らくはひとつだけ。

 どうやら俺は、下手をすれば知名度で言うと曹操劉備孫策よりも高いかもしれない三国無双の武将さんに、いたく気に入られてしまったのかもしれないってことくらいだ。

 何が原因なのかといえば、理由はともあれ勝てたことなのか、それとも他になにか理由があるのか。例の如く明確な理由は見えてこないものの、まあ……好かれて嫌な気はしないので、素直に喜んでおけば……いいのかなぁ。

 

「まあ、お前が気にしないというのならいいが。……ふふっ……強くならねば、いつか潰されるぞ」

「シャレになってないよそれ……。でも、まあ……頑張る」

 

 茶化されてもそんなことしか返せやしない。

 けど……アレを受け止められるようになるには、いったいどれだけ強くならなきゃいけないのか。“下手をすれば”どころか、もっと上手くやらなきゃいつか死にます。

 道は果てしなく続いていそうだった。




PCが届くのが3日~一週間、込み合っている場合は一ヵ月以上かかることもあるそうで。
今もドキドキしながら使っているこのPCが、本格的に壊れてしまう前に……PC-っ! 早く来てくれーっ!

 ……ちなみに初期化してから既に5回ほど停止、追加で二回ほど初期化しました。
とりあえずディスク書き込みを頻発させるサービスをとことん停止させることで、今は少しだけ安定しています。
 元々win10はディスク書き込み100%が頻発するらしく、じゃあ何が原因なのかといろいろと回ってみましたところ、この勝手に起動するサービスが邪魔らしい。
 DiagTrackっていいましたっけね。ただ停止ってやっただけではいつの間にか復活していたので(フリーズしました)、管理ツールから設定して無効にしたらディスク書き込みがガクンと減りました。 
 あとは推奨された停止するべきものも停止させると、たしかに書き込み回数も減りました。
が、回数がどうとかよりもPCがちゃんと使える喜び! ステキダ!


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73:三国連合/いきぬきのしかた①

119/隻腕のあなた

 

 学ぶ時間は定期的。

 息抜きする時間も定期的……ではない。

 覚えなければいけないことが多くて、教師という名の監視が居るからにはサボることなど出来る筈もなく───いやそもそもサボる気はないのだが、時々息抜きをしたくなるわけで。

 しかしながら“たった今やるべきこと”を終わらせた上、この場に監視が居ないのならそれも可能になるのだ。サボるサボらないに限らず。

 

「……ふぅ。これでよし、と」

 

 冥琳に出された宿題を終わらせる。

 時刻は昼時だろうか。

 朝から付きっ切りで教師役をしてくれた冥琳は、雪蓮に呼ばれて部屋にはいない。俺はといえば、一人でさらさらと動かしていた筆を、今ようやく置くことが出来たわけだ。

 そんな苦労を終えたところで、喉の渇きに気づいて水を口に含む。もちろん茶器なんて気の利いたものは用意していないから、机の端に置いてある常備用の竹筒を取り出して。

 厨房にあった、華琳がデザ-ト作りに使ったらしい寒剤を使って冷やしてあるから、通した喉が冷やされて心地良い。……べつに特別、気温が高いわけでもないんだが。

 

「んっく………ぷはっ……ふぅ」

 

 それにしても静かだ。

 鳥のさえずりが時折に届く程度で、騒音らしい騒音も無い。

 聞こえる音が騒音であることに慣れている自分が恐ろしいが、今はそんなことはどうでもいい。そう、誰も居ないのだ。昨日からずっとついてきていた恋も居ないし……もしかしてこれは、息を抜くチャンスなのでは?

 

「とはいってもなぁ……」

 

 左腕がこの状態ではやれることも限られる。

 抜け出して城下に行くって手もあるにはあるが、戻ってきた冥琳に迷惑がかかってしまう。いっそ書き置きでも……結果は同じか。

 そう諦めかけるも、やっぱり息抜きはしたいのだ。さてどうする。

 監視が居ない上に宿題も終わらせて、一応の区切りをつけた今が好機なのだ。

 

「ん、んんっ……」

 

 思考を回転させてみる。

 こう見えても本気を出した俺はすごいのだ。伊達に及川との馬鹿みたいな付き合いを経験していない。なので、弾けろ俺の遊び心!

 

「………」

 

 ……。何も思いつかない!

 

「……まずい」

 

 なんかもう仕事するのが当然みたいになってて、遊び心が働きづらくなっている。

 そりゃあ国に返すためにいろいろ学んできたんだから、そうなるべきなんだろうけどさ。それだけしか出来ないのもまだまだ元気な一学生な自分にとってはショックなわけで。

 むしろこういう時にこそ脳内孟徳さんに背中を押してもらいたいのだが。“今こそ好機、打って出よ!”とかさ。うん、必要な時にこそ全然浮かばない。俺の頭の中って案外適当みたいだ。

 

「たまには誰かにご馳走するためとか喜ばせるためとかじゃなく、純粋に自分の娯楽のための行動をとってみよう。それがいい」

 

 言葉にして自分で確認、こくりと頷く。

 よし、強く意識したところで行動開始だ。

 

「っと、やる前にちゃんと片付けないとな」

 

 好き勝手に行動するのはいいけど、その所為で誰かに迷惑がかかるのは本意じゃない。

 右腕で竹簡をカロカロと巻き、その右腕だけで持てる分だけ持つ。

 宿題として纏めたものは机の上に置いておいて、冥琳に見てもらおう。

 ……やっぱり一応書き置きもしておこうか。ああくそ、せっかく抱えた竹簡、また下ろさないといけないのか。物事を思いつくタイミングって、どうしてこう自分の思い通りにはいかないのか。

 

「ちょっ……と、息~……抜~……き、し~て、き~ま~す、っと」

 

 墨も竹簡ももったいないってことで、書き置き用にと用意した黒板にチョークを走らせる。相変わらずボキボキ折れるチョークだ。朱里が蜀から持ってきてくれたもので、一言書きたい時や例文を書く時などの役に立っている。立っているけど、チョークが折れやすすぎる。

 氣で包んだら強度も増すかしら。

 試しにやってみるが、文字を書けずに“コキュキキィイ~!”と

 

「うひぃいいあああっ!!」

 

 ……発砲スチロール同士を強く擦り合わせたような音が鳴っただけだった。

 無駄に鳥肌を立ててしまった。

 

「よ、よし、書き置きはこれでいいな。うん。ささささぁて、息抜き息抜き~……♪」

 

 これからの息抜きを思い、努めて明るく出かける準備を。

 無理矢理作った笑顔で、改めて竹簡を抱えて歩き出す。

 ……その歩は、第一関門の自室の扉によって阻まれた。

 

「明るく……明るく…………はぁあ」

 

 竹簡を下ろしてから扉を開けて、三度竹簡を抱えて外に出ると、足でバタムと扉を閉めた。行儀の悪いことだが、見逃してほしい。

 

「お」

 

 外に出てみると、遠くから微かに聞こえる鎚の音。

 トンカントンカンと鳴る音に紛れ、工夫さんたちの楽しそうな声が聞こえた。

 よく響く声だ。張り合うように叫び合ったりでもしているんだろうか。

 もちろんここから見える位置には居ない。

 とはいえ、音を聞くだけでももうすぐみんなが騒ぐ祭りが始まるんだなぁって思えて、意味もなく高鳴る胸がくすぐったい。

 

「一日に積む竹簡の数と倉の大きさって、きちんとバランス取れてるのかな」

 

 そんな自分を自覚しているだけに、少し気恥ずかしさが走る。まったく関係のないことを呟いてみたりするのだが、本当に関係がなくって余計にくすぐったかった。

 

「~♪」

 

 なのでうきうきする気分を隠すこともせずに歩くことにする。

 恥ずかしさなんてそのうちに慣れるだろう。

 むしろこんな時には高揚こそを楽しまなきゃ損ってもんだ。

 大人になっても、いつも心に童心を。

 遊び心を無くしたら、人間どんどんつまらなくなるだけだ~ってじいちゃんも言ってたし、それにはとことん同意見だ。

 

「や」

「ああ北郷様。いつものですね?」

「ごめん、よろしく」

 

 祭りのことを考えながらだと倉に着くのも早い。

 番をしていた兵に扉を開けてもらい、竹簡を預けると再び太陽の下へ。

 

「北郷様、毎回毎回これだけの量……頭が疲れませんか?」

「さすがに疲れるけど、望んだことだしね。それよりその“様”っていうのは……」

「いえいえいえっ、この三国の同盟の柱となる北郷様に様をつけず、いったい誰につけましょうか!」

「……華琳と将だけでいいと思うぞ」

「…………隊長殿は変わりませんねぇ」

「これでも十分変わったって。あと喋り方はそれでいいから」

「そうですか。では、今日もお疲れ様でしたっ」

「ありがと。じゃーなー」

 

 来た時と同じように兵に挨拶をして歩き出すと、いよいよ息抜きの時間である。

 さて何をしようか。街に下りて何か買い食いでも……あ。久しぶりに桃を食べ歩くのもいいな。肉まんでもいいし。って、食べものばっかりじゃないか。

 

「太陽の位置からして確かに昼時だし、そろそろなんだか───」

 

 腹が、減った。

 

「……よしメシだ」

 

 また誰にともなく頷く。

 まずは腹ごしらえだ。そのあとに息抜き。

 そのためには何を食うかを決めないとな。

 厨房で作られたものを食べるのもそれはそれでいいし、手間もかからずありがたいことなのだが……ここは街の食べ物でいこう。息抜きも出来て腹も膨れる。一石二鳥だ。

 

……。

 

 そんなわけで街である。

 三国会合期間ってこともあり、街も結構な賑わいを見せている。

 というのも、別の国の王や将を見てみたいと思いやってくる人や、三国で競う大会目当てでやってくる人が多く、そのための賑わいなのだ───と、朝に冥琳から聞いた。

 

「……んん、いける」

 

 早速買った肉まんを頬張りつつ、てくてくと喧噪の中を歩いている。

 うん美味い。

 ふっくらと蒸かされた外側と、中の肉や野菜の餡が絶妙な食感を出している。こういうの好きだなシンプルで。肉まんの味って男の子だよな。……などと無駄にどこかのグルメの真似をしていないで、息抜きを堪能しよう。

 でもほんと美味いな。なんていうかこう、心躍る美味さだ。

 それが、“サボって買い食いをしている”って意識にくすぐられる懐かしさの所為なのかは判断しかねる。認めたいけど認めたら認めたで、見つかって捕まった時の言い訳が思い浮かばなそうだ。

 

「……これ食べたら素直に戻るかなぁ。見つかる前に戻れるのが理想か。あむっ、んぐんむ……んん~っ、頬がじぃんとくる美味さ、いいよなぁ」

「あぁあちょいとちょいとっ、隊長さんっ」

「むあ? っとと、んぐんぐっ…………ん、ふぅ。どうかした? おばちゃん」

 

 肉まんを頬張りつつ、幸せ笑顔をしていたところへ急に声をかけられた。ちょっと恥ずかしい。

 が、そんな恥ずかしさはさておき、何事かと見てみれば、おばちゃんが桃をひとつ突き出していた。

 

「おばちゃん、これって?」

「見ての通りさ。ちょいと熟れすぎちまっててねぇ。こんなもので悪いんだけど、捨てるのももったいない。隊長さん、よかったら食べないかい?」

 

 なにやら懐かしい。呉でも饅頭屋のおふくろに桃を貰ったっけ。

 ……朱里と雛里を尾行てる時に。

 あれから結構経ってるのに、未だに存在する桃のなんと逞しいことよ。……ああ、だから熟れすぎてるのか。

 

「そっか、じゃあ遠慮なく。ついでにもう二つ包んでもらえる?」

「そうかい? 貰ってもらった上に買ってもらって悪いねぇ。いい男だよっ、隊長さん」

「ははっ、どうも」

 

 桃を包んでもらい、金を払って歩きだす。持つのに難儀したが、全く動かせないわけでもないので、桃2~3個程度ならまだ……ま、まあ、なんとか。

 熟れすぎたと言われても、食べる分には困りはしない。なので早速食べると強烈な甘みが口内に広がり、唾液線が刺激される感覚が少しだけ心地良い。

 うん、これもうまい。甘みの中にある微かな酸味が、味覚を軽く刺激してくれる。

 などと頭の中で解説しているうちに貰った桃は食べ終えてしまい、袋に包まれている桃をちらりと見下ろした。今ここで食うべきか否かを考えるため。丁度二つだし、いつかみたいに朱里と雛里にあげようか? はたまた自分ひとりで食べてしまうか。

 なんとなく二つ買ってしまったものの、買ったあとで“こんなにいらなかったかも”って思うこと、あるよね。

 

「んー……と」

 

 誰か居ないかと探してみる。

 しかしこういう時に限って誰も見つからなかったりするのだ。世の中って不思議だ。

 見渡す限りに人が居るのに、定位置以外には見知った顔がないのもある意味新鮮。

 ちらりと見れば、警備隊の兵が道案内や子供の相手をしていて微笑ましい。これで一年も前までは戦をしていたっていうんだから、世の中っていうのは変わるものだとつくづく思う。

 そんな光景に一層に頬を緩ませていると、

 

「げっ」

「いきなり“げっ”はないだろ」

 

 人ごみの中からひょこりと顔を出すメイド姿の娘。

 確認をとるまでもなく、詠だった。

 

「買い物?」

「手伝うとか言ったら蹴るわよ」

「先読みした上にそれはひどいと思うんだが……」

「言いもするわよ。その腕で手伝いなんてさせたら、月に何を言われるかわかったもんじゃないし、そもそも無理されたってちっとも嬉しくないわ」

「む。そりゃそうだ。───っと、じゃあ無理をさせないって理由で、俺の荷物を受け取ってはくれませんか、詠ちゃん」

「詠ちゃん言うな! ていうかあんた、たまたま会ったボクに荷物持たせる気!?」

「ん。お礼は荷物の中身全部。月と食べてよ」

 

 ほい、と桃が二つ入った袋を渡す。

 素直に受け取ってくれた割りに、中身はしっかりと確認する彼女は結構しっかり者だ。

 

「桃……いいの?」

「いや、買ったはいいけどそんなに食えなくてさ。丁度、二人組の誰かを探してたんだ。押し付けるみたいで悪いんだけど」

「……まあ、丁度よかったといえば丁度よかったわ。桃、食べたいって思ってたし。ほんと、たまたまで偶然で奇遇ってだけだったわけだけど。せっかくだし捨てるのももったいないから仕方なくだけど食べてあげるわよ」

 

 これまた随分と遠回しな……。

 でも遠回しな分だけ、感謝の気持ちがあるのかなと勝手に思っておけば、こちらとしても少しは気持ちがいい。

 

「いや、こっちこそ助かった。というわけで片腕が空いた俺に何か手伝えることは?」

「ないわ」

「えー……あ、じゃあ護衛でも。城に戻るんだろ? そこまで道を開こう」

「だから、その腕で無理されてもボクが困るんだってば」

「……どうしてもダメ?」

「なんでそこで捨てられた子犬みたいな目をするのよ……ていうかあんた、今は周瑜と勉強中じゃなかったの? まさかサボり?」

「いや、ちょっと休憩中。根を詰めすぎても効率悪いし、息抜きがてらに街に出てみたんだけど───……見事に人だらけで、もう何から手を伸ばせばいいのやら」

「そこで丁度ボクが見つかっちゃったわけね……」

 

 あの。言い方に何気にトゲがありますが?

 

「あんたはそれでいいの? 息抜きって言ってるのに誰かの手伝いなんて」

「うぐっ……それがさ、聞いてくれ詠ちゃん……」

「だから詠ちゃん言うなってば! なんで“ちゃん”つけるのよ!」

「いや……だって呼び捨てにするのってちょっと抵抗が。大事な友達だし、遠慮なくいきたいんだけど……そうだな、遠慮無用だ。じゃあ、詠」

「…………な、なによ」

「なにか手伝い───」

「ないわ」

「詠ちゃんひどい!」

「だから詠ちゃん言うな!」

 

 ともあれ事情を話す。

 真面目にといろいろ努力をしてきたお陰で、息抜きの仕方もパッと思い浮かばなくなってしまった自分と、今の状況を。

 すると目の前のメイド服姿の彼女は長い長い溜め息をお吐きあそばれた。

 

「あんたどれだけ魏に尽くしたかったのよ……」

「そりゃ、恩の数だけ」

 

 助けられたことや教えてもらったことや叱ってくれたこと、一緒に駆け抜けた時間の数や一緒に苦労した時間の数、愛しく思った時間の長さや愛した想いの分……それらを恩として纏めた分だけ役に立ちたいと思った。

 それが今や三国の支柱状態である。

 それだけ恩が大きかったって納得するべきなんだろうな、ここは。

 

「蜀に居た頃もだったけど、あんたの愛国心って異常よね……天のことはどうでもいいの?」

「どうでもよくはないよ。ただ、好きな時に好きに帰れるわけでもないし、これから先、一生帰れないかもしれない。なら、答えがわからないことを考え続けるよりも、自分に出来ることで役に立ちたいじゃないか。支柱だからってただ立ってるだけなら、それこそ切り取った木にだって出来るんだし」

 

 だから動ける柱に俺はなる!

 そんなつもりで意気込んではいるのだが、息抜きはやっぱりしたいのです。はい。

 だからとすがるように目の前の彼女を見るのだが、やっぱり溜め息を吐かれた。

 

「それでもダメ。他をあたって。仕事がないわけじゃないけど、これはボクと月の仕事だから」

「うぐ……じゃあ無理だなぁ……」

 

 残念だ。そりゃあ確かに息抜きしたいのに誰かの仕事を手伝ってちゃおかしくはあるものの、何もしないのは逆にソワソワして仕方が無い。……ハッ、そうだ。ならばもういっそ、工夫さんたちのところへ行って作業の手伝いを───!

 

「言っとくけど、工夫の仕事を手伝ったりしたらあんたの大将に言いつけるわよ」

「…………ハイ」

 

 あっさりと希望を打ち砕かれた。

 ふふ、さすがよな、軍師賈駆……よもやこの北郷の一手先をこうも容易く見破るとは。

 

「それじゃ、適当に息抜きを探しつつ……見つからなかったら素直に戻るよ」

「見つけるもなにも、適当にお茶を飲んで休んどけばいいじゃない」

「いや、それがさ……体動かしてないと落ち着かなくて……」

「……蜀に居る間に鈴々や猪々子の筋肉馬鹿でも伝染ったの?」

「それはさすがに二人に失礼だろ……というわけで何か適当な提案、ないかな。特に思い浮かばないから、それを全力で実行してみようと思うんだ」

「はぁあ……」

 

 厄介なヤツに捕まったとばかりに、また溜め息を吐かれた。

 いや、違うんだよ詠。俺だってこんなふうにむずむずしてなければ探したりなんかしない。大人しく部屋でお茶をすすってたほうがのんびり出来たろうさ。でも俺のこの衝動はほら……いろいろ我慢するためのものであって、のんびりしていたら頭の中がいろいろとモヤモヤでして。

 だからって誰かにそれをぶつけるのもやっぱり何かが違うって思うし、そもそも支柱になったばかりでそんなことやらかしたら、これまたいろいろと言い逃れが出来ないことが増えるわけで。……と、そんな微妙な顔色を俺の表情から受け取ったのか、また溜め息を吐いて歩き出す。

 

「詠? あのー……」

「服。破けてるところがあるからついてきなさいよ。そんな格好で歩かれたら、こんなやつを支柱にした王たちの人格が疑われるわ」

「へ? あ」

 

 ちらりと見てみれば、確かにわかり辛い場所が破けていた。

 破けたというよりは軽く裂けているって程度。言われなきゃ気づかないレベルだ。

 

「へぇえ……よく気づいたなぁこんなの」

「……ふ、ふん、当然でしょ? 嫌々ながらでも長いんだから、侍女生活」

 

 つんとそっぽを向きつつ前を歩く彼女を追う。

 しかし人がごったがえす中を歩くのは結構難しいらしく、別の誰かの影から歩いてきた人とぶつかりそうになることが何度もあった。

 

「っ、このっ……ちゃんと前見て歩きなさいよね……っ……もうっ……」

 

 それでも前へ。

 なるほど、背が低いって理由もあるだろうけど、今の時期は余計だ。

 みんな祭り騒ぎに目を持っていかれていて、注意して歩く人のほうが少ないくらいだ。警備隊のみんなも頑張ってくれているが、この数だ。捌き切れていない。

 だったらと近寄って肩を叩くと、不機嫌そうに振り向いた彼女へと自分の胸を叩いて笑んで見せた。

 

「……なに? まさか人垣を掻き分けて進むとでも───」

「いや、こっちこっち。こういう時には大体人が少ない道っていうのがあるんだ」

 

 経験者は語りますと付け加えつつ、歯を見せてにししと笑って歩く。

 はぐれないようにと、彼女の手を握って。

 

「ちょ、ちょっと」

「いーからいーから」

 

 道をゆく。

 脇道を逸れて区画ごとの建物の間をジグザグに通り、裏通りを抜ける途中で会ったアニキさんに笑いながら「おつかれー」と言い合って、最後に脇道を通り抜けるとハイ城の前。

 

「………」

「はい。これが少し時間はかかるけど、人にはぶつからないで済む方法」

 

 「これでも隊長さんですから」と無意味に胸を張ってみせると、ぽかんとしていた詠が突然吹きだし、「その威張り方、朱里みたいだわ」って言って笑った。

 

「あ、でも誰かと一緒の時だけでお願い。今はアニキさんが目を光らせてくれてるからいいけど、裏通りとかはどうしても……さ」

「言われるまでもないわ。それより服やぶけたままで注意されると、なんだかこっちまでだらしないような気がしてくるから、早く来なさいよ」

「それを言うなよぅ……」

 

 一応、自覚あるんだから。

 

 



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73:三国連合/いきぬきのしかた②

 連れてこられたのは一つの部屋。各国の将が来るまでは空き部屋だった場所だ。

 どうやらここが詠と月の部屋らしい。

 ノックをしてから開かれたその先には月───ではなく、紫苑が居た。

 ……え? なんで?

 

「あら詠ちゃん、どうしたの?」

「ごめんなさい、このばかが何処かで服を切ったみたいで、もし手が空いてたら繕ってもらえたらって」

「あら……」

「え……えー……」

 

 てっきり詠か月が繕ってくれるのかと思っていたから、この状況は予想外もいいところだ。むしろ別の作業をしていたかもしれない紫苑に頼みに、ここまで歩いてくる詠も詠だ。

 というか……前は意識してなかったけど、詠って紫苑には敬語で話すんだな。

 

「俺、てっきり詠が縫ってくれるのかと……」

「なんでボクがあんたの服を繕わなきゃならないのよ」

「こんな細かいところにまで目が届く詠だからこそ」

「……んだから、いいでしょ」

「? え? 今なんて?」

「だ、だから。紫苑のほうが上手いんだから、そっちのほうがいいでしょ?」

「………」

 

 もしかして、裁縫が苦手? いや、出来ないとか?

 べつにおかしいことじゃないよな。天でなんて、出来ない子のほうが多かったくらいだ。いや、フランチェスカがそうだったっていうわけじゃなくてさ。

 

「言っとくけど、笑ったら蹴るわよ」

「笑わないって。むしろ天にも結構居たぞ? 裁縫出来ない女のこォッ!?」

 

 弁慶を蹴られた!? なんで!?

 

「いつ誰が“出来ない”って言ったのよ!」

「え……? で、出来るの……?」

「~っ!!」

「いたっ! いたいいたいっ!」

 

 同じところをガスガスと蹴られる。

 庇いに入ったら入ったで別のところを蹴られるから意味がない。

 

「とにかくっ! 紫苑なら完璧に繕えるんだから、きちんと直してもらってよね!」

「その言い方って、急に部屋に来られた紫苑が物凄く困る言い方じゃないか……?」

「まあまあ。わたくしは構いませんよ。それより詠ちゃん? 今、手は空いている?」

「へ? あ、うん……もう買い物も済ませたし、届けるところに届けたから……」

「うふふ……そう。それじゃあ詠ちゃん? 裁縫、教えてあげるから、やってみましょうか」

「え…………え、えぇええーっ!?」

 

 突然の裁縫伝授宣言! 詠は驚きのあまり声を高らかにした!

 そして後退ると、とすんと俺の胸に当たる後頭部!

 振り返ればいいのに、わざわざ仰ぐように俺を見る彼女の視線が俺の視線とぶつかった時、俺はにっこり笑顔で彼女の右肩をがっしりと捕まえた。

 

「ちょ、ちょっと! なんで掴───」

「まあまあ、息抜き息抜き」

「これはあんたの息抜きでしょ!? ボクはこれから月とのんびり───っ!」

「ああほら、裂けてるのを見つけてくれたんだし、どうせなら最後まで」

「理屈が通ってないにもほどがあるでしょそれ!」

「名目上の侍女さんでも、覚えておいて損はないわよ? いつか誰かと一緒になった時でもいいし、月ちゃんと一緒に何かを繕う時にも手伝えるし」

「あぅ……」

「はい決まり、じゃあ行こう」

「え、なっ! ちょっ……勝手に決め───うぁあああん月ぇえ~っ!!」

 

 にっこり笑顔の俺と紫苑に捕まった詠は、俺達に引きずられるままに裁縫教室へと飲み込まれた。女性二人の前で服を脱ぐのは気恥ずかしいものの、まあきちんとシャツも着てるし大丈夫だ。

 そんなわけで、裁縫教室の始まり始まり。

 

……。

 

 ちくちくちくちくちく……

 

「うう……地味な作業だわ……」

「で、ここを通してこうやって……はいっ! 東京タワー!」

「わー! みつかいさますごいすごーい!」

「わっはっはー! あやとりなんてよく覚えてたなって自分でも思う!」

 

 詠が紫苑に教わりながらちくちくと裁縫をする中で、俺は璃々ちゃんと縛った紐を使ってあやとりをしていた。もちろん片手では無理だから、璃々ちゃんに糸を持ってもらってである。

 ただ待っているのもこう……緊張するのだ、紛らわす何かを探していたところへ、丁度璃々ちゃんが戻ってきた。あとはこんな調子なわけで。

 

「くうぅうっ……人がこれだけ苦労してるってのにあのばかちんこは……!」

「詠ちゃん? 噂で人の悪口を言うのはよくないわよ」

「うぐっ……そ、そりゃああいつが……噂ほど見境無しじゃないってのはわかってるけど。ボクだって、自分自身できちんと自覚して友達やってるんだから、勝手な言い分でひどいこと言いたくなんてないけど……それ以前にあいつが、自分のことに頓着なさすぎなのよ」

 

 素直な反応を返してくれる璃々ちゃんにつられるように、童心全開で騒ぐ。

 そう、息抜きっていうのはこういうものだ。

 大人で居なければいけない自分からの解放! これこそ! だってまだ学生だもの!

 仕事の仕方は覚えたけれど、体を動かすにしてももっと“遊びッッ!”て感じの動かし方をしたかったのだ! なので全力で燥ぐ。

 

「子供みたいに騒ぐくせに、真面目な時はばかみたいに真面目だし、妙に大人びてるところがあるなって思うのに───自分のことを後回しにするところなんて、ほんと桃香みたいで……見てて危なっかしいのよ、あいつ」

 

 走り回る。

 きゃいきゃい騒ぎながら追いかけっこをして、紫苑にぴしゃりと怒られると途端にしょんぼりして。しかしながらしばらくすると騒ぎ始めて、璃々ちゃんとともにぐるぐると回転する。

 やがて二人の遠心力とテンションが一つになった瞬間、俺は璃々ちゃんを片手で持ち上げ、璃々ちゃんは両腕を広げてキメポーズ。

 スケートやバレエでするような奇妙なポーズで、ビッシィイイと停止する僕らが居た。

 

『オウレイ!』

 

 なんとはなしに、決めていたキメゼリフも二人で言ってみた。

 ……はい、紫苑に怒られました。

 

「だからいっぱい傷つく前に、注意出来ることはしとかないと……ほら」

「……そうね。桃香さまはたくさん傷ついたから……」

「よぅし璃々ちゃん! 次はなにがしたい!?」

「お馬さーん!」

「よし来た! 隻腕の馬の馬力、とくと見せてくれる!!」

「やめましょうね?」

『はいやめます!』

 

 片腕と両足で地を駆ける修羅になってみようとしたら、紫苑に止められた。

 俺と璃々ちゃんは揃って姿勢を整えて、ビッと敬礼して宣言。

 笑顔がとっても怖かったです。

 しかしながら童心は治まらず、「静かにしてようね~」と小声で話し始めたのがきっかけで、小声で話し合う遊びに発展。いつか朱里と雛里ともやったような状況になった。

 

「はぁ……ほんと、大きな子供だわ」

「ふふっ……そう? わたくしはいいとは思うのだけれど……本当に、あそこまで璃々が懐く男の人も珍しいから」

「……まさか、あれを璃々の新しい親にとか考えてないですよね?」

「そうね……ふふふっ、わたくしはそれでもいいと思っているわよ? 知らない仲じゃないし、人の良さは折り紙つき。璃々も懐いているし、わたくしも嫌いではないから」

「うぁ……本気、なんだ……」

 

 ? なんかちらちらと視線を感じる。

 なのに振り向いてみれば、視線が合った先で「こっちみんなっ!」と舌を出す詠が。

 あらやだかわいい……じゃなくて。

 

「?」

 

 視線を感じたのに振り向いてみれば見るなと言われた。なるほど、気の所為か。

 

「みつかいさまみつかいさま、次はなに? なになにー?」

「次は、そうだなー……あ」

 

 ハタと思いついて、人差し指に氣を集中。

 体外放出して指先を輝かせると、それに驚いた璃々ちゃんへとそれを突き出す。

 

「天であった昔の作り話で、指に集めた光で怪我を治す~っていうのがあったんだ。友達ってことを確認するのにも使ってた……かな? つまり信頼の証」

「?? ……お指とお指をあわせるの?」

「そう」

 

 随分前に復刻版みたいなのを見たっきりだからなんとも言えないが、たしかそんなものだった気がする。

 そんなはっきりしないことでも璃々ちゃんは楽しそうに手を差し出すと、灯るように輝く人差し指の光に自分の指をちょんとくっつけてきた。

 

「……へへー♪」

「えへへー♪」

 

 そんななんでもないことで“にこー”と笑って、またきゃいきゃいと騒ぐ。

 で、また怒られる。

 

「……ほんとにあれでいいんですか……?」

「遊ぶ時には遊んで、真面目な時には真面目。感情をきちんと表に出せる人のほうが、出さない人よりも付き合いやすいものなの」

「それは……まあ、わかる気はしますけど」

 

 怒られついでにちらりと見れば、詠が難しそうな顔でこちらを睨んでいた。

 あれ? 俺、なにかしでかした?

 ……しでかしてなきゃ怒られないよな、ごめんなさい。

 

「それじゃあなんですか? もしここで璃々が、あいつがお父さんだったらなーとか言ったら、すぐにでも?」

「……気になる?」

「うぇっ!? や、べ、べべべべつに気になってなんか!」

「うふふふふふふふ……♪」

「…………楽しんでません?」

「詠ちゃんは可愛いわね」

「言っておきますけどっ! あ、あいつはっ、ただの友達でっ……! そそそれ以上でもそれ以下でもないですからね!?」

「友達っていうのはわかるけど、本当に“ただの”友達?」

「……月を守るための盟友です」

「それだけ?」

「う……う、うーうー……! そりゃあっ……馬鹿正直だし実際ばかだし、自分のためとか言いながらも人のためになることを優先して動くし、そんなあいつを月は気に入ってるし、ぼぼぼボクだって嫌いじゃ───ってなに言わせるんですか!」

 

 ……で、段々と声が大きくなってきて丸聞こえなわけだが……。

 ようするに馬鹿って言われてるんだよな、俺……。

 

「みつかいさま、どうしたのー?」

「いや……現実って辛いなって……」

 

 腕がこんなだから思うことだが、何か出来ることはないだろうか。

 役に立たないと無能な支柱とか言われそうで怖い。

 支柱であることが仕事だとか言われたらそれまでだが、それってみんなに気に入られていれば誰にでも出来ることだもんなぁ……。むしろ俺じゃなくて華琳って柱でも十分だ。

 

(……あれ? 俺……支柱じゃなくてよくない……?)

 

 なんてことを考えてしまうが、すぐに溜め息とともに外へ逃がす。

 いろいろ考えなきゃいけないことばっかりで、そりゃあ詰まることもあるし失敗もある俺だ。最初からなんでも出来たわけじゃないし、教えられながら覚えてきたこともたくさん。一人で突っ走って誰かに迷惑かけることなんてそれこそ山ほどだろう。

 でも。やっぱり“でも”だ。みんなは俺が支柱でもいいって言ってくれたんだ。約一名は除くが、異論は出されなかったんだ。なのにやっぱり支柱やめるとか言うのは裏切り以外のなにものでもないよな。

 言われたことではあったが、きちんと自分で“なろう”って決めたんだ。お前にはもう無理だって言われるまでは、頑張ってみよう。もちろん、全力で。

 

「支柱……柱かぁ……《ぼそり》」

「はしらー? はしら……みつかいさま、だいこくばしらー♪」

「へ? 大黒……ははっ、そうだな。柱だ柱っ!」

「璃々しってるよー? だいこくばしらって、お父さんのことだよね?」

「おおっ、よく知ってるなぁ璃々ちゃん。かなり偏った知識だけど。学校で習ったのか?」

「うんっ! みつかいさまってみんなの、えっと……しちゅー? はしらなんだよね?」

「……うん」

 

 つい今まで思っていたことを訊かれ、頑張ろうと誓った矢先のこと。

 覚悟は胸にある。だから、うっすらと笑いながら確かに頷いた。

 ちなみに大黒柱っていうのはあくまで、建物の中央などに一番最初に立てる柱として伝えられる、建物をしっかりと支えるそれこそ“支柱”ってもの。人間関係でいうなら、家族や集った人をしっかりと纏める中心人物的な存在。父親が大黒柱っていうのはそういう認識から来ているらしい。父親がぐうたらで、母とか長男長女が頑張っている場合は、支え頭が大黒柱ってことになる。

 

「じゃあ“しちゅー”なみつかいさまは、みんなの“だんなさま”なんだーっ」

「へっ!?」

「いぎゃーっ!!」

「きゃっ……!? え、詠ちゃん、大丈夫っ!?」

 

 うっすらとした笑みが硬直に変わった瞬間、背後から聞こえる絶叫。

 何事かと振り向いてみれば、指に針を刺したままにたぱーと涙する詠と、それを抜き取り布を当てる紫苑が。

 

「ちょっ……大丈夫か!?」

「大丈夫じゃないわよっ!」

「とわぁっ!? ご、ごめんなさい!?」

 

 駆け寄った途端に怒られた!?

 え……俺、なにかした? どうしてか涙を滲ませた目で睨まれてるんだが……。

 そして怒られてみて思い出したんだが……そろそろ気分転換とか息抜きとか、そういうこと言っていられる時間じゃなくなってないか? 自室で腕を組んでコメカミ様を躍動なさっておられる冥琳が頭に浮かぶんだが。

 今何時……って言ってもわかるわけないか。

 肉まん食べて桃食べて、詠と話して詠の護衛で街を歩き回って、それからこうして裁縫を横目で見つつ璃々ちゃんと遊んで…………うわぁ、随分時間が経ってるだろ、これ。

 

(む)

 

 でもそんな焦りと心配する心は別だ。

 怒られはしたし睨まれてもいるが、ここは何を言われようとも無視で押し切る。

 

「え……あ、ちょっと!?」

 

 詠の目の前まで歩いて、紫苑が布を当てている指をそっと手に取り、定番といえば定番なわけだが───口に含み、傷口を舐めた。

 

「!?」

 

 刹那、詠はピキーンと硬直してしまう。

 そんな硬直を利用するようで悪いが、口に含んで舐めている傷へと氣を流して、傷口を治そうと試みる。冥琳の時や自分の時と似たようなものだ。相手の波長と合わせるように、攻守のうちの守りの方の氣を上手く操って、早く治りますようにと願った。

 しかしこれが、攻守が一緒くたになる前よりも扱いづらい。

 ならばと集中して、口内に少しずつ広がってゆく鉄分の味を感じながらも、

 

「うわわわわわぁああーっ!!」

「とわっ!?」

 

 なんとか癒そうとしたところで押し退けられ、体勢を低くしていたこともあって、その場に尻餅をついてしまった。

 

「なななっななな……! 急になにすんのよっ!」

「へ? なにって……治療?」

 

 まさかそんなことを訊かれるとは思ってもみなかったので、首を傾げながら返した。

 あ、もしかしていきなりやったのを怒ってるのか?

 

「えっとな、人の唾液には殺菌効果があって……」

 

 立ち上がりながら説明。

 もう一度詠の手を取ると、紫苑に借りた布で唾液を丁寧に拭う。その際、常備用竹筒の水を少し使って布を濡らした上でだ。全部飲まなくてよかった。まさか、いつかの明命の怪我に続いて詠の傷口に使う日が来るとは。

 そんなことを懐かしく思いながらの手当て……なのだが、詠が椅子に座りながら蹴りをかましてきた。だがしかし、無駄に見切って避けてみた。……おお、意外なところで修行の成果が……現れたと喜んだところで改めて蹴られた。油断って怖い。

 

「いたた……でも、空気に触れた唾液にはそれほど効果が望めないどころか、細菌を増やす結果になるから、口に含んで舐めるんだ。舐めたら洗って拭く。これ大事」

 

 弁慶の泣き所を綺麗に蹴られ、蹲りたい気持ちを抑えながら説明。

 だから嫌がることはないんだぞーと言ってみるのだが、「だったらべつにあんたの唾液じゃなくてもいいじゃない……」とカウンターをくらった。……言われてみればそうだった。

 

「まあ……いやらしい意味でやったんじゃないってことだけはわかったわよ。……その。け、蹴ったこと、謝るわ。悪かったわね……」

「いや、こっちも説明も無しにいきなりだったから。以前、それで翠にも怒られたんだった。ごめん」

「うあ……他のやつにもこんなこと平気でやってるんだ……」

「だって、痛そうにしてるのにほっとけないだろ?」

「ねー♪」

「なー♪」

 

 会話の最中に横からにっこり笑顔を除かせる璃々ちゃんとともに、首を傾げながらにっこりと笑って言う。そうしながらも、詠の傷口に濡れた布を当てながら氣を流す。単純に流すんじゃなくて、覆うように。

 早く治りますようになんて願っても、早く治ったりはしないんだろうけど願う。

 するとどうでしょう。サッと布をどけてみた先には、赤い小さな点の傷口はあるものの、血が出てこない綺麗な指先がありました。

 

「え……もう止まってる……?」

「おお……」

 

 なんでもやってみるもんだ。

 そりゃあ針で刺した傷って血が止まりやすくはあるし、冷やしたお陰で傷口が多少は狭くなったことも関係しているんだろうけど、ともかく止まった。

 横でホッと息を吐く紫苑に、なんとなく苦笑を送って布を返す。濡らしちゃってごめんなさいときちんと謝った上で。

 

「圧迫したら血が出るだろうから、針仕事はまた今度にしたほうがいいかも」

「ええそうね。それじゃあ詠ちゃん、また今度、時間が取れたらいつでも訪ねて頂戴ね」

「うぅ……こんな筈じゃなかったのに……」

「ごめんね詠お姉ちゃん……璃々がおかしなこと言っちゃったからだよね……」

「あ、璃々はべつにいいのよ、おかしなことって言っても、反応するほうが悪いんだし」

「うふふ、それだけ意識してるってことでいいのかしら」

「だっ……だからそんなんじゃっ!」

 

 大黒柱かぁ……支柱って言葉から、まさかそんな話になるとは思わなかったな。

 っと、それよりも時間!

 

「う、あっ……わ、悪いっ! なんか今、直感というかサボ……ゴニョゴニョで養われた危機察知能力が働いたっていうか!」

 

 戻らないとまずい!

 なんだか背筋を伝う冷たい感触が、実際になにかあるわけでもないのにヒタリヒタリと這い上がってくる! これはあれだ! 春蘭の手料理を目の前にドンと置かれて、“食え。食わなければ斬る”と脅される時のような感覚ッ!! ……自分で思っててなんだけど、とてもひどい拷問だ。食うけど。

 しかし走り出そうとした俺の腰に、きゅっと抱きつくなにか。

 見下ろせば璃々ちゃんが居た。

 

「璃々ちゃん? あの、俺行かないと」

「服ー、忘れてるよみつかいさまー」

「へ? あ」

 

 ちらりと見れば、にっこりと笑いながら制服をはいと持ち上げてみせてくれる紫苑が。

 慌てて受け取ろうとするとにっこり笑顔のままに「落ち着いて」と言われ……

 

「うえっ!? あ、ああああのっ、紫苑っ!? じぶっ……自分で着れるからっ! ていうか、渡してくれれば走りながらでもっ!」

「ふふふっ、いいのですよ」

 

 後ろを向かされて、なんでかごそごそと着させられるハメに。

 持ち上げられた制服に腕を通すと皺を整えてくれて、正面に回ってきた彼女が服の前を整えてくれる。もちろん左腕は御覧の有り様状態だから、制服が落ちないように首の部分あたりを整えるだけで終わったわけだが───なんというかこう、手馴れた手つきだ。

 

「はい、もう動いても構いませんよ」

「うぅうっ……!」

 

 やばい……これ、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 まともに紫苑の顔見れない。というか口周りを手で押さえてないと、どうしようもなく緩む顔が見られてしまう。天での新婚さんは、こんな温かさとか顔が緩むひと時を毎日味わっているのだろうか。

 

(………)

 

 真っ先に脳裏に浮かんだのが、華琳が妻になった自分だった。

 で、華琳が甲斐甲斐しく俺に背広を着させてくれて───…………

 

(ないな)

 

 うん、あまりに現実離れしすぎてて、逆に冷静になれた。

 そうなると顔のニヤケも“ビッタァ!”と止まってくれて、同時に……服を着させてくれた紫苑の前で別の誰かの妄想をする失礼さ加減に、さすがに申し訳なさを感じた。

 

「えと……なんかごめん」

「? 構いませんから」

 

 素直に謝ってみたが、服の着付けに関しての感謝的ななにかとして受け取られたらしく、普通に受け流された。流れからしてそりゃそうだ。

 改めてもう一度ごめんと言うと、部屋を出て走り出した。




 ノートPCを購入、先日届いてからアップデートの嵐で時間かかりまくりんぐでしょぉって感じでようやく更新です。
 再起動に次ぐ再起動の中、過去に録画しておいた孤独のグルメシーズン6を時短プレイで見てニヤニヤ。
 今までデスクトップPCを47型TVに繋いで使っていたため、ノートPCになった途端にTVが空いたので、自由にアニメやドラマを見れる喜び。
 孤独のグルメをBGMに編集作業……集中できません。
 そっかそっかー、この頃はまだ「バイトをするならタウンワァ~ク♪」ってWANIMA編やってたのか。などと懐かしみつつ。


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74:三国連合/思いは食べ物にのせて①

120/お汁粉。場所によっては“お志るこ”とも……?

 

 鍛錬の時くらいにしか出さない速度で通路を駆け、ズシャアアァアシャシャシャと豪快に滑り込んで、止まった先には自分の部屋の扉。

 

(…………どうしよう)

 

 ここまで来たものの、言い訳が特に思いつかない。

 そりゃあ書き置きはしたぞ? したけど、ようするに遊んできますって言って抜け出したのとなんも変わらないのだ。ど、どどどどうする……!? どうす───ハッ!? いっそのこと雪蓮を見習って開き直ってみるのはどうだろう! 彼女は対冥琳のあしらい方ならもはや神の域といってもいいに違いない!

 そこから導き出される答えとはつまりこう! ……“散々遊んで怒られる”一択ですね。

 真面目に考えよう。真面目だったけど、今のは混乱してたからさきっと。

 というわけで、あー……どうしよう。

 

1:陽気で行こう! 例:「あはははは! やあ冥琳、とても楽しい息抜きだったよ!」

 

2:全力で行こう! 例:「うぉおおおお! 息抜きサイコォオオーッ!!」

 

3:弱気で行こう! 例:「あ、あの……息抜き……してきました……」

 

4:灼熱で行こう! 例:「ひとつのことに命を懸ける! 今日からお前は富士山だ!」

 

5:瀕死で行こう! 例:「グハァッ! 気をつけろっ……あの息抜き、強敵だ……!」

 

 結論:───……あえて2!

 

 そう! 意外なところを突いて、冥琳をポカンとさせる!

 そしてその隙に何気なーく椅子に座って何気なーく再開! 素晴らしい!

 つか、自分の頭の中ながら相変わらず5がおかしい!

 

「よしいくぞ!」

 

 これからの行動のイメージを完了する! さあ! 扉を開いていざ行動!

 

「うぉおおおおおお!! 息抜きサ」

「北郷。座れ」

「ィコッ………………ハイ……」

 

 全力で行こうの選択は、彼女のたった一言で折られた。

 この北郷も老いておったわ。雪蓮に振り回され慣れている百戦錬磨の周公瑾殿に、俺ごときの言い訳が通るわけがなかった。

 

……。

 

 さらさらと筆を動かす音が続く。

 ちらりと見れば、椅子に座りながら読書中の冥琳と…………何故かまた居る恋。

 俺が出ている間に連れ込んだらしい動物たちとともに、俺の寝台を占領している。

 その上でじぃいい~っとこちらを見つめてきていて、目が合っただけでその瞳がきゃらんと輝いたりする。アレだ、散歩前に期待を込めて興奮する犬とか、エサを貰う前に尻尾をブンブン振るう犬の目、みたいな。

 いったい何が彼女をこうまで変えたのか。

 

(むうっ……)

 

 考えてみるも、原因らしい原因が見つからない。

 木刀で吹き飛ばした際に頭を打った……ってことはないよな? 木刀でポクリと叩いたことが原因ってわけでもないだろう。“負けは負け。だから一刀は恋が守る”と言われはしたものの、これは守る者の目として適当なのだろうか。

 ……いや、誤魔化すのはやめだ。

 どうにも好かれているらしいことは、霞の言葉を受け入れるなら間違い無い。間違いないんだが……三国無双に好かれるって心境が、どうにも信じられない。だからこうして悩んでおります。

 

(けどまあ……それと勉強(コレ)とは別だよな。気にはなるけど、今は集中っ)

 

 筆を走らせる。

 右手で書いて右手で巻いて右手で積んで右手で取って右手で広げて右手で書く。

 なんなの、この右手祭り。

 早く治らないかなぁこの左腕。

 

「そうだ、冥琳。祭りの準備とかってどうなってる?」

「滞り無く進んでいる。北郷、お前が怪我をしていなければ、その手伝いもしてもらう筈だったんだが」

「それは素直にゴメンナサイ」

 

 頭を下げる俺を見て、冥琳はフッと笑った。「責めているわけではない」と言って。

 それはどうやら本当のことで、「ただ、少しは自愛しろ」と続けられた。

 うん、責めてはいないな、確かに。

 そうだよなぁ……無茶して辛うじて勝っても、他のことがおろそかになるようじゃ全然ダメだ。華琳に鍛錬の条件を突きつけられたのがつい最近だったら、間違い無くアウトだって断言出来るくらいの状況なんだから。

 

(ふむ)

 

 そこでこの北郷は考える。

 実戦に備えるからこその鍛錬で、見事に骨にヒビが入った俺は……戦場でなら確実に死んでいましたよねと。そうならないための鍛錬なんだから、もっときっちりやっていかないと……とは思ってみるが、言い訳をしてもいいというのなら、相手があの呂布である時点で勘弁してくださいってものでしょう。

 

「あ、そうだ。謝りついでに訊きたいんだけど、今回はどんなことをやるっていったっけ」

「多くはないな。あまり国を空けるのにも問題があるからな。経験の浅い連中に学ばせるためとはいえ、いつまでも滞在したままでいるのも心配だ」

「戻ってみたら国が乗っ取られてましたー、なんてことがあったら大問題だもんな」

「もしそうなれば取り戻すだけだ。アレなら喜んで修羅となるだろう」

「ああ、アレね。言われた途端にその光景が頭に浮かんだよ」

 

 雪蓮(アレ)

 裏切り者をいつかの鋭い目つきのままに、ザッシュザッシュと切り刻む雪蓮の物語が俺の頭の中で上映された。対峙した際にめちゃくちゃ怖い思いをしたことも手伝って、頭の中の雪蓮はやたらと強かった。

 

「話を祭りの方に戻すけど、騒ぐなら別の方向でも楽しめたほうがいいよな。でも飲んで騒いでは歓迎の時にやったし……」

「繰り返しになるが、飲んで騒いでで十分だろう。そもそも北郷、お前の知る将のほぼが、飲んで騒いで以外で楽しむ光景を思い浮かべられるか?」

「そりゃあもちろん───…………あれ?」

 

 武将が戦で笑み、軍師連中は話し合いで笑む。

 それ以外はほぼ飲んで騒いで以外には想像できなかった。

 わあ、気づいてみればとっても単純だった。本人らの前では絶対に言えない事実だ。

 

「……じゃあ、また飲んで騒いでということで……」

「それでいい。酒では酔い潰れるだろうから、別の飲み物を考えよう。武道会前に酒を飲んだ所為で実力が出せなかったと言われても困る」

「なるほど確かに。けど飲み物か。桃ジュース……は、桃を何個使うかわからないから却下。水で飲んで騒いでってわけにもいかないだろうし───いや待てよ?」

 

 なにもアルコール飲んでガッハッハーと騒ぐ方向ばかりを考えることなんてないよな。

 酔いで騒ぐんじゃなく、“これは美味い”って方向で騒ぐのでもいいわけだ。

 となると意外性を突けるものがいいな。

 天の飲み物で、そこまで難しくないものは~っと……。

 

「むむっ」

 

 ピンときた。

 きたけど、飲み物の分類に入るのか? あれって。

 確かに飲むものだし、自販機でもたまに見るものだ。

 

(作ってみればいいか。そんなに難しいものじゃな───……難しかった)

 

 なにせ左腕がコレだ。苦労するのは目に見えてる。

 しかしやろう。

 それでみんなが笑顔になるのなら、左腕一本の痛みくらい───!

 

(どうってことない! って言えたら格好いいだろうなー……と思っていた頃が、俺にもありました)

 

 今では私が支柱さん。みんなにあげるのはもちろん賑やかな時間。

 なぜなら、無理をすれば絶対に怒られるからです。

 なんて思ってみても、作る気は満々。無理をしなければいいんだ。うん。

 さて、そうと決まれば勉強勉強!

 腕が動かせなくなっても出来ることがあるなら、とにかくそれをやっていくんだ。

 手伝えないのが心苦しいって思ってたところにこの閃きはありがたい。

 まずは作ってみて、誰かに味見をしてもらおう。

 美味って評価が得られれば、関門である華琳に味を見てもらって……そこをクリアして初めて出せる。そう、これは既に戦いなのだ───!

 

「冥琳、飲み物って熱いのでも平気? あ、一応冷たいのでも出せるには出せるものなんだけどさ」

「なるほど? そう訊くということは、温かいほうが美味いということか」

「そゆこと。天のじいちゃんが結構好きだったものなんだ。お汁粉、っていうんだけど」

「おしるこ?」

 

 そう……餡子の饅頭があるというのにどうして今まで閃かなかったのか。

 砂糖をふんだんに使った甘い汁は、疲れた頭にもありがたい。

 

(……ん?)

 

 いや待て? そういやこの時代、杏仁豆腐があるんだよな。

 杏仁豆腐があるってことは、それを固める寒天とかもあるのか?

 寒天があるってことは天草がある? 昆布はないのに。

 …………あ、そうだ。寒天じゃない、ゼラチンだ。魏ではロバの皮とかから抽出したのを“にかわ”として使ってたって、歴史にもあったはずだ。

 なるほど、ゼラチンなら天草も必要じゃない。

 

(上手く合わせてあんみつとか作れないかな)

 

 おお、そうなると蜜も必要だよな。黒蜜をかけたあんみつの美味いこと美味いこと。

 ……作るのはいいけど黒砂糖なんてあったっけ?

 あ、じゃあ普通の砂糖に水じゃなく果実酒を混ぜてゆっくり煮詰めれば……───きちんとアルコール飛ばさないと、桃香が酔いそうで怖い。

 むむ、単純にデザートを増やすって意味でなら、アイスにきな粉をかけるとか黒蜜をかけるとか、それだけでも一品として増えるよな。

 大豆もあるし、乾燥させたものを粉末状になるまですり潰して砂糖と微量の塩を混ぜればきな粉の完成。アイスとの相性は地味に高い。

 飲み物ってだけでも牛乳にきな粉を混ぜる~っていうのがあった気がする。

 ……ハッ! もち米使って餅を作って、あべかわ餅という手も……!

 

(……鍋とカレーが食べたい)

 

 想像はアレコレ広がるものの、人間って存在はやっぱり無い物ねだりが大好きです。

 昆布で出汁を採ったものに野菜や肉をたっぷり入れて、シメにはうどんかごはんですよ。たまりません。香辛料とか混ぜてキムチ鍋を演出するのも、凪が喜びそうだし……あ、でもそうなるとべつに昆布出汁じゃなくても……むしろ火鍋でも十分だよな。

 いや、火鍋だからとキムチと一緒くたに考えるのはダメだ。

 あれは個々でも素晴らしい。

 

(むむむ……困った、肉まんと桃を食べたっていうのにまた腹が減ってきた)

 

 食べ物のことって、考え始めると止まらないよなー。

 

(あ、食べ物といえば……)

 

 席を立ち、窓際に置いてある携帯電話を手に取る。

 少しは充電されているそれを開き、画面メモを開く。

 そこには“昆布の養殖について”の保存ページタイトルが。

 そう、消える前から……否、この世界に初めて来た時からくすぶっていたあの気持ち。

 ホームシックは散々としたし覚悟も決めたが、生きるための食には勝てぬこの気持ち。

 鍋が食べたい。昆布と醤油の鍋が食べたい。

 しかし中国が昆布の養殖に成功するのは1930年。

 今の段階ではまず無理。

 ならばどうするか……どうにかマコンブを入手して、養殖するしかあるまいっ!!

 いや、この際贅沢をいいませんから、昆布としての旨味が取れるものならなんでも。

 

「冥琳、呉ではワカメとかが打ち上げられてたりしたよね?」

「ああ」

 

 突然席を立ったことに対して、特に言うこともなく返事をくれる。

 これで休みだしたりしたら注意もしたんだろうが、いじくったのが携帯電話だと何を言うべきかも戸惑う……とか、そんなところだろうか。こっちはこっちで思考に夢中になるあまり、勉強中だってことを少しの間忘れてた。

 

「ワカメか……味噌汁もいいけど、ここはやっぱり鍋だよな。昆布出汁で」

「?」

 

 一人でぶつぶつ呟いていたら、寝台の上の恋に首を傾げられた。

 机に戻ろう。ケータイは引き続き充電ということで。

 カツオ出汁も捨てがたいが、やはり昆布。今は昆布の気分だ。

 

(う……よしんばそれが満たされたとしても、次はカツオだーとかカレーだーとか言いそうな自分が嫌だ)

 

 出来ることならば食べたい。

 食べたいが……あれ? そもそもなんの話をしてたんだっけ。

 

「北郷? わかめと飲み物と、どんな関係があるというんだ」

「え? あ」

 

 ……そうだった。食べ物じゃなくて飲み物の話だ。

 

「その“おしるこ”、というものにはわかめが必要なのか?」

「いやなんかごめんなさい全く必要じゃないですごめんなさい」

 

 逸れに逸れすぎた。

 わかめ味のお汁粉とか、想像してみたら気持ち悪くなった。試してないし、案外美味いのかもしれないが。

 

「お汁粉っていうのはさ、餡子を水で溶かして温めて食べるものなんだ。餅が一緒に入ってるとさらにお汁粉的だ。俺の中では」

「ほお? 汁状の餡か」

「俺にとっては天の味のひとつかな。濃すぎず水っぽすぎずがじいちゃんの中での一番」

 

 俺もだけど。

 熱々だと美味いし、冷めたら冷めたで甘みが増した感じがして美味いんだよなー。

 その場合はかえって餅はないほうがいいかも。硬くなるから。

 

「よし、じゃあ勉強頑張ろう。それが終わったら早速作ってみるとして~っと」

「……やる気になるのは結構だが、それが食い気というのもな……なるほど、これで案外お前と雪蓮は似ているのかもしれないな」

「し、失礼な! いくら俺でもあそこまで堂々とサボったり酒飲んだりはしないぞ!?」

「………」

「あ」

 

 沈黙。

 少しののちに溜め息が吐かれ、彼女は額に手を当てながら目を伏せ俯いた。

 

「はあ……まあ、気持ちはわかる。痛いほどにな。あれで真実サボるだけならば、私も遠慮のひとつもせずに殴れるのだが」

「町人と仲良く接するためとはいうけど、酒を飲みすぎなんだよな……終いにはどころか常時絡み酒状態だし」

「お前はああなってはくれるなよ、北郷」

「よっぽどの誘惑がない限りは大丈夫だって。これでもやる気だけは充実してるから」

 

 現在は王を引退し、豪遊の限りを尽くしている雪蓮さん。

 今もきっと何処かで盛大に笑っていることだろう。

 あんなかつての王を見ると、王ってものをやめた華琳や桃香も見てみたいな、とは思う。

 蓮華は真面目な部分が多いから、息抜きでもと薦めても断られそうだ。

 それを言うなら華琳なんて特にだな。

 

「………」

「………」

 

 いい加減、考えるのをやめて勉強に戻る。

 再び訪れる静寂と、筆だけが動く音。

 犬や猫が盛大に欠伸をしてから再び眠る体勢をとる中で、恋もその中に混ざるようにこてりと体を横にした。

 少しして聞こえてくる寝息に苦笑が漏れるがそれはそれ。

 勉強を続け、それは夕方まで続いた。

 

……。

 

 勉強が終わってからの行動は早かった。

 俺の頭が甘みを求めている! とばかりに駆け、厨房に辿り着くと早速調理開始! と、いきたかったのだが。餡子がなかった。お約束だ。

 なのでかつて亞莎と買い物に行った時のように街に繰り出し、店で餡子を買って戻る。結構な量だ。味見や工夫もしてみようと多目に買った。

 

「そして作った完成品がこちらです」

 

 お汁粉第一号。餅はないけど気にしない。

 汁の部分が美味しくない餅入り汁粉は拷問にしかならないのだ。むしろこれでいい。

 早速すすってみるも……首を傾げた。

 

「ん、んん……? 微妙に違う」

 

 材料の所為かな? 甘みが足りない。

 これはもっと濃くても十分なくらいだ。

 じゃあ水の量を減らして、と。さあどうだ。どう……ん、んー……?

 

「……やっぱりちょっと物足りないけど、こればっかりはな」

 

 この時代、そんなに贅沢に砂糖や塩を使うわけにもいかない。

 それにこれはこれでいい。天のお汁粉を知らないならこのくらいが丁度いいだろう。

 

「よしよし、じゃあ誰かに味見をしてもらうとして、誰がいいかな」

 

 こんな時、丁度誰かが通りかかってくれたりとか───ははっ、さすがにそんな都合よく……

 

「おーっほっほっほっほっほっほ!!」

 

 ……通った。

 今、誰かが間違いなく厨房の前を通ってる。

 しかも誰だろうと考えるまでもなく、あっさりとわかってしまうほどの個性。

 さて……ここで再びこの北郷は考える。

 味見役が麗羽で本当に大丈夫か?

 

「大丈夫だな」

 

 結論はあっさりと出た。

 むしろマズかったらきっぱり言うタイプだし、それはそれでありがたい。

 誰にともなく頷いて、歩いてゆく麗羽と一緒に居たらしい斗詩や猪々子を呼び止めた。

 

……。

 

 で、現在。厨房にある卓には麗羽と斗詩と猪々子が座っている。

 そんな三人の前に出すのは作りたてのお汁粉。

 水っぽくもなく固すぎもしない、しかし甘さを損なうことなく丁度良い加減で完成した(つもり)のソレを、三人は見下ろしていた。

 

「ちょっと一刀さん? なんですのこの墨汁は」

「ぼっ!? ……まさか墨汁って言われるとは思わなかった」

「あら、違いますの?」

「違う違うっ、それは天の国の食べ物で、お汁粉っていうんだ。ふと思いついたんで作って、で……誰かに味見してもらいたいと思ってたら、そこに三人が、って」

 

 だから断じて墨汁ではありませんと、身振りも込めて説く。

 すると麗羽が踏ん反り返った上で口に手を添え、いつものポーズでおっほっほ。

 

「まぁ~ぁああ、さすがわたくしっ! そんな大事な状況に颯爽と登場するなど、わたくしの! わ・た・く・し・のっ! 日頃の行いが為せる業ですわねっ! ……で、そのお汁粉とやらはどこですの? こんな墨汁はさっさと下げて、早く出してくださいません?」

「いや……だからさ。これがお汁粉なの」

「え……これがですか?」

 

 斗詩にまで言われたよ……匂いで解りそうなものなのに。

 

「へぇえ……なぁアニキぃ、アニキを疑うわけじゃないけど、こんな黒いのがほんとに美味いのかぁ?」

「不味くはないって。ちゃんと味見もしてあるし」

 

 妙に警戒されている。予想通りではあるが、ちょっと切ない。そう、警戒されるなとは思ってたんだ。思ってたんだけど……墨汁呼ばわりは本当に予想外だった。

 ともあれ、「ささっ、温かいうちに」と勧めてみるのだが、てんで食べようとしない。

 ……仕方ないから自分の分も持ってきて、三人の前で食べてみせる。

 

「毒は入っていませんのね」

「うわーいストレートに失礼だー」

「す、すいません一刀さんっ!」

「いや、斗詩はなにも言ってないだろ。ていうかさ、せめて匂いで判断するとかくらいやってほしかったよ……」

「いやっはっはー、いい匂いはするなーとは思ったんだけどさぁ。アニキには悪いけどこんだけ黒けりゃ警戒するって」

 

 色で判断されたのか……。

 けどまあようやく食べてくれるみたいだし、反応を待とう。

 

「それじゃあいただきますね。ん……、…………あ……」

「いただきまーす。ん……んんっ!? おぉっ!? アニキこれ美味いぜっ!」

「おっ……そっかそっかぁ! こっちの人の舌に合うかどうか不安だったけど、美味いかっ!」

 

 なんか嬉しい。まるで天が褒められてるみたいで、無意味に胸が高鳴る!

 思わず笑んでしまう状況の中で、こちらさまの反応はどうかとチラリと麗羽を見る。

 すると、おそるおそるチロリと舐めているところで……目が合った。

 

「なっ……なんですの───あら美味しい……ってなにを笑ってらっしゃいますの!?」

「や、だって……っはははははっ……!!」

 

 忙しい人だ。怒ろうとしたら美味しさで顔を綻ばせ、しかしやっぱり怒った。

 そんな麗羽に歩み寄って、なんでもないと言いつつ頭を撫でる。

 つんとそっぽを向かれるが、叩かれたりしないのをいいことにしばらく撫でる。

 

「まあ、思わず撫でたくなってしまうほどに可愛らしいわたくしですから? 人の顔を見て笑う無礼くらいは許してさしあげますわ」

「よっ、麗羽さま太っ腹っ!」

「おーっほっほっほっほ! 褒めてもなにも出ませんわよ猪々子さん!」

 

 そして元気な人だった。

 

「けど、よかったんですか一刀さん。こんな美味しいものの味見なんて」

「いいっていいって、丁度ここを通ったのも何かの縁ってことで。それにきっぱり意見をくれる人に味わってほしかったから」

「あらあらさすがは一刀さんですわぁ~? このわたくしの舌によほどの信頼を置いていなければ、とても出来ることではありませんわよ」

「……アニキ。きっぱりって、そっちの意味じゃないよな?」

「ご想像にお任せします」

「あ、あはは……でも、本当に美味しいですよ」

 

 そう言いながら、ずずーっと味わって食べてくれる。

 しまった、匙子でも用意すればよかった。

 

「やはり華琳さんよりもわたくしを。このわ・た・く・し・をっ、味見役に選ぶ一刀さんの目には、光るものがありますわ」

「え? 俺の目って光ってるの?」

「あー……アニキ? あんまいろいろ考えないほうがいいって。真面目に受け答えしてても、平気で話題変えられるから」

 

 それはお供をしている人が言うセリフなんだろうか。

 や、お供をしているからこそ言える言葉ってのもあるだろうけどさ。

 

「それで一刀さん? このおしんこというものはどうするつもりですの?」

「お汁粉ね。とりあえず祭りの中で配ろうかなって。なんだかんだで動き回りそうだし、糖分は必要だろ。だからこれとか綿菓子とか……そうなると別に冷たい飲み物が欲しいな。牛乳でも冷やしておいてみようか?」

 

 もちろん熱して殺菌したものをだ。

 そういった菌が何℃で死滅するのかは知らないが、やるのとやらないのとじゃあいろいろ違ってくるだろう。と、それこそいろいろと思考を回転させていると、軽く手を上げた糸目状態の猪々子が「アニキぃ~、もうちょっとわかりやすく言ってくれってぇえ……」と。

 

「わかりやすくって……ただこの食べ物を、予定している祭りで配ろうって話をしてるだけだって」

「だったらそう言ってくれればいいじゃんか。簡潔だしさー」

「片っ端から“言うだけ”じゃ、何がどういいのかもわからないでしょーが。けど……そだな。それじゃあ訊くけど、これと綿菓子を武道会とかの祭りに出すのは賛成? 反対?」

「おおっ、それは賛成っ! むしろこれで大食いとかも余裕だぜー! ……な、斗詩」

「なんでそこで私に振るのっ!? たっ……食べないよ……? 私大食いとかしないからねっ!?」

「む。大食いにするなら、さすがに資金繰りとか考えないとダメだな」

「一刀さんも真剣に受け取らないでいいですからっ!」

「あれ? そう?」

 

 騒げる要素は一つでも多いほうが面白いかなと思ったんだけど。

 まあいいか、せっかくだしいろいろと試してもらおう。

 

「それじゃ、祭りに出すものを試してもらいたいから、試食をしてもらっていいか? あ、美味しいか微妙か普通か不味いかは是非ともきっぱり言ってくれ」

「アニキー、おかわりー」

「基本的におかわりはいたしません」

 

 言いつつ、ズイと出された椀を回収。

 差し出しなされた猪々子さんが口をぶーと尖らせたが、構わず行動開始。

 大丈夫、自分で“アレを作ろう”って考えて作る料理は普通の味な俺だが、元から味が安定しているものならきっと普通以上だ。



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74:三国連合/思いは食べ物にのせて②

 振る舞ったものをたいらげ、ご満悦で去っていくみんなを見送ってしばらく。

 みんなというのも、結局は夕餉を食べに来たみんなにも振る舞うことになったのだ。お陰でいろいろな意見をもらえた。“もっと甘いのがいいのだー!”とか“もっと辛いのは……”とか、なんというか偏った意見ばっかりだったが、もらえた。参考に出来るかは別として。

 ちびちびと使って完成させるはずだったのに、おかげで材料がすっからかんだ。

 しかし悲しみはてんで無く、むしろ喜びのほうが多いのだ。なにせ朱里や雛里、冥琳や穏をはじめとする軍師たちがお汁粉を口にすると、疲れた頭に甘さが染み入ったのか、しみじみと美味いと言ってくれたのだ。特に亞莎は目を輝かせて食べていた。いや、飲んでいたって言うべきか?

 やっぱり作ったなら美味いって言われたいもんな。

 

「ふぅ」

 

 すっかりと暗くなった今、自分自身でも試食してみたために腹はいっぱい。

 まだ食べている美羽を眺めつつ、後片付けを始めた。

 流琉も手伝うと言ってくれたが、今日は祭りの準備の手伝いをしていたそうだから俺が引き受けた。腕のことをしきりに気にしてたな……だがこの北郷、これしきで音を上げる男にあらず。

 片腕しか使えぬのなら片腕のプロとなるまでぞ!

 なにせ片腕でお汁粉さえ作れたのだから、片付けくらい……どうやって洗おう。

 

「オウ……」

 

 いきなり詰まった。

 知らず、外国人っぽく口をすぼめて切なく囁いてしまった。

 ちらりと見ても、残っているのは美羽だけ。

 いろんな人に囲まれてカチンコチンに固まっていたために食べる機会を逃した所為だ。

 今は幸せ笑顔でお汁粉を口に運んでいる。

 気になる七乃さんは華琳に呼ばれて、いろいろなものの引継ぎの最中だそうだ。

 ……その引継ぎが、俺の補佐に回ることっていうのが心配のタネではある。先に話しておいたものの、実際に補佐に回るとなると考えることもあるのだろう。七乃は少々微妙な顔つきで華琳の部屋へと向かった。

 

「まだ都も出来てないっていうのに、気が早いよな。……美羽ー、美味いかー?」

「んまいのじゃー!」

 

 少し温くなっているであろうお汁粉をくぴくぴと飲み、やっぱり笑顔を見せる美羽。

 ああまで真っ直ぐに喜ばれると、作ったこっちも嬉しいし和むもんだ。

 元気に返される言葉に気をよくして、片手でなんとか鍋等を洗ってゆく。

 素直に手伝ってもらえばよかったなと思う反面、そうすると美羽がのんびり食べられなかったんだろうなと確信を持つ俺も居る。……過保護だよなぁこれ。

 

「よっ……ほっ」

 

 考え事をしながらもなんとか洗い終えた鍋等の水を切り、布で磨いてゆく。

 “マテ、水気を氣で蒸発できないか?”って思いついてみれば、シュゴオと氣を解放。鍋がテコーンと輝いただけで、水気が蒸発することなんてなかった。

 予想はついたが、いいのだ。男は度胸。なんでも試してみるものさ。……コレ、言った人物はアレだけど、結構大事な言葉だと思うのだ。

 小さく苦笑をもらしながら、自分の手もなんとか拭うと美羽が座る卓へ。

 

「そういえば、最近は朝と夜以外は顔を合わせてないことが多いな」

「うみゅ? んむんむ……そうじゃの……。七乃と歌の練習をしてばかりじゃからの」

「練習、楽しいか?」

「うむっ、声を出すのは気持ちがいいのじゃ。七乃も、いずれは稼げるようになれると太鼓判を押しておる。主様も“たんれん”をして強くなるのじゃからの、妾も頑張ればもっともっと上手くなるのじゃっ」

「……そっか」

 

 言葉と一緒にエイオーと腕を元気に突き上げる。

 ほんとに、これがかつての袁術だっていうんだからすごいもんだ。

 聞いた話だけでもいい噂はなかったってくらいに我が侭で自分勝手。雪蓮も随分と苦労させられたらしいのに……実際にこうして話し合ってみれば、普通の女の子だ。

 

「主様こそ平気なのかの……? 腕を折られたと聞いた時は、妾……妾……」

「ああ、ははっ、折れてないって。ヒビが入っただけだから、折れるよりも治るのは早いはずだ。それに、傷は男の勲章ってね。少しくらい傷があるほうが男らしいさ」

「うみゅ……? そ、そうなのかの……?」

「…………骨の傷なんて、見ようがないんだけどな……ハハ……」

 

 けど痛みは覚えた。

 あんな感覚なんて二度とごめんだって意識があれば、もっともっと集中出来る。折れたことがあるのに注意が足りなかったといえばそれまでだが。

 そもそも恋の攻撃を片腕と俺の氣全部で受け止められるって考えがいけなかった。

 もっと氣の絶対量を増やさないと、いつか胴体がブチーンと千切れることになりかねないよなぁ……。

 

「お互い、もっと頑張らないとな、美羽」

「む? うむっ、皆に喜ばれるのもよいものなのじゃ。妾にかかれば皆笑顔なのだからの。もっともっと頑張って、皆を喜ばせてくれるのじゃー! うはーはははははーっ!」

 

 元気だなぁほんと。

 と、そうこう言っているうちに最後の一口を美羽が飲み込んだ時点でおやつタイムは終了。椀を受け取って片付けようとすると、「妾にどーんと任せてたも!」と、なんと自ら片づけを始める袁家の者!

 思わず“なん……だと……!?”と停止してしまったが、そういう考えは失礼だと思い直す。いい子になった。本当に。

 

「ところで主様? これはどうやって洗うのかの」

「………」

 

 漏れたのは苦笑。

 知ろうとしてくれたことへの笑みと、仕方ないなぁって意味でのソレは俺の顔を緩ませ、一つの食器に二人がかりで取り掛かるなんてことをしながら……美羽はお椀の洗い方を覚えた。

 

……。

 

 少しののちに二人で部屋に戻ると、鼻に届くのはいつもの自室の香り……ではなく、むわりと漂う獣臭。真っ暗な部屋に美羽の戸惑いの声が響くが、そういえば……恋が眠ったまま放置されていたのだ。

 うわー、嫌な予感しかしない。

 だってさ、今日のお汁粉パーティー(急遽開催)には恋の姿がなかったのだ。

 それ=ハラペコってことだろ?

 どうしよう……と思っているうちに目が慣れてくると、既に空間的に把握している部屋の間取りから見て右奥の寝台。その上の中空に赤く輝く瞳が……!!

 いや、それどころか寝台で横になっていたであろう動物達の目までもが開かれ、無意味に輝いて怖い! なんか某ゲームのイケニエ状況的な状況を思い出した! ラ、ラットフィーバー!

 

 コマンド:どうする?

 

1:ゲーム知識に従い、猫いらずをささげる……って相手に猫も居るんだよ!

 

2:水でよければと常備用竹筒を捧げる。

 

3:目に氣を集中させて、対抗して輝いてみる。

 

4:まずは灯りをつけよう。全てはそこからだ。

 

5:否! 自らの氣を発して、俺こそが闇夜に輝く金色の灯りとなろう!

 

 結論:4

 

 ……5はもうスルーしていいよな。きっと疲れてるんだよ、俺。

 

「………」

「主様?」

 

 いや、でもちょっぴり面白そう、なんて思ってないぞ?

 思ってないけど……ほら、その、思ったばっかりじゃないか。

 男は度胸、なんでも試してみるものだって。

 せっかく璃々ちゃんと遊ぶことで少しだけ童心を取り戻せたんだから、ここでまた無難に走るのはヨクナイ。

 なのでGOだ。

 

「ん……」

 

 暗い部屋に光が灯る。

 まるでホタルにでもなった気分な俺の体には、金色の氣。

 まさか自分が発光生命体になる日が来るとは思いもしなかったが、これって案外便利かも。暗い夜道は赤鼻のトナカイよりも役立てるかもしれない。とか思ってたら氣を発することで動物たちが好む匂いも溢れ出たのか、目を輝かせたままの猫や犬たちが俺のところへ集ってにゃーにゃーくぅんくぅんと鳴き出した。

 

「お、おぉおおっ!? こ、これはいったいどうしたことなのじゃ!? 主様が光って、動物たちが騒ぎだしたのじゃ! ……うみゅ? 光って……? …………ぬおゎああーっ!? ぬぬぬ主様が光っておるのじゃーっ!!」

 

 盛大に驚かれた! その声に反応した動物達も一層に騒ぎ出して、しかし恋が一言を放つとピタリと静まる。……あ、美羽までピタリと止まった。

 

「……一刀」

「ああ……うん……まあ」

 

 ぴしゃりと動物達を鎮めてみせた恋だが、一言放つだけで空腹という名のバケモノが目覚めてしまったらしい。きゅぐ~るるるるるいと鳴る腹の音に、妙に罪悪感が。

 ……外はもう真っ暗だ。

 真っ暗だが……

 

「よし恋、ちょっと抜け出すか」

「……?」

 

 首を傾げられた。

 そんな恋においでおいでと手招きをすると、「そういえばなぜ呂布が主様の部屋におるのじゃ……?」と首を傾げる美羽とともに、三人で部屋を出た。

 何処に行くのかといえば……裏通り近くにある一つの店だったりする。

 通路を通り、兵と軽い挨拶をして、「またですか……ほどほどに頼みますよ」と苦笑されつつ街へ。そのまま詠と一緒に通った裏道を逆戻りしていくと、一軒の店。夜遅くでもやっているそこへ入ると、威勢よくアニキさんが挨拶してくれた。

 

「おおっ? なんだ、御遣いの兄ちゃんじゃねぇか」

「やっ、アニキさん。三人だけど、大丈夫?」

「へいよ。おいそこ、ちょっと詰めやがれ。……狭くて悪ぃが、それでいいなら」

「っへへ~、上等上等」

「へっへっへ」

 

 二人してニカッと笑い、きょとんとしている恋と美羽に手招き。

 詰めてくれた人に感謝しつつ座った先で適当に注文をして、食べ物が来るまでは適当に話をする。

 

「ぬぬぬ主様? こここここは……」

「会合準備中に見つけた場所で、男のたまり場。名前は特にないけど、俺達の間では“オヤジの店”で通ってる。ここを見つけたのがきっかけでアニキさんとも仲良くなれたんだ。店を出してるってこと自体はチビから聞いてて知ってたんだけどね」

 

 そう広くはない店。

 しかし、ここはなんていうか暖かい店だ。

 裏通りに近い場所ではあるのだが、表通りの人も裏通りの人も集まる。

 まあ、来るのは愚痴目当てのオヤジばかりなのだが。

 

「チビの店は閉めるの早ぇえからな。ま、俺達裏通り連中中心の店なんざ、こうして夜に集って騒ぐのが楽しみってもんだ。町人が寝る時にゃあ他も寝るってのが礼儀ってもんだろうが、裏には裏の娯楽が必要、ってな。まあ、なんだ。明るいうちより暗いところで集ったほうがおもしれぇんだよ」

「まあそういうこったなぁ、だっはっは!」

「よぉ御遣いのあんちゃんよぉ、まーた表のほうでなんかやらかしたそうじゃねぇか。なんでも家を壊して回ったとか?」

「あれは俺じゃないって……」

「お? そういやその腕どうしたんでぇ」

「はは……鍛錬でちょっとね」

「うへぇあ……あんちゃんもやるねぇ」

 

 軽口を叩いていればすぐに打ち解け、広がる笑い。

 その場に居るみんながあまりに豪快に笑うもんだから、美羽もぽかんとしていた。

 恋は……調理されている料理をじーっと見つめている。腹は鳴りっぱなしだ。

 

「恋。ちょっとモノを食べる時のコツを教えるから、教えた通りにしてみてくれ」

「?」

 

 やがて「あいよっ」と威勢のいいアニキさんの声とともに、料理が差し出される。

 即座に恋が一口で食べようとするが、そこに待ったをかける。

 

「? ? ……? ……?」

 

 ……うあ、俺と料理をめっちゃ見比べてる。

 ごちそうを前に“待て”を命じられ、唾液を垂れ流す犬のようだ。

 

「まず、一口分を口に含む。すぐに飲み込んじゃだめだぞ?」

「……? わかった」

 

 言うが早し。ぱくりと口に含むと、口に広がる味に目を輝かせた。

 よっぽど腹が減っていたらしい。

 

「で、一口につき50回噛み締める」

「…………、……?」

 

 ありゃ、首傾げた。

 

「はい噛んで噛んで。1、2、3」

「……、……?」

 

 よくわからないって顔をされた。でもきちんと噛んでくれてるのがなんだか嬉しい。

 

「数えながら50回って結構面倒なんだけど、そんなキミにはひと工夫。2回噛んで1を数えるんだ。い~ち、の間に二回噛む。すると25回で50回。不思議と一回ずつ噛んで数えてを繰り返すよりも早く感じる」

「……、……、……」

「お……そうそう、そんな感じ。で、50回噛んだら飲み込んで次の二口目」

「………」

 

 一口一口を大事に食べさせてみる。

 どうにも恋は大食いすぎるきらいがあるので、そこに変化をつけるべく咀嚼回数UPを計画した。アニキさんは大食いのために店を開いてるんじゃないし、儲けよりも今を生きるオヤジたちの愚痴を発散させようって部分の方が大きい。

 そんなアニキさんの料理だ。がつがつ食べさせるのはアニキさんに悪い。

 恋は確かに噛んで飲み込むが、咀嚼回数が少ないと思うのだ。

 咀嚼回数が増えれば満腹中枢も刺激されまくるはず。

 そこを突いて、じっくりと食べる喜びを知ってもらおうじゃないか。

 

「ふぅううぐぐぐ……ぬ、主様ぁあ~……顎が、あごが疲れるのじゃぁあ~……」

 

 ……そしてこちらの少女には、もっと強い娘になってもらおう。

 意思とかって意味じゃなくて、普通に筋力的な意味で。

 

「美羽~? 顎をよく動かしてモノを噛むとな、頭が刺激されて脳の働きを助けるんだぞ? それに顎周りの筋肉や頬の筋肉を育てておけば、将来頬がたるみすぎることもないんだ」

「むっ! 心配せずとも妾はたるんだりなぞせぬのじゃっ!」

「おっとと、そりゃあいけねぇなぁ嬢ちゃん。若いうちの努力は文字通り、若いうちにしか出来ねぇんだぜぇ? うちのかかぁなんてもうたるみまくりよぉ。昔は整ってたのによ……とほほ」

「う、うみゅ……? そうなのか……?」

 

 くわっと気迫を込めて反論した美羽だったが、隣のオヤジにしみじみと言われるや早速たじろいでいた。

 

「ああ。御遣いのあんちゃんが言う方法でどう変わるのかは俺にゃあわからん。だが、やって損するようなことじゃねぇんだろうさ。なにせ、あんちゃん自身が前と比べて随分と警備隊長らしくなってるんだからなぁ」

「……つまり前は全然だったってことね」

「だっはっはっは! そりゃああっちこっちでサボったり立ち食いしたりしてりゃあ、そう見られてもしょうがねぇでしょうよぉ!」

「うぐっ……返す言葉もない」

「ほおお……今の主様からは考えられぬの……」

 

 意思の向く方向が、以前とは違うからなぁ。

 漠然とした意思の下、魏の天下を目指していた頃とは違い、今はただひたすらに国に返すために。

 その思いも各地を回るうちに、回った数だけ返したい思いが増えてしまった。

 ……これって返し切れるんだろうか。

 というかね、キミタチ。人の過去のことで盛り上がるのはそのへんにしてくれません?

 サボリ癖があったのは認めるから、それ以上美羽にかっこ悪いこと吹き込まないで。

 

「しかし嬢ちゃんよく噛むねぇ。顎疲れないかい?」

「……平気」

「へへっ、そうかいそうかい。じゃ、次だ」

 

 アニキさんが新しい料理を出す。

 最初の皿は既にカラだ。結構な量があったにも関わらず、しっかり50回噛んでこの速度とは。恋……おそろしいコッ!

 

「恋、いつもよりよく噛んで食う食事はどうだ?」

「…………周りの音がよく聞こえる」

「そかそか」

 

 今まで周りの音はよく聞こえなかったのか?

 食べるのに夢中だっただけか、なるほど。

 でも同じ味を噛み続けることで、周りに意識を向ける余裕が出来たと。

 

「美羽、初めてくるこういう場所はどうだ?」

「ものすごい男臭なのじゃ……」

「お、男臭か……」

 

 言われてみれば恋と美羽以外に女なんて居ない。

 だからこそのこの男臭さ。しかし、あえて言おう。だからいいのだと。

 

「だっははははは! よぉおめェら、この嬢ちゃんが臭ぇってよぉ!」

「はっははは違ぇねぇ! けどなぁ嬢ちゃん、慣れてくりゃあこれが仲間の臭いなのさ! この臭いを嗅ぎながらだからこそ、遠慮なく話せるってもんだな! なぁ!」

「おうその通りだぁ!」

 

 一度誰かが声を上げれば別の誰かも声高く。

 そんな調子で騒げる場所がここ、ヒゲのアニキのお店だ。

 愚痴をこぼし合うのも励まし合うのもこういう場だからいい。

 なんだかんだで、男ってのは見栄っ張りなのだ。だから女が居ると弱くなれない。なれないんだったら、こうして騒いで発散するしかないのだ。もちろん愚痴の代わりになるのだから、生半可な騒ぎじゃ済まない。

 時には兵まで混ざって騒ぐような場所。ある意味いろんな男たちに守られた男達の聖域。

 

「しかしおめぇ、くせぇなぁ。体ぁちゃんと拭いてるかぁ?」

「おめぇに言われたかねぇよぉ。俺ゃこれでも綺麗好きだっての」

「あーそーかい。御遣いのあんちゃんは……なんか動物くせぇなぁ」

「猫か犬でも飼ってるのか?」

「臭いの発生源は俺じゃなくてそっち」

「?」

 

 ちょいちょいと指差して見せると、指差された恋がもぐもぐと咀嚼をしながら首を傾げる。……そのついでに何故か指差し返された。

 

「む」

 

 せっかくなので璃々ちゃんともやったように指を輝かせ、指と指を合わせてみる。

 …………うん、やってみただけだから特に意味はない。

 しかし恋はそんな意味のなさがなんだか気に入ったようで、料理をもぐもぐと咀嚼しながらも輝く指先をつんつんと突いてくる。

 猫が、差し出した指先に鼻をつけてくる時みたいで面白い。

 

「おおお……これは美味いの。アニキとやら、これはなんじゃ?」

「いや、べつに俺の名前はアニキってわけじゃねぇんだけどな……」

 

 その脇では美羽が出された料理に舌鼓を打ち、アニキさんに料理のことを問うている。

 真正面からぶつけられる無邪気さに調子を崩されながらも、しっかりと説明をするアニキさんも手馴れたものだ。案外世話好きな人なのだろう。

 なんだかんだで、今日美羽や恋をここに連れて来たのは正解だった。

 HIKIKOMORIになって以来、自分から積極的に他人に声をかけるようなことをしなかった美羽が、自分からアニキさんに声をかけたのだ。これはきっと大きな一歩だ。

 その理由が料理の美味しさに釣られてでも構わない。娘の成長を目にした親の心境とは、きっとこんな感じのものなのだろう。

 

「うむうむっ、美味かったのじゃ。ここまでのものを馳走してくれたのなら、なにぞ返すものがなくてはの。……おおそうじゃっ、妾が今ここで歌ってくれるのじゃ」

「歌? なんでぇ嬢ちゃん、歌なんて歌えるのかい」

「現在練習中。でも上手いよ」

「うむ、主様に恥をかかせるようなことはせぬ。妾の美声を存分に聞くがよかろ」

「はっはっは、嬢ちゃんみてぇな娘っこの歌が、ここに馴染むかねぇ」

「な~に言ってやがる、俺の娘の歌ならここにだって絶対ぇ馴染むぜぇ?」

「そりゃあいいや、だったら今度連れてこい。この嬢ちゃんと一緒に歌わせてみようじゃねぇか」

「いや……連れてくるとなると、あいつがよぉ……」

「だははははは! 相変わらず尻に敷かれてんのかい!」

 

 男たちの話は温かい。

 混ざるだけでも落ち着いて、気づけば顔を緩ませ、声を高くして笑っている。

 そんな中で美羽の歌は開始され、確かな綺麗な声におやっさんやアニキさんは『ほぉお……』と息を吐く。せっかくなので手拍子を開始してみれば、そのリズムに合わせてやんややんやと手拍子を開始するおやっさんたち。

 誰かが手拍子を始めればあっさりと広がる手拍子祭り。

 まるで酔っ払ったウチのじいちゃんが何人も居るみたいだ。

 けど……いい大人のノリなんてものは、こんなくらいが丁度いいんだと思う。

 俺、まだ学生だけどね。鍛錬の合間にじいちゃんに酌するのも少なくなかった。だから、こんな空間はもう慣れっこだ。祭さんや桔梗や紫苑の酔ったノリにはついていけそうもないが。

 ……うん、本当に今日、ここに来てよかった。

 美羽が自分から誰かに感謝し、歌まで歌っている。

 恋もじっくりと食べることを覚えてくれたし、これで───これで…………

 

「と、ところで嬢ちゃん? いったいどんだけ食うつもりで……」

「………?」

 

 ……これで大食らいも治るかな、なんて思っていた俺へバカヤローを唱えたい。

 結局予想を遥かに越える量を時間をかけて咀嚼し、完食。ちょっとした夜食会になるはずだったその日、結構な金額が俺の巾着から消えることとなった。

 いや……落ち込んでない、落ち込んでないぞ?

 これは大きな一歩だったに違いないんだから……そうだよな、自分……。



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75:三国連合/腹の虫と書いてお邪魔虫と読む①

121/邪魔というのはいいところで来るもの

 

 朝である。

 あれから結局俺の部屋にお泊りした恋は、朝になると眠たげに動物たちを連れて出て行った。

 それはいいんだが、部屋が獣の香りで満たされてしまっている。

 俺が窓を、美羽が出入り口の扉を開ければ、流れる外の空気が獣臭を撫でるようにさらう。窓際に立つ俺の傍へぱたぱたと駆けて来た美羽とともに深呼吸をして、朝の体操。

 それが終わると寝巻きから着替え、今日も一日の始まりだ。

 朝食を摂って、「ではいってくるのじゃー♪」と上機嫌で歌の練習に出る美羽を見送ると厨房の奥へ。今日の勉強は午後からだから、それまでは時間が空いている。なので自主練習をしていたお料理研究家な人達に声をかけると、料理教室(普通科)の始まりだ。

 

「では普通の料理教室を始めます。蓮華、桃香、準備はいいか?」

「よろしく頼む」

「うんっ、がんばるよー」

 

 ジャキリと構えるは包丁。きらきらと輝く、透明だけど白いと唱えたいくらいに眩い朝陽を吸って、ギシャアと鈍く輝いておられる。

 危ないから返事と一緒に人に向けて構えるのはやめてください。

 

「えー、まず炊事というのは、基礎の基礎から知っていくことから始まります」

「基礎……んっと、お料理の作り方?」

「行程としてはそうだけど、まずは食材の捌き方とかだな。調理する際、盛り付ける皿は先に用意しておくことや、調味料もきちんと傍に用意すること。火を使う料理は特に一分一秒が命。皿を用意しているうちにふわとろオムレツが固まってしまった! なんて悲しいことは絶対に防ぐべきだ」

「ふわとろ……おむれつ?」

「天には変わった名前の料理があるんだな……」

 

 桃香と蓮華がそれぞれ首を傾げたり感心したりをする中で、中華鍋を用意。

 “蓮華の口調が固いのは緊張の表れだろうか”と考えつつ……まずは食材を刻むのと、薪の燃やし方とかだな。

 人にものを教える際、“教えてもらわなくても出来るよ”は極力スルーするべきだ。教えるのならば最初からしっかりと。そうじゃなければ“普通”の料理を作ることですらとてもとても……!

 

「野菜はしっかりと土を落とすこと。食べた途端にジャリジョリと砂の食感を味わいたいならそのままでも良し。次に切り方だけど……」

 

 野菜をまな板の上に置いて切ってもらおうとするのだが、桃香は包丁を両手持ちにしてンゴゴゴゴゴと大きく振りかぶった! “アビリティ:りょうてもち”で攻撃力は倍化だ! じゃなくて待ちましょう!?

 

「いや待った! 切り方よりも包丁の持ち方から行こう!」

「え? でもでもっ、愛紗ちゃんは野菜を放り投げて、空中で切ってたよ?」

「そんな曲芸みたいなことしなくても切れるから! 大体そんなことしてたら、空中にあるうちに埃とかいっぱいくっつくでしょーが! むしろ両手持ちでそんなの無理だから!」

 

 緊張の所為かカタカタと震える桃香が、へっぴり腰で「へあー!」と言って振りかぶろうとするのを再び止めた。なんとか止まってくれた桃香を前に、まずはルールを作ることにする。

 

「……あのな、桃香。料理を作る時は絶対に、教える人の言うことは聞いてくださいお願いします」

 

 ルールを作るって言葉よりも、お願いって言葉のほうがしっくりくるような言葉遣いになったが、そうまでしてでも受け取ってもらわなければ、教えるこっちが先に参ってしまいそうだ。

 

「包丁を持つ手はこう。しっかりと握って、でも腕にはそう力はこめない」

「こう?」

「そうそう」

 

 ───タラララッスッタンタ~ン♪ 桃香は包丁の握り方を覚えた!

 覚え……おぼ………………本当にこんなところから出発しなきゃいけないなんて、どれほど困難なんだ、このお料理教室……。

 あの歓迎の宴の時に作られた料理もこうして完成したのかと思うと、“厨房よ! よくぞ無事であった!”と感心したくなる。作った本人は、自身の料理の味見で昇天めされたわけだが。

 

「蓮華は───」

「さすがに包丁くらいは扱えるぞ」

 

 ちらりと見れば、蓮華は器用に包丁を使い、食材である川魚を一撃で仕留めていた。振り下ろされた包丁が的確に川魚の首を切断。勢いに乗った頭部がドンチュゥウウンと空を飛び、厨房の壁に激突する様を見た。

 

「………」

 

 ───タラララッスッタンタ~ン♪ 蓮華は魚の仕留め方を覚えた!

 あの……“器用に包丁を使い”ってそういう意味じゃなくて……きちんと調理用の包丁捌きを覚えてくださいお願いします……。

 しかし約束した手前、途中で放ることなど出来るはずもない。するつもりもない。なので覚悟を決めて、根気良く、しかし短い時間でも覚えられるであろうことを叩き込んでいったのでした。

 ……ハイ、そうして完成したのがこの惨状です。

 失敗しようがないだろうってことで、二人にはスクランブルエッグを作ってもらった。

 なのに、どうしてそのエッグが天井に張り付いていたり、ここまで豪快に炭になれたりするんだろうか。ちょっと、ちょっと目を離しただけだったのに。もったいないからと、魚を串に刺して焼いていただけだったのに、どうしてこんなことに……!

 

(この北郷も油断しておったわ……よもやこうまで普通にすら辿り着けぬ者が、自国の大剣様以外におったとは……!)

 

 驚愕が胸を衝いた。だがくじけない。

 

「あのな、蓮華……確かに中華鍋を使うと、焼いてる食材を振るって混ぜっ返すことに憧れるのはわかる。わかるけど、混ぜる時は素早く振るって傾ける程度でいいんだ。全力で天へと振るう必要はどこにもないんだよ……」

「う……す、すまない……」

「桃香も……人の好みにも寄るけど、卵は半熟くらいのほうが美味しいから、炭になるまで焼くことはないんだ」

「はうっ……ごめんなさい……」

 

 中まで火が通るように豪快に焼き上げたらしい卵はモシャアと黒い煙を吐いている。

 つんと突いてみればゴシャッと崩れる外殻。中には辛うじて卵ッぽい色が残っているが、これは食べられそうもない。田畑に撒けばせめて栄養になってくれるだろうか。

 ふぅと息を吐いたら気持ちを切り替えて料理教室を再開。

 彼女たちを普通へ導くべく、片腕での指導を続けた。

 

……。

 

 昼が過ぎれば勉強。

 穏がのんびりと教えてくれる物事を纏めながら竹簡に書き、頭に叩き込んでゆく。

 わからないことがあれば、自分で考えてから意見を出し合って納得。

 改めて過去の人の凄さを知りながら、頭を働かせていった。

 

「一刀さんは本当に勉強熱心ですねぇ~、穏的にはもう少し手のかかる生徒さんでもよかったんですけどー」

「人に手のかかるとか言う前に、自分で書物とか持ってこられるようになろうよ……」

「うっ……そ、それはちょっと難しい注文ですねぇ……」

 

 穏の本に欲情する体質も相変わらずだ。

 部屋に来たかと思えば、書物を取りにいくのを手伝ってくださいと頼まれた。

 ああ、もちろん倉庫の前で待ってもらった。一緒に入ったらなにが起こるかわかったもんじゃない。

 

「高まってしまっても、一刀さんが鎮めてくれれば問題になりませんよぅ?」

「なりますから。めっちゃなりますから」

 

 相変わらず、穏の姿を直視出来ない。

 直視すれば押さえ込んでいるきかん坊が将軍さまになってしまう。悪い意味で。

 

「それにしても昨日の~……おしるこ、でしたっけ? あれは美味しかったですね~♪ 甘さがあんなに体に染みこんだのは初めてですよぅ」

「ははっ、そうそう。染みるよな、あれは」

 

 郷愁にも似た思いはいつでも沸いてくる。

 自然と天で食べることの出来たものを探してしまうのは、本能的でありやはり当然。

 味を完全に再現できなかったとしても、似た味と似た姿をしていれば、それだけでも嬉しいのだ。おまけにそれがこの世界の人にも美味しいと言ってもらえることが、こんなにも嬉しい。

 

「ところで話は思い切り変わるけど、竹簡って底をついたりしないのか? 散々と使ってるのに、あるのが当然のように存在してる…………あれ? 言い方ヘンか?」

「言い方云々は置いておくにしても、そうですねぇ……使っても減らないのは職人さんの腕の見せどころですねぇ~」

 

 何も書かれていない竹簡をカショっと手に取ると、それをカロカロと広げてにっこり。

 紐で綺麗に纏められた束が穏の手の中でいい音を鳴らし、再びカショリと山の上に積まれる。

 どこのどなたが作っているのかは知らないが、いつもお世話になっております。

 ありがとう。

 

……。

 

 夕刻になり、勉強が終わると休憩。

 使った頭を休めるために寝台に寝転がってグミミミミと伸び、その状態のまま力を抜く。

 ああ……犬になりたい。一日中寝転がってくーすー寝ている犬に。

 なんてことを軽く考えつつ、メモを開いて予定を調べる。

 明後日には祭りが始まる。街自体はもう祭りも祭り、大祭り状態で騒がしいが、城の中は意外とそうでもなかったりする。

 や、蓋を開けてみれば騒いでいる人なんてごまんと居る。

 実際、寝台から降りて窓から外を覗いてみれば、見える景色をケモノ少女が駆けてゆく。

 視線をずらせば夕陽に当てられながらのんびりとキャンディーを舐める風。

 その膝では稟が寝ていて、鼻に刺さった詰め物をみるに、また鼻血が爆発したんだろう。……あの。なにがあったのか知らないけど、俺もう鼻血対策練らなくてもよかったりしますか?

 

「今度はなにが原因で出たんだか……」

 

 溜め息を吐きながらも笑ってる俺に気づいた風が、口を「おおっ」と動かして手をパタパタと振る。糸目で。結構離れているから声なんて届かないのだが、それでも手を振り返す。

 しばらくそんな状態が続いたが、やがて振っていた手が下りると、風はこっくりこっくりと頭を揺らし、そのまま目を閉じて動かなくなってしまった。

 寝たのだろうかと思いつつ、寝転がらなくても眠れる彼女が少し羨ましいなとも思った。

 

「ふむ」

 

 聞いた話だが、人間の中には眠らなくても平気な人が居るらしい。

 得た情報を脳が整理する時間がとてつもなく早い人がそれに該当するらしく、一秒でも頭が睡眠状態に入ると整理が終わり、起きるのだという。本人の感覚からすると寝ていないのと同じであり、不眠症なのではと心配するらしいのだが……羨ましいよな、普通に。

 

「体の疲れは取れないかもだけど、疲れない程度にはずっと動いていられるってことだもんな」

 

 そんな特技を得られたなら、勉強しまくって時間を作って、もっと…………

 

「……華琳、どうしてるかな」

 

 そう、華琳に会いに行く。

 都のことが本格化してくると、覚えることややることだらけになって、一日の行動が制限されっぱなしだ。

 夕刻になれば時間は出来るが、そうなった時にはもう脳が疲れていて動くのも億劫だ。

 現にこうして寝台の上でぐったりと伸びて動かない自分が居る。

 疲れた体に鞭打つことは出来るが、これで案外脳の疲労ってのは融通が利かない。

 なにせ体に指令を送る場所だ。そこが疲れてしまっては、鞭を振るう信号さえ出せない。

 なのでこうしてぐったりと伸びているのだが……DHAとガラクタンが欲しい。

 

「思うに、肉体が成長しないのに頭の鍛錬をして、脳は果たして成長するのか否か」

 

 しないんだろうな。

 でも記憶していられるってことは、この世界に来る前の頭でもそれなりに覚えられる容量はあったってことだろう。

 今はそれを駆使して頑張ることしか出来ない。

 ここで得る経験や知識は、自分の世界での脳の刺激になるし、だからこそ“覚えること”にも積極的になった。寝ている間の記憶整理の話の延長だが、以前この世界に来た時の知識や経験を、あっちの世界で寝ている間に整理すれば、そりゃあ脳も鍛えられはするだろう。

 逆に言えば記憶などの“持っていけるもの”とは別の、筋力や体力などはどう足掻いたって持っていけない。経験は持っていけるが、筋力までは無理だろう。……そもそも鍛えても筋力上がらないみたいだし。

 俺に出来る自分強化なんてものは、結局は氣の鍛錬だけだってことが解ってしまった。

 あくまで自分強化の話であって、記憶したもの経験したもので“出来ること”を増やすことは可能だ。そうじゃなければ勉強する意味なんてまるでないのだから。

 

「よしっ! 気力を振り絞って移動開始!」

 

 なにはなくとも華琳に会いたい。

 今はただそんな気分が俺を動かした。

 気合いの入った言葉の割にはしんどい体をンゴゴゴゴと寝台から下ろし、これまたしんどい体を起こしてズシームズシームと歩かせて部屋の外へ。

 さて。

 夕刻って時間帯で華琳が居そうな場所は何処だろう。

 自室? 街? それとも別の場所の視察中?

 王っていうのは暇じゃない。部屋に閉じこもって読み書きするだけで済むならば別に王じゃなくてもいいし、穏あたりなら輝く笑顔で引き受けるし続かせるだろう。代わってくれと頼まれれば俺だって協力する。

 そんな王である彼女が今何処に居るのか。

 風呂? 厨房? それともどこぞのご隠居様に付き合わされて、どこぞで酒でも飲んでいるのだろうか。

 考えを巡らせるたびに華琳に会いたい気持ちが募り、落ち着かなくなっていく。

 

「これが……これが恋……?」

 

 などと顔を赤くしてみせるが、寒い風が吹くだけだった。

 恋なんてとっくに。愛なんて通り過ぎている。

 言葉じゃ足りない想いをぶつけ、世界を越えてもまだ足りない想いを、今この世界に居る時でさえ高鳴らせている。

 しかし状況ってものや仕事に阻まれて、上手く伝えられない日々は続いた。

 もどかしいって言えばもどかしい。

 なんだかんだで結構一緒に居ることは多いものの、二人きりという状況にはなかなか。

 なったとしても“そういう雰囲気”にもなかなか。

 

「まあ……」

 

 それを言ったら始まらない。

 他の人には“そういった流れになったら”とか言って避けているのに、華琳には自分から向かっていくっていうのは都合がよすぎる。そうならないために他の人と無理矢理“流れ”を作って関係を結ぶのも間違っていれば、相手の想いを利用するのは絶対に嫌だ。

 そんな考えに至れば、奥手にもなるってもんだ。

 

「我慢我慢。これまでだって堪えてきたじゃないか」

 

 外の空気を胸いっぱいに吸ってから部屋に戻ろうとする。

 と、通路の奥の奥で金色の髪が揺れた気がした。気がしたら無意識にンバッと首は動いていて、金色を追った視線が見たものは……笑顔でこちらへと歩いてくる美羽だった。

 

(……重症だ)

 

 天を仰いだ。

 通路の天井があるだけだった。



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75:三国連合/腹の虫と書いてお邪魔虫と読む②

 恋。

 生きていれば大体は耳にし、目にもする文字。

 子供の頃は好きなんて言葉は面白いように口に出来て、多分今でも口にするだけならば楽なこと。しかしそれを、心を込めて相手に伝えるのは気恥ずかしく、難しい。

 いつだって正直にモノを伝えるのは難しいものなのだ。

 

「んー……」

「むぅ……? どうかしたのかの、主様」

 

 先に部屋に入った俺のあと、しばらくしてから辿り着いた美羽は、寝台の上に寝転がっていた俺へとダイヴ。

 慌てて片手で受け止めた先で、こうして寝台に座りつつ、ぼーっとしていた。

 見下ろせば、足の間に座り、後頭部を胸に預けてくる美羽が振り返るようにして俺を見上げている。そんな美羽の髪に指を通すようにして、頭を撫でる。

 返す言葉は「なんでもない」だけ。

 我慢なんて慣れっこだ、辛くてもそれを日常にしてしまえば、いつかはこの恋心というものも落ち着きをみせるだろう。

 それはとても惜しいとは思ったが、今は国に返すために歩く時。

 我慢を無くすのは、もう少しあとでもいいよな。

 そう思ったら少し心が軽くなって、“少し”以外の想いを美羽を抱き締めることで発散した。抱き締めるといっても言葉通りで、片腕でぎうーと抱き締めるだけ。

 

「なぁ美羽。俺っていろいろと難しく考えすぎか?」

「なのじゃ」

 

 即答だった。ちょっとショック……。

 

「主様は妾に“きちんと考えてから答えること”を教えてくれたがの、あーうー……その、なんじゃ。主様の場合は考える時間が長すぎー……る、のじゃ? あ、あー……みみ皆のため国のため、己のためと考えてくれるのは……むむ、なんじゃったかの……おおそうじゃ、う、嬉しいことではあるがの? ももももそっと、その……軽く考えられる部分を増やすべきじゃ?」

「って、七乃あたりに言われたのか?」

「何故わかったのじゃ!?」

「わからいでか」

 

 ところどころが無意味に疑問系だった美羽の話を聞くに、確かにと頷ける部分が何個もあった。難しく考えすぎなのはよ~くわかってるんだ。つまり、ああ、なんだ。こうやってまた考え始めるクセを直せってことだよな。はい終了! そもそも前にも冥琳に言われたじゃないか、俺は難しく考えるよりも自然体でいたほうがいいって。よし、自然体自然体~……!

 

「うん。じゃあ難しく考えるのはやめよう」

「うむっ! では主様っ!」

「ああっ! 寝るかっ!」

「なんじゃとっ!? ねねっ……眠る!? 主様はもう寝るのかっ!?」

「なんか今日は体がだるくてさ……遊んでやりたいのはやまやまなんだけど、瞼が重い」

 

 油断してると話の最中でも寝てしまいそうなほどの、凶悪な睡魔。

 このまま後方にぽてりと倒れれば、のび太くんのように素早く眠れるという確信がある。自然体を目指すのならば、もはやこの北郷、堪えることもやめて眠りたいのでございます。

 

 コマンドどうする?

 

1:このまま寝る

 

2:ちゃんと寝転がって寝る

 

3:頬を叩いてでも起きてる

 

4:美羽と遊んでから寝る

 

5:この身を重い睡魔が襲ったとて、この俺を止めることはできぬゥウウ!!

 

 結論:1(5は無視で)

 

「うずー……」

「ふまうっ!? ぬぬ主様っ!? 重い、重いのじゃーっ!!」

「……ふおっ?」

 

 結論が出た途端にオチていた。

 自然と脱力し、体が前へと倒れるもんだから、足の間に座っている美羽を圧迫してしまった。

 

「あ、ああ、ごめんな美羽……いや、思いのほか眠くてな……」

「むうっ……主様は働きすぎなのじゃ。だというのに次から次へと仕事仕事と、これでは妾とちっとも遊べないであろっ!」

「判断基準が遊びなのはどうかと思うぞ」

 

 思わずツッコミを入れてしまうが、美羽はそんなやりとりだけでも楽しそうだった。

 かつての袁家がどれほど偉く、美羽がどんな生活を送っていたのかは……正直な話、知識で多少は、という程度でしか知らない。

 訊いてみたところで、胸を張っていろいろと教えてはくれるのだが……目が語っていた。その生活は今ほど楽しくなかったと。我が侭放題で暮らせる日々よりも、自分の傍で自分を理解してくれる者が居る生活。そういったものに、密かに憧れていたんじゃないだろうか。もっとも、そういう感情も、袁家で暮らすことが当然であるうちには気づけなかったのだろうが。

 そんな美羽が今、俺の両腕……は無理だから、右腕を掴んで自分の体の前に持ってくると、抱き寄せるようにして笑む。寒い日にコートを引っ張って身を包むような様相なのだが、顔はとにかく楽しそうだった。

 子供が出来たらこんな感じなんだろうかなぁなんて思うと、自然と顔が苦笑を作る。

 美羽に対して失礼だろって思う心と、子供のことを考える自分に対しての心が混ざった結果がそれだ。……子供が欲しいんだろうか、なんて考えが頭に浮かぶと、支柱になったことや三国の父とか呼ばれたことを思い出す。

 

(出来れば友達でいたい、なんて考えはもう通せないよなぁ……)

 

 みんなの前でした宣言を思い返すと“早まったかも”って言葉が浮かんでは消える。

 自分の中で決めた覚悟のひとつなんだから、受け入れて然るべきものだ。

 しかしまあ考えてもみよう。

 友達として接してきた人達と子孫を残すために子種を提供する。

 しかもそういう流れになってからと自分で言ってしまっている以上、俺はどこかで“友達以上”になることを望んでいたのでは?

 

(周りの受け取り方がどうあれ、これじゃあ本当に種馬だ)

 

 ああもう、考えないようにすればするほど沈んでいく。

 寝ないようにと気張れば気張るほど、睡魔に負けそうになるような気分だ。

 

(子供か)

 

 璃々ちゃんと遊ぶのは楽しかった。

 久しぶりに、なんというかこう……学生としての自分を出せた気がした。

 国に返そうと気を張る毎日に、無意識に疲れていたんだろう。

 咄嗟に息抜きをする方法さえ浮かばなかったのがいい証拠だ。散々サボっていたかつての自分が、どういう方法でサボっていたのかさえ咄嗟に浮かばなかったのだから。

 

「よし美羽っ、遊ぶかっ」

「お、おお? よいのか? 主様、疲れておるのじゃろ?」

「大丈夫! 努力と根性と腹筋でなんとかする!」

「腹筋!?」

 

 なら、もっと遊ぼう。

 真面目になるのもいい。けど息抜きだって必要だ。

 国に返す時だと気張り続けて、ある日突然倒れてしまいましたでは仕事を回してくれる人達に責任を感じさせてしまう。

 それ以前に休めとツッコまれるだろうが、いっそわざとらしいとさえ感じるくらいの“楽しさ”が無ければ、いくら仕事に達成感や充実感を感じていてももろいものだと思っている。

 ……そうじゃなきゃいつかの日の魏王さまは、徹夜してまで仕事を終わらせて時間を作ったりなどしなかっただろう。

 なので遊んだ。子供が、己の限界まで遊ぶ時のように。

 もちろん着替えてから、周囲に迷惑がかからない程度の騒音……もとい、賑やかさで。

 

……。

 

 ……ハッと気づくと、美羽を抱きかかえながら椅子で寝ていた。

 意識が覚醒すると景色が明るいことにも気づき、窓から差し込む光が朝であることを教えてくれていた。

 

「………」

 

 腰が痛い。

 椅子と美羽に挟まれるカタチで眠っていた所為か、血が足に溜まり、体勢も変えられなかった所為で腰が痛んでいる。

 動くとメシミシと軋む手応えを感じ、これをほぐすために少しずつ腰を動かした。

 で、上手く痛くならない力加減を探しながら、もぞもぞと動き出すと……ふと視線を感じて顔をあげる。

 

「………」

「………」

 

 目が合った。

 朝陽に集中するあまり気づけなかった視線と自分の視線がぶつかる。

 ハテ? これは幻覚か?

 昨日、その姿を求めていたものが視線の先で腕を組んでムスッとしてらっしゃる。

 

「…………お、おは……よう?」

「ええ、良い朝ね、一刀」

 

 幻覚じゃなかった。

 

「んん……ごめん、ちょっと体勢が悪くてよく眠れなかったみたいで……意識がはっきりしてない」

「ええそうでしょうね。だからこそ訊きたいのだけれど、一刀?」

「ん……なんだ?」

 

 閉じた瞼を軽くこすりつつ、華琳を見やる。

 なにやら尋常ならざる力の波動がモシャアアと滲み出ている気がしてならないが、言葉にした通り意識がはっきりしていないだけだろう。だからハッキリしてくださいお願いします。

 

「あなたは意識がはっきりしないと、朝から女を膝の上に乗せて腰を動かすのかしら?」

「…………ホエ?」

 

 …………え?

 言っている意味がよく解らないんだが……え?

 腰を動か───はうあ!?

 

「いやっ! これはただ体勢的なものの所為で腰が痛くて、だから腰の体操をっ!」

「だとしても女を乗せたまま腰の体操をする男が何処にいるのよ!」

「ここに居てごめんなさい!!」

 

 言われてみればそうだった! まだ寝てるからって、膝から下ろすって選択をしなかった俺に馬鹿野郎を届けよう!

 

「けど待て違う! 腰はあくまで体操で動かしていたんであって、べつにそんないかがわしいことは一切してないって! 昨日は美羽と遊び通した所為で、そのままストーンって眠っちゃったから腰が痛くて!」

「………」

「あ」

 

 力の波動の質が変わった。

 モシャアアと出ていたオーラ的な何かがこう、体に纏わりつくような“白くべたつくなにか”風なものに変わった。つまり殺気が纏わりついている。いや、ナメクジの老廃物じゃなくて、表現的な意味で。

 

「へえ、そう。片腕しか使えないあなたのためにと走る部下を労いもせず、あなたはこの部屋でそれと遊んでいたの」

「ア、イエソノー……ししし自然体がもたらした結果と申しますか……! あっ……もちろん勉強も済ませたぞ!?」

「当たり前でしょう? それすらしていなかったらとっくに首が飛んでいるわよ」

「……だから、いっつもどこから出してるのさ、その鎌……」

 

 ジャキリと構えられた絶を見て、背筋を凍らせた。

 だって目がマジなんだ、凍りもする。

 しかし華琳は「まあいいわ」と言うと、「早くそれを下ろしなさい」と命じてきた。

 ……まあ、人と……王と話をする姿勢じゃないよな。

 頷くと椅子から立って、持ち上げた美羽を寝台に運んで寝かせる。

 そうしてからフランチェスカの制服に着替えると、華琳に向き直ってこれからのことを話し合おうと───したんだが、向き直った矢先に机に座るように顎で促された。

 

「……?」

 

 首を傾げるが、今は逆らえる状況じゃない。

 大人しくすとんと座り、どんなことを言われるのかと緊張していると……その足の間にすとんと座る、覇王さま。

 

「………」

「………ぷふっ!」

「……!」

「あだぁあああだだだだごめんごめんごめんなさい!!」

 

 そんな行動に思わず吹き出すや、華琳が俺の太腿を抓った。

 でも、だって仕方ない。

 こんな、縄張りを取り戻すために怒った猫みたいな反応をされちゃあ、オチない男のほうがどうかしている。

 太腿を放してくれた華琳は胸の前で腕を組みつつ、ぷんすかした様子のままに「大体あなたは私のものである自覚が……!」とぶつぶつと言っている。

 自覚なら十分持っているが、今この時に言ったところで無駄なんだろうなと俺の経験が教えてくれた。俺の考える所有物としての定義と華琳の定義とでは違うだろうし。

 

「………」

「………」

 

 なので自然と言葉も無くなる。

 華琳の呼吸に合わせて静かに吸って吐いてをする俺は、特に急ぎの用があるわけでもないので華琳の気が済むまでこうしていることにした。

 明日は祭りだというのに、のんびりとしたものである。

 これが学園祭とかだとみんながみんな競うように騒ぐもんだけどな。

 

「なぁ華琳。祭りの準備のほうはどうだ?」

「問題ないわ。間違いが起こらなければ余裕で間に合うわよ」

「そか。で、その間違いっていうのは……」

「誰かが物を壊したり、体調を崩したり、怪我をしなければ平気ということよ。もちろん祭りをするにあたって、それぞれの役回りには代役をつけてはいるけれど、巻き込まれて台無し、なんてことになれば目も当てられないでしょう?」

「あー……そりゃそうだ」

 

 なにせこの世界の将の皆様は、なにかっていうと誰かを巻き込んで困った事態を起こすのが好きだから。よく巻き込まれているこの北郷一刀が太鼓判を押します。

 

「祭りで思い出した。勝者への賞品とかって考えてあるのか?」

「勝者というよりは国に対するものね。国と国とで戦い、勝利数の多い国を、とね。大体、勝者全てに褒美をあげていては、苦手分野ばかりの者が何も得られないじゃない」

「む。そりゃそうだ」

 

 だからこその国への賞品か。

 ……や、だからその賞品がなんなのかをだな。

 

「で、その賞品って?」

「国の皆で相談してもらい、用意出来るものを用意するわ。可能な限り、どんな願いでも一つだけ、というのも面白そうじゃない」

「そりゃまた勇気が要る賞品だなぁ……あれ? じゃあ魏が勝ったらどうなるんだ? と、つまりこういうことか? どの国かが勝ったら、負けた二国から望むものを貰う、とか」

「ええ、その通りよ。もちろん無茶が過ぎるものは却下。関係を壊したくてするわけではないのだから、まだ笑って済ませられるものを頂くだけよ」

「へぇえ……いいな、それ。適度に緊張出来て」

「そう? まあ、魏が万が一にも負けたなら、あなたもいろいろと覚悟するのね」

「へ? それってどういう───」

 

 覚悟って……ハテ?

 首を傾げる俺を見て、ニヤリと笑う華琳はその表情の通り可笑しそうに言う。

 

「期限を設けるのであれば、人を賞品にすることも可能ということよ。他国が賞品として一刀を選べば、あなたは文句の一つも許されずに他国へ行かなければならない。子種が欲しいと言われればそうするしかないと言っているの」

「ななななななんだってぇええーっ!?」

 

 お、俺のっ……俺の自由はいずこっ!?

 あ、い、いやっ、逆に考えるんだっ! 勝てばいいんだ勝てば!

 大体、もし負けたからって、相手が俺を望むかどうかなんてわからないしネ!?

 そうだよそう、そうじゃないかアハハハハ……ハ……は………なんだろ、笑えない……。

 でもな、国のみんなで話し合って決めるなら、その線は薄いよな。

 くそう、こんな時ばっかりは他国に桂花が居ればと思ってしまう俺は異常か?

 分裂できないだろうか、あの軍師。こう、ゴワゴワと。無理だな。本気で落ち着け、俺。

 

「か、かかか勝ったときのことを考えよう! いや、みんなが嫌ってわけじゃないけど、賞品状態で無理矢理行かなきゃいけないってのはなんか嫌だ! 行くなら自分で、全力で笑いながら行きたい!」

「それだけ言えるのなら、他国の誰か一人とでも寝てみせなさい。言ったでしょう? 私は私が認めた者がくだらない男の子を宿すことを良しとしない。したくもないのよ」

「や……そもそも俺、手と手を繋ぐ礎になりたいとは誓ったけど、子を宿すための糧になるつもりはなかったぞ……?」

「より一層の同盟という名の結束の手を繋げるのに、あなたが必要だと言っているの。私たちが認める支柱というのはつまり、そういうもののことよ。やさしいだけでは足りないの。皆が認めていて、あなたならばと頷いたからこそ都の話が纏まったんじゃない」

「うぐっ……そりゃ、そうなんだけどさ」

 

 こんな時、じいちゃんだったらどうするかなぁ。

 ……“男ならば誓った言葉に関連するもの全てを汲んでみせぃ!”とか言いそうだ。

 誤解を生ませるのも、明確な言葉を伝えなかった責任である。

 ならばそれら全てを抱いて進む。それこそ男。

 …………男って損な生き物だなぁちくしょう。

 

「わかった、一応覚悟は決めておくよ……」

「まったく、魏の子たちには例外なく手を出したのに、なにをそんなに躊躇しているの?」

「いろいろと事情があるんだよ……みんなとは友達として接してきたし、それを急に抱けとか言われたって出来るもんか」

「あら。魏の子たちには出来たじゃない。乞われれば部下にも手を出すくせに」

「……手を出したからだってば」

「? なに? よく聞こえなかったわ」

「なんでもないっ」

 

 華琳にとっては、俺はあの時消えてから戻ってきたってだけなんだろうか。

 まあ、一年は経ってるんだからいろいろと考える時間はあっただろう。

 しかしまあなんというか……自分のであるのなら、誰に手を出してもいいって考えはどうなんだろうか。懐がでかいなぁって思いはするものの、かなり複雑だ。

 

「………」

 

 俺はこんなに好きなんだぞー、とばかりに、わしゃわしゃと髪の毛を掻き混ぜるように撫でた。……ええ、めっちゃ怒られました。でも膝から降りるつもりはないらしい。

 

(……おかしいよな、俺。もっと独占してくれてもいいんだぞーとか思ってる)

 

 なんて言えばいいんだろうか。

 もっと求められたいって言えばいいのか?

 こうして膝に乗っかることが、まさか華琳の精一杯の独占ってわけじゃないだろうし……うーん、一度でいいから思い切り甘えられてみたい。

 そんなことを思いつつ見下ろす華琳の耳は、いつからかずっと赤いままだった。

 

(?)

 

 熱でもあるのかなと思いながらも頭を撫でる。

 掻き混ぜたこともあって嫌がられたが、それがやさしいものだと知ると抵抗もなくなった。

 いつでもこうして寄りかかってくれると嬉しいんだけどなぁ。

 それは贅沢か。うん。

 じゃあ、話を変えてと。

 

「華琳はこれから用事は?」

「昨日のうちに済ませたわね。あとはそれぞれの最終確認が残っているだけだけれど、それは周りが終わらせてからでないと回ってこないことだから問題はないわ」

「へぇええ……」

 

 さすがは覇王様、行動に澱みがない。

 それなら久しぶりに訪れた休憩時間を有意義に過ごせばいいのに、と言いそうになるが、なるほど。澱みがないからここに居るって……受け取っていいんだよな? 勘違いだったら恥ずかしい限りだ。いや、恥ずかしくてもいいや、素直に嬉しいし。

 

(あー……華琳だ……華琳だなぁ……)

 

 強くなりすぎない程度に彼女を抱き締め、椅子の背もたれに深く沈む。

 自然と華琳の頭が俺の胸に預けられるカタチになるが、華琳はとくに抵抗はしなかった。

 深く息を吐き、吸えば華琳の香り。

 おかしな話になるが、そんな香りがひどく心を落ち着かせた。

 昨日アレコレと考えていたというのに、こうして抱き締めているだけで心が落ち着くのだ。我ながら現金というかなんというか。

 しかしながら相変わらず、髪に鼻を埋めて香りを嗅ごうとすると、デシンッと額を叩かれた。まあ、自分の匂いをまじまじと嗅がれて喜ぶ人なんてそう居ないよな。

 



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75:三国連合/腹の虫と書いてお邪魔虫と読む③

 のんびりとしていながら、どこかくすぐったい時間の中。

 ふと、華琳が美羽のことをじ~~っと見ていることに気づく。

 ハテと思い、「美羽がどうかしたのか?」と訊いて見れば、「なんでもないわ」の一言。

 なんでもないのにあんなふうに見るだろうか。

 会話とともに華琳の視線は寝台から外れるのだが、少しするとじぃっと見つめる。

 ……軽く思考を回転させてみても思い当たるものは何もなし。

 まさか美羽の時みたいに即興作り話や怖い話を聞かせろってわけでもないだろう。

 だったらなにが? ……と思っていた矢先に、それが実はその通りだったことを知る。

 

「一刀」

「っと、なんだ?」

「昨日は軍師との勉強のあと、美羽と遊んだと言ったわね」

「ああ。っていっても作り話を聞かせたりしただけだけど」

「へぇ、そう。いいわ、退屈していたし私にも聞かせなさい」

「エ? ……あ、いや、わかった」

 

 断るのは簡単だが、断りきるのは不可能だ。

 なら無駄は省いて聞かせてみせようホトトギス。

 

「話の内容はいっつも適当だから、楽しさはあまり求めないでくれ。あと、作り話だから現実味も求めないこと」

「……そんなものが遊びになるというの?」

「言葉遊びだって。在り得ないことだからこそ、考え方の幅も広がる。架空、空想、幻想は人の考え方を柔軟にするし選択肢も増やしてくれるものなんだぞ?」

「そう。まあいいわ、始めなさい」

「む……よし」

 

 言われて、頭の中で適当な物語を組み立てる。

 もちろん舞台は“アルト=コロ”。時代は“昔々”で、登場人物は適当だ。

 

「昔々あるところ、普通の民家の普通の家族のもと、一人の少年が産まれました」

「ええ」

「争いなんてない世界でのびのびと成長する少年は好奇心旺盛で、やりたいことはとにかくやってみるといった無鉄砲っぷりを見せつけ、いつも両親をハラハラさせていました」

「……おかしいわね。少年と言われたのに春蘭の顔しか思い浮かばないわ」

「はは、そうそう。そうやって聞いたことから想像を膨らませてみてくれ。それが唯一の楽しみ方と言っても過言じゃない」

「随分と相手任せな遊びね……まあいいわ、続けなさい」

 

 さっきから“いいわ”ばっかりだなと思いつつ、ちらりと見てみた華琳の耳が赤かった。

 ……もしかして状況に照れていて、余裕を無くしてる?

 そうだったら嬉しいかも。恥ずかしながら、俺自身がそうだから。

 

「少年には特に秀でた能力もなく、良くも悪くも普通の少年。なにをやらせても平均かそれ以下で、取り得があるといえば元気なことくらいです」

「………春蘭の像は消えたわね」

「ある日、そんな少年に何か才能がないものかと期待した両親は、少年に様々なことをやらせます。家事や勉強、絵や歌、思いつく限りのことをやらせてみますが、どれも平均かそれ以下です。なにかをやらせるにもお金がかかり、一向に才能を見い出せない少年に対し、次第に勝手な苛立ちを募らせます」

「親の気持ちはわからないでもないけれど、平和な世の中にあって、才能というものはどうしても引き出さなければいけないものなのかしら……あったほうがいい、というのは認めるけれど」

「しかし親は頑張ります。子の将来のため、才能あるものを伸ばすことで、彼に力強く生きてもらうため。そうした日々を幾日も続け、やがて……少年になんの才能もないことに気づき、我が子に向けたものといえば落胆と侮蔑の視線。少年は親から向けられる感情に戸惑い、上手くやれなかった自分を嫌いました」

「……ねぇ一刀? これは本当に楽しい話なのかしら」

「親子間での会話も減り、親は子に期待しなくなり、しかし少年はまだ期待されていると思いながら必死に努力を重ねます。けれど並以上にはなれても天才にはなれません。才ある者に近づけはすれど、越すことは叶わなかったのです。それでも頑張ったのだからと、親に成績を見せるのですが、親はやはり出来損ないを見る目で見下ろすだけでした」

「………」

 

 話しかけられても話を進める。

 作り話の中で大事なのは腰を折らないことだ。

 たとえば歌ってる最中に話しかけられて、中断してからまた歌うとノれないのと同じ。

 華琳には悪いけど、そのまま続行させてもらおう。

 

「ああ、自分の頑張りが足らなかったのだと思うことにした少年は、さらに頑張ります。何日も、何ヶ月も。……けど、ある日のことです。少年に弟が出来ました。少年はとても喜び、弟の模範になれるよう一層に頑張ろうと心に決めます。才のない少年に落胆したからこその、新たな生命であるとも知らずに」

「…………一刀?」

「そんな、親からの要らない子を見る目に気づきながらも少年は頑張ります。一流になれない自分を追い詰めながら、頑張ります。両親が弟を可愛がる姿を羨ましく思いながらも、頑張ります。……が、そんな無茶がたたり、彼は倒れてしまいました」

「ちょっと」

「大事な試験を前にしての出来事であり、いよいよもって親は少年に落胆します。お金を出して医者に見てもらえば治る病気。しかし必要な額は普通の額ではありません。親は現状維持を装うつもりで、最低限の処置だけをさせて放置しました」

「………」

「ああ、また期待に応えられなかった。自分はもうダメなのだと少年は自分自身に絶望しました。落胆して落胆して、自分にはもうなにも出来ないと悟ると、そういえば弟と何も会話していないことに気づきます」

「………」

「少年は親の目を盗み、弱った体で弟に会いにいきました。かけられた言葉など“お兄さん誰ですか?”という言葉。自分が兄だということにすら気づいてもらえないほど構ってやれなかった自分に苦笑をもらしながら、彼は言います。“哀れな道化師です”と」

「………」

 

 話しかけられても続行。

 そんな意思が伝わったのか、華琳も口を出すことを諦めて俺の胸に遠慮なく身を預けた。

 

「道化師はおどけながら、勉強をしていた弟に思いつく限りの遊びを教えます。小さい頃に親としたかった遊び、今やればきっと面白いであろう遊び、本当にいろいろです。ムスッとしていた弟が次第に笑み、笑い、大燥ぎする様を見て、やがて彼も大笑いします。そんな騒ぎに気づいた親が来て怒鳴りながら扉を開けますが……兄弟は笑顔のままに遊びに没頭し、親に気づいても笑みで返すだけです」

「……そう、それで?」

「怒鳴り散らそうとした親でしたが、あることに気づきました。……そう。自分たちは、弟が生まれてから今日まで、彼のこんな笑顔なんて見たことがなかったのです。勉強をしろ集中しろと言いつけるばかりで、遊びらしい遊びなどさせず、自分らも遊んでやることがありませんでした。そして……兄の笑顔でさえ、見ることが久しぶりだったのです」

「………」

 

 しかしながら、美羽に話して聞かせるのと華琳に話すのとでは緊張の度合いが違う。

 回転させている思考がどうにも上手く働いてくれず、だが中断するわけにもいかないだろと自分に言い聞かせながら続ける。おかしなことにならなければいいが。

 

「ああ、なんということでしょう。両親はようやく気づきました。兄の才能は、遊ぶことだったのです。人を喜ばせることに長けていた彼に、自分たちの理想を押し付けすぎたために、笑むことを忘れさせてしまっていた。親は今になって自分たちの卑しさに気づき、すぐに医者をと手配しますが……時既に遅く、兄の病は治らぬところまで進行していて、彼は亡くなってしまいました」

「なっ……!?」

「両親は自らを責め続け、弟はそれが兄であることすら知らず、残りの人生を生きます。弟には様々な才能があり、一流以上に至るのですが、結局……兄と過ごした一日以上に笑むことの出来る日に辿り着くことはなく。彼はやがて結婚し、子供を授かりました」

「……そう。それでなに? 子供に兄の名前をつけ───」

「子の名前は呂怒裏解棲(ろどりげす)と名づけました」

「ろどぉっ!? ちょっ───なっ……!?」

「何にも負けぬ益荒男(ますらお)であれと願っての名で、名の通りロドリゲスは逞しく育ち、その逞しさは止まることを知らず、いつしか彼は筋肉王者ロドリゲ=マッスルと呼ばれるように痛い!!」

 

 ……で、照れ隠しめいた話がヒートしていくと自分でも止められず、いい加減おかしな方向に向かいだしたところで華琳に額を叩かれた。

 

「な、なにを……?」

「なにをじゃないでしょう!? 兄や弟の話はどうなったのよ!」

「や……だからな、華琳。言葉遊びに感動とかって結果を求めちゃいけないんだぞ? 何故ってこれは楽しむために作ったものなんだから。楽しめなかったらそれまでで、楽しめたならもうけもの。気楽に出来るから落ち着けるんじゃないか」

「…………なんだか物凄く時間の無駄をした気がするのだけれど?」

「うーん……言っとくけどな、華琳。死んだ人の名前をつけられるのなんて、つけられた人にとってはいい迷惑だぞ? その人のように立派であれ、なんて勝手に押し付けられた日には、話の中の“兄”と同じように期待に押し潰されるだけだ。能力が高いならそれもいいだろうけど、現実はそうじゃないんだから」

「それはそうかもしれないけれど、もっと流れというものがあるでしょう!? どうしてあそこでろどりげすなんて名前が出てくるのよ! 弟の感性と妻の許容力に呆れ果てたわよ!!」

「お、おおお……?」

 

 なんだか物凄く怒っておられる……! もしや少し感情移入しかけてた……?

 いや、でもな、そういう話だったわけだし、美羽はこの急展開が好きで、いっつもきゃいきゃい燥ぎながら聞いてくれているのだが。

 

「こほん、じゃあ別の話を」

「はぁ……そうして頂戴。次はもっと楽しめるものを───」

「題名、不思議の国のロドリゲス」

「ろどりげすはもういいわよ!!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 冗談でタイトル言ってみたら怒られてしまった。

 同時に太腿をぎううと抓られてしまい、悲鳴にも似た情けない声が口から漏れる。

 んむ、ここは少し楽しげな方向で話をしよう。

 

「昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでおりました」

「お爺さんの名前がろどりげすだったら、首を刎ねるわよ」

「怖ッ!? だだだだだっだだ大丈夫大丈夫! もうロドリゲスは出ないから! お爺さんの名前は吾郎! ね!? 吾郎だから!」

「ならいいわ。続けなさい」

「ちなみにお婆さんの名前がロドリゲスってオチでごめんなさい冗談です絶しまってくださいっつーかどこから出したのそれ!!」

 

 いつの間にか握られていた絶の刃が、ヒタリと俺の喉元に押し付けられた。

 自分の肩越しに見上げてくる華琳の目は笑ってはおらず、鋭い眼光だけがそこにある。

 こうなるともはや「つ、続けます」としか言えず、俺は喉に絶を押し付けられたまま話をすることになった。

 

「お爺さんは山へ芝狩りに、お婆さんは川へ洗濯に行こうとしたのですが、何故か急に洗濯をしたくなったお爺さんはお婆さんに代わってくれと頼みます」

「勝手な老人も居たものね」

「張り切って洗濯に出かけたお爺さんは童心に返り、洗濯をしつつも川で遊びました。流れる川の水は透き通るようで、じっと見つめてみれば川の生き物がたくさん居ます。中でもお爺さんの目を引いたのはヤゴ。トンボの幼生でした。お爺さんはそれはもう大燥ぎ。“ウッヒャッホォーゥイ!”と老人らしからぬ声をあげ、虫取りに夢中です」

「……早速雲行きが怪しくなってきたわね」

「童心を得たお爺さんの力はとどまることを知りません。長年蓄えられ続けてきた若さは今この時にこそ力となり、お爺さんを突き動かしました。爆笑しながら川の流れに逆らい泳ぎ、口の中に水が入って咳き込むことさえ些細なことです。お爺さんはそうやって洗濯のことさえ忘れて遊び続け、童心の分だけ何日も遊び、腹が減れば魚を掴み、火を熾して焼いて食べてをしているうち、若者さえ勝てぬほどのムキムキマッスルに変貌していました」

「む、むきむき?」

「お爺さんは気づきます。“この力さえあれば鬼など取るに足りぬ!”と。今さらですがお爺さんお婆さんが生きる世には鬼がおり、人々を苦しめていたのです」

「物凄い今さら感ね……」

 

 だからこそ即興作り話は楽しいんだが。

 

「お爺さんは早速離島である鬼ヶ島を目指すべくカヌー作りに励みました。あ、カヌーっていうのは木で作った小さめの船だから。お爺さんは今日まで鍛えた素晴らしい肉体を以って木をばっさばっさと切り倒し、木を削って船の形を作っていきます」

「随分と元気なお爺さんね。まあ、そういうところを楽しむ話なんでしょうけど」

「ちなみに切り倒したのも手刀ならば、削るのも手刀です」

「元気すぎでしょう!? 作り話だからって、もう少し現実味を持たせるべきじゃないの!?」

「家をほったらかしで自然とともに生きることで悟りを得たお爺さんは、既に人の実力を遥かに越えた存在になっていたのです。無駄な肉は落ち、げっそりとしているものの、皮の下にある無駄の無い筋肉はホンモノのソレ。口癖は“まだまだその気になれば空だって飛べますよ”でした」

「誰に対して卑屈になっているのよ……」

「自然しか友達がいないので、誰ということはありません」

「お婆さんのもとへ帰りなさいよ!」

 

 まったくだった。

 なんだかんだで可笑しくて、笑いながら話す俺を見て、華琳もいつしか完全に力を抜いていた。ツッコミの時以外。

 ツッコミが飛んできたり語調が激しいのは、少し力が入っていたからなんだろうなって思ってしまえばもう遅く、そんな事実に対しても笑んでいる俺に気づくと足を抓ってくる。

 そのお返しに頭を撫でると、笑むのも半端に話を続けた。

 ……むう、頭を撫でるだけじゃなくて両腕でしっかりと抱き締めたいのに、この腕じゃ無理だった。



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75:三国連合/腹の虫と書いてお邪魔虫と読む④

 さて、終始ノリツッコミな調子で続けた話もようやく終わった頃、俺の腹がギューと音を鳴らした。そういえば起きてからまだ何も口にしていない。

 

「っと、華琳。そろそろ朝餉、食べにいかないか?」

「ええ。……そういえば、一刀と一緒に朝餉、というのはあまりしていないわね」

「ん、あ……言われてみれば確かに」

 

 双方ともに食事を摂る時間が不定期っていうのもあるが、華琳の場合は部屋に食事を運んでもらうのが大半だ。厨房に顔を見せることも、アイス等を作る時以外はあまりないんじゃないだろうか。

 と、すとんと俺の膝から降りた華琳を見やりつつ思っていると、その華琳が俺の目を真っ直ぐに見て言った。

 

「そうね……一刀、朝餉を作ってもらえるかしら」

「はいダメです」

 

 言われた言葉に即答を以って返す。

 経験からだろうか、なんとなく言われるような気がしていた。

 

「ええ結構。たまにはそういうのもいいかとは思ったけれど、断らなかったらどうしてくれようかと思ったわ」

「言われるままに他の人の仕事を奪うわけにもいかないって。それに、多分もう作ってくれてあるよ」

「そうでしょうね。じゃ、行くわよ一刀。そこの蠢く物体も連れていくのなら、早く起こしなさい」

「ん、わかった」

 

 華琳言うところの蠢く物体……寝台で寝ている美羽の傍に立ち、その顔に自分の顔を近づける。もちろん目覚めのキスをするわけでも甘い言葉を囁くわけでもなく、ただ耳もとへと軽い目覚めの息吹を。

 

(おお神よ! だみんをむさぼる少女にふっかつのいぶきを! アーメン!)

 

 と、なんとなく“竜の冒険”的な気分を盛り上げつつ……フゥッ、と。

 

「ふひゃわあうぅっ!?」

 

 ……一発で起きた。飛び起きたな、軽く浮いていた。

 

「ててて敵襲! 敵襲なのじゃあーああああっ!! 七乃! 七乃ーっ!!」

 

 よっぽど驚いたのか、“きゃうあーっ!”と奇妙な悲鳴を上げて助けを呼ぶ。

 しかしながら七乃はここにはおらず、居るとすれば俺と、腕を組んだまま面白いものを見る目で美羽を眺める華琳くらいだ。

 

「……ほえ?」

 

 逃げようとして寝台から落ちそうになるのを抱えてやったところで、ようやく現状に気づいたらしい美羽が、じっと俺を見つめる。

 そうしてから部屋をきょろりと見渡すと、長い長い溜め息を吐いた。

 

「目、覚めたか?」

「う、うみゅっ……!? ま、まままー……まだ、眠い、の……じゃ……?」

 

 訊ねてみれば、目を逸らしての言葉。

 取り乱した自分を無かったことにしたいようだ。

 まあ、それならそれでと美羽の頭をわしゃわしゃと撫でると、「じゃ、今日も体操から始めよう」と言って一日のための準備体操を開始。

 

「いっちにー、さんっしー」

「にぃにっ、さんっしー、なのじゃ」

 

 美羽が素直に俺の言うことを聞いて体操をする。そんな光景が異様に見えたのか、華琳はぽかんとした表情で美羽を見ていた。

 しかしクスリと笑うや、どこか挑発するような目を向けながら口を開く。

 

「随分と従順じゃない、美羽。以前までは袁家がどうのと偉ぶっていたのに」

「ふふんっ、妾を以前までの妾と思わぬことじゃなっ! 妾は妾を信じてくれる主様に誓い、なにがあろうとも主様の期待には応えるのじゃ。主様の言いつけも守るし、主様を裏切ったりなぞせぬっ」

「へえ……? ではここで一刀が死ねと言えば死ぬの?」

「主様が妾にそのようなことを言うわけがなかろっ! 何を言うておるのじゃ!!」

「ええそうね。とんだ甘ちゃんだものね、一刀は」

 

 華琳が“よく躾けているじゃない”と目で語る。

 そんな目を向けられても嬉しくないのだが。

 とほーと溜め息を吐きつつ、体操を続ける。美羽はむすっとした顔だったが、次の華琳からの質問には笑顔で応えた。

 

「ならば、一刀が自分の子を産めと言ったら?」

「うははははーっ♪ 妾にかかれば主様の子の一人や二人、ぽぽんと軽く産めるのじゃっ」

「………」

 

 ええはい。

 エイオーと拳を天へ向けて突き上げての元気なお言葉ののち、華琳が俺を再び見ました。その頃には当然体操も停止。不思議そうに俺を見上げる美羽を見下ろしながら、しばらく呆然としていたんだが……華琳からの視線がキツくなって、ハッとする。

 ち、違うぞ!? なにその“貴方こんな子相手に早速仕込んで……”って目!

 ていうか美羽にヘンなこと言うのやめて!? この子は調子に乗りやすかったとしても、元気でやさしい子に育ってもらうんですからねっ!? まだ幼さが残るうちからエロスを教え込むなんて、ママはッ……もとい、俺は許しませんよ!

 やっ……生き方を強制するつもりはそりゃあないけどさぁっ!!

 

「そう? じゃあ他の男の子を産めと言ったら?」

「………」

 

 無言。

 笑顔がピタリと止まり、顔が青くなり、怯えた顔で俺と華琳の顔を交互に見始める。

 小さく震える体は縮みこませるように、容姿相応の頼りない雰囲気のままに───って!

 

「言わない! 言わないからそんなこと! 華琳っ、おかしなこと言わないっ! 美羽もそんな、怯えなくていいから!」

「ふみゅうぅう……ま、まことか……?」

「まことだ!」

「断言してみせているところに悪いけれど、なら美羽には一刀の子を産ませるということでいいのね?」

「え゛っ!?」

 

 産まっ……えっ!? 産ませっ……!? 美羽に!?

 

「アー、ウー、イヤ、ソノウ……」

「別に今すぐとは言わないわよ。ただ、人はいつまでも子供ではいられないものよ。まるで娘のように可愛がるのは結構だけれど、いつか求められたなら自分が受け止めなければならないことを、今の内に刻んでおきなさい」

「……華琳。まさかそれを言うために、今の話を誘導した……?」

「あら。あなたはこの三国にとってのなに? あなたは覇王を前になんと誓った? 言うだけならばただだと、その場凌ぎを誓われたのなら、私も随分と馬鹿にされたものだわ」

「なっ……! あ、あのなぁ華琳! 確かに誓っておいてそういうことをしないっていうのはおかしく感じるだろうけど、俺が華琳のことを馬鹿にするなんてこと、するわけがないだろ!!」

 

 試すような口調であることは知っていた。にも係わらず、一瞬にして沸騰した理性の沸点は怒鳴り声となり、華琳に向けて放たれた。直後に冷静な自分がそれを止めようとするが、乱れた精神を突かずに治めてくれるほど、我らが覇王様はやさしくないのだ。

 

「だったら何故、誰ともそういった行為をしないのよ。魏の種馬と言われたあなた───」

「そんなの! 最初は華琳としたいからに決まってるだろうが!!」

「───が…………」

 

 …………。

 

「なっ……あ……、……はっ……!?」

「……はうっ!? え、あ、えぇっ!? 今俺、勢いに任せて何を口走った!?」

 

 何も言ってないよな!? 気の所為だよな!? 気の所為だって言って!

 視線の先の華琳さんが大丈夫かって心配になるくらい顔を真っ赤にさせてるのとか、全部夢だとか気の所為だとかどうかどうかどうかぁああーっ!!!

 いや待てっ! こういう時こそ冷静に! 選択肢を思い浮かべて行動の数を増やすんだ!

 

 コマンドどうする!?

 

1:超法規的措置 ~見なかったことにしようの章~

 

2:いっそ赤裸々告白劇場 ~僕が恋したあなたの章~

 

3:うそです ~死亡確定斬首の章~

 

4:今すぐあなたと合体したい ~全蓄積我慢解放の章~

 

5:余が三国の父である! ~空気を読みま章~

 

 …………あぁあああああっ!! 行動の数を増やすほどに落ち着かない!!

 どどどどうすれば!? 俺はどうすれば!?

 

(出すぎだぞ! 自重せい!)

(も、孟徳さん! って、出すぎなのは十二分にわかってます孟徳さん! こんな状況だからこそ、これからの行動を訊きたかったのに!)

 

 心の中で様々な葛藤を繰り広げる中、美羽が真っ赤になった俺と華琳を交互に見つめる。

 目は合わせられず、俺も華琳もどこともとれない場所に目を移し、必死になって言葉を探すのだが……見つかってくれないのだ、こんな時に限って。

 

「………」

 

 だから観念した。

 言い訳も言わず、絶叫して暴れ出したくなるほどの恥ずかしさを胸に押し込んで、華琳の傍まで歩くと……その体を、片腕で思い切り抱き締めた。

 

「あっ……か、かずっ───」

 

 少しの抵抗。

 しかし構うものかときつく抱き締め、深く呼吸をする。

 体操も半端だというのに、血液が熱くなったかのように全身が熱い。

 後頭部に痺れるような感覚が走り、呼吸が少し早くなる。

 

「華琳……」

「か、一刀……」

「華琳っ……華琳っ……!」

 

 抱き締めた状態で。

 大切なものを胸に抱いた状態で、自分の名を呼んでもらえる。

 それが好意からの声であることに喜びを感じると、腕にもさらにと力が入り───しかし今まで堪えてきたものがそれらを加速させようとすると、理性を以ってそれを抑える。

 欲望のままに傷つけたくなんかないのだ。

 ただ大切に想い、ただ大切にしたい。

 ……ノックの代わりに華琳の頭を胸に抱くと、それで覚悟は完了した。

 

「………」

「………」

 

 次第に言葉は減り、頭を抱いていた手も改めて背中に回し、抱き締めるだけとなった。

 華琳の手は俺の背には回されず、俺の胸に添えられている。

 それが俺を突き放すためのものなのか、ただ添えられているだけなのかはわからない。

 

「……お、お……? ぬ、主様?」

 

 いきなり発生した場の空気に戸惑う美羽をよそに、俺はとうとう華琳を、深く求める。

 背中から肩に手を動かし、俺を見上げる赤い顔へと自らの顔を近づけ───

 

「………」

「………」

 

 …………腹が、鳴った。

 しかも同時に。

 さあっと、別の意味で顔が赤くなるのを感じて、俺と華琳はバッと離れた。

 何度目かのきょとんとした美羽の視線が俺を見るが、そんな無垢な視線からも逃げたいほどの羞恥心……!

 

(あ、あああああ……!)

 

 やがて落ち込むに落ち込んだ俺は、女の子座り(両足を同方向に向けて座るアレ)をした上で両手……は無理なので片手をつき、がっくりと項垂れたままに「死にてぇ……」と誰にも聞こえない声で呟いた。

 そう……そうなのだ。朝食をとろうって話になったんだから、そりゃあ腹も鳴る。

 でも、だけど、だからってこんなタイミングで鳴ることっ……ないだろぉおお……!!

 

(ああっ、ああっ、もうっ! 今すぐ“旅に出ます、探さないでください”とか書き置き残して消え去りたいぃい!!)

 

 頭を抱えてのた打ち回る。

 しかしそれも長くは続かず、美羽に本気で心配されたあたりで終了。

 男ってやつは見栄を張りたい生き物なんです。

 なので自分を信頼してくれる人の前で、いつまでも無様を曝せるわけもなく。

 

「……あ、朝餉……食いにいこっか……」

「そっ……───そう、ね……」

「うむっ!」

 

 一人元気な美羽を連れ、三人で移動を開始した。

 体操が中断になってしまったが、そんなことを気にしていられる余裕は既になかった。

 結局そんな状態で、なんだか味もよくわからないままに食事を終えると、微妙な空気のままに別れる、……などということもなく。

 食事も元気に摂る美羽のお陰で空気は随分と緩和していた。

 もちろん朝餉食べたあとに“さっきの雰囲気をもう一度”なんて無茶にもほどがあるし、実際にそんな空気が訪れることもなかったが、逆に気まずさがくることもなく、お互いが溜め息を吐きながらも次の行動へ移る。

 

「では行ってくるのじゃーっ!」

「ああっ、頑張ってこーい!」

「うははははーっ! 妾にどーんと任せてたもっ!!」

 

 美羽は小走りに数え役萬☆姉妹と七乃が待つ事務所の方へ走り、俺は……なんとはなしに華琳と一緒の方向へ。

 今日は明日に向けての最終準備の日。

 祭り前の最後の日ってことで……うーん。鍛錬、どうしようかな。明日やるわけにもいかないし。

 

「華琳はこれから、何かやることあるか?」

「さっき言った通りよ。そういうあなたはどうなのよ」

「俺か? 俺は……」

 

 実は特になかったりする。

 準備最終日は思い切り手伝うことを予定していたために、今日は勘弁してくれとみんなに報告してあった所為で。なのに腕はこんな調子で、手伝いに行くとみんな手伝わせてくれない。

 片腕だって役に立つことを証明する隙すら与えてくれないのだ、ちくしょう。

 

「片腕で出来る何かを探す旅に出ようと思う。こう、片腕で持ち運べるものを運ぶとかで」

「で、余計なことに巻き込まれて怪我を悪化させるのね?」

「………」

 

 あ、あれ? なんで何も言わないの俺の口。

 何か言い返しましょう!? そんなことないとか! ほ、ほらっ! なにかっ!

 

「……なによ。本能的に口ごもるほどに心当たりがあるというの?」

「い、いやっ……こんな筈はっ……」

 

 そうは言ってみても、思いつく言葉がてんでなかったりした。

 行く先々で悶着ばっかり起こしてるもんだから、頭は否定しても体がそうであると断言しているような、妙な感覚だ。

 

「…………ハイ、返す言葉もございません……」

「………」

 

 ならば本能に従い、頭を垂れた。

 横を歩く彼女は“はぁあ……”と呆れしか含まない溜め息を吐き、改めて「それで? 予定はあるの?」と訊いてきた。

 

「たった今無くなりました……」

「そう? だったら───」

「いいんだ……どうせ俺なんて両腕が無ければ行く先々で心配の目しか向けられない、ゲームの中とかだったら魔王に攫われるしか脳の無いお姫さまポジションなんだ……」

「……なにを言っているのかわからないけれど、人の話は最後まで聞きなさい」

 

 がっくりと項垂れる俺に向けてもう一度溜め息を吐き、俺の前まで早歩きで回り込むと、俺の顔を真っ直ぐに見上げて「だったら」をもう一度口にする。

 俺も真っ直ぐに華琳を見下ろすと、続く言葉を待った。

 食事前の話の影響か、視線が交差した途端に逸らしたくなるが、そんな気恥ずかしさをなんとか押し込めながら見つめ続ける。

 

「その……暇、なのよね?」

「あ、ああ。仕事をくれるなら喜んでやるけど」

「仕事───そ、そうね。ならば仕事をあげましょう。あなたから言ったのだから、拒否は許さないわよ」

「うえっ!? あ、あー……おう! 二言はない! でも出来ればやさしいものを……」

「簡単なことよ。わ、私はこれからそれぞれの準備をしている場を視察しようと思っているの。だからそれに付き合いなさい」

「おうっ! …………OH? それって仕事なのか?」

 

 別に仕事じゃないような気が……あ、でも警邏と同じに考えれば仕事か?

 ……そうだな、仕事だ。うん。

 

「仕事だな。よしわかった、付き合うよ」

「良い心がけね」

 

 フッといつもの調子で笑む、目の前の魏王さま。

 しかしその顔は真っ赤であり、きっと俺の顔も真っ赤だった。

 彼女が踵を返して歩くのに倣い、俺も小走りに隣に追いつくと、歩幅を合わせて歩く。

 ……さて。

 どこをどう視察するのかを軽く考えてみて、“これってデート?”と思ってみれば笑みが止まらない。抱いた相手だというのにデートの回数も片手で数えられそうな俺達だ、どんな理由であれ一緒に歩けるのが嬉しかった。

 

(女の子の方から言い寄ってこなきゃ、こんなことも出来ないなんて……俺ってとことん受身だよな) 

 

 とはいえ、自分からデートに誘おうにもデートプランなんか思い浮かばないし、狙って誰かを喜ばそうとすると大抵は失敗する気がする。

 だからといって相手に丸投げすれば溜め息を吐かれるのは目に見えて…………ないな。

 この時代のおなごめらは、だったらあっちへならばあれをと人を引っ張り回す。

 助けてぇええと叫んだところでそれは止まらない。

 

(……この時代でだけで言えば、受身なほうが長生き出来そうだよ、じいちゃん)

 

 あなたは受身な男をだらしないと言うだろうけど、時代が違うって大変なんです。

 むしろ攻めていけば、落とし穴に落ちたり手痛い反撃をくらったり正座させられて説教されたり、ならば受身はといえば…………あれ? あんまり変わらない……?

 

「俺って……」

(……? なにを頭を抱えているのかしら)

 

 責めても受けても扱いは変わらないことを自分で確認してしまった瞬間だった。

 自覚って言葉がこれほど胸を抉るものだったとは……。

 

「さ、さあ華琳! まずはどこへ行こうか! どこでもいいぞぅ! この北郷、どこへなりとお供しましょう! むしろ連れてってくださいお願いします!」

 

 ならばせめて楽しもう! 今の自分に出来ることで役に立とう!

 視察の付き合いが仕事として提示されたのなら全力でこれを遂行!

 もはやこの北郷! 誰に言われようと止まることを知らぬ! 誰の理屈をいくら並べたとて、この俺を止めることはできぬぅうう!!

 

「落ち着きなさい」

「ハイ」

 

 ……そうでもなかったですごめんなさい。

 ギロリと睨まれて言われては黙らないわけにはいかなかったのです。

 まあ……ともあれ、視察が始まった。

 最終確認要請が来るまでは仕事が無いと言っていた華琳が言う視察が、果たしてどういう意味での視察かを考えるとやっぱり頬が緩む。

 そんな緩い顔を注意されながら、のんびりと歩いた。

 



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76:三国連合/視察をしましょう①

122/意識するほど遠退くもの=自然

 

 覇王の威圧感とともに迎えた朝。

 体勢の悪さの所為もあって疲れが大して取れていないにも係わらず、誘われるままに準備をする人達の視察へと向かうことになった俺は、現在華琳と一緒に長い通路を歩いていた。

 

「それで、まずは何処に行くんだ?」

「そうね。まずは天下一品武道会会場へ行きましょう。といっても力を注いでいるのがここばかりだから、行く場所なんて限られてくるけれど」

 

 天下一品。

 武道のみならず、知性や勘などといったものも武器とした催しものをするとして、その舞台は随分と大きく用意されている。

 天和たちが“私たちもこの舞台で歌いたい~!”とか言っていたが、まあ機会があれば。歌唱大会はあるけど、本業のお方が出ては他の方があまりにも目立たない。なので数え役萬☆姉妹の出場は禁止されている。

 

「荒っぽいのは結局、武道会だけなのか?」

「ええそうね。それ以外はあくまで平和なものよ。一言で言えば地味なものになるわ」

「え……地味なのか? 武官同士が戦うのに?」

「知性で戦うとして、たとえば“象棋”(シャンチー)をするとしましょう? 一刀はそれを、期待して緊張しながら見ていられる?」

「………」

 

 象棋……たしか中国の将棋のことだったよな?

 ふむ。

 

(…………)

 

 想像してみた。

 間近で見るならわからないなりにドキドキするかもだが、大舞台でやるとなると……遠目で見ててもなにがなんだか解らない。

 

「なるほど、地味だ。でもあれだ、妖術とかでばばーんとなんとか出来ないか? マイクの時みたいに盤上を妖術で空中に映し出す~とか」

「……考えなかったわけではないし、話も通してはあるけれど、力の無駄遣いって気がするじゃないの、それ」

「まあ、わかる」

 

 妖術、なんて便利なんだ! で済ませるには大掛かりすぎるよなぁ。

 

「あれ? でも準備はしてるんだよな?」

「武官ばかりが目立つようでは、学校へ通う者もそうでない者も武官ばかりを目指すようになるでしょう? 一刀も知っているでしょうけど、今必要なのは武官よりも文官よ。だからこそ、地味だろうとやる意味はあるわ。もちろん、地味で無くすためにも地和には話を通してあるけれど」

「へぇえ……そうなのか」

「条件として、天下一品歌唱大会まで用意してくれと頼まれたけれど」

「ははっ、さすが、ちゃっかりしてる。その条件、飲んだのか?」

「書類に目を通しているのなら知っているしょう? 本職の参加は遠慮願うとしてもよ。相手の用件は聞かずに自分の意見ばかりを押し付けるわけにもいかないわ。自分に妖術を扱うことが出来ないのなら、扱える者を頼るのは当然のことよ」

「そりゃそうだ」

 

 先ほどの気恥ずかしさはどこへやら。

 話しているうちに調子を取り戻した俺達は、普通に横に並びながらも歩いてゆく。

 視線を合わせればやはり恥ずかしくもなるのだが、それだけだ。

 むしろそんなくすぐったさが心地良い。

 あーその、なんだ。デートっぽくて、なんかいい。

 

「…………」

「……なによ」

「ん? いや。最初の頃に比べれば、随分と丸くなったなーって痛っ!」

 

 足をトーキックされた。

 しかし嘘は言ってない。最初に会った時なんか、言っちゃなんだがこの体躯であの威圧感だから驚いたもんだ。

 なのに今は剥き身の刃が鞘に納まったみたいに落ち着いている。

 平和になったからって理由が大半なんだろうな、こういうのって。

 

(……自分のお陰だなんて考えそうになった。口にしたら笑われるな)

 

 自意識過剰は危険なものだ。

 もっと落ち着きを持たなきゃな……なにせもう俺は支柱なんだから。

 落ち着き……落ち着きか。

 

(どしっと構えてるほうがいいかな。それともニコヤカな好青年で、やさしさを具現化したような存在のほうが……?)

 

 国を任されるわけではないのだからとかそんな甘い話じゃないよな。

 って、ぁああまた難しく考えそうになってる。

 でもこれ考えておかないと後々大変なことに……!

 

(───俺らしく!)

 

 俺らしくあればいいのだ。

 もう、考え方に困ったらこれでいこう。一度そうしようって思ったならとことん!

 そうじゃないともう失敗した時の言い訳を人に押し付けてしまいそうだ。

 都を任される、なんてとんでもないことなんだから。

 立つなら己の責任でしっかりと、だな。

 

「………」

 

 ………。

 

(俺らしくって、どうだろう。みんな“あなたらしく”って言ってくれるけど……)

 

 ……まあ、自然体かな? よし。

 

「ヤ、ヤア、いい天気だネ華琳」

「ええそうね」

「………」

「?」

 

 会話終わったァアーッ!!

 あれぇ!? 俺らしくって本気でどうだ!? 意識すると解らないぞこれ!

 自然体って誰ェ!? 自然体って何処ォオ!!

 と、思わずビキニパンツのモンゴルマッチョ風の踊り子(貂蝉)を思い出すようなことを心の中で言ってしまった途端、ひどく冷静になれた。

 のぼせ上がった体に氷柱を差し込まれたような感覚……! これは寒気だね、うん。

 

「はぁ……。んっ」

 

 肩の力が抜けるのを感じた。もう大丈夫だ。

 見もしないでいい天気だと言った空を見上げると───そこには通路の天井があった。

 

「………」

 

 思うだけで緊張が抜ければ誰も苦労はしませんね、はい。

 笑顔のままで天井を見つめる俺を、立ち止まって呼んでくれる華琳を追って歩き、溜め息を吐いた。

 

……。

 

 視察。

 現地・現場に行き、その実際の様子を見極めること。

 つまり祭りの準備現場に行って、進行状況を見極めようってもの。

 国の王の視察といえば、それこそ馬にでも乗って遠出をしてというのが多かったが、今回はそんなこともない。徒歩で辿り着くような場所を回り、挨拶もそこそこに調子を訊いてみるものだ。

 

「おっ、よぅアニキー!」

「うん? あ、猪々子か。なにやってるんだ? こんなところで」

 

 天下一品の舞台の脇、作業していたらしい猪々子に声をかけられ、華琳に断ってから近寄ってみれば……なんだこれ。

 

「おいおいアニキぃ、なにやってるんだはないだろー? 今日が準備の最終日だってことくらい、アニキならわかってるだろ?」

「や、そりゃそうだけど。猪々子ってなにかやるんだったっけ? 武道会に使うものじゃないよな、それ」

 

 なんだこれ、と考えたモノを見る。

 猪々子が作っているもののようだが……台? まさか鈍器じゃないよな?

 

「え? あ、あー……これはさ……ほら、歌唱大会あるだろ? 麗羽さまが急に、“美羽さんが出るというのなら同じく袁家であるこのわ・た・く・し・も! 出ないわけにはまいりませんわぁ~!”って言い出してさ。でも“他の方と同じ目線で歌など歌えるもんですか”って、あたいにこんなもの作るように命じてきてさー……」

 

 で。出来たのがこの台だと。

 これに乗って歌うのか……? と、思ったことと同じことを訊いてみると、彼女は疲れた様子でコクリと頷いた。おまけに「あたいと斗詩も一緒に歌わされるんだ……」とこの世の終わりのような顔で呟いて。

 

「お供っていうのも大変だな……」

「いやまあ好きでやってるってのも確かにあるんだけどさー。麗羽さまに巻き込まれてやることって大抵恥を掻くことばっかりだってことに最近気づいて……」

「最近なのか……」

「あたいは斗詩と一緒ならそれでいいかなーって、あまり考えずにしてたから」

 

 いや、そこは考えなきゃまずいだろ。相手はあの麗羽なんだし。

 ……でも、斗詩か。

 

「ところで猪々子。衣装とかは考えてあるのか?」

「衣装? これでいーだろ」

 

 疲れた表情で、クイッと自分が着ている服の端を摘む。

 それはそれでよく似合っているんだが、どうせならってやっぱり思う。

 

「もったいなくないか? 恥を掻くって気づいたのになんの得もないまま終わらせていいのか? なんだったらお前が見立てた服を斗詩に着せて歌わせるとか───」

「おおおおお!! アニキそれ最高! やる気出てきたぁあーっ!!」

「………」

 

 ……ごめん、斗詩。

 これも元気な人を落ち込ませないためだから……。

 祭りには祭りに相応しい、騒ぐ人が必要なんだ。

 だからその……静かに十字を切る俺を許してほしい。

 

「ところでその斗詩は?」

「ああ、木材もらいに行ってる。麗羽さまのことだから、こんなただの台じゃ絶対納得しないだろうから、飾り付けをって斗詩がさぁ」

「作ったら作ったで、こんな飾りでは~とか言いそうだなぁ」

「うぅ……って、そぉ~じゃんっ! なぁアニキぃっ、アニキのほうから何か口添えできないかなぁ! ほら、“可愛い麗羽には可愛い舞台が似合ってるよ”~とか!」

「……で、猪々子も斗詩もその可愛い舞台で歌って踊るのか」

「あ゛」

 

 言われて思い出したらしい。

 自分が考えた可愛い舞台で自分が歌って踊るイメージをしてみたのか、珍しくも真っ青になっていた。

 

「あ、あにきぃい~……」

「頼むからチビみたいな呼び方はやめてくれ……」

 

 真っ青な顔でふるふると震えながら、涙を溜めてひっしと服の袖を掴んでくる。

 いや、俺にそんな目を向けられたって俺にどうしろと? いやでもはい、これがギャップでしょうか。可愛いです。

 

「え、えっとな猪々子ヒィ!?」

 

 殺気!? 誰!? ……と、辺りを見渡してみれば、こちらを睨んでらっしゃる孟徳様。

 あ、あれ? なんで睨まれてるんだ? ちゃんと断ってから来たよな?

 ……もしかして必要以上にひっついてるからとか? や、そりゃないだろ。

 じゃああれか。可愛いって思ったのが顔に出てたとか? ……だろうなぁ。

 でもマテ、もしそうだとしても、“何故誰ともそういうことをしないの”とか仰ってた人の行為とは思えないぞそれは。じゃあ……?

 

(……ヤキモチだったら嬉しいなぁ)

 

 平和なことを考えてしまった。

 だって、そういうのって理屈じゃないだろうし。

 俺も国のためになるんだったらって条件を出されたら、嫌でも何かの条件を飲むさ。

 それと同じで、もし華琳が“自分が認めた者に気に入らない者の子を産ませたくない”という考えを自分で飲み込んだとしたら…………う、うぁっ……うぁあああっ……!! や、やばいまずい! なんか顔が勝手に笑って……! それならほんとにヤキモチかもとか思って喜ぶなんて、どこの青春真っ盛りの学生さんだ! ……学生さんだった!

 

「どうしたんだよアニキ、さっきから頭抱えてうねうね動いて。天の踊りか?」

「み、“身悶えする者の舞い”とイイマス」

 

 俯き盛大に溜め息を吐いての言葉が、腹の底からボシュウウと吐き出された。

 あぁ……そうだなぁ、とりあえず……───

 

「とりあえず、麗羽のことは別の方向へ褒め倒して納得させるしかないんじゃないか?」

「うあー……やっぱそうなるかぁ。ちぇー、アニキが可愛いって言ってくれりゃあ一発だろーに」

「それ、さっきも言おうと思ったけど……言った分だけ麗羽に嘘つくことになるだろ? だから、言われたい一言を利用して誘導するのは気が引けるんだよ」

「えー? 褒め倒しと大して違わないじゃん」

「騙そうとしてるのと本気の違いがあるんだよ。多分、言えば麗羽は素直に受け取ると思うよ。でも、もしそれで喜ばれたら喜ばれた分だけ言葉が軽くなる気がしてさ」

「………」

「………」

 

 ん……ん? なんだ? 猪々子のやつ、人の顔見たまま動かなくなった。

 ……かと思いきや、後頭部を掻きながら驚いた表情で溜め息。

 

「ふはー……驚いたぜー。麗羽様の周りに集まる男といえば、上辺ばっかで地位のことしか考えてないうすっぺらなヤツらばっかだったのに。アニキっておかしなヤツだな。本気で麗羽さまのことを考えて傍に居る男なんて、あたいでも初めて見たかもな」

「……そうなのか?」

「ははっ、だってあの麗羽さまだぜー? 男より女って意識はそりゃああったけどさ。男はほぼ下男扱いだったし、気に入らなきゃ女だって無視するし。なのにアニキを男として認めますなんて書簡まで渡して、しかも可愛いって言われると真っ赤になってさ。いやー、苦労してでも麗羽さまと一緒に居てよかった。あんな麗羽さまが見れるなら、今までの苦労はむしろ楽しみの前の……ね、捻挫?」

「……もしかして前座か?」

「あーそれ、たぶんそれ。蜀でちょくちょく学校の授業受けてるんだけど、いまいち覚え切れないんだよなー。なんか小難しいこと言われても頭に入ってこないってゆーか。でも知ったことって、アニキだってとりあえず言ってみたくなるだろ? 街の子供たちに頭いいねーとか言われた時なんか、胸がきゅんって鳴ったんだぜー?」

 

 腰に手を当てて、祭さんみたいにあっはっはっはー! と元気に笑う。

 どうやら知識を披露して褒められたことがよっぽど嬉しかったらしい。

 ……だな。子供たちに遊びを教えて、喜んでもらえた時とかも嬉しいしな。その気持ちはわかる。気持ちの方向性が違う気もするけど。

 ……というか、麗羽の話はもういいのか?

 

「で、アニキは魏の大将と様子見か?」

「ああ。珍しく二人とも時間が取れたから」

「そっかそっか。んじゃーあんまり引き止めるのも悪いし、あたいも作業が残ってるから」

「そだな。じゃ、明日に疲れを持ち越さないようになー」

「おー!」

 

 猪々子に軽く手を振って歩くと、華琳のもとへ。

 華琳自身も別の人の視察を済ませたようで、腕を組みながら俺を迎えた。

 

「随分と楽しそうだったじゃない」

「実際楽しかったよ」

 

 苦労人って何処にでも居るんだなーって、再度確認できただけでも嬉しかった。

 相手にとってはいい迷惑だろうが、ある方向での仲間が出来たみたいでこう……ねぇ?

 華琳は「そう」とだけ返すと、特に表情を変えることもなく歩き出す。

 ……やっぱり気の所為だな、ヤキモチとかそっちのは。

 気持ちを落ち着かせるためにも、ひとつ

 

「それで次は?」

「朱里を探すわ。象棋の準備はあの子に任せてあるから」

「朱里に? ……やっぱり朱里も象棋、強いのかな」

「先の先を読まなければ勝てないものなのだから、知将としての力が必要になることは間違いないわね。そう考えれば、諸葛孔明が弱い筈がないでしょう?」

「そうなんだけど」

 

 普段のあの“はわわ”ぶりを見てるとなぁ。

 や、俺も勉強のことで随分と助けられてるよ? そりゃあもちろんありがとうばかりを口にしたい相手だし、あの諸葛孔明にものを教わるなんて普通は在り得ないことなんだ。彼(ここでは彼女)を尊敬する人にしてみれば、泣いて羨ましがられるほどの事実だ。

 でもやっぱりあの“はわわ”ぶりを見てるとなぁ。

 

「それで、その朱里はどこに?」

「仕事内容の確認は各国の王に任せているから、私は知らないわよ。報告に来てくれはするけれど、客の行動を逐一報告するように言うのは持て成す者としてはあまりに醜いじゃない」

「じゃあ、桃香を探しに?」

「他の視察をしながらでも構わないわ。先に見つけられればと思っただけだもの」

 

 そっかと頷いて歩く。

 大会会場は大きな舞台となっており、そこを一周するだけでも地味に時間がかかる。

 某・龍の球のお話の武道会場もこんな感じだったっけ?

 ……いや、思ってないよ? あの舞台の上でかめはめ波を撃ってみたいなんて。

 

「なにをそわそわしているのよ……」

「ウェッ!? しっ……してたか?」

「ちらちらと舞台を見ているじゃない。まるで褒美をちらつかされた春蘭だわ」

「微妙に例えが嬉しくないんだけど……なのにわかり易いのが悲しい」

 

 俺、そんなトロケた顔してたのか。

 頬を染めてトロケた表情の春蘭を思い浮かべてみたら、春蘭には悪いけどちょっとだけ空を見上げたくなった。だって、そうまで露骨に顔に出てたなんて。

 

「その……俺のことはいいから。それより視察視察っ」

「……はぁ。まあ、いいけど」

 

 ちらりと俺と舞台を交互に見てから、止めていた足を動かす。

 そんな華琳が次に向かったのは、目に見える位置に居る人物……鈴々だった。

 

「鈴々」

「にゃ? あ、華琳なのだ!」

「……目を合わせた途端、人を指差して妖でも見たような反応をしないでほしいわね」

「にゃはは、似たようなものなのだ」

「似ていないわよっ!」

「……華琳、反応がまんま愛紗だぞ」

「へぇ……!? 一刀は、普通に声をかけたのに妖と同等の扱いを受けて怒らない者が居るとでも……!?」

「ん」

 

 とりあえず手を挙げてみた。

 相手によりけりだが、鈴々相手ならまず怒らない自信がある。

 軽くふざけているだけって解るし、本気なんだとしても……なぁ?

 

「それに、三国を纏めたって意味では、ある意味で妖でも叶わないくらいのことをやってみせてるじゃないか」

「比喩対象に問題があるでしょうっ!?」

「怒ったのだ!」

「怒るわよ!」

 

 ……ごめん華琳。これなら妖も逃げ出すかもって本気で思ってしまった。

 とりあえず祭りの雰囲気がゴシャーって逃げ出してしまうので、怒気を鎮めてくれると助かるんだが。

 

「……あれ? そういえば鈴々、ここでなにやってるんだ? 武道会に向けての練習?」

「違うのだ。天下一品駆けっこ大会のための鍛錬なのだ!」

「華琳さん。なんでも天下一品つけりゃあいいってもんじゃないと思うんだ、俺」

「名づけたのは私じゃないわよ……」

 

 溜め息を吐かれてしまった。

 うん、やっぱり随分丸くなったよなぁ。

 他国の将にこんなにも感情を露にするなんて、前の華琳だったらしなかった。

 

「お兄ちゃんはなにをやってるのだ?」

「う……デ、デデデデート?」

「視察よ」

「視察デス」

 

 いや、いいんだわかってる。視察だもの。

 華琳とは買い物したりしたこともあるけど、あれを考えれば向こうのほうが全然デートっぽいもんな。……男に下着を選ばせるとか、とんでもない経験させてくれたし。

 

「にゃ? デートってなんなのだ?」

「む。難しい質問だな。んー……まあ、好きな人と楽しく過ごすこと、でいいのか?」

「だったら今は毎日がデートなのだ」

「へ? …………そっか。そうだな、ははっ、そうだなっ」

 

 言われてみて、納得してしまった。

 そうだよな、そんな理屈で言うなら毎日がデートだ。

 楽しくない日なんてほぼ無い。好きな人は傍に居る。条件は十分じゃないか。

 でも、デートか。

 この世界を知らず、フランチェスカに通っていた頃は随分と憧れたなぁ。

 お嬢様学校の中にあって、そんな世界に憧れぬ輩が居るはずもない。

 青い空の下、手を繋いで歩くだけでもいい。

 ステップアップすれば腕を組んだりとかして……バカップルなところまで行ったら、後ろから目隠しされて“だ~れだ?”なんて言われたりして。

 ぐいぐいと押し付けられる胸の感触が、なんというかこう、背中に広がって心地良くって、とかなんとか………………はぁあ。落ち着こう、俺。

 

「それで……その駆けっこ大会っていうのは? 鈴々が考えたのか?」

「鈴々と明命とで話し合ったのだ。お兄ちゃんとの鍛錬で走り回った者同士、どっちが上かを知りたいのだ」

「思春だな」

「思春ね」

「むー! 鈴々なのだっ! それにふんどしねーちゃんは参加しないのだ!」

 

 褌ねーちゃん!? なんか予想外の言葉が出てきた!

 

「ふんどっ……ぶふっキャーッ!?」

「貴様……なにを笑っている……!」

「イ、イイイイラッシャッタンデスカァーーーッ!!?」

 

 思わず吹き出してしまった瞬間、例のごとく首に曲刀が……!

 つーかもうどっから出てくるのこの人!

 

「いつも警備ご苦労さま、思春。変わりはないかしら?」

「はい華琳さま。国の支柱がしゃんと立っていないこと以外は問題ありません」

「え? それって俺? って切れる切れる! 支柱折れちゃう倒れちゃう!」

 

 あぁああ青い空の下! 解放してくれるだけでもいい! 関係がステップアップすれば殺気を向けなくなってくれるとかして、そんな彼女への警戒態勢を緩めるところまでいったら、なんか突然後ろから目隠しされて“質問に答えろ”なんて言われたりして! じゃなくてもっと平和なのがいい!

 ぐいぐいと押し付けられる鈴音の冷たい感触が、なんというかこう、喉から様々な筋を通して全身に回って、寒気ばっかりで生きた心地がしなくってェエエエ!!

 

「貴様は成長しないな……」

「これでもさ……ずっと前に比べれば、随分と度胸と氣は身についたんだよ……」

 

 なのに自分の立ち位置はあまり変わっていない。

 アニキさんたちに刃を向けられたり春蘭に刃を向けられたり華琳に刃を向けられたり、なんで俺っていろんな場所で誰かに刃を向けられているんだろうか。

 軽く両手を挙げて降参を示すと、音も無く思春が離れてくれる。

 振り向いてみれば、庶人服に身を包み、髪を解いたいつもの思春。

 

「ふんどしねーちゃん、どこから来たのだ?」

「………」

「にゃ?」

「ふんどしねーちゃんはやめろ……私は常に華琳さまの警護に立っている」

「……全然気づかなかったのだ」

「だよなぁ」

 

 ……慣れてたつもりの俺でも全然わからなかった。

 本気を出すと、もうさすがとしか言えないよ、思春。

 そんな思春が鈴々に振られた話を、ひどくぐったりした様子で返す。

 

「よく春蘭や桂花が許したよな」

「あのねぇ一刀? あの二人に警護をさせたら、私はいったいいつ休めばいいのよ」

「いつって」

 

 いつ……? うーむ。



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76:三国連合/視察をしましょう②

-_-/想像

 

 蒼の空の下、覇王と、その姿を守る大剣と軍師の姿があった───!

 

「華琳様華琳様! 次は何処へ行きましょう!」

「うるさい! 馬鹿が伝染るから離れていなさいよ!」

「なんだとぅ!? 桂花こそ華琳様が溜め息を吐いているから離れろ!」

「ふふん? 自分が原因であることにすら気づけないなんて本当に馬鹿ね。あぁ、確認するまでもない馬鹿なのだから当然だったかしら」

「なんだと貴様ぁあああ! そういう貴様こそ頭ばかりで警護の役に立っていると思っているのか! ただ傍を歩くだけなら動物にだって出来る! ……あぁ、動物だからその耳がついたような被り物をいつも着ているのか」

「なっ……なんですってぇえええっ!!? 華琳様華琳様! この馬鹿が私を───!」

「華琳様! こんな動物の言うことなど聞く必要は!」

「華琳様!」

「華琳様ー!」

 

 ……。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 …………だめだな。うん。なにがとかそういう説明以前にいろいろだめだ。

 終始溜め息を吐いている華琳の姿が軽く浮かんだよ。

 

「いつ休むかどうかはべつとして、やっぱり妖だな」

 

 頷きながら、自然と言葉が出た。

 そんな俺を視線を真っ直ぐに受け止めながら、口の端をヒクリと歪めて僕を睨む覇王様。

 ───はうあ! なに本人の顔見ながら妖とか言ってんだ俺!

 

「へぇ……考えて、人の顔を見てから言う言葉がそれなの」

「ちょっと待てっ、ヘンな意味じゃなくてっ! あの春蘭と桂花にきちんと慕われてる時点で、俺にとっては十分物凄いことだって言ってるんだって!」

「……そういう意味では貴様も妖と変わらん気がするが」

「え? 思春、今なんて───」

「お兄ちゃんは化物なのだ」

「バケモノ!?」

 

 ショッ……ショックだ! 面と向かってバケモノ呼ばわりされた!

 しかもその原因にまるで心当たりがなく、それは一生解決されない気がする……教えてもらえるまでッッ!!

 ……などと奇妙にショックを受けていないで。

 

「バケモノ呼ばわりはその……原因を聞くのが怖いからスルーするとして。鈴々、駆けっこ大会は走るだけなのか?」

「ほんとは国同士で、代表を決めて走ろうかと思っていたのだ。お兄ちゃんの国の……えとー……なんだっけ。りれー?」

「あ、リレーか。それは確かに面白そうかも」

 

 各国ごとに代表を何人か選出、先に外壁を回りきったほうが勝ちとかなら、選手によっては相当盛り上がりそうだ。

 

「ふぅん……? それに関しては蜀が有利そうね」

「はは、たしかに……って、華琳はリレー、知ってるのか?」

「蜀の“教科書”で興味を引くものは読んだもの。せっかく訪れたのに、未知に目を通さないのはもったいないでしょう?」

 

 教科書。蜀でその名で呼ばれるのは学校での教本くらいだ。

 なるほど、あれを読んだのか。

 体育のことも書いてあったはずだから、そこから知ったんだろう。

 

「逆に呉は不利なのだ」

「そうね。足が速そうなのが明命くらいしか思い当たらないもの」

「………」

「あの。思春サン? どうしてそこで俺を睨むんですか?」

「もし“りれー”とやらをすることになったなら、貴様が呉のために駆けろ。不足を補うのも支柱の役目だろう」

「え……この腕でか? あー……そりゃ、華佗に頼めば一時的に痛みを止めてもらうことくらい出来るかもだけど、俺で力になれるか?」

「お兄ちゃんが出るなら、次こそ鈴々が勝つのだ!!」

「発案者はこう言っているけれど?」

「………」

 

 俺をキッと見上げる鈴々の目が“出るのだ~……大会に出るのだ~……”と語っていた。

 ここでノーと言ったらどうなるんだろうか。いや、そもそも怪我の所為で本調子なんて出せるもんか。痛み止めを鍼でしてもらったとして、だからって元気に振り回せるわけでもない。

 明日完治するならまだしも、華佗には武道会参加は無理だって言われてるんだ。

 走ることだってそりゃあもちろん却下されるに決まってる。

 

「悪い、鈴々。腕がこの調子だから腕を振って走るなんて無理だよ」

「にゃ? だったら振らなきゃいいんじゃないのー? 明命みたいに背中の剣を掴んで走れば問題ないと思うのだ」

「思うよ? じゃなくて。その掴む手が動かせないんだってば。掴んで固定なんて無理」

 

 頭の後ろで手を組んで“にしし”と笑うちびっ子さんに、自分の状態を事細かに説明してやる。すると、「だったら鈴々が支えるのだっ!」と決意に燃える顔で言われた。

 

「出場するとしたら同じ競走相手でしょーが! なのに俺を支えてどーする!」

「怒ったのだ!」

「怒ってないっ!」

 

 ツッコんだだけである。

 言ってはみたがわかっていたようで、やっぱり頭の後ろで手を組みながら、にししと笑う。

 そんな鈴々の頭を溜め息を吐きながら撫でてやると、猫のように自分から顔を押し付けてきた。両手が使えるんだったら、頭と一緒に顎でも撫でてみたいもんだとか普通に考えてしまった俺は、いろいろと危ないですか?

 

「………」

「なによ」

 

 ちらりと華琳を見て、頭と顎を撫でる想像をしてみる。

 ……両手が吹き飛びそうだった。主に魏武の大剣さまの手によって。

 う、うーん、せっかくのデートなのに、想い人になにも出来ないヘタレさんの気持ちってこんなのなんだろうか。いや、ヘタレヘタレ言うけどこれでも結構考えてるんだぞ!? 一歩が踏み出せないだけで、ヘタレだって頑張ってるさ! でもそのために必要な勇気が、手を失う覚悟とか殴られる覚悟とか、曲刀を首に押し付けられる覚悟に勝らなきゃいけないのはいかがなものかなぁ!!

 

「いや、なんでもない」

 

 いろいろと頭の中で整理してからの返事。

 ちらりと見た先で華琳と目が合ったっていうことは、華琳も俺を見てたのかなーなんてことを考えてしまうが、なんていうか……ほんとどこの学生さんだって感じだよな。一緒に乱世を潜り抜けて、体まで重ねたのに、今さら視線が合っただけでも嬉しいとかもっと話をしたいとか……うう。

 まるで恋人になりたてのカップルじゃないか。

 いや、こんなふうに思ってるのは俺だけなのもだけどさ。

 

「ねーねーお兄ちゃん、腕が折れるのってどんな気分なのー?」

「容赦ないね鈴々……」

 

 そんな、どこか乙女チックな心境をあっさり破壊してくれたのが鈴々さんでした。

 ……いいんだけどね。

 

「折れてはいないけど、とにかくやたらと不便だ。動かせないし腕は痒くなるし、片手だけだと上手く出来ないことだって山ほどあるし」

 

 氣の鍛錬に支障が出ないのはいいことだ。氣を使うだけなら腕は要らない。

 ただ、木刀を構えるのにも右手一本だと心許ない。不安になる。

 常に左腕には氣を流してはいるものの、なかなか治るもんじゃない。

 時間が空く限り、華佗が診てはくれるんだが……実は俺が一日中氣を流すよりも、華佗の鍼の一撃のほうが治癒力が高かったりする。医者なんだから当然と言ってしまえばそれまでだが、かなりショックだ。

 そんな俺だが、華佗に氣の扱い方を教えてもらう約束を取り付けてある。

 いつからになるかは未定ではあるものの、それこそいつか華佗が言っていたように、医術のために自分の氣を役立てることを目指して覚えるのも悪くない。

 といっても、そうなると腰を落ち着けてから───都での暮らしが落ち着いてからってことになる。気の早い話でもあり、気の長い話でもある。

 でも……そうだな。医術を覚えて、霞と旅をしながら人を救うのも悪くない。

 都暮らしを始めたらそんなことが出来るのかって不安になるが、それまでに誰か代役を立てるのもいい。俺より優秀な人なんて、この世界には余るほど居るんだ。

 

「華琳」

「なに? まさかやっぱり駆けっこをしたいとか言い出す気? それとも武道会かしら」

「や、そうじゃなくて。都暮らしに慣れたら、しばらく休暇が欲しいんだ。あ、もちろん都が出来てもいない今に言うことじゃないことはわかってる。でも、口約束でも先に了解が欲しいかなって」

「たとえ口約束だろうと、私が破りたくもないとわかってて言っているのだとしたら、随分と気の早い仕掛けね」

 

 何故か、どこか嬉しそうな顔でフッと笑って言う。

 いつもの顎を少し上げて人を斜に見る姿勢のまま。華琳ってこの姿勢好きだよな……でも、見下したような視線として受け取れないのは慣れですか?

 

「支柱にはなったけどさ、たぶんそれって必ずしも俺がそこに居なきゃいけないってものでもないと思うんだ。今はそう思ってくれてたとしても、先のことはわからないし。慣れる頃には俺がやる仕事なんて片手間で出来る人材が出来てるんじゃないか?」

「ええそうね。“仕事だけなら”あなたじゃなくても出来る者が居るわ。売るほどにね」

「うぐっ……容赦ないな、ほんと」

「言わなきゃわからない馬鹿には、それこそ言ってやらなきゃわからないでしょう? あなたね、いちいち自分を低く見すぎよ。少しは自分に自信を持ったらどう?」

「自信? ……自分に?」

 

 自分を指差して言ってみるが、そんなことは無茶ってもんだ。

 確かに何度か考えたことだ。胸を張って、自分の責任で自分の道を歩こうって。

 しかしながら世の中そう上手くはいかない。

 失敗すれば誰でも落ち込むように、自信だってどんどんと落ち込んでいくものだ。

 ……さらにしかしながら、そんな上手くいかない世の中でも何処かには抜け道が転がっているものでありまして。たとえそれが“自信を持つ”ってものに繋がらなくても、自分を低く見ないようにするってことは出来るのでしょう。

 

「自信は難しいから、とりあえず自分を低く見ない努力をしようと思う。で、俺ってどこらへんが低いんだ?」

「庶人相手にへらへらしているところや、腰が低いところだな」

「思春さん!? それってただの付き合いなんですが!?」

 

 そんなことも許されないんですかこの世界は!

 きっ……近所付き合いの“き”の字も許されない勢いだぞ!?

 

「それもだけれど、自分を軽く見ていると言っているの。どうせ、自分の代わりなどいくらでも居ると思ってるんでしょう?」

「む……まあ」

 

 正直、乱世を抜けてしまえば“天の御遣い”って名前にさほどの価値はない。

 俺が俺に出来ることを、って探し回っているのはその所為っていうのもあるだろう。

 みんなに会いたくて戻りたいと願って、会えたらそれで終わりってわけでもない。

 ただ……その。みんなの傍に居る男は自分でありたいとは思ってる。

 独占欲が強いんだ、結局。

 うううむむ、だめだ。難しく考えないようにって構えれば構えるほど、深みにハマっていく。どうしたらいいんだろう。もうなにもかも受け入れてしまえばいいのか?

 

「華琳。俺、難しく考えすぎだよな?」

「……今さらなに?」

「今さら!? ……い、いや、再確認したかっただけだから……うん。よしっ! じゃあもうなんでもズバッと決められる俺でいよう!」

「そう? なら早く子種を求める者に注ぎなさい」

「断る! 痛い! ギャアーッ!!」

 

 力いっぱい否定したら再び弁慶が泣かされた!

 思わず両手で弁慶を庇うようにすると、左腕にズキーンと走る激痛!

 

「お兄ちゃんが痙攣してるのだ! それ、なんて遊びなのだっ!?」

「真剣に痛がってるんですが!?」

「痛いのは繋がっている証拠だ。呂奉先を相手に命があっただけ、まだ良かっただろう」

「……両腕で来られた時は、胴体が千切れる未来が脳裏にチラついたよ」

 

 命拾いました。本当に。

 と、それはそれとして。

 

「と、ところでその……かかかっかかか華琳は、その……」

「?」

 

 痛みに涙を浮かべ、蹲りながら華琳を見上げる。

 胸を張って、下から見ると踏ん反り返っているようにも見える姿勢の華琳は、体勢を少しも変えないままに俺を見下ろしている。

 そんな彼女に俺は……エ、エート。

 

(コッ……コココッコココ子種トカ、欲シクハナイノデスカ?)

 

 …………言えるか!!

 いやっ、でもっ、一番最初は華琳がいいなって気持ちはホンモノでして!

 相当最低なこと思ってる自覚はあるんだけど、それでもやっぱりこういう気持ちは!

 

(でも……華琳って“他の人と”って推すばっかりで、自分はあんまり……むしろ全然)

 

 …………俺、一人で空回りしてるのかな。

 や、でも抱き締めた時、嫌がられなかったし……さっきから“でも”ばっかだな俺。

 いやいや北郷一刀よ、悩むより突っ走れだ。もう迷うな。

 悩むことは大事だ。そりゃ大事だ。しかしよく考えた上で出た答えはすぐに口にする。そんな勇気を持ちなさい。

 

「かか華琳! 華琳はそのっ……こここっここっ……子供っ! 欲しくないのカッ!?」

 

 顔がちりちりと熱を持つのを自覚しながら一気に言った! 言ってしまった!

 だがもう後には引けぬし退けぬし引かぬし退かぬ!! 幸運を(ラック)! 勇気を(プラック)

 ……と、いっぱいいっぱいになりながら見上げる華琳さまは、硬直したままでございまして……しかしその顔がみるみる赤くなっていき、俺を見下ろしていた目がキッと鋭くなると、どこから取り出したのかもわからない絶を俺目掛けて振るってオワァアーッ!?

 

「くぅおっ!」

「!?」

 

 咄嗟に伸ばした氣を纏わせた右手で、絶の刃ではない長柄の部分を押さえる。

 顔を逸らしていたからいいものの、あのまま動かなかったらサックリ行ってました……よね? つか、手が痛い。押さえた手の骨に柄がゴインとぶつかって、痺れてる。

 氣で勢いも威力も吸収、咄嗟に地面に逃がしたはいいけど、お陰で少し地面が少しヘコんだ。どんだけ力込めて振るったんですか、華琳さん。

 

「あの……華琳? 今わりと本気で殺しにきた……?」

「あ、かっ……ずっ……あなっ……あなたっ……一刀が妙なことを言うからよ!!」

「おおうっ!?」

「ここっ子供!? 子供と言ったの!? 私に!? 私との!?」

「や、ちょ……華琳? 落ち着こう? な、なんか目がぐるぐる回ってるぞー……?」

「うぅううううるさいわね落ち着いてるわよ!! ちょっと黙ってなさい!」

「はい黙ります!」

「それでどうなの!? 言ったの!? ~……なんとか言いなさいよ!」

「どうしろと!?」

 

 顔をこれ以上ないってくらい赤くした華琳は、もはや何を言っているのか。

 落ち着きなくあちらこちらに視線を彷徨わせるのだが、絶だけは俺の首に添えられたままでございまして。

 

「にゃ? お兄ちゃん、子供がほしいの?」

「ほほほ欲しいか欲しくないかでいえば欲しいカナッ!? もちろんそうなる前に、俺ももっといろいろなことが出来るようにならなきゃって思うケドサッ!? 学んでいる途中だってのにそれは気が早いだろとは思うし、きっと手も回らないんだろうけど───好きな人との間にカタチが出来るのは、それだけで嬉しいかなって」

「っ!? ───、……~……」

「うわっ!?」

「にゃー!? 華琳が真っ赤になったのだ!」

「か、華琳さま!?」

 

 絶をヒタヒタと俺の首筋に押し付けていた華琳の顔が、爆発するくらいの勢いでより赤くなった。目は潤み、涙が滲み、絶を持つ手はカタカタと震えてイタッ! 痛い! ちょ、軽く切れてる! 切れてます華琳さん!

 華琳!? ちょ……か、……? ……あの、華琳さん?

 

「か……華琳?」

「………」

「……華琳?」

「………」

「華琳? 華琳さーん?」

「───……」

「…………立ったまま気絶してる……」

 

 しかも目を見開いたままだった。なんか渦巻き状に見えるのは気の所為ですか?



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77:三国連合/好きと言われたくて①

なんでかこれだけ予約投稿が24日になってました。
なんでかっていうか間違えたんでしょうけど(^^;
いきなり②から見てしまうような事態になってしまってごめんなさい。



123/いろいろな人の様々な解釈

 

 ……さて。

 立ちながら、目を見開いて気絶するという凄まじい偉業を成し遂げた華琳であったが、少しすると復活。偉業よばわりは大袈裟ではあるものの、珍しい状態を見せてくれたことには変わらず……───ああいや、そんなことはどうでもいいか。

 ともかく、逃げるように歩き出した華琳を追って移動を再開。

 ブンブンと手を振る鈴々に手を振り返したときには既に思春の姿はなく、また気配を消したのだろうと頬を掻きながら苦笑。

 華琳の横に並ぶと、何故かそっぽを向きつつ距離を取って歩く華琳サン。

 で、ソソッと近寄ると「!?」と過剰なまでに肩を弾かせ、また離れる。

 横顔は真っ赤なままだ。

 らしくない態度にポムと肩を叩いてみれば「ひゃあうっ!?」……これまたらしくない悲鳴。

 可愛いとも思える声を上げ、肩に置いた手を払ってジャザァッと勢いの良いステップで距離を取られてしまった。そんな全力の反応にこちらまで驚いてしまい、俺と華琳はまるで対立し、威嚇し合う猫のような心境で見詰め合った。

 え? なにこの状況。“ふかーっ!”とでも威嚇すればいいのか?

 それとも“ゴギャー!”と奇声を上げて襲い掛かればいいのか? ……襲い掛かったら首が飛ぶな。

 

「…………えーと……華琳?」

「……はっ!? …………こほんっ。……な、なにかしら?」

「………」

「………」

 

 え……えぇええ……? なんでここでこんな重苦しい空気に……?

 こんな状況じゃあ、なに言っても余計に場が重くなるって経験しかないのですが……?

 い、いや、難しく考えるな北郷かず(略)───臆せずにかかっていけ!

 

「ん、と。華琳が俺に、華琳が認めた人と子を作れって言いたいのはわかった。納得がいくかって言われれば難しいけど、正直に言えば……俺もみんながちゃんと、好きな人相手とそういうことをしてくれたらなとは思うよ」

「え、ええ」

「でもさ。じゃあ華琳はどうなんだ? 俺ばっかりに言うんじゃなくて、他の人ばかりに薦めるじゃなくてさ。華琳はその……子供とか、どうするんだ?」

「なっ───……わ、私は……」

「…………うん」

「………」

 

 距離を取りながらも俺の目を見ていた華琳の視線が、地面へと落ちた。顔は赤いまま。

 ……そうなのだ。

 華琳は人には薦めたりそうしなさいと言うが、自分の気持ちは口にしない。

 そりゃあ以前泣かせてしまった時には随分と言われたこともあるが、それはもっと傍に居ろってことであって、無理をするなってことであって……所有物として見られているだけなのかって誤解だってしそうになる。

 もちろん所有物ってだけで体を許したりはしないだろう。居なくなったことで泣いたりもしないし、それをうっかり告白してしまってテンパりもしない。自分は想われているんだって自覚していい理由にはなる。

 ただ、あまりにも他の人他の人と言われると……寂しいじゃないか。

 きっと好きでいてくれてるってわかっていても、何度だって聞きたいし届けたい。

 おっ……乙女のようだと笑わば笑え! それだけ好きだから、世界さえ飛び越えてでも会いたいって思ってたんだ! だから届ける! もう待つのはやめだ! 言う……言うぞ! そのための覚悟を……今、完了させる!

 

「おれっ……俺は華琳が好きだ! 所有物だからとか生きるためにはしょうがなくとかそういうのじゃなくて、一人の人間として、女性として、華琳を愛してる!」

「ひぃぅっ……!?」

 

 人々が作業し、汗水流す天下、大声での告白。

 眩暈がするほどの恥ずかしさが俺を襲うが、ちりちりと熱を持つ顔や跳ね上がる鼓動も無視したままで一気に放つ! 告白に対して小さな悲鳴をあげた華琳が可愛いとかそういうことも今は……、……イイ……! ───じゃなくて、今はいいっ!

 

「そんな華琳に他の人と子供を作れって言われればショックだって受けるし───その、それが最善でみんなのためであり俺のためにもなるなら受け入れるけど! そそそっ……それでも! それでも最初は華琳がいいんだよ! 魏のみんなのことが好きだ! 気の多いことだなんてことはわかってるよ! 勢いでってことも確かにあっただろうけど、みんなのことを愛しているのも本当だ! そこに他の国のみんなが混ざることになって、戸惑わないわけないだろ!? 言われるままに抱けるもんか!」

「か、一刀……?」

「望まれるままに受け入れて抱いてきたのは事実だし、そういう認識をされてるのもわかるよ! でもな、俺だってその、普通に誰かを好きになったりするし、抱いて受け入れなきゃ好きにならないってわけじゃないんだよ! なのに抱け抱けって……ええいもう! そうだよ! 好きだよ! みんな好きだ! 今さらなに言ったって男としての尊厳とかが取り戻せるもんかぁっ!!」

 

 なんか涙出てきた。

 結局なにが言いたいのかを見失い、ごっちゃごちゃになってしまった。

 魏のみんなが好きなのは曲げようのない事実だ。

 それは苦楽を共にし、乱世を駆け、一緒の時間を長く過ごしたから。

 じゃあもし他国のみんなともそういう経験をしたら? 好きになるのか? なんて訊ねられれば、俺は頷く他ないわけだ。今はまだ恋愛感情はない。が、これからもそんな感情が現れないとは限らない。

 部下だと思っていた凪たちを抱くことで受け入れたのと同じように……もし抱いてしまえば、同じく大切な人として受け入れるのと変わらない。つーか、部下として、で思い出したんだけど……真桜を受け入れた時は……相当特殊だったよな。なにせ絡繰の実験のついでに、だったし。

 

(……俺って……押しに弱い……んだろうなぁ。それも相当)

 

 難しく考えるな、って無理ですごめんなさい。

 だが! だが言いたいこと、伝えたいことは伝えよう!

 どんなにわかり合った関係だろうと、言葉にしなければ伝わらないことはあるんだ!

 

「だだだだからそのつまりっ! なにが言いたいかっていうと! いっ……~……嫌なんだよ! なんか俺ばっかり好きみたいで! 泣いたって言われても所有物を無くしたから泣いただけなのかとか妙な勘繰りも頭に浮かぶし、そうじゃないってわかってるのに不安になってもやもやして! 自分でも相当見苦しい男だなってわかってるけどっ! ……仕方ないだろ……っ……好きなんだよ……!」

「………」

 

 華琳がぽかんとした顔でこちらを見る。その顔はやっぱり赤く。

 でも、その喉が小さくコクリと動くと、目を伏せながら口を開いた。

 

「あ、あなたね……わ、わわ私がただ、所有物だからという理由で、かかかっかか体を許したとでも……ひうっ……こ、こほんっ! 言う、つもり、なのかしら……!?」

 

 言うつもり、という部分がひっくり返ったのか、“ひうっ”なんて可愛い声が出た。

 その恥ずかしさからか口の端は引き攣り、顔はさらに赤く。

 

「我が侭みたいなこととか女々しいことを言ってるのは承知の上だっ! 俺が聞きたいのはそういう言葉じゃなくてっ! そ、そのっ……! 華琳っ!」

「ひゃいっ!?」

 

 ……また可愛い声が出た。

 しかし距離をジリリと離されてしまった。

 なんだか滅茶苦茶警戒されてる。あの覇王さまに。

 

「す、好きだ!」

「ひうっ!? ……だ、だからなによっ! わかっているわよそんなこと!」

「やっ……だ、だから! 好きだ!」

「だからわかっていると言っているでしょう!?」

「うっ……そ、そうじゃなくて! ほらっ! ~っ……すす好きなんだよ!」

「わかってるわよ!」

 

 わかってるけどわかってない! ああもう本当にっ……! 人が恋する乙女みたいで恥ずかしいのを我慢してるってのにこの覇王さまはぁああ……!

 言っただろ!? 自分ばっかり好きみたいで嫌なんだってば!

 もやもやするんだってば!

 だだだだからっ! そういうのを察して、一言を言ってくれるだけでどれだけ……!

 言ってくれって言って返してもらうんじゃなくて、察してくれて言ってくれるだけで!

 贅沢を言えば察するより先に自然に言ってくれれば……ああもう乙女だよちくしょう!

 つーかもうだめ! 限界! 恥ずかしすぎて堪えられない!

 こんな弱い俺を許してください!

 

「う、うゎあああああん!! 華琳のばかーっ!!」

「え? あ、ちょ───一刀ぉっ!?」

 

 顔が真っ赤になっているだろうことを自覚しながら、羞恥に堪えられずに逃げ出した。

 華琳の戸惑いの声も右から左へ、どこか落ち着ける場所を目指して───!

 

 

 

 

-_-/華琳

 

 …………行ってしまった。

 なんだというのよ、まったく。

 

「いくら準備の所為で周りが騒がしいとはいえ、あんなにす……すす好きだ好きだ、って」

 

 胸が熱い。熱くて、ぼーっとする。

 けど……結局一刀はなにがしたかったのか。

 あの男が自分を好いているのは……その、わかり切っていることだ。

 それを幾度も叫ぶ理由があるのだろうか。

 けれど叫ぶだけ叫んだと思ったら走っていってしまう始末。

 何がしたかったのだろう。

 

「いや~……華琳、ありゃアカン、アカンわぁ……」

「霞?」

 

 と、考えているところへ、ひょこりと現れたのは霞。

 頭の後ろをカリカリと掻きながら、盛大に溜め息を吐いている。

 

「霞、それはどういう意味かしら?」

「どうもこうも、さすがに今回ばっかりは一刀が可哀相やってことや。そら泣いて逃げもするわ……」

「……なに? 私が悪いとでも───」

「悪い。極悪や」

「ごっ……!?」

 

 ご、極悪?

 なによ、私はただ普通に受け答えしただけじゃない。

 それが何故、極悪とまで言われなければならないのよ。

 

「非道な王とまでは言わへんけど、たった一言、一言があればなー……」

「一言……? 霞、それはなに? 言いなさい」

「や、そればっかりは言えん。よくある“自分で気づけなければ意味がない”ってやつや。男ばっかがこれ言われるの、まあ不公平や思とったしな。まあたまには華琳が悩む姿っちゅうのもええもんや」

「………」

「あっはっはっは、そない睨んでも教えたらへんも~ん。気づいた時、贅沢な悩みやったって悶えればええんや」

「贅沢……?」

 

 霞が笑っている。

 笑って、「じゃ、ウチは一刀慰めてくるわ~」と暢気に言って行ってしまう。

 ぽつんと残された私は、一刀と一緒にする筈だった視察を……溜め息を吐きながら、一人で再開することになった。

 

「……なによ」

 

 落ち着かない。

 大体私が何をしたというのよ。

 一刀が勝手に騒いで、勝手に走り去っただけじゃない。

 ……そりゃあ、まさか泣いて逃げられるとは思わなかったけれど。

 

「……はぁ。いいわ、視察を続けましょう」

 

 誰に言うでもなく呟いて歩き出す。

 さあ、次は───

 

……。

 

 一人、歩いて視察を続ける。

 見知った者たちが私の顔を見るなり挨拶をし、私もそれに応える。

 しかしその見知った者たちの誰もが、人の顔をじっと見ると「大丈夫ですか」といった言葉をかけてくる。なにが“大丈夫か”なのかは知らないが、べつになんでもないのだけれどね。

 

「はぁ」

 

 …………?

 ふと意識してみると、何かの拍子に溜め息を吐いている自分に気づく。

 何をそんなに気にしているのか……なんて、考えるまでもないわね。

 

(ばか。一人で何処に行ったのよ、まったく……)

 

 せっかく時間を作ったのに。

 さすがに徹夜なんてことはしていないけれど、無理を通して終わらせたものだってたくさんある。この時期にそれがどれだけ大変かなんてこと、きっとあのばかは少しも理解していないのだ。

 好きだ好きだと好きなだけ言ったかと思えば勝手に居なくなって。

 

(………)

 

 少し眠い。

 徹夜こそしなかったけれど、睡眠時間は大分削った。

 いっそどこかで眠ってしまおうか。

 皆が祭りのための準備で手抜きをするだなんて思えない。

 ならば一人で確認作業などせず、どこか適当な場所で───……

 

「はぁ~い、かり~ん♪」

 

 ぶつぶつと頭の中をごちゃごちゃにしながら歩いていると、その歩はいつの間にか中庭へと至っていた。声がしたほうへと視線を向けたことでようやく気づいた事実に、自分の注意力の不足に溜め息が出る。

 東屋でひらひらと手を振りながら酒を飲む隠居王は、付き合いなさいとばかりに徳利まで振るう。……少しむしゃくしゃしている。酒を飲むのもいいかもしれない。

 そんな考えが働いたら、立ち止まる理由も拒む理由もどこにもなかった。

 

「祭りは明日だっていうのに、辛気臭い顔してるわね~……はい、華琳の分」

「好き勝手言ってくれるわね、まったく」

 

 卓を挟んだ彼女の正面に座り、差し出された猪口に注がれた酒を喉に通す。

 少しの熱が喉を通り、自然と溜め息を吐かせた。

 

「で、どうしたの? 一刀にでも嫌われた?」

「……本当、好き勝手言ってくれるわね」

「あれ~? 前みたいに鼻で笑わないの?」

「………」

「あっははは、冗談よ、冗談。でもその反応ってことは、なにかありはしたわけね」

「べつに。なんでもないわよ」

 

 ふんと視線を逸らすと、雪蓮の前にある徳利をひったくり、猪口に注いで飲んだ。

 ……喉を通った熱さが胸の傍を通り、もやもやを加速させる。

 

「………」

「………」

「ねぇ」

「んー? なにー?」

 

 どこか上機嫌で、卓に肘を立てて徳利を摘むように揺らす雪蓮。

 コレに話していいものかどうかは悩みどころだけれど、このままではこのもやもやとした不快感はついて回るだろう。

 せっかく作った時間がそんなものに飲み込まれるのはごめんだ。

 なので……言った。

 一刀が取った行動や、私が感じたものを簡潔に。

 すると、目の前の元呉王は盛大に笑ってくれた。

 絶でも突きつけてくれようかと思ったが、どうにも私を笑ったのではなく……

 

「あはははは! あっは! あははははは!! か、可愛いわね一刀ってば!」

 

 ……一刀を笑っていたらしい。

 良い酒の肴を得たとばかりに徳利を傾け、猪口を口に運ぶ雪蓮は上機嫌だ。

 しかし私の気持ちはてんで晴れやしない。

 

「あはははは……まあまあ~、睨まないでよ華琳~♪」

「事情がわかるのなら話してもらえるかしら。人に笑われて黙っている趣味はないわ」

「だって一刀が」

「雪蓮」

「あーもー、はいはいわかったわよぅ。なんだかなー、人が困ってる時は余裕の顔で眺めているだけのくせに」

 

 ぶー、と口を尖らせて、その尖らせた口で猪口の酒をすする。

 嚥下すると酒くさい息を無遠慮に吐き出して、赤い顔で私の目をジロリと見つめてきた。

 



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77:三国連合/好きと言われたくて②

①が抜けたまま②が投稿される事件が起こりました、申し訳ないです。
①を投稿しましたので、前へ戻っての閲覧をお願いします。
……いえですね? どうやら昨日を24日とまちがえたらしく、そのくせ②には23日と書いて予約投稿しやがりましたようでして、このたわけは。

というわけでそのー……すいませんでしたぁああ!


「霞の意見に賛成。華琳、あなた極悪だわ」

「なっ……雪蓮、あなたまでっ……!」

「だってそうでしょー? なに? 好きって言って貰えて、あなたはなにも返さないの? 一刀に誰かとの子供を作れ~って言うばっかりで、あなた自身は一刀に何か言った?」

「なにか、って……なによ」

「だから。好きかどうか。どーせ華琳のことだから、言ってもらっても“察しなさい”で済ませてるんでしょ」

「ふぐっ!?」

 

 ……待ちなさい。

 じゃあなに? 一刀が顔を真っ赤にさせながら好きだ好きだと言っていたのは……私に好きだと言い返してもらいたかった……から、だとでもいうの……!?

 

「いいわよねー華琳は。受け取るばっかりで返さないんだもの。頑張りなさいだの励みなさいだの言ってれば、自分に夢中な相手は勝手に頑張るだけだ、って……春蘭や秋蘭、桂花のことで慣れすぎちゃってたんでしょ」

「う、なっ……」

「たま~に飴をあげれば相手は喜ぶものだって考え方を基盤にしちゃってるから、一刀がどれだけ頑張ろうとも華琳自身の気が向かなきゃ褒めもしない。華琳の性格だとやっぱり“あなたが好き~”なんて言わないだろうし、察しなさいって言うだけでしょ?」

「あっ……あぁああっあああああなたになにがっ……!」

「んー……あのね、華琳。そりゃ、一刀は以前は種馬とか言われてたかもしれないわよ? でもそれは以前の話で、一刀は一年間自分の世界で自分を鍛えてきたんでしょ? 誰でもない、魏のために。あなたのために。確かに戻って早々に呉に来ることになったんだから、華琳はそんなに受け入れる暇がなかったかもだけど……でもきっと、“同じ”じゃないのよ? 華琳」

「……なにがよ」

「一刀のこと。華琳ってばなんだかんだで、以前の一刀としてしかあの子のこと見てないでしょ。珍しい知識は持ってるけど頼りないところばかりで、いじめ甲斐がある~とかそんなところなんでしょ?」

「………」

「変わったところもちゃんと受け止めてあげなさいな」

「み……見てる、わよ。言われるまでもなく」

「そ? じゃあどうして、魏に生き魏に死ぬなんて考えを心に持っていた一刀に、“手を出してもいい”なんて言葉を投げることができたのかしら」

「っ!」

 

 カッと頭に血が上りそうになる。

 揚げ足を取るな、と言いたくなるのだが、それは正しくない気がしたから堪えた。

 

「所有物に愛を与えるのも持ち主の役目でしょ? なのに持ち主が、所有物が愛を欲しがってるところへ与えてあげられないどころか……まさか気持ちに気づけもしないなんて……」

「うっ……うるさい、わね……」

「ねぇ華琳。改めて訊きたいんだけど……その気になったら、いいのよね? 一刀と子供作っちゃっても」

「いいと言っているでしょう? 改めての確認なんて要らないわよ」

「じゃあ、華琳より先に一刀の子供、産んじゃっていいんだ」

「はうぐっ!!」

 

 ……猪口が歯に当たった。

 じわりとくる、血が出てるわけでもないのに広がる嫌な味が不快だ。

 ふるふると震えながら顔を背けて、唇をぶるぶると痙攣させて何かをこらえている雪蓮はもっと不快だ。

 

「ななな、なにを、言っている、のかし、ららら……? いぃいいいわよっ……? いいわよっ、好きにすればいいでしょう!?」

「子供の名前、“華琳”にしていい?」

「───……」

「う、うわー……華琳? 顔がすごいことになってるわよー……? あ、あはは、まぁ冗談だから。いいって言ったり怒ったり、忙しいわよねー覇王さまは」

「その覇王を平気でからかう隠居なんて、あなたくらいなものよっ、このばかっ!」

「うわっ、ちょっと華琳~!? ばかはないでしょ馬鹿は~っ!」

 

 冗談だ、と言う。

 けれどそれは“子供の名前を華琳にする”という部分だけであり、一刀との間に子供を作ることに対しての冗談は混ざっていない。

 ……私はそれを望んでいる筈だ。なのに面白くない。

 

「あからさまに不機嫌になったわねー……もう、お酒が不味くなるじゃないのよー」

「不機嫌にさせたのはあなたでしょう?」

「元を辿れば華琳の所為じゃない。一刀には察しなさいって言うばっかりで、自分は察しようとしなかったってことでしょ?」

「………」

 

 胸がちくりとした。

 でも、それはおかしい。

 私は私がしてきたことの分だけをきちんと得ていただけだ。

 産まれ、学び、力をつけ、立ち上がり、人を率い、旗を翳し、国を作り、天下を得た。

 その過程で得たものが天の御遣いであり、一刀だ。

 様々な日々をともに過ごし、手を伸ばして受け入れた。

 胡散臭い存在だったソレはいつの間にか大きなものとなり、天下を得た覇王を泣かせるなんてとんでもないことをしていった。

 

「………」

 

 察しなさいという言葉以外、どんな言葉が許されるだろう。

 私は王だ。

 王として立ち、王らに勝ち、覇王となった。

 自らが決めた道、覇道を進み、自分の願いを叶えたはずだ。

 それで私の願いは終わった筈じゃないか。

 これ以上なにを言える。どんな言葉が許される。

 欲望まみれの王になどなりたくない。

 私の宿願は叶ったのだから、あとは願う者が願いを叶える番だ。

 桃香が願う未来が叶えばいい。雪蓮が、蓮華が願う未来が叶えばいい。

 私はもう、こうして私が掴んだ天下が続けば文句はない。ない筈なのだ。

 それが“私の物語”なら、誰に文句を言われる筋合いもないのに───

 

(私の……)

 

 ───“一刀の物語”が、どうやらそれを許してくれないらしい。

 あの男が勝手に居なくなった時点で、あの男は私の物語から消えた。

 だから勝手に帰ってきたときは殴ってやろうかとかいろいろな思いが浮かんで……安心するとともに、近付けばまた消えるんじゃないかと、妙な恐怖を抱くようになった。

 他の人と子を成せ───そんなの、あなたって存在との繋がりを多くするために決まっているじゃない。どうしてそれがわからないのよ。

 もちろんそうと願う者の間にのみだ。目的が一致していないのなら、そんなものは拷問にしかならないだろう。だからこそ、そんな者たちの願いであなたを繋いでいられるなら、と。

 

(私は……)

 

 ずるい考えだ。姑息だし、だというのにそれに縋りたくなる自分が嫌になる。

 なのに言わなくても理解してほしい。そうしてくれたら、それはどれだけ───

 

(……そう。私の願いは叶ってしまっている。叶った途端に一刀が居なくなったのなら、誰かの願いの先で存在しているのかもしれない。“また会いましょう”なんて願いでもう一度降りたのだとしたら、そんなものはとっくに叶ってしまっているのだから……いつ消えてもおかしくないじゃない)

 

 だから今の一刀は別の誰かの願いの先に降りてきた……その方がいいのだ。

 また消えるなんてことは許さない。

 大体おかしいだろう。自分の意思とは関係なく勝手に飛ばされて、誰かの願いが叶えば勝手に消えるなんて。御遣いというのはみんなあんななのだろうか。

 

「雪蓮」

「んー? なにー?」

 

 私が思い悩んでいるの姿を肴に、目の前の女はクイッと猪口を呷っていた。

 ……一度本気で殴ってやろうかしら、この女。

 

「私が一刀に“好き”……いいえ、“愛しているわ”とでも言えば、一刀は満足すると思う?」

「思う? じゃなくて、満足するまで言ってあげればいいじゃない。それが一刀の願いなら、叶えられるのは華琳だけでしょ?」

「……そう。ならその言葉は、私が死ぬ直前まで言わないことにするわ」

「……え? ちょっ……華琳? どーしてそうなるのよ」

 

 どうして? そんなもの、考えるまでもない。

 “誰の願い”で一刀がここに降りたのかがわからないのなら、もしやすればそれは“一刀自身の願い”で降りた可能性だってあるのだ。ならばそれを叶えてやるわけにはいかない。いかないから、絶対に言ってなんてやらない。満足するまでなんて言ってやらない。やらないから───

 

「…………あ」

「───」

 

 とぼとぼと、霞とともに中庭へと入ってきた一刀を見つけた。

 一刀も私を見つけると、“あ”と声を漏らす。

 私は……彼の真似をするように胸をトンとノックすると、溜め息を吐き捨てて東屋をあとにし、そのまま一刀の前までの距離を歩いた。

 

「……んで? 答えは見つかったんか、大将」

 

 まるで真桜のように、私を大将と呼ぶ霞を軽く一瞥。

 答えは見つかった。

 見つかったが、言うつもりも叶えてやるつもりもない。

 だから私は一刀の胸倉を掴んで無理矢理引っ張り、屈ませると……その驚いた顔へと自らの顔を近づけ、唇に唇を押し付けた。

 

「んむぅっ───!?」

「んなっ……ちょっ……華琳!? おま、なにしとんねん!」

 

 霞が突然のことに驚きに怒りを混ぜたような声を出すが、知ったことではない。

 そう、言わない代わりに態度で示してやろうじゃないか。

 

「私は誰の物語にも力を貸して、誰の物語も終わらせない。皆が物語を歩める舞台は私の物語が作り上げたわ。だから……あなたは皆の物語の中をともに歩み続けなさい。ずっと───私の傍で」

 

 唇を放すと、戸惑い見開かれる目を見つめながら言う。

 状況を把握してきたのか、段々と赤くなっていく顔が可笑しい。

 

「あ……か、華琳。俺……俺は───」

 

 真っ赤になる顔。

 けれど彼は目を逸らすこともなく、真っ直ぐに私を見たままにもう一度あの言葉を言う。

 “好きだ”と。

 そんな、言われる度に鼓動が跳ねる言葉を真っ直ぐに受け取りながら、しかし私は言うのだ。“お前はどうなんだ?”と目で訴えられようとも、フッと笑って。

 

「察しなさい」

 

 途端にがっくりする一刀の胸倉を放し、笑った。

 霞は「わかってて言っとるやろ……」と目を伏せて溜め息を吐いている。

 もちろん、わかった上での答えだ。

 言われる前に気づけなかったのは落ち度だろうが、それでも。

 相手が望む言葉を言ってやらないのなんて、もうずっと前から春蘭や桂花相手にはしてきたことだ。今さらどうということもない。

 大体、好きだの愛だので表せる程度の感情ならば、私は泣かずに済んだ筈だ。ならば言葉にしても陳腐なものにしかならないこれは、言葉になどするべきではない。それでいいじゃない。

 胸がスッとした。

 一刀はおろおろとするだけだけれど、もういっそ悩ませ続けてあげ───

 

「かーりーん? あんまり意地悪すると、一刀に嫌いだ~って言われるわよ~?」

「!?」

 

 ───スッとした胸に、鋭い刃が突き刺さった気分だった。

 東屋から言葉を投げる雪蓮は───勢いよく振り向いた私がよほど滑稽に見えたのだろう。くつくつと笑いながら、徳利を揺らしていた。

 ……本当に、一刀といい雪蓮といい、人の調子というものを崩すのが好きらしい。一刀の場合は自覚がないから性質が悪いし、雪蓮はわかっていてやるのだから別の意味で性質が悪い。

 まったく、本当に───

 

「い、いや! よっぽどのことがない限り、俺が華琳を嫌いになることなんてない!」

「ひうっ!?」

 

 ───本当に性質が悪い。

 雪蓮のからかいの言葉に真剣な表情で返す一刀の表情を、思わずまじまじと見てしまう。霞はそんな一刀のきっぱりとした態度に嬉しそうに笑い、「よー言った!」と笑いながら一刀の背中をばしばしと叩いている。

 痛がる一刀の顔も赤ければ、それを見る私の顔はじんじんと痛かった。

 ……恐らく真っ赤なのだろう。

 そんな私を見て笑い転げている隠居王……ええもう、本当にどうしてくれようかしら。

 

「………」

「華琳?」

 

 呼ばれ、ちらりともう一度一刀を見る。

 目が合って、逸らしそうになるが……王はこんなことでは挫けない。

 なにを考えているんだと自分で自分を鼻で笑いたくなるけれど、乱世の頃、人と目を合わせて自ら逸らしたことなどない私だ。それを私から逸らす? 在り得ないことだわ。……無自覚でもなければ。

 悔しいことだが、一刀と目を合わせた際には逸らしてしまったことがある。

 身分が低い時でも妙に偉ぶった相手とでも逸らしたことなどなかったというのに、私はこの男相手に目を逸らしたことがある。それはとても悔しいことだ。大体、私が力を得てからは相手のほうこそが目を逸らすことが多くなったっていうのに、どうしてこの男は人の視線を受けても苦笑で済ませられるのよ。おかしいでしょう?

 なので、自分の中にある全てを以って思い切り睨みつけてみた。

 するとびくぅと肩が跳ねる。

 そう、そうよ、それが普通の反応……なのに、どうして目を逸らさないのかしらね、このばかは。

 どうでもいい時や何かを誤魔化したい時、やましいことをした時はすぐに逸らすくせに。

 

「かかか華琳サン? どっ……ど~して……睨むの、かな……?」

 

 震える声が返される。

 口も引き攣っていて、瞳も揺れているのだが……逸らさない。

 逸らさないことで自分が負けているような気がして、意地でも逸らさせたくなる。

 

「華琳? どないしたん、一刀のこと睨んで」

「なんでもないわ」

「や、なんでもないて。言う時くらいこっち向きや」

「悪いわね、逸らしたら負けなのよ」

「…………にらめっこ、っちゅーやつ? 時々、華琳がわからんくなるわ……けどわかった! わからんけどわかった! よっしゃ一刀、笑かしたれ!」

「ええっ!? これってそういう話だったっけ!?」

 

 言いながらも視線を外さない一刀が、じっと私の目を覗いてくる。

 その口が「ににに睨めっこ……? あれ……? 俺、嫌いにならないとかそういうこと言ってたはずだよな……?」と情けない語調で言葉を紡ぐ。と、語調は情けなかったというのに……溜め息のあとにトンと胸をノックすると、急に真面目な顔になった。

 その変化を真正面から見てしまった瞬間、顔に熱が籠もるのを実感させられてしまった。

 心に隙が出来てしまったのだ。慌てて心にもう一度覇気をと身構えた……ら、もう遅かった。真剣な顔だった筈の一刀の顔が、一刀自らの手で歪められた。

 

「ぷふっ!?」

「はい華琳の負けー」

「なぁっ!?」

 

 小さく吹き出し、思わず逸らしてしまった視線の先で霞が呆れた顔で言った。

 

「ちょっと一刀っ! なにを急にそんなっ!」

 

 負けを宣言されたことでカッとなって向き直る。

 手でぐにょりと歪めらた顔がまだそこにはあり、また吹き出しそうになるのをなんとかこらえる。

 

「え……え? 睨めっこなんだろ? なら笑わさないと」

「………」

 

 時々この男がわからなくなる。

 いえ、わかってはいるのだけれど、その範疇から飛び出ることがある、と言えばいいのか。

 天で一年、己を磨いて……戻ってくるなり他国で学び、随分と成長したのだなと思えば子供っぽい部分がてんで抜けていなかったり。それを全て合わせたのが一刀なのだと言えばそれまでだとしても……少しは大人になってくれないものかしら、この男は。

 などと思っていると、急に後ろから抱きつかれる。体重を乗せるように、私をすっぽりと包むように。

 

「あははははっ、どうどう華琳っ、誰かの前で負けた感想っ♪ 聞かせて聞かせて~?」

「雪蓮っ!? ちょっ……放しなさいっ!」

 

 後頭部を襲う柔らかな感触。

 無遠慮に押し付けられるそれの圧力と柔らかさに、めらりと黒い炎が燃え上がる。

 ……決めたわ。八つ当たりがどうとか言われてもいい、とりあえずこの脂肪で鬱憤を晴らしましょう。

 

「いたぁあたたたたたっ!? ちょっ!? いたいいたい! なにするのよー!」

 

 抓ってやれば、飛びのいて胸を庇いながらの恨みがましい視線を投げてくる。

 そんな反応が自分に余裕を取り戻させてくれて、私はフッと笑みながら彼女のもとへと歩いた。

 

「え、えーと……華琳? 顔は笑ってるのに、目が笑ってないわよ~……?」

「八つ当たりはみっともないことね。ええ、自覚しているわ。けれど、たまにはそういうのも平和的でいいんじゃないかしらと私は思うの。だから……心ゆくまで戦いましょう? 思えば私はあなたと戦っていなかったのだから」

「……その戦いが、血生臭くないのは少し残念だけど。いいわねーそれ。あ、大丈夫よ平気平気っ。八つ当たりとか気にしないでいいから。だって───私も賛成だもの、その戦い」

「………」

「………」

 

 笑顔で対立。

 景色が歪んで見えるのは気の所為ね。

 

「……なぁ霞。あれって止めたほうが───」

「おーうええぞー! やったれ華琳ー!」

「霞さん!? 応援してる場合じゃないと思うんですが!? あ、あぁああっ……思春!? 思春! たすけてぇええっ!!」

「庶人の私にこの状況をどう治めろと言うのだ貴様は。行くなら貴様が行け、三国の支柱」

「こんな時だけ頼られても嬉しくないよ!?」

 

 一歩一歩距離を詰める。

 その過程、勝負方法は既に私と雪蓮の中で出来上がっていた。

 というよりむしろ、私が雪蓮の胸を抓った時点で。

 とはいえ……

 

「一刀。あなたは視察を続けなさい」

「へ? や、だって」

「……いいから行きなさいと言っているのよっ!」

「ヒィッ!? わ、わかったからそんな、殺気込めて睨むなよっ!」

 

 雪蓮へ向けているものを一刀に向けて睨んでみれば、渋々ながらに納得し、歩いてゆく。

 それに霞がついていき、思春は残ったようだった。

 

「……じゃ、始めましょうか? 覇王さま」

「ええ。楽しい宴にしましょう? あぁ思春? これから起こることはただの。た・だ・の、王と元王のじゃれあいだから。難しく考えることはないわよ?」

「そうねー、こんなことで妙な勘繰りされて同盟が崩れても困るし。いーい、思春。これはただの、た・だ・の、じゃれあいだから。そうね、女同士が相手の胸を掴んできゃっきゃうふふしているだけ。わかった?」

「……つまり、見て見ぬ振りをしろと?」

「あっはは、違うわよー? ありのままを見て、これは胸を触っていただけだ~って認識すればいいの。簡単よ? ね? 華琳」

「いたっ! ~……ええ、そうね……! そう認識するだけでいいわ……!」

「いたぁっ!? ちょ、ちょっとは加減しないさいよね華琳……! ただでさえ華琳は抓る部分が少ないんだから……!」

「───ええそうね。無駄に脂肪ばかりのあなたの胸は、とても……ええ、とてもとても抓りやすいわ……!!」

「いたぁーったたたたた!! こ、このーっ!!」

 

 ある晴れた日。

 中庭で、王と元王が胸を抓り合う。

 ……その光景を決して客観視したくはないと思ったのは、あの思春が心底呆れた……いいえ、“ありえないものを見ていると”いった顔をしていたことを考えれば当然の意識だった。

 後にして思うのだろう。もっと他にやり方というものがあっただろう、と。

 けれど王として、元王相手にしていいことなど、血生臭いもの以外ではないといけない。

 そうなれば、傍から見ても安心できるようなものではなくてはいけないのだ。

 ……その結果がこれ、というのは…………考えないようにしましょう。

 

「大体あなたはっ───!」

「なによー! 元はと言えば華琳が素直じゃないから───!」

 

 まあ、なんだろう。

 一言で片付けるのなら、無様の一言なのでしょうね。

 それでも、どこぞのばかが言ったのだ。四六時中、王である必要はないのだと。

 本当にそうなのだとするなら……時折には、こんなこともいいでしょう? いい鬱憤晴らしにもなることだし。



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78:三国連合/力任せにいきましょう①

124/鈍器殴打(ドンキオーダー)

 

 すたすたと歩く。

 背筋はピンと伸ばし、顔はキリッと。内面はズタボロで。

 隣には霞。

 途中でばったりと会って、なにやら声をかけてくれた。

 どうにも俺と華琳の会話を聞いていたらしく、いろいろと話を振ってくれるのだが……さっき華琳と会った時も、今こうしている時も、なんというか状況を楽しんでいるようにしか見えないのですが……?

 

「……俺、華琳に嫌われてるのかなぁ」

「嫌いやったら嫌いゆーやろ、華琳なら」

「そうなんだけどさ」

 

 好きと言ってもらいたいだけなんだ。

 それだけであと10年は頑張れる気がする……ただそれだけの願いなのに。

 

「それより一刀~? これゆーのも何度目か忘れたけど、いろいろ偶然が重なったこともあるんやろーけど、恋に勝つなんてすごいや~ん♪」

「ほんと、偶然ばっかり重なった勝利だよな……なのにたまたまだって言うと恋が拗ねる」

「そら、自分をしっかり武人と認めとる相手に“偶然で勝ったんだ偶然で”なんてのは、侮辱以外のなにものでもないやろ。納得できんことはそらもちろんある。けど、それら含めていろんなもん抱えて武器を持つんが武人や。それを、武器持っといて負けたから言い訳て。そんなん自分が許されへんわ」

「ん……まあ、みんなほどじゃないにしろ、それはわかる」

 

 そのへんのこともじーちゃんに教えられたし経験もある。

 理由の様々があるにしろ、たとえば真剣を手に対峙したならどんな言い訳も死にしか繋がらない。鍛錬中だったからとかそういうのは、それこそ言い訳にしかならないわけで。

 

「霞はさ、やっぱりどうせなら強い男のほうがいいって思うか?」

「ウチ? そらそーや。もし一刀と会ぅてへんかったら、一生“好き”も知らずに死んどったんちゃう?」

「う……そ、そっか。じゃあ……子供が欲しいとか考えたりは?」

 

 ようするに自分が好きだと言われた気がして、思わず言葉に詰まる。

 しかし気を持ち直して質問を変えてみると、霞はけらけら笑いながら首を横に振った。

 

「戦えるんやったらそんでよかったし。子供おったら好き勝手に動けんくなりそーやもん」

「はは、なるほど。それは確かに霞っぽい」

「あっはっは、なんやそれ。ウチなんやからウチっぽいんは当たり前やん」

 

 話しながら歩くと、霞の性格からかこちらも自然と頬が緩む。

 そんな俺に気づき、ぐったり夢気分からココロが解放され始めているのを霞も感じたのか、彼女は俺の腕(折れてないほう)を掴むと人懐こそうな笑顔で前を歩き出した。

 

「元気出たみたいやし、このまま街にでも行かん?」

「行きません」

「えー? 行かへんのー? 行こー? なー? 一刀~」

「一応視察って仕事を預かってるんだからダメ」

 

 笑顔でそんなこと言われても、どう見てもからかってるようにしか見えません。

 霞って時々、雪蓮と行動が被るよな……酒好きだし、戦好きだし、女の子好きなところもあるし、猫みたいに気まぐれなところがあるし。ただ、雪蓮と違って常時そういうわけではなく、“雰囲気”の中に居ると随分と大人しくなる。

 雪蓮はどうなんだろう、そういうの。

 やっぱり“体が熱い”って言って襲ってくるのでしょうか。

 

「………」

 

 にっこにこ笑顔で俺の手を引いている霞を見る。

 元気に鼻歌を歌っているところを見ると、随分と上機嫌らしい。

 これで酒とツマミでもあれば大満足ってくらいの上機嫌だ。

 

「で、本当に街に行くのか?」

「んや? べつに視察なら視察で構へんよ。ただ、こういう空気の中じゃ、じっとなんて出来へんからとりあえず歩いとるだけやもん」

「そっか」

 

 前から好きなことには無茶を通す性格だった。

 街の祭りに参加して暴れまわって怒られるなんてことをしてたくらいだ、こうしてここでボーっとしているなんて、それこそ性に合わないんだろう。

 ただまあ、だというのに手伝いもせずに人の話を盗み聞いていたってことは、それを心配された結果として仕事を任されなかったのかもしれない。釘も刺されているのだろうし。

 

「霞は仕事とかないのか?」

「一刀がおらへん時、手伝っとる途中で我慢がでけへんよーなって、暴れもーてなぁ……以来、こういう祭りの時には周辺の見回りだけ任されとる……」

「……なるほど」

 

 簡単に想像できてしまったら、もう頷くしかなかった。

 

……。

 

 さて。

 結局街にはいかず、霞と一緒に城内を見て回っていたのだが。

 

「おっ? 華雄」

「む?」

 

 金剛爆斧を片手に通路をてこてこと歩く華雄を発見。

 霞に呼ばれた彼女がこちらを見るが、あの……なんで斧持ち歩いてるんですか?

 そんな思いを霞が代弁してくれると、華雄は「ああこれか」と斧を見せる。

 

「武道会用の摸造だそうだ。今日渡されたから、感触を確かめている」

「おぉっ!? 出来とるん!? 何処で配っとる!?」

「や……霞? 配るってそんな、ティッシュじゃないんだから……」

「てっしゅ? なんやそれ」

 

 うん……なんだろね。

 遠い目をしつつも、斧が大量生産されて街中で配布される場面を想像してみた。

 …………怖かった。

 配布はないよな、配布は。じゃあ売るのならどうだろう。

 

(へいらっしゃい! 今日は金剛爆斧が安いよー! どうっ、そこの綺麗な奥さんっ!)

(あらいやだ、上手いんだからっ! じゃあ、三本くらいもらっちゃおうかしらっ!)

(へい毎度!)

 

 …………怖いよ!

 

「ん? どうかしたか?」

「い、いや……なんでもない」

 

 きょとんとした顔の華雄に訊かれれば、そう答えるしかない自分が居た。

 妙な想像はやめよう。

 

「よっしゃ華雄! ウチも摸造武器とってくるわ! そんで模擬戦しよ!」

「フッ……望むところ!」

「いや、望むところじゃなくて」

 

 視察はどうするんだーって言ったところで、走り去ってしまった霞に届くわけもなく。

 俺はしばらく“雰囲気”の在り方についてを考えた。

 

「………」

「うん? なんだ?」

 

 その先で、華雄が持つ“魏国製模造武器【金剛爆斧】”を見る。

 片手で楽々と持っている。

 筋肉が盛り上がっている様子もないし……「試しに持たせてくれ」と言ってみると、「模造だから別に構わんが……」と渡してくれ───

 

「おぶぉおおおおーっ!?」

 

 重っ……重ォオオオ!!?

 片手っ! 片手じゃ無理! どんな筋力してるの!?

 つか、模造だからって重さまで一緒にすることになんの意味が!? もちろん手に馴染ませるためですよねわかってましたごめんなさい!

 でもじゃあこれ持ってて筋肉が全然張らないってなんなんですか!? 筋肉の絶対量の問題!? ああもうこの世界の女性ってほんと怖い!

 

(でも好きなんだろう?)

(うるさいよもう!)

 

 脳内で、悪魔じゃなくて天使が囁いた。

 当然すぐにツッコんだが、顔が熱くなるのを止められない。

 恥ずかしさと、まあその、筋力的なものの所為で。

 

「ふっ、くっ! くぅううおぉおおおお……!!」

 

 なんとか落とさないように踏ん張るが、これはキツい。

 なので氣を籠めると、ひょいと持ち上がるソレ。

 ……それは、改めて氣の凄さを知った瞬間だったわけで。そうなれば華雄の顔をきょとんと見たくもなるわけで。

 

「どうした?」

「いや……華雄って氣とか使ってるのか?」

「小細工は好かん。というか使えているのかよく解らん」

「───」

 

 純粋筋力だこの人ォオーッ!!

 

(ば、馬鹿な……信じられん……! この細腕のどこにそれだけのパワーが……!)

 

 と無駄に“龍の球物語”っぽく驚いてないで。

 思わずまじまじと華雄の腕を見てしまい、つい触りたくなってしまう。

 やっ! 断じてエロス的な意味じゃないぞ!?

 

「華雄」

「なんだ?」

「回りくどいことはなしだ───腕を触らせてくれ!」

「……? べつに構わんが」

「いいの!?」

 

 あれぇ!? 断るとかあっさり言われると思ってたのに、なんか普通だ!

 あ、いや、触らせてもらえるならそれでいい……のか?

 まあ、そんなわけなんで金剛爆斧をハイと返して、それを受け取った右手の付け根……右腕をジッと見てから触らせてもらう。

 …………う、ううむ……氣が流れている感じはしない。

 無駄な贅肉はないものの、ゴツゴツもしてないし……ふにふにしてる。

 しかしその下には確かに緊張した筋肉があり、結構ギッチリしている。

 女の子ってもしかして、筋肉が目立たないように出来てるのか? それとも俺みたいに、目立たないほうの筋肉を育ててた……とか?

 どちらにしろ盛り上がるほどの大きさではないものの、その密度は凄まじい。

 ぐっと押すように触ってみれば、まるで鉄板のような硬さの筋肉がそこにある。

 なのに表面はふにふに……不思議だ。

 

「……もういいか?」

「へっ? あ、悪いっ」

 

 真剣な顔でぺたぺたと触っていた自分に気づき、バッと離れる。

 いやしかし……細いのに見事なもんだ。

 筋肥大よりも筋力を重視した鍛錬を重ねてきたんだろうか。

 

「………」

「?」

 

 じーっと見ていると、やっぱりきょとんとした顔で返された。

 えーっと。もしかして華雄って、氣とか使えない人?

 さっき触った時、他の武将にあるような力強い氣の巡りを感じなかった。

 春蘭にも凪にもそういうのはあるのに……華雄からは全然。

 

(春蘭は内側で爆発させて攻撃の威力を高めるタイプ……だよな。もし放出とか覚えたらどうなるんだろ)

 

 再び想像。

 ……氣が天を衝くのを見た気がした。

 8番目の最後の幻想の、天を衝く氣を振り下ろす技を思い出した。

 

「重くない……んだよな?」

「こんなものは慣れだ」

「うわー……」

 

 戦闘民族だ……戦闘民族が居る……!

 これでもし氣の扱いとか覚えたら、相当化けるんじゃないでしょうか……!?

 

「華雄、ちょっといいか?」

 

 言いつつ、もう一度触れる。

 今度は腕ではなく、背中に回って肩を揉む感じで。

 

「な、なにをするっ」

「まーま、リラックスリラックス……じゃなかった、楽にして。少し試してみたいことがあるんだ」

「試してみたいこと……?」

「えーと。華雄を武人と見込んでのお願いだっ」

「ふむ。そう言われては引けん」

 

 いいんだ……自分で言っておいて、なんつーかひどいやり方だなオイ。

 ……さてと。じゃあちょっと、いつか桃香にやったみたいに氣を探って~…………

 

(…………?)

 

 華雄を包み込むように氣を放出。

 呼吸のリズムまでを合わせて氣脈を探ってみるのだが、どうにも見つからない。

 桃香にあったような氣の色すら見つけられず、言うなれば無色の空洞が続いている感じで……み、妙ぞ。こはいかなること? 普通、誰にだって氣はあるんじゃなかったっけ?

 

「………」

 

 じゃああれだ。

 空洞である氣脈に、無色化させた氣を送ってみて~…………あ。氣の反応が消えた。

 

「…………あれぇ?」

 

 消えた、というか、送った瞬間に食われたような感覚。

 試しにもう一度やってみるも、やっぱり蒸発するように無くなってしまった。

 

「む? なにやら急に活力が……」

 

 首を傾げる俺に気づくこともなく、背中を向けたままの華雄がゴフォォゥンと斧を振る。

 風を巻き込むように振るわれたソレは重苦しい音を出し、離れた場所にある草の数本をスパァンと切ってみせた。

 

『………』

 

 沈黙。

 え、えぇと……なに? まさかとは思うけど……華雄って練成された氣を常に戦に向けているタイプの人? いつでも戦闘体勢だから、氣が溜まることもなく常に消費されてる人?

 ウワー……ほんと小細工嫌いだー……しかも無意識だってんだから筋金入りだよ。

 

(でも……なんかカッコイイ……!)

 

 常に戦のみに氣を注いでいるって、日々是戦也って感じで……いや、血を見たいわけじゃなくてさ。超実戦流って名前が似合ってそうで素晴らしい。俺も祖父を師と仰いで教わってきた身だ。日々常に戦が出来る己であれとか言われたこともある。

 それを無意識のレベルでやってみせてるんだから、眩しく見えるのも自分でわかる。

 ただその───

 

「? なんだ」

 

 氣を常に戦に使っている。しかも無意識に。

 その消費量が練成の幅を超えた時、彼女はきっとポカをやらかすのだろう。

 ほら、たとえば戦にしか目がいかなくなって、乗っちゃいけない挑発に乗るとか。一騎打ちになった時に前進しか考えられなくなって、張り切りすぎて氣が枯渇してズパーンと斬られてしまうとか。

 

「………」

 

 試してみたい。

 そう思った時、視界の先に飛龍偃月刀(多分レプリカ)を肩に担いだ笑顔の霞が。

 

「……これから霞と仕合をするんだよな?」

 

 死合ではなく仕合。ここ大事。

 

「当然だ。同じ重量に作られたものとはいえ、手に馴染まなければ意味がない。それを試すためにも、模擬戦は必要だ」

「そっか。じゃあ───」

 

 自分の中の氣を解放!

 右手に収束させてから無色に変換させると、ズキュウウウンと華雄の中へと流し込んだ!

 途端に立ち眩みがするが、それよりも今はどんなふうになるのかを見届ける。とはいえ本当にふらふらするので、通路脇の柱に手をつくと、はふーと大きな息を吐いた。

 

───。

 

 で、どうせならばと、二人は武道会の武舞台にやってきて向かい合っているわけだが。

 

「おおおおおおおっ!!」

「あ、あー……華雄? 華雄ー?」

「ふおおおおおおっ!!」

「華雄ー? 聞こえとるかー?」

「ほわあああああっ!!」

 

 華雄が壊れた。

 ここに向かってる最中にも練成した氣の悉くを流し込んでみたら、なにやら目をギラつかせて雄叫びをあげ始めた。

 

「はぁ……まあええわ。放たれとる気迫も十分。気合いも十分ときたら、やるっきゃないやろ」

 

 霞が偃月刀を構える。

 ドンと重心を落としたいつもの霞の構えだ。

 対する華雄は斧を両手で持ち、同じくどっしりとした構え。

 開戦を報せるのは俺の役目だ。

 静かな呼吸をしながら睨み合う二人の間に立ち、スッと右腕を挙げる。

 

『ッ───!』

 

 ギシリと空気が凍るのを感じる。

 手を挙げた瞬間に覚悟など完了させたのか、模擬戦でしかないはずのコレが、まるで本当の戦場に立っているかのような寒気を感じさせる。

 そんな空気に飲み込まれぬよう丹田に力を込めて、一気にこの手を───

 

「模擬戦闘! 一本勝負! 始めぇええい!!」

 

 振り下ろす! ───と同時に二人が地面を蹴り弾き、正面からぶつかり合う!

 

「つわっ!?」

 

 慌ててその場から離れるが、そうしている間にも連ねる撃は5を越えている。

 あんな重い武器同士だっていうのに、振りも戻しも速すぎる。

 本当に、この世界の女性はいろいろなところで普通じゃない。

 

「うぅぉおおおおおおっ!!」

「つあっ───!?」

 

 大振りの一閃を霞が防ぐ。

 完全に防いだように見えたそれはしかし、霞の足を地面から少しだけ浮かせた。

 

「おぉっほ! すんごい迫力やなぁ! 華雄とやってこんな冷や汗掻いたんは久しぶりや! もう慣れとったつもりやったけど、どこにそんな気合い隠しとったんや!」

「知らん! なにやら急にみなぎってきた!」

「急に!? 急にて、んなわけあるかいっ!!」

 

 気迫と気迫のぶつけ合いは続く。

 前へ前へと愚直に突っ込む華雄と、それを受け止めてなお笑い、力技を混ぜながらも上手く立ち回る霞。

 レプリカの割りには飛び散る火花はホンモノで、それだけ本気でぶつかっているのだろうと俺でもわかるのだが……これってどうすれば終わりなんだ?

 

「ふんっ! ふんふんふんっ!!」

「っへへーんっ! そんな大振り当たるかいっ! そらっ、そこやっ!」

「甘い!」

「へあっ……!? うぅわ嘘やっ! 今までこれ避けられたことなかったのに!」

 

 斧での大振りを避け、隙を穿っての霞の刺突。

 大振り状態であり、達人同士の攻撃だ。俺が隙を狙ってやるのとでは明らかに速度が違うそれは、しかし華雄が傾けた斧の長柄によって逸らされた。

 

(あー……ごめん霞、それは俺が華雄相手に最初にやった攻撃だ)

 

 あの時も華雄は即座に反応してみせて、俺の顔からオーバーマンマスクを剥がした。

 相手が霞だっていうのにそれを冷静に行なって逸らすなんて、もしかして目で見るよりも華雄って冷静……?

 

「よくわからんが今日の私は絶対に負けない……そんな気がしてならない!」

「気がするだけかい!」

「気がするだけだ!」

 

 だが、と。続けて口にした華雄が金剛爆斧を振るう。

 霞はそれを両手で構えた飛龍偃月刀の柄で受ける。

 先ほどまでならそれをいなして霞が反撃に出るパターンだったのだが、

 

「ふんっ!」

 

 気合一閃。

 ギュリィと金剛爆斧を握り締めた手。

 その先の細い腕が、見た目でわかるくらいに隆起する。

 それに気づいた時には霞は防御の姿勢のまま吹き飛ばされていて、そんな空中の霞と視線が合った。「え?」って、目が語っていた。

 

「お、おわわっ……!? っ~……とととっ……え? あれ? ウチ、今空飛んだ!?」

 

 やがて着地した霞がパチクリと目を瞬かせるが、既に華雄は駆けている。

 肉薄し、ハッとする霞へと振るわれる一撃は上から下へと振り下ろされる渾身。

 咄嗟に飛龍偃月刀を寝かせて両手で構える霞だったが、

 

「我が一撃、一閃にして瀑布が如し!!」

 

 水の一滴ではなく滝の一束であると放つ一撃が、霞が構え持つ飛龍偃月刀の柄を強打する。

 耳を劈く轟音と、直後に耳の奥に響くキヒィンという音。

 勢い余って武舞台を叩いた一撃はそのまま舞台に亀裂を生み、その上部……霞が構える飛龍偃月刀は、構えた彼女の手の中心でバックリと二つに両断されていた。

 

「フッ……武器破壊か。我が一撃もなかなかごべっ!?」

 

 振り下ろした姿のままに目を伏せ、フッ……と静かに笑んでいた華雄の頭頂に、折れた飛龍偃月刀の刃の部分が叩き落された。……とても、いい音が鳴った。

 

「な、なにをする!」

「なにをするはこっちの台詞やこのだぁほっ!! どーしてくれんねんこの武器! 明日大会やってのに真っ二つて! お前どんだけ張り切れば模擬刀で模擬刀破壊出来んねん!」

「なにも考えずに渾身を振り下ろせばいぼふっ!?」

 

 ボディだった。いわゆる腹パン。

 

「凛々しい顔で腹立つこと言いなやっ! そらなにかっ、ウチの飛龍偃月刀がヤワやっちゅーことか!」

「模造の耐久など知らん!」

「おーそーかい! せやったら今度はウチがその金剛爆斧を破壊したる!」

「フッ……お前には出来ないかもしれな痛っ!」

「出来るかどうかはウチが決めることやドあほっ!」

 

 また飛龍偃月刀が華雄の頭に振り下ろされ、いい音が聞こえた。

 それからはギャーギャーと騒ぎながらの攻防が始まり、もうなにを以って決着とするべきなのかがわからなくなってしまった俺は、ただ呆然としたのちに……てこてこと歩き、そこらへんで作業していた工夫に声をかけ、手伝いをした。

 

……。

 

 ……それからしばらく。

 

「うあーん! かぁあずとぉお~っ!!」

「へっ? 何ほわぁああーっ!?」

 

 作業に夢中になり、汗水流しながらも笑顔になっていた俺へと、突然のタックル。

 何事かと見てみれば、霞さんが俺の腕に抱き付いてきておりました。

 

「な、なんっ……どうした、霞……」

 

 とりあえず冷静になろう。

 スッと息を吸って丹田に力を籠めると、キリッと表情を戻して語りかける。

 するとどうでしょう。霞が涙目になりながら俺に何かを見せてくるではありませんか。

 その何かは……無惨に砕けた飛龍偃月刀でした。

 ちらりと武舞台の上を見てみれば、砕けた斧を手にがっくりと項垂れる華雄の姿。

 

「あの……二人して武道会前日になに武器破壊してるの……?」

「か、華雄が悪いんよ!? ウチ悪ないもん!」

「どっちが悪いとかじゃなくて! 手に馴染ませるって話だったのに本気で破壊に走るからだろっ! あ、ぁあああもう! とにかく追加で作ってもらえるよう頼みにいこう!」

「あ、この際ホンモンでも───」

「祭りで凶器振り回すことは許しません!! いいから来る! ほらっ、華雄も!」

 

 祭りの細かなところは一応、書類などに目を通すことで知ってはいる。

 もっともそれはどこでなにをしているのか、程度のものであり、誰が何処で何をしているのかまでは知らない。

 だから朱里が象棋部門担当だったことも知らなかったし、何処に行けばレプリカ製作をしているのかは知っていても、誰がやっているのかまでは知らなかった。

 真桜だったりするのかなと考えながら、しょんぼりとしている二人を促して駆けた。

 



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78:三国連合/力任せにいきましょう②

「えっ……えぇえええっ!? こわっ……壊しちゃったんですか!?」

 

 最初に聞こえたのはそんな言葉だった。

 熱気と鎚を打つ音が聞こえるそこで、頭に布を巻いた青年がたまげていた。……そりゃそうだ。

 

「刃引きしてあるとはいえ、材質もそこまで変わらないはずなのに……」

「う……ご、ごめんな。困った持ち主に渡ったと諦めてもらうしか……」

「えー? なんで一刀が謝るん~?」

「キミたちが謝らないからですがなにか!?」

 

 鍛冶場。

 ごんごんと熱が吐き出される炉の傍で、汗水流して武具を鍛える人達の中、項垂れながらも状況を説明していた。

 驚かれるのも当然ながら、項垂れるのも当然の状況である。

 しかし話してみれば「材料費さえきちんと出してもらえるのなら」と頷いてくれる、快い青年。なんでも修行中らしく、腕を磨く機会が増えるのは望むところなんだとか。

 

「んんっ? つまりあれか? 修行中のあんたが作ったからあーも簡単に折れんぐっ!? むー! むーっ!」

()ち方に問題があるとか以前に! あの材質を叩き折れる力を持ってるほうがどうかしてるんだってば!! あと壊しておいて偉そうに説教しようとしないっ!!」

「むぐぅうう……」

 

 痛いところを突かれたのか、暴れていた霞ががっくりと動かなくなる。

 そんなやりとりを見ていた華雄が「ほぅ……」と声を漏らし、顎に指を当てていた。

 ……ハテ? なにか感心するようなことしたっけ?

 

「でもいいなぁ鍛冶。男なら多分誰でも憧れるんじゃないだろうか」

「ぷはっ……そうなん? 一刀が鍛冶って…………たはっ、似合わんっ」

「いや、そんな吹き出されてもな。鍛冶はやり続けてこそ風格が現れるものというか。だから今の俺をそのまま鍛冶屋に見立てたって似合わないのは当然で、ほ、ほら、やり続ければ似合うかもしれないだろ? いやきっと似合うって!」

「や、そんな必死にならんでもええやろ」

「だ、だって自分の刀を自分で作るとかやってみたいだろ! そりゃ人殺しのためとかじゃないなら木刀でも十分だけど、作ってみたい気持ちは譲れません! 男だもの!!」

 

 丹念に鍛って、磨いて、完成する俺だけの刀……!

 それはどんなものも斬れて、どんなものよりもカッコイイ……!

 そんなものに憧れるのは、武器が好きな男の浪漫だと思います。

 ……現実がそーじゃないってのには気づいてる。でも、そんな夢に浸るのも浪漫だろう。

 

「一刀、今の武器に不満でもあるん? 氣ぃ飛ばせてかっこええやん」

「いや、あれは別にあの木刀だから出せるってわけじゃなくてさ。まあ黒檀独特のあの深い黒は、渋さも含めてかなり素晴らしいとは思うけど」

「……何気に自慢していないか?」

「はは……馴染んだものだから、やっぱりね」

 

 華雄に言われてまんざらでもない自分が居る。

 武器はいいね。

 コレクターになりたいわけじゃないが、こう……持っていると眺めていたくなる。

 黒檀木刀だって値段はとんでもないものだし、バイトで溜めた金の……4ヶ月か5ヶ月分くらいの値段かな? 時給のいいところで働けばもっと早く稼げるだろうけど、そもそもバイトが出来るならの話だし。……日本刀に比べれば安いもんだ。それでも高いけど。

 

「んー……考えてみれば案外悪ぅないもんやな。もう敵を斬る必要がないんやったら、一刀みたく斬れんものを鍛えてもらうんも」

「斬れる刃が無かったら無かったで、文句言いそうだけど?」

「……えへへー♪」

 

 言ってみれば、霞がにぱっと笑って右腕に抱き付いてくる。

 何事!? と思うより先に、

 

「一刀、ウチと羅馬行ってくれるんやろ? せやったら斬れる武器なんて無くても“楽しい”を探せるやん」

「あ……そっか」

「むっ? なんや、もしかして忘れとったん?」

「まさか。忘れたことなんて無いって。それどころか華琳に許可を貰ってたところだよ。都暮らしに慣れたら代役を立てて、旅に出れるくらいの休暇が欲しいって」

「え───ほんまっ!?」

「ほんまほんま」

 

 ぴょこんと出た猫耳(幻覚だろう)がハタハタと動き、きらきらと目を輝かせた霞が、腕に抱きついたまま俺を見上げる。

 一瞬見せた不機嫌そうな顔もどこへやら、犬の尻尾があれば千切れそうなくらいに振っているであろう喜びを隠そうともせず、きゃいきゃいと燥いでいる。

 それを横で見ていた華雄が口を開く。

 

「なんだ? 何処かへ旅に出るのか」

「羅馬を目指して、ちょっと」

「ほう……? ろうま……老馬、と書くのか?」

 

 感心した声を漏らしつつ、折れた金剛爆斧の柄で地面に文字を書く。

 それにズビシとツッコミを入れつつ、羅馬の字を書く。ついでに馬ではないことも伝えると、もう一度顎に手を当てて「ほう……」と納得する華雄。

 まあ、馬って文字があるからわからなくもないけどさ。

 ていうか、霞さん? こんなところで抱きつかれると、鍛冶場の人達が困ると思うのですが。いや、むしろ困ってる。先ほどの青年が「あ、あ~……」って言いながら頬を掻いて、その師匠らしいおやっさんが「ここは愛情を鍛える場所じゃありませんぜ」とニヤケ顔でからかってくる。

 

「っと、そうでした。北郷さま、このたびは三国の同盟の中心になられたとかで」

「様はやめてくださいお願いします」

「うぇっ!? ほ、北郷さまこそそんなっ、敬語なんてやめてください!」

「むぅ……じゃあそっちも様をやめてくれ。俺も敬語はやめるから」

「いや……しかしそれは」

 

 困った様子でカリカリと頭を掻く。

 そうしながらもちらちらと俺の顔を見ては、「うぅ……」と唸っていた。

 

「頼むよ、せめて様以外で」

「と、言われても……あの。北郷さまこそ、少しご自分の立場というものを考えたほうがいいのでは……あっ、無礼なことを───」

「……え? 俺ってそんなに偉いの?」

「一刀……」

「北郷……」

「え? な、なんだ? なんでそんな、疲れた顔で……」

 

 呆れた声に視線を向けてみれば、霞も華雄も、目の前の青年も困った顔で溜め息を吐いていた。唯一、師匠っぽいおやっさんだけは笑っていたが。

 

「まあ、たとえそんなに偉くなってたとしても、権力なんて振り翳すつもりはないし……俺は国に返していきたいだけだから、身構えられるとかえってやりづらいとも思うんだ。三国にはそれぞれの国王が居るのに、それを結ぶ支柱まで怖い顔してたら、みんなちっとも休めないじゃないか」

「あー……♪ それって華琳が怖い顔しとるって言っとるんと同じ? な、同じ?」

「え゛っ!? あっ、いやっ!? コレハソノッ!? ちちち違う! 断じて違うぞ!?」

「せやなー、三国それぞれゆーとったし、三国の王の顔が怖いて───」

「違いますよ!? 違うからそんな人の弱みを掴んだ華琳みたいな顔やめて!?」

「ん、やめるー♪ やから昼奢ったって? それで忘れたる」

「…………ね? 俺の扱いなんてこんなもんだからさ……様とか、似合わないだろ……」

「あ、あはは……」

 

 泣きそうな顔で巾着を開く俺を見て、青年は困った顔で笑っていた。

 しかしそれでも真っ直ぐに俺の目を見て、苦笑のままでも言ってくれた。

 「でもそれは、きっと北郷さまにしか出来ないことですよ」と。

 

「そうかな。俺じゃなくても支柱の仕事なんて誰にでも───」

「無理です」

「……そ、そう?」

 

 きっぱり言われてしまった。

 苦笑も混ぜたものだけど、目がマジでした。

 

「たとえば今噂の学校、という場所で見事な成績を修めた人が居たとして、今の北郷さまのように立ち回っていられると思いますか?」

「出来るだろ。むしろ俺よりも上手く」

「将のみなさんとも?」

「う゛っ」

 

 またしても想像してみる。

 ……頭がキレて運動神経もよい、素晴らしく好青年でした。って、想像の第一段階で既に故人っぽくなってる!?

 い、いやいやさすがにそれは! 考え方が悪かったんだって! な!?

 だから今度は冷静に~……朝起きて美羽と体操。食事を摂ったら勉強。警備隊の書簡整理。時間が空くと誰かしら部屋に突撃してきてその相手をして、華琳がデザートを作りなさいと言えば作って、材料が無くなれば駆けて、休憩時間が終われば勉強して、三日毎に鍛錬。へとへとになった夜は美羽が寝るまで話をして、寝てる最中も寝相の悪い美羽の蹴りで起こされて、時に深夜に忍び寄る猫耳フードの対処をしたりして、朝起きて体操。もちろんこれだけじゃなくて他にもいろいろとございますわけで。

 あ、あれー……? なんでだろ。冷静に考えれば考えるほど、素晴らしい好青年が吐血して「もう無理ッス」って言ってる場面しか思い浮かばない。

 

「なにも夜逃げすることないだろ……」

「ん? 夜逃げってなに? 一刀がするん?」

「しない」

 

 俺の想像は、好青年が目尻に溜まった涙を輝かせて振り返る姿で幕を下ろした。

 なんでだろうなぁ……仕事は上手くやるのに、将のみんなとの付き合いで吐血するイメージばかりが浮かぶ。散々振り回されて、多少は上手くなったつもりの戦術を疲労……もとい、披露しても振り回されるばかりで、知力でも武力でも勝てずに心の芯をぼっきり折られる姿が…………なぁ、想像の中の好青年よ。ある程度のところで譲歩しておかないと、胃が死ぬよ……?

 と、想像の中の好青年にやさしく言えるくらいにはなっている自分が、少し悲しい。

 

「あ、あー……その。誰にでもってのは無理だったかも」

「かも、と言えるものでもないと思うが」

「そういう華雄だったら出来るんじゃないか?」

「むう。鍛錬だけならば望むところだが……」

 

 書簡整理等でダメそうだった。

 と、話を模造の話に戻そうか。

 

「とりあえず資金さえ出せば作ってくれるんだよな?」

「はい、それはもちろん。無茶なものでもない限りはしっかりと働かせて頂きます」

 

 青年はドンと叩いた胸を張ってみせるが、途端におやっさんに「十年早ぇえよ、若造が」と笑われていた。

 ……なんかいいなぁ、こういう関係。青年も苦笑してる。

 

「んー……と……使わないやつで、なにか代わりになるようなもの、ないかな」

「おう、そんだったらそこいらに転がってるやつでも使ってくんな、御遣いさんよ」

「そこいら? ……おお」

 

 おやっさんに言われて視線を工房の奥に向けてみれば、ごろごろと転がっている(多分出来損ないの)武器たち。

 一応断りを入れてから工房の奥へと進むと、さらなる熱が体を襲うが、それよりも武器のことで頭がいっぱいでした。腕にしがみ付いたままの霞もそうらしく、転がっている武器に近付くや早速手に取って、自分が扱いやすそうなものを物色し始めた。

 

「おっ、焔耶の鈍砕骨みたいな武器発見。……こっちは猪々子の斬山刀みたいなのか」

 

 斬山刀(多分失敗作)を片手で握ってみる。

 ……しかし持ち上がらない。

 ならばと氣を籠めるとようやく持ち上がる重さに、鍛冶職人の腕力や技術力を見直すこととなりました。と、それはそれとして。

 

「んー」

 

 ちらりと霞を見る。

 ……さらし。前を開けた衣服。喧嘩っ早いところ。そして斬山刀。

 これって某浪漫譚の斬左さんみたいになれるんじゃなかろうか。

 

「霞、ちょっとこれ持ってもらっていいか?」

「ん? ええよー」

 

 疑問も抱かずに持ってくれた。

 そして片手で軽く振り回すと、スチャッと肩に担いでみせる。

 

「で、これがどないしたん?」

「……いや、やっぱり結構似合うな、って」

 

 斬馬刀だったらパーフェクトだった。なにがとは言わないが。

 

「おおっ? これって凪の閻王のレプリカか?」

 

 んむんむと頷いていると、その視界の隅に篭手と具足を発見。

 体術も浪漫だよなーと装着を試みるも、左手は包帯ぐるぐる巻き状態だから右手だけしか装備できない。しかもサイズが合わないからギチギチでとても痛いです。

 

(銀の手は消えない!)

 

 無駄にクワッとした顔(のつもり)で、脳内で叫んでみる。……もちろん、そんなことを叫んだところで、篭手が左手の代わりになるわけもなく。俺はがっくりと項垂れながら篭手と具足を元の位置に置いたのでした。

 

「んんー、たしかにこれで敵バッタバッタと吹き飛ばせたらおもろいやろなー♪」

「フッ……私ならばこの鈍砕骨だな」

「だと思った」

「やな」

「む? 何故だ?」

「いや、なんとなく」

「華雄が選ぶんやったらそれやろなーってな」

 

 片手で、見るからに重いだろって鈍砕骨をモゴシャアと持ち上げる。

 ああ、モゴシャアというのは地面に軽くめり込んでいたのを持ち上げたために鳴った音でございます。どんだけ重いんだ、あれ。

 おやっさんも青年も目を見開いて硬直してる。

 作ったはいいけど動かせなかったんだろうなあって予想が出来るくらいのモノだった。

 なのにそれを片手で、だもんなぁ。

 

「なぁ霞。華雄って武力は高いんだよな……?」

「戦だけなら相当強い……んやけどなぁ。馬鹿正直に突っ込むことしか知らんし、無駄に誇り持っとるから引き際も見極められん。冷静さを手に入れるか一層の力があれば相当なもんなんやろーけどなぁ……あ、でもさっきのは素直に驚いたわ。いつもの前に突っ込んでくる戦い方やのに、華雄の……どう言えばええんやろ。氣……とも違うし……空気? ああ、空気やな。それに飲まれるみたいに、思うように動けんかった」

「へぇっ……!? 霞でもそういうことあるのかっ!?」

「人間やもん、そらあるて」

 

 しかも相手が華雄だったのにか。

 “張遼”の武力って95とか96で、華雄は92とか93だっけ?

 その大体3くらいの差が、果たして俺の氣なんかで埋まったのかどうか。

 

「……目の前で軽く、あんな重そうなもの振り回してると、なんていうかそんな感じが全然しないな」

「ん……一刀はか弱い女の子のほうが好き?」

「好みがどうとかじゃなく、好きになったらその人が好きな人物像だな。自分が思い描いていた好きな人っていうのはアテにならないって、この世界で知ったよ」

 

 気が多いと言えばそこまで。

 節操無しと言われても仕方ないが、好きなのだ。それこそ仕方ない。

 誰かに言われて嫌いになれるものでもないんだし。

 

「……北郷。一度訊いてみたかったのだが……」

「ん?」

 

 華雄が鈍砕骨を片手で持ちながら、平然とした顔で問いかけてくる。

 ……あの。なんかソワソワするんでやめません? 武器置きましょうよ、一応。

 

「お前は様々な女に手を出したと聞くが───」

「ちょおっと待った華雄!」

「おおっ? なんだ、霞」

 

 華雄の言葉を遮ってまで待ったをかける霞。

 そんな彼女が真面目な顔でじろりと華雄を見ると、

 

「一刀は“手ぇ出した”んとちゃう。受け入れてくれただけや。誤解されやすいから言っとくわ。真面目に考えたら一刀から手ぇ出したことなんて、ほぼ無いと言っても許されるくらいや。大抵は迫られて受け入れるか、華琳に命令されるかやもん」

「……そうなのか?」

「まあ……実は」

 

 そう。種馬とか言われている所為で周囲からの印象はアレだけど、俺自身から迫ったことは案外少ない。自分から向かうことが少ないくせに雰囲気には流されやすい……まあ、気の弱いことだ。

 相手に恥を掻かせたくないって思うことや、なにより自分が相手のことが嫌いじゃないということもあり、受け入れ続けてきたが……相手が納得してなかったら、これってただの尻軽男だよなぁ……。

 

「ちゅーわけやから“手を出した”は心外や」

「ふむ、わかった。そういうわけでだ、北郷」

「へ? そういうわけって───」

「お前は様々な女を受け入れたと聞くが───」

「仕切り直し!? あ、いや、うん……続けて……」

「うむ」

 

 こくりと頷く華雄を前に、俺と青年は頭を掻いた。

 なんかこう……長くなりそうだなぁと思いながら。

 

……。

 

 ……さて、話も長くなりそうなので、再び武舞台に戻ってきてから話をしていた俺達。

 その話も終わり、今は鈍砕骨を片手で持ちつつ舞台に立たせながら、顎に指を当て頷く華雄を前にしていた。

 

「なるほど。半端な気持ちで受け入れたわけではないと。色恋はよくはわからんが、霞とは知らん仲ではない。探るような真似をしてすまなかったな」

「華雄……あんた……!」

「きちんと知っておかなければ、霞がお前を壊しかねないからな」

「うぉおい!? そっちかいっ!!」

 

 鋭いツッコミであった。

 

「? 他になにかあるのか?」

「かっ……一刀を壊そうなんて考えるやつこそをウチが壊したるわ! っちゅーか華雄! この話の流れでどーしてウチが一刀壊すことになるんや!」

「お前は大事にしているものほど壊すだろう」

「うぐっ……す、好きでそうしとるんとちゃうもん……」

 

 胸の前でつんつんと人差し指同士を合わせ、拗ねた顔をする霞。

 そういえば以前それっぽい話で、飛龍偃月刀の装飾の部分がどうので真桜と言い争いしてたっけ……。

 

「そ、それよりもやっ! そないなこと訊いてどーするつもりなん、華雄」

「ふむ。それなんだが……偶然とはいえ恋に打ち勝った北郷だ。その力を認め、腕が治ったら再戦願いたい。だが霞に壊され続けては治るものも治らな───」

「やからなんでウチが一刀壊すんやっちゅーねん!!」

「いや、正直私も戸惑っている。あの霞が男相手に抱きついたり笑ったり。思わずお前は誰だと言いたくなってしまった」

「…………そんな変わった? ウチ……」

「月に詠、恋や音々音、誰に訊いたところで頷くだろうな」

「うぅう……! ああぁもうええ! 構え、華雄!」

「応!!」

 

 顔を赤くした霞が斬山刀を。

 ニヤリと笑った華雄が鈍砕骨を構える。

 ……ていうかさ、二人とも? もうその武器、刃引きがどうとか関係ないよね?

 当たればグシャリとかグチャリの世界だよね?

 

「一刀! 合図!」

「あ、あーの、二人とも? せめて武器を軽いなにかに───」

「一刀!! 合図!!」

「うぅっ……あーもうわかったよう! ちくしょー支柱がなんだー! 結局みんな俺の言うこと全然聞いてくれないじゃないかー!」

 

 それでも切れない絆……プライスレス。

 “言うことを聞く=支柱の影響力”じゃないってのは当然だから、べつに本気で怒っても悲しんでもいない。ただずっとそんな調子でいられても困るから、抗議はきちんとしなきゃいけない。

 

「鈍器戦闘! 一本勝負! 始めぇえい!!」

『っ───!!』

「ヒィ!?」

 

 合図のために振り上げた手が下りるや否や、二人は同時に疾駆して同時に武器を振るう。

 直後に寺の鐘の端でも思い切り叩いたような音がこの場に響く。

 片や、リーチは長いが振るえばそれだけ体が持って行かれそうな、相手の顔を見飽きればファイナリティブラストを放てそうな鈍器大剣の霞。

 片や、リーチはそれほどでもないが、当たりさえすれば一撃で致命傷を与えられそうな、どこぞのスモウって名前の処刑者が持ってそうなハンマーが二つついたような大金棒の華雄。

 見るからに“ああ、ありゃ無理だ、重すぎる”って鈍器を振るうっていうんだから、ちょっと腕力とかどうなってるのって感じではある。

 思うさまにそれらをぶつけ合い、鈍器で激しい楽曲を奏でるように幾度も鈍い音が響く。

 

「ふんっ! でぇい! せいやぁっ!」

「フッ! おぉっ! うぉおおっ!!」

 

 重さの所為もあってか、振る時に自然と出る声も気合の入ったものになっている。

 重苦しく風を切ってはゴドンガゴンと響く音。

 もちろん音を鳴らしたくて武器目掛けて振るっているのではなく、互いに相手を狙った結果とそれを防ぐために振るう結果が武器との衝突なだけ。

 見ているほうこそ心臓に悪い模擬戦闘を前に、俺はハラハラするしかない。

 

「う、うわ……本気で火花が散ってる……! 音がもう武器と武器の衝突って感じじゃないし、そもそも振る速度が人間的じゃないって……!」

 

 俺が振ったって、音で表すなら“ブンッ……ドゴンッ”程度だよきっと。

 でも目の前の剣舞……もとい、鈍舞は、“ヒュゴドガァン!”って感じの速度だ。

 あんなに重いのに普段の武器とそう変わらない速度で振るっている。

 俺ももっと氣を扱えるようになれば、あんなふうになれるのかしら。

 木刀でならばまあ……加速を使えばあそこまでいける……かな? いや、さすがにあの鈍器相手に立ち回るのは怖すぎる。焔耶相手にやったことはあるけれど、鈍器が自分の近くを通り過ぎるのってそれだけでも怖いんだ。

 そんなことを思ってしまうと、なんだか火花がこちらまで飛んできそうな気がした。なのでもう少し離れてみる。

 

「っつぅう~~っ……さすがによぉ響くわ……!」

「ふっはっはっはっはっは! なるほど! 当たれば敵を潰せるのなら、これほど高率のいい武器はないな!」

 

 で、離れた直後に華雄さん暴走。

 鈍砕骨を頭上に掲げ、両手でゴファンゴフォンと回転させ始めた。

 そして遠心力が乗りに乗ったところで一気に振りかぶり、霞目掛けて疾駆!

 霞もそれを見てニヤリと笑むと、手を庇うフリをして捻っていた体を一気に戻し、斬山刀の刃を武舞台に閊えさせると、それを閊え棒代わりにして渾身を振るう。まるで居合いの要領のように地面から解き放たれた鈍の刃は、華雄が振り下ろす鈍へと向かい、本日最大の激突音を奏でると……双方ともに砕けた。

 

「嘘でしょう!?」

 

 思わず目を疑い叫んだが、現実として鈍のカタマリがドッガゴッシャと武舞台に落ちていっている。二人は至近距離でキリッとした顔で見詰め合って…………少しののち、手を庇って震えだした。

 あ、あー……あんなのをあんな速度でぶつけ合うから……。

 苦笑しながら二人に近付いて、引き分けを宣言。

 すると二人から“まだやれる”と抗議が飛ぶが、武器がないでしょーがとツッコむと、二人してしゅんとしてしまった。

 

「うーわー……」

 

 で、俺が見下ろす武舞台には、無惨に砕かれた鈍二つ。

 一欠けらだけでも結構な重さのソレなのだが、二人は戦う時以外はほぼ片手で振り回していた。

 ……少しifを想像してみる。

 たとえば全員を受け入れた未来。軽いもつれから喧嘩になる僕ら。

 そしてとある拍子に首を絞められる僕。……飛び散る鮮血空飛ぶ生首。

 

(ヒィッ!?)

 

 怖っ! 怖い怖い! でも腕力や握力があるってそういうことですよね!?

 さすがにおふざけでそんなことにはならないだろうけど、それはとっても怖いです!

 

「ていうかさ、二人とも。せっかく代車───もとい、代えの武器をもらったのに、早速壊してどーするんだよ……」

「あ……」

「む……」

 

 砕け散った瓦礫を見て、霞も華雄も困り果てた顔をした。

 そして少しののち、その目が俺へと向けられる。

 俺……便利屋でもなんでもないんだけどなぁ……。




 ちなみに。華雄は三国志シリーズでは知力の最低値が三国志6の24であり、最高値が三国志13の62とされているっぽい。38も揺れ幅があるってすごい。

 いい加減無萌伝書かんと……と自分で番外を読み直している凍傷です。
 平行して終わっていない恋姫ゲームもやってみたりしているので、作業が難航しておりますが、生きております。

 朝起きて、PC起動、他者様の更新チェック、小説編集、仕事、休憩、仕事、夜帰宅、PC起動、ビリーズブートキャンプへようこそ!or走る、風呂、ぐったり。
 雨が降ってたらビリー、晴れてたら走る感じ。
 運動とかせずにPCに向かいっぱなしになっていると、段々と気分が滅入ってきますね。
 運動、大事。


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79:三国連合/賑やかにいきましょう①

125/董の旗の下

 

 武器を破壊したことや武舞台の一部を削ってしまったことを関係者の皆様に謝ると、ようやく訪れる平穏。

 もちろん俺だけじゃなくて霞も華雄も謝った……というかそれが普通なのだが、どうして俺まで謝らなくてはならなかったのかといえば、止められなかった責任でしょうね、はい、わかります。理不尽を感じようとも、ここはそういう場所なのだ。大丈夫、いつだって巻き込まれてきた俺だ、もう慣れっこだよ。主に真桜や沙和関連の、警備隊騒ぎで。

 部下を持つって楽なことや楽しいことばかりじゃないものね。

 そもそも武器のことにしても、武舞台じゃなくて中庭かどっかでやればよかったんだもんな。

 そんなわけで修繕に走ってくれた園丁†無双の皆様に感謝しつつ、こうして賑やかな許昌の街を歩いている。

 城で動けば作業の邪魔になるだけかなーと思った結果がこれだ。

 

「あ」

「おっ?」

 

 そんな中、街の人ごみの中でねねと恋を発見。

 肉まんが入った袋を左手で胸に抱え、右手でもくもくと食べ歩く恋と、その傍らで俺を見つけて、まるでデートの現場を友人に見られたかのような反応を示すねね。ちなみに恋は肉まんに夢中で気づいてない。

 

「……? ねね、どうかした……?」

「あっ、いやっ、ななななんでもないのです恋殿! さあ向こうへ行きましょう!」

 

 二人きりを堪能したいのか、ぐいぐいと恋を押すねねであったが、

 

「……一刀の匂い」

「恋殿ぉおーっ!?」

 

 人並み外れた野生の勘がそれを許さなかった。

 きょろきょろと視線を彷徨わせ、俺を発見すると目を輝かせてぱたぱたと寄ってくる恋と、それを悲しそうな瞳で「恋殿ぉおお……!」と見送り、手を伸ばすねね。なんだろう、ほら。恋人に捨てられた役の誰かみたいに、スポットライト当てられながら女の子座りで涙ながらに手を伸ばすアレ。アレを実際に見てしまった。

 ……やばい、別に俺なにもしてないのに罪悪感が。

 

「よー、なにしとったん? 買い食いかー?」

 

 そんな状況も知らん顔で、むしろ知ってても知らんって顔で恋に話しかける霞さん。

 うわぁい、俺もそれくらい強く生きたいやー。

 だってね、そうじゃないとあの恨みがましい視線が辛くて辛くて。

 なのでまずはねねの傍まで歩き、謝りつつも手を差し伸べると、むすっとして唇を尖らせながらも手を乗せるねね。引き起こしてやれば、砂をパパッと払って俺を睨む。

 

「むう……べつにおまえは悪いことをしていないのですから、謝る必要などないのです」

「それでも嫌な気分にはさせただろ?」

「おまえは少し腰が低すぎるのですっ!」

「少しなのに低すぎるって、言葉としてどうなんだ?」

「う、うぅううるさいのですっ! とにかくぺこぺこと謝りすぎです! そんなことでは言葉の価値が下がるだけなのです!」

「むう」

 

 言葉の価値か。

 たしかに中々謝らない人が謝ったりすると、それだけ重みがあったりするよな。

 そういった意味では、俺の謝罪は軽いのかもしれない。むしろ軽いか。

 

「それで、ねねはデートか?」

 

 恋が霞と華雄に捕まっているのをいいことに、ねねにそっと訊いてみる。……と、ぼふんと顔を赤くして、ピキャーとしか聞こえない奇妙な言葉が返ってきた。きちんと言葉で返しているつもりなんだろうが、奇声にしか聞こえない。

 

「ままままったく! すぐにそういった目で見る者はろくな大人にならないのです!」

「誤魔化してばっかりなやつも、ろくな大人にならないって聞くけど?」

「うぐっ……ごごご誤魔化してなどないのです!」

「じゃあ恋のこと嫌い?」

「なにを言うですかおまえはーっ! ねねが恋殿を嫌うなど! ありえぬのです!」

 

 キリッとした表情。胸に右手を当て、左手はバッと横へ流し。カッと放たれた言葉は、彼女にとっての真なのだろう……揺ぎ無い意思がそこに見てとれた。

 

「じゃあやっぱり好きなんだ」

「はうっ!?」

 

 そんな顔が、やっぱり赤く染まった。居るよね、こういう返し方する人。主に恋バナ好きの女子学生とか。真似してみたけど、自分がもし言われたらうんざりしそうである。

 なので気を取り直しつつ、わたわたと慌てて身振りを混ぜて言い訳を整えようとするねねの、その頭を帽子ごとぽふりと撫でて「誤魔化しじゃないんだろ?」と言ってやる。すると観念したように身振りをやめて、長い長い溜め息を吐いた。

 

「底意地の悪い友達なのです……」

「友達っていうのは重くないくらいが丁度いいんだって。大事すぎると周りが見えなくなるから」

「そういうものなのですか」

「そういうものなのです」

 

 オウム返しをすると、ねねはやれやれと溜め息を吐いた。

 手は繋がれたままで、霞たちの話が終わるまで、こっちも他愛無い話を続けた。

 

「あ」

「へ?」

 

 ……すると、その途中。

 メイド服を着た二人と遭遇した。

 といっても向こうのほうから歩いてきたのだが。

 それを見たねねがテコーンと目を輝かせて、

 

「ふふーん? 二人は今デートなのですか~?」

 

 と、ニヤニヤしながら言ってみせた。

 途端に顔を赤く染めて狼狽える詠と、いまいち言葉の意味を拾えずに首を傾げる月。

 

「なななっなななに言い出すのよあんた!」

「なんで俺!?」

 

 そして何故か矛先が俺に向くマジック。カッパーフィールドさんもびっくりだ。

 そりゃ、そういうこと言うのっていっつも俺だって自覚はあるけどさ。

 だが大丈夫。こういう時は慌てずにゆっくりと行動すれば、疑われることなどないのだ。

 

「ふぅ……言っておくけど、べつに俺がねねに言わせたわけじゃないからな?」

 

 「なぁ?」とねねに振る。

 

「そう言えと言われたです。言わなければこの手を放さないと」

「キャーッ!?」

 

 そしてあっさり裏切られた。

 俺を見上げる彼女の笑みが、とてもとても悪魔めいたニヤリとしたものであったことを、僕はきっと忘れません。

 

「あんた……」

「いや違う断じて違うよ!? 大体デートかどうかなんて当人同士の問題なんだから、仮に誰がなんと言おうが胸張って続けるべきだろうん!」

「だからデートじゃないって言ってるでしょ!?」

「言われてませんごめんなさい!!」

「だから腰が低いと言っているのです!」

「この状況で言われたってしょうがないってわかってくれません!?」

 

 ああもうからかわなきゃよかった! ねねをからかわなければこんなことにはっ!

 でも普段からいろいろとツッコまれてるんだから、たまにはいいじゃないか!

 

「と、とにかく。デートじゃないならそんなに慌てないで……」

「ぐっ……あ、慌ててないわよ……!」

「図星じゃないなら睨むのもやめてくださいお願いします」

 

 溜め息ひとつ、とりあえずは話が出来る状況になったことに安堵して、会話を始める。

 さっきまでのは会話というよりツッコミ合いだった気がするし。

 

「じゃあ、改めて……こほん。ふ、二人は買い物?」

「はい。明日の祭りのために必要なものを。これが最後になります」

 

 改めてと言いつつもひどく不自然に話を戻したのだが、月が綺麗に拾ってくれた。

 ありがとう。このままいじめられ続けたらどうしようかと思ってた。

 月はやさしいなぁ……。

 

「まったく。どーしてよその国に来てまで買い出しなんてしなくちゃならないんだか」

「あれ? 詠は買い物嫌いなのか? 俺は結構好きだけど」

「そりゃあ自分の好きな買い物をする分にはいいわよ。でもこれは別でしょ? 言われて買いに行くなんて、それこそ楽しめたものじゃないじゃない」

「んー……そうか? なんであれ、買い物は結構楽しいと思うぞ? 行くまではいろいろと考えるけど、なにか探してるときって妙にうきうきしてる」

「うっ……そ、そんなことなっ───」

「はい、詠ちゃんは買い物をしていると、すごくきらきらした目で───」

「月ぇえええっ!!?」

 

 あっさり暴露されて涙をたぱーと流す軍師さまが居た。

 相変わらず奇妙なバランスで保たれた仲だ。

 

「うぅ……ボクたちのことなんてどうでもいいでしょっ!? そういうあんたはこんなところで何やってるのよっ!」

「え? 俺?」

 

 なにって……視察もどき?

 

「華琳に頼まれて視察みたいなことやってる。今日は特に予定も無いし、手伝えることがあるなら手伝うけど───あ、荷物持とうか?」

「……あんた、ボクが腕折れたやつにモノ持たせると思ってるの?」

「都合のいいように受け取ってくれて構わないから手伝わせてくれっ! なにすればいいっ? 荷物持とうかっ? 案内しようかっ?」

「───……ねぇ月。この男がサボリ癖があったなんて、絶対うそよね……?」

「え? え、えと、えっと……」

「きっと天で記憶喪失になって別の知識を植え込まれたのです」

「いや、そんな奇跡体験してないからな?」

 

 なにか手伝えるのならと張り切ってみればこの反応である。

 仕方ないじゃないか、生きるたびに返したい恩が増えていくんだ、落ち着いてなんていられない。返し終わったらどうするんだ~とか言われても、返し終える自分が想像出来ないから苦笑もしてしまうし。

 ……そういえば、返し終わったって思ったら天に戻されたりするんだろうか。

 この世界にもう一度降りることが出来た理由が、実は俺が“恩を返したい”って願ったからでしたーとかそんなオチだったら───……ないな。

 俺の願いで来れる場所なら、そもそも一年も天に居座ることなんて出来なかったって。

 ずっとここに帰りたいって思ってたんだから。

 

「で、手伝いは? 荷物持ちでも荷物持ちでもなんでも任せてくれ!」

「荷物持ちしか出来ないんじゃないの! とにかく、ボクはあんたなんかに手伝ってもらわなくても、月さえいればいいんだから!」

「大体視察の続きはどうしたのです? こんなところで油を売っている暇があるのなら、さっさと仕事に戻るです」

「よしはっきり言おう。華琳に視察に誘われたはいいけど、華琳が雪蓮と中庭でもめ始めたんだ。で、俺は引き続きってことになったけど、正直なにを見てどう“良し”と判断すればいいのかがわからない」

「……使えない男なのです」

「しょっ……しょーがないだろっ!? 確かに俺も軽い手伝いならしてきたし、回された書簡も多少は読んだけど! 一日のほぼは都でのことの勉強だったんだから! だから手伝いたいんだって! お、俺もこの祭りを組み立てる一人になりたいんだってば!」

「ようするに仲間はずれが嫌なわけね」

「……仰る通りで……」

 

 書類整理だけじゃ、なんか手伝ったって気がしないんだよぅ……。

 なのに祭りの中に我こそって顔で立っている自分を想像したら、ひどく空しくなった。

 だから手伝いたいじゃないか! 華琳に視察に誘われたときは、そりゃデートっぽくてステキとかも考えたさ! でも違う、なんか違うんだ! いやべつに好きって言ってもらえなかったからってスネてるんじゃなくてね!?

 

「ん……そうだ。詠とねねに訊いてみたいんだけど」

「ちょっと、月を仲間はずれにしようだなんて思ってないでしょうね」

「いや、二人に是非訊いてみたいことなんだけど……えと。俺的に空気読んだつもりなんだけど、じゃあ月も。いいか?」

「へぅっ? は、はい、私で答えられることなら」

「……おかしな質問したら千切るからね」

「どこを!?」

 

 思わず腰周りに寒気が走るが、負けるな一刀。まずは質問だ。

 

「あ、仕事の邪魔しちゃ悪いから、歩きながら話そうか。霞~、華雄~、恋~、ちょっと歩くぞ~」

 

 離れた場所で談笑している三人にもきちんと声をかけて、祭りの賑やかさで溢れている街の中を歩く。……仕事とはいえ、こんな中で買い物は大変だろうなぁ。

 

「で? なんなのよいったい」

「うん。質問の内容なんだけど───気になっている人に“好き”って言ってもらいたいのは、自然なことだよな?」

『ぶぅっふぅっ!?』

「へぅうっ!?」

 

 詠とねねが一気に吹き出し、月がポッと染めた頬に両手を当てて照れる。

 なんて予想通りな状況。

 そして掴みかかる勢いで俺へと迫る二人の軍師さま。

 

「ああぁあああんた急になにヘンなこと言ってるの!?」

「そそそそっそそそうなのです! 頭おかしいのです!」

「大体月の前でそんなっ……ってぁあああ月っ、こんなに真っ赤になっちゃって……!」

「だから空気読んだつもりって言っただろ。人の所為にしない」

「うぐっ……うぅうう……」

 

 三者ともに顔を赤くしてそっぽを向いた。

 詠が月を気にしているのは知ってるし、ねねは今さらだろう。

 百合がどうとか言うつもりはないが、友情からなる愛情ってことで、むしろ微笑ましいものでございましょう。

 

「で、どうかな」

「そ、そりゃっ……いぃいい言ってもらえたらっ……嬉しいん、じゃないのっ? ボボボクはよく知らないけどっ」

「むむむ……なかなか直球な質問だと感心するのです……やるですね、北郷一刀……」

「こんな場面で感心されても嬉しくないんだけど……一応ありがとう」

「す、好きな人ですか……確かに、言われたら嬉しいんでしょうね……」

 

 そして三人ともにホゥと溜め息を吐いて……やっぱりそっぽを向く。

 ……うん、好きな人に好きって言ってもらいたいのは正常だよな。

 よし確認終わり。

 

「訊きたいことも訊いたし、買い物しようか。さあ詠ちゃん、俺はなにをすればいい!」

「急に話題を変えないでくれたら嬉しかったわ」

「えぇ!? い、嫌がってたじゃないか!」

「うっさいこのばかち───ん……こ、こほんっ、えーと……ば、ばか……ばかー……」

「あの……詠ちゃん? 悪口が思いつかないなら、無理に言うことないと思うよ……? むしろ言っちゃだめだよ、そんなこと」

「うぅうう……はっ!? そ、そうだ! 詠ちゃん言うな!」

「随分今さらなのです」

 

 騒ぎながらも買い物をする。

 幸いにして祭りの中。どれだけ騒ごうともそれが物騒でもない限り、みんながみんなただの祭りの騒ぎだと思っているようだ。

 

「それにしても……」

「ん?」

 

 食材を手にした詠が、ちらりと振り返る。

 そこには霞と華雄、そして二人の会話にこくこくと相槌を打ちながらも、なんでかじいいいっと俺を見ている恋。

 それから視線は戻り、ねね、月の順に見る詠は、何かを懐かしむように穏やかに笑む。

 

「なんか懐かしいわ。この人物構成で行動するのって」

「あ……そっか、そういえば」

 

 董の旗の下に居た人達なんだ、ここに居るメンバーは。

 もちろん俺はその中には含まれてはいないが……と考えていると、ちらりと俺を見る詠。

 むう、どうせ部外者ですとも。

 でも友達だと言った言葉に偽りはないから、その視線……あえて受けましょう。

 

「……良かったと思ってるわよ」

「へ? あ、え? なにが?」

 

 で、あまりに予想から外れた言葉を、俺にだけ聞こえるように言ってくる詠に、必要以上に戸惑う俺が居た。え? よかったって、なにが?

 

「乱世だもん、負ければ死ぬだけだろうなって覚悟してたのに……こうして生き残って、なんだかんだでみんなとこうして買い物なんてことが出来る仲になった」

「あ……ああ、そういうことか。でも前の時でも───って、そんなふうに出来る役職でもなかったか」

「当然でしょ? 何処で誰が狙っているかもわからないのに、そんな危険なこと……」

 

 思えば、反董卓連合は彼女たちにとって、迷惑以外のなにものでもない出来事だ。

 住む場所を追われ、仲間とも離れ離れになって。

 それでも彼女は言ったのだ。“良かったと思ってる”と。

 

「ん……べつにこれが前向きなだけの考えだーなんて思ってないわよ? いろいろ面倒はあるし、疲れることだって毎日のようにあるし。重要なのは、みんなが無事で、争わないで済む場所に至れたってことよ。立場を気にして意識を尖らせる必要もないし、こうして月と一緒に買い物も出来る。一度壊された世界が、誰かの犠牲の上で組み立てられて……暖かくなった状態でここにある。これで笑えなきゃ、月を守ろうとして戦ってくれた人たちに申し訳ないじゃない」

「……そっか。……え? あ、ちょ、ふおっ!?」

 

 自然と温かい気持ちになったところで、詠が買ったばかりの様々を詰めた紙袋を俺に渡す。慌てて片手で受け取るのだが、結構重いし肩から吊るすように巻かれている左腕があるために、胸に抱えるようにして持つことも難しい。

 上手くバランスをとってあいいぃいーっ!? いたっ! ゴスって今っ! ゴゴゴゴスって左腕にっ……!

 

「そんなのでよく手伝いたいなんて言えたわね……」

「べ、べつに無理なんかしてないんだからねっ!?」

「急に涙目で頬赤くして何言い出してるですか」

「横から冷静にツッコまないで!? 悲しいから!」

 

 ツンデレっぽくしたら冷静にツッコまれた。恥ずかしい。

 そんなこんなで結局はわいわいとやかましくなる。

 それを見た月もくすりと笑い、そんな笑顔にポッと頬を染めた店の主人がおまけをくれたりで、祭りっぽくていいなって思ってしまう。や、実際に街は祭りの最中だけど。

 そんな賑やかさの中、別の店へと向かう最中にもう一度、詠が近くに来て口を開いた。

 

「……死んでいった人達がそれで納得するかなんてわからないわよ。もう話すことも出来ないんだし。深く考えてみれば、きっと恨まれてるんだろうなとも思うわ」

「………」

 

 そりゃそうだ。死にたいなんて思ってた人なんてそうそう居なかっただろう。

 それなのに死んだんだ。

 生きているってだけでも恨まれることは、悲しいけどあるだろう。

 さっきまでの笑顔もどこへやら、詠は少しだけ今まで生きてきた道を振り返ったような、疲れた顔で空を見上げて呟いた。

 

「義務がどうとかじゃなくて……生き残れたなら生きていたい。みんなの分までなんて偉そうなことは言わないから、せめて……生きていられる残りの時間を笑って過ごすことくらいは認めてほしいんだ、ボクは」

「……ん」

 

 同じく空を見上げるが、人にぶつかりそうになったからやめた。

 そんな俺を見て、隣を歩く詠が苦笑を漏らす。

 

「あんたさ。魏で戦っていた頃は何もしてなかったんだったわよね?」

「……ああ」

「そっか」

 

 向けられる視線が“辛かったでしょ”と語っている。

 そんな視線に答えを返すでもなく、苦笑を漏らした。

 

「………」

 

 何も出来ないで、人の死ばかりを知るのは辛い。

 だからって何をしてやれるわけでもない。

 なにもしていない自分が生きて、戦った人がどうして死ななきゃいけないのかと考えることも辛い。そのくせ、鍛錬からは言い訳をつけて逃げていた自分を思い出すのも辛い。

 そんな俺の考えを見透かすように詠は寂しそうに笑って、彼女の行動に似合わず背中をぽんぽんと叩いてきた。

 

「詠?」

「国に返したいって理由がそこから来てるのかどうか。そんなことは知らないわ。でも、やれることが出来たなら頑張ればいいのよ。……それくらい許してもらわないと、ひどい話だけど……死んでいった人達は重荷にしかなれないんだから」

「………」

 

 しゃきっとしなさいと言われた気がした。

 それだけで、何かをしなくちゃ落ち着かないって気持ちが軽くなった気がする。

 ……単純だな、俺。

 溜め息をひとつ吐くと、詠は月に呼ばれて小走りに駆けていく。

 その先には相変わらずの食材屋。

 届けられる食材とは別に、こうして買うものも結構あるらしい。

 大体が誰かの要望からくるお使いのようなもの、だそうだ。

 ……で、その空いた隣にいつの間にか恋が。

 

「……。ん……一刀、元気ない……」

「元気ないと言われながら肉まんを差し出されたのは初めてだ。くれるのか?」

「……? お腹、空いてない……?」

「いや、空腹の所為で元気がないわけじゃないって。懲りもせずに考えごとをね」

「ウチらの輝かしい未来のために?」

「それもある」

「ではいかに戦を始めるかか!」

「違うよ!?」

「いかに女に手を出すかですか」

「それも違う!!」

 

 神様、一刀です。周囲のみんなからろくな反応がありません。

 どうしたらいいでしょうか。

 

(一人一人との関係を大事にして生きなさい。多数に手を出してしまった今、何をどう言い繕おうとあなたの愛は一途ではありません)

(神様!?)

 

 神様にもっともなことを言われた気がした! でもなんかひどく聞こえるのは何故!?

 ……いや、幻聴に心を乱してないで、今はこの瞬間を楽しもう。

 もらった肉まんを頬張りつつ───…………

 

「…………」

「あの……恋?」

 

 見られてる。……めっちゃ見られてる。

 手に持つ肉まんを左右にゆっくり振ってみると、そこに動くは彼女の視線。

 やがて、じゅるりと彼女が唾液をすすったあたりで苦笑が漏れた。

 

「……食べる?」

「!」

 

 彼女に肉まんを渡すと輝く瞳で見つめられたあと、もくもくと食べ始めた。

 いや……なんのためにくれたのさ、それ。

 

「えーなぁ恋ー、ななな、一刀ー? ウチにもちょーだい?」

「貰ったもの返しただけだからな……っと、おお、丁度あそこに饅頭屋があるな。あそこでいいか?」

「……!」

 

 霞に訊ねてみれば、こくこくと頷く恋。

 

「……まだ食うんですか、恋さん」

 

 渡した肉まんはとっくに手の中から消えていた。

 

「誘ったからには奢るですよ、北郷一刀」

「む? なんだ? 奢ってくれるのか?」

「え゛っ…………はぁ。ちゃっかりしてるよな、みんな……」

 

 こうなれば月や詠に奢らないわけにもいかない。

 離れたところで食材を見て回っている二人に声をかけて、ちょっと早いけど休憩をとることにした。

 



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79:三国連合/賑やかにいきましょう②

 もぐもぐもぐもぐ……

 

「んんっ……この餡、イケる……!」

「こっちの餡もたまらないのです……!」

 

 祭りに向けて作ったという新作を口にしてみている。

 なんでも干し肉をほぐして玉葱等と一緒に炒め、上手く味付けをした新食感の肉まんなんだとか。ちなみにそれを食っているのがねねで、俺が食べているのは辛味をメインにしたピリ辛まんだ。

 肉まんのように肉は入っていないものの、柔らかい野菜の食感と、追って訪れるほどよい辛さと旨味がたまらない。素晴らしい餡だ。

 

「おばちゃーん、これの中身なにー? めっちゃ美味いやーん♪」

「ああ、そりゃあねぇ───」

「ふぅむ……饅頭も奥が深いな……。食べ物など腹に入れば同じだと思っていた」

「……もぐもぐ……」

「ちょっと恋、美味しいのはわかったから、もう少し落ち着いて食べなさいよ……ほら月、こっちも食べてみて。結構美味しいわよ」

「ありがとう詠ちゃん。じゃあ私のも」

「あ……う、うん、ありがと、月」

「ラブラブですな」

「うっさい」

 

 茶化してみたら赤い顔で睨まれた。

 ラブラブの意味はわかるのか。……いや、雰囲気でからかわれたって悟っただけか。

 とりあえずもぐもぐと食いまくっている恋の頭をぽむりと撫でると、「食べる時は?」と問いかける。するとどうだろう。結構な速度で食べていた恋の咀嚼速度がのんびりとした一定に変わり、味わって食べるようになった。

 

「うわ、なにこれ。あんた恋になにしたのよ」

「何もしてないって……なんで何かしたってこと前提で話を始めるんだよ。ただ、食べる時はきちんと噛んでって教えただけだよ」

「へぇえ……食べ物をあげればそれなりに言うこと聞いたのは確かだけど、その食べ物のことで言うことを聞くなんて、珍しいものを見た気分だわ……」

「そうなのか?」

 

 素直なもんじゃないか。

 言ってみたらこくこく頷いて実行してくれたし。

 そう言ってみると、なんだか不思議な生物を見るような目をした詠に見つめられた。

 え? なにこの視線。

 

「ま、まあいいや。おーい霞ー! こっちの饅頭の餡、ちょっとピリッとして酒に合いそうだぞー!」

「おー! こっちも大当たりやー! “外の饅頭いらんから中身の餡の作り方教えて”ゆーて、怒られとったとこー!」

「なんてこと言ってんの饅頭屋相手に! ご、ごめんおばちゃん!」

「あっはっは、かまいやしないよ隊長さん。祭りの時くらいは楽しんでいきましょ、ね?」

「……せやったらウチ、なんで怒られたん?」

「怒られないって思うほうがどうかしてるだろ!」

 

 ああもうこういうところほんと雪蓮と似てる!

 でもまあ雪蓮と違って反省はきちんとするから、それは本当にありがたい。

 好きなものに素直すぎるのも問題だよな。酒とか。

 

「なぁ華雄。霞って昔からああなのか? ああ、昔っていうのは知り合ってからとかそっちの意味で」

「いや。昔は戦と関羽のことばかりだったな。男の傍に居たがるなんてことは無かった」

「あっ、こらっ、ちょおっ!? なにいらんこと喋っとんねん!」

「いらんこと? んー……いらんことじゃないぞ? 俺は霞のこと、もっと知りたいし」

「ふぐっ……うぅう……一刀、その言い方ずるいわ……」

 

 正直な気持ちを語ってみれば、顔を赤くした霞が胸の前で人差し指同士を突き合わせる。

 どうにも照れているようで、ちらちらとこちらを見てくるんだが……そんな霞を見た華雄がすっぱりと言う。「うむ。こんな表情の霞は見たことがなかったな」と。

 

「だぁもううっさい華雄! ウチのことはもうええんやっちゅーねん!」

「そうか。ならば北郷、お前のことを聞かせてもらって構わないか?」

「え? 俺?」

「あ、そや。恋と華雄で話し合ぅとってん。一刀、結局華琳には“好き”言ぅてもろてへんやろ?」

「イ、イヤ、その話しはもうイイカラ。察するヨ。僕、察するンダ……我ガ名ハ“ショユウブツ”! 今後トモ、ヨロシク!」

 

 無意味に両腕を挙げて叫んでみた。

 みんな知ってるかい!? 所有物って凄いんだぜ!? 持ち主のもっとも傍に存在できるものなんだ! それがお気に入りなら尚良しッッ!! そう、飽きられない所有物であれ! 常に変化を続けるような……例えば履くごとに味が出るスニーカーのような男であれ! で、穴が空いたらポーンと捨てられるんですねちぃっくしょぉおーっ!!

 あと腕痛い! 調子に乗って両腕なんて広げるんじゃなかった俺のバカ!

 

「一刀、最近おかしなったなぁ……」

「いや、おかしくないから。当然の反応だからっ。まあそんなことは置いておいて、うん。好きとか嫌いとかはもういいや。華琳が察しろっていうなら察することにするよ」

「へー……それでええん? 言われるままに納得~、て」

「ちょっと考えることがあってさ。好きだからって、求めすぎてたのかな~って。だから少し距離を置いてみようかなと思えるようになった。丁度都で暮らすって案も出てるわけだしさ」

 

 親離れならぬ華琳離れをしてみましょう。

 で、立派になったら改めて、その……かか華琳に子作りのことを話してみる、とか。

 それで断られたらまた努力しましょう。

 少なくとも“俺には”、随分と時間がありそうだから。

 

「都暮らしかぁ……都で暮らすのって一刀だけなん?」

「美羽と七乃と華雄は確定してるみたいだ。あとは……誰になるんだろ」

「おろろ、なんや、華雄も行くん?」

「いや……初耳だが」

「いやいやいやっ、ちゃんと話通してあるはずだぞ!? 忘れてるとかないか?」

「───…………」

 

 遠い目が、どことも知れぬ場所を眺めていた。

 うん……忘れてたんだな、きっと……。

 

「詠とか月はどうだ? そういう話を聞いたりとか」

「あぁその話? 桃香から聞いてはいたわよ? 知らない仲じゃないし、桃香が気を利かせてくれたんだろうけど」

「はい。丁度華雄さんはその時、他国の将と仕合をしていたと思いますけど……」

『あぁ……』

 

 全員の声が重なった。

 月と華雄だけが首を傾げ、それ以外が恋を除けば全員頷いていた。

 なるほど、忘れてたんじゃなくて耳に入ってなかったのか、と納得したが故だった。

 

「華雄は一つのことに夢中になると、周りの声なんて右から左やもんなぁ……」

「それはあんたもでしょーが」

「へ? ウチも? あっはっは、じょーだんキツイわ詠っち~♪」

「……自覚無いって幸せなことよね」

「まったくなのです」

「一刀ぉ……みんながイジメる……」

「いやごめん、まったく同じ意見だった」

「んなっ!? 一刀までっ!? ウ、ウチちゃんと話くらい聞いとるもん! 愛紗に見惚れてようと声かけられれば反応返せるくらい、ちゃんと聞いとるもん!」

「み、見惚れっ……へぅう……!」

 

 賑やかだ。

 むしろうるさいくらいに。

 だけど祭りの雰囲気には丁度いいらしく、周囲まで騒がしくなる。

 こういうのはノリなんだろうけど、ここまで賑やかだとノリとは関係無しに楽しみたくもなってくる。……そんな雰囲気に乗ってか乗らずか、霞が猫耳(幻覚)をピンと立て、この場に居るみんなに質問を投げた。

 

「あ。見惚れるで思い出した。みんなに訊こ思とったことがあるねんけど……なな、こん中で一刀のこと好きな奴、どんくらいおるん?」

『───《びしり》』

 

 …………空気が凍った。

 賑やかだった周囲までもが音を無くしたかのような幻覚が場を覆う。

 幻覚というからには幻の感覚なわけで、もちろん周囲は賑やかなままな筈なのだが……。

 

「……」

「恋!?」

「恋殿!?」

 

 無表情ながらに目は輝かせ、挙手する奉先さん。

 思わず驚く俺の横で、ねねまでもが驚いていた。

 

「ほー、やっぱ自分に勝った相手には惹かれるモンがあるん?」

「ん……やさしい。いい匂いがする。動物(みんな)が好き。恋に勝った。あと……撫でられると気持ちいい」

「言わなくていい! そういうこと本人の前で言わなくていいから!」

「せやったら華琳が一刀に“好き”言わんでも平気とちゃうん?」

「………………もっ……もも求める好意と与えられる好意は違うというかなんというかっ」

「贅沢やなぁ……」

「まったくだよな……自覚してる」

 

 俺、とっても贅沢してます。

 元の世界ではむしろ、女の子に遠慮しながら生きてきたと言っても過言ではないんじゃないだろうか。……いや、剣道で不動さん相手に遠慮無しとかは、やったところで無意味だってことはよーく思い知ってる。剣道を抜けば……やっぱり大して変わらないな。

 

「んで? 恋の他にはおらんの? 一刀んこと好きなやつ」

「いや……霞さん? 寂しくなるからやめてくれたら嬉しいかな……」

「な~にゆーてんねん、この平和な世の下、好きな男の一人もおらんと退屈で死んでまうやろ。ウチはウチの知り合いがそんな、退屈で死にそうになるのいややもん」

「俺って退屈しのぎの道具かなんかか!?」 

「だってウチ、一刀と一緒やと楽しなるもん」

「う……そ、そうか……?」

 

 そんな真正面から言われるとさすがに照れる。

 

「言葉だけでころころと表情を変えるなど、扱いやすそうな男です」

「ほっとけ! 嬉しいんだからしょうがないだろ!」

「ふーん……? まあそうね。友達だとは思ってるけど、好きかどうかで言えば違うわね。いってもせいぜいで“大事な友達”どまりよ。そういう性格じゃない、こいつって」

「人を指差して“こいつ”言うな」

 

 ねねも詠も、俺の扱いが随分と適当である。

 しかしその中から感じられる俺相手だから言える言葉っていうのは、わかってしまうとこれが案外悪くないと思えてしまう。

 仲がいいから言える言葉って、結構あるもんな。

 感じられるものが無ければ、ただただ落ち込んでいただけであろう自分が想像に容易い。

 

「へぅう……その……私も好きではありますけど、それは大切なお友達としてでして……」

「ね、ねねは友達なだけなのです。別に大切だとかそんなことは考えていないのです」

「へー……やっぱ友達思とるのが多いんやなぁ……あ、華雄はどうなん?」

「鍛錬相手だ」

「……空気読もうな、かゆっち……」

「む? だめなのか?」

 

 いや、俺もそうだと思ってたから、別に不都合はないんだが。

 

「なー華雄~? 平和な世はそら平和でえーもんやけど、それだけやと退屈やでー? そこにきて好きな男がおるっちゅーのは、これで結構ええもんやねんで?」

「男にこれといった興味はないな。強いのならまだ考えなくもないが」

「よっしゃ一刀、負かしたり」

「片腕でどうしろと!?」

「いや~、華雄は絶対に男で化けるヤツや。一度好きになったら自分の全部をそこに置く感じでこう、な? 一刀の言うことならなんでも聞いて、一刀が言うんやったら知識も磨いて、一刀が願うんやったらより強ぉなろって、躍起になると思うねんけどなぁ……」

「………」

 

 言われて、華雄を見てみる。

 いまいち話の流れが掴めていないのか、顎に軽く握った手を当てて考え事をしている。

 

「……華雄が?」

 

 そんな様子を見てもピンとくるものは一切なく、つい逆に問い返してしまう。

 他のみんなもそうだったようで、視線は一斉に華雄へ。

 

「……ん? なんだ?」

 

 本人はといえば、きょとんとした顔で俺達を見渡す。そりゃそうだ。

 そこで霞がけらけら笑いながら説明してみれば、

 

「自分が誰かを好きになるなど想像が出来んな……そんなものは病の一種だろう?」

「おー♪ 恋の病っちゅーやつやなっ」

「その言葉、この世界でもあるもんなのか」

 

 予想の範疇ではあった言葉が返ってきた。

 俺だってこの世界で人を好きになるまでは、自分が誰かを……なんて想像もしていなかった。求められて受け入れて、そこに“恋”ってものがあったのかも確認できないうちに愛にまで至ったようなもんだ。

 ただしそれは間違いようもなく愛ではあり、デートなどをじっくりとする“恋”を完全にすっ飛ばしたものではあったわけで。それを言うなら三羽烏との関係が一番自然だったんだろうか。デートとはいかないまでも、昼食を一緒に摂ったり警邏で一緒に歩いたりしたって仲ではダントツだ。

 そんな関係を華雄に代えてイメージしてみるのだが───

 

 

 

-_-/イメージ

 

 ザムザムザムザム……!

 

「うむ。やはり警邏はいい。心が引き締まる」

「いや、一応デートのつもりなんだけど」

「出餌屠? なんだそれは」

 

 街の中をふたり、歩く。

 今日もいい天気。

 デートするにしても城下に下りればいいというのは、この世界ならではないだろうか。

 もちろん遠出するなら馬は必須になる。

 ……なんて考えていたのだが、華雄はこれを警邏だと思っているらしい。

 しっかりとデートだと言ったのに、右から左へだったようだ。

 

「さあ、これが終わったら兵たちの調練と自らの鍛錬だ」

 

 華雄は戦に対して真剣である。

 

「次の列! 突撃を仕掛けろ!」

 

 むしろ頭の中はパワーでいっぱいである。

 

「他に遅れを取るな! 呼吸を合わせていけ! 乱れた呼吸にではなく、整った呼吸に自らが合わせろ!」

 

 しかしながら……武力はあっても統率が少ないと思っていた彼女だが、これで案外部下には慕われていた。策には弱いが真正面からぶつかれば相当に強い隊を指揮している。

 

「我々に敵は無い! 我々は強者だ! ふははははは!!」

 

 ……さらにしかしながら、一度熱が入ると止めどころを見失う。

 熱暴走とでも言えばいいのか、突撃大好き人間になってしまい、真正面から以外の攻撃に滅法弱くなり───

 

「なん……だと……!?」

 

 あっさり負ける。

 それは指揮勝負での模擬戦を始めて、少ししたあとの出来事であった。

 

 

 

 

-_-/一刀

 

 結論。

 

『ないわ』

 

 声が揃った。

 今度はその言葉を向けられた霞がきょとんとする番だった。

 

「ない、て……なにが?」

「いやな、霞。華雄が人を好きになるって状況が思い浮かべられないって意味でだよ」

「だって華雄よ? 戦があればそれこそ人生って感じの。命令聞かずに挑発に乗って、門を開けて突撃仕掛けて戻ってこれないまま行方不明になった華雄よ?」

「ふっ! ぐっ! おううっ! ぐはぁっ!」

「や……詠っち? そのへんにしたって。何気に華雄が悲鳴あげとるから」

 

 そういえば反董卓連合の時、いろいろとやらかしてたんだったっけ。

 お陰で簡単に関門を越えられたわけだが……本人にしてみれば黒歴史だよなぁ。

 

「そもそも“好きになる”というのは、そこまで人を変えるものなのですか?」

「ん? ねねは恋のことになると人が変わるけど、それは違うのか?」

「違わないのです」

 

 あ。認めた。

 

「しかしねねの好きはそういった無粋なものではなく、尊敬や友愛からくるものなのです。だからというわけではないのですが、恋愛だのなんだのが人をそこまで変えるとは思えないです」

 

 目を伏せ、片方の口角を持ち上げてのフスーと吐く溜め息。

 うん、最初っから理解する気ゼロでの物言いだ。

 まあさ、うん。わかるんだ、それも。愛だの恋だのは経験してみなきゃ謎すぎる感情だ。

 恋をすっ飛ばして愛に至った俺からすれば、むしろ恋のほうが興味深く、ソワソワしていたりもするんだが……相手を抱くだけが愛じゃないもんな。紳士であれ、北郷一刀。今は弱くても、いつかは強い紳士になろう。勝てないとわかっていても立ち向かう勇気を持つ紳士になろう。でも、いつか勝てるようになってやると決意を見せる紳士になろう。

 

「そうね……って、ねぇ霞、そういうあんたはどうなのよ。その、こいつと寝たって聞いたけど」

「へぅっ!?」

「お~? なんやぁ賈駆っち、そっちのほうに興味津々かぁ~?」

「今さら賈駆っちなんて呼ぶんじゃないっ、人の目があること忘れないでよっ」

「あ、そやった」

 

 驚いて顔を真っ赤にさせた月には触れない方向で、複雑そうな詠と霞が話を進める。

 そっちの話になると巻き込まれるのは目に見えていたから、軽く離れて恋の傍へ。

 

「恋、食べてるか?」

「……ん」

 

 未だに饅頭を咀嚼していた恋の傍で、ひとまずは安堵。

 それにしても幾つ食うつもりなのか。

 いい加減にしてくれないと俺の巾着の残高が底をついてしまう……!

 祭りの雰囲気の中でツケにしておいてとか絶対に言いたくないのですが!?

 

「恋、追加の注文はそこまでにしてもらっていいか? 生憎ともう財布の中身がさ」

「!」

「え……いや、別に俺が肉まん食べたいから言ってるわけじゃ……その……いただきます」

 

 差し出してくれたのに、ヘンに遠慮するのも難しく。

 今度こそ肉まんを頬張ると、もふもふと咀嚼する。

 ……うん美味い。饅頭はふっくらで中の餡の肉汁といったら溢れるようだ。

 なのに嫌味ったらしい油っぽさじゃなく、旨味をたっぷりと含んでいる。

 それが外の饅頭に染み込んでいって、そこを食べればまた違った味わいがある。

 などと思っていると、咀嚼の内は当然のごとく口から離していた肉まんを、恋がハムリと口にする。思わず「ホワッ!?」とおかしな悲鳴をあげると、もむもむと咀嚼しながら首を傾げる恋。

 ……手に持っている肉まんの面積が明らかに減っていた。

 

「あの……恋? もしかして食べちゃだめだった?」

「……大事な人とは分かち合うもの。桃香がそう言ってた」

「………」

「…………」

 

 俺を真っ直ぐに見つめる目が輝き、何か期待をこめていることに気づく。

 とりあえず……一口齧ると恋の口の傍まで肉まんを持っていく。

 すると、はむりと一口齧り、もぐもぐと咀嚼。

 

「………」

 

 試しに二口連続で食べてみると、恋が「!?」と大層なショックを受けた。そして首をふるふると横に振りながら俺の服を引っ張った。

 やだ……可愛い……! じゃなくて。

 

「わ、悪い悪い、分かち合い、だよな? ほら」

 

 すっともう一度差し出す。

 連続二口といっても多少齧った程度だから多少は残っている肉まん。

 それを、今度は恋が二口連続で食べる。

 

「………」

「………」

 

 奇妙な空気が生まれた。肉まんは減るばかりなのに。

 なんかもう間接キスがどうとかそういう問題も軽く越えた空気の中に居た。

 お互い見つめ合って一つのものを分け合って、ちょっとしたいたずらでキャッキャウフフ状態……これってあの伝説のバカップル状態というやつではございませんか?

 

「………」

「………」

 

 親愛感だよな、フツーに。

 しかしポムポムと頭を撫でてみれば、その手をワッシと掴まれ、頬擦りされる。

 ……親愛感ですよね?

 でもなんかこれって、犬や猫を撫でてる時の反応に似ててくすぐったい。

 たとえば頭撫でてると頭を押し付けてくる猫みたいに。たとえば指を舐めている最中に撫でようとすると、押さえつけてさらに舐めてくる犬のように。

 なんとなく反応が見たくなって、悪戯心全開で恋の唇をつんとつついてみる。

 ……と、かぷりと人差し指が食べられ、閉じられた口の中でぺろぺろと嘗め回されてオォオオッヒャァアーッ!?

 

「ちょわぁああととと!? 恋!? 恋っ! くすぐったいくすぐったい!」

「?」

 

 こてり、と首を傾げられた……直後、ゴリッと指が噛まれてギャアーッ!?

 

「いったぁーっ!? いや痛くしてくれって意味じゃなくてぇえ!!」

 

 生暖かな場の空気が俺の叫びで飛んでいった。

 それはいいんだが指が痛い。

 痛いと言えばすぐに放してくれるのだが、指が口から解放されることはなかった。

 

「………」

「?」

 

 指を銜えられた状態で首を傾げられた。

 やだ……可愛い……! ───だからそうじゃなくて!

 おお落ち着きなさい北郷一刀。誰に対してでもこんな調子だから種馬などと呼ばれるのです。紳士への目標はどうしましたか。もっと凛々しく生きなさい。

 

「……、……、人ぉお~……!」

 

 心の中のむず痒さが溢れ出しそうになった瞬間、恋の口から指を抜き取ると、自分の両の頬を叩いてから右頬を自分で殴り、掌に人の字を書いて飲み込んだ。

 すると、スゥウと引いてゆく顔の熱。ただし腕は大激痛。涙が止まらん助けてください。

 いろいろな感情が渦巻いているのも確かだし、きっと友達以上に思っている相手も居る。亞莎に対して抱いた気持ちと同じく、それはきっと友情ってだけで答え切れるものじゃあないのだろう。

 でも、焦ることはもうやめたのだ、のんびりいけばいい。

 

「ほい、恋」

「ん……、ん、む……」

 

 差し出した残りの肉まんを頬張り、咀嚼する恋を見て微笑みを浮かべる。

 頬を叩く際に持ったままだったから少し形が崩れていたが、恋は気にせず食べていた。

 微笑んでいた。この時の俺は、それもう本当に、暖かい気持ちで微笑んでいたのだが。

 

「フフフ……聞いたぞ北郷よ。男を好きになった女は、なんでも通常の三倍の力を発揮できるそうではないかっ! 故に勝負だ! 武器を取れ!」

「なんで!?」

 

 その笑みが裸足で逃げるくらいの出来事が、突如として起こった。

 何故だか高揚した華雄が俺の傍まで来て、一気にそんなことを言い放ったのだ。

 

「すっ……好きになるのと勝負との関連性の説明を求める!」

「む? 前に言ったが? 私は自分より弱い者には興味がない。お前が勝てばお前の子供でもなんでも産んでやる」

「前に言ったが、って前は子供の話なんてしませんでしたよね!?」

「いや。以前より気になっていたことはあるにはあるのだ。手負いの獣は何をするかわからないというが、真に恐ろしい獣とは子を守らんとする獣の親だ。常々、あの力は何処から出てくるのかと不思議だったが……」

 

 そこまで言うと、ちらりと霞の顔を見たのちに頷く。

 

「……男を好きになった女は強くなる。その意味の末を知れば、それも頷けるというものだろう?」

「そんなオットコマエな顔で言われても!」

 

 妙な納得の仕方してる!

 霞の説明の賜物なんだろうけど、嫌な理解の仕方の所為で逆にこっちの説得が難しそう!

 

「ええいもうやってやらぁーっ!! 片腕だけどこの北郷一刀、逃げも隠れもせん!」

「へぅう!? か、一刀さんっ、無理をしては───」

「……月。魏に生きたこの北郷が唱えます。この手の人相手には、どれだけ口で言っても無駄です」

「え、え? えぇっ?」

「月ごめん、こればっかりはそいつの意見に賛成だわ……」

「詠ちゃん!?」

 

 そう。春蘭に説得が通じないように。一つのことに夢中になりすぎるあまり、氣弾で看板破壊をしてしまった凪のように。一度コレと決めた人には何を言っても無駄なのだ。

 なので武舞台で勝負じゃー! ってことになり、行動範囲は再び城内へと戻り───

 

「壊された舞台の修繕がまだですのでお引取りください」

 

 ───あっという間に追い返された。

 

「……あれ?」

 

 み、妙ぞ……こは───いやいや疑問を抱くよりもどうしようかだよ。

 とりあえず工夫のおやっさんが怒ってたのは間違い無いな。うん。

 そんなわけで武舞台の傍でどうしたものかと悩んでいる。

 一応は俺だけで“使ってもいいか”を訊ねに来たわけだが、あっさり却下だ。

 ならば他のところで───と考えて中庭が浮かんだわけだが、華琳に視察の続きをしていろと言われているというのに、“仕合のために戻ってきました”なんて言えるはずもない。

 ……よし! とりあえず急いで戻ってみんなと意見交換だ!

 そうと決まればそれこそ急ごう! みんなが肉まん頬張って待っている!

 

「あっ! おっ兄っさまぁ~っ♪」

「はう!?」

 

 と、走り出した途端に声をかけられるタイミングの悪い俺。

 何処から!? と見渡してみれば、武舞台ではなく別のほうから軽い足取りで駆けてくる蒲公英が。

 

「蒲公英か。どうかした? 俺に何か用があったり───」

「えへへぇ、用はなかったけど見かけたから。お兄様は? 片腕なのに懲りずに手伝い探してるとか?」

「懲りずにとか言わない。……懲りてないけど。武舞台でちょっと確認したいことがあったから来ただけで、実はまだ視察中なんだ」

「そうなんだ……あ、ねぇお兄様? 一回、一回でいいから歌を歌ってくれないかなぁ。ここのところ準備とか鍛錬とかで疲れちゃっててさー」

「いや、俺急いでて……」

「だめ……?」

「いや……」

「お兄様ぁ……」

「………」

 

 上目遣いに懇願される。

 ぬ、ぬう、なんだというのだこの断り辛さ……!

 やっぱり急いでるからと言って駆け出せばいいだろうに、そうすると彼女の準備などへの頑張りを否定することになりそうな、このもやもやとした感情……!

 

「うぅ……じゃあ、どんな歌でもいいのか?」

「いいのっ!? やった!」

「待て待てっ、どんな歌でも! これが条件!」

「いいよいいよっ! 聞かせて聞かせて~っ?」

 

 悲しそうな顔が一気に元気一杯になった。

 ……神様。やっぱり女の子って怖いです。

 

「では───すぅ……はぁ……!」

 

 しかし歌う。

 短く、しかし実際に天にはある長さの歌を、そのまま歌うのではなく改良を加えて。

 15秒もあればきっと歌い終えるであろうそれを、今───!

 

  タイトル【長州力】

  作詞:エ○テー&北郷一刀

  曲調:エ○テー

  歌 :北郷一刀

 

「長州力~、みんな大好き~♪ 長州力~、僕も好き~♪ スコォ~ピオォ~ン~デスロォックゥウ~ッ♪ 長ぉお~ゥ州ぅうう~ゥりっきぃい~っ♪」

 

 …………。

 

「それじゃあな蒲公英! 俺急ぐか離せぇーっ!!」

 

 ちゃんと歌ったのに、ズビシと構えた腕が掴まれた。お別れの言葉を即座に解放への願いに変えられるくらい、ものすごい勢いで捕まった。

 何故? どうして!? ……考えてみたら何故もくそもない気がしてくるから不思議だ。

 

「歌ったろ!? ちゃんと歌ったじゃないか!」

「え~っ? あんなの歌じゃないよ~っ!」

「歌だよちゃんと! 消○力の少年に謝れ! ……あ、いや、この場合謝るの俺か!? とにかく人を待たせてるからこれ以上はダメだって!」

「待たせてるって、誰を?」

「月に詠に華雄に霞に、恋にねねだっ! 待たせるといろいろまずいってわかるだろ!?」

「うーっ……でも一曲、元気の出る歌を歌ってくれるだけでいいからさぁ、ね? お兄様ぁあ~っ」

「……長州力~、みんな大」

「それはもういいから!」

「なんで!?」

 

 少し巻き舌風に歌ってみれば、途端に却下された。

 少ない時間で歌えるものを即興で作ってみればこれである。

 

「あー……蒲公英はこれから仕事の続きか?」

「え? あ、もう交代の時間が来たから、ご飯食べて次の仕事に移るってくらいかな。まだ余裕があるから、お兄様が歌ってくれたらな~とか思ってたら丁度見つけたから」

 

 にひひ~と笑う少女は、どうあっても俺を逃がすつもりはなさそうでした。

 ならばもう面倒だとばかりに頷き、掴まれた腕をそのままに歩き出す。

 

「あ、あれ? お兄様?」

「メシ、一緒に食おう。歌は歩きながらだ」

「あ、そっか。そうすればどっちも時間に余裕が出来るね」

「そゆこと。というわけで───長州力~♪ み」

「それはもういいってば!」

「そ、そうですか」

 

 いや……どうせ15秒程度で終わるんだから、最後まで歌わせてくれてもいいだろ……?

 とまあそんなわけで、祭り前日の騒ぎの中を歩き、歌いながら街を目指した。



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80:三国連合/騒がしくいきましょう①

126/視察という名の腕相撲

 

 準備というのは確認を終えて、初めて終了する。

 そのための視察をしに歩き、騒ぎの渦中に立ち、結局は一緒になって騒ぎ、怒られる。

 そんな日々は案外悪いものではなく、支柱になったところで自分の立ち位置はそこまで変わることはなかった。

 というのもありのままの自然体な俺でこそ支柱だ、という意見がちらほら聞けるからであり、ヘンにどこかに力を籠めた俺ではそういうのに向いてないと囁く者まで居る始末。(主に見た目がちっこい人達)

 

「だめだ。医者として、治りかけの者に無茶をさせるわけにはいかない」

「だよな……普通そうだよなぁ……」

 

 昼も後半。

 肉まんなどではなく、しっかりと食事をしようと立ち寄った店で偶然出会った華佗に、これから華雄と仕合をするから、一時的でもいいから痛みを無くしてくれと頼んでみれば、素晴らしい速さで却下された。

 戦いが見られるかもとわくわくしていた蒲公英はそれはもうがっくり。

 合流していた華雄までもががっくりとして、そこをなんとかするのが医者ではないのかとツッコミを入れていたが、華佗は医者として当然のことを言ったまでである。ならばもちろん俺は華佗側で、仕合に飢えた将のみなさまを落ち着かせるために尽力した。

 

「はぁあ……祭り前でみんな、結構気が立ってるのかな」

「それもあるだろうが、恐らくはもっと天の御遣い……北郷の戦う姿を見たいんだろう」

「一刀でいいって言ってるのに……でも、そうなのか? 俺の戦う姿なんて、他の将に比べれば危なっかしくて怖いだけだろ」

「それも理由のひとつなんじゃないか?」

「うわー、嬉しくない」

 

 将や支柱だからって、さすがにそこまで大きな卓が取れるわけもなく。

 数人に分かれて卓に座った俺達の視線の先では、蒲公英と華雄が早食い対決をしている。

 霞も蒲公英の元気っぷりに誘われるように渦中に混ざり、がつがつとメシを食らう二人を応援している。まあその、のんびりと食べながら。

 

「さっき結構肉まん食べたのに、どこにあれだけ入るんだろうなぁ」

「ああ。女性は食べたいと思うものを前にすると、物理的に胃袋が大きくするという本能があってだな」

「それ、甘いもの限定じゃなかったか?」

 

 男二人、同じ卓に座りつつ、騒がしい別の卓を見る。

 ひとまず吐くべきは安堵の息かなぁ。ここでの食事は各自が持つことになっているから、俺も気兼ねなく……金の許す限りは食べられる。

 といっても安くて美味いものを願わずにはいられない懐なので、ささやかなものを。

 水道水くださいと言うわけにもいかないし、そもそも無いから軽食で済ませる。

 

「あれから調子はどうだ?」

「ん? 腕のことか? それとも氣のことか?」

「どちらもだな。安静にしていればこのお祭り騒ぎが終わる頃には骨もくっつくだろう。だがそれと痛みとはまた別だ」

「日本の医者が聞いたら、顎でも外れそうなくらいポカンとしそうな言葉だなそれ……。痛みはするけど問題はないかな。無茶さえしなければその痛みもないし。氣のほうは……意識し始めてからは体に馴染ませるように使ってるってくらいだ。普通の日常を過ごす程度には操れるようにはなってる」

「そうか。飲み込みが早いんだな」

「こうなるまでは、氣で体を動かして城壁の上を走り回ってたから。それのお陰だな」

 

 そうじゃなかったら今頃、恋の一撃を受けて胴体がズッパァーンて……おお恐ろしい。

 

「というわけで、氣の密度が上がったりとかしてるか見てくれるか?」

「よしわかった。───むっ」

 

 華佗の瞳が緑色に光る。

 その目で見られると、自分の内側まで見透かされるような気がして、正直落ち着かない。

 しかしゆっくりとした一度の瞬きのあとにはその色も元に戻り、華佗はキリッとした表情を元に戻す。

 

「ああ、順調のようだ。この調子で焦らず伸ばせば、様々な用途に生かせる氣に成長するだろう」

「様々って……医療とか?」

「そうだ。前に北郷自身がやったな。自分の氣を相手の氣に似せて流し込むというものを。あれを利用すれば、弱っている者に活力を与えることも、自らの力で氣を練成できなくなったものを支えることも出来る。しかしそれは、“氣の在り方”がその者自身のカタチに染まりきってしまうと、容易く出来なくなってしまう」

「あ、そか。それは前に聞いたやつだな」

「そうだ。しかし北郷。お前の氣はお前自身の氣はもちろん、御遣いとしての氣が混ざっているお陰で、カタチというものが存在しない。氣が二つ存在していた以前ならばどちらかに固定されることもあっただろうが、今のお前の氣ならそれがない。つまりお前さえその気になれば、たくさんの人の命を救える」

「………」

 

 俺の氣と御遣いの氣が合わさった状態の氣が固定される、ってことはないのだろうか。

 それを訊いてみれば、「ない」ときっぱり言われた。

 

「不思議なことに、お前の御遣いとしての氣は常に色を変えている。集中しだせばその時の色で固定されるようだが、それ以外で言えばほぼ毎日だ。まるで気分によってコロコロ変わる、気まぐれなものを見ているようだ」

「な、なんだそれ……」

 

 あれか? 外史を願った者の意思とかが関係しているとか?

 こうであってほしいって考えでいくらでも外史が生まれるなら、この世界一つにだってほんの少しずつ違う意思が恐ろしいほどに存在しているのだろうから。

 お陰で俺の中の氣の色がころころと? ……やっぱり、“まさか”だよな。

 

「ころころと色が変わるくせに、俺の氣と混ざり合うのはどうしてなんだろな」

「御遣いだからじゃないか?」

「そんな単純な話なのか……?」

 

 腕を組み、笑いながら言う華佗に対し、苦笑で返した。

 ちょくちょくと食事を摘みながらの話はそうして続いた。

 早食い大食いなんて出来るほど金がないことはさっきも言った通りだし、少し静けさに身を置きたかったってこともあったのだが、

 

「はむむぐあぐんぐっ!」

「がふがふんぐんぐむぐっ……店主! 水だ! 水をよこせ!」

 

 勢い良く食べ急ぐ蒲公英と華雄が近くの卓に居るというだけで、その願いは最初から叶えられそうになかった。それにもっと早く気づくべきだった。

 

……。

 

 賑やかな食事を終えると、各々自分の行動をとってゆく。

 かく言う俺もそろそろ真剣に視察をしないとと動くのだが、どうしてか霞と華雄がついてくる。蒲公英も来ようとしたのだが、同じく食事に訪れた翠に捕まって拉致……もとい、連行された。

 詠と月は城で仕事。荷物を運ぶ予定があって、それを手伝うために恋もねねも一緒に歩いて行った。

 で、こちらの霞と華雄組は……。

 

「一緒に来てもなんにもないぞ?」

「退屈なんやもん、ええやん」

「鍛錬をする筈が武器を折ってしまったからな。することがない」

 

 自業自得だ。

 しかし退屈なのは本当のようだから、一人で歩くよりはと当然のように迎えた。

 ……いや、別に一人でトラブルに巻き込まれたら怖いなとか、そんなことないぞ? だってそんなこと考えるの、ほんとに本当にほんっっとぉおお~に、今さらだしさ……。トラブルは巻き込まれるためにあるのさ……この北郷一刀の人生の中では、きっとそれがもう臨終の時まで予約でいっぱいなんだよ。

 

「やー、しっかし蒲公英もやるもんやな~、ちっこい体しといて。まさかあんだけ食うとは思っとらんかったわ」

「あれ? もう真名許されたのか?」

「話しやすいからそれでかまへんて。随分軽かったわ」

「………」

 

 真名の定義が個人によって軽すぎる。

 俺の場合は、一時は殺されそうにまでなったっていうのに、そんな簡単に……。

 ……ん? 真名の定義?

 そういえば真名ってどういう感じでつけられるんだろ。

 親が名前をつけるようにポンと出る……わけじゃないよな?

 この子は逞しく育つだろうって願いをかけてつけるとか? ……それじゃ名前つけるのと大して変わらないよな。

 考えながらちらりと右横の霞を見た。

 霞。張遼につけられた真名だな。

 どういう経緯でつけられたのかを考えてみるも、さっぱりだった。

 

「で? 一刀はこれから視察の続きなん?」

「ああ。引き受けたからにはきちんとやらないと、人としても支柱としてもいろいろとね」

「最初は随分とサボっていたと聞くが?」

「あの頃の俺はどうかしてたんだ……生かしてもらってるのにサボるなんて、命知らずもいいとこだ」

「んー? そんなん、そんだけ華琳に気に入られとったっちゅーことやん」

「華琳が“気に入った”って理由でサボリ魔を手元に残すわけないだろ。華琳が人を手元に残す理由なんて、気に入ったっていうのはそりゃあもちろんだけど、イジメ甲斐があるとかからかい甲斐があるとか、将来有望だとか仕事をするだとか、珍しい話を聞きだせるとか他では絶対に手に入らない珍しいものだとか、手にしているだけで多少の利益を得れるものってくらいだろ。俺の場合は成長云々はさておき、もの珍しさと御遣いって名前があったからってだけだ。絶対に」

 

 指折りに喩えをあげていると、左隣の華雄が呆れた顔で俺を見た。

 

「そうまで自分を下に見るとは……お前には武人の誇りがないのか?」

「誇りより、無様でも生きることを願うよ。基本ビビリなんだ、俺。譲れないもの以外をやることで生きられるなら、絶対に生きる。譲れないもの以外の誇りなら、生きていれば何度でも組み立てられるよ」

 

 こういう考えを嫌う人はこの世界にはたくさん居るだろうが、まずは生きることを選ぶのは普通の人にとっては当然のことだ。町人に誇りのために死ねと言われても死ねないのと一緒。産まれがただの一般人なんだから仕方ない。

 霞も華雄もそこらへんの個人差はわかっているからか、苦笑を浮かべながら受け入れる。ただ、誇りに生き誇りに死ぬことを良しとする将や王の気持ちが、まったくわからないってわけでもないんだよな、困ったことに。

 それを知ることが出来る世界を生きてきたのだから、それもまた当然だった。

 ……もちろん、“それは否だ、その時ではない”と思ったからこそ、あの日は不慣れな馬に跨ってでも華琳と愛紗の戦いを中断させたわけだが。

 

「二人はどうする? ついてきても、本当に視察だけになるぞ? ……情けないことに、お金もすっからかんだし」

「んー? なににそんな使ったん?」

「……主に恋の食事代……かな……」

「北郷? 顔が笑顔なのに影が差しているぞ?」

 

 華雄にツッコまれたとおり、笑顔だったが懐は寂しかった。

 だが挫けない。お祭りなんだから、使った金も浮かばれるさ。

 それがたとえ食事関係の店に貢献してばっかなのだとしても、気にしちゃいけない。

 

「うーん……なにかしらの趣味でも探してみるのもいいかもなぁ」

「種馬っ」

「霞さん、それ、趣味とは言いません」

「鍛錬か!」

「違うよ!? 鍛錬が趣味って、どういう趣味!?」

「でも一刀、趣味ってくらい鍛錬しとるやん。呉でも蜀でも結構なもんやったんやろ?」

「……むうっ……」

 

 趣味? 趣味だったのかあれは。

 そりゃあやりすぎってくらいやってたかもだが、そうでもしなきゃこの世界で恩を返すなんてことの一歩も踏み出せないって思ってたからだし、いやそもそも趣味が鍛錬なんて嫌だぞ俺は。

 

「鍛錬以外でいこう」

「あ、せやったら旅とかどう? 退屈せんと思うけどなぁ~♪」

「そうなったら一緒に行くか?」

「行く行くっ、そんでいろんなもの一刀と見て回る~♪」

「武力試しの旅か……それはいいな」

「……華雄。キミの頭には本当に武以外はないんだね……」

 

 言ってみれば、“なにを当然のことを言っている?”と目で返されてしまった。

 それでいいのか……って、いいからこういう性格なんだろうな。わかってる。北郷わかってる。

 何かに完全に没頭できる人って、それがたとえどんなことだろうと眩しく見えると聞いたことがあるが、実際目の前にしてどういう感想を得たかといえば…………ごめん、どう反応していいのやら。

 

「しかし結局、貴様とは戦えなかったな」

「片腕相手に勝ったって嬉しくないだろ」

「ならば片腕だけで戦えることを探せばいいんじゃないか?」

「おっ、せやったら腕相撲とかどうや? 馬超とか文醜がたまにやっとるやろ」

「え゛っ、いや霞っ! それは───!」

「おおっ、その手があったかっ」

「アー……」

 

 止めようとするも、手遅れだった。

 戦いの話が流れてくれればと思っていたのに、まさか腕相撲とは……。

 いや、そりゃ俺も考えはしたぞ? それで済むならって。

 でもさ、結局戦いは戦いでも武具使用で仕合か死合っぽいものでなければ、華雄は納得しないんじゃないかって思ったんだ。

 むしろ単純な腕力だったら絶対に負けるし。

 

「よっしゃ決まりやっ! 行こ行こ~♪」

「えあっ!? おっ、やめっ……俺はまだやるとはっ!」

「え~? 一刀、やらんの~……?」

「あの……視察するって言ってたこと、覚えてる?」

「ええやん、久しぶりにサボれば」

「その“久しぶり”をよりにもよって今日使えと!? 今日はまずいだろいくらなんでも! 相手、華琳だぞ!? 覇王様! そりゃ俺自身は今日はなんにも予定入れてなかったし遠慮させてもらってたけど、華琳とはそういう話でっ! って聞けぇえーっ!!」

 

 叫びも虚しく、霞と華雄に掴まれて逃げられないままに連れ攫われた。

 抵抗は……ああ、無意味だったよ。



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80:三国連合/騒がしくいきましょう②

 さて。

 

「れでーすえーんどぜんとーまー! 今日は蒲公英が司会進行する血沸き肉踊る戦の場へようこそー!」

 

 何故居る。というツッコミもあっさり流され、訪れた場所は中庭の東屋だった。

 どうやら華琳も雪蓮も既に居ないらしく、霞に導かれるままにアワワワワと怯えつつ東屋に連れてこられた俺は、安堵の息をゴファアアアと盛大に吐くとともに、卓に座る。

 そこにはさっき別れた筈の蒲公英が居て、エイオーと手を天へと突き出していた。

 

「蒲公英、無理にレディースアンドとか言わなくていいから」

「えー? でもこうしたほうが司会らしいって“学校”の授業で聞いたよ?」

「それ間違ってるからな? そういう言い方があるって朱里と雛里に教えただけだから」

「じゃあどんな言い方があるの?」

「え? あ……そうだな」

 

 急に質問をされると頭の整理が追いつかないもんだ。

 けれども無理矢理に回転させると、出た答えをそのままに、勢いづけて言う。

 

「みィイなさまァ! 大変長らくお待たせしましたァ! 本日この場では間もなく、突発的対決企画! 華雄対北郷を開始いたします! 司会進行役はご存知、蜀の南蛮平定美少女戦士こと蒲公英さんでお送りいたしまーす!」

「いえーっ!! って、そっか、そうやればいいんだ」

「では早速対戦者の紹介です! 爆斧片手に常に戦を思う猛者! その力はひと薙ぎで岩さえ両断、破壊するほど! 董の旗にこの人あり! 華雄将軍だァーッ!!」

「お? お、おおっ? わ、私か? うむ、全力を出そう」

「対するは魏に拾われた凡人! 遅すぎる努力に目を回す日々! 北郷一刀だぁーっ! ……あ、どうも」

「……ねぇお兄様? 自分で言ってて寂しくない?」

「それは言わないでほしいかなぁ……自覚があるだけに」

 

 ともあれ、手本は見せたのでドッカと卓の前の椅子に座り直す。

 差し出す手はもちろん右手。華雄も当然そうして、俺の手と彼女の手がガッシと組み合わされる。

 

「合図は?」

「蒲公英に任せていいか? それとも霞に───」

「待った無し一本勝負! はっじめぇーっ♪」

『!?』

 

 心の準備もしないままに蒲公英が開始宣言!

 瞬間、俺と華雄の腕に力が篭り、ズバァンと音が聞こえてきそうなくらいに一気に筋肉が隆起した。

 華雄は力。俺は力と氣。

 それぞれを右腕に込め、勝つのは我ぞとばかりに息を震わせる。

 ていうかやっぱ強ッッ!! こっちは氣をフルに使ってまで倒そうとしてるのに、あっちは純粋な力だけだよ! そしてむしろ負けてる!? なんかじりじり押されてきてる!

 

「くっ、ぐっ……! お、おぉおおお……!!」

「ほお……なかなか頑張るな。今まで出会ってきた男の中では間違い無く一番だろう」

「いや……っ……くはっ! それ、たぶん華佗には負けると……思うなぁ……っ……!」

 

 筋肉がミシミシと悲鳴をあげる。

 だが諦めない挫けない。

 右腕に溜まっている氣とは別に、錬氣したものを別の箇所へと流し、右腕を支える。

 左腕で踏ん張ることが出来ない分、他でカバーだ。

 そうしてずしりと重心を変えて構えると、動作の分だけ少し腕の位置が戻った。

 

「むっ……」

「まだ、まだぁああ……!!」

 

 筋肉組織に氣を織り込むように流し、その組織ひとつひとつをより強靭に、かつ柔軟にしてゆく。筋のひとつひとつが空気でも孕んだかのように膨れると、大して太くはない自分の腕が先ほどよりも隆起し、腕ばかりか胸筋や背筋や腹筋までもが金色に輝く。

 

「おおおっ!? なんか光っとんで一刀っ!」

 

 筋肉組織に折り込みきれなかったのだろう。

 腕から漏れた氣が輝きを見せ、まるで右半身が輝いているように見える。

 だが、光ったからといって勝てるかといったら当然否だろう。

 

「感心する力だ……よもやここまでのものを隠していたとは。フッ……いいだろう、では私も全力を見せよう!」

「!」

 

 来る! 言ったからには全力が!

 ならばとここで小細工を使用!

 華雄の力が俺の腕を圧迫する瞬間に合わせ、座ったままの状態で足に籠めた氣を螺旋の要領で一気に腕へと運ぶ。体勢的に無茶ではあるが、なんとか届かせたそれを惜しげもなく腕に装填して、“加速”させた腕の力が華雄の全力とぶつかった。

 

「いぎっ!? かっ……~っ……!!」

「なっ……なん……だと……!?」

 

 当然、突然の負担に軋む右腕。

 だが一気に腕が叩きつけられるなんてことを防ぐには至り、瞬発力もプラスされる全力の峠はなんとか切り抜けた。

 ただし代償は高く、軋む腕が強烈に痛かったりした。

 ヘタをすれば抵抗ごと腕をへし折られていたかもしれない。

 そう考えると身が凍る思いだ。

 

(むしろ現在進行形でミシミシ鳴ってらっしゃるのですが、素直に負けを認めたほうがいいのでしょうか……!?)

 

 荒く吐く息はやはり震えたまま。

 そうしたいわけでもないのに、「カハハッ……カハッ……」と奇妙な笑い声みたいに吐き出され、余裕なんてものは最初からほぼ無かった。

 それでも負けたくないと思うのは、男の意地からくるものか、ただ頑固なだけなのか。

 

(ななななにか考えろ……勝てる方法を……! 加速もダメ、力じゃもっとダメ。ならどうする? どうするもなにも思いつかない。こ、根性? 今出してますよ!? 勇気? 挑んだだけで勇気ですよね!? ……あ、愛! この状況でどう愛を出せと!? ぁああダメだぁああっ! 焦るほど混乱していく!)

 

 くすぐる? いや、卑怯なのは無しだ! 力で真っ直ぐぶつかってきてる人には全力を以って応えなきゃ男じゃない! ……あくまで腕相撲ではって意味でね?

 けど、だったらどうする? だったら、だったらだったらだったらだったら……!!

 

1:限界ブッチギリバトル

 

2:俺に勝利をもたらせ。代わりにこの腕をくれてやる。

 

3:加速をかけまくる

 

4:エナジードレイン(氣を送ることが出来るなら、吸えるんじゃ……?)

 

5:俺……この戦いが終わったらもう一度華琳に……(敗北フラグ)

 

 結論:…………なんかどれも変わらない気がしないか?

 

 というわけで限界ブッチギリで、腕に負担をかけようが加速を何度もかけて、氣を吸収できるならしてみて……あ、いや、それはやめよう。とにかく出せる力を出しきって、勝てたら華琳にもう一度ってことで!

 

「くぅううおおおおおおおおっ!!!」

 

 氣を送る! 加速で送る!

 右腕がなんかパンパンになってるけど送る!

 ……でも動かない! ギャア強い! この人何者!? 華雄さんですね! わかってます!

 

「ふむ……いい気迫だった。終わりにしよう」

「んぐっ!? あ、お、うあっ……!!」

 

 力で捻じ伏せられてゆく。

 加速も効果は出しきれず、というか既に腕が限界で、送っても効果がない。

 大体この体勢では速度を上げる効果なんてあまり期待できないわけで。

 

(あ……ま、負け……る……!)

 

 手の甲が卓へと降りてゆく。

 腕はもう氣でパンパン。

 しかしながら最後まで諦めるつもりもなく、氣を体全体に逃がしながらさらに力を籠め、悪あがきをやめずに抗った。

 ……もちろん、それも長くは続かなかったけど。

 

「あちゃー、やっぱり華雄の勝ちかー」

「いぢぢぢぢ……! 腕がっ……腕がっ……!」

 

 コトン、と静かに卓へとつけられた手が放され、自由になると、途端に襲い掛かる痛み。

 霞が苦笑するように、やっぱり武将相手に力任せは無理だ。

 なのに妙にスッと受け止められるのは、小細工込みでの完全敗北だからだろう。

 ───でも、だな。うん。

 

「よしっ、華雄っ! もっと強くなれたらまた勝負だ!」

 

 だからってもう戦いたくないと思うかといえば、そうでもない。

 なにしろ首が飛ぶことも胴体が千切れる心配もない勝負なのだ。これほど安全で、全力が出せる勝負もそうないだろう。……腕は折れるかもだが。

 

「フッ、いいだろう。敗北してなお牙を剥くその姿勢、実に見事。私は勝負を拒まない。いつでも相手になろう」

 

 華雄はといえば、顎に手を当てて余裕そうにニヤリと笑い、俺の言葉を受け入れる。

 負けた悔しさはもちろんあるんだが、恨みとかではなく今度は勝ちたいってものだ。

 だからか、俺も華雄みたいなこと言ってみたいなぁとか思ってしまった。

 フッと笑っても、俺にはてんで似合わなそうだけどさ、そういうのはほら、そうしてみたいなぁって欲求だから。

 

「よし、これからも鍛錬頑張ろう。でさ、蒲公英。キミ、お姉さまに捕まってたんじゃ?」

「え? ああっ、お姉様が食べ物に目がいってる隙に逃げてきた!」

「いやいやいや胸張ってないでっ! 逃げちゃだめだろっ!」

 

 質問に対して元気に答えすぎだろおい! そんな状況じゃなければ“あはは元気だなぁ”で済ませられるだろうに、今この瞬間とっても気まずい!

 ……ん? あれ? ちょっと待て?

 この状況ってあのー……もしかして俺が蒲公英のことを連れ回してるってことに……?

 

「なぁ蒲公英さんや」

「んあ? ……なにかな、お兄様さん」

「お兄様さん!? あ、ああいや、今はそれよりも……! 俺、今すぐここから退散するから蒲公英は翠のところへ戻ってくれっ!」

「えー? どうせサボっちゃったんだし、一緒に城下のお祭りで騒ごうよ。今戻っても怒られることは変わらないんだしさー」

「予想通りの言葉をありがとう……でもな、それって絶対に俺が悪者呼ばわりされるから、出来ればというかむしろ絶対に回避したいんだけど」

「ああ、いつものことやな」

「なるほど、そうなのか」

 

 既にいつも通りで認識されていることに、軽く遠くを眺めたくなった。

 なのでツイ……と視線を動かすと、何故かそこに居る恋。

 

「……あれ? 恋? なんでここに───ねねまで」

「………」

 

 もう詠ちゃん、もとい詠と月の方はいいのか? と訊ねるも、恋は何も言わない。

 言わないままに、ちらちらと俺と椅子と卓と華雄を何度も何度も見比べると、こくりと頷いて……何故か俺の膝の上に座る。

 いきなりの事態に声があがるより早く、恋は卓の上に肘をついた。

 

「お……お?」

「………」

 

 戸惑いの声ふたつ。

 俺と華雄のものだが、恋は華雄を見たまま動かない。

 卓の上に肘をつき、その先はVの字に曲げて構えたまま。ようするに腕相撲の姿勢だ。

 

「れ、恋? 私と、その……やりたい、のか?」

「…………」

「いや、だがな、その……」

「勝負……拒まないって言った」

「はうっ!」

 

 恋の言葉に、何か小さなものが刺さったような反応を見せる。

 さっきまでは勝利の余韻を堪能していたのに、急に現れたチャレンジャーを前に戸惑いを隠せない……のも当然だよなぁ。だって恋だもん。

 

「さあどうしたのです? 恋殿は既に構えているのですぞ?」

「む、ぐっ……!」

 

 かつて同じ戦場を駆けた者だからこそ知るその強さを前に、さすがの華雄も難しい顔をしていた……のだが、すぐにキリッと表情を変えると、ガッシィと手を組んでみせた!

 

「おぉおっとぉ! 華雄選手どうやら受けて立つ模様っ! 果たして二勝になるのか敗北を知るだけに終わるのか! 御託はいらない、結末だけを見守ろう! それでは腕相撲二回戦、華雄対呂布! はっじめぇーっ!!」

『っ!!』

 

 うずりと肩を震わせた蒲公英による司会と開始の合図が出された瞬間、卓の上にある二人の手を中心に一気に空気が重く感じ、直後にドカァンという音が耳に届いた。

 

「早っ!?」

「うえぇえっ!? もう終わっちゃったの!?」

 

 ……一瞬だった。

 重い空気が発生したと感じた頃には、恋の手が華雄の手の甲を卓に叩き付けていた。

 というか……負けた華雄でさえ、ぽかんとしている。

 

「…………」

「ほえ? たんぽぽに用?」

 

 右腕が痺れているのか、左手でチョイチョイと蒲公英を招く華雄さん。

 近寄ってきた彼女を自分が座っていた場所にとすんと座らせると、それでピンときたのか霞が手を伸ばし、蒲公英の手を取って恋の手と組ませた。

 

「え? え? あのー……」

「よっしゃ! 三回戦いってみよー! 準備はええなー?」

「えっ!? やっ! ちょっと」

「始めぇっ!」

「───んっ!」

「待だぁっ!? ~……いあぁああったぁああーっ!?」

 

 瞬殺である。

 一応力を籠めたようだが、その全力ごと卓に叩きつけられた蒲公英が、椅子から飛び降りるように逃げて、手を庇いながらぴょんこぴょんこと跳ねている。

 ……ああ、痛そうな音、鳴ったもんなぁ。

 

「ふ、ふふ……なんだ、もう終わったのか……?」

「ふーっ、ふーっ……!! あ、あんなの堪えられるわけないでしょー!?」

 

 右手を庇い、痛みに息を荒げつつ、震えながら語る敗者が二人。

 …………俺、華雄が相手でよかった。

 



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80:三国連合/騒がしくいきましょう③

「んで、恋ー? どうかしたん? 急に腕相撲に混ざってくるなんて、暇でもしてたん?」

「……、……一刀の負けは、恋が返す」

「負け? あー……そらあれか? 一刀がなにかしらで負けたら、恋が戦って勝てば……」

「負けと勝ちで、無しになる」

 

 “我ながら名案”とでも言いたそうに、どこか誇らしげに頷く恋さん。

 いやあの、恋さん? それは俺が返さないと意味がないのでは……? そう訊ねてみれば首をこてりと傾げ、「一刀は恋が守る。だから意味はある」ときっぱり言われた。

 言葉の意味はよくわからないけど、ともかくすごい自信だった。

 そんな自信を横で聞いていた霞が、引き攣った笑みをしながら俺の前へとやってきて、ポムと肩を叩きなすった。

 

「やったなぁ一刀っ、これで負けても負けやないでっ」

「全力で嬉しくないんだけど!?」

 

 引き攣ったような困ったような、ともかく微妙な笑顔のままに、一度肩に置いた手を弾ませながらのお言葉だった。全力で嬉しくない。

 しかしそんな反論に両腕を挙げて抗議するお方が一人。当然のごとく、ねねである。

 

「なんですとー!? おまえぇえっ! 恋殿がせっかく敵討ちをしてくれているというのにそれを嬉しくないなどとー!」

「そういう意味じゃなくて! 勝負を挑む身としては物凄く情けないだろそれ! 子供の喧嘩に親とか兄とか強い人を呼ぶようなもんだろ!」

「ふんっ、子供の喧嘩なんてどうせ一人をよってたかっていじめるものばかりなのです! なら助けてもらうことの何が恥なのですか! 情けないのは集団で一人をいじめるほうなのです!」

「あ、あー……あれは確かにひどいよなー……ってそうだけどそうじゃなくて!」

 

 けど、そういえば……真名の話をした時に一度もらしたよな。

 “ねねを苛め……”って。

 うがーっと両腕を挙げたまま威嚇を続けるねねを、とりあえずは手招きで呼び寄せて、頭を撫でた。当然、「……急になんなのです?」とジト目で見られたが、返す言葉はもう決まっていた。

 

「……ん。じゃあねねが負けた時も、俺か恋が敵討ちをするな?」

「なっ……なぜおまえがねねのことで───」

「友達だから」

「むぐぅっ……!?」

 

 ガキみたいにニカッと笑ってキッパリと言ってやる。ここでするのは余裕の笑顔でもやさしい笑顔でもだめなのだ。友達なのだから、気安いくらいが丁度いい。

 むしろ“情けないだろ”と言った俺にちょっと待ったをかけたのはねねなんだから、こういう返され方も予想出来そうなものだが……あれ? こういう考えをする俺がおかしいのか?

 まあもっとも、知識ではねねには勝てないだろうし、武力では恋には勝てない。そうなると俺がねねの代わりに勝てるものってなんなのかがとてもとても心配ではあるが……そういうのって理屈じゃないよな。友達のために何かしたいって思ったら、自分勝手でも突っ走るのは普通だ。きっと。多分。

 フランチェスカじゃ男は存分に肩身が狭く、友達も少数だったのだ、そういう部分に理解が薄いのも察してやってほしい。あと、そういった青春っぽいのにちょっぴり憧れがあるのも。

 

「むむむ……それならおまえも恋殿が敵討ちをすることを、友達だから認めるのですね?」

「へ? あ」

 

 人はそれを墓穴と言う。

 しかし二言はなかったので、こっちを見ている恋も手で招くと、頭を撫でて苦笑した。

 ほどほどにお願いしますと言いながら。

 

「なんや義兄弟の誓いみたいやな」

「……そうなると、北郷一刀が末弟なのです」

「男は一人なんだから長男だし、どう見てもねねの方が年下で妹だろ……末弟って言葉の意味はわからないでもないけどさ」

「なんですとーっ!? ねねのどこにおまえに劣る部分があるというのです! どう見ても勝り、姉らしいのです!」

「それゆーたら……身長と仕草と言動と行動とー……あと何ゆーてほしい?」

「ふむ……頼りなさか?」

「う、うるさいのです! ねねのどこを見て頼りないという言葉が出るですか!」

「どうしてそれを俺に言う!?」

 

 べつに俺が言ったわけじゃないのに。

 理不尽さを感じながらも宥め、さらにはみんなを促して移動を開始する。

 嫌な予感が心を駆り立てるのだから、じっとなんてしていら───

 

「あっ……かずっ───~~……ほ、北郷~!」

「ヒィッ!?」

 

 ───れない、と。そそくさと退散しようとした先で、心配の種と遭遇してしまった。

 名を翠。

 蜀の南蛮平定美少女戦士さんのお姉さんでいらっしゃる。

 そうだよなぁ……こういうタイミングだよなぁ、会いたくない人と遭遇するのって。

 ……あれ? それはそれとして、今“一刀”って言おうとして“北郷”って呼び直した?

 ま、まあいいか。華佗と同じで、個人の呼びやすさっていうのもあるだろう。

 それよりも……先手必勝!

 

「翠、まず落ち着いて聞いてくれ」

 

 翠を見るや、バッと東屋の影に隠れた蒲公英を視界の隅で確認。

 それに安堵しつつまずは話を……いや待て? 用件が違ったらどうする?

 そもそも仕事だからって友達をこうして突き出すのは───……まあ当然か。

 

「あちらにおわすのが蒲公英さんです」

「へ?」

「うえぇえーっ!? お兄様が裏切ったぁあーっ!!」

 

 サッと手で東屋の影を見るように促してみせると……よっぽど俺の行動が予想外だったのだろう。その先で蒲公英が叫んでいた。

 すまない蒲公英……! 他国に来ての仕事をサボるキミの勇気は買うが、華琳に知れたら翠に怒られるどころの騒ぎじゃないんだ……! これもキミのため……わかってくれ……! ……冗談とか抜きにして、わりと本気で。

 

「あぁっ!? 蒲公英っ! お前こんなところに居たのかっ! 散々探したんだぞ!?」

「え、や、やぁ~、ちょっとだけ休憩を……」

「休憩なら昼餉食いながら十分しただろっ! ここは蜀とは違うんだから、こんなところでサボっていたことがバレたりでもしたら……!」

「……えーと。お姉様? 参考までに、たんぽぽってばどうなるのかな」

 

 ただならぬ翠の態度に、さすがに危険さを感じ取った蒲公英が狼狽える。

 むしろ蒲公英なら危険察知能力は高いと思うんだが……他国に来たことで興奮していたんだろうか。今さらながらに少ししゅんとしている。

 

「どうなるって、そりゃあ……」

「そうだなぁ……とりあえずお仕置きだよな」

「え゛っ?」

 

 困った顔をしながらてこてこと近寄ってきた蒲公英に言ってやる。

 こういう時に妙なやさしさはよくない。

 むしろやさしさを含めたことを言っては、実際に罰を受ける時にショックがデカいし。

 

「あぁ、案外ちっこくて可愛いからって閨に呼ばれるかもしれへんなぁ」

「うえぇっ!?」

「で、春蘭や桂花に嫉妬されて、特に桂花にネチネチと恨まれて」

「落とし穴に落とされたり嫌がらせされたりして……他になにゆーてほしい?」

「あぅ……お、お姉様っ、たんぽぽ頑張るっ! 頑張るから戻ろっ! すぐ戻ろっ!」

「えっ? うわっ、お、おいっ! あたしは別の場所で仕事が───あぁああああーっ!?」

 

 さっきのようにニコニコ笑顔で、指折りしながら今後の蒲公英さん予想図を口にしていた霞を前に、笑顔を引き攣らせた蒲公英がとった行動は……翠の手を引っ張り、走ることだった。

 その速度は見直すほどに素晴らしく、彼女たちはあっという間に見えなくなった。

 

「なははははっ、まぁこんだけ脅しとけば、もうサボったりもでけへんやろ」

「だな。目の前にサボらなきゃいけない事情でもなければ、たぶん大丈夫だろ」

「おまえ、なかなかひどいやつですね……」

「“サボったなら怒られる”のが普通だって。相手はこっちが働いてるって思ってるから給金をくれるのに、その金額に見合った仕事をしてないなら、相手が怒るのは当然だろ……」

 

 この世界、この時代では特に。

 いや、俺が言えた義理じゃないのはよくわかってますよ? 常習犯だったし。それも、周りが“またですか”って半ば諦めてるくらいの。

 ……もちろん怒られてたし、仕事と給金の量が見合わなければ減らされたりもした。だって相手は華琳だもの。

 

「……というかさ。この祭りの準備って、きちんと手当て出るんだよな? ここ最近で俺のところに届く書簡竹簡って、都のための知識に関係するものばっかだからよくわかってないんだけど」

「出るのです。毎度祭りの時は、そういった作業がこれからの武官のためになればと、王が気を回してくれるのです」

「あ、そっか」

 

 力仕事、多そうだもんな。

 こういうのをきっかけにして、そういう仕事が出来るようになったほうがこれからは稼げるわけだ。争いもなくなったのなら、開墾、開拓、建築の機会は増えるんだから。

 

「……それでも仕事が回ってきぃひんモンは、どうしたらええんねやろなぁ……」

「それは───あー……仕事を貰うしかないだろ。もうしないから手伝わせてくれーって」

「んんー……やっぱりいっそ一刀がもらってくれん? それやったらウチ───」

「都に貯蔵した酒を飲みあさる毎日?」

「………」

「考えるなよ!!」

「あっははははは! や、けど一刀、ほんまに“酒”作ってくれとるそうやん。ウチ嬉しくて。一刀が作ってくれるんやったら、ウチもタダで飲み放題やもん」

「あのなぁ……料理屋が料理売らなきゃ材料を揃えられないように、酒作るのだってタダなわけじゃないんだぞ? 一生タダ酒なんて出来るもんか」

「旅しながら自分で揃えるっちゅーんはどうっ?」

「………」

「あっはは、なぁんやぁ~、一刀も考えとるや~ん♪」

「うぐっ……」

 

 ちょっと、それもいいかもとか考えてしまった。

 だって、それはとても楽しそうだって思えてしまったから。

 

「己の練磨を目的に旅をしながら、娯楽のための材料集めか。ふむ……」

「ねねが歩き疲れたら負ぶるですよ」

「……一刀は恋が守る」

 

 ……そして何故か行く気満々のみなさま。

 華雄が特に怖い。キリッとしているように見えるが、目はギラギラで、興奮しているのか肩はうずうずと疼いていた。……誰も鍛錬の旅なんて言ってないんだけどな。

 

「えと……え? みんなもついてくる……とか?」

「しぶとく残っている盗賊山賊を屠りに行くのだろう? 私が出ずに誰が出る」

(……え? それを華雄が言うの?)

 

 自分が賊まがいのことをして捕まったことなど、既に忘れてしまったのだろうか。

 ……いや、そういうことに協力してくれるのは大変ありがたいが。

 

「都の主が外に出るほどに暇になるなら、きっと恋殿もねねも退屈しているのです。だから仕方ないので暇潰しに付き合ってあげるのです」

「ん……一緒に居ないと守れない。だから、一緒」

「あー……恋ー? 一刀のことはウチが守るし、気ぃ使わんでもええんやで?」

 

 ふるふると首が横に振られる。

 

「や、けどな、恋?」

 

 同じやり取りが幾度か続いた。

 

「………」

「………」

「……一刀、ウチが知らん間に恋に手ぇ出したりしたん?」

「してないぞ!? いきなりなにを言い出すんだよ!!」

 

 そりゃ俺もおかしいなって思うくらいに、最近の恋は俺と一緒に居たがるなとは思うけどさ! でも誓って言おう! なにもしていない!

 落ち着いているように見せてはいるが、こっちはいつだって自分の中の獣と戦っているんだってば! ……押さえ切れずに華琳に告白とかしたけどさ。

 

「はー……あの恋がなぁ……動物(かぞく)以外をここまで思うなんて初めてなんとちゃう……?」

「……?」

 

 言われた恋は、こてりと首を傾げるだけだ。

 恋にとってはそれだけ重要なことだったんだろうか。

 “一対一”で、偶然とは言え“自分が負ける”ということが。

 俺にしてみれば本当に偶然で、一歩判断を間違えていれば飛んでいたであろう胴体を思うと身が凍る感覚しか沸いてこない。三国無双に勝てた喜びよりもむしろ、あるのは恐怖と戸惑いばっかりなのだ。

 だってなぁ……事実とはいえ、女の子に私が守るって言われるのはちょっと寂しい。

 この世界では、そんなことをどれだけ言おうが無駄だっていうのはもうわかってるけどさ、そうならないために鍛えたつもりが全然だった事実には、やっぱりごめんなさいと謝りたくなるのだ。

 

(もっと鍛えないとなぁ……)

 

 肉体の成長は望めない。望めないから氣を高めて支える方法を選んだ。

 肉体と違って、氣は毎日でも鍛えられるのはありがたいんだが……こればっかりはどういう鍛え方が自分に合っているのかを正確に掴みきれていない。

 氣に関しての先生たちは無理をせずと仰るが、その“無理をせず”が自分にとってはもどかしくてたまらないのだ。……あるよな、そういう時って。今すぐ結果や成果が欲しいなんて、我が侭なことだっていうのはわかってるのに、どうしてもそれを止められない。

 桃香に偉そうなことなんて言えないよ、ほんと。

 

「……とりあえず、話もここらへんにして歩こうか。いい加減視察の続きをしないと」

「んあ? あ、そかそか。せやったらウチも」

「いや待て。視察の前に、武器が出来ているかを見に───」

『そんなすぐに出来るかぁっ!!』

「む、むぅ……そうか……?」

 

 歩き出した俺と霞に待ったをかける華雄に、二人してツッコミ。

 ほんと武のことになるといろいろと抜ける人のようだ、華雄は。

 そんな俺達の様子にやれやれといった感じに溜め息を吐くねねが、恋の手を引っ張ってこちらへと歩み寄るのを確認すると、連れ立って歩いた。




 いい具合に分割できる部分がなかったのでこんな感じに。
 いえ、そうしないと一話が5000文字、次が一万とか非常にバランスの悪い結果になったもので。

 関係ないけどようやく花騎士で総合力が70になりました。
 最近エノテラさんが可愛いです。
 なんでか結月ゆかりを思い出すんだよなぁ……なんでだろ。
 ここのところ虹が頻繁に出て、「あれ? 僕死ぬ?」 ってちょっと不吉に思うくらい虹。
 でも例の如く被ったり被らなかったり。エノテラさんがダブってほっこりしたのは良し。
 しかしカトレアさんはもう強化画面に“最大強化”と書かれてしまうほどに限界なわけでして。
 えーと……虹色メダル、ありがとうございました。
 あとはヒガンバナさん(世界花の巫女)が強化限界ですね。開花を待つばかりです。
 ■最近迎えた虹さん
 レッドジンジャー
 カトレア
 ランタナ(花祭り)
 ウメ
 エノテラさん
 アイビー(新春)
 エノテラさん
 ハナミズキ
 モミジ

 どうでもよくないから一言。
 ミスミソウのあのパンツはなんとかなりませんか運営さん。



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81:三国連合/つまりはいつも通りの日常である①

127/そしてやっぱりいつも通り

 

 視察をする。

 あちらこちらへ歩き、祭りのための準備の進み具合を調べてみては、前日ならもう終わってるべきなんじゃないかとツッコミたくなるのだが……それは文化祭でも言えることだな。

 ああいうのはギリギリまでみんなとねばるところに楽しみがあったりする。

 ……無断で夜通し教室に立てこもったりするのはいけないことだが、許可を得てでもしてみたいと思うヤツはこれで案外多いものだ。

 面倒くさがりなヤツでも、そういうものには積極的だったりするんだよな。

 祭りの準備は、面倒ながらも案外楽しい。そういうものを共有する相手が居れば、だが。

 俺の場合は及川くらいかなぁ。手放しで馬鹿馬鹿しくも付き合える相手っていったら。

 

「……ところでさ。今さらだけど華琳たちは何処行ったんだろな」

 

 五人で歩く中で、ふと思ったことを言ってみる。

 それぞれの仕事に戻ったんじゃないかっていうのが普通の考えだが、じゃあ視察に戻ったんだろうか。……結構歩いたわりに、まだ遭遇したりもしていないのに?

 

「呉王に言い負かされて自室に戻った~、っちゅーんは……ないな、華琳に限って」

「ないよなぁ、華琳に限って」

 

 漏らす苦笑もほどほどに歩き、真面目に一通りの視察を済ませても発見することはなかった。そうなる頃には準備も大分終わっており、ところどころで見る各国の将は、ある意味でハイなまま作業を続けていた。それを見て、「ええなぁああ……」としみじみ言う霞は、やっぱり祭りが好きなようであり……「手伝ってきたら?」と言ってみても、「仕事取るわけにもいかへんやろ……」と寂しそうに言っていた。

 視察の過程で翠と蒲公英とももう一度会った。

 なにか手伝えることはないかと試しに訊いてみても、自分たちももう終わる頃だからと断られる。仕事っていうのは探している時には見つからないものらしい。……俺は部屋に戻ればまだまだあるのにな。悲しいなぁ。

 

「霞、なんだったら俺の仕事の手伝い───」

「祭りと関係ないんやったらやりたない」

「だと思ったよ……」

 

 返事は予想できていたとも。だから寂しくなんてないぞ?

 

「まあ、今仕事を見つけても明日までに終わるものがあるかって言ったら……」

「そんなものはないのです」

「だよなぁ……」

 

 話し合ったり歩き回ったりで、もういい時間になっている頃だ。視察が終わってしまえば特にやることもなかったので、武舞台の端に座りながらの話も軽い勢いをつけていた。

 時計がないのって不便ではあるけど、空の在り方で大体の時間がわかってくるのがこう……時々だけど面白いと感じる。そんな感覚を、いつか天に戻っても使えるだろうかと考えてみて、きっとすぐに時計に頼るであろう自分が浮かんでくる。

 つくづく人って便利さに勝てない生き物だよな。

 

「はぁ~あ……結局最終日まで仕事三昧か……。自分からノッたとはいえ、相手がいないのに律儀に最後まで視察する俺って……」

「せやけど途中で抜けるのも嫌やったんやろ?」

「そうなんだよ。相手が華琳だし、途中でサボってたとか思われたらさ……まあ、それ以前に街の様子とかも見たかったっていうのが一番の理由だな」

「あっはっはぁ、一刀はよぉサボるのに、やり始めると徹底的やもんなぁ」

「ああほら、掃除は始めるまでが面倒だけど、始めたら徹底的にってやつと一緒だと思う」

 

 “どうせやり始めたなら”って思えるなら、まだ戦えるって気分で。

 せっかく動いたのに半端にするのってもったいないし。

 ……と、ここで今まで特に喋らずにいた華雄が、もじもじしながら口を開いた。

 

「あ、あぁ、その……ところでだが。そろそろ武器が出来ている頃では───」

「華雄~? 今日はもう諦めたほうがええで? 武器が気になるんはわかるけど、というかウチも一緒やけど、こればっかりはしゃーないわ」

「むうう……!」

 

 武器のことがよっぽど気にかかるようで、落ち着きがない。

 なんだかんだで霞や恋やねねが楽しむ中で一人だけ、ソワソワしたりしていた華雄だったんだが……やっぱり武器のことが気になっていたのか。

 

「やはりこうなったら私の金剛爆斧で……!」

「あほぉっ! ホンモンはアカン言うとるやろっ!」

「くぅっ……明日に控えた戦を前に、己の腕を磨くことすら出来ぬとは……!」

「どこの修行僧だよ」

 

 喋り方がどことなく武士っぽいこともあって、華雄への印象に“武者修行者”が追加されたのでとりあえずツッコミ。

 妙に女性らしくもじもじしてるなとか思ってたらこのザマです。

 やっぱり武に生きた者としてはこだわりがあるんだろうなぁ。

 霞だって飛龍偃月刀のことになると人が……変わってはいなかったものの、真桜との話し合いもヒートアップしてたしね。装飾ひとつをとってもこれじゃだめだあれがいいと……まあ、わからないでもないんだ。ただどうして俺は、そういう状況にばかり遭遇するのかなぁと時折に考える。

 気づいた時にはなにかしらに巻き込まれていて、後の処理の大体を任されるからたまったもんじゃない……って、サボってても怒られるだけで見逃されてたのは、そういう将たちのココロのフォローのため……とか?

 

(嬉しいやら悲しいやら……)

 

 サボらず真面目にしてたらどうなってたのかしらと、そう思わずにはいられなかった。

 そうして、世話話主体の話し合いや考え事が終わる頃には空もいい感じに暗さを帯びてきて、その場で解散というカタチになった。

 俺はといえば……やっぱり特にやることもなく、解散したままの姿勢で武舞台の脇に座っていた。

 部屋に戻れば仕事はあるとは言ったものの、今日は休みであったにも係わらず視察をしたから……まあ、いいよな。部屋に戻ったら絶対にやらなきゃいけないってわけでもないが、戻るって気分でもない。

 

「はぁ~あ……」

 

 結局華琳とはあれから一度も会えなかった。

 デートみたいな視察の筈がいろいろと食い違い、“察しなさい”で閉じられた。

 察しろとは言うけど、間違った察し方したら怒るくせに。

 好きって言うくらいいいじゃないか……想像できないけど、いいじゃないか。

 俺が軽く言いすぎなんだろか。あれでも結構恥ずかしさに堪えながら言ったんだけどな。

 

「……好きって言うのは控えようか。言葉の重みを大切にしないから、華琳も察しなさいなんて言葉で済ませるのかもしれないし」

 

 よし、そうしよう。

 とりあえずでも結論を出してみれば、少しだけ軽くなる重かった我がココロ。

 そんなささやかに安堵しつつ、立ち上がっ───たところで、

 

「あ、おっ兄っ様ぁ~~っ♪」

「へっ? あっ、かっ───北郷っ!?」

「あれ? 蒲公英に……翠?」

 

 蒲公英と翠が、丁度武舞台近くを通った。

 俺を発見するや天へと伸ばした手を振りながら駆けてくる蒲公英と、逆に顔を赤くして視線をあちらこちらへと飛ばす翠。

 さっきもそう感じたけど……翠の挙動が少しおかしい。

 俺、なにかしたっけ?

 あとまた“一刀”って言おうとして“北郷”って呼ばれたような……?

 

「二人とも、もう仕事は終わったのか?」

「えへへぇ~、ちょっと本気を出せばよゆーだよ」

「だったら抜け出さずに、さっさと終わらせてから遊べばよかったのに」

「お兄様ってばわかってないなぁ。遊びっていうのはその時その時が重要で、あとになったらべつに楽しくもなんともないってことばっかりなんだよ?」

「あ、いや、それはわかる。あれだよな。話の最中に意見しようとして、発言はあとにしてくださいって言われて、最後まで聞いてみたら……」

「もう意見できる流れじゃなかったー、ってねー?」

「ははっ、そうそうっ、それだっ」

 

 同じ考えを持っていたのが地味に嬉しくて、笑いながら頭上でウェーイと手を叩き合わせた。

 

「あれ? お姉様ー? なんでそんな離れたとこに立ってるの?」

「うえっ!? あ、いやっ、ちょっとそのっ……なななんでもないっ!」

「………」

「………」

 

 呼ばれてこちらを見た翠と目が合った……んだが、感心する速度で逸らされた。

 待て待て待て、今回ばっかりは、っていうか、今回も俺、なにもやってないよな?

 毎度毎度知らないところから謎のプレッシャーがかかって、心臓によろしくない。

 

「蒲公英……なにか知ってるか?」

「お姉様のこと? んー……そうだなぁ。お姉様が夜中こっそり、お兄様の名ま───」

「うわぁああああああーっ!! うわっ! うわぁああああーっ!! ばばば馬鹿っ! なに言い出してるんだよっ!!」

「うぉうっ!?」

 

 蒲公英の発言に気になることでもあったのか、離れた位置に立っていた翠がこれまた感心する速度で接近。叫ぶとともに蒲公英の口を塞いで荒い息を吐いた。

 

「……す、翠?」

「なんでもないっ! なんでもないからっ! ~っ……蒲公英ぉおお……!!」

「ぷはっ……やっぱりお兄様のことで悩んでたんだ。まあそうだよねー、じゃなきゃ、夜中寝台の上でお兄様の名前を呼ぶ練習なんてふむぐっ!?」

「だだだだから余計なこと言うなって言ってるだろぉっ!? あとなんでお前がそんなこと知ってるんだよ!!」

「むぐむぐ……ぷはっ、だって同じ部屋だし、眠れそうかなーと思ったらなんかぶつぶつ聞こえてくるし」

「○※★×◆▼~っ!! わわわ忘れろぉっ! 今すぐ忘れろぉおっ!!」

 

 やあ、なにやら背を向けられた状態でぼそぼそ話されて、けれど翠ばかりが叫んでいる。

 こんな時、話の輪に入れない僕はどうしたらいいのでしょうか。

 

「え~? 忘れるくらいなら、お姉様がちゃーんとお兄様の名前を呼べるように助けてあげたほうがいいんじゃない? お姉様ってばこういうことで心の準備してると、一生かかっても言えそうにないし」

「なっ……で、出来るに決まってるだろっ!? あたしをなんだと思って───」

「じゃあ言ってみて? お兄様の顔を見ながら、きちんと」

「ああいいさやってやる! ……!」

「あれ?」

 

 あ、あれ……? なんで睨まれる!?

 やっぱり俺がなにかしたのか!? そして自覚がなかっただけ!?

 

「かっ……かかっ、かっ……かっ……!」

「か? …………からし?」

「違うっ!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 適当な答えを出してみたら怒鳴られた!

 わ、訳がわからない! 俺はどうしたらいいんですか!? 俺がなにをしたと!?

 

「かかかっ……か───!」

 

 キーワードは“か”か……。

 か、か……?

 カーボナディウムコイル……は違うよな絶対。

 この時代、この時期、ここで俺を見て言う必要があるもの……(睨み付きで)……?

 

(か……甲斐性無し!? ───時期関係ねぇ!!)

 

 ああしかしなんてこと……!

 確かにそれは面と向かって言い辛くて、しかも睨む原因にもなりそうでいて……!

 

「あ、あれ? お兄様? なんで両手両膝ついて震えてるの?」

「い、いや……なんでもない……」

 

 でも普通に考えて、急にここで言うようなことじゃないよなぁ。

 涙出そうになったけど、とりあえず立ち上がって翠を見た。

 相変わらず「か……かかっ……」と言っている。

 閣下? 案山子? カカオ……はないな。買い物に付き合ってくれー……って、それなら睨む必要はないわけで。

 

「か、かずっ───」

「───!」

 

 かず!? かずと言ったか今!

 かず……そうか“おかず”! 今日の夕餉のおかずを賭けて勝負をしようと! だからこそのあの睨みとこの迫力! …………まあ冗談だけどさ。

 かず、か。もしかして名前を呼ぼうとしてくれているとか?

 ……いやいや、それはさすがにないか。

 呼び方も“北郷”に戻っちゃってるんだし、もっとべつのものだよな。

 そうだ、“かず”で考えるからヘンな勘違いしそうになるんだよ。

 ここは新たな考え方。

 か、かずっ……とか言ってるんだから、“かかず”と考えてもみるべきで…………

 

「……なぁ蒲公英。誰のライフが0なんだろうな」

「んえ? なんの話?」

 

 ああ、ライフが0なのは二作目のほうだった。いや、そうじゃなくて。

 この世界この時代でその人への話が出るわけがないだろ。

 じゃあ? …………やっぱり名前呼ぼうとしてくれてるんだろうか。

 自分が可愛いってことでさえ中々受け取ろうとしなかった翠だし、そういう部分に引っかかるなにかが人一倍あるとか。

 間違ってたら俺が恥掻くだけだし、それはそれで笑い話になるし。よし。

 

「そういえばさ、翠」

「ひうっ!? ななっ……なんだよっ!」

「いや、そんな怒るみたいに返事しなくても……あのさ、前から思ってたんだけど、料理を作る人の数と料理を食べる人の数と合わないのって、少し辛いと思わないか?」

「へ……? りょ、料理……?」

「えと、お兄様ー? あのね、今お姉様が───」

「なにに喩えてもそうだけど、なにかが数と合わないのは問題だよな」

「ま、まあ……そうは思うけど」

 

 急になんでこんな話になったのかわからないって顔で二人に見つめられる。

 戸惑いと疑問しか浮かんでいないそんな二人に、「じゃあ───」と続ける。

 

「その問題を解決できたら、結果はどうなるんだろ。翠、答えてみて?」

 

 わざとらしくウォッホンと咳払いをして、それが学校の授業の延長であるみたいに見せかける。予想通りに翠は授業の一環かなにかだと受け取ってくれたようで、

 

「“数と合う”、だろ? 急に何を言うかと思えば───」

「うん。じゃあその答えから“あう”を取ってみて」

「? ……数と?」

「あ」

「もう一度」

「な、なんなんだよ……数と、だろ?」

 

 蒲公英は答えの意味が解ったのか、「あ」と言ってからはニヤニヤしながら俺を見つめてきていた。そんなことに気づかないままに翠は「数と、数と」と口にして、

 

「ところで翠。さっき俺に向かって言おうとしてた言葉ってなに?」

「一刀。───かず…………★■※@▼●∀~っ!?」

 

 軽く誘導してみたらあっさりと出る答えに、さすがに少し恥ずかしくなった。

 だってさ、間違えてたら俺が恥掻くだけだったけど、まさか本当に俺の名前を呼ぼうとしてたなんて……う、うわ、顔がチリチリする……! 名前なんて呼ばれ慣れてる筈なのに、翠が言い辛そうにしていたのを知っているからか、妙にこう……じわじわと顔が熱くなっていくというか……!

 

「わおっ、お姉様ったら大胆っ!」

「ひぇっ、やっ、いやこれはちががががっ!!?」

「えと……俺の名前、言おうとしてくれてたんだ」

「ひぃうっ!? ちっ───」

「お姉様っ、素直素直っ」

「あう……~っ……そそそそうだよ悪いかっ! あたしが名前呼んだらまずいのかよ!」

「え? いや、嬉しいけど」

「■○※#☆@$~っ!?」

 

 怒り顔が一気に灼熱した。

 一歩二歩と後退り、自分で訊いてきたにも係わらず「う、うそだ……」とか言い出したりしている。いやちょっと待ちなさい、何故そうなりますか。

 

「翠?」

「あ、あたしに名前を呼ばれたくらいで嬉しいわけないだろ! 名前くらいで───」

「やー……お姉様? その名前くらいで顔を真っ赤にさせて、呼べなかったの誰?」

「はぅぐっ!? うぅううううるさいっ!! とにかくあたしは───」

「ん」

「…………………………」

 

 顔を真っ赤にし、視線を彷徨わせながらも叫ぼうとする彼女に、ハイと握手を求める。

 それだけで翠は取り乱した自分を落ち着かせ、ピタリと停止してからは顔だけを赤いままに、その手をきゅむと握ってきた。

 それがいつかしたことと同じ動作だったからだろう。

 可愛い、綺麗だって言葉に命を懸けるとまで言った俺を信じると言ってくれたときのように、翠は握った俺の手を握りながら、チラチラと俺の顔を見てくる。

 

「え? あれっ? うそっ! 暴れ出したお姉様が止まった!?」

「なだっ───だだ誰がいつ暴れたんだよ!」

「だってお姉様といえば恥ずかしがり始めたら自分の意見なんて変えずに誤解したまま逃げることなんて日常茶飯事ってくらいなのがお姉様なのに!」

「一息でどれだけおかしなこと言うんだよっ! 大体あたしは逃げ出したりなんかしてないだろ!」

「あ……でも俺、前は殴られたあとに逃げられたよな……?」

「はぐぅっ!?」

 

 人の事情は複雑にござる。服を引っ張り催促する蒲公英に、その時のことを軽く話してみせると、しゅんと落ち込みながら「あの時はその……悪かった」と謝ってくれる。

 そんな彼女に大丈夫だからと返しながらそんなことを思った。

 

「お姉様ぁ……さすがに学校のこととかを伝えにきてくれた人を殴るのはないよ……」

「しょ、しょうがないだろっ!? あの時は一刀がおかしなこと言うからっ!」

「あ、普通に名前で呼んだ。やっぱりお姉様に足りないのはその場の勢いなのかなぁ」

「え……───~っ!?」

「それで、お兄様? お姉様になんて言ったの? 殴って逃げるくらいだし、もしかしてとても口に出せないあんなことやそんなことを───」

「ん? ああ、“よろしく、翠”って言っただけだぞ?」

「───」

 

 ニヤニヤしていた蒲公英さんの顔が、ぴしりと引き攣った。

 そして身を正したのちに「暴力的な姉でごめんなさい……」と、遠い目をされたままに謝られた。

 

「いや、もう気にしてないから」

「お姉様……」

「うぁぅ…………ご、ごめん…………」

 

 あの時は痛いっていうよりも驚きのほうが大きかったし、そんな痛みもすっかりと消えている。謝ってもらえればそれで十分だし、謝られなくても気にはしてなかったからそれはそれでいいんだが。

 

「じゃあ、気を取り直して。二人はもう仕事は片付いたんだよな?」

「うん。お兄様こそこんなところでなにやってるの?」

「ちょっといろいろな決意を胸に秘めていたところ」

「決意? ……国中の女の人を手篭めにするとか?」

「そんな決意するかぁっ!! ……はぁっ……───その、“好き”とかそういう言葉を口にするのを控えようってさ」

 

 普段からあまり言うほうではなかったつもりだ。

 だからといって、そういう雰囲気の中でも口にする数を減らそうかと思った。

 きっと俺の言葉には重みが足りないんだ。

 華琳や雪蓮、祭さんや紫苑や桔梗の言葉には重みがある。

 これから都に立つ自分の言葉が重さもなにもないままじゃ、きっとこの先よろしくない。

 だから俺は───重い男になってみたい! ……太るとかじゃなくてね?

 

「えー……? 好きって言ってもらえないんじゃ、そういう雰囲気になっても嬉しくないんじゃないかなぁ」

「や、俺も言われれば嬉しいし、言ってもらえたら嬉しいんだろうなって思ってたんだけどな? なのに華琳は言ってくれないからなぁ……きっと俺の“好き”って言葉が軽いって感じるから返してくれないのかなって」

「お兄様の好きは軽いの?」

「か、軽くないっ! ~……つもり、なんだけどな……。でも……実際問題として、複数の人を愛した者としましては、軽いんじゃないかと言われれば何も言い返せないわけでして……」

「真剣じゃなかったとか───……は、あはは……? お、お兄様ぁ……? 目がとっても怖いよ……?」

「っとと、ごめん。言われてもしょうがないかもだけど、出来れば冗談でも……真剣じゃないとか言うのはやめてくれ」

 

 苦笑を漏らすが、困ったことに言われても当然なんだよなぁ……。

 他の人から見れば、一人だけを愛せない優柔不断男だし。

 いくら本人同士が真剣だっていっても、それをどう受け取るかは周囲次第だもんなぁ。

 

「んと、じゃあお姉様のこと好き?」

「好きだぞ? 大事な友達だ」

「じゃあたんぽぽのことは?」

「もちろん」

 

 訊かれたことに、当然だとばかりに頷いて返す。

 しかし蒲公英は「む~……」と不満そうに俺を見て、「“もちろん”じゃなくて、ちゃんと言ってよぅ」と口を尖らせた。

 ……なんかシャオの相手してるみたいだ。

 

「大事な友達だ」

「うん。それもだけど、もう片方も」

「え? あ、ああ、好きだ……ぞ?」

「疑問系じゃなくてもっとはっきり! ちゃんと目を見てっ!」

「むっ……す、好きだぞっ」

「もー、友達に好きって言うのに、お兄様がそんなに恥ずかしがっててどうするのー? ほらほらぁ、もっともっとはっきり言おうよー」

「…………ええいくそっ! ……俺は! 翠のことも! 蒲公英のことも! 大好きだぁあーっ!!」

 

 二人の顔を交互に見たのち、はっきりと、怯むことなく言ってみせた。

 その大声は辺りに響き渡るほどのもので、話しているうちに工夫たちが帰っていたことを確認したあとでなくては、とてもとても出来ないことだったわけで。

 だからそのー……ポムと後ろから肩を叩かれて、振り向いた先に彼女が居た時には………正直、生きた心地がしなかった。

 

「それは初耳ね」

「キャーッ!?」

 

 魏王曹操である。

 無言のままに肩を叩いて振り向かせるなんて、普段では決してやらないことをおやりあそばれた我らが覇王は、口の端をヒクつかせながら背筋も凍るような笑みを僕にくれました。

 

「友達だと聞いていたつもりだったけれど、いつからそこまでの仲になったのかしら?」

「かっ……華琳……っ……!? いつから……!」

「そうね。あなたが“ええいくそっ”と表情を引き締めたところあたりからかしら」

「いやぁああーっ!?」

 

 なんでまたこういうタイミングで!!

 というか普通こういう場面って、漫画とかだと困ったタイミングで声を聞いて誤解して逃げ出したりとか、そういうのじゃないの!? それを、話を聞いた上で自分から問い詰めにいくってどれだけラブロマンスから離れてるんだこの状況!!

 ああもう頭が混乱してる! こんな不意打ちってありですか!?

 つか、もしかして蒲公英のやつ、後ろに華琳が居るのをわかってて言ったのか!? いやいやそもそも俺、叫ぶ前に辺りを見渡したんですが!? ……はっ!? ……ま、まさか……あの華琳が、俺の言葉を聞くためにわざわざ背後で気配殺してたとでも……いうのだろうか。

 

「ア、アノー、つかぬことをお訊きしますが。俺が周りの確認をした時は───」

「ここに居たわよ」

「え? …………見えなかった痛い!!」

 

 弁慶が泣いた。

 それは衝撃を受けた右足にシビレが入るような、とても感動的な蹴りだった。

 

「で? 一刀。あなたはこの二人が好きなの?」

「まず言っておくことがあるけど、現時点では友達として、だからな? もっとはっきり言ってくれって蒲公英が言うから叫んだんであって……」

「………」

 

 ジトリと睨んでくるが、嘘は言ってないからそのジト目を真っ直ぐに見つめ返した。

 それで納得してくれたのか、溜め息を吐きながらも「まあいいわ、良いことだもの」と言う。良いこと? ……ああ、支柱の話か。

 

「うわー……♪ お兄様って本当に魏のみんなが好きなんだねー」

 

 と、そんな珍しくも堂々とした俺の態度をそれこそ珍しく感じたのか、蒲公英が感心と驚きが混ざったような顔でそんなことを言う……が、もちろん否定する意味なんてないから、ハッキリキッパリ胸を張って返す。

 

「ああ。大好きだ」

「っ……」

 

 蒲公英の目を見ながらの言葉に視界の隅の華琳が少し肩を弾かせたように見えたが、視線を向けてみてもさっきのまま。……気の所為か。

 

「わおっ、お兄様が言い澱みもなしではっきり言った!」

「へぇ~……ははっ、普段からそれくらい、はっきりと物事を言えるようになったほうがいいんじゃないか?」

『それ、お姉様()にだけは言われたくない』

「なっ、なんでだよっ!」

 

 ともあれ視察も終わり、今日という日もそう長くも続かず終わる。

 気になって「ところで、華琳は今まで何処に居たんだ?」と訊いてみると、きちんと雪蓮との用事が済んだあとは視察を続けていたんだとか。

 ……会わなかったのはただの運の悪さだったことを知り、巡り合わせというものを少し恨んだ瞬間だった。



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81:三国連合/つまりはいつも通りの日常である②

 一日の報告をして、自室へ戻って美羽と合流。

 一緒に厨房へ行くと各国の将が集まっており、大変賑やかな夕餉を迎えることになる。

 もはやいつものことだが料理を作る者の手が足りず、調理に自信のある者が厨房へと助っ人に向かう様は、ある意味勇者のようにも見えた。仕事で疲れて大変だろうに。

 

「祭さん祭さんっ! またあの青椒肉絲作ってもらっていいっ!?」

「おう? なんじゃ、まるで子供のように目を輝かせて、何を言うかと思えば。───かっかっか、こんな大きな子供なぞおらんか」

「子供でいいからお願い! 今日はなんかがっつり食いたい気分なんだ!」

「ふぅむ……」

「あ、あの、兄様? 料理でしたら私が……」

「流琉? あ、じゃあ頼えぐっ!? ぢょっ……ざいざんっ……!?」

 

 なんだかんだで疲れた体に美味しい白米をと意気込んだのはよかった。

 祭さんにご飯が進むおかずを所望したけど、断られそうな雰囲気だったのも……まあ、流琉が作ってくれるならと期待に胸を膨らませた。うん、ここまではOK。

 ただ、流琉に頼もうと振り向いた瞬間、ぐっと襟首を引っ掴まれた。

 首が絞まる思いで振り向いてみれば、ジトリと俺を睨む祭さん。

 

「まったく、お主は作ってくれるのなら誰でもいいのか」

「だ、だっでざいざんっ……げぶっ……嫌……ぞう……だっだ、じ……」

「なんじゃ、男ならはっきり答えんか」

「だばっ……だっべ……の、ど……のど……の…………」

 

 抵抗はしているんだが、祭さん相手に片腕で何ができましょう。

 しかも大変驚いたことに片手で持ち上げられていて、首が絞まって思うように力も籠められないし…………あ、あれ? なんか視界がボヤケてきた。

 い、いやぁああ……祭さんはすごいなぁ……男一人を片手で持ち上げちゃうなんて。

 縄いらずで首吊り死体が完成……で……ってほんとに死ぬわ!

 

「ぐっ……かはっ!」

 

 祭さんの右腕を右手で掴み、片腕懸垂の要領で体を無理矢理持ち上げる。

 それで気道は確保出来た───けど、改めてその体重さえ片腕で支えたままでいられるこの人って何者!? なんて考えるより早く、流琉が祭さんに言って俺を下ろしてくれた。

 そうなると、息を吸おう待ち構えていた気道が一気に酸素を喉に通し、咳き込みそうになるほどの空気が一気に肺を満たす……が、またすぐに吐いてまた吸うを繰り返す。

 

「ぶはぁっ! はぁっ! はっ……はぁーっ! はぁーっ!!」

 

 ああ……空気! 空気だ! 酸素が美味い! うま───…………夕餉食べにきて酸素に感動するなんて、どんな貴重体験だろう。

 

「お、おお……? 北郷、大丈夫───」

「暖かな日常的に死ぬところだった……」

 

 たまに忘れるけど、みんな規格外の力持ってるんだよなぁ……。

 俺が持ち上げようとしたところで、軽くひねり潰されそうだ。

 見た目、筋肉なんてなさそうなのにね。不思議だ。

 

「で……あの、祭さん? なんだってまた人の襟首持ったまま宙吊りなんて……げほっ」

「いやそのなんじゃ……お主がいきなり孺子らしいことを言い出すからな、あー……」

「北郷を自分の子として見てしまいましたか、祭殿」

「へ?」

 

 祭さんの言葉に割り込むように放たれる、突然の声。

 声でもうわかってはいたが、声がした方向を見れば、自分の両肘を掴むように腕を組みつつ呆れ顔の冥琳が、こちらへと歩いてくるところだった。

 

「ぐっ……公瑾、またお主か……」

「“また”と自覚出来るほどあなたが騒ぎを起こすから、私がこうして歩かなければならないのですが?」

「さ、騒ぐほどのことでもなかろうに……儂はなにもしとらんぞ」

「北郷?」

「片腕一本で便利に首吊り他殺されるところでした」

「さ。祭殿? なにか言い訳があるのなら聞きますが?」

「むうっ……わ、儂は北郷ほどの大きな孺子を産むほど、歳を食っておらんわ!」

「それってただ祭さんが勝手に俺を子供として見て、勝手に歳を食ってないって怒っただけじゃない!?」

 

 それで絞められて死にかけるなんて冗談じゃないんですが!?

 ……いや、正当な理由(?)としましては、鍛錬とかでも結構死にそうになることとかあるけどさ。春蘭に追い掛け回された時とか特に。どの道死ぬのは冗談じゃないな、うん。

 しかしそこまで言うと祭さんもすまなそうな顔をして、

 

「……煮るなり焼くなり好きにせぃ」

 

 なにやら男前(?)な言葉を吐いてドンと構えた。

 不思議と被害者である自分が小者に思えてしまうその迫力に、なんだか無償にツッコミを入れたくなる。あの祭さんにここまで観念されると、逆にこっちが戸惑いを───感じてしまった矢先、冥琳がどことなく嬉しそうに言った。

 

「煮も焼きもしませんよ。代わりに祭殿に腕を振るっていただければと」

「なに? 腕を……じゃと?」

「ええ。元々料理のことでもめていた様子。ならば解決の糸口は料理であるべきでしょう」

「………」

「………」

「………」

 

 祭さんと俺と、今まで黙って俺の背中をさすってくれていた流琉とで、冥琳を見た。

 ……なんかちょっと嬉しそうな冥琳を。

 

「……ふむ、料理か。おい北郷、すまんがそれでいいか?」

「え? あ、ああうん、祭さんさえよければだけど」

「男子が遠慮なぞするな。よし、典韋よ、少々手伝ってもらうぞ」

「あ、はいっ!」

 

 流琉が手伝いに参加して、祭さんとともに厨房の奥へと消えてゆく。

 残されたのは俺と冥琳なわけで。

 まあ、とりあえずは呼吸が出来ることを喜びつつ、誰も座っていない椅子に着く。

 ……と、何故か隣に冥琳が座った。

 どうしてか少し上機嫌っぽい冥琳が。

 

「冥琳? 何か用なのか?」

「なに、気にするな」

「や、だって椅子は他にも空いてるのに、わざわざ隣って───」

「気にするな」

「………」

「………」

 

 気にしたらいけないらしい。

 

「……あ。雪蓮が呼んでるけど」

「言わせておけ」

「えぇっ!?」

 

 あの、呼ばれれば歩み、問題をたちどころに解決する冥琳が雪蓮の呼びかけをスルー!?

 ……あ、代わりに蓮華が行って…………あーあーあー……なんか説教が始まった。

 

「……そういえばさ。冥琳って青椒肉絲が食べたくなる時があるって言ってたけど」

「ああ。時折にな」

「………」

「………」

「……あのさ、冥琳」

「うん? なんだ」

「もしかしてだけど、いろいろと言って祭さんを言い負かしたのって、青椒肉絲が食べたかったからってだけ?」

「………」

「………」

「……………」

「……………」

「そんなことはない」

「あの。大変珍しい光景ではあるけど、目を逸らさずに言ってほしいんだが」

 

 照れ隠しなのか、目を伏せながらさらりと自分の髪を持ち上げるようにして払い、これまた不自然な咳払いをした。よく見れば顔も赤いし、自然な仕草で卓に肘を乗せ、広げた手に顎を乗せるようにして口元を隠すが、期待に胸を膨らませてか持ち上がる口角を隠しているようにしか見えない。

 そうまでして食べたいほどに、青椒肉絲が好きなんだろうか。

 ちょっと意外だけど、隣に座る冥琳はやっぱり嬉しそうだった。……まあ、祭さんのことだから大盛り以上の特盛りで作ってそうだから、食べる人が増えるのは嬉しいが。

 

  ……それから少しののち、青椒肉絲がどんぶりに入った白米とともに運ばれる。

 

 もちろんがっつり食べるつもりだった俺は、こんもりな青椒肉絲とご飯を前に口の中を唾液でいっぱいにし、それを飲み込むと早速食事を開始する。

 ぱくりと食べれば広がる豊かな味わい。

 濃い味付けで、その味加減が薄味に慣れたこの時代では大変ありがたい。

 箸でこんもりと取っては大口を開けて頬張り、軽く味わうと今度はご飯を詰め込み、頬をパンパンに膨らませながら咀嚼する。

 よく噛んでから飲み込めば、米が喉を通る食感が心地良い。

 場所は違うけど、これぞ“よくぞ日本に生まれけり”って喜びだなぁと痛感。

 米があってよかった。本当によかった。

 昆布出汁とかはまだ我慢が利くが、米が無ければ暴れていたかもしれない。

 で、暴れたら暴れれたで簡単に押さえられて、正座で説教される自分が目に浮かぶほどに容易く想像できた。

 

「うん、うん……」

 

 食べ方は豪快に。しかししっかりと味わう。

 ああ、この口の中に広がる味の濃さ。そしてそれを受け止める白米のありがたさ。

 たまりません。

 

「………」

「………」

 

 それを味わうもう一人……美周郎は、やっぱりどこか嬉しそうに食べている。

 急ぐわけでもなくしっかりと味わい。

 食べる仕草も綺麗で、見る人が見れば……たとえばフランチェスカのお嬢様方の誰かが見れば、きっと“ホゥ……”と溜め息を吐きたくなるような綺麗な姿勢。

 なのに、じっくりと見れば綺麗というより可愛さまで見えてくるのが微笑ましい。

 本人には絶対に言えないことだが。

 

「祭さんご飯おかわりっ!」

「やれやれ……相変わらず食いっぷりだけは男らしいのぅ」

「祭殿。私にも次を」

「……公瑾。お主は多少は遠慮を見せたらどうじゃ」

 

 俺と違ってどんぶりメシではないから、白米が無くなるのが早いのはわかるが……それでもどこか笑顔が混ざったお代わり宣言を見るたび、どうしても綺麗というよりは可愛いって意識が先に立つ。

 その姿が意識の中の子供の冥琳と重なって、子供の頃はこんなだったのかなぁと想像をしてしまう。

 

「黄蓋さんの料理は、少し味が濃い目に作られてるんですね。なのにそんなにしつこくないなんて……」

「単に儂の好みの問題じゃ。これが嫌だと言う者もおるじゃろう。……この二人はどうにもそういった例外ではないようだが」

 

 「私のも食べてくださいと」出された流琉の料理も食べながら、ご飯を掻っ込む。

 腕が痛むが知りません。この食事の時にのみ全力を以って氣で繋げ、痛覚なんぞ置き去りにするつもりで食を楽しんだ。

 ああもう、ご飯が進む。

 舌に馴染んだ味付けに、やはりご飯を噛まずにはいられなくなる。

 ……などと、周りの目も気にせずガツガツと食べていたからだろう。

 こちらを気にする人の数が増え、遠慮を知らない者たちは「美味しそうなのだ!」とか「みぃにも食べさせるのにゃ!」とか言いつつ摘んだりしている。……食べてしまえば、欲しくなるのはご飯。

 集った人達が次々と白米を所望する中、ただ俺と冥琳の食べっぷりを見守っていた祭さんと流琉が、いつの間にか給仕係りのようにご飯や料理作り担当になってしまい……いや、そりゃあ最初から手伝うつもりで料理を始めたんだが、これは予想外だっただろう。

 

「へえ……濃い味付けも工夫次第ね。到着後の宴会時にも食べたけれど、一口だけではわかりきれないものね」

「祭ー、お酒飲みましょお酒ー♪」

「うわー、この青椒肉絲、美味しいー♪」

 

 で、気づけば各国の王まで近くに座る始末で。

 

「三人とも、いつの間に……てか、いいの? この騒ぎ鎮めなくて」

「あら。一刀? 私が祭り前の興奮を無理に押さえつけるほど、野暮な王に見える?」

「そうは言うけどさ」

「そうよー? せっかく楽しいんだから、無理に押さえつけるのはつまらないわよ。それより一刀、“日本酒”のほうはどうなの? 私結構楽しみにしてるんだけど」

「まずは酵母がどう働いてくれるかだな。菌や酵母は酒蔵の作りや位置によっても変わってくるらしいから、それが上手く合えばいいんだけど」

「……よくわからないけど、美味しいの期待してるから」

「……はぁ。飲むこと専門な人は、過程なんてどうでもいいんだろうなぁ」

 

 言いながらも食う。

 言いながらも飲む人とともに、喧噪の渦中で笑いながら。

 皆が賑わう中、さすがに一緒に食べ始めた冥琳もそろそろ満腹のようで、箸を置いて身を正していたが、それでもかなりの量を食べたはずだ。

 俺もそろそろ満腹で、最初に出された分をぺろりと平らげたあたりで箸を置いた。

 どんぶりメシって、不思議と茶碗で食べるよりもいっぱい食べられたりするんだよな。

 茶碗で3杯が難しくても、どんぶり二杯が何故か食べられたり。

 おかずの効果が高いからだろうか。まあいいか。美味しかったことに変わりはないし。

 

「祭さん、流琉、ご馳走様」

「やれやれ……ちょいと首根っこを掴んだだけが、まさかこんなことになるとはのぉ……」

「軽い気持ちで人を締め上げた罰と受け取ってほしいものですね」

「口が減らんのぉ公瑾。素直なのは飯を食らっとる時だけか」

「ああ、確かにいたたたた!? ちょ、なんで抓るの!」

「食事をしていた私の姿は忘れてもらって結構だ」

「顔、赤いぞ?」

「~…………気の所為だ」

 

 でもなぁ、実際に素直だったし。

 美味いかと言われれば素直にこくこくと頷いた瞬間なんて、恋を思い出させるような素直さだったって。……まあ、自分の行為に気づいてハッとした彼女は、すぐに誤魔化して見せたけど。

 雪蓮は酒を飲みながら、そんな冥琳を見てニヤニヤしてたし、華琳は味の意外性の研究をしていた。桃香は俺と一緒におかわりするほどに食べてて、今はうんうん唸りながら苦しげに卓に突っ伏している。明らかに食べすぎである。

 

「こんな調子が明日はずっと続くのかと思うと、ちょっと……いや、かなり心配だ」

 

 ぐるりと見渡せば、未だ食べている者や騒ぐ者、酒でべろんべろんに酔った者などが大勢居た。各国の将全員が座れるほど広いわけでもないので、立ちながら騒ぐ者や立ちながら食べるものが大半。

 しかし華琳が言うように、それを咎める者は誰も居やしない。

 お祭り前日の夜っていうのは、これくらいが丁度いいのかもしれないな。

 

「………」

 

 さて。

 そんな賑やかさの中、ふと足に重みを感じ、椅子に座りながらも天井を見上げて休んでいた俺が視線を落とすと、そこには桃色の髪。

 誰ですかと訊ねるより先に、それがシャオの髪だとわかったあたりで、祭り気分の騒ぎとは別の騒ぎが巻き起こるわけだが……

 

「あっ! こりゃーっ! 主様の膝は妾のものじゃぞっ! 今すぐ退くのじゃーっ!!」

「んふんっ? それはただそっちが勝手に言ってるだけでしょー? 一刀の膝はシャオ専用なんだから、誰が何を言おうと関係ないもーんだ」

「違うのだっ! そこは鈴々専用なのだ!」

「あー! どさくさ紛れで何言ってんだちびっ子! 兄ちゃんの膝はボクと流琉のものなんだぞっ!?」

「春巻きは黙ってるのだ!」

「なんだとー!?」

「なんなのだー!!」

 

 これぞ、“楽しげな賑やかさ”が急に“殺意を混ぜた騒がしさ”へ変わった瞬間である。

 そこに美以や蒲公英、風や明命、果ては猪々子や恋まで混ざってきて、状況はどんどんと殺伐というか……危険なものへと変わっていった。

 ちなみに猪々子さんに参戦理由を訊ねてみましたところ、

 

「だってアニキの膝枕は落ち着けるし」

 

 だそうで。

 それを耳にした霞や桃香まで参戦してきて、明命に引かれて亞莎が混ざったあたりで朱里や雛里も参戦。

 いよいよ混沌と化してまいりました。

 

「一刀さんってば本当に手が早いですね~、一体その膝で何人の女性を泣かせてきたんですか?」

「膝で泣かすって言葉、初めて聞きましたよ七乃さん」

 

 で、そうなると当然、つつきたがりの七乃さんが黙ってはおらず。

 膝争奪戦で周囲が騒がしい中、指をピンと立てて微笑む彼女は本当に楽しげでございました。思い切り眼前で騒がれるこっちの身にもなってほしい。

 

「ちなみにこの他に、膝に座らせた、または寝かせた人は?」

「え? んー……思春オヒャァアーゥァ!?」

 

 言葉にした途端に頚動脈あたりにちくりとした刺激!?

 視線だけ動かしてみれば、やっぱりいつものヌラリと光る鈴音さんが!!

 そしてぼそりと耳元で囁かれる、「余計なことは口走るな……」という声!

 ……ええはい、黙るしかありませんでした。

 いつも気を張っていた思春としては、あの……魏に向かう道の途中での出来事は、忘れたいことでしかないのかもしれない。

 未だに携帯には、あの瞬間の思春の無防備な寝顔が残されているわけだが……ある意味どころか確実に、あれは貴重な宝といえましょう。

 誰かに……主に蓮華に見せようものなら、死亡を約束されそうで怖い。

 ごくりと喉を鳴らすとともに、肌に張り付くような鋭さが離れていくのを感じ、深い深い安堵の息を吐いた。

 

「……こんなのが続くのかなぁ……ほんと……」

 

 俺の膝だけでここまで白熱できるみなさまを前に、俺はただ明日の心配をした。

 勝者への褒美は各国からというが、その国に求めるものによって褒美は変わるんだろうけど……どうしてだろうなぁ、嫌な予感ばかりするのは。

 ちらりと見た華琳は、何故かちらちらと、俺の膝へと座ってはどかされ座っては邪魔されをするみんなを見ていた。主に鈴々が座った途端に季衣に押し退けられ、その隙に季衣が座って鈴々に押し退けられを繰り返しているわけだが……季衣と鈴々が取っ組み合いになると、その隙に美羽やシャオが座ったり、その二人まで騒ぎ出すといつの間にか風が座ってたり……もう本当に騒がしい。

 そういえば……膝の上のことでは以前、華琳が不機嫌になったことがあったなぁ。

 俺が誰のもので、どういう立場なのかを思い知らせようとした時のことだ。

 あの時は玉座に座らされて、かなりまいったのを覚えている。

 あの時みたいに華琳は不機嫌になるのだろうかと思ったんだが……そんな雰囲気が一向に沸きあがらない。もしかしたら無礼講的なことを言った手前、そんな状況に踏み出せなかったり……? いや、まさかなぁ。

 

「お兄ちゃんは誰を一番膝に乗せたいのだ!?」

「シャオだよねー?」

「兄ちゃん! ボクだよね!?」

「当然妾なのじゃ! のっ!? 主様っ!! のっ!?」

 

 で、いろいろと考えている内にそういう流れになったらしく、普通なら答えづらい質問を鈴々、シャオ、季衣、美羽がしてくるわけで。

 

「華琳」

『えぇっ!?』

 

 だがこの北郷、怯むことなどせぬ!

 キッパリと言ってみせると三人が固まり、他のみんなも驚きの声をあげる。

 でも、訊かれて、ほぼ無意識に出た言葉がそれだったので、きっとそうなのだろう。

 そうなると一気にみんなの視線が華琳に向くわけだが、華琳は咳払いをすると立ち上がり、こちらへ歩いてくると……とすんと俺の膝の上へと腰を下ろした。「急に何を言い出すのよ、まったく……」と呟きながら。

 さて。そうなると周りは何も言えなくなる───わけでもなかった。

 次は誰が座るだのと余計に騒がしくなり、そんな切り替えの早さに感心してか、華琳は体を震わせて少し笑っているようだった。

 

「それにしても意外ね。あなたのことだから、訊かれれば言葉を濁すと思ったのに」

「あ、ああ……自分でも意外だったんだけど、自然と“華琳”って口に出てた」

「そう」

 

 人の膝の上で足を組み、胸に体を預けてくる。

 見下ろしてみると目を閉じて息を吐いている華琳。

 そんな彼女を頭をさらりと撫でると、それを見た麗羽が突然の参戦宣言。

 次に誰が座るかなどを話し、競っているみんなはまったく無視して直接華琳に話しかけると、「さあ華琳さん? そこをおどきなさい」と言ってみせるんだから、麗羽さん怖いもの知らず。

 そんな言葉をあっさりと断られた彼女は強行手段に入り、いつしか華琳と取っ組み合いの喧嘩をしだす始末で……あの。人の膝の上で喧嘩はやめてほしいんだけどなぁ。

 勇気を持ってそう言ってみたら、“あなたは黙ってなさい”的なことを同時に言われた。

 

「…………支柱って……なんだろなぁ……」

 

 やっぱり遠い目をして呟く俺の悲しみを、溜め息を吐きながら肩に手をポムと乗せてくれた冥琳だけがわかってくれていたようだった。

 



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦①

128/武闘舞踏不倒無逃

 

 ひょるるるるる…………どぉんがぁああああああああんっ!!

 

「ぉおわぁあああああっ!?」

「あ、あー……こらあかん……ちいっとばかし火薬の量間違えてもーた……」

 

 お祭り当日。

 静かな空に、大きな爆煙が広がった。

 もちろん花火代わりにするつもりだったのだが、そもそもが真桜が桔梗の豪天砲の弾薬を参考に作ったものだ。少しの匙加減で大爆発もするし、綺麗に爆発したりもしたのだろうが……今回は前者だった。

 空中への射出自体はいつかの部隊演習で使った“隊を分裂させるための射出型狼煙”を改良したもので済ませ、そこに弾薬を乗せて空へと飛ばした結果が、あの大爆発である。

 空気振動でかつてない感覚を肌で感じた俺達だったが、むしろその振動によって、祭りという名の戦を前にしたみんなは咆哮。特に春蘭や季衣や霞、鈴々や焔耶や猪々子、雪蓮やシャオや祭さんは気力充実とばかりに思い切り声を張り上げていた。

 

「あ、あのなぁ……事前にもうちょっと調べておくとかしとくべきだろ……」

「や、きちんとしたで? 同じ量で作ったもんが一日経ったら成長してた~みたいな状況なんよ、これ……」

「嫌な成長だなおい……」

 

 火薬に使った硝石等が乾燥とかの影響で変化したのかとか、細かなことを調べようとする真桜に抑えてもらい、これより三国連合による競い合い祭りを開催いたします。

 ちらりと見てみれば、武舞台の上の地和がマイク(妖術仕様)を使って司会をしている。

 

「宣誓っ! ちぃたちは各国の戦闘意欲に則り! 各国の戦術に沿った“正々堂々”で戦い続けることをここに誓いまぁああっす!」

『うぉおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!』

「ちぃと一緒に戦えるーっ!?」

『はわぁあああぁぁぁっ!!』

「羅馬に行きたいかーっ!!」

『ほわぁああああああーっ!!』

「えぶりばでぃせーい!!」

『地和ちゃん最高ーっ!!』

「らぶあんどぴーす!!」

『地和ちゃん最高ーっ!!』

 

 武舞台には当然観客席が用意されている。

 もちろん段差状になってるわけでもないから、後ろになればなるほど舞台の状況は解らないし見えなくもなるだろう。そこで地和の妖術なわけで。

 舞台上空を見れば、そこには大きく映し出された舞台の様子。

 妖術すげぇ。

 これって、地和が見ているものを映し出しているってことでいいんだろうか。

 ……あと、無理に英語っぽいこと言わなくていいぞ、地和。

 

「さぁ叫べ! 胸を熱くして楽しむことを楽しめー! 祭りとは楽しむことこそが全て! 楽しめない祭りになんの意味があろうかー!」

『おぉおおおおおおおっ!!』

「というわけで、いい感じに熱くなったところで解説者を紹介します。まずは魏にその噂ありと謳われた男! 知らぬ者はそうそう居ない! 魏の種馬こと北郷一刀だーっ!!」

「おいこらっ! もっとマシな二つ名とかないのかよ!!」

「あー聞こえません聞こえませーん」

 

 花火の打ち上げ場から戻ってくればこの扱い。

 これで本当に想われてるのかって、時々疑問に思える。

 今回も例に漏れずそんなことを考えつつ、解説者に用意された席へとストンと。

 そこには既に待っていた者が居て、

 

「次はさすらいの医者! 我に治せぬものは無し! 五斗米道継承者ぁっ!」

『違うっ! ゴッドヴェイドォォオオッ!! だっ!!』

 

 その人物は華佗だった。

 や、一緒に叫んでおいて、今さらではあるが。

 

「なんで一刀まで怒ってんのよ!」

「名前は大事だろ! 名前は正しく言うべきだ! 地和だって“ちーほう”じゃなくて“チワ”って言われたら嫌だろ!?」

「ああっ! 名は大事だ! そしてその方が格好いい!」

「そう! 格好いい!」

「……熱気にやられて暴走した解説者は無視しましょうね。では続けて大会規定をお報せします! 楽隊のみなさーん、盛り上がる音楽よろしくー!」

 

 楽隊が構えた楽器でもって音楽を奏でる。

 それは力強いもので、祭りの開始にはよく合っていた。

 そんな熱いBGMの中、俺と華佗は遠い目をしながらたった数秒前を振り返った。

 

「……なぁ北郷。俺は名前すら紹介されていないんだが」

「名前を呼ぶ前に、ゴッドヴェイドォオで話の腰折っちゃったからなぁ……」

 

 そう、華佗が名前の紹介すらされずに流されたのだ。

 しかしながら話は進み、規定が語られる。

 

「ひとーつ! 武道会において使用する武器は、刃を潰した模擬刀であること! 鈍器ばっかりを使ってる人は優勢この上ないですね! ひとーつ! 降参宣言、気絶、もしくは場外落下などで決着とす! ひとーつ! 戦うからには全力でいけ! ひとーつ! 嘘や策も武力であーる! 武略ってやつね! 戦場で“騙されて負けました”は言い訳にはならーん! ひとーつ! でも対戦者を殺めてしまった場合は打ち首とする! ひとーつ! 仕合が長時間続くようなら没収仕合とする! だから全力で戦え! 殺さない程度に殺す気でいけー! ひとーつ! 当然のことながら観客に被害が及ぶ行為も禁止とす! 被害が及んだら問答無用で敗北! ひとーつ! 文官の勝負において、知恵は武器だが直接攻撃は禁止とす! それがしたいなら武道会に参加しろー! ひとーつ! 種目ごとの最優秀者には既に用意してある各国からの褒美とともに、北郷一刀に好きなことを要求できる権利を得られるものとす! あ、でも死んでくださいとか消えてくださいは却下の方向で。……一人の軍師さんがあからさまに舌打ちをしましたが続けましょー!」

 

 おいちょっと? 猫耳フードさん?

 

「つか、俺になんでも要求できる権利ってなに!? 俺に断る権利は───」

「あるわけないでしょそんなの!」

「なんで俺が怒られてるんだよ! 普通怒るのこっちじゃない!?」

「ひとーつ! これを拒否した北郷一刀には、料理が苦手な者たちが作った料理の味見役をさせるものとす!」

「規定を捏造するなぁああっ! そんなの渡された書類には───あ、あれ?」

 

 用意された簡易解説席の上。

 そこにある書類に目を落とすと…………書いて……ある?

 

「ちなみにこれを考えたのは呉王さんで、各国の王がこれを認めてます」

「しぇぇええええええれぇえええええええん!!!!」

 

 ち、ちくしょうやられた!

 祭りだっていうのに華琳にちょっかい出してばっかりで、あんまり絡んでこないなと安心していたらこのザマだ!

 もう通っちゃったものは覆せないし、うだうだ言って大会の熱気を奪うわけにも! ぬううなんという周到な策! この北郷、まんまと騙されたわ! ……気づかなかっただけだね、うん。

 

「さあさ、解説者の一人が頭抱えて唸っているうちに進めちゃおう! えー、大会は三つに分けて行われます! まずは武! 武官の本領を発揮できる舞台! 言った通り、全力で戦うこと大前提ー! 嘘も武力と判断される今大会! 口でも全力を出して有利にことを運びましょう! 次に知! 文官が輝く舞台! 地味さはどうしてもでるだろーけどそこは盤面を見ながら、自分も次にどうするかを考えて緊張を盛り上げよーう!! 最後に総合! 武と知を合わせた様々で乗り切り、武、または知で遅れをとった点数を稼いじゃおう!」

『うおぉおおおーっ!!』

「総合にはそれぞれ、各国の将から提案されたもの! その中から選んだいくつかが競争内容となります! 練習することも許されなかったので、あくまで内容は公平であると信じましょう!」

『おぉおおおおおおおーっ!!』

「それでは開幕、宣誓、規定通達を終わります! よーっしそれじゃあ気合入れていくんだから、声を大にしていくわよーっ!? 三国総合主催! 三合一治天下一品武叡祭(さんごういっちてんかいっぴんぶえいさい)! はっじめぇええーっ!!」

『ほわぁあああーっ!! ほわっ! ほわぁああああーっ!!』

 

 観客である兵や民、大会には出ない武官文官が叫ぶ。

 腕がこのザマで何も出来ないなら、せめて俺も一緒に叫びたかったが……今叫んだら大変なことになるもんな。

 司会者および解説者には、小さな水晶がくっついたマイクが渡されている。

 だから叫んだりすればその音が拡大拡散状態となり、鼓膜を(つんざ)くのは想像に容易い。

 現に先ほど、雪蓮の名前を叫んだ時は……地和だけじゃなく、いろんな人達に睨まれました。はい。

 

「それでは早速武道会一回戦目! 組み合わせはこの二人! まず一人目! その武、もはや語る必要無し! 三国無双、呂奉先だぁーっ!!」

「………」

 

 名を呼ばれ、武舞台の奥の控え室という名の建物から現れたのは、まさかの恋。

 案外、勝負にならないから出ないと思ってたのに……。

 

「対する相手は……ていうかそもそも誰が当たっても散々な結果になりそ……」

「そういうこと言わないっ!」

「ああもうわかってるってば。それじゃ気を取り直して。対するは! ……あ、ちなみに組み合わせはきちんと本人たちによるくじ引きで行なわれているので、誰と当たっても本人の運以外を恨むことは出来ませんからね? もちろん誰と戦うことになっているのかは、本人たちにも知らせていません! 名前を呼ばれたらすぐに出てきましょう! はい! というわけで対するは李曼成選手ー!」

 

 ……わあ。

 奥のほうから「いやぁああーっ!?」って泣き声が聞こえた。

 つーか参加してたのか、真桜……。

 

「さーあもういろいろと覚悟して、ちゃきちゃき出てきちゃってくださーい!? 出てこないんだったら不戦敗になりますよー!? そんなことになったら敵前逃亡とみなされ、我らが覇王様になにをされるかっ!」

 

 地和がそんな想像に容易いことを言った矢先、武舞台の出入り口の奥から慌てて出てくる真桜さん。螺旋槍をしっかと握り、ズチャッと恋の前に立つその顔は───! …………たぱーと流れる涙で濡れていた。

 

「さてさてそれじゃあ対戦者が揃ったところで! 銅鑼係さーん!? お願いねー! ───第一仕合! はじめぇえええーぃっ!!」

 

 ゴワァーンッ!! ……地和の掛け声とともに銅鑼が強打され、場を揺るがす音の衝撃が響く。と同時に真桜は螺旋槍に氣を込めて高速回転させ、恋は───

 

「最初から……っ……全力───!!」

「え? うえぇっ!?」

 

 結構な距離を離れていたにも係わらず、地面を蹴り弾くとたった一歩で間合いを詰め、片腕で振るう模造方天画戟が螺旋槍ごと真桜を吹き飛ばした。

 慌てて螺旋槍を盾にしたのがよかったのか、吹き飛んだ真桜はそれはもう豪快に場外に吹き飛んだが、まあその……一命は取り留めた。壁に盛大に激突して、目を回して気絶してるし、模造螺旋槍は無惨な姿だが。

 

「……地和、司会司会」

「…………うぇっ!? あっ、こ、これは驚きだーっ! あまりの出来事に呆然としてしまいましたっ! 一撃! 僅か一撃! それも開始からほんの僅かな時間しか経っていませんっ! しかしこれが仕合! これこそが仕合! 第一仕合、呂奉先選手の勝利ですっ!」

『……………』

 

 呆然と固まっていた地和に声をかけて、地和も勝利者宣言をしたのだが……観客は固まったままだ。そりゃそうだ、いくらなんでも圧倒的すぎる。

 

(さ、さすが武力100……武器を破壊してなお相手を吹き飛ばすって……)

 

 月と詠が介抱してくれている真桜をちらりと見る。むしろその傍に無惨に転がるカタマリを。

 

(あの時、衝撃吸収してすぐに返さなかったら、俺も左腕どころか全身がああなってたんだよなぁ……硬いからこそ、へしゃげるだけで済んだんであって、人体のような柔らかいものが三国無双の一撃を受ければ……)

 

 背筋が凍る思いが再来した。

 そんな俺の心内など知らんのだろう、恋は戟を両手で胸に抱くような格好でこちらをちらちらと見てくる。……エ、エェト、ナンデショウ。褒めてあげればよいのでせうか。

 あれが先ほど、人間を武器ごと吹き飛ばして見せた人なわけですが、このギャップはどうしたことか。なにやら見つめられると頭を撫でなくてはいけない義務感に駆られるような……!

 

「さーさーそれでは次にいっちゃおう!」

 

 と、よくわからない衝動に誘われるままに走り出しそうになる俺だったが、地和の言葉に自分を止めることが出来た。そうそう、解説者が持ち場を離れちゃいけないだろ。つーか今の戦いに関しての解説を要求されなかったんですが……ああ、まあうん、すごい速さで近付いてすごい力で吹き飛ばした、としか言いようがないもんなぁ。むしろ槍を回転させることしか出来なかった真桜の傷に、塩を塗るような行為にしかならないだろうし。

 

「第二仕合! 武力90対武力87の戦い! まずは頭の中まで戦でいっぱい! 華雄選手だぁーっ!!」

「我が斧に断てぬもの無しッッ!」

「あ、ちなみに。自分を負かした男の嫁になるそうなので、自分に自信のある人は是非とも挑戦してみよう! ───対するは! 蜀に立つ耳年増! ちっちゃな体に大きな欲望! 馬伯瞻(はくせん)選手だぁーっ!!」

「なんかたんぽぽの紹介ひどくない!?」

「でもあんたの従姉さん、あちらで腕を組みながらうんうん頷いてるけど?」

「ちょっとお姉様ー!?」

 

 観客がドッと沸く。

 そんな愉快劇場を前に、蒲公英は顔を真っ赤にしたまま、手に持つ槍……影閃を構えた。

 一方の華雄は、たぶんホヤホヤ(出来たて)の斧を嬉しそうな顔でルフォンと振り回し、その石突きで武舞台を叩く。門番が門前で通せんぼするかのような威圧感ある構えだ。

 でも顔は緩んでる。武器が出来たのが、間に合ったのがそんなに嬉しいのか、華雄。

 

「では始めましょう! 第二仕合! はっじめーっ!!」

 

 高鳴る銅鑼。

 同時に駆けたのは華雄。

 蒲公英はそれを受け止めるつもりなのか重心を低く構え、接近とともに振り下ろされた爆斧の一撃を……斜に構えた槍で地面へと逸らし、その構えをそのまま攻撃へと転ずる。

 

「えいやぁっ!」

「甘い!」

「えっ? ふわぁっ!!」

 

 しかしながら、華雄はその蒲公英の攻撃に斧を端を乗せるとともに斧を振り上げ、それをそのまま攻撃に転じさせる。が、咄嗟に後方へと足を弾かせることでそれを避けてみせる蒲公英。

 

「うわー……そんな重そうなの持ってるくせに、戻しが早いって……これだから脳筋は」

「フッ、脳筋がどうした。己が鍛えたものを見せ付けてなにが(あく)か! 何が武か! 一点を極めんとすること即ち武の昇華! 文を犠牲にした結果がそれだというのなら、私は武こそを誇り、文に対する侮辱など切り捨てよう!!」

 

 言って、金剛爆斧を振るう華雄の目つきは鋭いまま。

 怒りがあるわけではなく、ただただ戦を楽しむ者の目をしている。

 

「聞きましたでしょーかみなさん! 武を誇れるなら馬鹿でいいという華雄選手の言葉! 素晴らしいと言っていいのか判断に悩みますが、強ければそれでいいのだという構え方はきっと素晴らしい!」

「だから大声でそういうこと言うなって言ってるだろー!? 誰も馬鹿でいいとか言ってないだろーが!」

「えー? ちぃにはそうとしか聞こえなかったけど? じゃあ一刀はどう聞こえたのよ」

「え? 俺? ……普通に“武こそが我が誇り”ってことだろ?」

「でもそれって文に関することは聞かないってことじゃない。つまり馬鹿───」

「はいちょっと待った。……司会者さん。魏武の大剣様の前で同じことが言えますか?」

「……あ……なんかすごく納得できた。あと言えない」

 

 言ったら“なんだとぅ!?”から始まる言った覚えのない言葉を放ちつつ、襲い掛かられるであろう未来が容易に想像できる。

 でも脳筋だって一方を極めんとした結果なんだから、それでいいんだと思うぞ?

 どっちも中途半端で何も出来ないよりかはよっぽどさ。

 前にこの世界に降りた俺がそうだったんだ、説得力は満点さ! ……悲しいけど。

 でも、広く浅くも悪くない。人を支えるって意味で、これほど頼りになる人はそうそう居ないぞぅ? 多才って素晴らしいことさ。

 

「さあさあそんなことを言っている間に、舞台の上では激しい攻防が繰り広げられております! 素早く動く馬岱選手に対し、豪快に動く華雄選手! この戦い方をどう見ますか、華佗のおじさま!」

「ああ。一言で武とは言っても、その在り方は様々だ。力任せだけでは、相手に振り回されるままに終わることもよくある。馬岱は相手の動きをよく見て立ち回っているようだが、華雄もまたよく見ている。そして俺はまだおじさんじゃない」

 

 華佗の言う通り、蒲公英も華雄も相手の動きに相当に注意して動いている。

 特に華雄だ。

 第三者として見るからこそわかるが、蒲公英が細かな動きの一つ一つで攻撃を誘っても、それに乗らずにどんと構えている。逆に蒲公英のほうがしびれを切らして攻撃に転じるのだが、そこを突かれて慌てて防ぐ、といったことがたった今起こった。

 

「馬岱は大勢に見られていることを意識しすぎている。この大歓声が自分に向けられているのだと考えれば、それもわからないでもないが……冷静にならなければ押し切られ、負けるだけだろう」

「あ……なるほど、蒲公英らしいかも」

 

 いいところを見せようと張り切るのは悪いことじゃないだろうが、そういう時ってポカをやらかしやすいんだよな。というか……俺が出たとしたら、もっと緊張してダメダメだっただろうなぁ。

 蒲公英の場合、自分の鍛錬を人に見せようとはしないイメージがある。影で努力して実力だけ表でって感じだな。だから大勢の前での力の誇示には慣れていないのかもしれない。

 

「うぅうっ……あの脳筋みたいに、誘えば簡単に引っかかると思ってたのにっ……!」

「フフフハハッ! 私をそんじょそこらの脳筋と同列に見るとは愚かなっ!」

 

 でも、華雄もあれで、結構流されやすいというか……冷静じゃないんだよなぁ。勢いづくと止まらないというか、自分が勝っている状況になると勝つことしか頭に入らなくなる。

 案外泥仕合になるのかと心配してしまう状況の中、それでも二人の攻防は素早く、そして力強いままに続く。一撃が一撃を弾く音はよく響き、そんな音が高鳴る度に観客は沸き、息を飲む。

 それは当然の反応だろう。

 兵は何度か見たことがあるだろうが、民がそれを見るのは基本的に初めてだ。

 むしろ兵であっても、こうしてまじまじと将同士の対決を見ることなど稀だ。

 今までの会合の中、どんなことがあったのかは詳しいところまでは知らないが、どちらにしろ何度も見れるほど安いものじゃない。

 今も華雄の剛撃が蒲公英の槍を強く弾いた。それだけで、見ている側にも緊張が走る。

 

「ふわぁっ!? ~っ……っつぅう……!」

「ふははっ! どうした! 動きが鈍くなってきているぞっ!」

「そう見せてるだけだってばっ! このっ!」

 

 縦の一撃を防ぐ蒲公英は、その威力に歯を食い縛って耐えていた。

 返す一撃は容易く逸らされ、再び一撃を返されては焦りを顔に浮かべてゆく。

 

「おーっとこれはどうしたことかーっ! 見る間に馬岱選手の動きが鈍くなっていっています! 解説者の華佗さん、これはいったい!?」

「ああ……上手いな。相手の攻撃に合わせ、その攻撃を己の剛撃で弾く。そうすることで避けることを許さず、確実に相手の手を痺れさせていっている。己が振れば馬岱はただ避けるだけだが、相手の攻撃に合わせれば避けるもなにもない。だがこれは相当な反射神経と腕力が無ければ出来ないことだ」

「おおお……実は凄かったんですね華雄選手!」

「実は、とか言わない」

 

 汜水関では愛紗と当たってなければまだ……とも思うし、そもそも普通に強いって。

 むしろ数多のゲームに出てくる華雄は、おかしなくらい強いほうだろう。

 いや、ゲームは関係ないけどさ。

 

「ふっ!」

「うあっ!?」

 

 華雄が詰める。

 蒲公英は下がりながらも一撃を受け止め、しかしその一撃こそが影閃を握る手を痺れさせ、体勢をも崩させる。

 だが足までが痺れたわけでもないと、蒲公英はさらに距離を取るが……すぐ後ろは既に場外すれすれ。そのことに気づき、反射で自分の足元を見下ろしてしまった瞬間だった。

 華雄が地を蹴り、一気に間合いを殺し、放つは横薙ぎの一閃。

 右にも左にも避けられず、受け止めれば落ち、堪えようとしたところで痺れた腕でどこまで保つか。そう考えた頃には───

 

「待ってましたぁっ!」

「なにっ!?」

 

 蒲公英は攻撃を受け止めるのでも左右に避けるのでもなく、地面に槍を突き立て、それを台にするように自分の体を宙に逃がした。

 当然、振り切られた爆斧がその槍の柄を撃ちつけるが、その頃には蒲公英の体は場外の傍から離れている。

 さらに言えば、入れ替わるように場外間際で焦りを見せる華雄目掛け、着地と同時に一気に詰めに入った。といっても突き落とすだけで勝負はつくのだが───

 

「甘い!」

「ふえっ……!?」

 

 トドメとばかりに突き出した影閃。

 しかし華雄はそれを振り向きざまに手で掴み、握った柄に渾身を込めて……なんと片手で蒲公英ごと持ち上げてみせたのだ。

 

「う、えっ!? えぇええええええっ!!? うわっ! わぁああっ! ちょっと待っ」

「っ───せぇええええいっ!!」

「ひぃやぁあああああああああっ!? けぴゅうっ!?」

 

 そのままの勢いで、場外へと蒲公英を叩きつけた。

 途端に、大地が揺れんほどの大歓声。

 

「すンごぉおおおいっ! 武器と武器との勝負かと思いきや、まさかのそれこそ“武”の勝利! 相手の武器を掴んで投げ飛ばすなんて普通は思いつきませんが、確かにこれぞ武! 第二仕合、華雄選手の勝利です!!」

『はわぁあああああああああああああーっ!!』

 

 割れんばかりの歓声の中、華雄はフッと笑い、その歓声に応えている。

 観客たちにしても、“華雄の負けかな”と思った矢先のアレだ。声もあげたくなる。

 

「解説者のお二人さん、今の戦いをどう見ますかっ?」

「武の勝利だな」

「武の勝利……だよなぁ」

「はいっ、まったく参考になりませんが、ちぃもそうとしか言えないのでこれにて終了! 勝者の華雄さん、なにか一言!」

「フッ……我が斧に開けぬ道は無し!」

「や、それなら斧で勝ちなさいよ……というわけで第二仕合しゅーりょーっ! ちゃっちゃと次にいっちゃいましょう!」

『うおぉおおおおおおおおおーっ!!!』

 

 武の勝利で終わった第二仕合。

 勝者は控え室へ、敗者は……失神してるのか、運ばれていった。

 そりゃ、あの位置から地面へ、顔面からびったぁーんだもんな、失神くらいする。

 



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦②

「さぁ続きまして第三仕合! 玄武の方角! 魏の武即ち我が得物! 魏武の大剣! 夏侯元譲選手の入場です!」

「ふははははははっ!! 誰であろうと構わん! 臆さぬならば! かかってこい!」

「白虎の方角! 蜀の腕力我にあり! 主一筋幾年月! 魏文長選手の入場です!!」

「我に勝てる奴はいるかぁあーっ!!」

「ここにいるぞぉおおーっ!!」

 

 お約束とばかりに焔耶が叫び、春蘭がそれを返す。

 途端に覇気と覇気がぶつかり合い、一瞬だけ周囲から音が消える。

 が、それもまさに一瞬。拍子を置いた先には大歓声と、ニヤリと笑う二人の姿。

 

「さ、さあ息が詰まる第三仕合! なんかもう間近で司会しなきゃいけないちぃのことも考えてってくらい、息苦しい状況ではありますがっ、引き受けたからにはやりましょう! あとで一刀が可愛がってくれるって条件つきだしっ!」

「聞いてないんですけど!? え!? なにそれ!」

「第三仕合! はっじめぇええーっ!!」

 

 俺の戸惑いまったく無視で開始される第三仕合。

 二人がとった行動は全く同じで、真正面からの衝突だった。

 一方は大剣を、一方は金棒を豪快に振るい、トラックの衝突事故でもあったかのような轟音で、場の音を支配した。

 開始の銅鑼の残響さえも掻き消すそれは、その音が肌を刺激するほどのものだった。

 

「ふははっ、力が自慢か! いいぞっ、そういう相手はわかり易くていい!」

「同感だっ! だが───勝つのはワタシだ!!」

「ふっ、ぬかせっ!」

 

 まるで狂った祭りを見ているようだった。

 大太鼓でも鳴らす祭りの漢たちのように、どがんどがんと武器を合わせては空気を振動させる二人。風圧さえ感じる遠慮なしのフルスウィングと、ぶつかり合うたびに散る火花がその威力を物語る。

 しかも互いに一歩も引かないものだから、音も風も絶えることなく続いている。

 

「あーもーうるさいっ! どうにかならないのこの音ー!」

「頑張れ司会者ー」

「耳塞ぎながら言っても説得力に欠ける! もう一刀が司会してよ! むしろしなさい!」

「無茶言うな! 俺はお前や蒲公英ほど口が回らないんだよ!」

「……ほっといても女を口説く言葉は吐くくせに」

「いつしましたか!? そんなこと!!」

 

 言ってる間も高鳴る轟音。

 あの金棒に大きな穴でも開いていれば、それこそ鐘を打つ音を何度も聞かされるような状況になっていただろう。

 つか、あの金棒を怯むことなく何度も振るえる腕力ってどうなの?

 打ち合い、やったことあるけど、あれって数度耐えられればいいほうだぞ? どっちも。

 

「ははははは! なるほど! 心地良い撃だ! 相手を潰そうとする……ただそれだけのための一撃のなんと心地良いことか!」

「ワタシの撃が心地良いだと……!? ならば目を覚まさせてやる! はぁあああっ!!」

 

 見てわかるほどに、焔耶の腕の筋肉が隆起した。

 それを確認した直後にさらに大きな音。

 剣ごと腕を後方へ弾かれた春蘭が驚きの表情を───見せず、笑ってる!?

 

「心地良いだろう! 小細工無しでぶつかるこの瞬間! わからんとは言わせんぞ!」

「なっ!? くぁ───っ!? ……ふふっ、なるほど、そういうことか!」

 

 後方へ弾かれた分だけ乗った反動を、そのまま勢いとして焔耶へぶつける。

 それを金棒で受け止めた焔耶だったが、今度は自分が勢いに押されて後方へと弾かれた。

 ……それが引き金だ。

 最初から全力でとはいったが、様子くらいは誰だってみようとする。

 しかし今の一撃ずつで枷のようなものが外れたのか、二人は一度、目を細めてから開くと……もう止まらなかった。

 先ほどよりも早く、先ほどよりも重く。

 それこそ全力で振るわれる一撃一撃が、身が震えるほどの音を立て、沸いていた観客を静まらせた。

 “音だけでそんな”と思うかもしれないが、刃物の切れ味なんてみんな知ってるし、鈍器の破壊力も知らないわけがない。ヘタをすればそこいらに転がる石でだって人は殺せる。

 そんなものがあんな巨大なものとして存在し、しかもあの速度で振るわれる。

 それを間近で見せられては、息を飲む以外に出来るわけもない。

 

「地和……! おい地和!」

「えっ? あ、───」

 

 その迫力に飲まれ、同じく固まっていた地和に声をかけ、離れるように言う。

 慌てて、というか恐れるように小走りにこちらへ来た地和は、武闘場の中心を見て、やはり息を飲む。

 だって、まるで暴風の中心だ。

 竜巻みたいに中心が穏やかだとか言うのではなく、あれこそが暴風を生んでいる。

 激しい音と破壊力。ほんと、暴風そのものだ。

 

「………ん?」

 

 だが、それも次第に弱まりを見せた。

 いや、弱まりというよりも、途絶えた。

 

「私の勝ちだな」

「くっ……!」

 

 先ほどまで打ち合っていた武器はしかし、一方が一方の喉に突きつけられていた。

 それは……春蘭の七星餓狼だった。

 これには俺も地和も呆然としてしまい、未だ耳に残る残響に頭をくらくらさせながらも決着を疑った。

 

「線と棒との差が出たな」

 

 しかしそこに解説を入れてくれたのは、僕らの医者王華佗先生。

 

「え……? せ、線と……棒……?」

「し、知っているのか雷電」

「ああ。夏侯惇が振るう得物は寝かせれば線。しかし魏延が振るうのは面積の多い楕円に近いもの。しかも重量もある。あれだけ振るい、弾かれる力も勢いも増した状況だ。勝敗を決めるのは腕力だろうが、そこにはいくつか問題が出てくる」

「……あ。空気抵抗」

「そうだ。なにを馬鹿なと思うだろうが、僅かな抵抗だろうがそれが連続して起これば、その僅かが勝敗を決めることもある。まさに水滴の一粒が岩を貫く僅かな差の勝利だった。……そもそも、剣で金棒を弾き返せる夏侯惇が規格外だったということもあるが。それから俺は雷電じゃない」

「へぇー……じゃあ魏延選手の武器が、夏侯惇選手と同じものだったとしたら?」

「……鈍器ではなく、剣術で夏侯惇に勝てる自信があるのなら奨めよう」

『無理だね』

 

 俺と地和の声が重なった。

 いや、ていうかな。空気抵抗で決着がつくのも驚きなら、剣で金棒を打ち返す春蘭の腕力にも驚きだよ。なによりも七星餓狼(レプリカ)の耐久力に驚きだ。

 と、そこまで喋ると地和が解説席から離れ、舞台の中心に駆けようとするのだが……先ほどの暴風にあてられたのか、少しふらついた。

 

「大丈夫か?」

「も、問題ないわよっ! 舞台上で震えてて、数え役萬☆姉妹が勤まるもんですかっ!」

 

 おおプロだ。

 今度こそ元気に駆け、第三仕合終了を宣言する地和が輝いて見えた。

 ……よく見ると足が少しだけふらついているが、それも少しの間だ。

 その少しが過ぎればしっかと立つ彼女がそこに居て、続く第四仕合の選手紹介を始める。

 

「玄武の方角! 魏より登場するは魏の常識人! 夏侯妙才選手の入場です!」

「……私の紹介は常識人というだけなのか」

「待て秋蘭! それは貴重なっ……! 大ッ変ッ! 貴重な言葉だ! それだけで俺がどれだけ救われるか!」

「……熱くなる気持ちはわからないでもないが、あとの言い訳は考えておけ、北郷」

「え? ……ア」

 

 思わず放ってしまった言に、地和を始めとする魏の皆様に睨まれていた。

 だ、だって仕方ないじゃないか! 仕方ないよな!? 誰だってきっとそう思うよ!?

 

「さ、一刀はあとでどうとでもするとして。対戦者の紹介です! 白虎の方角! またまた魏対蜀! 強さの秘密はメンマにあり!? 趙子龍選手の入場です!!」

「はっはっは、武の高さがメンマに通じるなど…………実は通ずるものがあるやもしれぬ」

「そこっ! 本気で考えない!」

「ふふっ、なに、ほんの冗談にござる。さて、夏侯妙才殿。槍と弓の戦がどのようなものになるのか、大変興味があるが───大衆の手前、王の御前。負けてやるわけにもいかん」

「当然だ。わざと負けるようなことがあれば、全身に矢を点てる程度では済まん」

 

 二人が構える。

 弓と槍の対決だが、普通に考えれば距離を保ち続ければ秋蘭が有利、近接になれば星が有利ってことになるだろうが……そうはいかないのがこの世界の将だしなぁ。常識的に考えちゃだめだ。

 

「そーれではいってみましょー! 銅鑼係さんお願いしまーす! 第四仕合!」

 

 地和の言葉に合わせて身を捻る兵の一人。

 その先には大きな銅鑼。

 

「はっじめぇーいっ!!」

 

 言葉が放たれれば、銅鑼もまた音を放つ。

 銅鑼叩いて、間近であの音を聞いて、耳が痛くないのだろうか。

 ……と思ってたら、叩いて早々に耳を塞いでいた。

 そうだよなー、やっぱ大きいよなー。

 とか仕合とは関係ないところを見てないでと。

 あ……ついでに言うと、いくら待っても朱雀の方角からは誰も来ない。

 地和が言っている四神の方角は、言葉通り三国の方角のことなのだ。

 四神はそれぞれ東西南北を守護する者。

 青竜は東、つまり呉。

 玄武は北、つまり魏。

 白虎は西、つまり蜀。

 そういうことになってるから、南はいつまで経っても呼ばれない。

 南っていったら……南蛮? じゃあ美以が来れば……って、もう美以は蜀だしなぁ。

 

(って、誰に言ってんだか)

 

 気を取り直して秋蘭と星の戦いを見る。

 一気に接近しようとした星に対し、流れるような、しかし異常な速さで矢を番え、四本同時に放つ秋蘭。けれどそれも駆けながら槍を回転させることで器用に弾き、回転の遠心力をそのまま使っての、刺突ではなく薙ぎ払い。秋蘭はそれを後方へのステップで躱し、既に番えていた矢を放ってわざと防がせると、距離を取る。

 

「うわぁあ……」

「え? え? ちょ、ちょっと解説者のお二方? 今なにが起きたの?」

「ああ。今のは趙雲が先に仕掛け、夏侯淵が───」

 

 華佗が解説に入ろうとした先でも攻防は展開されている。

 一つを理解する間に疑問は次々と増え、というか二人とも動きが早すぎ!

 二人で解説しても間に合いやしない!

 

「おぉおおおお! 一見近寄られれば不利に思われた弓使いでしたが、なんと近寄られても負けておりません! それどころか上手く捌いて押している時があるほどです!」

 

 矢を放つ速度が増してゆく。

 一度に四本だったものが五本、六本と増え、今は八本。

 星が避ける方向を予測し、瞬間的にそこへ目掛けて構えようとも、放った矢がブレることもない。空を裂く矢は見事に星の体裁きの先を掠め、星はフッと笑ってみせた。

 

「なるほどなるほど、確かに見事。夏侯妙才の弓術とは、これほどだったか」

「涼しげなことを言いながらも弾くか。まったく、底の知れぬ者だ」

 

 言葉の通り、笑みを含めて話している間もひっきりなしに動き、放たれた矢を弾いたり避けたりを続けている。

 息は乱さず、顔に険しさも焦りも見せず。

 

「はっはっは、表情に弱きを見せること、即ち自分の弱さを見せるも同じ。望まれずとも、疲れていようが笑ってみせよう」

「なるほど。だが、表情や呼吸を乱さずとも、流れ落ちる汗までは誤魔化せん」

「む……やれやれ、これは一本取られたか」

 

 くすりと笑うと、槍をヒョゥンと回転させて構え直す。

 表情は笑ったまま。

 しかし、感じる気配はとても冷たいものだった。

 

「弓の匠、存分に味わわせてもらった。ならば私は槍の匠をお見せしよう。なに、私の槍が大陸最強と云うわけではない。しかし、匠ではないとは言わせぬ技量程度はお見せする」

「ほう……それは楽しみだ。……見せる場があれば、だがな───!」

 

 言うや、秋蘭が矢を放つ。

 番えた矢の数───十! 矢の連なりが一斉に星を襲い、星は───

 

「ふっ!」

 

 一息を吐き、迫る十の矢を───あろうことか矢の先を槍で穿ち、十本全てを破壊してみせた。

 

「な……に……!?」

「……ふぅ。さて、いかがだったかな?」

「……匠ではないなどと、どの口が言う。叩き落されたことはあっても、鏃を突かれて破壊されたことなど初めてだ」

「はっはっは、夏侯妙才に褒められるのは悪い気はしないな。……ではどうするか。続けますかな?」

 

 槍を斜に構え、どこか憂いを帯びたような表情で星が言う。

 そんな言と視線を受けた秋蘭は……小さくフッと笑い、首を横に振った。

 

「なるほど? 見事だ。が、あれほど技。そう何度も使えるわけでもないのだろう?」

「おや? 何を根拠にそのようなことを言う?」

「ふふっ───僅かだが、呼吸が荒れているぞ」

「!」

 

 言うや放たれる矢。

 それを槍で叩き落とし、もはや時間はかけられぬと一気に接近する星。

 だが、彼女が駆けだした先には、既に十の矢を番える秋蘭の姿。

 槍を届かせるには距離が足りない。

 足は踏み出し宙に浮いていて、方向転換して避けることも無理。

 ならばどうするか? ……まあ、星の性格なら、

 

「受けて立とう!」

 

 やっぱり真正面から叩き落すよな。呆れる速度で放たれる刺突が、矢を弾き、弾いた矢が向きを変え、隣を飛翔する矢を叩き落とす。手が足りぬのなら相手の攻撃さえ利用し、見事に耐えてみせた。

 避けられるのなら避けるけど、それしかないなら絶対に押し切る。

 きっとそうするって思ってたが……秋蘭もそうするだろうって思ってたからこそ、もう次を放っていた。

 

「ふっ……よくもまあそれだけ器用に射れるものっ!」

「槍を使う者が槍を巧く扱うように、弓矢を扱えぬ者など弓使いとは言えんだろう」

 

 矢を弾き、一歩、また一歩と近付く。

 秋蘭はその接近を体裁きと矢の撃ち所で器用に抑えつけ、それ以上の接近を許さない。

 そんな攻防がしばらく続いた……のだが、ある瞬間。

 

(……え?)

 

 一瞬。

 ほんの一瞬だし気の所為かもしれないが、星がこっちを見て笑った……気がした。

 そう思った次の瞬間、星がこれまでの疾駆とは違う速度で地を蹴り、間合いを詰めにかかった。迎え撃つ秋蘭は矢を的確に放つ……のだが、やはりこれを槍で弾く星。もちろん予測していたであろう秋蘭は次を番え……るより先に、目の前の状況にほんの数瞬、自分の目を疑ったのだろう。動きを停止させていた。

 彼女の視線の先に、ひょいとパスするように投げられた星の槍、龍牙。

 それを反射的に弓で弾いた先に、先ほど槍で弾いた矢を手に、それを秋蘭の喉に突きつけている星の姿が。

 

「っ……誘われた、か……」

「なに。これは手癖の悪い御遣い殿に習った戦法だ。私も引っかかり、一度敗北を味わった。や、悔しいわけではないのだが、ただあの時は私も油断していたというか、いや、悔しくはないのだぞ?」

「ふふっ……なるほど、北郷か。戦の最中に得物を敵に投げ渡すなど、我々にしてみれば考えられんことだ。確かにこれは虚を突かれる……私の、負けだ」

 

 目を伏せ、フッと笑っての敗北宣言。

 そして俺へと浴びせられる地和からの罵詈雑言。

 いや……だってこんなところであの技(?)を使うなんて、誰も予想しないだろ……。

 え……? これって俺の所為で秋蘭が負けたってこと……?

 とは思ったものの、秋蘭は「全力は出した。負けたのならばそれが結果だろう」と、フッと笑ったままに言う。

 それで様々な文句は止まってくれた。

 みんな悪ノリでからかっていただけだったんだろうな───と思っていたのだが。

 

「本当に存在だけでろくなことにならないわね! あなたいっそ消滅したら!?」

(や、桂花(ヤツ)だけは自主的に!)

 

 一人だけ物騒な軍師さまがいらっしゃいました。遠慮のえの字もない。

 ええまあもちろん、当然のように無視する方向で地和に司会進行をしてもらい、とりあえずは状況を先へ。言葉を返せば、延々と続くであろう罵倒のスコールが容易く想像できる。

 触らぬ桂花に祟り…………ありまくるなぁ、困ったことに。 

 

「第四仕合は趙雲選手の勝利です!」

『うぉおおおおおーっ!!』

「やれやれ。なかなかどうして、小細工無しで華麗にというわけにはいかせてもらえぬか」

「ふふっ、そうさせてやるほど弱いつもりはないからな」

「では、次は小細工抜きで楽しむとしよう」

「うむ。機会があれば、よろしく頼む」

 

 舞台の中心で握手をする二人。

 戦が終われば憎しみも怒りもない……これぞスポーツマンシップだな。

 ……スポーツじゃないけど。

 



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦③

「さぁて熱い友情を確かめ合ったところで! 第五仕合の選手入場! まずは青竜の方角! 背はちっこいけど速さが光る! 呉の隠密少女、周幼平選手!!」

「え……? あ、あの。速さって光るものなのでしょうか……?」

「対するは! 白虎の方角よりまたも力自慢が登場! これぞ大剣! でもこれってほんとに斬れるのかー!? 文醜選手っ、入場ーっ!!」

「っへへー、斬れるぜ~っ? まあぶっ潰すほうが多いけどなっ」

 

 呉より明命、蜀より猪々子。

 それぞれが武器を構え、開始の合図を待った。

 明命は体勢を低くし、背にある刀、魂切を構え。

 猪々子は両手で塊のような大剣、大剣のような塊を持ち、最初から斬り潰すつもりで力を溜めている。……つか、おーい猪々子さーん? 相手殺したら斬首だぞー?

 

「それでは第五仕合! はっじめーっ!!」

『っ!!』

 

 明命が走り、それに合わせて猪々子が一気に斬山刀を振るう。

 目測違わず、目に見える明命を姿を確実に捉えている。

 ……筈、だったのだが。

 

「へっ……? あれっ!? 消え、ひえいっ!?」

「降参してください。動けば斬ります」

「う……あ……ま、まいったぁ……」

 

 気配も殺気も全てを消したと思えば、斬山刀を潜り抜けて猪々子の背後へ。

 あとは背後から魂切を猪々子の喉元に当て、隠していた殺気をぞろりと剥き出しにすれば、最高の脅迫の完成である。

 うわー……あれって俺に教えてくれた、気配を消す方法……だよな?

 上手いもんだなぁ、相手が自分の氣に集中している時が狙い目っていってたし、これ以上ないってくらいのタイミングだったわけだ。

 

「な、なにがなんだかわからないうちに決着がついてしまいましたーっ! というか目の前に居たのに剣を止めて、文醜選手はいったいなにがしたかったのでしょうかーっ!」

「う、うるせ~……っ! 武人にしか解らないことってのがあるんだーっ!」

 

 背後からの、体に纏わりつくような殺気がよっぽど怖かったのか、猪々子の声はなんとなく震えていた。わかるなぁあ……!! あれ、怖いよなぁ……!! 明命じゃないけど、俺も思春によくやられるからよくわかる……本当によくわかるよ……!

 でも、武人にしかわからないっていうのはちょっと違うと思う。

 あの、目の前に居た筈なのに見失う感覚は、対峙した者にしかわからないのだろう。

 目の前でやってもらったっていうのに見失うなんて異常だ。なのにそれをやってみせるんだから、明命はすごい。

 

「あっという間の決着! 第五仕合は周泰選手の勝利です! みんなそろそろ疲れてきたー? いいえまだまだです! 第六仕合を開始します! 白虎の方角! ちっこい体に桁を外れた武の力! 張翼徳選手の入場だぁーっ!!」

「うおーっ! なのだーっ!!」

『うおぉおおーっ!!』

「対するは玄武の方角よりこの人! やっぱりちっこい体に桁を外れた武の力! 許仲康(ちゅうこう)選手の入場です!」

「あーっ! なんでお前が対戦相手なんだよちびっ子ーっ!」

「それは鈴々の台詞なのだ! この春巻き!」

「なんだとーっ!? やるかこのぉっ!」

「なんなのだぁっ! やるのかーっ!?」

「むぅうーっ!!」

「うぅうーっ!!」

 

 ……率直な言葉をこの場に。子供の喧嘩である。

 よりにもよってこの二人か……観客や壁とかに被害が及ばなきゃいいけど。

 季衣はただでさえ怒ると周りを見なくなるし……流琉と戦ってると、知らずのうちに周囲の景色が破壊されているほどだ。きっと今回も嫌な意味で期待を裏切らないのだろう。

 もちろん鈴々も、何かに夢中になると周りが見えなくなる方だ。

 ……少し離れてようかな。解説席移動させてでも。

 

「あーはいはい、喧嘩は戦いで白黒つけてくださいねー。それでは第六仕合! ちびっ子対決、張飛対許緒を始めまーすっ!!」

「応なのだ!」

「いっくぞぉーっ!!」

 

 銅鑼が鳴る。

 それとともに、まずは季衣が剣玉式武具である岩打武反魔を発射。

 モーニングスターと呼ぶには明らかに棘付き玉がデカイそれは、真っ直ぐに鈴々へ向かい飛んでゆき、

 

「へへーん、こんなもの食らわないの───だっ!!」

 

 対する鈴々は、なんとそれを蛇矛で打ち返してみせた。

 ……いや、ボールとか柔らかいものならわかるぞ? それをお前、ある意味鉄球を打ち返すって……力技でなんとかなるものなのか?

 

「あーっ! ボクの武器になにするんだよっ!」

「打ち易いところに投げる春巻きが悪いのだ!」

「なにをーっ!?」

「なんなのだーっ!!」

 

 ……改めて言おう。子供の喧嘩である。

 でも破壊力は子供のソレとは比べ物にならないので、大変危険です。

 

「だったら打てないくらい思い切り投げてやる! せやぁあーっ!!」

「春巻きの投げるものなんて軽いのだ! うりゃりゃりゃりゃーっ!!」

 

 ……で、トゲボールでの野球が始まった。

 ゴンギンガンギンと、投げては打たれる岩打武反魔を見て、これってどうすれば決着なんだろうかと呆然と考える。

 お前ら……これってそういう戦いじゃないだろ? とツッコんでやりたいのだが、困ったことに二人が真剣なのだ。これはもう見守ってるしか───

 

「あっ!」

 

 ないのでは、と思った矢先に、鈴々が岩打武反魔を打ち返しに失敗した。

 打点がズレたのだろう。妙なところを打ったらしく、シビレたらしい手をぷらぷらと揺らしている。

 

「やーい! 打ち返せなかった~!」

「むーっ! 散々打ち返したんだから鈴々の勝ちなのだ!」

「なんだとーっ!? そんな勝負じゃないじゃないか!」

「だったらどういう勝負なのだ!」

「どういうって───」

「………」

「………」

『うりゃああああああーっ!!』

 

 そしてようやく始まる、将としての戦い。

 岩打武反魔と蛇矛がぶつかり合い、今度こそ緊張する戦いが繰り広げられる。

 接近されれば投擲武器である岩打武反魔が不利かとも思われたが、あれだけの大きさだ。盾にもなるし鈍器としての威力も十分とくるので、季衣はそれを利用して器用に立ち回っている。

 

「てやぁああっ!!」

「にゃーっ!!」

 

 蛇矛と鉄球の戦い。

 矛相手に鉄球って……とも思うのだが、これがまた結構いい戦いをしている。

 何かの拍子で距離が離れれば、そのまま鉄球を放って攻撃。

 弾かれて接近されても、その攻撃を鎖で受け止めたり、剣玉で言うところの剣の部分で受け止めたりで捌いてみせている。

 もちろん“あの”張翼徳相手に、鎖や柄程度で受け止めきれるかといったら、当然普通は無理だ。…………まあ、受ける相手の腕力が普通なら。

 

「むーっ! しぶといのだ!」

「それはボクの台詞だろーっ!? いい加減にしろちびっ子!」

「鈴々ちびっ子じゃないのだ!!」

「だったらボクだって春巻きじゃないぞぉっ!?」

『むむーっ!!』

 

 激しい攻防。なのに、口から放たれるのは子供の喧嘩そのものだった。

 緊張感があるのかないのか…………あるんだ、うんある。目で見る分には、ソワソワしてならないほどに危なっかしい攻防だ。だって二人とも思い切り振るってるんだもん。あの中心に行ってみてくれって言われたら、たとえ華琳の命令でも嫌だぞ。今度は体が千切れるどころか細切れにされるイメージさえ浮かぶ。

 

「両選手、言葉は子供なのに激しい攻防! 近寄ろうものなら粉微塵にされそうです! 大きく成長しても同じことをしていたら、いつかは喧嘩じゃ済まないことにもなりそーです! ていうかそこまで喧嘩ばっかだったら一刀からも呆れられそうだけどね」

『!!』

 

 あ。止まった。

 地和の言葉にビタァと止まった二人が、何故かこっちをジッと見つめてくる。

 ……えーと。手、でも振ったほうがいいのだろうか……?

 

「で? いつまでも喧嘩する女のことってどう思うの?」

「戦いの最中なのに、正面からそういうこと訊かない」

「にーちゃーん! 今このちびっ子倒すから、ボクのこと応援してねー!」

「お兄ちゃーん! 今この春巻きを倒すから、鈴々のこと応援するのだ!」

「お前べつに兄ちゃんと関係ないだろーっ!? それに兄ちゃんはボクの兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんなんて呼ぶなー!」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんだからお兄ちゃんなのだ! べつに春巻きに許してもらわなくても鈴々にとってお兄ちゃんならお兄ちゃんなのだ!」

「なにをーっ!?」

「なんなのだーっ!?」

「……ああもう」

 

 喧嘩がヒートアップした。

 もう武器捨てて取っ組み合いの喧嘩になっても、誰も違和感を覚えないくらいの子供の喧嘩である。あくまで口では。

 

「このこのこのこのーっ!!」

「うりゃりゃりゃりゃーっ!!」

 

 鉄球と蛇矛がぶつかり合う。

 弾いては弾きの猛攻同士が何度も衝突して、しかし二人とも意地があるのか、決して引こうとしない───はずだったのだが。季衣が投げた鉄球を鈴々が投げ掛けの内に左手で押さえ、右手に持った蛇矛を振るうという攻撃に移った。けれどそれは、鉄球を放した季衣の両手で構えられた鎖で防がれ、逆に隙を見せてしまうことになる。

 

「でやぁっ!」

「んぐぅっ!?」

 

 蛇矛を防いだままに繰り出した蹴りが鈴々の腹部を直撃。

 たまらずお腹を庇いながら下がる鈴々目掛け、今度はしっかりと構えて勢いをつけた季衣の手から、岩さえ軽々と破壊する岩打武反魔が投擲される。

 さすがに打ち返すために構える暇もなく、鈴々は両手で構えた蛇矛でそれを受け止めてみせるのだが、蹴りが埋まった場所が悪かったのか、足に力が入っていない。

 踏ん張ることも出来ず、武闘場を滑り、膝をつくことになった。

 

「へへんっ、どー……だっ!?」

 

 しかしそれでは終わらない。

 季衣が得意げに胸を張りながら岩打武反魔を引き戻した途端だ。

 鈴々が歯を食い縛り、地面を蹴り弾いて間合いを詰めにかかった。

 

「あっ、このっ!」

 

 引き戻される鉄球と、鈴々が駆ける速度はほぼ同じ。

 どれだけ速く走ればそこまで……とも思うが、そうだよな。この子らは十里くらい軽く走れる将だった。

 

「これでもっ……くらうのだぁあああああっ!!」

「っ───!」

 

 季衣の手に鉄球が納まるのとほぼ同時に、体を捻るように蛇矛を構えた鈴々が、走りながらにそれを振るう。

 当然季衣は手に納まったそれを盾にし、見事に攻撃を受け止めてみせたのだが───盾が鉄球であり、視界を塞いでしまったことが災いした。

 

「そんな単調な攻撃がいつまでも───えっ?」

 

 鉄球をどかしてみても、視界の先に鈴々は居ない。

 攻撃と同時に跳躍し、鉄球を打ちつけることで季衣の意識をそちらに集中させ……季衣がそれこそ“防ぐこと”に意識を集中させている間に、鈴々は季衣の背後に着地。

 その音に気づいた時にはもう遅い。

 鈴々は一気に間合いを詰め………まあその、なんだ。季衣を押し倒して……くすぐった。

 

「わひゃひゃひゃひゃひゃ!? うひゃっ! ちょっ! なななにすんだーっ!!」

「鈴々がお兄ちゃんに負けた時、こうされたのだ! だから同じことしたら簡単に捕まえられたのだ! さすがお兄ちゃんなのだ!」

 

 エェェエッ!!? ちょ、鈴々!? そういうことをこんな大勢の前でだなっ……!

 

「なんとーっ! 我らが魏の種馬は、他国の将を押し倒した挙句、くすぐって負かせたそうです! 平和的なのか大人げないのか! そこのところどうなのよ一刀!」

「だからわざわざ大声で言うなぁあああっ!!」

「おぉっと否定しません! これは後ほどきっちりと吐いてもらう必要がありそうです!」

「えぇえええっ!? ちょっと待て俺が何をしたぁあっ!!」

「他国の女を押し倒した」

「その事実だけを強調するのやめよう!? 武力行使が怖かった時期があって、平和的にって考えた結果だったんだって! あと人を指差しながらキッパリ言うな!」

 

 とか言い合っているうちに、くすぐられすぎた季衣がとうとうギブアップ宣言。

 子供の喧嘩で始まった戦いは、子供の喧嘩のままに幕を下ろしてしまったわけで……。

 

「おぉおっとそうこう言っている間に許緒選手降参です! またしても! 夏侯淵選手に続き、またしても一刀が教えた悪い知恵によって魏の精鋭が……!」

「なんかもう無理矢理俺が悪いように言ってないか!?」

「なるほど、武を用いずに平和的に相手を無力化……北郷らしい決着だな」

「華佗さん!? なんか今“俺らしい”って言われても、負けて悔しがってる季衣を見ると、心がとても痛いんですが!? あぁあああごめんな季衣! 俺が妙なこと鈴々に教えたからっ!」

 

 なんだかとても居た堪れない気持ちにさせられました。

 俺……解説者な筈なのに、なんでだろう……。

 

「さてさて残酷の決着ではありましたが、時間は待ってはくれません! 退場する両者に惜しみない拍手を! そして次なる仕合、第七仕合は───」

 

 ただ単に俺の困った顔が見たかっただけなのか、地和はそのまま司会を続ける。

 楽しそうでいいなぁくそう。いや、俺も楽しいけどさ。祭り自体は。

 なのに座って解説をするだけで、どんどんと立場が危うくなっていってるのは、本当になんでなんだろうなぁ……。

 

「青竜の方角! 現在の呉を急に背負わされた若き王! でっかいお尻と大きなお胸は血筋か!? 血筋なのかー!? 孫仲謀選手の入場!!」

「くぅっ……! これから戦う者の紹介がそれかっ! 立場というものを考えろっ!」

「ちぃには司会として場を盛り上げる使命があるのよっ! 続きまして白虎の方角! 普通だけれど広く浅く! 武器までもが普通の剣! 公孫伯珪選手!」

「ふ、普通のなにが悪いんだー! 広く浅くは悪いことじゃないぞー!?」

「もっともですが、一点を極めた人には一生勝てないという結論が未来で待ってます! さぁそれでは始めましょう! 第七仕合、はっじめーっ!!」

 

 銅鑼が鳴り、二人が駆ける。

 白蓮はまだなにか言いたげだったが、蓮華から向けられた覇気に表情を引き締め、正面からぶつかってゆく。その戦い方は、裂帛の気合こそはないものの、広く浅くの言葉通りに様々な立ち回り方を身に付けた、バランスのいい戦い方だった。

 力で来るのならこれをいなし、速さでくるのならしっかりと確実に防ぎ、相手が防ぐのならばそれを崩すように攻める。一廉の将から見れば“光るもの”こそないのだろうが、俺から見ればその戦い方は“綺麗”だった。

 ああいうのを極められた人が、きっと俺の世界では“達人”などと呼ばれるのだろう。

 ……もちろん、相手にそれが通用するレベルなら。

 

「見切った! はぁあああああっ!!」

「ぅえっ……!?」

 

 蓮華の動きを見て、次は速さでと構えた白蓮だったが───そこを突かれ、剣を弾き上げられてしまう。直後に喉に剣を突きつけられ、勝敗は決した。

 

「けっちゃぁあーくっ! 器用に立ち回っていた公孫選手でしたが、一瞬を突かれて敗北! 解説席のお二方! 今のをどう見ますか!? 力技!?」

「いや。今のは公孫賛が力を抜いた一瞬を突いて、孫権が攻めに入った結果だ。相手が自分の何処を見て、どう構えれば力を籠め、力を抜き、速さでくるのか。それを見極めなければ出来なかったであろう、見事な技だ」

「おぉおおお! なんだかわからないけど凄いぞ王様! というわけでこの第七仕合は孫仲謀選手の勝利です!」

『はわぁあああーっ!!』

 

 勝利宣言とともに会場が沸く。

 そんな怒号にも似た騒がしさの中で、俺は隣の華佗と一緒に、退場してゆく白蓮を見送る。

 

「でも、白蓮も随分と上手く立ち回ったよな。素直に驚いた」

「ああ。広く浅く。もしそれを広く深くに昇華できていたのなら、この戦い……どちらに転がったかわからない」

 

 自分の実力を出しきり、見切られるまではむしろ優勢に見えたほどだ。

 そんな彼女に惜しみない拍手を。

 



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦④

「それでは次の仕合です! 第八仕合! まずは青竜の方角! あなたが出ていいのか! いつでもどこでも勘で無茶する無邪気な元王様! 孫伯符選手ーっ!!」

「は~ぁ~い♪」

「対しまして白虎の方角! 馬のことなら彼女にお任せ! 焦って暴走照れると失言! 馬孟起選手! 入っ場っ!!」

「紹介がこれって……大勢の前で恥かかされてるだけじゃないか……?」

「さあさあ武力98同士の戦い! どうなるかはきっと立ち回り方次第! それでは第八仕合、はじめぇーいっ!!」

 

 ドワァアッシャァアアンと銅鑼が鳴り響く。

 駆けたのは雪蓮だけで、翠は槍を斜めに構えると停止。

 

「あら、なぁにぃっ!? まさか防ぐだけじゃ終わらないわよねぇっ!」

 

 初撃は雪蓮から。

 一撃目から相手を倒すつもりで振るわれたそれは、翠に触れるより先に弾かれる。

 

「わおっ」

 

 その槍捌きの速さに、雪蓮は嬉しそうににっこりと笑いながら距離を取る。

 しかし翠がそれを追うことはなく、再び同じ構えで身を鎮める。

 

「あれ? ちょっ───」

「しぃっ!」

「!?」

 

 そんな様子に雪蓮が調子を狂わされ、一歩踏み出した時だった。

 斜めだった槍が横真っ直ぐとなり、雪蓮目掛けて突き出された。

 しかしそれもまた勘か実力かで見切ったのか、スレスレで躱す。

 

「あっぶなぁ~……今のはさすがに驚いたわ……!」

「きちんと避けておいて、よく言う───なっ!」

 

 拍子を置いての連突。

 雪蓮はそれを避けたり弾いたり受け止めたりを繰り返す。

 時折に混ぜられる横薙ぎの一閃に関しても、まるで予測できていたかのように後方へと跳ぶことで回避。本当に、あの王様の勘はどうなってらっしゃるのか。

 

「せぃやぁっ!!」

「……っと。んふふ~? ざ~んねんっ♪」

 

 そのバックステップに合わせて突き出された槍も、雪蓮は身を捻ることで躱してみせる。……のだが、横に逸れただけなので、そのまま払いに移行された攻撃はまともにくらってた。

 

「いったぁー……っ! ちょっとー! 槍なら突きだけにしなさいよぅー!」

「無茶苦茶言うなっ!」

 

 ほんと無茶苦茶だ。

 けれどその一撃で雪蓮の様子は変わり、楽しむ構えから追い詰める構えへと変わった。

 それは虎が獲物を狙う様子にも似ていて、まるで、放たれる殺気が相手を包み逃がさないようにしているかのようだ。

 

「いいわね~、その速さ、その的確さ。ほんとはこの舞台で一刀と戦ってみたかったんだけど……ま、それは一刀が治ってからね」

「今戦ってる相手を置いて他のやつの話なんて、随分余裕なんだな」

「余裕ぶってなんかいないわ。これはただ───楽しみは多い方がいい、って話だもの!」

 

 雪蓮が詰める。

 殺気だだ漏れで、隠すこともせず。

 豹変したとさえ受け止められるほどの覇気と殺気を以って、翠目掛けて武器を振るう。

 翠はそれを、ひゅぅと息を吸い込むのと同時に捌く。

 振り下ろされれば長柄を利用して軌道を逸らし、突かれれば相手の獲物の長さを計算に入れた上で下がり、同時に槍を突き出す。

 それを躱されても当たっても次に取る行動は変わらず、舞台を蹴り弾いて前へと出た。

 攻守交代。

 流れるような立ち回りと、鋭く速い槍の一撃一撃が、雪蓮目掛けて放たれる。

 剣と槍ではどちらが強いか、なんてのはきっと槍だ。そう思っていたんだが、こうまで技の錬度が高いと中々難しい。

 

「あはははは! いい! すごくいいわ! うちは秀でた槍使いが居なかったから、こういう刺激ってとっても新鮮!!」

「うぇっ……!? 追い詰められてて笑うか普通!!」

「だって仕方ないじゃない、楽しいんだもん……ふふっ、あははははははは!!」

 

 あー……妙なスイッチ入った。

 雪蓮は笑い始めてからが怖くて、無口になってからは恐ろしい。

 無口になったら相手を仕留めることしか考えなくなるっぽいしなぁ。

 ……実際、その所為でひどい目に遭ったし。

 

「なぁあんたっ! 王なんかやってないで、将やってた方がよかったんじゃないかっ!?」

「あははっ!? むしろそうしてたわよっ!? 止める冥琳無視して突撃したりとかっ!」

「ほんっと滅茶苦茶だなぁ……!」

 

 翠の深い溜め息がこちらまで聞こえそうなくらい、目に見えて翠が疲れているようだった。当然戦いで疲れたのではなく、会話で疲れたのだろう。

 

「ほらほらほらぁっ! お喋りはいいからもっと! もっとやりましょ!? あははははははははっ!!」

「うあー……周瑜の苦労が目に浮かぶよ……。んじゃ、いっちょ本気出すかっ!」

「ふふっ……確認なんていらないわよー? 奇襲があったほうが心が震えるもの。強さよりも怖さよりも、私はきっとあの瞬間の心の震えがほしいのね」

 

 翠の刺突の速度がさらにあがる。

 突き、戻しの繰り返しだが、その動作のどれもが速い。

 だってのに雪蓮は笑いながらそれを避ける。

 

「そんなことが出来るわけがないって思ってた相手からの、身が凍るような一撃……。勘が働かなかったら骨の一つでも奪われてたんじゃないかって思うと、今でも震えるのよねー♪」

「なにが言いたいのか知らないけど、へらへら笑ってると怪我するぞ!」

「っと。あぁ大丈夫大丈夫、笑ってるのはあくまでこの戦いを楽しんでるからだもの」

 

 翠の攻撃が段々と雪蓮の体を掠めるようになってくる。

 本気と言うだけあって一撃ずつ速度が上がり、雪蓮もそれに気づいたのか、やっぱりどんどんと顔が楽しげに緩んでいく。緩んでいるのに、体裁きは精度を上げるばかりであり、翠が速くなれば雪蓮もまた速くなった。

 突けば弾き、振るえば下がり、隙を穿てるのならば蹴りだろうが拳だろうが容赦無く使い、しかしそれらの体術も鋭く鍛錬されたもののようで、見苦しさなどカケラもないから困ったもので……

 

「せいっ! はっ! でやぁっ!!」

「あははははっ!? そうそう! もっと楽しみましょう!?」

 

 言葉のわりに押されていても、雪蓮はどこまでも楽しそうだ。

 むしろ押される状況を楽しんでいる。劣勢かと思えば、隙穿ちの一撃を大きく弾いてみせると、途端に反撃に移ることで今度は翠が押される。

 力の差が離れていないとなると、見ているこっちまでソワソワする。

 解説役なのに、ろくに喋ることも出来ないくらいに動作の一つ一つが速いのだ。

 

「せやぁっ!」

「つっ───けふ……っ!?」

 

 けれど、とうとうそこに一撃が加えられる。

 刺すのではなく払われた槍が、雪蓮の腹部を強打した。

 

「! もらったぁっ!」

 

 好機とばかりに一気に詰めにかかる翠。

 突き出される槍は、真っ直ぐに雪蓮の体へと───

 

「……、───なぁっ!?」

「………」

 

 ……当たる前に、一瞬で持ち上げられた雪蓮の左手で掴まれた。

 刃の部分ではなく、長柄の部分を。

 

「どっ……どういう反応速度してるんだよっ! このっ! 離せっ!」

「はぁ……今のは少しヒヤッとしたかも。でもやっぱり違うのよねー……私自身は当たるって思ってたのに、体が勝手に反応したお陰で助かったーとかいう、そんな危機を味わいたいのよ。わかる?」

「わ、わかるわけないだろっ! そんなのっ!」

 

 雪蓮が話し始めるまで、もしかするとまた“あの”雪蓮さんが出てきたのかと思った。

 出てきたというか、殺戮モードに切り替わったというか。

 けれど、溜め息とともに殺気を散らすと、雪蓮は翠の槍を手放してもう一度構えた。

 

「いいわ。手癖とか結構わかったし、ここからは……私も出来る限り本気を出すわ」

「出来る限り……? どういうことだよそれ」

「うーん……ほら。自分じゃ出せない本気ってあるでしょ? 私の場合は戦いに夢中になりすぎたり、血を浴びたりすると理性が飛んじゃうことがあってね? たぶんその時が私の本気だと思うのよ」

 

 にこー、といつも通りの笑顔でとんでもないことをぬかす、元呉王さまがいらっしゃる。

 「あなたは“守るもの”があったほうが、強くなれる方だと思うけど? それと似たようなものじゃない?」と、ついでみたいに言葉を足しながら。

 

「自分で自分の本気が出せないのかよ」

「あっはは、そりゃ無理よ。“本気”っていうのはね、願って出せる程度のものなんかじゃないのよ? きっかけがあって理性が外れて、ようやく全力が出せるんだから。……だから、戦うなら今出せる本気で来てくれると嬉しいかなー♪ もちろん私も応えるし」

「……あんたの相手してると調子が狂いそうだよ」

「そ? ただ楽しみましょって言ってるだけじゃない。私だって、あの感覚が一刀しか出せないものだ~なんて思ってないし、一刀じゃなきゃ駄目だってわけでもないんだから」

「へ? ……北郷なのか? あんたの心を震わせたのって」

「ええそう、一刀よ。あんまりにも危なかったから、防衛本能っていうのかしら。まあそれが働いちゃってね。危うく殺しそうになっちゃったわ」

 

 ……? やあ、なにやら「あはははは」って笑ってる。さっきまでの殺伐とした空気はなく、笑い話をするように。翠はかなり疲れてる様子だけど、雪蓮は楽しそうだ。ぼそぼそと話しているからこっちまでは聞こえないが、どんなことを話してるんだろうな。

 

「恋には気に入られるし、戦闘狂にも気に入られるし、あいつは本当にいろいろなところで苦労してるんだな……」

「あ、失礼ねー。そんな状態にならなきゃ殺すつもりなんて起きないわよ。それに、一刀にはその時から、頭の中の私と戦い続けるようにって感じのことを言ってあるんだから」

「……暇さえあれば鍛錬をしてたのは、あんたが原因か」

「あれ? 一刀ってば私に言われた~とか言ってなかったの?」

「鍛錬はあくまで自分の意思でやってたんだよ。だからその、男にしては見所があるかな、とか……その……」

 

 ……ハテ。なんだかどんどんと、ほがらかな空気が構築されていってるのだが。

 これ、武闘大会だよな? 何故にあそこだけ明るい雰囲気に?

 なんて思っていた矢先に両者はバッと距離を取ると、互いに深呼吸。

 両者ともに、一度“フッ……”と笑顔を見せると、地を蹴り衝突した。

 

「面白いわよねっ! これだけ広い視界、三国の中だっていうのにっ! 誰かが誰かを知らなくてもっ! 王や将を知っているのはわかるけど、一人の男を知ってるなんてっ!」

 

 一撃一撃に言葉を乗せるが如く、笑いながらの撃が続く。

 翠はそれを避け、いなし、時に反撃を放ちながらも、口角を持ち上げて笑む。

 笑いながらに、お互いがお互いの隙を狙って身を弾かせ、追い詰め追い詰められを繰り返していた。……つまり、中々に決着はつかない。もたもたしているなんてことは無く、武闘場の上では今も激しい打ち合いが展開されている。

 剣で槍とあそこまで戦えるのも凄いけど、懐に入られても打ち返す翠もすごい。

 そんな状況に息を飲みつつも、司会としては言わなければいけないことを言う地和には、さらに感心した。

 

「あー……えっと、これはどうしたものでしょー……実力が似通っているとなかなか決着がつきません。解説のお二方ー? これはどうした方が負け、とかはありますかー?」

「恐らくは孫策の言う通りだろう。実力が拮抗しているのなら、自分の潜在能力を引き出せた方にこそ勝機が訪れる。そしてそれは、守りたいものを守るために力を発揮する馬超ではなく、戦いたいからこそ戦う孫策に訪れる可能性が高い」

「うわー……」

 

 華佗の言葉に、地和は“そんな人が王やってて、よく笑顔の国を目指せたなぁ”って言うかのような微妙な表情を見せた。

 だよなぁ。俺もあの殺気をぶつけられた時は、正直そう思った。

 

「せいぃっ!」

「きゃんっ! うわ……あっぶなぁ~……! 今のは危なかったわ……!」

「危なかった、って……! どうかしてるだろあんた! 勘がいいからってここまで避けられたの初めてだぞ!?」

「んー……王の資質?」

「んなっ……!? 資質だけで避けられてたまるかぁっ!!」

 

 叫ぶや繰り出される刺突シトツしとつ!

 しかし雪蓮は「や~ん怒っちゃやだ~♪」なんて笑いながらも、これを避けたり逸らしたり時には掠ったり。

 ……口調は軽いけど、結構焦ってるっぽい。

 それでも口角がどうしても持ち上がるのは、相手が強敵だからなんだろうね。

 

「おぉっとぉ!? ここで馬孟起選手の猛攻! 絶え間なく突き出される槍に、さすがの孫伯符選手も防戦一方かー!?」

「なんか、考えて戦ってる時にああいうこと言われると、腹立つわよねー」

「へっ! 実際防戦一方じゃないかっ! このままあたしが───」

「楽しみに茶々入れられることほど、腹が立つことはないって言ってるのよ」

 

 突き出される、剣での刺突。

 防戦一方だった雪蓮からの反撃に、翠はしかし冷静にこれを弾く。

 その反動を利用して足を突き出し蹴りを放つが、雪蓮はその足を軽く避けるとさらに肉迫。体を一本で支えている足を強く蹴り弾くと、バランスを崩した翠へと覆い被さるようにして剣を構えた。

 

「ね? 外からの声が入ると、自分の闘い方に集中できないでしょ? 調子に乗らず、槍だけで闘ってたら……あなたの勝ちだったのに」

「っ……くそっ。まいった、あたしの負けだ」

 

 言葉と同時に、握っていた槍を手放した。

 その時点で翠の敗北は確かなものとなり、地和が勝者宣言を叫ぶと……第八仕合は終了した。

 

「くっそぉお……! 次やる時は絶対に勝ってやる……!」

「ええ。でも、次はこういう場じゃなくて、もっと静かな場所で死合ましょ?」

「へ? あ、ああ…………えっと。“仕合”……だよな?」

「ええ、“死合”よ?」

「………」

「………」

 

 決闘後のサワヤカな空気が流れるとか思っていたのは数秒前。

 現在はとてもそんな空気ではございません。なにあの困惑と笑顔の殺気。

 そんな二人になんとか戻ってもらうと、地和が片腕を突き上げて司会を続ける。

 

「さてさてお次はついに第一回戦の締め! まずは白虎の方角! 蜀といえばやっぱりこの人! 美髪公、関雲長選手っ! 入場ーーーっ!!」

「我が青龍偃月刀の前に敵など在らず!」

「続いて玄武の方角! 美髪に青龍あらば神速に飛竜あり! 魏に生きる姐御肌、張文遠選手! 入っ場っ!!」

「うぇえええーっ!!? ウ、ウチとっ、あいあい、あいしゃっしゃっ……!?」

 

 かたや、勇ましく偃月刀を構え。

 かたや、対戦相手を見て頬を染めておろおろ。

 あの……霞さん? なんですかその乙女チック入場。

 

「それでは第九仕合! はっじめ───」

「あぁあああああーっ!! たんまっ! ちょっとたんまぁっ! 待って! 待ったって!」

「んえ? あ、あのー、なに? これからちぃが大声で───」

「ここっ、こここ心のっ、準備を、やなっ……すーはーすはーすはーげっほごほげほっ!」

「………」

 

 咳き込む霞さん劇場。

 対戦者である愛紗はポカンとした表情でその様子を見つめ、

 

「いや……霞? 調子が悪いのであれば、仕合は───」

「それはアカン! やる! 絶対やるっ!」

 

 言った途端に遮られた。

 

「不戦敗なんて恥ずかしい真似できるかいっ! あ、け、けどもうちょい待ってな? はー、はー……大丈夫~……大丈夫や~…………よしっ! 十分や!」

「……えと。こほんっ、司会らしく司会らしくー……ん、よしっと。ほ、ほほほほんとに大丈夫ですかー? あー……だ、大丈夫ならいい、んですけど……それじゃあ第九仕合目っ!」

「あぁああでもちょっと待った! やっぱたんま!」

「なっ、なによっ! なんなのよっ!!」

 

 無理矢理やる気を出して、いざ高らかにといったところで再び待ったをかけられ、地和は結構苛立っているらしいが……もう少し我慢強くいきましょう。な? 司会者とか仲介者とか中間管理職とかって辛い立場なんだから。……一番辛いのは中間管理職だろうけどさ。趣味に走って仕事をサボる部下と怖い上司に囲まれるっていうのは、なんとも胃が痛くなる状況だ。まあ、俺もサボったりしてたけどさ。

 と、そこまで考えて苦笑していると、霞が地和のことをじっと見つめ、

 

「ウ、ウチ、髪とか、おかしないっ?」

 

 恋人に会いに行く女の子よろしく、ソワソワしながらそんなことを仰った。

 

「……あんた、これから闘うって意識、ちゃんとある……?」

 

 当然のツッコミが、地和の口から漏れていた。

 そこに敬意はなく、人としてのツッコミだけが存在していた。

 

「どこもおかしくないし、“心の準備”なんてものはしようとしてもしきれないものだって一刀が言ってたわよ。それじゃあ第九仕合開始! 銅鑼鳴らしてー!」

「ちょ待ぁああっ!? やっ! アカンッ! 待っ───」

 

 霞の懇願虚しく、“どわぁっしゃぁあああん!!”と響く音。

 それとともに霞の心配をしていた愛紗の表情は引き締まり……慌てていた霞の表情も豹変って言葉を使いたくなるほど、凛々しく引き締まった。

 

「……せやなぁ。心の準備なんてもん、銅鑼の音聞かされたら吹き飛ぶわ」

「ふふっ……良い目だ。では互いに───」

「応。全身全霊を以って───」

「いざっ!」

「尋常にぃっ!」

『勝負ッ!!』

 

 次の瞬間には、愛紗が凛々しく、霞が豪快に。

 フッと笑い、ニッと口角を持ち上げた二人が、疾駆とともに互いの偃月刀をぶつけ合った。

 



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦⑤

 尋常に。

 “素直に、普通に”といった意味でのそれを口にしての激突は、既に俺が知る普通とは掛け離れていた。腹から放つ覇気が籠もった声も、気迫とともに放つ一撃の重さも、あまりに尋常ではないために…………見蕩れていた。

 周囲からは歓声を通り越した大歓声。

 偃月刀同士の対決に心震わせてか、それとも蜀の関雲長の武を求めてか───いや。そのどれもであり、第一回戦の締めというのも手伝ってだろう。応援を咆哮に変えるが如く、民も兵も叫んでいる。

 

「おぉおおおおおっ!!」

「おぉおおりゃぁああああっ!!!」

 

 袈裟と逆袈裟が衝突する。

 振り下ろす霞と掬い上げる愛紗の一撃が、大歓声の中でもハッキリと聞こえるほど響く。

 体重を乗せた振り下ろしと、逆に自分に重きを乗せる振り上げでは、不利有利なんてものは想像に容易いもの。現に地和も霞寄りの司会進行をし始めたのだが、それも途中であっさりと覆される。

 勢いのあまり、霞の飛龍偃月刀が彼女の腕ごと頭上へと跳ね上げられ、戻す一撃が、無防備な霞の体へと落とされる。

 

「っ、うわっ! あぶなっ───あぁあああっ!?」

「いぃいやぁああああああっ!!!」

 

 それを、自由である足で後方へ下がることで避けたが、そこを突いてさらにさらにと攻撃を仕掛ける愛紗。対する霞は虚を突かれただろう動揺を気迫で打ち消すように表情を変えると、痺れているであろう腕を無理矢理戻して追撃の一閃を弾いた。

 痺れた腕ではそれで精一杯───だろうと思ったのだが、霞は歯を食い縛ると咆哮し、体勢を立て直すどころか反撃までしてみせた。

 

「ふっ……さすがにやる!」

「あったりまえやぁっ! 無様な姿、さらせるかいっ!」

「同感だ!」

「えっ? ほんまっ!?」

 

 ……微妙に会話がズレている気がしてならないが、攻防は凄まじく、息を飲む。

 愛紗は大観衆や桃香を思って“同感”ととったのだろうが、霞の場合は多分目の前の愛紗に対して言ったんだろうなぁと。いや、それに対して息を飲んだわけじゃないことだけは加えておく。

 俺がしょーもない想像をしている中でも、青龍偃月刀と飛龍偃月刀は衝突を繰り返し、観客を沸かせていた。けど……押されているのは霞であると、どうしてもわかってしまう。

 その事実を本人こそも受け入れているのか、自分の力不足を噛み締めるように歯軋りをしているように見えた。……もちろん、勝負を諦めないままに。

 

(考えや……。闘えただけでもめっちゃ嬉しいけど、だからって負けるのはいやや……! 勝ちたい思うし、負けるんやとしても───)

 

 やがてその姿勢が防御ばかりになってくると、愛紗の動きもやがて攻撃一辺倒。攻撃に重きを置いたものへと変わってゆく。

 ならばそれが好機かといえばそう断言できるものでもない。

 隙あらば反撃に……なんて誰でも思うことだが、相手は関雲長。

 強いのだから防戦になり、激しい撃なのだから防御せざるをえない。

 これで反撃に移りでもすれば、たちまち防御していた攻撃が己を襲うのだ。

 想像するだけでも恐ろしい。

 

(───そうや。愛紗は相手を打倒する時、必ず大振りでくる。それを───)

 

 霞の構えの重心が下へと下がった。

 防戦をすると決めたのか、それとも力を溜めているのか。

 どちらにしても愛紗の攻撃は止まることを知らず、見ているこっちの体が勝手に避けようとしてしまうほどに迫力があった。

 ……近くに居るわけでもないのに、体が避けなければと反応してしまうのだ。

 目の前の霞はたまったものではないだろう。

 もちろんそれは、霞の感性が俺と一緒ならばの話。

 

「どうしたっ……! もはや撃ち返す力も無いか!」

「───……」

「だんまりか。だが、私を見る目はまるで死んでいないな」

「あ、バレた?」

「ふふっ……いいだろう。お主ほどの相手に、数だけの連撃など無意味だろう。そして、お主もそれを待っていた」

「うわっ……お主やなんてこそばゆいやんっ……! 霞、霞でえーからっ!」

「………」

 

 会話のさなか、お主と呼ばれた途端に頬を染め、胸の前でついついと人差し指を突き合わせる霞さんの図。……あんた決闘の場でなにやってんですか。

 ほら、愛紗もぽかんとしてるし……!

 

「こほんっ! と、とにかく! ……次で決めさせてもらう。我が一撃、受けてみよ!!」

「っ!?」

 

 剣道で言うところの正眼で構えられた青龍偃月刀。

 それを持つ愛紗から放たれる気迫が、歓声を一瞬で鎮めさせ、場に静寂をもたらす。

 感じる威圧感は本物だ。

 動けば自分が標的にされるかのような、弱肉強食の世界へ急に放り出されたような不安感に襲われる。だというのに、困ったことにそこから救い出してくれるのも、己を食わんとする強者も、同じ相手という絶望。

 そんな覇気と殺気を混ぜた氣を間近で受け止めた霞は、荒げていた呼吸を放たれる氣とともに吸い込むようにして呼吸を整えていた。

 

「覚悟は良いか!」

「へへっ……いつでも来いやぁっ!」

「ならば参る! ───我が一撃、一閃にして瀑布が如し!!」

「あ」

「あ」

 

 愛紗が駆け、そして言い放った言葉に、俺と霞は無意識に同じ言葉を放っていた。

 愛紗からの熱い想い(いろんな意味で)を受け止めきるつもりでいたであろう霞に、迷いが走った。うん、走ったよ絶対に。

 

「青龍! 逆鱗斬!!」

 

 獲物よりも身を前にしての疾駆。

 そこから繰り出す袈裟の一撃が、霞が両手にて構える飛龍偃月刀へと落とされる。

 恐らくは飛龍偃月刀ごと霞を吹き飛ばし、無力化させる気なのだろうが───

 

  ひょいっザゴォンッ!!

 

「……へ?」

 

 ───青龍の逆鱗は、ものの見事に舞台の石床を割っていた。まず驚いたのが、模擬刀だというのに“砕く”ではなく“斬り裂いていた”という事実。

 いやまあ、霞が思わず後ろに下がってしまったからなのだが。

 構えからして、霞は確実に受け止めるのだろうと思っていた愛紗の、間の抜けた声だけが聞こえた。それは、愛紗自身の氣によって静まっていた会場に、とてもよく響いた。

 

「えっ、なっ、し、霞っ!?」

「え? やっ、ちゃうっ、ちゃうよ!? ウチ逃げたのと違う! ただ愛紗が、華雄と同じこと言うから、ウチまた偃月刀壊されるんか思て!」

「そのような言い訳が───! ……うん? ……んっ、ふっ! ぬぬっ!?」

 

 ……で。斜めに振るった青龍偃月刀は、ものの見事に舞台に突き刺さっており。

 装飾が施された柄が切れ目に食い込んでいて、なんというか…………うん。

 

「ぬ、抜けなっ───!? ……あ」

「………」

「い、いや待て霞! こんな無様が決着などっ!」

 

 やっぱり抜けないようだった。

 で、そんな愛紗をぽかんと見つめる霞さん。

 ちらりと視線を外して華琳の方を見ると、はぁと溜め息をついた華琳は「好きになさい」と、溜め息のわりには何処か楽しそうに仰った。

 まあその。

 相手の攻撃を避けてはいけないなんてルールはない。

 相手の最高の一撃を受け止めてこそ武人だというのなら、最高の一撃を出したもん勝ちになってしまう。だって、出し続けていれば相手は受け止め続けなきゃいけないわけだから。

 そんなわけで、霞が飛龍偃月刀を構え、しかしどこか納得いかない表情のままに愛紗へ向けて───

 

「っ……ぬぅぉおおおおおおおおおおっ!!」

「……え? え、なに? 足元がうぅわあっ!?」

 

 振るおうとした、まさにその時。

 ミシリと青筋まで立てていそうな愛紗が、顔を真っ赤にして腕に力を籠めた。

 結果……青龍偃月刀は抜けなかったのだが、あー……えーと。

 

「あ、あい……愛紗……? それ……」

「っ……せ、青、龍……! 逆鱗……斬……!!」

「え、や、そうやのーてやな?」

「青龍……逆鱗斬だっ!!」

 

 真っ赤な顔で、舞台の石床の一つごと青龍偃月刀を持ち上げる美髪公が居た。

 それは、改めてこの世界の女性がとんでもないことを、再認識した光景であった。

 

「ふっ……ぬ……ぉおおおおおおおおっ!!!」

「ひぃああぁあああっ!? ちょっ、あぶなぁあっ!! 愛紗! 危ない! それめっちゃ危ない!」

 

 だってさ、あんな重そうなものを、武器としてゴファンゴフォンと風を巻き込みながら振るうんですもの。恐怖以外の何を感じろと。畏敬? ……畏敬か! 武に対しての畏敬!

 でもやっぱり振ったあとの隙はとんでもなく大きい。

 そこを突けば霞も勝てるんだろうに───ふっと笑うと、愛紗が青龍偃月刀【鈍器】を振るうのに合わせ、飛龍偃月刀を思い切り振るう。切れるはずのないもので岩を斬って見せた一撃と、霞が振るう一撃とが衝突し合うと……舞台から引っこ抜かれた石床は、見事に砕け散った。

 

「……霞」

「あんな状態の相手を突いて得る勝利になんて興味ない。命のやりとりしとるんならともかく、これは純粋に武技での競り合いや。命は懸けんでも、己の信じる武技は懸けられる。そんなら勝っても負けても恨みっこ無しや。無しやから───」

 

 どこか可笑しげだった空気が凍る。

 目を伏せた霞から感じるものは、凍てつくような殺気。

 それこそ、戦場に立っているかのような空気が場を支配した気がした。

 そして、それは霞が目を開いた瞬間、確かなものへと変わる。

 観客の中から、小さく悲鳴めいたものが聞こえたが……そんな声すらもがやがて消える。

 

「───次で終いにしよ。待つんはもうやめや、性分やない。相手が打って出るんやったら、ウチも打って出るだけや。相手が誰だろーと関係ない。……せやろ?」

 

 殺気を含んだ眼光は愛紗へと。

 その愛紗も、霞から放たれる氣を受け止め、目を鋭くさせていた。

 

「いいだろう。そこまで言えるのならば、もはや躊躇もせん」

 

 渦巻く気迫同士が舞台を支配する。今度こそ、完全に。

 

「あ、あのー!? ちょっとー!? 殺しはまずいわよっ!? 死なない程度にね!? 規定で言ったように殺したら打ち首なんだからねー!? って、ちょっとはちぃの話も聞きなさいよー!!」

 

 もはや地和の声など届いていないのか、互いが構えたままに動かない。

 ただ、立ち、向かい合う空間には覇気や殺気といった気迫が渦巻き、地和の言葉に多少は戻りそうになった歓声が、再び沈黙へと至った。

 

『………』

 

 チリチリと肌を焼かれるような気迫。

 たまらず地和がこちらへ逃げてくるが、それが済んだ頃。

 

「っ! せいぃっ!!」

「おぉおおおおっ!!」

 

 地を蹴り駆ける。同時に。

 互いが一歩駆ければそれだけで間合いに入る距離。

 それだけの距離で出せる最大の助走を勢いとし、二人は持てる氣の全てを一撃に乗せ、激突した。そう、激突。たった一歩で出せる速度などたかが知れていると思うだろうが、氣を籠めた一歩の助走なら俺でも出来る。そして、それを将が。しかも愛紗や霞ほどの猛将がするのであれば、その速度は異常の域だった。

 音だけで聞くのなら、まるで車の衝突事故だ。

 いや、受け止める部分が互いに少ない分、衝撃としての効果はより高いかもしれない。

 鉄球と鉄球を高速で打ち合わせたような、しかしそこに氣までもが乗っかったために発生する突風。咄嗟に地和を抱き締めて庇い、土埃がまるで散弾銃のように飛んでくる状況に目をきつく細めながら耐えた。

 ……そんな中、何かがどこかに衝突する音と、小さな悲鳴を聞いた気がした。

 

「……、……!?」

 

 やがて治まる突風。

 当然といえば当然で、武器が延々と風を出しているわけではないのだから、ひと波過ぎれば静かなものだが───……二人の様子を確認するべくしっかりと開いた景色の中に、なにかが足りないことに気づいた。

 

「う……わぁ……」

 

 ハッとして、音が聞こえた場所を見てみれば……場外傍の壁に突き刺さった、へしゃげた棒状“だったもの”。装飾を見るに、飛龍偃月刀のようだった。

 そう。

 舞台に居る霞の手には、あるべき飛龍偃月刀が無かった。

 そして霞自身も立っているわけではなく、ぶつかり合った場所から離れた位置に座り込んでいた。

 ……立っているのは愛紗だけ。

 しかし、その手に持つ青龍偃月刀もまた、へしゃげてしまっていた。

 

「……っ……はぁ……! ───模造とはいえ、我が青龍偃月刀を曲げてみせるとは」

 

 華雄の時とは違い、へしゃげた武器。

 恐らくは氣で包まれていたからなのだろうが、では氣で包まれていなかったらどうなっていたのか。……飛龍偃月刀が突き刺さる壁の先に居る、震える桂花が無事でなによりだった。

 だって、ヘタすれば武器が砕けて、それこそ散弾のように飛び散って……なぁ?

 

「……無手となったが、まだやるか?」

「……いや。全部出し切ったわ。ウチの完敗や」

「そうか。───良い仕合だった。いつかまた、機会があれば手合わせ願う」

 

 差し出される手。

 霞は地面に座り込んだままぽかんとその手を見て───

 

「え? ほんま? またやってくれるんっ?」

「ああ。霞さえ良ければだが」

「いいっ! むっちゃいい! やったら今日からもっともっと鍛えんと!」

 

 手を握り、まるでアイドルと手を繋いだファンのように目を輝かせ、ぴょんぴょんと飛び跳ねてまで喜んでいた。

 ……今度は愛紗がぽかんとする番だった。

 ともあれ、勝敗は決した。

 

「ほら、地和」

 

 俺の腕の中で微動だにしない地和を軽くゆすり、仕合が終わったことを教えてやる。

 するとどうでしょう。

 

「え? あ───ちぃ、強引なのも結構好きかも」

 

 ハッとして俺を見上げると、何故かポッと頬を染めて、きゅむと俺に抱き付いてきて……って!

 

「抱き締めたのはそういう意味じゃなくてね!? 司会だよ司会っ!」

「へあ? あ、ああっ! 司会ね司会っ! そそそれでは第九仕合! 関雲長選手の勝利で終了いたします!」

『うぉおおおおおおおおーっ!!』

「これからお昼の休憩を取りますので、お腹が減ってる人はもりもり食べましょう! お昼は支給されますので、がっつりとどうぞー! ただし! お残しは許しません! 残したら料理長直々の罰が下ります!」

 

 声高らかに終了宣言と、これからのことを話す地和。

 舞台の興奮もどこへやら、お昼でしかも支給されるとあって、町人も兵も大燥ぎだ。

 全員に支給なんて、手痛いどころの出費ではないが、祭りの日くらいはね。

 ああもちろん、町で売られる祭り用の食事などは普通にお金が必要である。

 あくまで“この昼のみ”が支給されるだけだ。

 しかしタダメシが食えるとなれば、残す人など居るわけもない。それがよっぽど嫌いなものでなければ、きっと食べるだろう。

 そんなことを考えていると、観客席からいろいろな声が聞こえてきた。

 

「料理長?」

「よくわかんねぇけど、まあ残すなんて罰当たりなことするわけねぇよなぁ」

「食えるだけありがてぇってもんだ。しかも支給とくる」

「でも嫌いなもんだったらどうするかなぁ」

「そりゃお前……」

「なあ……?」

「そっと残しときゃバレやしねえって」

 

 集団思考って怖いね。

 みんなでやれば怖くないって感覚は、ある意味で自殺行為に等しいのに。

 この世界では特に。

 そんな人達の声が聞こえたのか、地和がコホンと咳払いをしてにっこりと笑い……七乃のように指をピンッと立てると、元気よく言葉を放った。

 

「えー、ちなみに。調理長は典韋将軍なので、こっそり嫌いなものを残そうとか言う人は、破壊される覚悟くらいは決めておくようにー! ちぃちゃんとの、約束よー?」

『はいっ!! 残さず全て食べさせていただきますッッ!!』

 

 舞台が揺れるほどの、絶叫にも似た感謝の言葉であった。

 

「……はぁ。とりあえず、無事に終わってくれたか……。はは、あんまり喋る機会、無かったな」

「いや。誰もが速すぎて、言葉を発していたところで間に合ったかどうか。余計な解説を入れるよりは良かったと俺は思う」

「そっか。そういう考え方もあるか」

 

 俺はといえば華佗と一緒にぐぅうっと伸びをしながら、解説についてと昼についてを話していた。



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82:三国連合/天下一品武道会第一回戦⑥休憩編:(から)さと(つら)さと

 さて。

 人間はなにもしなくても腹は減るもんである。

 興奮したし緊張もしたし、なにより驚いたり身を竦ませたりと忙しかった。

 体が欲するもの、即ちエネルギーを求め、俺と華佗は談笑しながら食事が配給されている場所へ向けて歩い───

 

「待ちなさい一刀」

「え? あ、華琳……と、桂花? 春蘭も……あ、あれ? なんだってみんなこっちに? 昼、食べるんじゃ───」

「ねぇ一刀? 誰に常識が足りていないのか、言ってみてもらってもいいかしら」

「……OH」

 

 ……ふ、ふふっ……ふはははは……!

 し、仕合を見ているうちにこの北郷、すっかり忘れておったわ……!

 解説をしている中、うっかり失言を口にしてしまったことを……!

 

「エ、エートソノー。じょっ……常識人だったら、こんな一人の男を皆で囲むなんてことはしないんじゃない、かなぁ、と……」

「そう? では絶を構えた私だけが残りましょう」

「ヒィごめんなさいとっても常識的でした! だから瞬時に絶構えるのやめてください!? というかそれは常識的じゃないだろやっぱり! どこから出したんだ!?」

「どうだっていいわよ、そんなこと」

「どうでもよくないから訊いてるんですが!?」

 

 冷たい感触がやさしく喉を撫でなさる。

 ええ、とってもやさしいです。やさしいけど鋭いから、あんまり撫でられるとプツリと皮とかが裂けてしまいそうで、引き攣った笑顔のままに謝るしかございませんでした。

 理不尽がどうとかよりも、確かにああいう場で常識ってことは大事だーなんて言えば、他の人が常識が欠けていると皆に思われてしまうわけで。さすがに失言だったなぁとわかってはいるのですが。いやいや、まずは謝るべきだ。きちんと。というか座らされた。例のごとく正座で。

 

「お、大勢の前で常識足らずと言うようなことを言ったのはごめん。素直に謝る。でもな、これだけは言わせてくれ。常識ある人、忍耐力のある人は、話し合いを設けるのに武器は使わないだろ……」

「ええもちろんよ。私だって相手が一刀か、よほどの無礼者でもない限りはこんなことはしないわ」

「無礼者とどっこいなのかよ俺……」

 

 そりゃ、ある意味で王を含めたみんなを常識欠如宣言したようなものなんだろうけど、俺自身にはそんなつもりは………………そんな、つもりは………………や、な、ないですよ? ほんとですよ?

 

「……気心知れているし、これでは怒らないとわかっているからよ、ばか」

「ん? なんか言ったか? ばか、っていうのは聞こえたんだけど」

「あなたは……はぁ。もっとまともな部分を拾いなさいよ……」

 

 盛大なる溜め息を吐かれた。

 深く考えるあまりに、人の話を聞かないのはよくないよなぁ。

 この癖、直せるように頑張ろう。

 

(…………ハテ)

 

 直したら大変なことになると、心が大きな警鐘を鳴らしているのだが。

 い、いいんだよな? 直すべきだよな? 人の話を聞かないのはよくないし。

 それが、自分の考え事が原因なのは、俺自身も嫌だし。

 よし。

 考え事はしても、外の情報は聞き漏らさない俺を目指そう。

 そしてもっともっと、国に返せる自分になって───なって………………

 

(……なんでだろう。誤解と血に塗れた未来ばかりが頭に浮かぶ……)

 

 いやははは、気の所為気の所為っ! さ、考え事ばっかりしてないで昼だよ昼っ!

 きっと腹が減ってるからヘンなことばっかり考えるんだって!

 

「じゃ、昼食べに行くか」

「ええ」

 

 一応許可を貰ってから正座を解き、立ち上がると歩き出す。

 他のみんなは既に向かったらしい。

 訊いてみれば“食べに行く”、というのは少し違うようで、俺達には既に用意されているらしいから、そこで食べればいいのだとか。

 うーん、配ってるところに行って、きっちりと盛ってもらうのもそれはそれでワクワクするもんなんだけどな。

 そのことを少しだけ残念に思いながら、俺は華琳と一緒に昼餉を食べに行った。

 

「ところでさ。お残しがダメなら、たとえこの昼に辛いものが出てきても、華琳は食べるのか?」

「……あ、あら。なななにが言いたい、のかしら……?」

「いやほら、華琳って辛いの苦手───」

「苦手じゃないわよっ!!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 そう。珍しく大変動揺していらっしゃる華琳とともに、歩きました。

 なんとなく心配になって訊いてみたことがあるんだが、「そういえば真桜は出てたのに、どうして凪は出てなかったんだろう」って言葉に、華琳は……

 

「……“自分の実力ではまだまだ敵わないので”、だそうよ。というより、あなたの前で負けるのが怖いだけかもしれないけれど」

「そっか。確かに負けるのは怖いし、あの大観衆の中じゃあ恥ずかしいかもなぁ」

「……はぁ。話を聞いてもこれだもの。あのね、一刀? 私は───、…………はぁ。まあいいわ。いきましょう」

「ん? 華琳が途中で話を止めるなんて珍しいな」

「あなた自身が改めなければ、いつまで経ってもなにを説いても同じだと思ったからよ」

「……?」

 

 ───前略、おじいさま。

 話を聞いていてもわからないことってあるものですね。

 なるほど。他人の理解力と、相手が求める理解とは当然のことながら一致しないことはありますもんね。

 その答えに至れれば、ああなるほどと頷けるものもあります。

 

「あ、ところでさ。その凪だけど……今なにやってるんだ?」

「っ………」

「華琳?」

「…………は……」

「は……?」

「配給……係り、よ……」

「配給……あ、じゃあもしかして料理も流琉と凪が───だからか。今朝、凪が……」

「………」

「……あの。華琳さ───ハッ!?」

 

 ───続・前略おじいさま。

 新茶が採れる季節がいつだったかをド忘れしてしまいましたので、とりあえず今ということにしておいて、新茶が美味しい季節になりましたね。

 ところで今朝、僕のもとへ凪さんがやってきて、“祭りの中で辛いものを出すのはおかしいでしょうか”と訊いてきたのですが、はい。僕はそれに、“いや。どこまでの辛さに耐えられるかをみんなで競うのも、天の祭りにはあったからいいと思うぞ”と返事をしました。

 僕はその時の凪さんの弾ける笑顔を忘れません。

 忘れられないのですから───

 

「………」

「………」

 

 どうか、配膳された食べ物は辛くないのだと信じたいのです。

 なんていうかそう、自分の未来のためにも。

 ……さて。足取りが途端に重く、のろりと歩く中で……離れた場所から悲鳴が聞こえてきました。“辛いというか痛い”……的な言葉だったと記憶します。

 

『………』

 

 ええ、お残しは許されないんです。

 ならばもう、歩むしかない……!

 辛きを我が身に受けようとも、歩みて明日を魁る……! きっとそれが王なのだと……

 

「……っ!」

 

 凛々しくも覚悟を決めた彼女の横顔を見て、そう思ったのです。

 さあ、往きましょう。

 ただ今より第十仕合、辛さ対王の尊厳を始める───!!

 

……。

 

 ……のちに。

 涼しげな顔で最後まで辛きを食し、辛くてもしっかりと味がわかることへ高評価まで出し、凪と流琉を褒めた覇王様。

 そんな彼女に強引に連れられ、誰もおらぬ部屋へと辿り着くと、散ッ々と怒られました。

 堪えていたであろう涙まで滲ませて、大口を開けて、まるで子供のような罵倒を繰り返す彼女の舌は真っ赤でした。

 自分にしか見せない顔があるのって、なんだかんだで嬉しいよね、と思わず笑顔になってしまった途端に正座を命じられて、その上で叱られましたが。

 ええ、まあその……食べる前に、凪が言ってしまったのだ。

 “隊長の仰る通り、祭りということでうんと辛くしてみました!”と、弾ける笑顔でキッパリと。今でもあの瞬間のみんなの顔、忘れられそうにない。特に華琳。笑顔なのに、背後に巨大な般若面が見えたもの。

 

「聞きなさい一刀っ! 大体あなたはいつもいつも余計なことをっ!」

「だって、辛いの平気なんだろ?」

「限度というものが必要なことくらいわかりなさい!!」

「揚げ足取ってごめんなさい!!」

 

 でもね、華琳。

 その限度って俺が決めることじゃないと思うんだ。

 だって作ったのは凪だし。

 しかしそんなことを言えば、部下の不始末は上司の───とくるとわかっていたので、宥めるほかありませんでした。

 

「え、えと……じゃあ、休憩もあるし……その。綿菓子でも食べるか?」

「……、……説教がまだ済んでいないわ」

「ぷっ……ははっ、でも今結構考えてごめんなさい絶はやめてっ!」

 

 じいちゃん……最近、覇王様が俺にだけどんどん遠慮無用になってるんだ。

 “これって特別視?”と自惚れて、ならばと告白してみても“察しなさい”なんだ。

 

「………」

「……な、なによ」

 

 ……それでも好きなんだよなぁ。ほんと、しょうがない。

 言ったところで“察しなさい”なら、きちんと察して受け取ろう。

 好きで一緒に居たいんだから、こうして傍に居られるだけでも十分だ。

 ……傍に居られなかった一年間を思えば、そんなことは当然なんだから。

 

「じゃあ、説教が終わったら一緒に街に出るか?」

「………」

「華琳?」

「甘くて冷たいもので、熱くて仕方のない舌を休ませたいわ。一刀、あなたが作りなさい」

「へ? それって…………ははっ、りょーかい。アイスでいいか?」

「知らないわよ。あなたに任せるわ。もちろん、満足出来なければ───……わかるわね?」

「無駄にハードル上げるなよ……舌が痛いのは俺だって同じなんだから、俺だって───」

「あらだめよ。あなたが作ったものは私が頂くのだから」

「え……? じゃ、じゃあ俺の分は!?」

「知らないわよ」

 

 ひどい! なんてひどい! ……と、この時は思ったのだが。

 新鮮なものとまではいかない材料でアイスを作る中、どうしてか華琳も一緒にアイス作りをして。なにを言ってみても黙して作るもんだから、「一つじゃ足りないのか? 食いしん坊だなぁ」なんて、場を和ませるつもりで言ってみれば、鎌が喉に突きつけられました。

 なのでこちらも黙して作ることにして、やがて完成すると───華琳は自分が作ったアイスを俺にくれて、俺もまた、華琳に自分が作ったアイスを渡した。

 「……味比べ?」と首を傾げて言った俺に蹴りをブチ込んできた覇王様だったが、そんなやりとりをしながらも、俺の頬は緩みっぱなしだった。

 

(現金なヤツ)

 

 自分で自分に呆れながらも、二人並んで座り、甘いアイスを口にした。

 それは、とてもとても甘───……辛かった。

 

「……あの。華琳サン……? これ、中のほうが滅茶苦茶辛いんですが……?」

「限度を知らない結果というものを、一度その舌で確かめなさい」

 

 甘い上の層に、とても辛い中身。

 一口で二度美味しいとはよく言うが……甘くて痛い! なにこれ! 痛い!

 なのにきちんとした味があって、しかも美味いから残せない!

 

「どうかしら? それだけ辛いと───」

「完・食!!」

「なっ───!?」

 

 でもまあそこまで大きなものじゃなかったから、ぺろりと食べた。

 内側からドクンドクンと体が熱くなってきてますが、きっと気の所為です。

 

「ふふふ……料理を好む性格が災いしたな、曹孟徳……! 辛くとも味が確かなら、食べずにはいられないのが人のサガ! まして、ここまで美味いならば残すはずもなし!」

「………」

「……って、華琳? ───痛っ!? なんか今さら口の中が熱っ! 痛っ! 辛っ!!」

 

 格好よく返したつもりが、後からくる刺激に堪えられなくなって悶絶。

 そんな俺をぽかんと見つめていた華琳だったが、しばらくすると吹き出し……珍しいこともあるもので、声を出して笑った。

 普段から“ふふっ”としか笑わない彼女の印象は一気に砕け、背格好相応の笑い方をする彼女を前に、俺も笑───……い、ながら悶絶した。

 く、くそういったい何入れたんだこれ……! 穏やかに微笑みたいのに涙が止まらない!

 

「くふふふふっ……え、ええ、そこまで胸張って美味しいというのなら、仕方ないわね。ふふふっ……本当に、仕方のないことだから、気が向いたらまた作ってあげるわよ」

「いや……辛いのは出来れば勘弁を……」

「くっ……ぷふっ、あはははははは!!」

「な……なにがそんなにおかしいんだよ……」

「だ、だってあなたっ……! あれだけ偉そうにっ……む、胸張っておいて……っ! ぷ、くふっ……あははははは!!」

「~……」

 

 それを言われると、何も言えない自分がおりました。

 思い返してみても、曹孟徳相手に偉そうに胸を張った途端に悶絶である。

 ああなるほど、そりゃ笑えるな。

 納得したところで盛大に落ち込むことにしました。

 まあ……華琳の笑顔も見れたし、それだけで心が温かくなったりするんだから……俺ってやつは本当に……。

 

「……午後もがんばりますか」

 

 笑う覇王様の横で、痛みに瞳を滲ませたままに呟いた。

 いちいち格好つかないよなぁ俺……。



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83:三国連合/天下一品武道会第二回戦①

129/DIE弐回戦

 

 昼食が終わり、休憩を挟んだあとには当然待っている第二回戦。

 緊張したり氣に当てられたりで疲れていた地和が、クワッと目を開く瞬間である。

 

「大丈夫か? なんだったら蒲公英に代わってもらったりとか───」

「これしきで疲れを見せるなんて、歌人にあるまじき行為よっ」

 

 散々見せられていたんだが、というツッコミはしない方向でいこう。

 さて。

 マイクを手に壇上、もとい武闘場に上がった彼女が右腕一本を天へと翳すと、それだけでワッと観客の興奮が蘇る。

 それを待ってからの第二回戦開始の号令は、司会と観客の息の合ったものだった。

 なるほど、これは蒲公英にはちょっと無理かもしれない。

 

「よーぅしっ! それじゃあ冷めた熱が蘇ったところでっ! ……食事が辛かったぞぉーっ!!」

『うぉおおおおおーっ!!』

「はいっ! さらに熱が上がりました! では組み合わせの発表をいたします! 二回戦第一仕合! 周幼平選手対孫伯符選手!」

 

 うわ……呉同士か。

 明命の慌てふためく姿が簡単に想像できる。

 今実際、歓声に混じって「あぅあああーっ!?」って悲鳴が聞こえたし。

 

「第二仕合! 孫仲謀選手対華雄選手!」

 

 む……ある意味、一番落ち着いた戦いが見られそう……か?

 

「第三仕合! 趙子龍選手対関雲長選手!」

 

 …………いや、なにも言うまい。

 

「第四仕合! 呂奉先選手対張翼徳選手!」

 

 これは……いや、わからないよな。

 勝利条件は一つじゃない。

 

「以上で進めたいと思います! なお、厳正なるくじ引きの結果、残った9名の中から闘わずに第三回戦へ登れる人がどうしても一人出てしまいましたが、話題に出すとうるさいのでさっさと次に行きましょう」

 

 ……シ、シード権……と受け取っていいんだろうか。

 奥の方から「なんだとぅ!? なぜ私の仕合がないのだ!」とか聞こえるが……春蘭、武人としては怒るところかもだけど、選手としては喜んでおこうよ。

 

「それではさくさく参りましょう! 第一仕合! 青竜の方角! 周幼平選手!」

「あ、あぅっ……あう、あうぁっ……!」

 

 呼ばれ、出てきた明命は目がぐるぐると回っていた。

 ……大丈夫なのかな、あれ。

 

「対するは同じく青竜の方角より! 元呉王! 孫伯───あれ?」

 

 雪蓮が出てくる筈の場面で、彼女を押しやり出てきたのは……なんと春蘭!

 

「おい地和! 私の出番が無いとはどういうことだ!」

「え? え……どういうって、だからくじ引きで」

「くじを引いたなら誰かと当たらねばおかしいだろう! そんなこともわからんのか!」

「人数考えなさいよ! 9人なんだから一人余るのは当然でしょー!?」

「なにぃ!? 引く時に“誰と当たるかはくじ頼み”と言ったのは貴様だろう! それでなぜ誰とも当たらんのだ!」

「確かに言ったけどそういう意味じゃないったら!」

「ええいなにをわけのわからんことを! もういい! 北郷! 貴様が私と戦え!」

「……エ? ───ひょぅぇ!? あっ……!? えなっななななんで俺!?」

 

 いきなり指名されて、本気で驚いた。

 また妙なことで喧嘩を……とか、どこか微笑ましく思っていた少し前の俺よ。

 ……何故逃げなかった。

 

「なんでもなにも。相手が居なければ、私の活躍を華琳さまに見てもらうことが出来んだろう」

「頷いた時点で俺の方は、華琳に自分の最期を看取られそうなんですけど!?」

「……なにを言っている? 刃引きをしたもので人が死ぬわけがないだろう」

 

 きょとんとした真顔で言われた。

 ……どうしよう、この人マジだ。

 

「刃引きしてあっても頭粉砕されて死ぬわ!」

「なんだとぉ!? 誰の頭が救いようのないくらいの炸裂馬鹿だ!!」

「誰もそんなこと言ってな───炸裂馬鹿!?」

 

 粉砕が炸裂と繋がった!? 繋がらないって!

 なんて頭の中でツッコんでいると、ずかずかと解説席へと歩いてきた大剣さまに詰め寄られ、言い訳を……って、なんで俺が言い訳を考えなくては!? くじ引きでの厳正な抽選結果だった筈が、なんで俺がこんな状況に!?

 様々なものから逃げ出したくなるような気分の中、救いの手を差し伸べてくれたのは……なんと雪蓮だった。

 

「なに? もしかしなくても戦いたいの?」

「無論だ! 華琳さまの前で武を振るう! 私には武しかないからな! それが喜びであり誉れだ!」

 

 傍迷惑な誉れですね春蘭さん……現時点で、主に俺のみに対して。

 しかしそんな春蘭の視線を前に、にっこり笑う元呉さまは、こうお言いなさったぁ……。

 

「なんだったら私と交代する? 明命と戦えるわよー♪」

「はうあっ!? しぇ、しぇしぇしぇ雪蓮さまっ!? そそそれはっ……あぅあぅあ……」

「なに? いいのか?」

「うん。代わりに私が一刀と戦うから」

「キャーッ!? 却下ァァァァ!! ちょ、だめ! くじ引き無視しないで! そんなの許可したら、誰でも戦いたいヤツと戦えるようになっちゃうだろ!?」

「なによー、一刀は私と戦いたくないっていうのー?」

「全力でハァイ!!」

 

 全力で挙手! すると、挙げた手が春蘭に掴まれ、ズルズルと舞台の中心へと引きずられていってイヤァアーアアアアッ!?

 

「あの春蘭さん!? どうして引きずりますか!?」

「うん? なにを言っている。挙手するほど戦いたかったのだろう?」

「違いますよ!? 戦いたくないことに賛成って意味で挙手をですね!?」

「なにぃ? 貴様ぁ! 誇り高き魏に生きる者でありながら、敵を前に逃げる気か!」

「逃げる逃げない以前に腕が折れてるんだって!」

「? 使いものにならんのなら千切って食えばいいだろう」

「無茶言うなぁあああ!! それは眼球か!? 自分の眼球を例にして言ってるのか!?」

 

 矢が刺さった眼球を食った春蘭の場合、困ったことに異様な説得力があった。いや、説得されるわけにはいかないから迫力と言うべきなんだろうけど。

 それにしたって本気できょとんとして、そんなことを言い出すとは思わなかった。

 

「だったら気合で今すぐくっつけろ!」

「気合でくっつけられるなら、包帯なんてそもそもしてるかっ!」

「ならば片手で戦え!」

「雪蓮相手に片手でとか無理だろ!」

「ええい、あれも駄目これも駄目と! 貴様それでも御遣いか!」

「御遣いだって人の子ですよ!?」

「なにぃ? ……天から産まれるんじゃないのか?」

「……あのさ。もしかして俺が降ってきたのって、天から産まれたからだとか思ってる?」

「当たり前だろう? そうじゃないのか?」

「そうだとしたら天の知識とか産まれたばっかりの俺が教えられるわけないだろぉお!?」

「そんなもの産まれる前から知っていたんだろう」

 

 どーだ、これで文句あるまいとばかりに、腰に手を当ててニヤリと笑う大剣さん。

 ……ごめんみんな。俺じゃあこの人の説得は無理だ。

 ならば同じ男である彼に助けを求める。

 彼ならばきっと……って、“きっと”とか考えると大体裏返しの結果が出るので、ここは事細かに説明をして助力を願うべきだ。

 

「華佗、あのさ」

「何も言うな北郷。……わかる」

 

 わかられた!? ……いや! これは絶対に理解(ワカ)っていない! 絶対に反対の方向での理解だ! 今まで散々と周囲に振り回された俺の経験と直感がそう伝えている!

 

「ぃゃぁの」

「男ならば売られた喧嘩、買わずにはいられない。俺は医者だが、そうである前に一人の男子だ! 無駄な争いならば必ず止めるが、強きを決める場にて無駄な争いなどきっと無い! ならば俺はお前の意思を汲み、その腕の痛み……消してみせよう!!」

「やっぱりわかってねぇええーっ!!」

 

 思わず口調が乱暴になるほどの衝撃! アータ医者として無理はさせられないとかそれっぽいこと言ってたじゃない! もしかして場の空気にあてられた!?

 必死に誤解を解こうとするが、ああもうなんでこういう人は一度“こう”と決めると人の話を聞かないのかっ……! って観客のみなさん!? 煽らないで!? 煽っちゃだめぇええ!!

 

「あ、あのなぁ華佗!? 俺は腕の痛みとかそういうことを言ったんじゃ───!!」

「任せろ。我が五斗米道に不可能はない。一時的にではあるが骨を結び繋ぎ、痛みを無くそう。ひと仕合ほどならば痛みもなく戦えるはずだ」

「だとしてもこんな大観衆の前じゃ───!」

「我が身、我が鍼と一つなり! 元気にィイッ!! なぁああれぇえええっ!!」

「話聞いて!? お願いだから!! おねっ……あぁあーっ!!」

 

 鍼が落とされる!

 いっそ逃げましょうか!? でも変なところに刺さったら嫌だし、正直に言えば腕が治るのは嬉しい! 嬉しいけどそれはイコール雪蓮バトル開催の報せというわけでして!

 ならばすぐに負けようか!? なんか嫌だ! ならば───ならば全力で!

 

「覚悟───完了!!」

 

 胸を右手でノックするのと同時に、鍼が包帯を貫いて左腕を突く。

 その衝撃でなんと包帯が弾け飛び、自由になっただけではなく、喝を入れてもらったかのように氣が充実する体で、左手をグワッシィと握ってみせる。

 

(祭り……そう、祭りである! 祭りで騒ぐは然であり、叫ぶのならば肯定を叫べ! 否定を叫ぶは祭りの恥! 故に逃げぬ心、退かぬ覚悟を!)

 

 人はそれをヤケクソと言います。

 良い子も悪い子も真似してもいいけど、自己責任でいこうな。死地へと歩む御遣いさんとの約束だ。

 そして弾け飛ぶ包帯に普通に驚いた。アニメとか漫画でありそうだけど、実際に見ると怖いぞこれ。

 

「ふぅん? あははっ♪ いい顔になったじゃない、一刀。何かを楽しもうとする子、嫌いじゃないわよ?」

「祭りなんだから楽しまなきゃな。勝っても負けても恨みっこ無しだ」

「へー? 勝てるつもりなんだ」

 

 くすくすと笑う雪蓮。

 そんな彼女の前へと歩き、真っ直ぐに目を見て言う。

 

「勝てる気で構えなきゃ、そもそもイメージにすら勝てないからな」

「そ? いめーじ、っていうのがまだよくわからないけど、ようするに頭の中の私と戦ってたってことでしょ? ……それで? 勝てたことは?」

「きっちり胸張って言えるのは一回だけだ」

「……それでも勝ったんだ。そっかそっか。……離れてる間、弱くなっちゃった“いめーじ”に勝って天狗になってましたとかなら、腕一本じゃ済まないわよ?」

「じゃあ折られたら折り返す」

「わおっ、あははははっ! いいわいいわっ、今の一刀最高っ!」

 

 殺気をぶつけてみれば、笑って返す雪蓮さん。

 やっぱり俺の殺気じゃあ怯みもしない。笑われるほど細やかかい? 俺の殺気は。

 

「うん、満足満足。じゃ、春蘭は明命と戦ってあげてねー♪」

「応!」

「あぅあぁあーっ!?」

 

 会場に、明命の悲鳴が、こだました。

 ていうか、え? 一番最初に戦うんじゃないのか? 流れ的にすぐにここで戦うことになるのかと。

 いや、でも正直助かったか。鍼で動くようになったからって、今まで大して動かせてなかったんだから、今のうちに動かして慣れさせておこう。じゃないと全力なんて無理だ。

 

「えーはい、司会者無視してなんだかいろいろ決めちゃってますが、戦いたいなら止めません。では第一仕合! 周幼平選手対! 夏侯元譲選手!」

「ふはははは!! 悪いが二回戦も勝たせてもらうぞ! ……華琳さまー! 見ていてくださいねー!」

 

 周囲には威圧的。

 華琳には夢見る少女のような素直な反応。

 ……全力で祭りを楽しんでいるようで、なによりだった。

 

「……ところでさ、華佗。鍼の効果ってどれくらい続くんだ? てっきり一番最初に戦わされるのかと思ってドキドキしてたんだけど」

「ひと仕合分くらいの時間は保つ筈だ。それまでは仕合を見ながら何度か鍼を落とすから、手の感覚が“今の北郷”のものに合うまで動かしておくといい」

「ああ。リハビリ無しだと辛いもんな」

 

 言いながら握ったり開いたりを繰り返す。

 これで二度目だが、どうしてこの世界の人々は人の腕など軽く破壊できるのか。

 

「………」

 

 観客が沸く中、舞台に立つ二人を見る。

 既に雪蓮も控え室に戻ったので、俺も解説席に戻ったのだが……俺もあそこで戦うとか考えると汗がだらだら出てくる。

 いや……大勢の前で戦うとか無理だろ。

 見栄を張って失敗やらかしまくる自分の姿が簡単に想像できる。

 ならばその想像に勝とうとイメージトレーニングを開始するのだが、困ったことにイメージは雪蓮と戦っている光景しか映してはくれなかった。……まあ、戦うんだしなぁ……そうじゃなきゃ逆に困る。

 

「第二回戦第一仕合! はっじめぇーっ!!」

 

 ドワァッシャァアアン! と銅鑼が鳴る。

 途端に両者の顔からは余裕も焦りも消え、一人の戦士として地面を蹴っていた。

 ……ちなみに。

 愛紗が抜いてしまった武舞台の床は、それを嵌め込んで、斗詩のハンマーで殴って埋めるという強硬手段と、園丁†無双のみなさんの助力と、“親衛隊に勝手なことをやらせていたこと”が華琳に発覚したために連れていかれた真桜の尊い犠牲によって、(見た目は)元通りになっていた。

 こんな状況で園丁†無双のことがハッキリとバレるなんて、彼女も思っていなかっただろう。というかこき使うのに慣れて、そっちの注意力が散漫してたんだろうなぁ……親衛隊が呼吸を合わせて床を治してゆく場面を見た時の華琳の様子は、それはもう貴重なものだった。

 ちなみにそれから真桜の姿を見ていないが……すまん。強く生きろ、真桜。

 

「おぉおおおおおおっ!!」

「っ───いきますっ!」

 

 春蘭と明命が駆ける。

 春蘭の意識は明命にのみ注がれ、気配殺しをするには絶好の瞬間。

 しかし先ほど使った手を使うつもりはないのか、明命はそのまま正面からぶつかり、……豪快に吹き飛んだ。

 

「えっ!? あ、あぅあっ!」

 

 予想外の衝撃だったのか、言葉通りに吹き飛んだ明命は咄嗟に身を回転させて、舞台に足をつくと勢いを殺し、息を吐いた。

 対する春蘭も息を吐く。なんか満足そうな顔で。そういえば彼女にしては珍しく、初撃が叩き下ろしの一撃ではなく、掬い上げるような一撃だった。そりゃ空も飛ぶって納得出来る一撃だ。

 しかしそれで決着がつくわけでもなく、二人はまたぶつかり合い、しかし明命は正面からの激突を避けての攻撃へと行動をスイッチ。攻撃は出来るだけ避けて、躱しきれなければ受け止めるのだが、やはり武器ごと大きく弾かれることになる。

 

「はっはっはっはっはっ! どうしたどうしたぁ!」

「どうもしません避けてますっ!」

 

 鈴々の攻撃と同じように、振りも速ければ戻しも速い春蘭の攻撃。

 けれど明命はそれらを避け、間に攻撃をくぐらせるようにして反撃をする。

 それもなんなく弾かれるわけだが……

 

(これって……)

 

 春蘭の攻撃の隙間に自分の攻撃を置くような感じ。

 当然春蘭はそれを弾くために動き、弾けば即座に攻撃。

 明命はそれを避けて再び軽い攻撃。弾かれ、避け、軽く。

 その行動は何処かで見たような……

 

「ええいちまちまと! 武人ならば一撃にかけてみろ!」

 

 そんな細かい攻撃に春蘭がカッと怒るが、あくまで冷静に対処する明命。

 それどころか軽く話しかけて、春蘭の攻撃の大振りを促す。

 

(…………俺が華雄と初めて戦った時にやった、あれ……だよな?)

 

 攻撃を空振りさせて、攻撃するフリで身構えさせて、さらに空振りさせて、って。

 確かにそれなら、迫力ある大振りに緊張することはあっても、自分がまいるよりも先に相手が疲れるだろう。……相手が普通の武将なら。

 華雄が普通だとか言うわけじゃないけど、相手が春蘭の場合は───

 

「北郷の真似事か? はっはっは、やつの真似でわたしが負けるものか!」

 

 ───一層、速度が増した。

 軽い攻撃が剛撃によって弾かれ、明命は逆に隙を見せることになる。

 すぐに戻しの一撃が明命目掛けて放たれる。

 しかしその瞬間には明命は体を一気に屈ませ、春蘭の一撃をくぐってみせた。

 

「なっ!?」

 

 それは勝利への確信に生まれた油断。

 驚愕に染まる春蘭が見たものは、屈んだ状態から一気に跳ね、春蘭の首へと逆手に持った刀を走らせる明命の姿だった。───のだが。

 

「はぅあっ!?」

「えぇええーっ!?」

 

 勝負あり、と思った瞬間だった。

 振るわれた明命の刀が、ガキィと春蘭の歯によって止められた。

 驚きのあまり思わず叫んだ時には、春蘭の拳が驚きのあまりに無防備になった明命の腹に埋まり、拍子を置いて弾かれたように吹き飛んだ彼女は、そのままの勢いで場外へと落下。……決着は、ついた。

 

「うわー……」

 

 首に当てて勝負ありにしようと思ったんだろうけどさ、明命……。春蘭相手なら、突きの型で寸止めしてたほうがよかったぞ……。

 

「こ、これは驚きです! 寸止めで終わらせる様子だった幼平選手の武器を、なんと歯で噛んで止めた上に勝ってみせたーっ!! 第一仕合! 夏侯元譲選手の勝利です!」

『はわぁあーっ!!』

 

 観客が大いに沸くが……ア、アリなのかなぁ、アレ……。

 春蘭は春蘭で華琳に手ぇ振ってるけど、逆に「寸止めしようとしたから押さえることが出来たのよ。次は油断なく立ち回りなさい」と怒られている。いや……華琳さん? それでも歯で本当に刃を止めてみせるなんて、異常以外のなにものでもないのですが? 寸止めするとはいえ、この世界の武将の一撃ですよ? ……どういう顎の力してるんだ。あれか? 日々大量に食ってるのがいいのか?

 

「………」

 

 ……学力はなくても顎力(がくりょく)はあった、なんてくだらないことが頭に浮かんだ。明命……なんかごめん。

 



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83:三国連合/天下一品武道会第二回戦②

「ではではさくさくいっちゃいましょー! 第二仕合! 華雄選手対孫仲謀選手!」

 

 腹部を押さえながら去ってゆく明命にドンマイと苦笑を送り、苦笑を返されながらの第二仕合準備の合図。

 入れ替わりに出てきたのは華雄と蓮華で、双方ともにジャキリと武器を構える。

 やる気マンマンだ。

 

「さてさて片や前線の暴れ馬! 片や恐らく実戦不足の現・呉王! どちらが勝っても恨みっこ無し! それでは第二仕合! はっじめぇーいっ!!」

『応ッ!』

 

 二人が同時に叫び、同時に地を蹴り前へ。

 最初から全力でと互いが互いに思っていたらしく、最初の一撃からして渾身だった。

 両手で握り、フルスウィング。獲物の長さと重量の分だけ蓮華が大きく弾かれたが、踏み(とど)まると、この距離はまずいと断じたのか懐へと潜り込もうとする。

 当然華雄はこれを見て即座に反応。

 小刻みに放たれる蓮華の攻撃を力任せに弾き、隙が出来たところへ追撃。

 しかし、大振りを待っていたとばかりに縦の一撃を後方ではなく左方へ軽くステップすると同時に、蓮華が反撃の突き。

 それを長柄でギャリィッと滑らせるように逸らし、蹴りを放つが足で防御される。

 反動で距離が出来た───と思えば一呼吸しないうちからまた激突。

 蓮華ってこんなに前に出るタイプだったっけ、と逆にハラハラしてくる。

 見ていて危なっかしい戦い方なのだ。

 もっと相手の動きを見てから、確実に堅実に攻め込むタイプだと思っていたんだけど。

 

「ほう……? 姉と違い、妹はもっと大人しいものかと思っていたが」

「言っていろ。私はそう簡単に負けてやるわけには……いかないんだ!」

 

 相手が孫家というだけで、華雄の目つきはやたらと鋭い。

 孫堅に負けたって話を聞いたし、やっぱり棘みたいに心に残ってるんだろうか。

 

「貴様がどう思おうが、私とて負けてやらん。孫策を北郷に取られたのならば、妹である貴様は私が倒す!」

「っ……私は姉様の代わりじゃない!」

 

 蓮華が踏み込み、剣を振るう。

 でも踏み込みすぎだ。

 あんな闇雲じゃ、置いた武器にさえ自分から突っ込みそうだ。

 

「はぁああああーっ!!」

 

 蓮華の猛攻が続く。

 華雄はそれを、笑みを浮かべながら捌いてゆく。

 そんな状況をじれったく思ったのか、蓮華はさらに踏み込み、大振りをして───“それはまずいって!”と俺が思ったところで止まらないそれは、まるで待ち構えていたかのように華雄によって強く弾かれ、

 

「終わりだ!」

 

 そのまま身を捻った状態での突き出された爆斧の石突きが、蓮華の腹部を強く突いた。

 拳で腹を突いた時のように、ドズゥと鈍い音がする。

 同時に蓮華は軽く飛び、

 

「あっ、ぐぅっ!?」

 

 膝をついたのは───華雄だった。

 

「おぉおーっとぉっ!? これはいったいどーしたことでしょう!! 攻撃をしたと思われた華雄選手がまさかのよろめき! 解説者の華佗さん! これはいったい!?」

「いや俺は無視かよ」

「だって一刀ってこういうことは知ってなさそうだし」

「す、少しくらい知ってるよ!」

「じゃあ一刀、今なにが起こったの?」

 

 じゃあ、と言われると、なんか“代わりにハイどうぞ”って促されただけって気がしてツライ……ああいや、そういうことは気にしなくていいんだ。よし。

 

「まず蓮華。腹に一撃もらったみたいに見えたけど、きちんと左手を間に挟んで防御してた。さらにその攻撃の反動を利用して、華雄の腹に蹴り一発。吹き飛んだのは、蹴りの反動と突きの反動を利用して離れただけだ。ダメージは掌にしかないと思う」

「ああ。北郷の言う通りだ。だが、その挟んだ掌は無事では済まんだろう」

 

 舞台に目をやる。

 腹部に一撃をくらった華雄は既に立っていて、剣を握る蓮華の手は……ここからじゃ見えない。腫れていたりしなければいいけど……。

 

「ふっ……最初は孫策と戦えればいいと思っていたが、やはり孫家の血か」

「たわけたことを言うな。血だけで強くなれるほど、武というものは甘くない」

「当然だ。その血を持つものが弱くてはたまらんと言いたい───ただそれだけだ!」

 

 華雄が走る。

 一歩は軽く、二歩は大きく、三歩目で蹴り弾いた。

 一気に増す速度と、一気に無くなる距離に合わせて武器を振るう蓮華だが、これもやはり弾かれる。それどころかやはり左腕は痺れていたのか、弾かれた反動で剣から左手が離れた。

 

「くぅっ!?」

「ふふふっ、軽い手応えだ───! 手数ばかりを増やしたところで、貴様には敵を仕留める一撃が足りん!」

 

 戻しの一撃が蓮華を襲う。

 足捌きでそれを避けようとするが、後方に下がる予備動作を見切られ、華雄に懐までを一気に踏み込まれた。

 

「───!」

 

 しかしここで蓮華は弾かれていた筈の剣を一気に戻した。

 あれだけ大きく弾かれたのに、あんなに早く───?

 

「っ! 貴さっ───」

「せやぁあっ!!」

 

 速度重視。いつか教えた正眼からの突きが一気に放たれる。

 思い出したのは華雄の言葉。“軽い手応えだ”と彼女は言った。

 ……つまり、腕が大きく弾かれたのは華雄の一撃に加え、自分で大袈裟に広げたが故。剣をギュッと握った左手は痺れてなどいないようで、その上でしっかりと握られたままに、突きが放たれた。

 

「くあっ───ぢぃっ!」

 

 それを、鼻先と頬を削られながらもなんとか避けた華雄。狙ったのが顔じゃなかったら、一撃は当てられたんじゃないかと思うと、歯がゆいが……そんな一撃を避けた先で、そのまま金剛爆斧を振るう華雄。

 それは、無理矢理体勢を変えた所為で、倒れそうになった体から放つ、体重の乗らない一撃だ。

 蓮華は突きの勢いそのままに前転してそれを避けると、起き上がりと同時に疾駆。華雄はその突撃を起き上がりの反動を用いて迎え、止めてみせ、そのまま鍔迫り合いになる。

 

「ッ……これでも、懸命に鍛えてきた……! 一刀と、どちらが国のために頑張れているかを競うため……そして、弱い自分を越えるため……! だというのに、こうも決定打に欠けるか……!」

「ふふっ、なるほど……よい覇気だが、貴様が己を磨いている間、他の者が休んでいるとでも思うのか? それはないだろう。むしろ私にはそれしかないからなっ!」

 

 いや、華雄さん!? そこ威張るところじゃないから!

 しかもなんか春蘭なら同じこと言いそう! そして蓮華さん……そういうことをこんな場面、場所で言ったら───

 

『…………』

「ウワーア……」

 

 物凄い数の視線が俺に集まっていた。

 いつの間にそんな話をしたんだって目が、じろじろと。

 慌てて舞台の上を促すが、……あの。蓮華や華雄までなんで俺のこと見てるんだ?

 と思えば蓮華がキッと華雄を見て、華雄もその視線へと自分の視線をぶつける。

 

「ひとつ訊きたいことがある。貴女は一刀と鍛錬をしたのか?」

「ああ、したな。男の中では飛び抜けて強い……が、ふふっ……まだまだだな。あれでは私に勝つことなど無理だ」

「…………そうか。安心した」

「安心?」

 

 キッと引き締められた表情が、軽い笑みに変わり、再び引き締められる。

 

「悪いが、負ける気がしない!」

 

 直後、剣を軽く引き、急に力を押し付ける場所を無くした華雄がバランスを崩したところへと攻撃。しかしながら「喰らうものか!」と軽く避けられ、柄での横薙ぎを脇腹に受けてしまう。

 軽く飛ばされた蓮華だが、やはり足が地面に突くと突撃。

 華雄の剛撃に対して速度重視の攻撃ばかりをし、手数で攻めてゆく。

 確かに、武器は模擬刀とはいえ相当に硬いものだ。当たりでもすれば、速度重視の攻撃でも十分なダメージになるだろう。

 それでもそれが中々当たらないからこそ武将なんだ。

 簡単に当たるくらいなら、誰もが将を倒せる兵になれる。

 

「はぁあああっ!!」

 

 連撃、連撃、連撃……!

 反撃をさせないようにと、隙を殺した連撃が何度も何度も放たれる。

 しかし速度重視といっても防御が間に合わないほどではなく、反撃に回らなければ冷静に対処できる程度のもの。

 華雄は冷静に対処し、無闇に突っ込むことはしなかっ───

 

「どうしたっ、防戦一方かっ! 軽い手応えと言ってくれたな! お前のほうこそどうなのだ!」

 

 ───たと思ったんだが、気の所為だったよ。

 挑発されたらあっさり突撃しちゃったよあの人!

 袈裟懸けに一気に振るわれた金剛爆斧の一撃を、果たして挑発した蓮華はどう利用して、ってなんか普通に受け止めて吹き飛ばされた!? うわぁ考え無しだったァアーッ!!

 こ、これはあれか!? 全力のあなたを倒さなければ意味がないとかいうあれか!?

 そんなの慢心もいいところじゃ───漫画でもアニメでも小説でも、敵が全力を出していない内に倒すのが一番だっていうのに! 5%の力しか出していないってわざわざ教えてくれたなら、やっぱりその瞬間倒さなくてはもったいないってもんだろう!

 なのに軽く地面を滑った蓮華はニヤリと笑って、次いで振るわれる撃も受けたり避けたりしていた。いったいなにをしたいのか。スタミナ切れを待っている……ってことは無いな。

 じゃあ……?

 

「ふっ! はっ! はぁっ!」

「ふっ! はっ! はっはっはっは!」

 

 再び、どっしりと構える華雄を蓮華が速度で攻撃する、という状況が完成する。

 華雄は“馬鹿のひとつ覚えか”とばかりに攻撃を弾き、笑うが、どうにも気になることが。

 

「……なぁ、華佗」

「ああ、妙だな」

 

 妖術マイクは使わず、コソッと華佗と話をする。

 そうだ……どうにもおかしい。

 さっきから蓮華の攻撃が一定すぎる。

 あそこに攻撃したら次はあそこと、相手に覚えさせるように攻撃を並べている。

 もしかして攻撃を誘っている? それともあれが彼女が組み立て易い連撃?

 とはいえ、なにか作戦があったとしても、華雄は引っかかっても引っかからなくても強引になんとかしそうな気が……。

 

「ふっ……! 見切ったぞ、そこだ!」

 

 思った矢先に華雄の一撃。

 腹に当たる……と思われた横薙ぎだったのだが、咄嗟に振り上げた武器が弾く。

 予想通りに蓮華の武器は右腕ごと虚空に弾かれて、体もそれと一緒に大きく仰け反る。

 やっぱり力じゃ無理だ。

 このままじゃ───と蓮華の敗北をイメージしてしまった時、耳に届いた重い金属同士がぶつかり合う音。

 仰け反る者と、即座に構え直す者。

 突き出す獲物と強引に戻す獲物が交差して─── 

 

「………」

「………」

 

 剣が華雄の首に。

 斧が蓮華の首へと突きつけられた。

 寸止め同士ではあったが……獲物の長さの差が、勝敗を分けた。

 

「えーと……解説のお二人さーん? この場合は……」

「蓮華だな」

「ああ。孫権の勝利だ」

 

 蓮華の武器は、刃が華雄の首へ。

 だけど、華雄の武器は柄が蓮華の首へと当てられていた。

 全力で振り切れば、たしかにこの世界の武将なら首も折れそうだが、折れないかもしれない。首を切るか首が折れるか否かで言えば、やはり切る、の方が勝ちなのだ。

 華雄の武器が鈍器だったら、引き分け判定になっていたかもだけど。

 そういった説明をすると、華雄もそうなるだろうと予測していたのか、小さく息を吐いて武器を戻した。

 直後、発せられる勝者孫仲謀の声。

 

「……まだ届かないというのか。私は再び孫家に……」

 

 沸く観客の声に紛れ、立ち去る華雄がなにかを言っていたような気がした。

 同じく控え室に戻る蓮華は、ちらちらとこちらを見て、目が合うとにっこりと子供みたいに笑って“どう? すごいでしょう”みたいな顔をしていた。

 

「いやー、なんだかよくわからないうちに勝負がついていた感じです! 解説の北郷さん? 最後のはいったいどうなってああなったんですか?」

「えっとな、素早く立ち回っていた蓮華が華雄に向けて続けていた連続攻撃は、同じ行動をずっと繰り返すってものだったんだ。華雄はそれを見切ったって言って攻撃を返して弾こうとしたんだけど、逆にそこを利用されたわけだ」

「利用?」

「ああ、そうだな。華雄は孫権の攻撃が、速度ばかりの軽いものだと誤認した。孫権は素早い攻撃ばかりを見せることで、彼女自身にはそれしかないのだと思わせたんだ。ならばその軽い攻撃を、隠していた剛撃で弾くことで無理矢理にでも隙を出させてやると、大振りを出した華雄は───」

「逆にその大振りに合わせられて、弾くどころか蓮華の力も合わせられて大きく仰け反らされた。大振りの攻撃に自分の剣を合わせて弾く。言うのは簡単だけど、相当の集中力がないと無理だ」

「おおお……説明されてもいまいちわかりませんが、つまり横からの攻撃を掬いあげることで、斜め上に攻撃を空振りさせるようなものですね!?」

「……わかり易い説明をありがとう」

 

 地和が言った途端、合点がいったとばかりに観客が沸いた。

 

「……なぁ北郷。俺達の説明は硬いのか?」

「……そうなのかも」

 

 その歓声の中、軽く落ち込む俺と華佗。

 いや、迫力とかどれくらい難しいことなのかを語ったところで、そう上手く受け取られないのは想像がついたことだけどさ。やっぱりちょっと寂しい。

 

「ではでは次に参りましょう! 第三仕合! 趙子龍選手対関雲長選手!」

『はわぁああーっ!!』

 

 選手の名を聞いて、さらに沸く観客。

 俺としても楽しみだけど、これは……

 

「華佗はどっちが勝つと思う?」

「難しいな。速さならば趙雲、力ならば関羽といったところか。だというのに、実力は似通っている。飄々とはしているが、趙雲の力は本物だ。相手の隙を逃さぬ良い目を持っている」

「だよなぁ……なのに、槍の突きに対して平気で合わせられそうな愛紗も凄い」

「………」

「………」

 

 つくづくこの世界の女性は強いなぁと、俺と華佗は遠い目をしながら思った。

 

「さぁ! それでは選手も入場したところで! 第三仕合! はじめぇーいっ!!」

 

 高らかに鳴る銅鑼。

 一気に走る二人───と思ったら走らない!?

 開始の位置で青龍偃月刀と龍牙を構えて、微動だにしない!

 なのに緊張感がミシミシと伝わってきて……お、お願い! ひしひしと伝わって!? なんかこの緊張感、お肌がビリビリと痛い!

 

「こうしてお主と対峙するのは、演習や模擬戦以来となるか。ふむ、相も変わらず可愛げの無い堂々とした構えだ。だというのに、目の前にすると華やかに見える」

「……可愛げがなくてすまないな。だが、戦にそんなものが必要だなどとは初耳だが?」

「もちろんそれが敵兵であったり盗賊であったりすれば構わぬが。見ている者の中に気になる人物が居るのであれば、それもまた必要というものではないか? 愛紗よ」

 

 ? ハテ、星が何故かこちらをクイッと顎で促した?

 ちらりと愛紗がこっちを見て、どうしてか急に慌て出した。

 …………ハテ?

 

「はっはっは、この武道会で無様を曝したくないと、いつにも増して鍛錬をしていたのは誰を想ってのことだったのかな?」

「う、うるさいぞ星! そういう星こそ隠れて山で鍛錬など!」

「ぐっ!? ……さ、さてはて、なんのことかな? 山に行く用事など、私には」

「美以から聞いている」

「………」

「………」

「……な、なにを、かな?」

「ふっ……何処までも冷静に攻めて、相手が熱くなったところで相手に武器を放り、油断したところを」

「ぬわーっ!!」

 

 ! 星が攻めた!

 なにかぼそぼそと言ってたみたいだけど、普段の星からは想像できないほどに感情を露にした一撃! つーか速い!!

 ……でもそれに冷静に合わせられる愛紗さん。さすがです。

 

「ほう? 星でもそこまで動揺することが出来るのか」

「くっ……! 底意地の悪いのは感心せんぞ、愛紗っ……!」

「いや……それはお前にだけは言われたくないんだが……」

 

 突き出された二又の槍の分かれる根元に石突きを当て、槍を止めるのってどうなんだろう。即座に反応して、あんな止め方が出来るって…………おじいさま、世界は広いです。

 ところで表現として二又の槍は合っているのだろうか。

 八岐大蛇から取って“岐”で喩えると、分かれた道、枝、などの意味があるそうなんだが、つまり八岐大蛇って頭は九つあるってことだよな……? じゃあ二又の場合は尖ってる部分は三つあるってことで……あれ? じゃあ一又の槍でいいのか? 二又だとトライデントになるし。

 とか考えているうちに、攻防は始まっていた。

 

「ふっ───!!」

「りゃぁあああああっ!!!」

 

 いや、攻防っていうよりも“攻”しかないな。

 相手の攻撃を受け止めはするけど、攻撃がそのまま防御になっているって言えばいいのか悪いのか。攻防一体って言えばいいのか悪いのか。

 相手を打倒するための攻撃っていうのはああいうものを言うのだろうか。

 ともかく鋭い。

 それでいて速く、正確。

 

「……解説の華佗さん」

「なんだ? 解説の北郷さん」

「二人とも笑んでいるのですが、あれはまだ本気ではないのでしょうか」

「本気だったとしても笑めるほど、この戦いを楽しんでいるということだろう」

「…………」

 

 前略お爺様。

 視線の先で、絶え間なく衝突する金属音が聞こえます。

 ギン、ギャリン、シャギィン、様々な音です。

 突いて弾いて逸らして斬って、薙いで躱して防いで蹴って。

 様々な攻撃が繰り広げられ、その攻撃自体が防御にもなってるっていうんだから呆れる。

 蜀って人材豊富だよなぁ。

 愛紗もあの実力で、以前は盗賊狩りで満足していたって……少しだけ、ほんの少しだけ、盗賊が可哀相に思えた。御用になって可哀相とは思わないが。



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83:三国連合/天下一品武道会第二回戦③

「はぁあああっ!!」

「ほっ! とっ! なんとっ!」

 

 気合の入った愛紗とは違い、星は相変わらず飄々とした声。

 しかし攻撃は見事であり、速くて正確だ。

 それを弾いてそのまま攻撃に転じる愛紗も、俺から見れば十分に異常。

 どうしてあんな動きが出来るのやら……俺なんて毎度毎度、おっかなびっくりの対応ばっかりなのに。いいなぁ、あそこまで動けるようになりたい。

 でもこの筋肉様が成長してくれない。

 そうなると、もう氣を延々と高めていくしかないわけで。

 

「───! ……、……!!」

「……? ……、……、……、……!」

 

 段々と、ぶつかり合う音がうるさくて声が聞こえなくなってゆく。

 にも係わらず、愛紗が叫んで星が笑っているのはわかるんだから、付き合いで知る人の性格っていうのは面白い。

 

「ははは! どうしたどうした愛紗よっ! 前に見せた青龍逆鱗斬はもう使わんのかっ!」

「だだ黙れ黙れぇええっ!!」

 

 あ、聞こえた。と思ったら愛紗がからかわれて、顔を真っ赤にするような内容だった。

 あーあー……愛紗がどんどんと周りが見えなくなってきてる。

 そんな姿が、なんというかもどかしい。応援してやりたい。

 

「しかしこう、応援したいんだけど、したら公平にならないってのももどかしい」

「応援すればいいだろう。二人とも頑張れ、なら公平だ」

「それをすると別の方向から殺気が飛んできそうな気がしてさ……」

「そ、そうなのか?」

「というか、俺に応援されて嬉しいかな、二人とも。どっちかっていうと確実に桃香に応援されたほうが喜ぶだろ?」

 

 ひょいと軽く促せば、王の席で「二人ともがんばれー!」と笑顔で応援する桃香さん。

 華佗はそれを見て「なるほど」と頷く。

 

「だが、もし北郷がこのまま三国の父として劉備と関係を持ったなら、北郷も主ということになるだろう」

「……いや、それは愛紗にも言われたけどさ」

「そうか。本人に言われたなら、本人もまんざらでもないんじゃないか?」

「そんなもんかなぁ……。まあ、でも応援したい気持ちは一緒だし」

 

 うんと頷いて、マイクを通さずに言った。

 こう、口を両手で作ったメガホンで囲むように。

 

「愛紗ーっ! がんばれーっ!」

 

 一言……そう、一言だ。

 しかしその途端に愛紗の動きが変わり、動きが加速した。

 

「……見てわかるほどに動きが変わったな」

「……いいのか? こんなんで」

「応援されて張り切れないほど、将というのは耳が遠くないということだろう」

「そ、そんなもんなのか。じゃあ星にも……星ーっ! 負けるなーっ!」

 

 同じく一言。

 すると、星まで動きを変え、愛紗目掛けて突撃を仕掛けた。

 

「………」

「………」

「なぁ華佗」

「言うな。俺も同じ気持ちだ」

 

 周りからの視線が痛い……!

 何故か将のみんながこっちを凝視してらっしゃる……!

 なにより痛いのが、敗北なされた将のみなさまからの視線……!

 まるで、“なんで今回だけ応援するのさ”って感じで……おおぉお、胃が、胃が痛い!

 

「どうした愛紗よ、急に動きがよくなったではないか」

「星こそ、本気を出していなかったとでも言う気か?」

「鼓舞による兵の士気の向上があるよう、私とて一人の人間。応援されて悪い気はせぬよ」

「同感だ。なにより───」

「ふふっ……そう、なにより」

『一度でも手ほどきをした者に応援され、負けるわけにはいかん!!』

 

 速度があがる。

 めちゃくちゃに振るってるようにしか見えないのに、攻撃はあくまで正確。

 今度こそ攻撃だけに集中出来るほどの戦いではなく、互いに攻守織り交ぜの戦いに変わっていた。なのにその攻防の速いこと。

 どれもこれもが次の攻撃への複線であり、複線でありながら一撃必殺を狙っているのだからたまらない。弾く音も随分と大きくなり、肌を刺激していたピリピリとした緊張感は、胃をえぐるような覇気に変わっていた。とうとう内臓です。

 それでも見ないわけにはいかないので見るのですが、一撃必殺を狙っているだけあって、一撃のたびに体が強張る。心の中なんて、一撃のたびに“うひぃ!”“ひぃえっ!”“あぶぅわぁああっ!”とか悲鳴を上げている。

 見ているだけでそれだけの迫力があるのだ。

 ちらりと見てみれば、わいわい騒いでいた観客は……めちゃくちゃ楽しんでいた。

 あ、あれぇ!? 俺だけ!? ソワソワしてるの俺だけ!?

 

「か、華佗? 俺、一撃がぶつかるたびに体が緊張するんだけど、俺だけ?」

「いや、それはお前が相手の視線に自分を置けるようになった証拠だ。“いめーじとれーにんぐ”といったか? それの延長だろう」

「うう、嬉しいやらツライやら」

 

 誰かと誰かの戦いを、自分と誰かの戦いに置き換えることが出来るってことか。

 でも俺にはそれほどの速さが出せないから、体が引き攣ってしまうと。なんかそういうことらしい。

 ……なるほど、“見ることもまた戦いだ”ということなのか。

 戦いで経験が積めるなら、見ることでも積めるということなのか。

 しかし、雑兵相手ならトントン拍子で敵を屠ってゆく猛将でも、達人同士では中々そうはいかない。それほど長い時間が経ったわけでもないのに、二人はみるみる息を荒げていった。

 

「おぉお!? これはいったいどうしたことかー! 両者とも息を荒げております! 第一回戦ほど時間は経過していないように思えますがー! 解説のお二人さん、これはいったい!?」

「ああ。並々ならない気迫同士がぶつかり合い続けているんだ。達人同士とはいえ……いや、達人同士だからこそ、緊張し続けなければ危険だ。その緊張こそが体に負担をかける。注意力は向上するが、集中していられる時間は限られるものだ」

「なるほどなるほど。それはつまり、誰かさんが応援したから両者ともに張り切って、その影響で疲れていると!」

「だから無理矢理俺を悪者にするのやめない!?」

「えー? べつに無理矢理じゃないし、ちぃは一刀のことだなんて一言も言ってないよ?」

「ぉおおおぉおっ!! そりゃそうだけど! そりゃそうだけどォォォッ!!」

 

 この状況で俺じゃないなら一体誰だって話になるでしょーが!

 つか、だったら俺を見ながら言うなよぅ!!

 

「ふふっ……息を乱すなど久しぶりだ。強くなったなぁ愛紗。初めて会った頃の愛紗ならば、勝っていたのは間違い無く私だろうに」

「……何故急に、未熟者の成長を見届けたような目で見る」

「はっはっは、いやなに、一度言ってみたかっただけだ。ところで愛紗よ。今さらだが武器を変える暇はなかったのか?」

「生憎と代えはなかった。名前までは知らんが、どこぞの馬鹿者二人とやらが、大会が始まる前に己の武器を破壊したらしくてな。その分、予備を作る時間が無かったそうだ」

「ほう。それはそれは」

 

 ああっ! 胃がッ! 胃が痛い!

 俺が折ったわけじゃないのに、胃が痛い! それは何故!?

 それは俺が華雄に氣を注入するなんて馬鹿をしたからです! ごめんなさい!

 でも、見れば確かに歪んでいる青龍偃月刀。

 腕力でへしゃげ状態から戻したのか、形としては少し歪んでいる程度で済んでいる……つか、え? 腕力で直したの? あれを!? ……ち、違うよな? はは、まさかなぁ。

 

「しかし愛紗よ! こうして続けているのも悪くはないが、そろそろ観客も飽いてくる頃だろう!」

「ならば私の勝利で終わらせてもらう!」

「はっはっは、知っているか愛紗よ! 天では、先に自分の勝利だと確信を持ったものこそが負けるらしいぞ!」

「なにっ!?」

 

 うん。人はそれを敗北フラグとか死亡フラグって言う。

 あからさまに“勝った!”とか“終わったな……”とか思うと、それは大抵逆転されるわけで。岸辺露伴先生がプッツンした東方仗助相手に見せたのも、まさにソレと言えるだろう。

 でもこの場合は───

 

「愛紗よ、お主なら気づいているだろう。私が常に何処を狙って攻撃していたのかを」

「ふっ……無用な心配だ。逆に、そのような言葉こそが敗北を招く!」

「おっと、これは一本とられたかな」

「気にしたふうでもない顔で、よく言う!」

 

 愛紗が払いののちに突きを放つ。

 それを払いで弾き、次ぐ攻撃も払い続ける星。

 その防御も逸らしも攻撃も、全て一点に集中していることに初めて気づく。

 それは……青龍偃月刀の、歪んだ部分。

 霞との戦いでへしゃげたのを無理矢理直したものの、曲がった部分までは完全には直せない。星はそこを狙っていた。

 

「無駄なことを! 折れたところで棍として使うだけだ!」

「ほう、それは結構。愛着のある長さからの急な変動に、戸惑いを一切持たぬというのなら、お薦めしよう!」

 

 ニヤリと笑った星が、重心を下に下げての連撃を放つ。

 力の籠もった、しかし素早い連突が愛紗を襲い、防御のために偃月刀を構えれば、へしゃげた部分ばかりを狙い、ついに乾いた音を立て、青龍偃月刀が折れる。

 

「っ───くぅっ!」

 

 レプリカとはいえ、武人の魂とも言える武器を壊され、愛紗の顔は怒りに燃えた。

 そして言葉通りに棍として構え、振るうが───急に重さもリーチも変われば、達人とはいえ数合は戸惑うもの。

 その隙を突かれ、愛紗は長柄を上空へと勢い良く弾かれてしまい、無手となる。

 終わりだ……そう思った次の瞬間、愛紗は落下していた偃月刀の刃を蹴り上げ、駆ける動作とともに左手でキャッチ。秋蘭との戦いの時に星がやったように、その刃を星の首へと突きつけた。

 

「………」

「…………ふむ。なかなか良い戦いだった」

「ふふっ、そうだな。まさか、武器を壊されてまで足掻くという気持ちが私にあるとは」

「はっはっは、そのくらい勝利に貪欲でなければ、勝てる戦いも勝てん。さて愛紗よ」

「? なんだ?」

「すまんな」

「へ? 何ぷびゅっ!?」

 

 愛紗の頭に強い衝撃が走り、ぽてりと倒れた。“ごいんっ!”ってすごい音が鳴って。

 星の首に刃を突きつけ、彼女の勝ちと思われたこの勝負。

 ……弾き飛ばされ、宙を舞っていた長柄が愛紗の頭部を襲ったことで、決着となった。

 

「私に集中してくれるのは結構だが、落下地点まで誘われたことにも気づけないようでは、はっはっは、まだまだ甘いなぁ愛紗よ」

「えぇええーっ!? ちょっ、これは戦いとしてはいいのでしょうか解説のお二人さん!」

「問題ないなぁ」

「勝負ありを宣言されるまでは油断しない。もっと言えば、背を向け下がり切るまでは、その場は戦場であると意識しておくべき。それが武将というものだろう。関羽は“大会”ということで、気を緩ませていたのかもしれないな」

「な、なんだか納得いきませんが、あぁでも確かにとも思えるので強引に納得! 第三仕合は趙子龍選手の勝利です!!」

 

 落下地点を予測して、さらに愛紗が諦めずに刃を使うところまで予測してたのか……。

 ほんと、星っておっかない。

 

「さ、さあ気絶した関雲長選手が運ばれ、趙子龍選手が退場します! 続いての仕合は宣言通りにこの二人! 呂奉先選手! 対! 張翼徳選手ーっ!!」

「うおーっ! なのだーっ!」

「………!」

 

 ……ハテ。武舞台に上がってきた恋が何故か俺を見て、目を輝かせてらっしゃるのだが。

 なんかもうエサを待つ犬のように。

 尻尾があったら千切れんばかりに振っているに違いない。

 これは……アレか? もしかして応援を待っている?

 え、ええいもうどうにでもなれっ!

 

「れっ……恋ーっ! がんばれーっ!!」

「! ……~……───!!」

 

 あ、目が爛々。そわそわしだして───ヒィ!? なんか可愛らしい愛犬が、急に狂犬に変わるほどの空気の変化が! そんな空気のまま鈴々をキッと見つめて…なにあれ! 最初は輝く瞳がさらに輝いて可愛かったのに……! これはアレですか!? 恋ってば本気になった!?

 あぁあああこういう場合はどうしたら……! ハッ!? 鈴々も応援して、中和を!

 

「鈴々ーっ! がんばれーっ!」

「おーなのだーっ!」

 

 鈴々が腕を上げて応援に応える。

 すると、何故か恋の体から余計にモシャアアと殺気めいたものが……!

 ホワイなに!? アレなに!? なんであんなに敵を見るような目をしてらっしゃるの!? さっきまでは、あくまで対戦相手を見る目だった筈なのに! それがあんな……あんなまるで、主人が他の犬を可愛がる様に怒る、甘えんぼなお犬様のように!

 

「さっさと始めるのだ!」

「え、え~……? なんか空気が重くて、ちぃ一刻も早くここから逃げたいんだけど……」

「いいから始めるのだっ!」

 

 舞台ではそんな空気を物ともせず、戦いたくてうずうずしている鈴々が蛇矛をブンブン振りつつ地和を促していた。いや、むしろこんな空気の中だからこそなのか?

 ちらりと見れば、この舞台を見守る将のほとんどが、戦ってるわけでもないのに険しい顔をしている。

 

「それじゃあえっと……第四仕合! はっじめぇーっ!!」

 

 ドワァッシャァアンッ! ───銅鑼が鳴り、それを合図に───赤が走った。

 

「うにゃあああーっ!?」

 

 ……へ? あ、合図……合図に……って、ウワー、鈴々が飛んでるー……じゃなくて!

 えぇ!? 恋から仕掛けた!? ていうか恋が自分から突っ込んだ!?

 どっちかと言うまでもなく、ほぼが相手を迎える姿勢の恋が!?

 そりゃあ真桜の時も突っ込んだけど、相手が鈴々なら流石に慎重になると思ったのに! ……いや、真桜が弱いからとかそういう意味じゃなくてな?

 

「にゃっ! ───っ……んんーっ! ぎぎぎっ……うにゃあっ!?」

 

 …………。

 

『………』

 

 観客が静まり返った。

 その観客には当然、王も将も俺も含まれているわけで……吹き飛ばされながらも武舞台に蛇矛を下ろし、吹き飛ぶ体を摩擦で止めようとしていた鈴々だったんだが……止まる暇も無いまま、場外の壁に激突していた。

 ……ウワー……人ってあんなに飛ぶんダー……。

 

「え、え? あ、じょ、じょーがいっ! 張翼徳選手、場外です!」

 

 一瞬だった……な。

 うん、一瞬だった。

 実力が離れてる云々じゃなくて、確かに吹き飛ばして場外っていうのは一番効率がいい。

 相手が本気を出す前や構える前なら余計だ。

 いや、あの距離で一気に接近するとか、あの恋が突撃するとか、普通考えないって。

 そんなものにどうやって備えろっていうのさ。

 ……地和が勝者宣言している舞台では、やっぱり恋が期待を籠めた輝く瞳で俺を見てた。

 笑顔で軽く手を振ってみれば、嬉しそうな顔(やっぱり無表情に近いが)でこくこくと頷き、控え室へと戻っていった。背中をしこたま打ち付けたらしい鈴々も、桔梗に助け起こされて戻っていく。

 

「………」

 

 鈴々には悪いが、素直に思った。俺の時に……あれ、やられなくてよかった、と。

 

「……一応、これで第二回戦は終わりか」

「いや。まだだろう?」

「エ? ……ア」

 

 そうだった。まだ……まだ“俺”が残っていた。

 ちらりと見れば、既に王に用意された座席になどいらっしゃらない雪蓮さま。

 視線を戻せば、武舞台の上でにこにこ笑顔で俺を手招きする雪蓮さま。

 

「北郷。腕は平気か?」

「痺れてきた。頼んでいいか?」

「よし」

 

 準備万端な雪蓮を見ながら、華佗に鍼を落としてもらう。

 痺れ始めた腕に活力が戻ると、感覚を確かめながら木刀を手に、舞台へ。

 

「おぉ!? なんだ、あの妙なにぃちゃんもやんのか!」

「ばかっ! ありゃあ魏の警備隊長様だよ! 知らねぇのかい!」

「なにっ!? 警備隊長ってあの、噂の種馬のっ……!?」

「種馬? 休憩知らずの鍛錬の鬼じゃなかったか?」

「んん? 俺はメンマがどうとかと聞いたが……」

「いや、三国の父がどうとか」

「まあでも───」

『勝てねぇだろ、絶対』

 

 満場一致のようだった。

 ええみなさん、僕もその意見に賛成です。

 賛成ですが───

 

「んっふふ~♪ やっとちゃんと戦えるわね、一刀」

「まさかこんな形で戦うことになるとは、思いもよらなかったよ……ていうか、さ。本当にここでやるのか? で、できればそのー……もっと静かなところでとか……」

「あら。緊張してるの?」

「するよっ! 普通するだろっ! この視線の多い中で緊張するなとか無理だろ!」

 

 授業参観中、親に見られてるかもって緊張感よりも性質悪いわ!

 いっそこのまま逃げ出したいくらいだよ!

 

「まあ一刀がどうあれ、今日こそは戦ってもらうけどね。さ、一刀。準備はいい? 氣は充実してる? 痛いところとかない? 動きづらい服じゃない?」

「胃がさっきから痛いよ。あとは…………よ、っと」

 

 フランチェスカの制服の上を脱ぎ、腰に縛り付ける。着たままだと腕を上げた時に肩が突っ張るからな、これ。

 

「よしっ、準備OKだっ!」

「いつものあれは?」

「いつもの? ……ああ。ちょっと待ってくれ」

 

 わぁわあと騒ぐ観客を見つめる。

 ぐるっと視線を巡らせ、その数に驚きつつも。

 しかし何度も繰り返した深呼吸でその不安を拭い去り、静かに雪蓮へと視線を戻しながら言葉にした。この不安が自分の行動を止めたりしませんようにと。

 ───観客なんて知らない。

 観客は居ない。

 ここに居るのは俺と雪蓮だけ……そう思え。

 

「覚悟───完了」

 

 胸をノックし刻み込む。

 深く集中して自分に催眠術をかけるように言い聞かせた。

 俺の相手は雪蓮。雪蓮にだけ集中しろ。他のことは見えなくなるくらいがいい。

 じゃないと緊張で仕合どころじゃない。

 

「すぅ……はぁ…………んっ!」

 

 自分の全てを向ける相手を雪蓮に。

 そして、今まで戦ってきた彼女のイメージの全てを思い出し、対応できるだけのパターンに対応できる自分を強くイメージ。

 足りない分は根性だ。正直、あれから立ち回り方と氣しか磨けていない。

 経験は積めたには積めたけど、筋肉増加が望めない分はなんとか根性で乗り越えるしかない。……根性論はちょっと苦手な部分はあるものの、根性がなければ何事もあと一歩が為しきれないのは確かなのだ。

 人よ。根性に溜め息を吐いてしまう人よ。それを吐いてしまう前に、その一歩先を目指してみよう。まずはその根性がなければ辿り着けない場所っていうのが、自分の中には眠っているものだから。

 

(……ふ……ぅ……)

 

 深く深く深呼吸。

 いざ……勝てるかどうかは横に置いての、挑戦するための戦へ……!



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83:三国連合/天下一品武道会第二回戦④

「さーてやってまいりました特別仕合! 成り行きで了承する羽目になった我らが種馬北郷一刀の命運やいかに!? それでは第二回戦特別仕合! 孫伯符選手! 対! 解説者北郷一刀! はっじめぇーいっ♪」

 

 なんか楽しそうな声で開始の合図を語る地和に続くように、銅鑼の音が響き渡る。

 同時に笑みのままの雪蓮が地を蹴り駆けてきて、まずは様子の一撃を。

 放たれた袈裟懸けの一撃をバックステップで躱して、次ぐ突きを左へ避ける。

 そのまま払いに移行するソレを下からゴッとカチ上げて、「えっ」と片手でバンザイのポーズで呆けた雪蓮へと容赦の無い横一閃を。

 

「わわっととっ!」

 

 しかしこれを、上体を仰け反らせることで躱された。……ので、無防備な足へと足払い。

 これを勘で察知したのか咄嗟に後ろへ下がる雪蓮───を、地面を蹴って追撃!

 

「え? えっ?」

 

 一閃! 躱される! 連閃! うわっ、弾かれた! だったら突きィ! 逸らされた!

 

「やっ、ちょ、一刀っ!?」

 

 雪蓮がああ構えたら袈裟斬りがくるから、それを逸らして突き、右に躱したらそのまま戻しが来て、左に躱したら離れるから───

 

「え、や、ちょっ、ひゃわっ!? わっとっ!? えっ!? えぇっ!?」

 

 攻撃攻撃攻撃攻撃! 考える隙を与えずに、ひたすら“勘”だけで動いてもらう!

 次、踏み込んできたら高い確率で、下から掬いあげる一撃が───来た!

 

「これに合わせてッ───おぉりゃぁああーっ!!」

「ひえっ!? きゃっ……うわわっ! あっぶなぁっ……! ちょっとかずっ……」

「きえぇええええええっ!!」

「ひやぁああああーっ!?」

 

 剣道の気合一閃。

 躱されても次の次の手を読んで、隙が出来るところまで追い詰める。

 雪蓮の勘は見事なほどに本能的に働いて、体をそこへ追いつかせるものだ。

 天賦って言えばいいんだろうか……神様ってやつはとんでもないものを雪蓮にもたらしたもんだ。でも、その天賦にだって穴がある。

 ようは勘を働かせて躱した先を追って、避けられない状況ってものを作ってやればいい。

 なにせ本能。どこまで行っても“人の本能”でしかないのなら、“人間が出来る回避以上の行動”は出来ないのだ。

 

「はっ! だっ! せいっ! はぁっ! しっ! せぇぁあありゃぁああああっ!!!」

 

 踏み込む! 離れない! 追い詰める!

 冷静にさせてしまうのは結構まずい! だから攻める! 攻めて焦らせる!

 出来ればあの、無言で襲いかかってくる雪蓮が出てくる前に!

 

「っ───“加速居合い”!」

「ぇゎちょ、ぃいっつぅっ!?」

 

 袈裟懸けの一撃を躱された直後、そのまま木刀を腰に構えて氣を解放。

 踏み込むのと同時に加速された居合で攻撃を仕掛けるが、咄嗟に構えられた武器で防がれてしまった。本当に咄嗟だったらしく、腕に相当響いようだが。

 

「えっ……なに今の! 前より全然速───」

「はぁあああああっ!!」

「やぁああっ!? ちょ、ちょっと待った一刀! 待ってってばーっ!!」

 

 聞く耳持たん!

 この北郷、他の誰にも経験不足でドタバタ逃げ腰状態だが、雪蓮の相手だけならば誰にも負けん! イメージとはいえ、その戦闘回数は十や二十じゃない!

 段々と自分の想像が勝ってしまいそうになれば、別の誰かに稽古をつけてもらって大敗を受け入れ、イメージをより強いものとして上書き、挑戦、敗北なんてことを何度も繰り返した今、“雪蓮相手の場合のみ”、多少は攻めに回れるのだ!

 

「このぉっ! 待てって言ってるでしょ! もう、ってうひゃあっ!?」

 

 突き出される剣にクロスカウンターばりの突きを繰り出す。

 しかしこれも首を逸らされて躱され、慌てて離れた雪蓮をさらに追う。

 

「あ、あはー……本当に私の相手ばっかりしてたみた───きゃんっ!? あ、あっぶな……!」

「散々負けて散々繰り返したよ! 報われたいから是非負けてくれ!」

「あははははっ、残念だけどそうはいかないわよっ、むしろ面白くなってきたからもっと続けよっ、ね、一刀っ♪」

 

 気の緩み───今!!

 

「シィッ!!」

 

 足に籠めた氣を竜巻のように捻りながら一気に武器へと昇らせ、その過程で全身に加速。金色の輝きを放つ木刀を、雪蓮目掛けて容赦なく振るう。

 怪我の心配? まさか。ここまでやっても勝てないから、今まで散々苦労した。

 ……そして、例に漏れず、雪蓮は渾身の居合いを避けてみせた。

 体勢を獣のように低くし、そんな場所から見上げてくる彼女の目は、虎のように鋭く、いつかのように冷たかった。

 そんな彼女の頭へ、体勢的にも無理があるために力の乗らない一撃をこう……ぼごっ、と。

 

「ふきゅっ!?」

 

 力が乗らなくても、木刀だから痛い。

 そんな痛みの所為で虎の目から冷たさが引き、涙目で頭を押さえて俺を睨む雪蓮へと、再び突撃を開始する。

 

「え? えっ!? やっ───ちょっとー!?」

 

 避ける体を追いかけ追い詰め、反撃されればそれに合わせたカウンター。

 大抵は躱され、当たれば好機とばかりに突撃。

 それでも読み違えれば手痛い反撃を受け、ペースを崩されるのだが、そこからのカウンターも研究済みだ。なにせ攻められることの方が多かったわけだから、まずは反撃を成功させなければ攻めることが出来なかったのだ。イメージ相手なのに。

 俺の中の雪蓮は、強敵で油断ならない相手で、ここぞって時には正攻法ではこないってものだ。そして実際でもほぼそんな感じだ。

 だからこそ逆に安心して攻められる。

 攻められたってどんとこいだ! 伊達に各地でいろんな将たちに攻められ続けてたわけじゃない! 自慢にもならないけど、守りと避けなら結構得意だ!

 

「せいせいせいせいせいせいせぃいいいっ!!!」

「わったたったっとっ! あははっ、速い速いっ! いい調子よ一刀ぉおっひゃあっ!?」

 

 攻撃の中、微笑んだりして気を緩ませたところへ強撃を混ぜる。

 悲鳴をあげる割に、ほぼ避けられるのもイメージの通りだ。

 で、躱すと距離を取って楽しげな言葉を放つパターンがほぼなので、雪蓮のバックステップに合わせて足に籠めた氣を弾けさせ、一気に距離を詰める!

 

「あっはは、ほんとにやるじゃうひゃああっ!?」

 

 驚愕に染まる彼女へダイレクトアタック。避けられるもんなら避けてみやがれの居合い一閃だ。

 

「っ───このっ! ぅくぅっ!?」

 

 剣を盾にされた……でもそんな状態での着地が上手くいくはずもなく、雪蓮は軽くたたらを踏んだ。思わず「ぅゎやばっ……!」と漏らす彼女へ突撃をかける───と、横薙ぎで牽制されるから、走る予備動作だけ見せたあとに拍子を置いて一気に突撃!!

 

「えっ、あ、わっ、ちょっと、えええぇえっ!?」

 

 予想通りに牽制を行った雪蓮は、振ってしまったが最後戻せない剣に焦りを飛ばす。

 その隙に再び距離を詰めた俺を前に、振るってしまった右手ではなく左手を伸ばして俺を掴み、投げようとしてきた。伸ばされたために咄嗟に氣を込めて構えてしまった左腕をはっしと捕まれ───しかし、そんな彼女ににっこりと微笑みかけ、俺の手に意識が集中していた彼女の足をひょいと掬って、転倒してもらうことにする。

 

「くあっ!」

 

 しかし切り替えが早い。

 倒れたところに木刀を突きつけて寸止めで勝とうっていうのは、さすがに甘すぎた。

 尻餅ではなく無理矢理体を逸らせ、手を着いて身を翻してみせると、すかさず距離を取って体勢を───立て直す前にさらに突撃!

 

「も、もー! しつこい男は嫌われるわよ、一刀っ!」

「だったらどうしてさっきから顔が笑ってるんだよ!」

「楽しいからに決まってるじゃないっ!」

 

 様々な攻撃、動作に合わせ、用意した動作で対応。

 何度も追い詰めるのだが、追い詰めきった後の体勢がどうにも悪い。

 加速したあとの伸びきった体とか氣が散ってしまったあとだったりするものだから、

 

「きゃんっ!? ~……!!」

 

 こう、ぼこんと音は鳴るものの、弱い一撃ずつしか当てられない。

 まあその、一撃は一撃なわけだが、どうにもこう……なぁ。

 

「うぅ~っ……!! さっきから人の頭をぼこぼこぼこぼこ……!!」

「それはこっちのセリフだ! 勘だけでどこまで避けてみせるんだよ!」

「そんなのは勘に聞きなさいよぅー!」

「訊いたところで避けるだろうが!」

「当たり前でしょー!?」

 

 頭をぼこぼこ殴られ続けて、雪蓮は涙目である。

 いい加減、虎の目がちらほらと冷たくなったりならなかったりで、使い古した電球のごとく明滅を繰り返している感じだ。

 このままだといずれはあの雪蓮さんが出てきてしまう。

 なにかいい方法はないかと考えるも、とにかく当てて勝つしかないのだ。なのに当たらない。避けられまくるから、最後はボコッになるわけだ。

 

「根性!」

「ふきゃうっ!? ~っ……いっっ……たぁあーいっ!!」

 

 体勢も伸びきって、氣も散った状態だったが、無理矢理体を捻ることで微量な加速を完成させた。すると綺麗な音が鳴り、雪蓮が怒った。

 

「このこのこのこのこのぉおおおーっ!!」

「はっ! ほっ! とっ! はっ!」

 

 しかしながらこれもトレーニング済みであり、弾いて逸らして隙あらば反撃、攻守交替で突撃を再開。

 そう……あくまで雪蓮に。雪蓮にだけは有利に戦うことが出来る。

 他の人相手でここまで先読みしろなんてことは無理だ。

 その人の動きを見てイメージトレーニングをすれば、そりゃ出来ないこともない。

 でもそれには、呉に行ったあの日から今日までと同じくらいの鍛錬が必要だ。

 

「っ───ここっ!」

「予想通り!」

「えっ───!?」

 

 雪蓮の攻撃に追われ、それを避けながらの攻防。

 次に速度重視の突きが来ると確信を持って、その分だけの距離+勘による距離のプラスを考えた距離だけを下がる。

 そこで突きは届かずに止まり、雪蓮は本当の本気で唖然とした。

 隙ありとばかりに木刀を振るうが、唖然としながらもそれは避けられる。

 

「~…………はぁあああっ……!!」

 

 そろそろ暴れすぎで呼吸が辛かったこともあり、その時は追撃はしなかった。

 雪蓮は深呼吸をする俺を見て唖然としたままの表情で……次の瞬間、フッと笑うと……地を蹴り距離を詰め問答無用で一閃を放ってきた。

 それを避けて攻撃を返して、剣で逸らされるや足に氣を籠めて弾けさせ、肩でタックル。

 成功すると距離を取り、間を空けずに無言で疾駆してくる雪蓮を見て、あっちゃあ……と心の中で溜め息を吐いた。

 きっとさっきの一撃、当てられる自信があったんだろうな。

 でも予想通りと言ってまで避けられたことに、ならば、って感じで……とうとう、雪蓮さんの目が“狩る者”のそれに。

 あ、あー……どうしましょう。なにかいい手はないもんか。

 

「───……ええいっ!」

 

 男なら! やってやれだ!

 こうなりゃヤケだ、“読み”がどこまで通用するのか、真正面からぶつかってやる!!

 

「おぉおおおおおおっ!!」

「───!!」

 

 木刀にさらに氣を籠めて、雪蓮の攻撃に合わせて攻撃を繰り返す。

 突きが来ればカウンター。斬り上げが来れば下がり、袈裟斬りが来れば逸らし、横薙ぎがくれば上へカチ上げ、上段からそのまま振り下ろされれば横へ避けて反撃へ。

 

「はっ! ふっ! かっ! せいっ! ふっ! はぁっ!」

 

 一撃一撃の速度が段違いだ。

 お陰でこっちも加速を使わなきゃ間に合わず、関節に負担をかける有様になっている。

 つくづくこの世界の人のスタミナが羨ましく思うよ……こっちもう息荒げてるのに、雪蓮ってば無表情で攻撃乱舞だよ!

 

「いつっ!」

 

 剣が頬を掠める。

 刃引きしてあるとはいえ、肉くらい削ぐ力と重量が十分あるものだ。

 そこに恐怖を覚えるが、かといって敗北宣言なんてしたくない。

 散々と鍛錬と研究をしてきたからこそ、負けられないって意地があった。

 でもこのままじゃ、氣が尽きて俺が負けるだけだ。

 ならどうする───?

 

(どうするもこうするも……)

 

 現在の状況で勝てないなら、無茶でもなんでもやって、意地でも勝つ! それだけだ!

 まずは木刀に籠めた氣と体の氣を切り離して───一気に放つ!

 

「ストラッシュ!」

 

 まずは雪蓮に向けて剣閃。

 それを、同じく氣を籠めて剣で斬り払い、散らせる雪蓮……目掛けてすぐに走らせた体で、氣を払った剣をさらに強打し体勢を無理矢理崩す。

 それが完了すると再び氣を籠めたタックルで雪蓮を飛ばし、無理矢理体勢を変えて地面に足を着き、走る俺へと剣を突き出す雪蓮に再びカウンターの突き。

 もはやくらうことは無いと、体を捻って軽々しく躱す雪蓮。

 

「けど───!」

 

 軽々と躱してみせたからこそ、そこに隙があった。見切った攻撃だからこそ余裕で躱してみせる───そんな相手だからこそ、冗談も混ぜずに本能で動かなくなったからこそ、こっちにもそこに付け入る余裕があった。

 そりゃそうだ、そのために見切らせたのだから(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「ありったけ、受け取れぇえええっ!!」

 

 そんな彼女に持たれかかるように密着。

 グッと氣を籠めて螺旋加速をさせた、木刀を強く握ったままの右手を放ち、その腹部に氣が弾ける拳を文字通り炸裂させた。

 

「ぇはぁっ!? あ、っ……ぐぅ……!」

 

 密着状態から、振り抜くようにして武舞台の石畳へと殴り飛ばす。

 雪蓮はどう、と倒れたが、近づくと起き上がって、襲いかかってくるかもしれない。

 ……氣の全部を弾けさせたから、こっちにはもう余力無し。

 これで動かれたら無条件で俺の負けだ。

 

「けど、さすがに───」

「い、っつつ……!」

「ゲェエエーッ!?」

 

 かもしれないどころか上半身起こしたァアーッ!?

 や、どっ……どういう体してるんだよ! 全力っ……全力だぞ!?

 それをアナタ! “い、っつつ”って! “い、っつつ”で済ませるって!

 

「~っ……あぁ~っ、なんか目が覚めた感じ……」

 

 虎の目からは冷たさが消えていた。

 その代わり、“宿敵を得たり”っていう……よりは、“オモチャ見つけた!”って感じの子供の目で俺を見てらっしゃる。

 そんな調子でガバァッと勢いよく立───とうとすると、ポテリと尻餅をついた。

 

「………」

「………」

「あれ? ん───っしょ!」

 

 再度、勢いよく。……失敗。

 ゆっくり。……失敗。

 というか、これあれか?

 

「……なぁ雪蓮。もしかして……腰、抜けてる?」

「……~っ!!」

 

 うわっ、顔真っ赤になった! しかも女の子座りで涙目!

 両方の爪先をそれぞれ異なる外側へと向けた、お尻は床につけたままのあの座り方のまま、その足の間に掌を置いて立ち上がろうとしているのだが……上手くいかずに真っ赤。すっごい涙目で、真っ赤。真っ赤になって震えてらっしゃる。

 わあ……って、いやいやいや! やばい可愛いとか思ってる場合じゃなくて!

 この場合はどうなるんだ!? と地和を見てみれば、解説の華佗さんとなにかを話したのち、こちらへ戻ってきた。

 

「孫伯符選手。このまま立てないようならば、敗北というかたちになりますが、そのー」

「えぇっ!? ちょ、やだっ! 起きなさい! 起きなさいってば! 立ちなさいよこのー! う、うー! ねぇ一刀っ! 引っ張って引っ張ってっ!」

「いや、なんかもう是非そのまま負けてくれ」

「あ───、……~……!!」

 

 はい、と。氣がすっかり抜けてしまった木刀を雪蓮の首の傍で寸止めする。

 雪蓮は恨めしそうな目と、シャオのように膨らませた頬をそのままに、そっぽを向いた。

 その時点で地和は勝利者宣言をし……締まらない閉幕となったが、一応は俺の勝利というかたちで、第二回戦特別仕合は終了した。

 

「ぶー……」

「は、はは……そう拗ねるなよ、雪蓮。仕合じゃなくても、模擬戦闘とかならこれからいくらでも出来るんだからさ。ていうか立たれてたら俺の負けだったんだよ。俺、もう氣がすっからかんだし」

「じゃあもう引き分けってことでいいじゃないのよぅー……」

「それはちょっと違うからやだ」

 

 勝ちと引き分けなら、事情があろうが勝ちのほうが嬉しいのだ。現金なことだが、そういうものである。

 

「……ところでさ、地和。俺、勝ったからって次もやるとか、ないよな?」

「特別仕合だったんだから大丈夫じゃない? むしろ観客のみなさんが唖然としてるから、なんとかしてよもう」

「俺にどうしろと……」

 

 ともあれ、第二回戦は無事終了。

 その後、氣が無くなったことで血液の流れとかも変わり、腕の痛みが再発。

 激痛に襲われてしばらく動けなくなったのは、まあ……べつに言わなくてもいいことだろう……とは思うのだが、氣が無い所為で華佗の鍼も大して効かない始末で、氣が練れるまで額に汗しながらぜえぜえ言っていた。

 情けない限りである。



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84:三国連合/天下一品武道会準・決勝戦①

130/第三回戦

 

 先生、腕が痛いです。誰だろう先生。華佗先生だね。

 

「それで……なんで雪蓮は俺の隣に座ってらっしゃるのかな」

「腕痛くて解説に集中できないでしょ? 代わりにやってあげようかなーって」

「………」

「額に手なんて当てても、熱なんてないわよ?」

 

 馬鹿な……あのサボリ女帝と(勝手に)言われた雪蓮が、自ら手伝うと……!?

 魏にサボリの北郷あらば、呉にサボリの呉王ありと謳われた彼女が……!? いや、謳われてないけどさ。

 

「…………誰?」

「うわっ! 存在疑われた!? ちょっと一刀ー?」

 

 いや、うん。急に仕事に取り組むようになった俺を見たみんなの心境って、きっとこんな感じだったんだろうなぁって納得できた。

 これは驚くよ。“誰?”って言いたくなるくらいだよ。仕方ないよ。

 

「はぁ……」

 

 第二回戦を終え、休憩が入った現在。

 俺はぜえぜえ言いながら腕に走る痛みに耐えていた。

 一時的にとはいえ痛みを無くしてもらって、調子に乗ってしまったのだ。

 腕に負担をかける動作を何度したことか。

 鍼の効果が切れれば、俺を待っていたのは大激痛。

 ギャーとか叫ぶよりも、蹲って震えてしまうほどの激痛が俺を襲った。

 無理、ヨクナイ。

 で、一歩も動きたくない……むしろ振動で激痛を味わいたくない俺が、解説席で大人しくしていると、何故か椅子を持ってきてちょこんと隣に座る雪蓮。

 その状態から少し経過したのが今である。

 

「なんだかんだで、きちんと勝っちゃうんだから驚きよねー、一刀って」

「毎度毎度ボロボロでギリギリだけどな……」

「結果がどうあれ、勝つことに意味があるんじゃない。まさかああまで先を読まれるとは思いもしなかったわ」

「……そういう雪蓮は、鍛錬とかあんまりしてなかっただろ」

「うっ」

 

 結局はそれなんだと思う。

 だって、もしあれから雪蓮がずっと鍛錬していたとしたら、俺がイメージする動きはほとんど変わっていたはずだ。

 なのにほぼ予想通りに動いてくれて、妙だなとは思った。

 

「鍛錬しないで酒ばっかり飲んで、勘ばっかりで動くから基礎もそこまで固まらないし。才能の上に胡坐をかくのはもったいないぞ?」

「べつにいいじゃない。一刀ってば私に勝っちゃったんだから、体が疼いたら一刀を襲えばいいんだし」

「お願いですから正式に勝負を申し込んでください」

 

 雪蓮に襲われるなんて、いつ何処で襲われるかわかったもんじゃない。

 なにせ猫みたいに気まぐれな元王様だ。

 そうなると木刀を常備しなきゃいけなくなるじゃないか。

 ある日、城下で肉まん食べてたらばったり遭遇。御遣いと元呉王が町中で遭遇……勝負でしょう、なんて方程式なんて究極に欲しくない。

 

「ところで一刀。それどかさないの?」

「それとか言わない」

 

 解説席に座る俺の足の間には、一撃で敗北してしまった鈴々が座っている。

 普段の元気がウソのようにしょんぼりさん状態なので、休憩に入るや寄ってきた彼女を攫い、この位置へ。

 でも物凄く落ち込んでいる。

 なので頭を撫でたり話しかけたりをしているんだが……やっぱり落ち込んでいる。

 こればっかりは時間様に任せるしかないのだろうか。

 ヘタに慰めると傷を抉ることになりそうだ。

 

「それで……第三仕合の組み合わせってもう決まったんだっけ?」

「もう決まったところだろうな。北郷はどうだ? もう錬氣は出来たか?」

「いや、もうちょっと……文句は全部叩き込んだのに平気な元王様に言ってくれ」

「なによー、言っておくけど私だって痛かったんだからねー?」

「俺は平然と起き上がれたことがショックだよ……」

 

 もうやだ、ほぼが偶然の重なりばかりで勝ててるだけだから、心が痛い。

 お爺様……実力で確実に勝てるようになりたい……なりたいです……。

 そんな調子で華佗を適度に巻き込みつつわいわい言い合っていると、鈴々が口を挟んできて、それに乗っかって話題を広めればいつもの調子……とは急に戻らないながらも、復活。

 

「で、一刀?」

「ん? なに?」

 

 悔しさを俺に訴える鈴々の頭を撫でながら、横から声をかける雪蓮へと振り向く。

 するとにっこり笑顔の麒麟児さん。

 

「正式に申し込めば、勝負受けてくれるのよね?」

「なにも用事がなかったらね? これ大事」

「あっははは、大丈夫大丈夫っ。仕事を理由に逃げたら、追い詰めてあげるから」

「やめましょう!? 胃に穴が空くよ!」

 

 これからの日々、机に向かう時間が増えるのは確かなのだ。

 なのに勝負をしようなんて連日言われたら身が保たない。

 ……や、むしろ鍛錬を理由にそういった事務的なものから逃げ───られるわけがない。

 ちゃんと自分で受け入れたものなんだから、仕事は仕事だもんなぁ。

 さようなら平穏。安寧フォーエバー。

 

「まあでも、これで三国の中心になる一刀が“強い”ってことは民に知れたわね」

「へ? あ、あー……そうなのか?」

「大事なことじゃない。よからぬことを考えて暗殺~なんて行動に出られても困るでしょ」

「あ、そっか。多少でも強いってことを知られてれば……って、まさか雪蓮?」

「本気だったわよ。大体、戦える日を楽しみにしてた私が、わざと負けたりなんかするわけがないじゃない。フリとはいえ、負けるのなんて嫌だもの」

「それもそっか」

 

 口調は軽く、顔も明るい。

 負けたっていうのに楽しそうだ。

 ……ほんと、これから大変そうだ。

 暇になったら付き合わなきゃいけないってことだよな、これ。

 冥琳の負担の一端を背負えるのは意外なところで嬉しいとは思うが、それもまず冥琳が望んでるかどうかだもんな。

 

「にゃ? お兄ちゃん考え事かー?」

「ああ、えっとな。これからのこと考えてた」

「三国の種馬のこと?」

「支柱! 支柱ね!?」

 

 心熱く説明してみせても、雪蓮は「はいはいわかったわよー」と棒読み風に言うだけだ。

 くそう、未来が怖い。

 

「苦労するな、北郷」

「そう思うなら手伝ってくれ、華佗。あ、いや、種馬になってくれってことじゃなくて」

「それはごめんだ。……心労を担うくらいはしてやりたいが、俺にもやらねばならないことがある。同じ場所に居ては、治せない病気もあるんでな」

「いっそ俺も、都に住んだ当日に羅馬目指そうかしら……」

「やめといたほうがいいわよ? 途中で絶対に華琳に捕まるわ」

「ごめん、言ってみただけだ。言われるまでもなくわかってる」

 

 にゃははと笑う鈴々を撫でつつ溜め息。

 そうだよなー、やることやってからじゃなきゃ、あの華琳が旅なぞ許すはずもない。

 当日失踪の噂は即座に華琳の耳に入り、俺を捕らえる部隊があっさりと結成され、翌日にも捕らえられて正座させられてる自分の姿が目に浮かぶようだ。目を閉じると瞼の裏にも浮かぶ。なんかもう泣けてくる。

 

「都に住むようになったら、慣れるまではヘタに動かないほうがいいかもな」

「まずは自分に出来ることをやって、慣れたら他に手を出す、でいいじゃない」

「とりあえず雪蓮にだけは仕事のことで言われたくないかなぁ」

「私はいいんだもーん。優秀な軍師さまが居てくれたんだから」

「あ、冥琳」

「ひうっ!」

 

 横を向いて冥琳の名前を口にしてみれば、確認より先に耳を守る元呉王さま。

 軍師さまとの力関係がよくわかる瞬間である。

 で、おそるおそる雪蓮が確認する視線の先には、もちろん冥琳はいないわけで。……おお、恨めしそうな目でこっち見てる。

 

「さて華佗さん。武将たちの休憩中にやるものについて、俺達はどう動くべきでしょう」

「あるがままに受け止める! あるがままに行なう! ……これしかないだろう」

 

 拳をガッと握り締め、ニヤリと笑うは華佗さん。

 休憩中の演目……演目って言うのかはまあ考えない方向で、“場の繋ぎ”というものを任されたりした。

 数え役萬☆姉妹や美羽の歌で繋いだらどうかと言ってみたら見事に却下。

 “そこそこ楽しめて、別に見なくても平気なものがいい”ときっぱり言われたよ。

 祭りの出し物屋台とかを回りたい人を、ここに釘付けにするわけにはいかないとのことらしい。まあ、わかるけどさ。

 

「じゃあ華佗に全部丸投げで」

「なっ、いやっ、それは困るっ!」

「俺だって困る! ていうか腕が完治してない人に場の繋ぎとか任せないでほしいよ……」

「にゃはは、お兄ちゃん頼られてるのだ」

「もっと別の頼られ方をしたい……」

「あ、じゃあもう一度私と戦うとかっ」

「せっかくくっついてはいる腕がまた折れるから却下」

「ふーん……よく言うわよねー。人の攻撃、散々避けてくれたくせに」

「だったら鈴々と戦うのだ!」

「あ、それいいかも。鈴々と雪蓮が───って鈴々さん!? なんで俺のこと見上げながら言うの!? おっ……俺は無理! 無理だぞ!?」

 

 どーだー! とばかりに完治していない腕を見せる。

 包帯で完全固定状態だ。もう解きたくない。

 

「大丈夫なのだ! 華佗のおじ───」

「はっはっは、張飛。……───お・に・い・さ・ん・だっ!!」

「───おにいさんが治してくれるのだ!」

「氣が充実してないからまだ無理なんだって!」

「にゃ? ……いつもはすぐに錬氣してるのに、どうして今日は出来ないのだ?」

「ここ最近だけでいろんな人に振り回されっぱなしで、満足に休めてないからかなぁ……」

「あっははは、ばかねー一刀ってば。仕事なんて適度にやって適度に休めばいいのよ?」

「キミはもっと仕事をしような」

 

 そうすれば忍び寄るかもしれない冥琳の影に怯える必要なんて無くなるんだから。 

 

「ともあれ、このままじゃ見に来てくれた人が退屈するよな。よしっ、じゃあ軽い即興話でも妖術マイクを通して語ってくるよ」

「それって袁術ちゃんに聞かせたりしてるっていう、噂の?」

「どういう噂だかは知らないし、出所がどこかも知らないけど、もしそれが桂花から流れたものだったら絶対に信じないでくれ」

「……あー、うん。毎晩子供に卑猥な話をして欲望を発散してるって」

「桂花ぁぁああああああああーっ!!」

 

 叫んだところで居やしないよあの猫耳フードめ!

 てっきり華琳の傍に居るかと思えば、何処にも居やしない。

 ええいいつもいつも人のことを妙な噂で縛って……!

 今度落とし穴でも掘り返してくれようか。

 ……今はまずは観客を退屈させない方向に尽力するとして。

 

……。

 

 即興話は意外と好評だった。

 緊張する話から笑える話、昔話にアレンジを加えたものが大半だったわけだが、大体の人が楽しんでくれたようでなによりだ。

 そんな場の繋ぎが終わると、いよいよ第三回戦の始まり始まり、である。

 語っているうちに少しずつ錬氣も出来てきたし、あとは体に満たしてやれば、痛みも和らぐだろう。鍼を落としてもらえば錬氣も安定するだろうし、まずは解説席に戻ろうか。

 

「はいはいそれでは第三回戦の開始を宣言します! ぶっちゃけ殺気とかに当てられて、こんな間近でなんでちぃだけ! とか思っちゃったりもしてますが、そんなことで下がっては歌人の名が廃ります! さぁ休憩中に一刀が面白いお話をしてくれて、ほわほわした空気が漂っていますが! そんな空気をぶち壊しちゃう終盤戦が今から始まります! みんなーっ! 心の準備はいいかぁーっ!!」

『おぉおおおーっ!!』

「買い食いは済んだかーっ!」

『おぉおおおおおーっ!!』

「ちぃも食べたかったぞぉーっ!!」

『うぉおおおおおおおーっ!!』

 

 こ、こらこら地和~? 本音が、本音が漏れてるぞ~?

 そもそもそういうものなら人和が買ってきてくれそうじゃないか……?

 と、ちらりと辺りを見渡してみれば、その姿を発見。アイコンタクトをしてみるも、

 

(買いにいけなかったのか?)

(ちぃ姉さんの注文が多すぎて無理だった)

 

 なるほど。

 ちなみに、アイコンタクトとはいってもハッキリとわかるわけじゃない。

 人和の溜め息具合を見て、地和になにかしらの原因があることだけはわかった。

 そこから適当に考えてみて、ああ、きっと注文が多かったんだろうなぁと……そんな経験に基づいたアイコンタクトだ。

 

「それでは早速組み合わせの発表だーっ! 第三回戦第一仕合! 孫仲謀選手対呂奉先選手!」

 

 …………辺りが静まり返った。

 いきなり恋……しかも第二回戦の鈴々を見たあとじゃあ、この静けさも納得だ。

 

「第二仕合! 趙子龍選手対夏侯元譲選手!!」

 

 となれば、次の組み合わせはそうなるわけか。

 よかった、ちゃんと俺は枠から外されているらしい。

 華琳が妙な無理難題かけてきたり、桂花が暗躍していたりしたらどうしようかと───

 

「そして特別仕合が、孫家に勝った者への挑戦状! 華雄選手対北郷一刀だぁーっ!」

『ハワァアアーッ!!』

「うぉおおおおいぃいちょっと待てぇええーっ!!」

 

 ───思った矢先にコレだよ!

 本気の本気で絶叫して解説席からガタッと立って、ずり落ちそうになる鈴々を抱えてさらに絶叫! ……さすがに冗談だったらしく、地和が笑いながら謝ってくれた。

 ……勘弁してくれ、寿命が縮む思いだ。

 

「でも華雄選手からその提案があったのは事実なので、一刀にはがんばれーとだけ言っておきましょー。あ、ちなみに時間の都合もあって、準決勝である第三回戦と決勝戦である第四回戦はぶっ続けでいきますので、みなさんそのままお待ちくださーい! ではでは第三回戦第一仕合! 言おうと思ったけどやっぱり面倒だからどっちの方角でも構いません! 孫仲謀選手と呂奉先選手の入場です!」

 

 地和が促すと、控え室のほうから歩いてくる二人。

 蓮華は堂々と。恋は相変わらずの無表情で。

 しかし武闘場中央までくると、やたらと解説席(俺とは言わない)へとちらちらと視線を向けてくる。いや、あのですね恋さん。僕は学んだのですよ。ヘタに応援すると相手が大変なことになってしまうと。だから応援は───……って蓮華さん? 何故あなたまでこちらをちらちら見てますか? いやっ……しないぞ!? 応援もうしないぞ!? しなっ……ああもう!

 

「二人ともっ、がんばれぇえっ!!」

 

 二人とも。

 今にして思います。

 どうして僕はこの時、二人を纏めて応援してしまったのでしょう、と……。

 

『ッ!!』

 

 二人の視線が俺から対戦相手に戻され、人を射殺せるほどの威圧感へと変わる。

 二人の間に挟まれた地和が胃を押さえたりしているが……すまん、地和もがんばれ。

 

「それぞれが優勝を目指して互いの武を披露する……素晴らしいですね。たった今ちぃにも目標が出来ました。とりあえずこの大会が終わったら一刀を殴ります」

『ほわぁあーっ!! ほわっ! ほわぁあああーっ!!』

「えぇえっ!? やっ……観客のみなさん!? なななんでそんなにノリ気!?」

 

 どこか悟ったような者の目で静かに言う地和に、観客らが腕を天へと突き上げて絶叫。

 俺がいったいなにをした……と言いたいところだけど、原因がわかるためにツッコめない。

 ……応援って怖いなぁ。

 

「それでは準決勝第一仕合! はっじめぇーいっ!!」

 

 どわぁっしゃぁあああんと、開幕の銅鑼が鳴った。同時に鈴々の時と同じく恋が疾駆し、無遠慮に方天画戟を振るう。

 逆袈裟掛けに振るわれるそれを横に避け、恋の進行方向に剣を置いて構える蓮華。

 普通なら勢いを殺しきれずに、自分から剣に突き刺さりにいってしまうところだが、恋は足に力を籠めると無理矢理後ろへ跳躍。着地と同時に再び疾駆する。

 

「くぅっ!」

 

 蓮華の顔に明らかな焦りが浮かぶ。

 しかしそれは当然で、鈴々の吹き飛ぶ様を見た誰もが思うことだ。

 

  “一撃でも食らったり受け止めたりすれば吹き飛ぶ”

 

 それがわかるからこそ、蓮華はとんでもない速さで振るわれる攻撃の全てを避けなければならない。大きく避けすぎだと自覚しようとも、当たるわけにはいかないのだ。

 しかしそんな動きでは疲れるのも集中が切れるのも早い。

 恋から発せられる殺気を間近で受け続けるのは、ある意味心臓を鷲掴みにされてるようなものだろう。

 見る間に蓮華は息を荒げていき、とうとう───

 

「きゃああっ!?」

 

 捉えられ、一撃を受けてしまった。

 受けたといっても袈裟の一撃に剣を当て、逸らそうとしただけだ。

 しかし逸らしたはずの一撃にさえ、悲鳴を上げるほどの威力があったようだ。

 慌てて距離を取る蓮華は、在り得ないものを見る目で恋を見ていた。

 

「飛将軍、呂奉先……これほどだなんて……!」

 

 見つめられる恋は、振り切った戟を戻して肩に担ぐと、獲物をじっくりと狙う獣のような迫力で蓮華に迫る。あれは、素早く来られるよりジワジワくるだろう。

 

「くっ……せいっ!」

「………」

 

 逃げてばかりでは変わらない。

 蓮華が仕掛けるが、恋はそれを容易く弾き、一撃を繰り出す。

 こうなると蓮華は“一撃当てて避けて”を繰り返すしか無くなり、呼吸も余計に乱れる。

 

「………」

 

 知らず、ごくりと喉が鳴っていた。

 蓮華の視点で見る恋の迫力は、いったいどう表現すればいいのか。

 触れれば斬られるような冷たさはあるのだが、動き回る中でふと視線が合うと、ほやりと柔らかい表情になったりする。

 それに気づいた蓮華が隙ありとばかりに攻めた瞬間、楽しみを邪魔された子供のように冷えた空気を纏う恋。

 結果、蓮華は何度か恋の攻撃を受け止める羽目になり、やはり何度か空を飛んだ。

 うわぁ、と言いたくもなる。

 勝てる気がしないのだ。

 

「はっ……は、はっ……!」

 

 殺気、威圧感、行動。

 その全てで既に疲れきっている蓮華を前に、恋はあくまで息ひとつ乱さずに戟を肩に担ぐように構えていた。

 

「……まだ、やる?」

「当然だ!」

 

 恋に、最初ほどの勢いはない。

 蓮華ではなく俺を見る回数が多くなってきている。

 いや、それよりも俺の膝の上に座る鈴々に目がいってる。

 ……なんか羨ましそうに見てる気がするのは、きっと気の所為だ。

 とか思ってたら、ここで雪蓮が「べつに、負けたら一刀の膝の上に座っていいわけじゃないわよー?」と苦笑しながら言った。するとなにやらショックを受けたような顔をして、改めて蓮華に向き直る恋さん。

 

「………」

 

 なにも言うまい。

 

「貴様……! よもやわざと負けるつもりでいたのか!」

「……そんなことはしない」

「だったら何故本気を出さない!」

「……本気は、だめ。一刀の腕を折った。前の二人、吹き飛ばした。最初でだめなら……、ん……もうやらない」

「くっ……! わ、わたしの武を侮辱する気か! わたしは───」

「……? 一刀に、勝てる?」

「!?」

 

 きょとんと首を傾げ、恋は問う。

 蓮華はぐっと息を飲んで俺を見た。

 そして、その隣の雪蓮も。

 

「だから両腕は使わない。両腕を使って負けるのは、一刀にだけでいい」

「っ……そんな理由で、さっきから片手だったというのか!」

「ん……必要、ない」

「! 馬鹿にっ……馬鹿にするなぁああっ!!」

 

 蓮華が駆ける。

 両手でしっかりと持った剣で、恋を打倒するため。

 しかしその動きは怒りのために一定でしかなく、片手で武器を持ち、待ち構えていた恋の一振りで、呆気なく剣は弾き飛ばされてしまった。

 ゆったりとした動きで、戟が蓮華の喉に当てられる。

 それで、戦いは終わっていた。

 



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84:三国連合/天下一品武道会準・決勝戦②

「あらら、すぐに挑発に乗っちゃうんだから。素直って言えばいいのかどうなのか……蓮華ってば不器用よねー」

「雪蓮だったらどうしてた?」

「私? 楽しんでたわよ最後まで。どうせ負けるにしてもなんにしても、強敵が目の前に居るなら戦いを楽しまなくちゃ」

「ウワー……」

 

 舞台では勝者宣言がなされ、蓮華と恋が退場していくところ。

 その際、俺を見て……どうしてか申し訳なさそうな顔をした蓮華。

 

「……気にすること、ないのになぁ」

 

 言葉は目で伝えられた。

 こんな結果で済まない。まだ自分は未熟だと。

 言わせてもらえるなら、俺達はべつに“次に会った時には三国無双になっていよう”なんて約束はしていない。そりゃあ、“敵がかの有名な呂布であるなら”と、最初から負けるものだと割り切るのはとても嫌なことだ。勝ちたいって思う。

 けど、思っただけで勝てるなら誰も苦労はしないのだ。

 むしろこの大会で一番食い下がることが出来たことに対して、胸を張るべきだ。

 相手がどれほどの者であったかは別としても、実力を出し切っての敗北なら当然だ。

 

「一刀が私に勝っちゃったんだもん、蓮華だって勝ちたくなるものじゃない?」

「だからさ、腰が抜けてなければ負けたの俺なんだってば」

「まあね。それでも勝ったのは事実じゃない。あの子の中には、“一刀が勝ったならわたしも”って考え方しかないのよ。相手が誰かなんて関係ないの」

「それが、あの申し訳なさそうな顔の原因?」

「そ。だって、一刀は恋に勝ったでしょ? なのに自分はって思えば、自分は一刀ほど頑張れなかったんだって落ち込むのも当然でしょ?」

「……なんというか、真面目だなぁ。あ、いや、いい意味でだけど」

「わかってるわよ」

 

 けらけら笑って、手をひらひらさせる雪蓮。

 なんかノリがおかしいなーと思って、ひょいと解説席の下を覗いてみると、席の影に酒を隠し持っていやがりました。

 

「没収」

「あ、あ、あ~っ、待って待って一刀っ、まだちょっと残ってるのー!」

「残ってるから没収するんだろうがっ!」

 

 酒、没収。

 そんなやり取りをしているうちに星と春蘭が武闘場に上がり、互いに武器を構える。

 二人の間に立つ地和がこほんと咳払いをすると、いざマイクを口の傍に持ち上げ、

 

「武器の使用以外、全てを認めます!」

『なにも出来んだろうそれは!!』

 

 星と春蘭にツッコまれていた。

 

「え? や、天では戦いの前にこれを言うんだって一刀が」

「言ってないからな!? そういう“お話”があるって言っただけだから!!」

 

 当然グラップラー刃牙であるが。

 ていうか俺が言ったことを間に受けたのなら、何故今になって言うのか。

 ……殺気とかに中てられて、いろいろヤバイのかもしれない。なんかそれなら納得だ。

 

「それでは気を取り直しまして! 準決勝第二仕合、はぁあぁあっじめぇーっ!!」

 

 いい加減銅鑼係の人疲れないかな、と思わなくもない今日。

 再び鳴らされた銅鑼の音に、二人の将が地を駆け、真正面からぶつかり合った。

 

「さて、夏侯惇よ。思ったのだが、最初から全力というからには、途中からは力を抜いてもいいということか?」

「んん? 最初から最後まで全力でいけば問題ないだろう?」

「ふむ、そうか。ではせいぜい足掻かせてもらおうか」

 

 ニヤリと笑う星。

 春蘭も笑い、腕力で星を押し退けると、己の武力を余すことなく披露する。

 薄く見える剣なのに、振るうと“ゴフォォオゥンッ!”と風を巻き込むことで、あくまで俺の中では“大剣”のカテゴリとしてとても有名である。

 七星餓狼という立派な名前がついたソレ(のレプリカ)が、遠慮無しに星へと振るわれる様は、星は平気な顔で避けるのに、見ているこっちはハラハラものだった。

 だって春蘭の攻撃だもの。

 その威力や迫力は、俺がもっとも身近とする恐怖だったものだ。

 だった、というか……今もそう変わってないよね。

 

「ああいいぞ、足掻けっ! お前が足掻けばそれを見る華琳さまもお喜びになるだろう!」

「……すまぬが、生憎と甚振(いたぶ)られることで相手を喜ばせる趣味はないのでな。全力で抗わせてもらおう。はっはっは、なに、甚振られる趣味はないが、相手を弄るのはそれほど嫌いではない」

 

 言いながらも攻撃は続いている。

 涼やかな言葉とは裏腹に、目が覚めるような突きは異様と思えるほど速く、さすがの春蘭も防戦になる。

 しかしそれも長くは続かせず、突きに合わせて振り上げた七星餓狼が龍牙を弾くと、そこから再び春蘭が猛攻を仕掛ける。

 ……うぅわぁ……なんとか目で追えはするんだけど、言葉にすると間に合わない。

 解説が要らない子状態だ。

 

「か、解説者のお二人さーん! 観客のみなさんとちぃにもわかるように、この戦いの解説を要求したいんですけどー!?」

『無理だ』

「えー!? じゃあ元呉王さんか張飛でもいいからー!」

「無理ね」

「即答!?」

「どどーんて斬ってどかーんって受けてどっかーん! なのだ!」

「……えー……説明しようとしてくれた心意気だけは受け取れました! はい、もう見守るしかありません!」

 

 正直、それが一番いいだろう。

 解説席でのやり取りの間も春蘭と星はぶつかり合い、本気で互いの武器を振るい続けている。蓮華と華雄の時も思ったが、いくら刃引きしてあるとはいえ、突きはとても危険だと思うんだけどなぁ。正眼からの突きの時なんか、結構ヒヤっとしたし。

 達人はそこらへんを見切れるものなんだろう。俺じゃあ無理だな。俺がする突き程度なら、あっさり躱される確信があるのが情けないが。現に雪蓮には避けられたしさ、これはちょっと仕方ない。

 

「おのれちょこまかとっ!」

「どんな剛撃も当たらなければどうということもない。受け止めてみせ、己が力量を見せ付けるよりも勝てばいいのだからな」

「なにをぅ!? 貴様、わたしに勝てるつもりか!」

「そうは言っておらんが、だからといって負けるのもつまらん。なので負けん」

「つまらんから負けたくないだとぉ!?」

「うむ。ほれ、お主の考え方も似たようなものだろう? お主は曹操が好きだから力を見てもらいたい。私は負けるのが嫌だから勝ちたい。はっはっは、変わらん変わらん」

「ん、んん……? 似ているか……? 言われてみれば似ているような───」

「いや、冗談だ」

「なにぃ!? 貴様ぁあっ!!」

「はっはっはっはっは!」

 

 からかわれてるなぁ春蘭。

 顔を赤くして突撃のみをする鬼神様になっている。

 その攻撃全部を紙一重で避けている星……からかうようなことは言っても、星自身は春蘭の動きに物凄く集中しているみたいだ。じゃなきゃあんなに避けられるわけがない。

 むしろからかってるのは、春蘭の攻撃をわかり易く直線的にするため……か?

 

「おお、荒々しい攻撃だ。触れれば私のか弱い体など、一撃で壊れてしまいそうだ」

「ふはははは! そうだ! 貴様など一撃で叩きのめしてやろう!」

「ほう。さすが魏武の大剣、大きく出る。では一撃でだめなら私の勝ちでいいかな? ……おっと、その一撃では私は倒せんぞ」

「な、なにっ!?」

「それっ! 隙ありだ!」

「ほわっ!? ~っ……貴様あぁっ!!」

 

 春蘭の攻撃を避けながらの……舌戦と言えばいいのか?

 その最中、一瞬停止しかけた春蘭へと遠慮無く突きを放つ星。

 とても、自分に素直な戦い方だ。あそこできちんと防ぐ春蘭も春蘭だよなぁ……どんな反応速度してるんだ。

 

「はっはっは、そんな直線だけの攻撃など当たらん当たらん。もっとほれ、考えて攻撃してみたらどうだ」

「ふん! そんなものは必要ない! 叩き潰せば同じだ!」

「ほほう? 叩き潰すと言うからには、武器を振り上げてからの攻撃しかせんのだな?」

「? なぜだ?」

「下からの振り上げで、ものが潰れるか?」

「全力で叩き込めば壁で潰れるだろう。ふふんっ、そんなことも知らんのかっ」

「殺せば斬首だが」

「大丈夫だ! 殺さん程度に叩き潰す!」

 

 怖い話をしながら、弧と点が斬り結ぶ。

 斬りと突き、払いや蹴りが繰り返される中、星は春蘭をからかいまくり、時には天然返答カウンターをくらい、戸惑いの隙を突かれたりしているが……それでも“受け止めること”はせず、全てを躱したり逸らしたりを繰り返していた。

 

「やれやれ……お主のしつこさは尊敬に値するな。いい加減に疲れてもいいだろうに」

「ふはは、そういう貴様は息が上がり始めているなっ。愛紗との戦いはそれほどまでに疲れたか!」

「いやいや、こうして防戦一方になりがちなのは、なにも望まぬものというわけでもない」

「なんだ? 負け惜しみか?」

「ふむ。負けを惜しむのは当然だが、べつにそういう意味でもない。疲れているのならいるなりに、出来ることがあると言っておるのだよ」

 

 剛撃を逸らしながら、フッと笑う星。

 そんな彼女に対し、春蘭は変わらずの勢いで攻撃を繰り返す。

 しかしやがてその攻撃が逸らされる回数が減り、空振りばかりをするようになると、さすがに春蘭の顔に疑問が浮かんできた。

 

「貴様またちょろちょろと!」

「だから言ったろうに。直線だけの攻撃では当たらんと。悪いが、お主の動きをよ~く観察させてもらった」

「なにぃ……!? ちょっと見ただけで私の攻撃を見切ったとでも言うのか!」

「完全ではないがな。うむ、北郷殿の戦い方は無茶はあるものの、参考になる部分も多い。あのような戦い方を見せられては、“見切り”というものを追ってみるのも悪くはないと思ってしまう」

「ふんっ、見切りがどうのこうの。そんなものは私が違う動きをすれば済むことではないかっ」

 

 春蘭さん、腰に手を当ててのどや顔の一言。

 ……いや、春蘭? 戦いではほぼ突撃型のあなたに、そんなことが出来る……とは思うけど、きっと長続きしないぞー……?

 

「ほう? では夏侯惇殿は、これからどういった動きを見せてくれるのかな?」

「貴様を捻り潰す!」

「………」

 

 星に“苦労しておられるな……”といった顔で見つめられた。

 ……ありがとう。少しでもわかってもらえるなら、その少しだけでも報われた。

 

「貴様は随分、北郷がどうのと言っているようだが、北郷に出来て私に出来んはずがない!」

「む? それはどういう───」

「おおおおおおおっ!!」

 

 春蘭が、胸の前に持ち上げた右手に剣を縦に構え、そこに左手を添える姿勢───いわゆる蜻蛉(とんぼ)の型を取り、腹の底から声を振り絞る。

 それだけでも珍しい光景なのに、なんとその剣に紫色の薄い光が篭り始め、ついには赤い光が溢れて、って……えぇえええーっ!?

 

「ふははははは! たしか“すとらっしゅ”とかいったか! くらえぇえっ!!」

 

 そして、そんな光を星に向けて放ってみせる!

 構えが大振りすぎて、星にはあっさり避けられたけど…………え、えぇええ……!?

 

「こ、これは驚いたな……! よもや、そんな技を隠していたとは……!」

「? 隠す? なんのことだ? やってみたら出来ただけだぞ?」

『はぐぅっ!!』

 

 春蘭の言葉に、仕合を見ていた俺と、離れた位置に居た凪は心にダメージを負った。

 やってみたら出来た、って……! これが、これが才能ってやつなのか!?

 しかも自分の氣から切り離さずに放ったはずなのに、全然ケロリとしてらっしゃる!

 あの人何者!? 氣の塊!?

 

「それより貴様もかかってこい! 貴様が見切ったというのなら、私も見切ってやろう!」

「……いや。実に見事な“すとらっしゅ”だ。あんなものを放てるお主に近付けば、たちまち連打の餌食となろう。ここは慎重に攻めさせてもらう。あんなものを雨のように放たれては、攻める手立てが無さそうだ」

「……そ、そうか? そんなに私の“すとらっしゅ”は凄かったか!」

 

 あ。

 いや春蘭!? 乗せられちゃダメ! その人絶対に春蘭の氣の枯渇を狙ってる!

 

「いいだろう! では貴様は私の、私のすとらっしゅの餌食にしてやろう!」

 

 そしていつの間にかストラッシュが春蘭の技に!?

 普通に剣閃って言えばよかった! アバン先生ごめんなさい!

 

「って違う! 待った春蘭! 待ったぁああっ!! お前の氣でそんなの連発したら!」

「うん? 心配せんでも貴様と私では鍛え方や潜り抜けた死線の時点で違う! 貴様のように氣の枯渇などするものかっ!」

「そうじゃなくてぇえっ! あっ……あぁあーっ!!」

 

 ……それからの出来事を、わたくし北郷一刀は悪夢と述べましょう。

 赤い閃光のような七星餓狼から剣閃を放ちまくる春蘭と、それを避けまくる星。

 二人はそれでよかったのだろうが、春蘭が放ち、星が避ける度に飛んでくる剣閃は、解説者である俺や華佗、一緒に見ていた雪蓮や鈴々を襲い、離れた位置で見ていた将や王を襲う結果となり、俺達は剣閃が直撃して弾け飛ぶ壁や解説席から逃げ出しつつ、悲鳴を上げて逃げ回っている地和を救出したり観客を避難させたり、ともかく必死で、文字通り必死で行動した。

 目の前を剣閃が横切り、すぐ横の壁が爆発した時は、正直死ぬかと思った。

 ていうかあと一歩早かったら死んでた。

 なんとか止めようにも死線、もとい視線の先には剣閃台風。

 もはやデタラメに放たれまくる剣閃の嵐を前に、俺はこの世の終わりを悟る他……いや、ある。まだ方法があった。

 そう思い出した俺の……そう、力無く座り込むだけだった俺の目の前の石畳に、ザシッと踏み出される足。俺は、この足をよく知っていた。

 その人はツカツカと剣閃の嵐の中をものともせずに歩く。

 まるでこれは自分には当たらないと確信しているかのように。

 やがてある程度まで近付くと、一言だけ呟いてみせた。

 

「春蘭」

 

 それだけ。

 恐怖や焦りが一瞬で冷えて醒めるような一言で、騒ぎも剣閃も終わった。

 ……視線の先には、硬直している春蘭。

 そして、恐らくは背に阿修羅(顔は怒り)の幻影を背負っているであろう、きっと冷たい笑顔な我らが魏王にして覇王である───

 

「失格」

 

 ───華琳さまは、春蘭にトドメを刺した。



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84:三国連合/天下一品武道会準・決勝戦③

 一つ。観客に被害が及ぶ行為は禁止とす。被害が及んだなら、問答無用で敗北とす。

 春蘭は以上のルールにおいて裁かれ、失格となった。

 観客が傷ついたわけではないが、あれだけの騒ぎになれば当然だった。

 今現在、春蘭は華琳にガミガミと怒られて“しゅら~ん……”と落ち込んでいる状態だ。

 しっかりと正座だったりするのは、もうみんなの中で常識なんだろうか。

 しかし、静かに激しく怒るタイプの華琳がガミガミと……珍しい光景だ。

 一方では地和がげっそりした顔で舞台中央に立ち、マイクを握っていた。

 コファァアア……とこっちの気分まで重くなりそうな溜め息を吐き、しかし健気にもニ、ニコッ? と弱々しく微笑み、やがて語り出した。

 

「え、えーと……死ぬかと思った……」

 

 紛れも無い本音っぽかった。

 

「じゃなくてえぇっとそのっ! みなさんが無事でなによりですっ! で、ではそのー……宣言通り、これよりこのまま決勝戦を始めたいと思いますがー……趙子龍選手、休まなくても平気ですか?」

「休んでいいのなら遠慮なく休ませてもらおう。北郷殿、ちとすまんが胸を貸してくだされ」

「へ? 胸?」

 

 剣閃で吹き飛んだ解説席を座れる程度に直し、そこに座っていた俺へと向かい、とことこと歩いてくる星。鈴々も雪蓮も元居た場所に戻り、ようやく解説席に平穏が訪れた……と思ったら星である。ともあれ、そんな彼女は戸惑う俺をそのままに、足を開かせてそこにちょこんと座ってきた。

 当然、“どよっ……!”とそこに居る全ての人がどよめいた。ええ、当然俺も。

 

「せ、せせせ星!? いきなりなにをっ!」

「ほれ、北郷殿は人を癒す氣も使えたでしょう。どうかそれで私を癒していただきたい」

「癒すって、そりゃ確かに使えたけどっ! それは傷の癒えを早めるとかそっちのほうで! あ、でもそれなら疲労回復を早めることも出来るのか? 氣ももう溜め終わってるし……出来るか……?」

「わからんのでしたら私で試しても構いませぬ。私は私で少し休ませていただく」

 

 言うや、言葉通り俺の胸を借りて、そこにとすんと頭を預けて目を閉じる星。

 息を整え始めた雰囲気から察するに……───なんか寝ようとしてらっしゃる!?

 

『………』

「ハッ!?」

 

 そして周囲からのプレッシャーが尋常じゃない!

 苦しい! 空気は普通にあるのに息苦しい! なにこれ!

 観客……主に治療をしたことのある人からは、やっちまってください的な視線。

 そしてそれを知らない人からは、なにやら殺意が籠もった視線。

 将や王からは主に殺気ばかりが飛んできている。

 しかし俺も学んださ。ここでヘタに言い訳並べるよりも、さっさと済ませたほうがいいことくらい。

 なので星の腹部に手を回し、びくりと跳ねる体を無視して、ゆっくりと集中を始める。

 

「ほ、北郷殿?」

 

 焦りを含んだ声を漏らす星だったが、やれと言うならやりましょう。

 腹部より少し下の、いわゆる丹田の部分に手を添え、そこに氣を送る。

 もちろん星の氣に似せたもので、拒絶反応のようなものが起こらないように注意しながらだ。

 

(まあ、あれだ)

 

 なんとなくこれが星の、休憩を混ぜた俺へのからかいだってことはわかってた。

 しかしながらそう何度も焦ってばかりじゃないことを教えるのと、普通に疲れを取ってやりたいって気持ちもあったので、素直に癒すことにした。

 

「星、力を抜いて。呼吸、合わせて」

「あ、……は、……」

 

 体が跳ねるほど驚かせてしまったこともあり、刺激しないように耳元で囁いた。……んだが、なんか逆におかしな雰囲気になってないか?

 ほら、なんだろう。

 傍から見ると、いやらしいことをしているようにも見えるような、とか。

 女の下腹部に手を置く俺とか、氣を送られたことで息を少し荒げたり、顔を上気させたりする星とか。……ああうん、確実に、理不尽だろうが正座させられるような気がする。

 や、そもそもな? 医者が隣に居るのにどうしてこの人は俺に頼むかな。

 

「………」

 

 頼られたりして実は嬉しいとか、べつにそんなこと全然思っていないんだからねっ!?

 

(出すぎだぞ! 自重せい!)

(も、孟徳さん!)

 

 ……ハッ!? いかんいかん、いろいろぐるぐる考えすぎだ! 落ち着け俺!

 集中するのは癒しだけでいいんだって! ヘンなことは考えない!

 紳士だ! 紳士であれ、北郷一刀!

 

(集中───)

 

 耳の奥で、キィイイン……と小さな音を聞く。

 それに意識をくっつけ、消えてゆく音を追うように、意識を自身に埋没させる。

 そうすることで、一種の自己暗示みたいなものをかけ、周囲の音を拾わないようにする。

 ……まあ、完全とまで都合よくはいかないが、一点に集中出来るようになれとじいちゃんに教わったものだ。失敗しては竹刀で頭を叩かれ、まるで雑念を消すために修行する坊さんの気分だった。

 お陰で集中し出すと周りが見えなくなるといったところまではいけたんだが、じいちゃんに言わせればまだまだ未熟らしい。集中し出したからって“それだけ”しか出来ないようではてんでダメ。“これをやる”と決めたからって、状況に応じて対応できないようではダメダメなのだそうだ。

 そりゃそうだ、俺だってそう思う。

 つまり俺の集中は、たとえば相手に一撃を当てると決めたら、当てることしか考えなくなる。経験したものを武器にとにかく当てることだけを考える。その際、腕を折ろうがどうしようがどうでもいいって、つまりは他のことをないがしろにしすぎになってしまうのだ。

 ほんと、これじゃあ未熟って言われて当然だ。

 なので、せっかくだから星の提案に甘える方向で、集中しながらも他に気を使える状態に持っていけるかを試してみた。

 わからんのなら試しても構わんということなので……いや、言葉の意味は違うわけだが。

 

(……集中してる状態だと、聞きたいって意識するものが聞こえたりするけど)

 

 それは、辺りが静かな……たとえば寝ようとしている時、音量1のプレイヤーをつけて目を閉じている集中に似ている。聞き取り辛くてもしばらくすると普通の音量に聞こえたり、聞き慣れた歌だから聞こえる歌詞を拾いやすく、頭と音楽とで歌を構築していくと聞こえるのが早くなる感覚。

 

(氣を流しながら、星の鼓動に集中して、と……)

 

 ……当てられている背中から、胸で鼓動を受け取るのは難しい。

 聴覚じゃ無理だろこれは。

 なので、手から伝わる脈に集中。

 氣を流す過程で指から感じ取れるそれらに集中して、自分の鼓動や呼吸もそれに合わせてゆく。するとどうだろう、まるで他人のはずなのに、どういうタイミングで氣を送ればいいのかがわかってきて、その流れに乗るとひどく落ち着いた。

 体に満ちた氣が、“自分の中に”まだ空いている氣脈を見つけたかのように、星に流れていくのを感じる。

 流すたびに錬氣して、その流れが一定化してくると、むしろもう星自身が自分の一部みたいな感覚に───

 

「うやややややほほほ北郷殿!? 北郷殿!?」

「ホエ? ───はうあ!?」

 

 星の慌てた言葉にハッと気づく。

 いつの間にか星がぱたぱたと暴れていた。

 なにやらヘンな声を出しながら。

 パッと氣を送っていた手を放すとババッと立ち上がり、真っ赤な顔で俺に向き直った……のだが、やっぱり赤いまま、首がグキッと鳴りそうなくらいの速度で顔を逸らし……力が有り余っているような風情で舞台中央に駆けていった。

 

「…………」

 

 かく言う俺も、顔がジンジンと痛い。逆立ちして顔に血が溜まった時みたいにジンジン。

 絶対に真っ赤になってる。

 だって、マズイだろあれ。

 集中してたとはいえ、他人を自分の一部だと思うなんて。

 しかも星が暴れなきゃ気づかないほどに集中してたなんて。

 …………氣、気づかないうちにどれほど流したんだろうか。

 

(や、いや、いや、ね? そんなことよりもさ)

 

 顔が赤くなっている原因はそこじゃない。

 体の一部、なんて考えは確かに赤面ものだろうが、べつにそれほど問題じゃなかった。

 問題なのは、この見渡す限りに存在する観客や将や王の前で、女性の腹部に手を当てて呼吸を合わせたり氣のレベルでとろけるように通じ合ったりとか、そういうところなのだ。

 叫ぶことが許されるのならもう絶叫してる。

 そしてこんな時に限って、いっそ罵ってくれればいいものを、桂花は俺を見て“ハッ”と見下した顔で笑うだけだった。

 ほんと、いっそ馬鹿にしまくってくれ。もうお外歩けない。

 真っ赤な顔を片手で覆って、なんかもう恥ずかしさのあまり涙まで滲む状況。自業自得というやつなのだが、そんな俺をよそに舞台中央の地和さんは、

 

「なんかもう腹立たしいもの見せられた気分なので、華雄選手対北郷一刀選手があってもいいんじゃないでしょうかと、ちぃは思います! みんなはどーだぁーっ!!」

『ウォオオオオオオオォォォーッ!!』

 

 観客を煽って俺をボコろうとしてらっしゃるゥゥゥゥ!?

 しかもしっかり相手が華雄ってところが他力本願だよ! 自分の手は汚さない気だよ!

 

「あ、あのなぁ地和! それは───」

「大体、“支柱になったら真っ先にちぃが自然の流れで愛してあげる”って言ったのに! なんで一刀はそうやって他の人に───」

「だぁああああ馬鹿あぁあああっ!! ここでそんなこと言うやつがあるかぁっ!!」

 

 叫ぶ地和。

 しかし幸いにもマイクを口から離してある上に、観客の雄叫びにいい具合に紛れてくれたお陰か、観客に聞こえるようなことはなかったようだ。……俺に向けて言われたお陰で、俺には思い切り聞こえたわけだが。

 ……さて。

 視界の先で覇王さまが黒いオーラを放ちながらゆ~っくりとこちらへ振り向くのが見えるのですが、あの……もう説教はよろしいのでしょうか? あ、あー……つまりこれから俺への説教が始まると?

 一番に華琳をゴニョゴニョとか言ってたくせに、そんな話なんて聞いてないわよとか言いたいのですね。ええ、なんとなくわかります。わかりますが、あれは断りづらい中での成り行きと申しますか。そもそもそういう状況になったらって絶対条件の先の話だったわけでしてですね? デデデデスカラアノ!? 阿修羅(怒り)の幻影が見えるほどの殺気を撒き散らしながらゆっくりと歩いてくるとか勘弁してェェェェ!! 逃げたいのに逃げたら余計に怒られるって、既に心に理解を叩き込まれてるから逃げることすら出来やしない!

 

「……なぁ北郷。解説席……移動していいだろうか」

「一心同体で居よう! 是非!」

 

 そして隣で平和にコトを見守っていた華佗さんが、その殺気を前に笑顔で仰った。

 完全にとばっちりだよなぁごめんなさい!

 そんなやりとりをしている内に華琳は俺の目の前まで来て、にっこり。

 頭の中が勝手に“死んだ……”って人生を諦めようとするのをなんとか止めたのだが。

 

「一刀」

「ハ、ハイ」

 

 静かに、頭が真っ白になっていくのを感じた。

 そうなるとまともに考えるのが難しくなり───かかか華琳だって“さっさと手を出しなさい”的なことを言ってたじゃないか~とかそんなことを思う余裕もなくいやそもそも言うつもりもなかったんだがでもなんだかツッコミたくなるときってのはどうしてもあるものでしてアァアアーッ!!

 

……。

 

 なにがどうしてこうなった。

 

「………」

「なによ」

「いや、なんでも」

 

 詰め寄られたまでは覚えてる。

 ぐるぐる回転する頭の中で、必死になって言い訳を考えたのも覚えてる。

 考えただけであって、不快にさせたのならなんでも受け入れる気はあった。

 それは実際、華琳に拾われたときからあまり変わっていないつもりだ。

 感情ってものを挟むなら、なにがなんでも彼女らを守りたいって言葉が前に出る。

 それを抜いても華琳は恩人であり主であり王なのだ。

 そんな制度が個人にまでそう及ばない世界で生きてきた俺でも、それは弁えた。

 でも、これはなんだろうなぁ。

 

「はーい! それでは妙なことをしでかした北郷一刀が覇王さまの椅子になっているのを十分眺めたところで! いい加減決勝戦を始めたいと思いまーすっ!!」

『うぉおおおーっ!!』

 

 そう。俺は今、華琳の椅子になっていた。

 俺の膝……むしろ大腿の上に深く座り、足を組んでいる華琳は、背中も頭も俺に預け切ってて、こちらとしては身動ぎできないから結構辛い。

 足の間や胡坐の上ならまだ楽だが、膝の上というのはこれで結構辛い。

 だってな、華琳が座り心地いいようにぴっちり足をくっつけなきゃいけないし、かといって足に力を籠めれば筋肉が張って座り心地は悪くなる。はぁ……椅子もいろいろと考えなければならない時代か……。

 まあ、いいんだけどさ。すぐ傍に華琳が居るってだけで、舞い上がってる自分が居るのは事実なわけだ。安いなぁ俺……。



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84:三国連合/天下一品武道会準・決勝戦④

「戦人よ! よくぞここまで残ってみせた! 知力武力を武器にここまで進んだ者よ! 今こそ天上を決する時! それでは天下一品武道会決勝戦! はぁあっじめぇええいっ!!」

『ウォオオオオオーッ!!!』

 

 ドワァシャーンッ!! ジャーンジャーンジャーン!!

 大銅鑼が鳴らされ、小さな銅鑼も鳴らされる。

 俺はそれを、シンバルに憧れる小学生のような目で見守った。

 一度は鳴らしてみたいよな、シンバルって。

 それはさておき、視線を星と恋が向かい合って立つ武舞台へと向ける。

 

「……おや? どうした恋。てっきり一戦二戦三戦と同じく、開戦と同時に突進してくると思うておったのに」

「………」

「……? 恋?」

「……膝」

「膝?」

 

 ? なにやら星が自分の膝を見下ろしてる。

 ハテ、なにをやってるんだ?

 

「ふむ? べつにおかしなこともない、美しい膝だが」

「ん……一刀の、膝」

「北郷殿の? …………おお」

 

 ぼそりぼそりと喋っているためか聞こえない。

 というかもう始まってるのに一歩も動かないって……やっぱり牽制し合ってるのか?

 きっと俺には想像もつかないくらいの、視線のぶつかり合いとか意識での戦いがもう始まっているんだな……。目が離せないぞ、これは。

 思わずゴクリと喉が鳴った。

 さあ……最初に動くのはどっちだ……!?

 

「あれは気持ちの良いものだった。ちっこい者たちが好んで座る理由も頷ける。特に腹を撫でられ、氣を送られた時など、恥ずかしながら……あのまま一つになってしまってもいいとさえ思えてしまったほどだ」

「……!」

「疲れた体もすっかり休まり、むしろ氣が氣脈という氣脈を満たし、体が軽いくらいだ」

「……、……」

「……? 恋?」

 

 ……? 恋がなにやら赤い顔でもじもじしている。目もきらっきら輝いている。まるで縁日のお菓子を見ている子供のようだ。

 

「疲れれば……一刀が……」

「……っ……? れ、恋?」

「疲れれば……一刀が……!」

「れ───くわっ!?」

 

 突然の突風。衣服が“揺れる”どろかバババババと音を立てて煽られるほどの。

 急に何事かとこの場に居る全員が慌てる。

 

「な、なんだこれっ……!」

 

 いや、慌てるどころか、ヘビに睨まれたカエルみたいに動けなくなっている。

 戸惑っているうちはまだよかったが、俺もこの風の正体に気づいた途端───

 

「かりっ……く、ぐっ……華琳……! これっ……!」

「気をしっかり持って、目に焼き付けなさい一刀」

「か、華琳……!?」

「滅多に見られるものじゃないわ。“本気”の呂布よ」

「本気って……! ……───え?」

 

 ───ふと、体が震えていることに気づいた。

 

「こ、の……風、って……!」

「ええ。恋の氣よ」

「氣って! こんな、突風が!?」

「春蘭が剣に氣を籠めていたでしょう? あれと同じものよ。二人とも、あなたのように得物自体に宿らせるようなことが出来ない分、ずっともれている状態になっているのよ」

「漏れて……」

 

 それで、この突風?

 ……うん、やっぱりこの世界の人達、普通じゃないです。

 

(でも、見ているともどかしいのはどうしてだろう)

 

 ああ、違う、違うんだよ恋。モノに氣を籠める時は、“これは自分の武器だ”なんて意識するんじゃなく、体の一部だって思って包み込むように……!

 “氣で包んでやってるんだから武器になれ”じゃなくて、一緒に歩こうってくらいの穏やかさで……!

 

「ていうか……」

「……こほんっ。……下がるわよ、一刀」

「Certainly, Sir」

 

 戟に籠められた氣が、少しずつ固められてゆく。

 それは真紅の光を持ち、ただでさえ長い戟をさらに長く、さらに強く形成してゆき……

 

「いやいやいやいやちょっと待てぇえええっ!! デデデデタラメにもほどがあるだろ!」

 

 ついには恋の身長の5倍以上はありそうな、氣の戟が完成した。

 対する星は……───ああっ! なんか固まってらっしゃる! いやそりゃそうか固まるよあんなの間近で見せられたら!

 

「これ無理だろ! 勝てないって!」

「ええそうね。勝てないわね。恋が」

「ええっ!? なんで恋が!? この場合、星がじゃないのか!?」

「見てわかりそうなものじゃない。あんな巨大な氣の塊、振るったらどうなると思うの?」

「え……そりゃ、どっかーんとなってウギャーって…………なるほどわかった」

「そうよ。観客が無事じゃ済まないのよ。どう振ったって変わらないわ」

「………」

「一刀?」

「本人がそれに気づいてなかったら? えーと、たとえばなにか他のことが見えなくなるほどの事情に追われて、どっかーんとやっちゃったら?」

「………」

「………」

 

 華琳さん? ……か、華琳さん!? 無言はっ! 無言は怖い! 怖いよぅ!

 

「一刀っ! なんとかして恋を止めなさい!」

「えぇっ!? なんで俺!? ここは覇王たる華琳が───」

「つべこべ言うなっ! さっさとやれっ!!」

「えぇえええっ!!?」

 

 まさか華琳がこんな乱暴な言葉を使うとは……現状とっても危険!? 余裕無し!?

 ……一目瞭然でしたねごめんなさい!

 

「恋! れぇーん!!」

 

 ともかく振り下ろされる前に止める! 声をかけてでも止める!

 振るわれたら終わりだ! とにかく引き止めて時間稼ぎを!

 

「って見向きもしないんですけど!?」

「氣の放出に集中しすぎているのよ! 届く言葉で叫びなさい!」

「ああもういちいち難度が高いなぁ!!」

 

 でもやらなきゃ人々の命が危ない!

 えーとえーと恋、恋? 恋っていったらなんだ!? 動物!? 物静か!?

 ……ハッ!? そうか大食い! 食べ物関係で気を引けば!

 

「よよよよよし恋ーっ!!」

 

 叫ぶ! そして上手く纏まってないままの頭でとにかく料理に関することを組み立てて! ぇえええーと! 食事は用意できないから! ほらこう! 楽しい料理の話とか、思わず唾液が口の中に溜まる話とか、お腹が空いちゃうような話を! な、なんなら豆知識的なものでもいいぞ!? 豆っ……豆知識ってなに!? なにかあったっけ!? なにかなにかえーとえーとなんでもいいからハイッ!

 

「ア、アー……! おぉおおお美味しいオムレツを作るなら卵は三つじゃなくて二つだ! よくミルクを混ぜるヤツが居るが、それは大きな間違いだっ!!」

 

 …………。

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 プリーチャーァァァァ!!!

 なにやってる俺! なんでここでシャーマン・ダドリー!?

 華琳が硬直してるよ! 俺見て硬直しきってるよ! こんな緊張の中でも固まってしまう曹孟徳なんて初めて見るよ!

 

(ふむ。見事だな。わしをも震えさせるほどの戦ぶりよ)

(孟徳さん!?)

 

 落ち着け脳内! 戦なんてしてないから! 震えるどころか硬直してるよ!

 どうしようもないほどのやっちまった感に襲われながらも、おそるおそる恋を見る。

 ……なんということでしょう。案の定、彼がビデオレターに籠めた言葉など聞こえるわけもなく、今まさに無双となった方天画戟を振り下ろさんとする恋が!

 それ以前に、むしろ恋は“オムレツ”がなんなのかさえわかってないな、これ……。

 乾いた笑いが勝手に喉の奥から漏れた。

 

  ───さあ天の御遣いよ。あなたがこれから取る行動とはなんだ?

 

 とりあえず、割って入ると死にます。

 声をかけても届かない。

 ならば背中から羽交い絞め? いや無理、間に合わない。

 だったら……だったら? いい! とりあえずまずは止まってくれるように叫ぶ!

 

「恋! あとでご飯作ってあげるから止まって! 膝に座ってもいいし撫でろっていうなら存分にそうするから!」

 

 テンパりながら絶叫! なななななにやってんだ俺! もっと気の利いた言葉を言おう!? こんな言葉で止ま……止まったァーッ!?

 

「え、えーと……あれ?」

 

 なんだか一応止まってくれ……た? それを理解した途端、そうしたかったわけでもないのに腹の底から、長く長く息が吐き出された。次いで、どっと噴き出る汗。

 観客からも一斉に安堵の溜め息。

 もちろん兵や将、王からもだ。

 それはそれとして地和さん、俺を盾にして隠れるの、やめてください。

 華佗さん、とりあえずその緑色に輝く瞳も戻して大丈夫そうです。

 そして華琳、俺を見たまま硬直するのはやめてください。

 

「………」

 

 ぐるぐると思考が回転する。回転するだけで、纏まらない。

 安堵はしても、まだごんごんと戟の先に渦巻いている真紅の氣の塊。

 風は未だに出ているが、突風というほどではない。

 そんな得物を持つ彼女に、氣を集束させる方法を説くとあっさりと実演され、俺は膝を抱えて座る代わりに華琳を抱えて座った。それで華琳も正気に戻り、額をべしりと叩かれた。

 

「………」

「───はっ!」

 

 荒ぶる氣が戟に納められると、少しして呆然としていた星がびくりと反応を見せる。

 あまりの状況に理解が追いつかなかったのだろう……俺だって氣のことをかじってなければ、騒ぐだけだったり呆然とするだけだっただろう。勉強ってやっぱり大事ですね。

 

「ああ、えぇとその、なんだ。星~……? とんでもなく無粋なこと訊くけどさ。続ける……か?」

「………~……」

 

 ああ……星が座り込んで頭抱えてる……。

 いや、わかる、わかるんだ。

 きっととんでもない決勝戦になるんだろうなって俺も思ってた。

 それがあんな、舞台ごと破壊しかねないほど強大な氣の塊を見せられた上、それを現在の恋は戟に籠めているわけで。

 ……あれで攻撃されてもし当たったら、舞台が壊れる代わりにほら…………ねぇ?

 春蘭の暴走の延長って言ってしまえばそれまでな状況な分、いつも通りといえばいつも通りではあるのだが、命に係わるかもしれないとくるとさすがに難しい。

 ……結構いつも命に係わることしてるだろってツッコミは、どうか勘弁してほしいが。

 

「……ここで何もせずに敗れては、これまでに散った者たちが報われぬというもの!」

 

 そんな思考をよそに、星は立ち上がった。

 凛々しい顔で、キッと恋を睨みつけて。

 そして槍を構えると、ちらりと俺……の後ろに居る地和を見つめた。

 

「地和、ち~ほ~……! ほら、仕切り直し仕切り直しっ」

「へぁあっ!? あ、あ……あーあーあー! しっししし仕切り直しね仕切り直し!」

 

 ぱたぱたと舞台中央へと駆け、こほりと咳払いをする。

 観客達は……いつでも逃げられる準備をしていた。それはきっと正しい。

 

「そ、それでは“意気”を改めまして! 天下一品武道会決勝戦を執り行います! まずは蜀より! 頭のソレの名前が是非知りたい! 身軽で強くて飄々武人! 趙子龍選手ーっ!!」

「……やれやれ。これで完全に逃げられん……」

「対するは同じく蜀より、沈黙の真紅! ご存知三国無双! 呂奉先選手ーっ!!」

「…………」

「すーはーすーはー……よ、よーし! 細かいことは抜きにしちゃいましょー! とにかく戦って勝ったら優勝! ただし殺しちゃったら斬首! 観客にも危害を加えたらだめ! ───あっ! かかか観客っていうのは見てる人全員だからね!? ちぃもなんだからね!?」

 

 地和さん、目に涙を滲ませながら選手を指差して怒鳴ってはいけません。

 そりゃああんなもの見せられれば怯えたくなる気持ちも十二分にわかるけどさ。

 

「それでは双方、ぜっ───…………ぜ、んりょく、を以って……ねぇ一刀、規定変えちゃだめ?」

「変えたいけどダメなんだ……わかってくれ」

「うぅうう……───それでは双方! 全力を以って、いざ尋常に勝負勝負!」

 

 声高らかに。

 次いで鳴る銅鑼の音。

 途端に地和がこちらへ走ってきて、またしても俺の後ろに隠れた。

 

「華琳はいっそ清々しいほど堂々としてるなぁ」

「将の諍いで死ぬのなら、所詮はその程度の命よ」

「まぁ、はは……そう言うとは思ったけどね」

 

 相変わらず自分の道を疑らない人だ。

 そんな華琳だからこそ、みんな付いていっても大丈夫だって思えるんだろうな。

 大丈夫っていうか、付いていきたいって思う。

 

「……決勝、見るか」

「ええ、そうしなさい」

 

 どこか楽しげな口調で、華琳はそう言った。

 ちらりと隣を見れば、華佗は既に対峙する星と恋に集中している。

 ……プロの目だ。どんな行動も見逃すまいと、少しだけ目の緑が輝いている。

 

「………」

 

 俺も集中することにした。

 恋が肩に担いでいる戟は、氣を圧縮させすぎたためか、真紅というよりは深紅になっている。黒い赤って感じだ。

 対する星は呼吸を一定に、槍を抱くようにして構えている。

 

「…………いく」

「……応!」

 

 きっかけは恋の一言だ。

 キッと星を睨んだ恋が石畳を蹴り弾き、一気に距離を詰める。

 星は“応”と答えた瞬間には槍を回転させ、表情鋭く姿勢を変える。

 振るわれる恋の一撃。逸らさんとする星。

 二つの弧が合わさった時、耳を劈く金属音が鳴って、直後に星が素早く飛び退いた。

 ……星の龍牙の先端、二本あった筈の牙は、一つが根元から消え失せていた。

 

「ふむ、これは……さすがにまいったな」

 

 ギャリィンッて音が鳴って、目を向ければ場外近くの舞台端に龍牙の片割れが落下していた。

 ……一撃で、硬い武器があれなのだ。

 人に当たれば骨は折れ、肉など吹き飛ぶだろう。

 

「いやなに、当たらねばどうということもなし」

 

 なのに星は「ははは」と笑うと、一本角になった槍を回転させて持ち直す。

 

「恋よ! 遠慮はいらんぞ! なにも殺せとは言わんが、心配ならば氣を消した状態で突撃するも一興というものだろう!」

「……、……」

「なに、難しいことではない。私に勝てばお主が優勝。北郷殿に一度だけなんでも言うことを聞いてもらえるのだ」

「…………!」

 

 平気な顔して誘導している。

 恋もどうしてか“なんでも”という部分に反応し、星と戟を何度も見比べて……あーのあの恋さん!? そりゃそんな凶器振り回すのは大変危険ですけど、俺になんでもいうこと聞かせるって部分でそこまでおろおろされると、こっちとしてももし優勝なんかされたら断りづらいっていうか───あ、はい、そもそも断れないんでしたよね。ルールでそう決まってるんでしたよね。断ったらダークマターと言っても差し支えない食事を食わされるんでしたよね。

 

「………」

「……ふむ」

 

 俺の複雑な心境はそっちのけで、結果として恋は氣を元に戻した。

 ただの戟が肩に担がれ直されてると、恋は改めて星を見つめる。

 

「たった一度の敗北がこうも三国無双を変えるか。恋よ、お主は何を願うために戦う?」

「………」

「やれやれ、話してはくれんか。まあ、訊かれて話せるものならば、熱くなる理由には程遠いものなのかもしれぬ───そして、私もまた同じ」

「……?」

「いや、そこで首を傾げられても困るが」

 

 観客が固唾を飲んで見守る、これだけの人が居るのに、先ほどあれだけの騒ぎがあったのに、静かな空間。

 その中でヒョンッと得物を振るう二人が地面を蹴った。

 普通の動作だったと思う。

 綺麗だとか激しいとか、そういうものとはちょっと違う……なんて喩えればいいのか、とにかく普通だったと思う。自然って言えばいいのだろうか。

 流れるような動きだとか目を奪われるような動きとも違った。

 それがあんまりに自然な動きだったから、それが衝突の合図だなんて思わなかった。

 

  “駆け寄ればハイタッチのひとつでもしそうだ”

 

 そう。

 それはきっと、それくらいに気安く楽しげな───“衝突の合図”だった。



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84:三国連合/天下一品武道会準・決勝戦⑤

131/槍と戟の舞

 

 -_-/───

 

 ───駆ける足には氣が籠もる。

 握る手にも氣が籠もり、氣脈が満たされる感覚に心が躍る。

 戦の中でもそうそうは感じることのない高揚感に、趙子龍───星は笑みを浮かべた。

 直後に槍と戟を衝突させると、その高揚が鼓動とともに胸を打つ。

 吹き飛ばされることもなく、踏み締めた足にはさらなる力が。

 かと思えば、押し返せるほど甘くもなく、その事実が彼女をさらに高揚させた。

 

 ───駆ける足には力が籠もる。

 握る手には力が籠もり、気力が満たされる感覚に心が躍る。

 戦の中では感じることがなかった高揚感に、呂奉先───恋はほんのわずかに口角を持ち上げた。

 直後に戟と槍を衝突させると、その高揚が抵抗とともに体を走る。

 吹き飛ばすつもりで放った一撃を受け止められたことに、痺れにも似たなにかが体を支配し、それが、とある男が与えてくれた感覚に似ていることに、やはりうっすらと口角を持ち上げた。

 自分を吹き飛ばし、自分に勝った男を思うと胸が熱くなる。

 一人と戦って負けたことなどなかった。

 戦は戦。

 そこにどのような理由や差があろうと、“敗北”は“敗北”だった。

 油断、体調不良、言い訳などはどうでもいい。

 強い力で返され、それを叩き伏せるだけの力で向かった。

 そして吹き飛ばされ、立ち上がり、負けた。

 それが事実で結果で敗北ならば、戦場では同じことが起きたなら死んでいた。

 つまりそれは、自分の負けということ。

 敗北なのだから当然だが、自分にとって“負け”は当然ではなかった。

 所属していた国や軍が負けようが、それは“自分にとっての負け”ではなかったから。

 

 ───両者が遠慮無く得物を振るう。

 星は避け、逸らし。恋は受け止め、弾き返す。

 将といえば、戦場で振るわれる撃を受け止め、返してみせるもの。

 そういう認識はなかなか強く、力自慢の者ほどそうして相手を圧倒、勝利してきた。

 逆を言えば避ける行為をする者は少なく、それも、続けて避ける者を臆病者とさえ呼ぶ者だって居るだろう。

 愚直に突っ込み、振るわれる攻撃を受け止め、受け止めきれねば殺される。

 勇敢と呼ぶべきか愚かと呼ぶべきか。

 

「愚かだろうな」

 

 星が笑う。

 ふと頭に浮かんだ考えは、戦を楽しむならばすべき行為であり、明日を夢見るのであればする必要のない行為だった。

 生きて辿り着く必要があるのであれば、必ず勝ちたいのであれば、技術の全てを以って歩むこと。それでも届かぬのなら、足りないものを補ってくれる誰かとともに。

 

「……、……」

 

 攻撃を重ねる恋は、止まることなく攻撃を続ける。

 普通であるなら敵が怯む攻撃を、星は逸らし、躱し続けている。

 それに戸惑うのも事実だが、時折にする御前試合や鍛錬時の星の動きと今のソレは、明らかに違って見えたのだ。

 事実、星の体は彼女自身が“普段よりも軽い”と感じていた。

 

「ふふっ……恋よ。悪いが今回ばかりは負ける気がせん」

 

 気脈を満たす氣が、彼女を支えていた。

 “己一人では届かぬ場所があるのなら、足りないものを補う誰かとともに”。

 現在の星にとってのそれは、一刀によって満たされた氣だった。

 自分自身の力ではないが、それはそれだと簡単に割り切った。

 そう。これは祭りであり、戦なのだから。

 と、そんな星の高揚をよそに、解説席では地和、一刀、華佗、華琳が話し合っていた。

 

「北郷解説員さん。先ほどの趙子龍選手の発言をどう思われますか?」

「はい。敗北フラグですね」

「ふらぐ……あれがそうなのか。なるほど、言われてみれば不思議と、趙雲が負けるという意識が深まってくるな」

「なるほどね。負ける気がしないと確信した瞬間に生まれる油断。そこを突かれればもろいものよ。兵であろうと、将であろうと」

「……まあ春蘭の場合は、最初から自分の勝利を疑わないから、油断なんて生まれないんだけど」

「あら。だからいいんじゃない」

 

 解説席の言葉をしっかりと耳にした星は、眉を歪めながらも笑っていた。

 言ってくれる。だが、それでも負けるだなんて思われていない。

 ちらりと見た解説席の男は、結局は星と恋を応援していて、どっちが勝つとも思っていて、それなのにどっちが負けるとは思っていない。

 不思議なことに、どっちの勝利も信じているのだ。

 優柔不断だといえばそれまでだが、それはどちらの武も信じているということ。

 もし彼が君主で自分たちが下に就く者ならば、これほど嬉しいことはない。

 ただし双方が対峙する今、そんな期待を持たれたならば、互いに、余計に負けるわけにはいかなくなる。

 思考の刹那に一閃。

 前髪がビッと弾かれ、呼吸に少しの乱れが出るが、逸らせた体を返す反動で反撃。

 受け止められても構わず突き、それら全てを弾かれるとさすがに苦笑が漏れる。

 しかし負ける気がしないと言った言葉が偽りであるわけでもなく、星は充実する氣とともに前へ前へと出ていった。

 

「おぉっと趙子龍選手、防戦一方ばかりだった最初とは打って変わり、前に出るーっ!」

「元気に司会するのはいいけど、いい加減に俺の背中から前に出ない?」

「こうしなきゃ、なにかあったら盾にできないじゃない」

「盾にすること前提で喋るなよっ! ……居るなら横に居てくれって。じゃないと、咄嗟の時に抱えることも出来ないだろ」

「え……」

「一刀。少し黙りなさい」

「へ? や、けど」

「あのね。あなたは妖術入りのまいくの前で、観客相手に何を届けたいというの?」

「ぇあっ!? あ、あー……タブン、愛情デス……」

 

 解説席の御遣いは真っ赤になって項垂れた。観客は、急に緩んだ空気にようやく気のゆるみを感じ、長い溜め息を吐いたあとに笑った。

 そんな観客たちを見た星は笑い、氣のお陰で熱くなる体を以って恋への攻撃を続ける。

 連突も速度重視の突きも、払いも悉く弾かれる。

 しかしながらまるで通らないわけではなく、弾かれながらも掠る程度は幾度かあった。

 対して、防戦をする恋はさほど焦った様子もない。

 攻撃が来る場所を予測、受け止め、押し返して攻撃する。

 それの繰り返しで相手は潰れる───……ものだと思っていた。

 自分と戦いたがる相手は居ない。

 来ても、戦えばすぐに動かなくなる。

 言われるままに突撃する兵のほうが、命令を下す者よりも勇敢だと思ったことがある。

 それは自分の意思ではないけれど、勇気が要ることなんだろうと……思ったことがある。

 

「……、……」

 

 今、自分との戦いに笑みを浮かべる者が居る。

 あらん限りの力をぶつけられ、受け止めると手がジンとして少しくすぐったい。

 それを返すと逸らされて、逸らされるとくすぐったくない。

 だから受けに回ってみたけれど、あまり胸は高鳴らない。

 

「………」

 

 胸に届く一撃が欲しい。

 天の御遣いはそれをしてみせた。

 その上、自分に勝ってみせた。

 それからの自分の胸は、御遣いを見るたびに高鳴りに襲われた。

 心地良く、なにかをしてあげたくなる。

 その高鳴りに動かされるままに行動をしていた先に、今があった。

 

「っ───!」

「つわっ……!?」

 

 ……強撃を返す。

 逸らしきれなかった星は、予想外の衝撃に軽い悲鳴をあげるが、それでも武器を落とすことはしない。

 

「……負けるのは、困る」

 

 胸の高鳴りとは別に、湧き出したこの想いはなんだろう。

 負けたのならそれでいいと思った。

 しかし、同時に“もう他の誰にも負けたくない”と思った。

 “特別”はひとつでいい。

 桃香は友達。他のみんなも友達。でも特別はひとつでいい。

 だから───

 

「負けるのは、困る……!」

 

 負ける気がしないと言った、目の前の友達を倒す。

 氣の放出というものをやった所為か、体はいつもよりも鈍く感じる。

 それでもやることは変わらない。勝つだけだ。

 

「っ!」

「くぅっ!?」

 

 一閃。躱し切れず、肩を掠った衝撃に、思わず星が距離を取ろうと飛び退くが、それを即座に追う恋。

 それは今までの“来る者を潰す”、“最初から本気であとは知らない”といった適当さ加減ではなく、“明らかに倒しに行く姿勢”での突撃だった。

 その目を見た星も意識を切り替え、振るわれる横薙ぎを屈むことで躱し、その動作とともに振るっていた槍は瞬時に戻された戟に弾かれる。

 恋はそれを駆けたままの動作でやってみせ、次の疾駆の一歩とともに、下に構えた戟が星に向かって掬い上げるように振るわれる───が、星は槍を自分の前で横に構え、立ち上がる勢いとともに跳躍。

 槍は戟に弾かれることで持ち上げられ、星は宙に飛ばされながらも綺麗に回転、着地してみせた。

 それから息をつく暇もなく地を蹴り、そのまま走ってきていた恋と再び激突。

 横薙ぎを弾かれ、戻しとともに振るわれた戟を逸らし、放つ蹴りを逆に蹴り弾かれ、繰り出された戟を飛び退き躱し、踏み出しとともに戟で狙われた足を跳躍することで躱し、同時に跳びながらの刺突を戟の石突きを合わされて止められ、そのまま力だけで飛ばされた。

 着地を狙い、疾駆する恋。

 遠慮なく戟が横薙ぎに振るわれたが、手応えはなく。

 振り切ったその戟の上に立っていた星は、口を服の袖で覆いながらくすくすと笑っていた。

 

「珍しいなぁ恋よ。お主にしては少々焦りすぎではないか?」

 

 乗ってみせる星も異常だが、片腕でその重さを支える恋も異常だった。

 星は直後に恋に向けて槍を突き出すが、それが恋に届くよりも先に戟は下ろされ、星は戟から跳び、着地した。

 

「え? あれ? 今の決着じゃないの? 寸止めだったじゃん」

「寸止めっていったって、状況が固まってなきゃ決着にはならないって。足場が悪いし、突き出されたのは頭へだ。足場の自由云々はあの場合は恋が握ってるし、達人なら頭に確実に当てられるかっていったらそうじゃないしね」

「……当てられそうだけど? 少なくともちぃから見ればそう見えるし」

「頭っていうのは人の体じゃ一番狙い難い部分だと思うぞ? 的は小さいし、胴よりもよっぽど。ものを躱すのに必要な“目”、動作を実行するための“脳”がある場所だ。なにをおいても逃がす前提が結構揃ってるだろ」

「ふーん、ややこしいんだ」

 

 ややこしい。

 そういった暗黙の云々を知らなければ、なにを言われても納得出来るものがないのは事実だろう。覚えきってしまえばどれだけややこしくても“ひとつのルール”として受け取れるものも、受け取るまでは何十個もある面倒なものごとの集合体にすぎない。

 

「ふぅっ!!」

「くわぁっ!?」

 

 恋の一撃。

 逸らそうとした星だったが、触れた途端に逸らす力ごと弾かれ、大きく体勢を崩した。

 そこへ、目つきを鋭くした恋が追撃。

 咄嗟に星は飛び退こうとするが、恋はその動きに本能で合わせ、一気に離れた分の間合いを詰めた。

 武器ごと腕を弾かれ、体勢を崩した状態でのバックスッテップで満足な体勢ではない星にしてみれば、それは明らかな“詰めの一撃”だった。このままでは当たる。この体勢で当たれば、武器に氣が籠められておらずとも、戦闘不能は明らか。

 続行することが“一歩でも進むため”になるのならば───

 

(いっそ倒れてしまえ───!!)

 

 地に着くべき足を自ら持ち上げ、飛び退きの勢いのままに体を逸らせた。

 鼻の先に突風が通り過ぎ、直後に背に衝撃。

 すぐに手を着き体を回転させて起こすと、その行動を利用して槍を振るった。

 それが、丁度追撃に振るわれた恋の戟と衝突する。

 体勢の問題もあり、やはり吹き飛ばされたが、その吹き飛びはかえって体勢を立て直すいいきっかけになった。

 そしてまた、疾駆と衝突。

 余力など残すだけ無駄だと心に断じ、星は体に満ちる御遣いの氣と星自身の氣を使い尽くすつもりで攻撃を放ち続けた。

 加速などという器用な氣の使い方は出来ないものの、体を動かすたびに行動を支える御遣いの氣のお陰で、かつてないほど軽く戦えるのは先ほどのままだった。

 

(やれやれ、負ける気がせんとは言ったが、勝てる気もしないとは)

 

 心の中で溜め息を吐く。

 偽り無しの三国無双の実力に、さすがに軽く唇を噛んだ。

 当たりはする。掠り程度ではあるが。

 しかしどれだけ本気で行っても直撃はない。

 それは星も同じだが、彼女自身はもしも恋が“受け止めること”を捨てたらと思うと、ゾッとしていた。

 受け止められるからこそ次に移しやすい。

 もしも躱すことを覚えられ、攻撃の全てを躱されるのだとしたら、明らかに恋の攻撃の手数は増える。それを思えば、振るえば受け止めてくれるだけ、星は幾度も助かっているということなのだ。

 

(癪ではあるが)

 

 それが相手の戦い方であるのならば何故文句が言えよう。

 勝つつもりで挑むのであれば、相手の出方などは二の次。

 自分の出方をしっかりと固め、その上で勝つ……それだけなのだから。

 

「とはいえ───っ!」

 

 ここにきて星の顔には焦りが浮かんだ。

 体力も気力も、氣すらもが充実している。

 戦えば戦うほど、三国無双と謳われた者との戦いが彼女を高揚させた。

 だが、その三国無双が放つ剛撃は、確実に星の武器を痛めていた。

 二棘であった最初と違い、今ではたったの一棘。

 先端で受けぬようにと立ち回ってもみるが、そんなものが器用に何度も成功するほど、相手は生易しくはなかった。

 

「いや」

 

 ならば自分で生易しく構築しよう。

 星は自分の中に走る御遣いの氣を辿るように、自分の氣を操ることに意識を集中させた。

 北郷一刀はどういう動作で“加速”を繰り出していたのか。

 それを、氣に訊くように体を動かす。

 どうすれば体は速く動くのか。ただそれのみを意識し、あくまで自然な動作で氣は足の先端に集中し───踏み込んだ刹那、それは大地を踏む衝撃を飲み込んで足を駆け上り、腰から背骨を旋風のように駆け上り、やがて腕まで辿り着くと、今までの自分では出せなかった速度が槍を走らせた。

 

「!」

 

 最高、最速の突き。

 達人の技は目では捉えられないほどのものにも至るというが、これはまさにそれだった。

 危険を察知して戟を構えた恋が、それを受け止められたのは偶然でしかない。

 一棘になってしまっていたために、槍が歪んでいなければ、その一撃は確実に恋を捉えていただろうに。

 ならばもう一撃と、星は槍を戻そうとする。

 だが突然の加速に、それに耐えるための鍛錬などしていなかった星の体は悲鳴をあげた。

 槍を持つ手に籠もった氣が、上手く全身に戻らない。

 ここにきて星は、北郷一刀が鍛錬馬鹿である理由にようやく気づけた。

 

(なるほど。あそこまでやってこそ、氣を十分に操れる、か……)

 

 苦笑。

 それは敗北を受け入れた笑みだった。

 精進あるのみ。今回は万全で降り、次回に向けて鍛錬するとしよう。

 そう思い、星は槍を地面に突き刺し、降参を口にした。

 

 

 

132/決着

 

-_-/一刀

 

 ワッ、と声があがった。

 星が地面に槍を突き刺し、歪んだそれが手放されると、星はどさりとその場に尻餅をついた。

 

「けっちゃぁーくっ! 打倒になるかと思った決勝戦、まさかの降参宣言! いったいなにがどうして降参に繋がったのかはわかりませんが、ええとまあ正直なにをやってるのかすらまともに見られませんでした! 人間の動きじゃねぇと言いたいです!」

『おぉおおおおおぉぉぉぉーっ!!』

 

 尻餅をついた星にすぐに駆け寄って抱き起こすと……その時点でわかった。

 無理矢理加速させた氣が気脈を傷つけてる。

 これじゃあ立ってるのも辛いはずだ。

 

「無茶するなぁ……加速は氣脈が太くないと負担が凄いんだぞ?」

 

 俺は祭さんの無理矢理気脈強化のお陰で、普通よりは太いからそこまで辛くないが。

 そもそも体が鍛えられないとわかってからは、毎日仕事をしながらも氣の鍛錬だけは続けている。お陰で氣の扱いだけなら大したものだと……胸を張ってもいいですか?

 

「ふ、ふふ……実感、している、ところ、で……あたたたた……!!」

 

 いわゆるお姫様抱っこで抱えられている星が、言葉の平凡さのわりに、わりと本気で痛がっていた。まあ、内側の痛みだ、それは仕方ない。

 しかし軽い。

 人としての重さがあるのはまあ当然としても、普通よりは軽いと感じる。

 鍛錬の賜物だな、なんて口にすれば殴られるだろうな。

 いや、腕折れてるくせにお姫様抱っこなんて馬鹿かとか思われるだろうが、華佗の鍼のお陰で一応はくっついているところに氣を張り巡らせて、無理矢理保たせているだけにすぎないんだが……立つことすら難しい女の子に貸すのが肩だけなんて、それは支柱としてどうなんだって話だ。支えてこその柱だ。

 なんてことを思い苦笑していると、勝者である恋がトコトコと歩いてきて、お姫様抱っこをされている星を見て一言。

 

「ん…………やっぱり疲れてたほうが……」

 

 ぼそりとした声だった。

 大歓声の中では、注意しなければ聞こえないくらいのもの。

 しかし聞こえてしまった。

 声をかけようと思ったんだが……それよりも早く、何故か恋が戟に氣を籠めてまたバカデカい巨大な氣の塊をってギャーアアアアア!!?

 

「いやちょ待ァアーマママ!!? なんでいきなり氣を解放!? しかも垂れ流し状態!?」

 

 そして吹き荒ぶ烈風。

 なにがなにやら、「やめれー!」と何故か方言的な声が腹の底から放たれた。

 星に訊いてみれば、なんでも恋さんは俺の膝に座ったり、お姫様抱っこされたりしたいんだとか。……え? なんで? あ、いや、人の“やってみたい”“やられてみたい”を頭から否定するのはいけないよな。

 俺だって華琳にやってみてもらいたいことの一つや二つ、当然のように存在する。

 だったらなるほど、恋がいろいろ思うところがあるのも頷ける。

 

「わかった、わかったから! 膝に座るのもお姫様抱っこでも、膝枕だろうとなんでもするから!」

「!」

 

 言ってみたらビタァと止まる氣の突風。

 ……うん、なかなかに現金だ。

 それだけ俺にしてもらいたいこととかがあるってことなのか?

 まあどの道、拒否権なんてないのだ。ここは素直に受け取っておこう。

 

「でもとりあえず、今は優勝者が祝われる時だろ。俺はちょっと星を仮医務室に連れていくから、恋のお願いを聞くのはその後な?」

「……、……、……」

「………」

 

 ウワーイすごい不安ダー……あの恋が頷きまくってる……。

 いったいなにを要求されるんだ……?

 天の料理がたらふく食いたいとかなら、全力で再現できるように頑張るだけなんだけど、あんまり無茶な要求だと応えられるかどうか。

 

(まあ)

 

 なにを頼まれても応えられるような自分でいよう。あくまで出来る限りの範疇で。

 “これがそういう催し物だった”と最初から知っていたなら、心の準備も相当に出来ただろうに……いきなりだもんなぁ。

 だが規定に書かれているなら仕方がない。確認しきれなかった俺が悪いのだ。

 それでもお手柔らかにと願わずにはいられない自分が居た。

 恋のことだから、そこまで無茶なことにはならない……と信じていよう。

 想定外のお願いだったらもう涙してでも叶える方向で。

 心の中で盛大に溜め息を吐きながら、俺は星を抱き抱えたまま歩いた。



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85:三国連合/伸ばした手の先にある支柱①

131/貴方の辿り着く未来

 

 身体を全力で動かす“武”での争いが終わり、やがて迎えるは知の勝負。

 さすがに一日に全てを詰め込むのは無理があるとし、勝負は翌日に持ち込まれた。

 元々一日で終わるような祭りではなかったし、一日楽しんで一日で帰る他国の者の都合を考えれば、三日くらいは取るものだ。

 さて。それで、実際に今行われている勝負だが。現在は桂花と亞莎が象棋の盤面を前に、顎に手を触れつつ、戦局を先読みし、詰めていっている。

 そんな、一見すればただ静かで地味でしかない勝負だが───

 

「お、おい、次、お前なら何処に差す?」

「そりゃお前、あそこで……ぐあっ! そう来るか! さすが文若さまだ……!」

「いや、あのおだんご眼鏡の軍師さまも負けてねぇぞ!」

 

 学校で将棋や象棋を学んだ者や、自国の軍師を応援する者にしてみれば、結構な盛り上がりを見せていた。

 興味があってもわからない者は、解説の俺と華琳の言葉を頼りに、どういう流れなのかを知り、自国の軍師を応援する。

 そういった空気が、地味に舞台を囲んでいた。

 ちなみに華佗は救護班として、先日戦った選手たちの治療に向かっている。

 主に春蘭。

 彼女は今さら氣を放出しまくった無茶が祟ったのか、腰痛で動けない人のようにぐったりとしていた。

 

「くふふふふ、よく頑張ったと褒めてあげたいところだけど、これで終わりよ呂蒙」

 

 桂花が差し、高笑いする。

 しかし次の瞬間、亞莎がそれを掻い潜るような攻撃を遠距離から仕掛けて見せ───

 

「おほぉーっ!?」

 

 おほほほほと似合わない高笑いをしていた桂花の絶叫が、悲しく響いた。

 前面にとにかく注意を向けて、遠くからの砲での一撃だった。

 華琳が見ているということで勝ちにこだわりすぎた結果だ。

 結局勝ったには勝ったが、もっと冷静にやっておけば圧勝だっただろうに……。

 

「……まったく、あの娘は……」

 

 俺の隣では腕を胸の前で組んだ華琳が、目を伏せながら溜め息を吐いていた。

 実際、俺も溜め息を吐いてるんだから、気持ちは同じなのだろう。

 そんな華琳がちらりとこちらを見る。むしろ睨んでくる。

 

「な、なんですかな、華琳殿」

「殿じゃない。あなたはいつになったらソレを下ろすのかしら?」

「勝者権限が無くなるまで……なんじゃないかなぁ……」

 

 俺の足の間には、恋がべったりと座っていた。

 完全に俺の胸に体重を乗せてきていて、ちょこんとどころではなく、べったりだ。

 しかも星にやったのと同じことを要求され、丹田に触れながら氣をゆっくりと流しているのだが、その下腹部を撫でられる感触が好きなのか、顎を撫でられた猫のように目を細めてこちらを見てくるからたまらない。促されるまま顎も撫でれば喉も撫で、頭も撫でれば頬ずりもされて。

 顔が近付いてきたと思うと頬をぺろりと舐められるし、途端に横から尋常ならざる力の波動を感じて、見てみればどこぞのグラップラー漫画のようにモシャアアアと覇王さまの周囲にあるものが形を歪ませる幻覚が見えてヒィ怖い助けて怖い!! 華佗帰ってきて! 華佗! 一人は怖い! 華佗ー! お願いだー!!

 

(殺気が見えたらなって思ったことがあるけど、景色が歪むほどの殺気って怖い)

 

 見えたら見えたで、今度は華琳と目を合わせることが怖くなった。

 なんというか、俺はもう悟りの境地を開くことにした。

 どうせ怒られるのなら、俺は一人の悟る者になる。

 怒られるのに怯えて中途半端に勝者を称えるか、怒られてでも勝者を全力で称えるか。

 そんなもの、後者のほうがいいに決まっている。

 

(集中!)

 

 そうなるともう、殺気も気にならなくなる。

 俺はただ、恋を包み込む一つの氣として存在するべく、彼女の氣と同調、融合するかのように彼女を包み込んだ。

 

……。

 

 少しするとそわそわと、落ち着きが無くなる恋。

 そんな彼女に気づきつつもそのままで、空中に浮かぶ盤面を見た。

 

「おお……」

 

 現在は、ねねと風が対決中だ。

 ねねは強気で立ち向かい、風は少しずつ足場を固め、相手が気づいた時には仕留めるって戦法……だな。両者、中々ねばっているが───それでも「恋さまの軍師として、退くわけにはー!」と叫んだ次の瞬間、あっさりと負けるねねさん。

 

「ななななにかの間違い! これは間違いなのです!」

「はいはい往生際が悪いですよー! 第二仕合、程昱選手の勝利です!」

 

 引き続きの司会進行役、地和が叫ぶと、観客のみんなが騒ぐ。

 地味だ地味だと思いきや、盤面が見れるというだけで結構緊張するもんだ。

 

「ふむふむ、中々の強敵でした。個人的にはもうちょっとだけ歯ごたえがほしかったですがねー……」

「なな、なんですとぉおおーっ!?」

「相手を怒らせて調子を崩すのも策ですよ。ですが楽しかったのは本当なので…………飴をあげちゃいましょう」

「はうっ!? ……ね、ねねねねねがそんなものに釣られるとでも……!」

「はいはいそういうことは向こうでやってくださいね。では次! 公孫賛選手対───!」

 

 実力が近ければ長くなるこの象棋。

 当然、実力が離れすぎていればものすごい速さで一方が詰む。

 事実───

 

「は、速ぁーい!! 決着! 決着です!」

「うあああーっ!! こんなあっさりぃいいーっ!!」

 

 舞台の上に置かれた卓と椅子、そして象棋盤の前では、白蓮が頭を抱えて叫んでいた。

 相手は……冥琳だった。

 涼しげな顔で笑い、控えに戻ってゆく。

 ……残された白蓮が、地和にポムと肩を叩かれていた。

 

「惨たらしい光景ですが、強く生きましょう! えと、続きまして───!」

 

 そんなこんなで、次々と勝負が繰り広げられてゆく。

 見ている華琳がじれったそうに見ているところを見ると、どうやら彼女も混ざりたかったようだ。

 しかしながら、「参加するのは都でやる時でいいわ」とニヤリと笑って言った。

 ……またやるつもりなのか。しかも、今度は都で。

 

「あわわ、そこ、詰みです……!」

「あぇええーっ!!?」

 

 そうこうしている間に、また決着。

 舞台では穏ががっくりと項垂れ、雛里が大きな帽子を被り直しているところだった。

 

「あぅう……こんな、こんな一方的にやられるなんてぇえ……!」

 

 とぼとぼと帰る穏の姿は、なんというかこう…………い、いや、歩くたびに揺れる胸になど、目がいったりしてません。

 

「なにをやっているのよ……」

「現実から目を背けてる」

 

 横から華琳に声をかけられたから、とりあえずそう返しておいた。

 間違ってはいないと思う。うん。

 

「おーっほっほっほ! この袁───」

「詰みでしゅ!」

「ほんしょ!?」

 

 高笑いをしながら適当に打っているうちに、麗羽が朱里に詰められた。

 キリッと詰め宣言する朱里は格好よかった───……のに、噛んだ。

 

「ほぇえ……はは、やっぱり朱里と雛里と冥琳は強いな」

 

 思わずこぼすと、華琳がフッと笑った。

 笑っているうちに風が攻め、次の仕合では稟が攻め、確実に勝ち星を上げていっている。

 後半になるにつれ、一手にかける思考時間が増えていくと、会場内の緊張も異常だ。

 自然とみんながシンと静まり、一手差す毎に「はぁああ……!」と息が漏れる。

 ルールがわかっていない人でも緊張は感じるのだ。仕方ない。

 

「……ここ、ね」

「ふふ、甘いですね。頭は回るようですが、詰めが甘い!」

 

 詠と稟の戦い……なのだが、どう攻めれば勝てるのかなんて、客観的に見てもわかりやしない。どちらも慎重になっていたが、詠が進めた駒に稟はフッと笑い、“我が策、完成せり”とばかりに攻める。

 すると詠の表情が曇るのだが───起死回生とまではいかないし、結局負けてしまったのだが、土壇場で切り返してみせて稟を驚かせていた。

 

「潔いのも結構だけれど、最後まで指揮を執り、味方のために敵の数を減らす。良い軍師ね、詠は」

「戦いの美学もいいけど、粘れば助かるかもしれない場面で降参するのもって思うよなぁ」

 

 拍手を送られながら退場する二人を、自分も拍手しながら見送った。

 しかしやっぱり蜀側は人材が豊富だ。頭のキレる人、多すぎだろ。

 

(うーん)

 

 なんとなーく自国を応援したい気持ちはどうしても出てきてしまい、じっと見守る中。風と稟がぶつかってしまい、自国からまた一人、知将が消えた。

 ……つか、風が強い。いや、吹き荒ぶほうじゃなくて。

 この調子なら……とか思って安心して見ていたら、次の出番で雛里と激突。

 しばらくはどちらが勝つかもわからないって進め方をしていたのだが、ハッと気づけば負けていた風。

 悔しかったらしく、激しい動きはしなかったものの……静かなる動きで頭の上の宝譿を手に取ると、目を糸状にしてギウウミキミキと渾身の力を以って宝譿を搾って───っていやいやいや! 八つ当たりよくない! やめてあげて! あっ……頭の飾りがもげて……! ホウケェエーイ!!

 

(……やばい)

 

 予想以上にと言うべきなのか、想像通りと頷くべきなのか。

 ともかく朱里と雛里、冥琳の強さが抜きん出ている。

 対するこちらの桂花先生は…………───七乃に負けた。

 

「なっ……!」

「えぇっ!?」

 

 これにはさすがの華琳も驚き、俺もつい叫んでしまった。

 七乃!? 七乃が!? まさか彼女がここまで強いとは……!

 …………でも、なんだろう。桂花が凡ミスで自分の首を絞めたような気がしてならない。そりゃあ指揮は上手いし戦略の組み立て方もいい……のだが、自分を過信しすぎるところがあって、“これでいいだろうか”じゃなくて“これでいいのよ!”って決め付けるところがある。

 そこを突かれたんだろうなぁ。

 

「……ま、まあ、負けるのは良い薬……よね」

「相手が袁家じゃなければ、まだ素直に受け取れたって顔し───」

「うるさいっ!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 華琳ってやっぱり、袁家が苦手というか嫌いなんだなぁ……。

 ちらりと見てみれば、七乃は美羽と一緒になって燥いでいる。

 美羽もHIKIKOMORIから随分と成長してくれた。お兄さんは嬉しいよ。

 そんな生暖かい俺の視線に気づいたのか、美羽がこちらを見て「主様ー!」と手を振る。

 それに応えて手を振り返すと、華琳は呆れたように言った。

 

「まったく本当に。よくもまああの袁家の連中を落とせたものね」

「だから落としたとか言わないでくれったら」

「事実じゃない」

 

 次いで、七乃も手を振っていた。

 七乃が勝ったことに対し、麗羽も猪々子も斗詩も喜んでおり、俺に気づくと高笑いしたりイエーイとVサインしてみたり微笑んで手を振ってくれたり。……まあ、うん、Vサインは意外だった。

 

「はぁ……とにかく。落としたつもりはないって。友達になってくれって言ったんだ」

「その調子で既に何人落としたのよ」

「ええい落としてないというのに。それこそ“察しなさい”だろ。華琳が俺のことをどう思おうがそりゃあ勝手かもしれないけど、俺はやましい気持ちで手を伸ばしたりなんかしてないよ。そのことで何度も同じ質問されるのは、いくらなんでも心外だ」

 

 華琳には拾われた恩もあれば、好きになった弱みもある。役立つ内は使ってもらうつもりだし、支柱になることだって受け入れた。しかしながら、自分の決意や覚悟が空回りばかりしている気がしてならない。最近は特にだ。

 

「そう。ようするに見返りが欲しいのね、一刀は」

「ん……やっぱり、そうなるのかな」

「当然でしょう? むしろ今までが異常だったのよ。相手の笑顔のためだとか、そんな小さな見返りのためだけになんでもかんでも請け負うなんて、普通ではないわよ。むしろあなたはもっと我がままになってもいい───」

「華琳! 俺からのわがままだ! 俺のことを好きって言ってくれ!」

「………」

 

 しこたま怒られた。

 まあ、わかりきったことだったし、前に納得したことでもある。

 言ってみたのは気まぐれだ、本気じゃない。

 ただ、落としただのをまた蒸し返したので仕返しをしてみただけだ。

 仕返しになったかどうかは……どうでもいいな。言えればそれで。

 

「欲しい見返りなんて、“楽しい”時間が続いてくれればそれでいいよ。結局はそれが、人間が一番欲しがるものだろ」

「そう? 私は静かな時間が欲しいわ」

「静かなだけじゃつまらないだろ。俺は、どうせなら楽しいのがいいよ。死ぬ寸前まで笑っていたいって思う」

「贅沢ね」

「たった一度の人生じゃないか、自分が思いついて、自分に出来る程度の贅沢くらいはしてやらないと、自分の意思に黙って従ってくれる“身体”に悪い」

「その身体を、ほぼ毎日痛めつけているのは何処の誰よ」

「だから、従ってくれる身体に悪いって言ってるんじゃないか。いつだって文句言わずに従ってくれるのなんて、自分以外は居ないと思うんだ、俺。今は病欠中だけど」

 

 包帯ぐるぐる巻きの腕を見せる。

 と、それはそれとして勝負の続きはと。

 

「詰みだ」

「あれ……?」

 

 ちらりと上空の映像を見てみれば、丁度七乃が冥琳に負かされていたところだった。

 

「早い! そして上手いですっ! 考えるような仕草をしていたわりに、まるで流れるように自然なかたちで張勲選手敗北! 笑顔のまま固まっています!」

「え、えー……?」

「筋も策も悪くはない。が、相手の人物像に意識を向けすぎたな。“あの人ならばこうするだろう”などという考えは、相手の手が見える場では大した策にはならん」

 

 呆然とする七乃を前に、冥琳はそう言って立ち上がり、控えへ戻っていった。

 どう言い表せばいいものか。

 ……“強い”、しかないよな。

 最初は優勢であるように見せかけてとか、そんな意識が持ち上がる前に真っ向から潰された。武で言えば春蘭のような真っ向勝負なのに、しっかりと計算された動きがある。

 話しながらもちらちらと見ていた映像の中、冥琳は自分の駒を進める際、一切手を止めることはなかった。自分の番が来ればすぐに駒を進める。

 七乃もどっしり構えていたつもりでも、結構プレッシャーを感じていたんじゃないだろうか。気づけばあっさりと敗北。現在、七乃が美羽に泣きつくという貴重な光景が視線の先にあった。

 

「華琳は、誰が優勝すると思う?」

「さあ。予想は立てているけれど、言わないでおくわ」

「そっか」

 

 楽しげに、空中の盤面を見る華琳。

 冥琳が整えた流れをその目で見て、華琳はなにかを小さく呟いている。

 恐らく自分ならばどうしていたかを考えているのだろう。

 俺もそれに習って考えてみるのだが、どうにも自分が勝てるイメージが沸かない。

 たとえばあの時点であの駒を───と考えれば、もう今の盤面とはまるで違う世界が頭の中に浮かぶわけだが、次の手で追い詰められている自分ばかりが頭に浮かぶのだ。

 そこに天の知識なんて関係はなく、想像の中の自分はあっさりと敗北した。

 華琳はどうだろう。ちらりと隣の彼女を見ると、溜め息を吐いていた。負けたのだろう。

 

「地味だと思っていたけれど、案外悪くないものね……」

 

 結構悔しそうな顔をしながらもそんなことを言う。

 なんだかんだで策を練る戦などが好きな華琳だ。

 自分の目の前で展開される戦に、目を輝かせない筈が無い。

 ただ、まあ、相手同士が慎重になりすぎる戦では、随分と退屈そうにしていた。

 

……。

 

 詰みに詰み、とうとう決勝。

 朱里と雛里という、蜀同士の対決となった盤面は、もはや俺では理解できないものになっていた。

 “これはいったいどうすれば?”なんて訊いても、華琳は「黙りなさい」と言うだけで、まともな返事は期待するだけ無駄だった。

 

「………」

「………」

 

 盤上の流れを見る朱里と雛里の顔はひどく凛々しい。

 最初こそ手の動きは早かったが、やがて、ゆっくりと思考時間が長くなってゆく。

 だというのに、いつまで考えてるんだと言う人など誰もいない。

 賑やかだった大会会場が、まるで誰も居ないくらいに静かになっていた。

 

「………」

「……! ………」

 

 朱里が手を打つ。

 雛里は肩を震わせるが、深呼吸をしたのちに次の手を。

 一手一手で溜め息が走り、どうすれば勝てるのかもわからない者たちは、ただただその雰囲気に飲まれたままに息を吐く。

 緊張感が尋常じゃない。ええ、はい、その気持ちがわかる俺も、どうすれば勝てるのかなんてさっぱりわかりません。

 客観的に見れば流れなんてわかるもの、なんて思っていた時期が……俺にもありました。

 さっぱりわからない。

 あ、いや、ルールは覚えた。一応、覚えた。

 でも、どうすれば勝てるのかなんてまるでわからない。

 

「………」

「………!」

 

 一手の度に溜め息が出る。

 場を支配する~なんて言葉があるけど、これって緊張に支配されているってことだろうか。

 身体が強張りすぎて、肩が凝りそうだなんて暢気なことも言えない。

 言おうものなら隣の孟徳さんに睨まれるのだ。

 ともかく無言で応援する。どっちつかずの応援だろうと、応援する。

 緊張が場を支配する会場の中、思考時間はあれど次々と手は打たれ───やがて。

 

「…………はわっ……」

 

 朱里が声を漏らした。

 盤上では…………何が起こってるんだろうか。

 俺には理解できない状況の中、ただ朱里が不利になったことだけは、他でもない朱里自身の様子が教えてくれた。

 しかし最後まで諦めずに巻き返しに望むが、その一手一策ごと飲み込まれ、

 

「はわわ……負けちゃいました……」

 

 朱里の敗北宣言により、勝敗は決した。

 

「ぷはっ……は、はぁああ……!!」

 

 途端、マイクを通しての地和の吐息が聞こえた。

 次いで会場内の全ての人が溜め息を吐き、一番最初に持ち直した地和によって勝者宣言がなされる。

 

「知沸き脳踊る知将対決! 優勝者はなんと蜀のあわわ軍師! 鳳統選手に決定ぃい!!」

「あわわ……! あの、その、そんな……!」

 

 地和が雛里の手を取って立たせると、大きく腕を天へと突き上げさせる。

 お陰で雛里に視線が集中し、観客も一斉に雛里を褒めるもんだから、雛里はもう真っ赤になってあわあわ言うだけだ。

 ……かと思いきや、地和が解説に戻って手が離された途端、雛里は帽子を深く被りながら俺の傍に来て、何故か俺にしがみつくように観客の視線から逃れた。こう、幼い子供が人見知りをして、親の背後に隠れるように。

 

「おおう!? またか! またなのかー!? 武に続いて知でさえも、勝者が北郷一刀へと歩み寄る! ……ちょっと一刀! なんでこんなことになってるのよ!」

「俺が知るかぁあっ!!」

 

 言ってはみるものの、雛里は俺の服をぎぅううと握って離そうとはしない。

 なにか言おうかとも思ったんだが……優勝者に俺が言えることなんてないわけでして。

 

「あ、あぁえ、えぇっと……雛里? 雛里は……俺に何を望むのかな……?」

「あわっ……!?」

 

 いやいやいやいや! いやあの雛里さん!? なんでその質問でそんなに顔を赤く!?

 まままさかこの大衆の面前で艶本朗読なんてことはしませんよね!?

 ───いや、それはない、ないよな? あれは秘密にしてあることなんだから、なぁ?

 

「え? ああそうだったそうだった。優勝者には一刀にお願いできるんだった。それでは鳳統選手! 一刀に望むことをばばんと言っちゃってください! 奉先選手のように足の間にすっぽり納まって抱き締められて氣で包まれるもよし! 空いた時間に“でぇと”をするもよし! その際の邪魔は一切禁じられているので好きにしなさいよもう! あと一刀、やっぱり華雄と戦わない?」

「なんでだよ!」

 

 そんな思いついたついでみたいに戦わされたら、腕が何本折れても足りないだろ!

 心の中でツッコミつつも、俺は案外安心していた。

 なにせ雛里だ。

 きっと一緒に本を読んでくれとか、そういうことを───……

 

「……っ!」

 

 突然キッと軍師の顔になった彼女に……俺は、期待していたのだが。



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85:三国連合/伸ばした手の先にある支柱②

 コーン…………

 

「………」

 

 次の種目。

 駆けっこ大会が行われている間、俺は壁に寄りそうにぺたりと座っていた。

 アア、壁が……壁がツメタイ……。

 

「隊長? ……隊長ー? なぁ凪、どないしたん、あれ」

「…………いや、それがな」

「ていうか真桜ちゃん、今まで何処にいたの? 昨日から姿を見なかったけど」

「大将に命じられて、まあその、いろいろと裏方回りとかをそのー……って、うぅうウチのことはどうでもええやんっ、なっ? そそそれより隊長のことや、隊長の」

「ああ、実は……」

 

 仮のグラウンドとして提供されたのはやっぱり城壁の上だった。

 現在の優勝は蜀が2で魏呉ともに0。

 観客のみんなが城壁を駆ける将たちを見上げ、応援している。

 ここでも地和の妖術が役立ち、上空には駆ける将らを斜め上から見下ろす形での状況が映し出されている。いや、ほんと便利だな妖術。

 ……そんな状況下にあって、俺はただ呆然と壁の冷たさを感じていた。

 

「うえっ!? 蜀が優勝したら、魏との関係云々を忘れて蜀と付きおーてもらう!?」

「ああ。もちろん同盟の話じゃない。隊長自身が考えている、その、魏への操みたいなものを抜きにして付き合ってくれ、と」

「蜀の軍師さまはとんでもなく大胆なの……!」

「いや、沙和。あの大人しい軍師殿が、あんなことを言うなど……おかしいとは思わないか? あれはきっと、予め考えられていたことなのではと私は思うんだが……」

「えぇっ!? じゃあ蜀のみんなは隊長の子供欲しさに頑張ってるのー!?」

「あ、い、いや、かか必ずしも子供がというわけではなくてっ……!」

 

 三人の声が耳に届く。

 そう。

 俺は、蜀の優勝数が一番だった場合、蜀で、つまり、その、そういうことを受け入れながら、しばらく暮らすことになっている。

 きっちり優勝した上でのしっかりとした願いであるため、拒否権なんて存在しない。

 華琳もしっかり了承していたし、呉もむしろ「そっちがその気なら」って目を光らせていた。主に雪蓮が。

 

「おぉおお……隊長との子ぉが欲しいなんて、そんな、大将でもまだなことを狙ぉとるなんて、ええ度胸しとるやん……! ならつまりウチらが優勝すりゃええっちゅうわけやな?」

「その通りだ! 隊長との子供はなによりもまず魏に産まれるべきだ!」

「凪ちゃんとの子が?」

「ひぃぅっ!? ちちぃいいちちち違う! いやっ……欲しいとは思うがそそそその違う違うぅっ!!」

 

 ……このまま壁になれないだろうか。

 なれないね。

 なんかいつの間にか優勝国には御遣いの子種をなんて仰ってる者も居て、観客もなんかもう場のノリに飲まれて応援してるし、いや応援じゃなくて面白がって煽ってる感じだ。

 もはや俺が何を言っても聞いてくれない。

 神さま……俺は本当に馬鹿なんでしょうか。こうなるかもしれないことを想定して、もっと対策のようなものを打っておくべきだったのでは……。

 

「……ちゅーか……」

「ああ……」

「すごいの……」

 

 そんな思いとは別に、ちらりと視線を向けてみた城壁の上。

 そこでは物凄い速さで駆ける春蘭が居て、「わははははは!」と笑いながら紫色のバトンを季衣に渡していた。

 次いで走る季衣もまた加減知らずで最初から全速力。

 追って迫る焔耶を近寄らせようとせず、そのまま一周、流琉にバトンを。

 

「……みんなめっちゃ気合入っとるやん」

「あ、次は霞さまが……」

「わー、速いのー!」

 

 魏の気合が今までよりも格段に増していた。

 しかしそれは蜀も呉も変わらず、今回ばかりは呉に出て良しとされた思春も、風を引きちぎるくらいの速度で城壁を駆ける。

 

「行け!」

「はいっ!」

 

 バトンを託された明命が駆ける。

 それを鈴々が追い、抜いて抜かれてを繰り返す。

 ……賑やかなだけの駆けっこになるはずが、いつの間にやら恐ろしいまでに本気の戦いになっていた。

 

「えいやぁっ!」

「当たりません!」

 

 そしてこの駆けっこ、妨害が可能である。

 武器を持てばその分行動が遅くなるが、それでもいいのならという事情で、武器を持ち込んでも良しとなっている。

 武器はそれぞれの持ち武器だが、もちろんレプリカだ。

 武器が折れた者も居るので、その作成に真桜が駆り出されて、今まで苦労していたというのは言わないほうがいいだろう。

 

「“ばとん”を落とせばいいのだ!」

「そうはさせません! これだけは死守しますですっ!」

 

 妨害行為は、ようするに敵を足止めさせるかバトンを落とさせればいい。

 足止めといっても自分が止まっては意味がないので、やはり相手のバトンを手から叩き落すのが一番効果的だ。

 しかしながらバトンの破壊は認められていないため、攻撃をするにしてもどうしても加減が入る。なにせ破壊したらその時点で失格となるのだ。

 

「っ……待ってください! 先に魏を止めなければ、このままでは負けてしまいます!」

「にゃっ!? そういえばそうだったのだ!」

「気づいてなかったんですか!?」

 

 そして、まあこうなる。

 一番を潰して、次は互いを潰し合う。

 しかしそのためにはまず追いつかなければいけないので、全速力。

 追いつけば攻撃を開始し、その隙を突いて一人で駆け抜ける者も。

 

「あっ、こらっ! 待たんかいっ!」

「待たないのだ!」

 

 霞に追いついた鈴々が、攻撃を仕掛けると同時に前へ。

 明命もそうしようとしたが、霞が振るう得物をガードしたために一歩遅れる。

 そのあとはもう、三人とも脇目も振らずに全速力だ。

 

「ふわぁあ……すごいの……!」

「うぇえ……あんだけ走ってあんだけ攻撃して、息ひとつ乱しとらん……」

「さ、最後は私だ……! で、ででででは隊長! 我が魂にかけて、“あんかー”を努め、隊長をお守りしてきます!」

「や、凪? 守りたいっちゅーことは伝わるけど、なんか言葉的におかしない?」

「おかしくなどない!」

 

 凪が石段を登って城壁の上へ。

 待機し、バトンが渡されると一気に地を蹴り弾き、前へと駆けた。

 

「おお速い! 速いで凪ぃ!」

 

 凪は氣を弾かせて駆けているようだった。

 なるほど、あれなら早く走れる……けど、あんまり使うと疲れるのも早い。

 しかしそこは凪。

 氣の扱いには十分慣れていて、速度も十分に速く安定していた。

 後を追う翠やシャオに追いつくことを許さず───そのままゴールしてみせた。

 

「おぉっしゃ勝ったー! 凪のやつ勝ったで隊長ー!」

「これでひとつ優勝いただきなのー!」

 

 スパァーンと器用にハイタッチをする真桜と沙和。

 そして、忠犬のように俺のもとまで来て「隊長! 勝ちました!」と言う凪。

 ……俺はといえば、もう途中から壁を愛することはやめて、各国の走りに見入っていた。

 お陰で顔だけで振り向くのではなく、きちんと向かい合って、凪を迎えることが出来たわけだが……そんな笑顔が眩しく、自分のために走ってくれたのが嬉しくて、気づいた時には凪の頭を撫でていた。

 そう、そうだよな。魏が負けるって決まったわけじゃないんだし、それに俺だって覚悟を以って支柱を受け入れたんだ。

 こんなあからさまに嫌がってて、なにが覚悟だ。

 みんな頑張ってるんだ、その思いには報いらなきゃ嘘だ。覚悟も、今までのことも。

 

(……今度こそ。───覚悟、完了)

 

 魏に操を立てていた。

 けれど、蜀や呉のみんなに惹かれなかったと言われれば、きっとそんなことはない。

 現に亞莎相手に妙な独占欲みたいなものを持ってしまっていたし、それは他のみんなに対してもなんだろう。本当に、節操の無い男だと思う。

 万が一に魏が負ければ、いつか各国の王が華琳が覇王であることを認めたように、俺も認めて受け入れよう。その時は、子種だろうとなんだろうと…………いぃいいいやっ! そっちの話になると物凄い抵抗が!

 嫌いなわけじゃない! ないけど、やっぱり俺は魏が! みんなが!

 

「それでは引き続き、歌唱大会を始めまーす! ……あ、なお、歌とは言っても今回、ちぃたちに参加の権利は与えられてませんので」

「う、歌!? いきなり歌だと!?」

 

 ……頭をぶんぶんと振っていると、地和の言葉に蓮華が驚愕の声を漏らす。

 お祭りの準備中に噂くらいは聞いていただろうに、“まさか本当にやるとは”って声だった。

 ちなみに言うと、歌の練習を散々としていた美羽は、今大会中は呉の選手ということになっているので、七乃ともども敵だ。代わりに華雄は魏軍扱い。

 

「はい、いきなり歌でーす♪ 今大会の変則的な条件として、それぞれは今大会のために大した準備をすることを認められておりません! 内容はあくまで突発! それに対して各国がこの者こそがと思う者を出し、勝利することこそが目的! 力だけでは勝てません! さぁそれではさくさく行っちゃいましょー! 天下一品歌唱大会! 各国の皆様は歌う人を3人選んでくださいねー!」

 

 各国からざわりと動揺が漏れる。

 しかしすぐに意識を切り替えると、歌い手を選んで前に出す。

 魏からは春蘭、稟、沙和……って春蘭さん!? あなた歌得意でしたっけ!?

 え、えぇと……呉からは当然、美羽、七乃、シャオ。

 蜀からは蒲公英、朱里、雛里。

 

「……なんだろう、この敗北臭……」

 

 以前の宴の時にも春蘭の歌は聞いたが…………いや、あれはあれで迫力はあった。秋蘭に無理矢理歌わされたようなものだし酔っ払ってもいたが、迫力はあった。

 うん、あった。……歌唱力は別としても、迫力は。

 でもそれで優勝できるかどうかは………………考えないでおこう。

 大会規約として、“魏国への贔屓に似た行動は駄目です”と言われてるし。

 

(信じるんだ。何も出来ないならせめて信じる。勝手に信じて、勝手に結果を待とう)

 

 勝手に期待して落胆するのって、相手に失礼だもんな。

 たとえ負けても、悪いのはみんなじゃないのだから───!

 

……。

 

 コーン……

 

「隊長! 隊長ぉおおっ!!」

「うわー……完全に壁になってるの……」

「あっさり負けてもーたもんなぁ……」

 

 はい……歌唱大会は呉の圧勝で終わりました……。

 ほぼ蜀と呉の対決のようなものとなり、魏は……沙和が頑張ってくれたのだが、稟は華琳からの頑張りなさいって視線で何を妄想したのか噴血。春蘭もまた、期待されていると思って沙和との協力もなしに一人で全力熱唱。歌詞を間違えまくるわ熱が入りすぎて叫ぶだけになるわ、手がつけられなかった。

 その点、呉や蜀は“協力して歌うこと”に集中し、見事に前へ出ていった。

 美羽やシャオの歌に七乃が合わせて歌い、とても即興で作ったメンバーとは思えないくらいにバランスが取れていた。袁家と孫家ということで、またなにかやらかすんじゃないかなんて思ってしまっていたが、むしろ舞台の上の美羽やシャオは笑い合っていた。

 ……これが仲直りのきっかけになればいいんだが、なんて……少し期待してしまった。

 一方の蜀も、朱里と雛里に合わせて蒲公英が落ち着いて歌うという行動に出て、一応の安定を見せた……のだが。ここぞという時に朱里と雛里が噛んでしまって、合わせて歌ってた蒲公英も釣られて噛む、というとても珍しい状況が完成した。

 観客からのウケはとてもいいものだったが、審査員役としては減点となるわけで。

 結果が…………壁に張り付いた俺だった。

 

「カベガ……カベガキモチイイ……」

「もー! 隊長しっかりするのー!」

 

 沙和に襟首を掴まれ、ベリベリと壁から引き離される。

 いや、意識はしっかりしている、つもりだ。

 ただ冷たいものに触れて、頭を冷やしたかったのだ。

 そ、そう、大丈夫だ。

 支柱は、支柱はどこかを贔屓してはいけないものなんだ。

 もし、たとえ負けてもこれがきっかけできちんとした支柱になれるのなら、俺は───!

 

「あっ、一刀~♪」

「うわっと!? シャ、シャオッ? どうした?」

 

 沙和が掴む襟首も気にせず、俺に抱きついた小蓮さん。

 

「んふん? あのねー? 一刀にぃ、と~ってもいいお話があるんだよ?」

 

 そんな小蓮さんが、外見とは裏腹に妖艶な笑みをこぼす。

 ……ええ、はい。長い間この世界で生活をしてきたのならわかることです。この笑みはやばいことを言われる前兆と言えましょう。

 

「……キ、キキキ、キキタク、ナイデス」

 

 だから言った。嫌な予感に抱かれながらも、区切ってまできっちりと。

 

「えへへぇ、だーめ♪ 優勝権限で、呉も蜀と同じ条件出させてもらったの。どう? 嬉しいでしょー」

「…………」

 

 あっさりダメって言われて話された。

 そうだね。基本、僕の話なんて右から左ですもんね。

 氷結効果でもあったのか、俺の笑顔がびしりと引き攣り、固まった。

 

「今……なんと?」

「だからぁ、一刀にぃ、呉に子作りに来てもらうって言ったの」

「子作り限定!? 蜀でさえそこまでは言ってなかったのに!?」

 

 顔を赤くして、とろけるように言うシャオ。もちろん俺はそれどころじゃなかった。

 「シャオがよくても他のみんなが困るんじゃないか」と言い訳じみたことをつい言ってしまったのだが、それを逆手に取られた。「え~? みんなそれでいいって頷いてたよ?」……だそうだ。

 

「だっ……だめーっ! たいちょーは魏のものなのー!」

「そんなこと知らないも~ん。優勝者権限でなに言ってもいいって言われたからそう言っただけだもん。曹操だって納得してたんだから」

「うぐっ……大将ぉお……」

「……確かに、華琳さまは隊長を三国の父にすることに同意していたようだが……」

「誰かもよく知らない男との子供なんてぜ~ったい嫌っ! あなたたちだってそうでしょ? だったら一刀との子供がいいって思うの、当然じゃない。それにぃ~……んふん♪ シャオは一刀のお嫁さんなんだから」

『───』

 

 三羽烏のコメカミに青筋が浮かんだ。

 真桜がベリャアと俺からシャオを引き剥がし、沙和が俺をシャオから遠ざけ、その空いた空間に凪がズンと立ち塞がる。

 

「そちらが総合で優勝すれば。という話なら、我々とて負けられません」

「そうなのそうなのー! 隊長はぜぇ~ったい渡さないんだからー!」

「せや! むしろウチらが勝てば、ウチらも隊長の子ぉを……」

「ハッ!? ……わ、私が……隊長との子を……!」

 

 うおーいぃ、凪ー……? って、ちょっと待て?

 そういえば駆けっこで勝った時、魏側は俺になにを望んだんだ? 

 いろいろあって忘れてた。

 最後……アンカーを走ったのは凪だったよな。

 

「そういえば凪」

「は、はいっ! 不束者ですが!」

「いやいやそうじゃなくてね!? いや……駆けっこの時、一応勝っただろ? 魏側は俺になにを望んだのかなって」

 

 というか、なんで勝者の願いを俺が聞かないといけないのか……。

 べつに王たちでもいいんじゃないか……? いやむしろそうであるべきじゃ……?

 

「あ、は、はい! 勝者権限として隊長に望んだことは、その……」

「その?」

「わ、私たち魏との子を───!」

「───……」

 

 思考が停止した。

 ああ、なんだ……俺にはどのみち、逃げ場などなかったのか……。



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85:三国連合/伸ばした手の先にある支柱③

132/勇気をお出し……

 

 呆然としている間にどんどんと競技が進む。

 同点に追いついたと思えばやはり蜀が強敵で、かと思えば呉が追い上げ、魏が取り戻し、何故か俺は命令されまくり。

 え……えぇ!? なにこれ! 競技があればあるほど、俺の首が絞まっていく!

 つーかね! 華琳の視線が痛い! 睨むくらいなら競技が申請された時に断ろう!?

 無駄にこれだけ多くの競技を入れちゃって、そりゃあ観客大盛り上がりで、出し物してる店も儲かってるけどさ! 俺もう泣いてるよ! 泣きそうどころじゃないよ!

 

「よっし勝ったぁっ! それじゃあ一刀っ、華琳をくすぐりなさいっ!」

「ちょっと待て元呉王様! それもう願いっていうか人物指定できる王様ゲームだろ!」

「おうさまげーむ? なにそれ。言われなくても私王様よ? 元だけど」

「ともかく却下! むしろそんな願いのために頑張るなよ!」

「あははははっ、だって華琳に嫌われれば一刀も遠慮なく呉に来れるじゃない」

「おぉおおおおおお本当にこの能天気王様はぁああっ!! 却下だ却下!」

「じゃあ今すぐ蓮華と子作り」

『しませんっ!!』

 

 蓮華と俺の声がハモる。

 そして二人で詰め寄ってガミガミと説教し、ようやく願いを改めてもらうことに。

 ぶすっとした顔で俺を睨む雪蓮が、溜め息ひとつ吐いてから仰った。

 

「じゃあ魏に遠慮して、他の国への対応がよそよそしいのをなんとかして」

「はうぐっ!」

 

 改めてもらった先が何気に痛かった。

 が、頷いた。自覚があったからだ。

 

「……あのさ。俺にしか願いがこないの、なんとかならないのか……?」

「そのほうが面白いじゃない。それに、どれだけ懐が広いかも民が理解出来るし」

「え……そこまで考えてのことだったのか?」

「ううん? 今思いついただけ」

「………」

 

 もう、なにがあっても驚かないように心掛けよう。

 俺、もうこの大会だけで大人の階段十段くらい昇ったよ。ある意味強制的に。

 でもひとつだけ。一つだけ訊かせてもらおう。

 

「……世継ぎのことだけどさ。こんなカタチで決めちゃってよかったのか? あ、いや、呉の……雪蓮がどうこうしたいって気持ちは、呉に居た時に聞いたからわかってるつもりだ。自分が好きになる相手が出てくるのはどれくらい先かってことだったよな。でもさ、それでも───」

「ああ、いいのいいの。それならもう現れたから」

「現れた、って……好きな人!? 雪蓮にぃっ!?」

 

 驚かないように心掛けようって言ったな。……あれは嘘だ。

 

「あ、なによぅその驚き方。いくら一刀でも失礼よ?」

「ぃやっ……けど、さ。本当か? 雪蓮が好きになる相手って想像がつかないんだが」

 

 むしろ相手にご愁傷様って言ってやりたくなるような。

 仕事しないでサボって酒飲んで、気が向けば武器もってあははははと笑いながら暴走するような人が相手なのだ。その相手を務める人は、いったいどんな───……ハテ。なにやら雪蓮がすごい嬉しそうな顔で俺をにっこりと見ているのだが。

 

「? なにかついてるか?」

「ううん? 私の好きな人が居るなーって」

「………」

「………気づかれないようにゆっくりと身体を動かしても無意味よ?」

「後ろに誰か───!」

「居ない居ない」

「………」

「………」

「誰?」

「ちょ、ちょっとー! 理解が追いつかないからって人のこと忘れないでよ!」

「いやいやいや! だっておかしいだろ! 俺を好きになる要素が何処にあった!?」

「呉に来てた時にはもう気に入ってたし、私に勝ったし、一緒に居て楽だし、料理できるし……あとなにが聞きたい?」

「そのままさ、“と、言いたいところだけどやっぱり友達止まりね”って言ってくれ」

「それはだめ」

 

 だめだった。

 と、ここで今まで停止していた蓮華が動き出してくれた。

 

「ねっ……ねねね姉さま! かかかっかかかかずっ、かずっ……!? すっ……!?」

「うん、好き」

「なななぁああっ!? 子作りや家督のことは隠居して遊ぶ理由付けではなかったのですか!?」

「うわっ、そんなふうに思われてたの? そんなことしないわよ、私は国を愛してるんだから」

「酒の次にか」

「姉さま!?」

「ちょ、一刀! ヘンなこと言わないでよ! 蓮華ってば冗談通じないんだから!」

「俺も今日の出来事が冗談だったらって何度思ったか……命令ばっかりしてるお前らにわかるか……? もう心が折れそうだよ俺……命令に反してダークマター食べさせられて、華佗を困らせた回数を覚えてるか……?」

「あ、や、えっと……」

「規約にあんなの追加したの、誰だったっけ……? で、孫伯符さまは、この御遣いめになにを、いったいなにを言わないでと……? 命令に逆らうことを許されぬこの北郷めに、いったいなにを……?」

「こ、怖い怖い! 一刀怖い! 私が悪かったから! ね!? その顔やめて!?」

「悪かったからって言われて今さら規約がひっくり返るかぁああっ!! ええいもうそこに座れこのばか王様!!」

「あーっ! またばかって言ったーっ!」

「言ったがどうしたぁああっ!! 昨日と今日だけでどれだけ人が吐血しそうになったと思ってんだぁっ!! 胃に穴が空くわ! もう、もう限界だ! 俺は今こそ美羽にだけ落としてしまった“怒り”を振るうぞ!」

 

 そう叫んだ。

 すると、雪蓮がまるで霞のように耳をぴょこりと生やすかのように目を輝かせ、俺の目を見ながら反応する。

 

「え? 怒りを振るうって、また戦うってこと?」

「ああ……次の最終種目で勝負だ! 雪蓮!」

「勝負! うんやるやる! で、蓮華? 最終種目ってなに?」

「姉さま……それくらい覚えていてください。規約には要らぬことばかり付け足すくせに、何故そういうところには───」

「あーもーはいはいわかったわよぅ。冥琳~? めーりーん、次の種目ってなにー?」

「……一刀。ここは王として、姉といえど殴るべきだろうか」

「殴っていいだろ、もう……」

 

 物凄く疲れた顔でこちらへ歩いてくる冥琳を見て、俺と蓮華は盛大に溜め息を吐いた。

 敵はどうやら一人のようだった。

 

「北郷……説明してくれてもいいだろうに……」

「疲れてるところごめん、冥琳。“自分で調べる”って行為をこのご隠居さまに知ってもらいたかったんだけどさ。いきなり蓮華に訊き出して、断られたら躊躇なく冥琳だった。教える暇なんてなかったよ」

「………」

「あ、あははー……? めいり~ん? その顔、ちょっと怖いわよー……?」

「雪蓮」

「は、はいっ」

 

 ギラリと冥琳が睨むと、雪蓮が慌てて姿勢を正す。

 思わず俺と蓮華もそうしてしまうが、それほどの迫力があった。

 しかしながら、事細かにしっかりと話す冥琳はさすがというかなんというか。

 もちろん説教も混ざっていたのだが。

 

「借り物競争?」

「そうだ。天である“運動会”というものに大体存在するものらしい。走り、置いてある紙を開き、そこに書いてあるものを借りてくる。借りたものを持って終着点に辿り着かなければ、たとえ一番に辿り着いても失格。ああ、安心しろ。さすがに“これは無いだろう”というものを紙に書いたりはしていない」

「ふ~ん……結局最後は体力勝負になるわけね」

「そうでもないさ。これは少々複雑でな。それというのもどこぞの御遣い殿が、数ある競争方法を書き(つづ)った札の中に、様々を混ぜたものを入れてくれてな。武道会と象棋は決まっていたが、これまであったものは全て札を引いて決定したものだったわけだが───」

「げっ……じゃあまさか……あれが?」

「ああそうだ。そら、今から張宝が説明をしてくれるようだぞ」

 

 促され、ちらりと見た位置。

 既に舞台側に戻ってきていることもあり、その舞台の中心で司会を続ける地和は、結構疲れ気味だ。しかし一目でそうとわからないように振る舞う気力は実に歌人然としていて、見事だった。

 

「さーあ泣いても笑っても最終戦! 現在各国が3点ということで、これで勝敗が決まります! ていうか今日だけでどんだけ頑張ってんのよみんな! そしてこれまで声を嗄らさずに司会をした地和ちゃんに惜しみない拍手を!」

『ハワァアアアアァァァァァーッ!!』

 

 拍手が送られる。

 もちろん俺も全力で拍手した。だってずっと一人で司会進行だもんな、そりゃ疲れる。

 

「ありがとー! ありがとー! ていうかね、天和姉さんも人和も、ちょっとは手伝ってくれてもいいと思うのよね。まあちぃが目立てたからいいけどっ!」

『地和ちゃん最高ーっ!!』

「おーっ!! というわけで最終種目! 借り物競争の説明を始めたいと思いまーす!」

『ほわぁあーっ!! ほわっ! ほわぁああーっ!!』

 

 声を上げれば上機嫌になって、ノリに乗る地和。

 なればこそ俺も声を張り上げて、地和の司会を応援した。

 

「えー、まず! この競争は体力と知力と運を競うものとなります! 初めに誰に駆けてもらうかを決めて、その人は紙が置かれた場所までを駆けてもらいます! 置かれた、といっても紙は何枚も積まれていて、その中から一枚を引いてもらいます!」

 

 「引いたらどうなるんだ?」と華雄。

 

「引くと、その紙の裏に軍師の名前が書いてありますので、書いてある通りの軍師を連れてきてください! いいですかー!? “連れてくる”んですよー!? その人を呼んで、来てもらってはいけません! そして一緒に走るか抱えてでもいいので、次の関門まで駆けてもらいます! 関門では問題を出してくれる人が居るので、連れて来た人に答えてもらってください! いいですかー!? 連れてきた人だけが答える権利を持っているので、気をつけてくださいねー!? えぇと、なんだっけ。あ、そうだ。えー、正解だと借りてくるものを教えてくれるので、誰からでもいいのでそれを借りてきてください! なお、正解した時点で問題に答えてくれた人は連れていかなくても平気です!」

 

 ざわりと観客のみんなや将がどよめく。

 ……自分で出しておいてなんだけど、厄介なものが選ばれたもんだ。

 

「確認したい場合はこれを見てくださいねー。よいしょー!」

 

 わかり易く文字に書き出したものを、地和が妖術で空中に映し出すと、この場に居る全員が空を見上げた。

 

 壱:紙がある場所まで走る なお、妨害はいつでも大いに結構

 

 弐:書かれている名前の軍師を連れてくる 書かれていない人物を連れてきても解答許可は出ない

 

 参:そのまま次の紙へ 書いてある問題を軍師に解いてもらう

 

 肆:解くと持ってくるものが書かれた紙が貰えるので、借りて持ってくる

 

 伍:その際、各国にて持ってくるものの条件が一致している場合は敵から奪っても良しとする

 

 陸:借りたらそのまま最終地点へ 連れてくる軍師と借りるものが合っていれば終了

 

 ……とのこと。

 とのこともなにも、俺が考えたルールそのままだった。

 うあー……なんでアレ採用しちゃうかな。

 

「へぇー、面白そうじゃない」

「ちなみに、出される問題に軍師が答えられない場合、別の問題を願うことも可能だ。ただしその場合、二秒待ってからの出題になる」

「二秒……なるほど、たったそれだけでも物凄い差になるわね」

「……それだけだったらよかったんだけどな」

「どういうこと?」

「やってみりゃわかるよー……」

 

 悪夢だ……誰だこれ採用したの……。

 発覚したらデコピンの一発でも決めてくれる……!

 

「ちなみにこの最終種目を考えたのは我らが種馬! 北郷一刀ー!」

「わざわざ言うなぁーっ!! 言わなくていいだろ! 言わなくていいよなそれ!!」

 

 みんな俺のこと嫌い!? 俺のこと追い詰めてそんなに楽しいのか!

 ええいこれも全部提案した俺と採用したヤツが悪いんだ!

 おのれ採用した何者かめ……! 桂花か!? いやむしろ雪蓮あたりか!?

 この北郷の中指が、親指から弾かれる瞬間を今か今かと疼いておるわ……!!

 

「そして採用したのは我らが魏王! 曹孟徳さまだーっ!!」

「すんませんっしたァアーッ!!」

「なっ!? ……な、なにをいきなり謝っているのよ……!」

 

 華琳が採用者だと発覚した途端、俺は華琳へ向けて全力で頭を下げていた。

 当然、突然謝られて困惑する華琳さん。

 いえ、是非とも気にしないでください。

 主にデコピン!? 無理でしょう! そんな空気にでもならなきゃ無理だ!

 俺の中指が親指を閊えに弾き出され、曹孟徳の額をディシィと弾いたとします。

 はい、即座に俺の体から魂が弾き出されますね。主に春蘭の手で。

 

(フフ……支柱……支柱ね……)

 

 遠くの空を見つめた。

 ……どんな種類かはわからない鳥が飛んでいた。

 

……。

 

 支柱ってなにを支えればいいんだろう。

 そんなことを考えてみたが、よーするにバランスってことでいいんだと思う。

 結論づければ納得は早く、俺は華琳と雪蓮の前で───

 

「願いを叶えるばっかりじゃなくて、俺が願いを手に入れてもいいと思うんだ!」

『却下』

「ちくしょうめぇえええ!!」

 

 ───心が折れかけていた。

 

「そんな一斉に言うことないだろ!? 大体なんで俺ばっかり優勝者の言うこと聞かなきゃならないんだ! 俺の自由意志は!? 祭りだからで済ませられる範疇越えてるだろどう考えても!!」

「じゃあ一刀はなにを願いたいのよ。あ、呉に来たい~っていうのなら大歓迎よ?」

「な、なにってそりゃ……」

「? なによ」

 

 華琳をちらりと見ると、きょとんとした顔で見られた。

 神様……俺って鈍感とか言われたりするけど、華琳ほどじゃないよね……?

 

「じゃあもうこの際だから肉体関係一切無しとか!」

「あなたね、これまでやってきたことや同盟の意味を壊したいの?」

「しっ……子孫残すだけが同盟じゃないだろ! 覚悟決めようって思ってたけどやっぱりいろいろまずいだろ! まずいよな!? だって俺、魏のみんなに、華琳に会いたくて戻ってきたのに!」

「かーずーとっ♪」

「えぁっ……!? な、なんだ?」

 

 にっこり笑いながら雪蓮が俺の脇腹を突いた。

 痛くすぐったくてすぐに振り向くと、

 

「くどい」

「いや……それもう、ある意味で俺のセリフなんだが……」

 

 俺が言いたいことを言ってくれたけど無駄に終わった。

 俺が言ったって聞いてくれないんだもの。

 

「はっきりしないわねー。いったいなにがそんなに気に入らないのよ一刀は。抱いてもいいわよーって言ってるんだから、がばーっといっちゃえばいいじゃない」

「……一年恋焦がれて、戻ってきたら、恋焦がれた相手に正真正銘の種馬になりなさいって言われてみろよぅ」

「華琳。あなたが悪いわ」

「散々煽っておいて、よくもまあ人の肩を気安く叩いて真顔で言えるわね」

「まあまあ、冗談だから。……一刀、こればっかりは頷いてもらわなきゃ困るわ。同盟の楔として利用しているって言っちゃえばそれまでだし、そういった意味ももちろん存在してる。その場合、正直に言っちゃうと一刀の意思はどうでもいいのよ」

「いや、うん。そりゃわかってる。“そういう時代”のことを知らないわけじゃないし」

 

 同盟の絆を深くするため、家族を同盟国へ嫁がせるなんてよく聞く話だった。

 それが今回は俺だった。それだけの話。

 それだけの話なんだが、それで納得しろと言われると、恋する男はハイそーですかって納得できるわけではないわけで。

 俺だって、自分がこんなに“惚れたら一直線野郎”だとは思ってなかったよ。

 でも、フランチェスカで“凛々しくなった”とかなんとかで声をかけられても、そういう気持ちが全然動かなかったんだ。この世界に帰ることばっかりで、余裕がなかったって言えばそこまでかもだけどさ。

 

「わかってるなら、なんで嫌がるのよ」

「いや……そりゃ……その」

 

 俺ばっかり好きみたいで嫌だなーとか、…………いや、そういうんじゃなくて。

 魏に操を立ててるのは本当だ。

 魏以外の誰かとは嫌だって思ってる。

 でもそれが誰かの笑顔に、幸せに繋がるなら?

 俺が頷くだけで、支柱が磐石なものになってくれるとするのならば……?

 呉や蜀のみんなのことが本当に嫌いだっていうなら別だ。

 抱きたくもないし、そういう付き合いはしたくないっていうなら自分がどうなったって断るべきだろうけど、それはせっかく手に入れた華琳の天下を壊すことにしかならない。

 そんなのは、俺はごめんだから……そだな、悩むのはこれが本当に最後だ。

 最後だから、全力で暴れよう。いろいろな鬱憤や、これからのことを受け入れるために。

 そりゃさ、一発で決められれば潔し! ってなるんだろうけどさ。好きな人達にこうまで振り回されてみなさいよ、納得できないことの一つや二つ、出てくるってもんですよ?

 少しくらい抵抗したくなるじゃないか。

 だから……これで最後。たぶん最後。思いっきり暴れて、それで受け入れよう。

 

「……華琳。出す選手決めてくれ。俺は単独で出るから」

「単独? ───……そう、魏としては出ないということね?」

 

 言ってみれば、華琳はあっさり納得したようだった。

 人の恋心は受け取ってくれないくせに、随分だ。というかわかっててやってるよな、絶対。

 

「ああ。御遣いとして出る。負けたらなんだろうと頷くさ。で、俺が勝ったら───」

「ええ、いいわよ。どんな願いだろうと叶えてあげようじゃない」

「あはっ、それって三国連合対天ってこと? いいわね、面白そうじゃない」

 

 俺の願いは決まってる。

 ただ、“国へ返す”こと。

 俺が走ることは無意味だろうが、なにもしないで受け入れるのなんて嫌だから。

 

(勝ったら自分の意思で。負けたら覚悟とともに受け入れよう)

 

 たとえ生涯をこの地で過ごすことになろうとも、今の自分を胸張って誇れるように。

 節操無しだと言われようが、同盟を崩してまで逃げ出すよりはよっぽどいい。

 

「よし! 負けないからな、華琳!」

「ええ、望むところよ」

「ちょっとちょっと、一刀は私と戦うって言ったんでしょー?」

「呉は雪蓮が走るのか? だったら望むところだけど」

「むっ……軍師、連れてくるのよね? 抱えたり引っ張ったりして」

「ああ」

「……大人しく祭に任せようかしら」

「よ~く考えて出した方がいいぞー。……ていうか、あれ? 桃香は?」

「綿菓子を取りに行ったわよ」

「…………満喫してるようでなによりだよ」

「ええそうね」

 

 くすくすと笑う。

 そうだよな、満喫しないと損だ。

 この身はこの大地に捧げよう。

 残してきたものなんてたくさんあるが、それにも劣らない人生を、この空の下で手に入れよう。

 



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85:三国連合/伸ばした手の先にある支柱④

 夕刻が来る。

 陽が沈もうとする中、三国から出された三人とともに、俺は城壁の上へと立った。

 また華佗の鍼のお世話になることになったが、お陰で腕も痛くない。

 

「ふっはっはっはっは! 北郷! 貴様、愚かにも魏に挑戦するらしいな!」

「魏は春蘭か。確かに、速そうだ」

「貴様ともなんだかんだと長い付き合いだが……本気でやるのは幾度目か」

「呉は思春か。よろしく。ほんと、なんだかんだで長いよな」

「はっはっは、いやいや、人の関係というのは付き合いの長さだけでは決まらんものですぞ」

「蜀は星か。……まあ、付き合いっていうかメンマだったもんな」

 

 魏は春蘭、呉は思春、蜀は星、天は俺。

 その四人が並び、合図を待つ。

 右隣の思春が前を見たままに呟いた。

 

「笑っているが、余裕でもあるのか?」

「いや、勝てればいいなって、そのくらい。でも、本気だ」

「勝つ、ではなく勝てればいいなを本気でか。つくづく志の低い男だ」

「いいんだよ。間違ったら止めてくれる人がいっぱいいる。なら、間違ってでも躓いてでも、助け合いながら“いい支柱”を目指すよ」

「…………そうか。ここで言うのもなんだが───」

「うん?」

 

 フッと思春が笑う。

 それとほぼ同時に、端に立つ地和がスタートの合図のために手を振り上げて───

 

「嫌だ嫌だと逃げ回っていた頃より、いい顔をするようになったな。その顔は、嫌いではない」

「───へ?」

 

 戸惑いが生まれた瞬間、地和の手が下げられた。

 それと同時に俺以外のみんなが駆け、俺も慌ててあとを追う。

 

「え、やっ───し、思春っ! お前っ!」

「フン、ここぞという時に集中出来ん癖は直っていない。やはり貴様は半人前だ」

「おっ……お前なぁああっ!!」

 

 慌てて追うが、スタートダッシュで完全に出遅れた。

 妨害はいつでも大いに結構って書いたのは俺だけど、まさか自分が引っかかるとは……!

 や、でもまさか思春があんなこと言うなんて思わないだろ!?

 ……あれ!? ていうか呉なのに雪蓮が出てこないってどういうことですか!?

 勝負って聞いた時はうきうき笑顔をしてたくせに、ええいくそ!

 

「思春! 雪蓮はどうしたんだよ!」

「……走ると胸が揺れて痛いからやめる、だそうだ」

「………」

 

 思春と一緒に重苦しい溜め息を吐きながらも駆けた。

 先頭は春蘭、次に星で、思春、俺の順位で駆けている。

 さすがに春蘭は速いな……。

 とか言っているうちに最初の関門、紙が置かれた場所へと辿り着く。

 春蘭は既に紙を開いており、首を傾げている。

 すぐに俺達も追いつき、紙を開くやすぐに駆けた。

 しかし戸惑う春蘭が紙を開いたまま、俺の背中に声を投げる。

 

「あっ、おい待て北郷! なぜこの紙に他国の軍師の名前が書いてある!」

「“軍師を連れてくる”って書いてあったろ!? そういうことだ!」

「───な、ななななにぃいいっ!!?」

 

 そう。

 この借り物競争、連れてくる軍師は必ずしも“自国の軍師”ではない。

 俺は躊躇無く城壁の上から飛び降りると、上空の映像を見ていたみんなのもとへ。

 途中で壁を蹴って横に跳ぶと、落下の衝撃を足に籠めた氣で吸収、解放。ようするに化勁で殺す。

 蜀で美以と山を駆けずり回った時に、なんとなく得たものだ。

 地面に着地すると紙に書かれた軍師───詠の手を引いて、走り出す。

 

「え、ちょ、なにっ!?」

「はい紙! 書かれてるのが詠だったから協力頼む!」

「えぇっ!? ちょっと! 自国の軍師じゃないの!?」

「軍師からの妨害もありだけど、どうする!? 走りたくなきゃ抵抗してもいいし、答えたくなきゃ答えなくてもいいぞー!」

「~~~……こ、答えるに決まってるでしょ!? 問題出されて答えないなんて、軍師として恥よ!」

「よし!」

 

 了解が得られればこっちのもの。

 俺は詠をぐいっと引っ張るとお姫様抱っこをして、氣を籠めた足で地面を蹴り弾く。

 

「急になにすんのよ! このばかち───ば、ばか!」

「あとでいくらでも謝るから今は勘弁してくれ! この戦い、意地でも勝ちたい!」

 

 見れば、怯える亞莎を強奪せんと襲い掛かる春蘭と、それを守る明命の姿が。

 思春は早々にねねを掻っ攫い、壁を蹴ってそのまま城壁を登っ───てぇええ!?

 どこまで器用なんだよ思春さん! やばいまずい! これは予想外だ!

 あ、あー……でも、ねねだしなぁ。

 

「って、星は───」

「はっはっは、すぐ横だ、北郷殿」

「ってうぉおあっ!?」

「やあ~」

 

 声がして横を見てみれば、小脇に風を抱えている星が。

 風は風で、のんきに「やあ~」なんて言って軽く手を上げている。眼は糸目だ。

 

「よく無傷で掻っ攫えたな……」

「いやなに。軍から離れ、隅で猫と戯れておったのでな。こうして攫わせてもらった」

「……風……」

「いえいえ、隠れていたつもりだったんですがねー……そこへ猫がぴょこんと現れまして、にゃうにゃうと言うので話しておりましたらこう、後ろから攫われてしまいましてー……」

 

 言っている間に階段を上り、問題を出してくれる兵の前へ。

 既に思春がねねとともに問題を出されているようだが───

 

「貴様……答えない気か」

「ふふーん、ねねがそう簡単に答えると思ったら大間違いなのです」

 

 予想通り、ねねがごねていた。

 

「では問題です。軍師だけが考え、答えてください。走者が喋ることは禁止されています」

「いいから早く問題を言いなさいよ」

「は、はい、では。───野菜市場に売っている“肉”とはなんでしょう」

「え?」

(───エ?)

 

 …………問題って……なぞなぞ!?

 野菜市場に売ってる肉って、あれだよな……“にんにく”。

 少し前に天和と人和が“天の、遊びに向いた問題を教えて”とか言ってきたけど、これのためか!? そりゃ確かに同じ問題を教えたけどさ!

 

「や、野菜市場に…………肉……!?」

 

 あぁああ詠が、詠が悩み始めた!

 なぞなぞに対する基本知識がないから、そのままの意味で考え始めてるよ絶対に!

 

「鳥が何かを食べる時に使う箸とはなんでしょう」

「くちばしですねー」

「正解です」

「早っ!?」

 

 そして俺の隣で、出された問題を即答で解く風の姿が!

 くぅ、思えば風と星は最初に出会った頃から仲が良さそうだったっけ……!

 「ではお先に失礼する」と言って走ってゆく星を見て、心の底に焦りが生まれた。

 

「つ、次の問題を要求するわ!」

「では二秒お待ちください」

「くぅう……」

 

 とうとう詠は次の問題を要求。

 風の解き方で要領はわかったと思うから、次で一気に解くつもりなのだろう。

 

「二秒です。二つ連ねて書くと恥ずかしいものとはなんでしょう」

「恥ずっ……!?」

 

 あ。赤くなった───って、何を想像した!?

 おかしな方向で軍師さまの思考回路が高速回転してらっしゃる!?

 あ、いや、大丈夫、大丈夫だ。一生懸命深呼吸して落ち着かせてる。

 

「二つ書く……重要なのはここよね。書く…………絵、じゃないわよね。さっきの“くちばし”みたいに単純に考えればいいんだ。書く……字、文字…………文字、文字……あ」

 

 ! 気づいた! でも物凄い脱力感だ!

 

「……答えは“文字”ね? 二つ書くと“もじもじ”になる……はぁ」

「正解です」

「で、その前のは“にんにく”……」

「せ、正解です」

「誰よこんなくだらない問題考えたの!」

「痛っ! ~っ……誰だとか言いながら人の弁慶蹴るなよ……!」

 

 足に痛みを感じつつも、兵から渡された紙を手にし、開く。

 そこには───

 

  FU・N・DO・SHI

 

「これを書いたのは誰だぁああああああっ!!!」

 

 もちろん普通にふんどしと書いてあっただけだが、ああぁあもうどうしてくれようか!

 ふんどし!? よりにもよってふんどし!?

 こんなもん誰が持ってるっていうんだよ!

 と、城壁から下方を見下ろしてみれば、大勢いらっしゃるみなさま。

 

  こ、この中にふんどしの予備を持ってらっしゃる方はいらっしゃいますかー?

 

 ……言えるかぁああああっ!!

 隣で紙を覗いてきた詠が、何も言えないって顔でこっち見てるよ! 泣けるよもう!

 

「───! い、いや! 諦めるのはまだ早い!」

 

 詠にありがとうを言うと再び駆ける。

 それと同時に、脅迫されたねねが問題を解き、紙を貰った思春も駆けた。

 

「ちぃっ───悪いが妨害させてもらうぞ!」

「ホォワッ!?」

 

 目の前に鋭い蹴りが突き出された。

 慌てて止まったが、思春はそのまま姿勢を正すと駆けてゆく。

 

「負けられるか! とにかく明命を───アレ?」

 

 明命に頼もうと思ったが、そういえば思春もそのー…………ねぇ?

 

「……妨害ありならそれも良し!!」

 

 こうなったら思春を掻っ攫ってそのままゴールだ! ……全力で抵抗されるイメージしか浮かばないな。最悪、事故ということで始末されかねない気が……ああもうやっぱり明命だ!

 ふんどしと書かれてるからって、ふんどしだけを持っていかなきゃいけないわけじゃないんだから、装着している人を連れていけばなんとかなるはず!

 

「えーっと明命は───居た! 春蘭と戦って───ってまだやってたの!?」

 

 とにかく一秒でも惜しい!

 再び飛び降りると明命を後ろから掻き抱き、そのままの勢いでダッシュ!

 自分を抱き締めたのが俺だと知るや、言葉とは思えない謎の悲鳴を上げられたが、それでも無視して今は走る! ……その後ろで亞莎の悲鳴が聞こえたが、今はごめん!

 

「あぅあああっ……!? かかかっかか一刀様っ!?」

「今はなにも言わずに頼む!」

「あ……は、はいぃ……」

 

 駆ける。

 思春のように壁を蹴って登る……のはさすがに無理だから、中庭に入って石段を登ってゴールを目指す。

 その際、星と思春と出くわし、二人の妨害攻撃に巻き込まれることに。

 

「ほう、北郷殿は人物が借り物か……」

「そういう星は…………弓? 思春はリボン……か?」

 

 なんか……差がないか……?

 というか、これ明命連れていったら物凄く恥ずかしい思いをさせることになるんじゃ?

 ……い、否! ここは鬼なるのだ北郷一刀!

 負けられない戦いがある……! それが今なんだ!

 

「っ───突っ切る!!」

「ぬっ!?」

「いい判断だが、させぬっ!」

 

 地面を蹴って前へと出るが、そこを思春に妨害され、隙を突いて駆け出す星をこれまた思春が妨害。そうやって互いが互いの行動を殺し合っているうちに、そこに春蘭が加わり───

 

「もう借りてきたのか!?」

「まだだ! だが借りにいくまでもない! これを見ろ!」

 

 どうだーとばかりに突き出される紙。

 そこには“御遣い殿の服”と書いてあって───ホウワーッ!?

 

「なんで!? どうして俺の服!?」

「知らん。大方貴様が参加するはずもないと思ったやつが書いて、混ざっていたんだろう」

「───……」

 

 ああ、今俺、血の気が引いてる音を聞いてる。

 目の前の春蘭さんがベキゴキと指を鳴らして「さあ……脱げ!」とか仰って───

 

「うゎわいやちょっ待て待て待てぇえっ! 乱暴に引っ張るなって! これ間違い無く一張羅で、破れたりでもしたら替えがっ───」

「そんなものは知らん!」

「いやぁああーっ!!」

 

 無理矢理脱がされてゆく! 抵抗虚しく強引に!

 

「そうはさせません!」

「ぬぐっ!?」

 

 しかし俺の悲鳴を聞くや、明命が春蘭の腕に手刀を落とし、瞬間的に握力を奪う。

 その隙になんとか春蘭の魔の手から距離を置くことに成功すると、俺は脇目も振らずに逃走を選んだ。

 

「貴様ぁあ! 誇りある魏の者が背を向け走るとは!」

「走った先に勝利があるんだから、走るのは当たり前だろ!?」

「そんなことは知らん!」

「ああもうほんと無茶苦茶だなぁ!!」

 

 当然追いかけてくる春蘭。

 俺の足じゃどれだけ走っても春蘭には勝てない───ならばどうする?

 もちろんこうする!

 上着を脱いで、中庭方面へ投げることで時間稼ぎを!

 

「───ってなんでついてきてるの!? 服! ほら服! 中庭に落ちたぞ!?」

「? なにを言っている? 服ならばお前がまだ着ているだろう」

「───」

 

 血の気が再び引いた! そして読みが甘くて浅くてどうしようもなかった!

 しかもゴールまであと一歩というところで春蘭に捕まって、無理矢理服を───って、だからどうして強引に引っ張るぅうう!!

 

「いや脱ぐ! 脱ぐから八つ裂きにせんばかりの力で別方向に引っ張るのやめよう!? そしてさせるかぁっ!!」

『!?』

 

 俺が春蘭に捕まっている間に、横を通り抜けようとした思春と星の足をキャッチ!

 目の前のゴールに意識を奪われていたのか、ものの見事にびったーんと顔面から石床に激突する二人。

 …………あ、あのー、自分でやっておいてなんですが、……だいじょぶかー……?

 

「っ……ぐ、ぐぐぐ……~っ……貴様……北郷ぉおお……!!」

「ぐ、く……! よもやここで不意打ちとは……! 勝利を前にすることで、どうしようもなく生まれる隙を突くとは……なかなかどうして、やってくれますな……!」

 

 二人して鼻を押さえながら、涙目でこちらを睨んでくる。

 そして俺は春蘭に襲われて涙目だった。

 だが、救う神は居た。

 

「一刀様! ここは私に任せて先へ!」

 

 明命だ。

 彼女が再び春蘭の相手を請け負うために立ち、春蘭の両腕を掴み、盾となってくれた。

 ……つーかあの!? それは嬉しいけど、俺の借り物ってそのー……!

 

(……後ろから脱がして走れと? ───死ぬだろ!)

 

 無理! でもこの状況で明命を連れて走っても春蘭にあっさり捕まるし、───あれ?

 

「………」

「庶人暮らしで鈍っているかと思えば、なかなかやる!」

「当然だ! 庶人になろうとも鍛錬を欠かしたことはない!」

 

 視線をずらせば、俺のことなどそっちのけで戦う思春と星。

 そして、戦いのさなかにちらりと見えるFUNDOSHI。

 

「…………ああっ!」

 

 ポムと掌に拳を落とした。

 迷わず駆け、星と戦っている思春を抱き締めると、即座に小脇へ抱える。お姫様抱っこだと攻撃される可能性が高すぎるからだ。

 それを見るや星も駆け、後ろからは明命を強引に捻じ伏せた春蘭が、恐ろしい速度で走ってきて、って速ァアアーッ!?

 

「ええい面倒だ! 貴様ごと来い!!」

「うわバッ───そんな強引に前に出たらっ───!」

 

 吐き出された言葉とともに、俺は春蘭に捕まった。

 俺達はそのままの勢いで雪崩れ込むようにゴールへ到達し───……戦いは、終わった。

 

……。

 

 祭りが終わった。

 終始騒ぎ続けた会場も今では静まり、俺は城壁の手すり(?)に座り、城下を眺めながらたそがれていた。

 みんなで騒ぎ、笑いながらの撤収作業も無事終了。

 あとは寝るだけな筈の、とっぷりと暗い夜の空の下。

 出る溜め息は何を思ってのものなのか、自然に吐き出されたから自分にも解らなかった。

 

「随分と暗いわね」

「ん? ……華琳か」

 

 かけられた声に振り向けば、そこには華琳。

 どこか呆れた顔をしているようだが、それに笑顔を返す元気もない。

 

「なにをそんなに辛気臭い顔をしているのかしら?」

 

 華琳が俺が座る横の手すり(?)に肘をつき、俺を見上げながらニヤリと笑う。

 ほんと、わかってて言ってるから性質が悪い。

 

「……華琳も座ったらどうだ?」

「いいわよ。そうしたら、失言をしたあなたを突き落せないじゃない」

「しないからやめよう!?」

 

 また、くすくすと笑う。

 それがまた、随分と楽しそうに見えた。

 

「あなたが今考えているのは、結果のことでしょう?」

「ああ。結局同着だったあの結果のこと」

 

 ……そう。最終種目の借り物競争は、同着で終わった。

 散々と騒いでみたが、引き分けというカタチで治まった今回の勝負。

 みんなはそれぞれ笑顔だったが、俺は……中途半端ってカタチで終わったために、覚悟をどこに向ければいいのか解らなくなっていた。

 

「悩むのは最後だって決めたのになぁ……まさか決着が引き分けだなんて」

 

 さすがに引き分けた時の条件は固めてなかった。

 それを考えるとさすがに笑ってばっかりではいられない。

 なにせ引き分けた三国からは、平等に扱うことをお願いされてしまったのだ。

 ……その、もちろん世継ぎのことも。

 じゃあ俺のお願いは? という話にもなったんだが───うん。

 

「何をそんなに悩んでいるかは知らないけれどね、一刀。勝ちもしたし負けもしたなら、やることなんて一つでしょう?」

「……まあ、そうするしかないんだろうけどさ。いいのかな」

「どちらか一方しか選べないなら支柱になどなれないわよ。そういう貴方だから、私は良しと頷いたのだけれど?」

「………」

「………」

 

 二人で眺める。天下に辿り着いた者の町を。

 夜の膜に遮られて、遠くまでは見えない大きな町。

 人一人で背負うことなど到底無理だと思う自分と、彼女ならばそれが出来ると頷ける自分。そう考えてみると、人の考え方になんていつだって勝ち負けが存在するのだろうって思えた。

 こっちがいい、いいやあっちだ、なんて考えをしながら、自分や他にとっての最良を選び続ける。失敗したって支えてくれる人が居るなら、それだけ自分が立っている位置は恵まれているのだろう。

 そんな位置からの歩みに、歩く前からケチをつけていたら誰も進めない。

 

「じゃ、いいんだな? 歩くぞ、俺」

「好きにしなさい」

「そうなると、俺の一番が華琳じゃなくなるぞ?」

「……好きにしなさい。支柱になろうと、貴方は私のものなのだから」

「……そっか」

 

 その言葉が冷たいとは思わない。

 自分だけを見てくれーなんて言葉、この世界で生きてきた人に向けては言えないものだ。

 それを思い出せば、我が侭だけを言うことなんて出来やしないのだ。

 言ってはみたが、一番じゃなくなるなんてことは俺の中では在り得ないだろうし、たぶん……華琳もそれを知っている。

 しかしまあ、今ならまだ受け入れ切る前だから。俺は城壁の柵から後ろへ降りると彼女の隣に立ち、きょとんとこちらを見る彼女の唇を奪った。

 

「!?」

 

 暴れるけど気にしない。

 散々振り回された分を取り戻すために、情熱的なキスを続けた。

 

「ぷはっ……あ、あなたふむぐっ!?」

 

 離れても再び。

 勝ちも負けも一緒、引き分けたなら、せめて願いごとの半分くらいはもらいたい。

 国のための第一歩として、望むのが華琳の唇っていうのもおかしな話だが───結局俺はみんなの前でお願いを言うことはしなかったのだ。

 考えておくよ、なんて言葉で濁して、そのままだった。

 ……なので、何を言われても知りません。

 俺がどれだけ華琳のことが好きなのかを、この夜に伝えきるつもりで抱き締め続けた。

 押し退けようとする力が緩み、互いに抱き締め合うまで、いつまでも。

 

「……ん、充電完了」

 

 やがて、ゆっくりと離れてからそう言う。

 どれだけ唇を合わせていたのか、頭の中が痺れていて、上手く頭が回らない。

 それでも心は満たされたから、ゆっくりと離れた。

 

「……はぁ。覚悟は、決まったのかしら?」

「ああ。我が侭はもう終わりだ。“国に返したくて選んだ道”が支柱なら、俺はその道をのんびり歩くよ。間違いを犯したら遠慮なく叱ってくれ。自分が出来ることと出来ないことくらい、弁えてるつもりだから。そこは叱られてでも成長していくよ」

「そう」

 

 そう言って華琳は笑った。

 暗い空の下でもわかるくらいにその顔は赤かったけれど、そんな顔を素直に綺麗であり可愛くもあると思ってしまうあたり、俺は本当にこの人のことが好きなんだろう。

 でも……その気持ちとは、少しの間さよならをしよう。

 まずは支柱って立場に慣れることから。

 都が出来たらそこに住んで、いよいよ本当の支柱になる。

 覚えなきゃいけないことは山ほどだ。

 

「最初は、やっぱりそこまで気負わずにやってみようと思う。最初から全部上手くいくなんてことは無いだろうし、上手くいくようにするには力不足だ」

「ええそうね。無茶を押し通すのは、あなたがその地位に十分に慣れてからにしなさい」

「ああ」

 

 返事をする声に苦笑が混じる。

 少しくらいは“そうでもないわよ”的なことを言ってほしかったなぁ、なんて思ったからだ。しかし事実は事実なので、その言葉をしっかりと受け止める。

 

「でも……はぁ、支柱かぁ。随分遠いところまで来たよな、本当に」

「いきなり弱音?」

「違うって。拾われの御遣いが軍師もどきをやって、次に警備兵、警備隊長ときて、今度は三国の支柱って。他の国の人に多少気に入って貰えたから成り立つことで、もし最初から呉や蜀に行く案がなかったら、自分はどうしていたのかなってさ」

「普通に魏で暮らしていたでしょうね」

「だよなぁ」

 

 その普通に届きたかった自分が、実は居る。

 経験は今の自分に劣るだろうが、それでも想像の中の自分は随分と幸せそうだった。

 今が幸せじゃないかって言ったらもちろんウソだが、幸せにもいろいろあるんだ。

 

「ん~……」

「なっ!? ちょ、一刀!?」

 

 その幸せの分を、華琳を抱き締めることで充電。

 さっきしたばかりだろうがと言われようが、人の意識なんてそんなすぐには変えられないのだ。……ああ、華琳だ。華琳だなぁ。

 いっそこのまま───…………いやいやいや、それはまずい。

 そういうことは都暮らしが安定してからって決めたじゃないか。

 いやでも、都が出来るまではまだまだかかるだろうし………………ああもう。

 

「華琳」

「な、なによ」

「好きだ。愛してる。俺、勝手に察するからな。都合のいいように受け取るから」

「………」

 

 言って、ぎゅっと抱き締める。

 びくり、と華琳の体が震えたが、少しすると華琳も俺の背に手を回し、力を籠めた。

 そして言うのだ。いつもの、なんでもないような口調で、けれど顔を真っ赤にしながら。

 

「良い心掛けね」

 

 と。



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86:三国連合/それぞれの夢が紡ぐ道へ①

133/これは、夢だ。いわば人類が無意識の中に作り出す思考の海。

 

 朝が来た。

 明けない夜などないと言われるように、朝が来た。

 え? 常闇の町とかはどうなるんだって? はっはっは、あれは常に闇に覆われているだけであって、朝はちゃんと来てるんだよ? 闇であって夜じゃないし。

 と、無駄なことを考えながら思考を回転させてゆく。

 眠っていた思考が完全に覚醒する時、俺は───

 

「OH……」

 

 自分自身で思考を停止させた。

 しかし考えないわけにもいかないので、現状を知る努力をする。

 えーと、中庭です。

 みんな(はしゃ)いでます。

 みんなってのは、文字通りみんなです。同盟のみなさまです。

 

「お祭りじゃああんまり歌えなかったから、歌っちゃいまーすっ!」

「あ、一刀起きたー!? じゃあお目覚めの歌を聞かせるから、ちゃーんと起きなさいよねー!」

「ちぃ姉さん、それは少し言い回しがおかしいわ……」

「ど、どうだっていいわよ! 歌えれば! 大体、歌唱大会の案はちぃたちが出したのに、出られないってどういうことよ! そりゃあちぃたちが上手すぎて勝負にならないのはわかるけどさぁ!」

「大会のあとに、私たちも混ぜた大会もしたでしょ。約束通り、三国連合の中、一刀さんが用意した舞台で」

「最初から歌いたかったって言ってるの! まあいいや、とりあえず聞きなさーい!」

 

 東屋で歌を歌い始める数え役萬☆姉妹。

 それを見て燥ぐ蒲公英に鈴々、美以やミケトラシャム、そして張り合う美羽と七乃。

 …………さて。

 

「……俺、昨日ちゃんと自分の部屋で寝たよな?」

 

 いったいどうしてここで起きるんだろうな、俺は。

 しかもしっかりフランチェスカの制服を着ている。シャツで寝たはずなのに……何故?

 ちらりと視線を動かすと、なにやら物凄い勢いで視線を首ごと逸らすお方が二人。

 ……月と詠だった───って、え? なんで?

 

(……深く考えたらいけない気がする)

 

 蜀でも風邪引いた時に世話になったし、今さら……と考えないと辛い。

 よし。服のことはこの際どうでもヨロシ。よくないけどヨロシ。

 で、俺がここに居る理由───

 

「おおっ! ようやく起きたか北郷!」

 

 ───を、考えたところで、俺に気づいて近付いてくるのは春蘭。

 ハテ、ようやくもなにも、まだ結構早い時間だと思うんだが……空気的に。

 

「春蘭、どうして俺、こんなところで寝てたんだ? 昨日はしっかりと部屋で寝た筈なんだけど」

「ああ、私が連れてきた」

「へー……ホワイ!?」

 

 連れて……なんで!?

 そんな気持ちを、口ほどにものを言う目に籠めて見つめていると、春蘭はいつも通りに腰に手を当てニヤリと笑った。

 

「貴様がなかなか起きんから貴様抜きでやろうと言ったんだが、他のやつらがそれはだめだと言うから私が連れて来た」

「あのすみません全然なんにもわかりません」

「なにぃ!? なぜだ!」

「なぜだもなにも、なにをやろうとしたんだよ!」

「宴だ!」

「宴!? 昨日の今日で!?」

「? なにを言っているんだ。昨日のは祭りで、今日のは宴だろう。馬鹿か貴様は」

「……っ……ハゥッ……!」

 

 胸に巨槍が突き刺さる思いだった。

 まさか……まさか春蘭に正面切って馬鹿呼ばわりされるとは……! しかもフフンと鼻で笑われながら……! ……うん、でもなんでか受け入れてみるとやさしい気持ちになれた。なんだろう、この暖かな感情。いや、別に馬鹿って呼ばれて喜んでるわけじゃなくてね?

 というか、まあ。春蘭に馬鹿って言われても嫌味とかそういうのは感じないからな。

 自分が天才だーなんて自負してるわけでもなし、桂花なら絶対に怒りそうだけど、俺はむしろ苦笑に繋がる。

 

「……あのさ、宴って、どうして?」

「知らん。宴があるなら騒げばいいだろう」

「…………そりゃそうだ」

 

 疑問は残るけど、恐らくあれだ、ほら、えーと……そう、みんなが帰る日も近いから、お祭り騒ぎとかじゃなくて内輪で騒ぎましょうって話だろう。

 でも、だからって寝てる人を着替えさせた上で連れてきて、しかも連れて来ておいて起こしもしないで始めるなんて……。べつに俺、部屋で寝てても良かったんじゃないか……?

 

「……ところで春蘭」

「なんだ?」

「…………俺の腕、何故か感覚が無いんだけど。なんで?」

「ああ。連れて来る最中に腕が壁に激突してな。華佗が鍼を刺した」

「寝てる人に対してなにやってるの!? え!? 激突!? せっかく落ち着いてきた腕に対してなんてことを!」

 

 しかも大雑把すぎてどんな感じに激突したのかがわからない!

 でも激突! 激突ってだけで衝撃が異常なのはよくわかる! だって春蘭だもん!

 大方首根っこを掴んで“ふはははは!”とか笑いながら走って、曲がり角でも止まることなく大激走。遠心力で振り回された俺がドカバキギャアアアってことに……!! ていうか痛い! なんか想像したら体のあちこちが痛くなってきた!

 

「春蘭……一応俺、怪我人なんだから……」

「骨の“ひび”くらいがなんだ! そんなものは怪我のうちに入らん!」

「入るだろ! これが怪我じゃなかったらなにが怪我!?」

「血が出ていないのに怪我なものか」

「………」

「?」

 

 思いを言葉に出来なくなると、彼女は……黙った俺の前で疑問符を浮かべていた。

 確かに血が出てないと、見た目だけじゃ怪我だなんてわからないけどさ。それにしたってあんまりすぎるだろ……。

 

「よくわからんがこんなものをつけているから怪我がどうのと言われるんだ。取れ!」

「へっ!? え、や、ちょ、なにをするだァーッ!!」

 

 腕の包帯が取られてゆく!

 さすがにそれはまずいだろと抵抗しようとするが、抵抗すると余計に痛いだけだと俺の中の経験さんが絶叫したので……その。抵抗はすぐにやめた。おかげであっさりと取られる包帯。

 

「そら取れたぞっ。見ろ、どこにも傷などないではないかっ」

「このちょっと色がヤバげな腕を見て、よくもそこまで……まあ酷使した自分が悪いんだけど」

 

 包帯が取れるや解放してもらえたものの、ピリリと痛む。

 うう、やっぱり包帯だろうとなんだろうと、多少の固定って大事なんだなぁ……しみじみ感じてるよ。

 無意識に華佗が居ないかを探してしまうあたり、医者って偉大だなぁと本気で思う。

 こりゃあ本格的に、華佗に医療を教わったほうがいいかも。

 一緒に人々を癒すって話、早い内に飲もうかな。

 ともかく応急処置として、氣でヒビの部分を覆って固定。

 集中しておかないといけないから疲れるんだけどな……いや、これも鍛錬だと思えば少しはマシ……だといいなぁ。

 

「動くか?」

「まあ……多少は」

 

 痛すぎるから動かしたくもないが。

 しかし今は氣で覆ってるから、腕を一本の氣の塊として扱えば……こう!

 

「ッ…………………………? おお! 痛くない!」

 

 これはいい! 曲げたり出来ないけど触れる!

 こ、こうなるとちょっと曲げてみたくなる。うずりと沸いた好奇心に身を委ね、いざ、ゆっくりと曲げてみると……みしりという音が体を通して耳に届いてウギャアアアーッ!!

 

「なんだ北郷、急にうねうねと蠢き出して。天の踊りか?」

「ノタウチマワル馬鹿トイウ踊リデス……!!」

 

 涙無しでは語れない自業自得がここにある。その感動、プライスレス。

 

「そんな踊りなど後だ後っ! 腕は無事だな? どうだ」

 

 ヒュッと拳が振るわれる。

 俺は痛みに苦しむ中でもそれを冷静に見つめ、パシィと格好よく手で受け止めてみせ───

 

「あ」

 

 ……殴られた。

 いや、うん、まあ。

 普通に考えれば、人の拳を手で受け止めるなんて無茶なわけで。

 最近イメージしたことが多少上手くいってたからって調子に乗っていました、すいません。

 グラップラーな格闘漫画の空手を終わらせてしまった男ヨロシク、喧嘩師の拳ごと自分の手の甲が鼻を強打し、悶絶。前略おじいさま。とても痛いです。

 

「いぢぢぢぢ……! あ、あのなぁ春蘭……! 人を勝手に連れ出しておいて、これはあんまりだろ……!」

「む、むうっ……! いや、しかしだな…………うぅ……すまん」

 

 じぃいいっ……と見つめていると、とうとうしゅんとなって謝る春蘭。

 少し意外だったものの……ほのかに香った香りのお陰で、彼女が多少酔っていることを知る。この無駄に高いテンションは酒の所為か。

 

「だがな、戦人があれしきを受け止められんでどうするか」

「や……あんなの漫画やアニメの世界だけの話だって。普通、受け止める余裕があれば躱すだろ。そもそも両手で受け止めるならまだしも、体重が乗った拳を片手で受け止めきるとか無理だよ」

「…………!」

「いやそんな、呼ばれるのを待ってる犬みたいにいい顔で胸張られてもさ」

 

 そりゃあ春蘭なら……むしろこの世界の武将なら全員やってのけそうだけどさ。

 パンチングマシーンとかで160kg出したとして、その重さを片手一本でだぞ? 野球とかと違ってキャッチャーミットとかグローブも無しで、止まれば重さも無くなるボールとは違って、全体重乗せた拳なら重さは後にも続くわけだ。……少なくとも俺なら無理だ。

 相手の拳が伸びきる前で、こちらは掴むための手を伸ばしきって固定した状態。そんなところを殴ってくれたなら……まあ、まだやれそうな気もする。それ以外じゃ無理だ。

 

「殴ってみろ」

「へ?」

「私を殴ってみろ。貴様の攻撃くらい軽く止めてやろう」

 

 ふふんと赤い顔のままに腰に手を当てて仰る春蘭さん。

 ……え? 殴れって言われた?

 

「エ、エート。ご加減はいかほどで……」

「無論本気だ!」

「言うと思ったよもう!」

 

 そりゃ止めるだろう。春蘭のことだから、人差し指とかでビッシィと俺の拳を止めてみせることもできるかもしれない。その場合、春蘭の指が突き指になるか俺の拳に穴が空きそうな気がする。普通に考えればピタリと止まるとか無いって。

 

(その際には是非とも“八葉六式……”と呟いてほしいようなそうでないような)

 

 けれども殴るなんて無理なので、とりあえず逃げよう、として回り込まれた。こっちも無理でした。

 

「無茶言うなって! 俺に、受け止められるってわかってても春蘭のことを殴れってのか!?」

「そうだが?」

「ひ、人の苦心を真顔で!!」

 

 本当になんでもないって顔できょとんとされた。

 しかもさっさとやれさっさとやれと急かしてきて……あぁあもう!

 

「よしわかった! 歯ぁ食い縛れ春蘭!」

「ふはははは! 殴られるわけでもないのに歯を食い縛る必要がどこにある!」

「じゃあ絶対に止めてくれよ!? 絶対だぞ!?」

「ふんっ、言われるまでもないっ」

 

 どこか上機嫌でふふんと笑う春蘭が構える。

 俺はそれを確認してから───勇気ある逃走! しかし回り込まれた!

 

「貴様ぁ! 何処へいくつもりだ!」

「イ、イエアノ、シュシュシュ春蘭サンニ本気ヲ受ケ止メテモラウタメ、助走ヲ……」

「…………おお! なるほど!」

 

 通じた!? めちゃくちゃ苦しい言い訳だったのに通じた!

 ゴッドは、神は目の前に居た!

 

「ならば好きなだけ助走しろっ! 貴様の拳など、どれだけ強くなろうと片手で受け止めてやる!」

「謝謝!!」

 

 遠慮無く逃げた。

 地を蹴り、自由の道を駆け始めた。

 後で捕まれば終わり? 否である! それまでにこの北郷めは数え切れぬ言い訳を用意しませう! 日々をサボりで通したこの俺に、潜り抜けられぬ困難など「ぐげぇっほ!?」……ありました。喉が詰まるほど。

 秋蘭が俺の襟を捕らえて離さない。

 

「北郷。助走ならばここらにしておくといい」

「……後生だからほっといてくれると……」

「うむ。だめだ」

 

 ああ、やっぱり……今回もだめだったよ。

 観念して春蘭の前に歩いていった。

 

「えーと……病人なのでやっぱり助走は無しの方向で頼む」

「? そうか。まあどうでもいいからさっさと拳を振るえっ」

 

 どうしてこの大剣さまは、自分を殴れという言葉をここまでうきうき気分で言えるのか。

 ちらりと横を見てみれば、旨の下で腕を組み、目を伏せて笑っている秋蘭。

 うん、逃げ道、ないや。

 

「よよよよーしいくぞー!」

「ふははははっ、来いぃっ!」

 

 ならばもうどうにでもなれ!

 振りかぶったテレフォンパンチを春蘭目掛けて突き出す。

 春蘭はやはりふふんと笑ったままで、突き出されたそれを片手でぱしんっと受け止めてみせた。楽々と。

 わかっちゃいたけど何気にショックだった。

 わかっちゃいたけど女性に拳を受け止められるのって……剣とか腕力で負けるよりもなんというかこう、ショックがデカかった。

 当然のことなんだ。この時代のめのこに拳を受け止められるのなんて当然のことなのに、大地に四肢を落として項垂れないだけの心が、この時の俺には用意し切れていなかった。

 

「? どうした? 北郷」

 

 片手両膝をドシャアと地面に落とし、がっくりと項垂れる俺へと……やはりきょとんとした声がかけられた。秋蘭なんかは「言ってやるな、姉者……」と言ってくれるが、そもそも引き止めたのはあなたなのですが……。

 い、いや、でも氣を纏った拳を受け止められたわけじゃないし!? まままままだカケラくらいの心は残ってるよ!? 筋力が育たないからしょうがないじゃないか! その分、氣を鍛えてるんだから、きききき氣を纏ってれば───いや無理、やっぱり無理! もし受け止められたら立ち直れない!

 

「じゃ、じゃあ俺はこれで助けてぇえええええっ!!」

 

 ソレジャア、とそそくさと逃げようとしたら、言葉の途中であっさり捕まった。

 叫びもする。

 

「なにをわけのわからんことを言っているんだ? まあそれよりも次だっ。氣を乗せた拳を打ってこいっ」

「いっ……~……いやぁああああーっ!!」

 

 襟首をムンズと掴まれて逃げることを封じられた俺に、赤い大剣さまが無慈悲を下す!

 暴れてみせるがどうしようもなくて……のちに俺は、中庭の隅でT-SUWARIをして落ち込むことになった。

 

……。

 

 宴は普通に進行している。

 むしろみんながみんな好き勝手に飲めや歌えや騒げや踊れをしているのだから、進行もなにもないのだろう。

 そんな中で───

 

「ツーヨイーッテナンダロー……♪」

 

 俺はまだT-SUWARIをして落ち込んでいた。

 どことも知れぬ虚空を見上げ、適当に作った強さへの疑問の歌を口ずさんで、時々ホロリと涙を流す。

 いや……いやね? もうね? 完ッ璧に砕かれた。

 鍛錬しながら夢にまで見ていた打倒雪蓮を果たし、表面上は冷静でも心の中はウッヒャッホォゥイと喜んでいたであろう心が、ゴシャリメシャリと砕かれた。

 拳を受け止め損ねた時だけでは軽くしか崩れていなかったそれは、氣を籠めた拳を受け止められ、素早く振るったそれさえ受け止められ、なにをやっても受け止められ、最後の一粒まで微塵に砕けた。

 

「………」

 

 ならばどうします? ならば強くなろう!

 長くなるであろうこの世界の下、目標が増えるのは望むところ!

 むしろあれだけ強い人が近くに居るのは嬉しいことじゃないか!

 そう考えないと立てそうにないのでそのー……そっとしておいてください。

 

「ま、まあ天狗になった鼻なんて微塵に砕けるくらいが丁度いいよなっ! 自分っ!」

 

 言い聞かせてみた。……心の中が泣いた。

 そうだよなぁ……他に将に追いつけるようなものが無かった俺なのに、ようやく勝てたと思えばこれだもん。折られた鼻と一緒に心まで折れそうな気分だ。

 しかし挫けない。やることはまだまだあるんだし、やれることも増えるさ。

 

「よ、よーしよしよし! 大丈夫! まだ頑張れるぞ、俺!」

 

 どうでもいいけど独り言をぶつぶつ言ってる所為で、無駄に視線を集めている。

 主に桂花の見下した眼差しとか桂花の汚物を見る目とか桂花の───

 

「あの……なんで居るンスカ、桂花さん……」

「べつに? 私はただ、天狗になっていたところを打ちのめされた哀れな猿を見に来ただけよ」

「そこはほっといてやろう!?」

「いやよ。なんで私があんたなんかの願いを聞いてやらなきゃならないのよ」

「願い云々より人として当然だと思うんですが!?」

 

 そう言ってみると、意外にも桂花はとてもやさしい顔をしてみせた。

 ふわりとやわらかな笑顔……華琳の前でならよく見せるが、俺になんてまず見せない笑顔をしてくれたのだ。

 

「じゃあいいじゃない。私にとってあんたなんて人ですらないし。ただの男って名前の種族でしょ」

「そんなことだろうと思ったよ」

 

 予想出来る範囲の状況だった。だって桂花だもんなぁ。

 けどまあ、いろいろ考えてごちゃ混ぜになったら、かえって落ち着いたかもだ。

 そうだよなぁ、俺が負けるのなんて茶飯事的なことだもん。

 これからはその数を減らす努力をしていけばいいんだし、負けるのが当然としてあるのなら、まだ肩の力を抜けるってもんだ。

 

「はぁ……今は諦めて、宴を楽しむか」

「あぁ北郷? あなたの席なんてないから」

「人をいじめるのも大概にしよう!?」

 

 本気で泣きそうになる俺を見てうっとりしてらっしゃるよ! この軍師さま!

 こんな時くらやさしい言葉をかけてくれてもいいのに!

 ともかく中庭の隅から離れると、宴の中へと突っ込んでゆく。

 するとどうだろう……! 国の境もなく、みんながみんな俺を迎えてくれて……!

 

「おう、よく来たのぉ北郷」

「あら、丁度良いところに」

「丁度もう一人欲しいと思うておったところだ」

 

 突っ込む場所間違えた!!

 よりにもよって! よりにもよって祭さん、紫苑、桔梗が酒盛りをしているところに突っ込んでしまうなんて!!

 

「イヤアノチョット僕用事ガ助けてぇええええっ!!」

 

 そして例によって捕まった。

 俺はそのまま三人にこっちゃこ~いこっちゃこ~いと導かれ、伸びてくる六本の腕に抵抗すら出来ないままに酒漬けにされて───!



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86:三国連合/それぞれの夢が紡ぐ道へ②

 ………………目が覚めた。

 

「………」

 

 辺りを見てみると、自分の部屋。

 隣ではすいよすいよと美羽が寝ていて、そういえば即興話をしている途中で寝てしまったことを思い出した。

 腕だって激突してないし、心だって砕かれていない。もちろん酔い潰されたりもされていないのだ。

 

「…………夢かぁああ……」

 

 思わず、だはぁあああと溜め息が出た。

 むしろ出ないほうがおかしいだろってくらいの安堵から。

 ……ああうん、これは警告だな。調子には乗らないようにしよう。

 “勝てたからなんだ”ってくらいに考えて、もっと自分を高めよう。

 俺は弱い、俺は弱い……だからもっと自分を磨かなくちゃいけないんだ。

 そう何度も自分に言い聞かせて、自己催眠にも似た覚悟をノックとともに胸に刻む。

 

「ん、よしっ」

 

 それが終わればパンッと両の頬を叩いて寝台から降りる。

 窓を開ければ気持ちのいい朝の空気が部屋の中に入りこんで、心を穏やかにしてくれた。

 次に言う言葉を頭の中で決定させると苦笑が漏れたが、それでも構わず口にする。

 今日も頑張るか。

 その言葉は、朝の空気に飲まれて消えるが、俺のやる気に種火をつけるくらいには役に立ってくれた。

 

「美羽~、起きろ~、朝だぞ~」

 

 向き直り、てこてこと歩いて寝台の傍へ。

 そこに手をついて美羽を揺すると、「むにゃうぅう」と妙な声が漏れた。

 苦笑をもらしながら、少し出ている涎をハンケチーフで拭うと、もう一度改めて揺する。……のだが、起きない。というか、嫌味ったらしいくらいに寝息が丁寧だ。これは起きている。絶対に起きている。

 

「………」

 

 ハンケチーフを横に置き、きしりと寝台を軋ませて彼女の顔に唇を寄せる。

 そうしてやさしい笑顔でそのまま……───語り始めた。

 

「それはある夜のことだった。一人の少女がふと目を覚ますと辺りは暗闇に包まれており、右か左かもわからぬほどの黒に覆われたそこでは奇妙な音がミシミシと……」

「ひやぅわぁああーっ!!」

 

 起きた。

 

「ぬぬぬ主様!? なぜじゃ!? なぜそのような怖い話をするのじゃー!」

「HAHAHAHA、なにを言うか嘘寝少女さん。今のはただ月のない夜のお話をしただけだぞ? ミシミシ鳴ってたのだって風が吹いてただけだし。最初に言っただろー? ある夜のことだったー、って」

「それにしても他に言い方というものがあるであろ!?」

「言い方……その夜は暗かった」

「おお! それはとてもわかり易いのっ!」

 

 それでいいのか。…………いいな、うん。

 

「よしっ、それじゃあ今日も元気に行くかっ」

「うむっ、たいそーからじゃなっ」

 

 二人して朝から体操。

 体が温まると厨房へ行き、水をもらって一息。

 今日は気力充実のオフ日ということで、みんなも仕事は無しで休んでいるはずだ。

 そういう時こそ騒ぎを起こす輩が居るから、休みながらも目を光らせている人の方が多いのだろう。もちろん俺も注意はしているものの、気配を尖らせすぎてもOFF日の意味がないので、柔らかく柔らかく。

 

「それで主様、これからなにをするのじゃ?」

 

 これからどうするかを今正に考えていた俺の服を、くいくいと引っ張りながら言う。

 そんな美羽の頭をぽふぽふと撫でつつ、さてどうするかとこちらも思案。

 あんな大会のあとってこともあり、休みたいのは確かなんだが……悲しいことに、体を苛め続けることにも慣れつつある自分が居る。つまりはべつに休まなくても行動が可能です。

 

「軽く現実逃避したいところなんだけどなー……よし、出かけるか」

「乳を搾りにゆくのかの?」

「いや。のんびりと散歩」

 

 きちんと自覚してからの顔合わせも含めて。

 え、えーと、遠慮なく……分け隔てなく、だっけ?

 呉のみんなや蜀のみんなには、魏のみんなへ向ける感情を以って接する……だったよな。

 難しいことを願ってくれたよなぁ、本当に。

 けど、覚悟を決めたからにはある意味吹っ切っていくべきだろう。

 俺はみんなのもの。俺は国の支柱。俺は……同盟の中心に立つ柱。

 俺らしく~……俺らしく~………………ん、よ、よし、たぶんきっとおそらくは大丈夫。

 

「よぅし行くぞ美羽ー!」

「お、おおっ? なにやら今日の主様は元気じゃの。まあよいのじゃうははははー!」

「うははははー!」

 

 ヤケになった人はある意味で強いと思う。

 そのヤケをきっちり受け止めた人はもっと強い。

 ならばそのヤケ、飲み込んでくれようぞ! 難しいことを考えなきゃいけないのはこれからだ! だったらその“これから”になる前や、その隙間に存在するであろう休憩の時くらいはせめて楽しいことを考えようじゃないか! ヤケだっていいじゃない! そうじゃないとなんかもういろいろ大変そう!

 なので美羽を抱え上げて肩車セットOK! 片腕だけで肩車するのは大変だったが、なんとか出来た!

 扉の前ではきちんと身を縮めることを教えて聞かせ、遠慮も無しに走った。

 さあゆこう、これから続く苦労と笑顔のその先へ……!

 俺達の戦いは───始まったばかりだ……!

 

……。

 

 そんなわけで捕まった。

 うん、始まったばかりなら、そうそうぶらぶら歩いてられるわけもなかったのだ。

 

「………」

「………」

 

 捕まったというか、遭遇した、というべきか。

 部屋を出た先には思春が居た。

 長い髪をストレートのままに、庶人服のままの姿で。

 なにか用があったのだろうが、急に出てきた俺に少なからず驚いたようで、無言のままに呆然としていた。……ぬう、珍しい表情であります。じゃなくて。

 

「あれ? 思春? えと、なにか用事か?」

 

 言いつつも頭の中で、思春がここに来る理由を捜してみる。

 なにかないだろうか。

 庶人扱いなのだから、好き勝手に城の中での行動が出来るというわけでもないだろうし……じゃああれか、華琳に何か言われたのか。

 などと思っていると、思春が仰った。

 

「こほん。───華琳様からの命だ。本日より再び、貴様の傍へつけと言われた。当然、貴様が都へ行くことになれば私も行くことになるだろうが───」

「……えっと? なるだろうが? ていうか、え? また俺の傍に?」

 

 急なことに戸惑うが、思春は俺の戸惑いなど知らんとばかりに話を続ける。

 

「貴様が断るのならそれはそれで構わん。その場合は好きにしろと言われている。もっとも、呉に行くことだけは許されてはいないが……ようするに“私の先”は貴様の決定で決まるということだ。好きにしろ」

 

 好きにしろって…………えと、なに? なにこの状況。

 好きにしろ? 好きに………………いやいやそういうアハンでイヤンな方向じゃなくて。

 ここでそっちに走ったらむしろ罠が張られていると知りなさい。俺は知ってる。

 華琳に言われて俺のところに来る。しかも本日づけでまた俺の護衛みたいなものになってくれるという。……もしかして俺が妙な行動に出ないようにって監視的な意味を込めて? だとしたらちょっと嬉しい……とかそんなことは忘れるとして。

 つまりこれって、俺が“一緒に来てくれ”って言ったら来てくれるってことか?

 それとも───

 

(よいところに来た。おぬしの武、我が前で存分に振るうがいい)

(も、孟徳さん!)

 

 孟徳さんがまた妙なことを仰られた!

 我が前で? 我が前───ああ!

 

「えと、気に入らなかったら断ってくれ。まだ出来てもいない場所だけど、都は───甘興覇殿を武官として受け入れたい。……応じて、くれますか?」

 

 なんとなくピコーンと頭に浮かんだことを言ってみた。

 するとどうだろう。俺が差し出した手に、珍しくびくりと肩を弾かせ、手と俺の顔とを何度も見比べてきた。

 ……アレ? もしかして違った? 孟徳さん!? なんか違ったみたいですが!? と、脳内孟徳さんにツッコミを入れた途端、思春が動きを見せた。

 

「~……きっ───」

「へ? あ……き、き?」

「貴様が……支柱に見合わぬと思えば、即座にその首を掻っ切る───それが条件だ」

 

 口早にそう言うと、拒否は許さんとばかりに俺の手が握られた。

 視線はそっぽを向いたまま。

 しかし俺が手をきゅっと握ると、ゆっくりとだがこちらを向いて……視線を合わせた。

 

「よろしく、思春。なんだかんだで長い付き合いだから、一緒に居てくれて嬉しいよ」

「なっ!?」

 

 思春がビシィと固まる。

 ホワイ何故? あれ? 俺、魏のみんなと同じ態度で接してられてるよな?

 ……言った言葉を振り返ってみてもおかしなところは無しだ。

 完全に魏のみんなに向ける感情、言葉で話せているはず。

 じゃあなにがいけないのか? ……相手がいけないに決まってますよね!?

 いやいや嬉しいのは確かだぞ!? 言葉に好意を乗せて喋ったのはまずかったけど!

 長い付き合いなのも確かだよな!? 聞き間違えると“傍に居てくれ”って言ってるみたいだけど! ギャアやばい今さら恥ずかしい! 命令ってこともあって自分にいろいろと刻んでたのがまずかった! なにも好意まで向けることなかったんじゃないか!? あぁあああでも隔てなくそうしろって言われてるんだからこうしないとダメだしああでもそれでもギャアアアアアアア!!!!

 

「おぉおお!? どどどどうしたのじゃ主様! 危ないであろ!」

 

 急に頭をぶんぶん振り出した俺に、今も肩車中の美羽がしがみついて驚いている。

 そうされることで多少は冷静になれたが…………はぁあぅう……俺って……。

 

「ところで主様? 散歩はよいがどこへ向かうつもりなのじゃ?」

「適当にぶらぶらと……だな。思春、よかったら一緒に───…………あれ?」

 

 握っていたはずの手に、思春の手の感触がなくなっていた。

 そして目の前にも居ない思春さん。

 …………ホワイ!? イリュージョン!?

 気配を探ってみるも、てんでダメだった。

 

「…………なんだったんだろ」

「うみゅ? ………………知らんのじゃ」

 

 そりゃそうだった。

 

……。

 

 散歩である。

 適当に歩き、知り合いが居れば声をかける。

 肩車状態であったためか、様々な目で見られたが、べつに気にするほどでもない。

 それどころか途中で美以に背中にしがみつかれ、鈴々に右腕にしがみつかれ、それを見た季衣が怒りつつも左腕に痛ァァァァ!?

 ……などということもあり、現在は美羽だけを肩車した状態で歩いている。

 激痛による涙なしでは語れない時間だった。

 

「主様は誰からも挨拶されるの。みな笑顔なのは良いことなのじゃ」

「って、七乃が言ってたのか?」

「うむっ! 時折、“りちてき”な妾を見せることで、主様からの評価がぐんぐん上がると言われたのじゃ! ……上がったかの?」

「ああ。“美羽のは”な」

「おおっ、そうであろそうであろっ♪」

 

 七乃の評価は下がった。気にしないでGOだ。

 そんなわけで散歩&顔合わせを続けた。

 気持ちを切り替えるのにはいろいろと必要なんだ、ツッコまないでやってくれ。

 

「ふぅむ……仲良く、皆に話かけられるのは悪くないものじゃの……」

「ん、そうだな」

「…………妾も……そうありたいものじゃの」

「今からでも十分間に合うだろ。少し頑張ってみたらどうだ?」

「うみゅ……そ、そうかの」

「踏み出す一歩が肝心らしいよ。じいちゃんの受け売りだけど」

「祖父殿? 主様の祖父殿ならきっとやさしいのじゃ」

「いやー……どうだろうなー……。まあ、何かをしたいなら、まずは一番難しいことからするのが一番だ、っていうのがじいちゃんの考え方だな。難しいのを終わらせれば、あとの問題なんて無いみたいなもんだって言ってた。そのくせ基礎がどうのと人の頭をぼこぼこと……」

 

 途中から愚痴がこぼれたが、美羽は俺の頭の上で考え事をしているようだった。

 「一番難しいことから……う、うみゅうぅう……」と、なにやら唸っている。

 ……雪蓮のことでも考えているのだろうか。

 雪蓮に、美羽との仲直りのことについてを聞いてから、美羽の前で雪蓮の話を増やすことを、少しだけ意識した。

 美羽はよく難しい顔をしていたが、それでも話は最後まで聞いた。

 基本はいい子なんだよな。ただ、我が侭放題に育ったってだけで。

 

「まあ、なにか勢いに乗れる状況が来たら、勢いのままにやってみるのもいいと思うぞ」

「い、勢いか。なるほどの、うむ」

 

 歩きながらそんなことを話す。頭の中では別のことも考えながら。

 とにかく一度、自分の中のみんなを見る目を変える必要がある。

 華雄が言うように支柱になった途端にみんなを愛する権利が生まれるわけじゃない。

 けど、そういうことも前提に置いた覚悟は、早めに胸に刻んでおいて損はない。もちろんそういうのが必要じゃないと言ってくれるなら───ああいやいや、一方に傾いたらだめだ。そのために会いに行くんじゃないか。

 そんな、自分革命とも思えることを実行するための散歩を続けているのだが……

 

「おう北郷。曹操から聞いたぞ? ついに三国の父になる覚悟を決めたそうじゃのう」

 

 と祭さんに背中を叩かれたり、

 

「うふふ……璃々にはいつ、新しいお父さんを紹介しましょうか」

 

 と悪戯っぽい顔で微笑む紫苑に服を直されたり、

 

「ふふっ……これで、騒いでばかりのじゃじゃ馬どもも、少しは落ち着くだろうて」

 

 にんまりと笑う桔梗に酒を飲まされたりと……なんだか奇妙なことになってい───

 

「あっ、一刀一刀~♪ 一緒に町まで買い物いかない~?」

 

 ───た、締めようとしたところで雪蓮に捕まったり、

 

「北郷ぉ!! 私と戦えぇっ!!」

 

 そこへやってきた、金剛爆斧(本物)を片手に仁王立つ華雄さんに勝負を挑まれたり、

 

「はうわ! かかかっかか一刀しゃん!」

 

 逃げ出した先で、なにやら怪しげな書物を抱えた朱里と遭遇してしまったり、

 

「あわっ……!? しゅ、朱里ちゃん……!?」

 

 逃げてる最中だったので、朱里を抱えて適当な部屋に入ってみれば、そこに雛里が居て、

 

「ふ、ふおお……!? な、なんなのじゃ!? これはなんなのじゃ主様……!」

 

 出ていくわけにもいかず、結局は例の書物を見るはめになり、口では言えないようなことを美羽に何度も訊かれて泣きそうになったり……

 

「なぁ白蓮……散歩ってこんなに辛いものだったっけ……」

「いや、いきなり言われてもな」

 

 詳しく言えるわけもなく抜け出し、走った先に居た白蓮に声をかけ、遠い目をした。

 逃げる際に美羽を置き去りにしてきてしまったが……くっ、美羽……キミの尊い犠牲は、決して忘れな───

 

「くくく、北郷……見つけたぞぉ……!」

 

 ……ごめん忘れる。

 あっさりと華雄に捕まった俺は、事情を訊いてくる白蓮に極上のガイアスマイルをプレゼントした。……本気でわからないって顔をされた。

 

「ふふふ、白蓮? ガイアスマイルっていうのはね? 地下闘技場に現れたガイアが最初に見せた、よくわからないけど何故か極上だった笑顔のことをいうんだ。あの時ガイアが何を思ってスマイルだったのかはきっと誰にもわからないんだろうなぁ…………というわけで助けてぇええええっ!!」

 

 引きずられてゆく。

 恐怖のあまりによくわからない説明をしてしまった俺に、白蓮が向けてくれたのは儚げな笑顔だけだった。まあその、つまり“がんばれ”ってことらしい。

 

 

 

  支柱、頑張り中───

 

 

 

 やるからには全力ということで、胴着と木刀を装備して華雄とぶつかった。

 左腕には氣を通すことで痛みを我慢し、そう、それこそ全力で。

 下手な小細工を用いれば華雄は納得しないだろうから、それはもう自分が出せる全力でぶつかった。

 振るわれる攻撃を真っ向から受け止め弾き、隙を探しては剛の撃で返す。

 痛みで心が折れかける中でも歯を食い縛って攻撃を続けた結果……

 

「はごぉ!?」

「うわっ!?」

 

 ……華雄が後ろから殴られた。

 頭を押さえながら振り向く華雄だったが、その先に居るコメカミをぴくぴくと痙攣させている霞を見て顔を引き攣らせた。

 

「華~雄~……♪ ……おんどれなにしくさっとんねぇええええん!!!」

「い、いやこれは」

「やっぱええわ黙り!! 骨にヒビ入っとる一刀に挑戦なんぞしくさって! おんどれそれで勝って嬉しいんか!? あーもーうだうだ言うのも無しや! とっとと構えんかい!」

「なに……!? お前が代わりに戦うとでもいうのか? ───いいだろう、中々の手応えだったが、やはり腕を壊した者と戦って勝ったところで───」

「やるゆーたな? んじゃ恋、こてんぱんにしたり」

「……する」

「なぁあああーっ!?」

 

 そして、コメカミ躍動中の霞の、そのまた後ろには、どこか目をぎらつかせた恋さん。

 既に手には方天画戟が握られており、それをゴフォォゥンと振り回して肩に担ぐと、すたりすたりと華雄へ向けて歩き出す。

 

「あ、い、いや、だな、わわ、私は霞とやると言ったのであってだな───」

「ほー。華雄は一刀が何かゆーて、その言葉をきち~んと聞いてやったんかー?」

「うぐっ!」

「うちには“助けてー”と叫んどったようにしか聞こえへんかったんやけどなぁ」

「聞いてたなら助けよう!?」

「助けよー思たら一刀が男の顔するもんやから、止めるに止められんかったんやもん。覚悟決めた時の一刀の顔、ウチ好きやし」

「ぐっ……そ、そうか」

 

 真正面から好きとか言われると、それ以上言えなくなった。

 わかってて言ってるんだとしたら、随分と人のことを知ってらっしゃる。

 そして───

 

「くっ……いいぞやってやる! 我が剛撃、一撃にして───」

「……遅い」

 

 よく晴れたその日。

 一人の女性が大空を舞った。

 



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86:三国連合/それぞれの夢が紡ぐ道へ③

 それからのことは流れるように進んだ。

 人が飛んだということで、見物人が中庭に集ったからと言ってしまえばそれまでだ。

 まあなんだ、ようするに。華雄のお陰で人のほぼが集まった。

 で、その華雄なんだが───

 

「刺さってるな」

「刺さってますねー……」

 

 刺さっていた。馬屋に敷くために用意してあったらしい大きな藁束に、頭から。

 刺さる瞬間の格好がイーグルダイブ型だったかまでは確認できなかったが、刺さっていた。

 まあそんなことは置いておくとして、冥琳、穏、もの珍しそうに尻をつつくのをやめてあげてください。

 気を失ってるのか、そんなことされても反応がないし……まあ、今は認識を変えることを努めよう。溜め息とともにわしゃりと自分の頭を撫でて、次の行動を……と思ったところで、俺に気づいて小走りに寄ってくる王様を見た。桃香だ。

 

「お兄さんっ」

「や、桃香。桃香も華雄を見に来たのか?」

「華雄さんというか、“騒がしいから釣られてきた”のほうが合ってるかも」

 

 あははと苦笑いを混ぜて言う。なるほど、野次馬根性ってところはどっちも変わらない。俺も絶対にそうしていただろうし。

 そう感じたからなのだろうか。改めて穏に尻をつつかれている華雄を見つつ、「騒がしくない日なんて無いなぁ」なんて、思わず口にしてしまう。桃香はそれに「楽しいよねー」とにっこり笑顔で返してくれた。

 そうなのだ。騒がしくて困るって意識は、まあ……仕事を邪魔されない限りはそうそうには感じない。日々は楽しく、賑やかであり、巻き込まれたとしても……思い返せば笑って済ませられることばかりだ。

 そんな日々が身近にあることが嬉しい。

 帰ってこれてよかったと、心から思える。

 

「あ、そうだ。お兄さん、今日これから、みんなで宴をしようって話になってるんだけど」

「昨日の今日でか? ……というか」

 

 夢を思い出した。

 ……さすがにああはなるまいが、心配ではある。

 けれど断る理由はなかったから、「あー……なにか手伝えることはあるか?」と訊ねた。

 

「うんっ、お兄さんは話が早くていいなー。愛紗ちゃんてば“昨日あれだけ騒いだでしょう!”とか言って怒るんだよー?」

「いや。それは愛紗が正しいだろ」

「むうっ……お兄さんまでそんなこと言うんだ。私たちもそろそろ帰らなきゃいけないから、お別れの宴がしたいなーって思っただけなのに」

「そりゃもちろん俺もそうしたい。だから手伝えることはあるか、って訊いたじゃないか」

「そうだけど……うん、じゃあいいかな。それでね、えっと。お兄さんには天の料理を作ってもらえると嬉しいかなーって」

「それはいいけど……材料の都合で、作れるのは限られるぞ?」

「あ、うん、いいのいいの。ただお兄さんが作ったものが───……あ、あはは! なんでもないよっ、うんっ、なんでもっ!」

「そ、そか? まあ、頼まれたなら全力でだな。みんなはもう動いてるのか?」

 

 ちらりと見ると、料理が上手い人の姿はこの中には見えない。

 既に厨房が戦場と化しているだろうことは想像に容易い。

 

「うん。料理が出来る人はね。私も手伝うーって言ったら、みんな一斉に“結構です”って……」

 

 胸の前で人差し指同士をつんつんと突き合わせながら、たぱーと涙を流す蜀王さまの図。

 それに「頑張って覚えて、見返してやればいいよ」と返して、頭を撫でた。

 するとすぐにほんわか笑顔で見上げてきた。……泣いた烏がもう笑った。

 

「じゃ、じゃあその一歩として、お兄さんの料理を手伝ってもいい、かな」

「だめだ」

 

 一言きっぱり言って歩き出し───捕まった。

 

「ちょ、こらっ! 離しなさいっ!」

「うぇえええ~っ、お兄さぁあ~ん! 私頑張るからぁっ、頑張って手伝うからぁ~っ!」

 

 某愛の一子相伝殺戮人間の真似をしてみたら、腰に抱き付いてまたまたたぱーと涙を流して懇願してくる王様が!

 引き剥がそうとしつつも話を聞いてみれば、他のみんなにもあっさり断られて、頼めるのが俺だけなんだとか…………いや、それはさっき聞いたし、そもそも俺の時だけ抱き付いてまで懇願する理由がわからん!

 そりゃあ桃香には料理の基本とかも教えはしたから、以前よりも殺人コックの称号からは抜け出せているとは思う。思うが、それは思うだけであって実践とは違うのだ。

 ふと気づけばスクランブルエッグを炭にしてしまうような彼女だ……俺が料理の最中に目を離した隙に、料理になにをされるか……!

 

「……じゃあ約束」

「うんっ!」

 

 会話の流れが変わった途端に泣き止んだ。

 もうどうしてくれようか、泣いた女性というものは。

 

「指示無しでは勝手なことはしないこと。言われたことはきちんと守ること。絶対に、“こうすればもっとよくなるだろう”って思って、勝手なことはしないこと。……いいか?」

「……も、もちろん、だよ……?」

 

 おいこら、どうして視線を外した上にどもりましたか。どうして疑問系か。

 と、心の中では強くツッコんでも、口には出しません。

 約束してくれたならそれで良しだし。

 宴の中でなら、もっと砕けた認識変更が出来そうだし───よし、いっちょやりますか。

 

……。

 

 そうして、準備を始めた。

 厨房は既に戦場となっていて、俺はそこに紛れ込みつつ流琉に声をかけた。

 少し驚いた風情だった流琉だったけど、天の料理を作ることを伝えると、好奇心に目を輝かせていた。

 難しいものは作れない。

 しかしながら酒のツマミはお手の物のつもりだ。じいちゃんに叩き込まれたし。

 なので料理もツマミも作らせてもらい、桃香にもそういった手際を覚えてもらうため、手伝ってもらった。

 傍から見れば王様を顎で使う御遣い様だが、そんなつもりは俺にも桃香にもなかったし、これはこれで状況を楽しんでいたということもあり、俺達は終始笑顔だった。

 

  やがて、宴の席の用意も料理の準備も酒の用意も完了し───

 

 訪れた宴の席。

 華琳が言い放った「堅苦しいことは忘れ、思い思いに楽しみなさい」という言葉に、みんながみんな好き勝手に行動する。

 準備に時間がかかったこともあって、既に時間は夕刻。

 落ちてゆく陽に心の中で手を振りつつ、俺は各国の将ひとりひとりに声をかけ、自分の中の認識を変えていっていた。

 もちろん全部を変えるわけじゃなくて、変えるものなどきっと少しだけ。

 小さな歯車の向きを変えることで、大きな歯車をゆっくりと動かすようにしただけなのだろう。自分でもよくわかっていないそれでも、それはきっと……そう悪いことでもないように思えた。すごく、ものすごく今さらだとは思うけど。

 

「……うん」

 

 結論から言うと、夢の中のような出来事は起こらなかった。

 みんな騒ぐだけ騒いで、俺という存在に気がつくと笑いながら傍に寄り、無理矢理酒を奨めてくる。

 それを飲むだけでみんながやんやと騒ぎ、笑顔で俺を引っ張る。

 

「え、ちょっ……」

 

 用意された簡易舞台の上では数え役萬☆姉妹が元気に歌い……ながら酒を飲み、へべれけ状態で聞いたこともない歌を歌っている。

 みんなのペースが段々と異常になってきているのを感じた。

 何故だろう、って思っていたんだが……どうにも華琳が、自分が作っていた酒を全部解放したらしく、その中の“とっておき”がまた美味いというので……みんながガブ飲みを始めた、と……そういうことらしい。

 

「あっはははははは! 北郷! 北郷~! 美味いなぁこれぇ~!!」

「……あの。白蓮? 軽く性格変わってないか?」

「そんなことはない! ……そんなことないぞぅ~……?」

 

 改めて見渡してみれば、全員真っ赤なこの状態。

 何処へ視線を向けても顔を真っ赤にした人達ばかりで、その心を惑わすお酒を作った張本人である覇王さまは……桃香に襲われていた。

 見てやらないのがきっとやさしさだ。

 そう結論づけて、胸を触られている彼女から目を逸らした。

 

「………」

 

 逸らした先にも地獄絵図、というか……なんだか、苦いながらも笑ってしまう“常景”。振り返れば“常にある”と認識出来るほどに、当たり前な景色がそこにあった。

 集まれば騒ぎ、静かには出来ない人達。

 けれど、そんな騒ぎの中にいることが、てんで苦には感じない。

 苦笑が漏れても、笑えているうちはまだ楽しいのだと誰かが言った。

 俺の場合は……その、漏れる苦笑にさえ幸せを感じる時があるのだから、きっとまだまだ付き合っていけるのだろう。

 改めてそう思えた瞬間には、俺の心は決まっていた。

 

(本当に……あと何回覚悟を決めればいいんだろうなぁ……)

 

 覚悟覚悟と言いつつも、自分の中では心が固まっていなかった。

 覚悟は決めるもの。けれど、決めるべき覚悟が定めるべき場所に置かれていなかった。

 ……足りなかったのはきっと、その覚悟が自分が辿り着くべき目標の先にあるかどうか。

 それが今、ようやく置かれたなら……あとはもう、ゆっくりとでも目標に向かって歩けばいい。それがわかったから、こんなにもあっさりと心は決まったのだろう。

 

「ん……」

 

 料理を食べて、酒を飲んでみる。

 騒ぐみんなの中でそれをするだけのことが、とても幸福に感じた。

 頑張ろうと思う理由なんて、“こんなひと時を守るため”ってだけでもいいのだろう。

 もう二度と迷わない───そう言うのは簡単だ。

 覚悟を決めることだって、何度だってするべきだろう。

 人は一回の覚悟で最後まで突っ走れるほど強くはない。

 壁があるたび、心が怯えるたびに、何度も何度も自分を奮い立たせなきゃいけない。

 奮い立つ理由が他人のためって理由でも、それが“自分のため”にも繋がれば、きっと頑張り続けられるだろうから……そのための覚悟をまた、この場で。

 

「んっ」

 

 まあでも、細かいことは今は忘れよう。

 楽しむ場では思い切り楽しんでおけばいい。

 結論をそこに置いて、俺は駆け出した。

 二胡を持っていた七乃にそれを借りて、隣に居た美羽を掻っ攫って舞台へ。

 天和や地和、人和が驚いていたものの、ニカッと笑ってみせると笑い返された。

 あとは好き勝手にやるだけだ。

 へたくそな二胡を弾き、みんなに笑われながらも美羽と歌う。

 下手な演奏に「力が抜けるでしょー!?」なんて地和に怒られるけど、そんな地和も笑っていた。しかし格好よく歌う部分で音が外れてしまい、キメに入ろうとしていた地和が盛大にズッコケた。

 いやすまん、悪気はないんだが。

 

「~♪」

 

 けどまあ。

 どれだけやっても笑いは絶えず、天和も地和も人和も、いつしかこんなへたくそな演奏に合わせて歌ってくれていた。

 美羽もそれに合わせて歌い、俺はそんな歌い方に驚きながらも微笑んだ。

 自分を前に。───いつもならそればかりを誇張した歌い方をしていた美羽が、相手に合わせようと努力していることが嬉しかった。

 “仲良く、皆に話かけられるのは悪くないものじゃの”と言っていた彼女だ。

 きっとこれは、祭りの雰囲気に乗っかっての、少し不器用な第一歩。

 それでも相当な勇気が必要だったのだろう。少し、声が震えていた。

 頭を撫でて、頑張ったなって言いたくなったけど……それは、あとで七乃がするだろう。

 だから俺はへたくそな演奏を出来るだけ上手くしようと努力……すればするほどヘンテコになった。雪蓮と祭さんが笑い転げている。妙なツボに入ったらしい。

 

「……はぁ」

 

 演奏(?)が終われば、贈られる拍手。

 その拍手に手を振る数え役萬☆姉妹。

 そんな中で、美羽は「う、うむっ」と拳をぎゅっと握ると、舞台を降りて駆け出した。

 ……多分、これからやることは相当な勇気が要るもの。

 俺はそれを近くで見届けるべきかを考えて───違う選択をした。

 地和にマイクを借りて、歌を歌った。

 

「───、───!」

「……!? ……、っ……?」

 

 今日の日はさようなら。

 帰ってきて間もなくの宴の時にも歌った歌を。

 視線の先には穏やかな笑顔のみんなと、その先で……雪蓮に頭を下げる美羽。

 この時代で頭を下げる行為は結構なものだと聞いたことがあるが……それでも美羽はやった。宴の雰囲気に乗じてっていう、ちょっとだけずるいところもあるだろうが───そうでもしないと持てない勇気ってものがある。

 だから───……雪蓮が苦笑と一緒に美羽の頭を撫でた瞬間、頬がどうしようもなく緩んでしまい、笑いながら歌う破目になった。

 言葉は聞こえない。

 でも、雪蓮に詰め寄る美羽を見れば、「まことか!? まことに許してくれるのか!?」みたいなことを言っているのが容易に想像できた。

 雪蓮も雪蓮で、「こんな場で謝られたら、許さないわけにはいかないでしょ」とか言っているのだろう。あの苦笑がいい証拠だ。

 

「~♪」

 

 いつまでも絶えることなく、友達でいよう。

 その想いを歌に乗せる。

 そんな中で、相当な不安と緊張を持っていたのか、美羽が泣き出して……それを雪蓮が抱き締めた。

 失ったものは取り戻せない。どうしようもないものは当然のようにあって、どうしてもそれが許せないと思うことだってたくさんある。

 でも、やっぱり誰かが言った。

 許せないんじゃなく、許さないだけなのだと。

 何かに贈る償いなんてし切れるものじゃないし、死んだ人は何も伝えてはくれない。

 結局は生きてる誰かが許してくれなければ誰も救われないし、許してもらっても犯した過去が消えるわけじゃない。

 ならせめて、そこから繋ぐなにかくらいは許してほしいと思うのだ。

 許し合って、手を繋ぎ合って、そこから作られるなにかを許してほしい。

 最初からそう出来ていれば、なんてみんなが思うことだ。

 けど、その時はお互いに譲れないものがあったから、そもそも戦なんてものが起きた。

 

「………」

 

 一度誰かが理想に届き、他を許したから今がある。

 手を取り合ったのは雪蓮と美羽だけではなく、一年前に三国が手を繋いだから今がある。

 そこから目指すものが全ての人にとっての笑顔になるかといえば、きっと否。

 でも……戦ばかりだった日々よりは、きっといいものなのだと……そう思う。

 そう思えるのだから、その先に向かうことを許してほしい。

 散っていった仲間や、それに泣いた家族のみんなに。

 

(俺達は、ここに辿り着けたよ)

 

 一緒に酒を飲んだ仲間の笑顔を思い出し、そう伝えた。

 伝えてからはただ歌った。

 歌いながら、自分が笑顔でいられたかまでは覚えていない。

 ただ、どうしようもなく胸を焦がす想いを届けたくて、声を高らかにして歌った。

 “今日の日はさようなら”ではなく、仲間に向けて歌う歌を。

 心に残る仲間の笑顔には、これからも頑張っていくことを歌で伝え。

 視界の先に居る仲間の笑顔には、これからもよろしくを歌で伝え。

 そして、それらの覚悟を自分に刻み伝えるために、胸にノックをして刻み込んだ。

 

「───はぁっ」

 

 やがて歌い終える。

 全力で、心を籠めて歌ったために、汗すら掻いた状況。

 しかしそんな疲れなど知ったことかと、お祭り好きの将らが舞台の上に上がってきて、一緒に歌い始めた。

 それがまた、全員が全員違う歌なもんだから、宴は一気に混沌と化すのだが……これからも歩く道は、そんな“めちゃくちゃ”なくらいが丁度いいと感じてしまった俺は、きっとこれからも笑って生きていけるのだろう。

 ……それがいつまで続くのかはわからない。

 以前華佗と話し合ったように、俺はこのままずっと成長しないのかもしれない。

 でも……たとえなにも成長しない、この格好のままにみんなを看取ることになっても。

 

「そうだよな───」

 

 いつまでだって歩いていこう。

 きちんと国に返せる日まで。

 いつか自分が守ってやれる時が来るまで。

 ……華琳を、看取る日がやってくるまで。

 大事なみんなが、笑顔で眠れるような世界を作ってゆこう。

 ともに死ぬことが出来るかはわからないけれど、笑ってはいられるであろうこの世界で。

 

 

 ───彼女と。彼女の今までの覇道と、これからのみんなで歩む覇道ともに。

 

 




 深夜テンションで編集していた所為か、予約投稿の時間がカオスな状態で保存されていました。
 そして86話の①が消滅していたあの絶望感……。
 ハーメルン様、自動保存機能をつけてくださり、心の底からありがとうございます。

 さて、次回からIF扱いのお話となります。
 こうだったらなが無駄に詰め込まれたお話だとか、恋姫ブログで小ネタとしてあったものを凍傷風に書いたものなどがありますが、今まで通り何気なく目に通すだけで充分です。
 ではでは、少しでも楽しんでいただけたなら……。


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87:三国連合~IF/ほのぼのとしたい①

135/日常。常にある日。

 

 サラサラサラ……カロ……カシャン。

 

「んー……」

 

 筆を動かし、文字を書き連ね、乾けば竹簡を丸め、積み上げる。

 朝から晩まで、食事時と厠に行く時以外はほぼがこれ。

 溜め息を吐きながら肩をぐるんと回してみれば、ゴキャッと軋む関節。

 続けざまに溜め息を吐くと、再び机に向かう。

 

「……はぁ」

 

 静かな時間の中、もう一度溜め息を吐いて天井を見上げる。

 ……蜀と呉のみんながそれぞれの国に帰ってから、既に一週間が経っていた。

 騒がしい日々から一転、静かになると、随分と空虚といえばいいのか……ボウっとしてしまうもので、それを払拭するためにも仕事漬け───なんて姿勢で仕事をしているわけでない。

 純粋に仕事は山積みで、しかしながらやっていることはずっとずぅっと変わっていない。うん……まあ、山積みではあるのだ。先のことを考えれば。ただし、今日という日だけで考えれば、必ずしも焦ってやるほどのものでもなかったはず。なのだが。

 それでもやることといえば仕事仕事。毎秒毎分毎時毎日、筆を動かしては竹簡に文字を連ね、乾けば重ねる。

 同じことの繰り返しというのは総じて、すぐに飽きがくるものである。

 実際にただ今、逃げ出したい気分でいっぱいだ。

 “国に返す”はどうしたかと?

 いや……実はこれ、べつに今日やらなくてもいいものでして。

 ここ数日、ずぅっと書簡竹簡整理を続けていたこともあり、作業自体は大分進んでいる。

 逆に、纏めるものの数が少なくなってきたくらいだ。無理にでもやれば、そりゃあ明日の仕事の量が減ったりするのは事実なわけだが……うむう。

 じゃあ何故、今日やらなくてもいいものを“飽きているにも関わらずやっているのか”というとだが。

 

「あら。手が止まっているわよ、一刀」

「………」

 

 机を挟んだ先に椅子を置き、片手で頬杖をお突きあそばれている覇王さまに、夜に“オヤジの店”に行っていることがバレた。

 で、“俺が抜け出してまで行く店”ということで目をつけられ、華琳が行くと……よりにもよって“行く”と言ってしまったのだ……!!

 もちろん断った! ああ断ったね! 俺達の……男たちの憩いの場を潰されてたまるか!

 こればっかりは譲れない! 男には、たとえ主に言われても譲れぬものがあるのだ! それが男の誇りというものさ!

 だから“命令よ”と言われた時は…………泣いて頼みました。勘弁してくださいって。

 え? 男の誇りはどうしたって? 誇りであの場の空気が買えるか!

 これは魏の誇りではなく、あくまで俺の誇りだから投げるくらい平気さ! 泣いたけど!

 俺は誇りよりも絆を選ぼう。誇りは他のみんなが持っている。なら俺は、誇りのためにみんなが伸ばせない場所へと手を伸ばせばいい。

 故に───断る! 断固としてオヤジの店の場所は教えぬわ!

 

「一刀? いい加減に白状して案内しなさい」

「やだね。断るね」

「……なんでよ」

「華琳が正直すぎるからだっ! あ、あそこの空気はなっ! 食事がどうとかで壊していいものなんかじゃ断じてないんだっ! 華琳は食事が目当てで行くんだろ!? だだだだったらだめだ! ますますだめだ! 連れていけるもんかー!」

「なによ。そんなに不味いっていうの?」

「いや。男にしかわからない味。あ、でも白蓮なら気に入りそうな雰囲気ではあるかな……」

「白蓮……公孫賛が?」

「でも華琳はだめだ。絶対に合わない。むしろ翌日店が忽然と姿を消してそうだ」

「私が潰すとでも言うつもり?」

「店主が自主的に蒸発するんだよ……ほら、以前もあっただろ? 俺と季衣と流琉で……」

「ああ。あの拉麺の屋台ね」

 

 それがどうしたのよ。なんて顔を向けられた。

 心の潤い、昼飯ライフの一つを削ってくれておいて、なんとまあどっしりとした構えか。

 ともかく、あんな前例がある以上は華琳を連れていくなどとてもとても。

 

「えーと、な? 頑張ってるんだ、その店主」

「なら王である私が試すことに、何故異を唱えるのよ」

「……あの拉麺屋がどうなったかは?」

「消えたわね」

「………」

「………」

 

 脳裏にアニキさんたちの笑顔がよぎった。そしてあっさり消えた。消える瞬間、風呂敷を担いで泣いていた。

 ……よろしくない! てんでよろしくない!

 

「やっぱりだめ! 絶対に教えない!」

「なっ……! あ、あなたね……! 私がなんのために食事に───」

「誘ってくれるのは嬉しい! もう飛び上がりたいくらいに! でもだめ! あそこだけはだめ! お願いですから勘弁してください!」

「…………まさか一刀? あなたその店で如何わしいことでも」

「するかぁっ!! そういう問題じゃなくて、あそこはあのままがいいの!」

「……はぁ。あのね、一刀? 私が行っただけで、その場の何が変わるというのよ」

「うん、そう思うよなー。きっと誰でもそう思う。時に華琳? そこで出された食事が自分の舌に合わなかったらどうする?」

「“直すべき”を唱えるわよ。当然じゃない」

 

 フッ、と笑って仰る華琳さま。

 この答えで満足? とばかりに俺の目をちらりと見てくる。

 俺はそんな彼女の視線を満面の笑みで迎えた。

 彼女の瞳が微かに喜びに揺れる……ところへ、

 

「うん。絶対に連れていかない」

 

 満面の笑みのまま、そう返した。

 直後、言い争いの勃発である。

 もはや言葉にならないくらいの言い争いを始め……どちらかといえば受身だった俺が、こうまで抵抗の意思を露にすることには華琳自身も驚いているらしく、時折言葉に詰まっていたりするところがカワイ───じゃなくて!

 

「他のところでいいだろもう! なんでそこまであそこを望むんだよ!」

「あなたが城を抜け出してまで行っているからでしょう!? こんなことになるのなら、店先で捕まえるよう指示するべきだったわ……!」

 

 珍しくも相当に苛立っているのか、声もトゲトゲしい。

 だが退かぬ! 退けぬわ!

 そんな意思をどっしりと固めた俺を、じろりと睨むはモートクさん。

 

「一刀。そこへは私以外を連れて行ったことがある?」

「ナイヨ?」

「あらそう。ならば、一瞬だけど視線が泳いだのは何故かしら」

「修行の一環で、散眼っていう技を見につけるために頑張ってるんだ。さ、散眼はすごいんだぞ? 散眼はなぁ」

「一刀」

「ハ、ハイ」

 

 焦りが生まれてしまったら、もう弱かった。

 ギロリと睨まれて、「連れていった者は誰?」と問われた。

 

「……もう国に帰ってるから、訊こうとしても無駄だぞ」

 

 ウソはついてない。

 恋は国へ帰ったし。でも美羽は居る。うん、ウソはついてない。

 

「そう? それなら、いつも身近に居る者に訊いてみるというのはどうかしらね。あなたがそこまで気に入る場所を、毎日毎日隣で寝ているあの子が知らないはずがないもの」

「うーん……」

 

 言われた言葉を耳に、笑顔で仕事を続けた。筆がノるなァ今日は! アハハハハ!

 アノコ? ダレ? 僕シラナイ。

 咄嗟に誤魔化す言葉が浮かばなかったから、そうするしかなかった。

 当然、華琳は確信を得て、音も立てずに椅子から立ち上がった。

 ……美羽は七乃と歌の練習をしているはず。

 美羽に口止めする暇もなく仕事を押し付けられたから、このまま行かせたら美羽はポロリと真実を語ってしまうだろう。

 ならばどうする?

 

1:歩いてゆく華琳を後ろから襲う

 

2:華琳を引き止めて椅子に座らせ、お茶を振る舞う

 

3:ナメック星人は誇りを見せる暇もなかった (ゴキャリと首を捻って気絶させる)

 

4:意地でも止める

 

5:押し倒す

 

 結論:オイ5、自重しなさい

 

……。

 

 すっくと立った。

 そして歩く。

 少し早歩きだ。

 

「? あら、話す気になっ───ふわっ!?」

 

 何も言わずにガバァと抱き締めた。

 そして机まで強引に引き摺り、とすんと座って足の間に華琳を座らせる。

 

「………」

「………」

 

 さあ! 仕事だ「へぶぼっ!?」……叩かれた。

 

「わからないわね。そこまでして行かせたくないというの?」

「そう。そこまでして行かせたくない」

「忠告を受け取って、それを善とするか悪とするかは本人次第でしょう? それは、以前は少しやり方が乱暴になったけれど」

「あのね。誰もが華琳みたいな胆力を持ってると思ったら大間違いなの。頑張ってそこまで辿り着いた人に自分の価値観を一方的にボロクソに押し付けて、立ち上がれなかったら所詮その程度とか言うのはあまりにひどいだろ」

「そのて───」

「その程度とか言わない。味もわかって料理も上手い。華琳は確かにすごいけど、そこを基準に考えたらどこの料理も同じ味になるでしょーが。みんな“そこにある味”を求めて集まるんだよ。同じ味なら近場で安い店がいいに決まってる」

「む……言ってくれるわね。私が求める味が一点にしかないような物言いじゃない」

「個人が個々の料理に求める最上級が一点なのは当たり前だろ。誰もが美味いって言う料理なんて絶対にない。華琳が求める最上級に、誰かが“ここに辛味があったほうがいい”って言って、辛味を混ぜたものを華琳は認めるか?」

「と、…………当然じゃないの」

「激辛でも?」

「………」

 

 あ。

 なんか黙して胸の前で指をいじり始めた。

 

「はい。黙した時点でダメ。大体な、辛い食べ物にだって、ただ辛いだけのものと、辛さの中に確かな旨味があるものだってあるだろ? そういうのが多少でも苦手なのに、自分の味覚ばかりを押し付けるんじゃありません。だからこの話は無かったことに───」

「ならないわよ」

「してよ! しようよ! どちらにしたって案内なんて絶対にし───」

「警備の兵を懐柔し、城を抜け出して食を摂る。いろいろと罰することが出来るのだけど。一刀はどんな罰を用意されたいのかしら」

「このままここで仕事をする罰です。ていうかもう罰やってるよね俺」

「ええ、やっているわね、“兵を懐柔した罰”を。無断で城を抜け出した罰がまだじゃない」

「子供か俺は! 城を抜け出すくらいいいじゃないか!」

「支柱としての自覚が足りないわよ一刀。あなたに何かあったら、他国からの信頼がどれほど下がるのか、わかっているの?」

「う、ぐっ……!」

 

 支柱になった。自分は同盟を支える柱。

 その自覚を本当に持っているのなら、一人で、しかも夜に出歩くなんてことはしない。

 華琳はそういうことを言いたいのだろう。

 

「……じゃあ、罰っていうのは?」

「私をあなたが行こうとしていた店に連れていきなさい」

「そうか綿菓子が食べたいのか! よーし頑張るゾー!」

「一刀。二言目は無いわ。私の聞き違いかしら?」

 

 後姿しか見えないというのに、その姿からモシャアアアと景色を歪ませるほどの殺気が!

 そしてやっぱりどこからともなく現れる絶という名の鎌。

 

「ヤア華琳サン。今日モオ美シイ」

「………」

「ギャアーッ!!」

 

 カタコトで言葉を発しつつ、誤魔化す意味も籠めて後ろから抱き締めた。……ら、手の甲にサクリと絶が落とされた。

 だが勝った! 俺は言葉遊びに勝ったのだ!

 

「ふ、二言目を越えたぞ! もう文句ないだろ!」

「………」

 

 華琳が黙りつつ筆を手に取る。

 竹簡にさらさらと連ねられる文字は、“いつ二言目を言ったというのよ”だった。

 

「……華琳。屁理屈って知ってる?」

「ええ。あなたにだけは言われたくない言葉ね」

 

 もはや、首を縦に振るしかなかった。



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87:三国連合~IF/ほのぼのとしたい②

 夜。

 俺は華琳を連れ、城の外へと出ていた。

 もちろん別の場所を紹介するという外道な方法もあったにはあったんだが、きっと華琳は見破る。見破った上で、罰を与えるだろう。俺にも、きっとアニキさんにも。

 アニキさんまでもっていうのは言いすぎにしても、料理とかに対する評価は厳しくなりそうなので、もう素直に連れていくことにした。

 

「こんな遅くにやっているものなの?」

「ああ。仕事で疲れて、だけど夜に娯楽を求める男たちの集い。それが“オヤジの店”だ」

 

 説明しながら裏通りへ。

 月の明り以外はあまり頼りにならないそこを通ると、明りがついた家がひとつ。

 華琳は「へえ」と声を漏らし、俺の案内のもと、その家へと入った。

 

「こんばんはー、アニキさん」

「らっしゃい……ってまーた来たのか兄ちゃん。ここんところしょっちゅうじゃねぇか」

「うわわっ……! ちょっ……! それはっ……!」

 

 慌ててわたわたと、黙ってくださいとばかりに手を振るって言うが……ちらりと伺ってみた隣の華琳さまは、笑顔を貼り付けた怒りの表情で僕を見上げてらっしゃった。

 ああはい、罰があるんですね? 案内したのに結局あるんですね?

 

「ふうん? まあ、賑わっていて悪くないのではないかしら。少々、小汚はぷっ!?」

「かかかかぁああかかか華琳さァん……!? 来て早々になにを言おうとしてらっしゃいますか……!? ここの雰囲気を壊す気なら、全力で怒りますよ……!?」

「………」

 

 電光石火で華琳の口を片手で塞ぎ、忠告をひとつ。

 料理に対してアドバイスを言うのはいい。受け取り方次第だろう。

 でも、裏通りの店の在り方なんて、そうそう綺麗なもんじゃない。

 それを小汚いって言うのはさすがにどうか。

 ……ラーメン屋の時もそうだったけど、華琳はそういうところでヌケてるところがある。

 なのでこれを機会に、もっと華琳が言うところの“小汚いところ”に慣れてもらおうとか思っている俺は、結構ひどいだろうか。……ひどくて結構だな。綺麗なところばかりに目を向けてるだけじゃ、いつかいらないところで反感食いそうだし。

 

「あん? どしたい嬢ちゃん。つか兄ちゃんよぉ、ここは嬢ちゃんの口を塞ぐためにある場所じゃねぇぞ?」

「あ、ああっとと、すぐ座るから。空いてる?」

「ああ、今日はそっちに座れるぞ。ついさっきおかしなヤツが出てったところだ」

「おかしなやつ?」

「酒が飲めねぇのに明りに釣られてやってきたんだとよ。飯食って出てった」

 

 ほれ、と促されて座る。

 しかし、まあ、なんというか。

 アニキさんは、華琳が魏王であることに気づいてないのか?

 大会とかでもなんだかんだで仕切っていたから、気づいた庶人もいっぱいいると思ったんだけどな。…………もしかしてあれか? ずっと店開いてたのか?

 もしかしなくてもそうか。人が集まる日なんだ、開いていなきゃもったいない。

 たとえそれが裏通りでもだ。“そういう匂い”に“そういう者たち”は集まるもんだ。

 主に苦労してる人とか、カカァ天下の家の主人とか……女性に頭が上がらない支柱とか。大黒柱って意味では、どこも支柱なんだろうな。

 

(……ああ、だからみんなと気が合うのかな)

 

 そう考えて、少し涙が出た。

 さて、俺の苦悩はさておき、アニキさんはいつものように適当なツマミと酒を用意してくれた。来店すると出してくれる。もちろん金は取る。ツマミも酒も飲めないなら来なくていいよっていう、最初の洗礼みたいなもんだ。前に来た時は、すぐに料理を頼んだから無かったが。

 ともあれツマミを一口、酒を飲むと、そこまでキツくはないあっさりとした熱が、ツマミのいい味とともに喉を通ってゆく。この感じがたまらない。

 華琳も「へえ……」と、ツマミと酒をシゲシゲと見つめている。

 

「んで? どうすんだい兄ちゃん。特に決まってねぇなら適当に作るぞ」

「あ、じゃあ───」

 

 屋台よろしく、採譜ではなく壁にぶらさげてあるメニューを見て、食べたいものを告げる。するとアニキさんが「あいよ」とニヤリ。

 手早く調理を始めた。

 

「中々の手際ね」

「そか」

 

 裏通り暮らしで、季衣が紹介しなきゃ手に入らなかった仕事だ。きっと必死で身に付けたに違いない。

 しかし華琳は「けれどあの髭と暑苦しい顔は……」とか呟いている。

 外見で人を判断するんじゃありません。

 そりゃあ、だらしない格好の人に作ってもらうよりは、綺麗であったほうがいいとは思うだろうが……アニキさんはあれだからいいのだ。

 

「へいおまち。しかし御遣いの兄ちゃん、前にも二人連れてきていたが、今回はまたえらく身形の綺麗な嬢ちゃんを連れてきたなぁ」

「うっ……」

 

 出来た料理を出してくれるアニキさんが、ついでに爆弾を投下した。

 途端にモシャアと溢れる、華琳からの威圧。

 パチパチと目配せをしてみるが、アニキさんはニカッと笑うとこう返した。

 

「立派に支柱やってるようじゃねぇか。同じ男として鼻が高いねぇ。ま、俺が偉ぇわけじゃねぇんだがよ」

 

 その言葉に、今日は少なめな男の客が笑う。

 一気にいつもの空気だ。

 

「んで───前の一人が飛翔軍サマだったのはわかるんだが……こちらの嬢ちゃんは?」

 

 少し、ピンと張り詰めていた空気がいつものものになったことを良しとしたのか、アニキさんが爆弾投下二発目。

 思わずヒィと言いそうになる自分をなんとか押し留めたが……いや。ここはもう正直に言ったほうがいいだろう。そんなわけで、アニキさんにだけ聞こえるように、そっと囁いた。

 

「えっと…………こちら、魏王にして天下の覇王、曹孟徳さま……」

「は───」

 

 気のいい兄貴分みたいな……まあ実際そうなんだが、そんなニカッとした笑みをしていたアニキさんの表情が、ビシィッと固まった。

 そんなアニキさんには目もくれず、華琳は料理に手をつける。

 ……アニキさんはカタカタと震えながらその様子を見るが、ハッとすると一歩下がってから頭を下げ、厨房へ戻っていった。

 その様子に、他の客が「どうしたんだよ」と声をかけるけど……おお、「どうもしねぇよ」ってニカリと笑ってみせた! アニキさんすげぇ! でもちょっと顔が引き攣ってる!

 

「あら。てっきり口やかましく挨拶をされるかと思ったわ」

「………」

 

 いや、料理を出したあとの態度としては、あれは正解だと思う。

 すぐに味わってみてほしいものを出したというのに、無礼をとかこれはこれは孟徳さまとか挨拶していたら、せっかくの料理が冷めてしまう。

 なにせ華琳は、ここには客として来ているのだから、客として持て成すのが正解だ。

 華琳もそう思っていたからか、戻ってゆくアニキさんを見てフッと笑った。

 で、とうとう料理を口に運ぶわけだが。

 

「………」

 

 ゆっくりと味わう。

 そんな華琳に、新しく持ってこられた酒をそっと渡すと、それも飲む。

 

「………」

 

 華琳の目が、小さく輝いたように見えた。

 

「馬鹿にできないものね……よく出来ているわ。料理と酒、一つずつではそこまでではないけれど、合わせることでどちらもより欲しくなる。調和が取れているというべきかしら」

「あれ? ……美味い、か?」

「あなたね。私のことを出されたものをなんでも貶す、口だけの美食屋かなにかだとでも思っているの?」

「いや、それはないけど。持ち上げておいて徹底的に貶すんだと思ってた」

「貶しはしないわよ。ただ、助言をするだけ。……ただし、きちんと味わい終えてからね」

 

 ニヤリと笑い、華琳は食事を楽しむ。

 しばらくはそんな様子を見ていた俺だったけど、妙に気負いすぎてただけだろうなと食事を再開した。

 ここまで来てしまったなら仕方ないし、そもそも相手が華琳だって知っていたほうが、ボロクソ言われることにも覚悟が出来る。そういう理由でアニキさんには先に話したわけだが……そのアニキさんは厨房でぱんぱんっと頬を叩くと、他の客とのいつもの談笑に戻った。

 アニキさんは知っているのだ。ここの空気は男たちにとって、必要なものであると。

 

「……案外、賑やかなものね」

 

 華琳はそんな賑やかさを耳にしながら、小さくこぼす。

 開いた器に軽く酒を注ぐと、それをクッと飲み干して溜め息を吐いた。

 

「こんな時間に開いてる場所っていったら、ここくらいだからなぁ。日々の愚痴を言い合うにはうってつけの場所なんだ」

「ならここに足繁く通っている一刀も、愚痴がたくさんあるということね」

「無いと思ってるならいろいろ言ってやりたいことがあるって」

「冗談よ。人だもの、当然じゃない。仕事以外のところでまで御遣いになれとは言わないわよ」

 

 他愛無い話をしながらの食事は続く。

 やがてなんだかんだでいつかのように完食し、ことりと箸を置く華琳。

 ……この時ほど怖い瞬間はないわけだ。なにせ以前の場合は、このあとに店主ともめたわけだから。

 頼むから“この程度の店にしては”とか言い出さないでくれよ……!?

 言いそうだったら口塞いで金払って逃走だな。よし。

 

「……なにを急に肩を動かしたりしているのよ」

「へっ!? あ、いや、左腕の骨の調子はどうかなーって……」

「………」

 

 じとっとした目で、右腕を見られた。

 ええはい、右腕しか動かしてませんね……。

 

「安心しなさい。べつにどうのこうのと言うつもりはないわよ」

「………」

「なによ、その嘘つけって目は」

「言葉通り。俺はここを守るためなら、なけなしの覚悟を振り翳すぞ」

 

 来るなら来いとばかりに、ぐっと腹に力を籠めた。

 や、もちろん戦うわけじゃないけどさ、そうでなくても守りたいものってあるだろ?

 こう、ほら、その……なんていったっけ。パ、パーソナルスペース? ここには縄張り意識にも似た、男たちの安らぎがあるのだ。それを壊されるというのなら、立たずして何が男!

 

「覚悟、ねぇ……。それは私を敵に回してでもすることかしら?」

「将や王だけの味方が御遣いや支柱なんてやっていけるのか? そんなの、他の人から見れば将や王だけの味方じゃないか。保身しか考えないやつだったら誰にでも出来るよ」

「ええそうね」

「………………あれ?」

 

 俺の言葉に、珍しくもにっこりと笑み、華琳は立ち上がる。

 そして厨房まで歩いていくと、戸惑うアニキさんに「厨房を借りるわよ」と言を飛ばす。

 反射的に「へ、へい!」と返事をしてしまうアニキさんに、華琳は不敵な笑みを浮かべて調理を開始した。

 

「───ハッ!?」

 

 しまった! 笑顔でホウケて厨房入りを許してしまった!

 すぐに止め───……られたら苦労しないよなぁ。

 ああ……! アニキさんが泣きそうな顔でこっち見てる……!

 

(あんな笑顔を見せたってことは、そうそうまずいことにはならないだろうけど……)

 

 ならばせめてと、アニキさんに“手際を見ておいて”とアイコンタクト。もちろん、口も動かしたり軽く指を動かして意思を伝えるのをプラスして。

 戸惑いながら華琳と俺とを見比べ、疲れた表情で華琳の手元を見ることにしたらしいアニキさんは、さっきよりも随分老けたように見えた。

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 調理が続く。

 アニキさんは最初こそ疲れた表情をしていたが、華琳の手際の良さ、立ち上る香りなどを感じると、すぐに真面目な顔になっていた。

 なにせ自分の領域で自分と同じ道具、材料を以って、自分の料理以上を作り上げようとしているのだ。怒るよりも先に、自分に向上心ってものがあるのなら、盗まない手はない。

 まして、紹介してもらえなければ今の仕事には在り付けなかっただろうアニキさんだ。その目は本当に真剣で、華琳の手の動きを逃さずじぃっと見ていた。

 ……そのアニキさんの反応に、華琳が小さく笑っていたのにも、まあ驚いた。

 

「食べてみなさい」

 

 しばらくして料理が出来ると、華琳はアニキさんにそれを味見させた。

 口に入れて味わった瞬間、アニキさんが驚きに震える。

 華琳から皿を受け取って他の男たちにも味わわせると、皆が皆驚きに声をあげる。

 俺もどうせならともらったが……これは、確かに美味い。

 

「こ、こりゃあおでれぇた……同じ材料でこうも違うってのか……」

「こんなものは調理の仕方次第よ。誰にでも出来るわ。無論、あなたにもね」

「へ、へぇ、そう言っていただけると……」

 

 驚くアニキさんにそう言う華琳を見ながら、ふと思い立って酒を口にする。

 口の中に味が残ってるうちに、その味と酒の味を口の中で混ぜてみるのだが……

 

「………」

 

 驚きだ。

 とりあえず何も言わずに華琳に残りの酒を渡してみた。

 きょとんとする華琳だったが、意図を読んだのか料理を、酒をと順番に含んだ。

 

「………」

「どう?」

 

 ……言った途端にじとりと睨まれた。

 次の瞬間には再び調理を開始。ガーッと作られたそれを酒と一緒に突き出され、目で「いいから食べなさい」と言われた。

 

「………」

「ん、美味い」

「で、でしょう?」

 

 相性の問題っていうものがある。

 華琳はそれを思い出したのか、少し頬を引き攣りながら腕を組んで胸を張った。

 

「? な、なんでぇ、どうしたってんだ御遣いの兄ちゃん」

「いや、なんでも」

 

 華琳の料理は確かに美味しいし、目を見開くほどに驚きを与えてくれたのだが……うん。

 食べるのは愚痴をこぼしにやってきた、オヤジばかりなのだ。

 綺麗で美味しい料理は、そりゃあ美味しい料理なんだから美味い。

 けれど、それが必ずしも愚痴の席で馬鹿笑いするオヤジ達の口に合うかといったら……もちろんそうじゃないわけで。

 最初の料理はとんでもなく美味しかったけど、“ここの酒”には合わなかった。

 次の料理は美味しかったし酒にも合った。ただそれだけのことだけど、食べるのは美食家じゃなくてオヤジなんだもんなぁ。

 

「はぁ……久しぶりに勉強になったわ。見えないところにも足を運んでみるものね」

「ありゃ? てっきり焦りながら言い訳並べるかと思ったのに」

「───」

「殺気!? いやちょっと待った! その何かを掴むこと前提の、軽く力が籠もった手はいったいどこからなにを取り出す手!? 頼むから店の中で絶はやめてくれよ!?」

 

 やっぱり四次元ポケットでも持ってるんじゃなかろうか、この世界の人は。

 

……。

 

 金を払い、店を出た。

 男臭さから一気に解放された気分なのか、華琳が深呼吸をしている。

 

「疲れたか?」

「様々を興じてこそ王。こんな経験も悪くないわよ」

 

 どこか清々しい顔をしている。

 なんというか、ああいう場所は苦手なんじゃないかと思っていたから逆に驚きだ。

 

「で……アニキさんにいろいろ言ってたけど、あれって───」

「精進なさいと言っただけよ」

「いや嘘だろ。その一言で済むほど短い話じゃなかったぞ、あれ」

 

 なにやら長々と話していたんだが、近付いたらキッと睨まれては、すごすごと卓に戻らざるをえなかった。

 しかしながらべつに苛立った様子もなかったし……んん、安心してもいい……のか?

 さすがにあそこが潰れたらショックだぞ……? 前のラーメン屋の後追いは勘弁だ。

 

「べつに。良い場所ねと言っただけよ」

「………、うごっ!?」

「一刀。今何故……人の額に手を当てたのか、教えてもらえるのかしら」

「た、他意はないんだ」

「本意はなにかと訊いているのだけれど?」

 

 熱があるんじゃないかと……ていうか人の腹に肘打ちはどうかと。

 

「まあまあ……でも実際、どういう心境の変化なんだ? 小汚いとか言おうとしてたのに」

「私の価値観は私の価値観でしかないことを思い出しただけよ。あそこは確かに、男たちが自然な顔をしていられる店だと理解したわ」

「はは……そっか。まあ霞とか春蘭なら、無遠慮で入れそうな気もするけどね」

 

 ああいや、春蘭相手だとみんな遠慮しそうだ。

 霞は……祭りで一緒に騒ぐくらいだ、きっとあっさり溶け込めるだろう。

 まあその、格好が目に毒ではありそうだけどさ。

 

「あとはアニキさんの頑張り次第か」

「急に厨房を借りられたというのに、手の動きを見にくるのは良いことよ。それがたとえ、誰からの助言であったとしてもね」

「珍しいな、華琳が人を褒めるなんて」

「目が本気だったもの。戸惑いから始まろうが、他人から受け取ろうとする姿勢は好感が持てたわ。それを言うなら以前の拉麺屋はだめね。盗み見ることもせず、“どうせ口だけだ”と高をくくって睨むだけだったもの。自分の味が一番だと慢心しすぎている時点で、ずぅっとあのままなのでしょうね」

 

 言いながら、隣を歩く俺をちらりと見上げてきた。

 顔になにかついてるか? と口元あたりを触ってみるんだが、なにもない。

 

「なにもついてなんかいないわよ。ただ、早いうちに慢心は敵だと気づけたことへの感謝を抱いただけ」

「へー……誰に?」

「………」

 

 溜め息を吐かれた。

 そんな感じで夜食の旅は終わり───

 

……。

 

 明けて翌日。

 早速といったらアレだけど、普段なら夜へ向けて下拵えをしているであろうアニキさんの店へと向かった。や、もちろんサボりじゃないぞ? うん。……誰に言い訳してるんだ、俺。

 ともあれ、入った店の中ではアニキさんが厨房で頑張っていた。

 近付くまで俺が入ってきたことにも気づかないほどの集中。

 訊けば、「あんなもん食わせてもらったら、このままでなんていられねぇだろ!」と少し怒声混じりに言うアニキさん。華琳が食べさせた料理の味に本気で驚いたそうで、味の向上を目指し、酒との相性も考えながら料理をしているんだそうだ。

 

「丁度いいや、おぅ御遣いの兄ちゃん、ちぃと味見してくんねぇか。似たような味ばっか味見してた所為で、少し味覚が鈍ってやがる」

「っと、わかった。あ、でも酒は───」

「酒と一緒に味わってもらわねぇとわからねぇだろが!」

「えー……」

 

 仕方も無しに味わう。

 もちろん酒は本当に微量。

 酒だって安くないから、仕方ない。

 

「ん……」

「ど、どうだ?」

「……前のほうが美味かったな。酒には合うけど、味自体が落ちてる」

「かっ……やっぱりか。上手くいかねぇもんだなぁ……」

 

 不味いわけじゃない。けど、なにか足りない。

 なにがと言われると首を捻るしかないんだが……よし。

 

「じゃあ、思いつく限りやってみよう。こうなりゃ意地だ! 絶対に華琳を驚かせるくらいのを作ってやる!」

「お、おぉ? なんだいきなり」

「天の知識を以ってすれば、不可能なことなど───……いっぱいあるなぁ」

「そこはもっと自信満々に言えよ……」

「いっぱいある!」

「そういう意味じゃねぇよ!」

 

 そんなこんなで、夜には来ないで昼に来ることが多くなるわけだが……も、もちろんサボリは無しで。ひぃひぃ言いながら書簡整理をして、書物を見て覚えて、休憩時間にやってきては料理修行。

 アニキさんとともに料理を学び、都合がつく時にはチビやデブも混ぜての料理研究会を開いた。もちろん、お題は美味くて酒に合う料理。華琳を驚かせる料理では断じてない。最初はその思いもあったものの、改める必要があった。何故なら、華琳を驚かせても夜の男たちが満足しなければ意味がないからだ。

 

「ア、アニギー、皿洗い終わったんだな」

「うっしゃ、んじゃあそっちの野菜切っておいてくれ。あぁ、あんまりでこぼこにすんじゃねぇぞ」

「わ、わがったんだな」

「アニキ、これにはこっちの味付けでどうでしょうね」

「ん? これか? んー…………おっ、いい味じゃねぇか! やっぱ手先が器用だなぁチビは」

「へへっ、そ、そうっすかね。……つーか」

「ああ……」

 

 いつもの三人組が仲良く料理をする中で、俺も料理をしてゆく。

 普通の味しか出せず、得意なほうではないが、この時代にはない知恵から出せるものもある。

 なので思いつく限りを尽くし、味付けや彩でカバー。

 華琳を驚かせる天の料理などで地道に腕を磨きましたこの北郷───役に立ってみせましょうぞ!

 

「あの時殺しかけたあのガキが、まさかここまでだなんてなぁ……」

「よしっ! チビ、ちょっと味見いいか?」

「お前にチビとか言われる覚え、ねぇんだけどなぁ……」

 

 まあでも、味がどうとかよりもこうして男たちと騒ぐほうが落ち着くっていうのも……どうなんだろうなぁ。

 普段が女性に囲まれてるから? 女性相手だと頭が上がらないから?

 ……いろいろと理由が重なってるからだろうな、うん。

 

「……こりゃ美味ぇ! なんだよこれ!」

「フフフ……天でじいちゃんに命じられて、酒のツマミを作り続けた俺に───ツマミ作りで死角無し!」

 

 作ったツマミをチビが食べると、素直に絶賛。

 続いて酒もチビリと飲むのだが、問題なく酒にも合う。

 ……ツマミ自体に名前は無い。だってじいちゃんの味の好みに合わせて作った適当なものだし。味噌があってよかった。生憎と昆布も鰹節もないから味噌汁は作れないが、実にあってよかった。

 

「こうなったらアレだ、天の酒に合う料理で、ここで作れるものをとことん作ってみよう。もちろん安さ第一。あんまり高いと客が手を出せなくなるから」

「そりゃ同感だな。俺んところは儲けよりも、男どもの日頃の鬱憤の発散を目的にしてるんだからな」

「っへへー、だよなー」

「にっへっへっへ、なんでぇニヤニヤしやがって」

「アニキさんだってニヤニヤじゃないか」

 

 二人して顔を見合わせて笑った。

 ほんと、かつては殺しそうになったり殺されそうになったりの関係だったなんて嘘みたいだよ。そんな関係があったからこそ、今は無遠慮になんでも言い合えるんだろうけど……奇妙な巡り合わせだけど、その巡り合わせに感謝だ。

 

「よしっ、んじゃあ煮詰めていくとするか! おぅチビ! 材料は覚えたか!?」

「へへっ、もちろんさアニキ」

「ど、どう作るのかも、み、見たんだなっ」

「おぅデブ! 見ることは大事だから、その調子で忘れんじゃねぇぞ!」

 

 俺達は料理を作る。

 酒に合う料理を……疲れた男達が心を癒せる料理を。

 やがてそれは華琳を驚かせたいという思いをそっちのけにして、癒しの頂へ───!!



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87:三国連合~IF/ほのぼのとしたい③

136/その後

 

 朝である。

 時間が経つのは早いもので、三国連合の祭りが終わってから、もう二週間以上が経とうとしていた。

 

「今日も今日とて書類作業~……るるるー」

 

 祭りが終わり、それぞれがそれぞれの国に帰るのを見送ると、俺を含めた魏のみなさまは支えを失った人形のように眠りに落ちた。

 疲れていたのだ。当たり前だけど。

 しかしそんなに休んでもいられない。目が覚めればいつも通りの仕事の日々だ。

 ……と、いつかの日を思い出せるくらい、似たようなことをしている俺なのだが。

 つい最近まではアニキさんとの料理研究に忙しく、しかし心をワクワクさせながらの仕事の日々だった。そう、だった。

 完成した料理の数々は、日々に疲れた男たちの癒しになった。とてもなった。

 そんな事実が嬉しくて、再び夜に抜け出したのだが……ええはい、華琳に捕まりました。

 ああこれはまた書簡整理かなーとか思っていたら、なんと「連れていきなさい」と言うじゃないか。公式に許可が出たと喜び、華琳とともにオヤジの店へと足を運んだ。

 華琳を連れていくことでハッとなったアニキさんと目が合って……で、自然な振る舞いで新作料理と酒を用意した。ああ、うん。華琳はね、とても驚いたんだ。料理の味にも、酒に合うという事実にも。

 

「はぁあ~……」

 

 それでただ喜んでくれればよかったんだが、俺をギロリと睨みなすった。

 俺も華琳が驚いてくれたのが嬉しくて、よせばいいのにアニキさんやチビやデブと研究したんだとか、いらんことを言ってしまったわけで……。

 「へえ……私には教えなかったことを、先にあの者らに教えたと」……って言葉が華琳の口から出た瞬間、“オヤジの店”の空気は確かに凍った。

 天の知識を好みとする華琳にとって、そんな興味を擽られるものを自分が一番に聞けなかったのは大変悔しかったらしく、いや、それを訊いてみたら真っ赤になって否定されたわけだが、ともかく怒り始めたのだ。

 もちろん言葉を並べて落ち着いてもらったし、場の空気もアニキさんがいつもの調子に戻してくれたのだが……いろいろ言いながらも食べてるじゃないかってツッコんだら、さらに赤くなって怒鳴られた。正直その時の慌てっぷりは可愛かった。

 ……目の保養の代償が、積まれたこの書簡なのはどうかと思うのだが。

 

「美羽~、これ七乃に渡してきてもらっていいか? 都の警備体制についてのものだって言えばわかる筈だから」

「おお! 仕事じゃの! 任せるのじゃー!」

 

 寝台の上で俺のことをちらりちらちらと見ていた美羽は、俺が声をかけると目をキラッキラ輝かせて寄ってくる。そんな彼女に仕事を頼めば元気に駆けてゆき、戻ってくると「主様主様! 褒めてたも! 褒めてたも!」と眼で語る。……今は口で普通に言ってたが。

 褒めると足の間にとすんと座ってきて、上機嫌で竹簡などを一緒に見る。

 しかし少しすると目を回したかのようにふらりと揺れ、とすんと俺の胸に後頭部を預けると寝てしまう。難しいのは苦手なようだ。

 

「うん」

 

 そんな美羽の頭を撫でながら、書簡整理は続く。

 「まずはそれらを覚えなさい」と華琳に渡されたものがほとんどで、決して妙な照れ隠しや嫉妬心から無理矢理突きつけたようなものじゃない。きちんと都で暮らすために必要な知識だ。

 あとのものは朱里や雛里、冥琳が“この書物が参考になる”的なことを言って、置いていったものだった。なるほど、読むだけでもどういうやり方をすれば国にとっていいのかがわかる。

 わかるが…………数、多すぎだろ。

 

「いやいやっ、やるって決めたんだ、やってやろうじゃないか!」

 

 これしきで挫けてたら、都を纏めることなんて夢のまた夢だ!

 よし、輝く未来のためにも勉強勉強勉強ォオーッ!!!

 

……。

 

 …………コーーーン……

 

「終わらない……」

 

 やあ、北郷一刀だ。

 朝から黙々と整理を続けていたが、夜になっても終わらない。

 どうなってんだこの書簡の山は。

 

「むしろ朝より増えてないか……? ちゃんと片付けていったはずなのに、どうして……」

 

 倉に終わった分を持っていって、戻ってきたら……ああ、誰かが置いてったのか。

 誰だか知らないが……知らないってことにしたいが、なんという拷問を。

 

「よし、気分転換気分転換」

 

 ずっと机に噛り付いてちゃ脳が疲れる。

 なので氣の鍛錬を開始。

 未だにすいよすいよと眠る美羽を包みつつ、氣の放出や固定、増幅の練習をした。

 

……。

 

 ……ハッと気づけば朝だった。

 

「………」

 

 いつの間に寝たのかも覚えてない。

 ただ体がビクンと痙攣して、気づけば朝だった。

 

「……最近普通に寝てないな……んん」

 

 伸びをして頬を叩く。

 美羽は変わらず足の間だ。

 そんな美羽を抱き締めて、椅子を引いてから立ち上がる……つもりだったが、体が固まってらっしゃった。なのでギギギ……とゆっくり体をほぐしながら立ち上がり、美羽を寝台まで運ぶとゆっくりと横たわらせて、布団を被せる。

 

「さてと」

 

 穏やかな寝顔の美羽の頭を撫でてからの行動は早かった。

 窓まで歩いて開き、部屋の扉も開けると空気の入れ替えを開始。

 朝の静かな喧噪が空気とともに流れ込んでくる朝に、胴着と袴に着替えた俺は、バッグを持って外へと歩き始めた。何をするか? もちろん鍛錬である。大丈夫、既に鍛錬禁止令は解かれている。鍛えた結果が祭りでのあの動きならば、一層に励みなさいと。

 

「~♪」

 

 中庭までを歩く中で、顔を合わせた兵に挨拶。

 みんなが笑顔で挨拶してくれたり、姿勢を正しておはようございますを言ってくれる。

 気軽に声をかけてほしいこちらとしては、畏まられるのは少しだけ困るんだが……華琳や雪蓮に言わせれば、“必要な緊張だから無理にほぐす必要は無い”、だそうだ。

 

「はぁ……うん、いい天気」

 

 今さらだけど快晴の朝。

 厨房に寄って水を貰うと、いよいよ中庭で鍛錬だ。

 東屋の傍にバッグを置くと、まずは準備運動と柔軟体操。

 体をほぐしてから伸ばす。

 無理に伸ばすんじゃなくて、じっくりと体に負担がかからないように段階を追って。

 

「胴着と袴を着てると、どうもこう……」

 

 れっぷうけーん、とか言いたくなる。

 いや、気にしないで続けよう。

 

「筋肉が成長しないとはいえ、動かしてやらないと眠ったままだもんな」

 

 朝にはどうにも力が出ない筋肉を、じっくりと目覚めさせる。

 それが終わると走りこみだ。

 石段を登って城壁の上に辿り着くと、見張りの兵に挨拶をする。

 

「三日ごととはいえ、疲れませんか?」

「疲れる。でも心地いい疲れだから」

 

 苦笑する兵に「一緒にやってくれるなら大歓迎!」と言ってみると、物凄い勢いで首を横に振られた。このまま押し切ろうとすれば、“ヒィイ”とか言いそうな勢いだった。

 

「………」

 

 慣れって怖い。

 それだけの鍛錬をしてるってことか。

 なのに将には全然届かないんだもんなぁ……腕力とか速度とか。

 見切りで雪蓮に近づけはしたものの、結局は倒す力が無いことが判明したわけだし、もっともっと鍛えないとな。よし。

 

「足に氣を溜めて……っと」

 

 走る。

 とにかく俺は、氣の絶対量がまだ少ない。

 それを広がせるためにも氣を使って、錬氣してを繰り返さなければ。

 祭さん式の強引拡張は、連合祭りの三日後に華琳に見つかってしまい、本格的に禁止が命じられた。なので使いつつも錬氣するという器用な方法をやってみているのだが、これが辛い。

 息切れが激しいし、やったあとはそのー……強引に氣を練るからだろうか、腹が減る。

 

「錬氣して、足で弾かせて、また錬氣して……と」

 

 それを全力で。

 とにかく足一本で地面を蹴って進む距離を伸ばし、さらに回転も上げる。

 大股で走りながら、けれど足の動きは速く……そんな感覚で駆ける。

 

「っと……いち、に、いち、に……んっ! いぃっち! にぃいっ!!」

 

 最初はリズムよく、次にそのリズムに慣れると速度UP。

 もっと速く! より速く!

 氣しか鍛えられないなら、氣や勘、戦い方や立ち回りに力を注ぐ!

 もっと前へもっと前へぇええええっ!!

 

「いちにいちにいちにいちにいちにいちにいちにぃいいいっ!」

 

 数えている数も歩調に合わないほどの速度になると、もう呼吸代わりに叫んでいた。

 端から端まで何秒で辿り着くかを数えながらも、方向転換がすぐに出来るように工夫もする。途中から華雄が参加して、一緒に走り始めると、これがまた面白くなる。

 大会で俺が雪蓮に勝ってからというもの、鍛錬のたびにやたらと挑戦してくるので、一緒にこうして鍛錬をしているのだ。勝負って名目は横に置いておいて、どうせなら競い合うように強くなれますようにと。

 

「よしっ、じゃあ華雄、あれいい?」

「ああ、構わんが」

 

 散々走ると汗を拭いつつ、いつもの木の下の傍に戻る。

 そこで自分の中にある氣の大半を華雄に埋め込み、すぐにまた練成。

 それをさらに華雄に渡してを繰り返すと、パワフル華雄さんの完成である。

 

「ふぅう……はぁあ……!」

 

 で、華雄は華雄で戦いの中で熱くなりすぎないよう、この状態をキープ。

 前回の鍛錬の時、“挑発に乗り易い”って指摘したら否定したので、実際に戦いながら挑発したらあっさり我を忘れての突撃を開始した。

 そんな猪突猛進状態で、攻撃しか頭にない華雄の隙をついてなんとか返り討ちに……できたのはよかったんだが、華雄が落ち込んだ。物凄く落ち込んだ。以来、冷静になれるようにと鍛錬を始めたわけだが……これが二回目だから、まだ安定はしていない。

 

「ところで北郷。私はお前に負けたわけだが───」

「あれは鍛錬の延長だろ? 熱くなりすぎることを克服した時にもう一度やろう」

「……そうか。お前がそう言うのなら、そうしよう。次は油断も慢心もしないだろうがな」

「その時はよろしくな……は、はは……その、是非お手柔らかに……」

「断る」

「即答!?」

 

 本気の将にはまだまだ勝てる気がしない。

 とはいえ、あのまま“じゃあ俺の勝ちで”なんて言ってみろ。妙なところで生真面目な華雄のことだ、二言は無いとか言い出して、俺の子を産むとか……い、いや、ないだろうけど完全に否定できないから困る。

 

「北郷。お前はどのあたりまで氣を練れるのだ?」

「俺? どのあたりって……難しい質問だな。えーっと……」

 

 離れていた位置から木のもとまで歩き、木刀を手にして華雄のもとへ。

 そこで錬氣を始めて木刀に纏わせていくと、いつもの量では止めず、さらにさらにと上乗せしてゆく。

 するとどうだろう。

 黒檀木刀が氣を帯びて薄く輝き始め、それでも無視して籠め続けていくと、光の濃度が濃くなって黄金色に輝いてゆく。

 それでもさらに無視して上乗せ、混入、蓄積、装填。

 

「………」

 

 そんなことを続けていたら……とんでもないことになった。

 今現在、構えている木刀が黄金色と書いてコガネ色に輝いているんだが、木刀が氣にあてられてミキミキと嫌な音を───ヒィ! やばいやばい! 壊れるってこれ!

 えーとえーと体に戻す……には多すぎる! だったら、そうだ剣閃!

 あ、でも切れ味とかどうなってるんだろうかコレ。

 …………ちょっと試してみようか。

 手頃は石を拾って、軽く上に投げてカッキーンと野球のように……あら、軽い手応え。ぼとりと落ちるお石様───って斬れたァーッ!? 打つどころか斬れた!? え、あ、えぇ!?

 

「…………氣って……すごいんだなぁ……」

 

 改めて感心した。

 思えば使えるようになってからは身近なものになっていたけど、普通に考えればとんでもないものだもんな、これ……。放てば看板だって吹き飛ぶし、普通の歩法じゃ出せない速度も出せるわけだし。

 一度、そういうものを扱ってるって意識を戻したほうがいいよな。

 輝く木刀を持ちながら、ごくりと喉を鳴らした……そんな俺を、華雄は羨ましそうな顔で見てきた。

 

「むう。私はそういうものを使った試しがないのだが」

「いやいや、使ってるって。十分使ってるから」

「? ……どういうことだ?」

「えっとな、俺が氣を流し込むときに気づいたことなんだけど───」

 

 とりあえずアレだな。自分が感じたことをはっきりと説明してみよう。

 氣はあるけど常時使われている状態なんだってこととか、今はその氣を俺が纏わせた状態だから、案外使えるかもってこととか。

 

「む、う……使うと言われてもわからんが……」

「無意識って怖いなぁ……」

 

 言ってしまえば今でも使われている。

 試しに握手をしてみたら、ペキコキと指があだぁーだだだだだ!!

 

「華雄待って華雄! 離して! やっぱりもう使えてるってこれ!!」

「なっ……意識などした覚えもないぞ!?」

「俺としては意識しないでどうして使えるのかが謎だよ!」

 

 解放されてからもズキズキと痛む手にプラプラと振るい、痛みを逃がす……けど、この行動って普通にやってしまうものの、効果はあるんだろうか。あれか、遠心力で痛みを外に…………逃がせたら苦労はしないなけどな。まだ痛いし。

 ともかく華雄に自分の中の氣がどんな状態なのかを説明する。

 説明し終えると、早速使ってみようとする華雄なのだが…………

 

「………」

「華雄?」

「使い方がわからん」

 

 いや、だから使ってるんだってば。

 そう言ってみても、なんだか納得出来ていないようだった。

 

「私もすとらっしゅとかいうものが出来るか?」

「出来る……とは思う。渡した氣が自動で使われる前にやってみようか」

「よし!」

 

 どうやら春蘭が使ってたのが気になっていたようで、コツを教える間は熱心に聞いていた。何度首を縦に振ったのかは……途中から数えるのをやめたくらいだ。

 

「よし、よし! こうだな! はぁあああ……!!」

 

 構えた金剛爆斧に氣が集められる。

 さすがに武人と言えばいいのか、コツを教えたら氣の移動なんて一発だった。

 ……べ、べつに羨ましくなんかないぞ? ほんとだぞ?

 

「あ~……か、華雄~? 熱くならずに、冷静に、冷静にな~……?」

「何を言っている? 私は冷静だ……っ!」

「目が滅茶苦茶輝いてますが!? 縁日の子供並みに輝いてらっしゃいますが!? ってちょっと待った華雄! そんな状態でやったら───」

「おぉおおおおっ!! すとらっしゅ!!」

 

 やがて振りかぶり───投げたッッ! 斧をッッ! 投げ───えぇえええっ!?

 

「え、いやちょっ───逃げてぇ! 見張りさん逃げてぇええええっ!!!」

 

 斧が飛ぶ!!

 氣を籠めた斧が、中庭から城壁の見張り台目掛けて飛翔する!

 その先には城の安全を見守ってくれている見張りの兵が───!!

 

『キャーッ!?』

 

 俺と華雄、絶叫。

 氣が籠もった斧は見事に見張り台に直撃。

 咄嗟に逃げてくれた兵にはただただブラボーを唱えたかったが…………もちろん当然のごとく華琳に報告が行き、盛大に怒られた。罰も受けることになった。

 ……あ、罰は華雄だけだった。

 

……。

 

 鍛錬が中止となり、時間が空いてしまった俺は、とりあえず空いた腹を満たした。

 華雄とはついでとばかりに華琳に仕事をもらい、途中で別れることになったから、現在は俺ひとりだ。

 歩いていれば誰かに会うだろうとは思ったものの、これで結構都の建築などで人材が使われているらしく、城の中は案外静かだ。

 

「ああ……どうせなら俺も建築のほうに回りたかったな」

 

 知識はないが、木材運びくらいなら手伝えただろうに。

 氣を使えるようになってからというもの、体を動かすのが楽しくなったフシがある。

 自覚済みだから、頭を使うことよりもいっそのこと……とは思うのだが、しっかりと華琳からは釘を刺されていたりする。

 

「まあ、今は勉強勉強、だな。覚えなきゃいけないことは山積みだ」

 

 汗も拭き、とっくにフランチェスカの制服に戻していた服を見下ろしてから苦笑。

 思えばなにをするにもこの格好だったな。

 学んでいくって意味では、確かに学生っぽくはあった。

 戦いまでもこの格好でするのは大変ではあったものの、やっぱり学ぶことは多かった。

 

「これからどうなっていくんだろうな、てんで想像がつかない……」

 

 溜め息と一緒に漏れた声を、誰かが拾うなんてこともなく。

 俺は、一日中誰も来訪することがなかった部屋で、ずっと書類整理を続けた。



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87:三国連合~IF/ほのぼのとしたい④

136/ただ自然に身を委ねて

 

 時間は普通に流れる、という言葉を誰かが使った。

 普通という基準が誰のもので、どういった経ち方が普通なのかは誰も知らない。

 けれど、なにかに夢中になると時間が経つのが速いように、その逆もまた存在する。

 それを考えれば、普通がその中間に当たると考える。

 楽しくもなくつまらなくもない、確かに普通の時間を過ごせば、時間は普通なのだろう。

 

「んーと……ここは隊のやつらと話し合うとして……あー……もうちょっと人が居るな」

 

 そんな普通の中、考えることは山ほどある。

 一日中を部屋の中で過ごすことが多くなった日々は、退屈ではあるのだが、つまらないとまではいかない。

 都で過ごすことを考えれば、期待と不安を混ぜたような……そう、普通の時間だった。

 

「華琳ー、人材のことなんだけど───……って居ないし」

 

 日常は普通に流れてゆく。

 部屋を出ても、行くとしたら厨房か華琳の部屋か中庭ばかり。

 書類整理をしながらも氣の鍛錬は毎日行い、じわじわとではあるが強化されていっている……と思う。

 

「まあ、これは後回しにして別のことだな、よし」

 

 やることは山ほど。

 覚えることも山ほど。

 それが苦かと問われれば、普通だとしか答えられない。

 別の言葉を並べても、きっと辿り着く答えは変わらないだろうから。

 

「……………」

 

 集中しすぎるといろいろなものが遮断されるのは、呉に居た時とあまり変わらない。

 ふと気づくと夜になっており、誘いに行ったけど返事がなかったという声を結構耳にしたりする。さらに言えばその所為で食いっぱぐれてしまい、夜に城を抜け出して、アニキさんの店へ食べに行くこともしばしば。

 ツマミ騒動以来となる来訪だったんだが、アニキさんはニカッと笑いながら迎えてくれた。

 

「おっ、また来たなぁ?」

「いやははは……ごめん、空いてる?」

「おう、ちっと待ってな。おぅい、そこ詰められるだろ、詰めろ詰めろ」

「おぉお? おいおいおい、キツイぞぉ? ここ」

「うるせっ、どーせ男しか居ねぇんだから、男の親睦深めやがれ」

「ごめん、お邪魔しますっと」

「あー、いいってことよぉ! こうなりゃもう肩組んででも詰めてやらぁ! おうおう、御遣いのにーちゃん、こっち座れこっち!」

「てめぇはもうちっと酒くせぇのを直してから言いやがれ! こっちだー! 御遣いのにーちゃん!」

「んで? なに食うんだ?」

「あ、とりあえず酒」

「たっはっはっはっは! そうだよなぁ! まず酒だよなぁ! せっかく腹空かせてんだから、すぐ酔うためにも酒だぁなぁ!」

「なぁ~に言ってやがる! じっくり酔うのがいいんじゃねぇか! にーちゃんよぉ、まずメシにしろって。俺のつまみ少しやるからよぉ」

「そんな残りッカスで腹が膨れんのかぁ?」

「膨れてんのはてめぇの腹だけだろうが!」

「馬鹿言え! おめぇの連れよりゃ痩せてるよ!」

「てんめぇ妊婦に喧嘩売ってんのかぁ!? 俺のツレの前で同じこと言ってみろぃ!」

「それこそ馬鹿言え! 張り手一発で首が折れちまうだろ!!」

「だぁっはっはっは! ちげぇねぇや! ま、ま、これ食えにーちゃん!」

 

 町に出れば笑いがあって、その笑いの中で肩を組んで、酔って笑って、話して笑って。御遣い御遣い言いながらも、きちんと一人の飲み仲間として肩を組んでくれることが嬉しかった。

 

「しっかしまぁ今さらだけどよ、このにーちゃんが支柱ねぇ。まあ、そうなってくれるならありがてーやなぁ」

「ああ。大会見た時ゃちびるかと思ったね。あんな激しいの、今回が初めてだ」

「元譲さまだけは毎度毎度全力だったが、いつもはもっと礼儀正しい、落ち着いた戦いばっかりだったもんなぁ」

「え? そうなのか?」

「そーなのさ。あの場に居たやつなら間違い無く思うね。“戦なんて二度とやっちゃならない”ってな。その同盟がにーちゃんの肩に乗っかってるって考えりゃあ……遠慮ねぇ言い方をすれば、にーちゃんには期待してるんだよ、み~んなな」

「複雑だなぁ、それって」

 

 口ではそう言うが、望むところだった。

 自分の肩に戦云々が圧し掛かるのは怖い。だが、それは受け取り方の問題だ。

 戦なんてしなくても、もうみんなの願いが叶う現在があるのだ。わざわざする理由も無ければ、みんなも戦をしたいなんて言わないだろう。

 だから笑った。苦笑ではあったが、笑いながら話を続けた。

 

「つーかな、こんなのほほんとしてそうなヤツが、元とはいえ呉の王様に勝っちまったんだよなぁ……」

「御遣い兄ちゃん、おめぇ、もしかしてすげぇ男なのか?」

「だっはっは! アニキさんよぉ、すげぇかどうかなんて、種馬って時点でわかりそうなもんじゃねぇかぁ!」

『ああ、そうだったな』

「全員で納得!? みんなしてなんだよその生暖かい目!」

 

 いろいろツッコミたいところがあれば全力でツッコミを入れ、肩を組んで笑い合う。

 最近は将のみんなよりも、兵や民のみんなと騒ぐ時間の方が多くなっている気がする。

 気がするだけで、実際は違うけど……なんというか、色濃い時間を過ごしている気がするのだ。愛し合うとかじゃなくて、ええっと、なんて言えばいいのか。……そうか、悪友と燥ぐ感覚と似ているんだ。

 “城の中だからああしなきゃいけない”って考えから外れた、北郷一刀で居られる時間。男同士だから出来る会話に、緊張しなくてもいい空間で、男たちで馬鹿をする。

 この世界に来てからというもの、自分にはそういうものを得る時間が極端に少なかった。

 

「っかー! しっかし美味ぇなぁこの料理! にーちゃんとアニキさんが作ったんだっけか!?」

「チビとデブもな。へっへ、まぁ自慢の味だぁな」

 

 美味いと言われるのが嬉しかったのか、照れが混じった笑みを浮かべるアニキさん。

 美味いと言った男も言葉の通りに料理を口に運んでは、追うように酒を口に含んで笑っている。なんというか、自分たちが作った料理が笑みのきっかけになってくれるっていうのは、くすぐったいものだ。

 だからアニキさんもあんなに嬉しそうなんだろう。

 

「ひっひっひ、この調子で行きゃあもっと繁盛するんじゃねぇかぁ?」

「気持ち悪ぃ笑い方してんじゃねぇよ。俺ゃ繁盛する店で働くよりも、こうしておめぇらと騒げるくらいが丁度いいんだよ」

「アニキさん……あんた男だなぁ。よし、俺の娘をやろう」

「ばかやろ! なに言い出しやがるんだ! 産まれたばっかだって言ってただろうが!」

「だはははは! 言う割りにゃあ顔赤ぇぜぇ旦那ぁ!」

「かっ……! 黙って食え! この酔っ払いが!」

 

 そんな空間の中で一緒に笑っている。

 飲む酒はちびちびと。料理もじっくり味わいながら。

 こういう場所ってなんかいいなって毎度毎度思いながら、結局閉店までを過ごした。

 時間が経って解散して、部屋に戻っても騒いだ興奮で眠れなくて、やっぱり勉強をする。

 

「………」

 

 とっくに寝ていた美羽の頭をさらりと撫でてから机へ向かう。

 向かいながら氣の強化を少しずつ。

 なんだかんだやっているうちに机で寝てしまい、また朝を迎える。

 そんな日々の繰り返しに慣れていくと、少しずつ変化をつけていく。

 

「放出しながらすぐに錬氣…………くはぁっ……! 疲れるなぁこれ……!」

 

 今までやっていたことを一回り大きくしたものだ。

 勉強の量も増やして、鍛錬は思いっきりやって、休む時も思い切り休む。

 美羽の練習に付き合っていたら、少しずつではあるが二胡も弾けるようになってきた。

 それは本当に少しずつの進歩であり、通りかかった桂花に鼻で笑われるようなものだが、むしろその鼻での笑いを驚愕に変えてやるつもりで頑張った。

 しかしまあ、上達ってものは本当にジワジワとしか進めないものであり、驚く顔が見れるのはまだまだ先になりそうだ。

 

「……一刀。これはなにかしら?」

「え? なにって……ミルクきな粉?」

 

 もちろん料理も忘れていない。

 時折、華琳がなにかしらの刺激(新しいなにか)を欲しがるので、それを味覚でなんとか落ち着かせたりしている。ツマミの研究はこんなところでも役に立った。

 あれ以来、俺がオヤジの店に行く時には声をかけなさいと言われているのだが……よかったのかなぁこれ。いや、そりゃあ華琳と一緒に居られるのは嬉しい。でも、男同士でしか出来ない気兼ねない会話というものがあるわけで。

 それを言ってみれば華琳も一応納得はしてくれた。条件として、酒を飲む時には俺がツマミを作るというものを突きつけて。

 

「あら……甘いのね」

「っへへー」

「なによ。だらしのない顔をして」

「いや、だってさ。やっぱり自分が作ったもので誰かが喜んでくれたら嬉しいだろ?」

「……一刀。私は“甘い”と言っただけで、喜んだりは───」

「顔、緩んでるけど?」

「!!」

 

 あ。赤くなった。

 と、まあ日々はこんな感じだ。

 華琳が作った酒に俺が作ったツマミ。

 それを飲んで少し上機嫌になる華琳と、それを見て心穏やかになる俺。

 俺の方の“日本酒?”も今のところ順調だし、今回ばかりは成功しそうで嬉しい。

 今回の名前は北颪。“きたおろし”と読む。北の山風って意味だな。“颪”自体が北の風だから北颪って名前は少しヘンなんだけど、まあ気にしない。

 

「それより一刀。知識の補充は順調なのかしら」

「ああ。毎日毎日しっかりやってるよ。……罰のほうも、もちろん」

「ええ結構。ふふっ……」

「? いきなり笑ったりなんかして、どうかしたか?」

「素直に感心していたのよ。これが、入りたての頃は右も左もわからない、仕事といえばサボったり空回りばかりだった男とは思えないわ、とね」

「……感心か? それって」

 

 思わず苦笑しながら頬を掻いた。

 しかし彼女は“上機嫌です”って言葉を顔に貼り付けたような笑みを浮かべ、「素直にと言ったでしょう?」と言う。

 

「最初からなんでも出来る者など居ないとはいえ、いい拾いものをしたわ」

 

 や、拾いものって……まあ事実か。

 じゃあ俺は、華琳のその“いい拾い物”って認識を壊さないように頑張るか。

 華琳が素直な感心を向けてくれるのは、普通に嬉しいし。

 …………たとえ受け取る側が“素直な感心”には聞こえなくても。

 

「そか。それじゃ、もっと頑張ってみるよ」

 

 俺の言葉にくすくすと笑う。

 なにかツボにでも入ったんだろうかとは思うものの、いつも通りの言葉が返されると俺も笑った。

 なるほど、拾われた方としても、いい場所に拾われたもんだって思える。

 存在を張ってまで意思を貫いた甲斐があったってものだ。

 保身に入れば負けていたであろう戦の日々を思って、俺も笑う。

 これもまた、なるほどだ。

 拾った者の言葉なんて無視していれば負けていたであろう日を思えば、巡り合わせってものを笑いたくもなる。華琳も今、そんな心境なんだろう。

 幸いにして、“頑張ることが出来ること”が山ほどだ。

 やることに困ったらとりあえず書類整理。……それが、今の自分に出来ること。

 部屋に戻ればまだまだ“やること”が待っている。

 

「ところで華琳。氣の強引拡張の許可を───」

「だめね」

 

 上機嫌なのをいいことに、さらりと言ってみたら断られた。

 ……やっぱり地道にいくしかないか。

 辛かろうが、手っ取り早く氣脈の広げ方を知るとダメだなぁ、横着したくなる。

 あれが横着と言えるほどに楽であったなら、禁止もされなかったんだろうが。

 断られることは想定内だったから、俺は笑いながら厨房をあとにした。

 さて。

 都のために覚えることも随分と読んできた。

 もちろんまだまだ覚えることはあるが、その都で自分がやってみたいことをやるのも悪くない。この時代に天の知識を組み込みすぎれば未来がどうなるのかなんて、まあ想像に容易いというか……あまりしたくはないものの、技術が先走らない程度にやっていこうと思う。

 

「じいちゃんが言ってたなぁ……過ぎた技術は自分の首しか絞めないって」

 

 大陸は自然が多い。

 そんな世界で人が生き易い条件ばかりを増やせば、人は見る間に増えるだろう。

 建物が増えて、自然が削られて、いつかこの“当然になった空気”も濁るのかもしれない。そして自分は、その変化にも気づけないくらいにその空気に慣れてしまうのかもしれない。それは……なんだか嫌だって思った。

 

「栄えるばかりが未来のためじゃない……よな」

 

 自分勝手だけど、知識を提供するかどうかはその場で生きる者に委ねるべきだ。

 俺は……この時代の“流れ”に身を委ねてみようと思う。

 邪魔にならず、しかし栄えすぎない程度の知識を提供して。

 いつまで生きるのか、もしや果てはないのかもしれないこの体で。

 

「ははっ……さて、仕事仕事っ」

 

 苦笑をこぼして歩く。

 さて。

 国に返すための一歩をまた積み重ねますか。

 受け入れられるかはわからないが、出来ることをやったと……せいぜい胸くらいは張れるように。




 夜のお楽しみの回。
 いえ、性的な意味ではなく。むしろアニキ回。結構アニキさん好きなんですよ。
 だから萌将伝でまた悪役やってる時にはもう黒いものがモシャアア……と……。
 しかしアレですね。改めて、恋姫の世界はほんと、何が存在して何が無いのかがわからない。
 味噌は普通ならこの時代には無いが豆板醤などはある。
 酒が作れるなら味噌もOK。というか64で既に出してます。香りだけですが。
 ここでの味噌は、一刀が消える前に華琳に渡したメモに製造方法があった~などで保管してください。

 えー、はい、さて、87話をお送りします、凍傷です。
 大掃除の季節ですね。仕事場でも家でも。いやぁ、指が割れます。掃除の時はゴム手袋したほうがいいですね。蒸れて乾燥してアカギレにならんようにも気をつけないとですが。

 と、こんな感じで、小説の内容は山も大してないものが続くと思います。
 平穏ほのぼのを書きたかった……! という思いをぶつけているだけな気もしますが、続きます。
 IFらしさはどうしたとツッコまれればそこまでですが、多少非常識へ向かうかもしれないので。“恋姫ではそれくらい常識だ”って言われたら焦るほかないです。
 自分の中での恋姫はシリアス、日常、超展開で構築されているものなので、そこから外れることはあまりないかもですが。
 もしもこんなことが起きたなら。結局はそこです。
 相変わらず作者の妄想を書いたものとなるでしょうが、のんびりお付き合いください。
 飽きたらそこまででいいんです。暇潰しの役に立てたなら最強さ。なにが最強なのかは気にしないでください。
 では、また次回で。


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三国収束編
88:IF/もしも未来が過去ならば①


 さあ! IFだよ! 今まで異常に、もとい以上に内容がアレだよ!
 とりあえず恋姫ブログであった小ネタを実際にやってみたり(祭さんが飲んだら子供になったアレとか、滅殺はわわジェットとか)、華琳と雪蓮が叩いてかぶってじゃんけんぽんしたり、黄の王ジェレマイアだったり、一刀が南蛮密林生活記があったりとか。
 大丈夫、きっと萌将伝で“水着のために兵を率いてモンハンチックに龍と戦う”っていう超展開よりは、普通の世界が待っていると思うの。

 あ、ちなみに凍傷は悪いクセとして、途中途中にシリアスを混ぜなきゃ死んじゃう病にかかっているので、無駄にそういうシーンが出てきます。
 でも基本はほのぼのとか馬鹿話が大好きです。


137/平和に慣れたその先で

 

 ゴロロロロロ……ゴシャッ。

 

「………」

 

 広い青空の下、城や街の外である草原にて。

 今……俺達は歴史を前に立っていた。

 歴史と言うには時代がいろいろとアレだとか細かなツッコミはいい。

 ともかく、この時代でも先の時代でも普通は作ろうとは思わないものを完成させた。

 本来ならば三国連合の際に発表するつもりだったそれは、出来上がってはいたが“これでは無理だ”と俺がダメ出しをして、さらに改良を加えたもの。

 その名も───

 

「どーや隊長ー! これが! これがウチの氣動自転車“片春屠(かたぱると)くん”や!!」

「カタパルトってお前……。なぁ。いっつも思うんだが、そういう名前はどこから来てるんだ?」

 

 「んーなんえーから」と俺の疑問なぞそっちのけで、乗り方の説明に入る真桜。

 俺も、もう包帯を取った手を軽く握ったり開いたりを繰り返し、話を聞いた。

 軽く握る分にはもう問題ない。いいことだ。

 

「この片春屠くん自身に、止まる手段はないっちゅーことをまず覚えといて」

「いきなり怖いなおい!! そういうのは普通最後に言わないか!? で、忠告聞かずにワクワクしていた俺がさっさと乗ってドカーンとかそういうオチで!」

「や、名前の由来もそういうところから来とんねん。おっきぃ声では言えんねやけどな? ほら。片春屠くんの“片”は、片道を突き進むって意味で、春は…………ほら、わかるやろ? で、あとは相手も自分も屠るって意味で」

「……つまり、これは突撃だけをして相手を屠る、あの将軍さまを思って作ったと」

「…………絶っっっ対に……名前の由来は内緒やで?」

「華琳とか秋蘭は気づきそうな気もする」

「よっしゃ名前変えよ!」

「しかし片春屠くんか。素晴らしい形だな片春屠くん。きっと雄々しくも華麗なる動きを見せてくれるんだろうな片春屠くん」

「連呼やめぇえ!! 今変えるすぐ変える! ちょっと待ったって隊長ぉお!!」

 

 真桜が屈み込み、コメカミに指をあて、横線のような目になってうんうんと唸り始めた。口はなんというか、栗のような形だ。

 

「………」

 

 ふむ。

 しかし見事なまでに二輪車だ。

 バイクとはいわないが、こう……ロードローラーをバイクに近くした感じだろうか。

 ひょいと跨ってみると、まず違和感。

 自転車では味わえないほどの重量感が得られた。

 一言で言うと“滅茶苦茶重い”。

 

「真桜、これって───」

「んあーっ! 隊長が片春屠くん片春屠くんいうから他の名前が浮かんでこんなってもうたやーん!!」

「それは(なす)り付けっていうんだ。考えた名前には責任を持とうな。俺は紹介された名前を口にしてただけだし」

「うぐぅっ……隊長のいけずー……」

「はいはいいけずですよー。それでさ、これってどう動かすんだ?」

「強ぉなったなー隊長……。前までは急に話振られればおたおたしとったのに」

「各国で散々と振り回されれば、そりゃあな……」

 

 とはいえ、少しでもスルースキルを発揮できるのは、相手が真桜だからだろう。

 凪や沙和にも言えるだろうが、他となると中々に難しい。

 これも慣れだろう。

 なんだかんだで真桜や沙和や凪とは付き合いが長い。

 

「んじゃ、説明始めよか。まず跨り方はそれでええ。次にそこの……そうや、そこを握って───」

 

 姿勢は自転車やバイクと変わらないらしい。

 ロードローラーを自転車に変えたようなものではあるが、タイヤ……というかローラー部分の幅が広いので、両足をつかなくても倒れることはない。

 もっともこれと一緒に倒れたりしたら、片方の足が確実に潰れるだろう。転倒事故は絶対に起こせないシロモノだ。

 

「ん、そんでええ。で、氣を送る」

「ん……」

 

 バイクに跨りハンドルのグリップを握るようにして、ゆっくりと氣を纏わせる。

 ハンドル部分に真桜の螺旋槍が回転する仕組みにもなる絡繰が組み込まれているらしく、そこに氣を送ることで車輪が回る……そういう仕組みなんだそうだ。

 少し氣を埋め込んでみれば、ずず……と車輪が回り、氣動自転車が前に進む。

 

「お、おお……!」

 

 感激……!

 自分が係わったものが成功の一歩を踏み締めんとする瞬間、俺と真桜は顔を見合わせた。

 もちろん笑顔で。

 そんな喜びを前に、俺の心はどうしようもなく弾んでしまい、つい送る氣の加減を誤った。

 あとの出来事なんてものは、まあ……誤ったという言葉の通りだった。

 

 

   ギャアアアアアア…………!!

 

 

         どっかぁーん……!!

 

 

……。

 

 派手に吹っ飛んだ俺と樹木。

 片春屠くんの名は伊達ではなく、衝突した樹木をいとも容易く破壊して見せた片春屠くんは、操縦主である俺が空を跳ぶことで停止した。

 どうやら氣が無いと満足に動くシロモノではないようで、多少の斜面でもどっしりと動かないようだ。そして風になった俺は地面を“バキベキゴロゴロズシャーアーッ!”と派手に転がり滑ったわけだが。

 

「真桜……プロテクター作って……お願い……」

「や……ちゅーか……よく無事やったなぁ隊長……」

「ふふっ……春の名を真名に持つ者の突撃には慣れてるからな……」

 

 のちに彼女は言う。

 “あん時の隊長の目は、ある一部だけ悟りを開いた者の目やった”と。

 それはそれとして、痛む体を引きずりつつも、片春屠くんの無事に驚愕する。

 

「傷すらついてないぞおい……」

「そらそうや。隊長の氣で包まれるからそれが緩衝材になるし、素材も半端なもんは使ってへんもん。ま、その分金はかかったけど」

 

 なるほど。貰った給料のほとんどを真桜に預けたのは間違いではなかったか。

 ……前借りもしちゃったから、しばらくはただ働きだよちくしょう。

 追加で「あとはぶつかっても対象が壊れんよう、氣の調整をするんは隊長の役目や」と言っている真桜の顔は、実に生き生きとしている。

 

「で、ようするに止まるには氣を抑えればいいんだよな?」

「おっ、一発でわかるなんて、隊長も氣ぃっちゅうもんがわかってきとるやん」

「そりゃ、毎日使ってればね」

 

 樹木を破壊したままのそれに跨り、氣を解放。

 すると前に進むそれを、ぐっとハンドルを捻り、方向転換する。

 

「おお……曲がる曲がる。名前の由来の通り、曲がれなかったらどうしようかと」

「や、さすがにそれやったったら職人の名折れやろ」

「そりゃそうだ。名の通りに完成させるのも、ある意味では職人業とも言えるけど……さすがになぁ」

「なー……」

 

 突撃前進しか出来ないんじゃあ、どこにも向かえないし方向転換させるには重過ぎる。

 まあ、なにはともあれ一つの目的が達成されたわけだ。

 あとはどれほどの速度が出るかとか、氣を送らなくなったらどれほどの速さで走行速度が落ちるのか。それを確かめておかないとな。

 急にビタァッと止まられたら、また俺が空を跳ぶことになりそうだし……。

 

「よし! 真桜、後ろに乗ってくれ!」

「おお! 道連れやな! ってお断りするわ!」

「物騒なこと言わない! 作ったなら信じよう!?」

 

 漫才みたいなことをしながらも、真桜はにししと笑って後ろに跨る。

 その際、俺の体に腕を回して抱き付くわけだが……皆まで言わない。

 背中がこう……いや、言わない。

 

「ん……最近ご無沙汰やし、これが終わったあとでも、どや?」

「ハハハ、ナニヲオッシャルエッセンシャル。もはや俺は我慢の男! 欲望の波などとっくに手懐けていられたらいいなぁ!」

「……隊長、途中から希望的ななにかになっとるでー……」

「ほっといてくれ! 俺はもういっぱいいっぱいなんだよ!!」

 

 だが大丈夫。まだ藤巻十三にはなっていない!

 あれをやらかしてしまったら、一緒に寝ている美羽にもう顔向けできないし!

 そんな考えを頭から追い出すべき、「ちゃんと掴まってろよ」と真桜に告げて走り出す。

 まずはゆっくり、徐々に速く。

 広大な平野を走り、速度調整を感覚で覚える。

 

「面白いなこれ……氣の加減ひとつで随分と細かく速度を変えられる」

 

 自転車のギアとか顔負けだな。

 もっとも、氣をずぅっと使うわけだから長距離すぎるとバテる。

 錬氣が出来て、最大量が多い人用だ……けど、案外鍛錬に向いている。

 

「よしっ、思い切り氣を籠めてみるから、しっかり掴まっておけよ真桜!」

「お、お……おおっ? なんや隊長、急に口調が男らしく───」

「男は乗り物で変わるんだ!」

 

 未知との邂逅、様々な興奮を前に燃えない男は頭脳派だけで良し!

 そんなあなたは突っ込んだ男に向けて“たわけが”とだけ言ってやってくれ!

 そして俺は───そんな馬鹿で痛い! じゃなくて居たい!

 

「全速前進っ! うぉおおおおおーっ!!」

「ほわぁああっ!!? ちょ、強っ! 速ぁぁっ!? ちょちょちょちょぉおお待ってぇ隊長ぉおっ!! 自分で作っといてなんやけど馬より速いなんて予想外───うひゃあああああーっ!?」

 

 手に氣を籠めて、今出せる全速力を。

 平野を一気に駆け抜け、体を傾けて曲がったりをして、しかし遠心力で吹き飛ばされそうになりながらも無理矢理にしがみついて速度を堪能する。倒れないようにローラー部分が平らであるため、傾けたところで曲がれるわけではないが、まあ気分だ。

 しばらくすると真桜も慣れたのか、笑いながら様々な動作のチェックに励んでいた。

 おお……これはいい気分転換になる。

 しかも相当速いし氣の消費も少ないとくる。

 こうなるとアレの開発も夢ではないのでは? と思ってしまう。

 

「なぁ真桜ー! これなら案外空だって飛べるかもしれないぞー!」

「空ー!? これで空は無理やろー!」

「あー! だからー! これは地面を駆けるもので、空はプロペラで飛ぶんだー!」

「ぷろぺらー!?」

 

 走りながらで、風がバババババッと衣服を揺らす速度の中、叫びながらの会話。

 そう……この技術があれば、人は空を飛べるかもしれない。

 前にも言ったが、その気になれば空だってというのはあながち虚言にはならないかもしれないのだ。

 プロペラ付きのリュックみたいなのを背負って、ロケットベルトのようにシュゴーと。(*ロケットベルトについては、参考としてパイロットウィングスをどうぞ)

 たしかなにかのCMで、ロケットベルトを背負った誰かが空を飛んでいくってのがあったなぁ、なんてことを思い出しながら、空への思いを膨らませた。

 さすがに考え事をしながらだと危ないので、速度は緩めた状態で。

 

「やー……けどこんだけの速度が出せるんやったら、各国への送り迎えとか楽でええわ」

「一人くらいしか乗せられないけどな。重要人物との会談だけなら、これで迎えに行くのもありだなって思うよ」

「そん時に駆り出されるんは隊長やろけどな」

「? 凪のほうがいいんじゃないか? 丁寧だし、迎えられたほうも嬉しいだろ」

「あー、あかん。凪はそら氣ぃは上手く使えるよって、進むだけならええねんけどな。絡繰の操作っちゅうもんがどうにも下手なんよ。複雑な絡繰の篭を凪に渡して、絡繰の説明させる場面、想像してみぃ」

「………」

 

 なんというか、あたふたしながら絡繰を爆発させている姿が浮かんだ。

 うん、氣はいいんだ。でも絡繰となると……なるほど。

 

「実際にはどうなんだ? やっぱり苦手なのか?」

「絡繰夏侯惇将軍を壊されて以来、触らせるんが怖なっとる」

「なるほど」

 

 ようするに真桜の苦手意識か……わかるようなわからんような。

 むしろ真面目に働いてれば、あの時も壊されるようなことはなかったろうに。

 

「やー、けど気持ちええなぁ。暑い日が来たら、これで遠乗りってのも悪くないわ。あ、もちろん使うんは隊長な?」

「仮にも隊長って人をなんだと……」

 

 言いながらちらりと後ろを見てみると、なんというか凄く嬉しそうな真桜と目が合った。なにやら異常なほどご機嫌らしい。

 まあ、作った絡繰が予想以上に速かったり性能よかったりして、馬よりも速いし気持ちいいとくれば、気分もよくなるか。

 

「このまま国境まで行ってみるか?」

「や、どんだけこれが速くてもそら無理やろ」

「仕事サボらなきゃいけなくなるよな。……ん、よし。今度誰かが他国に行かなきゃいけなくなった時は、これで送り迎えを───」

「気に入ってくれたんは嬉しいけど、隊長がそれやったらウチが大将にいろいろ言われんねんけど」

「じゃああれだ。華琳が他国に行きたいって言った時に」

「あー、なるほどなー……それやったら大将自身のことやからな~んも問題あらへん」

 

 歯を見せるくらいににんまり顔の真桜が、きししと笑う。

 や、声からしてそんな笑い方をしてるんだろうなって想像だが、その表情が簡単に想像出来てしまうんだから仕方ない。

 そんな想像も苦笑と一緒に散らして、氣動自転車を許昌前に着けると一息。

 降りて体をぐいっと伸ばしながら、ふと気になったことを真桜に訊いてみた。

 

「と、ところで真桜っ、これには武器はないのかっ? ほら、山賊撃退用のドリルとかっ」

「や~……隊長? そんな少年みたいな顔でなにゆーとるん……」

「───はっ!? …………あ、いや、べべべつに暴力のためとかじゃなくてだな? えぇと……あー……そ、そうっ、やっぱり乗り物にはそういうのがあったりするのかなーって!」

 

 氣で動く乗り物を見てしまった。

 その時、きっと俺の中の“常識の壁のひとつ”がパリンと割れたんだと思う。

 じゃなきゃいきなり“武器はないのか”はない。自分でもそう思う。しかもその事実にツッコまれるまで気づけなかったというバカっぷり。

 

「あんなぁ隊長、んーなん心配せんでも、全速力出されたらまず捕まえることさえ出来へんよ」

「春蘭あたりなら出来そうじゃないか!」

「いつから春蘭様は山賊に───! ………………あ、や、やー……」

 

 口ごもる気持ちもわからないでもない。

 だって山賊が将をやっているような気質なんだもの。

 

「……片付けるか」

「せやな……」

 

 最後はなんだかしんみりムードで片春屠くんを片付けた。

 人の印象って、やっぱり大事だよなー……と、二人して空を見上げながら言った、とあるよく晴れた日の出来事。



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88:IF/もしも未来が過去ならば②

 そんなことがあってから、はや一ヶ月。

 三日毎の鍛錬とは名ばかりに氣の集中鍛錬と称し、今日も片春屠くんに跨る。

 こう言うのもなんだけどいつから嗅ぎつけたのか、三日毎、その日に仕事が無い者が後ろに乗りたがる。本日もその例には漏れず、此度の来訪者は風だった。

 

「お兄さんは乗り物とくるとなんでも乗りこなしますねー……お馬さんでも絡繰でも女の子でも」

「言われると思ったよ! 思っちゃった自分が悲しかったよ!」

 

 許昌を離れ、遠くの邑へ。

 今日は華琳が新鮮な牛乳にきな粉を混ぜて飲みたいと仰ったので、その材料の調達だ。

 氣で纏っているからローラーめいたタイヤ(?)が地面を走ろうが、ガゴゴゴと嫌な音がなることもないし、振動もそれほどこないという素晴らしい出来。つくづく真桜ってこの時代の常識を破壊している。

 

「いえいえー、自覚はとても重要で大事で大変必要なことですよー。何故なら風も乗りこなされた一人であり、そうしておいて自覚も無しでは、この背中に抱き付いている今を好機ととり、刃物のひとつでも抉りこまないと気がすみませんからねー」

「怖いよ!?」

「むふふ、もちろん刃物など持っていないので、指でお腹の横あたりをとすとすと」

「地味に痛いからやめよう!?」

 

 ちなみに、「ところで馬って?」と訊ねたところ、蜀の麒麟に気に入られていることを蒲公英に聞いていたらしい。どんな縁があって蒲公英と話したのかは知らないが、接触のきっかけは間違い無く蒲公英の方なんだろうなと想像できる。

 

「しかし見事なものですねー、氣で動く乗り物とは……ふむふむー」

「案は出したけど、まさか本当に作れるとはなぁ……」

 

 二人して真桜という存在に軽く恐怖した瞬間だった。

 そんな彼女だが、今は自分の工房でプロペラ付きの空飛ぶ何かの製作に励んでいる。

 ……部品代金は主に俺の懐から飛翔するのだが、望んだのが俺だから仕方ない。

 

「おっ、見えてきた」

 

 話しているうちに邑が見えてくる。

 さすがに速いなと驚くばかりだ。

 

「よし、じゃあ行くか」

「おおっ……嫌がる乙女のお乳を搾り取りにいくんですねー……?」

「誤解を生む言い方はやめような?」

 

 嫌がってない……と、思う。うん。

 目を糸目にして「冗談です」などととほほんと言う風を前に、軽く苦笑を漏らして歩く。邑に入ると真っ直ぐに農場へ行き、そこで額に汗して働いているおやっさんに声をかけた。

 

「ああっ、これは御遣い───」

「“さま”は無しでっ!」

「───ははっ、はい、北郷さん。随分と反応が早くなりましたね」

「来るたびに言われてちゃ、言いたくもなるよ……というか、おやっさんもわかってて言うのはやめない?」

「はは、すいません。丁度今搾ったところですが……これを持っていきますか? それともご自分で搾りますか?」

「じゃあ、そっちの搾っ……た、もの……? ……風?」

 

 搾ったものを貰おうとしたら、風にくいくいと服を引っ張られた。

 その上で宝譿が「おいおい兄ちゃん、空気読もうぜ」と仰る。

 

「…………こっちのお嬢様が、乳搾りを体験したいそうで……」

「おおっ、お兄さんは風に、身動きの取れない者の乳を好き勝手に弄び、搾れというのですね……?」

「だから誤解しか生まない言い方はやめよう!?」

 

 事実だけど! 確かに事実だけどさぁ!!

 

……。

 

 そんなわけで、現在は風が牛の乳を……弄び、搾っている。

 いや、ただ搾っているだけなんだが、いちいち宝譿に「おらおらねーちゃん、ここかー? ここがええんかー」とか言わせてるもんだから、俺もおやっさんも居心地悪く離れた場所で話し合っていた。

 

「なんだか次に搾るのが怖くなってしまいますよ……」

「心の底からごめんなさい」

 

 もう謝るしかない。

 とはいえ、冗談交じりの言葉だったためか、俺もおやっさんも顔を見合わせて笑った。

 先に代金も支払い、どうぞと沸騰殺菌された牛乳を飲んで一息。

 

「低温殺菌、と言いましたか。ぼこぼこと沸騰させるのとは違うんですよね?」

「高温殺菌は、そりゃもうボッコボコに沸騰させるから風味も栄養も死ぬとか……どっかで見た気がする。もちろん全部が全部消えるわけじゃないけど、それで納得出来るんだったら水飲めばいいわけだし。なら菌だけを上手く殺して栄養と風味を味わったほうがいいと思うんだ」

「はあ、その……よくわかりませんが……そのまま飲むのは危険なんですか?」

「この時代でどれほどの菌がうろついてるかは知らないけど、まあ」

 

 病気は怖い。この時代では特に。

 華佗っていう超・医者が居なければ、今頃何人の人が死に、何人の子供が産まれていなかったんだろう。

 軽く考えてみるだけでも相当に怖い。

 

「大事に飼っていても、病気にはなるものなのですか……恐ろしい」

「家畜と人間は体質自体が違うから仕方ないんだろうなぁ……。人同士でも、持っている菌っていうのが違うらしいし」

「人にも菌が?」

「人の唾液には殺菌効果があるにはあるんだけど、空気に触れると悪性に変わりやすいっていうし、他の人にしてみれば拒否反応が出るかもって話もあるんだ」

 

 だから傷ついた人の指を銜える時は、空気に触れないようにして……すぐに水か何かで洗い、あからさまに空気に触れないように布かなんかで覆うのがいい。

 明命や詠にもやったけど、本当なら本人の唾液が一番だろう。

 だが考えてもみてほしい。指を傷つけた人相手に、“自分で銜えてろ!”とか言えるか? 少なくとも俺は無理だ。自分の唾液が一番の消毒になるから銜えてろーとか……咄嗟にってこともあるけど、それを言う前に相手の指を銜えている気がする。

 お陰で詠には怒られたな。

 そんなことを適当にぼかしながら話して、また笑う。そんな平和な時間を……

 

「んふふ~、こんなに白くて濃い汁を出して、いやよいやよと言いながら気持ちよかったんだろー、えー、ねーちゃんよー」

 

 ……乳搾りを続けている風と、宝譿によって台無しにされた。

 

「……とりあえず止めてきます」

「お、お手柔らかに」

 

 誰かにとっての休日、自分にとっての鍛錬の日。

 誰かと出かける度にこんなフォローをしている気がする。

 凪と出かける時が一番気楽でいいかなぁ……たまに氣動自転車の速度限界に挑戦すべく、二人して氣を注ぎ込みまくって遊んだりもする。

 当然最初は派手に転倒したりもしたが、慣れると面白いのだ。

 そんな話を耳にした春蘭と乗った時は、無理矢理乗らされた秋蘭ともども死ぬかと思ったが。無遠慮に最大放出で氣を籠めるもんだから、速度に負けた自転車がウィリー状態で滑走。

 必死にハンドルにしがみ付く俺と、落ちないように俺にしがみ付く秋蘭。そして高笑いしながらなおも氣を籠める春蘭とで、広大なる大地を駆け巡った。

 ……以降、秋蘭はちょっとした氣動自転車恐怖症に陥っていた。

 とまあ、そんな最近を思い出しながら風に一言三言を注意して、普通に乳搾りをしてもらう。「思ったより握力を使いますね~」とのんびりと言う風は、なんというか“人の話聞いてました?”とツッコミたくなるほどに平和な笑みを浮かべていた。

 

……。

 

 氣動自転車も大分乗り慣れ、国境まで遊びに行くのも楽になってきた頃のこと。

 覚えることも少なくなってきて、珍しくも空いた時間に外へと繰り出したその日。

 ……山道で山賊に襲われた。

 

「へっへっへ、金目のもの、置いていきな!」

「………」

 

 丁度、氣動自転車から降りて休憩していた時だった。

 黄色の頭巾を身につけているところからして、どうやら黄巾の残党らしいが……今となってはその黄色の頭巾は、アニキさんやチビやデブのトレードマークのようなものだ。

 未だにあれを身に着けて黄巾だ黄巾だと後ろ指を指されることがあろうとも、それを外すことはしない彼らのもの。

 それを身に着けて悪事を働くというのなら、この北郷……

 

「ただではおかんッッ!!」

「おぉっ!?」

 

 言葉とともに気を引き締め、一応は持ってきておいた木刀を竹刀袋から取り出す。

 生憎と氣動自転車は少し離れた場所にある。蜀で出会った山賊の時のように避け続けてなんとか……といきたいところだけど、相手の様子が明らかにあの時とは違う。

 明らかに“襲い慣れている”。

 避けて、逃げて、氣動自転車のところまで辿り着くというのは無茶だろう。

 だったら……攻撃した上で辿り着くか、相手を無力化するしかない。

 

「すぅ……はぁ……───んっ」

 

 構えられた武器に山賊がびくりと軽く引くが、武器が木刀と知ると、刃物を持つ自分の方が有利ととって下品な笑いをこぼす。

 相手は四人。

 対するこちらは一人。

 さすがに四人で一斉に掛かられた勝てそうにないが、まあ、なんだろう。

 

「あのさ。その頭巾捨てて、帰ってもらえると嬉しいんだけど」

「あぁ? なに言ってやがる。黄巾を捨てるってこたぁ死ぬのと同じだろうが!」

「俺たちゃ泣く子も黙る黄巾党だぞぉお!?」

「ひゃっひゃっひゃっ! いいから身包み置いてけってんだよぉ!」

「それとも脱がされたいのかぁ? いや、だめだなぁ。売りもんに傷がついちまう。なにせおめぇさんと違って、こっちは刃物だからよぉ」

 

 笑いながらジリジリと近付く四人。

 行動に注意しつつも、焦りを浮かべながらひとつだけ訊いた。

 

「えっと……もしかして俺、もう狙われてたりする?」

「ああそうだよぉ! 今から───あでっ!? ……へ?」

 

 戦いの了解は得た。

 狙われてるなら遠慮無しと、言葉の最中に相手の武器を右手ごと砕いた。

 直後に訪れる痛みに叫ぶ男と、その声に驚いた男。

 まずはその驚いた男の鼻を砕き、「てめぇ!」と後ろから襲いかかる男も、刃物ごと叩き伏せる。遠慮? しません。殺しにきている相手には、たとえ相手が老人だろうが子供だろうが容赦しない。それが戦ってものだ。

 

  “死にたくないって思ったなら、老若男女の差別などしない”

 

 それが、戦場で生き残るってことだ。

 

「なっ……ど、どうなってんだよ! 木の棒っこ相手に刃物が負けるなんて……!」

 

 傷つけないために頑張って氣を籠めてますから!

 傷つけたらじいちゃんにどんなこと言われるかわかったもんじゃありませんから!

 そんなわけで残るは一人。

 内心相当緊張してる所為で、結構心臓がばくんばくん鳴っているが、それを相手に悟られないように努めて冷静に振る舞う。

 

「てめぇいったいなにもんだ! そんなひょろっちぃ体で、木剣だけで───ぼっけ……ぼ……木剣!? きらきらの白い服に、木剣の男……!?」

 

 怯えを混ぜて叫んでいた男が、急になにかに思い至った風情で驚く。

 そして俺を指差すと、

 

「ま、ままままさか……! 妙な祭りで呉の孫策を木剣で負かしたっていう…………!」

 

 ……エ? いや、ちょっと待て?

 なんでそんなことを山賊が知ってるんだ?

 ……と、そのことを訊ねようと声をかけた途端、四人は『ヒ、ヒィイーッ!!』と叫んで逃げ出してしまった。

 

「…………えー……」

 

 襲いかかってきたくせに、ヒィって……。

 今までこんな反応されたことなかったから何気にショックだった。

 

「……はぁ、でも、助かったぁ……」

 

 今頃足が震えてきて、立っていられずに地面に尻餅をついた。

 やっぱり実戦と鍛錬は違う。

 いくら魏呉蜀のみんなと戦った経験や、殺気をぶつけられた経験があるからといって、刃引きのされていない本物の刃物を向けられれば怖い。

 しかも対するのが、人を傷つけることがもう平気になっている相手なら余計だ。

 自分で自分が情けないとは思わない。

 殺されるのは誰だって怖い。当然だ。

 

「やっぱり外に出る時は、誰かと一緒のほうがいいなぁ……はぁ」

 

 よくもまあ、将になる前の人たちは刃物に立ち向かう勇気が持てたもんだ。

 英雄って存在を本気で尊敬する。

 ……その英雄として知られる皆様に、鍛錬に付き合ってもらってる方が非常識か。

 なんてったって、斬られはしないけど空は飛ぶんだもんなぁ。

 

「……ん、よし」

 

 軽く足を殴って、脹脛(ふくらはぎ)に刺激を与える。

 脚気検査といえばいいのか、震える部分に喝を与えるようにして、ようするに痛みで感覚を取り戻させた。

 痛みは怖いものではあるけど、痛覚が無ければいろいろと都合が悪いこともある。

 今はその痛覚に感謝だ。

 

「なんてったって山賊だ……仲間なんて呼ばれたら、もう立ってられる自信がない……」

 

 逃げられる戦からは逃げよう。

 対して、絶対に退けない戦ならば全力で向かおう。

 ただし命を大事に。

 生き残ったとしても後がないのなら全力で。

 今は逃げられるから逃げる。

 

「…………んっ」

 

 氣動自転車に跨ると、氣を籠めて走り出す。

 “怯えて逃げたのなら来ないのでは”と思う人は、人間の集団思考能力の怖さを考えてみてほしい。

 一人では怖いものも大勢なら怖くない。そういう謎の脳内麻薬を人間は持っているのです。人数が多いのなら村人だって武器を持つが、少ないのなら怯えるだけで終わる。誰かが戦うと言えば俺もと言えるけど、自分だけなら戦わない。

 それと同じように、逃げ帰った先に山賊仲間がたくさん居て、そこにリーダー格の人が居たならば絶対に仲間とともに再来するだろう。

 

「まずった……久しぶりの大ポカだ……」

 

 人は怒りを蓄えるものだ。

 他人からの怒りを他人にぶつけて晴らすことが出来る。

 そのくせ、怒りをくれた本人に対する怒りが全て消えるわけじゃない。

 山賊は俺から怒りを得た。でも俺が居なくなればぶつけどころがない。

 じゃあその怒りはどこへぶつける?

 

「…………山賊狩り、考えておいた方がいいかもな……」

 

 というか、まだ山賊が居たことの方が驚きだ。

 やっぱり一度甘い汁を吸っちゃうと、人を殺してでも楽をしたいって思えるのだろうか。

 

「なんか……悔しいよなぁ……」

 

 氣動自転車が走る。

 この場で起こったことを魏に報告するために。

 

  ……すぐに山賊狩りは実行され、山賊はお縄についた。

 

 連れてこられた男たちに“足を洗って真面目に働かないか”と言ってみたが、山賊はこれを拒否。黄巾党の残党というのも嘘で、山道を通る商人を襲う山賊だったらしい。

 殺した商人の数も中々のもの。

 

  「今さら真面目に働けるか」と笑って言いながら、彼らは死んだ。

 

 平和だった日々の中、人が死ぬというのは辛い。

 それが山賊であろうと、心に穴が出来て、そこに鉛をくべられたように重かった。

 思春は気にするなと言うけど……さすがにそれは無理だったよ。

 

「むぅぅ~……主様、元気を出してたも……?」

「………」

 

 机に向かいながらも手が動かない俺の膝の上へ、美羽が乗ってくる。

 そんな彼女の頭を「ありがとうな」と返して撫でるが、心に熱は灯らない。

 ……なんで生き残る方を選ばなかったんだろう。

 そりゃあ、山賊相手に足を洗って働かないかって言う俺の感性の方がおかしいとは思う。

 でも受け入れていれば、少なくとも死ぬことは…………

 

「…………」

 

 違う。

 違うよな。

 頭の中に桃香の顔が浮かんで、頭を振った。

 許すばかりが人じゃない。

 殺して奪うことに慣れていようが、そこに多少の罪悪感もないのかといえば、きっとそうじゃない。

 死人は何も喋らないけど……だったらせめて、希望くらいは持とう。

 殺し、奪ってしまったからこそ、もう一緒に働けないと踏んだのだと。

 ……そう思わなきゃ、平和な世界に慣れたこの心は立てそうになかったから。

 町人の反応は輝きに満ちていて、安心して山道を通れると言う商人の姿もある。

 それはそれで、きっと喜ぶべきことなのに……お人好しって言われてもいい。俺は悲しかった。

 同盟の支柱としてやさしくあろうと、そんな心を固めていっていた日々の中で起きた、唇を噛むようなやるせない事件だった。

 

……。

 

 「へぇ。それで塞ぎ込んでいたの」……とは、華琳の言葉だった。

 山賊狩りから三日、どんよりとした空気を引きずっていた俺が、なんでか恒例になっていたミルクきな粉を華琳に飲ませた日。華琳が無遠慮に「辛気臭い顔で居られては、美味しいものも不味いわ」と言ったのがきっかけ。

 自室で机に向かい、うんうんと唸りながら仕事をしていた俺に、華琳が溜め息混じりにそういったのだ。

 

「うぐっ……悪い……」

「自覚はあるのね? ならすぐに直しなさい」

「いや……だってさ」

「この平穏に至るまでにどれほどの者が血を流したと思っているの? その平穏を乱す者は誰であろうと許さない。そう決めたからこそ平穏は保たれているし、件の山賊は死んだのよ」

「………」

「一刀。守られている条件から自ら抜け出し、守っている者を傷つけた時点で、その者は死ぬ覚悟をしなければならないの。出来ていないなんて理由は、他の者には関係がない。それがわからないなどと戯言はぬかさないわね?」

「……ああ。それはわかってる」

「ならば悩むのはやめなさい。時間の無駄よ。彼らは自分の楽のために人から奪う行為をした。ならば、私たちは自分たちの楽のために彼らを殺した。それだけのことよ。やるのならばやられる覚悟を。それすら決められない者が人を殺すなど、笑わせてくれるわ」

「………」

 

 自分の手を見下ろす。

 木刀を持ち、山賊の手や鼻などを砕いた手を。

 籠めた氣の密度がもっと大きく、思い切り振っていれば、人さえも殺したであろう撃を。

 

「それから一刀? 何故、山道に向かった際に、思春を連れていかなかったのかしら?」

「あ」

 

 答えを得ようと働かせていた思考が、ぴうと逃げ出した。

 いや、待ってくれ華琳、もうちょっとで必要ななにかが……!

 そんな不安を華琳にぶつけてみると、華琳は盛大に溜め息を吐いてくれた。

 その上で机を回りこんで俺の隣まで来て、俺の鼻を指でゾスと突く。

 

「……答えなさい一刀。思春のことはとりあえず置いておくわ。それであなたは、山賊たちの死の先で、“取り返しのつかないことをやり遂げる覚悟を”得られたのかしら?」

「………」

 

 それは、俺が華琳に言ったこと。

 戻ってきた時に、華琳に会えた時に言った、俺の覚悟の話。

 

  いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。

  目標があるのなら進まないと。理由があるなら立たないと。

  あの日、俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 

 ……ああ、そっか。

 俺、忘れるところだったのか。

 あんまりにも平和で楽しかったから、吐いてばかりだった自分からようやく立てた頃の自分を、自分から拾いに行くところだった。

 人の死に悲しむなとは誰も言わない。

 ただ、あの日に得た思いを忘れてまで拾いに行くことなんて許されない。

 そうやって答えを見つけた瞬間、そんな思いが表情に出ていたのか、華琳は俺の頭を胸に抱いた。

 

「え……か、華琳……?」

「手。震えているわよ」

「え、あ、あ……」

 

 言われてみてようやく気づいた。

 いつかのように震えている体。

 囲まれ、刃物を向けられ、死というものを身近に感じたのを思い出したからだろうか。

 あの日のように震えている体があった。

 そして、そんな体をやさしく包み込むように、華琳は俺の頭を胸に抱き、やさしく髪を撫でてくれる。

 

「……ごめん。ごめんな……ごめん」

「なんで謝るのよ」

「わからない。わからないけど……悔しい」

 

 誰でも彼でも救える気で居たんだろうか。

 自分が手を伸ばせばきっと手を繋いでくれると。

 妄信していたわけではきっとない。

 ただ、救える人が増えてくれたのだと、どこかで舞い上がっていたのかもしれない。

 舞い上がって、手を伸ばして、でも掴んでくれなかったから悩んで……震えて。

 自分がまだまだ子供だったことを思い知らされて、もっと大人になれば救えるのかなって思って、でも……きっとそんなことはなくて。

 

「支柱になったからといって、全てを救えなんて言った覚えはないのだけれど?」

 

 華琳はそう言う。

 俺だってそう思う。

 なのに“救えるのなら救いたい”とも思ってしまった。

 それは弱さだろうか。

 平和の中で悪事を働いたものを、平和の中から除外出来ない弱さだろうか。

 

「……はぁ。そう。あなたの“前を向く理由”は、もう折れたの」

「………」

「罪を犯した者を救える気でいて、救えなかった程度で折れるの」

「………」

「……何とか言いなさい」

 

 でないと殴るわよ、と続けそうな口調のままに華琳は言う。

 俺は……俺の右手は、もう胸をノックしていた。……が、やっぱり一回や二回の覚悟なんかじゃ乗り越えられない。

 だから華琳を抱き締めて、勇気を貰った。

 怯える心はいつまで経っても消えない。不安がる心だってきっと同じ。

 それでも、なかなか沸いて来ない勇気が誰かから受け取れるのなら、もっと頑張れる気がした。

 ……情けないとは思わない。これが俺だから仕方ないと苦笑する。

 その分は、しっかりと前を向いて、国に返すことで支払おう。

 誰かの死に泣けなくなるくらいなら、情けないままで十分だ。



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88:IF/もしも未来が過去ならば③

 しばらくは空元気に走る日々が続いた。

 魏のみんなも気を使ってか、いろいろと付き合ってくれる。

 そんなみんなも段々と遠慮が無くなって、やがてまた俺が振り回されるようになる頃には、俺も……気持ちの整理がつけられていた。

 

「人が死ぬたびにそれでは、身が保たんぞ」

「ラーメン一つ! タマゴ入れて!」

「聞け」

 

 空元気は未だ空元気に近かったものの、少しヤケが入るとあとは回復に向かうだけだと誰かが言った。

 実際に俺もヤケが入り始めていて、昼の休憩に入ると思春を連れて街へ降りた。

 で、ラーメン屋だ。

 

「はは……まあ、わかっては居るんだけど……人死には辛いよ。だからってなんでもかんでも許していいってわけでもない。いろいろ考える時間があって、随分と考えたけどさ。やっぱり……殺したり奪ったりしたなら、殺されても文句は言えない。それがわかってたから命乞いもしないで死んだんじゃないかなって思うんだ」

「ただの山賊としての小さな意地だろう。そこには誇りもなにもない。叫びたくなかったから叫ばなかっただけだ」

「そうかな」

「徒党を組まねば人を傷つけることも出来ない輩どもの集まりだ。許されたところで楽な方向を目指し、再び刃を握るだけだろう。私は奴らではないから罪の意識が全く無かったなどと断言は出来ないが、錦帆賊としての自分で言うのなら、賊として好き勝手にやっていたのなら、裁かれる時は素直に裁かれる。それが、糧を奪い、好き勝手に振る舞った代償というものだ」

「………」

「お前がわざわざ気にすることではない。……全てを救うことなど、無理なのだから」

「……うん」

 

 わかってはいる。

 ただ、やっぱり悔しかった。

 支柱になれば出来ることが増えて、きっと国に返すことも多くなるだろうと思っていた矢先にこんなことが起きた。

 そういうものを乗り越えなくちゃ辿り着けない場所にある平和っていうのが、ひどく遠い場所にある宝のように思えてしまうのだ。

 手を伸ばしても届かないんじゃないか。

 歩いても無駄なんじゃないか。

 ……今までなにも起きなかったのに、自分が何かを請け負ったときだけとんでもないことが起きた───そんな感覚を思い出す。

 全てを救うのが無理だなんてことは、随分前に気づいたこと。

 だから手の届く範囲の何かを救って、届かないところへは手を繋いだ誰かと救おうと、そう思っていた筈なのに。

 

「……手が届いたのに……救えなかったんだよな……俺」

 

 呉で刺されて騒動が起きた。

 蜀で初犯の山賊たちをなんとか抑える騒動が起きた。

 そのどれもがなんとか治まってくれたけど……今回は救うことが出来なかった。

 自分なら出来るって慢心していつもりはなかったのに、心のどこかで“きっとなんとかなる”って思いがあったのだろう。だから悔しい。

 

「………」

 

 散々と悩んだ。

 悩んだが、悔しいって思いは消えない。

 偽善か? 偽善だろう。

 悪事を働かれた人にしてみれば、バカかお前はで終わる考えだろう。

 

「へいおまちっ」

 

 ラーメンが目の前に置かれる。

 タマゴを落としてからスープをかけたのか、周囲が薄く白んでいる。いい仕事だ。

 ……じゃなくて。

 

「……はぁ」

 

 深呼吸。

 ラーメンの香りが肺を満たした。でもなくて。

 ……少しずつでいいから元気になろう。

 悪事を働いたなら、裁かれる覚悟は当然あって、そうしたから裁かれた。

 それだけなんだから。

 

「ずぞぞー……」

「わざわざ自分で言うな」

「細かいツッコミが欲しかったんだ……うん。よしっ、張り切っていこう! オヤジさんラーメン追加! 今すぐに食べるから! もちろん味わいつつ!」

「あいよっ!」

「食べる前から追加か……」

「思春。ヤケ食いという言葉がある。ヤケになったら食うべきなんだ。胃に血を送って、一度考えることから休みたいだけとも言う」

「逃避か」

「準備だよ、準備。血が胃から戻ったら、前向きになる。……考えなくてもいいことまで考えるヤツってさ、いろいろやらなきゃ前を向けないんだ」

 

 ただ……張三姉妹やアニキさんたちは受け入れられて、彼らはダメだった。

 その事実が、魚の骨のように喉に刺さって取れなかった。

 もっと早くに……同じ時期に捕まえていたなら、出来る対処も違ったのかなと思うと、やるせない気持ちがどうしても浮かんできた。

 

……。

 

 空元気を越えて、ようやく自分の日常に戻る。

 拳をギュッと握ったり脱力させたりして、今何をしているのかといえば、凪との鍛錬。

 

「フラッシュピストンマッハパァーンチ!! ハァーウ!!」

 

 一言で言えば氣の循環速度の向上を目指したものだ。

 拳を突き出すのと戻すのを氣だけで行い、腕の筋などはあくまで脱力させて、速度を上げる練習。

 拳はキュッと握り締めたままなので、速度が乗った状態で当てればそりゃ痛い。

 ……ああ、もちろん叫んだ技の名前に意味はない。

 

「スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルボンバァーッ!!」

 

 ただまあ、あれだ。

 ただ拳を突き出しまくるだけだとこう、勢いが足りないというか。

 思春なんかは「空元気が行き過ぎたか……」と、可哀相な人を見る目で見てきているわけだが……それでもなんだかんだで傍に居てくれることにありがとうを伝えたい。

 なので伝えたら怒られた。なんでだ。

 

「た、隊長っ……脱力、脱力をっ……!」

「はうあ!?」

 

 いつの間にか力んでいた。

 うーん……叫ぶのはいいけど、無駄に力が入ってしまう。

 や、叫ばなきゃいいだけのことだし、集中するなら余計に叫ばなければいいんだが。

 たとえば叫びながら集中しなきゃいけない時があったとして、俺はそれでいいのか?

 否である、実に否である。

 いっそ様々を受け入れ、乗り越え、様々を興じる華琳とともにその頂を目指すつもりで、この老いることを知らないかもしれない体で歩み続ける覚悟を……!!

 そうすれば、死んでしまう人ももっと減らせるのではと……そんなことを考えた。

 

「凪!」

「! はいっ! 隊長!」

 

 突然の声にビッと姿勢を正し、俺の目を見る凪。

 そんな彼女に向けて構え、「実戦で体術を教えてくれ」と言った。

 戸惑う凪だったが、俺が目を逸らさずに言っていることに気づき、すぐに目を鋭くする。

 敵わなくてもいい。今の自分を真正面から叩き伏せてほしかった。

 叩きのめされてから立ち上がれば、今よりもっと視界が広がる気がしギャアアアアアアアア!!

 

……。

 

 凪との鍛錬を始めてどれほどか。

 大方の予想通り一方的に攻撃される身となったわけだが、最近は反撃してカウンターをくらうようになった。……あれ? これって進歩か? しかしながらいつでも木刀を持っていられるわけでもないので、これはこれでいいと思っている。いや、殴られるのがって意味じゃなくて。

 

「コォオオオオッ……! 覇王! 翔吼拳!」

 

 氣の行使も相変わらずだ。

 自分には氣しかないと気づいてからは、“全ての行動を氣で行う意識”を自然に出せるようにしてきた。

 お陰で氣だけは……氣だけは随分と膨れ上がっている。

 両手から放った氣が一つの大きな塊となって凪を襲う。

 しかし凪はそれに自分の氣弾をぶつけると、あっさり破壊してみせた。

 

「んむー……大きいのはいいんだけど、見掛け倒しにしかならないかぁ……」

「いえ、錬氣は上手く出来ています。ただ、氣の塊の中心がひどく脆いです」

「うん、まあ両手から出すんだから、どうしても上下だけ強化されてるよな」

 

 接着というとヘンな響きだが、氣の結合面が脆い。

 だからそこに氣をぶつけてやれば、塊としての存在は壊れ、放った氣も霧散してしまう。

 

「けど、やっぱり体術っていいな。いつも木刀があるとは限らないからって習い始めたけど、これはいい」

「そ、そうですかっ? そうですよねっ!」

「え? あ、う、うん」

 

 体術は素晴らしい。そう言うと、凪は目を輝かせた。

 おお……笑顔だ。

 

「では隊長! 早速型の調整を!」

「いや凪、お前、仕事は───」

「………」

 

 うあ……今度は凄く残念そうな顔に……。

 

「ま、まあまあ、また今度手が空いてたら、その時に教えてくれ。時間さえ空いてれば、もう三日毎じゃなくても鍛錬出来るから。……あくまで氣の鍛錬だけだけど」

「あっ……はいっ!」

 

 そしてまた笑顔。

 感情の起伏の激しい子だ……とは、きっと言っちゃいけないんだろうなぁ。

 言ったら真っ赤になりそうだし。

 

(……うん)

 

 山賊のことも随分と割り切れた。

 この世界で生きていくなら慣れなければいけないことだ。

 ただそれが、“華琳とともに天下を目指している”という理由がないだけで、ここまで重いとは思ってなかった。

 

(“天下のためだから”って割り切る理由が欲しかったのかな……いや)

 

 じゃあどうすればいいのか。

 ……この平和を守るためって考えればいい。

 そんな単純なことに気づけなかった。

 とは思うが、気づけたとして、人の死になんて慣れたくもなかったのも事実だった。

 

……。

 

 都の完成を目指し、三国の工夫たちが集う場所がある。

 とある寒い日、三国からして中心部にある国境。そこに鎚を落とす音が響いた。

 とはいっても建築を始めてから随分と経つわけだが、今は俺もそこに参加している。

 鎚を振るうのは稀だ。

 俺がやるのはもっぱら、氣動自転車で資材を運ぶこと。

 なにせ荷馬車も労力も大して必要にならないとくるなら、利用しない手はない。

 ……もちろん、俺は疲れるんだけどさ。

 ともあれ、建築の場というのは忙しいけど楽しい。

 休憩時間などには余った木材で矢などを削り、持ってきていた弓を使って弓術の鍛錬なぞをしてみたりするのだが、やはり上手くいかない。

 溜め息を吐く俺に、思春が言った。「お前には目標を潰す覚悟が足りない」と。

 ……なんとなくわかってはいたことだけど、やっぱりそれなんだろう。

 射る標的が大木につけた目印だろうと、それが敵の命を奪うかもという意識が自分を止めようとするやもしれぬというのだ。

 深層意識っていうのは案外バカに出来ない。

 

「これでよしっ……と! 他になにか必要なもの、あるかー!?」

「おー! こっちはそれで十分でさー!」

「ありがとぉごぜぇやす御遣い様ー!」

「“様”はやめろというのに!!」

 

 それはそれとして手伝いだ。今では工夫の連中とも気軽に話す仲。

 以前様子を見に来た冥琳に、“お前に民たちとの立場の差など、説いても無駄なのだろうな”と溜め息を吐かれたほどだ。

 もちろん、そういうのは王様たちに任せるべきだ。

 俺としてはこうしてみんなと愉快に生きていられたほうがいい。

 

「それ重いぞー! 気をつけろよ新入りー!」

「へ、へい!」

「おっ」

 

 と、そんなことをぼんやりと考えていると、新入りらしい若者が綺麗に切られた木を持とうとしていた。

 それを手伝うと、「すいやせん」と苦笑いの若者。

 なんでもようやく働けるくらいになったから、親のために働いているのだと。

 

「いつか腕あげて、家を建て直してやりてぇんでさ! 頑張りますぜ!」

 

 威勢がいい青年だった。

 へへっ、なんて言って鼻をこすり、手についた汚れが顔についてもその笑顔が変わることはない。

 他の工夫に呼ばれて元気にすっ飛んでいく姿を見ると、他人事みたいに“若いっていいなぁ”なんてことを思うのだ。うん、俺も若いけど。体が成長しないって理解してしまったからかなぁ……心がどんどんと老人になっていく気分だ。

 

「それとも氣を使いまくってるからか? ……まあいいか。心は老いても童心忘れず。俺も頑張ろう」

 

 言って、青年が走っていった方向へ自分も走り出す。

 というか、呼ばれたからって木材置いて走っていかないでくれ青年。



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88:IF/もしも未来が過去ならば④

 人が集まるところには、よからぬことを考える者も当然現れる。

 都建築に参加してからしばらく経った頃、夜の番をしていた日のこと。

 遠くから何かが近付く音……言ってしまえば大人数が駆ける音が聞こえ、見てみれば…………遠くてよく見えない。

 

「賊だ。工夫を起こせ」

「! 賊ぅ!?」

 

 思春が教えてくれた言葉は、人を驚かすには十分な一言だった。

 しかし、そうしろというのなら素直に実行。

 緊急事態の中では経験者の指示に素直に従う。これ、大事。

 “でも”だの“だけど”は置いていかなきゃ行動が遅れるだけだ。

 なので氣を両手に凝縮させて、地面へ向けてどっかーん!!

 ……音にびっくりして、天幕から出てきた工夫たちに賊の襲撃を伝えた。

 

「なるほど、音で起こせば手間にはならん。次からはそうしよう」

「……俺が?」

「他にあるか?」

「ぎょ、御意」

 

 思春さんたら、どんどんと俺の扱いを覚えていって……正直ちょっと切ないです。

 だが頷こう。利用価値がある内は、って条件で魏に入った俺だから、自身の力を利用されて頷かないわけにはいかない。……嫌な意味での利用だったら素直に怒るけどね、さすがに。

 

「み、御遣い様! あっしらも戦いやす!」

「それはダメ! 優先させるべきは命で、次にこの都と資材だ! 賊は───すぅ……はぁ……全員叩きのめす!!」

 

 襲い掛かる敵を相手に、自分はどうする?

 殺す殺さない以前に、どうしたい?

 ……そんなの、殴ってやりたいに決まっている。

 人が懸命に働いてるってのにそれを横から奪って楽をしようなんて、許せるもんじゃないに決まってる。ただ、命まで奪うことはないと思うくらいだ。くらいだ、けど……一人だけ馬に跨り、誰よりも先にここへ辿り着こうとする敵は、刃物を手に下卑た笑いをこぼしているように見えた。

 その後ろからは、そいつの仲間であろう賊たちが走ってきている。

 命を奪い、その上資材までも奪おうというのだろう。

 

「………」

 

 それを見たら、すぅ、と自分の中から様々な問答が掻き消えた。

 甘い考えは大事だ。平和の中にはそれがなければ、ただの厳しく息苦しい世界になる。

 けど、だからってなんでも許していいわけじゃない。

 いい加減に現実を見ろ、現実を思い出せ。

 殺しに慣れたいわけじゃない。でも、自分がやらないからって相手のソレまでも許していいわけじゃない。

 平和の文字に甘えるな。

 相手が“人を殺せるモノ”を手に、殺す気で襲いかかってきたのなら、それはもう……戦なのだから。

 

「なぁ思春……御遣いとして、同盟の支柱として、俺は殺しや略奪を許すべきかな」

「許して、やつらがソレを止めるのか?」

「……だよな」

 

 答えなんて決まっているのだ。

 だから、もう考えるな。

 戦える者が、ここには俺と思春しかいなのなら……ここが、“返すために戦う時”だ。

 

「じいちゃん……力を振り翳す場所、俺が思ってた場面よりもひどいもんだった。でも……なんでなんだろうなぁ。やっと少し返せるかもしれないのに、ちっとも嬉しくないんだ……」

 

 持ち上げ、握り締めた拳を見下ろし、胸をノックした。

 

「悪いとは言わないぞ。お前らは……人の笑顔の前で、しちゃいけないことをした」

 

 心の中を殺気で満たす。

 敵だ。

 相手は敵だ。

 だから───今だけは。返すべきこの時だけは、せめて鬼になれ。

 

「───」

 

 弓を手に、矢を番える。

 標的は一番前を走る筋肉質の男。

 引き絞り、放った木の矢は───男の肩を、貫いた。

 

「…………あ───」

 

 ぎゃあ、と叫ぶ声。

 痛みと勢いに体を揺らし、落馬した男は後ろを走る賊たちの足元に消えていった。

 あの勢いでは大人数に踏まれただろうが……込み上げる罪悪感と言えばいいのだろうか、それを殺気で押し潰した。

 悪いと思うな。今は思うな。泣きたいくらいに辛いなら、全てが終わってからにしろ。

 俺はもう……戦場に立っているのだから。

 守るべきものを、背にして立っているのだから。

 

「……思春」

「ああ……ここからは私が、とは言わん。精々腹に力を籠めろ。吐いてもいい、泣き言も聞こう。だから……今は鬼になれ」

「……ああ。はは……思春は、俺にはやさしくないなぁ……」

「不満か?」

「……いや、ありがとう。……だから、終わったら思春の胸で泣いていい?」

「なっ……待て、それはっ───……貴様」

 

 軽い冗談を言ってから歯をギリッと食い縛り、胸を思い切り殴りつける。思春がじとりと睨んでくるが、その視線もすぐ敵に向けられる。

 冗談を言わないと自分が保てなくなりそうで怖かった。

 そんな恐怖を受け取ってくれたのか、思春はもうなにも言わなかった。

 

「………」

 

 腹には全力で力を籠め、握る得物は黒檀木刀。

 足に氣を。木刀に氣を。心には覚悟を。“敵”を潰す……覚悟を。

 果たして自分は本当に泣くだろうか。

 そんなことを考えてから、地面を蹴った。

 次いで思春も走り、敵へと挑む。

 

「ッ───おぉおおおおおおおっ!!!」

 

 遠慮はしない。

 木刀に籠めた氣を横薙ぎに放ち、まずは牽制。

 錬氣しながら敵の中に突っ込み、無遠慮に木刀を振るう。

 剣閃で吹き飛んだ前列を蹴り抜くように走り抜け、氣を籠めて硬質化した木刀が足の硬い部分……骨を殴る音を聞く。

 加速も剣閃も、氣を弾けさせた疾駆も思うさまに使った。

 せめて早く戦が終わるようにと。

 しかしながら注意を払わないわけじゃあない。

 振るわれた剣を避けて、勢いのままにたたらを踏みながら肉迫する相手の顔面に、木刀を握り締めた拳をぶちかます。

 鼻血を噴いて倒れる敵を踏み潰すように蹴り、それと同時に別の相手を殴りつける。

 こうまでしなければすぐにまた立ち上がる。

 動けなくなるくらいに痛めつけなければ、繰り返すだけだ。

 痛くなければ覚えない。

 だれが最初に言い出したかは知らないけど、もっともだ。

 

「ふっ! せいっ! だぁっ! はぁっ───くっ!!」

 

 足を強打する。

 足に痛打を入れれば逃げられない。ただそれだけの理由で、抵抗する気力を奪ってゆく。

 殺すつもりはない……その考えは甘いだろうかと自分に訊いてみる。

 ……心の中の自分は、苦笑するだけだ。

 だが、自分の想像の中のじいちゃんは、笑っていた。

 

「な、なんだこいつら……! たった二人なのに! この人数が怖くっ!? えぁっ……あ? あ、ひ、ひぎゃぁあああああっ!! あ、あっ、俺の、俺の足がぁあああっ!!」

 

 怖いに決まっている。

 ただ、覚悟があるだけだ。守りたいものがあるだけだ。そのために強くなってきた自分があるだけだ。

 だから、立ち向かわなければ嘘になる。

 これまでの自分が嘘になる。

 そうしたくないから、振るえる。怖いけど、立ち向かえる。

 骨を砕く音に心が震えるけど、それでも今は、守るもののために。

 

「く、くそっ! 誰だよ! 工夫と甘っちょろい御遣いしか居ないだなんて言ったのは! こ、こんなの聞いてねぇ! ちくしょうがぁああああっ!!」

 

 叫ぶ男が鈍器を振るう。

 それを左手で受け止め、衝撃を右手に装填。

 そのまま振りかぶり───

 

「へ───? あ、ひぁっ、ぶげぇえあああっ!?」

 

 木刀ではなく、拳で殴った。

 男の体が宙を舞う。

 比喩ではなく、夜の闇の中を裂いて飛んだ。

 ぐしゃり、という音を聞いて、敵がそちらへ振り向いた時、誰かが「ひぃ」と声をもらす……それからは早かった。悲鳴を上げて逃げ出す賊と、それを追う思春。

 そうだ、逃がしちゃいけないんだ。

 じゃなきゃ、また繰り返すだけだから。

 地の果てまでも追いすがり、全員を叩き伏せるつもりで───

 

「っ!」

 

 ならば、こちらが取る行動はひとつ。

 手段を選ばず無遠慮に、というのなら、これほど丁度いいものはない。

 身を翻すと天幕近くに置いてあった氣動自転車に跨り、そこに氣を籠めた。

 あとは……天でならば絶対にしてはいけないことをするだけだ。

 この世界でならば馬などでやるのだろうが、これは相当に危険だ。

 

「おぉおおおおっ!!」

 

 走り出す。

 向かう先には逃げる賊。

 その脇を一気に走り抜け、擦れ違うと同時に木刀を振るう。

 氣動自転車の勢いとともに振るわれたソレは賊を吹き飛ばし、近付くために思い切り氣を籠めていたこともあり、加減が上手く効かなかったために賊は派手に地面を転がる。

 が、それに一瞥をくれると次の賊へと走る。

 ……今、自分はどんな顔をしているのだろう。

 笑って……は、いないと思う。

 ただ、平和に慣れてしまった部分の自分は泣いているかもしれない。

 ……それを情けないとは、やっぱり思わない。

 平和の中でやさしくあろうとするのは間違いではないと思う。

 ただそれが、鍛えた力を振るうべき時にまで自分を弱くするのなら、その事実だけを情けないと思おう。

 

「せぁあああああっ───あ? あぁあああああっ!?」

 

 しかしながら、人にも時には誤算がある。俺の場合はしょっちゅうだが。

 賊に迫り、木刀を構えた先で、賊がヤケを起こして振り向いたのだ。

 走りながらだから、こう……ぐるっとターンをするように。

 で……俺はその場を走り、撃を落とそうとしていたわけで。

 

「へっ!? あ、キャーッ!?」

 

 バゴシャア、と。

 女性のような悲鳴をあげた賊が空を飛んだ。

 いわゆる轢き逃げアタックである。

 キュリキュリと錐揉みで飛び、広い大地の草が生えた場所へとドグシャアと落下。

 さすがにヤバイと感じたんだけど、賊は元気に起き上がり、なおも走ろうとする。

 すごい耐久力だ……というか、氣動自転車に纏わせていた氣が緩衝材になったのかもしれない。最初に大木に衝突して以来、どこかにぶつかってもいいようにと氣をクッション代わりに纏わせていたから。

 たださすがに落下ダメージはあったのか、それとも錐揉みの所為で脳が揺れたのか、起き上がりは元気だったものの、途中でぱたりと倒れた。

 

「………」

『………』

 

 俺、沈黙。

 ちらりと、立ち止まってこちらを呆然と見ている賊達に向き直ると、ビクゥッと肩を弾かせた。うん、気持ちはわかる。わかるけど……わかるからこそ覚えてほしい。

 華琳が目指し、皆が傷つきながら至ったこの平穏。

 それを穢さんとする輩には……御遣いと俺自身の名において、覚悟してもらう!!

 

「ひぃいっ! き、来たぁああっ!!」

「ひっ、ば、ばかっ、こっち来んじゃねぇ! 俺を巻き込むんじゃ───って、えぇ!? ななななんでこっちにっ……ひ、ひぎゃああごべぇ!?」

 

 逃げ出す者の中から、巻き込むんじゃねぇなんてぬかしたヤツを先に跳ね飛ばした。

 もはやヤケクソではあるが、悪行とはいえ同じなにかを目的としたことをしておいて、巻き込むななんて都合のいいことを言った事実にカチンと来たからだ。

 地面を転がったそいつの傍に氣動自転車を止め、木刀を突きつけて睨みつける。

 

「ふざけるなよお前……! っ───戦人の誇りを持てなんて言わないけどなぁっ! 仲間を大事に思えないヤツは賊ですらないぞ!!」

「は、は……!? なな、なにを言ってやがる……! お前らが勝手にそう呼んだだけじゃねぇか!」

「……仲間じゃなくて、危険になったら身代わりにしたいから一緒に居たとでも言うのか」

「……へっ、へへっ! てめぇにゃ───関係ねぇよっ!」

「───!」

 

 賊が、手をついた地面の砂利を握り、俺の顔目掛けて投げつけた。

 それは咄嗟に閉じた瞼や頬などに当たったが、直後にメキャリという音が響いた。

 次いで、悲鳴。

 

「……砂での目潰しは結構だけどさ。来るってわかってれば目を閉じて木刀振るえばいいだけなんだよ。あからさまに砂掻き集めてて、気づかないとでも思ったのか……?」

「い、ひ、ひっ、いぃ……!!」

 

 指に当たったのか、おかしな方向に曲がっている指を庇いながらズリズリと逃げる賊。

 顔は涙に塗れ、表情は怯えしかない。

 

「なんで……な、なななんで……! あ、あんた天の御遣いとかいうやつだろ!? ちょっと前に三国同盟の支柱になったとかいう……! そんなやつがなんで俺達を潰すんだよ! 同盟の証みてぇなヤツが人を傷つけていいと思ってんのか!?」

 

 男は助かりたいがために、思いつく限りの言葉を並べ、叫んでいる。

 俺はその言葉を男の目を見ながらしっかりと受け止めた上で、頷いてやった。

 

「当たり前だ。同盟の証だから全員にやさしくあれ? そんな甘い考えで柱が勤まるか。罪には罰を。そんな、子供でも教えられれば覚えることをお前達はやったんだ。裁かれる覚悟が無かったなんて言わせない」

「なっ……あ、あぁあああるわけねぇだろそんなもの! 俺達が! 俺が楽するために始めたのに、なんで裁かれる覚悟なんざ決めなきゃならねぇんだ!」

「そっか。じゃあ、これから俺はお前を叩き潰す。もう二度とこんなことをしたくなくなるまで、泣こうが叫ぼうが殴り続ける。いいよな? 俺がそうしたいから始めることだ。裁かれる覚悟なんて決めない」

「───! 冗談じゃねぇ! ふざけるな! な、ななななんだよそりゃあ!」

 

 男が叫ぶ。腰が抜けたのか、轢かれた拍子に体を痛めたのか、尻餅をついて逃げながら。

 

「ふざけんな。そんなのこっちのセリフだ。俺だっていい加減頭にきてるんだ。みんなが死に物狂いで戦ってようやく辿り着いた場所で、働きもせず改心もせずに人から盗んで楽をしようとすることばかり。それで邪魔されれば“ふざけるな”? 支柱だからやさしくあれ? ……王の夢の先を穢されて喜ぶ支柱が何処に居る!!」

「ひぃっ!!?」

 

 メキメキと腹の底で膨れ上がっていた氣を遠慮なく解放する。

 叫ぶ言葉に氣が混ざり、浴びせられた男は怒鳴られた犬のように身を震わせた。

 

「ああそうだ。確かに悩んださ。処罰された賊を思って、散々と悩んだ。でもあいつらがやったことは確かにやってはいけないことで、反省する気もなかったから処罰された。……大切なものを壊されて怒らないヤツは居ないよな。それが自分たちだけのものじゃなかったら当然だ」

 

 ギロリと睨む。

 男が、ジリジリと下がってゆく。

 

「この平和は確かに魏の天下にあるけど、もう魏だけのものってわけじゃない。この平和の先で自分の夢を改めて叶えようとしてる人達が居る。それをお前らは乱そうとしたんだ」

「だ……だったらなんだってんだよ」

「もう、この平和は魏の……華琳だけの“大切なもの”じゃないんだ。三国共通の大切なものを壊されそうになって、黙ってる支柱が居ると思うのか?」

「───あ……」

 

 俺に被害があるだけなら俺の意思で許せる。

 けど、様々な人の努力や死の先にあるこの平和を乱すっていうのなら、許す道理も庇う理由も一切ない。

 前の山賊はなんとかしてやりたいと思った……それは確かだけど、狙われたのが俺だけだったからだ。それ以前から商人が襲われた事実があろうが、殺したかどうかもわからないのならまだ許せるんじゃないかって希望を持った。

 でも……今回は自分の中で撃鉄がガチンと降りた。

 弾き出される弾丸は怒りとなって、丹田から氣を溢れさせる。

 

「だから遠慮はしない。我慢は得意だったけど───……っ……その我慢だってしてやるもんか……! 俺はもう、“返すべき国”の平和を守るためだったら! 鍛えてきた自分の全てを懸けて……! ~……“国の敵”を叩き伏せるっ! そう決めたんだ!! 決めたから───!」

「あ、ひっ───!?」

 

 歯を食い縛り、拳には氣を。

 振り抜く拳が尻餅をついたままの賊の顔面を捉え、持ち上げるようにして弾き飛ばした。

 

「っ……甘さだって、いくらだって噛み砕いて越えてやる……!!」

 

 人を殴る感触が心に痛みを走らせる。

 けれどそれを飲み込むと、思い出したように逃げ出す他の賊の後を追う。

 粗方は思春が叩きのめしてくれたようだが、それでも足の速いヤツってのは居る。

 そんなやつらを氣動自転車で追い、追い付くや叩きのめした。

 耳に届くのは悲鳴と、仲間に罪をなすり付けようと叫ぶ、必死な声ばかり。

 そんな、“言葉だけ”の、絆もなにもない輩を、ただひたすらに無力化していった。

 

……。

 

 全てが済み、呻き声をあげる賊たちを縄で縛ると、彼らを国境まで連行した。

 そこで彼らの処罰云々を頼むと、戻ってから作業を再開。

 呉側の関所だったけど……蓮華はどんな処罰を下すだろうか。

 そんなことを考えながら、さあ作業をと気分を切り替えた途端、足がかくんと力を無くし、自分の体がとさりと地面に座るのを……ぼうっと見送った。

 

「あ、あれ?」

 

 立とうとしても立てない。

 すぐに工夫や思春らが歩み寄ってくるが、苦笑しながらなんでもないと言うと、もう一度立とうと試みて……失敗する。

 そんな俺の腕を持ち上げ、グイと立たせてくれた思春が呆れた顔で言う。

 「戦には向かないな、貴様は」と。

 呆れ顔のくせに、その目はどこか“仕方のないヤツだ”といった色も混ざっていて、どう反応すればいいのか迷っているうちに工夫たちに囲まれた。

 

「すげぇ! すげぇや! 御遣い様ってなぁ戦も出来るのか!」

「大したもんだぁ! 俺んとこの倅と同じくらいだってのに!」

「え、や、そのっ、えぇっ!?」

 

 囲む速度は兵にでも欲しいくらいに素晴らしいものだった。

 あっという間の包囲、逃げ道の封鎖。

 これが出来れば敵が来ても怖くないんじゃ……と驚くくらい。

 まあそれはそれとして、自分が守って自分が感謝されるのになんて慣れていない俺は、四方からくる感謝の言葉に目が回る思いだった。

 え、えぇとほら、守りたくてやったのに、そうして当然のことに真剣に感謝されるとこう……あぁあああ顔が熱い! ちりちりする! 俺自身も覚悟を決めながら、理解するものを得ながら戦ってたから褒められたもんじゃないのに!

 救難信号を表情に載せて思春を見るが、“自分でなんとかしろ”とばかりにフイと顔を背けてしまう。おまけに「胸は貸さん」ときっぱりと仰った。

 ……いや、それは俺も忘れてたからいいんだが……───。

 

「………」

 

 恥ずかしいし照れるしだけど、手には人を殴った感触が残っている。

 奇妙な罪悪感が浮かぶ。

 やらなければいけないことをして、こんな気持ちになるのは久しぶりだ。

 ただ、全てを救うことなんて出来ないと知っているのだから、これでよかったのだと頷いた。俺が俺の意思で守りたいと思う場所のため、国に返すために、練磨した力を振るった。

 そうであることなんて、じいちゃんに土下座する前に決めた筈じゃないか。

 迷うな、揺れるな。

 ゲームや漫画のように全てを守るなんてことは出来ないんだから。

 ならせめて、自分に出来る精一杯で国に返すことだけを考えて、笑いながら生きていけ。

 

「……よし! じゃあみんな! もう一休みしてから作業を───」

「御遣い様ぁ、そりゃ無理ですって!」

「興奮しすぎて眠れやせんって!」

「あ、ぅー……そりゃそうか。じゃあ無理にならない程度に作業再開ぃいっ!!」

『うぉおおおおおおーっ!!』

 

 工夫たちのテンションは凄かった。

 叫んでみれば叫び返して、拳を突き上げれば拳を突き上げ返す。

 まるで兵へ鼓舞でも飛ばしたかのような気分になったが、言った俺も舞い上がっていることに気づく。

 けれどそれを鎮めてしまうのはもったいないと感じて、その高揚を持ったままに作業を再開。

 複雑な気持ちをいよいよ“未来”に向けながら、鼓舞って大事だなぁと改めて思った。

 





 なして山賊が一刀が雪蓮に勝ったこと知っとるん? という話は、山賊が襲った商人から聞いたということで。
 小説内で書いてみたらやたらと説明くさくなってしまいました。
 なのでここで説明することに。
 しかし、うちの一刀くんは悩んでばっかりだなぁ。
 個人的には「切り替えたー!」とか言って躊躇無く相手を処罰とかは勘弁……いや、そうなると常識破壊のあのバカはどうなるのか。
 ともかく、二言目には殺すだの死ねだのは勘弁ということで。
 オリジナルならまだしも、余所様の主人公ならこうであってほしいって願望があります。
 でもいい加減前を向かせましょう。平和ボケはいかんとです。

 平和の中で起きる厄介ごとって辛いですよね。
 鍛錬してようが、心がぬるま湯に浸かりきっています。
 たとえ孫悟飯が鍛錬しながら大人になったとしても、油断はあったんじゃないかと思うのですよ。
 そんなお話。

 いやしかしこの恋姫という作品……真桜が居れば出来ないことなんてあんまりないんじゃないかなぁ。
 はい。この物語は作者の妄想と願望で出来ております。
 こうだったらいいなが実現出来るのって、自分の中だけですよね……悲しいことに。
 実現出来ても何処か違うのが余計に悲しい。

 では次回で。


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89:IF/都暮らしの空の下①

───/───

 まるで公開されている映画を見ているようだと、その時はそう思った。
 自分は真っ白な世界で座っていて、白しかないその場で色の無い物語を見る。
 子供の頃から楽しいことが好きな白が居た。
 その白は自分の楽しいを優先することが好きで、いつも身勝手。
 自分が楽しければいいだなんて思いながら、我が物顔で好き勝手するものだから、友達と呼べる白は居なかった。
 幼馴染は居たようで、頭の中がガキ大将気質の白を仕方のない人だと苦笑していた。

 そんな白が、ある日を境に楽しいことを探すのを止めた。
 辛くて周りに手を伸ばしても、今までしてきたことのしっぺ返しか、周囲は白に冷たく。
 白は周囲の白から突き放され、馬鹿にされ、自業自得の孤独を味わった。
 それでも辛かったから手を伸ばしたある日、白は周囲の白に殴られた。
 殴られる理由が解らなかったが、痛かったから抵抗する。
 すると、より多くの白に囲まれ、殴られた。

 白は、抵抗はするが殴りかかりはしなかった。
 攻撃をしない白を、周囲は馬鹿にする。
 様々な罵倒が飛び、逃げようとすれば通せんぼをされ、突き飛ばされ、尻餅をつく。
 自分を見下ろす周囲の白を見上げ、見下ろされるのが嫌で立ち上がる。
 その時、一人の白がある言葉を言った。
 それで、今まで耐えていた白はその白を殴った。

 ───どれだけ馬鹿にされても譲れないものがある。
 自分が殴られるよりも守っていたかったものがあることを、白は初めて知った。
 知った時には目の前で年老いた白が背を向けて頭を下げていて、白は俯き、涙しながら拳を握っていた。

  ───いつか過ちを犯してしまい、許されたいと思うことがあったとする。

 無意識だろうと、忘れたはずだろうと、きっとそれはいつまでも胸にあって。
 ふとそれを思い出した時、どうしようもなく泣きたくなる。
 でも……その時。
 謝りたい相手が既に居なかったら、どうしたらいいんだろう。
 何に向かって謝ればいいんだろう。
 墓にさえもう向き合うことの出来ない白は、涙しながら生きていくことだけ許された。
 謝る言葉も誰も認めてはくれず、白はどの色とも本当にわかり合えないままに生きてゆく。

 そんな映画を見て、同情からだろうか。
 せめて白が、最後くらいは幸せであることを願った。
 他愛無い他者の人生。
 きっといいこともあり悪いこともあり、辛いながらも普通の幸せってものを得るのだ。
 それが物語ってものだろう。
 そう、ぼんやりと映画を見ていた。
 ……ただ、白が生きていくだけの映画を。



  誰にだって幸せは待っていると思う。

  それは大小様々で、幸せなんてものはきっと受け取り方次第だ。

  そんなことを何気なく、暢気に思ったことがあった。

  だから……その人生はきっと間違いだったんだと思ったんだ。

  楽しいって思える瞬間と、辛い時間とが釣り合っていなかった。

  瞬間と時間。

  言葉だけでも差がある、そんな白の物語。

  目が覚めて、白の夢から戻った時、視界が滲んでいることに気づく。



───最後まで見た映像には、滅びしかなかった。



138/なにをもってかんせいといいませうか

 

 “振り返れば時は過ぎ、懐かしきあの頃を思い出す”。

 言ってしまえばそう変わり映えのしない日々は流れ、三国の中心にとうとう都が完成。

 完成とは言っても“住める程度には出来た”というものであり、整えなければいけない部分はまだまだ存在した。それでもここまでで何ヶ月もかかり、それまでに鍛えた知識や経験は、これからの日々にきっと役立てることが…………出来るといいなぁ。

 

「都かぁ……さすがに三国が協力して作ると、とんでもないな」

 

 目の前に広がる光景にただただ驚く。

 魏だけで作ろうとしたら、完成はいつになったかわからない。

 手を繋ぐ第一歩として、支柱という都を完成させたようなものだ。

 そんな場所へと、今日は視察に来ているわけだが……その広さに驚くばかりだ。

 もちろん呆れるほど、というほどでもないんだが、それこそ三国中心……“国境”に出来たものであり、他の国に行くのならここを通ってくださいって街が出来た。

 ほら、えーと……FF11あたりのジュノとかそんな感じの。やはり呆れるほどの広さではないものの、それなりには広いのだ。

 

「いや、ていうか……もしここに住むようになったら、アニキさんの店にはもう行けないのか?」

 

 ……夜の楽しみがひとつ消えるのか。

 くっ、これは中々に厳しい……じゃなくて。

 そうじゃないだろ俺、もっと頑張ろうって決めたじゃないか。

 でも息抜きは欲しいです。はい、間違いようのない心からの気持ちです。

 どうしても行きたくなったら片春屠くんの出番だな。

 

「こんにちはー! どうもー!」

 

 歩くと、あちこちに居る工夫さんたちが挨拶してくれる。

 俺もそれに返しながら歩く。…………後ろに思春を連れて。

 一緒に楽しく行きたいんだけど、声をかけても大した反応を見せてくれない。

 もっと打ち解けていこうって、昨日の夜に話し合ったのに…………あれ? 俺が一方的に話しただけで、特に返事をもらってないような…………あれぇ?

 

「おう一刀~! ───ひぅ!? じゃじゃじゃっじゃじゃじゃなくて御遣い様ー! ごごごごきげんうるわしゅー!?」

「いやいやおやっさん! 大丈夫だから! 一刀で大丈夫だから! ……思春もそんな、睨まないでくれよ頼むから……」

「……別に睨んでいない」

 

 挨拶がてら、手伝える仕事があれば手伝う。

 アレコレやっている内に工夫のみんなや、住む予定の人とは随分と打ち解け、一種の仕事仲間めいた関係が築かれている。砕けた言葉を使うことも多々あるものの、将の誰かと一緒の時はやっぱり口調は固くなるみんなと。

 ……ただ、まあ。工夫のおっちゃんと肩を組んで豪快に笑っていた時、気配を消していた思春がスッと気配を戻した時のおっちゃんたちの叫びは……思い出したら鼓膜が破れそうだ。

 あれ以来、おっちゃんはやたらと周囲を気にするようになってしまった。そりゃあね……突然近くに殺気満載の女性がヌゥっと現れれば、ホギャアアアとか叫びたくもなるよ。一種のトラウマだ。 

 

「さてと。…………思春、仕事していい?」

「工夫の手伝いではなく、視察ならばな」

「ぬぐっ……や、けどさ。今日はほら、“三日目”だし……」

「ああ。華琳様に視察に行きなさいと言われた日でもあるな」

「………」

「………」

「鍛錬がしたいんだって!」

「だめだ」

 

 即答だった。

 ……賊襲撃の事件が起きてから、自分の意識改革は始まっていた。

 やさしいだけの存在ではなく、きちんと“支える者”になろうと鍛錬の日々。

 政務をしながら氣を使い、警邏をしながら氣を使い、あらゆる場面で氣の鍛錬をした。

 ああ、そりゃもうこれでもかってくらいした。

 お陰で氣脈は随分と広がり、氣で体を動かすことにも随分と慣れた。

 賊を射って以来、弓矢の命中率も上がり、10発に一発は的に当たるようになった。

 後ろや地面や空に飛んでいた頃から比べれば素晴らしい進歩だ。

 ただ、困ったことに10発1中。

 最初に一発目が(あた)ると、見事なまでに9発外すなんてことがよくあった。

 過去形だからって今は大丈夫、なんてことはもちろんない。

 それどころか10発全部外すことさえあるくらいだ。

 思春が言うには、やはり“当てる気が足りない”だそうだ。

 

「じゃあ視察を早く終わらせよう。もちろん全力で真面目にやって」

 

 さて。

 そんな俺は現在、都の中心で親に小遣いをねだる子供のように思春と話している。

 お目付け役と言っても差支えなどないほどに、思春が俺の管理……もとい、監視をするようになったのはいつだろう。

 なんにでも思春の許可が要る、とまではいかないものの、これは結構辛い。

 賊の群れ(言い方悪いか?)と戦ったことが思春の口から華琳に伝わった際、この監視は絶対なものへと変貌した。前までは少し注意が飛ぶだけだったのに。

 “監視なんて嫌じゃー!”とばかりに氣を使い、全力で逃げ出した数分後、俺は目を朱く光らせた朱色の君に縛り上げられ、華琳の前にどさりと捨てられ、華琳にとてもとてもありがたいお説教を頂いた。

 

「……貴様は変わらないな。鍛錬を好む男など、貴様くらいだ」

「あのー、思春さん? 呼び方が“お前”から“貴様”に戻ってるのですがー……」

「そうされたくなければ人に迷惑をかけるのはやめろ」

 

 いい加減疲れたとばかりに、俺の目を真っ直ぐに見ての溜め息。

 国のために生き、国に返すために頑張る意思はもちろんあるが……それ=俺の自由の全否定とは違うのですよ思春さん。

 

「人は娯楽があるから頑張れると思うけどなぁ。俺にとってのそれが、今は鍛錬ってだけなんだよ。こういうのってやる気がそっちに向いてるうちにある程度進んでおかないと、やる気が起きなくなるし」

「普段から十分氣の鍛錬をしているだろう。どういう神経をしている」

「いやいや机に齧り付きながらじゃ、氣で思い切り体を動かす鍛錬は出来ないだろ! 錬氣と瞑想ばっかり上手くなっても、苦手な放出系を鍛えられないと辛いんだよ!!」

 

 あれか!? 体から氣を放出して、それで鍛えろとでも!?

 ……そういえば以前、氣で発光したなぁ俺。

 じゃなくて、あんなのじゃ放出とは言えないだろ……。

 あれ? でも発光の要領で氣を放出すれば、放出系の鍛錬にもなるのか?

 よしやってみよう! 男なら迷わずGOだ! 俺はもう……迷わない! 迷うなら、やってしまおうホトトギス!

 さあ、迷惑にならないように空に目掛けて体から氣を放出!

 ……さて。体から光を放出する際、掛け声的ななにかは必要だろうか。

 ああうん、カラ元気の頃からいろいろとはっちゃけようとした反動というか、無駄なところにも力を入れようと……って、誰に言ってるんだ俺。

 で、掛け声だが。

 

1:ウォオオーォォォォーッ!!(不死英雄戦士)

 

2:エターナルッ! ネギッ! フィーバァーッ!(ジャック・ラカン)

 

3:霊体撃滅波!(小笠原エミ)

 

4:さらばだ、ブルマ、トランクス、そしてカカロットよ……(ベジータ)

 

5:ボディィイチェェエエーンジ!!(ギニュー)

 

 結論:…………1と3と4は危険だな。そして5、それは放出だけど攻撃じゃない。

 

「とりあえずジェノサイドクラッシュは浪漫だと思うんだ」

「なんの話だ」

 

 うん、なんだろう。

 頬を一度掻いたのち、キッと空を睨んで集中。

 体の奥から湧き出る光を一気に外へ出すつもりで、空へと放った。

 

「………」

「………」

 

 それは、モシュウというヘンテコな音を立てると霧のように消えた。

 ……試しとして少量を切り離して出したのが不味かったのだろうか。

 ならばと、今度は全力で錬氣集中。

 体が氣でミチミチと熱くなるのを感じるほどに氣脈に蓄積させてから、それを一気に体の前半身から空へと向けて……溜めて溜めて……こらえてこらえて……一気に放つ!!

 

「俺はつるはしよりもマトックが好きだぁーっ!!」

 

 解る人にしか解らない言葉を叫び、大空へと氣の塊を飛ばした。

 人型のそれはドンチュゥウウンと空を飛ぶ。

 それはまるで、恋との模擬戦で空を飛ばされた自分をシルエットとして見ているような気分であり、何故だか涙腺が……と思った途端にソレが空中でパーンと破裂した。

 

「………」

「………」

 

 思春が何故か無言で俺の肩をポムと叩いた。

 まるで“ああはなるなよ”と心配してくれているようで、今度こそ俺の涙腺は崩壊した。

 うん……気をつけよう……。

 

「というわけで鍛れ───」

「だめだ」

「即答!?」

 

 鍛錬とすら言わせてもらえなかった。

 

……。

 

 視察が終わると、都に集まったみんなと一緒に食事を摂る。

 まだ店らしい店も、カタチとしては存在しているものの、開店はしていないので炊き出しめいたものになる。

 それらをみんなで笑いながら摂ると、自分たちはこんな風に過ごしてみたいって……夢を語るように話し合う。

 俺はといえば、そんなみんなの声を聞きながら、頭の中で纏めていく。

 民の声は大事なものだ。

 それは王が聞こうと思っても軽く聞けるものじゃない。

 だから聞けるときにはきちんと聞いて、それを纏めたものを華琳に届ける。

 ただ……今まではそれでよかったけど、これからはその声を俺自身がなんとかしなきゃいけなくなるんだよな。

 

(……いやいや。一人でなんでも出来るなんて思うなよ、北郷一刀。誰かに頼ることを恥だなんて思うな、覚えるな)

 

 一人でなんでも出来るようになることを目指さないわけじゃない。

 ただ、“頼れる時は頼るべき”を忘れないことを覚えておく。

 なんでも自分でやろうとする存在は、確かに格好いいかもしれないけど……それって孤独だと思う。自分より上手く何かを出来る人が居るなら、それはその人に任せるべきだって言葉がある。それは確かにそうだ。

 けど、自分一人だけがなんでも出来たら、誰も手伝う必要がない。

 俺は……そんなのは嫌だと思う。一緒に覚えて一緒に笑って生きていたい。

 

  ───需要と供給。

 

 やっぱり、これってすごく大事だ。

 商売でも人間関係でも。

 

「思春、食べてる?」

「ああ。普通だな。いつまで経っても、貴様の料理は普通だな……」

「いや、そんなしみじみ言われても。うーん……」

 

 料理の上達も考えてみようか。

 天の料理ばかりで驚かすんじゃなくて、この地での料理で驚かせられるように。

 ……うん、なんかいいなそれ。珍しさで華琳に驚いてもらうよりも、なんか嬉しい。

 そのためには流琉に料理を教えてもらって…………あー……教えてもらうために許昌と都とを往復する……のか? ……料理の道は険しいな。

 

(……ハテ?)

 

 都に来てくださるメンバーの中に…………料理がお得意なお方、いらっしゃったかしら?

 

(………えぇっ……と…………───普通ってステキだよね!)

 

 もう考えないことにした。

 

……。

 

 都が出来てからは、積極的に都に泊まることが多くなった。

 許昌での仕事(書簡整理など)を都に持ち込み、それが終わると積み上げ、纏まったら許昌へと片春屠くんで運ぶ。

 そういえばこれが出来てからというもの、馬に乗ってない。

 

(馬かぁ……麒麟は元気かな)

 

 夜、寝台に寝転がりながら、一頭の馬を思う。

 隣にはいつかのように思春。

 随分と一緒に寝ない日が続いたものの、なんというかあっさりと二人で寝ることが決まった都での日々。

 久しぶりだとなんか抵抗が……と言った俺に、思春はあっさりと「そうか」とだけ言って寝た。うん、もしかして俺って既に男として見られてない?

 などと思いつつ、なんとなく俺には背を向けて寝ている思春の顔を覗こうとするのだが、

 

「いつまで起きている、さっさと寝ろ」

 

 そうしようとしたのがバレたのか、未遂で止められた。

 どういう察知能力をしてるんだろうかこの人は。

 

(………)

 

 そういえばと、携帯をソッと取り出す。

 で、きちんと思春がこちらへ背中を向けていることを確認しつつ、画像一覧を。

 最初に映っている自分と及川の画像に苦笑を漏らしつつ、後側にある写真を見て笑む。

 思春の珍しい寝顔の写真だ。

 しかしながらバレるといろいろと危険なので、さっさと次の写真に移る。

 

「……ん」

 

 なんだかんだで写真が増えている。

 中でも華琳のものが多いのは、まあなんというか……アレだよな。

 

(及川かぁ……一緒に飛ばされたりしたら、毎日退屈だけはしなかっただろうな)

 

 今でももちろん退屈はないが、最初の頃なんて挫けそうになることが多かった。

 それを思えば、あの元気な男が隣に居るだけで、随分と救われたんじゃないかと思うのだ。もちろん、やかましさと女の子の話によって。

 モテはするけど特定の彼女はいないという、なんとも不思議なやつだった。

 

「……寝るか」

 

 及川の笑顔を思い出しつつ、寝ることにした。

 その日見た夢は、プレハブの及川の部屋でゲームをやるという妙に懐かしいものだった。



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89:IF/都暮らしの空の下②

139/時の流れに身を任せて

 

 都の開発は日を追う毎に進んでゆく。

 都に住む者は各国の王や軍師によって決められ、中でも人付き合いが上手い者が選ばれ、行く気があるかを訊ねてから移動を開始する。

 三国を繋ぐ都という場所だからという理由だけで、人との接し方が上手い者を、という話なのだが。

 

「あっ、あんたは……」

「あっ……あ、あーあーあー!」

 

 呉から来た者の中に、かつて蜀から呉へ移動した山賊初犯の男たちが混ざっていた。

 どうやらあれから上手くやっているようで、手探りではあるけれどいろいろと頑張っているそうだ。そんな努力が認められて、今こうして都に住むことを許可されたのだとか。

 

「襲っておいてなんだけど、今は商人やってるんだ。他のやつらも呉で、店の手伝いやったり仕入れ業やったりしてる。こき使われっぱなしだけど、こんな苦労もあの時死罪になってりゃ味わえなかったよなぁ」

 

 攻撃を避けきってくれてありがとうな、なんておかしなことを言って、襲ったことを何度も謝ってから彼は苦笑した。

 そうした軽い挨拶が済むと、荷物を持ったまま家の方へと歩いてゆく。

 見送りつつも自分の仕事を続け、それが終われば自分の家へ。

 家、というかなんというか、他の家よりも大きな屋敷っぽい場所へ。

 そんな立派なものじゃなくていいって言ったのに、工夫のみんなが聞いてくれなかった。

 

「おおっ、おかえりなのじゃ主様!」

「ただいま、美羽」

 

 都が出来てからしばらく。

 泊まる回数が増えると、許昌に戻るときまって美羽が“妾も連れてってたもー!”と言うといったことがあって、別に困るわけでもないからと、片春屠くんに乗せて都へ。

 仕事を終えた七乃も華雄も連れてきて、今現在は三人とも都暮らしだ。

 華雄は警邏などの仕事に就き、七乃は都開発の頭脳として働いてもらっている。

 美羽と俺は歌人もどきだ。

 俺が演奏して美羽が歌う。

 金を取れるほど上手ではないので、練習を聞いてもらっているだけ。だからもどきだ。

 不安は山積みではあるものの、七乃も華雄も自分が得意とする分野では本当にありがたい存在なので、どうしても困っている、なんてことはなかったりする。

 ……代わりに、やらなきゃいけない政務的なものは、それこそ山積みなわけだが。

 しかしそれも俺が“頑張れること”なので、むしろ望むところってもんだ。

 二胡の演奏はそれの息抜きみたいなものだな。

 最近は少しずつ慣れてきて、人に聞かせることができる程度にはなってくれた。

 歌は上手いんだよ。美羽の歌は。問題なのは俺の演奏だけだ。

 

「~♪」

「毎度ここらへんで失敗するんだよな……よっ、ほっ」

 

 二胡は力加減が難しい。

 しかし今回は毎度失敗する部分は上手くいったようで、美羽と笑いながら演奏し、歌う。

 そんな調子で珍しく最後まで上手くいくと、俺と美羽は抱き合い、成功を喜んだ。

 ……日々はそんな感じ。

 代わり映えはほぼ毎日に感じて、それでも少しずつ都って場所が姿を変え、人々の顔にも慣れや笑顔が増えていくと、奇妙な団結力や親近感をみんなが持ってゆく。

 

「御遣い様~! この木材ってここでしたっけー!?」

「俺じゃなくておやっさんに訊いてくれって!」

「おやっさんは御遣い様に訊いてくれって! なんでも新しく出来た飯店に行くとかで!」

「ああもうあの人はぁああっ!! ていうか散々サボってごめん魏のみんな……今物凄くサボられる人の気持ちがわかる……」

「はいはい一刀さん~? それはそっちじゃなくてこっちですよー」

「あ、た、助かる七乃……ってこっちに置く前に言おう!? なんであえて置いてから言うんだ!?」

「いえいえ、頼り甲斐があるところを工夫のみなさんに見せて、好感度を上げさせようかと」

「頼り甲斐の前に、バテたら全て台無しだってわかってるよね? わかっててやってるよね?」

 

 俺の質問に、夢見る少女のように手を胸の前で握り合わせて目を輝かせる七乃さん。

 返された言葉は「当然じゃないですか」だった。

 

「………」

「ぃふぁふぁふぁふぁ!? ひょ、ふぁふふぉふぁん!?」

 

 言葉遊びでゲンコツはどうかと思ったので、両の頬を引っ張った。

 ……目は割りと“いい加減にしなさい”って本気の目をしつつ。

 はぁ……思春も華雄も張り切って手伝ってくれてるっていうのに、この軍師さまは……。

 

(……ふむ)

 

 そう。

 思春も華雄も都の建設に協力してくれている。

 大まかな建設予定などは俺や七乃が考えて、予算などもいろいろと遣り繰りをしつつ。

 カタチとしては完成しているようでも、目に見えない部分は結構あるわけで、こうして整えているわけだが───これが結構大変で、けれどその大変っていうのを結構楽しんでいたりする。

 今は都暮らしが決まっている華雄、七乃、美羽、思春と一緒に、こうした作業や書簡整理の毎日だ。何かを作るって時には面倒ごとがよく起こるものだが、例に漏れず問題はよく起こる。

 主に俺が甘いって認識が強い所為もあり、サボる工夫がちらほらと。

 まあ、サボれば給料が減ることは相手もわかってるから、そこは好きにしてくれとは言ってはあるんだが……それで作業が遅れてたら世話ないって話だ。

 けれど、そういった話に飛びつく人も当然居るわけで。

 まだ若い青年工夫なんかはその筆頭だった。

 

「御遣い様ぁ! 頑張れば頑張った分、給料もらえるって本当ですかぁ!?」

「急いで手抜き工事になったら、その分から引くけどなー」

「っへへー! 任せてくだせぇ! 俺……ここで思い切り働いて金溜めて、家を建て替えてやるんでさぁ……!」

「それ、死亡フラグな上に自分で建てるって話が無くなってるぞ?」

「なんです? しぼー……?」

「あ、やー……なんでもない」

 

 青年工夫はやる気を見せて、「うおー!」と叫びながら作業をする。

 けれど材木を何度か運んだだけでふらふらになり、何本も運んでいる俺を化物を見るような目で見たりした。うん、俺もきっと最初はそんなだったよ。

 氣ってほんとすごい。

 そんなふうにして笑いながら、“俺達”の日常は続いている。

 各国の王が見れば甘すぎるだのなんだのと言うんだろうけどさ……人との付き合いがてんでない同盟の支柱なんて、別になくてもいいと思うんだ。

 御遣いだ支柱だとは言われても俺は俺。

 周りの人も俺は俺のままでというのだから、それはそれでいいことなんだろう。

 

「っはー! いい汗掻いたぜー! おっ、御遣い様っ、このあとどうですかい、そこの川まで行水でもっ」

「この季節に行水は辛いんだよなぁ……ドラム缶でもあれば、ドラム缶風呂が……あ」

 

 思いついたことはなんでも実行して、失敗しても笑って、学校の悪友と無茶するみたいな生活を続けている。

 そんな俺に、七乃や思春は呆れるばかりだったけど、俺は俺で気兼ね無く話し合える男の知り合いが居るだけで、随分と心が安らぐのを感じていた。

 

「へぇ……あの? これを繋げりゃいいんですかい?」

「ああ。使わなくなった中華鍋とかを繋ぎ合わせて、ドラム缶(仮)を作るんだ。形は……まあ多少歪んでても構わないからさ」

「どらむ……? いったいなんなんですかいそりゃ」

「小さな風呂が作れる道具みたいなもの……かな? 人一人ずつくらいしか入れないけど、この寒さじゃ行水で心臓麻痺とかしそうだしさ」

「御遣い様の言うことはよくわかりやせんが……まあ、やれってんならやりやしょう! なにより面白そうでさぁ!」

 

 そうして出来たものを川の傍まで運び、並べた石の上に乗せてからその下に枯れ葉や枝、手頃な大きさの石などをゴロゴロと置いて、火を熾す。

 時間はかかるものの、川から汲んだお湯が熱くなると、順番に湯船に浸かった。

 湯船の底には板を敷くのも忘れない。そのままだと足火傷するし。

 

「くぅうう~っ…………っはぁあ~っ!! し、染みるぅうう……!!」

 

 工夫の中には風呂に入ること自体が初めてという者が多く、染み渡るような熱に体を震わせ、しかし顔はニヤケっぱなしでいた。

 「疲れがお湯に溶け出すみてぇだ」なんて最初の工夫が言えば、次の工夫もその言葉の意味を知って顔を緩ませる。半端になって使わない木材なども焚き木にすれば、しばらくは風呂には困らなそうだとみんなして笑った。

 焚き木にした木材も、全部燃やし尽くすのではなく、こちらも作ってもらった火消壷に入れて、次回の焚き木として使うために残しておく。

 やがて材木と戦う時間が終わると、部屋へ戻って机にかじりつく。

 

「えぇと……? ここの問題は七乃がやるって言ってたから……あ、……」

 

 そういった変化を書簡に纏める日々に少しずつ慣れてくると、思うことがないわけじゃない。

 いつかどこかで見た話のこと。

 未来に生きていた人が過去に行き、住み辛いからと未来の知識を以って過去の世界を作り変えるといったものだった。

 その者はそうすることで“この時代にもようやく慣れた”と語っていたが、それは“その時代に対する慣れ”じゃなくて、“自分の時代へ近づけることで得る安心”だった。

 俺もそうなのかなと考えると、ふと……そんな話を見ていた時、自分が感じていたことを思い出すのだ。

 人はそう簡単には状況ってものに慣れるようには出来ていない。

 だから自分が住み慣れていた環境を無理にでも作ろうとして……まあ、結果として、その物語はその主人公の色に染まっていった。

 主人公はなんやかんやあって元の時代に戻ることになるのだが、そんな場面を見た時に思ってしまったわけだ。自分が住み易いようにその時代の“あるべき姿”を変えておいて、帰れるならさっさと帰ろうと帰ってしまうのは無責任なんじゃないのか、と。

 その過去と未来は繋がっているという設定があったけど、その物語は主人公が未来へ帰るために光に歩んで消えるという描写で終わっていた。

 

「………」

 

 先を想像してみると、あまり笑えなかったのを覚えている。

 多分そこに、主人公が住み易かった環境は残ってなかっただろうなと思うのだ。

 他ならぬ、過去を好き勝手に変えた自分の所為で。

 そう。人はそう簡単には状況ってものに慣れるようには出来ていない。

 けれど、辿り着いた過去がうんと昔で、主人公が教えた技術がその者たちにとっては想像が出来ないようなことなら、その者たちはそれを学ぼうと必死になるだろう。

 なにせ過程から結果に辿り着く必要なく答えを得たのだから、その次を目指す者が大半。

 誰かが何年何十年かけて学んで残してきたものを、答えを与えることで“それはこういうものだ”と知れば、過去の者の歩みは加速する。

 戻った未来がかつての自分が居た未来よりも発達していたら、もう自分が住み易い世界などは作れない。

 その場合、主人公はどうするんだろうか。

 もはや古くなってしまった自分の知識を糧に、また自分の住み易い環境を作ろうと頑張るのだろうか。

 それとも過去の者たちのように、与えられた知識と環境に頼って生きるのだろうか。

 ただ、まあ……そこで“嫌だ”と言うとしたら、主人公は我が儘だなと思った。

 自分は過去の人に未来の知識を与えて環境を変えておきながら、未来に戻って未来の知識を与えられたのに、自分は拒絶するのは違うだろう……と、まあ、そんなことを考えたわけだ。

 結果としてはそれだけの、なんというか少々微妙な考え。

 

「……心狭いかな、俺」

 

 誰にともなく呟いた。

 結局は俺も、そういった知識を武器に自分の住み易い場所を作ってるようなものだし、人のことは言えないわけだが……うーん。

 心のどこかでこの時代は未来に繋がってないからって安心してるんだろうか。

 ……考えてみたらなんか腹が立ってきたな。

 というか、この時代の未来はどこと繋がってるんだろうか。

 いや、そもそも繋がってなかったら?

 

「……や、まあ……どっちにしろ、やることってあんまり変わらないんだよな」

 

 この世界に俺が居た時代へ続く道があろうとなかろうと、俺は国に返すために頑張るだけだし……この時代で生きることが、いつまで許されてるかはこの際どうでもよく、消える瞬間までを頑張るだけなのだ。

 もし何かの拍子にこの時代と俺が居た時代が繋がっても、なんというか……なぁ?

 

「俺が教えようと教えなかろうと、華琳とか真桜が居るだけで、俺の知ってる俺が居た時代には辿り着けなさそうな気がする……」

 

 あの二人ってやっぱりいろいろと規格外だと思うのだ。

 少しの情報から知識を広げるのが上手い華琳や、この時代でバイクみたいなものを作ってしまう真桜。絡繰って言葉で済ますにはいろいろとおかしいだろとツッコミたくなる技術が盛り沢山だ。他国の皆さまもいろいろと規格外だし……。1から10を学ぶって、本当に出来るのな……って、華琳に会って初めて頷けたんだと思う。

 

「ん、よし」

 

 苦笑と一緒に頭を振って、ぐうっと伸びをする。

 机には整理された書類など。

 これからの予定なども書かれているそれを纏めて、持ち上げると歩き出す。

 やること……自分が出来ることはまだまだ山ほどある。

 今は難しいことは考えずに、その忙しさに埋没していようと……苦笑を漏らし、思った。



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89:IF/都暮らしの空の下③

 順応って言葉があるように、生き物はいろいろな環境に時間をかけて慣れてゆく。

 最初の頃は戸惑いながらも楽しんでいた都暮らしの人達も、いつしか戸惑いを薄め、楽しさのみを胸に駆け回っていた。

 

「うははははー! 華雄よ! 妾の華麗なる雪さばきに驚くがよいのじゃー!」

「合戦と言われては黙っておれん! ……時に北郷? この合戦は武器は使えないのか? この雪球を投げるだけなのだろうか」

「そうそう。これなら当たってもそんなに痛くないし───って」

「なるほど。ならば……ふんっ……ぬ、ぅうう……! ───うむ!!」

「いや“うむ”じゃないよ!? なにその水晶みたいな雪球! 光を受けてテコーンって輝いてるよ! 雪球っていうか氷だろそれ! 軽く固めるだけでいいんだって! そんなの投げたらぶつかった相手が死ぬから!」

 

 季節は……多分冬。

 寒さが本格化してきたある日に降った雪はみっしりと積もり、吐く息を嫌でも白くさせていた。楽しみのみを、と言った通りに都全体で雪合戦を始めてみたりしたが、最初は嫌がっていた人も最初から張り切っていた工夫たちも、今では随分と必死だった。

 

「うおお強ぇえ! ていうかてんで当たらねぇ! お、おいおめぇら! 興覇さまがすげぇぞ! どうすりゃああんな動きが出来るんだ!」

「んなぁああっ!? あんなの俺だったら避けきれねぇで雪だるまになってるぞ!?」

「思春!? 思春さん!? ちょっ……避けすぎ! どれだけ身体能力高いのさ!」

「そういう戦いだろう。避けずにいてどうする」

「いや……そうなんだけどさ……。なんかもういろいろ規格外だなぁ……」

 

 合戦と聞くや、落ち着いていられないのは武人の血が故なのか。

 大人げないと言ったらアレだけど、華雄と思春はそれはもう結構な勢いで民たちと戦っていた。もちろん、俺は思春と向かい合って雪球を作っては投げているんだが……あははははは! 当たらん! 見事に当たらん!

 

「はっ! だぁっ! せいぃっ……───っだぁあーっ!! 当たらねぇえ!!」

「そういう貴様こそしっかりと避けているだろう……!」

「もう意地だろこういう状況じゃ! 避けるだけなら俺だって得意オブゥウウッフェェエッ!!? ごっは! げほぉっ……!? あっ……か、華雄ぅうううっ!! それ投げるなって言ったろぉおおっ!!?」

「い、いやっ……! これでも随分と軽く握ってだなっ……!」

「脇腹陥没したまま戻らなくなるかと思うほど痛かったんですが!?」

 

 楽しみながらの都作りはもちろんしていたものの、作る以外の楽しみが無いと息抜きにはならない。そんな考えから始める様々な遊びは、民たちを笑顔にさせた。

 最初は張り切っていた美羽があっという間に雪だるまになる様を見た七乃が、目を輝かせながら「あれだけ大見得を切っておいてあっさりやられるなんて、さっすがお嬢様っ」とか言ったりして。それを見て笑うみんなと、訳もわからずとりあえず褒められたと思って、雪を散らしながら胸を張る美羽に笑うみんな。

 日々は、忙しいながらも穏やかだった。

 そんな世界で笑える喜びは、やっぱり順応って言葉があってこそだろう。

 どこから手をつけたもんかと悩んでいた人が、悩むよりも行動することが多くなると、自然と周りも同じように行動に移る人が多くなる。

 もちろん俺も例に漏れず、定期的に会合のようなものをしては、みんなの意見を耳にしながら話を纏めて、よい都作りに励んでいた。

 あ、それこそもちろん、俺だけが都を作っていくわけじゃないんだから、意見を推してくる人にはそれなりの行動には出てもらっている。

 “それを実現させるならどれこれが必要だ”と言えば、張り切る人も居ればあっさり諦める人も居る。諦める人に声をかけて、やってやろうぜと笑う人だって居る。

 そういった“すること”が日に日に減っていくと、都の暮らしも大分落ち着きを見せ……気がつけば春が来る。

 

「お兄さーん! 宴が出来るいい場所があるんだけど、一緒に行こー!?」

「……場所についてはなんとなく想像出来るけど。あの、桃香サン? 急に訪ねてきて宴に誘うとか、いったい何事デスカ」

「あ、うん。最近は都もお兄さんも落ち着いてきたみたいだから、息抜きに誘ってみたらどうでしょうって、星ちゃんが」

「それ、ただ星が合法的に酒が飲める席が欲しかっただけじゃないよね?」

「………あうっ……!? そ、そそそんなことない……と、思う、よ?」

「だったらどうしてそこで盛大にどもりつつ、目を逸らすの」

 

 ある日に急に訪ねてきた桃香に桃園に誘われたり……というか、今じゃ幽州って魏方面じゃなかったか? ……などとも思ったが、まあ結局は各国に声を掛け合って騒ぐことに。

 その頃には一応“日本酒”も完成しており、霞が随分と燥いでいたのは記憶に新しい。

 

「っかぁーっ!! 喉にツンとくる! 味はなんやはっきりせぇへんけど、体の奥から熱ぅなるわ!」

「頼むから味わって飲んでくれなー……? あまり多くは作れなかったんだから」

「あぁもうそないケチくさいこと言いなやぁ。……ウチな? 一刀がきちんと約束守ってくれたんだけでもめっちゃ嬉しいねん。帰ってきてくれたし、羅馬にも行くゆーてくれたし、酒も作ってくれた。これが飲まずにおられるかいっ!」

「その言葉って、悔しい時にしか聞かないものだと思ってたよ……」

 

 付けた名前もすっかり忘れたので“北濁里(きたにごり)(仮名)”と呼んだそれは、黄酒に慣れたみんなにとっては新しい味だったらしい。

 何気に結構アルコールも強いようで、祭さんや桔梗、紫苑や星は喜んで喉に通した。

 

「へえ……これが日本酒……。黄酒よりも、喉に通した時の熱が強いわね」

「……俺の知ってる黄酒はもっとアルコールが薄い筈なんだけどね」

 

 この世界の酒は少々おかしい気がする。

 この時代の酒はそんなにアルコールが強くない筈なのに、平気で喉が焼けるような強い酒が存在するのだから。

 しかしながら、そういうのは結構高価だったりするので、飲みたくても手が出せないのが普通。なら作るしかないってもので、出来た酒は無料で喉に刺激を与えてくれた。あ、もちろん材料費はかかっているが。

 俺の隣で日本酒をちびちびと飲み、ツマミを口にする華琳は結構上機嫌。

 ビールは飲めなかったものの、日本酒とそれによく合うツマミは食べられたのだから、それはそれでいいということらしい。自家製ビールの作り方っていうのもあった気がするが、それをするには材料や器具が足らないだろう。

 あったとしてもどの道ダメだろう。……作り方自体、覚えてないし。

 

「一番北郷一刀! 歌います!」

 

 桃園の中心で歌を歌う。

 こういうものはやった者勝ちというが、実際その通りだろう。

 マイクは無いので自分の喉の許す限りに歌い、喉が渇けば飲み物を───あれぇ!? 手が届くところに酒しかない!? ……や、まあ宴だしね!? 酒だな、うん、酒だ! なんかみんながニコニコ微笑みながら水を遠ざけていってる気がするけどきっと気の所為さ! ……気の所為だよね?

 で、がばがば飲んでいれば酔っ払うわけで。

 

「大体みんなは勝手すぎるんだっ! 俺は魏にいろいろ捧げたって言ったのに、三国の父とかなんとか……! そりゃみんな魅力的だよ!? 綺麗だし可愛いし、嬉しいと思わないわけがないさ! それでもなー! 俺は……俺は華琳が好きなんだー!」

「おー! よく言ったぞほんごー! ……うっく。ほらしゅ~ら~ん、お前も飲めー!」

「い、いや、姉者……それくらいでやめにしたらどうだ……?」

「なにをゆーんらー! こういう時こそらなぁ、腹を割ってはなひあいをらなぁ~……ほれほんごー、言え! 言ってやるんらー!」

「おー! 言ってやるともー! 華琳ー! 好きだー! 天に帰ってから、忘れた日なんて一度もなかったぞー!」

「……はぁ。酒の席で酔うなとは言わないけれどね、一刀。何かを言葉にするのなら、酒の勢いではなく───」

「華琳ー! 好きだー!」

「華琳さまー! この身全てを捧げても悔いの無いほど愛しておりますー!」

「むっ!? だったら俺はこれからの未来の全部を捧げてもいいくらいにだなー!」

「なにをー!? らったらわらひは死してなおだなー!」

「そんなの俺だってそうだ!」

「むぅううーっ! やるかぁ北郷!」

「やらいでかぁっ!! 俺の方が───」

「わらひの方が───」

『華琳(様)のことを愛しているぅううっ!!!』

 

 そうして始まる取っ組み合い───ではなく、酒飲み勝負。

 相当恥ずかしいことを叫んだにも係わらず、その時の俺は周囲など気にせず飲んだ……らしい。うん、この時のことはあとで七乃にからかうように教えられた。結局俺は飲みすぎで春蘭とともにゴドシャアと大地に倒れ、痙攣したのちにオチたそうだ。

 目が覚めた先にあったのは真っ暗な景色。

 今日は月も隠れてしまっているようで、虫の鳴く音を耳にしながら起き上が───れなかった。

 

「うぅえっ……気持ち悪いぃ……」

 

 頭痛はしない……のだが、妙に頭が重かった。

 いや、頭だけじゃなくて体が重い。

 つか、起き上がれない? 何故?

 

「………」

 

 様々な人が人を枕にして寝ていらっしゃいました。

 動こうにもこれじゃあ動けない。

 観念して二度寝でも……と思ったのだが、眠気は既に無かった。

 

「おぉーいぃい……暖かくなったとはいえ、こんな場所で寝てたら風邪を……引く様子が想像出来ないんだよなぁ」

 

 愛紗くらいじゃなかろうか、俺の前で病気になってみせたのって。

 その愛紗も桃香と並んで眠っているようだ。

 誰か起きている人は居ないかと見渡してみるが……見張りの兵以外は全員撃沈しているようだった。

 

(北濁里が効いたんだろうか…………だったらちょっと嬉しいかも)

 

 各国のお偉いさんが無防備に寝ている。

 クーデターとか言うのもアレだが、そういうのを狙っている人が見たらチャンスすぎて笑えない。もし見張りの中にそういう人が混ざってたらどうするんだーって言ってみたくもあるものの……

 

「───……」

 

 重い頭の中では、既に意識を集中させていた。

 殺気を以って近付く者あらば、全力で抗う自分は既に自分の中で完成している。

 酔っ払いがどこまで出来るかは、まあその時だ。

 

「……はぁ」

 

 とりあえず一人ずつ頭をどかして、その場から立ち上がる。

 草の上に敷いて座っていたレジャーシート……ではなく敷物に寝転がっていたようで、立ち上がってみれば少し妙な感覚。草の上に敷いた茣蓙の上に靴下で立ったときのような……って、そのまんまか。なんかくすぐったい。

 

「………」

 

 重い頭を軽く振ってから歩く。

 もちろん眠っているみんなを踏まないように慎重に。

 そうして見張りの一人に声をかけると、酔い覚まし代わりに話を始めた。

 

「お疲れ様です」

「ただ飲んで騒いでただけだって。そっちこそ、見張りありがとうな」

 

 残り物で悪いけど、と差し出したのは軽くつまめるもの。

 交代で見張りをしている何人かがそれを口にして、苦笑を漏らす。「仕事ですから」と。

 

「まあ、割り切れるってのはいいことだよな」

「はい」

 

 さすがに仕事中に酒はまずいので、やはり食べるだけ。

 水はあるから、それでささやかな乾杯をした。

 

「───」

 

 月の無い空を見上げる。

 吐く息はもう白くはなく、ゆっくりと温かくなっているのだなと実感が持てた。

 視線を下ろせば、食事を摘んで楽しむ兵たち。

 しかしまあ、食べながらでもちらちらと辺りには警戒しているようで、実に仕事熱心だ。

 俺は……そんな兵たちを見て笑う。

 普通に頼もしいって思えたんだから仕方ない。

 安心がなければ、案外笑うことって難しいのだ。

 

「そういえば……隊長が戻ってきてから、結構経ちましたね」

「ああそうそう、そういえば宴の夜に戻ってきたんだったよな、隊長」

「天というのはどんな場所なんで?」

 

 それから他愛無い話をする。

 天についてを少し大袈裟に、けれどわかり易く説明したり、そこには俺より偉い人なんてごまんと居ることを教えたり。

 兵らはそれを聞いて驚いたり頷いたり。

 そんな、気が緩むような時間を過ごしながら、日々に流されていった。

 新しい発見ばかりの毎日を、笑みで過ごしながら。

 

 

……。

 

 ───……季節は夏。

 

「いいか? 患者を診る時は傷よりもまず、氣の流れを見るんだ」

「氣の流れか……」

 

 太陽が照りつける、良い天気の昼の都。

 三国どちらへもすぐに向かえるということで、都に住居を構えた華佗に医術を習う。

 もう一度訊いてみたものの、結局俺の体はちっとも成長していないとのことで、やっぱり俺はこのままなんだろうなって意識を強めたある日から、俺は華佗にいつか話したように、医術を習うことにした。

 もちろん五斗米道は一子相伝らしいから、教えるのなら心の底から熱く学べと言われ……そんな言葉とは別に、“体が成長しないなら、お前に託せば安心だ”とも言っていた。

 そんなこんなで学ぶ医術は…………一言で言うと熱かった。

 

「違う! そこは相手を労りつつも熱い心で包んでやるんだ!」

「えあっ!? あ、熱い心でか!?」

「そうだ! もっと熱くだ! “弱気”などは“熱気”で吹き飛ばす! 病は気から! ならばまずは氣を見て気配をさぐる! 弱気と見れば必察必治癒!! 元っ気にぃぃい……! なぁあああれぇえええええっ!!!」

 

 そうして医術を学ぶ中、各国との交流もこなし、新しく始めたものが波に乗り、それが安定してくると……ようやく肩の荷が少しずつ下りてゆく。

 それでも続けていることは続けている。

 机に噛り付かない日はないし、暇があれば美羽と一緒に歌と二胡の練習もすれば、思春と一緒に警邏もする。

 

「おぉおおおおおおおっ!!!」

「はぁあああああああっ!!!」

 

 三日毎の鍛錬も相変わらずだ。

 成長した氣を以って、全力で華雄とぶつかる。

 ほんの少しずつだけど押せてる時があるんじゃないかと思える瞬間が……出てきた気がする。だから余計に頑張り、頑張りすぎた結果が大敗。

 調子に乗るとどうにもペースとか自分の氣の扱いを忘れがちで、氣で体を動かすことを忘れ、体で動こうとして失敗する、なんてことをもう何度やって何度負けたことか。

 

「んんっ───がぁああああああっ!!!」

「うぬっ!?」

 

 しかし“相変わらず”からいい加減脱したいと思う気持ちは、“相変わらず”をとっくに飛び越えている。

 歯を食いしばって前へと出て、“負けてもいいから頑張る”って姿勢を“勝つために頑張る”に変えながら、鍛錬を続けている。“ああ、これは負けるな”って思う瞬間でも最後まで諦めず、氣を充実させては相手の撃を弾いていた。

 不思議なもので、否定的な思いで武器を振るうよりも、肯定的な思いで武器を振ったほうが、踏ん張りが利いた。人間って不思議だ。

 

「っ……今日はやけに粘るではないか!」

「今日は、じゃなくていつもだ! いつだって勝ちたいって思ってるんだから───!」

 

 木刀と斧との衝突音とは思えない、金属が弾けるような音はいつまでも続く。

 腕が痺れても氣で繋ぎ合わせ、骨が軋んでも歯を食い縛り、今日という今日は越えるのだと気合を籠めて向かう───そんなことをもう何度繰り返しただろう。

 俺が華雄の癖を見切り始めているように、華雄も俺の癖なんて熟知していることだろう。

 それでも退くことをするくらいならば、見切られていようと向かうことを諦めず、ただただ一撃一撃を連ね、己を高めてゆくことを願った。

 そしてついに───その想いは届くことになる。

 

「ッ───すぅううきっ───ありぃいいいっ!!!」

「! くあっ───はっ!?」

 

 氣が続く限りどころか、消耗しても錬氣し続け、打ち合い続けた結果。

 とうとう華雄の手から金剛爆斧が弾かれ、次の瞬間には俺の木刀が華雄の喉へと突きつけられていた。

 

「っ……はっ……はぁっ! はぁっ! はっ……ん、んぐっ……! はぁっ……!」

「…………」

 

 息が荒れる。

 手は完全に痺れ、感覚なんて残っていない。

 華雄もきっとそうだからこそ武器を手放すなんてことをしてしまったのだろう。

 手が痺れてからは意地と意地のぶつかり合いだ。

 そこには技術よりも根性こそがあって、今回は一歩だけ俺が先にいけた……それだけのことだった。

 氣を使い続ける華雄と、錬氣と行使を同時に使えるようになった俺との、ほんの僅かな差が決め手になった。……とはいえ、次もこう上手くいくとは限らなすぎるわけで。

 実際、勝った筈の俺のほうが、負けた華雄よりもぜぇぜぇと息が荒い。

 錬氣、行使、集中、先読み、頭を使うものやら体を使うものやら、いっぺんに様々をやりすぎた所為で頭が痛いし体も痛い。

 

「……負け、だな。私の」

「……………」

 

 だから、俺としてはその言葉を聞けただけでも満足だった。

 暑い夏の日───俺は照りつける太陽の下、華雄のその言葉を聞いた途端、ぼてりと大地に倒れた。うん、原因は太陽の熱と、動きすぎによる発熱と、錬氣の連続による疲労などによるものらしかった。

 

……。

 

 ふと目が覚める。

 どうやら大きな樹の幹の下に寝転がらされていたようで、視界には木漏れ日眩しい青空。

 少し気だるい体を起こしてみれば、隣に座っていたらしい華雄がそれに気づき、無理矢理もう一度寝かせた。そう、無理矢理。いっそドゴォと効果音が鳴りそうなくらい、幹に頭をぶつけた。

 悶絶する俺に彼女はこんなことを仰った。「急に起きあがるから苦しむことになる」と。

 ……どうやら立ち眩みみたいなのを起こしたと思ってらっしゃるらしい。

 

「ぢぢぢ……!! か、華雄……!?」

 

 なんとか振り絞る声に、華雄はどこか疲れたような声で「応」とだけ返す。

 それからは沈黙。

 俺には視線を向けず、どこか遠くを見ているような様相のまま、しばらくの無言。

 ややあってこちらをちらりと見た華雄は…………何かを諦めたような溜め息を吐いて、

 

「約束だからな。今この時を以って、私はお前の女となろう」

 

 ……なんてことを言ってみせた。

 約束だから仕方ない、という表情───ってそれ以前にちょっと待ちなさい。

 約束……約束って、いや、あの、エ?

 もしかしてあれって本気で……!? いやちょっと待て北郷一刀! ここで普通に訊ねるのは地雷だ! そんなことはもう経験しまくってるじゃないか!

 自分が負ければどーのこーのは確かに話したことだし、華雄にとってもそうならないためにも戦っていた意地のようなものだってあった筈だ。

 それを今さら撤回するとなると………………ア、ヤ、ハハ? なんか首がスースーする。

 なので思考を回転させて……えぇっと……!

 

「か、華雄? 華雄はそれでいい、のか?」

「フッ……二言は無い。思えば戦も終わり、力をつける意味も薄れてきたこの空の下。武を振るう以外の何かを掴む、いい機会かもしれん。霞の言うような“好きになる”という理屈はよくわからん。だが、必死に私を越えようとするお前の目は、嫌いではなかった」

 

 思わず“え? そうなの?”と聞き返しそうになるのをなんとか堪えた。

 その間にも華雄は顎に手を当て、ニヤリと笑ってどんどんと自分の結論を語るわけで。

 

「…………いいだろう。元々私は既に行き場の無くなった将でもない存在だ。これからはお前に尽くし、この都のために武───ではなくて、武……い、いや、武………………」

 

 ……あ。なんか頭を抱え出した。

 そして真顔で、「……私に武以外の何を振るえというのだ?」と訊いてきた……。

 いや華雄さん? それをこれから手にするために頑張るんじゃなかったの?

 そんなことを思いつつ、まあ華雄らしいかなと思えば勝手に口は空気を噴き出し、きょとんとする華雄を前に笑った。

 

「あっはははは……そ、それをこれから探すんだろ? 今言ったばっかりじゃないか」

「むっ……いや、そうだが。ではまず何をすればいい」

「え? えーっと………………料理でも、してみる?」

 

 まだ少し頭がくらくらする、とある夏の日。

 華雄は、複雑そうな顔で、けれどしっかりと頷き……差し出した俺の手を握った。

 これからもよろしくって意思を交換しながら。

 



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90:IF/祭さんが飲んだらアレだったもの①

140/都って書くと、続けてこんぶと書きたくなる誘惑

 

 都暮らしが安定に向かうと、さすがに人員不足も問題になってくる。

 人は慣れてからが一番危ないという。

 車の運転や、危険物の取り扱いについてがいい例だろう。

 なので魏呉蜀から何人か兵を分けてもらい、警備隊の任についてもらう。

 ……集まってくれた兵のみんなが顔見知りだったのは、何かの陰謀だろうか。

 いや、疑り深くなってるだけだよな、なんの裏も無いし親切心からだって。

 

「でさ。この通りには食事処を集中させたんだけど……」

「はい、わかり易くていいと思います」

 

 そんな兵たちと一緒に、蜀で時間を貰った朱里が、今は先生代わりとしてこれからの都についての相談役として立ってくれている。

 七乃に訊くだけでもそりゃあ安定はしていたんだが、細かなところに爆弾仕掛けるから怖いんだよな、七乃って。もちろん本物の爆弾じゃなくて、あとで俺が驚き困るような仕掛けを作っておくのだ。

 お陰で急な仕事が増えたりすることがあって、しかもそれが決まって忙しい時に発生するもんだから毎度毎度目を回しながら対処する。……おまけにと言うべきか、ギリギリ解決できるものを残すもんだから、確かに民からの信頼度は上がるんだが……こっちの身が保たない。

 

「ありがとな、朱里。来る度に質問ばっかりでごめん。やっぱり朱里はすごいな」

「いえ、足りない知識や欲しい知識があるなら、わたしにわかることでしたら是非訊いてくだしゃいっ! わたしゅたちはそのために学んできたんでしゅかりゃっ! ……はわぁっ!?」

 

 今日も元気に噛んでいた。

 どうにも褒められることに慣れていないのか、慌てて言い直そうとする度に噛む。

 焦りの連鎖に迷い込む前になんとか止めて、これからのことを話し合う。

 急いで豊かにする必要はないっていう部分には、朱里も俺も同じ意見だった。

 三国っていうしっかりとした周囲があるなら、そこから少しずついいところを吸収していけばいい。それを三国の架け橋みたいにすれば、都に住む人も各国の風習に慣れやすいだろうとのこと。そのための人付き合いの上手い人達の集いだ。

 

「何かを作る時は、作ってる時が一番楽しいっていうけど、ほんとだなー。作ってる時はみんなと一緒に燥ぎながら作業していればよかったんだけど、こうして考えることばかりになると頭が痛い。……少し、雪蓮の気持ちがわかるかも」

「はわっ……!? あ、あはは……」

 

 困った顔で苦笑を浮かべる朱里だったけど、目が語っていた。

 “ああはならないでください”と。

 口にしてしまったらいろいろと大変だからなぁ……俺や華琳や冥琳は平気で言うけど。

 

「警邏は三国の兵を混ぜながらってことだけど、平気?」

「はい。平和を見守るべき兵が、兵同士で喧嘩をしていたら話にもなりませんから。まずは兵同士の交流も大事ですし───」

「なるほど、そのために俺が間に入るわけか」

「はい。兵のみなさんが都での警邏に慣れるまでは、一刀さんが一緒に回ってください」

「俺がみんなと仲が良くても、兵同士がそうだとは限らないんだもんなぁ……難しいな」

「こればかりは仕方ないですよ……兵ともなれば、仲間を討たれた人も居るでしょうし」

「うん……」

 

 何か男同士でのきっかけがあればな、なんて思う。

 くるくると思考を回転させてはみるが、そう簡単には答えは出ない。

 過ぎたことは仕方ないと兵同士が納得してくれれば嬉しいとは思うけど……やっぱりそういうのは時間の問題だろう。

 

「なにか些細なきっかけでも───…………あ」

「? あの、一刀さん? ……? 顔に、なにかついてましゅか?」

 

 じっと自分を見つめる俺に、朱里が首を傾げたのちにぺたぺたと頬辺りに触れつつ噛んだ。なにもついてはいないんだが……朱里、朱里か。

 

「朱里の秘蔵の艶本をきっかけに、男達が熱く語り合───」

「だめでしゅ!!」

「ですよね!」

 

 かつてないほどの気迫で拒否された。そして噛んだ。

 うん、言ってみただけで、さすがにそれはないと俺も思ってたし。

 

「じゃあ、今のところはじっくりゆっくりだな。……はぁ~……町ひとつでこれなのに、国を管理する王様っていうのはすごいな」

「ふふふっ、それが願って居る場所なら、どれだけでも頑張れるものですよ。桃香様も仕事をしている際はうんうんと唸っていますけど、問題が解決した時は誰よりも喜んでおられますから」

「言われただけでも、どれほどの喜びかが想像つくのが桃香の凄いところだな」

 

 子供のように燥いで、愛紗に窘められている光景が想像に容易い。

 

「あの。ところで一刀さん? 最近お休みは───」

「仕事漬けでございます」

「はわっ……!? だ、だめですいけませんよぅ! きちんと休める内に休まないと、倒れてからでは遅いんですよ!?」

「や、冗談冗談。忙しくはあるけど、適度に息抜きはしてるから。……休みらしい休みがないのは、人手不足の所為だと思えば頑張れるしさ。それに兵の仲は、俺を通して仲良くってこともいいけど……うん、華雄にお願いしてもいいんじゃないかって思うんだ」

「華雄さんですか?」

「そ。なんだかんだで人に好かれるんだよね。カリスマ……とはまた違ったものなんだろうけど、兵にやたらと慕われてる」

 

 俺ももちろん仲介みたいなことはするけど、華雄の仕事が警邏か俺との鍛錬くらいしかないのもどうか。そこに兵の鍛錬調整を入れれば、彼女も喜ぶんじゃなかろうか。

 

「なるほど……では華雄さんに一度束ねてもらいましょう。今現在、人手が多いとは言えない状態なので、今の内に固められるところは固めてしまうつもりで」

「ん、了解。じゃあ兵の統率は華雄に任せることで決定……と。なんというか、朱里が一緒に考えてくれるとあっという間だな……。俺も慣れたつもりはあったけど、こう……いざ“決定”ってところまで来るとどうしても不安になってダメだ」

「何も迷わない、感じないでは獣と一緒、といいますよ?」

「そうかな。…………獣は獣で考えてるとは思うけど、そういう意味じゃないか」

「糧になるものを仕留めると決めたなら、途中で止まることをしません。それが獣です」

「───」

「……はわっ……」

 

 多分、今朱里と同じことを考えた。

 俺と朱里が見下ろすのは、兵の統率に華雄を当てるというものを書いた書類。

 朱里の言葉のあとに見下ろしてしまったそれを前に、俺達は目を見合わせて思考した。

 

「え、っと……。これで、いい……よな?」

「は、はわわ……えと、その、あの……あぅう……」

 

 獣……獣。

 いや、華雄が獣だというんじゃない。華雄の思考がこう……なんというかその。なぁ?

 

「だだ大丈夫! 獣は獣で考えるし、逆に考えれば統率って意味では獣に勝るものはそうそうないんじゃないかなぁ! ほ、ほらっ、春ら───いやゲフッ! ゲッフゴフッ! ……ナナナンデモナイ」

 

 余計なことを言って春蘭に届いたら、首が取れそうだ。

 よし大丈夫! 華雄に任せよう!

 

「…………これで春蘭のところの突撃兵軍団みたいになったらどうしよう……」

「だ、大丈夫ですよ……きっと……。ほ、ほらっ、突撃する場所なんてありませんし……」

「あ───そ、そうだよな、そう、そうだ、はは……」

 

 言われてみれば今の世、争いらしい争いなど起こることなどない。

 山賊はやはり居るようではあるけれど、それらも現れるたびに三国が早急に始末しているそうな。俺が襲われたことがきっかけになっているのなら、少しだけ山賊に悪い気が…………いや、しちゃだめだろ、そこは。気をしっかり引き締めろ、北郷一刀。

 

「じゃあ……その。次の案件に」

「はい。それで、あの……今日までそれほどまでの問題もなく動いているんですから、そう危なげに決定を下さなくても大丈夫だと思いますよ」

「うう、朱里はやさしいなぁ……。そう言ってくれるのは朱里だけだよ……。思春なんて、軽い怯えを口にしようものならばこうやって───」

 

 目尻を指でクイッと上げて、顔を少し怒り顔にして言葉を発する。

 

「“貴様がここの柱だろう。甘えたことをぬかすな”───って」

「………」

「……あれ? 朱里?」

 

 朱里が沈黙。

 しかし声をかけると慌てて顔を背け、カタカタと肩を震わせた……と思ったらブフゥと噴いた。……ああ、笑ってたのね。

 

「いや……そんなに可笑しかったか?」

「いえあにょっ……ぷふっ……! かかかじゅとしゃんの顔がっ……!」

「………」

 

 堪えきれなくなるほどに可笑しかったのか……歪ませた俺の顔。

 そういえば朱里はもちろん、雛里もよくよく俺の顔を見てくるもんなぁ。

 顔の変化に敏感なのかしら。よくわからん。

 ……けどまあ、笑いがあるのはいいことだよな。馬鹿にされてない限りは。

 

「ん。じゃあここらで休憩にしようか。あまり頑張りすぎても長続きしないし」

「一刀さんは働きすぎなくらいです……噂では、仕事を放り出して街に遊びに行ってばかりだと聞いていたんですけど……情報に踊らされましたね。軍師として、まだまだ未熟です……」

「いやいやそれ本当だからね!? 自分で認めるのもなんだけど! 朱里が未熟だったら世の中の軍師のみなさん泣いちゃうから! ……いやちょっ……待っ……そんな“ご謙遜を”って顔されても事実だからね!? これ以上自分で認めたくないから信じて!?」

 

 自分で自分はサボってましたと何度も頷かされているようで、心のライフポイントがゾリゾリと削られてゆく。

 けど、大丈夫。俺ももうきっと強いコ。この程度ではまだまだ折れま───

 

「ではその……魏の種馬という噂も……?」

「いえそれは事実です」

 

 ───どうしよう折れそう。

 無垢な瞳で見つめられ、自分は獣でしたと認めた気分だった。気分どころか実際言わされたわけだが。

 しかもそのあとも次から次へと自分の恥ずかしい噂の真実についてを問われ、赤面しながらもそれに答えていった。困ったことに顔を逸らそうものなら嘘ではないかと疑って落ち込むもんだから、目を逸らすことも出来ない。

 いつからこの部屋は拷問室になりましたか。

 

「で、では次の質問をっ……!」

「ままま待った待った! 朱里待って!? なんか俺が答えるのが当然みたいになってるけど、いつから質問コーナーになったの!? 仕事は!?」

「遅れるようでしたら手伝いましゅから!」

「そういう問題じゃなくてね!?」

 

 フンスと鼻息も荒く、顔を赤くした朱里が詰め寄ってくる。

 この軍師さま、本当にこの手の話題が大好きのようで……しかも話を逸らそうとしても何故かいつの間にか話が戻っていて、嫌なところで諸葛孔明様の話術の匠さに翻弄され、机に肘を立てながら頭を抱えた。

 ……そんな俺を、朱里は何故かうっとりした顔で見てらっしゃったとさ……。

 

……。

 

 数日が経った。

 ある意味視察であったのだろう朱里の仕事が終わり、入れ替わるように……とはいえ数日後に雛里が都を訪れると、のんびりとした空気ながらもジワジワと開発を進める日々が続いた。

 魏への操云々を抜きにして付き合うという言葉通り、俺が遠慮すると朱里は「遠慮はなしですよー」といたずらっぽい笑みを浮かべ、胸を張っていたが……そんな朱里も蜀へと戻り、雛里が借りてきた猫のようにおどおどしながらも様々な助言をくれる。

 そして俺はとある記録を更新中で、少しココロが浮かれていた。ある意味で。

 

「………」

「………」

 

 さて、いろいろと教えてくれる雛里についてだが。

 傍に朱里が居ない雛里は、それはもう驚くくらいに無口だった。

 借りてきた猫でもまだ“にゃー”くらいは言うだろうってくらい、無口だった。

 しかも、“もしかして嫌われてる?”と反射的に思ってしまうくらいに……目が合うと思い切り目を逸らされるのだ。いや、目じゃなくて顔か。

 そんな微妙な空気を、何故俺は自室で感じているのでしょうと思わなくもない。

 普通なら自分が一番心休める場所であるはずだろうに。

 

「………」

「………」

 

 しかしながら、俺が案件に梃子摺って頭を抱えていると、可愛いものを愛でるような自愛の瞳でこっちを見てきたりする。

 ……えーと。もしかしてこれ、俺が困ってる姿を見て喜んで……る? 以前それとなく訊いてみた時は思い切り否定されたもんだけど。

 朱里にも似たような様子を見ることがあったし、もしかしてこの世界では頭のキレる人はみんなSと決まっているのだろうか。

 華琳もそうだし桂花も……華琳限定でアレではあるけど、他には厳しいしなぁ。

 七乃は───………………考えないでおこう。考えるのが怖くなってきた。

 七乃を例にあげようとした時点でいろいろ悟れる部分もあったのだ。

 けど……けどまさか、朱里や雛里がそっち側かと思うと、やっぱり怖いじゃないか。

 

「え、えぇっとぉお~……雛里? 雛里は~……その。俺の困ってる顔とか、好き?」

「…………、…………───? ───!? あわっ!?」

 

 あ。あー……真っ赤ですよ。もしかして確定ですか? 本当に本当なんですか?

 まさか……! ああっ、まさか、そんなっ……!

 本当に、よもやとは思ったけれど───!

 雛里がSな人だったとは……!! (注:違います)

 

(そう考えると、あの大衆の面前で俺に“魏との関係云々を忘れて蜀と付き合ってほしい”なんていう行動に出るのも頷ける……! あ、あれは俺に恥ずかしい思いをさせるためだったのか……!)

 

 雛里……おそろしい子!

 そしてきっと朱里も同様にッ……!

 

(そうか……そうかッ……! その姿勢こそが伏龍……! なるほど……今までは伏せていたというのだな、眠れる龍め……っ! そしてこちらの鳳雛も底が知れぬわ……!)

 

 ……いやまあ、考えすぎだろうけどさ。無駄な迫力を心の中で発してないで、普通に考えようか。……普通に考えても、“俺の困り顔なんて見てて楽しいかね”って言葉が真っ先に出た。普通はそんなもんだろう。

 

「訊いてみたいんだけど……俺の困り顔なんて見て、楽しいか?」

 

 なんでもない風に語りかけたつもりだったが、疲労感満載の声が出た。

 そんな声を真正面から受けた雛里は、なにを勘違いしたのか拳をきゅっと握ると胸の前に構え、

 

「たたたったた楽しい、でしゅ……! かか可愛いでしゅっ!!」

 

 ……なんてことを言ってくださった。

 まさか本当に楽しいと返されるとは。可愛いと返されるとは。冗談だ、きっと気の所為だと信じたかったのに。

 こうまで真正面から言われるとさすがに照れくさい。言った雛里本人もジワジワと顔を紅くして、やがて顔が真っ赤になると、大きな帽子を深く被ることで顔を隠した。そしてそのまま何故か俺の寝台に駆け、ばさりと布団に潜り込んでしまった。

 

  アダマ○タイマイ二世───その誕生の瞬間である───!

 

 じゃなくて。

 

「え、と……そ、そっかそっか。こんな顔でも役に立つならいくらでも見てくれ。というかなぁ……まさか俺の顔を見てた理由が、本当にまさか、“可愛いから”だとは……」

 

 言いつつも寝台の上のアダマ○タイマイ様の傍に寄って、出てくるように説得を開始するのだが───いろいろと恥ずかしがるのに、男の布団に潜るのには抵抗が無いのだろうか。女の子の心はなんとも不思議なものですね。

 

(……先が思い遣られる……主に俺の所為で)

 

 出来るだけ悩まないようにしようと心に誓ってはみるものの、悩まないなんて無理だ。

 悩めばその困り顔を見て雛里がポーっとして? それがまた俺の悩みの種になって……ああ、なんということでしょう。妙な連鎖が出来てしまった。

 や、でも仕事は仕事だから、きっと雛里は大丈夫。仕事はきちんとやるさ! ……いや、やるのは俺か。雛里は助言してくれるだけだ。

 

「ええいとにかくやろう! 雛里! 仕事だ! 仕事をしよう!」

「ひやぁぅうう……!!」

「ひやぁぅうじゃあありません! より良い都作りのために今日も頑張るんだ! 時間は待ってはくれないんだ! しかし時間が無いを言い訳にしない勇気を! 時間なんていっぱいあるんだから! ───睡眠時間削れば!」

「え、え? えぇ……?」

 

 タイマイ様がそっと布団から顔だけを出す。帽子は布団の中で取れたようだった。

 

「睡眠時間なんて無いものと考えればいいんだ! そうすればココロはハイで体は休まらないで風邪引いて───でも作業は進む! ……それが奉仕のココロです」

「あ、あわわ……それは、じ、自己犠牲では……」

「大丈夫! キミならできる!」

「あわっ……!? わわ、わたしゅが……やるん、ですか……!?」

 

 ……ちなみに。

 その日は朱里が居なくなった途端に発動した七乃トラップの所為で、数えるのも面倒になった徹夜の何日目かであった。

 思考回路は軽やかにとろけ、気を引き締めていないと暴走。

 タイマイ様の前でココロをポジティブにと、少し緩めたのがまずかった。

 もはやココロの暴走は止まることなど知らず、揺れる視界のままにタイマイ様状態の雛里をがばりと抱き上げた。

 真っ赤な顔、小さな悲鳴。

 そんな彼女をお姫様抱っこ状態のまま───……寝台にぽてりと倒れた。

 

「あわっ……!?」

 

 寝台+女+男=?

 その日の俺はきっとどうかしていたに違いない。

 いや、実際どうかしてたからこんなことになったわけで。

 雛里を抱えたまま寝台に倒れた俺は、愛しき布団の香りと雛里からする優しく甘い香りに導かれて───…………そのまま寝た。

 こう、仰向けの雛里のお腹に頭を預けるようにして。

 

「は、あ、うっ……!? 一刀しゃ……!? あわぅぅう……!?」

 

 耳に雛里の困惑の声が届いた───頃には既に眠りの中だった。

 むしろそんな囁くような困惑が、今のこの北郷めには子守唄にさえ聞こえたのです。

 いや、うん。ようするに考えることを放棄するほど眠かっただけなのだ。

 甘い香りと柔らかい感触が心地良い。

 

「………あぅう」

 

 深い眠りについたその日。

 なんでか自分が子供の頃の夢を見た。

 誰かにずっと頭を撫でられるような感触を頭で感じながら見た夢は───

 初めて何かを上手に出来た時に、親が頭を撫でてくれた夢だった。



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90:IF/祭さんが飲んだらアレだったもの②

 さて。

 女性の腹部を枕にして寝るという、たわけたことをしてしまったあの日以降。

 何故だか雛里のことを少し身近に感じるようになった。

 というのも、相変わらずのカミカミ言葉なのだが、遠慮……といえばいいのか。ソレが少しだけ無くなったのだ。

 朱里が居ないとかなり空いていた距離が、日に日に縮んでゆくのを感じた。

 時折様子を見にきてくれる思春が“またか……”って目で俺を見たけど……俺、別になにもやってないと思うんだ。寝てしまった以外。

 

「あの、一刀さん……」

「んぁっと、そうだそうだ、集中集中」

「いえあの……あんまんを作ったので、よかったら……」

「へ? ……あ、あらー……」

 

 作った、って……厨房の方に行ってたってことだよな。

 なんとまあ、出て行ったことにてんで気づけなかった。

 口で集中言いながら、結構集中していたようだ。

 自分のよくわからない集中力に照れ笑いをしながら、頭を掻きつつあんまんが入っているであろう蒸篭を見る。

 蒸かしたてのようで、蒸篭の蓋が取られるとふわりと上がる湯気と香りが食欲をそそる。

 食べ物がこの手の中に! と意識してみれば、急に泣き出す腹の虫。

 いただきますを自然な笑みと一緒にこぼすと、我慢もせずにかぶりついた。って熱ぃ! ほんとのほんとに蒸かしたてだよこれ! でも美味い! 美味しい!

 

「………」

 

 雛里はそんな俺を、どこか穏やかな目で見守っていた。

 その瞳はまるで、わんぱくな子供を見つめる母親のようで───! それは言いすぎだ。

 けど、なんでか最近の雛里はいろいろと世話を焼いてくれる。

 俺と美羽が大分困惑するほどに。

 何が彼女をあそこまで変えたというのか。

 美羽に言わせれば“主様がきっと何かをしたのじゃ”とのことだが……あの、ストレートに俺を疑われるのも心外なんだけど。でも他に理由が思いつかないのも事実なわけで。

 そんな美羽も今は七乃と一緒に別行動中。

 現在、雛里と二人きり。

 そうなると、雛里はえーと……なんて言えばいいんだ?

 あ、あー……うん。“甘やかそうとする”……かな?

 

「雛里? じぃっと見られると食べ辛いというか……むしろ一緒に食べない?」

「へわっ!? あ、ひゃい……っ!」

 

 ……へわって言った。

 あわ、じゃなかったのが地味に意外で新鮮だった。

 しかしながらきちんと椅子に座ると、そこでもくもくとあんまんを食べ始める。

 リスみたいな食べ方だ。速度はもちろん劣る。

 

「………」

「……《ちらちら》」

「?」

「……!《しゅばっ》」

 

 で。

 食べてる間もなにやらやたらと見られる。目が合うと逸らされる。不思議。

 しかもその視線が何故か俺の目とかじゃなくて、口周りに向けられている気がするのは気の所為でしょうか。

 

「………」

 

 まさかなぁ、と考え付いたことを実行してみることにする。

 雛里があんまんに視線を向けた隙に、餡子を頬につけてみる。

 そして何食わぬ顔であんまんの咀嚼作業に戻るのだが───ちらりと雛里を見てみれば、俺の頬に存在する餡子様に気づいたようで、何故か“今こそ好機! 全軍打って出よ!”とでも言いそうな迫力を放った。

 ……いやまあ、その時点で答えは貰えたから、すぐに餡子を自分の指ですくい、食べたけどさ。その時の雛里の顔は…………ガーンって感じで、すぐにどんよりと暗雲を肩に背負ったような顔になった。

 

(これは……あれか? もしかして思春期さん特有の……!)

 

 お姉さんぶりたい病? 背伸びをしたいお年頃が今まさに……!?

 

(懐かしいなぁ……俺も一時は妙に大人ぶったりしたもんだ……)

 

 剣道で天狗になったり、俺はすごいんだーとか思ったり。

 意味もなく“フッ”とか笑ってみたり、自分なら他の人には出来ない“技”というものを開発できるとか自惚れたり。結果的にはここに来て、技……ではなく氣は得たけど。あの日々は無駄と無駄でないものとでごっちゃになっていた。

 けど、そんな調子に乗った自分はあっさり叩き折られた。

 本当に強い、剣道を楽しむ人は言わずもがな───女性には負けないと思っていたのに、不動先輩にまで徹底的に負けた。

 この世界に来てからは余計にだ。

 男の尊厳? ハハハ、そんなものはこの世界にはないさ。

 必要なのは変わる勇気と貫きたい理想のみ。

 俺の理想は華琳の傍で、国に返してゆくことだけだ。

 そのためにすることは、可能な限り躊躇わずにいこうって思いを……今は少しずつ育んでいるところだ。

 急に決める覚悟もあれば、じっくり育む覚悟もある。

 俺のそれは、たくさんの他の覚悟が無ければ育ってくれないのだ。困ったことに。

 だから何度でも覚悟を決めて、じっくり育てていきませう。

 

「……はふぅ」

 

 あんまんを咀嚼し、お茶を啜って流し込む。乱暴にではなく、じっくり味わってから。

 ご馳走様を言うと雛里もお粗末様でしたを返してくれて、穏やかな空気の中で微笑み合った。

 ……ただ、穏やかながらも最後まで俺の頬を見つめていた雛里については……もう、なんと言ったらいいのやら。頼むからおかしな方向に大人ぶらないキミでいてください。

 

……。

 

 数日が経った。

 雛里が蜀に戻ると、数日後に別の軍師がやってくる。

 彼女らはそれぞれの国の王がこうあってほしいということを俺に教えてくれて、俺はそうなれるように頑張っている。

 もちろん飲み込めるものと飲み込めないものはあって、そういう時は徹底的に話し合う。

 三国の意見全部を受け入れたら現れる綻びは、平和の中にももちろんある。

 というか、都ではなく“俺個人”にああなってほしいそうなってほしいって注文が多い気がするのは気の所為だろうか。

 

「気の所為ですね」

 

 七乃さんはとてもあっさりキッパリとそう仰った。

 

「人の心を読まないでくれ」

「一刀さんはわかり易いですからねー。大抵は顔に出ます」

「はいはい、理解力のある顔だとご近所でも評判ですよ、まったく……」

 

 軍師さんは人をからかう癖でもあるんだろうか。

 ともあれ、今日は生憎の雨。

 外での作業は中止となり、現在は自室で書簡整理の真っ最中だ。

 

「しっかし……書簡整理の日々が続くのはもう別に諦めたからいいんだけどさ。よくもまあこんなに案件が届くもんだよな。というか、呉関係の話が結構多いような。ハテ?」

「呉から一刀さん宛てに届いた書簡がたっぷりですからね。主に周瑜さんや孫権さんが孫策さんに頼んだものがごっそりと」

「叩き返してきなさい」

「もう一度でも手をつけてしまったら、絶対に受け取りませんよ?」

「そこのところは冥琳と蓮華に任せるよ。むしろ送る前に気づいてほしかった」

「送る書簡も手が込んでますからねー。都に関係しているものに紛れ込ませてますよ」

「知恵を絞るにしたって、もっと別のことに搾ってほしいよな……まったく」

 

 言いながらも自分の意見や提案をさらさらと書き連ね、丸めた竹簡をカショリと積む。

 雪蓮にはサボリたいって気持ちもあったんだろうが、全く無駄だと思うことはしない性質だ。だったら……まあ、これも別の国のことを軽くでも知る機会ってことで。

 

「んー……別にやるのはいいんだけどさ。これって自国のことを都の俺に任せてるって、嫌な噂とか流れたりしないか?」

「支柱で、のちに三国の父になる人に頼むことの何が悪いと?」

「まさか真顔で返されるとは思わなかった」

 

 支柱で三国の父かぁ……改めて言われると、なんと現実味の無い……。

 でもいつかはそこに治まる予定らしい。

 いや、治まるのか。らしいって言い方はもう今さら卑怯だろう。

 

「あ、ですがきちんと王の意見を立てる必要はもちろんありますよ? 支柱だからこの意見を通せー! とか言ったら、あっという間に地獄絵図ですからねー」

「そんな提案、出した時点で王や軍師に止められるって。そもそも、こうすればいいよーって言われて“じゃあそれで”って考え無しに決めるような人が、民から慕われる王になれる筈がないだろ。なったとしても、名前だけの王だよ」

「はあ。今の言い方ですと、桃香さまあたりは───」

「流されやすいしやさしすぎるところはあるけど、意思は固いよ。きちんと自分が信じたものを貫こうって意思があるなら、適当な甘言なんかに流されたりしないし───流されても、止めてくれる仲間が居る。だったら間違わないって、うん。立派な王様だ」

「なにやら悟った言い回しですねー。まるで桃香さまのことなら全てお見通しと言いたいかのような態度です」

 

 そんなんじゃないと返して、次の竹簡へ移る。

 

「似てるからかな。桃香ならそうするんだろうなっていうのがなんとなくわかる。あ、もちろん俺もそうするって意味じゃないぞ? 似てるって意識はそりゃああるけど、考えることの全てが一緒ってわけじゃないし。ただ……」

「ただ?」

「いや。もし俺じゃなくて桃香が華琳に拾われてたら、どうなってたのかなって。考えてみると結構楽しい」

「桃香さまがですか。うーん…………どうしてでしょうね-、華琳さん───じゃなかった、華琳さまが振り回されているところしか浮かんできません」

「だろ?」

 

 言って、顔を見合わせて笑った。

 もちろん華琳も厳しくするんだが、それでもなんとか自分の仕事をこなしつつも、華琳のカドを取っていく桃香の姿が思い浮かぶ。

 

「まあ、前提として“天の御遣い”という役目が無い限りは、あの華琳さまが受け入れるとは思えませんけどねー」

「ん、それは俺もそう思ってた。俺だってそうだったわけだし、胡散臭かろうが予言があって本当に助かったよ」

 

 じゃなきゃ今頃どころか始まったばかりのこの世界で、春蘭あたりに賊扱いされてゾブシャアと七星餓狼のサビに……も、ならないか。

 

「利用するって言葉、案外悪いことばかりじゃないよな」

「なんですか、いきなり」

「いやいや、なんでもない。じゃあ七乃、悪いんだけどこの書簡の山を運ぶの、手伝って」

「借り一つでなら喜んでっ♪」

「一人でやります」

「おやまあ、欲がありませんねー」

 

 好き好んで借りを作る馬鹿が何処におりますかい。

 とはいえ、借りを作るのも悪いことばかりじゃないんだって言いたいんだろう。

 でもそれは借りを作る相手が自分にとってありがたい人かどうかで大分決まるわけで。

 七乃はどうでしょう。……ろくでもないですね、はい。

 

「欲はあるけど、それより七乃に借りを作るほうが怖い。というか、“欲が無い”の使い方間違ってるだろ。なんで七乃に借りを作ることに欲見せなくちゃいけないんだ」

「借りという交渉機会を置いておいて、あとで私が一刀さんにご奉仕を───」

「と見せかけて、仕事全部押し付けるんだな?」

「はい、正解です」

 

 綺麗な笑顔だった。ピンと立てた人差し指がくるくると回されている。

 

「はぁ……奉仕って言葉から仕事を押し付けるところまでいく過程が見えない……」

「まあ結果だけ口にするのは楽ですからねー。まずは借りというきっかけから一刀さんを持ち上げまくっちゃいまして、気をよくしたところに少しずつ仕事を混ぜていくんです。言葉巧みに操られていることを知らない一刀さんは幸せなままに仕事をして、私は策が成ったことに喜びながら仕事をせずに済むと。……幸せだらけですねっ!」

「なんて笑顔でなんて怖いこと言うのこの人!」

 

 言いながらも、どこかくすぐったさを感じて笑っていた。

 我が身ながら、随分と砕けてきたなぁと思える。

 それだけ都暮らしの日が長くなったってことだろう……許昌にも、もう“戻る”というよりも“行く”って意識が強くなっていた。

 最初はあれをやらなきゃこれをやらなきゃで、きっと眉間に皺も寄っていただろう。

 やっぱり人間は慣れてこそなんだろうなぁ。順応あっての人間だ。うん。

 逆に、慣れるまではなんでも我慢しなきゃ……なんだろうか。

 

「さっきまでの話と関係ないけど、何事にも素早く対応、順応出来る人が一番強いような気がしてきた」

「そういう人を嫌う人も居ますけどね」

「七乃はそのへん、上手くやれそうだけど?」

「私は私の言葉に面白いくらいに踊らされてくれる人が大好きなんですよ。自分は大丈夫だなんて思っているのに、気づいた時には……という人などは特に……!」

「そこでうっとりした顔で俺を見るの、やめません?」

 

 一人恋人繋ぎのように絡み合わせた手を、頬の横に添えてのキラッキラ笑顔。

 あーあー、目に見えるくらい瞳が輝いてらっしゃる。

 そんな彼女を前に溜め息を吐いて間を取って、仕事再開を告げた。

 

「……話し合ってばっかりじゃなくて、仕事しようか。で、冥琳は?」

「街の市の様子を見に。ほら、蜀から呉に行ってここへ来た人を見るために」

「ああ、あの……」

 

 今回都に来た軍師は冥琳だった。

 ちょくちょくと入れ替わる頭脳さんたちへの対応に、慣れるどころか振り回されっぱなしな俺だが……それでも桂花や音々音が来るよりは大分ましだったと言える。

 桂花は愚痴と文句と罵声しか吐かないし、恋が傍に居ない音々音ときたら、それはもう借り出された猫のようにキョロキョロオドオド、ハッとすれば俺にちんきゅーきっくをかますほどの猛者となり、そっちがその気ならと自室でプロレスごっこをすることもしばしばだった。

 いやらしい意味じゃなくてね? 飛び蹴りをしてきたところを抱き止めてキャプチュードとか、まあそんなところだ。もちろん落下先は寝台の上に積まれた布団の上なのでそこまでは痛くない。あくまでゆっくりとしたキャプチュードだし。

 全力でやったら泣くを通り越して唸るほど痛いだろう。

 ところであれをカメハメ52の関節技の一つに認定している肉な人は、それでいいのだろうかと思ってしまうのだが……まあ、いいか。俺が考えても仕方ないし。

 

「ん、これでよし、と。休憩しますかぁ」

「もういいんですか? まだまだありますけど」

「手伝わずに人のことをからかいまくってる人に言われたくありません。つーか手伝う気がないならそっとしといてお願いだから!」

 

 叫びつつも伸びる。

 やぁ、やっぱり伸びをするのって気持ちいいよね。何度でもしたくなるくらいだ。

 まあそれはそれとして、休憩するにしてもどうするか。

 

「あ……そういえば美羽は? 七乃と一緒じゃないなんて珍しい」

「お嬢様でしたら、仲直りを切欠に呉のみなさんとの交流を増やしてますよ。あれで外見は特級ですからね。周瑜さんも連れて歩くのはまんざらでもない顔ですし」

「あー……なるほど。そういえば美羽のやつ、宴の時も仲直りしてからは随分と雪蓮に抱きつかれてたっけ」

 

 酔っ払いに抱き締められて、胸に埋もれて窒息しそうになっていた少女を思い出した。

 

「ふふふ……お嬢様を“やつ”だなんて、随分と慣れたものですねー」

「へっ!? え? やっ……俺そんな言い方してたかっ!?」

「ええ、まるで長年連れ添った相手の仕方の無いところを苦笑する夫のように」

「夫とかはいきすぎじゃないか!? いくならせめて親友とか相棒どまりで……!」

「親友で相棒なんですか?」

「あ、や、違う……けど」

 

 語尾を弱める俺に、そうでしょうともと笑って返す七乃。

 なんというか本当に……言葉じゃこの人には勝てる気がしない。

 むしろそんな人ばっかりだよな、俺の周りって。

 

「あーはいはい言いましたよぅ。言ったかもしれませんよぅ。……そりゃさ、ほぼ毎日を同じ部屋で過ごしてれば、嫌でも慣れるだろ……」

「そうですか? その割には思春さんは変わりませんけどね」

「言わないで! 悲しくなるから!」

 

 確かに一緒に寝てくれるようにはなったよ!? 呉での一件以来、それは確かさ!

 でもやっぱり態度はそこまで変わらない……! 変わらないのです……!

 いつか“お前”になった呼び方も、また貴様に戻ったし……!

 

「俺、思春になにか嫌われるようなこと……したかなぁ」

「その鈍感さが既に犯罪級ですね。一度頭部でも強打してみることを強くお勧めしますよ」

「強打した先にはなにが?」

 

 何気なく訊いてみた。冗談の延長みたいな口調で。

 すると七乃は「んー……」と頬に人差し指を当ててから、にっこり笑ってハイ一言。

 

「死ですかねっ!」

「笑顔で死ぬことを強く勧められても困るんだけど!?」

 

 もちろん全力でツッコんだ。

 そこまでやって、ハッと気づいて実りある休憩を目指さんとする。

 そう、俺はこれから休憩に入るんだから、無駄な体力を使うわけにはいかない。

 からかわれるのはこれで、体力を使うものなのだから。

 

「でも、愚鈍というものは直せと言われて直せるほど、楽なものではありませんからね」

「うお……愚鈍とまで言うか」

「言葉で遊ばれている時点で愚鈍ですよ。休憩はどうしたんですか?」

「ぬおっ」

 

 突然訪れた驚愕に、妙な声が自然と出た。

 そうだった、休憩だ。

 つか、わかってるならからかわないでほしい。

 

「って、だから美羽と休もうとしたら、七乃がどうのこうのと」

「それらを軽く躱せるくらいでなくては、都の支柱も長続きしませんよー?」

「だってそうしたら七乃のこと完全無視することになるだろ」

「私の話そのものがからかい扱いですか!?」

「会話の八割がからかいへの複線じゃないか。そんな妙な罠張ってないで、普通に話せばいいのに」

「一刀さんやお嬢様はからかい甲斐がありますから。お嬢様は理解なく振り回されて、一刀さんは知りながらも振り回されて、あとで振り回されていたことに気づくところが最高ですっ」

 

 目が爛々と輝いてらっしゃった。

 そんな彼女を眩しそうに目を細めて眺めた俺は、にっこり笑って言葉を届ける。

 

「七乃ー、今度からキミの仕事増やすね? 内容を軽く確認したあとに渡すから、俺に押し付けても無駄だから」

「はうっ!?」

 

 笑顔が涙目に変わった。

 何かを言おうとする彼女に「さあ! 七乃が言ってくれたように休憩しよう!」と元気に告げて、全力で部屋から逃走。

 慌てて追いかけようとする七乃から氣を使ってまで逃げ出し、俺は風になった───。

 

……。

 

 というわけで、街までやってきた。

 

「冥琳、居るかな」

 

 キョロリと見渡してみるが、賑わいを見せる街の様子があるだけ。

 各国からやってくる行商や、店を出している者、なんらかの用事で移動する者が道を行き、立ち止まっては品を見ていく。

 あちらこちらで楽しげな声が聞こえるあたり、都も随分と落ち着いたものだ。

 

「あ、居た」

 

 とある市の隅。

 果実が売られている場所で、美羽が果実にかぶりついて楽しそうにしている。

 その隣で溜め息を吐きつつも、金を払う冥琳が。

 あれ? もしかして勝手に食べたから代金を払ってる……とか?

 いやいや、宅の美羽はもうそんなお子ではござーませんことよ!?

 ……などと親ばかっぽく混乱してないでと。

 とりあえず声をかけてみよう。

 

「冥琳、美羽」

 

 近付きつつも軽く手を挙げて声をかける。

 俺に気づいた二人がこちらを向き、冥琳は苦笑、美羽はにこーと笑って迎えてくれた。

 

「買い物?」

「視察のようなものさ。蜀の軍師らの方針とやらを一度、目で確認しておきたくてな」

「あぁ……なるほど。で、どう?」

「悪くない。というか、私も同じ方針でいくだろうと感心していた。だが、一部にいやに食料関係が多い気がするのだが……」

「あー……それ、ねねの仕業……」

「……なるほど、呂布用にか」

「人の話聞かないで勝手に指示出してね。まあ最近は人も増えてきたし、食料関係はあって困ることはないからいいんだけど。今のところは」

「そうだな。田畑の開発も目覚しい。あれは北郷の指示か?」

「一応。あまり天の知識に頼りすぎるのもなとは、何度も思ってるんだけどね……」

 

 それこそ、以前思っていた通りのようになりそうで怖い。

 好き勝手に行動しておいて時間が来ればハイさよならは、あんまりだろう。

 

「武器があるならば使わなければ意味がない。お前のそれは、軍師に知識を使うなと言うようなものだぞ」

「うーん……でもさ。知識があるからってそれを押し付けて、いつかまた居なくなるかもしれないっていうのは……なんか嫌じゃないか? なんかさ、自分が住み易い環境が欲しいから、自分が居た場所の環境に合わせさせようとしてるみたいで……」

「その結果が発展に繋がることに、何故抵抗を覚える必要がある。お前は好きに知識を提供してみればいい。否と思えば止める者が居る。それが“国”だ。お前の目には、軍師が出した言葉ならなんでも頷く王しか見えていないのか?」

「…………いや。人の忠告も聞かないで、突っ走って飲んで食ってサボっての恐ろしい自分勝手国王様が浮かんだ」

「そうだろう? まあ、あれを見習えとは言わない。だが、たまには好き勝手をしてみろ。国に返すことばかりに焦っていては、それこそいつか大きな間違いをするぞ」

 

 “目標とは一種の強迫概念だからな”と彼女は目を伏せ笑った。

 目標というものに強い憧れを持つあまり、そうであろう、こうであろうとすることに必死になりすぎ、周りが見えなくなるのだという。なるほど、ちょっとわかるかも。

 

「少しは祭殿を見習ってみろ。あの方は国に返すことに熱くはあるが、力の抜き方というものをよく心得ている。酒を飲めと言うのではなく、片手間で出来る趣味を持ってみたらどうだ」

「鍛錬」

「……また随分ときっぱり言ったな」

 

 それは片手間では出来んだろう、ときっぱりと言ってくだすった。

 でも趣味らしい趣味は確かにない。

 趣味……趣味か。

 

「………」

「……?」

「どうしたのじゃ? 主様」

 

 ……あれ? 趣味……ない?

 国に返したい一心で突っ走ってきたけど、そういえば息抜きとかにも誰かと話したりして時間を潰したり鍛錬したりで、俺……自分の趣味らしい趣味、持ってない……!?

 はっ! ゲーム……! ……は、この時代じゃないし。

 携帯いじりもちょっと違う。というか無駄にいじったらバッテリーが死ぬのが早そうだから、必要な時以外は開いてないしなぁ。

 

「……冥琳」

「言いたいことはわかった。というかな……“国のため”も大概にしろ」

 

 心底呆れた顔で言われた。

 けれどそれも少しの間で、仕方の無い弟を見るような目で笑い、「それならば視察に付き合ってみるか?」と訊ねてきた。

 なるほど、趣味探しの歩みか。

 

「ふふっ……おかしな男だ。国のために動くのが趣味とは」

「むっ……冥琳だって似たようなものじゃないか」

「私は私で趣味はあるさ」

「雪蓮を叱ることとか?」

「断じて趣味ではない」

「雪蓮に振り回されることとか?」

「違う」

「……! 雪蓮と酒を飲むことかっ!」

「違う。なんだその“これがあったかっ”という顔は」

「雪蓮絡みなのは間違いないだろうなって。それとも読書?」

「……私としては、どうしてそれこそが一番最後に来るのかを訊きたい」

 

 読書らしい。

 でも悲しいかな、趣味が読書って、軍師だと当然みたいに思ってしまう。

 なんといえばいいのか、こう……仕事の一環? って……ねぇ?

 

「好きこそ物の上手なれって言葉があるけど、その通りってこと?」

「ふむ……? まあ言いたいことはわかるが。好きならばこその知識という武器だ。そもそも、そうでなければ好き好んで誰かの頭脳になることなど望まぬだろう。出した助言も勘に負ける世界だ。趣味として受け取らなければ、いろいろと辛い部分もある。……わかるな?」

「ああ……それはよーくわかる」

 

 どれだけ鍛えてもイメージトレーニングしても、勘だけで攻撃を避けるおそろしい人を知っております。それが知識面でも勘で解決するのなら、果たして俺達の趣味って……と。

 

「じゃあ別に俺の趣味が鍛錬でもいいんじゃないか?」

「……なるほど。理屈的には通るか。ただ、片手間ではないな」

「ごもっとも」

 

 店の人にお金を支払いつつ、果実を食べる。

 うん美味い。なんというか素材そのものの甘みが凝縮されたいい果実だ。

 

「………」

 

 ……丸かじりなんだから当たり前だった。

 苦笑しつつももう一つ買って、冥琳に渡す。

 きょとんとしていたが、俺と美羽が顔を見合わせて同時に果実を食べてみせると、苦笑して受け取り……かじった。

 「ふふ……甘いな」と笑う彼女は、続けて珍しいことを呟いていた。

 まあ……普段なら在り得ないのだろうけど、「買い食いというのも悪くない」と。

 雪蓮がこの場に居たら、笑い転げるほどの言葉だったんだろうなぁ。

 そんなことを、どうしようもなく笑顔になってしまう顔を引き締めようと努力しながら考える。顔は引き締まらないままに冥琳に気づかれて、いろいろと文句を言われてしまったが……まあ、苦笑だろうと笑ってくれたので良しってことで。

 

「趣味がサボリってのもありかな」

「却下だ」

 

 だからつい出た言葉だったんだが、あっさりと却下された。

 毎度、こんなものである。



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90:IF/祭さんが飲んだらアレだったもの③

141/何かのきっかけは、いつも近くに潜んでいるもの

 

 時間はそんな調子で流れていった。

 

「兄ちゃーん! ほらほら早く早くー!」

「おいちょっ……案内頼んでおいて突っ走るなー!」

「もうっ! 季衣ー!? 兄様を困らせないのー!」

 

 各国の将らが代わる代わる訪れて、各国や都の実りになるためのことを提案、または成して戻ってゆく日々。

 

「にゃははははっ! おじさん、ラーメンおかわりなのだっ!」

「なっ!? ま、まだ食うってか! ……っへへ、気に入ったぜぇ嬢ちゃん!」

「金……足りるかなぁ……」

「申し訳ありません一刀殿……」

「いや、愛紗が謝ることじゃないでしょ……。全てはこの北郷めの油断ゆえのこと……。くうっ……ダッシュ競争で負けた方が奢るなんて言わなければ……!」

「食べ物が絡むと強いですから、鈴々は」

「今実感してるところ……」

 

 それらが実りを結ぶ度に都は大きくなり、人も増えて絆も増えて、みんなの笑顔も増えてゆく。

 

「だからね? 美しい華琳さま───曹操さまがその手で料理を5品作りました。食べる野獣夏侯惇はそれを独り占めしようとしますが、卓に居る者は3人。どう分ければいいでしょう」

「ぼくがたべるー!」

「わたしもー!」

「ああもう違うって言ってるでしょ!? つまりこの野獣が───!」

「うつくしいそうそうさまはやさしいから、やじゅうさんにぜんぶあげちゃうのー!」

「美しいと言ったところは褒めてあげる。でも野獣には躾けだけで十分よ!」

「えー?」

「やじゅうさんかわいそー」

「かーいそー……」

「ふん、いいのよそれで。つまり野獣の分は抜かすから、この場合は美しい曹操さまが料理のうちの4を取って、一つはもう一人に。つまり可愛らしく従順な筍彧に渡るという───」

「桂花……お前って懲りないなぁ……」

「うるさいわね野獣(おとこ)!」

「あ、春蘭」

「ひぅ!? ななななによやる気!? やるならやりなさいよ北郷を!!」

「いや冗談だから……ってなんで俺がやることになるんだよ!」

「うるさいわね野獣!」

「……お前ってほんと、ブレないよなぁ」

 

 それらの変化にも慣れてくる頃には仕事の数も減り、それぞれが新しい環境に慣れることで問題も無くなっていった。

 

「璃々ちゃんは物覚えがいいなぁ。春ら───どこかの誰かにも見習ってほしいくらいだ」

「えへへー」

「おうおう、だらしなく顔を緩ませおって。北郷はあれじゃのう、子供を持つと牙を無くす人種じゃな」

「え……そ、そうかな。んー……そう言う祭さんはどう? やっぱり厳しくしつつも褒めるところは褒めるみたいな?」

「うん? 儂か? 儂は───」

「あら。祭さんならきっと、育児は旦那様に任せてお酒ばかり飲んでいますわ」

「あ、凄い説得力」

「むぐっ……好き勝手言いおって……!」

「はっはっは、そうよなぁ。この中で育児に向いておる者など、紫苑くらいしかおらんな」

「桔梗は? なんだかんだで子供には甘そうな印象があるんだけど」

「うふふ……ええ、実はその通りなんです。桔梗は口ではいろいろ言いながら、子供を甘やかしてしまって……」

「ぐっ……い、いや、そんなことはなかろう? 甘やかすことなど───」

「つい先日、ここへ来る前。いいと言っているのに璃々に饅頭を買ってあげたのは誰だったかしら……」

「うぐっ!?」

「祭さんも、一刀さんと大事な話があるから璃々の面倒を見てほしいと頼んだのに……張勲さんに誘われるままに、一刀さんが作っているお酒を見にいっていたとか」

「ぬあっ!? い、いや、あれはじゃな……!」

「……璃々ちゃん、覚えておくんだ。こういう状況のことを、“母は強し”って言う」

「はははつよしー?」

「ああ。お母さんはな、強いんだ」

「うんっ、おかーさんつよいー!」

「ほ、北郷! 笑っておらんでなんとかせい!」

「紫苑は説教が始まるとねちねちとしつこくてかなわんのだ!」

「あっはっはっは、なに言ってるのさ祭さん、桔梗。俺がそうやって助けを求めても笑って済ませるじゃないか」

「こういう時に女を守ってこその男だとは思わんのかっ!」

「それってただの“女性にとっての便利な男”ってだけでしょ!? ……うあああああ! 言ってて自分が立ってる今の環境とあまり変わらないだろって思ってしまった!」

「みつかいさま、げんきだしてー?」

 

 都が“開発はひとまずここまでで十分”というほどまでに発展を見せると、思い出すこともある。

 誰かとああいうことをするのは、都が安定してから。

 そんなことを思い出す度に華琳のことを思い出す自分が居たのだが……自制してきた反動か、やたらとそういうことを意識するようになってしまった。

 

「はぁあ……」

「む? どうされた、急に溜め息など」

「あ……ごめん、警邏中なのに」

「いや、それは構いませぬが。しかし支柱自らが警邏など、随分と平和な都ですな」

「一人ですることは思春にも華雄にも禁止されてるよ。今は星と一緒だからこうしているわけだし」

「ほう? だというのに溜め息とは。北郷殿は私と居るのは退屈か?」

「や、そういうことじゃなくてさ。いろいろと考えることがあってねー……」

「ふむ?」

「えっ……と……実は───」

 

 戻ってきてからの最初の相手は華琳がいい。

 そんな想いを抱いていた俺なのだが、いざ都が安定に向かうと、どう切り出したものかと考えたりなんだりで、妙に落ち着かない。

 そういったソワソワした感覚は皆も感じていたようで、会う人会う人それぞれが心配してくれた。申し訳ない。

 

「はっはっは! なるほどなるほど! 北郷殿は経験豊富と聞いたが、初心であるなぁ! はっはっはっは!」

「はぁ……まあ、笑われるとは思ってたよ……」

「いやいやっ、ある意味では見事な忠誠。そこまで思われている曹操殿が羨ましいくらいですな。いやしかしっ……ぷふっ! はっはっはっはっはっは!」

 

 誰かに話してみれば、それはもう盛大に笑われた。

 しかし応援もされて、なんというか物凄い微妙な気分になったのは言うまでもない。

 

「ふーん? じゃあやっぱり最初は華琳となんだ。一刀ってばほんと、そういうところでは頑固よねー」

「魏のためにー……って、頑張ってきたんだから、こればっかりはね。支柱云々以前の問題だし、というか真面目に考えると物凄く恥ずかしい……」

「はぁ~あ……代わる代わる、都に来る将に甘言吐いて骨抜きにしてる支柱が、中身はこれだもの」

「や、骨抜きになんてしてないだろ。手伝ってくれたことに感謝するのは当たり前だし、お礼に贈り物したり買い物に付き合ったりするのだって当然だ」

「自覚のない甘言だから困るのよ。で? 華琳とはいつするの?」

「真正面からなんてこと言いやがりますか、この元呉王様は」

「することに変わりはないでしょー? だから教えて? ね? ほら」

「そんなの俺にだってわかるもんか。つか、それ聞いてどうするつもりだよ」

「華琳が“鳴く”のって、聞いてみたいじゃない? だから気配を消して盗み聞き───」

「国へ帰れ!!」

 

 まあともかく。

 そんな、むず痒い日々が悶々と続いたのだ。

 目覚めた朝に大変な過ちを犯すなんてことは、今のところはない。今のところは。

 ただ、こうして意識し始めると難しいのが男といふものでありまして。

 

「はぁああ……」

「う、うみゅ? 主様? 何ゆえに妾の頭を撫でながら溜め息を吐くのかの」

「いや……落ち着くなぁって」

「おおっ、それは新発見よのっ! 妾の頭を撫でることで主様が落ち着くなら、好きなだけ撫でてたもっ!」

「そうして油断させておいて、ゆくゆくはお嬢様をぺろりと───」

「いただきません。そして何処から沸いて出やがりましたかそこの陰謀軍師」

「いえいえ、少し報告をと。きちんと“のっく”もしたんですけど、ちっとも返事がないので勝手に入らせてもらいました」

「……鍵閉めてなかったか。まあいいや、それで?」

「はいはいそれでですね? 都も大分落ち着いて、各国との交流も深くなったじゃないですか。民のみなさんから“過ごし易くなった”とお礼の言葉をいただきましてねー」

「みんなが慣れてくれれば他のみんなの仕事も減ってくれるからなぁ……効率的な意味で。むしろ今までが不安定すぎただけだって」

「まあそれは過ぎたことなので。えぇと、実は民の一部から献上物がありまして」

「献上物?」

「家の倉から出てきた古い物だそうで、よかったら受け取ってほしいそうですよ」

「古い、って……古の剣とか?」

「いえいえ飲み物だそうです」

「大丈夫なのか!? それ!」

「もしや熟成された蜂蜜水かの!?」

「美羽。もし蜂蜜水だったら、高い確率で腐ってると思うぞ」

「なんじゃとー!? 蜂蜜水を粗末にするとは許せぬやつじゃの!」

「……あとな、蜂蜜水って決まったわけじゃないから」

 

 今にして思えば……これがとある出来事のきっかけになったわけだなぁ……。

 いつも心と思考の片隅に華琳が居て、妙に落ち着かなくなってしまった俺。

 それは───日々を悶々と過ごすようになってしまった俺が、華琳が都に視察に来るということを耳にした、少しあとのことだった。

 

 

───……。

 

 

 そわそわそわそわ……!

 

「ア、ア、アウゥウ……!」

「あのー、一刀さん? 気持ち悪いですから落ち着いてくれません?」

「また直球だなおい!」

 

 ある、夏が訪れようとしている暖かい日の自室。

 今日はそう……華琳が都へ視察に来る日。

 言伝を頼まれ、早馬に乗ってきた兵を迎え、歓迎したのち……それからの日々を抑えきれない思いを胸に過ごしてきた。

 まだ朝も早い今……俺の心はてんで落ち着きを見せぬまま。

 だがもう決めてあることがある。

 今日、華琳に視察をしてもらって……都の発展と安定を認められたら、彼女にもう一度告白しようと思っている。

 そ、それでその後は、夜をともに、って……ねぇ? う、ううう……! 考えてたらまたそわそわが……!

 

「アウー!」

「だから落ち着いてください? というかなんですかー? その奇声は」

「落ち着かないんだって! ああもう喉が渇く……! み、水……!」

 

 自分で落ち着きが無いと自覚しながら、緊張のために渇いてしまう喉を潤す。

 何杯目かはもう忘れた。飲みすぎて厠に行った回数も結構であり、つい先ほども厠に……って、あれ? 俺、水注いでたっけ? 入ってたからそのまま飲んじゃったけど…………あれ? まあいいか、七乃か美羽が気を利かせてくれたに違いない。

 

「そんなに喉が渇くなら、もういっそ川で待機しちゃってみるのも手じゃないですかねー。お水飲み放題ですし。……それにしても、到着と同時に視察を開始するつもりだから迎えはいい、だなんて……曹操さんも相変わらずというかなんというか」

「はぁ……そうなんだ、お陰で一層不安なんだよ……。今こうしてる間にも、もう到着して視察してるかもしれない……!」

 

 こここっここ告白の言葉はどんなものがいいだろう!?

 ああいや待て! まだ安定を認められたわけじゃないんだぞ!?

 あれ? でもその場合、こんな悶々とした気持ちのまま、安定が認められるまで───いやいやいや! その時はその時だ! 煩悩など再び消し去ってくれましょうぞ!

 だから落ち着いてください俺の心臓。

 

「大丈夫なのじゃ主様。主様や皆が頑張って栄を目指した都じゃ。それが早々、認められぬ方向に発展するはずがなかろ?」

「ん…………だな、そうだよな。まず俺が信じないとだよな」

「信じ、成功した暁には曹操さんと性交───」

「はいそこストップ!! それ以上いけない!! ていうか七乃! 仕事は!?」

「途中ですね。ほら、以前言っていた献上物の整理です。華雄さんに頼んでおいたんですけど、大雑把にやって壊してしまいそうだったので、今は私が」

「あぁ……そういえばあれ、結局なんだったんだろな。飲み物だって言ってたっけ?」

「はい、丁度ここに持ってきて───…………」

 

 ……? 喋り途中だった七乃が、びしりと固まった。

 その視線は机のほうに向いており、そこには俺が飲んだ湯飲みが。

 

「あ、あのー……一刀さん? あの湯飲みはどこから……」

「え? や、丁度水が入ってたから飲んじゃってもいいかなーって。七乃が淹れてくれてたのか? ありが───」

 

 ……。今度は俺がびしりと固まる番だった。

 この流れって。沈黙って。つまり……そういうこと?

 

「エート七乃サン。つかぬことをお訊きしますが……」

「はあ、あの……死んだりするようなものではない筈なので、大丈夫だとは思いますが」

「う、うみゅ? 七乃、先ほどの水がどうかしたのかの……?」

「実はそのー……献上物が少し混ざった飲み物だったりしちゃいまして」

「普通に俺にって淹れてくれたものだと思ってたんですけど!?」

「頼まれなきゃやりませんよ? 頼まれても嫌なら断りますし」

「いろいろ問題ありまくりだろお前……って、え? じゃあ……?」

 

 なにやら嫌な汗がダラダラと出てきた。

 え? いや……え?

 もしかしなくても本当に俺……飲んだ?

 

「本当は少し舐めて、効果を調べるはずだったんですけどね。手間が省けたと喜ぶべきなのでしょうか、土葬の準備をするべきなのでしょうか……」

「え!? 俺死ぬの!?」

「いえいえ、毒の類でしたら飲んだ時点でなにかしらの反応があると思いますよ」

「そ、そっか、そうだよな……ってちょっと待とう!? “少し舐めて効果を調べる”って言ったのに、なんで結構な量が注がれていたんで!? これ俺が水飲むために用意しといた湯飲みだよね!?」

「い、いえいえいえっ、ですから大丈夫ですよっ。それはほぼ水で、古の飲み物は数滴垂らしただけですからっ」

「……輝く瞳で言われても説得力が無いんだが……」

「一応付属されていた書物に、効果らしきものも書いてありましたし、そもそも私が飲もうとしていたものを一刀さんが飲んじゃったんじゃないですか」

「じっ……自分の机に置かれた水を飲むなと言われても! って……う、んん……? あれ……ちょっと気分悪くなってきた……。トイ……厠行ってくる……」

「曹操さんがいらっしゃったら、厠で盛大に吐いていると───」

「言わんでいいっ!!」

 

 からかわれたりはしたが、心配そうな顔のままの七乃に見送られ、自室を出て厠を目指した。美羽がついてこようとしたけど、さすがに勘弁願う。

 まったく七乃は……ことあるごとに人をからかって───……ん……あれ? なんか……あれ? 妙に体が熱くなって……きた……?

 

「ん……、……っ!? つっ……!」

 

 そんな感覚を自覚ののちに、突然鋭い痛みが体を襲う。

 けれどそれは一瞬……かと思いきや、今度は鈍痛がのっしりと体に圧し掛かり、眩暈を起こして通路の一角に膝をついてしまう。

 

「あ、れ……?」

 

 目の前が揺れる。

 頭が揺れている感覚は無いままに、視界ばかりがぐるぐる回るように。

 ……気持ち悪い。

 なのに吐けない。

 

「え、と……」

 

 すぐに思い出して、こういう時の医術を華佗に教わったままに思い出す。

 しまった……こんなことになるなら、七乃の話を最後まで聞いておくんだった。

 効果がどうのこうのって言ってたし……飲もうとしていたってことは、そう悪いものでもないはず、なん……だけど…………───

 

(あ……だめだ、これ───)

 

 意識が遠退く。

 通路の床に、重く吸い込まれるように、視界が暗くなりながら床に近付く。

 せめて衝突しないようにと腕に力を込めて体を支えてみるが、それが出来たのもほんの少し。すぐに腕は力を無くし、土下座するような姿勢から崩れ落ちるように、ごろんと横倒れになった。

 

(───……)

 

 拍子にひゅっ……と息をしたら、意識がスゥッと抜けていった。

 最後に思春と華雄の声が聞こえて、心配をかけないようにと抜けていく意識を繋ぎ止めようとしたが、間に合わない。

 そのまま意識を手放し、意識の無い暗闇へと埋没していった。

 

  ……結局。

  その日、“俺”が華琳と顔を合わせることはなかった。



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91:IF/低い視界で見るものは①

142/少年よ、大志を抱いて日々を踊れ

 

 -_-/───

 

 とある日。

 都の奥側に位置する屋敷の来客広間で、その声は漏れた。

 

「……もう一度報告しなさい、思春」

 

 声を発したのは覇王、曹孟徳。

 目を伏せ、少々呆れ顔のままに言葉を紡ぐが……内心は相当に動揺しており、“もう一度”と命じたのは自分の聞き違いであることを願った故だろう。

 命じられた思春は「は……」と返し、再度報告をする。

 

「通路の一角にて倒れる北郷一刀を発見。声を掛けてみましたが反応は無く、そのまま意識を失いました」

「ええ。それで?」

「以降は……───信じられぬのも理解出来ますが、目に映る通りです」

 

 言われた華琳はちらりと視線を動かす。

 その先には一人の男が居て、目が合うと妙な視線を向けられた。

 彼女は溜め息を吐くしかなく、そうしてから天井を見上げ、呟いた。

 

「どこまで退屈させない気なのよ、貴方は……」

 

 呟きが聞こえたその場に居た者は苦笑。

 一人、こてりと首を傾げる男はそののちに笑った。

 その姿は妙に小さく、服装は何処にでもあるような庶人服……を、短くまくって着せたもの。独特の跳ねたクセッ毛は明らかにその男特有のものであり、しかし“その男”だと認識するには…………そう、“あまりに小さかった”。

 

「なぁー、なんなんだよぅこんなところに連れて来て。ここ何処? お前ら誰だよー」

 

 ……北郷一刀ではあるソレは、子供になっていた。

 それに伴い記憶も当時のもの辺りにまで戻ってしまっているようで、彼女を彼女として認識していない。

 珍しそうに落ち着きなく動く視線はきらきらと輝いてはいるが、あとで不安に駆られて喚き散らかすのも想像に容易いと、華琳は溜め息を吐いた。

 

「説明したところで理解出来ないわよ。それよりも一刀」

「? なんでおれの名前知ってるんだ?」

 

 きょとんとする一刀をよそに、華琳は言葉を続ける。

 まず、自分自身が本当に北郷一刀なのかを訊ねるために。

 訊ねてみれば当然頷く少年。

 華琳は益々頭痛がするのを感じながらも、七乃が持ってきた薬と、それに付属されていたらしい書物を見る。

 

「……若返りの薬と成長の薬……さらには惚れ薬まで。どうしてこんなものが民の倉に存在しているのかと、いろいろと言いたいことはあるけれど……まあいいわ。ともかく、これを飲んだ所為で一刀は子供になったのね?」

「はい、恐らく。むしろそれしか理由が見つかりませんね」

「また厄介なものを飲んだものね……。まあ、数日で戻るとあるのだから、ほうっておいても勝手に戻るわよ。早く戻したいのであれば成長の薬を飲ませれば治る……のでしょうけれど、問題はその時の記憶ね」

「問題はそこなんですよねー……」

 

 ピンと立てた指をコメカミに押し当て、七乃は唸る。

 子供になった際に記憶が子供のものに戻るのなら、青年に戻っても記憶は青年のものになるだろう。

 ただし、記憶が子供の頃のものに戻るのと、大人の記憶になるのとでは意味が違う。

 子供から一気に大人になった場合、記憶の成長過程が存在しないことになる。

 つまり……大きなお子様の誕生という結果に繋がる可能性が高い。

 その場合、最悪元の一刀の記憶が上書きされてしまい、元に戻る可能性が消されてしまうわけで。しかしながら都の太守が居なくなったとなれば、都の機能に様々な問題が発生する。

 そこで華琳が取った行動は───

 

「はぁ……。早馬を出しなさい。しばらく私がここで政務を仕切るわ。許昌は秋蘭を主軸に、稟と風とで回転させなさい。それから春蘭と桂花には、私が居ない間につまらない諍いを起こせば罰を与えると伝えておくこと。以上よ」

「はっ───」

 

 思春が手に拳を合わせ、一礼して退室する姿を見送ると、華琳は再度一刀を見る。

 だぼだぼの服を着た少年。外見からすれば美羽ほどの幼い容姿だ。

 ソレが自分を物珍しそうに見ている。

 

「これが一刀ね……。子供の頃はやんちゃなものだろうけれど、“これ”はそれの塊みたいなものかしら」

「なぁ。ここ何処?」

「しかも遠慮なんてものがまるでない、と。まあ、予測出来る範疇ではあるわね」

「? なんだよ、教えてくれないのか?」

「ここは都。その場を纏める者が住む屋敷よ」

「?」

「……説明したところで理解出来ないでしょう?」

「うっ……わ、わかるぞ? わかってるよっ! なななに言ってんだよお前!」

「………はぁ。先が思い遣られるわ……」

 

 男版の春蘭を拾った気分だと頭を痛めた。

 しかしいつまでも頭を抱えていたところで始まらないのだ。

 地道に、まずは春蘭に言い聞かせる調子で言葉を並べてゆく。

 もちろん、春蘭に言い聞かせる場合はそのほぼが理解に結びつかないわけだが……

 

「えっ!? 俺今別の国に居るの!? すげー!」

「えっ?」

 

 あっさりと受け入れられた。

 子供の理解は、大人が思うよりも妙なところで加速しているものなのだ。

 なによりもまず“信じられないこと”が優先される、普通では在り得ないことに目を輝かせやすい、などが挙げられるが、そのほぼは大体が男側に備わる。

 

「他の人にめーれーしてたってことは、お前偉いんだよな! すげー!」

「な、え……?」

 

 その妙な理解力に、今度は華琳が慌てた。

 てっきり春蘭のように梃子摺るかと思っていたのに、と。

 

「で、お前ジョルジュだろ! 金髪で相手の名前がわからない時は、とりあえずジョルジュだってじいちゃんが言ってた!」

「───」

 

 とりあえず女性につける名前かそれがとツッコミそうになったが、大人の余裕を見せるために踏み止まった。というかジョルジュって誰? ジョルジュって何処?

 そんな華琳の戸惑いに、すっと横から割って入ったのは七乃だった。

 

「はいそうですよー? なんとここにおわす曹孟徳様は、この大陸を統べる王様なのです」

「王様!? おぉおお! すげー! ジョルジュすげー!」

「えぇそれはもうすごいんですからねっ? あとジョルジュじゃなくて、曹孟徳様です。あまり失礼のないようにお願いしますねー? 覇王とまで呼ばれる存在なんですよ」

「覇王! かっこいーなそれ! すげーじゃんジョルジュ!」

「………」

 

 きゃいきゃいと燥ぐ七乃と一刀。

 そんな二人をぽかんと見つめる華琳が小さく「手慣れたものね」と呟いた。

 ……ジョルジュは聞こえない方向で。

 

「お嬢様で慣れてますから。持ち上げることならお任せですっ」

 

 いつも通りに指を立ててのにっこり笑顔だった。

 なるほど、融通の利かなかった我が侭な頃から美羽と一緒に居るのだから、子供の相手など相当に手慣れていて当然か。

 溜め息を吐いている内にもとんとん拍子で話は進み、あっという間に現状を把握した一刀少年は華琳の前に跪いていた。

 この頃の子供は大体、ノリがいいものだ。

 

「知らなかったとはいえとんだ“ごぶれい”を、ジョルジュさま。俺は北郷一刀といいます。えっと、出来ることは剣道で、まだじいちゃん以外には負けてません」

「……七乃。あなたは教師を担当なさい」

「ええっ!?」

 

 そして、そんな一連の流れを見ていた華琳は随分とあっさり、七乃に仕事を与えた。

 安定した都には以前ほどの慌しい仕事は存在しない。

 ならばもし適役な仕事があるのなら、早いうちから仕込むべきだろう。

 そもそも蜀でも教師の仕事を担当したことはある筈だ。

 そういった考えを視線に込めて見つめてみれば、「ようやく少しは休めると思ったんですがね……」と漏らしつつも頷いた。

 覇王を前に随分と軽い行動ではあるものの、華琳は気にした風でもなくくすりと笑った。

 

「というか華琳さま? いっそ華琳さまが育ててみてはどうです?」

「育てる? いきなり何を言い出すのよ。これは一刀よ?」

 

 これ、と言いつつ跪く一刀を指差す。

 普段ではやらない行為ではあるが、これで案外頭の中は混乱しているのだろう。

 華琳の行動に七乃も苦笑を漏らすが、「だからこそ」と続けた。

 

「子供だからこそ出来ることがあるんですよっ。ほら、例えば何も知らない内に自分に都合のいいことを刷り込んでおくとかっ」

「物凄い笑顔で恐ろしいことをさらりと言うわね……」

「手始めに“言われれば馬車馬の如く働く”ように条件反射的なことを刷り込んで───あれ? 普段とあまり変わらないと思った私はおかしいんでしょうか」

「……」

 

 「元の姿に戻ったら、出来るだけ仕事が減るよう配慮してあげようかしら……」普通にそんな言葉が口に出て、溜め息を吐いた。

 

 

 

 

【強くなりたい】

 

 子供の居る日常というものを考えたことがないわけではない。

 自分が女であることを嫌でも意識させられた日から、いつかはそんな日がと想像したことなど当然あった。

 しかしそれが、意識させた男の面倒を見るという形で思い知らされることになるなど、一体誰が予想できるだろうか。

 世に轟くどれほどの天才軍師であろうと、きっとそれは成立しないに違いない。

 

「いーやいーやせいやせいやチェストァチェストァァア!!」

「静かにしなさい」

「は、はいジョルジュさま!」

「だからジョルジュではないと何度言ったら……」

 

 北郷一刀の自室では、その北郷一刀自身が借りてきた猫状態になっていた。

 先ほどまでの元気も何処へやら、物珍しさよりも不安が上回ると、彼はあっさりその不安に負けた。結果として、一刀が愛用している黒檀木刀を見つけてそれを振り回していたわけだが……振り回すどころか、重さに体が持っていかれる始末だ。

 子供にはまだまだ重過ぎる代物であり、数回振るだけでゼェゼェと息を荒げていた。

 

「これがあの一刀に………………想像出来ないものね」

 

 子供の頃から力があるわけではない。

 そういう将がたまたま傍に居るからといって、近しい者が必ずそうなるわけではない。

 それを改めて知り、一刀が自分や魏という国のために努力した上で、結果として呂奉先にも勝てるほどに強くなったことを誇らしく思う。

 偶然の上での勝利だって構わない。

 そこに確かな努力があり、結果さえもがあったのなら、自分はそれを王としても女としても誇ろう。

 覇王と呼ばれた少女はそう思ってやさしく目を細め、笑った。

 そんな笑顔に軽く警戒心を解いた一刀が、おずおずと言う。

 

「ジョルジュさまっ、ジョルジュさまは世を統べる王様なんですよねっ? どれくらい強いんですかっ?」

 

 それは実に“男の子らしい”質問だった。

 “どんなことが出来る王”なのかよりも、“どれだけ強い王”なのか。

 この世界の子供がそうであるかは別としても、天で育った一刀にとってはそれが一番理解しやすい力関係というものだ。

 ……それはそれとして、質問された華琳としては実に微妙だ。

 即答で“あなたより強ければどうでも構わないでしょう”とでも言う筈だったが、見上げてくる少年の瞳はそれをするには残酷だと思えるくらいに輝いていた。

 そんな“些細”で小さな頃の春蘭を思いだしてしまった時点で、少年の瞳に期待を含ませる時間をたっぷりと与えてしまった。

 即断即決は大事ね、と改めて思った……とある日の出来事。

 こほんと咳払いをして彼女は言った。

 

「少なくともあなたよりは強いわね」

「む……お、俺だって強いんだぞ───ですよ? いくらジョルジュさまが覇王さまでも、俺が女になんか負けるはずが……うわっ! えっ? あ、や、ジョルジュさま?」

「そうね。その目で見なければ説得力に欠けるというのなら、存分に知りなさい。その目とその体とで」

「え、う、うわぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁ───…………」

 

 ───いい天気だった。

 外に出れば気持ちのいい日光浴が出来るくらい、暑いとまではいかないとある日。

 庭に連れ出された少年は、躾けをされるわからず屋のごとく容赦なくボコボコにされて転がった。

 

「う、うぅうう……」

 

 片手しか使わなかった華琳は鋭い目付きで一刀を見下ろす。

 祖父以外には負け知らずだった子供が祖父以外に負けた。

 その衝撃は計り知れず、しかも相手が女であることに強い衝撃を受けた一刀は、悔しそうに……しかしどこか現実を信じられない呆然した風情で華琳を見上げている。

 

「自分というものを知りなさい。強さに男も女も関係ないの。強い者が勝ち、弱い者が負ける。それだけのことよ」

「………」

「あなたは今、命を落とさずに自分の強さと“周りの強さ”を知ったわ。その上で負けないように生きるにはどうすればいいのかしら?」

「! つ、強くなる! なります! そしたらお前のことけちょんけちょんに───!」

「お前?」

「ひぃぅ!? ううぐっ……お前は俺のライバルにしてやる! ぜぇえーったい勝ってやるんだからな!」

「あら。てっきりもう二度と負けたくないとか言い出して、得物を捨てるかと思ったわ」

「うぅっ……そ、そんなことするもんか! 絶対に勝ってやる! 勝てたら負けじゃなくなるんだ! か、勝っ……うぁあああああん!! ジョルジュのばーかばーかぁああ!!」

「え? あ、ちょっ───」

 

 ふるふると震えながら叫んでいた一刀だったが、ついに泣いてしまうと走り出す。

 さすがに泣かれるとは思っていなかった華琳は、そうした動揺の隙を突かれて“追いかける”という選択肢を手放してしまった。

 しばらく呆然と立っていると、なんというか罪悪感めいたものがふつふつと。

 

「なんであれ勝ったというのに、どうしてこんな嫌な気分をしなければならないのよ……」

 

 子供相手に勝利もなにもと思いはしたものの、街で子供に勝ってもこんな気分にはならないだろう。問題なのはきっと、子供とはいえ自分が気に掛けている男性を自分が泣かせた、というところにあるのかもしれない。

 彼女がそれに気づくことは無かったが、しばらくはもやもやした妙な罪悪感を抱きながら、それほど多くもない仕事の再開をするために自室へと戻っていった。

 

……。

 

 その一方。

 初めての敗北、初めて知った女性の強さに驚愕し、泣いてしまった一刀は地を駆け、地理も無いままに何処かへ行こうとしていた。

 こういう時の子供の胸には目的地など必要無く、ただ走ることだけが必要だった。

 心に湧いたモヤを払拭するのは慰めよりも力いっぱいのなにか。

 単純だろうと、単純だからこそ効果はある。

 やがて走り疲れた彼が辿り着いた場所は、屋敷の庭から少し離れた程度の場所。

 知らない世界の外に出たのも初めてな子供が行ける場所など、ぐるぐる回っても近場くらいしか無かった。

 

「はっ……ぅ、ぐっ……ぐすっ……」

 

 泣かされた。

 泣いたというよりは、泣かされた。

 しかも女に。

 そういった意識がどんどんと少年を落ち込ませ、足が止まったら動けなくなっていた。

 悔しいと思うと同時に“情けない”と心が尖るが、明らかに手加減をされたことが“心の尖り”さえも折ってゆく。

 片手だ。

 片手の女に負けた。

 それも、こちらの攻撃をわざわざ待ってくれている存在に。

 

「~っ……!!」

 

 少年の心に火が灯る。

 それは怒りと悔しさを糧にメラメラと燃え盛り、彼にこの世界での目標というものを持たせた。

 

「見てろジョルジュ……! ぜったいにけちょんけちょんにしてやるんだからな……!」

 

 父や母に“女の子にはやさしく、弱い者には手を差し伸べろ”と言われたことがある。

 けれどそれは“戦以外”での話だ。

 戦いとなれば、ライバルにやさしくする奴なんていない。それはライバルに対する侮辱だ。ライバルは常にお互いを高め合う存在でなければいけないのだ。そう漫画に書いてあった。ゲラゲラ笑い合って仲良くする存在をライバルだなんて認めない。

 こうすることがきっかけで正義ではなく悪だと言われるのなら、悪でいいと思える。

 

「強くなればいいんだよな、よしっ! じゃあ…………」

 

 きょろきょろと辺りを見渡す。

 が、見知ったものがほぼない視界に、油断して涙腺が緩みそうになる。

 それをなんとか我慢すると、丁度傍を通りかかった見覚えある顔の手を掴んだ。

 

「? ……ああ、貴様か。こんな場所でどうした」

 

 急に手を掴まれ、見下ろしたのは思春。

 早馬の伝令を走らせ、その報告にと戻るところだった。

 悪意を感じなかったためにすんなりと手を掴ませたが、手を掴む行為に悪意はなくとも、面倒事が起こるという予感がするのはどうしてなのか。

 思春は嫌な予感を頭に浮かべつつも、普段通りの対応で少年の言葉に耳を傾け───

 

「ねーちゃん強いか!? ジョルジュより強いか!? 強かったら俺を鍛えてくれ!」

「………」

 

 ジョルジュ? と首を傾げた。

 耳を傾けてみて早速後悔……というほど大袈裟なものではないが、困惑は当然だ。

 しかしながら難しい顔もせずに一度だけ目を閉じる。

 思考して、目を開くと訊ねる。

 質問するのは一度だけだ。

 

「強くなりたいか。弱音を吐くよりも自分の弱さが悔しく思えるほど、弱い自分を変えたいか」

「変えたい! ジョルジュに勝てるんだったらなんでもやるよ! あ……でも、卑怯なことで勝ちたくない」

「卑怯卑劣を持ち出さずに勝ちたい? 貴様の勝利への渇望はその程度のものなのか」

「ゲームやってるのに殴って気絶させて、その隙に勝ったって嬉しくないのと同じだよ。俺は俺がちゃんと強くなって、実力でジョルジュに勝ちたいんだ」

「…………ところで訊くが。じょるじゅとは誰だ? 私の知る限り、そんな人物はこの都には居なかった筈だが」

「え? なに言ってんだよ。ほら、髪の毛がキンピカで、背なんか他の人よりちっこくとて、えーと……頭の横にトルネードな髪の毛がぴょこんとついた……」

「とるね……?」

「ほ、ほらっ! ぐるぐる巻きの髪の毛の、鎌を持った死神みたいな女だよ!」

「───」

 

 思春は、彼女にしては珍しく思考が停止するのを感じた。

 しかし持ち前の冷静さを無理矢理押し出し、復活に成功する……のだが、同時に気が遠くなるのを感じた。

 “ジョルジュ=華琳様”。

 その方程式が出来てしまうと、自分はこの大陸の覇王を倒す手伝いをしなければならないことになり……いや、もちろん謀反どころか戦を起こしたいわけでもないし、子供の戯言と言ってしまえば片付くのだが……

 

「……!」

「………」

 

 強い意志を以って自分を見上げる少年の目は、何かをやり遂げんとする蓮華の目によく似ていた。そして、彼女を少年に重ねてしまった時点で、その顔が悲しみに歪むのを見る勇気が彼女に湧き出すことはない。

 それに、まあ。

 結局は子供の戯言なのだと、試すつもりで軽く引き受けた。

 どうせすぐに音を上げる。

 子供の意思力など、辛さの前ではもろいものだ。

 

  ……そう、思っていたのだが。

 



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91:IF/低い視界で見るものは②

 それはある日のことだった。

 弱い自分に決別をと立ち上がった少年だったが、その心はあっさりと折れた。

 思春の予想はそれはもう的中で、少年が持つ言葉の責任は、今日までの数日しか保たなかったといえる。

 その日、少年は人にとっての最も楽な“挫折の道”を歩もうとしていた。

 子供に教えるものとはいえ、思春の鍛錬は本格的すぎた。

 

「………」

 

 疲れきった体で庭に倒れて空を見つめる少年。

 強い自分を諦めるための言い訳ばかりが頭の中を埋め尽くしていた。

 鍛えて一日目でいきなり華琳に挑み、こっぴどく負け、泣いた。

 華琳は華琳で「いつになったら戻るのよ」と顔を合わせる度に呟き、少年にはそれがどういう意味だかはわからないものの、彼女にとって自分がまるで眼中にないことだけは理解出来ていた。

 子供は大人の行動や視線には敏感だ。

 だから、自分がまるで必要とされていないことも理解出来ていたし、それなら振り向かせてやるとムキにもなったが……結局は子供がきゃいきゃいと騒ぐ程度の出来事で片付けられてしまう。

 

「……いてー……」

 

 体中は筋肉痛。

 ふと冷静になれば、なにやってんだろと呟きたくなる。

 華琳を倒すためにと張り切ってはみたが、結局は思春にも負けて、情けなさに気が遠くなる。

 結局……自分は手加減されていたのだと。

 自分が育った場所でも手加減されていたのだと、ひねくれた想像をしてみれば、頑張る理由はどんどんと蝕まれていった。

 頑張っても無駄なんじゃないか。

 そんなことに時間を潰すくらいなら、友達と遊んでるほうが楽しいだろ。

 自分を正しく許してやりたくて、都合のいい言い訳がぽろぽろと零れ出る。

 

「……あ、あほ───」

 

 アホらしい。

 その一言を呟いて全部やめてしまえばいい。

 そして家に帰ろう。

 もう剣道なんてやめて、負けない理由を作ればいい。

 

「………あれ……?」

 

 そう思ったのに、思った瞬間に華琳の言葉が思い返された。

 

  “二度と負けたくないからと、得物を捨てるかと思った”

 

「───!」

 

 思い返されたら、自然と涙が出てきた。

 それはとても悔しく、言葉通りに武器を捨ててしまえば本当に華琳に負けてしまうことを意味している。幼いながらも、それが理解出来ていた。

 

「~っ……ちくしょう……!」

 

 仰向けだった体を横にして、丸くなって涙した。

 歯を食い縛って目をぎゅっと瞑って、声を殺して。

 クラスメイトに見られたらなんて言われるだろうか。

 だっせぇ、と言われるのが簡単に想像できた。

 けれども、彼らは何度も立ち上がる漫画の主人公に憧れる。

 主人公はどうして立ち上がるんだろうか。こんなにも辛くて、面倒くさいことを前に。

 こんなの、痛くて辛いだけだ。

 “ほんのちょっとの自分のため”を理由に、世界中の我が侭を一つの体で叶える人形。

 英雄は、世界ってものに操られる人形だ。

 それに気づいた時、いつからか英雄というものが可哀相に思えた。

 

「………」

 

 隣の少女を守りたくて強さを求めた子供が居た。

 子供は強くなって、困難にぶつかりながらも成長して、やがて青年になった。

 青年はただ強いからって理由でモンスターを倒さなきゃいけなくなって、その強さがいつの間にか世界に認められて、魔王と戦わなきゃいけなくなっていた。

 青年は魔王を倒すことが守りたい少女を守ることに繋がるのならと立ち上がって、魔物を倒せば感謝されて、倒せなければ見下された。……自分ではなにもしない村人たちに。

 ひどく惨めでちっぽけな人生だなと思った。

 少女の隣で少女だけを守っていればよかったのにと何度も思った。

 いつしか魔物を倒すのが当然で、感謝すらされなくなった青年を見て……英雄はただの操り人形であることを理解した。

 

「………」

 

 涙を拭う。

 自分は操り人形にはなりたくない。

 守りたいものは自分で決めるし、戦う理由だって自分で決める。

 悔しさの底に居るような気になっていた一刀だったが、英雄の在り方を思い出すと、目に力を籠めた。“自分で決めたことくらいは貫こう”と。

 

「……いらない……」

 

 立ち上がる。

 体が筋肉痛で痛むが、無理矢理に立ち上がる。

 指差されて笑われたっていい、もう気に……するかもだけど、気にしない。

 痛くたって構わない、辛くたって強くなれるなら我慢しよう。

 だから。

 

「格好いい自分なんて……っ……いらないっ……!」

 

 食い縛った歯の隙間から押し出すように呟いた。

 思い出したのはいつかの日。

 同年代の男に剣道で勝って天狗になり、祖父に挑んで無様に負けた。

 言い訳をいくら並べようとも悔しい気持ちは消えないで、そんな少年に祖父は言った。

 “泣くほどに悔しいことが起きたら、その場でそれまで持っていた格好よさなぞ捨ててしまえ”と。

 “どこまでも格好つけたいのなら、どんな理由があろうと誰かを守り、女は優先して守り、誰かに乞われたなら馬鹿のように救っていろ”と。

 意味はわからなかったが、それでも言葉だけは覚えていた。

 けれども、その意味もたった今わかった。

 

「………~……」

 

 ぐしぐしと腕で涙を拭い、鼻をすする。

 格好なんてどうでもいい。いつか勝てるなら何度だって負けてやる。

 そして、負かしてやったら言ってやるんだ。俺のほうが強いだろって。

 

「つっ……うくっ……い、いたくないっ……! あ、ちが……い、いたいっ……!」

 

 少年は格好良さより勝利を選んだ。

 世界に利用されるだけの英雄よりも、自分の意思を貫く悪を選んだ。

 男だから痛くないと我慢するより、素直に受け取って痛いと呟き、泣いた。

 

  そう。それは、本当に些細なタイミングで……

 

 出てくる涙を何度も何度も拭っては、大声で泣く。

 一頻り泣いたら、もう一度さっきのねーちゃんに稽古を頼むつもりでいた。

 

  心がまだ回復し切っていない少年の元へ───

 

 やがてようやく涙や荒れた心が治まりを見せ始めた頃。

 一人の少女が、その場へと現れた。

 

「まったく、七乃のやつめ、妾をほったらかしにして何処へ行きおったのじゃ……。主様もおらんし、誰に訊いても答えもせぬしの……」

「!!」

 

 美羽……袁術であった。

 自分より少し大きいくらいの女性の来訪と、大声で泣いていたことに羞恥心を感じた一刀は慌てて涙を拭おうとするが、既に何度も拭ってびしゃびしゃの服では拭い切れるわけもなく。

 

「うみゅ? これお主、そんなところでなにをしておるのじゃ?」

 

 咄嗟になんの対処も出来ない自分に情けなさを感じてしまえば、治まりかけた嗚咽がまた溢れた。そんなタイミングで美羽に見つかってしまい、せめてそっぽを向いてやりすごそうとした。

 

「あ、う……な、泣いてるんだ、ほっといてくれ」

 

 けれど素直に生きようと決めたばかりだったことを思い出して、震える喉でそう言う。

 それを聞いた美羽は「それはまた随分と勇気のあることよの」と呟き、放っておくどころか傍に寄り、座り込んで泣いている一刀の顔を自分に向かせると、雑ではあるが自分の服の袖で一刀の目を拭ってやった。

 

「あ、な、なにしてんだよっ!」

「む? 涙を拭っておるのじゃが?」

「いいよっ、やめろよっ! 流すだけ流すって決めたんだ! おれっ……俺は、まだ強くないから……弱いうちに……ひぐっ……うっく……流すんだから……!」

「おお……なにやら困っておる顔が主様によく似ておる孺子じゃの」

 

 実は数日で治るということで、詳しい話を聞いていない美羽。

 七乃は面白がってあえて話そうとしたのだが、それはもう当然とばかりに華琳に止められた。無駄な騒ぎを広めるなと、ぴしゃりと。

 

「主様も泣いてしまえば斯様な顔になるのかの……う、うみゅう……」

 

 何も知らない美羽が目の前の子供を一刀だと思える筈もなく。

 少年の泣き顔を見て、自分が困らせ、泣きそうになっていた一刀の顔を思い出してしまったら構わずにはいられなかった。……いられなかったのだが、どう接すればいいのかがわからない。

 人付き合いに慣れてきたつもりではあったが、それもほぼ一刀が居たからこそであり、現在その一刀は居ない上に目の前で泣く存在は子供。

 自分の方が年上なのだからしっかりしなければと、妙な使命感が湧くには湧くのだが空回りしているようだった。

 

「うみゅ……そうじゃの。泣きたい時はたんと泣くのが一番じゃ。遠慮せず泣くがよいのじゃ」

 

 いろいろ考えてはみたものの、やはり泣かせておくのが一番だと思ったらしい。

 しかし泣けと言われて泣けるほど、子供というのは───

 

「うぐっ……うっ……うぁああ……」

 

 ……素直でした。

 泣き顔を見られたことに情けなさを感じるままに泣き、自分の未熟にも泣き、子供な自分にも泣き、そういういろいろな鬱憤を全部吐き出すつもりで少年は泣いた。

 その包み隠さぬ泣き様を、美羽はただ見守っていた。

 

「……我が侭ばかりはいかぬと思っておったが……素直に泣くことは我が侭とは違うもの……よな?」

 

 ただ周囲の人の気を引きたくて泣いているのであれば、美羽だって大して構いはしなかっただろう。けれど少年は自分の情けなさを認めた上で泣いていた。だから、根気良く泣き終わるまで待とうと思っていた。

 自分が泣いた時は、一刀がそうしてくれたのだからと。

 

……。

 

 どれほど経ったのか。

 いい加減体中の水分が無くなるんじゃないかと思うほど泣いた少年は、鼻をすすりながら美羽を見ていた。

 

「………ぐすっ」

「おお、泣き終わったかの?」

 

 涙を拭ってやった美羽の袖もびしゃびしゃだ。

 それを申し訳ないと思ったのか、少年は頭を下げた。

 口を開けると意味も無く泣いてしまいそうだったから、口は開かなかった。

 

「構わぬのじゃ。妾も失敗続きの際には、主様の胸を濡らしてしまうが……主様が怒ったことなど一度もないからの。うむうむ、やはり主様は偉大よの」

 

 目を伏せ腕を組み、どこか誇らしげにうんうんと頷く。

 そんな少女の姿を前に、少年はなにやらもやもやとしたものが浮かんでくるのを感じた。

 

「ほれ、立ち上がれるかの?」

 

 促されるまま、差し出されるままに手を掴み、立ち上がる。

 途端にふらつく自分の足に驚いて、泣くのって随分と体力使うんだなと思いながら……ぽすんと支えられた。

 

「……えわっ!?」

 

 閉ざしていた口から出る、悲鳴にも似た驚きの声。

 バランスを崩したまま倒れるのかと思いきや、目の前の少女がぽすんと抱き止めてくれたのだ。丁度、彼女の肩に顎を乗せるような形で。

 ……しかも口を開けてしまった途端に漏れてくる嗚咽がまた、てんで自分の思い通りに治まってはくれず、また泣き出してしまう。

 

「お、おぉおお……? な、なんじゃ? また泣くのかの? ……やれやれ、仕方の無い孺子よの。胸を貸してやるから存分に泣くが…………う、うみゅ? こういう時は肩を貸すというのかの? しかし肩を貸すでは、倒れそうになった者を助けるような…………おおっ、間違ってはおらぬのっ! 肩を貸してやるのじゃ!」

 

 答えは得たとばかりに元気に言う少女。

 少年はそんな、何処か抜けた調子とやさしさ、そして自分が暖かさに包まれている事実に促されるまま、もう一度泣いた。

 溢れてくるのは羞恥と安堵。

 そこから羞恥なんてものを無くして、安堵だけを受け入れる。

 自分でも少女を抱き締め、思い切り甘えるように泣いた。

 

……。

 

 ……やがて、今度こそ涙も涸れると、通った鼻が少女の香りを拾い、途端に恥ずかしくなる。しかしどうしてか少年の手は抱き締めた少女を離したくないらしく、抱き締めたままに硬直する。

 

「…………」

 

 顔が熱い。

 恥ずかしい、のは確かだ。

 けれど、それだけでこんな風になるのは初めてで……恥ずかしいのだけれど、離したくないという奇妙な状態に陥っていた。

 

「んむ、もう泣き止んだの。まったく、いったいどれほど泣くのかと思ったぞ」

 

 少女は少女で、自分よりか弱い存在を見つけたとばかりにお姉さんぶりたい部分もあって、ぽんぽんと少年の背中を撫でていた。

 その感触が気持ちよく、ずっとこのままで───なんて考えたのだが。

 

「………………!」

「!?」

 

 彼女の肩から見る景色。

 その先に、目をゴシャーンと輝かせ、自分を見ている女性が居ることに気づくと、慌てて少女から離れた。

 

「うみゅ? どうしたのじゃ突然。もういいのかの?」

「あ、う、うしっ、うしろっ……」

「? ……おおっ、七乃っ」

 

 そう。七乃である。

 “抱き合う美羽と一刀”に目を輝かせていた、七乃である。

 

「そう……そうですか。これは盲点でした……! 心が少年の頃に戻るなら、その時にいろいろやってしまえば大人に戻った際にもその記憶が……!」

「お、おー……? これ、七乃? 七乃ー……?」

「現時点、一刀さんはお嬢様のことを可愛い妹のように見ているようですから、そこに少年期からの恋心を加えてしまえば……! ああっ、どうして今までこんな素晴らしいことを思いつかなかったのかっ!」

 

 目をきらんきらんと輝かせ、突然ハッとした七乃は美羽の前から一刀を攫い、離れた位置でヴォソォリと会話を始める。

 

「実はですね一刀さん。お嬢様は強くて包容力のある人が好きでしてね」

「おじょ……? だ、誰だよそれ」

「あらあら顔が赤いですねー。わかっているのに訊くのは野暮ってものですよ。あそこに居る、袁術さまのことに決まっているじゃないですか」

「……へ、へー……。あいつ、えんじゅつっていうのか」

「泣いているところにやさしくされてコロリですか。案外ちょろいですね」

「な、なにがっ───…………うぅう……」

 

 素直に生きようとしたことが、いろいろと彼を苦しめていた。

 が、もしこれが恋とかそういうのだったとするのなら、素直に生きなきゃ変われない。

 そう思った少年は、一度目を閉じてからクワッと開き、認めた。

 

「そ、そうだよっ! なんか知んないけどあいつのことが気になってるよっ!」

 

 この頃の子供なんて、無自覚に女と一緒に居るのはダサイと思うものだが、少年はむしろ一緒に居たいと思っていた。

 なんとか気を引いて自分に話し掛けてほしいとも。

 ……ようするに自分から話し掛ける勇気が沸いてこなかった。

 妙なところで勇気が無いのは昔からだったようだ。

 

「はいっ、素直で大変よろしいですっ。けれどあなたは残念ながらお嬢様には好かれてません」

「えぇうっ!? ……そ、そうだよな……泣く男なんてダセェもんな」

「いえいえそういうことではなく。以前のお嬢様でしたら情けないとか言っていたかもですけど、今のお嬢様はなんというかこう、以前にはなかった包容力がありますから。……全部“主様”の影響でしょうけど」

「? ぬしさま? そういえばあいつも言ってたな。なんなんだ、それ」

 

 直感からか、少しムッとした表情で言う。

 七乃はそんな少年の嫉妬ににんまりと笑みつつ、「お嬢様が気になっている存在です」ときっぱりと言った。……嘘ではない。

 

「…………」

「~……!!」

 

 その時の少年一刀の落ち込み様といったら、七乃が体を震わせるほどに可愛かったという。思わず抱き締めたくなる衝動に駆られるが、それは我慢。

 

「い、いえいえっ、気になっていることは確かですが、ようするにあなたがその“主様”より強く包容力のある人になればいいんですよ」

「…………俺がぁ……?」

 

 泣いたことやショックなことで、重すぎる頭を垂れたままにじろりと七乃を見る。

 そんな彼ににっこりと邪悪な笑みを浮かべ、「はい」と返す七乃さん。

 それからは言葉巧みに一刀の心を誘導し、放っておかれた美羽が手持ち無沙汰でおろおろとし始めた頃。

 

「俺っ、強くなる! 強くなって、好きな奴くらい守れる男になるんだ!!」

 

 ……洗脳は、完了していた。

 その頃には芽生えそうだった恋心は無理矢理開花させられ、これは恋なんだと結論づけた彼は早速駆けた。

 ……どうせすぐに諦めるだろうとタカを括っていた、思春のもとを目指して。

 

「……子供は素直でいいですねー」

「おぉ? 七乃、話は終わったのかや?」

「はいお嬢様っ、これできっと一刀さんはお嬢様にめろめろですっ」

「めろめろとなっ!? …………よくわからんがよい響きじゃのっ! ところでその主様じゃが、今はどこに───」

「さあお嬢様、ここでこんな話をしている場合じゃあありませんっ! 一刀さんの方向性を磐石のものにするためにも、これからの接し方を勉強しませんとっ!」

「ほわぁっ!? こ、これっ! 急に引っ張るでないっ! それよりも妾は主様が何処におるのか───おぉおおーっ!!?」

 

 引きずられるままに去っていった。

 本日もいい天気。

 そんな晴天の下で、少しずつだが様々な感情が動き始めていた。



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91:IF/低い視界で見るものは③

【思春期? いいえ、慣れない感情に困惑する子供です】

 

 少年の日々は続く。

 困惑しながらも「俺を鍛えてくれ」と再度言われた思春がそれを受け取って数日。

 子供というのは飲み込みが早く、教えたことを素直に吸収した。

 体を鍛えても成長しないのは以前のままだが、氣を教えてみれば妙な固定意識が無い分あっさりと習得。しかも普通の子供なら嫌がることも、少年は率先してやった。

 

「……やれやれ」

 

 溜め息を吐いたのは庶人服ではなく、朱の服に身を包む思春。

 都で将として任命されたのち、服は以前のものへと戻ったが、髪は下ろしたまま。

 長い髪がさらりと揺れるが、それが行動の邪魔になることなどない。

 綺麗な体捌きに少年が目を輝かせて真似をするものの、当然上手くなどいかないわけで。自分に出来ないことをする思春を、一刀はすっかり師として仰いでいた。

 ……呼び方は“ねーちゃん”のままだが、咎めたりしない分、これで案外本人も気に入っているのかもしれない。

 

「………」

 

 ふと蓮華のことを思い出す。

 「守りたいものが出来た」などと真面目な顔で言われ、厳しく鍛えてやっても折れない存在をその目で見た所為だ。

 今、なにをしているのだろうと考えながら、警邏を続けた。

 屋敷に戻ればまた鍛錬だ。

 

「……ふぅ」

 

 あんな姿でも一応は現在の主なのだから、鍛えてくれと頼まれれば鍛えよう。

 それにしても子供になっても無茶が好きな男だ。

 飲み込みが早いことを華琳に知られれば早速知識を叩き込まれ、嫌がれば美羽のことを出されてあっさりと頷く。弱っていたところに差し伸べられた女性の手はよほどに温かかったようで、少年はそれはもう懸命に頑張っている。

 「頭が良くなれば様々な面で守れるわよ」と言えば知識をつけ、「戦に強ければ」と言われれば力をつけるために頑張り、「料理が」と言われれば料理を作りと……ある意味で遊ばれている。……のだが、やっている本人が真剣な上に吸収も早いものだから、止める気にはなれなかった。

 溜め息が出るのはそうした心の疲れからくるものだろう。

 

(このまま元の姿に戻るまで鍛錬をさせたのなら、いったいどうなるのだろうか……)

 

 子供の頃から勤勉であり真面目な存在になるのか。

 それとも現在学んだことなど忘れるのか。

 はたまたすべての記憶と経験を得た北郷一刀に至るのか。

 どんなことになるにせよ、そう悪い方向には転ばないだろうと結論づける。

 朱の陽に重なった姿を見た時から、どうにも目で追う男ではあったものの……もっと落ち着くのならそれでよし。変わらないのであってもそれでよし。都の主として選ばれるきっかけとなった人の好ささえ無くならなければ、それでいいのだと思う。

 

「………」

 

 警邏を続ける。

 騒ぐ人は居るものの、問題らしい問題も起こらない都を。

 仕事の管理者が一刀から華琳に変わってから、緩んでいた部分を引き締めるような行動が目立っているものの、それはそれで民に緊張を思い出させるいい切欠になっている。

 そういった厳しさの中、けれど子供は元気に走り回っている。

 子供は元気が一番というのが北郷一刀の方針であるらしく、子供が笑って遊べない街だけは絶対に作らないようにと、様々な面で頑張っていた。その結果があの笑顔であるならば、それも悪くはないのだろう。

 引き締めていた顔が少しだけ緩むのを感じて、彼女は意識して顔を引き締め直した。

 その過程で目を瞑り、開いた時にはいつもの表情に戻っ───……たのだが。

 

「くぬっ……この私が負けるなど……!」

「あははっ、ねーちゃんへただなーっ」

「おねーちゃんおねーちゃん、つぎわたしとあそんで? ねーねー、ねーったらー」

「………」

 

 戻した先の視界に映る、もう一人の一刀就きの将を見て、気が遠くなるのを感じた。

 どうやら街の一角で子供と遊んでいるらしく、手には一刀が真桜に作らせた妙な形の物体を握っている。

 

「貴様……こんなところで何をしている」

「お、おおっ、思春か! いや、それがだな……この子供らめが私に挑むというのでな。戦とあってはこの華雄、退くことなど出来ん。なので軽く捻ってくれようかと思ったのだが……」

 

 手にしているものと、眼下にあるものを交互に見る。

 現在で言う太鼓のようなものの上に、同じ妙な形の物体が転がっていた。

 少年少女らはそれを手に取り、太い糸のようなものを巻き、回しては遊んでいる。

 ……いわゆるベーゴマである。

 

「力任せに回せばいいというものでもないらしいのだ。北郷一刀は子供たちの中でも最強を誇っているらしいのだが……むぐぐっ」

「………」

 

 頭が痛くなり、頭に手を当て俯いた。

 

「北郷一刀の祖父が得意だったそうだ。それで少々かじったようだが……フッ、子供になっている今のうち、こうして練磨し、元の姿に戻った時には完膚なきまでに負かして───ぬわっ!? お、あ、こら思春! 貴様なにをする! 私にはまだ戦が───!」

「警邏の時間だ」

「ぐっ……! ならば仕方ない……! 子供らよ、この勝負は預けたぞっ!」

「またあそんでねー!」

「っへへー! またおれがかつもんねー!」

「なっ、なにをこのっ! 次こそは私が───!」

「子供相手に向きになるな」

 

 襟を掴まれ引きずられる将の図。

 なにやら喚いているが、朱の彼女は無視して歩き続けた。

 勝負に熱くなるなとはいわないが、それで仕事を疎かにしたのでは意味が無い。

 

「……庶人の子供は遊んでいるというのに、あの子供は……」

「む? ああ、北郷一刀か。以前でもそうだったが、子供になっても仕事漬けとはな」

 

 引き摺られる体勢から立ち直り、隣を歩くは紫の人。

 表情をパリッとしたものに戻せば、周囲に緊張が走る。

 

「まあ、これで元の姿に戻れば相当に真面目な男になるだろう。戦も強く頭も切れる。主として置くには最適な存在だ」

「……それは、北郷一刀か?」

「? どうなろうと北郷一刀は北郷一刀だろう」

「……………………そうだな」

 

 いろいろと考えることはある。

 これからどんなことが起き、どのように彼が経験を積むのか。

 その一つ一つがのちの北郷一刀になるのなら、迂闊な悪影響など無いに越したことはない。たとえばサボり好きのどこぞの元王にサボリの極意を伝授などされようものなら……!

 

「怠惰は敵だ」

「? おお、そうだな。その通りだっ」

 

 思春がこぼした言葉を拾い、華雄は声を大にすることで一層に気を引き締めた。

 それからの警邏も特に問題なく終わり、屋敷に戻ってみれば、なにやらがっくりと落ち込んでいる一人の少年。

 庭でも部屋でもない通路の途中で、暗黒を煮詰めたような重たげな空気を背負って膝を抱えて座り込んでいた。

 

「ど、どうした」

 

 さすがに異様な空気を感じた思春が、戸惑いがちに声をかける。

 ギギギ……と重たげに振り向いた顔は紛れも無く北郷一刀少年だ。

 しかし表情が明らかに死んでおり、聞けば美羽にお茶(蜂蜜水)に誘われたんだが、舞い上がったり緊張したりの連続で心にも無い感想を言ってしまい、怒らせてしまったとか。

 なんとも不器用というか、子供らしい出来事だと呆れもすれば気も抜けた。

 

「うう……ねーちゃん、俺、どうすればいいかな……。美味しかったんだけど、なんか恥ずかしくて、頭がぐるぐるしてて……」

 

 こんなことで頼られるのは好きではない。……のだが、困ったことに自分を姉だの師匠だのと言ってくる存在を突き放すのは、どういうことか躊躇われた。

 ならばどうするのかという話だ。

 自分にはそういう経験は無いし、あったとしてもむしろ同じことをしていそうな気さえする。

 

「ならば己の強さを示し、見直させればよいのだ!」

 

 ……などと悩んでいると、隣で話を聞いていた紫の人が自信満々にどーんと胸を張り、仰った。

 弱っていた心へのその言葉は、困ったことに道を開く光になってしまったようで……少年はパァアと顔を輝かせるとバッと立ち上がり、「俺、やるよっ!」と言って走っていってしまった。

 

「よしよし、そうだ。迷うより突き進めばいいのだ。壁があれば粉砕して進む……そんな強き男にお前はなれ!」

「………」

 

 華雄は胸の下で腕を組み、にやりと笑いながらそんなことを言っていた。

 少しののち、一刀少年が政務中の華琳に勝負を挑み、こてんぱんにされたという話を耳にする。(七乃から)

 もはや何も言えず、溜め息とともに仰いだ空は、良く晴れていた。

 

……。

 

 思っていることを素直に言葉にするのは難しい。

 格好つけたがりの子供の頃など余計で、それが身に染みてしまっている大人も余計。

 だからといってなんでもかんでも馬鹿正直に口にすれば、周囲に嫌われるのはわかり切っていることで、言葉にしないやさしさや自衛手段と言うものを、人は子供の頃から少しずつ周囲に学ぶ。

 

「ご、ごめんっ! 俺が悪かったよっ! そのっ……ほ、ほんとは美味しかったんだ!」

 

 結局、コテンパンにノされた一刀少年が選んだ方法は、正直に謝ること。

 本音で生きようとしていたくせに、恥ずかしさや照れくささに負けるとは何事かと自分に喝を入れての特攻だ。もちろん恥ずかしさのあまり顔は泣きそうな子供のそれに近かったが、それでも言い切った。あとは美羽の反応を待つ……だけなのだが、沈黙が長ければ長いほどに少年は泣きそうになった。

 子供の頃など、“女に謝るのなんてダサイ”と思っている少年が大半だろう。

 ただ一緒に遊ぶことすら拒む者も居るほどだ。

 そんな厄介な考え方を持っていると謝るのも一苦労で、ごめんなさいのたった一言が言えない時ってございます。

 

「許さんのじゃ」

「えぇえええーっ!?」

 

 そしてそれが受け入れられなかった時のショックといったら、言葉に出来ない。

 ここで選べる選択肢が、謝り倒すか“ならもういいよ!”と喧嘩別れをするか。

 子供の大半は後者になりがちではあるが、多くの場合はここで諦めない者が勝ちを拾うのだろう。ただし───

 

「う、ぐっ……じゃあどうしたら許してくれる!? 俺、なんでもするぞ!」

 

 ───そこでこう言い出してしまう人の大半は、のちに尻にしかれる存在に高確率でなる。……今さらな気もするが。

 

「ふむ……? そんなに妾に許してほしいのかや?」

「お、おおっ!」

「おお、そうかそうか、中々に見所のある孺子っこよの。では───」

 

 一刀を主様と仰いでからどれほどか。

 少女の瞳に、自分に許しを乞う者の姿が映るのはどれほどか。

 奇妙な悪戯心をくすぐられた少女は少年に一つの命令をし、少年は顔を輝かせて走った。走って走って走って……その日。北郷一刀製作の蜂の巣箱に特攻を仕掛け、蜂に襲われる少年が発見された。

 

……。

 

 子供とは無邪気というが、無邪気だからなんでも許されるわけでもない。

 

「馬鹿者、蜂の巣箱を乱暴に扱う奴があるか」

「だ、だって新鮮な蜂蜜水を持ってきたら許してくれるって! やらなきゃ男じゃないだろこれは!」

「からかわれていることに気づけ、馬鹿者」

 

 襲われながらもなんとか逃げ出し、刺されたところがないのはどんな奇跡か。

 咄嗟に氣を纏ってやりすごすことに成功したといえばそれまでなのだが、慌てている時にそれが出来たのは中々だと彼女は感心した。……感心したのはそこだけで、自ら危険なことをやったことにはご立腹ではある。

 “ねーちゃん”と言われている内に、妙な錯覚でも覚えてしまったのかもしれない。

 

「ていうかさー、ねーちゃん。俺、馬鹿者じゃないぞ? そりゃ馬鹿かもしれないけど、北郷一刀って名前があるんだぜー? なのに馬鹿者だのお前だの貴様だのって。人のことをきちんと呼べないのはよくないって、じーちゃん言ってたぞ?」

「未熟者はそれで十分だ」

「……なんだよ。俺だって頑張ってるのに」

 

 ぶちぶちと文句を言うが、思春自身も思うことがないわけではなかった。

 別に名前を呼ぶくらい構わないのだが、どうにも呼ぼうとすると抵抗が出る。

 名前を呼んだ方が早い状況でも相手に気づかせてから貴様と呼ぶ、といった面倒な方法を取るくらいに、名前を呼ぶ行為自体に抵抗を覚えていた。

 それは何故だろうと考えてみるのだが…………

 

(か…………かず───~……!)

 

 心の中で相手の名を呼ぶ自分を想像してみれば、妙な気恥ずかしさが前に出る。

 やはり無い。

 名前など呼ばなくても“お前”で十分───いや、貴様で十分だ。

 

(大体、この男が“天では夫の方が長年連れ添った妻のことをお前って呼ぶんだ”などと言うのが悪い。そんなことを聞かせておいて、“お前”から“貴様”になったという文句もないというものだ)

 

 ……何気ない会話の中で拾った言葉が、のちの行動に影響を及ぼすことなんてよくあることだが、ある意味で純粋というか初心である。

 しかし相手は子供なのだから、自分も少しは前に出てみるのもいいのではないか。

 この先ずっと、お前や貴様で行くのでは“都の父”に対しては失礼だろう。

 そう。そもそも相手は、今では自分の主君なのだから。

 

(…………ならば……か、かず……かず───……明日からにしよう)

 

 言おうとしたが無駄だった。



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92:IF/シャイニング・ゲンジ①

143/続・少年よ、大志を抱いて日々を踊れ

 

【璃々って人によっては呼びづらい名前だといつか誰かがそう言った】

 

 さて。

 なんのかんのとあって、蜂蜜水を献上することで仲直りが成立して少々。

 噂を聞きつけた各国の将や王が一目見ようと都にやってきては、代わる代わるに帰ってゆく日々。見世物小屋の珍生物気分を味わっている一刀はといえば、みんながみんな露出が多い服装で目の前に来るため、終始おろおろとしていた。

 

「へー、お前“璃々”っていうのか。あ、俺、北郷一刀。よろしくな」

「ほんごう……? みつかいさまと同じ名前なんだ~、すごいね~っ」

「? よくわからないけど、へへっ、すごいだろっ!」

 

 子供同士だと気も許せるのか、紫苑が連れてきた璃々とはすぐに仲良くなる。

 将の子供ということもあり、友達が居たとしてもどこかで一線を引かれていた璃々にとっては、遠慮の“え”の字も無く接してくれる子供というのは新鮮だった。

 

「えっとねぇ……“み~つ~か~い~さ~ま”っていうのは、美羽ちゃんが言う“ぬしさま”のことだよ?」

「むっ!? ぬしさま!? またぬしさまか! むむむ……! き、聞いてくれよ璃々っ、みんなヘンなんだよ! 何かある度にすぐみんな“ぬしさま”のことを口にするんだ! 一刀って呼ばれたかと思って振り向いてみれば、あなたのことじゃないわってジョルジュはからかうし!」

「じょるじゅ……?」

「あ、えと、ほら。そーそーとか呼ばれてる金髪のぐるぐる髪の女だよ」

「わっ……そんなこと言ったら、めーなの! そーそーさまはこの大陸の覇王さまなんだよー!?」

「う……で、でもさぁ。みんなそう言うけど、俺のこといっつもからかってくるんだぞ? 遊び甲斐があるー、とか、いじめ甲斐があるー、とか言ってさぁ。覇王さまってもっとこうさぁ、カッコイイイメージの方が強いじゃんか」

「いめーじ……?」

「うぅう……ああもう、なんでわからないのかな。どこなんだよここ。たいりく……? 日本語はわかるのに、ワケがわからないよ……」

 

 子供の悩みなど軽いものと様々な人が思うだろうが、子供はこれで考えていたり見ていたりするものだ。

 自分が知らないことを子供に問われた瞬間から、大人はもっと身構えるべきだろう。

 しかしながら大人に訊くという行動があるように、子供同士で話していても答えに辿り着くことは稀でもあるので、一度教えたくらいで覚えきることも稀───……と油断すると痛い目を見る。

 家族に教えてもらったことを得意げに話し、それが間違いであることを恥とともに知った瞬間の子供の恨みは相当だ。

 ……ちなみに。

 子供は大人が思っているよりもエビフライなどが好きではない。マジで。

 

「どこ、って……ここは都だよ?」

「みやこ…………それでいっか。うん、都だ都! じゃあ璃々、何して遊ぶ? 今日は俺休みらしいから、いっぱい遊べるんだぜ~?」

「おやすみ? へぇえ、一刀くんってもう働いてるんだー、えらいんだねー」

「え? 偉いかな……そ、そっか。偉いか。へへへ……あ、それでな? なんかねーちゃんがさ……貴様は子供のうちから“かろーし”でもする気かー、とか言ってきて。かろーしってなんだ? 家に住んでる老師さま?」

「えっと……働きすぎて死んじゃうこと、だよ」

「うえっ……! そ、それはヤだな! よし休む! 俺休む! だから遊ぼうぜ璃々!」

「……あれ? それって休むっていうのかなぁ……」

「な~に言ってんだよっ! 休みってのは遊ぶためにあるんじゃんか!」

「? ?」

 

 ともあれ、少年は少女の手を取り駆け出した。

 許可を貰って街に出て、一緒に来ることになった華雄とともに騒ぐ。

 最初はキリっとしていた華雄だったが、いつぞやの子供とともにベーゴマをすることになると、やたらと一刀と戦いたがり……勝利を得るや、子供そのものと言っても納得出来るほどに喜び燥いでいた。

 

「くぅうっ……お姉! もう一回だ!」

「ふふふはははははは! はっはっはぁっ! いいぞ来い! 日々鍛錬を重ねた私に、もはや敗北の文字などぬああああああああっ!?」

 

 そして再戦時にあっさり負ける。

 妙に力んだために引きが上手くいかず、回転足らずで弾かれてゆくベーゴマが、彼女にはスローモーションで見えた。

 

「よっしゃ勝ったぁ!!」

「いぃいいいいやいやいや今のは何かの間違いだ! そう! これは三本勝負! 次で勝敗が決まるんだ! 次で!」

「よぉっし解った! じゃあ次で決着だかんなお姉!」

「打ち負かしてくれるわぁあああっ!!!」

「負けねぇぞぉおおおおっ!!!」

 

 のちに、その状況を見た都の人々は言う。

 誰がどう見ても、子供が二人で遊んでいるようにしか見えなかったと。

 

「ぬぐっ!? ば、馬鹿な!」

「よっしゃ俺の勝ちぃ!」

「焦るな! まだ一回残っている!」

「え!? なんだよそれ! 俺が二回勝ったんだから俺の───」

「三回、と言ったぞ? つまり次に私が勝てば同点。決着にはならん!」

「ず、ずっこいぞお姉! そんなの屁理屈じゃんか!」

「だ、黙れ! お前も男ならば当たって砕けろ!」

「へーんだ! 男女差別なんて、戦いの中で口走る方がどうかしてるんだいっ! だから男とか女とかなんて関係ないんだよーだ! でも勝つのは俺だから受けて立つ!!」

「よくぞ言ったぬぉおおおおおおおおおっ!!!」

「ちぇええええええええぃいいっ!!!」

 

 叫び合う男女の図。

 しかしそこにはもはや老若男女の差別はなく、戦なのだから勝たねば死ぬといった迫力を身に宿し、二人は戦い続けた。

 途中で璃々も混ぜ、遊んで遊んで遊びつくし、様々なことをしている内にとっぷりと夜になり───くたくたになって部屋に戻ると、何故か腕を組んで黒いオーラを放つ覇王さまを発見した。

 

「あれ? ジョルジュ?」

「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう! ……それより一刀? 私はあなたに休みなさいと、そう言った筈なのだけれど?」

「おうっ、休んだぜっ! おかげでクタクタだー!」

「……あのねぇ一刀。それは休んだとは言わないわよ?」

「? なに言ってんだよジョルジュ、休みの日に遊ばないで、いつ遊ぶんだ。休みってのはなぁ、普段出来ないことを一日かけて思いっきりやるためにあるんだぞー? じいちゃんの受け売りだけど」

「………」

「んぁ? ……あ、あれ? もしかして違うのか? 俺、じーちゃんに騙された!? くそうじーちゃんめ! どうせまた騙された俺を思って、ムヒョヒョヒョヒョとかヘンな笑い方してるんだ!」

「間違ってはいないわよ。ただ、疲れた体を休ませるために休みを与えたの。だというのにくたくたになるまで遊ばれては、休みをあげた意味がないわ」

「そんなの風呂入ってぐっすり眠れば治るじゃん」

「………」

「?」

 

 子供の体力回復能力は凄まじい。

 とはいえ、彼女的にもいろいろと考えることはあったのだ。

 子供の内に様々を学ばせるのはとてもいいことだ。

 そうすることで、元に戻った時の彼がどのようになるのかはとても気になる。

 だからこそ、休みになれば遊ぶだけの状態になる癖がつくのは困る。サボリではないだけマシではあるものの、休みの度に遊びに行かれては……いろいろと都合が悪いのだ。

 というか、この子供はいつになったら戻るのか。

 各国の将が来る度に可愛がられ、学び、遊んでいる。

 それが子供らしいのかといえば、学んでいること自体が既に子供らしくない。

 戦が終わった世界で武を学び戦略についてを学ぶというのはどうなのか。

 けれども少年はそれが格好良く思え、まるで抵抗なく学んでいっている。

 すぐに折れると思っていたのに、どういう心境の変化があったのか。

 

「とにかく。休みなさい。遊ぶなとは言わないけれど、限度というものを覚えなさい」

「……ジョルジュは説教ばっかだなー。そんな、眉間に皺ばっか寄せてて楽しいのか?」

「だからじょるじゅじゃないわよ! そして誰の所為で怒ってると思っているのよ!」

「…………?」

「……、」

 

 戸惑いののち、自分を指差す少年に、華琳は頷いてみせた。

 少年はぽかんとしてから、どこかくすぐったそうに笑って言う。

 

「なんだよ、もしかしてジョルジュって俺のこと好きなのか?」

「なぁっ!?」

 

 それはカウンターだった。

 およそ自分が知る北郷一刀ならば言わないであろうことを、こともあろうに子供とはいえ北郷一刀が言ってみせた。

 付き合いが長ければ会話の流れというものも理解出来てくるものだが、こんな流れは初めてだったと言える。

 

「あ。赤くなった。なんだ、ジョルジュも結構可愛いとこあんじゃん」

「なっ、だっ───………、───……誰が、可愛いのかしら?」

 

 努めて冷静な自分を作り上げる。

 大丈夫、子供の戯言だ、冷たい心で向かえればどうということは───

 

「ジョルジュって言ったじゃんか。俺、お前ってただ怒ってるだけのヤツかと思ってた」

「だからじょるじゅではないとっ───…………あぅう……!」

 

 子供相手に何を向きになっているのかという考えと、それでも相手は一刀なのだという考えとが頭の中で踊っている。

 だがここで彼女は気がついた。

 

(……ここで大きく否定などすれば、のちの一刀に影響が出る……?)

 

 北郷一刀の鈍さは異常だ。

 ずかずかと歩み寄ってくるくせに近寄ればひらりと躱し、言葉にすれば難聴になる。

 動きを封じて間近で言ってやらなければわからないくらいに面倒な男だ。

 ならばどうすればいいのか?

 ……子供のうちにそういうことを刷り込んでおけばいいのでは?

 

「───一刀」

「ん? なんだよ」

 

 少年は自分の寝台の上に胡坐をかき、華琳を見つめる。

 そんな彼に、彼女は言った。

 

「これは命令ではなくお願いであることを先に言っておくわ。……他人の言葉にはよく耳を傾けなさい。人から送られる好意を疑ってはいけない。たとえそれが複数からのものであっても、受け入れられる男こそに到りなさい」

「…………いたる?」

「辿り着きなさいってことよ。女性の誰かが自分を好きだと言ってきたなら、受け止めてあげること。もちろん自分が相手をどう思っているかもよく考えた上でよ。見境なしは許さないわ」

「? なんでジョルジュが許さないんだ?」

「じょるじゅじゃないと言っているでしょう。これは覇王としての願いよ」

「……それって命令じゃ」

「願いよ」

「………」

「………」

「なージョルジュー、お前せっかく可愛いのに、なんで怒ってばっかなんだ?」

「怒らせる存在が目の前に居るからでしょう? そうさせたくないのなら、もっと落ち着きを見せなさい」

「そっか。ジョルジュは俺のこと嫌いなんだな」

「結論を急ぎすぎるのはよくないことよ。落ち着きを見せなさいと言っただけでしょう」

「落ち着くのなんて大人になってからでいいじゃんか」

「………」

「………」

「そっかわかったぞ! お前、俺を自分好みの男に育てる気だな!?」

「!?」

 

 あながち間違っていないから、大変に困ったそうな。

 

 

 

【言葉にするのは思っているよりも難しい。様々な面で】

 

 翌日。

 休みも終わり、再び鍛錬や勉強……というところで、声をかけられた。

 

「一刀くん、ちょっといいかしら」

「んあ? あ、紫苑おば───」

「───おば?」

「ヒィッ!? しっ……紫苑、ねー……さん?」

「ええ、おはよう」

「お、おぉお……おはよう……ございます」

 

 おばさん発言に光り輝いた眼光を前に、彼は瞬時にそれが禁句であることを知った。

 正直に生きると言っても、命は惜しいもの。すぐに無難な“ねーさん”で命を保った。

 

「それで、えと。なに? 俺、これから華雄お姉と鍛錬があるんだけど」

「少しでいいからお話できないかしら。昨日、璃々がお世話になったそうだからお礼がしたくて」

「んー……わかった」

 

 一つ。相手の話はきちんと聞くこと。

 華琳に言われたことを思い出した彼は、とりあえず耳を傾けた。

 

「昨日は璃々と遊んでくれてありがとう。璃々ったら部屋に戻ってきてから、ずっと楽しかったって同じことを話してくれて」

「俺も楽しかったからいいよ。ていうか、紫苑ねーさんもここに住んでるんだっけ?」

「ええ。少し見てみたいものがあったから」

 

 穏やかに微笑みながら、少年一刀を見つめる紫苑。

 随分とほっこりとしている。

 

「ふーん……でもまあ、お礼言われたくて遊んだわけじゃないから、べつにいーよ。璃々は友達だからな」

「……そう。ありがとう」

「だから、いいってば。他にはない? ないなら行くけど……。お姉、遅れるとうるさいんだ」

「あ、もう少し。……一刀くん、好きな子は居る?」

「うぐっ…………~……い、居るよ」

「あらあら、本当? それは誰?」

「な、なんでそんなこと教えなきゃなんないんだよっ! 自分に正直に生きるって決めたからって、なんでも答えるってわけじゃないんだぞっ!?」

「……そうね。ごめんなさい」

 

 顔を真っ赤にして怒る姿に、思わず謝る……が、顔は笑っていた。

 それはまるで、近所の悪ガキの恋を暖かく見守るような笑みだったという。

 実は既にその相手が美羽であることは知ってはいるものの、本人に確認を取ってみたかった。恐らくは聞いた通りなのだろう。

 

「じゃあ最後に。もし璃々があなたのことを好きになったら、どうする?」

「きちんと向き合って話をする! よくわかんないけどジョルジュにそうしろって言われたし、相手の言葉を受け止めないのはなんか卑怯だから受け止める!」

「あらあら……ふふっ」

 

 頭の中が魏のことばかりだった青年の頃とは大違いかもしれない。

 そう思って、彼女は笑った。

 これで青年に戻ったらどうなるのだろう。

 想像してはみるものの、鮮明にはいかなかった。

 

「なんかな? 言われた言葉に対して、“ん? なんか言ったか?”とか言うのは卑怯らしいんだ。聞こえてるのにそれ言うのはひどいよなっ! 聞こえてないなら、聞き直そうとしてるだけいいと思うけど」

「…………あらあら」

「でもさ、それって“なんか言ったか?”って訊き返されるほど小さく言ったほうもひどいと思わない? 俺、漫画で読んだことあるけどさ、あれってちょっとずるいよな。なんか言ったか~って訊き返してるのに、女はいっつも“ううん、なんでもないっ”て誤魔化すんだ。なのに男だけが悪いことになるんだぜ? ずっるいよな~」

「うっ……」

 

 少し耳が痛かった。

 確かに訊き直そうとしているのに、なんでもないと返すのは卑怯だ。

 けれど、ならば……たとえば意中の相手に好きだと囁いて、訊ね返されたならもう一度言えるのか。それを少年に訊ねてみると、

 

「出来るに決まってんじゃんっ! みんな根性が足りないんだって! もし俺にやれって言うなら今すぐにだって出来るぜっ!?」

 

 子供というのは調子に乗りやすいものである。

 大人に出来ないことを出来ると言いたがるのも子供ならではなのだが、この場合は時と場所がまずかった。

 

「あら、それはすごいわ。それじゃあ見せてくれる?」

「え゛っ……!?」

 

 ぎしりと固まる、踏ん反り返っていた少年K。

 まさかそう返されるとは思っていなかったが故に、目を泳がせながらもなんとか逃げ道を探す。そ、そう、そういえば自分は鍛錬に行く途中だった。それを言えば───

 

「あら美羽ちゃん、丁度いいところに。ちょっといいかしら」

「むぁ? なんじゃ?」

「うひぃえっ!?」

 

 そしてそんなところへ通りかかる意中のお方。

 少年の心に絶望の二文字が浮かぶが……“やると言ったからには逃げはせぬ!”と無駄に雄々しく覚悟を決め、少女の前にずんと立つと、真っ直ぐに目を見て自分の思いを解き放った。

 

「え、袁術! 俺、お前のことが好きだ!」

 

 溜めもなにもあったもんじゃない、しかし心からの告白。

 付き合ってくれなんて言葉も出ない子供の、精一杯が放たれたが───

 

「うみゅ? なんじゃと?」

 

 いきなりのことに耳を疑うか、はたまた理解が追いついていないらしく、彼女は彼に首を傾げてみせた。

 見事に先ほど言っていた状況の完成だ。

 紫苑が「あら……」と少し焦った様相で一刀を見るが、しかし彼は怯まなかった。

 

「う、ぐっ……な、何度だって言ってやる! 俺はうそなんてつかないんだからな! 俺は! 袁術が! 大好きだ!」

 

 顔は真っ赤に、けれど自棄にはならない程度の理性を胸に、彼は叫んだ。

 今度はきちんと耳にした少女はといえば、しばらくぽかんとしていたと思えば急にニンマリと笑い、くすくすと笑いだす。

 

「お主、妾に惹かれるとは中々に見所があるようじゃの」

「お、おおっ! 見所───見所ってなんだ?」

「妾のことが気になって気になって仕方がないときたか。うははははっ、まったく仕方のない孺子っこよのう」

 

 にんまりだった顔がどんどんと緩んでゆく。苦笑した紫苑が止めに入るほどに。

 そしてそこまで言ってない。

 

「しかし残念じゃったの。妾は、妾の全てを主様のもとへ置くと決めたのじゃ。お主のような孺子っこには興味なぞ微塵もないのじゃ」

「えぐぅうっ!?」

 

 言葉の槍が、彼の心を貫いた。

 さすがに意地悪な振りをしてしまったと、紫苑がフォローに入ろうとするも、

 

「じゃ、じゃあ! 俺が主様とかゆーのより偉くなったら!?」

 

 自力で立ち直った彼を前に、歩み寄ろうとする足を止めた。

 

「む? む~……ありえぬと思うが、そもそも偉さだの男らしさだのの問題ではないでの。妾は主様にこそ様々を学び、ともに歩きたいと思ったのじゃ」

「え、え? じゃあ……つまり?」

「うみゅ? ……わからんやつよの。主様以外となど冗談ではないと言っておるのじゃ」

「はぐぅうっ!!」

 

 言葉の槍-第二章-。

 彼は今度こそ足を震わせ、膝からズシャアと通路に倒れた。

 ……いや、辛うじて手をつくことで、転倒は免れた。

 

「っ!」

 

 その状態から顔をバッと持ち上げ、立ち上がると再び少女を真っ直ぐに見つめる。

 

「そ、それでも好きなんだ! 誰が諦めるもんか! だったらその主様とかいうのに戦いを挑んで、俺が勝てば───!」

「あぁ……」

「ふほほっ、無理じゃ無理じゃ」

 

 少年の言葉に紫苑が頬に手を当て困った顔をし、少女は口の傍に手の甲を構えて小さく笑う。なんだか馬鹿にされた気がしてカチンときたが、怒鳴るばかりの人は自分自身が嫌いだから、叫ぶのだけは耐えた。

 

「お主、甘寧にも華雄にも勝てておらぬのじゃろ? 主様はその二人よりも強い、呂布に勝ってみせたのじゃからの。お主とは、あー……じ、じげん? が違うのじゃ! うはーははははは!!」

 

 拳をエイオーと突き上げ、まるで自分のことのように笑う少女。

 そんな彼女を前にした少年はといえば、目の前がぐにゃりと歪むのを感じた。

 泣いているわけではなく、そんな強いヤツが恋敵であることに眩暈を覚えた。

 ……相手が自分自身であるなどと、恋に突っ走る少年が知りえる筈もないままに。

 

「う、うぅうう……!! だ、だだだだったら、だったら……!」

「か、一刀くん、もういいわっ、もういいからっ」

 

 カタカタと小刻みに震える少年の様子に気づいた紫苑が、一刀を止めにかかる。

 しかし少年は“自分に正直に生きる”を貫かんとし、さらに言葉を重ね───!

 

……。

 

 ───コーン……

 

「…………」

「あ、あの……か……一刀……くん?」

「…………」

 

 数分後、通路の欄干の傍に頬擦りするような姿で、へたり込んでいた。

 どれほど言葉を連ねようとも相手にすらされず、彼は恋に敗れた。自分に正直に生きるという意志を貫くことには成功したものの、ダメージが酷すぎた。

 既に美羽は七乃のもとへと歩み消え、紫苑は一刀を慰めているのだが……彼自身は「ツメタイ……柵ガツメタイ……」とうわ言のように呟き、欄干にしがみついたまま動こうとしない。

 しばらくして華雄が探しにきたのを見て紫苑は安堵するも、強引に引っぺがされて連れて行かれる姿に、相当な罪悪感を覚えたのは言うまでもなかった。

 今度、璃々と一緒に何かを食べに連れていってあげよう。そんなことを、通路を歩きながら考えた。

 

「さあ、一刀よっ、今日も鍛錬だっ」

「うおおおおおおおおお!!!」

「おおっ!? なんだ、元気があるではないか!」

 

 さて。一方の中庭では、少年一刀が華雄に促されるままに叫んでいた。

 一種のヤケクソである。

 もはや何も失うものなどない、愛など要らぬといった状況でもあり、涙腺に血が溜まるのであれば血の涙だって流せただろう。無理だが。

 

「お姉! 俺、一歩大人になったよ! 頑張れば好きになってもらえるなんて幻想だったんだ! 俺なんかがモテるだなんて考えること自体が間違ってたんだ! だから俺、強くなるんだ! 好きになってもらえなくてもいいから、“お友達”を守れるくらい強くなるんだ!」

「お、おぉお……? どうしたんだ、そんな血の涙すら流せそうな形相をして」

「強さを見せるためには“主様”を倒さなきゃいけないのに、倒したら嫌われるしそもそも敵わないとか言うし、もうどうすればいいのかわからないんだよ! 恋なんてっ……恋なんてぇええええっ!!」

「……よく解らんが、強くなるのはいいことだ。うむ、お前のその考え方は間違いではないな。難しく纏めることなどないのだぞ? ようは“力”に理解のある伴侶を得ればいい」

「? はんりょってなんだ?」

「夫婦となるための夫か妻のことだ。お前が口にするのなら、妻ということになるな」

「力に理解のある妻…………そ、そっかなるほど! そういえば袁術は力って感じじゃなかったもんな! でも強ければ好きになってくれるヤツなんて居るかなぁ。好きになる相手が自分より強いと、なんか悔しくない?」

「ふふっ、なにもわかっていないな……。それを認めることが出来る相手こそが、理解があり包容力のある存在というものだろう」

「───!」

 

 少年は華雄の言葉に“理解を得た!”といった表情になり、こくりと頷くと木刀を強く握った。

 主様という相手も武器が木刀らしいので、これで打ち負かすのが最近の目標となっている。そういえばこの木刀、じいちゃんが持っていたのと似てるなーとか思いつつも、目標になっている。

 もちろん簡単に勝てるとは思っていないので、必要になる鍛錬は生半可なものではないだろう。けれどそれに耐えてこそ、見えてくるものがある筈だと彼は信じた。というか信じなきゃ恋する気持ちを放棄しそうで怖かった。

 そもそも北郷一刀という男。広く浅くといったA型典型の血液的性格関係があるかどうかはともあれ、物事に深く入り込まない性格をしている。剣道の実力も中途半端であり、知識面でも広く浅く。三国志についての知識はそれなりではあったものの、一般が持つ知識に多少の上乗せがされた程度だ。

 人付き合いで言っても押しに弱いところがあり、女性との関係のそもそもが相手に押し切られる形になっているのがほぼだ。それを知る者からすれば、子供とはいえ北郷一刀自身が告白に走るというのは貴重な場面ではあるものの、ある意味で初恋は実らない。

 いっそぐいぐいと引っ張っていってくれるような相手こそが似合っているのだろう。だからこそ、華雄の言葉に素直に頷いた。

 弱った心に一日かけてみっちりと叩き込まれる熱き心(武の心)は、出来たばかりの目標に近づくための近道だと彼の心を鷲掴みにし、思春が見回りの過程で中庭に訪れた頃には……

 

「よし復唱!」

「武・スバラシイ! 武・サイコウ! 突撃イノチ! ソンサクオノレ! ソンサクオノレ!」

 

 一人の小さな洗脳戦士が出来上が───

 

「なにをしている貴様ぁああああああっ!!!」

「うわっ!? 思春!? い、いやこれはだなっ!」

 

 ───る前に、止めが入った。

 思春の怒声により、子供の素直さに調子に乗っていた華雄がハッと正気に戻るのと、慌てるとともに頭の中に様々な言い訳が思い浮かぶのはほぼ同時……ではあったものの、言い訳が放たれるより先に正座と説教が始まった。

 のちに拳骨を頭頂に落とされることで正気に戻る一刀だが、

 

「ねーちゃん、俺……強くなるよ! 突撃っていいよな! カッコイイよな!」

「………」

「い、いや…………すまん」

 

 武に対する意識の全てが消えることはなかったそうな。



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92:IF/シャイニング・ゲンジ②

【いやまあ、それでも子供ですから】

 

 子供が駆ける。

 知らぬ世界は冒険ばかり。

 子供になってから日は経つものの、知らない場所の方が多いこの世界で、彼は四肢を動かし駆け回っていた。

 

「待って~一刀くん~! はやいよ~!」

「なにやってんだ璃々ー! 駆けっこ早くなりたいっていったの璃々じゃないかー!」

 

 早朝より紫苑からの誘いで、昼食は何処かの飯店で食べることが決定。

 朝は既に食し、その腹ごなしもかねての駆けっこ。

 中々に広い中庭を駆ける二人を、紫苑が穏やかな笑みを浮かべて見守っている。

 男の子を産んだなら、きっとこんな光景が普通に見れたのだろう。

 そんなことが頭の中に自然と浮かぶと、昨日はそんな気持ちの浮つきもあって意地悪をしてしまったのかもしれないと結論を得た。

 璃々は元気ではあるが、妙なところで少し大人びている。

 その割りに少年一刀はなんというか素直で、言われたことに“うん”と頷く子供。

 時々ひどく大人びた印象を受けることもあるものの、それが精一杯の背伸びであることに気づくと可愛くて仕方がなかった。

 昨日の意地悪はその延長だろう。

 

「やっぱ氣がないとだめなのかな。ん~っと……ほら璃々、手ぇ貸せ」

「は、はぅっ……はぅう…………う? 手……?」

 

 走り回って息を乱している少女に、少年は手を差し伸べる。

 そこに乗せられた手をきゅっと握ると目を閉じて、息を整えていた。

 ハテ、と紫苑が首を傾げるが、それがどんな行為なのかなどわかるわけもない。

 ただなんとなく、見る人が見れば手を差し出して(かしず)く人のように見えなくもない。

 ……傅くというか、疲れて首を下げている我が娘なのだが。

 

「ん、んー……あった!」

「えぅ?」

 

 さて。

 一刀が璃々の中の氣を探り当てるのと、紫苑がそういえばと思い当たるのとはほぼ同時だったわけだが、まさか自分の娘が自分の主と同じ人に氣を解放させられるなどと思うはずもなく。

 少女の中に眠っていた氣はこの時、ぽんと解放されたのだった。

 

「わっ、わわっ? な、なに……?」

「これが氣だ。俺もねーちゃん……思春ねーちゃんにやってもらった時は驚いたけど、これ使うと走ってもあんまり疲れないんだぜっ?」

「へぇえ、すごいねー!」

「すごいだろー!」

「………」

 

 喜び燥ぐ子供たち。

 口を開け、文字通りポカンと停止する母上様。

 “そんな、簡単に……!”とツッコもうとするも、二人は早速駆けっこを始めてしまった。こうなると、捕まえるのも一苦労だ。

 

「………」

 

 諦めて東屋の椅子に座り直すと、駆ける二人を眺めた。

 元気なのはいいことだ。わざわざそれを止めることもないだろう。

 何か忘れているような気もするけれど、我が子の楽しげな顔を見ていたら───

 

「───はぅ……」

「璃々ぃいいいいいいっ!!?」

 

 ───絶叫した。

 考えてみれば覚えたての氣が長続きする筈もなく、早速体の中の氣を使い果たした璃々が倒れると、母は地を蹴り即座に駆けつけた。

 

「うわぁ璃々!? 璃々!? もう氣が無くなったのか!?」

「あぅうう……なんか……目がぐるぐるするぅう~……」

「り、璃々……平気? 痛いところは───」

「あ、大丈夫だぜ紫苑ねーさん! 俺、こういう時にすることもねーちゃんに教えてもらったから! えーと確か手を掴んで……」

 

 どんと胸を叩いた一刀が璃々の手をきゅっと握り、目を閉じる。

 それから氣を右手に集中させると、それを引き出す際に覚えた璃々の氣の色に変えて、静かに流し込んでゆく。

 

「ん…………あ……? あれ……? あったかい……」

「ど、どーだっ!? 俺もねーちゃんにやってもらってぇえぁぉおおぅ……」

「え? あら……!? 一刀くんっ!?」

 

 そしてまあ、一刀も氣を使えるとはいえまだまだ覚えたての子供。

 上手く調節出来ずに送り込みすぎてしまい、ぼてりと倒れた。

 

「一刀くん!? しっかりっ! ああ、氣を送りすぎてしまったのね……!?」

「う……うおー……だだ、だいじょ、ぶ、だいじょぶ……。“主様”はこれをやっても全然平然としてるって……ねーちゃん言ってたから……。お、俺だって平気なんだからなー……?」

 

 んしょ、と倒れた体を起き上がらせる。

 紫苑が寝ていなさいと言うが、なんとなく璃々が見ているところで倒れたままなのは嫌だった───……が、辛いと思ったら素直に辛いと言ったほうがいいかなと改め、ぽてりと倒れた。

 格好つけの自分は捨てたつもりだ。

 それでいろいろな人に情けないとか思われるならそれでもいいかなと。

 知っていてくれる人が居るだけで十分だし、いいよな。……そう思って、ぽてりと。

 しかし丁度そこには上半身を起こした璃々が居て、彼の頭は璃々の膝の上へと落ちた。

 

「う゛……あれ? ごつごつしない……?」

 

 ごすんと草の上に頭を落下させることになっても、どうでもいいやぁと脱力したところにやわらかい感触。見上げてみれば、きょとんとした璃々の顔。

 けれどその顔もすぐにふにゃりと和らぎ、「わぁ、膝枕だー」なんて暢気に笑った。

 反射的に退こうとしたのだけれど、その体はくすくすと笑う紫苑と、にっこりと笑う璃々によって押さえつけられた。

 

「えぅっ!? あ、や、え? な、なに?」

「うふふ……疲れているのなら休まないと。それに、倒れたのに勢いよく立ち上がるのは、体によくないのよ?」

「えっ……マジでか!? じゃあ休む!」

「ぷっ……く、ふふふっ……!」

 

 笑ってしまうくらいに素直な反応に、紫苑は自然と笑った。

 璃々も笑いながら、目を瞑る一刀の頭を撫でている。

 ふわりと静かに吹く風が心地よく、いい天気であることも手伝って、とても穏やかな時間を過ごせた。

 ああ、本当に……男の子を産んでいたら、こんな日常を過ごしていたのだろうか。

 目を細め、ぽんぽんと仰向けに寝転がっている一刀の腹部を撫でる。

 びくりと体が震えて、一刀が目を開ける。

 しかし別に危険なことがないと判断すると、目を閉じて呼吸を整え始めた。

 まるで犬か猫のようだと紫苑は思った。

 

「つんつん~♪」

「うあー、やめろー……」

「あははははっ」

 

 娘が一刀の髪の毛を摘んで遊んでいるのを見て、顔を綻ばせる。

 止めようかとも思ったが、言葉こそ棒読み的なアレだったものの、嫌がってはいない。

 青年の時もそうだったが、どうにも小さな頃からのクセっ毛のようで、ところどころでハネた髪の毛を璃々に摘まれ、遊ばれている。

 しかし剛毛なのかといえばそうでもない。さらりと柔らかい髪だ。ただしクセが強い。

 そんな髪を静かに撫でていると、しばらくして聞こえてくる寝息。

 どうやら本当に眠ってしまったようで、璃々が呼びかけても返事はない。

 

「あうー……」

「璃々、疲れた?」

「足がしびれてきたー……」

 

 ふにゃりと泣きそうな顔をする我が子の足から少年をどかし、今度は自分の膝へ。

 随分と軽い頭をとすんと乗せると、何故だか自然と笑ってしまった。

 

「えへへー、璃々もー♪」

「はいはい」

 

 こてりと寝転がった璃々が、一刀の隣に頭を乗せる。

 同じ膝の上の娘は機嫌良く“にこー”と笑っている。

 そんな少年少女の頭を撫でる紫苑は軽く鼻歌なぞを歌いつつ、静かな時を過ごした。

 こんな調子で日々を過ごすことが出来れば、それはそれで幸せなのだろうなと考えながら。そして二人が大人になって結婚でもしたら……などという未来を想像してみると、くすぐったくて笑ってしまった。

 それはきっと叶わないことだろう。

 なにせこの少年はじきに青年に戻る。

 璃々が大人になった時に彼を好きになるかどうかもわからない上に、他国の将との付き合い云々だけでも物凄く奥手な少年だ。きっと年の離れた璃々のことは妹のように見るだろうし、それは成長してもきっと変わらない。

 なら今のうちに仕込んでおこうか、とも考えなかったわけでもない。

 

(………)

 

 考えなかったわけでもないのに、この少年はそう考えるより先に美羽に恋をした。

 こっぴどく振られてしまいはしたが、見事な振られ様を見て……その。微笑ましいと思うよりも惨たらしいと思ってしまった自分は、大人としてどうだろう。

 頬に手を添えてハァとつく溜め息は、なんのカタチも残さないままに暖かな景色に消えた。

 

 

 

【そして、朱のあの日に辿り着く】

 

 黄親子が蜀に帰ってから少し経ったある日の中庭。

 

「フンハァフンハァッ!」

 

 じっとしていてもじわりと汗が出る陽気の下、少年は連続でポージングなぞをやっていた。もちろん意味はない。意味はないが、なんか強くなれる気がしてやってみた。

 

「ヘンだなぁ。アニメの角い金髪男は、こうするとビシバシって音が鳴ってたのに」

 

 子供は様々から嘘と真実を学ぶ。

 今回彼が学んだのはもちろん“嘘”でございます。

 

「…………!」

 

 さて、そんな戸惑いを浮かべる少年の傍に、今回新しくこの都を訪れた将が一人。

 体中に傷を持ち、すこしキツ目の目つきをしている女性。そんな彼女は現在、小さくなった己の隊長を前に、目を輝かせて興奮してらっしゃった。

 

「あ、あのっ、隊長!」

「だーかーらー! 俺は隊長じゃないって言ってるだろー!? 一刀って呼んでって言ってんじゃんかよぉ!」

「い、いえそんなっ……たた隊長を名前で呼ぶなど……! わわわ私には……!」

「楽進はなんていうか、へんだな。なんかずっと俺のこと見てるし」

「いえその……あの。隊長? 隊長はその、子供の頃から鍛錬を?」

「隊長じゃないったら……。子供の頃からって、おかしなこと訊くなぁ。今俺子供じゃんか。子供の頃から~って、赤ん坊の頃からってことか? …………覚えてないなぁ」

 

 女性、楽進こと凪は鍛錬をする元隊長を見て、目を輝かせている。

 カタチとしてはキリッとした鋭い目つきなのに、輝かせている。器用だ。

 

「な、なぁさー……じぃっと見られてるとやりづらいんだけどさぁ……」

「な、ならば一緒に! どこからでも打ってきてください隊長!」

「だから隊長じゃないったら! ……今度、ジョルジュの名前、ちゃんと聞くかなぁ」

「さぁ隊長! どどんと! 思春殿や華雄殿ばかりが将ではありません! 胸を張るのも図々しいかもしれませんが、私も戦ならば多少の自信が! ななななななのでそのっ、お役に立てたなら是非っ、是非そのっ、あのっ、ああああねっ、姉とっ! そのっ!」

「……? 姉? ねーちゃんって呼べばいいのか? なんかここに来るやつらって、俺にねーちゃんって呼ばせたがって───」

「───隊長。これから私が持つ、氣に関する全てを伝授します。いつでもいいです、どこからでも打ってきてください───存分に!」

「ヒィッ!?」

 

 見上げ、ねーちゃんと呼んだ途端、凪の目が“キリッ”では済まないほどに引き締められ、表情から姿勢、纏う氣に至るまでの全てが凛々しく整えられた。それはもう、思わず悲鳴をあげてしまうほどに鋭く冷たく。

 しかしながら氣を教えてくれるのならと、彼は地を蹴り全力で向かってゆき─── 

 

 

   ギャアアアアアアアアアア……!!

 

 

 ……言葉通り、全てを伝授というか叩き込むような勢いでボッコボコにしごかれた。

 

……。

 

 目が覚める。

 どうやら気絶していたようで、しかし体に痛みは残っていない。

 起き上がってみれば傍には凪が居て、脈絡もなく「続きですねっ!」と散歩を喜ぶ犬の尻尾を表すような笑顔で仰った。

 その前にどうして痛くないのかを問おうとしたが、問答無用だった。

 

「隊長は氣の繰り方に妙な癖がありません。それを上手く生かして鍛えていけば、回りくどい練り方をしなくても錬氣が出来ます」

「う、うぇっ……へっ……へはっ……はぁっ……! はぁっ……!」

 

 しごかれて疲労困憊。

 なのにその体に凪が触れると、少しののちに体力が回復する。

 そして言うのだ。「さあ、続きを!」と。

 少年は思った。このお姉さまはいったい自分に何を望んでいるのだろうかと。

 最強の男にでもしたいのだろうか。

 それともただ一緒に鍛錬をしたいだけなのだろうか。

 氣脈に氣が満ちるのを感じつつも、心はぐったりな彼はのそりと空を仰ぐと氣の解放に集中することにした。

 なんのかんのありながらも、氣の使い方を学ぶのは楽しい。

 自分はどうにも放出系が苦手らしいと思春に言われているが、なんとなくそろそろ夢にまで見たかめはめ波が撃てそうな気がするのだ。

 氣の鍛錬でそれが可能になるならば、こんなぐったりな心なんて飲み込んでくれる。

 少年が頑張る理由など、たったそれだけで十分なのだ───!!

 

「いっくぞぉおおお楽進ねぇちゃん!!」

「はいっ! 隊長!!」

 

 そしてぶつかる。

 言ってしまえば鍛錬はしたことがあるものの、ぶつかり合う“仕合”のようなものはしたことがないこの二人。

 子供になってしまったとはいえそれが出来るやもと思った彼女の心には、もう止めるものなど存在しなかった。いつかは元の隊長に戻ると華琳様が仰っていた。そして、その前に子供の一刀に学ばせたことは大人になってもきっと引き継がれるとも。ならば妙なクセがつく前に出来る限りを学んでもらい、そしていつしか武でも自分を引っ張ってくれる隊長に至ってくれたなら! 少し寂しい気もするが、守られてみたいとも───!

 そんな葛藤が彼女を暴走させた。

 普段冷静で大人しい人が暴走すると怖いといいます。

 これはきっと、そんなことが実際に起こった、とある暖かな季節のこと。

 

……。

 

 で。

 

「隊長っ! 汗を拭きます!」

 

 その後はといえば。

 

「隊長っ! 食事です!」

 

 姉と呼ばれた凪は暴走に暴走を重ね───

 

「た、隊長っ! そのっ……お、お風呂に……!」

「うわぁあああっ!? ジョジョジョジョジョジョルジュッ!! ジョルジューッ!! 楽進がっ! 楽進がなんかヘンだーっ!! たすけてぇええええっ!!」

 

 風呂に連れ去ろうとしたところで叫ばれ、すぐに思春に止められた。

 

「少し落ち着け、馬鹿者」

「し……失礼、しました。目先の結果に欲を生むなど、隊長を慕う者としてなんという無様を……!」

「? 目先の……?」

「は、はい、その。華琳様が、隊長がこのままもとの姿に戻ったなら、今の記憶と経験もそのまま残るだろうと仰られて。ここへ来る前にも沙和や真桜にも言われました。頼れる姉のような存在であることを見せ付ければ、元の姿に戻った時にももっと頼ってくれるようになると……!」

「………………いや、あの、な。…………まさかそれが理由で、か?」

「隊長が都に住むようになってからというもの、魏は少々静かでして。そこに来て隊長が子供になったとの報せと、華琳様が都を取り仕切るという話。日に日に弱々しくなってゆく春蘭さまと桂花さまの様子は、見ていて痛々しく……」

「それと北郷を風呂に連れ込むのと、どういった関係がある」

「はい、あの……桂花さまが“幼い内から北郷を自分に夢中にさせておけば、あなたの帰還と同時に北郷も一緒に魏に戻ってきて、華琳さまから悪い虫も消え失せて一石二鳥よ”と……」

「………」

 

 思春、通路にて沈黙するの事。

 私たちはこんな相手に負けたのか……と思わず呟きそうになった。

 

「ひとつ訊くが……それはお前たちが望む北郷の在り方か?」

「いえ……なにせ子供の頃の隊長の姿など、自分は知りませんから……。どうすればあのままの隊長になってくれるのかなどわかりません。ならばいっそ自分らを好んでくれる北郷にしてしまえばいいと、桂花様が……!」

「……時々、本気で思うんだが。軍師を変えたほうがいいんじゃないか……?」

「………」

 

 凪は答えなかった。

 頭はキレるし、戦中は軍師としての腕も見事だった。

 しかしここぞという時の判断は華琳に負けるものがあるし、頭の中の判断基準が主に華琳と一刀であることにいろいろと問題がある。

 華琳には愛を、一刀には嫌悪をといったふうに、好きと嫌いとの最高最低で占められている。なにかしらの作戦中、華琳に危機が及べば華琳を優先させるだろうし、もう少しで何かが成功するという時に一刀が危険だと聞けば喜んでトドメを刺すことに参加、協力することだろう。

 この二つが無くなれば相当なキレものになるだろうに、別の意味でキレた軍師。それが筍彧という軍師だった。

 

「北郷とともに筍彧の授業を見たことがあったが、あれは授業とは呼べんだろう……華琳さまへの褒め言葉と、他への侮蔑の言葉しか吐けないのか、あいつは」

「さすがにそんなことは…………………………あ、ありません、はい」

「………」

「………」

 

 それ以上は口には出さず、目で語る。

 頭がキレるのは確かだし、案を出すことに専念してもらい、纏め役を別の者に担当させれば全て上手くいくのではと言おうとした思春も、それはそれで食い違いが出そうだと結論を出し、口に出すのはやめた。

 どのみち、個性がありすぎる者が強い立場に居ると、その下の者は苦労するものだ。

 

「ともかく。これをいじくりすぎるのはやめてもらおう」

「いえ。隊長のお世話は部下である自分が───」

「部下か、なるほど。そういった意味ならば、私も華琳さまに命じられた上に北郷に正式に登用された家臣だが」

「うっ……それは、確かにそうですがっ! その、嫌々やっているわけでは……?」

「嫌ならば嫌と言う。相手が主だろうと、その考え方は変わらない。そもそも“主の命令だから従え”という考え方を、北郷こそが納得していない」

「それは……はい、そういう方ですから、隊長は」

 

 どこか誇らしげに言う。

 そんな会話内容に挟まれている当の本人は、まさか自分のことだとは思わずに首を傾げていた。

 凪は小さく溜め息を吐く思春を真っ直ぐに見つめ、思春もまた、そんな凪の目から視線を逸らさずに向かい合う。

 双方、キリッとした表情だった。

 

「───では訊ねます。思春殿は、隊長のことをどう思っていますか」

「どう、とは、どういう意味でだ」

「こういった際は、問われて最初に浮かんだ言葉を口にするのが正直な言葉だと秋蘭さまから聞いています」

「………」

 

 ふむ、と考えを纏める。

 最初に浮かんだ言葉はなんだろうか。

 自分でもう一度、北郷をどう思っているのかと問うてみる。

 ……浮かぶ言葉はなかった。

 が、思い返された光景はあった。

 朱を背に振り向く男。

 いつかの日、ともに歩んだ朱の景色だった。

 

「っ……?!」

「思春殿?」

 

 思い返した途端に心に動揺が走る。

 どう思っているのか? それ自体に答えはない。なにせ思うより先に光景が浮かぶ。

 そこばかりが浮かぶなら、その時に感じた思いが答えなのだろうかと考える。

 ……さて、では自分はその時に何を思ったのか。

 

「………………、……~…………、……!?」

 

 思い出そうとするとどうしてか顔が熱くなる。

 頭の中にハッキリと映し出された光景を、その場でもう一度見た気分だ。

 “笑ってくれ、甘寧”と言われた。

 その笑顔を、朱を、思い出しただけで顔は真っ赤になった。

 何を思ったのかさえも思い出したら、抱きかかえられて“悪くない”と感じてしまったことも思い出してしまい、余計に顔の灼熱を感じた。

 そんな自分を見上げる凪に、なんと返せばいいのか。

 

「わっ……悪く、ない」

 

 一番最初に何を思ったかを口にしろというのなら、これだろう。

 そう思い、赤くなった所為で冷静さを欠いたままに口走った。

 

「………」

 

 言われた凪はといえば、しばし停止。

 悪くない? 悪くないとは…………隊長との関係が?

 顔を赤くして悪くない、などと言われるとさすがにいろいろと考えてしまう。

 以前の隊長ならば魏に貞操を、といった妙な信頼はあったものの、今はそういったものは無しで付き合ってくれという条件を飲みながら暮らしているのだ。

 しかも今は同じ寝室で寝ているという話も聞いた。

 

「あ、い、いやっ、勘違いをするな。別にあの男のをそういった意味で見る日々が悪くないと言っているわけではなく───」

「……いえ。むしろ自分はそういった意味で訊いています。隊長のことをそういった目で見ているのであれば、そうだと聞かせていただきたいのです」

「う……」

「………」

 

 真っ直ぐな視線は、思春が眉間に皺を寄せても逸れることはない。

 正直な気持ちを言えと言いたいのだろう。

 正直な気持ち───……女にだらしがないと聞いていた北郷一刀という魏の種馬。

 実際に会ってみれば仕事熱心ではあるし、魏のためならばと苦労も楽しむ男だった。

 なにより他国のためにも懸命に働く男だ。

 嫌いになれと命令されたとして、嫌いになれる部分を見つけるのは中々に難しい。

 好きな女性が居るのなら一人に絞れと言いたいところだが、困ったことに三国共通の意思として、三国の父、支柱という位置を認められてしまっている。

 

「………」

「思春殿」

「ぐ……、っ……ほっ……他の男に比べれば、なかなか骨のある───」

「いえ。他と比べず、隊長だけを見た意見を聞きたいのですが」

「~っ!?」

 

 僅かながらの逃げ道をあっさり塞がれた。

 ここまで来れば、適当なことを言うのが逃げであり、はぐらかしでもあることくらいは自覚できる。ならば言ってやればいいのだ。悪くない、ではなく……きちんと北郷一刀という存在を男として意識して、自分がどう思うのかを。

 

「………」

「…………あの。思春殿?」

 

 考える。

 しかし、なんだ。

 自分が相手を男として考えてみても、相手は自分を女として見ているのだろうか。

 何日も同じ寝台で寝ようと、手も出さなかった相手だ。

 その部分では既に警戒していないくらいに無害な存在。

 それはつまり、自分を女としてなど見ていないのでは?

 

「………」

「? なに? ねーちゃん」

 

 自分を見上げる少年を見下ろす。

 今は自分を“ねーちゃん”と呼び、様々な質問をしてくる探究心と好奇心の塊のような少年。氣の扱い方を教えてみれば、すぐに吸収してみせた不思議な子供だ。

 そろそろ川の中の魚の叩き方でも教えてやろうかと思っていた。

 そんな少年を見つめ、何を思ったのかといえば。

 

「か───…………一刀」

「ふぇ? ……ど、どうしたんだよねーちゃん。俺のこと、名前で呼ぶなんてことなかったのに。───はっ!? お、俺なにかヤバいことした!? いやいやしてないぞっ!?」

 

 名前を呼んでみれば、盛大に慌てる少年一刀。

 少年の反応を前に、言った本人は一度深呼吸をしてから大事なことを訊ねた。

 

「一刀。貴様は強くなれるか?」

「へ? 強く? …………そんなのあったりまえじゃんっ! 俺強くなるぜ? そのうちねーちゃんにだって勝ってやるんだからなっ!」

「その言葉に、嘘はないな?」

「もっちろんっ! ぜってー勝つから、そしたら俺がねーちゃんを守ってやるんだっ! 男女差別とかそういうんじゃなくて、ねーちゃんが難しい顔しなくて済むように、安心させてやるよっ!」

「───…………」

 

 真っ直ぐな瞳だった。

 自分の成長を信じて疑わず、成長したなら自分を守ると。

 しかもその理由が男だから女を守るというものではなく、いつもしかめっ面をしている自分を安心させるためだという。

 その瞬間に感じた気持ちを、どう言葉として表そう。

 嬉しい、と言えばいいのだろうか…………上手く言葉を見つけられない。

 けれども胸がカッと熱くなったような気がした。

 

(…………そうだな。貴様は、そういう男だ)

 

 彼はいつか言った。私の笑顔が見たいと。

 誰かが笑っている中、私だけが笑っていないのは嫌だと。

 それをあの時の都合だけで言ったわけではないということが、少年の彼の言葉で証明された。それが……何故だかとても嬉しい。

 

「───」

 

 そんな言葉を純粋な瞳と心で伝えられたからだろうか。

 思春は極々自然に、自分でもそう意識しないままに手を持ち上げ、少年の頭を撫でた。

 少年が、凪が驚く中、初めて見ると言ってもいいくらいに柔かな笑みを浮かべて。

 

「───ああ。わかった。私の“先”は貴様───いや。お前に託そう、か……い、いや、北郷。ただし、守ると言ったからには半端は許さん。強くなれ、今よりももっともっと強く」

「あ…………お、おうっ! ままままかせとけっ!!」

 

 しばらく硬直し、けれど慌てて胸を張る一刀。

 思春は少しだけ首を捻ったが答えは得られず……その答えは、凪だけが理解していた。

 少年の顔は真っ赤であり、ようするに思春の笑みに見蕩れていたのだ。

 

「……なんというか。さすが隊長だと納得するべきなんでしょうか。最近までは袁術を追い掛け回していたと聞いていたのに……」

「? なにがだ?」

「なにが?」

「………」

 

 二人して凪を見て、軽く疑問符を浮かべる。

 見つめられた彼女は素直に思った。“思春殿、あなたも相当鈍いと思います”、と。

 それから、散々待たせた答えを話そうとする思春に「いえ、答えはもらいましたので」と返す凪は、少しの苦笑をもらして歩き始めた。

 釣られて思春も一刀も歩き、ふと漏らす。「ところでどこに向かってるんだっけ」と。

 

「風呂場ですが」

「っ!? あ、うわぁっ! ははは離せぇえええええーっ!!」

 

 答えた瞬間に逃げ出した一刀の腕をがっしりと掴むと、そのまま笑顔で引きずってゆく。

 抵抗してみるが、腕力がまるで違った。

 

「た、隊長……私もその、恥ずかしいんです……。ですから、あまり抵抗されると」

「じゃあ別々に入ればいいじゃんか!! ねーちゃんも言ってやってよ! 男と女が一緒になんておかしいって! …………はっ!? あれっ!? それだと男女差別が……あれっ!?」

「凪。北郷は一人で入らせると頭を洗ってこない。たっぷり洗ってやってくれ」

「ねぇえちゃああああんっ!?」

「はいっ!」

 

 抵抗虚しく引きずられる少年を見送り、思春は溜め息を吐いた。

 認めてしまえば随分と落ち着くものだ。

 強引に連れられ、見えなくなってしまった一刀を思い、もう一度溜め息。

 

「守る、か。あんな子供が、大きく出たものだ」

 

 しかし嬉しいと感じてしまったなら仕方がない。

 どう守るのかは別として、せいぜい成長を見守るとしよう。

 自分が守られていると感じた時、きっとあの男の“国に返す”という覚悟も終わりに近づいているのだろうし。

 

「………」

 

 その未来を近くで見れるという事実に、知らずに笑んでいた。

 そしてそのまま、笑んでいるという事実に気づかぬままに歩いてゆく。

 よく見ている人にしかわからないくらいの小さな笑みだったが、彼女は確かに笑んでいた。



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93:IF/王ら、遊ぶの事①

144/王と遊び人と

 

【王のあそび】

 

 とある日の朝のこと。

 ドヴァーンと一刀の部屋の扉が開かれ、一人の女性が笑いながら突っ込んできた。

 

「はぁ~いっ! か~ずとっ!」

「うわぁっ!? なっ、だだっ、誰だよお前!」

 

 少し黒めの肌に桃色の髪。

 きゃらんと笑う顔は、大人のソレではなくまさしく子供をそのまま大人にしたような笑みだった。

 ご存知、元呉王さまの孫伯符である。

 

「あっははははははっ!? ほんとだほんとだっ、子供になってるー! どーしたのこれ! どうすればこんなになるのよーっ!」

「うわっぷっ!? ななななにすんだよっ! 離せよっ!」

「うわーうわー! 髪さらっさら! 肌ももっちり……あはははは! 口調も子供っぽくなっちゃって! あ、記憶も無いんだっけ!? ねぇちょっと華琳っ! この子呉で育てていいっ!?」

「いいわけがないでしょう、というか返事くらい待ってから開けなさい」

 

 一刀とともに部屋に居たのは、魏の王であり大陸の覇王である曹孟徳。

 一刀の仕事を見てやっていたのだが、思わぬ珍客にヒクリと口角を嫌な感じで震わせた。

 

「いいじゃないの、私と華琳と一刀の仲なんだから。あ、私とは“一応”初対面ってことになるのよね? じゃあえっと……こほん。初めまして、都の主。姓は孫、名は策。字は伯符。気軽に孫策って呼んでちょーだい」

「孫策!? そ、孫策!! オノレ! オノレ! ソンサクオノレ!」

「えっ? やっ、ちょっ!? なに!? なんなのっ!?」

 

 孫策。

 その名前を聞いた途端、彼の頭の中に華雄に叩き込まれた謎の怨敵意識が浮上した。

 

「ちょっと雪蓮、あなた私が見ていない間にいったい一刀に何をしたのよ」

「わかってて言ってるでしょちょっとー!! そんなニヤケた顔でよくもそんなことが言えるわねっ!」

「あら。私があなたとの会話中にどんな顔をしようと、私の勝手でしょう? それとも常時怒っていてほしいのかしら」

「常時ニヤケられるのもそれはそれで腹が立つわよ!! いいからちょっとこの子なんとかして!?」

 

 避ける雪蓮を追い、噛み付かん勢いでがうがうと襲い掛かる一刀。

 その目はぐるぐると渦巻状になっており、なんというか妙な洗脳を施された者のようになっていた。手はぐるぐるパンチ状態。実にグルービーだった。

 

「もうっ……落ち着きなさい!」

「ぅわっ!? ……」

「はぁ…………落ち着いた?」

「………」

 

 怒鳴られ、目をぱちくり。

 雪蓮を見上げるカタチで、ぼーっとしていた彼は、しかしはっきりと口にした。

 

「……なージョルジュ。ここって、おっぱいおばけばっかだな」

 

 直後、黒い笑顔で拳骨が落ち、一刀は痛がり、華琳は声を出して笑った。

 のちに「そういえば“じょるじゅ”って?」と訊ねられた一刀が、事細かにそれを話して聞かせると雪蓮が笑い、今度は華琳の拳骨が彼を襲った。

 

……。

 

 一刀が頭にたんこぶを膨らませつつ勉強に戻り、華琳が教師の役として立つ。

 そんな、先ほどまでの状況がもう一度戻ってくると、やってきたばかりの雪蓮はつまらなそうに部屋を見渡す。

 

「呉の時もそうだったけど、一刀ってば自分の持ち物が少ないわねー。なにか面白そうなもの、用意してると思ったのに」

「雪蓮。することがなくなったならさっさと出ていってほしいのだけれど?」

「えー? いいじゃない、することがないからここに来たんだし。まあ、元々都に来た理由自体が一刀を見るためだったわけだし、用事なんてここに来た時点で他になんにもないんだけどねー」

「仕事をしなさい。そもそも、あなたがここへ来る報せなんて届いていなかったわよ?」

「そりゃそうでしょ、出してないもの。隠居してからほぼ自由の身だし、民が都に来ることに許可が必要ないなら、隠居が来るのだって自由でいいでしょ?」

「屋敷に入るにはそれなりの許可が必要だってことくらい、知っているでしょう?」

「ああそれ? それがね、華雄が門番しててさ、目が合うや“戦えー!”って叫んできてね? そんなことより中に入れてって頼んだら“私に勝ったらいいだろう!”って。だから勝ったの」

「……、……一刀。ここに落款を落としなさい」

「? ほい」

 

 華琳が書いた書類に落款印が押される。

 華雄の減給についての書類だった。

 

「うわ、ひどいことするわねー……」

「天ではこういう時、“働かざる者食うべからず”と言うらしいわよ。言葉の割りに笑っているあなたはどう? 元王だからという理由に胡坐をかいて、怠惰の限りを尽くしていたりはしない?」

「平気平気。なんだかんだで冥琳と蓮華に捕まって、無理矢理手伝わされてるから。……自由に使っていいお金の数が減ったのは事実だけどね」

 

 くすんとわざとらしく鼻をすする雪蓮だったが、華琳は「自業自得でしょう」と切って捨てる。なんだかんだと長い付き合いになるが、この二人は変わらない。

 軽くふざける雪蓮を華琳が嗜め、時に華琳をからかっては雪蓮が笑う。

 まるで昔からの友人のように、その関係は重くない。

 

「時々思うのよねー……私と華琳が同じ場所で産まれてたら、私たち───」

「お互いに潰し合っていたでしょうね」

「あははっ、やっぱり? でも最終的にはこうして同じ部屋で笑ってたと思うわ。私が勝っても、あなたが勝っても。……もちろん、桃香が勝っても、ね」

「………」

「? なによ。不満そうな顔しちゃって」

 

 雪蓮の言葉に華琳が小さく溜め息を吐く。

 べつに雪蓮が勝った“もしも”や、桃香が勝った“もしも”が気に食わないと思っているわけではない。ただ考えることがあっただけだ。

 

「……そうね。もし、あなたが勝っても桃香が勝っても、みんな笑っていたのでしょうね」

「そうよねーって、言葉の割にはなにか続けたそうだけど?」

「ええ。ただし、“私が勝った場合”は、その限りではなかったと。そう言いたいのよ」

 

 目を伏せながら言った。

 それは自虐だろうか。

 適当な椅子に座って華琳を見つめる目はきょとんとしている。

 自分の机で勉強をしていた一刀も、言葉を発しながらも勉強を見てくれていた華琳の目をじっと見ていた。

 

「え、っと……なに? ちょっと意味がわからないんだけど。子供の勉強見てて頭おかしくなったりした?」

「相も変わらず堂々と失礼ね」

「だってそうでしょー? 華琳が勝ったから今があるのに、自分はその限りではないって」

「ええそうね。私だって別の誰かが言ったなら鼻で笑ってあげるところよ」

 

 「けれどね」と続けて、華琳は一度言葉を区切る。

 それから一刀が筆を走らせる竹簡から視線を外して、自分を見つめる雪蓮へと向き直るとハッキリと言った。

 

「天の御遣いを拾っていなければ、どうなっていたかわからなかったと言っているのよ」

 

 一切の偽りを混ぜずに、けれど少々の悔しさを混ぜた言葉だった。

 表情はいつも通りにキリッとしている。

 言葉に見え隠れする動揺が、その意味を雪蓮に理解させた。

 

「…………そっか。そうね。反董卓連合の時や、それ以前に耳にした噂でも、実際に会ってみると“噂とはちょっと違う”って思った。違和感の正体は“御遣い”ってこと?」

「認めたくはなかったけれどね。誇り、意地、気高さ。それらを守るために“退くこと”を良しとせず、“そのまま突き進めば死んでいた”ということもあった。思い返してみればくだらない過去よ。今思えば、あの時の舌戦に桃香自身を出したのはいい策だったともとれるわね。桃香の理想を笑ったのなら私は退くことは出来ない。退くことをしない者を倒すことなどとても簡単。……結局、あそこで“御遣い”に止められなければ私は……」

 

 どう聞いても自虐。

 けれどその顔はどこか楽しげに見えた。

 あえて“一刀”と言わないのは、きょとんとしている小さな想い人に余計な混乱を与えないためか。

 

「赤壁の戦いでも似たようなことがあったけれど……まあ、これは言わないでおくわ。ともかく、“私だけ”で勝っていたなら、あなたたちが笑う世界があったかどうかなんてわからないのよ。もちろん半端な気持ちで天下をと立ったわけではないわ。私には私の目指した世があった」

「それはそうよ。でなければおかしいでしょ」

「ええ。けれどもね、時々笑ってしまうのだけれど……」

 

 小さく笑い、彼女は言った。

 少し驚いている雪蓮の目を真っ直ぐに見たまま。

 

「私も、あなたや桃香と変わらないのよ、きっと。私が目指した天下の世なんて、今この時からでも作り出せるものなの。桃香が目指す世が、雪蓮の目指す世が今からでも目指せるように、ね」

「……じゃあ、この天下は誰の天下よ」

「あら。訊くまでもないじゃない。私が目指したところでこの安穏に辿り着けなかったのだとしたら、そこに何が加わったことで“今”に辿り着いたのか。答えなんてそれだけで十分ではないかしら」

「………」

 

 言われて、ちらりと一刀を見る。

 小難しい話に飽きたのか、黙々と勉強をしていた。

 

「もちろん御遣いだけでは天下統一など不可能。私一人でも不可能。魏というものがあって、それら個々の意識を繋げる王と御遣いが居てこその今よ」

「以前の華琳では絶対に辿り着けなかったって言う気?」

「ふふっ……考え方の全てが変わったと言うわけではないわ。ただ───」

 

 机に頬杖をつく。

 おかしくて仕方がないとでも言うかのように、その顔は笑みっぱなしだ。

 けれど目は真剣で、雪蓮も軽くからかうような顔つきながらも真剣に聞いていた。

 

「“敵に対して、私は先に拳を示す。殴って殴って殴り抜いて、降った相手を慈しむ。私に従えば、もう殴られることはないと教え込む”……舌戦の中、私が桃香に言った言葉よ。今でもこの考え方の根本を変えるつもりはないけれど、“ただ”、と繋げてしまうのよ」

「前より“殺すこと”に意味を見い出せなくなった~とか?」

「ええそうね。殺すよりも生かして、別のことに活かす道を選ぼうという考えがまず出るようになったわ。もちろん、乱す気が無くなった者を限定的に捉えてのことだけれど」

「以前のかず……御遣いが捕らえた山賊なんかは乱す気しかなかったから、それはまあしょうがないわねー。まあ、いい意味でも悪い意味でも民たちへの刺激や戒めになったわよ。今の世の平和を乱す者は容赦なく始末される。それは御遣いが支柱に収まった今でも変わらない。そういう引き締めは必要だって、冥琳と話していたところだったしね」

「“甘い御遣いが支柱ならば、多少の悪さは許される”と思っていたでしょうからね。ともかく、そういうことよ」

「そういうこと、って……“殴られる前に殴る”が、“多少待ってあげてから殴る”に変わっただけじゃない」

「あら。とても大きな変化だと思わない? 自分の考えこそがと我を貫くことしか考えていなかった過去に比べれば、随分と落ち着いたものよ。もちろんなにもかもを否定してきたわけではないけれど、自分の道と違えるのであれば、私は“力”で潰してきたわよ?」

「………」

 

 一応全部聞いてはみたものの、雪蓮は軽く引きつつ「うわぁ……」と素直に口にした。

 それを見て満足そうに笑う華琳は、一度目を伏せてから「もちろんそれはこれからも、今を守るためにはしなければいけないことよ」と言う。

 “しなければいけないこと”から戦へ向けての思考時間が無くなると、自由な時間は乱世の頃よりは随分と増えたと言える。仕事が無くなることは当然無いが、趣味に費やす時間は増えたのだ。

 だからこそ酒も作れれば、自国のことを将に任せてこうして別の仕事も出来る。

 王の仕事というのは案外退屈なものだ。

 日々様々を考えることが主だが、あまり変わり映えがしない。

 下から送られる落款が必要な書類や、別の方向から送られる楽しくもない書類、何処だかでくだらない諍いが起きたことや、面倒ごとを纏めただけのゴミのような確認書類の整理。

 つまりは後処理がほぼなのだ。

 街の発展など輪郭さえ考えれば、あとは軍師任せでも完成する。

 暴動に備えての兵の調練も武官に任せられるし、どう育てればよいかも文官と武官が相談し合えば、よほどのことがない限りは良い結果に終わる。

 王がする仕事など、それらの確認と輪郭の構想と、視察や落款調印などなどだ。

 もちろんそれらの仕事が少ないかといえばそうでもないが、それら一つ一つを各国の将がきちんと取り締まり、整理すればするほどに数は減る。

 その結果が、こうして支柱の代わりを務めることが出来る今だ。

 戦をしていた頃の方がまだ忙しかった。

 

「えーっと。で、華琳はさ。これから目指すとしたら、どんなものを目指したいのよ。面白かったら遠慮なく笑ってあげるから、教えて?」

「その言葉の時点で十分に遠慮がないわね……。まあ、そうね。強いて言うのであれば、今の世を、これからの世を楽しむことの出来る時代を作りたいわね」

「へ? ……楽しむための?」

「ええそうよ。王という者はもちろん必要だけれど……言ってしまえばあなたと同じよ。天下統一は成って、民が、兵が、将が得物を取らずに済む世界には至ったわね。ええ、それはとても過ごしやすい世界でしょうね。けれど、ではそこまで人々を導いた王はどうかしら。平和さえ築いたなら用済みの人間ではなくて?」

「……ま、考えたことがなかったわけじゃないけどね。よーするに華琳は自分が余裕を以って楽しめる時間がほしいわけだ。言っちゃえば、誰かに王の座を譲って隠居生活~とか」

「そこまでは言ってないわよ。あなたじゃあるまいし」

「…………何気に突き刺さる言葉言ってくれるわねー……。じゃあなんなのよ」

 

 早々に王を辞めるつもりはなかった。

 なにせ非道な王になったなら討ちにきなさいとまで言った。

 もっと、より一層に国というものが自分で歩むようになるまで続ける。

 それは自分にとっての責務と言ってもいいものだ。

 

「王の仕事はもちろんする。その上で、少しずつ民にも自分で立ってもらうのよ。そのための学校もあるし、それらを導ける知識を持つお人好しも居るわ」

「それって御遣いのこと?」

「ええ。退屈だけはさせてくれない、面白い知識を随分と提供してくれる“御遣い様”よ。私はね、雪蓮。非道な王になるつもりも、だからといって退屈に埋もれて死ぬ王になるつもりもないの。せっかく手にした天下を、手にしただけで満足するのは勿体無いでしょう? だから楽しむのよ。今の世も、これからの世も」

「へー、いいじゃないそれっ。あ、じゃあ手始めになにするのよ、私も混ぜなさいっ」

「手始めに、まずは“したことのないこと”をしてみるつもり……だったのよ。あんなことにならなければね」

「あんなこと? …………あ~ぁ……」

 

 ちらりと見れば、勉強が終わってなにやらポーズを取っている一刀少年。

 なんとなく賢そうなポーズを取っているらしく、眼鏡をつけているわけでもないのに眼鏡の位置を直すような動作をしていた。

 

「んん? かず……御遣いが必要で、したことのないこと? んー……子育てでもしようとしたの? はぶぅぃっ!?」

 

 にんまりとしながら、一刀を見ていた視線を華琳に向けた途端、どこから出したのかもわからないハリセンが雪蓮の頭部を襲った。

 

「~……ったぁあーい!! ちょ、ちょっとなによそれー! どっから出したのー!?」

「一刀が天での遊び用に作ったものよ。“じゃんけん”をして、勝ったほうが叩いて負けたほうが防ぐ、というものらしいわね」

「防ぐって、手で? ……丁度退屈だから、それやらない?」

「手ではなくて、この兜でよ」

「? なにこれ。兵の兜……っていうわけじゃないのね。子供が持つには、っていうか遊びでやるには重いんじゃない? ……え? なにこれ、軽い」

「一刀が頼んだら真桜が一日で作ったのよ」

「………」

「………」

「ま、まあ過程はさておき、さっさと始めましょ」

「そうね。雪蓮、じゃんけんは知っているかしら」

「呉でも子供たちがよくやっているわよ。学校の影響ってすごいわね。人を通じて各地に広まってるんだもの」

「それと同様に、いらない知識が広まるのは遠慮願いたいところね」

「そこはもっと大きく構えてもいいんじゃない? そりゃ私も前は不安に思ってたけど、今のところ問題らしい問題も起こってないんだしさ。胸が小さい分、懐はおっきくーとか。あははははっ」

「………」

「………」

 

 同時にふふっと笑った二人は一刀の机を挟み、華琳がコサッと置いたハリセンと“安全第一”と書かれた軽量メットとを見つめ、頷き合う。

 やがて二人の緊張がいい感じに高まった瞬間───!

 

『じゃんけんぽんっ!』

 

 再び同時に動き、二人の手が異なる形を取る。

 勝利した華琳がハリセンを手に、流れる動きで雪蓮を叩きにかかるが、それを雪蓮がメットで防ぐ。

 

「ちぃっ……さすがに早いわね……!」

「ちょっと……ねぇ華琳? 今、殺気……放ってたわよね?」

「さあ? 気の所為じゃないかしら」

「へーえ……あぁそー……ふーん」

 

 睨み合う。

 顔は微笑みに満ちているというのに、見る人が見れば二人の間に視線の火花が散っているようにさえ見える空気がそこにあった。

 

『───じゃんけんぽんっ!!』

「もらったぁっ!」

「甘いわよっ!」

『じゃんけんぽんっ!』

「このっ!」

「ほっ! あははっ、遅い遅い~っ♪」

『じゃんけんぽんっ!』

 

 しばらく、攻防は続く。

 どちらも武の心得があるだけはあり、双方ともに器用に攻撃し、防いだりを繰り返していた。

 …………のだが。

 

『じゃんけんぽんっ!!』

「もらっ───って、え、な、ちょ、ふぴゅうっ!?」

「あ゛っ……!」

 

 何度も連続で行われたソレはしかし、段々と夢中になり、目が落ち着いたものから虎の目に変異した雪蓮のミスにより、華琳の頭頂にハリセンが落ちることで停止。

 もちろん叩いた方もハッと正気に戻って、華琳の頭の形にヘコんだままのハリセンと俯いたままカタカタと震えている覇王さまとを見比べているわけで。

 

「…………」

「ひぃっ!? あ、やー……あの、華琳~……?」

 

 顔を上げた華琳が、無言で机を指差したまま腕を上下させる。

 さっさとハリセンを置け、と言いたいらしく、顔は笑顔なのにその笑顔がとても怖い。

 

「どうしたというのよ雪蓮。遊びなのだから、遊びで決着をつけなければ終わらないじゃない。ああそうそう、取る物を間違えた時点で“お手つき”として、一度の敗北ということになるそうだから。決めていなかったけれど、勝利数は3回先に取った方の勝ちとしましょう? ええ……とてもとても楽しめそうね」

「あ……そ、そうねー……その、楽しい、のかしら……ね……?」

「そして私が勝ったら勝者権限で力いっぱいあなたを殴るわ」

「えぇえぇっ!? か、華琳!? 落ち着きなさいって! 目が凄く怖いわよ!?」

「……大丈夫よ。あなたの前でだけだから」

「その言葉を言われて嬉しくないって思える日が来るなんて思わなかったんだけど!?」

 

 ……その後、二人の女の戦いは続いた。随分と長く、いつしかいっそ血生臭いほどに。

 ただし武器がハリセンであるからして、血は出なかったものの痛いものは痛かった。

 ズパン、パカン、ビシャンッ、ボコォッ、様々な音が鳴る中で、二人はいつしか周囲のことさえ気にならなくなるほどに熱中していった。

 殺気さえ放つほどの熱中っぷりだが、これで結構仲はいい…………はず。

 

「このっ……いい加減当たったらどうなの! ……っしょ! ちぃっ!」

「一撃一撃にっ……このっ! っしょっ! それだけ殺気込めておいて……っしょ! よく言うわよ! っしょ! まったく!」

 

 既にじゃんけんの合図も“っしょ”だけとなり、忙しく手を動かしてはギャーギャー。

 そんな騒がしさの中にあって、一刀少年はその体裁きに「ほぉお~……!」と興奮していた。自分でもあそこまで出来るだろうかと、ショーウィンドウ越しのお高い楽器に憧れる少年のような純粋な瞳で、二人の攻防を見守っていた。

 

「っ……きりがないわね……。いっそ“めっと”で殴ってくれようかしら……!」

「ひえっ!? ちょ、ちょっとー!? いくらなんでもそれは危ないでしょー!?」

「だったらその勘頼りのくせに防御率が異常な反射速度をなんとかなさい!! 散々防がれて、理由を訊けば“勘が当たらなかったら危なかった”!? どうなっているのよあなたの勘は!」

 

 真面目に武力を練磨する武官や兵らを馬鹿にするなとばかりに繰り返される攻撃……と防御。ジャンケンルールなので、攻撃だけしていては反則負けだ。

 しかしここに来て渾身の一撃が放たれ、防がれた瞬間。とうとうハリセンが度重なる攻防に耐え切れずにモゴシャッという奇妙な音とともに破れた。

 

「…………!」

「…………っ……」

 

 両者、地味に肩で息をしながらの睨み合い。

 傍から見れば“遊びでなにもそこまでムキにならなくても”と言いたくなるような光景ではあるが、ムキになれるからこそ、心から夢中になれるからこそ“遊び”とは楽しいのだ。

 そんな、見ている人は引き、当人達は燃え上がる状況の中、華琳は少年を見ぬままに声を発する。

 

「一刀」

「うわっ!? は、はいっ!?」

 

 さすがにあんな攻防乱舞を見せられた後で、生意気な口は利けなかった。

 ビッと姿勢を正した一刀は続く言葉を決して聞き漏らすことのないよう、姿勢に続いて気も引き締めて───

 

「……別の遊びを教えなさい」

「……ホエ?」

 

 ───そのまま、脱力したという。



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93:IF/王ら、遊ぶの事②

 次なる遊び。

 言われ、思考した一刀が用意したものは、ハリセンの残骸と用済みになった適当な厚紙だった。

 それらを整った形に切ると、紙の束にそれぞれ一枚ずつ文字を書き込む。

 いわゆるトランプもどきだった。

 

「とらんぷ? ……まあ、名前はこの際いいわ。それで、何が出来るの?」

「二人ともすっげー腕とか早かったから、やっぱりスピードだろ!」

「すぴーど?」

 

 さて。

 机に積まれた二つの紙の束。

 それから四枚ほどを二人の前に並べて、彼は説明を始めた。

 

1:二人の間に二枚のカードを置く

 

2:そのカードの数字の前後の数字が手持ちの札にあれば、それを乗せられる

 

3:数は1~13までであり、1が中央にあった場合は2か13が置ける

 

4:手持ちに札が無い場合、4枚まで山札から引くことが出来る

 

5:手札は常に4枚を維持すること

 

6:ただし連続して出せる札がある場合は、全部出してから補充しても良し

 

7:双方ともに出せる札がない場合、二人同時に山札から一枚札を出す

 

8:出す際には掛け声的なものがあると良し。一般的には「スピード」

 

9:先に山札を0にした方の勝ちとする

 

 以上の説明をしつつ、華琳が厚紙に書かれた数字に修正を入れる。

 文字通り1~13だったので、文字を変えたのだ。

 

「……ええ、遊び方はわかったわ。つまり的確に数字を認識する速度、手の速度、ともかく速度が必要な遊戯ということね?」

「そゆこと。自分から見て右が自分の山札な」

 

 軽い説明を混ぜての実践をしてみせると、華琳と雪蓮はにやりと笑った。

 二人で不敵に笑いながら、やはり机を挟むようにして立ち、その机に両手をどっしとついて戦闘体勢に入る。

 

「じゃ、合図で同時なー。せーのっ───スピード!」

『っ!』

 

 二人の手がシュバッと動く。

 目は真剣そのもので、自分の手札と相手の手札、中央の札を何度も忙しく見つめ、次から次へと自分の手札を減らしてゆく。

 

「弐、壱、弐、参……!!」

「肆、あぁちょっと華琳っ!? そこ私が置こうとっ……って言ってる暇はないわね……っ!」

 

 出せる札が無くなれば次。

 そのまた次も出せなかったら次と、山札の数が減ってゆく。

 しかし四枚をキープしながら次々と出しているにも係わらず、手の速さは速いままで息もてんで乱れていない。それどころか二人とも戦でもしているかのような獣の光を目に浮かべ、口はうっすらと笑っていた。

 そんな状態での殺気さえ満ちるトランプゲームは続き───

 

「そこぉっ!」

「っ……!? くっ、次がない……ですって!?」

「はい伍、陸、伍、肆、参っ! あ~がりっ!」

「なっ……!」

 

 果たして、戦に勝ってみせたのは元呉王、孫策であった。

 

「あっははははははっ♪ 面白いわねーこれっ! 特に相手が置こうとしたところに割り込んで置く瞬間っ! 相手が悔しがってるところに続けて置いて、しかも勝てるなんて最高じゃないっ!」

「~っ……一刀っ、次!」

「え、えぇっ!? え、と……次、次は~……」

「あ、ちょっと待った。次の前に、私が勝ったんだから華琳になにかしてもらわないとね~? 確か華琳は私を力いっぱい殴るつもりだったんだから、勝者権限で私にもそういうものがあってもいいのよね?」

「くっ……ええ、二言は無いわ。好きになさいっ」

「じゃあ……」

「……? なにふわぁっ!? ちょっ……雪蓮!?」

「いや~……桃香がよく揉んだりしてたから、一度触ってみたかっはぶぅぃっ!?」

 

 勝者権限を行使して華琳の胸に触れた途端、彼女の頭をメットが襲った。かぽぉーん、と。

 のちに……“とても小気味のいい音が鳴った”と、少年は語る。

 

「いったぁあーいっ!! ちょっとなにするのよ華琳っ!!」

「権限行使をするにしてももっとましなことに使いなさいっ!!」

「自分は私を殴るつもりだったくせによく言うわよー! ていうかそれにしたってこれで殴る!? 頭にすごい響いたわよ!」

「うっ、うるさいわね! 大体さっきの勝負だってあなたのお手つきで私が勝っていたんだから、丁度その清算をしたと考えれば十分でしょう!?」

「~っ……だったらもっと揉ませなさいよねー!? これじゃあ割りに合わないわ!」

「なっ、ちょっ……させるわけがないでしょう!?」

「なによこのけちんぼ! 覇王のくせに懐狭くて胸もちっさいなんて、小覇王って華琳のためにあるような言葉じゃない! 譲ってあげるから今日からそう名乗ればいいんだわこの“じょるじゅ”っ!!」

「っ……~……こ、ここっ、ここここのっ……! 一刀!! 次よ! 次の遊びを準備なさい!」

「えぇえぇっ!? や、でもさっ、俺これから鍛錬」

『さっさとするっ!!』

「はぃいいっ!!」

 

 かつての王二人にギンと睨まれ、怒鳴られれば従う他ないでしょう。

 それはきっと、民であっても兵であっても、将であっても。

 

……。

 

 一時間後。

 

「………………これっ!」

「ふふっ、生憎ね。“ばば”よ」

「うぇえあぁああっ!?」

「ふふふふふふっ……体ばかり成長したあなたにはぴったりの札ね」

「さっき自分だって持ってたのによくそこまで言えるわよねー……! ほらっ、さっさと引きなさいよ」

「なー、ねーちゃんたちさぁ……。ババ引くたびに悪口言うの、やめないかー……?」

「悪口ではないわ。お互いの闘争本能を引き出しているだけよ」

「うんまーそういうことよ、一刀。心配しないでも私が勝つからだいじょーぶ」

「はい、それじゃああがりよ」

「え? あ、あれっ?」

「ねーちゃんだっせー……」

「うぐっ……ちょっと華琳! ばばに細工したでしょ!」

「妙な言いがかりはやめてもらえるかしら。私はあなたのように卑劣な手は使っていないわよ。ええ、あからさまに札の端に傷をつけておくような卑劣な真似は、ね?」

「わっ、バレてたっ」

「……ねーちゃんだっせー」

「うわっ……改めて言われた! くぅう……次! 次よ!」

「その前に勝者権限を行使させてもらうわ。雪蓮、目を閉じて顔を突き出しなさい」

「え? や、あの、華琳? 私、あなたと違ってそういう趣味は自国の者にしか」

「なにをたわけた妄想してるのか知らないけれど、その綺麗な顔に髭を描いてあげるから、早く突き出しなさいと言っているのよ」

「いくらなんでもやりすぎでしょそれー!!」

「ねーちゃん、さっきジョルジュに“負けた奴が逆らうなー”って言って笑ってたよな」

「ふうぐっ……! …………~……好きにしなさいよ」

「そうそう、それでいいのよ、ふふふっ……ふくっ……ふっ……あはははははは!!」

 

 髭が、描かれた。

 それは普通に過ごしていたのでは決して見ることの出来ない光景であり、華琳はそれはもう笑った。一刀が警備隊の編成にいろいろと手を尽くした時のように、しかしさらに腹の底から。

 

「…………かぁ~りぃ~ん? 次負けたら、どうなるかわかってるわよねー……?」

「ようは負けなければいいのでしょう? 受けて立つわよ」

「……小覇王のくせに」

「あ、あなたねぇ! 自分の通り名をそこまで虚仮にして楽しいの!?」

「楽しいわよぅ! だから次よ次! その綺麗な眉毛をぶっとくしてやるんだから!」

「なっ……なんて恐ろしいことを考えつくのよあなたは!」

「華琳に言われたくないわよ!!」

 

 女の戦いが続く中、少年は思った。というか言った。「女って怖ぇえなぁ……」と。

 

……。

 

 一時間後。

 

「あっははははははははは!! あはははははっ!! あはっ!? あはははははは!!」

「~…………!!」

 

 連敗に続く連敗で、顔がすっかり黒くおなりあそばれた麒麟児さんと、その視線の先に居る太い黒眉毛の覇王様。

 とうとう勝利を治めて眉毛を描いた瞬間、彼女と少年は笑い転げていた。

 

「かっ……一刀。少し黙りなさい」

「やっ、やっ……だってしょーがないだろっ!? ねーちゃんのこと笑ってるとき、ジュルジュだって“もっと笑ってやりなさい”って言ってたじゃんか!!」

「くぅっ……!」

 

 腹筋が痛いのか、腹を押さえながらもよろよろと歩いた雪蓮が手鏡を持ってくる。

 まずはそれを自分が覗いて自分で爆笑。さらに華琳に渡して、固まる華琳を見て爆笑。

 華琳もいい加減口角がヒクついていたが、負けたのは事実だと受け入れると……諦めたように笑った。

 ちなみに途中で思春が一刀を迎えにきたのだが、中に入って雪蓮の顔を見た途端に顔を背け、いずこかへ走り去ったまま戻ってこなかった。

 

「は、はー……はぁ~ああああ…………。ふぅ、それで、もういい加減やめるんだよな? 遊びのネタ、もうないよ。道具があれば別だけどさ」

「……ええ、そうね。随分と久しぶりに騒ぐことが出来たし、今日はもういいわ」

「あっ、じゃあもう一回っ、最後に一回だけやりましょっ!? そして私が勝ったら今日一日中その眉毛でいること、って勝者権限を───」

「今すぐやめるわよ」

「えーっ? なんでよー」

「……あなたね。その顔でその条件、逆に突きつけられたいの?」

「やめましょう」

「……でしょうね。あと、その顔で凛々しい顔つきになってもおかしなだけだからやめなさい」

「描いたの華琳でしょー!? ていうか、これ落ちるんでしょうね……落ちなかったらもう呉に帰れないわよ私……」

「ええそうね。私の場合は魏に帰った途端、春蘭と秋蘭と桂花があなたを殺しにかかるかもしれないわね」

「眉毛で始まる戦争なんて聞いたことないわよ……あ、一刀、ちょっとお水もらってきてくれる? 桶にたっぷり」

「川行った方が早くない? 流せるし」

「…………それもそうね」

 

 頷いてみれば早かった。

 すぐに出かける準備をすると、部屋を出て川を目指す。

 ただし、覇王や元王様などは顔を厳重に隠した状態で歩き始めた。

 

「……なぁねーちゃん。前、見えなくないか?」

「……少し見づらいかも。ね、一刀。手、繋ぎましょ?」

「え? や、いいけど」

 

 歩いている途中にキュムと握られる手は、散々っぱら遊んだり笑い転げたりした所為で熱くなっている。なにもこんなになるまで笑わなくてもとは思ったものの、自分も笑ったのだから人のことは言えない。

 そんなことを苦笑しながら思っていると、逆の手が華琳に掴まれた。

 

「んあ? ジョルジュ?」

「だからその呼び方はやめなさい。……いいから、早く川へ行くわよ」

「ん。連れていけばいいんだよな? まっかせとけっ」

 

 珍しくも頼られていることが嬉しいのか、一刀はニッコニコ笑顔だった。

 そんな笑顔を見下ろすに至り、二人は“やっぱり子供だ”と再確認する。

 ……頭に大量の布を巻きつけた状態で。その風貌はまるで黄の王ジェレマイアの如し。

 通路や町を通る中、様々な人が驚いていたが、顔はともかく服装を見ると誰もツッコんだりはしなかったそうな。

 

……。

 

 川である。

 さらさらと流れる水の音が耳に心地よい。

 すぅ、と息を吸えば、少しだけ心が安らぐのを感じた。

 しかしその場に立っている二人は“黄衣の冠”を身に着けたような二人で、安らぎとは程遠い存在だった。

 

「なぁ……二人とも、そんなに巻かなくてもよかったんじゃないか……? どうせ服装でバレるんだしさ」

「だとしても、いろいろと問題があるのよ……!」

「華琳はまだいーわよー! 私なんて顔がほぼ真っ黒じゃないのー!」

「あら。戦って勝ったのだから、それくらい当然でしょう? だからこそ私も甘んじて受けたのだから」

「……眉毛でっかい状態で言われても、笑い話にしかならないわね」

「ぐっ……! あ、あなたねぇ……!」

 

 ともあれ取っ払った布を傍に置いて、川で顔を洗い始める二人。

 幸いにして多少は梃子摺ったものの墨は落ち、二人は一刀に落ちたかどうかを確認させると心底安堵の溜め息を吐いた。

 一応二人で確認してはみたものの、雪蓮は嘘をついているかもしれない、華琳は面白がって嘘をついているかもと互いに疑り合っての一刀への質問。

 悪戯書きを残したまま民の前に出るわけにはいかないのだから、仕方ない。

 

「おー……! なんか見たことない虫が居る……! なんだこれ……!」

 

 二人が溜め息を吐いている中で、一刀はといえば川辺の石をどかしたりして虫探しをしていた。よくわからないウゾウゾとしたものが発見されたが、それは日本では見たことのない生き物だった。

 

「はぁ……子供は暢気でいいわねー」

「おかしなことを言うわね。そういう、子供が笑っていられる天下が欲しかったから戦っていたんじゃない」

「まあ、そうだけど。……はぁ~……なんかいいわよねー、こういうの。平和って感じ」

「それこそおかしなことよ。事実、平和なのだから当然じゃない」

「どうしてそういう捻くれた言い方しか出来ないのかしらね~華琳は。華琳ってば、当然のことを当然として受け止めすぎよ。もっと面白い捉え方とか出来ないの?」

「余計なお世話よ。というか、当然のことを面白おかしく受け止めるという行動の意味こそがわからないわ」

「ようは楽しく生きろってことよ。“天下の曹孟徳”って、音に聞けば震える者は数知れず。でも、怖いままだと畏れでしか統率できないじゃない。それこそ“支配”よ。だから、もっと心を柔らかくして楽しみましょって言ってるの」

 

 川の傍の大きな岩に腰掛け、足を組み───その上に頬杖をつくようにして、雪蓮はけらけらと笑う。

 華琳はそんな彼女を見て、少しの思考ののちに溜め息を吐く。

 

「恐怖と平和は表裏一体にした方がいいのよ。逆らえばどうなるかを私が教え、静かで居ればどれだけいいかを一刀が教える。ただ平和なだけの天下など、いずれ刺激を求めた馬鹿が崩しにかかるわ」

「だからって四六時中尖ってる理由にはならないでしょ? ……い~い顔してたわよ? 私とムキになって遊ぶ華琳」

「なっ!」

 

 普通の生き方をしていたら、自分はどうなっていたか……考えなかったわけではない。

 しかし、それは今となってはどうでもいいことだ。

 自分は確かに自分の欲しいものを手に入れ、目指した理想に辿り着き、失くしたものまで戻ってきてくれたのだから。

 だが、果たしてそれで満足していていいのだろうか。

 日々平和になり、揉め事も減り、大半の仕事を他へ回せるようになった昨今。戦のための作戦などに回す時間が無くなった分の隙間は、確かに大分自分のための時間を作ってくれた。

 だからこそ酒を作ったり街を見て回ったり、こうして一刀の代わりに都を纏める仕事をすることも出来る。

 それは確かに新鮮ではあるし楽しいとは思う。

 だが。

 

「ねぇ華琳? 一度、全部忘れて楽しんでみたらどう? 王だのなんだのなんて忘れて、政務なんてものも忘れて、ただひたすらに楽しむの。言っちゃなんだけど、悪くないわよー? 一度味を知ったら、なんていうかこう……もう堅苦しい王の仕事なんてしたくないなーって思えるくらい」

「あなたは一度、思い切り仕事をするべきだと思うわ」

「へー……じゃあ、私が仕事をする代わりに華琳が遊ぶ、っていうのはどう? 一日中いろんなことが出来るわよー? お酒の世話も自分で出来るし春蘭や秋蘭と一日中話せるし、桂花をいじめ続けることだって出来る。……ていうかそうしなさい。例え話を挙げようとしても、ろくな行動がないじゃない。面白味がないと、いつか一刀に嫌われるわよ」

「なっ、あっ、あなたにそんなことを言われる筋合いはっ───!」

 

 言われ、バッと川の方を見る。そこでは一刀少年が即席で作ったらしい釣竿のようなもので釣りをしていた。どうやら枝と蔓とで作り、針は特にないらしい。自分の名前が出たような気がして、「んー? なんか言ったー?」と声を張り上げている。

 

「や、だって考えてもみなさいって。仕事仕事仕事で、お酒のお世話も桂花にやらせて、たまに休みが入れば春蘭と秋蘭を連れて美味しい食べ物を求めて徘徊。言葉で相手をいじめて、失敗を見つければあとで可愛がってあげるわーって。……娯楽らしい娯楽がてんで無いじゃない。私だったら絶対に気が狂うわよ」

「……人の楽しみ方をとやかく言う権利があなたにあるのかしら?」

「権利はなくても発言の自由くらいはあるでしょ。別に華琳にとっての悪いことを言ってるわけじゃないんだし。ていうかさ、真剣に考えてみなさいって。仕事漬けで、趣味が春蘭とか桂花虐めで、料理が好きで。そんな相手と一緒になって、一刀が疲れないと思う? というか、一緒になった一刀が楽しめると思う?」

「………」

「少しくらい“普通の楽しみ方”を知っておくのも、悪くはないと思うのよねー、私は」

 

 葛藤。

 様々な考えが頭の中で高速回転して、しかしそれを顔には出さずに処理する。

 だが素直に受け取るのはなんだか癪だったので、やはり出てくる言葉は皮肉を混ぜたような言葉だった。

 

「……そうね。あなたが珍しくも仕事をするだなんて言っているのだから、受け入れてみるのもいいかもしれないわね」

「ふふっ、はいはい。仕事の方は任せときなさいって。こう見えても本気を出したらすごいんだから」

「………………期待しないでおくわ」

「ちょ、ちょっとー! そこは嘘でも期待しておくところじゃないー!?」

 

 言ってはみたが、少し、自分のあり方についてを考える双方だった。

 そんな二人の様々な考えなど知ることもなく、一刀少年はてんで釣れないお手製釣竿を見てケラケラと笑っていた。



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94:IF/友達っていいね①

145/生きろ……強く生きろ

 

【燥ぐあなたのこころうち】

 

 都の一角でベーゴマが回り、弾かれる。

 

「あっ……!」

「っへへー、また俺の勝ち~♪」

 

 勝って喜んでいるのは北郷一刀少年であり、負けた少女は……金色の髪をそのままおろし、飾りつけも特にはしていない華琳だった。

 例のツインドリルが無いだけで随分と印象が変わり、さらには髑髏飾りも無ければ服も庶人服に似た作りのもの。

 ふと目を向けたところで、彼女があの曹孟徳だと思う者などほぼ居ないだろう。

 

「……難しいものね。ただ回転させればいいというわけではないと……そういうこと?」

「それだったら華雄お姉が勝っちゃうよ。お姉、ほんと全力で投げるから結構怖いんだ」

 

 「前にやった時なんて、台の布が破けたんだぜー?」と困った顔で言う。

 なるほど、こんなもので布を破くとは相当だ。

 

「けれど、思ったほど楽しくはないものね。遊べと言われて遊ぶとしても、早々切り替えられないわよ」

「それはジョルジュに楽しむ気がないからだろ? 遊びってのはもっとさ、格好つける~とかそういうのを忘れてするもんだってじーちゃんが言ってたぞ? 遊ぶ時は馬鹿になるくらいが丁度いいんだ~って」

「それは……なんというか曹孟徳としての自分が許さないわ」

「ほら。そーゆーこと考えるからダメなんだって。自分が許さないなら自分が許せばいいじゃんか。別に怖い誰かに言われてるから遊べないわけじゃないんだろー? 自分のことなのに自分で許せないって、馬鹿みたいじゃん。自分なんだから許しちゃえばいいんだって」

「………」

 

 なるほど、言い得て妙だ。状況にも寄るだろうが、自分でしか許せないことを許せるわけがないと言い続けるのはどうにもおかしい。

 ならば、いいのだろうか。遊んでしまっても、いいんだろうか。

 

「それにさ、一方がしかめっ面で遊んでると……あ、違うな。ジョルジュ遊んでないや。なんか仕事してるって顔だ。遊びは仕事でやるんじゃなくて、心からするもんだって。本能で遊ぶんだ! えーっと、もっとこうさっ、恥ずかしいと思うことを一度やると結構吹っ切れるぜ!?」

「あなたは私になにをさせたいのよ……」

「楽しんでほしいんだって。じゃなきゃ一緒の俺も楽しくないし」

「……随分とハッキリと本音を言うわね」

「んん? ヘンかな。だって、楽しいほうが楽しいじゃんか。それこそ当然のことだろ? ジョルジュが楽しめば俺だって楽しいんだ~って、そう言ってるんだけど」

「………」

「?」

 

 小さく、「あ、そ、そう……そういう、こと……」とごにょごにょと俯き呟く孟徳様。

 顔は真っ赤なのだが、子供相手に赤面させられるたと知られるのは恥だ。

 ……だが、そんな恥を素直に見せるのも楽しむ一面だと、ようするにそう言いたいのだ、目の前のお子様は。

 そんなふうに俯いていた少女の手が、仕方ないやつだなぁと呟いた少年に掴まれ、引かれる。

 急に引っ張られてつんのめるが、そこはすぐに体勢を立て直して走る。

 相手が既に走っているのだから仕方ない。

 

「ちょ、ちょっと、一刀っ?」

「あーもーうだうだ言うなっ! 俺が“楽しい”を教えてやるから、黙ってついてこいっ」

「え、あ…………───は、はい」

 

 きょとんとしてポカンとして、なにやら急に男らしいことを言われ、反射的に「はい」と言ってしまった。少し走ったあとでソレに気づいて真っ赤になってしまったのだが、口にすれば恥ずかしい思いをした上に認めるということだから、そこはなんとか堪えてみせた。

 

……。

 

 さて。それからどうなったかといえば。

 

「やぁああっほぉおおおおーっ!!」

「や、や……やほー……」

「違うってばジョルジュ! なにやってんだよジョルジュ! ああもうほんとジュルジュはジョルジュだなぁこのジョルジュ!」

「ちょっと待ちなさい! どうしてじょるじゅって呼び方が罵倒文句のようになっているのよ!」

「いいから叫ぶんだって! 叫ぶのは頭がすっきりするんだぜー? なにせ誰かを怒ってする叫びと、ただ楽しむためだけに出す叫びってのは全然違うからなっ! 人は何故叫ぶのかっ、それは腹に溜まったなにかを吐き出すためだー!」

「……と、祖父が言っていたのね?」

「いや、これはとーちゃん。それよりもほらほらっ、叫べってジョルジュ」

「だからっ……ジョルジュじゃないって言ってるでしょう!?」

「俺にじゃなくて景色に向けて叫ぶんだって! やあぁああっほーっ!!」

「…………どうしても“やっほー”でなければだめなのかしら……」

「だってジョルジュ頭固いんだもん。当然のことは当然~とか言うなら、ここはやっほーしかないじゃんか」

「こんな子供にまで頭が固いって……はぁ。ええ、いいわよ。やってやろうじゃない。丁度鬱憤が溜まってきたところよ」

「おおっ、やっとやる気が出たかっ、じゃあいくぞっ、やっほぉおおーっ!!」

「一刀のばぁあああああああかぁっ!!」

「なっ! なんだとー!? 馬鹿って言ったやつが馬鹿だっ!」

「あら。私はただ景色に言葉を投げただけよ? 誰もあなたのことだなんて言ってないわ」

「ぐくっ……だったら俺も! ジョルジュのばああーかっ!」

「ええ。じょるじゅとやらは馬鹿なのでしょうね。私はじょるじゅじゃないから知らないけれど」

「ジョルジュのぐるぐるドリルー! ジョルジュの髑髏! やーいジョルジュ! このジョルジュ! ジョルジュのばーかばーか!!」

「……~……何故かしらね。自分のことではないと思おうと努めても腹が立つわ……! っ───一刀の鈍感! 馬鹿! 種馬!!」

「な、なんだとー!? 馬鹿のほうが面白おかしく生きれるんだぞー!? あと俺馬じゃねーもん! ジョルジュなんて髑髏でドリルのくせに! あ、これただ景色に言ってるだけだかんな!」

「ええそうでしょうね! 大体一刀はそもそもふらふらとしすぎなのよ! 鈍感なくせにあっち行ったりこっち行ったり! そうであれと言ったけれど、ふらふらするなと言いたいわね! これも景色に言っているだけだけれど! 一刀のばぁああああか!!!」

「だったらわざわざ一刀って言うなばーか!!」

「人のことを言えた義理!?」

「ジョルジュじゃないんだったらいーじゃんか!」

「………」

「………」

「一刀のばーか!!」

「曹操のばーか!!」

「なっ……! い、言ったわね? この曹孟徳に向けて、馬鹿と……!」

「そっちだって散々言ったろー!? 王とか覇王以前にジョルジュに言ったんだ! 文句あっかー!」

「だからじょるじゅと呼ぶのはやめなさいっ!!」

「…………曹操?」

「自信たっぷりに罵倒しておいて、よくもまあそこで小首を傾げられるわね……!」

「すげぇだろ」

「……はぁ。いいわ、見逃しましょう。子供相手に目くじらを立てていても仕方ないし……それに、確かに声を発するというのは悪くないわ」

「だから、ヘンに頭がいいみたいな喋り方するよりもさ、“叫ぶのサイコー!”とかそういうのでいいんだって。疲れるだろ、そういう喋り方」

「あなたにとってはそうだとしても、私にとってはこれが普通なのよ」

 

 山へ行き、腹の底から叫んでみたり、

 

「あああああああああああああっ!! んんんんんんんんんんんんっ!! うおおおおおおおおーっ!!」

「それで……何故、川に来てまで叫んでいるのかしら?」

「川はすげーんだぞ! なんかマイナスジオンとかそーゆーのが出るんだって! あれ? それって滝だったっけ? あ、ジオンじゃなくてイオンだったっけ? なんか体にいいらしいぜー!? でな、曹操に足りないのはとにかくヤケみたくなることだと思うんだ。だって硬いままなんだもん。璃々はすぐに叫んだぞー?」

「あなた、これを璃々にまでやらせたというの……?」

「おうっ! 笑ってたぞっ!」

「……子供ってすごいわね」

 

 川に下りてまで叫んでみたり、

 

「曹操曹操! こっちこっち! ヘンな虫が居るぞ!」

「で、何故虫取りになっているのかしら……」

「あーもういちいちそーゆーこと言うなってば! 考えてる暇があるなら楽しむ! それが遊びの醍醐味だー! そんなわけでカブトムシっぽい虫みっけたー!」

「ひぃっ!? やっ、ちょっ……! 今すぐ逃がしなさい!」

「え? なんでさ」

「いいからっ! ていうか近づいてくるんじゃないっ!」

「……? ……あっ。……ははははははぁぁ~ん? お前、散々偉そうなこと言っといて虫が苦手なんだろー」

「ぃっ……ち、違う、わよ? なな、なにを言っているのかしら。気持ち悪いものを気持ち悪いと言っているだけで、やっ、ちょ、やめなさひぎゃーっ!? やっ、ひっ、いやーっ!? 取りなさいっ! 取っ……取ってぇえええーっ!!」

「おぉおっ!? おちっ、落ち着け曹操! 覇王がそんなことじゃだめだろ! 覇王格好いい! 覇王凛々しい!」

「虫をつけたあなたにだけは言われたくないわよ!!」

「ご、ごめんなさい」

 

 森に入って虫取りをしたり、

 

「曹操曹操~! ヘンな果物見つけた! つーかこれ果物か?」

「渋い食べ物だから、そのまま食べるのには向いていないわよ。というか、採っていい時季でもないわね」

「そっかそっか……面白そうなものがあったら、曹操に食べてもらおうと思ってたのに」

「いい度胸しているわね、本当に。ええ、本当に……あなたが戻った時が楽しみね」

「? なにがだ?」

 

 そのまま森で果実を探してみたり。

 ともかく時間の許す限りを体一つで遊びに費やし、陽が暮れる頃には華琳も随分と疲れていた。

 そうなると自然と歩みも屋敷へと向かい、現在は一刀の自室。

 

「……ふぅ。何もしないで一日中遊ぶなんて、随分と久しぶりだわ」

「退屈な人生、歩んできてんだなぁ……」

「退屈などする暇がなかったわよ。やらなければならないことが、それこそ山ほどあったのだから」

「退屈しないのと楽しいのとじゃあ意味が違うだろ。宿題やってて遊ぶ暇がないから退屈しないのと、腹の底から笑ってて他のことに意識を向ける暇が無いのとじゃ、ほら、違うだろ?」

「……明らかに後者のほうが堕落している感があるわね」

「むー……なんで“宿題よりも楽しむことを優先”ってのを堕落って決め付けるかなぁ。じゃあ勉強は先に片付けるか後に回すかにして、新しい楽しみ方を探しているって考えればいいじゃんか。そりゃ、勉強が楽しいってヤツは居るだろうけどさ。楽しみ方ってぜってーひとつじゃないと思うぜ? 俺は」

 

 戻ってくるなり、今日あったことやこれからのことを話し合う二人。

 一刀は遊びの素晴らしさを、華琳はしなければならないことの重要性を語り、それぞれの譲れない部分を互いにぶつけ合って───

 

「……あのさ。戻って早々に楽しげに話してるとこ悪いんだけどさー。少しは私のことも気にしようとか思わないの?」

 

 そんな中、書類の山を前にした元呉王様が一言、そんなことを仰った。

 

「あら居たの。あんまり動かないものだから、書類の一部かと思っていたわ」

「居たわよー! ていうかなに!? あなたたちいっつもこんな量を処理してたの!? なんなのよこの量! 私が遊びに来ると、いっつもちょこんとした程度しかなかったじゃないのー!」

「当然よ。客が来るというのに無様にもがく姿を見せると思う? というよりも、雪蓮? この程度の量を捌けもしないで、よくもまあ本気を出した私は───などと言えたものね」

「う゛っ……や、だって、……あの量が普通なのかなーって。そしたらどんどんと詰まれていくし、手伝ってもらおうかなーって思ったら思春も華雄もそういうことには向いてなかったし、七乃は別件で仕事があるーっていうし」

「はぁ。つくづく冥琳の有能さが理解できるわね。いいわ、一刀、手伝いなさい。雪蓮もあれだけ大見得を切って見せたのだから、ここでの仕事の仕方くらい学んでもらうわよ。……勘に任せた落款落としなんてされたらたまったものではないもの」

「うぐっ……じゅ、重要な仕事を人に任せるから悪いんじゃない~……」

「自分で言ったことの責任くらいは持ちなさい。無用心にも都の仕事を任せたということは、それだけ信頼していたということなのだから。……というか、これだけの仕事も出来ずによくも王として……」

「う、うぅうううるさいわねーっ! いつもは冥琳が纏めてくれてあったし、落款するだけの簡単な作業だったんだから仕方ないでしょー!?」

「それでも任せ切りになる前にしたことくらいはあるでしょう! あなたは酒の飲み方と民との接し方と戦の仕方しか学んでこなかったとでも言うつもり!?」

「うん」

「………」

「………」

「………」

 

 三人の間に、とても静かで……とても冷たい空気が流れました。

 そんな中で孟徳様は静かに、ゆ~っくりと表情を笑みへと変えてゆき、伯符様は静かにじわりじわりと笑顔に汗を増やしてゆき、御遣い様は静かに合掌し、目を伏せるのでした。

 

「あなたはぁああ……っ───王というものをなんだと思っている!!」

「なんかさすがにごめんなさいっ!!」

 

 のちに落雷。

 発声練習 (のようなもの)をしたこともあり、その怒声は部屋に置かれたものをミシリと鳴らすほどのもので、さすがの麒麟児も竦み上がるほどだった。




仕事が一段落したと見せかけてなんの解決もしていないパターン。
疲れた心をゆるキャンで癒す日々が続きます。
そうだ、カレーヌードル食べよう。
カップスターカレー味もいいね。
基本的にカレー味が好きなんだ。
シーフードは食いすぎて飽きてしまったって人は結構居ると思うの。

……ちなみにこの小説を編集するために投稿ページを開いたのが二日前でした。
もっと時間と余裕が欲しいです。


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94:IF/友達っていいね②

 それから続く正論尽くしの言葉責めに対し、しかし彼女は次々と逃げ道を作ってゆく。

 冥琳相手に幾度と無く説教地獄から逃げ出した技能が、ここで無駄に生かされてい───

 

「真面目に聞きなさい」

「ひぃっ!? ちょ、どっ……!? えぇっ!? ちょちょちょっ……どどど何処から出したのよその鎌ーっ!!」

 

 ───く前に、ひどく冷たい声調でその言葉は放たれた。

 何処から出てきたのかも疑問でしかない絶が、慌てる雪蓮の首にヒタリと突きつけられると、さすがの彼女も悲鳴をあげた。というより、目の前の小覇王(仮)からは既に殺気しか感じないために、素直に頷いておかなければスパリと自分の首が飛びそうだった。

 なるほど、こんな付き合いをしていれば、噂の御遣いも華琳を裏切ろうだなどと思わなくなるわけだ。

 

「わかった、わかったわよー! なにもそんな、本気で怒ることないでしょー!?」

「本気で怒らせるような飄々とした態度を取るあなたが悪いのよ! いいからさっさと仕事なさい!!」

「え? や、あのー……手伝ってくれる……のよね?」

「気が変わったわ。真面目にするつもりの無い人を手伝っても、のらりくらりと仕事を押し付けられるだけだもの。どうせ、冥琳相手でもそうしていたのでしょうけれど……生憎だったわね、私は彼女ほどあなたに甘くないわよ」

「あ、あー……あの。か、一刀? かずと~? 一刀は手伝ってくれるわよねー?」

「遊ぶ時は遊ぶ。やることはやる。勉強やらなきゃ周りがうるさいなら、勉強やってから遊べばいーんだって」

「一刀ーっ!?」

 

 北郷一刀。技能:広く浅く。実はやろうと思えば案外なんでもこなす器用人。けれど極めようという気がないためにどれも中途半端な人間。調子に乗りやすいのが難点。

 そんな彼だが、この場で華琳や思春や七乃や華雄に様々を叩き込まれ、少しずつ変わってきていた。

 

「だってさ、そうすりゃ誰も文句言わねーじゃんっ! 胸張って遊べるのって最高じゃん! それにここだとガッコーからの宿題は無いし、なんだかんだで説教ばっかな親も居ないし……───い、いいことづくめさっ! ……あ、いや……ごめん、さびしい」

 

 元気に言葉を紡いで、言った先で後悔した。

 何日も家族の顔を見ていないと不安にはなるようで、目新しさで抑えていた感情が今更不安となって押し寄せた。それを隠そうと、思ってもないことを口にしてしまうと、素直に生きるという感情がそれを許さず、気づけば謝っている。

 だからこそ、彼は改めて訊いた。空気的に、そんなことを訊くべき場ではないことくらいわかっていたが、それでも。「なぁ、ここは何処なんだ」と。

 

「都だ、ってことは他のみんなにも聞いたし、璃々にも聞いたけどさ。知らない文字ばっかだし知ってるヤツも居ないし、えと、その……みんながいい奴だってのはわかるよ。でもさ、俺ってもしかして、誘拐、されたんじゃないかなって」

「………」

「………」

「だ、だってヘンだろっ!? 目を開けたら知らない場所でっ、知らない文字に知らない常識にっ! 怖いから言われるままにいろいろやってきたけどさっ! ど、どう考えてもこれっ───!」

 

 続く言葉が出なかった。

 言ったら自分はどうなるのだろう、もしかしてひどい目に遭うのでは。

 必要だから攫われて、あからさまな逆らう意思がなかったから今まで無事だったのでは。

 子供というのは大人が思うよりも考えているものだ。そんなことを考えてしまえば、大人はもちろん、子供だろうと口を閉ざす。

 

「誘拐、ね。まあ、ある意味では誘拐よねー、これって。誰がやったのかなんてわからないし、どうしてあなただったのかもわからない」

「ええそうね。けれどもね、一刀。少なくとも、この都にあなたの敵はいないわよ。あなたがどれだけのことをしようとも、そうそうには嫌われないだけの理由があるの。まあ、本当に笑い話にもならないことをすればどうなるかなど考えるまでもないけれど」

「嫌われない……理由……? えと、それって……利用価値とかか?」

「え? …………ぷっ───く、あははははははっ!!」

「え? え?」

「なによ華琳、急に笑い出したりして」

 

 利用価値。まさか、小さくなったこの男からもそれを言われるとはと、華琳は笑った。

 そもそもの自分達の付き合いのきっかけが利用価値だった。

 御遣いの名を利用するため、天の知識を利用するため、その方法は様々だった。

 確かに最初こそはそれを理由にしていたというのに、今では……。

 

「ふふっ、ふふふ……ええそうね。確かに利用価値があるからで間違っていないわ」

「えっ……お、俺をどうする気だ!? もしかして俺を……俺、を……えーと……どどどっどどどうする気だーっ!!」

「あっはは、一刀ー? 何も思いつかなかったんなら、別に叫ばなくてもいいわよー?」

「想像したら怖かったんだからしょーがないだろっ!? ほっとけよぅ!!」

 

 子供は考えるもの。しかし、その知識量の範囲でしか考えられないのは誰もが一緒。

 子供の持つ知識量は浅いかもしれないが、不安になった子供が考えることというのは、いろいろな意味で深く重く、そして残酷なものだろう。

 叫ばなければ自分を落ち着かせられないと本能的に叫ぶのに、それはちっとも解決にはならずに、結局不安にしかならないことばかり。

 とても小さな子供が泣き出し、けれど途中で泣けなくなって叫ぶだけになることがある。関心を持ってほしい、心配してほしいのに、泣いていなければ心配してもらえなくて不安になるから泣いているように叫ぶ。これは、そんな時の子供の心境に似ているのだろう。

 もっとも、この場合の心境は心配を求めたのではなく───きっと、救いを。

 

「っ……でもっ、嫌わないからって大切にしないって理由にはならないだろっ!? みんなは俺がここに居ることをなんでか当たり前みたいにしてるけど、俺はわけがわからないんだよ! 一刀一刀って言ってるのにみんなちっとも俺を見てない! 立派になれって、様々が出来るようになれって言って、今の俺なんか見ようともしない! ……なぁっ! 今の俺ってそんなにだめか!? 道を歩けば御遣い様御遣い様って、みんなが“ぬしさま”のこと噂してる! 俺にそんな立派な、誰かに噂されるようなヤツになれって!?」

「なれ、じゃないわ。なるのよ。むしろ追い抜きなさい」

「───え……?」

「北郷一刀。ええ、天の御遣いは確かにあなたと同じ名前よ。能力的にも彼の方が今のあなたよりも何を比べても上。けれどそれがなに? あなた以上に生きているのだから当然じゃない。わけがわからないのなら理解しなさい。自分を見てほしいのなら見られる努力をしなさい。比べられるのが嫌なら越えてしまえばいいのよ。そこへと到った前例があるのなら、そこへ到るための道があるのなら、そこへの過程を効率よく短時間で学び、余った時間で彼を越えてしまえばいい。知識や経験とはそうして、先駆者を越えてこそ積み重なっていくものよ」

「………」

「同じ名前? 周囲の噂? 結構じゃない。学ぶべきものがあるということは、どうすればそれを得られるかがもうそこにあるということよ。どうすればいいのかを手探りで探さなければいけないよりもよっぽど楽だわ。それともあなたはそこから何も学ばずに自分で学ぶ? あなたは箸の持ち方を誰にも教わらずに、自力で理解したとでも言うつもり?」

「あ……」

 

 既存の知識を学び、近道をするからこそ発展がある。

 産まれた子供が誰からも教わらずに一から自力で、など無理だろう。

 教科書があったから学べることがあった。それを教える場所があり、教える人が居たから学べた。

 “一人で生きていく”というのはそれらを受け入れないということであり、

 

「……漫画とかの主人公って……うそつきばっかじゃんか……!」

 

 人が居て、そこまで育てたから“言える言葉”が、“使える言葉”がある。

 少年はそんな漫画がある自分の故郷を思い、出てきた涙を乱暴に拭う。

 そして「帰るにはどうしたらいいんだ」と、涙の所為で少し震える声で訊いた。

 

「帰り方……んー、華琳は知ってる? えーっと、御遣いが消えた時ってどうだったの?」

「……消えるのよ。文字通り、その場から。考えてもみれば不思議なことよ。現れる時は空から流星のように。そして消える時はその場で」

「その場で、って……有り得るの? そんなこと」

「ついさっきまで後ろに居て話していた人が、突然消える。……実際に経験したのよ。あなたは私が、こんなことで嘘をつけると思うのかしら?」

「あ、や、べつに華琳自身をそう疑ってるわけじゃないわよ」

 

 言いつつも、彼女は華琳の目を見て気づかれない程度の溜め息を吐いた。

 (嘘を“つける”とでも……か)、と思いながら。

 

「消える……? 俺、消えるのか……?」

「ええ。消えれば、お望みの通り自分が居た場所へ戻れるそうよ。あなたの嫌いな“ぬしさま”もそうして消えて、しかも戻ってきたの。彼自身が言っていたから間違いないわ」

「えっ……あっ……じゃあっ、消えるにはどうしたらいいんだ!?」

「や、消えるってそんな嬉しそうに言うこと?」

 

 言い回しにおかしさを感じた雪蓮が苦笑する。

 そんな彼女を気にすることもなく、華琳は小さく笑って目を伏せながら言った。

 

「“あなたがここに居る理由”が終われば、きっと消えるわよ」

「俺が居る理由ってなんだ!?」

「そんなことは私が知りたいわよ」

「えぇええっ!? なんだよ! ジョルジュなら知ってると思ったのに! 偉そうだし!」

「ぶっ! ……くっ、あはははははは!! 偉そう! そうね、華琳ってば無駄に偉そうよねぇ一刀っ! あはははははは!!」

「…………あなた。本当に私を怒らせるのが好きね……!」

 

 目を伏せたままに口角を持ち上げ、しかし眉毛が明らかに笑っていない感じにピグピグと引きつっている。

 見る人が見れば震え上がるような状況なのだが、そんな彼女を前にした二人は一方が笑い転げ、一方が真剣な顔で消える方法を考えているとくる。

 ……なんだか自分だけ真面目でいようとするのが馬鹿らしくなる状況だ。

 

「……そうね、一刀。少なくともあなたは“誰かの願い”によってこの場に居ると考えなさい。けれど、それが誰なのかは誰にもわからない。私もあなたも知らない誰かかもしれないし、知っている者かもしれない。それどころか、あなた自身かもしれない。願われた理由がどうあれ、それは相当に強い願いであることは間違いないわ。それが叶えられた時、きっとあなたは戻れる」

「ほ、ほんとかっ!?」

「ええ。ここで出会った全てを置き去りにして、ね」

「え───……」

「当然でしょう? 天に帰るということはそういうことよ。“ぬしさま”もそうだったんだもの、あなただけが違うとでも思う?」

「…………でも、またいつでも来れるんだろ? “ぬしさま”は戻ってきたって、さっき」

「いつでもなんて無理よ。そして、誰の願いのお陰でまた来れたのかもわからない。……それとね、一刀。いつでも来れるなんてこと、間違っても二度と口にしないで頂戴」

「え、え……? な、なんでだよ。また来たいって思ったらいけな───」

「御遣いが言っていたわ。自分が住んでいた場所は、とてもとても平和な場所だったと。そして一刀。その御遣いが居た場所は、あなたが居た場所と同じなの。……今が大分平和になったとはいえ、ここにはまだまだ危険があることを覚えておきなさい。軽々しく“いつでも”なんて口にして、もしそれが叶った上であなたが死んだら、あなたの家族はどうなるの? 子の死に目にも立ち会えない親のことを考えたことがある?」

「あ……う…………」

 

 華琳の言葉に、一刀は鍛錬の際に見た真剣や斧の鋭さを思い出した。

 どうせ斬れないものだろうと思い、触ろうとして……途中でその手を止めてしまうほどに鋭かったのだ。

 そしてなにより、それからは“決して消えない、嗅いだことのない怖い匂い”がした。

 血の匂いならば───子供だ、怪我のたびに嗅いだだろう。

 けれどそこからは“死が重なった血”の匂いがした。

 人の死さえ見たことのない少年が、その答えに辿り着くことはないが、つまりはそういうことが起こる世界なのだ。

 

「……じゃあ、俺にどうしろってんだよ」

「今まで通り楽しんでいればいいわ。不安を押し隠すための行動だったとしても、その全てが演技だったとは言わせないわよ? どう見ても純粋に楽しんでいなければ出来ない行動が多々あったもの」

 

 「この曹孟徳に向けて、馬鹿と叫ぶとかね」と続け、ニヤリと笑う。

 それを聞いた雪蓮が目を丸くして華琳と少年とを見比べるが、やがて視線が一刀だけに固定されると吹き出した。

 

「えっ!? なに一刀! 正面きって華琳に馬鹿って言ってみせたの!?」

「う……うん」

「…………っ、っ……っくっふっふっふっふ……! ぷふっ、あははははは! そ、それは確認するまでもなく演技でなんて言えないわ! どんな理由があっても言えるようなものじゃないものっ、あはははははは!!」

「え、え……?」

「雪蓮……あなた、ここ最近だけでどれだけ大笑いするつもり?」

「笑える時に笑っておかないのは人生を損する瞬間ってものでしょー? てゆーか、そういえば私に向けてもよく“馬鹿”って言ってたもんねー、一刀は」

「え……俺、言ったっけ、そんなこと」

「言ったわよー? そして、ここらでは王に対して馬鹿~なんて言おうものなら罰が下るのが当然なの」

「…………それ、本気か?」

「ええ。そういう国よ」

「………」

 

 言葉だけで処罰される世界を知る。

 もちろん日本にもそういう場所はあり、親にだろうが上司だろうが、自分の身近なところから離れれば離れるほどに罰の度合いが重くなる。

 子供は素直に思ったことを言うが、それは正しくあるべきか間違いであるべきか。

 

「……じゃあ、その王様が間違ったことをしたときにも馬鹿って言っちゃいけないのか? 本当に馬鹿なことをした相手に馬鹿って言うのもダメなのか? ……それってなんかおかしくないか? 俺、見たことあるぞ? 偉いヤツに従ってるヤツは、従うだけが、えと、ちゅーぎってやつじゃないって。ちゅーぎがなんなのか知らないけどさ、それって大事なことなんじゃないのか?」

「とりあえず……頭ごなしに馬鹿と言うのは忠義じゃないわね」

 

 あなたの言っていることが間違っているわけでもないけれど。続けて言いながら、華琳は雪蓮を見て溜め息を吐いた。“なるほど、コレに馬鹿と言うなというのは中々に無茶だ”───そんな視線だった。

 

「それにね、言葉を選ぶことも大切でしょう? 馬鹿と思ったなら馬鹿と言っていいわけではないわ。主に注意を促すのであれば、まずは必要なことを言う。聞く耳を持たないのであれば、その時こそ馬鹿とでもなんとでも言いなさい。仕える者の言葉に耳を貸さずに好き勝手に振る舞う輩など、確かに馬鹿なのだから」

「あのー……ねぇ華琳? それを、どうして私の目をま~っすぐに見ながら言うわけ?」

「あら。言葉が必要かしら? 冥琳の説教に耳を貸さず、酒に巻き込んで誤魔化す呉王様」

「なっ……!? あ、あーそう、そういうこと言うの。へー…………小覇王」

「いい加減にしなさいこのおなまけ麒麟児」

「なによやる!? やったろーじゃない!」

 

 二人が再び口喧嘩を始める。

 けれどそれは、一刀にしてみれば仲の良い二人のじゃれあいのようにしか見えない。

 ……自分には、そんな相手が居ないというのに。

 街の子供はそこまで出来るほど仲が良くない。

 璃々にしたって今はここには居ないし、言いたいことを言い合えば彼女はきっと泣いてしまい、そこには紫苑の怒りが下るだろう。

 だから少年は小さく、俯きながら言った。

 「なんでも言い合えて、許し合えるヤツはいいよな」と。

 

「んう? なんか言った? 一刀」

「……なんでもない。とにかく、俺は今すぐには消えられないんだよな?」

「そうね。……なにか目標でも見つかったのかしら?」

「見つかった。でも、教えない」

 

 投げられた質問にそれだけ答えると、視線を合わせることもせずに椅子に座り、机に向かう。押し出された雪蓮はぽかんとするが、そういえば喋るばかりで仕事をやっていなかったことを思い出す。

 慌てて「仕事ならやるからいいわよ」と彼女らしくもないことを言うが、一刀は書類整理をしているのではなく、文字を学ぼうとしていた。

 

「か、一刀ー……? ちょっとー……?」

「……ん、ごめん。必要なもの取ったらすぐ退くから」

 

 言いながら、一刀は山になっている書簡竹簡からいくつかの竹簡と一冊の書物を取ると、自分の寝台へと歩いて座る。それは、彼が文字を習うためにと華琳が渡したものだった。

 

「……なぁ、曹操」

「なにかしら」

「一人で出来ることって、なにがある?」

「少ないわ。とても。ええ、とてもね。この世界はね、一刀。手を取り合わなければ出来ないことに満ちているわ」

「………」

「あなたは一人で居ることを望むの? まだこの大陸のこともよく知らないまま、一人で居ることを」

「望まないよ、そんなもの」

「え───」

 

 いじけているように見えた姿で、彼は勉強をしようとしていた。

 だからこそ、いじけたままに他の全てをつっぱねるような子供のようなことをするのかと、勝手にそう判断していた。けれど口に出してみれば、少年は俯かせていた顔を上げて華琳の目を真っ直ぐに見て、そう言ってみせた。

 

「カッコつけの漫画の主人公とかカッコつけの暗い男なんてみんな嘘つきだ。人なんて一人じゃ生きていけないじゃないか。だから俺も、誰かの役に立てる自分になる。今すぐ帰れないなら、帰れる日まで頑張る。帰れる日が来て、仲良くなれたヤツが居たら、泣いてバイバイする。だから……馬鹿って言っても言われても、笑って許し合える友達作って……~……笑いながらここで生きてやるんだ……っ……!」

 

 子供は泣いていた。

 その事実に、華琳は“自分はいったいなにをしていたのか”と頭を痛めた。

 相手は子供だ。そんなことはわかりきっていた筈だった。

 けれど最近は従順に、言われたことを次々とこなしていく姿に、“子供以上”の在り方を求めていた。それがどうだ。無理をさせて泣かせてしまい、泣いた瞳で自分を睨ませるなんてことまでさせてしまった。

 少年は確かに楽しんでいた。けれど、その隣に“彼の友達”は居たのだろうか。ただ元気に燥ぐだけで、叫んだり走り回ったりするだけの彼を理解出来る誰かは、居たのだろうか。

 

(……そういうこと。だから、いつになく叫んだり騒いだりをしていたのね)

 

 ここ数日間の少年の騒ぎ方の違和感の理由が、ようやくわかった。

 ただ不安だっただけなのだ。

 元の北郷一刀のように、それなりな知識があるわけでもない。

 ただ急に子供になり、物珍しさだけで自分を誤魔化していた彼にとって、友達も居ない景色と勉強しろと言うだけの存在など、自分を閉じ込める檻でしかなかったのだ。

 ……けれど、そこからきちんと出ようとする努力をしたからこそ、友達を作ろうとしたからこそ、彼は自分を馬鹿と言ったり散々と連れ回して“楽しいこと”を共有しようとした。

 理解しきれない世界でも、子供なりに努力をしていたのだ。

 

「…………雪蓮、仕事はここでなくとも出来るでしょう? 出るわよ」

「え゛っ……あ、明日に回すとかはー……」

「これは既にあなたの仕事よ。終わるまでは寝てはだめ。決まっているでしょう?」

「ううっ……華琳のおにー!」

「いいからさっさと運びなさい」

 

 二人して書簡竹簡を抱え、歩き出す。

 雪蓮がぶちぶちと文句を言いながら部屋を出て、それを軽く見送ってから……華琳は俯いて勉強をしている一刀へと向き直る。

 

「一刀」

「………なに」

「…………ふふっ」

「?」

 

 目に映ったものは、拗ねた子供の姿だったに違いない。

 なのに声をかければきちんと反応する。

 耳を傾けなさいと言った言葉を、ちゃんと守ろうとしていた。

 それはきっと、自分に与えられる情報の少なさを必死でかき集めた結果なのだろう。

 華琳はそんな小さな律儀さに思わず笑い、その笑顔のままに溜め息を吐くと言った。

 

「あなたが思っているほど、この大陸はあなたにとって辛くあたらないわよ。無理にだろうと、笑える今を大切にしなさい。そして───」

「………」

「───覇王であるこの曹孟徳が、あなたが言った“馬鹿”という言葉を許したその意味を知りなさい」

「…………、……?」

 

 きょとんと、ぽかんとした顔を見て満足げに笑うと、華琳もやがて部屋を出る───と、すぐそこで聞き耳を立てていたらしい元呉王にげしげしと蹴りをかまし、そのまま歩く。

 「許した意味ってなに?」と雪蓮に訊かれても、笑うだけで答えずに。

 そうして一人、部屋の椅子にぽつんと座る一刀は、言葉の意味を探した。

 

「許す意味……? 許すって……───あ」

 

 答えは見つかった。

 自分で言ったことだ。まさか聞こえていたとは思わなかったけど。

 

  なんでも言い合えて、許し合えるヤツはいいよな

 

 ……なんだ。自分は許してもらえていたじゃないか。

 王どころか、覇王に。

 ベーゴマやって、連れ回して、笑って、馬鹿って言い合って、許してもらえていた。

 自分だって曹操のことを怒ったりなどしていない。

 それってつまり、なんでも言い合えて許し合える仲ってわけで───

 

「……なんだよこれ。ずりぃ……かっこわりぃ……」

 

 格好のいい自分なんていらないと思って、何日が経っただろうか。

 それでも自分が格好悪いと感じて、彼は泣いた。

 泣くつもりはなかったのに、情けなくて泣いた。

 子供は考える。

 子供なりに頑張って考えて、自分なりの答えを出しても大体は苦笑される。

 きっと今の彼は、出した答えを笑われた状態だ。

 悔しくて情けなくて、それでも……だからこそ次はと気を引き締める。

 とりあえず今日、大切なヤツが出来た。

 胸を張って友達だって言えるようなヤツだと思う。

 そんなあいつに認められる、友達でいられる自分でありたいと思った。

 だから……頑張ろう。適度に遊んで適度に学んで、泣くのは出来れば今日だけにして、だから思いっきり泣いて、また明日。

 

「……んっ」

 

 ジョルジュなんてもう呼べない。

 だからきちんとこれからも曹操と呼ぼう。

 なんか“かりん”とか呼ばれてるけど、それは前に聞いた“まな”ってやつだ。

 親しくもないヤツが呼ぶと殺されるらしい。

 それを許されるくらいに仲良くなって、それから───それから。

 

「? それから、なんだろ」

 

 最近の自分は少しおかしい。

 夢に、見たことのない景色がいやにリアルに出てくる。

 それは戦いで、誰かと誰かがたくさん居て、みんな殺し合っている。

 怖くて哀しくて誇らしくて、いろいろな感情が巻き起こる夢は、どうしてか……まるで、実際に自分が見たもののような───




関係ないけど、アニメ化が決定して実際に放送されるまで、自分の中のプレゼント・マイクの声は千葉繁さんでした。


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94:IF/友達っていいね③

 

【お目覚めの時間です】

 

 とある空の青い日。

 少年は一人の先生を前にチョークもどきを手に、小型黒板に文字を書いていた。

 

「……と。よし、ここまでだ。北郷、なにか質問はあるか?」

「はい、えーっと、周瑜先生、絵本の続きが見たいです」

「………」

 

 本日の授業……というか、先日も、その前も絵本での読み書き授業だった。

 文字が読めるようになると、絵本とはいえ馬鹿に出来ず、むしろ素直に生きようと決めた少年にとっては、誰かが書いた物語というのは知識の宝庫だった。

 考え方ひとつで視界が変わる“先が決まった物語”というのは、これで案外刺激になるようだ。

 

「その絵本はもう読めるようになったか」

「おー! これ面白いなっ! 前は絵本なんて~とか思ってたけど、見てよかったー!」

 

 一刀が、冥琳が貸した絵本を手にヒャッホォーゥィと甲高い声をあげる。

 その何冊かの本には冥琳が感想を聞こうと思っていたものも混ざっており、答えは“面白い”で占められた。

 見慣れない人にはいつもの周公瑾として立っているように見えるが、見る人が見れば、一刀が褒める度に彼女の綺麗な眉毛がぴくりぴくりと動き、口角が持ち上がりそうになるのを必死で耐えているのがわかる。

 

「そうか。……すまないな、その続きはまだ出ていないんだ」

「えー? そうなのか~……。ちぇー、こういうのってむず痒いよなー」

 

 口を尖らせて、少年がぶちぶちと文句をこぼす。

 しかしすぐに笑顔になると、他のことを教えてくれとねだった。

 

「ああ、それは構わないが……そんなに急いで学ぶことか?」

「やれることがあるなら、出来るうちにやっておけって曹操がさ。日々を“今日死ぬものだ”と考えながら、存分に謳歌なさい、だってさ。そんな毎日を続けていれば、別れ以外に悔いが無くなるわよ、って」

「……なるほど。それは、別れが寂しくなる」

「寂しくなったら、寂しいって思えるほどに大切に出来たんだって胸を張れ、って」

「ほう? ……それを、あの曹操がか」

 

 変われば変わるものだと彼女はこぼした。もちろん、本人の前ではとてもじゃないが言えることではない。

 他人にとってみればそれだけのことだが、寂しさのあまり泣いてしまった彼女だからこそ言える言葉でもあったのだろう。

 子供になったとはいえ、泣かせた本人に言うのがどれほど恥ずかしかったのかは、きっと本人のみが知るところだろうが。

 ともあれ、重くない空気のままに個人授業を続けていると、今日も今日とてノックもなしに開かれるは北郷一刀の部屋の扉。

 

「かーずとーっ♪ おるーっ?」

 

 上機嫌でやってきたのは、大型の酒壷にも似た徳利の口に縄を絞めて肩に担いで笑う、さらしと袴姿といういつも通りといえばいつも通りの姿の霞だった。都へ来たのは冥琳とほぼ同時期だが、冥琳にしてみれば雪蓮を見ているようで少々頭が痛い。

 

「お前は……また昼間から酒を」

 

 だから思わず似たような言葉が出るのも、仕方の無いことなのだろう。

 

「おっ、めーりんやん。授業中? あー、悪いんねんけど一刀借りてええ?」

「酒盛りに誘うつもりなら、相手の年齢を考えてからにしろ」

「平気や平気! ウチやって子供ん頃から酒飲んどったもん! 子供ん内から酒に強ぉなってもろて、そんでそんで夜通し騒いでも元気でいられる一刀になってもらうんやーっ!!」

「………」

 

 その時、軍師様は思いました。

 ああ、これは口調こそ違うが雪蓮だ、と。

 なので遠慮なく耳を引っ張り、痛いと言われようが引っ張り、一刀の隣の空いている椅子に座らせると……酔いも醒める説教が始まった。

 

「うう……霞ねーちゃんのばか……。これじゃとばっちりだよ……」

「な、なははー……ごめんなー、一刀ー……」

「……二人とも? 聞いているのか?」

『ごめんなさい聞いてますっ!!』

 

 一日一日が普通に流れていく中で、少年は笑顔でいる日が増えた。

 それは無理に作ったものではなく、子供らしい笑顔だ。

 一方で、華琳と一刀が以前よりも一緒に居ることが多くなったと聞き、大変勇気のあることであるが直接訊ねる軍師さんなども居たのだが、「曹操は友達だ!」……と、子供は元気にそう答え、一方の覇王様はなんだか微妙な顔をしていたとかなんとか。

 もしかして青年に戻っても友達のままって意識が強くなるんじゃ? と誰かが言えば、さすがに冷静でいられなくなる覇王様だったのだが、いろいろと考えてみて「それはないわね」と結論づけた。

 

「あー、ほらほらー、めーりーん? 美味い老酒が手に入ったんや、一緒に飲まへん?」

「……誤魔化す手法まで一緒なのか」

「え? なにが?」

「霞ねーちゃん……曹操に怒られてる孫策ねーちゃんみたいだ……」

「なっ! ちょ、一刀っ、そりゃ失礼ってもんやで!? ウチは今日はちゃーんと非番やからこうして酒飲んどるんや! そんならせっかくやし一刀誘って、侍女たんが用意してくれたモノを庭で一緒に食わんかなーって! せやから誘いにきただけやっちゅーねん!」

「だから。そもそも子供を酒盛りに誘うなと言っている」

「えー? べつにえーやん。日本酒のお礼がしたかっただけなんやって! “御遣い”の話じゃ飲むにはまだまだ早かったらしいけど、あれでもなかなかイケたし! 最低でも一年は寝かせたほうがええなんて、待ってられんかったウチが悪いんやって」

「? それと俺と、なんの関係があるんだ?」

「んっへへー、大人んなったら教えたるなー? な、それよか飲も飲も! こんな天気のいい日に部屋に閉じこもってべんきょーなんてつまらんやろ!」

 

 根拠もないのに真っ直ぐな言葉に、額に手を当て溜め息を吐く苦労人が一人。

 

「つまらんとは、軍師を前によくもはっきりと……」

「えー? えーやーん、それともなにか? お昼寝提案して、一刀が寝とるのをいーことに頭を撫でてにやにやするのはえーっちゅーの?」

「なぁっ!? ……な、ななっ、なぁああ……!?」

「やー、あん時の冥琳は可愛かったなー……猫を撫でとる周泰なみに可愛かったでー」

「~っ……! き、きさ、きささ……! 貴様……いったいいつから……!」

「や、ほら、窓空いとったやん? ウチそのすぐ下におってん。一刀の勉強終わったら遊ぼうか思って。そしたらなー、一刀。この軍師さま、一刀が寝てるのを確認するや頭撫でてにっこにこ~てむごっ!?」

 

 珍しくも顔を真っ赤にして、声にならないなにかを叫んでまで霞の口を塞ぐ軍師が居た。

 その目が全力で語る。やめろと。

 

「お前はなにか!? 私の邪魔をしに来たのか! この授業が私にとっての仕事だとわかっている筈だろう!」

「もが……い、いやー、ただふつーに、その仕事を中断して、酒を楽しも思て……な?」

「仕事を中断して酒を飲む馬鹿な軍師が居るものか!!」

「えー? 七乃ちんは誘ったらあっさり飲んだでー?」

「……北郷。ここに落款を落とせ」

「あいよー」

 

 たんっ、と音が鳴った。

 七乃の減給申請についてのものだった。

 もちろん“そうしてしまってほしい”と頼むだけで、許可をするのは華琳だ。

 

「で、どうするんだ? 酒は俺、あんまり好きじゃないんだけど」

「だ~いじょ~ぶやぁって~っ♪ 一刀もなっ? 美ン味い酒飲めば、そないなこと言えんくなるんやからっ」

「…………ほんとか?」

「乗せられるな北郷。それより授業の復習と、なにか訊きたいことがあれば私に───」

「あれはつい先日のことや。めーりんが寝ている一刀の」

「───酒宴の中で訊け! さあ北郷、休んでいる暇はないぞっ!」

「えっ、ええっ!? ちょ、どうしたんだよ周瑜先生!」

 

 それは、とても珍しい一面が見れる日だった。

 やはり顔を真っ赤にした冥琳が霞に詰め寄り、小声でだけどギャーギャーと騒ぎまくっている。一刀に自分のイメージを壊してほしくないのか、ただ恥ずかしいのかはわからないままだが、それでも奇妙な弱点が出来てしまった……と目を伏せながら溜め息を吐く。

 というか続けて頭を抱えて俯いて、とほー……と長い溜め息を吐いていた。

 

……。

 

 昼が酒宴となった。

 小さな酒宴だが、酒が老酒で食べ物も中々のものときて、しかも東屋で開放的に食べるという状況がまるでピクニックのようで、一刀は心なし上気していた。

 

「なんかいいなー、こういうの。空の下で食べるご飯って、なんか美味しいよな」

「おっ、やっぱ一刀はわかっとるなー。めーりんはどない?」

「……まあ、軽い酒宴といえば雪蓮とよく東屋でやっていた。これもそれに似たようなものだろう」

「おおっ、なんや常連さんやないか。せやったらなんであない渋っとったん? やっぱあれか、雪蓮相手やないと飲む気になられへん? せやったらちと強引やったなー……謝るわ」

「いや、そこまではいかんさ。渋っていたのは私なりの責任のようなものだ。学びたいという北郷の意思を尊重したかった」

「あー……そかそか、そりゃ一刀に悪いことしたな。けどそない勉強ばっかで疲れへん?」

「最初は嫌だったんだけどさ、絵本とか読めるようになってからはもう、楽しくてしょーがないんだよなー。今続きが気になってる絵本があって、絵本なのになんで続きがあるんだよーって感じだけど、面白いんだよなー……」

 

 食べ物をモゴモゴと口にして、飲み込んでから喋る。

 実はこの少年、べちゃべちゃと口を開けながら食べて、口にものを入れながら喋ったりして華琳に怒られた経験があったりする。

 それ以降はどうにも食事のマナーは守ろうと努めているようだ。

 なので東屋で開放的にも係わらず、姿勢はきちんとしているし食べ方も綺麗……なのだがこういうものは案外長続きしないもので、姿勢もゆっくりとぐにゃーと曲がっていっている。

 ピンと伸ばした背筋など、食事が終わるまで保っているのは案外難しい。

 特に、言われたからやる人は。

 そんな、姿勢にばかり気を取られている一刀をよそに、霞はソッと冥琳の隣でニヤリと笑うと、彼女の耳に口を近づけて一言を届ける。

 

「それにしてもなー……めーりんが思いのほか一刀にべったりで、ウチ驚いたわー……」

「わざわざ耳元でささやくな、気色悪い」

「ん? 大声でゆぅてえーんやったら嬉々として───」

「やらんでいいっ」

 

 心休まる時間が欲しい……それは、彼女が心から思う願いだった。

 呉にも魏にも酒飲みで似たような性格の者が居るとなると、もはや蜀と都だけがと思っていたのに……よもやその都に訪れる日と霞の来訪が被るとは。

 酒宴の席で酒を飲み、無駄に雪蓮と意気投合したことで真名まで許し合った二人に巻き込まれ、散々と酒を飲まされた上に振り回されたいつかを思い出す。……いや、少し思い出して顔を振って忘れた。

 

「あの日は私もどうかしていたな……。お前に真名を許すなど……」

「んあ? えーやんえーやん、酒飲みの上手いもんに悪いやつはおらんっ! その点は策たん───雪蓮も認めとるところやし、だからこそこうしてめーりんとも仲良ぉなれたんやん」

「仲良くというなら、せめてこうして人を振り回すのはやめてくれ……」

「あー……そういや雪蓮も、めーりんは静かに飲む酒が好きや~ってゆーとったなぁ……」

 

 東屋の天井を見上げつつ、しかし手では酒を注いで顔を赤くしている霞。

 見ているわけでもないのに溢れそうになる前にピタっと止める手は、もはやどれだけ傾ければ出てくるのかを重みで理解しきっているようだった。

 

「まあそんでも、楽しめるとこでは楽しんでおかんともったいないやん。……ところでどやった? 一刀、めっちゃかわいくなったけど、寝てる一刀撫でてみてどやったん?」

「………」

 

 なななな、とずずいと迫られ、その度に気まずそうにして顔を背ける冥琳。

 しかしあんまりにしつこいその態度にか、それとも案外言いたかったのか、ぽろりとその言葉をもらした。

 

「いっ………………癒された……」

 

 見れば耳まで真っ赤だった。

 というより、座りながら詰め寄る霞からは、もはや後頭部と耳くらいしか見えないのだが、それでも真っ赤だった。

 

「おー! そーかそーかー! やっぱ癒しは必要やもんなー! 猫とか可愛い子ぉとか撫でてると、癒されるもんなー!」

「だっ、ばかもっ───大声で言うなとっ!」

「なっはははははっ、いやー、めーりんにもそないな感情があって嬉しいわー。呉の軍師連中なんて、もっとお堅いもんばっかやと思とったし。やっちゅーのにその中で一番堅そうなめーりんがこれなら、ウチも随分付き合いやすいわー」

「…………相手を知る前に真名を預ける方がどうかしている。散々と飲ませ、酔わせた上での真名交換など本来有り得ないだろう」

「んーでもこうして仲良ぉなれたし、互いも知れたやろ? なんにでも切欠は必要で、ウチらの場合はそれが酒と雪蓮と一刀やったってだけやん。それよか飲も飲もっ! 猪口空いとるやん、酒宴の席で猪口を30秒乾してたらあかんねんでっ」

「調子の良い嘘を言うな」

「あ、やっぱ騙されへん? 軍師にはこういう口上は通じんなー。呂蒙ちんあたりやったら戸惑いながらも飲んでくれそうやのに」

「……はぁ。あれにお前相手の酒宴は早すぎる。誘うなら祭殿にしておけ」

「う……あの人はなー……逆にこっちが潰されかねんもんなー……」

 

 次第に酒臭くなる席で、一人子供な彼は黙々とご飯を食べていた。

 用意された食事はやはりなかなかの味で、白米が喉を通る喜びを堪能している。

 試しとばかりに霞が、「喉渇いたやろー」と酒を渡す。

 一刀には見えないところで、湯飲みに入れておいたものだった。

 それを素直に「ありがと、霞ねーちゃん」と言ってごくりと飲んで───盛大に噴き出しそうになったものの、この世界での食料などがとても大切であることを瞬時に思い出すと、自分の口を押さえて必死で我慢し、飲み干した。

 

「お、おー……しっかり飲みおっ───」

「ねーちゃん。正座」

「へ? や、あの、一刀?」

「正座」

「えー……と?」

 

 東屋の固定された石の椅子から、とんと降りた一刀。

 目はいつの間にやら据わっていて、霞の目しか見ていない。

 顔はとっくに赤くなっていた。子供だからなのか、アルコールに対する抵抗力が無さすぎたのだろう。……つまりは酔っていた。

 なにやらよくわからないうちに正座させられた霞が、食料の大切さを子供に説かれるのはこの数秒後で、冥琳はそんな罵声を耳にのんびりと食事を開始した。

 

「もし吐いたらとか考えなかったのか!? いくらねーちゃんがお金出して買っても、これはお酒屋さんが頑張って作ったものなんだ! 頑張って作り上げたものを無駄にするきっかけを作ろうとするなんてダメじゃないか! ちゃんと言ってくれれば頑張って飲んだのに、なんでこんな騙すみたいな形で飲ますんだ!」

「あ、あーうー、いや、そのう……な、か、一刀ー? もうせーへんから許して? な?」

「ていうか子供にお酒飲ましたらだめだろー!? なんでじーちゃんもとーさんも俺にお酒飲ませたがるんだよ! 孫策ねーちゃんだって笑いながら俺の首掴んで無理矢理飲ませようとするし!」

「……ほう? これは、随分と聞き捨てならないことを聞いたな」

 

 一刀の言葉を耳にした冥琳が握る箸が、みしりと軋んだ。

 そんな音には気づかないままの二人は説教して説教されて、しばらくの時間を潰すのだが……少しして、霞が「ご飯、冷めたら無駄になるやろー?」と逃げ道を用意してみると、あっさりと説教終了。

 「最初からこれ言えばよかったわ……」と呟いて席に戻る霞の横で、冥琳は「それでは説教にはならんだろう」と溜め息をこぼす。

 

「ん? なんや機嫌悪い? 少し感じ悪いで、めーりん。あー……ウチの所為やったらごめんな」

「いや。その点についての説教なら北郷がしただろう。私は私で、呉でやらなければならないことが出来たなと考えていただけだ」

「お、そか。やっぱ軍師ってのは大変なんやなぁ……武官は随分と静かになってもーたわ」

 

 席に戻り、頬杖をついて溜め息。

 視線は同じく席に戻ってご飯を食べている一刀へ向けている。

 小さな体と小さな口でがつがつと味わっている姿が、妙に可愛い。

 

「ははっ、まあ、武官文官とは関係ないけど、世の中にはおもろい薬があるもんやな。まさか一刀が子供になるなんてなー」

「飲みたいと言う者が大分居たが、記憶が当時まで戻るということを教えると、途端に声を聞かなくなったな」

「あ、やっぱそーゆーの居たん?」

「口では言わないが、祭殿も同じくちだろう。都に献上されたものだから、実質は北郷のものだ。曹操の許可ではなく、北郷の許可で得られるという部分に大変興味を強くしていると私は睨んでいる」

「お? ほんなら次に来る時あたりに狙とるかもしれんってことか」

「そういうことだな」

「そっかそっかー……。そういや他に成長の薬と惚れ薬とかがあるゆーとったっけ。季衣とか流琉とかがそれ欲しがっててなー。あ、成長のほうな?」

「考えることはどちらも同じか。こちらでは小蓮様と明命と亞莎が欲しがっていた」

「蜀は想像しやすいなー♪ まあ、どの道一刀の許可無しじゃ得られないっちゅーことで、問題としては元に戻った一刀が果たしてそれを分けてくれるかっちゅーことなんやけど」

 

 なんならいっそ、子供のうちにぽんと許可証かなんかに落款してもろて……など、考えることはみな一緒だ。

 若返りに興味があるのは、恐らくどの女性においても同じで、男性であっても欲しいと考えるだろう。大人になる薬においては体の小さい者にとっては希望と絶望の薬となる。飲むまでは希望であり、飲んでも大した成長が見られなければ絶望と化す。

 一方の惚れ薬はといえば…………みんな、中々に遠慮しているようだ。

 薬に頼るのも……というものではなく、惚れたらどうなるのだろう、というのが本音。

 惚れるという感覚を知らない者からしてみれば、あまりにもおかしな薬だ。

 なので手が出しづらく、さらに言えば飲んだ人が惚れるのか、飲んだ人に惚れるのかがわからないとくる。あまりに危険だろう。

 そこで各国の将が考えた方法が……

 

「ところで……一刀に惚れ薬飲ませてみるって話、本気なん?」

 

 ……だった。

 

「提案したのは雪蓮と曹操らしいな。あの二人、顔を合わせれば言い争いをしているが、本当は仲がいいんじゃないか……?」

「へっへー、わかっとらんなーめーりんは。悪巧みをする時っちゅーんはな、誰もが仲間になるもんなんやでー? みんなで何かひとつのことをしようとしてひっそり楽しんで、あとで力いっぱい笑うんや。それこそが悪巧みの醍醐味やん! ……まあ、そう悪い方向には転ばんやろ。危険なことになったら、魏で薬が抜けるまで預かるし」

「なるほど。それならば、無茶なことが起きても平気というわけか」

 

 冥琳の言葉に満足そうに頷くと、一時的に冥琳に向けていた視線を一刀に戻し、その小さな姿に緩む顔を───びしりとひずませた。

 目がおかしくなったか、と目を擦って再度見てみる……のだが、どうやら本当にそうらしい。震える口で、食事に視線をおろしている冥琳に声をかけた。

 

「? どうした」

「や、あ、や……えと、あれ、どないなっとるん……?」

「あれ? …………ぬあっ!?」

 

 霞を見て、その霞が一刀を見ていたようだから視線を追ってみれば、なにやら呼吸のたびに大きくなっていっているように見える北郷一刀の図。

 しかしご飯は食べる。そして自分で自分の異常に気づいていないように見える。

 

「ほ、北郷!?」

「んあ? なに───ってうおおおおっ!!? え!? な、ちょっ……いたたたたっ!? 服っ! 服がキツッ───あ、あーっ!?」

 

 やがてその体が、元の北郷一刀のものへと戻ると、見慣れた姿に不釣合いの小さな衣服を着た彼がそこに居た。というか服のキツさに悶絶してる。

 

「あ、えと……一刀ー? 元に戻ったん……?」

「霞っ……確認よりまず、服脱がすの手伝ってくれない……!?」

「え゜っ……あ、や、いややわ一刀……! そんな、戻った矢先でしかも昼間っからそないなこと……」

「そーじゃなくてですね!? 服キツくて動けないっつーか痛い痛い痛い!! 腕ツる! ヘンな感じに関節キメられてる! 服に!」

「あー……その前に北郷。今までの記憶はあるか?」

「ええもう覚えてますが!? 泣きたくなるくらい恥ずかしくて死にたいくらいですが!? ていうか泣いていいよな俺! これからどんな顔して美羽と会えっていうんだ!? 華琳にも雪蓮にも! 俺っ……あぁあああああ!!」

 

 頭を抱えて大暴れしたい衝動に駆られるも、動きは衣服に封じられている現在。

 そんな状況に既に涙を流している御遣い様の肩をポムと叩き、呉の名軍師は言った。

 

「強く生きろ」

「うっ……うわーん!!」

 

 その実感の篭った言葉に、彼は本気で泣いたという。

 少しののちに衣服から解放されたが着るものが無い彼に、霞が半被にも似た着物を貸すという男女が逆のような状況が展開されたが、むしろそれが彼の涙腺を余計に刺激して、彼はまた泣いた。

 




しばらく小説を書けないでいると、妄想ばかりが募ります。
妄想が募ると別の何かが書きたくなって、書く前は面白そうなのに実際書いてみると駄作であったりとか。
そしてその出来上がったものを見て思うのです。

 僕……なにしてたんだろう……

と。
もう戻らないあの頃───プライスレス。


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95:IF/安っぽくても好きは好き①

146/嫌よ嫌よも好きの内って言うけど嫌って言ってるんだから人の話はちゃんと聞きなさい

 

-_-/北郷一刀

 

 部屋に戻って服を着替えて、いつものフランチェスカの制服に腕を通して装着。もちろん下着も交換済み。

 着替えという作業の全てを終えると、誰も居ない自室でホウと溜め息を吐いた。

 これで華琳が居たら、いい笑いものだ。

 そして今現在、自分こと北郷一刀は美羽にだけはとても会いたくない。

 心の整理が出来るまででいいのだ、会わないでいたい。

 なんてことを思っていると、会ってしまうのが世の常とはよく言ったものです。

 フラグ、って言えばいいのか? などと考えていると会う確率が……減るといいね。

 

「………」

 

 静かな日。

 外からは鍛錬している兵の声が僅かに聞こえ、鳥の声と合わさってゆったりと届く。

 兵にしてみれば大変なところなんだろうが、それらが日常化しているように自分に届く日々というのは、少し心強く感じられた。

 俺も頑張らなきゃ~って気になるよな。

 …………頑張る対象が武なら、まだいろいろと割り切れることもあったろうに。

 

「あからさまに避けたりしたら美羽だって傷つくだろうし、もっと強くあれ、俺っ」

 

 むんっと気合を入れて部屋を出る。

 

「………」

 

 それでもやたらとキョロキョロしてしまうのは……まあその、人間として仕方ないと理解していただけると大変嬉しい。

 と、それはそれとして、中庭の東屋へと戻った。

 東屋へと歩く途中で霞と冥琳には気づかれて、その場へ辿り着くまで見つめられて妙な恥ずかしさを味わうことになったが……あの時間はどうも苦手だ。こう、妙に気恥ずかしくて勝手に口角が持ち上がるし、目も合わせたくないから微妙に視線をずらすんだけど、そうすると相手にこの気恥ずかしさがバレるんじゃないかって思って……ああうん、つまりはささやかな男の見栄ってやつだ。ほっといてくれ。

 

「おー、ちゃんと一刀やなー」

「顔が赤いぞ」

「ほっといてください」

 

 冥琳の指摘に、思わず敬語にも似た言葉が自然と出た。

 事実、顔は真っ赤なのだろう。

 霞に半被を返しつつも懐かしい視線の高さで中庭を見る。

 すとんと椅子に座ると早速霞が絡んできて、「酒宴の続き、しよかー」と暢気に言う。

 別に構わないんだが、もっといろいろ訊かれると思っていた自分としては、少し拍子抜けだった。ありがたいけどさ。大変ありがたいんだけどさ。

 

「ああ、いろいろと忘れたいこともあるから、今日は飲もう……」

「あ、忘れる必要ないでー? いろいろ聞かせてもらうんやし」

「そんなこったろーと思ったよどちくしょー!」

 

 酒の肴にしたかっただけのようです。

 苦笑する冥琳に「そら」と酒を勧められ、猪口に注いでもらいながらがっくりと項垂れた。周公瑾に酌をしてもらうとか何様なんでしょうか俺……とかいろいろ考えることもあるが、難しいことは考えずに受け取ることにした。

 酒の席でいろいろと考えるのは無粋ってことで……友達だもんな、それでいい。

 ならばと酌を返して、冥琳の猪口にも注ぐ。

 途中、霞がウチもウチもーと割り込んできたから、やっぱり苦笑しながらそこにも注いで……準備が出来るといざ乾杯。

 

「あ、老酒か。懐かしいなぁ」

「っへへー、あの時以来やろー? 一刀、きちんと日本酒飲ましてくれたもんなー。だから次こーして飲む時は、ぜ~ったいこれにしよ思とったんや」

「……そっか。ありがとな、霞」

「えーてえーて。ウチと一刀の仲やん」

 

 本当になんでもないからって風に、手をヒラヒラさせて上機嫌に言う霞。

 俺もなんだかそれに釣られるように楽しい気分になって、卓の上の料理に手をつけて酒を飲んでと、楽しんでいく。

 

「で、華琳には報告したん?」

 

 で、そんな上機嫌な霞が突如としてそんなことを言う。

 突如というよりはむしろ当然のことなのだが、霞の顔は“わかってて言っている”ってものだった。

 

「報告してたら、俺はここには居ないだろ」

「せやろなー、きっとまずは記憶が残っとるか訊いて、残っとったと知るやいろいろちくちくと責めてくんねやろなぁ」

「やめて、会いたくなくなる」

 

 口から自然と情けない言葉が出るのは勘弁してほしい。

 だって考えてもみろ、華琳に向けて“馬鹿”って。あの曹孟徳に向けて“馬鹿”って。

 華琳が許してくれてなきゃ、もうとっくに首が飛んでたぞ子供の俺よ。

 ここまで来るとほんと、“俺って生かされてるんだなぁ”って思えるよ。

 だって華琳の一言であっさりトチュリって刺されて死ねるわけだもの。

 

「しかし、会わないわけにはいかないだろう」

「そりゃそうなんだけど」

 

 なんというかなぁ……雪蓮に馬鹿って言うのと華琳に馬鹿って言うのとじゃあ、いろいろと違うわけだよ。友達にばーかって言うのと、こう……先生にばーかって言ってしまうのを比べる感じ? いや、先生じゃまだ低い。校長先生……いや、よくよく考えれば天皇陛下に言うのと同じレベルなのか、この世界じゃ。

 …………よく死ななかったなァ俺ェェェェ……!!

 ああ、嫌な汗がだらだら出てる。

 これで華琳に会って、“許したのは子供のあなたであって、今のあなたを許した覚えはないわ”とか言われたら、今度こそ俺の存在がデュラハンに……! あれ? でもその理屈って“じゃあ言ったのは子供の俺であって今の俺じゃないよな”って返せる?

 あっ……ああ、なんだっ、あるじゃないか救いっ! よかった、これで───…………これで…………、……マテ。そんな理屈が、華琳ならまだしも春蘭や桂花に通じるか?

 

「……んあ? どないしたん一刀。急に胸の前で手ぇ動かしたりして」

 

 穏やかな顔で十字を切ってみた。

 さよならマイ人生。友情フォーエバー。

 

「あ、そうだ冥琳」

「うん? なんだ?」

「絵本。すっごく面白かった。そういえば“俺として”はきちんと感想言ってなかったもんな。続きが出たら教えてくれ。ていうか続きが出る日とか知ってたら今教えてくれ」

「……随分と気に入ったようだな」

 

 やれやれといった様相で溜め息を吐く。が、その顔は笑っている。

 やっぱり人には笑顔だよな。俺も笑っていこう。隻眼の赤い悪魔の大剣によって、俺がデュラハンになるまで。フフ、ウフフフ……。

 

「で、だけど。授業中に酒宴開いちゃって大丈夫か? あ、もちろんこれ終わったらすぐに今日の分はやるつもりだけど」

「それならば問題ない。どこぞの馬鹿な元王のようにほったらかしにしないのならばな」

「言われて当然とはいえ、ひどい言われようだなぁ」

「北郷が呉に御遣いとして降りてくれたならば、もう少しはましだったのだろうがな」

「や、前にも言ったけど、絶対に一緒にサボってたって」

「せやな。一刀やもんなー」

 

 俺と霞、二人でけたけたと笑う。

 冥琳はやっぱりいまいち信じられないって顔をしているが、まあ……一度目にこの世界に降りた俺からすれば、今の俺は相当に信じられない存在だろう。

 というかな、俺自身も華琳たちに会って、ぶきっちょながらに守ってやりたいとか思わなければ、一度自分の世界に戻ったって“強くなろう”だなんて思わなかったはずだ。

 じゃあ今の俺はなんで、って話だが…………惚れた弱み以外のなにものでもない。

 男ってこういう時、なんというか恥ずかしい生き物だよなぁ。

 

「まあそんなわけで、今は今で楽しもうか。料理足りないならなにか作ってくるけど」

「あぁええてええて。ここに居て一緒に飲も。一刀もサボるの久しぶりやろ? 懐かしいもんなら楽しまな損やろ」

「戻った途端にサボるとはいい度胸ねとか言われそうだけどなー……」

「ふふっ、なに。相手はあの曹操。結果を残せば怒りはしないさ」

 

 だといいけど。

 呟きつつも、ちびちびと酒を飲んだ。

 ただまあ、そういった心配はもちろんだが、別の心配もあるわけだ。

 もちろん直接華琳が知っているわけがないことでの心配なんだが、俺が果たして冷静でいられるかどうか。

 

(……俺、華琳をその、誘おうとした矢先にああなったんだよな)

 

 愛の営み云々。

 ウワァイ物凄く恥ずかしい。大事なことを大事な人の前で盛大に失敗した気分だ。

 けれども考えたところでどうにもならないのが現状なわけで。

 なら考えることを放棄して、華琳から放たれる文句でもなんでも、フツーに受け入れようか。断る理由もないだろうし。

 

(こういうこと考えてると、大体ナナメ上の提案してくるから怖いんだよなぁ、華琳って)

 

 クイッと酒を飲んで、熱い息を吐く。

 霞も冥琳も酒宴自体を楽しんでいるようで、霞は好き勝手に酒を。冥琳は霞に促されるままに酒を飲んでいた。

 猪口が空かない限りは霞も注いだりはしないようで、冥琳はあくまでマイペースでちびちびと飲んでいる。もちろん俺も……と言いたいところだったんだが、「なーにちまちま飲んどんねん」と霞に首根っこを引き寄せられ、その状態で徳利を直接口にゲボバァッ!? いやちょっ……霞!? 霞さん!? おぼれっ───溺れる! ちょ、待っ……!!

 

……。

 

 数時間後。

 

『………………』

 

 酒宴の場……東屋の卓には、酔い潰れた三人が確認された。

 しかしながら本当に潰れると、本気の本気でサボることになるので、揺れる頭をなんとか持ち上げるようにして歩く。

 一応二人にも声をかけたのだが、屍状態だ。返事もなく、ただ深い眠りについている。

 

「うあー……水分摂りまくったのに、どうして喉が渇くんだろ……」

 

 酒浸しになった喉が、ただの水を求めていた。

 ああいやいや……自分のことよりもまず、この二人を部屋に運ばないと……。

 

「はぁ……んっ! ぐぁああっだぁああっ!?」

 

 右手に氣を集中させて、自分にデコピンをする。

 弾ける氣が、普通では有り得ない音を奏で……奏で? いや、鳴らし、激痛に襲われる。

 しかし視界はスッキリした。

 

「ん、よしっ」

 

 さらには両の頬をビシャンビシャンと叩いて意識もしっかりと。

 氣で酒気が抜けるなら一番助かるんだが、さすがにそんな器用な真似は出来ないらしい。しかしながら簡単に諦めるのもどうかと思うので……

 

「外で飲むなとは言わないけど、今度からは量を考えような……」

 

 ……長く生きることになるであろうこの体で、試してみるのも楽しいんじゃないかと思い始めている。子供に戻ってみるのも案外悪くなかったのかも。いろいろなものを新鮮な感覚で見直せた。なにより“やる気と好奇心”に溢れた子供の感覚は、一定の固定的な観念や原則に縛られていた脳にはいい刺激になった。

 子供はいろいろと見ているものだっていうけど、自分自身で知ることになるとは。

 はふぅ、と小さな苦笑を漏らして行動に移る。

 まずは霞を抱きかかえて移動。

 “こんなところで寝たら風邪引くぞー”なんて言葉以前に、もうちょっと暖かい格好をしなさいと口酸っぱく言いたい気分ではあるが、きっと言ったところで変わりはしないんだろう。むしろ変えることになったらなったで、俺に買ってくれとか選んでくれとか言いそうで怖い。

 

(それくらいの甲斐性を見せろーとか言われそうだけどさ。……人数がなぁ)

 

 女性を部屋へ運びながら、トホホイと溜め息を吐く男は情けないですか?

 いやもう情けなくてもいいよ、辛くても選んで買ってをする者を男というのなら、俺は間違い無くそういった男にはなれない。金銭的な意味で。だって片春屠くんの制作費のお陰でお金少ないし。今は空飛ぶブツを作ってもらってるから、働いても働いてもお金は飛ぶ一方だ。

 はぁ……。見る人が見れば、露出の高い女性を抱きかかえてるんだから、もっと別に考えることがあるだろうとか言うんだろうけどなぁ。

 

「……幸せそうな顔で寝ちゃってまぁ……」

 

 見下ろす寝顔に苦笑が漏れる。

 ……っとと、あんまりのんびり歩いてたら冥琳が風邪引くか。

 

「及川あたりなら今現在を、“ハーレムやーん!”とか言うんだろうな」

 

 言われたらこう返そう。

 だらしなく笑っていられるのは最初の一瞬だけだぞ、と。

 

……。

 

 霞と冥琳をそれぞれの部屋の寝台に寝かせてから、厨房へ行って水を飲んだ。

 幸いと言うのもおかしな話だけど人の姿は無く、水を飲んだらすぐに自室へ。

 定期的に自分にキツケ代わりのデコピンをしながら残りの仕事を終わらせて、確認が済むやゴシャーンと机に突っ伏して潰れた。寝台まで立って歩く余力は残っちゃいなかった。

 

……。

 

 翌日。

 ……ごめん、うそだ。

 その日の夜のうち、俺の意識は「ほうわー!」と叫ぶ美羽の声で戻った。

 

「主様! おおお主様なのじゃー! いつ戻ったのじゃ!? おぉおそのようなことはどうでもよいの! うむ! おかえりなのじゃ、主様っ!」

「………」

 

 頭が重い。

 そんな頭をふるふると振るうと、意識もハッキリ……するよりも、頭にヒモ付きの鉛でもくくりつけたかのように引っ張られる感覚が。

 二日酔いというか、当日酔い?

 おおお……軽く振っただけで、遠心力に引っ張られるかのように頭が傾ぐ。

 それをなんとか我慢しながら美羽に向けて「やあ」と返す。

 うおお、やっぱりちょっとおかしい。痛みとかそういうのじゃなく、ともかく重い。熱が出た時のあの感覚に近いかも。

 

「帰ってきたのは……昼ごろ……かな。それからいろいろあってなー……」

「いろいろとな? まあなんでもよかろ、傍に居ることに意味があるのじゃからの」

 

 たととっと駆け寄り、上体を起こした俺の膝の上へと座る美羽。

 途端に、青かっただろう俺の顔が一気に沸騰する。

 もちろん酔いも吹き飛び……しかし痛みだけがこの頭にこびりついておったわ。ええい忌々しい。

 

「う、あ……いやっ、その、だな、美羽……? あ、ぁあああ……あまりその、あー……」

 

 頭、混乱中。

 しかし鼓動の度にじくりと痛む頭が、少しずつだが混乱を抑えてくれている。

 ここは酔いに感謝……でいいのか? 痛みに感謝だな。

 くそう、まさか美羽が近くに居るだけで、こうも動揺するなんて。

 いやっ! 俺はロリコンじゃ……っ…………せ、説得力がないにもほどがある!

 なんでこんな時に季衣や流琉の顔が頭に浮かぶかなぁ! 時々俺に恨みでもあるのかって気分になるぞ、俺の脳よ!

 

(落ち着けー……落ち着くんだ───……オックスベアってなんだっけ?)

 

 意味不明な思考が少しだけ落ち着きをくれた。

 よし、いつも通りだー……いつも通り動けば問題ないんだぞ、俺ー……。

 だ、大体俺はフラれたんだから、なにも一生懸命になる必要なんてないんだぞー……?

 いくら意地でも振り向かせてやるーとか考えてたからって、いやむしろそういう気概を持ってたくせに、触れられたらしどろもどろってどれだけ子供なんだよって話でだなっ……!

 

「………」

 

 ごくりと喉を鳴らし、頭を撫でた。

 すると笑顔で自分へと振り向く美羽さん。

 神様……心が満たされた気分になった俺は、もう手遅れなのでしょうか。

 




目の前に豆腐。
“うまい”と大きく書かれている。

 本日豆腐日和

 う ま い

 どんな料理にも便利
 絹豆腐

我が晩飯である。
うそです。


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95:IF/安っぽくても好きは好き②

 沈黙は、自分が思うよりも長かったのか短かったのか。

 頭を痛めながら、俺はそっと美羽を抱きしめて、その頭を撫でた。

 

「ふみゅ? どうかしたのかの、主様」

 

 突然の行動にもきょとんとした返事がくる。

 それでいい。

 ヘンに意識するからいけないんだ。惚れてたのは確かだし、今も気になっているのは確か。

 なら、行き過ぎない程度にこうして頭を撫でたりしてだな───なんて思ってたら突然出入り口のドアがバターンと開かれて、

 

「一刀~♪ 昼間っから眠った所為で眠くないんやー、ちぃと寝酒に付き合───おわっ!?」

「キャーッ!?」

 

 その先から、徳利担いだ霞さんが。

 しっかりと美羽を抱きしめる俺を見て硬直。

 けれどニコリと笑うとつかつかと歩いてきて、寝台の横に座った。

 

「え、えと。霞? これは、えー、その」

「あー、わかっとるわかっとる、一刀は三国の支柱なんやし、そこんところはもうみんな納得済みや」

 

 わあいなんと理解のある言い方! でも違うんです! 欲情とかじゃないんです!

 恋が! 少年の淡い恋心がヒィイイイ!? 自分で自分の恋を淡い恋とか言うのってすごい恥ずかしいィイイ!!

 おぉおお落ち着け! 落ち着くんだ俺!

 べつに根掘り葉掘り訊かれてるわけじゃないんだから、まずは美羽を離してだな……!

 

「………」

「うみゅ?」

「一刀?」

 

 ……あれ? ……えい、ほっ、そりゃっ! …………あれ?

 オ、オカシイナー、腕ガ美羽ヲ離サナイゾー?

 

「霞」

「ん? なんやー?」

「俺を殴ってくれ」

「よっしゃ任しときっ」

「ええっ!? 頼んどいてなんだけどちょっとは躊躇しヴェロブ!!」

 

 綺麗に頬を殴られた。

 とても痛いが、それで自分の体は脳の指令に従って美羽を離してくれた。

 

「おぉおおお……!!」

 

 重ねて言うがとても痛い。

 し、霞さん? ねぇ霞さん!? なんらかの私怨とかあったりしましたか!?

 

「はーあ、まったく。ウチらよりこーんなちっこいのを先に抱きしめるなんて、一刀はちぃとばっかし薄情なんとちゃう?」

「…………わあ」

 

 アー、ソ、ソウイウコトデシタカー。

 納得した途端に確かにと頷けるあたり、自分も相当にお馬鹿だった。

 だからといって“じゃあ抱きしめるよ”っていうのもなにか違うわけでして。

 けど、あれだ。自分にはこう、積極性がないんじゃないかと子供から元に戻ってみて思うようになった。

 もっとやろうと思ったことをやってみよう。

 相手に悪いとかこのあとどうなってしまうのかとかじゃなく、まず一歩。

 

「霞」

「ん? なにうひゃっ!?」

 

 いそいそと寝台へ戻り酒を用意しようとしていた霞を、振り向くのと同時に抱きしめた。

 ついでに頭を撫でると、髪を留めているちょっとゴツイ髪留めがコツリと手に当たる。

 ……これってメリケンサックじゃないよな?

 武器を落とした時、これを使うと便利そうですね。なんて的外れなことを考える自分に少し呆れた。ようするに結構頭の中とか滅茶苦茶だ。

 禁欲禁欲考えながら過ごしてきたのに、好きな人をこうして抱きしめるんだから、まあその、わかってほしい。好きな人居すぎだろとかそういうツッコミは是非とも勘弁で。

 

「……ど、どないしたん一刀。一刀からなんて、珍しいやん」

「いや、少しずつ自分に正直になっていこうかと。都のほうも結構安定してきてるし、少し自分のことに時間を持てそうだから」

「おおっ? ほんならとうとう種馬の本領発揮───」

「自分の時間=種馬って、俺どれだけそういう方面で期待されてるの!?」

「んあ? 違うん?」

「違いますよ!?」

 

 ンバッと抱きしめていた霞を離し、両腕を掴んだまま全力で説得にあたる。説得……ちょっと違うが、ともかく説明だ! 俺の時間はもっとこう……もっと……ええと……あれ? 俺って自分の時間になにやってたっけ……?

 

(……息抜きの仕方、忘れた!?)

 

 頭の中で“ガーン”というSEが鳴った。

 なんか前にもこんなことあったなぁ! 以前よりもよっぽど忙しいから忘れてたけど!

 

「……そ、そう! 買い食いとか! あとは……あと……、……それだけ!?」

 

 自分で自分にツッコんだ。

 あ、あれ!? いやっ……えぇ!? もっとほら、女性と仲良くすること以外あるだろ! そ、そう! 兵のみんなと食べに行くとか……結局食い物!?

 マママママテマテマテ! 子供に戻って大人に戻るって、なんというか自分を見つめ返しすぎて怖い! どれだけ自分が妙な立ち位置に居たのかが丸見えになってしまうというかっ!

 

「一刀ー? どないしたん?」

「ええもうほんとどうしたんでしょうねぇ俺ってやつは……」

 

 いっそ泣きたい気分になった。むしろこんな気分になりすぎだろ、俺。

 元の世界に居る時は、こっちに戻りたいって泣きたい気分になっていたのに、戻ってみればこれだよ……。

 いや。いやいや、しかし歩みだした一歩は一歩でしょう。

 いろんなところへ一歩を踏み出しているが、ゲームで言う熟練度問題だと思えばホラ、少しだけ心が軽く……ならないよ!

 うう、でも華琳には“勝手に察するからな”って言っちゃってあるし、言ったからにはきちんとしないと。“勝手に”とは言っても、それが華琳が望む察し方じゃないとあの覇王さま、怒りそうだもんなぁ。

 

(はぁ……ほんと、妙な立ち位置だよなぁ)

 

 言ってしまえば女性に頭が上がらないくせに支柱という、本当によくわからない位置。

 もちろんそこに不満があるかといえば、これまたてんで無かったりする。たまに“やさしくしてください”とは思うものの、実際女性が先頭を駆け抜けて手に入れた天下だし。

 女尊男卑の匂いがあろうとも、男が笑っていられない世界じゃないんだから。

 

「さあ霞! 寝酒だ! 付き合うぞぅ! 何を隠そう、俺は寝酒の達人だぁああっ!!」

「へ? ……あっはっはっは、寝酒の達人ってなんやねーん!」

「いえもう正直いろいろテンションで乗り切らないと、見えない分厚い壁の先にある一歩が踏み出せないといいますかええいとにかく酒だーっ!!」

 

 細かいことは気にしません!

 俺、生まれ変わる! もうちょっとだけでいいから物事に積極的に! ね!?

 なので会話に入れず少しイジケ気味だった美羽を手招きして、胡坐をかいた足の上に乗っけ直すと、いざ寝酒を開始する……! まあ、無駄な迫力を出してみたところで、酒は霞が持っている徳利だけなんだけどさ。

 

「よっしゃ、そんならまずは一杯や! 一刀、一気いってみぃ!」

「一気!? ───望むところだぁ!!」

「おお! 今日の一刀は元気やなぁ!!」

「主様、頑張るのじゃ!」

 

 美羽の声援を受けて心が弾む自分が恥ずかしく、照れ隠しも混ぜて、注がれた酒をグイッと一気。

 すると酒とは思えない、なんとも微妙な味が喉を通っていき、思わず“ハテ?”と首を傾げた。

 

「ん……なんか変わった味。飲んでもこう、アルコール独特の熱が通るみたいな感覚がない……? 霞、これってなんて酒?」

「惚れ薬や!」

「ほれぐすり? へー、この時代にも洒落た名前のお酒ってあるんだな」

 

 日本酒にもヒトメボレとかあったっけ? って、それは米だった。

 あ、でも焼酎かなんかで“あなたにひとめぼれ”とかそーゆーのがあったような。

 …………マテ。大陸にそんな名前の米or酒があるか?

 

「エ、エート霞サン? つかぬことをお訊ねし申すが、惚れ薬って……お酒じゃないよな?」

「にっへっへー、あったりまえやん」

 

 にこー、と極上の笑みをくだすった。

 あのー……あの、霞? 霞さん!? そんなもの俺に飲ませてどうする気ですか!?

 

「なななななんで!? なんでここで惚れ薬!?」

「や、そこで華琳に会うたんやけど……“元に戻ったのに報告にも来ないとは、いい度胸ね”とか言ってめっちゃ機嫌悪そうでな?」

「ワーハーイ!? 報告忘れてたァアアア!!」

 

 よよよ酔ってて忘れてましたとか言い訳にもならないよなぁ!?

 あぁああああ! 余計な怒りを買ってしまったぁあああ!!

 

「せやけど、まあ罰はそれでええて。惚れ薬飲んで、どうなるかを報告するだけの簡単な“お仕事”や」

「いやいやいやいや! 簡単に言うけどこれって効き目の強さ云々でいろいろ変わってくるだろ! お互い好きでもないのに自分の意思に反していろいろなんて、俺は嫌だぞ!?」

「んはは、わーっとるわーっとる、そんな時のためにウチが飲ませにきたんやん」

「あ───」

 

 そ、そうか。

 大事な人が傍に居て効果を見守るなら、その意識の対象は見守る人になるわけか。

 少し、いや、かなり安心した。

 ……ええまあ、ここであえて美羽を見ないのは、効果が現れた瞬間に告白でもしかねない恐怖を抱いているからでありまして。

 

「……あ、あっ……? なんか体が熱くなってきた」

「おおっ? 効果出たんっ?」

「や、そんないきなり───え? ほんとに?」

 

 胸がどくんどくんと躍動しているような感覚。

 ような、というか実際にどくんどくんと鼓動の間隔が狭くなり、汗が少しずつ滲みだしてきて……ア、アレー、視界がなんか薄いモヤに包まれて……

 

「───…………」

「……? 一刀? 一刀ー? おーい、しっかりしー?」

 

 霞が俺の目の前で手を振るう。

 五本の指が左右に動くのを目で追って、それが引っ込められた瞬間───詳しく言えば霞の顔を、目を覗き込んだ瞬間、俺の体に電流が流れた。

 

「愛してる!!」

「うぉうわぁああっ!!?」

 

 そして抱擁。

 問答無用の抱擁。

 「え? え?」と戸惑う霞を、それはもうぎううと抱きしめ、頭を撫で、頬擦りをするように頭部と肩を密着させてすりすり。

 

「ああ霞! 霞! きみはなんて可愛いんだ! 美しくもあり可愛い! 霞! 霞!」

「う、うひゃぅ……!? やっ、ちょ、かずっ、一刀っ!?」

 

 抱きしめたまま寝台から降りて、さらにきつく抱きながら部屋の中心でくるくると回る。

 この、心の底から溢れ出るもやっとした愛しさを伝えたくて、我が身に存在するありったけの氣で霞を包み込み、まるで一心同体になろうとするかのように氣と氣を繋いだ熱い抱擁……!!

 すぐにその一体感に霞が戸惑いの悲鳴を出すが───ああ! 悲鳴も可愛い! なんて可愛いんだ霞! かわっ───カワァアアアアアッ!?

 

「おっ……オォオオオオッ!!?」

 

 抱きしめている霞を強引に離そうとする。

 なのに離れない! なにこれ! やっ、ちょっ……体が言うことを聞かない!?

 つか、頭の中がすごい! なんだこれ! これが惚れ薬効果!? 暴走する思考と冷静な自分とが見事に分かれてるよ!

 ああそれにしても霞が可愛い───じゃなくて! いや可愛いけど! かわっ……あぁあああダメだ認めると冷静な部分まで食われる! 可愛いけど! 可愛いけどさぁ!!

 

「み、美羽! 助けてっ───はうあ!」

「? お、おぉお? 主様? どうしはぷっ!?」

 

 自分の意思ではどうにもならない状況。美羽に助けを求めようと振り向いた途端、俺を見上げていた美羽と目が合い───霞を抱きしめていた腕が霞を離し、急な抱擁と状況に目を回した霞は寝台にくたりと倒れ込んでしまう。

 それと入れ替わるように俺の腕では美羽を抱き締め、持ち上げていた。

 

「ああ美羽! 美羽! なんてかわギャアアアアアアアム!!」

「ほわあっ!? ど、どうしたのじゃ主様!」

 

 可愛い、と言おうとした口を、舌を噛んで全力で止める!!

 か、可愛いさ! ああ可愛いとも! けれどそれを薬の勢いに任せて言うのは間違いだっ! 

 

「ごっは……! な、なめるなよ惚れ薬……! 俺は貴様の思い通りになど動かん……!」

 

 痛む舌に涙を滲ませながら、ともかく自分の暴走を押さえ込む。

 見る人が見れば、どこぞの97年度のオロ血に抵抗する赤髪の人のようにも見えただろう。いや、暴走フラグじゃなくて。

 しかし困った。目が合った人に無差別に愛を語るとか、本当に嫌なタイプの惚れ薬だ。

 目が合った相手が惚れるのか、こっちが惚れるのかは不安だったものの……ああ、でもこれならまだいいほうか、俺が我慢すればなにも変わらない……!

 

「……あ」

 

 なんとか美羽から目を逸らした先。

 霞が持っていた徳利の窪み部分に紐で括られた紙があった。

 なんとなく心引かれ、美羽を下ろしてから…………お、下ろせっ! 下ろすんだ俺っ!

 

「はぁ……」

 

 なんとか下ろし、きょとんと首を傾げる美羽をよそに紙を調べる。ご丁寧に惚れ薬の説明とか書いてあったりしないかなーとか、そんな淡い期待を胸に。

 すると……

 

 ◆惚れ薬───ほれぐすり

 惚れ薬。惚れます。

 飲んで胃に届いた時点で効果がじわりと滲み出ます。

 目が合った相手に惚れ、褒めちぎって口説き落とそうします。

 けれど言葉は結構適当なので、惚れはするけど惚れられることはほぼないです。

 *効能:惚れます。同じ人を何度も見つめると、意外な効果が……!?

 

「………」

 

 惚れるらしい。

 なんか逆に失礼な説明文に見えたのは俺だけだろうか。

 なんとも適当な説明文に溜め息を送り、目は見ないように美羽へと向き直る。

 

「え、えと、美羽? ちょっと困ったことになった。この薬、相手の目を見るとその人に惚れるみたいで、その……目を逸らしてるのはそういう理由からってことをまず理解してもらいたい。うん、美羽が嫌いだとかそういうのじゃ断じてないから」

「うみゅ? そうなのかの? うむっ、わかったのじゃ! 主様がそう言うのであれば妾はきっちり理解してみせるのじゃー!」

 

 拳を天高く突き上げてエイオー。

 ああ、可愛い───じゃなくて! なんかやばい! この薬、言語能力奪って可愛いとか愛してるとかそればっかしか言えなくなるんじゃあるまいな!? なんかそれっぽい言葉ばっかりが頭に浮かぶんだが!?

 

「ふむ……しかし主様が惚れるとな……惚れるとどうなるのじゃ?」

「え゛っ……ほれっ……惚れる、と……? あ、あー……さっきみたいに急に抱き締めて、頭撫でたりして……」

「……な、ならば主様は、とうに妾に惚れておったのかの……?」

「いっつもそんな行動ばっかでごめんなさいっ!!」

 

 言われてみれば抱き締めたこともあったし頭も撫でてました!

 いやいやいやいや違うんだよ!? 確かにそういうことはしたけど、落ち着かせたいからとか頑張ってくれてたからとかそっちの意味での行動だったわけでしてね!? あぁああでも必死になって否定すると美羽が傷つきそうだし、子供の頃に惚れてたことは確かで、その所為で惚れていたって言葉を美羽が確認してくれたのが嬉しくてギャアアア思考が自分の思い通りになってくれねぇえええっ!!!

 ───ハッ!? い、いや、落ち着け。汚い言葉は出来るだけ禁止。ししし支柱らしくー、支柱らしくー。ってそれもマテ! 俺らしくありなさいって言われてたでしょうが! …………俺らしくってどうなんだろう。

 

「と、とにかくっ、薬の所為で急に抱き締めるとか相手を褒めるとか、出来ればしたくないんだ。それって心から褒めてるのとは違うだろ?」

「うむ、それはそうなのじゃ。褒められるのであれば、正当に褒められたいものじゃからの。その点でいうと七乃はよくわかっておるのっ! 妾が皿を割った時も見事な割りっぷりですと敬い、妾が転んだ時も他の人には真似出来ぬ見事なころげっぷりと言っていたからのっ!」

「ア、アアアウン、ソウダネ……」

 

 褒められてない……褒められてないぞ、美羽……。

 でも確かに七乃はわかってる。わかってて楽しんでる。いろいろと物事を運ぶのが上手いんだよな、七乃は。特に美羽の機嫌運びが異常なくらい上手い。

 

「はあ……しかし、どうしたもんか」

 

 溜め息を吐きつつ、もう一度紙を見下ろしてみる。

 惚れ薬の説明についてだが、一体誰がこんなものを作ったのか。

 大事に保管されていたのか、徳利───陶器の見た目は結構綺麗なものだ。

 つけられている紙は結構古そう。色あせてしまっている。

 それでも文字が読めるあたり、勉強した甲斐があって、少し救われる。

 学んだことが無駄だとヘコむよね……本当に。

 

「───」

 

 いや……待て? 惚れ薬。惚れ……薬?

 

「───!」

 

 は、はうあ! 大変なことに気づいてしまった。

 これ……華琳に飲ませたらどうなるんだ……!? いくら俺が好きだーって叫んでも察しなさいで幕を下ろし続けたあの覇王様に飲ませたら、一体……!

 

「………」

 

 おおお……想像するだに恐ろしい……!

 普段からキリッとしている華琳が、通る女性、通る少女、通るおなごに対して色目を使い、閨へと…………

 

「……あれ? 普段とあまり変わらない……」

 

 いやまあ、色目ってのはないだろうけどさ。

 あ、あれー? もっと豹変したような華琳が思い浮かぶと思ったのに。

 あ、でも目が合う人に“好きよ”と言う華琳も見てみた───…………い…………

 

「……どうしてそこでムカッとくるかね、俺」

 

 嫉妬ですか。

 や、ほら。女相手だったらいいんだよ? ああ華琳だなって思えるし。失礼な話だけど、思えるし。

 でもそれが町人の男性、兵や店の主人とかだったらと思うと。

 

「なし、なしね。誰が飲ませるもんですか」

 

 シンデレラの継母になったような気分で惚れ薬を見下ろす。

 この世界の常識非常識はいくら唱えても足りないものの、惚れ薬なんてものが実在するなんて……本当にすごいもんだ。

 まあ、ガンランスを普通に使っている人が居るような世界だもの……いまさら惚れ薬とか成長する薬とか子供になる薬とか言ってもね……。

 今度桔梗にガンランス……豪天砲の構造について訊いてみよう。

 

「さーて困ったぞ」

 

 それはそれとして、さあなんで俺がこんな風に関係ないことを考え続けているのかといえば。……トイレいきたい。泣きそうな声で呟きそうになった。

 現実逃避はこれくらいにして、トイレいきたい。

 でも外に出るとほら、誰かに会うかもしれないし……それにさ。見回りは兵がやってるわけでして。気心しれた連中なんだ。人と話をする時は目を合わせながらすると、相手の反応がわかりやすくなって動きやすいんだーなんて説いちゃったことがあるんだよ、俺。これで俺が目を合わせなかったらどうしますか。逆に合わせちゃったらどうしますか。

 

「この薬の効果……絶対に性別的なものとか問答無用だよな……」

 

 そもそも世に言う惚れ薬がどうかしているのだ。

 飲んだら“目が合った異性に恋をする”とか、普通は考えられないだろ。

 どんな魔法ですかって話だ。催眠術で強制的に惚れさせるっていうやつをテレビで見たことがあるが、あれよりもよっぽどひどい。

 

「………」

 

 それはそれとしてトイレだが。

 スモールならまだよかった。

 膀胱炎を覚悟しても無理矢理我慢くらいは出来ただろう。

 でも今は腹のほうがヤバイわけでして。明らかにビッグなわけでして。

 そうだよなー、普段やらないくらいに酒飲んだし、お次は作ったのがいつかもわからない惚れ薬ですよ。そりゃあお腹がびっくりしますヨネー。

 ええとはい、なにが言いたいのかと言いますと。

 

(はっ……腹が痛い……!)

 

 言いません。だって美羽が居るもの。

 じっとりと嫌な汗をかきつつ、ちらりと出入り口である扉を見る。

 ……支柱の部屋ってだけあって、無駄に豪華……でもない。

 工夫のみなさんにあまり豪華にしないでって頼み込んだのだ。

 いろいろツッコまれたが、“平凡な扉のほうが暗殺者とかを欺けるんですよー!”とヤケクソになって言ってみたら“なるほどー”と頷かれた。うそつきでごめんなさい。

 そんな扉の先にある世界へ、僕は羽ばたかなければいけないのですよ。

 これはなんの試練ですか? 上着を脱ぎつつ歩き、変身すればこの試練には打ち勝てるのでしょうか。

 



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95:IF/安っぽくても好きは好き③

 これは“試練”だ。腹痛に打ち勝てという“試練”とオレは受け取った。

 人の成長は…………未熟な過去に打ち勝つことだな……。

 腹痛と惚れ薬と戦うというかつてない状況に、今こそ自分が打ち勝つという……。

 腹痛は…………汗水流して耐え切っても、時間の経過とともにミシミシと這い出てくる…………。

 驚いたぞ……嫌な汗が止まらないわけだ……。

 

(などとディアヴォロってる場合じゃなくてですね)

 

 本気でまずい。

 これはどうしたもの───はうあ!

 

(そ、そうだ! なんという名案っ…………思考の光明…………っ!)

 

 美羽の目を見ないように向き直り、美羽を後ろから抱き上げる。

 そうっ…………これ…………っ! これこそ光…………! 導っ…………!

 美羽に案内してもらい、俺は目を閉じる…………! 兵に見つかり、訊ねられてもゲームと言い切ることで乗り切れる圧倒的名案…………っ!

 

  *注:焦りすぎると人間、周りや常識が見えなくなります

 

 ニヤリと笑う歯の間からよだれでも垂らしながらキキキとかコココとか笑いたい気分にもなるほどに舞い上がったが、もちろんそんなことはいたしません。

 心に安心を得るとともに美羽に説明をして、───…………エ? セツ……せつ、めい?

 

(…………美羽に? トイレいくゲームしようぜー、って?)

 

 ………………。

 

(神様ァアァァァァァァァ!!)

 

 俺はっ…………俺は本当に馬鹿なんでしょうか!

 無理! 言えない! それってまるで一人でトイレ行くのが怖いからゲームと称して女の子の力を借りるお馬鹿さんみたいじゃないか! ───気づかずやろうとしてる時点で既に馬鹿だったごめんなさい!

 ぐったりとやるせない気持ちに襲われながら、美羽を下ろして…………だ、だから下ろせっ! 下ろすんだ、俺の腕っ!

 

「おぉ? どうしたのじゃ主様。今日の主様はなにやら妙じゃの……」

「うんごめんなんかごめん」

 

 ずごーんと頭の上に鉛でも落としたかのような重さの頭痛を感じつつ、さらには腹痛にも苦しめられながら考えた。どのみちここに居たら様々な十字架を背負うことになるのだから、もう行くしかないでしょう。

 そう……氣だ。氣で気配を消して、俺は自然と一体になる……!

 

(覚悟……完了!)

 

 やり方は明命にならった。

 大丈夫、きっと出来る。

 いっそ思春のようになる気で…………あれ? 思春?

 

「………」

 

 そういえばぼくらの赤きあの人は?

 や、出てこられたらこられたで大変辛いわけですが。

 

「……いざっ……!」

 

 考えていては埒もなし。

 平凡な扉を、まるで大きな扉を開けるかのようにググッと押して外へ。

 

「───」

 

 もちろんすぐに出ることはせず、あたりを見渡す。

 人影は…………よ、よーし、大丈夫。

 王の部屋とかだったらこれで、部屋の前に警備がついてそうなものだけど……ここでそういったことはない。

 何故かといえば、まあ言うまでもなく、ぼくらの赤きあの人が居るからなわけで。

 

(……赤きあの人で、某・赤きサイクロンを思い出すのはおかしいことじゃないよな?)

 

 いや、こんなことを考えている暇があったら行動しよう。

 そして腹痛からの解放という名の偉大なる勝利を。ボリショ~イ! パビエーダ!

 

……。

 

 ザザッ……

 

(こちらアルファワン。人影無し。このまま進めそうだ)

(今こそ好機! 全軍、撃ってでよ!)

(孟徳さん!?)

 

 闇に紛れて進む中、なんとなくそれっぽいことを小声で言ってみると、脳内孟徳さんからの指令が! ……疲れてるんだな、俺。

 

(くそっ、なんでもっと近くに厠を作ってもらわなかった、俺……!)

 

 低姿勢で繁みから繁みへ。

 気配は殺せている……と思う。

 なにせ自分じゃわからないから怖い。

 

(……なんで俺ばっかこんな目に……)

 

 もうほんと、華琳にもこの辛さを味わってもらおうかしら。

 大体、人に献上されたらしいものを無断で、しかも献上された人本人に飲ませるって……なんつーことを考えるんでしょうね、ぼくらの覇王さまは。

 まったく、いくら覇王さまでも、悪いことをしたら罰が───…………華琳ならそれくらいわかっててやるよな。罰がどうとかも楽しんでそう。最近刺激らしい刺激がなかったから、俺をつついて楽しんでるのかも。

 どーせ近いうち、“罰? 下せるものなら下してみなさい”とかしたり顔で言うんだろうな。

 よし、嫌がりそうなのを考えておこう。昆虫採集とか。

 あくまで華琳が微妙に嫌がって、俺が春蘭に殺されない程度のもので。いのちだいじに。

 

「んぐぉっ……はうっ……!」

 

 考え事で盛り上がってる場合じゃなかった。

 早く、早く厠へ……!

 

「あれ? 隊長ですか? どうしたんですか、こんな夜に」

「!?」

 

 そんなタイミングで、後ろから掛けられる声。

 ……気配殺してても、人ってものが消えるわけはないのだから、視認されれば見つかります。

 声でわかる、気心知れた警備隊の中の一人だ。

 ヤ、ヤダナー……無視するわけにもいかない。あとトイレを我慢している時に、誰かに傍に来られるのってすっごいそわそわするよね……!? ね……!?

 

「イ、イヤー……ほら、あれだ。けけけ気配を殺す練習を……ネ?」

「あ……ははぁ、隊長も随分と鍛錬が好きになりましたよね。こんな夜にまでとは。……って、声をかけたのはまずかったですか」

「やっ……これで一層気を引き締められるから、むしろアリガトウ!」

「ははは、感謝するところがおかしいですよ、隊長。……? 隊長が目を合わせずにいるなんて珍しい……おお、もしかして誰にも見つからないようにする特訓も兼ねているので? 視線って、ぶつけているだけでもなにか感じますもんね」

「っ……ご、ごめんな?」

「いえいえ、戻ってきてからの隊長は鍛錬熱心だなんてこと、みんな知ってますから。あ、でも気をつけてくださいよ? なにかあったら大声を出してください。あ、まあそのー……隊長には敵いませんけど、俺、すぐに駆けつけますから」

「…………ん。ありがと」

「いえっ。それではっ」

 

 後ろで敬礼する気配。

 遠ざかってゆく足音に、小さくもう一度ありがとうを唱えた。

 こそばゆく暖かい気持ちが胸に溢れて、でも腹が痛いのが憎らしい。

 目を見て話せなくてごめん。でもさすがに抱きついて好きだとか言うと、人生がさ……終わるんだ。終わると思うどころじゃなく、終わるんだ。

 

(……知らなかったんだ。厠へ行くことが、こんなにも無駄に辛いことだったなんて……)

 

 ホテルの個室とかって恵まれてるね。今本気でそう思えるよ。

 だが最後に笑えるからこその人生謳歌だと勝手に信じてる! 故にッ! 今駆け出す俺に後悔の二文字など! あっていい筈がないのだァーッ!(注:焦りすぎると人間、周りや常識が見えなくなります)

 

「あ」

「うん?」

 

 阿吽の呼吸よここに。ではなくて、バッと飛び出した通路の先に、あろうことか冥琳が───!!

 

「北郷か。丁度よかった、お前に少し訊きたいこと、が、あっ───!?」

「大好きだ! 愛してる!!」

 

 その時、僕の中の時間はきっと凍りついたのだと思います。

 あろうことか冥琳を抱き締めて、そのままの状態で大好きだ、とか愛してる、とか。ほら、冥琳だって固まっちゃって───ややっ!? あ、頭が鷲掴まれて……あ、あれ? 痛っ!? いたいっ!?

 

「……北郷? 寝言が言いたいなら寝てからにしてもらいたいのだが?」

「アイアイアイアアイィイアアアア!!? ア、アイィ、アイシッ!!」

「……? ああ、なるほど」

 

 パッと手が離される。

 すると再び冥琳を抱き締めようとする俺の体───を、全理性を総動員して強引に止め、欄干に向き直るとそこへと全力でヘッドバット!!

 

「ほぐごっ!! ───……!! あっ……ぉおおおぁあああ……!!」

 

 訪れる激痛。

 けれどそれで体は言うことを聞いてくれるようになり、ひとまずは涙を流しながら安堵。

 

「さて北郷。単刀直入に訊くが……惚れ薬か?」

「~っ……!!」

 

 額を押さえて蹲りつつ頷く。

 返事をしようにも「ほぉおぁあああ……!!」という情けない言葉しか、この口は搾り出してくれません。なんと親不孝な。

 しかしなんとかして“目を合わせた相手に抱きついて口説こうとする”ということだけは知ってもらうことに成功。

 

「……そ、それは。まさか男女見境なくか」

「確かめる勇気があると思うか……? もしそうなら、試した男に抱きついて愛の告白だぞ……?」

「うっ……すまん」

 

 なんか素直に謝られた。

 口調がヘンになってるのも特にツッコまれず、それが恥を隠したい誤魔化しだということさえ悟られたようで余計に恥ずかしかった。いっそ殺してくれ。

 

「しかしそんなものを飲んでおいて、何故部屋から出た?」

「………」

 

 視界の隅で、真顔で、しかし取り繕うようにおっしゃる美周朗さん。

 ……言えと?

 

「ゴゴゴゴカイがないように言っておくケド、俺別に自分で飲んだわけじゃないからね?」

「北郷の性格を考えれば、それは当然だろうな」

「うわぁい理解者が居た!」

 

 薬の所為で感情が高ぶりやすいのか、ホロリと涙が出た。

 感謝します。そっぽ向きながら。

 

「それで、何故外にって話なんだけど……ほら。早いうちから酒いっぱい飲んで、トドメに古めかしい薬なんて飲んだから───その」

「…………そ、そうか。それはその、ああ、なんだ。…………すまん」

 

 暗がりでもわかるくらいに顔を赤くして目を伏せ、溜め息でも吐くような風情でこくこくと頷く軍師さまの図。そしてそれを薄目で見つめる腹痛に苦しむ支柱様。

 ともかく道を空けてくれたので、にこりと笑いながらも汗がすごい状態で走った。

 

……。

 

 コトが済み、嫌な汗も治まった頃。

 手を洗って部屋の前まで誰とも遭遇せずに戻れて、さあ中へ……というところで止まった。

 扉はすぐ目の前。

 誰とも目を合わせずに中に入って、寝台で目を閉じて寝てしまえばいいのだが……霞と美羽が居るんだよな。事情は知ってくれているだろうけど、知っているのと目を合わせないようにするのとではワケが違うのですよ。

 

「………」

 

 でも他に行く場所があるわけでもなく。

 俺は自室の扉を開け、中へと入った。

 するとどうでしょう。

 

「おーっ! 美羽ーっ! 好きやーっ! 愛しとるーっ!」

「うはーはははは! そうであろそうであろ! 妾も霞のことが好きなのじゃから、当然よの!」

「ワア」

 

 地獄とまではいかないまでも、出来れば見たくなかった絵図がそこにございました。

 俺は何も言わずに扉を閉めようとして───部屋の隅で気配を消している、例の赤い人を発見した。

 目を合わせないようにしようと、必死になって縮こまっている。

 不謹慎だが可愛いとか思ってしまったのは許してほしい。俯いているから俺も目が合うことはないものの、声とかかけた時点で顔を上げて、目が合いそうだ。

 なのでここは小声でソッと……! っと、その前に惚れ薬も回収して、と……。

 

(思春、思春~……! 逃げるよー……! こっちー……!)

「!」

 

 もしかして最初からずっと部屋に居たのだろうか。

 思春は彼女にしては珍しく、親に置いていかれた子供のような顔でンバッと顔を持ち上げて───…………目が、合った。

 

「好ぎゅぢゅっ! ~……ギィイイイイイーッ!!」

 

 反射で勝手に開いた口に合わせ、舌を突き出し思い切り歯と歯の間に待機させて自爆。“好き”の“き”の閉口を利用してのキツケだった。“す”でもあまり口は開かないが、強引に突き出した。涙が止まらない。

 激痛に襲われつつも自分を取り戻し、駆け寄ってきた思春の手を引いて部屋から逃げ出した。

 ……今日は霞が寝泊りしている部屋を借りよう。じゃないと俺がいろいろとやばい。

 というか……美羽と霞は大丈夫だろうか。

 二人とも惚れ薬飲んじゃってたみたいだし、今頃俺の寝台の上では大変なことが……!!

 

「うぐっ……っ痛ぅう……! ……口内炎にならなきゃいいけど……!」

 

 舌の口内炎って痛いんだよなぁ……この時代には口内炎の薬なんてないだろうし。

 それはともかく走りきり、霞が使っている来客用の部屋へ。

 普段から掃除されているらしいそこは、小奇麗と言えばまだ聞こえがいい、これといったものもない“必要最低限”がある程度の部屋だ。

 寝台と机と椅子。それだけで十分でしょって程度。

 そんな場所へ逃げ込み、まずはハフゥと一息。

 

「はぁ……世の中、なんてものがあるんだーとか……今真剣にツッコみたい」

 

 焦りのためかギウウと握っていた惚れ薬を机の上に置く。

 喉が渇いたから飲んでしまったーとかそんなオチはないと思うが、思春をちらりと見てみると……なにやら難しい顔をしている。もちろん目は見ないように気をつけているものの、随分とまあ難しい顔だ。

 

「北郷」

「ん───っとと、な、なに?」

 

 呼ばれて反射的に目を見そうになって、慌てて逸らす。

 思春はそんな、実際にやれば失礼な態度も気にせず話を始めた。

 

「その惚れ薬とやらの話だ。貴様の様子を見るに、目を合わせると暴走するようだな」

「や、まあ……そうだな。厄介なことこの上ない」

「目を合わせたとして、耐えられそうか?」

「ありきたりだけど努力と根性と気合とかで、なんとか。ただ覚悟するより先に体が動くから、どうしても後手に回る……って、言い回しヘンだよな。薬相手なのに」

「……氣で体を動かして、体自体の力は完全に抜いてみろ。体の自由が奪われるなら、内側から止めてみればいい」

「………」

 

 や……本気ですか思春さん。

 俺、まさか惚れ薬相手にまで鍛錬の必要性を強いられるだなんて思ってもみなかった。

 いや、でもこれは案外、氣で体を動かすことに慣れるいいきっかけになるのでは……!? なんて、気配殺しの達人さんのアドバイスを受けて、少し浮かれてしまったんだろうなぁ。そうすればきっとどうにかなると希望を抱いて……俺は、思春と視線を合わせた。

 瞬間に脱力! さらに氣で体を固定するイメージを!

 

「愛してあぽろぉオオ!?」

 

 弾かれるように突進を始めた俺の顔面が、思春の右手で殴られた。

 痛みに蹲る俺を見下ろし、思春さんはとても素敵な眼力を向けてきました。

 

「立て。貴様には薬ごときに負けぬ体になってもらう。もしこの先、そんなものを誤って服用してしまう機会があり、蓮華さまと目が合ったら……!」

「ここで蓮華の心配!? すっ……少しは俺の心配もしよう!?」

「貴様がひどい暴走を起こさないことへの心配はしよう」

「普通にひどい!!」

 

 しかし、物事に、身体への異常に慣れるって意味ではこれは結構いいのでは?

 ということで脱力と氣での行動をしつつ、もう一度思春の目を見て───殴られた。ええまあ、また突っ込んだわけですが。

 

「せめて殴るのやめてください……」

「ならば鈴音を構えていよう。一歩でも進めば貴様の首が飛ぶ」

「やめて!?」

 

 ヒィと首に走る寒気を、首を庇うことでなんとか消す。

 う、うーん……世の中には惚れ薬が欲しいとおっしゃる方がいっぱいだと勝手に思っているが、これってそんなにいいものなのか?

 条件反射で好きとか愛してるって言われても、嬉しくないだろうに。

 

「あ、そだ。思春、試しに飲んでみない? 俺、思春なら薬にも勝てる気がするんだ。というか打ち勝つ姿を見てみたい」

「断る」

「ひどっ!? 二回殴っておいて、というか自分から耐える方法とか提案してきておいて、自分は飲まないのはひどいだろ!」

「う……」

「というわけで、はい一口」

 

 ズイと徳利を突き出してみる。

 や、べつに本気で飲むとは思ってないわけで。だって思春だもの、こういう場合はきっとするりと抜け出す道を選べるはず。ならば俺はそのスルースキルを今後のためにも学ばせてもらい、今まさに思春が薬を手にとってくぴりと一口───あれぇええっ!?

 

(え、やっ……えぇ!? 飲んだ!?)

 

 キュッと栓をして、惚れ薬を返してくる思春さん。

 その表情はいつにも増してキリッとしているように見え、むしろ飲む時は潔くというのが無駄に格好よく見えてしまった。女性に対しての“男らしい”って、こういう時に使う言葉なんだろうか。

 こういうのってほら、パターン的にはついうっかり飲んでしまってヤアシマッタって感じにさ……ねぇ? まさか自分からいくとは思わなかった。女は強し……なるほど。

 などと思いながらしばらく様子を見ていると、思春の体がカタカタと震えだし、歯を食い縛った様子を見せてから俺に視線を合わせるように言うと、

 

「好ぐふっ!!」

 

 勝手に動く口を、なんと自分で腹を殴ることで止めてみせた。

 俺は机をギウウと掴んだまま、なんとか耐えてみているんだが……気を抜くと飛び掛かりそうで怖い。

 

「……思春」

「……すまん」

 

 ヒィ!? 素直に謝られた!?

 どうやら思春の力を以ってしても、この惚れ薬には抵抗できないらしい。

 薬って怖い……随分と久しぶりにその言葉が頭に浮かんだ。

 



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95:IF/安っぽくても好きは好き④

 子供の頃なんかは麻薬のために人を殺す漫画で、薬ってものを嫌ったこともあったが……まさかこんな身近なことで薬に恐怖を覚えることになるとは。

 しかもその恐怖対象が惚れ薬だよ惚れ薬。

 同じく漫画とかならよくあった薬の中の一つ。

 飲んだら惚れるなんていう恐ろしい…………あれ?

 

(惚れ……惚れる?)

 

 ふと気になることが頭の中にポッと出た。

 

「思春。ちょっと部屋に戻ってみよう」

「? 正気か? 抱き合っていた二人の様子とこの状況を鑑みるに───その」

 

 話している途中で自分が見た光景を思い出したのか、少し赤面する思春。

 俺も心配ではあるものの、なにか確信に近いものを抱いたまま、とりあえずは部屋を出て自室へと戻ってみた。

 

「………」

 

 まずはノック。自室とはいえ中に人が居るのなら、当然ですとも。

 返事がないことを確認しつつ、ソッと開いて中を見てみれば…………案の定だった。

 

「北郷?」

 

 覗くだけで中に入らない俺を訝しんでか、後ろから思春の声がかかる。

 俺はその声にパタムと扉を閉めて、思春に向き直った。当然、視線を合わせた上で。

 

「なっ───!?」

 

 突然のことに対処出来ず、思春は自分を制御できないままに暴走。

 同じく勝手に動く俺の体も思春を抱き締め、好きだ、愛してる、大好きだなどと愛の安売りをしだすわけだが───

 

「………」

 

 口は忙しく動き、愛を語る。

 頬だって赤いし、目の前の人が気になってしょうがないものの……まあ、予感は当たった。

 思春は目がぐるぐると渦巻状になってパニック状態だ。対する俺は結構冷静です。

 ああまあ……これね、“惚れ薬”だ。惚れるだけで、“それ以上”は存在しない。

 ある意味すごいぞこれ。

 

「………」

 

 けどまあアレです。

 頭の中はひどく冷静だけど、体は勝手に愛を語っているわけで。

 

「すっ……すすす、すきっ……す、ぐっ……! ぐくくうう……! 好きだっ! 北郷! わわわわワワ私はきさっ、きささっ……! 貴様がっ……!!」

 

 目の前で思春に、あの思春に好きだとか言われる破壊力は、なんというかこう……!

 

(怖い! あとが怖い!!)

 

 ええ、怖かった。

 果たして薬が切れた時……むしろ抱擁が解かれた時、俺はいったいどうしてしまうのでしょう。

 そんなことを考えながらも、この珍しい思春さん劇場に心を奪われた俺は、どうせボコられるならもう少しこの告白劇場を堪能しようと……───油断してしまったのがいけなかったんだろうなぁ。

 

「───? ……ながっ……!?」

 

 人の気配。次いで、絶句するような、普段ならば聞かないような言葉が、知っている人の声で聞こえた。

 抱き締めている思春の肩越しにちらりと見てみれば……ひどく驚いた様相でカタカタと震えていらっしゃる冥琳さん。……ア、アー、そうだよねー……! さっきこの通路を使ってどこか行ってたんだから、戻ってくることくらい考えておかなきゃいけなかったよねー……!

 

「あ、いや、これはその」

 

 深く抱き締めるという行動によって、こうして肩越しに冥琳を発見するに至り。当然視線は思春の瞳から外れたので、自分をしっかり持てば薬の効果からの脱出も可能だった。

 心から慌てているのかどうなのか、思春が未だに抱きついたままなのは大変意外なわけではございますが。どうかこのままでいてくださいと思う俺はおかしいですか? だって正気に戻られたら鈴音が俺の頭部と首を乖離してしまいそうで。むしろこんな状況なのに、冥琳が“ながっ……!?”なんてヘンテコな戸惑いの声を出すことに貴重さを感じた俺はおかしいですか?

 

「い、いや。なんだ。わかっている。惚れ薬だろう。思春も飲んだのか」

 

 こほんと咳払いをしてからの言葉。

 軍師さんの頭のキレってどうなってるんだろう。こんな時にまで冷静に物事を考えられるなんて、正直言って羨ましい。……俺、慌ててばっかりだもんなぁ。

 さて、そんな状況でもまだ頭の中がぐるぐる回っているのか、冥琳に気づかずに告白を繰り返す赤い人が僕の腕の中にいらっしゃるわけですが。どうしよう。俺、今すぐにでも首を洗うべきなのでしょうか。

 

「あ、あのー、思春? 思春さん? 目。目を……」

「好───……目?」

「ほ、ほらっ、そのっ、もう視線は合ってないんだから、努力と根性と腹筋でなんとか正気に戻っていただけると大変ありがたいといいますかっ……!」

 

 ───ぎしり。

 俺の腕の中の女性の体が、一瞬跳ねた。

 やがてカタカタと震えだし、ちらりと見た彼女の首やら耳やらがシュカアァアアと赤く染まってゆき───! ヒィ!? それと同時に殺気が! 殺気がだだ漏れてきてらっしゃいます! 思春さん!? 隠密はっ!? 殺気は殺さないとまずいよ!

 

「貴様を連れていってやろう……鈴の音が導く、無音の世界へ……!」

「怖ァアアアアアアアアアッ!!? やめっ、やめよう!? 怖い! すごい怖い!」

 

 涙目、真っ赤、震え、鈴音抜刀。

 何一つとして俺に対する救いがない状況がここに完成いたしました。

 助けてとばかりに冥琳に視線を送ってみると、やれやれといった風情で胸の下で腕組みをしてらっしゃる。……え? いや、そんなありきたりの日常に苦笑するような反応されても! 俺そんなに誰かに襲われるような日々を送ってるとでも───…………あはははははは送ってたァァアーッ!!

 ええいくそうもうヤケだ! 俺は生き残るためにあらゆる手段を使って今をやりすごすぞ! 一時の恥ずかしさで命が救えるなら、俺は迷わずそれを選ぶ! そんなわけで敢えて自分から思春と目を合わせ、抱き付いて告白劇場! そうすることによって、“今”だけは相手の自由を奪うことに成功し、胸の奥がきゅんと……おや?

 

「……え? あれ?」

 

 きゅん? なんか今胸の奥がきゅんと鳴った。

 胸を締め付けられる音が聞こえるとするのなら、きっとこんな音なのね……! などとラヴロマンスチックに背景に花を咲かせてやりたくなる心が、何故か俺の心に溢れてきて……!? あ、嗚呼……これが、恋……!?

 いや、恋なら知ってるよ! 華琳相手に散々揺らしたものだよ! ……そしてこれは間違い無く恋の鼓動!? ちょっ……冗談じゃないぞ!? “視線が合った人に告白する”ってものがひどくやさしいものに思えてきた! 本気で好きになったらヤバいだろ! ああ! なのに! なのに胸がトクントクンと! ああもうやけに鼓動が大きいなぁ! 聴覚が鼓動の音に支配された気分だ!

 

(しかし大丈夫! いざとなれば強引な手段だろうが思春が止める! たとえ惚れ薬に操られようが、本気を出した思春さんはあんなもんじゃない! ……はず!)

 

 人はそれを他人任せと言います。

 でもね、うん。体はさ、自由に動くんだ。その点で言えば、さっきまでの告白地獄よりはよっぽどマシだと思うよ、うん思う。それはいい。それは。けど、相手を本気で好きって思っちゃうと、ある意味反射的に告白するよりもヤバい。ただ今、それを感じております。

 

「し、思春……」

 

 自然と思春を熱っぽい視線で見つめてしまう。

 すると思春の目が潤み始め、今まで見たこともなかった恋に恋する乙女のような瞳になっていき、俺と思春は互いに名前を呼びながら手と手を繋いで……やがて、唇が……!!

 

「落ち着けっ!」

『《ベリャアッ!》はうっ!?』

 

 あと少し、というところで俺と思春は引き剥がされた。

 この場で唯一まともな、冥琳の手によって。

 ……って、今俺何をしようとしてやがりましたか!? 熱に浮かされて、薬の効果に誘われるままにキスしようとしてました!?

 

「め、冥琳っ……ありがっ───あ」

「あ」

 

 心の底から感謝を。

 その礼儀として相手の目を見て感謝の言葉を届けようなんてしたことが裏目に出た。

 バッと見つめてしまった先に冥琳の目。合わさる視線……!

 

「冥琳! 好きだぁあああああっ!!」

「うわぁああああああっ!!?」

 

 もはや見境無しでございます。

 体はもはや根性論ではどうにもならず、そのくせ涙だけは支配されていない“洗脳モノのセオリー”は守ってらっしゃるようで、視界は滲む一方だ。

 だがやはり軍師は一足先を見据える者らしい。

 飛び掛かり、抱きつこうとした俺は、サッと避けた冥琳の動作に腕を空振らせ、慌ててバランスを取ろうとしたところへスパーンと足払いをされた。冥琳にではなく、思春に。重力に従ってビターンと廊下に倒れる俺が、すぐに腕と足を腰の後ろで縛られたのは、その直後だった。

 

「…………ア、アノー、冥琳、思春さん? いきなり飛び掛ったのはごめんなさいだけど、さすがにここまでやることはないんじゃ───」

『こっちを見るなっ!』

「ごめんなさいっ!?」

 

 そうまでされるに至り、さすがに自分の意識を取り戻した俺が抗議してみても説得力があるわけもなく。

 少し寂しい気持ちを抱きながらも、自業自得の四文字を胸に諦めた。

 

……。

 

 いろいろあって現在。

 もう夜中と呼べる時間なんじゃなかろうかと思う、とっぷりと暗い闇の中、冥琳に用意された部屋にて、蝋燭の明かりを頼りに冥琳が惚れ薬の紙を見ていた。そうしてなにか思い立ったことがあったのか、部屋を出るとしばらくして戻ってきて、また紙を見てふむふむと言いつつも頭が痛そうに溜め息を吐いている。

 俺と思春は極力人と目を合わせないように待機中。や、まあ、俺は両手両足を背中側で縛られてるから動きようがないんだけどね?

 

「ふむ……なるほど。ようするに目を合わせた相手に惚れ、同じ相手と目を合わせ続けると効果が変わってくる、と」

「そんな惚れ薬、初耳だよ……」

「そうだな。だが、解決策は見えた」

「え? ……ほ、ほんとかっ!? どうすればいいんだ!?」

 

 バッと見上げる先に冥琳の顔。

 なにせ支柱なのに床に転がされているんだから、見上げなければ表情が見えない。

 見上げた先の冥琳は、なにやら呆れたというか疲れた表情だ。

 

「目を合わせ続ければいい。結局のところ、“惚れる”だけの薬のようだ。とことんまでに“惚れ薬”だ。見事だと感心するほどに。北郷の言う通り北郷の部屋も覗いてはみたが、あの二人に特別ななにかが起こったというようにも見えなかった。今は静かに寝ていたよ」

「ウワー……」

「その。つまり、体を動けぬ状態にして、互いに見つめ合えばいい、と?」

 

 思春の言葉に冥琳は「ああ」と答えて縄を用意する。

 それで思春に断りを入れてから彼女を俺と同じように縛り、俺と向き合わせた。俺と思春は咄嗟に視線を外して、冥琳の言葉に耳を傾ける。

 

「思うに、これを作った者は“惚れた時の心”というものを知りたかったんだろう。相手が気になってみてもそれが恋かなどとは確信が持てないものだ」

「恋心を知るために……って、また迷惑な……」

「ふふっ、そう言ってやるな。見ている分には中々に面白かったぞ」

「見ている分にはね!? 飲んだこっちはたまらないんだよ!」

 

 俺だって出来れば傍観側で居たかった。

 でも本当に見たかったか~と言われれば……そうでもなかったり。

 やっぱり薬とかじゃなくて、本当に好きな相手とそうなってほしいだろう。

 

「まあ、そんなわけだ。北郷、思春。目を合わせろ」

「イ、イヤ、心の準備ガ」

「聞かん」

「《こきゅり》ハオッ!?」

 

 冥琳の手によって無理矢理思春のほうへ向けられる顔。

 背けていた視線も、その努力も虚しく打ち砕かれ、俺と思春の視線が合わさった。

 途端に視界がピンク色になるのを感じた。

 漫画とかなら思春の周りに花とかが無意味に咲いているかもしれない。彼岸花あたりが。そんな、あとで殺されたりしないでしょうかという心配とは裏腹に、心は思春に惹かれてゆくばかり。

 手を伸ばせば届く位置に居るのに、手を伸ばせないもどかしさが心を突く。

 ……突くのだが、思春の様子がおかしい。

 

「…………ば……かな……。 これが……?」

 

 戸惑いと恋心が混ざり合った人ってあんな顔をするのかな、なんて暢気に考えたが、明らかにおかしかった。惚れた心のままにやさしく「どうしたんだ」と訊ねる俺の口に、俺自身がびっくりしつつも返答を待つ。

 

「これが…………これが恋心、というものだとするなら、私は……私はいつから……!」

「?」

 

 けれど俺の質問に対する“答え”らしい“応え”はやってこない。

 その代わりに視線だけは合わさったまま、困惑という言葉を顔に貼り付けた表情で、俺と思春は見詰め合っていた。

 しかし、どうだろう。

 そうしていると好きだという感情が守ってやりたいというものに変わり、守りたいという感情が見守っていたい感情に。最後には見届けた気分になり…………胸のざわめきは、とうとう無くなった。

 最後に残ったのは、人の成長を見守り通したような奇妙な達成感だけだ。

 これが……子の成長を見届けた親の気持ちだというのなら、これほど嬉しいことはない。

 いや、本当に奇妙な感覚なのだ。相手は思春なのに、妙に“よくぞここまで成長してくれた……!”とか言いそうになるくらいに満たされた自分が居る。

 一言で言うならそう。

 

「なんなんだこの薬……」

 

 だった。

 でもまあアレだ。

 元からヒネた考えを起こして見てみれば、“惚れる”にもいろいろな惚れ方があるのだ。

 相手に心惹かれるって意味での惚れるや、相手の生き様に惚れる、武力に惚れる、知力に惚れる、意思に惚れる、夢に惚れる。挙げてみればもっといろいろとあるだろう。

 つまりこの薬はそれを順番に出すようなもの……なのか?

 だから全てが叶ったあとには奇妙な達成感だけが残される。

 思い残すことはもはやない……と賢者のような気持ちになって、ひどく眠たくなる。

 そう、手足を縛られているにも係わらず。こんな格好で見届けた男の顔をしている俺は、それはもうひどくおかしな男でしょうね。ちくしょう自覚出来るあたりが切ない。

 

「あ、あー……冥琳? 薬切れたみたいだから解いてくれるとありがた───大好きだ!」

「…………なんなんだこの薬は……」

 

 視線が合った途端に叫んだ言葉に、今度は冥琳が溜め息を吐いた。

 どうやら一人一人に対してきっちりと発動する暴走らしく、思春を見てももう惚れるだのと言った感情は湧かないものの、冥琳にはしっかり湧いたようで。

 結局薬の効果が切れるまで、俺と思春は……一晩を床に転がりながら過ごした。

 

 

───……。

 

 

 朝。

 冥琳と目を合わせたことで興奮した勢いの所為か、てんで眠れなかった俺は、ぐったりしながら冥琳に解放された。

 もう冥琳の目を見ても暴走することもなく、今更眠い頭を引きずるように部屋を出る。

 思春はどうやらぐっすりだったらしい。羨ましい限りだ。

 

「眠くても仕事はあるんだよな……うう」

 

 とりあえずこの薬は封印しようね……ほんと、本気で。

 それよりもまずは水。

 厨房へ行って水を喉に通して、顔を叩いて眠気を弾く。

 呼吸を落ち着かせるとまた眠くなってしまうので、酸素を少し内側に篭らせるように呼吸をすると、内側の筋肉が震えて体を熱くさせた。

 うん、これで少しの間は眠気は大丈夫。

 

「あとは……うん、あとは」

 

 こくりと誰にともなく頷いて、ちらりと後方を見る。

 すると、厨房の出入り口に隠れるようにしてこちらを見ている思春さん。

 

「あのー、思春? なんだって妙な隠れ方を? いつもみたいに気配を消してついてきてくれるならまだしも、気配がだだ漏れでわかり易すぎるんだけど……」

「!?」

 

 あ、驚いてる。珍しい。……むしろ自覚がなかった?

 でもいつも見守ってくれてありがとう。

 感謝を伝えようと近くに歩くと、何故かシュヴァアと物凄い速さで疾駆。

 ……エ? と呆けてからすぐに出入り口から廊下を見渡してみたんだが、彼女の姿はどこにも無かった。……何事?

 

「や、まあ……薬の所為とはいえ、好きだ~なんて言った相手と一緒に居たくないのはわかるかなぁ」

 

 俺も結構顔が熱いし。

 しかしながら顔が熱いからって仕事が無くなってくれるわけもなく。

 華琳への仕返しをどうしようかなんて考えながら、自室へ向かって歩き出した。

 ……ふむ、いっそ華琳にも子供になってもらうなんてどうだろうか。

 稟じゃないけど、春蘭あたりが鼻血を出しそうな気がする。

 

(でも……仕返しか)

 

 忙しさと楽しさがごちゃ混ぜ状態の今だけど、偉くなったもんだと笑ってしまう。

 偉くなったもなにも、俺が一体何をしたんだって話だが……ただ知っている歴史に抗って、ここまで来ましたよってお話。

 えらくずるい方法ではあるものの、自分の存在を懸けてまでやったことだ。今更悔いるというのは少々ずるい。なので、楽しめる今を十分に楽しんで、これからのことも手探りで経験していく。

 手始めに意地悪な覇王さまに仕返しをするとして、そこまで険悪にならずに笑って済ませられる何かを考えてはみるのだが……悪事に向いていないのか、コレというものが浮かばない。

 でも子供から元の姿に戻りましたよ~って報告をしなかっただけでアレはヒドイ。

 なので───…………なので。

 

「…………」

 

 子供になる前に、彼女になにをしようとしていたのかを思い出して、また顔を熱くした。

 ……自室に戻る前に華琳に会いにいこう。

 好きだだのなんだのを薬の所為で叫んだ口から、普通に自分で出せる好きを唱えさせてやりたい。というか無駄に胸がトキメいた反動か、華琳のことを考えてからというもの華琳の顔が見たくてたまらない。

 

「……惚れるのって、なんというか…………弱いなぁ」

 

 惚れるにもいろいろな意味があるように、弱いにもいろいろがある。

 それを自覚しながら言葉にして、自室前まで歩いた足を別の方向へ向け、歩きだす。向かう場所が決まっている所為か、どうにも緩んでしまう顔をなんとか引き締めようと努力しながら。

 




内容とはまるで関係ないんですが、ドラクエの「いのちだいじに」の作戦を見ると、ドラクエ4を思い出すのです。
勇者が作戦を決めた途端、仲間が散り散りに逃走。
勇者は誰よりもまずトルネコの肩を掴んで引き止めたが、振り向いた彼は嘲笑を混ぜたような笑みとともに「誰だって自分が一番かわいいのさ……あんただってそうだろ?」と仰った。
その時のトルネコさんの顔がいつまで経っても忘れられない。いえ忘れたくないからいいんですけどね。
ドラクエ4コマはいろいろステキなところをつついてくる内容があって、好きだったなぁ。


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96:IF/続・がんばれ、女の子①

147/ド・マイヤールとか言いたくなる

 

 動かしていた足をビタァと止めたのは、意気揚々と足を踏み出した少しあとだった。

 気づいたことがあったのだ。

 とてもとても重要なことだ。

 

「華琳の部屋、シラナイ……」

 

 なんてことだ。

 子供に戻ってからというもの、華琳が自室を訪ねる以外に華琳との交流は特になかった。仕事の時は華琳が俺の部屋に来たし、寝泊りしていくこともあったが……華琳の部屋自体を知らないとは。

 

「仕事もあるし、大人しく戻るか」

 

 華琳が来たら何処だっけと訊けばいい。

 そ、そうそう、がっつくのはよくないよな。

 俺はただ好きって言いたいだけなんだし、部屋に来てくれた時に言うのでも一向に構わないわけだ。

 

「………」

 

 積極性に欠けるだろうか。

 こういう時はもっと突っ走るくらいが男らしい? ……んん、眠いから頭が正常に働いてくれない。しかしまあ、男らしさ云々と仕事とを取るなら…………仕事だな。国へ返そう。

 

「っし!」

 

 ズバームと頬を叩いて悶絶しつつ、部屋へと戻った。

 さあ、今日も一日頑張りましょう!

 仕事仕事ォオオ!!

 あ、でもその前に……子供薬と大人薬と惚れ薬、全部この部屋に持ってこようね……。また何かしらの悪戯とかに使われても困るし。

 

 

───……。

 

 

 ドシュシュッ! バオバオッ! ビッ! ブバッ!

 でげででげででげでで~ん♪

 

「………」

 

 仕事が終わった。

 脳内で霊幻道士の鍛錬の音を鳴らしてみたが、意味は当然ない。

 ……って、あれ? なんか外が暗い。

 メシは? 小休憩のシエスタは? むしろ華琳は!?

 華琳が来たら少し休憩入れようって思ってたのに!

 昨日の今日だから、惚れ薬のことで絶対に来ると思ってたのに!

 むしろ空腹にも気づかずに仕事に集中ってどうなんだ俺!

 

 

 

 

-_-/華琳

 

 …………。

 

「………」

 

 来ないわね。

 昨日の今日だから、惚れ薬のことで必ず来ると思っていたのに。

 それとも仕事でも溜めていて、それを今やっていると?

 

「……サボってばかりだった頃からすると、考えにくいことね」

 

 今では有り得ることなのだから、人の成長というものは不思議だ。

 一刀の言っていた言葉の通りね。出来ないのならば出来るように導いてやればいいのだと。支柱自らがそれを示すのなら、これほど学ぶ者にとって教訓になることはないわ。

 

「それにしても……」

 

 来ない。

 いったい何をしているのかしら。

 子供になっていた頃の仕事ならば、私と冥琳とで大体は捌いていた。

 今更そこまで梃子摺(てこず)るようなものは残っていない筈だ。

 

「…………はぁ。仕方ない───……わね?」

 

 行ってみようか、などと考えてからハタと気づく。

 そういえば彼は───私が居る部屋を知っていただろうか。

 

「………」

 

 来ない原因がわかったと同時に、どれだけ自分が足しげく一刀の部屋を訪れていたのかを自覚してしまった。ちりちりと顔に熱が篭るのを感じて頭を振るが、困ったことにその熱はしばらく引いてくれそうになかった。

 

「……これは、無理ね」

 

 小さく呟いて窓を開けた。

 涼しい風が吹くと、少しだけ心が落ち着いてくれる。……顔は変わらず熱いわけだが。ともかく一刀の部屋へ向かうのは無理だ。

 

「明日ね。先延ばしは好きではないけれど、急くほどのものでもないのだから、余裕を以って動けばいいのよ」

 

 まるで自分に言い聞かせるように言う。

 誰に向かって言っているのだかと自分で自分を鼻で笑った。自分に向けてとはいうが、誰が聞いているわけでもないのだからおかしな話だ。

 ……いえ、待ちなさい? 明日は冥琳や霞が近辺の邑を回る日で、しかも護衛に華雄と思春を付ける上、七乃も情報交換のために出る筈だから───

 

「………」

 

 二人きり……とまではいかないけれど、まあ、その。あれね。

 二人で過ごす時間を久しぶりに取れるということ……ね。この際子供の一刀との時間は横に置くとして。

 

「………」

 

 机に存在する書類の山を見る。

 魏から送られてきた確認が必要なものと、ここに住む中でやっておかなければならない書類が積まれていた。

 ……やれなくはないわ。やれなくはないけれど……睡眠時間は削る必要があるわね。

 

「……まったく。いつかの自分を思い出すわ」

 

 一刀との一日のために徹夜で書類整理をした日を思い出す。

 結局途中で眠ってしまったけれど、そう悪くはない一日だった。

 そして今目の前にある書類はある日よりも少ないもの。

 徹夜はしないと話し合いはしたけれど、ようは徹夜でなければいいのよ。ええ、ええそう。……というか、どうしてわざわざ言い訳じみたことを自分自身で確認しなければならないの。

 

「…………」

 

 思いつつも既に取り掛かっている自分が居た。

 不思議と先ほどよりも手が早く、頭もすっきりとしている。この調子ならそれほど時間もかからないだろう。

 ……これで一刀が仕事を残していたらどうしてくれようかしら。

 そんな不吉な考えも浮かぶものの……まあ、それならそれで仕事を見ているのも悪くはない。なにも一緒に出かけることばかりが息抜きではないのだから。

 

 

 

-_-/一刀

 

「……いやいや、いいんだ、国には返せた!」

 

 ポジティブにいきましょう。

 仕事を早く終わらせることが出来たのは実に見事。

 すっかり暗いけど、それだけ集中することが出来たのは俺にとってはプラスなことだ。やっぱり氣の集中鍛錬とかが役立ったのだろうか。そう考えると……はは、なんか嬉しいな。

 

「よしっ! それじゃあこれを華琳に確認してもら───って、魏じゃないんだから俺が決定しなきゃいけないんだった」

 

 不慣れなことはまだまだあるな。

 華琳が傍に居ると、どうも体を傾けたくなる。

 早い話がこう……あー、んん……体重を預けたくなる……って、言えばいいのか?

 

「それを惚れた弱みって言っていいのかどうか」

 

 寄りかかるのと依存するのは違うよなー……。

 男としてそれはどうなんだーとか考える気はもちろんない。だってこの世界、むしろ男が弱いし。“男として”って言葉がちっぽけに聞こえるから不思議だ。

 だからこそしっかりしなきゃって気持ちが無いわけでもないんだけどね。

 男女の差別を考えるより先に、性別云々じゃなく一人の人として出来るなにかを探したいと思うのですよ。この世界じゃ特に。

 

「………」

 

 三国の父。支柱。種馬。いろいろと名前を頂いてはいるものの、思い返すと少し遠いところを見たくなる。国に返すって意味ではこれほど大事なことなんてないとはさ、そりゃ思うけど。ああいい、もうやめやめ。悩むのやめだって覚悟決めたろ、俺。

 

「にしたって……」

 

 たとえばそういう状況になるとして、どうやってそんな雰囲気になれと?

 自然とそうなったら~とか三羽烏の時のように言ってはみたが、そんな自分は今から想像できやしない。

 

「惚れ薬の勢いで~ってのは一番勘弁だよなー」

 

 や、そりゃそんなので告白してOKする人なんて居ないとは思うよ?

 だってどう考えたってあれおかしいもん。いきなり抱きついて好きだー! なんてさ。

 普段の俺を知っている人なら、まず間違い無く冥琳みたいな返しでくるはずだ。

 …………アイアンクロー抜きで。

 

「……顔面って鍛えられるんだっけ?」

 

 筋肉は成長させられない今の俺だが、こう……氣で包み込めば……!

 

「はぁあああ……!! ───潤い肌!!」

 

 顔を氣で包んでみた。

 …………姿見で見てみたら、ツヤツヤと輝いてらっしゃった。

 太陽の下でならフェイスフラッシュとか出来そうだ。美肌の輝きってレベルじゃない。

 

「…………」

 

 頭の中がごちゃごちゃしてるな。

 寝よう。気づかなきゃ空腹も覚えなかったくらいだ、なんとかなるだろ。

 もうこの暗さじゃ夕餉も終わってるだろうし。

 

(ああくそ、アニキさんの店に行きたい)

 

 溜め息をひとつ、寝台まで歩いてドフリと倒れる。

 珍しくお客らしいお客もなかった自室でひとり、やわらかく自分を受け止める睡魔を抱き締めて、いざ───

 

……。

 

 …………。

 

「………」

 

 朝だ。

 馬鹿な……こはいかなること?

 あのパターンだと絶対に来訪者が来て安眠妨害~ってオチでは?

 

「………」

 

 ちらりと見れば美羽が寝ている。

 ぽむぽむと頭を撫でてみると、「んにぅ~」と奇妙な声を出す。

 そんな反応に笑みをこぼすと、それを今日の活力にする気で立ち上がった。

 ぐうっと伸びをすればバルバルと震えるインナーマッスル。

 それが、どこか重い朝の体に熱をくれる。

 筋肉を震わせて熱を出す。シバリングと同じだな。

 体温低いと朝が辛いって聞くし、熱は大事だよな。

 

「カロリーは寒いところに居たほうが消費するってテレビでいってたっけ。シバリングで筋肉使うからっていうのもあるけど、その熱で代謝が上がるからとも聞いたよな」

 

 じゃあシバリングを自在に使えるようになれば筋肉を使用することで筋肉が大きく。基礎代謝も上がる。つまり太ってしまった場合はそれを行使すれば、綺麗に効率よく痩せられるんだろうか。

 

「COOOOO……!!」

 

 波紋が疾走しそうな呼吸とともに体を動かす。

 朝の準備体操もいいけど、たまには一工夫を。

 まずは美羽を起こして伸びをさせたあと、説明をしつつ朝の体操+α。

 

「うむみゅ~むむむ……なんじゃ……? なにをするのじゃ……?」

「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! きみなら出来る!」

 

 こしこしと瞼をこする美羽と対面しながら細かく説明。久しぶりの快眠も手伝って、少しテンションがおかしいのは気にしない方向で。

 や、説明っていってもそう難しいものじゃない。

 動きを真似してくれ~って頼んでから、その動きのひとつひとつを説明するだけだ。

 まず肩幅に足を開いてお尻にギウウと力を込め、その状態で少し爪先立ちをして腿の裏側にも力を入れるイメージを足に叩き込む。

 そうしてから力を入れたまま軽く、あくまで軽く中腰になり、一番尻と腿に負担がかかる位置をキープ。脹脛にも力を込めて、その状態のまま次は両腕を肩の位置まで上げて、背中側に逸らす。肘から上は上に向けて、背中の筋肉を刺激するようにぐぐぐ~っと後ろへ。

 さらにその状態のまま肩幅に開いてある太腿を内側に絞めて、まあようするに足は開いたまま膝から上を閉じるイメージでギウウと力を込めて、さらにさらに腹筋に力を込めたまま上体をゆっくり後方へと傾けてゆく。その際、腹筋や腹斜筋にも力が入ったままになるように腹は引っ込めるイメージで。

 某半裸頭巾の師範が“あ゛ああぁぁ~っ!!”とか叫びながらゲージを溜めているようなポーズだ。

 これを、ゆっくり吐いてゆっくり吸う呼吸をしながら続けられるだけ続ける。

 もうだめだと思ったそこから2秒耐えてみよう。

 その2秒が叶ったらまた2秒。

 自分の想像の限界をぶち壊した先で本当の限界が来たら、急いで力を緩めるのではなくゆ~っくりと力を緩めてゆく。休む時間は多くて10秒。10秒経ったらまた同じことの繰り返し。

 これで朝に必要な熱は解放出来る筈だ。

 

「ふくくっ……!? く、くるしいの、じゃ、じゃじゃじゃじゃ……!!」

「辛くても頑張って! 辛い時こそ我慢だ! 呼吸を合わせて! はい! イー! アール! サーン! スー! ウー! リュー! チー! ワンモアタァイム! ゴー!」

「い、いー、ああああーる、ささささ……! わんもあとはなんなのじゃー!」

 

 ぷるぷると震えていた美羽が、結構な速さで諦めた。「ぷあはー!」と可愛い声を出して構えを解いたのち、「なんなのじゃこれはー!」と久しぶりに俺へと文句を飛ばしてくる。

 

「オーバーマンズブートキャンプだ!」

「だからそれはなんなのじゃと問うておろー!?」

「大丈夫! きみなら出来る!!」

「なにがじゃ!? なにがじゃーっ!!」

 

 ビリー先生は基本、聞いてはくれません。だって画面の先の人だから。

 なので次。

 

「次に紹介するのは、先ほど絞めた背中を広げるものだ! よーく見て、同じ動きをしてみよう!」

「う、うー……」

 

 文句は言っても結局は俺の言うことには頷いてくれるらしい美羽。

 そんな美羽の頭をやさしく撫でてから、もう一度説明に戻った。

 体の熱を解放する構えその2。

 今度は足を肩幅よりも少し広めに開き、同じく尻と腿に力を。

 さらに同じく腹も引っ込めるイメージで脇腹と腹筋に力を。

 腹を引っ込ませるのと同時に背中を引っ込ませるイメージを高めてみると、脇腹にも力が入りやすい筈だ。

 次にそこから上。胸筋を盛り上がらせる感覚で胸と肩に力を込める。その状態で胸の前で手と手を合わせ、押し合う。某半裸頭巾の師範が“ん゛んんんんんーっ!!”とか叫びそうな構えだ。

 

「む、ぬむむ……!」

 

 その構えが完成したら、再び足は開いたままで太腿を閉じるイメージで力を入れてみよう。

 熱のスイッチは太腿を閉じることだと体に覚えさせてみる。

 もちろん肩幅以上に足を開いているのだから、太腿が合わさることはない。が、それでいいのです。閉じるイメージはただ単に閉じるのではなく、腿の内側の筋肉で絞める感じで。あくまで筋肉を刺激する体操なのだから当たり前といえば当たり前だ。

 ほぼ全身に力が入り始めたところで、次だ。

 

「次はその状態で大きく息を吸って、吐いてみよう! 背中は開くイメージ! 胸は閉じるイメージ! 吸う度に背中の筋肉を開き、吐く度に腹筋と脇腹と丹田を絞めるイメージ! 絞めたらその状態を保ったまま吸って、吐く時はさらに絞めよう!」

「ん、んぎぎぎぎぅううう~……!!」

 

 自分の手同士で腕立てをするイメージで押し合い、胸筋から肩甲骨、肩から手のひらまでミシィッと力を込めてこれをキープ。あとはシバリングのイメージを丹田で燃やして、息を大きく吐いて吸ってを力を込めたまま続ける。

 

「ぜえぜえと荒く吸ってはいけない。長く吸って長く吐くんだ。吐く時は口をすぼめすぎると風船を膨らませようとした時のようにジンジンしてくるときがあるから、某師範のキャラ絵のようにニヒルな剥き歯で吐いてみよう!」

「師範とは誰じゃ!?」

「……すごい漢だ」

 

 疑問を飛ばす美羽とともに朝の体操(?)。

 すぐに体が熱くなったようで、構えを解く頃には汗だくでぜえぜえと息をする美羽の姿が。

 

「では最後に体を大きく開いて背伸びの運動。足の幅はさっきの広さのまま、両腕をそれぞれ斜め上へと突き上げ、うおおおおーっ! と叫ぼう! はい! うおおおおおーっ!!」

「う? う、うう……? うおーっ!! お、おぉおお~っ……!」

 

 ぷるぷると震える体で背伸びの運動をする美羽。

 力は込めずに体を伸ばすだけだということを伝えると、彼女は喜んで背伸びをした。

 まあ、眠気覚ましの伸びのようなものだ。伸びの際のプルプルとした筋肉の感覚を覚えておけば、案外発熱運動もやり易くなる。

 

「は、はうっ……はぅうう……!」

 

 上手い具合に脱力出来たのか、美羽が寝台の端にぽてりと尻餅をつく。

 尻餅つくカタチでよかった。もうちょっと足りなかったら寝台のカドに頭を強打していた。

 

「ん、んん~! ……久しぶりにやると結構キツイなこれ……!」

「うみゅ……じゃが確かに体は熱くなったの……。汗がすごいのじゃー……」

「眠気は醒めただろ?」

「う、うみゅ……しかしの、主様……。それを目的とするならば、最初のだけで十分だと思うのじゃがの……」

「ついでだよ。続ければ美羽も足腰丈夫になって、いろんなことが出来る基礎を体に叩き込めるぞ」

「な、なんじゃとっ!? おおお……そうなれれば妾も主様のためにいろいろと出来るようになるのっ!」

「………」

 

 ……ほんと、どうしてこんな素直な子が、あんな我が儘少女だったのか。むしろ逆か?

 

「体が小さい時に無理な筋肉をつけると体が成長しなくなるらしいから、無理はしない程度にね」

「なんじゃとっ!? う、うみゅ……それは困るの……」

「まあ、よっぽどのことがない限りは大丈夫だと思うから」

 

 自分の知る9歳の子供がとてもゴリモリマッチョで、だけど長身に育ったのを知っている。漫画だけど。

 初めて超野菜人2になった少年や、巨岩を背に腕立て伏せ3千回をやってみせる魔法先生は、いったいどうやってあんな長身に……。気にしたら負けか。

 

「よし、じゃあ目も覚めたところで……っと、はは……朝餉にしようか」

「おおっ、そうじゃのっ」

 

 どうやら中々早起きだったようで、いつもなら外から聞こえる喧騒も穏やかなもの。どうせなら今日は朝から腕を振るってみようかと、着替えながらにんまり笑顔で思っていた。

 しかしまあ、筋肉を使う運動をしても筋力は上がらないのは哀しいものだ。……頭はスッキリしたけど。

 



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96:IF/続・がんばれ、女の子②

-_-/華琳

 

 軽く睡眠を取り、目を開けた先には積みあがっている書簡竹簡。

 既に終わっている仕事の山に軽く笑ってみせ、静かに着替えて扉を開ける。

 心が軽い。

 もはや自分の邪魔をする者は居ないのだ。

 ……べつに少し眠くて思考がおかしくなっているなんてことはない筈だ。ええ、私は冷静よ。

 冷静だから一刀の部屋の前まで来ると、ノックもせずに扉を開けて……誰も居ないことを知った。

 

「………」

 

 魏でもあったことを思い出した。

 また入れ違いばかりを起こすのだろうかと思うと、自然と口角が引きつる。

 ……いいえ、待ちなさい? 朝早くなら、一刀は恐らく厨房だ。

 まずは水を飲みに行く筈だから、それを追えば……いえ、それも待ちなさい。

 追って、“今日は私に付き合いなさい”と言うの?

 追ってまで? この曹孟徳が?

 

「………」

 

 なにやら無性に癪だった。

 こんなものはいつでも損な結果しか招かないことなどとうに知っているというのに、それを制御出来ない自分に呆れる。

 待ったところであの受身ばかりの一刀が誘ってくるなど有り得ない。

 ならば結局自分が行くしかないのだ。

 

「……!」

 

 しかしここで気づく。

 机の上の書簡竹簡の山。

 歩み寄り、調べてみればほぼが終わっている。

 しかも中には乾ききっていなかったのか、開いたままの竹簡までもがあった。

 つまるところ……彼は徹夜で書類整理をしていたのでは?

 それはなんのため?

 

「………」

 

 顔が静かに、少し熱くなるのを感じた。

 い、いえ、違うわよ? よく考えなさい曹孟徳。あの一刀よ? あの一刀が、その。私と同じ考えで、徹夜で仕事を終わらせる? 同じ考えで───

 

「~……!」

 

 だだっ……だから落ち着きなさい!

 どうせ結果はどうあれ、なにかしらの呆れるような理由がきっかけで徹夜をしたのはほぼ間違いないのだろうから、妙な期待をするだけ…………そもっ……そもそも、ええ、期待? 一刀に? すすすっ、すすする必要がないじゃないの。ねぇ?

 

「…………~っ……!!」

 

 勝手に緩みそうになった頬を強く何度も叩き、顔を引き締めた。

 とにかく。一刀の考えがどうあれ、仕事がほぼ終わっているのは事実なのよ。あとは一刀を捕まえて連れ出してしまえば、ようやく私は息抜きが出来るのだから……!

 

「……というか。なぜ私はこんな回りくどいことをしなければ息抜きが出来ないのかしらね……」

 

 ええ、自分自身を納得させる、説得力のある理由をなかなか自分で出せないからでしょうね。

 わかっているわよそんなこと。

 けれど、楽しいことをしようとするのなら、いろいろな面倒など忘れることだと一刀自身に言われたのだから。

 ……まあ、相手が小さい頃にだけれど。

 

 

 

-_-/一刀

 

 厨房で水を飲んでから、さあと腕まくりをして調理を開始する。

 腕まくりどころか制服の上着自体を脱いだわけだが……油使うから汚れるしね。

 

「今日はなにを作るのかの」

「朝だからさっぱりと、でも力のつくものでいきたいな」

 

 そんな俺の横にちょこんとスタンバイしているのは美羽だ。

 待つのも退屈なので手伝ってくれるという。

 いい機会だしいろいろ覚えてくれると嬉しい。

 

「そういえば……この時代の人って料理のさしすせそとかって───知ってるわけないか」

「うみゅ? さしす……? なんなのじゃ?」

「料理のさしすせそ。さしすせそっていうのが、それぞれの調味料の頭の文字になってるんだ」

「?」

 

 首を傾げられた。

 あ、あー……こういう時ってどう説明したものかって迷うよな。

 

「つまりさしすせその“さ”なら、砂糖とかそういう意味で」

「さしすせそのさは砂糖……ならば“し”にも何かの意味があるということじゃのっ!」

「おおっ! そう、そういうこと! 飲み込みが早いな美羽っ!」

「うははっ、そうであろそうであろっ! もっと褒めてたもっ!」

 

 ……褒めるのはいいんだが、ここで褒めると七乃がやってるのとあんまり変わらないのではなかろうか。いやいや、でも褒めてやるのは大切なことだよ。否定的な言葉ばっかりだと、人ってぐったりしちゃうし。

 

「じゃあ、“し”はなんだと思う?」

「し? し、しー…………シュウマイなのじゃ!」

「それ料理だから! 調味料! 調味料ね!?」

「調味っ……わ、わかっておるのじゃ!? い、いぃい今のはちょっとした冗談なのじゃ!?」

 

 その割には声が裏返ってるぞー。

 なんてことを考えつつも、必死に考える美羽を見守る。

 なんというか……俺にいいところを見せたいのかどうなのか、美羽は失敗を認めたがらない。素直に認めてくれたほうがプラスになることもあるのに。……や、俺もそういう気持ちはよーくわかるんだけどさ。改めてこういう姿を見ると、華琳の前の俺もこんな感じなのかなーって。……華琳だけじゃないか、じいちゃんや、多分祭さんの前でもこんな感じだったんだろう。

 

「し……塩! 塩じゃの! 正解であろっ!?」

 

 胸は張るものの、顔が不安に満ちているおかしな態度の美羽。

 そんな姿が子供の頃の自分とダブった気がして、少し笑った。

 途端に美羽が言葉を改めようとするのを止めて、正解であることを教える。

 

「正解ならばなぜ笑ったのじゃーっ!!」

 

 怒られた。

 懐いてくれるようになってからは珍しいことながら、それでも本気で怒ったわけではないらしく……謝罪と頭撫でであっさりと笑顔。……ううむ、この子の将来が心配だ。

 

「じゃあ“す”は?」

「うははっ、考えるまでもないのじゃ! そのまま“酢”なのじゃ! ……そうであろ?」

 

 わざわざ訊ねるところがさすがですお嬢様っ! とか七乃なら言いそうだ。

 酢って日本人からすれば米酢の印象が強いから、日本が開発したって考えが無駄に染み付いてるんだが……日本へは中国から伝わったらしい。その時点での酢の原料がなんだったのかまではさすがに知らないが、後漢後期の時点では既に存在して……たっけ? この時代で生きてると、いろいろとごっちゃになって困る。特に真桜の開発するものの影響で、もはや何があってもおかしくないって状況になってるし。

 

「はい正解。じゃあ“せ”は?」

「───」

 

 これはさすがにわからないだろうと、少し意地悪げな心を胸に秘め、ちらりと見つめる美羽の顔。しかし美羽はフッ……と厨房に吹く静かな風を受け流すように笑うと、自信に溢れた目で俺を見つめ返した。

 ……!? 馬鹿な、まさか知っているとでも……!?

 俺は思わずごくりと喉を鳴らし、そんな俺の前で美羽は胸を張ったままに───!

 

「背脂なのじゃぁああーっ!!」

「なっ、なんだってぇええーっ!?」

 

 無駄な迫力とともに間違っていた。

 

……。

 

 さて。

 美羽が盛大に間違えたのち、“そ”である味噌だけ何故頭の文字ではないのかまでをしつこく訊かれた俺の困惑も今は過去。

 見事に拗ねた美羽を宥めつつも作った料理はなかなかに好評で、美羽はすっかり機嫌を直してくれていた。

 

「大体妾は醤油なぞ知らんのじゃ! それを問題として出すのは卑怯というものであろ!?」

「確かにそうだけど、背脂を調味料だと思っていた時点でいろいろおかしいから」

「調味料ではないのかっ!? ら、拉麺には入っておるから、妾、てっきり……。それに七乃も“お嬢様がそう言うのでしたら調味料なんですよ。お嬢様の中ではね”と……」

「あの人はいったい何の影響を受けて生きてるんだろうなぁ」

 

 機嫌が直ったのは確かだ。現に今はぷんすかとしていた表情を和らげ、笑ってはいる。ただ、なんというかこう……拗ねていれば構ってもらえると踏んだ子供のような状況なんだろう。話しかければ笑顔だし、かといって別のことに意識が向くと服をちょいちょいと引っ張ってくる。

 …………惚れ薬の効果が残ってるとか……ないよな?

 こうまで構ってオーラが出てると、惚れた身のこっちとしては顔が熱くて仕方ない。

 

「うん」

 

 さて現在、場所は中庭。

 本日の仕事は……特に急がなければいけないもの、無し。

 調べればわかるであろう華琳の部屋へはまだ行っていないものの、なんというかこう、探してまで行くのが気恥ずかしい現状にございます。だ、だってほらっ、気になるあの子の部屋を調べてレッツゴーって、ストーカーみたいじゃ…………それは考えすぎか。知らない関係ってわけでもないし。

 

「主様、今日は鍛錬かや?」

「氣の鍛錬なら仕事しながらず~っとやってるけどな。ただ、そうしてても体を動かしながらの鍛錬は出来ないから」

 

 たまには動かしてやらないと、体が勘を忘れそうで困る。

 特に子供の時の感覚が体に染み付いていたら困るし。

 ようはあれだ、子供の頃の感覚と現在の感覚の“良いところ”を上手く引き出せるように、体を鍛えていこうって考え。

 

「じゃ、早速……」

 

 意識を集中させて氣を丹田から全身へ。

 体は鍛えられないくせに気脈だけは広がるこの体を、とにかく氣で溢れさせてゆく。

 周囲に美羽以外誰も居ないことを確認。気配も探ってみて、まさに誰も居ないことを確認し終えると、はおぉおおと無駄に唸ってみる。

 いつもやっているだろうに、なんで視線を気にするんだーと問われれば、格好の問題と答えましょう。や、常々思っていたことなんだが……“氣を解放するのに適した姿勢というのはあるのだろうか”って、他の人は気にならないだろうか。

 たとえばドラゴンボールみたいに重心を腰から下に落とすような氣の解放とか、背伸びをするような解放とか……そっちの方が出力が強いんじゃないかーって感じはするよな。漫画とかの影響だろうけど。

 じゃあ実際にやってみるとどうなんだろうってことで、ちょっと探ってみようかと思う。

 

「ん、んんー……んー……はっ! ほっ! はぁーっ!」

 

 いや、掛け声とかでも微妙に変わるかもしれない。

 

「ぬおおおおーっ!! オアーッ!! ハワァーッ!! ……ほわぁーっ!! ほっ! ほわぁあーっ!! ……きぇえええーっ!! きえっ! きえっ! ひきぇえええーっ!! …………」

 

 よし変わらん。

 普通に錬氣するか。

 やり遂げた男の顔で、額の汗を優雅に拭う俺が居た。

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……居ない。

 ただし水に濡れた食器はあるようで、どうやら食事はしていったようだ。

 侍女に訊いてみれば、確かに食べていったという。

 ここでは王ではなく魏からの客、というだけで、その日の将らの行動予定がわからないのは……これで結構面倒なものだ。予定が報されていれば、回り込むことくらい出来るでしょうに。

 侍女に訊いてみたところでそれから何処に行ったのかなどわかる筈もない。

 

「徹夜だというのに鍛錬……は、考えにくいわね。というかそもそも行動が自由すぎるのよ一刀は」

 

 ならばと、最近の仕事馬鹿な一刀の行動を頭に浮かべつつ歩く。

 華雄や思春が霞と冥琳についていっているなら、警邏を代わりにやっている可能性がある。

 ……はぁ。相手が一刀でもなければ、もっと行動が読みやすいのだけれどね。普段は単純で読みやすい行動を取るのに、一歩目から躓かされると次が読めないのよ、あのばかは。

 春蘭ほど単純であってくれたなら、呼べばすぐ来るでしょうに。

 呼べば…………、───。

 

「…………こほんっ! ……か、一刀?」

 

 ………………。

 …………わ、わかってたわよ? ええ、来るはずがないじゃない。

 そんなことはどうでもいいのよ、ともかく街へ───

 

「人というのはどうしてこう、自分の意思に反したものばかりで構築されているのかしらね……」

 

 お腹が鳴った。……ので、朝食を摂ることにした。

 



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96:IF/続・がんばれ、女の子③

-_-/一刀

 

 トトトトトトッ……

 

「おおおお! 速いのじゃーっ!」

「右左右左右左右ぃいいーっ!!」

 

 氣だけで体を動かす鍛錬をしつつ、肩には美羽を。いわゆる肩車状態にして、城壁の上を駆けていた。

 子供の頃に学ぶことっていうのは案外体に染み付くものらしく、思春が叩き込んでくれたお陰なのか、妙なクセもなく錬氣できるようになっていた。

 お陰で体を動かすのがとても楽だ。

 

(それに、城壁の上からなら華琳も見つけやすいだろうし)

 

 打算的なことも考えていたりするが、会いたいのは確かなので。

 こういう時の男っていうのは妙なプライドとか体裁とかを気にしてしまうものなのだ。会いたいなら探して会えばいいだろうに、女々しいだのストーキングだのと余計なことを考えてしまう。

 そこのところを言うと、ドラマとかの主人公は行動力があるよな。

 俺にはちと難しい。

 

「んーと……出来るだけ内臓に振動を与えないように走って……呼吸も楽に楽に……」

 

 五臓六腑に“走っていること”を気づかれないように行動する。

 脳が信号を送っている時点で無理な話だが、やってみると結構面白い。

 とにかく原点を思い返しながらの鍛錬っていうのは大事なものなのだ。

 今の俺で言うなら、汗は流しても呼吸は乱さない鍛錬。

 石畳に足が落ちる際に、氣をクッションにして衝撃や振動を減らすことも忘れない。

 そうすると案外肺臓や心臓が揺れて呼吸が乱れることもなく、長距離を走ることが可能になる。

 

「………」

 

 鍛錬は慣れたものだ。

 なのに慣れたからって手を抜けば、あっという間に体は弱体を目指す。

 現状維持は大変なくせに先を目指すのはもっと大変で、何もしなければナマる体は恨めしい。

 氣はどうやらそこまでの弱体を見せず、どちらかといえば老いとともに弱っていくようだ。どちらにせよ───人体っていうのは本当に、人体のくせに人にやさしくない。

 

「次は───」

 

 一通り走り終えるとまた柔軟。

 筋肉がつかないのはもう諦めたが、筋肉が成長しないくせに関節は固まるからやってられない。なんなんだこの御遣いボディ。

 

「うぬぅううぬぬぬぬぬぅうう~っ!!」

 

 中庭の芝生の上で柔軟運動をする横で、美羽が同じく柔軟をするのだが……体が固い。馬鹿な、この幼き容姿であっても体が固いと申すか。そう思いつつコツを軽く教えてトンと背中を押してみれば、ぺたりと曲がる美羽の体。

 ああなるほど、力みすぎてただけか。

 

「美羽~? 柔軟は力で伸ばすんじゃなくて、脱力で伸ばしたほうがいいんだぞ~?」

「なんと!? “貴様は貧弱だから、懸命にやらねば伸びぬ”とふんどし女は言ぅておったぞ!?」

「その伸びとこの伸びは違う伸びだから! あとふんどし女とか言うのやめて!? 今もどこかで見られてるかもしれないんだから!」

 

 もし知られたらなんでか俺が怖い目に遭いそうな気が! 被害妄想ですか!? でもなんだかそんな予感がするのです! 貴様の教育が悪いからとかいろんな意味で!

 ああいや落ち着こう、焦るヨクナイ、ノーアセル、ノー。

 

「………」

 

 なので、せっかく一緒に居るのだからと美羽に鍛錬の仕方を細々と教えていく。ギブアップをするのならそこまでだ。そういった考えのもとに指導といえるのかも怪しい鍛錬教室を始めた。

 

……。

 

 ……のだが。

 

「ふぅううみゅぅうううう…………」

 

 美羽さん、あっさりダウン。

 あ、や、ここでのあっさりはあくまで俺の主観なわけであり……普段から怠けていた美羽にとっては大運動だったことはきちんと付け加えておく。

 兵を誘ってもブンブンと首を横に振るわれる俺の鍛錬だ、小さい体の美羽が耐えるには、少々…………少々? とにかく大変なものなのだ。……小さい体って意味では鈴々は確実に超規格外だから、枠の中に入れてはなりません。

 だから、その、つまり、頑張ったのだ。あの美羽が。

 ……困った、なんか嬉しいぞこれ。

 

「……美羽はさ、どうしてそんなに必死に鍛錬をするんだ?」

 

 思わず訊いてみる。答えらしき言葉はさっきも聞いたんだが、改めて訊かずにはいられなかったのだ。

 

「……? おかしなことを申すの、主様は…………はふ。妾は妾の全てを主様の傍に置くと決めたのじゃ。そのための努力はして当然で、そもそも主様は怠け者には興味がないと───」

「七乃が言ってたのか?」

「違うのじゃ」

「へ?」

 

 意外! 七乃じゃない!?

 大層おかしな顔をしていたのか、俺の顔を見た美羽がほにゃっと笑う。

 そして、言った本人が華琳であることを教えてくれた。

 

「華琳が。へえ……」

 

 これまた意外だった。まさか華琳が美羽に対してそんなことを言うなんて。

 

「でもな、べつに俺は怠け者が嫌いってわけじゃないぞ?」

「うむ。主様にこれを言えば、そう返すとあやつも言っておったの」

 

 何処まで人のことを読んでますか華琳さん!!

 

「主様、妾はの、主様ともっといろんなことをしたいのじゃ。歌はもう数え役萬☆姉妹がおるし、最近は七乃もちぃとも遊んでくれ……はうっ! そそそそうではなくてのっ!? 七乃も忙しいようでの!? …………妾だけ、置いていかれているような気持ちになるのじゃ」

 

 仰向けに寝転がったまま、胸の前でついついと人差し指同士を合わせている。

 ようするに寂しいってこと……じゃないよな、これは。

 言葉通りだ。

 置いていかれてるって気持ち……困ったことに、これはよくわかる。

 今の美羽は、魏がまだ“曹”の傍の下のみで動いていた頃の俺だ。

 なにをしていいのかわからず、他の人は忙しく動いているのに自分には何も出来ないという疎外感。それを払拭したくて手を伸ばすのに、それはやってはいけないことだった時の気まずさといったらなかった。

 やる気を出せば何もかもが吉に回ってくれるなんてことはなく、よかれと思ったことが手回しだったなんて誤解されてしまうことだってあるのだ。……や、あれは完全に俺の失敗だっただけですがね?

 

「美羽は俺のためにいろいろなことをやってみたいのか?」

「うみゅ? 妾の行動は全て妾のために決まっておるであろ? ……妾、主様の重荷にはなりたくないでの。主様の傍に居たいのなら、自分の責任は自分で背負えと曹操に言われたのじゃ」

「あー……」

 

 なんだろ。そういった話の中で美羽を泣かせて、ニヤリと邪悪に笑ってる華琳の表情が楽に想像出来た。

 そんな想像とは別のところで美羽は俺の目を見つめ、俺もまた美羽の目を見つめる。向ける気持ちは……安心と信頼。美羽はすぐにぱあっと明るい笑みを浮かべ、視線を空に移した。

 美羽のこれはきっと依存に近いんだろうけど、方向性としてはそこまで悪いものでもない、と思う。思いたいだけかもだが、幸いにして言ったことは守ってくれるし───いや、そういえば美羽って友達作ったっけ?

 仲直りをして主様と呼ばれるようになった時に、友達を作ってみようって話をした筈なんだが。

 

「………」

「?」

 

 俺の視線に気づいたのか、空を見つめていた美羽がこてりとこちらを見る。

 不意に真正面からぶつかる視線に心の準備をしていなかった俺は、見事に顔が熱くなるのを感じた。いい加減治りなさいこの症状。

 しかしながら突然視線を外せば美羽が傷つくだろうっていう理由で、視線はそのまま。顔が余計に赤くなっているだろうことを自覚しながら見詰め合った。

 

「おおっ!? 主様顔が赤いのじゃっ! 平気かのっ、平気かのっ!」

「へ? あ、あー……エット、走りすぎて今更体が熱くなったカモー」

 

 そして俺はヘタレです。

 頭の中で悪魔さんがGOサインを出しやがるのだが、そんなサインを悪魔さんごと圧し折りたいくらいに欲望に正直に生きられない俺です。

 ちなみに悪魔さんは小さな雪蓮の姿をしていやがりました。無駄に似合ってると思ったのはここだけの話です。あとスタイルいい。どうでもいいかこれは。

 

「……ふむ」

「うみゅ?」

 

 ハタ、と気づく。

 や、むしろ違和感を覚えたっていったほうが適切だ。それが散々と走り回ったあとなのは、美羽と一緒ってことで心が勝手に舞い上がっていた証拠だろう。

 

「なあ美羽。ここでこうして動き回るまで、将の誰かを見たか?」

「……? おお? 言われてみれば、誰とも会っておらぬの……。七乃もおらんし、ふんどし女とも会ってないのじゃ」

 

 むくりと起き上がると美羽も従うように起きて、きょろきょろと辺りを見渡してみれば───見張りの兵は居る。厨房で侍女さんも見たし、そういった方々はいらっしゃるのだが……ハテ。今日は別に“何かの日で誰かを迎えなきゃいけない”ってこともなかった筈なんだが。

 

「せっかくだし、少し散歩でもするか」

「わかったのじゃ」

 

 自然と手を繋いで歩きだす。

 その行為に、自然にやったくせに赤くなった俺は口元を自分の手の平で覆い、せめて美羽の視線からは逃れつつも心が正常に戻るまでを歩きながら待った。

 なんか忘れてる気がするんだけどな。なんだったっけ。

 将のみんなが居なくなるような用事があったようななかったような。

 …………上手く頭が働かない。

 視察兼警邏が終わったら、もういっそぐっすり寝てしまおうか。

 

 

 

-_-/華琳

 

 ……久しぶりに全力で料理を作り、思い切り食べてやった。

 沈黙したお腹にざまあみなさいと呟きつつ向かう先は街……だが、その前に念のために中庭へと向かってみる。

 けれど、ものの見事に居ない。

 兵が私を見てビッと姿勢を正すのに気づくと、ここに一刀が来なかったかを訊いてみた。

 ……先ほどまで城壁の上を走っていたそうだ。

 胃袋に怒り狂った結果がこのざまだった。

 胃袋に逆にざまあみなさいと言われる瞬間を味わわされた気分。

 

(冷静さは必要ね……ええ、必要だわ……)

 

 こめかみあたりが躍動している気がしないでもない。が、大丈夫、私は冷静だ。

 さて、では次に一刀は何処へ行ったのかだ。

 

1:街へ警邏へ

 

2:川へ汗を流しに

 

3:部屋へ戻った

 

4:私の部屋を探している

 

5:きっと天に帰ったのよ

 

 結論:…………2ね。というか5は無いわ。あったら許さない。 

 

 ……はぁ。

 思えば再会の時も川だったわね。

 これで見つかればいいのだけれど。

 

「………」

 

 いえ、待ちなさい。

 直感を信じると裏を掻かれる気がするわ。これもまた直感といえば直感だけれど、美羽も一刀の部屋に居ないことを考えれば川よりも街の可能性が高い筈。

 

「街ね。……見つからなかったら見つからなかったで、新しく出来た書店に行ってみるのも悪くないわ」

 

 わざわざ口に出す必要もないのに、自分で確認するように放つ。

 ……いつかのように“荷物持ち”が居れば、服を買うという選択肢もあったというのに。まったく、あのばかは。

 

「はぁ」

 

 目を伏せて溜め息を吐いてから歩き出した。

 もう急いでもいろいろと無駄だろうという考えに至り、のんびりと。

 

……。

 

 街は随分と賑やかだった。

 軽く見渡してみても笑みがないほうがおかしいというくらいに、町人らが笑っている。一刀が一人一人に言って回った方針で、“人は笑顔には笑顔を向けるものだ”という言葉がこの結果……なのだろう。

 もちろん笑顔にも種類というものがある。怪しい笑顔に警戒するのは当然で、まあ、つまりは武器を持って笑っている相手に町人が笑みを見せる必要などないのだ。例外は警護をする兵くらいだろう。

 哀しい顔をしている者が居たら手を差し伸べて、差し伸べるほどの余裕がなくても話を聞くくらいならば出来る。自分には無理なことなら、自分が知っている人物の中でなにかしら得意そうな人を探してみて、その人を紹介してみるのもいい。そうして少しずつ自分たちの中でも人脈というものを育てていくのも悪くない。

 現にこの都では人の一人一人が助け合いをして、町人では判断しきれないところは兵が仲介に入って、兵でも無理ならば将に……と、こんな流れが簡単に行われる。

 そんなに簡単に将に頼っていいのかという話になりそうだけれど、戦が無いのであればそういう仕事を手伝うのが現在の武官らの仕事だ。むしろ将の手が足りなければ支柱まで駆り出される……いいえ、自分から飛び出してゆくのだから、将が出ないわけにはいかない。示しがつかないからだ。

 

「兵隊の兄ちゃーん!」

「お? どうした坊や」

 

 子供が笑顔で兵に声をかける光景に、かつての自分の軍を思う。

 あんな笑顔を浮かべた兵など、かつての曹の旗の下では考えられなかった。

 常にギラギラと目を光らせ、町人もまたびくびくと視線を落としながら歩いていたものだ。

 それが、この街ではこんなにも距離が近い。

 

「かーちゃんが仕事ごくろーさま、って。ほら、まんじゅー!」

「おっ? いいのかい? って、俺まだ仕事中なんだが……」

「えーと、作るの失敗して……? かたちがへんなので売れないから、えんりょする……な? とか言ってた!」

「……そうか! 捨てるのがもったいないなら食べるしかないな!」

「へへー! もったいないもんねー!」

「おおっ! もったいないもんな! それじゃあ……んぐ、んむんむ……んんっ! うまい!」

「だろー!? っへへーん、かーちゃんのまんじゅーは都でいちばんうまいんだぜー!?」

「はっはっは、そうかそうかー!」

 

 兵と子供が笑っている。

 仕事の中で立ち食いとは、とは思ったものの、今の私は休暇を楽しんでいるただの曹孟徳だ。そう自分に言い聞かせて、わざわざ注意をして自分の時間を削らないよう努める。

 自分の休暇は常に自分の用事以外のもので潰れることが多かったのだ、たまにはこんな我が儘もいいだろう。

 

「………」

 

 都を歩く。

 耳を澄ませる必要もなくひっきりなしに耳に届く言葉の数々は、全てを聞き取ろうとしても聞き取れるものではない。それでもその大半が楽しげなものであることに、いつしか自分までもが笑んでいた。

 私の下での“城下治安維持”から始まった一刀の計画。

 “男ならもっと野心を持ったらどうなの”と訊ねたら、彼は“今の地位で満足している、こうして華琳とも買い物できるし”と苦笑をこぼしていた。……思い出したら、いつかのように顔が熱くなるのを感じた。

 野心のない小さな男への褒美として渡したのは……そういえば自分が食べかけていた肉まんだったか。

 

「そういえば……」

 

 子供が言っていたわね。母の饅頭は都で一番美味いと。

 ちらりと通り過ぎた位置を見てみれば、兵に別れを告げて走ってくる子供。

 私を追い抜き、その先にある家へと入っていった。

 家には看板があり、饅頭を売っている店だということがわかる。

 

「…………ふぅん」

 

 なるほど、良い香りだ。

 そういえば一刀が子供になっていた頃、案件の中に饅頭云々の文字があった。なんでも一刀が味付けに協力したとかで、それについての感謝の言葉もあった。

 その店の名前が、この看板に書かれた文字と同じだった筈だ。

 

「ふふっ」

 

 くすりと笑い、店の前に立つ。

 すぐに威勢の良い声が聞こえ、活発そうな女性が対応してくれる。

 採譜は……あるわけがないわね、饅頭屋なのだから。

 ただしいつかの“おやじの店”のように商品の名が紙に書かれて吊るされていて、それの中から適当に選べということらしい。

 

「…………この、ぴざまん、というのは……なんなのかしら」

「ああ、それはこの店独自の饅頭で、なんとあの御遣い様が考案した饅頭なのさ! なかなか美味しくて、評判もいいんだよ!」

 

 ……いちいち元気ね、この女性は。

 けれど、なるほど。一刀が。

 

「ではこれをいただくわ」

「はい毎度! 今包むから待っていて頂戴ねぇ!」

 

 元気な女性がぴざまんを小さな紙袋に包み、渡してくれる。

 代金を支払うとこれまた元気に“またよろしくねー!”と送り出された。

 

「………」

 

 コサ……と紙袋を開き、ぴざまんを見る。

 湯気が饅頭から出て、一緒に香るその香りは……いつかの“ぐらたん”を思い出させるものだった。ええ、覚えているわよ、私ではなく最初に華雄に食べさせたと聞いた時はどうしてくれようかと思ったもの。

 さて……肉まんは肉が入っているから肉まん。あんまんは餡子だからあんまんよね。ではぴざは? ぴざ………………?

 

「食べてみればわかることね。それに、わからないのであれば逆に新しい味ということにもなるのだから」

 

 別に気にするほどのことでもない。

 小さな紙袋……紙袋というか、二枚を重ねたような紙ね。を開いたまま、はむりとぴざまんを食べてみる。

 すると……麻婆豆腐の味を柔らかくしたかのような、辛くはないのだけれどどこか濃厚で、舌に軽く張り付くような味が広がる。

 ……舌に残る味ね。けれどそれを気にしないのであれば、なるほど、嫌味はない新しい味だ。

 それにこの……白く伸びるなにか、

 

「………」

 

 これ、一刀が作った“手作りちーず”とかいうものよね?

 ぴざにはこれを入れるのかしら。

 饅頭の生地とともに、このちーずが濃い餡の味を受け止めてくれている。

 あまり多く食べると気持ち悪くなりそうだけれど、この量ならば悪くはない。

 一応、考えて作られているのか。

 

「……ふぅ」

 

 なんだかんだと考えながらも食べ終わる。

 まったく、天というのはいろいろと考えさせてくれる場所だ。

 

「ごままん、は……胡麻が入っているだけ……よね?」

 

 ふと、吊るされていた商品の中の一つのことを思い出した。

 どちらにしようか迷ったのは確かだが、ただ胡麻を詰めただけの餡では目を引く美味などないだろうと“ぴざまん”にしたのだが。

 それでも少し気になるのは、料理というものを大切に思っているから……なのだろうか。まあいい、ごままんはまたの機会だ。……べつに、一刀を見つけた時にお腹がいっぱいではいろいろと困るわけでは…………ええ、ないわよ。大体、ご飯自体は食べたのだから、もう入る場所などない。

 それにごままんだって、ごま団子が饅頭に変わっただけよきっと。気にするほどのものではないわ。

 

「……? あら、この書店、もう出来ていたのね」

 

 歩く中で書店を見つける。

 一刀が子供になった所為でいろいろと大変だったため、街の様子の全てを把握しきれていない。いえ、そもそも子供になっただのの言い訳がないとしても、全てを把握するのは無理ね。

 

「………」

 

 辺りを見渡しても、やはり一刀は居ない。

 まあ、いいでしょう。少し目に新鮮な刺激を与えるのも悪くない。

 見たことのないものを探るのも、これはこれで刺激になるのだから。




関係ないけど……ゆるキャン、いいですよね……。
なんか関係ないことばっかり書いてますね、ここ。


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97:IF/罰を愛と謳う夜①

148/静かな罰

 

-_-/一刀

 

 屋敷……城内? もういいや、城内で。───を、歩く。

 目的としては誰かと出会うため。

 視察兼警邏をするにしても、他の人の予定に入っていたらいろいろと面倒なことになりそうだから、確認をしたかったのだが……会わない。面白いくらいに将の誰とも会わない。

 考えてみれば誰がどの部屋に泊まるか~なんてことは事前に何かに書いてあるはずなのだから、重要書類を見直してみれば華琳が何処に居るのかなんてのはわかる筈なのだが───俺はその重要書類が何処に在るのかさえ知らない。

 書いたら積んでの繰り返しだったのだ、仕方ない。

 倉庫の位置は知ってはいるものの、わざわざそこを開けてもらってまで調べたいことじゃない。そもそもそんな回りくどいことをするくらいなら、自分の足で調べたほうが早いだろう。

 

「のう主様? こうして歩き回るのはよいのじゃが~……なぜ何処の部屋にものっくをせんのじゃ?」

 

 てほてほと歩く中、美羽が疑問を貼り付けた顔のままに俺を見上げる。

 何故ってそりゃあ……

 

「気配で探してるから」

「なんと!?」

 

 既に氣くらいしか自慢できるようなものがない。そう言っても過言ではないくらいに錬氣馬鹿になっている北郷一刀です。

 いや、もちろん気配を探るっていっても結構おぼろげなものだ。

 “あ、ここには人が居る……かな?”程度のもの。

 相手に自分の氣をくっつけて動きを探るのと似たようなものだ。

 完全に相手の動きが読めれば苦労はしないし、相手の位置の全てが解ればこれまた苦労はしない。

 そういった意味ではこの世界の将の凄さは……思う度に異常であると頷ける。

 

「……ふむ」

 

 そんな考えはどうあれ……さて。

 鍛錬の時にも思ったことだが、本当に、不思議なほどに将の誰とも会わない。

 そういう時ってほら、ちょっと顔が見たいなーとか思うもので。

 なので訪ねてみても、案外いらっしゃらないとくる。

 どうなってるのやらと思いつつも各部屋を回ってみたりするわけだが、やっぱり会わない。

 仕方無しに部屋に戻って仕事でも……と思うのだが、ぶっ通しで仕事が出来たお陰でそこまで仕事がなかったりする。もちろんそれは書類関連のものだから、少し待てばちくちくと追加されるわけだが……すぐにやらなければいけないものってわけでもなかった。

 

「……まいった」

 

 なんというか……今日はめぐり合わせの悪い日なのかもしれない。

 溜め息を吐きつつ、頭を軽く掻いて歩き出す。美羽と一緒に。

 とりあえずアレだ。

 視察の仕事もあるから、それをちゃちゃっと終わらせてしまおう。

 

……。

 

 そんなわけで視察兼警邏…………なんだが、何事もなく平和的に終了した。

 

(ば、馬鹿な……何も起こらないだと……!?)

 

 そんなことを普通に思えてしまうあたり、俺ってもうトラブルに慣れすぎているんだろうなぁ。

 まあいい。

 今日は平和。平和な日なのだ。そろそろ気持ちを切り替えないと、いらないストレスを抱え込むことになりそうだ。───な~んて思ってると面倒が起きるんだよね!? そうだよね!?

 

「………」

「いらっしゃいいらっしゃ~い!」

「これはうちが一番安いよ~!」

「………」

 

 街の中で何をソワソワしてるんでしょうね、俺ってやつは。

 よし、大丈夫だ。今日は本当に平和だ。

 何かが起こることを期待してるわけじゃないんだから、自然でいこう。

 

「よしっ、じゃあ残りの書類関連もさっさと終わらせて、川にでも行くかっ」

 

 もちろん、美羽を連れて。

 心の中がそれを目標とした途端、体に活力が生まれる。

 人間ってやっぱり欲が深いね。目の前にエサがあると突っ走ってしまう。

 自分で吊るした餌でも、それが魅力的なら手にしないのはおかしい。

 なので全力! 俺の百面相を見上げていた美羽を抱えて氣を込めた足で地を蹴───る前に。

 

「そういえばあの書店、ついこの前出来たんだっけ」

 

 確か、報告の類の書簡の中に混ざっていたはずだ。

 ちょっと寄ってみようか? 一応視察の仕事でもあるわけだし。

 警邏の名目では店の中までは見てなかったから……

 

「美羽、ちょっとあそこの書店に寄っていいか?」

「!? ……つ、艶本を買うのかの……!」

「買いませんよ!?」

 

 前略張勲さま。

 おそらくあなたの入れ知恵でしょうが、次会ったらデコピンくらいさせてください。

 あと純粋なのはいいけど、七乃の言うことならなんでも受け取る美羽にもいろいろと問題が……。

 

 

 

-_-/華琳

 

 一通り本を見て、その隣の呉服屋で衣類を見て回った。

 特に目新しいものがあるわけでもない……と思っていたのがつい先ほどまで。さすがに一刀が支柱となる場所だけあって、見たこともないような意匠のものが奥のほうに随分と存在していた。

 店主曰く、「形は斬新ではあるのだが、だからといって買ってもらえるわけでもない」そうだ。なるほど、意匠に凝っているのなら値段もそれ相応のものになるのだ。そうそう手が出せるものではないだろう。

 

「沙和あたりは喜びそうね」

 

 思い浮かべるまでもなく、頭の中に目を輝かせて燥ぐ沙和の姿が。

 そんな沙和を見習うわけではないけれど、目新しいものを見ていると少し心が浮つく。

 どう浮つくのかといえば………

 

「………」

 

 …………。

 いえ。

 べつにこれらを着た際に、どこかのばかの反応を思い浮かべているわけではなくて。

 ………………なくて。

 

「店主。試着させてもらっても構わないかしら」

「ええどうぞ」

 

 そう言ってみれば、店主は手のひらをすり合わせていた。

 そんな店主の反応に小さく息を吐いてから、何着かを手にとって歩く。

 試着室はさらに奥にある。

 そこへとこもり、早速姿見の前で試着を開始した。

 忌々しいことにどれも自分の体格よりも大きめだが、気に入ったのなら言えば直しくらいはするだろう。

 なので着てみる。

 まずは……一刀が考えたという“めいど服”。

 本来は自分のような立場の人間が着るものではないらしいが、服は服だ。服を着てなにが悪い。むしろ今の自分は魏王ではなく一人の曹孟徳として来ているのだ。なにを言われる筋合いもないわよ。

 

「………」

 

 そんなわけで、姿見の中にめいど服を着る自分。

 ……………。

 髪、おろしたほうがいいかしら。

 いそいそと髑髏の髪留めを外して、さらりと髪を払う。

 その上に“ほわいとぶりむ”とかいうものをつけてみると…………なんというか、髪の色が違う桂花ね。

 悪くはないけれど、やはり印象というのは強いものだ。

 この服を着て黙って誰かの言うことを聞く自分を想像出来なかった。

 

「次ね」

 

 次。

 赤と白の衣装。

 白い小袖に緋袴というらしいそれは、巫女装束というらしい。

 一応着てみようと思ったのだが、上手くいかない。

 着付け方法が書かれた紙が服の間に挟まっていたものの、それの通りにしてみるも……ずり落ちる。……いえ? べつにどうとも思ってないわよ? こめかみあたりがビキビキと躍動していたりもしない。するものか。

 とにかくこれは私には似合わない。何故だか確信する。似合わない。

 色合いを求めるのなら、なんというか……これは落ち着きのある、黒い髪の者にこそ合いそうな気がする。

 

「次は───」

 

 次の衣服を手に取る。

 さらりとした生地の触り心地に驚きながらも、ふっと笑って試着を続けた。

 

 

 

-_-/一刀

 

 でげででーん!

 

「おおお……! まさか冥琳にまだ見せてもらってない絵本を発見してしまうとは……!」

 

 新しい本屋で何を買ったのかといえば、絵本だったりする。

 真新しい本が入った紙袋を子供のようにキュムと胸に抱き、ほっこり笑顔の……こんにちは、北郷一刀です。

 

「さーてどうしようかな。今日はもう迅速に片付けなきゃいけない仕事もないし、部屋に戻って本を見るか……それとも寝るか」

 

 どうしよう。

 将に会うこともないとくると、言っちゃなんだけど久しぶりに自分の時間を得られたと言える……のか……!? や、事実としては仕事やってた時でも寝なかった分は自由な時間だと言えるわけだが、それを仕事に使ったなら自由とは言えないだろう。ほら、一応学生だし俺。学生の感性を持ち出すのなら、仕事をするのは自由時間とは呼びたくないですはい。

 なので今! なんか寝不足と本を手に入れた高揚感とでテンションが愉快なくらいに上がってるが、今! そう……今こそ好機!

 

「おお……主様がとても楽しそうなのじゃ……。その本はそんなにも良いものなのかの?」

「美羽……」

「う、うみゅ? どうかしたのかの、主様」

 

 ソッと美羽の両肩に手を置いて、語りかける。

 片方は本を持ってるから締まらないものの、まあそれはそれで。

 

「俺と……俺と同じ状況を味わってみればきっとわかるさ。堅苦しい言葉、上から目線の文字しかない、絵なんて皆無な書物を延々と読んで知識を深める日々を味わえばさ……。この、押し付けるんじゃなくて“学んでほしい、知ってほしい”に溢れた温かな絵本のありがたさがっ……!!」

「むぅ、よくわからんがの。つまりその絵本には、やさしさが詰まっておるのかや?」

「そう! そうなんだ! そのやさしさ! ヴァファリンにだって負けるもんか! 小さな袋に入った少量の粉末の成分の半分程度のやさしさに負けるもんか!」

 

 そう、やさしいんだ。

 べつに風邪引いた時に初めて飲んだ際、咽た拍子に粉末が鼻の奥に付着して物凄い違和感と戦った過去を持つから嫌ってるとかそんな事実はない。ないったらない。

 ともかく移動しよう。民の視線がなんだか痛い。

 

「あ、でも」

 

 ふと美羽を見下ろす。

 視線が合って、「うみゅ?」と首を傾げられたが……その姿に頬を掻く。

 すっかり庶人の服が定着しちゃってるよな。

 給料の大半を真桜の開発費に回しているとはいえ、まったく無いわけじゃない。たまにはそういう使い方もいいんじゃないだろうか。

 ……い、いや、べつにタタタタ他意は無くてデスネ? 惚れた相手の気を引きたいとかそーゆーのじゃ断じてなくてっ! いやごめんなさいやっぱり喜んでくれたら自分も物凄く喜ぶと思いますハイッ!

 

「子供の頃の純粋さって怖い……」

「? なにか言ったかの、主様」

「なんでも───はうあ! ……エ、エェト。コココッココ子供の頃の純粋さって、怖いなーって……ネ?」

 

 なにか言ったかと問われ、誤魔化すのはよろしくない。

 ならば正直に。なんかもう泣きそうなくらい顔が熱いし恥ずかしいけど誤魔化さない。これ……なんて羞恥プレイでしょうかね。正直に生きるのってムズカシイ。

 

「そんなわけで美羽っ!」

「? お、おおっ! なんじゃっ!?」

 

 無理矢理張り上げた声に、美羽もわざわざ声を張り上げて付き合ってくれる。なんだか無性に感謝したくなった瞬間でした。

 

「服を買いにいこう! ずっとその服だけじゃ、外に出るにもこう……ほら、張り…………合い? とにかくなにかが足りないだろ?」

「元々着ていた服もあるぞよ?」

「や、“ぞよ?”じゃなくて。ここは素直に頷いてくれると嬉しいんだけど」

「………………?」

「うわぁ」

 

 もはや自分が服を買ってもらえるってことが普通に考えられなくなるほど、制限された生活に慣れてしまったのか……? 袁の旗を掲げていた時なんて、服も食事も娯楽も選びたい放題だったろうに。

 よ、よし。ここは三国に降ってもらおうと提案したこの北郷が、せめて少しの贅沢は出来るんだってことを教えてやらなければ───!

 ……あくまで俺の金で!!

 

……。

 

 そんなわけで呉服屋である。

 ここには俺が意匠を凝らした衣服が結構あったりする。

 もちろんそれらは天……日本に存在した、いわゆる色物的なものだったりするわけだが、だからといって手抜きをしたわけでもテラ光りしているわけでもない。

 あくまで自分の知識の範囲内での仕事になってしまうのは仕方ないこととはいえ、その知ってる中での全力は出せたと胸を張れる。

 

「メイド服はロングだよな。うん」

 

 ミニスカートはウェイトレスが身につければ良し。

 詠のはミニだったな。

 あれ確実に商人の趣味だろ。たしかに詠には似合っていたけどさ。月があの性格だから、逆に詠には似合っていたけどさ。

 そもそもメイドといいますのは(略)であるわけで(略)言ってみれば(略)であるべきであるからして(略)欲望の捌け口では断じてないと俺は(略)

 

「さてと。美羽に似合いそうなものは───っと」

「お、おおお……主様、ほんに、ほんに主様が妾のために買ってくれるのかの……!?」

「ああ。遠慮しないで受け取ってくれな? しっかり選んでしっかり贈るから」

 

 華琳と来た時に学んだことは決して忘れない。

 男は女性の衣類を選ばなければならない。たとえ恥ずかしくともそうすることが王道! らしい! 呉に居た時もみんなに振り回されっぱなしで、軽い贈り物の時でさえ俺に選ばせたのだ……女性との買い物の際、なにかを贈るなら男が選ぶ! これ、人間の知恵!

 

「うむっ! そこまで言われては仕方ないのぉ、にゅふふふふ……仕方ない、仕方ないのう主様はにゅふふふふふ……!」

「………」

 

 なんかものっそい緩い顔でにゅふにゅふ笑ってらっしゃるのですが。

 え? これ怖いとか思っちゃいけないの?

 いや、今は服選びに集中しようね。

 えーと……多少大きくても店員に言えば仕立て直してくれるだろうし、ここは思い切って───マテ。

 

「え…………これ、幼稚園とかの……」

 

 ス……スモック……?

 馬鹿な……俺、スモックなんて型紙すら採った覚えがないんだが。

 これも商人の欲望のカタチの一つだとでも…………いうのだろうか。

 

(…………そっとしとこう)

 

 カショリとスモックを戻した。

 続いてその隣へ目を移す。

 そこには…………

 

「…………。……? ───! うわっ! こっ───、これ、完成してたのか……!」

 

 懐かしい意匠の服があった。

 完全再現なんてことは当然不可能ではあったが、今この世界で作れる一番類似した素材を使っての……フランチェスカの服。もちろん男子用ではなく、女子用だ。

 

「………」

 

 レプリカとつけたくなる制服を片手に、ちらりと服を見て回る美羽を盗み見た。それからはいつかの華琳との買い物の時のように、イメージを開始。

 ……うーん、これ着るならもう少し身長が欲しいか?

 仕立て直して貰えるとはいえ、それでもだ。

 フランチェスカに住まう数少なき我ら男子の中の一人である早坂章仁───……その氏の妹君であらせられる早坂羽未嬢 (143cm)よりも明らかに小さくていらっしゃる。これはもう採寸がどうとかの問題じゃなく、似合わないだろ……割と本気で。

 なのでもっとこう、言っちゃなんだがどうせ選ぶなら“これでこそっ!”というものを。もちろんスモックは却下の方向で。

 …………ちなみに。

 妹君の身長情報は、及川祐の提供でお送りする。

 

「んー……」

 

 朝の鍛錬の時も思ったが、美羽の服は鍛錬には向いていない。

 鍛錬用になにか動きやすいのと、あとは外行き用になにか……

 

「…………」

 

 さらに待とう。なんでブル……もとい、体操着がある。

 や、そりゃスパッツがあるんだから予想できないわけじゃないよ? 初めて鈴々を見た時は首を傾げたくなったもんさ。それ以前に真桜のゴーグルとか……まあ、眼鏡の起源は紀元前8世紀の古代エジプトのヒエログリフあたりにまで遡るらしいから、ゴーグルくらいはあるかもだけどさ。それでも素材的なものとか作り方とか…………ああ、うん、今さらだったね。ゴーグルひとつ作れないでガンランスが作れるもんか。

 もう製作物に関してツッコむのはやめよう。ブルマがあるのはブルマがあるからと、そう考えてしまえばいいんだ。と、当然なんだよきっと、当然。

 

「……それよりも服だ」

 

 頭を振って見繕いを再開。

 さて、美羽といえば……黄色、金色、山吹色を主体にした色合いが似合いそうだ。

 髪の色が金だからってわけでもないんだろうが、明るいけど明るすぎない色がいい。となると山吹色か?

 リボンの色に合わせてみるのもいいか。紺色、紫色、結構いろいろある。黒は……うーん、黒も悪くはないけど……蜂蜜好きも相まって、蜂みたいな色になりかねない。

 大人し目だけど明るい色で……大人しめの名に恥じない、露出の少ないもので……おお、これなんかどうだろう。動きやすそうだし、これからの季節に合いそうだ。値段は結構しそうだが、喜んでくれるなら───ハッ!? いやいやダメだダメだ落ち着け童心動くな少年! 俺の中の子供な俺よ、今は堪えろ!

 

「……のう主様? なぜ急に自分の頬を殴り始めたのじゃ……?」

「ああ、えっとな、実は惚れた弱み───いや違うそうじゃなくてね!?」

 

 なにを口走ろうとしてやがるか俺!

 今はそんなことより服選びが……ああもう! ズバッと決めろ!

 

「よしっ! これとこれだっ!」

 

 きみに決めたとばかりに服を二着。

 もっと買ってあげたいところだけど、そこまで余裕があるわけでもなく。……いや、服って高いんだよ。本当に、冗談抜きで。ゴスロリをただで貰えることに驚くくらいに高いんだ。

 だから二着。買い食いとかあまり出来なくなるけど、そこは目を瞑ろう。完全に無くなったわけじゃないし。

 

「そんなわけで美羽、これなんだけど……いいか?」

「主様が着るのかの!?」

「違いますよ!?」

 

 全力で誤解されたので全力で誤解を解きに走った。

 事情を飲み込んでくれれば早いもので、美羽は二着の衣類を手にご機嫌状態で───奥にある試着室へ。俺はなんとなく初めてのデートに燥ぐ恋人を見守るような気分で───イヤ違うなんで恋人になる落ち着け俺。

 ともかく燥ぐ美羽を見送って……って、カーテン締まってるじゃないか。

 けれども美羽は気にせずに突貫。これはやばいと慌てて止めに入ったのだが、止めようと呼びかけつつ近寄った甲斐もなくあっさりとカシャアと開かれるカーテン。

 そして───

 

「へぅっ……?」

 

 その先で、何故かフランチェスカの制服に身を包み、きょとんとした顔で月のような声をこぼす天下の覇王さま。ああ、うん、着替え中じゃなくてヨカッターというのももちろんだけど……うわ、やばい。顔絶対に赤いぞ俺。

 いやあの、美羽には似合わないとは思っていたものの、これは……髪下ろしてるから一瞬目を疑ったが、これは……!

 

「………」

「え……や、ちょっ……一刀っ!?」

 

 のしのしと試着室に入って、驚く華琳の髪の毛をさらりといじくる。

 こう、ロールが手前にくるように。

 さらに前髪もちょちょいといじって美羽のリボンを拝借して後ろで縛れば───

 

「み、御子柴さゲブゥ!!」

 

 喋り途中で肋骨に貫手をされた。地味に痛かった。



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97:IF/罰を愛と謳う夜②

 さて……呉服屋での悶着の後。

 服を買ってもらって大燥ぎな美羽が華琳に命じられて俺の部屋へと戻っていった……のだが、俺と華琳はまだ街に居た。

 どうしたんだと訊ねてみれば、「仕事がなくて暇なのよ」とどこか眠たげな目で言われた。そりゃあ、いつかの時もこんな調子だったんだから察しないほうがどうかしているわけで……ようするにこの覇王さまはま~た徹夜かなんかで仕事を片付けたのだ。人のこと言えないけど。

 

「それで? みこしばというのは誰なのよ」

「まだ気にしてたの!?」

 

 で、時間を取ってまで訊くことがこんな始末なわけでして。

 もうどうしよう。

 

「えーと……御子柴夏子さんって言って、俺と同じフランチェスカに通ってた学生。金髪でお嬢様で押しが強くて……」

「麗羽じゃない」

「え? ………………ああっ!」

 

 思わずポムと手のひらに拳を落とした。

 なるほど、確かにあのロール的にも。

 

「でもそれ認めると御子柴さんに失礼な気が……」

「まあそうでしょうね。あれと同一視されるのは人としての恥よ」

「そこまで言いますか」

 

 頷きそうになったけどさ。

 ともかく、そんな雑談をしながら歩くのは……やっぱり街。

 視察兼警邏は終わったし華琳も好き勝手に見回っていたそうだから、こうして見回る必要性がどこにあるのだろうかとか考えなくもないんだが……。

 

(大丈夫、わかってる)

 

 きっとこれはアレだ。デート的なものだ。

 ここでうっかり“また見て回るのか? もういいだろ”なんて言葉を発するのは激烈NG。故に俺はただただ覇王の闊歩に着き従うのみ。

 や、まあ……その。顔がどうしても緩んでしまうほどに、俺も滅茶苦茶デートを意識しているわけなのですが。うう、締まらない。

 こうさ、気をしっかり持ってないと後ろから抱き締めてしまいそうで……! あ、あれー……? 俺、ここまで節操なしじゃあなかった筈なんだけど。まだ惚れ薬効果が残ってたりするのかな。

 ん? 惚れ薬?

 

「あ、そうだ。惚れ薬」

「………」

「あ」

 

 ふと思い出したことを口にしてみると、華琳の歩みがギクゥといった感じに止まり、ゆっくりと振り返る。その顔は……“なにも今持ち出さなくてもいいじゃない、このばか”と明らかに言いたそうな顔でございまして。いえあの、すいません、せっかくのデートに水差してしまって。さっきは空気読んだつもりだったのに、調子に乗って油断しましたごめんなさい。

 

「わかっているわよ。支柱の持ち物を無断で使用、支柱自身に盛ったことに関してはあなたが私に罰を下しなさ───」

「じゃあ今日ずっと傍に居てくれ!」

「っ……え、え……?」

 

 自分の思考回路に本能が打ち勝った。

 ようするに考えるより先に口が勝手に喋っておりました。

 脳の信号なくして発声が有り得るのだろうかとかそんな理論的なことはどうでもいいくらい、俺は華琳と一緒に居たいのだ。といいますか、ええまあその……なんというか。今日一日ずっと、っていうのはつまりそういうこと……なわけで。

 華琳も俺の真っ赤になっているだろう顔と言葉とで答えに至ったようで、ポムと顔を赤くして狼狽した。

 

「そっ…………そ、そう。それが罰でいいのね? ……ふ、ふふっ? 随分と軽いものね。この調子だといつか誰かに簡単に毒殺されるんじゃないかしら」

「ふふって含み笑いでどもる人、初めて見たかも」

「うるさいわね! つまったんだから仕方がないでしょう!?」

「ごめんなさいっ!?」

 

 でも確かに軽いのかも。

 この時代の恐ろしさで言えば、相手が王とはいえその気になれば難癖つけて攻め入ることも出来ますよってくらいのこと……なんだろうなぁ。慣れたとはいえ、この時代のルールは本当に怖い。

 

「これで軽いって言ったら……じゃあどれくらいが罰として相応しいんだろうな。あれか? 春蘭と愛紗の料理を残さず全部食べさせて、笑顔で美味しかったと言うまで許さないとか」

「あなた鬼!? 鞭打ちよりもひどいじゃない!!」

「その比喩のほうがひどいと思うなぁ俺!!」

 

 わからないでもないけどさ。

 

「けれど……そうね。一緒に居てもらうのではなく、拘束して“傍に居させる”くらいが妥当じゃないかしら」

「拘束して? んー……それってその、王としての曹孟徳を頂くとか言って、ベッドの上で拘束したまま」

「何故か生々しいからやめなさい。それと今のはやっぱり無しにしましょう。言い出しておいてなんだけれど、王ではなくても一言目を覆すのはよくないわ」

「ん、そうだよな。じゃあ……今日一日中、ずっと傍に居てくれ」

「……その罰、謹んでお受けするわ」

 

 フッと笑い、華琳は言った。

 そんな彼女の手を取って歩いてゆく。

 同じ道を先ほど歩き回ったばかりなのに、違って見えてしまうのは……たぶん、心が情けないくらいに躍っているからなんだろうなぁ。

 

「それで? まずは何処に付き合えばいいのかしら」

「先ほど買った素晴らしい絵本があるのですが」

「却下」

「即答!?」

 

 サム、と両手で軽く持ち上げた紙袋の中身が問答無用で却下された。

 一緒に読もうと思ったんだが……こう、川の近くで空気の良い風に撫でられながら、岩に背を預けて座って……足の間には華琳をこう、ちょこんと。ああだめだ、なんかテンションが脳内からいろいろとおかしい。

 おかしいことを自覚していても上手く制御出来ないのが人間で、そんな自分を常にコントロール出来るんだったらきっと誰もが長距離マラソンとか制覇できるよね。呼吸コントロールとか疲労コントロールとか出来たらもう最高です。

 でも出来ない。現実は非情である。非情であるから頭の中がおかしい自分の現状もいろいろとマズかった。華琳と手を繋いで歩くってだけでこれなんだから、もう……もうね……。

 きっと華琳は何処吹く風~みたいに平気な顔してぬおお真っ赤だァアアーッ!! うわっ、な、なに!? ちらりと見て驚くくらいに真っ赤だ! 必死に表情作ってキリっとしてるけど可哀想なくらい真っ赤だ! ある意味涙ぐましい! そして多分俺も傍から見るとこんな感じなんだろうって思ったら恥ずかしくてしょうがない!

 

(やっ……いやっ……そりゃさ、その……お互いああいうことした仲だよ? 手を繋ぐ以上のことしてますよ? 初めてが野外でしたよ?)

 

 でもその過程を僕らはあまりに知らなすぎた……!

 そう、あの華琳と、華琳と手を繋いで歩く……! そんな、ある意味では非現実的なことを今まさにやってしまっているのだから……そりゃ顔も赤くなって顔がだらしなくニヤケてもくるってもんですよ……!

 

「…………」

 

 繋いでいる手に意識が集中する。

 ただ繋いでいるだけ。体格差から見たら……こう、兄妹みたいに見られるんだろうか。───なんてことを無粋にも考えてしまったのがいけなかった。

 ムカッときたのだ。

 兄妹? 違う。相手は好きな人で仰ぐべき人で傍に居るべき人で、ずっとともに同じ“覇道”を歩んでいきたい人だ。それが兄妹? そんな認識をされるのは心外だ。

 ……などと、自分でも驚くくらいに……嫌だった。

 嫌だったから、そうするまでの過程なんて考えない。

 今すぐにこのモヤモヤから解放されたくて、華琳と繋いだ手を解くと───指の一本一本を絡ませるようにして繋いだ。いわゆる……恋人繋ぎである。

 

「……、……!!」

 

 華琳が声にならない悲鳴を上げた気がした。気がしただけで、驚愕に染まった表情はすぐにキリっと締まった……けど真っ赤だった。

 

「………」

 

 無言で歩く。

 ただし、歩く距離はさっきよりも縮んで……顔はもっと赤くなっていた。

 

(鍛錬ばっかりで、恋愛とかには弱い自分に自覚はなかったなぁ……)

 

 右手は華琳の左手を、左手は口を隠すようにして、どうしてもにやけてしまう自分に呆れる。普段はいろいろなものへのストレスなんて大して感じないっていうのに、華琳のこととなるとどうも冷静でいられない。

 自分で出した兄妹なんて喩えにイラついて、この先どうするんだ。

 

(………)

 

 口元を左手で覆いながら、もし子を儲けたとして、それが女の子だったら……いろいろと大変になるんだろうなぁと自分の未来を軽く予想した。

 

───……。

 

 とっぷりとした夜の来訪。

 なにかを忘れていると思っていた俺が、今日はほぼ全ての将が外に出ていることを華琳に教えられ、ハッとしたのがそんな夜の出来事だった。

 

「あ、あー……そうかそうか、そうだった。そういえばみんな出てるんだっけ。どうりで兵以外には会わない筈だよ」

(……人がこの日を選んで仕事を片付けた意味をもっと考えなさいよ、このばか)

「? 華琳、もう一回言って。なにか言ったか、じゃなくてもう一回」

「へぁっ!? え、な、なな……!? べべべつに私はなにもっ」

「いや今確実に言った! 聞き取れなかったからもう一回! 誤魔化しは無し! はい! 遠慮無しで!」

 

 なにか言ったか、と訊けば“なんでもない”と返されるなら、最初から聞く気MAXで行けばいい。この北郷、容赦せん! なので追求。訊いて訊いて訊きまくり、ついにぽそりと放たれた言葉に───僕らは華琳の部屋で、静かに俯き真っ赤になりました。

 そう、ここは俺の部屋ではなく華琳に宛がわれた部屋。

 そんな場所で俺と華琳は……寝台に座り、互いの手を握り合っているわけで。

 何故って俺の部屋だと美羽が居るからという華琳からの理由で。その理由を話されてからというもの、心臓がドッコンドッコン鳴りっぱなしで落ち着かない。

 

「………」

「………」

 

 そんな状態がしばらく続いてから、ふと顔を上げると合わさる視線。

 無意識に“あっ”というカタチに口が開き、つい視線を逸らしそうになるのだが……ああ! 孟徳さまが! 覇王さまがなんだか耐えておられる! こんな時にまで自分から視線を外すのは敗北だとでも認識してるんですか!?

 見つめる相手がそんなんだから、俺も妙なところで負けず嫌いを発症させてしまい、じっと見つめ合う真っ赤な二人。

 段々とそんな見つめ合いに慣れてくると、どこかおかしくなって笑みが弾ける。弾けたら緊張していた心もどうにか落ち着きを取り戻してくれて、やがて見詰め合ったままの視界が近づいてゆく。

 

『───……』

 

 言葉もなく、静かに唇を合わせた。

 心の中に温かいなにかが広がっていって、激しく動き回ったわけでもないのに体が芯から熱くなる。最初は手を繋ぎ、次に腕を、肩を抱き、やがて頭を掻き抱くようにして唇を合わせる。

 外の音を忘れたように互いの音だけに集中し、溶け合うようなキスをする。

 自然と交換する唾液はまるで麻薬のように頭を痺れさせ、相手のこと以外が考えられなくなってゆく自分がひどく懐かしく感じた。だって仕方が無い。一年以上もこんな気持ちにまで至らなかったんだ。

 最初は帰ってこられただけで十分だった。

 次は顔を見られただけで。次は声を聞けただけで。次は……次は───。

 どんどんと自分の“十分”が増えていく中で、そこまで至っていなかったのが“今”なんだから。

 自分が作った天の料理を食べさせることが出来て嬉しかった。

 失敗を繰り返して出来たお酒を飲んでもらえて嬉しかった。

 ここへ戻ってきてよかったって思えることなんて、きっと自分が考え出せること以上にたくさんある。そうして少しずつ現状ってものに満たされていく中で……それでも至ってなかった場所なのだから。

 

「……華琳」

「……なによ」

 

 唾液が口と口から橋をつくる。

 それが落ちる前にもう一度重ね、一言謝る。

 華琳は軽く不愉快そうな顔をしたものの、ふんと鼻で笑ってみせると堂々と構えた。

 

「なに? あなたごときがこの私を壊せるつもり?」

「うぐっ……相変わらずどうして人の先の言葉をそう、ぽんぽんと読むかな……!」

「こんな状況であなたが謝ることなんてそれくらいしかないじゃない。むしろその程度で私が壊れると思うこと自体が無礼の極みだわ」

「ん……本当に加減出来ないぞ? 思うじゃなくて断言する」

「のぞっ───出来るものならやってごらんなさい?」

「あ、あ……ああ。けどさ、今望むところとか言おうとしてなかったか?」

「うぅうううるさいわね気の所為よ!!」

「……ははっ、そっか」

 

 小さく一笑。

 それからもう一度唇を重ね、離さずに吸ってゆく。

 ……好きだ。

 たった三文字の言葉が自然と浮かび上がってきて、言葉に突き動かされるように彼女の唇を吸い、吸われる。息は荒く、けれど呼吸も半端に離れるのを惜しむように、何度も何度も吸って吸われを繰り返した。

 やがてどちらともなく寝台へと倒れ、寝転がったままに互いを求めた。離れていた一年以上を取り戻すようにきつくきつく抱き締め合う。

 

「……ふふっ、背が痛くないというのはいいものね」

「その節は本当にどうもすいませんでした」

 

 雰囲気が出ても皮肉を言わずにはいられない体質ですかあなたは。

 現在、そんなツッコミを入れたい心境に立っております。

 それでも互いにくすりと笑うと、より深く求め合う。

 いい具合に緊張がほぐれた……と言えば聞こえはいいものの、別の意味では気恥ずかしさと申し訳の無さが浮上してきたわけで。つか、こんな状況で人をいじるのやめようねほんと!

 

「ところで一刀」

「あの……もういじるの勘弁してくれません?」

「あら。いつ私があなたをいじったのよ」

「この状況で背が痛いとかそういうこと言ってる時点でいろいろとアレだろ!」

「そう? それならこれも言わないほうがいいのかしら」

「いや……もう気になるから言ってくれ」

「以前、初めては私がいいと言った言葉は本当だったのかしら」

「やっぱりいじり言葉だったよちくしょう!!」

 

 それみたことかとばかりに言って返す。

 華琳は……笑ってた。確信犯だよこの人。

 こういう時の主導権を握るのがやたらと上手いから困る。

 しかも雰囲気とか台無しすぎてもうどうしたらいいのか。

 

「………」

「……やっ、ちょ……一刀?」

 

 気にしないことにした。

 覆いかぶさり、ムッとした表情のままに華琳の腰に触れると、華琳は体を固くして驚きを孕んだ声をあげる。

 腰に触れた手をガッと掴まれたが、気にしないで手を這わせた。

 するとみるみる内に赤くなってゆく華琳の顔。

 

「………」

 

 …………えーと。あれ? なんだろ。

 なんだかなにかを根本的に間違ってるような。

 や、だって華琳だよ?

 いつも凛々しく、けれどこういう状況には顔を真っ赤にさせる華琳。

 ……あれ? えと、つまり?

 

「と、ところで……一刀?」

「華琳。もしかして怖い?」

「ながっ!? なにをあなたは言うぐっ!? ~……!」

 

 …………お噛みになられた。我らが曹孟徳が、舌をお噛みになられましたぞ。

 

「なっ……ななな、なにを言っていいいいいるのかしら? らららら……!? このっ、この曹孟徳が、怖い? 恐怖? あなっ、あなななあなたたたっあなたごときを?」

(うわー……)

 

 どうやら本気のようだった。

 むしろ目を泳がせながら胸を張る覇王様が可愛いです。

 つまりさっきからいじりに走るのは……自分の緊張をほぐすためと、主導権を握ってなんとか“自分”を保とうとしていた……と?

 まあ……気持ちはわかる。

 怖いのは行為じゃなくて、爆発しそうな感情なんだ。いっそ爆発してしまえばいいのだろうが、自分を保っていられそうにない。

 それって……好きとかって感情じゃなくて、ただ本能で動くのと変わらない。そこには好きって気持ちはちゃんとあるかと訊ねられたら、きっと返答に詰まる。

 だからこそ、この土壇場に来ても先を急ぐことを恐れる。

 テンパりながらも“あなたごときを?”と言ったのが誤魔化し以外のなんだというのか。

 

「………」

 

 ああもう、と溢れる気持ちをこぼしてしまい、そのこぼした分だけで動いた体が華琳の頭を胸に抱いた。

 急なことに「わぷっ?」なんて可愛い声をだした華琳の頭をやさしく撫でる。すると急に大人しくなる華琳……だったのだが、それがいつか自分が俺にやった行動だと思い出したのか、急に暴れ出した。

 恥ずかしがることなんてないのになぁ。

 ……あの時、本当に……本気で嬉しかったんだから。

 くすりと笑って、暴れる彼女にキスをする。

 するとぴたりと動くのをやめて、すぐに舌を絡めてきた。

 なんとも言えないくすぐったさが体中を巡り、そのくすぐったさを共感したくて、体を擦り合わせるように小さく動きながら口付けを続ける。

 そして再び体に手を這わ……したら、また掴まれた。

 

「大丈夫。やさしくするから」

「!! な、なっ、なぁっ……!」

 

 かつてない瞬間沸騰を目の当たりにした。でも手は止めない。

 溢れそうだった想いは破壊衝動にも似た“滅茶苦茶にしたい”という願望から、“大切にしたい”という衝動に変わる。

 大切だから、好きだから本能のままに抱き締めたいって気持ちもそりゃああるんだろう。

 けど今はただただ大切にしたいって想いで心が占められる。

 見つめる瞳も、落とす口付けも、触れる手も、全て静かにやさしく。そんな行動を体が自然ととっていた。

 華琳はそんな行動からも少し逃げるような姿勢だったが、なにに対抗意識を燃やしたのか俺の体に触れてくる。

 正直に言うとくすぐったい。

 その微妙な感触に身を軽く竦ませたのを気持ちよさに耐えていると見てとったのか、途端にニヤリと余裕の笑みを浮かべる覇王様。

 状況的に“違う”なんて言ってやれるはずもなく、余裕顔で俺を責めようとするのだが、逆に声を漏らして真っ赤になる覇王様。

 ……ごめんなさい、可愛くて仕方ないですはい。

 

「んっ……ん、くっ……」

「んくっ───!? ───、……」

 

 愛おしさに誘われるように深く深くキスをする。

 頭の中……思考回路がとろけそうになるくらいの熱が、吐息や唾液とともに体の中に送り込まれるような興奮を覚えた。

 けれど興奮に括り付けておいた手綱は決して放さない。勢いに負けて襲い掛かるようなことはせず、欲ではあるけど愛で包み込むように。

 心の高ぶりから、ゆったりした前戯がもどかしくなるんじゃないかと考えていた数時間前の自分なんて居ない。自分でも呆れるくらい、心の中はやさしさでいっぱいだった。

 抱き締めた頭を撫でた時、どうして“ああ……返せてるのかもしれない”って思ったのかはちょっとわからない。でも……そうだよな。不安になっている恩人になにか自分でしか出来ないことでやさしくできたのなら……それはきっと、返せたって思ってもいいんだろう。

 そう思った途端……思えた途端、小さく涙が溢れて……少しだけ、あの夕焼けの教室から始まった“自分”が報われた気がした。

 

……。

 

 散々と語り、散々と求め合い、散々とぶつけ合って、散々と結ばれた。

 いつ眠ってしまったのかも思い出せないくらいに疲れ果てた結果、まるで気を失うように眠ったのだろう。

 そんな眠りから目覚めてみれば、隣では華琳がまだ眠っている。

 

「…………」

 

 無言のままにさらりと髪の毛を撫でた。

 そして───

 

「ごめんなさい」

 

 割と本気で謝りました。はい。

 う、うん、やさしく出来ていた。出来てたんだよ、本当に。うそじゃない。

 ただそのー……深く求め合った濃厚な一回目が終わった時に、それで終わってれば良かったんだろうけど……華琳が「あら。一日中傍に居ると言ったというのにこの程度で満足なのかしら?」なんて言ってしまったために……。

 第二ラウンド、第三ラウンドと続き、なんかもう途中からどちらが力尽きるかって求め方になってしまって。

 

「……~……」

 

 頭痛い。

 何ラウンドまでいったかなんてもう覚えてないよ。

 ただ……なんというかそのー。

 体が疲れたら氣で体を動かして、体が回復したら体で求めてってことを延々と繰り返して、もちろん華琳を俺の氣で包むこともずっとして、彼女の反応を窺いながら愛撫して、キスをして、興奮が冷めないような刺激を与え続け、反応が示す位置を何を言われてもゆっくりじっくり刺激し続け、終いには華琳がマジ泣きするまで……その。

 ア、アーウン……女性ってあんなに連続で絶頂できるんだな……。

 刺激が強すぎるところは責めてなかった筈なのに、彼女を包んでいた氣が彼女の体が求める位置を教えてくれたから、そこをしつこいくらいにやさしく刺激していただけだったんだが……。

 いやまあ、一度達してからは容赦なく頂へと到達していたようでしたけど。

 

「…………我慢、ヨクナイ」

 

 そして俺自身も乱れる華琳に夢中になって、加減の一切も出来なかった。

 さらに言えば堪えていた分抑えも利かず……ええと。ようするに。

 ……若さって怖い。そんな濃厚な夜だった。

 

……。

 

 涙の痕を残しつつ穏やかに眠る華琳を残し、着替えてから部屋を出た。

 とりあえず風呂を沸かしましょう。

 朝っぱらからですかとか言われるだろうけど、沸かそう。

 城内での風呂がダメならいっそ川の方でドラム缶風呂でもいい。

 とにかくいろいろとアレだから、華琳も起きたらすぐに体を洗いたいだろうし。

 

「風呂はすぐに沸かすとして、着替えも用意しないとな」

 

 目指す先は自室。

 バッグごと持っていけばそれで十分だ。

 ついでに美羽も起こして……って、そういえば服、買ったはいいけど仕立て直ししてもらってなかったよな。

 あれじゃあブカブカで着れないだろうし、今日のノルマが終わったら早速呉服屋に───などと考えながら自室の扉を開けた。

 こうしていつもと同じ、けれどどこかいつもと違うサワヤカな朝が……

 

「美羽~、起きてルヴォァアアアーッ!?」

 

 絶叫とともに開始した。

 ホワイ誰!? 脳内でも口でも叫びながら、部屋の中に居る謎の人物へと駆け寄り…………それが人の寝台ですいよすいよと寝ているのを確認すると、バッと布団を剥ぎ取った。

 金髪はいい。美羽も金髪だし。

 けど身長的に有り得ないでしょってくらい大きかった。

 もしや麗羽が侵入して!? とも思ったが、髪は全然ドリルじゃなかった。

 なによりその謎の人物は、昨日俺が美羽に買ってあげた服を着ていて……!!

 

「ん……むみゅ……? 主様……?」

 

 整った綺麗な顔立ちで目をこしこしと擦りながら、布団を剥ぎ取った俺にそんなことを言ってきたのだ───!!

 ……エ!? なにこれ!! ドッキリ!? カ、カメラは!? カメラは何処!? 真桜!? 真桜居るんでしょ!? 居るよね!? 居ると仰って!?

 なんて思ってたら「んしょっ」と起き上がって寝台にちょこんと座った女性が、俺に向かってにっこりと笑って言った。

 

「主様、おはようなのじゃ」

「───…………」

 

 ……ああ、うん。

 なんかもう、わかっちゃった。

 長い金髪、無邪気な笑顔、ぶかぶかだった筈の服が余裕で着れるダイナマ───もとい、整った体躯。

 初めて会った筈なのに俺を主様と呼ぶ女性。

 ……そして、なんか寝台の枕元に転がるどっかで見た大き目の酒徳利みたいな陶器。しっかりと栓がされてるからこぼれてはいないものの、これって……

 

「……みっ……美羽?」

「なんじゃ? 主様」

「やっぱりぃいいいいいいーっ!!」

 

 朝。

 部屋に戻ったら、美羽さんが大人になっておりました。

 ああああああああああ!! 大人薬とか子供薬とか惚れ薬、部屋に回収しとこうなんて思うんじゃなかったぁああーっ!!

 ……と。どれだけ叫んでも誰に察してもらえることもなく。

 俺は、新たに産まれた問題の種を前に、笑顔のままにほろりと涙した。




 以下、一刀を探している時の華琳のボツ案です。
 ……ボツの方続けてたら面白くなったかしらと思うことって、結構ありますよね。



=_=/ボツ

「ん、んんっ」

 街へ向かう途中、意味もなく咳払いをして来た道を戻る。
 ふと思ったことがあったからだ。
 最悪自分の首を絞めかねないものだけれど、上手くすれば希望が持てるかもしれないもの。
 一刀の許可は必要にはなるものの……許可を得た上であれを使用するのはなんというか屈辱的ではないかしら。
 いっそ事故ということで勝手に使用して───って待ちなさい、それはさすがに非道の域よ。ただでさえ惚れ薬を勝手に使ったのだから。

「………」

 自分で自分を見下ろしてみた。
 ……見事にぺったりだった。

「成長する薬……ね。果たしてそれは希望かしら、絶望かしら」

 目を伏せ、不敵に笑いながらも嫌な汗がじわりと出た。
 今さら“薬などで大きくなるわけがない”などといった常識を振り翳すつもりはない。何故なら“薬など”で小さくなった例があるのだから。
 つまり大人になる薬を使えば、自分の未来の姿がわかるというもので。
 酔っ払った桃香に触られたり、雪蓮に鼻で笑われたことのあるコレからももしやすれば解放の喜びを得られるかもしれないのだ。
 成長しきるまで待つ? 機が熟すまで我慢?

「───私はそんなに待てない!!」

 成長しきってからでは遅いのだ。
 成長の可能性があるうちになにかしらの手段を取れば、たとえ成長の薬を服用した先で絶望を見ようともまだ救いはあると信じられる。
 しかし飲まずに成長して絶望を得たらどうだ? もはや夢も希望もない。
 え、ええ、ええそうよ、一刀はありのままの私でいいと言ってくれたわよ。
 けどなに? 胸が大きい者の傍に行けば必ずそちらに目を奪われているじゃない。
 目は口ほどにモノを言う……なるほどね、よく出来た言葉だわ。
 つまり私は絶望しかないかもしれない未来と希望が残った絶望、そして希望に溢れた世界を見る選択を自分の手に委ねられたのだ……!



 ───完


 途中でこりゃいかんでしょう、と自重しました。
 私はそんなに待てない!の時点で「ああ壊れた!」と気づけたので。
 ちなみに私はそんなに待てない!はセレスティン。劇場版ああっ、女神さまっをどうぞ。


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98:IF/愛を育む人①

 お久しぶりです、凍傷です。
 随分と間が空いてしまいましたが……いえ、モンハンワールドじゃありませんよ!?
 PS4とMHWを買う余裕なんてありませんし、楽しそうだなーくらいにしておかないとどっぷりハマりそうですし。
 ただそのー……最近頭の中が固定されすぎていて、そろそろ新しい刺激が欲しいなぁと、積んでいたゲームの消化をしておりました。
 楽しかった、というか楽しいです。やっぱり商品になるだけあって、ぐんぐん引き込まれる文章とか、気づけば笑ってる自分とか、なんとも懐かしい気分で。
 何本か終わってみればモチベも結構上がっていて、けれど続編やファンディスクがあるようなゲームをやってしまうと次を次をと手を伸ばしてしまい、ズルズル。ダメなパターンですね。
 よし、頑張りましょう。
 え? 結果的にモンハンワールドにハマるのと何が違うんだ? いえいえ、結構狩りゲーでは得られない物語の運び方とか得られますよ? 別方向の刺激って有り難いです。
 というわけで、言い訳終了。遅くなりましてすいませんでした!!
 ……なのに丁度前後編モノって……お、押忍、次も早目にがんばります。


149/愛を育む人

 

 時刻は朝。

 早朝より少々進んだ朝に、風呂に入り終えた俺と華琳と美羽は居た。

 信じられない事実を目の当たりにした様子の華琳は、カタカタと震えながら大人薬に手を伸ばそうとしているが……ハッとすると手を引っ込め、美羽に視線を戻して……またカタカタと震えだし、薬に手を伸ばす。

 

「で……寝てる途中で起きて、喉が渇いてたから水を飲みたかったんだけど水が無くて? 厨房まで行こうとしたけど暗くて怖かったから、机に置いてあったコレを飲んだ、と……。不味かったからちょっとしか飲めなかったってのは不幸中の幸いだな」

「~……!!」

 

 献上品を勝手に飲んだことで怒られると思っているのか、美羽は涙目になりながらカタカタと震えている。

 ……大変可愛くて綺麗です───じゃなくて! こんなこと考えてる場合じゃないよな! なんか隣から殺気が漏れてきてるし! 薬のことはもういいんですか華琳さん! むしろこんなところで普段から即興作り話で怖い話とかをしていたことが裏目に! 俺の馬鹿!

 

「はぁ……美羽、怒ってないからそんなに怯えなくていいよ。……それにしても、妙な偶然もあるもんだなぁ。図らずも、買った二着が役に立ったってわけか」

「うむっ、さっすが主様なのじゃっ! 妾のことをなんでも知っておるのっ!」

「ウワーイ耳がイターイ」

 

 無垢な笑顔でそんなことを言われた日には、胸がズキンと痛むのです。笑顔がカワイ───はうあ違う! 反応してない! 俺反応してないから!

 ……なんて心の中で自分に反抗してみたところで、そんな微妙な反応にも“メラリ……!”と殺意を向けてくる覇王さまが……! い、いやっ……俺もどうかと思うよ!? 眠るまであんなことをし合ってたのに、起きて風呂に入って出てきてみればコレって! 俺だって華琳が他の男とこんな状況だったら刺し違えてでも相手の男を───って物騒なことを考えない!

 でもこんな不幸な事故に俺は関係───薬持ってきたの俺でしたごめんなさい!

 

「………」

「?」

 

 華琳が美羽を見る。いっそ睨みに近いくらいにじっと。

 その視線に美羽が首を傾げる。一緒にポニーテールがさらりと揺れて、なんかこう……カワイ───じゃなくて。状況に心の余裕が追いつききれてない。で、でもさ、えと、こう……なんていうんだ? ほらっ、可愛がっていた妹がある日突然に彼氏を連れてきたような気分……どんな気分だ?

 ともかく落ち着かないのだ。

 ……あ、これだ。しばらく会わなかった幼馴染が、なんかアイドルになってました……みたいな。だって……なぁ。美羽だぞ? 可愛いとは思ってたけど、まさかなー……成長するとこうなるのか。

 落ち着きを持った、高飛車じゃない……いや、ごめん麗羽。麗羽を喩えに上げようと思ったんだけど、高飛車じゃないって時点でイメージ出来なくなってしまった。

 そもそも髪がドリルじゃない時点で麗羽をイメージできない。

 美羽も俺のことを主様って呼ぶようになってから、あまり無茶な我がままも言わなくなったもんだから余計だ。

 

「こ、こほんっ。でも、そうか。大人薬はやっぱり記憶とかはそのままなんだな」

「ええそうね。なにせそこに成長するまでの過程がないのだから」

 

 過程も得ずに成長をすれば、中身がよく知る美羽なままなのは当然か。

 なるほど、これは子供薬よりもよっぽど安全だな。

 

「……俺が飲んだら渋いダンディになれたりするだろうか」

「だんでぃの意味はわからないけれど、そういうものは望むようにはいかないものよ、一刀」

「うん……わかってた」

 

 華琳と一緒に、手にした薬を見下ろしてトヒョーと溜め息を吐いた。

 一度でいいから激シヴダンディになって流し目しつつ“ご婦人方にまたモテそうだ”とか言ってみたいとかおかしな願望を抱いていた頃の俺……さようなら。

 考えてみればじいちゃんってシヴいとかそういう感じじゃなかったもんな、きっと俺もあんな感じに成長するんだろう。

 ……シヴい以前に、視線が美羽に向かいすぎるのはどうかって話になるわけだが。なんか美羽も自分に向けられている俺の視線に気づいたようで、俺の目を覗いてみては少しだけてれてれと恥ずかしそうにしていた。

 ハテ? なんか新鮮な反応。でもなんか首傾げてるし、なにかしらの自分でもよくわからない状況に陥っているようだった。……ああ、そうこう意識している内にすぐ隣へやってきた華琳が俺の足をゴシャアと踏みつけていだぁあーだだだだだ!?

 

「ちょっ、なにすんの華琳!」

「べつに? なんでもないわ……!」

 

 怖ッ! 怖い! 笑顔が怖い!

 いやわかってるよ!? 昨日の今日で別の誰かに目移りとか相当に失礼だってことくらい! でも急に自分の体や住む環境が変わった子供の気持ちは、実際になってみなけりゃわからないんだって!

 ええそりゃね!? 俺も美羽がこんなことになってなければ、目覚めた華琳と目を合わせて顔を赤くして視線を逸らして照れ笑いとかそんな甘ったるい時間を過ごしてたんじゃないかなぁとか頬が緩むような想像だって出来てたよ! なんか今普通にそれやってて顔が緩みそうで痛い痛い足が痛いごめんなさいヘンなことなんて考えてないです! ぐりぐりしないで! 骨と骨の間に割り込ませるように踵を落としてくるのはやめて!?

 

「え、えーとそのぅ! そんな理由じゃあ美羽も喉渇いてるよな!? 今から採りたての蜂蜜で蜂蜜水をぎゃああああ耳が千切れるぅううう!!」

 

 華琳が! 華琳が輝く笑顔で耳を引っ張って!

 ああでも笑顔は眩しいのに青筋が! いたるところにある青筋がバルバル躍動してる!

 

「一刀? あなたには仕事があるでしょう?」

「え、や、朝は体を動かす時間を設けてるから他の時間に比べれば余裕が」

「あ・る・で・しょう?」

「いやいやちょっと落ち着こう華琳。俺と一緒に冷静になろう」

「あなたね。それは自分が明らかに冷静ではないと言っているようなものじゃないの」

「ごめん……自覚あるから……」

「笑えない真相ね……」

 

 二人して溜め息を吐いた。

 

……。

 

 数十分後、俺達は俺の部屋で静かな時間を過ごしていた。

 軽い柔軟ののちに食事を終え、部屋に戻って新たに積まれた仕事をこなす俺。

 その横の小さな円卓で勉強をする大人美羽に……どうしてかこの部屋で仕事をすると言い出した我らが覇王、孟徳様。

 

(………………)

 

 普通なら華琳と一緒に居られる、居心地のいい時間になる筈なのに……アハハハハ、どうしてかなぁ嫌な汗が出てくるのは。

 うん、きっと空気がどんよりしているからさ。だからわざとらしくコホーンと咳払いをして、緊張している所為か上手く椅子を後方へとやれずにガタガタと激しく音を立てつつ立ち上がった俺は、きまずさを抱きながらも窓を開放……! すると朝のサワヤカな空気が僕を包んだ瞬間部屋に篭った空気に侵食された。なにこれ助けて! 怖い! 空気が怖い!

 バッと振り向いても美羽はその空気にまったく気づいていないようで、俺が冥琳に借りていた絵本で文字の勉強をしている。強くなりましたね、美羽さん。気づかないってステキ。でも相変わらず時折に俺を見ては、視線が合うとてれてれと焦った様子を見せて、そんな自分に首を傾げているようだった。……首を傾げたいのは俺のほうなんだが。

 しかしまあなんだろう。

 何を読むにも七乃に読ませていたというのだから、文字が得意じゃないのは仕方ないのかもしれないが……なにか出来るたびに俺ににこーと微笑みながら報告してきたり、わからないことがあるたびに困った顔で俺に助けを求めてきたり……それはいい。

 なにかに夢中になるの、イイコト。よくある、“あの時に感じた高揚や興奮が、僕の心を掴んで離さない……!”とか、物語ではあるあるだし、なによりカワイ───タタタ頼られルって嬉しいモノネ!?

 俺も今、そういう“掴んで離さない”を体験している最中なんだろう。

 ほら、こうしているだけでも、孟徳様からモシャアアアと溢れ出る殺気が、“今も僕の胃袋を締め付けて離さない……!”……あれ? なんかこれ違くない?

 ともあれ、このままじゃ胃が死にそうなので出入り口の扉も少し開けて、ともかく風を……新たなる風を我が部屋に……!

 

(……ああ……)

 

 前略お袋様。男は胃袋から攻めるって言葉がありましたよね。

 俺、このまま胃袋攻められたら胃炎とかになりそうです。

 お袋様は父を家庭的に落としたとかそんな噂をおじいさまから聞いたことがあります。酔っ払っていたから本当かどうかもわかりませんが。

 俺もこうして胃袋を攻め……責められて落とされるのでしょうか。

 吐血して奈落の底に落ちそうだなんて考えはおかしいですか?

 きっとというか明らかに意味が違うのでしょうね。泣いていいですか?

 

「………」

 

 いやいや、こんな気持ちで都の仕事を請け負っちゃだめだな。もっと心構えを楽しい方向に持っていこう。

 

「~♪」

 

 鼻歌なんぞを歌って作業を続ける。

 暗い気持ちを引きずるからいけないんだよな。

 そうだ、逆に考えるんだ。暗くてもいいさって考えるんだ。

 子供の俺を見習え俺っ! 子供の頃の歌でも鼻歌で歌えば、きっと当時の楽しさを思い出せるさっ!

 そんなわけで鼻歌を。歌は……まったりとしつつも悲しみを混ぜたもの、ガンダーラでいこう。……しばらく鼻で歌ってたら華琳に“この状況でなにをそんなに楽しそうにしているのかしら?”と睨まれました。ち、違う! 楽しんでいるっていうよりむしろ逃げ出したい! さらにむしろこの空気はなんですかって俺こそがあなたに問いたい!

 でも問うたところで余計に空気が重くなるのは目に見えているので、こうして鼻歌を歌うのです。ほら、子供の頃の夜道で無理矢理明るく振る舞った瞬間のように!

 

「………」

 

 当時のことを思い出して、少し頬を緩めた。

 ……が、次の瞬間にはその夜道でどうして怖がってたのかを思い出して、少しヘコんだ。幼少時の四谷怪談はトラウマだ。なんであんなものをドラマチックに演出しようって考えたんだ、TV局は。

 内容なんて大して覚えちゃいないのに、怖かったことだけは染み付いているものだ。でも内容を思い出すためにもう一度見る勇気なんてないわけで。

 

「……失敗した」

 

 余計に集中できなくなってしまった。

 しかしながら自分の頭の中のスイッチは空気を読むことからトラウマ方面へと切り替わってくれたようで、さっきよりは胃に負担はかからなかった。

 むしろそんな自分の頭の切り替えを切っ掛けに、自分の過去を思い出してゆく。といっても剣道以外のことばかりだ。……剣道のこととなると、いろいろとしごかれている記憶しかない上に……天狗になって鼻を折られた記憶までずるずると引き出されるからヘコむ。

 ……もっと真面目にやればよかった。

 後悔って言うのはほんとうに、先に立ってくれないもんだ。

 

「んー……」

 

 自分のペースがようやく訪れる。

 朝のゆったりした時間が俺の生活習慣にガッシリと嵌るような感覚。

 この感覚がくると、大抵のことでは動じずに……むしろ人の声も聞こえなくなるという厄介さもあるのだが、作業は進む。鍛錬の時と似たような集中力だ。

 耳の奥でキィイイ……インとうっすらとした小さな音が鳴って、耳鳴りかと思ってそれに集中すると外の音が聞こえなくなる。

 

「………」

 

 さらさらと筆を動かす。

 意識のほぼは頭の中に。

 街を歩き、聞き込むことで得た情報と案件の相違点を調べ、どこをどう改善してほしかったのかを自分が耳にした情報と書かれた情報とを比べて決定する。

 解らないこと、疑問に思ったことは軍師に訊くべしとはいうものの、生憎と七乃も冥琳もまだ帰ってきていない。必然的に華琳に訊ねることになり、華琳も俺が仕事に集中していると知ると普段通りの態度で助言をくれた。

 

「……~」

 

 思考が都の方向へ向いていくと、自然と笑顔も困惑も増えてくる。

 こうしてほしいという案件も、そうすることでどうなるのかを考えた上で決定していかなければならない。

 かといって保留にしすぎれば民は不満を抱くし、それを民らに相談しにいっても……やっぱりどうしても“現在”を求めすぎていて、あとのことを考えない人が大体だ。

 今を生きるって言葉は素晴らしいけど、時に思考を濁らせますです。

 わざと明命的な口調で思考を展開。苦笑をもらすことで、暗い方向に意識がいきすぎることを防いだりした。地味だけど、意外と効果がある。

 集中力も続いてくれてるし、その集中力を鬱の方面に回してはもったいない。

 なので仕事を捌く。

 格好いい自分なんて置いておいて、今は国へ返せる自分であれるように。

 なんてことを思っていたら急に俺が座っている椅子が後方へ引かれ、空いたスペースを利用して俺の膝の上に乗ってくるお方がひとり。

 ふわりと漂うのはいつもの香り……なのに、視界がまるで違った。

 

「の、のう主様? 今日も教えてほしいところがあるのじゃがの……」

 

 美羽だった。

 いつもとは違う重み、やわらかくはあるのだけれど、子供の特有のやわらかさではない膝への重みに一瞬思考が持っていかれる。

 むしろ小さくはない美羽のこの行動自体に思考回路が吹き飛び、ワケもわからず口をぱくぱくと開閉。それを見た華琳がガタッと立ち上がり、同じくぱくぱくと口を開閉しているのだが……ああ、またトラブルの予感。

 いや……でもな、華琳。落ち着いて考えてほしいのだ。

 彼女は確かに美人に成長し申した。しかしながら、しかしながら……中身はそのまま美羽にてござる。中身が我らの知る美羽のままなのでございます。ふふっ……そんな状況を前に、この北郷めがそこまでの動揺を見せるとお思いか?

 

「……一刀。なぜ余裕顔で胸を張っているのかは知らないけれど。顔が真っ赤よ」

「なんかもうごめんなさいっ!」

 

 だって子供の頃に好きになった相手なんだもの!

 そんな相手がこんな美人に成長して、動揺するなって無理な話だ! しかもその美羽が完全に信用しきった顔で俺を見つめてくるのですよ!? なんかもう胸がいっぱいで……!

 

「うみゅ……いつもと見える位置が違うのじゃ。胸も重いし、邪魔じゃの……」

「!!」

「ヒィッ!?」

 

 美羽の何気ない言葉に、華琳が再び黒い笑顔に!

 漫画的表現だったら頬あたりに浮かんだ血管が破裂して、頬から血が飛び出てるようなそんな一場面が目に浮かぶようだ!

 ていうか美羽! もぞもぞ動かないで! どれだけ視線を以前のものに戻そうとしても、俺の足に美羽の体がめりこむわけじゃないから! おわわわわやわらかっ、いい匂いっ───じゃなくてぇええ!!

 

「……一刀」

「男でごめんなさい!!」

 

 錯覚だろうけど殺気という名の眼光が、本気で華琳の目をギシャアァと輝かせたように見せた! 殺気が視線を通して眼球を貫いたような寒気を感じました、もう勘弁してください! ああ、集中力が! 集中力が裸足で逃げていくよぅ! ……どうせ逃げるなら画鋲を踏んで痛がる集中力さんを思い浮かべてみた。よし、裸足で逃げるきみが悪い。現実逃避って虚しいよね。

 

「あ、あー……美羽? せめて足の間に座ってくれるか? じゃないと視界的に仕事が捗らないから」

「おお、わかったのじゃ」

 

 ……言ったことには素直に頷いてくれるんだよな。

 うん、いい子。

 でもあちらの覇王様は「どうしてそこで下ろさないのよ……」とぶちぶちと……あのー、聞こえてますよ、華琳さん。

 どうしてと訊かれれば、美羽は美羽としての普通な行動を取っているだけだ、と……俺が俺に言い聞かせているからとしか言えない。明らかな行動の変化は相手を傷つけるし、その所為で美羽とのこの……なんというかほわほわとした平和な関係が崩れるのは、俺としては嫌なのだ。

 ……日々ってね、癒しが必要なんですよ。わかってください華琳さん。



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98:IF/愛を育む人②

 胃がキリキリ痛むのを耐えつつ、美羽が教えて欲しいと言った箇所を教えていく。なんというか……大陸の文字を大陸に住む人に教えるのってすごい違和感。

 それでも蜀で学校の教師……みたいなことをしていた経験のお陰で、妙に構える必要もなく教えていけている。教えることで答えを得るや、美羽は「おおっ、なるほどのっ」と燥いでいた。応用問題を出してみるとぴしりと停止、だらだらと奇妙な汗を流していたが……

 

「美羽ー? わかったフリはよくないぞー?」

「そ、そんなことないの……じゃ? わわわ妾にかかればこのような問題なぞ、蜂蜜水を手に入れるよりも簡単なのじゃ?」

 

 じゃあなんで疑問系なんだ。

 そして美羽が蜂蜜水を手に入れるには俺の許可が必要だから、簡単とは言えないんだが。

 

「じゃあこの問題が解けたら蜂蜜水を作ろう」

「主様は妾のことが嫌いかっ!?」

「オイ」

 

 ついツッコミを入れてしまうくらいの即答だった。

 涙目になって振り向くくらいにわからんのか。そして振り向き涙目な美羽が可愛い。勝手に頭撫でる手を誰が止められよう。……華琳様から溢れ出る殺気がビタァと止めてくだすった。さすがです。

 

「ほらほら、いいからやる。出来たら教えてくれな。俺は自分の方をやってるから」

「う、うみゅぅううう……!」

 

 喉の奥から搾り出すような哀しげな悲鳴が聞こえた。悲しみが鳴ると書いて悲鳴だから、哀しげな悲鳴ってのはちょっとヘンだろうか。……まあいい。

 

「………」

 

 落ち着いたところで仕事を再開。

 さらさらと筆を走らせて、確認が済んだら落款。

 判子を落とすだけの簡単な作業だったら最高なのに、なんてことは時々思うけど極力思わないようにしている。楽ならなぁとはそりゃあ思うが、楽すぎると自分が都に貢献出来ている気が全然しないからだ。

 フランチェスカに居た頃なんて、及川と一緒に馬鹿やるばかり……むしろ及川に巻き込まれていた感が強いか。

 それでも楽しくはあったし、そういった日々が大嫌いだったわけじゃない。女性の中に男性が僅かに、という窮屈さは当然あったけど……楽しんだもの勝ちだったんだ。及川はそういった意味では生き方が上手かった。人としての順応能力が高かったんだろうな。

 俺は……正直に言えば、順応能力は低かったと思う。

 男子勢とは会話はしたが、女性相手とは線を引いていた自覚があるのだ。

 だから及川には女性の友達は多くても、俺にはそういうものは少なかった。どころか、“まったく無かった”って言っても、俺を知る男子勢は苦笑するだけで反論はしないだろう。

 そんな俺がこの世界でまがりなりにも支柱として立っている。

 

(……世の中、わからないもんだよなぁ)

 

 命を天秤にかけられれば頑張るしかないとはいえ、やっぱり思うのだ。御遣いとして降りたのが及川だったら、俺よりもっと上手くやっていたんだろうなと。

 ああ、なんだか悶々としてきた。

 仕事ほっぽりだして中庭で木刀振るっていいでしょうか。

 そして俺は心の解放を得て、部屋に戻ってくると顔が阿修羅面 (怒)となった華琳に迎えられて吐血確定の空気の中で残りの仕事をやるハメに───よし真面目に仕事しよう!

 ああもう! 想像の中の俺、寝る前まで───いや、部屋へ戻るまでは心がすごい穏やかだったのになぁ! 新しい朝を迎えたような温かな心境、猛るだけだった獣が守るべきを見つけたような落ち着いた心境だったのに!  でもだからって急に美羽を遠ざけるのって違うよね!? なりたくてこの姿になったわけじゃないし、惚れさせたくて子供の俺を惚れさせたわけじゃないんだもの! なのにきききき昨日華琳と愛を確かめあったから距離を置いてくれとか言うのは違うと思うんだ俺! 

 ……全然落ち着けてないぞ俺。

 

「………」

 

 つい先日まで、抱き締めればすっぽりと納まる小さな体が急に大人になっていました。可愛さを損なわずに、しかし綺麗になったと言える容姿。

 頭を撫でれば目を細めて喜んだあの小さな美羽が、こんな…………ああいや、頭を撫でれば目を細めるのはきっと今も変わらないんだろーけど。……や、やってみませうか?

 

「ねぇ一刀」

「ヒィ!? ななななんでせう華琳様!」

「……なにをそんなに怯えているのよ」

 

 なんか普通にヒィとか口から出たら呆れられた。

 怯えるなって、部屋中をこんな空気にしておいてよく言えるな……。

 

「一刀」

 

 わたわたと慌てていたら、目を細められて硬直した。

 目を細めるって表現っていろいろあるよねー、愛でたいものを見てうっすら微笑むとか、眠たげに目を細めていくとか……そしてマジな目になって殺気とともに見つめてくる時とか。

 

「あ、ああ。なななななに?」

「貴方……三国の父になるのよね?」

「父じゃなくて支柱ね?」

「同じことでしょう? いずれ三国に子を儲けさせる者となるのだから、言い方の違いはあれど結果は変わらないわ」

「主に俺の心への負担が段違いなんですが!?」

 

 言ってみたところで何処吹く風。

 フッと目を伏せ口角を持ち上げて笑う華琳は、堂々とした余裕を見せつつ“なにも気にすることなどないわよ”とばかりに落ち着き払っていた。……眉毛は怒りに満ちたまま。目よりも眉毛が口ほど以上にモノを言ってます。

 

「さて一刀? あなたが願っていた“初めて”は昨夜果たされたわね。その意味がわかる?」

「………」

 

 目が笑ってない。

 でも笑ってる。

 笑ってるのにコメカミがバルバルと躍動なさっておられる……!

 

「えーと……? わかると言えばわかる……かもしれないけど」

 

 でも“初めて”ってどっちの意味だ?

 俺が考えた方で、もし間違ってたらいろいろと恥ずかしいことになるんだが……。なので「具体的には?」と訊いてみた。

 

「え? あ、その……だから」

「うん? 俺が願ってた初めて?」

 

 昨夜果たされた……ふむ?

 なんかあったっけ。

 さっきまでマジな目をなさっていた華琳が赤くなるような初めて───赤く? 赤くはうあ! ややややっぱりそっちの意味なのか!? あ、あー……初めてなんて言うから、本気でやったことのないことを差しているのかと……!

 

「だからっ! 帰ってきて最初の相手が私という話よっ!」

「あ、ご、ごめん、丁度今思い出しヒィッ!?」

「なぜ言う前に思い出さないのよあなたという男は!!」

「タイミングが悪かっただけだって!! ていうか別にそれ言わなくても話進められなかった!?」

 

 ところでその絶がどこから出てきたのか是非訊きたいのですが! そしてなんで俺毎度毎度武器突きつけられて凄まれてるの!?

 

「……まあいいわ。ともかく、」

「あのー……まあいいならとりあえず絶を引いてくれると嬉しいかなー……なんて」

「……非道の王になってでも首を掻っ切ってやろうかしら」

「怖いよ!? 笑顔なのにとっても怖い!」

 

 あと話し合いなら絶は要らないんじゃってことを言いたかったのに、なんで首掻っ切ることになるのさ! もしかして話を遮ったことに苛立ってらっしゃる!?

 …………華琳って時々、人の話をまともに受け止められないくらい暴走すること、あるよね……。(注:主に一刀の鈍感思想関連です)

 ともあれ埒が明かぬと、華琳は絶を引っ込めて下がる。

 俺ももちろん安堵の溜め息を吐いて……俺の足の間に座っていたために同じく絶を突きつけられるカタチとなった美羽の、カタカタと震える体を───イ、イエ抱キ締メマセンヨ!? だだだって俺の手が動いた途端、下げられた絶を持つ手がピクリって! さらに言えば華琳がものすごい笑顔になっていくのをこの眼がハッキリと見ております!

 

「……は、話……続けようか」

「良い心掛けね」

 

 笑顔から殺気を抜いたものを向けられ、また溜め息を吐く俺。

 しかしながら震える美羽を前になにもしないのは嫌だったから、頭を撫でて落ち着かせた───ら、落ち着くどころか体の向きを変えて俺の胸にしがみついてふるふると震える始末でイヤァアアーッ!? 般若が! 視界の先で般若が誕生したァアアーッ!! 物凄い笑顔なのに両脇のドリルがざわざわ蠢いて……! み、見える! 彼女の氣が彼女から漏れ出して、彼女の頭上で般若のカタチになってゆくのが!

 

「華琳!? 華琳さん!? 美羽だから! この娘、美羽だから! 今までだってこんなこと、何度もあっただろ!? というか話進まないからその剥き出しの殺意をなんとかしましょう!?」

 

 これって……いい加減気づきもするけど嫉妬……なんだよな? あの華琳が俺にってのは嬉しいけど、毎度武器を取り出すのはさすがに勘弁です。なんて思いながら舞い上がってる俺の心にこそ馬鹿野郎と唱えたい。

 好きって言ってもらいたくていろいろ頑張ったのに言ってもらえなくて、だけど態度でこそ嫉妬を露にしてもらえたことが、なんというかその、夜を越えたことでひしひし感じられるっていうか……なんか体中がむずがゆいくらいに嬉しいっていうか!

 ……なのに目の前には般若がおるでよ。

 

「……一刀。大切な話があるからその娘を膝から下ろしなさい」

「膝じゃなくて足の間なんだけ揚げ足とってすいませんっ!! だから絶はやめよう!? つかこれもう脅迫の域じゃないか!? 非道になりそうなことはやめよう華琳!」

(……非道にならないように努めるのだって、限度があるのよ)

「あっ……大切そうな言葉を小声で言うの禁止! 聞こえなかったからもう一度言ってくれ華琳! なんでもないは禁止で!」

「なっ! 言えるわけがないでしょう!?」

「んなっ……!? 言えないくせに聞き取れなかったら男の所為にするパターンだろそれ! だったら最初から小声でも言うなよ! この問答で世界の男という男がどれだけ苦しい目に遭っているか! 聞こうとしているのにはぐらかされて、それなのに鈍感鈍感って! 鈍感は男がそうであるばっかりじゃなくて、周りがただ伝えきろうとしてないだけじゃないか!」

 

 そんなものは鈍感じゃない! 周りが勝手に理解に至らないものを1から10まで拾ってみせろって言ってるだけだ! 聞こえてない0をどーやって10にしろってんだ! いい加減にしろ!

 だから俺はもう引かないぞ! はぐらかされても言うまで訊きまくってやる!

 

「さあ華琳! なんて言ったんだ!」

「だだだから言えるわけがないと言っているでしょう! どうしてこんな時ばかり強気になるのよあなたは!」

「好きな人が辛そうにぽそりと何か言ってれば気になるのは当然だろ!」

「好っ───」

 

 相手が素直になれるようにと自分も素直な気持ちをぶつけてみた───ら、華琳が顔を赤くして仰け反った。絶も引かれ、カタカタと震えている……のに、しっかりとこちらは睨んだままだったりする。

 あの……なんだ。この可愛い覇王様は俺になにを言いたいのでしょうか。

 

「………………んどが……」

「うん?」

「だ、だから……っ……ひどっ、非道に……ならないように努めるのだって、その……限度が……」

「………」

「………」

「……ええとつまり? 昨夜は自分に手を出しておいて、その翌朝に足の間に女性を置くとはどういう了見なのかと嫉妬をヘボォウ!?」

 

 絶の頭で突きをされた。頬をドゴォと貫いたその衝撃は凄まじく、しかしなんとなくそう来るであろうことを予測して、顔を氣で守っていた俺には残念ながら死角が……あった。ダメージは殺せても脳が揺さぶられましたハイ。

 むしろ俺が勝手に思っていた嫉妬の話を適当に口に出してみたら、それが図星だったらしいことこそが一番の驚きだ。

 

「そこまでわかっているのなら少しは察しなさいこのばかっ!」

「じっ……自分は気づいても人をいじって楽しむくせに、その言い方はないだろ!」

「いじりたいからいじって何が悪いのよ! だだ大体私はっ! あなたのようにそのっ……見境なく女性を口説いているわけじゃないわよ!」

「なんで女性限定!? や、そりゃ男だったら俺も本気で怒るけど! ってちょっと待て! いつ俺が見境無く女性を口説いたっていうんだよ!」

「口説いているじゃない! そうでなければどうすれば三国の兵や将や王、民までもがあなたのことを認めるというのよ! 力で制した天下の先で、人柄で人心掌握!? でたらめにもほどがあるでしょう!」

「口説く過程で刺されるとか冗談じゃないんですが!? どこの世界に口説いて刺されたり命令拒否不可能宣言されたり腕折られたりメンマで友情深めたり三国無双に空飛ばされたりするヤツが居るんだよ! …………無言で人を指差さない!!」

「あら。メンマの件は口説きととっても間違いないのではなくて?」

「友情は口説きと違うと断言したい」

 

 ギャアギャアと騒ぎ合っても、些細な休止があればあっという間に落ち着く俺達。

 喧嘩慣れをしているとかではなく、言いたいことはあるけどそうまでして知らなければいけないことが山ほどあるって関係でもない。

 いろいろあるだろうけど相手は裏切らないって、心のどこかで確信してる所為なんだろうな。喧嘩はするけどそこまで険悪にはならない。距離を知っているとも言えるんだろうか。

 

「華琳。この際だから、思っていること全部……一度思いっきり話し合うべきだと思わないか?」

「奇遇ね。私もそう思っていたところだけれど……意外ね? 饒舌になるのは閨の中でだけだと思っていたのだけれど」

「しっ、失礼な!」

 

 言いつつも、黒い感じに目を細める俺と華琳。

 間に挟まれている美羽は俺と華琳を交互に見ておろおろとしている。

 そんな彼女をソッと逃がして、俺は華琳とニコリと微笑み合って……熱い語り合いを始めた。

 

……。

 

 語り合い。

 そう言ってしまえば落ち着いたもの、緊張するもの、出来ればしたくないもの、考えることなど様々だろう。

 王であるからと対等の存在がそう居なかった華琳にとって、敵ではない相手と語り合うというのはどうしても上からの目線になりがちだ。

 いや、むしろ対等の意識で話し合う相手なんて居るのかどうか。

 雪蓮にだって結構上から目線で言うことも多いし、相手が誰だろうとくすりと笑ってあの目で見つめる孟徳さんは、なんというか本当に誰も対等に見ていないのかもしれない……なんて思うことがあるのだ。

 

「大体華琳は勝手がすぎるんだよ! ばかはどっちだこのばか!!」

「あなたと麗羽以外にこれほどの馬鹿がどこに居るというのよこのばか!!」

「俺の目の前で顔を真っ赤にして叫びまくってるよこのばか!」

「なんですってこのばか!!」

「なんだよこのばか!」

 

 ……そう考えると、ここで互いに馬鹿馬鹿言い合っている俺はなんなんだろうと思えるわけだ。子供の頃の意識がそのまま残っている所為か、あまり躊躇せず馬鹿とか言っちゃっているわけだが。

 しかも華琳のことを友達だと認識している部分も残っているため、さらに言えば華琳も“友達”として受け入れた部分もあったため、馬鹿と言われれば馬鹿と返す意識を強く持ってしまっているようで……この有様だ。

 

「“三国の父”の話にしたってそっちがいろいろと広めた結果じゃないか! 人に根回しはどうだこうだ言っておいて、それをやってみせてるのはどっちだ!」

「そうでもしなきゃあなたが消えるかもしれないからやっているんでしょう!? 大体あなただって胸をのっくしてまで頷いたじゃない!」

「頷いたけどことあるごとに殺意剥き出しの覇王さまに絶を突きつけられるこっちの身にもなってくれよ! 他の誰かと一緒に居るだけで嫉妬するくらいなら最初から根回しなんてするなよ!!」

「理屈じゃないんだから仕方がないじゃない! だからそれくらい察しなさいと言っているのよこのばかっ!」

「俺の気持ちは察しないくせに自分のことばっかり察しろって無茶言うな! 縛り付けておきたいんだったら“好き”の一言くらい言ってみせてくれよこのばかぁっ!!」

「ひうっ!? ……ちょっと、なにも泣くことないじゃない……。だ、大体、気絶するまで許してあげたというのに、なにも察することが出来ないほうが問題じゃない……」

「王なのに好きの一言も言えないほうが問題だっ!」

「おっ……王だからおいそれと言えないことだってあるのよっ!」

「それは王ってものを盾にして逃げてるだけだろ!」

「───逃げる? この私が?」

 

 あ。なんか地雷発言したかも。

 逃げるという言葉にピクリと反応した華琳が、口角をヒクつかせながら腕を組み、ギロリとこちらを睨んでくる……その威圧感たるや、さすがは覇王と呼べるものであり───!

 

「いい度胸だわ一刀。この曹孟徳に向かってよくもそれだけの口を叩け───」

「逃げないならはい、好きって」

「言えるわけがないでしょう!?」

 

 ───そんな覇王を愛し続けたこの北郷、今さら睨まれる程度では引きませぬ。

 威圧感も真っ赤になった華琳からは既に感じないし、好き勝手に物事を言い合っている間は、ただの年相応の少女に見えた。

 

「ほらみろやっぱり言えないんじゃないか!」

「いぃいい言えないにしても逃げていることと同じとは限らないでしょう!」

「じゃあこれから一生華琳に好きって言わないことにする」

「!?」

 

 面白いくらいに動揺した。

 しかしすぐに“自分”を取り戻すと、余裕の笑みを以って俺を見つめてくる。

 

「へ、へえ? あなたはそれに耐えられるのかしら? 人のことをきぜっ……気絶、するまで求めた男が」

「本気で泣いて、もうやめてって頼んできたくせに」

「うくっ!? か、かか一刀っ!? あなたはっ!」

「華琳のこと、殴って殴って殴り抜いて屈服させるなんてことはしないけど、あの瞬間だけでも屈服したんなら少しくらいはこっちの言い分も聞いてくれるとありがたいんだけどなぁ……」

「うっ……う、う~っ! うぅ~っ!!」

 

 相当に屈辱だったのか、言い返せないのが悔しいのか、はたまたそもそも“殴って殴って殴り抜いて~”の部分が自分の言葉だったから言い返す言葉が出てこなかったのか、華琳は彼女にしては相当に珍しく、カタカタと震えながら悔しそうに俺を見つめていた。

 うん、冷静になって今の自分を客観的に見ると、ただの子供の喧嘩だよねコレ……。

 しかし……なんだろう。妙な方向性の話し合いとはいえ、なんだか成り行きみたいな感じであの曹孟徳を言葉で黙らせてしまった……! これって喜んでいいことなのか? いやもうほんと、傍から見ればただの痴話喧嘩とか子供の喧嘩にしか見えないんだろうけどさ。でもその勝利をもぎ取った切っ掛けが情事っていうのはどうなんだろう。少したそがれたくなってしまった。

 

「おぉお……主様が曹操に勝ってみせたのじゃ……!」

 

 などと微妙な勝利を味わっていると、一部始終を見ていた美羽が“ほぅう……”と熱い溜め息を吐くように言う。

 すっかり美羽が居たことすら忘れていた俺と華琳はンバッと美羽を見るのだが、とうの美羽はこてりと首を傾げるだけ。……ではなく、みるみる赤くなってゆく華琳が俺の足をげしげしと蹴り始めていたたたたっ!?

 

「ちょ、なにすんの華琳! べつに蹴られるようなことしてないだろ俺!」

「~っ!!」

 

 涙目でキッと睨まれた。あらやだ可愛い……!

 真っ赤なのはやっぱり恥ずかしさからのようであり……ああ、まあ、うん。華琳のことだからきっと、“人前で”言い負かされたのが自分でも予想外なくらいに恥ずかしかったんだろうなぁ。

 なんというか狼狽える春蘭を見た秋蘭が、ホウと溜め息を吐く理屈が今の俺にならわかるかもしれない……そんな気がした。

 そ、そうだよな、何度確認してるのかとかそんなことは横に置くとしても、やっぱり華琳も覇王である以前に一人の人間で一人の女だ。失敗だってするし躓くことだってするし、墓穴掘って恥ずかしい思いをすることだってある。

 で……そういう場合は素直に認めるか誤魔化すかをするんだが、その誤魔化し方とか認め方って結構麗羽に似てたりするんだよな。なんでだろ。

 

「はあ……」

「っ!?」

 

 顔を赤くしながら、恐らくは何かを言おうとしていた華琳をきゅむと胸に抱いた。すると焦った様子も治まり、ぴたりと止まる華琳さん。

 しかしながらハッとなにかに気づいたのか、ばたばたと暴れだし───意地悪ながらも、あまり暴れて欲しくは無かった俺はある一言を華琳へ向ける。

 

「えーと……“私を納得させたいなら力ずくで叩き潰しなさい。あなたの前に私を跪かせることが出来たのなら、殺すなりあなたの理想に従わせるなりすればいい”……だっけ?」

「……、……~っ……、~……」

 

 華琳が桃香との舌戦で言った言葉の一つだ。

 言った途端に華琳の体がぎくりと跳ね、声にならない……でも音としては聞こえるような、「きぃいゆぅう~……」って感じの音が悔しそうな音色で聞こえた……気がした。

 や、ほんとになにかをするつもりはなくて、せめてもうちょっとこっちに合わせてくれたらなとかそういうことを考えただけなんだけど……なんだろう、言っちゃいけないことを言ってしまったようなこの嫌な予感は。

 力ずくで華琳を叩き潰すことなんて出来る筈がないし、逆に潰されそうだし……いろいろなところを。だからこう、抱き締めている今を力ずくでって意味で言ったんだ。うん、それは間違い無い。抱き締めたまま離してやらないぞ~って意味だ。なのに華琳の様子がおかしい。

 ……マテ?

 さすがに跪かせることは出来ないけど、泣かせちゃったし、もうやめてとも言われたわけでして、その。たった今舌戦めいたものでも大変珍しくも勝ってしまい、顔が真っ赤な華琳さんをこうして抱き締めているわけでして。

 あぁあ落ち着け落ち着け、勝ったって言っても力じゃないし、大体情事で勝ってもなんか嬉しくないんですけど!? それ認めちゃったら王に対してアイアム種馬宣言をしたようなものじゃないか!? しかもそれで相手が屈服したことを認めちゃったら、俺自身がこう……やっぱり覇王を打ち負かす種馬とかベッドヤクザとか要らない二つ名ばかりつけられて……ハ、ハワワ……!

 あ、あの!? 華琳さん!? なんで黙ってるんですか!? なんで少し震えながらも俺の腕に納まったままなんですか!? なにか言ってくださいすっごい気まずい! 気まずいのにこの腕の中にすっぽりと納まる感触に心の芯は落ち着きを得ている俺はおかしいですか!?

 

「か、華琳? その~……」

「…………なによ。屈服させて、したいことがあったから人の言葉を言質に取るようなことを言ったんでしょう?」

「うっ」

 

 涙目の、むすっとした顔で見上げられ、睨まれた。

 やばい可愛い……いや違う、可愛い……違う、可愛い……ああもう可愛いなぁ! 言ったらまた絶が突きつけられそうだけど!

 いや、それでも落ち着こう。好きな相手の意外な表情を見れるのはとても嬉しいことだが、このままだと危険だ。主に俺の今後が。覇王を正面切って言葉で黙らせて泣かせて屈服させたなんてことが桂花や春蘭や秋蘭に知られてみろ。俺の首という首が全てバラバラにされかねない。……手首とか足首ね? 首が何個もあるって意味じゃないからね? いや、ないから。乳首関係ないから。

 でも俺が華琳にしてもらいたいこと? なにかあるだろうか。

 ……そりゃ、散々愛したし愛も唱えたし、“我慢”って意味では解消されている……や、コトがコトだけに聞き方によっては下種なお話なわけだけどさ。愛したのに解消って言い方はひどいよな。でも事実なわけでして。やっぱり我慢はよくない。

 ではどうするか? どうするって───



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99:IF/愛を育む人(再)①

150/愛を育む人(再)

 

 さらさらさらさら……

 

「………」

「………」

「………」

 

 静かな時間が続く。

 相も変わらず俺の足の間には人が居て、書類作業を見守っている。

 

「一刀、そこ。間違っているわ」

「オアッ!? ど、どこ?」

 

 ただ、足の間に居るのは華琳であり、隣の丸机ではそれをなんだか羨ましそうに見つめる美羽が居たりする。しかしその美羽も特に騒ぐことはしていない。先に華琳に“せっかく大人になったのだから、大人しくして一刀に好かれる女性で在り続けてみたらどうなの”と言われてからあの調子だ。

 誰かが急に大人になった~だのなんてことは、広めなければ案外静かに終わるものなんだろう。もちろんわざわざ大事にするほど暇ではない俺達は、特に騒ぐことも広めることもなく黙々と作業をして……腹が減れば食事を部屋まで持ってきて、食べた。

 子供になった俺の例もあるからして、この状態がいつまで続くのかは謎だ。水で薄めることもなく原液で飲んでしまったからには本当の本当にいつ治るのかがわからない。や、この場合は“直る”か?

 ともかくそんなわけで、“この状況”に慣れるためにも俺と美羽は華琳の言葉に頷き合って……こんな状況の中に居る。

 どうして華琳が足の間に居るのかは、まあ俺が頼んだことでもあり……同時に華琳からの提案でもあったわけで。ようするに美羽に“我慢が出来る大人の女になりなさい講座”をやらせているようなものなのだ。

 

(以前に比べれば全然、様々を我慢出来るようになっているとは思うんだけどなぁ)

 

 それでも華琳はその先を求める。

 あんまりいっぺんにやらせようとすると折れるぞ~なんて言ったところで、どうにも華琳は袁家の者に遠慮がなさすぎる。

 

(……美羽の顔より体のほうに恨みがましい視線を飛ばしているところにも、いろいろと事情があったりするのかな)

 

 そこのところはあまり深くは考えない方向で。

 そういった察知能力が異常だからね、この世界の女性は。

 大丈夫、俺だっていつまでも馬鹿じゃないよ。前にも似たようなことを言ったけど、今度こそ大丈夫さ。以前よりは……あくまで以前よりは乙女心というものを理解出来ているに違いない。

 だからここで突っ込んだ物言いをするのは自殺行為と断言する。

 無難がいいんだ無難が。

 でもこの世界の女性に対する無難って何処までがセーフなのか、イマイチ理解しきれていないところがある。さすがにそれはって思うことでも“もっと踏み込め”的なことを言われる始末だ。

 で、踏み込みすぎると武器突きつけられたり誤解されたり。

 ……じいちゃん。僕、この世界が僕になにを望んでるのかワカラナイです。

 だがしかしだ。華琳の目が美羽の何処に向かっていたのかくらいはそのー……わかるつもりさ。だからここはこう言えばいいんだ。

 

「胸なんて個人差だし、俺は華琳の胸だったら大きくても小さくても目がァァァァ!?」

 

 的確に目を狙われた! ゾブシャアとか鳴りそうなくらい……ではないにしろ、ズムと目を突かれた! なんということだ……振り向くことすらせずにこの北郷の両の目を!

 

「よくもそんなことが言えたものね、一刀。大きな胸があればすぐにそちらに目がいくあなたが」

「それは存在感があるものに目が向いてしまう人としての法則ってものでべつに胸が小さいからいかないとかそういう意味じゃ(もも)ォオーッ!?」

 

 今度は無言でギウウと腿を抓られた。

 だが負けません。(なににだろう)

 受けた誤解は解くためにある! なにせ誤りなのだから! そう、謎が謎のままなのは我慢ならない華琳なら、むしろ真相を知りたがる───より先に生爪とか笑顔で剥がされそうな気がした俺はもうヤバいのでしょうか。や、さすがにそれは非道の域だよね?

 ああいやいや今はそんなことより誤解を解かなければ! 華琳は間違っている! 冗談抜きでそれは存在感の法則というものであって、おなごの胸といふものは、大きければいいというわけじゃあない! ……好きな相手の胸なら、どんな形でも触り心地でも愛を以って受け入れる───それが男の愛だろう!

 わかってもらうんだ! そう……喩えを連ねることで彼女の高い理解力をさらに引き出し、心の奥底まで受け取ってもらう!

 

「存在感っていっても大きいものには目が行くのは当然だ! そうさ! 分厚い着衣で包まれた誰かの胸より、さらけだされた華琳の慎ましやかな胸に行くのは当然の目がぁああーっ!!」

 

 再びの目潰しだった。

 見えない! なにも見えない! なのに足の間にあるであろう小さな体から、見えないくせに確実にそこにあると理解させる殺気がメラメラと! 違うのに! 俺が欲しかった理解はこんな殺気じゃないのに!

 

「それはなに……!? 包まれた大きな胸に対して、私は胸をさらけださなければ見る価値もないということ……!?」

「あれぇ!? 喩えを出して深く理解してもらおうとしたことが裏目に!?」

 

 まずい、これはやばい!

 もう理解がどうのは───だ、大事だけど、今はとにかく回りくどいことを抜きにして真実の告白を!

 

「ちちち違うぞ!? 隠されてても曝け出されてても俺は華琳の胸が大好きだ! 大きさとかの問題じゃなくて、華琳の胸がブボベ!?」

 

 喋り途中にビンタが炸裂した。それはとても綺麗なビンタでした。ええ、華琳さまも黒い笑顔でにっこりだ。

 一言で言うなら“全力で伝えてみたらただのセクハラ発言でしかなくなってました”だ。真実って難しく、そして痛い。

 

「わかったからとりあえず黙りなさい」

「え、や、でも」

「だ・ま・り・な・さい?」

「……、……? ……ッ! ~……、───!! ……はぼっほ!」

 

 黙る代わりにハッと思いつき、竹簡に“貴女の胸が大好きです”と書いたらビンタが飛んだ。うん、正直ごめんなさいでした。

 しかしよくもまあ後ろ向きで器用にビンタを放てるもので……脅しと笑みを混ぜた時だけ振り向くのは本当に勘弁してほしい。

 うう……困った、元からかもだけど、さっきよりも空気が澱んでしまった……。これはなにか適当な話題を出して、華琳が発する威圧感と不機嫌さを小さくしていくしか……! ……ていうか、俺踏み込みすぎたね。さっき気をつけるべきだと心に決めたはずなのに。

 

「……ちなみに天ではバストアップエクササイズ……胸を大きくする運動っていうのがあって───」

「………」

「フランチェスカで及川が女友達に教えて回ってたのを聞いただけだけど、やってみる?」

「………」

 

 …………ワー、悩んでる。

 なんというかこう、叩いた手前、乗り気でやり方を聞いてみることが出来ないのかもしれない。

 ちなみになんで及川がそんな情報を知っていたのかは知らない。多分及川だからだろう。女の子と仲良くするためなら様々な情報を拾ってくる、いろいろと用意周到なヤツだ。

 とりあえず俺は華琳のご機嫌を取るためにも、返事を聞かずに実践してみせた。

 華琳の手を取って、胸の前で手を合わせて合掌のポーズ。

 それから合わせた手を押し合うように力を入れさせて、胸の筋肉を刺激させる。脂肪は筋肉のエネルギーとして使用されるだろうが、それ以前に胸筋が無ければどれだけ大きかろうが垂れてしまう。

 なのでまずは土台作り……そのためのノウハウを色々と囁きながら、次々と方法を教えてゆく。

 そして……最初こそは手を動かして囁いていた俺だったが、いつしか自分の意思で動き出す覇王様。

 次の方法を教えるたびに、集中している子供のように無言で小さくこくこくと頷く姿がなんというか可愛くて……!

 

「及川が言うには“良い恋愛をすると、女の子の胸はおっきくなるんやで~!”だそうだ。女性ホルモンの関係がどうとか言ってたな」

「じょせいほるもん……?」

「う……まあそのー……男が男らしく、女が女らしくあるためのバランス物質みたいなものかな? 男性ホルモンは筋肉に強く影響して、女性ホルモンは女性らしさに影響してとか、そんなところじゃないかな。俺も詳しくは知らない」

「女性らしく───…………一刀」

「ん? どした?」

 

 筆をコトリと置いて小さく溜め息。

 華琳の香りしかしない現状での呼吸はなんというかいろいろと大変だ。そんな中で深呼吸をすると、もう胸の中が華琳でいっぱいで───

 

「そのじょせいほるもんというのは、どうすれば得られるのかしら?」

「───」

 

 ───数瞬、思考を忘れた。

 しかしハッとした時にはもう遅く、気をつけよう意識するより早く“その方法”を思い浮かべてしまった俺の主張が、華琳の一部を押し上げた。

 

「………」

「………」

「…………その。つまり、そういう……こと?」

「……ハイ……なんかすんません」

 

 肩を落としてぐったりと謝った。

 これは仕方ない。この状態で胸を張れっていうのはある意味男だが、俺はそんな男にはなりたくない。

 しかし華琳は「……そう。なるほどね。だから良い恋愛をすれば、なのね」と得心したように深く何度も頷いていた。

 

「ところで一刀? 沙和が言っていたのだけれど、その…………む、胸を揉むと、大きくなるというのは───」

「あ、それは一部じゃ迷信って言われてるんだけど……ただ、好きな相手にリラックスした状態で揉まれるのは効果的らしいぞ? なんだったっけな、好きな人と居ることで女性ホルモンを分泌させて? さらに揉むことで乳腺っていうのが刺激されると大きくなる……かな?」

 

 及川がぽんやりうっとり顔でトリップしながら言ってた言葉だから真実かどうかはわからない。“胸は脂肪と乳腺で出来ていて、胸は乳腺脂肪体というもので構築された神秘なんやでぇええ!”と、突然顔を真っ赤にして叫んでいた。あいつは何処へ行きたかったんだろうか。

 

「その乳腺っていうのが乳腺脂肪体っていうのを掻き集めて大きな胸になる。そして乳腺は女性ホルモンの分泌と適度な刺激で発達するらしいから、好きな相手に揉まれるのがいいんだとか」

「それは相手が女性であっても構わないのよね?」

「…………そういうこと、男の俺に訊きますか」

 

 自分を好きだと言う男に女で構わないのかと言う覇王がおる。

 これもう俺といたしましては泣きたくなるほど非道の域なんですが。

 

「んー……あのさ。華琳は相手が女でも自分が女であることを意識出来るか? どういう条件で女性ホルモンが分泌されるのか、詳しいことまでは俺も知らないけどさ。相手が男であることに越したことはないと思うんだけど」

「あら。一刀はそんなにも私の胸が揉みたいのかしら?」

「当たり前だ! 見くびるな!」

「えぇぅっ……!? そ、そう……?」

 

 濃厚なる一夜を越えて俺も幾分成長出来たのだろうか。

 なんかもう煩悩まみれでいろいろ目を瞑りたい気もするんだが、我慢がどれだけ恐ろしいかを覇王様を相手に理解してしまったこの北郷めといたしましては、出来るだけ本能は少しずつでも発散させるべきだとは思うのです。

 

「えっと……で、たしか……あ、そうそう。ストレスは……怒りとか鬱憤は女性ホルモンを殺すから、リラックスした状態じゃないと意味がないらしいぞ? 逆に脂肪を揉み解して胸を痩せさせる結果に繋がる可能性があるんだってさ」

「………」

 

 ストレスに心当たりがありすぎるのか、華琳は眉間に指を添えて深い深い溜め息を吐いた。

 

「はぁ……呆れる事実ね。じゃあなに? 私の胸がその、こうなのは───」

「…………」

「……一刀? 何故そこで苦しそうに顔を逸らすのかしら?」

 

 い、いやっ……これは決して“それはない”とツッコミたかったわけではなくて……! でも確かに女性ホルモンは結構殺されていると思うのだ。華琳って恋より仕事な人だもの。そんなんで女性ホルモンを発達させなさいっていうのは中々に難し───……あれ? でも結構女同士でアレコレやってるからそうでもない?

 …………ああ、そうか……じゃあこれが彼女の“有りの(まま)”のサイズで痛い痛いだから腿が腿がァァァァ!!

 

「一刀。怒らないから、その“人を哀れむ優しい笑顔”を私に向ける理由を話しなさい」

「怒ってなかったらこの腿つねりの説明が出来ないんだけど!?」

「あら。私は今怒っているのであって、これから言われることには怒らないと言っているのよ?」

「結局怒ってるだろそれ! そんな言葉遊びで怒られるなんて冗談じゃない!」

「はみゅっ!? ふぁ、ふぁふほっ!?」

 

 抓られる腿の痛みに耐えつつ、反撃とばかりに頬を引っ張った。もうなんか定番の仕返しになりつつある。

 

「……華琳、これから大事な話をするよ。こうして華琳を足の間に座らせたわけだけど、よく思い出してほしいことがあるんだ」

「……ふぁうぃよ(なによ)

「華琳。ここが誰の椅子か知ってる?」

「…………」

 

 ひょいと横から覗く華琳の表情。

 口を横に引っ張ってるために少々カレーパンマン的な感じになっている彼女の顔に、たらりと汗がこぼれた。

 

「懐かしいよなー。俺も華琳に促されて玉座に座ったら、そこは王の椅子よーとか言われていろいろ大変だったよなー」

「……!」

 

 華琳の視線があちらこちらへと飛ぶ。

 まあ、結論を言ってしまうとここは支柱の椅子。

 王にしてみればどの椅子も変わらないだろうが、同盟の証の椅子なわけで。それ言ったら雪蓮も美羽も座っているわけなんだが……言いだしっぺは華琳なわけで。

 

「………」

「………」

 

 柔らかい口を離す。離した途端に、ババッと身構える。

 なにかしらの反撃があるかと思いきや……華琳は静かなものだ。

 ……ハテ。

 

(静かなのが逆に不気味だと思う俺はもうおかしいのだろうか)

 

 子供の頃の意識に引かれるがままに、普段言わないような意地悪なことを言ってしまったが……言っている間はいいんだが、言ったあとに“やっちまったァァァァ……!!”という恐怖が滲み出てくるのは人のサガでしょうか。

 い、いや、この歳にもなって好きな子をいじめてでも気を惹きたいとかそんなことじゃない───は、はず……って……馬鹿な……! 断言できないッ……!?

 

「………」

 

 何も起きない現在にどんどんと乾いていく喉をごくりと鳴らす。

 気を紛らわすためにちらりと見た視線の先では、机から寝台に移っていた美羽が胸の前で手を合わせてグググと力を込めたり、もにゅもにゅとその豊満な胸を揉みってちょっと待ちなさいなにやってるの美羽さん!? 静かだと思ったらいったいなにを!? いや見ればわかりますね俺が言ったことを実践してただけですよねごめんなさい! そして及川! 今度会えたらオーバーマンのマスクのことも込みでキミを殴る! グーで殴る!

 

「やめなさい美羽! きみにはまだ早いから!」

「大丈夫なのじゃっ! 揉みほぐせば小さくなるのであろ!? 重いのじゃ邪魔なのじゃー!」

「そんな全世界の悩める女性を敵に回すようなこと言わない! そのままでいい! 及川曰く、そこには男の夢と浪漫が詰まって───はうあ言葉の途中から俺の足の間からモシャアアと殺気が溢れ出て……! ちち違うよ!? 今度ばっかりは大きいから目がいっていたとかじゃなくて、教育上の問題デシテネ!?」

「へえ、そう。教育上の。それは良い心掛けね」

「───」

 

 殺気が黒い波となって華琳から溢れ出ている……! まるで砂糖がお湯の中で溶けていくようなゾルリとした黒い波が……!

 

「そ、そうっ、良い心掛けなんだっ! だから決してやましい気持ちなんて───」

「さっきは言えなかったのだけれど。一刀? あなた、美羽を抱きなさい」

「抱いてな───抱い……ハイ?」

「聞こえたでしょう? 美羽を抱きなさいと言ったのよ」

「………」

「………」

 

 …………ワッツ!?

 だ……抱く!? 誰を誰が!?

 

「あ、あああーああああの、ののの……!? 華琳さん……!? あの、すみません、なんかいろいろしたり言ったしてごめんなさいでした……! 謝るからさすがに笑えない冗談は───」

「あら。冗談なんかじゃないわよ? だってあなたは支柱であり父でしょう? 好きになる努力をする、支柱であることを自覚する。あなたの“のっく”付きの覚悟はもう散々聞いたし見てきたわ。……言ったでしょう? “初めては私がいい”という望みは叶ったのだからと。さあ、貴女がここで拒む理由があるかしら。それとも貴方は美羽が好きでもないというつもり?」

「くあっ……ず、ずるいぞその言い方! 美羽の前で! しかも事情を知ってるくせに!」

「ええそうね、だからはぐらかそうとしても無駄よ、紫苑から事情は聞いているから。───“意中の相手に好きだと囁いて、訊ね返されたら何度でも言う”。素晴らしいことね。私にさえ言いづらいことを言わせたのだから、貴方は当然言えるのでしょう?」

「ぎゃああああああああ!! 知られてたぁああああああっ!!」

 

 思い返されるのは、通路の先で美羽に告白しまくったこと。

 紫苑に大見得をきった少年の自分を呪い殺したくなった。

 そして同時に美羽にフラレまくった痛みが胸にズキーンと走って、しかもそんな恥ずかしい事実を華琳にまで知られていて、穴があったら入って埋まって死んでしまいたくなりました。

 そして……そして俺は、美羽に自分の気持ちを打ち明けなくてはいけないのか……!? ……あれ? でも俺、別にこの姿になってから美羽に好きだとか言ったわけでもないし、訊ね返されたわけでもないよな?

 

「な、なんだ安心───」

「美羽。貴方は一刀に自分をどう思ってもらっていてほしいのかしら」

「させて!? 安心させてよなに訊いてんのちょっと!」

「う、うみゅ? そうじゃの……」

「みみみみみみ美羽!? 言わなくていいぞ!? 無理に言わなくていいから! 言って、しかも訊かれたら俺も言わなきゃいけなく───ぐああああ!!」

 

 言ってて自分で自分が最低に思えて泣きたくなった。

 でもじゃあどうしろと!? 抱けといわれたから抱きましたとか俺には無理───でもなかったごめんなさい! 魏のみんな───主に春蘭が思いっきりそんな感じでした!

 

「……主様はやさしくて、時に厳しく、温かくて、妾、何より主様の目が好きなのじゃ。きっと妾に兄が居たならばこんな感じなのじゃろうのといつも思っておったの」

「───」

 

 兄……! 兄……兄かぁ……。あ、あれー……喜んでいい状況な筈なのに、なんだか物凄くダメージが……! 子供の部分の俺がひどいダメージを受けてぐったりしている……!

 ま、まあそうだよな。ああいう接し方だと兄とか父親みたいって思われるのが当然で、そもそもそこから愛だの恋だのに向かうほうがおかしいんだ。

 そう思ってみたら少し心が軽くなった。

 だから俺は華琳をソッとどかして椅子から立ち上がると、わざわざ素直に話してくれた美羽の前まで歩き、寝台の上にちょこんと座る彼女の頭を撫でて……同じ目線で笑って言う。

 

「そっか、ありがとうな美羽。兄みたいに接することが出来たかどうかはわからないけど、美羽がそう思ってくれてるなら俺はこれからも───」

 

 ───マテ。

 あれ? なにかが引っかかる。

 何が引っかかるのかと考えてみるのだが、どうにも引っかかりを掴み取ることが出来ないでいた。

 ハテと首を傾げそうになったその時、撫でたままの美羽の視線に気づいてその瞳を見つめ返す。俺の目の奥を見るその視線が、いつものように俺の目から感情を読み取るようにじぃっと……あれ? 感情を読み取るって───あ。

 

「───!」

 

 やばい───と思ったら美羽の顔が一気に灼熱した。

 いやいや待て待て!? 俺は確かに美羽のことが好きだと少年期に言ったぞ!? でも今思ってたのはこの子を大切にしたいって思いだけであって、好きとか嫌いとかは特には───! 特には……あ、あー…………あぁあーっ!?

 

「っ……そ、それで……じゃの。その。兄のように“思っておった”のじゃがの……。この姿になってから、何故か主様を見ているとここが苦しくて……の……」

「…………!」

 

 そう……美羽は“思っておったの”と。過去形で言っていたのだ……! 引っかかりはそれだ……! つまりそれは、今は違うという意味であり……あぁあああ嫌な予感が……!!

 しかも体が大人になった所為か、無邪気だった部分が大きくなった体に追いつこうといろいろと頑張った可能性も高く、俺の目の奥をじっと見つめる美羽の目が潤んできて………

 

「の、のう、主様? 主様は、妾のことが……その、邪魔かや……? さっきも妾が足に乗っていたら辛そうにしていたのじゃ……。だというのに曹操を乗せた時は嬉しそうに……。妾、妾……」

 

 ヘッ!? ホワッ!?

 ななっ、涙!? 泣くっ!? アワワワーワワーッ!?

 

「いやいやいや違うぞ!? いや違わないけど! いや違うってのは辛そうにしてたってのが違うって意味で! 確かに華琳を乗せた時は嬉しそうな顔をしていたかもしれないけど───って華琳!? なんでこんな時に顔緩めてるの!?」

「へわっ!? ゆっ……!? ───こほんっ! ……何を言っているのかしら? 緩めてなどいないわよ?」

 

 じゃあなんで視線逸らすの!? なんて言っている場合ではなく、……って訊かれた! どう思ってるとかじゃなくて邪魔かどうかだけど、訊かれてしまった!

 え!? あの!? もしかしてアレなんですか!? さっきまでてれてれと俺と視線を合わせては恥ずかしそうにしてたのって、意識が大人に近づいたために起きた青春的なアレなんですか!?

 そりゃ俺も子供に戻った時は、精神が無理矢理子供の状態に引っ張られたけどさ! つまり美羽の現状は、過程を素っ飛ばした所為で、物凄い勢いで美羽が大人になろうとしているような感じ……!?

 ……いや待て。この時代って結構若い内に結婚とかするんだっけ? ああだめだ頭が上手く回転しない! 頭の中の引き出しから上手く情報を引き出せない!

 そうこうしている内に、美羽が自分の頭を撫でている俺の手を両手できゅっと掴んで、胸の前まで下ろすと……怖さとか恥ずかしさとか勇気とかをごちゃまぜにした不安げな表情で俺を見上げたまま、

 

「妾……主様のもとに全てを置くと決めたのじゃ……。だから……妾のことを邪魔だと思っておっても、どうか傍に置いてほしいのじゃ……。ここが痛くて、苦しくても我慢するから……の、主様……」

 

 ギャアアアア!! そんな、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでくれ! 胸が痛くて苦しいとか言わないで! 俺べつに悪いことしてない筈なのに胸が痛い! 痛……し、してないよね? 悪いことしてないよなぁ俺!

 

「の、のう曹操……? 胸が、胸がきゅうって苦しいのじゃ……これは病気なのかや……? 妾、死んでしまうのかの……」

「うっ……」

 

 じわりと潤んだ目で見つめられた華琳がたじろいだ。

 ああ……わかる、わかるぞ華琳……。

 ちっこい美羽がこの顔をしたって“まあ子供だから”って感じなんだけど、大人……といっても俺達と同じかそれより少し上くらいの容姿でこの顔をされるとな……。妙な罪悪感とともに、手を差し伸べてやりたくなってしまうんだよなぁ……。ええと、つまり何事かというと……困ったことにとんでもなく綺麗でいて可愛いのだ。泣かせたって時点で罪悪感感じるくらいに綺麗で可愛いのだ。

 とか思っている内に華琳がこちらをちらちらと見てきて、目で“なんとかしなさい!”と訴えかけてきた。……え? 俺? ななななんとかって、俺が!?

 ってそうだよ、俺、嫌いかとか訊かれてたじゃないか!

 

「えっと……な? 美羽……」

「…………?」

 

 俺のおどおどした雰囲気から最悪の返事でも連想したのか、美羽が急に身を縮み込ませ、上目遣いで俺を見る。……それでも握った手は離さないらしい。

 

「とりあえず、その……お、おれっ…………俺はっ」

「…………」

「俺は…………───あー……その。美羽のこと、嫌いってなんか、いないぞ?」

 

 汗をだらだら流しながら放った言葉は、なんともまあ無難な言葉でした。“この状況でそれかヘタレ”と言われても否定できない言葉で、自分もそれを自覚しているだけに背後から届く殺気がギャア怖い振り向きたくない!!

 

「ま、まこと……まことか……? 妾、主様に嫌われておらんのかや……?」

「ももももちろんだとも!」

「なら───ならば、好いてくれておるのかの……?」

「ヘアァッ!?」

 

 殺気がギシミシと骨を圧迫するような状況の中で急に言われた言葉に、思わず伝説の超野菜人のような声が口から飛び出た。

 えっ、ヤッ……なんという予想外な……! 想定外……よもやこの北郷の思考の先を歩んでみせるとは……! これが一般人と袁家の者の各の差だとでもいうのか……!

 などと心の中で言われた言葉の整理を懸命にしている内にも、返事をしない俺の瞳を覗き込んで、さらに不安を胸にぽろぽろと涙してゆく美羽がルヴォァアアーッ!!

 焦る。

 慌てる、心がざわめく。

 頭が熱くなって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、考えることが難しくなって───なのに、急に寒さを感じた。



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99:IF/愛を育む人(再)②

 ───衝動的に口が動いた。途端に嫌な予感。

 何を言うつもりだ、と自分で自分に問いかけるが、答えが見つからないままに口が動く。嫌な予感がして止めようとするのに、焦りに抱かれた自分は止まれない。

 ただ、本当に嫌な予感がした。

 自分の居る位置を、今の状況を守るためだけに他人を傷つける……そんな嫌なイメージが胸に湧いた。

 それは、きっと初めてじゃない。

 小さい頃、自分は剣道で一番強いのだと力を誇示して得意になっていた頃。家がたまたま道場で、たまたま他のやつより学ぶのが早くて、たまたま他のやつより強かったから、自分より弱いやつを負かして天狗になっていた。

 自分は強いのだという位置を守り、強いから馬鹿にされないという状況を守るために、懸命に練習をしていた他人を傷つけた。この感覚は……あの時とひどく似ていた。

 それはこんな状況になってひどく取り乱していた心を、あっという間に冷やしてしまうくらいに味わいたくなかったもので、だからこそすぐにそのイメージを……初めて敗北した瞬間を思い出すことで、無理矢理に止めた。

 

「………」

「…………? 主様……?」

 

 気持ち悪くて吐きそうになるくらいの敗北感と悔しさ。

 込み上げるそれを飲み込んで、胸を何度もノックした。

 一回くらいじゃ立ち直れないほどの覚悟と時間が必要だったあの頃に比べて、自分は少しでも成長できたのかな、なんてことは……時間が経つたびに何度も思った。

 結局思えば思うほど惨めになるだけで、こうして同じ思いをしている今でも……きっと成長なんて出来ちゃいないのだ。事実、目の前では俺の勝手の所為で不安がっている人が居るんだから。

 

「………」

 

 さ、北郷一刀。

 誓った覚悟を思い出してみろ。

 そして並べてみて、今の自分との接点と矛盾を数えて笑え。

 好きになっていこうって誓った。

 支柱らしく、俺らしくあろうと誓った。

 自然とそういう状況になったら受け入れようって誓った。

 少しずつ歩いていこう、前を向いていこうって誓った。

 目標があるなら進み、理由があるなら立とうと誓った。

 そして───……そして。国に返していこうって、誓った。

 

「……すぅ……はぁ」

 

 誤魔化すのは無し、なんだよな。

 好きなら好きって何度でも言う。届くまで言う。

 はぐらかされても聞くことは聞く。

 なんか言ったか、なんて聞き返さない。

 自分に正直に。好きな人には、大切な人にはきちんと伝えろ。

 今は、それが国に返すことなんだから。

 

「───……うん」

 

 美羽の両手の中にある右手ではなく、自由な左手でトンッとやさしく胸にノック。そして、その手で美羽の頭を撫でると……もう一度覚悟を頭の中で決めて、きっぱりと言う。

 

「美羽。俺は、美羽のことが好きだよ。妹とかとしてではもちろんなくて、面倒を見る相手としてでもなく。一人の女の子として、美羽のことが好きだ」

「───」

 

 やさしさが口から漏れたかと思うくらいに、愛おしく美羽の頭を撫で、そのまま頬に手を添え、目尻に溜まった涙を拭う。

 美羽はそうされるがままに、まるで何を言われたのか理解出来ないと言うかのようにぽかんとして……次第に理解が全身に回ったのか赤くなっていき、慌てるでもなく騒ぐでもなく、ただ……そのままの表情でぽろぽろと涙をこぼした。

 

「へぇっ!? やっ、えぇっ!? み、美羽っ!?」

「……? あ、う……?」

 

 もちろん相当に驚いて慌てて何度も拭うのだが、拭うたびにぽろぽろとこぼれる涙。

 美羽自身もどうして涙が出るのかがわからないらしく、自分の手でも拭おうとするのだが……その手のどちらもが俺の手を握っていることに気づくと、涙をこぼしながら俺の目の奥を覗き込み……くしゃりと顔を歪ませ、しかしそのくせ嬉しそうという難しい表情で俺の手を顔へと引っ張って、涙を染み込ませるように頬擦りをした。

 ……ちなみに俺は慌てたままで、しかし告白をして、しかも受け入れられたのだと自覚するとともに、なんだか胸に閊えてたものが落ちたような気分になった。そうなると不思議とやさしさばかりが溢れ出して、泣きすがるような美羽を寝台に膝を立てながら胸に抱き、その頭をやさしく撫でていた。

 美羽が───彼女が泣き止むまで、ずっと。

 

……。

 

 …………で。

 

「~♪」

「…………えーと」

 

 急に大きくなり、急に恋心を無理矢理知ることになり、急に恋をして急にそれが叶った少女はというと……泣きつかれて寝るかと思いきや、とろりととろけた表情で俺の腕に抱きついていた。

 そうして寝台に座るカタチとなっている俺達とは対象的に、そんな僕らの視線の先に仁王立ちするのは我らが魏王曹操様。笑顔です。笑顔なんだけど、なんか殺気を感じたり感じなかったり。

 

「えと……華琳?」

「……べつに、自覚しているからいいのよ。これも自分のためなのだから」

「? 自分の? ……って?」

「……だ、だから。あなたがそうして誰かと連れ添う度に怒っていては、こちらも身が保たないと言っているのよ。必要なことなのだから、私のことを気にする必要はないわよ」

 

 胸の前で腕を組みながら、ちらちらと俺の腕に猫のようにすりすりと頬をすり寄せる美羽を見ては、笑顔に青筋をプラスする僕らの覇王さま。そんな目が俺に何かを促していた。

 

(覇王は言っている……さっさとやれ、と……!)

 

 やれ、というのはつまりアレなのですね……?

 いや、でも、さぁ……さすがに告白した次の瞬間って……さぁ……。

 ももも物事には順序がありまして。

 いえ別に怖気づいてるわけじゃないですよ!?

 怖気づいたわけじゃなくてその……いやそりゃ告白して次の瞬間なんて今さらだろとか言われたら何も言えない訳ですがね!? いろいろあるの! いろいろ! 今まで受身だったのに自分から告白したの! なのにそれが次の瞬間アレってなんかいろいろと……! さぁっ……!

 

「美羽。あなたは、一刀があなたにすることならばなんでも受け入れる覚悟があるかしら」

「おおっ、それは勿論なのじゃっ! 妾、主様のもとに妾の全てを置くと決めたのじゃからのっ!」

 

 フンスと目を輝かせ、腰に手を当てて胸を張る美羽さん。

 拍子に大きく揺れた一部に、華琳のコメカミあたりからビキッという嫌な音が。

 

「それがどんなに辛く、苦痛を伴うことでも?」

「う、うみゅ……? 痛いのかの……? ……うみゅ? …………おおっ、考えてみれば主様が妾に対して、実りにならぬ痛みなどくれる筈がないのじゃっ! ならば安心じゃのっ!」

「………」

「………」

 

 なんだか無性に恥ずかしくなって視線を逸らした。

 華琳もなんだかおかしな質問をしたとでも思ったのか、無邪気な少女の純粋さを前に顔を赤くして壁へと視線を逸らしていた。しかしそんな視線が美羽へと戻ると、もうその表情はいつもの華琳のものに。

 

「それじゃあ美羽。あなたはこれから一刀に抱かれなさい」

「? もう何度も抱かれておるのじゃ」

「…………一刀?」

 

 いつもの顔が般若に変異!? そして空気が軋んだ!!

 違う誤解だ濡れ衣だ! だから般若顔で殺気はやめて!?

 

「ヒィ違う!! 抱くって意味が違う! “抱き締める”! 後ろからこうやって! ね!?」

「はぅ。な、なんじゃ……? いつものことなのに、妙にここがうるさいの……」

「うわぁごめんいきなり抱いて!」

 

 思わず抱き締めて“こういう意味ね!?”とアピールするのだが、後ろから抱き締められた美羽が斜め後ろに俺を見上げる表情に思わずババッと手を放す。

 美羽はどうして急に離されたり謝られたりしたのかわからないようで、「いつものことであろ……?」と不思議がっていた。が、顔は恥ずかしそうな表情のままだ。“ここがうるさいの”と言った通り、胸を押さえたまま。

 ア、アウゥ……! あの幼く、無邪気だった美羽が……! あんな、あんな恥ずかしそうな顔を……!

 

「………」

 

 急に娘の成長を見てしまった親の心境ってこんななんかな……。いや、親でもないし兄でもないんだけどさ。

 

「それで、主様……? 妾、主様に何をされるのかの……」

「華琳説明よろしく!!」

「えなっ!? む、無茶言うんじゃないわよ!」

 

 かつてない速度で華琳に投げたら真っ赤な顔で却下された。

 説明しろと!? 抱かれるの意味を事細かに!?

 ……ああっ……ああ、だがっ、ジョジョ……じゃなくて、じいちゃん……! 俺、言ってしまったんだ……! 決めてしまったんだ……! 誤魔化さない覚悟を……!

 

「エ、エートネ? ソノ……コ、コドモハドウヤッテデキルカ、シッテルカナー? ……えぁちょ待っ、ゲーヴェ!」

 

 脇腹にトーキックが炸裂した。覇王の貴重なトーキックである。

 思わず奇妙な悲鳴が漏れるほど、それは嫌な部分に突き刺さった。

 あまりの痛みに体がくの字に曲がる。あと変な悲鳴が出た。ゲーヴェってなんだ。

 

「あなたねっ! 言うにしたってもっと気の利いた言葉があるでしょう!?」

「ア、アオオオ……! だっ……だだだだっだだだだったら華琳がやってみろよぉっ!! ここここれでも顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったんだぞぉっ!?」

「だからなにも泣くことないでしょう!? ……まったく、いいわ。だったら軽く言ってやろうじゃないの」

 

 華琳がスッと目つきを変える。

 Sっぽい目だ。主に春蘭と桂花をいじり倒す際に見せる。

 

「美羽。あなたはこれから一刀に女にしてもらうのよ」

「? なにを言っておるのじゃお主は……。妾は生来、女性なのじゃ」

「そういう意味ではなくて。子を成す行為をする、と言っているのよ」

「……妾と曹操とで子が成せるわけがなかろ?」

「そうではなくて! だからっ! するのは一刀とあなただと言っているのよ!」

「う、うみゅ……? なにを怒っているのか知らんが、もそっと心を広く持ってみるがよいぞ? 主様のようにの。うほほほほ」

「……! ~……!」

 

 あ、あぁああ……華琳のコメカミがバルバルと躍動を……!

 あ、でももう少し怒りにくくなってくれればというのは賛成かも。

 もう何度、絶を突きつけられたかわからないもの。

 

「もういいわ一刀。早くしなさい」

 

 再び、漫画表現だったら血管が切れて血が飛び出てそうな笑顔だった。

 笑顔なのに表情がないように見えるとか、ある意味すげぇ顔でした。凄いじゃなくて、すげぇって言葉が妙に合っている。

 

「いや、でもな。やっぱりさすがに大人になった当日にってのは」

「……あなたは。本当にいちいち理由がなければ動けないのね。……いいわ、ならば正当な理由を用意してあげるわよ」

 

 はぁ、と溜め息。

 目を伏せてのソレは、苦労を滲ませるような行動ではあるものの、妙に華琳に似合っていて目を惹き付ける。もっとも、本人はこんな行為で目を惹き付けたくなどないのだろうけど。

 そんな華琳から改めて告げられた言葉に、俺は───

 

「三国の支柱への献上品を二つも飲んだのだから、罰は当然よね?」

 

 ……汗をだらだら流し、真っ青になりながら頷くしかありませんでした。

 

……。

 

 結局。

 あれからなんとか華琳を説得して、数時間の猶予を貰うことに成功した。

 なんでそこに許可が必要なんだというツッコミに関しては、俺のエゴのようなものだ。

 やっぱり大人になった途端にそういうことをするのは抵抗があって、だったらせっかくなら……生まれたばかりの恋心、乙女心とやらを育んでからのほうがいいじゃないかと思ったのだ。

 なので……本日は美羽とデートのようなものをしている。

 ……うん、まあ、ようなものというかデートなんだけどね。

 金がもうあまりないから、ようなものとつけたくなるんだよね。

 お腹が空いたらわざわざ街から城へ戻って厨房で食べて、また出てなんて面倒なことをやっているあたり、少し情けない。でもわかってください、服って高いんです。

 

「のうのう主様っ、次はあそこっ、あそこへ行くのじゃっ!」

 

 それでも美羽はご機嫌だった。

 軽く頬を染めて、笑顔で俺の腕をぐいぐいと引っ張る。

 最初こそ慣れない大人の体や歩幅に難儀していたのものの、慣れてしまえば元気なもの。俺は腕を引かれるままに小走りして、美羽が望むようなデートをした。

 行動のひとつひとつの度に赤くなったり目を潤ませる美羽はある意味で目に毒で、俺の中の子供の俺が、“我が人生に悔い無し”とか言って召されてしまいそうな瞬間ばかりに遭遇する。つまり俺も結構舞い上がっているのだ。

 だからといってそんな舞い上がりが面倒なことを引き起こすフラグになることもなく、街で散々と遊び通した俺達は川に行き、暗くなるまで今日あったことで楽しかったことを話し合って……城へと戻る。

 

「………」

「?」

 

 もはや真っ暗なくらいの夜。

 胸が苦しいから夕餉はいらないと言った美羽とともに、自室の寝台の上へと腰掛けて、見つめ合うと首を傾げられる。

 当然のことながら美羽はこれからすることなど知らないようで……ならばと、まずはわざとらしい咳払いののち、相手のことがどれだけ好きなのかを語る。

 すると美羽も負けじと俺への好意を語って…………もう俺、顔がじんじんするほど熱かった。確実に真っ赤ですすいません。手で口元を押さえて、ニヤケてしまうのを押さえる以外耐える方法が見つからない。

 しかしながら誤魔化すのはやめると決めてしまった事実を胸に、もうニヤケようがどうしようが構わないと覚悟を決めて美羽の目をじっと見つめた。

 潤む瞳が俺の目の奥を覗き込んでいる。

 胸が苦しいと訴える美羽にその意味を一から教えなければならない気恥ずかしさとも戦いつつ、やがて距離を縮めて口付けをした。

 美羽はなにがなんだかわからないという顔をしていたが、

 

「うみゅぅうう……余計にここが苦しくなったのじゃ……。曹操が言うてた痛みとは、このことなのかの……」

 

 ぽつりぽつりと呟いて、それでも目は逸らさぬままに今度は自分から俺に口付けをしてきた。

 勢い余ってガヂィッと歯がぶつかって、しばらく悶絶したのは……まあ、いつかいい思い出になるだろう。

 唇を痛めたと言う涙目の美羽にもう一度口付けをして、痛いという部分を舌で撫でる。美羽はくすぐったそうにして離れようとしたが、少し離れるとまた自分から口付けをしてきて、痛む部分を自分の舌でも舐めて、自然と舌が触れ合った。

 

「あぅ……なんだかくすぐったいの……。お、おお……?」

 

 胸の痛みからか苦しそうにしていた美羽の表情がとろんと変化する。

 唇を離して胸に手を当てる美羽は、小さく「……苦しくなくなったのじゃ」と呟いて再び俺を見つめる。その目は“やはり主様は無意味な痛みなどは与えぬのじゃのっ”と言っているようで、なんか軽い罪悪感。これって知識があることをいいことに、軽く騙していることに繋がりやしませんか華琳さん。

 そう思ったところで、華琳はもうここにはいないのだが。

 思わず苦笑が漏れてしまいそうになる俺をよそに、美羽は「きっと主様の口には万病を癒す効果があるに違いないのじゃ……!」なんてことを、信頼に満ちた目で呟いておられる……! なんだか誤解が誤解を生んでいる……あの、美羽さん? 御遣いってそんな便利なものじゃないからね? ただの人間ですからね!?

 なんて心の中で誤解を解くイメージをするのも束の間、美羽は首に飛びつくようにして俺の唇に自分の唇を押し付けると、再び舌を突き出して俺の舌を探る。

 俺はといえば……突然の美羽の大胆な行為に頭が真っ白になって停止。舌を発見され、舐められ、その感触に体が驚くのと同時に戻ってこれた。しかしながら相変わらずどうして急にって言葉は頭からは離れず……美羽に吸われるままに、キスを続けていた。

 

「ん、む、ぅっ……み、美羽っ……? ちょっ……」

 

 熱心にキスを続ける美羽。

 ……なのだが、その行為の途中であることに気づいた。

 美羽は俺の口内を舌でなぞったのち、引いた舌を自分の唇に擦り付けていたのだ。…………それってつまり?

 

(……いや……美羽さん? 万病に効かないからね? いくら痛いところに唾液を塗ったって効果なんかないからね?)

 

 理由がわかって苦笑が漏れる。漏れる中でも口は美羽に塞がれていて、軽い人工呼吸のようなカタチになった。それがくすぐったかったのか、美羽はさらに口を押し付けて、俺の口内に息をふぅーっと……ってやめて!? 肺が破裂する!

 急に体内に送られた空気に体が驚く。

 そんな行為をやめさせるために顔から離して胸に抱いた美羽は、楽しそうにくすくすと笑っていた。しかしそんなくすくすも少しすると聞こえなくなり、見下ろしてみればやはりとろんとした顔で、俺の胸にこしこしと頬を擦り付けている。……まるで猫だ。

 

「んみゅ……主様は温かいの……」

「そか? 美羽も温かいぞ」

 

 抱き締めながら、やさしい気持ちで美羽の頬を撫でる。

 その過程で頬にかかった髪を軽くどけようとした人差し指が、ぱくりと美羽に銜えられた。

 手が両手で掴まれて、指先がぺろぺろと舐められて……くすぐったい、と思った矢先にコリッと軽く噛まれる。……うん、猫だな。猫ってなんでか舐めた後に噛むよな……なんでだろ。

 

「………」

 

 指先を舐められながら、頭を撫でる。

 くすぐったそうにする美羽に、思わずやさしげな笑みが浮かぶ。

 込み上げてくるのは温かな気持ちばかり。

 その感覚をよく知る自分にとって、それは今まで受け取るべきものではなかったのだろうけど……

 

(ああ……俺は本当に、美羽のことが好き……なんだなぁ)

 

 それは魏のみんなに向ける感情と同じだった。

 つまり好きなのだろう。

 もはや子供の俺がどうとかではなく、俺自身も。

 子供の頃の感情に引っ張られたって感覚はもちろんある。

 けど、じゃあ嫌いなのかと言われれば好きなのだと胸を張れてしまう。

 ……なんだ。

 育むことが必要だったのは美羽じゃなくて、俺だったのかもしれない。

 自分が自覚する時間が欲しくて、時間稼ぎをしていただけなのか。

 理解してみればなんとも恥ずかしい。

 素直に好意を向けてくれる、中身は少女な彼女に、なんてもったいぶった行動をしてやがるのか、自称大人な俺は。

 

「………」

 

 思考の海に沈んでいた頭を持ち上げて、胸をノック。

 美羽をきちんと女性として受け入れる覚悟を決めて、俺の人差し指をちうちうと吸っている美羽を抱き起こして……その口に自分の口をやさしく押し付けた。

 好きになる努力、支柱になる努力。

 言葉はいろいろと並べた。

 じゃあ好きになったらどうするんだと訊かれれば……きっとまた悩むに違いない。

 好きになったからってすぐに抱いていいってことには繋がらない。

 ならやっぱり、また育もうとするのだろう。育む努力をして、相手も自分を求めてくれるのなら、その時こそ止まらない。

 相手がそういった行為を知らない場合はどう求められればいいんでしょうと、自分で自問をしてみるが……

 

「そ、その……主様? 妾たち、これから……子を成す行為をするのであろ……?」

 

 既に孟徳さんによって敷かれた計により、なんというか俺はもう、いろいろと受け入れなければいけないようだった。

 俺から少し離れて真っ直ぐに俺を見つめて言う美羽からは、わがままばかりだった少女の雰囲気など感じない。そんな綺麗な瞳のままに、美羽は俺の目を見て笑うのだ。

 

「大丈夫なのじゃ。妾や主様もそうして産まれたのならば、妾はその行為に感謝しかないでの。そ、その……少々怖いのじゃが、きちんと我慢出来るの……じゃ?」

 

 ……いろいろとごちゃ混ぜな眼差しではあったが。

 不安を見せたり首を傾げたりおろおろしたり、やはり行為自体は知らないようだ。けれどその手は“離すものか”と俺の手をぎゅっと握り、目は俺の瞳の奥を捉えて離さない。

 そこまでの覚悟を相手に見せられては、引くほうがひどいだろう。

 じゃあ、と。

 俺はもう一度美羽にキスをすると、彼女を引き寄せ、後ろから抱き締めた。

 大人になったといっても、やはり腕には納まる大きさ。

 そんな彼女をぽすんと抱き締めた俺は、肩越しにもう一度彼女にキスをする。

 互いに唾液を交換しながら、時につつくように、時に深く。

 そうしながらゆっくりと体に手を這わせ、くすぐったがる美羽をゆっくりと、時間をかけて愛した。



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99:IF/愛を育む人(再)③

 

 朝である。

 朝日が窓から部屋へと降りて、薄暗い部屋に光の斜線を作っている。

 そんな光を寝転がった状態のままにぼーっと見つめ、そののちに自分の胸の上ですいよすいよと眠っている美羽を見た。

 

「………」

 

 ああ、ああいや、うん。わかってる。北郷わかってるよ。

 なんかヘンな言い回しだけど、ちょっと軽くヘコんでる。

 我慢がよくないと言ったことに嘘偽りはなかった。

 人を抱くのなら、持ち得る限りの愛を以ってと精一杯愛した。

 それはもう深い愛だったと自覚出来る。

 痛がろうと我慢する姿に胸が締め付けられて、愛が余計に湧き出したのも覚えてる。いや、まあ行為の全てを覚えているわけですが。

 ただ思い返されるのは七乃の言葉。

 美羽は意外なことに初めてではなかった。

 いつか七乃が、蜀での顔合わせの時に“男性の方でしか知り得ないことも”だの“実際の殿方によって涙を散らす瞬間”だのと言っていたが……あれってつまり? つまり、七乃は───

 

(漢…………だったのか───)

 

 大変な事実を知ってしまった……!!

 いや、いやー……いや、ねぇ? ハ、ハハハハ? さすがにそれはない…………ないよね? でも美羽も、行為の最中に“七乃とした発声練習に似ておるの……”とか言ってたし。……は、発声練習? この時代の人は発声練習で初めてを散らせるのか? と本気で信じかけた。

 ……七乃が帰ってきたら、いろいろと訊かないとなぁ。

 

(………)

 

 胸の上で眠る美羽の頭を撫でて、苦笑。

 そして何かを忘れていることを……思考の途中で思い出した。

 

 

  いつかお嬢さまにも色を知る歳が来るんでしょうね……たとえば目の前の、悔しいけど顔だけはいい男性にいいように扱われて……扱われて……っ……その時は是非とも私も混ぜてくださいね?

  お嬢さまが実際の殿方によって涙を散らす瞬間……それを見なければ、私としましては一生悔いが残りますので。お嬢さまの全てを知ってこその側近。お嬢さまの無茶振りの全てを受け止め、やさしく包みつつ、時にはからかって涙に滲むその可愛らしいお顔を愛でる……それが、この張勲の至高の喜び……! ああもうっ、お嬢さまったら可愛すぎますっ!

 

 

「………」

 

 …………わあ。

 七乃、居ないや。

 

「……はぁあ~……ぁあ」

 

 溜め息を吐きつつ、やっぱり美羽の頭を撫でる。ずっと乗っかられてた所為で痺れて動かしづらい腕をギゴゴギギギ……と動かした。ああっ! 痺れてるっ! 思いっきり痺れてる! しかもこの調子だともう少し時間が経つと痺れが本格的にやってきそうで怖い!

 でも、撫でるとくすぐったそうにむにゅむにゅと口を動かす美羽を見ると、自分も思わず笑ってしまう。むにゅむにゅ動いた口が何を言っているのかはわからないが。

 そんな幸せそうな顔を見て、抱いたことに後悔はあるかと自問してみても、悔いなんてものは浮かんでこなかった。

 ……ようやく、そういった“立場”や“感情”を受け入れられたんだろうか。立場だけで抱くのではなく、ちゃんと好きだから抱きたいと思える瞬間を。

 というか、こんなに幸せそうなのに悔いがあるって言ったら最低すぎるだろ。

 

「うみゅぅう……」

 

 美羽がもぞりと動く。

 と同時に、下半身に走る心地良さ。

 …………いや、うん、行為自体に悔いはないだろうけど……抜かずに力尽きるまで、というのはいささかどうかと思った。

 “これが子を成すための行為じゃったのか……!”と驚いていた美羽だったが、“ならば初めてのおのこは主様ということじゃの!”と嬉しそうに言った美羽。

 どうやら初めての相手(おそらく七乃)とは太さが違ったようで、とても痛そうにしていたが……抜こうとしたら捕まり、逆に押し倒され、この姿勢のままに何度も行為を……!

 なんでも初めての相手(おそらく七乃)とは一度どころか二度でも終わらなかったようで、“それを越すほどやらなければ嫌なのじゃ!”と涙目で言われてしまい……でも苦しいなら一度抜こう、と提案をしてみれば、“抜いたら初めてではなくなるであろ!?”と何故だか逆に熱い説得を受けるはめになり…………こんなことになってしまった。

 初めてって、そういう問題なのだろうか。

 やっぱり俺には、まだまだ乙女心は難解なのかもしれない。

 

「ん……ん、みゅ……?」

 

 はふぅと苦笑とともに溜め息を吐くと、それが髪でもくすぐったのか、美羽がうっすらと目を開ける。

 寝惚けた調子の瞳が俺の視線と合うと、美羽は幸せそうな顔でふにゃりと微笑み、「おはようなのじゃ、主様」と言った。

 ……なんか、軽く幸せ。

 それから美羽が体を身じろぎした拍子に、まだ自分の中に俺のモノが入っていることを思い出すと、真っ赤になりつつも俺にくちづけをして、ぽやりととろけた表情のままに体を動かしだして───って美羽さん!? さすがに朝からはちょ───って! 人! 人の気配! 来る! ちょ、美羽待った! 待って待って待───

 

「お嬢様ぁっ! 朝ですよっ! お嬢様の七乃がっ、今帰ルヴォァアアーッ!?」

「キャーッ!?」

 

 ───朝から強烈な刺激に身を弾かせたまさにその時、自室の扉を物凄い勢いで開け放った誰かが絶叫。誰かというか七乃でした。

 いつもの怪しいニコニコ笑顔で美羽を起こすつもりだったらしい彼女はしかし、俺が買ってあげた服を淫らに着崩して俺と繋がっている現場を発見、そして絶叫。

 というか大人になった状態など気にもせずに口をぱくぱくと開けては閉じて───……そそくさと外へ出ると、扉をパタムと閉じた。

 

「………」

 

 ……多分、大人になった美羽を見た俺も、傍から見ればあんな感じだったのだろう。

 なんかルヴォァアアって叫んでたし。

 ……ていうか美羽が気づいてない。

 視界も聴覚も俺にしか向けていないようで、なのに俺がキャーと叫んでも特に気にした様子もなく、うわ言のように主様……主様ぁと漏らして俺にキスを……ってちょっと待ったほんとに待った! 今はこんなことをしている場合じゃないんだってば!

 そ、そうだよ失念してた! 出かけた人は帰ってくるのが当然であって、あの七乃が遠出をして帰ってくるなら一番に会いたいのは美羽なわけで! なのにその美羽が大人になってて俺とこんなことをしていれば叫ぶのも当然で………………や、叫ぶ要因はこの行為だけで十分だけどさ。

 ああっ! 寝起きのまったりとした、やさしさに溢れた時間が裸足で逃げていく! さっきまで感じていた幸せが七乃の絶叫で埋め尽くされてゆく! ……なんて思ってたらなんか普通に扉を開けて戻ってくる七乃さん。

 ピンッと指を立てて、元気に「はいっ♪」なんて仰ってる。

 

「曹操さんに確認を取ってきました。いやいやまさかお嬢様が大人になるだなんてっ! しかも大人になった上に大人の階段を上ってしまうなんてっ! お嬢様ったら逞しすぎますっ!」

「………」

 

 七乃は絶好調で七乃だった。

 しかもにっこり笑顔で服を脱ぎ始め───脱ぎゃあああああっ!?

 

「いやちょっ、七乃さん!? なんで!?」

「なんで、って……いやですねー一刀さん。蜀での顔合わせの時に言ったじゃないですかー♪ お嬢様の殿方での初めてを散らしたのちには、私もと」

「───」

 

 血の気が引いた! なのに下は元気ですごめんなさい!

 

「えっ、やっ、あのっ……あれは、冗談だったんじゃ……!」

「まあ当時は。ですが自分が認めた殿方ならばとは、きっとこの世ならば誰もが思いますよ? 子を成すための行為ならば、誰とも知らぬ種馬よりも認めた相手です、はいっ」

 

 立てた人差し指をくるくると回し、既に上半身裸な七乃が迫って───って待ったちょっと待った! さすがにこれは抵抗するぞ!? 大体俺は七乃のことは……っ……うう、嫌いじゃないし、もう大切な仲間ではあるんだけど。

 って考えを纏めようとしてるんだから触ってこないで!? 美羽もやめて!? いい加減動き止めて!? こっちはずっと美羽に乗っかられて寝てた所為か、体が痺れて動けないんだから!

 あ、ああっ、腕が重い! 腕を枕にして寝た時みたいに反応が鈍すぎる! ───ハッ! だったら氣で動かせば……ってこの状況でどうやって集中しろと!?

 とかやってる間に七乃に唇を塞がれ、舌を捻り込まれ───い、いやぁあああああああぁぁぁぁぁー…………───っ!!

 

……。

 

 …………こーん……。

 

「………」

 

 ……いたしてしまいました。

 ようやく痺れから解放されてみれば、自分の両脇で幸せそうに眠る二人。言ってしまえば寝てるのは美羽だけで、七乃はくすくすと笑っている。

 

「女性を抱いたのに頭を抱えようとするのはどうかと思いますよ?」

「抱いたというか抱かれた、だろ……この場合」

 

 痺れて動けないのをいいことに、アレやコレやだったんだから。

 

「まあこれで私も罰を受けたということで。惚れ薬を勝手に使用しようとしたことは目を瞑ってくださいね?」

「……まさか、それが理由?」

「一端ではありますけど、それが全てではありませんよー? 言ったじゃないですか、認めた相手ならばと」

 

 言いながら、七乃は俺の体を跨いで美羽の傍へ。

 そこですいよすいよと眠る美羽の成長した姿にウルリと目を潤ませ……何故か、美羽の胸の先を口に含んだ。

 

「なにしてはりますの!?」

 

 思わずツッコミを入れたんだが、七乃は「いえいえ、いつかの仕返しですよー」と笑うだけ。

 いつかの仕返しってなんだろうと思いつつ、なんでか思い出したのは俺の胸に吸い付いた美羽の姿だった。

 ……あー、もしかして七乃もやられたのかな。…………やられたんだろうなぁ。

 

「ああっ、お嬢様が成長なされた姿がこんなに美しくも可愛いらしいなんてっ! しかもすっかり恋する乙女の顔が出来るようになって……!」

「……うん、とりあえず胸をしゃぶりながらお嬢の成長に感動する人って初めて見た」

「世界初ですねっ!」

「嬉しいの!?」

 

 なんだかいろいろ間違っている筈なのに、相手が七乃じゃツッコミきれない自分が居た。頭は回るくせに自由奔放って、まるでどこかの元呉王さまじゃないか。……いや、あっちは頭じゃなくて勘で動くだけか。

 思考でも身体的にもどっと疲れた俺は、寝台に体を投げ出したまま長く長く息を吐いた。その隣では未だに七乃がねちっこく美羽の胸を舐め、吸い、転がし、なんだか美羽の口からくぐもった声が出たあたりで、おちおち溜め息もついていられない状況に哀しくなった。

 

「ていうかさ、いつまでやってるんだよ……」

「え? それはもちろん、お嬢様が私と同じことになるまでっ」

「………………ちなみに、同じことって?」

「いやですねー一刀さんたら。それを言わせるんですか?」

「今すぐやめなさいっ!!」

 

 飛び起き、七乃から美羽をひったくり、抱き寄せる。

 七乃は特に気にしたふうでもなくくすくすと笑い、はぁと溜め息を吐く俺を見上げてにっこり。

 

「さて。これで罰する相手は残り一人になりましたね」

「へ? 罰する……なに?」

「え? ですから、罰する相手ですよぅ。曹操さんもお嬢様も私も献上品を勝手に使用したことで罰せられて、男を知ったわけですからね。まあ曹操さんは知っていたわけですが。ですけどほらっ、まだ罰せられていない人が一人っ」

「………」

 

 ……誰? 思春か?

 確かに惚れ薬を飲んだけど、あれは俺が飲ませたからで……って、マテ。あの日俺が自室に戻った時。思春を連れて逃げ出す前、美羽は誰と好きだ好きだと言い合ってらっしゃいましたっけ?

 

「わからないようでしたら今すぐに呼んできま───」

「やめて!?」

 

 既に思い当たってしまっていた俺は即座に止める。

 いそいそと着衣を身につけてゆく七乃はやっぱりにっこり笑顔で、一度扉を見つめると……にっこり笑顔のままでさらに目を輝かせ、そんな表情を俺に向けてきた。

 え? なに? と俺が言おうとしたその時。

 

「一刀~、起きとる~? 報告終わったから来たでー♪ お土産あるから開けてくれへんー?」

 

 扉の先から、よく知る声。

 輝く笑顔の意味がわかった時、俺もまた輝く笑顔で……スウウと涙した。




 ……地和は力を溜めている。


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100:IF/なかなか平和続きとはいかない日常①

151/151を憩いと読みたいけど内容までは上手くはいかない。そんな辛さを時に語りたくなる僕らの人生。

 

 お菓子だった。

 流琉のクッキーが各国に広まりつつある昨今、果物の果汁を使って作ったお菓子が、霞の言うお土産だった。

 さくりと食べてみれば口内にお菓子独特の食感と味、そして主張しすぎない程度の果汁の風味が溶け出し、なんだか懐かしい気持ちになる。天でもあるような味なのだ。

 どうやって作ったのかといえば……ドラム缶風呂の要領で、使わなくなった中華鍋などを叩き、小さな窯のような形に形成。それを、火力は少ないが焚き火で炙ってクッキーを焼く……と、そんな感じらしい。

 どうせ使わなくなったものだからと、捨てるよりは再利用をという考えまで広まったようだ。ドラム缶風呂からそこまで広がる事実に、なにがきっかけで人がどう動くのかなんてわからないもんだなぁと素直に感心した。

 とは言ってもやっぱり手探りは手探りらしく、作った窯もどきでは焼け具合が激しくバラつくようで、丁度いいのもあればカーボンのように炭化するものもあるんだとか。

 

「へぇえ……! 美味しいなぁ、これ」

「せやろー? ウチも一発で気に入って、これなら一刀喜ぶやろなー思て分けてもらってきてん」

「で、笑顔で中に入ってみたら事後だったとっ」

「その通りだけど少し空気読もうね七乃さん!!」

 

 さて、霞が戻ってきた現在。

 場所はそのまま自室で、着崩れしていた美羽の衣服は正した状態で寝かせてあり、俺と霞と七乃がそれぞれ円卓の椅子に腰掛けて向かい合っている。

 俺が止めようとする間もなくバーンと扉を開けてしまった七乃によって、強制的に事後現場を目撃した霞だったが……特に珍しい反応をするでもなく、猫耳でも頭に生やしたかのようなきゃらんとした顔で寝台の上で慌てる俺を見ていた。

 で、そのまま中に入ってきてお土産を広げては、笑いながらこうして話をすることになったんだが……

 

「やー、華琳から聞いとったけど、一刀、ちゃんと手ぇ出せるようになったんやな」

「霞。その言い方はいろいろと不能的な疑いをかけられてそうな気分になるんだけど」

「帰ってきてから今まで、可愛い女に囲まれとるっちゅうのにてんで手ぇ出さんかったんやもん、疑いたくもなるってもんとちゃう?」

「いや……まあ……こっちだっていろいろと我慢してて大変だったんだぞ?」

「やったらすぐに手ぇ出してまえばええのに」

「いろいろと事情があってねー……」

 

 遠い目をして何処とも取れぬ場所を見つめた。壁があるだけだった。

 

「ほんでほんでっ? 一刀もうそういうこと出来るようになったんやったら、」

「ごめんなさい勘弁してください」

「えぇー!? なんでー!? ウチ今まで散々我慢しててん、ご褒美くれてもええやろー!?」

 

 尻尾を振る犬のように笑顔で寄ってきた霞に両手を挙げて降参宣言。当然霞は納得いかないと、挙げた俺の腕を下ろしてまで抱きついてくるのだが……

 

「確かに支柱としての行動にそれは含まれるんだろうし、俺も霞とはそういうことをしたいとも思うけどさ。……そればっかりに溺れて、自分の立場を忘れたくないんだ。あ、“だからその立場が行為をすることだろ”って言葉は勘弁してほしい。霞のことは好きだし大切な人だと思ってるけど、それと支柱の仕事とはやっぱり別にしたいんだ」

「う、うー……難しいことはわかられへんけど……」

「好きな人を代わる代わる抱くだけが御遣いと支柱の仕事じゃないって言いたいんだって。“求められたら抱く”って自分から離れたいんだ」

「というかですね、一刀さん。本当に求められるだけ抱いていたら、民からの信頼がひどいことになりますよ? 最悪支柱の地位を剥奪、別のものへ置き換えることにもなりかねません。同盟の証ならば、一刀さんじゃなくても三国で大事に思える置物でもいいんですから」

「そうだとしても置物が代わりなのは勘弁してほしいな……」

 

 俺の代わりに置物……なんでか、あるわけもないのに信楽焼きが頭に浮かんだ。なんでだろ。……ともかく、それらを三国の宝にする各国の王たち…………路地裏で一人寂しくT-SUWARIをする俺。そんな映像が頭の中で上映された。

 

「お、俺っ! 仕事しっかりやるよ!」

「はいっ♪ では早速各地の邑などでの問題点を纏めたものをこちらに」

「えっ…………い、今から?」

 

 さすがに遅くまでアレだった上に、さっきまで美羽と七乃とアレだったから疲れてるんだけど。

 なんて弱音が出そうになった時、七乃がにこりと笑って「来年にはこの部屋には置物が置かれているんでしょうねぇ」なんてことを仰ってああああもう!!

 

「やる! やります! だから置物はやめて!?」

「はーいっ頑張ってくださいねー、この食べ物は私とお嬢様が責任をもっていただいてますから」

「ひどい! なんてひどい!」

 

 でもやる。

 頭の中をリラックスモードから仕事モードに切り替えるように頬を叩いて、円卓の隣の仕事机へ移動。霞はといえば、椅子に座るなり早速仕事を始めてしまった俺を、口を少し尖らせながら見つめていた。

 んー……

 

「霞」

「!」

 

 苦笑を噛み締めつつ名前を呼んでみると、また猫の耳でも現れたかのような笑顔をもらす霞。その様子は猫っぽいのに、俺を見つめる姿は尻尾を振る犬っぽかった。

 そんな彼女に軽く椅子を引いて、さあさと膝をぽむぽむと叩くと……“エ?”とばかりに首を傾げられた。

 

……。

 

 視察などの仕事や状況報告などを簡単に纏めるには何が一番必要か。

 それはもちろん自分の目で見て知ることなんだろうが、それが出来なかった場合は見てきた人に細かく聞くことだと思う。

 そういったことを書類に纏めるのが上手い人が居るのなら、その人が纏めたものを提出するだけで十分だとも思うものの、提出される側が俺の場合は、それを自分で纏めなければいけない。

 なのでこの中で状況を知る霞を足の間に座らせると、そのまま書類整理を開始。

 

「~♪」

 

 口を尖らせていた誰かさんはとっくに上機嫌だ。

 説明の部分では随分と唸ってはいたものの、そこは七乃がフォローすることで詰まることもそうそうなく作業は進む。

 

「うぇ~……一刀はいっつもこんな仕事やってたん? 文字ばっかで目ぇ回る~……」

 

 言いつつも語調は楽しげだ。

 そんな霞の肩越しに見る竹簡には、渡された書類に書かれたものを今後のことに役立つ案とともに書き連ねた文字がある。というか今も連ねている。

 報告だけ受け取ってはい了承了承じゃあ、民の声も、それを外から見た人の意見も見えてこない。

 だからきちんと目を通して、時間があるなら自分でも視察しなきゃいけない。

 

「あ、そういえばなー一刀ー。なんや視察行ってる中ずっとな? 甘寧ちんが変やったんやけど、一刀知っとるー?」

「いや、急に言われてもな……べつに普通だった……気がするぞ?(惚れ薬のことを置いておけば)」

「なんや一刀の名前が出るたびにぴくりぴくり肩が動いてなー? 気になることでもあるんかーって聞いたら“なにもない”の一点張り。なー? これへんやろー?」

「……あんまりつつかないように頼むな。思春がなにもないって言ったらなにもないんだろうから。つつきすぎると俺にいろいろとばっちりが来るかもだから」

「それを受け止めてこその男やん」

「刃物突きつける人を受け止めたくないよ!? 首飛んじゃうよ俺!」

 

 話しながらも続ける。

 一人一人の物事の見方なんてものは違うんだから、こればっかりは頭と足で知らなきゃいけないものだ。

 で、知ったら知ったで書き連ねた予定書類と照らし合わせて、何が最善かを考えて、それを行なったらその先でどうなるのかも考えて、それを軍師に話してみて、反応が良好だったら落款。

 軍師に訊いてばっかなのはどうかと言う人も居るだろうし、俺もそう思うのだが……困ったことに、それが軍師の仕事なのだ。相談されなかったらなんのための軍師かわかったもんじゃない。むしろ相談しなかったら怒られることさえあるのだ……少し理不尽を感じないでもない。

 

「……ん、よしっ、と。あとは……七乃、確認してもらっていいか?」

「珍しいですね、私に確認を頼むなんて」

「それが、華琳に間違いを指摘されてねー……少し不安だから一応」

 

 自信が溢れているときこそ怖いものだ。

 なのでハイと渡した竹簡を、七乃が確認してゆく。

 

「銘菓、ですか?」

「うん。せっかくあんなお菓子が作れるなら、いっそもっと大々的に取り上げてみたらどうかなって。この邑ではこの果実がよく採れるみたいだし、作ったものをその邑の名物にするんだ」

「うーん、街ならともかく邑ではどうでしょうねぇ……作るのはそれは構わないかもしれないですけど、邑で限定的に売るとなると買い手が邑の人しか居ませんよー?」

「そんな時こそ片春屠くん! 作ってもらったお菓子は俺が受け取って、街で売ってみるのはどうだ? 味が良ければ知られていくだろうし、行商に話がいけば仕入れてくれるかもしれない。……問題は保存料なわけだが」

 

 行商が街から街、邑から街など移動する中、果たしてその菓子が味を保っていられるかが問題だ。

 

「お手製の窯の焼き具合も考えなければいけませんからねー……これは趣味として置いておくのが一番だと思いますよ? なんでしたら作った分を纏めて都で買って、ここで売るという方法もありますけど。もちろん売れなければ都の赤字は確定ですが」

「うぐっ……そうなんだよな」

 

 それはもちろん考えたんだが。

 現物だけ貰って都で売って、売れた金を邑まで届ける……じゃあ、ちょっと効率が悪いし邑の人のやる気にはあまり繋がりそうにもない。

 なにせ自分らで食べようと作ったものなのだから、売れた分だけの金を貰って、売れなかったら捨ててしまう、もしくは冷めたそれを食べる、では作ったほうががっくりする。

 それなら最初から買ってしまい、こちらで売れば……と。仕入れと販売だな、ようするに。

 

「むぅ、いい案だと思ったんだけどな。気持ちが先走って失敗するケースか。もっと感情を制御できるようになったほうがいいなぁ」

 

 誰かが喜んでくれるんじゃ、とか思うとすぐにそれをしたくなって、考えが最後まで至らないのは困った癖だと思う。それを止めてくれる人が居るっていうのは幸せなことだ。

 俺がこんな調子なら、自他ともに認められるほど似ていると思う桃香は…………もっとすごいんだろうなぁ。想像できるのが少し悲しい。

 




 マア! 100話ですョ100話!
 ……え? 既に280話越えてる? いやいやこれ100話だから。これ以上ないってくらい超100話してますすからこれ言っときますけど。
 などと無駄に100話を喜んでみますが……これを無事に終えたとして、天地空間を修正、UPとなるといったい何話になるのやら。
 エート、変わらぬノリで約1000話近く書いたから───……のんびり行こう。
 そういえばハーメルンって、ひと作品を何話まで投稿できるんでしょうね。限界とかあるんでしょうかとふと思いました。
 はい、無駄話をしちゃいましたね。では続きをどうぞです。

 あ……ちなみに昨日、改めてとある番組でカカオポリフェノールが高いチョコは体にいいという情報を得て、家族の買い物に合わせて車を走らせ、カカオ95%チョコを買いに行ったんですよ。
 そしてお目当てのチョコをゲットして、会計に通す時、なんでかあたたかな視線。
 ワッツ? と思いつつ会計を済ませてレジを通り過ぎた時……スーパーにさ、ほら、籠から袋に詰めるための台がある場所、あるじゃないですか。
 そこに重ねられたチラシがありまして。それが目に入った途端、女性レジスターの暖かな視線の意味に気づきました。
 バレンタァアーーーッ!! な、なんたること! “バレンタインデーに男がチョコを買う”をやってしまった!!
 ええその……とっても恥ずかしい思いをしてしまいましてね? いや男子高校生でもあるまいにとか思ったりはしたんですよ? でもこの感覚って歳がどうこうじゃなくて、男だからなんだなぁとか地味に痛感しちゃいまして。
 たとえばほら、「あっはは漫画みたいなことやってら、普通ねーよ」なんて気取ってたら正月に餅を喉に詰まらせて、ヨシタケ……ヨシタケェェェェ!! と友人に助けを求めてしまう方向の種類といいますか新年早々の恥の上乗りとかそんな切なさと寂しさと心細さと。

 なのでそんな恥ずかしさをチョコレート効果の苦味で忘れました。おお苦い。
 


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100:IF/なかなか平和続きとはいかない日常②

-_-/その頃の桃香さん

 

「はぁああっぷしゅっ!!」

「ふわっ!? ……と、桃香さま? どうかしましたか、急にくしゃみなど───まさか風邪!?」

「へっ!? あ、そんなんじゃないよ、大丈夫大丈夫っ、ちょっとむずっときただけだから」

 

 蜀の城下の一角で、愛紗ちゃんと一緒に人の波を見ては笑む。

 都が出来てからというもの、商人さんが来るたびにわくわくしている自分が居る。

 今日はどんな商人さんが居るのかなーとやってきたそこで、急にくしゃみをしてしまった私を慌てて心配する愛紗ちゃん……心配性だと思う。それもすっごく。

 慌てて心配って、ちょっと言い方が変かな。でも愛紗ちゃんはいっつもこんな感じだ。

 

「えへへー、この前の商人さんが持ってきた絡繰、面白かったねー」

「天の御遣いが作った絡繰だー、などと言って売ろうとしていたあれですか。都が出来てからというもの、“天の御遣い”の名を売り文句にする商人が増えましたからね。あれも真実かどうか怪しいものです」

「でもでも、見たこともないものだったよ? 大きな(かめ)みたいなのに入ったおじさんに剣を刺していって、刺しちゃいけないところに刺すと飛び出る~って」

「……桃香さま。その言い方ではおじさんだけ滅多刺しです」

「あれ?」

 

 ? 甕に入ったおじさんを刺して……あ。

 お、おじさんが入った甕を刺すんだったね、あは、あはは……。

 

「え、えと。あの甕、“たる”とか言ったっけ」

「はい。絡繰の名前は“黒髭危機一髪”といいましたか。どういう原理で毎回刺してはいけない場所が変わるのかはわかりませんが……なるほど、ああいうものを作れるのなら、一刀殿が考えたというのも頷ける気がします」

「だよねだよねっ、だから今日もきっといいものが───あ」

「? 桃香さま? どうされました?」

 

 人があまり寄り付かない場所に、一人の商人さん。

 なんだかとっても元気がなくて、しょんぼりと座り込んでいる。

 話しかけてみると、商品がちっとも売れなくて困っているんだとか。

 

「これが売れなきゃ、家で待ってる子供達に食わせてやれなくて───」

「愛紗ちゃん、買ってあげよっ!」

「なりませんっ!!」

 

 即答だった。

 

「……桃香さま? 先日もそう言って無駄に買い、買ったものをどうしたものかと持て余していたのをお忘れですか?」

「えぅっ……で、でもあれは、きちんと街の子供さんたちに……」

「ええ、寄付なされていましたね。買ったものを、どうぞと」

「うー……」

「国庫は無限ではありません。その王たる桃香さまがそんな無駄遣いばかりをしてどうしますかっ! 大体桃香さまはやさしすぎるのです。桃香さまがこうして買おうとして使う金も、こうして街がそれぞれの需要と供給で支え合って届くものであり───!」

「あ、ああああ、あーの、愛紗ちゃん、愛紗ちゃんっ? そのっ、せめて商人さんの前で説教は……!」

「なりませんっ! 今日という今日は桃香さまのその、手を差し伸べすぎなところを───!」

「はぅうっ……」

 

 お説教が続く。

 商人さんはぽかんとしていて、私が王だと知るとなんだか横を向いてふるふると震え始めて……あぅう、絶対に笑われてる……!

 でも売れないと食べられないのは可哀想だよね。

 ……そうだっ、きちんと役に立つものを買えばいいんだ。

 どうしてこの人のところにだけお客さんが来ないのかは解らないけど、何を売っているのかを見れば───……

 

「………」

「桃香さまっ! お話はまだ───……桃香さま?」

 

 私の視線に気づいたのか、愛紗ちゃんもちらりと商人さんが広げる商品に目を向ける。

 そこには……なんだか言葉には出来ない怪しげなものがごろりごろりと転がっていた。

 

「……店主。これはいったいなんだ?」

「へ? あ、ああっ、これは俺っちが作らせていただいたもので、食べ物に見立てた置物でさ! これを気に入らない相手の家にそっと置いて、噛んだ瞬間にざまあみろと───」

『………』

「……だ、だめでやすかね?」

 

 買おうと思っていた気持ちが、ぴうと走り去ってしまった。

 さすがにそんなひどいことは出来ない。

 もしやるとしても、ざまあみろなんてことじゃなくてもっと楽しいのがいいと思う。

 うーん、こんな時お兄さんならどうするのかな。

 

「……店主。さすがにこれは誰も買わないと思うぞ」

「うっ……いえ、俺っちもうすうす感じてはいたんでやすがね……。きっと乱世の頃ならもっと気軽に……っとと、言っていいことではありゃせんでしたね、申し訳ねぇです」

「……いや。売れなければ食うに困るという点では思ってしまうのも仕方が無い」

 

 目を伏せて、やれやれって感じで言う愛紗ちゃん。

 でも、乱世の頃にしか売れないのなんて出来れば人を傷つける道具だけであってほしい。だから……これは人を馬鹿にしちゃうようなものじゃなくて、楽しむものであるべきだ。

 

「あの、店主さん。これ買います」

「───……へい、やっぱそうでやすよね。こんなものを買うわけが───へぇっ!?」

「なっ、桃香さまっ!? 正気ですか!?」

 

 ……あれ? 今愛紗ちゃんに正気を疑われた?

 あっと、それより説明説明。きちんと話さないと愛紗ちゃん、頷いてくれないだろうし。

 

「えと、ほら。愛紗ちゃんこの間言ってたでしょ? 鈴々ちゃんがなんでも食べちゃって困ってるって。“言っても聞かないのから何か仕置きが出来ればいいのですが”~って」

「それは……まあ、言いましたが。……まさか桃香さま? これで?」

「うんっ、ちょっといたずらしちゃおうかな~って。えへへ? べつにこのあいだ、あとで食べようと思ってた桃を勝手に食べられちゃって怒ってるわけじゃないよ?」

「桃香さま。その……言ってしまっている時点で語るに落ちている気が」

 

 愛紗ちゃんはそんなことを言っているけど、その時に一番怒ったのは愛紗ちゃんだった。その時に“言っても聞かないのから何か仕置きが出来ればいいのですが”と言っていた。

 私も落ち込みはした。その時は食べられちゃったなら仕方ないかなとは思ったけど……売りに出してたおばさんが自信たっぷりに“いい出来なんですよ、是非食べてみてください”って言ってたのを思い出すと、やっぱり鈴々ちゃんのすぐに食べ物に手を伸ばしちゃう癖はなんとかしたほうがいいと思うんだ。

 恋ちゃんはきちんと訊いてくるのに。

 なのでこれだ。無断で食べるのがどれだけいけないことなのか、わかってもらうのだ。

 

「あ、の……買って、くださるんですかい?」

「うんっ、これとこれと……あとこれもっ」

 

 本物にそっくりのものを見繕って、詰めてもらう。

 ……うわー、見れば見るほどそっくりだ。

 

「時に店主。これはいったいどうやって作ったんだ?」

「結構前に、呉で御遣い様と話す機会がありやして。わざわざ邑や街ひとつひとつに立ち寄って、落ち込んでばかりだった俺っちらにいろいろと教えてくださったんでさ。いや、あの方は話しやすくていいですね。飾った感じがしないで、むしろこう……目線を合わせるっつーんですかい? 御遣いなんて偉い方なのに、俺っちらの目線でものを見るのが上手いってぇ言いやすか。はは」

 

 店主さんはほっぺたを掻きながらそんなことを言う。

 へええ……お兄さん、呉ではそんなことしてたんだ。

 一応話には聞いてたけど、細かなことまでは知らなかった。

 

「まあともかく、その時に食べ物の置物という話を聞いたんでやすよ。天には本物そっくりの偽物の食べ物がある~とか。で、なんていいやすか、実物を見たくなっちまいまして。無い知識絞っていろいろやって、出来たのがこれでさ。重さも考えなけりゃいけねぇってことで、これもまた苦労したんですがね」

 

 お兄さんは石を削ったものとか粘土を固めたものとかで例を出していたみたい。本来は蝋で作るそうだけど、蝋なんて簡単に用意できない。

 店主さんはそういうのを試してみて、ようやく出来て一息ついたものの、出来てみればあまり使い道のない置物が完成しただけだったってがっくりしちゃったみたい。

 でも自分は商人なんだから、もしかしたら誰かが買ってくれるかもって、こうして売りにきたらしい。

 

「いやしかし、頑張ってみるもんですねぇ。まさか買ってくださる方が居るとは」

「うんうん、これも需要と供給だね」

「……やれやれ。これで鈴々の癖も直ってくれるとよいのですが」

 

 詰めてもらった置物に対しての代金を支払って、愛紗ちゃんと一緒に歩く。

 店主さんは私たちが見えなくなるまで「ありがとう! ありがとうごぜぇやす!」と手を振っていた。なんかちょこっとだけいいことをした気分。でもこんなことを続けてたらまた愛紗ちゃんに怒られるね。……衝動的にものを買うのはやめてくださいって言われてるし。

 

「なんだか、面白いねー。これだけ離れてるのに、何かがあるとすぐにお兄さんの話題が上がるなんて」

「それだけ天の知識は目立つということでしょう。時に危うさを感じないでもありませんが」

「危うかったらみんなで助け合えばいいんだよ。この平和が続きますようにって、私たちが目指してる“これからの天下”はそこにあるんだから」

「……はい。この関雲長、これからも桃香さまの槍となり盾となり───」

「もーっ、そういう堅苦しいのはいいってばっ」

 

 厳しい道を歩いてきて、たくさんのことを知ってもまだ……それは辛さとそれに立ち向かう方法ばかりで、私たちはまだまだ世界の楽しみ方というのを知らないでいる。

 小さなことからでもいいからそういうものを拾ってみた先に、平和っていうのはあるんだと思う。せめて子供が笑っていられる時代を築こうとすればするほど、壁っていうものはたくさん見つかるわけだけど……そんな壁の厚さを忘れさせてくれるのも、案外子供の笑顔だったりした。

 

「~♪」

 

 愛紗ちゃんと城下の賑わいの中を歩く。

 ……私は、今のこの空の下が好きだ。

 華琳さんと衝突した時にいろいろ言ってしまったことを思い出すけど、現実として訪れた華琳さんの覇道の先にはあの時の私では想像も出来ないくらいの笑顔があった。

 これが華琳さんが唱えていた力の先にあるものなら、私はやっぱりもっと世界の広さというものを知っておくべきだったんだろうなって後悔する時がある。

 そうは思うけど……それでも、私はこの世界が好きなのだ。

 笑顔があって楽しいがあって、後悔はあっても“今”を笑える。

 私を信じてついてきてくれた人が居て、信じたまま死んでしまった人が居て、私は私の夢には辿り着けなくて。

 でも、今からでもみんなが願った平和に辿り着くことが出来ることも、それらを守ろうと努力することも出来るのだと教えてくれた人が居て。

 いつかそんな平和に心の底から満足出来たら…………無駄じゃなかったよ、辿り着けたよって……死んでしまった人たちへ、笑って報告が出来ると思うのだ。

 今はまだ頑張ってる途中だから、胸なんて張れないけど。

 負けてから目指した夢なんて、って笑われちゃうかな。

 確かに情けない話だと思う。

 それなら最初から華琳さんのもとへ降っていれば平和に目指せただろう、なんて思ってしまったことだって当然ある。

 でも……意見が、道が交わらなかったから戦が起きたのなら、避けることなんて出来なかった。

 それが、今は哀しい。

 

「じゃあ愛紗ちゃん、次は何処に行こっか」

「いえ桃香さま。そろそろ執務室に戻っていただきたいのですが。仕事も残っておりますし」

「はうっ……! ……う、ううん、ここで嫌がっちゃだめだね。じじ、自分に出来ること、自分にやれること~……うんっ、よしっ」

 

 ぐっと気合(みたいなもの)を込めて歩きだす。

 動かす足は重いのか軽いのか。

 でも、自分の行動の理由がお兄さんの言葉に影響されていっていることは、なんとなく気づいてはいる。

 影響されているからってそうするかどうかは自分の意思なのだから、結局はこれも自分の意思なんだけど……改めて思ってみると、ちょびっとだけくすぐったい。

 

(お兄さん、今頃なにしてるかなぁ)

 

 ふんふんと鼻歌なんかを歌ってみる。

 いつか、報告を待っていた私をほっぽってみんなで楽しんでいたらしいお兄さんに歌ってもらった歌だ。

 全部を覚えているわけじゃないけれど、覚えている部分だけでも結構楽しい気分になれたりするものだなぁって、楽しい気分が溢れてくる。

 溢れてくると、今度はじっとしていられなくなって辺りを見渡して、珍しそうなものがある場所へと突貫。愛紗ちゃんが慌てて追ってきて、またがみがみとお説教が始まる。……心配してくれてるのはわかってるし嬉しいんだけど、ちょっと過剰すぎる。

 なにか話題を変えたほうがと思いついたことを次から次へと出してみても、愛紗ちゃんはきちんと返事をくれるし頷いてくれたりもするんだけど、また説教に戻ってしまう。

 ……もしかして愛紗ちゃん、お説教が趣味だったりするのかな。

 

「あ、あーっ、愛紗ちゃんっ……? ここっこ今度はあっちに───」

「桃香さま。仕事が残っています」

「でもでもっ、これも視察って仕事の一部で───」

「───程昱が言うには、サボっていた時の一刀殿の言い訳の一つだったそうですね」

「うんそうそうっ、便利な言葉だよ───……ね…………あぅ」

 

 ついにっこりと笑顔で返事してしまったら、目の前に怒気溢るる愛紗ちゃんが居た。

 こうなってしまうともう私が何を言っても無駄なわけで。私は仕方なく、笑顔で怒ったままの愛紗ちゃんに引かれるままに、城へと戻るのだった。



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100:IF/なかなか平和続きとはいかない日常③

-_-/一刀くん

 

 案を出し合って、心惹かれる案があれば候補として取っておく。

 候補として取っておかなかった案も、他の案件に使えないかとメモにとっておくのも忘れない。

 そうして“これが最善だ”と思うものを具体的に竹簡に書き出し、最後のチェックが終わると落款。

 どれが一番いい提案なのかを考えすぎるのは中々に疲れるものだけど、こういうのも案外文化祭の準備のようで楽しかったりする。

 欲を言うなら相談役がもっと居ればなと思ってしまうところで、三国連合での祭りの準備期間中は本当に楽しかったことを思い出して、思わず口角が軽く持ち上がる。

 俺達は、そうしたなんとも言えないような……なんというか、温かな空気ってものの中に居た。

 

「それで一刀さん? 張遼さんへの罰はどうするんですか?」

「せっかく温かな空気で誤魔化してたのにこの人はっ!!」

 

 そして早速そんな温かな空気がぶち壊されました。

 

「いえいえ感謝されるほどのことでは」

「人の話を聞きましょう!? 別に感謝してないから!」

「じゃあ一刀さんもお話を聞いてくださいね? で、どうするんですか?」

「………」

 

 墓穴を掘ってしまったらしい。言い放つツッコミにも気をつけなきゃいけないなんて、なんて話しづらい軍師様だ。

 

「どうって……こうして仕事を手伝ってもらってるけど?」

「そんなものはあくまで仕事の一環ですよー? 大体、各国のみなさんがここに来る理由のひとつがそれなんですから、今さらそんなことで罰にはなりません」

 

 無駄に正論だった。

 どうしてこの世界の軍師さま方は、人をいじる時にばかり思考の回転を見せるのか。

 もっと支柱にやさしい頭脳を持ってくださいお願いします。

 ……支柱にやさしい、とか考えている中で、ふと地和のことを思い出して、笑顔のままに泣きそうになったけど。……華琳の次はたっぷりと~とか言っていた彼女だが……既に美羽と七乃といたしてしまっておりまして……エ、エエト、ソノー……。

 ……ト、トリアエズ、地和が都にやってくるか、俺が魏に行くまではどうしようもないから……今はごめんなさい、忘れたままにさせてください。

 ていうかだよ? ……“華琳とはもうしたから地和! ……スケベしようや”とか言えるわけないじゃないか! 忘れてた俺もだけど、あの約束もどうかと思うなぁ! 求めたらがっついているみたいだから、とかたまには男の子な事情も汲んでほしいです地和さん!

 

「一刀さん?」

「へ? あ、ああ、うん、続けてくれ。そのー……罰の話だよな?」

「はい。仕事の一環の話と、罰にならないって話ですよ? かといって、さっきも言いましたけど種馬状態を続けていたら民の信頼も下がる一方です。支柱の膝元で罪を犯せば女は御遣いに抱かれる、なんて笑い話にもなりませんし」

「それをお前が言うのか、七乃……」

 

 人が痺れてるのをいいことに襲っておいて。

 恨みがましい視線を向けてみたら、いつもの調子で人差し指をピンと立ててくるくると回し始めた。

 

「ですのでここは、罰にもなって民にもやさしい何かを提案すべきだと思うんです」

「罰にもなって民にもやさしい……」

 

 霞の後頭部をちらりと見つつ、たとえば何があるだろうかと考えた。霞が魏で民のためにやっていたことといえば……祭り? 突撃隊長を務めてたよな? あとで怒られてたけど。

 

「っていっても、霞は魏の将だからなぁ。ずっとここに居てもらうわけにはいかないんだから、そうそう難しいことはしてもらえないぞ?」

「そうですねー……ではこういうのはどうでしょう。都周りの田畑は他国に比べて随分と豊かで、少々悔しいですけど天の知識には驚かされるばかりです。けれどそれらを管理したりする人手はいつでも足りていません。あのー……何と言いましたか? のうぎょうきかい……でしたっけ? それもありませんし」

「あ」

 

 そうなのだ。

 天には田植機やらなにやら、一人で短時間で様々ができる機械がある。

 しかしながらこの時代にそんなものはなく、真桜に言ってみたところでそんな簡単に出来たら苦労はしない。片春屠くんは作れるのにね。改良すればいけそうな気もするんだが、最悪田んぼを高速で走り抜ける田んぼ殺し機の完成が予想される。

 氣の入れ具合で田んぼを爆走する絡繰…………すごいな、糧の繁栄どころか本当に滅びにしか向かえそうにない。

 

「けどまあそれだけというのも罰としては軽い気もしますが。なにせ私とお嬢様は女としての初めてを───」

「人聞きの悪いことを言わない! あれは襲ってきただけだろっ!」

「いやですねぇ一刀さん。罪を自ら償おうとした結果じゃないですかー」

「むー……ウチもそっちのがわかりやすくてええのに……」

 

 いやあのすいません、ほんとに体が保たないんで勘弁してください。

 俺だって霞とそういうことがしたくないわけじゃないが、それとこれとはやっぱり別なのだ。

 

「ま、それが罰やゆーなら引き受ける。要は邑とかで働いとるおっちゃんらを手伝えばえーんやろ?」

「はい。……ひとつ手伝えばいいというわけではありませんけどね」

「どうしてそこでクククと怪しげに笑うかな……。あ、それ俺も手伝っていいか? 最近は雪蓮と民の手伝いをしたりもしてないし、久しぶりに手伝いたい───」

「却下です」

「即答!?」

 

 え……なんで!? べつに手伝うから民との糧の取引でケチるとか負けてもらうとかそんなことするつもりはないのに!

 

「んもう一刀さんってば相変わらず乙女心のわからないお馬鹿さんなんですからっ。一緒に手伝ったりしたら罰どころかご褒美になりかねないんですよ?」

「いや馬鹿ってお前……ていうか乙女心関係ないだろ」

「なので、これは張遼さんにやってもらいます。もちろんその格好では男性の人にとっては目に毒ですから、農業用の地味な服を」

「地味言わない! いいじゃないかアレ! 俺結構好きなんだぞ!?」

 

 極々一般的な邑人の服だけど! ……うん、農作業やるからって服がいちいち変わるわけでもない。何度も言うが、服は高いのだ。

 なので邑人の服。この時代の一般的な服である。

 俺も雪蓮も、田畑で仕事をする時はアレに着替えたりした。

 茘枝とか採ったり雑草取ったりして、あれはあれで楽しかった。

 ……まあ、雪蓮があの服を着れば、胸の部分が大変なことになるのはわかりきっていたことだったのだが。結局さらし巻いた上に着たんだったな。霞も同じことになりそうだ。

 

「んー、それやればとりあえずはええの?」

「はい。言った通り天の知識を盛り込んでありますので、最近の田畑の活性状況は目覚しいものがあります。今一番に遣り甲斐があって大変な仕事はと問われれば、恐らくはこれになるのではと思うほどに」

「へー、一刀、ちゃーんと頑張っててんなぁ」

「そりゃ頑張るだろ。お飾りでここに居るんじゃないんだぞ、俺」

 

 これでも仕事も鍛錬も頑張ってるんだから。

 教師役が三国屈指の軍師さんや武将さんなんだから、怠けたりサボらない限りはそりゃあ成長するさ。

 ……そう考えると、以前降りたときは本当にもったいないことをした。あの頃から鍛えておけばと思う度に悔しいくらいだ。

 

「ん、わかった。そんで? いつから始めればええの?」

「今からです」

「へ? …………あ、やー……あっはっは、ウチちぃと耳悪なったみたいやー。もっぺん、もっぺん教えて、勲ちゃん」

「今からです♪」

「………」

 

 指を立てられてまでの笑顔の言葉でありました。

 そんな七乃を見たのちにゆっくりと俺の顔を見て、寂しげな顔をする霞さん。

 

「えー!? いややーっ! ウチ、期間ぎりぎりまで一刀とーっ!!」

「はいはい我が儘は言わないでくださいねー? それに心配しなくても、やることをやれば一刀さんと寝ることだってできるんですから。問題なのは一刀さんが女性にかまけて悪政をしないかどうかです。同盟の証としては三国の女性に手を出し続けることは正解といえますが、そのために別のところで気を抜かれては困るんですよ」

「……収穫手伝ったら寝てもええの?」

「はいっ、それはもちろん。一刀さんだって、立派に勤めを果たした相手の望みを無碍に断ることなんて出来ない筈ですから」

「おー……なるほどなぁ~」

「そういうことはもっと聞こえないように言おう!?」

「またまたっ、嬉しいくせに一刀さんたらっ」

「嬉しいのは人をからかって笑顔満点のお前だよな!?」

 

 言ってみたところでくすくす笑いながら、七乃はやる気になって立ち上がった霞の背中を押して部屋を出て行ってしまった。

 …………え? いや、嫌ってわけじゃないんだが……え? 俺、霞が戻ってきたら抱くこと確定しちゃった?

 

「………」

 

 最近、自分の周りのことが別の誰かの手で動きすぎてる気が……いつものことだった。もういいな、この部分はきっと足掻いても無駄なのだ。

 むしろ足掻くことで周囲の足が躓いてしまうくらいなら、いっそ全てを受け入れるつもりでいこう。俺は支柱で、そういうことも込みで受け取ったんだからさ。でも覚悟を決める機会なんていくらあってもいいよな……じゃないと日本人としてのアレコレがいろいろと……さぁ。

 

「えーっと……次の仕事は……」

 

 仕事に戻る。

 体には疲労が蓄積されているのだが、さすがに今、美羽(大人)が眠る寝台で一緒に眠る勇気はない。むしろ寝れる気がしない。

 

「はぁ……」

 

 前略おじいさま。

 …………御遣いってなんでしょうね……。

 途端に静かになった自室で、天井を見上げながら心の中で呟いた。

 

……。

 

 それからのことは……いつも通りと言えばいつも通りだった。

 霞は一日で終わるとか思っていたんだろうが、結局は滞在する日数のほぼを手伝いに使うことになった。言ってしまえばたった一日の田畑の仕事が罰になるわけもなく、そもそもが糧を生み出す行為なのだから“やること自体は当然ですよ”なんて七乃に笑って言われてしまっては、霞も霞なりに引けない部分が出てしまったのだろう。

 ムキになって仕事をする霞を、視察とは名ばかりの様子見で見てしまった俺。

 当然声をかけることはしなかったが……あれはあれで結構楽しそうだった。

 支柱としての仕事を追われたら、どこか辺境で農業しながら生きていくのもいいなぁなんて普通に思ってしまったほどだ。……適当に遠くから見て微笑んでいられるほど、田植えとかって楽じゃないんだけどね。

 そこのところは雪蓮に手伝わされて、嫌ってくらい理解できている。

 ただ、町人と汗水たらしながら田畑の仕事をするのは結構楽しかったりする。

 もちろん、相手が友好的であることが大前提であるが。

 

 城の自室に戻ると自分の仕事を進める。

 ……日が経つと華琳も冥琳も自国に帰ることになり、片春屠くんで送ったりもした。

 冥琳が“量産が出来るのならこれほど便利な絡繰はないだろう”なんて言っていたが、気軽に操るには容易くはないことを説明すると、“まあそんなものだろうな”と目を伏せて口角を持ち上げていた。便利なものほど融通は利かないものだ。

 そんな彼女との入れ替わりで来ることになったのが穏であり……片春屠くんの後部に乗せて連れてくるに到り、ほら。振り落とされないように抱きついてくるわけで、背中にふんわりとした山脈が押し付けられイヤなんでもないよ!? 冥琳の時だって感じてたけどそんなことはこうして心を無にすればどうってことないさ! 多分!

 

 華琳の代わりに誰かが、ということはなく、そもそもが俺の代わりに都を仕切るためにきていたのだ、霞が戻るまでは代わりは来ない。

 ……とまあそんなわけで、城の自室に戻って自分の仕事を進める現在の俺の前には穏が居る。

 目のやり場と集中力に困るので、そのー……服は着替えてもらいました。

 ええもちろん「えぇー!? 以前は平気だったじゃないですかー!」と困った顔で言われたりもしたさ、ええ。でもそれは以前の話であって、今の俺はもう……支柱として“そういうこと”も受け入れるって決めてしまった所為で、まったくもって自分自身でも恥ずかしいとか情けないとか思う限りなんだが、反応してしまうのだ。

 魏が、魏に、魏だから、と言い訳をしていた頃とは違う。

 結局のところ華琳ともその、いたしてしまったからには強い蓋の役割をしていたものが無くなってしまったようで、だからって獣のように手当たり次第にということもするわけもなく、こうして少しずつ新しい自分を受け入れている次第です。

 人間って……むしろ男っていろいろと面倒な生き物なんです。

 いっそ獣のように出来たら楽なんでしょうね。

 でもそれは俺自身が嫌なのでご勘弁願いたい。

 

 そういった理由もあって、大人になってからの美羽は七乃と同じ部屋で寝てもらっているわけだが……今の俺は思春と同じ部屋で寝ているわけで。それに対して美羽が不満を口にしていたものの、七乃の巧みな話術で首を傾げながらも納得していた。

 それはそれで、なんだが……最近おかしなことがあった。物心ついた頃から思春が俺と目を合わせようとしない。無理矢理合わせようとすると顔まで背ける始末で、なんとなく面白くなって視線を追いまくってたら鈴音を突きつけられたのでやめた。

 これって前に霞が言ってた“様子がおかしい”ってことと関係があるんだろうか。

 

「穏、絵本はどう?」

「絵本ならまだ大丈夫なほう……ですかねぇ~……」

 

 俺が机で仕事をする中、穏は俺が買った絵本を手にうっとりした顔をしている。

 知識の宝庫である書物に囲まれるといろいろと大変なことになる穏。そんな彼女をなんとか出来ないものか作戦2として始めたことがこれ。

 文字だらけの本に囲まれるとアレなら、絵もついている絵本に囲まれるのはどうかということで。……それでも“本”という印象があるだけで顔がとろけてらっしゃる。危険だ。児童に読ませるようなもので興奮するのであれば、この北郷めもいろいろと考えなくてはなりませぬ。

 

「それでそのぅ、一刀さん? もしも穏が熱に負けてしまったら、なんとかしてくれるんですよねぇ……?」

「ああっ、任せとけっ」

「なんでそこで指を鳴らすんですかー!?」

 

 え? なんでって。痛くなければ覚えません! なのでこの北郷めも心を鬼神にして容赦なく力ずくで止めてみせよう! ……べつに穏が嫌いとかではなく、本でとろけた熱で誰かを襲うというのをやめさせてあげたいだけだ。ちなみにゴキベキという音は、氣を弾けさせて鳴らしているだけであって軟骨をすり減らしているわけではないので安心してほしい。

 大体、もし穏と“そういうこと”をするのだとしても、好きになったからとかそういう理由じゃないと受け入れる気にもなれない。だって、本を使って自分を襲わせたみたいで嫌じゃないか。……こんなこと思っている時点で、好き合えば受け入れる気満々みたいで嫌なんだけどさ。

 

「そこで“俺が居るから”に逃げられても困るって。はい、ちゃんと慣れていこう。呉では途中になったけど、いい加減自分で倉に行けるようになりたいだろ?」

「あぅう……それは、そうなんですけどぅ」

 

 しょんぼりとする穏はここでは……正直な話、あまり積極的な役には立てていなかったりする。

 何故ってそりゃあ、自分で書物を取りに倉にも行けないし、書簡整理のために俺が持ってきた本にも息を飲んでうっとりして集中できなくなるし、それが行き過ぎると人の部屋だというのにおもむろに───っていやいやなんでもないよ!?

 

「とにかく! 目に毒! 集中出来ない! 他国に来てまですることがそういうことに向かうなんて哀しいだろ! 都に自分を慰めに来てるわけじゃないんだから、とにかく頑張る!」

「あぅう……」

 

 ぐったりとした表情を向けられるが、これはもういい加減に直すべきだろう。

 各国の交流の度に各国で“倉には近寄れません”とか“書庫だけは勘弁したくださいぃ~”とか言っていたんじゃ、いい加減怪しまれる上に……魏に行ったら絶対に華琳に捕まる。

 それは穏としても俺としても避けるべきだろう。……あれ? これって嫉妬か?

 ……なんとなく顔が赤くなるのを感じつつ、仕事と書物鍛錬に戻る。

 ようは本に慣れてしまえばいいのだから、以前は出来なかった方向でいろいろと考えてみよう。そう、たとえば……本に囲まれて熱に浮かされそうになったら、氣でもって落ち着いてもらうとか。

 



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100:IF/なかなか平和続きとはいかない日常④

 そうと決まれば早速実践。

 穏を都の書庫の前へと連れていき、びくりと肩を弾かせながらも顔は期待に満ちている穏を───おもむろに中へとご招待。……は、あまりにいきなりすぎるので、書庫前の木の幹に待機してもらって少しずつ本を持ってくるというカタチで。

 

「大丈夫か?」

「うふふふぅ~? いくらわたしでもこれくらいの量ではどうということはありませんよぅ?」

 

 言葉の割にはうっとりしていた。

 一言で言うと既に駄目そう。

 なのでちょっと失礼して肩に触れ、氣を送り込んでみる。

 冷静な自分をイメージして、それで包み込むような感覚だ。

 ……冥琳が言うには、本の“質”でぶっ飛ぶのが主な症例とのことだが……症例? ともかく、何処にでもあるような書物ではそうそう発作は起こらないようだ。

 ようするに新たな知識や己が思わず感心してしまう知識が書かれた、大変貴重な書物にこそひどい反応を見せるのだろう。そしてそれは、他国の見知らぬ書庫に入るのならば未知の知識世界となるわけで、興奮は相当なものに…………あ。とかなんとか思ってたら、倉のほうを見ながら涎をたらして───涎!?

 

「穏! 口! 口!」

「へわうっ!? は、あわっ!」

 

 ごしごしと口元を拭う穏さんの図。

 ああもうなんだろうこの気持ち……稟と同じで治せる気がしない。

 ……まあいいや、慣れさせるためにも次々と本を置いていこう。

 一応大体の書物には目を通したけど、どんなものが穏の琴線に触れるかなんてのは俺にはわからない。

 予想としては恐らく“古いもの”。歴史を感じさせるなにかしらが書かれたものとかが利くんじゃないかと思うのだが。

 ……華琳が書いた孫子の注釈本なんてどうだろ。

 歴史は…………ううむ、残念ながらそうまで長くない。

 でも珍しさでいえば随分だよな。

 あ。華琳が書いたで思い出したけど、四時食制って完成したのかな。

 もし完成してるなら、それに乗ってる料理とか食べたいな───……って、思えば華琳と書物の関連って、大体が春蘭が原因で振り回されてばっかりだったよなぁ。

 四時食制も、孫子注釈本も、韓非子の孤憤篇も……いや、ひとつひとつ上げてたらキリがない。本に限らず、とにかく振り回された記憶ばかりだ。

 それを考えれば今さら、本に興奮する人のことくらいどうってこと───

 

「~……!!」

「あ」

 

 ……ないって言いたかった。

 言いたかったけど、苦笑しながら見つめた先には俺が持ってきた書物のひとつを手にとって、目を輝かせる陸孫さん。

 いやあまあそのう、輝いているだけならよかったよ? それはさすがに俺も否定なんかしない。実際七乃が人をからかってる時なんかよく輝いてるしさ。見慣れたもんさ。

 でもその輝きが途端にとろんととろけ、書物に顔をうずめてクンカクンカしだして怪しく腰を振り始めるのを目の当たりにするとさ、ほら…………ねぇ?

 だが待とう。ここで逃げるのは簡単だが、治せるものは治してみせようホトトギス。氣を送り込んで昂ぶりを沈静化させるのだ。あとホトトギス関係なかった。こんな状況に名前を出してごめんなさいホトトギスさん。

 

「はい落ち着いて落ち着いてー……」

「あう!? あ、あぁああぅうう……!?」

 

 心が落ち着きますようにと自分のイメージを込めた氣を変換しつつ、穏の気脈に流してゆく。

 するとどうだろう、あれだけ熱っぽくうごめいていた穏が、ゆっくりと俺へと向き直りつつ、余計に熱っぽい顔で俺を見つめて……あれぇ!?

 

「あ、ぁああん……! 一刀さんが入ってくるのがわかります……! これが殿方と一つになるということなんですねぇ~……」

「逆効果だコレェエーッ!!」

 

 なんたること! だが大丈夫だ、まだ逃げ出すには早い!

 ここで俺が無意味に慌てたりすれば、どうせ俺だけが悪いことにされるいつものその後が待っているに違いない! ……や、そりゃあ急に克服しようとか言い出してここに連れ込んだ俺が悪いんだけどね?

 だが……そう、大丈夫だ。それを理由に、性癖みたいなものなら仕方ないねとか言って女性を抱くほど、獣な種馬を名乗ってはいない! ……ごめん、なんか虚しい。そもそも種馬なんてことさえ名乗ってもいないよ。

 

「穏! そこで耐えて! 耐えられる時間が増えれば増えるほど、貴重な書物が気兼ねなしに読めるようになるんだぞ!」

「はうぅっ! そ、それはなんと魅力的な……! 一刀さんはわたしを悶絶死させる気ですかぁ……!?」

「なんでそうなるの!?」

「でもでも、我慢するよりも既に袁術ちゃんに手を出してしまった一刀さんが、わたしの昂ぶりを鎮めてくれれば、なんの問題もありませんよぅ……?」

「本で昂ぶった気持ちは本で解消しなさいっ!!」

 

 ぴしゃりと言いつつ、穏がクンカクンカしている本をシュバッと取る。

 すると“戦術原論”と達筆で書かれたそれを、まるで我が子を奪われた母のような顔で“ビワー!”と泣きながら、両手を伸ばして取り戻そうとする呉の軍師さん。

 

「あぁああん返してくださいぃいい!! まさか! まさか都にそれがあるなんて、穏的に言いますととてもとっても予想外だったんですよぅ!?」

「予想外だと泣くの!? ととととにかく落ち着く! ていうかね!? 警備の兵が居るから本に欲情してる姿なんて見せないで!? そういう緊張も持ってもらうためにそのまま立ってもらってたのに!」

 

 見れば、兵がおほんおほんと咳払いをしてそっぽを向いた。

 ……顔は、真っ赤でございました。なんかごめん。

 

「“先に”って言っていいかわからないけど言っておくな。本に興奮した穏にそういうことをして鎮めるつもりはないからな。そういうのはきちんと好き合ってから───」

「うふふ、一刀さんたら照れちゃってますねぇ。まるで亞莎ちゃんみたいですよ~?」

「………」

「いたぁーたたたた!? いたいいたいいたいですよぅうう!!」

 

 両のコメカミをゴリゴリした。世に言うウメボシである。

 そういえばコレ、どうしてウメボシっていうんだろうか。アレか? コメカミに梅干を貼ると風邪が治るって話からか?

 ああいや、それはともかくいい加減に離してあげよう。

 

「うぅうう……急になにをするんですかぁ……」

 

 ……涙目で見上げられた。

 急にあんなことされたのに、べつに恨みがましい視線じゃなかったのが意外だった。

 

「いきなりやったのはごめん。だけど、本についてのその病気ともとれる行動については、冥琳に“治せるのならば何をしてでも治してくれ”と言われててなー……」

「ぇえええええっ!? めめめ冥琳さまひどいです~!! いつもいつもそうやって人に無理難題を! ……そりゃあ、祭さまよりはマシですけど」

 

 祭さんはもっとひどいらしい。まあ、わかる。祭さんだし。

 

「いいからほら、慣れる準備。ていうかなんで知識に触れて性的に興奮したりするんだ?」

「うう……それは、わたしにも“そういうものでした”としか言いようが……」

「……やっぱりそうなのか」

 

 でも昔から……ともすれば子供の頃からこんな性癖……性癖? まあいいや、性癖を持って勉強してきて、よくもまあ軍師になれたなぁ。

 や、大変だったんだろうなぁとは思うぞ? 主に周りが。冥琳なんて、興奮した穏の相手とか溜め息吐きながらやってたんじゃなかろうか。

 実際、今もどうしたものかと悩んでいる俺の腿に手をさすりと滑らせてきて、ってなにしてんのちょっと!!

 

「ボディタッチはやめて!? むしろ勉強してるんじゃなくて克服しようとしてるんだから、妙な興奮はいらないだろ!」

「一刀さんが慰めてくれないのでしたら、穏が勝手に───」

「しちゃだめでしょ! だからそういうのは好き合ってからだって言ってるでしょーが!」

「それじゃあ穏ひとりで───」

「うわぁあああああこんなところで始めようとするなぁああああっ!!」

 

 興奮に頭をやられて周りが見えてないんですかこの娘ったら! いや、“この娘”って呼ぶには大きすぎますがね!?

 とにかく脱ごうとした穏をガッシと押さえ、正座させてからガミガミと説教した。

 ……前略冥琳さま。

 はやくも心が折れそうです。

 

……。

 

 …………ぐったり。

 そんな擬音がよく似合いそうなほど疲れた俺は、厨房の卓に突っ伏していた。

 

「どうした、北郷。食べないのなら貰うぞ」

「ああいや、食べる、食べるんだけどね……」

 

 隣でがつがつと食事をしていた華雄が人の皿へと箸を向けるのに待ったをかける。

 さて……穏が都に到着してから何日目か。

 今日も元気に克服のための行動の様々を取っていたんだが、興奮は治まるどころか日々増してゆくばかりだ。

 さっきだって仕事がひと段落ついたから、たまには軍師から教えてもらえる勉強でも、って穏に授業の依頼をしてみれば……部屋に入ってくるなり椅子に座ってる俺の足に座って、妖艶に笑んで体を押し付けながらの授業を始める始末で…………あ、あれー……? 俺種馬とかなんとかいろいろ言われてきたけど、それってまだマシなあだ名だったりしたのか……?

 

「あー……なぁ華雄……? 霞は、まだ戻ってないのか……?」

「む……この間会った時は、“やっぱり体動かしとる方が性に合っとるわー。んで、ええ米できたら一刀に酒作ってもらうんやー、っへへー”と笑っていたが」

「………」

 

 なんと言えばいいのか。

 まあ……霞らしいのか?

 

「私もいっそ、そういった生産的なものに身を向けたほうがいいのかもしれんな」

「華雄が田畑の開墾か……」

 

 開墾(かいこん)

 山野を切り開いて新しく田畑にすること。

 他にも意味はあるが、つまりは田畑などを作ることだ。

 …………どうしてだろう、それを華雄がするイメージをしてみたら、しなくてもいい場所まで田畑となる状況が想像できてしまった。

 なのでこう言った。

 

「……その時は俺も手伝うよ」

「そうか」

 

 なんでもないように言うが、結構大変なことだよな、それって。

 まあ、いいか。メシを食おう。

 いただきますと手を合わせて食事を開始する。

 華雄はもう食べ終わってしまったようで、ちらちらと俺が食べているものを見てくる。

 ……鈴々や恋じゃあるまいし、やめなさい。

 

「北郷。お前はこのあとどうするんだ?」

「ん? んー……仕事も終わったし、しばらくは大掛かりなこともないからまとまった休みが取れそうなんだよな。といっても、小さな仕事は回ってくるだろうけど」

 

 それも早いうちに片付ければどうってことない。

 なのである意味では休みが続くようなものだ。

 

「そうか。ならば久しぶりにどうだ?」

 

 言いながら武器を構える格好をする。

 それを見ればなにをしたいのかなどわかるってもので、少し焦りながらもしっかりと頷いた。

 

「わかった。中庭でいいか?」

「フッ……ああ、構わん」

 

 ニヤリと笑う華雄は嬉しそうだ。

 そんなわけで華雄と戦うことになりました。

 あくまで鍛錬の一環……だよな? 真剣勝負ってことにはならないように願おう。

 

「……はふ。ごちそうさまでした」

 

 ゆっくりと噛んで食事終了。

 食器を片付けて、律儀に待ってくれていた華雄と一緒に中庭へ───向かおうとしたまさにその時。

 

「我を倒せる者はいるかーっ!!」

 

 中庭から、聞き覚えのある声が響いてきた。

 それちょっと違うだろうとツッコミを入れつつも、柱の影から中庭を覗いてみれば……いつの間に来たのか、槍を天に突き上げながらエイオーと叫ぶどこぞの誰かさんが。

 

「あ、やほ~っ♪ お兄様っ!」

 

 そしてあっさり見つかる俺。

 うん、まあ……呼び方でわかる通り、馬岱……蒲公英だった。

 

「蒲公英……いったいいつ来たんだ?」

「え? ついさっきだけど。蜀が誇る軍師さま(はわわ)にお兄様を驚かせつつ都に到着するにはどうしたらいいかなって訊いてみたら、出発を告げずに訪問するのが一番ですって言われたからやってみた!」

「いや“やってみた”じゃなくて」

 

 元気だ。

 鈴々と翠が合わさるとこんな感じなのかなーとか思えそうな、相変わらずの性格のようだった。

 

「それでお兄様の部屋に行ってみたんだけど居なくて、これじゃあ脅かし甲斐がないなぁって思ってたんだけど……お兄様のことだから今も鍛錬馬鹿に違いないと思って中庭で待ち伏せをしてたんだよね。そしたら見事にお兄様が!」

「………」

 

 ええ、来てしまいましたよ。

 鍛錬馬鹿でごめんなさい。

 

「……で、蜀から一人で来たのか? 危ないだろ」

「伝令に使う早馬とそう変わらないって。お兄様ったら心配性だなぁ」

「いーから。とにかく一人で来るのは危険だ。商人あたりに書状でも持たせてくれれば、俺が片春屠くんで迎えに行ったのに」

「えー? それだといつ商人さんが都に着くかわかんないじゃん。すぐ来たかったからすぐ来たんだし、商人が大丈夫なのに将がびくびく怯えるなんて、格好悪いよ」

「うぐ……」

 

 それはまあ確かに。

 そう考えると商人のなんと逞しいことよ。

 

「それに馬に乗ってきたし、馬術でそこいらの賊に遅れを取るほど、馬一族は弱くなんてないのだー!」

 

 またもや元気に手を天に。

 ほんと、元気でいらっしゃる。

 と、そんな俺の後ろから「ふむ」という声。

 そうだ、俺、華雄と鍛錬することになってたんだ。

 

「あ、じゃあ悪いんだけど……蒲公英、華雄の相手をしてもらってていいか? 俺ちょっと部屋から道着とか木刀持ってこないといけないから」

「…………この見るからに脳筋な人と?」

「……ほう? 貴様、この華雄の武を馬鹿にして見るか」

「どうして会って間もなく剣呑な空気を作れるかなぁ!! ただ相手しててって言っただけだよね!?」

「だって蒲公英はお兄様といろいろ話をする気でここで待ってたのに」

「生憎だが北郷は私と決闘をするつもりでここに来たんだ。貴様とじゃれている時間など無いな」

「………」

「………」

「あぁああもういいから冷静に! 落ち着いて話を───決闘!? えっ、けっ……え、えぇえ!? 決闘!? ちょ、華雄!? 鍛錬じゃないの!? いつから決闘って話に!?」

「うん? だから食事の時に言っただろう」

「言ってないし聞いてないんだけど!?」

 

 構えただけだよね!? 言ってないよね!?

 それを置いておくにしても、どうして蒲公英はこうパワフルなお方たちと折り合いが悪いかなぁ! ……間違い無くこの性格の所為ですね! こんな状況ならいっそ焔耶が来てくれたほうが───……ほう、が…………あ、あれ? なんだろう。自分がぼろ雑巾のように空を飛ぶイメージしか湧いてこないや……!

 

「とにかく! すぐに戻ってくるから喧嘩はしないように!」

「ああわかった。我が全力を以ってこの小娘を叩き潰しておこう。北郷との決闘の前のいい準備運動だ」

「へー。じゃあたんぽぽは、お兄様が戻ってくるまで脳筋さんから頑張って生き延びなきゃいけないんだ。あははっ、準備運動にはなるだろうけど、たんぽぽを倒せなきゃ格好悪いよー?」

「…………」

「…………」

「やめて!? 睨み合いやめて!? なんでみんなそうやってすぐに喧嘩を始めようとするかなぁ!」

 

 しかもなんか無駄に迫力があって怖い!

 い、いや一刀、落ち着くんだ。

 今は一刻も早く自室に戻って木刀をだな……!

 

「じゃ、じゃあ行ってくるな?」

『───!』

 

 スチャリと軽く手を上げて行動した途端、二人の気迫がぶつかり合い、同時に武器もぶつかり合った。

 やめて!? 人の出発を合図にとかほんとやめっ……やめてください!? 心が痛い!

 あぁああほら! 見張りの兵も戸惑い始めたじゃないか!

 ごめん! すぐに戻るから少しの間だけ我慢してて!

 

「ちくしょう最近こんなんばっかだ! ───最近どころじゃなかった!」

 

 魏に居た頃からですねちくしょう!

 俺って何処に居ても、あまり境遇変わらないんだなぁと改めて思った瞬間でした。

 ……これも、最近じゃあ思ってばっかりだったよちくしょう。



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101:IF/イメージと覚悟が技を作る。強いかは別で①

152/バトルをするからってシュートしたりエキサイティングするとは限らない

 

 大急ぎで自室に戻るや、服をヴァーっと脱いでバッグへ駆け寄る。

 チャックを開けば胴着があって、それを引っ掴むとバサァッと肩に回すように広げて腕を通すと同時に袴を掴む。まるで飛び上がるように足を通すと乱暴に着付けをして───ハッと気づくとしっかりと段階を踏んで身につけてゆく。

 焦ってはダメだ。乱暴になるのは時には良しだが、着付けを適当に済ませるのはよろしくない。

 

「んっ!」

 

 着替えをしながら心を落ち着かせて、襟元を両手でビシィと正せば湧き上がる闘志。

 鍛錬とは己が肉体と精神に向き合うものだってじいちゃんが言ってた。ならば焦れば上手くいかないのは当然のことだし、急いで戻ったところで……えーと、正直な話、俺にあの二人が止められるとは思えないわけで。

 戦い始めた将は人の話なんて聞かないのです。聞いてくれないのです。王の話なら聞くけど。せめて耳を傾けることくらいしてほしいんだけどなぁ……。俺が相対してる時なんて、やめてとか悲鳴上げると逆に笑顔で襲ってくる始末だしさ。

 

「さて」

 

 着替えたのなら一応急ぐ。

 トトトトっと爪先で走り、無駄な体力と氣は使わないように。コツは体を前傾に、足を持ち上げる運動のみで前に進むだけ。その際、着地も爪先……とまではいかないまでも、足の土踏まずより先で降りて、また持ち上げるのみ。

 そうして部屋を出て、通路を抜けて、さらに走って中庭へと出ると、そこでは予想通りに華雄と蒲公英が戦っておりました。

 

「はぁあああっ!!」

「ほわっ! ───っとぉ、相変わらず振り回すだけの攻撃だねー、うちの脳筋みたい」

「脳筋……脳が筋肉で出来ているという言葉だったな。ならば喜ばないわけにはいかないな。鍛えれば強くなるのだからな!」

「うわっ! そんな切り返し初めてされたっ!」

 

 俺も初めて聞いた。

 でも華雄の意見には賛成です。

 頭が弱いなら鍛えればいい。脳トレって言葉もあるなら、それって筋力とあまり変わらないよな。

 

「ふんっ! はぁっ! せいっ! しっ───ぉおおおっ!!」

 

 華雄が金剛爆斧を振るう振るう振るう!

 縦、突き、下段突き、振り上げ、回転薙ぎ払いと連続して振り回し、蒲公英はそれを器用に避けてゆく。さすがに焔耶とちょくちょく悶着を起こすだけあって、猪突猛進型の相手との戦闘には慣れているらしい。

 そして当然のことながら、振るう方と避ける方ではどちらが疲れるかといったら振るう方なわけで、華雄は見る間に疲労して───いかなかった。

 

「はははははは!! まだまだぁああああっ!!」

「ふぇえっ!? あ、と、わぁっ!? え、ちょ……どんだけしつこいのこの人!!」

「貴様は私を脳筋と言ったな! ああ脳筋だろう! 貴様が遊んでいる時も適当に鍛錬している時も、常に私は全力で己を鍛えていたのだからな!」

 

 まあ、そうなのだ。

 警邏や兵の調練などの仕事の時や休むべき時以外はほぼ鍛錬。

 “氣を自分で扱えるようになるにはどうしたらいい!”と言われたことがあって、せっかく言うことを聞いてくれるのならとトレーニングメニューを一から組んでみた。

 その際に、普段はどんなものを? と、いろいろと訊いたんだが……もうひどいもんだった。酷使した筋肉を休める時間がほぼ無いとくる。なので稟の鼻血対策の延長みたいな感じでたんぱく質が多い食事を用意したり、適度な休憩を入れさせたりマッサージをしたりと……まあ、それらを自分の中の“仕事”として組んでみたわけだ。書類整理と同じように、自分の日常の一端として組んでしまえば案外なんとかなるものだ。

 

 きっかけを話すとなると、華雄が俺に“私はお前の女となろう”と言って、俺が“料理でも作ってみる?”と言った日にまで戻るわけだが。「私から武を抜いたらなにが残るんだ」と言った華雄が、料理よりも氣の鍛錬を選んだところから結局始まる。

 “結局”と言った通り鍛錬は始まって、都をしっかりじっくりと作る中でも鍛錬は続いた。その時に来ていた朱里に“華雄に兵の調練を頼もう”と提案したのも休憩がてらという意識も強かったわけだ。実際、当時思い浮かべたように“華雄の仕事が警邏か俺との鍛錬くらいしかなかった”のも事実だし。

 

 そんなわけで、今さらだがパワーアップした華雄さんは並大抵のことでは疲れない。向上したであろう氣も、沸いた先から全て使われているだろうから、いつでも気力充実状態だし。なにより俺と初めて戦ったときのように“反動に反発する動き”をしなくなったことで、攻撃から次の動作へ切り替えるまでが随分と短くなっている。

 動きが細かくなったなら威力は下がったんじゃないかという心配は……まあ、向上した氣が全部身体能力に回されていることを考えれば、多少は下がろうが向上するたびに追いついて、いずれは追い越すことは想像に容易い。

 

「はっ、はっ……し、しつこいなぁもう!」

「フッ、どうした。息が上がってきているようだが?」

「ううっ……こ、こんなものどうってことないですよーだっ」

 

 華雄が踏み込む。

 横薙ぎのフルスウィング。

 これを、屈むことで避けた蒲公英がその“屈む動作”とともに振るった槍が、華雄の踏み込んだ足を横薙ぎに狙う。……が、華雄はフルスウィングした金剛爆斧の反動に身を預けるようにして軽く跳躍。薙ぎ払いを避けると、回転する勢いをそのままに金剛爆斧を蒲公英目掛けて振り下ろした。

 避けられたことに驚愕に染まる蒲公英の顔が、さらに焦りを孕んで咄嗟に槍を構えた……途端、鈍くも高い音が鳴って蒲公英が吹き飛ばされた。

 

「……ふふ、いい感触だ。さて小娘よ。どうかな、脳筋の一撃の威力は。筋肉筋肉とからかうだけで、一点を極めようともしない者には出せぬものだろう」

 

 華雄が己の武を誇るように笑い、歩く。

 その先で手をぷらぷらとさせている蒲公英は、それでもキッと華雄を睨むと立ち上がり、槍を構えた。

 

「あーっ! ちょっと待った! 俺もう来てるから喧嘩はやめ!」

「む」

「え? ……あー……お兄様ぁ……」

 

 ギシリと睨み合う二人を前に、慌てて止めに入ると……なんか蒲公英に“どうして来たの”って顔をされた。……や、そりゃ来ますよ。

 

「もうちょっと遅れてきてくれたら、たんぽぽが勝ってたのにー……」

「吹き飛ばされといてそんなこと言わない。それ以上怪我したらどうするんだ」

 

 言いながら、敗北したと認めた蒲公英の傍まで歩く。

 力が抜けたのか、ぺたんと座り込んだ彼女へ手を差し伸べると、蒲公英は口を尖らせてそっぽを向きながらも、

 

「しないよそんなの」

 

 なんて言って、ちらりと華雄を見た。

 そんな中、勝利を得た華雄が強者の笑みのままにこちらへ歩いてきたんだが───ある一点を踏みしめた途端、その足に縄が巻きつき、

 

「ぬわぁああーっ!?」

 

 ……華雄が一気に宙吊り状態になった。

 

「………」

「ね?」

 

 このコ、怖い。

 ようするに俺が止めなかったら華雄は普通にこうなっていたわけか。

 

「いつの間に仕掛けたんだよ、こんなの」

「お兄様たちが来る前。ほら、一応お兄様ってあの孫策に勝った人だし、危なくなったら引っ掛けよっかなーって」

「ほんと皆様御遣いや支柱をなんだと思ってらっしゃるの」

 

 泣きたい気持ちでツッコんだ。

 そしたら元気にあっはっはーと笑って返された。

 ……さて。気にしたら負けなんだろーなーとか思ってたけどもう負けでいいから気にしよう。なんで足に絡まっただけの縄が、一瞬にして相手を宙吊りにするだけならともかく亀甲縛りで捕らえるのだろう。……もしや忍術!? これは忍術でござるか蒲公英!

 

「で……どーするのあれ」

「そりゃもちろん、焔耶みたいにそれなりの報復を受けてもらわないと」

「あー……その手馴れた感じは、焔耶にもやってるわけだ。俺が見たことがある一度や二度じゃなく、日常的に」

 

 手馴れているわけだ。

 やれやれと溜め息を吐く俺を余所に、蒲公英は意気揚々と腕を振り回して華雄に近づく。腕っ節の立つ男が右肩に左手を当てて右腕をブンブン振り回すようなアレだ。すごい似合わない。

 しかしながら蒲公英はそうして華雄に近づいてしまい、

 

「ふん!」

「へ?」

 

 それを待っていた華雄はあっさりと腕力を持って縄を千切ると、逆さ吊りからの落下を片手を着くことで止めるやさっさと起き上がり……慌てて逃げようとした蒲公英の首根っこをぐわしぃと引っ掴んだ。

 

「えっ、えっ!? うぇえええええ!? 焔耶でも千切れなかったのになんでぇえっ!!」

「うん? おかしなことを訊くな。そんなもの、武器で傷をつければ簡単だろう。縄が足に絡まった瞬間、そこに切れ目を入れておいた。咄嗟のことに武器は落としてしまったが、多少の切り込みがあればこんな縄、どうということもない」

「うわー……」

 

 蒲公英が滅茶苦茶な生物を見る目で華雄を見ていた。

 気持ちはわからんでもないけどな、蒲公英。それが、いや……それでこそ(・・・・・)、筋肉を鍛えすぎていてこそ初めて、“脳筋”って言えるんだよ……。極めんとしているのが筋肉なら、脳筋はある意味褒め言葉以外のなにものでもない。

 

「しかし惜しい。自分がしていた鍛錬に休息や北郷の知識を組み込むだけで、自分がまだまだこれほど強くなれるとは……。北郷が洛陽に降りていればと思うと、この力を存分に振るえぬ今を惜しいと思ってしまう」

「それは言わない約束だろ、華雄」

「わかっている。平穏に不満があるわけでもない。こうして戦う相手も居る。が……あの頃に私がもっと強ければ、我が隊の兵にも死なずに済んだ者も居たのだろうなと考えるとな」

「………」

 

 近寄って、わしゃわしゃと頭を撫でた。

 華雄はそれを払うでもなく受け入れている。

 兵を率いた者や、王であった者なら誰もが思うこと。

 それは当然華雄もだった。

 気持ちの整理はついた~なんてことはいくらでも言えるが、本当に“言えるだけ”だからたまらない。どれだけ時間が経とうが後悔は後悔だし、死んでいったやつの笑顔を思い出せば辛くもなる。

 

  “あの時ああであれば”

 

 それを思わない人なんてきっと居ない。

 後悔を教訓にしなくちゃ前に進めないなんて、人間っていうのは本当に面倒だ。

 

「お前の傍は気安いな。私の頭をこうも気安く引っ掻き回す者など、霞くらいだった」

「そりゃ、同じ思いをしてる人相手なら気安くもなるさ」

「同じ? ───……そうか。失ったものの価値に、将も兵もない。立場ではなく、“その者”だったからこそ辛いのだから」

「んあー……それはわかるんだけど、襟首つかまれたままいちゃいちゃされると、たんぽぽとしては居心地が最悪なんだけど?」

「ア」

 

 華雄に集中してて、蒲公英のことを忘れてた。

 しかし華雄は実際襟首を掴んだままであり、蒲公英の言葉にしれっと真顔で言葉を返した。

 

「私はこいつの女だ。よくわからんが、いちゃついてなにが悪い」

『───《びしぃっ!》』

 

 そして固まった。

 固まって、そんな状態でゴガガガガッと岩と岩を擦り合わせるような重苦しい小刻みで震えながら、華雄を指差しながら俺を見上げる蒲公英さん。

 

「お、おにっ、おにいさっ……え? 女って……え?」

「かかかっかか華雄? 女って……」

「うん? 女だろう。言ったはずだぞ、夫婦で武芸達者も愉しそうだと。私は強者にしか興味がないからな。北郷は私に勝った唯一の男だ。私はしっかりと負けを認め、北郷の女になったからこそ、北郷の言う言葉の通りに鍛錬や休息を取った。そうしたらどうだ、私の力は一にも二にも成長し、以前よりも強くなったのだ。これが夫婦は支え合うということなのかと納得したほどだ」

『……、……! ~……! ……!?』

 

 俺と蒲公英は、そんな華雄の言葉を耳にしながらも互いの服を引っ張り合った。

 口にはしないがあの人をなんとかしてくれって思いと、それってほんとなのお兄様って思いが交差して落ち着いてくれない結果というか。

 

「そ、そっかー、お兄様ったら都を作ってからはしっかりと種馬の仕事を……」

「してなっ───………………イヤソノ」

「えっ!? してるのっ!?」

 

 してないと断言出来ない自分が居ました。

 むしろ華琳や美羽や七乃といたしてしまっております。

 だらだらと汗をたらす俺を、蒲公英は驚愕と困惑と好奇心をごちゃまぜにした、言葉だけで考えれば顔面が神経痛になりそうなくらいの表情で見上げてくる。

 しかし北郷嘘つかない。

 訊かれたら、真っ直ぐ受け止め応えましょう。

 

「……華琳と美羽と……」

「二人も!?」

「……あと七乃に襲われた」

「わお!」

 

 光った! 今確実に目が光った!

 光ったままで俺の左手首を両手でワッシと掴んで、なんでかぶんぶんと振るってくる。

 

「そっか、そうだよねー、お兄様に正攻法でいっても断られるって目に見えてるんだから、いっそ動けなくして襲っちゃえば……」

「本人の前で物騒だなオイ」

「にししっ、そういうのもありかな~って思っただけだってば。“曹操さま”に言われてるもんね、“きちんと同意の上なら”って。あれってお兄様だけの問題じゃなくて、たんぽぽたちの問題でもあるわけだし。お兄様がお姉さまのこと好きでも、お姉さまが嫌いだったら絶対にダメ。逆ももちろんダメってことだよね。ちゃっかりしてるよねー、魏の王様は」

「………」

 

 溜め息を吐きつつ空を見て、自分のぼさぼさな髪をわしゃりと撫でた。

 宅の王様はね、いろいろと先のことを考えるのが上手いんだよ。

 ある一定以上親しければ、俺は大抵のことを許すってことを知っているし、たとえば俺が七乃に襲われたことを知っていようが、俺が結局それを受け入れるであろうことだってきっと知っていた。

 知っているくせに嫉妬するのだ、いろいろと困ることは多い。

 なのに好きなのだから、俺自身も相当困っている。

 

「あのね。言っとくけど俺、好きだからってすぐに手を出す気なんてさらさらないからな」

「えー? せっかく魏の種馬の本領を見れるかもって思ってたのに。来るもの拒まずの“超・雄”って聞いてたよ?」

「その後にゴミ虫とかそういうのが付くんだろ?」

「うんついてた」

 

 前略おじいさま。

 今度我らが魏国の猫耳フード軍師に会ったら、問答無用で仕返ししてやることを今ここに、笑顔で誓います。

 

「それでえーと、華雄だっけ?」

「呼び捨てか」

「えー? さんとかつけてもらいたいの? どうしてもって言うならつけなくもないけど」

 

 への字口をしながら華雄を見る。

 対する華雄は少しぽかんとした後にフッと笑い、目を伏せながら軽く返した。

 

「……フ、いいや、かまわん。好きに呼べ」

 

 おお、なんか男らしい───なんて思ったのも束の間。

 

「じゃあ脳筋へそ出し女」

 

 にぱっと笑って爆弾が投下された。

 

「ああ。よろしくな、耳年増小娘」

 

 その爆弾を笑顔で打ち返す華雄さん。

 

「………」

「………」

 

 そして、何故だか妙に斜めな角度で睨み合いを始める二人。

 

「だぁああから睨み合うなってぇええっ!!」

 

 なんなのこの二人! なんか少しいい空気になったなと思った矢先に喧嘩!? ツッコミ入れてもてんで動じないし、いったい俺にどうしてほしいのさ!

 

「まあ、小娘のことはどうでもいい。それより北郷、決闘だ」

「あ、忘れてなかったんスヵ……」

 

 是非忘れていてほしかったのに。

 と言ってみれば、正直忘れていたがお前の服で思い出したとの返答。……俺の馬鹿。胴着を着てこなきゃ、スルー出来たってことじゃないですか。

 

「わかった、やろう」

「うむ。それでこそ私の男だ」

「その言い方やめて!?」

「む、む? だが私がお前の女になったのなら、お前は私の男だろう?」

「わかってないなぁ脳筋さんは。魏国がお兄様を他二国に許したように、お兄様は三国のものであって、誰のでもないんだよ?」

「なに? そうなのか?」

(……や、どうなろうとも俺自身は華琳のものではあるんだが)

 

 御遣いや支柱がどうであれ、“俺”は華琳のものだ。

 でも華雄に言われたように、どちらかに傾いたままでは支柱なんて勤まらない。だから支柱であり御遣いである限りは傾いたりなんてしないつもりだ。

 最初は華琳を抱きたいなんて思っていた時点で思いっきり傾いていた自覚はあるが、そんなどうしようもないほどの欲求が解消された今ならそれが出来る気がするのだ。……もちろん見境なくって意味ではなくて。

 

「まあいい、ならばより一層私がお前の女になればいいだけのことだ。恋だのなんだのはまだわからんが、お前が私を満たし続ければいずれわかる。そんな気がなんとなくする」

「なんとなくなんだ……」

「さあ、私を満たしてみせろ北郷一刀! 言っておくが私は遊戯でも食べ物でも満たされんぞ!」

 

 華雄が金剛爆斧を構える。

 俺もそれに倣い、黒檀木刀を構えて氣を充実させた。



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101:IF/イメージと覚悟が技を作る。強いかは別で②

 そんな双方を見た蒲公英がニコッと笑って二度三度とバックステップをして、そこで元気よくエイオー。

 

「それじゃあたんぽぽが立会人ってことで! 真剣勝負! 一本目ぇ! 始めぇえい!!」

『応っ!!』

 

 一本目ってのが気になったけど気にしない。

 怯みも無く互いが地を蹴って前へと身を弾かせる。

 直後にぶつかる互いの長柄が武器に宿った金色を弾かせ、衝撃とともに後方に下がるや弧の攻撃へと転じた。

 

『せいぃっ!!』

 

 振るうは双方横一閃。

 直後に腕に走る衝撃は痺れに近いものであり、人の身を打ったものではないことに息を漏らす。

 それは安堵か落胆か。

 どちらにしろ止まることなどしないまま、全力を以って相手を打ち倒すために体を動かし続けた。

 

「ふっ! しっ! はっ! つっ! だぁっ!」

「ふっ! ふっ! ふんっ! はっ! せいぃいっ!!」

 

 ぶつかる時は無遠慮に加速を使って全力でぶつかって、避ける時も遠慮なく避ける。武とは己の全力を以ってして相手に勝つこと。負けて卑怯卑劣を唱えるくらいならば、全てを想定した上でそれを破れる力を持ってから己の武を誇るべし。

 ならばそこに遠慮などあるだけ無駄。

 相手が真っ直ぐに自分を倒しに来ているなら、自分だって自分の全力で向かわなければ、鍛えた武に意味などないのだ。

 

(突き突き斬り上げ斬り下ろし薙ぎ払い振り上げ叩き下ろし───ここっ!)

「フッ……隙と見れば突きで来るのはお前の悪い癖だ!」

「うえっ!? そんな癖が!? つわぁっ!?」

 

 一定の攻撃の後の隙を突いての突きはあっさりと逸らされ、その上で弾かれた木刀目掛けての攻撃に吹き飛ばされかける。

 あ、危なっ……! 武器弾きに来た……!

 咄嗟に氣で繋げなかったら武器が弾き飛ばされてた……!

 

「お前に鍛えられた私だ。お前の癖などおおよその見当はついている」

「……だよなぁ。そうじゃなきゃ、馬鹿丁寧に一定の連撃を繰り返すわけがないもんなぁ」

 

 俺が鍛えたというか、俺は休憩と鍛錬の効率化を提案、プログラムを組んでその通りにやってもらっただけなんだが。

 それで“華雄はワシが育てた!”とか言うつもりはないけどね。

 

「けど、もちろん俺だって華雄の癖は知ってるぞ」

「生憎だが私相手に癖を知っても無駄だぞ? 常に全力、常に最速だ。隙があるというのなら私の動作全てにある。癖を知ったところで、私がやることはなにも変わらん!」

「威張るなぁーっ!! そんなことぉおおーっ!!」

 

 叫んだところで華雄は嬉しそうに笑うだけだ。

 それはそれで清々しい。

 受け入れ方ひとつで、“自分の武はどこまでも曲がらない”と受け入れられもするわけだ。なんだか、カッコイイって思える。

 思えちゃったらもうぶつかるしかないだろう。

 馬鹿と言われようが、それで負けたらただの阿呆だと言われようが、“そうしたい”と思ったならやれる内にやってしまうのが男以前に“人間”である!!

 でもとかしかしは今は捨て置け今の俺!

 相手に武しか誇れるものがないのなら、俺が誇れるものは氣しか無い! だって鍛えられるのそれだけなんだもの! だったらその氣を持って全力でぶつかる! それしかないからそれでよし! 余計な考え要りません! 故に突っ切れ男道ィ!!

 

「はぁあ~……(ふん)っ!!」

 

 自分の心を焚きつける意味も込めて、木刀を持ったまま拳と拳を叩き合わせた。

 氣が十分に篭った双拳は鮮やかに金色の氣を弾かせ、俺の胸の前でさらさらと綺麗に消える。

 ……OK、氣は十分に充実してる。

 ではあとは何が必要か? 決まってる。いつでもどこでも覚悟だけだ。

 

「覚悟───……すぅう───はぁあ……───完了!!」

 

 胸を強くノックして、迷うことなく疾駆。

 華雄は言った。これは決闘だと。

 だったら意地でも負けられないし、たとえ鍛錬だろうと負けたくはない。

 見れば華雄も同じくノックをしていて、走る俺を見るとニヤリと笑った。

 ───さて。

 何回まで保つかなぁ俺の体。

 

「まず、一ぃいっ!!」

 

 全力。

 俺の突撃をどっしりと構えて待っていた華雄へ、全力の氣を乗せた加速居合い。

 華雄は当然ながら怯むことなくその一撃へ自分の渾身を叩き込むと、弾ける金色と痺れる自分の腕に歓喜の笑みを浮かべる。

 

「二ぃいいっ!!」

 

 再び全力。

 弾けた氣を化勁の要領で吸収、さらに錬氣も合わせて充実させた氣で戻しの加速。

 それさえも怯むことなく返された華雄の一撃に再び弾かれ、華雄もまた武器ごと腕を弾かれ、白い歯を見せながらにやりと笑っている。

 だが止まらない。

 空っぽになる度に錬氣と装填を繰り返すように、氣ばかりに長けたこの体で渾身を繰り返す。

 弾かれて無理矢理捻るように曲がった体勢さえも、勢いのための助走のように利用して、錬氣しては攻撃を発射する。装填しては体から弾くように放つ木刀の一撃は、もう斬撃というよりは弾丸だ。

 足から上る氣を、螺旋をイメージして加速。先端である手に持つ木刀が振るわれる速度は、華雄の反撃を僅かずつだが押している。

 コンパクトに攻撃することを覚えた華雄は以前と比べて戻しも速いが───戻しが速いだけでは加速の一撃を弾ききれないと見るやスイッチ。速度ではなく剛撃重視になり、弾かれる度に体に走る衝撃の強さも格段に増した。

 

「五っ……六ぅううっ!!」

 

 ───たとえばと考えたことがある。

 たとえば漫画、たとえばアニメ、たとえば小説たとえばゲーム。

 あげれば結構あるだろうが、もし……もしもだ。

 それらに登場する主人公だろうと脇役だろうと誰でもいい。

 “技”というものを常に使えたら、それはどんなに強いだろう、と。

 常に使えたら、というのは語弊があるかもしれない。

 言ってみれば、攻撃の全てが技ってやつだったらと考えた。

 わざわざゲージを溜めなければ出来ない技じゃない。

 ただ振るう拳のひとつひとつに技が付加出来れば、きっと強いんじゃないかと。

 

「八っ! 九っ! っ……十ぅうううっ!!」

 

 振るうたび、弾くたびに金色が宙に散る。

 生憎と必殺技なんてご大層なものなんて持っていない俺に出来ることなんて、きっとこれだけ。“でも”を使うなら、全ての一撃に氣の全力を込められるなら、それはどれだけ強いだろう。

 そう思って出来たコレが、氣しか育てることが出来ない俺の精一杯。

 全ての一撃を必殺技にするつもりで、俺の氣が枯れるのが先か相手が潰れるのが先か。単純な根性勝負だ。

 “しかし”を使うなら相手だって馬鹿じゃない。

 ご丁寧に何度も武器で攻撃してくるはずもなく、俺の腹目掛けて蹴りを放つ。

 “でも”だ。

 蹴られる場所に一気に氣を集め、その衝撃を吸収。

 足から螺旋に上る氣とともに体を走らせると、木刀に装填してそのまま振るった。

 ……もちろん、衝撃自体は内側ではなく外側を走らせて。

 

「! 化勁か!」

 

 蹴りをしたために体勢も悪いまま。

 そんな状態で弾こうとしても失敗するのは目に見えていた。

 だから華雄は振るうのではなく自分の前に金剛爆斧を構えて、自ら木刀が走る方向へと跳躍した。

 

「っ───!」

 

 直後に轟音。

 いつか春蘭とぶつかった時に金色の閃光が眩しかったように、すぐ目の前で金色が武具を殴る音に耳が痛みを覚えた。

 その轟音に眉を顰めながら、自ら吹き飛ばされた華雄を追って地を蹴った。

 華雄はもう着地していて、追いすがる俺をやはり笑みで向かえ、金剛爆斧を振るう。

 そこへ向けて、守りを捨てた渾身の加速居合い。

 接触。再び金色が散り、耳を傷める。

 そんな金色の火花を視界に、“まるでファンタジーだ”なんてことをこんな状況の中で考えていた。

 過去の、それも自分が知った史実とはまるで違った世界へ行く……そんな自分にとっての現実を体験しているのに、今さらファンタジーもなにもない。

 

「……ははっ」

「……フッ」

 

 目に焼きつくくらいの眩い火花。

 その奥で互いの視界で笑う男と女。

 全力を出すってのはこれで結構愉しいもんだ。

 俺の場合はそれが、“錬氣できる内”までしか続けられないのが残念に思えて仕方ない。

 さて。

 ようするにこの“全力”があと何発保つかなんだが。

 既に相手の攻撃を吸収、上乗せしての攻撃で誤魔化している部分もあるくらいだ。

 痛かろうが辛かろうが、また気脈の強化と錬氣速度強化をしないといつまで経ってもこのままってことだ。

 もしくは全力で振るおうが、氣が飛び散らないように固定する方法を身につける───……まいった、やりたいことがまだまだありすぎる。

 そんな考えが顔に出たんだろう。

 いい加減押され始めているのに笑う俺を、華雄は愉しげな笑みで迎えて───

 

「お前の覚悟、存分に見せてもらった」

 

 振り下ろした金剛爆斧が、俺が持つ黒檀木刀を弾き飛ばした。

 

「───」

 

 轟音のあとに訪れる時間っていうのは、やけに静かに聞こえる。

 次にまたそんな大きな音がこないか、人はどうしても身構えてしまうものだ。

 そんな時間を感じられるか感じられないかの一瞬とも取れる時間の中、華雄は己の勝利に笑みをこぼし、俺は……“弾かれた瞬間の衝撃”を右手に装填して、無手のままに踏み込んでいた。

 

「!? ほんっ───」

「“決闘”だってこと忘れるなよ華雄!!」

 

 鍛錬ならば武器が飛んだ時点で諦めもしよう。

 結構しぶとくねばる時もあるけど、寸止めでもされれば諦める。

 けど、決闘の最中に動ける相手を前に勝利を確信するのはちょっと早い。

 慌てて武器を構えようとする華雄を前に、腕と金剛爆斧の間を縫うように放たれた掌底が、華雄の腹部に埋まる。同時に解放した衝撃と氣が、彼女の体を突き抜けるのを感じた。

 

「かっ……はっ……!?」

 

 確かな手応えを感じながらも距離を取って構える。

 そんなことをする暇があるなら追撃しろよって話なんだろうが……ごめん、もう錬氣がきかない。カラッポだ。最初から全力で、しかも全ての攻撃を必殺技のつもりで出せばこうなりもする。十以上続いたのが奇跡だ。解放出来た気脈の澱みの数を考えれば、普段なら6か7の全力居合いが出来ればいい方だろう。

 つまり、余力を残そうと無意識に構えたための、あの回数だ。お陰で体が痛い。

 しかしながらこの北郷、そんな己の不利を顔に出すようなヘマは───

 

「お兄様、汗すごいよ?」

「ツツツ疲れてるからネ!?」

 

 ツッコまれた途端に声が裏返りました。

 こんな自分でごめんなさい。

 

「……っ……ふふっ……最後の最後で……油断か……。武器を飛ばした程度で勝利を確信するなど……まったく……」

 

 聞こえた声にハッとして、蒲公英にツッコミながらも目を離さなかった華雄の目を見る。その目には己への不満はあったが……どうしてかやさしげで、満ち足りていたようでもあった。

 

「……諦め悪くてごめん」

 

 雄々しく前のめりに倒れそうになる華雄を、正面からそっと支えた。

 拍子に手から力が抜けたのか、金剛爆斧がどごぉんと地面に落ちる。

 ……音からして重さが半端じゃないんですが。今度、“もっと軽いものを武器にしたらどうだって”ツッコんでみようか。

 いや待て待て、そんなことより華雄だ。

 無遠慮に腹に掌底当てちゃったけど、内臓とか大丈夫か?

 

「勝負ありっ! お兄様の勝ちぃ~っ!!」

 

 そんな心配を余所に、蒲公英が俺の手を取ってエイオーと天へと突き上げる。

 まあ、結局はそこだ。

 勝者宣言もされてなかったし、されていたとしても最後まで気を抜かないのが戦い……らしい。じいちゃんの受け売りだ。

 一言で言えば、そんなものを拾うように突かなければ勝てないのが現状。

 ……もっと強くなりたいもんだ。

 

「はぁ……しかしまあ」

 

 本当に。

 こんな細い体の何処に、あんな破壊力を出せる力があるのか。

 蒲公英に持ち上げられた手が離されるや頭をコリコリと掻いて溜め息。

 そうしてから、当たり所が悪かったのか意識があるのにくたりと力を抜いた華雄を抱き抱えて、とりあえず歩く。

 

「お、おいっ!? 北郷!? 私はべつにっ!」

「はいはい、力が出ないのに妙な遠慮しない。内臓痛めてるかもしれないんだから大人しく運ばれるように」

「肩を貸されるならまだしも、この格好はまるで力無き赤子のようではないか! こんな格好は屈辱以外のなにものでも───!」

 

 ぎゃーぎゃーと耳元で騒がれ、力の入らない体でぱたぱたと暴れられる。

 まるで無理矢理抱き上げて少ししたら暴れだした犬か猫だ。

 ……これは、少し強めに言ってやったほうがいいかもしれない。

 一応勝ったんだし、勝者の言うことは訊くもんだーって感じで。

 って、それだけじゃ納得しないかもしれないし、なにか華雄が言った言葉から言質みたいな盾を作って、適当に……よし。

 

「はぁ……───華雄っ! 決闘して負けたんだったら文句言わない! それに仮にも俺の女だって言うならこういう時くらいは大人しくしろっ!」

 

 びしーっと言ってみた。

 俺を見上げるその顔に、自分の顔を迫力満点 (のつもり)でぐぐいっと押し付けるようにしながら。

 しばらくそうして睨み合っていると、華雄のキリッとした顔が少しずつ驚きに変わり、さらにぽかんとした顔になったあたりでポムと赤くなる。

 …………ハテ。なんですかその反応。

 

(ア、アレー……? 俺としてはそのー、“くっ……負けたことは事実な上、言ったことも事実だ……!”的な返し方を期待していたのですが……? え? なんで赤くなるの?)

 

 そんな困惑を知ってか知らずか、華雄は俺の瞳を覗き込んだまま、ぽかんとしたほんのりと赤い顔のままにこくりと頷いた。そんな、普段ではありえない豪快さもない小さな反応がなんか可愛───イヤ違うヨ!? ななななにトキメキかけてるかなぁ俺!

 少しずつ受け入れていくって決めたのにいきなりこういうのとかヨロシクナイ! ヨロシクナイぞ! 神聖なる決闘のあとにトキメくなんて、恥を───…………恥はもう十分に知ってましたごめんなさい。

 そして大変なことになった。言質のつもりで言った“俺の女だって言うなら”を真正面から受け止められてしまった。

 思春だったらこういう時、誰が貴様の女だとか静かに言って鈴音を突きつけてくるだけで済むのに……!(注:平然と“だけ”とか言ってますが一大事です)

 

「おおう……お兄様ったらだいたーん♪ まさか無理矢理抱き上げて、“俺の女なら大人しく抱かれてろ”だなんて」

「言ってませんよねそんなこと!!」

「あはははは、言ったようなもんじゃん。いやー、お兄様もちょっと見ない内に大胆に………………」

 

 なったねー、と最後まで元気に言うかと思いきや、なにやら様子がおかしい。なにかを思い出す仕草をして、ポッと顔を赤らめて、俺のことをズズイッと見上げてきて……ソッと視線を外しつつ俯いて、

 

「……そういえば、出会った頃から大胆だったよね……」

 

 と囁くような声でってちょっと待てぇええええ!!

 

「あれは蒲公英が訊いてきたからであって、俺はあくまで事実を話しただけでウギャアそれだけで大胆だったァアーッ!!」

 

 自分の言葉でなにかに気づく時ってありますよね。

 俺は新たに自分で自分の大胆性と恥を発掘してしまいました。頭抱えて蹲りたい気分だったけど、華雄を抱き上げてるから無理ですハイ。

 なので中庭の樹の幹まで華雄を運んで、そこにとさりと下ろす。

 そんな中、依然として華雄が俺の顔をじいっと見上げてきている。その仕草がなんだか本当に犬猫みたいで、苦笑しながら頭を撫でた。

 

「おおう……御遣いの本領を見ちゃった気分」

「んあ? 蒲公英、今なんて───なんて言ったか今すぐ教えてくれ!」

「ふえっ? どしたの急に」

「男として、“何か言ったか”はやめることにしたんだ。つまり言うまでしつこく訊く! 訊かれたくなかったら言ってくれ!」

「……いっつもそうやって問答無用なくらいで迫ってれば、誰でもコロリな気がするのになぁ。お兄様っていろいろともったいない人だね」

「? よくわからんけど“もったいない=価値がある”ってことでありがとう」

 

 言ってみたら笑われた。

 おまけにしっかりと聞き逃した“御遣いの本領”って言葉とその意味を教えてもらうに到り、要するに俺は無自覚の女ったらしとして見られていることがわかった。

 その時はそんな馬鹿なと笑ってみせたんだが───……困ったことに、その後に始めた蒲公英との鍛錬の中、華雄の視線がず~っと俺だけを追っていることに気づくと、さすがに笑えなくなっておりました。

 霞……きっと華雄を止められるのはキミだけだ。今すぐ帰ってきて華雄を止め……アレ? 霞が帰ってきたら抱かなきゃいけないんだっけ? …………あれ? や、嫌がってるわけじゃなくて……あれ? なんかどんどん逃げ道というか、自分の自由意志が無くなっていっているような……。

 

「なぁ蒲公英。自由ってなんだっけ」

「んあ? 好き勝手に行動できることじゃないの?」

「…………」

 

 以前の、この世界のことを何も知らなかった俺よ。

 きみは、きっと自由だった。

 そんなことを思いつつ、周囲からジワジワと固められていっている支柱という立場に向けて、乾いた笑いをこぼした。



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102:IF/技の開発は傍から見るといろいろとアレ①

153/修行をしましょう

 

 少しずつではあるが、無理ではない程度の気脈拡張をする日々が続く。

 いける……今日の俺なんかいけるよ! って勘違いをして調子に乗ると、知らずの内に空から天使が迎えに来るので大変注意が必要だ。

 

「フッ! はっ! ほっ! フゥ!」

 

 氣といえば真っ先に頭に浮かぶのは、一般的には体術方面だろう。

 俺もそうだ。

 なので今日も今日とて中庭で鍛錬。

 書類整理が安定してからは自分の時間を多く取れるようになった……ので、鍛錬。俺って本当に鍛錬馬鹿かも。

 しかしながらこの世界での“自分の中にある唯一の成長部分”を育てたくなるのは、当然のことだと思うのです。なので準備運動も混ぜた体術を虚空に向かって繰り出し、飛び散る汗にくすりと笑う。

 氣を扱っているから代謝がよくなっているのか、汗は結構な勢いで出る。それらが身を振るうたびに落ちて、なんだか映画とかの武術かみたいだなーなんてことを思ったのだ。

 木刀での錬氣の時はこうまで汗は出ないんだけど……やっぱり“体術”って意識が強く出ているからなんだろうか。

 

「ホアッチョゥ!」

 

 調子に乗って世紀末の愛の殺戮者のような声を出しつつ拳を突き出す。

 ……残念ながら、テレビで見るような中国拳法の音は出なかった。

 あれだな、“ボッ”とか鳴るやつ。

 拳を出しても足を出してもボッ、ボボッ、ボッとか鳴るのだ。

 実は無駄に憧れていた。あんな音、出ないけど。

 

「……氣を込めたらどうだろう」

 

 再度振るう。……もちろん、ああは鳴らない。

 加速を付加させてみても無駄でした、ハイ。

 バサッ、ボハッ、みたいな音は鳴るものの、これって服が急に動かされたから鳴ってるだけだろうしなぁ。

 うーん、中国拳法のなんと不思議なことか。(注:ただの効果音です)

 や、もちろんただの効果音だってことはわかってるけどさ。せっかく氣ってものを操れるようになったなら、是非とも試してみたいじゃないか。

 壁に拳を寸止めで放ちまくれば壁の一部を砂に出来るとか、離れた位置にある蝋燭の火を空拳で消せるとか、そんなものに小さく憧れを抱いていたのだが……うん、無理だ。無理だけど、“今の俺には”ってことにしておこう。いつか出来るかもしれない。

 そうだよな。なにせこの体、氣以外は成長しないかもしれないのだ。

 ならばこれから先をこの体のまま……成長速度が安定しているかもしれない体のまま、鍛えていける強みがある。これで筋肉も成長してくれたらなぁと思わないでもないが、どれかひとつでも成長してくれるのならありがたいことだ。

 なので鍛錬。

 

「ほっ」

 

 ヒュッと拳を突き出す。

 氣で加速させた拳は結構な速度で突き出され……ていると思う。

 氣で体を動かしている所為か体に余計な力が入らなくなったのはいいんだが、その分何かが速くなった~とかの感覚は逆に鈍ったような気がしてならない。

 昔は力を込めれば込めるだけ何かが速くなるとか思っていたもんだ。けど力は力でしかなく、速度は脱力とそれを手助けする程度の力とが合わさったのが丁度いいらしい。その人体のメカニズムに関しては、その道のプロじゃないと語りつくせないんだろう。結局は詳しく知らないのなら、感覚的に成長していくしかない。

 というか、氣は科学的に検証できるんだろうか。

 天では氣なんてものを得ることは出来なかった。テレビでビール瓶の口に手を当てて、ビール瓶の底を破壊していた人を見たことがあるものの、その頃はなにかのトリックだとか思っていたものだ。

 

「うーん……こう……こう? いや、こっちの方が速いかもしれないし……」

 

 首を捻りながら拳を前へ。

 まずは体術で試してみて、何かが掴めたら木刀を持って同じことが適用出来るかを検証。……大体は失敗する。そんなものだ。

 

「あ、そうだ。氣弾って連射出来るかな」

 

 自分の中から氣を小さく切り取って、放つイメージ。

 ポムと突き出した手から出た小さな気が、少し前へ進んでポスンと消えた。

 そのイメージを連続してみると……上手くいかない。

 出るには出るのだが、氣を千切るイメージの部分でどうにも詰まってしまう。もはや自分の中に当然としてあるものを千切るのを、体が邪魔しているのかもしれない。防衛本能ってやつだろう。これも日々、武器を持った春蘭に追い掛け回された賜物だね! ───嬉しくないけどね!

 

「だ、大丈夫だぞ、俺~。ここに春蘭は居ないし、これくらいの氣はすぐに錬氣できるんだぞ~?」

 

 言い聞かせてみる。

 ……上手くいかなかった。

 俺ってどこまで弱いんでしょうね。

 いやいや弱気になるな、弱気は損気! 弱気になっていいことなんてきっとないさ! なので、出来ないならがむしゃらだ! 無理矢理やってたらいつの間にか出来るかもしれないしネ! ……そうしなきゃ出来そうにもないっていうのも正直な話なんですが!

 

「魔空ゥウ包囲弾!」

 

 自分の中の氣を千切っては投げ千切っては投げ! ……意味が違う? いいのさ! 細かいことは気にしません! というわけで、もたもたとしたもどかしい動作ながら、空へと氣弾を飛ばした。

 ……もちろんピッコ○さんがそうしたように氣弾が空中で止まることはなかったわけだが。シュゴォーと飛んでゆく途中で止まってくれない氣弾たちに「待ってぇーっ!!」と本気で叫びつつ、そんな氣弾たちが青い空に消えてゆくのを……ただぼんやりと、眺めていた……。

 などと何処かの青春物語チックに締めようとしていないで。

 そうだ、そうだよ。

 切り離した氣って、空中停止とか出来るのかな。

 いや、ここで疑問に思うからダメなんだよ俺。いい加減目覚めなさい。

 出来て当然。それを疑ることなかれ。

 

「すぅうう……はぁああ……!」

 

 氣を切り離して……放つ。

 さすがに真っ直ぐ飛ばすと家屋破壊に繋がるので空へ。

 で、切り離したそれを停止させるイメージを……してみたんだが、止まることなく飛んでいった。なんか悔しかったので、青空に浮かぶ雲に消えていくように見えたソレへとポケットから取り出したハンケチーフを揺らした。当然意味はない。

 

「そうだよな、停止させるイメージなら、切り離す前に氣に乗せなきゃ意味がない」

 

 乗せられるかどうかなんて知らないけど、出来ると思わなきゃやる意味自体がないのです。

 さっきから蒲公英が愉しそうに俺を見ているが、気にしません。

 さらに言えば華雄が樹の陰から俺をじぃっと見つめてきているんだけど、これもきっと気にしちゃいけない。

 …………あれ? ていうか二人とも、仕事は?

 

「切り離すイメージ……完了!」

 

 いいや、ここに居るってことはきっと終わったのだ。

 だったら俺が気にしてもしょうがないよねと、氣にイメージを乗せて発射。

 空へと飛んでゆくそれは今度こそ空中で一時停止を───……しないで、シュゴォーと飛んでいってしまった。

 ……揺れるハンケチーフ。項垂れる俺。

 

「やっぱり俺みたいな若造が氣を知るなんて速いのカナ……」

 

 “出来て当然!”のイメージが“貴様のような小童に出来るものか! この愚か者が!”に変わってゆく。しかしここでそれを認めてしまえば前には進めないので、発想の転換。

 切り離した氣に氣をくっつけて、停止させるのはどうだろう。

 氣が攻守一体になる前にやっていたことだ。相手に攻撃側の氣をくっつけて、相手の動作を先読みするアレの要領。アレならもしかして上手くいくのでは?

 

「よし!」

 

 こういう成功のイメージが浮かぶ時って、自分でも驚くくらいワクワクするよね! こういう瞬間って大好きだ! で、失敗して項垂れるんだ。大丈夫、いつものパターンだから。

 

「まず切り離してぇえ……放つ!」

 

 空へと放つ氣弾。

 それにすぐさま氣をくっつけて───停止!!

 停止……てい……止まってぇえーっ!!

 

「………」

 

 ……ハンケチーフが揺れた。そしてお約束で項垂れる俺。

 い、いやいや失敗じゃないよ? 今のわざとだから。ててて停止のイメージが足りなかったんだヨきっと。次はいける。きっといける。いける……といいなぁ。

 どれほど哀しげな顔で止めようとしていたのか、蒲公英が俺を見ながら爆笑しているが気にしません。華雄がなんでか樹の陰から俺を見たままポッと頬を染めてるように見えるけど、気にしません。

 氣の習得だって苦労したんだ……これくらいの“出来ない”がなんだい! “出来なくて当然”でも、それは“今だから出来ない”で上書き出来るのさ。そして今だから出来ないは、“諦めなかったから出来た”で上書き出来る。

 こうなったら数をこなしてでも出来るようになってやらぁあっ!!

 ……っと、口調口調。

 

……。

 

 氣を放つ。放つ放つ放つ放つ。

 

「止まれ止まれ止まれぇええーっ!!」

 

 そして止める止める止め……止まってぇええ!!

 某龍球物語であれば、放てば負けるフラグとして有名なそれの如く、両手を交互に空へと突き出し放ってゆく。その度に新たに氣を伸ばして停止のイメージを届かせるんだが、ちっとも止まってくれない。

 でも気分はいい。

 何かに夢中になるのって、なんであれ気持ちがいいもんだ。

 ていうか……あれ? 俺ってなにがしたかったんだっけ?

 なんかとても大切なことが既に出来ているような気がしてならないんだが。……ハテ、大切なこと? ……いやいや全然だろ、だってまだ空中停止出来てないじゃん。

 

「んん……なにがいけないんだろうなぁ。飛ばした氣が氣弾と繋がってないとか? それとも切り離したものはもう切り離したものとしてしか機能しないのか?」

 

 それはないと思う。

 なにせ別の誰かに自分の氣を変換させて流し込んだ時には、その氣が自分の氣として流し込んだ人の氣を強く妨害するようなことはなかった筈だ。

 だから……………………あれ? 流し込んだ……氣?

 

「あ……あー!」

 

 そうかそうだよ! 氣の変換!

 切り離した氣はもう俺から切り離されてるんだから、飛ばしたのは俺でももう“俺の氣”じゃないんだよ! 切り離してからそれを操るなら、その氣に合わせたものをくっつけてやらないと意思が届くわけがなかった!

 

「よ、よーしよーし! そっかそっかぁ!」

 

 難題を解いた気分で高揚したままに氣を空へ。

 切り離したそれに向けて氣を飛ばしてくっつけて、今度こそ停止のイメージを……イメージを……

 

「……切り離したあとの氣の在り方が解らない」

 

 ……送るより先に、ハンケチーフが揺れた。

 

……。

 

 時間ばかりが過ぎる中、掌に浮かばせた自分の氣を調べる。

 切り離すと落ちるから、まだ切り離す前。手からエクトプラズムが伸びているようなカタチは見ていて可笑しい。

 

「これを切り離すと……落ちるよな」

 

 切り離した瞬間、それはヤム○ャさんの操気弾のように丸いカタチになると、掌に落ちてくる。それを両手に装填した氣で受け止めると、再び氣の在り方を探ってゆく。

 やり方は桃香や璃々ちゃんの氣を引き出した時と同じような感覚。そうして氣の在り方を探ってゆくと、その氣の在り方も見えてくる。……ようするに攻守の氣そのもの。俺はそれに、今までの癖で攻側の氣を伸ばすイメージを強くしてしまっていたようだ。

 氣が攻守一体になっているとしても、どうにも多少偏らせることは出来るようであり……上手くいかなかったのはこれの所為……のようだ。多分。

 ならばと両手の中にある丸い氣弾に氣を繋げて“浮け”とイメージを働かせる。すると……浮いた。浮い……浮いた!?

 

「ハッ、ハワッ! ハワワワワ!?」

 

 よもや……まさか! 成功!?

 試しに飛んでいけとイメージを乗せると、掌の氣弾が飛んでいって……や、速度は相当お粗末なものではございますが……飛んだ! おおお飛んだ! 停止も……できる! 出来るよこれ! おぉおおおお!!

 操気弾だ! 操気弾だよヤム○ャさん!

 こっちの言い方だと操氣弾が出来たよヤム○ャさん!

 

「す、すげぇ! 氣、すげぇ!」

 

 興奮が冷めない。口調がおかしくなっている事実も興奮によって気づかないままに、操る氣弾を地面に向けて飛ばしてみた。するとボスッ……と小さな音を立てて、氣弾は消滅した。

 

「………」

 

 興奮が裸足で逃げてった。

 もはや使うことはあるまいと思っていたハンケチーフが揺れた瞬間だった。

 

……。

 

 わかったことがある。

 俺の氣は貧弱だ。

 ヤム○ャさんは氣弾を地面に潜伏させて保つことに成功していたのだ。

 だというのに俺は地面を抉ることすら出来ずにボスッ……だ。

 すごいよ、ヤム○ャさんすごいよ。

 

「あ」

 

 ふと思い立ち、氣を手に集中。

 切り離したソレに再び氣を繋げて、氣のカタチを変えられるかを試してみる。

 これが出来ればいつか“落合流首位打者剣(おちあいりゅうしゅいだしゃけん)”で敵の氣弾を跳ね返すことも───!

 

……。

 

 コーン……

 

「………」

 

 無理でした。

 現在とっぷりと夜。

 朝から続いた鍛錬も終わりの時を迎え、俺の手にはとうとう一ミリもカタチを変えなかった氣弾。

 ソレを再び空へと飛ばしてハンケチーフを揺らすことで、本日は終了となりました。

 なにもかも思うようにはいかないもんですね。

 氣を剣にする……これが出来れば、黒檀木刀が傷つくかもしれない心配は無くなると思ったのに……。



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102:IF/技の開発は傍から見るといろいろとアレ②

154/続・修行をしましょう

 

 翌日。

 今日も来るのかなと思っていた蒲公英や華雄の姿はなく、中庭には穏の姿だけ。

 なんでも昨日は都の街の視察に行っていたらしく、現在の呉とどれほど違うのか、その差を調べにいっていたらしい。

 で、蒲公英と華雄が本日それを行なっていると。

 華雄は普通に警邏の仕事で、蒲公英はそれにくっついて街を見る。

 案内役が華雄というところが少し怖い気もする。街中でまた睨み合いなぞしていないかとか考えないでもないが、そこはさすがに……ねぇ?

 

「……やりそうだー……」

 

 今までが今までだもの、きっとやる。

 そうなったら警備隊に任せるしかない……よな。

 

「………」

 

 心の中で頑張れと言いつつも、手では十字を切りそうになっているのを止めた。

 

「さて」

 

 朝に出来る分の書簡整理は既に終了。

 のちに送られてくるであろうものも夜にやれば問題無し。

 緊急のものは直接報せてくれって言ってあるし、あとは鍛錬だ。

 

「前は三日ごとだったのに、翌日にやるなんて……」

 

 なんだかくすぐったい気分だ。

 筋肉を鍛えるためなら二日三日は休ませる、なんてことを知らなかった頃はほぼ毎日筋トレをしたもんだ。お陰で体がどんどんと動かなくなっていって、それを口にしても鍛え方が甘いからだーなんて言われたりもした。

 当時の体育教師は結構熱血派だったに違いない。“鍛えれば強くなる! 強くならないのは貴様が軟弱だからだー!”で全てを通しそうだった。

 

「……あ。そういえばさ、穏ー」

「はぁい? なんですかー?」

 

 東屋の石椅子にちょこんと座ってこちらを見ている穏に声をかける。

 少し愉しげに……というよりはわくわくしているように見える彼女は、にっこり笑いながら声を返してくれた。そんな彼女に“穏って武器、なにか持ってたっけー”と訊いてみた。

 ……返ってきた言葉は、意外にも紫燕という名の多節棍。

 大丈夫なのか、それ。

 あんなぽんやりさんが多節棍を使う様なんて、まるで想像がつかないんだが。

 あ、あー……でもなんだろ。

 呉での鍛錬の合間に、祭さんが“穏はあれで結構できる~”的なことを言っていたような。

 

「………」

「?」

 

 マジか……って目で呆然と見つめていると、にこりと笑まれた。

 離れているにも係わらず、その笑顔はぽややんとしたものだと確信が持てる。なのに結構できるらしい。

 ……前略おじいさま。俺、やっぱりこの世界の常識がよくわかりません。

 ま、まあいいや、今は鍛錬だ。

 穏もあそこで書物を読むそうだし、見られて気になることもない。

 今は自分のことに集中だ。

 ……でも氣を剣にするのは諦めようね。

 

「そうそう、氣を空中で停止させることは出来たんだし、あとは連射を……連射……連射?」

 

 …………。

 

「出来てる!?」

 

 あれぇ!? そういえば俺、空中で停止させることに夢中になるあまり、当初の目的忘れてたよ!? そうだよ! 俺、元々連射のために練習してたんじゃないか!

 

「あ、あ……あー……」

 

 人は難しい事態に陥った時、さらに難しい困難に直面したあとだと“その前に難しいと思っていたこと”が案外楽に解けるといいます。……それを身をもって経験しました。

 

「それにしたって気づかないまま使うとか…………」

 

 阿呆ですか俺は。

 い、いや、でも出来たんだよな! これは喜んでいいことだ!

 では改めまして───

 

「魔空ゥウウウウ包囲弾!!」

 

 ズドドドドドとピッコ○さんのように氣弾を連続で放って、それを空中で停止させる。

 …………一個だけ停止して、残り全部が空へと消えていった。

 

「………」

 

 ハンケチーフが揺れていた。

 

……。

 

 つまりあれだよ! どうにも俺は氣の可能性っていうものを自分で狭めすぎているんだ! 考えすぎなければ上手くいきそうなものなのに、これまで生きて学んできた常識がそれを邪魔する!

 氣なんて漫画やゲームの中のものだ~なんて固定されたことをわざわざ考えたりしなければ、きっともっと自由で……なんというか救われていたのかもしれないのに……独りで静かで豊かで……。じゃなくて。

 

「というか……これ、氣弾切り離さずに放ったほうがよくないか?」

 

 切り離してわざわざ繋げるくらいなら、いっそ繋げたまま放ってみたらどうか。

 

「そうと決まればソイヤァーッ!!」

 

 新たな発見に伴うハイテンションとともに氣弾を切り離さずに空へ!! すると放たれた勢いとともに俺の中の全ての氣がゾリュリュリュと根こそぎ空へと飛んでいきィイイェエゥゥェエ…………どしゃり。

 …………気絶しました。

 

……。

 

 前略おじいさま。一刀はまた一つ賢くなりました。

 

「切り離し、大事!」

 

 や、既に一度通った道であり、忘れてただけなんですが。

 そうだよなー、剣閃とか放ったあとに氣がすっからかんになるから、凪に切り離しを教えてもらったんだもの。

 それを忘れて得意になるなんて……いかんなぁこれは。いかんいかん。

 あ、ちなみに穏は読書に夢中で、気絶した俺にはてんで気づかなかったそうです。

 ……いいんだけどね、べつに。

 

「夢中になることも大事(主に連射習得)。でも過去の経験はもっと大事(主に切り離し)」

 

 麒麟さんが好きだけどガネーシャさんはもっと好きみたいな、そんな気持ち。かなり違うけどそんな気持ち。

 

「はぁあああ……!!」

 

 ともあれ、錬氣が終わったなら再び鍛錬。

 氣の応用も少しだけ道が開けたし、ならば開けた……拓けた? 拓けた、じゃあないよな。だって操氣弾だし。先人としてヤム○ャさんが居るんだから、拓いたとは言えないね。

 なのでこの、先人が既に通った道……極めてみせよう!

 

「つおッ!」(それっぽい言葉)

 

 掌の上、何も無い中空に氣弾が浮く。

 氣の大半を凝縮させて作ったソレは、昨日のものよりも金色が強い。むしろ眩しささえ感じるくらいにギラギラしている。春蘭や恋と戦った時に弾けた氣の閃光みたいだ。

 

「はぁ……はぁ……こ、これを操って……」

 

 停止させるイメージを常に流しながら、カラッポに近い気脈に錬氣。

 既に息切れしている情けなさはご容赦ください。ほんとに辛いんです。

 

「ふぅ……よしっ」

 

 錬氣した氣が安定すると、次は氣弾の操作に移る。

 まずはゆっくりと動かして……右~……左~……おおお、案外自由に動く。でもやっぱり多少の反動みたいなのはあるようで、右に動かしたあとに左に向かわせようとすると、ブレーキみたいなのがかかってから左に行く。

 氣でもこういうのってあるんだなー……重力とかあるわけでもなさそうなのに。

 

「……? ハッ!」

 

 ま、待てよ? 大変なことに気づいてしまった……!

 これの要領で体に氣を纏わせれば、空飛べるんじゃないか……!?

 

「……いやいやまだだ。焦るな焦るな……!」

 

 まずは小さなコントロールからだ。成功を焦っては失敗しか産めない。

 ならばこそ、まずはこの操氣弾のコントロールからだ。

 

「───右!」

 

 意識すると、操氣弾がヒョンッと右へ飛ぶ。

 

「上っ!」

 

 さらに上へ。

 

「………」

 

 しばらくそのままにしておくと、ゆっくりと掌へと戻ってきた。

 氣で繋げてるからかな? なんか面白い。

 

「氣って結構応用が利くんだなぁ。ははっ、これを誰かに向けて飛ばして、相手の氣に変換してからぶつけたら吸収されたりするのかな」

 

 それが出来たら回復弾の出来上がりだ。

 なんだか一気にファンタジックになった。

 

「じゃあ繋げたまま相手の氣に合わせてくっつけて……う、浮かせる?」

 

 出来るんだろうか。

 そしたらそのまま空に飛ばして“悟空ーっ!”なんて叫ばせて……それじゃ相手が死にますね。じゃああれだ、“魔封波じゃーっ!”って叫んで発射、相手を氣で包んで浮かせてぐるぐる回転させて目を回させる。

 ……物凄く面倒な行動だった。

 

「どちらにしたってこれが慣れてからだよな」

 

 そもそも氣は相手に合わせてくっつけた時点で気脈に飲み込まれる。そうなるともう俺の氣ではなくなるわけだし、浮かせることなんて無理だ。

 じゃあ自分はどうなんだって話だが……多分自分を浮かせるのも無理。

 氣自体はそれに重力がないから浮くのであって、そもそも放つ時だって方向を決めて“発射”しているからこそ飛ぶのだ。なのにそこに重力の塊である人を乗せたりなんかしたら、浮くはずもない。

 

「ん、それはそれで仕方ない」

 

 空を飛ぶのは真桜に任せよう。

 俺は俺で、数少ない自分の特技を昇華させることに真っ直ぐになればいい。

 

「…………念のため言っておくけど、特技って氣のことだからね?」

 

 誰にともなく呟いた。

 離れているから聞こえなかったのか、穏はこちらを見ることもなくうっとりした顔で本を読んでいる。

 ……そう、断じて床上手とかそっちが特技ではない。

 氣だよ? 僕、氣が得意なんだ。むしろそれしか伸びないんだ……。

 しかし昔からよくある話だ。全てを万遍なく育てるよりも、一点を集中してそれを極めた者は強いって。大変腹立たしいことに、その多くは一部の“天才”と呼ばれる存在にはどうあっても勝てやしないのだが、それでも食らいつくことは出来るのだ。

 俺はその可能性を決して否定したりなどいたしません。

 なので一歩。一日一歩、三日で三歩ってやつだ。え? 二歩下がるのか? 否である! 進んだからには下がらない!

 後ろが気になるなら振り向きます。下がる理由なんて今はないしね。

 

「よっ! ……ほぉおお~……」

 

 バスケットボールのように、両手で弾くように正面へと操氣弾を飛ばす。しばらくすると止まったそれは、やはりゆっくりとこちらへ戻ってくる。

 試しに引き寄せるイメージを働かせてみると、シュバッと元気に戻ってきたそれをバッシィと両手で受け止め

 

「ギャアアアア!!」

 

 爆発した。

 ……うん、バスケットボールみたいに弾き飛ばせたからって、勢いよく戻ってきたソレが弾けないとは限らないもんね……。でもまさか、キャッチの衝撃で爆発するとは……思ってもみなかったよ……。

 

……。

 

 バッババッバッバッ!!

 

「上っ! 上っ! 下っ! 下っ! 左っ! 右っ! 左っ! 右っ! B! A!」

 

 上下左右に氣弾を移動させまくる。

 いい調子だ。なんだか最近の自分が冴えている気がしてならない。

 いける……何処へとかそんなこと訊かれても答えられないけど、なんかいけそうな気がする! なんでコナミコマンドなのかはイメージしやすかったからだとご理解ください。

 

「よーしよしよしっ! っへへ~♪ なんか調子いいし、そろそろ威力のほうも……!」

 

 子供のように鼻をこすり、調子に乗りまくって顔を大いにだらしなく緩めた俺は、氣弾を地面へ向けて飛ばした。これで地面を抉って、さらに地面から飛び出させることが出来れば俺も……俺もようやくヤム○ャさんに近づくことが───!

 ……ボスンッ。

 

「ホワッ!?」

 

 ……地面と衝突した途端、軽く破裂して消えた氣弾に驚きを隠せなかった。

 あ、あれー……? もう少しこう、ぼかーんとかどごーんとかそんな音を期待してたのに。

 

「……人に当たった時だけあんなに激しく爆発しておいて」

 

 少し腹が立った。

 そりゃあ練習用ってことで練り方はお粗末だったかもしれないが、それでも立派な氣弾だったのに。少し意地になってもう一度練り上げた氣弾を、今度は上昇させてから一気に地面へと落とした。

 すると、地面との接触とともに大きな音を立てて破裂する氣弾! 氣弾の大きさよりも少しだけ大きめに抉れる地面! 「おおおお!」と子供のように燥ぐ俺! ……そして固定のイメージを持続させなかったために、無残に飛び散って消えた氣弾。

 

「………」

 

 一つのことに夢中になると、そもそものきっかけを忘れる癖をなんとかしようと思った瞬間だった。だ、大丈夫、今度は大丈夫だ。人間は学習出来る存在です。

 

「固定、固定ね」

 

 地面に穴を空ける、破裂させない、地面からまた空へと飛ばす。これを以って成功ってことで、とにかくまずは地面に穴を空けられる氣弾を作ること。さらにその時点で氣弾が破裂しないこと。……穴空けても、喜んで氣弾を霧散させちゃわないこと。集中だ、集中。

 

「よしっ!」

 

 錬氣、氣弾生成、氣をくっつけて操作、地面へ向けて発射。

 ここまでは流れるように出来るようになった……と思う。や、アニメとかみたいにシュバーとか出来るわけではもちろんない。あくまで今の俺の中で。相当もたもたしてるんだろうけど、これでも速い方なんだ。……うん、実戦向きじゃないのはとっくに理解してるんだ。でも浪漫が……男の子には浪漫があるのです。

 すげぇ、ヤム○ャさんすげぇ……。俺なんてもうぜぇぜぇ言ってるのに、こんなものを自由自在に……!

 

「~……せいっ!」

 

 中空から地面へ向けて急降下した氣弾が、ごりごりと地面を削る。

 なんというかこう、回した独楽がチリチリと地面を抉るみたいにゆっくりと。

 ……ああっ! もどかしいっ! でも集中切らすわけにもいかないっ!

 そうだよなぁ、やっぱりそうだよなぁっ! 氣弾って破裂した時にこそ威力を発揮するものだよなぁ! 固定したままじゃ、ただの回転するボールと変わらないんだもんなぁ! なんか変だと思ってたよ!

 すごいよ! ヤム○ャさんあなた最高だ! カタチを保ったままの氣弾で地面どころか武舞台の固い石床まで破壊するなんて!

 よくサイ○イマンと一緒にネタにされるけど、彼だって俺達に比べたら十分に最強種じゃないか。そんな彼の技を真似てみようだなんて、自惚れにも程があった……!

 

「じゃあ威力を上げよう」

 

 しかし北郷めげません。

 だってこれしかない……俺には氣しかないんだもの!

 単純に考えればいいのさ、威力が弱いなら、威力を上げればいい。当然のことだよね。じゃあこういうもののセオリーとして、威力を上げるにはどうすればよかったっけ?

 

「そう……水はだばだば流すよりも、ホースの先を摘んで出口を細くしたほうが勢いがいい!」

 

 簡単なことじゃないか!

 なので掌からじゃなくて指先から出す! これ即ち───!

 

「くらいやがれ!!」

 

 右手は人差し指と親指以外の全てを握り込み、指ピストルの構え。左手は右手首にソッと添えるだけ。この右人差し指に氣を集中させて、心の引き金とともに空へと一気に解き放つ。これぞ某・霊界探偵が好んで使用した霊氣圧縮発射奥義!

 

霊丸(レイガ)ァーン!!」

 

 叫んだ名前の通りの物が、金色の色を以って放たれる。

 俺は……圧縮されたソレが空の青へと勢いよく飛び、やがて真っ白な雲に消えてゆくのを……ただ黙って見送っていた。

 

「………」

 

 のちに静かに膝から地面に崩れ、両手を地面についた時点で一言。

 

「……空に撃っちゃ、威力わからないじゃん……」

 

 ……いい加減学ぼうね、俺。



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102:IF/技の開発は傍から見るといろいろとアレ③

 さて。

 今度こそと地面に撃った指先発射の圧縮氣弾は、確かに威力もあって地面も抉ってくれた。固定した状態ではタカが知れているんだけど、抉ってくれた。もちろん穿つには至らない。

 大人しく凪みたいに爆砕型でいったほうが良さそうだ。

 爆砕型はすごいぞ~? なにせ賊を捕まえるために放てば、店の看板が吹き飛ぶくらいの威力で……

 

「……使いどころをちゃんと考えてから放とうね」

 

 そもそも地面に氣弾を潜伏させるって野望は費えたんだから、地面を抉る理由もないのだ。そりゃあ威力を知りたいって願望があったわけだけどさ、手入れしてくれる人に悪いじゃないか。

 

「手入れかぁ。園丁†無双のみんなは元気かな」

 

 懐かしき魏国の精鋭らを思う。

 またボッコボコにされた中庭を整備するためだけに呼ばれたりとかしてなければいいけど。

 

「まあそれはそれとしてだ。んー……」

 

 とりあえず結論を出すのなら、今の俺は氣弾を放つよりも氣を込めて物理的に殴ったほうが強いみたいだ。

 ようするに攻撃特化や防御特化ではなく、加速とかそういう変則的なことに向いている氣なんだろうね。なんたって類を見ない攻守融合型らしいし。

 ……これって使えるのだろうか。

 普通に攻撃型の方が男としては浪漫があったような気が。

 でもそうだとしたら、誰かの傷を癒すとか誰かの氣を呼び覚ますとか、あんなに簡単には出来なかったんだろうな。そこのところは素直に感謝。

 

「威力は無くても数撃ちゃ武器になるだろうし、目眩ましにも……数撃ちゃ?」

 

 数……数か。

 ピッコ○さんや野菜の王子様みたいに両手で撃つんじゃなくて、こう……右手で木刀を構えて左手で相手の動きを制限させるために連続で……でも氣弾を馬鹿丁寧に撃ってたら氣がいくらあっても足りない。そこで数だ。

 

「数……指先から……そう、指先から、氣の量は小さいけど多少の威力はある氣の小さなレーザーみたいなのをドチュチュチュチュと発射…………ああっ! アーマー○コアでそんな武器があったよ!」

 

 え、えーと、イメージイメージ。

 指五本を相手に向けて構えて、その五本の指から一気に一発ずつの氣弾……氣線? を放つ……と。

 

「よっ……と。おおっ、出た出た」

 

 相当にショボかったものの、小さな氣弾が出てくれた。しかしすぐに霧散してしまったので、これじゃあ敵に当たる前に消えてしまうことになる。……むしろせめて線状で出したい。あれじゃあ指からパチンコ玉(ダメージはそれに劣る)を飛ばしてるだけだ。

 こう、もっと狭めるように~……それでいて気脈から一気に押し出して~…………イメージって言うけど、考えるのは簡単で、明確化させるのが難しいんだよこういうの。歌の練習とかで、“もっと頭に響かせてー”とか言われたって響いたら脳が死ぬわ! とか真面目にツッコミたくなるような気分。いやまるで関係ないんだが。

 

「リズミカルにやってみよう。1、2、123、って感じで出す……」

 

 やってみる。

 ……出るには出るんだが、どうにも複数個所から出すというもの自体に俺が慣れていないようで、どうにも上手くいかない。

 はぁ……覚えることがいっぱいだ。そして溜め息吐いてるくせに顔がニヤケている。自分が強くなれる可能性が見つかったからだろうか。春蘭とか相手に使ったら小細工がどうのこうのと罵倒が飛びそうな予感だけが浮かぶものの、まあなんだろう。春蘭相手に大した威力もない見掛け倒しマシンガンを撃ったところで、どうせそのまま突撃してくるに違いないのだ。そしてまた空を飛ばされる俺。……ソレを思えば、罵倒がなんだというのだろう。

 たとえ負けるとわかっていても、可能性を思えば冒険をしたくなるのが男って生き物だと思わせておいてくださいお願いします。

 で、それに付き合う女性っていうのは大体、まーた始まったと苦笑してしまうものでしょう。男でごめんなさい。

 

「……一本一本地道にいこうか」

 

 人差し指は楽に出た。

 中指もOK。……薬指と小指と親指が上手くいかない。

 そのくせ、サムズアップしながらだと何故か出た。

 ……しょうもないけど大いに笑った。

 

……。

 

 さて。

 なんとか指の一つ一つや、人差し指と中指二本ずつ、小指薬指二本ずつなどでも氣弾が出せるようになって一息。なんとなくやりたくなって握り拳から小指人差し指のみを立てて、それを天に突き上げながら氣弾を放ってみた。世に言うテキサス・ロングホーンポージングである。

 無性にラリアットをしたくなったが、きっと気の所為だ。

 

「……よしっ」

 

 そんなウエスタンソウルはさておき、いざフィンガーマシンガン!

 バッと格好よく構えた(つもり)の指先から、氣弾を発射する!

 それらはそれぞれが指差した方向へと器用にまっすぐに飛び、障害物に当たったものは軽く弾け、当たらなかったものも一定距離を飛ぶと消えた。しかしきちんと思う通りに発射出来るようになって、俺はもうそれだけで十分満足だった。

 威力など二の次。

 こういうのはあれだ。

 かめはめ波と同じで“出来たこと”が何より大事なんだ。

 だから指から一斉に氣弾というか光線が出なくても、たとえ二本ずつとか一本ずつの発射にバラけていても、それはそれでいいのだ。い、いや、挫折したとかそういうのじゃないよ!? ほんとだよ!?

 あとは動きながらでもこれが出来て当然になれば、戦い方も広がるってものさ! ……多くの場合、威力が小さいと知るやコレを無視して突っ込んで来そうだけどね!

 

「せっかく編み出したマシンガン(もどき)なんだから、そう簡単に潰されるのもなぁ……。じゃあアレだ。コレを無視して突っ込んできた勇気あるお方には、漏れなく全力の氣を込めた木刀の一撃を進呈するとか」

 

 目眩ましのあとに一撃……砂をかけてから攻撃するどこぞの悪党のようですね。

 命をかけるんだったら“どんな手を使ってでも勝つべし”だろうけど、やったら華琳を始めとする様々な人に絶縁されそうで怖いです。

 

「……アレ? じゃあ俺、相手が掻い潜って出てきても相手が攻撃仕掛けるまで待たなきゃダメなの?」

 

 …………覚えた意味ねぇ。

 そんな言葉が俺の頭の中に大きく誕生して……口調が悪くなるのも直すつもりもなく、頭の中の言葉をそのまま口にしたのでした。

 体が勝手に崩れ落ち、もはや恒例となってしまったorz状態なのは、もう気にしないことにした。

 

……。

 

 氣の応用その……いくつだっけ? まあいいや、その2ってことでいこう。

 

「氣のマシンガンについては卑劣に見えない程度に使う方向で。次は……」

 

 ともかく俺の氣は何かに宿らせることや加速などといったものに特化しているようなので、攻撃の加速や移動、自己の回復などに使うのがベストだろう。

 さすがに疲労は簡単には回復してくれないが、それも氣で体を動かせば疲れづらいという恩恵があるので度外視。防御面に使うって方向は……さすがに腕に氣功を使ったからって銃の弾丸を弾く肉体とか刃物を受け止める肉体とかになるのは無理だろうから、俺はあくまで衝撃吸収の化勁でいこう。もちろんそういう氣功に憧れはあるんだけどね。

 えーと? 体を硬くする氣功って名前、なんていうんだっけ? 硬氣功っていうのはちょっと違ったような気がするんだけどな。逆に筋肉増強とかの氣功があるなら是非覚えたいものだ。筋力の上げようがないから、こう……美しい魔闘家鈴木さんのように爆肉鋼体と名づけた能力を使うだけでマッチョになれるとか。……なったらなったで、その体を使いこなすのにまた時間を費やすんだろうね。使った途端に使いこなせるイメージが全然湧かないのは、どこまでいっても自分が日本人……というより極々一般的な地球人だからなんだろう。宇宙人ならなにがあっても驚くだけで済む……そんなイメージなら簡単に出来そうだ。

 

「移動速度……だよな。走る練習は今でも続けてるし、お陰でもう氣で体を動かすことにも慣れた」

 

 けど、それはあくまで筋肉に負担をかけない程度の速度。

 疲労が出ないように動くことを意識しているために、無茶な行動は出来ていない。なのでそれをさらに氣でカバー出来れば……というのが応用2。

 

「腕の加速が出来るなら足の加速も出来るはず。それは練習の段階で何度かやったけどなぁ……」

 

 あれは結構痛い。

 ご存知のように氣で体を動かしているわけで、それに加速をつけると関節にダメージが来る。なにせ走る動作の際にクッションになるはずの筋肉が、脱力の所為で普段よりも機能していないのだ。お陰でどっすんどっすんと響くし、痛みを和らげようと氣をクッションにしようとすると走る方向に氣を集中させづらくなるし。

 現在よりも速く走るとなると、まずはそこをなんとかしないと……ん? なんとか……あ、なんとか出来るかも。指の一つ一つから同時に氣を放出することに成功したんだ。その要領で、こっちもなんとかなるかもしれない。

 

「おお……案外無駄なことって無いのかも」

 

 喜びつつも鍛錬再開。

 走るために体を動かす氣と、クッション代わりにする氣とを動かしてゆく。……が、予想通りと言うべきか最初からそう上手くいくなんてこともなく、何度か盛大に転倒。

 見張りをしている警備隊の視線に恥ずかしそうに苦笑しながら頭を掻くと、それでも体を動かしてゆく。そんなことを何度か……何十度か繰り返していくと、いい加減恥ずかしさよりも成功率に集中出来るようになってくる。

 成功を目指して頑張っているのだから、なにが恥ずかしいもんか。

 そう頭が切り替わってくれれば、あとは集中するだけだ。

 

(体は脱力。氣で完全に体をコントロールして……木刀は氣で手に繋げるイメージ。自分を自分で操るマリオネットだって思えば、あとは───)

 

 地面を氣で蹴り弾く。

 以前よりも速く、しかし衝撃は吸収して地面を蹴り弾く氣に上乗せすることで、より速く。化勁の要領だ。今までは相手に向けて上乗せで攻撃していたソレを、移動の際には移動へ付加する。

 マリオネットのようにとは自分でも妙な喩えを出したものだとは思うものの、困ったことに実際にそんな感覚なのだ。脳で信号を出す以上は筋組織で動かすのと変わらないだろうと思うだろうが、筋肉を動かしちゃ意味がない。あくまで氣を操って体を動かすのだから、困ったことにマリオネットなのだ。

 これが相当に大変で、今まで生きてきた自分を完全否定しながら動くようなものだ。人間の構造とか無視ですよ。“赤子の頃から筋肉とともに歩んできた体への、これは冒涜だぁ!”なんて叫ぶつもりはもちろんないわけだが、染み付いたクセというのは取れないものだ。いざという時は決まって氣よりも筋肉が先に動くために、氣と筋肉の動作意識が合わさって激しく転倒。いろいろな意味で痛い目を見ている。

 

「御遣いの氣って、いいことばかりじゃないよなぁ」

 

 でも、極めればシーザー……特別な味です。じゃなくて、極めれば行動の幅が確実に広がる。

 いっそ仙人にでもなるつもりで、愚直に氣を極めよう。なにせその一点しか成長させることが出来ないのだ。成長しないこの体で、どこまで居られるかわかりもしないこの世界で、何も出来ない自分で居るよりは……そうさ、何かを出来る自分であるために。国に返せるものを一つでも増やすために、まずは一点。それを極めてみよう。

 

「言うは易しだけどなー……」

 

 苦笑してぼやきながら、それでも体を氣で動かす。

 たとえば寝転がった状態で完全に脱力してから、氣だけで体を持ち上げつつ立ち上がる。もちろん脱力中だからぐにゃりと体が後ろに倒れそうで───って固定固定! よ、よし、直立状態に出来た。あとは歩くために氣の固定やら移動やら、緩急に応えられる体作りを行なえるように意識。

 それに慣れると走りださせて、衝撃も氣で吸収。次の一歩のための加速装置として踏み出させて、一歩ごとにどんどんと速くさせて───!

 

(は、速い! 人ってこんなに速く走れたのか! 速い───速っ……速ァアア!?)

 

 行動になれてくると、まるでリズムゲームのような感覚。

 足が地面に着く瞬間に衝撃を吸収して、それを蹴り足に装填して蹴る。それらをリズムで繰り返すようにしていると景色の流れが速くなって、方向転換をする速度も速くなってゆく。

 

(にっ……忍者! 人にして人に非ず!)

 

 でもここまで来るとその先へ行きたい。

 そんな欲求が出てきたら、もはやこの北郷……止まる理由などござらんかった。

 速くなるリズムに無理矢理合わせ、走る足が段々と忍者チックになっていくと、なんというか余計な意識まで浮上したりするのだが……

 

(おおお! 忍者走り速い!)

 

 ◆忍者走り───にんじゃばしり

 大きく前傾しつつ、爪先で地面を踏んでは腿を上げを繰り返すもの。

 踵で着地して大きく前へ足を踏み出す従来の走り方とは少々違い、

 前傾であることと腿を持ち上げる動作のみで走るために使う筋肉が少ない。

 慣れれば瞬発力よりも持久力に優れる遅筋のみで走れるようになるため、

 通常の全力走りよりもスタミナの消費が少ない。(かもしれない)

 しかしそれに慣れるには並々ならぬ鍛錬が必要なため、一般的ではない。

 *神冥書房刊:『まず大きな前傾姿勢を保つのが辛い』より

 

(……普通の筋肉でやろうとしても無理だなこれ)

 

 体を前傾で固定、氣で腿を上げて倒れ込むように前へと進む。

 前傾のためにかかる重力の負担も次の一歩のために吸収されるため、体への負担はとことん無いとくる。

 続けるには当然氣が必要なわけで、しかしそれも吸収した衝撃を上手く利用して使っているからそこまで必要じゃあない。問題なのは“戦いながらこの集中力が持続するかどうか”だ。ちなみに現時点での自分での考えは“絶! 対! 無理!”である。

 

(何事もやってみなければわからないとはいえ、普段から武器を持って相対している鍛錬でもヒィヒィ言っている余裕の無い俺に、これをずっと続けろと?)

 

 無茶でしょう。

 自分で想像してみて無理でしょうときっぱり言えるくらいだ。

 ただ、じゃあ慣れなさいと言われればやるしかないとも思える。

 だってやっぱり氣しかないんだもん俺。

 

(氣しかない……うーん。現時点で戦う能力が国に返すことになるかって言ったら、高い確率で否。鍛錬よりも仕事を探して国に貢献しろって話になるだろーなぁ)

 

 以前聞いた五胡の脅威は、確かに今はこちらに向いていない。

 平和が続いている今に戦う術を磨いたってしょうがないと思う時がないわけでもない。

 じゃあいつ磨くんだーって話だ。敵が攻めてきてから“じゃあ今から鍛錬するんで待っててね”なんて言えるわけもない。つか、言ったら殺される。

 だからやるなら今だ。

 仕事が少ない時にやって、いつかみんなが“その時の今”を守れなくなった時にこそ、自分はそれまで守ってもらっていた恩を返そう。

 なにも“返す”っていうことを焦らなくていい。

 返せるタイミングで、自分に出来ることを全力で。それでいいんだと今は思っておこう。どうするのが一番なのかなんてことすら、まだまだ子供な俺にはわからないんだから。

 

「ほっ」

 

 ズザァッ、と足を止めてみる。

 一定のリズムで体を動かしていた所為か、思考の海に埋没しても詰まることもなく走ることが出来ていた。疲労も……おお、息切れもしていないし、多少のだるさはじわりと滲み出てきたものの……すぐに安定。

 言ってしまえば片春屠くんに乗ったほうが疲労も少ないし氣の燃費もいいわけだが……それでも自分の身ひとつであんな風にダカダカと走れたことが何より嬉しい。衝撃吸収+蹴り弾きの繰り返しの所為で実にやかましいことこの上ないものの、これは要改良ということで今は成功を喜んでおこう。

 

「なにかというと失敗ばっかりだったもんなぁ」

 

 そう思うと成功が素直に嬉しい。

 ……そう、そうなのだ。些細な成功は今までだってしてるんだ。なのに最後の最後で失敗ばかりだったから、今回の忍者走りの成功は俺にとっては素晴らしい一歩だ。……ちなみに、これが国への恩返しにどう繋がるんだとか言われたら苦笑しか出来ない。ほっといてほしい。

 コホン。それはともかく、騒音はよろしくない。気配を殺してもうるさいんじゃあ、奇襲なんかには全く向かない。春蘭や華雄といった人たちのように真っ直ぐにぶつかるなら全然構いやしないが、俺にあそこまで愚直に一直線で戦えと言われてもまず勝てない。変則に特化した氣って、こういう時は男らしくないのかもしれない。でもわかってください。“小細工”に頼らないと俺自身、鍛錬相手にすら成り得ないんです。この世界の女性は強くて逞しすぎる。

 ていうか考えれば考えるほどヘコんできて、せっかくの成功への喜びが台無しだ。よ、喜べる時に喜んでおけばいいんだよ、俺! じゃないと真正面から潰された時のショックが絶対にデカいから!

 

「よしやるぞ! 考えてみれば気配を殺しての不意打ちなんて成功する気がしないし、なんかもうそんな小細工してる暇があるんなら、手数増やしたほうがよさそうだし!」

 

 吹っ切れた。ヤケクソとも言う。

 鍛錬しなければいけないことは事実なんだから、今はそれで良しだろう。

 氣弾マシンガンはこの際忘れて、ただひたすらに移動の強化のみに集中した鍛錬を続けた。気脈は無理矢理拡張する方向じゃないなら、使い切ってまた錬氣した方がジワジワとだけど広がるっぽいので、ともかく地道にコツコツと。

 走りに氣の全部を使う気で地面を蹴り弾いてみれば、一歩目から大いに転倒。身体測定の際に煽られて駆けようとした地下闘技場チャンプのように地面を抉ってしまい、なのに体は宙に浮いてしまってドグシャアと。脇腹から落下したためにしばらく悶絶したのはここだけの話にしようと思う。

 しかし失敗すると諦めるよりも“なにくそ!”と思えるようになった自分は、言い訳も用意せずに走ることを続けた。それだけでも、過去の自分よりは成長出来てるんだなって思えて……少しくすぐったさにも似た感覚を感じてしまい、顔を緩ませた。




結論:ヤム○ャさん凄い。


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103:IF/自覚した女の子は強い。そして怖い①

155/“これからもよろしく”って、すごく眩しい言葉だと思う

 

 結局また夜まで鍛錬した先日より翌日の今日。

 疲れ果てて眠ってしまったために、昨日の分の書簡整理が出来ていなかったので、それを朝の内に終わらせてしまう。うん、いい感じだ。軽い案件のものならそうつまることもなくこなせるようにはなっている。

 近頃は困った事件も起こらないし、いやあ平和っていいなぁ……なんて思っていたまさにその時。最後の竹簡に手を伸ばして中身を検めると、俺の笑顔は無表情に変わったのでした。

 

 

『街の治安問題について

 

 先日、現在の警邏に当たっている華雄様と甘興覇様と、客人である馬伯瞻様が街中で言い争いを始めるという事態が───』

 

 

「なにやってんのちょっとぉおおおおーっ!!」

 

 え!? 昨日!? 昨日って!

 え!? なんでこういうこと竹簡で出すの!? そういうのは直接言ってもらわないと北郷とっても困るんですけど!? やっ……そりゃあ昨日の内に検めておけば昨日の内にわかったかもだよ!? 疲れてたからって今日に回した俺が悪いんだけどさ! 仕事あまりないって言っておいたじゃない! こういうことはせめて直接言ってくださいお願いします!

 ええいもう!

 

「我を倒せる者はいないのかぁーっ!!」

「ここにいるぞー!」

「よぉ~しちょっとこっち来なさいコノヤロウ」

「あれ? え、わ、ちょっ、お兄様ー!?」

 

 呼びかけてみたら本当に現れた蒲公英の襟首を掴んで歩き出した。

 向かう先は中庭の東屋。

 そこで正座してもらってきっちりと事情を聞くことにした。

 

……。

 

 そんなこんなで東屋。

 ひんやりとした石の床に気まずそうにちょこんと正座する蒲公英の前に立ち、竹簡をずずいと突きつけて笑う。

 

「えーとそのー、だから……ね?」

「うん、だから、なにかな」

「あぅう……お兄様、笑顔がとっても怖いんだけど……」

「……この竹簡、俺の警備隊の仲間が書いたものみたいでさ。ど~して華雄か思春じゃなくて、そいつが書いてるのかな~っていろいろツッコミたいんだけど、それよりもだ。……蒲公英さん? この馬伯瞻様が言い争う二人をさらに煽って~って文字、どういうことかなぁ?」

「だ、だからぁ、それはぁ~……そのぅ」

 

 言い辛そうにちらちらと俺を見上げる蒲公英。

 ……ハテ? あの蒲公英が言い辛そう? なんでも容赦無しに言いそうなイメージが強いんだが、これは……なにかある? チラチラと俺を見てるってことは、もしかして俺に関係したなにか……とか?

 

「蒲公英。それってもしかしてだけど、俺に関係ある?」

「───」

「露骨にそっぽ向くんじゃありません」

「やー……でもさすがにこれはたんぽぽでも戸惑うっていうか。むしろ暴露しちゃいたいとは思ってるんだよ? でもそれってある意味お兄様にも原因があるわけだし」

「俺に原因?」

 

 ますますハテ?

 俺、華雄や思春になにかしたっけ。

 華雄は……なんか俺をじっと見ることが多くなって、思春は俺を避けることが多くなって…………待て待て、共通点とか言い争いに繋がるものが見えてこないぞ? 普通に食べ物の恨みとかじゃないのか? この世界での言い争いって、なんだかそっちの方向ばかりに結論が向く気がするんだが。

 

「考えてみたんだけどさ。全然答えに結びつかないぞ? 二人のことで俺が気にかかってるものって言ったら、華雄が俺のことをじっと見るようになったこととか思春が俺を避けるようになったことくらいだぞ?」

「なんだ、お兄様ってばわかってるんだ」

「へ?」

 

 ……わかって? いや、蒲公英さん? わかってるならここで悩んだりとかしていないんですけど? むしろその理由を胸に二人を仲直りさせようと走っているだろう。

 今挙げた二人の理由で俺に関係があることっていったら……

 

 

 

=_=/妄想です

 

 街中をゆく。街の案内と警邏がてらのとある日のこと。

 

「最近、気がつくと北郷を目で追っているのだが」

「…………(寡黙)」

「お兄様ってからかうと面白いよねー」

 

 歩く姿は主に三人。

 それを少し離れた位置から追うように歩くのは、警備隊の連中だった。

 

「しかし俺達も遠いところまで来たよな……」

「魏で警備隊をやるってことになった時は、どうなることかと思ったよな」

「お前は途中参加だったからまだいいさ。最初の頃なんてギスギスしてて空気悪かったんだぞ? 今でこそこうやって話しながら歩いてるけどさ、無駄口叩こうものなら上に報告されて厳しいお叱りがあったのさ」

「へええ……そりゃ怖いな」

「しっかし、隊長が支柱の同盟かぁ」

「……世の中、どう動くのかなんてわからないもんだなぁ……」

「だよなぁ……」

 

 警備隊の連中は小さく苦笑をこぼしながらも歩く。

 喋りながらでも目を光らせているのはさすがの経験者というもので、子供が転びそうになるや咄嗟に助けたり、道に迷っている人が居れば案内をしたりと実に親切だ。

 そんな気配に思春は誰に見せるでもなく静かにフッと笑い、それに気づかない華雄と蒲公英は北郷一刀についてを語っていた。

 

「しかしずっと見ていてわかることもある。まだまだ未熟だ」

「お兄様、確かに頑張ってるけど頑張る方向が時々妙な方向に飛ぶもんね」

「…………(寡黙)」

 

 思春は特に言葉を発さない。

 しかし同意出来る発言が出れば、じっと見なければわからない程度に頷いていたりもした。

 

「だが、もはや私に北郷のことでわからぬことなどないだろうな。やつの癖も行動基準も全てを掴んだぞ、私は」

「えー? それはちょっと答えを急ぎすぎてるんじゃないかなぁ。お兄様のことだったらたんぽぽもお兄様に……ちょ・く・せ・つ、いろいろと教えてもらったし、顔が真っ赤になるようなことを耳元で語られたこともないでしょ?」

「顔を真っ赤に……!? き、貴様、いったいなにを……!」

 

 注:初対面で体験談を語られただけです。

 

「武だ武だ言ってる猪さんにはそんな経験ないでしょ。どうせ二人きりで居たって武の話でしか盛り上がれないに決まってるし」

「な、何故わかった!」

「んや、そこは嘘でも否定しようよ……」

「…………(寡黙)」

 

 賑やかな二人に対して、思春はあくまでマイペース。

 そんな思春をちらりと見た蒲公英は軽い悪戯心に惹かれるままに、彼女にも声をかけた。

 

「ところでえっと、甘寧だっけ。この人はどうなの? 蜀に来た時からお兄様と一緒に居たけど」

「む? 脳筋だ」

「!?」

 

 無言な彼女の肩が跳ねた瞬間である。

 思わずそれは違うと止めに入ろうとするが、 

 

「? なにかある度に北郷に刃物を向けているだろう。それは脳筋ではないのか?」

「!?」

 

 さらなる衝撃が彼女を襲った。

 しかしそれでも武力行使に出ているわけではないのだからと言おうと

 

「あ、それこっちに来てもなんだ。蜀でも結構そういうの見たけど、まだやってたんだねー」

「………」

 

 ……する暇もないままに、どんどんと問題は積み重なっていった。

 思えば会う度に首に刃物を突きつけている気がする。

 最近では視線も合わせないし、もやもやする時はそれを振り払うために武器を振り───

 

「? それは脳筋ではないのか?」

「!?」

 

 口に出ていたらしい。

 心に甚大なダメージをくらい、彼女はよろりとよろめいた。

 確かに、無心になりたいからと頼る当てが武器というのは……どうなのだ?

 だが自分はそれ以外の無心になれる方法を知らない。

 いっそ瞑想でもしていればよかったのだろうか。

 

「ところでさ、華雄ってお兄様のことどう思ってるの?」

「フッ……知れたこと。好敵手だ」

「わお、自信たっぷりの返答だ!」

「あの叩けば叩くほど強くなる様はいいな。普段は情けなくて不甲斐なくて頼り甲斐もなくてそこいらに居るような普通の男だが、氣が扱えるところだけは評価出来る」

「うわー……それだけなんだ……」

「他になにがある?」

「…………ない、かな」

 

 解決した。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……って。

 

「いやいや解決しちゃだめだろ! つか俺、妄想でもどこまで自分に自信がないんだよ!」

 

 妄想の中でくらいもっと自分を立てよう!?

 事実だけどさ! 事実だけどさぁ!!

 

 

 

=_=/妄想(再)

 

 北郷一刀───またの名を三国時代に光臨した聖フランチェスカ学園剣道部が誇る期待の超新星、シャイニング・御遣い・北郷。

 彼は三国時代にご光臨あそばれ、笑みが無かった時代に人々を救った英雄として───ってだから待て。

 

 

 

-_-/一刀

 

 ……真面目にやろうな、俺。

 

「お兄様……ひょっとして疲れてる?」

 

 ぽかんと呆れた顔で俺を見上げる蒲公英の前で、俺は静かにこくりと頷いた。

 とひょおおお……と、中庭に穏やかな風が吹く。

 穏やかな筈なのに、どこかもの悲しく感じるのは、きっと心が疲れているからなのよ。

 

「えぇと、つまりあれか。思春が華雄と蒲公英にからかわれて激怒して言い争いになったとか」

「ふえ? えと、うん、まあそんな感じかな。あれは怒ったっていうよりは照れ隠しなだけにも見えたけど」

「照れ隠し? ……思春が? ───あ」

「にしし、そうそう、あれは絶対そうだよ。もうね、あれはぜ~ったいにお兄様のことが好きだよ。もうね、いろいろとツンツンしちゃうんだけど、手を差し伸べられたら散々と文句を言いながらも、最後には押し切られて手を掴んじゃうみたいなそんなほわぁーっ!?」

 

 思春が? と言った時点で蒲公英の背後に人影。

 ふるふると肩を震わせた誰かさんが鈴音を構え、好き勝手に言っていた蒲公英の首へとそれをそっと押し当てた。うん、わかるよ蒲公英。鈴音を首筋に当てられると、刃の冷たさと明確な殺気の所為で出したくなくても悲鳴が出るんだよなぁ。

 まあそれはそれとしてだ。

 

「思春」

「ふわっ!? なっ……北郷!? 貴様いつからそこに……!」

「最初から居たけど!? え!? 居たよね!?」

 

 思春に存在を疑われるとすごく怖いんですけど!?

 いや、むしろこの場合、俺に気づかないくらいに周りが見えていない思春に問題があるのか?

 嗚呼いやいや、それはそれとしてだよ、うん。

 

「思春、とりあえず鈴音下ろそうね」

「……何故私が貴様の言うことを───」

「正座」

「………」

 

 ビキリと笑顔のままに竹簡を見せると、無言でしおらしく、ちょこんと蒲公英の右隣に正座する思春さんの図。鈴音はしっかりとしまってくれたようだ。

 なのに顔はなんだか、傍から見るとにょろーんとか言いそうな顔だ。

 

「思春……キミともあろう者がなんだって街中で言い争いなんて……」

「言い訳を口にする気はない。罰するなら罰しろ」

「罰はこの説教と正座だから、言い訳はきちんとするように」

「くっ……! 蓮華さま、申し訳ありません……! こんな場所に来てまでこんな失態を……!」

「そういうのはいいから話して、お願い」

 

 じゃないと話進まないから。

 

「どうせなら華雄も居てくれたらいいんだけど」

「へ? 華雄だったらさっきから中庭方面の柱の影からお兄様のこと見てるけど?」

「怖っ!? え!? どこ───って居た! ほんとに居たよ! ちょっ……華雄!? 華雄! こっち来て! 見てないでいいから! 通り過ぎる侍女たちがなんかわざわざ回り道したりとかしてるから! お願いこっち来て!」

 

 通る人通る人が柱の影から俺を見る不気味な存在に驚き、ジリジリと制空圏的なものの内側へ入らないようにジリジリと一定の距離を保ちつつ歩み、離れてゆく。そんな光景が耐えられなくて呼んでみると、何故かバババッと身なりを整えてはっはっはと笑いながらこちらへやってきて、

 

「き、奇遇だな北郷! さあ鍛錬だ!」

 

 と、奇遇でもなんでもない謎の言葉を仰った。

 あっ……あれだけ凝視しといて何言ってるのこの人! 怖い! ほっといたらストーカーになりそうでとっても怖い!

 

「華雄、とりあえず正座」

「なに? おお、座禅の鍛錬か。氣を増やすという名目でやらされたな。以前は胡坐だったが」

「いや、そうじゃなくて。……街で言い争いしたことについての説教」

「………」

 

 あからさまに残念がって俯いてしまった。

 欄干横の柱から東屋までの距離を歩くまではソワソワした表情だったのに、今じゃしょんぼりと蒲公英の左隣にちょこんと座る華雄。それを見て、ようやく話を進められることに安堵の息を吐いた……が、どうやら三人にはこれが面倒ごとへの溜め息と受け取られたらしく、珍しく思春も含めた三人の必死な言い訳会が始まった。

 

「いやまて、違う、私はこの耳年増が北郷はいずれ馬超がもらっていくからなどと言うからだなっ」

「たんぽぽはこの脳筋がお兄様のこと、支柱だろうが御遣いだろうが強ければどうでもいいなんて言うから、どうでもいいならそこらへんの筋肉馬鹿の男とでも楽しんでればいいじゃんって!」

「……言い訳をするならば、この二人がしつこく私が北郷を意識していると言ってきたから否定をしただけだ。この手の輩は自分が正しいと思うと人の話などは聞かずに自分の言葉だけを発する。人が話し始めたならば、自分の言葉は一旦止めるということにすら気を使えんとはな」

「にししっ、あれ~? 言い訳になった途端、急に饒舌になってるよ~?」

「なっ!?」

「図星か。まあ、わかるぞ。私も考えることはどうにも苦手だが、こう……言い訳の時ばかりは随分と口がよく動く」

「一緒に───! ……こほん、……一緒にするな」

 

 ……言い訳を始めた途端、あっと言う間に思春が集中攻撃され始めた。

 それを見て“あ~なるほど”と思ったわけだ。

 つまり、街中でもこんな感じで思春をからかいまくったわけだな。

 

(うん)

 

 結論:思春、巻き込まれただけだよこれ。

 



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103:IF/自覚した女の子は強い。そして怖い②

 少し様子を見てみたところで、蒲公英が出す喩えに華雄がうむうむと腕を組んで目を伏せ頷き、思春がところどころで顔を真っ赤にしながら仰け反るように驚き、言い返したりもするんだがあっさりと返されてまた焦る。

 やがて返す言葉が見つからなくなってきたのか、そもそも人と話すのが苦手なのか……彼女の顔がどんどんと真っ赤に───むしろ真っ赤っかになっていき、口があわあわと動き、目が渦巻き状態になったあたりでブチリと何かがキレた音がして───その場は、戦場と化したのでした。

 

「わーっ! 思春がキレたぁあーっ!!」

「あはははは! やっぱり図星なんだー! やだなぁこれだから頭が固い人は。好きなら好きで告白くらいしちゃえばいいのにー」

「だだだだっだだだ黙れぇええええっ!!」

「フッ、決闘か! 面白ぐわぁああああああっ!!」

「うおっ!? ど、どうした華雄!」

「くっ……な、なんだ! これはどうしたことかっ……足が、足が痺れて動かない……!?」

「もう痺れたの!? どれだけ正座に弱いんだよ華雄! 胡坐の時は全然痺れなかったのに!」

「せ、正座……これは正座の所為なのかっ……! フッ……ば、罰というだけはある……!」

「言ってる場合か! 思春、とりあえず落ち着───なんで俺まで狙ってるの!? あれぇ!? 俺なにかしたっけ!?」

「だだ黙れぇえ! そもそも貴様がっ……貴様がぁあっ!!」

 

 目が手書きしたような渦巻き状な彼女が暴れる!

 ソレは足が痺れた華雄やキシシと笑って逃げ出す蒲公英───を追わず、何故か俺に的を絞ってウォオオーッ!?

 

「だっ、ちょっ! なんでいつもこうなの!? 今回ばかりは素直に蒲公英を狙うべきだと思うけどなぁ俺!」

「だっ……黙れと言っている……! 貴様が……貴様さえ……き、きさっ……」

 

 鈴音を構え、しかし立ち止まってくれた思春は俺をじっと睨み……言葉の途中でさらに顔を赤くすると、言葉も途中だというのに襲い掛かってきた!? ええいどうする!? 冷静になってもらうにしても、まずは鈴音をなんとかしないと止まってくれそうにないし……ハッ!? こういう時こそ意外性!

 普段俺がやらないようなことをやってみせて、そのポカンとした間隙を縫うように鈴音を弾くか奪えば───!

 

(集中! 左手に氣を込めて───!)

 

 生憎と鍛錬のために来たわけじゃないから木刀はない。

 ならばと、編み出したばかりの氣の応用で対処する! 大丈夫、これはきっと驚いてくれる! 驚いた瞬間に武器を奪えばなんとかなる!

 つかそんなことをもたもたやってる内に思春が目の前にキャーッ!?

 

「うわわわわちょ、ストップストップ!!」

 

 慌ててフィンガーマシンガンを発射。

 殺傷能力皆無の幾つものソレが鈴音を振り被っていた思春に当たり、テンパってて周りが見えていなかった彼女は彼女にしては大層驚いたようで───あろうことか、振りかぶったまま躓いた。

 “あ”と俺と思春が声も出さずに口のカタチを変えるのと、次の展開が頭の中に浮かんだのはほぼ同時。こんな時こそ氣だけで体を動かして、普通ならば間に合わない状況からの脱出を───なんて思っている間に思春に巻き込まれるようにして地面に倒れ───ない。下半身に氣を込めるまでは成功したお陰で、それが倒れることを許さなかった。

 ……のだが、この状況はまるで思春が俺に抱きつくような状況であり……

 

「あ、あのー……思春? 落ち着いた?」

「!?」

 

 軽く声をかけてみれば、再びビクーンと身を弾かせる思春さん。

 そして、また暴れられてはたまらないと、そんな彼女をギュムと抱き締めて脱出不可能にする俺。蒲公英が“わおっ、お兄様ったらだいたーん”とか言っていたが気にしたら負けだと思う。

 それでも暴れようとするなんとも珍しく冷静じゃない彼女に、俺も珍しく軽くとはいえ拳骨を落とした。こう、ごすんっと。

 

「! ……? ……!?」

 

 あ。なんか信じられないって顔で俺と拳とを交互に見てる。

 むしろ何も言わずにそんな挙動をされると恋を見ているみたいでくすぐったいんだが……。

 

「とりあえず急に刃物を持って暴れた罰。いつも冷静で居ろなんて言わないけど、暴れるなら武器は無しで是非お願いします」

 

 ……あれ? なんか途中からお願いに……。

 いやまあ実際に口で語るよりも怖かったし。慣れたとはいえ刃物は刃物だもの、振り回されれば怖い……つかそんな振り回される状況に慣れるなんて環境が一番怖いよ俺。

 

「それで? なんだってまた急に暴れだす気になったんだよ。いつもの思春なら、他の人のからかいの言葉なんて右から左へスルー……気にすることもなく流せるのに。あ、今の思春がいつもと違うのは重々承知してるから、そこのところの誤解は勘弁で」

 

 見てわからないのかとか言われるのも困る。

 ……や、実際には大変珍しい状況ではあるものの、俺は結構嬉しがっていたりする。だってあの思春が感情剥き出しで暴れるなんて、本当に珍しい。いっつも内側に溜め込んでいる印象があるから、たまには発散させなきゃ辛いんじゃないかとか思ってたし。

 だから……まあその。俺が出来ることなら、出来るだけ何かをしてあげられればなぁとか思うわけだ。まさか蒲公英や華雄が言うように好いた惚れたの話でもないだろうし。

 

「あっ、ぐっ、そ、それは……貴様……貴様が……」

「ん、俺が?」

 

 出来るだけやさしく語りかける。

 逃げるつもりはないからゆっくりと話してくれって意思を込めて、拳骨を落とした場所をやさしく撫でつつさらに落ち着かせるために彼女を自分の氣で包みながら。

 ………………ハテ。

 さっきよりもよっぽど慌て始めたんだが。

 なんで? とばかりにちらりと蒲公英を見ると、構わん続けなさいとばかりにサムズアップされた。……相手が蒲公英って時点でいろいろと問題もある気がしないでもないが、俺がそうしたいって思ってやったことでもあるんだから続行に異存はなかった。

 そんなことを続けていると、暴れていた思春の体がやがて鈍り、終いにはへにゃりと力を無くして完全に俺にもたれかかるようになって……あれ? 思春? 思春さん!? もしかして具合でも悪かった!? ……と心配になって顔を覗いてみれば、これ病気でしょうとツッコミたくなるくらいに真っ赤っかな顔の思春が、俺の視線から逃れるように顔を背けた。

 その目はひどく潤んでおり、まるで恋にトキメく少女のような───…………ような……?

 

(………………風邪か!)

 

 マア大変! 風邪の引き始めに神速パヴロン! ってそうじゃなくて! え……え!? 恋!? あの思春が!?

 

(いったい誰に……!!)

 

 ……なんてことはもう思いませんし、口にしたらまず刺されます。

 この状況でさすがにそれはないだろう、俺よ。

 えーと、これはつまり…………そういうこと、なんだよな……?

 いやいや待て待て、そうだとしても好きになるような要素がいったい何処に? そりゃあ他の男性に比べたらよっぽど思春と一緒に行動してきたし、一緒の布団で寝たことも野宿したこともある。惚れ薬に浮かされて、キスしそうになったこともあったけど未遂だったし……それ以外はほぼ冷静にツッコまれたり呆れられたり見下されたりの連続だった気がする。

 ……この北郷、正直に申し上げます。

 

(惚れられる要素がてんで見つからない……!)

 

 自分のことなのにね。おかしいね。不思議だね。

 いや、もしやすると思春はだらしのない男を支えるのが好きな、そんな姐御肌気質の人なのかもしれない。実際に錦帆賊のみんなにも慕われていたわけだし、なんだかんだで今まで支えてくれていたし……!

 

(そ、そうだったのか……!) *注:たぶん違います

 

 でも、じゃあいつからだったんだろう。

 なにせ思春の性格だ、きっと極々最近……恐らくは惚れ薬騒動あたりからの問題だったのではと思う。だって実際、あの辺りから避けられてた気がするし。

 落ち着かせるようにやさしい氣で包みながら訊いてみる。さすがにストレートにズバッと訊くのは無茶がすぎるというか、デリカシーに欠けすぎるのでソッと。

 すると…………大変信じられないことに、自覚はなかったもののどうやら呉に居た時には既にとのことで……! ば、馬鹿な! 思春が!? あの思春が!? ……などと本気で驚いてしまった俺は、きっと悪くない。口に出さなかっただけ見事だったんだろうが、顔に出たんだろう。胸に抱いている思春はともかく、蒲公英には呆れたような目で見られてしまった。……ちなみに華雄は「ところでいつまで抱き合っているんだ?」と首を傾げていた。

 いや、むしろこの場合、思春がそれを話してくれること自体が奇跡か。なんかちらりと見てみればいろいろと観念したというか、諦めたような顔で俺に全体重を預けきっている。あの思春が。なんか頼られてるみたいでちょっと……じゃないな、かなり嬉しい。

 思えばこれだけ一緒に居たのに、こうして体を預けるように寄りかかってくれたのなんて寝顔を写真に収めた時くらいだった。無防備な寝顔を見られるという大変珍しい瞬間だった。あの時と違うことといえば、今の思春は起きていて、自分の意思で身を預けているということで。

 

(……やばい、なんか本当に嬉しい)

 

 ただそれが本当に色々なことを諦めたからなのか、自分を好いてくれているからなのかが……正直ちょっと怖い。前者の場合だと“私が北郷ごときを……!”とか言って潔く切腹! なんて話になるかも……と、おかしな方向に想像が飛んでしまう。さすがにそれは無いだろうが。

 しかしながら、そう思ったとしても相手が思春ならやりかねないと思ってしまうのも事実なわけで。だって本当に俺の何処を、あの思春が好きになってくれたのかがわからないんですもの。

 ……まあ、そこには“でも”とか“だけど”が続くわけですが。

 

(わからないならわからないなりに───)

 

 そうだな、知っていけばいいのだ。

 こういう時に無駄な質問は無しだ。今わからないならじっくりと知っていきましょう。この状況でごめんなさいは流石に無い。大体身構えすぎなんだ、俺は。

 好き合った途端にああいうことをするんじゃないかって構えていて、相手の気持ちに気づくのに怯えている。ゆっくりと受け入れていこうとか言いながら、先延ばしにしているだけじゃないか。───だが言おう。そんな自分に呆れていたとしてもすぐに手を出すのはやっぱりどうかと思う。

 なので……やっぱりじっくりと。

 思春が嫌いかと訊かれれば、きっぱりと否と言える。

 結果として刺されることになった呉でのあの日、俺の我が儘でやりたかったことを最後まで見届けてくれて、その所為で自分が将としての立場を追われてもずっと一緒に居てくれた。立場の保守よりも呉の平和を願った彼女を嫌えるはずもない。

 

(うん)

 

 自分の気持ちと向き合ってから、改めて思春の体を抱き締めた。

 途端、くたりと力が抜けた体がびくりと震えた。

 軽く身動ぎをしたようだけど、上手く力が入らないのか、抵抗であるかとも思えない程度のものだった。

 

(なんか……)

 

 本人には失礼なことかもだが、小動物を抱き締めているみたいで可愛い。

 むしろ思春がこんな風に大人しくなる状況、考えたこともなかった。

 そもそもこういうこと自体、魏のみんなとしかするつもりもなかったあの頃を懐かしむ。あれからしばらく───呉に行って蜀に行って魏に戻って、お祭りをして都を作って。なんだかんだで一緒に居た時間も長いのに、おかしな話になるけど……いたした相手が魏では華琳だけに対して、こっちでは美羽に七乃って……。あれだけ恋焦がれた魏なのに、本当におかしな話だ。

 や……なんというか、霞が帰ってきたらそういうことをするって話にもなっているわけで、恥ずかしながら今からドキドキしている自分も居るわけで……ん? 魏? 魏……

 

(はうあ!!)

 

 魏……魏!

 やばい忘れてた! 一度は思い出したのに、また記憶の隅に置いておいて忘れてた! もしや本能!? それは防衛本能というやつでござるか北郷!?

 そう、魏だ。魏だよ……華琳は俺がああ言ったから度外視するにしても、美羽と七乃の件はどうやったって弁解のしようが……!

 ……頭の中に、“ふーん? じゃあ一刀が支柱になったら、真っ先にちぃが自然の流れで愛してあげる”という言葉が蘇ったが故の動揺であった。

 

(真っ先に……真っ先に……! ア、アワワ……!)

 

 次いで、“あ、でも……他の誰かに誘われて、あっさり抱いちゃったりしたら本気で怒るからね?”という言葉が頭の中に浮かぶと……もう自分の未来が真っ暗になってゆくのを見送るしかございませんでした。

 だからそのぅ……ついこんなことを口走ってしまうのも、日々を女性の力強さに驚きながら生きてきた俺にしてみれば、ある意味当然で、でもいろいろとひどいことだったわけで。

 

「ア、アノ、思春サン。これからもソノー……俺の傍に居てくれるカナ」

 

 口走った言葉はソレ。

 びくんっと思春の体が再度跳ねて、それを体で感じ取った瞬間にハッとなって自分で自分を殴った。もちろん、氣を付加させた状態で。

 耳の奥が“ゴンバォゥン!”と破裂するような衝撃とともに涙まで出てふらついたが、ざまぁない、自業自得だ。脳が揺れるのを実感しながらもなんとかふらつく体に喝を入れて胸をノック。そうじゃないだろ、と。ふらついたので、倒れないようにと思春の体をぎううと抱き締めてしまったのは正直ごめんなさい。

 

「ごめん、言い直す。……思春、これは命令とかじゃなくて“お願い”だから、よく聞いて、よく考えて答えてほしい。───打算や気負いも無しに、これからも俺の傍に居て欲しい」

 

 状況に怯えて誰かを欲するのは酷い話だと思う。

 しかもそれが相手の気持ちを利用したものなら最悪と言ってもいい。

 勢いとはいえ口にしてしまった自分の言葉に吐き気と頭痛と眩暈と嫌悪感と……ア、アレ? なんかいくらなんでもいろいろ感じすぎじゃない? あ、本気で自分を殴ったからか。なんかもうふらふらしずぎて立っているのも辛い。自分に苛立ったからってやりすぎた……? い、いや、自業自得だ。自分に向けてでも言い放てるぐらいに“ざまぁみろ”だ。

 でもやっぱり当たり所が悪かった所為で、俺は思春が俺を見上げるのと同時に……擦れ違うようにぽてりと地面に倒れた。ええ、もう顔面からストレートでしたよ。それで気絶したのか、それからの意識はぶっつりと途切れていた。

 



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103:IF/自覚した女の子は強い。そして怖い③

 ふと目が覚めると見知った自室の景色。

 真っ先に目に付く天井を景色って呼べるのかは別として、鋭く痛む頭に顔をしかめると、すぐ近くで誰かが動く気配。視線を動かしてみれば、そこに思春が居た。

 

「……お、おはよう?」

 

 今が何時なのかもわからないままに口を開いたら、いつものように溜め息を吐かれた。

 ……まあ、たったそれだけのこと。

 それだけのことなのに、酷く安心している自分が居た。

 

「思春だけ? 蒲公英と華雄は?」

「それぞれの仕事に戻った。私は……華雄と馬岱にここに居るようにと……」

 

 キリっとした表情が戸惑いに変わりながら、ごにょごにょと口にする思春。

 今日だけで……あれ? 今日でいいんだよな?

 ……今日だけで、いろいろな思春の顔を見ている気がする。

 それが嫌だっていうんじゃなくて、あれだけ一緒に居たのに知らない顔の方が多いんだなって気持ちが、自然と顔を笑ませていった。……まあ、頭はまだ痛いんだが。

 

「そっか。じゃあ俺も……」

 

 ちらりと見ると、机の上に書簡がいくつか。

 頭は痛むけどそれくらいは出来るからと整理に向かおうと立ち上がる。……と、すぐにムンズと肩を掴まれて、ポスリと布団に寝かされた。

 

「思春?」

「寝ていろ。私が取ってくる」

「いや、落款もしなきゃだし、起きなきゃ」

「寝ながらでも出来る」

「いやいや流石にそれは行儀がどうこうの問題じゃないか!?」

「黙れ」

「だまっ……!?」

 

 驚いている俺をよそに思春はテキパキと行動して、寝台の傍に小さな円卓を用意すると、その上に書簡のいくつかと落款印を置いた。

 そして仰向けに寝転がる俺に“さあ”とばかりに書簡の一つを渡し、読めと促す。……戸惑いつつも、というかむしろ用意してくれた人に悪いなと思いながらも読んでいき……内容を確認すると、「落款が必要か?」と訊ねてくる。

 戸惑いつつも頷くと落款印を取ってその書簡に印を落とす。

 そして次の書簡を渡してきて……ってあの思春さん!?

 

「いや、さすがにこれはまずいんじゃないかなぁ!?」

「問題ない」

 

 頭に“大丈夫だ、”とつけたくなるような凛々しい物言いだった。

 そしてどうやら問答無用の構えらしく、さあと書簡を突きつけてくる。

 

「………」

 

 観念して読むことにした。

 結局これも自業自得の枠内なんだろう。

 そういったことを何度か続けて、書簡を片付けることに成功すると……今度は水差しなんかを用意してくれて、喉は渇いているかだの汗は掻いていないかだの……思わず“どなた!?”と言いたくなるようなことをテキパキと、というより甲斐甲斐しくなさってくださり、なんかもう俺、どこかで死亡フラグでも立てたっけ? なんて思ってしまう状況の中に居ることを自覚していた。

 脇役が目立つと少しして死ぬとか漫画でよくありましたよね。

 今、そんな心境。

 あの思春が俺にこんなにやさしいなんて……俺明日あたり死ぬんじゃない? って、そんな心境なのです。わかりやすいですか? “勝利への脱出!”とか言って逃げ出したい気分です。まさに失敗しそうな傍迷惑な思考です。

 

「エ、エートソノー、思春サン?」

「なんだ」

 

 キッと睨まれる。

 しかしその睨む目が俺の視線と合うと、顔は赤くなり、視線は細かにあっちへ行ったりこっちへ来たりと落ち着きが無い。

 

「その。どうして急にこんなことを? この頭痛とかって俺の自業自得なのに」

 

 少し怖かったものの、思い切って訊ねてみた。

 思春ならこういう時、正直にズバッと言ってくれるだろうし。まあどうせ勝手に倒れた俺の看病を華雄や蒲公英に押し付けられた~とかそういう理由で───

 

「……!」

「ややっ!?」

 

 ───思考が吹き飛ぶくらい驚いた。

 なんと、訊ねてみたら思春の顔が瞬間沸騰するじゃないか!

 しかも今までの平静さが嘘のように目は揺れて、足はじりじりと俺との距離を取って、目は潤んで……ああ、忙しい目ですね思春さんとかツッコミたくなるくらいだった。

 しかしそんな思春がぽそりと呟く。

 真っ赤なまま、揺れる瞳のままに、しかし俺の目をしっかりと捉えて。

 

「お前が……っ……傍にいろと、言ったんだろう……っ!」

 

 たったそれだけ。

 でも、“よく考えて答えてほしい”と言った言葉への、それは確かな返事だった。

 …………訪れる沈黙。

 体に走るのはくすぐったいような、なんとも言えないなにか。

 たぶん、それは嬉しさだ。

 上手く纏まってくれない、というよりは上手く動いてくれない頭の中で必死に手繰り寄せた答えがそれ。嬉しいなら拒む理由なんてなくて、だから俺はその嬉しさのままに顔を緩ませて……いつかのように手を伸ばした。

 時間はもう夕方だったらしい。

 窓から差し込む西日が眩しい朱の景色の中、自分の攻撃でどれだけ気絶してたんだよと苦笑も混ぜた笑顔とともに……真っ赤な彼女がためらいがちに伸ばした手を握って、今までの感謝とこれからの感謝も乗せた言葉を口にした。

 

「これからもよろしく、思春」

 

 始まりを言ってしまえば結構最悪な部類の出会いだったと思う。

 俺の下に就くことになってから悶着も何度もあって、手を繋いで友になったりもした。

 手を繋いだからには奇行に走った時には止めると言ってくれた彼女。

 知らない部分でも相当助けられたんだろう。

 彼女は言った。『私が認めたのは、“貴様の行動によって民の騒ぎが治まった”という一点のみだ。それを増やすも減らすも貴様の行動次第ということを忘れるな』と。

 自分は……それらを増やしていけたのだろうか。

 そんなことを考えたけど……口にするまでもないのかもしれない。

 二度目に手を握ったいつか、自分が口にした言葉を思い出した。

 

(“笑ってくれ、思春”……ねぇ。今思うと相当恥ずかしい)

 

 でも、だ。

 もう、わざわざ口にする必要なんてないんだな、なんてことを苦笑しながら思った。

 満面とまではいかなかったけど───俺の手を照れながら、けれどしっかりと握る彼女は、朱の陽に負けないくらいに眩しい笑顔だった。

 

……。

 

 ……と、綺麗に終わっていればよかったんだが。

 いや、綺麗に終わったよ? その時は確かに綺麗だったんだ。間違い無い。

 

「いただきまー───あれ? 料理が消えた?」

「毒見が先だ」

「毒!? いやこれ俺が作ったんだけど!?」

 

 これからのよろしくと言ったその日から、確かにちょっとおかしいかもと思わないでもなかった。なんかテキパキさんだし、看病とか率先してやってくれたし。

 

「じゃあ着替えるから外に───」

「動くな。私がする」

「結構です! 結構───やっ、ちょっ、なんで脱がそうとするの!? いいって! 自分で出来るって! やめっ……キャーッ!?」

 

 翌日から段々とその行動は大胆になり……

 

「おいっちにっ、さんっしー、よしっ! 準備運動終わりっ」

「まだだ。急に動いては体を痛めることになる」

「既にいつもの倍やりましたが!? え、ちょっ、これ以上なにをしろと!?」

「自分が三国の宝であることを忘れるな。言葉通りだ、自重しろ」

「準備運動でそこまで言われたの初めてなんですけど!?」

 

 ……なんか、思春が物凄い過保護に……

 

「さ、さあ、給金……給金? 一応の主として、これは給金って言えるのか……まあいいや給金だ。お金も入ったことだし、たまには自分の服を買いに───」

「付き合おう」

「いつも思うけど何処から出てきてるの!? え!? 仕事は!?」

「支柱の護衛以上に大事な仕事があると思うのか?」

「グ、グゥムッ……!」

 

 仕事を盾にしてみれば“うるさい静かに見てろ”とばかりにこう返されてしまい、ずるずると幾日……。服を買う時も“目立つものを着ればそれだけ狙われやすくなる”という理由でとびきり地味なものを買うハメになったり、久しぶりの外食だーって時にもやはり毒見から始まって……。

 

「お、おやっさん! 激辛麻婆丼と汁物として清湯! 清湯はめちゃくちゃ熱くして!」

「!?」

「おう! 任せときな! とびきり辛くて熱い料理を食わせてやるぜぇ!」

 

 でもさすがに仕返しとばかりに激辛麻婆丼と熱いスープを頼んだ時は、別の意味で顔を真っ赤にしながら涙目で俺を睨む思春の姿が目撃された。

 めっちゃ辛いものを食べたあとの熱いスープ……地獄です。

 これくらいの仕返しは笑って許してください。

 だって……毒見が終わったら、俺が全部食わなきゃいけないんですから。

 もちろん全部食べ終わるまで、向かいの席で腕を組んでむすっとした顔の思春さんに見守られながら待たれました。試しに「残していい?」と訊「許さん」……即答でした。

 しかしまあ、こうまで付きっ切りだと突っかかってくる人も居るわけで。

 

「主様! 今日こそは妾と遊ぶのじゃー!」

「だめだ」

「お主には訊いておらぬであろ! いつもいつも邪魔ばかりしおってー!」

「一刀には貴様と遊んでいる暇などない」

「かっ……!? おおおおお主いつの間に主様を呼び捨てになぞーっ!!」

 

 もちろんそれは美羽であり、時に七乃であったりもする。

 原液のまま薄めずに飲んだ所為か、あれから幾日が過ぎても美羽は大人のままだ。

 そんな彼女らの言い争いを見ていると、まるで俺が蓮華に話しかけようとすると武器を構える思春を見ているようで…………ああ、今の俺が蓮華ポジションなんだ。苦労してたんだなぁ……蓮華。

 しかしながら思春の“一刀”って言葉には俺も驚いた。驚きの拍子に思春を見ると、ブンッて音が鳴るくらいに一気に顔ごと目を逸らされた。……そしてそれからはまた“北郷”に戻る。……エート。よくわからないんだけど、もしやこれも乙女心とかいうやつですか?

 

「一刀さぁ~ん、今日も倉庫へ本を───」

「私が行こう」

「へぁえっ!? あ、え、えーと、思春ちゃん? わたしは一刀さんに~……」

「私が行く。本を取るだけならば誰が取ろうと同じだ」

「え、えー……? で、でもね? これはね? 本に慣れる練習も含めたことでね?」

「なるほど。ならば本に狂いそうになったなら私が止めよう。常に鈴音を構えているから、興奮に身を焦がそうものなら頭部が胴体と分かれることに───」

「かかか一刀さぁああん!! 思春ちゃんが! 思春ちゃんがおかしいですぅう!!」

「本で性的に興奮する穏に言われたくはない」

「はうぅっ!!」

 

 なんだか俺以外にも鈴音を構えるようになって、いやむしろ俺に向けることが少なくなったくらいであり……な、なんて例えればいいんだ? 過保護……はもう言ったし、子を守る親……は言いすぎだよな。とにかく周囲への警戒心が随分と高い。

 お陰で、というのもヘンな言葉なんだが、普段よりも自分の時間が取れていたりする。変わりに失ったものといえば……他者との交流……かなぁ。

 や、もちろん用事があれば会うことも出来るし話すこともそりゃあ出来る。むしろ四六時中俺と一緒に居なくてもとツッコミを入れたい。思い立ったら吉日とはよく言ったもので、早速その旨を伝えてみれば「仕事はきちんとこなしている。問題はない」とキッパリ。

 こっそりと警備隊の兵に話を聞いてみれば、確かに警邏の仕事もしているのだという。……いつ!? え、なに!? 残像拳!? それとも分身とか出来るんですか!?

 もしや忍術!? それは忍術でござるか思春!?

 

「よーしよしよし、もう痛くないからなー?」

「うぐっ……ひっく……」

「ん、よく痛いの我慢したな。応急処置だけど、ちゃんと治るまでは走り回ったりしちゃだめだからな?」

「う、うん……ありがと、みつかいさま」

「おうっ。今度は気をつけて走ろうな?」

「うんっ」

「ははっ、いい返事───ってこらこらっ! だから走るなって───あ、あー……もう」

「ほう……言った矢先に全速力で駆けていったな。力強いことはいいことだ。……しかし、氣は傷の治療にも役立つか。私の氣も、武に回される前に扱えればよかったのだが」

「華雄の場合、それがある意味で個性っぽいからいいんじゃないかな。というか怪我らしい怪我なんてしないだろ」

「鍛えているからな」

「そこで胸を張れるところも華雄らしさなんだろうなぁ……って、あれ? 思春は?」

「む? 怪しい輩を見つけたとかで、いつの間にか居なくなったな。なんでも北郷のことを見つめながらついてくる女性が居たとかなんとか」

「…………それ、ただ“御遣い”の物珍しさについてきただけとかじゃ……」

「………」

「………」

「………」

「思春を探そう、全力で」

「御意」

 

 その後、珍しくも相当にキリッと返事をした華雄や警備隊のみんなとともに思春捜索が開始された。結論から言って、一応数人の警備隊も一緒だったからすぐに見つかったんだが……

 

「つまり貴様は北郷……御遣いの姿を一目見たいと、商人の父とともにここへ来たと?」

「は、はっ……はいぃ……! わわわたしっ、父のように商人のなるのが夢でっ……!」

「それで遠巻きでしか見たことがなかった御遣いを見てみたかったと?」

「そそそそそうですそうです!」

「……なるほど。嘘は無いようだな。ではその父とやらが何処に居るのか───」

「ってなにやってんのちょっとぉおおーっ!!」

「っ!? ほ、北郷!?」

「女の子を脇道に連れ込んで脅迫ナンパ男みたい壁に手ぇついてなに話してるのかと思ったら! ちょっとこっち来なさい! 今日という今日はその過保護っぷりに説教させてもらうからな!」

「なっ、い、いやっ、過保護というか、これは当然のことというか」

「いーから来る!」

「……ぎょ、御意」

 

 知らなかったことが結構見えるようになってきた、ということもある。

 思春は人と自分との間に大きな線を引く。

 線の外の人間には基本的に冷たくて、内側の人にはひどく過保護だ。

 どうやら俺はその“内側”に入れてもらえたようで、その結果が今なのだろう。

 なんか返事も御意になってるし。

 だからますます思う。蓮華……本気で苦労してたんだなぁって。

 まあそれはともかく、びくびくと怯えていた商人の娘さんは華雄と警備隊に父親のもとへ連れていってもらうことにして、俺はその場で思春にお説教という、なんとも珍しいことをした。

 ……こっちに来なさいとか言いながら動いてないのは気にしないでほしい。

 と、いろいろとあるものの、新鮮な状況が辛いかといえば……案外そうでもない。今までツンケンされてきた分、こうして近くに居てくれるのは嬉しいし、知らずに頬も緩んでしまう。

 この時はまだ、そんなことを思えるだけの余裕があったのだが。

 



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103:IF/自覚した女の子は強い。そして怖い④

 ある夜のこと。

 自室に戻る頃にはいろいろなものに気を使っていた所為かドッと疲れていた俺は、抵抗する気力もないままに自然と布団へ傾く体をそのままに、どしゃりと倒れた。

 その後ろには目を伏せながらついてきた思春さんがおりまして。

 

「では、今日こそ寝ずの番を」

「寝よう!? 枕元で鈴音構えながら立たれるとすごく怖いんだけど!?」

 

 ……こんな感じである。

 気が休まらない……助けて蓮華。俺、今キミを心底尊敬出来る。

 こんな日常をずっと続けてきたのかと思うと、キミが眩しくてたまらない。

 

「北郷……お前には自分が三国の宝である自覚が───」

「それもう何度も聞いたから! つか思春、それ、蓮華を守ってる時も似たような言葉で言ってなかった?」

「当然だろう」

「……いや、そこで“だからどうした”って顔をされても……。とにかく、もう日課みたいになってるけど寝なさい。べつにここを襲うヤツなんて居ないだろうし、これでも気配には敏感になってるんだから。……誰かさんが気配を殺して後ろからついてくる所為で」

 

 気配に敏感なのはいいことだ。

 でも、敏感すぎて気が休まらない。

 そんな日々の連続のツケが、とうとう今日という日に舞い降りた……そんな心境です。ええ、とっても疲れてます。

 

「お前がどうのこうの言おうが、相手というものは都合を考えて来るわけではないだろう。現に───」

「主様~? 眠る前にお話をしてほしいのじゃ……ってなにゆえにまたお主がここにおるのじゃー!」

「───それが敵のみという可能性は捨てるべきなのだからな」

 

 問答無用で扉を開けて入ってきた美羽さん(大人バージョン)に、溜め息を吐く思春さん。

 ……美羽、ノックくらいしようね。

 

「あ~……まあ、“身内”の気配に警戒はしないもんなぁ」

「うみゅ? なんの話じゃ? ……まあよいの、うむっ! それより主様っ、今日は久しぶりに妾もここで───」

「却下だ」

 

 そしてこの即答である。

 俺に訊いてきたのに、返すのは思春なんだからたまらない。

 

「お主には訊いておらぬであろ!」

「北郷はもう疲れている。話などしている暇は無い」

「え……いや俺、主にキミの所為で疲れ───」

「故に帰れ」

 

 あ、あれ? 無視? 思春? 美羽~?

 

「うほほ、なぜ妾がお主の言うことを聞かなければならぬのじゃ? その許可を出すのは主様であろうに」

「え、あ、いや、思春? 美羽? 俺の話を───」

「その北郷が疲れていると言っている」

「な、なんと、まことなのか……? うみゅ……主様が言っているのなら仕方がないの。ならば、邪魔はせぬから一緒に寝るのじゃ」

 

 美羽は疲れているというのが俺の本心だと受け取るや、急にしょんぼりとして妥協案を出してくる。話はいいから久しぶりに一緒に寝たいと、そういうことなのだろう。

 それくらいなら俺も───

 

「却下だ」

「なんじゃとーっ!?」

「なんだってーっ!?」

 

 ───あまりのキッパリとした言葉に、美羽と同時に驚いた。

 いやいや思春さん!? さすがにそこは俺に答えさせて!? これじゃあ俺がここに居る意味ないじゃない!

 意味……い、意味? ……ハッ! そうか! ここに居るからいけないんだ!

 ここで問答に巻き込まれるくらいならいっそ、スルーされている事実を利用しつつこの場からの撤退を!

 

「…………」

「北郷、何処へ行く」

「主様! 何処へ行くのじゃ!」

「行動はしっかり見てるの!? ひ、人の話は聞かないくせに!」

 

 驚愕の事実でした。もうそっとしといて。

 しかしまあ、なんだろう。こうなると段々と怖くなってくる。

 ……いや、怖いのはこういう会話とかじゃなくてさ。

 これ……もし霞の滞在期間が終わって、次に凪が来たりしたら……どうなるんだろうなぁ。凪もなにかと俺に気を使ってくれるから、思春と衝突することになったりして……ア、アレレー? なんだか急に胃がしくしくしてきたゾー? ───とか思ってたら突然自室の扉がドバァーンと開き、バッと鈴音を構える思春と、純粋に驚いて「ぴきゃーっ!」と叫んで俺に抱きついてくる美羽。そして……

 

「一刀っ、一刀ーっ♪ ようやくお勤め終わったでーっ♪ “雰囲気作り”のためにやさしい口当たりの酒持ってきたから、一緒飲もー♪ ……お?」

 

 ……俺は静かに、今日は眠れないのでしょうねという言葉を頭が勝手に受け入れるのを感じていた。

 仕事を終えた達成感に満ちた、どこか照れ笑いを浮かべた霞が部屋に入ってきたのだ。

 そんな彼女が鈴音を構える思春と俺に抱きつく美羽を見てきょとんと。

 しかし臆することなく寝台まで歩いてくると、俺の手を取ってトスンと酒徳利を乗せてきて、くすぐったそうな顔で「……ええやろ?」と照れ笑いのままに言う。

 さすがに頑張った霞を相手に断るなんてことは「却下だ」思春さん!? さすがにそこでこの即答はないと思うんですが!?

 

「…………なんや~、思春ちん。やることやって帰ってきた相手に向けるのが武器なんか?」

「待て。北郷は疲れている。そういうことをするなら後日好きなだけしろ」

「エ? 俺の意思は───」

「それ決めるんは一刀やろ。ちゅーか、武器構えながら言われてはいそーですかなんて頷けるわけないやろ」

「そ、そうだよ思春。とりあえず武器はしまって」

「…………。すまない。少々気が立っていた」

「ん、まあわかってくれれば別にウチはなんも文句なんてないし、ええよ。それよりやっ、な、一刀?」

「……まずは、お疲れ様。あとお帰り、霞」

「~っ……うん! うん! ウチ頑張ったで! それ、お勤め先の邑で作ってる酒なんやけど、選別やって特別に貰てきたんや! 一刀と雰囲気作りしたいなー、思て───」

「だから待てと言っている。そういうことは後日しろと言っただろう」

「………」

「………」

 

 みしりと空気が凍った気がした。

 ま、真名を許してるってことはちゃんと親しい間柄な筈なのに、なんだろうねーこの空気。

 そして美羽さん? 人に抱きついといてそのまま寝るのは勘弁してください。

 これじゃあいざという時に逃げられな……いやゲフッ! ゲフフンッ!

 

「んー……? な~んやおかしいなぁ。思春ちんの態度……っちゅーか空気? 前と違てへん? 一刀を見る目がやさしいっちゅーか…………一刀? まさかウチが居らんかった間に───」

「ししししてないっ! してないぞっ!? 大体思春がそんなこと許す筈がないだろ!」

「ん。まあ、せやな。せやったら思春ちんの言う通りにしよ。一刀は疲れとる。理由はわからんけどそれが事実ならウチも無茶は言えんもん。でも無茶かどうかを決めるのは一刀やってことを否定する気ぃもない」

「エ」

「やから一刀が決めたって。ウチは早くご褒美が欲しいけど、無理してまで欲しくない。そこは我慢する。でも一刀が無理なんてしてへん言うなら……な?」

 

 むず痒いような緩む笑顔で、霞はついついと胸の前で人差し指同士を合わせつつこちらを見る。

 思春はそんな様を見て小さく喉を鳴らすと、少し顔を赤くしたままに俺に向き直った。

 エ? 結局俺ですか?

 つーか霞さん!? もし俺がそれにOK出したら、思春と美羽に“そういうことをいたしますから出てってください”って言わなきゃいけないんですけど!? むしろ美羽さん熟睡中なんですが!?

 ……でも約束は約束……ん? 約束? これって約束なんだっけ……?

 あれ? なんか俺の知らないところで勝手に話を進められただけな気もするんだが。

 ああいやいや……待て。まず考えてもみろ。

 頑張って働いて、やっと帰ってきて、雰囲気作りのためのお酒まで用意してくれたのに帰れとか言えるか? ……言えるわけないだろ、どんな鬼ですか俺。

 つまり天秤はこうですね?

 

 『いたしますから二人とも出てって? VS 疲れたから明日ね?』

 

(…………ッ……!!)

 

 神様……これはどういった試練で……?

 後者は明らかに鬼であり、前者は自ら“今まで黙ってたけど俺…………種馬なんだ”って言うようなもので……! イ、イメージが! 今までいろいろと耐えてきたお陰で培われてきた御遣いや支柱としてのイメージがぁあ!!

 

(……今……何処かから今さらだろってツッコミがご光臨あそばれた気がした)

 

 今さら……フフ、今さらか……。

 そりゃね、華琳といたして、そののちに美羽と七乃といたしました。

 魏国の相手ならまだしも、自分で三国に降ってもらったらどうだって提案した二人をです。……なるほど、思う人が思えば、いたすために降ってもらったとか考えてしまうのかもしれないなぁ……。確かにそれなら“今さら”なのかもなぁ……。

 ───大丈夫、答えは出た。

 いくらなんでも後者はない。

 こんな、ご褒美に期待して頑張ってきた娘相手に寝るから出てけとか無理。むしろ言いたくない。だから、だ。

 

「あの、思春。その……」

「…………」

 

 俺の声調……申し訳なさそうな声で判断したのか、思春の肩が跳ね、一瞬だけど辛そうな顔をする。なんで辛そうな───とこちらも一瞬考えたが、つまりは……この世界に居るとそういう感覚が麻痺しそうになるけど、そういうことなんだろう。

 もしかして仕事だからかなとか考えなかったわけでもない。

 でも、どうやら思春はちゃんと自分の意思で、自分がしたかったから俺の傍に居てくれたようだ。俺が傍に居てくれって言った途端に気絶なんてしたから、その負い目なのかとも考えなかったわけじゃない。

 そんな思いもどこへやら、好きで傍に居てくれたんだ……とわかってしまったら、なんだかむず痒さと申し訳なさが───

 

「ん? へ? あ、あー……そゆことなん? 思春ちん、一刀のこともうちゃんと好きなん?」

「なっ!?」

「うわ赤っ!?」

 

 ───完全に浮かび終えるより先に、霞の言葉に瞬間沸騰した思春の赤さにたまげた。

 なにか言葉を並べようとおろおろとする思春だが、こんな時に言葉を並べる経験がないのか、おろおろとするだけで声は出ない。

 そんな思春に「なるほどなー」と面白そうに頷く霞が、とことこと思春の隣まで歩くと……ガッとその肩に、むしろ首に腕を絡めて引き寄せた。

 

「よっしゃ、そーゆーことならまずは雰囲気作りからやな! さすがにウチも、一刀とそーゆーことしたいから出てけーなんて言いづらいし。せやったら好きなもん同士、一緒にしよ!」

「い、一緒に? な、なにを、貴様は言って……」

「んーなん言わんくてもわかっとるやろー? まあ口で言うよりやってみぃひんとわからんし。こればっかりは経験者として胸張って言えるわ。雰囲気は大事なんやでー?」

 

 とろけるような緩い笑顔で「にへへー」と笑う霞。

 対してわたわたと慌てる思春だが、逃げようとするも逃げられない。

 今の状況を纏めると……思春を巻き込んで笑う霞、霞に捕まって慌てている思春……眠る美羽に、遠い目をして硬直している俺。

 

(…………エ? 出て行ってくれって言う必要が無くなった代わりに…………エ?)

 

 やがて、抵抗など無駄だと悟ったのか、真っ赤な顔でしおらしくなっている思春が、霞に促されるままに寝台の上にきしりと乗ってきた。次いで、霞が思春とは反対側の俺の隣へ。

 その際、美羽がべりゃあと剥がされて寝台の端のほうへと寝転がらされていたが……たぶんツッコんじゃいけないんだろうね。

 

「あ、あのな、思春? その、嫌なら断ってくれても───」

「っ……わ、私は……こういう経験が全くない……。だから、何をすればいいのかもまるでわからないし、お前がどうすれば喜ぶのかも知らない。だ、だから、その……っ……すっ……好きに、しろ……!」

「───」

 

 断る以前の問題だったようです。

 じょっ……状況に流されないで思春! 断っていい! 断っていいんだよ!?

 とか思ってるのにしおらしい思春が予想以上に可愛いと思えて、なんか自然と頭を撫でようとした手を掴んでなんとか止めた。

 落ち着きなさい北郷。

 相手は、最近やさしくなったとはいえあの思春だぞ?

 きっとこんな状況の熱に浮かされてしまっているだけで、今にハッとなって……そう、たとえば俺が触れそうになった瞬間に俺がひどい目に合うような発言が飛び出すに違いない───!

 なんて思ってると、思春がハッとして───ほ、ほら見たことか! 思春を悪く言うつもりはないけど、これまでの経験上、こういう時は警戒してしすぎるということは───

 

「北郷……」

「ひゃいっ!?」

 

 どんな言葉が飛び出すのか。

 その恐怖と緊張とで声が裏返ったが、恥ずかしがる余裕なぞあるはずもない。

 俺は思わずゴッ……ゴクッ……と重たいものでも飲み込むように喉を鳴らして、やがて思春の口から放たれた言葉に───!

 

「その……っ……自信はないが、それは、少々ならば耐えられるとは思う、が、そのっ……! ~…………やっ……やさしく……してくれ……っ……!」

「───」

 

 ……頭を撃ち抜かれた思いでした。

 目をきゅっと閉じ、ふるふると震えている思春なんて初めてです。

 撃ち抜かれたのは多分、“警戒”なんていう失礼な信号。

 ギギギギ……とゆっくりと反対側の霞を見てみれば、霞も顔を赤くして「……かわええ……」とか呟いていた。それからハッとすると、俺が持っている酒と思春とを見比べて、俺の手から酒を取り上げて円卓の上へと置いてしまった。

 ……うん。なんか、雰囲気が今のだけで十分に整ってしまった。

 

「………」

 

 ───明かりが消され、窓から差し込む月明かりだけが部屋を照らす中で、影が重なる。

 魏のみんな以外を抱くことには、まだ心に抵抗があるのは事実。

 それでも今、自分が相手に向けて抱いている想いの全てをぶつけるつもりで抱き締めた。

 わざわざ躊躇や困惑を口にすることはない。

 罪悪感を持ちながら人を好きになるのは辛いし、相手にも失礼だ。

 受け入れたものをそのままに、好きだという気持ちをそのままに抱き締め続けた。

 

……。

 

 ……そして、翌日。

 

「………」

 

 すっかりと疲れ果て、よろよろしながらも朝の運動をするべく中庭へ向かう俺と……

 

「~♪ んへへへへ、一刀~♪ 一刀、一刀~♪」

 

 俺の腕に抱きつき、猫のようにすりすりと頬を摺り寄せてくる霞と……

 

「…………、!?」

 

 俺の後ろを気配を消しているつもりでついてきて、振り向いて目が合えば真っ赤になって首がもげるんじゃないかってくらいの勢いで目を……もとい、顔を逸らす思春さん。

 そんな真っ赤な彼女の歩き方は、少しよたよたとしている。

 ……決して、歩き方がぎこちないよとかツッコんじゃいけない。

 ていうかね、なんでそんなに離れてるの?

 隣歩いてくれた方が話しやすいんだけど……と声をかけようと振り向くと、ビクーンと肩を弾かせてシュヴァーと柱の影に隠れてしまい、ホワイ!? と思いつつも柱の影まで歩み寄ってみると……居ない!? なにこれイリュージョン!?

 

「え、ちょ、思春!? 思春ー!?」

 

 ……困ったことになったと気づいたのは少しあと。

 思春はどうにも俺の顔を見るのが相当に恥ずかしくなってしまったらしく、まともに俺の前に立たなくなっていた。追ってみれば全力で逃げ出すし、言いたくはなかったけど命令だから出てきなさいと言えば来る……のだが、出てきても以前までの凛々しさが5秒も保たない。

 キリっとしている(つもり)の顔がどんどんと赤くなっていって、目は潤んで、やがてはあちらこちらへ目を泳がせ始めて、ついにはまた逃げ出す。……う、うーん……本当にこういう経験なかったんだろうなぁ。あまりにも耐性がなさすぎる。

 なんというか……どんどんと乙女チックになっていると言えばいいのか?

 錦帆賊の頭として、呉の将として戦ってきた歴史の中で、色恋なんて興味がまるで無かったものにここで落ちてしまい、自分でも初めての感情に振り回されっぱなしなようだ。

 終いには花を手にスキ・キライとか言いそうで怖い。

 七乃は「そのうち慣れて、すぐに元に戻りますよー」なんて軽く言ってくれているが……これ、こっちの心が保たない。落ち着かないっていうのももちろんあるけど、冷静になったあとに自分の行動を思春が振り返ったあと、首とか吊ったりしないかが怖くて怖くて……!

 

「まあ……」

 

 四六時中いっつも見張られていた頃に比べれば……いいのかなぁ?

 ……うん、いいってことにしておこうか。

 今はとりあえず慣れてもらうまでは待つとして。

 

「あ、お兄様ー!」

 

 聞こえた声に目を向ければ、中庭で手を振る蒲公英。

 華雄が強くなっていた事実に驚いたこともあり、今じゃ華雄と一緒に同じトレーニングをしている。

 もちろん俺が思春に付きっ切りで監視……もとい、護衛されていた時もだ。

 

「んあ? あれ? 今日はあの赤いのは居ないの?」

「いや……居る。一応気配だけは感じる」

「えぇ!? ど、何処に───うわ、居た」

 

 蒲公英の言葉に振り向いてみるが、既に居なかった。

 とことん俺の視界には入りたくないらしい。

 こんな状態でずっと監視する人のことを天じゃなんて呼んでたっけ?

 

「………OH」

 

 思春さんお願いします。

 ストーカーだけは。

 ストーカーになることだけは勘弁してください。

 割と切実に、そんなことを願った……とある日のことでした。




積みゲー消化中につき、作業速度低下中。
3月後半に新作が出るため、それまでに……と急いでいるのですが、終わらない……!
仕事時間が半分だった頃が懐かしい……!
あの、社長? 僕たまには長期休暇とか───あ、だめですか、そうですよね!

結論:会社で中途半端で微妙な位置に到達、定着すると、交代できる人材が居ない。

へいじ~つは会社にでかけ~♪ きゅうじ~つは家族サァビス~♪
トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャ~♪
……家族サービスって……どうして自分へのサービスが……ないんでしょうね……。
同じ家族なのに……オカシイナァ……。
ああ癒される……ゲーム癒される……!


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104:IF/邪な風もみんなで吹かれりゃ怖くない①

156/流れる時の中を笑って過ごせれば、多分それは幸せってやつで

 

 テシンテシンと軽い音が鳴る。

 中庭の隅っこの樹の下で胡坐を掻いて座る俺。

 目の前に座るのは蒲公英であり、彼女が先ほどから振るっている得物は木剣……なんて大層なものじゃなく、木の枝。それを軽く振ってもらい、手で受け止めながらのとある鍛錬。

 

「ねぇお兄様、これなんの意味があるの?」

「え? ああ、化勁の練習。受けた衝撃を外に散らす練習だよ」

 

 言葉の通り、化勁の練習だ。

 相手の攻撃を全て避けられるのは素敵なことなんだけど、それだとどうしても次の動作が遅れてしまうし相手との距離も離れてしまう。

 紙一重で避けて攻撃に転じる……なんてことがいつでも出来るほど器用には立ち回れない俺としては、だったらむしろ突っ込んでみたらどうかとヘンテコな考え方をしてみたわけだが……どっちが器用なのかを考えると、化勁で突っ込むほうが器用な気がする。大丈夫か俺。

 

「化勁かぁ~……氣なんて攻撃のためにしか使ってなかったから、お兄様の考えってよくわかんないんだよね」

「そういう“よくわからない”って穴を突かないと勝てないこっちとしては、いつだってなんだって試してみなきゃいけないんだよ……」

 

 勝ちにこだわりたいとか、どうしても勝たなきゃいけないってわけでもない。

 ただ、全力でやって負けるのと適当にやって負けちゃったよ~なんてヘラヘラ笑うのとでは、やっぱり全力でやってから次こそはって思いたいのだ。

 なので鍛錬。

 いい加減鍛錬以外することがないのかとツッコまれそうな気もするほどに鍛錬。

 

「ほんとに外に逃がせられるの? 気の所為とかじゃなくて?」

「や、化勁は成功すると本当に逃がせられるぞ? お陰で何度救われたか」

「じゃあ、はい」

「え?」

 

 蒲公英がスッと葉っぱを差し出してくる。

 とりあえず戸惑いながら受け取ってみると、葉っぱと蒲公英を見比べて……

 

「今から攻撃するから、葉っぱに衝撃逃がしてみて?」

「わあ」

 

 難しいことを笑顔で注文してきました。

 だがやりましょう。逃がすことが出来ると言った手前、ここで出来ませんなどとは言えない。どっしりと構えて、左手には葉っぱを、右手は力を抜いたままに軽く持ち上げる。

 さあ……いざ! と、まるで漫画のように眼を閉じてからクワッと開いてみると、なんかもう既に攻撃をしていた蒲公英さんが振るう枝が目の前にほわああーッ!?

 

……。

 

 「合図くらいはしような……」「うん、そだね」……悪びれもなくにししと笑いながら言う蒲公英は楽しげだ。

 俺はといえば額に枝の一撃をいただき、少し涙目。

 目の近くって衝撃があるとどうしても涙目になるよなー……べつにそこまで痛かったってわけでもないのに。

 

「じゃ、もう一回」

「ん。じゃあいくよ?」

「よしっ」

 

 蒲公英がヒュッと枝を振るう。

 それを力を抜いた右手で受け止めて、その衝撃を葉っぱに逃がす。

 すると葉っぱが“パァン!”と音を立てて破裂……しない。

 

「………」

「…………逃がしたの?」

「逃がしたけど、葉っぱが千切れるとかそれほどの威力はなかったみたい」

 

 手で簡単に千切れるからヤワだと思われがちなものの、葉っぱはこれで結構頑丈だ。

 なので次は本気で振るってみようってことになって、蒲公英は自分の後ろに置いていた槍をズチャアアと持ち上げてハイちょっと待ちましょう!?

 

「なんで槍!? そのまま枝でいいだろ!」

「え~? だって本気でやるならこっちの方がやる気が出るし……」

「失敗したら俺が危ないんだけど!?」

「お兄様は臆病だなぁ」

「枝から槍へのグレードアップの差を、やられる側で考えてから言ってくれ」

 

 迫力何割り増しどころの問題じゃなさすぎる。

 疲れた顔を向ける俺に、蒲公英は「じゃあこっちのほうでやるから」と穂先ではなく石突を見せて笑う。もはや枝に戻る気はないようだ。

 あの……一応俺、支柱なんですけど。

 支柱に平気で武器向けるとか、いろいろ間違ってるって考えたことはありませんか? ……ありませんか。ありませんよねー。

 まあ、いいか。べつにそんな、特別視してもらいたくて支柱の件を受け入れたわけでもないし、武器を向けられるなんて日常茶飯事だしね! …………いやいやそれ思ったら終わりだぞ俺! あぁああ危ない! 今本気で当然になりかけてた! 魏の時でも呉でも蜀でも今この時でも、みんながみんな大した疑問も抱かずに武器向けてくるもんだから……!

 

「よしこいっ!」

「は~いっ♪」

 

 蒲公英が元気に返して槍を振りかぶる。

 風を巻き込み、漫画とかならゴヒャアとか鳴りそうなほどに。

 雄々しき男がやるのなら“ウオォオリャアア!!”とか叫びながらやりそうなそれは、まるで本気の一撃のようで───本気の一撃だよこれ!! 短いながらも小さなやり取りで忘れてた! 次は本気で振るおうって話だった!

 

「おっ……おぉおおおおおっ!?」

 

 無遠慮に振るわれる槍!

 やややや槍の袈裟斬りなんてあまり見ないけど迫力満点ですね!

 おおお……! これが重量とリーチを生かした一撃か……! まるで戟の一撃のように豪快であり、剣の立ち回りのように鋭くもあり、しかし美しい……!

 などと軽く現実逃避をしつつ、右手に込めた氣でそれを受け止める!

 力を抜いた状態だから、勢いと衝撃を逃がすことが出来なければそのまま俺の頭でもゴシャアとかち割りそうなソレを、ヒュッと吸った呼吸とともに体の外を走らせて左手に持つ葉っぱへ。

 すると───今度こそ、葉っぱはパァンと音を立てて破裂した。

 

「ふわっ!?」

 

 これには蒲公英もびっくりだ。

 そして俺もびっくりだ。

 なんとかなる、いやむしろしなきゃダメだとは思っていたものの、思いの外上手くいった。何度か失敗するんじゃないかくらいに思っていたのに。

 フィンガーマシンガンの研究の賜物と言ってもいいのか、細かな氣の操作に慣れたみたいだ。

 すごいすごいと目を輝かせる蒲公英の前で、顔は微笑み、背で汗を。

 この世界で一番冷や汗を流した回数が多いのって、もしかして俺なんだろうか。

 もちろん実際には戦場を駆けた兵とかのほうが多いのだろうが、いつか追い越してしまいそうな自分がいろいろな意味で怖い。

 

「はぁ。でもこれ結構しんどいな……来るってわかってて待ち構えてるのに、相手の気迫に飲み込まれそうになるっていうか」

「そうなんだ。じゃあさじゃあさぁお兄様? お兄様のこと樹に縛り付けて、目の前で武器を振り回すってどうかなっ」

「笑顔でなんてこと言うのこの子! や、やらないぞ!? むしろ縛り付ける意味ないだろそれ!」

「え~? だってそうしないとお兄様逃げそうだし」

「……じゃあ蒲公英縛り付けて、華雄にそれやってもらおう」

「恐ろしいこと提案してごめんなさい」

 

 しっかりハッキリと謝られてしまった。

 しかし謝ればそれでスッキリしたのか、蒲公英はニコリと笑んで話を続ける。

 

「でもお兄様ってほんと、ヘンなことばっかり思いつくよね。化勁はそりゃ知ってたけど、実際にこんなことしてみせる人って初めて見たよ」

 

 俺も天で漫画とか読んでなかったら絶対に思いつけなかったし、そもそも氣があることすら知らなければ試すことすらしなかった。

 そういう意味では漫画やこの世界に感謝感謝だ。

 憧れのかめはめ波も撃てたし、いろいろな応用法も見えてきたし。

 氣の道の開拓……とは言えない、既知の道の歩みもこれはこれで結構面白い。

 知っていても出来るかはまた別だから、誰かがやったものを自分も出来たというのは嬉しいものだ。

 

(はぁあ……! でもちょっと休憩……!)

 

 集中するのって疲れるよね、勉強でも運動でも。

 

「ちょっと休憩するか」

「待ってましたっ! じゃあお兄様っ、たんぽぽもう我慢できそうにないから……」

「妙に艶っぽい顔をして誤解が生まれそうなこと言わない」

 

 うっとりとした赤い顔でニジリ……と寄ってくる蒲公英を誘導。樹の幹に座らせて、俺もその隣に座る。

 もう随分と涼しくなってきた木漏れ日の下、すぅ……と息を吸って歌いだす。

 よーするに歌を歌ってくれってことだ。

 鍛錬に付き合ってもらう代わりにそれを要求されたのだから、付き合ってもらったこちらとしては断れるはずもない。

 

「長しゅ」

「長州はもういいから」

 

 即答でした。

 

……。

 

 時間が経つのは速いとはよく言ったもので、そんなやり取りが都で当然になってくると、ゆったりとしていた時間も早足になってくる。

 時間の流れの体感というのはどうやら物珍しさや当然としてあるものに影響されるようで、その日常から学ぶことが少なくなってくると早く感じるのだという。

 子供の頃に時間が長く感じたり早く大人になりたいと思うのはそれの影響らしい。

 大人になってから嫌に時間が早く感じたり、老人になってから月日が流れるのは速いのうと思うのもそれだ。

 で、現在の俺はどう思っているのかというと……言った通り速いと感じている。

 それは年老いたとかそういう理由ではなく、行動のマンネリ化の所為だ。

 その日常から学ぶことが少なくなってきた所為か、時間の流れが速くなってしまっているのだ。まあ実際は、学んでても結構早く感じることなんてざらにあるのだが。

 

「はぁ……はぁ……! ままま、学ぶべきは……興奮などではなく、本に記されている素晴らしさであるべきで……!」

「お……おぉお……! すごいじゃないか穏! 耐えられてる! 耐えられてるぞ!」

 

 ただ、一喜一憂が当たり前になってしまうのはちょっと寂しいとは思っている。

 そういうのは当たり前になるよりもじっくりと味わいたい。

 もちろん、出来ることなら一喜のほうばかりを。

 

「か……一刀さぁん、私、私もう我慢がぁあ……ぴぃうっ!?」

「我慢だ。出来なければ首と胴が離れると知れ」

「う、うあぁああん! こんなの生殺しですぅうう! 思春ちゃんのばかぁ! 興奮しても他者にこの素晴らしさを説くことが出来ないなんて、どんな拷問ですかぁああ!!」

「なっ、ばっ……!?」

「……穏って結構、言う時は言うんだなぁ……」

 

 穏にはじっくりと、という言葉は向かなかったのかもしれない。

 思春のスパルタ強引抑制法(鈴音を突きつける荒療治)の実行とともに、穏は一歩一歩確実に、本での興奮を乗り越えようとしている。主にパブロフ効果で。

 こう……えーと。

 本で興奮すると武器を突きつけられる、と刷り込みをしているようなもんだな、これ。

 すると興奮するたびに武器を突きつけられる恐怖が浮かび、恐怖と興奮がぶつかりあって上手く相殺してくれる、と。なんかそんな感じ。こればかりは本人じゃないとわからないし、正直わかりたくもない。

 

「で、でもこれで自分で倉庫に行って、好きな素晴らしい本をじっくりと選ぶことが……! う、うふ、うふふふふ、えへへへへぇ……♪」

 

 そんな言葉が聞けたのがいつだったか。

 事件当日の前の日だったかなぁ。

 喜び勇んでザサッ……と倉庫の前に立った穏は、不敵な笑みを浮かべていたと倉庫番の兵は語っていた。

 そして中に入っていくと即座に興奮。

 書物独特の香りに包まれて、かつてないほどの興奮に襲われた彼女は……かつてないほどの恐怖にも襲われ、感情の板ばさみ状態になり……謎の奇声を上げて気絶。

 お爺様……世の中ってほんと上手くいかないことばかりですね。

 その話を耳にした俺は、そんなことを思っておりました。

 

「もういっそ簀巻きにして倉庫に転がしておけばいいんじゃない?」

 

 とは、蒲公英の言葉だった。

 俺もなんかそれの方がいい気がしてきた。人間の順応性に賭けたい気分。

 なので穏の仕事は倉庫内で任せることにして……その監視役を思春に任せる。

 経過としては……

 

「は、はう……はわわ……恐怖と興奮が一緒に……!」

「耐えろ」

「はうっ! し、思春ちゃんはいいですよねぇ! そうやって見ているだけなんだから! ののののの穏は、穏はこんなに本に囲まれて、興奮や恐怖と戦わなければいけないというのに……!」

「…………思ったのだが……興奮しずぎるとどうなるんだ?」

「はえっ!? え、えと……それは、その。独りで、そのぅ……」

「………? …………っ……!?」

「………あぅう……!」

「呉ではなく、都でそんなことをすればどうなるか───」

「生き恥はいやですぅう……でも興奮が、興奮がぁあ……」

 

 そういう部分には目を向けてやらないのがやさしさなんだと思う。

 一応は仕事の一部だから、どうしても思春からの報告はあるんだけどね……。

 見てやらないやさしさって大事だと思うんだ。

 

「ふっ……ふふっ……思春ちゃん? 穏は悟っちゃいましたよ……。興奮がなんですか。ようは興奮を凌駕するほどに本を愛せばいいんですよ。本を愛して愛して、性に気が回らないほど愛してしまえば、もう……!」

「……目が回っているようだが?」

 

 一週間ほど経つと、今まで変化のなかった思春からの報告に変化が訪れた。

 なんか穏がおかしく……もとい、悟りを開いたとかなんとか。

 もう少しでなんとかなりそうなら、ちょっと覗いてみるかな……なんてその時は思っていたのだが。

 

「…………思春ちゃん」

「なんだ」

「……二人きりですねぇ~」

「!?」

「ちょっと現状を語ってみただけですよぅ!? なんで鈴音を構えるんですかぁ!」

 

 覗いてみてわかったことは、なんか怪しい道に走りかけているかもってことくらいだった。ほら、興奮と恐怖に板ばさみ状態って、まさしくアレなのだ、吊り橋効果そのもの。嫌なタイミングで覗いてしまったもんだ……。

 と、まあ現状はそんな感じだ。

 都が安定してからは各国の軍師が頻繁に訪れることもなくなったし、今は武官が訪れて兵に指導をしたり警備体制の相談をするくらい。

 山賊などの物騒な話も聞かないし、平和なものだ。

 

  ───季節は秋を過ぎて冬。

 

 来る人来る人が入れ替わり立ち替わり、どこの国でも物騒な話を聞かなくなってくると、ようやく王も将も息を吐ける時代が見えてきた。

 物騒な話はなくとも、小さないざこざはもちろん健在なわけだが。

 ……健在なんて言ったら悪いか。

 

「えーと、氣をこうしてこうして───“俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)”!」

 

 氣の鍛錬は相変わらず。

 季節ごとに厄介ごとが訪れてはヒーヒー言いながらも、なんとか遣り繰りをしてみんなで笑っている。そんな中で少ない自由な時間を使っては、こうして中庭で氣の研究を続けている。

 とうとう両手からフィンガーマシンガンを撃てるようになった俺は、某ファントム旅団男の真似をして両手からソレを放つ。

 威力は……訊かないでほしい。

 

「せいせいせいせいせいせいせいぃいっ!!」

 

 それを、目の前に立っている星が連突で破壊してゆく。

 曰く、連突の鍛錬にはもってこいだとか。

 

「く、くそ! これでもまだ全部消されるのか! っ……負けるもんかぁあ!!」

「ぬっ……は、はっはっは、北郷殿は負けず嫌いですなぁ!」

「自覚してるけど、星には負けるよ~!」

「………」

「………」

「連射連射連射ァアアアアア!!」

「突き突き突き突き突きぃいいいいいっ!!!」

 

 でも全部消されるのは悔しいので連射速度を上げようとこっちも躍起になり……負けるものかと星も躍起になって、無駄にお互いを高めていった。

 まあ、あれだ。訪れる人がころころと変わる度に、やることがどんどんと増えたり変わったりするのはいい刺激なんだと思う。

 言った通り変化がない日常は過ぎるのが速いが、俺の場合は毎日が楽しいから過ぎるのが速いのだろう。学ぶことは、知り合った人の数だけあるのだから。

 ……まあ、人が変われば訪れる苦労もガラリと変わるのだが。

 

「大陸のみんな……オラに元気を分けてくれぇえ!!」

「御託はいいから仕事しなさいよ。元気なのは閨の中だけなの? この性欲限定活発男」

「あのなぁああ!! 今日でもう何日徹夜してると思ってんだ! もういい加減脳内がハイどころか回転しすぎてて自分でも何言ってるのかわからなくなる時まであるんだぞ!? あ、あれ? 今言い回しヘンだったか? ……なんて言ったっけ俺」

「おぉ、お兄さんは少し自分を休ませてあげたほうがいいと思いますよ? あまり無理をしては、捗るものも捗りませんしねー」

「あぁ気色悪い。捗ってるのは床での運動だけなんて、どれだけ迷惑なの?」

「じゃあ休ませて!? つかなんでこんなに仕事あるの!? そして桂花黙りなさい!」

「寒い時期はいろいろと消費するものと蓄えておくものが必要なのですよー。暖という意味でなら、風はお兄さんの足の間にこうして座っているだけでも暖かいのですがー……」

「この変態!!」

「俺座ってるだけですけど!? 俺が女と居るだけで変態視するのいい加減やめない!?」

 

 全く同じ日がない日常が続いてゆく。

 思いつくことは全部やってみて、こうすると氣がどうなるのかとかどうすれば体が簡単に動くのかとか、訪れる将のみんなに意見を訊いて実行してみたり……や、それが訊く人訊く人、ほぼが全く違う意見だから面白い。

 人の数だけ氣の扱いやすい姿勢とかもあるみたいで、俺の姿勢は凪に近いものがあったようで、彼女が随分と喜んでいたのも今では懐かしい。

 

「……で、いつになったら元の姿に戻るんだろうなぁ、美羽は」

「寒いのは苦手なのじゃ……小さい頃のほうが、まだ暖かかったような気がするのじゃがの……」

「かっずと~♪ んふんっ、寒いから一緒に寝よ~♪ ……って、あーっ! また一刀のところに転がりこんでーっ!!」

「むっ……またちっこいのが来たの……。何度も言うが主様の隣は妾の場所なのじゃ。主様が迷惑じゃと言うならまだしも、ここを譲る気はないのじゃ。うほほ、悔しかったら妾のように大人に───」

「はいはい。大人なら一人で寝ましょうねー」

「主様!?」

「あははははっ、はっきり断られてるじゃない。一刀はねぇ~、シャオみたいに可愛くて綺麗なお嫁さんが───」

「はいはい、シャオも部屋に戻って」

「……あれ? 一刀? ちょっと一刀ーっ!?」

「主様!? 主様ーっ!!」

 

 ただまあ……俺が誰々とコトをした、という噂は随分あっさり広まったようで、なんというか……積極的な人は突撃を仕掛けてくることが何度か……いや、何度“も”あった。その度にのらりくらりと逃げたり躱したりを続けたが、捕まる時は捕まってしまい……まあ、そこらへんは割愛。

 日常を語る中で急にそういうことを話されても嬉しくないというか冷めるだろう。

 なので、それ以外で言うなら日常はひどく穏やかだ。主に俺を除いて。

 

「元気にっ……なぁああああれぇええええええっ!!」

「……っ! お、おおお! あれほど辛かった腰が……! あ、ありがとうごぜえます、ありがとうごぜえます、御遣い様ぁ……!」

「いや、良くなったならよかったよ。もう無茶して重いものとか勢いつけて持ち上げないようにね。……気合のためとはいえ、大声で叫ぶの結構恥ずかしいから」

「へ、へぇ。年甲斐も無く張り切っちまいました。はは、いけやせんねぇ……」

「腰周りの筋肉をつけるといいっていうから、少しずつそういう運動をした方がいいかもなぁ……」

「そんな運動があるんで?」

「ああ……ま、まあ昼飯くらい少し遅くなってもいいか。えっと、まずはうつ伏せに寝転がって、腰の裏側に手を当てて、体を───」

 

 日に日に仕事が増えてゆく。

 冬はどうにもやることが多く、糧の面で助けてもらった暖かな時期の恩返しを民たちにするのが大体の目的となっている。

 

「さて昼飯を───って、あれ?」

「……うぐっ……ひっく……うぇえ……」

「……迷子……か? ああいやいや、考えるより行動っ。なぁ、どうかしたのかな」

「せっかく買った肉まん……落とした……」

「あ、あー……なんとありがちな……」

「しかも落とした拍子に咄嗟に足で受け止めようとして、力が入りすぎて蹴っちゃって……」

「新しいなオイ」

「その熱々の肉まんが中身をぶちまけながら警備隊のお兄さんの顔面に直撃しちゃって……」

「肉まんを相手の顔面にシュゥウウーッ!?」

「警備隊のお兄さん、怒ってないかなぁ……」

「こっ……ここに居ないってことは、どこかに運ばれたんだよな……。まあ、大丈夫だと思う……ぞ? で、きみは迷子かなんかなのかな」

「ああ迷子さ……人生という名の、長く険しい道の…………ね」

「……最近の子供の感性がわからない」

「大人ぶりたいんだ、僕」

「自覚があるだけマシなのか……」

 

 それでもまあ、賑やかなのはいいことだ。

 なんて思っている内にニコリと笑った少年は、人の波にパタパタと走っていってしまった。

 なんだったんだろうか。

 まあこんな感じで都での日々は続く。

 たまに時間が取れると魏や呉や蜀へと片春屠くんで遊びに行って、そこで……主に町人と賑やかに過ごしていたりする。

 え? 将や王とはどうなのかって?

 ……いや、なんだか最近、本当にみんなの入れ替わりが激しいんだ。

 だからしばらく会ってない人が居ないってくらいで、それどころか王が軍師といろいろと計画を立てているみたいで……その軍師の波に入って情報を集めてくれた七乃の話によると、新兵調練や城の仕事を任せる新人の人材強化の一環で、王や将が都に移り住むかもしれないとかなんとか……。

 ……あ、あはは!? 冗談だよね!? 冗だ───笑って!? 笑って七乃さん!

 

「ふっ! ぬっ! おぉおおっ……重ぉおおおお!!? え、えんっ、焔耶っ! 持って! ちょ、これ持って! 貸してもらっておいてなんだけど持って!」

「なんだ情けない。これくらい簡単に振れないでどうする」

「こんなデカい金棒を片手で振るえる腕力こそが驚きだよ……焔耶、腕全然細いのに」

「そんなこと言われても、そういうものだとしか言いようがないな。振るえるんだから振るえるんだ」

「いやまあそうなんだけどさ」

「ところで北郷。お前、化勁の練習をしていると言ったな」

「エ? ア、アー……今この瞬間にやめました」

「そうか。ならば友のよしみとして今ここでやってみせてくれ」

「ヒィ!? や、やるのは構わないけどせめて鈍砕骨以外でやろう!? これ見よがしに思い切り振って肩に担ぐとかやめて!?」

「? そうか? まあ別にそれは構わないが……ふんっ」

「……アノ。なんでそこで整備用角材(大)を持ち上げるんでしょうか」

「何を言っている。お前が別のものでやろうと言ったんだろう」

「……! ……!」(声にならない)

「さあいくぞ北郷! 友の一撃、見事受けきってみせろ!」

「いやぁあああっ!! 春蘭だぁあっ! 春蘭二号がおるーっ!!」

 

 七乃さんの言葉が信じられなかった僕が現実逃避に鍛錬を選んだその日、衝撃は殺せても勢いは殺せなかった御遣いが綺麗な青空を舞った。

 でも北郷負けません。

 伊達に何度も空を飛んでないとばかりに華麗に着地してみせると、何故か「ほおお~っ!」と目を輝かせた焔耶に拍手された。……なんというかとても珍しいものを見た気がする。

 と、まあ。世界は一部に厳しさを感じながらも普通に動いていた。

 あくまで普通に。

 ただ、普通っていうのは何か些細な切っ掛けで崩れたり、珍妙なことが起こってしまうものだ。そういうことは忘れずにおこうと思いながら生きている。



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104:IF/邪な風もみんなで吹かれりゃ怖くない②

 そんな日々の、とあるひとコマ。

 

「でさ。各国合同模擬戦大会っていうのはわかったんだけどさ」

「なんだ北郷! 既に戦いは始まっているんだぞ! 無駄口を叩くな!」

「いやいや言わせてくれよ! これ絶対におかしいだろ! 各国の将全部をごちゃまぜにして、魏と呉と蜀と都の主で指揮をして戦うってのはわかったよ!? くじ引きで選んだんだからそりゃあ公平だった筈だろうさ! でもさぁ! これはさぁ!!」

「なんだよアニキぃ、あたいらじゃ不満だってのか?」

「いや心強いし頼りにしてるよ!? むしろ頼りにしか出来ないだろ!」

「にゃはは、なら大丈夫なのだ! 鈴々たちにど~んと任せるのだっ!」

「そーだよ兄ちゃん。このちびっ子はまだしも、絶対に春蘭さまとボクが勝たせてあげるから」

「春巻は黙ってるのだ!」

「なんだとー!?」

「戦……戦か。ふふふ……腕が鳴る……! 今こそ磨きに磨いたこの華雄の力、天下に轟かせる時!」

「くぅっ……どうせならば桃香さまに選んでほしかったが……! おい北郷っ、お前がワタシを選んだからには半端は無しだ! だからお前も勝てる指揮をしろ!」

「勝てる指揮って…………あの。この軍にパワーファイタ-しか居ないことへのツッコミはゼロですか?」

「ん、んん? ぱわーふぁいたー? なんだそれは。相変わらず貴様の言葉はまるでわからん」

「春蘭の場合、理解する前に頭から難しい言葉を追い出すからだろ……。パワーファイターってのは、力が秀でた優秀な“戦士”って意味だよ」

「なんだそうなのか。まさしく私のためにあるような言葉だな! 華琳さまの軍と戦わなければならんということは気に食わんが、手を抜けば華琳さまにお仕置きをされてしまう。…………それはそれでいいかもしれんが、のちのちを考えるとわざと負けるのは性に合わん! さあ北郷! どう戦うのかさっさと言え!」

「あの。もひとつ質問いい? ……なんでこの軍って軍師が居ないの!?」

「? なにを言ってるんだ。軍師に選ばれた桂花が“貴様につくくらいなら首を斬る”と言って辞退したんだろう」

「けぇえええいふぁぁあああああああっ!!」

 

 “そういうことは忘れずに生きていこう”と思いながら生きてはいるけど、時々泣きたくもなります。それもまた俺の日常。

 

  ───季節は、完全なる冬。

 

 寒さに負けてカタカタ震える体や心に気合を入れようってことで、三国と都で模擬戦を始めた。軍と言うからには兵も用意して、大将と決めた相手の頭から鉢巻を奪えば勝ちという、超実戦的な騎馬戦みたいな催し物である。

 くじ引きで人材を決めるそれで、俺は一番最初に春蘭を引いて「おおっ!」と喜んだ。次いで鈴々を引いた時にも喜び、華雄、季衣、猪々子、焔耶と引いて……なんかその辺りで頭を抱えていたような気がする。

 さて、そんな突撃大将軍しか居ないような軍の中で、俺がする指揮なんていったら?

 

「全軍抜刀! するべきことはただ一つ! 突撃!! 粉砕!! 勝利だぁあっ!!」

『うぉおおおおおおおおおおっ!!』

 

 これしかなかった。

 だってね、くじで引いた兵の部隊っていうのが春蘭隊とか華雄隊とか、猪兵ばっかりでさぁ……。いったい他にどんな命令が飛ばせたと? むしろ飛ばしたとして作戦成功は在り得たか? …………ないだろ。

 だったらもう将の能力を生かすしかない。つまり……突撃あるのみ。

 

「にゃっ!? お兄ちゃんも一緒にくるのかー!?」

「この軍で一人で待機してたら囲まれて終わるよ!? みんな陣地なんてもう見てないだろ! だから突撃粉砕勝利!」

「お……おー! なんだかすごく楽しくなってきたー! 鈴々、一度でいいからお姉ちゃんともこうやって突撃してみたかったのだ! でもそれは無理だから、一緒に突撃してくれて嬉しいのだ!」

「はっはっはっはっは! なんだなんだ北郷! 貴様も前に出るのか! 戦の中ではいつも後ろに居たというのに、随分と勇ましくなったではないか!」

「ははっ、たまにはね! どうせすぐにもうごめんだとか言いそうな自分が容易に想像出来るけどっ!」

「そうか。そうなったら私が引きずってでも連れていってやろう。そうすれば華琳さまも貴様の成長を認めるとともに、私にもご褒美を……! ……ありがたく思え?」

「あ、兄ちゃんボクもボクも!」

「やめて!?」

「あっはははは! なんかいいなぁこういうの! うちは麗羽さまがああだったから、“頭”と一緒に突撃なんてしたことなかったしなぁ~! なんかこれぞ人馬一体……じゃなくて、軍勢一体って感じだな! へへっ、あたいもわくわくしてきたぜ~っ!! これで斗詩が居れば文句ないんだけどなぁ!」

「うむ……私もその、王というか……主が月のような女の子だったからな。こうして主とともに突出する興奮は今まで味わえずにいた。……なるほど、この高揚が軍というものの一体感か!」

「桃香さまに刃を向けるのは気が引けるが……これも催し物の一種! そしてなにより桔梗さまと戦える良い機会だ! 我が名は魏文長! 我を倒せるものは居ないのかぁーっ!!」

 

 聞いてみれば、意外というか。

 王とともに突撃したいと願っていた者は結構居たらしい。

 言われてみればそうなのかもしれない。

 命令されて突撃するよりも、王の背についていってともに戦いたいって気持ちは……それが憧れている相手なら、そう思うのも当然なのだろう。

 

「お兄ちゃんっ! 突撃したのはいいけど、相手側の策とかはどうするのだー!?」

「相手側の軍師が伝令に伝える前に全力を以って潰す!!」

「おおお! わかりやすいのだー!」

「おい北郷! 貴様ぁあ……こんなにわかりやすい作戦が出せるなら、なぜ魏に居た時からそうしておかなかった!」

「そんなにややこしいこと言った覚えないんですけど!? あと主な作戦は桂花や稟や風の仕事だったろ!?」

「ええいやかましい! 言い訳は見苦しいぞ!?」

「言い訳どころか正論な筈なんだけどなぁ! ええいもう突撃突撃突撃ぃいいいっ!!」

『うおぉおおおおおおおおおっ!!』

 

 突撃を続けた。

 作戦なんて邪魔だと断じてただひたすらに。

 何も考えずにただ突っ込み戦う……純粋なる戦いっていうのは結構気持ちよく、やってみて初めて……春蘭と華雄の気持ちが少しだけわかった気がした。

 

「ごめん! 通るな!」

「つわっ……! はっ……ははっ、強くなりましたね、隊長……!」

「───! ……ああっ! 今まで後ろから指示してばっかでごめんな! 俺、これからももっと頑張るから!」

 

 そして、突出する怖さと緊張というものも。

 それらを経験している兵からの言葉に思わず泣きそうになって、それをぐっと堪えると笑顔で感謝をした。

 返すものがまた増えた気がしても、それがてんで辛いなんて思えなくて笑う。

 ……そう、普段じゃ話せないことも、解らないこともある。

 だからぶつかって、戦場での目的地目指してがむしゃらに突き進んだ。

 これが兵が、将が見ていた、経験していた世界だ。

 いつかじいちゃんの前で鍛錬した多対一の構えで兵と戦い、ただただひたすらに大将のもとへ。

 

「───! 北郷か!」

「───っ……祭さん!」

「かっかっか、よぉ来おった! 鍛えたというのに後ろで縮こまっておるのだったらどうしてくれようかと弓を構えておったところだ! ここへ突出してきたということは───わかっておるな?」

「大将の鉢巻は、当然簡単には……ってことだよね」

「以前は妙な終わり方をしてしまって燻ってしまったからのぉ。ここでならば全力でぶつか───」

「うりゃりゃりゃりゃりゃぁああああっ!! どくのだーっ!!」

「ぬっ!? 張飛じゃと!?」

「突撃! 粉砕! 勝利なのだーっ!!」

「ちぃっ! さすがに戦場ともなれば一騎打ちなど静かには出来んか……! これは正規な戦ではないからのぉ……!」

「───って、そうだった! 場の雰囲気に飲まれるところだった! ごめん祭さん、決闘はまたいつか! 俺の我が儘で今の軍の足引っ張るわけにはいかないから!」

「ふっ……ふふははは、はっはっはっは! おう! それでよい! 軍の一部として戦うと決めたならそれを貫けぃ! ───もちろん、ただで通す気はないが───のぉ!」

 

 三国と都の将を混ぜた戦は混戦を極めたようなものだった。

 誰が味方かを覚えておかなければ同士討ちでもしてしまいそうで怖い。主に春蘭が。

 周囲の勢いを止めてしまうという理由で一騎打ちは認めてはいないものの、それ以外は結構ずぼらなルールのこの戦。

 たとえば高いカリスマを持ってらっしゃる誰かさんが、その誰かさんを愛してやまない誰かさんに声をかければあっという間に───

 

「春蘭。私に協力なさい」

「はいぃっ! 華琳さまっ!」

 

 伝令:【夏侯惇将軍が寝返った!!】

 

「おぃいいいいいいいっ!!」

「しゅ、春蘭さまぁ! さすがにそれはまずいですよぉ!!」

「余所見しておる暇はないぞ!」

「ほわぁっ!? ちょっ……祭さん! 模擬刀でも今のは危ないだろ!!」

「なんじゃ、攻撃方法くらいでいちいちみみっちい。余所見で負けたとして、それはただお主が油断しただけじゃろう? 戦人たるものならば常に周囲に気を配はぴゅうっ!?」

「へっ……!? う、うわぁああ祭さぁああああん!?」

 

 春蘭が華琳側に寝返るという、まあ予想はしていた事態に突っ込みを。

 そうこうしている隙を狙われたもののなんとか避けた……先で、戟の長柄部分でゴインと頭頂を殴られてオチる祭さんの図。

 なんだかとても可愛らしい悲鳴が漏れたが、それは言わないほうがいいのだろう。

 ともかく今は、倒れた祭さんの後ろに居た───恋をなんとかしないと。

 と思っていたのだが。

 

「……一刀は、恋が守る」

「うえぇえっ!? りょ、呂布っ!? に、兄ちゃん、どうするの!?」

「ど、どうするったって……あの、恋? 守ってくれるのは嬉しいけど、後ろから頭に戟を叩き込むのは……」

「………」

「……え、えと。恋? 俺と一緒に、来てくれるの?」

「……ん。一刀は恋が守る」

「……わぁ」

「……いいのかなぁこんなので。じゃあボクも流琉を見つけたら誘ってみよ……。ていうか兄ちゃん、ボクたちの軍、なんでこんなに人数少ないんだろうね」

「力の問題だと思うぞ……」

 

 伝令:【恋が仲間に加わった!!】

 ……なんかあっさり仲間になった。

 いいのかこれ。……いいのか。最初にやってみせたのがこの大陸の覇王さまなんだし。

 

「うわわーっ!? 恋ちゃんが寝返っちゃったーっ!! どどどどうしよう愛紗ちゃん!!」

「落ち着いてください桃香さま。ならばこちらも鈴々を引き入れればいいのです。……というか桃香さま、陣地でお待ちくださいとあれほど……」

「私だって頑張って鍛錬してるもん。お兄さんと華琳さんにその成果を見てもらいたいってこともあるけど……愛紗ちゃんはきっと怒るだろうけど、突撃するみんなの気持ち……私も知ってみたかったんだよ」

「桃香さま……」

「でも、うん。とにかく今は愛紗ちゃんの言うとおり鈴々ちゃんを味方に───」

「にゃははははは!! いーやなーのだーっ!!」

「ええっ!? 鈴々ちゃん!?」

「鈴々!? いつの間にこんなところまで!?」

「突撃してたら呉軍を抜けちゃったのだ! というわけで愛紗! 勝負なのだっ!」

「…………鈴々。まさか最初からそのつもりだったんじゃないだろうなぁ……!」

「んにゃ? なんでわかったのー? くじが分かれたらそうするつもりだったのだ」

「……まったく、お前というやつは……!」

「っへへー、構えたからには戦うだけなのだ!」

「いくぞ鈴々! 全力で───!」

「応なのだ! 全力で───!」

「───獲物、みぃ~つけたっ♪」

『!? ───孫策!?』

 

 あちらこちらで悲鳴やら怒号やらが聞こえる中、なんかもうこれ模擬どころか普通の戦より盛り上がってるんじゃないかってくらい、みんなの気迫がすごいすごい。

 ここまで混ざるとどこで何をやっているのかも解らなくなるってものだが、そんな中でも俺は───居た!

 

「! 一刀!」

「蓮華!」

 

 兵に守られるように立つその姿を見て、木刀を逆手に持って切っ先を後方へ。

 蓮華もくすりと笑うと剣を鞘に納めて地を蹴った。

 兵が止めるのも聞かずに俺と蓮華は近づき───すぐ目の前に立つや掌と拳をパァンと叩き合わせて、預け合っていた“戈”と“文”を互いに戻す。

 そうすると即座に武器を構えてぶつかり合った。

 周囲は一体何をしたかったのかと困惑の視線をぶつけてくるが、俺達にとっては大事なことだったのだ。

 預け、預けられたのは“人を殺めるための戈”。

 それを戻すということは殺し合いでもするのかといったらそうではなく───覚悟の問題なのだ。模擬とはいえ戦をするのだから、甘い考えは根本から捨てて真っ直ぐに。

 

「っ……私が“王として”を学んでいる間、お前は随分と己を鍛えたのだろうな……!」

「蓮華だって。あの祭さんが、強くなろうとしてる人をほうっとく筈がないしね……!」

「ああ、散々と扱かれた。弱音なんて許さないとばかりに。そうして挑んだ天下一品武道会も負けてしまったが……お陰で今まで余計に扱かれた……!」

「俺だって、訪れる人訪れる人に代わる替わるボコボコにされて空飛んで泣き言言って叩きつけられて空飛んで吹き飛ばされて空飛んで……!」

「……随分と空を飛んでいるのね」

「そこで女の子な言葉になるのやめて!? ───って、蓮華、鉢巻は?」

「え? ……ああ、あれなら姉さまが。その方が狙われやすいからと言って持っていった」

「……そか。じゃあ今頃───って向こうは向こうか。全力でいくからな、蓮華!」

「ああ! 望むところだ一刀!」

 

 氣を全力で解放。同時に錬氣も常にしての攻防が始まった。

 恋が突っ込んでくるかなと思っていたが、恋は他国軍の将に集中攻撃を仕掛けられているらしく、足止めされている。

 しかしその包囲もどんどんと力を無くしてゆく異常ともとれる光景に、蓮華と戦いながらも喉を鳴らした。

 その一方で───

 

「あっははははは! せっかくこの乱戦の中で会えたんだから、すぐに楽しみましょう!? ねぇ、愛紗、鈴々、桃香!」

「くっ……鉢巻、というと孫策、あなたが呉の大将か!」

「孫権じゃなかったのかー!?」

「あぁこれ? 狙われるために奪っちゃった。だってその方が楽しそうじゃない?」

「奪った、って……はぁ。周瑜殿の苦労が目に浮かぶようだ……」

「あ、そういえばそっちの軍師は冥琳だったわよね。いい作戦はくれた?」

「あなたに気をつけろと」

「わお。行動を見透かされてるみたいでまいるわねー……───あとは?」

「会ったとしても攻撃はするなと」

「え? 冥琳が? そう言ったの? へー……じゃあこの睨み合う時間にもなんらかの意味があるのかし───」

「孫策! おぉおおおおおお孫策! 見つけたぞ孫策ぅううううっ!!」

「───ら? って華雄!?」

「ふははははは! ここで会ったが百年目! 北郷とともに強くなった私の手で───孫策! 今日こそ貴様を打ち下してみせよう! 我が金剛爆斧の前に散れぇえええぇええぃいい!!」

「え、わ、ちょっ───きゃーっ!?」

 

 ───どこかから悲鳴が聞こえた気がしたが、きっと気の所為だ。

 むしろ悲鳴なんてどこからでも聞こえてきているのだから、気にしたら負けだろう。

 その悲鳴が主に男集(兵と俺)が出しているものだとしても、気にしたら負けなのだ。

 

「うわあああ!! りょ、りょっ……呂布だぁーっ!! げああぁーっ!!」

「ひぃいい!!? 相棒!? 相棒ーっ!!」

「しっかりしろぉ! 武器は模擬っ……模擬戦用の斬れない戟なんだぞ! なのになんでそんなに吹き飛んでるんだ!」

「へ、へへっ……ど、どうやらドジっちまったみたいだ……。み、みんな……あ、あとを……た、頼ん……───」

「相棒ぉおおーっ!!」

「え、衛生兵! 衛生兵ぃいっ! 頼む! こいつを助けてやってくれぇえ!! こいつっ……ようやく恋人が出来て、今朝まで俺達にどつかれてくすぐったそうに笑ってたのに……! こんなっ……こんなことって……!」

「ち、ちくしょうもう我慢ならねぇ! 俺だってあの乱世を生きた兵だ! 戦での勇気じゃあ───将にだって負けねぇええっ!!」

「はっ───よ、よせ兵士壱! やめろぉおっ! 戻れ! 戻ってくるんだぁあっ!!」

「へへっ……今行くぜ、相棒……。お前一人に寂しい思いはさせぶべえっしぇぇえっ!?」

「兵士壱ーっ!!」

 

 人が飛ぶことに武器の鋭利さは関係がない。

 俺達にとってはそんなことは当然だったのに、心のどこかで“斬られて死ぬことはない”なんて安心があったのかもしれない。

 俺達の体は将の一撃で簡単に空を飛び、地面に叩きつけられただけで全身が痛みで動かなくなる始末。その衝撃には武器が切れるか否かなんてことは関係がなく……ただ吹き飛ばせて長ければ、彼女らにとっての武器というものは、大した違いはなかったのだろう……。

 次々と兵がキリモミで飛んでゆく景色に歯噛みしながら、俺は蓮華の攻撃を弾き、逆に攻撃しを繰り返していた。

 

「つ、ぅ……! 受け止める度に腕が千切れそうなくらいに痛い……! 一刀……それがあなたの答え……!?」

「こうでもしなきゃ、華雄たちの攻撃の一撃一撃すら弾ききれなかったって、それだけだよ!」

「───そう。ならば相性は良いのだろうな。私は祭から避けることを重点的に習った。剛撃ばかりでは、以前のあなたと戦った華雄のように疲れるだけで終わるぞ」

「───!」

 

 蓮華が強く握る剣や構えからスッと力を抜いてゆく。

 まるで自然に身を任せるような、風が吹けば揺れそうなくらいの脱力だ。

 表情からは険しさも緊張も消え、力は抜いたが集中は消えていないとわかる彼女の顔───

 

「フィンガーマシンガン!!」

「きゃあああああああーっ!?」

 

 ───が、驚愕に染まった。

 ボチュチュチュチュと地面を軽く抉る、雨程度の威力しかない氣弾にしこたま驚いたらしい蓮華は、アニメとかでよくあるような足をぱたぱたさせてマシンガンの弾丸を避ける人みたいになっていた。

 のちに激怒した彼女に襲われるに到り、なんかもうフィンガーマシンガンは使わないほうがいいかもなぁと普通に思っていた。使うにしても状況を考えようね、俺……。

 

  そうして、武人のほぼが目を輝かせて戦っていた。

 

 俺も全力の戦いで、しかも相手はいつかの呉で互いに高めあっていこうと誓った相手だというのだから、心が熱くならないわけがない。

 蓮華も同じようで、祭さんに扱かれたと言うだけあってその立ち回り方は見事の一言。

 攻撃は避けられるし隙は逃すことなく狙ってくる。

 加速攻撃を使おうとした瞬間、その予備動作を潰されるとは思わなかった。

 驚いた顔で蓮華を見れば、いたずらが成功したみたいな子供のような顔で笑う彼女。

 ……いや、そりゃ流石に予測できないって。まさかあの蓮華が前蹴りでこちらの体勢を崩しにかかるなんて。

 でも確かにその蹴りは、いつかの日に祭さんにもやられたものだったのだから、恐らくは蓮華も随分とやられたんだろうなぁと予想が出来た。じゃなきゃ、あんなに嬉しそうな顔をする筈がない。

 

「いっちち……! ははっ……強いなぁ、蓮華っ!」

「……! ~……ええっ! ええっ、貴方もね、一刀!」

 

 素直に強いと口にすれば、これまた褒められた子供のように眩しい笑顔をこぼす蓮華さん。……“褒めてくれる人なんて居なかったんだろうなぁ”って答えに簡単に辿り着いた。

 自分達はあれから成長出来たのでしょうかと互いに語りかけるように得物を振るい、衝突の度にその答えを受け取ってゆく。それは、その鋭さと重さを体で感じる度に笑みがこぼれてしまいそうになるくらい、とても清々しい戦いだった。

 相手の攻撃を受け止める度に、体が“成長出来てるよ”と言ってくれているようで。

 以前だったら数合でぜえぜえ言っていた体が、“まだ全然動ける”、“まだ頑張れる”と自分の“こうしたい”を受け止め、実行してくれる喜び。

 それを誓い合った二人で幾合もぶつかり合い、確かめていった。

 そんな戦いを、兵を蹴散らしながら満足げに見守るのは思春だ。

 

  ……そう、誰もが自分の武や、高鳴る思いを胸に自己の得物と想いをぶつけ合った。

 

 汗を流し、攻撃を受け止め、時には弾いて時には弾かれて。

 渾身を放ったのに逸らされて息を飲み、隙を穿つ攻撃を己も避けて見せ、息を飲む姿に笑みを浮かべ。

 そうやって、次第に武人の目が目の前の者しか映さなくなった───その時。

 

『今でしゅ!!』

 

 掛け声とともに一斉攻撃。

 ハッとした瞬間には驚くほどの兵が突撃を仕掛けてきており、他の将は無視して何故か俺目掛けて……えぇえええっ!?

 

「これはっ……いつの間にここまで包囲されて───!?」

「……! 一刀は、恋が……!」

 

 蓮華が驚き、自分に向かう兵を恋が吹き飛ばし、それでも尚突撃をする兵たち。

 今でしゅ、ってカミカミ言葉から察するに、指示を出したのは朱里と雛里。

 そしてその二人が居た軍は……困ったことに魏だった。

 俺達がほぼの武官を引き当てる中、華琳が引いたのはほぼが軍師。

 それでは戦いにならないだろうって話になりそうだが、その分、軍師一人につき付いてくる兵の数は武官側とは大きく異なり、多いのだ。

 その結果がこの雪崩式のような包囲突撃。

 ああっ! 春蘭をあっさり奪われたのは痛かった! 華琳のやつ最初からこれが狙いだったのか!? 軍師が多いっていっても元々は力側だった亞莎も居るし秋蘭も居る! そこに春蘭の力が加わって、朱里も雛里も穏も風も稟も……アワワー!?

 力ばっかりだからってこっちの人数少ないのはやっぱり納得がいかないんですけど!?

 しかもその力の一部があっさり寝返っちゃったし!

 

「っ! ……! ふっ……!」

 

 恋が、俺に突撃してくる兵を蹴散らしていくのだが……兵は俺しか見ていない。

 そりゃそうだ、鉢巻を取れば勝ちなら、恋には構わずとことん俺を狙えばいい。

 むしろ俺も蓮華との戦いに熱中しすぎてそもそものルールを忘れていた。

 で……そのお相手の蓮華さんなんですが。

 

「下がれ貴様ら! 一刀は私と戦っているのだ!!」

 

 ……かつてない気迫を以って、兵を薙ぎ倒しまくっておりました。

 しかしまあ……なんでしょう。

 きちんと統率と忠誠が保たれていない部隊のなんと恐ろしいことよ。

 乱れに乱れて、隙を突かれたらもろいったらない。

 そんなことまで体験してしまった俺は、呆れながらも最後の最後まで全力で楽しみ……結局、数の暴力に押さえられる形で、鉢巻を奪われてしまった。

 

  ……ちなみに。

 

 後日の話になるが、体が熱くなったのはいいんだが熱くなりすぎたために汗を掻き、しかし全員が全員一気に風呂に入れる筈もなく……最初に入った王や将以外の者が、例外なく風邪を引いた。さすがに医務室代わりの部屋にはそんな人数は入れられませんっていうことで、謁見の間が仮の医務室代わりとなった。そこで全員で寝るという、不近親だけど修学旅行っぽい状況につい笑ってしまう。普段ではありえない状況に、俺以外にも笑っている将が居るくらいだ。熱で顔赤いけど。

 そんな俺達のために呼び出された華佗が今回一番災難だったんじゃないかなぁと思ったのは、きっと俺だけじゃなかった筈だ。全員の軽い治療が終わる頃には華佗もぐったりしていて、そんな彼にボーっとする頭のままに深く深く感謝と謝罪を届けました。

 まあ、そんな日々のひとコマ。

 応急治療はなされても熱はあるっていうのに、大多数の将の顔は楽しげだった。

 やっぱり、たまには思い切り体を動かしたほうが日々の鬱憤も取れるんだろう。

 俺も笑いながら、くらくらする視界に苦笑をもらし、眠りについた。

 



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105:IF/じぶんのなかでなにかがかわるかもしれない。9点 ○①

 平和な日々が大好きだー!

 ……いきなりだが、人は平和の中にこそ幸せを感じるべきだと勝手に言う。

 だって平和が好きだから。

 いつ死ぬかもわからない状況に身を置き続けるのは息が詰まる。

 けれど、そういった人たちのお陰で今の平和があることを忘れちゃいけない。

 だから俺達はもっと平和を愛するべきだ。

 べきだから───

 

「ウキョロキョキョーン! フギャッ! フギャッ!」

 

 俺をスラムッ……もとい、都に帰してくれぇええーっ!!

 

 

 

 

 

157/じぶんのあしたがみえない。2点 ●

 

 久しぶりにみんなが揃う三国の会合。

 模擬の戦が終わってから今日で五日目。

 三国で争ってすぐに帰るというのはさすがにどうかということもあって、みんなはしばらく滞在することになる。

 食料とか大丈夫か、なんて心配はあったものの、田畑の成長が目覚しいと言われていた通り、どうやら都の食料事情は他よりも豊かなんだそうな。

 どうしてそういったことも管理している筈の俺が、そんな曖昧なのかといえば……問題点としてはいろいろある。頭の中に叩き込むだけ叩き込んだとしても、書類で見るのと実際に倉庫を見るのとじゃあ違うのだ。

 “国庫は潤ってますよー”と報告されて頷きつつ、じゃあなにを基準に潤いと呼ぶのかと問われれば、ハッキリと言えば俺は“その国の人たちがとりあえずは食べていける量”と答える。

 だから文字通り売るほどあるだなんて考えないわけだ。

 見るのって大事だね。書類だけじゃなくて、倉庫もちゃんと見るようにしよう。

 

「はぁー」

 

 溜め息を吐く。幸せが逃げると言うが、今は幸せよりも心の疲れを逃がしたい。

 溜め息を吐くと心の鬱憤が少しは晴れるんだそうだ。不思議なものだが、確かに少しは楽になる。少しは。

 その溜め息の音を聞いてムッとする人も居るわけだが、もしかしてそれは吐き出された鬱憤が相手に伝染ったりするから、なのだろうか。科学的根拠だとかそんなことは俺にはわかりようもないが、そうやって仮定で頭を固めてみるのも結構面白い。

 で、後になって全部違いますと知った時に笑い話のネタにする。

 仮定の話や、自分にとってわからない難しい話なんてそんなものでいいんだと思う。

 

  さて。

 

 なんでこんな意味のわからんことをごちゃごちゃ考えているのかというと。

 

「お兄さんお兄さんっ、剣閃ってどうやるのっ?」

「一刀、相手の攻撃を避けてからの反撃についてなのだが……」

 

 目の前に、呉と蜀の王がおる。

 俺、何故か書類整理中に引っ張り出されて付き合わされている。

 おわかりいただけだろうか。

 視線の先の王らにご注目いただきたい。

 それぞれ技を教わる師匠的存在が居るというのに、この北郷めに訊ねてくる王らだ。

 そしてさらに彼女らの姿のさらに奥、中庭の奥に存在する東屋を見ていただきたい。

 今まで彼女らを指南していた祭さんと愛紗が、面白くなさそうにこの北郷めを睨んでいる様が見てとっていただけたと思う。

 まさかこれは……この北郷めの胃をストレスで破壊するための作戦だとでも……いうのだろうか。

 

「あのさ。それは祭さんと愛紗に訊いたほうが」

 

 言った途端にガタッと立ち上がる祭さんと愛紗さん。

 笑顔の様子から、やれやれ仕方ないのう北郷は! とか、やはり桃香さまには私が! とか、なんかそういう声が聞こえてきそうで───

 

「う、うーん。愛紗ちゃんと鈴々ちゃんは、ほら、こう……私にはちょっと難しい教え方で。氣を溜めるには、どかーんとかぐおおーとか、なんかそうやって溜めるのだー、って言われても」

「祭はなんでも根性論で固めるから、たまには他の意見も聞きたいのだ」

 

 そして睨まれるこの北郷。

 あの……祭さん? 愛紗さん? 今のは俺が悪いわけじゃないんじゃ……?

 むしろ愛紗も鈴々ももっと相手に合わせた説明をするべきで、祭さんも根性論ばっかじゃなくてほら、えぇと、そのー、ね? こう……あ、あれぇぇえ……!? 根性論以外が思い浮かばない……!?

 辛くても“この程度でだらしがないのぅ”とか、苦しくても“なんじゃなんじゃだらしのない。文句をたれる余裕があるのなら、まだまだ頑張れるだろうに”とか言いそうだ。うん言いそうだ。

 

「あ、ああ、そっか。じゃあまず桃香の剣閃からな? 俺も凪から教わったから、そこまで詳しいわけじゃないんだけど」

 

 むしろここで凪に訊いてくれ、って……言ったら凪に迷惑がかかるな。

 難しいことは忘れてコツだけを教えよう。

 コツ……そう。

 

「武器に氣を込めて、自分の氣とは切り離して放つんだ」

 

 コツはこれだけ。自分の中の氣を感じ取れていれば、問題なく出来る。

 いや、出来るはず。……出来るよね?

 まさか俺が“出来る者の理屈”が言える部分まで成長できているとは思えないし。

 才能で言うならこの世界の人たちのほうがよっぽど凄い。

 こうして俺が教えてみたら、教えた先から「わー、出来たー!」とか言って…………あれ?

 

「見て見て蓮華ちゃん! 出来たよー!」

「わ、解った! 解ったから抱きつくのはやめて!」

「………」

 

 桃香……他国の王が居るということで、キリッとした口調の蓮華さんが桃香に抱きつかれて戸惑っている。きっと喜ばしい光景なのに、今までの俺の苦労は……とか思ってしまう弱い北郷をお許しください。

 あっさり剣閃を会得されてしまい、俺の立場はとか思ってしまうのは悪いことですか?

 

(い、いやいや、俺も呉でやった時、いきなり出来たし)

 

 出来るのはきっと当然なんだ、落ち込むな俺。

 むしろ桃香の成功を喜ぼう。もっと強くなってもらって、今までの彼女に出来なかった“守る喜び”っていうのを一緒に得てもらうのもいい。

 

「俺も頑張らないと」

 

 だな。よし、そのための一歩として自分の鍛錬を。

 

「? お兄さん、なにか言った?」

「いや、なんでもない」

 

 モテるイケメン主人公御用達の台詞を桃香に言われ、ヒロイン御用達の台詞で返す。

 奇妙なくすぐったさに頬を緩めながら、いざ自分の鍛錬を───

 

「よし、ならば次は私の番だな」

 

 ───呉王に捕まった。

 

「あの、蓮華さん? 俺にも俺の鍛錬が───」

「桃香のは見ただろう」

 

 子供の理屈か、とツッコミを入れるわけにもいかず、結局は教えることに。

 えぇと、相手の攻撃を避けたあとの反撃、だったよな。

 反撃……反───……そんなの俺が知りたいんだが!?

 いやいやいやいやちょっと待って蓮華さん!? それ確実に祭さんとか雪蓮に訊いたほうがいいって! そうしたら祭さんが根性論で雪蓮が勘で教えてく───教えになってない!?

 呉! 大丈夫なのか呉! 今心の底から思春を奪うことになってごめんなさいって土下座したくなったんですが!? あぁああでも思春も根性論で行きそうだとか思えてしまった今が悲しい! もう一度言おう! 大丈夫か呉! だっ……、あ、ああ……そっか、こんなだから冥琳が苦労するのか……。

 大丈夫だよ冥琳、ここでキミに押し付けるような友達甲斐のないことはしないから。

 せめて少しでも、キミの負担を軽くするため……この北郷、わからないなりに教えていきたいと思います。

 

「わかった、じゃあ実戦も混ぜてやってみようか」

「ああっ」

 

 嬉しそうに笑う蓮華を前に、道着姿で木刀を構える俺。

 相手の武器は、刃を潰してあるとはいえ剣。

 いつもながら、この瞬間にいろいろな差とともに死を感じてしまう自分が悲しい。

 こうして俺と蓮華は剣を交え───

 

「おお北郷! 今日も鍛錬か!」

 

 ───そこにいらっしゃった春蘭さんに見つかり、久しぶりに揉んでやろうとばかりに七星餓狼を構えられ、

 

「何を言っている、次はわたしだ」

 

 ズイと、何故か樹の陰からずっとこの北郷めを見つめていた華雄が対峙。

 ならば戦いで次の相手を決めるかとばかりに争い始め───と、いつものパターン。

 小細工なしで真正面からぶつかり合い、ふんふん言いながら、己に迫る武器をがぎんごぎんと弾く双方。

 蓮華が「止めないでいいの?」と俺にだけ聞こえるように言ってくるんだが……「知ってるか、蓮華……。俺、あの戦いが終わったら、どっちかと戦わなきゃいけないんだ……」と遠い目で言うと、ただ静かに肩をぽむと叩いてくれた。

 そんな蓮華に感謝の気持ちを抱いて、感謝を口にしながら今の自分が教えられる“避けてからの動作”を教えてゆく。正直勉強になるのかもわからない小手先技術かもだが、蓮華はこくこくと頷きながら覚えてくれる。

 その横では、桃香が剣閃に目を輝かせて空に放ちまくり……氣を枯渇させそうになって目を回すという事態が。東屋でガタッと立ち上がる愛紗をよそに、すぐに自分の氣を変換させつつ桃香に流し込むと、ごめんなさいと言いつつも恥ずかしいのか顔を赤くする桃香。

 

「………」

 

 東屋から降りてきた愛紗が、VS北郷戦争奪の会に参加した。……なんで!?

 むしろ三人で同時に戦うのってどうなんだ!? 実際目にしてるからすごいとしか言いようがないけどさ!

 

「器用ね。他人に氣を分け与えるなんて、御遣いだから出来ること?」

「思春も出来たよ。ただ、俺の氣って“どっちつかずの成長段階の時点”でそうなるような錬氣ばっかしてたからか、変換するのが楽みたいなんだ。思春に訊いてみたら“二度とごめんだ”って言われた」

「……そう」

 

 そもそも華佗にも成長しきる前だから出来ること、とか言われていた。

 なのにまだ出来るってことは…………氣の成長“だけ”には期待していいらしい。

 これで体も成長してくれたらなぁ。老いたいって言うわけじゃなく、純粋にこう、筋肉をつけた痩せマッチョ的な……そんな自分になってみたかった。せっかく鍛錬してるんだし。

 だからこそマッチョな自分をぽややんと想像してみるのだが、笑いしか出てこない。

 うーん似合わん。

 

「で、そろそろ自分の鍛錬に───」

「主様ー! 次はどうすればよいのじゃー!?」

「…………」

 

 指示した通り、準備運動目的で城壁の上を走り終えたらしい美羽が、元気に手を振って言う。氣で体を動かしながらのダッシュと、氣を使わずにする長距離のジョギング。それらをやらせてみているのだが……この世界の有名な存在だったからなのかなぁ、吸収が早い。

 教えるたびに自分が置いていかれるような気分で悲しくなる。

 しかし、教えたことを素直に吸収してくれて、相手が成長する様を見るのは……これで案外嬉しかったりする。サポートする人の喜びが理解出来るような微妙なような。

 

「美羽ちゃんには何を教えてるの?」

 

 手招きするとぱたぱたと下りてくる美羽を見上げつつ、桃香が訊いてくる。

 なにを、というか。

 

「俺がやってきた鍛錬を一通り。纏めたものかな。遠回りするよりは、俺の知恵でも多少の近道にはなるかなって」

「……………」

「桃香?」

「呉の王であるわたしが、憎むべき袁術についてを言うのもなんだが」

「え? 蓮華?」

「その……大丈夫なのか? 一刀の鍛錬は、あの華琳でさえ呆れる量だと思春から聞いたのだが」

「わあ」

 

 思春さん、そんなこと言ったんですか。むしろ相手が蓮華だからってなんでも報告しすぎじゃございませんか?

 いや、違うんだ蓮華。華琳が呆れてたのは、それまでの華琳の中の俺がてんで鍛錬をしていなかったからなんだ。たぶん。だからあの量でドキドキハラハラしていただけなんだ。きっと。

 

「大丈夫もなにも、ほら」

 

 サム、と片手で促してみれば、既にすぐそこまで元気に駆けてきている美羽さん。

 弾んだ息も手伝って、ハウハウと主人の指示を待つお犬さまみたいな状態だ。尻尾があれば千切れんほどに振られているだろう、って喩え、よく聞くよなー、なんてことが思えるくらいに元気だ。

 

「鍛える時は思い切り鍛えて、休む時は思い切り休む。結果が───おほう!?」

 

 駆ける勢いのままに、まるでいつかの季衣のようにスーパー頭突きで飛んでくる美羽が、俺の腹部に突き刺さる。つい世紀末覇者拳王のような悲鳴がもれたが大丈夫。……二分くらい休めば、きっと。

 

「………」

「ほわー……何度見ても不思議だねー」

「!? な、なんじゃお主ら! 近寄るでないのじゃ!」

 

 そして美羽も、絶賛対人恐怖症もどき。

 長かったHIKIKOMORI生活は、彼女の中にそんなものを作ってしまったらしい。俺と向かい合うのは平気なのになぁ。もちろん重度のものとまではいかない程度だ、いつかは治るだろうし、なにかに夢中の時は自分自身でも気づかずに普通に話せているくらいだ。意識するとだめなだけなんだろう。

 

「ねぇねぇ美羽ちゃん、どんな感じの鍛錬を教わってるの?」

「ふふーん、言うわけがなかろ? これは主様と妾だけの大切な“とれーにんぐ”とかいうものなのじゃ。妾が主様のやり方が正しいことを証明し、妾だけが主様に褒められる、それは素晴らしい“とれーにんぐ”なのじゃ」

「ああ……見た目はこれでも中身はやっぱり袁術なんだな」

「まあ美羽だし」

「う、うみゅ? どういう意味なのじゃ? 妾は妾に決まっておろ?」

「見た目は変わっても美羽は元気だなって言ったんだ」

「おおなるほどの! そうであろそうであろ! もっと褒めてたも!」

「お、お兄さぁん、ちょっと可哀相だよぅ」

 

 喜んでエイオーと拳を振り上げる美羽に対し、さすがに気がひけたらしい桃香が俺の道着をくいくい引っ張りつつ言う。

 や、そうは言うけど桃香……これはこれで素晴らしいポジティブさだと思うぞ?

 なにを言われても、理解出来ないとはいえ自分にとってのプラスとして受け止める。それはきっと俺達が遠い昔に置き去りにしてきたとても大切なもので───え? 屁理屈だよ? ……うん、なんかごめん。

 

「はは……」

 

 はははと笑いながら鍛錬を続ける。

 ここからは美羽も混ぜて立ち回りについてを四人で考えて、実際にやってみるといったものに変更。想像の自分と実際の自分とでは、どれほどイメージに差が出るかを体に教えるというものだ。

 

「………」

 

 さて、お気づきの人が大半だろうが、三国が揃った日から今日まで……“俺の時間”、一切無し! 仕事中ですら連れ出されて鍛錬に付き合わされたり仕事を手伝わされたり、休息時間が無いに等しい。

 夜になれば霞が酒、星がメンマを持ってやってきて、それが過ぎたと思えば美羽とシャオが眠れないとか言ってやってきたり、夜中にはそれらを思春が撃退するためにざわざわゴトゴト、深夜には桂花が暗黒的な笑いをこぼしながらのそりと夜襲をかけてきて自爆したり思春に捕まったり、早朝には美以がミケトラシャムと遠吠えをして人々を起こし、朝には料理を教えてほしいと桃香や蓮華や愛紗に捕まって、軽く教えてから外で鈴々と朝の体操をしていると華雄がやってきて、“朝から鍛錬前の柔軟とはさすが私の伴侶だ!”とか言い出して中庭に引きずられて、それを発見した春蘭が目を輝かせて七星餓狼を持って中庭に突撃してきて…………ああ、うん、もういいよね。説明するの辛くなってきた。誰が聞いてるわけでもないのにね、愚痴りたくなる時って……あるよね。

 

「………」

「おや北郷殿、何処へお出かけですかな?」

「ひぃぅっ!? …………せ、星……!」

 

 静かに中庭を去ろうとしたら、欄干に腰を預けた星に呼び止められた。

 ダ、ダメだ! 近くの誰かの目は無くても、遠くだろうと必ず誰かに見られている! 逃げ場がない!

 

「イヤチョット厠ニ」

「おや。厠はあちらですが?」

「次元を超越した厠に行きたいんだ」

「はっはっは、言っている意味がわかりませんなぁ」

 

 ああうん、わかってて言ってるこの人。

 

「なぁ星……俺、少し休みたいだけなんだ……。書類整理をしている方が心も体も休まるなんて俺、知らなかったんだ……」

「……さすがに重症ですな。時に北郷殿」

「重症って言っておいて話題変えるの早くないか!?」

「ははっ、まあまあ。休む時間の提供は無理ではあるが、話し相手をして時間を稼ぐ程度ならば出来ますぞ。何を言われても私と話しているからと応えればよろしい」

「あ……そっか。それならなんとか───」

 

 なるかも、と笑おうとしたのだが。

 

「北郷! 貴様人が順番を決めているというのに何を暢気に休んでいる!」

 

 ずかずかとやってきた魏の隻眼大将さまがわざわざ迎えにいらっしゃった。

 な、何故! よりにもよって春蘭! これならまだ華雄の方が話がわかったろうに!

 だがしかし希望はなくならない! 星と話し合っていると知れば、いくら春蘭でも───

 

「エ、エート、星と話してルカラー」

「そんなものは後にしろ!!」

「やっぱりぃいいいいいいいいいいいいっ!!」

 

 無駄でした。うん、まあ……わかってたさ。

 はっはっはと笑いながら手を振ってくれる星に俺も手を振って、再び争いの渦へ。

 そこにはいつの間にか祭さんが参加していて、俺と戦うのは誰かを決めようとしているらしく……俺と戦ったって面白くもないだろうに、なんでこんなことになったんだろうか。

 これってもういっそ、全員と戦ったほうがいいのでは? どうせあとで次は私が~とか言って戦わされるんだろうし……よ、よし! この寝不足ハイテンション北郷を甘く見たことを後悔させてくれるわーっ!!



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105:IF/じぶんのなかでなにかがかわるかもしれない。9点 ○②

 死ュウウウ……

 

「う、うぐぐっ……」

 

 多分一時間後くらい。

 中庭の樹の幹でぐったりする俺が確認された。

 最初から全力でいった分、地獄を見ました。

 何故って……華雄、春蘭、愛紗だけでも地獄なのに、祭さんや蓮華や桃香、騒ぎを聞きつけて目を輝かせながらすっ飛んできた雪蓮とも戦うことになって、もう体がガタガタだ……。

 雪蓮戦の時にはもうズタボロ状態だ。つまんなーいとか言われたってしょうがないんですよ雪蓮さん。

 ……一応残りカスのような氣を全力で振り絞って挑んで……その残りカスを何処で振り絞るかを選び、隙を突いて解放。放った加速の一撃が、やはり勘で避けた雪蓮の鼻先を掠めた時、アア、終ワッタ、と思いました。

 だって雪蓮の目が得物を狩る虎になってしまいまして。

 お陰で生命の危機を感じた俺は、搾り切った氣脈から出涸らしみたいな気力を振り絞らなきゃいけなくなり、ようやく落ち着いてくれた時には呼吸はぜえぜえ、汗は掻き放題で体が熱くてしょうがない。

 寒いと感じられる空気の中、死んだようにぐったりしながら湯気を発する俺は、これが漫画とかだったらシュウウ~とか擬音がつけられてる。シュウウの“シ”が“死”でもいいくらいぐったりだ。

 

「ああ……休みたい……書類整理でもいいから、のんびりしたい……」

 

 ここで弱音を吐くのは弱い証拠だろうか。

 もうこの際弱くていいから吐かせて。そして休ませて。

 

「あら。この程度で弱音? 以前のあなたなら喜んで向かっていたじゃない」

「へ? って……華琳」

 

 泣き言を言っていた俺に、影からするりと姿を見せて、木の幹を枕に寝転がる俺を見下ろす華琳。片手を腰に当てた呆れ顔で「情けない」とか言ってる。

 

「休める時間が少しでもあるならこんな弱音儚い……もとい、吐かないって。なんなら五日ほど部屋交換してみるか? 休む暇がないくらい人が来るぞ」

「ふぅん? だとしても、休めないのはあなたにきちんと休む意思が足りないからでしょう? 休むと決めたなら他のことなど気にせず───」

「夜、霞と星が酒とメンマ持ってくる。紫苑も桔梗も混ざることがあって、酒の匂いに釣られて祭さんも来るな。で、終わったあとでも終わらないうちでも美羽やシャオが来て、眠れないから一緒に寝ようと言ってくる。断る前に布団に潜って、ダメだって言っても動かない。仕方ないからそのまま寝ようとしたらシャオがなんか背伸びした色っぽい声で迫ってきて、美羽がそれに対抗して迫ってきて、思春に追っ払ってもらうと扉の前で騒ぎ出して、しばらくして静かになったと思った矢先に桂花が嫌がらせに来て、撃退したと思ったら蒲公英が窓から覗き見してることに気づいて、注意したら今度は堂々と扉から七乃が入ってきて」

「……あぁもう……あの子たちは……! いいわ、一刀。皆には一刀に少し休ませるように言っておくから」

「……ぐっ……う、ふぐぅっ……!」

「泣くことないでしょう!?」

「たった五日……されど五日だったんだ……。みんなと過ごすのは楽しいけど、人数が人数だから自分が休む暇が本当に無くて……。寝不足の所為でふらついてたら桂花の落とし穴に落ちて、抜け出して穴を埋めてたら美以と美羽が蜂蜜欲しさに蜂の巣落として蜂に追われてきて、一緒に逃げてたら蜂の巣ひょいと渡されて俺だけが追われるハメになって、全力で逃げてたら華雄が鍛錬と勘違いして余計に走らされて、途中で逃げようとしたら捕まって怒られて……そもそもみんな風邪はどうしたんだよ。自分たちばっかり早々に回復して、看病とばかりに人の部屋に突撃してきて、看病してくれるのは嬉しかったけど、バッグからタオル取られて水浸しにされて、顔にびちゃりと置かれた時は窒息するかと思ったよ……」

「あなたが疲れているということだけは痛いくらいにわかったわ」

 

 頭に手を当てて深い溜め息。

 そんな華琳は呆れた顔で言葉を続ける。

 俺に呆れたんじゃなく、みんなに呆れたようで───

 

「あの子たちも燥いでいるのよ。なんだかんだで久しぶりにあなたに会える子だって居るのだから」

「あー……正月にだけやたらと叔父さんに絡む子供みたいなノリか。お年玉ちょーだいって」

 

 お年玉なんてないぞ。むしろ俺が欲しいくらいだ。

 財布はいつだってカラッポ寸前さ。なにせ空を飛ぶための費用に当ててばっかりだ。

 正直飛べるとは思っていないものの……なんでだろうなぁ、真桜なら何とかできてしまいそうなのは。

 

「おとしだま?」

「ああ、一年の初めに、親が子供にあげる軍資金みたいなもんだよ。天では子供のほぼがそれを楽しみにしてる」

「へえ、そう。年初めに金銭で忠誠度とやる気を底上げする算段ね?」

「あぁええっと。間違ってないんだけど……素直に頷けないなぁ。むしろ忠誠度とかって喩えから離れてほしいような」

 

 一般のピュアな子供たちが、金で信頼を得ることができるちょろい人々みたいに聞こえてくる。お年玉が嬉しいのはきっとどの歳になんってもだろうけど、なんかこう……譲れない一線があるのですよ。

 

「けれどそのためとはいえ、正当な支払いでないものを渡すのはどうかと思うわよ。働きに比例した施しや褒美でないと、他に示しがつかないじゃない」

「働けない子供にあげる、親から子供へのお小遣いの一段階上のお愉しみみたいなもんなんだ。だから年に一回だけ」

「子供限定ということ? ……なるほどね。つまり、手に金銭を持てば使わずにはいられない子供の性格を上手く利用した流れというわけね? 親が子に、子が店に支払い、支払った金を纏めたものが俸給となる。よい連鎖ね」

「平和な場所じゃないと有り得ないけどね」

「それはそうよ。治安が悪いのに子供にお金を渡したりしたら、好奇心で店で使う前に盗まれるわよ」

「だよなー」

 

 何人組かの男に囲まれてホッホォォォォ持っとるのォォォォ的な展開になりかねない。

 警備隊が目を光らせているとはいえ、それも完全じゃないしなぁ。完全だったら、日々俺のところに始末書……もとい、報告書がくるわけがないのだ。……でも来るのがぜ~んぶ将関連なのはいい加減なんとかなりませんか神様。

 ……なので、そういうのは芽が出る以前に提案しないのが上策だろう。

 いきなりお年玉制度なんて出しても、各ご家庭は戸惑うだけだろうし。

 

「で、それはそれとして俺の休みのことなんだけど」

「そうね、無理して倒れられても困るし……いいわ、あなたは少し休みなさい」

「えっ!? いいの!? ほんとに!?」

「ええ。私たちの居ない場所で、のんびりと」

「……ホエ?」

 

 華琳たちの居ない場所?

 それってつまり、休んでいる時にも仕事中にも鍛錬中にも食事中にも就寝中にも誰も来ない場所……?

 

「…………!」

 

 なんて素敵な響きだろう!

 休みを渇望する俺の体が血を───もとい、やすらぎを求めている!

 お陰で一緒に居られたらいいのにとかそういうのじゃなく、とにかく離れることを望んでしまい───

 

 

  ───こんなことになってしまったがね……。

 

 

 ……ギー、ギッギー、シャワシャワシャワ……!

 

「…………」

 

 森の中に居る。

 熱帯雨林とでも呼びましょうか。ともかく森の中。密林と言ってもいい。新米ハンターがクック的な先生と戦わなきゃいけなくなるような雰囲気がある。

 なにやら高い樹ばかりがあって、そういった木々から長い蔓のようなものがたくさん生えている。掴まってアーアアーとかやりたくなるあの蔓だ。ジャングルの王者的には“AAAAAA!!”と叫びたくなる。

 

「あ、あーの、あのあの、美以さん? なに、ここ」

「なにって、みぃたちの故郷にゃー!」

「にゃー!」

「なー!」

「なぅー……」

 

 そう……休みを貰えることに浮かれていた俺は……何故か南蛮におがったとしぇ。

 おかしいと思ったんだよ! お供に美以たちだけだったし、その美以たちにも早く戻るようにとか言うし!

 まさかのサヴァイヴァル!? ここで俺にどう休暇を楽しめと!?

 

「それじゃあみぃたちは帰るにゃ!」

「かえるにゃー」

「にゃー!」

「にゃーう」

「いやいや待って!? せっかくの故郷なんだしゆっくりしていこう!? 厳密に言うと俺だけ一人なんてやだぁーっ!!」

 

 なんだか知らないけどここ視線を感じる!

 気の所為だろうけど感じるの! こんなところで休暇なんて無理だって!

 

「懐かしい空気に触れられただけで十分にゃ! なにせみぃはだいおーなのにゃ! だいおーは懐かしい程度でさみしくなったりしないのにゃー!」

「だいおーさま、かっこいいのにゃー!」

「かっこいいにゃー!」

「うにゃう……」

「いやいやちょっとだけ! ちょっとだけだから腰を落ち着かせよう!? むしろここって何が食べられるかとか教えてくれない!? 食べたら危険なものとか絶対あるだろこれ!」

「んにゅ……仕方の無い兄ぃなのにゃ。じゃあちょっとだけ教えてあげるじょ」

 

 仕方ないなぁとばかりに、しかし心底嬉しそうに踏ん反り返り、近くにあった樹に器用に登り……木の実らしきものを持ってくる。

 黄色くまんまるい、しかし見たことがない果実だ。他にも赤いのも持っており、リンゴにもトマトにも見える変わった果実だった。

 

「これは黄色いにゃ」

「? あ、ああ、うん。黄色いな」

「黄色はだめにゃ。赤いのを食べるにゃ」

 

 言って赤をショブリと食べる。

 もっしゅもっしゅと食べて見せて、俺に心配はないと教えてくれているんだろう。

 なんか……悪いなぁ。

 俺もこんなことでいちいち不安だとか言ってちゃ

 

「ぷぺぇっぺぺ! 間違えたにゃ! 赤はだめにゃ!」

「不安だぁあーっ!!」

 

 絶叫した。

 

 

 

158/あしたっていまさ! 10点 ○

 

 人は順応する生き物だと聞いたことがあります。

 誰かの知識からおすそ分けされたものであり、俺の知識ではありません。

 だが言おう。順応しなきゃ死ぬだけだ。

 順応するにはどうしたらいいか? ……生きるのだ。それしかない。

 

「水っ……水の確保! なにはなくとも水!」

 

 ジャングルもとい南蛮生活一日目。

 早くも都での生活が懐かしい。

 着替えとタオルと携帯電話と調味料、あとは適当な容器(小さな甕)しか入っていないバッグのみを左肩に、右手には黒檀木刀を装備した盾無しの戦士がゆく。

 どこへ? ……どこへだろう。誰か行き先と明日を示してくれ。

 

「………」

 

 水発見。

 森の奥地にぽつーんとあった。流れてない。

 ……大丈夫か? 飲んだら疫病に感染して倒れるなんてことは……!

 むしろなにかしらの水棲生物がうじゃりと居そうな雰囲気なんだが。

 ……ア、アメリカザリガニが居そうな水って言えばわかりやすいだろうか。あれ? そうなると池? ……面積的には池が一番合ってるのか?

 

「ま、まあ一応容器もあるしっ」

 

 ばしゃりと掬って、じぃっと見てみる。

 ……なんかちっこいのがうじょうじょと蠢いていた。

 ごめん無理!

 

……。

 

 南蛮生活二日目。

 朝起きると腕にヒルがウギャアアアアアアアア!!!

 

……。

 

 失礼。

 朝を迎えた。

 ヒルかと思ったら謎の生物だった。名前は知らない。ただペトペトしてて少しヌメリけがあった。それだけ。食用では絶対ない。むしろ食べられると言われたら相当な状況じゃなければ食べたくない。

 

「あったぁーーーーっ!!」

 

 歩き回ってどれくらいか、森の中心(?)あたりで湧き水を発見。

 泣きそうな勢いで近寄って容器で掬うと……今度は蠢くなにかは無し!

 容器をよく洗って再度掬うと……心配なのでまずは火を熾した。沸騰させて煮沸消毒だな。……あれ? 水自体を沸騰させて消毒させることも、煮沸消毒っていうんだっけ?

 まあいい、今は考えるよりも行動だ。

 火を熾して…………湿気が多いからか中々火はつかず、むしろライターもなにもないから種火の時点で苦労する。

 

「氣を上手く使って……」

 

 よく見る原始的な方法で火を熾しにかかる。

 あれだな、棒と板を合わせて燃やす方法。

 もちろんまずは大鋸屑のようなものを作って、それを火種にするのも忘れない。

 

「ホワーッ!!」

 

 早くも生きるために必死になり、氣で腕を加速させて高速で棒を回転させる。

 しかし中々火は熾らない。

 湿気か! 湿気が悪いのかくそう! あまり太陽入ってこないもんなぁここ!

 けれどもとりあえずの拠点は決定。

 水が傍にあれば、様々な面で助かるのは間違い無い。はず。

 キャンプやサバイバル知識なんてないから、適当な知識で乗り越えるしかない。

 

「おかしいな…………心を休めるために休暇を貰ったはずなのに、全然休めていない」

 

 華琳さん。何故によりにもよって南蛮だったんでしょうか。

 もっと他のところがあったんじゃ……。

 

「“人に慕われて文句を言うなら、いっそ人恋しくなるまで休んでいなさい”なんて……まさかその通りのことをされるとは」

 

 確かに慕われているのに文句を言うのは贅沢だった。

 一人になってすぐにそれは実感できた。できたけどこれはないだろ。ツッコミくらいはさせてほしい。

 

「不安はあるけど、ダンジョンマスターだって水だけで長い時間生きていられたんだ、とりあえず水があれば四日はいける……と信じたい」

 

 ほんと、休みに来たんだよね? 俺って休みに来たんだよね?

 なのになんでサヴァイヴァル!? ……と訊いたところで誰もいない。

 

「とにかく警戒は怠らないように……! 気配探知はいつでも出来るように、氣を集中させないとな……!」

 

 食料は黄色い果実と………………黄色い果実しか知らないんだが。

 赤はダメだったんだよな。美以が苦しんでたし。

 しかし赤は案外通好みの味ってオチがあったりして……。

 

「いかにも毒々しいもの以外は、ちょっとずつでも試してみようか」

 

 なにせ死活問題だ。

 一欠けらが猛毒のものがあることは、美以が縄張りにしていることもあって、無い……とは思う。なので毒々しいもの以外は食べてみよう。

 

……。

 

 南蛮生活三日目。

 やたらと美味しい竹の子を見つけた。竹の子……筍とも書けるそれを見て、桂花を思い出したのは彼女には秘密だ。

 

「南蛮に竹の子……ああ、この世界がわからない。あるところにはあったのか?」

 

 それでも調理。

 風通しの良いところに干しておいた枝などを今度こそ燃やして、窪んだ大きな石を熱して水を入れて、煮たり焼いたり。

 食べてみればもう目を見開くほどに美味しい。唾液が出っ放しで、涙まで出るほどだ。

 赤の実も煮てみれば結構いけた。

 煮ると苦味が流れ出すようで、それでモグモグ。

 苦味が出た汁もひどく濃いゴーヤ茶のような渋みで、慣れると結構いける。

 じいちゃんとかは好きそうな味だ。

 

「華琳……俺にだけこういうことさせるんじゃなくて、将のみんなにも俺のところに来る回数を減らしてくれると嬉しいんだが」

 

 これはこれで貴重体験だとは思う。

 でも南蛮ってさ、妙な病気とかなかったっけ? 記憶違いならそれでいいし、美以とかが平気なんだから平気なんだとは思うが……あったとして、現代医学とか華佗に習ったことで治るといいなぁ。

 

「ところで……たまに見るアレは、象で間違いないんだろうか」

 

 南蛮ってなんでも居るんですね。

 美以の頭にも乗ってたけど、まさか本当に居るとは。

 

「はふー……うん。お腹、膨れたな」

 

 何があるかはわからないものの、慣れれば案外住みやすかったりするのかもしれない。

 せっかくだから家でも作ってみよう。枝と葉っぱと蔓を合わせて、どこぞの部族の骨組みが密集して出来たみたいな家を。

 

「また干しておかないと、次の火種に苦労するし……お、早速枝発見」

『グヒー!』

 

 そうそう、グヒーって感じで発見……グヒー?

 

「………」

『ブフルッ……』

 

 …………ある日……

 

『フゴッ! フゴー!』

 

 森の中……!

 

「あ、ああ……あああああ……!!」

『グヒー!!』

「キャーッ!?」

 

 猪に出会ったぁああーっ!!

 いやっ、ちょっ、待っ───速ァアアアーッ!?

 

「うわぁああああばばばばこっち来んなぁああーっ!!」

『グヒー! グヒーッ!!』

 

 全力疾走! 氣を込めて一気に駆ける!

 なのに物凄い速度で追って……オワァーッ!!? え、えっ!? なにっ!? なんで追ってくる!?

 なんかキン肉マンがキン肉ドライバー覚える際に襲い掛かってきた猪みたいな声出して襲ってきてるんだけど!? いやいやいやいやそんなどうでもいいこと冷静に分析してる場合じゃなくてだな!!

 

「だ、だが所詮は猪! 某ハンティングアクションでも真っ直ぐにしか走れない猪! 爆発する岩に自ら突進してお陀仏な猪! ならばこそ───!」

 

 逃げた先にあった木にの裏に回り込み、得意顔で「ヘイカモン!」と「ギャアーッ!!」木が細すぎた! 突進であっさり砕けた! ……えぇっ!? 砕けた!? 細いとは言え木ですよ猪さん!! ……ああっ! でも頭からいった所為かフラフラしてる!

 どどどどうする!? 今の内に攻撃……木刀バッグに入れたままだったァーッ!!

 

「っ……」

 

 そ、そうだ。よく考えろ。

 こんな時だからこそ……こんな時だからこそだ。

 いつでも武器があるとは限らないんだ……!

 そういうこと……なんだな? 華琳……! 休みをくれたと見せかけて、俺に成長の場をくれたってわけか……! 武器に頼ってばかりの俺に喝を入れるために……!

 

『ブルルルルッ! ……ブフー! ブフー!』

「……もう、持ち直したか? だったら来るといい。それが合図だ」

 

 華琳に期待されたなら、俺はどこまでだって伸びてやろう。

 勝てない相手にだって、勝てるよう努力してやる。

 もう……以前の、提案しか出来なかった俺ではいたくないんだ。

 自分に出来る努力の中から自分を鍛える努力を抜いたために、華琳に太刀打ちできなかった蜀の王を知っている。姉の姿を追いすぎるあまり、自分の至るべきを定められずにいた呉の王を知っている。そして……王であろうとするあまり、それ以外の楽しさを後回しにしすぎた魏の王を知っている。

 そんな先人たちが示した道と後悔を知るからこそ、今俺は、後悔しようがその後悔の幅が狭いものであるように努力をしよう。

 

「生き抜いてやるぞ……! この“休暇”(サバイバル)!!」

 

 猪が走り出す。

 同時に俺も走り出し、拳を振り抜いていた。



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105:IF/じぶんのなかでなにかがかわるかもしれない。9点 ○③

-_-/華琳さま

 

 都、北郷一刀の自室にて、椅子に座って天井を見上げる。

 一刀を送り出してしばらく経った。

 一刀一刀と時間も気にせず部屋に向かっていたらしい将らも落ち着きを見せ、一刀がするべきだった仕事を黙々とこなしている。その数に驚く者が大半だが、原因はあなたたちにあると知りなさい。

 

「はあ」

 

 「ゆっくり休んでくるよ!」と、涙まで流して喜んでいた彼が向かった先は……南蛮の森の奥深くなわけだけれど、元気でやっているかしら。

 あそこならば誰も追ってはいかないだろうし、美以たちにもすぐに戻ってくるようにと言ってある。

 危険が少ない場所をとの指示も出したのだから大丈夫でしょう。

 

「………ん、んん……」

 

 そわそわする。

 大丈夫よね。ええ大丈夫。

 

「………」

 

 しっ……心配をしているわけではないけれど、さすがに一人はやりすぎだったかしら。

 一緒に居ても文句は言わない思春くらいつけるべきだったかもしれない。

 それともそのまま美以をつけるべきだったのか。華雄という手もあったわね。

 ……いまさらね。いざとなれば走ってでも南蛮から近い村に駆け込むでしょうし。

 その村も随分と遠かった気がしないでもないけれど。

 

「………」

 

 仕事をしましょう仕事を。

 出て行った一刀には美羽の勉強を頼まれたのだし、行き先も告げずに送り出したのならそれくらいは聞いてあげるべきだ。

 べきだから───

 

「美羽」

「む? なんじゃ?」

 

 一刀のじわりじわりと時間をかけて教え込む方法の結果か、やけに姿勢のいい美羽がこちらを見る。私が座っている机と椅子の隣、小さなお茶用の卓で竹簡に筆を走らせる彼女は、まだ元の姿には戻らない。

 ゆさりと揺れる胸部に嫌でも目がいく。

 

「簡単なものからやらせてはいるけれど、進みはどうなの?」

「うむ! まだ読めぬものも大分あるがの、主様の期待を裏切らぬためにも頑張って覚えてゆくのじゃ! うははははっ、妾にかかればこのような仕事、軽いものよの、存分に褒めるがよいぞ?」

「それくらいは出来て当然よ。それで褒めるのは一刀くらいなものだわ」

「まあお主に褒められても気色悪いだけだとは思うのでいいがの。ところで曹操? 主様はどこへ行ったのじゃ?」

 

 ……この娘は。

 二言目には本当に一刀一刀ね。

 いいから仕事をしなさいと言ったところで、少しするとすぐこれだ。

 けれど、吸収が早いのも事実。

 “人の言うことを素直に受け取る”という、一見すれば馬鹿としか受け取れないものも、一刀の教え方がよかったのか吸収に向かっている。

 七乃では褒めちぎってからかってを繰り返すだけだったのだろうけれど、これは……なんというか教え甲斐のある娘だ。骨は折れるだろうが、このじっくりと教えて、気づけば自分の望んだ通りの子が完成しているかもしれないという気分が……───落ち着きなさい曹孟徳。

 

「一刀には少し暇を出したわ。今頃はわたしたちが気安くいける場所ではないところで休んでいるわよ」

「うみゅ? ……よくわからぬが、気難しくなれば行けるのじゃな!?」

「違うわよ」

「なんじゃとーっ!? 気安いの逆は気難しいであるから、気安く声をかけるなという言葉は、気難しい顔で声をかけろという意味じゃと七乃が言っておったのじゃ! 七乃が妾に嘘をつくわけがなかろ!」

「………」

 

 七乃はあれなの? まだ減俸され足りないのかしら。

 

「はぁ」

 

 しかし、この素直さが時に羨ましい。

 そしてこんな素直さを否定するのももったいないので、そのまま放置することにした。

 小言を言われるのは七乃だ、彼女に任せればいいのよ。

 

「一刀、ね」

 

 彼が帰ってきてからどれほどか。

 彼と再び交わってからどれほどか。

 再び消えることのない安心感を抱きつつも、そばに居れば目で追いたくなる存在。

 下準備と言うにはおかしな話だけれど、ようやく魏も新人らに任せてみようって段階までことを運べた。あとは彼ら彼女らに任せて都に移住する計画も、この調子ならば早めに叶いそうだ。

 一言で言えば長かった。

 ここまで事を運ぶのにどれほどの回り道をしたのか。

 時折に会合を挟んでは、各国の軍師や将に都の状態を調べさせ、何が足りていて何が足りないのか知り、その上で魏や呉や蜀だけではなく都にも準備をさせる。

 一刀も“豊かになるのなら”と乗り気で落款したようで、都はぐんぐんと成長していった。もちろん、それもこれも天の知識が基盤となったお陰で、発展が早かったからだといえる。呆れる事実だが、一刀あっての成長だ。

 

「………」

 

 きしりと、普段一刀が座っている椅子に深く座る。

 支柱の椅子。

 いつか自分が使った駆け引きを、まさか自分に使われるとは思いもしなかった瞬間を思い出す。くすりと笑みが出てしまうのは、一刀に裏をかかれたという、心のどこかで舞い上がっていたであろう自分に対してだ。

 そんな小さな笑みが届いたのか、美羽がきょとんとした顔でこちらを見ている。

 なんでもないわよと返して再び天井を見た。

 ……深く座る椅子は硬い。

 こんなことを思うのもどうかと思うけれど、狭くても一刀が座っているからこそ座り心地がいいのね、この椅子は。その上に座っていたほうがまだ柔らかい。

 

「………」

 

 視線を下ろし、筆を動かす。

 なんというか静かだ。

 一刀が居ないと知るや、この部屋に訪れる者も居ない。

 思春は華雄とともに警邏の最中だし、桃香や蓮華は“一刀が戻ってくるまでに美味しい一品を”と腕まくりをしていた。

 春蘭と愛紗が競って料理対決を再開させていたけれど、あれは互いに味見させ合ったほうが良い勉強になるだろう。

 

「…………ぁ」

 

 時刻は恐らくそろそろ昼あたり。

 考え事に熱中していたからか、鳴るまで空腹にも気づかなかったお腹に恨みがましい視線を下ろしつつ、嫌な笑みを浮かべて「うほほほほ、卑しいやつよのぅ」とかぬかす美羽に、もっと仕事を任せることを決意した。

 

……。

 

 昼。

 昼食を摂りに食堂へ向かうと、肌の表面が豪雨に打たれたようなばちばちとした身の危険を察知する。それは食堂に近づけば近づくほどで、この先には行ってはいけないという奇妙な勘が働く。

 けれども王たる者が二度もお腹を鳴らすわけにはいかない。

 ここはなんでもないように振る舞い、しかし早急にこのお腹を黙らせるべきだ。

 恥以上の危機など今の私には───……ごめんなさい私が間違っていたわ。

 

「………」

 

 食堂に入った途端、円卓の前に案内され、その椅子に座り、冷や汗を垂らす私。

 円卓には春蘭が作った料理があり、すぐ傍の円卓では愛紗が作った料理を前に真っ青な顔の桃香が座っていた。

 そのさらに隣には蓮華が作った料理を前にする雪蓮。わりと平気そうな顔だ。

 

「……春蘭」

「はいぃっ! 華琳様っ!」

 

 目を輝かせてうっとり笑顔で寄ってきた春蘭の口に、目の前に置かれた料理をひと掬い、ぱくりと食べさせ───……た途端、春蘭が私と擦れ違うように倒れ、気絶した。

 その流れるような動作に桃香がぱくぱくと口を動かしている。

 ちなみに言えば、春蘭が倒れるさままでが流れる動作だ。私の動作だけではなく。

 春蘭には悪いけれど、さすがに気絶するようなものは食べられない。

 むしろ、これは食材に対する侮辱だろう。

 王に近しい者とはいえ、民が作り上げた材料で毒を作らせるのは失礼というものだ。

 

「愛紗。一刀からは聞いているわよね? 作ったのならばまずは味見をすること、と」

「い、いや、私はなにより桃香さまに一番に食べていただきたく」

「……桃香。部下の想いを受け止めるのも王の務めよ」

「華琳さんずるい! 自分は春蘭ちゃんに食べさせたのに!」

「あら。あなたは私を非道と呆れるのかしら。私はただ、作ってくれた春蘭に一口目を食べさせてあげたかっただけよ?」

「うぇえええっ!? あ、あう……あの……愛紗ちゃん?」

「は、はいっ」

 

 期待を込めた目で桃香を見る愛紗。

 ……ふふ、可愛いものね。出来れば傍に置きたいほどに。

 けれど以前ほどではない。

 それは…………居ないとわかっているのについ探してしまう存在の所為だろう。

 などと思っているうちに……愛紗、ではなく桃香が倒れた。

 

「桃香さま!? 桃香さまぁああーっ!!」

 

 さすがは仁の王。

 人を傷つけるくらいならば自分がと身を呈したらしい。

 桃香。あなたの勇気に敬意を評するわ。

 むしろ以前もこんなことがあったのだから、少しは成長させなさい。

 

(………)

 

 溜め息ひとつ、作られた食事を無駄にするわけにもいかないので、調理のし直しを提案する。蓮華の料理は随分と美味しいそうだから、それは雪蓮に片付けてもらうとしましょう。

 立ち上がりながら桃香を促し、腕前が上がっているかを見せてもらうことにした。

 

(ちゃんと食べているかしら、一刀は)

 

 なんてことを思いつつ。

 

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 どごんっ! ───鳴った音はそんな音。

 氣を纏った拳から気脈や筋、骨を通して全身に伝わる重苦しい音。

 猪の眉間に当たった拳は猪の突撃を一瞬殺してみせたが、負けたのは俺の方だ。

 みしりと腕に走る痛みに顔をしかめ、つい腕を引いてしまう。

 けれど一瞬とはいえ勢いを殺せたのも確かで、猪は掻こうとしていた地面を掻き損ね、バランスを崩した。

 今ぞとばかりに拳から全身に走る衝撃の全てを氣で集め、膝に集中。

 某待ち軍人謹製ニーバズーカを猪の鼻に炸裂させる。───のだが、そんな状態から無理矢理立ち直った猪は、強引に土を掻き、俺の体重なんぞ軽く押し退けて突進を続けた。

 そんな一歩二歩程度で俺の体は簡単に弾かれて、体勢を崩したままに横に倒れてしまう。

 

「いっつ……! ちょっ……」

 

 突進した先で止まり、ゆっくりとこちらへと向き直る猪さん。

 いっそ止まらず居なくなってくれればと思ったが、どうやら無理な願いだったようだ。

 

「こ、これが野生……! 熊よりマシだと思ってみても、マシの幅がちっともわからん!」

 

 鷹村さんすげぇ! 野生の熊に勝つだなんて普通に無理だ! なんて素直に感心している場合じゃないんだ、ほんとに。

 だがここまできたならこの北郷、もはや逃げぬ!

 

「強くなるって決めたんだ……! 守ってもらってる今じゃない……いつか訪れる守ってあげられる瞬間のために!」

 

 猪くらい鈴々なら軽く倒す。

 美以だって愛紗だって翠だって恋だって。

 倒せない人が居ないってくらい平気で倒せるんだ。

 そんな相手を倒せないで、そんないつかがすぐに来たらどうする!

 成長するんだ、もっと早く、出来る限りを越えてでも!

 

「うおおおおおおおおーっ!!」

『グヒーッ!!』

 

 身も心も野生に染まれ!

 それが出来なきゃ、ここでは元より、訪れたいつかでも誰も守れやしない!

 

「守ギャアーッ!!」

 

 今度は振り切った拳ごと吹き飛ばされた。

 だだだめだ、心を乱すな! 危機にこそ冷静に、氣の流れをきちんと操れるように!

 うおおおお! ままま負けるもんかぁあああっ!!

 

 

 

 

-_-/華琳さん

 

 ……静かね。外からは中庭あたりから鍛錬に伴う声が聞こえてくるけれど、それも鳥のさえずり程度の声量でしかこちらに届かない。

 むしろ静かなのは自分の現状だ。

 魏に居れば、居るだけでどうのこうのと落ち着けない状況が転がり込んできたものだけれど……ここでは人が多いためか、私でなくとも収拾出来る者が居る。

 

「仕事も終わってしまったわね。……まあ、この人数で分担すれば当然の結果かしら」

 

 一刀がやるべきことを、来ている王や軍師で纏めてみれば、それこそ一日程度で終わる。一刀自身でも一日で終わらせられるのだ、どうやら本当にこまめに仕事をしていたらしい。最終的にこの部屋へ集められる案件も、既に大体纏められており、処理も容易だった。

 侍女らも兵らも適度に緊張感を持っていて、けれど休むときはしっかりと休む。

 どうやったのかは知らないけれど、威圧して教え込むだけでは絶対に身に付かない気の抜き方だ。当然、甘やかしていただけでも身に付かない。

 飴と鞭というものかしら。

 ただ、王や将の前ではまだまだ緊張しっぱなしなのは目に見えて明らかね。……それもまた当然か。

 

「さて……と。美羽、街へ出るわよ」

「む? うみゅ……それは構わぬが……なにをするのじゃ?」

「視察に決まっているでしょう? 報告だけでは知ることのできないものを、この目で見るのよ」

 

 立ち上がり、促す。

 美羽はうみゅうみゅ言いながらも立ち上がって準備をすると、そのままこちらへ歩いてくる。しかし、なんと言えばいいのかしら。随分とまあ綺麗に育つ。こんな将来が約束されているのなら、好かれた者は諸手を挙げて喜ぶのでしょうね。

 体は整っているのに顔は綺麗というよりは可愛いといった感じだ。

 雪蓮というよりは桃香に近い印象。

 こんな娘に武を教えてゆく彼は、今の世の先になにを見ているのか。

 

「………」

「? なにをしておるのじゃ? ゆくのであろ?」

 

 ちっこかった頃のままの、軽くこちらを睨みながら両手を腰に当てる姿が、妙に様になっている。今日まで過ごして、多少は“将来の差”というものを受け入れた私ではあるけれど……その、あれよ。味見してもいいだろうか。

 一刀が先にいただいたわけだし、別に構わないわよね?

 

「だめですよぅ曹操さん。お嬢様に手を出したら、私が一刀さんをそそのかして敵対関係作らせちゃいますから」

「…………いつから居たのかしら?」

「はいっ、窓の外から覗いていました! すると曹操さんの目が野獣のような鋭さでお嬢様を見始めるじゃないですか!」

「仕事をしなさいあなたは!!」

 

 とは言っても、仕事はない。

 一箇所に三国の(おも)だった人物が集っているのだ、やることを分担してしまえば仕事など残らない。皆にとっては良い息抜きになっているかもしれないけれど、仕事仕事で気を張っていた者にしてみれば、妙に落ち着かないものだ。

 だから、警邏も兼ねて街に出るわけだが……

 

「で? その覗き魔であるあなたは。これからどうするの?」

「お嬢様あるところに七乃あり。もちろんついていきますよー?」

「覗き魔であることを第一に否定して頂戴。その内見張りに捕まって突き出されるわよ」

「いえいえ、実はこれで、一刀さんには許可を頂いちゃったりしているんですよ」

「一刀が?」

 

 意外ね。そういうのは苦手というか、嫌がりそうなものだけれど。

 

「はいっ。“美羽の行く先々に回りこんで部屋を覗くのはやめろ! やるとしても俺の部屋くらいにしてくれ!”と」

「………」

 

 一種の脅迫でしょう、それは。

 そして“俺の部屋”と言ってしまった以上、一刀の部屋として宛がわれた場所は全て彼女に覗かれることが許可されているわけね。

 この女はそういう屁理屈を平気で言う女だ。

 そして一刀はそういった言葉遊びみたいなものに弱い。

 

「はぁ」

 

 仕方ない、少し釘を刺しておこう。

 あれは私の所有物なのだから、勝手に覗き見されて、いい気はしない。



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105:IF/じぶんのなかでなにかがかわるかもしれない。9点 ○④

-_-/一刀くん

 

 猪と戦う日々が続く。制服のままじゃズタズタにされそうだから、道着と私服をとっかえひっかえしつつ。

 こりゃ無理だと逃げたり撃退したりの繰り返しだが、それでも続いている。考えてもみればそう長い時間、休暇と書いてサバイバルが与えられているわけじゃあないだろう。

 だからこんな日が終わりを告げる前に、少しでも自分の中に野生の勘というものを芽生えさせるのだ。

 

「ふっ───おぉおおおおおっ!!」

 

 左手で猪の突進を受け止めて右手に衝撃を装填。

 突進の勢いに弾き飛ばされる前に右手を振り抜いて、猪を殴りつける。

 その衝撃は硬い頭骨を(とお)して猪の体内へと響き、真っ直ぐ走っていた猪はバランスを崩して転倒。脳を揺さぶる攻撃は上手くいったらしい。いったらしいが、こちらの腕は大絶賛シビレ中だ。

 

「でも、いい経験をさせてもらった……殺すつもりはないから、またどこかで健やかに───」

 

 汗を拭いつつ、くるりと振り向く。

 その先にはぴくぴくと痙攣している猪と、その傍に寄ってくる猪、猪、猪……!

 

「ほっ……ホワッ……!」

 

 思わず出てしまった声に猪がこちらを見て、二、三頭どころではないそれらが前足で土を掻き始めた。

 コマンドどうする!?

 

1:たたかう(来るがいい勇者よ。そこに倒れる者の二の舞になりたいのならばな)

 

2:じゅもん(全身鋼鉄化呪文(ミナミコウテツ)ー! とか叫んで氣で体を固めてみる。やせ我慢である)

 

3:ぼうぎょ(2と大して変わらない)

 

4:にげる(多数で個を攻めるが勇者なれば、魔王に逃走の選択肢など有り得ぬのです)

 

5:アイテム(調味料とかで気を引くとか)

 

 結論:───5

 

「お~れっのっぶ~きーをっ! 知ってるっかーい!」

 

 モップ! 柱時計! コショウ!

 そう、俺にはコショウがある!

 これを使って

 

「ぶふぇぁあーっ!!」

 

 考えてる間に轢かれた。

 そもそも歌いながらバッグを漁る馬鹿を、誰がほうっておきましょうか。

 

……。

 

 連日連夜って言葉があるが、俺に夜なんてなかった。

 夜は寝る時間? 馬鹿を言ってはいけません、夜とは戦いの時間である。

 

「いい加減しつこいわぁーっ!!」

 

 猪が増え始めた気がするのです。神様気の所為ですか? 気の所為じゃないのなら、いつか天に召される日が来るとしたらチェーンソーを持参してあなたのもとへ参ります。

 しかし今は猪の相手が先決!

 休む暇なく現れる猪たちを殴り、躱し、時には逃げ、時には背に乗ってスリーパーしようとしたらそのまま木に突撃されて双方頭を強打したり、ともかくそんな日々というか時間が続いている。そう、時間だ。日々どころか、本当に休む暇も無い。

 だから苦しかろうが錬氣しなくちゃいけないし、疲れていようが相手をしなければいけないし、慌てたら錬氣が出来ないから冷静でいなくちゃいけないし、目が回るけど本当に回ったら轢かれるだけだしで、人間の限界に挑んでいそうな気がしないでもない。

 だがしかしだ。

 華琳たち武人はこれのまだまだ先に居るのだ。

 これしきを乗り越えられなくちゃ、華琳はせっかく与えた休暇という名のサバイバルには満足しないだろう。(*そもそも勘違いです)

 やる……やるといったらやるのだ。

 ああ、でも……でも……!

 

「もしかしてあの竹の子!? あれってきみらの食事だったとか!?」

『グヒーッ!!』

「ギャアアアアアなにやら勢いが増したぁああーっ!!」

 

 引っかかることがあるとしたらそれくらいしかなかったのだ。

 だがこれも悲しい生存競争……! だから……だから!

 

「果実をどうぞ」

『グヒッ!?』

 

 サム、と果実を差し出してみると、ふごふごと鼻を鳴らす猪さん。

 敵視していた様子もどこへやら、猪突猛進とはよくいったもので、ばくりと遠慮無く食べた。おお、食欲に向けても真っ直ぐなんだな、さすが猪。

 とか思ってたらその猪が“ゴブベファアア!!”と果実を吐き出し、ゲボオッフェ! ゴッフェ! と()せだすではないか! ぬ、ぬう、これはいったいどうしたことか……! いったいなにが…………ア。

 

「………」

 

 吐き出された果実の色が赤だった。

 

『ブフッ! グブルフフッ……!』

「あ、いや……」

 

 ア、アー……あの。猪さん? まずは落ち着かない? 話せばわかるよ。

 わかるから、こっち睨んで、時折にゲボォッフェとか噎せるのはやめてくれないかな、奇妙な罪悪感が。

 

『グヒーッ!!』

「うわぁあああっ!! ちょ待ぁあああっ!! すまんごめん悪かったぁああっ!! でも匂い嗅いでわからないのもどうかしてるんじゃないのかぁああっ!!!?」

 

 猪に追われるのはさすがに慣れていたものの、今回ばかりは罪悪感で反撃できる気がしなかった。結局疲れ果てたところへドグシャアと突進をくらい、武官と対峙していたわけでもないのに空を飛ぶ俺。

 ああ……俺って結局、何処に居ても空は飛ぶんですね……。

 

……。

 

 前略華琳さま。

 まだ都にいらっしゃいますか? 今じゃ何日経ったか忘れた北郷です。

 人というのはすごいものですね。

 生きるためならば自分でも信じられない成長をするのだと、奇妙な実感を抱いたのも既に過去。今では自然と一体になり、この密林を駆けております。

 

「ウキョロキョキョーン! フギャッ! フギャッ!」

 

 ほうら、口から出る声もすっかり人外じみてきました。

 幾度となく続いた戦の中で友情を築いた猪に跨り、今日も元気に密林の王者気取りさ。

 そしてどうやら猪たちも食事にこそ困っていたらしく、地面にある食べやすい竹の子を純粋に欲していただけのようであり、木の上の果実を持って下りればきちんと迎えてくれました。

 俺達は共存の道を選んだ。

 熾した火には未だ慣れないのか距離を置かれるものの、調理した竹の子料理なんかは結構バクバク食っている。猪が苦味が苦手かどうかはさておき、黄色の果実や煮た赤の果実も元気に食う。ただし赤の生食いだけは絶対にしなかった。

 竹の子も煮なきゃ苦味があるんじゃないかって気にはなったんだが、この竹の子って煮なくても美味いのだ。竹の子の刺身なんてものを某料理漫画で見たが、それも実際にやってみたら美味いのなんの。こっちは本当に加熱もせずに食べて、美味さに驚いた。でも菌とかはあったようで、腹は壊した。気が緩んでおりました。

 

「ウゴバシャドアシャア」

『ブブルブフ』

 

 猪と奇妙な意思疎通をして行動。

 心はすっかり野生の王者だ。

 むしろそんな王者を冷静な自分が遠い目で見ている感じ。

 だがこんな成長……し、進化? が華琳がこの休暇に望んだことなら、俺は喜ぶべきなのでしょうか。ああ、でも半眼が、遠い目が直らない。心が必死に“それはない”とかツッコミ入れてるけど、体が受け入れてくれない。

 アレレー……? 進化だと思いたいのに、時代的には退化している気がするのは何故?

 けれどもあえて言おう。この時代でこの逞しさは進化であると。

 ……お願い、言わせておいて。

 

「………」

 

 拠点……大きな樹の上に作った見てくれの悪い枝の集合体である家に着くと、そこからひとつの小さな甕を取り出す。

 思わず口元が緩むのがわかる。

 はっはっは、この野生となった北郷も、味には勝てぬと見えるわ。

 というのもその甕、元々は調味料が入っていたものなのだが……今はぎっしりとメンマが詰まっている。いやさ、そりゃさ、あんなに美味しい竹の子があるなら、作ってみたくなるでしょう。

 野生に染まりつつも、以前に季衣と食べたメンマの味を思い出しながら作ったもの。星と友達になるきっかけになった味だ、忘れるはずもない。

 それに近づけるようにと試行錯誤しましたさ。そして家では酒のツマミを作らされていたこの北郷、メンマ作りにも隙はございません。簡単ではあるが、こうして作れたのだ。ガラスープとかいろいろと問題になったものもあったものの、なんとか完成。あくまで味を近づけることが出来たってレベルだが、竹の子の味が素晴らしいお陰でそこまで気にならない。

 一歩足りないと言われたら、星自身に作ってもらえばいいのだ。なので帰る時には竹の子を持っていくつもりだ。

 とまあ、そんな試行錯誤から出来たこれ。

 ……味はほんとのほんとに美味く、見ているだけで唾液が滲み出るほどである。

 そういった自分の中の至高を作れた喜びに、ハッと華琳……あなたの顔を思い出すのです。ぶっちゃけて言うと…………迎え、まだでしょうか。

 

「ウキョ、ウキョロローン」

 

 ゴソリと甕を大事にバッグへ仕舞う。

 そう、これはこんな試練を与えたもうた華琳や、こんな長くて我が儘な休暇を支えてくれているであろうみんなへのお土産なのだ。

 この野生に染まった北郷もそれはわかっているようで、唾液を飲み込みつつも我慢した。

 うん、いいぞ、それでいいんだ。あと頼むから日本語を話してくれ。

 

「キッキーッ!」

 

 そして今日も野生は外へ。

 よく食べよく鍛え、道着で走り回る裸足の王者である。

 え? 靴? ……猪との戦を続ける日々に、とっくにブチ破れました。

 

 

 

 

 

-_-/華琳さん

 

 ……頭が痛い状況になっていた。

 

「それで……迎えに行ったはずのあなたは、何故こんなところで食事をしているのかしら……?」

「お、おいしい匂いに誘われたのにゃ」

「へえ、そう。匂いに誘われて、何日も忘れたままうろうろとしていたと……!?」

 

 迎えを出した筈が、その迎えである美以が街で食事に誘われたのがきっかけらしい。

 しかも誘ったのが春蘭で、どちらがたくさん食べられるかを競ったとか。

 すっかり満腹になった美以は食休みとばかりに近くの山へ行き、そこで目的を忘れて日々を過ごした。

 そんなことも知らずに仕事をしていた私なのだが、再び視察とばかりに街へ出ると……なんと美以が仲間を連れてうろついているではないか。随分と速かったのね、と感心しつつ、つい一刀の姿を熱心に探してしまった自分は忘れてしまいたい。

 で、居ないことに気づいて、自分でも呆れるくらいに落胆しながら訊いてみれば……そういうことらしい。

 

「今すぐに向かいなさい」

「お残しすると愛紗に怒られるのにゃ」

「い・い・か・らぁ…………さっさと行きなさい!!」

「みぎゃーっ!?」

 

 怒りと落胆とが混ざり、殺気めいたものに変わりつつあった怒気が放たれる。

 慌てて、しかししっかりと大急ぎで食事を食べた彼女らはばたばたと駆けていった。

 で………溜め息を吐くついでに怒気も吐き出す私に、涙目でびくびくしながら近寄ってくる飯店の店員。

 

「あ、あのー……お代を……」

「………」

 

 散々と食べた料金は、どうやら私が払わなければいけないらしい。

 ……桃香のところへ行きましょう。

 払う代金分と迎えの仕事を無視していたことや、落胆分や一刀への迷惑料を清算してもらうのだ。

 なに、ちょっとばっかり愛紗を借りるだけだ、十分だろう。

 

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 いつの日になるのか。

 もういろいろと諦めて、心も野生になろうかなー、なんて考えていたところに美以がやってきた。とうとう人に戻れる日が来たのだ。そう思った。

 思ったのに……

 

「ウホォオオオオオッ!!」

「にゃあああああーっ!!」

 

 今、隣で、笑顔で猪に跨りながら、供に駆ける南蛮王がおる。

 ……あれ? え、あれぇ!? 美以!? 美以さん!?

 あなたは僕を人間に戻しにきてくれた救いの女神ではなかったのですか!?

 むしろ一緒に野生を楽しんでらっしゃる!? 楽しむならもっと早くに……出来れば初日に一緒に居てほしかった!

 じゃなくて! あぁあああいやもちろんそれもそうだけど、そんなことより早く都に戻ろう!? このままだと俺、もう本当に戻れなくなりそう!

 神様! 順応って素晴らしいですね! でも俺ここまで順応したくなかったです正直!

 だから返して!? 俺をっ……あの頃の俺を返して!?

 そしてっ……そしてぇえっ……!

 神様ぁあーっ!! 俺をスラムッ……もとい、都に帰してくれぇえーっ!!

 

 

 

 

  ……のちに、“支払い”を要求された愛紗さんが、半ば逃げるように捜索隊を編成。

 

  密林にて変わり果てた野生の王者───

 

  もとい、三国の支柱を発見するに至り、彼は無事保護された。

 



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106:IF/人の価値、自分の価値、利用価値①

159/誰ならよかったのか

 

 南蛮から戻った野生北郷は風呂にぶち込まれた。

 キシャーと訳のわからない奇声を発し、暴れ出すも……拳骨一発で気絶。

 問答無用で全身を磨かれ、気づいた時には寝台の上。

 いったいどれほどの心労がたたればあんなことになるのだと、彼の部屋に集まった王や将たちは話し合っていた。

 ……むしろ野生北郷を自分とは切り離して考えてる俺の方がどうかしてるんだが。

 ともあれ、野生臭さもお湯と一緒に流れたようだし、

 

「よっ、と……」

「!? 一刀!?」

 

 がばりと起き上がると、まず華琳に驚かれた。

 驚きついでに肩を掴まれがっくがっくと前後に揺さぶられて、「いったい何があったの! 言いなさい!」とウオオ脳が揺れる脳が揺れる……!

 

「ちょ、ちょ……かり、華琳……華琳! 気持ち悪いから勘弁!」

「あ……───あなた、一刀よね?」

「いきなり人格疑われる人の気持ち、わかりますか?」

 

 真顔で訊かれたことを真顔で返した。

 そこでようやく落ち着いて周囲を見渡すと……いやまあ、野生北郷の視界で見てはいたものの、時間が空いていたらしい将らがここには居た。むしろ王も。ここで暇なんですかと訊ねたら確実に祭さんの拳骨が落ちることだろう。

 

「一刀だよ、北郷一刀。間違い無く。南蛮の密林に順応するためにいろいろとアレだったけど、それももう大丈夫だから」

 

 ただ頭が痛い。

 軽く頭をさする俺を見て、「ほぅ」と声を出したのは祭さんだった。

 

「そうかそうか、まったく手間だったぞ? なにせ湯船に投げれば奇声をあげる、猫のように水を嫌がる、叱ってやっても聞く耳も持たん。ちと刺激を与えて眠らせたが、文句があるなら聞くぞ?」

「祭さん……ごめん、迷惑かけました」

 

 でも拳骨はもうちょっと加減してほしかった。まだ痛い。

 そう言ってみると、腰に手を当ててけらけらと笑う祭さん。元気だ。

 

「……で、なのだけれど、一刀」

「ん?」

 

 華琳が珍しく、もじもじと胸の前で指をこねこねしている。

 言い出しにくいことでもあるのか、顔は困ったような戸惑っているような。

 しかしキッと俺を見ると、やがてその口から───あ、ああ、もしかしてあのことか?

 

「あのっ───」

「ああ、大丈夫だよ華琳。途中で野生になったりはしたけど、俺……学ぶこともいっぱいだったから」

「───……え?」

 

 きょとんとする華琳さん。

 出鼻を挫かれてカチンとくる、なんてこともなかったようで、きょとんとした顔のままに俺の目を真っ直ぐに見てくる。

 そう、学べることがいっぱいだったのだ。

 休む間も大してない実戦地獄、勘を働かせなければ自分が傷つく日常。

 食べ物にも注意が必要だったし、当然飲み物にも。

 お陰で気配察知能力は向上した気がするし、氣もほぼ使いっぱなしだったお陰で気脈も広がった。集中もしやすくなったし、辛かったけど総合的にはいいことだらけだ。

 

「どうして南蛮だったのかなーなんて思ったけど、さすが華琳だよなー。今の俺に必要なことを無茶をしてでも覚えさせようなんて。お陰で俺、いろいろと学べたよ。……みんなもありがとう、それと……ごめん。勝手に休暇が欲しいなんて我が儘言って、仕事を押し付けることになって」

『───』

 

 …………感謝を述べると、何故かみんなが沈黙。

 ぽかんとしているとかきょとんとしているとかではなく、これは……そう、“大丈夫なのかこいつ”といった心配を混ぜた顔つきで……あれ? 何故にそんな顔を?

 やがてその視線が俺から華琳に向くと、当の華琳はやっぱり珍しくだらだらと汗を流していて……何故?

 

「ね、ねぇ一刀? その……南蛮ではどんな生活をしていたのかしら。というか、近くの村を目指す気はなかったの?」

「いや、そこへ行けって華琳に指示されて、美以に案内されたならそこが到着地点だろ? 勝手に移動して休暇を潰すのもどうかと思ったし」

「……一刀? あなた、休みにいったのよね? おかしいとは思わなかったの?」

「最初は思ったよ。そりゃ思ったさ。でもなぁ、華琳だしなぁ。“そういえばあの華琳があんなに簡単に休暇をくれるわけがない”とか“その休暇がただの休暇なわけがない”って思ったら、ほら。ああ、じゃあこれは、どんどんと都に染まって平和ボケしていく俺を成長させるための試練だったのか! って」

『………』

「………」

 

 皆様の視線が華琳に刺さる。

 少しののち、みんなが『……やりそうだ……』と頷いた。

 

「ちょっと待ちなさい! 非道な王になるつもりはないわよ私は! それがどうしてそんなことになっているの!」

「どうしてって。部下とかの成長を望むのは非道じゃないだろ。俺はきちんと納得して生き抜いたし、こうして無事だったんだから。一人で勝手に突っ込んで刺されたあの日とは違うよ」

「あ、あのね一刀……勘違いしているようだからきちんと言うけれど、私はきちんとあなたを休ませるつもりだったのよ」

「ああっ、お陰でこうして氣も充実してるっ」

「だからそうじゃなくてっ! いいから聞きなさいっ!」

「ぎょ、御意」

 

 思わずビシッと寝台の上で正座をしてしまう俺。

 誰かに叱られる際に正座をしてしまうのは、きっともうパブロフ的なあれなのだ。

 

  それからしっかり説明された。

 

 どうやら俺は勘違いの渦に自分を放り投げてしまったらしく、華琳は華琳で“誰にも邪魔されることのない場所”という意味で“美以の家”を提案したらしい。で、美以にしてみればあの南蛮の密林全体が縄張りであり家なわけで……つまりそういうこと。

 俺は美以の住処に辿り着くことはなく、途中でバイバイされて、そこから生きたのだ。

 実に愉快だ。下手したら相当ヤバかった。

 でも確かに、他の将の生家や村人たちの家に支柱がお邪魔するなんてことになったら、周囲が騒いで休みどころじゃなかった。ある意味では、本っ当~~にある意味では、南蛮というのは人には邪魔されずに休める場所だったはずなのだ。あくまで美以の住処に着いていれば。

 

「風呂にも入ってぐっすり寝たお陰で気分もすっきりしたし、今からでも仕事は出来るぞっ! さあ、俺の仕事は?」

「ないわよ」

「ナイワ? ナイワってなんだ? 内輪揉めの違う呼び方か?」

「じゃなくて。ないのよ、仕事は」

「………」

 

 …………エ!?

 

「ないって、なんで!?」

 

 訊いてみれば、華琳は「はぁっ……」と溜め息。

 右手を腰に当てて、困ったような呆れたような顔をして言った。

 

「なんでもなにも。あなたが南蛮に行ってからどれだけ経っていて、どれだけ私たちがこの都に居たと思っているのよ。進められることはさっさと進めて、纏められるものも随分と纏めたわ。あとは工夫の準備と流通問題さえ改善できれば、都の問題のほぼが解決するの」

「………」

 

 …………エッ!?

 かかか解決って、えぇっ!?

 それ、俺がこれから時間をかけてじっくりと固めていこうとしていたもので……!

 やっちゃったの!? そんな簡単に!?

 

「仕事を探している民はまだまだ居るのだから、彼ら彼女らにはまず基本を覚えてもらうのよ。これはあなたが“めも”に纏めておいたものと同じことね。ただ、それに募集をかけていちいち説明して回るのはとても回りくどいわ」

「あ、ああ。だから俺もそこで詰まってたんだけど」

「でしょうね。けれど、そこは桃香と朱里と雛里と話し合って、蜀の学校で募集と説明会を設けることに決めたわ。必然的に蜀から人を回してもらうことになるけれど、ならば別の仕事は魏と呉から募集すればいい」

「……王が決断を下してくれるなら、これほど速い決定はないな。賛成」

 

 両手を軽く挙げて、降参のポーズ。

 時期によっての忙しさに目を回す日々の中、王に話を訊いて回るのは結構難しい。

 それをこの機会にさっさと纏めてくれたのなら、本当にありがたい。

 

「工夫の技術教師としては、魏から真桜を出すわ。それももう決定済みよ」

「じゃ、じゃあ先に向けて田畑を増やす……開墾の話は」

「魏と呉で拓いていくわよ。頼もしいことに、手の空いている人は他に回せるほど居るのだからね」

「うわーあ……あ、じゃあ俺もそれに参加───」

「出来ないわ」

「なんで!?」

 

 メモの意見は通るのに、相変わらず俺の意見は却下続き! 何故!?

 く、くそう! 妬ましい……妬ましいぞメモ帳め! お前はいつもいつも俺の先を行きやがる! 頭にくるぜ……俺に書きなぐられた案なのに、まるで俺より優秀かのように……! などと野菜王子的なことを言ってないで。

 ……そっか。やれること、一通り終わったのか。

 なんというか……安心? それとも仕事が一気に無くなったことへの不安? よく答えのなさそうな脱力感が体を包んだ。もちろんいろいろな問題も出てくるだろうから、それはやらなきゃだろうけど、それでも。

 

「えと……じゃあ俺、何から始めたらいいかな。一度離れて戻ってきた時の場違い感って言えばいいのか、とにかくなにから手をつけていいのかがわからないんだけど」

「そうね。子を作りなさい」

 

 

 

  ───さあ、旅立ちの時間だ。

 

 

         この大地の果てまでも、今こそ旅立とう───!

 

 

 

「待ちなさい」

「んっがっごっごっ!?」

 

 さわやかに窓から抜け出そうとしたら襟首を掴まれた。

 息が詰まった瞬間にサザ工さんが脳裏によぎったが、気にしたらいけない。

 

「あなたね、いい加減にしなさい。人はいつまでも若いままでは居られないの。若いうちに次代を担う者を儲けるのも王や将の勤めよ。民でさえ、産まれて成長したなら家業を手伝うの。それらを否定していい者など、今この三国には誰も居ないのよ。民がそうして作ったものを国に献上してくれる以上、私たちはそれらを守る義務が発生する。献上されるものだけを受け取って、守ることもせず統括することすら放棄すれば、国や王は民からの信頼の損失と同時に、自分が立っているここが国である意味すらも失うのよ。それがわからないあなたではないでしょう?」

「そりゃわかるけど! なにもこんな、みんなの前で言うことないだろぉおお!!」

「───そう。ならば覇王・曹孟徳が問おう。異を唱えたい者は前に出て進言せよ」

 

 ───。

 誰も出ない!?

 前もやったけど、みんな気持ちは変わらないのか!?

 

「答えは出ているわ。煮え切らないのはあなただけ。言いたいことがあるのなら、聞くだけ聞くけれど」

「……いや。心の整理なら散々やったよ。割り切れない想いは当然あるけど、みんなのことを真剣に好きになっていこうって決めた。だから、つまりその。好きになりきれてない人とその……そういうことをするってのはちょっと」

「一刀。……“私が、いいと、言っているうちに、やりなさい”と、言っているのよ」

「や……けどヒィッ!!?」

 

 困り果て、俯いていた顔を上げると、そこには笑顔の修羅が居た。

 華琳の周囲がモシャアアアと歪んでおり、それが怒気やら殺気やらだと理解すると、途端に俺の中で芽生えた野生の本能が逆らうなと悲鳴をあげる。

 

  あれは……あれはダメだ、王者だ、俺では敵わない……!

 

 そんな野生の理性が必死に訴えかけてくる。

 

  もうだめだ、おしまいだぁ……!

 

 いや、あのな、野生よ。

 言っちゃなんだがアレが王者なんてことは最初から知っている。

 それこそ出会った瞬間からだと言ってもいいほどに。

 あと野菜王子から離れろ。

 

「……後回しにすればするほど、全ては後手に回るのよ。今生きていても、病気にかかったら? 華佗が居なかったら? 居たとして、華佗でも治せなかったら? 私たちは確かに戦を治めはしたわ。けれどね、一刀。治めたことへの感謝など、時代が進めば過去になるだけ。自分が齎されたわけでもない平和への感謝を、いつまでも王にする者など居ないの」

「華琳、それは」

「───一刀。あなたが居た天で、“かつての王ら”に感謝する者は居た? それとも、そこに居たのはただ伝承を素晴らしいと謳う者だけ?」

「! ……それは」

 

 感謝する者? 居やしない。

 今の世ほどみんなに感謝する人が、いったいあの世界のどこに居た。

 感謝なんて、自分が助けられて初めてする。

 お茶を入れてもらってありがとうと言うのと、大事な人を救ってもらった時のありがとうなんてレベルが違う。

 まして、彼女らはこの大陸に生きる人たちの未来を救ったっていうのに……天には、きっと彼女ら……いや、“彼ら”に対する感謝など残ってやしないのだ。

 今もあの地で生きる人の中になら居るのだろうか。そんな……本気で過去の人に感謝するような人が。居るのなら……居てくれるのなら、どれだけ血が薄まっていてもいい、どうかそれが“彼ら”の血を引く人であってほしい。

 

(あ───)

 

 居て欲しいなら───どうすればよかったのだろう。

 子を作る? 作って、ただひたすらに“凄かったんだぞー”って伝えてゆく?

 違う、もっと単純に。

 みんなの力がまだある内に───俺が守らなくちゃいけなくなる……恩返しが出来るようになるその瞬間まで、みんなの生き様っていうものを全力で、産まれてくる子に見せてやればいい。

 

「一刀。面倒な話はやめにしましょう。もっとわかりやすく、はっきりと言いなさい」

「……ああ」

「あなたは、あの戦いに至るまでと治めた後から今まで、わたしたちが築いた三国の中に……嫌いな存在が居るのかしら」

「居ない」

 

 居るもんか。即答で答えた。

 刺されたって許せる相手が居る。

 笑って、親父と呼んでお袋と呼んで、そんな人たちのために頑張りたいって思えた自分が居る。

 行く当てもない自分を拾ってくれて、利用価値があると受け入れてくれた王。

 急に訪れることになっても迎えてくれて、刺傷事件を起こしても嫌わないでくれた王。

 自分に似ている俺とを重ね、居てくれてよかったと笑ってくれた王。

 歩くたびに様々を知り、各国で魏だけでは知れなかったことを知って。

 武を叩き込まれて氣を知って、人を救う喜びを知って、友達になれたことに眩しさを抱いて。

 

 俺はこの世界、この大地、三国に様々を教えてもらったのに、ちっとも返せていない。

 貰うばかりが苦しくて、だけどそれで返すのはちょっと違うって。

 だから手を伸ばせるものにはがむしゃらに手を伸ばしてきた。

 みんなが集まってやってしまえばこうも簡単に終わってしまったものを、一人で。

 もっと早くに相談すればよかった。

 

(恩を返そうとして一人で頑張るのって……間違っていたんだろうか)

 

 ……そりゃそうだ、前提の段階で間違えていた。

 手を伸ばした、って、じゃあ何処にだ。

 一人でやろうとしてちゃ、伸ばした手も空回るだけだ。

 だから……

 

「………?」

 

 気づけば無言で手を伸ばしていた。

 自分で自分に疑問符を浮かべてしまうような状況。

 なのにそんな、自分の中の勝手な動作に反応した人が……たくさん。

 俺のちっぽけな右手に殺到した右手はあまりにたくさんで、それらが一気に俺を潰した。それはもう、遠慮なく。

 

「おーっほっほっほっほ! あらあら華琳さん……!? 随分とまあ、がっつくように飛び掛りますわね……!」

「あら……! あなたにだけは言われたくないわね、麗羽……! それと、私は飛びついたのではなくあなたに押されただけよ……! というかどきなさい! いつまで乗っかっているの!」

「あらあらそういえば、なにやら前か後ろかもわからないものを押し潰していますわぁ~? このまま踏み潰してしまおうかしらおぉ~っほっほっほっほ!」

「れ・い・はぁあああ~……っ!!」

 

 状況整理。

 俺の上、華琳。

 華琳の上、麗羽。

 俺の周囲、俺の右手を掴むみんな。

 逃げ道……無し。

 なら、もう決めちまえ。 

 

「え、っと……今さらでごめん。自分のスタートラインも見切れずに、勘違いして何度も決め直すような優柔不断な支柱だけど……その。へんな言い方になるけど、さ。う……さ、支えさせて……くれるかな」

 

 気恥ずかしさと情けなさ、色々な感情がごちゃ混ぜになって、視線を逸らしながら言った。そんな顔に、そらした視線の先に居た朱里と雛里がぽややんと頬を緩ませていて……ああそうですか、まーた困った顔をしていましたか俺は。

 そんな自分に“ぶっ”と吹き出してしまい、途端にみんなが『もちろん!』と叫ぶ。

 それどころかシャオが「支柱ならよりかかってもいいんだよねー?」なんて言ったり、祭さんが「ならば折れぬようにしっかりと鍛えてやらねばのぉ」なんて楽しそうに言ったり、風が「倒れてしまわないよう、倒れないための方法も知ってもらわないといけませんねー」と目を糸目にして言ったり、星が「ときに北郷殿。あちらの荷物が妙に気になって仕方が無いのですが……!」と迫力のある顔でずずいと言ってきたり……

 

「さ。今度こそ逃げられないわよ? 言い訳もいい。あなたという存在に宿る利用価値は、まだまだ消えていないのだから」

 

 ───華琳が、俺の上で悪役っぽい顔で言う。

 その上の麗羽はつい先ほど、華琳の背を踏んづけようとして足を滑らせて転倒した。どごんと痛そうな音が鳴っていたが、大丈夫だろうか。

 俺はといえば華琳のそんな言葉と麗羽の声にならない声を聞いて、吹き出したままに笑ってしまい……決意と観念と覚悟をごちゃまぜにした、けれどいつもの笑顔で降参した。

 天は覇王とともに。

 覇王は、三国とともに。

 国は民とともにあり、民は大陸とともにあり。

 

「はは……どこまで俺を利用するつもりですかな、覇王さまは」

「決まっているでしょう? もちろん、利用価値が無くなる(私が満足する)までよ」

 

 とってもキッツイ副音声が聞こえた気がした。

 したのに、いつものことかと笑い飛ばせる俺が居る。

 ここまで来たら、もう腐れ縁でもどうでもいい、一緒に世界の果てまで見届けよう。

 “支柱なんて勤まるのか”から考えて、“やってみなければわからない”で頷いた。

 それから今まで、こうして慌てながらでも出来てきたのだ。

 だったら今は、もう胸を張ればいい。

 一人で突っ走ろうとした馬鹿の襟首を捕まえてくれた覇王さまには、感謝してもしきれない。



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106:IF/人の価値、自分の価値、利用価値②

さて。

 

「じゃあ確認するけど」

 

 こんな風にして解決してくれるのは大変おかしなものだ。

 笑って解決することほど安心できることはない。

 ただ、この問題はこれで解決なんかしてくれやしない。

 訊くことを訊かなければ、きっと一生逃げてばっかりなのだから、ほんのちょっと……いや、かな~り重苦しくも恥ずかしい勇気を。

 

「俺と、そういう関係になりたいって人」

『? …………、───!』

 

 訊いた途端、誰よりも先に朱里と雛里が真っ赤になって俺から離れ、続いて全員が赤くなって離れる。……朱里、雛里ぃ……少しはそういう反応、隠したほうがいいぞ……?

 

「というわけで華琳! そういうのはまだ早いみたいだからグエッフ!?」

 

 逃げようとしたら、今度は乗っかられたまま首を絞められた。

 そう。困ったことに、華琳は顔を赤くしたものの、離れなかったのだ。

 

「あなたは一度逃げるといつまでもずるずると逃げ続けるから。ここで逃がしたら、どうせいくらでもはぐらかすに決まっているわ。そうでしょう?」

「イ、イヤー、必ずしもそうと決まったわけでは……!」

「かっかっか、そうかそうか。ならば───」

 

 きしり、とみんなが離れた寝台に、祭さんが乗ってくる。

 あ───アーッ! ダメ! 祭さんはダメ! いろいろと困った出来事が!

 

「いつかぬかしたのぉ北郷。もしもこんな状況になったら、俺なんかと子供が作りたいのかと」

「ぎっ……!」

 

 言った。言ってしまったのだ。お陰で祭さんにはある意味言質みたいなのを取られていて、だから祭さんには出てきてほしくなかったのに……!

 いや待て、そういうのを理解した上で祭さんは今こうして俺に近づいてきて……ってことは……!

 

「子供のような他人ならば育てた覚えは幾度もあるが、己の子供を育てた覚えはない。偉そうに指導なぞしてみても、やったこともないものの数など民にも勝る。ならば一度、そういうことを経験してみるのも……戦を離れた老兵には、案外似合っているとは思わんか?」

「うゎだぁああああーっ!? だだだだめだめだめっ! 早まっちゃだめだ祭さんっ! 前にも言ったけど俺みたいなひよっこじゃあ祭さんとつりあわないだろっ!」

「ほっ? …………ふぶっ! ふはははははは!! あっはははははは!!」

「へ、へぇっ!? なんで笑うんだよ祭さん!」

「かっははは……! お、おぬしは変わらんのぉ! よしっ、いいぞ、構わん! よい男に成長した褒美じゃ、どんと抱け!」

 

 ウワーイ男らしいィイーッ!!

 普通なら、男ならここで手放しで喜ぶ……んだろうか。

 どうしても魏が気になってしまう俺としては、なんともうぎぐッ!?

 

「あなたね。そこで私を見るのがどれほど相手に失礼か、わかっていてやっているの?」

「そ、その割には顔が嬉しそアガガーッ!!」

 

 くくく首がっ! 首が絞まる!

 でもごめんなさい確かに失礼でした!

 

「なら、決まりね。最初に私、次に祭。その次が誰かは知らないけれど、きちんと愛し、愛されなさい」

 

 部屋全体が、全員のごくりと喉を鳴らす音で揺れた気がした。

 ワ、ワー……みんな、目が本気だ……!

 おかっ……おかしいなぁっ……俺、いつの間にそんなに好かれるようなことを……!?

 

「えぁうっ……あ、そ、そうだっ、桃香? 桃香はっ───」

「わ、私はっ!」

「ひゃいっ!?」

 

 さすがに反対だよな、と訊こうとした途端に叫ばれ、裏返った返事が出た。

 しかもその突然の叫びに視線が一気に集中し、桃香はハッとすると真っ赤になって……しかし。くっと唇を噛むと、俺がそうするみたいに胸をノックして真っ直ぐに俺を見た。

 

「わっ……私はっ! 私は……、わ、わわわ……私はお兄さんのことが好きですっ!」

「えっ」

「はっ!?」

「なっ!?」

「えぇっ!?」

「うえぇえええーっ!?」

 

 誰がどんな風に叫んだのかもわからないくらいの戸惑いが、自分の部屋に溢れた。

 なのにそんな叫びも無視するように、いやむしろ聞こえていないようで、真っ赤で、真っ赤っかで、赤すぎている顔で、涙目になって目が渦巻状になっても彼女はその告白を続けた。

 

「だだだだだからそういうのはその初めてだけど怖くないっていうかううんやっぱりたぶん怖くていえあのそういうこと言いたいんじゃなくてええっとそのだだだだからあの」

 

 “うわすげぇ! よくそこまで息続くな!”ってくらいに一気に早口で喋る桃香さん。

 顔の赤さがヤバすぎてこっちの方が心配になるくらい、なんかもういろいろとヤバイ。しかし想いは真っ直ぐに伝わってきて、俺ももう視界が滲むくらい恥ずかしいやらなにやらで。

 

「だから私はっ! おぉおおおおおお兄さんとじゃないとそういうことしたくないから! そのっつまりっあのっ! ふふふふふふつつかものですがーっ!!」

 

 突如、深々と頭を下げられてしまった。

 深々といってもゆるりとしたものではなく、ゴヒャウと風を巻き込むくらいの速度の。

 その速度に驚きと呆れと……大陸に不束者ですがって挨拶ってあったっけ、なんて馬鹿なことを考えつつ……さて。そんな王様の後ろで“恥をかかせたらどうなるか、わかっておりますよね”とばかりに武器を持つ愛紗さん、“はいと言え。言わなければ潰す”とばかりに金棒を持つ焔耶さん、“正真正銘お兄ちゃんになるのだ!”とばかりにわくわく笑顔の鈴々さん。

 ああなんだろ、蜀のみんながすんごい笑顔でドス黒いオーラを放っている。

 しかしそんな真っ赤っかさんの前にズイと出てくるお方が一人。

 

「おぉっとぉ、蜀が王様を出すなら、呉は元王様と祭で勝負ね。あ、もちろん年下がいいんだったら小蓮もつけるけど」

「おまけみたいに言わないでよぉ! 失礼しちゃうなぁもう! ……シャオはぁ、一刀の本妻なんだから。ね~一刀?」

「いえ違います」

「あーっ! 一刀否定したーっ! こぉんな美人に迫られて否定なんてぇ!!」

「いい加減背伸びはやめろ、小蓮。大体、一刀は私と、どちらがより国を良くしていけるかを競っているんだ。よくしていくならその、それなりの付き合いと、いうものが……」

 

 あ……蓮華。今喋るのは地雷───

 

「ふっふーん? じゃあお姉ちゃん、今すぐ一刀と子作りできるのぉ?」

「こづっ!? なななにを言い出す! おまっ、お前は、少しは人の目をっ……!」

「国を良くするために子作りをって話じゃない。お姉ちゃんこそなに言ってるの~?」

「うぐっ……」

 

 ああもう、あっさり踏んじゃったよ……。

 やっぱり窓から逃げ、OH……。あの、だから。その絶、どっから出てきてるのほんと。

 

「一刀? 人の想いを“受け入れる”のと状況を“諦める”のとは越えられない壁があることを、きちんと自覚してから意味を噛み締めなさい。でなければ、たとえ愛したとしても許さないわよ」

「するもんか、そんなこと。受け入れるし、観念もするし、覚悟も決めたよ。ただ今すぐっていうのに抵抗があるってだけで、心の準備期間があればきっと」

「それでは無理ね。心の準備なんてものはね、一刀。どれだけ待っても永久に出来やしないものよ。自分は待てても状況は待ってはくれないのだから。戦をその目で見ておいて、知らなかったなんて言わせないわよ?」

「………」

 

 無言で溜め息。

 諦めるのは魏への貞操……とか、そんなんじゃないかなぁ。

 捨てずに一緒に持ってって、全部を支えてしまえるくらいの柱を目指してみる。

 一人じゃ無理だから“繋げる手”になりたいって願ったんだ、それでいい。

 魏呉蜀全部を抱いて、貞操云々を抜かしたいなら……大陸への貞操を守ってしまえ。

 

「───……」

 

 ふと、周囲からの音が消えた。

 まるで、氣の集中のしすぎで自分の意識が埋没するような感覚。

 そんな中で───いくつかの俺自身と向かい合った。

 

  ……これってハーレムかな。

 

 男な俺がそんな質問を投げかけた。

 

  ……いや、そりゃ違うだろ。

 

 かつて武を投げ出した俺が笑って言う。

 

  ……じゃあなんだっていうんだ。

 

 一年を魏のために突っ走った俺が仏頂面で言って。

 

  ……絆でいいじゃん! 今だけじゃなくて、未来も支えられる柱と格好いい絆!

 

 最後に、子供の俺がニカッと笑って言った。

 

「………」

 

 いろいろなものを学ぶたびにいろいろなものを忘れた子供の頃の自分。

 無謀だった自分は怖さを知って、怖さが常識ってものを子供に教えて、子供は教えた人たちのように大人になってゆく。

 望めば大抵のものは貰えた時間は終わって、泣けば許された甘えられる時間は過ぎて、でも……笑えば笑い合える今は、まだこの掌に。

 たなごころ。

 繋げば人の温かさを知れる、当たり前だけど、常に自分と繋がっているもの。

 

  繋ぐ手になりたいって思ったんだ。

 

 俺が言う。言葉にはせず。

 

  急に現れて、随分勝手だなって思う。

  最初、愛紗に嫌われた時、自分でも仕方ないって思ったし。

 

 過去を語る自分は、それぞれの自分から見てどんな存在なのか。

 とても情けないのか、とても身勝手なのか。

 ……きっと、両方。

 

  一年頑張って鍛えてみても、自分が役立つ未来なんて見えなかった。

 

 当然だ、だって鍛えたところで戦は終わっていたんだから。

 今さら鍛えたよって言ったところで、俺も桃香と一緒だったんだ。

 最初から鍛えて、少しでも戦えたのなら……死ななくて済んだ兵が一人でも居たかもしれない。桃香だって華琳に勝てたかもしれない。

 

  なにをやっても役立つのは俺じゃなくて、きっと“知識”だけだろうから、さ。

 

 だから。そんな知識ででもいい、繋ぐ手になりたかった。

 それこそ自分の利用価値がそれしかないことを受け止めて。

 そんな考えが心のどこかにあったからなんだろう、刺されても自分が許せば全てが治まってくれるなんて夢を描いた。

 けれど当然処罰はあって、それがプラスに働いてくれたからこそ自分は多少は認められて……でもそれは結局、決定を下した王の判断が良かっただけだ。俺はただ親父やお袋にたまったものをぶちまけさせただけで、きっと全てを避けて大事になんてしなければ、もっと丸く治まっていたんじゃ、なんてことを思うんだ。

 

  ……じゃあ、知識でも足りなかったら、俺の利用価値ってなんだろう。

 

 だからそんなことを考えてしまった。

 いつしか俺じゃなくて及川だったら、なんてことをよく考えるようになって、その度に頑張ろう頑張ろうと自分を励まし続けた。

 誰だってきっと、一度や二度は考えることだ。

 自分は誰かの役に立ててるのか、本当に自分でよかったのかって。

 もっと上手く出来る人が居たんじゃないのか、どうして自分の時に限ってこんなことが起こってしまうんだ。

 そんなことを何度も思いながら、その度に胸に叩き込んだ覚悟。

 その度に思う。

 “未知”を知るのはとっても怖いが、それが過去って“道”になると……案外どうってことないものだった、なんて。過去よりも、現在に訪れる未知のほうがよっぽど怖いのだと。

 不安を通りすぎたあとには安心があって、その先にある未知に突き当たるまではその安心に浸っていられる。不安がなんなのかがわかるまでは、せいぜい笑っていられますように。願うことなんてそれだけで、そのためにやることは───不安も後悔も、まして絶望なんてものを生み出さないようなやり方で、未知を踏み潰して道にしてしまえばいい。

 

  出来るかな。

 

 出来るさ。

 自問自答。

 一人でじいちゃんの指示の下で動いていた頃とは違う。

 自分なんかより頭がいい人が居て、自分なんかより自分の知識を活かせる人が居て。

 自分なんかよりやさしい王が居て、自分なんかより立派な志を抱く王が居る。

 俺は飽きるほど知識を提供すればいい。

 あとは───俺なんかより、よっぽど俺を活かせる覇王と一緒に歩けば……きっと、この未知を踏み抜く足は、間違いになんて到達しないのだから。

 

  支柱っていうか、ヒモだなぁこれ。

 

 苦笑する。

 ヒモ結構、なんて言わない。ただ、言い訳には“需要と供給”を。

 いつかみんなの前で誓ったように、俺はひたすら繋ぐ手になるだけだ。

 そうやっていつまでも、崩れない絆を作っていけばいい。

 

  俺じゃなくても出来ることじゃないか。

 

 そうかもな。

 けど、じゃあ今、自分以外に誰が支柱になって、誰がみんなを受け止められる?

 

  うわ、すげぇ自惚れ……。

 

 武を捨てた俺の声。

 笑い飛ばしてやった。

 ……自惚れなんかじゃなくてさ、俺自身の話だ。

 誰だったら、みんなを託せるというのか。

 誰だったら、代わりにどうぞと言えたのか。

 俺は、嫌だ。

 ようやく自分に笑顔を見せてくれた人や、嫌っていたのに笑ってくれた人の信頼を誰かに投げるなんて、絶対に。

 知識だけだったかもしれない。上手く状況が乗ってくれただけかもしれない。

 それでも……歩んだ道は嘘には出来ない。したくもない。

 

  ……そうだ。“居てくれて良かった”って言ってくれたんだ。

 

 散々と“俺なんか”を使ってきた自分って存在に、喜びを感じてくれた王が居た。

 そんな王が自分を好きだと言ってくれた。

 

  ……嬉しかった。

 

 俺を信頼してくれたから友達になってくれた人が居た。

 

  ……嬉しかった。

 

 手と拳を合わせて、国を良くしていこうと頷いてくれた人が居た。

 

  ……嬉しかった……!

 

 誰でもよかったかもしれない。

 もっと上手くやれた人だって居たかもしれない。

 でもさ。

 じゃあ、俺がやってきたことが無駄だったなんて、誰が言ったら俺は許せるんだ。

 必死じゃなかったって言えば嘘だ。

 頑張らなかったなんてもっと嘘だ。

 夢を見た。夢を語った。夢を目指して夢に走っていた。みんなでだ。

 だったら───

 

  俺でも、よかったんだ。

 

 俺で、よかったんだ。

 少なくとも、この外史では。

 だから精々笑っていこう。

 泣くのだって構わない。

 怒ったって驚いたって、悔しがったって嘆いたって、それが人間、それが人生。

 “人を生きる”っていうのはそういうもので……だからこその人間だ。

 この外史に下りたのが俺でよかったなら、俺が見つけられるこの世界での“楽しい”をずっと求めて生きればいい。

 ……たとえ、いつか貂蝉の言う“彼”がここに来るのだとしても、その時まで。

 

  ……諦める気がないのなら───

 

 そう。諦める気がないのなら。

 そんな、いつか来る脅威から、この外史を……華琳が手にした覇道の世界を守るんだ。

 それが俺に出来ることであり……みんなを守ることであり、みんなの支柱でいられることに違いないのだから。

 

  よしっ、新しい目標、見つかった。

 

 それじゃあ、今度は走ろうか。

 のんびりしすぎた頭の回転をもっともっと限界まで早めて。

 遅れた所為で逃した“楽しい”を、今からでも拾えるように、前も後ろも天も地も、見ては振り向き俯いては見上げて。

 見える景色から得られる、拾える限りの“楽しい”を求めて。

 

「でもまあっ、そのっ! いろいろあって今日は疲れたからっ……ま、また後日とかいうのはっ! ……だめ?」

『却下!!』

「でででですよねぇええっ!?」

 

 今はどうにかして、この状況から逃げ───もとい、楽しいを拾えますようにぃい!!

 

 

 

 いやいやいやいやどうして今すぐ脱がすんだ華琳!

 まさかここでこのまま!? ななななに考えてんだ出来るわけないだろそんなこと! 

 にんまり笑ってじっと見てないで助けてよ祭さん!

 朱里に雛里!? 目を隠してるつもりでも指の間から見てるのバレてるから!

 ていうか雪蓮さん!? どうして武器抜き出してるんでしょうか!? え!? 戦いのあとのほうが興奮するから今すぐ戦いましょう!? 無茶言うなこの馬鹿ぁっ!!

 だだだだから脱がそうとするなどこ触ってやめてちょっとやめっ! やめろってば! わかった! 脱ぐ! 脱ぐから───ごくり、じゃなくて全員出て行けぇええーっ!!

 

  ───え? 却下!?

 

 だったら俺は脱がなヒギャアアア脱がすな脱がすな脱がすなぁああああ!!

 つかさっきから煽ってるの誰だ!? こっちは必死で───蒲公英ォオオオオッ!!

 煽る以前に自分もそういうことをするかもしれないって自覚を……してる!? え、や、ちょっ……その返答は予想外すぎてっ……!

 ってだから脱がすなったら! あ、あーあーそっちがその気ならこっちだってゴメンナサイ嘘です!! 本気の目で武器構えないで!! むしろ何処から出したその武器ぃいいいいっ!!

 

「わぁあああわわわわかったから! ちゃんとするから! 自分の気持ちで向き合うから! 無理矢理だけはやめてくれってば! そんなことされたらきちんと向き合えなくなるだろぉおおっ!?」

「……ふふっ、ええ結構、良い心掛けね。あなたの決意を心から歓迎するわ」

「へ? …………あ、……アーッ!!」

 

 人の夢は儚いといいます。

 お爺様、お元気ですか?

 どうやらあなたの孫、一刀は……大人の階段を何段も……それこそ天まで届けとばかりに昇ることになりそうです。

 いつか、もし帰ることが出来たなら……その時は、またあなたの下で座禅から始めたいと思います。

 それでは……どうかお体にお気をつけて。

 

 

 

 ……その日から数十日後。

 取られた言質とは関係無しに三国と結ばれ、真実、支柱になった。

 当然誰とでもというわけもなく、“そういう関係になりたい”と言った人とだけ。

 好きになる努力をして、好きになり、静かに、やさしく。

 たぶん、そういった関係になるまでに一緒に出かけた数を唱えるなら、蓮華が一番多いだろう。なにせ雪蓮が無理矢理つれてきて、これまた無理矢理“でーと”とかいうのをやりなさいなどと言ってくる。

 俺と蓮華の気分転換の買い物(周囲はデートと言って譲らない)は長く続くものではなく、少し出かけて少し店先で話し合って、少し適当なものを買うと終わる、そんな些細なもの。

 仕事は……この人数で分担するから少ないけれど、やることがないわけでもない。

 とはいえ、たびたびにくる誘いに乗る俺も、結局はそんな小さな買い物を楽しみにしていた。見たこともないような、いやむしろ、年相応の笑顔を見せた時なんて、少しばかり見蕩れていた。

 ……調子に乗って服をプレゼントした時は、どこからどう漏れたのかその夜に華琳に呼び出され、なんかいろいろと訊かれた。サイズのこととか、どうしてそれをあなたが知っているのかとか、贈ったものはそれだけなのかとか、なにやらちらちらと見られながら訊かれた。

 

「……もしかして華琳も欲しいのか?」

「!」

 

 ちら見の意味を探るように言ってみれば、ぺかーと頭の上に想像の華でも咲いたかのような……ほんの一瞬の笑顔。直後にキリッと真顔になって、そういう話ではないのよといつもの強がり。

 後日、覇王に服を献上……したら、蜀の王に羨ましそうにじっと見つめられた。

 

 

 金が……と落ち込む俺が各地で見られるようになったのは、このあたりからだった。

 




ゆるキャンが終わってしまった……!
今日からなにを癒しに過ごせば……!
あ、4月6日に孤独のグルメシーズ7が始まります。
食べ物関連といえばなでしこさん。そんな美味しそうに食べる姿で思い出しましてござい。
さてさて、次回からはお子様誕生編、IF2になるわけですが……自由です。自由に書いてます。
相変わらず悩みすぎなかずピーですが、のんびり見守ってやってください。
途中途中で更新がやたらと遅くなると思いますが。

ではではまた次回で。


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番外的オマケ話(本編とは関係ないでゴワス)

-_-/番外的なIF

 

 お題:もしも献上品に性転換薬があったら

 

 ……。

 

 むかぁしむかしのぉ~こと~じゃったぁ~……!

 ある晴れた昼下がり……市場へ続く道を、ずんずんとゆく一人の覇王が~……おったぁ~。

 

「~♪」

 

 見るからに上機嫌。

 鼻歌まで歌ってずかずか歩く姿は、まるでおもちゃを手に入れた子供のようであり……

 

「さあっ! 服を買うわよ一刀っ!」

 

 そんな彼女に引き連れられた俺は……女性用の呉服屋の前で、黄昏た。

 

……。

 

 覇王がおる。

 目がらんらんと輝いている。

 ある薬を飲んでから、いやむしろ飲まされて……俺があろうことか私になってしまってから、華琳のテンションは異常だ。

 いやまあうん、わかるよ? 理由はなんとなくわかる。我らが覇王さまの女性好きは有名ですもの。

 そこにきて、好いている男性を女性に変える薬があって、変化した姿が彼女の琴線に触れたらしく、まるでデートに行くわよと言うかのように“フスー!”と鼻息を荒くした彼女は、政務そっちのけで俺を連れ……ここへ来たわけで。

 

「一刀。あなた、下着の色はどれがいい?」

「し」

「だめよ、黒になさい」

「なんで訊いたの!?」

「あら、そんなこと。あなたのその慌てる顔が見たかったからに決まっているでしょう?」

 

 Sな笑みを浮かべ、つつっと俺の顎を人差し指と中指で持ち上げる。

 ……その際、自分の視線を少し高くするために、踏み台の上にわざわざ乗ったことについてはツッコんでいはいけない。

 

「あ、あの、華琳? 俺べつにフランチェスカの制服のままで」

「だめよ」

「だ、だってな、いくら女になっ」

「だめよ」

「いや、服は男物で」

「だめよ」

「華琳って綺麗だよね!」

「そう? ありがとう」

「やっぱり服は男」

「だめよ」

「服の話になった途端に即答!?」

 

 なんだか滅茶苦茶だった。

 なのに俺の前まで服を持ってきて、合わせてみている華琳の顔は緩みっぱなし。

 うわーい、こんな顔、男の時になんて見たことないやー。

 

「とっ……ところでさぁ華琳っ? べつにその、服なんか買わなくたってさ。ほらっ、どうせすぐに元に戻るだろうし……」

「だめよ」

「うぅっ……参考までに、なんで?」

「着させなきゃ脱がせられないじゃない」

「勇気ある脱出!!」

「待ちなさい」

「ぐえぇっぐ!? ~……俺になにするつもりだあんたぁああーっ!!」

 

 なにを当然のことを言っているのよとばかりに言われ、思わず逃走、襟キャッチ、絶叫。

 え!? なに!? え!? 俺、これ着たら脱がされるの!? 何処で!?

 つか、なんですかそのうっとり顔! なにを楽しみにすればそんな顔が出来るので!?

 

「あぁ一刀。一応訊いておいてあげる。初めては私と同じ場所がいい? それとも寝台?」

「なにが!? ねぇなにが!?」

 

 なんかよくわからないけどこのまま付き合っていたら危険だってことは本能のレベルで受け取った! なのでワンモアタイム! 逃げ捕まったァアーッ!! 言い切る暇すらないよ! あっと言う間もなかったよ!

 

「いやちょちょちょ怖い! なんか今の華琳怖い!」

「怖がる必要はないわ。私も通った道よ。私とともに歩むというのなら、何処までもついてくればいいの。……導いてあげるわ、ついてきなさい、我が覇道に」

「かっ……華琳……! ってなに人の制服脱がしてますかぁああーっ!! 人がっ、人がせっかくじぃいいんってきてたのに!」

「うるさいわね、いいから脱ぎなさい。そして着なさい。ほら」

「着ろって、これ女性ものの下着じゃないか!」

「当たり前じゃない」

「まっ……真顔でなんてことを!」

 

 いや、そりゃあ今の俺は女だし、女が男ものの下着をつけてるほうがおかしいとは思うよ!? 今は! でも身体は女! 心は男! その名も……北郷一刀! な俺としましては、女ものの下着なんて穿きたくなど、ってだから脱がすなぁあーっ!!

 

「……埒が空かないわね。───桂花 」

「ここに」

「何処に!? えっ!? ここにって、何処に居たの!? どっから出てきたの!? ねぇ!!」

 

 華琳が指パッチンしたら、物凄い速さですっ飛んできた桂花が華琳の前に跪いた!

 もしやこれはカッパーフィールド!? 不思議なるカッパーフィールドでござるか華琳!?

 

「桂花。私が押さえているから一刀の服を脱がしなさい」

「はっ」

「えぇええっ!? 即答!? ま、待て桂花! ほらっ、俺男だぞ!? 男になんて触りたくもないなんて言ってたお前が、俺に触れるどころか服を脱がすなんて───」

「なにを言っているの? ここに男なんて一人もいないじゃない……! ふ、ふふふ……うふふふふ……! ああ、女になったあんたがこんなに可愛いだなんて……! 今、今この汚らわしい男ものの衣服を剥いであげるからね……! だだだ大丈夫、だいじょっ……うっくっふっふっふ……! 痛くしないから私に全てを委ねなさい……!?」

「ヒギャァアアーァァァァァーッ!? イヤーッ!? なんかかつてないほどやさしい顔なのにギャップ萌えとかそんな次元を超越して恐怖しか感じねぇえーっ!! いやちょ待やめ脱がすなやめろぎゃあああーっ!!」

 

 華琳に羽交い絞めにされ、桂花に服を脱がされてゆく。

 抵抗しようにもこの華奢な身体のどこにそれほどのパワーが秘められているのか、俺を羽交い絞めしてらっしゃる華琳はびくともしない。いやほんと……なにこれ!? 冗談抜きでビクともしないんだけど!? 無理矢理背負うように持ち上げることも出来ないとか、地に根でも下ろしてるんですかアータ!!

 

(我が覇道……ここで費えるというのか……)

(孟徳さん!? どうせ費えるならこの後ろの孟徳さんの覇道も連れてって!?)

(わしにだって……出来ぬことくらい……ある……)

(孟徳さん!? もうとっ……誰!? なんか途中からキバヤシみたいになってない!?)

 

 そうこうしている間に衣服は脱がされ、着せられ……叫び疲れた頃には、姿見の前に短髪のおなごが……おがったとしぇ……。

 

「さあ、いくわよ一刀」

「ああ……うん…………えと、どこに……?」

 

 もはや本気で疲れた。

 ぐったりしている俺を見て、しかし華琳はとてもつやつや。

 やりとげた女の顔になっている。

 ……そして桂花がいつの間にか消えていた。

 彼女はあれですか? 忍者の末裔かなんかですか?

 ……大陸に忍者っているのカナ……。

 

「もちろん、許昌の川よ。そこじゃないと私と同じ場所とはいえないじゃない」

「ア、アノ。マジでなにをするおつもりで……?」

 

 言いつつも店を出る。

 代金は既に桂花が払ったようで、店主はペコーとお辞儀をして送り出してくれました。

 引き止めてくれてもよかったのに、と思ったのは秘密だ。

 

「まじ? ……よくわからないけれど、もちろんあなたを私のものにする大切な儀式をおこなうのよ。私と同じ場所で、私と同じ痛みを以って」

「痛みって?」

「………」

「?」

 

 いや、ほんとなんの話だか。

 脱がすだのどうの、初めてはどうのって、なんとなく考えてみたけどそもそも俺は男で…………おと…………オ…………

 

「アノ」

「なによ」

「ソノ。モシカシナクテモ、俺……襲ワレル?」

「襲わないわよ。同意の上でないと許されないことだもの。だから頷きなさい」

「ほぼ脅迫だろそれ!! どこから出したんだその絶!! あとこれってもう非道の域だろ!? やめよう!? ほんとやめよう!?」

「…………」

 

 怯える俺を見て、華琳はハッとするとそそくさと絶を仕舞い……あ、あれ? よく見えなかったな。どこに仕舞った? ……あれ!? 何処!? ねぇどこ!?

 

「そうね。ごめんなさい一刀。私も突然の状況に混乱していたみたいね。覇王にあるまじき失態だわ」

「華琳……」

 

 安堵……ああ、今回ばかりは本気で安堵の息を吐いた。

 そうだよな、いくら華琳だって人間なんだ、慌てるときだってあるさ。

 そしてすぐに復活出来るのも彼女の強みだ。

 今だって落ち着いた顔で近寄ってきて、俺の両肩をやさしく掴んで───

 

「だから、頷きなさい?」

「肩痛ァアアアーッ!?」

 

 ごめんなさい気の所為でした!! 目ぇぐるぐる回ってらっしゃる!

 うわぁいほんとこんな華琳初めてダー!! ものすっごいやさしい笑顔なのに目がすげぇぐるぐる回ってる!

 そして指がってかいだぁああだだだだ爪が爪が肩に肩に肩にィイイーッ!!

 ハッ!? いや、でも死中に活ありだ!

 今なら……今なら言ってもらえるかもしれない!

 

「かっ……華琳っ! 華琳っ! ちょ、華琳っ!」

 

 呼びかける! ……うわぁ興奮してて聞いちゃいねぇ!!

 こうなったら強引にでも肩を掴む手を外して……!

 よっ……! ほっ……! な、なんと……! お、おがぁああだだだだだぁああっ!?

 

(な、なんてパワーだ……! オラの十倍ぇはありそうだ……!!)

 

 じゃなくて外れない! なにこの力! 頷くまで離してくれそうもありません!

 ええい構うか! 聞こえてなくても届かせる! 届けこの言葉!

 

「華琳っ……俺───もとい、私のこと……好き……っ……?」

 

 たぶん“俺”って言葉は届かない。なんかそんな気がしたので私でいってみた。

 するとびくりと肩を弾かせる華琳さん。

 そう……男の時は言ってもらえなかったけれど、今なら───!

 などと期待を混めた俺の前で、彼女はふわりと頬を染めて視線を逸らすと、恥ずかしそうに言ったのだ。本当に照れたような、甘さを孕んだ耳に心地良い声で。

 

「さっ……! ……察しなさいっ……!」

「チクショォオオーーーーーーッ!!!」

 

 泣いた。

 その、男の時とのあまりの反応の差に、涙した。

 

 

 

 その日俺は……華琳に言われるまま片春屠くんで許昌へ向かうこととなり───

 

 その間も何度も説得し、失敗し、なんだかんだで連れてこられた夕暮れ時の川の傍で、抵抗虚しく衣服を剥がされ、男の時には聞いたこともないようなやさしい声で囁かれて、そして、そして───

 

 

 

 

      ~ここから先は書物が塗れ、滲んでいて読めない

 

 

 

 

 

  おまけ/了

 



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親子成長編
107:IF2/この世界へようこそ①


160/未来に歩む今のこと

 

 見上げる空は……たぶん、いつもと変わらない。

 見つめる景色は様変わりを繰り返して変わっていって。

 見下ろす景色は……これも、やっぱり変わらない。

 そんな変わる景色と変わらない景色の中で、みんなと一緒に随分と急ぎ足で今までを生きてきた。多分……これからもその生き方は変わらない。

 急ぐ足もあれば、少し休むためにのんびりと生きることもあるのだろう。

 

  ……さて。

  男と産まれたからには一度はやりたいことって、きっとある。

 

 今日から、そしてこれからの日々を、困惑させて驚かせて、けれど確かに彩りに溢れさせてくれたこの日に……ただ感謝を。

 

「北郷」

「あ、ちょっと待っててくれ、もう少しで書簡整理が終わるんだ。……あー……っと、これでよし、っと……ごめん秋蘭、お待たせ。なに?」

 

 確認して落款した書簡を纏めて、積み重ねながら、自室の入り口前に立ち……何故かなにかを言いづらそうにしている秋蘭を促す。

 そんな秋蘭は本当に珍しく、視線をあちらこちらにうろつかせながら「あぁ……」とか「う、うむ……」とか言って、しかしようやく俺が座る机の前へとずかずかと歩み寄ると、

 

「───華琳様が子を身籠った。……お前の子だ、北郷」

「───」

 

 停止。

 頭の中で言葉の意味が溢れかえり、混乱しそうになる一歩手前で……溢れる思考の中から自分が一番嬉しい結果を掴み取って椅子から立ち上がった。

 

「ほ、北郷っ?」

 

 急な行動に若干驚く秋蘭の前で、机を飛び越えて隣を通り抜けて駆け出した。

 子供……子供。

 実感なんて沸かない言葉に、不安も恐怖もごちゃまぜにして走った。

 自分がきっかけで産まれる生命を担うという恐怖。

 生命を育てることへの不安。

 でもそれ以上に───

 

「華琳っ!」

 

 駆けて駆けて駆けまくり、ドバンとノックもせずに開け放った部屋の先に、急な来訪に激怒する桂花と……俺を見て少し驚いている華琳が。

 

「ちょっと北郷! 今の華琳さまは安静にしなくちゃ───」

「っ───でかしたぁあああああああっ!!」

「ふひゃああっ!?」

 

 男として、言ってみたかった言葉が自然と出た。

 華琳に駆け寄り、抱き締め、その状態で持ち上げて、溢れてしまう笑顔が止められずに笑った。

 言葉を被せられた桂花がさらに激怒するものの、罵声さえ、不安や恐怖さえ走る隙間もないくらいの喜びが、俺を包み込んでいた。

 華琳も抱きかかえられるとは思っていなかったのか、真っ赤になって慌てている。

 

「か、一刀っ! ちょっ……下ろしなさい!」

「男の子かな! 女の子かなぁ! 名前はなにがいいかな! ははっ、きっと女の子なら華琳に似て可愛いぞっ!」

「かわっ……ってだからそうではなくて! 下ろしなさいと言っているでしょう!」

 

 自分の子供! 思っただけで心が弾む!

 名前は───名前はやっぱり曹丕になるんだろうか!

 あれ? じゃあ男? いやでもこの世界だとほぼが女性だったわけで、つまり……!

 娘! 娘かぁ! じゃああれだな! 話が早すぎるけど結婚相手に“貴様なんぞに娘はやらんぞぉおお!”とか言って、せめて俺より強い男でなければって話になって、拳の殴り合いを……!(*相手が死にます)

 いや、でも、男だった時の夢のキャッチボールがだな……!

 

「………」

「……ん? 華琳?」

 

 幸せいっぱい夢いっぱいの未来への期待に笑う俺とはべつに、華琳は少し顔に不安を混ぜた珍しい表情をしていた。

 ……って、そりゃそっか、男顔負けの王としての勤めを果たしてきて、ここにきて女性としての巨大な壁だ。

 不安がないわけがないし、そもそも初めてのことなんだ。

 

「……! ……こほんっ」

 

 俺の視線に気づいたのか、すぐに不安を押し込めて赤くなる華琳。

 わざとらしい咳払いをひとつ、抱き上げられたまま俺を見ると訊ねてきた。

 

「ねぇ一刀。あなたは今、うれ───」

「嬉しい!」

「……ああ、そう、即答なのね……」

 

 溜め息を吐きいた彼女は「わかりきっていたことじゃないの、曹孟徳……」と自分に向けて言うと、それからフッと笑った。

 

「いいわ、だったら迷うこともなにもない。子の名は丕。字は子桓とするわ」

「えっ……お、俺の意見はっ!?」

「あら。“なにか間違っている”のかしら?」

「……───~っ……はぁあ。……いいんだな? それで」

 

 ちらりと桂花を見つつ言うと、汚らわしいものを見る目で見ら「こっち見るんじゃないわよ汚らわしい!」……言われた。

 桂花が居るところで言うべき言葉じゃないんじゃないかって意味だったんだが。

 

「べつに私が思ってつけた名前だもの、天の“しるべ”に従っているつもりなんて全くないわ。“歴史”についていくつもりはない。歴史が勝手について来ればいい」

「それが、今の覇道?」

「欲しいものを掴み切らなければ、覇道の果てへは辿り着けないわよ。私はまだまだ、てんで満足していないもの。言ったでしょう? “全てを興じてこそ王”。苦痛だろうとなんだろうと楽しんでしまえば怖くはないわよ」

 

 誰に何を訊いているつもりなの、とばかりに笑う華琳。

 少し斜め上から見下ろすように人を見る視線は、相変わらずというかなんというか。

 

「そうよ! 大体あなた、覇王たる華琳さまに向かってなんてことを訊いているのよ!」

「覇道のなんたるかをご教授願おうと思った所存にございます」

「ふんっ!」

「いってぇっ!?」

 

 桂花の蹴りで全弁慶が泣いた。

 桂花とギャーギャー騒ぎながら華琳を下ろし、延長戦のように言い合いを続ける。

 華琳が溜め息を吐きつつやめなさいと言うまで続いたそれは……なんというか、もう日常の一部と化しているのだろう。

 

  ───みんなが各国を、能力がまだまだ若い人たちに任せてどれくらいか。

 

 都にはかつて回った国の将のほとんどが集まっており、都も大分大きくなった。

 都にも小さな学校……いや、この場合は塾か。が建てられて、桂花はそこで毎日教鞭を振るっている。

 空手道場まがいなものまで建てられて、そこでは凪が体術を。

 医療術方面は、その道場で氣の強さに恵まれても武力に恵まれない子がそちらへ移り、思春や祭さんや明命が氣での治療についてを軽く教えている。

 最初は華佗にと思ったそれも、五斗米道が一子相伝のために教えるわけにはいかず、それじゃあってかたちで俺も教えることに。

 大きくなったら自分で狩りが出来るようにと、弓術道場やら槍術道場まで作られて、英雄たちの下で習えるってことで、目を輝かせて門を叩く子供たちはあとを絶たない。

 問題なのはお金……とくるだろうが、習うだけなら無料で十分、いつか国に返してくれればと、出世払いを期待したものだ。子供の頃から国の仕事に触れることで、国のためにって意識を強めさせるという……まあ、ちょっとずるいかなーと思う方法でもある。

 

「せいっ!」

「やー!」

「とー!」

 

 道場には定期的に訪れて、子供たちにも挨拶をする。

 なにかやってみせてーとせがまれて……というか、そもそも俺に何が出来るかが疑問だったらしい少年少女が、道場に訪れた俺に“なにか”を求めたある日。

 せがまれるままに氣を黒檀木刀に込めると、金色に輝く木刀に感動。

 ワーワーキャキャーと喜ばれ、調子に乗って剣閃を放ったあたりから、氣を覚えたいという子供は増えた。氣といえば凪。まずは体術道場に通って、それから武器を決めようと話し合う、少し背伸びをした子供を見た時は……なんというか苦笑しながらも応援してしまった。

 

「………」

 

 変わってゆく国の中に居る。

 喜ばしいこともあれば、悲しいこともあって……そのたびになんとかしようと走るのに、世の中ってのは悲しいことばかりが上手く解決してくれない。

 理不尽を無くすために駆けては理不尽を生んでしまう瞬間が悔しくて、それでも……笑える時は素直に笑いながら、今も今日を生きている。

 

「っ……はぁっ! 祭さんっ、もう一本!」

「おうっ! こい北郷!」

 

 子供が出来たと聞いてから、鍛錬も余計に力が入った。

 守りたいものが増えたのだ、当然だ。

 気脈も随分と太くなって、多少の無茶もなんのその。

 真桜が作った空飛ぶ絡繰の試作、“御遣いくん”を使って……というかこれの名前の由来って、俺が鍛錬の度に空飛ばされてるからなのか真桜。おい、目を逸らすな、目を。

 ……ああともかく、これを使って空を飛んでみても、氣自体には問題がないくらいに飛べた。氣自体には。

 飛べたことも事実だが、俺がキリモミで空を舞って、氣を緩めたら大地に落下しただけだった。キリモミで大地に落下した瞬間、火山の大地を泳ぐ某ハンティングアクションの竜を思い出したのは別の話。大地に潜るどころか転がり滑って酷い目にあった。

 真桜さん、装着した本人が回転しないように工夫しようね……ほんとに。

 落下しても、大地を泳げたらこんなことにはならなかったんだろうと思うと、ズキズキと痛む体をとりあえずは労わりたいアイディアばかりが浮かぶ。

 たとえそれが無茶なことでも。

 

「水泳教室を開こう。教室名は───アグナコトラーズ!」

「いや隊長、なに言うとるん……?」

 

 日常の中の息抜きも相変わらずで、みんなが定めた休日には全員で大盛り上がり。

 その日までにあったことを、とっくに報告しているにも係わらず笑いながら話し合って、楽しくて、嬉しくて。

 

「むむむむぅううむむ娘に料理を教えるのもっ……しゅしゅしゅ主夫の務めっていうか! 素直に言おう! 娘に料理を教えて、娘の手料理を食べてみたい!」

「はーぁ……? 一刀は娘に対して、随分と夢抱いとるんやなぁ……ウチとの子ぉが出来ても、同じこと思てくれる?」

「当たり前。というわけで霞! 料理の練習をしよう!」

「えー? ウチ食べる専門で───」

「母親が娘に料理を教える光景を、後ろから眺めてうんうん頷くのも男の喜びなんだ! それは華琳が実現させてくれるかもだけど、霞だって子供に伝えたいこととか出来るかもしれないだろっ! あの時習っておけば……じゃなくて今やろうさあやろう!」

「……一刀、えらい興奮しとるなぁ。てかなぁ一刀? 娘と決まったわけやないやろ?」

「いーや娘だ! つか娘でも息子でもいいんだ! どちらにしても教えてやりたいことがいっぱいあるんだ! この世界はすごいんだぞって! みんなが頑張ったから今があるんだって、早く教えてやりたいんだ! あぁあ~っ、早く産まれないかなぁ!」

「っはは、そら気が早いわ……けど、それえーなぁ! ウチも今から楽しみになってきた!」

「ああっ! そうだよな、そうだよなぁ!」

「……けど一刀はもうちょい落ち着こうな」

「えっ……だめか?」

「だめや」

 

 きっぱり言われても笑顔が溢れる。

 嬉しくてたまらない日は何日も何ヶ月も続いて……そして。

 

「あ、あああ……ん、ぬぐぐ……」

「た、隊長、落ち着いてください!」

「凪かて落ち着かんと、目がぐるぐるなっとるやん」

「ででででもー! でも華琳さまがー! 落ち着けるわけがないのー!」

「かかか華琳さま! 華琳さまー!!」

「落ち着け姉者……こういう時は手に華琳様と書いてだな……」

「秋蘭さま!? 目が渦巻き状になっていますよ!?」

「流琉だってこんなところにまで菜箸持ってきてどうするつもりなのさー! ……ににに兄ちゃぁあん! 華琳さま大丈夫かな! 大丈夫かなぁ!」

「おおっ……いつかはこんな日がくるとは思っていましたがー……一大事ですねー」

「あ、あぁああ……! この扉の向こうでは華琳さまが子を産むために頑張っておいでで……はっ!? 産むということはつまり、一糸纏わぬ姿に近い格好を……う、うぶっ! ぶーっ!!」

「あぁほら稟ちゃん、とんとん」

「ふがふが……!」

「あなたたち! 静かにしなさいよ! こうしている間にも華琳さまは頑張っておいでで……ああっ! なんで私は産婆としての行動を学ばなかったの!? そうすればこんな時でも華琳さまのお傍についていられたのに!」

「や、桂花も大概やかましいやん」

「うるさいわね! うだうだ言っている暇があるなら、その胸のさらしでもほどいて華琳さまの痛みを包み込む準備でもしていなさいよ!」

「傷が無いのに巻いたってしゃあないやろ」

「うぅうう歌とか歌って応援したほうがいいのかな……! それともこういう時って安静にするべきなの!? あぁあもうちぃはこういうの苦手なのよー!」

「大丈夫だよちーちゃん、こういう時は心の中で歌を歌うの。まずは自分が落ち着くために、歌い慣れた歌を何度も何度も。そうすると目の前のことなんて忘れて楽しい気分にえへへへへへへ」

「天和姉さんっ! 落ち着いてないっ! 全然落ち着いてないっ! ちぃ姉さんも、確かにまずは自分が落ち着かないと……」

「落ち着くってなに!? 落ち着くって何処! こんな状況で落ち着けるわけないでしょー!? ああもう歌うわ! ちぃ歌うから! 一刀、ちょっと付き合いなさい!」

「よしきた!」

「あかん隊長! そこはきたらあかん!!」

 

 出産の日……俺はとある世界のとある王の気持ちを知った。

 パパスってしっかりパパだったんだねと本気で思った。

 ああ落ち着かない! 早く産まれてくれ!

 なんていうことを、華琳の部屋の前をうろうろしつつ思っていた。

 う、産湯の用意、オッケー。タオルの用意、オッケー。

 ふっ、ふふふっ、たたた足りないものがあるならこい! 出来れば来ないで!

 しかしこの北郷、逃げも隠れもせぬわ!

 ふははははは! そう、たとえこの北郷が倒れたとしても、俺など四天王の中でも最弱……! 俺が力尽きても凪、沙和、真桜がまだ残っているのだからな……!

 ……ギャアアアアア落ち着かねぇえええっ!! 冗談みたいなこと言ってもてんで紛らわせねぇえええっ!! ───はうっ!? 口調口調! 乱暴な言葉遣いが子供に移ったら大変だもんな、落ち着け落ち着け……だから落ち着けないんだって!

 

「はうあそうだ子守唄だ! おおぉおおお親たる者、子守唄のひとつも歌えないでどうする! こ、子守っ……ああっ! 知らない! 子守唄なんて知らないぞ俺ぇええっ!」

「ぉおおーぉおお落ち着いてください隊長!」

「や、だから凪ー? 隊長ー? さっきからなんべん同じことやっとんねん」

「おおお落ち着くの! こういう時は掌に……ななななんて書くんだっけぇ真桜ちゃぁあああん!!」

「沙和、華琳さまだ。華琳さまと書いて、慈しみをもって舐めあげてさしあげれば……」

「だから秋蘭さま! 目が渦巻き状ですってば! きぃいいききき季衣もなにか言ってあげてよ! ていうか子供ってなに食べるのかな! ぼぼぼ母乳!? 母乳の作りかたってどうだっけーっ!!」

「うわぁ春蘭さまぁ! 流琉の目までぐるぐるになっちゃいましたぁあっ!!」

「あぁああ華琳さまー! 華琳さまぁあああーっ!!」

「うわぁーっ! 春蘭さまはもっとぐるぐるだったーっ!! 兄ちゃぁあん! なんとかみんなを落ち着かせてよー!」

「ねねねねネンネンコローリャアアーッ! コローリヤァーッ!! あっ……ぁああ! ぁあああーっ!!」

「兄ちゃんそれなに!? それが天の子守唄なの!?」

「うぅん……子守唄よりも、気を落ち着かせる歌を考えたほうがいい気もしますがねー……皆さんそれどころではありませんねー。ではお兄さん、風からひとつ助言があるのですよ」

「じょっ……助、言……? 噴水のように噴いていた稟の鼻血を輸血に使う案ならもちろん却下の方向で」

「お兄さん、産湯が血まみれです」

「へっ? ……うぉわぁあああっ!? どどどどうしよう! どうしよう!! いやすぐに沸かせば大丈夫! 凪は薪の準備! 沙和は桶を洗って! 真桜は俺と子守唄を考えて!」

「隊長まで目ぇ回っとる! わかりきっとったことやけど!」

「だだだだだってさぁ!」

「だーっ! えーから黙って待っとけゆーんがなんでわからんねん!!」

「ハッ!? ……そうだ……そうだよな。真桜の言うとおりだな。だから───子守唄を考えよう!」

「あかーん! この隊長ちぃともわかっとらんわぁーっ!!」

「歌のことならお姉ちゃんにお任せっ、さあちーちゃん、歌を考えてっ」

「全然お任せじゃないんだけど!? でもちぃを選ぶところはさすがは天和姉さん! ようは子供が寝ればいいんだから、こう、妖術を使うように眠れ眠れと暗示をかけて───!」

「ネンネンコローリャァアーッ!!」

「それだわ一刀!」

「どれやぁっ!! んーなんで眠れるわけないやろ!! ……ってうぅわっ! 目ぇ回っとる! むっちゃ目ぇ回っとる!」

「ちぃは回ってなんかないわよっ! 回ってるのは世界のほうよ!」

「思いっきり回っとるんやん……」

 

 落ち着く落ち着かないは別として……ひどく長く感じたその一日は、ある瞬間を境にあっという間に過ぎ去った。

 産まれたのだ、小さな命が。

 俺、あれだけ騒いでいたのに呆然としちゃって……産声聞いたら、呆然としたままぽろぽろ涙こぼして泣いてた。

 涙の意味もわからないまま、ぽんって真桜に背中押されて……部屋に飛び込んで、赤ちゃんの顔を見て……疲れきっている華琳の頭を、いつかのお礼と今までのお礼と、今の感謝の全てを込めて胸に抱き、泣きながらありがとうを繰り返した。

 

「……っ……はぁ……馬鹿ね……。感謝を届ける相手が……違うでしょう……?」

「間違ってるもんか……! 華琳……ありがとう……! あの時拾ってくれて……今も一緒に居てくれて……! そして───」

 

 そして。

 

「産まれてきてくれて、ありがとう……“曹丕”」

 

 親としてはそのまま丕って呼ぶべきかも、なんて考える余裕がその時は無くて。

 ただ産まれて来てくれたことにありがとうを届けた。

 赤子は……返事なんてもちろん出来なくて、泣いていた。

 やさしく抱いて産湯で体を洗ってあげて。

 そんなひとつひとつの作業が、自分に小さな生命を抱くことの重さを教えてくれる。

 ……その。

 華琳が言うには……その時の俺の顔は、間違いなく親の顔だったんだそうだ。

 あとで聞いて、しこたま恥ずかしかったのを覚えてる。

 ただ……同時に、とても誇らしかった。



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107:IF2/この世界へようこそ②

 天才が産まれるとわかっているからつまらない、なんてことはなかった。

 

(丕……子桓が大きくなったら、なにをやらせてみようか……。たしか歴史上だと随分若い頃から文関連に強くて、戦についても結構なもの、だったよな)

 

 自室の椅子に座り、机に肘を立てつつ携帯電話をいじくる。

 べつに歴史上の曹子桓と重ねる必要なんてなく、俺はあくまで親として彼女に接するつもりだ。あー、まあその、うん。女の子だった。予想通りって言えばいいのかな。

 現在は毎日ビワーと泣き出しては、華琳を困らせている。

 乳母でも迎えようかって話になったんだが、華琳は子育てすら興じるつもりらしく……あっさりそれを却下した。

 

「うー……私も出産に立ち会いたかったよぅ」

「そればかりは仕方ないだろう? 華琳が魏だけでいいと言ったのだから」

「むぅっ。蓮華ちゃんだって立ち会いたかったって言ってたくせにー」

「う……」

 

 問題が起こるたびに問題解決に走り、ひとつひとつの問題を潰していくたびに、国が安定に向かってのんびりと進んでいる現在。俺はといえば……携帯電話をいじくり、“成長する子桓となにをするかリスト”をニヤケ顔で打ち込んでいたりした。

 自身の仕事と子育てに追われる華琳とは別に、桃香と蓮華は暇を見つけてはちょくちょくと俺の部屋へ来る。そのちょくちょくな現在、訪ねてきている人の前で携帯電話をいじくる失礼な御遣いがここにおる。

 いや、わかってるんだ。わかってるんだけど、待ち受けに登録している娘の顔を見るといろいろと止まらない衝動がございまして。

 あ、ああ、もちろん俺以外がこのリストを見たところでなんと書いてあるかもわからないのだから、安心して打ち込める。横から見られたって多少の気まずさ恥ずかしさは浮かぶものの、そのまま打ち込める。ありがとう日本語。

 

「お兄さん……わっとと、ご主人様はさっきからなにをやってるの?」

 

 と、そんなニヤケ顔な俺に、桃香が語りかけてくる。

 ぎくりと体が震えそうになるのをなんとか堪え、にっこり笑いながら「子供のために出来ることをいろいろ考えてるんだ」と返した。間違いではないものの、言ってしまえば俺がしたいことと子桓が喜んでくれることとは別だ。実の祖父相手にぼっこぼこにされた自分の、実感が篭った“家族の感覚”。免許皆伝云々の時もそうだったが、そうなのだ。相手がやりたいことと自分がしてほしいことは別じゃなきゃいけない。同じだったら嬉しい限りだが、現実はそうじゃないことが大体だ。

 なので、きちんと子桓の成長を見つめながら対応する必要がある。

 勝手に押し付けすぎないよう、離れすぎないよう、親として───!

 

「……んふぅ~ふふへへへへぇえええ~……」

「……こほんっ! ……一刀。顔がだらしないぞ」

「ホワウッ!?」

 

 でも子供の寝顔を待ち受けにしている時点でいろいろとアレなのかもしれない。

 蓮華に咳払いとともにツッコまれ、奇妙な声をあげつつ早速反省。

 親って難しいなぁ。や、まあ、こういうのはニヤケられる内にニヤケたモン勝ちだ。子供の可愛さにニヤケていられるのなんて、子供があどけない内だもの。

 加えて、さっきの“歴史上の曹子桓と重ねる必要性”の話を交ぜ返すことになるものの、幼い内から頭の回転が速かったとされる曹子桓だ。ニヤケていられるのなんてほんの短い期間だけだろう。

 だったら今ニヤケないでいつニヤケますか。

 

「ていうか桃香。やっぱりそのご主人様っていうの、なんとかならない?」

「ふえっ? だ、だめかな。じゃあそのー……だ、旦那様?」

「桃香との関係や呼び方云々で俺と焔耶が揉めたの、もう忘れた?」

「ああうん、あれは凄かったねー」

「笑顔でさらっと言われる凄さじゃないだろあれ……」

 

 各国の王と心を確かめ合って、結ばれる夜の少し前、焔耶に呼び出されて喧嘩をした。

 武器は使わずに殴り合いだ。

 女を殴るつもりはないなんて、相手の本気を無視した言葉なんぞ完全に捨てた泥臭い喧嘩。殴り殴られ、鼻血も出したし涙だって出たが……結果はまあひどいものだった。

 誰が勝ちだなんてそういう目的もなかった喧嘩は動けなくなるまで続き、お互いぼろぼろになりつつ桔梗に頭を撫でられ紫苑に説教され、お互いに顔を見合わせて、ひっどい顔のままに笑ってお互いの胸をノックした。いや待て違う、焔耶が俺の胸をノックしただけであって、俺は焔耶の胸にはしていない。誓ってしていない。

 どうやら幸せにしろという覚悟の確認と意思表示だったらしく、俺は痛む顔を無理矢理笑わせて、思い切り頷いた。顔の痛さで簡単にしかめてしまうような笑顔だったが、それでも「お前らしい」と笑ってくれた焔耶には感謝したい。女性を巡って殴る相手が女性だとは、まあ思いもよらなかったが。

 

「でもでも、隣に立ってくれるならやっぱりそうなるんじゃないかなぁ。お兄さんはなんていうかそのー……一緒に居てほしい人だし、やっぱり特別だし、居てくれて嬉しい人だし」

 

 胸の上で指を組んで、にっこりというよりは……どこか“うっとり”的な笑顔な桃香さん。居てくれてよかったは俺も同じなんだが、あまり人前でそういうのはやめてください。なんかさっきから蓮華さんの目が怖い。

 

「ん、んんっ。……一刀」

「ハイナンデショウ蓮華サン」

 

 目を伏せてのわざとらしい咳払いののち、改めて俺を見る蓮華。こちらもしっかりと蓮華の目を見て返すと、少し声が棒になるのを感じつつもちゃんと返す。

 

「私もなにか特別な呼び方をしたほうがいいだろうか」

 

 ちゃんと返した結果がこれだった。

 

「あ、それいいかもっ。蜀のほうも私がご主人様~って言い出したら、みんなもそう呼び始めたし」

「へぇっ!? ちょっ……初耳なんですけど!? それってもうやめてくれって言ったって聞いてくれないんじゃないか!?」

「朱里ちゃんとか雛里ちゃんは、むしろ喜んで呼んでる気がするよ?」

「彼女らのなにがそうさせるんだ……」

 

 机に肘を立てたまま頭を抱え、オオウと唸る俺が誕生。

 ……こんな悩む姿が彼女らにそうさせるのでしょうか。ああわからない、悩んでいる人の姿を“かわいい”と言える軍師らの気持ちがわからないぃいい……!!

 

「でも、うーん。蓮華ちゃんに似合うご主人様の呼び方かー……」

「や、だからご主人様はやめてって……」

「お兄さんからの要望とかってあるのかな」

「無視か!? それともそれは桃香自身の話なのか!? ……あ、ああいいや、とりあえず保留は保留で。でだけど。呼ばれ方についてはー……素直に“相手に対してなんてこと訊いてんだ”って返す」

「えぇっ!? だ、だってお兄さん自身の話なら、お兄さんに訊いたほうが早いって思って」

「じゃあ桃香。桃香はなんて呼ばれたい? “桃香”って真名以外で」

「えうっ!? え、え……え───えーと」

 

 目をつつっと逸らし、天井を見て、やがて俯き、目を糸目にして「う゛ー」と唸り始める蜀王さま。

 

「じゃあ仕返しでご主人様?」

「ひゃえっ!? やっ、そ、それは嫌かなぁ~……!」

「劉ちゃん?」

「いやです」

「(なんで敬語で即答……?)備さん」

「なんで名だけ“さん”付けなの!?」

「玄徳先生」

「お兄さん、もしかして遊んでる?」

「いや、これでも真面目に考えてる。じゃあ……」

 

 劉、備、玄徳……うーん……劉さんは、“ちゃん”の流れでダメだろうし、なら……ハッ!?

 

「ゲンさん!」

「………」

「待った桃香、笑顔で拳を持ち上げるのはキミには似合わない」

 

 玄徳からとったゲンさんは地雷であった。

 ならどれならいいのか。

 大体この時代っていろいろややこしいんだよな。

 名で呼ぶのは失礼とか言って字を作ったくせに、親しくもない輩が字で呼べば失礼だとか言い出す。

 じゃあ姓で呼べばいいのかっていったら、劉さんなんて居すぎるくらいだし。

 いやしかし待て。なら劉王とか呼べばいいのか? 蜀王だと畏まっちゃいそうだし。

 劉王……りゅうおう?

 

「九頭竜師匠(せんせい)って呼んでいい?」

「なんでそうなったの!?」

 

 この世界にはいろいろな謎があるのです。

 

「気安い呼び名って難しいな。じゃああれだ。“備えもん”とかはどうだろう」

 

 こう、ドラえもん的な。

 

「? なにか供えるの?」

「いや、どっちかっていうと電光石火」

 

 レイモンドとともに生きる供えもんでございます。誰だ。

 ……と、いろいろ提案してみたが、結局は“真名で呼んでくれなきゃ嫌だよ”とまで言われてしまった。

 蓮華はそんな彼女の正面で、椅子に深く背もたれしてふうと息を吐いた。やれやれって顔だ。胸の下で腕を組みながらの苦笑がすっかり慣れてしまった彼女は、そんな顔のままにちらりと俺を見てくる。

 

「一刀は呼ばれたい名前かなにかでも、あるの?」

 

 訊ねる口調は女性のソレ。

 王としてではなく女性として訊いているそれに、俺も肩の力を抜いて対応する。

 

「蓮華は是非そのままで。桃香にも出来れば一刀って呼んでもらえたらって」

「それはだめ」

 

 笑顔で即答でした。

 桃香って普段はぽやぽやしているのに、自分が曲げたくないことではとことん頑なだから困る。頑なで固いから頑固か。言葉を考えた人は実に見事だ。

 

「特別な人は特別な呼び方で、だよ。私の中でお兄さんはお兄さんだけど、傍に居たいのはご主人様だから」

「あ、すいません、意味がわからないですハイ……」

「一刀にとっての華琳と同じだろう。かつての一刀にとっての、ついていきたい相手は曹孟徳だったかもしれないが、傍に居たいのは華琳。違うか?」

「……あ」

 

 なるほど、そういうことか。

 ……ああ、こういう時ってちょっと自分が嫌になる。

 もっとよく考えてから返答するべきだったなぁと。

 

「だから私にとってはお兄さんはご主人様なんだよ」

「でもちょっと待とうか桃香。特別なのにさ、名前じゃなくてご主人様って呼ぶのってどうなんだ?」

「あ、あれー……? こんな流れだと、お兄さんが笑顔でしょーがないなーとか言ってくれるんじゃ……」

「どんな流れだよ。じゃあ仮に、蓮華が適当につけた呼び方を俺が気に入ったとして、ずっと桃香をそう呼んだらそれはどうなんだ?」

「蓮華ちゃんが?」

 

 と、ちらりと蓮華を一瞥。すぐにぱあっと笑顔になり、「いいと思うよっ」と。

 

「はいここで蓮華さん」

「能天気桃色娘」

「よろしく能天気桃色娘さん」

「それはいやだよっ!?」

 

 そして早速のダメ出しが。

 むしろ蓮華がノリノリで名づけたことに驚きだ。

 ……普段からそう思ってるとか、そんなんじゃないよな?

 

「う、うー! お兄さんは!? お兄さんはその呼び方を気に入ったの!? 気に入ったら呼ぶって話だったよねっ!?」

 

 ねっ!? と念を押してくる桃香さん。

 胸の前できゅっと組まれた両手は、まるで神にでも祈る人のように強く強く組まれている……と、パッと見でもわかるくらいだ。そんなに嫌なのか、能天気桃色娘。

 

「ぬ、ぬう……! ここで俺が気に入ったって言ったら、桃香の呼び方が決定されるわけか……! ……ごくり」

「ごくりじゃなくてっ! お、お兄さぁ~ん……!」

「一刀」

「いや、悪かった、冗談だから。気に入ったりしないから安心してくれ。ていうか、蓮華に振ったあたりで“悪ふざけはそれくらいにしろ”くらい言われるかと思ってた」

「蓮華ちゃん……」

「ど、どうしてそこで私を恨みがましく見る! あ、いや、私が悪い話の乗り方をしたからか。すまない」

 

 ばつが悪そうに、目を伏せて謝る蓮華。

 それをあっさりと笑顔で許す桃香は相変わらずだが、それにしても蓮華が悪ノリねぇ……大方、祭さんか雪蓮あたりに妙なこと吹き込まれたんだろう。頭が固いから少しは悪ふざけかなんかでもしてみろ、みたいに。

 で、生真面目にそれを実行してみて、余計におかしな結果になったじゃないか……! などと後悔しているところだろう。なんか俯きながら頭抱えてるし。

 

「で、呼び方云々だけど。やっぱり一刀って、名前で呼んでくれないか?」

「えー? でも、お兄さんはお兄さんだよ?」

「じゃあもう俺も能天気桃色娘で」

「えぅうっ、それはやめてほしいっ……! じゃ、じゃあそのっ……うう、か、か……」

 

 か、と何度も呟きつつ、胸の前でついついと人差し指同士をつつき合わせる桃香さん。

 ……ハテ、この反応は……おお、わかる、わかりますぞ、この北郷めにも。女性というものを考え続けて早どれほどか、恋心は未だに難しいままだが、何気ない仕草から想像出来る答えは確実に増えている。

 

「……もしかしてさ、桃香。俺の名前を呼ぶの、恥ずかしいだけ?」

「はうっ」

「……一刀。そういうものは本人が言うべきではないだろう……」

「俺……誰々が言うべきではないとか、それはあいつが悩んで答えを見つけなきゃいけないことだとかって言葉、正直ちょっと嫌いでさ……」

 

 特に後者には散々苦しめられている北郷です。

 別に答えが見つかるのが早いか遅いかの問題なんだから、教えてくれてもいいと思うんだ。そりゃ、自分で気づいたお陰で身に染みた答えも随分あるけどさ。早くに教えてもらって、そこから染み込ませていくことだって出来ると思うんだよ。

 

「でもさ、あ……呼び方の話に戻るけど、ご主人様っていうのはこう……個人を指していない気がしてちょっと苦手意識があるんだよ。お兄さんっていうのも妙に他人行儀な気がするし。だから出来れば一刀って呼んでほしかったんだ」

「他人行儀か。確かに兄でもなければ主人でもないな」

「ううっ……」

「というわけではい、一刀と」

「……あぅ。呼び捨てじゃなきゃだめ……なのかなぁ」

「だめだなぁ」

「だめだ」

「蓮華ちゃんまで!? あ、う、うー……じゃあいいもん、言っちゃうもん。べつにお兄さんって呼び続けてたから、今さら呼び直す機会がなかったとかそういうのじゃないんだから、きちんと呼べるんだからね?」

 

 めちゃくちゃ語るに落ちていた。

 呼び直しがしたかったなら、ご主人様って呼ぶタイミングで直せばよかったのに、どうして───って、それこそタイミングか。

 

「それじゃあ……か、かずっ…………うう、一刀っ! …………さんんっ……! ~……!!」

「赤っ!? 桃香!? 桃香ーっ!」

 

 勢いよく一刀と叫んだものの、自分の声に驚いて、さらには真っ赤になりつつ“さん”を付け足してしぼんでいく蜀王さまの図。

 しかも俯かせていた顔を持ち上げると、すぐにわたわたしながら“一刀……さん”発言を撤回して、「やっぱりだめ! ご主人様はご主人様だもん! 私がそう呼ぶのはお兄さんだけで、これだってちゃんとした特別なんだからいいの! これでいいんだよー!」と断固として譲らなかった。

 

「あぁ……これはもうだめかぁ……」

「あなたの負けね、一刀。こうなった桃香は、もう何を言っても曲げないのだから」

「蓮華、口調」

「ふぐっ!? ……ん、んんっ! ……お前の負けだな、一刀。こうなった桃香は……わ、笑うなっ!」

 

 律儀に口調を硬くして言い直す蓮華を前に、笑ってしまう。

 けど、こうして俺や呉の将以外の前でも気安い口調が出るのは、彼女が以前よりも他の人たちに気を許している証拠なのだろう。同盟を組んだとはいえかつての敵。しかも王を前にしての話でも、蓮華が笑顔を見せる回数が目に見えて増えてきている。

 そんなところをつつくと意固地になりそうだと考えもするものの、蓮華には自覚も必要だというのも理解出来るので容赦無くツッコミを入れる。もちろんバカにする風ではなく、そうなってくれて嬉しいって気持ちと笑顔を乗せて。

 

「まったく、あなたという人は……!」

 

 顔を赤くしながらも、口調では怒ってもどうしようもなく漏れるのは笑顔だ。

 そんな表情に俺もやっぱり笑い返して、穏やかな時間を───

 

「ん……ん、んんっ!?」

 

 ───過ごす、筈だったのだが。

 突然蓮華の様子が変わり、口を両手で押さえて椅子に座らせていた体をさらに折った。

 

「蓮華!?」

「え───あ、蓮華ちゃん!? どうしたの!?」

 

 明らかにおかしいとわかる様子に乱暴に立ち上がり、机を飛び越えて蓮華のもとへ。

 対面して座っていた桃香も机を回り込んで横につき、苦しそうにしている蓮華の背中をさすった。

 俺もそれに続き、苦しそうにしている彼女を寝台までゆっくりと連れてゆき、そっと座らせる。横になることを奨めたが、彼女は苦しそうな顔のままに首を横に振った。

 

(なんだこれ……吐き気? ついさっきまで平気そうな顔をしてたのに……?)

 

 わからない。いったいなにが───? と考えていたのだが、一つだけ心当たりが。

 

「………」

「ご主人様っ、早く華佗さんを呼ばないと!」

「ちょっと待って、桃香」

「え───で、でもっ!」

 

 蓮華の手を両手でやさしく包み、目を閉じて意識を集中。

 自分の氣で蓮華を包み込み、それらを変換しながら彼女の中の氣を探る。

 すると……彼女の中に混じって、ひとつ……とても小さいけれど、確かに彼女のものとは違う氣がひとつ。

 それは、つまり───

 

「でっ───」

 

 疑問が理解に変わった刹那、この腕とこの口は勝手に動きそうになり、理性でそれを強引に止める。落ち着け俺! 気持ち悪がってる人にそれはまずい!

 

(出すぎだぞ! 自重せい!)

(も、孟徳さん! どうせならもっと早くお願い!)

 

 孟徳さんにも止められた。

 華琳の時と同じく抱き締めてしまいそうになったのだ。

 つまりはそう、そういうこと。

 彼女の……蓮華の中に、新しい生命が。

 

「え、あ、あれ……? 蓮華ちゃん……? どうして辛そうなのに笑ってるの……? え? えっ!? 蓮華ちゃん!?」

 

 見れば、蓮華も自分で気づいたのだろう。

 目に涙まで浮かべて、辛そうなのに笑んでいた。

 辛そうなのに愛おしそうに腹部を撫でて、目に涙を浮かべたままに俺を見て……

 

「……ふふっ……これで、どれくらい国に貢献できたのかしら」

「男の俺からじゃ考えられないくらいに。……ははっ、約束は、俺の負けかな」

 

 笑い合って、いつかのように手と拳をパンッと叩き合わせた。

 直後にくたりと力を抜いて倒れそうになった蓮華を抱きとめ、彼女の頭を胸に抱いたまま、その頭を撫でた。やさしく、ゆっくりと。口から自然にこぼれた「ありがとう」は、自分で言っておいて実感へと変わり……その意味に気づいた桃香が顔を真っ赤にして慌てて華佗を呼びに行った。慌てすぎて扉に激突したことは、ツッコんじゃいけないのだろう。

 

……。

 

 賑やかなる平和な日々が続く。

 蓮華の懐妊に続くように呉の将の間で懐妊騒ぎが起こり、都は連日パレード状態だ。

 穏、祭さん、明命、亞莎と続き、実はそれより先に思春まで。

 これにはもう雪蓮は大爆笑。「ほんとに父になるなんて、やっぱり種馬の噂は本当だったのねー♪ あっはははははは!」なんて大声で、それこそ大爆笑しながら冥琳に絡んでいた。冥琳も「まあ、今は各国も大分安定はしたし、国も若い衆に任せているから問題は……ない、か?」と苦笑をもらしていたものの、喜んではくれていた。ただやっぱり、いざという時に主要人物のほぼが妊娠状態なのはどうなのかと難しい顔をしていたが。

 

「ねーえー、めーりーん……私も子供が欲しいんだけど……出来たら名前は大喬なんてどう? で、冥琳の子供が小喬」

「孫大喬に周小喬……か? それはせめて姉妹に名づけてやるべきだろう」

「ああ違う違う、真名よ真名。きっといい仲になると思うのよ、二人」

「産まれてもいない子供のことで、よくもまあそこまで断言出来る。それも勘か?」

「うん、そーゆーこと」

 

 にっこり笑いながら言う雪蓮は、本当に楽しそうだった。

 どうやら戦なんてするまでもなく、彼女の心は変化し続ける現状ってものが満たしてくれているようだ。今も魏からわざわざ来てくれたアニキさんの料理と酒に舌鼓を打ち、ご機嫌だ。

 しかしながらそんな連日の祭りの中でも、少し俯いてしまっている人物が。しゅんとしていて、「うー……」と時折呟いては、自分のお腹をさすっている。

 

「………」

「………」

 

 しゅんとしているというか、俺の服の袖を小さくつまみながら、ずぅっと俺の後ろをついてきている……まあその、蜀王様。

 

「あー……その。桃香サン? 別にさ、王の中で自分だけまだ、とかそういうのは気にする必要は……」

「で、でもでもっ、やっぱり少し……ううん、結構……」

「王としての責任とかを感じる……って?」

「………」

 

 顔を赤くして俺を見上げる桃香。

 そんなことを気にする必要はないんだって、せめて安心させなきゃと……頭を撫でるために持ち上げかけた手が、腕ごと行動を停止させられた。他ならぬ桃香によって。通路の途中でなにやってんだとか言われそうな陽の高い昼の頃、俺の腕は桃香に抱き締められ、行動を封じられた。

 

「……と、桃香? なにを───」

「ご主人様と私、相性が悪いのかな……」

「───」

 

 驚き、思わず強引に振り払いそうになった腕が、やっぱり今度こそ一切の行動を封じられた。そんなことを寂しそうに言われれば、男としてって以前に人として振り払えない。

 

「あ、あー……こほん。桃香? ああいうのはね、相性とかじゃなくて、そ、そのー……おぉおおしべとめしべが……ね?」

「~……」

「うう……」

 

 おろおろしながらの言葉は腕をきつく抱き締められる結果に終わった。

 下手な言葉はどうやら、蛇が下宿中の藪を突くことにしかならなそうだ。

 だったらと、空いている片方の手で桃香の頭を撫でて、なにも言わずに一緒に居た。

 気の済むまでこうしていよう……そう、心に決めて。

 

……。

 

 と、思っていたのだが。

 

「………」

「………」

 

 ……桃香がおかしい。

 なにやら異常に俺のあとをついてくる。

 

「よしっと。じゃあ纏めた書簡は持っていくな?」

「あっ、わ、私もいくよっ!」

「…………」

 

 仕事の時もずっと傍に居て、乾いた書簡を持っていこうと椅子から立ち上がると、散歩へ向かうと理解した犬のようにシュタッと立ち上がり、とととっと近づいてきて服を摘んできたり───

 

「っ……ふうっ! ダッシュ終了! ……桃香? 大丈夫か?」

「はふー! はふー!」

 

 鍛錬の時もダッシュに付き合ってまでついてきて、終わる頃には随分とお疲れで……なのに俺が移動を始めるとしっかと道着の端を摘んできて、ついてきたり───

 

「出でよ鳳凰! ……まあ、出るわけないんだけど。よし出来上がりっ!」

「へー! 天の料理は調理中の食材から鳳凰が出るんだー!」

「いや、出ないから」

 

 食事の時も調理している横でしっかり服を摘んで離れようとしない。なにがどうなっているのか……。

 

「……えーと、桃香? どこまでついてくる気?」

「え? えーと……ごっ……ご主人様はっ、そのっ、何処にいくつもりなのかなぁっ」

「……厠」

「へうっ!? あ、そ、そっか! じゃあえっとそのっ! わわわ私もっ!」

「いやいやいやいや落ち着け桃香! さすがにそれは待とう!?」

 

 あまつさえ厠にまでついてこようとする始末。いったい彼女の身になにが起きたのか。

 さすがにおかしいと、桃香にずずいと問い詰めてみれば、

 

「え? あ、えと……どうして子供が出来ないんだろって、たまたま会った小蓮ちゃんに訊いてみたの」

「待とう。人選明らかに間違ってる」

「えっ……でもでも、いっぺんにご主人様の子供を孕んだ、呉のシャオが言うんだからぜったいぜ~ったい間違いないよーって、小蓮ちゃんが」

「その言葉の時点で問題外っ! あ、ああぁあ……! いいや、それで……シャオはなんて?」

「う、うん……なんだか言うのが怖くなってきたけど……私とご主人様に子供が出来ないのは、私に女子力が足りないからだって」

「じょしりょく?」

 

 ……なんだろう、早速頭痛くなってきた。

 妙に耳年増なところがあるシャオのことだから、まーた房中術がどーのとか言い出すのかと思ってたのに、どうしてここで女子力? むしろこの時代でそんな言葉を聞くとは思わなかったよ。

 

「好きな人の傍に寄り添って、身も心も一つになりたいって思い続けることで、お腹に子供を作る準備をさせるんだーとか……そのぅ……」

 

 語る桃香は真っ赤っか。

 それでも服を離さないのは真っ赤になろうが信じているからなんですね桃香さん。

 でもごめん、それ絶対間違ってるし騙されてる。

 

「あ、あー……その……な? 桃香。女の子にはそのー……」

 

 こうして俺は、本気で悩んでいる桃香に、安全日だの危険日だのをうろ覚えのままに桃香に説明することになり……熱心に「それでっ!? それでっ!?」と続きを催促してくる彼女を前に、今度は俺が真っ赤になりながら、今もどこかで無邪気に笑っているであろうシャオに怨念を送った。

 

……。

 

 で……後日。

 

「で……なんでまた腕を組むんでしょうか、桃香さん」

「えへへー、華佗さんに訊いたら、好きな人と一緒に居ることは確かに効果があるって」

「……マジで?」

「うん、“まじ”で。“我が五斗米道は房中術においても死角なし!”っていろいろ教えてくれたよー? ……あっ!? べべべつに華佗さんとそういうことをしたわけじゃないくてねっ!? え、えとー……うん。ご主人様と腕を組んでるとすごく安心するから、これでいいの」

 

 服を摘む行動が腕を組むに超進化した。

 デジタルなモンスターになぞらえて、トウカモンとか呼んだ方がいいんだろうか。

 いや、この場合はリュウビモンのほうがそれっぽいか? ……ゲントクモンはないな。うんない。となると……やっぱり“ソナえもん”じゃないか。

 とまあそれはともかく、移動の度に腕を組まれるようになってしまった。

 しかもそれを見た各国の将らがそれを真似るようになってしまい、腕が落ち着く日々がほぼ無いという事態に。……これって贅沢な悩みだろうか。

 




半分にしたかったけど無理だったよ……。
内容ぶった切りになってしまう。


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108:IF2/いつだって父親はアレ①

161/父としての彼

 

 曹丕の誕生を喜んだ日も遠く、早くも自分の子供が6人も産まれた。

 それぞれ蓮華との子を孫登、穏との子供を陸延、明命との子供を周邵、祭さんとの子供を黄柄、亞莎との子供を呂琮、思春との子供を甘述と名づけ、自分の血を引く子供が7人に。

 連日喜びっぱなしの俺はあっちへ行ったりこっちへ行ったりで忙しい。

 みんな見たこともない穏やかな笑みで我が子を抱いて、そんな笑みを見てしまえば“頑張らなきゃ”って気持ちが溢れ出してじっとしていられない。

 衝動に突き動かされるままにがむしゃらに仕事して、時間が空けば子供の顔を見に行ってを繰り返し、とある日に「ホウぅ……」と息を吐いてみたら全身から力の全てが抜けて昏倒。華佗に頑張りすぎの烙印を押された上に華琳に絶対休息命令を出され、やる気は空回りしたまま東屋のベンチでぼーっと日々を過ごす俺が発見された。

 昼間っから公園のベンチで脱力したまま、空を見上げるお父さんを発見してしまったようだとは言わないでほしい。ちょっと状況が似ていてシャレになってない。

 

「主様主様、しっかりしてたも?」

「ふふ……空が青いなぁ、美羽……」

 

 青空の下なのに黄昏る俺の傍、大人なままの美羽が困った顔で励まそうとしてくれる。

 自分の容姿のこともあって、「うほほほほ? 産まれてきた子供らに大人の在り方というものを教えてくれようぞ?」とか怪しい顔で仰っていた。なんとなくそれって元の姿に戻るフラグなんじゃ……とか思ってしまっても仕方ないと思う。

 というか隠れて大人薬をちびちびと飲んでいるんじゃなかろうかこの子は。原液を飲むのはここまで危険なのか……覚えておこう。

 

「大人の在り方より、お姉ちゃんとしての在り方を教えてあげてくれな」

「むっ。主様がそう言うのなら、そうするのじゃ。姉、あねー……うみゅう……姉なぞおらなんだから、どういった振る舞いをしたらいいのかわからぬの……」

「姉って。一応ってカタチでは麗羽が───ごめんなんでもない」

「おおなるほどのっ! アレの真似をすればよいのじゃなっ!? おーっほっほっほげーっほごほげほっ!」

 

 高笑いした途端に咽た。

 そんな美羽に、お願いだからそれだけはやめてくださいと……ソッと背中を撫でてやりながら優しく呟いた。むしろ麗羽をアレ呼ばわりとか、この子も強くなったなぁとしみじみ思ってしまう。

 

「麗羽の真似はだめなのじゃ……! こんなことをしていたら喉を潰してしまうのじゃああ……!!」

 

 散々と咽た所為で涙目だった。

 大人の在り方を教えたかった人の末がこれなのだ……じいちゃん、世界は広いなぁ。

 

「麗羽には姉っぽいことされたりしたのか?」

「散々弄くられたのじゃ」

「じゃあ逆にやさしくしてやろうな」

「う、うみゅ……妾も誰かを弄くってみたいと思うのはだめかの……」

「やられたことをしてみたいって気持ちは……まあ、少しわかるんだけどな。もし自分がやられて嫌だったことを、他人にした時に“楽しい”って感じちゃったら、もう元の自分には戻れないと思うんだ。楽しいって思えたら後悔も出来ない。あいつはこんな楽しいことをしてたのかなんて考えたら、した相手さえ許す勢いで他人にひどいことをしていく。いつかそんなことを誰かに問い詰められて、美羽はその時なんて言うと思う?」

「………」

 

 すぅ、と息を吸って、美羽は目を閉じた。

 頭の中で自分の行動するをイメージしてみているんだろう。

 それはほんの少しで終わり、美羽は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。

 

「……麗羽の所為にしておったのじゃ。麗羽が妾にそうしたから妾もそうしたと」

「………」

 

 そんな顔をしてくれたことが嬉しくて、美羽の頭を撫でた。

 やっぱり、人って成長出来る。

 そんなことを目の前で見せてくれるこの世界の人たちは、俺の中での人間の可能性の塊ばっかりな人たちだ。この世界には“出来るわけがない”が少ない。それが、今は勇気にしかならないんだから面白い。

 

「美羽。自分がやられて嫌なことを他人には絶対するな、なんて言わない。でもな、自分がその人にしてしまったことに、原因になった人のことなんて関係ないんだ。恨むならあいつを恨めなんて言われたって、やったのが美羽なら美羽が恨まれて当然だ。だからな、美羽。どうせやったのが自分になるなら、やられた人が嬉しくなることをしてみるんだ」

「う、うむ。妾、主様が喜ぶことならいっぱいいっぱいしてあげたいのじゃ」

「……俺限定?」

「他の者にやっても妾を小ばかにする者ばかりであろ! やったところで無駄なことなどするだけ無駄なのじゃ!」

「………」

 

 ぽむぽむと頭の上で軽く手を弾ませてから、さらりと髪を撫でる。

 美羽はムゥウ……と頬を膨らませながら俺を見上げてくるが、しばらく撫でていると猫のように自分から頭や頬を押し付けてきた。

 

「美~羽。それは“今までの自分”が他の人にそうさせてるだけなんだ。今の自分が変わっていけば、変わった自分を見てくれる人だってきっと居る。居なかったら俺が見るよ。だから、少しずつでいいから……他人にもやさしく出来る自分になってみないか?」

「……うみゅううう……いくら主様の言葉とはいえ、少なくとも呉の連中には無理な話なのじゃ……。あ、あうっ……もちろん主様の期待には応えたいのじゃぞっ!? 妾っ、主様の信頼だけは裏切りたくないのじゃっ!」

「ん、わかってる。だから、今ここからなら一歩が踏み出せるんだ」

「……? どういう意味かの……?」

「うん。なぁ美羽? 変わる前の美羽に対して小ばかにする人が多いなら、変わる前の美羽を知らない誰かはほら、ありのままをそのまま見てくれるだろ?」

「?」

「だからさ。いい“お姉さん”であってくれな、美羽」

「───! お……おおおお! なるほどの! 子供は以前の妾を知らぬと、そういうことなのじゃな!? うほほっ、主様も案外腹黒いお方よの……!」

「人聞きの悪いこと言わないっ!」

「隠さずともよいであろっ? よいであろぉっ? ……ふふっ、うははははーっ! そういうことなら妾にどーんと任せてたもっ!? 産まれたばかりの子供に、妾の凄さをどどんと思い知らせてくれるのじゃーっ!」

「………」

 

 どうやったらやさしく届けた助言がこうまでねじれるのか。

 俺はこの時……袁家の血の凄まじさを静かに感じながら、笑みを浮かべた遠い目で、空の青を眺めていた。

 

……。

 

 仕事が忙しい日は逆に張り切る現状。

 何故って、娘と遊ぶ時間を作るためだ。

 もちろん仕事中に大慌てしたり必死の形相で机にかじりつく姿は見せたりしない。

 仕事中は部屋に入ってはいけませんと言い聞かせてある。

 華琳は何故か「それでいいのね?」と訊ねてきたが……なんだったんだろ、あれ。

 

「丕っ、ここに居たのかっ! さあ、ととさまと遊ぼう!」

「はいっ」

 

 俺の娘であり華琳の娘である曹丕、字を子桓。

 肩まで伸びた髪の色は金を主体に、メッシュ調に間隔を空けて存在する黒がなんというか嬉しい。これでも地毛なのだから、この世界ってなんか凄い。

 子供ながらに凛々しさを持った、しかし元気な時は実に元気な子供だ。

 華琳の教育の賜物なのか元々の才なのか、勉強が出来て運動も見事。ちっこいのに喋り方もなかなかハッキリしていて、物事への理解力が随分と高いとくる。実は今現在で、迂闊なことを言えない相手No.1でもある。ヘンなこと覚えられても困るし。

 そんな丕だが……蜀の学校に通わせるかって話は出たものの、華琳は自分で育てると言って蜀行きを却下し、現在も城や城下で元気に生活している。桂花塾には通っているようだが、妙な洗脳をされたりしてはいないかと不安ではある。

 

  ……まあその。それはそれとしても、友人関係が心配だ。

 

 勉強づくしじゃなく、体作りもやっているためにもやし的なことになることはないものの、大人ばっかりと付き合ってる所為で同世代との付き合い方を知らないままに育ったら、なんというか……相手を見下す大人になってしまいそうで怖い。

 なのでここは俺の出番であるとばかりに父参上。

 遊びというものを教え、街に連れ出しては同世代の子供とも遊ばせる。

 しかしながら……これが結構難しい。

 主にタイミングってものは最大の敵なのだ。

 

「あ、しかんさまだ」

「しかんさまー」

 

 つい先日までは“子桓ちゃん”だった呼び名が、今日になって“子桓さま”になった。

 親に注意されたのだろう。

 子桓への接し方もどこか遠慮を混ぜたものになり、親ばかだから言うんじゃないが、賢い丕がそんな接し方に違和感を覚えないはずもなく。楽しみにしていた街での遊びの中でも、いつしか無邪気な笑顔を見せなくなっていた。子供のうちから作り笑いを覚えてしまったのだ。

 

「ととさま」

「……どした?」

 

 陽が落ちる頃、丕の手を引いて帰る途中。

 繋いだ手にきゅっと力が篭り、丕は俺を見上げながら言った。

 

「……もう、遊びには出たくないです」

「ん……街には来たくないか?」

「もう……楽しいって思えないから、いいです」

「……そっか。じゃあ、璃々ちゃんか美羽に遊んでもらうか」

「遊びはもう……いいです」

「………」

 

 俺の手を握る小さな手は震えていた。

 王の子として産まれた者が通る、どうしようもない孤独感。

 それを今まさに経験している丕はしかし、涙を見せようとはしなかった。

 溜め息ひとつ、くっと強く手を引っ張ると、驚いた表情の丕を抱き上げて、そこからさらに持ち上げて肩車にした。

 

「あ、う……ととさまっ」

 

 急に高くなった視界に戸惑いの声をあげる。

 そんな娘のまだ小さな両足をそっと支え、歌を歌いながら道を歩く。

 

「と、ととさま、みんな見てます……恥ずかしいです……」

「ん、いいんだよ。娘と仲良くしてなにが悪い。父さんはみんなに笑われても、丕との繋がりを選ぶぞ。馬鹿にされても、馬鹿になる勇気も持てないやつの言葉なんて笑って受け止めればいい」

「うぅ……よく、わからないです……」

「お前は難しく考えすぎなんだよ。全を大事にしていたのに一が崩れたら全を諦めるなんてもったいない。大事に出来るものは……自分が本当に大事にしたいって思ったものは、自分の中の何かが多少欠けようが掴んでいなきゃ、いつか後悔するかもしれないぞ?」

「………」

「あと、子供のうちからそんな、意識して丁寧に喋ることないんじゃないか? 語尾をですますにしてるだけで、敬語としてはちょっと崩れてるし」

「あぅう……」

「あだだだだ! こ、こらっ! 丕っ! 耳を捻るんじゃありませんっ!」

 

 犬とかに跨って耳を掴んでバイクの真似をする子供かお前はっ!

 などと怒鳴るようなこと、この北郷はいたしません。

 華琳が厳しくいくのなら、せめて俺はどこまでもやさしい親であろう。

 辛い時にこぼれる愚痴くらい聞こう。

 つまらない時は一緒に楽しいことでも探してみよう。

 どうすれば親らしいのかなんてものは、父親初心者な俺にはわかるわけもないが、辛さを吐き出す場所くらいにはなれるだろう。父親らしいことのひとつもわからないなら、出来ることくらいはしてやりたいし。

 

(これでいいのか、なんて……わからないよなぁ)

 

 躓きながらでも親をやっていくしかない。

 親ってすごいんだなぁ、未知のことを一歩一歩知っていく強さが必要だったなんて……俺、親ってものを自分の中でもっともっと軽く考えていた。

 相手にしてみれば失礼な話だろうが、自分がきっかけとなって産まれたのだから、多少は自分の思い通りになるものだなんてことを勝手に思っていたのかもしれない。

 

  もちろんそんなことなどあるわけがないのに。

 

 子供だろうと人は人なのだ。自分で考えて、子供ながらに出来ることを精一杯探している。知識が無い分、空回りばかりだろうと……それがきっといいことになると思うからやるのだ。だったら俺も、いいことになると思ったことくらいは……やってやりたい。

 親になるのが難しいなら隣人から始めようか。友達からでもいいし、知り合いからでもいい……と思う。や、親なんだから親だと言い張ればいいんだろうが、不安はどうしようもなく湧き出てくる。

 

  もう何度も学んできた。正解だけを引き続けることなど不可能なのだと。

 

 だから、親らしいことってなんだろうとか以前に、なにをやろうにも“いいところを見せよう”とか“無様は見せられない”とか無駄な力が入ってダメだ。だからいっそ、親としてじゃなく友達と接するみたいな気持ちでいいのだ。と思う。わからないのは仕方ないだろ、だって初めてのパパなんだもの。

 

「なぁ、丕~」

「……は、はい、なんでしょう、ととさま」

「……お前のその妙におどおどしたところは俺に似ちゃったんだろうなぁ……。まあその、なんだ。お前から見てこの都はどう映る?」

「みんな笑ってます。なんか……私だけ笑ってないみたいで、ちょっと嫌です」

「混ぜればいいんだよ。混ざって、無理矢理にでも笑ってみるんだ。苦笑もいつか笑いになるまで、楽しいことに埋没してみりゃいい」

「……………………」

「ん?」

「…………ひとりじゃ、無理だよぅ」

 

 子供然とした声が、小さく漏れた。

 俺の頭をきゅっと抱き締めるように体を折る娘の体温を感じると、嬉しいやら心配やら、苦笑が漏れる。

 

「大丈夫だって。不安なら手を伸ばしてみればいい。ここには丕の手を取ってくれる人がたくさん居るんだぞ? 丕はそれを、自分から無いって決め付けてるだけだ」

「でも……みんなは私のこと、かかさまの……王様の娘としか見ていないです。そんな人と手なんて繋いでも、きっと楽しくないです」

「まあ……そうだなぁ。みんなの反応も思いっきりそんな感じだ。特に桂花と春蘭」

 

 “さすが華琳様の娘!”が口癖みたいなもんだしなぁあの二人。

 どれだけ頑張っても華琳の娘だからで済ませられるのは、丕にとっては果ての見えない道を歩み切れと言っているようなもんだ。だって、追いつくべきが、見習うべきが、比べられる相手が覇王なのだ。走ったって追いつけやしない。三国を統一して平和を齎した人を超えるようなことを、この平和な世界でどう成し遂げろっていうんだ。

 追い越せない、果ての無い道を歩き続けろなんて言われて喜べるわけもない。歩いたって比べられるだけ。褒められるのは華琳の娘である事実のみで、丕は褒められてなどいないのだ。

 

「……なぁ、丕。華琳のこと、嫌いか?」

「………」

「いだぁあだだだだだ! だから耳を捻るなとっ! わかったわかった! 愚問だったのはわかったからっ!」

 

 嫌いと言えればきっと楽で……憎めれば軽くなるだろうに。

 我が娘は、困ったことに母である華琳を誇りに思っているくらい好きだ。

 逆に期待に応えきれない自分を不甲斐なく思い、強くなれない自分に嫌気を覚える。

 俺から見れば十分すぎるくらいに頑張ってもなお、この小さな体で頑張りまくっているのが曹丕という娘だ。親としては鼻が高い……と言いたいところだけど、正直に言えば危うい感じがして仕方ない。こういう子は、頑張った果てに失敗してしまうと……様々を我慢していた分、心を折ってしまうことが多いのだ。

 

「あ、じゃあこの父のことは?」

「………」

「ワー」

 

 耳を捻りもしない愛に、北郷ちょっぴり泣きそうになりました。

 

「まあ、いいや。追いかけるのが華琳ってのがハードル高いけど、お前ならいけるよ」

「……勝手なこと言わないでくださいです」

「まあまあ。役に立たないととさまだが、華琳についてならいろいろ助言できるぞー? 華琳に認められたいなら、まずは華琳が教えてくれること全てをがむしゃらに覚えていけ。そうすれば全ては解決。あとはお前の頑張り次第だ」

「かかさまがそんなことで喜んでくれるはずがありません」

 

 口調からして、喜ばせようと……褒めてもらおうとしたことも一度や二度じゃないのだろう。悲しみと僅かな落胆とが混ざった言葉は、そのくせひどくキッパリとしていた。

 

「努力は認める人だよ、華琳は。逆に諦める人をひどく嫌う。だから、頑張り続けて全てを受け取ってみればいい。吸収力の高い子供の頃にこそそれをやれば、自慢の娘だって褒めてもらえるぞだぁーったたたたた!! いやほんとだぞ!? 嘘じゃないから耳を捻るなったら!! ていうかなんで俺の娘は俺にやさしくないかなぁ!」

 

 なにが彼女をそうさせるのか……きっと人柄なんだろうね、主に華琳の下で成長した結果というか、そんな感じの。

 

「ととさまは弱い人ですね……かかさまみたいに仕事もしているように見えないし、いつも暇をしているから、いつでも私と遊べるんですか?」

「む」

 

 いつかされるんじゃないかなーと思っていた質問がとうとう来た。

 仕事はやっている。ええ、それはもう物凄い量を秘密裏に。

 しかし子供にわざわざそれを教える必要などありましょうか。

 パパはこんなにも仕事をしているんだぞーとアピールするのは、なんというか小さくはないでしょうか。

 どうしよう。

 

1:ととさまは華琳と同じくらい仕事をしているんだぞー

 

2:いや……実は全然やってないです

 

3:実は父さんの仕事は世界の平和を守ることで、見えないところで頑張(略)

 

4:実は持っている携帯電話で特殊な操作のあと、5を3回押して腰につけ(略)

 

5:子供達の未来を守るため、日夜暗躍する男! スパイダーマッ!

 

 結論:2……でいいな。うん。丕の見ているところでは仕事なんてしてないし。

 

 というわけで。

 

「仕事かぁ。実は父さんは、いつでも丕と遊べるようにと隠れて仕事を片付けては、時間が出来れば丕と遊ぼうと目論んでいるんだぞー」

 

 本当のことを、棒読みで言ってみる。

 ……耳を捻られた。

 

「ととさま。ととさまは将のみなさんになんと呼ばれているか知っていますか?」

「種馬だねぇ」

「……本当にその通りだったのですか? ととさまはかかさまが私を産むためだけに用意された人だったのですか?」

「……実は父さんな、今から約1800年も先の未来から来た、天の御遣いなんだ。いわば珍しさから華琳に拾ってもらって、それから天下統一までを一緒に過ごしたんだ」

 

 さすがに存在理由が種馬の二文字だけなのは勘弁を。

 なので真実をそのまま伝えた。丕に隠れて仕事って部分でも嘘は言ってない。

 娘にわざわざ嘘をつくのは心が痛いし。

 重くなく、気軽に話せる父をアピールして心をほぐしてみましょうという魂胆でもあるのだが……ど、どうだろうか。ああっ、このくらいの子供って接し方が難しいっ! 季衣や鈴々みたいに突貫型だったら、もう全然受け止めるだけで十分なのに!

 

「……御遣い?」

「わあ」

 

 てんで信じてないような口調で“御遣い?”と唱えられた。

 ち、違うぞ? 父さんは痛い設定的なことを言ってるんじゃなくて、ほんとなんだぞ?

 というか……あれ? 父の株どんどん下がっておりませんか?

 ただ気負いしないで華琳のあとを追ってほしいとか、なおかつ自分の自由な時間は自分のために使える人になってほしいとか、そんなことを考えたから話したはずなのに。

 

「……華琳からは何も聞いてないのか?」

「かかさまは……“あなたが見た一刀という人物があなたの父よ”と言うだけです」

「まあ、そりゃそうだ」

 

 それ=グータラ親父。

 あはははは! 俺、丕の前じゃ全然仕事してないから、仕事もしないで遊んでばっかの父にしか見えてないやー!

 なんか終わってる! いろいろと終わってる! そんな時だっていうのに周りの子供が丕を特別扱いしたもんだから心がしぼんで、さらにそんな時に父のグータラ説が確定しそうって雰囲気になって、俺の株大暴落だぁーっ!

 

「………」

 

 あ、やばい、なんか泣きそう。

 ああ、でもいいや、情けない父だって意味ではべつにハズレではないし。

 ここは……もうアレか? 反面教師効果を狙って突き放すが吉なんでせうか。

 今さら“父は仕事たぁーっくさんしてるんだぞー! いや本当に!”とか言ったところで、それが本当に真実として彼女に伝わるかどうか。

 じゃあ仕事している風景を見せてみる? ……いやいやいやっ、子供の頃からあんなカオスな仕事風景を見せてどうしますかっ、大人になりたくねーとか言い出したらどうしますかっ!

 だからもう自然体でいいじゃない? 他のみんなと接するくらいに普通で。

 

「まあとりあえず、俺は丕の前ではてんで仕事はしてないな。それは事実だ。丕が遊べない時でも暇してるし(仕事を片付けたから)。ただ、華琳のことは真剣に好きだぞ。丕は、後継欲しさに産まされた子なんかじゃ断じてない」

「……格好つかない言葉ですね」

「事実なんだから仕方ないんだよなぁ……俺だって出来れば格好つけたいなーとは思うけどさ。それで話がこじれても、それこそ仕方ない」

 

 今盛大にこじれてる気がしないでもないが。

 

「…………。仕事。どんなこと、してるんですか?」

 

 わあ、口調がすごい淡々なものになってきた!

 仕方ないから聞いてあげるとかそんなことを言ってる時の華琳にそっくり!

 

「書類書簡の整理が主だな。あとは……支柱をやっております」

「……ふぅん」

 

 冷たい! 口調が冷たいよ娘よ!

 でもまあ……これがきっかけで完全に華琳寄りになって、妙な影響もなく育ってくれるならそれはそれでいい……んだろうか。愚痴を吐き出す相手くらいにはなれるから、それはそれでいい……のかもなぁ。

 と思っているうちに城へ。

 とすんと丕を下ろすと、丕はなんだか出発前とはえらい違いの視線を父に投げ、言葉もなく走っていってしまった。

 

「うん、なんかもういろいろ終わった」

 

 丕が完全に見えなくなってから、膝からドシャアと崩れ、次に両手を大地について落ち込んだ。門番をしてくれていた警備隊の二人が「何事ですか隊長!」と心配してくれたけど、うん……なんかもういろんな意味で終わった。

 まあでもやることは変わらないんだけどね。

 変わらず仕事をこなして、遊びを欲する我が子らに遊びを提供する俺であろう。

 仕事をしていない父だと思われたって構うもんか。ならばいっそ、遊び人と思われようが国のために頑張り続けてくれるわぁあーっ!!

 纏めるとつまり。

 

 結論:……子育てって難しいわぁあ……!!

 

 いつだって正解を引き続けるのは難しいとはいえ、ハズレを引いた先でもどうかプラスになりますようにと振る舞うしかない。

 たとえそれが、娘から見る俺の価値が大暴落する道であっても。

 言った言葉は棒読みであっても事実だったのだ……ならばせめて、それを穢すことのない働きを続けられる親であろう。



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108:IF2/いつだって父親はアレ②

 時が流れる。

 誰かが争い、死んだりもしない時間がどれだけ過ぎたのか。

 ふとした瞬間に平和に感謝する日々は今も続いていて、何日が何週間になり、何ヶ月になり、何年になると、駆け足だった足もようやく休みを欲した瞬間に休める今がそこにあってくれた。

 

「南蛮大麻竹で作ったメンマ……ついに、ついに極上の名に相応しい丼に仕上げることに成功した! その名も……極上メンマ丼【真】!!」

 

 足を休めた先に何があるかといえば、きっとみんなが首を傾げる。

 休んだところで変わらぬ日常があるだけなのだから当然だろう。

 それでも……足を止めてみなければ“それが当然だ”なんて気づけない今がここ。

 平和があって、笑顔があって、争いがなくて楽しいがある。

 誰もが笑っていられる世界とは違うけど、限りなくそれに近い今。

 

「主……あなたという人は私をどれだけ待たせれば気が済むのか」

「ごめん、半ば意地になってた」

「“一刀殿”から“主”に呼び方が変わったというだけで、大麻竹メンマを食させぬと言い出した時は、どうしてくれようかと思ったものですが」

「“なんと殺生なことをお言いなさるか!”とか言って龍牙向けてきたときは殺されるかと思ったよ」

「はっはっは、懇願する愛い少女がそのようなことをするはずがありますまい」

「顔は悲しげだったけど目が本気だった」

「はて。過去のことは覚えておりませぬな。というわけで、さあ! 完成したならば食べさせてくれる約束でありましょう!」

「星、食べたいのはわかるけどちょっと落ち着こうね。口調が少しおかしくなってるから」

 

 平和な場所に相応しい平和な会話は笑顔を呼ぶ。

 南蛮から持ち帰った竹は腐ることもなく悪くなることもなく、むしろメンマにして寝かせれば寝かせるほどに味が円熟し、美味しくなった。

 そんなメンマで作った丼を前に、星の目は爛々に輝いていた。

 

「それじゃ、どうぞ。量が少ないのはじっくり味わってほしいから───って言うまでもないか」

「ふふっ、もちろん。しかし無粋とは言いますまい。正直なところ、極上を目の前に興奮が理性に勝りかけておりますからなぁ。軽くでも止めてくれなければ───……襲い掛かってでも奪い、乱暴に食い散らかしてしまいそうだ」

「構えてる構えてる! もう言ってる傍から龍牙構えてるから!」

「おっと、これは失敬。では……大事に、頂かせていただきます」

 

 向けていた槍もしゃらんと仕舞い(どこにかはツッコんじゃいけない)、早速厨房の卓に着いて食べ始める星。

 穏やかな昼の頃、実に平和的だった空気はその日───

 

「ではいざ……ぁー……むっ。───ふぅうううおおおおおおおおおおーっ!?」

「うわぁっひゃああーっ!?」

 

 ───言葉に氣を乗せた絶叫によって、ぶち壊された。

 痛っ! 響くっ! 耳がズキーンって!

 

「こ、これは……っ……この味はぁあっ……!!」

 

 一口噛んではで震え、咀嚼して味わっては震え、星は一回一回の咀嚼にカタカタと震え続けていた。何事? と訊いてみても震えるばかりで返事はない。

 ただ、星が持っていた箸がベキャアと折れた時点でなんとなく理由を悟った。

 美味さに震えてるのも確かだけど、これ……乱暴に食い散らかしそうな自分を必死に押さえて、じっくり食べているだけだ。

 

「フッ……罪な丼だ……! 私にここまで我慢をさせるなど……!」

 

 あなたはいったいなにと戦ってるんだ……───あ、メンマか。

 

「くっ、ぬっ、ふぅうう……っ……! ぬっ!? はぅっ!? あ、あ、あああああはぐぅうう!?」

「星っ!? って、力込めすぎて腕が攣った?」

「……!!」

 

 過去の英雄の像になにをやってんですかアータはとツッコミたい衝動を抑えこみつつ、腕と顔を引き攣らせて、しかし丼はソッと卓に置いてから盛大に苦しむメンマの修羅様の傍へ寄る。ここまでメンマを愛せる人って普通居ないよな……なんて余計なことを考えた頭を振って、ソッと腕に触れてから氣を込めて、キュッと腕の筋を伸ばしてやる。すると星の顔から苦痛が抜け、彼女はふぅっと大きく息を吐いて───吸ったら丼に襲い掛かっていた。

 メンマの香りが彼女を狂わせたのだ……! とか出来る限り壮大っぽいお話にしようとしたのだが、傍目から見た光景はあまりにアレで、しかも途端に星が理性を働かせて強引に止まるもんだから、あっさりまた腕を攣らせた。

 

「………」

 

 うん、大丈夫、別にかわいいところもあるんだなとか思ってない。思ってないとも。

 なので星の手から丼と箸をソッと取って「あぁっ!? 主!? なにをっ!」いや奪ったわけじゃないから、いいから落ち着きなさい。

 自分で食べようとする度に攣るなら、俺が食べさせればいいのだ。

 というわけで、

 

「星。はい、あーん」

「!?」

 

 グボッと瞬間沸騰する彼女の言葉は完全にスルーで、無理矢理食べさせた。

 これなら一気に食べ過ぎることもないだろうという言葉も効いたようで、腕を攣らせない代わりに恥ずかしいという状況を受け取ってもらいつつ、食事は続いた。

 

「う、うむむ……恥ずかしさのあまり、味がどうにもわかりづらく……」

「いつもからかうみたいに余裕でやってみせればいいじゃないか」

「主よ……人が弱さを見せている時にそれは、少々おいたがすぎますぞ……」

 

 赤らめた顔で目を伏せる姿は、なんというか……可愛らしいって言葉が似合ってた。

 いっつも飄々としているイメージが強いから妙に新鮮だ。もちろん言ったら怒られるか拗ねられるのは予想がつくので言わない。言う勇気と言わないやさしさの使い分けくらい、今の俺にならきっと余裕だといいかもしれないこともなきにしもあらずだ。自信ないですごめんなさい。

 

「ところで主。何故急に私にメンマ丼を? ここしばらくは子桓様を始めとした子女らに付きっ切りだったでしょうに」

「あ、あー……その、うん。手料理でも作ってあげようかなって思ったんだけど、いざ作ろうとすると緊張して。だから……って、これだけはわかっておいてもらいたいけど、別に慣れるためだけに星の分を作ったわけじゃないからな?」

「はっはっは、わかっておりますとも。主はどこまでもお人好しなのはここ数年で十二分に理解しておりますゆえ。そして、娘らを愛しすぎて、距離感を掴めていないところも」

「うぐっ……」

 

 呉の娘たちが生まれてから既に数年。

 無事に桃香も子供を産み、姓名を劉禅、字を公嗣とされた。

 真名はまだ娘の誰にもつけられておらず、みんなそのまま名や字で呼んでいる。

 

「……しかしなるほど。幼い頃からこれだけの味のメンマを食させるつもりとは。主、さすがですな」

「いや、べつに幼い頃からメンマの味に染めようとしてるわけじゃないからな?」

「ふふっ、隠さずともよろしい。志を同じくする者同士、メンマについては嘘はつかぬよう誓い合ったではありませんか」

「いつ!? え───本気でいつ!?」

「ともにメンマ道を極めんとし、手を繋いだ時ですが。ふふっ……あの瞬間、私は主の手から様々な意思を受け取ったのです。私が作ったメンマが主の心に火をつけ、主が作った極上メンマ丼が私の心に火をつけた。面白い連鎖もあるものです。そこにメンマが無ければ産まれなかった絆がここにある……なんと神秘的でやさしい絆か……!」

「うわぁすげぇいい笑顔!」

「ああ主、次をお願いしたい。口寂しいと要らぬことまで喋ってしまいそうです」

「少しは話の切り替えに間ってものを挟んでくれ……ほら」

「はむ……んむんむ……───ふおお……!」

 

 ほっぺたが落ちそうになっているのか、目をきゅっと瞑ってふるふる震える星。

 メンマ丼でこんなになれるのはきっと星だけだろうなと思いつつ、いい香りなので俺もぱくりと食べてみる。───すると体を芯から震わせるような、良曲を耳にした瞬間のあのじぃんとした感覚を強くした何かが走った───途端、目の前の星から恨みがましい視線がメラメラと……!

 

「あ、主……っ……主よ……! 量が……量が少ないと言っておきながら、まさかのつまみ食いとは……!」

「メッ……泣くなぁああーっ!! 作るから! また作るからぁあっ!!」

 

 一瞬、メンマ丼くらいで泣くなと言いそうになったものの、瞬時に思いとどまって全力で泣くなとツッコミ。彼女の前でメンマを“メンマくらい”なんて言ったらどんな暴動が起こるか。なので再び“あ~ん”をしつつ必死に宥めてしばらく。

 ようやく星の食事は終わり、食べさせるという行為自体にいろいろと疲れを感じた俺は、結局娘たちの食事はどうするかを考えた。

 

……。

 

 俺には娘が居る。

 現在8人。

 自分としての感覚で言えば、長女に曹丕、次女に孫登、三女に陸延、四女に甘述、五女に黄柄、六女に周邵、七女に呂琮、末っ子として劉禅。

 産まれた順番で唱えてみたが、陸延から周邵までの三女から六女まではほぼ同時っていっていいくらいに産まれている。少し遅れて産まれた呂琮はその中でもまだ小さく、劉禅はもっとだ。

 しかし全員とても元気であり……何故か父である俺を蹴る。

 俺がなにかしたのかと問い詰めたい気分ではあるが、子供の頃から親に問い詰められまくるのはいい気分じゃないのでは……とつい距離を取ってしまう。むしろ丕は甘やかしすぎたために、丕からの俺のイメージはあまりよろしくない。華琳の話じゃあ、“娘に甘く、女にだらしのない、仕事もしないので性質が悪い男”だと思われているっぽい。

 

(聞いたその日は枕を濡らしたなぁ……)

 

 しかし華琳のことはとても好きで尊敬に値する母らしく、かかさまかかさまとあとをついていく様子は実に可愛い。……つい少し前までは俺のこともととさまととさま呼んでくれていたのに、今ではととさまどころか父とも呼んでもらえず、ねぇとかちょっととか声をかけられ、振り向いたら話を始める始末。父と呼んでもらえない事実に気づいた時も枕を濡らしたさ。

 

「そんなわけで華琳。どうしたら丕にととさまと呼んでもらえるんだろうか」

「……あなたね。そんなことを他人に訊く父がどこに居るのよ」

「……ハイ……」

「泣きそうな顔で挙手はやめなさい」

 

 ふふふ、甘いわ覇王よ。涙ならとうに流しまくったわ。

 などと悲しく胸を張るのはやめよう。余計に泣ける。

 

「丕はもう俺のこと、遊び人としてしか見てないようだし、登は俺のこと蹴るし、むしろ呉側の子供は俺のことを何故か蹴るし……禅だけかなぁ、俺に懐いてくれてるのって」

「自業自得ね。あなたが“子供に仕事をしている姿を見せたくない”なんて言い出すからでしょう? 傍から見れば、仕事もせずに子供たちと遊んでいるだけの暇人じゃない」

「いや、これでも徹夜に近い勢いで仕事頑張ってるんだけど……」

「ええ、知っているわよ。それを知らないのは子供達だけだもの。で? あなたはいまさらそれを子供たちに知ってもらいたいとでも?」

「………」

 

 少し考えて首を横に振った。

 知らないなら知らないままでいいだろう。

 俺が嫌われる分、母側に愛が向かうならどんとこいだ。

 

「鍛錬も夜にやっていると聞いたのだけれど?」

「ああ、やってるやってる。集中しながらも外側にも注意を向けられる鍛錬。これで子供たちがたまたま来ても、暇潰しに夜間散歩をしていた父の出来上がりだ」

「…………ねぇ一刀。私に相談をした理由はなんだったかしら」

「? あー……どうしたら丕にととさまと呼んでもらえるか?」

「ええそうね、わかっているのならいいわ。一発殴らせなさい」

「ええっ!? なんでっ!?」

 

 うわぁ、めっちゃいい笑顔! でもコメカミで青筋がバルバル躍動してらっしゃる!

 と思ったら両手を腰に当てて飛び頭突きでもしてくるんじゃないかってくらいずずいと前傾になり、叫んできなすった。

 

「目的から遠ざかるようなことをやっておいてよくもまあそんなことが言えるわね! 素直に鍛錬をする姿でも見せればいいでしょう!」

「な、なに言ってんだ! そんなことしたらせっかく作り上げてきた優しい父の姿が崩れるじゃないか! 氣を高めるために城壁を黙々と全力疾走し続ける父なんて見たら、やさしさどころか余計に引かれるわ!!」

「やさしいどころか怠け者の父としてしか映ってないわよ!」

「ゲブゥウハァッ!!」

 

 言葉の槍が胸をえぐっていった。

 も、物凄いダメージだ……! わかっていたこととはいえ、改めて言われると泣きたくなる……!

 

「いや……最初は反面教師的なことで、娘達が強く成長出来るならって……そう思ってたんだぞ……? そしたら嫌われ度ばかりが加速したみたいな感じで、なんかもう目も合わせてくれないし……特に丕」

「ええそうね。暇があればあなたの悪口ばかりこぼしているわよ」

「………」

「だから。静かに泣くのはやめなさい」

「自業自得っていうのはわかってるんだよぅ。でもさ、でもさぁ。見つけたら駆けつけてまで蹴りこんでくる呉の娘たちや、目も合わせようとしてくれない丕とかはさぁ……」

「禅とは上手くやっているのね」

「禅はほら、桃香がポカして仕事中の俺の部屋に連れてきちゃって。それ以来、何故だか妙に爛々と輝く目で見られてる」

「……それを知っていて人に頼むということが、どれほど失礼かわかってて言ってるんでしょうね」

「や、今さら仕事風景見せたって、“どうせ好かれたくて今さら始めたに違いない”とか思われるのがオチだろ」

「……はぁ」

 

 「だからあの時、それでいいのねと訊いたじゃない」と続ける華琳に、なんだか申し訳ない気持ちを抱く。しかし俺自身もこうまで複雑になるとは思っていなかったのだ。

 子育てって難しい。うん、難しい。

 じゃあ全てを有りの儘に見せていればよかったのかといえば、必ずしもそうじゃないのだ。

 家が道場一家だったから言えることだってある。

 寂しいんだ。……親が忙しいと、寂しい。それだけは言える。だから頑張ったんだけどなぁ。ここまで空回りするとは。

 

「今までの経験を生かしてなんとか……とも思ったんだけどさ。あ、呉と蜀に行ってた頃の話な?」

「わかっているわよ。そうね、あなたを嫌っていた連中は、嫌いつつも向かっていくような者たちばかりだったわね。丕のように避け続けるというのは、逆にあなたにしてみれば珍しいというわけね」

「そうなんだよ……だからなんとか出来ないかなぁと」

「それこそ自業自得でしょう? 好かれようと思ってなにかを為したところで、それは好転したりなどしないわよ。機会を待ちなさい」

「機会かぁ……難しいなぁ」

「…………」

 

 はぁ、と溜め息を吐く俺を、何故か華琳は困ったような呆れたような、なんともむず痒いような苦笑を混ぜた顔で見つめてきていた。

 何? とばかりにその目を見ると、

 

「まあ、この件に関しては特に心配はしないわ。……する必要がないと言うべきね」

「うっ……た、他人事ってことか?」

「あなた相手に、人間関係についてを悩むのは馬鹿馬鹿しいと言っているのよ」

「?」

 

 あっさりした口調でそう言ってきた。

 ハテ……俺の人間関係ってそんなに複雑だっただろうか。

 そりゃあ桂花に嫌われたり愛紗に嫌われたり焔耶に嫌われたり……いややめよう、考えてると気が滅入りそうだ。

 確かに嫌われたのは自業自得だもんな。うん、あるがままを受け入れていこう。

 動く時は積極的に動く方向で。

 

……。

 

 時は過ぎて、曹丕8歳の誕生日。

 毎年毎年、子供の誕生日は賑やかなこの空の下、俺はといえば……

 

「ハッピーバ~スデ~……お前~……ハッピーバースデェ~ィ……うぬ~……ハッピーバースデェ~ィ親愛なる~……曹丕~……ハッピーバースディだ! あんたァ!」

 

 歌の練習をしていた。

 もちろん一瞬で却下された。にっこり笑顔で却下をくだすったのは、紫苑である。

 

「紫苑! 紫苑んんっ! わからない! 子供の好みがわからないんだ!」

「あ、あらあら……ご主人様? 歌うのなら、もっと子供が喜びそうな歌を……。子桓さまがではなく、子供が喜びそうな歌を歌ってみてはどうでしょう」

「こ、子供が……!」

 

 都は今日も賑やかだ。

 みんなが玉座の間で祝う中、俺は中庭の東屋でひっそりと練習。

 親子関係は……うん、まあ、かなりひどい。

 俺は子桓が大好きなのに、子桓は俺を嫌っている。

 丕って……丕って呼んだら睨むんだよ。字で呼ぶことを強要してきてるんだよ視線で。

 

「おかしい……どこで間違えたんだろう……」

「やさしいばかりでは、なにをやっても許されると思われてしまうものですよ。時には叱ることも大事ということを覚えていてください」

「叱るって……」

 

 あー……そういえば、美羽の時も拳骨してからいろいろ変わったんだっけ……?

 じゃあ……なんだろう。俺は最初っから間違っていたのか……?

 俺はただ、自覚もなしに厳しい人ばかりのこの世界において、せめて俺くらいはオアシスになろうとやさしく在ったというのに、その全てが間違いだったと……!?

 

「でも……今さら怒ってみせても“なんだこいつ”って思われるだけだよなぁ……」

「えぇっと……恐らくは」

「ですよね!」

 

 じゃあもう手遅れなのですね!

 ……だったらもういいかなぁ。無理に頑張っても嫌われるだけなら、普通通りで。

 もはや遊んでとねだってくるのは劉禅……公嗣(こうし)くらいだし。

 

「親って難しいなぁ。紫苑はどうやって璃々ちゃんをあそこまで良い子に……?」

「私もそう、璃々と一緒にいられたわけではありませんよ。外せない仕事があって、どうしても一人にさせてしまったことなど一度や二度ではありませんから」

「……この場合、俺との違いは“仕事をしていることを子供が知ってるか否か”?」

「………」

 

 苦笑とともに頷かれてしまった。

 さよなら我が子らからの信頼よ。

 

「ええいちくしょうもう構うもんかぁ! こうなりゃ反面教師貫き続けてやるぅ! 娘たちよ! だらしのない父と笑わば笑え! そして“ああはなるまい”と口々に唱えて立派になるがいいのさうわぁーははははぁーんっ!!」

 

 笑おうと思ったら号泣してました。

 フフフ、だがこの北郷、後悔はしても先を悔やむことなどはせぬ! 絶対に悔やむと知ってなお、進まなければいけない道が父にはあるのだ!!

 ……でも、いつか好かれる父になってやる……!

 

  ……そんなわけで。

 

「さぁ叫ぼう! 人生の楽しさをぉおーっ!!」

「あっはっはっはっはっは! いいわよ一刀ー!」

『………』

 

 娘らに引かれようとも誕生日の集いの場を盛り上げたり、

 

「それでは聞いてください……道化師の夜明け!」

「あははははは! 無様ね北郷! なんてあなたにぴったりの曲なのかしら!」

「じゃあ今一番盛り上がってる桂花! 次に歌ってくれ!」

「なぁぅっ!? うぅう歌うわけないでしょなに言ってるのこの液体男は!」

「液体男!? 白濁男から進化した!? 進……え!? 進化なの!? 退化なの!?」

 

 皆それぞれが沸き立つ歌を一曲歌っては、それに絡んでくる人を次に歌わせてみたり、

 

「料理リベンジだ! いつかの“普通”な味覚を修正しにきたぞ、蓮華!」

「毒味が先だ」

「思春!? こんな時くらい毒から離れよう!?」

「そうよ思春。子の前で毒がどうのと言うべきではないわ」

「蓮華さま……いえ、子の前だからこそと」

「夫が作った料理に毒が入っている可能性を語られる子の気持ちと、実際に言われた夫の気持ちも考えてくださいお願いします……」

「あ、う、い、いやっ……こほんっ! ………………すまん」

「……思春が俺に謝った!? ななな何者だ貴様ヒィ冗談ですごめんなさいどっから出したのその鈴音!!」

 

 料理リベンジと題して料理を作ってみて、さらに夫婦漫才もどきを展開しては……なんというか母の強さと父の弱さを存分に披露してしまったりいたしまして……。

 それから……一週間後。

 子からの評価は母10、父0となっておりましたとさ……。

 

……。

 

 都より離れた魏の街。

 既に暗くなったその場のとある裏路地の店で、俺は一人静かに酒を飲んでいた。

 

「娘がさぁ……娘がさぁああ……!」

「おめぇさんもまた随分と無茶すんなぁ……嫌われてまで娘の成長を願うなんざ、立派なのか阿呆なのか」

「後者でお願いします……」

「いや願うなよ……」

 

 アニキさんが作ってくれたツマミを咀嚼しつつ、傾ける酒はちびちび。

 ええまあ、愚痴りたくなったらアニキさんの店に来るのは、実は一度や二度じゃない。

 仕事を片付けても誰も遊んでくれなくなった現状、父親って立場になった今、なんの気兼ねもなく“おやじの店”に来れるようになった俺は、いつしか他の客との会話に物凄い勢いでついていけるようになってしまっていた。

 

「ああ……わかる、わかるぜぇ御遣いの旦那ぁ……。娘なんてのはちぃと成長しちまうと、すぐに男親のことなんざ居なくて当然みたいになぁ……」

「散々働いて帰ってみても、いつでもカカァにべったりさ。共働きなのに、俺とあいつでなにが違うってんだろうなぁ……」

「俺はなんかもう……修復不可能なくらい、見事に連鎖反応が……」

「れんさはんのー? なんだいそりゃ」

 

 呟いた言葉に、隣で飲んでたおやじがしゃっくりをあげつつ訊ねてくる。

 それにほろりと涙しつつ返した。

 連鎖反応。

 まず自分は既にぐうたら親父扱い。

 仕事はやっておらず、女とばかり遊んでいると見られている。

 街に出ても女性の民と話しているところばかりを目撃されている。

 その所為で男と話してても、女と話す布石に違いないと勝手に思われている。

 だったら実は以前から仕事をしてたんだぞーとアピールしようにも、“俺”のことだからどうせ今さら始めてそう見せているだけに違いないと睨まれる。

 やたらと将らと気安く話せているのは、きっと暇人であり隙あらば女性をたらしこんでいるからに違いないとまで思われている。

 働いている将らに金をもらって生活しているに違いないと思われている。

 完全にヒモ扱いである。

 

『………』

 

 話し終わったら、おやじら全員が目頭を押さえて静かに嗚咽を漏らした。

 アニキさんも無言で歯を食い縛りながら酌してくれて、“おごりだ、飲め”と顎で促すと、後ろを向いて調理を始めた。

 ……他のおやじらも食べていた料理を少しずつ分けてくれて……俺はここにきてようやく、おやじの店の客として迎えられた気がしたんだ───……!

 

 

 

  ……うん、まあ、そういう一体感とは別の意味ででも、盛大に泣いたんだけどさ。

 

  親って……難しいなぁ……。



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番外的オマケ話(本編とは少々関係あるでゴワス)

◆子供たちのアレコレ

 

姓:曹-そう

名:丕-ひ

字:子桓-しかん

 

 華琳の娘。

 語尾に無理矢理“です”をつける子だったが、父親に呆れてからは華琳に近い口調に。

 父が嫌い……なわけではなく、苦手。どう接していいのかわからないといったところ。

 あの母が傍に置いているのだから、なにかがあるに違いないと踏んでいはいるものの、一刀の仕事については全然知らない。

 こういう人なのだと思ってしまうと頭に叩き込んで覚えてしまうという“第一印象を固定するタイプ”の子なため、父はぐうたらだと決め込んでしまっている。

 つまり父にはなにかがあるが、それは母しか理解できないものに違いないという印象のままに、父への興味を少しずつ削っていっているのが現状。

 お陰で一刀には極力近寄らないし目を合わせようともしない。

 新しいものや珍しいもの好きであり、中でも都でしか作られていない“ぷりん”、“あいす”、“にほんしゅを使った料理”が大好物。作っているのが父だということは知らず、誰が作ったのかを街の人や将らに訊いてははぐらかされている。

 女が将で男が兵というこの世界で育ったために、少々男を見下して見る感覚が強まっている。そこに桂花の教育もプラスされて、やはり父への興味はどんどんと削られていっている。

 髪の色は金が主体で、前髪にメッシュ調に黒が混ざり、モミアゲは黒い。

 目の色が感情によって変わったりする。

 

 

姓:孫-そん

名:登-とう

字:子高-しこう

 

 蓮華の娘。

 子桓のように髪の遺伝はなく、孫家に相応しい綺麗なさくら色。

 むしろミニ蓮華。呉側の子ってみんなそんな感じだよね。

 甘述とやたらと仲がよく、なにかというと父を蹴る。

 打たれ弱いところがあり、姉妹間では一番泣きやすい。

 父を蹴る理由は母の愛が自分より父に向いている気がして、かつその父がぐうたらに見えるから。

 しかし父が教えてくれる遊びは大変興味を引くものばかりで、自分が楽しいと感じていたのも事実。父は嫌いではなくむしろ好き。

 好きだから気にかけてほしくて蹴るという悪ガキスパイラル理論が完成している。

 逆にガミガミと説教くさい蓮華に苦手意識を持ってはいるが、不器用なりに自分に構おうとしてくれる母を嫌ったことはあまりない。

 

 

姓:劉-りゅう

名:禅-ぜん

字:公嗣-こうし

 

 桃香の娘。容姿はミニ桃香さん。

 とてもおおらか。人の笑顔が好きで、喧嘩や怒鳴り声が苦手。

 平和を愛するために産まれてきたような子で、8人姉妹の中で唯一一刀にべったり。

 娘の中では一刀の仕事のことを唯一知る子でもあり、一番あとで産まれたこともあり、みんなから可愛がられて育っている。

 なのだが、孫登からはよくジト目で睨まれている。一刀にべったりなのが気に入らないらしい。

 なにかというとポカをやらかす母をくすくすと笑いつつ、自分がしっかり母を支えようと背伸びをしようとするも、張り切るとポカをやらかすところは母からの遺伝のようだ。

 

 

姓:陸-りく

名:延-えん

字:?

 

 穏の娘。ミニ陸遜さん。

 ぽややんしているのは母と同じく、しかし読書で興奮することはない。

 が、異常なほどに寝ることが好きで、目を離すとよく寝ている。

 読書に物凄い集中を見せるが、途切れるとまず眠る。そんな子。

 武の方面は最初から捨ててしまっていて、のほほんとしているところを祭に引き摺られて運動をさせられている。

 休憩を入れると、分を待たずに眠るために休憩無しの猛特訓を強いられすぎ、親子揃って祭が苦手とくる。

 一刀のことは普通に父であると認識しているくらいで、好きでも嫌いでもない、家族というレベルでの付き合い。ただし眠りたいのに遊ぼう遊ぼう言ってくる一刀が苦手なため、完全に一刀が空回りし続けている。

 ただし一刀の氣に包まれて眠ることを至上の喜びと認識していることもあり、遊べばそうしてくれる誘惑と、目の前にある睡魔との板ばさみの日々と、常に戦っている。

 うん、つまりは一刀のことは好きでも嫌いでもない家族としてって感じだが、一刀の氣に包まれて眠るゆったり感が好き。つまり一刀の氣は好きなのだ。一刀ではなく。

 

 

姓:甘-かん

名:述-じゅつ

字:-?

 

 思春の娘。パッツンお団子カット。

 孫登や黄柄と仲がいい、無駄が嫌いなちょっとしたせっかちさんタイプ。

 周囲の出来事には気がつき自分のことには疎い、少々困ったちゃん。

 思春から一刀のダメなところばかりを聞かされて育ったために父が嫌い。

 残念なことに武の才には恵まれず、しかし武を磨きたいと張り切る頑張り屋さん。

 自分が日夜やっている鍛錬法が一刀が教えて回った方法だとは知らない。

 頑張る姿が蓮華に好かれ、蓮華のお気に入りな子。

 お陰で時折孫登に睨まれているが、仲は良い。

 人一倍鍛錬はしているものの、人よりもっと頑張らなきゃいけないとアレンジを加えてしまっているため、鍛錬を無駄にしてしまっている。

 

 

姓:周-しゅう

名:邵-しょう

字:?

 

 明命の娘。ツインテール。

 親と同じく猫は好きなのに、何故か猫には嫌われやすい体質。

 氣の扱いが上手く、気配を消すことも見事。 

 甘えたがりで、一刀の首に抱きついてぶらさがることが大好き……だった。が、今では姉妹仲を気にするあまりにそう出来ないでいる。自分も嫌わなければいけないという、妙な連帯の中の脅迫観念に引きずられているといったところが現状。

 明命が猫に夢中になりすぎることもあり、“猫に母を取られた……!”と猫に嫉妬したこともある。そういった意味で、猫は好きだけど苦手。

 周々と善々とは仲が良く、跨ってはいつかの小蓮のように散歩をしている。

 自己の意見を表に出すのが苦手であり、出さなくても自分に構ってくれる父が好きなのに、上記のように嫌わなければいけない状況にあり、素直に甘える劉禅を羨ましく思っている。

 

 

姓:黄-こう

名:柄-へい

字:?

 

 祭の娘。ミニ祭さん。祭さんから長い後ろ髪を取ったような感じ。

 親が酒好きなため、酒などが苦手。

 早い内に飲まされて、その気持ち悪さから大変嫌うように。

 なので酒を飲んでいる母が嫌いで、飲んでいない母が好き。

 父への印象は“割と出来る人に違いない”といったもので、“あの母に自分を産ませた”という時点でわりと感心を持っている。

 静かに近寄ろうともすぐに気づかれることもあり、“もしや爪を隠した鷹なのでは……!”と奇妙な期待を抱いているお子。

 なので奇襲を仕掛ける意味も込めて駆け込みジャンプキック(陳宮流)を繰り出すと、想像とは違って絶対に当たる。

 そのたびに“やっぱりただのぐうたらなのか”と落胆もするのだが……一刀にしてみれば、自分が当たらなければ転んで怪我をするだろうと思って、娘の無邪気を受け止める意味も手伝いわざと受けているだけである。

 そんなこんなで距離を取って観察する日々が続くという、父への興味が尽きない子。

 でもお陰で、一刀からは“一番蹴ってくるし、一番嫌われているに違いない……”と思われてしまっているという空回りな子。

 

 

姓:呂-りょ

名:琮-そう

字:?

 

 亞莎の娘。ミニ亞莎さん。

 ちっこい。二番目に泣き虫な子。周邵と仲が良く、周邵にべったり。

 母親がひどくおろおろしている人物なために、自分がしっかりしなくてはと頑張っては空回りするタイプ。

 実は一刀のことは“年中暇な遊び人か、自分たちと遊ぶのが仕事な華琳の臣下”だとしか思っておらず、いろいろな偶然が重なってしまったために父だということを知らなかったりする、少々思い込みが激しく勘違いが多い子供。ひどい話だ。

 自分のことを“父”と言っては遊んでくれた一刀に対する印象は、内部からの征服を目論む悪い人に違いないといったところで、度々に幼い体で蹴りを繰り出す。

 武の方向に力が恵まれているのだが、興味があるのが知の方である。目は母とは違い恐ろしく良い。祭や紫苑や秋蘭にもったいないとこぼされる子供筆頭。三人になんとかして弓術を覚えさせられないものかと言い寄られている。

 思い込みの激しさから、一刀からは将来誰かを好きになったらヤンデレになるのではと心配されている。

 

 

 

 

 ───子供たちはこんな感じですかね。

 うう、原作に呉の子供たちの情報があればなぁ。

 とりあえず一応の設定なので、大きくズレを生むことがあります。

 話半分程度にか、流し読み程度に頭に入れてくれれば十分です。

 

 いや……しかし今までがてんで飛ばなかった分、時間がとても飛びました。

 璃々も美羽も、薬なんぞ飲まなくても十分大人になっていることでしょう。

 現時点で8年。

 鈴々らの姿も萌将伝のおまけの本に近づくほどのものに…………想像出来ませんな。

 萌将伝の時点で、子供を産んでも大して変わらんみなさまだったからか、時間が進んでもずっとあのままの印象が強すぎる。

 なので姿に関しては皆様の想像にお任せします。

 子供に関しては大体は母親が小さくなったような容姿と考えてくだされば。

 元がちっこかった将たちの姿は……8年経ってやっぱり萌将伝のおまけ本みたいな感じかと。

 璃々ちゃん、胸やばかったですね。

 性格は……多分あまり変わりません。

 

 えーと? 書くとどんな感じになるんだろうか。

 あ、ちょっと書いてみます。

 

 

 

 

=_=/イメージです

 

 三国の中心に位置する都。

 その城下である街に、随分と背も成長した娘がおった。

 真名を鈴々。かの張翼徳と呼ばれる武人である。

 

「おっちゃん! 全部乗りラーメン超超超超大盛りで頼むのだ!」

「……嬢ちゃんは、大人になっても変わらねぇなぁ……」

「にゃ? べつに鈴々は鈴々だから困らないのだ」

「いや、口調とかに気をつけておしとやか~にしてりゃあよぉ、男のほうから言い寄ってくると思うぜぇ? おっちゃんが太鼓判押してやる」

「お兄ちゃんが居るからいいのだ」

「たはっ、こりゃまいった! そーだなぁ、将の皆様方には御遣いのにーちゃんが居たなぁ! けど最近は子供にかかりっきりで寂しいんじゃねぇのかい?」

「にゃはは、おっちゃんお兄ちゃんを甘く見てるのだ。子供たちと遊ぶ時間を作るために仕事なんて終わらせちゃって、子供たちと遊べない時は鈴々と遊んでくれるのだ」

「……嬢ちゃん? もしかすっとぉ……御遣いのにーちゃんは子供に好かれてねぇのかい?」

「んー……よくわからないけど、みんなお兄ちゃんのことに関しては、“にんげんかんけい”の点ではまるで気にしてないよー?」

「ん、まあ、御遣いのにーちゃんだしなぁ。三国歩いて回って、とげとげしかった部分を大分削っていっちまいやがった。将の棘も、民の棘も。他の誰かが歩いてたらどうなっていたんだろうねぇ、もっと上手くやれたのか、悪化させていたのか。……っと、へいお待ち! 全部入りラーメン極盛りっ!」

「おっちゃんさすがに手際がいいのだ!」

「へっへっへ、あたぼーよぉ! ……で、嬢ちゃん? いい加減箸の持ち方なんとかしねぇかい?」

「この方が持ちやすいのだ」

「いやいやァ……たまに来る璃々ちゃんはそりゃあもう綺麗なもんだぞぅ? 箸の持ち方も振る舞い方も。嬢ちゃん、ひょっとしたら御遣いのにーちゃん取られちまうかもしれねぇぞぅ?」

「おっちゃん! 箸の使い方を教えてほしーのだ!」

「そりゃ構わねぇがラーメンで練習するのはやめてくれ嬢ちゃん! 麺がノビちまう!」

 

 ……。

 

「おじさま、こんにちは」

「おっ、璃々ちゃんか。らっしぇい。今日は一人かい?」

「はい。急にお母さんのところに鈴々ちゃんが来て、箸の使い方がどうとかって。一緒に買い物をするつもりだったんですけど、おかげでひとりぼっちです」

「ははっ、そりゃ悪いことしちまったかなぁ……お、おぉおまあいいや、なんか食ってくかい? っつってもラーメンしかねぇがよ、今日はおっちゃんの奢りだ、食べていくといいやぁ」

「そんな、悪いです」

「璃々ちゃんはいい子だなぁ……これがあの嬢ちゃんだったら、ラーメン極盛り追加なのだーとか平気で言いそうなのによぉ。っと、そうじゃなくてだなぁ……んー……璃々ちゃんのお母さんが嬢ちゃんに襲われたのには、おっちゃんも関係してんだ。だから遠慮するこたぁねぇ! どどぉんと頼むといい!」

「……でも」

「おっと、もちろん遠慮は頼まれねぇぜぇ? ご注文は採譜にあるものでお願いします。ってな、だっはっはっはっは!」

「……じゃあ、ラーメンをお願いします。具はあっさりしたもので」

「脂っこいのは苦手かい? 大きくなれね───ああいや、十分なものをお持ちで」

「おじさま? お母さんと御遣いさまに言いつけますよ……?」

「ひぇいっ!? い、いや冗談冗談! おっちゃんちょっと口が滑っちゃったかなぁ! たはっ、はははははは!!」

「そうですか、それじゃあ、お願いします」

(……璃々ちゃん……静かに怒るところは、黄忠さまに似なくてよかったのになぁ……)

「~♪」

「っと、どうかしたんかい? なんか楽しそうじゃねぇかい」

「お母さんとの予定は潰れちゃいましたけど、このあと美羽ちゃんと一緒に御遣いさまと出かける予定があるんです」

「おっと、そーかいそーかいっ、璃々ちゃんもすっかり女の子の顔をするようになったなぁ。……将来的には……アレかい? やっぱ御遣いのにーちゃんと?」

「……いえ、その。御遣いさまはなんというかこう、ずっと一緒に居てくれたお兄ちゃんのようなものでして。だから、将来的もなにも……大体お母さんも御遣いさまのこと……」

「お母さん“も”……ねぇ~……?」

「───おじさま?」

「いやぁああっはぁあああハハハハ!? 料理は楽しいなぁああっはぁあぁっ!? おっちゃんなんも! なぁんも言ってないぞぉ!?」

「……もうっ。からかわれるのは苦手なんですから、やめてくださいね?」

「いやいやすまねぇなぁ璃々ちゃん。おっちゃんもここんとこからかう相手が少なくてなぁ。メンマ丼に客食われちまって、結構暇してるのさ。ま、翼徳の嬢ちゃんや、あの赤い……呂布の嬢ちゃんか。が、いっぱい食っていってくれるんで、それで保ってるようなもんさ」

「……! に、煮たまご“とっぴんぐ”でお願いしますっ!」

「はっはっは! 璃々ちゃんはやさしいねぇ! だがこりゃあ奢りなんだから、あまり効果がねぇかもなぁ」

「はうっ!? ととと取り消し! 取り消しで!」

「おっと、もう完成しちまった。これじゃあ取り消せないなぁ。へいお待ちっ!」

「……おじさま、意地悪です」

「おうっ、大人はいい方向に意地悪な生き物なのさっ! さあ、食ってくんなっ!」

「……いただきます。……ふー、ふー、……はちちっ……ふー、ふー……!」

「……猫舌は相変わらずか」

「ほ、ほっといてくださいっ!」

「なんつーか、黄忠さまと一緒に居ない璃々ちゃんは隙だらけだなぁ」

「お母さんには心配をかけたくありませんから」

「そかそか。その分御遣いのにーちゃんの前では隙だらけで、前にそこの通りで盛大にスッ転んで───」

「…………」

「いやなんでもねぇ! なんでもねぇからその黒い笑顔はやめよう!」

 

 ……。

 

「おやじ、邪魔するのですよ」

「おっ、陳宮ちゃんじゃねぇか、よく来たねぇ。……おお? いつもの赤いねーちゃんはどした?」

「今日はねねだけなのです。ラーメン一杯お願いするのです」

「おうよ、まあそういう日もあらぁな。つーかなぁ、俺ぁ前から気になってたんだが、嬢ちゃんもいい加減、呂布ちゃんに付き纏うのをやめて、一人でいろいろやってみたらどうだい?」

「ふふん、恋殿あるところにねね在りです。これからどのようなことが起ころうとも、ねねが恋殿についていくことは変わらないのです」

「せっかく背も伸びて、綺麗になったってのにもったいない。あ、でも前は結んでた後ろ髪は今は流してるんだな」

「北郷一刀に奨められたのです。この服にはその方が似合うと」

「……(なるほど。御遣いのにーちゃんはいい目ぇしてやがんなぁ。あの服、あの破れたような裤子(クゥヅゥ)から伸びた長い足とか、ちぃっと目の毒だよな。いや、いい意味でだが)っとと、はいよお待ち! ラーメン一丁!」

「……おお。では早速いただきます。……ねねとて一人で外食くらいできると、詠に知らしめてやるのです……!」

(……一人で外食したことなかったんか……。綺麗に成長したのに、いろいろ残念なところがいろいろもったいねぇよなぁ……)

「ちょっと待つですおやじ! なるとが入っていないですよ!」

「ウチのにゃ元々入ってねぇよ! 言いがかりはやめてくれ!」

 

 ……。

 

 

 

 ……と、こんな感じでしょうか。

 よくも悪くも鈴々は鈴々で、璃々は……母の影響を色濃く受け継ぐのではと。

 誰かと結婚したら絶対にカカァ天下ですね。物腰穏やかでも強い女は強いです。

 

 

 では、また次回で。

 



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109:IF2/お子めらの日常①

163/お子めらの日々

 

-_-/曹丕

 

 ───私には父が居る。いや、居て当然なのだけれど。

 だらしのない父だ。誇れない父だ。

 母はあんなにも素晴らしい方だというのに、何故父がああなのか。

 何処へ行ってもヘラヘラヘラヘラ。

 動くのは散歩の時と、閨で腰を振るだけだと桂花が言っていた。

 なんということなのかしら。

 

「し、子桓~? ととさまと遊ばないか~……?」

 

 最近任され始めた軽い仕事を片付けたのち、見計らっていたのか父がやってきた。

 “のっく”の後に入ってくるのは、まあ評価できる。

 いきなりアレが入ってきたら、私はアレを嫌うだけだ。

 

「気分じゃないわ」

「そ、そか。じゃあ……あー……は、腹へってないかっ!? なにか作って───」

「普通の料理なんてもう結構」

「うぐっ……!」

 

 父の作る料理はどれも普通。母に勝るものなど一つたりともない。

 そのことを母に言えば、母はくすくすと笑った。

 きっと父のことを馬鹿にして笑っているんだ……と思ったのだけれど、どうにも私を見て笑っているようにも見えた。どういう意味があるのだろう、あの笑みには。

 私はいつか、母を越す料理を作ってみせる。そのための努力もしている。

 まずは……そう、まずは“あいすくりーむ”を越える味を自分の手で作りたい。

 あれはいい。いいいものだー……。作った人を心から尊敬する。

 作った人は誰なのかを訊ねても皆は笑いをこらえるだけ。

 わからない。あれはいったいなんなのだろうか。

 

「あ、あー……じゃあそのー……」

「今日は春蘭と出かける予定だから。ついてこないで頂戴」

「………」

 

 溜め息ひとつ、椅子から立ち上がって外へ出る。

 父の横を通り、そのまま。

 ……本当に。こんな男のどこがいいのだろうか。

 皆、北郷北郷、一刀一刀、ご主人様ご主人様と。

 いつもでれでれした情けない顔だし、娘に対して引け腰だし、すぐに口ごもるし。

 なにより仕事をしていないのは許せない。民から税を得ることで生きている私たちなのに、仕事もせずに食べては寝て食べては腰を振るう。そんな桂花の言う通りの存在が自分の父であることが……いや、尊敬する母の相手がアレだということに歯を食い縛っても怒りが沸いてくる。

 

(……娘相手なのだから、一度でもいいからびしっと言ってみてほしいものだわ)

 

 …………。

 

(……待ちなさい? 私はなに? そうされることを期待しているとでもいうの?)

 

 無理でしょう。

 だってあの男、私がこの歳になるまで一度も、怒ったことも叱ったこともないのだ。

 女にヘラヘラ、娘にびくびく。なんという親だろう、呆れてしまう。

 

(……うん?)

 

 もしかして、父親とはそういうものなのか?

 母が強い例は良く見るものの、父が強い例を見たことがない。

 紫苑の夫は既に死んでしまっているというし、近くに居る父という存在があのぐぅたらしかいないとくる。

 やはり男はだめだ。

 桂花の言う通りだ。女……この世は女が───

 

「はい“すとっぷ”」

「はうっ!?」

 

 強い女性を思い浮かべつつ、口元がニタリと持ち上がりかけたところで“すとっぷ”と言われて捕まった。

 振り向いてみれば、そこには……孫策が。

 

「なっ、そ、孫策っ……さま」

「あ、一応“ストップ”って通じるの? 一刀が使ってたから使ってみたんだけど。あー、まあそれはいいわ、うんいい」

 

 にこー、と笑って私の肩を後ろから掴んだまま離そうとしない孫策。

 ……彼女は苦手だ。

 なにかというと人を見透かしてくるし、勘だ勘だといいながらすることが外れたことなどないくらいの不思議人。

 加えて人がこうして女性というものに傾きかけると決まって現れ、止めに入る。

 

「なによっ───……ですか? 私はこれから用事が」

「ねぇ子桓? 今、女性はいいなーとか思ってたでしょ」

「なうあっ!? だだっ、だから何故あなたは人の考えていることがわかるのっ! ───ですかっ!」

 

 慌てると口調が乱れるのは昔からだ。

 乱れるたびに母は苦笑し孫策は笑うのだから、少し悔しい。

 何故ならそれは、父がそうだから、だそうだ。

 父は慌てると口調が乱暴になるらしい。あの父がだ。信じられない。むしろ私の前ではそんなことを見せたこともない。

 

「まあねー、女の方が腕っ節がいいっていうのが、私たちの周囲じゃ常識になってるけどね。ね、子桓。男と戦ったことってある?」

「あるわよ───あります。そうしたら私に当てることさえ出来ずに楽勝に終わりましたが。男は駄目ね。駄目駄目でしょう。あんなものよりもっと女性を増やすべきだわ」

「ふ~ん?」

 

 む。いやな笑み。

 これをしてきた時はきまって、よくない話題を振ってくるのだ。

 正直、遠慮したい。

 

「ねぇ。子桓は私に勝ったこと、なかったわよね?」

「ええ、まあ。私に勝ったら真名を預けるわ、なんて言って、大人げもなく全力でかかってきた時には呆れました」

「まあね。“普通”の全力でいってあげたわね。面白かったわねー、またやる?」

「はあ、それは、まあ、いずれ。……うん? 孫策さま、今……“普通の全力”と言いましたか?」

「言ったわね」

 

 普通の全力? 意味がわからない。

 普通なのに全力?

 …………体調かなにかの意味合いだろうか。

 

「言ってなかったっけ。私、強い人と戦ってると血が騒いで、凶暴化しちゃうのよ」

「傍迷惑ですね」

「一刀に言わせると~……なんていったっけ? 怒り喰らうイビ……なんたら? まあそんなことはどうでもいいわね。まあともかく、全力以上が出せるわけよね」

「はあ」

 

 出せるというのなら本当に出せるのだろう。

 私が手も足も出す前にぶちのめされたあの強さの上が。

 

「と。それがどうしたというんですか?」

「なんと! そんな私を負かしてみせた男が居るのよっ!」

「!? ほ、ほんとにっ!? ───ですかっ!?」

 

 男……男が!? 孫策を!?

 有り得ない! 男なんて、女の後ろをついてまわるお調子者ばかりじゃない!

 そんな男が、女より、しかも孫策よりも強い!?

 

「………」

 

 ないわね。

 どうせまた嘘なんでしょう。

 

「……あら? あ、ねぇちょっと? ここはもっとほら、どこの誰なのー、とか言ってせまってくるところじゃない?」

「騙されるわけがないでしょう? そんな男が居る筈ないじゃない」

「うわっ、真っ向から否定されたっ! あなたって本当、骨の髄まで華琳の娘よね~。一度こうと決めると変えようだなんて思いもしない」

「あら、当然じゃない。娘なのだから」

「その“あら”ってのやめなさい。華琳と話してるみたいで落ち着かないわ」

「私がどういう喋り方をしようと私の勝手でしょう……です」

「父親を嫌うのも?」

「嫌ってなどいないわよ。呆れているだけで」

 

 孫策は「ふぅん?」と小さく鼻を鳴らし、チラリチラチラと私を見てくる。

 勘がいいことも手伝って、こうしてジロジロ見られると落ち着かない。

 べつに隠し事があるわけでもないのに、ないものまで見透かされているようだ。

 

「わっかんないわねー……それだけ華琳に近いものを持ってるのに、どうしてこう、答えに辿り着く力ばっかりが弱いのかしら。鈍感……ともちょっと違うんだろーけど」

「なっ、どんかっ……!? 誰がよ! ───ですか!」

「怒り方まで華琳にそっくりなのにね。やっぱり一刀の影響かもね。鈍いところとか考え始めると長いところとか……あ、これは特にそうね、“思い込みが激しいところ”!」

「……本人の前で喧嘩でも売りたいのかしら、伯符さま?」

「あっは、売るって言ったら買ってくれる? 丁度退屈してたのよねー、お酒も切れちゃったし。で、ちょびっとばかし日本酒をもらおうかなーってところで子桓を見つけたのよ」

「却下するわ。日本酒はただでさえ量が少ないのだから、誰があなたのようなのんだくれに渡すものですか」

「作ってる人に感謝も飛ばせない子桓に言われたくはないわねー」

「───!? ……まさか。あなた、日本酒の醸造者を……知っている───!?」

 

 目の色が変わるという言葉があるが、多分私は変わっている。

 普段は父譲りのこげ茶色の瞳だが、興奮すると母譲りの蒼になる。

 どういう原理でそうなっているのかなど、わかるはずもないのだが……医者……華佗が言うには、父の特殊な氣と母の氣が混ざったことが原因だと言っている。真実味は……あるかどうかも知らない。前例がないのだ、仕方ない。

 

「知ってるわよ? それどころか王だろうと将だろうと兵だろうと民だろうと、子供ら以外は全員っていっていいほど知ってるわよ」

「教えてっ! 今すぐっ!」

 

 ぱああと心が躍る。

 あのお酒を作った人に会えるのだ。しかも、聞けば人物は教えてもらえなかったが、ぷりんとあいすを作った人と同じらしいじゃないか!

 そんな人に会えるのだ、心躍らぬはずがない。

 だというのに目の前の元呉王の名を冠する彼女はにへらと笑い、

 

「え? やだ」

 

 あっさりと拒否してきた。

 ……母よ。こういう時は武器を構えて良いのでしたね?

 

「あー、武器出して脅そうったって無駄よ? 出してもいいけど子桓じゃまだまだ私には勝てないし」

「ならその男を倒せば、私は───」

「あぁ無理無理、子桓じゃ勝負にならないわ。戦おうったって無駄よ無駄」

「───」

 

 頭の中でかちんと何かが鳴った気がした。

 変異したであろう瞳の色のまま睨むと、孫策はあっはっはと笑ってみせた。

 

「あ、言っとくけど子桓が弱いからとかそういう意味で言ったんじゃないわよー? 文字通り戦いにすらならないのよ。むしろ戦ってくれないわ。断言する」

「た、戦わ……ない……? まさか勝ちを拾ったまま逃げ続けているんじゃ───!」

「そんなことないわよ? 昨晩凪と戦ってたし」

「凪と? それで、どちらが───」

「……最後の最後にとっておいたお酒が切れちゃったわね。あ、用意してくれたら教えてあげる」

「~っ……結構!!」

 

 やはりこの元王に真面目な会話を求めるのは無駄だったのだ。

 武勇伝の数々は聞いているし、実際に強いのだから信じるところは多々あるが、人としての態度はあんまりにもあんまりだと思う。

 もっと母のように凛々しくあってくれたなら、素直に尊敬できたものを。

 こんななのに自分より強いのだから、ひどく自分が情けなく思えて仕方ない。

 

「ふむふむ。からかわれると怒るのは華琳譲りね。でも華琳なら言葉の切り返しを考えるし、一刀なら焦りながらも逃げ出したりなんてしないんだけど」

 

 歩ませていた歩を止め、つかつかと戻って、その目をキッと睨んで言ってやる。

 

「誰が逃げて、誰が逃げ出したりしないと?」

「あっはっはっはっは!! 子桓って子供よねー! あっははははは!!」

「ぷあっ!? ちょっ! なにをするのよ!!」

 

 で、戻ってみれば、人を見下ろし爆笑して頭を撫でてくる孫策。

 やっぱりこの女は苦手だ! ええい爪先踏んづけてぐりぐりしてくれようかっ!

 ……~……い、いえ、落ち着きなさい子桓。私はこの程度では慌てないのよ。

 そうよ、そう誓ったじゃない、慌てる様が父に似ていると孫策に笑われた時に。

 ……つまり様々な事柄で私が悩むのは全て目の前のこの女性の所為だ。

 はて、どうして私は足を踏んづけることを躊躇しているのだろう。

 もういい、つぶれなさい。その胸とともに。

 

「ふんっ!」

「ひょいとなっ」

「あっ!? なんで避けるのよ!」

 

 持ち上げ、踏みつけようとした足があっさり躱された。

 何故と問うてみれば勘が働いたという。

 ……コレを傷つけられる人が居るなら見てみたいものだ。

 ああいえ、勝った男が居るのよね。誰だか知らないけれど、尊敬に値する。

 嘘じゃなければ、という事実が前提としてあるけれど。

 

「ところでさー……」

「なにっ!? 喋る気になったの!? ───ですかっ!?」

「春蘭と約束あるのよね? いいの?」

「へ? …………あっ……あーっ!?」

 

 しまった忘れていた!

 すぐに、すぐに行かないと! あの人は人の約束ごとを妙に真面目に受け取って、少しでも時間に遅れれば誘拐されただの病気になっただのを叫びながら人を探す! そのたびに私が母に怒られるのだ、約束を違えるとは何事かと!

 

「くぅうっ……! 良くないから行くわよ! ほんっと根性捻じ曲がっているわねあなたっ! 覚えていなさいっ!? いつか必ず口でも腕でも私が勝つ! でもわざわざ教えてくれてありがとう!!」

 

 言うだけ言って走る。

 行儀が悪い? 冗談を言ってはいけない。春蘭の暴走に比べれば、私が走ることくらい些細なことだ。

 

「……はーぁ。で、おかしなところで丁寧で律儀なのは一刀譲り、と」

 

 呆れた声が聞こえてきたが無視した。

 私が父に似ているだなんて冗談もいいところだ。

 私は母に似ている。それだけでいいのだから。

 



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109:IF2/お子めらの日常②

-_-/孫登

 

 私には父が居る。

 おかしな父。働かない父。

 だというのに人々からとても慕われている、不思議な父。

 私は……そんな父を羨み、どうすればそうなれるのかをよく考える。

 父はいわゆる人気者だ。

 父の傍には、なにもしていないのに人が集まる。

 ……私は違う。

 皆、子高さま子高さまと呼んではくれるものの、それはあくまで孫家の子だからだ。

 私自身を好いて集まってくれるわけではない。

 そのことを母に相談してみれば、母は額に軽く手を当てて、ず~んと落ち込んだ。

 冥琳が言うには私は母によく似たのだという。

 それはそうだ。容姿など瓜二つだと太鼓判が押されるほどだ。

 

「………」

 

 そんな私だが、なんというか……こう、人に見ていてもらいたいという願望に常に襲われている。目立ちたいとかそういう意味ではなく、恥ずかしい話……構ってほしいのだ。

 常に一番に構ってほしい。

 やさしくしてほしい。そんなことを考えていることを自覚している。

 そういう意味では、あのぐうたらな父も嫌いではない。

 なんだかんだと構ってくれるからだ。

 けれど父が一番に構うのは公嗣だろう。

 一番下の子だからか、それとも単にお気に入りだからなのか、父は公嗣にはひどく甘いのだ。姉妹の中では父に素直に甘えるのは公嗣くらいだ。それも原因のひとつだろう。

 何事も一番でなければ気に入らないと言いたいわけじゃない。

 けれど、もっと気にかけてほしいと思ってしまう。

 そんな私だが、あの言葉は嫌いだ。

 

  “お姉ちゃんなんだから”

 

 子桓姉さまは完璧だから言われることはない。

 言われるのはいつも私だ。

 私は子桓姉さまほど良い子にはなれなかったらしい。

 そのことを母に言ってみれば、今度は頭を抱えて落ち込んでしまった。

 ……聞くに、私は母に、色々な意味で似ているのだという。

 母は雪蓮叔母……もとい、雪蓮さまに追いつこうとして常に空回りして、普通の努力では足りないのだとずぅっと頑張り続けていたのだという。

 そこまでしても雪蓮さまの勘頼りの生き方にすら追いつけず、何度も何度も壁に当たっては苦悩したのだとか。

 私はどうだろうと考えて、少し涙が滲んだ。

 子桓姉さまは言うまでもなく万能。

 公嗣は居るだけで人を笑顔に出来て、みんなから可愛がられている。

 陸延は頭がよくて、甘述は頭がいいのに武術を頑張ってて、周邵は氣を操るのが上手くて、黄柄は武術がとても上手で、呂琮は目がよくてみんなから弓を是非と願われている。

 私には……なにもない。

 少しのことがほどほどに出来る程度で、どれか一つが飛びぬけているわけでもない。

 勘が鋭いわけでもなく、足が速いわけでもなく、腕力があるわけでも知力があるわけでもない。それならもっと静かな性格でいたかった。一番に思ってもらいたいなんて思う自分でなければ、“王の子”という生まれ付いての重荷からも少しは逃げられただろうに。

 

「おっ、子高~、父さんと遊ぼ───」

「結構ですあっちへいっててください!」

「………………ゲフッ!」

 

 もやもやしていたところに声をかけられ、つい怒鳴ってしまった。

 ハッとして見た時には父は真っ青な笑顔で片手を挙げたまま固まっていて、口からコプシャアと血を吐いていた。

 

「神は死んだ……」

「あ───」

 

 そして、あっちへ行っててと言っておきながら構ってほしいと願う自分に嫌気が差す。

 それどころか、とぼとぼと歩いていってしまった父の後姿に、“どうしてもっと、私が頷くまで踏み込んできてくれないんだ”と身勝手なことを考えてしまう。

 

「………」

 

 こんな自分が嫌だ。

 王の娘として生まれたのに才もなく、目立った能力もない自分。

 どうして私は王の子として生まれてしまったのか。

 もっと才ある者が生まれていれば、私はきっと別の家に生まれ、普通に生きていられたのだろうに。

 今の環境が嫌いだとか言うつもりはない。

 この都はとても賑やかで落ち着く場所だ。

 でも、王の子として見られながら生きていくのはとても辛い。

 普通の子のように燥いで、親に甘えているだけでよかったならどれだけ楽だったか。

 私は人の期待に応えられるほどの器ではなかった。

 生まれもっての資質というものがあるのなら、私はそれを持つことを許されなかったのだろう。

 

(どうすればよかったのかな)

 

 生まれもっての才、なんて自分で決められるものじゃない。

 もし決められるのだとしたら、私だってこんな気持ちを抱くこともなかった。

 自分が不得意なことを誰かにやってもらい、誰かが苦手なことを自分の得意で埋めてゆく。それがこの都の在り方の前提だと言われている。

 誰が言い出したのかは知らないけど、とてもやさしい考え方だと思う。

 ……そうできたらいいなと思ったことなんて、もう数えようとすれば泣きたくなるくらいにあった。

 私にはそれが出来ないから。

 なんの力もない私はどうやって、誰の不得意を埋めてあげられるのか。

 埋めてあげられなければ、きっと誰も私の不得意を埋めてくれはしないのだろう。 

 そう考えるといつでも不安になる。

 いつかは自分の無能を告げられ、誰からも相手にされなくなるんじゃないかと。

 

「うぅ……」

 

 涙が滲む。悪い癖だ。

 心が弱まるとすぐに涙が滲む。こんな自分も嫌い。

 もっと自分を好きになりたいのに、好きになれる部分が自分でもない。

 それはとても寂しいことだ。

 

「悲しみの気配が!」

「!?」

 

 涙がこぼれそうになった途端、父がものすごい速さですっ飛んできた。

 呆れた速さだ。

 

「どどどどうした子高! なにかあったのか!? ゴミが目に入ったとかあくびしてたとかじゃないよな!? 転んだのか!? いじめられたのか!? トゥシューズに画鋲入れられたり教科書や上履きをゴミ箱に捨てられたりしたのか!? あれ漫画とかで見たけどすごい腹立つよな! 買い換えるのもタダじゃないだろうに! ───じゃなくてどうしたんだ子高! 結局なにが痛い!」

 

 落ち着きのない父の足を蹴った。

 この父はいつもこうだ。

 他の泣かない姉妹たちは知らないのだろうけど、私は本当にすぐに泣いてしまう。

 そんな自分を見せるのが嫌で一人で泣いているのだけど、どこでどう、どうやって察知しているのか、どこからともなく現れては構おうとしてくる。

 他の子だったら喜ぶのかもしれない。

 けど私は、人に涙を見られるのが嫌だから一人で泣いているんだ。

 ここで出てこられたって、心は尖ったまま。

 出てくる言葉は一人にしてほしいという言葉ばかりだ。

 

「とととにかく、子高っ! 寂しい思いをしたなら俺が───」

「いいからっ……ほっといてったら!!」

「!!」

 

 叫ぶと、父はまるで刃物で刺されたかのような痛烈な顔をした。

 刃物で刺された人なんて見たことがないけど、そんな感じがしたのだ。

 ……弱い自分は誰にも見せたくない。

 一度見られてしまったならとかそういうものでもないのだ。

 見られてしまっても、見ている時間が少ない分ならそれがいい。

 キッと睨むと父はがくりと項垂れ、背中を見せた。

 

「そうだ……。真桜にチェーンソー作ってもらおう……。そして……神を探す旅をするんだ……」

 

 背中を見せたまましばらく固まっていた父は……さっきと同じようにとぼとぼと歩いていってしまう。

 本当は一緒に居てほしい。

 でも、強くならなきゃいけないから甘えられるわけがない。

 私は才能がないから、人よりいっぱい努力しなきゃいけないんだから。

 上手くいかなかった時の、将らの“あ、あー……”という微妙さを含んだ笑みなんてもう二度と見たくない。

 

「………」

 

 うんと小さな頃は、まだ褒めてもらえていた気がする。

 少しずつ大きくなるにつれ、姉妹との差が見え始めると、誰も私を褒めてくれなくなった。

 苛立ちをぶつけるように蹴ってしまう父には、一度もごめんなさいを言えてない。

 小さな頃から構ってくれる在り方は、きっと変わらない父。

 変わったのは……私、なんだろう。

 

「うっ……う、うぅう……うっく……ふぅうぅう゛う゛ぅぅ~……」

 

 でも。私はいつも“でも”を使ってしまう。

 なにをするにも言い訳ばかりが前に出て、自分には出来ないという言葉で決着をつけてしまう。

 頑張ればなんとかなる、出来るかもしれないじゃないかという言葉も、もう聞き飽きてしまった。そんな期待の先で、どれほど相手の溜め息を見てきただろう。

 強くなりたいなら泣いてはいけないと言われたわけでもない。

 きっと自分にはみんなが信じている常識というものが通用しないのだ。

 だって……もし通用するのなら、自分だってもっと何かが出来たはずだ。

 なのに出来ない。

 溢れる涙はいつ枯れてくれるのかな、なんてことを思いながら、それを拭うこともなく流し続ける。

 

「っ……っく……~……ぅ……」

 

 いつか……私が泣いているのを見た時、母は泣くなと言った。

 他の将にも、泣いてはなりませんと言われたことがある。

 いっぱい泣けと言ってくれたのは父だけ。

 頭を撫でてくれた手は大きくて、王の子に押し付けられる期待などを全く持たない目に、ひどく安心したのを覚えている。

 いつからだっただろう。

 それは多分、父がなまけものだからそんな目で見てくるに違いない、なんて思い始めたのは。

 怠ける仲間が欲しくてそうしたに違いないと思ってしまったのは。

 思ってしまったら、あとは早かった。現に父によりかかりそうになった途端に授業の成績は落ちたし、努力の時間を削った際に、姉妹ではない他の子供にへんな目で見られた。

 私は努力をしなければいけないのだ。

 

「~っ」

 

 ごしごしと涙を拭って駆け出した。

 中途半端で、努力の鬼になれないのは、いつもいつもあの父が甘やかそうと出てくるからだ。もうほうっておいてくれればいいのに。

 

「~……違うっ……」

 

 自分でも言っていることがおかしいなんてことはわかっている。

 結局私は甘えているのだろう。甘えたいのだろう。

 相手があのぐうたらでも、ぶつけた思いは受け止めてくれる。

 他の人全てが向ける“王の子”への視線はまったくない、ただただやさしいあの目が私は好きだ。

 あの目が他の人に向けられるのは、なんだか知らないけど嬉しくない。嫌いだ。

 

「───!」

 

 駆けた先で、まだとぼとぼと歩いていた父を見つける。

 ほうっておいてと言っておきながら、結局は構ってほしい自分に嫌悪感。

 そんな思いをあの父にしか向けられない自分にも嫌悪感。

 どうしてあの父は立派であってくれなかったんだろう。

 立派であったなら、もっと───…………もっと……?

 

「……違う」

 

 立派であったなら、そもそもこうして私のところに来たりなどしない。

 日々忙しくて、子供と向き合うことなど出来るわけがない。

 現に母である孫権もそうだ。

 私の周りには将ばかりで、そんな将らはいつも私の顔色を伺っている。

 自分でもわかってるんだ、私が扱いにくい存在だってことくらい。

 一つでも秀でたものがあれば、それを伸ばすことに懸命になればよかった。周りもそれで納得してくれたはずだ。

 でも。そう、でもだ。私にはなにもなかった。

 他の姉妹にはいろいろあるのに。

 呂琮が各国の弓の名手に声をかけられているのを見て、喜ぶどころか嫉妬をした自分。

 悔しかった。

 悲しかった。

 あんなにも自分を醜いと感じた瞬間なんて、きっと今までもこれからもないだろう。

 ……あってほしくない。

 

「っ───」

 

 沈む思いをぶつけるように跳躍。

 狙いは父の腰。

 苛立ちを人にぶつけるなんて最低だなんてことはわかってる。

 でも、私の思いなんてものを受け止めてくれる人なんて、ぐうたらだろうと父しか居ないのだ。

 ───ごめんなさい。

 人に当たることでしか苦しさから逃れられない弱い登を、許してください。

 

「……いっつま~でも~変わ~らず~に~……ハァ~ロォーマ~イラ~ィフ……い~なっゲェフッ!?」

 

 蹴った。

 なんか歌ってたけど、蹴った。

 途端に後悔が沸いてくるけど、結局私はそんな後悔も、振り向いた父が怒らずに困った顔ながらも自分に構ってくれることに喜んでしまうのだ。

 だから……ごめんなさい。ありがとう。

 

 

 

-_-/陸延

 

 …………。

 

 ……。

 

「すー……」

「こりゃー! また寝ておるのかこのっ! さっさと起きんかーっ!」

「ふやぃっ!? ……ふ、あ……ふぁぅう……」

「む、起きたの。ではこれから授業を始めるのじゃ。主様に頼まれては断れんからの」

「…………おべんきょーは……すきで………………うずー……」

「寝るでないのじゃぁあーっ!!」

 

 …………。

 

 

 

-_-/甘述

 

 ───む。

 父が子高姉さまから離れた。

 

「………」

 

 私には父が居る。

 ぐうたらな父だ。

 仕事もしないで日々をぶらぶら。働いているところなど見たことがない。

 

「…………」

 

 子高姉さまが傷ついていらっしゃる。

 よろしくない。

 おのれ父め、もっと踏み込んで慰めるなりすればいいものを。

 いや、あの父では無理なのか。

 

「むむむ……」

 

 子高姉さまは弱い。

 必死になって王の子として認められようと張り切っていらっしゃるが、才が無い故になにも追いついてこない。

 私とて武を極めたいというのに武の才がなく、日々を歯噛みしている。

 呂琮が羨ましいな。

 ああいや、今はそれより子高姉さまだ。

 

「!?」

 

 物陰に隠れつつ子高姉さまを見守るさなか、子高姉さまがぽろぽろと涙なされた!

 お、おおぉおお!? おのれ父め! もしや子高姉さまになにかよからぬことを!?

 そうだそうに違いない! 父は悪だな! まったく父は悪だ!

 ええいいっそこの手で、都の恥となる前に消してくれようか!

 

「母も何故、あんな男を迎え入れたのだ……ああわからん」

 

 はふぅと溜め息。

 

「………」

 

 しかし、こうして子高姉さまの涙を見るのも何度目だろうか。

 泣いてしまわれるたびに父がやってきたりするが、あれは嫌がらせに違いない。

 子高姉さまは人に涙を見られることを嫌っておられる。

 だから私も、こうして物陰に隠れつつ見守っているのだ。

 出来ることなら辛さを共有したいが、それをすれば子高姉さまの心に傷が出来てしまうかもしれない。

 見られないこと、知られないことで強さを保っているのだとすれば、余計だ。

 私は何も知らない。それでいい。

 

「む」

 

 いろいろと考えているうちに、去っていった父を追うように駆けてゆく子高姉さま。

 おおっ、ついに自らの手で父を!?

 かしこまりました子高姉さま! 及ばずながらこの甘述! 子高姉さまのゆく道ならばどこまでも! ……その過程で父がどうなろうと知ったことではない。うむ。

 そんなわけで追って駆ける。

 生憎と武の才のない私は、駆け足もそれほど速くない。

 それでも懸命に走り、追って……視線の先で、子高姉さまが父の腰に蹴りをかましたあたりで物陰に隠れた。

 ちぃ、間に合わなんだ。

 やはり恨めしい。何故この体は武に秀でてくれなかったのだ。

 ともに蹴り込んでいたなら、あの父を転倒させることが出来たものを。

 

「ゲェフッ!?」

 

 背中あたりを跳び蹴りで蹴り込まれた父は情けない声を出して驚いていた。

 どうにも声がわざとらしい気がするのだが……うむむ……いや、ないな。

 あのぐうたらが、子高姉さまが蹴り込む前から気づいていたなど。

 うむ、有り得ない。有り得ないからそれでいい。

 

「え、あー……し、子高? 急に蹴ったりしたら危ないだろう?」

 

 父はへらりと笑う。

 蹴られたというのに文句の一つも飛ばさない。

 今の言葉が文句だとするなら、もっと怒った風情で言うべきだ。

 やはりぐうたらである事実に負い目でも感じているのだろう。何事も強く言えない立場なのだきっと。そうに違いない。

 しかしあのへらへらはいけない。

 なにかこう、無いだろうか。遠くからでも隠れて攻撃出来る武器がほしいな。

 音も鳴らさずに、べつに凄く痛い必要なんてないから、ぺちりと当てられるなにか。

 うむむ……お、おおっ!? 子高姉さまの攻撃が始まった!

 ふはははは父め、為すすべなく慌てておるわ!

 そうです姉さま! やってしまってください!

 

「ハッ!?」

 

 いや、落ち着こう。

 どうも私は興奮すると思考や口調が乱れて……なんとかしなければ。

 

「うん」

 

 じっと見守る。

 蹴られるままの父は蹴られるたびに軽く引き、子高姉さまはそれを詰めてまた蹴る。

 もっと上手く防ぐなり方法があるだろうに、父の防御は随分と不恰好だ。

 あんな調子では“ここが蹴りやすいですよ”と教えているようなものだ。

 当然子高姉さまは隙だらけであり蹴りやすい位置に差し出されたそこへと蹴り込み、父はまた引いては姿勢を変える。

 うん、やはりだめだな。父はだめだ。なっちゃいない。

 私は武に恵まれなかったが、あれはないと思う。

 

「!?」

 

 しかも、終いには逃げ出す始末だ。

 子高姉さまも慌てて父を追い、私もヒソリと後を追った。

 駆ける父は、子高姉さまに簡単に追いつかれ、蹴られてはまた慌てて逃げる。

 中庭に出てからはまるで追いかけっこのように、情けなく逃げ惑う父とそれを追う子高姉さまの姿があった。

 父はあれで、身体能力が無いなりにすばしっこいらしく、木を利用して上手く逃げたり石段を上って城壁に逃げたり、時には躓いて慌てたりと……まあ、なんとも情けない。

 そんな情けない姿を追う子高姉さまは、狙った獲物を追い詰める獣のように楽しげだ。

 

(それにしても……)

 

 あんななにもないところで躓くなど、やはり父はだめだな。

 武に強くない私でも躓くことなど稀だというのに、やはりだめだな。

 きっと私はそんなところだけ父に似てしまったのだ。口惜しい。

 

(?)

 

 しかし、なんだろう。

 見張りの兵が、逃げ惑う父を見てほろりと涙しながらうんうんと頷いている。

 隠れて追う中、近づいてみれば「隊長……! よかったですね隊長……! あんなに楽しそうに追いかけっこを……!」などと言っていた。追いかけっこ? あれは追い詰められているだけだろうに。

 ほら、見てみるといい。追い詰められた父は涙しながら笑顔で───笑顔!?

 

「!? !?」

 

 こしこしと目を擦ってから見てみる……と、気の所為だったようだ。

 なんとも無様に慌てて逃げている。

 そうだ、さすがにそれはない。

 まさか父が人に追われて喜ぶような変態だなどど、ぐうたらだけでも恐ろしいというのにそれはないだろう。

 

「さてと」

 

 そろそろ私も参加しよう。

 父が無様だという再確認も出来たわけだし、子高姉さまの手助けを。

 泣いていたことは知られたくないだろうから、騒ぎを聞きつけたということにすればなんとかなるだろう。

 

「ふふふ、父め。すぐにその恐怖を倍にしてくれよう」

 

 ギラリと目を光らせたつもりになって、たととっと小走りを開始する。

 物陰に隠れて、やってきたところを一気にということも考えたが、それでは騒ぎを聞きつけてという理由が弱くなる。なので突撃だ。



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110:IF2/受け継がれるヘンテコ部分①

-_-/黄柄

 

 私には父が居る。

 不思議な父。よくわからない父。

 不思議というからにはそれはもう興味が尽きない父であり、……なんとも不思議。

 

「何をしているわけでもないのに慕われていること、近づくとすぐに気づかれること、部屋に居る時は絶対に私たちを近寄らせないこと、何より母に私を産ませたこと」

 

 本当に不思議だ。

 いったいなんなんだろうかあの父は。

 絶対に何かを隠しているに違いないのだが……真実に近づこうとすると、いつの間にか距離を離されている。それがまた不思議でならない。

 

「そんなわけで邵」

「は、はい、なんでしょう柄姉さん」

 

 邵、と呼ぶと、びくーんと肩を弾かせてパチパチと瞬きをする周邵。

 引っ込み思案というか目立つことを嫌うというか、どうにも声をかけただけでもおどおどだ。もっと真っ直ぐになればいいのに、まったく。

 

「邵は気配を消すのが得意だったな。私の代わりに父の正体を暴いてはくれまいか」

「しょ……正体……?」

「そう、正体だ。父め、絶対に私たちになにかを隠しているに違いない。邵はおかしいとは思わないか? 私たちが寝ている時や鍛錬している時、少しずつ任され始めた仕事などで手を離せない時、あの父は私たちの目から外れるのだ。私はその時にこそ、父は何かをやっているに違いないと思うのだ」

「父さまは、父さまですよ……?」

「うん、父は父だ。もちろんそうだ。あの母に私を産ませた父だな。あの母だぞ? ただの父であるわけがない。今だってほれ」

 

 ちょいと指を差してみると、母が陸延と袁術さまを引きずって中庭に向かう姿が。

 鍛錬ならばついていくところだが、あの雰囲気は説教だろう。

 なにせ袁術さまが「みぎゃー! 何をする離せぇえっ! 妾はきちんとやっておったであろー!?」と叫んでいる。巻き込まれたのだろう。

 

「はわー……袁術さま、綺麗ですよねー……。邵もあんなふうになりたいですー……」

「むむ。胸か。母も随分だが、私たちは……」

「………」

「………」

「……柄姉さまはまだいいですよ……邵は母さまがああですから……」

「言うな……。母がああなのに娘がこう、というのも……案外辛いものなんだぞ……」

 

 とほーと溜め息が漏れた。しかしそうしていても何があるわけでもない。

 

「まあそれより父だ」

「乳?」

「胸じゃない。ええい自分で揉むな! 平べったさに落ち込むだけだぞ!」

「…………」

 

 手遅れだったらしい。

 じゃなくて。

 

「父が登姉に追い掛け回されているのは見たな?」

「は、はい」

「それを観察し、隙あらば総攻撃を仕掛けるのだ。現在、述も様子を伺っているようだ」

「述姉さんが?」

「ああ。ほれ、あそこだ」

「……?」

 

 私が促す方向をじぃっと見つめる周邵。

 その先に、ぴょこりと揺れるおだんご二つ。

 甘述は髪の毛をお団子状にして纏め、その上から……あー、なんというんだっけか、あのお団子布は。名前がわからない。ともかく、布で二つ纏めている。

 周邵も似たようなもので、父いわく“ついんている”とかいう結び方をしている。

 ついんている……かっこいい名前だ。

 だが私は父言うところの“すとれいと”……この自然なままが気に入っている。

 すとれいとも格好いいからな! まあ長くて邪魔な分は切ってしまっているが。

 

「しかし述はあれで隠れているつもりなのか?」

「述姉さん、武に弱くても武を思う心は人一倍ですからね……」

「あーあー、兵に笑われてるじゃないか。よし、あの兵は今日の鍛錬の相手に決めた」

「だめですよ柄姉さまっ! 勝手なをことしたら黄蓋母さまの拳骨が……!」

「むう。だが産まれた時期が近すぎて、どっちが姉かもわからん私たちの間の述が笑われたんだぞ。これは我ら三姉妹への挑戦と受け取るべきだろう」

「もし予想外に強すぎたりしたらどうするつもりですかっ!? 絶対に泣かされちゃいますよっ!?」

「む。それは無いと断言出来るが、なにが起こるかわからないのがこの空の下。というか邵、お前はもっと自分に自信を持ったらどうだ。私たち姉妹の中で気配を殺すのが上手いのはお前くらいじゃないか。その氣の扱いの良さを利用して、あの兵をだな」

「まままぁああまま待ってください! どうして私が挑むことになっているんですか!? やややりませんよ!? やりませんからねっ!?」

「……ふーむ」

「? なななんですか? なにか、顔についてますか?」

 

 慌てると妙な口調になる妹を見る。

 本気で慌てたのか、少し涙目だ。

 

「いやなにな、母やらが言うには邵。お前の慌て方は父に良く似ているらしい」

「乳に!?」

「胸から離れろたわけ」

「い、いえ、私も乳が慌てるとはどういう状況なのかと少々………………あ、慌てついでに大きくなったりとか」

「子供のうちから大きい小さいと嘆いている暇があったら、国のために出来ることを探すべきだろうが。いいか邵。酒は敵だ。あんなもの、酔えば判断が鈍るし臭いし不味いしでいいことがないんだぞ。母は何故あんなものを美味そうに飲むのか。ああわからんわからん」

「柄姉さまの場合、ただ嫌いだからそう言うだけですよね? 好きな人にとっては大事なものなんですよきっと。はいっ」

 

 しかしあれは飲めたものじゃなかったぞ。

 一番上の丕姉……てっぺん姉でさえ無理をしてようやく飲めるくらいだ。飲んだあとは涙目だし。

 大人になれば味がわかるのだろうか。

 ……大人になるって謎だな。不味いものが美味く感じられるなんて、理解が追いつかない。

 

「まあ、それより父だ。今日こそ正体を暴いてくれよう。真実弱き父なのか、それとも爪を隠した猛獣的な素晴らしき父なのか。……後者がいいなっ、後者がっ! 邵もそう思うだろうっ?」

「父さまは父さま、です」

「なんだつまらない。邵はいつもそうだな。なんだ? てっぺん姉のように父には興味がないのか?」

「………」

 

 訊いてみると、周邵はフイと顔を背けてしまった。

 父の話に踏み込もうとするといつもこうだ。

 本人は隠したがっているようだが、周邵の父好きは周知の事実だ。

 別に止めたりしないから、存分に甘えればいいものを。

 あの父のことだ、それはもうでれでれな顔で迎えるに決まっているのに。

 

(言ってやるやさしさはあるだろうが、生憎だな邵。……正体がわかっておらん謎多き父に、お前を向かわせるわけにはいかんのだ!)

 

 実は本当に、真実立派な父だったら心から尊敬するぞ父よ!

 なにせこれまで、私たちに正体を見せずに隠してきたのだ! それのみでも十分に素晴らしいことだ! なにせいっつも人を見透かしたような態度のてっぺん姉までをも手玉に取っていたことになるのだから!

 てっぺん姉はどうにもいかん。姉妹間のふれあいというものをてんで考えていない。

 私は一人でいいとか私一人で十分だとか、そんなことを考えて生きているに違いない。

 そんな人生はつまらんだろうに。

 だから私は父の正体を暴き、てっぺん姉に父のことを認めさせ、それらを架け橋に今一度姉妹仲というものを見つめなおそうと思うのだ。

 故に本当にぐうたらだったら、その時はこの黄柄も牙を剥こう。

 くくく、父め。今から首を洗って待っているがよいわ。

 父の首という首を、それはもう大変なことにしてやる……!

 

「……なぁ邵? 首、とつく部位は人体にどれほどあっただろうか?」

「ふえ? えーと、ですね……首、手首、足首、…………~……!」

「わかったもういい喋るな。父の乳首を攻撃する頭の悪い自分を想像してしまった」

 

 頭を抱えて蹲ってしまう。

 それを見た周邵が「困ってる時の父さまみたいですね」と言ってきた。

 ……なんだかんだで私たち姉妹は父に似ているところがあるらしい。

 無意識だったというのに、なんということだ。

 

「まあそれはそれとしてだ邵。さあいけ」

「本当にやるんですか? 気配を消して父さまを追う、なんて」

「もちろんだ。見ろ、散々と追っては蹴りを繰り返していた登姉が、ついに父より先に疲れ果てた。その後ろでずっと追い掛け回していた述はその前からぐったりだ」

「でもでも、這いずってでも追おうとする述姉さんの根性は、見習うべきところがっ!」

「本当に。どうして武に恵まれなかったのだろうなぁ」

 

 産まれた時、人は独特の氣を持って生を受ける。

 知る限り、種類は大きく分けて二つ。

 いわゆる“武”に向いている氣と“知”に向いている氣だ。攻守の氣とも言う。

 私も周邵も武の氣を持って産まれたようだが、甘述は知の氣を持って産まれた。

 父より母が好きな甘述にとって、当然それはよろしくないことだった。

 

「まあ、私たちが言っても仕方が無い。行こう。むしろ行け」

「柄姉さまは言うだけだからいいですよね……姉さまたちに気づかれたら怒られるのは私じゃないですか」

「大丈夫だろう。邵が危機になれば、あの父が黙っていない。……たぶん。娘には甘いからな。というかいつも誰かに甘い父だ。怒ることなんてあるんだろうか」

「さあ」

 

 言いつつ、何故かフンスと鼻息も荒く前を向く周邵。

 何が周邵の心を刺激したのか、物凄いやる気を見せている。

 なにが、というか……父が黙っていない、って部分に賭けてみる気になったのか?

 ……黙っていないのは確かだろうが、怒らない父だからこそ“庇う”ではなく仲裁しかしないと思うんだが。それはお前を助けているわけじゃあないんだぞー……?

 

「………」

 

 言わないやさしさ……なるほど、これがそうだな。

 なにより面白そうだしほうっておこう。やる気に水を差すのはよくないものな。

 

「?」

 

 水を差すというが、反対の言葉は熱湯でいいんだろうか。

 ……なるほど、熱くなりそうだな。心も体も。おまけに沸点も。

 




なんということでしょう。
4月愚者というステキな日に、なにも出来なかった……!


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110:IF2/受け継がれるヘンテコ部分②

-_-/周邵

 

 私には父が居ます。

 不思議な父であり、面白い父です。

 子供の頃から忙しい世界の中で、のんびりと自分の流れを崩さない父が、私は好きです。姉妹のみんなは苦手としているようですが、なんとなくわかることもあるのです。

 私は……母譲りなのかどうなのか、氣というものを感じたり使ったりするのが得意で、会うたび会うたび父の氣が変化していることを知っています。

 それはやさしいものだったり力強いものだったりと、忙しいものです。

 不思議、といったからにはそういうところにも不思議なところがあって、どうにも父さまは氣を二種類持っているようです。知に向いた氣の在り方は甘述姉さまの波長で知っていますし、武は言うまでもなく知ってます。

 それら二つを合わせたものを持つ父さまは、柄姉さまが感じている通り普通の人ではないと、私も思っています。どう普通ではないのかなんて、氣を二つ持っているだけでも十分なのですが……言った通り、父さまは父さまです。

 私たちが見ていない場所ではどんな父さまでも、私たちが知る姿がぐうたらと呼ばれていようと父さまは父さまです。

 

「…………はぁ」

 

 そんな判断が出来る自分のくせに、“姉妹が嫌っているから自分も嫌わなければ”という、嫌な状況を受け入れてしまっている事実に嫌悪感を抱きます。

 もっと小さな頃はよかった。

 父さまと一緒に歩いて、父さまの首にぶら下がって、父さまにおんぶされて、父さまに抱っこされて……はうう。

 

「うー……」

 

 父さまの傍は……なんというかこう、落ち着きます。

 他の人とはこう…………か、香り? が、違うといいますか。

 この周邵、嗅覚なら動物にもほんの少し遅れをとらない自信はありますし、動物的に匂いでその人が善か悪かを嗅ぎわけることくらいきっとたぶん出来るつもりです。

 その私が言いましょう。父さまの香りは他の人とは違う。

 これは、なんばんおーさま……孟獲さまが父さまの傍に居たがる感覚に似ているものだと思うのです。確証なんて誰が証明してくれるものでもありませんが、私の動物的勘がそう言っています。私が勝手にそう決めているだけですが。

 だだ大丈夫です。孫策さまだって勘頼りだけどその勘に絶対に信頼を置いています。

 私だって勘を信じ続ければ、いつかはそんな勘が芽生えるに決まっていますです。

 

「いざ……!」

 

 そんな父さまの氣に紛れるように、自分の氣を周囲に溶け込ませてゆく。

 その上で、じりりと父さまの後を追う。

 大丈夫です、気配を消すのは得意です。

 なにせ母さまにも褒められたくらいですからっ! 胸だって張っちゃいます! どーん!

 ……じゃなくて。

 落ち着きましょう、気配を殺してまで胸を張るって、おかしな子です。

 

「………」

「………」

 

 黄蓋さまと交代するようにして中庭をあとにする父さま。

 気配を殺したからには足音にも注意です。

 隠れる際には、焦りすぎて茂みなどの影に隠れるなぞ持っての外。

 何故なら草などは音を出しやすいし、足元に枝が落ちている可能性が高いのです。

 そんな場所を良しとしては、すぐに見つかってしまいますです。

 

「───」

 

 なので気配を殺しつつ後を追う。

 これこそ、自分が足音にさえ気をつければいいだけの追跡方法というもの。

 でも姿までは消せるわけもないので、父さまの意識が向いているところの外を常に意識しなくてはいけません。気配を殺して意識もする……気配を殺すのは大変なことなのです。

 これを堂々とやってのける母さまや甘寧さまがどうかしているんです。

 特に甘寧さまの気配殺しは怖いくらいです。母さまは自然の中でこそそういうことが上手いのですが、甘寧さまは場所が何処であろうと自分を溶け込ませてみせますから。

 

(精進あるのみですね。がんばりますっ)

 

 むんっと小さく……えと、が、がっつぽーず? というものを取ってみる。

 まだ父さまと堂々と遊べていた頃に、父さまが教えてくれたことだ。

 頑張る時はこれをすると気合が入ると。

 

(そんなことを教えてくれた父さまのあとをつける……邵は悪い子ですね)

 

 とほーと溜め息。

 途端、先を歩く父さまがびくーんと肩を弾かせ、辺りを見渡し始めました。

 

(え? なに? なにごとですかっ?)

 

 焦り、すぐに父さまが意識している場所の外へと隠れる。

 隠れつつ様子を見るのは当然忘れません。

 

「……邵? いるのか?」

 

 気づかれてますっ!?

 えぇええええっ!? どどどどうしてっ!? なぜですかっ!?

 気配殺しは完璧です! 油断だってしていません!

 なのになぜっ!? 父さまには野生の勘でもあるんですかっ!?

 

「気配は……ないよな。音もしないし。でもなぁ、これはなぁ。雪蓮じゃないけど、なんかわかっちゃうっていうか……あ、っとと! いやいやわからないぞっ!? いやーはははきっと俺が勘違いしただけだー! べべべべつに南蛮サヴァイヴァル生活で身に付けた野生の勘がどうとかソンナコトナイヨー!?」

 

 ごくりと喉を鳴らして息を潜めていたら、急に妙なことを言い出す父さま。

 さば? なんたらがどうとか言ってますが、意味がわかりませんでした。

 

「勘ってすごいのな……気配なんてないのに気づけることがあるなんて。雪蓮が勘頼りになるのも頷けるっていうか…………はぁ」

 

 カリ……と頭を掻いてから、父さまは歩き出します。

 風邪引くなよー、なんて、誰に向けて言っているのかもわからない調子のままに。

 

(……私に言ってくれたのでしょうか)

 

 気配は消してあります……よね?

 うん、消えてます。

 現に、今横を通って父さまの背に飛び乗った袁術さまも、私には気づかなかったようですし。

 

(そういえば父さま、誰かが泣いてるとすぐにすっ飛んできます)

 

 親だからこそ働かせられる勘、というものなのでしょうか。

 妙な繋がりを感じて、少し嬉しくなってしまいました。

 たとえ普段がぐうたらだとしても、家族を思う気持ちはそんなにも強いって証拠じゃないですか。これは喜ぶべき事実です。

 

「主様! 主様ぁ! 黄蓋のやつがいちいちうるさいのじゃ! 妾は真面目にやっておったのに! なんとか言ってやってたも!」

「あっはっはっは、美羽はいつまで経っても甘えたがりだなぁ」

「当然であろ? 主様と妾の仲なのじゃ。無論、主様が嫌がることなど妾、絶対にしないでの。……い、嫌ではないであろ? ないであろ?」

「男ってのは、甘えてくれる人には弱いもんだよ。特に、今の俺は」

「お、おぉおっ? どどどどうしたのじゃ? なにゆえに落ち込んでおるのじゃ?」

 

 物凄い陰を身に宿し、袁術さまにしがみつかれたまま歩いてゆく父さま。

 ……重くないんでしょうか。なんか普通に歩いていってしまいましたけど。

 っとと、追うんでした、そうでした。

 

「……追って、どうすれば答えが出るんでしょうか」

 

 謎です。

 ぐうたらの証明でもこの目に焼き付ければいいのでしょうか。

 それとも本当は凄い人だったという証明を得ればいいのでしょうか。

 ……後者にはとても興味があります。

 もし本当に凄い人ならば、みんなも父さまを好きになって、私も堂々と父さまに───

 

「………」

 

 むずむずします。

 口がむずむず。絵で描いたら波線みたいな口になってますきっと。

 けれども私は人に意見するのは苦手です。

 何かをこの目で見たとして、それを事細かに説明しろと言われても、きっと出来ません。黄柄姉さま相手や呂琮相手なら、まだ平気なんですが。

 

「……いっそ父さまに真っ直ぐに訊いてみればいいのですよねっ」

 

 胸の前でぽむんっと手を叩き合わせた。

 母さまの癖だ。いつの間にか伝染っていた。

 

「そう、簡単なことです。父さまに近づいて、父さまに声をかけて、父さまに、父さまに父さまに」

 

 ジリリと気配を断ちながら近づく。

 視線の先にはとぼとぼ歩いていた父さまと、その首に背中から抱きついてしがみついたままの袁術さま。

 

「ちか、ちかか、ちか……!」

 

 近づいて、声を声を声を

 

「はわぅあぁあーっ!!」

「のわぃっ!?」

「ほわぁっ!? ななななんなのじゃ!?」

 

 声をかけようとしていたはずなのに、いつの間にか目がぐるぐると回っていた私は父さまの膝の裏に蹴りをかましていました。

 突然のことに膝を折る父さまと、急にがくんときて驚く袁術さま。

 そして、自分がしたことにハッと気づくと、すぐに気配を殺し直して隠れる私。

 

「何事じゃ主様! 急にかっくんされるとさすがの妾も危ないのじゃ!」

「どんなさすがなのそれ! ていうか……」

 

 父さまが私が隠れている方向を見てくる気配がする。

 気配でそこまで解るのかと訊ねられそうですが、視線というものにはきちんと気配が宿るものなのです。視線を感じる、とかよく言いますが、まさにそれです。

 

「……なぁ美羽。娘に好かれるにはどうすればいいんだろうなぁ……」

「きっともう手遅れなのじゃ」

「素直にひでぇ!?」

「もう散々と娘娘と騒いだであろ? そろそろ子の自立を認め、もそっと妾との時間を作るのはどうじゃ? 良い機会なのじゃ」

「時間といえば……いつ元の姿に戻るんだろうなぁ美羽は」

「ふみゅ? むー……のう主様? 妾、思ったのじゃが……妾、この姿になってから成長したのかの」

「成長? 成長って……あー……そういえば何年か前にも似たようなことを……」

 

 視線が私から外れたのを感じて、ちらり欄干の影から覗き見てみる。

 と、背から袁術さまを下ろし、興味深げにじろじろと見つめ回す父さまが。

 あ、あれはまさか……品定め、というものでしょうか……!

 そういえば筍彧さまが言っておられました……! 父さまは日々をぶらぶら歩いては、常に街や村などで好みに合う女性を探しているとか……!

 ままままさかそれを袁術さま相手に実行しているのでは……!?

 

「あれだろ? 成長と元に戻る時間が重なって、そのまま子供の姿には戻らずに大人になるんじゃないかってやつ。……さすがにこれから急に元に戻って、永遠に子供の姿のままでとかは無しにしてほしいが……!」

「主様は大人な妾と子供な妾、どっちが好きなのかの」

「どっちが、っていうかな、美羽。美羽が美羽のままならそれで十分だろ。そりゃあ、いろいろな不幸が起こってとんでもない状況になって、美羽の外見が美羽と判別できなくなった時、同じことを言えるかって訊かれたら……正直、そうなってみないとわからないけどさ」

 

 少し困った顔をする父さま。

 苦笑に似たその顔はしかし、次の瞬間には驚愕に変わる。

 袁術さまが父さまの襟首をわしりと掴み、がっくんがっくんと揺らし始めたのだ。

 

「ぬぬぬ主様っ!? 主様は妾がひどい目に遭うと見捨てるのか!?」

「おわわわわ!? ちょっ……叫ぶな締めるな揺らすな! 最後まで聞こう!? なっ!?」

「う、うみゅぅうう……!」

 

 袁術さまは私たちよりもよっぽど、武に取り組んでいる。

 噂では小さい頃は随分と怠け者だったらしいけど、きっと嘘なんだと思えるくらい。

 本当だとして、何が袁術さまをそうさせたのかはわかりません。

 わかりませんが、足も速いし氣も強いし、綺麗だし胸も大きいし、鍛錬している時にだけする“ぽにている”という髪型も、なんだかひどく似合っています。

 あんなに綺麗な方に欠点があるなんて、逆に考えたくないといいますか……。

 完璧人には欠点のひとつくらいあるべきだ、なんて黄柄姉さまは言いますが、私としては完璧な人は完璧であってほしいと思うわけでして。

 

「あー、こほん。…………」

「?」

「いや……なんかもう真面目なことを真正面から言う雰囲気じゃないだろこれ……」

「なんじゃとー!? 主様、人には言いたいことはきちんと言えるようになどと言うておいて……!」

「確かに言ったけど今状況って俺の所為なの!?」

 

 わいわいと騒ぐ二人はとても楽しそうです。

 筍彧さまは、父さまは罵られて喜ぶ男だと言っておられましたが、まさか……!

 

「はぁ……。とにかく、酷い状況になってみなきゃ、その時の言葉なんてのはもちろん出ないわけだけどさ」

「うみゅ? 主様?」

 

 父さまの変態度にカタカタと震えながら二人を見ていると、父さまがふっとやさしい顔になって、袁術さまの頭の上で手を軽く弾ませます。

 

「現在の、“そんなこと”になってない俺には、とりあえず美羽を嫌う理由はてんで無いわけだし。だったらそうならないように気をつけてたほうが、まだ楽しいだろ」

「む。それはそうじゃの。今からわからんことにどうのこうのと言っても仕方ないのじゃ」

「そゆこと」

「ならば主様も、いずれ娘らに好かれる先を考えて行動しておるのじゃなっ?」

「…………」

「ぴあぁあっ!? 主様っ!? 急にどうしたのじゃ主様ーっ!!」

 

 袁術さまがにっこり笑って言葉を返した途端、父さまの笑顔が凍りついて、通路の真ん中に両膝から崩れ落ち、両手をついての物凄い落ち込み劇場が展開されました。

 

「ツライ……現実ツライ……」

「ななななぜ泣くのじゃ? どこか痛いのかのっ!?」

「胸ガトテモ痛イデェス……!」

「おおっ!? 主様がまたおかしな喋り方をしておるのじゃ!」

「いや……無理矢理にでも気持ちを切り替えないといろいろ辛いから……、───ん、よしっ! じゃ、元気を出すためにも中庭で鍛れ───もとい、遊ぶかっ!」

「中庭には黄蓋がおるのじゃ」

「よし別のところへ行こう! 祭さん、陸延の相手してるんだよな!? 一緒に居たら一緒にどうじゃとか言われそうだし!」

「? なにを言っておるのじゃ主様。普段なら喜んで───はぅっ!?」

 

 父さまの言葉から何かを拾ったのか、袁術さまの気配に突然緊張が走る。

 けれども父さまが急に袁術さまを抱き寄せたために、その緊張が一気に霧散する。

 

(ぬ、主様っ……まさか、近くにおるのか……!?)

(ああ……気配はわからずとも、野生の勘というか、父の力というか、ともかく近くに居ることは感じる……! あっちの欄干の影だ……間違いない……!)

(な、なんと……! まるで気配を感じなかったのじゃ……!)

 

 ちらり、と。

 なんだか袁術さまが一瞬だけこちらを見た気がしました。

 まさかばれてしまったのでしょうか───! などと緊張を張ってしまった途端、私の横をトトッと通る……お猫さま!

 

「………………主様」

「いや違うよ!? さすがに猫とは間違えないからね!?」

 

 なにやら父さまが慌てていますですが、わわわ私の目はもうお猫さまに釘付けで……あ、ああ……もふもふしたい……! してしまいたいですっ……! こんな切ない想い───!

 

(……なるほどの、周邵なのじゃ)

(やっぱり邵だったか……猫が現れた途端、気配がだだ漏れだ……)

 

 はわあああ……! なんと美しい体毛なのでしょう……!

 抱き締めたい……抱き締めて、そのつややかな体毛に顔をうずめたいです……!

 今なら母さまも居ませんし、もふもふ独り占めですねっ!

 でででではいざっ!

 

「おぉおお猫さ───ふきゅっ!?」

「ちょっとこっち来い」

「柄姉さま!? あ、やっ……これはちがっ……! だだ大丈夫ですよ!? 今すぐにでも尾行を再開───」

「ええいやかましい! 既に失敗しとるわ! 猫を見た途端に気配を消すのも忘れおってからに!」

「え? ───あ」

 

 二人に呆れた目で見られてますっ!?

 あぅううあぁあああ!! ちがっ、違うのですよ!? わわわ私は別にお猫さまにうつつを抜かしてなどっ!

 と、とにかくこのままでは黄柄姉さまに理不尽なお小言を言われてしまいますです!

 ここはなんとか話題を逸らして……! ていうか喉っ! 襟をそんなに引っ張られては喉がっ……!

 

「へ、柄姉さまっ! 口調がそのっ、妙に黄蓋さまみたいにっ」

「それはな? 怒っておるからよ」

「ひうっ!? へへへ柄姉さまっ!? 額に青筋がっ」

「それはな? 怒っておるからよ」

「あぁああぅうあぁああ!! 人に頼んでおいて、失敗したら怒るなんて理不尽だと思いますですよぅ!!」

「やかましい! せっかく父の気が緩んできたというのに失敗しおって! こうなったら特訓だ! 今日からお前を、猫を見てもときめかない女にしてくれる!」

「全力で余計なお世話です!」

「よく言ったこのたわけ! 普段は物怖じするというのに譲れぬものは譲らん態度は実に良し! ……まあそれはそれだから説教はするがな。完全に私の八つ当たりだ、黙って受けろ」

「助けてぇえええええっ!!」

 

 黄柄姉さまに引きずられてゆく。

 そんな私を、お猫さまと……父さまと袁術さまが見送ってくれました。

 

「なんというか……主様の娘じゃの……」

「興奮時の反応で血を感じるって、なんか物凄い複雑なんだけど……」

 

 袁術さまと父さまが何かを言いつつ溜め息を吐いているのを眺めつつ、私は黄柄姉さまの手で中庭まで連れていかれ、そこで陸延姉さまとともに鍛錬をすることになりました。

 今日はお休みの日だったのに……。

 



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110:IF2/受け継がれるヘンテコ部分③

-_-/呂琮

 

 ───。

 

「はぁ……姉さまたちは何をやっているのでしょう」

 

 ぽつりと呟く。

 城内の一番高いところにて目を凝らす先に、ぷんすか怒る黄柄姉さまと、きあーと叫ぶ周邵お姉ちゃん。

 あの二人が組んで何かをしようとすると、大体失敗している気がする。

 ……それは私がやっても同じなのですが。

 

「はぁ……目が良くたっていいことなんてないのに。どうして私は知の氣に恵まれなかったのでしょうかー」

 

 甘述姉さまに言わせれば贅沢な悩みだといいますが、甘述姉さまの悩みだって私にすれば贅沢な悩みです。

 私はもっと頭を使ったことをしたかった。

 こんな、目ばかり良くたって知識面では役立たない。

 私は……そう、目が良いからという理由だけで弓をやらないかと何度も勧誘されているのだ。私は、私は知識を活かして人々が楽しく暮らせる街づくりがしたいというのに!

 

「お陰で鍛錬鍛錬ばっかりで、ちっとも本が読めません……」

 

 今日も鍛錬をサボって逃げ出してしまいました。

 いけないことだなーとはわかっていても、私が目指したいのは知識方面であり武ではないので逃げてしまいます。

 で、逃げた先で孫策さまに見つかって、町に連れ出され、初めて買い食いの素晴らしさを味わってしまってからは……なんというかこう、サボる楽しさというものを身につけてしまったといいますか。

 いえ、私は悪くないですよ? 悪いのはあんなにも美味しかったごま団子です。ごま団子と一緒に飲むお茶のなんと美味なこと。しかもやりたくもないことから抜け出しての至福の瞬間……たまりません。

 最初にサボって買い食いをしているところを見つかった時は、あの冷静さで知られる夏侯妙才さまに大笑いされました。どうしてでしょうね……てっきり怒られると思ったのですが。

 

「むむー」

 

 そんなわけで目はいいです。目は。

 ただ、気配察知とかそっちのほうはとても弱いです。

 氣もそれなりにあるものの、視覚に特化したものらしくて、近接戦闘はまるで駄目。

 いえ、そもそも頭を使うほうが好きなのですから武なんて無くてもいいのですが。

 そんな考えだったからか、妙才さまに言われましたね。

 目がいいのは良いことだが、気づかれずに背後に回られたらどうするつもりだと。

 ええそうなんです。目は良くても気配には疎いのですから、接近されると弱すぎです。

 何度か黄柄姉さまの悪戯で、“周邵姉さんが気配を殺して驚かせてくる”、という恐ろしきものがあったのですが……ええ、一度だけではなく何度も。

 心臓が止まるほど驚くという比喩は、あの時のことを言うのだと思います。

 あまりの驚きに泣き叫び、お手伝いさんに泣きついたのは消したい過去です。

 

「………」

 

 お手伝いさん。

 袁術さまと一緒にわいわいと騒いでいる、白くてきらきらしている服を着ている人。

 あちらこちらで見掛ける人で、やさしい人です。

 姉さまがたはあの人を父と呼んだりしていますが、母の皆様が忙しくしている中にあって、一人自由に動いている人が父なわけがありません。ええもちろんです。

 そう、私には父が居ません。

 母が愛した父は、きっと既に死んだのです。

 国のための勉学を懸命にこなす尊敬すべき母が愛した父……そんな父は、きっと激しい戦いの末に天下に平和を齎し、戦いの中で負った傷が原因で死んだに違いない。

 その頃からお手伝いさんとして働いていたあの人が、私たちの育ての親みたいな感じなのだろう。仕事をしろと姉妹からは言われているけれど、反論しないだけで……あの人にとっての仕事とは、私たちを構うことだったのだ。

 

「あの人はいい人」

 

 父の代わりとしていろいろな人に陰口を叩かれたに違いない。

 その筆頭が筍彧さまなのだろう。

 けれども、嫌う人が居ればわかってくれる人も居る。

 見回りの兵さんや将のみなさまは、あの人のことを好意的な目で見ている。

 仕事をしていないように見えるのに慕われているのは、そうすることが仕事だからに違いない。きっと、いえ絶対にそうです。断言します。絶対に絶対です。

 なのであの人を呼ぶ時は“お手伝いさん”。大丈夫、この呂琮だけはあなたの国への貢献を理解していますよ。頑張ってください。いつもありがとうございます。

 

「………それにしても」

 

 あの人の周りには激しい争いがない。

 なんだかんだで険悪な状況を宥めているし、衝突するものがあればその間に入って緩衝剤になっています。……緩衝剤になって、時につぶれていますが。

 お手伝いさんなのに元譲さまや華雄さまとの衝突の中に突っ込んでいく勇気は、本当に素晴らしいものです。毎度つぶれていますが。

 しかもどうやら私が苦手な気配察知などに特化しているらしく、黄柄姉さまや周邵姉さんが尾行したりするとすぐに気がつく。

 私は……遠くからそんな状況を目で見ていられるので、気づかれていませんが。

 

「柄姉さまが言う、あの人の秘密というものには興味はありませんけど」

 

 能力を隠しているのは確かです。

 “脳ある鷹は一線を画す”でしたっけ? 以前、元譲さまが得意顔で仰っていました。

 確信が持てないのは勉強不足の証明ですね。もっと頑張りましょう。

 でも鍛錬はサボります。私には勉強さえあればいいのです。

 ……とはいえ、倉庫は危険ですね。陸延姉さまが捕まっているところを見ると、書物が置いてある場所は監視の目がきつそうです。

 

「とにかく、今は長所を最大限に利用して、好きなことを延ばすことに集中しへああうっ!?」

 

 高い位置から中庭を覗いていた私のうなじに、とんと軽い衝撃。

 慌てて振り返ると、そこには静かな微笑を浮かべた楽文謙さまが。

 

「ななっ、なななっ……」

「与えられたものから抜け出すとはいい度胸です」

 

 静かな笑みなのに怖いです!

 目を細めて笑ってらっしゃるのにとても怖い!

 

「どどどどうしてここがっ!?」

「隊長に散々と鍛えられた私に死角はありません。むしろ人の波に混ざろうとしないだけ、あなたを見つけることは容易い」

「う、ううう……逃げ助けてぇええっ!!」

 

 逃げるが勝ち、を言い終えることもなくあっさり捕まりました。

 そしてずるずると引きずられてゆく私。

 

「うう……あのー、今さらですけど、どうして文謙さまは私に敬語を?」

「隊長の娘であるあなたに失礼は働けませんから」

「曼成さまと文則さまは、ものすごく普通に話しかけてきますよ?」

「あの二人は特別です。隊長相手でもそう変わりませんから」

「………」

 

 どんな乱世をくぐってきたのでしょうね、この人を含めての三人は。

 

「隊長……私の父のことですよね?」

「はい」

「どんな方だったんですか? 興味津々です」

「どんな、とは……ああいう方だとしか」

 

 言って、中庭で袁術さまと戯れるお手伝いさんを見下ろす文謙さま。

 ……ああ、やはりあの人は代役を任せられているんだ。

 

「いえあの……私、知ってるから隠さなくても平気ですよ? 父は……三国の父と呼ばれた尊敬すべき素晴らしき父は……死んだのですよね?」

「何故そうなるのですかっ!?」

 

 珍しく慌てた様子を見せる文謙さま。

 それから、真実を語る私を前に必死になってあの人が私の父だという嘘を語ってくれる、やさしい文謙さま。ああ、この人もいい人だ。私のためを思って、あくまでお手伝いさんが私の父だと言ってくれている。

 

「父は、それはもう素晴らしい人だと母から聞いてます。娘の前で顔を真っ赤にして、聞いているこちらの耳がとろけるくらいに聞かされています。三国の支柱となり、生きる同盟の証そのものとなり、三国の王と種馬という形ではなく本当に好かれた上で、その位置に立っている人だと」

「ええ、はいっ、その通りですっ、隊長は素晴らしい方で……!」

「そんな素晴らしい方が日中歩き回って、娘の状態ばかりを気にしているわけがないじゃないですか。思えばそれを知ることが、父の死とあのお手伝いさんのあり方への確信に近づくきっかけになりまして」

「隊長ぉおおおおおおおっ!!!」

 

 きっぱりと言ったら、文謙さまが頭を抱えて叫んだ。

 

「あぁああ……! 隊長のやさしさが完全に裏目に……! っ……呂琮さま!」

「え? は、はい?」

「いいですか? 隊長は───」

 

 それから、文謙さまは隊長……父の素晴らしさをそれはもう必死に唱えてくれました。

 私が知っていることから私が知らないことまで、それはもう。

 しかも、大変驚いたことに父には私と同じサボり癖があったそうです。

 なるほど、サボったというのに妙才さまが笑っていた理由がわかった気がします。

 というか……父がまさか天から降りた御遣いさまだったなんて。

 三国を導いて乱世に平和を齎す天の使者……素晴らしい響きです。

 そんなサボり癖を持っていた父も、平和な世界ではとてもとても頑張って、さらなる平和を三国に振りまいていったのだとか。

 ……ああ、なんということなのか。

 

「そう……ですか。平和を願い、頑張りすぎたために若くして───」

「だから死んでいないとどれだけ言えばっ!!」

 

 この平和は父のもの。

 天を仰げば、見たこともない父が笑顔で見守ってくれている気がしました。

 

「文謙さま、私……頑張ります。父が愛したこの空の下で、この国のために」

「な、なにか引っかかるところがありますが……ええ、その意気です。では鍛錬を」

「鍛錬は嫌です。勉強を頑張ります」

「自室にこもっている時点でどこをどう受け取れば空の下になるのですかっ!」

「い、家の中も空の下です! それと敬語はやめてください! 父の子だから敬語を話すなら、もし自分に父の子が居たとしたなら敬語で話すつもりだったのですか!?」

「こっ……!? た、隊長と……私の……!?」

 

 文謙さまが顔を真っ赤にして狼狽えます。

 てっきり強い反論がくると思っていたのだ大変驚きました……が、同時に理解してしまったことが。もし父との子が居たとしたなら、と軽く“もうそうすることは出来ない”という匂いを漂わせてみたのに、それに対する反応がないのだ。

 ああ、やはり父は……。

 

「偉大なる父上……一目でいいからあなたに会ってみたかったです……」

「だから勝手に殺さないでください!」

「あ、ではこうしましょう。鍛錬はします。弓のみで。的中一回ごとに父の話をきかせてくださいっ」

「……どこをどうすれば、あの呂蒙と隊長からこんな娘が……」

「その娘の前で“こんな”とか言える文謙さまも相当だと思いますが。えと、こんな言葉を聞きました。“反面教師”というものです。私の場合は母が重度の上がり症で恥ずかしがり屋で、子龍さま言うところの舌足らずなカミカミ語なので、ああなってはいけないと強く思いまして」

「……いや。呂蒙はあれで、自分に自信を持った時などはとても───」

「そして私の中の偉大なる父が、お前はもっと輝けと」

「だから勝手に殺さないでくださいと!! あぁああ! しかし隊長が偉大だと思われていることを否定するわけには……!」

 

 文謙さまの中では、なにやらいろいろな葛藤があるようです。

 頭を抱えてぶんぶんと体を振るようにして苦しんでいます。

 きっと父の思い出を振り返っているのでしょう……心中、察します。(注:できていません)

 

「……呂琮さまは基本、人の話は聞いていませんね……」

「書物に曰く、人の出鼻を挫くのも戦略の内だとか。ただしやりすぎると相手の怒りを買うだけなので、多用は禁物です」

 

 話術は相手の性格を読んで、自分の言葉で相手の反応を操ることから始まります。

 数度言葉を交わしただけで相手の性格が読めれば、もう勝ったも同然です。

 ……ええ、孫策さまや劉備さまには通用しなさそうですが。

 孫策さまは逆に飲まれそうですし、劉備さまはなんというか……少し天然でいらっしゃいますから、気づくと自分のあり方が崩されているんですよね。

 …………曹操さまは言うまでもありません。話術で勝て? 無茶です。

 正面から切られます。どれほど巧みに向かおうとも、横から攻めようとも、わざわざ横を向いてまで真正面から切ってきます。堂々すぎて怖いくらいです。

 

「ところで文謙さま」

「はぁ……はい、なんでしょう」

「東屋の影で、曼成さまと文則さまがなにやらやっていますけど」

「───」

 

 文謙さまのこめかみに青筋が浮き上がります。

 はい、あの二人のことで煽れば、文謙さまの行動は早いというのが経験則です。

 これで文謙さまはあの二人のところへ走り、私は堂々とサボ……あれ? ……あの。この、腕を掴んで話さない文謙さまの手はなんでしょうか。

 

「私の経験から考えて、二人のことで慌てる私は一人で駆け、呂琮さまをサボらせることに繋がるものと思います」

「はうっ!?」

「ただ……あなたはまだまだ浅い。これしきで騙されるほどこの楽文謙、甘くはありません」

 

 それってそれだけ父がサボってたってことですか!?

 ……この真面目な文謙さまをそれだけ躱せるとは……さすがは偉大な父です。

 

「大体、反面教師という言葉が出るのなら、サボろうとするのではなくきちんとですね」

「鍛錬を抜け出して食べるごま団子に勝る食事はないと思います。仕事はします。鍛錬はしません。それが私の反面教師!」

「……呂蒙は文武両道ですが?」

「ううっ!? ……さ、さすが偉大なる母です……私には到底、やろうという気すら起きません……!」

「出来ません以前にやる気すら沸かないのですか……」

「む、向き不向きの問題ですっ、私だって本当はやれば出来る子でっ」

「ではやりましょう」

「え、あ、えとその、明日から───助けてーっ!!」

 

 結局中庭まで連れていかれました。

 そののちは当然というか、黄蓋さまにみっちりしごかれ……その視界の隅で、東屋に隠れていた曼成さまと文則さまが文謙さまに怒られていました。

 怒られている二人がなぜ正座だったのかはわかりませんが、三国ではいつの間にか常識的に広まっているらしいです。

 



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111:IF2/それでもそんな自分をマイペースって言える①

-_-/劉禅

 

 ……昼が過ぎて夜がきた。

 

「んー……んっ」

 

 ととさまの手の上で、氣が燃える。

 ここはととさまの部屋。

 普段は私たち子供は立ち入り禁止となっている場所で、ととさまは鍛錬をしていた。

 

「お見事です、隊長。随分と慣れたものですね」

「頑張ったもん」

 

 一緒に居るのは文謙さま。

 ととさまの氣の様子を見て、ほう、と溜め息を吐いていた。

 もちろん嫌な意味での溜め息じゃなくて、感心しかないもの……だと思う。

 対するととさまは褒められて嬉しかったのか、子供みたいな口調でにっこり。

 

「いやー、凪みたいに燃え盛る氣を作るにはーとか考えに考えて、鍛錬に鍛錬重ねてようやくだよ。これは純粋に嬉しい! なんかっ……こうっ………………た、たた喩えられる言葉が見つからないけど、とにかく嬉しいっ!」

 

 ととさまは信じられないくらいに鍛錬の鬼です。

 暇を見つければ仕事と鍛錬。仕事が終われば娘たちとの遊ぶ時間を設けて、誰とも遊べなければ鍛錬。

 これを知ったら、お姉さまがた……特に曹丕姉さまと甘述姉さまはととさまを見直すと思う。でもととさまは、教えようとはしない。どうしてなんだろう。

 

「ととさま、それが出来るようになるまでどれくらいかかるの? 禅もやってみたい」

「…………8年」

「………」

「……その。お疲れ様です、隊長」

 

 とても時間がかかるようだった。

 しかもととさまの鍛錬は内容が氣についてばかりなのに、それでも8年かかったということは。……他の誰かがやるとなると…………考えたくない。

 

「禅にも……出来るかなぁ」

「───」

「隊長!?」

 

 私にも出来るだろうかと訊ねると、ととさまがぴしりと固まった。

 固まったら、少ししてカタカタと震えだす。

 

「デデ、デデデデキルンジャナイカナ……!? ミミッ───ミミミミミンナ才能ノ塊ダシ……!? イツカノ桃香ダッテ少シ教エタラスグニ剣閃デキタシアワババババ……!!」

「隊長! お気を確かに!」

「………」

 

 ととさまの発作が始まった。

 ととさまはなにも、最初から才能に恵まれていて何でもできたというわけではなくて、ここまで出来るようになるのに相当苦労したらしい。

 最初の頃なんて氣すら全然使えなくて、各国を回りながら必死で……本当の意味で必死で頑張って身に付けたんだとか。……“気脈を強引に広げる方法で一度死にかけたことがあるんだぞー”なんて、笑いながら語られた時はどうしようかと思った。

 でも、だからなんだろう。

 少し教えただけであっという間に技術を吸収する子供たちが羨ましいらしい。

 教えた傍からあっさりとやってみせる存在は、今までの手探りな努力も簡単に越えてしまうんだなぁ、なんて寂しそうに言っていた。

 

「八年……八年頑張ってようやく出来た力が、もしあっさり行使されたら……!」

 

 カタカタと震えるととさま。───が、突然ぴたりと停止。

 

「すごい才能だよなっ!」

 

 ととさまはドがつくほどの親ばかだった。

 

「ようし禅! 今からととさまが氣の燃やし方を教えてやるからな~!? これが出来たらお前も立派な三国武将の仲間入りだぁーはははははぁーん!!」

「隊長! 笑顔なのに涙が止まってません!」

 

 親ばかだけど、自分の才の量は理解しているあたり、奇妙なところで人間が出来ているのかもしれない。

 涙をこぼしつつも笑顔で、ととさまが私の手にキュムと触れる。

 ととさまは人の氣を探るのが上手だ。

 それを簡単に引き出すことが出来て、私ももうある程度氣を操ることが出来るようになっている。

 

「ねぇととさま。ととさまはどうして、お姉さまたちにはこのことを教えないの?」

「───」

 

 言ってみる。と、ととさまはひどくやさしい顔をして、私の頭を撫でた。

 

「反面教師って言葉があってね。俺がぐうたらでだらしない男だってだけで、ああはなるまいと強くなってくれるなら、俺がどれだけ嫌われようがそれでいいんだよ。その勢いの強さがそのまま国のためになる。……俺はまだ、この国に全然返せてないからね」

「隊長……」

「えと。最初から全部曝け出してれば、こんなことにはならなかったんじゃ……」

「自覚があるんだよ。それじゃきっとだめだったって思えるほど。甘やかしてばっかで、娘を堕落させる自信だってある。ある意味これでよかったんだとさえ思えるくらいだ。特に曹丕はね、強く育ってくれてる。華琳の背中を追ってるなら問題はないさ」

「でも。それじゃあととさまが……」

「俺はいーの。そりゃあお前達が産まれる前からやりたかったことなんて、大して叶ってもいないけどさ。ぐうたらだとか怠け者とか……なんで母はあんな男を、なんて思われてもさ」

 

 やさしい笑顔のままに、本当に壊れ物でも扱うくらいにやさしく頭を撫でるととさま。

 そんなととさまが言う。

 

「産まれてきてくれてありがとうって言えたことを、ちっとも後悔できないんだ。それって、単純だけど幸せなことだから」

「……寂しくない?」

「はっはっはー、ととさまはこう見えてもい~っぱい知り合いが居るんだぞ~? 王も、将のみんなも、兵も……街のみんなも。だからな、禅。ととさまが寂しそうだから~とかそういう理由で、なにかしらのきっかけを逃したりなんかすることないからな? なにかあったら、俺よりも別のことを優先すること」

「やだ」

「へ? …………ははっ、そっか。いい子だなー禅は。あ、桃香の子だから~なんて言うつもりはてんで無いからな? 俺は相手が子供だろうが、その個々の在り方こそを認めます。誰かの子供だからこうなって当然なんて、ひどい押し付けだしな」

「う、うー……それ、登姉さまに言ってあげて?」

「甘いぞ禅。……言って、既に蹴られた」

 

 物凄く陰の差した遠い目をされた。

 ここはととさまの部屋だし、遠い目をしたって見えるものは変わらないはずなのに、ずっと遠くを見ているんだろうなって思わせる……そんな目だった。

 

「自分に才がないのはあなたに似て産まれた所為だ、なんて言われもしたなぁ」

「隊長に似たのならば、むしろ才があるのでは? 私にしてみれば、剣にしても氣にしても、少々教えただけで飲み込めたことに驚いたくらいです」

「あれは才とかじゃなくて、天のー……あーっと、……イメージ、じゃわからないか。天でよくある題材めいたものを、自分なりに纏めてやってみた結果なんだ。俺が凄いわけじゃない」

 

 「及川ならきっともっと上手くやるって」なんて言って、ととさまは笑う。

 ……及川というのは、ととさま言うところの天に住む友人らしい。

 どんな人かと訊いたら“怒った顔が怖いヤツ”と言われた。

 誰でも怒った顔は怖いと思うんだけど、どうにもその“怖い”の意味が違うみたい。

 

「その。隊長? その及川、という人物には、なにかしら齧ったものが……?」

「ああ、うん。女性との付き合い方が異常なくらいに上手かったな。なのに特定の彼女が居ないっていう不思議なやつで……」

「───」

 

 文謙さまの目が、どの口がそのようなことを仰るのですかと言っている。

 ともあれ、話しながらも私に氣の燃やし方を教えてくれたととさまは、さあ、と私に促してくる。

 こくりと頷いて言われるまま、氣を誘導されるままに集中してみれば、体外に球状として出した氣がくるくると回転して…………ぽすんっ、と消えた。

 どうやら上手くいかなかったらしい。

 

「…………隊長。顔が大変なことになっています」

「自覚してますごめんなさい!」

 

 瞬間、ととさまの顔は安堵なのか悲しみなのか、どっち着かずの顔になっていた。

 八年が一瞬で乗り越えられたらどうしようという不安とか、そうならなかった安心とか、我が娘ならきっと出来るという期待とか出来なかった瞬間の“続ければ出来るさ”という期待とか、ともかく何もかもを混ぜたおかしな表情。

 

「うう、ごめんなぁ禅。弱い父を許してくれ……」

「えと、うん。物凄く人間らしいととさまだなーと思うよ?」

「うう……そうか、人間らし───人間らしい!? え!? 今まで俺人間らしくなかったの!?」

「そ、そうじゃないよぅ!」

「落ち着いてください隊長」

「はうっ!? ……わ、悪い。娘に人間じゃないなんて真正面から言われたのかと」

 

 ととさまは立派なんだけど、どこか抜けてます。

 将のみなさんに言わせると“だからいい”そうで……完璧な人と一緒に居るのは息が詰まるみたい。

 

「ととさまは完璧な人は嫌い?」

「またいきなりな質問だな……」

「誰に似たのでしょうね」

「遺伝よりも影響で考えていこうね、凪。で、影響したとするなら雪蓮あたりじゃないかなぁ。話題、ころころ変えるし」

「話題に事欠かないという意味では、隊長もあまり変わりませんが」

「え? そう?」

 

 きょとんとするととさまだけど、それはそうだと頷ける。

 だってととさま、黙ってる時間なんて氣の集中をしている時くらいだし。どこからそんなに話すことが出てくるのか聞いてみたいくらいだ。

 でもその前に話を戻そう。

 

「ととさま」

「質問の答えだよな。ん、忘れてないから安心しろ。で、答えだけどー……そだな。完璧な人は嫌いっていうか、苦手かもしれない」

「───! た、隊長っ!」

「おゎぁおっ!? ぇどっ……どうした、凪……?」

「隊長……! それは、それは華琳様が苦手という意味で……!?」

「? ……苦手、って……いや、好きだけど?」

「いえっ、好きとかそういう意味ではなくてっ!」

「? …………あっ! 完璧な人の話か!」

「話が繋がっていなかったのですか!?」

「や、だって……華琳って完璧か? あれで結構おかしなところでポカするだろ。桃香に料理教えてたら味付けの指示を忘れたこととかあったし」

「あ、あ~……あっ!? い、いえ、しかし軍事では完璧な……」

「一点での完璧さなら三国に呆れるほど居るだろ。そういう人が集まって支えてるのが三国なんだから、まあ……なんというのか。完璧な人でいるのって、結構寂しいことだと思うぞ? 嫌いとかそういう話じゃなくてさ」

 

 「ところで凪。今華琳のことで思いっきり納得したよな?」「していませんっ!」……そんな小さな会話が二人の間でされた。  

 文謙さまは普段は凛々しくて真面目で、言ってしまうと硬い印象があるのに、ととさまの前だとすごく……なんというかこう、柔らかいというか、ふにゃふにゃというか。とても口には出せないけど、多分これが一番ぴったり。“かわいい”。

 

「そんなわけだ、禅。ととさまは完璧な人は苦手だ。なんていうのかな。一人で十分な人の周りには、それを利用しようとする人しか集まらない。足りない部分を補おうって気が無い人と一緒に居ても、一人でなんでも出来る人と一緒に居ても、なんかこう……楽しくない気がしないか?」

「……ととさまは意地悪ですね」

「はい。意地の悪い質問です。完璧な人相手だろうと、その人が気に入れば傍に居るのが隊長でしょう」

「うぐ……」

 

 目を伏せ、やれやれといった感じで喋る文謙さまを前に、苦笑を漏らしながら頬を掻くととさま。

 ととさまが人を嫌うという状況は、不思議なもので全然想像がつかない。

 悪口をどれだけ言われても文若さまとは本気の喧嘩にはならないし、元譲さまが剣を片手に襲い掛かっても、叫びはするけど本気で怒ったりはしない。

 ……怒ることなんてあるのかな、って思うくらいに温和な人だよね。

 その代わりかどうなのか、悲鳴みたいな声をよくあげてる。

 夜の鍛錬では特に。

 文謙さまと夜の鍛錬をした時も、氣弾で城壁の一部を壊しそうになっちゃって……女の子みたいに「キャーッ!?」って叫んでたし。

 

「ととさまって能ある鷹なの?」

「いきなりだなぁ……能なら残念ながら───」

「女たらしですね」

「凪さん!?」

「あー……」

「禅さん!?」

 

 ととさまが驚いた表情で私と文謙さまを交互に見るけど、納得できてしまう。

 だっていっつも違う女性と一緒だ。たらしだと言われても仕方ない。

 たらしの意味なら文若さまによーく教えられたから知ってるもんね、間違いないよ。

 そのことをあたふたするととさまに言ってみると、笑顔で「もうあいつが神でいいから真桜にチェーンソー作らせよう……」と涙しながら言ってた。ちぇーんそーってなんだろ。

 でもととさまってふしぎ。

 自分の娘相手でも“禅さん!?”とか言ったり、冷や汗みたいなの流しながら笑顔でやさしい言葉をかけてきたり。それとも普通の親ってこんな感じなのかな。

 もし違うなら……うん。面白い人が父親でよかった。

 

「ねぇねぇととさま」

「な、なんだい禅。女たらしじゃないこの父になんの用だい?」

「いつか禅が誰かと一緒になっても、変わらないととさまで居てね?」

「───」

「隊長!? 何故吐血を!?」

 

 笑顔のままに口の端から器用に血を吐き出すととさま。

 それからカタカタと震えだしたと思ったら、

 

「ぜ、ぜぜぜぜ禅サン……!? もももしや、気になるヤロッ……男の子でも、いいい射る……もとい、居るのカナ……!?」

 

 口が歪んで、眉も八の字で、コメカミでは青筋がばるばると躍動してて、なんというか面白い顔のととさま。……えと。なんだか言っちゃダメだった言葉みたいで、ととさまからモシャアと黒い氣のようなものが。

 でも……気になる男の子? 男の子……ととさまも男の子だよね?

 

「うん、居るよ?」

「俺の拳が血を求めている!!」

「落ち着いてください隊長!!」

「HAHAHAァ! なにを言ってるんだィ凪さァん! 僕は冷静さ! 相手は禅を幸せにしてくれるかもしれない男だよ!? そんな相手に対してぼぼぼ僕がなにかするだなんてハッハッハァ!! ただ、たたたたタタたたただ、貴様のような男にお義父さんなんて言われたくなななナイダケデ……! オ、怒ッテナイョ凪サァン! ワタシ全然怒ッテナイヨゥ!! タダチョットソノガキブチノメシテミタクナッチャッタナーミタイナ全軍突撃ィイイイイッ!!!」

「だから落ち着いてください!」

 

 ととさまの体から氣が溢れ出して、それが頭上で“滅”の文字に象られる。

 すごいなー、ととさまは。私じゃああんなのできないよ。

 なんて、私がじっとととさまを見つめていると、文謙さまと話し合っていたととさまが私に向き直って、相変わらず引き攣った笑みを浮かべながら質問を投げかけてきた。

 

「ぜ、禅ー? その気になる相手っていうのは誰のことなのカナー? とととととととさまにちょっと教えてみてくれないかなー?」

「隊長……訊いてどうする気ですか」

「心の臓! 止めてくれる!」

「支柱があっさりと殺人を犯さないでください! しかも理由があんまりにもあんまりです!」

「肝の臓! 止めてくれる!」

「あ、あの……隊長……止めることから離れてください……」

「と……っ……止めちゃだめなのか……!? ……そう、だな……そうだよな……。なんでもかんでも止めることばかりを意識しちゃ……だめだよな……」

「隊長……!」

「じゃあ春蘭と愛紗の料理を合成させたブツを食わせて、腹痛が止まらないように」

「絶対にやめてください!!」

 

 ととさまは愉快な人です。

 時々暴走しますけど、愉快な人です。

 お姉さまがたもこんなととさまを知れば、きっと毎日が楽しいと思うのに。

 もったいないなぁ。

 今だって、怒ったのかなと思ったらもう笑ってる。

 

「ねぇととさま。ととさまって本気で怒ったことってあるの?」

「どうだろう、凪」

「隊長……ご自分のことなんですから、私に訊かないでくださいぃ……」

「や、俺もそうは思ったけどさ。ほら。本気で怒ったのかどうかなんて、案外自分じゃわからないもんじゃないか。……華琳を叩いた時は別だけど……こほん。なら、こういうのは俺のことを俺より知ってそうな人に訊くのがいいだろ?」

「わ、私が……隊長より隊長のことを……?」

 

 あ。赤くなった。

 赤くなった文謙さまって……口では言えませんけど、かわいいです。

 やがて何かが文謙さまの心を動かしたのか、文謙さまがととさまのことを語り出した。

 私ももっとととさまのことが知りたかったので、がんばって頭の中に入れてゆく。

 

「私と隊長が出会ったのは、まだ世が乱れていた頃のことです。当時私は真桜や沙和とともに───」

「うんうん……!」

「凪っ!? それって俺が本気で怒った時のことと関係あるの!? えっ!? 俺その時怒ったりしてないよね!? お、怒ったっていえばほらっ! 桃香との……劉備軍との篭城戦で、華琳が意地を張った時とか……ああっ! あの時凪は別のとこ行ってて居なかったぁっ! じゃ、じゃあ美羽に拳骨くらわせて……その時も居なかったぁっ! ……じゃあ雪蓮の暴走っぷりに怒った時とか!」

「その時、カゴが壊れてしまいまして」

「ととさま……」

「あれぇ!? 聞いてくれてないのに非難の目だけはしっかり向けられてる!?」

 

 その後、少し表情が怖い、赤い顔の文謙さまにととさまのことをそれはもうみっちりと教え込まれました。必死に止めようとするととさまですが、何故かととさまのお話なのに、“黙っていてください”と睨まれたととさまは瞬間的に正座をしてしょんぼり。

 ……威厳みたいなものはないのかもだけど、私は威厳よりも傍に居てくれるととさまだからこそ大好きです。最初こそぐうたらなのかなぁとか思ってたけど、それはかかさまが素晴らしき天然っぷりで破壊してくれた。

 その瞬間、ぐうたらだと思っていた父は自慢の父に変わった。

 元々そうだったのを、私たちが確認もしないで誤解していただけ、といえばそれまでの話なのに、それを認めたくないのが困ったことに人間なんだよーなんて、ととさまは笑いながら言っていた。

 人っていうのは上に居る完璧な人よりも、下でもがく人のほうが周囲ってものを見れるもんだって言っていた。コツは嫌なことよりいいところを探すこと。嫌うより好きになる努力をすること、だって。嫌なことばかりに目を向けてしまうのが人間だとは言ったけど、逆にいい方にばかり目を向けられる人も居るから“ばらんす”は保たれるって。

 

「ととさま」

「うう……なにかな、禅……」

 

 文謙さまの隊長語りに顔真っ赤にして恥ずかしがっているととさまに、私は“さむずあっぷ”をして笑う。

 

「楽しいって、いいねっ」

「俺は今大絶賛恥ずかしいけどね!! 娘や部下にいじられる父親になるなんて、この世界に降りた時は微塵にも思ってなかったよ!」

「ととさま……禅も、ととさまのこと嫌ったほうがいいの……?」

「いじってくださいごめんなさいぃ!!」

 

 泣いてしまった。

 ととさまって、なんか全力で生きてるなぁってよく思わせてくれる人だ。

 

「なぁ凪……反面教師って……自分からするのってすごい辛いな……」

「隊長……それは、聞くたびに辛くなるので……その」

 

 ああ、一回や二回じゃないんだ……。

 ととさま、少し可哀相だ。

 ……うんっ、ここは事情を知ってる私だけでも、ととさまをきちんと励まさないとっ。

 



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111:IF2/それでもそんな自分をマイペースって言える②

 え、えぇと、ととさまが喜ぶことってなんだろ。

 たしかー……かかさまが言うには、えとえと……あっ、そうだ、あれ。

 

「ととさまととさまっ」

「……なんだい……?」

「禅は、ととさまが居てくれて“よかった”だよっ!」

「───」

 

 かかさまが言うには、ととさまにそう言われた時と自分がそう言った時に、強くととさまを意識するようになったとか。

 あの時はまさか、とろけそうな顔で親の初恋のお話をされるとは夢にも思わなかった。

 当時はととさまが凄い人だなんて知らなかったから、疑いにかかる私たちをなんとかしたかったんだろうけど……親の恋する顔を見るというのはあれで、結構……うん。嬉しいやら恥ずかしいやらだった。嬉しい気持ちのほうが強かったのは確かなんだけど、恥ずかしかったのも事実なわけで。

 

「…………」

「ふえっ!?」

 

 なんて思ってたら、瞬きもしないで静かに涙を流し始めるととさま。

 普通はしゃっくりするみたいに泣き始めると思うのに、なんの動きもないままに、すぅぅ……って涙を流し始めたりしたからとても驚いてしまった。こんなこと、出来るんだ。

 

「凪……俺もうこのまま死んでもいいかも……」

「恐ろしいことを幸せの笑顔のままで言わないでください」

「よ、よし禅! ととさまになにかして欲しいことはないか!? ととさまに出来ることならなんでもやっちゃうぞぅ!」

「え……じゃ、じゃあととさまっ、お姉さまがたにととさまの秘密を」

「それはダメ」

「なんでー!?」

 

 とろけた顔が急にびしぃって引き締まった。

 でも数秒も保たずにとろけてしまう。

 本当にととさまは変わった人だ。

 自分の威厳とか名誉よりも、国のこれからのことばっかり気にしてる。

 

「ううー……ととさまはもっと、自分のこと考えたほうがいいよぅ」

「いや違うんだぞ禅。俺はこれで、自分のためにしか行動してないんだ。ただその自分のためが、“俺が国に返したいから”って理由からくるものだからこうなってるってだけで」

「そんなの屁理屈だよー……」

「屁理屈も立派な理屈だよ。……っと、ほら。もうそろそろ夜も深くなるし、寝た寝た」

「……今日、ここで寝てもいい?」

「だめです。ちゃんと桃香のところに戻ってから寝なさい」

「むー」

 

 ととさまは娘にあまあまなのに、一緒に寝たいと言っても全然聞いてくれない。

 眠る時はかかさまのところで。

 これはもう、ずっと前からのことだ。

 

「さ、公嗣さま。お部屋までおともします」

「うぅー……ねぇととさま? ととさまが一緒に眠っちゃだめって言うのは、夜になるたびに将の誰かとそのー……」

「凪。明日……一緒に虫取りにでも行こうか。そして捕まえた虫たちを、桂花の机の引き出しにみっしりと」

「隊長、気持ちはわからないでもありませんが、やってしまった時点で隊長が疑われます」

「……凪も言うようになったね」

「隊長の悪評ばかりを流されていれば、さすがに。桂花さまもいい加減、隊長嫌いを少しずつでも改善するべきだと思います。……隊長が桂花さまになにをした、というわけでもないというのに」

「……ありがと、凪。でもこれはこれで悪いことばかりじゃないんだよ。平和にかまけて緩みすぎる自分が、もっとだらけすぎないための抑止力にはなってくれてるから。……ある意味で、ああはなるまいって娘達が張り切る一番の理由かもしれないし」

 

 言ってる途中から頭を抱えて落ち込みだすととさま。

 打たれ弱いのになんでも抱え込んじゃうからこうなってしまう。

 かかさまもだけど、ととさまもちょっと頑張りすぎだよ。

 だからここは禅……私が、もっともっと頑張らないとっ!

 

「あ……」

「? 文謙さま?」

「あ、いえ」

 

 やる気を漲らせるように小さく“がっつぽーず”を取ると、途端に文謙さまが戸惑うような……ええと、なんともいえない微妙な顔をした。

 なに? と目で訊いてみても、とほーと溜め息を吐くみたいに諦めの吐息を吐くだけ。

 ……あれ? なにかあったのかな。

 ああいや、うん、今はととさまを元気付けるのが先だよね。

 

「ととさまっ、禅がお仕事手伝ってあげるっ」

「いえ結構です」

「物凄い速さで却下されたっ!?」

 

 あ、あうう!? なんで!?

 もう夜だから!? いつもなら喜びとか切なさとかやさしさとか絶望をごちゃまぜにしたみたいな不思議な顔で喜んでくれるのに!

 

「ぜ、禅? さ、もう寝なさい? とととととさま、禅には立派に成長してもらいたいなぁと常々思ってるから、成長ホルモンが分泌されるとかつては噂されていた、11時から深夜2時あたりまではぐっすり眠っていただきたいなぁと……! ……時計無いけど」

 

 ぱきゃりと、けーたいでんわとかいうのを開いて、いっぱいいっぱいの笑顔を向けるととさま。昔はあの小さな物体で時間がわかったそうだけど、今はそれもあてにならないって、寂しそうな顔で言ってた。

 でもそれは今はいいとして、とにかくととさまを元気づけることに真っ直ぐになる。

 禅、やっちゃいますっ!

 

「まだいーの! 禅はこれからもっとも~っと、かかさまみたいに綺麗になるもん! だから今はととさまのお手伝いするの!」

「だめだ」

「なんでー!?」

 

 どうしてかとても濃い顔になったととさまが、悲しみと愛を込めた瞳でずっぱり。

 普段はやさしいのにこういう時だけはっきりと切ってくるのも、ととさまの不思議なところのひとつだと思う。

 ……そっか、きっと文謙さまの……部下の前だから恥ずかしいんだ。(違います)

 

「いいもん! じゃあ無理矢理手伝うもん! この墨、あっちでいいんだよねっ!?」

「だぁーっ! なんで先がわかりそうなものから掴むかなぁこの娘は!! やめなさい禅! 今ならまだ間に合う! 墨質を解放しろーっ!!」

「墨質!?」

 

 片付けようと墨を手にすると、途端にととさまも文謙さまも慌て出す。

 ……失礼だよ。そりゃあ、張り切りすぎちゃってひっくり返しちゃったこともあるけど、禅は学べる私なのです。さあいざ輝かしい一歩をはぐぅっ!?

 

「ホワァアアーッ!?」

「公嗣さまっ!」

 

 一歩目にして躓きました。

 傾く私。宙を舞う墨汁。

 傾いてゆく視界で、弾けるように駆けるととさまと、瞬時に宙に跳ぶ文謙さまを見た。

 

「…………だはぁ、セ、セーフ……!」

「隊長、こちらも無事です」

 

 ぱちくりと瞬きしてみれば、滑り込むように私を受け止めてくれたととさまと、見事に墨の容器を手に着地をする文謙さまの姿。

 またやってしまった。

 怒られるかな、と少し怖くなった途端、きゅむりとととさまに抱き締められた。

 

「ふみゅっ!? と、ととさまっ?」

「はうあっ!?」

 

 声をかけてみれば驚いたみたいに体を弾かせて私から距離を取る。

 離れる際にしっかりと私を立たせてから、こう……しゅぱーんと。

 

「隊長……」

「いやっ……なんかごめんっ……! 理由はどうあれ、娘に抱き付かれたのなんて久しぶりだったからっ……!」

「いえ、責めているわけではっ……! な、なにも泣かなくても……」

 

 離れた先で労わる顔の文謙さまと小声で何かを話すととさまは、なんだか寂しげだ。

 ……やっぱりここは禅が……私が、なんとかしてあげなければならないよねっ!

 禅、やっちゃいますっ!

 

「あ」

「?」

 

 またがっつぽーずを取っていると、文謙さまがびくりと肩を震わせた。

 ととさまも気づいたようで、青い笑顔のままで震えながら私を見る。

 

「ぜ、禅? ととさま元気だから、今日はもう寝よう? 禅のやさしさウレシイナ。だから寝てくだ───寝よう? な?」

「……ほんと? ととさま、元気になった? 禅、失敗したのに」

「その手伝おうとしてくれた気持ちで十分さ! ウウウ嘘じゃないよ!? ねぇ凪!?」

「えっ!? あ、は、はい、その通りです。隊長は公嗣さまのやさしさをとても嬉しく受け取っています。……や、やさしさを」

「じゃあもっと手伝うよー!」

「ゲェエエエーッ!!」

「あこっこここ公嗣さまっ! 子供はもう眠る時間です!」

「だめ! 手伝う! だってととさま顔が真っ青だもん!」

「隊長! 今すぐ顔の変色を!」

「なに言ってんの出来るわけないでしょ!? 凪ってたまにとても無茶な注文するよね!」

 

 「いろんな意味で逞しくなったなぁもう!」なんて言うととさまを前に、ハッとした文謙さまは真っ赤になって慌て出している。

 そんな二人をよそに、もう勝手に手伝っちゃおうと机に詰まれた竹簡を手に取ると、またもや「ホワーッ!?」と叫ぶととさま。私が思うにあれこそが、ととさまの歓喜の声に違いない。

 だってあの声を出したあと、私が失敗しても“嬉しかった”って言うのだ。

 あれは歓喜の声。あとの問題なんて、私が失敗しなければいいだけのことだ。

 でも大丈夫、これを運ぶことくらい、私には簡単なことで…………しまった扉が開けられない! え、えとえと、こういう時はどうすれば。……あ、そういえば夏侯惇さまが、扉というのは思い切り締めれば鍵がかかって、開けたいときは思い切り蹴飛ばせばいいって言ってた。

 

「うん、よしっ」

「なにが!? なんかもう扉の前で頷く時点で嫌な予感が! やめなさい禅! やめてお願い!」

「えっとたしか……ちん……きゅー……きぃーっく!!」

 

 氣を充実させて駆ける私。

 大丈夫、まだちょっと苦手だけど、扉を開けるくらいの威力は出せる筈!

 だから跳ぶ私。扉目掛けていざ蹴りの構えで───

 

「相変わらずうるさい部屋ね……ちょっと北ごほぉっ!?」

『あ』

 

 ───そして勝手に開く扉。現れた筍彧さま。

 ……の、お腹にめりこむ、私の蹴り。

 充実していた氣の分、ドカバキゴロゴロズシャーアーッ! と転がり滑ってゆく猫耳ふーどの軍師さまの姿が、ただただこの部屋に静寂を齎したのでした……。

 

「けけけけ桂花ァアーッ!?」

「桂花さま!?」

 

 持っていた竹簡の分だけ重みが増した私の蹴りは、氣の充実も手伝って、自分が思うよりも素晴らしい威力を叩き出したようで。

 ただひたすらに走る罪悪感の中、ととさまと文謙さまの表情が少しだけすっきりしたような顔だったのはどうしてだろうと考えつつ、私も慌てて駆け出したのでした。

 

「だめだろ桂花! 人の部屋に入る時はノックしないと!」

「う、げほっ……よ、よくもそんな嬉しそうな顔でそんなことを……!」

「大方人の部屋に忍び込んで虫をぶちまけることが習慣になってた所為でノックすること自体を頭の中から消し去ってたんだろ桂花ちゃんたらイケナイ子っ☆」

「気色悪いほど清々しい笑顔で注意なんてするんじゃないわよ!」

「桂花……悪いことをするとな、いつかその咎は自分に返ってくるものなんだよ……」

「説教される謂れもないわよ!」

「ところでなにか用なのか? 夜に俺の部屋に来るなんて珍しい。夜中と間違えたのか?」

「あなたねぇ……! 私が夜襲以外に訪ねることなんてないとでも思ってるの……!?」

「…………え? 違うの?」

「ちがっ───………………」

「否定して!? そこは否定しようよ!」

 

 言い争いを始める筍彧さまとととさまを前に、真っ青になる私。

 どうしよう、軍師様蹴っちゃった。

 これって重い罪になるんじゃ……!

 

「そんなことはどうでもいいわよ! ……それより、あなた子供にどんな教育しているのよ。娘に人を蹴るように仕向けるなんて」

「あれぇ!? なんか俺がやらせたみたいになってる!?」

「違うのだとしてもこれは問題にさせてもらうわよ。そして問題を前に苦しむ姿をせいぜい私の前で存分に披露すればいいんだわっ」

 

 あわわ……! やっぱり問題なんだ……!

 どうしよう、とんでもないことしちゃった……!

 

「それなんだけど、桂花。頼むから、ここではなにも起こらなかったことにならないか?」

「……はあ? なるわけないでしょ? なに言ってるの? とうとう頭の中まで白濁色に染まったの?」

「全身白濁男とか言ってるくせに、それは今さらだろ……」

「とうとう認めたわねこの公認白濁男! 汚らわしいから近寄るんじゃないわよ!」

「公認白濁男!? なにそれ!」

 

 そしてととさまにおかしな通称がつけられてしまった!

 う、うぅう……私の所為だよね? ごめんなさい、ごめんなさいととさま……!

 

「ま、まあまあ、そう言わずに。頼むよ桂花」

「嫌よ。なんで私があなたが喜ぶようなことをしなければいけないのよ」

「どうしてもだめ?」

「だめ」

「頼んでも?」

「だめね」

「そっか……じゃあ俺も、桂花のことで黙っていたこと全てを、とうとう華琳に話す時が来たんだな……」

「……な、なに? なによそれ。私が華琳さまに隠していることがあるとでもいうつもりなの?」

「桂花が知らないうちに起こったことだもん。俺だけじゃなくて、証言してくれる人なら結構居るぞ?」

「……ふんっ、どうせ言い回しで丸め込もうって魂胆でしょう? 私が北郷ごときの口先で気を変えるとでも───」

「結構前、桂花が仕掛けた落とし穴に桃香が落ちてさ」

「ぶっは!?」

 

 ひう!? じゅ、筍彧さまが、何かを口に含んでたわけでもないのに何かを吐き出すみたいな反応を!?

 

「それは桃香が笑って済ませたからいいけど、もしあそこに愛紗が居たらと思うと……」

「……~……ふ、ふん、どうせ出任せかなんかで……」

「そのあとには蓮華が落っこちてさ」

「…………!!」

 

 ……だ、大丈夫なのかな。筍彧さまの顔色がどんどんと青くなって……!

 

「ほら。いつか、思春の風当たりが異様にキツい時があっただろ? その時丁度思春も近くに居てさ。刑に処されることになろうとも、刺し違えてでも殺してくれるとか言い出して、止めるのに苦労したんだ」

「……! ……!」

 

 風当たりがきつい時、というのに心当たりがあるのか、筍彧さまの顔色がもっともっと青くなってゆく。

 

「っ……脅迫する気……!? 北郷のくせに、この私を……!」

「脅迫じゃないって。最初から“頼む”って言ってるじゃないか」

「じゃあ私が話すって言ったらどうするつもりよ」

「愛紗からの風当たりが悪くなるかも」

「じょっ……冗談じゃないわよ! どうしてか以前からやけに睨まれるって思ってたら、それが原因!? そんなの落ちるほうが悪いんじゃない!」

「んなわけあるかぁっ! 掘るほうが悪いわ!!」

 

 うん、それは私もそう思う。

 文謙さまもこくこくと頷いている。

 

「しかも掘っておいて、華琳に呼ばれたって理由で埋めないまま移動して、誰かが落ちたことすら知らずに忘れてたって、そっちこそ表ざたになったら軽い罪どころじゃないだろうが!」

「う、うぎぎ……!! 北郷のくせに……!」

「私怨の所為で物事認めたくないってのはどうかなぁ! …………あーもう、とにかく。ほら、ちょっとこっちこい」

「ひいっ!? ちょっ……なにする気よ! まさか助けに入る者が誰も居ないのをいいことに、このまま私を寝台に引きずり込んで───!」

「するかぁっ!! 子供の前でなんてこと言ってんだこの脳内桜花爛漫軍師!! 桃色な妄想に走りすぎるのも大概にしてくれほんと! あと妙な噂を流すのもやめてくれ! お陰でどんだけ迷惑してると思ってんだ!」

 

 本気で抵抗する筍彧さまのお腹に無理矢理手を当てるととさま。

 途端に筍彧さまが悲鳴をあげるけど、ととさまは構わず手を当て続けて───ぱっと離せば、筍彧さまの表情には蹴られた所為で存在していた苦悶がちっともなくなっていた。

 

「痛みを治すだけでここまで叫ばれたのって始めてだよ……」

「だったら最初からそう言いなさいよ! 本気で叫んだ私が馬鹿みたいじゃない!」

「言ってたら余計に抵抗してただろうが!!」

「当たり前でしょ誰があんたなんかに触らせるもんですか! これで孕んだら呪い殺してやるから覚悟してなさい!?」

「孕むかぁああっ!!」

 

 そしてまた言い争い。

 その中で、結局は痛みも消えたし、今日は見逃してやるわと言ってくれた筍彧さまに感謝を。ほとんど脅迫みたいな感じになっちゃったけど、何事もないことになってよかった。

 ……と思ったら、ととさまにぺしりと額を叩かれてしまった。

 痛くなかったけど、気をつけようなと言われた瞬間、やっぱりとんでもないことをしてしまったんだって後悔が私を襲った。ただととさまの手伝いをしたかっただけなんだけどな。上手くいかないなぁ。

 

「大丈夫だよ、禅。……なにかしてあげたいって気持ちは十分届いたから、そんなに落ち込まない。ありがとな」

 

 落ち込んでいると頭を撫でられた。

 それだけで落ち込んでいた気持ちが喜びに変わってしまうんだから、私は随分と単純なのかもしれない。

 

「じゃ、じゃあ今日はととさまの部屋で」

「戻って寝なさい」

 

 でもこっちの“なにかしてあげたい”は全然受け取ってくれないようだった。

 してあげたいっていうか、一緒に寝たいだけなんだけど。

 もちろんしつこく言える気分でもなく、結局はしょんぼりしたままととさまの部屋をあとにした。連れ立ってくれる文謙さまにもいっぱいごめんなさいを言いながら、かかさまが待っているであろう自分の部屋へと戻ったのだった。



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111:IF2/それでもそんな自分をマイペースって言える③

-_-/陸延

 

 …………ぱちりと目を開けた。

 意識して息を重苦しく吐くと、耳の裏側あたりで“ずううう”、と血が体内を巡る音が聞こえる。いい感触だ。この音に耳を傾けていると、意識が鋭く覚醒してゆく。

 

「……はぁ」

 

 のそりと起き上がると、そこは自室の寝台の上だった。

 隣では母が静かな寝息を立てている。

 

「………」

 

 静かに寝台から下りる。

 気配は殺して、母に気づかれぬよう。

 部屋を出てからはそのまま兵にも気づかれぬように、気配を殺しながらと物陰に隠れながらの二段構えで中庭へ。

 中庭に着くと、そこでは劉禅が小さな体で鍛錬をしていた。

 その傍には楽進さまが居て、体捌きなどを教えている。

 

「また来ましたね」

 

 そしていつも通り、二人の前へ辿り着く前から気づかれてしまう。

 待ち合わせで目が合ってからの距離を小走りで駆ける時のような、奇妙な気恥ずかしさを感じながらふたりのもとへ。

 

「今日もやってますねぇ、禅ちゃん」

「…………むー」

「……どうしていつも禅ちゃんは、まずは延を睨むんでしょうねぇ」

「誰かが接近すると、一番に隠れてしまう人が居ますから。さ、陸延さま、こちらへ」

「あ、はいー」

 

 昼は眠くて仕方のない延ですが、夜は別です。

 夜に鍛錬をする禅を見かけてからというもの、延はこうしてふたりに混ざって鍛錬をする、ということを続けている。

 昼は無理。やったら延は死にます。

 何事もほどほどがいい。黄蓋さまはそのへんのところの加減を知らないのだ。

 昼は勉強。夜は鍛錬。これでいいのだ。延はやれば出来る子ですよ?

 ただどうしても、太陽の光の傍だと眠くなってしまっていけない。

 武にも文にも恵まれてはいるものの、眠気に勝てない延です。

 

「氣は充実しているようですね」

「えへへぇ、普段から溜めてますからー」

 

 言いつつ掌に氣を集める。

 丕姉さんと登姉さんを抜かせばお姉さんな延の氣は、なんだかぽわぽわしている。

 聞けば癒しに特化しているらしく、時折華佗さんが「我が五斗米道を受け継ぐ気はないか!」と熱く勧誘をしてきたりするのです。

 他に居ないのでしょうかと訊ねれば、居るには居るという。

 ただ、寿命で死なないかもしれない人に全てを託しては、一子相伝の意思は次に引き継がれないのだといいます。寿命で死なないって、どういう意味でしょうかねー。

 

「癒しに使える氣はぁ、珍しいんでしたよねー?」

「ええ。それを使えるのは極僅かであり、その中でもそれらを極めたのが五斗米道といわれています。ただしその秘術は一子相伝とされており、秘術としてでなく、一般的な医療術であるならば多少の知識提供は可能だとのことです」

 

 聞く限りでは、既に華佗さんは一人に教えられる限界部分は教えたそうです。

 ただし一子相伝の秘術までは教えていないそうで、教えたのはあくまで医術。秘術ではないそうです。

 それでも元気になれー、とは叫ぶのが一種の“おやくそく”というものらしくて、きっと延の知らないところで今日も誰かが叫んでいるのでしょうねぇ~……。

 

「それにしても、気脈拡張の技術は本当に疲れますね~……その分、効果があるのはいいんですけどー……」

「何事も積み重ねです。医療特化の氣に有効な鍛錬も開発済みですので、積み重ねは手探りだった頃ほど大変ではありませんから」

「楽進さまは、いつも一人でこうしてるんですか~?」

 

 こうしている、というのは氣の鍛錬のこと。

 基本、私たち姉妹は少し早い夜の内に寝かされる。

 夜中の一定時間をすぎれば好きにしていいと言われているけれど、それを誰が言い出したのかは……公言されていないんですよねぇ。

 ただその睡眠時間には“せーちょーほるもん”なるものが分泌されるらしく、成長するには必要なのだそうで。これを上手く利用しないと、どれだけ鍛えても無駄になる可能性が高いのだと言われてしまっては、眠らないわけにはいかないのですよねぇ……。

 

「身体能力も申し分無し。文武に長け、氣は癒し。“そうであったなら”がこうまで揃っている人というのも珍しいというのに……」

「えへへぇ、どうして眠り癖なんて持ってしまったんでしょうねぇ~」

「自分で言わないでください」

 

 そればかりは延にもわからない疑問なので仕方がないじゃないですか。

 

「ですが眠りはいいものです。本に囲まれて眠るのはとても幸せなことなのですよぅ? いえ、幸せでありながら福まであるという意味での幸福でしたら、お父さんの腕の中が一番なのですけどねぇ?」

「あ───で、でしたら、ともに眠ればいいのでは?」

「いえいえぇ、べつに包まれるのがいいというだけで、一緒に寝たいかと言われればそうでもありませんのでおかまいなくー」

 

 お父さんは氣を使えたんでしたっけ? あまり関心を持たなかったのでわかりません。

 ただ、隣で眠ると物凄く気持ちよく眠れるのは確かです。

 その際の睡眠こそが延の幸福であり至福なのです。あれはとてもとてもいいものです。

 

「以前から疑問に思っていたのですがぁ~……癒しの氣を氣弾にして当てたら、どうなるのでしょうねぇ~」

「やった人ならば既に居ますよ。もちろん、相手の氣とぶつかりあって怪我を負いました」

「やっぱりですかぁ。癒しは相手の氣に合わせないとぶつかり合うだけですもんねぇ」

 

 なので直接触れて、相手の波長に合わせた氣を送らなければいけないのです。

 延はそういう……自分の氣の色、というんでしょうかね。それを多少いじくれる方向に長けた氣を以って生まれたらしいんですよね。

 とても珍しいものだと華佗さんに驚かれました。

 だからこその五斗米道への勧誘なんでしょうねぇ。

 

「…………ふむぅ」

「? どうしましたぁ? 楽進さまぁ」

「あ、いえ。こう言ってはなんですが、その。親が“ああ”なのに、娘であるあなた方は随分とその……露出が少ない服を着ているのだなと」

「あ~、なるほどぉ。それはお父さんが断固譲らなかったそうで。肌を見せるのは愛した人だけにしなさいと」

「……なるほど、想像しやすいです」

 

 苦笑を混ぜた笑みを浮かべて、楽進さまが頷く。

 ……えぇと。それでなんですけど……さっきから一言も喋らずに黙々と氣を集中させている禅ちゃんはどうしましょう。

 いつもならなんらかの会話があるのに、今日はどうしてか怒っているように感じる。

 

「えぇと……禅ちゃん? 怒ってる?」

「ふぇぅっ? え、あ、ち、ちがうよっ? 怒ってない怒ってないっ。ただ、と───じゃなかった、文謙さまに、怒気を氣に混ぜる鍛錬っていうのを教えてもらって、それをやってただけだよっ?」

「………」

 

 必死になって誤解を解こうとする禅ちゃん……可愛いですねぇええ~……!

 ですけど、怒気を氣に混ぜるというのは……どういった意味があるんでしょうね。

 

「怒気を氣に混ぜると、どうなるの?」

「場の空気を変えたり出来るんだって。怒った人同士が居るお部屋に行くと、空気が重かったりするよね? それを意図的に作り出せたりするんだって! すごいよねっ!」

 

 さっきまで黙々と錬氣をしていた子が、もう笑顔です。

 禅ちゃんは他の妹たちと違って素直で、なんというか……撫でたくなっちゃいます。

 

「えっとね、こうやって……んん~っ!!」

 

 禅ちゃんが目を閉じて歯を食い縛って、ん~っと力を溜める。

 あ、いや、力じゃなくて怒気を溜めてる……んですかねぇ。

 それから少しすると、禅ちゃんの体から漏れるいつもやさしい氣が、少しだけ色を変えたように感じられて……途端、クキュウと可愛い音が鳴って、禅ちゃんが真っ赤になって慌て出した。

 

「ち、違うよ!? 禅じゃないよ!?」

「あらあら~、禅ちゃん、なにがぁ?」

「なにがって、えっと、ほら、くきゅうって」

「延はな~んにも聞こえなかったよ~? もしかして一番近い人だけにしか聞こえなかったのかなぁ」

「はうっ!? ……き、きのせいだネッ!? 禅も実はなんにも聞こえなかったかも! あ、あははっ───はうーっ!?」

 

 言っている傍から鳴りました。真っ赤です。

 観念したのか軽く手を挙げて、お腹が空きましたと白状する禅ちゃんのなんと可愛らしいこと。

 

「それじゃあ誰かに料理を作ってもらおーかぁ」

「え、だ、だめだよそれはっ。だって、夜にご飯食べたらいけないって、ととさまがっ」

「禅ちゃん? ととさま言うところの“かろりー計算”は、一日に必要な量さえ守ればいいんだよー? つまり量を満たしていないなら寝る前だろうがどうだろうが構わないの」

「……禅はもう食べちゃったよぅ」

「かく言う私も食べちゃいましたー、えへへぇ」

「だめってことだよそれっ!」

「ふむぅ、仕方ないなぁ禅ちゃんは。お父さんの言いつけとなるとすぐに頑固さんになるんだからぁ」

「みんながととさまのことをおかしな目で見すぎてるのっ! 禅が変なんじゃないもん!」

「まあ延はそういう偏見めいた目で人を見る気はないけどねー? 別にお父さんが偉くても凄くても、ぐうたらでも情けなくてもどっちでもいいんだよぅ? 重要なのは延がどう思うかどうかだもの。そして延は、お父さんのことはお父さん以上でもお父さん以下でもないから、居てくれればそれでいいかなーって」

「……あぅう」

 

 思っていることを言ってみると、禅ちゃんはとても不満そうでした。

 きゅっと握った手が小さくふるふると震えていて、何か言いたいことがあるのに言えないみたいなもどかしさを表しています。ああ、きっと伝えたい言葉をまだまだ整えきれないのでしょう。可愛いですねぇ、頭撫でていいでしょうか。

 

「いつも思うことですが、陸延さまは他の子供たちと比べて随分と落ち着いていますね」

 

 ホウ、と妹の可愛さに心癒されていると、楽進さまがやさしい顔で語りかけてきます。

 そうですねぇ……親離れが早い娘で助かりますとお母さんにも言われたくらいですし。

 ただ、両親よりも興味を引くものがあったからこその現在なわけです。

 本という素晴らしいものが無ければ、延もここまで親に普通の感情を持たなかったと思うのですよね~……。

 本はいいんですよぅ? いろいろな知識が得られますし、つまらない本を見ていればすぐに眠たくなります。

 そうしてすぅっと眠る時の心地良さは異常なほどです。

 目覚めた時に関節の痛みに苦しむのも、もはや一連の流れというものでしょう。

 眠気さえ取れればこうして鍛錬もしますし、やってやろうという気も沸き上がります。

 他の姉妹のように父を嫌って母を愛すという気分でもありませんし? 母を嫌って父を愛するというわけでもありませんしねぇ。

 波風が立たずに静かに眠れるのが一番じゃないですか。

 なのに黄蓋さまはなにかというと延を引きずり出して鍛錬鍛錬と。

 あんなことをされましては、夜も鍛錬をする延はそのうちに倒れてしまいま……はうぅっ!? 合法的に眠れるということでしょうかそれはっ……!

 

「落ち着いているというよりは、そうですねぇ~……荒事が起きて、うるさくされるのが嫌なだけですよぅ? 眠る時は静かなほうがいいに決まっているじゃないですかぁ」

「うぅ? 禅は傍で誰かの寝息が聞こえたほうが安心出来るけどなぁ」

「ある日のこと。禅ちゃんが一人で寝ていると、一人のはずなのに傍からすぅすぅと聞き慣れない誰かの寝息が……!」

「ぴぎゃーっ!?」

 

 耳元で軽い怖い話をすると涙目になって叫ぶ禅ちゃん。

 あぁんもう可愛いですねぇ禅ちゃんはぁ!

 な、撫でていいですよね? 撫でていいですよねぇっ?

 

「こほんっ。……陸延さま」

「はうっ!? い、いえいえぇ? 延はべつに禅ちゃんを抱き締めてすりすりなでなでなんてそんな、えへへぇ」

「どうしてこの姉妹はこう、考え始めるとおかしな考えに……。隊長も時々……いや、結構……いや、大分……い、いや、今はそれはよしとしておこう。はぁ……陸延さま、氣が乱れています。集中を」

「へぁ? ……あ、あーあー! そうですねぇ、集中大事ですもんねぇ~! では集中~! へや~!」

「……そしてどうしてこう、気の抜けるような掛け声しか出せないのだろうか……」

 

 その割りに氣は安定しているし……と呟く楽進さまには、なにかしらの苦労が滲み出ているように見えた。この国には“国のために”を思う人がたくさん居ますが、楽進さまも例に漏れずに頑張り屋さんです。

 頑張り屋さんだからこその気苦労があるのはわかりますけど、子供たちの前でそれを見せるのはどうかと……って、違うんでしょうね。私たちだからこそ、そういうところを見せてくれるのかもしれませんね。

 

「大丈夫ですよぅ楽進さまぁ。延は冷静に周りを見ているつもりですから、他の子がわからないことも多少なりとも理解しているつもりですからぁ」

「“つもり”や“多少”など自信のない言葉回しを多用するあたり、隊長の血を感じます」

「過信は禁物なんですよぅ? それなら自信の無いことを意識して確実にやっていったほうが周囲も安心できますから~」

「……はぁ。訂正します。隊長の娘らしい言葉です」

「それで、楽進さまはお父さんのどんなところを好きになったんですか?」

「それはもちろん隊長のお考えや目指す位置、そして国に対する在り方や遠く離れても絆を忘れないその暖かなきゃうっ!?」

 

 息を吐いて油断をしたところにお父さんの話を混ぜると、興奮気味にお父さんについてのお話を熱く語る楽進さま……の頭に、妙な氣を纏った石が飛んできた。

 驚いて可愛い声を出す楽進さまでしたが、ハッとすると真っ赤になって辺りを見渡す。

 あの氣は……癒し側の氣、ですかね。

 石に癒しの氣を混ぜて投げれば、そこまで痛くない……不思議な応用です。

 石が飛んできた方向を見れば、何かが慌てて隠れました。

 

「………」

 

 気になったので、足に氣を込めて走ってみると、突如として逃げ出す影。

 荒々しい氣を纏って走るそれは、てっきりお父さんかと思ったらまるで違う荒々しさを持っていました。近くに居るだけならとても心地よいお父さんの氣とは似ても似つかない。

 暗いことも手伝って、影、というふうにしか確認できませんけど……ともあれ追って捕まえようとするも、足運びが異常に上手く、延ではまるで追いつけません。

 氣の扱いには慣れているつもりでしたが、まるで勝てる気がしませんでした。

 そうこうしている内に影は視界から完全に消えてしまって、そうなると延は息を乱しながらも立ち止まるしかありません。

 なんと逃げ足の速い。

 あれは恐らく、子桓姉さまでも周邵でも追いつけないでしょう。

 そして楽進さまが慌てていない様子から察するに、侵入者の類ではありません。

 ううぅん、まだまだ知らないことが多いですねぇ、この世界は。

 本当に、退屈だけはしなさそうです。

 

「………」

「? あの、陸延さま? どうかしましたか?」

「今の、侵入者ではないんですか?」

「えっ───あ、ああ、えぇと、……はい、違います。ですので追う必要はありません」

「………」

 

 意外。そう思うみたいに禅ちゃんが楽進さまを見上げます。

 あらあらぁ~、そっかそっかそうですかぁ、禅ちゃんは今の人の正体を知っているんですね?

 と、普通でしたらここであの人物の正体を~などと張り切るところですけれど、延はそんな無駄な努力はしたりしないのです。何故って、べつに正体を調べてなにがどうなるわけでもありませんからね~……。私、陸延は静かに暮らしたいのです。なので無駄な刺激要素は睡眠時間を邪魔するものでしかありません。

 知らないほうがいいことだって世の中にはたくさんあります。

 その点で言うと、本で知ることは“誰に何を教わり、知ったか”を追求されることがほとんどないので安心です。

 本と睡眠。それだけあれば延は幸せですから。

 そんな延の生き方に賛同してくれる人は、案外少ないのですけどね。

 居るには居るのですが。程昱さまとか程昱さまとか程昱さまとか。



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111:IF2/それでもそんな自分をマイペースって言える④

-_-/パパん

 

 何かを為したあと、人はなにかしら声を発することが多い。

 走ったあとにわざわざ息ではなく声でフゥと言ってみたり、欠伸をする際にわざと声を高く出してみたり。

 闇夜の道を逃げ駆けたこの北郷めが最初に放った言葉も、きっとそれに類するものだ。

 

「不幸だ……」

 

 幻想殺しが言いそうな言葉だが、事実なのだから仕方ない。

 なにせ娘との至福の時……隠すことなどなにもない素の自分でいられた瞬間を、別の娘に邪魔されるどころか気づかれそうになってしまった上に部下である凪の暴走を止めるために石を投げてしまった。

 軽く自己嫌悪。

 “いっそもう全部ゲロっちまったほうがいいんじゃないか”と脳内の自分がカツ丼片手に語りかけてくるのだが、困ったことに自分がだらしないと認識させている方が娘達の成長が良いということも実証されているわけで、わたくしこと北郷一刀は今日も頭を抱えているわけです。

 

「大体、俺が普段から仕事していて、その合間に娘との関係にそわそわしている父親だとか知られたら、余計に引かれるんじゃなかろうか」

 

 その考えは多分正しい。嫌な予感ってやつはどうしようもなく当たるもんだ。

 だからこのままでいい。誤解されたままがベストなのだ。

 バレた時に全部を打ち明ければいいのだ。どうせ、知られたところで今さら何をって話しになるに決まっている。

 

「ぐうたらって思われてるだけで、嫌われてるわけじゃない……もんな?」

 

 疑問系が離れません。誰か助けて。

 いやいや、前向きに行こう前向きに!

 娘の成長を第一に願えばこそ、それが俺が望む未来ならば俺のため!

 そ、そう、これ、俺のためだよ? ツツツ強ガッテナイヨ!? 僕、強イ子ダモン!!

 

「……明日、時間に余裕が出来そうだからまたアニキさんのところ行くかな……」

 

 おやじの店は心のオアシスです。

 今度は華佗も連れて行こうかな……子供達におじさんおじさん言われてヘコんでたし。

 

「男って……辛いなぁ……」

 

 女が辛くないと言うんじゃない。ただこの世界での男っていうのが辛いだけだ。

 辛い……いやいや辛くない辛くない! 自分のためなんだから辛くないんだぞ一刀!

 そ、そうだよな! 辛くないならおやじの店で吐き出すことなんてないよ!? ほんとだよ!? だから明日は呉に行って、親父たちと飲み明かすんだ! 蜀のメンマ園で飲み明かすのもいいなぁ(メンマ汁を)! ……な、なんだ! 俺まだまだ行ける場所あるじゃないか! 辛くないよ!?

 

「…………また紫苑に親相談でもしに行こう……」

 

 心だけは出来るだけ前向きに、とぼとぼと歩きだした。

 ……が、ざわつく心は一向に治まらず、もはや誰も俺を止めることは出来ぬゥウウとばかりに走りだす。自室に辿り着けば書き置きをして、着替え一式が入ったバッグ片手に部屋を飛び出て。

 片春屠くんを使わず、己の氣と足のみで外へと逃走。

 家出……ではなく、子供たちが産まれてからというもの密かにしか出来ていなかった鍛錬をここで一気にという意味も含め、呉までの長い長い距離を駆け出した。

 

「氣と体捌きと木刀術と体術だけは立派と言われた北郷です。その力……忍者にも負けない! ……といいなぁ!」

 

 人にして人に非ず。日に百里も歩むとされる忍者に倣うように駆けた。

 国境で捕まったりもしたが、ここ八年でおやじの店に泣きに行ったり親父のところへ人生相談しに行ったりした俺にとって、国境なぞ顔パスでございます。泣いてませんよ?

 

「北郷さま……またですか」

「今度、自分たちと一緒に飲みにいきませんか? 都の酒屋には負けるかもしれませんが、村にいい酒を作る場所があるんですよ」

「…………」

「だから泣かないでくださいってば! あ、ああもう、これだからこの支柱さまはほうっておけないんだ!」

「まあ、なんというか物凄く身近な偉い人だよなぁ……あ、ほら北郷さま、こちらへ。見張り交代の際に飲もうと思っていた酒がありますから」

「うう……人のやさしさが身に染みる……!」

「普段どんな生活してるんですか……」

「いや……みんなは今までと変わらず接してくれるよ? でもさぁ、娘がさぁ」

「もう娘はそういうもんだって思うしかないでしょう、それは」

「なんだとぅ!? 宅の娘がわからず屋だと言うのか!?」

「だぁあああああーっ!! 面倒くさい人だなぁもう!!」

 

 親というのはいろいろと大変です。

 距離を取られていても可愛くて仕方が無い娘ならば余計に大変です。

 

「あ、いや、ごめん。これよかったら食べてくれ。俺が作ったお菓子」

「っとと、毎度すいません。喜んでいただきます」

「もうこれ、賄賂みたいなものですよね……」

「ああ……死ぬときは一緒だな」

「巻き込まないでください!」

「冗談だって。大丈夫、死ぬつもりなんて全然ないから」

「……とか言いながら、娘に大嫌いとか言われたら直後にでも首を吊っていそうなんですが」

「…………」

「だから泣かないでください!!」

「とにかくもう行ってしまってください! あまりこういうところを見せると、後輩に悪影響しか与えませんから!」

「っと、そうだった。ごめんな」

「隊長と自分らの仲じゃないですか」

「北郷さまとの付き合いももう長くなりますしね」

 

 それでは、と頭を下げる見張り番に手を振って、先を急ぐ。

 さあ行こう。

 どうせ仕事は前倒しでやりまくっている。

 数日空いたって取り戻せるものだし、前倒し分の仕事もバッグの中に装填済みだ。

 装填って言い方なのは、ある意味仕事が戦みたいなものだからだとかそんなことはどうでもいい。子供ばかりに持っていかれている意識をこの世界へ戻そう。

 国のために。今はただ国のために───!

 

「べ、べつに寂しくなんかないんだからねっ!?」

 

 ……意味もなくツンデレ怒りをしてみたら、ぽろりと涙がこぼれました。

 深く考えるな北郷一刀。

 俺はただ子供たちが産まれる以前の俺に戻る───それだけのことなのだから。

 

(一刀……それでいい、気にするな……。そうすることで国に返すことが完全なる勝利なのだ。これでいいんだ全ては……)

(もっ……孟徳さん!?)

(父親とは縁の下の力持ちだ……。お前はそれを解き放つことが出来た……それが勝利なんだ……)

 

 などと脳内孟徳さんとともにブチャラティしながら駆けてゆく。

 特に考えもなく心の自分に敬礼をしてみるつもりで手を挙げてビシっとしてみたら、左手敬礼になった。……どうやら心の中の自分はまだまだ諦めるつもりはないらしい。敬意を払うどころか右手を見せずに心の刃を隠しておるわ……!

 なのでまだまだ諦めない。

 左手敬礼は不敬の証。顔でサワヤカ、心に刃。左手で敬礼をするなと言う人々よ、それを見た時点で相手の心の中の刃を知りなさい。したくもない相手に敬礼をする場合は左手だ。汝、屈することなかれ。

 

「娘達よ……この北郷はただでは死なぬぞ………………いや、ほんと死なないけどさ」

 

 ぐうたらぐうたらと侮っておるがよいわ!

 いつかうぬらが我慢ならぬと我に刃を抜いた時、この父は真の壁となって巣立ちの時を祝おう! 世界は広いのだということをきっちり教えてあげるのだ! 大人気なくてもやるのさ! だってそこまでやって初めて、俺の目的……“我が娘らは立派な子に育ってくれた”という目的は達成されるのだろうから!

 誰かも言っていたじゃないか。

 人は何度か泣いて、本当の大人になる的なことを。

 なので泣かします。容赦なく泣かします。罪悪感に押し潰されそうな予感が滲み出てきてるけど泣かします。

 

「そのためには鍛錬!」

 

 どうせまたぐうたらしているんだと娘達が思っている間に、より一層強くなるのだ。

 そ、そしていつかこの父も娘達から見直されて、またととさまととさまってエヘヘ……はうあっ!?

 

「邪念雑念は捨てような! エイオー!」

 

 国境を越えて間もなく、自分でも不安な旅が始まったのでした。

 



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112:IF2/日常化すると、息をするみたいに鍛錬する人①

164/親として頑張ろうとしているのに子供がそっぽ向く場合、そこから離れることを育児放棄と言いますか? 言うならなんか理不尽だ。

 

 ごひゅぅん!

 風を斬る音がする。

 耳の傍で鳴るそれは、振り回す金剛爆斧が鳴らすもの。

 もちろんレプリカだが、重さは実物と同じものだ。

 

「んっ……おぉっ!!」

 

 ここは呉国のとある村。

 建業へ向けて進む途中で宿をとった一角の広場にて、金剛爆斧を振るうのは……ええまあ、俺なわけだが。

 

「っとと……っひゃー……! やっぱり重いなぁこれっ……!」

 

 筋肉は育てようがないとわかってから───氣と体捌きに重点を置いた鍛錬に切り替えてから8年以上。重い武器も工夫次第で振るえるようになった俺は、呉の国にて誰に遠慮することなく鍛錬をしていた。

 都の暮らしはそりゃあいいものだが、たまぁに支柱ではなくただの北郷一刀に戻りたくなる時もある。それが出来るのが魏のおやじの店であり、都以外の国でもあるのだが……ううむ。

 

  問題点そのいち。人に見つかれば結局は支柱扱い。

 

  問題点そのに。各国に行くと、関係者に国の次代を担う子はまだですかだのなんだのと言われる。

 

 それを考えると子も産まれている呉が一番いいわけで。

 や、そりゃ魏に曹丕、蜀に劉禅と、きちんと王候補は産まれてるよ? けれど王だけで国は回らないとはよく言ったもので、主に付き合いの長いみんなが都に集合してしまっている現在、各国を任されている将らが次代を次代をと願うのだ。

 ……そんなに大変か、華琳たちがやっていたことを多少でも請け負うのは。ごめん大変だった。愚問すぎでしたごめんなさい。

 もちろん建業から離れた場所なら、そういうことを言ってくる人も少ない、いやむしろ居ないのだが……今回は村を視察にきていた軍師見習いさんが居たために泣きつかれた。先人が優秀すぎるのです、同じことを要求されたって限度ってものがあります、などなど。

 冥琳と同じ仕事をしてみせろと言われても、なるほど、そりゃあ無理だ。

 

「よし、じゃあ……」

 

 まあそれはそれとして鍛錬。

 氣を大して使わずに振るっていた金剛爆斧を氣で包み、操氣弾の応用で少しだけ浮かせる。……浮かせるって喩えは違うか。えと、どう言えばいいんだ? 氣は上に飛ばせば上に飛ぶってことを理解してもらえていれば、その応用で飛ばしつつも氣で腕に括りつけている状態、って言えばいいのか?

 えーと……ああ、これだな。

 “飛ばしている状態とくっつけている状態を常に同時に行なっている”んだ。

 だから重かった金剛爆斧もひょいと持ち上げられるし、軽く振るえる。

 もとの重力自体が完全に消えるわけでもないから、遠心力とかはどうしても出るものの、持てる振るえるというのは大きな強みだろう。

 なので振るう。思うさま振るう。

 

「あっはっはっはっはっはっはっは! あっはっはっはっはっはっはっは!!」

 

 振るう振るう振るう振るう! 楽しい! 振るうの楽しい!

 この興奮を誰に伝えよう! ……誰も居ない!

 夜中に来たんだから当然だよなぁ! 村務めの見張りの兵も「またですか……お互い、家庭には苦労しますね」って眠たげな顔で通してくれたし!

 

「あっはっはっはごほぉーほげっほごっほっ!?」

 

 でも笑いながら動くのは危険ですね。

 急に咳き込んでしまい、拍子に金剛爆斧を落としてしまった俺は、レプリカといえど本物の重量分と似ている分のそれを小指にゴシャアと

 

「─────────!!」

 

 ギャァアアアーアアアアアァァァァーッ!!

 

 

───……。

 

 

……。

 

 人間、調子に乗るとろくなことになりません。

 

 

「っ……ぐっ……ふぅううぐぐぐ……!!」

 

 わかってる。わかってるのに、“楽しい”の只中だとそれを忘れるのも人間です。

 夢中になれることって大事だけど、その分恐怖も潜んでいるのですね。

 前略お爺様。一刀は何度目か忘れたけど、また一つ賢くなりました。

 ……賢くなっても夢中になればまた忘れるんだ。気にしないでいこう。

 

「鍛錬って……辛い……!!」

 

 ここ最近で一番の感動。

 涙がこぼれる瞬間がこんなにも辛い。

 感動って感情が動くと書くんだよね……うん、動いてる。辛い苦しいって感情が痛覚とともにヅクンヅクンと脈動してるよ……! ズキズキと蝕んでくるこの痛みが辛い。

 

「折れてないよな? 折れて……ないな。全身に氣、回しといてよかった」

 

 痛みはあるが、それもすぐに氣を集中させて霧散させる。

 ……氣ってすごいなほんと。

 その分疲れは出るものの…………痛みからの脱出に勝るもの無しッッ!!

 

「小指への激痛って、つらいんだ……」

 

 ぽそりと呟いて鍛錬を再開。

 常々氣の鍛錬だけはやっていた俺だ、氣だけは……本当に氣だけは一人前って呼べるようにはなれた。って凪が言ってた。凪が言っていた言葉を疑うわけじゃないんだが、凪って俺を持ち上げたがるところがあるから……真実かどうかはちょっぴり不安。ああ、これ考えてる時点で疑ってるな、ごめん凪。

 

「でもなぁ、そんな自分よりずんずんと前に行く人を見てるとなぁ」

 

 その人はレプリカじゃないものを持っております。

 氣の拡張についてを説明してみればそれを実行。強さのためなら止まることを知らない、かつて猪武将とか呼ばれていただけはあって……倒れるまで強引氣脈拡張をやったり天使に迎えられそうになったりドグシャアと受身も取らずにストレートに倒れてみたりと、意識を失うことを何度も繰り返して……彼女はついに。

 

「……氣脈が広がっても、常に武に使われてるんだよなぁ……」

 

 ……ついに、攻撃力UPが完了した。

 ええ、相変わらずの武です。

 変わったのは体捌きと破壊力だけ。だけっていうか、十分です。

 えっとね。まずね。避けなきゃ吹き飛びます。ガード? いいえ、吹き飛びます。

 あれはね、なんていうのか……笑える。よく漫画で力のみを渇望した者っていうのがいて、技術云々や氣のうんたらかんたらで倒される~とかあるけど、華雄のあれは……笑える。

 だって慢心がないんだもの。

 まだまだ強くなれるとばかりに鍛錬を続けるもんだから、もうどう止めていいものかと……思うこともなくなり、ただ暖かで穏やかな目で見守る僕が居ました。

 だって8年だよ? そりゃあ“止めても無駄だ、せめて行く末を見届けよう”って穏やかな目にもなりましょう。

 攻撃を外せば“まだ未熟か”、攻撃を受ければ“集中が足りないか”、など。誰の影響か知らないけどすっかり鍛錬の鬼になってしまった。“もうそのくらいにして休んだら?”なんて言っても“いいやまだだ!”って言ってやめてくれないんだ。

 だから俺も、一緒に続けて鍛錬。華雄も鍛錬。氣を使い果たしたあたりでようやく終了すると、とっくに集中も氣も使い果たしていた華雄がようやく休む。そんな三日ごとの鍛錬。

 ほんと、あの鍛錬好きは誰に似たのか……。それとも誰かに負けたくないとか? 誰か……やっぱり雪蓮かな。訊いてみたって“先に折れるような女でいたくないのだ!”などと熱く語られてしまった。折れるもなにも、雪蓮は鍛錬なんてしてないんだけどなぁ。

 

「ふう」

 

 ともあれ休憩がてらに氣を放出。

 特に意識もせず、体中に溜まった氣を自分の頭上に収束させるイメージ。

 そこに攻撃側の氣を意識して強めてやると、金色の氣が赤く変化してくる。さらに適度に風を巻き込む回転をさせてやると、とてもおかしな話だが氣と氣の摩擦で火が熾る。相当圧縮させないといけないので、火球として放つのはとても無駄だ。凪の場合はそういった方向に特化していたからやりやすいんだろう。

 俺がやろうとすれば、普通の氣弾の数倍の圧縮度が必要になる。

 つまり…………8年頑張ったけど実用性無し!!

 気づいた時には泣いていました。

 まあまたサヴァイヴァルをするハメになったらきっと役立つさ。きっと。多分。

 ほ、ほら、暗い夜道に輝くピカピカのレッドノーズ並みに役立つはずさ!

 ……一度燃やしたらもう自分の氣として体内に入れられないんだけどね。不便だ。

 

「だが考えてみよう。結果は無駄かもしれないが、男のロマンとしては花丸じゃないか? 手から火が出せるんだ……最高じゃないか」

 

 そう思わなくちゃ8年が報われない。

 言いつつも頭上に氣を収束。

 某・元気玉の要領で、身体組織のみんな、オラに元気を分けてくれェェェとばかりに氣を集めてゆく。

 さて。

 集めてどうするのかといえば……

 

「よっ……っとと……これで全部だな」

 

 体の中の氣を全部出し終えると、次に氣を生み出してゆく。

 それを体中に満たすと、またそれを頭上の氣に掻き集めるように収束。

 そんな調子で氣を作り出せる限界まで作り出すと、頭上に集めては呼吸を整える。

 ……これで全部。これ以上無理、というところまできたら、限界まで圧縮させます。

 

「~っ……はぁ……」

 

 氣の使いすぎでフラフラする。

 だがしかし、こういう一歩一歩が明るい未来に繋がるといいなぁと思うのでやる。

 手探りの未来探しなんてこういうもんだと俺は思うのだ。

 そんな手探りを続けてはや8年。氣脈は地味に広がったし、休み無しで一日中走り回ることくらい平気になりました。氣だけなら……あくまで氣だけなら誰にも負けないと───! ……いつか言いたいです。そんな自分。

 

「……よし」

 

 圧縮出来たら、次はそれを自分の体に纏わせます。一気に吸収してはいけません。吸収したら気脈が大変なことになります。

 纏わせたら、少しずつ体に吸収。気脈に潤いを与えるようにして準備完了。

 これのいいところは氣を作る手間無しでずっと戦えることと、圧縮した氣を纏っているから防御力が多少あがること。問題点は圧縮させるまでに時間がかかりすぎること。俺が敵ならわざわざ待ちません。

 では何故こんなことをしだしたのかといえば。

 

「……………」

 

 ごとり、ごちゃりとバッグから重い物体を降ろす。

 折り畳み式のそれをガコリと起こして伸ばすと、よいしょと背負ってふうと額を腕で拭う。そう……これぞ真桜式飛行絡繰七拾伍式・壊【摩破人星くん】。まっはじんせい、と読むらしい。

 摩擦と破壊、人を星にするほどの飛行能力を目指した結果らしい。ななじゅうごしき・かい、なんてどっかで聞いた名前だなぁなんて思ったものの、実際七十五回目の絡繰を“あぁあああ! まぁた失敗やぁあ!!”と壊しかけたところ、そこから閃いて出来たのがコレだから“七拾伍式・壊”。

 誤字ではない。

 

「すぅううー…………んっ!」

 

 そんなわけで飛行開始。

 氣を絡繰に流し始めるや大回転を始めるプロペラに、思わず笑みが漏れた。

 

「さあ! 空をゆこう!」

 

 都では我慢ばかりだった!

 だが他国では自由! 子供の目を気にせずに全力で“北郷一刀”をしよう!

 

「……なんで今、北郷一刀っていったら種馬だろうがって声が頭の中に流れたんだろ」

 

 ……気にしたら負けだ。

 さあ行こう! この空は俺を縛らない!

 たまには大きなことも言っていいよな! この大空は僕のものだーっ!!

 

 

  ……そうして、彼は飛んだのです。この大空を。

 

 

 しっかりと完成された飛行絡繰の調子は素晴らしく、彼はちっとも成長しない容姿のままに子供のように目を輝かせました。

 

 

 飛んで飛んで、飛び回って、いつしか氣が尽きた頃─── 

 

 

 彼は再び、アグナコトルの気持ちを知ったのだといいます。



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112:IF2/日常化すると、息をするみたいに鍛錬する人②

-_-/───

 

 一刀がアグナコトってから数時間後の朝。

 北郷一刀の朝は早い。

 それに合わせて起きるようにしていた一人の少女の朝も、それはもう早くなっていた。

 

「おはようなのじゃ主様ぁーっ♪」

 

 朝。都の一角。

 心の底まで己を許しきっている人物を訪ね、扉をドヴァーンと開けたお子がおる。

 ……が、探し人はおらず、しんと静まり返った部屋があるだけだった。

 

「う、うみゅ? 主様? 主様~?」

 

 妙ぞ、こはいかなること? と首を傾げてみた少女……美羽は、きちんと自分の部屋で寝るようにと一刀の部屋を追い出されてからこれまで、一度としてこの部屋を訪ねなかったことなどない。

 その経験からして北郷一刀はどれだけ早起きしようが徹夜をしようが、自分が来るまで朝の運動や朝食には向かわなかった……はず。他の者との予定がある日は別にしても、大体は待っていてくれたはずだ。

 だというのに居ない。

 

「……? はっ! もしや何者かに攫われでもしたのかの……!」

 

 そこまで考えてはみたが、“襲う”の意味が違う方向で考えられているあたり、命の危険は特に心配していなかった。

 部屋の鍵が開いているのは毎度のことだ。北郷一刀は美羽よりも起きるのが早い。

 早く起きて、身支度をすると自分が来るのを待ってくれている、そんな人だ。なのでこの状況───朝だというのに鍵は開いていて、かつ部屋の主が居ないという理由は。

 

「……おおっ、厠じゃのっ!」

 

 それくらいしか思い浮かばなかった。

 「仕方が無いのぅ主様は」などとくすくす笑いながら寝台までを歩き、ちょこんと座る。人を想うという行動にも、人を待つという行為にも、もうすっかり慣れたものだ。

 我が儘だった姿など面影もないのだろうが、それはひとえに一人を想えばこそ。自分の行動を邪魔されるのが嫌だった自分も、自分の思い通りにならないことがとても嫌だった自分も、彼の前では頭を引っ込めた。

 考え方のそもそもが変わり、言ってしまえば彼の傍に居ることや彼に笑んでもらおうと頑張ることこそが、いつしか自分の行動の大元や自分の思い通りになってほしいことに変わっていたからだろう。

 それを前提で言うのなら、従姉である袁紹も随分と丸くなったものだ。

 恋だろうとなんだろうと、思い通りにならなければ不満を口にして殴り込みでもかけそうな彼女が、自分との時間に仕事が転がり込んでしまった際、文句も言わずに引き下がることを覚えたのだ。……といっても文句は言わないものの、一刀の傍を離れようとはしないのだが。

 

「……~♪」

 

 ともあれ、考えてもみれば信じられないくらいの影響を自分たちに与えた存在を思い、美羽は寝台に腰かけながら、持ち上げた足をぷらぷらとさせていた。

 鼻歌はもはや癖だろう。

 蒲公英とともに何度もねだっては聞かせてもらった歌。

 一刀の携帯に入っている歌で彼女が歌えない歌などはもう無かった。

 

「……ふみゅ」

 

 そうして歌い終えても戻らない主に、こてりと首を傾げてみる。

 厠にしては遅いのぅ、と。

 小さなものではなく巨大なものと格闘しているのかもと考えると、ポムと軽く赤くなりながらも「し、仕方ないのぅ主さまは」と呟いた。

 

「………」

 

 一刀と出会い、彼の期待に応えたいと思って駆け抜けた日々は結構長い。

 気づけば子供達には慕われ、都の民達にも笑みを向けられる存在になっていた。

 8年以上前であろうと笑まれることは変わらなかったのだろうが、その笑みの種類も今では理解できる。あれは歓迎されていない笑みだった。

 それが今では自然な笑みで迎えられるのだ……思ってみれば、それはとても心が温まる世界だ。

 それを与えてくれた人に。根気良く付き合ってくれた人に、自分は今以上のなにかを届け続けたい。体もすっかり普通に大人だ。相変わらず子供扱いされることはあるものの、そんなものはしてもらえる内が花であると様々な人物に言われた。

 その言葉が切っ掛けで子供薬争奪戦争というものが起こったことがあるけれど、あまり気にしない方向でいこう。結果として、年長組と呼べる存在はあの日と変わらぬ容姿で今を生きている。それだけなのだから。

 

「む」

 

 暇に任せていろいろと考えていると、この部屋へと駆け迫る気配。

 急いでいるらしく、ノックを待たずに入ってくるであろうその気配の主は───

 

「おはようございますお嬢様っ」

 

 ……七乃だ。おはようを唱えるならもっと早く、自分の部屋にまで来て言うべきではないだろうか。小さくそんなことを考えながらも口には出さず、「うむ」と返す。

 今思えば随分と人をからかっておちょくって楽しんでくれた七乃だが、それをどうこうするつもりも、そもそも恨むつもりもない。いろいろあったが傍に居てくれようとした存在なのだ、それを拒絶するなどとんでもない。

 しかしながら、からかえなくなったと知るや、あからさまにがっかりするのはやめてほしい。もう散々と堪能しただろうに。そんな言葉も言わない。困惑する彼女をからかい返すのは、自分の数少ない趣味のひとつだ。

 ……と彼女は考えているが、結局は言葉では勝てず、最後はからかわれる。

 そんな青春。

 

「どうしたのじゃ七乃。そのように駆け込んできたりしたら、主様に迷惑であろ?」

「いえいえぇ、それが実はその愛しの一刀さんに関してのお話なので、お嬢様でしたら絶対にこの部屋に来ているだろうと思い、脇目を振りつつここまできたのです」

「脇目、振ったのじゃな……」

「はいっ、それはもうっ」

 

 お決まりの姿勢と言えばいいのか。

 七乃はピンと立てた人差し指をくるくると回し、人をからかうための餌を言葉に混ぜつつ話し始める。それを真正面から受け止める美羽は、“いつものことながら、よくもまあここまで舌が回るものじゃの”と感心した。自分がやろうとしても舌を噛むだけに違いない。

 

「───と、そんなわけでしてっ。一刀さんが夜逃げしたというお話が、兵たちの間でまことしやかに噂されていましてね?」

「うほほ、おかしなことを言うのぅ七乃は。主様は困難に直面したら、むしろそこへわざわざ足を運ぶようなお方ぞ? それが娘からの理解を得られないという理由で夜逃げなどと」

 

 ふふりと笑いつつ腰掛けた寝台から立ち上がり、一刀が使っている机へと歩く。

 どんな時でも仕事をするような人だ。今日だって厠に行く前は書簡整理でもしていたに違いない。そう思ったからこその行動───だったのだが、机に乗っているものがたった一つの竹簡のみという事実を確認すると、きょとんとしたのち……驚いた。

 

 『拝啓、天体戦士サンレッ……もとい、

  この部屋を訪れたあなた様。

  新茶が美味しい季節になりましたがいかがお過ごしでしょうか。

  さて本日は、出張鍛錬の日時のお報せをお送りさせていただきたく思い、

  こうして筆を取らせていただ───』

 

「主様が家出したのじゃあああぁぁぁぁぁぁーっ!!」

 

 最後まで読まれることなく閉じられた竹簡が、ガリョッといい音を鳴らした。

 

「お、おぉおお……! 主様が、主様がぁああ……!!」

「まあまあお嬢様、一刀さんが他国に飛び出ていくことなんて、一度や二度のことではないじゃないですか。気にするほどのことでも───」

「竹簡が置いてあったのは今回が初めてであろ!」

「あ、先に気づいちゃだめじゃないですかー。気づかせずにいろいろ吹き込もうと思ってたのに、お嬢様ったらいけずっ」

「生簀なぞ知らぬのじゃ! それより主様じゃ!」

「いえいえ“いけす”ではなくて。もう、お嬢様ったら一刀さんのことになると冷静ではいられなくなるんですから。ではそんなお嬢様に朗報です。見張りの兵が、国境から戻ってきた兵に一刀さんが門を潜ったという情報を聞いたそうですよ」

「なんじゃとぉ!? 何故それを先に言わぬのじゃ!」

 

 言いつつも情報を得たとばかりに期待を込めた目で七乃を見つめる美羽。

 その“頼られている瞳”にうっとりな七乃だが、同時に悪戯心も沸いていた。

 

「で、で? 主様は何処への関所を通ったのじゃ!?」

「はいっ、実は───」

「実は……!?」

「私にもわかりません」

「───」

「………」

 

 ……指を回している女性の笑みは、極上のものへと変化した。

 対するポカンと呆けていた少女はその極上の笑みの彼女へとローキックをかまし、痛がる彼女に「どういうことなのじゃーっ!」と叫んだそうな。

 

「い、いえだって、私としましては一刀さんが出ていくのを見ただけであって、何処に行ったかまでを調べるには時間が早すぎますよ?」

「兵から聞いたと言っておったであろ!」

「もちろん嘘ですっ☆ いたぁっ!?」

 

 再び蹴りが飛んだ。

 

「いたたたた……! ふふふ、甘いですねぇお嬢様……言葉遊びというのは相手の言葉に集中してこそ勝てるもの。ここから国境までを一日かからず辿り着くなど、休み無しで全速力で、しかも障害物などを全て無視してでも真っ直ぐに向かわなければ無理ですよ」

「主様ならやりかねんであろ」

「……えーとその。まあ。一刀さんでしたらやりかねませんけど」

 

 なにせ氣だけで言えば異常ともとれるほど持っている。

 加えて空を飛ぶ絡繰まで持っているのだ。普通ならば迂回しなければいけない場所でも、空を飛べば大きな川だろうと谷だろうと越えられる。

 片春屠くんはつり橋なんて渡れないから相当迂回しなければ各国を回れないという難点があるが、空を飛ぶ絡繰は実に便利だ。

 

「うみゅぅう……では、国境の兵が戻ってきたというのも嘘かの……?」

「もぉちろんですお嬢様っ!」

「威張るでないのじゃぁああーっ!! ええいそこになおれこの馬鹿者がー!!」

 

 結局はからかわれる側らしい。

 が、日頃から子供たちに“主様を蹴るでない”と言う割りに、この少女も意外と足が出るのが早かった。べしぃっ、と音が鳴ると、七乃が「はうぅうんっ!?」と悲鳴をあげて、蹴られた右足を庇うように飛びのいた。

 

「お、お嬢様ぁ、氣を込めて蹴るのはやめてくださいとあれほど申し上げたではありませんか~……」

「七乃がいつまでも妾をからかうからであろ! まったく、主様と勉学に励む中、どれほど妾が偏った知識のために恥を掻いたかわからんわけではなかろ?」

「もちろんわかりませ───」

「わからんのなら全力で蹴るのじゃ」

「ごめんなさいお嬢様っ!」

 

 ピンと立てた指が祈るように組まれ、にっこにこ笑顔が悲しみに溢れる。……とても早い懺悔であった。

 

「ふみゅ……まあ知らぬ相手でもないからの。七乃を好いておる妾であるからこの程度で済むものを、もし妾でなく底意地の悪い君主相手であったなら、今頃七乃の首は道端にさらされておったのじゃぞ?」

「もっちろんわかっておりますともっ!」

 

 そして物凄い速度での復活であった。ピンと弾かれるように伸びた人差し指も、どん底から這い上がったようにはまるで見えない極上の笑顔も、それすらもがからかう材料だったのかと思えるくらいに眩しかった。

 

「うむっ、これに懲りたなら、一層妾に尽くすがよいのじゃっ!」

「ええもちろん! どこまでもついていきますよお嬢様っ! なにしろ言われるままを鵜呑みにしたり他人任せばかりだったお嬢様が、今では積極的にご自分で行動なされるほどの成長を見せたんですからっ! ここまでの成長などお嬢様以外には不可能ですっ! よっ、都を支える現代の知将っ! お嬢様ってばさすがですっ!」

「うははははっ、そうであろそうであろっ!? もっと褒めてたも!」

 

 ……で、結局は根っこというものはそう簡単には変わらない。

 既に七乃が次はどんな言葉でからかおうかと思っている時点で、二人はずっとこのままなのかもしれない。

 そんな大盛り上がりの二人の聴覚へ、ノックの音が届いたのは……この直後だった。

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 朝である。

 

「裂蹴ゥウウーッ!! 紅球波ッ!!

 

 今日も元気に……別の村で鍛錬。少しの休憩を取ったら全力で走りました。

 ……さて、今回の鍛錬は───手の中に作った“風を巻き込む回転”をする氣を作ると、逆側に回転する氣を重ねるように作り上げ、それを高速で回転させることで火をつける、なんて鍛錬。

 発火剤はあくまで氣であり、燃えてしまえば酸素を巻き込む限りは燃える……のだが、氣も作り出しては回転させを繰り返さなければいけないので、凪のように“作り上げたらさっさと撃つ”のが一番だ。

 そもそも俺に凪のような瞬間発火させて飛ばすような方法は無理だ。これからまた何年も研究すれば出来るかもだが、それをするよりは別のものを研究したい。

 なので裂蹴紅球波(れっしゅうこうきゅうは)

 かの元霊界探偵が使っていた、霊力……ではなく氣のボールをサッカボールのように蹴って相手にぶつける技だ。投げるよりもよっぽど早いので、結構面白い。

 蹴った氣の球は村の端の草原を飛び、多少カーブすると地面に落下。破裂して地面を抉った。

 

「……勢いはいいんだけど、問題は命中精度だよな」

 

 何分足で蹴るため、どこに跳んでいくかが正確にわからない。

 プロのサッカー選手とかだったら完璧なんだろうなー……生憎とサッカーの練習はやってないから俺には無理だ。

 

「まあ、応用応用」

 

 放出系はここまでにして、次は応用。

 放出するイメージを体に込めて振るう。

 氣を上に飛ばすイメージが成功して武具が軽くなるのなら、振るう拳を先へ飛ばすイメージを働かせれば拳が速くなる。そういったものだ。

 もちろん、武器を下に振り下ろす際は下へと氣を飛ばすように振り下ろす。

 今まで加速にしか使っていなかったものを、それ全部を氣弾にするイメージだな。

 

「ん、んー……」

 

 今までは加速が出来ればそれで良しと考えていたもの。

 拳に届けばそれを鈍器とするように振るっていたソレを、拳に届いてなおその外へと向かわせるようにして───

 

「爪先から踵───」

 

 回転を開始する。

 

「踵から膝───!」

 

 体を下から順に回転させて、

 

「膝から腰───!」

 

 一緒に氣を螺旋のイメージで昇らせて、

 

「腰から背骨、背骨から肩!」

 

 速すぎる回転に関節や軟骨に負担がかかるが、それも個々に使用出来るようになった氣を緩衝剤にして負担を減らす。

 

「肩から肘、肘から手首! 手首から───」

 

 やがて、何を心配することなく最高の速度で昇ってきた氣を拳に宿し、そこで終わらずに体外へ全速力で放出するイメージを働かせる。けれど実際に放出することはなく、ただその速度のままに拳を振りきり───!

 

「はぶぅぃっ!?」

 

 ……全力を放った結果、拳の勢いに持っていかれた体が全速力で芝生に衝突した。

 いくら振り切ったところで拳は体にくっついてるんだから、飛んでいく筈もない。

 ないんだが……地面にしこたま顔を打ち付けたというのに、俺はわくわくしていた。

 何故って、今までやってきたことがきちんと生かされているから。

 フィンガーマシンガンとか魔空包囲弾とかいろいろへんてこなことをやってきたけど、そのどれもが集中に必要だったり分散に必要だったりして今に活きている。それが嬉しい。

 今なら岩だって軽々と破壊できそうな気さえするのだ。出来ないんだろうけど。

 

「~……よしっ」

 

 わくわくを胸に石を拾い、同じ過程を以って石を全力で投げてみた。正面とかは危険なので空へと。それは風を裂き、空を切り、蒼天を目指して飛び───

 

『ギュピィーッ!!』

「キャーッ!?」

 

 ……空を飛ぶ鳥を仕留めてみせた。

 遥か上空、昼ならば眩しくて仕方が無かったであろう天空にて、鳥の悲鳴が耳に届く。

 ゲェエと叫びそうになったのに、なんだか普通にキャーとか叫んだ俺は大丈夫か?

 いやそうじゃないだろまずはあの落下してきている鳥を……落下!?

 

「うわわちょっと待てぇえーっ!!!」

 

 当然慌てて疾駆。

 草原を駆けて襲撃防止用の壁を飛び越えて駆けて駆けて駆けて───鳥が落下してきた場所へとンバッと飛び出した……ら、下が川でした。

 

 

   ギャアアアアアアァァァァ……!!

 

 

      ダッポォーン───……

 

 

───……。

 

 

 まずは両手を合わせます。集中。

 両手に氣を集めて、体を包むように展開。集中。

 風を巻き込むようにして氣を動かします。集中。

 その際、片手ずつ放つ氣は全て逆方向に。集中。

 そうして氣と氣を高速で摩擦させて、巻き込んだ酸素を燃やします。集中。

 

「もっとぉっ! 熱くなれよぉおおーっ!!」

 

 そうしてからその摩擦で燃えた渦巻く氣を空へと飛ばすように、拳を天へと突き上げます。するとどうでしょう。自らが作った小さな氣の渦が一気に燃えて、濡れていた体が乾きます。

 

「……この要領で飛竜昇天波とか出来ないだろうか」

 

 あっちは熱気を集めて冷気で吹き飛ばすんだっけ?

 ……また8年かければ、火じゃなくて冷気を作ることが出来るだろうか。

 

「冷気……冷気ね」

 

 考えてみれば、ファンタジーでいう魔法とかはどうやって氷などを作っているのか。

 魔力? 魔力だろうなぁ。言ってしまえばそれまでだけど、氣だって人間が出せるものだろう。魔力もそうなら氣でも氷を作れないだろうか。

 

「氣同士を摩擦させて、巻き込んだ酸素を燃やすことで火を作るなら……その逆?」

 

 そんな単純なことで出来るものだろうか。

 まあいいか、今は応用の続きだ。

 

「一撃はデカいけど隙が大きすぎるのが難点だよな、これ」

 

 全力すぎて、攻撃のあとの隙がデカい。

 どうせやるなら投擲ものの方が確実に強い。

 その事実は、死にはしなかったものの目を回している天空の鳥が教えてくれた。

 現在も木の上から俺を恨みがましく睨んでいる。

 相当高く飛んでいたからなのか、威力が弱まったところで当たったらしい。

 癒しの氣も流したし問題はない……筈なんだが、飛び立とうとはせずにこちらを睨んでいる。

 

「あー……えと。悪かったって、そう睨まないでくれ……」

『カッ! カッ!!』

 

 声をかけると翼をバサァッと広げ、カッカッと威嚇してくる。

 ……言葉がわかるわけでもないのだろうが、随分と嫌われたものだ。

 子供と俺の関係もこんなものなんだろうな……なんだかどんどんと自信がなくなっていく。でもなぁ、俺、別に子供達に痛い思いをさせた覚えもないんだけどなぁ。こういうふうにあからさまな原因があって嫌われるならまだしも、隠しているとはいえ仕事もしているのに嫌われるというのがまた……はぁ。

 

「だったら隠さなければいいってみんな言うけど、こればっかりはな」

 

 今さら……そう、今さらなのだ。

 ならばやはり反面教師。

 想像の中の俺のようにならないため、強く生きてくれ子供達。

 そしていつかぐうたらな親を今こそ叩きのめしてやると牙を剥いた時にこそ……

 

「真正面からブチノメして種明かしをしてくれるわグフフフフ……!!」

 

 ……とまあ、悪者ぶるのは適当に、そんなことを考えているわけだ。

 するとどうだろう、子供達からの俺への評価が一変! 何故今まで隠していたんだと軽蔑の眼差しで…………あれ? 変わってない?

 

「………」

 

 どう転んでもダメなものはダメと考えるのも必要なのだろうと、その時悟った。



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112:IF2/日常化すると、息をするみたいに鍛錬する人③

-_-/───

 

 都の街は賑やかだ。

 三国の中心にある、三国から見れば随分と小さな場所だが、それ故に。

 別の国を目指すのならば大体の者が通るため、人も歩けば仕入れも頻繁。

 ほぼ自動的に各国での噂も集まるし、いい噂があれば皆が自分のことのように喜んだ。

 

  さて。

 

 そんな街の中で、ふむむと思い悩む人が一人。

 

「璃々、どうかしたですか?」

「あ、ねねねお姉ちゃん」

「……その呼び方はやめるです」

 

 璃々である。

 ここ8年で大きく成長した彼女は、街の一角、食べ物市のひとつの前で悩んでいた。

 隣へやってきたのは音々音であり、服装は大して変わっていないものの、すらりと伸びた身長もあって人目も惹く格好で、大きな帽子をぽむぽむと自分で撫でつつ呟いている。

 通り過ぎる人が彼女の足へと目をやるのは格好の問題もあるのだが、彼女自体はもう慣れたものである。

 

「ねねさん、足、足見られてるよ」

「別に気にしないのです。というか、他のやつらがあんな格好の中、ねねだけ恥ずかしがっててどうするですか。ねねはこの服が気に入っているのですから、それを恥と思うこと自体が恥なのです」

 

 言って、「大体」と続ける。ピッと璃々を指す指は、彼女の鼻を今にもつっつきそうなくらいズズイと攻められたものだ。

 

「璃々に言われたくなどないのです。いつまでそんな大人し目な服を着ているつもりです? 言ってはなんですが、王らの子供よりも子供っぽいです」

「うぅっ……い、いいんだもん。ご主人様は、そんな璃々ちゃんが好きだよって言ってくれたもん」

「あのぽけぽけ支柱が言った言葉はそのままの意味で受け取るべきです。どーせ可愛い子供に向ける以上の意味などないのです。動物を可愛がる意味と大差ないに決まってるです」

「い、言われないよりはいーんだもん!」

「ねねよりちびっこいのに一部分だけは無駄に育ちやがったくせに、大人し目な服を好むとかあれですか、ねねに喧嘩売ってるですか」

「この前お母さんに買ってもらった服を着てみたら怒ったくせにー!」

「当たり前ですなんですか喧嘩売ってるですかなんですかあの服は無駄に胸を強調してあれですかねねがこんなだから見下してやがるですか」

「ねねさん怖いよぅ!」

 

 璃々にしてみれば、すらりとして整った顔立ちに体型、さらりと腰まで伸びた髪に少しブカッとした服など、羨ましいと思えるものだらけな音々音なのだが、音々音にしてみればある一点の隆起において敗北しているだけで、その羨みはとても深いらしい。

 母からの遺伝なのかはわからないが、年々大きくなるコレには正直戸惑っている。

 ……戸惑っているのに、迷惑だと言おうものなら様々な方向から怨念が飛んでくるので軽く口にすることも出来ない。

 はぁ、と溜め息を吐くと、彼女のツーサイドアップの髪がぴこりと揺れた。

 

「それで? なにをうんうん唸っていたですか?」

「あ、うん。これ」

 

 すっと指差す先に鎮座ましていらっしゃるのは大きな大白菜。

 その隣の小白菜と見比べてはうんうん唸っていたようで、音々音はきょとんとするばかり。

 

「大白菜がどうしたというのです? もしやこのおやじが有り得ない値段をふっかけてきやがったですか」

「いやいや馬鹿言っちゃいけねぇよお嬢ちゃん! 俺っちはきっちりと時期にあった値段で卸してらぁ! これ以上安くしたらカカァに締められちまう!」

 

 じろりと睨まれた店主が慌てて言う。嘘はなさそうだし、そもそも聞いた値段も普通だ。なら璃々はなにが不満なのか。

 

「大きいほうは少し崩れてて、小さいほうはしっかりしてて。みんないっぱい食べるだろうから大きいののほうが“おとく”なんだろうけど、それだといっぱい食べられないから、こういう時はどうすればいいのかなーって」

「大きいのを買っていっぱい食べさせれば文句など言わないのです。どうせお腹に入れば同じという猪ばかりなのですから」

「……嬢ちゃん、可愛い顔してひでぇこと言うなぁ……」

「ねねさん、これ、恋お姉ちゃんの分もあるんだけど」

「!」

 

 言いつつ大白菜に伸ばしていた璃々の手が、がっしと止められる。

 手首を掴んで止めてみせたのは、言うまでもなく音々音である。

 

「それを早く言うのです! 恋殿はあれで“ぐるめ”ですから、ならば小白菜を買うのです! ああ、その他大勢の分はそっちで構わないですよ」

「だ、だめだよぅ、おかしなの買っていったらお母さんに怒られちゃうもん」

「嬢ちゃんらなぁ……人の店をなんだと思って……」

 

 額に鉢巻をした腹の出た店主は、だはぁと溜め息を吐きながらも「ああもう好きにしてくれ。ただしそこまで言うならぜってぇ何か買ってってもらうからな」と言う。

 さすがに好き勝手言い過ぎたこともあり、音々音も璃々も頷く他無く……璃々は完全に巻き込まれただけなので、いっそ泣きたい気持ちだった。

 

「ほあああ……! 主様、主様ぁああ……!」

「お嬢様? さすがにそろそろ一刀さん離れをしませんと、将来的に大変なことになりますよー?」

 

 その一方、部屋を訪れた璃々に買い物に誘われた美羽は、七乃を連れつつそわそわしていた。彷徨う視線はいつでも主様サーチ。完全に依存状態ともいえる。

 

「なにを言うておるのじゃ七乃は……今まさに主様と離れておるから探しておるのであろ……?」

 

 そして、進言への答えは“とひょーう”と吐かれた溜め息とともに返ってきた。

 笑顔が苦笑に変わりそうになる七乃も、これはこれで苦労しているのだろう。

 

「さ、さっすがお嬢様っ、言われた言葉を都合のいいように置き換えるところなんてまるで成長が見られませんっ」

「誰がまるで成長しておらぬのじゃーっ!!」

「あ、ああ~っ……!? やっぱりここあたりはわかっちゃいますかっ!?」

「七乃っ! そこへなおるのじゃっ!」

「あぁんごめんなさいお嬢様ーっ!!」

 

 怒られるところまで入れての一連のやり取り。

 散々と騒いでも周囲の反応がそこまで変わらない理由は、いつものことだからで済んでしまう。8年は長いのだ。

 

「毎日毎日よくもまあ飽きないものです。あれは璃々が誘ったですか」

「うん。一応護衛にって、お母さんが」

「むむむ。確かに北郷一刀にべったりで、鍛錬も期待に応えようと無駄に張り切っていたですから、そこいらの兵よりは頼りになるのです。しかしああ騒がしくては、ここにいるぞと叫んでいるようなものです。ねねが人攫いならば、居場所が簡単にわかってしまってむしろお得な護衛ですね」

「美羽ちゃん、強いよ?」

「強いのはわかってるです。ただ言葉で簡単に騙されて、護衛がどうのどころじゃなくなりそうです」

 

 ちらりと見た美羽は、今まさに七乃に騙されて目を輝かせてこくこくと頷いている。

 先ほどの怒りもどこへやら、食べ物のうんちくかなにかに感心しているのだろう。

 

「あれで護衛になっていると言えるですか」

「なってるんだよー? だって、こうしている今も私に氣をくっつけて、注意してくれてるもん」

「……氣の使い方も随分と多用になったものです。北郷一刀がいろいろとやる前までは、戦いや治療以外に使えるとは思ってもみなかったのに」

「一定距離を離れると引っ張られる感じがして、それで解るんだって。すごいよね」

「……ちなみに、璃々はそれ、出来るのですか?」

「うん。私もご主人様にいっぱい教わったから」

 

 ……子供の頃から調教ですか、恐ろしい種馬なのです。

 ぼそりと呟いた言葉はしかし、璃々には届かなかった。

 

「ではちょっと試してみるです。今現在、目の前にぶらさげられた甘いものに夢中のあの幸せ娘が、きちんと気づくかどうかを」

「ふわっ!? あっ、ねねさん、だめっ───」

 

 引っ張って走り出す。

 すると目には見えないのに逆の腕を引っ張られるような感覚が璃々に走り、途端。

 

「妾に喧嘩を売るとは良い度胸なのじゃあああぁぁーっ!!」

 

 どごーん、と。

 つい一瞬前まで幸せ笑顔だった美人さんが咆哮。

 氣を手繰り寄せるようにして地面を蹴り弾き、呆れる速度で走る姿は鬼のよう。

 

「ななななんですとーっ!? ほんとに気づいたですーっ!!」

「ねねさんっ、離してっ、今ならまだ間に合うからっ」

「は、離せばいいのですねっ!? 離したですっ!」

 

 ぱっと手を離すと、直後にその場へ美羽が到着。

 普段のほにゃりとした雰囲気が嘘のようにキリッとした迫力に、音々音は内心驚いていた。というか黙っていれば相当の美人がキリッとした顔をすると、こうまで人の目を惹くものかと感心もしていた。

 

「璃々っ! 賊はどこじゃっ!? 主様のおらぬところを狙って都に来るなぞ、よい度胸なのじゃ!」

 

 到着早々、辺りをぎろりぎらりと睨みつける美羽。

 その迫力に周囲の民たちも驚き……つつも、綺麗な顔立ちに見惚れたりしていた。

 そんな視線を浴びつつも、「賊ならば見つけだして、産まれたことは祝福しつつも罪を犯したことを後悔させてくれるのじゃ……! ……七乃が」「えぇっ!?」などというやりとりがあったが、騒ぎ自体は都名物のようなものなので、民も笑みながら歩くことを再開した。

 

「もう、お嬢様? 急に走り出して、なにかと思ったら……。ねぇ、陳宮さん?」

「う……べ、べつにねねは関係ないです。ただちょっと璃々を引っ張っただけです」

「うみゅ? なんじゃ、お主がひっぱっただけなのか。まったく、街の賑やかさに釣られて、手を取って駆け出すなぞ……うほほ、子供よのぅ」

「おまえに言われたくないです! いつまで従者引き連れてお子様気分なのですか!」

「むぐっ……な、七乃は勝手についてきているだけなのじゃ! わわわ妾ほどの猛者になれば、街を一人で歩くくらいどうということもないのじゃ!」

「そうですかー……では今度からはお嬢様お一人で……」

「………」

「……その、口先軍師の服を掴んで離さない手はなんなのです?」

「こっ……これは、日々の憤りを七乃の服に八つ当たりしているだけなのじゃ。おおおお主にも経験があるであろ? なにかしらの悔しさを抱いた際に、服をぎううと握ってしまうということが」

 

 “つまり、今悔しいんだね、美羽ちゃん……”……それは、璃々の心の声だった。

 見知った人が傍に居ないと不安なのは今も変わっていないようで、そもそも一刀に心を許してから今まで、いつも傍に誰かが居た彼女にとって、一人きりで大勢の中を歩くのは不安以外に抱けるものがなかった。

 HIKIKOMORIからは脱出出来たのだろうが、心は未だに篭っていた。

 

「もうっ、お嬢様ったらさすがの残念美人っぷりですっ」

「誰が残念美人じゃーっ!!」

「くうっ、もはやこの言葉でも喜んではくれないのですね……! ああ、日々勘違いをして騙されてくれる言葉が無くなる事実に、七乃は涙と悲しみを噛み締めるばかりですお嬢様っ……!」

「そもそもからかうでない! 七乃は主をなんだと思っておるのじゃまったく!」

 

 日々は大体こんな感じ。

 街が騒がしくない日がないように、将もまた元気であり、騒ぎを聞きつけてやってくる兵らも元気だ。またいつものですかと苦笑を漏らしている。

 

「えと。ところでねねさん」

「んあ? なんです、璃々」

「……結局、さっきのお店でなんにも買わなかったんだけど」

「あ」

 

 散々ケチつけて、氣の連結を試すために疾走。

 店のおやじにしてみれば突然逃げ出したようにしか見えない。

 それ=……

 

「………」

「………」

 

 ちらりと後方を見てみると、人垣の隙間の奥で、なにやら叫んでいるおやじがちらちらと見えた。

 

「……ねねさん。怒っていい?」

「ふっ、ふふふ不可抗力ですっ、ねねは悪くないですっ!」

 

 めらりと、笑顔の璃々の姿が揺れて見えた。

 アスファルトの上の熱現象にも似た、陽炎、とでも言えばいいのか、ゆらりと揺れた先にあったのは笑顔の殺気。

 彼女の母に良く似た暗黒スマイルを前に、音々音はそれが陽炎ではなく彼女の体から溢れ出る氣であることを……とっくの昔に理解していた。

 紫苑に歳のことを言うべからずとは暗黙の了解となっているが、怒らせると怖いというのはどうやら遺伝するらしい。

 モシャアアアと某グラップラー漫画のように景色が歪むほどの氣が溢れ、それを見るや音々音はすぐに謝った。年齢云々は関係無し。悪いことをしたなら誤魔化すよりも謝ろう。

 

「もうっ、すぐ戻るよっ? 謝って、ちゃんと買わなきゃっ」

「ううっ、戻るですか。もういっそ別のお店で買って、二度と近寄らなければ───」

「行商さんの情報伝達能力を侮ったら後悔するのは自分だ、ってご主人様が言ってたの! ぶちぶち言わないでいいから行くのー! お店の人を怒らせて、お母さんに怒られるの私なんだからー!」

「わたたっとと! わ、わかったのです! わかったから引っ張るのをやめるです璃々っ!」

「む? 戻るのかの? ……ははん? さては買い忘れじゃの? うはははは、仕方がないのう璃々は」

「ああ、他人の失敗を前に無理矢理お姉さんぶって胸を張る姿なんて、まさにいつも通りのお嬢様っ……! そんなことよりお嬢様っ、あそこのお店でちょっと摘んでいきませんっ?」

「大きな目的の前に買い食いは天敵じゃと主様が申しておったであろ! だめじゃ!」

「くっ……物で釣ることすら通用しなくなってきました……! このまま何も通用しなくなったら、七乃はどうしたら……!」

「なので大きな目的は妾が果たす! 七乃っ、今すぐ人数分買ってくるのじゃ!」

「さっすがお嬢様! 欲望に完全に打ち勝てない中途半端なお嬢様が大好きですっ!」

 

 8年でなにが変わるのか。

 人に寄りけりなのだろうが、根っこはそう簡単には変わらない。

 そんな、お話。



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113:IF2/お子らが元気で兵が大変①

165/それぞれの一日

 

-_-/一刀さん

 

 どうせ攻守を合わせた金色の氣ならば、殴る拳に防御の氣。

 村で休憩を取ってからまた走っていた俺は、そんな些細を思い出して……とある岩の前で立ち止まり、早速加速と防御を合わせた拳を真っ直ぐに打ち出した。

 随分前に思いつき、しかしその頃はまだ氣の部分的な使い分けが出来なかったこともあり、中途半端に諦めてしまっていた。しかし今なら。

 そんな思いと夢を込めた拳は岩にどかんとぶち当たり、

 

「ギャアーッ!!」

 

 拳は痛くなかったけれど、様々な関節を痛める結果を生んだ。

 

……。

 

 思いついては立ち止まりを繰り返す中、見つけた川で水の上を走る修行をしてみたり、いつかのように魚を素手で捕まえる(わざ)を試してみたり、蜂の巣箱の研究のために野生の蜂の巣を襲撃してみたり(蜂蜜を強奪して舐めてみたら、何故かアレが二本に増えて絶叫)。

 道行く先で見つけた様々に首を突っ込む過程で、体に溜まった嫌なことを少ぉ~しずつ少ぉ~しずつ発散していった。

 絡繰で空を飛んだり怪我した動物を癒したり、荷馬車の車輪が抜けて困っていた行商を手伝ったり、氣の回復を図るために広い原っぱで昼寝していたら野性のパンダに襲われたり、落ち着ける時間なんてほぼなかったのに、結局は笑っている自分。

 氣が回復すれば空を飛び、障害物が無い分、空を飛ぶ絡繰というのはとても速く、ただ真っ直ぐ飛ぶことに集中すれば、片春屠くんにだって負けないそれを以って、ただ只管に逃げたり楽しんだり。

 

 空を飛ぶ、というのは自分的にはとても大きな出来事だ。

 この絡繰も空を飛ぶという役目は完全に叶えてくれたが、何もしなければ上に飛ぶだけだったりする。つまり前に飛ぶには前傾にならなくてはいけないわけであり、重力から解放された状態での前傾はこれで案外難しい。何かを背負っていると余計に。

 なので結局ここでも氣や筋肉を使っての前傾が必要になるわけで、思った以上に疲れたりする。だが飛べる。飛べるのです。

 自分を飛ばすための大きなプロペラと、自分が横に大回転しないための補助のプロペラを同時に操作しなければならないため、体のほうに意識を回すのは結構手間だ。

 しかし飛べる。

 飛べるというだけで、これは素晴らしい発明なのだ。

 

「でも寒っ! 上空寒っ!!」

 

 一度勢いに乗ってしまえば勝手に前傾姿勢が保たれるから、それはそれでいいのだ。

 問題は勢いに乗るまで。

 集中を乱せば補助のプロペラの回転が止まって大回転⇒アグナコトることなど一回や二回じゃ済まなかった。試作の段階で真桜に何度も試してみてと頼まれ、俺は人がどれだけ大回転しようが、頭では地面を抉れないことを知った。

 素晴らしい発明の完成を見る前に首が捻れて死ぬのを恐れた俺は、それはもう防御の氣の昇華を急ぎました。生への執着もあって、思いのほか防御の氣も上手く扱えるようになったが……出来ればもう二度とアグナコトりたくはない。そう思った矢先にアグナコトったのは悲しい事実だ。

 

「これが戦の中で開発されてたら、いったいどうなってたんだろうか」

 

 爆弾を手に空からそれを落下させる俺の図。

 ……祭さんか紫苑に簡単に射落とされる自分しか想像出来なかった。

 

「っと、そろそろやばいっ、ほ、ほ、ほわっ……!」

 

 氣が枯渇していくのを感じて、慌てて地面に降りる。

 降りてからはしばらくゼェゼェと呼吸を乱してぐったり。そんなものだ。

 大げさだとは思わない。だって、空を飛びすぎた後は、アグナコトらないほうが珍しいくらいだ。

 

「はぁ……! ……もう少し、消費が抑えられると嬉しいな」

 

 真桜に頼んでみようか、などと思う必要もなく、とっくにとりかかっている真桜さん。

 七拾伍式・壊の上は既に製作されており、しかしバランスがいいのがこれとくる。

 消費する氣の量を低くしても回転してくれないものかと試行錯誤してはみているものの、望んだ結果が簡単に生まれるのなら、そもそも人は争ったりなどしなかった。結論はそんなところに落ち着いてしまっている。

 

「よい……っしょ、っと」

 

 なので絡繰を畳むとバッグへ詰め込み、休憩がてらに書簡を取り出してはそこらへんの木にもたれかかって、仕事をする。

 といっても竹簡に書いたものの纏めの部分なので、この書簡があるだけで随分と進められるものなのだ。困りごと等への対処・改善案を出すのも慣れたものだ。

 暮らすことにすら慣れていなかったこの世界を知って、慣れるどころか内政の手伝いまでして、一から作る都って世界と一緒に歩いていけば、そこをどうすれば良くなるのか、というのは結構見えてくるものだ。

 あくまで関係しているから見える部分では。

 難しい問題と難しい問題を照らし合わせて、じゃあ一方の解決策と、そこから生まれる恩恵を別の方向で生かそうって考えで埋まる解決策もかなりある。

 村よりは広いとはいえ、都といってもひとつの街のようなものだ。

 国より広くはないし、そこで見る物事というのは、一から作った人達が集う都ならではというべきか、住民のみんながそもそも問題をなんとかしようとする傾向や、問題を起こそうとしない傾向に落ち着いている。

 お陰で仕事はあるけどそこまで難しいものではない、といったものが大半だ。

 だから俺だけでも進めることは出来る。

 難しかった問題とかは、いつか俺が野生と化した時にみんながパパッと済ませちゃったからなぁ。

 

「…………はぁー…………」

 

 さぁ、と流れるように吹いた風に撫でられ、脱力しながら息を吐いた。

 気持ちいい。

 言ってはなんだけど、都や村や、国の主な街となる許昌、建業、成都ではこんな気分は味わえない。必ず誰かが傍に居て、必ず誰かが騒ぎを起こすからだ。

 それは主だった将らが都に居る現在でもあまり変わらない。

 後釜を任された将らもなんだかんだで“あの人たちを纏めている支柱”って意味でやたらと俺を頼ってくるし、俺が断らないと知るや仕事の大半を任せようとする。

 自分でやらなきゃ見る目も能力も変わらないぞと言ってみても、“そもそも能力自体が違うんです! どうなっているのですかあの人たちは!”とか泣きながら叫ばれた。うん、まあ、わかるけどさ。みんながかなり規格外なのは。

 

「どっちを見ても誰かが居る生活。……慣れたもんだよな」

 

 眠る時だけでも一人の時間が欲しいと感じる時がたまぁにある。

 そういった理由で子供たちにも母のところで寝なさいと言っている。

 ……もちろん、禅以外には意味がない言葉でございます。

 

「ここにまた来たいって願って、頑張って自分を高めて……ここに戻って、いろんな人に感謝して、泣いて笑って」

 

 刺されたりもしたなぁ。

 親父たち、元気だといいけど。

 

「……少しは強くなれたかな」

 

 バッグとともにある木刀入りの竹刀袋を見下ろして、一人こぼす。

 思い出すのは祖父の言葉。

 免許皆伝云々でいろいろと教えてもらったあの日だ。

 不老ではあるけれど、致命傷を受ければきっと死ぬのであろうこの世界で、どこまで努力を重ねればあの人に認めて貰えるのだろうか。

 いろいろな人と係わって、いろいろな人の表情や感情を知るうち、自分がどれだけ親不孝どころか家族不幸を働いているのかを嫌でも自覚させられた。

 戻った時にはここへ飛んだ時間と変わらなかった、なんてただの言い訳だろう。

 夕暮れの教室に戻った時と今の自分とでは心構えがまるで違う。

 だからせめて、不老であるとしてもなにかしらが原因で死んでしまうことがあるのなら、たとえどう足掻いても家族不幸は免れない自分ではあっても、立派であったと胸を張れる自分でいたい。

 道場持ちの息子なら、剣の腕を磨けば誇れるのだろうか。

 ……それも、なにか違う気がした。

 

「家族にしてみれば、生きて帰ってくれるだけでも嬉しい…………そうだよな」

 

 子供が出来てからわかったことだって当然ある。

 事故があっても、痛みで泣いたとしても、もの言わぬなにかにならなかっただけでも“よかった”と笑むことが出来るのだ。

 

「……家族不幸な俺だけど、子供が出来たよ。こんなこと知ったら、どんな顔するかな」

 

 今突然に現代に戻って、これが俺の家族ですなんて言ってみんなを紹介したら、じいちゃんに殺されそうな気がする。

 で、殺されそうになったところを華雄が止めて、星あたりが“お主が主の師でもあるお方か。手合わせ願いたい”とか言い出して、ならば私もと言う人が殺到して……あ、あれれー? なんだかものすごくリアルに想像出来るぞー?

 

「……華琳あたりはその横で、一夫一妻の話に“法律に問題があるのならそれを書き換えてやればいいのよ”とか言い出しそうだし」

 

 で、本当に国の偉い人になって法律を変えそうで怖い。

 ……や、はは? そもそも国籍が無いからそんな……ねぇ?

 

「あれ? タイムスリップ(?)した人の国籍ってどうなるんだろ」

 

 “国籍? 魏に決まっているじゃない”とか言ったって通るわけがない。

 通るわけがないのだが、自分の知る彼女たちならすぐに順応してしまいそうだ。

 けどさすがに姓名字を名前にしても、周囲から変な目で見られそうだし……あ、もしくは真名を名前に? ……ないな、誰かが呼んだ時点で、たとえば華琳の名前を誰かが読み上げただけでその人の首が飛ぶ。高い確率で春蘭の手によって。

 

「大体真名を名前にしたって、苗字が……ぶっ!」

 

 あははと笑いつつ言った言葉に途中で咽るように噴き出した。“北郷華琳”なんて名乗ってもらったらどうだろうか、なんて普通に考えてしまったからだ。

 

「いや。うん。こほん。そりゃ、その。子供も出来たわけだし? 俺だってそういうことを考えてないわけでもないし。ていうか子供居るのに婚儀とかしてないってどういうことだ俺。むしろ華琳、それでいいのか?」

 

 ……いいんだろうなぁ。だって、共通財産扱いだもん俺。

 誰か一人と結婚すれば同盟ってものに……王って存在に順位がついてしまう。

 確かに統一したのは華琳で間違いはないものの、現在の平和は三国が協力し合っているからこそ保たれているものなのだ。俺自身が言うのも物凄い違和感が走るけど、余計な禍根みたいなものを作る必要はない。たとえそれが大事なものであってもだ。

 

「…………」

 

 いろいろ考えていたら、氣の枯渇も手伝って眠くなってきた。

 なんとなく携帯電話を操作、適当な、もう聞き飽きているのに聞きたくなる故郷の音楽を聴きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。



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113:IF2/お子らが元気で兵が大変②

-_-/───

 

 どかんがきんと弾ける音が断続的に聞こえてくる。

 都の一角、しっかりと作られた祭り用武舞台にて戦う者が鳴らしている音だろう。

 そんな音を耳にしつつ、ぽけーっと適当な石段に腰を落ち着かせているのは黄柄だ。

 

「くそう、父め。まさか夜逃げをするとは」

 

 原因はそんなところ。

 なんのかんのと父を追う黄柄にとって、興味が尽きない彼がこの場に居ないというのはどうにもつまらないものだった。

 武で気を紛らわすことにも飽き、休憩中といえば聞こえはいいが、体力はまだまだ余裕だ。言ってしまえば気分が乗らないから鍛錬を中断している。

 武舞台で争う華雄と雪蓮を見れば、その横で鍛錬をする虚しさもまあわからないでもない。あれは一種の台風だ。近寄れば吹き飛ばされるほどに攻防に熱中しており、そんな化物めいた実力の持ち主らの横でちまちまとした鍛錬などしてみろ。自分の未熟さが嫌でも浮いてしまい、落ち込んでしまう。

 

「何か無いか何か。私の心を掴んで離さないなにか」

 

 黄柄は一刀が語る日本のことが好きだ。

 今でこそ、こそこそと正体を暴いてやるなどと言っているが、ぐうたら疑惑が沸く前は本当にべったりで、よく日本の話をねだったものだ。

 その時にしっかりと美羽にもした即興昔話のようなものもしたため、怖い話は少々苦手とくる。

 

「むうっ」

 

 石段の上で足をぱたぱたさせたのち、ぴょいと跳んで石段を下りる。

 やりたいことが決まったわけではなく、足をぱたぱたさせたところで見つからない。ならば動いていたほうがマシだという結論。学校での教えで、“体がへとへとになれば、頭は考えること以外に使われなくなる”という話があったのを思い出したのだ。行き詰ったら体を動かせ。それが、馬超先生と魏延先生の教えだったりする。

 なので走った。とにかく走った。

 走って走って、へとへとになってから、再び同じ石段に腰掛けて考え事を始める。

 

「………」

 

 あっさり見つかった。

 この有り余った元気を以って、父を追えばいいじゃないか。

 しかし母方がそれを認めるかといったら絶対に無理だ。

 ならばどうするべきか。

 ……抜け出すか?

 

「…………だな」

 

 男らしい顔つきでにやりと笑うと、先ほどまでの疲れもどこへやら。

 目的のためなら体力回復もなんのそのの子供らしい底力を以って、黄柄は元気に立ち上がった。

 

「警備の目を抜けるのなら、まずは気配と目が必要。なんだ、揃っているではないか」

 

 思い浮かべたのは周邵と呂琮。

 気配事に強いのと目が良いのが揃っている。

 

(あとは足があれば完璧だ。というか、自分は未だ、護衛というか連れ無しで三国を回ったことがない。土地勘もないのだから、出たところで迷うのは目に見えている)

 

 そんなことを考えているが、足に当てがないわけでもない。

 いつか酔っ払った母が話してくれたことを、彼女は思い出していた。

 

(かたぱると、とか言ったか。あの絡繰を手にすれば、進むことは容易なはず)

 

 氣を送るだけで走り出す絡繰だそうじゃないか、利用しない手はない。

 にやりと笑みを浮かべたつもりのにっこり笑顔に、交代の時間を得て「さ~てなにを食うかなぁ」なんて言っていた兵二人が、微笑ましいものを見る目で彼女を見た。

 

「問題は地理だ。私は都の中でさえ行ったことがない場所がある」

 

 それを外へ出るというのだ、生半可なことではない。

 しかしそこは黄蓋の血なのか、困難があるならば身を投じてみればいいとばかりに興奮していた。もはや外に出ること前提で、これからのことが脳内で構築されていっている。

 

「よしっ! そうと決まれば早速、邵と琮を捕まえて、都を抜け出る算段を───!」

「ほう? それは楽しそうじゃのう。儂にも一口噛ませてくれんか?」

「ひぃぅっ!?」

 

 ばばっと立ち上がったその後ろから、聞き慣れしすぎている声。

 笑みを浮かべての言葉であろうとそれを耳にした途端、体はびくーんと硬直。蛇に睨まれたカエル状態になってしまった。無断で抜け出すということが悪いことだと知っているための、罪悪感からくる硬直だった。

 

「まっ……ままま、待ってほしい、母よ。わ、私はべつに、その───っ……都から抜け出て父を追いたいと思った! 他意は無い! ふぎゅぅうおっ!?」

「応、変に誤魔化さずによう言った」

 

 これで手打ちよ、とばかりに落とされた拳骨。

 耳に響く音からして普通ではないが、つまりこれで許してくれるらしい。

 しかし耐えても溢れ出る涙を拭うこともせず、彼女は言った。

 

「はっ……母よ……私は現在、父の正体以上に興味が沸くものがないんだ……。父が居ないのは退屈でたまらない。追うことをどうか許してほしい」

「…………のう、柄よ」

「は、はっ……」

「その口調、なんとかならんのか」

「え……いえ、子龍殿に母のように強くなるにはどうすればと訊いたところ、まずは口調からと……手本として私を真似てみると良いと」

「……人の子になにを吹き込んでくれとるのか、あのメンマ馬鹿は」

 

 眉間に皺を寄せての溜め息。

 

「あとこれをつけると強くなれるとも」

「………」

 

 言って出したものは、揚羽蝶にもにた模様の眼鏡に似ているが少々違う謎の物体だった。記憶が確かならば、蜀に行った際に現れた華蝶仮面とやらがつけていたもの。どう見ても趙雲だったが、隠したがっていたようだから華麗に流す。

 

「……えと、母上。どちらへ?」

「応、ちょいと家庭問題の処理にな。柄、お主はそこで、策殿と華雄の戦いを見て、人の動きの癖というものを頭に叩き込んどれ」

「癖、ですか」

 

 母に向ける本来の口調で、こてりと首を傾げる黄柄。

 ちらりと見てみれば、石段の先の武舞台にて未だに争っている二人。

 

「どこまで強くなるのよあなた! お陰で私も鍛錬しなくちゃならなくなったじゃないのよー!」

「勘頼りの戦いなどいつまでも続くものか! 貴様の勘頼りの動きをこちらが学ばないと思っているのならば大間違いだ! 貴様の動きは既に見切っている!」

「見切っているっていうか全部力任せに押し潰しに来てるだけでしょー!?」

「見切った上で力でねじ伏せる……これ以上の勝利がどこにある!」

「ああもう全く最高の勝ち方ね!! だったら私もそうさせてもらうわよ!」

「ふははははは!! 今まで我慢してきた言葉を今こそ貴様に届けよう! やれるものならやってみろぉおおっ!!」

 

 そしてまた台風的攻防。

 雪蓮の目つきは既に虎のソレだが、それに真正面からぶつかりあっても退くことをしない華雄は、とっくに戦闘方向では化物な位置づけといえる。

 その目にはまだまだ余裕があり、一撃の度に押されかける雪蓮のほうが、楽しそうではあるが時折に苦い顔を見せる。

 

「……母上。あれから何を学べと」

「……ふむ。まずは目を慣らしていけ。早いものを目で追い、それよりも速度が劣るものを見た時には、通常よりも遅く見えるものじゃ。ならば今目にしている暴風を、自分に向けられているものとして想像し、それを避けられる自分に体を追いつかせてみせい」

「なるほど」

 

 言いつつ暴風を見てみる。なるほど、そのままの意味でしかない。

 基本が戦闘大好き人間である二人が全力でぶつかり合う様は、微笑ましいなんて次元を超えている。好敵手の戦いに“おお……”なんて熱い溜め息を漏らすどころではなく、休憩時間にメシをと張り切っていた兵士が足を止め、一合ごとに「ひいっ!?」とか「危なっ!?」とか「うわわ死ぬ死ぬ死ぬ!」とかがたがた震えながら、しかし目を逸らせないような……そんな暴風領域。

 あれを止めることが出来ますかと訊ねられれば、ほぼ全員が首を横に振るだろう。

 武器は確かにレプリカなのに、当たれば骨折確実な状況。

 そこへと割って入って止めるなど、ある意味勇者だ。

 言葉で止めるという方法はそもそも通用するとは思えないので却下。

 言葉で止められるとするならば、三国の統一者くらいだろう。

 もしくは双方が苦手とする相手か、双方が傷つけたくない相手が割って入るか。

 

「母上はあれを止められますか?」

「策殿に拳骨を見舞って、戸惑った華雄に拳骨、といったところか。問題は近づいた時点で策殿が儂まで攻撃するか否かだろうが」

「……目に映るもの全てが敵という勢いです。私は遠慮したいです」

「応。そう思える者が近くに居るというのは案外良いことだ。近くに居る内に慣れてしまえば、賊が現れた時に殺気をぶつけられようが、案外平気で叩きのめせるものよ」

「なるほど、だから慣らしていけ、なのですね」

「難しく考えんでいい。この都にはそれぞれの点で優秀な者が溢れるほど居る。そこから学べるものを学んでゆけばよい。その中で、自分に合ったものを見つけるのも幼子の仕事じゃ」

「……母上。私は仕事で強くなりたいとは思いません。強くなるのなら、自分の意思で強くなりたいのです」

「……うむ」

 

 黄柄の言葉に、ふっとやさしい笑みをこぼして、その頭をわしわしと撫でる。

 思うことは、“儂からこんな可愛げのある子供が産まれるとはのぉ”といったもの。

 何かと向かい合ったら真っ直ぐなのは、どうやら男親の遺伝らしい。

 

「うう……は、母上、恥ずかしいです」

「この程度で照れてどうする。動じない程度に早う大きくなれ。そして、酒の味に目覚めてみせい」

「人に願う前に酒をやめるという努力は放棄ですか」

「応。命の水を自ら放り出す阿呆なぞ儂が潰してくれるわ」

 

 この母は本気だ。本気で言っている。

 見上げる母の肩越しに、めらりと奇妙なオーラが見えた気がした。

 

「あんなものの何が美味しいのか、私にはわかりません。母上が少し経験した程度で文句を言う輩を嫌うのは知っていますから、私も頑張りました。頑張りましたが、気持ち悪くなっただけです。美味しいとも思えませんでした」

「あ、ああ……あの時のこと、じゃな」

 

 正直に物申してみると、何故か黄蓋の方が狼狽え始める。

 バツが悪そうにそっぽを向きつつ、こりこりと頬を掻く姿など黄柄にとっては初めて見る母親の姿だ。

 

「なにかあったのですか?」

「あー、そのことだが。無理に飲ますことはせん。柄も、無理に飲むことはせんでいい。酒の匂いを嗅いで、苦手意識がなくなった時点で再び飲んでみい」

「……母上がそんなことを言うなんて」

「う……そういうこともある、ということじゃ」

 

 弱みを握られない限りはとても珍しい状態と言えばいいのか。

 原因はといえば、母のためにも無理に酒の味を知ろうとした黄柄が、あまりの気持ち悪さに吐いたいつかに戻る。

 そんな姿を偶然発見、事情を知った御遣い様がかつてない激情を以って殴り込みをかけたのである。

 鍛錬の時にも見せたこともないあまりの激怒にさすがに困惑していた彼女に、御遣い様は子供にアルコールを飲ませる危険性とアルコール中毒などによる身体異常などを細かに説明。わかったもういいと言ったところで解放などしてくれなくて、“まるで公瑾にしつこく言葉攻めされているようじゃ……”と頭を痛めた。

 しかもその時ばかりは反論出来るほど自分に正当性がなかったため、言われるがままだった。子を守る親は強いと言うが、まさか片親に思い知らされることになるとは思いもしなかった。

 

「酒は味がわかった時で構わん。その時には付き合ってもらう。それでいい。でないとまたいろいろと言われそうじゃ……。……無理をさせてすまなかったな、柄」

 

 言って、もう一度。今度は労わるように頭を撫でた。

 そんな感触だけを残して母親は去り、残された子供は……ますます興味を抱いていた。

 

「…………」

 

 母親が、周公瑾を苦手としているのは知っている。

 愚痴を聞かされたこともあるし、その時は随分と眉間に皺を寄せていたものだ。

 しかし今日の、子である自分が見上げる母は、困った顔はしていたものの、誰かの成長を見届けたみたいな少し嬉しげな顔をしていた。

 

(察するに、今回の酒のことであの母親に物申したのは公瑾様ではない……)

 

 となると。

 となると、あの母に何かを言える人物、というと。

 

「……やはり父上」

 

 父だ。父しかいない。

 伯符様はわざわざそんなことを叱るよりも、むしろ私に早く味を知ってくれと頼んできそうだし、仲謀様はそこのところは強く言えなさそうな気がする。

 ならば他に誰が? 華佗のおじ……お兄さんかもしれないが、彼相手ならばあの母はきっと引かないに違いない。そうとなればきっと。あの母に自分を産ませてみせた存在しか居ないのでは。

 

「~……」

 

 興味が尽きない。

 早く帰ってきてくれないだろうか。

 父の家出の原因が自分たちにあるなどとは知らず、黄柄はきっと本性は格好いいのであろう父がサムズアップして微笑んでいる幻影を空に映し、自分は胸をノックして笑った。

 

 

 

 ……ちなみに。

 一応、周邵と呂琮に脱出のことを持ちかけてみたのだが。

 

「実行したら拳骨だと言われたので嫌です……!」

 

 とか、

 

「面倒なので嫌です。私の鍛錬を永久的に廃止してくれるのなら行きますが。え? ええはい、私も拳骨だと言われましたが、たった一度の痛みと引き換えに勉強の日々が得られるのなら、私はそちらを選びます。殴られたら盛大に泣きますが」

 

 という、なんとも情けない答えしか返ってこなかったそうな。

 むしろ既に周邵に釘を刺していたことや、釘を刺されても鍛錬が廃止になるなら行こうとする呂琮の強さに感心したという。

 



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113:IF2/お子らが元気で兵が大変③

 時間は流れ、とっぷりと夜。

 皆が寝静まり、兵が見張りをする中、闇に紛れてこそりと移動をする姿が。

 

「………」

 

 小さな体を動かし、気配を消したつもりで歩く。

 夜襲でも仕掛けるかといえばそうではなく、一つの部屋を目指して息を潜めつつ

 

「劉禅さま、困ります」

「ぴやぁああーっ!?」

 

 ……見つかった。

 見つけた兵はやれやれといった様相で、問答無用で手を引いて歩き出した。

 

「み、見逃してください! ととさまが居ない今こそ、ととさまのお部屋で眠るちゃんすなんです!」

「だめです。自分らが見逃すのは王と隊長だけです。一応仕事ですから、見逃したら給金減らされるだけじゃ済まないんですよ」

「じゃああそこ! あそこ見てください! 禅を生贄にととさまの部屋を目指す邵姉さまが!」

「あぅわあぁあーっ!? バラしちゃだめですよ禅ちゃん! で、ではそこです! そこに柄姉さまが!」

「なっ! こらっ! 人がここまでどれだけ苦労してきたと!」

「うなぁっ!? いつの間にこんなところまで!? ちょっ……お前らこっち! 娘様たちがいろいろやばい!」

 

 兵は仲間を呼んだ!

 兵B、Cが駆けつけた!

 

「どうした!? って、こんな時間になにをしているんですか柄さま! 邵さま! 禅さま!」

「問題が起こると最悪、俺達クビになっちゃうんですから!」

「の、割りに随分と砕けた口調ではないか」

 

 じとりと睨みつつ言うと、相手が子供だからかいくらかの緊張は解いて、兵も軽く返事をする。

 

「隊長があの性格ですからね」

「あの性格? どの性格だ?」

「や、ですから。普段は───」

「お、おいっ!」

「へ? あ、おわっ! 危ねっ! 秘密だった!」

 

 流れに乗せられて喋りそうになったところを、慌てて口を塞ぐ兵。

 だが、月の明るさだけが頼りの夜、通路に立つ少女の顔は……話の先を邪魔されたことに怒るどころか、とても嬉しそうだった。

 秘密だった。これだけで十分だろう。

 やはりあの父はなにかを隠していて、しかもそれが原因で兵から物凄い信頼を得ている。

 その事実がたまらなく嬉しい。

 ……と、そんな嬉しさの間隙(かんげき)、ふと気配を消した周邵が奥へと駆け出した。

 

「はっ!? おいっ! 周邵さまが!」

「周邵さま! 発見されている状態で気配を消すのは、気づいてくれと言っているようなものですよ!」

 

 慌てて兵の一人が追う。

 その瞬間、黄柄は夜食用にと持っていた小さな果実を、兵の一人に少し高めに投げた。

 

「おい」

「へっ? って、おわっとと!?」

 

 声を掛けられ、振り向いてみれば果実。

 反射的に慌てて両手で受け止めた兵の手から、劉禅の手が解放された。

 

「あぁっ!? しまっ───」

 

 ニッと笑うと、黄柄はもう走り出していた。

 劉禅も当然走り、一気に散った三人を追うため、兵は分散させられた。

 子供とはいえ、これでも日々を鍛錬に費やしている三人だ。

 氣を使った歩法などはとっくに学んでいるため、歩幅が狭かろうが持久力で負けはない。

 加えて、歩幅の狭さを利用してちょこまかと方向転換をするため、それに振り回される兵はまるで、犬の散歩中のダッシュ中に、急に方向転換をされてリードを引っ張られた飼い主的な消耗を強要された。

 

  なので。

 

「ふぅ、ようやく撒いたよ~」

 

 と劉禅が一刀の部屋の前に辿り着き、

 

「随分としつこく食い下がってくれたものだ」

 

 と黄柄が一刀の部屋の前に辿り着き、

 

「でも楽しかったですっ」

 

 と周邵が一刀の部屋の前に辿り着いた時点で、

 

「それは光栄です。ではお部屋へ案内しますね」

『あれぇっ!?』

 

 兵に捕まった。

 目的地がわかっているのなら、そこで待てばいいのだから。

 

「ええい卑怯な! 堂々と追いついて捕まえるという選択はなかったのか!」

「こういう正当かつ変則的な行動も、隊長の教えの賜物ですから」

「おお! 父の!」

 

 一刀の話題が出た途端、ぱあぁと輝く黄柄の瞳。

 対して、兵は頭を掻きながら、口走った兵の頭を兜ごとぽごんと殴った。

 

「いや……だから、お前なぁ」

「だ、だってよぉ。お前だっていっつも言ってるだろが。隊長が誤解されっぱなしなのは嫌だよなって」

「隊長が黙っててくれって言ったんだから、俺達が言っていいようなことじゃねえって」

「そうそう」

 

 なにやら納得し合ったようだが、次に出た問題はひとつ。

 この、見下ろした先の目を輝かせたお子……どうしたものでせう。

 そんなところ。

 

「…………わ、我は右門!」

「へ? ……あ、ああ! そういう方向ね! 我は左門!」

「絶対これ恨まれるだろ……ええいくそ! そして我は正門!」

 

 突然扉を封鎖する三人を前に、子供三人はきょとんとする。

 兵の三人はともかく話題を逸らせればと適当なことを言っているだけなのだが、最終目的は三人を見逃さずに部屋へ戻すこと。

 こういう時に思うのは誰もが皆同じだろう。

 

(((ああもう……! なんだって俺が見張りの時に……!!)))

 

 兵らは本当に心の底からそう思ったそうな。

 

「こ、ここを通りたくば!」

「倒せと! ならば覚悟しろ!」

「違います違います! 待ってください待って待っていやぁああ待ってぇええええっ!!」

 

 拳をぎゅっと握り、しゅごーと氣を込めるお子様に本気で懇願する兵の図。

 そのあまりの本気っぷりに、氣を込めていた黄柄も慌てて氣を散らし、兵の様子を見ることに努めた。

 

「隊長助けて……! 命がいくつあっても足りる気がしません……!」

「俺……今日の見張りが終わったら、故郷のかあちゃんに会いにいくんだ……」

「お前明日も仕事だろ……」

 

 三人は泣きそうな顔で取り繕う言葉を探す。

 その後、そういえばと一刀のことを思い出し、隊舎で一刀がしてくれた小話やなぞなぞを連鎖して思い出した。

 これだ、これしかないとばかりに頭と口を動かし、「ここを通りたくば我々が出す問題に全て正解してみせよ!」と言った。

 

「……もう面倒だから眠ってもらおう」

『やめてください!?』

 

 まどろっこしいことは嫌いな黄柄さんがゴシャーと氣を溜めると、兵三人の心がひとつになった。

 

「だ、大体、どうしてお三方は隊長の部屋へ!? 隊長のことを蹴ったりしていたでしょう! それが何故!?」

「私は父の正体を掴むために調べごとをするだけだ」

「………」

 

 そう言う黄柄を前にして、兵の視線が彼女が持つ枕に集中する。

 柔らか素材であり、一刀が職人に作らせたものだ。

 

「う……な、なんだ! これは深い意味はないんだぞ! 私は夜、枕を持つのがとても好きになるだけだ!」

(いや、言い訳にしたってそれはどうだろう……)

「そ、そうですか。では周邵さまは?」

「へわうっ!? え、えとその。そ、そうっ! 父さまが、気配を消しているはずの私に気づきましたので、その理由を探りにっ!」

 

 胸の前で手を合わせての笑顔の答え。

 その可愛らしい言い訳に、思わず兵の心に癒しが舞い降りたが……現状はあまり変わっていないことに気づくと、胃の痛みに襲われた。

 

「それでその。劉禅さまはー……その」

「ととさまの寝台で眠るためだよー!」

 

 “眩しいなあ……”と、取り繕わずに胸を張る末っ子に、兵はおろか姉妹までもが遠い目をした。

 

「それで見張りさん。どうすれば入れてもらえるのかな」 

「え? だ、だから出す問題に答えられれば……あ、正解しなきゃだめです」

「………」

「いえそんな、あからさまに頬を膨らまされましても」

 

 どうやら“答えれば入れる”という部分を盾に突貫しようとしていたらしい。

 目に見えて膨れっ面になっている劉禅は、姉妹から苦笑をもらっていた。

 

「ではではっ、その問題というものに答えられれば、たとえご自分たちがクビになろうと私たちを入れてくれるとっ」

「いえ周邵さま。命がけで止めに入ります」

「こちらが答える意味が全然ないですっ!?」

「こっちだって生活かかってるんですよっ! というかあなた方になにかがあったら隊長が怖いんです!」

「たとえクビになろうと隊長はきっと俺達を見捨てないだろうけど……その前に三人に怪我でもされたらどうなることか……!」

「なので止めます」

「父さまの部屋はそんなに危険なのですかっ!?」

『深夜に虫の雨が降ったりします。手動で』

「手動で!?」

 

 主に猫耳フード軍師様の手で。

 それを知っている劉禅としては、あまり笑えた話じゃない。

 

「将の方々は隊長の家出はいつものことだと黙っていますが、だからってここの警備を任された我々もいつものことだでは駄目なのですよ。なのでお願いします、退いてください」

「母に曰く。言ってわからんなら拳で理解……!!」

「さっきからそればかりではないですか!!」

 

 三度拳に氣を溜めるお子を見て絶叫する兵B。

 ようするに言っても言わなくても結果が同じな気がすると言いたい。

 

「ふっ……ふふふ……! ですがお三方。我々を甘く見てもらっては困りますよ……!」

「そうか。ならば全力で───!」

「そういう意味ではなくてですね!? ちょ、待って! 待ってくださいお願いします!」

「わわわ我々も仕事とはいえきちんと自分の意思をもってやっていることですからね!? だからそう簡単には引けませんし、引かずに殴られることになろうとも、出来ることがあると言っているんです!」

 

 慌てて叫ぶと黄柄がぴたりと止まる。

 はて、兵に出来ること?

 甘っちょろい話だが、自分らを殴るなどは出来ないだろうし、無理矢理拘束、という方向もないだろう。ならば一体何が出来るのだろうかと思考を回転させていると、

 

「ふふっ……無抵抗の、職務を全うしている兵を殴って気絶させて、駄目だと言われている都の主の部屋へ無断で侵入……! ご自分がご無事でいられるとお思いか?」

「………」

 

 なんとも情けない止め方だった。

 なのに物凄い効果だ。これは予想以上に困った。

 なにせ兵は仕事をしているだけなのだ。それを邪魔だからと殴ったりすれば、今度こそ母の拳骨だけでは済まない。というのが黄柄の心配。

 周邵はといえば、縄でぐるぐる巻きにされて自分の悪口を顔いっぱいに書かれる様を想像してガタガタと震えだした。母の前での自分の気配断ちなど幼子の遊戯にも劣る。

 劉禅はといえば……母は平気かもと思ったが、その横の愛紗の鬼の形相を思って硬直。あの人は甘くない。

 そういった想像を一度でもしてしまえば、勇んで踏み出していた筈の足は次の一歩を踏めなくなる。それは三人が三人、同じ思いだった。

 

「ふぅ……で、ではもう夜も遅いわけですし、部屋まで……」

「……なるほど、では殴らなければいいと」

「へ?」

 

 言うや、黄柄はぐいぐいと兵を押し退け始めた。

 それを見た周邵もポムと胸の前で手を合わせ、笑みさえ浮かべて兵を押し始める。

 

「え、あ、ちょっ! これってそういう問題なんですか!? 仕事の邪魔をしているのは確かなんですよ!? ちょ、お三方!?」

「殴って気絶させた訳でもないなら、親の部屋にただ入るだけで極刑ということはない筈! ならば一度の苦行よりも一瞬の光を求める! それがこの黄柄の生き様よ!」

「なにこの無駄に格好良いお子様! 理由はとても褒められたものじゃないのに!」

「くぅ! ならばこちらにも考えが! 奥の手を使います! いいのですか!? 退くならば今ですよ!」

「奥の手! いい響きではないか! ならばそれすらも越えて、私は父の部屋へ───」

「大声で叫んであなたの母君を呼びます!」

「───うわわ待て待て私が悪かったぁあああああっ!!」

 

 顔色の表現で、瞬間沸騰というものがある。

 しかしこの日、月の明るい夜に、兵である彼が見た少女は、瞬間的に真っ青になったそうだ。

 のちの痛みを耐えることで今の幸せを得る……それなら我慢出来るが、今の痛みを耐えても幸せさえ手に入れられないのでは意味がない。

 

「ひきょっ……卑怯者ぉっ! 恥ずかしくないのかそんな方法!」

「殴らずに押し退けるなんて方法を取った黄柄さまに言われたくはありません」

「うぐっ……くぅう……! いつか大人になったら仕返ししてやるんだからな! 覚えていろこのたわけ!」

「たわけ!? なんで!?」

 

 自分はただ仕事をしているだけなのに……兵Aの悲しみは、両脇に立つBとCだけが理解して肩を叩いてくれた。

 

「仕方ないから今日は引き下がる……けど、このことは秘密だ。絶対だ。もし母の耳に入ろうものなら、お前の足の小指に全力で机を落下させてやるからな」

「地味に怖い! わ、わかりました言いません!」

「い、いえしかし、仕事であるからには報告しないわけには……ここでの騒ぎを耳にした者も居るでしょうし」

「う……そ、そうなのか。じゃああれだな。お前らは急に騒ぎたくなって、奇声を上げながら通路を走った───」

「別の意味でクビになりますよ!!」

「じゃあもう怪しい誰かが居た気がしたからとかでいいだろ! それか猫でも追ってたとか!」

「お猫様は悪さなどしませんですっ! 怪しくもありません!」

「邵お姉ちゃん、話が逸れるから今は……」

「う、うー! でもですよっ!?」

 

 騒がしい子供達を前に、兵らはそれはもうぐったりだ。

 もう金輪際こんなことなど起こらないでほしい。

 そう思うものの、そういえばいつか、前に隊長が家出したあとの当番の兵も、随分とげっそりしていたなあ……などということを思い返していた。

 ああなるほど……一度や二度じゃない上に、その時も口封じを強要されたんだろうなぁ。

 彼らがそれを理解するのに、そう時間は要らなかった。

 

「お三方。見逃すのは今回きりです。次は問答無用で報告させていただきます」

「これほど頼んでもか!?」

「拳に氣を込めて何を頼むつもりなんですかあなたは!!」

「他の兵はこれで頷いてくれたんだけどな。むう、やはりお前はたわけだ」

「……なぁ。俺、間違ったことしてるかなぁ……」

「いや……お前は強かったよ」

「でも間違った強さだった」

「なんで過去形にするんだよ! やめろよ!」

 

 そして別に間違ってはいない。

 むしろ失敗したにも係わらず、黄柄は嬉しそうだった。

 

「やはりいいな。兵だからとなんでも言うとおりに動く者ばかりだと、どうも寂しい。たわけはたわけだが、良いたわけだな、お前は」

「……?」

『………』

 

 自分を指差すAと、無言で頷くBとC。

 訳すと、「たわけって俺?」『らしいぞ』といった感じ。

 ……Aが遠い目で遠くの月を見上げた。

 

「兵さん、ととさまの隊の人たち、なんだよね?」

 

 そんなAへと質問を投げる劉禅。

 Aはハッとするとすぐに向き直り肯定する。

 いろいろあったが、一刀の隊で居られたことを否定する気は一切ない。

 なにせあの隊は温かい。

 いつも賑やかだし、互いが互いを思いやるといった意味ではあそこほど楽な場所はない。

 

「やっぱり。ととさまのことを隊長って呼ぶ兵さんは、間違ったこととかはきちんと違うって言ってくれるもん」

「ですねっ。それに街中でも、困っている人を見るとすぐに駆けつけてくれますですっ」

「そうなのか。だから他の者と違い、私にも注意をしたんだな。皆遠慮して遠回しな注意しかしないが、真正面から言ってきたのはお前たちが初めてだ」

「え……は、はあ」

 

 三人の子供は嬉しそうだが、兵は緊張しきりだ。

 注意はした。してしまったが、間違っているとは思わない。

 互いのダメなところは徹底的に伝え合って改善しよう、というのが隊の在り方なため、黄柄にもするりと言ってしまっただけなのだが……思い返してみれば、随分と偉そうなことを言ってしまったかもしれない。

 

「そのだな。偉いのは母たちだ。私じゃない。だから……あまり、そうやって怯えてくれるな。私たちが未熟なことなど私たちが一番よく知っている。注意してくれる者が居なければ、痛い目を見るまで直すことさえ出来ないんだ。だから、注意出来ることがあるならいつでもしてほしい」

「うん、私も」

「もちろん私もですっ。……あ、でもあまり大勢で来られると困りますです。今は顔がよく見えないからいいですけど、人の視線は少し苦手でして」

『………』

 

 兵三人は実にしみじみと思った。

 “ああ……隊長の子供だなぁ”と。

 偉ぶらないところや、他人と仲良くしようと思ったら、たとえ相手が兵でも自分から突っ込んでくるところなどそっくりだ。

 

「ああそれと」

 

 ああそれと。

 

「父の過去について、知っていることを教えてくれると嬉しい!!」

「わ、私もっ!」

「私もですっ!」

 

 ……何かしらの問題に一つの突破口を見つけると、そこに食いついて別の利益を探すところとかも似ている。

 そのお陰で今の三国があるのだから文句はもちろん無いのだが───……このお子様方は、一体何度それは秘密ですと言えば受け取ってくれるのだろうか。

 三人は渋い顔をしながらも、「秘密にすることだけ、受け取ります」と頷いた。

 




時間……時間をください……!
書きたいことばかりが増えて、書く時間が足りない……!


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114:IF2/親と子の生きる道①

166/血ってものを感じる日々

 

-_-/北郷さん

 

 Q:いつもより建業が遠い気がするのは何故ですか?

 A:金剛爆斧を持っているから

 

「アンサァアーッ!!」

 

 道端でひとり叫んだ。

 朝日が眩しい空の下、今日も地を駆ける北郷です。

 

「木刀も持ってきてるのに、どうしてこれを持っていこうだなんて思ったのか……!」

 

 いやわかってる、わかってるんだ。ただ俺は、いつもより負荷のかかるなにかが欲しかっただけなんだ……!

 そう、それが金剛爆斧だっただけ。

 もっと重いものがあるのなら、きっと鈍砕骨でもよかったはずだ。

 

「考えても始まらないし、これも鍛錬!」

 

 道着姿で地を駆ける御遣い(金剛爆斧持ち)。

 肩と腰に通した縄で背中に括りつけながら走って、氣が安定したら摩破人星くんと交換するように手に持ち、空をゆく。

 これを持ちながらのアグナコトることは大変危険なので、多少、氣に余裕があるうちに降りることを前提として空をゆく。

 

「ゲームとかのガーゴイルみたいな格好だよなー……」

 

 槍ではないものの、長柄のものを手に空をゆく者。

 足をだらーんとして、フォークみたいな槍みたいなのを持って空を飛んでるアレ。

 ……ガーゴイルって石造的化物だったら翼が生えてなくてもいいんだっけ? 小林さん家のガーゴイル……あ、それメイドラゴンだ。吉永さんね、吉永さん。

 

「重いものを持ってるからか、いつもより氣の消費が激しい気が……」

 

 なにせ浮くために必要な回転数を増やさなきゃいけないのだ。

 いつも通りにいかないソレは、茨の道ならぬ土中の道を進呈してくれます。

 ええまあ、実際に氣が枯渇したら、地面に潜るどころかジョリジョリ回転しながら大地を滑るだけなんだが。

 しかしながら氣だろうが筋肉だろうが、成長させる方法はやっぱり負荷なわけで。使えば使うほど拡張される気脈なのだから、それが悪いというわけでもない。辿り着く時間がいつもより掛かるってだけで。

 

「よし、急ぐか」

 

 空から降りるとバッグに絡繰を仕舞って、金剛爆斧とバッグを背負って駆け出す。

 氣ではなく己の足で走って、ただし極僅かではあるものの気での関節クッションをつけて。生憎と氣の残りが微妙だ。全力で走れるほど残っちゃいない。

 

「さてと……次の邑は…………まだまだ先だったなぁ」

 

 邑や街を見つけるたびに寄って、そこで休憩をしつつも、駐屯している兵や将に頼まれて仕事のコツなどを教えていく。

 他の人なら“泣き言を言うな!”とか言うのだろうが、泣き言を言いたくなる気持ちが痛いほどわかる俺としては、そんなものは見捨てておけないのだ。みんなスペックが高すぎるくせに、他人にまでそれを望んじゃうところがあるからなぁ。

 ……しかも教え方が大雑把だし。なので、俺がそうされたらわかりやすいかも、と思える教え方で教えるわけだ。

 実際、結構好感触だとは思う。なるほど、そういうことだったんですね! と言われたりするし。

 以前は誰が教えていたのやら。

 

「……けどなぁ」

 

 最近、若い衆の中にやたらと俺と戦いたがる人が増えた気がする。

 寝所を提供してもらったさっきの邑でだって、見張りの兵が“ほほほほほ北郷様! 無礼を承知でお願いします! 稽古っ……稽古をつけてくださいぃいっ!”って。

 俺なんかじゃなくて、責任者として場を任されていた将に言えばよかったのに。……まあ、そんなこと思ってたら、その将にこそ“お願いします!”と言われたのだが。

 

(兵の手前、御遣いや支柱って意味もあって、手加減してくれたんだろうなぁ)

 

 じゃなきゃこの世界の将相手に俺が真正面から勝てるなんて。無理無理。

 しばらく打ち合ってから“本気で行きます!”とか言ってても、結局は手加減してくれるんだから……うん、いい人だ。

 

「勝てる、といえば……」

 

 8年前から今まで、華雄が何度も雪蓮に挑んだけど……雪蓮ってやっぱりどうかしてるよなぁ。鍛錬しなくてもあの華雄に勝てちゃうんだから。

 もしかして知らない場所で鍛錬してるとか?

 

「……………」

 

 …………雪蓮だぞ? ないない。

 やっぱり鍛錬なんてしてないだろう。

 

「よ、っほっほっほ……」

 

 考え事をしながら道を往く。

 世の中平和になったもので、山賊が現れて人を襲う、ということも随分無くなった。

 やったところで国に潰されるとわかっているのだから当然だろう。

 代わりと言えるのかは疑問なものの、山賊のアジトだった場所などは商人の休憩場になっていて、長い道を歩く中でのありがたい癒しとなっている。

 さすがに食料とかがあるわけでもないが、お粗末ながら布団くらいは存在する。

 立ち寄った者が使用後に乾かしていくのがいつの間にかのルールになっているとか。

 立ち寄って休憩している最中に干して、夜になったら寝て、と。そんな感じ。

 俺も一度立ち寄ってみたものの、夫婦で行商している二人が布団の上で熱く燃え盛っていたので直ちに逃走したのは……忘れたい過去だ。俺はなにも見なかった。

 あんなの見てしまったら、もうあの布団使えないよ俺……。

 

「ほっほっほっほ……」

 

 忘れるように駆ける。

 駆けるのだが……氣を使って走る距離の半分にも満たない時点で疲れてしまった。

 筋肉は鍛えようがないのだから仕方が無いわけだけど、もうちょっと保ってほしい。

 

「ほんと俺って……氣がないとダメだなぁ」

 

 たはぁ……と溜め息を吐きつつ、息を荒くしててほてほと歩いた。

 この調子じゃあいつ建業に着けるのか。

 やっぱり片春屠くんで行ったほうがよかったかな。

 いやしかし、空を自由に飛べる喜びはこんな時じゃないと味わえない。

 これでよかったのだ。

 

「……お? なんか頬に───へっ? ……雨!?」

 

 頬に当たった感触に、バッと空を見上げる。

 天気がいいと思っていたのに、気づけば空はどんよりとしていた。

 恵みの雨ちょー! とか言って喜ぶべきかと言われれば、現在の俺からすれば勘弁だ。

 

「どこか雨を凌げる場所はっ……」

 

 見渡してみても、あるのは山道に差し掛かる道のみ。

 大きな木も無く、このまま降られればずぶ濡れ確定だった。

 

「はぁっ……んっ!!」

 

 溜め息ひとつ、氣を無理矢理絞って足に込めると、大急ぎで地を駆けた。

 途中気持ち悪くなりながらも、強引に。

 やがてぽつぽつがしとしとに、しとしとがざあああに変わる頃。

 山道の途中で洞穴を見つけて、その中に潜り込んだ。

 

「ふへぇっ……結構濡れウェエエエ……!!」

 

 ……のはよかったんだが、辿り着いたことで気が抜けて、氣の枯渇の気持ち悪さが一気にきた。ふらふらとふらつきながら洞穴の壁に手を付いて、揺れる景色を視界に納めるままに体勢を崩し、その場に腰を下ろした。

 

(あ…………やば…………)

 

 多少濡れてもいいから、枯渇するまで使うんじゃなかった。

 こうなるともう、氣が回復するまで立てない。

 一点を見ているつもりなのに視界が揺れて、高熱に浮かされるみたいにボーっとする。

 

『…………』

「!?」

 

 そんな僕の視界に、のそりとご降臨あそばれたのは……ホワイトタイガー先生だった。

 しかもその巨体を以って近づき、俺の匂いをすんすんと嗅いで……いやっ、ちょっ、待っ……死ぬ!? え!? 俺死ぬの!? ま、待ってくれ! 俺……俺まだ死ねない! まだろくに国に返してないし、みんなと一緒に国のこれからをもっと見たい! 娘たちの誤解も解いてないし、やりたいことがまだまだたくさん───!

 

「うわああああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 噛まれた。襟が。

 しかしべちょりと少々湿った鼻が首筋に押し当てられて、生きた心地がしなかった。

 あ、で、でも食べない!? 食べないのか!? じゃああの、ここが巣ならすぐに去りますから是非とも離してくれるとそのっ…………あ、あの? なんで引っ張るのでせうか!? 何故洞穴の奥へと引っ張るので!?

 去りますから! 去りますからどうかほうっておいて!?

 あ、もしかして周々のお知り合いの方ですか!?

 どどどどうも北郷一刀です! 周々さんにはいつもお世話になっていて……あの!? 何故奥の千切ってきた草を敷いたような場所にたくさんの小さなタイガーさんが!?

 もしかしてアレですか!? 俺を餌に子供たちに狩りの仕方を教えるとかいうアレですか!? ぃやああばばばばばやめてやめてぇえええっ!!? どどどどうせ殺すなら一思いに───いややっぱり死ねない死にたくなギャアアーッ!!

 

……。

 

 …………。

 

「…………」

 

 世の中ってわからない。

 どうして俺、虎の子に混じって大きな虎様に包まれているのでしょうか。

 恐怖が抜けずにカタカタ震えていると、それを寒さからの震えと判断したのかホワイトタイガー先生がヴェロォリと頬を舐めてきます。断じて味見しているわけではないと思いたい。

 

(……ア、アレかナ。これって美以にも例があった、動物に好かれやすい匂いのお陰とか……)

 

 だったら嬉しいナ。違ったらこれって絶対味見です。

 

(どどどどちらにしろ刺激を与えるのはマズイ……! 無心だ……! 心を無にして、いやいっそ子供の虎のように無邪気になるつもりで───!)

 

 ハルルル……と喉を鳴らすタイガーさんを前に、こう……子虎になったつもりで!

 恥じ入るな! 猫に……もとい虎だ! 虎になるんだ!

 

「ニャッ……ニャー♪」

『グァォオオ!!』

「ごめんなさい!?」

 

 やってみたら吼えられた! もの凄い迫力だ!

 でもなんかグァオオっていうかワーオに聞こえた! なにこれ!

 虎の鳴き声ってこんなのだっけ!? 外国人の喉がイガイガしてそうなおじさまがくぐもった声でワーオとか言ったらこんな声になるよ!

 そして俺の馬鹿! 虎のつもりでって決めてたのに心が猫になってた! だって怖いんだもんしょうがないじゃない! 誰に言い訳してるんだ俺!

 いやダメ! 死ぬ! 猫なで声なんて自殺行為以外のなにものでもない! 子猫を可愛がる女性の声を真似てやってみたけど絶・対・無理! 漫画的表現だったらもうタイガーさんの眉間とかコメカミ付近に青筋浮いてるって! そんでもってビキバキ鳴っちゃってるよ顔面が!

 アワワワワどうすれば……!? これ絶対怒ってるよ……! なにやらハルルルルって唸ってるし……アレ? でも俺を見てるわけじゃない……? 後ろ……後ろ?

 

「?」

 

 ちらりと、体が震えるのも構わず振り返ってみる。

 するとどうでしょう。

 いつの間に居たのか、音も無く近寄ってきていたらしいホワイトタイガー先生が、威風堂々とその場にいらっしゃった……!!

 

「───」

 

 お、雄の方……デスヨネ?

 あ、あはは、僕北郷一刀イイマス。

 イエ違いますヨ? 僕米屋的なものじゃなくてデスネ?

 タタタタただソノ、少々、デスネ? あぁぁあ雨宿りをサセテイタダキタクーッ!!

 

「ハワッ……ハワワァアアーッ!?」

 

 TSUTSUMOTASE。

 何故かそんな、美人局と書く言葉が僕の脳裏に浮かんだ瞬間だった。

 

(ぬ、ぬう……! やりおるわこの虎め……! よもやこの北郷が弱りきっているところに雌の虎を向かわせ、多少なりとも心が安心に向かった途端に自分が現れるとは……!)

 

 なんてことを渦巻き状になった目で混乱しながら考えていた。

 余裕の思考? そのようなことがあろうはずがございません。大自然の王たる虎より圧倒的に劣るこの北郷めが、余裕などと。

 余裕がなかったらこんな口調の思考が浮かぶわけがない? ……余裕がないから混乱しているのです助けてください!

 

『………』

 

 コルルルル……と喉を鳴らし、どすんどすんと歩み寄ってくる巨体。

 俺、もう頭の中真っ白。

 この真っ白なキャンヴァスに何を描きたいですかと訊かれたら、きっと僕はこう答えます。自分が五体満足で生きている未来を描きたいと。

 色は何色がいいかなぁ! あっ……青がいい! 青空をそのまま画板に移したような少し白っぽさが混じった蒼がいいなぁ! 赤だけは嫌だ! 白骨を連想させる、血の赤が混じった白は嫌だぁああっ!! 嫌だから近づかないでくれ!

 

(お、俺は、何回こんな危機に直面するんだ!? これを乗り越えたとして、次はど……どこから……! い……いつ“襲って”くるんだ!? 俺は! 俺はッ!)

 

 俺のそばに近寄るなあああああああーッ!!



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114:IF2/親と子の生きる道②

-_-/曹丕

 

 ……苛々が募っている。

 

「すっきりしないわ……それもこれも」

 

 あのぐうたらの所為だ。

 聞いた時はまたかと思った。どうしようもない存在だとも思った。

 普段から仕事もしない上、まさか無断で呉に向かうなど。

 

「やはり相応しくないわ。何故、どうしてあれが父なの」

 

 納得がいかないことばかりだ。

 もっと全てに真っ直ぐな存在であったならばと何度も思ってしまう。

 ……自覚はそれほどなかったが、周囲からすれば私は潔癖症のきらいがあるらしい。

 こうでなければいけないと思うことに真っ直ぐすぎて、それから逸れるものを嫌う。

 なるほど、私だろう。

 けれどあの北郷一刀という存在を、私は認めたくない。

 幼い頃は……なるほど、自分に構ってくれた彼が好きだった。この人の傍に居れば自分は寂しくなどないと思っていたものだ。

 それが反転してしまったのは、彼が仕事をしていないと知ってからだ。

 誰かにそう訊いたわけでもない。

 けれど、いつもふらふらとそこらを歩いている姿を見れば、誰だってそう思うはずだ。

 皆が仕事で忙しく走っている中、彼だけが人に遊ぼうなんて言ってくれば、当然誰だって“そうなのだろう”と思うはずだ。

 

「………」

 

 私は、信じられないような無茶な仕事をしている父が見たかったわけじゃない。

 それが些細なものでもよかった。自分が、これが自分の父だと胸を張れる仕事をしてくれていれば、それでよかったのに。他人の評価なんてどうでもいい。私が、そんな父を誇りたかった。誰にでもなく、自分に。

 けれど、娘と遊ぶことが仕事だなんていうのなら、私はそれを認めない。

 呂琮はそう思っているようだけれど、とんでもない。だってそんなもの、私たちが成長してしまえば無くなってしまう仕事だ。

 仕事もしていない、鍛錬もしない、料理も普通で、女性の尻に敷かれるような性格。

 あんな存在をどう受け入れろというのだ。

 無理だ。私には無理だ。

 

「───」

 

 あの人は自分になにをくれただろうか。なにをしてくれただろうか。

 顔を合わせれば遊ばないかと言うばかりで、いつまで人を子供として見ているのか。

 ……もしやすれば、彼にとっての私はいつまでも子供の姿でしか映っていないのかもしれない。これから、どれだけ成長しようとも。

 

「そうよ。なにも知らないのよなにも───…………なにも?」

 

 言ってみて、ふと気づく。

 じゃあ私は彼の何を知っているのか。

 ぐうたら? ああぐうたらだ。女性にだらしないし、愛想を振りまくだけしか能が無いに違いないって思ってる。

 ……そう、思っているだけだ。

 じゃあ実際が違ったらどうするのだろう。

 

「………」

 

 見直す? 見直して、あなたを父として認めますとでも言うのだろうか。

 

「……っは」

 

 一度だけ吐き捨てるように、肩で笑う。あの人に対してではなく、自分に対して。

 それこそ冗談だろう。

 そんなことが叶うほど、今の自分と彼の関係は穏やかではない。

 散々と見下した目で見ておいて、実際は違ったからと掌を返すなど、私が最も嫌う行為だ。あの日、友達だと思っていた存在が急に子桓さまなどと呼び出してからずっと、掌を返すという行為は許せないものになっている。

 

「今さら引き返せないのよ。歩んだ道に後悔を抱こうと、私は私を生きるしかないのだから」

 

 姿見に映る情けない顔の自分にため息をこぼし、金色の髪の中で主張している黒を撫でた。昔からの癖だ。自分の髪の中にある黒を見ると触れたくなる。

 

(……無意識に、ととさ───っ……あの男を思っているとでもいうのかしら)

 

 あの男がだらしがないと知ってから嫌いになった筈の黒の髪。

 それをもう一度撫でてから、部屋を出た。

 いちいち気にしていても始まらない。

 せっかくの自由な日なのだ、つまらないことは考えず、私は私の時間のために───

 

「あ……」

 

 ……動こうとして、ふと思う。

 あの男は居ないのだ。

 ならば、普段は絶対に立ち入りを禁止されているあの男の部屋に、入ることが出来るのでは。

 

「………」

 

 入るな入るなと言われ続けてきた。

 そのくせに、公嗣だけは入ることを許可されている。

 大人気なく“なんで公嗣だけ”と思ってしまったこともある。

 そんな自分が嫌で、興味ごと捨てたつもりだったけれど……つもりはつもりだったようだ。一度気になってしまったら気になって仕方が無い。

 そもそも女を連れ込んでいるから入ってはいけないのだと思っていた。それが事実であるなら余計呆れるだけだが、もし。もし違うのなら───

 

「っ……」

 

 気づくと足は既に、その部屋を目指して動いていた。

 多くは望まない。

 ただそこにある真実が、“この国のため”に向いていてくれるのなら、自分はわざわざ人を嫌う意味を作らなくても済むのだ。

 人を嫌ったって辛いだけだ。つまらないだけだ。そんなことはわかっている。その相手が家族だというのなら余計だ。

 だから、出来ることなら───……もう、満足な会話が出来なくても、向けてくれる笑みにひどい言葉を返さなくてもいいように───!

 

「あ……」

「? あ……」

 

 いつしか走っていた自分の脚がぴたりと止まる。

 あの人の部屋から出てきた存在に、勢いを殺されてしまった。

 途端、普段から彼を嫌っている私が、“この部屋を目指すこと”自体に奇妙な罪悪感のようなものが生まれてしまい、言い訳めいたことを吐きそうになるのをなんとか耐える。

 

「子桓ちゃん、どうしたの?」

 

 にこりと笑顔を向けてくるのは月という真名を持つ、侍女姿の女性だった。

 布団を抱えている様子から、彼の部屋の掃除をしていたのだろうと想像がつく。

 

「え? 子桓? ……ほんとだ。珍しいこともあるわね、あんたがここに来るなんて」

 

 その後に部屋から出てきたのは詠という真名を持つ、同じく侍女姿の女性。

 自分が出てきた部屋を見て、「掃除する部屋、間違えてないわよね」と呟いている。呟きつつ、月が抱える布団を横取りして、そこいらの欄干によいしょと掛けてしまった。ものすごい適当っぷりだ。

 

「なんの用か知らないけど、ここは立ち入り禁止だって知ってるでしょ? 来てもしょうがないわよ」

「……知っているわ。知っているけれど、理由を訊いてもいいかしら」

「理由ねぇ。……子供は知らなくていいことだから、でいいんじゃない? 知る必要もないでしょ。あんた、あいつのこと嫌いだし」

「え、詠ちゃんっ……」

 

 じろりと半眼めいた目で見つめてくる。

 彼女は本当に、相手が誰だろうと遠慮しない。

 それが癪に障るどころか、ありがたく思える自分はどうかしているのだろうか。

 

「詠ちゃん。知る努力を始めてくれた子桓ちゃんを、そんな風に言っちゃだめだよ」

「知る努力? この子の場合は知る努力じゃなくて知識欲でしょ。ちょっと疑問が浮かんだからそれを満たしてやらなきゃすっきりしないだけ。あいつのことが気になるからじゃなくて、自分のもやもやを消したいだけよ」

「───」

 

 遠慮無い物言いに、胸がずぐんと痛んだ。

 ああ、本当に遠慮がない。

 そしてその通りだ。私は私がこの状況から脱したいだけなのだ。

 真実呆れる他無い人ならそれでいい。尊敬出来る人であってくれたならそれでいい。

 私はただ、中途半端な今が嫌なだけだ。

 つまらなそうに目を向けられ、そう言われたって仕方が無いだろう。

 

「ねぇ子桓。あんたはこの部屋を見て、たとえばあのばかち───コホン。北郷一刀って存在があんたが願うような立派な人だったらどうするつもり?」

「変わらないわよ。掌返しは趣味じゃないわ」

「まあ、そうだろうとは思ったけどね。だったらべつに見なくてもいいじゃない。ここにはあんたの知識欲を満たすものなんてないんだし」

 

 変わらず、半眼でこちらを見ながら言ってくる。

 この人は私が嫌いなんだろうか。言うにしたってもう少し言葉を選んでもいいと思う……って、私が言えた義理ではないのか。こんな態度、私があの人にやっているのと大差ない。

 

「うー……!」

「……あ、あの……月? どうしてそこで月が睨んでくるの?」

 

 けれど、そんな詠を月が睨む。

 ……そういえば、出会って早々に真名を教えられたけど、私は彼女らの姓名を知らない。当然、字もだ。母が言うには、侍女の仕事はしているけれど、将と変わらぬ態度で接しなさいとのこと。

 言われたからにはとそう接してきたものの、本当に……何者なのか。

 

「うー……じゃあ月に免じて訊いてあげるけど。なんで今さらなのよ。もっと小さい頃───あんたがあいつの過ごし方に疑問を抱いた時点で、どうしてこうやって動かなかったの?」

「……それは」

 

 一言で言えば余裕がなかった。

 急に周囲の態度が変わって、父が頼りない人だと感じてしまって、このまま頼るわけにはいかないと思って、そんなくだらないことで母に相談するわけにはいかないと自分で決めてしまった。

 その時点で───

 

「どうせ、余裕を無くして相談相手も居なくて、じゃあ自分で覚悟を決めてしまえって意地を張って、その無理矢理固めた意地を貫くことで自分を保っているとかでしょ」

「!? なっ───」

 

 ……その時点で、私はとっくにただの意地っ張りになっていた。

 言われた言葉に自分の中身を見透かされたようで、顔に熱がこもるのがわかる。

 咄嗟に声を張り上げて反論しそうになるのを、なんとか抑えるだけで精一杯だ。

 

「どうせ誰かが言わなきゃ、今のあんたには届かないんだろうから言うけどね。あんたが掌返しだと思っていることって、覚悟の問題どころじゃなくて子供が意地張ってるだけよ。自分が誤解していることに対して、真実が見えたのに態度を変えずに嫌い続ける? そんなの、人の意見も聞かない、聞いたところで自分が正しいって言い続ける、器の小さな存在のすることじゃない」

「っ……あなたになにがっ───!」

「……なるほどね。こういう時はわかりやすいわね、あのばかチ……あいつの言う通りだ。……あのね、自分から歩み寄るとかせず、相手が侍女だからって理由で距離を取ってるあんたがそれを言うの? 知ってもらう努力を放棄している時点で、その言葉は戯言の域を出ないわよ。わかるわけないじゃない。あんたが勝手に距離を取ったり、自分のことを話そうとしないんだから」

「~っ……!」

 

 睨む。

 けれど、言われた通りだ。

 掌返しは嫌いなのに、私はあの日の……友達だと思ってた子達と同じことをしている。

 自分のことを知って、変わらず友達のままで居てほしかったのに……話も聞かずに勝手に距離を取って。それでも遊ぶ中で“様、じゃないよ、私は偉くないよ”って言っても気まずそうに距離を取る姿に悲しくなったあの日を今でも覚えているのに……私は、同じことをしていた。

 でも、じゃあどうしろというのだ。

 私はただ、父が私が思う父らしくあってくれたらと願っただけだ。

 その答えが仕事もせずに愛想を振りまくだけの存在だと知って、それでも私に変わらぬ態度を取れというのか。

 

「わっ……わかったふうな口を利かないで!」

「ふぅん? わかってないとでも思ってるんだ。これでも一応経験から言ってるんだから、難しくても受け取れるところから少しずつでも受け取っておきなさい」

「…………うー」

「だ、だから。どうしてそこで月が睨んでくるのよ……」

「いいよ。詠ちゃんがそうなら、私にだって考えがあるから」

「考え? ちょ、月? なにを───」

 

 続く言葉も封じられ、歯噛みする私に……月が私の傍まで歩み寄って、ひそりと言う。

 

「あのね。詠ちゃんってこうは言ってるけど、ずっと前は子桓ちゃんみたいに意地っ張りで、人の意見を聞かない器の小さな子だったの」

「月!? なななななんてこと教えてるの!?」

「あ、でもそのことについては知ってもらおうとしてるんだよ? ちゃんと、“これでも一応経験から言ってるんだから”って言ってたでしょ?」

「やめて月やめて! 言ったは言ったけど、前のことはあまり思い出したくないの!」

 

 …………ぽかん、だ。

 さっきまでの余裕な顔が嘘だと思うほど、詠が狼狽している。

 

「ご主人様の前ではいっつも、今の子桓ちゃんみたいに───」

「月ぇえええ~っ! お願いぃい~っ!!」

 

 ……終いには泣き始めた。

 二人の力関係がいまいち見えない。

 月……やさしそうな人だけど、実は凄い人なのかもしれない。

 

「……結局、なにが言いたいのよ」

「うう……ほらぁ、月の所為で話がややこしくなったじゃない……」

「へぅ……ご、ごめんね詠ちゃん。……でも、えへへ」

「……なに? 急に笑ったりして」

「ううん? 前までの詠ちゃんだったら、“月の所為で”なんて絶対に言わなかったなって」

「うっ……」

「へぅ……」

 

 ……人のことを放置して、なにを照れ合っているのだろうかこの二人は。

 

「はぁ。じゃあ話を戻すけど。器の大きさを自覚したいなら、“自分がやられて嫌だったから”って、その行為の全てを嫌うのをやめるところから進んでみればいいわ。あんなこと言ったけど、知識欲がきっかけだろうと、知ろうとすることが悪いって言ってるんじゃないんだから」

「じゃあどうして邪魔をするのよ」

「そんなの。掌返しを嫌っているあんたのままで知ってほしくないからに決まってんじゃない。まずは見直せるところがあったら見直せる自分になりなさい。ううん、なれ。そうじゃなきゃ、たとえあんたが覇王の娘だろうがこの部屋に入ることは許さないわ」

「…………そこまで言える真実がその部屋にはあるということ?」

「そんなの無いわよ。私物もろくにない、面白みもない部屋があるだけだし」

「え、詠ちゃんっ!」

「なによ、ほんとのことじゃない」

 

 面白みもない部屋。

 言われて、軽く想像してみるが、全然広がらない。

 ぐうたらで女にだらしがないとくれば、遊ぶためのなにかがそこかしこにある部屋なのだと勝手に思い込んでいた。

 でも、じゃあそんな部屋を立ち入り禁止にする理由はなんなのだろうか。

 

「……あなたたちにとって、北郷一刀は……」

「ばかちんこぅいたぁーったたたたた!? 月っ!? ちょっと月!? なんでつねるの痛い痛い痛い!!」

「ご主人様は見境無くああいうことをする人じゃないんだから、そんなこと言っちゃだめ。詠ちゃんだってわかってるでしょ?」

「う、うぅうう……月がぁあ……あの月がぁあああ……!」

 

 また泣いた。

 成長を喜んでいるのか、虫も殺せないようなやさしげな人からの抓りが涙腺を刺激しているのかはわからないけれど、泣いた。

 

「ねぇ子桓ちゃん。私たちはいろいろあって、そのことについては深くは言えないけど……でも、想像してみているだけの“その人”を嫌い続けることで、本当の“その人”まで……その、嫌いにならないでほしいな」

「うう……月? 私も今からそれを言おうと……」

「詠ちゃんのはそこまでいくのに遠回りしすぎなの。すぐに言ってあげればいいのに、いじめるみたいにいろいろ言うのは、詠ちゃんの……その、へぅ……わ、悪いくせ……だと思うよ……?」

「───!? ……! ……!!」

 

 ……詠が言葉に出来ない傷を負ったような切ない顔で、ぱくぱくと声にならない声をだしている。……そして何故か私を涙目で睨んできた。私がなにをした。

 

「嫌うのも、掌返しをしたくないなんて言うのも、その……もっと大人になってからでもいいと思うの。だから……」

「…………だから?」

 

 言葉を探す様子もないようで、用意された言葉を話す雰囲気はあるのに、どうしてか少し躊躇のようなものを見せる月。

 多分……いいえ、絶対に、この人は他人に対してどうしようもない冗談なんて言わない人だと容易く受け取れる。だから待った。言ってくれる言葉くらいは受け止めるつもりで、待った。

 

「……一度何かに呆れても、もう二度とそれを見ることをやめる、なんてことだけは……絶対にしちゃだめだよ? 自分が見て経験したものだから絶対に正しいなんてこと、それこそ絶対にないんだから」

「───……」

 

 キッと、真っ直ぐに私の目を見て言われる言葉。

 ……驚いた。

 この人、こんな顔が出来るんだ。

 とても侍女だなんて器じゃない、もっと大きなものさえも包めるような、人としての大きさを感じた気がした。

 そんな人の前で、気づけば静かに、こくりと頷いている自分。すると、キッとしていた表情がほにゃりと崩れて、にこーと笑ってくれる。

 なんなんだろうこの人。よく解らない。

 

「まあとにかくそういうことだから、ここに入ったってあんたの願いは叶わないわ。そうね、あいつのことを知りたいなら、手っ取り早い方法があるんだけど」

「…………べつに知りたく───」

「はい嘘。知りたくないならこんなところまで来る理由がないでしょ」

「ぐっ……!」

 

 もういい、確定だ。私はこの詠という人物が苦手だ。

 私の行動を先読みしているようにずけずけと言葉を続ける様に、どうしても苛立ちを覚えてしまう。

 

「私たちが言われてるのって、実はあんたたち子供をこの部屋に入れないことと、それに関することを話さないこと、だけなのよね。だからべつに他の部屋に入るのは止めないの」

「……だからなんだというのよ」

「べつに。それだけ」

 

 言うだけ言って満足したのか、欄干に掛けた布団を持って、歩いていってしまう。

 

「あっ、詠ちゃん、それは私が……」

「いいわよべつにこれくらい。じゃないとボクの月が穢れて───」

「……詠ちゃん、そんなにぎゅってしたら皺になっちゃうよ?」

「ぎっ……べべべつに抱き締めてなんか! 布団なんてこれくらいの扱いがいいの!」

 

 …………騒がしくも、そのまま行ってしまった。

 残されたのは、どうしろというのよと呟く私と……閉ざされた、北郷一刀の自室。

 鍵をかけた様子もないし、押し開けば入れる。

 入れるけれど……

 

「………」

 

 禁止されていることを破るつもりはない。

 これまで、母に誇れる自分たれと自分を律してきたのだ、それはしたくない。

 だったらどうしてこんなところにまで来てしまい、説教まがいのことまでされてしまったのか。……情けない。

 

「……あ」

 

 けど、おかしなことも聞いた。

 立ち入り禁止を言われているのはここだけ、とか。

 

「………」

 

 だからなんだというのよ。そんなことはわかっている。

 だからこうしてもやもやしているんじゃないか。

 

「……もういい」

 

 部屋の扉に興味を無くし、振り返ってから歩く。

 何を言われようがやっぱり私は私のままでいるのがいいに決まっている。

 母のように、意志を曲げぬ自分で───

 

「っ!」

 

 ───歩く途中、見回りをしているらしい兵と合い、姿勢を正してからの敬礼をされた。私はそれを一瞥しつつそのまま歩き去ろうとしたのだけれど……

 

「ねぇあなた」

「はっ」

 

 気づくと声をかけていた。

 理由は……言うまでもない、妹たちが仕出かした夜襲のこと。

 誰が話さなくても、こういうものは漏れるものだ。

 というか偶然見つけて、今まで注意しなかっただけ。

 

「妹たちが迷惑をかけたようね」

「えっ、あ、あー……な、なんのことでしょう。自分はなにも見ていませんが?」

 

 目を少し逸らしたのち、しかしもう一度しっかりと目を見て言ってくる。

 こういう行為をしてくる兵は、実のところ珍しい。

 位置的に偉いというだけで私と目を合わさない存在は結構居るというのに、なにが違うのか、兵の中にはこういうのが何人か居る。

 しかも、どうやら妹たちのことを見逃すつもりでいるらしい。

 罪には相応しい罰を、とこちらが構えているのに、言うつもりはないようだ。

 

「……あなた、所属している隊はどこだったかしら」

「え? は……北郷隊ですが」

「北郷?」

 

 ……北郷。

 あの人の隊、よね。

 耳にはしていたけれど、あの人の隊ということで距離を取っていた隊だ。

 当然、調べることもしなかった。

 

「───あ」

 

 その時だ。

 

  “私たちが言われてるのって、実はあんたたち子供をこの部屋に入れないことと、それに関することを話さないこと、だけなのよね”

 

 ふと、ひとつの言葉が頭の中に浮かぶ。

 そうだ。つまり、あの人の隊がある。

 そしてそこは立ち入り禁止ではないのだ。

 あの人の隊ということは、隊長はあの人。そして当然、それらの仕事を纏めた書簡なり竹簡なりが隊舎か倉庫にある筈。

 

「隊での仕事の行動報告は当然、竹簡なり書簡なりに纏めてあるのよね?」

「はい。そうでなければ改善案も出しにくいですから」

「で、で……その、だけど。その纏めた書簡とかはその。何処にあるのっ? かしら?」

「………………」

 

 キリッと格好よく言おうとしたら、一言目から躓いた。

 兵はそんな私を見てきょとんとしたのち、本当に小さく口角を持ち上げた。

 

「あー、そうですねー。一応それは隊のものでありまして、たとえ娘様であれど、おいそれと見せたり教えたりすることはできないものでありましてー」

 

 続いて物凄くわざとらしく声を大にして喋り始めた。

 

「ですから、そうですね。隊を知りたいのでしたら、一度隊に入って仕事をしてみてはどうでしょう」

「へ?」

 

 そんなわざとらしい様相からそんな言葉が続くなど、誰が予想するだろう。

 それが不意を突くカタチになって、へんな声で返事をしてしまうのだが……目の前の兵はにこりと笑うともう一度姿勢を正して「どうでしょう」と訊ねてきた。

 下から覗くように見上げたその顔は、なかなか歳をくってそうな感じ。

 でも、まだまだ若さの残る顔立ちだ。

 だから気になって訊いてみた。

 

「……隊に務めて長いの?」

「魏に居た頃から、北郷隊が出来る前より街の警備をしておりました」

「ふぅん」

 

 語る顔は楽しそうだ。

 というより、懐かしささえ浮かべて私を見ている。

 そんな顔のままに言うのだ。「北郷隊が出来る前にも、隊に入って隊の内情や警備体制を調べるために無茶をした人が居まして」と。心底楽しそうに。

 つまりあれだろう。

 内情を知りたいのであれば、その人のように入ってみろというのだろう。

 

「簡単に言ってくれるわね。私自身にも仕事があるのだけれど?」

「失礼を承知で申し上げますと、その方は魏国の在り方もろくに知らぬまま、十日で警備体制の下地と改善案を出してみせましたが?」

「十日!?」

「さらに申し上げますと、当時は随分と人手不足でして。今のように平和な頃とは違い、民同士の諍いなど茶飯事。間を置かずして問題が起こり、それを止めるために己が身ひとつで止めに入ったものです。当然、武器を手に脅してみれば威圧にしかならないため、その身を以って止めるしかないわけで。怪我がない日などありませんでした」

「………」

 

 ごくりと喉が鳴る。

 きっとその十日でいろいろと為してみせた人は、知力も武力もある将に違いない。

 当時というからには、まだ将としての活躍も見せていなかったのだろう。

 生きているのなら会ってみたい。

 

「その者の名は?」

「さて。それは隊の内情なので言えません」

「なっ……!」

 

 ここにきてはぐらかされた。

 随分としたたかな兵だ。けれど、そういう、きちんとした“自分”を持つ者は嫌いじゃない。気骨ある者と言えばいいのか、ともかく興味が持てる。

 

「いいわ。だったらその隊に入ってやろうじゃない。そしてその人物のことを───」

「それは無理です。新米に全てを見せるほどに警備の緩い警備隊がありますか?」

「くぁっ……! あ、あなたねぇっ! いいわ、だったら同じく十日で信頼を……!」

「ほほう。平和になったこの蒼の下、乱世の下と同じ日数で満足する気で?」

「じゃあ三日でいいわよっ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 気づけば勢いのままに叫び、そのまま手続きは滞り無く進められ───報告に行った際、どうしてか母と秋蘭が顔を見合わせたのちに笑い出したのを最後に……私は、北郷隊(警備隊)に入ることとなった。

 

……。

 

 こととなった、というか…………───

 

「新入りー! 喧嘩騒ぎがあったらしいから鎮圧急ぐぞー!」

「またなの!? さっき起きたばかりじゃない!」

「言ってる暇があったら急げー!」

「わかっているわよ! というか、問題を起こすのが将ばかりってどういう───」

「新入りー!」

「わかっていると言っているでしょう!?」

 

 明日から、と言ったら間髪入れずに「今すぐよ」と言った母に困惑しつつ、今日から。しかも王の子だからと特別扱いなどはなく、新入りは新入りとして扱うようにと言われたために、扱いは本当に下っ端のそれだ。

 それは別にいい。

 受け入れられるし、初めてやることなのだから下っ端なのは頷けることだ。

 問題なのは、自分が思っていた以上に街というものには問題があったこと。

 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、事が済んだと思えば迷子が見つかり、親が見つかったと思えば喧嘩騒ぎ。仲裁出来たと思えば壊れた椅子の修理を頼まれたり、そんなものは専門の者にやらせればと言おうものなら、壊れる度に呼んでいたら金がいくらあっても足りないという。専門の者に頼むのは直しようがなくなった時のみなのだそうだ。

 ああ、目が回る。

 直す際に槌で指を打ってもんどり。

 涙しながら、砂まみれになりながら、それでも隊の仕事は続く。

 今日初めて身につけた隊の服はとっくに汚れきって、それを見下ろす自分が惨めに思えた。

 こんなことが、治安の悪い、下地も改善案も無い乱世の頃からあったというのだ。

 それはどんなに大変なことだったのだろう。

 思うことはいろいろあるけど、自分が出来ることなどただひとつだ。

 

「………負けるもんか」

 

 汗まみれの顔を拭って、自分を呼ぶ声に向かって駆けていく。

 その人が十日を駆けたのなら、三日でどうのの問題ではない。

 信頼がどうとかではない……私は国というものを、仕事というものを知らなきゃいけない。

 だから弱音は吐いても挫けないつもりだ。

 

「また迷子だー! 新入りー! 任せたぞー!」

 

 辿り着いた先で指示され、した者は別の問題解決に走っていく。

 一瞬、人に任せておいて、自分はさぼるんじゃないだろうかなんてことを考えてしまうけれど、そんな自分を氣を込めた拳で殴った。

 だからどうした。さぼろうがさぼるまいが、そんなことは私の目的には関係がない。

 ただ知ってゆこう。

 信頼を得て、過去を知って、何故この隊の名前があの人の姓とともにあるのか。

 そして、三国の人々が行き来するこの都で頑張ることで、三国というものがどういった人々の集いの下にあるのかを。



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114:IF2/親と子の生きる道③

-_-/一刀くん

 

 雨が上がった。

 ふと目をあけると白。

 もふもふしているホワイトタイガー先生に包まれ、目を閉じる前を思い出す。

 

「……生きてる」

 

 のっしのっしと歩いてきたホワイトタイガー先生を前に、“画王!”と吼えられて気絶したんだっけ。……思っておいてなんだけど、懐かしいなぁ画王。TVのCMだったっけ。

 などと暢気に考えていられるのは、とりあえず命の危険がなかったことへの安堵のお陰だろう。あと、気絶とはいえ眠ったからか、氣も少しは回復している。

 

「………」

 

 現在、ホワイトタイガー先生はお二方ともお眠りあそばれている。

 子供らも眠っているようで、抜け出るなら今……! なのだが、お二方……どうしてか俺を囲むように丸くなっているんだよね。

 しかも子虎が眠りながらも俺の道着をがじがじ噛んでらっしゃって、無理矢理でも取ろうものならガオオと唸って起きそう……!

 

(トリアエズ……ア、アレカナー……! 虎の気配に自分の氣を合わせて、同じ種族デスヨーとか思わせつつ抜け出る作戦を……!)

 

 と、氣を変化させた途端、ホワイトタイガー先生の眉間にビシィッと皺が寄った!

 なので我が身を疑う速度で氣を元通りにして寝たフリをした。

 

「……! ……!」

 

 アレですよね!? 種族に似せたってことは、縄張りに別のタイガーさんが来たとか思われても仕方ないってことだよね!? やりきらなくてよかったァアアア!! やりきってたら敵と見做されてバクゥリだったかもしれないッッ……!!

 そろりと薄目を開けて見てみれば、あたりをキョロリと見渡したのちにどすんと再び眠りにつく雄タイガーさん。

 ドキドキどころかドドドドドとうるさい心臓をなんとか押さえようとしつつ、とりあえずは安堵。

 再びぐっすりになるまで、しばらくの時を待つのでした。

 

……。

 

 そしてしばらく。

 

(………………)

 

 もはや恐怖にも慣れた(つもりな)俺は、キリッとしつつ遠い目をして、次のプランを組み立てた。名を、“大人タイガーがダメなら子供タイガーの氣を真似ればいいじゃない”だ。

 子虎も俺の道着から離れてくれた今こそ───!

 

(今こそ好機! 全軍討って出よ!)

(も、孟徳さん!)

 

 そう、今こそ好機!

 

(油断せず……無邪気な子供タイガーの氣を真似つつ、キャイキャイと外へ抜け出る)

 

 ここで浮かぶ心配なのだが、子供が勝手に外に出ることを親タイガーが止めるのでは、という部分にある。だが大丈夫。きっとそこまで過保護じゃないに違いない!(言えた義理ではない)

 そんな部分を勝手に信じて行動に移ることにしたのだ。

 

(そうと決まれば……!)

 

 氣を、子虎に似せて、のそりと動き出す。

 時に素早く時に大胆に、優雅に、そして力強く───はせず、悪戯っ子を演出しつつ、とてとて~っと。

 そして一定距離を稼いだところで、次は空をゆく鳥の氣を真似て、あなたたちとは無関係の無邪気な鳥デスヨとばかりに距離を取る!

 

(途中でバッグを拾うことも忘れずにキャーッ!?」

 

 よっぽど緊張していたからか、バッグを掴んだ手が震え、絡繰入りのバッグがゴシャアと落ちた。途端、俺は悲鳴をあげてしまい、洞穴の奥からは何かが動く音!

 こうなってしまったらもう手段はひとつ。

 涙目でバッグを開けて、絡繰背負って氣を流して、走り迫るホワイトタイガー先生の気配から逃げ出すように疾駆! その勢いのままに洞穴から出ると、回転しだした絡繰の導くままに空に逃げた───直後、俺が走っていた場所をホワイトタイガー先生の前足がガォンっと空振った。

 

「ホワァッ!? お、おぉおおっ……!?」

 

 見下ろせば、空を見上げて『ワ゛ーオ゛ォオゥ!!』と吼えるタイガーさん。

 なんでワーオ!? と思いつつ、アレがトラの鳴き声なのかなぁと震えながら考えた。

 

「………」

 

 ……本当はただ、いい匂いに惹かれて暖めてくれただけなのかもしれない。

 けれど死ぬかもしれない心配ごとには、出来るだけ身を置いておくわけにはいかないのだ。もし善意だったとするなら、ごめん。

 

(だって美以も、いい匂いがするとか言いながら噛んできたし……!)

 

 だからほんと、善意だったらごめん。

 そう思いながら空を飛んだ。飛んで飛んで、うるさい心臓の鼓動が治まるまで飛んで……次の街が見えたあたりで気が緩んで、街近くの草原の大地でアグナコトって涙した。

 ウン……そうだよね……。

 結局あんまり回復しないままだったもんね……。

 

……。

 

 街についてしばらく。

 舐められたり齧られたりして唾液まみれだった道着を洗って、服はいつものフランチェスカの制服に着替えた俺は、そこでもいろいろと指示をお願いされた。

 どうして俺なんだろうかと考えながらも、いつかのように実際にこの街の警備体制を自分なりに点検しつつ、そこに合ったやり方をこれまでの経験の中から弾き出して、他の警備隊の意見も混ぜつつ煮詰めていく。

 いきなり来た人に一方的な方法を押し付けられたところで、今までのやり方でやっていた人は反発するだけだろうと思ったからだ。思えば警備隊がまだ北郷隊なんて呼ばれる前は、本当に手探りで頑張ったもんだ。

 泥まみれになりながら駆けて、氣なんて満足に使えなかったから鍛えてもいなかった体で走って、何度へこたれそうになったか。

 

「そういえば……俺のことを新入り新入り言って扱き使ってくれたあの人、元気にやってるかな」

 

 支柱になって、都暮らしが随分と長くなってからは、隊の仕事は主に報告用の書簡整理ばかりになっていた。

 たまに顔合わせはあったものの、報告と一緒に改善案も出してくれるから困ることも少なくなった。……お陰で会いにいけない。

 街で擦れ違ったら肩を組んで笑ったりとかしてたけど……あの人も長いよなぁ。今でこそ俺のことを隊長とか呼んでくれるけど、あの遠慮の無い性格はきっと一生直らないに違いない。

 

「御遣い様ー! ここの警備体制について相談があるのですがー!」

「っと、今いくー! あと様はやめてくれって何度言ったら!」

「あっはっはっは! 今さらですよ、御遣い様!」

「あっ、御遣い様! 仕事が終わったら稽古つけてもらっていいですか!?」

「あ、俺───っとと、自分もお願いします!」

「俺なんかじゃなくて将の誰かに頼もう!? 俺に勝ったって自慢にもならないだろ!」

「自慢とかそういうんじゃないんですって!」

「というかあのー……御遣い様? ご自分の実力、わかってて言ってます?」

「そんなのわかりきってて辛すぎるくらいだよ……。華雄は一人でどんどん強くなるし、美羽もぐんぐん成長するし、桃香だって蒲公英だって……! 春蘭に至っては、本人の前では言えないけどほとんど化物級じゃないか……!」

「いえいえいえいえいえいえ!! あの方たちと比べるのがそもそもどうかしているんですって! というか打ち合える時点で自分もどうかしているって自覚してくださいよ!」

「……きみ、やさしいなぁ。今度奢るからオヤジの店に一緒に行こう」

「慰めたわけではなくてですね!? あぁああ駄目だ! 強すぎる人に囲まれながら生きてきた所為で、自分の実力とか完全に客観視出来なくなってる!」

 

 思えばあの日から随分と長く歩いた。

 この世界をこの足で歩んだ時間も、呆れるほどと唱える必要もなく、やがて天を歩いた時間に届くだろう。

 大人になったら何が待っているんだろうなんて、剣道で負けて腐っていた頃に考えた日は遠い。当時出した結論はもう、周囲の笑顔に埋もれて掘り起こす気にもならないけれど……腐った自分さえ埋め尽くせるほど、自分が笑っていられるようになったなら、掘り起こしてもいいのかもしれない。

 

(いい天気)

 

 必死に俺のことを持ち上げようとしてくれる、兵や将に苦笑いを浮かべてから空を見る。

 思うことはいろいろ。

 みんなが都に集まっている今だからこそ、こうして一人で暢気に出かけることなんてのが許されるが、以前だったら代わりに仕事を引き受けてくれる人など居やしなかった。

 ……まあ代わりに、立ち寄った場所で何かを頼まれたら断るなと、覇王様に釘を刺されている御遣いさんでございますが。

 でもなぁ、だからってなぁ、稽古もなにも、俺なんかより強い人なんていっぱい居るだろうに。

 

(もっと頑張らないとな。いつか、ちゃんとみんなを守れるように)

 

 それは、この8年で物凄く難しい目標だったのだと思い知らされた想い。

 もうやめれば、なんて言われると、コロっと転がってしまいそうな思い。

 頭の中ならなんとでも言えるそれだけど、実際には笑って否定する願い。

 目指した覚悟に嘘はない。

 いつか時が過ぎて、成長できない自分が彼女たちを守れる日が来るまで、俺はこの世界を見守る。

 いつになったら国に返しきれるのかなんて、誰が教えてくれるわけでもない。

 それでいいんだろうし、俺だってそう思う。

 好いてくれる人も居れば嫌う人も居る。

 嫌われているからって自分までもが嫌い切る理由にはならないし、自分が好きだからって相手にも自分を好きになれだなんて強要は出来ないしするつもりもない。

 

(いや……まあ、好いてくれるならそれが一番なんだけどなぁ……ハハ……)

 

 年頃の子供の気持ちはわからない。

 世の父や母は偉大だなぁ。

 

「───……」

 

 “もしもって言葉が大好きだ”

 いつか、夢に流れた言葉を拾ってみた。

 “もしも”にはいろいろな可能性がたくさんある。

 それはIFだからこその“出来る筈がない”を完成出来る世界。

 現実は出来ないことや叶えられないことが多すぎて、ただ真正直に生きるのは辛い。

 だから笑顔でもしもを謳う。

 夢の中に出てきた理想の物語にはいつだって笑顔が存在していた。

 本当に、いろいろな意味を持つ笑顔が。

 

「……なぁ。人を笑顔にしたいって思うのに、理由は必要だと思うか?」

 

 急に訊いてみた言葉に、まだ俺の強さについてを話していた数人がきょとんとする。

 返った言葉は要る、要らないの半々。

 じゃあ、俺の答えはというと───……

 

 

 

   ───……たぶん、夢の中の理想と同じだった。

 

 

 

-_-/曹丕

 

 夜が来た。

 お風呂で危うく気絶するように眠りかけて、なんとかふらふらながらも自室へ戻る。

 それというのも氣を使っての行動を母に禁止されたため、己の肉体で頑張るしかなかったからだ。言うまでもないけれど体はもうボロボロ。これがまだ何日も続くという。

 

「信じられない……! こんなことを、治安の悪い頃に、氣もろくに使えない人が……!?」

 

 氣を使うなという条件は、当時のその人が氣を使えなかったからという理由から。

 氣を使って体を動かすことに慣れきっていた自分にとって、これはもう拷問だ。

 体中の筋肉という筋肉が、じぐんじぐんと断続的に熱を持った痛みを発する。なんと言えばいいのか。沈んでいる痛みを筋肉とともに持ち上げられるみたいな、そんな不快感。

 

「くぅう……!」

 

 それでも自分に与えられた仕事が無くなるわけじゃない。

 体が求める休息という安らぎを跳ね除けて机にかじりつく。

 ただ、足を少しでも休ませたい気持ちから、椅子に座ってからは靴を脱いだ。

 火照った体に夜の涼しさがありがたい。

 ともあれ、筆を動かして自分に与えられた書簡整理をこなしてから、一日一度は必ずと言われている氣の鍛錬を始める。

 

「集中、して……」

 

 丹田より生まれ出でるそれを全身に流して、丹田に溜まったものをからっぽに。

 それからもう一度丹田から氣を生み出して、気脈をほんの少しだけ広げる。

 やりすぎると気絶するほどの激痛に襲われるから、本当に少しだけ。

 力ってものを望んだ甘述がそれを味わう様を見た。あれは本当に危険だ。

 

「………」

 

 そういえばあの時は誰が助けてくれたんだっけ。

 急に絶叫して苦しむ妹を前に、私は震えて泣き出すことしか出来なかった。

 泣いて、怯えているうちに周囲は静かになって。

 それから……それから。結局、怖くて訊くことは出来なかったんだっけ。

 あの時のことは甘述も話したがらない。

 ただ、あんな苦しさを味わってもまだ、強くなりたい気持ちは消えないらしい。

 だからこそ彼女は、激痛に襲われない程度の気脈拡張はいつもやっているし、その伸びが武力側の気脈よりも、本当に僅かにしか広がらないとわかっていても、ずっと続けている。

 母親である甘寧にそのあたりのことはキッパリと言われたそうだ。

 でも諦めていない。

 武から知に切り替えたらしい呂蒙の話を知っているからこそ、知から武も出来るはずだと。出来なければおかしいと。

 

「すぅう…………ふぅうう……」

 

 気脈を少しだけ押し広げる。

 肺一杯に空気を取り込んで、さらに吸い込んだような膨張感。

 それが全身に走る感覚はいつまで経っても慣れない。

 ただ、この無理の無い気脈拡張を鍛錬に組み込んだらしい人は、今でも暇さえあれば……いや、仕事をしながらでもやっているらしい。

 それを考えると、その人の氣はいったいどんなことになっているのか。

 想像するだけで恐ろしい。

 

「……はぁ」

 

 安定。

 あとは広げた状態をこのまま保っていればいい。

 体中に氣を満たすことで、体中の痛みも少しだけ軽減出来るし、氣で体を動かせば痛んでいる筋肉を無理に動かす必要もない。

 お風呂で“まっさーじ”もしたし、氣のお陰で体もまだ温かい。

 仕事も片付けたし、あとはゆっくり…………寝台、で…………うう、寝台が遠い……。

 だめ……眠気に勝てない…………このまま机で…………

 

……。

 

 朝である。

 

「はぐぅううーっ!?」

 

 目が覚めたら机で寝ていた。

 おかしな体勢を長時間続けていたからか、関節が痛いし筋肉も痛いしでろくなことがない。しかし仕事はあるので泣き言は言っていられないので、これまた鍛錬の前準備として組み込まれたとされる“らじお体操”とやらをして体を起こしていく。

 その最中も体の痛みに終始涙目だったけれど、終わったあとはましにはなっていた。

 あくまでほんの少しだけ。

 

「く、ぅううう……! 関節いたい……! 筋肉いたい……!」

 

 涙ぽろぽろ。

 ふふふ、しかし舐めてくれるなよ我が肉体。

 この子桓をこの程度の痛みで縛り付けられると思ったら大間違いぞ。

 我は曹丕! 曹孟徳が一子!

 これしきの苦しみに泣き言を唱えて蹲るつもりなぞ───はぴうっ!?

 

「小指ぃいいいいいーっ!?」

 

 ふらふらと椅子から立ち、歩き出した途端に小指を机の角にぶつけた。

 体を休ませたいからと靴を脱いでいたのが仇となった。

 

「あぅう……! あうぅうううう……!! 痛い……痛いよぅう……!」

 

 泣き言を唱えて蹲って涙した。

 ごめんなさい我が肉体。もう我が儘言いませんからこの痛みをなんとかしてください。

 この痛みは無理だ。これにはきっと誰だって勝てない。

 勝てないから───今日はもう、休む──────……

 

「っ……違うっ!」

 

 ハッとして首を振った。

 ここで休んだら投げ出すのと同じだ。

 私は、私は違う。あの人とは違う。

 こ、こんなの全然痛くない! そうだ、自分は痛みには強かったじゃないか!

 転んでも最初は痛いのにすぐに痛くなくなって、怪我をしたってすぐに痛みなんかなくなって! いっつも傍について回っていたととさまに、凄いでしょって胸を張って───!

 

「あ……れ……?」

 

 ……その筈なのに、いつまで経っても痛みは消えない。

 すぐだ。すぐな筈なんだ。

 ぽっ、て体が温かくなって、こんな痛みなんて。

 

「………」

 

 そうか、きっと疲れているからだ。

 普段だったらこんなこときっとない。

 ただ……痛みのあとにはいつもあった温かさが今はない。

 それが、ひどく寂しく感じた。

 

「───」

 

 さあ、今日も仕事だ。

 きっかけはいろいろだけど、きっかけ以上に知りたいものは増えたのだ。

 北郷一刀の過去を知ることもそうだし、様々な国で様々を成し遂げた人が居る筈なのに、その人のことが語られない理由も知る必要がある。

 こんな痛みで挫けてなど───!

 

「挫けている時間などないわよ曹子桓! さあいざコカッ!? あ、……~っ……!!」

 

 今度は手のほうの小指を机の端にぶつけた。

 

 

  ……前略母上さま。

 

  そのっ……~……挫けても、いいでしょうか……っ……!!

 




凍傷はスキル:不眠不休を使用した!
世界がぐるぐる回っている! これから仕事だというのに不安でいっぱいだ!

でも大丈夫! いけるいける気持ちの問題!
今日から俺は───富士山だ!
……動けないよ!


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115:IF2/目標のために動ける時間自体がまず大事①

167/きっと到るべきところへ到っても万能には程遠い。だって人間だもの。

 

-_-/孫登

 

 周囲の反応が変わった。

 どう、と訊かれれば説明するのはちょっと難しいかもしれない。

 

「はふ……」

 

 そもそものきっかけ、原因といったものは黄柄、周邵、劉禅にあるようで、三人が兵に“偉いのは親であり私ではない”といったことを言ったところから広まったらしい。

 兵はどういう経緯でそんな言葉を言われたかを話さなかったそうだけど、ともあれそんな言葉は覇王・曹孟徳にまで届けられ、“ならばしばらくは、他人からの必要以上に畏まらない態度というものを経験してみなさい”と……こんなことになったそうだ。

 その結果として、今大変なことを味わっているのは子桓姉さまだろう。

 遠慮を少し消した兵に踏み込んだ物言いをされ、誘われるがままに警備隊に入ったのだと聞いている。

 ……そんな子桓姉さまは今日も街を走り回っている。

 

「………」

 

 私はといえば、自分の身の振り方というものを考えていた。

 場所は中庭の東屋の脇。斜になっている芝生に座りながら、空を見上げての思考。

 子桓姉さまは国を知るために働き出したのだと言っていた……けど、目が泳いでいたから確実に嘘だろう。

 この歳で一人でなんでも出来るなんていうとんでもない姉だけど、嘘をつくのはとても下手だ。顔に出やすすぎるのだ。

 全てが嘘だというんじゃなくて、国を知るためってだけじゃないって意味なんだろうな。嘘だったかもしれないけど、立派だと思う。

 

「………」

 

 じゃあ私は?

 どれをやっても中途半端な私は、いったいなにをやればいいのだろうか。

 そんな心内を母に打ち明けてみた。

 ……なんだかんだと母に甘えている自分が少し嫌になるけど、自分じゃ向かう先の光さえ見えないような状況なのだ。焦りばかりが生まれて、それなのになにをどうすれば自分が良しと思える道を歩けるのかがわからない。

 姉が優秀で、妹達も優秀だと……挟まれる自分は周囲が怖くなってしまうのだ。

 こういう感情は一体誰に打ち明ければ晴れるのだろう。

 母は知も武も努力で手に入れたと言った。当然、それぞれの一番にはなれなかったけれど、自分の武や知が低いとも思わない、と言っていた。

 私もそれを目指せばいいのだろうか。

 ……わからない。

 私はいったいどうしたら───

 

「ふぅ。さてとぉ、次は愛紗のところの書簡の点検と、麗羽の……はぁ。麗羽のは理解するのに時間がかかるからなぁ……」

 

 ───などと思っていた私の耳に届く声。

 ちらりと通路を見てみれば、書簡を抱えて困った表情を浮かべる……公孫伯珪様。

 

「………」

 

 この、“通りすがたっただけ”というとんでもなく普通な出会いが、私を変えることとなった。

 

……。

 

 何に惹かれたのか。白状すると、わからないと答える。

 ただ、本当になんとなくだったのだ。なんとなく、通りすがりなだけのその人に声をかけていた。

 私の声に気づいたその人が歩を止めて、振り向いたところへ私も早歩きさせていた足を止める。きっちりとした出会いは、そんな感じで果たされた。

 

「え? あ、ああ、子高、だったよな。孫子高。知ってる知ってる」

「いえ、私の名前は今はいいです」

「え───いや、名前は大事だろぉ。互いを知るにはまずは名前からだって北ご───あ、いや、誰かさんも言ってたし。あ、ところで何か用なのか? えと、まだ仕事が残ってるから、出来れば手短に済ませてくれるとありがたいんだけど」

 

 どこか男性にも似た喋り方をする人……だが、別にそれは珍しくはない。

 むしろこの都にはそういった人が多すぎる。母だってそうだ。

 

「単刀直入に訊きます」

「う……なんかまた面倒ごとが舞い込む予感……ああ、なんかもうどんとこい。周りが私に容赦無いのなんてもう慣れてる」

「……それは、なんというか、えと、とにかく。……伯珪さま。あなたは、なにか秀でたものはありますか?」

「あっはっはー、ほらみろー! 大して関係が深いわけでもない子供からもこんなに容赦ない言葉が出たー!」

 

 訊ねてみたら泣き笑いされた。

 た……単刀直入すぎたかも。謝ったほうがいいかな。いいかな。

 

「あ、あー、ちょっと待った。謝るとかは無しな。私はちゃんと自覚を持って生きてるんだから、そこで謝られるのは違うし、謝るのも違う」

「え……自覚?」

 

 自覚って……秀でたものがない自覚?

 

「そういうことを訊いてくるってことは、子高は才能とかで悩んでるのか?」

「───」

 

 きょとんとしているところに、一気に核心を衝く一言。

 この人、話しながらでも随分と人を見る人のようだ。

 図星を突かれて軽く肩が跳ねてしまったが最後、伯珪さまは溜め息を吐いて「そっか」と頷いた。

 

「じゃあ、経験者としてはっきり言おう。そんな小さい内から才能がどうのとか……言っている暇があるなら少しでも鍛錬しろ。他がどうした。姉や妹が優秀だったらお前の成長が止まるのか? 違うだろ」

「っ……で、でも」

「でもじゃない。秀でたものがなくて平凡だっていうなら、平凡の中で最高の実力者を目指せばいいだけの話じゃないか。武でも知でも敵わないから諦めるなら、努力の意味なんて最初からないさ。向かう道が違うんだ、当たり前だろ」

「え……」

 

 向かう道? 平凡の中の最高って……?

 

「私もそのことについては随分と悩んだし、お陰で優秀な客将を昔の馴染みに取られたりしたこともあったけどさ。それでも今の自分にはきっちりと満足してるぞ? なにせこれが私なんだからな」

「…………強くなくても、偉くなくても、それでいいって……?」

「ああ。だって、そんなの誰が望んでるっていうんだ。私は望んでないし、他のやつらだって望んでないさ。広く浅くってのがそんなに悪いことなら、優秀なやつだけで国を作ればいい。言っちゃえばそれ、平均的な能力を持つやつは要らないって言っているようなもんだろ」

「あ……それは」

 

 そう、なのだろうか。

 でも、平凡で一つも秀でたものがないよりは、どれかひとつでも秀でていたほうがいいに決まって───

 

「それに、広く浅くっていうのはこれで、結構いいもんなんだぞー? なにせ急に空いた穴を、深くはなくとも手伝える。全てに秀でたものがなくても、全てが悪いってわけじゃないんだからな。だったらその全てを、他の人の平均よりも上げちゃえばいいじゃないか。そうすれば、他の人にはない、秀でたところはなくても限りなく万能に近い自分で居られる」

「───!」

 

 口ごもっていた私は、多分……その言葉で、自分の世界が広がる音を聞いた。

 そうだ、なにも悩む必要なんてなかった。

 秀でたものがないのなら、秀でていないそれら全てを以って自分を誇ればいい。

 

「一番にはどう足掻いたってなれやしない。でもな、私はこれでも、人を支える行動での一番にはなれたつもりだ。支柱がどうとかは抜いておくとして」

「………」

「子供にしてみればこんなありきたりなこと言われたって~とか思うだろうけどな、そういうのを受け取ってみると、案外新しい何かが見つかるもんだ。私も北ご───だ、誰かさんに会ったことでいろいろ変わった。劣等感ばっかりで、自分は目立たない存在だーなんて思ってた自分だったけど、別にそいつと同じくらいの能力が無ければ生きていけないわけじゃない。そうだろ?」

「それは……はい」

「ああ。だったら私は“私の限界”で満足してやらなきゃ、誰も私を褒めてやれないんだ。劣ってるからなんだ。私は私の限界をちゃんと目指せた。頑張って頑張って、壁にぶち当たって、吐くほど鍛錬して、頭が痛くなるほど勉強をして。それでも届かない人が居るからって、自分って存在を自分が否定したら生きる意味までなくなっちゃうだろ」

「でも、それは自分を甘やかす言い訳にしかなりません。自分の限界を自分で決めてしまえば、楽をしてしまうだけです」

「本当の限界にぶつかってもいないやつが“ここが限界だ”なんて言うなら、努力なんて最初から無駄だろ。自分の限界探しなんて、やろうとしたってそうそう出来るもんじゃないし、時の運だって嫌になるくらい働いてくる。上手くいかなかったのが、誰かの何気ない呟きで軽く成功しちまうなんてことだって、本当に嫌になるくらいあるんだ。お前はそんな世界で何を見て、何を限界だ~なんて断言するんだ?」

「あ……」

 

 それは、そうだ。

 人の限界なんて知らないし、自分自身の限界さえ私は知らない。

 だって、私はまだ成長出来る段階だ。

 これから先のことなんてなにも知らないし、今まで出来なかったことが急に出来るようになるのかもしれない。

 

「私の知る誰かさん曰く、“これで終わり”とか“そろそろ終わる”って考えは持たないこと、だそうだ。単純に考えている人ほどよく伸びる。壁にぶつかったからってここまでだって思うんじゃなくて、壁にぶつかったなら、乗り越えられたら自分はもっと自分を高く出来るって考えるんだ」

「自分を……もっと……?」

「そうだ。それが自然と出来るくらいに柔らかい思考を持てるようになれば、自分の限界なんて見えなくなるさ。自分の限界なんて、知らずに生きた方が楽しいぞ。夏侯惇や恋……呂布や、り……張飛を思い出してみろ。難しいことなんて考えないやつはみんな強い」

「…………それは、納得すると自分がひどく惨めになる気がします」

「しちゃえばいいって。それくらい“強さ”ってものに素直なら、才能なんてなくたっていけるところまでいけるんだ。……いいかぁ? 壁にぶつかったらな、まずはいろいろな人に訊いてみろ。頭が痛いことに、この都にはそれぞれの方向に向いた人が呆れるくらいに居る。武のことだからって武官に訊くんじゃなくて、知の方向にも相談してみろ。で、試せること全部を試してみて……」

「は、はい。試してみて……?」

 

 期待を込めた目で見上げる。

 伯珪様は“言ってもいいものか”って顔で少しだけ目を伏せたけど、すぐに“ええい構うか”って顔になって言ってくれた。

 

「……それでも壁を越えられなかったら、“この人には訊いても無駄だ”って思う人だろうが、一度相談してみるんだ。信じられないかもしれないが、そういうことで開ける道っていうのもある」

「無駄だと思うのに……ですか?」

「ああ。いろいろな人の言葉を耳にするっていうのは、それだけ方向性を枝分かれさせるってことだ。軽く試してみただけで進むべき成長の枝を見つけるなんてことは、私たちには出来ない。才能ってものがないんだから当然だよなぁ、ははっ」

 

 自嘲するような言葉だったけど、伯珪様は苦笑だろうと笑っていた。

 あなたはどうだったのかと訊いてみれば、「私はまだ限界を探してる途中だ」と、やっぱり苦笑。……なるほど、今の自分が限界限界言うのは、先人にしてみれば失礼なことなのだろう。

 

「だからまあ、今はがむしゃらに、出来るところまで突っ走ってみればいいって。何を言われても自分の考えを第一に置きたがる癖は、困ったことになかなか消えないだろうけど、受け入れられるようになれば、枝分かれが激しかろうが試せる道はたくさん広がる。まずは人の言葉を耳じゃなく心で受け止められるようになりゃいいさ」

「耳ではなく、心で? あの、言っている意味が少し……」

「あ、あれ? わからないか? え、あ、うー……えっと。つまりさ」

 

 コリ、と頬を掻いたあとに、伯珪様は説明してくれた。

 誰のどんな意見が来ようと、努力してきたヤツっていうのは今までを無駄にしないために、意地でも自分の意見を前に置きたがるものだ。

 けれどそれだけじゃ、自分が成長するための大切ななにかまで無意識に思考の隅から捨ててしまうことにも繋がる。だから、耳で話半分に聞くんじゃなくて、聞いた言葉も自分のものに出来るような自分になれと。だから“心で聞く”。

 それくらいが出来ないようじゃ、その人の言う限界なんてものは小さなものだし、強くなりたいと本気で思ってもいないのだと。本気で思っているのなら手段なんかにこだわってなどいられない。いられないなら、他方からの意見だろうが血肉にできないようでどうする。

 ……そういうことなのだそうだ。

 



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115:IF2/目標のために動ける時間自体がまず大事②

 んん、と考える私を前に、ひと息。

 続けて語られる言葉は、私には結構難しい。

 

「だから、誰々のように強く、なんて思うなってことさ。上を目指すのはいいけど、限界はここだって決めた時点で成長はしなくなる。経験談だ、疑らずに受け取ってくれ」

「む……難しいです」

「ああ、難しい。だから子供のうちに頭の中を変えちまえばいいさ。ただし、傲慢には育っちゃだめだ。出来て当然って思うのはいいけど、出来なかった時の周囲への迷惑は考えような。自分の強さでいうなら迷惑はかからないだろうから、そこは思い切りだ」

「余計に難度が上がりました」

「よかったじゃないか、目指す位置が高くなった。まだまだ伸ばせるぞ」

 

 軽く言ってくれる。

 けど、そのくらいがいいんだろう。

 だったら……なるほど、向かえばいいのか。

 

「相談することは恥ずかしいことじゃない。まず覚えるのはそこだ。そして、助言を貰うからには受け取れる自分になること。あ、でもあんまりにも押し付けがましい意見は……あまり参考にならないかもなぁ。夏侯惇や張飛あたりには気をつけろ。あれは教える気があってもこっちが理解できない」

「そ、そうなんですか」

 

 想像してみる。

 ……なんだかすぐに理解できた。

 “ここはどかんとやって、そこは近づいて殴ればいい”とか簡単に言いそうだ。

 いや、これじゃない。もっと簡潔に……うん。

 

(突撃と粉砕と勝利しか教えてくれなさそうだ)

 

 結果的にはそうなんだろうけど、それで何を学べというのか。

 私には無理だ。まだ私はそこまで理解力もないし、簡単なことでも難しく考えてしまうのだから。

 

「ええと。そこまで強さに素直な人が、実際に居るのでしょうか。少なくとも私は知りません。皆、自分なりの強さを持っていて、誰かから学ぼうとする人自体が少ないと思います」

「そうだなぁ。私もまだそういう意地は取りきれてないし、完全にってのは難しい。でも、強くなるために手段を選ばないって意味でなら……いろいろなやつに教えられて強くなっているってやつなら、一人。とびきりの馬鹿を知ってるな」

「ど、どういった方ですか!? 私の知っている人ですか!?」

 

 興奮。

 フンスと鼻息も荒く訊ねてみると、伯珪様はやっぱり苦笑。

 「知ってはいるけど、実は秘密の話だから教えられない」と言われた。

 残念だ。ひどく残念。

 その人にいろいろと教えてもらいたかったのに。

 

「それでその。その人はどのくらい強いんですか?」

「へ? あ、いやー……どのくらい、か。そうだなー…………」

 

 悩む、というよりは言うべきかを迷っている様相で、伯珪様が首を捻る。

 腕を組んでうんうん唸る姿が、なんだかひどく似合って見えるのはどうしてなんだろう。

 

「そうだな。まず……孫策に勝ったことがある」

「えぇっ!?」

 

 それだけで驚きだった! 大驚愕! あの叔母……雪蓮さまに!? 

 最近では華雄さんと戦ってばかりだけど、傍から見ても化物じみたあの人に!?

 ……って、まさかその人って華雄さん?

 

「星……趙雲からも一本取ってるな」

「ちょうっ……!? ……う、うわー、うわーうわーうわー!」

「あ、お、おい、興奮するなとは言わないけど、そんなに目を輝かせるなって」

 

 もっともっととねだるように見上げる私に、伯珪様は困ったような顔をする。

 けれど話してくれるようで、やっぱり迷うそぶりを見せながらもぽそりと言った。

 

「あと。偶然の要素も多大にあるけど、恋……呂布に勝ったこともある」

「誰ですか弟子入りします!!」

「うわっと!? だ、だから秘密なんだったら!」

「だってあの奉仙様ですよ!? あの人に勝つなんて何者ですか!? 陳宮さんが言うには、かつては雲長様や翼徳様を同時に相手にしても負けはなかったとか!」

「ねねの恋絡みの話は大げさになりやすいから、あまり信じすぎないようにな」

 

 興奮したまま、握ったまま少し持ち上げていた手をふんふんと上下させながら熱弁。

 ……思い切り引かれてしまった。

 

「では名前だけでも!」

「名前って。それ、全部教えるようなもんだろ……」

 

 呆れを孕んだ顔でキッパリ言われてしまった。

 けれどハッとすると、少しニヤケた顔で口にする伯珪様。

 

「そうだなぁ、じゃあ名前だけ。校務仮面ってやつだ」

「こうむかめん!」

 

 姓がこう、名がむ、字がかめん、なのだろうか……凄い名前だ、なんだか強そう。

 

「女性ですよね!?」

「お前、そうやってずるずる答えを引き出すつもりだろ」

「うぐっ……だ、だって」

 

 気になるのだから仕方が無い。

 むしろ自分でも信じられないくらいに自分の行動に素直だ。

 前は武にも知にもこれくらい素直だったのに、今は自分の駄目なところばかりを見つけるのが上手くなって、素直に行動できなくなってしまった。

 褒めてくれれば嬉しいのに、他の姉妹とは違って出来が悪い私は、微妙な顔で見られるばかりになってしまってからは、頑張る理由を見つけられなくなってしまったのだ。また微妙な目で見られるだけの時間が始まると考えてしまえば、事実がそうじゃなくても落ち込んでしまうものなのだ。

 

「まあ、見つけられたら弟子入りなんかしなくても、じっくりと教えてくれることは確実だ。もちろん、お前がちゃんとそうなりたいって願えばってのが前提だけどな」

「う………………あの。私なんて、最初はよくても途中で───」

「お前なぁ。そいつの前でそれ言ったら、絶対に次の日……いや、当日でも足腰立たなくなるぞ? そういう自虐はやめておけ。いいことなんてないから」

「でも」

「でもじゃない。説教にしか聞こえないだろうけど、“でも”で何かを考えてる暇があるなら、上達する道を探してみろ。つまらないことでも、探し続けていればほんの僅かな光くらいは見つかるかもしれないぞ。……まあ、そんな僅かも他の暗さに飲み込まれやすいってのはよくあることだけどな……はは……」

「伯珪様こそ、笑顔に陰が差してますよ……」

「報われない努力って辛いって知ってるからなー……。けどな、今のお前の歳でそれを唱えるのはまだまだ早い。私だって優秀な人材の中でもがきまくって、壁を知りまくって、へこみまくって、溜め息を吐き散らしながら生きてきたんだ。それくらいのことは先駆者として言ってやれる。まだまだ頑張れ。“頑張れ”なんて言うだけなら簡単だ~なんて、言ったヤツに悪態つける元気があるなら、まずその“頑張れ”を言ってくれる人が居るだけマシだって思っとけ」

「……期待を込めてというより、表面上を繕って言っているような人でも、ですか?」

 

 本当はそうではないのかもしれない。

 心から頑張れと言っているのかもしれないけれど、自分にはそう見えてしまう。

 

「素直に受け取っておけばいいじゃないか、背中を押されたことには変わりない。頑張れって言われたら、“ああ”とでも“うん”とでも、“ありがとう”とでも言ってみろ。自分を変えるっていうのは、そんな些細から始めるくらいが丁度いいんだ」

 

 「……ていうか、些細なことくらいからじゃないとまず実行できないんだ。私たちみたいな“才能”ってものが一点に集中してないやつは」と続けて、がっくりと項垂れてとほ~と溜め息を吐く伯珪様。

 ……なるほど、物凄く経験が積み重なったような溜め息だ。

 それに急に大きなところから変えてみろと言われても、確かに反発したくなる気持ちもあったのだ。言われなければ気がつけないくらい、自分は自分の些細なことすら変えたくないくせに、自分は何をやっても駄目だと言い続けていたのだと。

 そのくせ、自分のやり方には妙な誇りみたいなものがあって、他者の意見を心が受け入れようとしない。

 こんなんじゃ上を目指す気がないのと同じだ。強くなりたいのに、上手くなりたいのに他者の言葉を否定して自分が正しいと怒鳴り散らしているようなものだ。

 でも、自覚が出来たからってすぐになんとか出来るかといったらそうじゃないんだ。

 それが出来るならとっくに直していた筈だ。それが出来ないから、才能がないことを理由に逃げてしまうから、そして実際にやってみても上手くいかなすぎるから、心が挫けてしまう。

 そんなことを、私たちは言葉にしなくてもわかり合えてしまった。

 

「失礼かもしれませんが……他人のような気がしません」

「うへっ……よしてくれ、私はもう随分とひねくれちまってるさ。子供のように無邪気にとはいかないさ」

 

 やだやだとばかりに手をひらひらとさせる。

 少し年寄り臭く見えたけど、顔は笑っていた。この人なりの冗談らしい。

 けど、「ただ」と続ける伯珪様にきょとんとすると、伯珪様は少し笑って言ってくれた。

 

「先人として教えてやれることは結構あると思うぞ。別に、もう今さら自分より年下に追い抜かれて~とか言う気分でもないし」

「でも、やっぱり悔しいですよね」

「……言うなよ」

 

 やっぱり理解し合える気がした。

 私もそれは妹たちの実力を見て味わったことだから、悔しいのはわかるのだ。

 それでも伯珪様は教えてくれるという。……いい人だ。この人はいい人。

 

「これでもいろいろと悔しくて、それこそ自国のやつらや他国のやつらに氣の扱い方とか強くなる方法とかを訊いたりしたんだ。さっきも言った通り、“自分の在り方”を自分で潰すようで辛かったけどな。……ぶっちゃければそれでも上を目指したかったんだ。形振り構うくらいなら、恥なんて一時のものだって思うくらいに」

 

 「いつまでも普通普通って言われるのが悔しかったからな」と続けるその表情は、当時を思い出したのか本当に悔しそうだった。

 ……私はたぶん、姉妹内で言う中の“普通”にすら辿り着けていない。

 伯珪様の表情を見るだけでも悔しいって感情が沸いてくるのは、その所為だろう。

 

「まあ、それにその。そういう気持ちを受け取って、鍛錬に付き合ってくれたやつもいるし」

 

 しかし、そんな悔しそうな顔が一転、ぽむと赤く染まる。

 子供心に“ははぁん”と思ってしまうあたり、私も随分と好奇心とかいうのが大きいのだろう。あまりこういうのは好きじゃないのに。

 ……基本、私たち姉妹は都に集まった軍師が管理する私塾で勉強をする。元は桂花様の私塾だったらしいけれど、あまりにも教える知識が偏っているという理由で、各国の軍師が日によって教えるという体制になったのだとか。

 なんでこんなことを思い出したのかといえば、まあ……そこで教えてくれることの中には、色恋についてのこともあるからだ。それが結構どす黒い。主に桂花様の所為で。

 知力向上を願って、民の中からも勉強をしに来る者も居て、かつ男の子も居るというのに“男は害虫である”なんてことを平気で言う。

 なので桂花様が担当する時間や日は、男の子がほぼ居ない。我慢強い子なんかは来たりもするのだけど……まあ、言うことはきついけれど知識は本物なのだ、仕方ない。……って、子桓姉さまが言っていた。その男の子も本気で自分の知を役立てたいって思ったから我慢したのだ、と。

 とまあそんなわけで。……人の黒さとか色恋については、困ったことに知っている。

 ははぁん、なんて嫌な思考が働いてしまうのも全部桂花様の所為だ。人の所為にして生きるのはやめようって思ったけれど、こればっかりは無理だ。

 

「それで、その。私たちのような才の無い者が強くなるには、どうしたら……?」

「ん。まずは才能って言葉なんて忘れちまえ。その言葉は邪魔だからなぁ」

 

 で、訊ねてみたら、あっさりとそんなことを言った。

 それは、わからないでもない。才能が無いなら才能才能言ったって仕方がないし。

 

「で、あとは自分に合った鍛錬方法を探すんだ。自分の中では何が一番伸びるのか。これが地味に時間のかかることでさぁ……って、愚痴なんか聞きたくないよな。……まあ、これが結構面白いことに繋がるんだ。ようやく見つけた一つを伸ばしてみると、いつの間にか他のものも伸びてたりする」

「他も……?」

「ああ。必死に勉強して必死に鍛錬してるんだから当たり前って言えば当たり前なのかもしれないけどさ。よ~するに私たちは、他のやつらにしてみれば一点に集中してる“伸びるなにか”が全体にある所為で、時間はかかるけど万能にはなれるって感じだ。それが“広く浅く”だ。……はは、まあ、随分と底の浅い万能ではあるけど」

「えと、えと……?」

「ああ、ええっと。一言で言うとだな。……誰にも勝てないけど、誰の手助けも出来る。そんなやつになれるぞ。私はそんなものの一番を目指した。結果が今で、こうして書簡整理や纏めなんかをやってるわけなんだけどな。……周りにしてみれば雑用係りにしか見えないこれも、私にとっては“自分に出来る最高の仕事”だ」

「………」

 

 一瞬でも“それって結局雑用仕事なんじゃ”、なんて思ってしまった自分が嫌になった。だって、どんなものでも誰かがやらなければいけない“仕事”だ。

 そして、それは知力が高ければ誰にでも出来るわけでもなく、武力があるからって誰でも出来るわけじゃない。どちらも高くて周囲に目を向けられる人じゃなければいけないんだ。それも、周囲に目を向けて、相手の言葉を自分の意地で潰してしまわないような人でなければ。

 

「……すごい」

 

 そう思えたからか、自然とそんな言葉が出た。

 伯珪様はそんな私の言葉にきょとんとしたあと、大きく笑ってから言う。

 

「すごいって思えるなら、進んでみりゃいいさ。その先で胸を張れれば、今までの上手くいかない自分なんて馬鹿馬鹿しくなるぞ」

「あ……は、はいっ!」

 

 ハッとして、伯珪様の笑い声に負けないくらいの大声で返事をした。

 ……向かう道を見つけた。

 それは、才ある人にとっては地味なものだと笑ってしまうようなものだろう。

 王の子なのにどうしてそんなことをと言われるかもしれない。

 でも、じゃあ訊こう。

 そんなことを言ってくるあなたは、私にどんな道をくれると言う。

 期待するだけして、駄目ならば溜め息しか吐けない口で、なにを願ってくれる。

 この道は、味わってみた人でなければわからない。

 だから私は……たとえ歩みが遅くても、一番にはなれなくても、いつかはみんなの助けになれて、みんなにありがとうって言われるような人に……なってみせるんだ。

 

「ところで……その奉仙様に勝ってみせたお方は、才能に満ち溢れた人で───」

「いや。戦が終わって三国が落ち着くまでは、氣の扱い方すら知らなかったそうだぞ」

「えぇっ!? ……い、いえ、いえ……それってやっぱり才能があったからでは」

「いやぁ……それがさぁ。氣を使わない状態なら王の新鋭兵にも勝てないらしいぞ……? 何度か打ち合って、相手の動きを知って、ようやくついていけるってくらいだそうなんだ……本人が言ってた」

「えぇええ……!?」

 

 ……前略お母様。

 世の中にはよくわからない人がいっぱいのようです。



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116:IF2/目標のために動ける時間自体がまず大事(再)①

168/拳で岩を破壊した人の気持ちって、どんな感じなんでしょうね……興味津々

 

-_-/北郷さん

 

 ある晴れた日のこと。

 遠い道を歩く中、思いついたことを実行して……

 

「うぉおあぁあああっ!?」

 

 絶叫。

 脱力した体に加速をかけて、いつものように拳を振るった。

 ああいや、あくまで体はいつものようにだったものの、氣の練り方が違ったのだ。

 加速のために使った氣もあったが、それとは別に動かしていた氣があった。

 それを放った結果が……目の前の、とうとう砕けた岩だった。

 

「……うそだろ」

 

 絶叫のあとは唖然。

 自分がこれをやってみせたって事実が自分自身で信用出来ず、呆然としていた。

 だだだだってさ、拳だぞ? 木刀使ったわけでも金剛爆斧使ったわけでもない。

 ただ試行錯誤して、ええとほら、アニメとか漫画でよくあるような中国武術。あれの氣を乗せた拳に憧れを持って、真似のその先を目指してみただけだ。

 それがある日、とうとう完成に至ったのか……岩が、岩が砕けた。

 

「………」

 

 殴った右手は結構ひどいもの。

 皮が剥けて血が出てるし、ずぐんずぐんと痛みも感じている。

 だけどだ。そんなことより喜びが勝ってしまっている。

 建業を目指す途中の広い草原……その途中で、真剣に岩を殴った結果がそれ。

 

「……氣は、相手の氣に合わせて流し込んでやらなきゃ毒にしかならない……」

 

 ぽそりと呟く。

 ようはその応用だったのだ。

 じゃあ、相手の許容を超えた氣を一気に相手に、拳とともに流し込んだらどうなるのか。それを岩に対して行なってみただけ。

 岩の氣の許容量なんてものはもちろん知らないし、だからこそ自分の中にある氣の全てを叩き込むつもりでいった。

 外に放出して、氣弾として撃つなんて真似ではなく、殴った衝撃に乗せるように直接流し込むように……いや、流し込むどころか叩き込むように。……叩き込む、以上の乱暴な表現がなかなか思いつかないが、つまり思い切り。

 

「……は」

 

 頭の中で整理をする途中、はふ、と呼吸を思い出した途端、くらりと視界が揺れた。

 また氣を使いすぎてしまった。

 仕方ないので、砕けた岩の傍に座り込んで溜め息。

 

「ああ、うん。やっぱり俺って氣だけだよなぁ」

 

 少しは強くなれたかなと思った瞬間、大体が崩れる。

 なので相も変わらず慢心すら出来ないし満足も出来ない。

 上を見上げて突き進むばかりの自分は、いったいいつになったらみんなを守れるのか。

 ていうか将の皆様が強すぎなのです。

 俺が目指した道は、いったいどれだけ困難なのか。

 

「んん……」

 

 ともあれ、岩を爆砕することで散った氣を、せめて少しでもと吸収する。

 あれだ、氣をくっつけたまま放出して、霧みたいにキラキラと散っている氣にくっつけて飲み込む、みたいな。

 実におかしな状況なものの、こうしたほうが回復が早いんだから仕方ない。

 丸い舌を伸ばして餌を食べるカメレオンのような気分だ。

 

「…………はぁ」

 

 幸いにして消えてなくなる前に氣の回収が成功。

 全てとは言わないまでも、立って走るくらいは平気なくらいに回復した。

 ……錬氣すれば問題ないんだけどさ、疲れるんだ、あれ。

 

「よしっ」

 

 立てるのならおさらいだ。

 夢の岩石破壊が完了したことで、この北郷の心も瞳も子供のように輝いておるわ。

 そのわくわく感が無くなる前に、出来ることを楽しみながらやるのだ。

 童心は最強の行動理由。人を動かす原動力となる。

 なので、

 

「自分の中で、もっと複数の氣の行使が出来るようになれば……」

 

 今回のように、加速と固定と放出を同時に行使する要領でやっていけば、または行使するものを増やせば、もっと上手くいけるかもしれない。

 でもその前に。

 

「っ……痛っ……手、痛っ……!!」

 

 今さらながらに手がとても痛かった。

 

……。

 

 手に集中的に氣を集めて痛みを和らげたあとは、やっぱり鍛錬。

 

「放出……は、ちょっと次に繋げないからアウトだよな」

 

 切り離さずになんとか出来ないだろうか。

 むしろ岩を破壊するほどの衝撃だ……それをもう一度取り込んで装填、次弾に備えれば……?

 

「おお! なんかいい!」

 

 体術が潤いそうだ!

 凪! 体術は素晴らしいね!

 なので早速実践した。

 加速、固定、放出(切り離さずに)、さらには衝撃吸収、装填───それらを一気に行ない、

 

「コォオオオ……んっ! せいぃっ! ───~……ィいギャアアアアァァァーッ!!」

 

 ……衝撃吸収を氣脈に通してしまい、絶叫。

 いつかの失敗を見事に繰り返してしまい、しばらくは痛みの所為で動けなくなりました。

 

……。

 

 トライ、ミキコ。

 じゃなくて再挑戦

 

「ふー、ふーっ、ふぅううーっ……!!」

 

 涙目で拳を構える俺。

 氣脈ニ衝撃、ヨクナイ。神経殴ラレルミタイ、痛イ

 それでも懲りずにやるあたり、自分はどれだけ馬鹿なのか。

 や、だってさ。このままなにもしないんじゃ、いつか俺って本当にただの柱になっちゃいそうだし。

 “いつか守りたい”って願った通り、その夢に真っ直ぐに進むことは悪いことじゃない筈だと思うの。

 国に返したことは山ほどあるんだ、国もそうだし、みんなにも返したい。

 

「……んっ!」

 

 なので鍛錬だ。

 自分に出来ることを全力で。

 

「まず、右の拳で───!」

 

 殴る。

 まずは軽くで、それでもその衝撃を吸収、捻る体は加速で速め、その外側には衝撃を流して左手に装填。

 

「左───!」

 

 殴る。

 右の衝撃を装填した左で殴り、その衝撃を再び右手へ装填。といっても気脈は通さず、手の外側を通してだ。

 加速で届けられたそれが右手に宿り、右手が岩を殴り、衝撃を左へ装填、殴り、加速、装填、殴り、加速、装填。

 速度が完全にノってきたところで装填する衝撃も相当なものへと至り、岩がひび割れてきたところで振り切る右拳とともに装填した衝撃を吸収せずにそのまま放った。

 ……それで、砕けていた岩はさらに砕けた。

 

「……、……はっ……はぁ……はっ……」

 

 集中の連続で、妙なところに力をこめていたのか、肺やら心臓やらが痛かった。

 けどその力も抜けて、一気に脱力。

 氣は……まだまだ充実している。衝撃を破壊に利用したためか、氣自体はそんなに使わなかったのだ。

 ただ。

 

「いだだだだぁああーだだだギャアーッ!!」

 

 手が痛かった。

 う、うん……! 俺もっ……体術使う時は、凪みたいに手甲でもしようカナ……!!

 

……。

 

 手に氣を集中させながら歩き、進んだ先にあった岩の前でまた止まった。

 岩を見つけるたびに壊したって仕方ないんだけど、ほら。ね? わかるだろ? 壊せるようになったんだ……岩をだよ? 誰に自慢したいわけでもないのに、起きているっていうのに“夢だろこれ”とか普通に思ってしまうんだ。

 だから破壊して夢ではないと知って、拳の痛みに涙するのです。

 

「な、なにも思い切り殴ることないんだよな」

 

 ていうかもう壊すのやめよう。壊すためにあるんじゃないもんな、この力。

 

「とにかく氣をバラバラに使うことに慣れなきゃな」

 

 便利なものも極めればシーザー。特別な味です。……じゃなくて、極めればきっと役立つはず。単純なものほど“極める”のは大変だというが、それでも挫けるって選択肢は今のところないのだ。

 

「加速のあとに一気に戻そうとすると関節が痛くなるから、それも氣のクッションで和らげて、吸収して……」

 

 加速、停止、戻し。それらを一気にやってみると、やっぱりぎしりと痛む腕。

 次は加速してから、停止に氣のクッションを使って、戻す際にも加速を混ぜてみる。

 すると、ビッと止めると同時に戻した腕から氣が微量に飛び散り、陽の光を受けて綺麗に輝いていた。なんだかダイヤモンドダストみたいだった。

 

「へぇえ……綺麗なもんだなぁ……」

 

 元々、俺の氣の色が金色なもんだから、陽の光を浴びると余計に輝く。

 そんな氣の散り様を横目に、なんとかして散る量を減らせないかと試行錯誤。

 しかし当然とばかりに上手くいかず、次第に拳を振り続けることにも奇妙な苛立ちを感じ始めたあたりで一旦休憩。

 苛立ってはいけません。冷静になるのです北郷一刀、とばかりにじいちゃんからの教えを思い出しながら深呼吸。

 

「すぅう……ふぅう……」

 

 自分の実力に伸び悩むことなんてよくあることだ。

 むしろ自分には、相手をよく見ることと氣しかないのだから、それだけに絞って鍛錬する以外になにがありますか。

 そっちの方向には冷静であれ。じゃないとそっちの方向ですら自分を見失う。

 

「でもまあ、周りが強すぎるとか優秀すぎるっていうのは、過信とか傲慢をしている暇がないから……それはありがたいのかも」

 

 その分悔しさは溜まるわけでございますが。

 ……だ、大丈夫だよ? 悔しいけど“なにくそっ!”って思えるくらいには、まだ向上心はあるつもりさっ! でも涙が出ちゃう! みんな強すぎるんだもん!

 

「えぇと……」

 

 そんな人たちをいつかは守りたいと思う自分は無謀中の無謀でしょう。

 直接話せば笑われるに違いない。主に春蘭に。

 しかし、だからといって諦めるつもりはないのだ。

 そのためにじいちゃんの下で頑張ったんだから。

 

「こう、拳を振るうだろ……? そしたら加速の勢いが……あ、あー……むうう」

 

 座りながら体捌きのイメージ。

 振るって、止めた時の衝撃は氣で吸収、装填するとして、散った氣はどうしましょうって話だったよな。

 えぇと…………この際無視しよう。加速で殴ったあとに、相手が待ってくれるわけでもない。加速の拳で相手が倒れてくれたならまだしも、今までの鍛錬を思えば倒れてくれる未来がてんで想像出来ません。

 ウ、ウワァイ! みんな強いナァ! 泣いていいですか!?

 

「はぁああ……道は遠いなぁあ………………あれ?」

 

 がっくりと項垂れたあと、せめて楽しいことを考えて暗い考えを追い出そうとした時。

 なんだか、手を振るったあとの衝撃とかをなにかで吸収、って部分でとある漫画を思い出した。……や、それの場合だと氣を込めた拳を、とかではなかったわけだが。

 

「……散る氣、加速を込めた連打、込めた何かで相手を殴る…………おおっ!」

 

 遊び心は人を動かします。

 疲れた体もなんのその。

 がばっと立ち上がってからは、すぐに実行に移った。

 

「コオオオオオオ!!」

 

 ……いやまあ、うん。遊び心だから、いつも通りといえばいつも通りなんだ。

 なので気にせずいこう。遊び心とはそういうものなのだから。

 

「ふるえるぞハート!」

 

 氣をッ! 巡らせるッ!

 深い呼吸を全身に行き渡らせるかのようにッ!

 

「燃えつきるほどヒート!!」

 

 言葉の度にバシィビシィと奇妙なポーズを決めて、心震わせ熱く燃えよ遊び心!

 

「おおおおおっ! 刻むぞッ! 血液のッ───ビートォッ!」

 

 そのポーズをする中で振るった身体が生み出す微量の衝撃をも循環させ、両手に装填してから───今こそ!

 

“山吹色の波紋疾走”(サンライトイエローオーバードイライブ)!!」

 

 いざ拳を振るう。

 遠慮無しの加速が振るう拳の速度を高め、ひと突きが終わった瞬間に繋げるように引き戻す拳。その際に生まれる筋への反動と衝撃も氣によって吸収、そのまま装填され、引き戻された時には既に出されていた左拳も同じ動作を。

 引き戻した際に人体構造上の限界まで戻した腕が止まる衝撃さえも、加速されれば結構な衝撃だ。しかしそれすらも吸収、いっそ加速の助走にするかのように弾けさせて、ただひたすらに拳を振るった。

 遠慮無く行使される氣が散って、陽の光を浴びて輝くさまは実に綺麗だ。

 サンライトイエローかどうかと問われれば苦笑を漏らすが、遊び心の前ではそんな些細こそが笑いの種だろう。完璧じゃなくていいのだ。遊びとは不完全だからこそ手を伸ばしやすいし、踏み込みやすい。

 完全を目指した遊びは、途端に義務的なものになる。

 ああだが、だがジョジョッ……その完全を得た時の喜びもまた……楽しいのだッ!!

 ……と、振るったはいいのだが。 

 加速するたびに腕に走る衝撃も増してゆき、装填される力も増えるばかり。

 さて……そろそろこの両手に篭った“衝撃”をどうにかしないとまずいのですが。

 なっ……殴ったら絶対にまたズキィーンですよね!? ででででもサンライトイエローオーバードライブといえば、あのトドメの拳が素敵なわけでして!

 

「…………っ……!」

 

 喉がごくりと鳴る。

 空振りを続ける拳の先には岩。

 これをドキューンと殴れば衝撃は霧散するわけですが、俺の拳も無事では済みません。ええ済みませんとも。

 

(進め! 立ちはだかる者はすべて切り伏せよ!)

(孟徳さん!?)

 

 も、孟徳さんが猛っておられる!

 いや……いやっ! むしろ遊び心でやり始めたなら最後までやらずして何が男!

 なので殴る! 加速度も最高潮に至ったかもしれないとなんとなく思えるこの速度を以って! 殴りぬけるッ!!

 

「るオオオオオ!!!」

 

 岩を破壊するといえばこの雄叫び!

 さあいざ全てをこの岩にぶつけるように! カエルは居ないが気にしない!

 

 

   どごーん…………ギャアアアアァァァ……───

 

 

───……。

 

 

 それからしばらくして……長い旅が終わった。

 手は笑えるほどボロボロで、建業に着いたら迎えてくれた人が居て、民達が「見ろ……あんなに手がぼろぼろだ……」とか「きっとそれだけ国のために尽力してくださっているんだ……」とか言って、とても申し訳ない気持ちになったのは秘密のお話。

 

「んむっ、ぐっ、はぐっ! はふっ!」

 

 で、現在は親父のお店で青椒肉絲を食べております。

 いやあ懐かしい味だ! 前にも来たけど!

 やっぱり呉といえばこれってイメージがあるのは、作ってくれるのが親父と祭さんだけだからかなぁ! いやぁ懐かしい! 前にも来たけど!

 

「お前も懲りねぇなぁ一刀よぉ。娘のことで困るとすぐこっちに来るもんなぁ」

「ナ、ナンノコトデセウ? ボボボボク、娘ト仲良イヨ?」

「はっは、そうかそうか。んじゃあ今回はなんだって呉にまで来たんだ?」

「…………」

「無言で視線逸らしてんじゃねぇって」

 

 親父は相変わらず元気だ。

 店も盛況で、魏のおやじの店のように酒を飲んだり騒いだりする人もごっちゃり。

 ……まあ、あっちのほうが狭いといえば狭いものの、その分親密度は高い気がする。腹割って話すことばっかりだもんなぁ、あっちは。

 

「で、どうだい、支柱の仕事は。娘のこと抜きにしても、元気にやってっか?」

「ん、それは問題ないよ。優秀な……ああいや、優秀すぎる人たちが都に集まってるから、分担すると仕事が少ないってくらいだ。……もっとも、その分あちこちで騒ぎが起きるわけだけどさ」

「騒ぎねぇ。呉では孫尚香さまがたまに騒ぐくらいで、騒ぎらしい騒ぎなんてなかったろうに」

「魏と蜀が問題なんだよ……」

 

 主に蜀。ていうか蜀。

 魏だって春蘭が暴れなければそれほどでも…………ああいや、真桜の絡繰実験とか霞のお祭り騒ぎ的な、民を巻き込んだ暴走とか、そういうのが無ければまだ……なぁ。

 季衣も鈴々と絡まなければまだ大人しいんだ。春蘭と居ても止めに入る方だし、流琉と一緒の時は騒ぐ方だけど、それはまだ大丈夫な部類だ。

 それがなぁ、他国の将と絡んだだけで一気に騒ぎ始めるから手に負えない。

 蜀が元気っ子揃いすぎるんだ。軍師も気が強いのが多いし、朱里と雛里なら平気かなーとか思ってると書店から怪しい本を購入したところを目撃されて、テンパって騒ぎ出してって……ああもう……。

 

「……なぁ一刀よぉ。頭抱えて溜め息つかれっと、どこが問題ないのかまるでわからねぇんだが……?」

「いや……問題ない……筈なんだよ……? これでもまだ捌けてるんだから、問題ないんだよ……きっと……」

 

 人が元気なのは平和な証拠さ!

 たとえそのために朝早くから起きだしてあちこち駆けずり回って処理して、子供たちが起きる頃には何食わぬ顔で戻って遊びに誘ってもすげなく断られてもっ……! も、問題ないんだよ……!? ない筈さ! ないよね!?

 

「イヤー、野宿ッテイイヨネー。俺久シブリニ熟睡デキタヨー」

「お前どんだけ寝てねぇんだよ……」

「俺の睡眠時間より子供たちと遊ぶ時間の方が大事じゃないか!」

「お前はもっと自分が支柱であることを意識しやがれ!」

 

 ごもっともだった。

 けれど、親父様。この北郷……支柱である前に父である!!

 ……あ、ごめん、父になる前から支柱だった……。

 



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116:IF2/目標のために動ける時間自体がまず大事(再)②

 その後、城のみんなに挨拶をする前に民に挨拶するという、この時代にしてみればへんてこりんとも取れそうな行動ののちに城へ。

 ……到着するや泣きついてきた文官を前に苦笑を漏らしつつ、蓮華や冥琳の方針を崩さない程度にアドバイスの時間。

 人にものを教える時は、その人の立場を想像して、頭の中で言葉を組み立ててから言葉にしましょう。絶対にやってはいけないことは、頭ごなしに怒鳴ることと、主語を抜いた説明と、こんなん出来て当たり前だろうがという決め付けです。

 ああ、あとこれ。急かしちゃいけない。冷静に。

 間違ったことをしていた場合は、やんわりと止めてやんわりと説明しましょう。

 その際、その行動がどうして間違っているのかも説明すると素敵かもしれません。

 自分が知ってるんだから相手も知っていて当然、という考えは気楽な考えだけれど実はかなり危険な考えです。

 まあどれだけ説明しても、相手に聞く気がなければどうしようもないんだけどね……。

 こればっかりは……まあ、わからないでもないんだけどさ。

 

「優秀な“上の人”が身近に居ると、へこむよなぁ……」

「ですよね! そうですよね! 私たちが未熟なだけではありませんよねぇ!?」

 

 現在、建業を任されている将が涙目で叫んでいる言葉に同意している俺。

 上の人っていうのはじいちゃんだったり不動さんだったり、まあいわゆる、自分の鼻を叩き折った人たちのことを言う。

 自分なりの努力を真正面から叩き折って、そうではないと意見をぶつけてくる人。

 で、自分にも自分なりのやり方があるんだと叫んだところで届かない。

 何故って、相手のほうが優秀だからだ。

 それがわかっていて、実際に相手のやり方で合っているのに、妙なプライドや意地の所為でそれを受け止め切れない自分。こういう時、大体の場合は反発して後悔する。

 

(だから受け止められる自分になったつもりで、教えられたことはなんでも実践してきたのにな……)

 

 まだまだ全然勝てない自分。

 既存の知識を追ったのならば、手探りをしている人よりも早くに経験を積めるはずなのに、てんで追いつけもしない現実。

 悩んでいると飛んでくる“悩むな”の言葉に苛立ちを抱いて、がむしゃらにしてみれば“そうじゃない”の言葉。結局はその繰り返しで、努力が報われる瞬間にはなかなか巡り合えないわけだ。

 

「まあでも、身近に居る内にさ、もらえる知識はもらっておこうな。居なくなってからじゃ、どれだけ後悔してももう貰えないんだから」

「それは……まあ」

「……頷いてみせても、納得出来てないだろ」

「うぐっ!? ……はぁ。いえ、受け取ろうとはしているんですけど」

「そんなもんだよ。自分の心とも折り合いがつけられるようになれば、少しは自分を見直せるようにはなれると思うから。無責任に言うなら“頑張れ”」

「……いつもの“言うだけならただ”、というやつですか」

「応援だけなら誰にだって出来るし。ただ、重荷としては受け取らないでくれな」

「三国同盟の証に励まされて、重荷以外にどう受け取れと……」

「あぁ、はは、そうかも。じゃあこれだな。給金分は働こう」

「……どうしてでしょうね……さっきよりもよっぽど重いです」

「だよな。自分がそれに見合っているかどうかなんて、わからないもんな」

 

 苦笑を漏らしつつも仕事を手伝っていく。

 視察しながらの助言の時間は、文官の愚痴に付き合う時間でもある。

 普通はそんなことを、なんて思うだろうが、吐き出す時間っていうのは本当に大事だ。

 吐き出す相手が居ない場合は余計に。なのでこれは俺が提案したことであり、時間が作れればいろいろな将からの愚痴を聞いたりしている。

 ……それがまた、結構重いわけで。

 代わりと言ってはなんだけど、俺も愚痴を聞いてもらっているからおあいこだ。

 そんなわけで、互いに日々への不満や理不尽や、面白かったことからこれが辛いということを話し合っては笑った。

 たぶん、おやじの店に行けたなら絶対にみんなと打ち解けられる人だろう。

 将である時点で相手も線を引くかもだが、そんなものは慣れだ。

 打ち明けてみれば、自分と大して変わらない悩みを持っていることに驚くに違いない。

 むしろ俺なんて、“その外見で子供との付き合い方に悩んでるなんて”とか言われて、背中をポムポム叩かれるくらい打ち解けて…………あ、あれ? 打ち解けてるのかな、これって。

 

「しかし、御遣い様も大変ですね。もういっそご自分のことを話してしまわれてはいかがですか?」

「そうだなぁ、打ち明ける云々の前に、いい加減その堅苦しい喋り方をまずなんとかしてほしいなぁ」

「それは無理です」

「や、胸張らなくても」

 

 でも、打ち明ける、かぁ。

 子供たちに俺のことを打ち明けて、それでいろいろと遠慮することがなくなったら……

 

 

 

-_-/イメージです

 

 ある日、シャイニング・御遣い・北郷は都の街を歩いていた。

 空を見上げれば良い天気。

 凪が新調してくれた同盟国正式採用フランチェスカ制服は、その眩しい太陽の光を浴びてゴシャーンと輝いている。

 そんな、歩けばあまりの眩しさに誰もが振り向く中、街の一角に存在する私塾を発見。娘たちは元気に勉学に励んでいるだろうかと、そっと窓の柵越しに見てみると、なんとそこには曹丕と見知らぬ男の子が。

 どうやら二人きりらしく、男の子は緊張を孕んだ面持ちで曹丕を見つめ、曹丕は溜め息ひとつ、その男を見ていた。

 

「し、子桓さま───いや、子桓ちゃん! 俺、ずっと言えなかったけど、そのっ、きみのことをいつも見ていて……! その、いつもいつも凛々しいところとかたまに怖いところとか、でもやさしいところとかもわかって、なんて言ったら良いのか今ちょっとわからないけど、ええっとつまりなにが言いたいかというと……!」

「…………あ」

 

 恥ずかしさのあまり、俯いたままの男の子の手が伸びる。

 その手が相手の手を掴んで、ぎゅうっと、力強く掴んで、離すものかとばかりに掴んで、それをこれから放つ言葉の力にするかのようにして顔を上げ、

 

「すっ……好きだぁあああっ!!」

 

 放った! 勇気を以って! 告白をっ!!

 

「そいつは照れるな」

「!?」

 

 が……手を掴まれた相手───シャイニング・御遣い・北郷は顔面をギニュー隊長もびっくりなくらいに血管ムキムキにして立ち、口からはどれほどの温度があるのかも想像がつかない白い息をモゴファアアアと吐き出していた。

 

「ふぅうううぅぅぅぅいいギャグ持っとるのォ茶坊主ゥウウ……!! この父の前で丕に告白するなぞ命が惜しくないようだのォォォォ……!!」

「えっ!? やっ! えぇっ!? ど、どうして御遣い様がここに!? あっ、いや! お、おおおおお義父さん! 僕に子桓ちゃんをくだ───」

「だぁあああれがお義父さんだブチクラワスぞこんガキャアアアァァァッ!!」

「ヒェエッ!? ヒッ……ヒィイイイイイィィィッ!!」

「逃がすかァアアッ!! 絶対イワしたる絶対イワしたる絶対イワしたるァアアッ!!」

「とっ、ととさまぁっ! 町内で木刀は! 木刀はぁああっ!!」

 

 ……。

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 ……よし落ち着こう。

 大丈夫、そんなことしないよ。

 だだだだってそんな、三国の支柱たる者が長寿と繁栄のための第一歩になるかもしれないところで横槍入れるなんてさ、ハハ……。

 

「そうそう、せいぜいで氣を込めた全力ナックルをするくらいさ」(*注:死にます)

「えっ……な、なにがですか!?」

「へ? あ、ああいや、こっちの話」

 

 塾から逃げ出して町内を駆けずり回る男を、木刀を構えて追い掛け回す自分が脳内で上映された。さすがにそんなことはと思ったものの、全力ナックルもまずいよな。

 ていうか、知らず口に出ていた所為で、隣を歩いていた将に驚かれた。

 ……ちなみに“いわす”というのは“殴ってヒーヒー言わせる”的な意味らしい。

 関係ないけどね。

 

……。

 

 視察、アドバイス、のちに都に送る予定だった仕事などを済ませると、外は既に真っ暗だった。夕餉を食べていないことに気づいたものの、青椒肉絲でご飯を目一杯食べた所為かお腹は減ってはいなかった。

 現在自分を襲うのは眠気ばかりであり、案内された部屋ではそのまますぐに眠れるように寝台も用意してある。というか、呉で世話になった時のそのままの部屋を使わせてもらっている。

 あれから八年。持ち込む私物などろくにありもしないものだから、様変わりもまるでないそこは、第二第三の自室のようなものだった。ここならば何に遠慮することなく呼吸を整え、眠れることだろう。……野宿中でも十分熟睡だったが、気にしちゃいけない。疲れてたんだよ? ほんとだよ?

 

「………」

 

 誰も居ない時は、氣脈の強引拡張の最大のチャンスといえます。

 なので集中。氣脈を氣で満たし、さらにそのまま錬氣を続ける。

 途端、まずは身体が痺れるような圧迫感。

 苦しいと感じるところまでいったならば、そこからは微調整。徐々に錬氣して、痛みを感じたら停止。痛みに慣れたらじわりと錬氣、停止、錬氣、停止。

 むしろ広げすぎて痛むならばと氣で繋ぐようにして、そこから無遠慮に拡張させて……あまりの激痛に涙した。無理はいけません。

 しかしながら氣で痛みを和らげることは一応出来るため、誰も見ていない今こそ好機とばかりに拡張に励んだ。というか、他国に行った時くらいしか大きな拡張が出来ないのだ。なにせ、都に居たのではほぼの時間に自分以外の誰かが居る。

 

「ん───……んー……ん───んー……」

 

 一定を広げ終えると、次は氣を体外に放出。

 放つことはせずに掌にでも集めて、深呼吸したら再び氣脈へ戻す。

 伸縮を繰り返すことで氣脈の柔軟性を鍛えているのだ。

 まあ……今さら確認する意味もないくらいにはやっていることだ。数えればもう8年。

 お陰で氣だけは凄い北郷さ。……氣だけは。

 扱い方や応用は今でも手探りだし、氣無しで真正面からぶつかったって誰にも勝てない。相手の攻撃を注意深く見て、それに合わせた動きをして、相手がその狙い通りに動いてくれて初めて勝てるってくらいだろうか。それでも褒めてくれる人は居るものの、正直“あなたに褒められても、褒められている気がしません”と言える人物が居すぎなんだよなぁ。だってみんな強いし……。

 

「……ふぅ」

 

 拡張が終わると、痛みが引くのを待ってから丹田の強化。

 カラッポな氣脈を何回錬氣で満たせるかを試してゆく。

 これも立派な鍛錬のひとつだ。

 ちなみにカラッポにするために、氣は体外に球体にして浮かせてある。

 摩破人星くんを飛ばす際に使った方法の応用だ。

 それを続けて、錬氣出来なくなったら、寝台に座りながらも錬氣のイメージを続ける。

 途端に気持ち悪さとけだるさに襲われるけど、呼吸を整えて続行。

 ……しばらくして意識が飛びそうになったところで止めて、少しずつ宙に浮かせた氣を身体に戻してゆく。身体の中を氣で満たしてやったら、体の中の不調な部分を氣で活性化。多すぎる氣の球体を地道に消費してやりながら、再度氣脈を広げるイメージをしつつも吸収していった。

 

「丹田の栄養素ってなんなんだろうな。やっぱりたんぱく質?」

 

 いまいち氣を作るのに必要なもの、というのがわからない。

 寝れば練れるようになるし……いや、駄洒落じゃなくて。

 休めば使えるようにはなるのだ。しかしその条件がわからない。

 なにを以って生成されているのだろう、この不思議なものは。

 カロリーを消費して、とかだったら、ダイエット戦士には嬉しいものだろうけど。

 でもそうなったらいろいろと大変だな。演奏者のように砂糖を舐める日がいつかはくるのだろうか。というか、その場合は砂糖を舐めるだけで足りるのか?

 

(……14キロの、砂糖水)

 

 ……とある中国人が14キロの砂糖水を差し出す場面が頭に浮かんだが、忘れよう。無理です、身体から湯気が出る奇跡とか俺には無理です。

 飲む前までは腹がぽっこり膨れるくらいに飲食したものが、砂糖水を飲んだ途端に消えるとか無理なんです。

 

「…………はぁ」

 

 うーん…………静かだー……。

 都だったらこうはいかないよなー。

 こうして“たはー”って息を吐いたら誰かしらがドヴァーンと扉を開けてさ?

 “いやあの僕もう眠ろうと”とか言っても聞かずに酒に付き合わせたり(雪蓮と霞と祭さん)、夜の鍛錬に引きずり出そうとしたり(華雄)、寝る前にお話をねだってきたり(美羽)、終わってない仕事を持ち込んできたり(沙和と真桜)、毒物っ……もとい料理を運んできたり(春蘭と愛紗)。

 ……どれも夜中に虫の雨を降らそうとするどこぞの猫耳軍師よりはマシだと思えるあたり、俺も相当順応しているのだろうか。あ、死神が鎌を手にご降臨あそばれる料理とかは、さすがに虫の方がマシだぞ?

 

「………」

 

 身体が癒され、落ち着くのを感じるままに目を閉じた。

 このけだるさを受け入れたまま眠るのは気持ちがよさそうだ。

 一度落ち着いてしまうとどうしても都のことが気になってしまうのは、もう遠出した時の癖のようなものだけど……出てきてしまったなら今は呉のことを気にしよう。

 そして、休める時に休んでおこう。

 ……などと、休めること自体がとても大事な都のことを思いながら、息を整えた。




 アニメ:オーバーロード2を見ていた際、ザリュースが名乗りあげるたびに頭に過ぎったこと。

『俺は緑爪族のザリュースシャシャ!』
「ウォールローゼ南区ダウパー村出身! ブラウス・サシャです!」
『………』
「……間違えましたサシャ・ブラウスです!」

 もし名前がブラウス・サシャだったら、語呂が似ているってだけのお話。
 あとザリュースシャシャの名前が、案外発音しづらかったりしました。


 エー……すいません、他のお方の小説を読んだり、宝石姫をやってみたりしておりました。
 読み始めると止まらんのです……!
 宝石姫は正直、事前登録ガチャの延長といいますか。
 レアリティ6あっても、それ以下のステータスのキャラにあっさり負けられるステキゲームです。
 属性や状態異常がここまで影響するゲームも久しぶりな気がします。

 さあ、書きませう!


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117:IF2/前向きなのもいいけど、たまには後ろも見よう①

169/強くなってどうするの? いつかに備えるのさ!

 

-_-/甘述

 

 ……さらさら……かたっ。

 

「………」

 

 簡単な勉強を終えて、机を立つ。

 置いた筆を見下ろしたところでなんの感情も湧かない自分にとって、文とはただ片付けるためのものだ。人を幸福に導くとか、そういったことには正直興味がない。

 それよりも力強くありたかった。

 

「……、……」

 

 鍛錬用の衣服に腕を通す時、心が高揚する。

 鍛錬が上手くいくか、自分が上達出来るか以前に体を動かすことが好きなのだ。

 結果はなかなかついてこないが、それは高揚を殺す理由にはならない。

 強くなる。道は決まっているのだから、いちいち回り道をするつもりもない。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 呼吸を整えて、丹田に力を。

 自分の中の暖かいなにかを見つけて、それを外に出していく。

 

「う……く」

 

 途端、気持ち悪さに襲われる。

 ……私には才能がない。

 氣も他の姉妹に比べて極端に少なくて、氣を使って走ろうものならすぐに枯渇、昏倒してしまう。

 以前、父を追う子高姉さまを追った時もそうなった。

 私は……皆がやっている鍛錬と同じことすら満足に出来ない。

 

「いや。弱気になるな。私はいつか、母上のように……!」

 

 母上の凜とした姿が好きだ。

 武に長け、立っているだけでも相手を威圧するその迫力に強く憧れた。

 強い人、というのは存在だけでも凄いのだと焦がれた。

 ああなりたいと思った。

 あそこに届きたいと思った。

 けれど私の氣は武に向いてはくれなかった。

 母上は己に合った道をゆけと言うけれど、そんな道を横に置いてもまだ、私は武に強い憧れを抱いた。そうさせてくれたのは他でもない母上なのに。

 

「私は……やはり父の血を濃く受け継いでしまったのだろうか。だからこんな、少し動けば氣が枯渇するような身体で……」

 

 もしそうなら父が恨めしい。

 そう思ったことなど一度や二度ではない。

 けれど、もし、と考えたこともあるのだ。

 それは公嗣に言われたこと。

 

  “もし、ととさまが実力に溢れた人だったら、述姉さまはどうするの?”

 

 怖くなった。

 もしそうだとするなら、私はとんだ勘違いをしている馬鹿者で、自分の無力を親の所為にしているだけの小娘だ。

 けど、ではどうしろというのだ。

 強くなれる道があるのなら進む。険しくたって頑張るつもりだ。

 なのにこの身体はその険しさの一歩目にすら足を止め、二歩目で折れ、三歩目で吐いてしまう。

 何故こんな身体に産んだのだと親の所為にするのは簡単だ。

 でも……生まれ方なんて、親にも子にも選べないのだ。

 私はそんなことを、思ったとしても母上には絶対に言いたくない。

 ……父には言ってもいいだろうか。蹴りに乗せて。

 

「よしっ───んっ!」

 

 頬を手で叩き、気持ちを切り替える。

 出来ないからと悩むよりも、半歩ずつだろうとこの身体を前へと進ませるのだ。

 歩みが遅いからなんだ。知に長けているからなんだ。

 私は武がいい。我が儘だと言われても、限界などたかが知れていると言われても、ならばその限界まで進んでみたい。

 その先があまりにも低くて心が折れてしまっても、自分が目指した場所がそこなら、せめて自分で満足しよう。満足して、皆が言うように知の道を。武で子高姉さまを守れぬと、皆から見ればわからずやな心に刻み込んだなら、今度は知で守れるように。

 

(……きっと、それに気づいたころには……)

 

 子高姉さまの隣に居る人は自分ではない。

 自分よりも知に長け、私が回り道をしている間に知を鍛えた誰かが居るのだろう。

 そんな“先”を想像して、悔しく思わないわけでもない。

 きっと実際にその先へと到ったら、私は泣くほど後悔するのだろう。

 でもだ。

 先に立ってくれる後悔なんてないのだから、今は我が儘な自分を走らせよう。

 泣こうが喚こうが、願った力こそがない者の現在など、望むことへと今出せる全力で手を伸ばすことしか出来ないのだろうから。

 

……。

 

 鍛錬。

 広い中庭にて、一人で氣脈の拡張をする。

 自分の氣脈の狭さに嘆いたことなど一度や二度ではなく、拡張だとか言ったところで毎日やっていてもてんで広がる気配がない。

 それでもと手を伸ばした先で、泣き叫ぶほどの激痛に襲われた過去を思う。

 

「っ……」

 

 途端に恐怖に襲われるけれど、それを飲み込んで集中を続けた。

 ……大丈夫だ。やりすぎなければ、氣が自分を内側から壊すことなんてない。

 むしろ自分には自分を破壊するほどの氣を練ることが出来るんだって、そう思っていればいい。今はまだ制御できなくても、いつかはそんな氣を自在に扱えるようになるんだ。なろう、じゃなくてなる。……そうじゃなきゃ、あまりにも惨めだ。

 

「ふっ、はっ、せいっ」

 

 右拳突き、左拳突き、上段蹴り。

 氣を行使してそれをやっただけで眩暈がする。

 それも、氣が篭っていても大した威力もない三回の行動だけで。

 悔しいと思う。

 でも息を整えて、眩暈から立ち直ると、また拳を振るった。

 諦めなければどんな願いも叶う……そんな、誰かが言った残酷な言葉を信じる。

 叶えばそれはとても幸せなことだろう。

 叶わなければそれまでの時間が全て無駄になってしまう。

 その後に残されるものといったらなんだろうか。私は誰に、なにを残せるのだろう。

 無駄な努力は無駄でしかない、諦めることも肝心だ、なんて胸を張って言わなきゃいけないのだろうか。

 

(……いやだな、そんなの)

 

 そう思えるから、辛くても嫌な顔はしないようにしてきた。

 周りから見れば愚痴も吐かない努力家、のように見えているのだろうか。

 そんな努力がいつかは報われれば……いや、絶対に成功させよう。完成させよう。強い自分っていう完成図まで、弱い組み立て途中の自分を持っていくのだ。

 ……ただ、こんな時。

 愚痴を言っても平気で、蹴っても苦笑だろうと笑顔で受け止めてくれる人が居ないことが、自分の心を余計に腐らせようとしていた。

 吐き出せる相手っていうのは大事だなぁ、なんて。恐らくは子供らしくないことを考えながら。

 

……。

 

 鍛錬を終えると、汗をしっかりと拭いて自分の時間に埋没する。

 自分の時間というのはあれだ。自分を知る時間と言えばいいのか。

 結局のところ武に向いていないというのはよーくわかっている。

 ならば鍛錬をしたあとはどうするのかといえば、結局は勉学になる。

 一日中鍛錬をするわけにもいかず、やりすぎて倒れた時など孫権さまから雷が落ちた。

 “自分の弱さに嘆く気持ちはわかるが、無理をして周りを心配させるな”と。

 

「………」

 

 この都にはそれぞれに長けた人が多すぎる。

 そうでなければ戦場で生き残ることなど出来なかったのだろうけど、自分にはそれらの才が眩しすぎた。

 いずれ自分の限界にこそ打ちのめされて、自分に期待出来なくなり、○○○が居るから自分はなにもしなくても……なんて言い出してしまいそうで怖い。

 そんなのは嫌だと思う。思うのに、この身は届いて欲しいところに届かない。

 武が全てではないと皆は言う。ならば知に手を伸ばせば自分は伸びるのかといったら、実際のところはそんなに甘くはない。

 武を望んでも届かず、知に長けているからといって、学べば全てを理解できるほど長けているわけでもない。結局のところは中途半端なのだ。

 ……私くらいの歳の子を街で見かけると、皆笑顔で走り回っていたりする。

 きっとこんな風に難しく考えることもなく、自分が好むものへと真っ直ぐなのだろう。

 この歳でここまでぐちぐち悩む者などきっと少ないに違いない。

 もっと気楽に考えることが出来たなら、こんな癖もつかなかったろうに。

 

「……、……」

 

 いや、だめだ。暗い方向に飲み込まれるな。

 私は大丈夫、大丈夫だ。

 暗いことなど思い切り吐き出せば、少しは心も晴れるというもの。

 

「はぁっ……」

 

 ぷはぁ、と吐き出すように、気づかずにきゅっと引き締めていた口を開き、息を一気に吐いた。すると身体の中に溜まっていたものが少しだけ抜けた気がする。

 

「私は武には長けていない。知に才があったとしても、それを花開かせるほどの強い才覚かといえばそうでもない。それを自覚した上で、私は───」

 

 ぱんっ、と頬を両手で叩く。情けない顔はここまで。

 キッと書物を見つめ、今の世で知るべきに目を通していく。

 私塾で習うことの全てが知ではないと公瑾さまは仰った。

 ならば、人より努力をしないと“姉妹の普通”にも届かない自分は、もっと努力をしなければ。せめて、子高姉さまを支えていられるように。

 あの人は努力をする人だ。人前で泣こうとはしない。自分の弱さを認めた上で、前を向こうと頑張っている。空回りが多いが、かつてその在り方に憧れた。私は……出来なければ諦めてしまおうとしていたからだ。

 身体を動かすことが苦手で、けれど母上の強さに憧れて、母上の娘なのに強くない自分が嫌で、でも弱くて。自分というものに呆れ、自分を高めるための理由など捨ててしまおうと、人を説得出来る言い訳を考える日々に埋まろうとしていた自分は、不器用ながらも頑張る子高姉さまの姿に救われた。

 出来ない人が自分以外に居たからという気持ちもきっとある。

 けど、それ以上に守って差し上げたいと思ったのだ。

 姉妹の前では涙せず、隠れて涙していたあの人を見つけてしまってから。

 では、自分を見つめる必要性を無くしかけて、周囲のことばかりに目を配っていたために、無駄に大人びているだのと言われるようになった私は、その冷静さを以って、子高姉さまになにをして差し上げられるだろう。

 武にこそ、と鍛錬の時には思うものの、呆れるほどに才がない。

 知こそを磨けと周りは言うが、当然私だってそれを考えなかったわけではない。

 だが、そちらに才があろうが、その才覚にも幅がありすぎることを私は知った。

 

「……はぁ───はっ!? いかんいかんっ」

 

 私の知は、子桓姉さまに及ばない。延姉さまにも。

 武よりも受け止められる時間は多かっただろう。

 現に、学び始めの頃はぐんぐんと知識を吸収出来て、楽しかったほどだ。

 しかしある一定に差し掛かると、その楽しさも勢いを無くした。皆が知の才があると言うから増長していただろう私にとって、それは早すぎる壁だった。

 

(私はきっと、武に逃げているだけなのだろう)

 

 しかし……しかし……ああっ! だめだ!

 

「う、うー! うー!!」

 

 暗くなるなというのに!

 ええい自分の弱い心が鬱陶しい!

 

「父ー! 父上ー!? 何故このような時に限って居ないのだー!!」

 

 ……おかしな話をしよう。

 父は、私が悩み、暗い気分に飲み込まれようとすると、きまってやってくる。

 不思議なものだが、きっと構って欲しいから娘の周りをうろうろしているに違いない。

 だというのに今は居ない。今こそ居てほしいというのに。今こそこの暗い気持ちから抜け出すため、吐き出させてほしいのに。

 

「~……」

 

 もやもやする。

 もはや辛抱たまらんとばかりに、着替えておいた鍛錬用の服をもう一度着込むと部屋を飛び出した。走る足は遅いが、そのまま走って中庭へ。

 そこで自分の中の鬱憤を晴らすように暴れて……少しもしないうちに昏倒。

 鬱憤を晴らすどころか、自分の不甲斐なさに余計にがっくりしてしまった。

 そんな時だ。

 

「よー、なにやってんだー?」

 

 笑顔が似合う、短いうす水色の髪の人が、倒れた私を見下ろして言う。

 誰だっただろう。

 えー、あー、うー…………ぶ、ぶん……文醜?

 

「えっと、あー、……なぁ斗詩ー、こいつの名前、なんだっけ」

「なんだっけ、って……ご主人様の娘様の名前くらいは覚えようよ、文ちゃん……」

「そんなの覚えてる暇あったら斗詩と遊ぶって」

「文ちゃん……」

 

 溜め息がもれる。いい意味の熱い溜め息とかではなく、呆れたような溜め息。

 とにかく私を見下ろすその人の隣には、確か顔良とかいう人が居て……心配そうに私を見つめてきていた。寝転がっているだけと受け取っているらしい文醜と、息を荒くしているからか心配してくれているらしい顔良。

 苦しいのはいつものことだから、私は「平気」とだけ呟いて、視界から二人を消した。

 

「あの、もしかして鍛錬の途中、でしたか?」

 

 顔良がそっと話しかけてくる。

 ああそうだ、その通りだ。他の姉妹はそうそう息を乱して倒れたりなどしないのに、私はこの有様だ。無様だろう滑稽だろう。笑いたければ笑え、私はその笑われた呼吸の数だけ今日を恨み、明日の原動力にしてやるんだ。

 

「鍛錬? あー、なるほどなるほど、そりゃそーか。ていうかなぁ、これってまず段階とか間違えてんじゃねーの? なぁ斗詩ぃ」

 

 ……鬱陶しく思い、無視して鍛錬を続けようと立ち上がった私に、文醜の言葉が届く。

 段階? 間違え? なんのことだ。

 そもそもなにが“そりゃそーか”なんだ。

 

「お前、見るからに筋肉無さそーだもんなぁ。そんな状態で無茶すれば、身体だって動かなくなるぜぇ」

「…………」

 

 身体? ……いや、これは正常だろう。

 だって母上だって痩せていて、素早く動けて。

 無駄な肉なんてついていない方が細かく動けるに違いないのだ、これでいい。

 

「えっと、甘述様? 食事とかは、きちんとされてますか?」

「……普通だ。食べ過ぎたら鍛錬の邪魔になるから、邪魔にならない程度にしか食べない」

「あー……」

「おいおいぃ、アニキの娘だってのになんでそんなに自分の体を大事にしないんだよ。お前さ、身体の鍛え方とかってちゃんと知ってるのか?」

「知っている、当然だ。身体というのは氣で動かせるものだから、氣さえ強くすればいいのだ! そして氣で動かすなら、身体は軽いほうがいい! どーだ! 理想的な身体だろう!」

 

 どーだー! と胸を張ってみる。

 するとどうだろう。突如、文醜が「バブフゥウ!?」と閉じた口から強烈な息を吐き出し、腹を抱えて笑い出した。

 

「な、なにがおかしい! 私はきちんと言いつけ通り、身体を三日くらい休めてだな……!」

「あ、あー、あの……甘述さま? そのやり方だと、身体は弱くなる一方で……」

「え? なっ……なにぃいいいいっ!?」

 

 大驚愕。

 その日、私は自分の愚かさと知の才というものに対し、石を投げつけたくなった。

 



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117:IF2/前向きなのもいいけど、たまには後ろも見よう②

 …………で。

 

「うう……つまり……三日休まなければならないのは、氣ではなく筋肉で……?」

「はい。氣はほぼ毎日使っていただいても問題ありません。筋肉はこう……負荷をかける行動を限界まで続けるのを、三度ほど、出来るなら五度ほどでも構いませんから、思い切り使ったのちに三日休めます。腕立て伏せなら素早くやるのではなく、一回を時間をかけて負荷をかける方向で、限界まで。力を抜いて休む時間は長くてはいけません。動かせると思ったならまた再開し、再び限界まで」

「あ、ああ……うん……」

 

 何が悪かったのかをみっちりと説かれている。

 なまじ理解力があったために、ならばこうしたら効率がいいではないかと思ったことを実行、後悔することなどよくあることだが……まさか自分がやらかすとは。

 

「甘述さまの筋肉は今、ただでさえ氣の行使で動かすことを続けていたためにあまり使われていません。急に負荷をかけすぎると傷つけるだけになってしまうので、きちんと“ここまで”という線は引いてください」

「わ……うう……わかった……」

 

 自分の考えが真正面から否定されて、正直どんよりな気分だ。

 これが効率がいいと思っていたのに、自分を弱らせていた原因が自分の知だったなんて。やはり知はだめだ。武しかない。武しか……!

 

「そーそー。で、慣れてきたら背中に重いもん乗っけて、同じことすりゃいーからさ。ろくに筋肉もないのに氣で動かそうとすりゃ、氣の行使に負担がかかるに決まってんじゃんか」

「文ちゃんだって最初の頃はぜぇぜぇ言ってたでしょ」

「乗り越えたあたいに敵は居ねぇのさー! わっはっはっはー!!」

 

 腰に手を当てて豪快に笑う。

 ……不安だったから、その場で腕立て伏せをやってみて、間違っているところがあるかを訊ねた。訊かぬは一生の恥。既に自分の恥を注意してくれた人だ、駄目な部分を徹底的に教えてもらおう。

 

「けどなー、ほんと不思議だぜー。あのアニキが娘がこんなになってるのに気づかずに居るなんてなー」

「へわっ……ちょ、文ちゃんっ……!」

「んあ? どしたー斗詩ー。あ、もしかしてあたいがアニキアニキ言ってるから構ってほしくて」

「そーじゃなくてっ! ほらっ! しー、しーっ!」

「? 厠?」

「……いっぺん殴っていいかな、文ちゃん」

 

 顔良がなにやら口の前に人差し指を構えて騒ぐ。

 文醜は解っていないようだが、私にもなにがなにやら。

 大体、あにきとは誰だ? 娘……というのは私? ……というと父上のことか?

 

「うう……きっと、ご主人様にもご主人様なりの考えがあったんだと思うよ……? それとも言ったところでこの子が聞いてくれなかったとか……」

「さっきから言っているのは父の話か? 父の話などいつも話半分に聞いているが。そういえば会いに来る時は決まって食べ物を持っていたような……」

「アニキごめん……さすがのあたいも同情する」

「親の心、子知らずかぁ……」

「な、なんだ。私が悪かったとでもいうのかっ!?」

『うん悪い』

「なぁっ!?」

 

 わ、私は悪かったのか……!? だって父だぞ!?

 ぐうたらな父のことだから、なんとかして私をぐうたらの道に引きずり込もうと、あらゆる手段を用いて話しかけてきていると思ったのに……!(*あらゆる手段ででも話したかったという意味では間違ってはおりません)

 

「あー……そういえば白蓮さまが言ってたよなー。アニキの子供の中で、一人だけ人の話を聞くには聞くけど、曲解が多くて“これ”と決めたら突っ走る細い元気っ子が居るって。……なるほど、こりゃ細い」

「ほっ……細いほうが素早く動けるんだっ! おおおおおお前らのようにそんなっ……そんなっ……そんなぁああ……!!」

「……あの。胸を指差されて震えられましても」

「羨ましくなんかないっ!」

「誰も羨ましいか~なんて聞いてないって。で、どーすんすかえーと甘述さま? やっぱ自分のやり方でやる? それともあたいが教えたやり方でやる?」

「文ちゃんがなにを教えたっていうの……」

「お前のやり方は───間違っているっ! って、ほら、指摘したじゃん」

「そんな指摘の仕方、してないでしょ」

 

 ともかく、項垂れた。

 まさか自分のやり方が、自分を弱らせるほど駄目なものだとは。

 と、項垂れた先にはぺったんこな胸。……余計項垂れた。

 だっ……大体この都には乳お化けが多すぎるのだ!

 なんだあの大きさは! あんなものをぶらさげて戦いをしていたなど、どうかしているだろう! むしろ弓に長けたお方らが皆あの大きさというのは信じられん! あれでどのように、満足に引き絞って放てたという!?

 ……ああそうか、つまりはこの私の考え方すら間違っているというのか。

 わ、私はただ、悩んでいる暇があったら正解だと思うことに突き進めと母に言われたから……。それがまさか、自分を弱める結果になるとは……。

 

「い、いや。それはきっと私が弱かったからだ。弱くなる方向に突き進めば弱くなるに決まっていた。私のなんというかその、勘とかそういうのが悪かったんだ。母は悪くない。うん」

「お前って子供らしくない喋り方するよなー。えっと、甘述だっけ」

「さっき自分でも呼んでいただろう! どうしてそこで確認するように言う!?」

「いやぁ~……その時はちゃんと聞いてるんだぜ~? でも思い出そうとすると思い出せない……あるよなっ、そういうのっ!」

「ないっ! 私はこれでも記憶力には自信があるんだっ!」

「じゃあアニキが毎度、お前になんて言ってたかとか、そこんとこどーなんだ?」

「………………」

「や、目ぇ逸らすなって」

 

 くぅうっ……! 何故私がこんな思いをしなければならないっ……!

 信じていた道が勘違いだった上に、こんなちょいと前のことをあっさり忘れるような輩に気づかされて、なおかつ説教まがいのことを……! というかそこっ! 顔良! 何故吹き出すっ!? ……がっ………………顔良でよかったよな? そういえば私、最初こいつらの名前、思い出すまで時間がかかって…………き、記憶力が無かったのか私は!!

 

「あれ? おーい? なんで頭抱えてんだー? おい斗詩ぃ、どしたのこいつ。てか、斗詩もどしたの? 急に笑い出して」

「う、ううんっ……!? べつにそんなっ、細かい動きがご主人様みたいとかっ……!」

「ふ、ふふふ……私はだめだ……だめだめなんだ……。きっと知に才の傾きがあるなど母らの慰めでしかなく、こんな記憶力のかけらもない私が子高姉さまの役に立つなど夢のまた夢で……やはり私は父の娘だな……なにをやってもだめだめなのだ……。ならばいっそ父とともに堕落してみるのもいいのではないだろうか……」

「……なんかぶつぶつ言い出したぞ?」

「え、えと。とにかく……甘述様? まずは軽い鍛錬から───」

 

 鍛錬。

 鍛錬ときいて、ぴくりと肩が跳ねた。

 ああ、鍛錬。強くなれると信じてやって、全然強くなれなかった鍛錬。

 もしもだ。今までの間違った鍛錬で弱くなった事実が事実で、しかし本当の鍛錬でも強くなれなかったら、私はどうするんだ?

 そりゃあ、今よりは強くなれるだろう。弱くなる鍛錬ではないのだ、当然だ。

 しかし、しかし……!

 

「いっ……いいっ! わたっ……私はっ! 私は……わ、……」

 

 怖くなった。

 純粋に、才能の無い自分に恐怖した。

 今まではなんだかんだと才能の所為に出来た。

 鍛錬の所為だったのに、才がないからと言えたのは、ひとえにてんで強くなれなかったからだ。

 でも強くなれる鍛錬で強くなれなかったらどうする?

 言い訳もなにも出来ず、ただ辛い現実だけに立ち向かえというのか?

 

「───」

 

 楽な道がある。

 それを知ると、そこへ手を伸ばしたくなった。

 今まで頑張ってきたんだからいいじゃないかと、心のどこかで誰かがささやく。

 少し休むだけだから。休んだら、あのぐうたらな父に教わればいいじゃないか。

 きっと自分ががむしゃらにやっていた鍛錬よりもぬるいものが待っている。

 それをやって、強くならなければ父の所為に出来る。

 それなら、………………それなら───……

 

「私は? ……あ、もしかしてお前、アニキと一緒に鍛錬したいとか?」

「え───」

「あ……そ、そうですよ甘述さまっ! それがいいと思いますっ! ご主人様と一緒に鍛錬をすれば、それはもう───」

「だよなー! それはもう!」

 

 ……目の前の二人までもが推してくる。

 これで、この二人にも進められたと言い訳も出来るように“なってしまった”。

 誘惑が自分を包む。

 楽が出来ると。

 出来ないことを人の所為にして、言葉の影で楽が出来るぞと、自分の黒い部分が動く。

 

「……おい? なあおいー? どうしたんだよ、急に黙っちゃって」

「あの、もしかしてご気分が優れませんか?」

「おいおい斗詩ぃ、さっきから気になってたけど、子供たちには普通に接しなきゃいけないって話だったろー? べつに気分が悪そうには見えないし、いろいろ考えることがあるってだけだろ? ……あたいも昼、なににするか考えてるし」

「文ちゃんと一緒にしちゃだめだよ。それに私たちはこれから、麗羽さまと服を探しにいかなきゃなんだから」

「うあー……麗羽さま、服選び始めると長いんだよなー……行きたくねー……」

 

 心の中で蠢く誘惑。

 自分の内側に手招きされている中でも、二人は好き勝手に会話をしている。

 それはとても楽しそうで、鍛錬ばかりをしていた私にはどこか眩しいもののようにも思えた。

 今なら。

 今なら全てを言い訳で埋め尽くして、手が伸ばせるんじゃないか。

 今までの時間を無駄にしてきてしまった自分を、少しくらい慰めてやってもいいんじゃないか。

 いろいろな、今の自分への甘やかしが頭の中でいっぱいになる。

 それをなんとか抑えようとするのに、この手は勝手に二人への伸ばされ───

 

「───」

 

 私も連れて行ってくれ。

 その言葉を放とうとした口を、塞いだ。

 

「……心配してくれて、すまない。用事があるのなら行ってくれ。私は……」

 

 代わりに放てた言葉は、自分の誘惑を遠ざけるもの。

 甘えは敵。

 いや、それ以前に……木剣を手に、この中庭へとやってきた子高姉さまが視界に入った瞬間、自分の馬鹿な考えは吹き飛んだ。

 甘えよりも努力を選ぼう。

 武の才などなくとも、届くところまでは手を伸ばそう。

 たとえその先の強さで周囲に笑われても、笑わずにいてくれる人だって居るのだから。

 

「私は、私の武を貫きたい」

 

 言って、二人に軽く頭を下げて、子高姉さまのもとへと駆けた。

 傍には……えぇと、なんといったか。なんだか普通っぽい女性が居たが、駆けた。

 一方的に離れることになった二人からは言葉はなかったけれど、なんだか見守られているような気がして、少し足取りが軽くなったのは……べつに語る必要のないことだろう。

 

「子高姉さま!」

「甘述? ど、どうしたの、こんなところで……あ、えと。私は、その」

「鍛錬ですね!? 是非お供を!」

「なんだ、お前も参加するのか? 言っとくけど、することは地味だぞ?」

「なんだ貴様は。私は子高姉さまと話をしているのだ、割って入るな」

「……あー、そうだよなー、私ってやっぱりこういう扱いだよなー……」

 

 とほーと溜め息を吐くそいつ。

 途端、子高姉さまが焦って私を叱りつけてきた。

 はて、こいつはもしや、偉いやつだったのだろうか。

 

「どーせ名前すら覚えてないんだろうから自己紹介からな。姓は公孫、名は賛、字は伯珪。一応、子高の指南役を務めてる者だよ」

「指南役!? なっ、どっ、どういうことですか子高姉さま! いつかの日、皆と同じ方法では強くなれぬと、二人で鍛え方を探った日々をお忘れですか!」

「や、きっぱり言うとお前らの言うやり方じゃ弱くなる一方だからな?」

「そんなことはさっきわかったから知っている!」

「さっきなのか!?」

 

 驚くこーそんとかいう輩を睨むが、その睨みに自分の視線を被せてきた子高姉さまに止められる。

 

「述。この人が言うことは正しいわ。私たちのやり方では誰にも届かない。強くなりたいのなら、方法なんて選んでいる時ではないの。……私は、力が手に入るのなら、努力が報われるのなら、そちらがいいわ」

「しっ…………子高姉さま……」

 

 それは、私だって同じだ。

 しかし、だからといって今までの自分を否定して前に進むのは……間違っていたと認めるのは辛い。

 今までの自分はなんだったのだと泣きたくなってしまう。

 それなのに……それでも……

 

「子高姉さまは、それでも先を目指すのですね。今までの自分を否定してでも、力を望むのですね」

「努力が報われる瞬間が好きなのだから、仕方がないでしょう?」

「───」

 

 ぽかんとする。

 あの子高姉さまが、隠したがっていた自分の浮ついた部分をこうもあっさりと曝したから。しかも、その時の笑顔ときたら、頭の中がとろけてしまいそうなほど美しく───はっ!? い、いやそうではない! ともかく!

 

「───わかりました。子高姉さまがそう願うのであればこの甘述、どこまでも。しかし!」

 

 あっさりと方針変更をおこなった私に「またいろいろと濃いやつだな……」とこぼし、頬を掻いているこーそんとかいうのを見上げる。

 

「こやつが教えを乞うに値するかどうか! まずは私が見定めさせていただく!」

「へ? うわっ!?」

 

 言うや、きええええええと木剣片手に襲い掛かった。

 不意打ち? 好きなように言うがいい! 弱き者にとって、この世は常に乱世よ!

 これしきを防げすして、どうして我らに武を教えることがぁああっ!!

 

 

   ぽごしゃああ…………ふぎゃあああああ…………

 

 

……。

 

 

 ……その日私は、溜め息を吐いている公孫賛にぼこぼこにされた。

 

「ちくしょ~……」

 

 思わずこぼれた言葉は、いつか父がひとりで呟いていた言葉だった。

 哀愁漂う背中が印象的で、なんだか呟きたくなった。

 

「急に襲ってくるやつがあるか、まったく……」

 

 余裕の返り討ち状態だった。

 現在私は彼女の前に正座させられていて、なんというかこうしていると物凄く反省したくなる。どうしてだろう、血にでも刻まれているかのように、悪いことをしてしまったならこうしなければという心が湧いてくる。

 まあ、それ以前に叱りつけられる際にはこんな格好はよくしていたが……今回は条件反射のように、実に綺麗にこの格好へと到っていた気がする。

 

「それで、えっと、甘述? お前も習うってことでいいんだよな?」

「ああ、習う。習って、その武をもって貴様を……」

「そういうことは相手が居ない時に言おうな……!」

 

 ひう!?

 お、おのれ! 自分より強いからといって凄んだってこここ怖くなどないぞ!? 本当だぞ!?

 だが聞けばこやつは子高姉さまが認める存在だとか……無碍には扱えん。

 なので習おう。

 こやつの下で武を磨き、子高姉さまとともに高みに上り、そして、そして……!

 

「ふふふ……! 覚悟するがいい……! 貴様は貴様が教えた武で私に倒されるのだ……!」

「なぁ子高。こいつって普段からこうなのか?」

「……はい。私と親しく接する者には、どういうわけか……。一度“こう”と決めると、それ以外が見えなくなってしまうというか……」

「あーぁ……それで」

 

 なるほどなるほどと目を伏せて溜め息を吐く公孫賛。

 い、いや、そんなことはないぞ? ただ私は他で悩む暇があるのなら、これだと思ったことへと走っているのみであってだな。な、なんだその溜め息は! 合っている時だってあるんだぞ! 勘違いばっかりじゃないんだぞ!

 

「とりあえずお前達二人、まずは北郷の話を聞くことから始めような……事情を聞けば聞くほど泣きたくなるから」

「父? 顔良と文醜も父がどうとか言っていた。……もしや父にはなにか秘密が!?」

「へっ!? あ、あー……いや、秘密がどうこう以前に、もうちょっと構ってやれって意味で。こう何度も家出されるといろいろと問題がなー……」

「居ても仕事などしないだろう。家出したところで何が変わるんだ?」

 

 首を傾げながら訊ねる。と、公孫賛は頭に手を当てて大きな溜め息を吐いた。

 な、なんだ? また私はおかしなことを言ったのか?

 

「あぁもう……いつになったら普通に話せるんだろうなぁ……どこかで自爆でもしてくれないかな、北郷のやつ」

 

 焦っている私をよそに、公孫賛はぶつぶつと言いながらもう一度溜め息。

 それから「それじゃあ」と言うと私と子高姉さまを促し、「鍛錬を始めよう」と言った。よくわからないことばかりだが、ともかく私はやれるだけのことをやっていこうと思う。

 



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117:IF2/前向きなのもいいけど、たまには後ろも見よう③

-_-/かずピー

 

 とある昼のこと。

 鍛冶工房の奥で手甲を発見した。

 鍛冶工房ってなんだかふと寄りたくなるよね! 視察ついでに寄ったそこで、そんな気分に襲われた故の邂逅であった。

 で、現在はその手甲を装着。

 中庭で氣を込めて身体を動かしているところだ。

 

「よっ! っと! ほあっ!」

 

 ついでに足を守るもの(ほぼ似たような素材のもの)も見つけたので、サイズも丁度いいことに喜びつつ装備。

 ずしりと重いそれは、そもそも攻撃するためのものではないのだろう。防御重視の作りだとパッと見ただけでもわかりそうなものの、むしろ“だからこそ。ええ、だからこそいいんじゃあないか(・・・・・・・・・・・・・・)”と言いたくなるような重みに笑みがこぼれる。

 重くても、金剛爆斧を持ち上げる時と同じ方法でなんとでもなるし、重かったら重かったで鍛錬にもなる。

 

「せいっ!」

 

 片足で立ち、蹴りを放ちまくる。

 龍虎の拳のロバート・ガルシアの幻影脚のような感じの蹴りだ。

 氣で動かす足を、ミシンの針が動くイメージで突き出しては引っ込め、を高速で。

 

「ンウェー!!」

 

 次いで足を下ろすと、両拳で突きを連打する。

 これは加速を利用したサンライトイエローオーバードライブと同じ要領で。

 ンウェーって掛け声に意味はない。たぶん。

 そうして振るうたびに両手に溜まってゆく衝撃を解放。

 

「イィイイイヤァッ!!」

 

 振るった拳から衝撃を込めた氣弾が放たれ、霧散する。

 氣弾といっても散弾のようなもので、拳から離れれば大して飛ばずに霧散するだけ。

 出来るだけ氣を消さずに、衝撃だけ逃がす方法ってないだろうかと考えた結果がこれだ。べつに足に込めて震脚と一緒に逃がしてもいいんだけどさ。なんというか……普通じゃないこと、したかったんだ。(*既に普通の基準がおかしい)

 

「でも手甲をつけた状態だと、まず氣を手甲に移さないといけないんだよな……」

 

 もちろん殴る際にもだ。

 素手なら手に込めて殴るだけでいいし、衝撃も手からゴヴァーと出せばいい。

 しかしながら手甲の場合は……ううん、普段から使い慣れてる木刀だったらもっと楽に氣を通せるんだけどなぁ。もはやあれは、身体の一部と思えるほどに楽に出来るし。

 

「……ふぅ」

 

 自分が強くなるための道を掴むのって、やっぱり難しい。

 自分には氣ひとつしかないというのに、その氣自体が応用が利くものな上、用途がありすぎるのだ。ただ氣を強くして殴ればいいってわけでもない。

 応用出来るもの全てを反復練習&氣脈拡張を続けてじりじりと強くなる以外無い、と思っているものの、8年続けた自分の意見を言わせてもらえるなら……地道すぎる。

 だって考えてもみてくれ。氣ってものの使い方とかを天の漫画とかアニメとか、イメージとしての使い方で結構上手く使えるつもりになって、実践してみれば実際に上手くいった俺だけど、そんなちょっとズルイと思える近道をしても8年。8年かけてようやく岩を破壊出来たっていうのに、華雄や焔耶に訊いてみればどうだい。“岩なんか幼い頃にはもう破壊できた”とか言うじゃないか! だから旅の途中、岩を壊せたことがどれだけ嬉しかったことか! ようやく一歩近づけたって思ったよ! 嬉しかったよ!

 ……でも8年です。

 8年なんですよ、ようやく一歩なんですよ。

 8年頑張っている間、華雄はどんどん強くなっていくし、桃香だって美羽だって……。

 

「………」

 

 この世界の武に関する才、というのは本当にすごい。

 才能がなくても、俺が頑張る8年よりも彼女らが頑張る8年の方が伸びがよすぎるほどに、影響ってものを持っている。

 なので小細工を組み込まなきゃ勝負に出るのは難しく、一緒に頑張ってみたりした白蓮も“こうまでしなきゃ勝負にもならないなんてなぁ……”と、よく落ち込んでいたものだ。

 一緒に、と言ったからには当然俺も落ち込んだわけですはい。

 あれか。某・野菜星人のように生涯全盛期みたいなものなのか。

 

「あ」

 

 野菜星人といえば。

 かめはめ波とか操氣弾とかで随分とお世話になったものの……試していないものも結構あったなぁ。身体強化って意味でとれば、これほど役立つものはないというもの。

 細かいヒントだろうと組み込んでいかなきゃ小細工にもならないし、その小細工ごと叩き潰してくるのがこの世界の武人だ。なので僅かなヒントでも拾わなきゃ、才能が無い人は伸びない。武や守の氣があったところで筋力を鍛えることが出来ない俺も、困ったことに似たようなものなのだ。才能があるのかは……これって才能っていうより応用だもんなぁ。

 きっとアニメとか見てなかった人にしてみれば、“そんなことで強くなれるわけがない”で終わるだけの行動だ。“それに8年を費やすなんてとんでもない!”なんて笑われるに違いない。

 やっていることはそうでも、それを8年続けるのがどれだけ大変かは、やってみればわかります。人間の思考……“出来ないんじゃないか”に勝つのはとても難しく面倒なことです。なので“出来ないんじゃないか”よりも“出来た時の楽しみ方”を想像して頑張ろう。……正直、そうじゃないとやってられない。本気で。

 

「界王拳って……出来るだろうか」

 

 超野菜星人が主流になってから忘れ去られてしまったもの。

 言ってしまえば超野菜星人よりも好きなんだが……あの、“きちんと修行で得た!”って感じがたまらない。そりゃあ、超野菜人2も3も修行で得たんだろうけどさ……たったひとつの種族じゃなければ手に入れられない能力よりも、頑張れば誰でも手に出来るかもしれない能力のほうが好みなわけで。

 そのあたりは鍛錬しまくっていればわかってもらえると思う。届かないものよりも届くものに手を伸ばすのは、伸び悩む者の宿命と言っていい。それは絶対に絶対です。

 とはいったものの、界王拳の原理なんて知るわけもなく……結局流れた。

 修得すれば氣が二倍になります。でも無理。やり方の片鱗すらわからない。大体、本当に倍になるかもわからないんだから。

 

「………………」

 

 しかしやらずに諦めるのはどうか。

 なのでこう、足を大きく開いて、腰を下ろして、両手はガッツポーズみたいに強く握って軽く持ち上げて……

 

「は、はー」

 

 “はー!”とか言って氣を膨らますイメージを。

 でもなんだか恥ずかしさが勝ってしまい、中腰みたいな状態で固まった。

 顔に熱が集まる。たぶん赤い。

 ……い、いやいやっ、こういう時は恥ずかしがっちゃだめだ。

 遊び心や童心はどうした!

 

「よ、よしっ、やろうっ」

 

 普通に立って、姿勢を整えてから深呼吸。

 手は相変わらず少し持ち上げたまま。肘と同じ高さに手がくるくらい構えて、握る。

 いわゆるドラゴンボールスタイル。ドラゴンボールってこの姿勢が多い気がする。

 その状態から足を開いて腰を落として、一気に氣を解放!

 

「はぁあああーっ!!」

 

 遠慮無しに叫ぶ! 氣の解放といったらやっぱりこれとばかりに叫ぶ! さけ───

 

「………」

「はっ!?」

 

 叫んだら、丁度通路を通っていたらしい文官の女性と目が合った。

 

「………」

「………」

 

 数秒後、女性はハッとすると何故か足早に通路を歩いていってしまう。

 そして残される、氣の解放ポーズで固まる、シャイニング・御遣い・北郷。

 なんでだろう。

 なんで……ドラゴンボールの真似をすると、いい確率で人に見られるのか。

 今なら大声で“はーっ!”と叫んだのに、ビームが出なかったポックリ大魔王の気持ちがわかる気がした。

 見ている人なら見張りの兵が居るだろうって? ……男に見られるのと女に見られるのとじゃあいろいろ変わってくるものなんですドラゴンボールっていうのは!

 

「はっ……はははは……恥ずかしさに勝てずに、御遣いがやってられるかぁあーっ!!」

 

 だが構わない! 続行!

 自分の氣を通して自分の中を探り、いつか冥琳に自分の氣を流して深層を探った時のように自分の深層を探る。

 意識の埋没。

 自分の内側を見るイメージを働かせて、視界がぼんやりしてきても続けて、気合を込めすぎて眩暈がして倒れた。しかしその衝撃も鍛錬のたまものと言うべきか、あっさりと化勁で外へと逃がし、倒れたままの状態で自分の内側を覗き見る。

 界王拳の原理はわからないものの、叫んだだけで氣が倍になるなら苦労はしない。

 ようはあれだ。氣の流れや……ええと、華佗が言うところの“澱み”とかか。

 あれをいじくる必要があるのだろう。

 あとは……チャクラとか点穴とかそっちのほう?

 自分で練れる氣は結構鍛えたつもりだし、外側が終わったなら内側でしょう。

 その一段階として、いつか華佗に攻守の氣の一体化をしてもらった……ってことでいいのか? あれも一応内側の問題だし、その攻守の氣も随分と鍛えられた。

 だったらもう一段階でしょう。

 その先があるのかは知らないが、やれることはとことんやる。

 無茶が出来るのは若いうちだけだと人が言うなら、若いままならずっと無茶をする。

 

「ん、ん……んー……」

 

 五斗米道の真髄なんてものは教えてもらっていないが、簡単な医術や氣の流れの読み方くらいなら教わった。

 それを実行して自分の内側を見るに、攻守を合わせた氣というのは随分と複雑なようだ。なんというのか、こう……氣と氣が常にぶつかり合っているような、そんな感じ。

 これを拳や木刀に乗せて放つのだから、そりゃあ威力もあがるってもんだ。

 心を落ち着けてみれば、ぶつかりあっていた氣も大人しく溶け込んでみせる。

 ……気分屋な氣なんだなぁ。自分の氣ながら、さすがといえばいいのかどうなのか。

 

「あ」

 

 そんな苦笑してしまうような微妙な気分の中、自分の中に妙な部分を発見する。

 氣が同じところをぐるぐる回っているといえばいいのか、その中心には妙な澱みがある。ハテ、と思いつつ、自分の氣を内部で操作して、尖らせたそれで澱みをゾスリと突いてみた。

 すると───

 

「キャーッ!?」

 

 そこから一気に氣が溢れ出し、氣脈を満たしてなお溢れ出し始めた。

 

「いぎゃだだぁーっだだだだだだ!?」

 

 すぐにコントロールしようとするも、勝手に溢れ出す氣なんてものをどう対処しろと、と言った感じで、ともかく体内から外側へと解放。

 自分で氣を纏うようにしてみた……んだけど、まだ止まらない。しかもすぐに氣脈を満たしてしまう始末で、それらをともかく体外に出し続けた結果…………いつもの二倍の速度で昏倒した。ええ、氣が練れなくなったのです。

 

「あっ……アー……ナ、ナルホドー……! この穴が常に空いた状態が、華雄なのかもナー……!」

 

 こんなものがあるとは思わなかった。

 とんだ界王拳だ。二倍の速度で疲れるとは。

 けれど死中に活あり。咄嗟に氣を練りたい時、ここぞという時にはいいかもしれない。

 筋力は強化できずに氣しかない俺にとって、自分の氣が無くなるまでしか動けないのがいつも通りの俺の戦い方だから……短期で攻めるなら、むしろこれはありがたい。

 ありがたいけど……次に戦う人が居ない場合だけだね、これ……。

 

「あ、ああ、あああがががが……! 痛っ……! 身体も氣脈も痛っ……!」

 

 そ、そうだよねー……!

 自分の中にある氣以上のものを出せるわけないもんねー……!

 なんか違うって……思ってたよ……!

 

 ……結局この日、見張りの兵に手伝ってもらわないと歩けないほど、自分の体は……体というか氣脈は大変なことになっていたらしい。

 

……。

 

 翌日には復活していたが。

 

「……だるい」

 

 でもだるかった。

 寝台で目を覚まして、朝食も頂いて、さあ運動だー……と構えたんだが、どうも。

 昨日のように自分の中を見てみれば、穿った澱みは消えていて、ぐるぐる回っていた氣も邪魔が無くなったとばかりにスジャーと流れているようだ。

 いや、まあ、このだるさはよく知るものだ。

 氣脈拡張を無理矢理やった翌日のだるさによーく似ている。むしろそのものだろう。

 

「……こうして澱みを解放していけば、氣脈も広がって絶対量も増えるんだろうけどさ……やるたびにあの激痛は……なぁ……」

 

 怖いです。

 しかしだ。ただ痛いってだけで、その中にあるかもしれない解決策を探さないのはもったいない。もしやすれば氣や氣脈が活性化状態にあって、その最中になにかをすれば、これまたなにかの成長に繋がるかもしれない!

 なので、

 

「まずは仕事からっ!」

 

 腕まくりをして政務に励んだ。

 あちらこちらへ走り、泣きついてくる文官女性(足速に逃げ出したあの子)に説明をしたり、兵の調練を手伝ってみたり、街の視察をしたり親父達に挨拶しに行ったり。

 その日の内に先のことの具体案までを骨組みとして組み立てて、後日の備えとして、あとは……無茶の時間でございます。

 

「…………ふぅうう…………よしっ!」

 

 宛がわれた自室の寝台に寝転がり、服も寝る用のものに変えて、あとは集中。

 身体の中の澱みを探して、一つ見つけたらまた一つと見つけて、それらを一気に……

 

「……っ……」

 

 い、一気に穿ったら、昨日以上の激痛が襲い掛かるのでせうか……!?

 あ、いや、考えてもみるのです北郷一刀。俺の氣は俺の氣以上を生み出せないんだから、あれ以上っていうのは無い筈だ。だからここはむしろ安心して、同時に穿ってしまったほうが一日で済むと考えるべきです。

 そ、そう。なんの問題もないはずだ。なので───

 

「覚悟……完了!」

 

 クワッと目を見開き、一気に穿った。

 …………その直後のことを、俺はよく覚えていない。

 ただ激痛が走ったのと、喉が勝手に叫んだのと…………以降は、視界が、ブラウン管みたいに───……

 

……。

 

 目を覚ますと寝台がぼろぼろだった。俺もぼろぼろだった。

 

「………」

 

 身体が動かないので、首だけ動かして見てみれば、寝台にも身体にも掻き毟ったような痕。血もべっとりついていることから、どうやら爪が剥がれたり、寝巻きも引き裂くほどに掻き毟って、腕の皮とかもぼろぼろっぽい。

 想像するに、記憶を拒否するほどの激痛に襲われて、暴れまわった……んだろうか。

 

「痛いとか越えて、動かないまでくるとは……」

 

 爪が剥がれたなら痛いだろうに、そんな感覚が残っていない。

 見える範囲の肩、そのぎざぎざに引き裂かれた寝巻きの残骸に、見慣れた爪がどす黒く変色した血と少しの肉とともに付着しているのが、相当気色悪い。

 

「…………あー……」

 

 少し整理して考えてみて、そもそもの考えが甘かったことを悟る。

 人の身体っていうのは簡単じゃなかった。

 嘔吐の時や腹痛の時も、胃の中に何もなくたって吐き気は消えない時は消えないし、どれだけ腹を下したって出るものがなくても痛いものは痛い。

 それはどうやら氣脈も同じだったようで、氣がもう出ない状況なのにも係わらず出ろ出ろと促された結果として、氣脈や丹田に物凄い負担をかけたのだ……と、推測。

 外側の痛みよりも内側の痛み。

 そんなもの、大抵の痛みを知っている者ならわかることだ。

 手を伸ばしたって治しようがないから苦しみ、我慢のしようがない。

 だから外側を傷つけて誤魔化そうとしたって、そうはいかなかった。

 結果、身体が取った自己救助の方法は気絶。お陰で、こんな有様である。

 

「う……ぐっ、ふんっ! はっ! ………」

 

 無理に動くとズキーンとなるパターンかなぁと思ったら、本当に痛みすらなかった。

 というか動けない。

 

「…………」

 

 諦めて寝ることにした。

 

……。

 

 途中、体の熱さに目が覚めた。

 

「っ……、う、くっ……!」

 

 体内を熱が暴れる。

 火傷の瞬間に走る、あの嫌な感覚が身体の中で踊っている。

 痛みはないくせにそれは鋭く感じられて、なんとかしたいのに身体は動かない。

 涙が出るほどの苦しみに、暴れて紛らわすことすら出来ず、部屋に寄ってくれた文官に水をくれというくらいしか出来ず、苦しみは続いた。

 

……。

 

 熱は消えない。

 なのに、次に襲い掛かったのは体中を走る激痛。

 掻き毟った場所や、爪が剥がれた指が今さらになって痛覚を思い出した。

 寝台の惨状や俺の状態に驚きつつも水を持ってきてくれた文官は、戸惑いながらも「まずは水を」と願う俺に水を飲ませてくれた。

 が、飲みこんだ瞬間に熱湯にでもなったかのように、身体は余計に熱くなる。

 苦しみながらも内側に意識を向けてみれば、ぼろぼろになった氣脈。

 ……なるほど、これは治るまで苦しむしかない。

 無理だとは思いつつ「華佗って居たっけ」と訊ねるも、当然居るはずもない。

 心が折れそうになる。そうしてしまう自分を許してやりたくなる。そんな言い訳を探す自分を許可したくなる。許可する自分を正当化したくなる。

 それらの自分を笑い飛ばして、とりあえず痛みに対しては泣いておくことにした。

 心折ったって現実から逃げ切れるわけがないのだし。自分を許したところでなにも変わらないわけだし。言い訳を探したところで変わらなくて、正当化したって変わらない。心を折ったらこの痛みがなくなる? 無くならないだろう。だったら泣いてでも回復するのを待つしかない。

 ちびちびと作られてゆく氣の一切を回復方面に向けて、ただひたすらに我慢した。

 

……。

 

 我慢の時間。

 痛みが脈とともにずぐんと持ち上がるたび、それを氣で捕まえて外に出す……そんな感覚的な作業を続ける我慢。

 集中しているだけで気が滅入るそれだが、やらなければ意味不明な言葉を叫びそうだ。

 なので続けて、耐え続けた。

 時折、体の中を見ることも忘れない。

 これだけ痛いのに、やったことが無意味だったらたまらない。

 澱みが出来ないように氣の流れにも気をつける。

 ……この時から、自分を内側から改造するための鍛錬は始まったんだと思う。

 そんなことを考えながら、常に疲れた状態にある俺は静かに目を伏せて、眠りについた。

 

……。

 

「ごぉ~主人様ぁん、会ぁあ~いたかったわぁ~ん!!」

 

 ……その先の夢の中で、相変わらずウィンクで突風を巻き起こすいつぞやのモンゴルマッチョに会うとも知らずに。

 とりあえず、夢の中なので自由に叫んでおいた。現実で叫びを我慢した分を発散するが如く。

 



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118:IF2/真実を告げる夢(再)①

170/真実を告げる夢(再)

 

 …………。

 

 ……。

 

 さあっ、と風が吹いた時、自分が草の上に立っていることに気づいた。

 見える景色は懐かしいもの。

 もはや伸ばしても触れることすらできない風景を前に、ただ少し、寂しさを抱く。

 

「あらん? ごぉ主人様ったぁ~るぁん、意外と冷静ねぇん?」

「同じ景色を見ることがあったら、絶対に心の準備をしておこうって決めてたし」

 

 無視するわけにもいかず、景色から視線をソレに向けてみれば、忘れもしないいつかのモンゴルマッチョ。

 自称貂蝉で自称踊り子らしい彼が───

 

「彼って誰ぇっ!! 彼って何処ぉおっ!!」

 

 ……人の心を読むなよ……。

 というかそれはなにか? 自分のことは彼女と言えと言いたいのか?

 …………考えている途中で、ものすげぇ笑顔でサムズアップされた。

 なんだろ、訊きたいことがあるのに早速帰りたい。

 

「あー、えと。貂……蝉?」

「きゃんっ、名前を覚えててくれるなんて、さっすがご主人様ねぇん! そう、私は貂蝉。か弱くてしがなくてか弱い踊り子よん」

 

 なんで“か弱い”二回言ったんだろう……。

 ああうん、まあいいや、気になることはそれじゃないし。

 

「また来たってことは、何か伝えることがあるからって考えていいんだよな」

「えぇ~えええその通りよぉん。そっちでどの程度時間が経っているのかは知らないけぇ~れどもぉ……こっちでもいろいろあってねぇん? ちょいと情報交換でもどぉ~ぅかしぃらって、逸る気持ちを抑えきれずに会いに着ちゃったのん」

「わざわざ“ええ”をそんなに伸ばさなくていいから。俺も気になってたことがあるから訊かせてくれ。……あんたが言ってた左慈っていう奴はいつ来るんだ? あれからずっと鍛錬もしてるし準備もしてるつもりだけど、訪れない漠然としたものに備えるのって、正直に言うと……気持ちが悪いんだ」

 

 それは、平和が続けば続くほど。

 だからもしわかるのであれば、教えてほしい。

 そんな期待を込めた言葉はしかし、

 

「もぉ~ちろよぉん? というかそういうのを話すために繋げたんですもにょぉん」

「…………」

 

 エッ!? ……いやあの……エ!?

 もしかしなくても知ってるのか!? このパターンだと大体。実はまだわかってないのとかそういうことを言われると思ってたのに!

 驚きつつも逸る気持ちを抑えきれず、「でっ……で!? いつなんだ!?」と急かしてしまう。貂蝉はそんな俺を落ち着いた風情で見つめたのち、息を吸って語ってくれた。

 

「よぉく聞いてねんご主人様ん。左慈ちゃんがそっちの世界に行くのは……」

「っ……行くのは……!?」

「……そっちの外史が終わる前よん」

「………」

 

 こっちの外史が……終わる、前?

 ちょっと待て、訊いておいてなんだけど、なんだってそんな具体的なんだ?

 ああいや、日時がわからない以上、具体的でもないのか?

 

「それって、俺がなんらかのきっかけでこの外史から消えることになるとしたら、その前ってことか?」

「それはちょっと違うのよぉご主人様。ご主人様は急に消えたりなんかしないの。きちんとその外史の終わりまでを見届けられるから、問題はないはずよん」

「えっ……ってちょっと待て! なんだってそんなことがわかるんだ!?」

「何故ってそりゃあ、踊り子ですもにょん!」

「関係ねぇ!!」

 

 大迫力のサムズアップも発言が謎な所為で意味がなかった。

 

「そうねぇ……そいじゃあまずはそこらへんから徹底的に教えちゃうわん」

 

 ……サムズアップは無視するとして、ゆったりとした動作で息を吐いた貂蝉は、俺の目を見ながらじっくりと話し始めてくれた。

 

「まずご主人様がその世界から弾かれる瞬間についてだけれどもぉ……それは曹操ちゃんが死ぬあたりまでは確実に大丈夫と言っておくわん」

「確実って……いや、本当に一方的に訊いておいて悪いんだけど、なんだってそんなことがわかるんだ?」

「そこが曹操ちゃんが軸の外史で、曹操ちゃんの願いがそういうものだからに決まってるじゃなぁ~ぁい?」

「華琳の……」

 

 じゃあ、あれか?

 やっぱり俺は、華琳に願われたからもう一度この世界に?

 や、でも待て。願っただけで来れるなら、どうしてもっと早くに来れなかったんだ?

 

(……あ、あー……)

 

 口に出して心から願わなかったからだとかそんなところだろうなぁ、なにせ華琳だし。

 

「でもさ、その理屈でいうなら、華琳の願いは叶うものなんだろ? じゃあ俺が天に帰る必要なんてなかったんじゃないか?」

「あらん、それは無理よん。だってその時、まだそっちの外史は曹操ちゃんの外史じゃなかったんだものん」

 

 …………え?

 今……え? 今なんて言った?

 

「いぃ~ぃい? ご主人様ぁん。これからご主人様がそっちの外史で消えた理由と、その外史が消えなかった理由を教えてあげる。もちろん確実だと言える言葉でもないのだけれど、なんというか私たちも納得出来ちゃったわけであるからしてぇ」

「理由か……聞かせてくれるか?」

「……相変わらず些細なところで甘くないんだからん。こちらのいろいろな事情は気にしないで、重要な話はちゃっかり聞き出そうだなんて、ご主人様ったら随分と逞しくなっちゃってぇ~ん」

「いーから、ほら」

 

 呆れつつも促す。

 と、貂蝉は深呼吸したのちに話してくれた。

 

「まず前提。ご主人様が降りたその世界は、最初は曹操ちゃんの外史ではなかったのよ」

「……そうだとして、でも華琳は天下を取ったぞ?」

「ええそうね、天下取っちゃったわん。自分の外史でもないのに、“願われた世界の意味”を捻じ曲げちゃったのよね。……さて、その時に一番動いたのは……どぅぁ~れだったかしらん?」

「………………俺?」

 

 返事の代わりに、モンゴルマッチョがサムズアップする。せんでいい。

 しかし、考えてみた。

 他人が勝つ姿を願われて作られた外史で、全然別の誰かが王となる瞬間を。

 自分ならそれをどう思うだろう。

 自分なら……そうした存在を邪魔だと思う。排除したいと思う。

 それってつまり───

 

「……頭痛とか眩暈とか、自分の存在が消えていくようなあの感覚って……」

「そう。あの外史で曹操ちゃんに天下を取らせようと動くご主人様の存在は、その外史を願った者たちにとっては邪魔な存在でしかなかった。そのために、曹操ちゃんが有利になることをするたびに存在が消えかけた」

「! え……俺が消えかけたこととか、知ってるのか!?」

「そりゃ~そうよ? 伊達に数ある外史を見守ってきたりしていないわぁ? ある時はともに戦ったり、またある時は服屋で働いてみたりと、様々な面で外史というものを見守ってきたの。もちろん、力及ばず戦に負けて、他国に吸収される外史というのも存在していたわけだけど」

「そうなのか……」

 

 服屋……服屋か。

 そういえば服屋でこんな巨漢を見たような見なかったような……!

 あ、あれ? 記憶が美化されてる? “居た”って考えると、格好はアレだけど気の良い人ってイメージが湧いて、“居なかった”って考えると途端に身の危険を感じるような謎の悪寒が走る……!

 そ、そうだよなー! なんか華琳が見つけたら本能的に嫌がりそうな外見してるし、店を構えるなんてことを許したとして、こんな格好でさせるわけがないよなー! ききき気の所為だ気の所為!

 

「曹操ちゃんのもとでご主人様が頑張る外史はいくつかあったけれども、その中で生きるご主人様は大きな物事が起こるたびに頭痛に襲われていたわねん……なんとかしてあげようと駆け寄ったこともあったのだけれども……曹操ちゃんに悲鳴をあげられてからは、近寄ることすら出来なくなったこともあってねん……」

 

 ……想像してみると納得出来てしまうあたり……うん、なんかごめん。

 

「ともかく、今ご主人様が居る外史は曹操ちゃんが天下を統一することが出来た外史。それも、曹操ちゃんが天下を取ることを願われて作られた外史ではない世界よ」

「…………ああ。そうだってことで進めていこう。俺が消えることになったのも、その外史に邪魔者だと認識されたからってことでいいんだよな? けどさ、どうあれ華琳は勝ったわけだろ? 俺が他の誰かに拾われる可能性を考えたとして、あの流れだと華琳以外にはないと思う。アニキさんたちに襲われて、星に助けられて、あの時点で星や風や稟についていくって方法もあっただろうけど、あの時の三人が出会ったばかりの俺を連れていってくれる保証なんてないし」

「近くの街まで連れて行ってくれと頼んで、あとはその道中でいかに三人からの信頼を得るか。それだけでも“歴史が変わる枝分かれ”を望む“願い”だって、呆れるくらいにあるの。“そうであるわけがない”は個人の考えでしかなくて、他が考える“もしも”までもがあるのが、外史というものなのだからねん」

 

 くねりとしなを作りつつ、貂蝉は言う。

 格好はアレだが、目は本気だった。

 

「そうねん。曹操ちゃんに拾われるまでが確定していたとして、ご主人様ん? ぅあ~なたの知る物語というものにはぁ……幸せな結末しか作っちゃいけないという定義なんてものがあったりしたの?」

「───! あ……」

 

 言われて思い出す。

 そうだ。物語はいつもいつもハッピーエンドとは限らない。

 不幸なままで終わるものもあれば、死んで終わりなものもある。

 戦に負けてから始まる物語もあれば、死んだのちに始まる物語だって。

 だから俺が華琳に拾われるまでは突端だったとしても、それが必ず天下統一に繋がるとは限らない。

 俺が降りた外史は確かに華琳の物語だったかもしれないが、俺が頭痛や眩暈に負けて華琳に自分の知る知識を伝えることを怠れば、確かに俺は消えずに華琳が敗北するなんていう“その外史でいう正史”が成立していたかもしれないのだ。

 “魏のお話=彼女の勝利”とは限らない。

 俺が歩いた道も、そういう外史だったのだろう。

 

「最初こそそちらの外史がどんな外史かもわからなかったけれど、お話して知ることが出来れば交換できることも増えてくる……それでも、終わる筈だった外史が意味を持ったことに関しては私も驚いているのよご主人様ぁん」

「意味? ……あ。そっか。そもそも俺が捻じ曲げたことで、華琳が天下を取るって外史になったのが俺が居る場所なら、それはもう元の世界からすれば願われもしない外史ってことになるんだよな。……おかしな質問だけどさ、なんで無事なんだ? 考えれば考えるほど、俺が消えるのと一緒に消えちゃってもいいくらいだろ、この外史」

 

 考えれば不思議なんだよな。

 願われたものとは違う結末に到ったのに消えないなんて。

 期待したものとは違うなら消えちゃってもいいじゃないかって思われても仕方ない。

 ……? 期待? ───って、そうか。

 

「どんな結末で終わっても、その先が見たいって願う人は居るってことか?」

「ぬふん? そうねん、それもそ~うだけれぇど~ぅもぉぅ? 曹操ちゃんが打ち勝つことで、その外史は完全に曹操ちゃんの外史になったのよん。あ、もちろん憶測でしかなぁ~いのだけれどもぉ」

「華琳の外史に? ……そうなったとして、どうなるんだ?」

「強く胸に抱き、口にしたお願いが叶っちゃう~なんてこともあるのよ。そう、そこは曹操ちゃんの世界。曹操ちゃんが死ぬまで続いて、存在する意味が無くなるまでは続く世界。だからご主人様は曹操ちゃんが死ぬまではその世界に居られるし、そこは“あなたの世界”ではないから、歳を取ることもなぁいのよん」

「………」

 

 俺の世界ではないから。

 その言葉を聞いて、歳を取らないと聞いて、なるほどって思うよりも先にストンと落ちるなにかがあった。

 そんな言葉で納得するよりも、もう既に自分が歳を取らずに生きているのだから、確認する必要もなかったというのに……それでも誰かに言ってほしかったのかもしれない。

 

「人は自分が産まれた自分の世界でしか時の流れに乗れない。外史っていうのはそういうものなの。たとえば時の流れが速い世界に降りたところで、自分の時の流れはその世界のものとは違う。流れが速い世界で生まれた人はあっという間に死にゆくけれど、遅い世界で生まれた人はその世界でもゆっくりと死にゆく。それと似たようなもので、この外史というものは別の外史から来た者に時の影響を与えないものなのよ。だから髪も伸びないし歳も取らない。やってきた頃の姿を世界が認識して、傷が出来れば元の状態にしようとするし、髪が切れれば元の状態に戻すために“人の治癒速度”をなぞって“そこまで”は伸びる。けれど、それだけなのよ」

「……仕合の時、髪を切られたときが何度かあったけど……そこまでは戻っても、それ以上は伸びなかったのはそういうことか。でも───」

「そう、でも。……でも、唯一変化するものがある」

「ああ」

 

 そう、きっと唯一。

 筋力は変わらないし髪も伸びない。

 傷は治るけどそれもあくまで“人の治癒力の常識範囲”の問題。

 けど、唯一変わるものもあった。それが───氣だ。

 

「この外史という世界では、氣というのはほぼ誰もが使えるもの。産まれた頃から攻守いずれかの氣を持っていて、武に長けているか知に長けているかも大体はそこで分かれるわねん。そう、つまり、産まれた時点で常識的にあるものなの。“無ければおかしいもの”として、降り立った瞬間に浮かび上がると考えて」

「それって、歳を取るって常識よりも先にくるものなのか?」

「歳を取らない方法なんて、お腹の中に居る内から存在するものよん。とっても残酷で、既に生命としては成り立たないけれども」

「……別の世界に飛ぶっていう、常識を外れたような土台の上にある物語なら、生命にとっての常識なんて忘れろってことか……」

 

 なるほど、それは確かに残酷だ。

 想像したくもない。けど、確かに死んでいれば歳なんてとらない。とる意味も無い。

 けど、そもそもこの世界では氣がなければろくに戦えもしないのだ。

 ある意味ではなによりも優先されるべきものなのかもしれない。

 ……嫌な優先順位だが、自分の世界を生きていないっていうのは、他の世界からすれば死んでいるのと似たようなものなのかもしれない。……いや、この考えはやめよう。死んだように生きているって考えると泣ける。

 

「むふん……ようするにそういった理由で成長はしないの。氣を除いてはねん」

「そっか……まあ、一応……納得しとく。他に納得のための材料がごろごろあるわけでもないし、正直いろいろ立てていた仮説の中にも似たようなものはあったし……」

 

 で、だ。

 

「でもさ。気になったことがあったんだ。あんたはさ、この外史の基点は俺と左慈ってヤツにあるって言ったよな? 俺とそいつが銅鏡を割ったからって。そして、あんたのことも気になってた。わからないことだらけだけど、引っかかったことがあって───」

「きゃんっ、私が気になるだなんて、ご主人様ったら積極的ぃんっ!」

「そっちの意味じゃないよ!? なに急に頬染めてくねくね動き始めてるの!?」

「んもぉ~ぅ照れ屋さんなんだかるぁんっ! でもそんなところもす・て・きっ」

 

 ……だから。ウィンクで風を巻き起こすのはやめろと何度言ったら……。

 

「話、続けるぞ? ……そもそも左慈って何者なんだ? 基点になったってことは元々居た存在ってことだよな? そこに俺が混ざって、外史が枝分かれした。そんなやつを知っている貂蝉と、いろんな外史を見てきたって言葉。これってさ、つまり……その。あんたの言うことが正しければ、あんたも歳をとってないってことで───」

「………」

 

 くねくねと動いていた貂蝉だったが、俺の言葉を聞いてぴたりと止まる。

 真面目な顔で俺の目を真っ直ぐに見つめてきて、目を伏せて息をこぼした。

 



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118:IF2/真実を告げる夢(再)②

 目を伏せた漢女が語るのは、ただただ単純なこと。

 こちらにとっては想像は出来ても、まさかな、と笑えてしまうようなことだった。

 だというのに───

 

「ええ、そうね。私も、左慈ちゃんも于吉ちゃんも、卑弥呼も。とっくに元の歴史から忘れられた存在、ということになるわん」

「───! っ……」

 

 予想が当たってしまった。

 それも、嫌な方向での予想が。

 

「ど~ぅ語ったものかしらん……そうね、物語ってものがあるとするわねん?」

「あ、ああ……」

「物語を作るのに、まず必要なのは世界と、登場人物。世界は願われて作られ、登場人物も願われて舞い降りた。“こうだったらいいな”が基点となったその世界は元となった世界よりも歪んでいて、常識というものが元のものよりも随分と外れた世界だった」

「………」

 

 黙って耳を傾ける。

 貂蝉はまるで御伽噺を子供に聞かせるかのように喋り、時折懐かしむように空を見上げていた。

 

「願われて作られた世界は、枝分かれを繰り返す世界だった。最初の世界が終わったのは私たちが今の姿になった頃。なにがきっかけで終わったのかなんてとっくに覚えていないけれど、私は続きを願って、左慈ちゃんたちは終わりを願った。それだけね」

「……ん」

「終わるなら終わるでよかったのかもしれないわん。ただ自世界自身が終わりたくなかったってだけで、私たちがどう思おうが世界は続いたの。私たちは願われた世界の数だけ時を生きて、その度に違うことをしては様々な“こうだったらいいな”で作られた世界を叶えてきた。一度目の自分が通った道とは違うことをするのも、これで案外面白かったからねん、ぬふふんっ」

「………」

「ただ……一度や二度で終わると思っていたそれは、永遠に終わらなかった。自分の世界でなくては歳をとれない私たちは、死ぬこともなく氣だけが成長する存在になったわん。最初の頃こそ何度も繰り返せるならなんて、左慈ちゃんも練磨していたのだけれどねん。一定を過ぎた辺りから、目が濁ってしまったの。生きることに疲れたのね、きっと」

「………それは」

 

 それは、想像してみるだけでもうんざりするようなもの。

 願われた道を辿るしかなく、逸れれば頭痛や眩暈に襲われる。

 そして、訊いてみたが……“自分の世界がもう無くなってしまった存在”が、どれだけ“その外史が作られた理由”に逆らっても、苦しむだけで俺の時のように自分の世界に戻されることなどないのだという。

 左慈ってやつは当然それを試して、その果てで……泣いたのだという。

 

「それからの左慈ちゃんは他者に期待することをやめたの。氣だけが成長するのならと、于吉ちゃんとともに時間をかけて道術を成長させて、とある銅鏡を作った。それが───」

「……一番最初の北郷一刀と割ることになった……?」

「そういうことねん。作った時点でその世界への害敵とみなされて、銅鏡もろとも排除された。けれど、誰かが“銅鏡をどうにかして別の物語が出来たら”と願ったのよ」

「……その外史が───!」

「ええ、ご主人様が居た世界。左慈ちゃんはその外史へは生徒として降りて、願いを叶えるために銅鏡を求めた」

 

 それを探して、博物館にあったそれを見つけて奪い、その途中で一番最初の俺と出会って……銅鏡を破壊。新たな外史連鎖が作られてしまい、その左慈ってやつは……───

 

「は、はは……なんだそれ……! 恨まれて当然じゃないか……!」

 

 世界に絶望して、苦労して作った銅鏡を俺に邪魔されて……!?

 連鎖を壊したかったから作ったそれが、もっと外史を作ってしまった、って……!

 

「ご主人様。前にも言ったけれど、自分が持っている譲れない何かがある限り、抵抗することだって当然よん。確かに左慈ちゃんにとってはご主人様は憎むべき相手。けれど、同情に乗っかって壊していいほど、ご主人様にとってのこの外史は軽いものかしらん?」

「───それは違う」

 

 ……それだけは、どれだけ同情しようともはっきり言える。

 自分の帰ることが出来る世界がある自分では、左慈ってやつを説得出来るほどの力もないだろう。けど、だからって壊していいことには繋がらない。

 俺には……この先どうなるかなんてわからないけど、今はまだ“肯定者”だ。

 この外史を否定したくない。

 

「……そっか。どの道、俺はそいつを否定しなきゃいけないんだ。少なくとも、この外史でだけは」

 

 もし繰り返すことになったらわからない。

 そこに自分を知っているみんなが居ないのなら、存在する意味が無いと否定に走るのかもしれないし、自分を知らないとしてもみんなはみんなだと味方をするのかもしれない。

 

「覚悟はぁ……決まったかしらぁん?」

「ああ。俺はやっぱり肯定者だ。先のことなんかわからないけど、今は───……うん?」

「あらん? どぅ~したのぉぅ? ごぉ主人さぁ~まぁん」

「いや……肯定者といえば前の時、お前達は肯定とか否定から“具現化”したって言ってたよな? あれってどういう意味だ? てっきり最初からそういう存在だって思ってたのに」

「ある意味では間違ってなぁ~いわよぅ? だって最初の世界が終わったと同時に消えるはずだったのに、願いによって存在を留まらされたんだもの。友好的だった私は“もっといろいろな話が見たい”という肯定から。左慈ちゃんたちは“続かなくていい、ここで終わってくれ”という否定から。最初の世界から外れた時点で人から外れた意識のほうが強かったのよねん。だから、ある意味では私たちはあの時に“具現化”したの。詳しく言うなら、左慈ちゃんが言った言葉を受け取ってからねん」

「……? 言葉? なんて言ったんだ?」

 

 何気ない質問だった。

 特になにを思ったわけでもなく、ただ、本当になんとなく気になっただけ。

 そうして耳にした言葉がこれだった。

 

  “老いもせず! 人の願いのままに動き! 逆らえば苦しむだけの身で! これが生きていると言えるのか!?”

 

 耳にしてしまえば、もう聞かないフリなんて出来ない。

 帰るべき世界があるだけ、自分はきっと幸せなのだと受け止めてしまった。

 受け止めてしまったら……もう決着をつけなくてはいけないということしか頭に思い浮かべることしかできなかった。

 

「私たちはこれから銅鏡を作るわん。それをいつか、ご主人様か左慈ちゃん、勝った方に渡すつもり。この外史の枝の全ての基点が左慈ちゃんとご主人様なら、決着をつけてから銅鏡を使えば連鎖も終わるはず」

「それって……左慈が願えば否定で、俺が願えば肯定ってことで……?」

「……ええ、そうねん。どちらが願ったとしても、それで終わり。続くか続かないかの問題だけれども……」

「?」

 

 貂蝉は途中で言葉を切ると、ふと俺を見つめ直して……ふっとやさしく微笑んだ。

 

「ご主人様ん? 否定にも肯定にも、いろいろな方法がある。どうかそれを忘れないでいてあげて。願い方ひとつで、広い世界は変わらなくてもあなたの見る世界は変わるかもしれない。そのきっかけを決して取りこぼさずにいてちょーだい」

 

 真面目だけど、やさしい顔だった。最後だけ少しからかうような口調になったけど、その目はどこまでもやさしかった。……まるで、自分の子供を見守る親のように。

 

「それじゃあまた会いましょ。次会うことがあるとしたら、ご~主人様が左慈ちゃんに勝ったあとだろうけれどぉもぉぅ……まあその時にそっちに向かっても、主の居ない外史は壊れるだけだろうからご主人様も元の世界に戻されるだけ。だったらそっちで待っていたほうがいいわねん」

「行く場所なんて選べるのか?」

「その外史が終わった時にだけねん。終わってない外史から別の外史へ飛ぶことは出来ないけれど、こうして氣を辿って話しかけたりは出来るみたいねん。ささやかな贈り物をすることくらいも出来るけれど」

「贈り物? へぇ」

 

 夢の中に出現して抱擁するとかだったら是非勘弁だ。

 けどまあさすがにそんなものは───

 

「そう、贈り物。そうねぇん、例えばぁ……惚れ薬とか大人薬とか子供薬とか」

「あれお前かぁあああああああああっ!!」

 

 おぉおお信じられねぇ! こんなところに犯人が! 民からの献上品とか聞いてたけど変だと思ったんだ! 普通に考えて、あんなのどうやって作れってんだって話しだ!!

 

「お、お、お前っ! あれの所為でこっちがどれだけ大変だったかっ!!」

「えぇんっ!? まさかの不評っ!? それは私としても本意じゃないわぁ……迷惑なら引き取るわよぅ?」

「あ、いえ、年長組に殺されるんで勘弁してください」

 

 ええ、つまりはこの状況も“大変”の内に含まれております。

 とりあえず薬が尽きるまでは若さを楽しんでもらおう。それがいい。

 なにかに混ぜたりしなければ、俺の時のように記憶まで巻き戻ることもないみたいだし。それは誘惑に負けた紫苑が確認してくれた。というか、気を失ったりしないで意識と自分を保っていれば、記憶もそのままなんだと思う。

 俺とみんなとでは作りが違うのだ……薄めたものを飲んだくせにあっさりと気絶した俺よ、ある意味でさすがです。

 

「あ、ところで話は強引に変えるわけだけど、貂蝉はどっち側の氣を持ってるんだ? 左慈ってやつは?」

「帰ろうとする漢女を引き止める質問に、貂蝉ちゃんったら胸板の奥がきゅんきゅんしちゃう……! でもいいわ、答えたげる。……私はいつも恋に燃える漢女。もぉちろん攻の氣よんっ!」

 

 ヴァチームとウィンクされた。物凄い突風が吹いた。

 

「……だからウィンクで風をだな……って、うん、なんか、うん。予想通りだった」

「あぁあ~らぁあ~んっ、やっぱり溢れ出る“恋に燃える心”は隠しきれないものな~のぬぇえぃっ。ご主人様が私のことを漢女と認めてくれたわぁん!」

「あ、ああいや、うん……予想通りだったのは氣の方なんだけどな……」

 

 言ってもきっと都合のいいように受け取られるんだろうと、詳しく否定するのは諦めた。それがいい。それでいい。

 で、だけど……この自称貂蝉さんは俺なんかよりよっぽど生きているわけで。

 その上、どうやら俺の“先輩”ってことになるかもしれないっぽい人なわけで。

 

「それでさ、えっと。参考までに……氣しか強くならない状態で、どれだけ強くなれたのか訊いてもいいか?」

「きゃんっ、ご主人様ったら私に興味津々?」

「や、それは前もやった気がするんだけど」

「そうねぃ、私の力はというとぉぅ……」

「無視!?」

「辺境に居る龍くらいならきゅっと一捻りできちゃう程度の───」

「それもう化物だろ!! あんたどんだけ強いんだよいったい!!」

「どぅぁあああれが龍も指先で殺せる筋肉ゴリモリで頭の中までパワーでいっぱいの化物ですってぇえええんっ!!?」

「まんまお前だぁあっ!! え、だっ……龍だぞ!? りゅっ……龍!? 居るの!?」

 

 噂では聞いたことがあったけど、眉唾ものだと思っていたのですが!?

 ていうかパワーとかそういう言葉、普通に使うんですね。そりゃ使うか。左慈ってやつがフランチェスカの生徒として降りた歴史があるなら、そっちの言葉だって知っていても不思議は無い。

 

「えぇ~ぇえ居るわよん? 別の外史で華佗ちゃんと一緒に倒したものん」

「華佗と!? ……氣の量が異常だとは思ってたけど、龍まで倒せるのかあいつ……」

 

 前略おじいさま。

 身近に居た男の知り合いが龍を倒した経験がありました。

 世界は広いのか狭いのか。

 

「他に質問はないかしらぁん? 無ぁ~いならそろそろぉ、お話も終わりになりそうなのだけれどーもぉ」

「あ、あー……その。左慈ってやつも、龍を倒せるくらい強い、とかは……」

「左慈ちゃんは攻守で言えば守のほうなんだけぇれぇどぉもぉぅ、その身のこなしは思わず目を奪われるくらいでぇ…………ぶっちゃけちゃうと愛紗ちゃんと互角に渡り合えるくらい強いわよん」

 

 はい死んだァアアーッ!!

 互角!? 愛紗と!? 無茶でしょう!?

 そんなヤツ相手に俺にどうしろと!?

 

「あらあらまあまあ、そんなヤツ相手にどうしろとって顔してるわねぇぃ」

「するだろ! 普通するよ!? 愛紗と互角な相手って……! あれから8年、散々鍛錬しても、愛紗にはてんで勝てる気がしないんだぞ!?」

 

 なのにそんな愛紗さんと互角ですか!? 攻撃側の氣じゃないのに!?

 ぬ、ぬう信じられん……! 伊達に長い歴史を生きてはいないということか……!

 

「ご主人様のほうはどうなのん?」

「お、俺? 俺は……一時期は攻守をひとつずつ鍛えて、結構順調だなーって思ってたところに氣の融合をして、また一から鍛え直した感があるかな……氣の使い方もふりだしに戻るみたいに複雑になったし、簡単にはいかないって」

「んまっ、もう氣の結合は済んでるのねんっ? それってばやぁ~っぱり華佗ちゃんのお陰ぇぃ?」

「そうだけど……なんで知って、って……もしかしてそっちにも“俺”って居る?」

「ええ居るわよん? 今目の前に居るご主人さまよりもかなぁ~りひょろっとしているけれどねぃ。でもそこが守ってあげたくなっちゃう感じがしていいのよぬぇえ~ん……! あ、ちなみに目の前のご主人様は守ってもらいたくなるような、そんな暖かさがあるわん」

「そんなこと訊いてないんですが!? ちょ、頬染めるな! しなをつくるな! だからって近寄ってくるなぁああっ!!」

 

 でも、そっか。

 鍛えてない俺なんてそんな風に見えるのか。

 ……一年だけど、必死だったもんな。

 そこにきちんと違いがあると誰かに言ってもらえただけでも、報われた気がする。現在の自分と前の自分なんて、写真かなんかで見比べでもしない限りはよくわからないものだし。

 

「それで、えぇと。そっちの俺ってどんな感じだ? 何処の国に居るんだ?」

 

 やっぱり魏か? なんて思っていたが、ばっさりと否定された。

 

「私たちは今、ある目的のために団結し合っていると・こ・ろぉん♪ こればっかりは、い~くらご主人様が相手でぇもぉぅ、そう簡単に口にするわけにはいかないの。ごぉ~めんなさいねぃ」

「だっ……抱き締めてやるって言ったら?」

「ぬふぅうううんっ!? もぉおう全部話しちゃうわん! だから今すぐ抱き締めてモナムゥウーッ!!」

「ひおぎゃああああああっ!!? 嘘です冗談です言ってみただけです目ぇ光らせながらこっち来んなぁあーっ!!」

 

 ゴカァアアアとか音が鳴りそうなくらいに目から光を放ったマッチョが、両手を広げてズドドドドドと迫ってくるのを逃げながら叫び、止まってもらった。

 相手が女性で“あなたー、お帰りー!”とか言って飛びついてくるならわかる! 新婚さんの嬉し恥ずかしの一場面としてなら有り得ると思うよ!? でも相手が彼で、唇突き出して突進してくるのはさすがに勘弁!

 友情の確認とかでガッチリと抱き合うとかならまだしも、唇突き出してくるのは勘弁! ていうかあの!? 俺抱き締めるって言っただけですよね!?

 やっ……俺だって別に、最初こそこの格好に驚いたし引きもしたぞ!? でも話してみればいい人だし、質問にも答えてくれるし、ふっと微笑む顔はなんていうかやさしい感じだしで嫌う要素は無いよ!? でも唇突き出して抱き締めに来る男に抵抗するなってのは無茶じゃないかなぁ!! いい人なんだろうけどそこのところはなんとかしてほしいなぁ!

 

「とっ……とにかく……! そうやすやすとは話せないってことで……いいんだな……!?」

「抱き締めてくれたら話すって言ってるのにぃん。んもう、ご主人様ったらつれないお・か・た。ぬふんっ♪」

「…………」

 

 もう、ウィンクによる風にはツッコむまい。

 髪を乱暴に撫でていった突風を思いつつ、半眼&疲れた表情でこくりと頷くのが限界だった。

 

「やることは……まあ、わかった。ウン……つまり……愛紗に勝てるくらいじゃなくちゃ、俺には未来がないってことで…………」

 

 ふと、鼻の奥にツンとした刺激。ああ泣きそう。

 だって愛紗だよ? 戦が終わった今でもなお高みを目指して、鈴々と武を磨くあの愛紗さんですよ?

 8年。

 俺が頑張った年月だが、あの世界の武の才がある人と、俺の8年とじゃあ異常かと思えるくらいに意味が違ってくる。

 いつか凪が俺には氣の行使の素質がある的なことを言ってくれた。うん、ほんとね、氣に関してはあったみたいだよ? 毎日頑張って、時に天に召されかけたりもしてようやくここまでってくらいのものだけど!

 そんな俺があの愛紗さんに? 愛紗さんに勝てるほど強くならなきゃいけない試練を受けるハメに!? そりゃ死んだーとか言いたくもなるわぁっ!!



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118:IF2/真実を告げる夢(再)③

 でも……でもだ。

 貂蝉の言うところによると……あまり考えたくはないけど、この外史は華琳が死ぬまで続くらしい。元の外史を上書きして、華琳の世界となったこの世界では彼女こそが軸そのもの。

 本来なら願い通りの外史の未来に辿り着くと、俺は元の世界に帰ることもなくその外史とともに消えるのだという。願いが成立した時点で天へと帰る道は閉ざされて、その外史になじみ、やがては寿命で死ぬ。その後にその外史は消えるから、そっちの北郷一刀は崩れる世界のことも知らずに死んでいくのだ。

 ただ、上書きされた外史は消えず、その世界のままにもう一度意味を持った外史となる。つまりは“こうなる筈だった世界なのにそうなったら、彼女はどうなるのか”を願われた外史に。当然基点となる世界はそのままこの世界であり、その外史へ降りる天の御遣いも必要となり……彼女に願われたからこそ、彼女が必要とした俺が御遣いとして降りた、と。

 ただ適当に“一刀、来なさい”的な願いだったら、別の外史の俺が呼ばれた可能性もあったんだとか。……ありがとう華琳、本気で願ってくれて本当にありがとう。

 

(ああいやいや)

 

 そうじゃない。そうだけどそうじゃない。

 ともかく、華琳が死ぬまで何年あるかはわからないが、少なくとも華佗が居る限りは病で死んだりしない。落盤事故に遭おうが、死んで少し経った状態だろうと復活させることが出来るのが五斗米道だ。死人生き返らせられるんだよ? この目で見たときは世界の在り方を疑った。そのあと喜んだけど。

 だから……彼女が死ぬ心配を続けるよりも、強くなる努力を続けよう。

 今まで通り、そして今まで以上に。以上を異常に変えてもいいほどに。

 相手が否定するならこっちは肯定だ。

 自分がそこに居て楽しいとか嬉しいとかを感じた世界を否定されるのは嫌だ。

 悲しいことにだって、辛いことにだって思い入れがたくさんある。

 それを否定しようというのだ……俺は肯定の意志を以って、それに抵抗しよう。

 

「氣しかないんだからな……」

 

 なら、終わりに辿り着くまでとことん氣を高めよう。

 高めるだけじゃなくて、応用も強化するたびに慣れさせないとな……難しそうだ。

 あ……この外史を守るって意味では、それは国に返す以上に返すことになるのかな。

 だったら……絶対に負けられない。

 

「あらぁん……決意に充ちた男の顔ってス・テ・キぃいん……!」

 

 そんな決意が艶かしい声によって、脱力とともにすぽーんと飛んで行った。

 緊張感が欲しい。

 あ、あー、そりゃ、やることなんてどうやったって変わらないんだろうけどさ。

 とどのつまり、勝てなきゃ否定されて、俺が勝てば肯定できる。それだけ。

 勝つためにやらなきゃいけないのはたった一つのことだ。

 みんなと一緒に戦えたらってどうしても思ってしまうけど、相手は華琳が死んだあとに来るという。どうあってもみんな戦える状況にないに違いない。

 それとも子供薬を保存しておいて、その時に備えておく? ……無理だろうなぁ、液体ってのはそんなに保存できるものじゃない。それに……あくまで決着は俺と左慈がつけなきゃいけないのだろうから。

 

(最悪、孫にお供を───孫?)

 

 孫ってアレか。つまり丕とかがどこぞの馬の骨とこここここ子供ヲヲヲヲ!!

 こここ子供ってことは、つまりどこぞの馬の骨が丕を寝台に押し倒して、お、おおおお押し倒してオォオオオッ!?

 

「貂蝉! 俺っ、強くなるよ! 一人で左慈ってやつをブチノメせるくらい!」

「え、えぇ? そうぉ?」

 

 一人でブチノメせれば文句はなかろう!? 宅の娘は絶対に嫁にはやらんからな!?

 そのためには……そう、そのためにはまず……!

 

「愛紗……アイシャ、タオス……! オレサマ、アイシャ、マルカジリ……!!」

 

 なんだか志がおかしな方向へと向かっていた。

 わかっているのに、娘が絡むと止まらない。親ばかって、これはこれで一つの加速装置のひとつなんだと思うんだ。

 打倒愛紗! 突撃粉砕勝利! 突撃最高突撃最強!

 オノレ! オノレ! 孫策オノレ!! 孫───ハッ!? いやいや落ち着け! なんか途中から華雄に叩き込まれた嫌な方向のトラウマが……!

 

「ご主人様ん?」

「なんぞね!」

 

 そして混乱中の俺は、返事までおかしくなっていた。

 まるで近所の頑固おばあさんのようだ。

 

「人の恋愛は自由であるべきよん? あなたがもし親に、曹操ちゃんとの恋を禁じられたら、あなたは二つ返事で受け入れられるのかしらん?」

「………」

 

 言われて、真剣に考えてみた。

 …………木刀持って真剣勝負挑んで、氣も全力で解放して意地でも勝ちに走る自分が大絶賛脳内放映された。

 奔る怒号。じいちゃんとボッコボコの打ち合いをして、認めろ、認めんの応酬を続け、……ああ、無理、想像の中だろうが俺、まだまだじいちゃんには勝てない。

 だから結局俺は折れるしかなかった。親に否定されて、折れるしか。

 うん、親に認めさせるってことを折れた。みんなへの愛は折れない。

 俺達の旅は、始まったばかりなのだから───!

 

 

 

 

                                   ~fin~

 

 

 

 …………。

 

 うん。

 

「きょ、許容の心、大事デス」

「でしょぉお~うぅん?」

 

 バチーンとウィンクとともにサムズアップ。

 いろいろ方法も考えたけど、やっぱり……できれば親には認めてもらいたい。

 祝福の上で一緒に歩きたい。

 いつか娘たちにも連れ添う相手が出来るのだろう。

 その事実を受け入れて、涙とともに一発殴る。あ、いや、違う違う! なんで殴るになるかなぁ! そうそう、まずは縛って、片春屠くんで引きずり回して───ってだから違う!

 うおおしっかりしろ俺! 頭の中がもうすっかり支柱らしくないぞ!?

 俺、普段からこんなこと考えてたのか!? 客観的に見たら凄く怖くなってきた!

 よ、よーし落ち着け、落ち着くんだぞー、俺ー……!

 

「そ、そうだな。氣で殴るのもダメ。氣で動くもので引きずるのもダメ。氣ってものから離したものの見方でいこう」

 

 ……これだ! そう、そうだよな! 氣を使う日々が続くあまり、氣ってものが行動の基準になりすぎてたんだ! だからここで俺が取るべき行動の一つはッッ!!

 

「屋根の上からキン肉バスターだな」(*死にます)

 

 夜神な局長が再就職を決意した瞬間のようなシヴい笑顔でそう言った。

 あ、でもそれだと俺の腰とか尾てい骨もやばいな……仕方ない。じゃあ残る50%のアタル版マッスルスパークでいこう。(*死にます)

 ああいや、空中で相手をブリッヂホールドってのは無茶がある。

 ……もう垂直落下式天空カーフブランディングでいいんじゃないかな。(*死にます)

 ───ハッ!? だから落ち着けって俺!

 今考えるべきはそうじゃないだろ!? そう、打倒愛紗!

 愛紗に勝てるくらいにならなければ、左慈ってやつには勝てないんだから……!

 

「貂蝉、ありがとう! 俺もういかなきゃ! 目を覚まして、すぐにでも鍛錬だ!」

「あぁ~らぁあん……! やっぱり目標に向かって突き進む殿方って素敵ねん……! でも待ってご主人様ん。見たところご主人様の氣脈、ずぅ~いぶんと痛んじゃってるようだけどぉん?」

 

 う、と詰まる。

 無茶をして気絶して、そのあとに貂蝉が来た、と正直に言うのは実にアレだ。

 アレなんだが、もはや恥じている場合ではないとばかりに暴露。

 全てを吐き出して、先駆者である彼───

 

「彼って誰ェ! 彼って何処ォ!!」

 

 ───……め、目の前の漢女に、どうすれば効率よく氣を強く出来るのかを相談した。

 あとは……そういえばと、どうしてそんなに左慈がこちらへ来るタイミングについて詳しいのかを───

 

「どうしてって。一緒に居るからに決まってるでしょ~ぅがぁ」

「ちょっと待てぇえええええええっ!! 否定と肯定の話はどうなったぁっ!!」

「否定と肯定でも、同じ場所を目指せないってわけじゃあないのよん? そう、これは長く続いたわたしたちの物語を、肯定も否定もするひとつの希望のお話。だ~からご主人様ぁん? 中途半端でなくて、全力で未来を掴む力を手に入れてちょ~だい。真正面から左慈ちゃんを止められるくらい、否定の意志ごと叩き壊すくらい、全力で。そうじゃなければ、決着がついたとしても未練が残るわん」

「……えっ……な、……う……」

 

 ……戸惑いのさなか、貂蝉はどこか悲しみを孕んだような目でそう言った。

 言葉を届けられた俺はといえば……戸惑ったままに、けれどその目があんまりにも寂しそうで、悲しそうだったから……───

 

「……出来るだけのことはやるよ。というか、それしか出来ないからさ。だから───」

 

 彼……もとい、目の前の漢女の前まで歩いて、握り拳でその熱い胸板をノックした。

 ……ゴツンと、まるで金属を殴ったような感触だったのは忘れるべきだろう。

 

「約束は出来ない。けど、気持ちは一緒に持っていく。いつになるかわからないけど、天で待っててくれ。肯定の意志を貫けたら、銅鏡で馬鹿みたいに無茶な願いを叶えてもらうから」

 

 言って、ニカッと笑う。

 貂蝉は、彼……もとい漢女にしては珍しくぽかんとした顔をしてから、少し目を潤ませて笑った。

 それから俺に意志を託すかのように、同じように握り拳で俺の胸をノックし───

 

「ぐぶぉはぁあああああああっ!?」

 

 ……その日、天の御遣いは夢の中で……漢女のノックで星になった。

 

 

……。

 

 す、と目を開く。

 ひどくだるい身体は、起こそうとしてもぎしりと軋むだけで、動いてくれない。

 どうやら夢から覚めたようで、もう目の前に貂蝉は居ない。

 

「………」

 

 夢から覚める前に言われたことはほんの少し。

 とりあえず今はひたすらに休むこと。

 そして、氣を生み出す場所を出来るだけ開くこと、だそうだ。

 で、その開く場所なんだが……丹田を合わせると7つあるらしく、えーと、まあその。俺が自分の内側を覗いて、穿った場所も7つなわけで。しかも丹田も含めて。

 …………おそるおそる訊いてみましたが、ええ、ビンゴでした。

 普通なら長い時をかけてゆっくり開いていくものらしいが、俺はそれを一気にこじ開けてしまったためにこんな状態。

 きっぱり言われたね。「よくもまあそれだけやって生きていられたわねぇん」と。

 

「だはぁ……」

 

 ええ、無自覚に死ぬほどの痛みを予測したのか、身体が勝手に気絶するほどでしたよ。

 そりゃ死ななかったことを感心されるわ。

 うん、だからつまり、今の俺に出来ることは、こじ開けた孔が塞がらないように気をつけつつ、氣脈が治るまで休むだけだ。

 治ったら、溢れ出そうとする氣を制御出来るように頑張りんさい、とのことだ。

 ……なんで最後だけ頑張りんさいだったのかは謎だが、気負いすぎだから力を抜けって意味も込めてあったんだろう。

 

「……困った」

 

 でも困った。眠気が無い。そして身体全体が痛い。

 ああ……こんな時に思春が居れば、殴ってでも気絶……は、しちゃだめか。

 開けた孔が塞がらないようにちょくちょく確認しなきゃいけないんだもんな。

 

「うう……地味なのに大変だ……」

 

 地味だから大変なのか?

 ああいや、もういい、小難しいことは考えず、今は痛みを和らげることだけを考えよう。

 で、治ったら……

 

「頑張らなきゃな……いろいろと」

 

 出来ることを出来るだけやっていこう。

 ただ、それだけだ。

 



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119:IF2/擦れ違いの胎動①

171/選ぶ未来に後悔はありませんか?

 

 なにかのきっかけでめっちゃくちゃ強くなれる。

 そんな状況に憧れなかったわけじゃない。

 漫画、小説、アニメ。見ていて“俺だったらこうして”とか“なんでこうしないんだか”とか溜め息を吐くことだってあり、自分が強くなった瞬間っていうのを想像する。

 

  “鍛錬? 必要ねぇよ、だって俺ならすぐ強くなれるし”

 

 そう思う人もきっと居るんだろうなぁとか思う。例外を唱えるのなら───うん、俺は違います。

 

「ふっ……ぐっ……! ぬっ……ぐっ……!! ホアアア……!!」

 

 ぎしり、ぎしりと歩く。

 動くたびに身体は軋み、苦しいから力んでしまい、筋肉が収縮して熱を生み、汗が出る。氣脈の澱みに穴を空けてみればこれですよ。一気に強くなる? そんな都合の良い話があろう筈がございません。

 ていうかね、そんな簡単なパワーアップが出来るなら、まずは筋肉を鍛えたい。さらに言えば一気に強くなったとして、それに自分の脳がついていけるかといえば全力でNOと言いましょう。“地道に得たもの以外”を、身につけた瞬間から完全に信用しろってのは、少なくとも俺には無理だ。無理だけど……こ、この痛みから解放されるなら、ちょっとは信じてみたいカナァ……!

 

(丹田以外にも氣を練れる箇所が増えたのはいい。いいんだけどさ……!)

 

 それら全てを自分の感覚で扱えるようになるには、いったいどれほど時間がかかるやら。氣の総量は増えた……んだと思う。数値が書いてあるわけじゃないし、それを見せられたわけでもない。けど、えーと、点穴っていうのか? 鍛錬はしているものの、氣に関してはそう詳しいわけじゃないから正式名称なんて知らないんだが、ともかく氣を生み出す箇所は増えた。

 それを利用して、自分が生み出せるものの数を増やす土台は出来た……んだと思う。

 知識不足だらけなものの、出来たと信じなければこの痛みが無駄になります。

 ええはい、つまりは無駄だと思いたくないだけです。

 どうかプラスになっていますように……!

 

(はっ……はぁあ……!)

 

 さて、それはそれとしてだ。

 何故こんなぜえぜえ言いつつも行動しているのかといえば、鍛錬というわけでもなく。

 全身を襲う痛みにはあはあと息を荒げて向かう先は、いったいどこかと訊かれると……

 

(……漏れそうなんだ)

 

 厠でございます。

 いやっ、笑ってくれるな! 全身筋肉痛の時に動くのがどれだけキツイか、知っている人は知っているはずだ! それの上位版と考えてくれていい……!

 そして、その時に襲いかかるビッグorスモールほど恐ろしいものはない……!

 

「み、御遣いさま、大丈夫ですかっ?」

「……! ……!」

 

 そしてこんな時に付き添われる時ほど恥ずかしいことはないかと思う……ッッ!

 なんでこの人はついてくるのでせうか!? あれか!? “俺、ちょっと……”とか言って部屋を出たのがまずかったのか!? 華琳じゃないけど察してくれると嬉しかった!

 ふらふらしてるから心配してついてきてるんだろうけど、我慢しながら女の人を連れて厠を目指すとかどんな羞恥プレイでございますか!? このまま厠に辿り着けば“きゃあ! わたしったらいけない人っ!”とか言って済むのだろうが───ってなんか違う! 厠前とかで伝えたほうが絶対にいい!

 ───いや待て、後にすればするほど恥ずかしくなるだけじゃないか!?

 今言ってしまえば───そう、今!

 

「あ、あの、俺これから───」

「あ、あのあのっ、どうして突然、こんなに身体を痛めたのかは知りませんが、噂は聞いていますっ! ななななんでも御遣いさまはとても鍛錬がお好きで、さらに勉学にも強いとかっ! きっとそのお体の状態も鍛錬の結果なんですよねっ!? 中庭でそのっ、はー、とか言ってたのも鍛錬なんですよねっ!? わわわ私っ、みみみ御遣いさまのお役に立つのが夢でっ! 憧れでっ!」

「ヵ……ヮャ───」

 

 言えませぬぅううーっ!!

 真顔に近い笑みを浮かべた口の端から血液が噴き出るほどの衝撃!

 なんで!? なんでこの状況で自分の仕官動機を話したりしますか!? 

 あぁあああでも8年近くも頑張ったんだろうなぁ! その努力と憧れを厠で壊したとして、あなたはまだ微笑んでくれますか!?

 

「ハ、ハハハハ、ソ、ソウナンダ」

「は、はいっ! でも驚きです……鍛錬でそこまでぼろぼろになるなんて……! きっと強くなることに余念がないのですね!」

(憧れの目がイタイッ……! タスケテ……タスケテ誰カ……!!)

 

 死んだ魚のような目で泣きたくなった。

 

 

 

-_-/凪さん

 

 ───ッ!

 

「隊長!?」

「んあ? どしたん凪~」

「……い、いや。なにか、隊長の身によくないことが起きているような……!」

 

 中庭の東屋。

 休みが合わさったことで久しぶりに揃ってくつろごうという時に、妙な直感めいたものが走った。

 というか、隊長が出て行ってからほぼ毎日感じている。

 鍛錬の度にいろいろと危険な目に遭うお方だから、「気にするだけ無駄なのー」という沙和の気持ちもわからないでもないのだが……何故こう、隊長の身の回りには危険が付き纏うのか。

 女性に関しては自業自得だと真桜は言うが、慕われることを自業自得というのは違う。

 

「凪ちゃん、最近いっつもそれなの。それでいっつも何事もなく終わってるんだから、気にしないほうがいいよー?」

「う……その。わかってはいる」

「んまぁ、直感のあとに大体隊長がひどい目遭っとるのは、まぁ間違いあらへんのやけど」

「やややはり今すぐ追って……!」

「や、呉に行った~くらいしかわかっとらんのに何処目指す気なん?」

「隊長のことだから様々を巡って建業に行き着く!」

「……なんやろ、ウチもそう思うわ」

「そんな隊長だからみんなに好かれてるの。前の時だって、サボりはしたけどやる時はやってたし」

 

 そうなのだ。

 サボりはするものの、大切なことはきちんと纏めてくれる人だ。

 もちろんサボられて困る人も居るだろうが……私も散々と困ったりもしたが、埋め合わせもしてくれる人だ。埋め合わせをするくらいならしゃんとしてくださいと何度言ったかは……数えていないが。

 

「それよか凪、今日の昼、何処にする?」

「あ、久しぶりに凪ちゃんの作ったのが食べたいのー!」

「おー! 賛成ー! 楽して金かけずに美味いもん食えるんやったら大歓迎~!」

「……材料は買ってきてもらうぞ」

「よっしゃ、買い物めんどいから適当に済まそ」

「賛成なの」

「お前らは……」

 

 どこまで動きたがらないんだ。

 こういう時、隊長は素直に動くというのに。

 あの人はなんというか、食事のことになるとやたらと動く人だった。

 それは前の時も、戻ってきてくれた今も変わらない。

 興味があるものがあると、買って自分で試したり、力及ばなければ流琉を頼ったりと。その頼る方向でも調理の仕方などを学び、天の知識と合わせて、より美味になるよう努力するお方だ。

 ……味については、不思議なもので普通の域を出ないのだが。

 あれだろうか。天の味付けの仕方でなければ上手くできないとか、そういうことなのだろうか。天は物凄く便利だと聞く。しかし“ここでの味付けは合わさったものではなくて、ひとつひとつでやらないといけないからなぁ”といつかこぼしていたのを思い出す。微妙な調整が難しく、どうしても普通かそれ以下になってしまうのだと聞いた。

 まあ、そうは言っても諦めていないところがさすがは隊長だ。

 ……諦めないだけ、“普通”を作り続けては落ち込んでいる姿は見るに堪えないのだが。

 

「んっ……やっぱり私が隊長に料理を───!」

「買い物の話からなんで隊長の話になっとんねん……」

「凪ちゃんはほんと、隊長のことになると冷静じゃないの」

「そうは言うが……考えてもみろ。もう8年だぞ。隊長に愛してもらいながら、呉の連中が先に子を宿すなど……私の隊長に対する想いはそんなものだったのだろうかと悩む時があって……」

「そら隊長かて毎日毎晩手ぇ出すわけやあらへんもん。前に風がゆーとったやろ、連日アレやっとったらほぼ水みたいなのしかでんよーになったって」

「い、いや……あれは……」

「真桜ちゃん……そういうのは知ってても言うものじゃないの……」

「やっ……ウチやのーて! 風から聞いたことやって!」

 

 慌てる様子に自然と笑みが浮かぶ。

 この二人との付き合いも随分と長い。

 この二人も、私も、いつか隊長との間に子を儲けるのだろうか。

 そうなったらいい。

 そうしたら、子にも三人で頑張ってほしいと思う。

 

「……二人とも」

「んあ? なにー? あ、ちょい待ち、今ちょっと絡繰の大事なとこいじっとるさかい」

「あ、私も待ってほしいのー。今丁度阿蘇阿蘇の気になってたところにきたから」

「……お前らはたまには私の話を優先的に聞くという行動は取れないのか」

 

 あれから八年。

 随分経つというのに、人というのはそうそう根元の部分を変えることは出来ないようだ。

 それが悪いことかといえば……まあ。

 変わらず、隊長を目で追える自分であることに喜びというものを感じている時点で、答えなどはわかりきっていた。

 変わらなくてもいいものもあるのだ。

 変わっているとしたら、より一層目で追っているという事実くらいだろうか。

 む、むしろ隊長との間に、その、目に見える形がほしいというか。呉の連中を羨ましく思ってしまう。

 

(隊長……)

 

 今、どのようなことをしているのですか。

 先ほど奔った嫌な予感は、隊長に対して働いたものなのでしょうか。

 だとするのならば、近くに居られないことがこんなにも───……

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 ……結論に到ったのは案外早いうちだった。

 誰かに助けを求めても、人が集まったら余計にヤバイ。恥ずかしい。

 なのでそこに救いはなかった。

 ではどうするか? ……あとでやりたいことがあるからと部屋で準備をしてもらう、というのはどうだろう。

 

「あ、あの、さ。そういえば、あのー……憧れとかで仕官したなら、どうしてまた呉に? 都でもよかったんじゃ」

「乱世を駆けた英雄の皆様の中で、私にどうしろと……」

(キャーッ!?)

 

 そりゃあそうだったァアアーッ!! みんなが都に集まってる時点で、そこで出来る仕事なんて回ってこないよ!

 あ、ああああ! ごめん! なんかごめん! なんかすごくがっくりと陰が差してきてる!

 

「そ、そうだったなっ……えと、じゃあその、そんなきみに頼みたいことがあるんだけどっ……」

「え……わ、私にですかっ!? はいっ! どんなことでもっ!」

 

 信頼と喜びを込めた期待する人の目で見上げられた。

 ……良心がイタイ。

 

「そろそろ鍛冶場からの報告があると思うんだ。来てくれたのに部屋に誰も居ないと困るから、部屋で待っててもらっていいかな」

「あっ……そうでした! その通りです! ではっ!」

 

 姿勢を正して敬礼ひとつ、シュヴァーと駆けていった先で盛大にコケた彼女を見送りつつ、ひとまず安堵。

 それから目をクワッと見開くようにして、なけなしの氣を解放。

 痛みは歯を食いしばって耐え、厠へと疾駆した。

 一部始終を見ていたらしい男の見回り兵が、“やり遂げたな……”って顔で見送ってくれたが、こっちはそれどころじゃなかった……というかフォローくらいしてほしかった。

 

 ───そうして、解放の安堵と痛みによる苦しみにとても微妙な顔をして戻った俺を待っていたのは、ソワソワうろうろと落ち着き無く動き回る先ほどの女官だった。

 手甲製作を頼んでおいた鍛冶職人もそれほど経たずに報告に来てくれて、兵に案内されて現在の俺の自室へと連れてこられた。そこでなんとなくの形と具体的な形とを話し合い、ともかく氣を乗せることに特化した形を頼むことにした。

 知り合いってこともあって、“一刀”、“おっちゃん”って呼び方で気安いやりとりをした途端、女官から殺気が溢れたのでアイコンタクトをして、その場限りの話し方をすることに。

 ……憧れてくれたのは嬉しいけど、堅苦しくなるのはなんとかならないだろうか。

 

「あの、御遣いさま? 思ったのですが、城の、しかも御遣いさまの部屋に鍛冶職人を招くなんて、して大丈夫なのでしょうか」

「呼んだのが俺ならいいんじゃないかな」

 

 こんなことを言い出すし……や、俺が非常識なのかもだけど、雪蓮あたりなら平気でやりそうだぞ? むしろこっちが頼んでるんだから、城に招くくらいはいいと思うんだが。

 そりゃ、冥琳あたりなら別の場所で話し合えとか言いそうだけどさ。

 俺が鍛冶場までいけばよかったんだろうなぁと思う。……けど、ごめん。正直もう動きたくない……! むしろ動けない……!

 なんて思っていると、おやっさんが捻り鉢巻をした頭をこりこりと掻いて、部屋を見渡した。

 

「へぇ、あの。思ったこと、言っちまってもいいですかい、一刀───」

「……まだ御遣いさまを呼び捨てに……!?」

「おわっとと!? そ、そんな怖ぇえ顔で睨まねぇでくれって! ったく、仕官する前からおっかねぇったらねぇなぁおめぇはよぅ! 偏見持たせるために蜀の学校に出したわけじゃねぇだろうによぅ!」

「父と母にはどれだけ感謝しても足りません。無理して学校に出してくれたことは、生涯をかけて恩返しするつもりです。そしてそんな無理が祟って倒れてしまった父と母を治してくれた御遣いさまには、私の全てを以って感謝を返すのです。勉強ばかりでここに帰ってくることさえなかった私が、父と母が病に倒れたと聞いた時、どれほど苦しんだか……! わ、私は……私はっ……!」

「あー……まぁた始まった……。……んで、一刀? どこをどうしてほしいって───」

「……御遣いさまを呼び捨て……!?」

「だからそりゃもういいって言ってんだろがっ!」

 

 やたらと人懐っこい娘だなって思ってたけど、そういう経緯で憧れてたのか。

 そういえばかなり前に蜀の学校で、建業の実家で両親が病気で倒れて……とか書かれた手紙を手に、泣いてた娘に声をかけた覚えが……。

 呉から蜀への道も楽じゃないし、少なくなったとはいえ山賊盗賊から身を守るための兵を雇うのもタダじゃない。そのあたり……まあようするに、金銭の工面でご両親が無理をしたのは想像に容易いし、病気の両親のもとへ戻るために学業を諦めて兵を雇って帰るとなると、さらに金の問題が、という状況だった筈だ。

 

(ああ……)

 

 ……そうだった。丁度片春屠くんに乗ってたから、俺が行くって言ってお節介したんだっけ。華佗は居なかったから俺がやるしかなくて、その時の娘にはきちんと勉強をするようにって言って、俺は呉に突撃して。着いたら着いたで“病気の夫婦は居るかー!”って叫んで、誰が誰だかわからなかった有様で症状のひどい人から氣による触診を始めて、相手の内側を氣を通して覗いて病魔を潰してゆく。

 そうして虱潰しをしたのちに、氣の使いすぎと集中のしすぎでぶっ倒れたことは恥ずかしくて忘れたい過去だ。……だから今さら思い出したってこともあるんだろう。うん、恥ずかしい。

 

「御遣いさまは倒れるほどの治療を続けてもまだ、民を一番に見てくださったんです……! 感動しました……! この人のためならと学業ももっと頑張りました……!」

「で、見事仕官したはいーけど、一刀ん周りにゃ乱世の英雄ばっかが集まって、出る幕がなかったって話だろ、聞き飽きたって」

「みなさんの腕っ節や頭の良さがどうかしているんです! どれだけ頑張っても追いつける気がしませんよ!」

 

 涙目だった。

 うん。あの人たち、ちょっとおかしいってくらい能力が異常だよね。

 正常であったなら、俺もまだ追いつけたんだろうけどさ。

 でもね? 俺ね? そんな中でもとびっきりの人に勝てるくらいまで強くならなきゃいけないんですよ? 目標が高いほうが鍛え甲斐がある……そう思っていた時期が、僕にもありました。───今でも変わってはいないけどね。その道の途中で泣くくらいは許してくださいお願いします。

 

「はぁ……ま、とりあえず口調もきちんとしねぇとこいつがうるせぇから……ん、ごほんっ! あー……御遣いさま?」

「すごい違和感だ」

「そう言わんでくだせぇ、って。じゃねぇとほれ、こいつがものすげぇ睨んでくるんだから。で、ひとつ言いたいことがあるんですがね」

「あ、ああ、うん。きょろきょろしてるあたり、予想はつくけど。どうぞ」

「へぇ、それじゃ。……なんというか、あまり……その。御遣いさまって感じの部屋じゃあねぇですなぁ」

「なっ……! みみみ御遣いさまになんてことを!」

「ああ、いいっていいって。殺風景だって自覚はあるし。ていうか言葉のたびに怒ってたら疲れるだろ、落ち着いて」

 

 実際、都の部屋もここと変わらないもんなぁ。

 ただ勉強用の本とかがあるくらいで、あとはバッグと木刀だけと言っても過言じゃない。大体、ごっちゃりと私物があったところで何が出来るわけでもない。

 なのでこの話題も長くは続かず、図を引いては手甲のことを話し合った。

 

「御遣い様は、なぜ手甲を? 武器は木刀でしたよね」

「最近は体術にもハマっててねー」

「はま……?」

「夢中になってるってこと。でも素手で殴るとやっぱり痛くてさ。衝撃を霧散させちゃうと装填出来ないし、だったら衝撃を受け止める役は手甲に担ってもらおうかと」

 

 なので手甲だ。

 その手始めとして鉛筆……黒鉛と粘土を混ぜて固めたものを手に、白板に図を書くわけだ。絵が下手なのは相変わらずだが、気にしない。

 

「こんな、丸っこい手甲でよろしいんで?」

 

 と、描いているところへおっちゃんが話しかけてきた。

 丸っこい……うん、丸っこいな。

 

「相手の武器を逸らすことも意識してるから、ゴツゴツ尖ったものよりも丸っこいほうがいいんだ。……出来るかな」

「ええ、そりゃもう。むしろごつごつしたものよりも楽でさ。ただ、どれくらい硬くするかで重量も決まってきやすが……」

「えっと、そうだな。愛紗……関羽の攻撃にも耐えられるくらいので」

『無理です』

「即答!?」

 

 しかもハモった。

 ああうん、まあ、そうだよなぁ。華雄の一撃でもレプリカが折れるこの空の下。あの関雲長の一撃に耐えられる材質がございますかと訊かれれば、それはもちろんございませんと唱えましょう。

 だがしかしでございます。なにもまともに受け止める気はないのだ。受け止めたら腕が折れるだろうし、むしろ折れた手甲に圧迫されて複雑骨折しそうだし。つまりは逸らすまでの間を耐えてくれる材質であればいい。それ以上を望むのは欲張りすぎってものだろう。

 

「多少重くなってもいいから、硬さ重視でお願い。一日やそこらで使いこなせるようになるつもりなんてない……というか、つもりがあってもどうせ出来ないだろうから、時間をかけて慣れるつもりなんだ。あとは都の真桜……李典とも相談して、氣を通し易くしてもらうつもりなんだ」

「氣を、ですかい。あっしは氣についてはさっぱりでやすからねぇ……よっしゃ! そんじゃあ形や材質は任されやしたっ! 随分前になりやすが、工作設備について李典様にゃあお世話になりやしたし、その形だけでも立派にしとかにゃあ笑われちまいやさぁ!」

「鉱石とかは?」

「そっちも抜かりなしでさ。それも同時期あたりに玄徳さまが雪蓮ちゃ───げっほごほっ! 孫策さまに教えてくだすった採掘場で取れたやつがありまさぁ!」

「そっか……ああ、あれか。俺が戻ってくる前にやってたっていう」

 

 俺が戻ってくる直前、桃香と雪蓮が良い鉱石が採れる山とかについて話していたんだとか。学校の話が出たのもその頃で……もう随分経ったなぁ。ほんと、何度も思うけど随分と歩いてきたもんだ。

 

(……それにしても)

 

 雪蓮は相変わらず、こういう職人にも真名を許してるんだなぁ。

 民にも真名を許してるほどだ、そりゃあ自身が振るう武具を作る人にも許すか。

 でもな、雪蓮。“ちゃん”はないだろ、“ちゃん”は。

 

(呉はほんと、将も民も会わせて家族って感じだもんな。難しく考えなければ真名を許すのも……雪蓮としては当然なのかもな)

 

 誰もが笑って暮らせる天下。

 そこへ辿り着いた結果は今にあるかは……まだまだわからない。

 あとになって振り返ってみれば、“ああなんだ、みんな笑ってたじゃないか”って苦笑するのかもしれないけれど、現時点でやらなきゃいけないことが多すぎて、ゆっくりと後ろを振り向く時間なんてありゃしない。

 安定してやることが少なくなったとしても、のちに待つ仕事がないかといったらそんなことはないわけで。むしろ各国で頑張っている新兵の皆様や新しく仕官した者たちは、目が回る思いだろう。

 ……慣れるまで、地獄だもんなぁ。適度にサボっていた俺が言うのもなんだけど。

 

「手の大きさなどを測りやす。手、いいですかい?」

「っと、ほいほい」

 

 握手するくらいに気安く手を差し出して、いろいろと測ってゆく。

 メジャー……うん、あるんだ、メジャー。

 もう真桜が居て知識さえあれば、なんだって作れる気がするよ俺。

 鉛筆の案もあっさり受け取って、黒鉛と粘土掘ってくれば混ぜて圧縮してあっさり作っちゃうし、空飛びたいって言えば空飛ぶ絡繰作っちゃうし。軽いドリャーモン状態だ。竹コプターなんて作られたら、もう現代を思って泣くところだ。……空トプター(飛べません)でなかったことだけは感謝しよう。死にたくないし。

 

「なるほどなるほど……」

 

 計ったことを手持ちの黒板に書いていくおっちゃん。

 さすがにまだメモは普及できていないので、消してすぐ書ける薄い黒板が今のところの簡易メモの役割を担っている。

 竹簡でもいいんじゃないかと思うかもだが、いつかのメモ騒動の春蘭を思うと……ね。それに墨を持ち歩くわけにもいかない。書いてすぐ乾くならまだしも、筆だって持っていなければならないのだからそう簡単にはいかないのだ。

 なので黒板。メモがなくても薄い小さな黒板とチョーク(改良型)さえ持っていれば、案外どうとでもなるというもので。重くもないから持ちやすいのだ。……紙と比べればそりゃあ重いのは当然だけどね。

 とまあ、そんな黒板のお話はさておいて、話がある程度纏まると、おやっさんは早速動いた。俺も出来上がる手甲に思いを馳せながら身体を癒すことに集中。女官さんには自分の仕事に戻ってくれと頼んで、穿った氣脈の穴を見守りながらの長い長い休憩が始まった。

 



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119:IF2/擦れ違いの胎動②

 

 一日二日と経って、俺の体はついに───……うん、まだ治ってないんだ。

 気を抜くと穿った氣脈の澱みは元の形に戻ろうとするもんだから、その度に穿っていた所為で身体が余計にだるい。自室の寝台でうんうん唸る姿は、人には見せられません。

 ……思うに、最初から開いている氣を練る場所が丹田として、他6つを一気に開いたのなら……氣が充実するまでにかかる時間は今までの約六倍ということにッツ!!

 

(………)

 

 無言で頭を抱えた。

 ただ氣を練る速度が異様に上がったのは確かだ。

 安定していないから六倍とまではいかないものの、軽く集中すれば今まで鍛えた氣脈の大きさくらいはすぐに満たしてくれる。……つまりだ。氣を練る速度は上がったが、最大量を増やしたいなら相変わらず、祭さん直伝の業でなんとかしろってことらしい。

 ……やりすぎると本気でお迎えがくるから、出来ればやりたくないんだけどな。

 辛い分、実感があるのはいいことなんだけどさ。

 

「さて……」

 

 息を吐いて、思考を切り替える。

 帰る時間も考えると、この身体だ……そろそろ出た方がよろしいのですが、どうしたものか。都を離れて……むしろ娘たちから離れて、少しは自分を取り戻せた気はするものの、都に戻るとまた親ばかな自分に戻ってしまう。

 睡眠時間を削って仕事を片付けて、娘たちと遊ぶための時間を強引に作る親。

 なのに時間が出来ても娘たちとは遊べないで悶々とする親。

 ……余った時間を鍛錬に使いたいけど、娘達が居るから鍛錬が出来ない親。

 なんかもういろいろとマズイ。

 もはや娘にバレるとかそんなことを言っていられる状況じゃあないのだ。

 なんとかして愛紗と戦えるようになって、なんとかして愛紗に勝てるようにならないといけない。そのためには、“親が野蛮に武を振るう姿”がどうとかを気にしている自分なぞ殺すべきだ。

 国に返すと決めたならな、一刀よ。親の尊厳よりもまず、国に返すことに生きてみよ。

 この世界を守ることが国に返すことに繋がると信じるのです。

 だって、そもそもこの世界が否定されれば、国どころの話じゃないのだから。

 

「……むっ……む、むむむ娘立ちか……! 一人立ちならぬ、親ばかからの脱出……!」

 

 無理、と叫びたいところだが、そうも言っていられない。

 ああ、いや、待て? そもそも俺、娘立ちどころか……この場合は娘断ちか? ああいやそれはいいとして、そもそも俺、娘たちから嫌われているんだから、俺がどーのこーの言う以前に解決してない? 娘断ちどころか既に娘から離れられてるぞ? 親離れがとっくに成立してらっしゃるよ?

 

「…………」

 

 静かに涙が零れました。

 うむ。もはやなんの憂いも無し。安心して愛紗を目指せる。

 俺は既に親として失格だったのだろう。

 ならば一人の男として……国へ、世界へ返す修羅となろう。

 嫌われているのなら、今さら相手にせずともみんな……きっとみんな、“やっとあの鬱陶しい男が付き纏わなくなった”とか思うに違いない。

 あ、あーっ! なんだー! いーことだらけじゃないかーっ!

 あはっ! あははははは! あはははっ……ウワァアーッ!!

 

「大人になるんだ北郷一刀……っ……娘の成長を喜ぼうじゃないかっ……!」

 

 子供とは親の手から離れるもの。それが、普通より滅茶苦茶早かっただけじゃないか。

 キャッチボールの夢とか料理を作ってもらう夢とか全然叶ってないけど、もう親離れなんてとっくに終わってるんだからしゃーないさー! うわははははぁーん!!

 心で叫びながらさめざめと泣いた。

 泣いて泣いて、落ち着くと……もはやこの北郷に迷いはなかった。

 親の北郷は今死んだ! 今よりこの北郷! 御遣いとしての最後の戦を勝利せんために血で血を洗う修羅道を突き進むものなり!

 故にこれより、たとえなにか不思議な力が動いて娘が“ととさま大好き”とか言ってこようとも、この北郷は迷うことなく

 

「メガンテ!」

 

 自爆!? いやいや落ち着け! そこは普通に突き放そう!? なんで自爆!? 拒絶できないくらい嬉しいのに拒絶しなきゃいけないからって、娘もろとも自爆って何を考えてやがりますか俺!

 そう、なにも自爆することはない。そこはやさしく、死んだ親北郷にメガザルを……ってだからどうして自爆に走る!? 親北郷は復活しても御遣い北郷が死ぬよ!? ……親ばかが復活するなら結局そうなるのか。なるほど納得。じゃなくて。

 

「───」

 

 あ、あれー……? なんだこの“死んだ親北郷が蘇生してほしそうにこちらを見ている”的な状況。ほんと、なんだこれ。だが無視だ。とりあえず娘のことを考えることをやめるところから始めてみよう。

 親ばか卒業。

 俺はその道を歩むと決めた。親北郷……お前は親らしく娘の成長を喜んでいなさい。

 その剥き出しの親ばかなぞ捨てて、話しかけられても普通に返すだけの“ただの親”であれ。それ以上でもそれ以下でもない、ただの親に。

 

「…………《……ィイン……》」

 

 集中して、感情を抑える。

 愛娘ではない、ただの娘と思えと自己催眠をかけるように。

 そしてひたすらに未来を願う亡者になれ。

 誰かに力を隠していて目指せるほど、愛紗が立つ位置は低くない。

 華琳が目指した覇道を、華琳が歩んでいる覇道を、今でこそ皆で歩んでいる覇道を、ただの枝の先の、時が来れば崩れるだけの世界で終わらせないために。

 

(そうなんだよな。勝てなきゃ否定されて、この外史も他の外史のように壊れて終わる)

 

 “その人の世界”が、“その人”が亡くなった状態からどれほど保つかなんてことは当然知らないが、だからって否定を許せる自分じゃないし、最後に俺だけが残るのだとしても……みんなが大往生できる素晴らしい覇道だったと肯定したい。

 だから勝たなきゃいけない。勝って、役目を終えて……自分の世界に戻ったら、そこで待っているであろう貂蝉に銅鏡をもらって───……

 

(……貰って、どうするんだろうな)

 

 とんでもない願い事をする、と言ってみたものの、正直纏まっていない。

 ただ、何も決まっていないからって否定を許せるとも思えない。

 じゃあ、なにを願うのか。

 苦労して銅鏡を作って、連鎖の終わりを願った彼を、何も知らなかったとはいえ邪魔してしまったらしい俺が……今さらなにを。

 

「……なにって。否定を拒絶するなら、肯定しか出来ないじゃないか」

 

 だから。そう、だから。

 

(せいぜい、とんでもない肯定を願ってやろう)

 

 そう考えたら、本当にとんでもない願い事がポンと頭に浮かんだ。

 たぶん、それは最高の願い事。

 肯定を願うのなら、そうだ。とんでもない肯定をしてやればいい。

 そのためにも勝たなきゃ。

 否定されないためにも、勝たなきゃ。

 

「すぅ…………ふぅ」

 

 胸をノックする。

 途端、体中に激痛が走ったけれど……それを噛み締めて、刻み込んだ。

 この痛みは忘れない。

 目が覚めるような痛みに、親ばかを鎮める躊躇も吹き飛んだ。

 

「……よし。いくか」

 

 キッと前を見て歩き出す。

 数歩進んで……がくりと膝から崩れ落ちた。

 

「いっ……痛っ……いたっ……痛い……!」

 

 氣脈がひどいことになってるのに強めのノックはやりすぎでした。

 む、無理っ……歩くだけでズキズキって震動が……! よもや歩けなくなるほど痛いとはァアッ……!!

 い、いや。これからあの愛紗に勝つための鍛錬の日々が続くんだ。

 骨の一本や二……さ、三? 四かもしれない……ご、五以下だといいなぁ。

 ともかく、いろいろな部位破壊を覚悟しなくては。

 え? 空? 空は飛ぶこと前提ですが?

 やだなぁ、俺が将と戦って、空を飛ばないわけが───落ち着け。

 

「……はっ……はははは、ぷっ……くっくっく……!」

 

 負ける未来しか思い浮かばん。

 でもまあ、じいちゃん相手でもそうなんだから仕方ない。

 せいぜい頑張ってみよう。“愚かなりに素直に”と書いて、愚直に。

 

「まあそれはそれとして、そろそろ手甲が出来てる頃だよな」

 

 後回しでいいって言ったのに、鍛冶職人の皆様がやる気を出してしまった。

 “最高の手甲を作ってやろうぜェエエ! ウオオオオオッ!!”って感じだった。

 止めたよ? 俺。もちろん止めた。

 でもね、熱くなった男ってね、人の話なんて聞かないんだよ。俺も含めて。

 何かに夢中になって熱くなる……熱中って言えば一言なそれの時は特にね。

 熱中している時に話しかけてくる者に対して鬱陶しいと思ってしまうのは、ある意味勝手な話しなわけだが……自分もそうだからあまり強く言えない。

 まあその。集中はいい。ただ、熱中はほどほどに。

 熱くなってるから、昂ぶった感情を相手にぶつけてしまうことが多々ある。

 そういう時に自分をコントロール出来る自分でいよう。

 ようするに、奇跡が起きて子供に話しかけられても、熱くなった心のまま怒鳴ったりしないようにしような、俺。

 ……いや待てよ? 冷たく突き放すことで、失って初めて親への愛に目覚めるなんて奇跡も───

 

「ないな」

 

 妙に冷静に言えるあたり、もはや涙も枯れ果てたわ。

 いい加減受け入れろ、北郷一刀。そして諦めるんだ。

 立場ってものを受け止めて、ただの親としてそこに在ればいい。

 自分が親だなどと公言して回るまでもなく、俺が居たから彼女らが生まれた。

 それでいいじゃないか。

 彼女らにとって、俺の価値はそのあたりだって思えばもう諦めもつくだろう。

 そ、そうだよな。禅だけでも慕ってくれるなら、もうそれでいいじゃないか。

 どっ……どーせ禅だけ俺に甘えても、他の娘は全然甘えてこなかったしー!? 抱っこしたって私もーとか言ったりもしなかったしー!?

 

「……考えれば考えるほど覚悟が決まるのってナツカシー……」

 

 ようはあれだ。いい加減に子離れしなさいってだけの話だろう。

 8年だ。8年一緒に居られりゃ十分だったろ。

 がっ……学校の友達だって、何処に進むかで別れるわけだし、8年一緒ってのは結構長いもんだ。長いもんだから…………

 

「………」

 

 すぅはぁ。息を吸って吐いた。

 目を閉じてそれを何度か繰り返して、やがてゆっくり目を開くと、心は随分と落ち着いていた。

 今さら希望は抱かん。乱暴な口調のままに受け入れちまえ。

 俺はきっと、子供とも付き合い方を間違えちまった。

 隠し事をしたのがまずかったとか、慌しい姿を見せたくなかっただとか、そういうのはなんか違った。よく見たり聞いたりした言葉があっただろう。それに気づけなかっただけなのだ。

 

  “子供は親の背中を見て育つ”

 

 俺には……そんな立派な背中を見せてやることが出来なかったってだけの話だ。

 いや、ほんと……まっこと尊敬。

 お父様お母様、育ててくれてありがとう。いろいろと親不孝でごめん。

 でも言い訳をさせてもらえるなら、俺、もっと子供の頃に二人に遊んで欲しかった。

 

「さぁて、子供たちはどういう反応見せるのかね」

 

 急に鍛錬しだして、仕事しだして、今さらだとか言うのだろうか。

 ……それも面白いかもな。その視線ももう気にしないで頑張ろう。

 今さらどんな目で見られようと、指差されて笑われようと、向かう場所は決まっているのだ。その先に行くためなら、氣脈の痛みだって受け入れて順応していこう。

 そういう意地が生まれてしまった。

 この世界を……否定なんてさせてやるもんかと。

 

……。

 

 結論から言うと、その日の内に建業を発った。

 手にはしっかりと手甲をつけて、結構ずしりとくる重量に引かれて痛む体を庇いつつだ。よたよた歩く姿は実に奇妙に映ったことだろうに、某女官はいつまでも手を振って別れを惜しんでいた。

 ……なんか、いつか枕元に立ってそうで怖い。

 なんてことを考えたらいつかの思春を思い出したわけで。

 思春も落ち着くまではすごかったもんなぁ……軽くストーカー化してたというか。内側に入った人への気安さというか遠慮の無さは異常だったなぁ……。

 娘に俺のことを訊かれても、そっぽ向いてあることないこと言うもんだからすっかり悪者な俺が完成したし……事実も混ざっていたから何も言えなかった俺も悪いか。事実が混ざるような生き方をしている時点で、誤解への細かな否定すら出来ないとは……。

 

「はぁ……」

 

 今日の一人反省会は長い。

 いざ子供を気にせず思い切りと考えると、今まで子供のために割いていた思考回路がいろいろと考えるべきを探しているようで……どうもすっきりしない。

 や、切り替えは叶ったんだ。ただ、考え事をしないで来た道を帰るには、ちと長い。

 

「……集中すれば、余計なことは考えずに済むのは利点って……今は考えていいか」

 

 好かれようと手を伸ばし続けた。だめだった。

 料理で誘おうとした。普通だと鼻で笑われた。

 仕事をしていると言ってみたことだってあった。……白い目で見られた。

 もう十分頑張ったよ俺。避けられてからの数年間がどれだけ辛かったか。

 もういいじゃないか、もう解放してやろう、自分を。

 だから───

 

「集中」

 

 言葉にしてキンッと意識を集中させる。

 当然、強くなるための集中。

 他の一切など気にしないで、ただ只管につよくなるため。

 それでいいだろ? ………………いいよな。

 重要な使命がどーとか、そんなことを言いたいんじゃない。

 守るためだとか、未来を掴みたいとか、大げさに言うんじゃなくてさ。

 もうさ、俺だけの話じゃ無くなってる。それはもちろん最初からで、“もう”だなんて言える立場でもないんだろうけどさ。

 平和にかまけて強くもなく弱くもない場所に居続ける自分なんて捨ててしまおう。

 拾った覚えもないそんな自分だけど、娘のことを考えなければもっと鍛錬できたはずだ。娘と仲良くしようと思わなければ、もっと出来ることもあった。

 ほら。結局はそうなんだ。

 俺は娘たちとの付き合い方を間違えた。

 頑張れば今からでも修正できるんだろうな。それは経験から言って絶対に絶対。

 でも……今はそれでいい。

 強くなろう。他のことを一切忘れる勢いで。

 

「まずはこの痛みに耐えつつ、都に戻ることから始めよう……」

 

 道は長い。のんびり行こう。

 のんびりと……のんびりと………………歩くだけで痛い……!

 でもほんと、早めに出ないと相当遅くなりそうだし、到着がいつもより遅れたら華琳になにを言われるかっ……! なので帰る。帰ると言ったら帰るのだ。

 

「………」

 

 ………………なんだろう。

 こう、青空の下、広い草原を歩いていると、無性に人恋しくなる。

 一人だからかなぁ。

 やっぱりどっか行く時は誰かと一緒がいいな。

 8年前にも華琳に怒られたのに、俺も懲りないなぁ。

 なんて思っていた時だった。

 

「お~い、一刀~っ」

 

 後ろから聞こえる声。

 振り向いてみれば、荷馬車を揺らしてやってくる……行商のおやじ!

 

「よかったよかったまだ居やがったかぁっ! 俺もこれから都に向かうんだがよ、一応なんというかこう、護衛が欲しくてな? なんでも山の途中に虎が巣を作ったとかいう噂があってよぅ。まあ、ねぇとは思うが良かったら護衛代わりを務めちゃくれねぇか? 代わりに乗せてってやるからよっ」

 

 傍から見れば、御遣いを護衛に付かせる無礼者~とかなんだろう。

 しかし今の俺にとっては救いの神だった。

 なんか早速挫けているような気分だが、このまま進むのは辛すぎる。

 なのでお言葉に甘えよう。

 大丈夫、虎の巣の位置も覚えているから、そこを避ければ問題ないだろう。

 なので喜んで乗せてもらうことにした。むしろこっちから頼みたい。

 

「ははっ、随分とまあふらふらじゃねぇかよぉ一刀。ま~た無茶なことでもしたんだろ」

「うう、返す言葉もない……」

「だっはっはっは! まぁよ、おめぇはそれくらいな方がおもしれぇやなぁ! 支柱になろうが親になろうが一刀は一刀だ! ……俺達の、大事な変わり者の子供だよ」

「……おやじ」

 

 なんだか、じんときた。

 照れるとかじゃなく、素直に感謝が浮かぶ。

 荷馬車に乗りつつありがとうを言うと、おやじこそが照れて慌て出したりしたが、なんか……それが“家族”みたいに思えてくすぐったかった。

 傷つけ合うようなきっかけがあって、親父と呼んで一刀と呼ぶ関係が出来た。

 そんなおかしな関係の俺達だけど、悪い気がしないうちはいつまでもこうして笑えたらって思う。呉は、なんだか暖かい。もちろん他の国もだけど、魏では隊長さんと呼ばれ、蜀では先生と呼ばれたり……将のみんながご主人様と呼ぶからか、御遣い様と呼ばれたりだ。

 でも呉は違う。変わらず一刀と呼んで、息子に接するみたいに気安いし……俺も、そんな気分のまま気楽に居られた。

 ……やっぱり、親ってすごいなぁ。子供に安心を与えられる親は特に。

 俺はそこまで出来なかったなぁ。

 やろうと思えばまだまだ頑張れるだろうけど、それをして……果たして愛紗の強さに辿り着けるのか。それが不安で……自分でも“ああ、これは逃げなのかな”と思ってしまうあたり、まだまだ自分は弱いんだなって思う。

 

(大人になったつもりでも支柱になっても親になっても、人は急には強くなれないんだなぁ)

 

 そんな当たり前のことを、当たり前として受け止めていられなかった。

 人は順応出来る生き物だけど、順応には時間がかかる。

 俺みたいな若造がわかった気でいるのと実際にわかるのとでは、十数年どころか数十年は必要なんだろう。もしくは、受け止め方も知らないままに死んでゆくのだ。

 ……そんなのは嫌だと思う。知る努力をしたのなら、たとえ今際の際だろうと知ろうとしたことを知ってから逝きたい。そんな願いさえ簡単に砕いてくれるのが“この世”ってことも、まあ知っているわけだけど。

 

「難しい顔してやがんなぁ。もっと笑っていけって。空元気も元気のうち、だろ?」

「……ん。そだね」

 

 ゆったりと進む荷馬車の上、おやじの隣で、青い空を見上げながら苦笑した。

 

 ……なにかのきっかけでめっちゃくちゃ強くなれる。

 そんな状況に憧れなかったわけじゃない。

 漫画、小説、アニメ。見ていて“俺だったらこうして”とか“なんでこうしないんだか”とか溜め息を吐くことだってあり、自分が強くなった瞬間っていうのを想像する。

 

  “鍛錬? 必要ねぇよ、だって俺ならすぐ強くなれるし”

 

 そう思う人もきっと居るんだろうなぁとか思う。

 思ったとして、それは本当に叶うのだろうか。

 叶ったとして、鍛錬もしていない力を心から信頼して、思いのままに操れるのだろうか。

 俺だったら無理だ。

 試してもいない力を無遠慮に行使するのは怖いと思う。

 力があったとしても、鍛錬してきちんと“自分の力だ”と受け入れてからじゃなくちゃ行使を躊躇するだろう。

 “俺だったらこうして”も、“なんでこうしないんだか”も、その鍛錬の様を見られている主人公は俺達と同じ思考回路を持っていないのだから、当然通用するわけがない。

 俺じゃない誰かなら……今の俺を客観的に見ることが出来る誰かなら、もっといい方法を選べたのだろうか。子供とも仲良く、鍛錬も満足に。

 

「……前提の問題か」

 

 隠すことなどしなけりゃよかった。結局話は最初に戻るわけだ。

 今から全てを曝け出して変わった何かを見て、果たして最果てを思って焦っている自分がやさしく受け止められるのかどうか。

 最初から正解の全てを引いて、誰も彼もが笑っていられる状況───そんな願望に、今からでも辿り着けるのかどうか。

 

「………」

 

 今があるからいいと受け入れて、気が緩んで、最果てで否定に敗北して後悔することになったらと思うと……そんなものは頷けそうもなかった。

 




マウスが壊れましたが、同じものを買って事なきを得る。
ワイヤレスの光学マウスなんですけど、同じものを買ってもセンサーは別だったりするんですね。
USBに前のマウスの受信側のものをつけていたんですけど、きっちりと今回購入したものじゃなくちゃ反応しませんでした。
いやいや丁寧。


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120:IF2/人=タイミングに縛られる生き物①

172/誤解、戸惑い、擦れ違い様に静泣

 

-_-/曹丕

 

 歯を食い縛って耐え、辛さに体を順応させてゆく。

 三日などとうに過ぎ、十日を過ぎてもまだ土まみれの日々は続いた。

 鍛錬以外に服を汚すことなどなかった自分にとって、警備隊の仕事は過酷だとはっきり言えた。

 

「はっ……! はぁっ……!」

 

 今日も青空の下、賑わう街を駆けている。

 無駄口は叩かない。

 無駄を口にすればそれだけ体力を消耗する。

 氣を使わないで動かす身体は、氣でそうするよりも遥かに重く、すぐに痛んだ。

 三日休むなどという余裕もなく襲い続ける痛みに顔が歪むけれど、街で起こる諍いは休息し終える時間など待ってはくれない。

 鍛錬で周囲に吸収が早いなどと言われ、調子に乗っていたと自覚すると、男を下に見る理由など霞んだ。

 女だから男だからなど関係ない。

 この天下は……男も女も居たからこそ叶ったのだから。

 ある日にそれを知った。

 将が女だけで、女だけが強いのなら女だけで戦っていろと男が言えば、女は戦ったのだろうか。別の国が兵を連れて突撃する中、女だけが駆ければ果たして勝てただろうか。

 以前の自分だったら頷いていたかもしれない。

 男と見れば下に見た自分はしかし、氣を使わなければ警備隊の疾駆にさえ満足に追いつけなかった。

 

「ほれ新入りぃっ! ぼさっとするなぁ!」

「───っ!」

 

 無駄口は叩かない。

 前を走る、やたらと私に絡んでくる男に頷き返し、今日も諍い処理。

 魏の警備体制の見直しをして治安を良くしてみせた者とも長い付き合いとなる彼は、隊の中でも発言力がある。凪や真桜や沙和を除けば最も“彼”に詳しい人、だそうだ。

 よく話題に出る“彼”に付き合って鍛錬もしたことがあるらしいが、当日に吐き、翌日に全身筋肉痛で苦しみ、その翌日に行動が遅いと凪に怒られ、さらに翌日に少しずつ回復に向かい……その翌日に同じく鍛錬に付き合い、泣いたそうだ。

 そんな自分の過去を笑い飛ばして語る辺り、彼にとっては既にいい思い出らしい。

 

「頷くんじゃなくて返事っ! お前はいつでも誰かに見られているつもりかぁっ!?」

「目を合わせて頷いているのだからいいでしょう!?」

「返事がねぇから振り向いたんだろが! 警備隊に志願するやつなんざぁなぁ、民と楽しげに会話するところばっか見て“楽そうだから”なんて理由のやつばっかりだ! 実際やってみりゃあ一日目が終わる頃には死んだ目で吐いてやがる!」

「それが私となんの関係があるというのよ!」

「走ってる途中で逃げた馬鹿が居るんだよ! お前さんはついてくるがなぁ! だから面倒でも嫌でも返事はしろ! 足音で気づくだろうなんて返事は無しだ!」

「っ……」

「お、お?」

 

 後ろを振り向きたくないのならと、横に並ぶ。

 一気に身体に負担がかかるけれど、横に並べば先ほどと同じ速度で走ればいいだけだ。

 ふふん、どう? これなら文句はないでしょうと笑むように睨んでやると、彼は速度を落として止まった。

 

「おいこらー? 急いで何処行くんだー? ここだぞー」

「なぁっ!?」

 

 慌てて止まる。

 無理に止まった所為で余計に疲れて、だらしなく息を乱しながら戻ってみれば争いをしているらしい……春蘭。

 ………………母さま。私、もう帰りたい。

 なんなの? 騒ぎを起こすのが民や兵じゃなくて、主に将ばかりってなんなの?

 ……い、いえ、落ち着きなさい曹子桓。

 こんなところでいちいち目くじらを立てていては、偉大なる母には追いつけない。

 私の目標は母を越える者になること。

 これくらいのことで動揺して、怒りに任せて今までの鬱憤を春蘭にぶつけるなど───

 

「だからさっきから言っているだろうに。小さな胸はあれはあれで良いものだと。お主はあれか。主と曹操殿との間に生まれた子の胸まで曹操殿と比較するという気か」

「華琳様の胸は至高だ! そしてその娘たる曹丕様も例外ではない! 日に日に成長してゆく曹丕様の胸を見ては、いつ膨らみが止まるのかとはらはらする日々だ! あれがもし華琳様のものより大きくなったとしたら、いったい華琳様はどのような反応を───」

「何を天下の往来で人の胸のことを熱く語っているかこの馬鹿者はぁーっ!!」

 

 ───無理でした。

 どうやら話し相手が居たらしく、趙雲が叫んだ私を見て「おや」などと呟いた。

 

「はっ!? そ、曹丕様っ!? 丁度良いところに! この愚か者が華琳様と曹丕様の胸を侮辱したのです!」

「私としては人が集まる中で人の胸のことを絶叫するあなたのほうがよっぽど愚か者に映るのだけれど!? そもそもそれはここでするべき話なの!?」

「はっはっは、いやなに、そこの茶屋で珍しくもこれと出会いましてな」

「貴様ぁ! 人を指差して“これ”とか言うな!」

「春蘭、少し黙っていて……」

「うう……曹丕さまぁ……」

 

 黙れと言われてしょんぼりする姿は、母さまに言われた時と変わらないらしい。

 

「私はまあ、飲むものとくれば酒ばかりなので、たまには茶を選んでみようと思い、こうして寄ったのですが。どうやら曹操殿にお使いを頼まれ……いや、強引にもぎとったのでしょうなぁ。買うべきものが書かれた“みに黒板”を持った愚か者が、ほれ」

「だから指を差して言うなと!」

「まあ、もぎとったという言葉は頷けるわね」

「曹丕様!?」

 

 それはわかったけれど、茶の話からどこをどうすれば胸の話になるのよ。

 そう問うてみれば、茶と筋肉の関係についてを語られた。

 お茶には筋肉に必要なたんぱく質なるものの吸収を妨げる成分があるらしく、鍛錬前後の摂取は好ましくないとか。「……だからどうしてそこで胸の話になるの」と問うてみれば、筋肉という土台がなければ、良い胸は成長せぬということを語ったらしい。

 ようするに覇王に喧嘩を売っているのかこの人は。

 

「喧嘩などとはとんでもない。私は事実を言ったまでであり、曹操殿の胸のことを勝手に語り出したのは夏侯惇だ」

「……え? そうなの?」

「ええ。私はただ、夏侯惇の胸のことを言ったまで。お主のように張った胸のおなごが茶を飲むと、将来的に大変なことになるぞと。……何故かそこから“ならば曹操さまの胸は永遠に輝き続けるなっ”と。ああ、曹操さま、という部分は真名で想像してくだされ」

「………」

 

 頭痛い。

 帰っていいかしら。割と本気で。

 

「本当なの? 春蘭」

「もちろんですっ! 華琳様のお美しい胸は永遠の輝きを───」

「そう。じゃあこのことは私からきっちりと母さまに伝えさせてもらうわ。よかったわね春蘭。あなたには母さまから、とてもありがたい褒美が下りるわよ」

「ほ、褒美……? そんな私はただ当然のことを……うへへ」

 

 とろけた顔でなにやら呟き始めた彼女をほうっておいて、溜め息を吐いた。

 そこへ、「大変ですな」と趙雲が笑いながら話しかけてくる。

 

「お願いだから、こんなくだらないことで警備隊が駆けつけるほど騒ぎを大きくしないで頂戴。走る方の身にもなってほしいわ」

「ふふっ、それは無理な相談だ。そうしたことの積み重ねで、街は日々を飽きずに過ごせるのですよ。誰か一人が楽をしたいからという理由で、人々の娯楽のひとつは消せませぬ」

「ええそうね、それが私にとっても娯楽であるのなら頷けたのでしょうけれど」

「ならば娯楽にしてみせればよろしい。苦痛も苦笑に、苦笑も笑みに変えられた時に、ようやく見える世界もありましょう。そうして笑んだ先で、それまでの自分を笑い捨てるか受け入れるかは自分次第。そこからを好きになさるといい」

「………」

 

 この都には様々な物事の“達人”が居る。

 言ってしまえば先人というもので、習おうと思えば様々を学べる。

 一歩進めばその道の知識の鬼に出会えるような場所で、覇王の娘なんて肩書きなどは飾りのようなものだ。実際、私はまだほとんどのことを知れていない。

 当初の目的である警備隊に入ったきっかけもまだだ。

 人に出会えばありがたいお言葉を齎され、その度に学ぶわけだけれど……学べ学べと言われ続けているようで、正直な言葉で言うのなら“疲れる”。ただ、学べることも事実であって、反発しかしない我が儘を振り翳すつもりもない。

 そう考えれば益々母を尊敬するわけだ。

 そんな人々の上に立ってみせた母。

 届かぬ存在と思ったことは何度もあるけれど、諦めようと思ったことは……ない、と言えないが、諦めるつもりは今のところはない。

 私は母に認められたいのだ。

 だから学べる既存は学びつくして、まだ見ぬ何かを自分で拓ける自分になりたい。

 ……そんな目的は、目の前の彼女が言うように“娯楽”に出来るものなのか。

 

(…………違うわね)

 

 出来るものなのか、と考えている時点で、出来るかじゃなくてやろうとしていない。

 してしまえばいいのだ。彼女だってそう言ったのだ、してみせればよろしいと。

 それを民が娯楽として受け入れられるのかと言えば絶対に違うだろう。が、決めた。

 私は私の目的を日々の糧とし生きよう。

 わくわくするのであればそれは娯楽と受け止める。

 

「おや。妙に顔つきが変わったと思えば。先ほどまでの疲れ果てた顔は、もう良いのですかな?」

「やりたくもないことを続けていれば疲れもするわ。ただ、そこに目的があるのなら、こんな疲れる日々も手段のひとつでしかないと気づいたのよ。母がよく言っているわ。様々を興じてこそ王だと。楽しんでやろうじゃないの、辛さも、謎解きも」

 

 フッと笑ってみせると、趙雲は遠慮することもなく笑った。

 本当に遠慮がない人だ。子供だからと遠慮は無用の通達は知っているのだろうし、今さら遠慮されてもとは思うけれど……この笑いは正直むかりとくる。

 

「目的といえば子桓様……おっと、遠慮無用とのことでしたな。では子桓殿。お主は警備隊の内情について知るために入ったと聞きましたが」

「ええそうよ。……傍に指示を出す者が居るところで言うべきことではないでしょうけれど」

 

 ちらりと見ると、一緒に駆けてきていた彼が、赤い顔でうねうねと奇妙に蠢いている春蘭をどうにかしようと必死に語りかけていた。

 趙雲は趙雲でそんな二人を見ては袖で口元を隠し、くすりと笑う。

 

「警備隊の内情か。なるほどなるほど、それはまた中々に愉快。しかし警備隊というものに入ったのなら、あまり苦労はせずに手に入る情報もござろう。あまり気負いせずに励まれるがよろしい」

「……くすくす笑いながら言われても、奮い立つのはやる気ではなく腹と苛立ちなのだけれど?」

「はっはっは、なに。お主が調べている人物のことは私としても無関係ではござらん。彼は私の友でもある。私が思うこと願うことは、どうかもっと彼のことを知ってほしいということだけ」

「友? あなたの?」

 

 ……それはまたなんとも。

 知るのが少し怖くなってきた。

 

「おや、微妙な表情。心配せんでも彼の人の良さは私と冥琳、ねねと焔耶が保証しましょう。実際に彼のお陰で警備体制も良くなったし、学ばされたことも様々だ」

「め……っ……あの周公瑾が?」

「学ぶということよりも冥琳の名に反応しますか。まあわからんでもありませぬが」

 

 ふむと一息。それから彼女は語ってくれた。

 彼女と周公瑾と友達関係にある男のことを。

 聞けば聞くほど信じられないような人で、氣が未熟な時に周公瑾を命がけで救ったことがあり、仕合の際に趙雲から一本取ったことがあるそうだ。

 すごい。

 そんな人の名が知れ渡っていないなんて何かの冗談だろうと思うくらい。

 ……そこまで考えて、ふと思った。

 知れ渡るもなにも、もしや既に死んでしまっているのでは、と。

 だから知られることがないのではと。

 死、と考えて、ふと頭に浮かんだのが呂琮の言葉。

 

  今、父と思っている人はお手伝いで、本当の父は───

 

 ……そこまで考えてぞくりと震えた。

 もしも、仮にもしもそれが真実なら、もしや私の本当の父はとんでもない人であり、あの父は育ての親というだけの話に……。

 だから情けなかったのだ、だから弱かったのだ、だから仕事などなかったのだ。

 “仮に”が頭の中にある疑いから理屈を固めてゆき、どんどんと答えを作る。

 その答えが私の中で固まってしまえば、もう私はあの男を父として見ることなど絶対にないだろう。それでいいのだ、と心が笑う。

 けれど……

 

  やさしく笑い、頭を撫でてくれた感触を、今でも思い出せる。

 

 そんなやさしさまで否定していいのだろうか。

 勝手に真実だと思い込んだことで否定してしまって、本当にいいのか。

 ずっとなにかが引っかかっていた。なにかおかしいと思っていた。

 子供の頃、父を拒絶してしまったあの日、私は───

 

 

  まあとりあえず、俺は丕の前ではてんで仕事はしてないな。それは事実だ。

 

 

 …………え?

 

「あ……」

 

 丕の前で。

 あの日、父はそう言った。

 今でも思い出せる。苦い思い出だ。友達だと思っていた子たちに拒絶された日。忘れたいことほど忘れられない人って存在は、そんなことばかりを思い出せる。

 だから覚えている。あの時は悲しむばかりで拾えなかった言葉でも、なにかがずっと引っかかっていた。

 私の前では。私の前ではと言ったのだ、あの人は。

 

(待って……待って、やだ、待って)

 

 そうだ。

 考えてもみれば、私はあの人といつも一緒に居たわけじゃない。

 部屋にはずっと入れてもらえなかったし、自分が寝ている時だってあの人が何をしていたかなんてことは知らない。

 私はただ一方的に嫌っていただけだ。

 思い込みを抱いて、勝手に距離を取っていただけ。

 

(ち、違う。違う)

 

 そうだ、違う。

 もしそうだったら、私はただ一方的に誤解をして見下して、冷たい言葉を放って突き放していただけだ。誰も教えてくれなかったなんて言い訳にはならない。

 書類整理が主だと言っていた。支柱をやっているとも。そうだ、妙に棒読みみたいな喋り方だったけど、答えていたのに。

 自分のことでいっぱいいっぱいで、まともに受け取ることもしなかったのだ。

 

(………)

 

 最低な考えが頭の中をぐるぐると回っている。

 あろうことか、自分の罪悪感から逃れたいがために、父がだらしのない男であってくれだなんて思っている。

 そうじゃないことを望んでいたくせに、ひどい掌返しに吐き気がする。

 

「おや、どうかされたか?」

「……べつに、どうもしないわ」

 

 ただ、ひどく身勝手な自分に吐き気がしただけだ。

 一度こうと決めてしまうと、それをひたすらに基点に置くのは自分の悪い癖だ。揺るがないのはいいことだけれど、それは時に弱点になるわよと母にも注意されたというのに。

 ……少し頭を冷やしたい。強くそう思った。

 今の自分では冷静になれない。

 仕事に没頭すれば、まだ少しは───

 

(……弱いな、私)

 

 事実であろうことから目を逸らそうとした自分の中で、寂しがり屋な自分がそう呟いた気がした。

 けれどもそんな弱さも自分の中から湧き出る言い訳に埋め尽くされてしまい、次いで聞こえた春蘭と警備隊の上官(?)の喧噪によって消えてしまう。

 冷静ではない私は、すぐにその騒ぎに乗じて焦燥から逃げた。

 

「───」

 

 少しだけ、声が震えているのが解った。

 溜め息混じりに話す私を客観的に見る自分がひどく怖いと感じた。

 淡々と今の自分を冷静に語る、そんな自分。

 しょうがないじゃないか。だって怖いのだ。どうしろというのだ。思いつく限りの言い訳を並べようとしても、陳腐なものしか出せていない自分に呆れもした。

 その時になってようやく気づくのだ。

 

  ……自分はまだ、背伸びをしていた子供でしかなかったのだと。

 

 片親を見下して、大人になったつもりでいた子供だったのだと。

 

「あ……」

 

 事実を事実と受け止めた時、知らず……涙が滲んだ。

 やめろ、それをこぼすな。私は強くあろうとしてきたのだ。

 それをこぼしたら、私はもう───

 

「ふむっ!?」

「おっと子桓殿、すまぬ。手が滑って、食べようとしたメンマが貴女の口に」

 

 押さえ込んでいた弱さが外に滲み出した途端、途中から何も言わずに私を見ていた趙雲が私の口にメンマを捻りこんできた。

 少し口を切ったかもしれないが、血の味が滲むよりも先にとんでもない美味さが舌を襲うと、悲しみが一気に紛れて……心が混乱するのもお構い無しに「はっはっは」とわざとらしく笑った彼女は、この場を春蘭と警備隊の上官(?)に任せると告げると……私の顔を胸に隠すようにして横抱きにし、駆け出した。

 



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120:IF2/人=タイミングに縛られる生き物②

 ……しばらく走り、辿り着いたのは街のいずこかではなく城内。

 適当な部屋に入り、ぽつんと置いてあった椅子に私を降ろすと、彼女は「ふう、いい汗を掻いた」などと笑った。

 ……汗などかいているようには見えないが。

 

「……ここ、どこよ。というか、私は仕事中で───」

「それ以上は言わんでよろしい。時に仕事をサボるのも、まあ“おつ”というものです」

 

 私の言葉を、偉そうなのか砕けているのか、いまいち掴みどころのない飄々とした言葉が遮る。遮られた私は溜め息ひとつ、食って掛かろうと思ったものの……見たことがない部屋を見渡して、首を傾げた。本当にどこなのか。

 顔を胸に押し付けられていたために、どこをどう駆けたのかもわからない。

 ただわかることは、この部屋には寝台もなければ、生活感と呼べる、人が暮らしている温度も感じなかった。

 あるのは椅子が二つ。向かい合うように置かれていたそれに私は降ろされ、趙雲は目の前にある椅子に座った。それだけ。……あ、いや。街で会った時と今とでは、違うものがひとつあった。

 

「二胡?」

 

 私の問いに、趙雲は“ふふっ”と笑うだけ。

 それの底をとんと床につけると、手にした弦で二胡をギキュゥウウウウウウィヨォオ~ッと鳴らしてひぎゃあああーっ!?

 

「ちょっ、やめっ、やめなさいっ! 鳥肌がひどい!」

「おお、たったひと弾きで感動を与えるとは。いやはや、私の技術も捨てたものではないな」

「別の意味での感動よ! 飄々となんでもこなせるのかと思えば、二胡を弾けないの!?」

「おや。音色を聞いて鳥肌が立つのは感動の証だと、主に言われたことがあるのだが」

「音色ならばよ! 雑音で鳥肌が出るわけがないでしょう!?」

「はっはっは、これは手厳しい。ならば」

 

 すい、と差し出される二胡。

 え、と声を放つ間もなく、あまりに自然な動作だったため、流れるような動作でそれを受け取ってしまった。

 

「私が弾けないとでも?」

「もちろん」

「むっ」

 

 かちんときた。

 ならば弾いてやろうじゃないと構え、弾いてみれば……身の毛も弥立つおぞましい音色が。途端に力が抜け、「なんなのよこれは!」と叫んでいた。

 

「体験してもらった通り、それは普通では綺麗な音色なぞ出せぬもの。大多数にとっては正しく役立たずのもので、直しもしないものだから誰の手にも触れられることもありませぬ」

「捨てないであるのはどうしてよ」

「なに、難しいことではござらん。何事にも例外があるということです。一人、これで綺麗な音色を出せる人物がおる。それだけの話です」

「これで!? 嘘でしょう!?」

 

 だとするならとんでもないことだ。

 と思うのと同時に負けた気分になったので、ならば私もと弾いてみたのだが……半刻を待たずにお手上げした。

 

「その人物に会わせなさい!」

 

 お手上げと同時だった。

 負けず嫌いとでも言えばいいのか、このままなのはなんだか許せない。

 うがーと吼えつつ二胡を趙雲に押し付け言うのだけれど、趙雲はとぼけた顔で返すだけだ。

 

「残念ながら今は都にはおりませぬ。いつ来るのかもわかっていない上、人前でやることも限られている。というか、その者とよく一緒に居る人物も何度も試してはみたものの、結局上手くはいかなんだ。子桓殿でもおそらく無理でしょう」

「無理と思うから無理なのよ。やろうと思えば大体は出来るものよ。だから誰なのか教えなさい。私が知っている人物?」

「ええ、まあ」

 

 くすりと悪戯を好む目をしている。

 何かの策にでも嵌めようとしているのだろうか。

 

「さて、この二胡。直すもなにも、これが完成した形なのです。直したら逆に怒られてしまう。なにせその者、普通の二胡は弾けぬとくる不思議な人物。器用なのか不器用なのか。ああいえ、不器用なのでしょうなぁ。その方が面白い」

「随分と虚仮にするのね。身分の低い者……けれど城にも入れる? 楽隊?」

「さて。答えを唱えるつもりはありませぬ。ただ……」

 

 くっと弦を合わせると、趙雲は音を奏でた。

 先ほどのような気色の悪い音ではなく、きちんとした音色が……って。

 

「弾ける人ってあなたのこと!?」

「おっと」

 

 声を張り上げたら音は乱れた。

 ……もしかすると、よっぽど集中しないと音色と呼べるものは出せないというの?

 

「はははは、いやいやお恥ずかしい。白状すると、この二胡。氣を使うと良い音色が出るという変わったものなのです」

「え……氣!? 氣で音色が変わるの!?」

 

 ちょっと貸しなさいとばかりに強引に奪い、けれど品位は殺さず、心を落ち着けて、目を閉じて、そう……サアッと吹く風に揺らされる草原のような柔らかな心で、ゆったりと氣を込めて弾いた。

 するとどうだろう。

 先ほどとはまるで違う音が、ホギャアアアォォォォと鳴って───殴っていいかしら! ねぇ殴っていいかしら! なにこの音! あと趙雲! 笑うならはっきり笑いなさい! 耐えられるのもそれはそれでむかつくわ!

 

「い、いやっ……失礼っ……! ぶっふ! 穏やかな弾き方の割りにっ……ぶふっ! 随分と賑やかな音色で……くぶふっ!!」

「~っ……あなたって、本当にいい性格しているわね……!」

 

 しかし弾けないのも悔しいのと、嫌な音でも出して苦しめてやろうかという意地が沸いて出てきて、手放す気にもならなかった。

 ともかく弾いてみる。“弾けない”と理解したら“絶対に弾けない”と決めてしまうのは私の悪い癖だ。無駄を省いて時間を短縮、という意味では大事なことかもしれないが、それは大して学びもせずに全てを捨てるのと同じだ。

 

「……こう? いえ、こう?」

 

 加減を変えながら弾いてみるのだが、これが案外難しい。というより出来ない。

 キィ、きぃ、と嫌な音が出始めるとすぐに手を止めているのだけれど……本当に綺麗な音なんて鳴るんでしょうね、これ。……いえ、目の前でやられたのなら鳴ることはなるのよ。となれば、悪いのは私の腕だけ。

 二胡自体は偉大なる母に教わって、きちんと弾けるのよ。弾けないのはこの二胡が異常だからであって…………ああいえいえ、落ち着きなさい。だからといって“弾けはするもの”に対して悪意を持ってどうするの。心を落ち着かせて、そう……気分を尖らせては、どれだけ腕があっても良い音色は出せないと、母にも教わったじゃないか。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 深呼吸。

 ……途端、吐いて、吸うという動作が私に懐かしい香りを届けた。

 

「………」

 

 随分と前の、温かかった光景が目に浮かんだ。

 心に届いたのは姉代わりの美羽と…………父の香り。そして……まだ私が素直に、あの人を父と呼んで遊んでもらっていた頃の情景。

 なんだか、ああ、なんて心が頷いてしまった。

 これを弾ける人、というのは、きっとあの人なのだろう。

 何を疑うかとかそんなこと以前に、この部屋に残る香りと二つの向かい合わせの椅子なんてものだけで、この心は“ああそうか”と受け入れてしまった。

 姉代わりであの人にべったりな美羽は、様々が出来る異常な人だ。あれがかつてはほぼ何も出来なかったと言うのだから、七乃の冗談好きこそが異常ととれる。

 むしろ努力した結果があれだというのなら尊敬は出来るけれど、あの人が居なければ途端におろおろする姿は見ていて少々あれだ。

 

「……───」

 

 思い出してみよう。

 あの人をまだととさまと呼び、今では硬い表情ばかりの私が普通に微笑んでいた頃のことを。

 あとはその時の“楽しい”を氣に込めて、弾いてみればいい。

 上手に弾きたいから手に取るのではなく、誰かの笑みが生まれますようにと……べつに笑われたっていいのだからという心を込めて、弦を。

 

「───……」

「……? ほう」

 

 静かに弾いた。

 最初はぎちぎちと鳴ったそれは、けれど最初だけ。

 心があの頃に戻れば戻るほど穏やかになってゆき、いつかの笑顔ばかりが溢れていた日を完全に思い出した頃には、綺麗な音色となってこの部屋に広がっていた。

 けれどそこまで。

 あの人のやさしい笑顔を思い出せなくなった途端、穏やかさに雑念が混ざって音が狂う。

 当然だと思う。“楽しい”を音に込めた途端に音色となるのなら、楽しいが無くなれば音など出るわけもない。

 ……そうか。私は今、楽しんでいないのか。

 今というのは“今この時”ではなく、あの人から離れてからの日々だ。

 充実しているつもりだったけれど、つもりはつもりだったのだろうか。

 

(……だからといって、今さらどうこうという気にもならないわね)

 

 だから溜め息ひとつ、二胡を置く。

 楽しい気分で構えなければ弾けないものなんて、今の私には必要がない。

 母は様々を興じてこその王というけれど、私は王ではないのだから。

 

「もういいわ。戻りましょう。仕事をサボる気はないわ」

「そうですか。ふむ、これは中々の難敵。ちょいと揺らせばころりといくと思ったのだが」

「ころり? なんの話よ」

「いやいや、こちらの話。ところで子桓殿。聞けば今現在警備隊に居るのは、警備隊の活動内容を知るためだとか」

「え? え、ええ、まあ、そうね。それが?」

「いやなに、ふと思い到り……こう言うのはなんなのですが、子桓殿が望む過去の記録は、魏に行かなければないのではと」

「───」

 

 ちょっと待て。じゃなくて待ちなさい。

 そう、そうだ、そうじゃないか。

 そもそも私はあの人の過去が知りたくて警備隊に入ったのよ?

 でも、都入りしてからの彼は警備の仕事などしたの? というか仕事している姿を見たことすらない私は、都の過去に何を期待したのか。

 え? あれ? もしかして、また? またなの? またやらかした?

 結論を急ぐあまりに、答えを求めるあまりにやらなくてもいいことをやらかした?

 

(……あ、あの警備隊の兵、ぶん殴ってやろうかしら……!)

 

 って、考えてみれば彼は、私の警備隊の記録が見たいという言葉に対して当たり前のことを言っただけであって、べつに私を騙したわけでもなかったぁあーっ!?

 

「……私…………私って……」

「お、おおお? どうされた? なにやら先ほどまでの元気加減が腐り落ちるほどの、暗黒を煮詰めたようなどす黒い顔色をしておりますが」

「いいの、ほっといて……ていうかいくら遠慮無用だからって、王の娘の顔色に対してその喩えってどうなの……?」

 

 ああ頭痛い。

 なんなのかしら、私。

 空回りばかりでいい加減うんざりだ。

 大体どうして私がこんな思いをしなければならないんだ。

 そうだ、そもそも詠が思わせぶりなことを言うから、こうして……!

 

「───」

 

 思わせぶり? 本当にそれだけ?

 彼女はただ、あの部屋には入るなと言っただけであって、別の場所───あ。

 

「っ!」

「おぉっとと? これこれ、急に立ち上がるものではありませんぞ? 二胡が足元にあることを忘れられては───」

「趙雲! 書簡竹簡が片付けられている倉庫! 何処にあるの!?」

「…………」

 

 半ば叫ぶように言う私を見て、きょとんとする。

 けれどもそのきょとんとした顔は次第ににんまりと笑みに変わって、

 

「軽い仕事くらい任されているでしょうに、倉の場所を知らんとは……」

 

 やがてそれは呆れの苦笑へと変わった。うるさいわね、どうせ片付けは兵に任せていたわよ。

 

「生憎と真実に近づくことを口にする行為は認められておりませぬ。探すのならばご自分で」

「そう。なら真実は倉にあるということでいいわけね?」

「さて。それはどうでしょう」

 

 とぼけて言うが、顔は笑っていた。穏やかな、嬉しそうな顔だ。

 ……なんなのかしら。隠しているというのに真実に早く辿り着いてほしいみたいな、その振る舞いは。邪魔するわけでもないし、むしろ“さあさ”とばかりに行動を促してくる。

 そうなのよね。どうしてかあの人の部屋に入ることだけを禁止している。

 こうなるとあの部屋が気になって仕方がないのだけれど……それとなく禅に訊いてみる? ……いや、こういうのは自分の力で行けるようにならなければ意味がない気がする。

 そうね、真実を見てしまえば、いろいろ変わることもあるはずだ。

 その時は───

 

「…………」

 

 その時は。……どうするんだろう。

 掌を返すのか、それとも……。

 

「自分は自分のままに。……許されている分だけでも、好きなように生きればよろしい」

「っ……随分とまた、人の心を覗いたようなものの言い方をするのね」

「はっはっは、なにを当然のことを。都は人を見るには事欠かぬ場所ゆえ、人の考えを読むなど容易い容易い。特に素直でない者の内側となれば、もはや己の思考とさえ思えるほどに容易い」

「……そう。なら、あなたは好きなように生きているのね?」

「当然。許される限りに、友の現状を心配する程度には」

 

 …………。ここまで考えることがあれば、もういい加減わかることもある。

 彼女の友とはあの人のことだろう。

 そもそも私は彼の過去を知りたいから動いているのだし、その過程で出てくる者といえばあの人くらいのはずだ。

 

(ようするに)

 

 間違っていたのは私のほうだ。

 それを、少しずつ受け取っていく。

 確信にはまだ早い。ただ、見下していた自分を戒めるつもりで、一歩一歩自分を叱りつける。たとえ勘違いで終わったとしても、もう……辛い当たり方などしないように。

 

(さて、行きましょうか。真実までもう一歩。これで全てがわかる筈だ)

 

 倉を目指して歩く。

 急ぐことはしない。きちんと一歩一歩を胸に刻むように、ゆっくりと。

 

(………)

 

 部屋を出て、兵と言葉を交わし、倉を目指す。

 倉のことを訊いた途端にぱあっと表情を明るくした兵に、少し呆れたけれど……もう少し。

 案内されるままに辿り着いた大きな倉。

 鍵がかけられていて、見張りをしていた兵は案内してくれた兵に説明されるとやっぱり笑顔。けれど私に一礼をしたのち、当然のことを訊いてきた。

 

「開けるのは構いません。が、どういった目的で? よほどのことがない限り、開けることは良しとされてはおりません」

「目的? それは───」

 

 あの人の過去を知りたいから……では、報告しようがないし、鍵は開けてもらえないだろう。見たい竹簡がある、なんてことも同様だ。言って開けてくれるのなら、悪事を働かんとする者の一人や二人、出てきてもいいくらいだろう。

 ならば? 賊では無理で私ならば出来ることは───……

 

「……その。わ、私が書いた竹簡に、誤りがあった気がしたから。それを調べるために、よ」

 

 自分の失敗を口にするようでとても屈辱的だ。けれど、これで文句はないでしょう? とばかり睨んでみせると、兵はやっぱり笑った。

 

「ははあ、それは仕方がありませんね。纏めて提出される分は手前側へと揃えてありますので、その中から探してもらうことになります。ああ、なお一度入っていただきましたら、隙をついての賊が侵入しないよう再び鍵をかけさせていただきます。調べ終えたら扉をのっくしてください。開けますので」

「そう、わかったわ」

 

 まずは安堵。

 なんだかとても嬉しそうに鍵を開ける兵を前に、ふぅと息を吐いた。

 そうこうしている内に錠前の鍵は開けられて、兵ら二人は『ぃよしっ!』なんて小さく言って拳をゴツッとぶつけ合わせていた。なんなのかしら、ほんと。

 どうぞと渡された、火の灯った燭台を手に倉の中へ。



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120:IF2/人=タイミングに縛られる生き物③

 少し涼しく、しっとりとした空気に包まれる。

 奥へと進むと扉は閉ざされ、高い位置にある隙間と燭台以外の光はなくなる。

 

「さてと」

 

 さあ、調べものだ。

 正直に言えばどれをどう調べればいいかなどわからないし、そもそも私は父の筆記を見たことが無いから、どれがどれなのかもわからない。

 ただ、重要なものには落款印がある筈だ。

 ご丁寧に名前が書いてあるわけもないだろうが、印を探せばそれが近道となるだろう。

 魏でならば、北郷隊の隊長の印があればそれでわかったのだろうけれど……許昌に向かうのは時間が掛かりすぎる。ならばこちらで、責任者の名前くらい書かれているであろう竹簡や書簡を調べた方が早い。

 

「………」

 

 古いと思われるものから調べてゆく。

 よくもまあこれだけ溜めたものだと思うほどの量に、軽く眩暈を覚える。

 けれどそれでやめることはせず、ひとつひとつにしっかりと目を…………

 

  都の建築についての案件───北郷一刀

 

 ……いきなり見つかった。

 ちょ……ちょっと待ちなさい? こんな、ひとつ目で見つかるなんて予想外もいいところだわ。あ、いえ、そうね。そうに違いない。どうせこの古いものくらいしか書いたものがないという結果で───

 

「………」

 

 次。……北郷一刀。次……北郷一刀。次───次……! 次次々……!!

 

「な……なに、これ……」

 

 純粋に驚きの声が漏れた。

 なんだこれとしか言いようがない。

 同じ書き方、同じ名前、よく考えられた案。それらが書かれた竹簡書簡の数……。

 

「………」

 

 ぐるりと、広い倉を見渡した。

 書店ともとれるほどの広い場所にある、棚という棚に置かれたそれらの数。

 どれを取ってみても北郷一刀の名前があり、どれに目を通してみても落款印があった。

 そして、どれを読んでみても感心する内容であり…………私達姉妹が子供の頃からやっていた氣を使っての鍛錬が、北郷一刀が考案したものだということもわかって───

 

「はっ……は、は……!」

 

 鼓動がおかしい。

 初めて怖いものに遭ったような、目には見えない何かに心臓を鷲掴みにされているような内側の圧迫感に息が荒れる。

 違う、違う違う違うと、自分の目の前にある事実を心が否定したがっている。

 なんだこれは。

 どうして。なんで。

 だって、ぐうたらな筈だ。仕事をしていたとしても、どうせほんの少しな筈で。

 

「っ……!」

 

 慌てて、新しい方のものを手に取る。

 見てみれば、そこにはあの人が家出する前に書いたものであろう、自分が居ない際に起こるであろうことについてのこと、それに対する対処法、済んだあとの警戒の仕方など、よく考えられたものがそこにあった。

 ……おまけとして、誰に向けて書いたのかは知らないけれど、“眠いです”と。

 

「………」

 

 “嫌な方向”での予想が当たってしまった。

 やはり寝る間を削って仕事をしていたのだ。

 呼吸が荒れる中で、古いほうから飛ばし飛ばしに書簡を見てみれば、私が産まれたばかりの頃のそれを発見。……もう疑う必要もない。そこには、“娘と仲良くする方法”とやらが書かれていた。

 

「…………っ……」

 

 “俺の鍛錬は華琳から見ても異常だそうだから、娘には見せないように夜中にやる”

 “仕事は夜に片付けよう。さっさと済ませて娘と遊ぶ時間を増やす”

 “となると部屋に入れるのはまずいよなぁ”

 “頭抱えてどたばたして処理するところを見せたくないし、よし立ち入り禁止”

 “美羽に鍛錬とかを任せてみている。結構順調みたいだ。つか、これ日記みたいだな”

 “いつか娘たちに聞かせようと二胡を猛特訓。でもやっぱり上手くいかん。何故だ”

 “なのでまた真桜先生。氣で奏でる二胡を作ってもらった。もうほんとなんでもありだ”

 “気持ちの強さで鳴る音が変わるっぽい。あの真桜さん? どうなってんのこれ”

 “切ない気持ちで弾いてみたらアアアアェイ゛!!って鳴った。……どうしろと”

 “ともかく楽しくなるのは確かだったので美羽の歌と一緒に奏でた。これは楽しい”

 

「……やっぱりあの二胡……」

 

 となると、彼女の友もやはりあの人。

 周公瑾とも友であり、命の恩人であり……

 

「………」

 

 “調理が上手くいかん! 丕に食べされたら物凄く微妙な顔された!”

 “華琳の料理の後だったとはいえ合わせる顔がないので、甘味を届けさせた。そっと覗いてみたら、美味しいっ! と笑顔を弾けさせていた。俺の料理、そこまで微妙か……”

 

「甘味? 甘味って」

 

 “丕はどうやら、お汁粉とか綿菓子などが好きらしい。今度、驚かせる意味も込めて氷菓子でも用意しよう”

 

「氷菓子……あいす!? え……え!?」

 

 “どうやら氷菓子も当たりらしい。……料理は普通扱いなのになぁ。もちっと頑張ろう”

 “黄柄が酒が苦手という事実が発覚。祭さんが悔しそう。大人になったら日本酒でも送ろう。あれなら多分……いやどうだろうなぁ。気に入ってくれるように頑張ってみるから、部屋の扉蹴り開けて酒に誘うのは勘弁してください”

 

「日本酒……も……?」

 

 “……丕が俺のこと嫌いになったみたいだ。泣いた。泣いたと言うか泣いてる。だからね、七乃さん? 人が泣いている横で氣の二胡をぎこぎこやるのやめてくれません? いえ、だからってアアアアェイ゛なんて鳴らさなくていいですから”

 “仕事中、桃香がやらかしてしまった。なんと禅が部屋に来訪。仕事してる俺を見て、なんだか目を輝かせていた。……それから、禅がべったりになった。なんか感動した。他の娘たち、俺のこと嫌いっぽいもんなぁ”

 

「…………」

 

 “娘たちがやたらと俺を蹴る。……嫌われたもんだなあ。なにが悪かったんだろう。遊べる時間、頑張って作ってたんだけどなあ”

 

「っ……」

 

 “だからって手を伸ばさないんじゃ、今までの自分の道に嘘つくことになるよな、うん。積極的になってみよう。というわけで丕の部屋に”

 

「……あ……」

 

 “あなたなんかのために割く時間などないと言われました。ふふふ、だが甘いぞ丕よ。それしきで諦めるくらいならば、三国を回って歩いた際にいろいろ諦めておるわ。あ、でもちょっとオヤジの店いってきます。いえ折れてませんよ? ただちょっと生き抜きしたいなーなんてうわぁあああん!!”

 

「…………ち、ちが……わたし、わたしは……」

 

 “寒くなってまいりました。ていうか雪降ってる。せっかく積もったのでいつかのように華雄と雪合戦をした。死ぬかと思った。雪って凶器だよね。物珍しさから、誘えば丕も来るかなと誘ってみたが、結果は……いつまで子供でいるつもり? と鼻で笑われてしまった”

 

「知らな……かったから……っ……」

 

 “いろいろ言われてきたけどその言葉だけは聞き捨てならん。童心こそ人の原動力だーと叫びたくなった。……なったんだけど、急に大声張り上げても今さら嫌われるだけだろうなぁ。そう思ったら素直に引き下がれた”

 

「知らなかったの……っ……」

 

  “夜間鍛錬に禅が参加し始めた。娘とする鍛錬……素晴らしい。なので調子に乗って自分の知る氣の使い方などを伝授。……やっぱり簡単に行使してた。人がどれだけ苦労したと……! やっぱり、俺って才能ないのかなぁ”

 

「う、うぅう……」

 

 “そろそろ心が辛くなってきたので旅に出ようと思う。探さないでください的なことはいつも通りだ。えぇとなに書こう。ああそうそう、最近隊長が誤解されっぱなしなのは、って言ってくれる兵が増えた。前から居たものの、むずがゆいけど嬉しい。けどまあ、今さら教えたところでどうせ最近になって始めたんだろとか言われるだけだろう。だったら今まで通り、誤解されたまま、ああはなるまいと頑張るほうが娘達のためになるだろう。これでいいのだ”

 

「───」

 

 ……目を通した言葉が胸に突き刺さる。

 掌返しは嫌いだ。

 だから、私はきっとあの人がどれだけ努力していたとしても、その結果を“なにを今さら”と笑っていたに違いない。

 なのに現実はこうだ。

 書簡の中には北郷隊に関することも書いてあって……いえ、むしろ母に向けた言葉までもがあって、そのどれもが私を心配する言葉や、姉妹を心配する言葉、そして世話になった将や兵、町人らに向けたものも書いてあって。

 それを見たら、耐えていたはずの涙がこぼれて……気づけば泣きながら、ごめんなさいを繰り返していた。

 

……。

 

 あれから何度か日を跨いだ。

 警備隊の仕事は相変わらず続けていて、ただ……以前ほど身体は疲れず、少しは慣れてきたのだろうかと自分の手を見下ろした。 

 ああ、あと……男性を見下すこともなくなった。立派な掌返しかなと思ったりもしたけれど、そんな自分のつまらない意思よりも、父への申し訳なさのほうがあっさり勝ってしまったのだ。

 ……泣かされもしたし、あれは一種の敗北ととるべきで、負けたなら従う。それでいい。むしろそうじゃないと自分を無理矢理にでも納得させることなど出来そうになかった。

 

「はぁっ……」

 

 貰った休憩時間に大きく息を吐いた。

 最初の頃に比べれば、あまり汚れなくなってきた警備隊の服を見下ろして……誰かにどんなもんだと胸を張りたくなったのは、べつに言わなきゃいけないことでもないだろう。

 

「………」

 

 街の出入り口をちらりと見た。結構遠くにあるそれだけれど、あの人……父はまだ帰って来ない。こんなにもあの人……うう、父が戻ってくるのを待ったことなどあっただろうか。

 訊きたいことが、話したいことが山ほどある。許してもらいたいことも山ほど。

 情けないとは思う。でも悪いのは、答えを得たわけでもないのに勝手に誤解した私だ。

 だからひとりで謝りたい。集団の一人に混ざって謝るなんて、誤魔化しにも似たことはしたくない。そんな心境の表れなのか、姉妹にはあの倉で見たことは話していない私が居る。

 相変わらず父に対してぶちぶちと愚痴をこぼす姉妹に、そうではないのよと言いたい自分が自分の中で暴れているものの、そんなものは自分の今までを辱めることにしかならない。一言で言うと情けないのでやめた。

 “私は秘密を知っているんだ”という優越感に浸りたいという感情も、まあ……当然のようにあるのだけれど。

 

「はぁ……」

 

 憂鬱だ。

 父が偉大であったことは素直に嬉しいと感じた。申し訳ないという気持ちはその数倍。

 謝って許してもらえる問題かといえば……あの人のことだ、絶対に笑って許す。

 そんな確信はあるものの、今までが今までだったために謝ることに躊躇している自分が居る。大変、まことにひどい話だ。勝手に誤解して勝手に見下していたというのに、あろうことか謝らずに済むのならそれでいいのではなんて思っているのだ。

 これはいけない。

 

「うぅ……」

 

 呆れた。私はこんなにも父っ子だっただろうか。

 そりゃあ、母がああいう人だから……甘えるといえば父だった。

 悩みを話すのも父だったし、母は偉大だとは思っても……近寄りがたかったのは確かで。

 

「っ……」

 

 少し考えただけでも立派な父っ子だったと自分で理解した。

 なんだこれは、ばかなのか私は、と頭が痛くなるくらい。

 けれどそれも終わりだ。

 素直になるのは難しいだろうけれど、これからは普通に───

 

「隊長が帰ってきたぞぉおおおーっ!!」

『!!』

 

 誰が叫んだのか、その一言で街の人が一斉に都の出入り口へと目を向けた。

 私もその中の一人で、見れば視界のあちこちから警備隊の人たちが現れ、出入り口へ向けて駆けていた。

 

(ちょっ……ま、待っ……!? まだ、心の準備がっ……! え!? これ、私も行ったほうがいいのっ!?)

 

 行くべきなのはわかっていた。

 戸惑った理由は、“隊として行くべきか”を悩んだから。

 その割りに、この身体はさっさと走ってしまっていることに、途中で気づいた。

 なんと言おうか。

 

  ごめんなさい?

 

  許してほしい?

 

  何も知らずに居てごめんなさい?

 

 いろいろな言葉が頭の中に渦巻いて、けれども兵や町人に囲まれて笑う父を見たら、そんないろいろなど吹き飛んでしまった。

 好かれるわけだ、当然じゃないかと彼の凄さを胸に、速度を落とした足を動かして前へ。

 周囲の人と話しながら城へ向かう父へ、期待を込めて声をかけて───

 

「あ、あのっ───」

「? …………」

 

 かけて…………固まった。

 父は私を一瞥すると、特に何を言うでもなく視線を戻して……私の横を通り過ぎた。

 

「え───」

 

 そんな筈はないと振り向いてみても、兵や町人は楽しげに話すのに夢中でそんな違和感に気づかない。

 どうして、と手を伸ばしかけるけれど、伸びきる前に心が理解してしまった。

 

  “どうしていつまでも構ってくれると思えた?”

 

 父である自分を見下す娘……そんなかわいげのない子をいつまでも見ている親など居ないのだ。

 結論が浮かぶと同時にやるせなさが込み上げて、それは次第に後悔という言葉で塗り潰されて……涙しそうになるのを空を見上げて堪えた。

 周りの声も聞こえないくらいの困惑に胸を締め付けられて、呆然とした。

 

「……ん? んおっ!? ちょ、隊長!? なんで泣いてるんですか!?」

「泣いてないよ!? 僕強い子だもん!」

「いやいやなに言ってんですか!」

 

 なにか騒ぎがあったような気がする。

 でも私は自分の中に浮かぶ後悔をどうにかするのにいっぱいいっぱいで、そんな言葉さえ耳に届いていなかった。

 







「《モチャリ……》ボブネミミッミ……!」
掠れたあの声が大好き……こんにちわ、凍傷という名の麺類です。
いやー……激辛ペヤング大好きです。どうでもいいですね、はい。
今回は5話投稿……まあ二話を分割しただけなので、5話と言えるのかは微妙ですが。

あとお報せをば。
5月の中盤あたりから6月の中盤辺りまで、ちょっと別の用事で更新できないかもです。
それまでにはもうちょっと頑張りたいなぁと。
ではではまた次回で。


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121:IF2/あの日、包まれた暖かさへと零すもの①

173/誤解の日々が反抗期として清算されたのち、ファザコンが生まれた。そんな日々。ただし思いが届くとは限らない。

 

-_-/北郷かずピー

 

 カサモショと音が鳴る。

 なんの音か? 多分、髪とかが擦れる音じゃないか?

 なにと擦れているか? ……紙袋だろ。

 

「あの……ご主人様? それは一体……」

 

 戻ってきた翌日の、御遣いの部屋でのことである。

 昨日は呉で起きたことなどを纏めて華琳に報告、冥琳や朱里や雛里を伴ってのこれからの方針などの相談をして一日が潰れた。……魏方面からは桂花も居たが、俺のことを睨むばっかりでまともに聞いていたかどうか。……聞いてたんだろうなぁ、仕事はきちんとするし。

 で、その翌日の朝。

 何があったのか、朝から我が自室を訪ねてきた紫苑の前に、ソレは居た。

 剣道着、剣道袴を着た上、紙袋を頭に被った男。

 長方形の穴を目元に(あつら)え、額に輝くは校務の二文字。

 動くたびに髪と紙袋がこすれ合い、カサモショと鳴る存在……名を校務仮面といった。

 まあその、なんだ。ノックして了承を得て中に入ってみれば相手がコレなら、紫苑の驚きも当然のものだろう。

 ならば、“それは一体”という質問。どう返すべきだろう。

 

「…………、…………、───!」

 

 しばらくゆらゆら揺れながら思考……そして閃いた。……おまけに奇妙な動きとして、若干紫苑に引かれてた。大丈夫、校務仮面は挫けない。

 

「やあ! 初めましてお嬢さん! 私は校務仮面。学校の整備に命を燃やす、己の中に存在する正義のみの味方さっ!」

「あら、あらあらうふふふふ、ご主人様ったら」

「あれ? や……違うぞ? 俺ご主人様とかそういうのじゃなくて校務仮面で……あの……聞いてないね?」

 

 お嬢さんって言ったあたりから、なんかもう全てを許しますって笑顔を向けられた。

 その顔はまるで、息子の悪戯を“仕方のない子ねぇ”と笑って済ます懐深き親のよう。

 ……あ、あれー? 俺っていつ、悪戯なんかしたっけー……。

 

「それで? どういった結果を求めているのですか?」

「別に。変装でもしてれば、子供たちも蹴るために寄ってこないだろって、そんなとこ」

 

 子離れするなら、元の姿で蹴られる必要もない。

 だったら変装しかないだろう。

 子供たちに校務仮面姿を見せたことなど一度もない。

 だったら、きっと華蝶仮面みたいな不思議な効果でバレやしないに違いない。

 いや、ほんと……あれってなんで、どうしてバレないんだろうな……。

 

「……報告で仰っていたそうですけど……。子供を構うことから離れ、鍛錬に励むと」

「ん、本気だ。詳しくは言えないし、言ってもわかって……もらえるかもだけど、ショック……ああいやいや、衝撃とか大きすぎて、未来に希望が持てなくなりそうだから言えないんだけどさ」

 

 頭を掻こうとしてら紙袋に邪魔された。……気にしません。

 

「……どうしても、やらなきゃいけないことが出来たんだ。だから、そのためには強くならなきゃいけない。幸いなのか不幸なのか、子供たちはとっくに親離れしているみたいだからさ。あとは俺が離れれば済むことだよ」

「それは、どうしてもそうしなければいけないことですか?」

「目指す場所は“どうしても”だ。これだけは譲れない。で、質問に“どうしても”がついているなら、答えは……“精一杯やらなきゃ後悔する”だ。中途半端にやって、もし届かなかったらと思うと、俺はその時の俺を自分で殺したくなる」

 

 なんとかなると思った先で潰れたら、結局俺は手を抜いて、否定を認めたことになるのだろう。力が及ばなかった。ダメだった。それはどうして? 全力を出し切った。ああそうだろうな、その時点での俺は全力を出した。ただしそこに到るまでの時間、俺は全力ではなかった。そこについてくる結果なんて、それに見合ったもの以上などありはしないのだ。仮にそれ以上が手に入っても……きっとそれは、手に余る。

 

「というわけで、朝食食べたら鍛錬だ。もう人目を気にすることなく思いっきりやる。大体不規則な生活の中で鍛錬したって、まともな効果が得られるかっていったら……氣に関しては難しいけど、筋肉側で見れば得られるわけがなかったんだよなー。……筋肉成長しないけどね」

 

 自分をからかうように笑って言葉を放って、それで終わり。

 さて。

 また今日も、一日が始まる。

 せいぜい後悔しないように。後悔すると決まっていても、後悔の幅が……最果ての自分が気づかないくらいに狭いものであれるよう、努力をしよう。

 ……もう、娘の蹴りを気にして振り向くこともないのだから。

 

……。

 

 …………うん。

 蹴りは気にしなかったよな。蹴りは。

 べつに殴られたわけじゃないし、膝かっくんとかの嫌がらせを受けたわけでもない。

 ないんだが……

 

「……! ……!!」

「………」

 

 この、瞳を太陽のように眩しく輝かせているお子めらの身に、いったいなにが起きたのでせうか。

 朝食を食して中庭に出て……鍛錬。そこまではいい。

 しかしそこへやってきたのは孫登と甘述であり、まずは俺を見てから首を傾げ……次いで、この校務仮面の額に刻まれた校務の文字を見て停止。

 ……その停止のあとに、そろりそろりと近づいてきて……急にガッと服を掴んだかと思うと、人を見上げてこの瞳である。登は輝く瞳で、述はじと目だ。……え、なんで?

 

(な、なんだ? いったい何が起こってるんだ!? 俺……なにかしたっけ!? いやいやっ、俺娘たちの前でこんな格好したことない!)

 

 あ、あー! もしかして人違いかなにかか!?

 

「あ、あのっ! ご無礼を承知でお訊ねします! あなた様はもしや……こ、こここ、校務仮面さまでいらっしゃいますのでしょうか……!?」

 

 なんで名前まで知ってるの!? 俺教えた記憶がないんですが!?

 しかし訊かれたのならば答えよう! 校務仮面は紳士なのだ!

 

「校務仮面だ」

 

 だが決して慌ててはならない。丁寧な対応をしましょう。

 校務仮面が焦る瞬間は、正体がバレそうになった時だけでいい。

 などと綺麗な礼をしてみせた瞬間、述が校務仮面の命である紙袋へと手を伸ばしてきた。ええ、もちろん素早く躱しました。

 

「貴様! 礼をするというのにそのおかしな被り物を取らんとは!」

 

 するとムキーと怒ってくる述。

 ……マテ、本当になんだ? 何故娘らに襲われないようにと被った校務仮面が、こうも相手の興味を引いてしまうのだ? ……やはり仮面から滲み出る紳士性の所為だろうか。さすがだな、校務仮面。“俺”ではこうはいかない。

 

「いかん! 校務仮面の正体は絶対に秘密なのだ!」

 

 が、紳士性が素晴らしいからといって、正体を教えるわけにはいかない。

 理由は口にした通りだ。なんで、ではなく、校務仮面だから秘密なのだ。

 他の答えなどない。

 “1+1=”の答えに疑問を持つ子供などいない。理解してしまえば、受け入れてしまえばそれが当然であるように、校務仮面の正体は絶対に秘密なのだ。

 ……なのだけれど、そんな俺の態度にイラッときたのか、述がまるで春蘭のように“なにぃ!? 貴様ぁ!”と言いそうな目でこちらを睨んでくるわけで。やがてその口から似たような言葉が出るかも、と身構えたところで、

 

「述。失礼だろう」

 

 動きを見せようとした述に、登が待ったをかけた。

 途端にしゅんとする述は……なんといえばいいのか。

 いや、今は娘達との会話に時間を割いている暇はないはずだ。もっと頑張らなきゃいけない時なんだ。

 決意を新たに、行動を起こそうとすると、述が俺を睨みながら拳をギリ……と握り締めた。そんな述を再び止める登。

 

「述。なにをするつもりかはわからないでもないが、やめておけ。私達ではどう足掻いても敵わぬ相手だ」

 

 …………あれ? ちょっと待て。何をどう見たらそんな言葉が出るんだ?

 

「校務仮面さまは凄いんだぞっ。雨が降れば空にある曇天を拳から放つ氣で吹き飛ばし、泣く子が居れば一瞬で笑わせて、怪我をした者が居れば一瞬で治してっ!」

 

 まてまてまてまてあなた一体どんな幻想を見ているので!?

 え!? 曇天を氣で!? 泣いた子供や怪我した人をほうっておけないとは思うけど、曇天は無理だろオイ!

 

「なっ……子高姉さま、それは本当なのですか!?」

「ああっ! こう、氣で風を巻き込むようにして、天に昇る渦のような強い氣で雲を吹き飛ばすんだ!」

 

 孫登さん!? あなたにいったいなにが起きたので!?

 出来ないよそんなこと! 氣で冷気とかを作れるようになったならまだ多少は出来るかもだけど、少なくとも人力竜巻とか無理だよ!?

 

「……しょ、少女よ。この校務仮面のこと、誰から聞いたのだ?」

 

 わからないなら訊いてみる。これ、人間の知恵。

 

「は、はいっ! 伯珪さまですっ!」

 

 白蓮さぁあああああん!? あなたいったいこの子になにを吹き込んだので!? 誇張するにしてもやりすぎだろこれ!

 なんかおかしいと思ったら、これって憧れの眼差しってやつだよ! つい最近見たなぁとか思って当然だった! 呉で散々とあの女官にこんな目を向けられたもの!

 

「…………すまないが、校務仮面はこれから鍛錬があるんだ。だから相手をすることは出来ない」

「目で見て盗めということですね!?」

「人の話を聞こう!?」

 

 あああああもうほんとにこの世界の住人だなぁって、すごい実感が湧く返事だよ!

 なんでこうこの地で育まれた生命は、人の話を聞いてくださらんのか!

 あ、あー……いや、なんかもうそれでいいか。相手をしなければ自然と飽きるだろうし。

 

「……くれぐれも、邪魔だけはしてくれるな」

「はいっ!」

「…………ふんっ、どうせそこいらの男らと一緒で、大したことなどないに違いない」

 

 前略おじいさま……娘が、登が、子高が物凄く素直です……!

 憧れの目で、この父めを見てくださいます……!

 でもここで折れてしまえば、自分のことへの集中を外してしまえば、きっと先の未来で後悔することになるのだろうから。

 鬼になれ、一刀。折れずに、未来を目指す無二の刀となれ。

 

……。

 

 そうして、鍛錬は始まった。

 開いた孔から湧き出る氣を、身体に馴染ませるために基本に戻っての城壁ダッシュ。

 

(右左右左右左右左右左右左右左右左……!!)

「へっ!? ふえっ!? は、はや……!?」

「え、え……? ばかな! おとっ、男があんなに速く……!?」

 

 最初は肉体のみのダッシュで一周。次に氣を込めて走ると、景色の流れが一気に加速。

 氣を使っての“普通のダッシュ”で一周を終えると、次は氣での加速ダッシュを実践。

 一歩の度に石畳を蹴る足が氣で弾かれるように持ち上がり、一歩一歩のたびに速度が上昇。

 

「す、すごい……! 凄い凄い! ほらっ、述っ! 校務仮面さまはすごいっ!」

「なななななにかの間違いです! 男が! 男がぁあ!!」

 

 加速ダッシュが終わると、次は氣を使い分けてのダッシュ。

 氣を纏わせた自分の身体を前へと飛ばすイメージと、地面を蹴り弾く足を氣で加速させて、走るというより前方に吹き飛ぶように進む。武器の重さを軽くさせる氣の使い方の応用だ。

 ここまでくると紙袋が鼻とか口を塞いで、かなり苦しいですハイ。

 

「……ふっ!」

「はうっ!? 座ったままの姿勢で跳躍を!?」

「そんな……人はあんなに高く飛べるのか!?」

 

 さらに応用。

 自分の重さを氣で無理矢理軽減させた状態……このまま地面を思い切り蹴って跳ぶと、体が面白いように宙に跳ぶ。

 散々と様々な将に吹き飛ばされながら編み出した、落下ダメージを軽減させる氣の応用がここで役に立った。うん、まあつまりは落ちた時に自分の体重がダメージに繋がらないよう、身体を氣で持ち上げるイメージを……その、増量した氣を以って全力で軽減した先の…………技術って言えるのか? これ。

 人間の体重を軽くするほどの氣となると、結構使うわけだが……まあ放つわけじゃないから消費はない。……けど、疲労がないわけじゃない。

 

(そういえば……)

 

 身体を軽くする氣、軽功っていうのがあったのを思い出す。

 切っ掛けは漫画で、スプリガンってやつだったが……あれは凄かったな。

 人の身体で葉っぱの上に乗っても落ちないとか、そんなのだった気がする。

 それを思い出してから実践をしてみたが、まあ……軽くすることは成功した。

 空を飛ぶなんてことは出来ないが、軽功本来の“身体を軽くする”、“高く跳ねたりする”、“速く走ったりする”ということは成功しているのだ。

 なにかひとつを修めるっていうのは大変なのことだ。

 俺の場合、身体を鍛えられないから氣に集中することが出来たって部分が大きい。

 もひとつ言えば、修めたとはいっても完璧じゃないので、ただ使えるってだけだ。

 応用さえも極められれば、きっともっと……面白いことになりそうだ。

 

(……勝つとか殺すとか、そんな物騒なことじゃなくてさ。結果的にはそうなるにしても、尖った心じゃなくて……)

 

 焦りばかりじゃなくて、どうせこの身体に叩き込むなら、楽しみながら叩き込みたい。

 肯定を目的に進むなら、ギスギスしたのは違うと思うんだ。

 

「ほっ!」

「ふわ……こんな高いところから落ちたのに、普通に走ってる……!」

「……す、すごい……すごいすごいっ! 子高姉さまっ、彼は何者なのですかっ!?」

「もちろん校務仮面さまだっ!」

 

 娘らがなにやら興奮しているが、自分のことに集中しよう。

 城壁から中庭へ飛び降りて、衝撃は化勁で逃がし、そのまま走る。東屋までの距離を走る勢いそのままに地面を蹴って、軽功を使って跳躍。東屋の屋根に一気に飛び乗ると、そこから少し走ってさらに跳躍。強引に木に飛び移ると、さらに跳躍して城壁を蹴ってさらに跳躍、上まで上ることに成功。

 随分前にやった借り物競争の際、思春がやっていたことを思い出してのことだったんだが……出来るようになった自分が嬉しい。やばい、これは表情が緩む。紙袋のお陰でバレることはないから、盛大にニヤケながら続けるわけだが。

 

(よし……いい感じ。集中集中……!)

 

 そうして、準備運動の時間は続いた。

 娘達が慌てて追ってくることに気づいても、心を鬼にして自分のやることに集中して。

 

……。

 

 やがて準備運動が終わる。

 

「すぅ……はぁ……───んっ。よしっ」

「かっ……っ…………ひゅっ……は、ひゅっ……!」

「はー! はー! かはっ……、うぶっ……げっほ! ごほっ! あ、うぅう……!」

 

 汗は掻いても呼吸は乱さない。

 そんな調子で鍛え続けた8年……それは確実に自分の体に染み付いていっていた。

 お陰で紙袋は湿っても、身体はとても元気だ。

 ……娘たちが呼吸困難状態っぽいが……エ、エエト、無理するなとか言うくらい、イイカナ。イイヨネ? ネ!?

 

(い、いやっ! 離れるって決めただろっ! むしろここで俺が手を貸したら、自分が自分で娘達を“俺の鍛錬の時間を邪魔する者”に仕立て上げることになるじゃないか!)

 

 それはダメだ。

 そんなのは言い訳にもなりゃしない。

 だから鬼になれ。

 自分に集中しろ。集中を……!

 

「……、───」

 

 集中。

 自分の氣の動きにのみ思考を働かせるようにして、手甲をつけた両の拳をギュッと握る。まだ爪が生えてきてないから、握り締めるだけでもとんでもなく痛いんだが……それは氣で誤魔化してやっている。

 素直に気絶だけしていればいいのに、どうして寝巻きを引っ掻いたりするかなぁ。お陰で寝る時と起きる時が辛くて。手を氣で保護しながら寝るのって集中力がいるし、集中すると眠りづらいし。朝起きると当然氣なんて纏ってないから起きた瞬間物凄く痛いし。

 さすがに華佗でも爪を瞬時に伸ばすような芸当は無理だろうなぁ…………う、ううん? あれ? 人命蘇生と爪を生やすのって、どっちが凄いんだ? あれ?

 

「………」

 

 疑問に首を傾げると同時に、無駄に入っていた力を抜く。

 痛いからって強く握り締めて誤魔化す、というのもいいかもだが、それで殴れば悪化するだけだろう。なにより“当てるため”に速度を出すなら脱力だ。

 握りこまなければ殴っても意味は無いかもしれないが、硬さは手甲でもう間に合っている。なら、あとは相手に届かす速さがあればそれでいい。

 手は軽く……握るまでいかない程度で。グラップラーなアレのように菩薩の拳をしろとは言わないから、ともかく拳ではなく手甲を当てるつもりで。

 

「、シッ!」

 

 脱力から加速、正拳。

 右が終われば左。左が終われば右。

 関節にかかる負担を氣で受け止め、拳の加速に利用する。

 そうすることで拳を突き出す速さは増してゆき……まあ、あれだ。拳を下げた時に背中の筋や骨にぶつかった際、氣で地面を蹴り弾く要領で拳を前に突き出しているのだ。

 当然、衝撃が蓄積されて、弾く威力が上がるたびに速度は増してゆく。

 ……まあ、次第に筋が耐えられなくなって中断になるのだが……ならばその筋も氣で守ってくれようと、以前より多くの箇所から湧き出る氣を思う様に使い、拳を振り続けた。

 結果。

 

「─────────!!」

 

 パァンッ、と何かが弾けるような音がして、ギャアーッと叫びたくなるほどの激痛が右腕に!

 何事かと言って焦ることでもないのだが……筋は守られていた。衝撃対策はバッチリだ。

 でも衝撃は吸収出来ても、伸縮する肩の皮とか骨は、人体である以上どんだけ気を使ってて痛めてしまうときはあるわけで。つまりは氣を緩衝剤に使っていようが、急に伸びた筋とか皮は痛いです。

 

「……、……、……!」

 

 痛い。が、冷静に癒しの氣を以って鎮めてゆく。

 呉から戻ってくる間、盗賊山賊に遭うこともなくのんびりと休憩できたお陰で、氣脈も随分と癒えてくれた。

 完全とは言わないまでも、親父が“いいからおめぇはたまにはゆっくり休め”と何もさせてくれなかったこともあって、本当に、本当~に久しぶりに何もせず過ごす毎日を生きた。

 “するとどうだろう”って言いたくなるような変化があったのは、つい先日だ。

 どれだけ疲れていたのか、“休んでいいんだ”って意識が身体全体を包んだ途端、すとんと気絶するように眠った俺は、呆れるくらいの時間を眠った。もちろん食事とかの際には親父に起こされて、邑で食べたり適当な川で魚を捕ったりで食べた。けど、それ以外はほぼ眠っていた。

 

「すぅうう…………はぁあああ……」

 

 起きると氣脈に澱みがないか、穿った点穴は塞がっていないかを必ず調べて、おまけに自分の体の中の氣の流れ方を落ち着いて見てみることも続けた。

 軽功とかを頭の中で構想したのもその時だ。

 漫画で見た知識ではあるものの、たかが漫画と侮るなかれ。“そういうことだって出来るかも”は、可能性を広げる大切な鍵だ。なんでも試してみて、本当にダメそうだったら諦めればいい。やらずに諦めるのはもったいないのだ。

 だって、せっかく氣ってものが本当に存在するんだ。やらずに鼻で笑うのは本当に、もったいない。

 

「……、……」

 

 さて。ダッシュはしたものの、体を伸ばすストレッチはしていなかったことを思い出して、柔軟を開始。

 むしろ柔軟からやるべきだった。反省。

 

「……う、うぅうぇぅ……」

「あぁあうぅう……」

 

 少女二人がゾンビのような声を出しながらも、真似ようとのろのろと動き出す。

 声は……やっぱりかけない。

 軽い自己嫌悪めいた気分に襲われてしまうが、歯を食い縛って我慢する。

 そんな俺をよそに、軽い溜め息をつきながらも二人に水を飲ませる姿があった。……白蓮だ。

 

「………」

「───」

 

 白蓮は“不器用なやつだなぁ”なんて目で俺を見たあとに、目が合うと肩をすくめて苦笑。

 俺は感謝の意を込めて軽く頭を下げてから、鍛錬を続行した。

 そして白蓮さん。あとで校務仮面について、いろいろ訊かせてもらいますんで。



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121:IF2/あの日、包まれた暖かさへと零すもの②

-_-/曹丕

 

 ………………。………………。

 

「…………はっ!? ~……」

 

 呆然としていた頭を振って、もう一度彼の鍛錬する姿を見た。

 柱の影に隠れて、そっと。

 

「………」

 

 妙な紙袋を被っているけど、どこをどう見ても父だった。

 校務仮面とか言っていたけど、どこをどう見ても父だった。

 むしろ気づかない登と述がどうかしている。

 ……もちろん、私も興味が無いままだったら気づこうともしなかったかもしれない。

 

「わぁあ……」

 

 現在、見慣れない服(あとで伯珪に訊いたら、剣道着と剣道袴というらしい)で鍛錬を続ける、紙袋を被った父は……物凄い速度で両の拳を交互に前に突き出している。

 最初の音は凄かった。パンッて鳴った。試しに同じ構えで拳を振るっても、そんな音は鳴らなかった。(あとで伯珪に訊いたら、衣服同士が翻った拍子にぶつかっただけらしい)

 

「………」

 

 幾度か拳を突き出すと、唐突に身体を伸ばす運動を始める、とと……ち、父。

 じっと見つめていると、どうやら伸ばした箇所に氣を集めているらしいことがわかった。

 それがどういう効果があるのかは……鍛錬法にも書いてあったけれど、よくわからない。

 そうするといい、ということしかわからなかったのだ。

 美羽に言われて私もやったことはあるけれど、あれは結構辛い。身体を伸ばすことと氣を使うこと、しかも氣は一箇所に集中しなければいけないし、伸ばす箇所が増えればその分を分けて集中させなければいけない。

 ……ただ、あれを続けていると、氣を切り離して使うことを身体が覚えてくれるから、出来るならやったほうがいいとは思う。……あれ? これがあの鍛錬をする意味なのかな。…………なのかしら。

 

「……あれ?」

 

 しかし、ふと気になったことがある。

 どうして今日は夜中に鍛錬をしなかったのか。

 鍛錬見たさに夜更かししてしまった自分に呆れた上、お陰で少し寝不足だ。

 けれど見たかったのだ、仕方が無い。

 どうして急にそっけなくなってしまったのかはわからないし……ただ、可愛くない子供たちに愛想が尽きただけの話なのかもしれない。知ることが出来るのなら知りたい。知って、そこから仲直りをしたい。

 酷い掌返しだけれど、それでもまた、私は……あの頃の、“楽しい”を知っていた自分に戻りたい。

 具体的に言うと構ってほしい。

 自分から勝手に離れたくせに、どうやら私の中には父親に甘えたいという厄介な心が、あの頃からずっと溜まってしまっていたようだ。

 父の行動の真似をしてみるだけで、頬が緩む。

 

(えと。こうして、こうして……こう)

 

 足を前後に開いて、拳を腰に溜めて、後ろに下げた足の爪先から回転を始める。

 その回転の速度が死なないように足から腰、腰から肩……と連続で回転させて、最後に拳。

 ひゅっ、と突き出した頃には、とんでもなく緊張していたらしい私は……たった一回の突きだけで汗を垂らし、ふっふっと息を弾ませて…………顔をとろけさせた。

 むず痒い。

 あの人は私の父なんだと誰かに言いふらしたいような、妙な気分。

 大事なことをそっちのけで、偉大であった父の姿に足をぱたぱたさせた。こう、素早く足踏みするみたいに。……そんな時、丁度傍を歩く兵に、とろける顔と足のぱたぱたを見られた。

 

「はうぅっ!?」

「あ、や……その。…………し、失礼しました」

 

 ぺこりと頭を下げ、歩いてゆく兵。

 驚いたままの格好で固まり、たぶん真っ赤であろう私。

 ……あ、あれ……? なんだか死にたくなってきた。なんだこれ。

 恥ずかしいとかそういうのではなく、なんかこう…………死にたい。

 

「…………落ち着きなさい、私」

 

 そう、まずは落ち着こう。

 そうよ、まずは大事なこと。

 ……私はまだ、誤解していたことを父に謝れていない。

 いえあの、ごごご誤魔化しとかそんなのじゃなくて、謝れていないのは事実で。ええと。はうぅ。

 

「………」

 

 再びちらりと見る。

 昨日はずっと母さまと話していたようだし、私は全然、まったく、話す機会さえなかった。

 話そうって意味も込めて夜中に待っていたのに、結局鍛錬はしなかったようだし。

 とにかく謝るんだ。謝って、許してもらえるまで何度でも機会を作る。

 ……あの人は、私にどんな暴言を吐かれたって小ばかにされたって、諦めずに語りかけてくれた。

 

(今度は私の番なんだ)

 

 頑張ろう。もちろん仕事優先だけれど。

 誰かひとりにかまけて、大事な仕事を手付かずにする、なんていう尊厳を冒すことはしないわ。

 そう……母と、そして父の娘として高く在れ、曹子桓。

 親と比較され続けるのは、正直に言ってしまえば“重い”。

 自分の中の理想の先を往く曹孟徳という存在は、どれだけ手を伸ばしても届かないという雲の上の存在だ。

 なのに、そんな存在がもう一人だ。

 昨日、構ってもらえなかった時間を使って倉に入り浸った。当然、父さまの書簡竹簡を見るためだ。

 見れば見るほど素晴らしかった。私なんてまだまだ未熟だと知った。

 “大人と呼べる年齢でもない子供に、そこまでを願うべきではないだろう”とは自分でも思う。

 周りも“頑張り過ぎても身に着かない”と言ってくる。それはそうだ。

 けれど、そんな常識を一段飛ばしするような鍛錬をしている人を私は知った。

 私達が教えられた鍛錬法は、実に“子供向け”だ。

 なるほど、確かに随分と伸びが速いと褒められたこともある。子供向けを子供がやったのだから当然だった。

 

「すぅ……」

 

 書簡を読んでからはずっと続けている、“寝る時以外のほぼ全ての時間、氣の集中を続ける”こと。

 自分の現在の氣の総量を正確に把握して、それが一日の終わりに無くなるよう身体に覚えさせる鍛錬。

 続けて行うことで氣の総量も増えるし、氣を使っていない状態からの行使、集中の移行が随分と早くなる。らしい。それから治療の氣。他の書簡に書いてあった“手当て”の要領と同じく、痛んだ部分へ氣を集中させておくと、痛みが引くのが早い。

 手当てというのはあれだ。痛みなどを感じる箇所に手を当てていると、多少なりとも痛みが引くのが早いという話。本当なのかは別として、もっと小さい頃に痛みを和らげてくれた父の手は、とても温かかったのを覚えている。

 あれが氣を使ったものなのか、手当てだったのかはあの頃の私にはわからなかった。わかろうともしなかった。

 その頃の私が理解できたことなど、父はやさしいということだけだったから。

 だからもしかしてを考える。小さな頃、痛みが消えるのが早かったのは、私が痛みに強かったからとか、自然治癒能力がどうとかの話ではなく、もしかして……と。

 

 

「はぁ……」

 

 ともかくこの氣。筋肉痛の身体に満たしてやれば、ほんのちょっとだけ軽くなった感覚を覚える。

 まあ、どれだけ氣の行使が上手くても、またすぐに駆けずり回らなければならないのだけれど。

 

「そろそろ仕事ね……」

 

 時間を知らせるものがあるわけでもないけれど、朝の空気の変化というのは案外わかるものだ。

 そんな感覚が私に“そろそろ仕事だ”と報せるから、溜め息を吐きながらも父の姿をもう一度見て、移動を開始する。……なんだか両手の指から物凄い数の氣の弾を発射してた! なにあれすごい!

 自分の内側から沸き出した好奇心に、後ろ髪を全力で引っ張られながらも……サボるわけにはいかないから歩いた。父のことは知れたのだから、警備隊をやる意味はないと言えるのだけれど……自分から言い出してやり始めたからには、母が望むような成果を出す前にやめるのはいろいろと問題が……。

 ああ……どうして始める前に、倉を調べるなんていう方法に気づけなかったのだろう。

 で、でも、これは父が通った道! 父が築き上げてきた警備隊!

 そんな意味も兼ねて、途中で投げ出さずに何か結果を───!

 

……。

 

 コ~ン……。

 

「もうやだぁ……」

 

 早速心が折れそうだった。

 昼の休憩時間、中庭の東屋まで戻ってきた私は、卓に突っ伏しながら弱音を吐き出していた。

 何故かといえばやはり簡単で、揉め事処理に走った先で会うのが、必ずと言っていいほど将だったからだ。

 正直に言おう。

 私の中で、将と父の立ち位置が完全に逆転した。

 私は内部の顔しか知らなかったんだなと呆れて、現在とても頭が痛い。

 父がぐうたらで、将らは仕事が出来る人というのが前までの認識。

 現在はといえば、父は働き者で、それをひけらかすことはせず、慌しい姿を娘に見せずに笑顔を見せて、遊ぶ時間さえ作ってくれた良き父だ。

 それに比べて……将はあちらこちらで喧嘩はするわ揉め事を起こすわ、暴れた結果、飯店の椅子を壊すわ客足を遠ざけるわ……。なまじ力がある所為でまともに抑えられる人が居ないから、それも揉め事を連続させる結果に繋がっているらしい。

 

「………」

 

 私は今まで何を見て、何を知ったつもりでいたのだろう。

 そんなことを考えたら、寝る時間を削ってまで仕事をして、娘達と遊ぶ時間を作ってくれた父に申し訳なかった。

 ……その、寝る時間を削ってする仕事の中に、騒ぎに対する報告も混ざっていると考えると余計にだ。

 なんとか出来ないだろうか。

 そ、そう。これをきっかけに話をして、ちゃんと謝って……うん。

 

「そうよ、曹子桓。己に自信を持ちなさい。ここで燻っていては出来ることも出来なくなるわ。私は曹孟徳が一子、曹子桓! これしきを乗り越えられないでどうするか! むしろ腕が鳴───ひぃうっ!? …………~!!」

 

 腕どころか腹が鳴った結果、がばっと立ち上がらせた身体をもう一度座らせて……卓に肘をついて頭を抱えた。

 泣いていいですか、ととさま。

 

……。

 

 …………で。

 

「………」

 

 結局一度も声をかけられぬまま、夜である。

 仕事は相変わらず。なんというか最初から最後まで、ほぼが将の尻拭いというか……。

 ええと、これって偶然なのかしら? 私が入った途端に将が暴れているだけ? そうなのだとしたらまだ希望が持てるのだけれど、もし日常的に、以前からずうっと将ばかりが問題を起こしていたなら、いろいろと問題なのではないだろうか。

 むしろそれを母さまが問題なしと見ているとしたら?

 ……だめだ、母を疑うな。あの人は覇王だ。

 将と兵と民で、いろいろな面で差があろうが、民無くして国は成り立たない。

 戦が無い今、そこまでの明らかな差別などない……はずだ。

 騒ぎを起こせば民には罰を、将には忠告を、なんてことにはなっていないはず。

 というよりもそもそも、将が問題を起こすこと自体が問題だ。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 溜め息ののち、呼吸を整えて氣を集中。

 疲れ果てた身体を包むようにした……あたりで氣が尽きた。

 これはいけないと、身体を包んだ氣を大事にしながら寝台へと歩み、ぽてりと倒れてそのまま眠った。

 明日こそは謝ろう。そんな思いを胸に。

 



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121:IF2/あの日、包まれた暖かさへと零すもの③

 翌日。

 目が覚めるとけだるい身体を起こして、まずは柔軟体操。

 ぼやけていた意識が完全に起きると、氣が回復していることを確認してから着替えて、部屋の外へ。

 髪の手入れなどは当然着替えの中に含まれている。大丈夫、完璧だ。

 

「……えぇと」

 

 部屋に居るだろうか。

 今日の隊の仕事は夕方からだから、朝からはまあ時間がある。

 まず厨房へ行って水を貰うと、喉に通して息を吐く。

 それからはなんとなく中庭へ向かう……と、既にそこには柔軟をする父の姿が。

 その傍らには動作を真似ている柄、邵、禅の姿が。昨日はあった登と述の姿は……居た。東屋の傍の斜面でぐったりしている。

 ど、どうしよう。私も混ざろうかしら。でも急に行ったらおかしな子だとか思われないだろうか。

 とか考えているうちに柔軟を終えたらしい父が駆け出して、それらを追う妹三人。

 延と琮は居ないようだけれど、まあ……鍛錬って子たちじゃないものね。

 

「あ」

「あ」

 

 ぶつぶつと呟いていたら、禅と目が合った。

 よ、よしなさいっ、ほうっておいてと目で語ってみるも、わからないのかそのまま私のところまで駆けてくる。ああ、これはあれだ。お節介を焼きにきたのだ。この子は根はいい娘なのだけれど、妙なところで強引で、張り切ると失敗するから……今も妙に張り切っているように見えるし、誘いか何かだったりするなら……乗っかると絶対にろくな目に遭わない。断言する。

 

「曹丕姉さま! 一緒に鍛錬をしましょう!」

「いやよ」

 

 即答だった。

 にも係わらず、禅は私の手をむんずと掴んでぐいぐいと引っ張りだす。

 

「ちょっ……よしなさい! 私はべつにっ……!」

「だって曹丕姉さま、昨日は柱の影であんなに混ざりたそうにしていたじゃないですか!」

 

 見られてたぁああーっ!!

 

「なっ……ななななにを言っているのかしら? わたたっ……私が、そんなっ……」

「それにその……少し協力してもらえたらって。……あの、かかさまから聞きました。というか、愛紗さまに相談しているところを聞いてしまったのですが」

「え? 聞いたって、なにを?」

 

 まさか、私が頬を緩ませて足をぱたぱたさせていたという事実を、兵づてで……!?

 ……ねぇ禅……いえ、公嗣。口、封じてもいいかしら。

 

「段階を追って話しますけど……落ち着いて聞いてくださいね。今、ああして妙な紙袋を被ってる人……実はととさまです」

「───」

 

 ちょっと待て。あなたはなにか。私がそれを知らないとでも思っていたのか。

 やっぱり口封じね。少しぽやぽやしたところがあるなぁとは思っていたけれど、これでは妙なところで口を滑らせる可能性は大だ。

 

「……公嗣? 私が、それがわからないとでも思ったの?」

「え? ……そ、そうですよねっ!? わからないほうがおかしいですよねっ!? でもでもっ、他のお姉さまがたは気づいてくれないんですっ! 柄姉さまなんて、“校務仮面……恐るべき男よ”とか言って、汗を掻いてもいないのに顎下を腕で拭って……!」

「わからないの!?」

 

 わ、我が妹たちながら、なんともまあ……いえ、これは純粋だと受け取るべきなのかしら。

 ……純粋でも、呆れていいわよね。

 

「えと、そんなととさまですが、呉から戻ってきてからおかしいんです。私達のことを見てくれなくなりました。それで、さっきのかかさまの話に戻るのですが」

「そ、それと私がどう繋がるというのよっ! 私はべつにっ、好きであんなことをしていたわけではないわっ!」

「……え? あの、曹丕姉さま? なんの話で───」

「だから! わ、私が、と───あの人の鍛錬を真似て、頬を緩めていたとか……!」

「………」

「………」

「え?」

「え?」

 

 ……マテ。

 え? いやあの……えっ!?

 

「ちっ……違う、の? 私の話じゃ───」

「いえ、その。あくまでこれはととさまの話で…………その。曹丕姉さま、そんなことを……」

「───……」

「曹丕姉さまっ!?」

 

 膝から崩れ落ちた。

 両手を母なる大地につけて、なんかもう泣きたくなった。

 まただ。またなのか。どこまで私は妙な失敗を繰り返せば……!

 

「あ、あの、曹丕姉さま? そのっ……」

「いいの……いいわよもう……。どうせ私はこれだと思うと勝手に暴走して勘違いする馬鹿者よ……。どうせ母のようにも父のようにも立派になんかなれないんだわ……」

「え? ………………あの、曹丕姉さま? ……もしかして、ととさまのこと」

「ぐっ……!」

 

 言われて、ズキリと胸が痛んだ。

 そうよ、今さらよ。今さら知って、今さら構って欲しくて空回りしているわよ! だからなに!? 仕方が無いじゃない! 知らなかったんだから!

 そんな気持ちを込めて、涙が滲んだ目で禅を睨んだ。彼女はべつに悪くないのに、ひどい八つ当たりだ。

 だというのに禅は嬉しそうに、ぱあっと笑顔になると、「やっとととさまのことを話せるお姉さんが出来ましたっ!」と喜びを口にした。

 

「え……」

「あ、でも大丈夫です曹丕姉さまっ! 勘違いして暴走して、今の曹丕姉さまのように両手両足をついて落ち込むの、よくととさまもやっていますから!」

「全然嬉しくないのだけれど!?」

 

 いくら私が今、父の姿に焦がれていようと、こんな格好で落ち込むことに喜びを感じたりとか……! 

 

「………」

「……曹丕姉さま?」

「はっ!? な、なんでもないわよ!」

 

 だから冷静になりなさい曹子桓!

 こ、こんな、無意識にとった行動が父に似ていたからといって……!

 

「……こほん。それじゃあ話を戻しましょう。それで……禅? ち……あ、あの人が急に私達の前で鍛錬することになった理由は、なにか聞いている? それとも盗み聞きしたというのがそれに当たるのかしら?」

「たまたま聞こえただけですよっ!? ……うぅ……でもその、はい。理由、と言えるかはわかりませんけど、聞きました」

 

 ……それから、禅は語ってくれた。

 父が呉で、なにか“どうしてもやらなければいけないこと”を知ってしまい、それをやり通すには強さが必要だったこと。そのために、娘たちに秘密だとか言っていられなくなったこと。どうせ娘達には嫌われているのだから、もう娘達のために時間を作る必要はないだろうと判断したということ。

 

「………」

 

 愕然。

 やはり今さらだったのだろうか。

 もっと早くに倉のことに気がついていれば、現状を変えることは出来たのだろうか。

 父は……書簡を通して知った父は、覚悟というものを大事にしていた。

 あの娘に甘かった父のことだ、今回の決断も相当に悩んだに違いない。

 となれば、覚悟だって決めただろうし……現に昨日、登や述がどれだけ苦しがっていても見向きもしなかった。

 それを思い出した途端、“もうだめなのかな”と心が弱ってしまい、ようやく緩み方を思い出した頬が、再び強張っていくのを感じた。

 妹の前なのだからとか、そんな意識は働かなかった。むしろ、そんな感情は知らなかった。

 母のように気高く在れ。

 自分の在り方を戒めるように生きてきた私は、こう言うのはひどい話だけれど、子高のように“姉なのだから”を言われたことがない。傍から聞いていてあまり気分のいいものではなかったけれど、そういうものなのだろうと聞き流していた。

 だから、妹の前では凛々しい姉で在れなんて言葉も深く知りもしないし、そんな小難しいことを考えていられるほど……今の私には余裕がなかった。

 

(……あぁ……)

 

 どうしてこうなってしまったんだろう。

 あの夕暮れの日、余裕がなかろうが棒読みのような言い回しだろうが、“ととさま”の話をきちんと受け止めていれば……なにかが変わってくれていたのだろうか。

 後悔したってもう遅い。

 むしろ、わくわくしていた心が打ちのめされてしまい、こんなことなら知ろうとするのではなかったと、心が弱りだして───

 

「ですので、今が好機です!」

「───……え?」

 

 弱ったところへの救いは、急に来た。

 好機? いったいなにが? と目で問いかけると、禅は楽しそうに笑って言うのだ。

 「姿を偽っていようとこちらを気にしてなかろうと、あれはととさまなんですよっ?」と。

 …………考えてみる。

 ろくにあの人を相手にしなかった私と、今の……私達を相手にしないあの人を。

 ……逆になっただけだ。そんなこと、私だって自分でも言っていた筈じゃないか、今度は私の番だと。

 あの人は今まで諦めず、構おうとしてくれていたじゃないか。

 それをほんの二日三日で諦めようとするなんて、私は……。

 

「……ねぇ、禅。あの父だから、謝れば簡単に許してもらえるなんて考えていた私を……愚かしいと思う?」

「許すも許さないも、ととさまはどうせ怒ってもいませんよ? むしろその“どうしてもやらなければいけないこと”が無ければ、今も私達のために時間を作ってくれていたに決まっています」

「………」

 

 眩しいなあ。素直にそう思えた。

 愕然とした状態から力が抜けてしまい、座り込んでしまっていた身体を立ち上がらせると、じゃあ、と歩く。

 父は今も物凄い速さで城壁の上を駆けている。

 追いすがる妹たちは既にぐったりだ。

 

「禅。あなた……夜中のあの人の鍛錬に混ざっていたそうだけれど」

「? うん。ととさま凄いんですよっ? 今も随分と速いけど、もっと速く走ったり、火の球を出したり、木剣から光を出して飛ばしたりっ」

「……え、あ、ああ、うん……そう」

 

 どうして教えてくれなかったのだという自分勝手な視線に気づくこともなく、我が妹は元気だった。いっそ清々しいほど純粋ね、この娘。

 そして、自分よりも父のことを知っていた妹に嫉妬する自分に頭痛を感じた。

 …………頭痛なんて割りといつものことね。あぁ頭痛い。

 

「曹丕姉さま」

「? なによ」

「どうしてととさまのこと、あの人とか呼ぶんですか?」

「…………っ……!」

 

 突き刺さった。

 かなり鋭く、深く。

 違う、これでも頑張っているのだ。

 頑張って父と呼ぼうとしているのに、これまでの日々と妙な自尊心などが邪魔をして、思うように呼べないだけ。

 掌返しなんて嫌いだ。だからととさまと呼びたいのに“子供っぽい”などと言い訳をして、ならば父さまと呼ぼうとしてもまだ意地を張る。結果として父になりそうだというのに、なまじ“あの人”だの“彼”だのという認識の仕方をしていたため、呼ぶ時にまで影響が現れてしまった。

 

「………」

「曹丕姉さま?」

「父と……父と認めるのも躊躇われた時期があったからよ。彼……あの人……と、父さま、が、やっていることを知らなければ、今だってこんなところには居なかったわ」

 

 そうだ。こんな風にまごまごとせず、自分の趣味と称しているもので時間を潰していた筈だ。

 だというのに、今の私は……。

 

「おかしいでしょう? 笑ってくれていいわよ。ていうか笑いなさい。掌返しが嫌いだったくせに、今の私はひどい掌返しを───」

「……あの。それをして、誰が困るんですか?」

「え?」

 

 きょとんとした顔で訊ねられて、訊かれた私のほうが戸惑ってしまった。

 誰が? 誰が困る…………え?

 

「誰かが困る、誰かが嫌な思いをする、誰かが不快に思う掌返しならやるべきじゃないです、最悪です。でも、曹丕姉さまの掌返しはととさまへの誤解が解けた、いい方向での掌返しですし、それをして嬉しいのは曹丕姉さまも同じです」

「え、い、いえあの、禅? わわ私はべつに嬉しいだなんて一言も」

「嬉しくないんですか?」

「え……と」

「踏み出してしまえば、もう柱の影から真似る必要なんてなくなるんですよ?」

「それは忘れなさい今すぐ」

 

 怯んだ顔から一変、真顔でつっこんだ。……でも、そうだ。

 誰もが困らない掌返しに、なにを怯える必要があるのか。

 “掌返し”という言葉に嫌悪するのではなく、誰かが悲しむ“掌返し”を嫌えばいい。

 ……やっぱり私は単純すぎるのだろうか。こうと思うと、それに係わる全てを誤解してしまう。

 

「とにかく、それで曹丕姉さまが笑えるなら、掌なんていくらでも返せばいーんですっ! 遠慮なんかいらないんですっ!」

「………」

 

 うん。まあ…………うん。

 あれー…………ところで何故私は、妹に説教されているのだろうか。

 そういう話だっただろうか。

 ………………そういう話ね。結果としてこうなっているのだから、つまりは踏み出せない私が悪いのだ。

 きっと一緒に鍛錬をしたところで、父は紙袋を被ったまま見向きもしないのだろう。

 それでもいいと思えた。

 ろくに鍛錬も一緒に出来なかった私達だ。

 せめて一歩でも傍で、今まで誤解をしていた分……自分から歩み寄ろうと思う。

 もちろん、仕事優先で。

 近づくことで何かが遅れるのは、父も母もきっと認めないだろうから。

 

「行きましょう、禅」

「あ……はいっ!」

 

 走り出す。まずは一歩。

 見向きもしなかった分、今から全力で彼……あの人、じゃなくて、父……えと、と、父さま……の、あとを追う。

 これでも警備隊で随分と走りまわされたのだ。氣だって充実している。

 すぐに追いついて、あの人が見ている景色を、私も───!

 

……。

 

 コ~ン……

 

「げほっ! ごっほっ……! はっ……はひっ……ひぃっ……!」

 

 前略お母様。無理でした。

 私の中にはまだまだ父さまに対して“ぐうたら”の印象が残っているようです。

 きっと余裕だなんて思っていた私はあっさりと氣を枯らし、体力も枯らし、城壁の上で目を回していました。

 だというのに未だ走り続ける父さま。

 うんわかった、私の父は化物だ。

 それでも追いつきたくてふらふらと歩いていると、途中で見張りの兵が座る場所を用意してくれた。

 情けなくもありがたく座らせてもらうと、軽い調子で兵が始める昔語り。

 私が父さまのことを知っていることは、兵らの中では(あくまで兵の中だけで)常識的に知れ渡っているらしく……むしろ父さまのことを話したくてうずうずしていた分を吐き出すように、彼は話した。

 ……書簡竹簡から得た知識で、鍛錬がとんでもないものだとは知っていたけれど……父さまはあくまで当然のことのように書いていたから気づけなかった。聞いてみたら呆れた。

 

「そうですねぇ……女性が強いのは常識的なものですし、我々が鍛錬して身につけるもの以上のものを、一度で得る女性というのももう呆れるほど見てきていますが……」

 

 兵は語る。

 それでも、北郷一刀という人物が今までしてきた鍛錬の量は、普通ではちょっとついていけないものだと。

 笑顔で言われたわ。「一度最後までついていけばわかります。確実に吐けますよ」と。

 なんでも父さまは、ある事情で身体が成長しないらしい。

 天から舞い降りたのだから、きっとその気高さのために違いない。私達とはいろいろと違うのだろう。父さますごい。

 で、なのだけれど。

 身体が成長しないということは、筋肉も発達しないということ。

 そのため、氣を鍛える以外に強くなる方法がない。お陰で、と言っていいのか、過去から今にかけてを氣の成長のみに向けたのが今の父さまなのだそうだ。

 

「………」

 

 本当に呆れてしまった。

 つまり、あれらの速さは全て氣で行なっていると。

 「“氣だけ”を見れば、将の皆様にだって“きっと”負けていませんよ」と言う兵は、少し苦笑気味だ。あれで、筋肉も成長すればなぁ、なんて何かを懐かしむように言ってくる。

 どうして成長しないことがわかったのかを訊ねてみれば、「何年も一緒に居て、他の方々が変わってきているのに一人だけ変わらなければ、嫌でも気づきますよ」……とのこと。

 

「ふっ……く……!」

 

 どうやら歳も取らなそうな父が走る姿を見て、だったら同じくらいの外見年齢になるまでに追い抜いてやろうと立ち上がる。

 こんなところで躓いている場合じゃない。

 偉大なる母と偉大なる父、そのどちらにも追いついて……胸を張って生きてやる。

 父さま相手なら料理では勝てる、つもり。あいすとかお汁粉では勝てる気はしないけど。

 本当に、とんでもない人を両親に持ったものだと笑えてくる。

 そうだ、笑えるならまだ大丈夫。

 やってやろうじゃない。兵が言う、吐くほどの鍛錬を終えてもまだ、諦めずに進んだ先に父さまが居るのなら、そこへすら辿り着けないようでは一生孫策にも勝てないし、両親に追いつくことなど出来やしない。

 今は吐いてでも前へ。

 その過程で、機会を見つけられたら……謝ろう。

 受け入れてもらえるとは到底思えない。

 父さまがなにを思い、何を目指しているのかなんていうのは知りもしない。訊いてもきっと話してはくれないだろう。

 でも、それなら届くまで我慢だ。

 辛くても笑える瞬間があるのなら、きっとまだ大丈夫。

 我が儘を言うのなら、いつかのように頭を撫でてほしい。褒めてほしい。笑ってほしい。

 昔は当然のことのようにあったそれらが、自分が拒絶してしまった所為でなくなってしまったことを思うと、泣きたくもなるけれど……自業自得だ。今はそれでいい。私に無視されて傷ついた父さまのことを思えば、こんなことくらい我慢できないでどうするんだ。

 

「吐くまでっ……」

 

 吐くまで頑張ってやる。

 吐いたって頑張ってやる。

 父さまが自分を見てくれないのは……悲しい、寂しい。

 いつ、父さまが自分で満足する位置に立てるのかなんてことは、きっと誰にもわからない。父さまだって知らないかもしれない。

 最悪、これからずうっと、私達のことなんか見てくれないのかもしれない。

 ならどうすればいいのか。なにをすればいいのか。

 

「っ……」

 

 ならせめて。会話が無くても、一緒に同じことが出来る今を大事にしよう。

 邪魔をしたいわけじゃないんだから。謝ろう謝ろうとする所為で、目指す位置を邪魔することになるのは本意じゃないから。

 

「はっ……禅はっ……」

 

 無理矢理動かした身体で、そういえばと禅を探す。……と、私の後方で目を回して倒れていた。それでも進もうとしているあたり、どこまで頑張り屋なのか。

 

「……、……」

 

 足がふるふる震えている。

 そんな足を動かして、禅の傍へ。

 腕を取って肩を貸そうと屈み込んだ瞬間、かくんと力が抜けて、膝から強く倒れこんでしまう。

 

「つっ……!」

 

 途端に“なにをやってるんだろう”なんて、自分を馬鹿にするような感情が沸いて出る。

 心が弱っているところに、小さな失敗は深く突き刺さる。わかっていても止められない。

 

(……本当に、なにをやってるんだろう)

 

 こんなことなら何も知らないままのほうが良かった。

 なにも知らず、孫策が言っていたみたいに女の人でも好きになって、男なんて見下して。

 何も知らずに生きていられたら、こんな寂しさを味わうことなんてなかったのに。

 なんて。膝に滲んだ血を見たら、嗚咽が込み上げてきた。

 動きやすいようにって、転んだ時のことなんて考えない着衣を選んだ結果がこれだ。

 禅に誘われて一度は断ったくせに、最初からそのつもりだった自分さえもが情けない。

 そして、今日もまた、いつかのようなことは起こらないのだ。

 自分にはもう、どうしてかつてはあんなにも簡単に痛みが引いたのかもわからない。

 見下ろす膝は痛くて、今を思う心は苦しくて。

 こんな痛み、あの頃のようにすぐに暖かさと一緒に無くなってしまえばいいのにって……

 

「……、え───」

 

 目尻で膨らむ涙を拭おうともせず、もうこぼしてしまえとまで諦めていたそんな時。

 いつかのような暖かさに包まれて、見下ろしていた膝の傷から痛みが消えていって……。

 

「え、え……? なんで───」

 

 おろおろと自分になにが起こったのかと焦る。だって、氣はもうろくにない。

 癒しの氣なんて気の利いたものも、私は上手く扱えないし、そもそも言った通り氣はろくにない。

 なのにどうして、と自分の内側を覗いてみれば、自分のものではないなにかが自分に繋がっていることに気がついた。

 はっとして顔を上げてみると、さっきまで私達のことになんか見向きもしなかった、紙袋を被った父さまが立ち止まっていて……柔軟運動をする振りをしながら、私に氣を繋げていた。

 

「───」

 

 もう一度、思い出してみよう。

 もっと小さい頃、転んだときに一番近くに居てくれた人は誰だっただろう。

 痛みに泣いたとき、傍に居て頭を撫でてくれていた人は誰だっただろう。

 ……涙が溢れた。

 答えを得てしまえば我慢なんて出来なくて。

 私は……ぜえぜえと息を乱してぐったりする妹の目の前で、子供のように泣いたのだ。

 痛みが消えたと同時にまた走り出す父さまに何も言えず。

 父さまも、目の前で泣く娘に何も言わず、目もくれず。

 城壁の上で影を重ねた私達は、結局なにも伝えられないままに、言葉も視線も交わさないままに、ただ静かに……擦れ違っていった。

 



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122:IF2/今を謳うもの①

174/騒がしきは日常が如く

 

 -_-/黄柄

 

 蒼空の下、今私が思っていることを心の中で唱えたいと思う。

 父は馬鹿なのか? ……馬鹿だな、うん馬鹿だ。ただし、いい意味で。

 

「さて」

 

 父が帰ってきて、紙袋を被ってから結構経った。

 何故か急に鍛錬を始めた父(仮)だが……父でいいんだよな? 見慣れない服を着ているから確信は持てないが、きっと父だ。身長も身体のつくりも……た、多分父だ。くそ、いつものようにあの白くて青くてつやつやしている服を着ていればいいものを。

 なんといったか……ふらんちぇすか? 制服がどうとか言っていたあれだ。

 ともあれ鍛錬に励む父……“校務仮面だ”と自己紹介をされたが、父に違いない(と勝手に思っている、むしろそうだと私が嬉しい)存在が鍛錬をする姿を追った。

 ここ最近、禅がそんな私を不満そうなというか、不思議なものを見る目で見てくるんだが……これはあれか、私の判断力を疑っているのか。

 

「禅はだめだなぁ」

「黄柄姉さまに言われたくないよ!?」

 

 たわけ、お前の中で私はどれほどのたわけだ。

 だがこれでいいに決まっているだろう。

 考えてもみるのだ。あの孫登姉が。あの登姉がだぞ? 素直ではない、甘えたがりなくせに父を蹴ってしまう登姉が、憧れの存在を見る目で、変装しているとはいえ父を見上げ、追っているんだぞ?

 ここで“あれは父だ”などと言ってみろ、全てが台無しじゃないか。そんなのはいけない。

 だから私は知らない振りをする。周邵だってとっくに氣の在り方で気づいている。

 このまま憧れが進み、校務仮面という存在に慣れたところで、そっと教えてやればいい。

 今はだめだ、きっと父を蹴る登姉に戻るだけだ。

 述も登姉に(なら)うところがあるから、蹴るってところに戻るだけに違いない。

 難しいな。もっと素直になればいいものを、まったく。

 

「ところで禅、延姉はどうした?」

「寝てるよー? 一応昨日の夜は起きてきて、一緒に鍛錬したんだけど」

「その時、あの袋は?」

「袋!? とっ……こ、校務仮面さんって呼んであげようよ……」

 

 ふむ。やっぱり禅は正体がわかっているか。ととさまって言いそうになっていた。

 だというのに何故あの二人はわからんのだ……。

 

「で、その校務仮面はどうしていたんだ?」

「しっ…………ね、眠ってたと思うよ?」

「ふむ」

 

 鍛錬はしていなかったと。

 し? しっ……仕事か? それとも“し”は子桓とか子高に繋がるのか?

 そういえばいつ頃からだったか、てっぺん姉がおかしいな。

 私たちに鍛錬をするところを見せたがらなかったのに、今では紙袋と一緒に走っている。

 まあ、いい。

 てっぺん姉にどんな心境の変化があったのかとかはどうでもいい。

 家族なのだ、出来る限り一緒に、同じことをしたいと思う。

 ……私だけだろうか、こんなことを考えているのは。

 延姉は絶対にこんなことは思わんだろうなぁ。

 禅には甘いが、それ以外には……なんというか普通だ。

 琮は言うまでもない。勉強以外に興味がないからな、あいつは。

 

「おーい、邵~」

「へふっ!? はーい!」

 

 てっぺん姉とともに紙袋を追っていた邵を呼ぶ。

 すぐにぱたぱたと城壁の上から下りてきて、息を弾ませながらも笑顔で「なんでしょうっ」と元気元気だ。元気ひとつじゃ足りやしない。

 

「いや、ふと気になったんだがな。ほら、あれだ。鍛錬に付き合うのはいいんだ。ああ、それはいい」

「? はい?」

「問題はあの紙袋と同じことをして、私達の実力が伸びるかどうかだ。ああほれ、あの男、体術と木剣しか使わんだろう。弓矢もたまには使うが、他の武器となるとなぁ」

「私は投擲武器と短刀ですが」

「そうだな、私は父が言うところの大剣だ」

「………」

「………」

『禅は?』

「へぅっ!? え、えと、ぜ───わ、私は……」

 

 む? 違和感を捕まえた。

 

「なんだなんだ、もう自分を禅って呼ぶのはやめるのか?」

「大人ぶりたい子の第一歩ですねっ!」

「ち、違うよっ? ぜ……私は前からそのー……! べつに最近かかさまが失敗ばっかりしてるから、ぜ……私がしっかりしなきゃとかそういうのじゃなくて……!」

「ああ……劉備母さまか……」

「劉備母さまは……ええその……」

「そこで急に微妙な顔して目を逸らさないでよぅ!」

 

 劉備母さまはなぁ……ほら、その、なあ……。

 いや、とても大らかでいい人だ。あんな人はそうそう居ないだろう。

 ただ、ここぞという時に失敗の道を歩んでしまう、こう……言えはしないが、“残念さ”はなんとかならないものか。禅も張り切ると失敗するから、似た者親子というものなのだろうが……ううむ。

 

「まあ、うむ。話を戻そうか」

「……柄姉さまだって、子龍さまの口調を真似ているだけのくせに」

「ぐっ……! い、いや、これはだな……!」

「あのー……ところで私、鍛錬に戻ってもいいのでしょうか……」

 

 禅の言葉が胸に突き刺さる中で、邵が軽く手を上げて言ってくる。

 ……お前ら私のこと嫌いか? 確かに自分のこと棚に上げていたかもしれないが。

 ええい、嫌な気分など身体を動かして忘れてしまえ!

 

「話はあとだ! 鍛錬をしよう! 誰が一番ついていけるか勝負だ!」

「えぇっ!? 私さっきまで走っていたのに、それはずるいですっ!」

「そうだよっ! ずるいよっ!」

「ずるっ……!? べ、べつに勝負に勝ったらなにをする、とかそういうのじゃないんだぞ!? それにだな、そんな、過ぎたことを何度も言うものでは……」

「過ぎたことどころか、今まさに走らなくてはいけないのですが」

「…………すまん」

 

 珍しくじとりと睨んできた邵に、素直に謝った。

 そうだな。勝ったら何が貰えるとかそんなものを抜きにしても、負けるのは嫌だな。

 なので「勝負なんて無しで鍛錬頑張るかー」と言ってみれば、「それはそれで張り合いがないです」と邵。……このたわけの頬を引っ張ってやりたいんだが、いいだろうか。

 ともあれ鍛錬だ。

 城壁を飽きることなく走っている父(仮)を追って、ひたすらに走った。

 昨日は筋肉を使ったから、今日は氣だ。

 筋肉を使うのは三日に一度。あとの二日はとことん氣で(おぎな)って、また筋肉。

 完全に休めたいなら四日に一度がいいらしい。が、私達は他の者より回復が早いとかで、二日でも問題ないそうだ。と、禅が言っていた。誰から聞いたんだと訊いてみても、目を泳がして言おうとしない。なるほど、父か。

 ふむぅう、いいな、父。信じて待っていた甲斐があったぞ、やるな父!

 これであの紙袋の下が父の顔ではなかったら、私は叫ぶぞ。絶望を腹の底から叫ぶぞ。

 

(ようやく父が期待していたような父だったかもと思えているんだ……! これであれが父ではなかったら、もう母に私を産ませた存在なんて異常者だろう)

 

 母は機嫌のいい時など、ほぼ父の話を私にしてくる。

 強さ云々のことは見事にはぐらかしてくるが、あの時の北郷はああだったとか、あの時の北郷は実に笑わせてくれてのおとか。これで父がどんな存在かを知りたがらないのは、どうかしているだろう。

 酒を飲まない代わりに話を聞けとばかりに、随分とされた。

 そのくせ、父を見つければいろいろと無茶を押し付ける。

 いっそ父に、私と二人きりの時の母のことを教えてやりたいくらいだ。

 ……まあ、そんなそぶりを見せると、物凄い笑顔で母に見つめられ、何も言えなくなるわけだが。母は強いな、父よ。だからこそ私は、あの母に私を産ませたあなたを心底尊敬する。

 ただ子が欲しかったから、ではあんなにも娘にのろけたりなどしないだろう。

 あれこそがきっと、男に惚れた女の顔というものに違いない。

 ……なのに、呼び方が北郷なのは何故なのだろうな。父も“さん”をつけて呼んでいる。

 一度、陸遜殿に訊ねてみたら、“それは初々しさを忘れないためですよぅ? 穏も旦那様とは呼んでますけど、二人きりの時は未だに一刀さんと呼んでますからねぇ~”と嬉しそうに言っていた。

 それを言われた時の私の心境はといえば……“わかったから、いくら私の背が低いからって、前屈みになって言うのはやめてくれ。その二つの肉の塊は嫌味か”……だった。

 まあいい。今は鍛錬だ。

 

「なぁ邵。さっきの武器の話なのだがな」

「? なんですか?」

 

 走り出した私は、同じく隣を走った邵へと言葉を投げる。

 なんというか、邵は身軽な動きをするなぁなどと、どうでもいいことを考えながら。

 

「なんか、どうでもよくなった。今使っているものがどうであれ、その内に今より慣れるものもあるだろうな、と」

「はいっ、私は指から氣の雨を出してみたいですっ」

 

 ポムッと胸の前で手を合わせての言葉。走りながらだとやりづらくないのだろうか。

 

「氣の雨? ……面白いことを言うなぁ邵は」

「いえいえっ、出そうと思えば出来ないことはないのですっ、現にほらっ!」

「うん?」

 

 促された先には、さらに先を走っていたはずのてっぺん姉と紙袋。

 はずの、というのも既に立ち止まっていて、

 

「む? 紙袋がどうかしたか? べつにおかしな───出してるーっ!!」

 

 言葉の途中で驚愕!

 なんと、紙袋が空に手を掲げ、そこから線のように細い氣弾を指からいくつも出しているではないか!

 お、おおおお! なんだあれは! なんだあれ! すごいな!

 氣、氣か! 氣を指から出せばいいんだな!?

 氣……氣ぃいい………………はーっ!!

 

「………」

「………」

 

 邵と二人して集中してやってみた。

 ……出なかった。

 

 

 

-_-/かずピー

 

 ……おかしい。

 なんでだ、どうしてだ、どういう理由があって、子供達がどんどん増えていく?

 俺、ただ鍛錬してるだけだよな? やっぱり鍛錬なのか? 遊ぼう、と声をかける父よりも、鍛錬していて強い父がよかったのか?

 

「………」

 

 ホロリと涙が出た。が、いつものことなので気にしない。

 ……泣くのが日常化してきてる、少し頑張ろう。

 

「はぁ」

 

 溜め息ひとつ、意識を引き締めて鍛錬続行。

 準備運動と呼んでいるそれらをじっくりとこなし、それが終わったら……

 

「ふっ!」

 

 どごぉんっ、と重苦しい音が中庭に響いた。

 視線を向けた矢先にそれだ、どうやら待っていてくれたらしい。

 

「準備運動は済んだのか、お館様」

「鍛錬の時は北郷か一刀で頼むって、焔耶」

「桃香さまや桔梗さまの手前、そんなことが出来るか」

「敬語使わない時点でもういろいろとアレだろ」

 

 むしろ手前もなにも、ここに二人は居ないわけで。

 ……ぐったりした子供たちなら居るけど。

 

「むしろ子供達も居るから、お館様も勘弁してほしいくらいだ」

「いや……そうは言うが」

「何度言わせるんだよ……友達の間で遠慮無しっ!」

「それを言うなら星はどうなんだ。あいつはいっつも主って呼んでるだろうっ!」

「や、や……。だからな? どっちかがやめてくれれば、仕方もなしって譲ってくれるかもだろ?」

「ワタシが先にそれをするのは癪だから断る」

 

 断られてしまった。

 普通に考えて、星と焔耶、どっちが先にとかはなさそうなので俺が諦めるしかなさそうかなぁ。なんてことをいつも考えている。

 

「じゃあ……それは置いておくとして……すぅ、はぁ……んっ、お願いします」

「ああ。鍛錬だろうと、戦うからには手加減はしないぞ」

 

 ドズンと置いてあった鈍砕骨をごぼりと持ち上げて、軽々と振るう焔耶さん。

 ……これ、見るたびに“帰りたい”って思うんだよなぁ……だって当たれば軽く骨とか砕かれそうだし。なんて名前の通りの武器なんだ。レプリカでも意味ないだろ、これ。

 

「……人の武器を見るたびに、泣きそうな顔になるの、なんとかならないのか?」

「見えるの!?」

 

 馬鹿な! 校務仮面に覆われた俺の表情が、まさか……!? なんて的外れなことを考えていたら、「雰囲気だけでわかる」とあっさり言われた。……ああ、まあ……そうだよね……。

 明らかに視線だけじゃなくて頭ごと、鈍砕骨をチラチラ見てるし。

 強くなると決めたからって、都合よく恐怖が消えてくれるわけもない。ていうか怖い。

 想像してみましょう。上手く立ち回り、“これは……いける!”と確信したところで、桂花が作った草と草を繋ぐトラップに足をとられて、バランスを崩したところに上から振り下ろされた鈍砕骨が…………もう、モゴシャッ、とか鳴って頭どころか身体も潰れるだろ、この鉄塊。勝利の確信が“これは……逝ける!”に変換されたよ。

 

「───」

「───」

 

 耳で確認する合図なんてものはない。

 ただ、お互いが構えを完了させて、鋭い目つきで睨み合ったらそれが合図。

 地面をトンと軽く蹴り弾くと、お互いの武器が衝突していた。

 

「っ……おぉおおおおおっ!!」

「はああああっ!!」

 

 振るわれた鈍砕骨を左手の手甲で受け止めて、化勁で衝撃を逃がす。けれど武器自体の重さによる圧力は消せないから、その重さは方向を逸らすことで耐える。

 同時に右手で突き出した木刀は、焔耶の手甲で弾かれる。

 武器と手甲。

 焔耶を鍛錬相手に選んだ理由は、実はこれだったりした。

 手甲なら凪でよかったんだろうけど、実際に振り回す武器と手甲。その条件に合う人を探していたら、そこに焔耶が来たと。そういうこと。

 これでせめて、武器がもっと大人しいものだったらなぁぁぁあ……! と、どうしても考えてしまうのは自分が弱い証拠だろうか。……弱くてもいいから、アレでマッシュは勘弁だ。

 そういう意味で言うなら、明命でもよかったんだけど……あの篭手は、攻撃を受け止めるには特化していない気がして。むしろ篭手使わなくても全ての攻撃を避けられそうなイメージがある。だから焔耶。素早いイメージよりも、“我は砕を極めし者。目の前に在る者全て、潰さずにおれん!”って感じだから。武器がアレじゃなければ、戦い方の相性はいいと思うんだ、本当に。

 

「おぉあぁっ!!」

「っ! しぃっ!」

 

 振り被られ、振り下ろされた鈍砕骨を左手で受け止めて、威力を化勁で足に流す。

 流した威力を震脚の要領でズシンと地面に逃がして、その反動を利用して加速を開始。

 振るわれた右手の木刀が速度を増して焔耶を襲うが、焔耶はそのまま鈍砕骨を振り切って木刀を弾いてみせた。

 

「まずは一回、だな」

「───」

 

 一回。焔耶が言った言葉には意味がある。

 俺が相手の攻撃を受け止めて散らすのには、制限がある。

 もちろん氣が尽きるまで可能だけど、その回数は既に焔耶相手ではわかり切ってしまっている。対象の衝撃に合わせた氣が毎度削られていくのだから、数えられてしまえば終わりなのだ。

 ……けど。

 それが二回三回と続き、今まで限界であった回数を超えると、焔耶の表情に明らかな動揺が浮かんだ。“どういうことだ”とばかりに。それはそのまま言葉に出て、その動揺を突いての一撃は───焦りながらも弾かれてしまった。……って、ええぇっ!? あたっ……当たるって確信してたのに! なんでこういう時でも完全に油断してくださらないんですかあなた方は!

 人がどれだけ苦労してあなた方の隙を探して突いているとお思いで!? なのにようやく突けてもあっさり弾くとかあんまりじゃないですか!?

 

「うっ……うぉおおおおおおおっ!!」

 

 もはや隙を突く術を無くしたこの北郷! 枯渇を待つは男に非ず!

 自分の氣が枯渇する前に全力で挑んでくれるわぁああーっ!!

 

 

  ドゴゴシャベキゴキぎゃあああああああぁぁぁ……!!

 

 

 ……はい。ボコボコにされました。



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122:IF2/今を謳うもの②

 のちに、“やめろー! 芸能人は歯が命ー!”とばかりに顔面への攻撃(というか校務仮面)だけは意地でも避けた俺が、中庭に転がっていた。

 8年前はいろいろ言い合って喧嘩もして、それから知り合い、友達、親友みたいな立ち位置で随分と仕合ってきた不思議な関係。時には勝ったりすることもあって、燥いだものだけど……今では勝てなくなっていた。

 何故って、俺の戦い方は付き合いが長ければ長いだけ、覚えられてしまえば弱いからだ。

 鋭く速く攻撃が出来るものの、いわゆる大砲的な武器が“相手の攻撃を吸収、上乗せして返すカウンター”くらいしかなかった。予備動作として左手で吸収、右手か木刀で返すのだから、相手にしてみればテレフォンパンチのようなものだ。

 それが悔しくて氣の鍛錬を重ね、ようやく岩を砕けるまでにはなった俺。

 でもさ、考えてもみよう。

 それってさ、ええと。

 俺、ようやく“この世界の女性の強さの常識”に辿り着けたってくらいなんだよな。

 常識的に岩を破壊できる女性に囲まれての日々……その事実を改めて知った時、俺は呉の城壁の上でずぅっと沈む夕陽を見送ってました。泣いてはいない、本当だ。ただ、“青春のばかー! 愛してるー!”とキレデレを炸裂させて、女官に見られて、赤面しながら部屋に戻った。

 

(青春の所為じゃないさ……いっつもなんでもかんでも青春の所為にする人ばっかなら、たまには愛してるって叫んでもいいじゃないかって思っただけだったのに……)

 

 それよりも今の話だ。

 結局負けてしまった俺は、どうしたもんかなぁと悩んだ。

 これでは愛紗に勝つどころじゃない。

 むしろ愛紗……星もだけど、いや、はっきり言えば五虎将はなんというか人の動きを読むのが上手いから、どれだけ頑張ってもすぐに先を突かれてしまう。

 勝った側、焔耶はといえば、鈍砕骨をどすんと降ろして俺に手を差し伸べてくれて……素直にその手を取って、立ち上がる俺。

 

「こうされると、なんというか……負けたんだなぁって実感がすごいな」

「なんだ、起こさないほうがよかったか?」

「いや、ありがと」

 

 起き上がって、軽く背中などを叩く。

 こんな何気ない動作でも、紙袋を被った男がやると異様に見えるんだろうなぁ。

 まあ、それはそれとして。

 

「じゃ、もう一度頼む」

「…………へ?」

 

 手甲を胸の前でゴィインとぶつけて構えた。

 ふぅうう、氣が高まる……溢れるゥウウ……!!

 と、妙な言い回しは抜くにして、錬氣する箇所が増えると、枯渇からの復活も早くて助かる。基本、眠れば戻るRPGのMPのような氣だが、ようは身体が休まれば回復するし、絶対に寝なければ回復しないわけでもない。

 日が経つにつれ、開いた孔が氣脈に馴染んでいくにつれ、回復速度も上がったのだ。

 ……使用する量と全く合わないから、大体が戦っている最中に尽きるのだが。

 ひどいオチだ。

 

「も、もういいのか? 前までは結構休んでから……」

「ん、大丈夫」

 

 言って、錬氣、集中。

 俺が本気だと知るや焔耶も鈍砕骨を拾って、構えてからひと呼吸。

 キッと睨んだ瞬間には地面を蹴って、もう一度ぶつかり合っていた。

 戦い方は、防戦から攻戦へ。振るわれる金棒相手に左手を突き出し、懲りずに吸収かとニヤリと笑う焔耶を前に、広げていた五本指をきつく握ってそのまま殴る!

 

「なっ!? くぅわっ!?」

 

 拳に氣を乗せて、攻撃と防御───岩を砕く一撃のイメージと化勁のイメージを同時に行使して、相手の攻撃の威力を氣を使って無理矢理相手側へ拡散。

 普通なら多方向に散らして衝撃を減らすそれを、相手側へ一点集中。もちろん相手もこちらへ向けて振るっているのだから、そんなに都合よく相手側のみに散るわけがない。それを氣の使い分けで強引に押し込んで、押し込んだ瞬間に拳を引く。

 これは肩で引くのではなく氣を行使しての一瞬で。削岩機で岩を穿つように、重く、けれど素早く、相手側に衝撃全部が残るように、殴った拳の接触時間は極端に減らす。

 殴り抜けたほうが威力が高い印象はあるだろうが、生憎こちらの攻撃力の全部は氣によるものだ。対象に触れて(とう)した氣は、殴り抜けようがどうしようが、そこに俺の拳の威力がプラスされるだけだ。だったらその中間を取って素早く離す。

 衝撃を無理矢理押し込んだお陰で、こちらには痺れも怯みも無い状態からの踏み込み&右正拳。焔耶はすぐに身を退かせてそれを避けて、拳を突き出した状態の俺へと鈍砕骨を横薙ぎに振るう。

 

「ふっ!」

 

 それを、下から上へかち上げるようにアッパー。上というか、向かう方向斜め上へ。

 同時に自分も屈むものの、逸らされた金棒をくぐるようにすると、電車が目の前を通って言ったような風がゴヒャウと紙袋を掠めていった。

 

(ヂョッていった! 紙袋ヂョッていった!)

 

 などと、自分をツブすかもしれない寒気に身体が硬直するのを根性で抑えて攻撃。

 これを手甲で弾かれ、振り上げるかたちになった金棒を右手一本で振り下ろして……ってだからどれだけ腕力があるんだあなた方はァァァァッ!!

 

「とっ、ぉおおっ!?」

 

 今度は逆。

 振り下ろされるそれに氣をくっつけるように左手を添えて、自分から見て斜め左に逸らしてやる。ここまでくるといい加減、集中力しすぎで息も荒れてくるのだが、歯を……食い縛らずに、あくまで脱力でさらに集中。どんな行動にも反応できるように、身体は脱力、脱力……!!

 ああでも今回は攻撃型でいくんだった! 逸らしてどうする!

 おぉおお臆病になるな! ままま真っ直ぐに、相手を倒すことだけ考えてヒィイッ!? 無理無理無理怖い怖いってこれ! 踏み出した途端、左の手甲が突き出された! 逸らした反動で首が傾かなきゃ当たってた! あの状況で拳突き出してくるって、鈍砕骨を逸らしたときの反動とかって右手で支えきれるもんですか!? 払い逸らす時に加速も使ったから、右手にかなり負担がかかったと思うのですが!?

 

「んっ……のっ……!」

 

 もはや意地。こうなりゃ意地。

 敵の攻撃全てに自分の攻撃を合わせるように、加速や化勁などの氣を使い分けて挑み続けた。

 合わせる度に飛び散る汗と氣は相変わらず綺麗だ。

 衝撃は、逃がすか装填するかで攻撃パターンを変えて、焔耶が衝撃を予想して構えれば化勁で逃がして、そのまま突っ込んでくれば上乗せして返して。とにかく集中力を全力で使い続けるひとつの化物にでもなった気で戦い続けた。

 

「っ……おぉおおっ!」

 

 一撃。

 轟音とともに怯ませて。

 

「せいぃいっ!」

 

 一撃。

 己の行動の隙を削るために振るわれた拳を殴り返して。

 

「だあっ!!」

 

 一撃。

 金棒が戻される前に、戻そうとする腕を打ち、怯ませ。

 

「───効かんっ!」

 

 一撃。

 腹にめり込んだ蹴りの衝撃を化勁で逃がして、そのまま疾駆。

 

「これでっ───」

 

 ……一撃。

 片足のまま押される形になり、バランスを崩した焔耶へと、加速を行使した拳を……!

 

「決まりだぁああああっ!!」

 

 一気に放つ!

 

「!! く、あっ───」

 

 焔耶が身を捻ろうとするが、こちらの方が速い。

 直後、地面にも自分らの耳にも響き渡るような、寺の鐘でも鳴らしたかのような轟音が響いて───倒れるように身を捻った焔耶の横を、鈍砕骨が飛んでいった。

 

「───へっ!?」

 

 殴った。……のだが。当たった……のだが、どうやらタイミング悪く、金棒を振るおうとしたところへの腕への衝撃で金棒を落としてしまったらしい彼女。そして焔耶ではなくそれを殴ってしまったらしい俺は、吹き飛んでどごしゃーんと木に直撃する鈍砕骨を見送った。

 その飛び方……まるでドリアン海王に蹴られたドラム缶のよう……! じゃなくて!

 

「っ……はぁあああっ!!」

「うわやばっ!」

 

 吹き飛んだ鈍砕骨に気をとられた数瞬の間、体勢を立て直した焔耶が反撃に移る。

 鈍砕骨は飛ばした……来るのは右拳!

 浮いていた左足を地面に“だんっ”と叩きつけ、それを助走に走らせる拳は大迫力だった。普段からあんな重いものを握っているだけあって、ええもうほんと大砲でもぶっ放されるって迫力でした。

 けど。

 

(よく見て……! 手を添えて……───!!)

 

 焔耶の右手に加速で間に合わせた左手を添えて、焔耶の腕の中に氣で干渉。

 癒しの時のように氣の波長を合わせて、向かう方向を変えてから───!

 

「逸らすっ!」

「うわぁっ!? え、あ、な……っ!?」

 

 勝手に氣の巡りを変えられ、腕を逸らされた焔耶の表情には明らかな戸惑いが生まれる。

 当然その隙を逃せる筈もなく、というかこんな隙じゃなければ突けない俺は、かなり必死で集中を行使。散々と練習した氣の鍛錬をなぞるように身体を動かして、再び右拳を繰り出し───アレーッ!?

 

「おっ……あ……!?」

 

 繰り出した右拳が、焔耶の左手甲に弾かれた。

 次いでやってくるのは、逸らされた分を反動としてやってくる、焔耶さんの右拳なわけで。

 咄嗟に集中し直して、左手で……と思ったが、ここで額から落ちた汗が視界を奪う。

 焦りが集中を乱す。ほんの一滴が焦りとなって、ほんの少しだけ集中力を乱した。

 それでも身体を動かせないわけじゃなかったから、咄嗟に閉じてしまった瞳では見えないものを、氣で探るようにして───あ、あれ? 氣が見え───へぶぅ!?

 ……頬に、“ぱぐしゃあっ……!”と、衝撃。

 どしゃあと倒れ、見上げた都の空は、やっぱり蒼かった。

 

……。

 

 倒れたまま汗を拭……おうとして、校務仮面を被りっぱなしであることを思い出した。

 氣で包んでいたから吹き飛びはしなかったものの、汗と殴られた衝撃で結構ズタズタだ。

 思えば校務仮面をつけてると、タオルで顔を拭うことすらできん。

 今さらだなぁとは思うものの、無視してやってきたので呆れる他無い。

 実戦を想定してやるのなら、そりゃあ汗を拭う機会なんてないのだから、これはこれでとは思うけど。などと細かいことを思いつつ、負けた相手にひょいと顔を覗かれるのも、悔しいことに慣れっこだ。言われる言葉も“大丈夫か?”が大半。

 今回も例に漏れず───

 

「大丈夫か?」

 

 ……言われた。苦笑しつつ下半身を起こすと、反動をつけて起き上がる。

 

「よしっ、続きだっ!」

「もうか!?」

 

 シュバッと立ち上がって再び篭手をごつーん。

 ホアアア……! 氣が高まる……溢れるゥウウ……!!

 うん、まあその、氣の回復力が本当に速い。

 枯渇しても“7回くらいならいけるんじゃないか”とか思えてしまうくらい速い。

 それも、孔が氣脈に馴染めば馴染むほど、回復力向上の予感がするのだ……!

 

(……俺がこうやって予感を感じたり予想したりすると、大体外れるよね)

 

 考えないでおこう。

 そして再戦……の前に、一度厨房に行って校務仮面を新調。

 さくさくと包丁で穴を空けて、墨で校務の文字を書く……完成!

 誰か見ていないかを素早く確認後、スチャーンと流れるような速さで着脱。

 中庭に戻れば早速鍛錬……と思ったら、なんだか人が集まっていた。

 

「お兄ちゃん! 次は鈴々とやるのだー!」

 

 服装はそのままなのに、背はすらりと伸びた鈴々さんが蛇矛をぶんぶん振っておった。

 大人になっても口調が変わらないそのままのあなたが素敵です。

 

「いや、次は私の番だな」

 

 そんな鈴々の前にズイと出てくるのは華雄さん。

 髪が伸びて、随分と印象が変わった。なんで伸ばしたんだーとか訊いたら、“女の髪というのは、男を思い始めたら伸ばし、破れたら切ると聞いた”と。……誰から聞いたんだろう。

 しかも“死ぬまで切るつもりはないがな”、なんて言われた日には顔真っ赤。

 こういう時、真正面から気持ちをぶつけてくる人って怖いよね。

 髪はそのまま縛ったりもせずにストレート……どんな原理かは知らんが、横に広がってはいるが。あー、ほら、その、あれです。マンガとかゲームのキャラみたいに、何故か横に広がっている長い髪、みたいに。ウ、ウィングヘアー?

 

「……一刀。ちょっと付き合って」

「雪蓮? ってうおっ!? どうしたんだよその格好!」

 

 横からのたのたとやってきた雪蓮だったが、何故かところどころ服が傷ついていた。

 目も半眼で、なんだか悔しそう。

 冥琳にでもボコられたのかと思ったが、さすがにここまで出来るとは思えず……「ん」と促されるままに見てみれば、今気づいたが華雄も結構傷ついていた。

 ……えぇと、つまり?

 

「……負けた? いだぁあーっだだだだあがぁああーっ!!」

 

 脇腹を強引に抓られた。

 ていうかね! やめて!? 今一刀って呼んだだろ!

 今の俺は校務仮面であっていだぁあーだだだだだ!!

 

「わかったわかった! 何に付き合えばいいんだっ!? すぐ言ってくれ!」

「鍛錬。……ねぇ一刀? 私、別に熱はないわよ? ていうか額に手を当てるの、早過ぎない?」

「雪蓮……キミは今悪い夢を見てるんだ。大体私は校務仮面であって一刀とかいうナイスガイではないぞ?」

「へえ、そうなんだ。じゃあ真名を預けた覚えもないのに口にしてくれた校務仮面さんは、斬首しちゃっていいってことね?」

「カッ……カズトデェス……」

「えー? なにー? 聞こえなーい♪」

「おぉおおおおこのポヤポヤ元王はぁあああああっ!! ああもういい表出ろコノヤロー!!」

「え? なになにっ? 付き合ってくれるのっ?」

 

 ああ付き合ってやるとも! 校務仮面の正体は絶対に秘密!

 さっきちょっと屈しそうになったけど、相手があくまで聞こえないっていうならセーフ!

 そしてこの校務仮面! 逃げも隠れもせぬ!

 正々堂々ブチノメしてくれるわぁあああーっ!!

 



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122:IF2/今を謳うもの③

 コ~ン……

 

「…………」

「あ、あー……あの、……雪蓮?」

「………」

 

 T-SUWARIをして、人差し指で地面にのの字を書いてらっしゃる……!

 いやあの……そんな落ち込まれても……!

 

「や……だからな? 俺、雪蓮相手のイメージトレーニングは今も続けてるし、華雄と戦ってる雪蓮の動きとかも見てきたからさ……ほら……。俺の戦法が読まれていようが、なんだかんだで動きがわかるっていうか……っ……! ほら……っ!」

 

 ええ、はい……勝てちゃいました……しかも力技で……。

 なんでも華雄相手でも力技で負けたそうで、二連敗は辛いと……。

 だが校務仮面は言いましょう。きっぱりと届けましょうとも。

 

「ただ、負けてイジケていいやつは、必死に鍛錬したヤツだけだ。そこからは、立ち上がれるかどうかだろ。鍛錬、しよう? ここで立たなきゃ、前の俺みたいに後悔することになるぞ」

 

 手を差し伸べる。

 ……と、案外あっさりとその手は掴まれ、俺はその手を引っ張って立ち上がらせる。

 

「俺みたいに、って?」

「うん?」

「俺みたいに、って。どういうこと?」

 

 え? あ、あー……なんか自然と出てたな。

 どういうこともなにも、そういうことなんだが。

 

「天でね、俺は強い~なんて思って調子に乗ってた馬鹿の話だよ。強いから適当な鍛錬で十分だ~なんて鼻を伸ばしてて、いつか本物に会って挫折したんだ。……って、前に話したよな?」

「そうだっけ? 知らない」

「……まあ、そんなわけでさ。立ち向かわなけりゃ負けないんだから、なんて殻に閉じこもるよりも、立ち向かったほうがいいぞ? 才能なんて当てにしないで、努力しよう」

「自分で言うのもなんだけど、私は才能あると思うけどなー」

「あーそーだな。でも最近じゃあ、才能だけで戦ってるって頭が痛くなるほどわかる。才能と本能で戦ってるから基礎はばらばらだし型も適当だし、だからこそ型にハマった相手とは有利に戦えるんだろうけどさ。俺と同じで、慣れられるとひどく弱い」

「ヴッ……!」

 

 だって、勘頼りなんだもの。

 ほら、勘ってその人の本能、潜在的なものだろ?

 何度も見てるとさ、その動作の次に何を起こすのかっていうのがわかりやすいんだ。

 そこに鍛錬が加われば、勘で取る行動にもバリエーションが増えるんだろうが、生憎とこの元呉王さまは鍛錬なぞしませぬ。なので勝てる。勝ててしまう。

 

「そんなわけだから、真名のことはいいよな?」

「べつにそれはいいけど……最初から気にしてないし」

「オイ」

 

 思わずズビシとツッコんだ。

 じゃあ俺はなんのために頑張りましたか。

 行動パターンが手に取るようにわかったって、あなたのような武将と戦うのは相当に辛いのですが? そして今もなお、他の将の皆様が次は私がとか言ってらっしゃるのですが? なんでみんな俺と戦うのがそんなに好きなの!? そ、そんなに俺を空に飛ばしたいのか!?

 

「はぁ。じゃあ毎度の恒例として、勝者権限を……」

「あ、それって負けたら言うことを聞くってやつよね? じゃあ私、他のコみたいに一刀の子供が欲し───はにゅっ!?」

 

 恥ずかしげもなく躊躇もなく、満面の笑みでそげなことをぬかす元呉王さまの額を指で弾いた。しかし何故か周りの皆様に間違って伝わり……いやもうこれわざとでしょってくらい捻じ曲がって伝わって、俺に勝てたら子供が出来るまでキャッキャウフフってことになったようで、どっからか取り出した大き目の紙にズシャーと線と名前を引く軍師さまと武将さまらの姿が……!

 

「いやいやいやいやちょっと待ったどうしてそうなる!」

「それは言いっこ無しやで隊長!」

「いい加減、沙和たちも隊長の子供が欲しいのー!」

「た、隊長……! じ、自分も……その……!」

「ウチもまあ子育てとか柄やない思てんけど、一刀の子ぉやったら……なぁ? えっへへへ」

「だから俺今校務仮面でねっ……!? 堂々と一刀とか呼ぶのはだなっ……!」

「むふふー……ちなみに軍師勢はですねー、どの将が勝つかを予想して、その将が勝った場合はともに愛してもらうという方向でー……」

「ともに、って……風さん!? なんかそれもう俺がいろいろと困りそうなんですが!?」

 

 言っている間にもどんどんと賭けられてゆく。

 春蘭の名前が無いからか、戦闘非参加者の大体は愛紗に賭けており……愛紗さん、あなたもですか……!

 

「愛紗……」

「い、いえっ……私はべつに、ご主人様に抱かれたくて参加するのではなく……!」

「……? 勝てば、ご主人様の子供がもらえる……?」

「いえいえー♪ この場合、一刀さんと呂布さんの子供、ですねー♪」

「どっから出てきたそこの出任せ大好き軍師!」

 

 相も変わらずくるくると指を回す軍師にツッコミを。しかし笑顔で聞いちゃいない。

 

「恋と……一刀の…………………………!」

「へ?」

 

 いつものようなぼーっとした顔で俺を見ていた恋が、急に顔を赤くして愛紗の背に隠れた。

 うん、何故か子供のように愛紗の影からちらちらとこちらを見てくる。赤い顔で。

 え? な、なに? なにが起きたの? ホワーイ!?

 

「おーおー♪ 恋もよーやっとそーゆーこと意識出来るようになったんー? ……っちゅーか……恋も、出るん?」

「………」

「恋がそっぽ向いた!?」

 

 顔を真っ赤にした恋にそっぽ向かれたのがショックだったのか、霞はおろおろしつつも宥めにかかる。俺はそんな女性らの横で……必死に考え事をしながら誰が勝つか予想する朱里と雛里を見て、この大陸の行く末を案じたのだった。

 

……。

 

 で……

 

「にゃーっ!!」

「はっはっはっは、どうしたどうしたぁっ、その程度では当たらんぞぉっ?」

 

 ……本当に始めている将の皆様がおりましたとさ……。

 俺は俺で鍛錬。鈴々と星が戦う姿を横目に、一人で鍛錬。

 相変わらずイメージトレーニングをして、負けて、ようやく勝てたと思って本人に挑んでみれば負けて、その強さを糧にイメージトレーニング。

 そんなことを続けていれば、氣が無くなるのも早いってものなんだけど、回復速度が速いから次の鍛錬に移るのもいつもの倍以上に早かった。

 

「……ところでさ、蓮華」

「? なに? 一刀」

「だから一刀じゃないと……えぇと、みんな大丈夫なのか? 仕事とか」

「ええ、今日はね。夜に集中したり、仕事がなかったりよ。武官文官も優秀だと、仕事の割り振りの時点で大変だと冥琳がこぼしていたわ」

「あー……なるほど」

 

 そりゃそうだ、と納得した。

 で、隣の蓮華さん。

 俺の真似をして、体術の鍛錬をしてらっしゃる。

 今やっているのはゆっくりと一つの動作をする、というもので、まあ太極拳とかあんな感じのもの。あくまで自然な動きで、流れるように、けれどゆっくりと……全身を使うようにして動く。

 筋肉が発達していれば割りと熱を発するのも早いということもあり、話しながらでも蓮華の額には汗が浮かんでいた。

 しかし……なんだろう。

 蓮華は俺の動きを見ては、そっくりそのまま真似て見せる。

 見事なもんだなーと思う反面、なんだか面白い。

 なので、

 

「クォィチィシィンハイシャァ~ィ♪ チンカァリィエンリィェェハァ~♪」

「え? えっ?」

 

 懐かしのCMの真似をしつつ、ゆっくりと身体を動かす。

 急な言葉と動作に驚く蓮華だけど、すぐに真似て見せた。

 

「サィカィサィチュンドゥリィ~ンカァ~ンウェ~ィフォゥンハァ~ィ♪」

「こ、こう……?」

 

 前に出した身体を後ろに戻しつつ、持ち上げた足を地面に落とすとともに……前方に氣光波をどしゅーんと放つ。

 

「!?」

 

 そしてたまげる蓮華さん。

 え!? え!? と自分の手と俺とを見比べて、とりあえず両手を前に突き出してみるけど氣光波は出なかった。

 その間にも俺はさらに動作を進め、反対方向を向くと再び、突き出した両手から氣光波。

 

「ドラゴンボォ~ルカァ~ドゲェ~ェムゥ~♪」

「!? !?」

 

 さらにたまげた蓮華さん。

 そんな蓮華さんに向き直り、校務仮面状態ではわかるはずもないが、にっこりと笑う。

 ここまでして終了。

 

「………」

「………」

 

 沈黙が重かった。

 

「ア、アー……エエト……ホアッ!?」

 

 校務仮面の中でだらだらと汗を流す俺の胴着の袖を、くいくいと引っ張るなにか。

 驚いて見てみれば、そこには目を輝かせた孫登が。

 

「今のっ、今のどうやるんですかっ、校務仮面さまっ……!」

「………」

「………」

 

 そして無言で見つめ合う俺と蓮華。

 

(一刀……あなた、まだ言っていなかったの……?)

(や、だからさ……どうせ嫌われてるし、子供のことは気にしないためにって……)

(前にも言ったけれど、気にしないって……あなたの子供でしょうっ!?)

(嫌われてるのに構おうとして、さらに嫌われる悪循環なんてもう耐えられないっ! でも子供たちが大好きだ! 出来ることならまだ遊んでやりたいけど、やらなきゃいけないことが出来ちゃったからどうにもならないんだよぅ!)

 

 途中、涙が洪水のように溢れた。

 遊んでやりたいというか、構いたいのは今だって変わらない。

 でもこうして慕ってくれるのは俺が校務仮面だからであり、これを取ってしまえばきっと孫登は……また俺を蹴るに違いないのだ……!

 そうなったら俺もう立ち直れる気がしない。

 

(まったくあなたという人は……。人との付き合いには無理矢理割り込んでくるのに、どうして自分の子供にはそんなに不器用なの……?)

(俺のほうこそ訊きたいデス……)

 

 悲しいアイコンタクトが完了した。

 

「しょ、少女ヨ。今のはかめはめ波といって、氣を練って掌から放つ技だよ」

「かめはめは! な、なんだか言いづらい名前ですね!」

(ああまぶしっ……! 笑顔まぶしっ……!)

 

 “俺”の時でもこんな眩しい笑顔が見たい……!

 “俺”の時なんて、ずっと俯いた感じで、なのに蹴りいれてきて……うあー、泣きたい。

 ……既に泣いてました、ごめんなさい。

 ともあれ、教えてと目で訴える孫登を前に、しかし教えず、自分の鍛錬に戻った。

 人に教える時間はない。目で盗めとばかりに。

 動作を再開させるとすぐに蓮華も同じ動作をして、それを孫登が真似る。

 ふらふらと頼りない動きだったが、それが蓮華には可笑しかったようで笑った。

 ……なんだか、かつては届かなかったこそばゆい時間が、確かに存在していた。



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123:IF2/バレているのに正体というのか否か①

175/大人げよりも童心を大事に

 

 で。

 

「てやぁああああっ!!」

「でやぁああああっ!!」

 

 どががぎごがごぎがごごがかぁんっ、と。

 まるで音楽でも奏でているかのような連続した高い音が、中庭の一角に響いていた。

 対面する得物は木刀と刀。

 相手は明命であり、木刀を振るうのは当然俺だった。

 初撃は明命から。接近するや腰に備えた短刀を構え、細かく攻撃。

 少し距離が空くか、こちらが怯めば呆れる速度で武器を太刀にスイッチ。

 身を低くしての、刀を背負った状態からの抜刀には本当に驚いた。

 考えてもみれば、姿勢の問題はあるにせよ、なにも絶対に“鞘を腰に置かなくては抜刀は出来ない”ということはないのだ。

 その点で、大人になっても背が低いままの明命は上手い抜刀法を考えていた。

 抜刀する瞬間に屈み、足元を狙うもの。

 なんか結構前にそんな技を見たなーなんて思ったが、油断するとレプリカでも危険だ。危険というか、くらえばどの道立っていられない。

 ぴょんと跳躍すればそれで済むことだが、加速された抜刀ってさ……やられてみればわかるけど、なんの冗談だって思うくらい速いんだ……。やられてわかる、この対処のしづらさ。

 特に明命は元々低い姿勢から攻撃をしてくるのが上手い。

 油断しているといつもの高さの攻撃だーなんて油断して、抜刀を喰らった足がボチューンと宙を舞う、なんてこともきっとあるのだろう。想像したくない……忘れよう。

 

『せぇええやぁあっ!!』

 

 互いに一撃をぶつけ、距離が出来るや加速居合い。

 氣を纏った得物同士がぶつかり合い、さらにはその衝撃ごと氣を切り離して剣閃として放つと、その二つは眩い光とともに四散。

 加速居合いによる剣閃が当たらなかったと見るや、加速をしての納刀。

 何百何千と繰り返した型だ、どの位置に得物を納めればいいのかなど、氣で固定済みだ。

 それらの工程を一瞬で済ませると、明命は模擬短刀、俺は手甲を武器にぶつかり合う。

 短刀というのは中々に難しい。

 大きな得物を好む将が多いこの時代、小回りの利く短刀という武器に対し、少々の苦手意識を持っている。体術の方がもっと小回りが利くだろう、なんて言われそうだが、体術と短刀とでは明らかに違うものがある。

 それは、触れれば切れるというものだ。

 拳は触れて弾けばいいが、短刀はそうはいかない。

 模擬刀だからといって、加速を使われれば切れる時は切れるし、拳よりも鋭利であることに変わりはない。それを想定しての戦いともなれば……いや、実際の刃を想定するまでもなく、この世界の将が振るう模擬刀系が実際の刃並みに危険なのはわかりすぎているので、油断は出来ない。

 

(よく見て……! 刃の腹に手甲を当てるよう、に、して……っと、とわっ!?)

 

 弾く行動には細心の注意を。

 常に集中を欠かさずに戦う練習を続け、なんとか捌き終わってみればいつの間にか明命に懐に潜り込まれ───きゅっ、と丹田あたりが冷たくなるのを感じた。なんというか、チェックメイトを身体で感じた瞬間と言えばいいのか?

 しかしそこは諦めの悪い北郷です。

 短刀連撃を捌ききった結果、短刀を弾き、明命の手から短刀がこぼれたことに歓喜した瞬間に潜り込まれた俺だが。弾ききった格好のまま、一瞬で喜びが霧散した俺だが。両手が完全に広がりきっていて、笑ってしまうくらい無防備な俺だが。

 

(来る……加速居合い!)

 

 相当に近いというのに、明命が選んだ行動は加速居合い。

 背中の太刀に手を伸ばし、居合いで抜き放つといったもの。

 後ろに退いても逃げられないだろう。

 右も左も同じだ。なら?

 上? いや、上に跳躍したところで、明命が空を見上げて居合いをすれば変わらない。

 とくれば……前でしょう。

 

「ビッグバンクラッシュ!」

「ふぴゅっ!?」

 

 ビッグバン・ベイダー謹製、ビッグバンクラッシュが明命の顔面を襲う。

 それと同時に太刀を抜き放とうとしていた腕を身体で押さえ込み、ようやく戻せた腕で明命の肘を殴る。

 

「はぅわあっ!?」

 

 きっとビリッと来たことでしょう。

 とても驚いたといった感じの悲鳴をあげる明命から素早く離れて、いざ仕切り直し。

 明命は自分の肘と俺とを交互に見て困惑しているようだ。

 ……不思議な感覚だよなー、あの肘にビリっとくるの。

 ロードローラーを殴りまくってた某吸血鬼も、よくもまあああならなかったもんだ。

 しかしその距離がいけなかった。仕切り直しとはよく言ったもので、明命に短刀を拾われてしまった。笑顔の裏で、“キャーッ!?”と声にならない悲鳴を上げていたのは内緒だ。

 

「旦那さま、驚くくらいに強くなっていますですっ!」

「鍛えてますからぁ? っへへぇ~♪」

 

 某ゲームCMのクリリンさんの真似をしつつ、くすぐったい気持ちでぶつかり合う。

 素直な明命に褒められると、素直に嬉しいのはいつものこと。

 その喜びを一撃に乗せて戦うと、明命も負けじと氣を込めての攻防。

 相手の成長を喜んで、ともに歩もうとしてくれる、支えてくれる妻って……いいものですね。8年経っても素直な彼女に、心からの感謝を送りたい。

 こういうのもなんだけど、明命に限らず。

 

「ひゅっ───」

「すぅっ───」

 

 で、明命との攻防。

 小回りが利くのと、攻撃の返しが速いのとを考えれば、当然鈍重な得物を振るう皆さんよりも相当に速い決断を迫られる。

 得物の動きだけでなく、肩から肘、手首の返しはもちろん、明命の視線の動きからも、どこからどう攻撃が来るかを予測しなければ捌けない状況。

 加速居合いは明命の姿勢の高低度合いでまあまあの予測が出来るものの、短刀の加速攻撃は正直怖い。怖すぎる。

 傍から見れば呆れる速度で攻防しているなぁ……なんて思われるだろうが、俺は終始必死だ。氣の総量がどれだけ上がろうが、それを使いこなすための技術がまだまだ追いついていない。

 言い訳が許されるのなら、今まで使って慣れてきていた絶対量が、いきなり莫大(最終的には7倍あたり?)に膨れ上がったのだから、仕方の無いことだと言いたい。言わせてください。

 ここぞという時に出せる一撃の回数が増えたのは、そりゃあいいことだ。いいことだけど……使いこなせなきゃ意味がないんだよなぁ……。

 先生……散眼を会得したいです……。

 

「……つぇいっ!」

「せやぁっ!」

 

 頭の中ではふざけた言葉を割りと本気で唱えつつ、向かい合っては剣閃。

 氣同士がぶつかり合って散る様を接近しながら眺めつつ、振るわれる短刀を手甲で逸らしてはこちらも攻撃。そんな拳での攻撃も捌かれては返されての連続。

 速度重視の相手に対して、蹴りをするのは非常にまずい。

 どんな状況であろうと、迫る危機から逃れるための足だけは確保する。

 そんな意識が二人ともにあったからだろう。戦い始めて結構経つのに、蹴りは一度もない。

 こんな状態だから蹴りを放てば虚を突けるのでは? なんて考えは全く無い。

 逆に相手がそんなことをすれば、その隙を穿つ準備が双方ともに出来ている。

 結局は隙の探り合いなのだ。

 氣のみで身体を動かして、氣を相手の体内へぶつける。

 それだけを目的とした場合、いかに素早く相手に氣を触れさせるかになるわけで、手数が尋常じゃない。それこそ拳の弾幕ともとれるほどの素早さで相手の行動の隙を狙い、その狙った隙を狙われ、狙われた隙を穿つ、といった手数が呆れる速度で繰り返される。

 で、こんな速さだけの攻撃なら、一撃喰らおうが殴ったほうがよくないか? なんて考えをしたのち、腹にぶちこまれた氣の塊に胃液をぶちまけながら、敗北を知るのです。

 それが氣での攻防。

 はっきり言おう。岩を破壊出来る氣なんぞ流し込んだ日には、人は大怪我をします。

 

「たぁああっ!」

「ぜえぃやぁっ!!」

 

 ただし、人体というのは氣が“巡っている”ものだ。

 氣が流れていない岩は直撃を受けるしかないが、巡っているものは多少なりとも全体に受け流せる。その流れに逆らわず、むしろ手伝ってやって逃がし切るのが、俺の化勁のイメージだ。

 剣閃ではなく居合い同士がぶつかり合う中、その衝撃を装填、抜刀居合いではなく普通に加速で振るった木刀が、同じく加速で振るわれた明命の太刀とぶつかって、氣の火花を散らす。

 結構な衝撃なのに折れず曲がらずのレプリカには本当に感心する。

 鍔迫り合いになったらなったで互いが氣で相手を押し退け、距離が出来れば剣閃。

 あれがぶつかって消えれば、その影から明命は突出してくるのだろう。

 それを予測して、氣を集中。

 防御側一切無しで、右手と左手にさらに集中。

 摩擦させて火を灯した氣を木刀に装填するようにして。

 

「天に三宝! 日、月、星! 地に三宝! 火、水、風! 龍炎拳!!」

 

 身体に充ちる氣の全てを火の氣として装填して、加速剣閃。

 熱風を振り撒き一直線に飛翔するそれは、ぶつかりあった剣閃が散る先から疾駆してきた明命に動揺を与えた。

 え? うん、言葉に意味はない。ただのノリである。

 

「はうあっ!?」

 

 動揺、と言ったが、明命は相当に驚いたようで、咄嗟に居合い剣閃を放って相殺を狙うも、直撃。威力を殺されたには殺されたものの、こちとら充ちる分での全力なので、総量の結果でなんとか押し切った。

 押し切ったんだけど…………

 

「す……すごいです旦那さまっ! まさか炎の剣閃とはっ!」

「ワー……」

 

 直撃したのに元気です。吹き飛ばされもしたのに、普通に起きてます。

 ………………俺の氣って……。

 い、いや、まあ、破壊目的というよりは、熱風で吹き飛ばすイメージだったしなぁ。

 当てるつもりで破壊の剣閃なんてやってたら、本当に岩を破壊するような結果になる。

 普通、そこはブレーキが入ってしまうだろう。

 自分に呆れつつも、それでよかったと納得することにした。

 

「だ、大丈夫だったか?」

「いえいえですっ、咄嗟に氣で身を守りましたから、そこまでひどいことにはなっていませんですっ」

「……いい娘……!」

「ふわぅっ!? あ、あの、旦那さま? あの……子供も見ているんですけど……っ……!」

 

 いつかのように頭を撫でる。

 皆様綺麗に成長なさる中、一人だけ容姿の変わらぬ俺は、きっとこういう時に取る行動も変わっていないのだろう。

 それでもしばらく撫でていると、猫のように目を細めて「えへへぇ~」と微笑む彼女が微笑ましい。

 見た目は大人でも撫でられるのが好きなのか、うっとり顔だ。

 

「───」

「───」

 

 で、そんな俺達を見て、休憩していた華雄さんと凪さんが急に立ち上がったのですが。

 な、何事?

 

「………」

 

 気にしちゃいけない気がした。

 ので、息抜きも兼ねて、おずおずと……集まって座り込む子供たちを見てみるのだが。

 …………ウワァ、なんか滅茶苦茶見られてる。

 孫登と甘述の目が輝いていて、黄柄と周邵の目が期待に満ちていて、劉禅はにっこにこ笑顔。いつの間に来ていたのか、陸延はあらあら~なんて感じで頬に手を当てて笑っていて、木陰で書物を読んでいる呂琮は……半眼めいた目でこちらを見ると、ぱくぱくとクチを動かした。

 ……なになに? ……頑張って、ください、お手伝い……さん?

 

(………)

 

 ……お手伝いさんって誰?

 読み間違えたか?

 ま、まあいいや、ともかくそんな感じだ。

 で、なんだけど……

 

「………」

 

 あの。なんか……あの。

 曹丕の目がちょっとやばい感じに見えるのですが。

 え? なんでそんな、赤い顔してらっしゃるので?

 え? なんでそんな目が潤んでらっしゃるの? いつものあの見下した目はいずこへ?

 え? …………いやあの…………えっ!?

 

(…………? ───!!)

 

 まさかと思いつつ、振り向いてみると……俺に頭を撫でられてぽやっとしている明命さん。

 ……惚れたのか!? 惚れたのか丕よ!!

 う、うぬもまた、母と同じくおなごに目をやる女性としての道を歩んでいると!?

 

(そうか……懸命に戦う明命に惚れてしまったか……。なんというかそれは…………)

 

 遠い目をして空を見上げた。

 なんだか視線が突き刺さるような感覚を覚えたものの、それはきっと俺が娘達と明命の間に立っているからなのだろうなと納得しておいた。

 



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123:IF2/バレているのに正体というのか否か②

 さて。

 凪と華雄が裂帛の気合とともに他の将と攻防を繰り広げる中、さすがに疲れた俺は休憩。雪蓮がやっているみたいに木の上に上って、のんびりと風に吹かれていたりする。

 風に撫でられながら、ゆっくりと氣脈の休憩を図り、充ちてくれば癒しに回す。

 そうすることで、まだ完全に治っていない氣脈の痛みも癒えてきて、癒えて馴染むほどに氣の回復速度も上がる。なんというか、いい循環。

 

「また、随分と騒がしくしているな」

「ん? あぁ、や、冥琳」

 

 見下ろしてみれば冥琳さん。

 さすがに見下ろして話す気分にはなれなかったので、ひょいと下りて「休憩?」と訊ねた。

 さっきまでは居なかった筈だし、恐らくは仕事の休憩だろう。

 

「ああ、今段落がついたところだ。随分と騒がしかったから、気になってな」

 

 “来てみればこれだ”とばかりに、辺りを見渡して苦笑。

 これだ、というのは“いつも通り”と受け取るべきなんだろう。実際いつも通りだし。

 

「しかしいい加減、そのよくわからん紙袋はなんとかならないのか?」

「冥琳でもわからないことはあるんだな……仕方ないなぁ、これは校務仮面といって───」

「いや。名称はもう疲れるくらいに聞いたからいい。そういう意味じゃない」

「あ……そ、そう……」

 

 そりゃそうだった。

 でもほら、わからないことがあるんだなって、一度は冥琳に向かって言ってみたいじゃない。

 

「しかし、面白いものだな」

「校務仮面が?」

「それは面白いではなく滑稽だ」

「真正面からひどいなおい……」

「その紙袋ではなく、今の状況がだ」

 

 促され、見てみる。

 改めて見てみれば、目を細めて小さく溜め息を吐く冥琳の気持ちもわかる。

 

「かつては命を奪い合っていた者が、今では笑いながら得物を振るう。己が味方を勝利に導くべき軍師が、他国の将の強さを認め、その者が勝つと笑みとともに唱える。……あの頃では想像もつかん」

「なるほど、それは確かに」

 

 当時にそんなことを堂々と宣言すれば、最悪首が飛びます。

 敵の強さを認めた上での策には必要な理解だけど、それを少しも認めない王だって居たかもしれないのだ。それが、今では一箇所に集って笑っている。……本当に、面白いもんだ。

 

「こうなってしまうと、人柄を信用している、と最初に口にしたのは間違いではなかったわけだ」

「あー……懐かしいなぁ。そうそう、最初は人柄しか信用されてなかったよな」

「いや。今も人柄しか信用はしていない」

「はうぐっ!? え……えぇええっ!? そうなのか!?」

 

 大驚愕!

 今も昔も人柄だけなのかよ俺!

 なんて驚いたが……あーなるほど、そりゃそうだと納得した。

 

「この世界で人柄以上に信用出来るものって、あんまりないよな……」

「お前が持っている金でも信用すれば満足だったか?」

「人柄でじゅーぶん。人柄への信用が増えれば、そりゃあ───」

 

 笑顔も見せてくれるわけだ。そういった考えに思い至り、自然と緩む頬をカリ……と掻いた。紙袋に潜らせた指で。

 まあ、こんなことは口にはできない。

 

「あ、そうだ。じゃあ期待はどうなんだ? 期待はしていないって言われたわけだけど」

「していないな。しない方が頑張りが強いと、これまでで理解したからな」

「……信用を増やすも減らすもお前次第って、結局期待してることにならないか?」

「ふふっ……さてな。好きに受け取ってくれていい」

 

 ふっと笑うと、目を伏せて腕を組み、木に背を預けた。

 毎度毎度思うが、この世界の女性って露出度高い。背が開いた服とかで木に背もたれして、痛くないのだろうか。

 そんなことを訊いてみると、冥琳に笑われた。服によって“するしない”があるから気にするな、だそうだ。そりゃそうだ。今の冥琳の服は普通に整った感じだし、背は開いていない。

 

「それで北郷。いつまでお前はその格好を続ける気だ? まさか子供たちがいい歳になるまで、というわけでもないだろう」

「あー……実はそこのところはよく考えてなかったり。蹴られたりせずに鍛錬に集中出来ればってつけたんだけど……どうしてか懐かれてるんだよな。なんでだ?」

「………」

 

 この世界指折りの軍師様に訊いてみたら、“それは本気で訊いているのか”という呆れた視線を贈られた。いや……この北郷、今日までで乙女心というものを学んできた修羅にござるが、生憎と乙女心は学べても子供心は学べておらぬのだ。

 なのでわかりません。わかっていればこんな紙袋を被ることも、そもそも親子仲が微妙になることもなかったと思うのです。

 

「まあ、それに関しては言ってやれることはないな。一言で済ませるのなら他人事だ」

「わぁ、ひどいけど正論」

「軍師というのはそういうものだ。相手がどれほど親しかろうが、求められる言葉よりも差し出せる事実しか提示出来ない」

「雪蓮の無茶には笑って付き合うのに……」

「なんだ。親身になってほしいのか?」

 

 何気なく話しているものの、冥琳はさっきから微笑がデフォルト状態だ。

 なんというか、微笑ましいものを見ている顔と言えばいいのか。

 ……なんか、親に出された難題を頑張って解こうとして、でも解けなくて、微笑ましく観察されている気分……。ややこしいけど、本当にそんな状態だ。

 

「北郷。親というものになったことがない私が言うのもなんだが、あまり親と子として捉えるな。お前は……これを言うのもいい加減数えるのも面倒だが、お前として在ればいい」

「……言われるのも確かに、いい加減数えるのも面倒だなぁ。俺らしくか。それって……」

 

 親ではなく、なんというか……そういうこと?

 

「娘たちと友達になるつもりでってことか?」

「お前に親、という立ち方は似合わん。他国の兵だろうと民だろうと、将や王が相手でもずかずかと踏み込んでいった図々しさを見せてやればいい。それを、私たちには出来て、娘たちには出来ない理由はなんだ?」

「───」

 

 言われてみて、ああなるほど、だった。

 

「親って立ち方にこだわりすぎてたってことか」

「子供たちにとって、それが幸か不幸かはわからんがな」

「そっか。でもなぁ。たとえそうやって打ち解けるきっかけみたいなのが掴めても、俺、これからやらなきゃいけないことが山積みなんだけど」

「それは、娘達のことを後回しにしなければ出来ないことか?」

「どうしてもやらなきゃいけないことで、失敗すると取り返しがつかない。冗談じゃなく、本当にやり直せないんだ。そうなった場合、俺はきっと娘達のために割いた時間を後悔する。それをしたくないってのが……実は随分でかい」

 

 人の所為にするのは冗談だけにしたい。

 笑い合えない罪の擦り付けを親がするなんて、吐き気さえ覚える。

 俺の場合は家族がああだから、自分の不始末を家族に擦り付けるって考えは持ちたくない。既に剣道のことでがっかりさせてしまった経験があって、自分だけを守るための言い訳を並べ立てまくったいつかを思えば、後悔なんて出来るだけしたくないって思うに決まっている。一度落胆させてしまったっていうのに、もう一度鍛えてくれたじいちゃんに報いるために。

 だからそうしてしまわないためにも、やれることはやっておきたいのだ。

 

「親であろうとすることには失敗した。空回りしすぎだったよなぁ、我ながら。あ、でも育児放棄とかそんなんじゃないぞ? きちんと成長は見守るし、年がら年中鍛錬するわけでもない。で、大人になって、連れて来た恋人には拳を見舞って……───まあ、見守るだけの親がその時に相手を殴れるだけ偉いのかって言ったら、絶対に違うんだろうけどさ」

 

 じゃあどうすれば? ……親であることなんて忘れてしまえばいいのだ。

 責任責任と重く考えるから動けなくなる。

 どうせ嫌われているのなら嫌われているなりに、いろいろと躓くことは多そうではあるが、かつての思春や愛紗や焔耶との仲を思えば、難しいなんてことはないはずだ。

 ……その前の問題として、子供たちと接するか否か、で困っている。

 接することで鍛錬の時間が無くなれば、未来で後悔するかもしれない。

 接することを諦めて、ただ未来を守ることだけを願えば、守るためだけに生きた日々を後悔するかもしれない。

 中間を取ったとして、どちらも中途半端なままに仲良くも出来ず守れもせずで、どちらか以上の後悔を味わうかもしれない。

 

「……どうすればいいのかな」

 

 はっきり言えば、こんな現在なんて望んでいなかった。

 肯定否定の間に挟まれて悩む日々よりも、みんなとの日々をただ生きることに人生を懸ける……そんな日常が続くだけで、きっと満足だったろうに。

 だからぽつりとこぼれてしまった弱音。

 それを拾ってくれる人が、すぐ傍に居た。

 

「失敗すればやり直せない、か。ならば失敗しなければいい」

「え?」

 

 当たり前といえば当たり前のことを、横に立つ軍師は言った。

 まるで、なにを悩む必要があるとばかりに溜め息混じりに。

 

「じゃあやっぱり、子供たちは───」

「子供たちをほったらかしにして別を願えば、お前は子供たちのことを後悔するだろう」

「う……じゃあ失敗したくない未来のことは諦めろって?」

「そうすると子供たちの所為にしそうで怖い。そうだな?」

「……どっちも取れってことか?」

「当たり前だろう」

 

 やっぱり当たり前だ、ということらしい。

 胸の下で腕を組むいつもの立ち方で、冥琳は俺の目をじっと見てくる。

 シリアスでもこっちが紙袋装着だから締まらないものの、その目は真剣だった。

 

「どちらかを切り捨ててどちらかを完璧にこなす。なるほど、判断力に長けた者ならばそうすることこそ最善だろう。だが北郷。お前は判断云々以前にそういうものに向いていない」

「うぐっ……! ……アノ、冥琳サン……。なんか……今の言葉、物凄く突き刺さったんですけど……」

 

 まさか、人として向かないって理由で現在と未来を願うことを否定されるとは……!

 

「お前は一人で何かをすることに、まるで長けていない。代わりに、人とともに何かを為すことに関しては呆れるくらいに力強い。だから、改めて言おう。お前はそういうものに向いていない。一人で悩むくらいならば、遠慮せずに頼ればいい」

「……頼ってもどうしようもないことでもか?」

「ほう? それはどういう理由でだ?」

「………」

 

 言うべきかを一瞬だけ考えた。

 結果が出るのが、きっとみんなが死んだ後か、相当に年老いた後だと言うべきなのか?

 夢で見たものを信じてくれと、そんなことを言われて信じてくれるだろうか。

 一瞬でいろいろと考えた。一瞬だったのは、もう今日まででも散々と考えたからだ。

 答えは……さっきまでなら“言わない”。今は……“頼ってみよう”、に変わった。結局のところ……情けない話、俺一人で頑張ったところで後悔しない未来は見えなかったのだ。

 だから話した。今まで悩んでいたこと、どうすればいいのかもわからないことも含め、様々を。俺の口から放たれる滅茶苦茶な言葉を、冥琳は途中途中で眉を歪めながらも聞いてくれた。

 真剣さを受け取ってくれたからか、現実味がなくても茶化すことはせずに。

 

「……と……まあ。そんなわけでさ」

 

 重い話だったはずだ。

 話し終えても不安が渦巻くままに、少しおどけた調子で言葉を切ってみる。

 冥琳は……顎に軽く折った指を当て、思案していた。

 さっきまでの、どこかほのぼのとした空気なんて……もうどこにもなかった。

 胸を襲うのは極度の緊張と恐怖。

 どうしようもないなんて言われてしまえば、結局は俺が頑張るしかなくて。

 信じようがないと言われても俺が頑張るしかなくて。

 いっそなにもかも忘れて、みんなと最後まで楽しく過ごして、みんなと一緒に否定されてしまったほうがいいのかな、なんてことを考えてしまうくらい、この胸は緊張と恐怖でいっぱいだった。

 

「雰囲気からして余裕がないから、どんな言葉が出てくるかと思えば……」

 

 けれど、そんな思案も溜め息とともに吐き出されてしまった。

 思わず「え?」と言ってしまうほどの態度に、どういうことだと戸惑いながら訊ねてしまう。

 

「北郷」

「え? い、いや、私は校務仮面───」

「……北郷」

「……ハイ」

 

 ギロリと睨まれてしまい、反射的に正座してしまった。

 ……座るつもりはなかったはずなのに、女性の睨みに対してなんと弱いこの体……!

 

「わかっていないようだからはっきりと言ってやろう。ああ、お前ははっきり言った上、畳み掛けるようにわからせてやらないと理解しないだろうな。いいか、これから言う言葉をきちんと受け取れ。理解出来なかったなら、我らが覇王様に足労願うことになる」

「華琳に!? なんで!?」

 

 何故にここで華琳さま!?

 俺はなにか、そんなにまずいことをしたのか!?

 育児放棄!? ……いやいやっ、俺ちゃんと見守るって言ったよな!? 見守る……みまもる……み…………育児してねぇ!

 ハ、ハワワ……!? なんかもう嫌われているのを大前提として考えた結果、見守ることもまた修行だ……じゃなくて、見守ることすら育児みたいに思えてた! いろいろヤバイぞ俺! 親として以前に人としてもこれってどうなんだ!?

 

「北郷。お前は以前、自分の鍛錬を曹操に見られて鍛錬を禁止されたそうだな」

「う……もう8年以上前だけどね……」

「以降はどうだ。似た鍛錬をしているか?」

「いや……体を動かすのはそりゃしてるけど、今はむしろ体よりも氣の鍛錬って言っていいな。疲労もそれほど蓄積されないし、氣の使いすぎでぐったりすることはあっても、体自体はそこまで難しく考える必要はないかな」

「だろうな。さて北郷。お前のことだ、その氣の鍛錬とやら、書簡竹簡を処理しながらでも出来るな?」

「え? あ、なんだ、もしかして俺の鍛錬のことを訊きたかったのか? いっ……いやぁああははははっ!? そ、それならそうと早く言ってくれればよかったのにぃ! じ、実はなっ!? 俺なっ!?」

「違う」

「……あ…………そすカ……」

 

 正座から両手両膝がっくり状態に進化した俺がいた。

 



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123:IF2/バレているのに正体というのか否か③

 そりゃいきなり大声で照れ出す男なんて気持ち悪いかもだけど、ちょっとくらい聞いてくれたって……。

 と、悲しみを抱きつつ、先を促してみた。

 

「言葉通りはっきり言うが、北郷」

「お、押忍」

「朝から晩まで、氣の鍛錬をする馬鹿などこの大陸にはいない。もっと厳密に言えば、お前と同じ勢いで鍛錬をしていれば、よほどに氣の絶対量が多い者でなければ、結果を出す前に氣が枯渇して倒れる」

「え? や、そりゃないだろ。明命とかだったら軽く出来るって」

 

 なにせ明命だ。祭さんや凪だって、余裕で出来そうじゃないか。

 そんなことを当然のように言ってみたら、軽く遠い目をされた。あ、あれ?

 

「確かに出来る者も居る。ただし、やらない。氣の枯渇などをしたら、緊急時に動けなくなるからだ」

「………」

 

 アー……ソリャソウダー……と思いつつ、本当のやらない理由はそこじゃないような気がした。じっと冥琳を見ていると、なんだか“察することが出来るのに最後まで聞くのか”と目で語られた気がした。

 

「氣を使いすぎると危険なのは、お前も知っているだろう。祭殿の無茶な氣脈拡張の際、死にかけたな?」

「う……つまりは、そういうことなのか?」

「それだけが原因とは言わない。確かに氣を持つものは……特に将となる者は随分と多くの氣を持ってはいるのかもしれないが、北郷。お前のように寝て起きれば回復するほどじゃあない」

「へー…………へ?」

 

 え? 回復が遅い? いや……俺も寝て起きれば回復だーなんて、RPGのMPみたいだとはそりゃ思ったけどさ。……やっぱりあれか? 肉体が成長しない分、唯一左右される氣のほうが存在を保っている、みたいな感じなのか? だとしたら、氣脈拡張の際に死にかけたのも微妙に納得出来るけど……納得したくない自分も居る。本当に苦しかったからなぁ……あれ。

 あぁでも、だったら竹簡とかに鍛錬法を書いたのは失敗だったか?

 娘達にも似たような氣が混ざっているのなら、枯渇で相当苦しむことにな…………待て。そういえば、無理に氣脈を拡張しようとした甘述が、尋常じゃないくらいに苦しんで…………。

 

「北郷?」

「えと。なぁ。普通の人が氣を使いすぎたら、どうなる?」

「うん? ……ああ。動けなくなるな。だが、死ぬほどではない」

「……どうやったら、そんなところまで読めるほど理解が深くなるんだよ」

 

 ようするに俺がやっていた鍛錬はやはり異常で、止めた華琳は正常だった。

 それでも続けた俺も異常だったが、現在でも無事でいられることのほうがよっぽど異常だ。

 ……えと、だがしかしだ。

 

「なぁ冥琳。その話と未来の話と、どう繋がるんだ?」

「………」

 

 訊ねてみたら少し睨まれた。

 無知でごめんと言いたいところだけど、ちょっと理不尽を感じずにはいられない。

 

「お前は妙なところで鋭いのに、そこに自分が係わるとどうしてこうも鈍くなるのか」

「ごめん。それ、俺自身も悩んでいることのひとつ……」

 

 本当にどうしてなのか。

 悩んだところで答えは見つからないから、今もこのままなのだが。

 しかし北郷負けません。これでも女性に訊ね返す際には、絶対に聞こえなかったフリとかはしないと心に誓っている。

 ……もっとも、それを朱里と雛里との会話中にしてしまい、しつこく訊きすぎて顔を真っ赤にした二人を泣かせてしまったことがあるのだが…………まあその、うん。卑猥な妄想をつい口にしてしまって、それをなんて言ったんだってしつこく訊きまくって、幼さの残る天才軍師さまに卑猥な言葉を泣かせながら口にさせるって……最低だよなぁ。

 あの時は本気で謝った。土下座までして謝った。そしたら一層に慌てさせてしまい、泣かれる泣かれる。騒ぎを聞きつけてやってきたメンマさまに妙な状況ばかりを拾われてしまい、からかわれ、俺まで泣いたのは悲しい事実だ。次に慌て出した星の顔は、たぶん一生忘れない。

 じゃなくて。

 

「纏めると……その。俺のやっている鍛錬は既に異常で、それ以上を望むのは無茶で、だから気にせず子供たちに接してやれって……そういうことか?」

 

 言ってみると微笑とともに「そら、わかっているじゃないか」と溜め息を吐かれた。

 笑顔で溜め息はやめてください。すごく絵になって、こっちまで溜め息が出る。

 

「ああもちろん、氣に応用が必要なのはわかる。ただ氣脈を成長させるだけでは意味がないこともだ。しかし北郷。私はそれが、いつかのように三日に一度でもいいと思っている。お前としてはどうだ? 日々を仕事と鍛錬だけで埋めて、お前はきちんと成長出来ているのか? 三日に一度の“集中する鍛錬”と、一日のほぼを潰す毎日の“休息と余裕が無い鍛錬”と。お前はどちらを“効率良し”と唱える」

「………」

 

 言われて振り返ってみた。

 自分の無茶な行動や、自分を心配する周囲の声。

 華琳は珍しく止めることはしなかったが、“目標を目指すことと、自分を壊すことを同じにしないことね”と溜め息を吐きながら言っていた。

 ……その時は愛紗に追いつくんだってことばかりを考えていて、言われてもきょとんとしたものだったのに……冥琳に言われて冷静になって振り返ってみれば、こうも簡単に意味を受け取れた。

 

(………………そっか、余裕なかったか、俺)

 

 きちんとやれているつもりだったのに。

 そうは思っても、子供と接することを諦めている時点で、もっと具体的に言えば、なにかを切り捨てなきゃいけない時点で、余裕なんてものはなかったんだろう。

 

「さて北郷。お前には呉のことや雪蓮のこと、蓮華さまのことで随分と助けられた。その恩人が迷っているとなれば、友としても人としても軍師としても見過ごせん。雪蓮が聞けば笑うのだろうが……いや、私自身も私を笑いたい気持ちでいっぱいだが、不思議と悪い気分ではない」

 

 ところどころで視線をちらちらと逸らしながらも、言葉を続ける冥琳さん。

 いったい何を言われるのやら……と不安ばかりが先行するものの、不安はあっても悪い予感はなかった。そりゃそうだ、友として、なんてこうもきっぱり言われたら、疑うのは失礼ってもんだ。少し照れている様子を見せつつ、髪をファサアアと払う姿は綺麗だが、まあなんというか……顔が赤い所為でどうしても照れ隠しにしか見えなくて、いつしか不安も裸足で逃げていった。

 

「あー……つまり、その、だな」

「うん」

 

 言葉を探してらっしゃる。あの周公瑾殿が。

 とても珍しい光景なはずなのに、ただただ落ち着いて言葉を待てる自分に驚いた。

 

「北郷」

「うん」

「雪蓮が、文台さまが目指した世は、誰もが笑って暮らせる世だ。しかし、その夢は曹操の前に破れた」

「……うん」

「だが、そんな夢も、誰かの待望、悲願に乗せて叶えられると知った。ここからまた目指せばいいと言った者が居た」

「うん」

「……なあ北郷。お前は今、どちらかを手放し、どちらかで後悔する道を選ぼうとしている。お前はその先で、笑っていられると本気で思っているのか? そうではないと知って、雪蓮や蓮華さまが黙っていると、本気で思っているのか?」

「………」

 

 続けて“うん”とは言えなかった。

 その目が俺の目を見つめ、心配してくれているのがとてもよく伝わってきたから。

 そんな目を見たら。そんな目で見られたら、こんな不安は自分だけで抱えてしまおうなんて思っていた自分が、随分と馬鹿馬鹿しく感じた。

 友というのなら頼れと。頼る気がないのなら、もっと隠せるように努めろと。彼女はきっと、そういうことを言いたいのだろうと……いや、俺自身がきっとそう思うんだろうなって。それで、自分のことは棚にあげて相手の心にどかどかと入り込んで…………うわぁ、自分のことながらちょっと頭痛い。

 

「……えっとな。俺さ」

「! ……あ、ああ。なんだ?」

「………」

「?」

 

 冥琳よぅ……そこで安堵したようにホッとされると、すごい罪悪感が……。

 俺、そこまで思いつめた顔してました? ……してたんだろうなぁ。

 なんだかやっぱり自分が馬鹿馬鹿しく思えて、姿勢正しくこちらへと向き直った冥琳の頭をよしよしと撫でた。……もちろん、正座から立ち上がってから。

 途端に顔を真っ赤にする冥琳だったけど……逃げることも払いのけることもせず、顔を真っ赤にして軽く俯きつつも、撫でられるがままになっていた。……子供冥琳は、今も変わらず撫でられたいらしい。

 

「……俺な、実は夢ぇええっひえぇえええっ!!?」

 

 突如、首筋を撫でる感触に悲鳴。

 夢を見てさ、と続ける筈がヘンテコな声が出た。

 慌てて振り向いてみれば、いい汗かいたとばかりに笑顔な星さん。

 目的の話だけではなく、夢の中の全てを話そうとした途端だった。

 

「主よ。せっかく友が戦っているというのに、友をほったらかしにしておなごと妙な雰囲気を作るのはいかがなものか」

「それと首筋を指で撫でるのとなんの関係が!?」

「いやなに、妙な雰囲気だったので、少し割り込みを。邪魔ならば去りましょう」

「……星って、結構表情に出るよね」

「はっはっは、なにを仰る。“いつも飄々としていてわかりにくい”と、愛紗に言われたほどのこの私が」

「………」

「………」

 

 冥琳と二人、どことなーく緊張しているように見える星を見た。

 戦ってたならそのまま続けてたらどうなんだろうか、とも思ったものの、ちらりと見てみれば死屍累々。モシャアアア……と景色が揺れるほどの氣を放つ恋を中心に、様々な武将が倒れておった……。

 

「逃げてきた?」

「逃げたわけではありませぬ。仕合とはいえ、戦いっぱなしだったので休憩を挟んだまで。するとほれ、いつも通り樹の下で休む友であり主の傍で、穏やかに笑う軍師が居るではないか」

「………」

「………」

「いや……その。し、仕合を始める話題の中心となった主を横に、ああも穏やかに談笑をされれば気になりもしましょう」

「談笑というか、こっちも相当大事な話をしてた筈なんだけどなぁ……」

 

 一応自分と子供の今後に関わる重大な話だ。

 下手をすればこの外史そのものに関わるわけだから、簡単に考えすぎるのも戸惑われる。

 まあそんな考えを働かせつつも、気になったので一言。

 星の耳に口を近づけて、ぼそりと。あくまでおどけて、冗談のように。

 

「もしかして、友達を取られると思ったとか」

 

 言ってみて、もしかしてもなにも以前から結構一緒になることは多かったことを思い出す。

 冥琳とも友達だし、星とも友達だ。でも……アレ? なにか引っかかりがあるような。

 なんて思ってたら星の顔がぐぼんと赤くなり、俺の問い掛けにあうあうと言葉を失って、しかしどうしてか俺の道着の端っこをちょいと摘んで俯いてしまい………………あれぇ!?

 

(神様……あるわけないと確信して放った冗談が真実だった場合、言った本人の責任云々はいったいどうなってしまうのでしょうか……!)

 

 まさかの友達関連での嫉妬っぽかった。

 そしてこれだけわたわたしていれば冥琳も気づくというもので、ちらりと俺を挟んだ隣に立つ星を見ると……わあ、なんか雪蓮を追い詰める時の目つきに変わった。

 やめて!? 今さらだけどこの世界、仲間意識はあっても友達意識ってあまりない気がするんだから! というかこれはもしかしてあれなのか!? “私と貴女は友達じゃないけど、私の友達と貴女は友達”的なアタックでギャグマンガな日和なのか!?

 

「と、ところで主よ。メンマのことについて、少々話が……」

「北郷。絵本について、前に出たばかりのものの話が……」

 

 同時に話が始まった。

 聞き分けられた自分をお見事ですと褒めたかったけど、言葉が止まった途端に双方がニッコリ笑顔で互いを見て、その体からは黒いオーラがモシャアアアと!!

 あ、あれぇぇええ!? なんか似たような空気を僅かながらに感じたことがあるような!? でも以前はもっと穏やかだったよ!? なのに“ああ、あの時も恋が一人で無双してたなぁ”とか思い出してしまった時点で、なんかもう逃げられる気がしませんでしたごめんなさい!

 

「メンマも絵本もまた今度なっ!? 確かに大事な話だけど、ごめん! 今回ばっかりは俺の悩みのほうを優先させてくれっ!」

 

 ずぱんっと顔の前で手を合わせての言葉。

 明らかに身の危険を感じたってことも確かだ。

 けれど、今の問題は先送りにしていいことでもないから、勇気を振り絞って話題を元に戻すことに努めた。星はきょとんとしていたが、冥琳がふむと呟いて迫力を引っ込めると、素直に引いてくれた。

 

「ふむ……なんとも珍しい主が見れましたな。なんのかんのと他人に合わせることが多い主が、まさか自分のことを優先させるとは。私も少々、状況というものに慣れすぎていたようでござる」

 

 申し訳なさそうに、主に対してと友に対しての謝罪をしてきた。

 こっちとしては自分を優先させた上に謝られてしまって、慌ててなんとかフォローしようとするんだが……いろいろと事実に詰まって、上手い言葉は出なかった。

 

「いや、お気になされるな。そもそも、主は友だというのに相手に遠慮しすぎだ。こうして時に自分を優先してくださった方が、遠慮の壁も落ち着きを見せるというもの」

「ならばお前もはっきりと言ってやればいい。あまりに受け入れられすぎると、寄りかかり過ぎて自分が保てなくなると」

「なっ!? ……なななにを仰るやらっ!? わわ私は……こほんっ、私は別に、寄りかかりすぎてなど」

「………」

 

 二人の間に立ちつつ、樹に背もたれして聞いているこの北郷めとしましては。

 それってつまり、俺……星に甘えられていた?

 それを前提で考えてみれば、人を見つけるたびににこにこして寄ってきて、他の人には言わないようなことを言ってきたり、たまに膝枕をお願いしてきたり………………さてここで問題です。この星という人物を娘に置き換えて、状況を想像してみましょう。…………思いっきり甘えてらっしゃる! 難しく考える必要もないくらいに心許されてるじゃないか俺!

 ……そしてそんな事実を星自体が気づいてらっしゃらなかったようで、赤い顔であちらこちらに視線を揺らしては、俺の顔を見るとホゥと安心したような笑みを浮かべて……そんな自分に気がついて、真っ赤になって視線を逸らした。……その際、勢いが良すぎて首がゴキリと鳴ったのが聞こえた。……あぁああ震えてる震えてる、痛かったんだろうなぁ今の……!

 

「はぁ」

 

 こんな雰囲気でこれからのことを纏めなさいと言いますか、ゴッドよ。

 なんてことを少しくらい思ったんだけどさ。……困ったことに、“こんな感じだからいいんだよなぁ”って思ってしまった。

 だって、毎度が毎度なんだもの。難しいことばかりで塗り固められた決定なんてほぼ無くて、なんだかんだと笑みと……自分への覚悟とともに、今までを受け入れてきた。

 後悔は後悔だ。後になって悔やむことしか出来ない。これからも何度も何度も後悔を受け入れつつ、“後悔だけじゃなくて、笑みさえ受け入れて歩いていける”って、根拠の無い自信を持てる。後悔して落ち込み続けられるほど、みんながほうっておいてくれないからだ。

 そんなことが想像出来る余裕が、少しでも出来たからだろうか。

 今ここに居るみんなの様々な想いをそのままに、未来のことばかりに気をやって、今を見ずに居る自分にとんでもない違和感を覚えた。

 そりゃ、先を見ようとするのはいいだろう。先の先の先を考えて、そのために鍛錬に溺れて、周りを見ないで一心不乱。べつに悪いことじゃない。……そう思えるけど、それを最果てまで続ける自分を想像してみたら、とんでもない違和感に襲われた。

 気づけばみんな年老いて死んでいて、目の前には左慈が居て。

 結果として勝てて、振り返ってみれば……もう誰も居ない。

 思い出そうとしても鍛錬ばかりが思い出されて、時折に自分を見つめる寂しそうなみんなや子供たちの顔だけが頭に浮かんで。

 ……俺は、そんな未来で満足できるか? みんなが生きた世界を守れたとして、自分が持つ“それまでの過程”がそんなもので、本当に満足できるか?

 

(無理だ)

 

 満足なんて無理だ。そんな未来予想、自分の幸福の何一つも満たせない。

 周囲の笑顔も思い出せないくらいに未来のことばかりを気に掛けて、なのに残った結果が世界を救えたことだけなんて。

 それは……救ったって言えるのか?

 この世界が華琳が望んだ外史だっていうのなら、華琳はそんな世界を望んでくれただろうか。……いやいや望まない、絶対に途中で止めに入る。とびきりの笑顔で、目だけ笑っていないあの鋭い視線をくれて、鍛錬漬けの俺を強引にでも止める筈だ。

 ……あれ? じゃあその……あれ? 遅かれ早かれ、俺って止められる?

 

(普通に考えればそうか)

 

 誰とも交流らしい交流をしなくなって、ひたすらに鍛錬と仕事の化物になる存在を、いったい誰がほうっておこうか。少なくとも俺が知る三国の皆々様は、そんなことを許す人ではございません。

 最初こそ一緒に鍛錬をして、“今日は鍛錬じゃなくて遊びに行くのだー!”ってなって、それでも無理矢理鍛錬をしようものなら……最終手段として、我らが覇王さまが召喚されるのが簡単に想像できた。

 

  そこまで予想してみたら、なんだか笑えた。

 

 どうしようもないなぁ、なんて思ってしまえた。

 華琳のためにとか、華琳の世界を守りたいとか、覇道を支えるだとか……理由を並べりゃキリがない。鍛錬をする理由なんてまさにそれだろう。

 じいちゃんが言うように免許皆伝を得てもまだ、ようやく守れるくらいにまでなれたとして、振り向いてみればもう誰も居なかった、なんて未来は絶対にごめんだって言える。

 そんな風に悶々と悩む俺。想像の中でもぐちぐちと“もしも”を並べていたんだけどさ。

 

「ぶふっ!」

『?』

 

 想像の中の華琳が一言。

 

  “私の世界を守る? あなたにそんな在り方など望んでいないわよ”

 

 つい吹き出してしまって、冥琳と星にきょとんとした目で見られた。

 でも、それで納得してしまったのだ。

 そうだよなぁ。華琳はきっと、そんなものは望まない。

 守りたいと思うのなら一人で突っ走らず、ともに歩める者になれと言うだろう。

 出会ってばかりの頃からは想像出来ないやさしい顔で。

 一人に何かを守らせて自分は笑うなんて、非道な王を目指してなどいない彼女だから。

 それを思えば、“彼女は本当に変わったんだなぁ”なんて、暢気に思うことが出来た。

 

「…………ふんっ!」

『!?』

 

 胸をノック。

 もう“殴る”って言葉が一番合うくらいに、こう……どごんと。

 その痛みであれこれぐだぐだ悩んでいた自分を一瞬だけでも飛ばしてから、次に氣を込めた拳でもう一度ノックをする。

 

(覚悟……完了)

 

 悩む度、躓く度、歩く道を変える頼りない自分でも、辿り着きたい場所はきっと変わらず。

 それを見失うたびにこうして周囲に教えてもらって、知識を深める度に辿り着きたい場所に霧をかけてしまう自分に呆れても、それでもこうして前を向ける今に感謝を。

 

「いきなりだけどさ」

「うん?」

「どうされた?」

 

 氣を込めたノックの所為で、貫通力がある衝撃が心臓を打ち抜いて、少しの間停止した俺の開口一番。まさかのハートブレイクショットに苦笑をもらしつつも、焦る気持ちも一緒に壊されたから、二人の友に感謝を述べた。

 二人は感謝される覚えがないと口を揃えて言って、なのに頭を撫でる手からは逃げようとしなかった。



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123:IF2/バレているのに正体というのか否か④

 自分のやり方は間違っていると気づいた時、それまでの行動を思い返すと恥ずかしいと感じること、ありますよね。

 現在、軽い休憩も終わって冥琳も星もべつの場所へと歩いていったところ。

 この北郷こと校務仮面は、娘らと接するタイミングを計っておった。

 しかしこう、いざ構いましょうとすると、進めなくなるわけで。

 そんなことが出来たのなら、今までも苦労はしなかったわけで。

 じゃあどうするのさとなると、やはりこうして悩むわけで。

 

「………」

 

 …………もう、いいんじゃないかな。

 俺……もう、いいよね?

 頑張ったよね、俺……。

 娘達のもとへと向かおうとする足がビタァと地面に根付いた。

 そうして思い返してみれば、娘達が懐いているのは北郷一刀ではなく校務仮面で。

 そう考えると結局なんにも変わってないんじゃ!? と悲しみが溢れてくる始末。

 だったら正体を明かして、力強い父の姿を見せ付けてやればいいのでは? とも思ったのだが……変身ヒーローは正体を明かしたらいけないのです。子供の夢、壊す、ヨクナイ。

 なのでやることは変わらない。

 ただ校務仮面として、お子めらに夢と希望を与える存在となりましょう。

 ああでも正体がバレた時、下手すると“よくも騙してくれたな”みたいな状況に……あ、あれ? 何故そんな状況を、“それも面白そうかも”なんて思っている自分がいるのでしょうか。

 冗談半分でなら、相当に面白そうなんだが……うーん。

 

「うん」

 

 まあ、いい。

 ともかく俺は、どちらの道も選ぶことにした。

 みんなとの時間を大切にしつつ、鍛錬もする。

 最果てが何年後かなんてわかるわけがない現在を、精一杯に生きるのだ。

 なにかしらで後悔をすることが前提で生きる道には、きっと華琳が……じゃないな。三国の王が望むような未来は存在しそうにないから。

 

「いくか」

 

 うだうだ考えている暇があるなら、少しでも時間を作ろう。

 鍛錬の時間と、みんなと一緒の時間。

 8年かけて多少強くなれたなら、これからの時間をそうして過ごしていけばいい。

 大丈夫。8年だって出来たんだ、伸びが悪ければ鍛錬の密度を上げればいい。

 

「よ、よよよよしっ!」

 

 ザムシャアと子供たちの傍へと立ち、いざこの校務仮面とともに───ややっ!?

 なにやら袖を引かれる感触……誰? と振り向いてみると、目をきらっきら輝かせて俺を見つめる……───三国無双様。

 

(あ、あれっ……おかしいなっ……あれっ……あれっ……!!)

 

 ぐにゃああああと視界が歪む。

 なんだか前にもこんなことなかったっけとか思いながら、ともかく歪む。

 俺を見つめる恋は例の如く方天画戟を持ってらっしゃって、びしりと固まった俺の袖をくいくいと引っ張ってなにかを促している……!

 ええ、なにかもなにも……

 

「わあ」

 

 ちらりと見れば、やっぱり倒れ伏して動かない将のみなさま。

 さっき見た時はまだ動ける人も居たのに、今度ばっかりは皆様ぐったり。超ぐったり。

 それを確認すると、一層にクイィっと引かれる道着の袖。

 

「───」

 

 脳裏で孟徳さんがハンケチーフを振っていた。

 なんか言って!? いつもみたいになにか言ってよ!

 などと脳内漫才をしている間も期待を込めた目で見られるこの北郷。もとい校務仮面。

 

(神様……)

 

 俺はあと何回遠い目をすれば、強くなれるのでしょうか。

 そうは考えても、きっとこの娘も自分が吹き飛ばされるくらいの衝撃に憧れているだけなんだろうなぁ、なんて思ってしまうと断る理由は消えてしまって。

 軽く苦笑を漏らしながら頭を撫でると、もうきっと犬だったら尻尾を千切れんばかりに振ってますって顔で頬擦りしてきた。なんといえばいいのか、ええと……耳を伏せて首を伸ばしてくるアレだ。あんな感じ。

 そうして、子供たちとの時間をと臨んだはずの一時はしかし、三国無双さんのやり場の無い全力を受け止める機会に変わってしまったわけで。

 しかし俺自身、増した氣の全てを使えば、吸収しきれたりしないだろうかとわくわくしている部分もあって……そうなれば木刀を握る手にも力が入る。

 対峙する中で何度胸をノックしたかは数えるのも面倒、というか数える余裕がありませんでした。

 だが、もはや逃げられぬわ。

 試せるものは全て試す。全力の全力で挑み、負けることを前提にはしない。

 その先に立てなければ、愛紗に届こうなどと夢のまた夢!

 意識を鋭くしろ、目を瞑るな、逸らすな。木刀という名の相棒を手に、いざ勝負!

 

「いくぞ! 恋!」

「……!」

 

 声をかけると物凄い速さで頷かれまくった。

 俺との戦いの何がそんなに嬉しいのか、まるでご褒美を待つお犬様のような期待の目と、それとは裏腹な地を這うような疾駆。

 一気に詰められた間合いに息を飲む───ことはせず、待ってましたとばかりに突進に合わせてのフルスウィング。恋はそれを縦に構えた戟で受け止めて、疾駆の勢いのままに俺の体勢を崩しにかかる。丁度鍔迫り合いに似た格好になった。

 腕にかかる衝撃はとっくに化勁で逃がしており、恋の体重くらいは支えられるようになった俺にとっては、残った重みなどは可愛いものだった。意味はちょっと違うけど、将である存在を受け止められるのってなんか嬉しい。

 とまあ、そんなことを考えつつも体では行動。

 散らした衝撃を、“氣を体外放出⇒吸収⇒溜める”といった行動の応用で自分の氣と一緒に溜めて、それを鍔迫り合いの体ごと押し込む行動に上乗せしてぶつける。

 普通なら押し勝てない俺だが、これを以って強引に押し退けるや氣を充実。

 木刀に装填させた全身の氣が金色に輝き、途端に恋がそれはもう瞳を輝かせて方天画戟を───両手持ちで構えなすった! うわぁ思い切りで来るつもりだ! 打ち負ければ氣や木刀ごと北郷一刀って存在が消し飛びそう!

 コマンドどうする!?

 

1:男ならやってやれだ!(7回分の氣を全力解放で受け止めて装填)

 

2:真正面からぶっ潰す!(7回分の氣を全力解放でそのまま攻撃)

 

3:無難に躱してから攻撃(拗ねた恋にネチネチ潰される覚悟がありますか?)

 

4:一歩進んで抱き締める(愛に勝る強さなどあるものかとオリバ風に)

 

5:輝く瞳にステキな毒霧(ヒールレスラーのようにブシィッと)

 

 結論:……1!

 

 2でそのまま攻撃に移ったとして、それって愛紗以上ですか? ……想像つかない! 受け止められて終わりな気がする!

 なので1! 受け止めてッ! 全力で返すッッ!

 あと5! 毒霧なんて仕込んでないよ俺!

 

「っ……───!!!」

 

 来る。渾身。

 風を巻き込む音と、振るう者の迫力が、自分が肉塊になるイメージを容易くさせてくれる。

 そうなる恐怖を簡単に抱かさせてくれる相手はしかし、困ったことに“俺だからそうする”という妙な信頼の下に武器を振るう。

 それを受け止めずに逃げ出した日には、彼女は落ち込んでしまうだろう。というか、信頼を裏切られたと感じて離れていってしまうかもしれない。いやいやむしろ俺を傷つけるところだったとか自覚してしまって、目も当てられないくらい落ち込むんじゃ……!

 いろいろな思いが一瞬で頭をよぎって、よくここまで集中出来るなーなんて考えた途端、

 

(……あれ? これってもしかしなくても走馬灯?)

 

 人はその一瞬、今までの人生を振り返るとイイマス。

 ……あれ!? 俺死ぬ!? 本気でやばい!?

 

「おっ……おぉおおおおおおおおおっ!?」

 

 全力解放!

 7回分の全力を体外放出させたのち、左手に集中装填!

 普通に考えれば受け止め切れない氣の量に、左手の氣脈がミチミチと嫌な音を立てたけどハッキリ言おう! 死ぬよりマシだ! 覚悟は決めたんだから、全力で受け止めて全力で返す!

 走馬灯の集中力が持続している内にそれらを完了させると、直後に袈裟の一撃。

 “触れれば砕かれる”を具現化したような恐怖の塊に手を伸ばして、恐怖ではなく信頼を抱き締めるつもりで受け止める!!

 

「───」

 

 戟が手甲付きの左手に触れる。

 力強い氣が込められている所為か、赤に染まっているようなそれを手甲に覆われた掌で。

 一番最初に感じたのは破壊のイメージ。次に、ズシンと体中に響く重さ。氣で受け止めた所為か一気に全身にかかったそれを吸収、ミシミシと骨や筋が軋む音を聞きながら実行し続けて、ミキリと嫌な音がした時点で───7回分でも足りませんか!? という結論に到った。

 衝撃を吸収させるために働かせた金色の氣の全てが赤に染まる───そんな光景をすぐ目の前で見た。

 感じたのは恐怖か? それとも……

 

「いがっ……つぁあああああああああっ!!」

 

 以前のように腕が折れる前に、衝撃を木刀に装填。

 氣で吸収したお陰か、人を潰すほどの威力も無くなったらしい一撃を手甲でなんとか逸らし、彼女の口が“え”と軽く開いたところへ───振り抜けるっ!!

 

「!!」

 

 ろくに氣の残っていない左手で逸らしたからだろう。

 軽く押し退けられた程度の距離をあっという間に戻した恋は、振るわれた真っ赤な一撃を方天画戟で受け止めて…………以前のように、吹き飛んだ。

 

「…………~っ……ぶはっ……!! はっ……はぁあっ……!!」

 

 吹き飛んだって言葉がこうも似合う状況って、あまり無い。

 この世界でならそりゃあ、将に頼めばいくらでも飛べるんだろうけど……。

 

「いっ……つぅう……! ……うあっ、手甲が歪んでる……!」

 

 さて。

 恋が吹き飛んで、本当に吹き飛んで、中庭側の城壁の壁に激突したのを確認しつつ、歩く。

 漫画みたいな表現だが、本当に吹き飛んでいく人を見る、というのはこれでかなり怖いものだ。俺も随分と飛んだものだけど、あれの表現はどちらかというと……“浮かされた”って感じだろう。

 自分の全力と俺の全力を合わせたそれを受け止めた恋は、それはもう見事に吹き飛んだ。

 大砲で人を飛ばしたらあんな感じでしょうか、なんて在り得ない比喩表現を出したい気分だ。

 

「………」

 

 なんとか彼女の一撃に届けた、己の氣の総力を振るってみての感想をひとつ。

 “受け止めるだけ”なら上手くいきました。それでも足りなくて、強引に逸らしましたが。

 そうなってみて見えてくるものはといえば、彼女はいつでも全力を振るえます。何度でも。対する俺、それを受け止めて全力で返しただけで、目が回る思いです。たった一回だけで。

 

(…………俺って……)

 

 遠い目リターンズ。

 やっぱり俺って弱いなぁあ……いろいろな場所で兵のみんなが励ましてくれたけど、これじゃあまだまだすぎて慰めてくれたみんなに申し訳ない……。

 強くならねば……! みんなの期待に応えられるくらい、強く……!

 たった一度を受け止めただけでコレな俺なのだ……次の目標は、せめて全てを受け止めきれる俺になること……!

 

「はぁ……───はぁ……っ……はぁああああ……!」

 

 息も荒く、しかし歩く。

 吹き飛んでいった恋を追って、なんとか。

 疲労感が強すぎて、気を抜くとそのまま倒れる自分が容易に想像できた。

 

「………」

「………」

 

 果たして、恋はそこに居た。

 壁の下、落下した地点にそのままちょこんと座るように。

 どうして立たないのかと思っていると、受け止めた際に砕けてしまったらしい方天画戟のレプリカをそっと持ち上げて見せてくれた。

 

「………」

「………」

 

 俺を見上げる瞳は、なにやら期待に満ちている。

 自分の中で結論は出ているのだろうに、俺にそれを期待している目だった。

 なので、そっと持ち上げた木刀で、彼女の頭をこつんと叩いた。

 で、合言葉のように言うのだ。

 

「はい、俺の勝ち」

「……!!」

 

 それだけで、彼女は喜びに満たされたようだった。

 ババッと立ち上がるのと同時に俺に飛び付いてきて、首に両腕を回すと頬擦り。……当然校務仮面な俺だから、頬擦りでも紙袋がゴソモシャと鳴るだけだったが、その感触が気に食わなかったのか、なんと彼女は校務仮面を脱がしにかかった!

 

「いかん! 校務仮面の正体は絶対に秘密……おぉおわっ!?」

 

 片腕を首に回され、片腕で紙袋を奪われようとする。圧し掛かられる結果となって、飛びつかれた勢いもあって……当然氣も体力もあの一撃にかけてしまった俺は、そんな軽い衝撃にさえ耐え切れずに転倒。押し倒されるカタチになった先で、頬部分まで紙袋を持ち上げられた状態で頬擦りされたり顔を舐められたりって……やっぱりマーキング!? これってマーキングなのか恋さん!!

 もちろんこんな状況に、静観してらっしゃった皆様が勢いよく立ち上がり、恋と戦った疲労と急な起立に立ち眩みを起こす者続出。しかしながら根性で集まる皆様に拍手を贈りたい。俺の体、もう動きそうにないけど。

 

「こ、こらっ、恋っ! 公嗣さま……というか子供が見ている場で、なんてことを……!」

「にゃははははっ、愛紗顔が真っ赤なのだー!」

「わたっ……私の顔の赤さは今は関係ない!」

「兄ぃ、美以も舐めるのにゃー!」

「やめて!? それよりなんとかしてほしいんですが!?」

 

 正直腕力じゃ勝てません!

 正体を明かさないためにも両手で紙袋を守っているのに、彼女の片腕にすら勝てない北郷です! あ、あぁああ! 紙袋が、紙袋が取られてしまう! 助けてぇええ!!



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123:IF2/バレているのに正体というのか否か⑤

 

 少しののち。

 あまりに引っ張られたために一部が破れてしまった校務仮面を被りつつ、顔だけはやはり隠したこの北郷は……

 

「………」

「大体! ご主人様は無茶が過ぎます! 恋を相手に真正面からなど!」

 

 ……美髪を揺らす雲長さまに、ガミガミと怒られておりました。

 え? 姿勢? ……言わなくてもわかるでしょう?

 ただその横に恋が居て、しがみついたまま離れません。

 しがみつく箇所は腕だったり腰だったり首だったりと、場所を選ばぬ引っ付きっぷりです。

 何故ですかと唱えてみれば、返事は特になく……ただ顔を赤らめて俯いて、くっついてくるだけでございます。

 さて問題です。

 子供たちの前で、親以外のおなごとくっついている状況を見られるのって、どんな気分だと思いますか? ええ、僕は今とっても気まずいです。これで実は校務仮面がきみ達のパパだったんだぞーとか暴露が始まったら、なんかもういっそ死んだほうがいいんじゃないかなって思えそう。

 だから愛紗さん。お願いですから“ご主人様”って言うのやめてください。

 

「デ、デモネ? 僕ニモ目標ガアッテ」

「ほほう、目標、ですか」

 

 ていうかさ。いつから俺ってこんなに愛紗に弱くなったんだろう。

 初めて蜀に行った時はもっとこう……ねぇ? そりゃあ嫌われていたけど、仲直りしてからはここまでじゃあなかった気がするんだけどなぁ。

 それがいつの間にかずるずると来て……大体が桃香関連で巻き込まれて、とばっちりを受けていたらいつの間にかって、そんな感じ?

 

(…………俺、悪くないんじゃないかなぁ! とばっちりで怒られ癖がつくなんて初めてだよ!)

 

 ところで話は変わりますが、子供たちの俺を見る目が、英雄に向けるソレっぽくて怖いです。結果として呂奉先を倒した、という事実に目を輝かせているのでしょう。

 ……実際に戦ってみた自分にしてみれば、恋のこれは真剣勝負とは違うと思う。

 負けたくないのであれば、馬鹿正直に袈裟の一撃だけを仕掛ける意味もない。

 前も思ったことだけど、アレだ。強すぎると、自分の常識を吹き飛ばすような存在が恋しくなるっていう、漫画や小説内の強者が思うようなアレ。恋もきっとそれで、偶然とはいえ一度は負かせてみせた俺に、そういう理想を抱いている……と思われる。勝手な想像だけどさ。

 そうじゃなければ一撃を躱されれば終わりな俺の一撃を、わざわざ受け止める理由もないのだろう。…………もっとも、全部を受け止めた上で押し切ってこそ勝利、と彼女が考えているのであれば、これは間違いようのない勝利と言えるのだけど。

 なまじ強く在る人だと、躱すことさえ敗北って考えがあるからなぁ、この世界。

 

「と、とりあえず、さ。愛紗さん」

「なんですか」

 

 じろりと睨まれると、思わずヒィとか言いそうになるのは変わらない。

 目にこれだけの圧力をかけられるとか、異常でしかないでしょうに。

 しかし北郷負けません。今まで様々な人に睨まれ、対峙してきたこの北郷……もはやこの程度の眼力には屈さぬのです。

 

「ん……ご主人様、震えてる」

「汗ね!? 汗が冷えてサムイナー!」

 

 前略おじいさま。恋にツッコまれたりもしたけど、僕は元気です。

 

「それで、なんだけど。紙袋を交換することを許可してもらいたいなーと」

「だめです」

「なんで!?」

 

 えっ……いや……! なんで!? ほんとなんで!?

 いいじゃないか紙袋くらい! これがないと校務仮面が校務仮面じゃなくなってしまう! そしてそんな大事なものなくせに“紙袋くらい”とか言ってすいませんでした!

 さあこの北郷は猛っておるぞ! 我を止められるものなら止めてみせい!

 

「なんでもなにも、紙袋がありません」

「ごめんなさいでした」

 

 物凄い説得力だった。これ以上ないってくらい。

 思えば鍛錬のたびに汗まみれにして台無しにして、仕合があればボロボロになってと、無駄に使いまくっていた。そりゃ無くなるわ。

 ならばと懐からお金を取り出し、これで紙袋が貰えるほどの桃を───と言おうとした途端、愛紗さんに「無駄遣いは許しません」と睨まれた。……にょろーんな気分だった。

 

「いい機会でしょう。いい加減、素顔で子供たちと接してください」

「そうは言うけどさぁ愛紗ぁ……」

「情けない声を出さないでください。大体何を恐れる必要があるのです。胸を張れこそすれ、ご主人様がしていることは立派すぎるほどです。その上、武も上達してきたというのに何故嫌えましょう」

「いや、よく考えてほしい。ほら愛紗」

 

 あっちあっちと子供たちが座っている大きな樹の下を指差す。

 そこではこちらを見守っているお子めら。

 愛紗はそんな子供たちを見て、「……? なにか?」と首を傾げている。

 

「いいか愛紗。子供たちはな、俺じゃなくて校務仮面を英雄視しているだけなんだ。今さら俺が正体を明かしたところで、もう結局“よくも騙したァァァァ!!”ってなるだけだろ」

「そういうものはやってみてから諦めてください。確かに少々親の心を知ろうとしない子も居たようですが、そもそもの問題として、ご主人様がご自分のなさっていることを隠していたことが問題だったわけでしょう」

「や、だけどさ」

「だというのに子供に嫌われただのぐうたら言われるだのと、そもそもご主人様は───」

(助けてえぇえええええっ!!)

 

 説教再来。

 正座をして、愛紗の説教の波が治まるのを待つしかなさそうだった。

 そりゃわかるよ!? 俺が馬鹿だったってほんとに思う! でもそれもうわかりきっていることで、改めて言われると泣きたくなるわけでして!

 ……ああいや、違うよな。本当にわかっていて、変える切っ掛けを待っているくらいなら……いっそ自分からやってしまえばいいのだ。

 子供の行動を待つ親じゃなく、子を迎えにいける親を……俺は目指したはずだろう? 一度挫けてしまったけれど、目指した親の像は……そんなものの筈だった。

 だって、俺は……道場の仕事よりも自分に構ってくれる親を、一人で野球の球を持ちながら待っていたのだから。

 

「~……よしっ!」

 

 もう一度胸をノック。

 立ち上がり、一緒に立ち上がることになった恋の頭をぽむぽむと撫でて、「話はまだ終わっていません」と言う愛紗にお礼を伝え、いざ……!

 休むことで普通に回復した氣を行使して、座っている子供たちの前へと走って、深呼吸。

 急に目の前に来た謎の紙袋男に、ビクリと肩を震わせる子に、今こそ……!

 

「少女たちよ。今から伝えることを、しっかりと聞いてほしい」

「おお父よ! ついに正体を明かす気になったか!」

「───」

 

 深呼吸して落ち着かせた心が裸足で逃げていった。

 口の端から吐血した気分で、言われた言葉を噛み締める。

 “おお父よ!”……父よ、父よ!? あれぇバレてる!?

 

「え、ちょっ……柄姉さんっ!?」

「ん、んおっ? どうした邵………………あ」

『………』

 

 どうやら間違えて言ってしまったらしい黄柄が、周邵にツッコまれてハッとする。

 他の娘はといえば、孫登が呆然、甘述が目を瞬かせていて、陸延が「あら~」なんて頬に手をあてて笑っていて、呂琮が「わかってないですね、この人はお手伝いさんなのに」なんて呟いていた。や、だからお手伝いさんって誰?

 で……曹丕は。

 

「……、……? ……!」

「……!」

 

 しばらくは俺の顔をポ~っと見ていたんだが、やがて俺に見られていることに気がつくと、思い切りって言葉がぴったりなくらいの速度でそっぽを向いた。

 やっ……やっぱり嫌われてるなぁああ……!!

 

「え? え!? 黄柄姉さま、ととさまのこと気づいてたの!?」

「だから言っただろう、禅はだめだなぁって。私は最初からわかっていたぞ。もちろん邵も」

「は、はい。氣がそのまま父さまでしたし」

「気づかなかったのは登姉と述くらいじゃないか? 延姉と琮はどうなのか知らんが」

「いえいえ~、延は知ってましたよぅ? どう見ても父さまが紙袋被っただけですしねぇ~」

「みんな間違っていますよ。この方はお手伝いさんです。偉大なる父は死にました」

「死んでないよ!? え!? 俺いつ死んだの!?」

『………!!』

「あ」

 

 死んだことにされた事実を目の前で言われて、ついツッコんだら……登と述が真実に辿り着いてしまった。俺は…………観念して、ちらりと一度だけ丕を見つめたのち、ボロボロの紙袋を取……ろうとしたら、手を掴まれた。

 何事かと見てみれば、俺の手を掴んで止めている……丕の姿がそこにあった。





あまりに長かったので細かく分割。
④と⑤は一緒でもよかったかなぁと思いつつも、もっと細かくてもいいとツッコミが届いたので。
自分が思う一万文字の量と、誰かが思う一万字の量は、どうにも違いがあるっぽいです。

関係ないけど、頭の中が少しでも休憩し始めると、ほぼ、何故か、誰かが、頭の中で龍虎乱舞してます。
主にタクマが。次にロバートが。リョウは何故かない。
なんで龍虎乱舞なんだろう。あ、ちなみにKOF仕様です。
94とか、行動と音が合ってなかったりしましたよね。それでもあっちのほうが好きでしたけど。
リョウやロバートの前進しながらの乱舞ってあまり好きじゃないんですよね。やっぱりその場で、しっかり無言で、攻撃に集中してますって感じのゴペテテテテって乱舞が好きです。

さらに関係ないけど、ウマ娘にハマってます。最初はアイドル馬スター……とかクスクスしているだけだったのに、夢中になって見てました。
最近はアニメを見る際はエアロバイクを漕いでいたりしますので、一時間とかあっという間です。キーボードを置ける台とかがくっついていれば、小説編集とかも出来たんですけどね……買うならそれにすればよかったかもです。
や、でもいい運動になります。
雨の日でも運動できるのがいいです。今までは雨の日は「オゥマイガァ(おかしすぎるわよ)」と諦めるしかありませんでしたから。

さてさて、ゴールデンヌウィークですが、こちらに休日は一日しかありません。
週休二日? 大型連休? ああ、あの都市伝説の。あるわけないじゃないですかそんな奇跡アッハハハハハ!!
……仕事いってきまーす。


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124:IF2/総瞬謳歌①

176/総瞬謳歌-全ての今を謳歌しよう-

 

-_-/ひーちゃん(呼んでいるのは桃香だけ。“丕ーちゃん”と書く)

 

 父さまが近くに来た時から嫌な予感はしていた。

 厳密に言えば、周瑜と話し合っている辺りから、妙な予感があった。

 そのもやもやとしたなにかをなんと呼ぼうか。

 それは恐らく……独占欲。

 自分だけが知っている素晴らしい父であってほしいなんて思いが、心の奥底から溢れ出していた。

 禅は前から知っていたようだけれど、倉で父さまが書いたものは見ていない筈だ。

 今ならきっと私のほうがより多く知っている。そんな確信があったのに。

 父さまがここで全てを明かしてしまえば、きっと妹達は父さまのもとへ殺到する。

 父さまを嫌っていた登や述など特にだろう。なにせ校務仮面と名乗っていた父にべったりだったのだ。憧れていた存在の正体が父だと知れば、今までの印象を塗り潰してでもお釣りがくる。

 

  ……正直に言おう。嫌だった。

 

 父さまは私の父さまだ。散々嫌っておいて今さらなにをと言われてもいい。

 むしろ今まで甘えてこなかった分を、これから手に入れたい思いでいっぱいだ。

 だから嫌だ。

 みんなに知られて、私が傍に居られる時間が無くなるのが嫌だ。

 何を今さらと父さま自身に言われるかもしれない。

 それでも傍に居ようとすれば、最悪嫌われるかもしれない。

 けれど私は、“次は私の番だ”と覚悟を決めたのだから。

 

「……私と、勝負してください」

 

 自分が父だと名乗ってしまえば、きっと父さまは武器を振るってはくれないだろう。

 だからこそ今。

 あの呂奉先を片手の一撃で吹き飛ばした強さ。

 勝てるとは思えない。ただ、父の強さを受け止めてみたかった。

 私はいい娘ではなかっただろう。勝手に誤解して勝手に見下して。

 でも、じゃあ、ここで父さまが正体を曝してしまったらどうなる?

 私はなし崩しに父さまを受け入れて、散々と見下したことを無かったことにして、いつかの頃のように戻るのか?

 

(…………冗談じゃない)

 

 きっと父さまは私を叱らないだろう。……叱れないだろう。

 だから今だ。

 戦って……そう、戦うことで、叱ってもらう。

 手加減は抜きで、思い切り。

 

「て……てっぺん姉? どうしてそうなるんだ? 父はほら、ぐうたらではふむぐっ!? んっ、んーっ!」

「はいはい~、ちょおっと静かにしましょうねぇ柄ちゃ~ん」

「うぇんめぇ!?(訳:延姉ぇ!?)」

 

 柄が“ちょっと待った”とばかりに止めに入るも、延がそれを止めて、無理矢理離れてくれた。ありがたい。それでも暴れる柄だったけれど、そこに琮と禅が加わって押さえつけてくれた。

 

「…………本気か?」

 

 勝負を、と願った途端、父さまの雰囲気は一気に変わった。

 私相手では絶対に見せない、きっと紙袋をつけている今だからこそ感じさせてくれる、圧倒的な威圧感。きっと他の将に比べれば弱いのであろうそれも、まだまだ未熟な私にしてみれば段飛ばしで上の、見えない圧力だった。

 

「本気です。意志としても、出していただく実力としても」

「加減はするなと?」

「されては意味がありません」

 

 ゆっくりと立ち上がり、その過程で氣を充実させる。

 これから父さまと戦うという意思が、強く心臓を締め付けるけれど……もう決めたのだ、後戻りはしない。

 だから、どうか受け取ってほしい。

 ここでなにもないまま許されたなら、私はもう父さまに甘えられない。

 罪悪感で、近くに行くことを自然と拒んでしまう。

 それはとてもとても自分勝手な考えだ。

 もっと私が単純な性格だったなら、こんなに面倒なことにもならなかったのだろう。

 ……やっぱり、私はいい娘ではありませんね。

 ごめんなさいととさま。もっと、素直に甘えていればよかった。

 

「………」

 

 木剣を手にする。

 父さまも静かに息を吐くと、黒い木剣を手に氣を充実させる。

 呂布相手にあれだけの氣を使ったというのに、もう使えるのだろうか。

 本当に、とんでもない人だ。

 ……子供のひどい言い訳になるのだろうけれど、そんな力強い姿を……もっと小さな頃から見ていたかった。

 

『───』

 

 互いに睨み合いながら移動。

 中庭の中心あたりまで辿り着くと歩を止め、そのまま睨み合う。

 と、ここで父さまが口を開いた。

 感じる威圧感はそのままに、「本気で、やるのか」と。

 その問いに頷いて返す。

 父さまはやさしいから、きっと変装をしていたところで娘と戦うことなど良しとしない。

 出来ることならば、こんな状況から逃げてしまいたいに違いない。

 私だってそうだ。

 自分で言っておいてと言われようが、私が欲しいものは威圧感じゃなくて───

 

「……けどな」

 

 父さまが躊躇している。

 けれど、そんな父さまの傍へとゆっくりと歩み寄る姿。

 璃々姉さんの親である、紫苑さまだった。

 紫苑さまは微笑を浮かべながら父さまの耳へと何かを囁いて、といっても紙袋が邪魔をしているけれど、破れた隙間から語りかけているようで……

 

(……ご主人様。本気で、仕合ってあげてください)

(いや、でもさ。嫌われているとはいえ、一応校務仮面な俺にはついてきた丕を、そんな)

(……あの娘は、戦いたいのではありませんよ。自分が悪いことをしたという自覚を持っていて、ご主人様に叱ってほしいんです)

(叱って? なんで?)

(あの娘はもう、全てを知っているからです。ご主人様が隠していたことを全て。その上で自分が、父である人にひどいことをしてしまったと後悔して……でも、ご主人様? ご主人様は今、正体を明かすのと同時に、今までのこと全てを水に流すつもりだったのでしょう?)

(ん……そりゃ、だって。引きずってたら前に進めなさそうだろ?)

(許すばかりが親ではありませんよ。だから───もし、ぎくしゃくしたくないのなら)

(………)

 

 にこりと笑い、父さまから離れる紫苑さま。

 途端、父さまはこちらへと急に向き直る。

 少々戸惑っていたようで、けれど……胸を何度かのっくすると、いつもの自信なさげな気配へ戻った……のに、それも一瞬。一呼吸の後には再び威圧感が溢れ出て、紙袋の奥に見える眼光はより一層に鋭いものとなった。

 そんな、見るだけで人を怯えさせるような、初めて見た瞳のままに一言を呟く。

 

「本気でいく」

 

 それだけ。

 す……と持ち上げられた黒い木剣に目をやり、私もゆっくりと木剣を構えて、いざ……

 

「……いきます」

「───」

 

 それが合図だったのだろう。

 地面を蹴り弾いた、と思った瞬間には目の前に父さま。

 え、なんて声が喉から漏れた途端に振るわれた黒の木剣。

 慌てて自分の木剣を盾にと構えたら弾き飛ばされていて、足が地面から離れることはなかったものの、私のこの足は地面を滑っていた。“人の攻撃を受けて地を滑る”なんてことが初めてだった私は当然驚き、いや、それよりも───受け止めなければ黒の木剣が自分の体を打ち付けていた事実を想像して、怖くなった。

 心のどこかで父さまは自分を傷つけないなんて、生易しい気持ちがあったのだろうか。

 だというのに叱ってほしいなどと笑わせる。

 舌打ちをしたくなったけれど、舌打ちは好きではないので、代わりに思考を回転させた。

 目の前には既に私を追って駆けた父さま。

 

  怖い───

 

 浮かび上がった恐怖に喝を入れて向き合う。

 振るわれる木刀を、自分の小ささを活かして躱す。

 同時に振るった木剣での足払いは軽く予想されていたようで、危なげもなく簡単に躱される。けれど、それでいい。振るった勢いのままに体を回転させて、下から上へと得物を斬り上げる。

 避けられないだろうと思った一撃は、確かに当たった。

 やった、と思うのも束の間、当たったと思ったそれは父さまの左手で受け止められていて、それを見上げて確認したとき、腹部にトンと黒の木剣を握った拳が押し当てられた。

 瞬間、走ったのは体が凍てつくくらいの寒気。

 離れなきゃ! とようやく頭が理解してくれた頃にはズシンと重い衝撃だけがお腹を貫いて、足が力を無くす。

 

「かっは……! ぁ……っ!?」

 

 崩れ落ちそうになる体。

 それをなんとか氣で繋げて、無理矢理立つけれど……足に集中したために、握っていた木剣は地に落ちてしまい……「あ……」と手を伸ばした時。

 頭上から「はぁー……っ」と吐息が聞こえて、お腹の痛みと自分の情けなさも相まって、涙が滲んだ瞳で見上げた先には……手甲を外して、そのままの握り拳に息を吹きかける父さま。

 紙袋から覗く口は、少し戸惑いを含んでいて……けれど。

 

「頑張ったな」

 

 その口がにこりと笑みに変わって、痛くて情けないのに、自分に笑みを向けてくれたことが嬉しくて。ああ、負けるのかなぁ、なんて当然といえば当然のことに涙して、それでも……「はいっ」て、褒めてくれたことにきちんと返事が出来た途端、ごづぅん! って……物凄い衝撃が頭を襲った。

 拳骨。

 黄蓋さまが妹たちによくやっている、“叱る時の一撃”。

 痛い。

 とんでもなく痛い。

 でも……やっと自分は娘として、親に叱ってもらえた。

 そんな時、心の中で……母のようになりたくて走ってきた自分が、怒られてしまった自分を見下したように笑った。

 私は……そんな、威張ってばかりの自分を逆に笑い飛ばしてやった。

 戸惑った自分の顔がおかしくて、でも頭はとんでもなく痛くて、

 

「うっ……えぐっ……ひっ………………ふぅううあぁああああああん……!!」

「へっ? ぃゃっ……ホワァアアアーッ!?」

 

 みんなが見ている中で、みっともなく声を出して泣いた。

 ……その時の父さまの慌てっぷりを、きっと私は忘れない。

 見たこともないくらいに大慌てで、私に何度も何度も呼びかけてくれて、何度も何度も頭を撫でながら氣を送り込んでくれて、痛みはなくなっても涙が止まらない私を見て自分まで泣いて…………そんな時。随分と久しぶりに、見下すでもなく機嫌を伺うでもない視線同士がぶつかって。

 

「………」

「………」

 

 何を言うでもなく、私と父さまは謝った。

 本当に、何かを言ったわけではない。

 けれど謝った。

 ひどい娘でごめんなさい。頼りない父ですまなかった。そんなところだろうか。

 謝ったはずなのに、結局のところどんな感じで謝ったのかを自分自身が知らない謝罪。

 それでも見詰め合ってからは笑むことが出来て、泣き笑いのままに抱き締め合って……そんなことになっても未だに紙袋を被ったままの父さまに、つい笑ってしまって……その笑みの意味に気づいた父さまが紙袋を取ると、登と述が改めて驚愕。

 

「校務仮面の正体は絶対に秘密なんじゃなかったの!?」

「ツッコむところそこなのか!?」

 

 叫ぶ登に、父さまはそんな言葉で返した。

 

「みみみ認めないっ……認めないぞ私は! 校務仮面さまが父などと! もし本当にそうなら、何故今までぐうたらで居た!」

「なんでって。仕事や鍛錬づくめで、娘達と一緒に居るための時間も作れない父親にはなりたくなかったからかなぁ」

「そっ……そんな理由で!?」

「ちなみに仕事なら夜、寝る時間を削ってまでちゃ~んとやってたんだぞ~? そのための“部屋には入るな”って決まりだったんだ」

『なっ…………!!』

 

 登と述、唖然。

 延は特に気にした様子はなく、琮は「お手伝いさん、やはり苦労していたんですね……」としみじみ呟いていた。……お手伝いさんって誰かしら。

 

「ならっ……ならばっ! 私やっ、述がっ……鍛錬の割りに上手くいかないのはっ……! と、父さまの血の所為などではなく……っ……!」

「あー……それなら白蓮からいろいろ聞いてる。だからはっきり言うぞ? 間違った鍛錬方法で望むだけ強くなれれば、誰も苦労はしないよ。……すまなかったな、登、述。これからは鍛錬もちゃんと見るよ。勉強だって教えてやれる。生憎と料理は普通な俺だけど、俺に教えられることならとことんまでに教えてやる。だから───」

 

 ぎゅっ……と。私を抱く父さまの手に、力が篭った。

 それで気づいた。

 ああ……父さまも怖かったのか、って。

 娘達を相手にどう接したらいいのかを、この人も必死で手探りしていたのだと。

 手探りしていたことくらい、書簡を見ればわかったこと。

 でも、それをこんなに怖がっていたなんて知らなかったのだ。

 

「ごめんなぁ……。また……もう一度、俺に“お父さん”をさせてくれないかなぁ……」

 

 どんな言葉が返されるのか、怯えているような……注意していなければ気づかないほどの、震えが混じった声。

 それに引かれるように、自分の嗚咽がもう一度こぼれそうになるけれど、なんとか耐えた。

 今は……そう、今は、きちんと言葉を返してあげなくちゃいけない。

 もう一度と言ったからには、一度手放してしまおうとしたのだ。

 それでも、いい大人が子供に謝ってまで“父”をさせてくれと言った。

 私は───

 

「あらあらぁ~、させてもなにも、お父さんはお父さんですからぁ~。もう一度もなにも、ありませんよぅ?」

 

 ……口を開こうとして、先に延が言う。

 次いで、禅が。

 

「禅は……はうっ!? わ、私はべつに、ととさまのことを嫌ってなんかいないからっ」

 

 二人が言ってしまえば、あとは早かった。

 邵が元気に続き、柄も当然だと胸を張り。

 琮が……こてりと首を傾げて、「父? お手伝いさん……ですよね?」と。だからお手伝いさんって誰よ。

 

「………」

「………」

 

 そして視線は登と述へ。

 父さまに抱き締められている私は、とりあえず後らしい。

 一番最初に言いたかったのだけれど、ここはあれね……空気を読むところよね。

 ……ちょっと涙声だし、落ち着かせるには丁度いい時間だ。

 と、二人の反応を待っていると、

 

「……どうして?」

 

 登が、まず言葉を発した。

 それは謝罪でも和解への言葉でもなく、疑問だった。

 

「どうして、もっと早くに言ってくれなかったの?」

 

 顔を俯かせる。その肩は震えていて、隣に立つ述も、肩を震わせていた。

 

「なにをやっても上手くいかなくて、頑張って勉強しても上手くいかなくて、結果を出そうとしてるのに、みんな期待してたくせに、失敗するとつまらないものを見る目で見てきて……! それでも次こそはって頑張ったのに、上手くいかなくて……! ───ねぇ! どうして!? どうしてもっと早くに教えてくれなかったの!? こんなやり方があったなら、私……っ……みんなの期待に応えられたかもしれないのに! こんなのってないよ! 父さまはっ……私が泣いてるのを見て笑ってたの!?」

「いや、どっちかというと、登に蹴られてたかな」

「はぅう!!? うっ……うあーん!! ごめんなさいいぃ!!」

 

 父さま……結構えげつないんですね……まさかあんな返し方をするなんて……。

 たった一言の反撃が登の胸に突き刺さったようで、身勝手なことを勢いのままに口にしていた登は泣き出してしまった。

 ……ええ、そうね、悔しいのはわかるわ。

 思うようにいかなくて、苦しい時があるのもわかる。

 けれどね、登。恐らくだけど……あなたはその苦しみを、父さまに吐き出さなかった。

 一方的にぶつけるだけで、蹴るだけ蹴れば追い払う。

 そんなことしかしなかったのでしょう? それでは何も届かないのよ。

 それで全てをわかってほしいなどと、思うだけでも苦しいものよ。

 ……ええ。本当に……よくわかる。

 理解してからの罪悪感というのは、拭おうにも拭いきれないから。

 

「あ、あー……! ごめんっ、泣かせるつもりはっ……! よ、よしっ、これからはととさまがみっちり教えてやるからっ! なっ!? ほら、おいでおいでっ!」

「ふぅうう゛う゛う゛ぅぅ~……!!」

 

 泣いているのに、手招きされると大人しくてこてこ歩いてくる。

 やってきて早々に頭を撫でられる登は、なんだか可愛い。

 そんな登が父さまを見上げ、泣きながら頭を下げた。

 

「いっぱい、いっぱい蹴って……ごめんなさい……っ……」

「とっ……、───っ!」

 

 その言葉に、父さまが泣いた。

 泣いて、頭を撫でていた手で登を抱き締めて、「俺も、ごめんな」と言って。

 そんな光景を目に呆然とするのは……述だった。

 登とともに父さまを嫌っていた妹は、それまでの経験や得た知識の所為で、前に進めない。

 ぐうたらだったのだからと決めてしまっていたのだから、進めずに居た。

 掌返しが苦手というところと、これと決めたら頑固なところは、きっと私に似たのだろう。

 そんな彼女を知るからこそ、私は父さまの手から離れて……述の前に立った。

 

「あ、う……」

 

 目が合うと、怯えたような反応。

 これも仕方が無い。

 私は強くあろうとするあまり、妹たちとの交流を積極的にしようとはしなかった。

 いい娘どころか、いい姉でもなかったのだろう。

 だから……ここから。ここが、私の……すたーとらいん。

 父さまの書簡に書いてあった“かたかな”の、出発点、といった意味の言葉、らしい。

 私はここから、今日この場から娘も姉も始めようと思う。

 だから。

 

「述。私が言えたものではないけれど……素直になりなさい。父さまは立派な方だった。私は異常なくらいに誤解をしてしまって、とても後悔したけれど……それでもそんな父さまをまた、父と呼べる。それが嬉しい」

「……私は…………ですが、私はっ……! 自分の才の無さを、他人の所為にしてっ……! だというのに、父と呼べというのですか!? 娘だからという、それだけの理由で許されろというのですか!?」

「ええ言うわ。当たり前じゃない」

「えっ……」

 

 私の平然とした答えが意外だったのか、ぽかんとする述。

 そんな妹の頭を、父さまがそうするようにやさしく撫でる。

 

「許されないことだと思うのなら、父さまが願うような娘になりなさい。償いたいと思うのなら、少しでも父さまへ返せる何かを探しなさい。一方的な誤解で父さまを散々と傷つけた私たちに出来ることなど、きっとソレくらい───」

「いいや? 北郷だったら、きっと前のように“ととさま”と呼んでやるだけで許すだろうのぅ」

「えぇえっ!?」

 

 真剣に説いている途中で、黄蓋さまがそんなことを仰った。

 ……ちらりと見れば、声が聞こえたのか……何かを期待するような目の父さま。

 

「………」

「………」

 

 述と二人、目を合わせて……言ってみた。

 

『と……とと、さま?』

「許す!」

 

 許された!? しかも眩しいくらいの笑顔で親指を立てたまま!?

 あ……あぁああ……忘れていた……私の父は、娘にとんでもなく甘かったんだった……!

 そうでなければ、眠る時間を削ってまで娘達と遊ぶ時間を作ったり、嫌われてもなお構おうとするわけがない……!

 

「でも、ケジメはケジメだ。……述。自分が悪いことをしたと思ったら?」

「あ…………ご、ごめんなさい」

「ん、よろしい」

 

 言って、てこてこと歩いてきた述の頭をごつんと殴った。

 あまり勢いは無かったものの、これはやられた者だけがわかること。

 今まで殴られることはおろか、手を上げる姿さえろくに見なかった父さまに殴られたという事実が、実はかなり胸にくる。

 なんとなく予想して、ちらりと述の顔を見てみれば……殴られた頭ではなく、胸を押さえてぽろぽろと涙していた。

 ……ええ、そうね、胸にくるわよね。なにせ父さまは何一つ悪いことをしていなかったのだ。国のためにもずっと働いていたし、仕事にかまけて娘をほったらかしにすることもしなかった。そういった“父として”の努力をずぅっとしていたというのに、私たちが勝手に誤解をして突き放した。

 誘いを断ったり見下したりをしていた私でさえ、泣いてしまうほどの罪悪感。

 誘いを断り、見下し、蹴るまでをしていた述にしてみれば、父さまが偉大な存在だったという事実は……皮肉なことに、とても辛い事実として胸を襲ったことだろう。

 目を伏せ、顔を歪ませて、胸を両手で押さえたままに涙して、何度も何度も「ごめんなさい」を繰り返している。

 穏やかな笑みを浮かべながら述の頭を撫でる父さまだったけれど、泣き止まずに謝り続ける述を前に、笑みのままに汗をだらだらと流し始め、ついには慌て出し、慰めだした。

 なにやら「ごめんなさいの連呼はだめだぁああっ!! 空鍋様が! 空鍋様の祟りがぁあああっ!」なんて言っている。なんのことだろう。

 ともあれ、散々撫でられて抱き締められて高い高いを今さらされたあたりで、恥ずかしさからか、あっさりと泣き止む述。しかし恥ずかしいとは言わず、もうどれほどもされていないのかもわからない高い高いを堪能しているようだった。……恥ずかしいのはもちろんだけれど。

 

「………」

 

 そんな述を、羨ましそうに見つめるのは呂布様。

 一家団欒(?)の空気を読んでか、距離を取っていたものの、その視線は高い高いされる述に釘付けだ。

 

「その歳にもなって、高い高いもないだろうに」

「わかってないなぁ祭さん。いつになっても、人に認められて褒められるのは嬉しいもんだよ。高い高いは俺なりのそういったもののつもりでやってるし、嫌いな人にはやったりしないって。むしろ下ろせと言われればすぐにでも下ろすよ」

「ほほう? ならばどれ、儂にやってみせいと言ったらお主はやるか?」

「いいのっ!?」

「うっ……!? い、いやっ……今のは軽い冗談でな……! お、おい? なにをそんな、目を輝かせてっ、お、おいっ、ぬわーっ!! ややややめろ! こらっ! やめっ───」

 

 ……私はきっと、歴史的な瞬間を見たのだと思う。

 ソッと述を下ろした父さまは、父さまの瞳に本気の色を見て戸惑う黄蓋様へと一気に疾駆。構えるより動揺が先に走ってしまった黄蓋様は珍しくもあっさりと捕らえられてしまい、腋の下に手を添えられて……

 

「やめっ───」

「たかいたかーい!!」

 

 ……瞬間、ここから見える世界は止まったのだと思う。

 どれくらいの停止だったのかは、良く思い出せない。

 ただ……離れた位置から何かが吹き出る音がして、思わず振り向いてみれば……口を押さえて俯き、肩を震わす周公瑾。

 

 

  ───そうして動き出した時の中で。

 

 

  父さまは、顔を真っ赤に染めた黄蓋様にぼこぼこにされたのでした。



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124:IF2/総瞬謳歌②

 多分一生分じゃないかしら。そんなことを思った。

 

「ぐふっ……っ……えっふ……! ふっ……はぁっ、はぁーっ! ぷふふっ……!」

「もー、いつまで笑ってるのよ冥琳~……」

 

 円卓に伏せながら笑い続ける周瑜様と、その背をさする孫策。

 そして一方では、中庭の中心で今もガミガミと説教を受けている父さま。

 

「いやっ! でも今回はちゃんと許可があったしさ! お、俺だけ怒られるのはどうかなぁ! ていうかせっかくもう一度お父さんやれるのに、高い高いで怒られる姿を見せるなんて悲しすぎるんですけど!?」

「ええいやかましい! ちぃとは男らしい面構えが出来るようになったかと思えば、妙なところで子供なのはちぃとも変わらん!」

「それ祭さんにだけは言われたくない」

「ぬぐっ!? くぅう……! 言うようになったのぉ北郷ぉお……!!」

 

 そんな会話が聞こえていたのか、もう周瑜様は死にそうだ。

 やっぱりもう、一生分は笑っているのではないかしら。

 

「みみみ見ろ! 見ろ邵! あの母を言い負かしているぞ! 凄いな父は! 凄いな!」

「でもたぶん、このあと柄姉さんは黄蓋母さまにひどい目に合わされると思いますです……」

「なにっ!? そうなのかっ!? ななななな何故だ!? 私は何もやっていないぞ!?」

「高い高いの時、指差して大笑いしてました……」

「さらばだ邵。私は旅に出キャーッ!?」

 

 逃げようとする柄の首根っこを掴んでやった。

 すると、普段の柄からは考えられないくらいにか弱い悲鳴が漏れた。

 

「すすすすまない母よ! しかし笑える時に笑えと私に教えたのは母でありわわわわ私はっ! 私はーっ!!」

 

 どうやら急に掴まれたものだから、私を黄蓋様と間違えているらしい。というかこっち向きなさい。どれだけ母に弱いのよ、あなたは。

 

「落ち着きなさい、柄」

「へゃぅっ!? ……あ…………て、てっぺん姉……?」

「その呼び方はやめなさいと言っているでしょう……」

 

 溜め息ひとつ。

 落ち着いてくれたらしい柄は、自分の悲鳴を思い出して顔を赤くして俯いた。

 いつもは男勝りな性格な分、随分と可愛く見えるものだ。

 そんな柄が、ちらりと父さまと黄蓋様を見て言う。

 

「ん、と……丕ぃ姉」

「なにかしら」

「……父が立派だって気づいた時、どうだった……?」

「………」

「あ……私も気になりますです。あの様子から見て、鍛錬に参加した時には既に気づいていたのですよね……?」

 

 二人とも、これで結構鋭い子だ。

 というよりも、場の流れというものに敏感だ。

 何かが変わればそれを感じ取って、いい方向へ向けようと努力が出来る子。

 私は……それを自分の思う様に捻ることしか出来ていなかった。

 その結果が、このおずおずと話しかけてくる妹たちだ。

 

「そうね。泣いたわ」

「泣いた!? あのてっぺん姉が!?」

「あ、い、いえっ、泣いたというだけで言うなら、父さまと戦った時にも……!」

「……自分で言っておいてなんだけれど、本人の前で泣いた泣いたと言わないでほしいのだけれど」

「姉妹で何を遠慮する必要があるか! なんというか今日ようやく、丕ぃ姉という人がわかった気分だ! わかったからには遠慮はしない! それが母に教わった人付き合いとかいうものだ! ……ただし酒は飲まない方向で」

「是非是非、今度私が導くお猫様すぽっとに来てほしいですっ! そこでモフモフすれば、もはや姉妹を越えた盟友ですっ! お猫様同盟ですっ!」

「………」

 

 なるほど、この二人の勢いがあれば、大体の暗い空気なんて流せるわけね。

 それに比べて、この姉のなんとうじうじとしたものか。

 ……しっかりなさい、曹子桓。

 もっと冷静に、何事にも動じない、動じたとしても外には出さない女でありなさい。

 私だって父さまと同じなのだ。ここからまた、姉を始める。

 いい娘でも、いい姉でもなかった。

 なら、ここからだ。

 ここから………………ここ……………………

 

(…………あ───姉って……どういうものなのかしら……!)

 

 たった今気づいた。私には姉が居ない。

 姉という存在がわからない……!

 み、美羽を見習う? いいえ、アレはなんだかとっても間違っていると断言できる。

 では璃々姉さん? いつも穏やかでにこにこで、やさしくて綺麗で、でも怒ると黒い氣みたいなものをモシャアアアと笑顔で出してきて……ち、違う! なにか違うわ! 姉ってそういうものではない気がする!

 ……ここは素直に、誰かに知識を貰うべきね。知らないことを知ろうとするのはいけないことではない。

 なので、ちらりちらりと辺りを見渡す───と、先ほどの騒ぎもどこ吹く風。

 皆が皆楽しげに、騒ぎすら酒の肴だとばかりに笑い合っていた。

 芝生に座って談笑する者、東屋で笑い死にしそうな者、樹に背もたれして酒を飲む者、今だ武器を振るって戦う者、様々だ。

 そんな中、暇そうにしていたとある一人が私の視線に気づいて、ぴうと駆け寄ってきた。

 ……出来れば一番相談したくなかった人だ。

 

「はいはーい、困ったことならなんでも聞きます、お嬢様の傍に忍ぶ影、七乃ですっ♪」

 

 握った手からピンと伸ばした人差し指をくるくると回転させて、楽しそうに言う。

 でも、なんだろう。

 一番相談したくなかったと思った通り、ろくな結果にならない気が。

 

「あ、と……一つ、訊きたいことが」

「姉と妹の複雑な関係についてですか。それは大変ですねー」

「ま、まだ何もいっていないのだけれど……?」

「私ほどの軍師ともなれば、似かよった性格の人が次に言う言葉くらいは予想がつくんですよー? まあ状況を見つめつつ、言葉も適度に聞いてからでないとなんの役にも立ちませんけどねー」

 

 言葉の割りに楽しそうだ。

 そんな彼女は「さて」と一度目を伏せると、早速人間関係についてを語り出した。

 

「無理に行動に出ると失敗します。まずは気になったこと、話してみたかったことなどを出せる限り出して話しましょう。まぁ一刀さんの話題でいけば、飽きることなく話せるとは思いますけど」

「……姉だから何かをしなければ、とかは……」

「それは個々でどうぞ。私としましては知ったこっちゃありませんし」

(うわぁ……)

 

 なんというか、あまりにもあんまりな……うわぁ、な言葉だった。

 こんなことをにっこり笑顔で言うのだ、たまらない。いろんな意味で。

 首を突っ込んできておいて、知ったこっちゃないとか言える神経は相当だろう。

 

「恐らくですけど、姉だから姉だからと前に出すぎると、鬱陶しく思われますよ? 半歩先に立つか後に立って、見守れるくらいが丁度いいんじゃないでしょうかねぇ」

 

 それは私も考えていた。

 姉だ姉だと急に姉ぶっても、鬱陶しいだけだろうと。

 でも、と考えたのだ。

 父さまに父だ父だと構われ続けたら、私はどう思うのかと。

 

「………」

 

 …………。

 

「……───はっ!?」

 

 顔が緩んでた! しっかりなさい曹子桓!

 以前ならば絶対に鬱陶しがっていただろうに、今の自分は明らかにおかしい。

 思い出すのよ子桓。かつての意識を尖らせていた自分を。

 このままでは腑抜け者になるだけじゃない。

 

「………」

 

 思い出してゆく。

 凛々しい自分、真っ直ぐな自分、何事にも真面目でいた自分。

 ………………あ、あら? 何故かしら。

 立派であろうとすればするほど空回りしていた自分しか思い出せないわ。

 

(…………)

 

 自分を振り返ってみると、案外上手くいってなかったことを知ること……あるわよね……。

 子供の身空で何を言っていると言われるかもしれないけれど、子供にだって仕事をしていればいろいろあるのよ……。

 

「で、お役に立てましたかっ?」

「とりあえずどうして急にあなたが私のところへ来たのかは、その笑顔で十分にわかったわ」

 

 わかりきった答えを手に、からかいに来たのだろう。

 じとりと睨んでみれば、胸の前で手を絡ませると少し悲しそうに「最近のお嬢様、からかわれてくれなくて寂しいんですよぅ」と。知らないわよそんなこと。

 ともあれ、結論は出た。

 首を傾げている黄柄に向き直って、私は纏めた考えを伝えることにする。

 

「柄。とりあえず、なんでも言い合えるような姉妹を目指しましょう」

「おや、良いのか? 言うと決めれば遠慮はせぬが……」

「……口調はなんとかならないの?」

「はっはっは。……染み付いてしまって、母に拳骨されても思うように直せんのです……」

「そ、そう。大変ね」

 

 口調から察するに、趙雲よね。

 妙に大人ぶった口調を好む妹だとは思っていたけれど、黄蓋様に拳骨をされても直せないなんて重症だ。

 

「しかしこれでようやく、様々な“わからない”がほどけた。今日はいい日だなぁ丕ぃ姉」

「ええそうね。せっかく姉妹という関係なのだから、知ろうと思えば知れることを、もっと知るべきだったと後悔しているわ」

 

 そうすれば、妹が拳骨と口調の狭間で苦労することもなかったでしょうに。

 ……私も母さまに釣られているところがあるから、強くは言えないわね。

 もし父さまに口調を真似ず、自分らしい喋り方をしなさいと言われたらどうしようかしら。

 

(…………昔の口調は)

 

 思い出してみると赤面。

 ととさま、とはもう言えないわね。

 父さまは喜んでくれるようだけれど、それを盾にいろいろと要求してしまいそうで怖い。

 なので口調はやはりこのままだ。

 そして、それから……今まで出来なかったことを積極的に出来たらと思う。

 もちろん、仕事についても鍛錬についても教えてもらって。

 

「………」

 

 これからが楽しみになった。

 今までを振り返ってみると、“そうして当然”という考えしかなかったんだなぁという事実ばかりが受け取れた日々。

 期待される通りに動くだけで、そこには自分の“楽しい”は存在していなかった。

 自分を疑う人に、“どうだ”と鼻で笑ってやれるくらいの自分ばかりを目指していた。

 じゃあ今は? 今は…………

 

「あっはははははっ! ねーねー一刀~っ、私も祭みたいに高い高いしてみて~?」

「ねっ、姉さま! いい大人がなにをそんな!」

「祭が良くて私が駄目なわけがないじゃないのよ。あぁ蓮華、後ろ」

「え? あ───ち、違うのよ祭っ! 今のはそういう意味じゃ───!」

「策殿、権殿……久しぶりに儂自らが揉んで差し上げようか……!」

「……え? 私も? 蓮華だけでいいでしょ!? ちょっ、あっ、いやーっ!?」

「策殿……? 誰が良くて、誰が駄目と? もう一度じっくりお聞かせ願おうか……!」

 

 ……今は、周りの賑やかさに耳を傾けられるほど、心に余裕が出来た気がする。

 

「んあ……そういやこんな時、華琳さまがおらへんのって珍しいなぁ」

「あ、そういえばそうなの」

「華琳様なら、報告には行ったものの、親子の問題は親子で解決なさいと」

「や……華琳さまかて親やん……」

「自分が行って威圧感で納得させても意味がないと仰っていた。子桓様は華琳様の言葉には逆らわないきらいがあったから」

「あ、そっか。納得なの」

 

 傾けてみれば耳が痛い。

 でも確かに、母さまに言われて渋々納得していたのでは、こんな安心感はなかった。

 これはこれでよかったのだろう。

 

「愛紗、大変なことがわかった」

「ん? なんだ星、妙に真面目な顔をして」

「主の急な鍛錬のきっかけをなんとか聞き出せたんだが……どうやら原因はお主らしい」

「なに? ……わ、私が?」

「ああ。なんでも打倒愛紗を目指しているとか。お主、主にいったいなにをしたのだ?」

「私がご主人様に何かをするわけがないだろう! むしろ日々、桃香様を教え導いてくれた恩を返したいと願っているくらいだ!」

「ふむ。確かに桃香様は強くなられた。主が教え、支えた部分が多いだろうが、あまり大声で言うことではないと思うぞ」

「んぐっ……! ……そ、それで? ご主人様はなんと?」

「いや、それだけだ。お主に訊けば、なにかわかるかと思ったのだが」

「心当たりがないんだが…………わ、私はなにか、ご主人様の気に障るようなことを……?」

「もしや何かにつけて説教をしていることを逆恨んで? いや、主はそういう性格ではないか。ともあれ、闇討ちされぬよう気をつけるんだな」

「それこそご主人様がすることではないだろう」

「はっはっは、なに、言ってみただけだ。ご主人様が人を嫌うとすれば、それは相当な出来事か、それともなにかしらの誤解がある時のみだろう。急にすまなかったな」

「…………」

 

 蜀側も、随分と楽しげだ。

 話を終え、苦笑しながら去ってゆく趙雲と、少しして両手両膝を地につけて、ずぅううん……と落ち込む関羽。あの父さまに嫌われるなんて、いったいなにがあったのか。

 嫌い、と決まったわけではないけれど、急に打倒関羽と出るくらいなら、きっと何かがあったのだろう。武の頂をと願うのなら、相手は呂布でいいはずだし、あえて関羽を目指す理由はきっとある。

 それを思っての、あのがっくりなんだろう。

 実際に何があったのかは気になるものの、今は……

 

「で、丕ぃ姉。私たちはこれからどうするべきだろうか。特訓はもう散々とやったし……ああいや、言いたいこと訊きたいことを言うんだったな。うん」

 

 ……横で、腕を組んでうんうん唸る柄をなんとかしよう。

 その横で、同じく首を傾げている邵も。

 登と述は父さまにべったりなようだし、羨ま───じゃなくて、いいな───でもなくて、ともかくしっかりしないと。

 ここで何もやろうとしなければ、結局はずるずると元に戻ってしまう。そんな予感がする。

 

「そうね。ではまず何から話しましょうか」

「……丕ぃ姉の口調も、私からしてみれば結構アレだと思う」

「……はいです」

「そうなの!?」

 

 母のようにと真似ていた口調はアレらしい。

 アレが何を指すのかはわからないけれど、あまり良いものではないことは、二人の表情を見ればわかった。

 

「なんといいますかその、無理に背伸びをしている感じがしますです」

「むっ……いえ、本当に無理はしていないのよ……? これで、もうすっかり定着していて……自然と話せるくらいにまで染み付いているのだけれど……お、おかしいのかしら」

「うむ。もっと大きくなってからでないと、無理をしているようにしか見えんなぁ……」

 

 不安そうに言う邵と、しみじみと言う柄。

 邵の喋り方は、少し妙な感じはするものの、その在り方に凄く合っている。

 対して、私と柄は……。

 

「………」

「………」

 

 じっと見詰め合ってから、互いの口調を真似てみた。

 ……違和感が異常だった。なるほど、これは変だ。背伸びどころじゃない。

 

「かっ……かといって、今から変えるというのも、元の口調の人を侮辱しているのではないかしら……」

「うぐっ……実は私も、母に拳骨を喰らった日からは改めようとはしているものの、それはそれで、そうしたほうがいいと教えてくれた人に悪い気がして……」

「………」

「………」

 

 かたや五虎将の一人、かたや覇王。

 その人の口調を真似て、おかしいと言われて直す。

 ……それは、相当に勇気の要る行動であった。

 

「私は春蘭あたりにごねられそうね……」

「私は趙雲様にこそいろいろと問われそうで……いや、確かに母が話に行ってくれはしたのだが……」

「どうなったの?」

「………」

 

 訊いてみると、ばつが悪そうな顔で頬をこりこりと掻く柄。

 代わりに邵が軽く手を挙げて教えてくれた。

 ならば口調ではなく世の平穏を守る者になってくれと、仮面を授けられたこと。

 そのことで再び黄蓋様と悶着があり、それでもと仮面をつけたはいいが見つかり、また拳骨をもらったこと。……そして、結局口調は戻ってくれないこと。

 

「……苦労しているのね」

「っ……───姉上ぇえええっ!!」

「うひゃああっ!!? ちょっ……柄っ!?」

 

 なんだか心底可哀相にと思いつつ呟いた言葉に、柄の心が打たれたらしい。

 急に涙を流すや、私にとびついてきた。

 それどころか“てっぺん姉”や“丕ぃ姉”ではなく、姉上と言ってまで。

 なんだか懐かしくて、焦りはしたものの受け止めて、その背と頭を撫でた。

 ……そうだった。

 昔は妹が可愛くて、妹とはいっても歳というか月日はそう離れていない妹と、こうしてじゃれあったりもした。いつかの日、ぐうたらな親に甘えていたら駄目になると思い、やさしさを捨てるまでは。

 ……なんだ、私は自分から温かさを捨てたんじゃないか。

 それを今、拾えるきっかけにめぐり合えただけ。

 だから……動かなくちゃいけない。

 家族を、姉を、きちんとやり直すんだ。

 

「………」

 

 などと決意を新たにしながら、ちらりと見たのは孫権様。

 孫策へと小言を放ちつつ、結局は高い高いをされて笑っている孫策を……羨ましそうにちらちら見ている。うん、確かに羨まし───じゃなくて。

 ……小言ばかりの姉にはならないようにしよう。なんとなく、孫尚香さまを見ていると、小言を押し付けてもいい結果にはならない気がするから。

 そう、冷静でありつつも、きちんと相手を思いやれるような……姉ではないけど、周瑜様のような人になれるように……───って、あの、周瑜様? 美周郎様!? 何故孫策の次に高い高いをされていますか!? 顔真っ赤なのにどこか嬉しそうなのはどうしてですか!? 下ろされてから頭を撫でられて、俯きながらも嬉しそうなのは何故ですか!?

 

「───」

 

 大丈夫なのかしら、この大陸。

 そう思ったものの、全てにおいて自分よりも高い能力を持つ人ばかりの事実に、“ああつまり、能力が高い人は、他の事柄においても全力で楽しめる余裕を持っているのか”と納得した。

 だって、そうでもなければあの周瑜様が、子供みたいな扱いを受けてあんなに嬉しそうな顔をするわけが……!

 よ、余裕……ね、余裕を持ちましょう。頑張るのよ曹子桓。

 いろいろと頭が痛い事実ばかりを見つけているけれど、いつかこの頭痛も晴れるわ。

 それに……そうだ。偉くなったからといって、一切褒められなくなるのは……寂しいものだと思うから。

 そう思えば、なるほど。いくつになっても、その……ああしてほしいとは言わないけれど、父さまに褒められるのは……嬉しいのかもしれない。

 

「───うん」

 

 さ、とにもかくにもまず一歩。

 ようやく踏み出せた自分というものを、これから謳歌していきましょう。

 




 花騎士にて。
 ミズアオイ欲しさにガチャ全力投球。
 ホルデュウムさんが5人。
 デルフさん(サッカー)が1人。  
 アリウムさんが1人。
 ミズアオイ=サン……0。
 NO……NOゴッド、何故ですか!
 石400個じゃ足りぬと申すのですか!
 あ、申すんですね、ですよね、花騎士ですもんね。じゃぶじゃぶですもんね。
 あぁ……お姉ちゃんに任せなさいが欲しかった……。
 はい、今回も爆死です。
 ガチャで本気出すとろくなことにならないなぁ僕。
 虹色メダル30個で金と交換できるようにしてくれないかしら。


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番外的オマケ話:その名はオーバーマン(いいえ、オジマです)

-_-/黄柄

 

 とある日の昼下がり。

 私は姉妹とともに、一人の男を囲んでいた。

 そう、この……最近急に現れた校務仮面とやらの正体を見るためだ。

 甘述、周邵とともに円の動きで校務仮面を囲み、隙あらば襲い掛かる。

 しかしこれがまたつわもので、同時に襲い掛かったというのにあっさりと吹き飛ばされてしまう。

 まずは邵の腹に掌底。甘述の腹にも掌底。残った私は氣弾という、呆れた弾き方。

 どうやら足から放ったらしく、下からくる攻撃に気づけなかったのは反省点だ。

 

「くっ……やるな、校務仮面とやら……! ますます正体が知りたくなった! 覚悟しろ!」

 

 などと指を差して言い放った次の瞬間、校務仮面の頭部に一本の矢が突き刺さ───らなかった。

 矢、といっても厳密に言うと、鏃を潰した鍛錬用の矢だが、それが校務仮面の手でバシィと掴まれ、止まったのだ。

 

「馬鹿なっ!!」

 

 矢は、城壁の上で読書していた呂琮が射たものだが、そんなまさか……! 普段から鍛錬をサボリがちとはいえ、弓の実力なら私たちより上であり、武側の能力を使わせるのに苦労した琮の射が、ああも簡単に……!?

 

「なんという隙のない動き……! やはり校務仮面様は強い……!」

「言っている場合か述姉! 奥の手が封じられたんだぞ!」

 

 校務仮面は、よくわからない構えを取ったまま動かない。

 同じく不意打ちをする筈だった登姉は、矢を掴んで捨ててみせた校務仮面をきらきらした目で見つめているし……! なんか「あれが“てんちまとーのかまえ”……!」とか言って、構えを真似てみたり……って今だ登姉! 校務仮面がなにやら動揺してる!

 今攻撃を! 登姉!? 登姉ー!!

 

「ちぃっ!」

 

 ならばと私が出る。

 音を立てないように、けれど最速で駆け、速度が乗ったら跳躍。その紙袋目掛けて手を伸ばし、その手が逆に掴まれ、跳躍の勢いを殺さないままにポーンと校務仮面の後方へと投げられ───うわわわわわー!?

 

「へぶっ!?」

 

 上手く着地も出来ないまま、尻から落下した。

 これはよろしくない。

 すぐに後ろを向いて、校務仮面……敵を視界に入れた時、邵と述姉が飛び掛かり、同じく投げられていた。

 邵は綺麗に着地、述姉はなんとか、といった感じで着地したが……困ったぞ母よ……! あの紙袋仮面、思ったよりも強敵だ……!

 あれが父であるのなら大変嬉しいが、そうでないのならば貴重な“男”の強者。

 紙袋の下は気になるが、ここはいっそ鍛えてもらうつもりで突っ込むのはどうか。

 そう考えていると、邵もわくわくしたような目で校務仮面を見て、述姉ももはや強者への憧れのような目で校務仮面を見つめていて───

 

「───」

 

 私は琮に目で合図を送ると、ようやくハッとした登姉とともに、今度は姉妹全員で一気に仕掛けることを企てた。

 何故って、強いのは構わない。ああそれでいいだろう。けれど気になるのはその中身で、やはり父であってほしいと願ってしまっているからだ。

 父でないのであればそれもいい。父であるならばそれでいい。

 どちらにしても、あれの正体が気になっているのは確かだ。

 仮に奴が父でなくとも、父がぐうたらかどうかはいずれ調べる。

 それが後になるか否かの話なのだから───!

 

「いくぞ校務仮面!」

 

 私が先陣を切って、あとに述姉と邵が続く。

 拍子を置いて登姉が走り、私たち四人に意識が向き、琮からは外れたところで───再び、本を読んでいた琮が弓を引き絞り、矢を放つ。

 飛び掛かった私へはやはり掌底───それを待っていたとばかりに拳を緩め、突き出された手にしがみつく。

 同じく述姉へも掌底が放たれていたが、その掌底にも述姉がしがみつき、これで手は封じ───ごいんっ!!

 

『はぷぅっ!?』

 

 頭部に衝撃!

 な、なんと……この紙袋め! しがみついた私たちで、邵と登姉の攻撃を受け止めおたわ! けれどこれで詰みだ! 意地でも手は離さん! これで琮の矢は止められま───あれ? これって今と同じように、私たちを盾にされたら…………うわわわわ待て待て! なんで私がしがみついている手を持ち上げるんだ! 私じゃなくて述姉に───あ、普通に避けた。

 

「え、えぇと」

「あの」

「───」

 

 そして残される、腹に掌底をくらったまま手首を掴んで、しがみついている私と述姉。

 校務仮面はそんな私たちをふぅうう……と息を吐きながら見下ろし、ちらりと邵と登姉を見つめ───あ。い、いやちょ待───!

 

「うわわわわやめろぉ! 私は手甲じゃ───へぶぅっ!?」

「子高姉さま避けてくだぶっふ!?」

 

 なんと私たちを手甲や盾のように振るい、邵と登姉へ攻撃を仕掛けたのだ───!

 ここここいつ本当に強いぞ! だがいい、それでいい、今はそうして強者の余裕に溺れているがいい……! 今に琮が、第三第四の射を……! …………あ、あれ? 琮? 琮ー!? 射は!? もはや気づかれているのだから、今こそ数を……琮!? 琮ー!!

 

「くうっ! 自分で仕掛けておきながら、手から逃れられん……! 述姉! そっちは───述姉ー!?」

「あぅあぅあぅあぅあぅ……!」

 

 なんと! 左手に捕まっている述姉が、早くも目を回していた!

 こちらも振り回されている所為で目が……!

 

「校務仮面様! 胸をお借りします! てやぁああああっ!!」

 

 登姉! わざわざそんなこと言って仕掛けなくていいから!

 今はとにかくこの男の手を封じることこそが───え?

 

『あ』

 

 述姉と一緒に、呆れたような声をこぼした。

 何故って、向かってこようとした登姉目掛け、私と述姉は軽く、本当になんでもない動作でポイと投げ渡されたから。

 

「え? ふわぁっ!?」

 

 慌てて私たちを受け止めようとする登姉だけど、私は咄嗟に体制を立て直して着地。

 目で伝えておいたので、登姉は述姉を受け止めるだけで済んだんだが……結果としてこうして、三人纏ってしまったところを狙われた。

 

「覇王翔吼拳!!」

 

 背を曲げ、胸の前で腕を十字にさせ、背を伸ばし広げた腕を前に突き出す。

 そんな動作と同時に、巨大な氣の塊が私たち目掛けてふぉおああああっ!?

 

「くぅっ!」

「ぇ、あぷわぁっ!?」

 

 咄嗟に避けた……けど、登姉と述姉はそうはいかなかった。

 人一人を受け止めた登姉が避けられるわけもなく、氣の塊をまともに受けて、吹き飛んでしまった。

 

「…………!」

 

 な、なんということだ……この男、氣を放てるぞ! しかもあんな大きいの!

 どどどどうやるんだろうか! はおーしょーこーけんとか言っていたが、あれは氣の奥義かなにかなのか!? すごいな! すごいぞ!

 とか、私が驚いたりわくわくしていた頃には、奴はもう行動していた。

 

「っ───!」

 

 周邵である。

 校務仮面の氣の行使に合わせて気配を断っていたのか、後方へ回っていた邵が音もなく跳躍し、今こそ校務仮面の紙袋を───!

 

「うおおおおおおおおー!!」

 

 だが、そんな行動も弾かれる。

 校務仮面が両手を天に掲げるようにして伸ばした途端、奴の体から奴の身を守るように、凄まじい氣の壁が放出された。

 邵はそれに弾かれてしまい、校務仮面は静かに「わからんのか、このたわけが」と言ってみせたのだ。

 うぬぬぬぬぬ……! わかるものか! こう見えても諦めは悪い方だ!

 たわけと言われようが好奇心が向く内は決して諦めたりなどせんのだ!

 ……でもあの“はおーしょーこーけん”とか“てんちまとーのかまえ”とか、あの氣の壁のようなものはあとで母にやり方を訊いてみよう……! 私も使ってみたい……!

 

「みんなまだ平気か!? 休まず仕掛けるぞ!」

「はいです!」

「っつつ……! 加減、された……? あんなに大きな氣がぶつかってもこの程度なんて……」

「いたたたた……! し、子高姉さま、申し訳ありませんっ、無事ですかっ!?」

「……ええ。いくわよ述。学べることはきっと多いわ」

「はいっ!」

 

 今こそ姉妹の力を一つに……! 校務仮面の正体を、今こそ───!

 とか思っていると、そこにてっぺん姉と禅が加わる。

 え? と戸惑っていると、てっぺん姉は「気が向いただけ。鍛錬がてら……そう、鍛錬よ、鍛錬」なんてそっぽを向きつつ言って、禅は「えーと……たぶん、取っちゃったほうが今後のためになるかなー……って」と。

 まあいい、今は戦力が増えることがありがたい。

 延姉は居ないが、これぞ姉妹の団結力……! 一人の強敵を前に手を組む姉妹……いいなっ!

 

……。

 

 死ゅううう……!

 

『………』

 

 でも現実はぼっこぼこだった。

 なんだこいつ強すぎる。

 見れば、私も含めた姉妹全員が中庭の芝生に倒れ、頼みの綱の琮の矢は「危険ですので」と兵に取られてしまい……琮は今ぞとばかりに読書へ戻ってしまった……!

 そ、それでいいのか琮! もうちょっとかもしれないんだぞ琮!

 

「くぅっ……」

 

 倒れながら、校務仮面を見上げてみる。

 紙袋に空けられた角ばった穴から光が漏れ、目が光っているように見えるそいつは、腕から氣による残像を浮かばせながらゆ~っくりと腕を円の動きで回転させ、隙のない構えで一歩も動かずそこに立っていた。

 まわしうけ、とかいう技で攻撃を弾かれ、驚いた拍子に氣の乗った掌底で吹き飛ばされ(ほんとに吹き飛んだ。びっくりした)、互いの隙を巧みに潰して連撃を重ねていたてっぺん姉と禅も、真正面から堂々と潰され、ぐったりしている。

 二人分の攻撃に堂々と対応して潰すとか、何者なんだあの男は! ……校務仮面か!

 

「くっ……認めよう……! 貴様は強い……!」

 

 ともかくだ。油断させるために戦いは終わったのだと思わせるような態度で接し、その油断の時こそ……!

 

「だが───」

 

 よろよろと立ち上がり、ふらふらになりながら近づく。

 拳を構え、へろへろと突き出して……ぽすんと腰に一撃を食らわして。

 校務仮面はよけるまでもないと思ったのか、わざわざ当たってくれて───私の目は、この時にこそ輝いた。

 

「!?」

 

 校務仮面の腰に、がばしと抱きついたのだ。

 途端、それを見ていた姉妹が一斉に動き、攻撃ではなく封じるために行動し、述姉と登姉が左腕を、てっぺん姉と禅が右腕を、邵が校務仮面の首へとぶら下がった瞬間、

 

「───捉えました。そこです」

 

 兵から弓矢を奪取した琮が、その紙袋へと矢を放った───!!

 

「───!!」

 

 ───それは。

 その矢は見事、紙袋をあっさりと貫通し、そのままの勢いでズボリと紙袋のみを奪い、地面にぶつかって折れた。

 

「ぃよぉおおしっ! よくやったぞ呂琮!」

 

 そう、これは作戦だったのだ。

 私達が注意を引き、離れた位置からの呂琮による射。むしろ兵が弓矢を取り上げたのでさえ、「あまりにも避けられるようだったら」と、琮と話し合って決めた作戦。

 校務仮面の奴が手強すぎたら、琮から一時、弓矢を取り上げてくれと兵に頼んでおいた。何故でしょう、と渋る兵に、校務仮面の正体を見るためだと言ったら二つ返事で頷かれた。……その、なんだ。頼んでおいてなんだが、いいのかそれで。

 「上手くすればこれで……!」とか言っていたが、正体を見ることでなにかあるんだろうか。……まあいい、これで正体もわかるというものだ───!

 琮のやつを動かすためにいろいろと条件が必要だったのは言うまでもないが、今は目の前の楽しみをこの目に焼き付ける!

 さあ、どんな顔をして───………

 

「………」

「………」

「………」

 

 なんか。

 ちょっぴり黒い顔の……呉側の皆のように、肌が黒い……いや、我らよりももっと黒い顔の、男がいた。

 そいつは何故か笑んでいて、私たちを見下ろすと、こう言ったのだ。

 

「…………Yes! We! Can!!」

『ほぎゃああああああああああああっ!!』

 

 ……そう、眩しいくらいの笑顔がそこにあった。

 けれどその顔は期待していたものとは違い、てっきり父かと思った私はそれはもう心の底から絶叫。

 姉妹全員が大変驚いたらしく、述なんて目の端に涙を滲ませてまで叫んでいた。

 全員が全員手を離し、一目散に奴から離れ、様子を見る。

 

「き、貴様……何者だ!」

 

 道着と剣道袴、とやらを着た、黒い男に訊ねてみると、そいつは目から金色の光をこぼし、言ったのだ───!

 

「我が名はオジマ……! 新たなる責任の時代の求道者……!」

「お、おじま……!」

 

 物凄い迫力だ……! 吹き飛んだ紙袋……あれはきっと、本来の力を隠すための何かだったに違いない……!

 なにせこうして凄まじい氣を放出しながらも、奴はずぅっと笑顔なのだ……!

 いや、負けるな! 叔父だか叔母だか、どう書くのかは知らないが、父でなかったのなら───こいつから得られる技術を全て覚えて、より強者へと到るのみ!

 さあ行こうてっぺん姉! 今こそ我ら姉妹の……あ、あれ? てっぺん姉? なんでそんな絶望した目で校務仮面……もとい、おじまを? てっぺん姉!? なんか目から光が無くなっていってるぞ!? てっぺん姉!? てっぺん姉ー!!

 

「立つんだてっぺん姉! どうっ……いや本当にどうしたのだてっぺん姉!?」

「嘘……嘘よ……あ、あの、あの人はととさまで……でも違くて、黒くて、え、え? あれ? ととさまは……?」

「てっぺん姉ー!?」

 

 お、おのれ、よくわからんが恐らく、てっぺん姉は奴の妖術かなにかにやられたんだ……!

 なんという周到なる行動……! 目を光らせ、その光に動揺した時にでも仕掛けてきたに違いない……!

 でなければあのてっぺん姉がこんなになるわけが───と思っていたら、禅がてっぺん姉にぽそぽそと何かを離して───「───!」あっさり、てっぺん姉は復活した。

 

「……柄、続きなさい。化けの皮を剥ぐわ。絶対に。何が何でもよ」

「え? あ、その……てっぺん姉?」

「や・る・の・よ……!! いいわね……!?」

「しひぃっ!? わ、わかった! やる!」

 

 おぉおお……なんと恐ろしい顔で言うのか……! なにがてっぺん姉をあそこまで駆り立てる……!?

 

 いや、どうあれ突っ込まなくては始まらない。

 こうして我ら姉妹は再び団結し、共通の敵(?)へと向かうことで、少しずつだが絆を深めていった。

 結果? 結果は……ぼっこぼこだった。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 と。

 

「いう夢を見たんだが」

「長いよ!?」

 

 ある昼下がり。

 鍛錬をする前に捕まえた禅へと、そんな話をした。

 長いと言われても、それほどでもないと思うのだが。

 

「なんにせよ、今日も校務仮面は来るんだろう。今日こそは奴の正体を暴いてやるぞ」

「あんまり無茶しちゃだめだよ? きっと隠したくて隠してるわけじゃないと思うから」

「うん? なんだ、なにか知ってるみたいな口ぶりだな、禅」

「むぅ……言ってみただけだから」

「む、そうか」

 

 言いつつ、歩き出した。

 今日もまた校務仮面に纏わりつきつつの鍛錬。

 しかしそんな日常のきっかけが奴の正体を知る日となり、父を尊敬する日となったのは……もうちょっとあとの話だ。

 



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125:IF2/団欒風景①

177/“これ”すら出来なかった日々が消えた

 

-_-/一刀くん

 

 ───朝。それは新たなる日々の始まり。

 寝て起きることが重要であり、徹夜で迎える朝には……新たなるという言葉は合わない。

 そんな朝。

 

……フゥ~~……

 

 長く息を吐きながら窓を開ける。

 途端に流れてくる朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、言うのだ。

 

スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ~~~~~~~~ッ

 

 少し体勢を斜めに、首も微妙に傾げながら言う。

 何故こんな気分なのかといえば……そう。

 

「娘たちとの誤解が解けた。これからはきちんと父親をやれる……」

 

 これだ。

 これだけだと言われればこれだけの、けれどとても大事なこと。

 夢にまで見た料理を作る娘や、子供とのキャッチボールだって出来るのだ。

 キャッチボール……黄柄なら喜んでやってくれそうだ。

 料理は丕が……でもな、俺の料理って普通だし、普通の料理なんか今さら教わりたくないだろうしなぁ。いや待て? 華琳……母から料理を教わる娘を後ろから見守る父親! ……いいじゃないか。

 

「……ふふへへへ───ハッ!?」

 

 いかんいかん、顔が物凄く緩みきっていた!

 けど、本当に嬉しいのだ。まさかこんな日が来るだなんて思いもしなかった! ……夢にまでは見て、枕を濡らしたけど。

 でも今日から俺はその夢の先へと歩んでゆく。

 さようなら、悲しみに溢れていた昨日までの俺。

 そしてこれからの俺よ、ともにゆこう。

 

「さあ、いざ───!」

 

 俺達の戦いは始まったばかりだとばかりに歩きだし、扉を開けて部屋を出た。

 会ったらどんな話をしよう。

 世話話? よりも先に、まずはおはようだよな。

 ああ、家族らしい会話じゃないか、嬉しい。

 神様ありがとう、俺、これから少しでも神って存在のことを思うようにするよ。

 なんて思っていたら通路の角で、丕とばったり。

 

「お、あ───お、おは───」

「朝から腑抜けた顔を見せないで頂戴」

「よ、う…………?」

 

 ………………。

 一息で言って、丕はふらふらと歩いていってしまった。

 

「………」

 

 …………さて。

 チェーンソーはどこだっけ。

 神の野郎をコロがす旅に出なければ。

 ありがとう神、俺はいつでもキミを思うようにしているよ。憎悪側の感情で。

 

  ───そこまでが限界でした。

 

 足に氣を込め全力疾走。

 華琳の部屋の前まで来るとノックンロール(ノック乱打)。

 そして「静かにしなさい」と部屋の内側からぴしゃりと叱られ、しょんぼりする父の図。

 大した間も置かずに入室を許可されて、テンションを復活させて部屋に入る。

 

「朝から随分と騒がしいわね。なにかしら? まあ、大方子供たちとの悶着の結果報告といったとこ───ふやぁあっ!?」

 

 言葉の途中、ずかずかと近づいて抱き締めた。

 急なことに驚く華琳へと、娘へとぶつけるつもりだった親の愛をたっぷりとぶつけ、頭を撫でたり軽く頬擦りしたりやっぱり頭を撫でたりいいこいいこしたり高い高いしたり、絶で刺されたりギャアーッ!?

 

「いだぁああああっ!? だだだだから華琳!? いつもいつもその絶いったいどこから出してるの!? ていうか普通に手に刺すとかやめよう!?」

「うるさいわね黙りなさい!! あしゃっ……こほんっ! 朝からいきなりなにをしてくれるのよ!」

「だ、だって丕が! 丕がさぁ!」

「丕が? ……どうしたというのよ」

 

 片方の眉を持ち上げ、訝しんで訊いてくる華琳さん。

 そんな彼女に、刺された手を癒しつつも昨日の報告と先ほどのこととを聞かせた。……痛くても彼女を放さない俺は異常でしょうか。

 ともかく説明した。もちろん僕は普通でしたとも、と……自分は怪しくなかったことをアピールしつつ。顔がにやけている以外は普通だったさ! ……ほ、ほんとだよ!? 自分じゃ気づかないくらい気持ち悪いニヤケ方だったとかじゃない限り、大丈夫だって!

 

「………」

「か、華琳?」

「……そう。そうね、あなたもまあ、そこは仕方が無いと受け入れなさい」

「やっぱり顔が緩んでたのが悪かったのか!? ……わ、わかった。俺これから、世紀末覇者拳王もびっくりなほど眉間に皺を寄せたゴツ顔を目指すよ……! ───ハッ!? ぬうぅ……! そうであるならば口調すらも改めねばなるまい……! 同時に、うぬに感謝せねばなるまい……! 我に気づかせる言を投げて寄越したことに……!」

 

 全力で、ビキミキと眉間に皺を寄せ、喉の奥から搾り出したような声でジョイヤー、もとい話してみる。……以外と疲れることを知った。

 

「よくわからないけれどこういう時のあなたの提案はろくな結果にならないからやめなさい」

「一息でなんてひどい!」

 

 でもわかる気がして反論が見つからない俺って……。

 

「丕があなたのことを知らなかったように、あなたも今の丕を知らなかったというだけのことよ。まあ、そうね。一言で言うとあの子、朝に弱いのよ」

「朝に? ……そういえばもっと小さい頃、寝起きは随分とだらしなかったような」

「それは単に小さかっただけの話よ。朝に辛さを見せるようになったのは、警備隊の仕事を継続するようになってからだもの」

「いやそれ、俺が知らなくても当然じゃ……俺が呉に行ってる間に始めたんだろ?」

「あら。呉から帰ってきてからでも知る努力は出来たでしょう? あなたがどこでどう覚悟を決めようが、それを知らない丕がどこで何を始めようと、知ろうとするかしないかの問題じゃない」

「うぐっ……」

 

 知る努力、大事ですね。

 でも俺も、未来を目指すっていう重大な覚悟を決めたばっかりだったんだよぅ。

 その時はそれが正しいって本気で、心の底から思っていたんだ。

 周りに相談出来るようなことでもなかったし、“夢を見たんだ、信じてくれ”なんて言えなかったんだ。

 そりゃ、みんなきっと信じてくれたと思う。苦笑だろうと爆笑だろうとしたあとに、きっと信じてくれた。信じた上で、“みんなが死んだあとに起こること”を話して聞かせなきゃいけなかったんだ。

 死んだあとだ、出来ることなんてきっとない。

 だったら、何も知らずにそのまま穏やかに生涯を過ごしてほしいって思う。

 そう……“今度は俺が守るから”って。

 

「………」

 

 そんなこと言ったって、きっとみんな受け取らない。

 死ぬ間際まで、俺なんかに守られてたまるかとか言いそうだ。

 ……今ならそれでいいんだと思えるし、そのあとのことは……自分でなんとかしようって思える。その時に傍に居るみんなで、出来ることなら……覇道の果てを守りたい。

 

「あ、あー……でもさ、丕はなんだかんだで華琳に似てるよな。仕草とか口調とか……」

「? なによ急に。……まあ、そうね。似たというか、似せたのでしょうけれど。……おまけに頭痛持ちも遺伝したのか、頭が痛いと相談することもあったわね」

「いや、それは多分あの将ら───」

「? なによ」

「ア、イヤー……」

 

 それは多分、あの将らに囲まれてる所為だと思う。

 そう喋りそうになった口はしかし、途中で止まってくれた。

 ……言ったら大変なことになる、落ち着け俺。そう思った時には、固まっていた思考も少しは柔らかくなってくれて、余裕が持てた。

 

(……ん)

 

 でもまあ。

 そう。でもね? わかるんだよ? 俺もよく“頭いたい……”ってなるし。

 だからそこは大丈夫。きっと大丈夫。むしろ重要なのは頭痛よりも、“寝起きだから”と平気であんなことを言ってしまう丕がだな……!

 などと頭の中で相談ごとを組み立てていると、部屋の扉が再びノックされる。結構荒々しい。

 

「はあ。まずはそこで用件を言いなさい。というか、静かになさい、丕」

「!?」

 

 丕!? 丕ですって!?

 ……母はすごいですね、おじいさま。よもやノックの仕方で相手がわかるなど。

 

「かっ……かかか母さま! わたっ……わたしっ! せっかく父さまが朝の挨拶してくださったのに、寝惚けたままでとんでもないことをっ!! ち、知恵をっ……こんな時、父さまはどんなことをすれば機嫌を直してくれましたか!?」

 

 ……なんか心がほっこりしました。

 前略神様、チェーンソーが見つからなかったから、見つかった時にまた挨拶にいきます。

 心が暖かくなって、無意識に右手で心臓の上あたりに触れて、天井ともとれないどこかを見上げていた俺を、苦笑をこぼしながら見ていた華琳が、「たった一言で随分と賑やかになれるのね、あなたたちは」と一言。

 

「そうね、なら……丕。今から厨房へ行くわよ。料理を教えてあげるから、一刀に料理を振る舞ってあげなさい」

「!?」

「りょっ……料理を!? 母さまが!? ───あ、あはっ……! はいっ! 頑張りますっ!」

 

 嬉しそうな丕の声と、驚愕のあまりに驚いた顔のままで固まる俺。

 そして思い出すのだ。

 産後、動けない華琳の傍で、娘としたいことやりたいことをごちゃごちゃと言いまくっていた頃のことを。……ああいや、動けるようになってからでも平気で言ってましたね、ごめんなさい。

 ともかくその中には当然、母と娘が料理を作るところを見たいというものもあって……。

 えっとその、つまり……。

 

(おっ……覚えてて……くれた……!?)

 

 普通“こういう反応”って男女逆ではなかろうか、なんて思うのはヤボですか?

 でもやばい、これはやばい、嬉しい。

 驚きの顔から喜びの顔へと変わる過程をじいっと見ていた華琳は、片目を閉じつつ照れた顔で「な、なによ」なんて言っている。腕を組んでそっぽを向きそうなところを、自分から目を逸らすのは気に入らないとかなのか、必死に耐えている。なにと戦ってらっしゃるんだ覇王さま。

 でも未だ抱き締めたままなので、顔は逸らせても逃げられはしません。

 むしろありがとうが溢れ出て、一層に頭を撫でてしま───やめて絶怖い! 抱き締めた視界の隅でギラリと光る鎌とか怖い!

 

「うぅう……華琳? 感謝くらい素直に受け取ってくれよ……」

「あなたの感謝はいちいち大げさすぎるのよ。感謝を表したいのなら言葉で伝えなさい」

「……自分は察しなさいで済ませるくせに」

「ぐっ……! あなた、本当に言うようになったわね……!」

 

 どれだけあなたがたに囲まれているとお思いか。

 多少の反撃くらいは出来るようになりましたさ……そして多くの場合、倍にして返されるのです。けれど、それを受け止めるのも男の甲斐性というものでしょう。女性って案外言葉を選ばずストレートに来る時が多いので、突き刺さる場合もまた多いのですが。

 そんな人たちに遠慮もなく囲まれて生きた8年。

 ……そりゃ、この北郷とて多少は成長もいたしましょう。

 

……。

 

 笑顔のままに卓へと着く。

 釜戸の前に立つは母と娘。

 その後姿を見守るは父ことこの北郷。

 部屋に俺が居たことに大層驚いた丕だったが、素直に頭を下げられたのでサワヤカな口調でこう……「大丈夫だ、問題ない」と返した。

 すぐにおどけた様相を見せた俺に緊張を解いたのか、なんだか久方ぶりにぱあっと微笑んでくれまして。……もうそれだけで泣きそうになった。一瞬、世紀末覇者拳王口調でいこうかどうかを悩んだが、イーノッ○でいってよかった。

 人生……まだまだ捨てたもんじゃないなぁ。人生を捨てるつもりはなかったけど、青春を捨てる気ではあったから危なかったよ。

 

「はあ……」

 

 さて、そんな俺ですが。

 並んで歩く母と娘を後ろから見守りつつ歩き、通路を見回りで歩いていた兵に驚かれた。

 なんでも相当なえびす顔をしていたらしい。目尻が下がりすぎていて、顔だけ見たら俺であることさえ認識できなかったと真顔で言われた。

 少し自分というものを考えつつ、今はこうして卓について、キリっと見守っているわけだ。

 

「…………ふ……ふふっ、ふへへ……」

 

 多分、今の俺ほどキリっとした父などそう居ない。

 いや、親ばかみたいに言うんじゃなくて、そんな根拠のない自信が溢れ出て仕方ない。

 で、自分で思う場合、俺は特にそうでないことが多いとは華琳の言葉。

 きっとでれでれに違いない。

 

「母さま、これはこの時に?」

「それはもう少し火が通ってからになさい。先にこっちよ」

「はい」

 

 親子がエプロンをつけてのお料理教室。

 親から子へ受け継がれる料理……! これだよ、これですよ……!

 そ、そしてここでこう! これだ!

 

「あ、あー……その。なにか手伝おうかー……?」

『黙って座っていなさい』

「……~……!」

 

 丕は反射的に言ったようだけど、華琳は素で仰った。

 そしてそんな突き放される言葉に感動する俺。

 い、いい! いいね! こんな瞬間を夢見ていた! 実際手持ち無沙汰だけど!

 ああいや落ち着こうな俺。テンションが高すぎて引かれてもアレだ。

 しかし反射で言った言葉を気にしてか、ちらちらとこちらを伺う丕が可愛い。

 そんな娘を見て顔が緩みっぱなしになりそうな俺は気持ち悪い。

 だが、それがどうして悪いことだと言えましょう。

 ようやく訪れた家族団欒の瞬間……俺はそれを胸いっぱいに受け止めることができた。

 それが勝利なんだ。

 それでいいジョルノ……それで。いやジョルノじゃなくて。

 

「?」

 

 ところどころで丕の動きがぎこちないなーと感じる。

 ハテ、と思考にフケるとすぐに答え。緊張とかもそうだろうけど、筋肉痛だろう。

 いくらなんでも昨日だけで無茶をさせすぎてしまった。反省。

 

「………」

 

 それでもついてきた彼女は、ただひたすらに俺に謝りたかったのだろうか。

 ありがとう。お陰で今、いろいろと噛み締められております。

 おりますが……ひとつだけ言わなきゃいけないことがある。訊かなきゃいけないことがある。

 それを思うと気が重いけど、訊かないとマズイ。

 俺はそれを父として男として、どうしてやればいいのだろう。

 緩んだ頬はふとした瞬間に真顔に戻って、ちらちらとこちらを見ていた丕がそんな俺に気づいて、どこかおろおろとした風情で、話しかけようかどうしようかを迷っているようだった。

 それに苦笑を返して……また考える。

 別に料理への不安を思っているわけではない。

 どんなものが来ようとも食べるし、春蘭や愛紗に比べれば食べられるものだという確信もある。……それ以上だろうと“食べきってみせる”という凄みが今のこの北郷にはあるッッ! …………まあ、凄みだけで何事もクリアできたら誰も苦労はしないよなぁ。

 

(なんとかなるといいな)

 

 何もかもを否定する気は無い。

 せっかく理解を得られた家族なんだ、“もう一度ここから”をなにも、一日で潰すことはないのだ。だから俺は歩み寄ることを考える。どんなものだって、歩み寄って理解を得られれば、ともに頷けるものだってあるはずだから。



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125:IF2/団欒風景②

 少し経って、料理は完成した。

 いくつもの皿に載せられたそれらをおずおずと卓に並べる丕は、その顔に不安をたくさん乗せている。

 その後ろで腕を組んで不敵な笑みを浮かべる華琳をちらり。

 ……俺の視線に気づいてか、不敵な笑みのままに俺を見た。

 

(…………アレー)

 

 不思議だ。

 桃香に料理を教えて、味付けを忘れた瞬間とやたらとかぶる。

 もしやまた忘れたりとか……いや、華琳は同じ失敗を二度しない。

 ならばこれは美味しい筈だ。むしろ娘の手料理である、美味しくない筈がない。

 

「……どっ……どうぞ、父さま」

 

 卓に並べられた皿……その数、…………いくつですか丕サン。

 あ、あれ? 朝にしてはちょほいと量が多いのデハ……?

 あっ、やっ、きっとアレだね!? 機嫌直してほしくて、ちょっと張り切っちゃったんだよね!? ああもう可愛いなぁ我が娘は! だから一緒に食べましょう!? お願い食べて!? ちょっと量多すぎるよ!? ねぇ! 笑ってないで卓に着いてってば華琳さん!

 そんな視線を送ってみるも、なんだかちょっと華琳の顔が苦しそうに見えた。

 ……幸せの絶頂の只中に居たからあまり気にしてもいなかったが、そういえばちょくちょくと味見を頼まれていたような。…………あれ? もしかして俺、これ一人で食べるの? 華琳さん、味見だけでお腹いっぱいですか!?

 いや食べるけどさ、それでもこの量は……あ、そうだ、少しすれば鈴々も来るだろうし、みんなと食べよう。悪い気もするけど、残してしまうよりかはいい筈だ。

 

「あ、あの丕───」

「父さまっ……申し訳ありませんっ!」

 

 声をかけた途端に、遮るような謝罪。

 それを訊いた瞬間、長年を将らに囲まれて生きてきたこの北郷めは悟ったのです。

 ……ああ、これダメなパターンだ、と。

 

「疲れていたとはいえ、父さまにあのような返事を……! りょ、料理などで機嫌伺いをした上での謝罪など、と怒られるのを覚悟で、その……っ!」

「あ、い、いいからっ! 俺は気にして……イ、イナイヨ? 誤解だってわかれば、もう気にすることなんてなにもなかったから! ……な?」

 

 慌てて言って、最後に宥めるように。

 丕は不安げな顔で俺を見ていたが、笑みとともに「大丈夫、怒ってないよ」と返すと、たちまち笑顔で頷いてくれた。

 だが……そんな丕へとこの北郷は、食べる前から敗北宣言を告げなければならぬのだ。

 

「そ、それでなんだけどな、丕。この量は───」

「は、はいっ、聞けば父さまは連日連夜、仕事に追われて疲れていると! ででですので、元気になってもらえればと母さまに疲れが取れる料理をっ!」

「ウワァアアァァ……!!」

 

 多すぎるんじゃと言おうとしたら矢継ぎ早に言われ、しかも言葉を返し辛い理由が組み込まれて、逃げ道ばかりが塞がれてゆく。

 こ、これが血か。

 覇王たる者の娘、無意識にも相手の逃げ道を塞いでくるか。

 フフフ、お、恐ろしい娘よ。我が娘ながらなんと恐ろしい。

 

「あ、で、でもな、丕。この量は」

「あ、りょ、量ですか? 母さまが言うには、これらは全てを食べることで効果を発揮するらしく、皿の数はどうしてもこうなってしまうとのことです!」

(あらかわいい……!)

 

 必死になって説明する娘が可愛い……じゃなくて! 皿の量を訊いているのではなくて、皿の上の量の問題なんですが!?

 どうですかすごいでしょって顔で見られても素直に褒められない!

 結局これ全部俺が食うんですね!? そういうことなんですね!?

 

「そっ……そ、っかァアア……! あ、じゃ、……いただこう、かな……!?」

「は、はいっ!」

 

 以前の華琳的口調もどこへやら。

 いつかの素直な丕のままの口調で喋る娘の前で、口調は変えないと思ったのにな、なんて、ごくりと喉を震わせつつ覚悟を決めて、まず一口。

 覚悟とは言うが、全てを食べる覚悟ではないのであしからず。

 

「んっ……───ん、おおっ!? すごいなっ、ちゃんと華琳の味だっ!」

「……その一品は私が作ったのだから当然でしょう?」

(アレーッ!?)

 

 ひぃ、と喉が鳴りそうな状況に、ちらりと見てみれば……不安そうな顔の丕サン。

 ああ違う、違うヨ!? 今のは味に恐怖していたから言ったわけじゃなくて!

 

(娘よ、うぬは知らぬのだ……華琳の味を真似るということが、どれほど困難かを……!)

 

 だからきちんと華琳と同じ味がするというのは、たとえ娘であれど大変だと思った故の言葉でございましてね? 自称“華琳様直伝”の春蘭の料理の前に、儚く意識を散らせた経験があるパパとしてみれば、今の驚愕は当然だったわけで……!

 

(ていうか娘の料理をいただくというだけで、何をこんなに緊張しているんだ俺は)

 

 少し冷静になろうか。

 はい深呼吸。

 …………よし、追いついた。

 ただ食べて、思いのままを伝えてあげればいいのだ。

 美味しくないから不味いと言うのではなく、オブラート先生に包んだ上で。

 こぼれた苦笑が微笑みに変わって、ああ、なんて笑顔が弾けた。

 一家団欒。

 “これ”すら出来なかった日々が、今……消えてくれた。そう思えた。

 大事にしよう。ずっと、壊れないように。

 

「改めて、いただきます」

「は、はいっ、めしあがれっ」

 

 どことなくおかしな雰囲気に、俺と丕が顔を見合わせたのちに笑い合う。

 つい先日までは有り得ないと思っていた光景の中に、俺は居る。

 その上で手料理まで食べられるのだ。

 これ以上は望まなくていい。俺……十分幸せだ。

 

「ん……」

 

 ぱくりと頂く。

 日本とは違い、やたらと長い箸で摘んだそれをおかずに、ほっかほかのご飯を食べる。

 少し形が崩れていたが、美味しいソレ。

 肉じゃがを作る際に崩れやすいじゃがいもを使ってしまった、とでも言うようなものだから、別にそれをとやかく言うつもりはない。むしろ崩れていたほうが多く手料理を食べられると意識を変えて、喜んで頂いた。

 食べる食べる。

 これは、なんというか……華琳の味に近いものの、どこか違う。

 明らかに華琳が作るものの方が美味いと断言は出来る……けど、それとは違った温かさがこれにはあった。

 たとえば…………そう、たとえば。

 憧れの先輩にお弁当作ってきてしまった青春娘のお弁当のような───……マテ。

 

「………」

「…………!」

 

 めっちゃ見てる。

 手は胸の前あたりに縮こまったガッツポーズ気味に持ち上げられ、褒められるか落とされるかを待ち侘びているようだった。

 味は、ハッキリ言えば普通以上。俺よりは確実に美味いですハイ。

 まだ少々首を傾げるような部分はあるものの、この年齢でこれなら十分だろうってレベル。

 だから俺は、口で伝えるよりも行動で示した。

 きっと不安に感じているであろう娘の前で元気に食事をして、ご飯が無くなったところで椀を差し出して、

 

「おかわり! 大盛りで!」

 

 まるで子供のセリフだなと心の中で苦笑しつつも、きっと顔は笑顔だった。

 何も言われずに、不安が募っていた丕は……これで笑顔に。ご飯をよそって俺に渡すと、何故か卓の反対側に座って、俺が食べるさまをにこにこ笑顔で眺めてくる。……アレ? さっきまで横で見てたのに、何故? や、べつに座るなって言いたいわけじゃないからいいんだけど。

 どことなくくすぐったい気持ちに襲われつつも、黙って……は無理だったので、素直に美味しい美味しい言いながら食べた。

 そんな俺に“どんな感じに美味しいですか”と訊ねる娘は、さすが華琳の娘であった。

 味というものにとても真剣でございます。

 もちろんこの北郷、伊達に8年以上を華琳とともに在るわけではござんせん。

 普段から華琳が欲するような言葉回し、受け取りやすい言葉で事細かに説明。

 丕は小さな黒板メモに小さなチョークで文字を走らせて、ふんふん頷きながらもところどころで笑顔をこぼした。

 くすぐったそうな笑顔が、見ていて心地良い。

 

(家族っていいなぁ)

 

 誤解したままだったなら。

 武のみを受け入れて突っ走っていたなら、こんな幸福も受け取れなかったのだ。

 けど……その時、俺は本当にそんな幸せすらも“この世界を守れるなら”と、見ないようにしていた。

 ……出来る筈だったんだ、“守るためなら”って。

 でも、だめだなぁ。

 覚悟を、と……叩いた胸に申し訳なさが込み上げた。

 

(いっつも空回りな覚悟ばかりを決めてごめん)

 

 覚悟というものは、真実を見つめられない場合がほとんどだと祖父は言う。

 “ソレ”に向けて覚悟を決めたつもりでも、数歩歩いて思い返せばズレた位置の覚悟を目指しているものだと祖父は言う。

 本当の意味で覚悟を決めて、それを追い続けることが一番の困難であると祖父は言う。

 人は辛さに弱いから。

 誰かが手を差し伸べてくれるなら、決めていた筈の覚悟が僅かにズレてしまうのだ。

 差し伸べられた手を断ったところで、もう遅い。

 それを嬉しいと感じてしまったら、元の覚悟はもう見えないのだそうだ。

 だから間違えて、後悔する。

 たとえ手を差し伸べられなくても、苦しみを抱き続けていればまた、目指す位置も変わるのだろう。

 悲しみも苦しみも、楽しさと同じで……ずっと同じものを抱いて歩くのは難しい。

 ふと気づけばそれが当然のように思えてしまった時点で、もう同じ“楽しい”は抱けない。

 でもまあ、その時に感じるひとつひとつが嘘なわけではないのだから……

 

(……おいし)

 

 好物を口に、頬を緩ませたところで感じるコレも、嘘なんかではないわけで。

 浮かぶ感情は歓喜。

 考えることはこれからのことであり、未来への不安でもあった。

 ごちゃまぜになる感情に戸惑うけど、なにもそんな戸惑いをここで持つ必要はないとも思える。

 

(コォオオオ……!!)

 

 ならばと、心を愉快に。

 呼吸法とともに胃袋に氣を送って活性。(させたつもり)

 消化を促進させて、たとえ無理な量でも食ってみせると意気込んで立ち向かった。

 娘の料理を残す? 美味しいのに残す? 馬鹿を言っちゃいかん。

 それがたとえば、娘が好いた彼氏のために作ったものならいざ知らず、俺のために作られたものならば残すことなど有り得ぬわ。

 知りなさい、娘よ。この北郷、たとえ食事ではないと思えるほどの味の、魚が顔を覗かせたチャーハンだろうと、死神が鎌を手に手招きをするような杏仁豆腐でも、全てを食らってみせる修羅ぞ。あ、でも口に含んだ途端に気絶するようなものは無理なので、勘弁ですごめんなさい。

 

「なぁ丕。この料理は───」

 

 ともあれ、丕にも何処を頑張ったのか、何処を改善したら食べやすいかなどを訊いたり言ったりしながら食事を続けた。

 丕は終始笑顔で、時折に見せる照れた顔や、何故か目を潤ませる瞬間の顔などに“ああもう”という気持ちが溢れてくる。つまり……娘可愛い。俺のっ……俺の娘は世界一やぁーっ! って叫んでも恥ずかしくないほどの愛しさが、今のこの北郷にはございます。

 で、そんなでれでれな俺を見て、盛大に溜め息を吐きそうになるも、耐えてみせるのは華琳様。

 その目が言っている。

 “誰もが幸せでないと、呉側の夢が叶わないでしょう?”と。

 なんかもうそれだけで、この覇王様に一生ついていこうって思えました。

 こんな時でも周囲を見てらっしゃるよ。さすがすぎるよ。

 これで、味見だけでお腹がいっぱいじゃなければまだ格好よかったのに。

 “親子で娘の手料理を食べる”っていうのもきちんとした夢だったから、それはちょっと残念だった。他の娘達は料理がアレだからなぁ……。やろうとしないのが大半で、やっても失敗が大半。

 仕事で忙しい俺に、夜食として禅が料理を作ってきた時は驚いたものだ。

 驚きついでに誰に習ったのかを、わかっているくせに訊いたんだ。

 ……だって、チャーハンから魚が飛び出していたのだもの。案の定愛紗だった。

 え? ええ、完食した翌日に腹を壊しましたよ? 癒しの氣を送ってもしばらくは治りませんでした。

 だから美味しいというだけでこんなに癒される。

 娘の手料理とくれば、より一層にございます。

 



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125:IF2/団欒風景③

 俺ばかりが箸を動かす中、ふと気になって訊ねてみる。

 

「ん……丕は食べないのか?」

「え、えぅ? え……えへへぇ」

 

 娘はホニャーリと頬を緩ませて笑った。

 あれか。いっぱい食べてる姿を見ていたらお腹いっぱいとか、そんなのか。

 それは普通、自分の子供かわんぱく彼氏さんに言う言葉だろう。

 

(彼氏……)

 

 いつかは連れてくるのだろう。

 そして、そやつはこの北郷すら食べたことのない、上達した料理を食べるのだろう。

 やがて俺に……俺に、娘さんを僕にくださいとかって! とかって……! トトトトトトカ、トカカカ……!!

 

「じゃ、じゃあ少しだけ……」

「やらんっ! 絶対にやらんぞぉおおおーっ!!」

「ひゃうっ!?」

 

 おのれ誰がやるものか! 娘を貴様に!? 冗談ではない!

 おぉおおおおおお本当に考えただけでも忌々しい! まだ見ぬ彼氏め、五体満足で帰路を歩めると思うな!?

 

「え、あ、え……あ、あの……父さま……?」

「───ハッ!?」

 

 声をかけられてハッとする。

 見れば、丕が料理に箸を伸ばしていたところで………………ア、アレ? 俺、なんと言いましたか?

 

「あ、いやっ! 今のはそういう意味じゃなくてだな! こんな風に料理を作ってくれる丕が、いつかは男を連れてくるのかとか考えたらっ! しかもその男が娘さんを僕にくださいとか言い出したらおのれおのれおのれぇえええええ痛い!!」

 

 喋っている途中で暴走しだしたら、華琳に頭を叩かれた。

 坊主頭を思い切り引っ叩いたような、激しい音が鳴りました。

 ええ、それだけ痛かったです。

 

「娘の料理を食べながら、なにを暴走しているのよ」

 

 そして溜め息。

 いや、違うんだよ華琳、だってしょうがないじゃないか。

 想像上の彼氏の野郎が娘さんをくださいとか言いながらドヤ顔で俺を見てくるんだ。

 あんたの娘はもう俺のもんだァァァァとかねちっこい目で見てくるんだよ?

 そりゃ殺意だって湧きましょう。

 義理とはいえ親子なんだからスキンシップでもしましょうよぅと、天の言葉まで使ってにじりよってきた日には、スキンシップが鍛錬地獄になっても構わんという愛が俺にはあるのです。

 

「あ、う……ごめんな、丕。べつにその、丕の料理を独り占めしたくて言ったわけじゃ……」

「…………」

「丕、あなたね。そこで嬉しそうにしてどうするのよ」

「はうっ!? だ、だって独り占め……!」

 

 …………あとで聞いたんだが、絶対にやらんぞと言われて、なんだか嬉しかったらしい。

 いや、そういうことは彼氏に言われて喜びなさい。連れてきたら吊るすけど。彼氏を。

 ともあれ、話に参加しだした華琳とともに、料理を(つま)む。

 少しお腹も落ち着いたからと微笑んでくれた華琳には、感謝してもしきれない。

 少し摘むだけ、なんてことは普段ならばやらないだろうに、今日の華琳はとても優しい。叩かれたけど。

 

「ああ、なんか幸せだなぁ。今日のこれだけで満足しちゃ───ふむぐっ!?」

 

 満足しちゃいそう、と言おうとした口に、華琳が海老を突っ込んできた。

 ちゃ、の部分で開いた口を狙うとは……覇王め、やりおるわ。ではなくて。

 

「……、、んむ……あの、急になに?」

「軽々しく満足などと言わないで頂戴。あなたにはこの程度で満足してもらっては困るのよ」

「うっ……そ、そうです、父さま。私はまだまだ上達しますから、こ、この程度……この程度、で……」

「よし華琳、デコピンしていいかい? その額が赤く染まるまで」

「どうしてあなたはそう、娘のことになると強いのよ!!」

「だぁああからっ! 料理に関しては華琳の“この程度”は当てにならないの!! その言葉でこの8年、どれほどの料理店が潰れたと思ってんの!」

「うっ……け、けれど私は、」

「けど禁止! 料理に対して真面目になるなとは言わないけど、俺達からすれば完璧すぎる料理よりも、みんなで気軽に行けて楽しめる店を求めてるんだから。ほんと、この8年で季衣と鈴々がどれだけ肩を落としたと……!」

 

 珍しく立場逆転。

 ……そう、華琳の飯店突撃癖は直っていない。

 新しく出来た店に興味は持つものの、時間の都合で行けないことなど多々あり……しかし俺と季衣と鈴々が足しげく通っていることを知ると、時間に無理矢理都合をつけて出動。

 店に入り、味を知り、そして始まるのだ。完璧へ近づくための華琳様のお料理地獄が。

 同じ材料、同じ機材で作ったのに明らかに違うその味に、店主が泣いて店を畳むパターンをこの8年で何度も見た。

 いつからか“都で店を続けられた者は天上料理人だ”とまで言われるようになって、各国で腕を磨いた料理人が“俺……ここで成長したら、いつかは嫁と一緒に都に店を持つんだ……”とフラグ、もとい夢を語ってやまないという。

 で、多くの場合は挫折。

 都に店を持つも、心を折られて元の国へ戻るのだ。

 そんなことが繰り返しあったため、都で店を持ちたいのなら、まずは屋台から始めること、みたいなのが暗黙の了解になっていて、それこそ多くの者が屋台の時点で店を畳む。今では挑戦者用の仮屋台が幾つか設置されているくらいだ。

 

「すごい……あの母さまが……」

 

 珍しくもガミガミ言う俺と、その珍しさからびっくりしているのか反論もせずに聞いている華琳を見て、丕が驚きと……なにやら別の感情も混ぜたような目でホウと熱い溜め息を吐く。

 と、華琳は居心地悪そうに俺をじと目で睨んできた。

 

「……ねぇ一刀? 言うにしても、場所というものを……」

「普段春蘭秋蘭桂花にやってることを考えれば、別に気にしないでもいいんじゃないか?」

「私にその趣味はないわよ! ……はぁ。知らなかったわ……父って強いのね。丕の前では随分と強気に出るじゃない」

「や、ただの見栄だって自覚はあるって。むしろほぼ完璧な華琳が隙を見せるのが珍しいくらいだ」

「……油断ね。まあ、わかるわ。こうしてみれば、あなたの夢も悪くないと思ったもの」

 

 俺の夢? ……ああ、家族に求めるあれこれか。

 そういえば華琳、さっきから顔が緩んでいた。

 笑顔で居てくれてるんだなーとか思っていたけど、自然とそうなっているだけのようだ。

 だけ、とはいうけど……俺にはそれが嬉しい。

 

「あぁ……」

 

 なんか、本当に嬉しい。

 嚊天下(かかあでんか)で、愛を確かめたくても“察しなさい”で、家庭のささやかな幸せよりも仕事を取るんだろうなあって思っていた華琳が、こんな……こんな風に悪くないとか思ってくれるなんて……!

 ……マテ? 家庭もなにも、俺結婚とかしてないぞ?

 アレ? なんかいろいろあって支柱とかみんなのもの認定されたけど、俺って……。

 

「? どうしたのよ、急に頭抱え込んで」

「あ、いやその……俺ってさ」

「?」

「その……誰とも……結婚してないよな、って」

「ええそうね」

「そんなあっさり!?」

 

 本当にあっさり言われた! それがどうしたのよって感じであっさり言われた!

 え!? これって俺がおかしいのか!? ああそりゃそうだよな、じゃなきゃみんなのもの認定なんて認められるわけないもんな! 嫌がってたのって俺と桂花だけだったし!

 

「………」

 

 じゃあ、結婚してなければ家庭に喜びを得てはいけないと?

 ……そんなことないな。

 ああ、なんだ。その、解決した。

 混乱したけど、それはそれとしてだ。

 ああそうだな、まずは茶でも用意しよう。これでも茶を淹れるのは得意なんだぞー、なんて笑いながら言いつつ、華琳と丕と、最後に俺の分を用意して卓に着く。

 早速飲んでみた丕が目を輝かせる様が眩しい。

 華琳もなんだか……ええと、何故かどこか得意げというか、どう? みたいな笑みを浮かべて。

 ……地味に俺が認められるのが嬉しいのかな。違うだろうなぁ。

 

「ところで丕」

「? なんですか、父さま」

 

 急に話を振られて、きょとんとする愛娘。

 そんな彼女に重大なことを訊く心の準備をする。

 料理は……気づけば腹に収まっていた。

 華琳も丕も食べてくれたお陰だ。苦しいけど。

 そんな俺だが……さっきも考えていたが、そう。丕に言わなければ、確認しなければいけないことがある。

 

「丕……お前、好きな人が居るか?」

「え───」

「ぽぶっ!?」

 

 予想外の言葉だったのか、丕が一層にきょとんとする。

 対して、華琳が茶を噴き出した。珍しい。

 

「げっほごほっ! かっ……一刀っ、あなた、なにっ……ごほっ! けほっ!」

「いや、この際だから華琳にも聞いてほしくてさ。せっかくの団欒に水を差すみたいだけど、どうしても訊いておきたかったんだ」

 

 ハイ、と差し出したハンケチーフで口元を拭う華琳さん。

 そんな母をよそに、丕は首を傾げたままだった。

 

「好きって……あの。よくわかりません」

「えっとだな。たとえばその人を見ていると、こう……胸のあたりがどきどきしたり、その人の笑顔を見るのがやたらと嬉しかったり、喜ぶ顔を見た日には、自分のことじゃないのに自分まで一日中幸せな気分だったり」

「一刀。それは誰を喩えにした話?」

「え? 俺が華琳を見てると感じるも───の……って待った今の無し子供の前でなに言ってんだ俺!」

「~……!!」

 

 熱心に話している途中だったもんだから、急に振られてぽろりと話してしまった。

 訊いておいて真っ赤になる華琳も華琳だけど、俺も相当顔が熱い。

 ほんと、娘の前でのろけとかやめてください俺……。

 

「む、胸がどきどき、その人のことを考えるだけで嬉しくて、幸せで……、……」

「へ? あ、あー……丕? 今のは是非聞かなかったことにー……」

「ひゃうっ」

 

 オウ?

 ……目が合っただけで顔が赤くなって、妙な声を出されたのだが。

 もしやあれか? 今さら父と顔など合わせたくもないという拒絶の心が……!?

 

「ご、ごめんなぁ丕、やっぱり質問自体を無かったことに───」

「は、はいっ! ありますっ! どきどきしますし、うれしくて、幸せです! そ、そそそそうですか! これが、これが恋ですか! こい……えぇええええっ!?」

 

 自分で言って自分で納得して、自分で驚いている。

 すごいな覇王の血。まさかのなんでも一人でやってみせる根性。

 こんな小さな頃から既に王への道を歩んでいるというのか。

 

「あー……その。それだけ驚いてるってことは、実際はまずいこと、っていうのは……わかってるんだよな?」

「…………いけないこと、でしょうか。私は……せっかく生まれたこの気持ちを、否定したくは……。だ、だって本当に嬉しいんです、幸せなんです。なのに周囲に理解されないからと諦めるのは………………辛いです」

「…………本気、なのか?」

「その。なにに対して本気か、と問われると、わかりません。でも、捨てたいとは思えません」

「………」

 

 重い。

 まさか丕がここまでだったとは。

 ……俺も、もっと早くに気づいてやるべきだったのかもしれない。

 そうすればこうなってしまう前に、向きを変えてやることくらい出来たかもしれないのに。

 

「……そっか。じゃあ、もう父さんは何も言わない。自分の思うがまま、自分の道を歩いてみなさい」

「え……いいの? ……あ、で、ですかっ?」

「もう相手が居て、子供だって居る。それでも好きになったなら、想いをぶつけるくらい許されてもいいだろ。ただし、断られたらすっぱり諦めること」

「う……も、元の関係には……?」

「それは双方の気持ち次第だろうなぁ」

 

 俺はべつにいいと思っている。

 誰かに想いを届けるのは、そりゃあ場合によっては迷惑になるのだろうが、嫌っているわけではないのだから。

 

「言われて悪い気はしないと思う。丕に好かれたなら、本望だ」

「……! と、ととさま……!」

 

 丕が頬を赤らめ、目を潤ませて……何故か急にととさまと呼んできた。

 ……ハテ? 俺、今なにか丕が喜ぶようなこと、言ったっけ?

 ああそっか自信を持たせてくれたって意味でかな?

 じゃあもう一押し。

 華琳がなんだか額に人差し指当てて、難しい顔してるけど、一押し。

 それも、出来る限りのやさしい笑顔で。

 

「じゃあ、想いを届けなさい。心を込めて」

「は……は、はいっ!」

「───明命に」

「───、……」

 

 

  ……その日。

 

  鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどの轟音とともに───

 

  この北郷めの頬に、強烈な娘ビンタが炸裂いたしました。

 



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126:IF2/想いは言葉に乗せて①

178/ようやく言えた、彼女の本音

 

-_-/曹丕さん

 

 私の父さまはばかである。

 ある日、霞さ……霞にそう言われた。

 笑いながら、顔を赤くして。

 ……今さらになるけれど、覇王の娘だからって真名を呼び捨てにしろというのは、繰り返すけれど今さらながらに物凄い抵抗を感じる。春蘭には遠慮なく言えるのだけれど。なにせそうしないと泣きそうな顔で見られるから。

 ええと、まあそれは置いておくとして、霞さま……霞、のこと。

 なにがあったのかを訊いたら、髪を下ろしていたところを見られ、似合ってるねと言われたとか。べつに今さらだろうにと霞さま自身は思ったらしいけど、顔は赤くなって、自分でも意外なくらいに嬉しかったらしい。

 どうしてそれで父さまがばかになるのかを訊ねてみた。いや、ばかだけど。

 人の悩みの矛先を周泰さまに向けるほど、ばかだけど。

 

「はふ」

 

 曇天の下、中庭が見える通路の欄干に両腕を寝かせ、顎を乗せて景色を眺める。

 出たのは溜め息なのか、ただの吐息か。

 私が父さまをひっぱたいて、はや一週間。

 今日も都は賑やかで、私は久しぶりの何も無い一日を堪能しているところ。

 “休みの日に思い切り休むのも、仕事をする者の務めだ”とは父さまと母さま、両者の言葉だ。

 ああいや、それはともかく、霞さまへの答えだ。

 

「贅沢な悩みよね」

 

 “人んこと真っ直ぐ見てあないなことゆぅてくんの、反則やん”、なんて。

 私なんて、引っ叩いてしまった罪悪感で、まともに話せていないというのに。

 ああそれは言い訳か。

 罪悪感というか、叩いてしまったことと怒ってしまった手前、謝られるまで許してあげないみたいな態度を取ってしまっている。

 ……や、もう、その。父さまにはとんでもない速さで謝られてしまったのだけれど。

 むしろ私自身が叩いたことにびっくりして、慌てて謝ろうとした瞬間には謝られていた。

 なんで? と訊こうとしたら、“娘の恋路に首を突っ込むなんて、俺は父親失格だー!”……ですって。いつの間にか私は周泰さまに恋をしていたらしいわ。ええもう本当に、“どうしてくれようかしら、この父親”って思ったわね。その時は。ええその時は。

 

 あとになって冷静に考えて……いえ、あとになってというのが、父さまが母さまに耳を引っ張られて厨房をあとにして、怒られてからのことになるのだけれど、そこから冷静になって考えて……結局私は嬉しかったのだ。自分のことに関して首を突っ込まれて、嬉しかった。

 だから誤解だと言いたくても既に父の姿はなく、私は少し寂しい気持ちを味わいながら、食器を片付けた。謝る機会も完全に失った。勘違いをしている相手に会いにいって、まず自分から謝らなければいけないというのは……これでかなり勇気が要るのだ。だって、周泰さまに恋などしていないのに、そんな誤解をばか正直にしてしまっている人に頭を下げるのだ。……出来ないでしょう。普通に考えて。

 しかも“それならば支柱を叩いた罰を受けよう”と覚悟を決めて、会いにいってみれば……父さまは“え? いや、柄も蹴ってくるし、それとあまり変わらないんじゃないか? 氣が篭ってない分、耳の近くとはいえ威力は柄のものより痛くはなかったし”……ですって。

 そういう問題ではないのに。私が父さまを叩いてしまったという事実が問題なのに。

 でも結局はけじめとして、この一週間は仕事が激務と化した。

 遠慮無用にあちこち走り回されて、最初は出来たけれど、途中からは夜の氣の鍛錬をやる余裕すら無くなっていた。父さまが考案した鍛錬法なのに、怠ってしまうとは情けな……あれ?

 

(……………………あれ?)

 

 ……待て。何故私は父さまに罰のことを訊きにいった時、一緒に謝ってしまわなかった。

 またか! またやらかしてしまったのか!

 

「あぁもう……!」

 

 ……それから数日。

 父さまはすっかり見守る者だ。

 なにかにつけて周泰さまと私を会わせようとして、周泰さまに首を傾げられている。

 そうして見守る者なのに、ふとした瞬間に居なくなっていて、しっかりと仕事をしている。

 街中で子供たちに纏わりつかれて、二の腕に子供をぶらさげつつ“はっはっは”と笑う父を見て、子供たちに襲い掛かりそうになった私は悪くない。と思いたい。

 ……えと。それ、私のです。触らないでください。じゃなかった、私の父さまです。

 どうにもこうにも独占欲が強い。

 そのくせ、父さまが褒められると自分が褒められるよりも嬉しい。

 

「べつに……」

 

 べつに、既に好き合っている三国の皆様とどうしていようが構わない。

 逆に、私と同年代あたりの子らがじゃれつくのを見ていると……こう、もやりと。

 

「うぅ……」

 

 もう一度言おう。私は独占欲が大きい。

 “母に似たんだ”とは父さまの……いいえ? むしろ三国全員の言葉だ。

 母さまは否定もしないで胸を張って、“あら。独占出来ずして、なにが王よ”と笑った。

 手中に収めた上で、皆にも分け与える。それが母の言う独占らしい。

 ものの価値は、自分の手元に置いておくだけでは輝かないものが大半なのだそうだ。

 だから、一度手にしてみても、手からこぼしてみなければわからない価値もあるのだと。

 それを父さまから学んだ、と……遠い目をして言っていた。

 多くの場合、手からこぼしたものは戻ってきはしない。

 だから“ものを見る目”を鍛えなさいと言われた。

 そういうものに出会った時、またはそうであると気づけた時にこそ、口に出てしまうこととは真逆のことをしてみなさいと。

 なんですかそれ、と返すと、母は笑って“ただの体験談よ”と言った。

 

(“泣きたくなかったら”……かぁ)

 

 言われた言葉を思い出す。母は泣いたのだろうか。よくわからない。

 あの母さまが泣くなんて、有り得ないんじゃないかなぁ。

 でも、人であるのなら泣くのだろう。なにがきっかけでそうなるかはわからずとも、きっかけがあればきっと。強くあろうと頑張っていた自分でも、たったひとつのきっかけで、涙腺がもろくなってしまったのと同じように。

 

「うん」

 

 さて。そろそろ自分に戻ろう。欄干に置いた腕から顔を持ち上げて、曇天を見上げた。

 いい加減、私の中でいろいろと答えを出してみようと思う。

 一週間経った。

 父さまが遠巻きに見てくるのは、なんというか寂しい。

 周泰さまが首を傾げながらもいろいろと話してくれるのは楽しい。

 周邵と一緒にお猫様すぽっとなる場所へ行った。猫々しかった。

 妹たちとも随分と話すようになった。

 

 登は、なんのかんのと父さまの後を追うようになった。蹴りもない。三日ごとになった鍛錬の日には、父さまを追っては道着の端をちょこんと摘む。

 ……まあ、お姉さまは寛大なのだ。べつに端を摘むくらい目を瞑る。妹は大事にするものだ。

 いや、家族は大事にするものだ。

 ろくに友達が居ない私だ、家族にはやさしくありたい。

 

 延は、なんというかその、自分の空間をとても大事にする子で、本人はぽやぽやしているのに近寄りづらい空気を持っている。

 父さまとの関係は、本当に親娘というだけ。

 立派であろうとぐうたらであろうと父は父だ、という気持ちは変わらないらしい。けど、父だから絶対に見捨てないし、見捨てることも許さないといった意志があるようだ。

 “見守る側に徹しているのよ。いざとなったら自分が泥を被ってでも仲を取り持てるようにね”、と母さまは言う。……私、もっと頑張ろう。

 

 述は、登とよく似ている。

 父さまのあとを追っては、いろいろな技術を教えてくれる父さまに随分とべったりだ。

 何日か前に甘寧母さまに“話が違う”と想いをぶつけに行ったとか。結果は、まあその、顔を赤くして照れつつ、夫の良いところを余すことなく暴露される、という事態に見舞われたとか。

 相思相愛のもとに生まれたことに、述が安堵して泣いてしまうくらいに幸せそうだったそうだ。もっと早く教えてあげればよかったのに。

 ……当然述も文句を飛ばしたらしいけれど、“秘密が漏れることは言うなと言われていた。約束は守るものだ”と、それが当然といった顔で言われたらしい。

 

 柄は、隙あらば父さまに飛び蹴りをしている。

 けれど、今まで当たっていたそれはあっさりと受け止められ、威力を殺され、抱き締められ、高い高いや振り回しに移行。

 散々撫で回されたのちに解放されて、柄は妙につやつやした顔で戻ってくる。彼女なりの甘えなのだろう。

 そんな柄は言う。“蹴り込んではみているが、勝てる気は全然しないなぁ!”と、随分と嬉しそうに。

 平和でなによりだった。

 

 邵は、こちらも隙あらば……父さまの首に抱きついて、ぶらさがることを狙っている。

 なんでも今まで相当我慢していたようで、首に抱きついてぶらさがるのがとても楽しく、また、嬉しいらしい。

 今度私もやってみようかしらと言ったら、“ぜ、絶好のお猫様すぽっとを教えるので、それだけは……!”と必死な顔で頼まれた。

 なるほど姉妹だ。そういうところでは独占欲が強いらしい。

 思うに、様々な部分で父さまに“自分だけの何か”を望んでいるのだと思う。

 

 琮は、相変わらず。父さまをお手伝いさんと呼んで、遠くから監視をしている。

 監視……観察ね。もっぱらの興味の対象が、勉強と父さまになったようだ。父さまをお手伝いさんと呼ぶ理由は変わらず“偉大なる父は死んだ”ということになっているようで、説いてみたって聞きやしないわ。

 調子の悪い絡繰は叩けば直ると真桜が言っていたけれど、一度殴ってみていいかしら。

 思っていたことを口にするように“お手伝いさんって誰よ”と訊いてみても、“お手伝いさんはお手伝いさんですよ?”とお決まりの返事しかくれない。

 いや……だから、わかっているわよ。そうではなくて、父さまをそう呼ぶのはどうしてかと……。

 いい加減受け入れて、父さまを父さまと呼びなさい。

 

 禅は、……禅も相変わらずね。いろいろと理解を深めても、特に態度は変わらない。

 ただようやくととさまのことを話せますと、随分と嬉しそうだ。

 父さまとの接触は逆に少なくなったものの、代わりに鍛錬に夢中になっている感じ。

 何故かを訊いてみると、武で登や述に負けたくないから、だそうだ。

 父さまには自分が先に習ったのだから、という気持ちが強いらしい。

 なるほど、独占欲だ。

 

 ああ、そうそう。嬉しそうといえば、町人も兵もだ。正式に父さまのことが私たち子供にバレたと知れ渡るや、行く先々でそれはもう自分の自慢話のように話題を振ってくる。その顔は例外なく楽しそう。……どれほど信頼されているのだろう、宅の父は。

 

「んん……」

 

 纏める。

 つまり、みんな元気。……じゃなくて。いえ、元気だけれど。

 ……結局はこれなのだ。

 私、父さまと満足に話せていない。

 そもそも私はいつ誤解されたのか。

 そして誤解だと言ってもてんで聞いてくれないのは何故か。

 いろいろと考えてはみるのだけれど、ここでひとつわかってしまったことがある。

 私、他人のことには頭は回るけれど、自分のことに関しては随分と駄目だ。

 それは述も同じようで、妙なところで話が合ったりする。周りを見る目が発達しているから妙に冷静になれる部分があるくせに、自分のこととなると途端に弱い。狼狽えることが多いのだ。

 なので一人反省会。

 ぱらぱらと降ってきた雨を見て、雨に澄まされてゆく空気を吸っては吐き出した。

 

「…………」

 

 無意味に、欄干に乗せた手を捏ねる。無意味と称したからには意味はない。

 さてどうしよう。

 せっかく仲直りをして、遠慮なく話せるようになった矢先にこの有様。

 そんな日々を一週間過ごして、私は随分と悶々としていた。

 なぜって、それは。

 

「恋? こい……ね」

 

 父さまに言われたことをよーく思い返していた所為だ。

 父さまはこれが恋だと言う。

 父さまは母さまを見ていると、こんな気持ちになるのだという。

 恋というのはどうにも、理解が追いつかないものだ。

 独占欲とは違うのかしら。

 傍に居てほしくて、自分を優先してほしくて、他の人に笑ってほしくなくて、構ってほしくて、でもたまには叱られたくて、自分にはもっといろいろな顔を見せてほしくて、笑顔を見ると胸が温かくて、そのまま頭を撫でられたり抱き締められたりすると、もう息が詰まるほど嬉しくて…………これが恋?

 

「違うわね。たまたま幾つかが一致しただけよ。数多くを照らし合わせてみれば、すぐに違うことがわかるわ」

 

 恋は授業では習わない。

 けれど、大体の人に訊いてみれば“両親は好き”との答えが返ってくる。

 それはそうだ、私だって大好きだ。

 きっと、他の子供に負けないくらいに両親が好き。

 そうね、ええそう。べつに父さまに限ったことではないじゃない。

 私は母さまだって好き。当然じゃない。

 ただ少し、父さまを見ていると頬が熱くなって、思考が鈍くなるだけ。

 それだけの差など、べつに普通でしょう。

 妹たちはその時の私を見て、目が潤んでぽーっとしている、と言う。

 潤んでると言われても、べつに泣いた覚えはないのだけれど。どういうことかしら。

 

「なんにせよ、憂鬱なものね……。せっかくの休みに雨が降るなんて」

 

 せっかくの休日だったのに。

 出来れば父さまと一緒に、都巡りか……それとも片春屠くんに乗って魏に行きたかった。

 そこで父さまのかつてを知るのだ。

 もう、兵や民から呆れるくらいのことを教えてもらったけれど、それでも足りない。

 兵によって誇張されているのならされているで望むところだ。

 それでももっともっとと願ってしまう理由は、自分でもよくわからない。ただの独占欲だろうか。

 ただその、父さまのことは少しでも多く、誰よりも自分が知っていたいとは思っている。

 それは随分と自然に、私の行動理由となっていた。

 だから私は現状を嫌う。

 父さまが私を見守り、それだけならまだしも、周泰さまに会わせ続ける現状を嫌う。

 あれか。

 私が告白して断られでもすれば満足するのか。

 だとしたら、とても残酷なことだ。

 もはや男を見下していた頃の私とは違う。女性となんて有り得ない。

 だというのに、他でもない父さまがそれを望んでいるというのなら、私は今こそ目を潤ませて泣くのだろう。

 

「………」

 

 今日も今日とてそんな日々の一端。

 少し困り顔の周泰さまが、いつの間にか隣に居た。

 どうせ父さまの差し金だ。

 

「生憎の雨ですねー。お猫様たち、濡れていないといいのですが」

「…………」

 

 ぼう、っと、特になにも考えずにそんな言葉を聞き流した。

 どうしよう。どうすれば、父さまは満足して私に話しかけてきてくれるのだろう。

 やっぱり私が謝るしかないのかな。

 謝って、もし駄目だったらみっともないな。

 どうしよう、どうしよう。

 

「あ、あぅあぅあ……そ、そのっ……い、いい天気っ……では、ないですよね……!」

 

 困っている。

 私が何も言わないので、あたふたと。

 けれど私も困っている。

 どう返せばいいのか、どう話せばこんな誤解は解けるのか。

 どうすれば? …………そもそも父さまは勘違いをしているのだから、それを正すことは悪いことではない筈だ。誤解され続ける日々は私にとっては苦痛だし、そもそもせっかくの娘の休日なのに、以前の誤解は解けたのに、前のように遊ぼうとも言ってくれないとはどういう了見だ。

 ええそうよ! もう八つ当たりだってわかっているわよ! でも仕方がないじゃない! 誤解されっぱなしで一週間! 好きな人(らしい)父さまに自分の気持ちを伝えようとすれば“周泰さまに”なんて言われて、引っ叩いてしまって謝ろうとすれば勘違いを継続のまま逆に謝られるし、その後はずうっと娘を監視とか!

 

「───」

 

 ぷつり。

 私の中で何かが切れた気がした。

 そう。そうじゃない。私は良い娘ではなかったのだから、こんなことは今さらだ。

 だから自分が思っていることは真正面からぶつける。

 むしろ思っていることすら言えないことを、覇王の娘であることの恥と知りなさい!!



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126:IF2/想いは言葉に乗せて②

「周泰さま!」

「はうわっ!? え、えと、はいなんでしょう!?」

 

 びくーんと肩を弾かせた周泰さまに向き直って、真っ直ぐに見上げながら気持ちをぶつける。もはや迷うまい、惑うまい。というか周泰さまも私には“遠慮無用”でお願いします。少しずれているとはいえ、丁寧に話しかけられると調子が狂います。

 狂うけれど言おう。これが、私の本気だ。私は───

 

「私はっ! 父さまが好きです!」

「はいっ、私も旦那さまが大好きですっ」

「………」

「………」

 

 本気をぶつけてみたら、胸の前で手を合わせた満面の笑みで返された。

 …………あれ?

 

「え? あの……え? わ、私、父さまが」

「? はい。旦那さまは素敵な旦那様ですですっ」

 

 何故か“です”を二回言われた。

 わ……私はあなたが好きなんじゃない、と言ったつもりが、まさかこう返されるとは。

 と、呆然としていたら、ゴドォッて音がして、

 

「大変なのー! 隊長が倒れたのー!」

「い、いったいなにがっ……隊長! しっかりしてください! 隊長ぉおーっ!!」

「うあー……めっちゃ幸せそうな顔しとるわぁ……。あー凪? 沙和~? あんま動かしてやらんほうが隊長のためやでー……」

 

 なにやら父さまが幸せな顔のまま倒れたらしい。何事だろう。というか、いつもの三羽鳥も一緒だったらしい。覗きが趣味とはいい度胸だ。

 いや、今はいい。顔がとても熱いけれど、いい。むしろどこか清々しい気分だ。

 そうだ、私は独占欲が強い。それを言葉にして何が悪い。

 私は王ではないけれど、欲しいものを欲しいと言えずして何が“人”か!

 そこに遠慮や躊躇を混ぜるのは、言ってからでも遅くはない!

 

「周泰さま。父さまは私が周泰さまをお慕いしていると勘違いして、周泰さまを私のもとへと呼び続けているのです」

「ふえうっ!? え、あ、ええっ……あうわうあ……わ、私には旦那さまという人がーっ!!」

「だから聞きなさい! そうではないわよ!! っく!? 口調……ぁ、あぁもうっ……! すぅ……はぁ……───私に女色の趣味はありません! 大体にして恋がどのようなものかも知りませんし、まだまだ早すぎると思っています! 父さまは何事に対しても慌てすぎなのです! もっとどっしりと構えて、動じぬ努力を───!」

「あ、やー……子桓さまー? 隊長は案外どっしり構えとんでー……?」

「……? どういうことよ、真桜」

 

 言葉の途中で割り込まれて、つい睨みそうになるのを抑え、訊いてみる。

 と、凪が父さまに肩を貸しながら言った。

 

「隊長も数年で随分と落ち着きを見せています。ここまで慌てる様を見せるのは、子桓さまや他の子供のことに関すること以外ではそうありません」

「………………嘘でしょう? 見る度に慌てている印象しかないのだけれど。それは、まあ、時折見せる凛々しい顔とか、その、あの、いいなぁ、とは思うけれど」

「その凛々しい顔が、今の隊長の普通なの。親になったからにはしっかりしなくちゃな、って、随分と頑張ったの」

「………」

 

 まだまだ知らないことが多いらしい。

 むしろ私がまた、これが普通なのだと決め付けていたようだ。

 

「父さまは、あのやさしい顔が普通なのかと……」

「娘達の前ではやさしい顔なの。子供に緊張を与えてしまうのは父親失格だ~とか言ってたの」

「ご立派です、隊長」

 

 立派なのだろうか。私は凛々しい顔も見ていたいのに。

 むしろいろいろな顔を見たい。

 ……これは恋ではなく憧れというものだろう。そもそも恋などをしてしまえば、私は母を恋敵として見なければならない。…………べつにそれはそれで面白いとは思う。敵対するのは、そうだ、構わない。ただこれが恋だとは、どうしても思えないわけだ。

 沙和の所持する阿蘇阿蘇曰く、恋とは日々と女を彩る形のない衣装。

 私はそんなことを意識してはいないし、父さまが似合うと言って買ってくれた服ならば、それこそこだわりなどなくなんでも身に着けられる。つもりだ。

 なので、こだわらない私は、着飾らない私は父さまに恋などしていない。

 恋をすると女性は綺麗になるそうだが、綺麗になろうとも思わない。ただ父さまが違和感を感じず、傍に居たくないと思わない程度の身嗜みが出来ていればそれでいい。

 ほら。これが恋であるわけがないでしょう?

 ふん、と鼻で笑ってみせた。拳を腰に、胸を張り。

 すると三羽鳥が同時に溜め息。

 ? なによ。

 

「さっすが……隊長の娘やなー……」

「すっごい鈍感なの……」

「あの、子桓さま。そういったことを、口にするのはどうかと」

「………………えっ」

 

 え? いや、え……え!? 口に出てた!?

 

「恥ずかしがることはありませんですっ、親が好きなのはとても良いことですっ!」

 

 一気に顔が赤くなる私を見て、けれど周泰さまは嬉しそうに言う。笑顔が眩しい。

 同時に、自分で“その好きとは違う”と思ってしまい、自分の感情に困惑した。

 

「う、えぅ……と、とにかくっ! 父さまっ! 私はきちんと男性が好きなんです! 女性となんて嫌だし、そのことで誤解されるのだって嫌です!」

「なっ……なんだってーっ!?」

「ひえうっ!?」

 

 叫んでみれば、しっかりとした反応。

 どうやら既に意識は戻っていたらしく、バッと顔を上げた父さまは相当に驚いていた。

 ……そもそも倒れただけで、気絶はしていなかったのかもしれない。

 

「やっ……だって! あの華琳の子だぞ!? 女を好きになったって、なんら不思議はないかと……!」

「え? ………………あ、あの。父さま? 母さまは………………その」

「ア」

『隊長……』

 

 三羽烏の声が綺麗に重なった。

 こんな悲しそうな声で言うということはつまり、母さまは本当に……!

 じょ、女色、というもので……!?

 聞いた時には話半分で、まさかとは思っていたけれど、そんな、まさか……!!

 

「いっ……いやっ、いやいやいやっ! それが本当なら、丕が産まれるわけがないだろ!? かかか華琳だってもちろん男がす───」

「す……?」

「ス、ススス、ス……!」

 

 父さまがカタカタと震えながら続きを言葉にしようとする。

 けれど声は出ず、やはり“す”を続け……やがて頭を抱えて俯いてしまった。

 

「た、隊長しっかりするのー! 気持ちはわかるけどー!」

「隊長! もう一息です! 気持ちはわかりますが!」

「や、でもほらー……なんや? あれやろ? 隊長って華琳さまに好きって言ぅてもろてへんねやろ? 聞けばなんでもかんでも察しなさいで済まされとるとか」

「ゲブゥ!? ……───」

「あぁーっ! 隊長が膝から崩れ落ちたのーっ!!」

「まっ、真桜っ! いくら本当のこととはいえ、もう少し───!」

「今度は地面に妙な文字書き始めたのーっ!」

「凪かてひどいこと言っとるやん!!」

「うわぁああ違います隊長! 私はっ……!」

「だ、旦那さまっ! お猫様を見て癒されましょう! すぐに、すぐに連れていきま……っ……こ、ここから近いお猫様すぽっとは何処でしたっけ!? あうぁぅああーっ!!」

 

 三人が騒ぐたびに父さまが沈んでゆく。

 それに足して周泰さままで混乱し始めて、静かだった空気は完全にどこかへ行ってしまった。

 

「えっと……つまり、父さま。母さまは女色ではないのですね?」

「…………」

「隊長……そこで目ぇ逸らしたらおしまいやろ……」

「じゃあ真桜も質問されてみればいいんだ! 真っ直ぐに目を見て言えるか!? その質問に正直に答えられるか!?」

「うぐっ……」

 

 真桜がこちらを見てくる。ので、父さまが言うように質問してみた。父さまにした質問と同じものだ。……というかやっぱり父さまはこう、落ち着きが無い印象しかないのだけれど。

 

「あ、あ、えと、ほら、そのぉ……あれや。…………沙和、あと頼むわ」

「えぇえええええぇぇぇーっ!?」

 

 そしてまた混乱。

 しかしここで埒が空かぬと感じてか、父さまがキリッと凛々しい顔になって……すぐに頭を抱えつつも言った。

 

「えぇっ……とぉお……その。華琳はな、お……俺と会う前は……いや、会ったあとも結構な女色家でな。今はそこまででもない……と思いたいけど、こればっかりは本人の趣向というか、まあそんなものだと思うし」

「父さまはそれでいいのですか?」

「それを含めての華琳だし」

 

 きっぱりだった。

 聞いているこちらの方が赤面してしまうほどの真っ直ぐさに、この場に居た全員が口を開けなくなってしまった。

 むしろ、自分もそんなふうに想われてみたいとさえ思えてしまった。おかしいだろうか。

 

「あー……隊長? 娘の前とか部下の前でのろけるの、あんませんといてほしいんやけど」

「……私もここまで想われるよう、努力しよう……!」

「うわ……凪ちゃんがとってもやる気だしてるの……!」

「大丈夫やーって。隊長ならどーせ、悩むことなくウチらも愛してるーとか平気で言うねんから」

「では旦那さまっ、私たちのことをどう思っていますですかっ!?」

「へ? や、好きだし、大事だし、傍に居て欲しい人だって思ってるけど……」

 

 訊ねられると、父さまは本当に平気で言った。

 それこそ“それが当然だけど、改まって訊いたりしてどうしたんだ?”ってくらいに。

 

「うあー……」

「隊長、いっつもすごいこと平気で言うのー……」

「は、はいっ、隊長っ、自分も隊長のことがっ!」

「あぅあぅああ……いつまで経っても言われ慣れないです……! 顔が、顔がちりちりと……!」

 

 四人はとても幸せそうだ。

 ……いいな、私もあんなふうに言われてみたい。

 

「でもなぁ隊長? 訊かれんかったらてんで言葉にせぇへんのはあかんで? 女っちゅーんはいつでもどんな時でも、好きな相手に好き言われたいんやから」

「お前は俺に、一日に何回好きって言えっていうんだ」

 

 ここには三国の王や将が集まってるんだぞ、と言う父さまは苦笑いを浮かべている。

 言われてみて思い出したのか、真桜も「あちゃ、そらそうや」と言ってきししと笑った。

 父さまは好きな人が多いのだろうか。それはそうか。でなければ、違う女性との間にあんなにも妹が出来るわけがない。

 でも倉で見た書物によれば、それは父さまが支柱だからとか同盟の証だからとかではなくて、きちんとお互いが好き合ったからだと知っている。そうでなければ、私はきっと恋なんてものにこんなにも興味は持たなかった筈だ。

 

「出会う人全員に好きって言ってたら、そのうち刺されそうで怖い」

「隊長が刺されたら、私はその者を刺し違えてでも潰します」

「怖いよ!? だ、大丈夫だって! 言ってみただけだから!」

 

 そうだ。父さまが刺されたなら、私はその人を許さない。

 凪が言うように、刺し違えてでも潰してくれよう。

 ……というかそんな命知らず、まず居ないわよね。

 父さまだってただでやられるとは思えないし、傷でも負わせようものなら……

 

「っ……!」

 

 脳裏になにか、嫌な思い出が一瞬だけ蘇った気がして、すぐに頭を振る。

 お陰ですぐにそのなにかは消えてくれたけれど……二度と思い出したくはないわね。

 それがなんであったのかすらももう思い出せないが、それでいいと心が怯えている。

 いったいなにがあったというのかしら。

 

「え、えと。ところで、父さま」

「へ? あ、ああ、うん。どうした? 丕」

「はい。結局のところ、母さまは女性が好きで、けれど男性では父さまだけが好き、ということでいいのですよね?」

「……あ、ああ。うん。恥ずかしいけど、勝手に察するなら、そうだ」

「んっへっへ~、隊長~? 子供相手になに照れとるん~?」

「隊長、照れてるの~っ♪ かっわい~♪ ほきゅっ!? い、いったーい!」

「あだぁっ!? ~っ……お、おぉお~……! な、なにするんや凪~っ……!」

「隊長をからかうな。……大体、華琳さまは真っ直ぐなお方だ。何人の女性に目を散らそうとも、隊長のことを深く想っているのは見ていればわかるだろう」

「そらそうやけど、なにも殴ることないや~~~ん……」

「そうなの、凪ちゃんおーぼーなのー!」

 

 ……父さまの照れた顔を、間近で見てしまった。

 顔が緩む。た、耐えなさい曹丕、だらしのない顔を父さまに見せてもいいの?

 

「でも旦那さま、華琳さまからは未だに“察しなさい”としか言ってもらえてないのですよね?」

「ん……まあ。それも華琳なりの考えがあるからだとはわかってるつもりだけどね。前に丕に料理を作ってもらった時だって、この程度で満足してもらっては、って言ってたし……うん」

 

 恥ずかしそうに頬をこりこり掻きながら、父さまは自分で確認するように言う。

 

「俺が満足したら、俺がここに居る理由が無くなるかもしれない。無くなったら、また天に帰ってしまうかもしれない。そういう不安を抱えてるんだと思う……って、そうだよ! 俺まだ言ってないこといっぱいあるじゃないか!」

「え? あの、旦那さま?」

「あ、あー……悪いみんな! 俺ちょっと華琳に言わなきゃいけないことを思い出した! だから急で悪いんだけどこれで───」

 

 ? 言わなきゃいけないこと? それって………………ハッ!?

 

「す、好きと言いに行くんですかっ!?」

「違いますよ!?」

 

 訊いてみたら即答された。違うらしい。

 じゃあなんなんだろう……などと考えているうちに、物凄い速度で走っていってしまう父さま。追おうにも、あれは無理だ。

 

「隊長……足、速なったなぁ~……」

「日々の鍛錬の賜物だな。私も付き添うものとして、恥ずかしくない己で在り続けよう」

「や、凪はもうちょい砕けたほうがええって。ただでさえ今の隊長、なんでか知らんねんけどほれ、蜀の関羽───あぁ、まあ真名許してもろてるからええか。愛紗を打倒するのが目的とかゆー噂があるやろ? 真面目で説教ばっかで~、なんて続けてたら、凪ぃ? 今度は凪がそうなってまうかもやで?」

「た、っ……~……隊、長が……!? じぶっ……じじ、自分、を……!?」

「きゃーっ!? 凪ちゃんがすっごい勢いで真っ青になってくのーっ!」

「あ、やっ! うそ! 嘘やで凪! もしもの話やもしもの!」

「でもでもですよ? そもそも関羽さんはどうして旦那さまに狙われることになったのでしょう」

「へ? そらやっぱしあれやろ……説教したり真面目すぎたり?」

「うわあぁーっ!! 隊長! 自分はっ! 自分はぁーっ!!」

「あわわわわ凪ちゃん落ち着くの! 落ち着くのーっ! 欄干に頭ぶつけてもなんにも解決しないのーっ!」

「………」

 

 なんというか、もうこんな光景を見慣れてしまっている自分が悲しいわね。

 警備隊でもこれなのに、どうして私は休日にまでこんな光景を見ているのかしら。

 遠い目をしながら、そっとその場を離れて移動を開始した。

 



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126:IF2/想いは言葉に乗せて③

 

 

 どこへ行こう。

 ここ最近では珍しくも、父さまの視線が外れた。そのことを意識すると、何故か逆に緊張する自分。べつに自然に出来ていたとかそういうことではなく、見つめられていて安心できたというだけ。

 ……おかしなことではないわよね? 子は親の傍では安心出来るというし。

 うん、自然だ。きっと自然。

 

「休日だし、休むと決めたからには揉め事は見たくはないわね。なら───」

 

 人があまり居ない場所。

 そうだ、あの部屋へ行って、二胡の練習をするのはどうだろう。

 あそこなら穏やかに過ごせそうだ。

 

「それに……今ならいい音が」

 

 出せそう。

 そう、頭の中に浮かんだ言葉を口にして噛み締めようとした途端、どこからか聞こえる騒音。次いで、父さまの声で「おぉわああああーっ!?」と。

 最近やたらと父さま関連に敏感な自分は、意識するよりも先に走り出して、そのまま母さまの部屋へ。というより、未だ続いている騒音、喧噪の発生源がここだったというだけ。

 辿り着いたそこでは、…………え?

 

「こんのっ……ばかぁっ!! そういうことはもっと早くに言いなさい! 散々と悩んだ私が馬鹿みたいじゃないの!! 苦悩した時間を返しなさいこの能天気御遣い馬鹿!!」

「能天気御遣い馬鹿!? って、そんなこと言ったって俺だっていろいろ悩んでたんだって!」

「悩むくらいなら相談くらいしなさい! 大体、前に呉であったことに関してを話し合ったでしょう! 冥琳や朱里や雛里が一緒だったとはいえ、そのあとでいくらでも話せたことではないの!?」

「一人で考える時間くらいください!? 駄目だったらちゃんと話すから!」

「……ふぅん? あなたがそれを言うの? それで勝手に覚悟を決めて、冥琳に余裕がないと言われていろいろと考えを改めたと、たった今言ったあなたが?」

「ぐっ……た、たしかにそれはその……!」

 

 ……喧嘩しているようです。

 父さまと母さまが喧嘩なんて、初めてかもしれない。

 やったことはあるのかもしれないけれど、私は……見るのは初めてだと思う。

 軽い言い合いを見たことはある。でもあれはじゃれあいだと、傍から見てもわかるものだ。

 けれどこれは違う。明らかに母さまが怒っている。

 

「そもそもの問題点として、あなたは考え始めると周りが見えなくなるのだから、一人で考えるのはやめなさいと言っておいたでしょう!? だというのに懲りもせずに一人で考えて───!」

「やっ……夢のことじゃないけど、相談ならしただろ!? “目標を目指すことと自分を壊すことを同じにしないことね”って言ってたじゃないか!」

「だから何故その時に夢のことも言わなかったのかを言っているのよ!」

「余計な心配をかけたくなかったからに決まってるだろ!? せっかくこうしてみんなが落ち着いたり笑っていられる世界まで辿り着いたのに、死後のことにまで思い悩んでいたら素直に笑っていられないかもしれないじゃないか!」

「誰がそれを余計だなんて言ったのよ! 余計なんかじゃないわよ! あなたのことでしょう!?」

「言わなくたって察しろっていうのが華琳の───…………へ?」

「……? なに───……っ……ひうっ……!?」

 

 言い争いが急に止まって、父さまがきょとんと。

 次いで、釣られるようにきょとんとした母さまが沸騰した。

 ……前略、黄蓋様。こういう時はこう言うのでしたね。

 

「……ごちそうさまでした」

『丕!? いつからそこに!?』

 

 ええっと、なんでしょう。

 馬鹿馬鹿しいと言ったらいいのでしょうか。

 相思相愛の両親というのはとてもいいものですね。

 今なら口から甘い汁とか吐けそうです。ほんと、なんでしょうね、この気持ち。

 

「あ、あぁああすまん、丕、今は…………。で、華琳。今の……」

「く、ぅうう……!! ええそうよ! あなたのことよ! 余計なわけがないでしょう!? 察しなさいとは言ったけれど、好意を好意と受け取るのは勝手だと言ったつもりであって、全てを勝手に受け取れなんて誰が言ったのよ!」

「………」

「? あ」

 

 父さまが、母さまに叫ばれながらも部屋の扉を後ろ指で差す。

 私はそれを静かにぱたむと締めて、鍵をかけた。

 その間も続いている母さまの叫びは、どれもこれも父さまを思っての強い気持ちだった。

 聞いていて顔が熱くなるくらいの想い。

 想いってすごいな、恋ってすごいな、って、本当にそう思うくらい。

 なんて感動すら覚えた瞬間、扉がどんどんどんどんと殴られた。

 

「華琳さま! 華琳さまーっ!! なにやら騒音が! もしや賊が!?」

 

 春蘭だった。

 春蘭だったけれど……そういえばと考えて、驚いた。

 あの誰よりも母さまを優先させる春蘭が、私より遅く来るなんて───

 

「華琳さま! いったいなにが───ってあなたなんて格好してるのよ!」

「ん? なんだ桂花か。なんて、と言われても、見たままだが」

「なんでほぼ裸でここに居るのかって訊いてるのよ! とうとう頭でも狂ったの!? ……ああ、狂ってたわね、だからこうなったのよね」

「なんだとぅ!? 誰が筋肉ばかりが発達して頭が発達しない戦闘狂だ!」

「誰がそこまでっ………………言えるわね。で? あなた今までどこに居たのよ。その格好で今まで騒がれていなかったってことは、倉に居た私よりちょっと前に来たんでしょう?」

「んん? ああ、先ほどまで華琳さまに言われていた日課を済ませていた。以前街中で趙雲と胸のことに関して語っていたんだが、その褒美にと天に伝わる心を引き締める儀式とやらを、他の皆には内緒で伝授してくださったのだ!」

「…………やり方は?」

「薄着になって冷水を浴びるのだ! 冷たければ冷たいほどいいらしい! ふはははは! 浴びるたびに身がみしみしと引き締められていくのを感じるぞ! どうだ! 貴様もやってみるか!」

「やらないわよ! いいから服を着なさいよ!」

 

 ああ……あの時の罰、まだ続いていたのね……。

 ともあれそんな外の騒がしさも、秋蘭が辿り着いてくれたようで一応の治まりをみせたようだ。なによりも「ふ、服を着てくれ、姉者……!」という切実な声が、妙に人を黙らせるほどの力を持っていた。

 誰が悪いわけでもないのに、外に気まずい空気が流れているのがこちらにも伝わってくる。勘弁してほしい。こちらも結構大変なのに。───と、視線を向けてみれば、いつの間にか抱き締め合っている両親。

 ひぅ、と小さな悲鳴が漏れて、慌てて手で目を隠した。……隙間から覗いているのは内緒だ。

 

「……あなたね。なんでもかんでも抱き締めればいいとか思っていないわよね?」

「届かせるなら、すぐ近くじゃなきゃ。大体、華琳だってなんでもかんでも溜め込んで、こういうことが起こって、勢いがつきでもしなきゃ全然口にしないじゃないか。 “非道な王にはならない”って、ちょっと気にしすぎじゃないか?」

「う……、……そうね。それは、あるわ。これでも気を張っているもの。言動のひとつひとつに気を使わなければならないもの。なってみて、こうして平和を生きて、改めて思うわ。覇王というのは“楽しく”はあっても“楽”ではないわね」

 

 言いながら、母さまは父さまの背に回した手で服を掴み、父さまは胸に抱いた母さまの頭をやさしく撫でている。

 そして私はさながら空気だ。

 ……そ、外に出ていたほうがいいのかしら。というか先ほどの父さまの合図、あれってもしかして扉を閉めろ、ではなくて“今は二人にしておいてくれ”っていう退室の合図だったのかしらと今さら苦悩。またやらかしてしまったのかもしれない。

 いえ、これも恋の勉強になる。きっとなる。なるはずだ。してみせる。だから居る。うん。

 とりあえず出来るだけ気配を消して……ああいやいや、急に気配が消えたら気づかれる。

 特に父さまはそういうのに敏感な筈だ。

 だからこのまま、息を殺す。

 外からは相変わらず、どんどんとのっく。

 静かになさいと叫びたいのを我慢して、もはや騒音など茶飯事なのか、特に気にせず二人の世界に居る両親を前に、苦笑を浮かべた。

 

「……本当、なのね? 私が死ぬまで、あなたはここに居るのね?」

「貂蝉の言葉が正しいなら。むしろ正しくなければあんな夢、全部覚えていられないよな。夢なんて、覚めれば大体忘れるものだし」

「……そう。それは………………ええ、それは」

「それはって。えと、言いづらいことか?」

「うぅ……」

 

 母さまがこしこしと、父さまの胸に自分の匂いをつけるように顔を押し付ける。

 う、うあああ……あの母さまがあんな……! 熱い、顔熱い……!

 

「その。……居るのよね? 一刀が何かしらに満足したからといって、突然消えたりとかは……私が満足したから、とかは……」

「ん、ない。死ぬまで一緒に居る。死んでも一緒に居る。ていうか……な。この世界に俺が居る理由が無くなるまで、同じ覇道を歩かせてくれ。終わりじゃないって思えればいつまでだって続くだろうしさ。俺はそんな道を、悔いが残らないように歩きたい」

「…………~っ……」

「お、おぅっ……!? ……ははっ……」

 

 強く強く抱き締める。

 母さまの顔は、胸に埋まって見えはしない。

 けれどきっと、なんとも言えないような嬉しい顔をしているのだろう。

 だって、私だったらあんなこと言われてしまったら、自分でも見たことがないほどに顔が緩むだろうから。

 

「……ずっと、ついてきなさい」

「おおせのままに、我が王」

「ずっと、傍に居なさい」

「もちろんだ、パートナー……相棒さん」

「ずっと、好きでいなさい」

「言われるまでもないって、華琳」

「それから……それから」

「ん、なんだ? ……っとと」

 

 さらに、強く抱き締める。

 服を握る手にも余計に力が入ったようで、いったい母さまはこれからなにを───

 

 

 

  「……好きよ、一刀。あなたを愛している」

 

 

 

 ───なにを、どころじゃなかった。

 停止した。

 思考も、体の動きも、いっそ外から聞こえる扉を叩く音さえも、自分の耳は受け入れようとしなかった。

 ただ、母さまが放った言葉だけを確実に耳が受け止め、その事実を受け止め、やがて……それらの意味を理解したのちに、ようやく静かに、鼓動の音を聴覚が拾った。

 

「え───か、かり……? 今……、す、好……?」

「………」

 

 胸から離れ、父さまを見上げる母さまの顔は真っ赤だ。

 そんな母さまを見ていたら、私も自然と顔が熱くなった。さっきから熱かったけど、余計に。

 目が潤んでいる……あんな母さまを見るのはやっぱり初めてだ。

 私も潤んでいる時はあんな顔なのだろうか。

 そんな母さまが悪戯っぽく笑う。笑って、言うのだ。

 

「あら。返事は聞かせてもらえないのかしら?」

 

 と。

 途端、大慌てで返事をしようと口を開いた父さまに、背伸びをしての不意打ちの接吻が炸裂……えぇえええええーっ!?

 ひっ、ひうぅっ!? かかさま大胆っ……かかっ……か、母さま! 母さま大胆!

 

(う、うぅう……! 恥ずかしい……! 父さまと母さまが好き合っているって知れたのは嬉しいけれど、これは……!)

 

 生き地獄とでも言えばいいのかしら。

 いえ、嬉しいのよ。本当に嬉しいのだけれど、逃げられもしない上に、目を逸らすのもなんだかおかしな気分で、実の親の接吻現場をこうして見せられて、しかもそれが……すぐ終わるかと思ったら随分と長くいたしてらっしゃって、もう丕は、丕はどうしていいのか……!

 そう。すぐに済むと思ったそれはしかし、本当に随分長く続き……私が真っ赤になってあうあうと戸惑い、目が回ってきたところでようやく終わってくれた。

 ほう、と息を吐くのも束の間、

 

「だ、だから……あなたねぇ。なにも泣くことないじゃない」

 

 どうやら父さまが泣いたらしい。背中しか見えないからわからないけれど……えと。父さまって割と泣いている気がして、泣いたと聞いてもあまり、こう……なんて言えばいいのか、言葉が思い浮かばないわ。こういう時ってもどかしい。

 そ、そうね、もう十分に勉強したのだし、父さまの涙をそんな、じいっと見つめたいなんてきっといけないことよね。出ましょう。そっと出て、春蘭たちにも事情を話せばいいのよ。

 そう、ここは速やかに───

 

「姉者っ、あまり強く殴りつけると華琳さまのお部屋の扉がっ……!」

「大丈夫だ! 鍵というのは強く締めれば勝手に閉じて、思い切り殴れば勝手に開く! つまりは思い切り殴ればここも開く!」

「いいからその前に服を着なさいって───あ、あーっ!!」

「ふんっ!!」

 

 どごぉん。

 強い音だった。

 頭の中で奏でた音のなんと可愛いこと、なんて思えるくらいに大きな音。

 苦笑を漏らしながら取っ手に手を伸ばしていた私は、その苦笑のままに固まった。

 ……鍵が今の衝撃で変形して、妙に絡まって……扉、あかない。

 え……え? 嘘でしょう!? だって、今後ろでは父さまが泣いてっ……かかか母さまが父さまを屈ませて、頭を胸に抱いて……! 母さまが見たこともないようなやさしい顔で頭を撫でて! あ、あう! あうーっ!!

 だめ! なんだかこの先は見てはいけない気がする!

 娘としての私の中で何かが大きく変わってしまいそうな気がする!

 ちょっ……開いて!? なんで開いてくれないの!? 鍵っ……ちょっ、壊れて!? どうせ変形して固まるくらいならいっそ壊れて頂戴!!

 あ、ぁあああ……! さっきまでのが二人の世界だなんて勘違いもいいところよ!

 これが……今この時こそが二人の……! だ、だってあんな母さま見たことないもん!

 フッと笑うことはあっても、あんなに穏やかな顔なんて!

 

「こ、のっ……! いいから開きなさいと───!」

「んん? なにやら引っかかっているな……なに、ならばもう一発だ!」

『せぇのぉっ───!!』

 

 氣を込めた全力の一撃と、遠慮を忘れた、する気もなかったらしい一撃が、外と中から見舞われた。結果、余計に鍵は捻れ、金具が扉や縁に突き刺さったりめり込んだりして、余計に開かなくなった。

 こうして私は脱出できなくなり……深く愛を確かめる親を背に、頭を抱えて時が過ぎるのを待ったのでした。

 

 

 

  …………なお。

 

  考えてもみれば窓から逃げればよかったことに気がついたのは……

 

  やらかしてしまったというべきか、相当あとになってからだった。

 



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番外的オマケ話:ある日のトラウマ

 おまけ番外IF/ある日のトラウマ

 

 

 ある日の中庭にて。

 朝の鍛錬に出る途中で桃香と会い、中庭へと出る。

 朝の一杯の水は既に補給済みであり、今日も元気だ鍛錬が楽しい!

 これは中毒ですか? いいえ、あなたの嫁です。もとい、やらねばならぬことです。

 

「うーん……何度もやってると、この柔軟体操がちょっぴりだけだけど面倒になるよね。あっ、大事だっていうのはわかってるよっ? わかってるんだけどっ」

「ああ、それは俺も思ってるから大丈夫」

「あはは……やっぱりなんだ……」

 

 でも体を動かすよりも準備運動を先にやる、というのは……慣れれば慣れるほど面倒になってくるもので。

 たまには無視しちゃってもいいんじゃないかな……とか思ってしまう。

 しかし柔軟大事、超大事。これも怪我防止のためだし、なにより体が曲る範囲は広いほうがいいのと、筋をやったりしないためにもってやつだ。

 

「それにしてもよかったよー、ひーちゃんたちの誤解が解けて。あのままずぅっとご主人様が誤解されっぱなしだったら、わたしとかいつか言っちゃいそうで……」

「あぁ……うん、ごめんな桃香。確かにずっと黙ってるっていうのは、気分のいいものじゃないよな」

「あ、あー……うん、正直に言っちゃうと、やっぱり……。でももう言ってもいいし隠さなくてもいいんだから、過ぎたことだよご主人様っ」

「ああ。ありがとう、桃香」

 

 お互いに柔軟の手伝いをして、背中合わせで腕を組んで、ぐぐーっとそのまま体を折ると、相手の背が背中に乗る。

 思うんだがこれって柔軟に関係あるんだろうか。普通に自分で曲げるだけでも十分な気がするんだが。

 

「ふぅううんぐぐぐぐ……!! ───はふぅっ……!」

 

 でも桃香が一生懸命なので、無駄だとは言わない。

 俺の背中の上で、目一杯伸ばされた桃香がぷはっと息を吐き、次に俺を背に乗せるように前屈。

 俺も素直に体を伸ばすようにして脱力して、ぐぐーっとされるがままに。

 そんな調子で柔軟を終えると、いつも通りに城壁へと登り、走って、走りまくって、降りてくれば軽く柔軟。

 それらが終わってからようやく組み手に入り、寸止め攻防を開始する。

 

「んんっ、んんん~……!! うう、やっぱり氣で体全体を動かすのって難しいよー……」

「我慢我慢。ちゃんと前より持続するようになってるから」

「ううー……うん……」

 

 寸止め攻防。

 氣のみで体を動かし、素早くではなくゆ~っくりと攻撃をして、寸止めして、防御して。全ての行動を氣でゆっくりと、なもんだから、相当に集中が必要だし、筋肉は使わないから脱力も必要。でも攻撃を意識しなきゃいけないから体は筋肉で動いてしまい、それをしないように努めるとまた集中が必要になり……と、結構難しい。

 ただしやり終えると氣の総量が上がっていたりして、氣の向上と集中力の鍛錬にはもってこいだったりする。

 

「そういえばご主人様?」

「ん? どした?」

「今日はひーちゃんたちは? いつもなら“ご主人様の鍛錬の時間には意地でも~!”って感じで集まってるのに」

「今日は朝から冥琳が勉強会を開くとかで、そっちに行ってるよ。サボらないように、子供全員参加の勉強会」

「さぼる……あ、ああー……琮ちゃんかぁ……」

 

 琮ちゃん。呂琮である。

 勉強が好きな呂琮ではあるが、わからない姉妹に物事を教えるのは嫌いなため、時折勉強だろうとサボる時がある。

 それを見越しての子供全員参加型の勉強会なんだが……冥琳に迷惑かかってないといいなぁ。

 

「そっか。じゃあじゃあえっと、ご主人様っ」

「ど、どうした? べつにいっぺんに言ってもらってもいいぞ?」

「うん。えっと、私ね? 昨日頑張って、溜まっちゃいそうだった仕事を片付けてきたんだ」

「あ、うん。報告届いてた。頑張ったな」

「えへへ……だよね、ありがとご主人様。えっと、それで、なんだけど」

「?」

 

 ハテ、なんだろう。ご褒美ちょうだいー、とかだろうか。

 桃香ってやりたいこと欲しいもの、結構正直なところがあるから、妙に回りくどいのは珍しい気がする。

 遠慮が先走る時はその範疇ではないものの、別に今さら俺に対して遠慮することなんてないだろうに。

 

「鍛錬しながらでいいからさ、ご主人様から見た子供……あ、禅ちゃんのことはいいんだ。禅ちゃんがね? 眠る前とか、ととさまがどうだったーとか自慢話みたいに話してくれるから」

「それは……なんか、ごめん」

「あ、ほんといいんだってばっ! ただそのー……わ、私もね? 禅ちゃんに、禅ちゃんの知らないこととか話せたらなーって」

「禅が知らない話……───華麗なる美髪公物語とか?」

「びはつ……え? 愛紗ちゃんの物語!? 初耳だよ!? え!? なにかあったの!?」

「いや、ただの作り話。俺が美羽や禅にたまに聞かせてる、即興昔話の中のひとつ」

「うわー……なんだかちょっぴり、ううん、大分気になるけど……でもそれって禅ちゃんも知ってることなんだよね? えと、作り話じゃなくて、ちゃんとふつーのが聞きたいな」

「ん、そか。じゃあ───」

 

 こほんと咳払いののち、語りだす。

 

 蜀王よ……よくお聞きなさい。

 

 これからあなたに話すことは……とても大切なこと。

 

 わたしたちが、ここから始める……

 

 親から子へと、絶え間なく伝えてゆく……

 

 長い長い……旅のお話なのですよ。

 

 その名も───

 

 

 

   ───華麗なる美髪公伝説───

 

 

 

「だから愛紗ちゃんのことじゃなくて!!」

「いや、だってな? ほら、桃香は愛紗がなんで炒飯に魚突っ込むか、気にならないか? このお話はその話題を想像の範疇ながらも全力で前面に押し出した話でな? 美羽には結構好評で───」

「ご主人様!? それ全然華麗じゃなさそうだよ!?」

「そ、そっか? じゃあタイトル、タイトル~……っとと、題名、だな。題名が違うのはいけないよな。じゃあ───」

 

 

 

   ───業火に焼かるる飯物語(美髪公を添えて)───

 

 

 

「……なんか愛紗ちゃんがおまけみたいになっちゃってる……」

「あ……そうだな。じゃあ最後に“魚もあるよ”で」

「あのー……ご主人様? 私、炒飯のお話を聞きたいんじゃないんだけど……」

「じゃあ例えば誰の話を聞きたい? 子供の話だったよな」

「あ、うんっ! じゃあ……話のきっかけになったひーちゃんのこととか!」

「丕か。丕はなー…………昨日、町の飯店で昼食べようと寄ってみたら、壊れた椅子の前で頭抱えて苦悩してた」

「もーご主人様!? 失敗談を聞きたいんじゃないんだってばぁ!!」

 

 いや……だってなぁ。

 さすがは俺と華琳の子だって言えるくらい、あいつは案外失敗が多くてさぁ。

 町中でたまたま見かけると、大体頭を抱えてるって言ったら信じてくれるだろうか。

 っとと、けど今は桃香だ。

 話題のきっかけが欲しいというのなら、この北郷めが語りましょう。

 なにせ何年も子供を構い、子供に拒絶され、されど子供を追い、様々を知ってきた北郷です。必ずやあなたの期待に沿える話を差し上げましょう。

 

「あれは……丕がまだまだ小さい頃。ようやく走りだしては、けれどまだまだ転んじゃうような歳の頃のことだった」

「うんうん」

「東屋で丕を膝に乗せて視線の先で戦う二人を俺が見てたんだけどな?」

「……ご主人様? その内の一人が愛紗ちゃんだっていうのは無しだよ?」

「………」

「あの。あっ、でもでもっ、ほんとにそこに居たなら別だよっ!? 作ったお話じゃないなら、うんっ! 全然いいからっ!」

「………」

「………………ご主人様」

「いやいやいやいや怖い怖い怖い怖い怖い!! ななな凪だから! 凪と焔耶だから!」

「凪ちゃんと焔耶ちゃん? へー……あ、それでそれでっ? どんなことやってたのっ!?」

「ああ。これも結構体術の熟練者じゃないと難しいんだけどな? 動く相手に対して、全ての攻撃を寸止めで放つ、ってものなんだ」

「うわっ……聞いただけで難しいそうだよ~……! 普通に動いて寸止めする、ってことだよね? わー……今やってる“全部ゆっくり動いて寸止め”ってだけでも難しいのに……」

 

 そう、あれは実際に難しい。

 次に相手がどう動くかをきっちり、予測の範疇だろうと把握していなきゃいけない。

 もし相手が前に出る動作をしたならば、その動作に合わせて寸止めをする、というのだから……これがまた難しいのだ。

 

 

 

 

-_-/過去かずピー

 

 ───そう。あれは、曹丕が産まれてからしばらく経った頃のこと。

 首がすわり、ハイハイから立ち上がるに到り、やがては不安定ながらも走れるようになった頃。大体転ぶが、まあそんな頃。

 

「ととしゃまー」

「おぉ、どうした、丕~」

 

 でれりとした顔を自覚しつつも愛娘に視線を向ける。

 といっても丕は膝に乗せて抱き締めているので、見下ろすカタチになる。

 東屋の円卓から見る景色は、なんとも賑やかでもあり穏やかだ。

 現在は凪と焔耶が軽い仕合をしていて、本気ではないものの、中々の寸止め攻防を繰り広げている。

 

「あれは、なにをしてりゅんでゅしゅか?」

「あれか? あれはなー、鍛錬っていうんだ」

 

 まだ舌が上手く回らないらしく、“してるんですか”が“してりゅんでゅしゅか”になっていた。敬語のような口調は、多分周りの将からの受け売りみたいなものだろう。

 

「たんれん?」

「そう、鍛錬。強くなるために、守りたいものを守るために、頑張ってるんだぞー」

「まもりたいもの……んん、わかんない」

「んー……そうだなぁ。たとえば丕が大事にしてるものがあったとして───」

「ととしゃまー!」

「へ?」

「ひ、ととしゃまだいじー!」

「………………きゅんと来た」

 

 いや、そうじゃなくて。

 

「そ、そそそそそっか。そっかぁあ……!! あ、そ、それでだな。……俺も丕が大事だよ」

「えへへぇ、うん!」

「…………俺……このまま死んでもいいかも……」

 

 でもなくて。

 

「つまりだな、丕が大切にしているものが、急に壊れちゃったら嫌だろ?」

「うう……やー」

「だよな。うん。そうならないために、こう……自分で守るために、自分を強くするんだ」

「つよく……?」

「そう。いつかは丕もああして、自分を強くしていくようになるさ」

「うん! ととしゃまとかかしゃまは、ひがまもるー!」

「……良い娘……!!」

 

 撫でまくりました。

 前略おじいさま、一刀は、一刀は幸せにございます。

 今なら幸せの絶頂に立っている自信があります。

 動かない漫画家の読み切りの中ならば、浮浪者の怨念に襲われる確率が100%と言えるほど幸福です。

 そんな中、丕が「おろしてー」と言い出したので、そっと下ろす。

 下りた彼女は凪と焔耶の寸止めの攻防を見て、目を輝かせていた。

 こうなると子供というのは真似したがるもので、「へやー!」とか「てやー!」とか言いながら俺の足にぺちぺちと拳を当ててくる。

 くすぐったい。でもこれってちょっと違う。そう思いながら、大笑いしたくなるのを耐えた。

 

「おいおい、丕ー? ととさまが大事なら、ととさまを殴るのは本末転倒じゃないかー?」

「ほんま……? むずかしいこと、わかんない」

「そっかそっかー」

 

 首を傾げつつ、ちらちらと鍛錬をする二人を見ながら拳を振るう。

 たまに蹴りもしようとするが、まだまだバランスは上手くとれないらしく、途中で止めている。

 そんな時だった。

 中庭の二人が互いに礼をして、鍛錬を終了させた。

 丕は急に終わってしまった鍛錬にこてりと首を傾げながらも、続きがあることを期待するようにぺちぺちと俺の足を叩いてくる。

 しかし当然鍛錬は終わっており、続きなどあるはずもない。

 

(まあ)

 

 だったらこっちも終わりにしよう。

 そう思った俺は、良いところ悪いところを指摘し合っている凪、焔耶に視線を向けている丕にもきちんと聞こえるようにと、少し大きめの声で言った。言ってしまった。

 

「グワ、ヤラレター」

「?」

 

 聞こえた声に反応してこちらへ振り向く丕さん。

 そして、わざわざ椅子から下りて倒れたフリをする俺───と。

 

「ご主人様の仇は恋が取る───!!」

 

 たまたま近くに居らっしゃったのか、最初から全力モードで無遠慮に氣を解放してらっしゃる───三国無双ォオオオオオッ!?

 氣の波がモゴファーと皮膚を叩きつけるほどの圧迫感!

 どこから持ってきたのか、鈍く光る方天画戟が放つ死の香り!

 そしてなにより丕自身に向けられる、圧倒的な絶対強者の鋭い眼光!!

 

  ……直後、愛娘は絶叫するように号泣、気絶しました。そりゃそーだ。

 

 それから丕は三日ほど魘され、目覚めた時にはいろいろと忘れてらっしゃった。

 防衛本能というものでしょう。

 もちろん俺は恋に、あまり過剰に反応しないようにねとお願いをして、彼女も頷いてくれた。

 

 ───ともかく過去にそんなことがあったからか、本能がそうさているのか。

 現在の三日ごとの鍛錬。

 その途中、俺が仕合などで危うくなると、丕の挙動が明らかにおかしくなったりした。

 急にカタカタ震えだし、視線をあちらこちらに飛ばしては、恋を見つけると真っ青になったり。

 そんな娘を見て、この北郷めは思うのです。

 ……幼少時に勝るトラウマっていうのは、そうそうないんだろうなぁ、と。

 

 

 

-_-/今かずピー

 

 ……と。

 

「まあ、そんなことがあったわけで」

「わー……」

 

 話し終えてみれば、桃香はそれはもういろいろな意味を込めた“わー”を口にした。想ってくれるのはありがたいんだけど、もうちょっとでいいから相手のことも考えてあげてほしかった。

 まだ、世のなにもかもを知らずに居た、まさにあどけない少女と呼ぶに相応しい存在が、真っ先に心に強く刻み込んだのが殺気って、ほんと笑えません。

 

「でもそっかー、恋ちゃんはそんなに前からご主人様のこと見てたんだ。あ、もちろんそういう感じのことは知ってはいたんだけど、その時にもうそんなに、ほら、過保護~……って言っていいのかな。そんな感じになってるとは思わなかったから」

「そうだよなぁ……自分が俺以外に負けるのは嫌だっていうのは、天下一品武道会でも想像はついたけど、まさかなぁ……舌っ足らずな子供にまでそういった意識を向けるとは思わなかった」

 

 お陰で号泣&気絶&三日間魘されるというトラウマフルコースみたいな状況になったわけだし。

 

「でも、恋ちゃんの気持ちもちょっぴりわかる……かな。ほら、こうして教えてくれるお兄さ……あ、わわ、違った、ご主人様、がさ? 誰かに負けちゃうのって……なんだか寂しいっていうか、悔しいっていうか。負けるのは自分じゃないのに、自分のこと以上に悔しいって思っちゃう時があるんだ」

「そんなこと言われたってな。俺より強い奴なんて、それこそごっちゃりって言っていいほど居るぞ?」

 

 お陰で何度空を飛んだことか。

 そう返してみれば、桃香は苦笑は見せるものの、「それでも、だよ」と言う。

 まあ……そうか。俺も春蘭や霞が誰かに負ける姿は見たくない。

 もちろん華琳だってそうだし、言っちゃえば沙和たち三羽烏が戦いで負けるっていうのも嫌だと思う。

 けどそれは俺が魏側としての付き合いが長かったからであり、鍛錬の師匠云々ってこととは無関係だろう。じゃあ───……ああそっか、そうだ。

 じいちゃんが誰かに負けるなんてところ、見たいとも思わない。

 そりゃあ、春蘭と戦えば負けるのはじいちゃんだろう。

 実際にそんなことになれば、負けてしまうんだろうと、理屈がどうとか以前に頭が勝手に完結してしまう。

 ……だとしてもだ。答えがわかりきっていても、負ける姿なんて見たくないのだ。

 つまりはそういうことなんだろう。

 

「じゃあきっと、愛紗は桃香が負ける姿を見たくないだろうな」

「えぇっ!? え、えとー……それはちょっと難しいかなー……って……。鍛錬でも負けちゃだめとか、まだまだ無理だもん私……」

「じゃ、軽く仕合ってみるか? ゆっくり寸止めも終わったことだし」

「えぇえっ!? で、でも間違ってご主人様を殴っちゃったりしたら……!」

 

 焦った様子の桃香が、中庭をぐるぅりと見渡す。

 その視界に、恋は映らなかったらしい。

 正解は城壁の角の見張り塔の上、そこからじぃっと桃香を見つめている。

 ま、まあ……まさかね? もし蜀の王様が俺を圧倒しちゃったとして、そんなことで敵討ちとか……それこそあれだ、まさか、ねぇ?

 

「じゃあ、うん。やってみていいかな、ご主人様」

「もちろん」

 

 言って、軽く体を伸ばすようにして───氣を循環。

 手甲は外して、ぐっと構えてみる。

 もちろん様子のつもりだから全力でなんて───

 

「───」

「………」

 

 ぜ、全力でなんて……!

 

「─────────」

「……、……っ」

 

 み……見てる……! めっちゃ見てる……!

 なんかもう、“負けないよね? 負けないよね? 絶対に負けないよね?”みたいな期待を込めた目で、俺を見下ろしてらっしゃる……!

 あれ? これってもしかして、俺もわざと負けたりしたらまずい……?

 それイコール手を抜くのもまずい……?

 ああ……! プレッシャーの所為か、天の御遣いを天空より見下ろしてきなすってる三国無双さんの視線が、ミシミシと心を軋ませてやまない……!

 あ、だめ、これ手ぇ抜いたらいろいろまずいっぽいデス……!

 

「あ、ご主人様、まずは様子見っていうか、練習みたいなのでいいかな。さっきまでゆっくり動いてたから、最初は慣らすみたいに───」

「ぬおおおおおおおっ!! 100%中の100%ォオオォォォッ!!」

「ふぇ……? ってなんで金色に光ってる(ぜんりょくな)のー!?」

 

 全力で氣を解放。

 溢れ出る氣が金色の光となって、この北郷の体を輝かせおるわ……!

 と冗談は横において、俺は困惑する桃香を置いて、よくある“達人同士が距離を取りつつスタスタ歩くアレ”をしながら、恋の目から見て背中を見せるような位置で足を止めた。

 そして、口だけ動かして伝える。

 

「桃香……! 全力でやらないとまずい……!」

「───? ……、───!? ~……!?」

 

 言ってみたら、物凄く動揺。

 顔ごと動かすことはなかったものの、視線が“ヤツ”を探すように泳ぎ───そうになるのを必死に止めたようだった。

 じわりと瞳が潤んでゆく。

 きっと今、彼女の頭の中には、俺が先ほど話した“ギャン泣き曹丕”の様子が上映されていることだろう。

 なんたってあの恋の殺気だ……それを今度は自分が味わうかもしれないと───いや待て待て、俺だってまだまだ負けてないぞ!? ナチュラルに勝てる未来を想像なさっているところ悪いけど、負けませんよ!?

 

「ごっ……ご主人様……! わわわたし、すぐ負けるから、なにか強そうで派手な氣とか技を───!」

 

 こそっと桃香が作戦内容を語りかけてくる。

 それに対し、俺は氣の充実と笑みを混ぜぬ表情で返した。

 

「全力だ」

「え? あ、うん、全力で負けるから───」

「全力だ……!」

「えぁ、え? ごごご主人様……!?」

「全力だぁあああっ!!」

「えぇえええっ!?」

 

 もはや止められぬ……!

 この世のおなごが武を手に乱世を鎮めたのはこの北郷、しかとこの目で見てきもうした……!

 だが! ああだが、だからといって男がその世にてなんの役にも立てなかったというのは否である! 意地があるのだよ! 男にだって意地というものが!

 ならば往くのだ男の子!

 地に足下ろして、目を伏せ意識し、氣を()り目開き、胸には覚悟を───!!

 

「いくぞ漢中王───武氣(ぶき)の貯蔵は十分か」

「わわわわご主人様ー!? おちっ、落ち着いてぇえええー!!」

 

 その日。

 蜀のトップと都のトップが衝突した。

 その報せはすぐに各国の王が住まう場にも届けられ、何事なるかと王や将が駆けつけたその場にて───

 

「助けてぇええええっ!!」

「……! ~……!!」

 

 追い詰められた王を守るべく舞い降りた、目を爛々に輝かせた三国無双と戦う羽目になった御遣いさんが、なんともまあいつも通り泣き言を叫んでいたそうな。

 うん……そうだよね……。結局こうなるんだよね……。

 王が追い詰められたなら守るのが将だし、負けてほしくない相手が追い詰められたら、結局舞い降りるのが三国無双さんだし。

 ええとその、つまり。

 

  結論:どの道彼女は舞い降りた。

 

 ということで。

 

「うおおおお! だからって負けてたまるかぁあああっ!!」

「ご主人様……! もっと……! もっと……!!」

「なんか言葉だけだと誤解生みそうだからその言い方やめて!?」

 

 正しくは、もっと強い手応えと衝撃を、だろう。

 ええはい、つまりはもう、一発ぶちかましました。

 なのに今回はすぐさま戻ってきてもっともっととせがんで来なさる……!

 あの、恋? 恋さん!? 桃香を守るって名目は何処へ!? これもう桃香関係なくなってませんか!?

 ていうかこれ結局、この後に春蘭とかが次は私だとか、鈴々が次は鈴々なのだーとか言い出すパターンじゃないか!

 だってのに余力残して恋を吹き飛ばすなんて出来る筈もなくて───! あぁあもう! なんでいつもいつも俺ばっかりー!!

 

「桃香!? 桃香ー! 交代して!? 俺もう流石に休みた───」

「フッ……ならば次はこの華雄が相手をしよう」

「え!? ほんと!? てか華雄いつの間に!? でもありがとう! じゃあ早速───……あの。なんで俺に向けて金剛爆斧を構えますか?」

「うん? 私が競うように戦う相手など、孫策以外ではお前くらいだろう」

「………」

「………」

 

 ───戦闘は、続行された。

 もうこうなったら、全力を超えるつもりで戦い、“次”など不可能なのだと目の前で証明しようと、そう思ったが故の作戦だった。

 もちろんそんな常識など通用しないことなど、この北郷は身に沁みてわかっていた。

 だが三国の猛者どもがいつの間にか集ってしまったこの状況で、それ以外に逃げられそうな方法など見つからなかったのだ。

 武官の誰かがこの北郷を“さあ始めようぞ”と引きずろうとも、きっと文官の誰ぞが止めてくれると信じて───!!

 

 

  ……ええ、まあ、はい。

 

  大方の予想通り、無駄だったんですけどね。

 

  言葉で止まってくれるなら、華琳も秋蘭も苦労はしなかったし、

 

  汜水関もそう簡単には制圧されなかったんじゃないかなぁ……。

 



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127:IF2/目指してみよう、万能の二番手①

179/夢はおっきく、最強の二番手

 

-_-/孫登

 

 いろいろなことが起こった春が過ぎ、やがて暑いあっつい夏がくる。

 そう。

 その夏は、暑かった。

 

「はぁあああ…………! ふぅうううう…………!!」

 

 熱い日差しの下、構えたままに呼吸をするのは父さま。

 汗をたくさん流して、でも呼吸は乱さない在り方は実に見事だ。

 こんな暑い日にも鍛錬は三日ごとに存在している。

 もちろん私は一度たりともサボることなく参加。

 不思議なもので、自分と述とで“こうすれば効率がいい”と思っていた考えが間違えだったと気づき、父さまが教える通りにやってみれば、以前とは比べものにならないくらいに成長していることを自覚できた。……自覚? 実感? ……んん、とにかく、成長してます、はい。

 筋力の伸びもいいし、なにより氣の絶対量がぐんと伸びた。

 それでもまだまだ弱いと感じる。

 羨ましいことに、曹丕姉さまは自分よりもよっぽど強い。

 くだらない鍛錬改変で寄り道していた私と述とは違って、姉さまはきちんと鍛錬をしていたのだから当然だろう。

 ついでに言ってしまえば、やはり私には武の才はない。

 どれにも手を伸ばせるけど、どれであろうと一番にはなれない。

 今さら、それが悪いことだと思えない自分が…………今では可笑しく、大好きだ。

 

「父さま、暑いです……」

「ん。いいかぁ登。お前は普通がイヤだって前は言ってたけどな。普通ってのは悪いことばかりじゃない。ああ、もちろん今はわかってるだろうけど」

「はい」

「じゃあ勉強だ。中庭、昼の日差しの下。この状況で願う普通ってなんだと思う?」

「……? 暑くもなく、寒くもなく……ですか……?」

「そうだ。暑い中では少し呼吸を小さくしてみるんだ。ぜえぜえさせるんじゃなく、無意識にする呼吸みたいに浅く、ゆっくり」

「…………」

「…………」

「……暑いです」

「暑いな」

 

 暑かった。

 なので大きな樹の下……木陰まで歩いて、そこでやってみる。

 

「馴染むまでは、まあゆっくりとな。気づければ、多分大丈夫」

「?」

 

 首を傾げながらも、最初は意識して。

 次第に自然に、熱が取れてきた頃。

 

「……あれ?」

 

 最初はよくわからなかったけど、これ……。

 

「父さま、これ」

「まあ、気休め程度の意識変化なんだけどな。暑いところでぜえぜえやると、案外内臓が無理矢理動かされてな、逆に熱くなるんだ。涼しいところでぜえぜえやってみればなんとなくわかることだけど」

「じゃあ、逆にこうしてゆっくり静かにしてると……」

「重要なのは内蔵を動かしすぎない呼吸だ。人間の体や脳って結構単純なところがあってな? こうやってニコーって作り笑いで口角を持ち上げて何かをしていると……そうだな、たとえば何かの作業をしながらずーっとそれを続けていると、頭が次第にソレは楽しいことだって意識し始めるんだ。まあ、もちろん本当につまらない、いらいらいするようなものに対して口角持ち上げても、絶対に溜め息が出る回数に負けるが」

「うん、そうだよね」

 

 素直にこくりと頷けた。

 ら、なんだか父さまが可笑しそうに私を見ていた。

 …………あ、口調。

 ハッとしたら、大きな手が私の頭を撫でた。

 見上げてみると、目を合わせてから言うのだ。

 「好きな言葉で喋ればいいよ」と。

 

「え、えと。お、おいどん、もっと強くなりたいでごわす!」

 

 言った途端、父さまがずっこけた。

 

「と、ととと登サン? ああいやこれだと父親みたいだ。父さん。違うよな。うん。……子高? そ、そんな言葉、誰に聞いたのかなぁ……!?」

「え? 前に夏侯惇さまが」

「……また、なんかの罰でも喰らったンカナ……」

 

 なんだか遠い目をした。

 

「子高は、それでいいのか?」

「言ってみたかったんです。母さまからはいつも厳しく言われてましたから」

 

 そう。母さまは厳しい。

 自分が駄目だったことを早い内からとでも言うように……祭が“実際そうだろうのぉ”と言っていたくらいに、私への躾は厳しかった。

 それが当然だと思っていた私は、それを頑張って覚えていった。

 頑張れたのは十分で、身に着いたのは五分。

 どれに措いても上に届かない私は、何に措いても半端までしか届かない。

 母さまは落胆なさっただろうか。

 私を産んで、後悔しただろうか。

 そう思うだけで、黒いなにかが込み上げてきたものだ。

 前は。

 うん、前は。

 

「あの。父さま」

「うん?」

「父さまは、私が娘で、嫌な思いとかをなされたことは───」

「蹴られて泣いた時くらい」

「うぅう……」

「過ぎれば笑い話ってやつだよ。トラウマだって笑い話に出来るくらいの胆力がないと、支柱なんてやってられないさ」

 

 とらうま? 虎……馬?

 なにか嫌な思い出でもあるんだろうか。

 でもたとえ虎が来ようとも、校務仮面様たる父さまならばきっと大丈夫なのだろう。

 

「ともかく。暑い日には暑さに順応出来る体作りだ。あ、もちろん汗は出るから、水分補給は忘れずに。一緒に塩を舐めると、吸収率が上がるらしい」

「人とは複雑なのですね……」

「ん。俺はこの世界に降りるまで、もっと単純なものだと思ってたよ。もちろん、さっきも言ったように単純なところも結構あるんだけどさ」

 

 まさかかめはめ波が撃てるようになるとはなぁ、なんて少しわからないことを言って、たははと笑っている。

 くすぐったそうに笑う父さまは、なんだか楽しそうだ。

 

「それで、どうしましょうか。鍛錬続行ですか?」

「子高はどうだ? 身体がだるいとか喉が渇くとかはないか?」

「ん…………平気です。ただ少し、足がつっぱるというか、重いというか」

「よーし水を飲もうなー。ほっとくと脱水症状になる可能性が高いから飲もうなー」

「え? だ、だっす? 父さま? その竹の水筒は何処から?」

「こんなこともあろうかと父は常に竹水筒を隠し持っているのだ!」

 

 どうだーと突きつけられたそれは、触れてみると……ぬるかった。

 きりりと冷えた水を望むのは、この熱い空の下では無理だ。

 

「そんな単純じゃないけど、氣にもいろいろ応用があるんだ。もちろんなんでも出来るわけじゃないけど……登、気化熱って知ってるか?」

「知りません」

「そ、そか」

 

 本当に知らないから即答してみたら、ちょっとだけ苦笑する父さま。

 そんな父さまは木陰の下、取り出した竹筒に氣を向け始める。

 こう、座って、足と足の間に竹筒を挟んで……両手を翳す感じだ。

 

「液体は蒸発する時に、周囲の熱を奪う。お風呂上りとかに経験があるだろうけど、身体を早く拭かないとすぐ寒くなるだろ? あれは身体についた水滴が蒸発する時、熱を奪っていってるからなんだ」

「はあ……」

「つまり、ぬるい水でも温度差を生じさせてやれば冷たくなる」

 

 言って、集中する。

 父さまがたまにやっている、氣で火を起こす時のような感覚。

 氣をすごい勢いで動かして風を巻き起こす。それを摩擦させるんじゃなくて、竹筒に向けて……あ、そっか。

 

「……時間、かかりそうですね」

「だよなぁ」

 

 二人で顔を見合わせて笑いました。

 それからしばらくして差し出された竹筒は、確かにさっきまでのぬるさはなくて、けれど冷たすぎるというわけでもない、喉に通しやすい温度です。

 

「暑いからって冷たすぎる飲み物は飲まないように。胃がびっくりするし、お陰で上手く活動しないで食欲も無くなる。ものを食べる時には水を飲みすぎないのも大事だな。胃酸の効果が薄まって、消化に時間がかかる。そのくせ時間が経てば腹だけは鳴るから、また水を飲んで、ものを食べてで消化に時間がかかる。どんどん胃への負担が大きくなるから、飲みすぎは注意だぞ?」

「ふぇ……いろいろあるんですね」

「ほんと、もっと単純だったらいいんだけどな」

「あ、でも単純なものもあります」

「たらふく食べたら眠くなる?」

「それですっ」

 

 また笑う。

 以前までは考えられない状況。

 父さまが傍に居ることもそうだけど、なにより自分がこんなに“楽しい”と感じていること。以前までなら笑うなんてこと、滅多になかったのに。

 覚えている自分の姿なんて、辛くて泣いていることばかりだった。

 ……本当に、つまらない日々を歩いてきていたんだなぁ、なんて。自分のことながら呆れてしまう。

 

「よし、じゃあとりあえず今日の鍛錬はここまで」

「え? ま、まだやれますよ?」

「自分じゃ気づけないことも多いんだけどな。登、顔真っ赤だぞ。身体に熱が溜まってるんだ。このまま続けたら本当に脱水症状か熱中症になる。というわけで、鍛錬の続きは川でやろう」

「え? こ、ここまでじゃ」

「ん、“とりあえず”な」

「……知りませんでした。父さまって、案外考え方が面白い人だったんですね」

「童心ってものを大事にしてるんだ。童心っていうのは、発想の友だから」

 

 はっそーのとも……よくわからないことを言われた。

 訊いてみれば、ようするに理論や経験則から回転させる知識も大事だけど、子供が考えるような単純な考え方も大事だから、子供っぽさとは完全に捨ててしまうのはもったいないものだ、って……そういうことらしい。

 童心は大事。覚えておこう。

 

「困った時は突撃粉砕勝利ですか?」

「それは童心とはちょっと違う」

 

 言いつつも、父さまは私をひょいと抱きかかえて……そのまま自分の肩まで持ち上げて、肩車状態に。

 ………………はっ!? 肩車!?

 なんて驚いた時には父さまはもう動いていて、景色が流れるように速かった。

 なにを言っているのか自分でもわからないけど、速かった。

 そんな速さと高い視界が楽しくて、私は自然と持ち上がる口角を自由にさせて……素直に笑うことにした。



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127:IF2/目指してみよう、万能の二番手②

 到着した川は静かなものだった。

 ちゃぷちゃぷと絶え間なく聞こえる水の流れる音は、聞いているだけでも心が落ち着く。

 溺れたりしたら逆に怖くなるかもだけど、落ち着く。

 落ち着く必要があるのだ、なにせ今、隣には……

 

「まったく、少しはこちらの都合というものを考えて欲しいわ」

「えと。誘わないほうがよかったか?」

「あ、う、そういうわけではなくて」

 

 ……母さまがいらっしゃるから。

 想定外だ。

 まさか母さまが一緒に来るなんて。

 “どうせだから蓮華も”なんて言った父さまが母さまの部屋へと消えて数分。

 絶対に断るに違いないと楽観視していた私の期待は,かなり呆気なく見事に粉砕。

 今、視線をあちらこちらに向けながらぶちぶちとこぼしている我が母は、……なんだか初めて見るほど綺麗におめかしをしております。

 ……綺麗。

 綺麗なのに、顔はふてくされたような、なんだか落ち着かない感じです。

 むうっ……嫌なら来なければよかったのに、なんて思ってしまう私はいけない子でしょうか。

 

「母さま、その服は───」

「えっ、やっ、これは違う、違うのよ、登。これは───」

「ああ、俺が意匠をこらして作ってもらった特注の服。細かいところまで手が込んだ世界に一つだけの服でございます」

「一刀っ!」

「え? なに?」

 

 にっこり笑顔で服の説明をしてくれる父さまに、何故か真っ赤になって怒鳴る母さま。

 ……もしかして知られたくなかったのでしょうか。

 でも私でさえそんなふうに予想が立てられるのに、“え? なに?”と普通に返せる父さまってすごい。私は無理そうだ。怒られるのは怖い。

 

「……ま、まさか今さら意匠が気に入らなかったとか……!」

「そっ……~……そういうことを言いたいわけではなくて……! 大体、あなたからもらったものが気に入らないなんて───あ」

「………」

 

 ……述。あなたは今どこで何をしているのでしょうか。

 元気でいてくれると勝手に思っておくことにします。

 ところでですが、姉はひとつ賢くなりました。

 ……私が怖いと思っていた母が、実は世に言う“可愛い人”だったのです。

 父さまに訊いてみたところ、二人きりの時は甘えられたりもするんだぞ、とのことです。

 訊いておいてなんですが、父さまは私に母さまのことでなにかを隠すつもりがないのでしょうか。ほら、母さま、顔を真っ赤にして怒ってる。

 普段は凛々しく、いつも鋭い刃物のような雰囲気だった母さまが……父さまの前ではなんと無防備な。これも校務仮面さまの為せる業、というものなのか。

 ああいえ、いい加減今に戻りましょう。

 

「あの、父さま。ここで鍛錬とは、いったいどういったものを?」

「え? ああ、じゃあ水を感じるところから始めようか」

「水?」

 

 首を傾げる。

 水を感じる? ……べつに、触れば水は水ですが。

 なんて思っているうちに父さまは靴と靴下を脱いで、ちゃぽりと川へと入ってゆく。当然、下の衣服はまくってある。“けんどうばかま”といいましたっけ。まくりづらそうだ。

 

「ほら、登も」

「? は、はぁ……」

 

 ほらと言われても少し困る。

 そんな気持ちを表情に出しながら、同じようにして靴を脱いで靴下を脱いで、ちゃぽり。

 ……ああ、冷たい。夏の暑さにこれは気持ちいい。

 濡れてもいい服があれば、いっそ潜りたい気分です。

 

「冷たいよな」

「冷たいです」

「よし。じゃあその水に沈んでる部分に氣を集中させる。イメージ……想像としては、沈んでいる部分が水と一体化しているみたいな感じだ」

「いめーじ……」

 

 天の言葉は難しい。

 勉強をしてみても、わからない言葉が多いくらいだ。

 でもお水気持ちいい。ああいや関係なかった。えと、水、水~……。

 なんて、強く意識もせずに、気安く、軽ぅく促されたことに意識を委ねた時。

 

「ひゃうんっ!? へっ、はっ、へっ!? な、なになになにっ!?」

 

 急に足に妙な感触を覚え、ばしゃばしゃと暴れてしまう。

 ……と、ぴうと逃げてゆく……魚。

 あれ? 今、魚につつかれた?

 

「あっはっはっはっは! やったやった、俺もやったよそれ!」

 

 父さまはなんだか面白そうに笑っている。

 つまらなそうに笑われるよりはいいかもしれないけど、なんか複雑です。

 

「ん、最初から魚につつかれるくらいなら十分だよ。あとは勘違いさえしなければ、俺よりよっぽど早く順応できる」

「順応……ですか? 水に?」

「……懐かしいわね。思春に教えてもらって以来になるかしら」

「え……母さま?」

 

 父さまの話を聞く中、背後からちゃぷりという音。

 振り向いてみれば、母さまも素足を川に沈めて……自然な感じで微笑んでいました。

 ……川、やりますね。私でさえ中々微笑ませることの出来ない母さまを、いとも容易く……! ではなくて。

 

「思春? 思春が教えてくれたものなのですか?」

「ああ。……教えてもらえるようになるまで、長かったけどなー……」

「思春は内側の人以外には容赦がないから。その点、一刀は随分と簡単に内側に入っていったわ」

「え……そうなのか? ……とてもじゃないけどそうは思えないなぁ」

「そもそも、他国の相手だというのに傍に居ようとしている時点で凄いのよ。一刀も知っているだろうけど、呉は……ほら。身内以外には厳しいところがあったから」

「思春のことだけで言えたことじゃないってことじゃないか」

「ふふっ、ええそう。もう“身内”なんだから、遠慮なんていらないでしょ?」

「…………はぁ。まったく、蓮華は」

 

 いたずらっぽく笑う母さまに、苦笑して返す父さま。

 なんだかとても眩しいものを見ている気がする。

 何故って、顔が赤くなって、なんだかとても目を逸らしたい気分だから。

 

「そ、それでその。これからどうすれば?」

「おっと。じゃあ続きだな。足に集中させた氣を、今度は全身に行き渡らせる。もちろん、水のイメ……想像は消さないまま」

「えと。この冷たさを全身に行き渡らせる感覚で平気でしょうか」

「そうだな、自分がやりやすそうなやり方でいい。ただ、想像はずっと意識しておくこと」

「はい」

 

 やってみる。

 母さまもやっているようで、微笑みながら目を伏せて、水の流れに身を任せるみたいな自然体で、そこに居た。

 

「? ?」

 

 けれど私は上手くいかない。

 才能ってものは、こんな小さな挑戦にまで割り込んでくるから嫌いだ。

 せっかくの両親との穏やかな時間を、才能なんてものに邪魔される気分は……可笑しく思える今でも、正直に言えば嫌いだ。

 軽くやってみた時は出来たのに、“やろう”と意識してしまうと全然出来ない、出来の悪い自分も……嫌いだ。

 

「登、こうよ」

「ひゃうわっ!?」

 

 と。黒いなにかがじわじわと自分の中に生まれ始めてきた時、母さまが私を後ろから抱き締めて言う。突然のことに声が裏返ってしまったけれど、そんなことも微笑みで受け止めながら……やさしい母さまは私にやり方を教えてくれる。

 ……なんだろう、とてもくすぐったい。

 ずっとこんな母さまだったらな、なんて思ってしまう自分がいる。

 無理だろうな。わかってる。

 きっと父さまと一緒じゃなきゃ、こんなにも隙だらけになったりなどしないんだ。

 

「………」

 

 それでも母さまの氣に引かれるように、足に溜めた氣を全身に行き渡らせる。

 冷たさがひんやりと広がってゆく。

 けれどもその冷たさが、まるで自分が川の一部にでもなったような気にさせてくれて、面白い。

 川になった自分は、そっと水に目を向ける。

 次々と流れてくる水の感触は、もう感じない。

 ただ、自分に近づいてくるなにかの気配がとても身近に感じられて、それに感覚を委ねるように……水に手を入れて、水の流れに逆らわずに……魚に触れ、掴んだ。

 

「え? ひゃうっ!?」

 

 初めて掴んだ、生きた魚の感触にびっくりする。

 と、魚がもがいて、再びぴうと逃げていってしまった。

 

「………」

 

 でも、手に感触が残っている。

 すごい。掴んじゃった。

 水の中の魚がいかに素早いかくらい、私だって知っている。

 それを、まさか掴めてしまうなんて。

 

「と、父さま、母さまっ! 今のでよかっ───……父さま? 母さま?」

「………」

「………」

 

 私を見る二人の目が、どこか遠い目をしていた。

 え? え? なに? 私はなにか、悪いことをしてしまったのでしょうか。

 

「俺……掴めるようになるまで……どれくらいだったかな……」

「言わないで一刀……私だってどれほど苦労したか……」

「?」

 

 母さまにぎゅっと抱き締められて、父さまに頭を撫でられた。

 わ、わあぁ……! よくわからないけど、嬉しい……!

 

「まあ、ともかく。今の感覚を忘れないようにもう一度試してみよう」

「はいっ」

 

 言われて、また意識する。

 怖いな、と恐怖したことさえある母さまに抱き締められて安心するなんて、私もまだまだ子供だなぁなんて思う。けど、言わせてもらえるのなら、姉が異常すぎるのだ。

 姉が動揺するところはあまり見たことがない。見たのも、ここ最近くらいだ。

 いろいろなことに興味を示して、始めてしまえばほぼなんでも出来て。

 その下の妹である私は、お陰で随分と期待と落胆の視線を味わったものだ。

 “けど”。“でも”。

 私はやっぱりこの二つの言葉を何度でも使おう。

 姉は、曹丕姉さまは完璧ではなかった。

 父さまの前では結構慌てるし、自信満々でやったことが凄まじい間違いであったことに気づいて慌てたりしていたし、ここ最近の妹たちの父さまへの甘える姿を見ては、羨ましそうに見てくることもあった。

 私たちはまだまだ子供だ。

 独占欲だって強いし、大人になりたがっているくせに、子供のままで頭を撫でられていたいとも願っている。

 周りが立派な人ばかりの所為か、次から次へと叩き込まれる知識に押し上げられるように、大人へ大人へと向かわされている現状。才の無さは逆に、私や述に“周囲を見る目”を与えた。お陰で人の感情には敏感になれたし。

 

「………」

 

 そんな自分だからだろうか。

 才能はないだろうけど、“人が目を向けない場所”を知るのは早かった。

 目を向けられれば期待と落胆も向けられるって知っていたから、私と述は人の意識の外を目指した。自分を探している人には簡単に見つけられてしまうけれど、それ以外の人には見つからない。そんな、自分たちの情けなさが生んだ特技。

 期待を嬉しいと思えた日々はもう遠い。

 落胆を向けられる日々ももう遠く、あるのは諦めばかりになった。

 だったらそんな諦めから脱出する方法を教えてみせろと、何度口にしたかったことか。

 言った時点で親に迷惑をかけることなんてわかりきっていたから、当然言えもしなかった。

 ……そんな自分を、蹴られつつも受け止めてくれていた父さまは、本当に……───

 

「…………」

 

 考え事をしながらも集中。

 ゆっくりと身体が動くままに手を水の中に沈めて、泳ぐ小魚をぱしゃりと軽く救い上げた。

 両手で持ち上げた水の中には小魚が泳いでいて、あっさりと成功したことに喜びが沸きあがった途端、魚は暴れて、こぼれる水の端から飛び出してしまった。

 ぽちゃん、と。捕まえた時のようにあっさり逃げられる。

 残念な気持ちを抱きながらも、やっぱりどこか楽しいのは……やろうとしたことが上手くいく喜びを、久しぶりに味わっているからなのだろう。

 

「よし、じゃあ今日の昼食は魚と山菜にしようか」

「ええ……ふふっ、やっぱり懐かしいわ。一刀と思春とともに、よくやったわね」

「あの時は蓮華が一緒にやるとは思わなかったけどね」

「二人でこそこそ居なくなるのを何度も目撃すれば、気になるのは当然よ」

「ただ思春に川での魚の捕まえ方とか訊いてただけなんだけどなぁ。自分でやれるところまではやったから、それ以外のコツを、って」

 

 初めて聞いた父さまと母さまの話。

 興味が沸いたので、二人が休むことなく話すのを耳に、私も魚を捕まえることを頑張ってみた。

 

「でも……ねぇ一刀? 私が混ざってから、思春がやたらと攻撃的じゃなかった?」

「そうかな。あ、でも蓮華との組み手の時の猛攻は凄かったよなぁ」

「…………気の所為じゃなかったのね」

 

 取れた魚は、父さまが石を積んで作った……いけす? に入れる。

 これから料理してしまう生き物を自分の手で捕る、というのは結構怖い。

 でも魚だって好んで食べていた私だ。他人が捕った命なら食べられる、なんて言うつもりはない。というか言いたくない。

 

「あの、父さま。味付けは?」

「塩ならあるぞ?」

 

 と言って、また竹筒を出す父さま。水が入っていたそれよりも小さなそれには、なるほど、塩が入っていた。

 

「呉も魏も蜀も、塩を得る機会には恵まれているのよ。以前はもっと、塩を塩をと荒れたものなのに」

「魏は解池(かいち)から、呉は普通に海塩が取れるし、蜀は岩塩と井塩(せいえん)。今のところ、塩を作る“速度”では呉が一番かな? 代わりに火をいっぱい使うから、燃料的な意味では心配はあるけど」

「お陰で呉では豆腐が溢れかえっているわよ。塩を作るとにがりも出来るし、豆の収穫数も安定しているし、食べ物も随分と増えてきたわね」

「こうなると、米一粒のために命を……って頃に頭が下がるよ」

「……ああ、本当に。もっと早くにこう出来ていればと思わずにはいられない」

 

 母さまが真面目な口調に戻った。

 その顔は……悲しそうだ。

 

「“ここまで来れた”って言えるところまでは……これたかな。じゃあ、もうこれ以下はないって頑張らなきゃな」

「ああ。……というか、最近は全体的に味が濃い店が増えた気がするんだが」

「蓮華、口調」

「え? あっ……こ、こほんっ! ……増えた気がするわ」

「ははっ、まあ、うん。調味料も段々と数が増えてきたから」

 

 塩、味噌、しょーゆ。

 そういったものを作る技術が簡略化できるようになってから、食事の事情は随分と安定したらしい。

 どうしてか曹丕姉さまが得意顔で説明してくれた。

 多分、父さまの知識からのことだろう。じゃなきゃ、姉さまが胸を張って説くことなんてあまりない。……少し前の姉さまからでは考えられないけど。

 

「これで、呉に昆布があればなぁああ……!!」

「もう、また? 無いものをねだったって仕方ないでしょ?」

「磯の香りはするのに昆布がないとかおかしいって! 正しくは河だとか言われても、磯の香りがするなら昆布だってあったっていいじゃないか!」

 

 父さまはなにか、“やっぱりまこんぶを何処かで……”とか言ってる。

 まこんぶってなんだろう。

 

「んん……土地柄、昆布が自生しないとかどっかで見た記憶もあるし……真昆布が採れたとして、養殖は難しい……のか? でも中国は昆布生産量がハンパじゃなかったはずだし……うーん」

「と、父さま?」

「ほうっておけばいいわ、登。一刀は“こんぶ”のことになると、いつもこうだから」

「こんぶ……」

 

 昆布。父さまをこうまで魅了するそれは、いったいどんなものなのだろう。

 考えてみても、答えらしい答えは出てこなかった。



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127:IF2/目指してみよう、万能の二番手③

 

 なんだかいろいろと考えていた父さまがハッとして、誤魔化すように笑いながら頭を掻いていたのが少し前。照れ隠しする人みたいに“サササ山菜採ってくるー!”って言って、走っていってしまった。

 ……姉さまが言うには、あれで父さまは私たちが知らないところではどっしりとした落ち着いた雰囲気を持っているらしい。……信じられない。

 でも、校務仮面さまの時の父さまを思えば……ああ、って思えることもあるわけで。

 

「~♪」

 

 料理は父さまが担当。

 母さまも手伝うけれど、山菜やお魚を使った料理はあまりしないみたいで、行動のひとつひとつで父さまに“これはどうするの?”と訊ねている。

 訊けば、思春と一緒にやっていた頃は断固として、思春が調理をさせてくれなかったらしい。

 ……でも、母さまの刃物の扱いは実に見事だ。

 刃物といっても、そこらにあった長い石を割って、岩で削って形を整えたもの。

 それでも魚は捌けるらしく、器用に内臓を取ってゆく。

 ……内臓を取ってるのは父さまだけど。

 母さまは主に、その後の処理。内臓を抜き取った魚を川の水で洗ったり、木の枝の串で刺したり。

 鱗は父さまがヂャッヂャッヂャッと取っちゃった。早かった。

 

「で、山菜と木の実を砕いて粉を溶いたものを、こうして熱した石の上に……あ、あー、そうだそうだ、あの頃もやったなー、これ」

「あの頃?」

「蜀から魏に向かってた時にさ、思春と一緒に野宿してこれと同じのを作ったんだよ」

 

 焚き火の周りに大き目の石を置いていって、それを支えにするように平らで大きな石……岩? が、置かれた。その上で焼かれた謎の液体は、しゅじゃー、って妙な音を立てながら……固まっていく。

 これなに? って訊いたら“お好み焼きもどきだ”って言われた。“いや、むしろナンか?”とも言われた。“なん”ってなんだろう。

 焼ける香りはなんだか美味しそう。見知らぬ料理に、興味が引かれてばかりだ。

 

「わあ……」

 

 じううと焼ける……“なん”は、焦げ目がついた頃からとても美味しそうな香りを放ち始めた。父さまはそれをひっくり返したりして両方に軽く焦げ目をつけていく。

 端っこで焼いた小さいやつを「食べてみるか?」と差し出されたので、迷わず食べてみた。

 ぱりっとした食感。

 ぱりっとしていて、かりっとしていて、だけど中は……えと、なんだろ。も、もっちり?

 なんだか弾力がある感じ。香ばしさと木の実独特の味と、塩だけでつけられた味なのに、なんだかとっても美味しく感じる。

 

「美味しいだろー。キャンプ……ああいや、野宿……でもないか。こういう外で作る料理には、不思議と美味しさが増すなにかがあるんだ」

 

 そうなんだ、驚いた。

 でも実際に美味しい。なにがどう美味しいかと訊かれたら困るけど、美味しい。

 魚も枝に刺したものを地面に刺して、火の傍で炙っただけのものだけど……塩をかけただけなのにとても美味しく感じられた。

 普段だったらこんな食べ方、怒られると思う。

 でも母さまは笑っている。父さまも笑っている。私も笑って、食事を続けた。

 すると、今まで窮屈に感じていた世界が広がったような気がして……少しだけ、食べているお魚のしょっぱさも、増した気がした。

 

「っと……」

 

 そんな時、父さまが何かに気づいたような表情で焼き物を見ていた視線を上げる。

 母さまも何かに気づいたようで、目つきを鋭くしていた。

 なんだろう、と思ってから私もハッとして、すぐに周囲の気配に集中する。

 するとどうだろう。

 さっきまでと同じような森の空気があるだけの筈なのに、その森の気配に何かが混ざっているような……

 

「いい匂いがするにゃ!」

「するのにゃー!」

「にゃー!」

「にゃう……」

 

 …………混ざるどころじゃなかったです。

 

「美以!?」

「おー!? 兄なのにゃ! いい匂いの正体は兄ぃだったのにゃー!」

「へ!? やっ、普通違うだろ! お前には目の前の料理が目に入ギャアーッ!?」

「!?」

 

 ひゃうう!? 父さまが噛まれた!?

 え、あ、あれ? あの人、孟獲さまだよね? 蜀の人で、なんばんのだいおーとか言ってた人だよね? え? なんで父さまに噛み付いて───

 

「とっ……父さまから離れろぉおおおおっ!!」

 

 いろいろなことが頭の中でぐるぐると回った結果、私はとにかく孟獲……さま、を父さまから離すことを優先させた。

 噛まれているのだ。ぎゃーと叫んだのだ。助けなきゃと思うのは当然だ。

 あれ? じゃあ母さまはなにを───と思ったら、母さまはいつの間にか孟獲さまの連れの人たちに囲まれて、

 

「こ、こらっ! 離せっ! しがみつくな! 抱きつくなぁっ! ───! かかか顔を舐めようともするなぁっ! そういうことをしていいのはかずっ───ごほごほんっ! とにかく離れろぉおっ!!」

 

 男らしい口調の母さまが慌てつつも怒っていた。

 でも少し可愛らしいと思ってしまったのは、娘としておかしいでしょうか。

 

……。

 

 結局。

 三人の静かなだけど楽しい時間は、なんばんだいおーによって終わりを告げた。

 とはいっても食べ物を食べたら山に行ってしまい、私も父さまも母さまも呆然とするしかなかったわけですが。

 

「一刀……あなたの匂いというのはなんとかならないの?」

「え゛っ……いやそれ、俺が臭いって言われてるみたいで微妙なんだけど……」

「えっ? ち、違うわっ! 私だってあなたの匂いは好きで───、っ……」

「え……れ、蓮華……?」

「~……」

 

 で……少ししょんぼりな空気だったのが、まさか喧嘩になるのではと思いきや、甘い空間になりました。

 私はどうしたらいいのでしょう。

 口から砂糖でも吐けばいいのでしょうか。

 でも仲が良いのはいいことです。

 

「………」

「………」

 

 さりげない動作、さりげない行動ののちに、とすんと父さまが母さまの隣に座る。

 すると母さまは父さまの服の端を掴んで、顔を真っ赤にしました。

 ……そして私はどうすればいいんでしょう。

 これはあれですか? 母さまとは反対の父さまの隣に座って、同じようにするべきなのでしょうか。

 ……で、ですよね、そうですよね、せっかく家族でこうしているんだから。

 

「………」

 

 なのでそっと。

 あくまでそっと、父さまの隣に座って服を摘んだ。

 それだけで、それだけなのにとっても恥ずかしい。

 恥ずかしいんだけど、嫌じゃない。なんだろうこれ、よくわからない。

 

(……私って、だめだなぁ)

 

 でも。

 わからないなりに、思うことはあるのだ。

 父が立派だったからって掌を返す。掌返しは姉さまが嫌いだし、私だって好きじゃない。

 なのに、こうして甘えることに喜びを感じる自分が嫌になる。

 じゃあ嫌えばいいのかといえば、それも嫌だった。

 

(自分のことなのに、わからないことだらけだ。やだなぁ)

 

 ぱっと手を離した。

 見つめるのは空。綺麗な青がそこにある。

 

「………」

 

 来た時と同じように、そっと父さまの隣から離れひゃうあぁあーっ!?

 

「登~? 離れるなら、もっと楽しそうな顔をしながら離れなさい」

 

 そっと動いただけなのに父さまに捕まった。

 両腕で、背中からこう……鎖骨の下を抱くようにして、抱き寄せられた。

 

「で、でも」

「ん。でも、なんだ? なにか心配なことがあるなら父に相談しなさい。ああ、誰か男に尾行されて困ってるとかだったら包み隠さずだ」

「……そんな人、居ません。一番になれない子なんて、誰も見向きもしませんよ」

「よしっ、見る目がない目なんて必要ないよなっ」

「待って一刀! あなたなにをするつもり!?」

 

 眩しい笑顔とは裏腹に、父さまの背後に氣で練られた“滅”の文字が浮かびました。

 わあ、すごい。どうやるんだろう、あれ。

 そんな父さまだけど、母さまに腕を掴まれ……というか抱きつかれて引き止められて、落ち着いてくれたみたいだ。

 

「ご、ごめん蓮華、ちょっと混乱した」

(……ちょっとなんだ)

 

 本気で混乱したらきっとすごいんだろうなぁ。

 校務仮面さまの姿を思い浮かべつつ、素直な感想を胸に抱いた。

 

「で、登? 本当にどうしたんだ? 父は権力を振り翳さず、一人の男として相手の男と戦う覚悟は出来てるぞ?」

「だから、居ませんっ! ~……姉さまも言ってたと思いますけど、私たちに話しかけてくる子なんて……居ません。王の子のくせに俺より頭悪い~、なんて言う嫌な子なら───」

「思春! 合戦の準備だ! 打って出る!」

「蓮華さん!? 落ち着いて!?」

「はっ、蓮華さま」

「思春さん!? 居たの!?」

 

 そして今度は父さまが二人を止める番でした。

 止めてる最中なのに、父さまのこめかみがみきみきと躍動していましたけど、きっと気の所為。

 

「一刀! あなたはっ! 登の努力が馬鹿にされて悔しくないのか!!」

「悔しいけど合戦は行きすぎだ! とりあえず落ち着こう! 言えた義理じゃないけど! ほ、ほらっ、思春も止めて!」

「子高さまを馬鹿にする発言は、ともに歩んだ述を馬鹿にしたも同然だ。……北郷貴様、まさか悔しくないとでも……?」

「刃物突きつけて言う言葉じゃないよねそれ! 落ち着いて!? 言われるまでもなく悔しいから落ち着いて!?」

 

 なんだか大変なことになっている。

 父さまがしきりに私の目を見てくるけど……え? 私にどうにかしろってことかな。

 そ、そうだよね、私がこんな話をしたから……なんて思って、父さまの真似をして頬を掻こうとした。すると……そこにつく、水滴。

 なにかなと見てみようとした瞬間、視界が滲んでいることに気がついた。

 ……ああ、そっか。私、また泣いたのか。

 

(弱いなぁ、私)

 

 思い出して泣くなんて、こんな娘じゃ父さまも母さまも嫌だよね。

 ごめんなさい、登は弱い子です。

 こんな状況で、どうやれば母さまと思春が止まってくれるかもわからな───

 

「王より頭のいい存在などいくらでも居る! けれどそれを盾に王を侮辱するのは許せることではないわ!」

「蓮華さんなんかごめん! その理屈だときみたち美羽にいっぱい謝らないといけない気がする!」

『───』

 

 ───一発で止まりました。

 え、え? 美羽ねーさま? 美羽ねーさまがどうしたの?

 名前が出た途端、母さまと思春がなんとも言えない表情で目を逸らして……え?

 

「た……確かに、少し熱くなりすぎていた───わ、ね……ええ」

「……すまない。私も少し動揺していた」

「思春が謝った!? だだだ誰だ貴様ヒィごめんなさい!?」

 

 微妙な顔をした二人が謝った途端に父さまが驚いて、次の瞬間には喉に刃物を突きつけられて謝っていた。

 ……姉さま。あれで落ち着きがあるというのは無理があると思います。

 それでも苦笑している父さまを見ると、“もしかして、場を和ませるための冗談だったのかな”って思える。本当に、父さまは不思議な人だ。

 

「はぁ。いいわ、ごめんなさい思春、急に呼んでしまって」

「いえ。呼んでくださればいつでも」

「あのー、ていうかさ、思春。なんだってこんな川の傍まで? 今日仕事なかったっけ」

「都の主の護衛だ」

「そうだったのか!? ……あ、あー……そういえば報告書にもそういったことが書かれてて……え? 姿が見えなかった日もあったけど、もしかして今みたいに気配を消して?」

「………」

「そこで目を逸らされると怖いって! たまに俺、部屋の中で一人で妙な行動とか取ってたから、それ見られ───」

「ああ。姿見の前で妙な姿勢を取って笑っていたな。一人で」

「いやぁあああああっ!! ポージング見られてたぁあああああっ!!」

 

 顔を真っ赤にして頭を抱える父さまの図。

 不思議なもので、訊ねてみたら顔を真っ赤にしながらも話してくれた。

 なんでも「おっ……男ってやつはね……? 体は成長しなくても、鍛錬してると鏡の前で自分の成長を見てみたくなるものなんだ……」と教えてくれた。

 男の人って大変らしい。

 

「………」

 

 でも。

 私は、そんな父さまのほうがいいな。

 凛々しくて仕事が出来て立派な人より、楽しくて面白い人のほうが嬉しい。

 たぶんそれは、私がいろいろなことを上手く出来ないからだろうけど、嬉しいと思う気持ちは変わらない。

 仕事が大変でも笑ってくれる父さまがいい。

 いろいろあっても母さまと仲が良い父さまがいい。

 刃を突きつけられても、次の瞬間には笑っている父さまがいい。

 

「?」

 

 そんなふうに考えて、ちょっと思ったことを訊いてみる。

 父さまと母さまには気づかれないように、ちょいちょいと思春の服を引いて。

 ……そういえば思春はどうして、庶人服みたいなものをずっと着てるんだろう。

 顔はキリっとしているのに、服はどこか綺麗な感じだ。

 それをまず、そっと訊いてみたら……顔が赤くなって、過去のことを忘れないためです、と言われた。過去というのがなんなのかは知らないし教えてくれないんだろうけど、とりあえず庶人服は父さまに買ってもらったものらしいです。

 じゃあ本題。

 続いて思春にそっと言う。

 

「あの。思春が父さまに刃を向けるのって、自分の、えーと……ぼうきょ? を、許してくれるから?」

「!?」

 

 言ってみたらすごく驚いていた。

 その驚きっぷりに、声は出していないのに父さまと母さまが驚くくらい。

 

「父さま、やさしいもんね。私知ってるよ? 桂花さまの私塾に来る子の中にも、気になる子をわざといじめて構ってもらおうとふむぐっ!?」

 

 やっぱりぽそぽそと喋っていたけれど、真っ赤な顔の思春に口を塞がれた。

 珍しい。とても珍しい。というか、思春に口を塞がれるなんて初めてだ。

 いつもは……なんというか、触れてはいけないものみたいに認識されてるんだって思っちゃうくらい、触れてこないのに。

 

「あ、ち、ちがい、ます。ちがっ……わわわ私はべつに北郷のことは……!」

 

 そして、こんなにも真っ赤で呂律が回らない思春も初めてだ。

 父さまと母さまからは背中しか見えないだろうけど、これは珍しい。

 

「思春、今呼んだ?」

「呼んでない言ってない今すぐ離れろこちらへ来るな!」

「ひょわいっ!? え、えぇえええ……!?」

 

 急に怒鳴られた父さまが、疑問を顔に浮かべながら離れていく。

 その際、一緒に離れた母さまが、見守るような優しい笑みで思春を見つめていたのは……どういう意味があったのかな。

 そう思いながら思春に視線を戻すと、……もうどっちが子供なんだろうって顔で私を見つめていた。塞いでいた手も「申し訳ありません、動揺しました」って離してくれて、でも真っ赤なのと少し涙目なのは変わらない。

 

「思春は父さまのことが好きなんだね」

「いえそれは違います私はあの男が支柱であり蓮華さまに連れ添う者であり孫呉に未来を残せるものだからこそ」

「わ、わっ……!? 落ち着いて思春! 一息でどこまで早口するの!?」

「い、いえ。大丈夫です、動揺はしていません」

 

 してると思う。すっごくしてると思う。……してますよね?

 

「とにかく。私が北郷のことを好きなどということは、決して───」

「?」

 

 後ろを向いてまで、父さまの顔をちら見する。

 それってもう、ちら見じゃない気がするけど……それにしても、さっきはびっくりしてたのに、もうきょとんとした顔で返せる父さまの胆力ってどうなってるんだろう。

 そんな父さまが遠ざかる。厳密には、思春が私に「失礼します」と言って私を持ち上げ、父さまたちから離れたからだけど。そういうわけで少し離れた場所ですとんと下ろされて、そこで真正面からとんでもないことを言われた。

 

「……ええ。好きではありません」

「えぇっ!? そうなの!? な、なななん───」

「愛しています」

「───」

 

 言葉に出来ない熱さが、胸を貫きました。

 顔は赤いけど真剣な顔と、嘘を全く含まない声。

 凄いな、こんなふうに言えるんだ。愛って凄い。

 というか、話すと長くなるほどに……ここからいろいろな話をされました。

 呉に来た時はああだったとか、一緒に移動することになってからはこうだったとか、振り返ってみて、なんだかんだで支えていた自分に気づいたら死にたくなったとか、いつから父さまのことを好きであったかを自覚したら自分というものがわからなくなったとか。

 ならばわからないなりに、時には流れに身を任せてみるのもいいかもしれないと思ったこととか、任せたら任せたでいつの間にか父さまを異常なほどに大切に思っていたこととか、それが行き過ぎて怒られたこととか。

 そんな時に毒見で食べた辛い料理は、密かに思春の思い出の食事らしいです。ひぃひぃ言いながら料理を食べる父さまを見ていて、余計に守ってやりたいと思ったとか…………う、うぅん、ちょっと想像出来ません。

 

「あ、愛って……どんな感じなんでしょうか。好きとは違うんですか?」

 

 自分の知らないことを胸を張って語る思春に、しなくてもよろしいですと言われていた敬語を使ってしまう。対する思春は……愛についてを語ってくれた。

 私の知らない言葉とかたくさん出てきたから、理解するのは難しかったけれど、ともかく……傍に居ると安心、微笑まれると胸がうるさい、頼られると舞い上がる、守ってやりたくなる、しかし守られるのも嬉しい、寄りかかりたくなった時に受け止められると全てを委ねたくなる、などなど。

 最初はわくわく顔だった私も途中から顔が痛いくらいに熱くなって、目がぐるぐる回ってきた。思春ももう自分が何を言っているのか正しく認識できていないんじゃないかなぁ。だって凄い真っ赤っかだ。

 けれど聞いた。聞きました。姉さまが“好き”についてを思い悩んでいるようだったから、聞く姿勢は解かずにそうしていた。

 

……。

 

 …………前略、曹丕姉さま。

 孫登は、今日というこの日だけで随分と大人の世界を知った気がします。

 

「しししし思春! ああいうことを登に話して聞かせるなんて───!」

「し、失礼しました蓮華さま。語っているうち、私も何を語っているのかを見失ってしまい……」

 

 現在、様子を見にきた父さまと母さまがここに居て、珍しいことに母さまが思春に説教をしています。相当に混乱していたのか、これもまた珍しく母さまと父さまが近づいてきたことに気がつかなかった思春は、母さまと父さまが居るにも関わらず話を続行。もちろんそれからのことをきっちりと聞かれてしまって……今に至ります。

 

「父さま……男女って奥が深いのですね……」

「まあ、その。忘れろとは言わないけど、あんまり口外するようなことでもないから、気をつけような」

「述には話てしまってもいいでしょうか」

「ややこしくなるからやめてください」

 

 泣きそうな声で言われてしまいました。

 そして理解します。

 様々な人に想われるというのも、きっと物凄く大変なことなんだろうなぁと。

 

「一刀っ! 大体あなたが!」

「やっぱきたぁあーっ!!」

 

 そして飛び火。

 顔を真っ赤にさせた母さまが父さまを指差して説教を始めます。

 父さまは正論を以って、少しずつ宥めようとしますが……正論って人をよく傷つけます。それが母さまの胸に突き刺さって、怒り出す。

 そこからの母さまは今の状況とは関係のないことまで口にしだして、思春がそれを止めようとするけれど父さまがそれを静かに止めて。やがて様々なことを叫ぶように言い放って、落ち着きを取り戻したところで……父さまは母さまを抱き締めて頭を撫でました。

 ……それで終わり。

 あ、あれぇ!? なんて戸惑ってしまうような状況だけれど、本当に終わった。

 父さま曰く、なかなか自分の内側を吐き出せない人は、怒らせてでも吐き出させてやったほうがいい、とのこと。だから思春を止めたんだって気づいた時には、女性に囲まれた支柱生活を続けられている父さまこそを、素直に尊敬しました。

 きっと、たくさんの苦労を知っているんだろうなぁ。

 男性なら羨ましいって思うのかな。ちょっと想像してみる。

 

  ……自分より強い女性ばかりに囲まれて、三人の王と各国の将と過ごす日々。

 

  都では騒ぎが絶えず、警備隊隊長として過ごした彼は日々を駆けていた。

 

  将の皆様に振り回され、王の皆様に振り回され、けれど仕事と鍛錬は真面目に。

 

  仕事で疲れて部屋に戻ると、女性が待っていて……えぇと、その。

 

  …………。

 

 一言。

 よく過労で死にませんでしたね、父さま。

 兵というか、男性に尊敬されている理由がよぉお~っくわかった瞬間だった。

 そうなのだ。父さまは男性の方に人気がある。

 その理由がよくわかっていなかったけれど、今ならわかる……気がする。

 私は男性じゃないから、全てを理解するのは不可能だ。

 女性と仕事に囲まれた忙しさの中にあって、それでも父であろうとした父さまは、本当に忍耐の人です。

 私は、そんな父の在り方に負けない自分になりたいと思う。

 出来ればそんな父を、いろんなことで支えられる人になりたい。

 そう思うと、一番にはなれなくてもいろんなものが苦手なわけではない自分が大好きになれそうな気がした。

 好きになれそうだったから、白蓮さまのところへ向かうことが増えたのは、言うまでもない。出来ない者の苦悩を打ち明けあったあの日から、今までいろいろあって、真名はもう預けてもらってあったりする。

 

「教わることは恥ずかしいことじゃない……名言です」

 

 ───そんなわけで。川から戻ったあとは、早速白蓮さまのもとへ。

 仕事をしていたけれど、笑顔で迎えてくれた。

 

「苦労したやつには幸せになってほしい。北郷も娘達のことで苦労した分、こうして思われてるんだから報われてるよなぁ」

 

 笑顔のままにそんなことを言っている。

 本当に、気安い人だ。

 ただいい人すぎて、いつか騙されてしまわないか不安。

 ……と思ったら、既に騙されたことがあるらしい。

 「それでもこんな感じなのは、もはや性分だよ」とやっぱり笑う。いい人だ。

 

「はふ……」

 

 日々は平穏。

 私には愛だの恋だのはまだまだわからないけれど、せめて人を平気で騙すような人にはならないようにと心掛けることにする。

 教えてもらう時間の中で出た欠伸に笑みを浮かべ、伸びない自分に溜め息ばかりを吐いていた日々にさようならを。

 じゃあ、頑張ろう。

 周りには優秀な人が多すぎるんだから、私は一番でなくてもいい。

 ただ、誰かが困っていたら多少だろうと手伝える自分で居られるように。

 

「………」

 

 これも父さまのためになるのかな。

 今までひどいことをしていた分、恩返しみたいなのが出来ればって思っている。

 けど、面と向かって父さまに“これって恩返しになりますか”と訊けるわけもない。

 なので、これでいい。

 なんでも出来るようになることが悪いことに繋がるかどうかなんて、きっと自分の意思によるものに違いないのだ。

 曲がらないようにしよう。

 愛だ恋だはまるでわからなくても、人が悲しむ姿を見たいとは思わないから。

 



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128:IF2/彼が自分を認めたら、きっと彼自身が紹介される①

180/己を犠牲にしてまで相手を立てようとする人にありがち、らしい

 

-_-/陸延

 

 とある日の夜のことでした。

 突如としてお父さんが私に言いました。

 

「延。生活サイクルを変えよう」

 

 何を言われたのか、わかりませんでした。

 さいくる? 細工かなにかのことでしょうかねぇ。

 

「旦那さまぁ? 私たちのお部屋に訪ねてくれるのは嬉しいんですけど、天の言葉で言われてもまだわからないことのほうが多くて、わかりづらいですよぅ?」

「あ、っと。俺もいい加減慣れないといけないのにな……あ、あー……サイクルってなんだっけ? ……まあ、一日の過ごし方を纏めたものとかそういうのって認識でいこう」

 

 はぁ、なんて言ったお母さんがきょとんとする。

 当然ながら、私にもわからない言葉。

 はぅ……知識欲を刺激されますねぇ~……! 質問攻めにしても怒られませんかねぇ。

 

「昼に寝て夜に起きて行動、じゃあ身体によろしくないと思うんだ」

 

 と思ったら、そんなところに落ち着いてしまうらしい。

 むぅ、べつに延の身体はどこもおかしくないですよ?

 

「延はいたって健康ですよぅ? 発育だって、子供とは思えないと近所でも有名ですしぃ」

「近所には王と将しか居ないんだが」

 

 つっこまれてしまいました。

 お父さんのこういうところは、なんというか嫌いじゃないですね~。

 

「それでぇ、旦那さまぁ? 具体的にはどういったことをするのでしょう」

「夜に寝る努力、昼に起きる努力をしてもらおうかなって」

「嫌です無理です眠気を我慢するなんて人体に対する冒涜で───」

「欲しい本を一冊買ってあげるぞー」

「うわはぁ~いっ! 延、頑張っちゃいますよぅ!?」

「我が娘ながらちょろいなオイ……」

 

 お父さんが溜め息を吐きながら頭を抱えました。

 隣ではお母さんがあらあら~なんて言って笑っています。

 なんだか面倒なことを引き受けちゃいましたけど、本のためです。頑張りましょう。

 

 

 

 

=_=/一日目

 

 うじゅー、うじゅー、ってなにかに頭を引っ張られるような感覚でした。

 延は正直な気持ちをここに述べます。

 眠いです。

 

「延~、寝たら本の話は無しだからな~」

「起きてますよぅっ!? こ、こう見えても延は、忍耐力の達人なのです!」

「忍耐力の達人ってなに!?」

 

 暑い日、中庭の東屋にある円卓に座りながらの癒しの氣の勉強は続く。

 隣のお母さんは……自分の胸を枕にするように寝ています。

 自分も将来あんなおっぱいお化けになるのではと考えると、かなり怖いです。

 ……何事も適度、ですよねぇ。

 

「それにしても、よくお母さんは眠れますねぇ……延は暑いのは苦手です……」

「身体がだるくなるほどの暑さが得意な人は、そうそう居ないだろうなぁ。はい、竹筒」

「これはこれはご丁寧に~」

 

 お父さんがくれた竹筒の栓を抜いて、中の水を飲む。

 相変わらず飲みやすい温度ですねぇ。……ですけど身体はわがままさんで、まるで冷たいのを飲みたいと叫んでいるようです。

 しかしわがままは言いません。

 私は全てに一定でありたいと思っています。

 お父さんはどうなってもお父さんですし、お母さんももちろんそうです。

 わがままを言えばお父さんはそれを叶えるでしょうが、それは私の願う親子とは違います。

 何事も一定。何事も適度です。

 それこそが干渉しすぎず干渉されすぎない付き合いというものだと思うのです。

 そうして出来た時間に、延はのんびりと夢の世界へえへへへへへぇ……!!

 

「本一冊で在り方捻じ曲げてる時点で、なんかもういろいろと一定じゃないだろ」

「口に出てましたかぁ!?」

「……ああ、もう……俺の子だなぁ」

 

 お父さんが照れくさそうに笑っています。

 普段から努めて冷静に、乱れない自分でと心に決めている私ですが、眠気の所為で意識が緩んでしまっているようです。

 お父さんが伸ばした手の意味を理解できず、気づけば頭を撫でられていました。

 驚いてその手から逃げた頃には、もうたっぷりと頭を撫でられていたのです。

 うぅん、やりますねぇお父さん。この手でいったい何人の女性をとろけさせてきたのでしょうねぇ。

 

「んんー……それにしても、お母さんは暑くないのでしょうか……自分の胸を枕になんて」

「よく泡立てた石鹸で肌を撫でるように洗って、冷水で流すと、少しだけひんやりとした感覚を味わえるぞ。……穏がそれをやったかは別として」

「……見るからに暑苦しそうですねぇ」

 

 暑くないんでしょうかと言ってはみたが、ちらりと見たお母さんは暑さにうんうんと魘されていた。そんなお母さんの額に張り付いた髪を指ですくうようにどかしてあげるお父さんは、なんだかとっても優しい顔をしています。

 それから氣を操って風みたいなのを作って、お母さんの顔に吹きかけている。

 ……次第にとろけてゆくお母さんの顔。

 けど、少ししたら氣が枯渇したのか「ぐはっ」と言ってお父さんが昏倒。

 …………えぇっとー……これ、延にどうしろというんでしょう。

 眠っちゃっていいですかー……? いいですよねー……? 見張りであるお父さんも突っ伏しちゃってますしー……。

 

「それではおやす───」

「早くも脱落か。北郷には報告させてもらうが、いいな?」

「おきてますはいーっ!!」

 

 びっくりしました! 突然声が聞こえたと思って振り返ってみれば、思春さまが!!

 え? えぅう!? さっきまで居ませんでしたよねぇ!?

 なんで! いつの間にぃい!?

 

「都の主の護衛だ」

「え、えぇえええ~……!?」

 

 お父さんが近くに居る限り、お昼寝が出来ないことが確定した瞬間でした。

 

……。

 

 夕方。

 

「ああ……陽が落ちていきますよぅ延……。まだ眠っていないのに、夕陽のやつが落ちていきますよぅ延……」

「お前はどっかの全身黒タイツのサンタか」

 

 落ちてゆく陽を見送ったのなどいつ以来でしょう。

 懐かしいというよりは新鮮に感じてしまうあたり、延はもういろいろとあれなのかもしれません。

 

「なんですかぁ……? ぜんしんくろたいつ、ってぇ……」

「語尾がもうとろけてるな……ああ、うん。ようするに夜中にあのー……ソリに乗って、子度たちに何かするオッサンだ」

「変人ですか」

「いや、夢を与えてるんだよ。片足どころか全身泥まみれっぽいけど与えるほうなんだよ。誰かに見つかったら即通報されそうだけど、剣玉かついで子供たちに夢与えてるんだよ」

「けんだま?」

「……サンタはスルーで剣玉に食いつくのな……」

 

 お父さんが“めも”を取り出して、そこに絵を描いてくれます。

 ………………蝶の頭が鋭く突き出して、足が一本しかない化物がそこに描かれました。

 

「お父さぁん……けんだまって化物の一種だったんですねー……」

「え? ………………はっ!? い、いや違うぞ!? これが剣玉だ! ばけっ……化物!? え!? 化物に見えるか!?」

 

 お父さんは絵が下手です。いったい何を描きたかったのでしょうと思うほど下手です。

 けんだまというのを描きたかったのでしょうけど、私の中では既に“けんだま”は化物の一種でしかありませんでした。

 

「……鍛錬ばっかじゃなくて、絵心も磨かなきゃだな……はぁあ」

 

 言いながら、さらさらと何かを描き始めます。

 卓の上に置いて描いているから私からも見えますが…………えと。なんでしょうね、あれ。

 待ってください。今私の頭の中から、お父さんの絵の下手さを考慮した答えを導き出します。こう見えても私、武も中々で頭も中々という自負が───

 

「………」

 

 自負が…………

 

「……、……」

 

 …………。

 

「……お父さん、それ、何を描いているんですかぁ?」

「ん? 猫」

「ふぇええっ!? 新しい、棘のついた拳用武器じゃなかったんですかぁ!?」

「棘!? 耳だぞこれ!!」

 

 本気で驚いているお父さんと私。

 どう見ても猫には見えません。

 やがて私と“猫?”とを見比べて、頭を抱えて落ち込み出すお父さん。

 ……やっぱりお父さんは不思議な方です。

 偉い筈なのに苦手なものが多くて、出来ることも多い筈なのに簡単だと思うことで失敗する。不思議です。

 

 

 

=_=/その後

 

 その後も……

 

「父道大原則ひとーつ! 父たる者、家庭でも役立つ者でなくてはならない! おお、見よ……この華麗なる針のワザマエ……ギャアーッ!!」

 

 服の(つくろ)いをすると言い出して、盛大に指を針で刺したり。

 

「父道大原則ひとーつ! 父たる者、家庭を、家族を守れる者でなくてはならない! いくぞ華雄! うおぉおおおおおギャアーッ!!」

 

 華雄さんに挑んではみたものの、一瞬の隙を突かれて空を飛んだり。

 

「父道大原則ひとーつ! 父たる者、料理だろうと常に全力で───あ。指ィイイーッ!?」

 

 叫びながら包丁を下ろした先で指を切ったり。

 

「父道大原則ひとーつ! 父っ……カハッ」

「隊長ーっ!」

 

 挙句、張り切り過ぎて倒れました。

 過労だそうです。

 命に別状はなかったものの、皆々様からこれでもかというくらいに怒られたそうで。

 “何故こんなになるまで”という、お医者様からのありがたいお言葉に、お父さんは正直に答えました。

 

「みんながっ……! ~……みんがっ! 寝かせてくれなかったんじゃないかぁあーっ!!」

 

 ……あの時ほどの息の詰まる静かな瞬間を、延は知りません。

 父道大原則とやらを叫び出した時には、既に相当頭の中が大変なことになっていたらしく……寝不足と疲れで暴走を起こしてああなったんだろうというのが華佗さんの言葉。

 身体にいいものをゆっくり食べさせて、ゆっくり休ませてやってほしいという言葉に反応した皆々様方が一挙に行動を開始、あくまで全員が“少しずつ”の言葉を守ったものの、全員が作れば異常な量になるわけで。

 皆様当然立入禁止。

 当たり前のように抗議の言葉があがったものの、華佗さんに“子供が欲しいのはわからないでもないが、休ませてやれ”と正論でぴしゃりと返されて……現在。

 

「……それでも全部、食べるんですねぇ」

「うっぷ……っ……みんな良かれって作ってくれたんだから……うぶっ……」

 

 寝台の上、皆様が作った“少しずつ”を休みながら食べるお父さんの姿。

 他の方はいらっしゃいません。私だけがぽつんと残されました。

 何故かといえば、私だけが公平な判断が出来そうだからだそうで。女性として狙うわけでも、娘として甘えるわけでも、迷惑をかけるわけでもないからと、看病を任されました。五斗米道の修練の意味も兼ねているのでしょうねぇ。

 女性として狙わないという意味で筍彧さまの名前も出ましたが、出た途端に華佗さんが“医者としてそれは認めるわけにはっ”と、はっきりと言ってくれました。

 なるほど、華佗さんも認めるほどに、やはり筍彧さまはお父さんが嫌いですか。

 まあ、ともかくです。

 食べ続けるお父さんの横で、こうして医者としての経験を積んでいるわけです。

 五斗米道継承者として望まれているという意味でも、病人と一緒に居る時間は経験しておいたほうがいいですし、血相を変えてあれをするこれをすると口にしては、明らかな暴走をする皆様にこれ以上をお任せするのは、少しどころかかなりの抵抗がありました。はい、正直な気持ちです。

 

「今は食べるよりも眠ることを優先したいのですが~……」

「はっ……はぁーっ! はぁーっ! はっ……ハァーッ! はぁあああ……!!」

「お父さん!? それは食べてはいけませんよぅ!」

 

 一呼吸ののち、きっぱりと今後の療養についてを説こうとしたあたりで、お父さんが小さく盛られた魚の頭が飛び出している炒飯を前に、大漁の汗を流しながら息を荒くしていた。

 作ってくれたものだからって、泣くほど怖いものを匙子(ちーず)で掬い、口の前に構えて震える父の姿はとてもではありませんが見れたものではありません。

 

「───」

「お、お父さん?」

「いや」

「いや……?」

「みんなには黙ってたけど、俺……」

「俺……?」

「強いんだ」

「!?」

 

 突如、何故かこちらを見てにこり。

 慌てて止めるも、

 

「ホービバム・ビ・バァーッ!!」

 

 と訳のわからないことを叫んだかと思うとおもむろに炒飯を口に。

 その際、鼻呼吸を止めて、舌を出来るだけ奥まで引っ込めて、素早く咀嚼したようですけど……耐え切れず呼吸をした時点で“ぼぶしゅうっ!”と咳き込んで……少しするとぼてりと後方に倒れ、寝台に気絶しました。

 

「…………」

 

 黙しながらも匙子と炒飯が乗った皿を取り、匂いを嗅いでみる。

 ……匂いはしなかった。その事実が逆に怖いです。炒飯ですよ? 香ばしい香りはしようとも、香りがしないなんて……いったいどのような危険物なのか。

 もしかしたら鼻が香りを受け入れることを拒絶しているのではとか思ってしまう。

 失礼な行動だろうとはわかっていたものの、目の前で口にした父が気絶する威力。……ごくりと喉を鳴らして、一粒だけを取って口にしてみた。

 

  ───頭の奥で、“どごぉおーん!”って物凄い音が鳴った。

 

 途端に世界が滲み出して、歪んで、ぼやけて、立っていられなくなって座る。

 偏りの無い普通を好む私にとって、この味は衝撃でした。

 あまりに未知のものすぎて、頭が知識を望むよりも先に“知らないほうが幸せなものもあるのだ”と心が理解した。

 たった一粒でこれだ。

 ひと掬い(匙子山盛り)を一気に食べたお父さんは、さぞかし辛かったろう。

 父という存在の普段の弱さと、無駄に強くあろうとする姿に、妙に感心した日でした。

 

「……はっ! 延は閃いてしまいました……! この料理の効果を大義名分に、気絶するように眠ってしまえば───!」

「眠るのか。構わんが、北郷が起きた時には報告させてもらうぞ」

「起きてますごめんなさいぃっ!!」

 

 ……そして。

 人の小さな閃きの行く末など、こんなものですよねと、妙に悟った日でもありました。

 うう……気配を殺して傍に居るなんて、卑怯ですよぅ。

 ……むしろやっぱり居たと納得するべきなのでしょうか。

 いっそ興覇お母さんに看病を任せたほうがよかったんじゃないですかねぇ……。



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128:IF2/彼が自分を認めたら、きっと彼自身が紹介される②

=_=/さらにその後

 

 さて、お父さんが倒れてから幾日の朝。

 そう。真っ先に看病をすると言い出した大人の皆様と、丕姉さんと登姉さんやらが出入り禁止を受けて幾日。

 丕姉さんと登姉さんは、会うたび会うたびに“父さまは!?”とか“窓を破壊してでも侵入して看病を……!”とか恐ろしいことを言っています。

 さすがに笑い話にもならなくなりそうなので、そこは各お母さん方に雷を落としてもらい、静まってもらいました。

 けれど、こうして看病するようになってからわかったことが幾つか。

 お父さんは、皆様が居ないと物凄く油断します。

 こう、容姿に見合った……というのでしょうかねぇ。

 ひどく子供っぽい言動を口にすることがあって、ハッと気づくと顔を赤くしています。

 

「お父さんは病気になると子供っぽいですねぇ」

「そうか? 父としてはこう……常に凛々しい自分を目指しているというか」

「前言を撤回します。常に子供っぽいです」

「そうなの!?」

 

 驚いた顔で「おぉおお……そんな……!」とか言ってます。

 寝台で上半身だけ起こして、自分の両手を見下ろして唸る父の姿……凛々しくはないですよねぇ。

 

「なんと言えばいいんでしょうかねぇ~……大人のみなさんに囲まれている時は、自然体なのにどこか意識を尖らせていると言えばいいのでしょうか。それが、私ひとりの時だと、たまに……本当にたまにですけど~……こう、緩む時があるといえばいいのでしょうか……ねぇ?」

「いや俺に訊かれても」

 

 でも、なんでしょう。

 私はいつものお父さんを見ていたこともあって、そんな弱さにほっとします。

 立派であろうと、だらしなかろうと、父は父だと思っていました。

 それが、実は中間であったと知ったらどうすればいいのか。

 だらしがないというよりは、“あと一歩が足りない”人。

 立派というよりは、やっぱり“あと一歩が足りない”人。

 だからか、見ているとほうっておけない、どうにかしてあげたくなっちゃうのです。

 それこそ、“だから”なんでしょうかねぇ、お父さんの周りにあんなにも女性が居るのは。いえ、もちろん男性にも親しくされていますけど。

 足りている、満ちている人には“手伝う人”は必要ない。

 足りないからこそ補う人が必要で、けれど相手が持っていないものを満たそうともしない人に手を貸す人は少ない。

 ……その点で言ってしまえば~……みなさんから見たお父さんは満点に近いのでしょうね。頼る前に努力をしますし、失敗しても自分の所為にしかしようとしませんし、むしろ他人の失敗を自ら被ろうとして怒られるくらいですし。“自分の行動は自分の所為に”と決めているのに、何故他人の失敗は被ろうとするんでしょうね。理屈が合いません。

 

「あー、えと。なんだ。子供っぽいってことは、なにかわがままとか言っても許されたり……するのか?」

「はいぃ、もちろんですよぅ?」

「そ、そうなのかっ! じゃあ───」

「仕事と鍛錬以外ならと、お母さんに釘を刺されていますけどねぇ?」

「………」

 

 楽しみにしていたものを台無しにされた子供のような顔をされました。

 

「じゃあ料理!」

「侍女さんの仕事を奪ってはいけませんよぅ? そんなことを言い出したら、孟徳お母さんに報告するようにと言われていますから~」

「ひどい! なんてひどい! あ、じゃ、じゃあっ……散歩! 外の空気を吸いにっ!」

 

 無言で部屋の出入り口と窓を開けると、朝の空気がふわりと流れてきました。

 

「美味しいですか?」

「五つ星ですドチクショウ……」

 

 意味のわからないことを泣きながら言われました。

 

「なぁ延……? なんで俺、療養してまで娘にからかわれてるんだろうな……」

「娘にからかわれるのは、良い家族の証明だと公覆お母さんが」

「祭さんいったいなに教えてるの……。自分がからかわれたら拳骨するくせに」

「えぇ~、その言葉を聞いて、早速からかった柄ちゃんが拳で泣かされていましたねぇ~」

「うわぁーぃ大人げねぇーっ!!」

 

 からかい方の問題とも思えましたけど、確かにそうですね。

 「おわっと、口調口調……!」となんだか慌てているお父さんをよそに、延も苦笑をもらさずにはいられません。

 

「……ところで延。みんなが……あ~……将のみんなが事情があって来れないというか、来させてもらえないのはわかってるけどさ。穏はどうなんだ? 穏は別に人の看病で騒いだりしないし、病人が気絶するような食事も作らないだろ」

「仕事だそうですよぅ? お父さんが動けない状態は、みなさんに大分迷惑をかけているようですからぁ。まあ、それ以前に仕事の量自体がそんなに無いらしいですけど、だからってなにもしないわけにはいかないので」

「笑顔でひどいなこの娘」

「誰に対しても平等でありたい延ですから。お父さんとて容赦しません」

 

 ふふんっ、と胸を張ってみれば、「そうやって得意顔をすると失敗するのがお前のお母さんだから、あまりそれはしないほうがいいぞ」と言われてしまいました。

 ……延はまたひとつ賢くなれたようです。複雑ですが。

 

「まあ、そうあってくれるのは安心できるよ。あ、別にこれから悪いことをするからとかじゃなくてさ。……なんか、周りの期待とか……“俺がやらなきゃいけないこと”に対する妙な使命感とか、そういうのに押し潰されそうでさ。厳しくもなく優しくもなく、そういう中間が欲しかったんだ。華琳は……いろいろ距離を取ったり縮めたりしてくれるけど、やっぱ基本がSだからなぁ」

「えす?」

「いやなんでもない忘れてくれ。ていうか娘になに弱音吐いてますか俺……」

 

 そしてまた、たはぁ……と溜め息を吐いて頭を抱えるお父さん。

 ……どうしてこう打たれ弱いのでしょうねぇ。自分の言葉にまで打たれ弱くては、いろいろと苦労すると…………してますねぇ、主に対人的な意味で。

 

「はぁ。もっとしっかりしないとなぁ。あ……ごめんな、延。なんか俺、ここ最近は弱音吐いてばっかりだな」

「そういうのはお母さんに話してあげたほうが喜ぶと思いますよぅ?」

「呉側のみんなに笑顔で言いふらされそうだからやめとく」

「……お母さんは、あれで結構口が滑りやすいですからねぇ」

 

 にっこり笑って、小さな丸眼鏡をくいっと直す。

 べつにそこまで目は悪くありません。気づけばいつの間にかかけられていたものです。透明の板が埋め込まれたもので、“だてめがね”と言うらしい。

 ……悪くないですよね? 比較する人が居ないのでなんとも言えませんし。

 

「………」

「………」

 

 考え事をしていたら、ふと会話が途切れました。

 べつに無理をして話すこともないのですけど、お父さんが少しそわそわとしています。

 ちらちらとこちらを見たり、何かを言おうとしてやめたりと、挙動が……。

 

「お父さん? 言いたいことはちゃんと言いましょうねー」

「うぐ。……いや、言いたいことというか。……そういうのが思い浮かばないから困惑しているというか」

「…………お父さんは、恐ろしいほどに正直ですね」

「感情をごまかすのをやめにした時期があったんだ。時期っていうか、まあ訊けることは訊いて、言えることは言おうって意味で、今もそれは続けてるつもりだ。たとえばこう、なにかを呟かれて、“なんか言ったかー”とか訊くとさ、ほら」

「あー……なるほどぉ。大抵の人って誤魔化しちゃいますよねぇ」

「うん。だから、そういう時には多少強引にでも訊くことにしてる。逆に、訊ねられた時にはきっぱりと───! ……き……きっぱり……あれ? ……きっぱり答える前に、あーだこーだと詰め寄られて……無理矢理吐かされてるなぁ……」

 

 そしてまた頭を抱えるお父さん。

 頑張って誠実であろうとしているのに、周りがその意識より先に動いてしまうようです。

 こういう時、周囲のほぼ全員が自分よりも上というのは……男の人にとっては辛いことなのでしょうかねぇ……。

 

「………」

 

 考え事をしながら、そんなお父さんを見る。

 あれこれとこれからのことや今までのことを考えているのか、覚えのあることを呟いては「あぁ、でもなぁ」とか「いや、これは絶対に華琳に……」とか、時に気になることを唸りとともに搾り出して、最後に溜め息。

 ここ数日のお父さんは、本当にこんな感じです。

 

「あ、なぁ延。俺っていつ復帰していいかとか、華佗から聞いてないか?」

 

 顔を上げたお父さんと目が合う。

 少し情けないような、不安がいっぱいの顔。

 こんな顔で心配ごとを訊かれるのは何回目でしょうね。

 この間までは妙に距離を取ったりしていたのに、不思議です。

 

「あと三日は休むようにと言ってましたよぅ?」

「三日!? え、あ、え……!? 俺そんなに弱ってたのか!? むしろなにかの病気!?」

「いいえぇ? お父さんが倒れたことで、各国の皆さんが“自分が力にならなくては”~って張り切りすぎて、現在仕事がないそうなんです」

「な、なんだってーっ!?」

 

 驚愕。

 急に叫ばれたので延も驚いてしまって、けれどその反応にハッとしたお父さんが慌てて謝ってきます。

 うぅん、べつに驚いてしまっただけなので、そんなに謝らなくてもいいんですけどねぇ。

 

「仕事がないって……! ただでさえ各国の若い人たちじゃ手に余る仕事を回してもらってるのに、みんなが本気出したらそりゃ仕事も無くなるよ……! むしろ“それでは次代の者たちのためにならないわ”って言ってたのに……華琳、きみってやつはいったいなにをやってるのさ……。あれ? でも穏は俺の分の仕事で忙しくて……あれ?」

「仕事が無くても、なにもしないわけにもいきませんからねぇ」

「あー……なるほど。仕事を探す仕事をしているみたいなもんか」

 

 たは~……と溜め息。

 この数日、お父さんは本当によく溜め息を吐く人だということを知りました。

 けれどそれは皆さんを案じてのことばかりで、自分の事柄で吐く時は自分の力不足に向けての溜め息ばかりです。

 自分のためと言いつつも、人の心配ばかりをしているんだなぁということがよくわかりました。

 そんなお父さんは、もう自分自身で元気だと理解しているようで、けれど看病に来ている私を気遣ってか、おそるおそるお願いをしてきます。

 それはとても簡単なもので、水差しを取ってほしいとか、着替えを取ってほしいとかそんなところです。着替えた衣服を手に部屋を出ようとすると、「いやっ、いいからっ! 父さん自分で洗うから!」と言ってきます。

 「いえ、延が洗うわけではありませんよぅ?」と言ってみると、顔を真っ赤にして「え、あ、そ……そうなのか、そっか」と俯いて頬を掻く。

 

「………」

 

 なんというか、お父さんは……。

 やっぱり、お父さんは……。

 

 

 

-_-/一刀くん

 

 なんのかんのと三日経った。

 部屋の中に缶詰状態で息苦しい……とは、まあ延が居た手前言えないものの、厠と風呂以外は本当に缶詰だったから、思うだけならタダってことで許してほしい。

 ともあれ約束の三日後、ようやく俺は外に出ることが出来た。朝っぱらから部屋の前で、ぐうっと伸びをして“部屋の外の空気”を堪能するわけです。や、もちろん大して変わりはしないんだけど……大事なのは部屋の外に出れたという事実なわけで。

 

「ん」

 

 歩き出す。歩む音は二つ。……気にしない。

 思えば体力も早々に回復したんだから、回復した時点で散歩くらいいいだろうに。

 延がしきりに“寝てないとだめですよぅ?”とか“無断で出たら、孟徳お母さんに言いつけちゃいますからね~”とか言い出すもんだから…………イ、イヤ、別に華琳さんが怖かったとか、ソンナンジャナイヨ?

 

「………」

 

 うん。

 まあ、うん。

 それはいいんだ。

 延は本当に普通に接してくれたし、多分俺も、南蛮に行った時以来の長期休暇みたいなのが取れたってことで、ようやく手とかも完全に痛くなくなったし。

 やっぱり氣ってすごいなぁ。

 痛みを緩和できるってだけで、本当にありがたい。

 うん、それはいい。

 

「………」

 

 看病中、延は普通だった筈……なんだけどなぁ。

 なんでかしきりに俺を見て、“お父さんは、延が居ないとだめですねぇ”なんてこぼすことが何回かあって。

 いや、本当に普通だったんだ。普通だった筈……なんだけど。

 な、なんて言うんだろうか。

 以前、天で見た人生相談ドラマみたいなやつ? を、思い出してしまったわけで。

 だらしのない夫、しっかり者だけど自ら不幸の道を歩んでしまう妻、みたいなアレだ。

 そう、延は……普通だった筈なんだけど、なんというかこう……なぁ?

 頼みごとを言ったら、その……なんでも了承するんだよな。

 その度ににこーって笑って、「しょうがないですねぇ」とか「すぐにやりますからー」とか。……あれ? なんか俺、だらしない夫役? なんてことをふと思ってしまって、これはいけないと娘の認識を改めてもらうためにと立ち上がった。立ち上がったら……

 

  “お父さんは延に看病されるのがお嫌なんですねぇ!?”

 

 って言われた。

 もちろん“違いますよ!?”と即答したらじゃあ寝ていてくださいと……そんなループ。

 傷つけるつもりは全然無いから、嫌々じゃないなら……って任せていた。

 延は普通にこなしていたから。

 



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128:IF2/彼が自分を認めたら、きっと彼自身が紹介される③

 で、そんな日が───

 

「あ、あの……延さん? お父さん、べつに背中を拭くくらい、自分で出来るから……。こう見えて柔軟とかは積極的にやってたから、体の柔らかさには自信が……ト、トニオの料理を食べた虹村くんにも負けないくらいの自信が……」

「言うより先に背中を向けてくださいねぇ~?」

 

 こんな感じで……

 

「料理だって自分で食べられるからっ……ていうか外に出して!? なんで俺軟禁状態なの!?」

「この間、厠と言いながら中庭に逃げようとしたじゃないですかぁ」

 

 俺の言葉なぞ右から左状態で……

 

「あのー……延さん? 別につきっきりで看病しなくても……。むしろ寝る時くらいは自分の部屋で……さぁ」

「眠っている時にお父さんが急変したらどうするんですかぁ!」

「もう十分健康なんですが!? むしろそこまで急変───あれぇ!? なんかその言い方だと容体がどうとかじゃなくて、俺がメタモルフォーゼでもしそうなふうに聞こえるんだけど!? え、あ、ちょっ……容体だよね!? 俺別に突然変異で変身したりとかしないよね!? 愛紗の炒飯と春蘭の杏仁豆腐が長い年月をかけて体内で超反応を起こして~とか、そんなことないよね!? 延!? ちょ、延!? なんか言って!? ここで無言とか怖い!」

 

 ……三日、続いた現在。

 

「………」

「………」

 

 にこにこ笑顔の丸眼鏡のお子が、俺の三歩後ろを歩いておるでよ。

 ようやく外に出ることが出来て、のびのびサロンシッ……ではなく、のびのびと歩いていたんだが……気になりすぎて、訊ねてみることにしたのです。

 

「あ、あー……延? ほら、俺もう元気だから……ていうかそもそも元気だったから」

「お父さんは自分でも知らないうちに無茶をしてしまいますから、延がきっちりと傍で見守ってあげます。しっかり者の誰かが見張っていないと、お父さんはだめです」

「えぇ!? いやっ、いいって! そんなことより自分の時間を大切にだな! ほ、ほら、朝と夜を逆転させる話しがあっただろ!? あれの続きを───」

「お父さんに合わせていたら、すっかり慣れましたよぅ? 延は寝ている顔よりも、ちょっぴり不安そうに延にお願いごとをするお父さんがたまらなく好きですから~」

「───」

 

 思考、一旦停止。

 

「え、えと。なに言うてはりますん? え……普通は!? 誰にでも平等なあなたは何処へ!?」

「先日お亡くなりになりました~」

「笑みながらそういうこと言わない! な、七乃か!? そういうのってやっぱり七乃が仕込んでるのか!?」

 

 そうとしか考えられないんだが!? つかそもそもこの年齢でこの応答はどうなんだ!?

 たっ……多感なお年頃で片付けていいんでしょうか!?

 

「いったいどうしたっていうんだ、延……。偏り無く、普通がいいって散々言ってただろう? なんかもうここしばらくでそんな印象はケシズミになった気しかしないけど」

「延はですね、考えました。ずぅっとずうっと考えていました。お父さんが皆さんに好かれる理由はなんなのかと。だからこそ何者にも揺らされぬ心を以って、お父さんを見てきたわけですが……こう、息を潜めて物陰からじっくりと」

「そっ……相談所ーっ! 娘が怖いんです! 繋いで僕の携帯! 繋いでぇええっ!!」

 

 正確かどうかもわからない時間と、見慣れた待ち受け画面を映すソレは、番号を打ったところでどこにも繋がらない。……どころか、そもそも相談所の電話番号なんて俺、知りませんでした。

 しかしここでハタと冷静になった。

 娘を相手に、なにをこんなに慌てる必要が?

 そもそも娘は自分を見て、いろいろと考えてくれていたんじゃないか。

 なのに拒絶すること前提みたいに騒いだら、いくらなんでも傷つくだろう。

 謝らなければ。

 そう思い、真っ直ぐに延の瞳を見つめた───途端でした。

 

「お父さんは、だめですね~っ、いろいろだめです♪」

「グファアッ!? カッ……カハーッ!?」

 

 言葉の槍が心の臓を貫いたのです。

 だめ……だめってなにが!? やっぱり俺なんかが父親気取りなんて百年早いとかそういう意味なのか!? 仲良くやっていけていると思っていたのに、思っていたのは俺だけだったのか!?

 一気にそんな考えが浮かび、視界が滲んできた。

 

「だめですからぁ~、人が集まるんだなって、ようやくわかりましたぁ~」

「…………エッ!?」

 

 娘に頑張りを否定された親の気分って、こんな感じなんでしょうか。

 冷たいなにかがトヒャアと背中を走り抜ける感覚だ。

 しかしながらそれも一瞬。驚きに塗り潰されてしまった思考がようやく動き出すと、ああ、それ当たり前のことだったと納得した。

 人は一人では生きていけないなんて、俺も蜀の学校の授業で教えたことだ。

 需要と供給の知識の中にも含んで語ったそれは、ようするに“完璧な人は一人でなんでも出来るから、助け合いなど必要ない”みたいな考え。いきなり言われると“ひどいな”と受け止められるもので、まあ実際にひどいと思う。

 ただ、完璧な人が本当に助力を求めない人だったなら、ひどいと思われること自体が心外なんだぞ、ってことを話したことがある。

 だから、助け合いが出来る人は、それを胸の中でだけ誇っていい。

 軽く頷く程度の喜び。そんな小さな誇り方で丁度いい。

 誇りすぎれば亀裂しか生じなくなるからなぁ。

 

(困ったもんだよな)

 

 “自分のため”は良い原動力になるものの、“自分のため”が過ぎると、相手の都合なんて一切考えない最悪の行動しか出来なくなるから気をつけよう。みんなと先生との約束だ。

 ……みたいなことを、ええ言いました。言いましたよ。

 思い出すと恥ずかしいものの、戦の世界を見てきたから言えることもあったのだ。

 完璧に近い人をたくさん見た。が、どんな人にも足りない部分はあって、それらを自覚している人が王をやっていた。

 自覚せずに天狗になっていた人が民を苦しめ、自分のために動きすぎていたために滅んだ。そんな事実を、口でしか伝えることが出来ないとしても知っておいてほしかったのだ。

 ほしかったのだが……まさかこんな状況で、言った言葉が戻ってくるとは。

 

「延よぅ……そういうのはな、もっときちんとさ、ほら。大人になってから、好きな人にでも言ってやりなさい。そしたら父さん、そいつ血祭りにあげるから。恋人にだめ呼ばわりされた相手に追い討ちかけるみたいなひどい精神で」

「先のことなんてわかりませんよぅ。今感じられる全てを今感じなければ、それまでの時間がもったいないじゃないですかぁ」

「……俺ももっと早くに鍛錬していればって思ってるよ……。強いんだよ愛紗さん……強すぎるんだ……。どうやってあんな領域に辿り着けっていうんだ貂蝉のばかー……」

 

 先のことなんてわからない。うん、十分理解している。している故に反論しづらいです。

 なんでこう、この世界の人たちは強いのか。

 強い人に囲まれながら成長すれば、そりゃあこの歳でもこんな子が成長するよ。

 だって甘やかそうとするのが俺くらいなんだもの。

 頭だっていいし文字だってスラスラ書けるし武においても一丁前だし、よくもまあ俺の遺伝子が混ざってるのにこんなに良い子が……! とか、どうしても思ってしまう。

 思ってしまうけど……やっぱり“ああ……”って納得出来てしまうところもあるのだ。

 たぶん娘達全員の共通点。

 

  精神的に打たれ弱い

 

 これが絶対にある。

 こんな歳なんだから当たり前だなんてみんな言うだろうけど、成長したってきっと変わりゃしないと言えるくらいに、妙な自信がある。

 丕はそれこそ相当に打たれ弱いし、登と述なんて言うまでもない。

 延は誰に対しても普通であることで保っていたなにかがあるだろうし、それが崩れた時の反動もきっとある。

 柄は……柄は祭さん自身が壁になってるからなぁ。いつかいつかと躍起になっていても、そのいつかが完全な敗北として訪れた時、果たして彼女は立ち上がれるのか。

 邵はあの性格だからなぁ。大人しいけど元気っ子っていう不思議さを持っている裏で、いろいろとコンプレックスを持っているのは知っているつもりだ。なにせ明命の子だし。ああいう性格は、壁にぶつかったときが一番辛い。悩み始めると深いし長いし、なにより人に相談することを“迷惑”と思ってしまって、自分で考えすぎて潰れる、ということをやらかしてしまう。

 琮は───……………じっくり考えてみたけど、好きな勉強方面で潰れる可能性がある。なにせ望むものと才能がバラバラっていうのは、かなり重荷になる。

 禅は頑張り屋だ。頑張り屋だから、困難ってものを知っている。才能のほうは……まあ、これからだろう。今から才能才能言っても仕方が無い。確かに、既に“差”はあるものの、これから伸びる可能性だってあるのだから。

 

(あとの問題は……)

 

 俺の血の所為で、ちょっとの成功で妙に天狗になったりして、あとで絶対に後悔するんだ……ああ間違い無いね。

 この傾向は丕に強くありそうな気がしてならない。

 私は出来る! と思った途端に鼻を折られてがっくりとか。

 …………なんだろうなぁ、物凄く想像しやすい。

 

「………」

「?」

 

 今、自分を見上げている延にもそんな日が来るのでしょうか。

 と、思考が向かう先を無理矢理捻じ曲げてないで。

 

「まあ……これまでの生き方がどうであれ、俺の場合───今、他の人の役に立てているのかって、いっつも不安なんだけどな」

「立っているから、みんなあれだけ心配してくれるんじゃないんですかぁ?」

「…………無神経なこと言った。ごめん」

「えへへぇ、誤魔化さないで、子供にきちんと謝れるお父さんは立派です。みんな、ちゃ~んと知ってますから大丈夫ですよ~?」

「………」

 

 子供ににっこり笑顔で諭されるって、情けないって思うのと同時に恥ずかしくて、でも学べることはあっただけにぴしゃりと言い返せないし、そもそもここで言い返したりするのはただの言い訳にしかならなそうだしで、なんかもう……文字通り返す言葉が見つかりません。

 ……ええと、うん。父とか年上とかそういう考えは置いておいて、一人の人として……今の言葉を受け取ることにしよう。

 

「じゃあ、この話は終わりでいいか? 父さん、もう十分心に叩き込んだから」

「はいぃ~、もちろんです」

「…………延は、本当に穏に似たなぁ」

 

 容姿がただ“穏を小さくしました”って感じだもの。

 喋り方から仕草まで、とことんだ。……胸もだけど。

 この歳で膨らみがあるってわかるもんなのか? 俺が8歳の頃、周囲の女子ってどんな感じだったっけ。

 

「………」

 

 三歩後ろを歩く娘の先で、少年時代の同級の胸を思う父の図。

 想像してみたら両手両膝を地について、生まれてきてごめんなさい……と呟いていた。

 な、なんだろうなぁこの恋人の前で浮気するような、奇妙な罪悪感。

 いや、そうじゃなくて、浮気の経験があるとかそういうのでは………………ハテ、複数の女性と関係を持っている自分は、果たして浮気をしたことがないと言えるのか否か……や、やっ! 浮ついた心ではなかったなら浮気では───

 

(グハァーッ!!)

 

 自分の言葉に物凄いダメージだっ……!

 考えないようにしていてもどうしても考えてしまうが、やっぱりこれっていろいろと問題があるよな……!

 みんなが真っ直ぐに好いてくれてるから俺もって、真正面から向き合ってきたけど……どれだけ真っ直ぐだったつもりでも、前提条件として“浮気”って言葉をつけるとこんなにもダメージがデカい……!

 

「お父さん? そんなところに蹲っていると他の人の邪魔になりますよぅ?」

 

 そんな父の苦悩はどこ吹く風。

 我が娘はやっぱり基本はマイペースらしい。

 8年以上もこんな苦悩に悩まされていて、いい加減吹っ切ってしまえとは誰もが言うんだろうが……捨てきれない感情って誰にでもあると思うんです。

 ええそりゃもちろん皆様のことは好きです。襲われた例もございますが、きちんと好きになってから抱きましたとも。

 それからは連日連夜、朝昼夕と働いて、夜には代わる代わる…………そりゃ過労にもなりましょう。むしろ今までよく保った。

 みんなが作ってくれた少量の料理のほぼが、精がつくものである事実に引き攣った笑いが浮かんだものの、本当に大事にされているなぁって自覚はもちろん湧いたのだ。

 今では娘たちからも少しずつではあるけど慕われて、少しずつ少しずつ幸せと最果てに向かっている事実に笑みと緊張を抱いていた。

 

(───)

 

 向かっている場所は何処ですか? なんて、軽い自問をしてみる。

 答えは───まあ、適当でいいんじゃないかな。

 明確な目標があるほうが歩みはしっかりするんだろうけど、曲げたくないものだけはしっかりと持っている。

 見えない未来の姿、その最果ての覇道を目指していようと、信じているものはひとつだけ。“幸せ”って未来に真っ直ぐ目を向けていれば、多少の間違いなんて笑い飛ばしてしまえる。

 その中で、絶対にやってはいけないことだけに注意していれば、間違った未来には辿り着かない。目指している全員が全員、それにだけは注意していれば……辿り着ける未来はきっと幸せだ。

 だから───

 

「延」

「はい?」

「お前は、きちんとした人を好きになりなさい。多少情けなくても……まあ、多少、多少なら目を瞑ろう。延をしっかりと幸せにしてくれる、そういう人を好きになりなさい。まだまだ早いだろうけど……父さん、延が大人になるまでにはいろいろと心の準備をしておくから」

 

 いい加減、親ばかからも卒業しないとなぁ。……あと8年くらいかけてじっくりと。

 その頃にはいくら俺でも……なぁ?

 そうそう、いい子に育ってくれて、今よりもきっともっと嫁に行かせたくなくなっていて、男が寄ろうものなら木刀持って───……あれ? 悪化してる?

 

「お父さんが認めてくれる人ならいいんですか?」

「正直に言うと、どんな男が来ても激怒する自信がある……」

「そうですかぁ……そんなお父さんは、ご自分を男として認めていますかぁ?」

「いやいや、まだまだ未熟だよ。……って、こんな俺に認められないんじゃあ相手が可哀相だよな。もっともっと、頑張らないとな」

「えへへぇ……ではお父さん? お父さんがお父さんを認められるって判断出来たら、教えてくださいね?」

「へ? ……そりゃいいけど、なんでまた。……いや、いいのか? 考えてみるとそれ、結構自意識過剰っていうか、恥ずかしいような」

「自分を認められない上に他人を認められないお父さんがそんなことを言っては、他の男性に失礼というものですよぅ? もっときちんと、恥だろうとなんだろうと受け止められるようになってくださいね~」

「………」

 

 また子供に諭されてしまった……。俺って……。

 でも、確かにそうだよな。もっといろいろなことへの自覚を持って、自分に自信が持てたら……その時は、恥じることなく胸を張って報告でもしようか。

 それで───…………ハテ? 俺が俺を認めたとして、いったいなにがあるんだ?

 俺には重要なことだけど、べつに延には関係がないような……。

 あ、あれか? これが私の自慢のお父さんですとか紹介するためか?

 ……そうか、そういうことなら自慢の父として、相手を全力でブチノメ……ごほんっ! 迎えられるような懐の大きな男にならないとな。

 

「確認しますけど~…………お父さんが認められる男性ならいいんですよねぇ?」

「ああっ、応援するぞっ! 認められたらな! 認められたら!」

「……くすくす……はいぃ~♪」

 

 内心ドキドキしながらの返事に、どうしてか延はくすくすと笑った。

 もしかして動揺してるの、バレバレだったか?

 や、でも仕方ないだろう。今でも娘が男を連れてくる瞬間を考えると、心の臓が躍動して……!

 そんな落ち着かない俺を見上げて、延はまた笑って、言った。

 

「お父さんは本当に、しっかりした誰かがついていてあげないとだめですねぇ」

 

 え? しっかりした人? ……居すぎて怖いくらいですが?

 それに加わる気ですか娘よ。

 この都にいらっしゃる方々といえば、他国で僕に憧れてくださった女官さんが“そこで私になにをしろというんですか”とかいって、辞退するほどにしっかり者達なのですが?

 



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128:IF2/彼が自分を認めたら、きっと彼自身が紹介される④

 ……まあ、人を心配するあまりに暴走する人たちばっかりですが。

 人のことが嫌いだからって夜中に侵入して、虫をぶちまける人も居るわけですが。

 おおあなた凄い人。そこに混ざると言いますか。

 

「まあその、あれだ。なにかをするにしても……ほどほどにな」

「ほどほどの幅がわからないので難しいですねぇ」

「いいから頷く! ほどほどに! 無茶、ヨクナイ! いいな!?」

「へやぅっ!? は、はいぃっ!」

「……ん、よし」

「………」

 

 焦りと動揺が混ざるがままに、つい強く言ってしまった……軽く自己嫌悪。

 女性に散々振り回されたこの北郷としては、何事も程々がいい、というのを子供のうちから覚えておいてほしかったとはいえ……。

 などと、再開させた歩に意識を向けながらもちらりと後ろを伺ってみるのだが……

 

「………」

 

 ……いやちょっと待て。

 何故怒鳴りまがいの強引な了承をもぎとられて、ホウとした顔でこちらを見ていますか延さん。

 ……もしかして、びっくりしすぎて頭が混乱してしまった……とか?

 そ、そうだよな。自分のことで慌てて、自分の馬鹿さ加減に叫ぶことはあっても、娘に対して怒鳴るみたいなことはしたことがほぼ無い。

 謝らなくては……! 相手が娘だろうと、謝ることをしない大人はいけません。

 

「あ、あー……延? ごめんな? ちょっと……いや、かなり強く言っちゃったよな」

 

 それでも気恥ずかしさと気まずさもあって、上手くは謝れない。

 立ち止まり、頭を下げたところで、延はむしろそうされたことに驚いて慌てた。

 ……お、おや? 怒られたこと、気にしてない?

 

「いいえぇ、延はべつに気にしてませんからぁ」

「う……そうか? でもな、謝った矢先に蒸し返すみたいだけど、やっぱりほどほどの行動をな? 泊りがけで看病とか、身の回りの世話をするとかは今回限りで───」

 

 なんて言った途端、にっこり笑顔で返された。

 

「はいぃ。過労で倒れたら、また看病させていただきますからぁ」

「延さんキミ今言ったことこれっぽっちもわかってないだろ」

「わかってますよぅ。お父さんは弱ってると目がうるうるして、申し訳なさそうな顔をして、周囲に気を使いたくても上手くいかなくて、少しおろおろしていて、やっぱり誰かが傍に居ないとだめな人だ~なんてことくらいぃ」

「───」

 

 ウワハァアーイ! なんだか娘がコッワァアーィイ!!

 む、娘の感情がわからない! それは前からだけど、ますますわからない!

 え!? 情けなさとか弱さに惹かれる人なんて居るのか!? それってあれか!? ただやさしいとかただ頑張ってるとか、そんなところに惹かれる~みたいなそんな理由でそうなるのか!?

 そんな前例、見たことも聞いたことも───!

 

「…………」

 

 …………。

 

(あったァアアアーッ!!)←生きた前例

 

 ほぼ毎日見てるよ! 姿見とかで見てるよ!

 考えてみれば俺って別に強くもなかったし格好良いなんて自覚もなかったし、魏のみんなに好かれる理由さえわからないような男だったのに、なんだかんだで関係持って……!

 

(あ、あれ……? 俺ほんと、なんで好かれてるんだっけ……!?)

「?」

 

 一人百面相をしているであろう俺を見上げ、こてりと首を傾げる娘様。

 そげなお子をひょいと持ち上げて肩車を。

 そそそそうっ、子供の言うこと子供の言うことっ! お、大人たる者、もうちょほいと余裕といふものを持たねば。……言葉が落ち着かない。故に落ち着きなさい僕の心。

 そもそも子供の言うこと~とか言って、人の話をきちんと聞かないのは俺の嫌いなことでもあるし。

 

「自分が聞く耳持たなかったのに、あとになって“どうして言わなかったの!”って言う大人、卑怯だよな~」

「ふえぇ……? そんな人が居るんですかぁ……?」

「…………いい時代だなぁ、この世界」

「?」

 

 肩車したまま歩きだした。

 話して歩いて立ち止まって振り向いて、また歩いて話して立ち止まって振り向いての連続だったため、肩車での移動は実に楽だった。

 

「んお……そーいや延~」

「口調、乱暴になってますよ~?」

「たまには砕けた方が家族らしいかなって思ったんだけどな……ン、ゴホッ。そういえばさ、延」

「はいぃ、なんでしょう~」

「延は、どんな大人になりたい?」

 

 子供たちにはまともに訊いたことのないこと。

 それぞれ今の状況をなんとかしたいって話は聞いたものの、先のことはそれほどでもなかった気がした。

 なのでせっかくだしと声にしてみれば、

 

「大切な人を支え続ける柱になりたいですねぇ」

 

 と。きっぱりと言った。

 口調がおっとりしている所為で、どうにもきっぱりには聞こえないものの……延にしてみればきっぱりだった。

 

「ははっ、なんだなんだ、五斗米道の他に、支柱にもなりたいのか?」

「あぁ~、その“なんだなんだ”って、大人って感じがしますねぇ~」

「……お願い言わないで。なんか無駄におっさん臭いって、言ってから気づいたんだから」

 

 普通に生きていれば、もう二十といくつか。

 それでもなんだなんだなんて言うには早いだろとか、心の中で即座にツッコミ入れた矢先にこれだ。

 ……心の中がもう、子供が居るって時点でいろいろと変わっていってるんだろうな。

 大人になるって難しい。

 

「お父さんは、なりたかったものとかってあるんですかぁ?」

「俺か? んー……俺はなぁ……」

 

 思い出してみる。

 子供の頃になりたかったものは……多分、剣道の達人。

 とびっきり強くて、誰も勝てないような、とにかく強い達人。

 強い気でいて、鼻っ柱を折られた天狗にしかなれなかったけど。

 だから、それを抜かして考えるのなら……そうだなぁ……───。

 

「……俺な。昔、馬鹿なことをやって大事な夢を壊しちゃったんだよ。それからは“自分なんてこんなもんだ”なんて無駄に悟った気でいて……多分、他の誰よりも先に現実を見た気になって、そんな自分に酔ってたって部分もあるんだろうな。結局は夢らしい夢も見つけられずに、そこにある日常の中をだらだらと生きて、ちょっとの変化に笑って、と。まあ、普通の生き方をしてきたかなぁ」

「目標とかはなかったんですか」

「ん、なかった。目指してみても、なれるだなんて思えなかったんだよ。強いって思ってた自分を、文字通りブチノメしてくれた人が居たから」

 

 自分が立っていた場所がどれだけ低いところで、そんなところで“最高”であったと自惚れていた自分が崩れたとき、多分……人は道を選べる。

 そこから新しい何かを探すか、自分ってものに見切りをつけるか。

 俺は後者を選んで、無難な日々を生きてきた。

 そこから自分を変えるには、多分多少の変化しかくれない日々を生きていたんじゃ足りなすぎて……変われない自分を、変化のない日常の所為にばかりして。

 でも……それこそ、見ていた世界そのものが変わるくらいの“変化”の中を生きた時、“あんな自分”にも目指したいものと、ともに歩みたい道があるのだと気づくことが出来た。

 自分の夢を追うんじゃなく、人の夢の果てを見たいなんて思ったのは、きっとあれが初めてで……自分を変えるための、最高の変化ってやつだったに違いない。

 

(そうじゃなきゃ……なぁ。悟ったつもりでいた自分が、人に土下座をしてまで強くなりたいなんて願うわけがない)

 

 悟ったつもりの人っていうのは、人に弱さを見せることを嫌う。

 もちろん俺もだったし、性質の悪いことにその在り方っていうのが、つつかれても痛くない弱さを見せることで、その奥の本当の弱さっていうのを隠すっていう、本当に面倒な方向の隠し方だった。

 だから外側からは変に悟っているよりも接しやすい人にも見えただろうし、人を突き放した言葉を使わない分、弱さというものを自覚した分、人にやさしくできたし、辛さってものに多少は敏感になれた。

 ただ、まあ。俺が見た変化の先の世界っていうのは……俺が知りえる最高の辛さなんてどうでもいいって思えるくらいに辛いもので。

 米の一粒のために武器を持って人を殺さなきゃいけない世界は、悟ったつもりだった俺に、人の生き死にってものを教えてくれた。

 そんな中に在って、希望を見せてくれる人に出会い、気づけば……自分が一番じゃなきゃ嫌だって竹刀を振り回していい気になっていた小僧は、必死になって他人の覇道ってものの先を目指して走っていた。

 

「じゃあ、お父さんは今の自分はお嫌いなんですかぁ?」

「今の自分? んんー……そだな。さっきは未熟だ~って言っておいてなんだけど、好きだよ。変われた自分に、後悔なんててんでないなぁ。あ、もちろん誰かに失礼だから~とかそんなんじゃなくてさ。誰かが好いてくれている自分が好きとかでもなくて……うん、本当に、今までがむしゃらで、多分これからもそうなんだろうけど。未熟でもさ、“頑張れた自分”は認めてやりたいんだよ、俺」

「頑張れた自分?」

「おう。父さんはなぁ、そりゃあもう立派な天狗だったぞぅ? そんな天狗が鼻っ柱を折られて挫折して、無難で傷つかない道ばっかりを選んで、それでも歩いてみたい道を見つけて───それからの自分は絶対に頑張れたって思えるから、そこだけは認めたい」

「そこだけなんですか」

「そう。悲しいことに、そこだけだ。だからいっつも“もっと頑張らなくちゃなぁ”なんて思ってるし、それ以外を褒めて、自分を甘やかすことはあまりしたくない。じゃないと、すぐにまた天狗になりそうだから」

 

 そういう意味では、愛紗さんの強さはとってもありがたいです。

 天狗になる隙をてんで与えてくれません。よしんばなれたところで秒と掛からず鼻が折れます。

 駆け引きによってようやく出せた相手の隙。それを穿てた瞬間、この北郷めの鼻は伸びるのですが、その喜びの瞬間を青龍偃月刀が叩き折るわけで。刹那の喜びさえ隙になるんです。……それを思うと、鼻どころか心が折れそうだ。

 

「そんなわけで、子供の頃になりたかったものにはなれなかったわけだけど……今やりたいことは、この平和が少しでも長く続くように頑張ることだな」

「途切れてしまうことなんて、あるんですか?」

「あるんだよなぁ……平和なんて、壊そうと思えばいくらでも壊せちゃうものなんだ。だから、全員が平和を好きでいなきゃいけない。壊れてしまえって思う人が行動に出ないから続いてるんであって、本当の本気で壊そうと思えば……多分、子供にだって簡単に壊せる」

「……ええっと、たとえばですよぅ? 子供な私が壊すとして、どうすれば……?」

「包丁を持って、人を殺せばいい」

「───」

 

 言った途端、肩車をしている延の身体がびくんと震えた。

 ……当たり前だ、子供がいきなりこんなことを言われれば誰だってそうなる。

 

「親が子供にこんなことを言うのは、どうかなとも思うんだ。でも、俺が知る平和な場所よりも……ここは“武器”が多いから。だからな、延。手に取る武器で、平和は壊さないでくれ。壊すなら危険を壊しなさい。こんなこと、武器を手に鍛錬をする前に言われ飽きてるかもしれないけどさ。言われ飽きていることほど大事なことだって、意識しておいてくれ。大事じゃなければ何度も言わない。聞き飽きたことほど、相手にとっては大事なことっていうのはよくあるんだ」

「……それは、わかっているつもりですよぅ?」

「…………俺としては、子供とこんな会話をして、きちんと通じていること自体が驚きだよ。普段いったいどんな勉強してるんだ」

「もう戦についてとかは普通にやっていますねぇ……」

「頭の回転が早いって、素晴らしいな」

「ですねぇ」

「と、いうかだ。怖かったりしないのか?」

 

 震えてたみたいだけど、とは言わないで言ってみる。

 と、延は俺の頭の上で腕を交差させて、ぺたりと顎を乗っけてきた……と、思う。

 なんかそんな感触。

 

「ええっと、“人が死ぬのは怖いものだ”と教えられていますから~……それは、怖いですよぅ? でも、まだこの目で見たわけではありませんし……。お父さんはどうでしたか? やっぱり人が死ぬのは怖いものですかぁ?」

「怖いよ。出来ることなら二度と見たくない。殺す人も、殺される人も」

「……お父さんがここまではっきりと言うなんて……よっぽど怖いんですねぇ……」

「待ちなさい延さん。キミの中の父は、いったいどれだけどもってらっしゃるの?」

「? ……いっつもどもってるじゃないですかぁ」

「…………」

 

 ……うん。なんか…………どもってるよね……ほぼ毎日……。

 比べたりしない目で見るからこその“正当な評価”が、今はとても痛かった。

 

「それで、お父さん?」

「んー? なんだー?」

 

 なんだろうなぁ。延と話してると、心がのんびりになってくる。

 やっぱり喋り方の問題か? それともそういう空気になるからなのか? ……そういう空気になる理由が、喋り方にある気がするからもう、それはそれでいいんじゃないか? ……いいか。

 

「今、どこに向かってるんですか?」

「朝食欲しさに歩いております。延、なにか食べたいものはあるか? 話し込んでたら結構経っちゃったし、厨房の方はもう料理なんて無さそうな気がする」

「じゃあ、お父さんの料理が食べたいですね」

「マッ……! ほ、ほんとか!? ほんとに俺の料理が!?」

「はいぃ、やっぱり普通が好きですからぁ~」

「ア……そ、そう。そうネ。普通だもんネ……」

 

 喜びの頂から奈落の底へと突き落とされた気分だった。

 まあ、普通だもの。

 普通が好きだというのなら───喜んで、普通を貴女に。

 

「ですから、私が料理を学んだら、お父さんに教えてあげますねぇ~?」

「なんかそれおかしくない!? 俺が学んだほうが早くない!?」

「大丈夫ですよぅ、お父さんは誰かが傍に居てあげないとだめなんですからぁ」

「そ、そうなのか? なんか娘に言われると、父さんちょっと情けな…………あれ?」

 

 あ、あれ……!? なんか俺が支えられること前提になってる……!? 俺そんなに情けない……!? 俺そんなに親失格状態なのか……!?

 前略お爺様……娘の、娘の気持ちがまるっきりわかりません……!

 僕は親として、どう接するべきなのでしょうか……!

 親……そ、そう、親! 最近、丕の俺を見る目が変じゃないかなぁとか思ったり、登もおかしかったりするし、やっぱり俺みたいな未熟者が親になるとか、まだまだ早すぎたのでしょうか……!

 お父様。とあるドラマを見ている最中、“子供の所為で自分の時間が無くなるのは嫌だ”なんて言っていた男に、“子供が子供を作るなんて十年早い”と血管ムキムキで怒ってらっしゃいましたね。

 お母様。とあるドラマを見ている最中、“浮気は最低? 本気じゃないんだからいいじゃねぇか”と言う男に、“自分が本気じゃないからいいだなんて、相手の本気も考えられない大人にだけはならないでね”と怖い笑顔で仰っていましたね。

 この北郷一刀、浮ついた気持ちは持ってはおりませぬ。

 好きになる努力をして、好きになって、こうして歩いてまいりました。

 今では娘もたくさんです。

 しかし真剣なら大勢と関係を持っていいということと、あの話とはなんだか違いすぎる気がするのです。

 僕は現在、娘の気持ちがわかりません。

 お父様お母様。あなた方は……今の僕の気持ちをわかってくださるのでしょうか。

 ……なんだか、“この最低野郎!”とか言われて、ボコボコにされる未来ばかりが浮かびます。

 

「いつか帰れたとして、その時にみんな一緒だったら……まずは家族会議から始まるんだろうなぁ」

「どこに帰るんですか?」

「……天って名前の地獄かな……」

 

 その時を思えば、修羅場って名前の故郷でもいいかもしれません。

 そんなことを呟いて、ただ厨房を目指した。

 途中、寝過ごした所為で同じく食いっぱぐれたらしい穏も一緒に。

 「娘が治ったのに親が眠っててどうするの」と苦笑する俺に、穏は気まずそうだけど照れが入った苦笑で「あぅう、面目ないです……」と仰った。延は変わらず肩の上で笑っていて、この二人と一緒に居ると……いろいろと考えていてもすぐにまったりな空気になる。

 そんなこんなで歩いて、厨房へ辿り着き、一緒に料理を作って、普通の出来に苦笑して、普通に食べて、普通に笑った。

 普通ばっかりだなぁとは思うけど……ただ、まあ。

 普通って結構ありがたいことだと思うのだ。

 いや、負け惜しみとかではなくて、変わらないものって大事って意味で。

 

「旦那さまぁ? はい、あーんしてくださいねぇ~」

「穏が先にやったらする」

「ふえぅ!? え、えやや……!?」

「はい、あーん」

 

 穏の顔が朱に染まる。

 子供の前で普通にあーんとかをやってくるその度胸に、花束でも捧げたい気分です。

 しかしするのはよくてもされるのは苦手なようで、視線を泳がせてはあわあわ状態。

 

「お父さんとお母さんは、仲良しさんですねぇ」

「ん……そりゃあ、まあ。むすっとしているよりは、こういう感じのほうがいいだろ?」

「…………!!」

「? あれ? 今なにか、息を飲むような気配が」

「? 延ではありませんよぅ?」

「穏でもないですよぅ?」

「……ほんと、仕草とか喋り方、全く同じな親子だなぁ」

「旦那様もよく、“だなぁ”とか“よなぁ”とか、言ってるじゃないですかぁ」

「へ……? そんなこと───ハッ!?」

「あららぁ……気づいてなかったんですかぁ……」

 

 二人に苦笑つきで見つめられた。

 まあ、そんなこんなで今日も一日が始まる。朝食を摂ると、始まりって感じがするよなぁ。

 延も今日から勉強再開だそうだし、俺も俺の仕事を……って、仕事無いんだった……。

 

(どうしようか……無理に探しても仕方ないし……そうだな、警邏の手伝いでもするか)

 

 などと考えながら、息を飲む気配が気になりつつ……気の所為ってことにして食事を続けた。

 ……実に普通の味だった。




 ……懲りず、花騎士にて。

「い、いかーん! そろそろミズアオイのピックアップが終わってしまう!」
「でももう石とか無いぞ?」
「大丈夫! ミズアオイ狙いでもう110連以上ガチャ回してるけど、やってない開花キャラクエ全部回せばあと50個くらい手に入る!」
「めんどっちぃなこの人!」

 ……馬鹿者キャラクエ中……

「よし50個溜まったァー!!」
「なぁ……これ絶対にホルデュウム来るからもうやめない……? このお子だけでもう6人以上来てるじゃん……。それよりも炎熱と宵闇の化身の心門を回してアンプルゥをさぁ」
「ならぬ! それにホルデュウムが来るのはピックアップが仕事してるってことじゃないか! 次こそ! 次こそ来る!」
「なんだか嫌な予感がするのぅ」
「見るがいい……! これが掻き集めた石を使用しての最後の11連ガチャじゃー!!」

 ……そしてカタバミとツキミソウが降臨。
 既に穴も4つ、スキルレベルも5と来る。どうしろと。

「……キミさ、絶望的にミズアオイと縁がないんじゃない……?」
「………………言うなよ」
「……なんかごめん……」
 
 と、こんな感じで軽く絶望している凍傷です。
 現在アンプルゥ集めが好調で、命が140、攻が100、防が96集まりましてござい。
 現在の総合力は717360……さあ、次は誰のステータスを最高値に上げてくれましょうか。
 600以上溜まってる虹色メダルでデンドロビウムさんを2人手に入れて、アンプルゥぶちこんじゃえば平気で総合力一位になれそうではありますが、同じキャラでの編成で総合力上げるのってなんか違う派の凍傷(激辛ペヤング)です。

 いやー……でもシクラメンが花騎士強者20名の枠内に納まるとは思いもせなんだ……。
 とりあえずゴギョウ=サンかスー=サンをアンプルゥ強化して、総合力を地味に上げようと思います。
 1位の人と2500くらい離れてるから、まあ1位を狙うという考えは沸きませんが。
 そろそろ5月18日……一ヶ月後のガハマさん誕生日SSはどうしようかと悩んでおります。


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129:IF2/“迷わず進め”は難題か否か①

181/人それぞれの“勝手”の先

 

-_-/甘述

 

 朝である。

 

「………」

 

 本日快晴、素晴らしき朝である。

 

「きつっねっ色っに~な~る~まで~♪ お~待~ち~な~さい~♪」

 

 素晴らしき朝、という言葉については父の判断だ。

 私はどんな朝が素晴らしいのかは……判断に悩む。

 暑い日は涼しくあってほしいし、寒い日には暖かくあってほしい。

 わがままだが素直な気持ちを抱き、今日も父を観察している。

 数日前に父が倒れ、看病騒ぎで悪化し、それから復活までに数日必要となり……とうに復活してしばらく経った現在。

 父は元気に朝食を作ってくれていて、私と母はその完成を卓で待っていた。

 いた……のだが。

 

「あ、んんっ。……北郷、それは私が───」

「いいから、今日は俺に任せてくれって」

 

 母の挙動が数日前からおかしい。

 ちらちらと父を見てはそわそわとして、ぐっとなにかしらの覚悟を決めたと思えば、震えた言葉で父に語りかける。

 その内容の多くは“なにかを手伝う”というものなのだが、父はそれをやんわりと断って作業を続行。

 しゅんとする母には驚いたが、その驚きは必死に外には出さないように努め、私は状況を見守っていた。

 

  と、いうかだ。

 

 なにがあったらあの母がこんなになってしまうのだろう。

 数日前のことを考えてみれば、いつも通り父の警護をしていたはずなのだが……ある日部屋に戻ってくるなり、私が恐れおののくほどの奇妙な顔で帰還を口にした。

 ……結果、私はなにも悪いことをしていないのに気づけば謝罪していた。

 “罪を謝ると書いて謝罪”と習ったというのに、必死になって許しを乞うていた。

 その様は、一応笑顔のつもりだったらしい形相の母が驚くほど必死だったらしい。

 

(あれが笑顔だったと聞いた時ほど、母が不器用だったと知った日はなかった……)

 

 原因は父にあるのだろうけど、母は当然なにがあったのかを話してはくれない。

 父に訊こうにもどう訊いたらいいものか。

 母のことだから気配は完全に消して警護しているのだろうし、その時のことを訊くのも……見えない誰かのことを当然のことのように訊くとなると、嫌な気分になるかもしれない。

 ……なんというか、誇っていい仕事な筈なのに、母も大変な仕事をしているものだ。

 

「ところで、その。父よ……ではなくて、父上。今日はなにか良いことでもあったのか? 急に料理を振舞いたいなどと」

 

 落ち着きが無い母に代わり、語りかけてみる。口調はちょっとおかしなまま。それでいいとは父の談。

 父が相当な存在だと知って、拳骨を貰ってからというもの、どうにも自分の心に落ち着きがない。それは驚きと感激を混ぜ合わせたような感情で、当然それを感じるまで抱いていた“軽蔑にも似た感情”への後悔も混ざっていて、どうにもはっきりとしない。

 ただ、別に話しかけづらいなどといったこともなく、むしろ以前よりは話せているくらいだ。

 

「別になにがどうなったとか、記念だとかそういうことでもないぞ? ただ今日はみんなに料理を! ……って思ったら、他のみんなは予定が入ってたんだとさ」

「ああ……なるほど」

 

 だからか。

 曹丕姉様が「また……? またなの……? “朝から仕事を頑張る娘”って褒めてもらいたくて、仕事を入れたのに……」と頭を抱えていたのは。

 仕事といってもそうそう目立つものがあるわけではないものの、探してみれば細かいものは結構ある。それは手が空いている者が率先して行ない、報告と結果を以って給金と成る。天でいうところの“あるばいと”とかいうものらしい。働いたその日に給金が貰える“しすてむ”らしく、すぐにお金が欲しい将の間では結構人気がある。

 ただし、受けたからには途中で止めるなんてことは許されず、もしどうしても都合が悪いのであれば、代わりの誰かを紹介しなくてはいけない。……もちろん誰でもいいわけではなくて、力仕事だけなら力がある人だけが居ればいいというわけでもなく……効率を考えるなら、力もあって知識もある人が一番だ。

 その点では関羽将軍はとても優れている。母も中々で、父の護衛が無い日、時間が空けば仕事を探したりしている。大体が街の中のことで、なにも将でなくてはいけないということもないから、力に自信のある兵なども小銭稼ぎに駆け回ったりしている。一人で不安な場合は二人で受けて、給金を山分け、などという方法を取っている人が大体だ。

 ……って、今はそんな話はよくて。

 曹丕姉様にしてみればよくはないだろうけれど、いいってことにしよう。うん。

 

「まあ記念とは違うけど、真桜に頼んであった手甲がようやく完成したんだ」

「手甲? ……あの父上がつけていた?」

「そう。呉で鍛冶職人の親父たちに作ってもらったやつなんだけど、あのままじゃまだ氣の通し具合が完璧じゃなかったから。その道を極めんとする真桜に頼んでたってわけだ。で、それがとうとう完成した。……完成するまでに随分無茶させただろって、怒られたけどな」

 

 たはは、なんて苦笑しながら、父は頬を掻いた。

 見せてもらおうと思ったけれど、さすがに厨房に手甲は持ち込んだりは───

 

「で、これがその手甲だー!」

 

 ……父は偉大だが馬鹿だ。間違い無い。そう思った、とてもさわやかな朝だった。

 ほら、母も呆然としている。

 

「……父よ。厨房に手甲を持ってくるのはどうかと……」

「あれ? 呼び方が父上からランクダウンした? ああまあいいや、話しかけられなかった頃から比べれば、痛くも痒くもない。ああっと、話を戻して。けどなぁ述。お前もきっといつかわかるぞ? 待ち望んでいたものが完成した時は、しばらくは肌身離さず持っていたいもんだって」

「そうだろうか。私にはわからない」

「いや絶対わかる。それが国の金じゃなくて、ちゃんと自分の金から出して作ってもらったものなら絶対。……速く走るためとか空を飛ぶためとか、いろいろなものに金を使ってる俺だけどな、これはもう喜ぶなってほうが無理だぞ」

 

 父の話を聞くに、父の木刀は父の祖父から渡されたものらしい。

 それ以外を武器に使うつもりはないと、ずっとそれで鍛錬を続けている。

 ではその手甲は? と訊ねてみれば、これは相手の武器を逸らすこと前提のものだ、らしい。

 武器は木刀だけでいい。だから剣を作らずに手甲に金を注いだと。

 ……お陰で金欠なのは、まあいつものことだと微妙な顔で胸を張っていた。

 やっぱり馬鹿だ。でも、なんだか可笑しくて笑いそうになってしまう。

 

「真桜にいろいろ調整してもらったから、氣が通りやすくなってるんだ。お陰で氣をクッションにすることで、相手から受ける衝撃を緩和しつつ逸らすことも可能に! なんだろうなぁ、ファンタジーもので戦士が武具に金をかける時の気持ちって、きっとこんな感じなんだろうなぁ」

「ふぁんた?」

「? 父さんはグレープ派だ」

「ぐれ……?」

 

 時々本当に、言葉の意味がわからない父である。

 ただ、“ふぁんた”というものには派閥が存在するらしいということはわかった。

 

「まあま、ともかく食べてごろうじろ。今日は気合を込めて作ったから、普通の味だぞ~」

「……父上。それではいつもと変わらないのでは」

「普通の中でも最上級の味わい。超一流のB級の味……ごらん、あれ」

 

 おどけた調子の言い回しをする父は、どこかやけくそ気味だった。

 

「もうな、父さんいろいろと悟った。普通の最高を目指して、その上にはなかなかいけないなら、きっと俺には何かが足りない。じゃあそのなにかってなんだろう」

「時間では?」

「………」

 

 言おうと思っていたことを言われて、寂しい顔をする子供のような目で見られてしまった。

 

「いや……いやっ、時間を言い訳にするには、我らが覇王さまが規格外すぎてさ……」

「父上は孟徳母さまよりも時間が無いだろう。娘が鍛錬といえば付き合い、呼ばれれば喜んでと走り、警邏も手伝い、夜には自分の仕事もして、朝も早い。……どこに料理の腕を上げる時間があると?」

「……あれ?」

 

 ……え? いや待て。まさか自分で気づいていなかったのか?

 誰がどう考えたって異常だろう。

 父の在り方を理解してから、その生活を母から聞いて驚いたものだが……なるほど、“国に返す”という行為は楽ではないのだ。

 というか、母よ。なにか喋ってほしい。そしてその顔面の痙攣は笑おうとしているのか。怖いから勘弁してくださいお願いします。

 

「や、華琳だって相当仕事してるだろ。俺以下ってのはないと思うぞ? 俺から見ても、“うへぇ……”って思うくらいだし」

「孟徳母さまの仕事に、娘“達”とのなにかは含まれているか?」

「あるだろ。丕に勉強教えたり、丕に王としてのあれこれを教えたり、丕に……あ」

「……いや、むう……そういうことだ。私たちの父は父上だけだが、母は別だ。加えて、父上は他の将の皆様との時間もあり、街を歩けば民に、城を歩けば兵にと、時間などいくらあっても足りない状況だ」

「ウーワー、改まって言われると、笑いながらそれだけのことをこなしてきた自分が実に化物みたいだ。そうだなぁ、そりゃ倒れるよなぁ」

 

 まるで他人事のように苦笑いをこぼしながら、頬ではなく後ろ頭を掻く。

 よくもまあこれだけ振り回されて、怒りのひとつも落とさないものだ。

 

「父上、質問をひとつ。その、天では人は怒らないのか?」

「いや、0,1秒のうち100人以上は怒ってると思うぞ」

「そんなに!?」

「怒らない人なんて居ない居ない。心の中で平和を願う存在でも、誰かに苛立ってるもんだって。で、いい加減怒り方も忘れた人だけがついには心を病ませて、真っ白な世界に……」

「それはよくわからないのだが……つまり天でも怒る人は怒ると」

「うん……ていうか、なんでそんなことを? 天のことと怒ることと、なにか関係あったか?」

「ああその……。父上は怒らないから」

「?」

 

 言ってみれば、首を傾げられた。

 そして言う。「怒ったじゃないか」と。

 いつだろう。

 

「娘に拳骨なんて、って随分と怖かったもんだなぁ……痛くなかったか?」

「あれで怒っていたと!?」

 

 いつのことかと考えてみれば、和解をした日の拳骨の瞬間だったらしい。

 あれは……怒るではなく叱るではないだろうか。

 

「父上……あれは叱るというだけで、怒るのとは違うと思う……」

「え? そうなの?」

 

 きょとんとした顔で言われた。

 ……この人が本気で怒ったら、いったいどうなるのか。

 子供の相手をしている時でさえ、こんな威厳もないような返事をする父だ。

 きっと怒る時も“こらこらぁ~”とか、“だめだぞ~”とか、気の抜けた感じなのだろう。

 

「……? あ、こら述。食べ物を弄びながら考え事をしない。摘んだら食べる」

「え? あ、ああ……ごめんなさい」

 

 ……謝りつつも、やっぱりこんなものなんだろうなぁ、なんて思った。

 思いながらも、やっぱり考え事をしていた私は、父からの言葉もつい適当に聞き流してしまい───

 

「っと、その串、ちょっと尖ってるから気をつけるんだぞ。って、まあふざけてない限りは刺さることなんか───」

「っ、いたっ……!?」

「ハ───」

 

 ───その日。

 私は父の大激怒という姿を、初めて見た。



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129:IF2/“迷わず進め”は難題か否か②

-_-/一刀くん

 

 こ~ん……。

 

「で……何故あなたは人の部屋に来てまで、部屋の隅で蹲っているのかしら?」

「フフフ……ワイは男やない……鬼や……馬鹿鬼や……っ……!」

 

 華琳の部屋の隅にて、T-SUWARIで涙する男がおる。

 誰かもなにも確認する必要もなく、この北郷めにございます。

 どうぞ気軽に“泣いた馬鹿鬼”とでも呼んでくださいますよう……。

 

「その様子からするに、なに? また誰かに向けて怒りでもしたの? 美羽以来かしら」

「や……述がさ、食事中にふざけて、串で指切ってさ……。注意もしたのに右から左へだったみたいで……その……」

「……はぁ。どこまで予想通りなのあなたは……。相手のこと以外で怒れないの?」

「? や、自分自身のことで怒ることなんて、今さらあるか? みんなには迷惑ばっかりかけるし、もっと頑張らないといけないんだから、怒る前にやることがあるだろ」

「……言い方が悪かったわ。怒る理由はないの? 何かに対しての怒りは感じないの?」

「って、言われてもなぁ。べつに怒らなきゃいけないこともないし、仕事も楽しんでやれてるし、みんなとの時間も楽しいし、目指す場所に向けての鍛錬も出来てるし、娘たちとの時間も取れてるし……」

「睡眠時間は?」

「ほぼ無いほべぇあ!」

 

 顔面を前蹴りされた。そして黒でした。

 

「いがががが……! ひ、人が体育座りしてるからって、普通前蹴りするか……!?」

「黙りなさい。つい最近過労で倒れたくせに、睡眠時間を削ってまで何をしているのよ」

「青春謳歌! ───痛い!」

 

 言った瞬間に顔面を伝説のピーカブーブロック! しかし頭頂を叩かれた。

 ふ、ふふふ……さすがの強さよ、覇王孟徳……! 見事にこの北郷の一手先を歩みおったわ……!

 

「つくづく奇妙なところで人の希望の裏を歩くわね……。たまには予想通りに歩みなさい」

「そうしたらそうしたで、“それだと面白くない”とかはっきり言いそうな気がするんだけど」

「ええ言うわね」

「どうしろと!?」

 

 鼻と頭を同時に撫でるという奇妙なポーズをしつつ、見上げた孟徳さんは片手を腰に当てて溜め息。

 あー……これはまた無茶が走るパターンですか?

 なんだか華琳が溜め息を吐くと、なにかしらを強制的に決定される前兆だって思ってしまっているのは……もう長年の付き合いから得ている直感的な……何か?

 

「で……今回は何を仰るのでしょう」

(そんなところばかり察しを良くしていないで、女心を察しなさいよ、まったく……)

「華琳、聞こえなかったから聞こえるまで何度も」

「なっ……普通、そういうのは“もう一度”と言うでしょう!? なによ“何度も”って!」

「むしろそれだけ大きくはっきりとものが言えるのに、どうして毎度毎度小声でぼそりと言うんだよ! それで聞こえなかったら男の所為になる不条理こそをなんとかしてほしいんだけど!? で、なに?」

「……普通に話を戻すのね」

「人間ってね、順応出来る生き物なんだ……」

(かげ)りいっぱいの、“人生に疲れた顔”で言われても対応に困るのだけれど?」

 

 そうは言うけど覇王様。

 僕もうなんかいろいろ振り回されすぎて、人に向けて怒るとかそういうことをする自分を忘れていたのです。

 ほら、こう、学生していた頃より、怒ってしまう最低ラインが遥か高みにいってしまったというか。そのくせ力は思うようについてくれません。

 や、でもさ、考えてもみてくれ。周囲には自分より優れたお方しか居なくて、力でも知識でも勝てなくて、なのにやたらと振り回されて、愚痴をこぼせる相手はオヤジの店の人々だけで、でもここ数年は子供のこともあって滅多にいけなくなって…………ほら。こうなったらもう、自分の中のいろいろなラインを高めたり下げたりするしかないじゃないですか。

 このまま自分を殺していけば、なんだか座禅組みながら空だって飛べる気がするよ。

 ……そんな北郷が本日、娘に向けて雷を落としてしまいました。

 

(人って……誰かの危機に、あれだけ怒れるんだなぁ……)

 

 華琳の時には……手は出たけど撤退を優先させる意識のほうが強かった。熱くなった頭を冷やすって名目だったし、仕方ないって部分が強くて。

 美羽の時にはそれこそ爆発。血が出たってだけでブチーンとなにかが切れましたよ。

 その時は落下からなんとか守れたけど、述のはアレだ。注意しておいたのにボーっとして、ブスリといった瞬間にブチーンだった。別に全ての話を聞けとは言いません。今まで無視とかされてたし、それはむしろ平気だ。

 けど、注意くらいはきちんと聞いていてほしかった。

 

(気づけば“なにやってんだこの馬鹿!!”……だもんなぁ……)

 

 穴があったら入りたい。

 痛い思いをしたのに、その上で怒鳴りつけられる心細さ、知っている筈だったのになぁ。

 

「はぁ……」

 

 子供ってのはやんちゃだ。当然俺もそうだったし、剣道を始める前でもあとでも、そんなことは何度もあった。

 格好のいい剣士になったつもりで、家の中で竹刀を振り回していたことがある。

 当時、漫画やアニメなどで出ていたキャラの真似をして振ったそれは、戸棚のガラスを破壊した。割れたのは下方の隅の部分。当然めちゃくちゃ怒られて、じいちゃんからは拳骨までもらった。

 業者を呼んで直してもらうことになったけど、それまではセロテープで止めていたっけ。

 丁度人手がなかった業者はその日には来なくて、で、俺はいつもの調子で水を飲むコップを取るために戸棚を空けた。

 セロテープは頑張ってくれたんだろうが、乱暴に開けられたソレからはガラスは簡単に落ちて……俺の足の甲に縦にぐっさりと刺さった。

 

(あれは痛かったな……)

 

 叫ぶなんて選択肢も出ないくらい、ただただ驚いて固まった。

 そんな俺に気づいた母さんに“なにやってるの!”と怒鳴られて、泣きながら大きな破片を引き抜かれた。

 父さんには拳骨をもらい、じいちゃんにも拳骨。そののちに日を跨ぐほどの説教。

 仕事が速く終わったらしくて駆けつけてくれた業者さんの横で、がみがみと怒られた。

 あの心細さは異常だった。

 悪いことをしたのは確かに自分だったけど、硝子が降ってくるなんて思わなかったし、驚いたのも痛かったのも自分だった筈なのだ。

 なのに母を泣かせてしまい、拳骨をくらい、さらに拳骨をくらって、説教までされた。

 今ならただただ心配してくれたんだというのもわかる。

 わかるけど、わかるまであの心細さだけを教訓にするのは辛いと思う。

 

「そんなわけで華琳。俺、述を慰めてくるよ」

「怒鳴ったというのに? せっかく反省に向かっていた心が、甘やかされるわよ?」

「鞭は拳骨の痛みだけで十分だよ。俺は、誰かが辛い思いをしてるなら、飴をあげられる人になりたい。……俺も、随分と殴られて育ったからさ」

「それが今のあなたを作っているのなら、益々ほうっておくべきだと私は思うのだけれど」

「俺から言わせてもらえば、俺のようになっちゃだめだよ。なんでもかんでも中途半端で、自分が持ってた夢まで腐らせるようなヤツにはなっちゃいけない。だから鞭は他のみんなに任せて、俺は飴をあげたいんだよ」

 

 自分の気持ちを真っ直ぐに言ってみれば、華琳は……やっぱり少し呆れたような顔で目を伏せての溜め息。

 けれど少ししてふっと笑った。

 

「まあ、そういうところがあなたらしいとは思うけれど。あなたの場合、あげる飴を間違えて怒られそうね」

 

 そんな、とても胸に突き刺さって否定し辛いことを仰った。

 むしろ“やべぇ……やりそうだ……”と素で思ってしまった。

 こう、無意識に“開いた口の傍の虚空に手を持ってくるあの姿勢”を知らずに取っていたほど。一度こんなポーズを自然にしてみたいと思ったことはあったが、まさかこんな場面でやることになろうとは。

 

「なによ。自信がないの?」

「いや、あるよ───ってどっちの自信? 飴を間違えるほう? それとも───」

「あら。間違えるほうに決まっているじゃない」

「ないよそんな自信!! まっ……、……ままま間違えるもんか! 俺はいつでも娘に対しては正解の道を! 正解のっ……せ………………はうっ!?」

「ふうん? “正解”ね。……なら一刀。あなたがここで落ち込んでいる理由はなんだったかしら」

「…………」

 

 思いっきり間違えてました。

 自信もへったくれもございません。

 むしろ間違えていなかったら、そもそもの問題として嫌われたり“ぐうたらだ”とか思われたりもしなかったのだ。

 アー、ナンダー、最初から間違えまくりじゃないかー。

 

「い、いや。悩むことはたっぷりしたんだし、今は落ち込むよりも行動! ってわけで行ってくる!」

「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいっ」

「んがぁっご!?」

 

 立ち上がると同時に、その勢いを疾駆に転じた瞬間、襟を掴まれて喉を詰まらせた。

 く、首から妙な音が鳴ったけど、大丈夫? 大丈夫だよね?

 

「げぇっほごほっ! あ、あの……華琳? 段々俺の扱い、雑になってきてない……?」

 

 自分の心配もほどほどに振り向いてみれば、なんだかしゅんとしている華琳さん。

 …………エ? 華琳が、あの華琳さんが、しゅんと……!?

 

「え、ちがっ……こほんっ。……ざ、雑にしているつもりはないわよ」

 

 と思ったらハッとして、雑ではないと申してくれました。

 …………なにが起きた。え? このおろおろしている可愛い物体、華琳さん?

 

「……その。大体? 人の部屋に無断で入って、することが隅で落ち込むだけなの? 仮にもどころか、正真正銘の覇王の部屋まで来て、することが落ち込む? 良い度胸ね」

 

 ……ちらちらこちらを見ながらも、言葉を選んで仰っているようで……あ、あれー? 華琳ってもっと、考えが纏まってからズバズバ来る人じゃ……いや本当になにが起きた? ───もしや影武者!?

 いやいやいやいや落ち着け! 前にもこんな考え方で思春に怒られたじゃないか!

 ここはっ……えと、ここはっ、そうっ、まずはそのー……状況を纏めるべきだ……よな?

 

(俺、落ち込む。華琳の部屋で。……待て、なんで俺は華琳の部屋で落ち込んだ)

 

 二歩目から早速躓いていた。

 そりゃあ華琳に相談すれば解決するんじゃないかとは思いはした。

 だからって無断で入って隅でメソメソって、もはや怪奇のレベルでは?

 ……ああ、なんだか物凄く“なるほど”がやってきた。納得出来なきゃ嘘だよこれ。

 することが隅で落ち込むだけで、勝手にやってきて勝手に走り去るんじゃそりゃあ怖い。

 つまり俺が取るべき行動は───!

 

「仕事、なにか手伝おう! うごっ!」

 

 前蹴りが腰に決まった。

 

「手伝ってもらうほど困っていないから結構。……はぁ。一刀……あなた、少しは良くなったと思っても、結局は一刀なのね……」

「俺が俺じゃなかったら、なんだと……」

「人の話に踏み込んでくるようになったし、知ろうとする覚悟もあるのに、どうして肝心なところは一刀のままなのよ……」

「やっ! だから俺が俺じゃなかったら何になるんだ!?」

 

 まさか本当にメタモルフォーゼ!?

 たまになんでもありなのがこの世界だから逆に怖いよ!?

 

「え、や、ええとそのぅ、俺今の自分嫌いじゃないし、得体の知れないなにかになるのだけは勘弁というか……その、本当に俺、どうしたら……?」

「いいから少しゆっくりしていきなさいっ!」

「ぎょ、御意」

 

 結局言われるままに腰を落ち着けることに。

 そう。仕事をする大きな机の横の円卓の椅子に、文字通り腰を落ち着けた。

 そこで少々真面目に深く考えてみる。

 

(ぬう。こんなふうに華琳が俺を呼び止めるなんて、もしかしてなにか異常事態が……?)

 

 いつもだったらなんでもないふうに的確なアドバイスをくれたりして、出て行く時にも軽口で送り出してくれるのに……今日ってなにかあったっけ?

 もしかして何かの記念日を俺が忘れているとか………………思い当たらない。

 ええっと、一年前とかになにかした? ケータイは……なんかもうそろそろ危険な感じがしてならない。電波を拾おうといつでも頑張りすぎてるから、そろそろ天に召されるかもしれない。

 これとももう長い付き合いだな……よくぞこの世界で壊れず、今までを供に在ってくれました。

 ……言った途端に破壊フラグでも立ったんじゃないかと不安に思うも、まあ……多分大丈夫、と思いたい。

 そしてケータイのカレンダーにはこれといったことは書かれていなかった。

 

(……普通に考えてみよう)

 

 いつもこういう時に大げさに取ってしまうのは俺の悪い癖だ。

 なので普通に。

 ………………? えと、俺と普通に話がしたかった……とか?

 いやむしろ、まずそっちを考えるべきだろ俺。

 どこまで非日常的なものに慣れれば、一番最初にそっちの考え方を放棄できるんだよ。

 

  結論。話をしよう。

 

「あれは今から36万───いや、数十分前の出来事だ」

「桁がおかしいわよ」

 

 まったくです。

 そんなわけで、先ほど起きた出来事を事細かに、時に雑談を混ぜつつ話すのでした。

 どっしりと腰を落ち着かせた途端、華琳から放たれる覇気ともとれる威圧感が無くなったことに関して、この北郷……決して突っ込みませぬ。経験が叫んでおるのよ、それは地雷だと。

 ……もっと常日頃から寄りかかってほしいなぁ。そうであったなら、そもそも首が絞まることもなかっただろうに。



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129:IF2/“迷わず進め”は難題か否か③

 さて。

 華琳にいろいろと話を聞いてもらい、例の如く盛大に溜め息を吐かれ、助言を頂いた現在。

 中庭の、その城壁の上にて。

 

「………」

「いや……あのなぁ」

 

 思えば本気の本気で怒鳴ったことなど随分と久しぶり。

 そもそも子供に向けてはやったことなどなかった筈である“それ”をまともに受けた述さんは、城壁の上の隅で泣いてらっしゃった。

 探しているところを兵の一人が教えてくれて、辿り着いてみれば震える娘。

 精神的に打たれ弱いんじゃ……とは予想したものの、ここまで弱いとは思わなかった。

 ……いや、そりゃ弱いか。いくら天の子供よりも大人びていると感じても、まだまだ子供なんだ。

 子供───……子供なのになぁ。

 大体にして英才教育が行き過ぎてるんだよな。武も知も“やりすぎじゃないか”と思うくらいにやってるし、それだって俺がこの時代に慣れているにも関わらず、そう感じるほどの量だ。

 学ぶことの“種類”への文句は述べど、学ぶことに文句はないっていう、天の子供が見たら“ガリ勉”とかあだ名がつけられそうなレベル。

 で、注意されることはあっても怒鳴られることなどなかったに違いありませぬ。

 

(───)

 

 思考の回転を試みる。

 こんな時、どんな言葉をかけるべきでしょう。

 美羽の時と似たようなこと? でもあれって俺が積極的に動いたわけじゃないし。

 え? じゃあまた時間で解決? ───いやっ、あの時は相手は美羽で、今回は娘だぞ!? 時間時間で先延ばしにしていいわけがないっ!

 

「述」

「ひうっ」

 

 声をかけたら返事が“ひう”だった!

 ……ひうってなに!? 恐怖の表れ!? 恐怖言語!?

 

「あのな、」

「ご、ごめんなさいすいませんお父様! 私が悪かったのですごめんなさい!」

「へぁあっ!?」

 

 まずはきちんと話し合いの姿勢をと思ったら、物凄い速度で謝られた。

 などと考えている間も謝られている。

 まずい、これってアレだ、自分で考えすぎて自分を追い込んで自分で立ち直れないタイプの謝り方だ。

 思わず伝説の超野菜人的な悲鳴が口から漏れたが、俺はもはや子供から退くことを良しとは取れなくなっていた。退いた先でぐうたらだなんて誤解をされたんだ、今さら退くことなど出来ぬゥウウウ!!

 

「待て待て待てっ! 急に謝るな! 自分が悪いと決め付けるなっ! まずは話を───」

「私なぞが偉そうに母の真似をしてお父様に気安い言葉を投げることも! せっかくのありがたいご忠告を受け取ったにも関わらずモノにも出来ずに怪我をしたことも───!」

「いや、だから───」

「そもそも私のような出来そこないの未熟者がっ! 素晴らしき両親から産まれてきたこと自体が間違い───」

「待てコラ」

「だっぱぼ!?」

 

 たわけたことを言い始めた述の両の頬にソッと手を添え、メゴキャアと捻った。

 ある意味で合掌捻り。合掌して捻りました。

 そして……“だったのです”とでも続けようとした彼女の口からは、“だっぱぼ”という謎な言葉が飛び出し……この大きく広い青の下の虚空へと……消えた。

 などと少しサワヤカに纏めてないで。

 うん……こりゃあれだ。多少乱暴だろうときっちり言ってやらんと駄目だ。

 俺の精神テンションは今! 学生時代に戻っているッ! 竹刀を手に、剣道で挫折を味わったあの時にだッ! 未熟! 脆弱! あの俺がお前を叱るぜ!

 ……はっきり言って、そのくらいの自分のほうが察してやれる気がしたから。

 

「は、はだだだだ……!?」

「述。正座」

「は……?」

「せ・い・ざ」

「え、あ、は、はい……!」

 

 首を押さえつつ涙目で俺を見つめる娘に、城壁の硬い石畳をちょいちょいと指差して座らせる。

 え? 座布団的ななにかを? はっはっは、なにを仰る! ……たとえそこが何処であろうが、説教が始まるのがこの世界でございますよ? 説教ときたら正座じゃないですか。大丈夫、石畳の上など俺が何年も前に通過した場所だ。

 

「そ、の……。説教……ですか?」

「ああ。説いて教える。ガミガミ言うつもりはないから、言われて納得できたら受け入れること。認められない、受け入れられないっていうならそれでいい。それでいいから、湧き出す苛立ちに任せて、言われた言葉に反発するだけの人にはなるな」

「……難しいです」

「そっかじゃあ説教始めよう」

「返事が適当すぎませんかっ!?」

 

 あんまりな反応に、涙を散らしながら言われてしまった。

 だがこの北郷、もはや間違わん。

 可愛い娘だからと遠慮はしない。むしろ隣に立つつもりで押しまくる。

 

「大事なことだからよーく聞くように。お前は産まれてこなければよかったなんて言おうとしてたけど、一度怒鳴られたくらいで生まれた意味ごと捨てるな馬鹿たれ」

「ば、ばばばばかたれっ……!?」

「お前の人生は怒声一発程度の価値しかないのか? お前がもし産まれずに流産してたら俺は泣いてたぞ」

「そんなの……お父様の勝手です」

「お前の意見も勝手だしなぁ……そか。じゃあお前も勝手に産まれたんだから、それで良し。次行こう」

「えぇえっ!?」

 

 そしてあっさりと次の説教へ。

 こういう場合、自分の意見ばかりを押し付けたって相手はなにも受け取らない。

 だから冗談や軽口でも混ぜながら、重要なことは少しでも強調して教える。

 説いて教えるのだ。怒鳴ってわからせるのとは違う。

 

「お父様! いくら私が嫌いでも、突き放すにしてもそれはあんまり───っ」

「ん? ……ああ、うん。それで良し、じゃあ届かないよなぁ。じゃあ……ん、んんっ。あー……述」

「……な、なんですか」

 

 適当な対応に怯えも多少は飛んだのか、述は少し睨むような目で俺を見る。

 そんな述の目を真っ直ぐに見ながら、心を込めて言葉を届ける。

 

「……産まれてきてくれてありがとう。俺は、お前のことをとても大切に思ってるよ」

 

 だから産まれてこなければなんて言うな。そう言って、正座している述の頭をやさしく……撫でようとしたんだが、恥ずかしくなって乱暴に撫でた。

 対する述は、完全にポカーンとした顔だった。

 ……待ちなさい述さん。あなた、一度怒鳴られただけで本気の本気で“産まれたことが間違いだった”と……? ……いや、考えるか。自分にコンプレックスを抱いている人なら、タイミングってものが重なるとどんな些細なことでも“最悪”として受け取ってしまう。

 実際俺もヘコんだもんなぁ……鼻っ柱を折られた時なんかひどいもんだった。

 

「な、述。大人からの言葉って、受け止めづらいだろ」

「え、そ、そんなことは」

「視線を泳がせながら、どもって言っても説得力がないぞー」

「うぅ……」

「で、自分なりに頑張ってみてるのに、大人は自分が教えた通りじゃないと文句を飛ばしてくる」

「っ……、それは、その」

「だから言われた通りのことを頑張ってやってみたら、大人が教えてくれたやり方自体がいつの間にか変わってて、ま~た怒られるわけだ」

「…………」

「悪いのは自分が教えたやり方を忘れた大人なのに、結局子供が怒られる。そのことを指摘してみれば、忘れたことさえ忘れてるから、その指摘すらが相手の怒るための材料になるわけだ」

「………ぅ……ん……」

「俺もな、祖父に随分と怒られたよ。母にも父にも怒られた。当時の父さんはな? 今みたいじゃなくてな……その。“受け入れるより反発できる俺、すげぇ”とか思ってたから、ろくに助言も聞かずに粋がってたんだよ。なもんだから、俺から見た親や祖父なんて、なにかといえば怒鳴って、気に入らなければ拳骨。そんな印象ばっかりで……子供の頃はそれが酷く嫌だった」

「ぁ……ぅ、うん……」

 

 小さく。

 自分が持っている弱さを吐き出してみれば、共感できるところがあったのか、述は少しずつだが聞く姿勢を固めていった。

 そう、まずは聞いてもらうことが大事。

 怒鳴るだけなら誰にでも出来る。ただ、それじゃあ説教じゃなくて、文字通り怒鳴っているだけだ。

 最初から怒鳴る気満々でぶつかれば、相手だって嫌な気しかしない。つか、そんな状態じゃあ受け取ってほしいものも受け取ってもらえない。

 怒るのと説教とは違うのだ。叱るのともやはり違う。

 “説く”とは、わかりやすく伝えること。

 怒声では成り立たないし、そればかりが続けば説教以前にその人自身を嫌いになってしまう。

 

「じゃ、俺の恥ずかしい過去を話したところで本題だ」

「! ごごごめんなさ───謝りませんごめんなさいっ!」

「や、謝ってるから」

 

 またごめんなさいを言おうとした述の両頬に、手を添えた───途端、また謝られた。

 なんというか、慌て方が実に鏡を見ているようで恥ずかしい。

 

「実はな。父さんも、自分で自分を傷つけて、母に泣きながら怒られたことがある」

「え───お父様も!?」

「ああ……ていうかそのお父様やめない? べつに“父よ”でもいいんだけど」

「嫌です」

 

 即答だった。里村さんもびっくりの速度だ。

 

「はぁ……まあ、それはまたあとで。それでな、述。本題っていうのは俺が怒ったことだけど」

「ごごごごごごごごめんなさい……! わ、わたし、私……お父様が怒鳴るほどの間違いをしてしまって……! ごめっ……ごめんなさっ……!」

「アレーッ!?」

 

 なんだか怯え方が異常でした。

 なにこれどうなってるの!? とばかりに近くに控えていた兵士さん二人に視線を送ってみれば、「あー……そうですよねぇ、そりゃそうですよねぇ」なんて頷き合っている

 み、妙ぞ。こはいかなること……!?

 などと戸惑っていたら、兵の一人がソッと近づいてきて囁いてくれた。

 

(隊長……! 隊長はもっと自分の在り方ってやつを客観的に見たほうがいいですよっ……!)

(客観的って言ったって。俺にどうしろと……?)

(ふざけたり、“つっこみ”で叫ぶことはあっても、怒る意味で怒鳴ったことなんてなかったじゃないですか……! そりゃ、子供はすごく怖く感じますよ……!)

(え? そうなの?)

 

 そうだっけ? ………………そうだった。たぶん一番最初の相手は華琳。蜀の戦いの時、撤退を受け入れない彼女を叩いた時で、次は美羽か。

 ああ……普段から周りに振り回されて泣いたり叫んだりだから、なんかもうあんまり違和感がなかった! でもそこに怒りを混ぜるだけでもう違和感スッゴーイ!

 な、なるほど! これは怯える! 俺だって急に春蘭が勉強家になってたら……! しかも知性溢れる叱られ方でもされたなら、部屋の隅で怯える自信がありすぎる!

 そうか……俺はそれと同等のことを娘にしてしまっていたのか……。

 同等…………ど、同等……!?

 

(……そこまで悪くないよね?)

(? なにがですか?)

 

 ぽそりと兵に言ってみたが、満足できる返事はなかった。そりゃそうだ。

 というわけで……春蘭が華琳を超える知性を振り翳す姿を想像してみたら、それ以上のショックなどそうそうないだろうという結論に到った。

 それを考えれば、俺が怒るなんてことくらいではとてもとても……。

 

「大変失礼しました……!」

「ひぃうっ!? どっ……どうして急にそんな低姿勢なのですか!?」

 

 なので、述の正面に座って深々と頭を下げたら、とてもとても驚かれました。

 だってさ、考えてみたらわかりそうなことだけど、述にしてみれば俺が考える春蘭との差なんてどうでもいいんだもの。彼女にとって、存在するのは“普段から怒らない俺に怒鳴られた”って事実だけ。

 そこで春蘭のことを引き合いに出したって、ただの言い訳以外のなにものでもないのだ。

 悪いことをしたならきちんと謝る。これ、大事。相手が大人だろうと子供だろうと、悪いことをしたと思ったなら謝る。たとえ奇妙な躊躇に襲われようと、タイミングを逃したと思おうと。むしろ心にひとつの芯を通そう。悪いと思って、それを謝ることに“タイミング”なんてものは存在しないのだ。

 このタイミングで言ったんじゃ許してもらえない? 違う。

 許してもらうことを前提で謝るのは、償う気が全く無いのと同じだ。

 むしろ怒られて当然って状況に飛び込もう。そして存分に怒られるのだ。

 そこから始まるのは説教か? 関係ないことに派生しやすいただの怒り任せの罵倒か?

 それら全てを受け入れる覚悟を以って聞く姿勢に立った時、少なからず知識を受け取ることは出来るだろう。

 少なくとも、多少の“もう怒らせないようにする努力”くらいは出来る筈だ。

 あくまで多少。全然怒らせないようにっていうのは、思っているよりも難しいのだ。

 ……その怒らせないようにするって雰囲気だけで怒る人、結構居るから。

 

「話し合おうか。じっくりたっぷり。今日も仕事があるけど……うん、久しぶりにサボろう」

「え……そんな、いけません! お父様はご自分がどういった立場か、理解して───」

「仕事仕事で家族をないがしろにして、立派な父と言えるもんか。悩んでる時は素直に相談! 解決策が見つからないなら話し合うしかないだろ。このままじゃどっちか一方の意見を無理矢理押し付けることになりそうだし」

「あ……ぅ……」

 

 むしろその一方というのが俺の意見で、述は無理矢理自分を押し込めてしまいそうだ。

 だから会話。お互いの気持ちをぶつけまくって、いっそ今の関係さえぶち壊すつもりで洗い浚い話してもらう。

 今の状況が壊れるのは怖いっていうのは、誰もが持っている気持ちだろう。ええはい、俺も実際怖いです。また嫌われたらと思うと、心臓がバクバクうるさいくらいです。

 しかしながら、このタイプは本当に溜め込みまくって潰れてしまうから。

 ならば、自分が嫌われようとも吐き出させるしかないでしょう。

 以前は俺っていう“ぶつけどころ”があったからまだいい。

 けど、今の述にはそれをぶつける相手すら居ないのだ。

 

「………」

 

 でも待とう。ただぶつけ合うだけというのもアレなので───

 



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130:IF2/親と子の迷いが交わる場所①

182/不安に思わない、なんてことは、きっと無理なのだ

 

 やってきました、とある一室。

 目立って存在するのは数個の椅子と卓のみ。卓の上にはトランプやメット、ハリセン等が置いてあり、壁には二胡が立てかけられている。

 いわゆる遊戯室とも密かに囁かれている場所でございますが、そこに述を連れてまいりました。

 城壁の上ではしっかりと兵に“サボり宣言”も伝えてきて……まあその、適当な将に伝言をと頼んできたわけですが。とてもとても驚いた顔をしたのち、“隊長は働きすぎなくらいですから、たまには昔に戻りましょうよ”なんて言って快く頷いてくれた。

 その際、“今度酒でも奢るよ”なんて言ってしまったため、華琳にバレたらいつかのように怒られそうです。

 

「じゃあ述。……遊びながらお互いの胸の内を存分にぶちまけようぞ!」

「えぇえええっ!?」

 

 特になにも教えられずに連れてこられ、着いた途端にこれ。

 当然のことながら述は驚き、おろおろしだした。

 だがこれでよいのです。最初から喧嘩めいた遊びをしながらの吐露なんて、この子に出来るはずがございません。

 動揺しているからいいのです。動揺しているから吐き出せるものもあるのですから。

 

「よいですか述さん。溜め込む、ヨクナイ。今より父を父と思うな。ここでの俺は───ただの遊び人である! お前がぐうたらだと言っていた、まさにその通りのサボリ魔と受け取るのだ!」

「え、え……えぇ……?」

「返事!」

「は、はいっ!」

「うむよし! ではゲームの説明を開始する!」

 

 冷静に考える時間は与えない。

 必要なのは、場の勢い……そして、今は利用させてもらう“述の性格”だ。

 強く言われたら断れないのか、“はい”と返事をしてしまってから不安そうにする述へと、畳み掛けるように説明。

 不安を持った心のままで遊びは開始される。

 当然困惑を増加させるために、遊戯の説明の際にも遠回しな説明をしてみたり、疑問に思った時には“し、知っているのか雷電”と訊くんだぞと嘘を教えてみたり。

 そして───…………そして。

 

……。

 

 あれ……っ? おかしいな……! あれっ……? あれっ…………?

 

「へぶっし!?」

「やった当たった!」

 

 ハリセンが頭頂を叩いた。

 

「えへへぇ、あ~がりっ」

「なんですって!?」

 

 気の長い二人ババ抜きが終了した。

 

「弐壱弐参肆伍陸漆捌玖あがりっ!」

「ゲェエエーッ!!」

 

 スピードであっさりと大敗した。

 

「これとこれとこれとこれとこれと……あがりっ」

「こんな筈はァアーッ!!」

 

 神経衰弱で、俺だけ衰弱した気分を味わった。

 ……と、そんなわけで。

 

(この子……ゲームの才能ありすぎ……)

 

 武官としてはとても意味が無さそうな才能が、今この場で……父の目の前で開花した。

 よもや。よもやこの北郷が最初の数度しか勝てぬとは……!

 

「………」

「? どうしたの父上っ! もっと、もっとやろうっ!」

 

 はっはっは、入って来た時はあんなに俯いておったのにこやつめ、はしゃいでおるわ。

 口調もすっかりほぐれた感じになって、とても子供らしく喋りおる。

 …………いや、別に悔しくないよ? ほんとだよ?

 

「じゃ、じゃあ新しいのやろうな! 次は───」

 

 既存のゲームにアレンジを加えて始める。

 最初は一勝。大人げなく心の中で“ッシャァ!”などとガッツポーズを取るが、

 

「うん、覚えたっ!」

「エ?」

 

 次は……勝てませんでした。

 

……。

 

 気づけば笑顔の花が咲く。

 今さらになって気づけたことがあって、ようするに述には“人にぶつける不満”なんてものはなかった。

 あるのは気を使いすぎるために生まれるストレスによく似た、けれど微妙に違うもの。

 不満は自分の内側にしかなくて、それは自分の中で“仕方の無いことだ”と解決しているように見える。

 だからストレスではなく、自分への情けなさみたいなものがあって……俺にぶつけた不満はあくまで“ぐうたらな俺への不満”だったわけで。

 遊びに燥ぐ述は、歳相応のとても眩しい笑顔を見せてくれた。そこに不満の文字は一切ない。

 

(しっかしまあ、よりにもよって遊びの才能とは……。応用の方面に意識が回る性質なのか、一通りの理解を得ると、ゲーム全体のある程度のルールを覚えてしまった。元々武よりも文に強いんだから、当然っていえば当然だよなぁ)

 

 しかしそれでも頭でっかちってだけじゃあない。

 ハリセンを取る手は速かったし、スピードで動かす手も速かった。

 “ここにこれをこう嵌める”という頭の中の完成図があるものには、滅法強いタイプだ。

 代わりに、そのピースがズレる……ピース? ちょっと違うか? ……あれだな、歯車がズレると、“それらが一気に動揺に傾く”って子だ。

 だから常に予測がズレる“戦”ってものには滅法弱い。戦とまではいかなくても、鍛錬中の仕合とかでもそうだろう。

 自分に合った氣の組み立て方もわかっていないから、そこらへんもだ。

 じゃあつまり、えぇっと。

 

「………」

「?」

 

 じっと見つめてみると、こてりと首を傾げた。

 小さな思春がそうしているようで、心がほわりと温かくなって……な、撫でていいでしょうか。思春相手じゃ断られるから、こう、思春を撫でるつもりでそうしてみてもいいでしょうか。

 誰かを誰かの代わりに~とかひどいものだが、でも思春さんってばそういうことをとことん嫌がるんですもの。

 なので今回だけ。ほにゃりと緩む頬を隠そうともせずに手を伸ばして、ヒタリと喉に冷たい感触がホワァアアーッ!?

 

「貴様一体これからなにをする気だ……」

「いらっしゃったんですか思春さんーっ!!」

 

 いらっしゃったようです。

 馬鹿な……あんなに燥ぐ娘を前にして、少しの気の揺らぎも感じさせぬとは……!

 思春って結構親ばか気質があると思っていたから、今回ばかりは絶対に傍に居ないと思ったのに! でも考えてみれば俺の警護が仕事なんだから居ないわけがなかった!

 

「エ、エエト違ウヨ? 僕タダ娘の頭を撫でようトしたダけデ……!」

「ほう。娘以外に意識を飛ばしながらか」

「そんなことまでわかるの!?」

 

 すげぇ! 護衛さんすげぇ!!

 でも迂闊な言葉を吐き出そうものなら俺がいろいろと危険なのでストップ!

 ───あれ? ていうか。

 

「あのー……思春さん? もしかしてサボりを黙認するために、気配を消してたとか……」

「ぐぃぅっ!?」

 

 真っ赤になった。図星だったようだ。

 しかも言い当てられたのがよっぽど意外だったのか、奇妙な悲鳴まであげた。

 いかん、これは顔がにやけてしまう。

 

「そ、そっかそっかぁ。述のためになると思ったからかぁ。なんだかんだで思春って述に甘───辛ァアアーッ!?」

 

 喉に! 喉に鈴音が! なんで!? 娘に甘くて俺には辛い!

 甘さと安寧を姓名に持つ人なのにとっても辛い!

 

「し、思春。提案がある」

「なんだ」

「晩御飯は適当な材料の適当な甘辛煮にしよう」

「………」

 

 “何故急に食事の話に”とばかりに睨んでくる。

 だがフフフ、甘興覇よ。この北郷とてなにも学ばず今までを生きてきたわけではない。

 今朝のことも考えれば、思春が料理をしたがっていることなど明白!

 

「し、思春に作ってもらいたいなー、なんて痛ァアーッ!?」

「何故私が貴様の期待に応える形で料理を作らねばならん……!」

「ごごごごめんなさい調子に乗ってました! 俺も作る! 作ります! 一緒に作りましょう! むしろ朝のように俺一人でも───」

「!? い、いやっ! 待て!」

「ひぃっ!? ……エ? ま、待てって」

 

 ……なにやら急に言葉を遮られた。ていうか普通にヒィとか言ってしまって、娘の前でなんと恥ずかしい……。

 あれ? でも述の方を見てみれば、なんかいつもの光景を見るってくらい平然としてらっしゃる。…………俺ってそんなに日頃からヒィヒィ言って…………る、ね……。うん……。

 

「いいだろう。そこまで言うのならその、わ、私も料理のひとつやふたつくらいは」

「え、いや、俺が作るから思春は座っててくれてもギャア切れる喉切れるーっ!!」

「作ると言っている……!」

「ごごごごめんなさいお願いします一緒に作りましょう頑張って作りましょう!!」

 

 そこまで言って、ようやく鈴音が喉から離されました。

 ……いや、なんかもう……改めて言うまでもないけど、俺って本当に支柱なのかな……。

 護衛任務についている人にこそ一番刃を向けられてるのなんて、きっと俺だけだよね?

 

「まあそんなわけで、思春。述には遊びの才能がある」

「……どうすればそこまで極端に切り替えが出来るんだ、貴様は」

「……………………慣れました……」

「あ、う……そ、そうか。それは、その。なんというか……」

 

 常日頃から似たような状況を味わい続けて何年になりましょう。

 もはやこの北郷、トラブルに驚きはするものの、きちんと対処法を探せるくらいまで順応しましたわ。

 珍しくも言葉を探して視線を逸らす思春さんは、俺に刃を向ける筆頭でございますから……この動揺にもいろいろと思うところがあるんだろうなぁ。

 ちなみに二番手は春蘭か華雄だと思う。

 桂花は刃は向けないけど、敵意と虫を差し向けます。

 

「遊びの才能ですか……?」

 

 と、ニタリと笑いながら虫が入った籠を振り翳す桂花を想像していたら、戸惑いを混ぜた声で述が訊ねてくる。

 おお、そうだ、桂花のことを考えている場合じゃない。きちんと教えてやらないと、この手の性格の子は妙な受け取り方をしかねない。なにせ俺がそんな感じだ。

 

「最初からきちんと説明するから、出来れば全部を聞いてから受け取ってくれな」

 

 だからまずはこう言って、続く言葉をきちんと述に届くよう、ゆっくりと語り始めた。

 

……。

 

 翌日……と言わず、当日の……しかも直後から、中庭に移動して、それは始まった。

 述に教えたのは、いわば自分の中で自分の行動を組み立てさせる方法。

 相手がこう来たらこう返す……セオリーを覚えさせるって意味でもあるが、そもそもこの都には達人がたくさんおります。

 だったらそのセオリーを、時間がかかってもいいから嫌ってほど覚えさせれば、嫌でも述の腕は上達しましょうということで。

 最初は不安そうだった述も“出来ることへの可能性”というものを抱けたのか、今は真面目な顔で身体を動かしている。

 

「父上ー!」

「おー!」

 

 途中、ひと息つくって感じになると、その度に手を振られる。

 どうやら遊戯室での一件で、随分とまあ歩み寄ってくれたというか、気安い相手と判断されたようで。

 うん、それはいい。それはいいんだが……。

 

「なぁ思春」

「なんだ」

「俺一応、サボってるんだけどさ……堂々と中庭に出るのがどれほど怖いか……」

「あぁ隊長、それなら楽進さまが“隊長の分まで私が!”と、仕事の内容を聞かずに駆けていってしまいましたが……」

「……部下に恵まれすぎてて後が怖い……」

 

 そう、現在は中庭。

 そこで述の体捌きを見ながら、遊戯の中で感じたことを実践してもらっているところ。

 サボったというのにノコノコと中庭に現れた俺を心配してか、すぐに駆け寄ってきてくれた兵に感謝しつつ……仕事自体も多いわけじゃないから、誰かが肩代わり出来る内容ではあったものの……。凪にはまたなにか、奢るか誘うかしよう。

 …………それはそれとして、隣に立つ思春さんの顔がとても怖いのですが、何事?

 何故か僕のことを見てきて、その顔がピグピグと引き攣っておられます。

 もちろん見るだけなら変に思ったりもしないんだが…………俺、なにかとんでもないことをやらかしてしまったのでしょうか。

 

(な、なぁ……俺、なにか思春に言ったっけ……?)

(え? なにがでヒィッ!?)

 

 兵に訊ねてみれば、思春を見た兵が悲鳴をあげる始末。

 ええ、怖いです。何故? 何故あんなに顔面を引き攣りあそばれてらっしゃるのか。

 

(隊長、またなにかいらない言葉でも言ったんじゃないですか……?)

(いや“また”ってお前)

 

 つい冷静にツッコミを入れるが、困ったことに自分でも有り得そうだから悲しい。

 今日まで生きて、ついに乙女心なぞ理解出来なかった俺だ。勉強は未だにしてはいるものの、8年以上を女性に囲まれながら生きてみてもわからぬもの……それが乙女心。

 この思春をして、乙女心という言葉が果たして当て嵌まるのかすら謎なのだ。

 ……なんか、“あのなんたらをして”、って言葉、いいよね。一度使ってみたかった。

 

(あ、そ、それでは自分は仕事がありますからっ!)

(エ? あ、ちょ、待───! この状況で俺一人って!)

 

 止める暇もなく、兵はかつてない速さで駆けていってしまった。

 そして取り残される、思春の隣の僕。

 ちらりとご機嫌を伺うように見てみれば、般若ともとれる顔で僕を見つめる思春さん。

 

   問1:素直な気持ちを5文字以内で述べなさい

   答 :タスケテ

 

 脳内でそんな問答が生まれた。

 そんな僕へ、とうとう思春から声が投げかけられ───!

 

「ど、どうだ」

「し、死にたくないです」

「なっ!? 何故そうなる!?」

 

 それが僕にもわかりません!

 訊ねられたら自然と口から漏れましたハイ! そして思春が珍しく驚いてらっしゃる!

 これは……これは絶対によろしくない。

 このままでは何もわからないままに大変な事態に……!

 なので謎だけは死って……ではなく知ってから、状況を受け入れよう。

 

「だ、だって般若みたいな形相で俺を見てて……俺、またなにかやった? 今日もやたらと鈴音を突きつけられたし……」

「般若っ……!?」

 

 あ。

 なんか物凄くショック受けてる。

 般若……般若だったよな……? 怒りの形相で笑っているとでも言えばいいのか、ともかく般若っぽかった。

 なのに何故こんなにもショックを受けているのか。

 

「……思春、もしかしてなにか悩み事とかあるのか? そういえば今日は朝から妙な感じだったし、なにか言いたいことがあるなら言ってくれ。俺、ちゃんと聞くぞ? ていうか周囲から鈍感とか散々言われてる俺に、“待ちながらわかってもらう”って方法はしないほうがいいぞ。自分で言ってて情けないけど」

「う……」

 

 こればっかりは事実だから仕方がない。

 俺が無理にわかろうとすれば、曲解して誤解しか生まないのはもはや周知。

 なのでストレートに言ってくれたほうがまだいい。

 ……だというのに、どうしてか皆様は俺にまずは気づいてほしいと願っている。

 何故? と年頃の璃々ちゃんに訊ねてみれば、“乙女心がわかってない”と返される。

 女性というのはともかく、“気づいてほしい”ものなのだそうで……んん、わからん。

 気づけなかったら怒られるのが俺で、気づこうとして頑張ってみても曲解して怒られるのも俺で、だったらもう口で言ってほしいとお願いしてみてもわかってないと怒られるのも俺で。

 ……あれ? ずるくない!? 乙女心ずるくない!? これが普通なの!? やっぱり悪いのはいつだって男なの!?

 

(…………)

 

 最近……乙女心が怖いです。

 最近? いや、これは前からか。

 

(さて、そんな軽い現実逃避はここまでにして)

 

 問題は目の前の思春さん。

 相当ショックだったのか、自分の顔をほにほにとほぐすように触りながら、珍しくも俯いている。

 さあ北郷よ、これは試練ぞ。

 ここで正解の選択を選べた時こそ、乙女心の扉を開ける雄と成り得るのかもしれない。

 まずは疑問のかけらを集めよう。

 何故思春は般若顔をしていたのか。

 何故俺にだけ向けていたのか。

 事前に俺がなにかを言ったりしていなかったか。

 むしろ朝のこととかも考えてみたり。

 一緒に料理がしたい? それとも一人で?

 …………いまいち纏まらないけど、答えは?

 

1:述に母親らしいことをしてやりたい。料理とか。

 

2:般若顔はウォーズマンスマイルの真似。つまり俺を(略)

 

3:父を圧倒し、常に母は強いと思わせたい。

 

4:いや待て、スマイル? スマイル……笑ってるだけ?

 

5:彼女なりに笑顔で居たいだけ?

 

6:と見せかけてウォーズマンスマイル

 

結論:パロスペシャル

 

 いやいやいや! いやいやいやいやいや!!

 

「…………、……」

「?」

「……~っ……!」

 

 チラリと覗き見るも、少し俯きながらも疑問的な視線で返された。

 そりゃあ恐怖で喉も鳴ります。

 コ、コココここは、とりあえずなにか適当な話題でも振って!

 このまま悩みのことを訊くのはマズイ気がする! ウォーズマン的な意味で! …………どんな意味だそれ!

 ともかく視線を合わせずに……そ、そう! 述の鍛錬を見るついでみたいなきっかけで話をしよう! それがいい!

 

「そ、そういえばさぁ思春! 前に穏と延と一緒にいる時にさ!? なにやら妙な気配を感じてさぁ! ゴゴゴ護衛してくれてたならなにか知ってたり───と、か……」

 

 マテ。護衛?

 そういえばあの場に居なかった……もとい、見えなかった存在が一人、いらっしゃった。

 思えばあの妙な息を飲む気配って、穏や延じゃなくて、…………エ?

 おそるおそる、思春を見てみれば……うわ赤っ! 真っ赤すぎて怖い!

 うわやややヤバイ! このパターンはよろしくない!

 こんな状況だとまた鈴音が走る! 走───いや待て! 死中に活あり!

 恥ずかしさからなのかどうなのか、いまいち赤くなっている理由が解らないままに、けれどわなわなと鈴音に手を伸ばしかけている思春さんを前に高速で思考!

 エェトツマリ!? ツ、ツマリ……ア、アゥワワワ……!

 ここここういう時って逆に思考って纏まらないよね!?

 おぉおおお思い出すんだ! 息を飲んだ瞬間を! あの時どんな会話をしてたっけ!?

 あぁあああそうこうしてる内に鈴音に手が! おぉおお落ち着け! やめるんだブロリー! それ以上気を高めるんじゃない! じゃなくてえーとえーと!! 美味しいオムレツを作る時はタマゴはってそれ前にもやっただろ!!

 

「───ハッ!?」

 

 そんな時に思い返される走馬灯! じゃなくて記憶!

 そういえばあの時、俺は穏に“あ~ん”の仕返しを……!

 ……な、なぁんだそういうことだったのか! 思春は俺と、あ~んをしたがって───えぇえええええええええええっ!?



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130:IF2/親と子の迷いが交わる場所②

=_=/イメージです

 

 ある晴れた東屋の団欒。

 

「やあ思春。今日は僕が昼食を作ったんだ。一緒に食べよう」

「蓮華さまは何処だ。蓮華さまを出せ」

「いやいやまあまあそう言わず。はい、あ~ん」

「待て、私が先だ」

「え? 思春がしてくれるの? えと、じゃあ、」

「ああ、大きく口を開けろ。もっと、もっとだ」

「あはは、大丈夫さ。箸で摘めるもので、そんなに大きなものなんて───……あの。その箸でつまんでいるものはなんデスか?」

「鈴音だ」

「食えないよ!? ていうか箸でよく持ち上げられるね!? すげぇ! 指筋すげぇ!」

「さあ、食え。大丈夫なんだろう?」

「いやいやいやいや無理だから無理だって無理無理むおぎょろヴァアアアーッ!!」

 

 …………。

 

 

 

-_-/かずピー

 

 …………。

 

「……空が青いヤー……」

 

 軽い現実逃避をしました。

 そして既に突きつけられている鈴音。

 フ、フフフ……もはやこの北郷、こんな状況にも慣れたわ。

 突きつけられるまでが怖いのは、きっと注射と同じなのさ。

 引いたり押し付けられなきゃ斬れないんだもの、きっと平気。平気平気平気……!

 そんなわけですので考えましょう。

 述が心配そうな顔でこちらを見ているけど、考えましょう。

 述には“こうしなさい”とアドバイスを飛ばしながら、あくまで笑顔で。

 ……笑顔? そうそう、笑顔だ。

 焦りながらも考えていたことにもたびたび上がった笑顔。

 もし本当に笑顔を作ろうとしていただけだとしたら、つまりはこちらの思春さんは……。

 

(あ)

 

 “お父さんとお母さんは、仲良しさんですねぇ”

 “ん……そりゃあ、まあ。むすっとしているよりは、こういう感じのほうがいいだろ?”

 

(ア、アアーッ!!)

 

 ハッと思い出したことがあって、意識せずに何故か肉チック(キン肉マンチック)に驚いてしまった。

 そ、そう! そうだ! その後に息を飲む気配がして……!

 え、あ、じゃあなんだ? つまり、思春は“むすっとしている”自分をなんとかしたくて、手伝いをしようとしたり笑顔でいようとしたり?

 

(あらやだ可愛い……! じゃなくて)

 

 はい俺、今の状況を冷静に分析してみましょうね。

 今、可愛いと思った相手に、刃物突きつけられてますからね?

 よし落ち着いた。物凄い速さで落ち着いた。

 さてここで問題だ。俺は何をするべきか?

 

1:ほっほっほ、愛いヤツめ、とおでこをツンッとつついてみる。

 

2:にっこり笑顔で返して抱き締める。(前進したら首が飛びます)

 

3:刃を持って、指で少しずつ折る。(地上最強でなければ無理です)

 

4:無視して述のところへ行く。(バッドエンド)

 

5:恥ずかしさの限界を超える。(俺に幸有れ)

 

結論:……5

 

 ……よし。覚悟を決めろ、俺。

 般若顔だったけど、頑張って笑顔になろうとしたり、料理を手伝おうと団欒を目指してくれた女性に、せめてそれくらいを返せなくてどうする。

 

「思春」

「なっ……なんだ」

「いつも護衛、ありがとう。思春が一緒に居てくれるから、いつも安心して無茶が出来る」

「う、なっ……!? な、なにを急に、貴様っ……」

 

 素直に感謝をするというのは難しい。

 が、出来ないことじゃあないのだ。やれないじゃなくてやらないだけ。

 そんな時に感じる一時の恥ずかしさよりも、今この時に伝える感謝こそを前へ。

 

「え、えーと。俺は、思春の笑顔が好きです。たまに見せてくれる、無理のない自然な笑顔が。大体が蓮華を見ている時に浮かびやすいけど、最近じゃあ述を見ている時にも見せてくれて、そんな笑顔が好きです」

「え、な、なっ……!?」

「だから、これだけは覚えていてほしい。“むすっとしているよりは”って言ったけど、嫌いなわけじゃないんだ。だから、どうか無理だけはしないでほしい」

 

 ……言った。

 言った……けど、顔を真っ赤にして「なっ」ばっかりを口にしてあわあわ状態の思春を前にすると、やっぱり恥ずかしいことを言ったと強く自覚してしまい……つい、こう、誤魔化しみたいな行動を取ってしまい───

 

「っ───」

 

 なぁんてなっ! と言いそうになった口を強引に止める。

 それだけは、それだけはやっちゃあなりません。

 全ての恋に生きる猛者どもが歩んだ道の中、これをやって成功した例は極僅かである。

 こと恋愛に関して言えば皆無と言っていい。これは言ってはならぬこと。

 なので、乙女心とやらへの仕返しだとばかりに───

 

「みんな乙女心とか言うけど、たまには男心も理解してくれな。俺、ちゃんと思春のこと、大切に思ってるから」

 

 自分で言ってて顔が灼熱する言葉とともに、ツンと思春の額をつついてみた。こう……“こぉいつぅっ♪”とか馬鹿ップルがやりそうな感じに。

 ええ、その。誤魔化しを口にしない分、突きつけられているものへのせめてもの反抗としてやったのですが。

 

  ───ばたーん。

 

 ……思春さん、それだけでそのままの姿勢で倒れてしまいました。

 

「ホワァアアーッ!? 思春!? 思春ーっ!!」

「はっ……母上ぇええーっ!?」

 

 顔は真っ赤。高熱でも出したかのように真っ赤。

 目はうつろどころか閉ざされていて……気絶してらっしゃる!?

 馬鹿な……! あの思春がこうもあっさり気絶しようとは……!

 そんな思春を、慌てて駆け寄ってきた述とともに介抱するわけだが……

 

「ち、父上……一体何を……!? 母を指一本で気絶させるなんて……!」

「エ?」

 

 こんな場面で生まれる盛大なる勘違いに冷や汗がボシャーと溢れ出た。

 いや違うんだよ述さん! 俺べつに思春を倒すつもりなんて!

 ていうかやめて!? 驚きの中に尊敬を混ぜたような目で見ないで!?

 これ実力とかそんなんじゃないから! 奇妙な擦れ違いの果ての結果みたいなものだから!

 ああいやいやそれこそ違う! 今心配すべきは思春だ! ストレートに倒れたし、どこかヤバいところを打ったりしてないか……!?

 などと、焦りつつも冷静な自分をなんとか組み立てて、思春を横抱きにして樹の下へ。

 持ち上げた時点で呼吸も確認したし、別に呼吸が異常ってこともなかった。

 ただ赤い。めっちゃ赤い。

 

「ちちちちち父上、わわ私はどうすれば……!」

「まず落ち着こうな」

 

 自分よりも慌てる人を見ると、人は冷静になれるといいます。

 ……実際その通りなようで、驚いたり尊敬したり心配したりで頭の中がしっちゃかめっちゃかな述を見ていたら、妙に冷静になれた。

 なので、齧った医療知識を糧に思春の様子を改めて見てみるも、やっぱり気を失っている以外に特におかしなところは見られない。

 

「父上! 私と勝負してください!」

「いきなりどうしてそうなる!?」

 

 で、確認が終わったら終わったで、焦った様子の述さん暴走。

 訊けば「私の目標は母上ですのでその母上を指先一つで倒してみせた父上に勝てれば私は───っほげっほごほっ! わ、私の夢は叶うのです!」……だそうで。とりあえず一息で喋ろうとするのはやめような。

 コマンドどうする?

 

1:たたかう

 

2:ぼうぎょ

 

3:じゅもん

 

4:どうぐ

 

5:トルネードフィッシャーマンズスープレックス

 

結論:1

 

 おい5。にげるはどうした。

 でもとりあえず戦う。

 娘の要望には応えましょう! そう……全力で!

 じゃないと下手すると負けるし。大人げない? 何をのどかな。

 この世界の人、子供でも恐ろしい。なので全力。

 

「述! 全力でいくぞ!」

「はい父上! ぜんりょ全力!?」

 

 けれどそんな僕のやる気とは別に、述さんがとても驚いてらっしゃった。

 ハテ、こういう時って相手は“全力で来ないと許さんぞ”とか言う筈なのに。特に春蘭とか華雄とか焔耶とか祭さんとか───……キリがないからやめよう。

 

「あ、あの父上……? その、出来れば最初は練習ということで……その」

「………」

 

 自分の娘だなぁと思った瞬間でした。

 そしてもちろん、勝負の話は無くなった。

 

……。

 

 そんなこんなで。

 

「はい腹!」

「はいっ!」

 

 述の腹に向けて掌底を繰り出す。背が低いので、腰をどすんと落とした体勢で。

 その際、震脚も利用して攻撃にプラスさせると、威力があがります。

 それを実の娘の腹にめり込ませたわけですが、述はそれを少ない氣で受け止め、威力を分散させてみせた。

 

「~っ……ぷっはっ! う、けほっ! こほっ!」

 

 とはいってもあくまで分散。殺しきれるわけではないので、多少の痛みは残る。

 以前から比べれば氣の総量も上がってはいるものの、述はこれでは満足できないらしい。その気持ちはよーくわかる。うんわかる。なにせこちらも氣しか頼れるものがない。

 氣だけで成長して、氣だけであの関雲長を越えろと貂蝉さんは仰います。

 ……勘弁してくれ。ほんと、本気で。

 

「うぅ……一回受け止めただけで、もう……」

 

 俺の話は置いておいても、述の氣は本当に少なく、その落ち込み方も相当だ。

 出来る限り支えながら、経験したことを教えて、自分の時より効率的に出来るようにと支えているものの、伸びのほうはイマイチ。

 それでも述は武がいいと言う。

 文の方では申し分ないというのに、なんというかもったいない……とは周囲の勝手な考えだ。才能を殺してしまうのはもったいないという言葉も当然あるが、本人がやりたいと言っているのならできるだけやらせたいと思うのだ。

 これって親ばかかな。

 ……親ばかだろうなぁ。

 

「父上……私も父上が仰るように、“お迎え”が来るほど拡張したほうがいいのでしょうか」

「やめなさい」

 

 真顔で即答。

 悩み多き娘に最短を教えてやれないのは心苦しいが、その最短は本当に危険だ。

 

「ですが、父上はまだまだ氣の総量が上がっているのでしょう……? なのに私は……」

「地道でいいんだって。俺なんて氣を見つけるところから始めて、これが氣だ……! なんて浮かれてたら全く違ってて、こうすればきっと上手くなるとか思いながらやってたことが見当外れすぎたり……勘違いばっかりで………………」

 

 思い返していたら悲しくなった。

 思えば……いろいろあったなぁ。本当にいろいろ。

 

「なぁ述。お前は頭がいいんだし、」

「いやです」

 

 即答だった。

 

「ちゃんと最後まで聞きなさい。頭がいいんだし、むしろ自分の中を頭で分析しきっちゃったらどうだ?」

「自分を分析……ですか?」

「そう。自分にはこれがここまで出来て、こうなった時はこれが出来るって、割り切っちゃうんだ。予想外のことが起きたらそれを勉強して、次に活かす」

「それ、ただの鍛錬と何が違うのでしょうか……」

「考え方の問題が、だな。ただの鍛錬じゃなくて、自分が出来ることをきちんと学ぶんだ。自分を勉強し尽くす。もちろん成長するたびに勉強する箇所は増えるんだから、成長する限りは退屈はしないと思うぞ」

「そっ……そうすれば、私も強くなれますか!?」

「そりゃ、今よりは確実に」

「~っ……!」

 

 “確実に”という言葉が嬉しかったのだろうか。

 述は表情をぱああと輝かせたのち、「はい、はいっ!」と二度三度と頷いた。

 

「で、ではまず何をするべきでしょうか!」

「心にもどかしいカタルシス?」

「……なんです? それ」

 

 なんでもない。

 さてなにを。なにをと来たか。

 

「じゃあ総量分析から始めるか。はい述、手ぇ出してー」

「はいっ」

 

 素直だ。

 さっと出された手をきゅむと掴んで、述を包むように氣を作る。

 以前よりは明らかに気脈は大きくなっていて、けれどそれでもまだ細い。

 いっそ本当に気絶するほど拡張してみたほうが……とは思ったが、あくまでそれは最終手段だろう。むしろやらせたくない。

 じゃあどこぞの点穴でも穿つ? ……子供の頃にあの激痛は、やっぱりダメだ。

 むしろ一気に開いた俺が馬鹿でした。よく生きてたよなぁ俺……。

 

「氣を練る速度は……ちょっと低いか」

「うぅ……頑張ります」

「ん、頑張ろう。ところで口調」

「いやです」

 

 即答だった。

 あまり堅苦しすぎるのって苦手なんだけどなぁ。

 親子なのに丁寧すぎると、なんというかこう……なぁ?

 丕も登もそこらへん、てんで聞いてくれないし。……延は元が元だから気にならなかったけど。

 そもそも述さん。俺に尊敬出来るところがあるかどうか、見ればわかるだろうに。

 強き将、賢しき将、そしてそれらが慕う王が居る中、俺だけがどれをとっても中途半端なのだ。貂蝉の発言によって、“氣が無ければ大したことも出来ない”と確信出来てしまった悲しき雄よ。

 

「……? あの、何故頭を撫でるのでしょう……」

「なんとなく」

 

 なのでなにを落ち込む必要がありましょう。

 大人になれば、きっとキミは知識で俺を上回ろう。

 大人になれば、きっとキミは俺以上の努力を覚えよう。

 なにも今のみを嘆く必要はない。今は今出来る何かを磨き、先のことなどそれまでを積み重ねた自分に任せてしまえ。

 それまでの準備が万全だったなら、きっとキミはいつか満足する。

 それはキミが望む“満たし”ではないかもしれないが、誰かが望んだ満たしの先かもしれない。だったら何を嘆く必要がありましょう。

 たとえ満たされず後悔だらけの自分に悲しもうが、だったらそこから到れる何かを探してみよう。どうせ歳を取らない馬鹿な親が、いつまでだって一緒に居るのだから。

 その到った場所が既に老いた世界だろうが、何かを探すのはきっと楽しいから。

 ……まあ、その時まで華琳が生きていて、世界が終わっていなければ、だけど。

 

「なあ述」

「? はい、なんですか、父上」

「お前が今見ている世界は、昨日よりも輝いてるか?」

 

 なんとなくクサいことを訊いてみる。

 言葉はアレだけど、思っていることそのままの質問だ。

 それに対しての述の反応はといえば……

 

「誰かに勝てる自分を知れました。もちろんですっ!」

 

 ちっちゃな思春の容姿そのままで、胸を張って笑顔で言ってみせた。

 俺はそんな笑顔に笑顔で返して───途端に冷静になって、“あれが、大人になると般若になるんだぜ……信じられるか……?”と孟徳さんに語りかけていた。

 

(敵ながら見事な働きよ。斬るには惜しいが、生かしてはおけん!)

(孟徳さん!?)

 

 いやいや斬っちゃだめだからね!? 見事とか言いながらなにその切り替えの速さ! むしろ敵なの!?

 ああ、でも……いい笑顔だ。

 娘のこんな笑顔が、こんなに近くで見られる……やっぱり誤解、解けてよかった。

 出来ればこんな笑顔が般若に変わってしまわないよう、これからも笑顔を引き出せる父親でありたいと思う。

 

(いい父親になろう。丕と登と延は、なんか俺を見る目が怖いけど)

 

 述は……なんだろう、三人とは違う何かがある気がするのだ。

 それこそ俺が8年以上も前から感じていた、将や王のみんなから向けられる“何か”が無いような……。

 なんとなく思うことがある。

 あくまで、本当になんとなくなんだけど、この“何か”を知ることが出来たら、きっと俺は乙女心というもののなんたるかを理解できるんじゃないかなぁと。

 でも心が叫ぶわけです。“それを知ったら終わりです”と。

 だから父は踏み込みすぎず、しかし危機には駆けつけられる父でありたいと常に思っているのですよ、述さん。

 

(こう……た、頼りがいのある父さまスゴイ! みたいに思われたい)

 

 思いたいだけで、果たして自分にソレがあるかは謎なまま、なわけですが。

 周りが優秀すぎるのが悩みって、贅沢かもだけど悩みは悩みだもんなぁ。

 そりゃ、永遠の二番手が嫌だって人は悩むだろう。登の気持ちは身に沁みて感じることが出来るほどだ。

 登と一緒に悩んだ述だって、何度もそれで苦しんだんだろう。

 問題なのはそこでどう切り替えられるかだ。

 絶対に一番じゃなければ気が済まないのか、順位なんぞにこだわらないか、二番だろうが自分の中で最高に輝ければそれでいいか。

 

(華琳は……一番で居たいのかな)

 

 俺は……“一番で居たい”って鼻を折られて、一番を目指す人の夢を追って、今この場で……全員が作っている賑やかさの中に居る。

 “目指した全員”で辿り着けなかったのは悲しいことだ。それは変わらない。

 たまに夢を見て、死んでいった人に“自分ばかりが幸せでごめん”と謝っている自分が居て、目を覚ますと泣いていた。

 都合のいいことに、夢の最後で“死んでいった彼ら”は笑っていた。隊の見習いの頃から一緒だった彼は、俺の首に腕を回して“いい世界にしてくれ”と言う。

 仕事をサボって一緒に桃を食べた彼は、“みんなが苦労せずに物を食べられる世界にしてください”と笑う。

 戦いが終わってみれば帰ってこなかった彼は、“人を潰すためのものなんて無い世界を頼む”と俺の胸をノックした。

 本当に、自分勝手で……それが本当に頼まれたことなのかも、自分がそう思いたいだけなのかもわからない夢。

 そのたびに頑張ろうと勝手に思って、勝手に頑張って、勝手に落ち込む。

 

「あ、あの、父上?」

 

 夢の通りに受け取っていいのだろうか……なんてことを、よく思ってしまう。

 死んでしまった人たちの分まで、なんてよく聞く言葉だ。

 それが死んでしまった人たちが望んだことなのかも知らないままに、口のない人の希望を勝手に決めて勝手に進む。

 本当は“同じように死んでくれ”、なんて言う人だって居たかもしれない。

 “お前だけどうして”なんて思う人だって居たかもしれない。

 上に立つのなら、誰かの希望を背負って立たないでどうする、なんて言われもするだろう。

 

  ───支柱ってものになった。

 

 国に返すために、出来ることを出来るだけやってきた。

 笑顔はきっと増えてくれて、けれど……その影にある不満も、増えたのだと思う。

 

「父上!」

 

 何かを為したあとに、“本当にこれでよかったのか”と不安を抱くのはいつものこと。

 むしろ抱かなかったことなど無かった。

 笑顔で何かを為した時ほど、心の中は不安でいっぱいだった。

 誰が導いてくれたって不安は不安だ。

 自分が絶対だと信じている人だって、些細なポカなど平気でする。

 やらなければいけないことのハードルが上がるたび、自分がしたことで人の生活が終わる可能性までを考えると、恐怖でひどく喉が乾いた。

 助けて、と唱えれば、誰かが助けてくれるだろうか。

 助けてくれるのだろう。一緒に考えてくれるのだろう。

 でも……じゃあ、その果ては?

 誰も居なくなった先で、俺一人だけ老いずに生きて、その先でそれを口にして、誰が助けてくれるのだろう。

 

  “───一刀。あなたが居た天で、“かつての王ら”に感謝する者は居た? それとも、そこに居たのはただ伝承を素晴らしいと謳う者だけ?”

 

 いつか、華琳にそう言われた。

 そうだ……天で、過去の英雄に感謝している人は居たか?

 たとえ俺が戦の世界を見て、その世界を生きたとして、その後に産まれた人は過去の戦を生き抜いた人に深い感謝を抱けるか?

 それは、たぶん違う。

 若い頃のじいちゃんが戦争の中を戦って生き残ったとして、俺はそのことに関して感謝なんて抱けない。

 その戦の辛さも、内容も、聞いたり見たりしただけで、その場にあった血の匂いさえも、簡単に零れ落ちてしまう命の軽ささえも目にしないで、生き残ったことへの強い感謝など抱けはしない。

 華琳が死んだ先のこの世界に降りる“否定”と向き合う自分の隣。

 そこに、自分を肯定してくれる人はどれほど居るのだろう。

 そこに、米の一粒の大切さを知る人は、何人居てくれるのだろう。

 いざとなったら孫に、なんて思っていたこともある。

 でも……もし、自分しか居なかったら。

 肯定する人が、自分しか居なかったら。

 俺は……。

 



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131:IF2/弱くても立ち向かえる未来

183/クラゲは引力に引かれ、“位置”に到達すると加速する

 

-_-/甘述

 

 ……楽しそうにしていた父が、その表情から突然“笑顔”を消した。

 誰かの前で、自信が無さそうな、少し情けない顔をすることはあっても、こんな顔はしたことがない父が。

 声をかけてみても反応はなくて、ただただ、その瞳が不安に揺れていた。

 この目を、自分はよく知っている。

 登姉さまが、そして恐らくは自分がよくしていた目。

 姿見の前でならほぼ毎日見ていた目だ。

 

「父上……」

 

 知らなかった。

 大人がこんな目をするなんて。

 大人になる過程でこんな目とは無縁になれるのだ、なんて思っていた。

 成長がそうさせると勝手に思って、早く大人になりたいとさえ思っていたのに。

 

「父上」

 

 呼びかける。

 けれど、父はぶつぶつと小さな声で何かを呟いて、目は私に向いているのに私を見ていない。

 もう一度呼びかけようとして、その目がふと私を捉えた。

 向けられていた視線が、ようやく私を捉えた。視線を感じるって言葉があるけれど、それって多分、こんな感じ。

 

「……なぁ、述」

「え、あ、はい……?」

 

 急に声をかけられて、驚く。

 こんな顔で声をかけられたことなんて無かった。

 目を見ただけで、“助けて、助けて”って言いたいのがわかるくらい、不安に溢れた顔。

 

「もしさ。自分なんかじゃ無理だろって難題を押し付けられたら、どうする?」

「え……」

 

 父の口からこぼれたものは、漠然とした不安。

 求められたのはきっと、不安の解消。……ううん、違う。たぶん、少しでも不安を軽くしたいだけだ。解消なんて最高の結末、求めても無駄だって思っている……それがわかる。私も、そうだったから。

 

「……助けを求めます」

「うん。でもさ、周りにはもう、自分を慕ってくれる人は居ないんだ。感謝を抱いてくれる人も居ないし、自分を支えてくれる人も居ない。そんな時、どうすればいいと思う?」

 

 ふと、それは娘に訊くべきことなのですかと言いそうになる。

 言いそうになったけど、それより先に掴めるものがあったから口を閉ざした。

 

  “じゃあ、誰になら言っていいのか”

 

 父は支柱だ。

 柱は立っていなければいけない。

 不安に揺れる柱を信頼し続ける人は、きっと居ない。

 でも、じゃあ、柱はずっと不安を抱かずに生きていかなきゃいけないのかな。

 抱いても、誰にも打ち明けちゃいけないのかな。

 私には登姉さまが居た。同じ悩みを打ち明けて、一緒に頑張れる姉が居た。

 じゃあ、支柱にはそんな相手が居るのか。

 “上手く出来ないから、見る目ばかりが養われた自分”が見る父は、とても小さく見える。

 不安に揺さぶられ、けど……きっと、そんな不安も飲み込んでしまうのだろう。

 覚悟完了と呟いて、胸をのっくしてしまえば。

 そうやって覚悟と一緒に溜め込んで、その先で…………

 

(……その先で、どうするんだろう)

 

 普段から何かを我慢しているとして、どうして父が私に打ち明けたのかはわからない。

 なにか私にだけ感じたものがあったのかもしれないし、ただ単に“弱いところ”に自分と似たなにかを感じたのかもしれない。

 ……それは、私にしか出来ないことなのだろうか。

 そう考えたら、受け止めなきゃいけないって思えた。

 たぶん、これが丕姉さまが言っていた“私にしか返せないなにか”。

 一方的に傷つけてきたのなら、今こそ何かを返したい。

 

「……父上。その難題は……具体的には、どういったものなのでしょう」

 

 でも、まだ訊かれたことが漠然としすぎていて、何をどう考えていいかも……自分の理解の範疇に届いてはくれない。

 だからと訊いてみれば、たった一人で強大な相手と戦うことになるかもしれない、とのこと。相手は個人かもしれないし、もしかすれば軍隊かもしれないというのだ。

 そんなもの相手に、立ち向かわなくてはいけないのだと父は言った。

 そしてそれは、この父の表情からするに、比喩表現なのかもしれないけれど……いつか本当に来るかもしれない困難なのだ。

 じゃあその“いつかは来るもの”という、軍隊かもしれなければ個人かもしれないものとはなんなのだろう。

 まず、そんなことを考えたけど───ふと思う。

 たとえ周囲にもう父を慕う人は居なくても。

 たとえその時に父が孤独なのだとしても。

 

「父上」

「うん?」

「その難題で立ち向かうべき相手というのは、怖い人なのですか?」

「ああ、怖い。俺じゃあ勝てないってどうしても思っちゃうくらい、怖いんだ」

 

 父はやっぱり覇気も無く言う。

 その姿を見て、ふと思ったことを口にしてみた。

 

「それは、この都に集う皆様よりもですか?」

「───」

 

 たった一言。

 それだけで、不安に揺れていた父の表情はびしりと固まった。

 ……固まって、視線をあちこちに飛ばしたのち……私をじぃっと見て……弾けた。

 

「い、いやっ……ぶふっ! はっ……あっはははははは!! 述っ、お前っ……あはははははは!!」

「え? え?」

 

 こちらにしてみれば、どうして笑われたのかがわからない。

 べつに笑わせようとなんてしていないし、普通に疑問に思ったから訊いたのだ。

 なのに父は、憑き物が消し炭にでもなったかのような晴れた表情で、子供っぽささえ感じるくらいの笑い方で笑っていた。

 

「そうだよなぁっ! そうじゃないかあははははは! 姿が見えない相手をどれだけ怖いって思ってようが、都を敵に回すよりはてんで楽だよなぁ! あははははは! あっは! ぷははははははは!!」

 

 どうやらおかしくて仕方ないようで、話しかけてみてもまともに返事が出来ないくらいに笑っている。

 ……意地悪な私塾の男なら、笑うことと馬鹿にすることを優先させるのに、父は身振りで私に“まともに返事を出来ないこと”を謝罪していた。……うん、やっぱり父は他の男とは違う。私塾の男もみんな、父のようだったらいいのに。

 そうしてしばらく笑った父は、涙の跡さえ拭わなければいけないほどに笑ったのちに、私の頭を乱暴に撫でてからニカッと笑って言った。

 

「んっ、元気もらった! ありがとな、述っ!」

 

 とても無邪気な笑顔だった。

 結局、相手がどんな存在なのかも訊くことは出来なかったけど……父のあんな顔をずぅっと見るよりは全然いい。

 

「父上。それでも一つ質問をしたいのですが」

「へ? 質問? ……いいけど、“それでも”ってなんだ?」

 

 気にしないでほしい。

 考えていたことをそのまま言葉に繋いでしまっただけだ。

 

「いえ、お気になさらず。それでですけど、あの……まさか、別の場所で浮気相手を作った、などという話ではありませんよね? だから強大な敵と戦うかもしれない、とか……」

「しないよそんなこと! 述さんキミ父をなんだと思ってんの!?」

「いえあのそそそそうですよねっ、相手が大国の娘で、けれど欲しくて大国相手に一人でとかそんなこと!」

「当たり前じゃああっ!! つか誰!? お前にそんな知識を植え込んだの誰!?」

「私塾での勉強会の際、桂花さまが“北郷の生態”という科目で……」

「けぇええええええいふぁあぁああああああああっ!!」

 

 声が裏返るほどの絶叫でした。

 

「え、あの、違うんですか? もちろん私たちも否定しましたが、“あいつならやりかねないわよ”とか言ってて」

「やるかぁっ! 自ら危険に飛びこむほど阿呆じゃないよ俺!」

「……ご、ごめんなさい……。聞いた話と妙に一致する部分があったから……」

「……今度、華琳に桂花用の罰でも考えてもらおう」

 

 頭を抱えてそう言う父は、本当に疲れた声でそう言った。

 

「でも、大丈夫ですよ。この都を敵に回すより怖いことなんて、絶対にありえませんから」

「……うん、まあ、そりゃそうだ」

 

 しみじみ頷かれた。

 その表情は、さっきまで晴れやかだったのにひどく疲れたものに変わっている。

 

「まあ……だよなぁ。左慈ってやつがどれほど強かろうが、今の都の総力に比べたらどうなんだって言われると……なぁ。左慈自体も外史連鎖破壊のために、来るのは軍隊だとしても、決着は個人で決めることを提案するだろうし。……提案? 強制かもなぁ」

 

 言葉の途中でまた可笑しくなったのか、父はくすくすと笑う。

 そうして軽く笑い終わったら、再び私の頭を乱暴に撫でてから立ち上がる。

 見上げたその顔は……晴れやかだった。

 

「よし述っ、鍛錬するかっ!」

「え? あ」

 

 そうだ。そういえば私は鍛錬をしていた筈だ。

 なのにいつの間にか結構重そうな話になっていて…………

 

「あの。父上は、もう大丈夫なのですか?」

「ん? んー……おうっ、悩んでも無駄だっていうことがよ~くわかった! 悩んでる暇があるならとにかく鍛錬! 打倒愛紗だ!」

 

 言いながらも氣を充実させて、「うおおおおお!」と叫びながら妙な姿勢を取っている。

 そのあと腕を組むと、神妙な顔でこくりと頷く…………あの動作に一体なんの意味があるのか。きっと集中をするために必要な動作に違いない。

 こう、うおおと叫びながら心を熱くさせて、次に冷静に頷くことで意識は静かに。

 なるほど、そう考えると素晴らしい動作なのかも───

 

「父上。今の動作はいったい……?」

 

 でも直接やり方を訊くのは恥ずかしくて、“間接的に説明してもらえたらいいなー”なんて期待を抱きつつ訊いてみた。

 すると……父上は腕を振り上げながら背を向けて、たった一言を言った。

 

「・・・・すごい漢だ。」

 

 ……なんだかいろいろなものが台無しになった気がしてならなかった。

 

「こらこら、ヘンな目で見ない。硬くなった頭にはさ、こういう悪ふざけが一番なんだよ」

「精神統一の動作かと思った私の真剣さを返してください」

「……お前も時々言うね」

 

 苦笑。

 私の頭をまた撫でて、それからは真面目な鍛錬が始まった。

 

「じゃあまずは身を守る術! 硬氣功を修めよう!」

「こーきこー! 父上は出来るのですか!?」

「出来ぬ!」

「えぇええええっ!?」

 

 周りから見れば、ただ中庭の一角で話をしている親子。

 そんな一角でなにを真面目に話していたのだと訊かれれば、私はきっとこう答えるのだろう。

 “ただの他愛ない親子の会話だ”と。

 

「俺は受け止めて散らすか装填するかくらいしか出来ん! むしろ知ってるか述。硬氣功って一瞬しか効力が無くて、身を固める拍子を間違えると逆に緩んで、痛みも増すらしいぞ……!」

「そ、そうなのですか!?」

「うんたぶん」

「たぶん!?」

 

 急に呆れるくらいに気安くなった気がする父を前に、私はただただ困惑した。

 けれどそれは本当に気安いもので、むしろ私は身構えることもなくそんな父を受け入れられた。ぐうたらだとか立派だとか、それ以前に……“素の父の弱さ”を知ることが出来たからだろうか。

 父の弱さは多少は知ってはいたけれど、なんとなく冗談の延長みたいに聞こえていて、それでも自分よりは強く賢いのだからとどこか遠目に見ていた父。

 校務仮面様であったり三国無双を吹き飛ばしてみたりといろいろすごいのに、本人は自分が弱いと信じきっていて、ふと中庭を見ればいつも鍛錬をしている気がする。

 時間があればそれに混ざるけど、私の氣は長続きはせずにすぐに枯渇する。

 追いつきたくて頑張るけれど、やっぱり届かず落ち込んで。

 ……そんな時に思うのだ。

 打倒雲長さまを願う父も、ずっとこんな気分で追っているのだと。

 そう受け取ってみればなるほど、私と父はよく似ているのかもしれない。

 

「あ……では父上! 軽氣功って出来ますか!? なんでも身を軽くするとか……!」

「ぬ、ぬう軽氣功……!」

「? ───? ……、! あ、えと、し、知っているのか雷電」

「……教えた俺が言うのもなんだけど、べつにそれ、言わなくていいからな?」

「そういうことは先に言ってくださいなんなんですかもう!!」

 

 遊戯室で遊ぶ際、いろいろと説明を訊く時に、“こう訊き返すといい”と言われたからやったのに! 本当に父はひどい人だ! すごい人なのにひどい人だ! ……そんなだから、他のどんな立派な人よりも話しやすいんだろうとは思うけど。

 私は、外見こそ母に似たが、中身は父に似たのだろう。

 いろいろと足りないところも、足りないものをなんとかして補おうとするところも。

 ……落ち込むと、長いところも。

 なんてことを考えている私を余所に、父は軽氣功についてを語る。

 なんでもどこぞの“神父”とかいう職業の人が14の言葉を唱えると進化して、壊れた窓枠にしがみつくと空を飛べるとかなんとか……はい、意味がわかりません。

 

「天にまします主よ、わたしを導いてください……!」

「何処にですか!? わ、ふわっ!? ひゃああーっ!?」

 

 当然父はそんなことは無理だと断じて、代わりに空飛ぶ絡繰“摩破人星くん”で空を飛んだ。

 抱きかかえられて飛んだ景色はとても広くて、嫌なことなんて吹き飛ぶくらいに、私を好奇心の世界へと導いてくれた。

 ……そっか、導いてくださいって、こういう意味なんだ。(*違います)

 

「父上」

「ん? どしたー?」

「怖くなったら、こうして空に逃げてしまえばいいのではないでしょうか。相手は空を飛べるのですか?」

「逃げ…………うん、そうだなぁ。相手はとっても怖いんだけどな、残念ながら逃げていい相手じゃないんだ。きちんと立ち向かって、勝たないと……今こうして生きている意味さえ折っちゃうかもしれない」

「折る、ですか?」

「そう。天狗の鼻を折られるよりも、そっちのほうがよっぽど辛い。だからさ、どれだけ怖くても……逃げることだけはしちゃいけないんだ。……肯定者としてってだけじゃなくて、みんなと一緒に生きた世界だ。否定なんて、絶対にさせてやらない」

 

 本当は逃げたいけどね、と続ける父は、やっぱり弱かった。途中の言葉の意味は理解できなかったけれど、父の弱音は伝わった。

 そして私も弱さを知るからこそ……そんな弱さにこそ、私は頷くことが出来た。

 弱くてもいいんだとは言わない。

 目指せる強さがあって、そこから逃げようとしない姿に、ただ……憧れた。

 

「感じたぞッ! 位置が来る……ッ!」

「キャーッ!?」

 

 でも顔から光を放つ父には憧れませんでした。

 憧れないけど…………ど、どうやってやるんだろう。

 曹丕姉さまに見せたら、びっくりするかな。

 

「やっぱり、たまには馬鹿やって息抜きしないと駄目だなぁ。馬鹿正直に真っ直ぐに進みすぎると、絶対にどこかで逸れてる……」

「馬鹿って、今のがですか?」

「普段やらないことを全力でやってみるんだよ。結構鬱憤晴らしになるんだぞ~?」

「普段やらないこと……父上にとっては、今のがそうなのですか? その、割とやっているような……」

「ほんと時々言うね、述さん」

 

 そうは言うけど、笑っている父は「確かに」とも頷いた。

 

「じゃあ俺が普段やらないことといえば……」

「あ……そういえば私、父上が母上に愛を囁くところは見たことがありません」

「ほんと言うなぁもう!! “時々”が今日に集中しすぎだろオイ!!」

 

 引き攣った笑顔で、けれど片腕で私を抱いて、片手で私の頭を撫でた父は、すぅぅ……と息を吸って、吐いて、また吸った。

 そして空からゆっくりと中庭の地面へ向けて降りてゆくと、その途中で───

 

「指弾!」

「ふきゅっ!?」

 

 なんと握り拳から弾いた親指から放った氣の弾で、寝かせたままだった母の額を攻撃!

 ……聞いたこともないような可愛い声が母の口から漏れ、その声を自分でも聞いたのか、真っ赤になってババッと起き上がる母。

 やがて母が宙に居る私と父に気がつくと───

 

「思春ーっ! キミが好きだーっ!!」

 

 悪戯をされたと思って怒りに震えていた母へと、なんと父が大声で……!!

 あまりに突然の事態に私の心は震え、感じたことのない好奇心を抱き、母を見下ろした。

 

  ───どんな反応をするんだろう!

 

 頭の中はそれでいっぱいだった。

 すると、母は特に何をするでもなく私たちを見上げ……突然、爆発でもしたのかと思うほどに真っ赤になって、狼狽え始めた。

 その姿を、私はどう受け止めよう。

 ただひたすらに人として、私の感性で受け止めるのなら…………可愛い。

 でも口にしたら叱られるだけじゃ済みそうにないので絶対に言わない。

 言わないけど、あんな顔も出来るんだ……なんて、母の新しい一面を胸に、感動すら覚えた……次の瞬間。

 

「───……」

 

 母が地面に手を伸ばして、チャリッ……と。たぶん石……を、拾い上げていた。

 そしてあろうことか振り被って、空に居る私たち目掛けて、って───わぁ!?

 

「ちちちち父上ぇえーっ!! 石! 石がぁあーっ!!」

AhHAHAHA(アウハハハ)ァ! 述サァン? これは修行サ! 飛んでくる石を武器で叩き落とす、立派な修行で助けてぇえええーっ!!」

 

 ぞびぃっ、って。石が、物凄い速さで父の頬を掠めていった。

 慌てて空に逃げる父と私。そこ目掛けて石を投げる母。

 逃げながら「別にからかってるわけじゃないってぇえっ!!」と全力で叫ぶ父だけど、母はそれを聞いて余計に真っ赤に。

 下から追いすがってまで石を投げてくる始末で、何も言い返さないところが怖いというか可愛いというか。

 父も中庭の範囲から外に出ようとはせず、あくまで中庭の範囲の空から母への説得を続けている。

 けれど、母が投げた石が絡繰の一部にカンッと当たり、父の意識が地面から絡繰に移った途端。

 

「おわっ、当たった!? 大丈夫か!? 壊れてないよな!?」

「───! ち、父上! 下っ! 下ぁっ!!」

「へ?」

 

 慌てて下を見る父だけど、もう遅かった。

 私が懸命に下、と告げている内に母は素早く行動して、一気に城壁の上へと飛び移り、壁を蹴って見張り台を駆け上り、一気に“横”と喩えるに十分なこの位置へ───えぇえええっ!?

 

『うゎあぁアッきゃあああああーっ!?』

 

 一瞬見失って、気配を横に感じたからこそちらりと見た。

 そこに、朱の君。

 思わず叫んでしまった私と父は、きっと悪くないと思った。

 

 

 結局、私と父は絡繰ごと地面に叩き落されて。

 そんな母なる大地の上で、親子仲良く正座させられて、真っ赤なままの母にがみがみと説教をされた。

 こんな自分を情けないなぁとは思うけれど、楽しくもあったことは事実なわけで。

 ちらりと隣を見た時、同じ拍子にこちらを見た父と目が合って、笑った。

 

  ……母の説教の種が追加されたけど、似た者親娘(おやこ)な私たちは笑顔だった。

 




一通りの悩み話だったので、30分毎の投稿で一纏めです。
いやー……相変わらず悩みすぎですね。
でも自分ならもっと塞ぎ込む自信がございます。
一介の学生に自分より格上の達人から世界の肯定を守れとか、人生やり直させてあげる代わりに一刀くんやってみてって言われても頷けるかどうか。
え? 代わりにハーレム? あっはっは、やだなぁ。あれはかずピーだから出来るんであって、一般ピープルな僕がかずピーの代わりになったって首が飛ぶだけですよぅ。


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番外的オマケ話:他の将にも子供が居たら

おまけIF/とある都のお話

 

 

 ───それはある日から始まった違和感。

 

「うん? なんだ恋、また随分と食べたな」

「?」

 

 とことこと歩く恋を見かけた愛紗が、恋にそれを言ったのが始まりだった……と、思う。

 言われた恋は首をこてりと傾げて、理解に到らなかったのか、愛紗の言葉に曖昧に頷くことで返しつつも、その場からてくてくと離れていった。

 

……。

 

 数週間後。

 

「お腹、空いた……」

 

 きゅるぐー、とお腹を鳴らした恋が、俺の服を引っ張った。

 振り向けば、どうしてか頬がこけているように見える恋がそこに居た。

 ……の、割りに、お腹は膨らんでいる。

 

「って言ってもな……お腹いっぱい食べたんじゃないのか?」

 

 そんなお腹を見れば、きっと誰だってこう言う。俺だってこう言う。

 けれど恋は首を横に振るった。

 

「……最近、みんなそう言う。食べさせてくれない……」

 

 人差し指を口に銜えて、じぃっ……と見つめてくる恋さん。

 食べさせてくれないって、じゃあ今までどうしていたんだと訊くと、

 

「ねねが自分の分をくれた……。それはだめって、言ったけど……、ん……、聞いてくれないから……分けて……」

 

 いや、あの。なんか喋るのもダルそうなんですが?

 え? もしかして本当に空腹状態? でもお腹膨らんでて───ハッ!? もしや病気!?

 お腹がでっぱる病気ってなんだっけ!? たしか子猫は黴菌とかが入るとお腹が出っ張るとかなんとか……もしやそれ!?

 

「よ、よしわかった! 普通の味で申し訳ないけど、今栄養が付くもの作るから!」

「……!」

 

 頬を赤く染めて、こくこくと頷く。

 そんな恋の頭を優しく撫でて、ふらつく彼女をお姫様抱っこして厨房へと駆けた。

 

……。

 

 さらに数ヵ月後。

 

「また、随分と詰め込んだな、恋。食べすぎは感心せんぞ」

「……?」

 

 また通路で恋に話しかける愛紗を発見。

 おやぁ……? と首を傾げたくなるほどにお腹が出っ張っている恋は、やはりこてりと首を傾げていた。

 

「えぇっと……愛紗」

「? あ───ご主人様。お出かけですか?」

「仕事がひと段落ついたから、散歩でもって。で……さ。どうしたの?」

 

 なんとなーく思い当たることがあるけど、まあ恋だから……って理由でみんなも納得していたんだろう。

 けれど、いい加減に誰かがツッコむべきだと思うのだ。

 ……最近は、ただでさえ周囲の変化に思い悩む日々が続くわけだし。

 

「いえ、最近の恋は見かけるたびに大量に食べているようで、こんなにも腹部が……。恋、お前も女ならば、少しは人の目を気にしてだな……」

「……まだ、なにも食べてない」

「───え?」

「恋、まだなにも食べてない」

「…………」

「………」

 

 ……。

 

「あのー……さ。ずっと言いたかったことがあったんだけどさ」

「……いえ、私も気になることはあったのですが、恋ですし、まさかと……」

「?」

 

 首を傾げる恋。その腹部を見て、俺と愛紗は軽く空を仰いだ。

 ……通路の天井があるだけでした。

 

「恋。お腹、おかしな感じがしないか?」

「ん……なにか、動いてる……」

「ど、どんな感じに?」

「……? ん、……小さいなにかが……蹴る、感じ……?」

『やっぱりぃいいーっ!!』

 

 愛紗とともに絶叫し、疑問を確信に変えた。

 つまり。その。恋が、妊娠しました。

 

……。

 

 蒼い空の下、その事実は一気に広がり

 

「ちんきゅぅきぃっく!!」

「ゲベェエウェッ!?」

 

 医療室として宛がわれている部屋の中、俺の腹に蹴りが埋まる。

 助走をつけないショートレンジキックだった。

 

「お、おおおお、おぉおおおまえぇ!! いつの間に、いつの間に恋殿と、ととととぉおお!!」

「仕合で、十回勝った時……っ……やたら、と……抱きついて……きて……!」

 

 水月です。当たり所が悪すぎて、説明どころじゃございません。

 

「だだだ抱きついてきたのをいいことに、そのまま押し倒したですかこのえろえろだいまじんーっ!!」

「そんなことするかぁ! きち───げっほごほっ! き……きちんと、何度も説明したりっ……! ~っ……遠回しにやめといた方がって感じに話したりもしたわぁっ!」

「ななななんですとぉおーっ!? で、では恋殿っ!? まさか恋殿が望んでこのようなことに……!?」

「ん……美以が言ってた。強い女は、強い男の子供、産む……って」

「れ、恋殿ぉ……! その条件ならばなにもこの男でなくともぉお……!」

「……ご主人様じゃないと、嫌……。弱いやつは、いらない……」

 

 うわ……きっぱりだ……。

 まさか恋が、いらないとまで言うとは……。

 

「ねね、ご主人様のこと、きらい……?」

「うぅ……それは、この男は友達なのです……他の男と比べれば、嫌うどころか信頼できる存在ではありますがー……」

「ねねも、やってもらうといい……。とても、しあわせ……」

「あ、あぅう……! 恋殿が可愛いのです───はっ!? そうじゃないのです恋殿! ま、まさか産むのですか!? どのような子供が産まれるかわからんのですぞ!?」

「産む。きっと強い子。強く育って、とてもとても強くなって、それで……」

「そ、それで……?」

「恋が倒す」

『倒すの!?(ですか!?)』

 

 言い切った恋の目は、楽しみにしている日を待つ子供のようだった。

 そんなわけで……ねねの必死の説得(?)も右から左へ。

 むしろどんどん言い負かされるねねがついには折れ、曲がりようもなかったけれど産む方向へ。

 もちろん俺も喜んで、子供の誕生を待った。

 妊婦の世話という意味で恋の世話を続ける日々が流れ……むしろ恋の調子がてんで変わらず、つわりのひどい女性は怖いとか聞いていたけど、あれぇ……? と首を傾げる毎日。

 この時代の女性、逞しすぎます。

 ……ちなみに言うと、妊娠したの、恋だけじゃないです。

 それが最近になって思い悩むことの大体の原因であり……一気に増える子供の数に、果たしてたった一人の父親である俺は、対応していけるのだろうかと───

 

……。

 

 しばらくして、子供は無事に誕生した。赤毛の可愛い娘。

 娘…………うん、娘なんだ。

 息子、産まれないのでしょうか。息子とキャッチボールしたい。

 とは思ったものの、これまた可愛いのでデレデレの俺、再誕。

 

「わ、わ、か、可愛い……! 父さま父さまっ、どうすればいいんでしたっけ! た、たかいたかいとかするんでしたっけ! 黄蓋母さまを持ち上げたみたいに!」

「まず落ち着こうな、丕。あと脇腹抓らないで、痛い」

「父さま……そういうことは、そのだらしがない顔をなんとかしてから言ってください」

「登さん。言いながらなんで俺の脇腹を抓るのかな」

「あらあらぁ、可愛いですね~♪ ほらほら~、お姉さんですよ~♪ ……お顔がとろけきっただらしのないお父さん~? この子、名前はなんと言いましたっけぇ」

「延~……? べつにだらしがないは言わなくてもよかったよな~……? あとさりげなく足踏まないで。名前はほら、あれだよ」

 

 赤子を見る娘達は、その小さな命に興味津々だ。

 でも何故か俺への攻撃がやまない。何故?

 ともあれ、娘だ。

 

「姓は呂、名は姫。字は玲綺だ」

「りょ・き・れいき、ですかぁ」

 

 名を唱えられた姫は、返事をしたわけではないだろうけど「あぅー」と声を上げた。

 その反応に娘達の反応は盛り上がりの一途しか辿らず、性格的に大人しい方である述が、「つ、次は私に抱かせてください!」と声を荒くして頼むほどで……うん、賑やかだぁ……。

 

「おぉお……小さいなっ! 小さいぞ父よっ!」

「こーら、柄、あまり大声は出さない。びっくりして泣き出すぞ」

「うっ……こ、興奮しすぎてしまった……」

「あの、父上。こんなに可愛らしいこの子に、桂花さまからいただいた“ねこみみふーど”を着させてあげたいのですが……!」

「邵、それが原因で性格が桂花になったら、俺絶対に泣きそうなんだけど……」

「……そういえば桂花さまもお腹が大きくなっていると聞いた気が」

「へぁあっ!? ……やっ……! そ、琮……!? さすがにそれは───」

「あ、いえ。私、見ましたよ父さま。大きくなったお腹を抱きながら、ぶつぶつと言っているのを───」

「禅───今、なんと?」

「見ました。この目で」

「───」

 

 時間が停止しました。

 

……。

 

 度重なる───罠ッッ!

 度重なる───罰ッッ!!

 普通の罰では喜ぶ軍師に、覇王が与えるべき罰とは何かッッ……!

 

「華琳、擽っていいかい。キミが泣いて許しを乞うまで」

「やめなさいよ!!」

 

 罠が重ねられて、罰が重なって、コトが重なった結果、子供が産まれました。

 姓を筍、名を(うん)、字を長倩(ちょうせん)と名づけられた赤子は、呂姫には遅れたものの順調に育ち、娘達のいつかを思う8歳までに成長し───

 

「なぁああ~にが父さま父さまよこの馬ぁああ鹿っ! あんな見境無しを慕う前にやるべきことがあるでしょう!?」

「いい加減になさい惲! 事ある毎に人に突っかかって!」

「貴女が馬鹿だから馬鹿と言っているんじゃない! 何かといえばあの男と比べて、父を思うあまりに落とし穴に落ちるなんて滑稽だわ!」

「───……」

 

 ───何故か、丕ととんでもなく仲が悪い。

 伝え聞く荀惲は曹操の三男である曹植と仲が良く、次男の曹丕が即位したあとも親交が絶えなかったとか、曹丕と親しかった夏侯尚と仲が悪かったとか、そういった理由から曹丕とも仲が悪かったと聞くが……まさか双方自分の娘という立場で、こうも仲が悪くなるとは……!

 華琳大好き人間である桂花の娘だ、絶対に丕とは仲良くなると思ったのに。

 

(原因俺? ……俺だよなぁどう聞いたって)

 

 通路の一角で黄昏る。

 こうして言い争いが耐えないものの、周囲の視線を気にしてか、丕は強く叱れないでいた。

 結局は毎度丕が退くわけだが、それが惲の天狗の鼻を増長させるわけで。

 

「あらどうしたの? 続く言葉がないわよ? また負けを認めるのかしら、情けないわねお姉さま。うふふははははは、おほほほほほほげーっほげっほごほっ!」

 

 でもやっぱりまだ子供で、高らかに笑おうとしたら失敗。

 その姿をブフゥと丕に笑われて、カァッと真っ赤になると、負け犬の遠吠えみたいな捨てゼリフを吐いて走り去ってしまった。

 

「………」

「………、」

「……!」

 

 で、ぽつんと残された丕に手招きをしてやると、ぱあっと明るくなって抱きついてくる。

 もはや16歳。

 良い歳なのだが、いつになったらこの娘の父さま大好きオーラは消えるのだろう。

 や、とてもとても嬉しいんだけどさ。こうまでファザコンだと、いくらこの北郷とて相手の存在が気になるといいますか。

 

「連れて来たら来たで、鬼になるのでしょう?」

「修羅と化しましょう」

 

 人の毎度の表情から心情を察したらしい華琳に、キリっと言って返す。

 そう……丕が我慢をして俺が慰めるのは毎度のことなのだ。

 我慢をした分、抱きついてきた娘の頭をよく出来ましたとばかりに撫でまくり…………マテ。もしかしてこれが原因なのか? いつまで経っても甘え癖が抜けないのは。

 

「俺もそろそろ本気で、親ばかをやめたほうがいいのかもなぁ。丕が俺にばかりかまけてなければ、惲だってあんなに丕を嫌うことなんてなかったろうに」

「それとこれとは話が別です。惲は父さまの凄さをまるでわかっていないからあんなことが言えるんです。……いつかの自分を見ているみたいで、歯痒くて仕方がないわ……」

「ええそうね。事ある毎に私に、一刀のあれが駄目だこれが駄目だと叫んできたわね」

「うぅぅううっ……か、母さま、それは言わないと約束を……!」

「あら。私がいつそんなことをしたかしら。あなたが一方的に捲くし立てて、恥ずかしさのあまり逃げ出しただけじゃない。了承など一切していないのなら、それは約束とは言わないわよ」

「あ……あぅううう~……っ!!」

 

 はい、また些細なポカをやらかしたらしいです、宅の娘は。

 そんな娘の頭をもう一度ぐりぐり撫でて、手に自ら頭を押し付けるようにする丕に笑みをこぼしつつ、解放。

 途端に残念そうな顔で見上げられるが、気にしてはいけません。

 

「ん……丕といえば、姫は? 今日はまだ見てないけど」

「姫? 姫なら中庭で関平に氣の使い方を教えていたわよ」

「え? 姫が氣って。あいつ華雄と同じで常時消費型なのに……教えられるの?」

「難しいことは考えないで、全てを渾身でいけばそれが氣だ、と……まあ、そんな感じで教えていたわね」

「………」

 

 姫……呂姫玲綺は脳筋でした。

 在り方こそ恋と似ているのだが、小細工無しの全力粉砕型。

 無口だし気まぐれだし、猫のような態度だけど犬のような忠誠心、そして白虎のような速さと熊猫のような破壊力。頭は悪いわけではないんだけどなぁ……考える力さえも破壊力に変えてってタイプで、とても元気だ。

 ……武器さえ手にしなければ甘えている時の猫、尻尾を振る犬が如く人懐こいんだが。

 そんなだから、少しずれて産まれた惲とどうしても比較してしまう丕にとって、甘えてくれる姫は可愛くて仕方ないらしい。だから丕といえば姫を連想してしまって、先ほどの質問なわけで。

 

「それで、一刀? これからの予定は?」

袁尚(えんしょう)の買い物に付き合ってから袁燿(えんよう)に馬の世話の仕方を教えて……終わったら禅と一緒に張紹(ちょうしょう)に勉強を教えて、張虎(ちょうこ)楽綝(がくりん)(いくさ)道場に迎えに行って、その帰りに桂花の私塾に周循(しゅうじゅん)孫紹(そんしょう)を迎えに行って、その後は中庭で……あ、そっか。だから姫も平も中庭に居たのか。っとと、中庭で姫に常時解放型の氣についてを教えて、平には槍の扱い方を教える約束をしてる。あとは───」

「……はぁ。もういいわ、あなたね、娘が可愛いのはわかるけれど、いい加減誰かに手伝ってもらわないと本当に倒れるわよ。というか倒れたじゃない。確かにいつか、この地との絆を深めるためにも次代の子をと、あなたに言ったわよ。けれど、だからといって全ての子の面倒をあなたに見ろとは言っていないでしょう」

「だって平等に接しないとみんな拗ねるんだもん!!」

「どれだけ人に好かれているのよあなたは!!」

 

 困ったことに……とは言い難いものの、困ったことに娘らには好かれている。

 何がそうさせているのか……とも考えるのもアレなんだろうけどさ。

 いつか決めたように、母親に鞭を頼み、俺はただひたすらに飴となった。

 その結果が……ファザコン集団といいますか、なんといいますか。

 筍惲は本当に、ほんっっっとぉおーに桂花に似たため、俺のことを嫌っております。

 桂花にしてみれば産まれた子に罪は無いとかで、というか……むしろ男ではないのならとばかりに娘を自分側へと引き込み、幼い頃からの悪口刷り込み効果で父親嫌いに育てなすった。父親嫌いというか……男嫌いだね。別に俺だけが嫌われているわけじゃないし。

 とまあ、現状はそんな感じで……なんだかんだで次代を担う子供はしっかりと産まれました。

 皆様、まだまだ成長段階の子供だけど、各方面に才能が飛びぬけていて怖いです。

 それこそ一人ではなにも出来ないものの、本当に一人一人が一つのことに偏る形で飛びぬけた能力を持っているのだ。

 そんなお子めらが手に手を取り合ったらもう…………ねぇ?

 

「まあ、とりあえず……仕事するかぁ」

「一刀? 子供にかまけて自分の仕事をおそろかにするようなら───」

「“自分の仕事”はもう終わってるんだ。前倒しで出来ることは出来るだけやってあるから、あとで確認よろしくな」

「なっ……!? あなた一体いつ眠っているのよ!」

「ふははははは既に三日貫徹済みよ! もはや誰がこの北郷の前に立ちはだかったとて! 未来へかける情熱は誰にも止めることは出来ぬゥウウウウ!!」

「……一刀?」

「ゴメンナサイヤメマス」

「ふえっ!? は、速っ!?」

 

 極上の黒い笑みを浮かべた華琳の一言に、下腹部がひゅって音を鳴らした気がした。

 途端に心の勢いなぞ死んでしまい、しょんぼりとした俺を見た丕が大層驚いた。

 

「とにかく。手が空いている者は居るのだから、それらに給金を払う形で面倒を見てもらうわよ。一刀、あなたはまずしっかりと休むこと」

「ア、アノ、氣のことを教えてやると言ったら、姫、とっても喜んでイタノデスガ……」

「そう、残念ね。断りなさい」

「容赦ないですね!」

「いえ、当然のことです。大体父さま、なによりもまずご自愛くださいと言われていたではありませんか」

「無茶はしないことと言われただけであって、べつに無茶じゃ───」

「そう? 私から見ても無茶だと思えて、真似たところで倒れる自信があるのだけれど。そうまで言うなら私が試してみましょうか? そうね、もしそうして私が倒れたら、あなたへの対応は春蘭と秋蘭と桂花に───」

「イェッサァ無茶でしたもうゴネません!!」

 

 華琳が倒れることで悪鬼羅刹と化した三人に吊るされる未来が頭に浮かんだ。

 そうなってしまっては、もう折れる以外に道はございませんでした。

 

「じゃ、じゃあ僕、部屋に戻って───」

「ええ、そうなさい。そっちに部屋は無いけれどね」

「……父さま」

「戻る戻ります! だから笑顔で黒い氣とかやめて!?」

「知りません。だから私が一緒に行きます。どうせ父さまのことだから途中で道を逸れるに決まっています。それか、部屋には戻るけれど戻って“少し”休んだらすぐに出るに決まっています」

「なんでわかったの!? …………ア」

 

 静かに、華琳さんが絶を、丕さんが鍛錬用の鉄棒入り木刀をズチャリと……どっから出したァアアーッ!!!

 またか! またこのパターンなのか!

 俺はただ娘達に親からの愛情を与えたいだけなのに……! ……愛? ハッ!

 

「やあ華琳さん。今日もお美し痛い!!」

 

 愛という言葉で、そういえば娘を構ってばかりで、華琳とは……と思い、抱きしめたら額を叩かれた。程よく脱力された身体で繰り出されるそれはまるで水銀の鞭ッ……!!

 ええはい、普通に大激痛でした。“美しい”、という言葉が“美し痛い”と繋がるくらいに自然な流れで叩かれましたとも。

 そして何故わくわく顔で俺を見ますか丕さん。

 いや、また叩かれるのも嫌だし、あなたにはやりませ───なんで睨むの!?

 

「本当に、周囲がどれだけ成長しても一刀は一刀ね。外見もまるで変わらないし」

「…………ああ、成長……弁慶ェエーッ!?」

「成長、という言葉に反応して、あなたはいったい人の何処を見ているのかしら……!?」

 

 胸です、とは言えない。

 背です、とも言えない。

 なのに彼女は答えを求め、人の弁慶の泣き所を蹴った上で、笑顔のままに見つめてきます。

 あなたならどうしますか、神よ。

 どうせ怒られるのなら茨の道を歩みますか?

 それとも己の信念を曲げず、誇りの道を往き、太陽の導きを受けますか?

 はたまた野望の果てを目指し、生贄を受け取りますか?

 

「丕は大きく育ったのになモギャアアアアーッ!!」

 

 容赦の無い指二本での目潰しが、俺の瞳を襲いました。

 そう、選択は1。どうせ怒られるのなら茨の道を。

 

「まっ……ちょ、待っ……! それでも愛してるって言うつもりでっ……」

「ひぅっ……!?」

 

 痛くて目が開けられないものの、華琳が息を飲んだのは感じた。きっと赤い。

 そしてそんなことを感じている間でも、何故かくいくいと引かれる感触のする俺の服。

 ……きっと丕が“私は? 私は?”とばかりに引っ張っているのでしょう。

 口で確認しようとしないあたり、なんと言えばいいのか、察しなさいと言うのが好きな人の娘というかなんというか。

 

「えーと……なんかもう何かを口にすればするほどひどい目に遭いそうだから、素直に部屋に戻って休むな……。あ、あー……あと。娘達にはちゃんと説明してくれると嬉しいかな」

「ん、こほんっ! ……ええ、それはきちんと言うわよ。休むように言ったのは私なのだから、当然じゃない」

「丕。華琳が咳払いから始める言葉って大体小さなポカに繋がるから、丕もよろしくな」

「なっ……!? 一刀っ、何を根拠にそんな───」

「はい、任せてくださいっ」

「丕!?」

 

 長く一緒に居れば、見えてくる覇王像というものがあります。

 それを踏まえて丕に頼むと、もはや目を瞑ってても気配で歩ける都の通路を一人で歩いた。

 

……。

 

 で、部屋で休んで、目に氣を集中させて、ようやく開けるくらいに回復した───途端。

 

「父上様! 約束を違えるとは何事ですか!」

 

 どばーんとノックも無しに扉を開け、関平さんが登場。

 感覚的に、まだ約束の時間ではない筈なんだが……華琳か丕から聞いたのだろうか。

 

「ああ、ごめんなぁ平。ちょっと最近無茶しすぎてな、体調がよろしくないって断言されたから休まないといけないんだ」

「そのことはこの際構いません! 私が言いたいのは約束を違えた上、父上様がそれを言いに来なかったことが───」

「ん、少し黙る」

「ぴゃふぃぃっ!?」

 

 うがー、とばかりに怒りを露にしていた平さんが、その後ろに居た姫に首を捻られて崩れ落ちた。

 しかしすぐに平を抱きとめるとソッと寝かせて、扉を閉めて……他に誰も居ないことを確認すると、誰にともなくこくりと頷いて……

 

「…………父……!」

 

 ぱあっ、と眩しいほどの笑顔になって、たった一歩で入り口から寝台までの距離を素っ飛んで来た。

 ホワア!? と驚くのも束の間、慌てて抱きとめると、そのままの勢いで寝台に倒れてしまう。

 当然というべきか、反射的に目を閉じてしまった俺の顔へ、姫は犬のように舌を這わす。

 

「うわぁあああやややややっ!? ちょ、姫、やめなさっ……姫っ!」

 

 自分のやりたいことに猪突猛進。

 呂玲綺というお子は、恋の容姿に美以の性格をインストールしたような子供だった。

 が、やめなさいと言えば、

 

「ん……やめる」

 

 ビタァとやめて、代わりにコシコシと俺の胸に頬擦りをしてきた。

 うん、素直で聞き分けのいい子なんだ。それは確かなんだよ。

 でもなぁ、一度視界から外れると言いつけられたことがリセットされるみたいで、たとえば俺が厠に行って戻ってこようものなら、もう姿が見えなくなったその時点でリセット。

 再び飛びついてきて、思考を素直に行動に移して、再び舐めてくるわけで。

 ……こうして素直な割りに、別の誰かが居る前ではこういうこと、しないんだよなぁ。

 

「父……姫、今日は平に氣を教えた。……偉い?」

「あ、ああ……うん、偉いぞ。偉いけど、首は捻っちゃだめだからな?」

「……? しゅんらんが、人を黙らせるにはあれがいいって」

「覚えちゃいけませんそんなこと! もっと別にやり方ってもんがあるでしょうが!」

「ん……わかった。姫、父の期待に……全力で応える」

「姫……」

 

 恋のように、どこか眠たそうな半眼めいた目で俺を見上げる姫は、そう言ってこくこくと頷いた。

 ……頷いて、

 

「……かゆーが言ってたように、お腹に拳をめり込ませて黙らせて───」

「却下ッ!!」

 

 ちょっとぉおお!! 人の娘になに教えてんのあの二人ィイイイッ!!

 しかもそれやられたら、俺の期待が全力ボディブローってことになりますよ!?

 やめて!? 俺そんなこと望んでないから!

 ……なんて言ったところで、あの二人が聞いてくれるかどうか。

 などと何処ともとれぬ虚空の先にあるであろう遠い空を思い、視線を泳がせた。

 途端、姫が弾かれたように顔を近づけてきて俺の顔をペロペロとって、だぁーっ!!

 

「視線が外れたくらいでリセットしないの! 父さんこれから寝るんだから! ね!?」

「……でも父、話をする時、人の目……見て話せって」

「そういうところだけはきっちり覚えてらっしゃるんですねドチクショウ……」

 

 でも怒ったりはしません。

 頭を撫でて、とりあえずはもう眠る姿勢を───

 

「父さま!」

「ウワーイ!?」

 

 ───取ろうとした途端、姫によって閉ざされていた扉が、何者かによって開かれた。

 その先に居らっしゃるのは楽綝さんと張虎さんでして……

 

「おとん! 病気って聞いたけど平気なん!?」

「す、すぐに氣による治療を! たとえ私の氣が滅びようと、必ず父さまを救ってみせます!」

「なんか状況悪化してるーっ!!」

 

 誰!? 説明して回ってる人誰!?

 べつに病気じゃないし、そんなことを楽綝に言えばこうなることくらいわかってるだろうに!

 

「綝、虎、静かにする。父、これから休む」

「姫姉さん……姫姉さんも話を聞いて……?」

「ん」

「姫姉ぇ、おとん平気なん……? 聞いた話じゃ、血を吐いて地面をのた打ち回って、そこいらのゴミ虫同然に死ぬ寸前て……」

 

 桂花さん。

 いつか覚えておいてくださいねコンチクショウ。

 

「平気。看病は姫だけでやる。心配ない」

「いえ、それは逆に心配です。私も───」

「平気」

「や、せやかて姫姉ぇ、家事とかでけへんやん。ウチはおかんがアレやから綝と一緒んなって勉強したけど」

「平気」

「……根拠は?」

「努力、と……根性と…………ん、腹筋」

『腹筋!?』

 

 見事に俺と綝と虎の声が重なった。

 え……いやちょ、えぇ!? 腹筋成分で看病されるって、どんな感じなの!?

 ていうかそんなことゆっくり指折りしながら言われても、逆に不気味なんですが!?

 

「とにかく、平気」

「い、いえ。今の言葉を聞いては、余計に任せることなど───」

「……平気……!」

「ふぐっ……!? あ、相変わらずえらい威圧感やな……! けど、威圧感だけでウチらが退く思たら───」

「なら、実力行使」

『へ? あ、いや───ひきゃああああああああっ!?』

 

 

 

 ───その時のことを、その場に居合わせた北郷一刀氏(永遠の18歳)はこう語る。

 

 

 

「ええ、私も武を齧っている者ですから、その動きを見れば、その者の実力がどれほどのものかくらいおぼろげながらも理解(ワカ)ります」

 

「あれは武じゃない」

 

「どう喩えれば通じると言いましょうか」

 

「例えばその───」

 

「純粋な?」

 

「そう、アレです」

 

「力? とか? ハハ……」

 

 押し出しちゃったんですよ。

 たった一人で。

 二人がかりをですよ? そんな、それほど歳が離れているわけでもないのに。

 いやァ……あんなの見せられちゃね、凄いんだなァ…………って。

 

「え? なにが…………って」

 

「言ったじゃないですか」

 

「純粋な力ですよ」

 

「思っちゃうでしょう。技術とか…………ホラ、弱者が強者を下すための技じゃなくて」

 

「純粋な力だったんです」

 

「憧れちゃいますよ。スゴイなァ………………って。男ならね」

 

 使った部位? 片手でしたよ。

 ええ、片手一本でした。

 こう、トンって…………登校してる時にさ、ホラ……級友の肩を叩くくらい気安く。

 綝が押されて、ええ、顔が赤くなるくらいリキんでました。精一杯の抵抗ってヤツです。

 それを押すんです。誰が、って……後ろに回った虎がですよ。

 ハイ、確かに二人がかりでした。

 

「なのに、平気な顔で……ア、チョット……違いました」

 

 笑ってるんですよ、にこーって。二人は必死になってるのに。

 傍から見たら……アレ、妹と遊ぶ仲の良い姉にしか見えないんじゃないですかね…………。

 

「え……?」

 

「話が進んでない?」

 

「…………」

 

「口を慎みたまえ。ウソは言ってません。数瞬を詳しく語っているだけです」

 

「決着は直後でした」

 

 というのも……ハハ。

 

 

  俺が口を出しちゃったんですけどね。

 

 

 たった一言と、それに付け足すような言葉だけです。ええ、それだけでした。

 

「せっかく来てくれたのに追い出さない。いいから姫、こっちに来なさい」

「! やめる!」

 

 で………………やめちゃったんですねぇ……。

 ええ、一瞬でした。

 なんの躊躇もありません。

 言われたから言う通りにした……本当にそれだけだったんです。

 え……? 決着じゃない……?

 ……。…………。ハハ。

 決着です。

 なにせ───

 

「……いや、べつにな、姫。寝転がってお腹を見せなくていいから」

「? 服従の格好、こうじゃない……?」

「………」

 

 どこの獣ですかって話です。

 でも、そんなことを笑顔でやるんですよねェ……。

 やめなさいって何度言っても聞いてくれないんですよ……お願い助けて。

 娘にこんな格好させてるって知られたら、なんかもういろいろなものが崩れ去ります。

 無駄にバキっぽい解説しといてなんだけど、こんな冗談めいた話し方でも混ぜないと、いろいろと保っていられないのです。いえ、欲情的な意味じゃなくて。

 

「ほら、綝も虎もこっち来て。急に予定を変えてごめんな」

「いえ、父さまがご無事でしたら。日々を私たちのために駆け回る父を、何故責められましょう」

「ところでなんで平、こないなとこに転がっとるん? おとんの趣味?」

「違います」

 

 首を捻られたなんて言えない。

 言ったら言ったで悶着があって、次は二人が犠牲者になるかもだからだ。

 

「あ~……平はかわえぇな~……。お、おとん、ちぃっとだけここ、めくってもええかな」

「やめなさい」

 

 で、母に似たのかどうなのか、張虎は霞が愛紗のことを好きなように、関平に目を移しやすい。気絶している母違いの妹のスカートを今にもめくりそうです。大丈夫かこの娘。

 

「あ、なぁ。ここに来たのはこの四人だけか? 尚や燿に会わなかったか?」

「あー、尚なー。相変わらず地味さ目指していろいろやっとるし、また裏通りの店、行っとるんちゃう?」

「またか……尚はどうも、麗羽のあのキラッキラが嫌いだからなぁ。俺に似て黒髪に産まれたことを喜ぶくらいだし」

 

 麗羽の娘、袁尚は母親の高飛車っぷりが苦手である。

 常日頃から美しくありなさいと言われ続けた所為か、それに思いっきり反発するように。

 現在の彼女は三つ編みに伊達眼鏡、化粧的なものを嫌うという、沙和が毎日“せっかく綺麗なのにもったいないのー!”と言うような格好をしている。

 いや、いいんじゃないかな、委員長スタイル。と、俺は思っているんだが……麗羽はそれが嫌らしい。“今すぐに縦ロールにすべきですわっ!”とでも言いそうな状態だ。ロールなんて言葉、使わないけど。

 

「じゃあ、燿は?」

「セキトの子供の世話をしています。馬の世話の仕方を教わる予定だったそうですね。落ち込んでいました」

「うぐっ……ちゃんと謝らないとな……」

 

 美羽の娘、袁燿は素直な良い子だ。言ってみればそれだけで、特徴的なことは特に。

 美羽に似て可愛く、けれど目立つのを嫌う。ちなみに馬鹿ではない。

 姫と何かが切っ掛けで仲良くなったらしく、セキトの子の世話をよくしている。

 ……そういえば“袁術の子”って、三国志演義では呂布の娘と婚約者的な位置にあったって……。これもなにかの繋がりなのかな。

 外史だもんな、曖昧なところからの関係性が混ざっても、なんかもうあまり不思議に思わなくなってきた。

 

「張紹は? 禅と一緒に勉強を見る約束が……」

「普通に禅姉ぇと一緒に歩いとったのを見たで。ちょっと落ち込んどった。禅姉ぇも一緒んなって」

「うわぁ………………周循と孫紹は?」

「あ、はい。ついでにと迎えに行ったのですが、父さまが来ないと知るや、孫紹が周循を引っ張って走っていってしまって……その後は、わかりません」

「アー……」

 

 雪蓮の娘だけはあるなぁとしみじみ。

 そして周循、強く生きなさい。キミの母も散々と通った道だ。

 

「………」

 

 なぁ華琳さんや……。

 こんな子供たちが、将の数だけいらっしゃるのですが……本当にお手伝いさんに頼んだとして、その人は無事でいられますか……?

 散々と振り回された挙句、泣きながら“限界です……辞めさせてください……!”って言われる未来が普通に思い浮かぶんだが……?

 

「うん、まあ……わかった。一方的にいろいろと訊いておいてなんだけど、少し疲れたから……眠るな」

「あ、はい、是非。父さまは仕事のしすぎです。母さまも常に言っていますが、父さまはいっそ少しくらいサボるほうが丁度いいかと思います」

「んで、サボった分ウチらと遊んでくれたらなー、って。なー? 綝ー?」

「ふ、不謹慎だぞ虎。私はそんなつもりで言ったわけじゃ……」

「えー? ほんならどないつもりなんー?」

「……綝、虎。少し黙る」

『黙りますっ!』

 

 今まで黙って俺の傍で服従のポーズを取っていた姫が、眠たげだけど少し眉間に皺を寄せるようにして二人を睨んだ。

 ……途端に姿勢を正して返事をする二人の姿に、俺も様々な将相手にあんなふうな反応で返してたんだなぁ……としみじみ。

 

「あ、そだ。張紹が勉強を頑張ろうとしてるのはわかったけど、鈴々は? 娘に頭で負けるのは嫌なのだとか言ってたけど」

「……璃々姉さんと一緒に、ラーメンを食べに」

『………』

 

 なんとも言えない沈黙が部屋を支配した。

 ……うん、いいや、寝てしまおう。

 寝てしまえばこの、今さら襲い掛かってくる疲れとか頭重とかからも解放されるだろう。

 あとのことは目覚めた俺に任せるとして、今の俺はゆっくりと…………。

 

「………」

 

 ゆっくりと…………。

 

「あの。四人ともなんで布団に上がってくるのかな? ていうか平、いつ起きたの」

「え? はい、たった今ですが。状況がよく飲み込めなかったので、とりあえず三人に(なら)おうかと……」

「………」

 

 ……四人とも寝る気満々でございますか。

 いいや、寝てしまおう。

 本当に疲れがどっと来た。

 寝てしまえば、もういろいろと考える必要も───

 

「んぅ~……」

「うわっひゃあっ!? ちょ、姫! 肋骨に顔を擦り付けるのはやめなさいっ!」

「で、ででででは父さま、私は首に……!」

「そういう意味じゃないから!」

「あっはっは、こういう時、綝は素直やなー♪ あ、おとん、ウチ腰がええ」

「別に場所を決めろとか言ってないんだが!?」

「父上様、私は腕で。腕枕もいいのですが、こう……抱きついていると落ち着くので」

「………」

 

 前略お爺様。

 孫は今も元気に生きておりますが、普通……娘というのはこんなふうに育つものなのでしょうか。

 天ではファザコンなんて滅多にないと思っていたのに、この状況はいったい……。

 娘に嫌われるよりは、そりゃあいいとは思います。

 思いますが……最近、少々いきすぎな気がしてならないのです。

 娘達は果たして、きちんと婿を手に入れられるのでしょうか。

 ええ、まあ、連れてきたら来たで、全力で娘への愛を証明してもらう所存ですが。

 ただまあ、今の気持ちを一言で表すとしたなら───

 

「あ、おとん、ウチ久しぶりにおとんの即興昔話が聞きたい」

「あ……懐かしいな。昔は父さまがよくしてくれたな……」

「父上様は話を作るのが上手かったからな……」

「…………ん。父、聞きたい」

「寝かせてくれぇえええーっ!!」

 

 ───まさに、これだった。

 

「やっほー父さんっ! 私と楯を迎えに来れないくらい酷い状態で顔も醜いって桂花様に聞いたから、ちょっと様子を見に来たわよっ!」

「来た……。……大丈夫……?」

 

 その後も心配とは名ばかりの孫紹が桃を片手に突撃してきたり、周楯がそれに付き添って、けれど本気で心配そうな様子で声をかけてきたり。

 

「とーさんなんとかして! またかーさんがいい歳して高笑いして歩いてるの!」

「あれはもうどーやっても治らないさ。それよりしょーさん、僕らが居ると名の時点で紛らわしいから、早々に退散した方がよくないかい?」

 

 袁尚と張紹が元気と冷静さを見せつつ、しかし確実に助けを求めてきたり。

 

「お父様、お休みのところ失礼───まあ。どうしたのですかお姉さま方、こんな大勢で押しかけて。お父様は病気と聞いておりましたが、まさかそこにこの人数で押しかけたのですか?」

「……あ、燿。や、これは違うっていうか。私はね? いい歳してまだ高笑いしているかーさんをなんとかしてもらいたくて。私が言ったって右から左なんだもん、仕方ないじゃない」

「病気が治ってからでもいいでしょう。一緒に居るのが辛いのなら私の部屋へ来てください」

「う……ごめん、燿。いっつも言葉に甘えてばっかで」

「姉妹なんですから。助け合うのは当然です。むしろもっと甘えてください。あと髪の毛いじらせてください」

「……あんたってさ、綺麗だし勉強も普通に出来るし口調も丁寧だけど、中身は結構アレよね」

「お父様とお母様の娘ですから」

 

 にこりと笑う燿……美羽の娘は、本当に楽しそうでした。

 さて、こうなると後から後からどんどんと来るんだろう。

 これ、もうアレだな。眠れないパターンだ。

 仕方ない、ちょっと話を聞いて、まだ完全に抜けられないわけじゃないなら、抜け出してでもどっかで寝よう。

 だめだったその時は……体力の続く限り、娘を甘やかすとしようか。

 

「父さん父さん! 姉さんたちに真名を贈ったって本当!? 私も欲しいわ! 対価は貰ってから考えるから、もし考えてあるなら頂戴!?」

 

 元気いっぱいに喋り、喋るたびに胸の前で手をポムポムと合わせる孫紹に、苦笑を漏らしながら頷いた。

 16を迎えた娘ら、ようするに丕や登たちに真名を名づけてから少し。

 その下の娘達は、“次は誰の番なのか”をそわそわと待つ日々を過ごしていたそうで、頷いた時から随分とヒャッホウな様子だった。

 

  丕には華煉(かれん)

  登には好蓮(はおれん)

  延には(ふぅぁん)

  述には夜鈴(いぇーりん)

  邵には(みこと)

  柄には祀瓢(しひょう)

  琮には結鷲(ゆじゅ)

  禅には桜花(おうか)

 

 それぞれ真名を名づけてみたものの、喜んでくれたのかどうか……ああいや、喜んでたよ? もうめっちゃ喜んでたけど。

 でも果たしてこの娘達全員に名づけたとして、気に入ってくれるかどうか。

 あ、惲は絶対に母親……桂花に名づけてもらうんだそうで、最初から無視でした。

 ……さて。

 ちょっと考える仕草をした途端に私も私もと迫ってくる娘達に、俺は笑顔で迎えてこの言葉を贈ったのだった。

 

  いいからまず寝かせてください

 

 と。




 ……そんなわけで、軽いおまけをお届けしました、凍傷です。
 書いてみて思いましたが……別にこれ本編の途中であってもいい気がしました。
 そしてキャラの処理がとても大変なのは本当の本当に理解しました。
 
 袁尚(えんしょう):麗羽の娘。母の派手さが苦手で、地味を愛する。
 袁燿(えんよう):美羽の娘。容姿端麗、成績普通。動物を愛する。
 張紹(ちょうしょう):鈴々の娘。なにかというと禅について回る。武より知。
 関平(かんぺい):愛紗の娘。母の手料理に絶望し、調理に目覚める。
 周循(しゅうじゅん):冥琳の娘。冥琳の中に居た子供冥琳そのまんま。絵本を愛する。
 孫紹(そんしょう):雪蓮の娘。自由奔放だけど柄に続いて酒が嫌い。娯楽を愛する。
 筍惲(じゅんうん):桂花の娘。男は汚物。丕が嫌い。華琳のことは普通に大好き。
 張虎(ちょうこ):霞の娘。さらしはお腹が冷えるので、普通に服着てる。平が好き。
 呂姫(りょき):恋の娘。忠犬そのいち。思い込んだら一直線。ある意味脳筋。
 楽綝(がくりん):凪の娘。忠犬そのに。なにより父さま最優先。父を愛する。

 いろいろと考えましたが、それっぽいお話を取り入れてカタカタ。
 名前調べるのが、これがまたいろいろと手間だったりして、名前はあるけどすぐに没する長男ではなく次男を調べてみたりと、少し探してみました。
 呂布に娘なんて居たっけ……!? って一応調べてみれば、居たかもしれないのだが名前なぞありません状態。
 ただコーエーの三國志シリーズ、セガの三国志大戦には名前付きで出ている模様。
 コーエー側では呂玲綺。セガ側では呂姫として、ならくっつけちゃえと呂姫玲綺。
 真名をヤマザナドゥにしたい衝動に駆られましたがきっと気の所為です。

 書いてはみたものの、いや、本当にこれは多すぎて扱いきれません。断言します。
 ただ面白い部分もあって、たとえば春蘭の娘である夏侯楙と関平は料理好き同盟を築いたとか、夏侯楙さんはお金が大好きで守銭奴だけど調理に関しては金を惜しまないとか無駄設定が出来上がる。
 他にもあるけどキリがないので。
 袁燿を懐かせて、平和な都に大渦をと七乃が企むってお話も考えましたが、シャレにならなそうなので却下の方向で。
 ちなみに楽綝の読みの多くは“がくちん”ですが、さすがに「ちんー! ちーんー!」と呼ぶのは可哀相なので、もう一つの読み方の“がくりん”で。


 ではまた次回で。


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132:IF2/愛を育みたい人々①

184/乙女心、奮い立つ

 

-_-/幕間

 

 ───都の、とある一室。

 普段は使われていないそこ。

 時は夜。

 守衛も欠伸をするほどに平和な現在の中、気配を殺してその場へ集う人々の姿が。

 べつに見られようがどうしようがどうということもない筈なのだが、心境としては必要な行動であるから皆そうした。

 

「それでは、連合会議を始めたいと思う」

 

 集った人物の数は……数えるのも面倒というほどでもないが、大勢という言葉で括ろう。

 開始の合図を唱えた人物は美しい長い黒髪をひと房結わった女性であり、他の者たちはその言葉にごくりと息を飲みつつ頷いた。

 

「さて。ようやく皆の意思がひとつになった本日、こうして集えたわけだが。皆、心に偽りはないな?」

「……ねねが居ない」

「こ、こら恋っ、名は出すなとあれほどっ……!」

「愛紗も喋っちゃってるのだ」

「うぐっ!? そ、そういう鈴───お前だってだな……!」

「やれやれ、開始早々に先が思いやられる会議だ。酒の一献でも持ってくるべきだったか。……そうなるとメンマは外せんな。また主に大麻竹のメンマを作ってもらわねば」

「星っ! もとはといえばお前がいつまでも友だ友だと渋っているから───!」

 

 もう滅茶苦茶であることは、集った全員が確信していた。

 様々なところで苦笑と溜め息が漏れ、普通に笑っていた一人が暢気に声をあげる。

 

「それで、具体的にはどうするのよ。一刀を襲う? 襲うにしたって、ここ8年も子供のこの字も掠りもしなかったのに。蓮華には先を越されちゃったけど、王じゃないとはいえ私も子供は欲しいって思うし」

「産むのは勝手だが、面倒はきちんと見るんだぞ」

「冥琳よろしく」

「名前を出すなと美髪公が言ったばかりだが」

 

 言ってしまえばこの集い、子を産んでいない、または子を孕んでいない将の集いである。

 北郷一刀に対してそういった感情を抱いていない者は来てはいないが、それも今や音々音と焔耶だけである。猫耳フードの軍師は度外視するとして。

 

「しっかしよくもまあこれだけ揃ったものよね~。一刀は幸せ者ね。ね? 最近よく一刀のことをちらちら見てる冥琳?」

「……そうか? これだけの人数を相手にする先を思えば、必ずしも幸福とは受け取れそうにないが」

「むしろこの人数とほぼ毎日やっても子供が出来ないほうがどうかしてるんじゃない。で、どうなの他の子たちは。吐き気がしたーとかそういうの、ないの?」

「吐き気? 何故吐き気がしますの?」

「ちょ、麗羽さまっ……それはほらっ、ああいうことだから……っ!」

「? 猪々子さん? 言いたいことがあるのならはっきりと仰いなさい」

「だ~か~ら~っ、子供が出来るとほらっ……!」

「うほほっ、麗羽姉さまは遅れておるの。女性は子供が出来ると、浮かれて酒を飲みすぎて吐くのじゃ! ……の! 七乃!」

「さっすがお嬢様! 間違った知識をそうまで胸を張って言ってのけるところなんて最高ですっ!」

「なんじゃとーっ!? 前に訊いたらそういうことじゃと言うておったであろ!!」

「はっ!? あぁんまたやってしまいましたぁっ! ただでさえ数少ないお嬢様をからかえる事実を自分で潰してしまうなんて、七乃、一生の不覚ですっ!」

「や、“また”やってしもたゆーとったやん……。なんべん一生の不覚を取んねん。……んで、凪ー? こっちじゃどないなんー?」

「知りたいなら自分で調べる努力をしてくれ……。とりあえず、魏側ではそういった話は聞いていないな。皆健康そのもの。妊婦を不健康と言うわけではないが、つわりが来ないというのも……」

「うんうん、原因はやっぱり、真桜ちゃんが言ってた通りだと思うのー」

「原因?」

 

 がやがやと言葉が飛び交う中、一人の声に皆が静まる。

 原因というものがあるのなら、それを改善させればどうにかなるかもしれない。

 全員がそう思ったからだ。

 

「やっ、ちょっ……沙和っ……! それはっ……!」

「隊長の白いあれが、水っぽいのが原因だって」

『───』

 

 聞いた途端、場は一気に凍りついた。

 一人だけが真っ赤になって、目から滝のような涙をたぱーと流して恥ずかしがっていたが。

 

「違うゆーとるのにぃ……! 風がゆーとっただけやのにぃ……!」

「おぉ……それなら確かに言った覚えがありますねー。子供が出来ない直接の原因がそれかどうかはわかりませんがねー」

「……確かに水っぽく、量も少ないと感じはしましたが」

「……あのさ。もうちょっとぼかして喩えてくれない? さっきから月が真っ赤で困ってるんだけど」

「へぅぅう……!!」

「これ以上どうぼかせと?」

 

 メイド服を着た女性の願いに対し、眼鏡をクイッと直しながら彼女は返した。

 返したが、先ほどから鼻に詰めている紙がどんどんと赤く染まっていっている。

 

「ともかく。もういい加減、私たちもいい歳だ。……認めたくはないが、一般的に子を産む時期など過ぎてしまっている」

「ふむ? べつに産めれば問題なかろうに。愛紗よ、お主は少々一般常識にこだわりすぎではないかな?」

「真っ赤になりながら“主は友だから”だのと逃げていたお前が言うか。もし誘われなければ年老いても子が居なかったんじゃないか?」

「はっはっは、私がその気になれば───」

「ご主人様以外の子を産むか?」

「───ないな。うむ、それはない。すまんな愛紗、少々強情だった」

「星が謝ったのだ!」

「お、おいおい星、大丈夫なのか? 華佗、呼ぶか?」

「お姉様っ、ここはお兄様を呼んだほうが面白───! あ、違った。と、とにかくそっちのほうがいいって!」

「ばかっ! なんのために秘密会議やってると思ってるんだっ!」

「星ちゃん……? 無理は体に毒よ……? なんだったらそこの寝台で横になっていても……」

「……素直に謝ってみればこの反応……。愛紗よ、これは新手の苛めというものか? 天ではよくあると聞くが……」

「素直に苛められる性格でもないだろう」

「ふむ。まあ、それはそうだが」

 

 釈然としないものの、誤魔化そうとした自分を悪と素直に受け止め、彼女は目を伏せて息を吐く。

 メンマを通じて友となり、神と崇め、やがて真に気安い相手になり、いつしか“子を為すのならこの者と”と考えるまでになっていた。

 武に生き趣味に笑み、好物に幸福を抱き、しかし“女としての何か”は未だに。

 ならばそんなことが出来なくなってしまう前に、出来る限りの全てを興じてこそ人生。

 友との酒も悪くはない。

 だが、それこそ至高と唱えるには、自分は女としての喜びを知らなすぎた。

 知らないのなら? ……知ればいい。

 そんな考えに到るまで、彼女は必死に自分の気持ちを“友として”と誤魔化してきたわけだが……ここ数ヶ月、子とともに楽しく過ごす主を見ていて、自分も何かを残したいと思えた。

 書物で何かを残すのではない。

 見て聞いて、自分の様々を受け止めて覚えてくれるなにかを。

 

「生きていれば、自分の考えなどころりと変わってしまうのだなぁ。……ふふっ、どれほど武に生きようと、結局は私も女であったか」

 

 小さく呟き、暗がりの中でくすりと笑った。

 その小さな笑みを拾った隣の女性が、「笑ったりして、どうしたのだ?」と訊ねる。

 

「いやなに。戦も終わり、武官はただ平和な時代に埋もれ、活躍の場もなく消え去るのみかと思っていたが……」

 

 まだまだ出来ることがある。

 それを思うと、女として産まれたことを感謝したくなった。

 もっとも、子を産むということが容易いことではないことなど、各国の王や呉の将を見て知っているわけだが。

 主の前では余裕の態度を取っていた彼女らだが、それ以外では随分と苦しんでいた。

 

(……苦しいのだろうなぁ。だが、苦しんでいるところで命を狙われるわけでもない)

 

 平和になったものだ。

 隣の女性への返事も半端なままにそうこぼし、適当に誤魔化して会議の続きを待った。

 

「というわけで、その道に詳しいことで有名な二人の軍師に協力を仰ぐことにした。伏龍殿、鳳雛殿、前へ」

「はわっ!?」

「あわっ!?」

 

 名は伏せているが、バレバレな呼称をされた二人の肩が跳ねる。

 途端におろおろと周囲を見るが、皆様“なるほど”という顔で二人を見ていた。

 ……二人は隠せていたと思っていたが、艶本のことなど当然周知である。

 

「さあ、今まで溜め込んだその知識、存分に披露されませい!」

「そそしょっ……しょんなっ、大げしゃに言わないでくだしゃいっ……!」

「あ、愛紗さんだって、なんと破廉恥なと言って取り上げたあと、見てたじゃないですかっ……!」

「ぎっ……!? い、いやっ、私はっ……というか名前をだなっ……!」

「いいから話、進めましょ? それで? 朱里、雛里、子を簡単に孕む方法とかってあるの?」

「あはっ♪ 雪蓮姉様ってばだいたーん♪」

「雪蓮……もう少し慎みというものをだな……」

「だって話がちっとも進まないんだもん。今さら小さなことで恥ずかしがるような覚悟でここに集まったわけじゃないでしょ?」

『───』

 

 皆が静まり、こくりと頷く。

 さすがは元王であるとばかりに、その場を仕切る彼女はにっこり笑って続きを促した。

 

「は、はい、ではしょのっ……まま、まずはっ、房中術の話から始めましゅ───!」

 

 そして説かれる、艶本から得た知識の数々。

 最初こそ艶本の知識なんかでと困惑していた者も居たのだが、それが名軍師の口から事細かに語られてゆくと、いつしか皆が皆、息を飲んで静聴していた。

 

「このように、生理が始まって一週間後から十日後あたりから───」

 

 語っていた軍師も一周回って恥ずかしさを超越したのか、真っ赤になりながらも噛まずに説明を続け───

 

「男性の白いあれが蓄えられるのが、約三日とのことなので───」

 

 確実に妊娠するには。

 それぞれが頷き、それぞれが自分のあの日についてを照らし合わせ───

 

「その周期にある人が、三日ごとに一人ずつ───」

 

 ……女性達の計画は、男性に知られることなくゆっくりと進められていた。

 

 

 

185/そんな中で彼は今

 

-_-/かずピー

 

 み、妙ぞ……こは如何なること……?

 

「………」

 

 それはよく晴れた日のことでした。

 朝、目が覚めると普通に起きて普通に体操をして体をほぐして、身支度をして部屋を出た。うん、ここまではいつも通り。

 で。

 出たところに流琉がいらっしゃいました。

 困惑はしたものの挨拶をすると、きちんと挨拶を返してくれて……そのまま厨房へ連行された。

 どうせ水を飲むつもりだったからいいんだが、着いたら着いたで座らされ───

 

「………」

 

 ───現在に到る。

 目の前には朝から重過ぎるってくらいの量の料理、料理、料理。

 “え? 朝から宴会?”ってくらいの量。

 なのに座ってるのは俺だけ。

 

「流琉、他の人は?」

「? これ、全部兄様のですよ?」

 

 朝っぱらからすごい無茶振りが来た!!

 え、ど、どうしたの何事!? 俺の数少ない良き理解者のキミが、突然どういった経緯でこんな!?

 

「ほら、兄様最近疲れてたみたいでしたから。過労で倒れたこともありましたし」

「そうだけどさ……………………それで、この量って……」

 

 朝からこれって……。

 細身のお方に牛丼特盛り四杯食えって命令するよりキツそうなんですが……?

 あ、でも、量は多いけど、一つ一つは胃にやさしそうなものばっかりだ。

 ……なるほど、量に驚いたけど、本当に俺の体を心配しての料理みたいだ。

 はぁ、なにやってるんだか俺は。驚いたり拒否しようとする前に、もっと素直に受け入れようって思わなきゃなぁ。

 

「じゃあ、いただくよ。でもこれ食べたら昼はいらなそうだな。ははっ」

「え? いえ、昼は斗詩さんと月さんと詠さんがしっかり作るそうなので、是非」

「……エッ!?」

 

 こっ……これを食し、昼も食せと!?

 ぬ、ぬういったいなにが起こっておるのだ、これはなんたる試練ぞ……!?

 でも“いただくよ”って言っちゃったし、退けぬ……もはや退けぬのだ、北郷……。

 

「イタッ……イタダキ、マス」

「はいっ、残さず召し上がれっ♪」

「ハーイ……」

 

 頭の中でヘーベ○ハウスが紳士的に挨拶をしていた。

 どんな時でも帽子を取っての挨拶……素晴らしい。じゃなくて、喰らう。

 一口目で口から感動が溢れ、そうなってしまったらもうペース配分がどうとかはどうでもよくなっていた。

 美味しいなら……いいじゃないか。

 食べられる喜びを噛み締めようぜ……? 素直になれよ、一刀……。

 

……。

 

 そして昼。

 

「へんだな……あれだけ食べたのに、腹が……」

 

 なんだか唐突に。腹が…………減った。

 朝食後は胃が浄化されたみたいに“スッキリさん”で、鍛錬をしている間も体が生き生きしているみたいだった。

 そんな早く吸収されるわけがないのに。

 多分味覚からの喜びに体が驚いたのだろう。

 なので散々と動き回ったら……腹が。

 

「うぅ……いらないとか言っておきながら、これじゃあなぁ」

 

 言いつつも厨房へ。

 すると斗詩が笑顔で迎えてくれて、卓に案内されて……相変わらずのメイド服姿の月と詠が料理を運んできてくれて、俺が何を言うでもなく召し上がれを告げられた。

 

「………」

 

 もしかして何かが動き始めている? もしくは既に動いている真っ最中?

 過労で倒れたっていっても……うん、もう結構経ってるよな……。

 なのに今さら健康管理とか言われても……やっぱり妙ぞ。いかなることかと疑いたくもなる。

 が、わからないので食う。

 どうせ訊いてもはぐらかされるだろうし、喰らう。

 

「ほあっ……わおお……!」

 

 で、美味しいわけだ。

 腹が空いて、ご飯が美味しいとくれば、一体何を迷う必要がありましょう。

 手が動く。顎が動く。喉が動く。

 じっくりゆっくりと味わって食べたいのに、どうにも箸が止まってくれない。

 うおォンとか言いたくなるような心境の中、次々と運ばれてくる料理を喰らい続け、結局はまた、無理だろうと思うほどの量を食べてしまった。

 料理の数は、積み重なった皿の数が示している。

 いったい俺一人で何人前を食べたのか。

 鈴々と同じくらい? はたまた恋と同じくらい?

 考えるだけで気が遠くなりそうだが、入ってしまった。

 

(……スゴイね、人体)

 

 某・トラサルディーさんの料理を食べてみたいと思っていたことがあった。が、まさか食べれば食べるほどお腹が空く料理なんてものが、実際にあったとは……感動させていただいた。

 これはあれか。満腹中枢を刺激しない食べ物か、それともそっち方面の感覚を鈍らせるものが入っていたのか。

 薬膳料理……なんとも奥が深い。これが薬膳料理であったかなど、俺にはわからなかったが。

 けどね、入ったは入ったけど、苦しいです。

 どれだけ満腹中枢を鈍らせようが、物理的な限界というものは当然あるわけで。

 だが言おう。いや、頭の中で響かせよう。

 苦しくなろうが、この味を舌に味わわせたことに後悔はない。これでいいジョルノ……これで。気にするな、みんなにはよろしく伝えてくれ。

 ……なんて思ってみると、偉そうな感じでいやだなぁ。

 食材と調味料、作ってくれた人への感謝。これで十分だ。あとジョルノ関係ない。

 

「ごちそうさま、美味しかった」

 

 素直にこう言える料理を食べたのって、この時代に降りてからくらいじゃないだろうか。

 美味しいものはそりゃああったけど、食べたところで“うまかったー”で終わる気がする。

 作ってくれた人に感謝出来る時代に感謝……ってことでいいのだろうか。

 と、感謝をする俺の言葉は届いたのかいないのか、三人はじぃいいーっとこちらを見てくる。

 ……思えば、本当にこの時代の女性って外見年齢変わらないよなー。

 鈴々とか璃々ちゃんとか、元から小さかった子はもちろん成長したけど……うん、月も詠も変わったんだけどさ。

 

「………」

「?」

 

 斗詩……変わらないなぁ。

 アレか。野菜星人のように、長く戦えるように若い姿の期間が長いとかいうアレなのか。

 ていうか俺、なんで見られてるんだ?

 ……ハッ!? もしかしてこれ、俺だけで食べちゃマズいものだったとか!?

 

「ご、ごめんっ! 美味しくてつい全部っ……! みんなの分もあったんだよな! あぁあ……普通の味でいいなら俺が作るからっ! ほんとごめんっ!」

「あ、いえ、全部ご主人様のためのものだったので、それはいいんですが……」

「エ?」

 

 それはそれでちょっと待てとツッコミたいのですが。

 ああいや、それよりも。食べてよかったっていうのに、“それはいいんですが”ときた。

 他になにか、じぃっと見つめる理由があるに違いない……!

 

「じゃあ、他になにか……? じいっと見てくる理由とか、あるんだよな?」

「や……ほら。作っておいてなんだけど、まさか本当に全部食べられるなんて。あんたの胃袋ってどうなってるの?」

「え、詠ちゃんっ……!」

「………」

 

 訊ねてみたら、胃袋の性能を疑われた。

 いたって普通だと思う。むしろ普通じゃなきゃ怖い。

 

「はぁ……そっか、よかった……。ちょっと引っかかるけど、食べてよかったなら安心だ。けど……はは、この分だと今度こそ、夕餉は入らないな……」

「あ、あの……ご主人様? 夜は呉の黄蓋さんが、青椒肉絲を作ると───」

「ちょっと運動してくる! うおおおおおおおおっ!!」

「へぅうっ!?」

 

 好物には弱い……それってきっと、男の弱みと繋がると思うのだ。

 厨房から飛び出して運動。

 仕事の時間になれば、多くはない仕事をして、終わるや再び運動。

 ともかく消化を急ぎ、夜の美味のためにと体を動かしまくった。



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132:IF2/愛を育みたい人々②

 しかしながら、まあその、なんだろう。

 食いすぎるとほら、腹を空かせることが出来ようが、なんだか気持ち悪くなるものなのだ。

 頭がぼーっとするというか、妙な気持ち悪さだ。

 季節がら、夕餉時でもまだ明るいと思える空の下、祭さんに呼ばれ、やってきました厨房の卓。

 

「ほれ北郷、たーんと食えぃ」

「いただきます!」

 

 そして喰らう。

 え? 気持ち悪さはどうしたかって?

 ……そんなもの、目の前の美味の前には関係ございません。

 むしろ食事を前にしたら、食欲が勝りましたとも。

 こうなると、昼の薬膳料理の中身が気になるところだけど……もういいや、美味しい。

 

「んんっ、んまーいっ! やっぱり青椒肉絲っていったら祭さんだよなぁっ! 親父のも美味いけど、ガツガツ食うなら祭さんのだっ!」

「かっかっか、応、まだまだそこらの料理人に負けるつもりはない」

「けど急にどうしたの? 子供が出来てからは滅多に作らなかったのに」

「うむ……それがな。策殿が急に北郷に馳走してやれと言い出してのう。まあ久しぶりだったこともあって、二つ返事で引き受けたわけじゃが……」

「………」

 

 雪蓮が、俺に?

 ウワー、絶対にコレ、なにかアルー。

 雪蓮が考え無しに人のプラスになることをやる筈がない。

 むしろ今日一日の食事事情……絶対ヘンだ。

 

「祭さんは何か聞いてない? 朝餉から夕餉まで、今日に限ってやたらと豪勢なんだよ。記念日ってわけでもない筈なんだけどさ」

「今日に限ってか。策殿に訊いてはみたが、“面白いことをしている”としか答えなんだ」

 

 うわぁあああァァァァーッ!! やっぱりなにかあったァアアーッ!!

 え、やっ、な、なに!? 何が起きてるんだ!? 怖い! なんか怖い!

 もしや食事になにか!? いやっ、だとしたら何も知らない祭さんに頼むのはおかしい!

 ああそれにしても美味しい! 考えながらも箸が止まらない!

 

「むぐんぐんぐ……んぐっ。……そういえば祭さん、柄は? 今日一日、見てないんだ。いつもなら邵と中庭に居るんだけど」

「うん? ……いや、儂も見ておらん。朝に飛び出ていったきりじゃのう」

 

 部屋を飛び出て、果たして何処へ行ったのか。

 ただ遊びに行った~とかならいいんだが……天ではこういう時に油断すると、なんらかの事件や事故が起こったりするからなぁ。

 ……よし、食べ終わったら運動がてらに探そうか。

 とか思っている間に完食。

 

(…………)

 

 自分の胃袋にここまで驚かされた日はなかった。

 よく入ったなぁ……本当に。

 よしっ、じゃあ探しに行こうか。

 

「祭さん、ごちそうさま。ちょっと気になるから柄を探してくるよ」

「心配性じゃのう。何事かに襲われようとも、襲われるままになど育てておらんぞ?」

「だとしても、鍛錬と実際とじゃ違うよ。天でもそういってなにかしらを過信するから事件が絶えないし」

「ほぉ、そうか。天というのも案外物騒じゃのう」

 

 言いながら笑わないでよ祭さん。

 ……まあ、きっと平和続きで退屈してるから、何か起こってほしいってことなんだろうけど。

 起こったら起こったで、相当心配するんだろうなぁ。

 こう言うのもなんだけど、妙なところで性格がじいちゃんに似てるからなんとなく予想出来る。

 

……。

 

 さて、厨房を出て、いざ探索。

 完全に暗くなる前に見つけられるといいんだが。

 

「柄~」

 

 呼べば、何処で聞いていたのかすっ飛んでくることもしばしばな柄だが。

 

「柄~?」

 

 今日は現れない。

 見張りをしていた兵に訊いてみれば、今日は見ていないとのこと。

 

「んー……」

 

 行動範囲を考えて、中庭に出てみるも、やっぱり居ない。

 

「柄~」

 

 一応声を放ってみても反応無し。

 ただ、城壁の上の見張りが、親切にも今日は見てませんよと教えてくれた。

 次だ。

 

「柄ー」

 

 城内を探し終えたので外へ。

 この時間に外に出るのは珍しい。

 物騒なことなどそうそう起こらない昨今だが、だからといって平和を信じ切るのは難しい。

 足も自然と速くなり、早歩きのような状態で探し回った。

 

「おぉ? そこを奇妙に駆けるのはお兄さん。なにやらただならぬご様子。何事ですかー?」

 

 と、街中で風と遭遇。

 人々が夕餉だ夕餉だと賑わう中で会うとは、珍しい。

 

「風、柄を見なかったか? 祭さんに訊いても知らないって言うんだ」

 

 ちょっと見えないくらいで大げさだとはよく言われることだ。

 が、しすぎるのは確かにやりすぎかもしれないが、かといって心配しないのは違う。

 

「柄ちゃんですか。柄ちゃんでしたら邵ちゃんと、猫を追うべく駆けてましたねー」

「やっぱり外か! で、で!? どっちに!?」

「外れの方へ駆けていきましたよ。お昼のことですがね」

 

 昼のことなの!?

 じゃあもう高い確率で居ないのでは……?

 いやいやっ、貴重な情報なんだ、居ないと予感が走ろうが、そこを目指すことに意味がある! 居るかもしれないし!

 

「そっかっ! 情報ありがとなっ!」

「あぁちょいとそこゆくお兄さん。風は少し歩きすぎて、足が痛いのですが。どこかに心の優しいお兄さんが居たら教えてくれませんかねー」

「思いっきり“お兄さん”って言っておいて紹介ってなに!?」

「ちょっと言ってみただけです。暇なので風も連れていってくれると嬉しいのですよ。今ならお礼に飴をあげましょう」

『おぅにーちゃん、女の尻ばっかり追いかけてねーで、たまにはおれっちと仲良くしよーや』

「…………まあ。久しぶり、宝譿」

 

 どうやっているのか、ソイヤーとばかりにペロペロキャンディを突き出してくる宝譿さん。

 一応それを受け取って、じゃあとばかりに風に背を向けてしゃがむと、乗ってきた風とともに道を駆けてゆく。……走ってるの俺だけだな。

 

……。

 

 やってきた街外れ。

 猫がよくうろついているそこにて、

 

「柄ー!」

 

 声を上げてみるも、いらっしゃらない。

 

「既に去ったあとでしたかー」

「去ったなら城に居てもいいよな……! ま、まままままさか誘拐……!?」

「町人で柄ちゃんに勝てる人が居るなら、ですがねー」

「いやもしかしたら食事に誘われて食べちゃって料理の中に睡眠薬とかが入ってて眠ってる間にアワワワワァアアーッ!!」

「お兄さん、ちょっと落ち着きましょうねー……はいとんとんー」

「ふがふが……ってべつに鼻血は出てないから!」

 

 でも少し落ち着いた。

 そうだ、ここで焦りすぎても、なにかしらの情報を見逃してしまうかもしれない。

 落ち着こう、より一層。

 ということで……

 

「にゃー」

『にゃーお』

 

 夜。目が光る猫に、暢気に語りかけている風さんに、その猫の心情を訊ねてみた。

 

「彼……なんて?」

「夜の物陰、黒猫の我輩は目を閉じれば何人にも見つからない。ただし自分も前が見えない。と仰っておりますよー。ちなみに“彼”ではなく“彼女”です。さすがお兄さんですねー」

「いろいろツッコミどころありすぎるなぁもう!」

 

 あの“にゃーお”ひと鳴きにどこまで情報が詰まってるんだよ! 冗談だろうけど!

 

「じゃあもう行きそうなところを片っ端にだ! 風、いこう!」

「おぉっ……今日のお兄さんはとても元気ですねー。なにかありましたか……?」

「料理食べたら体が元気! それだけだ!」

 

 そんなわけで走った。

 時にキャンディーを舐めつつ、時に騒ぎつつ。

 

「柄ー!?」

 

 呼びかけることも忘れずに、ただただ探し回る。

 

「柄ーっ!」

 

 町人に情報を訊くことも忘れずに。

 大体がモノを食べていたという情報ばかりなのは……まあ、子供だものなぁ。

 

「柄ぃいいいっ!!」

 

 しかしこうなればこちらもヤケになるもので。

 探せば探すほど、訊けば訊くほどメシを食っている情報ばかりで、心配よりもツッコミばかりが増えると、もうとりあえず見つけて息を吐きたい気分になっていた。ていうか脇腹痛い。食ってすぐのダッシュは辛すぎた。

 まあ俺のことはどうあれ、実際、聞こえてくる声など……

 

「おっ、兄ちゃん。どしたいこんな時間に。……? 柄ちゃんかい? ここで豚まん食べて、向こうへ行ったな」

「あっち!? よしっ! ありがとおっちゃん! 柄っ! 柄ー!」

 

 とか、

 

「───ん? 柄ちゃん? ここでラーメン食べて向こうへ行ったけど……」

「あ、あっちか……柄ー!?」

 

 とか、

 

「柄ちゃんならここで邵ちゃんと猫の話をしたあと、城に戻るって。……え? ええ、ついさっきだったかしら」

「柄……」

 

 ……終いにはそんな有様で。

 で、城の厨房に戻ってみれば、祭さんと会話をしている娘を確認。

 

「HEEEEEEEEEEEYYYYYYYY!!!!!」

 

 そんな、“あァァァんまりだァアァァ!!”とか叫びたくなる状況に辿り着くわけで。

 走った時間だけ無駄をした。そう思わずにはいられなかった。

 が、娘が無事だったことに何を嘆く必要がありましょう。

 俺は走った分だけ安心を得られた……それが勝利なんだ。

 それでいいジョルノ……それで。

 

「ど、どうしたんだ、父……!」

 

 ところで叫んでしまったからにはもう遅いんだジョルノ。

 どうしたらいいジョルノ。教えてくれジョルノ。

 

「へ……柄。今まで何処に……?」

「え、っと……外で食べ歩きを……。父こそどうしたんだ……? そんなに息を切らせて……」

「へ? あ、あー……」

 

 焦って探すあまり、氣で体をコントロールするのを忘れていた。

 

「祭さん、言ってないの?」

「それはそうじゃろう。儂は最初から心配なぞしとらんかったからな」

 

 そうでした。

 言っても“北郷が探しておったぞー”くらいで、どうして探していたのかなんて説明するとも思えない。

 基本、面倒臭がりとは言わないけど自由な人だもんなぁ、祭さん。

 

「あーほら。その、あれだ。朝から見てなかったから、心配だから探してた」

 

 で、俺はといえば別に隠すことでもないからと正直に。

 ぽかんとしていた柄だったが、少しすると吹き出して、元気に笑った。

 

「父は妙なところでおかしいなぁ。私が誘拐されるとでも思ったか? されそうになったところで返り討ちにしてくれようっ!」

「そっかそっかー! じゃあ父さんが今から誘拐犯役をするから、上手く対処しろなー」

「応! どーんと来いだうひゃあああーっ!?」

 

 あっさり捕まえた。

 で、米のように肩に担ぐと溜め息ひとつ。

 その過程で降りてもらった風が、「おおっ、さすがはお兄さん。娘であろうと女の子に手を出す速度が普通ではありませんねー」……ってべつにそういう理由で捕まえたわけじゃないんですが!?

 い、いや、ここで慌てたら風の思う壺だ。冷静にいこう、冷静に。

 

「じゃあ祭さん、この自称・誘拐犯キラーさんを風呂に放り込んでくるから」

「おう、遠慮せずぶちこんでやれぃ」

「こ、このっ! ずるいぞ父よっ! あんな一瞬で捕まえにくる誘拐犯なんて居るわけがないだろう!」

「馬鹿だなぁ柄。今この場でこの北郷が支柱を辞めて誘拐犯になったらどうするんだ」

「───はっ!? い、言われてみれば……!」

「納得する前にツッコみなさい」

 

 ぺしりと額を叩いてみる。

 漫画とかだとよく自分の向く方向に下半身がくるように担ぐが、あえて逆にした。

 べつに大した理由はなく、掴んだ途端に暴れたから回転させながら担いだ結果だ。

 

「おおっ、つっこみですか。そうですねー……お兄さんが支柱をやめたら、同盟が崩壊してそれはもう大変なことになりますねー……」

「そうかな。べつに俺一人が抜けるくらいでどうにかなったりはしないだろ」

「各国の王や将がお兄さんの正妻の座を巡って血で血を洗う戦争を───」

「よぅし柄、父さんまだまだ頑張るぞぅ? だだだだだ大丈夫、大陸の平和は僕がマモル」

「おおぅ……ある意味で間違ってなさそうなので、言った風も少し罪悪感ですよ……」

 

 風……たとえ多少違っていたとしても、結構大事になることがあるんだ……。

 たとえば俺が支柱をやめたとして、じゃあ俺についてきてくれる人って何人居るだろう。

 多いか? 少ないか?

 ……惨めになりそうであまり考えたくないけど、恋は来てくれそうな気がするわけでして。

 三国無双様がデスヨ? それってもう本当に一騎当千で、誰かとぶつかりあったらただではすまないわけで。

 ヤヤヤヤヤッパリ大陸の平和はいつの間にか俺に……!

 

「なぁ風。ぶっちゃけた話……俺が支柱を下りたとして、なにか変わるのかな」

「お兄さんが出ていかない限り、なんにも変わりませんよ。同盟の証として認められているからこそ、お兄さんは今ここに居るのですから。もっともお兄さんが、三国の王や将に子供を産ませた上で逃げ出すような男だったのなら、そうする前に死んでいると思いますけどねー」

「俺もそう思う」

 

 そんな男に騙されるほど、この時代の人は平和に浸っていない。

 そんなことを企んで近づこうものなら、華琳に見破られて春蘭に両断されたり、愛紗に見破られて両断されたり、雪蓮に見破られた上で散々玩具にされたあと思春に寸止め無しの鈴音で斬られたり、ろくな死に方はしないだろう。

 それを思えば、俺はむしろ助かった未来を歩んでいると言っていい。

 余計な事情なんて知らないほうがいいのだ。

 数多の外史の中、降りた俺があっさり殺される軸を望んだ人だって居るのかもしれないんだし。

 

「じゃ、柄の無事も確認出来たことだし───」

「早速お風呂ですねー。人を抱えて散々と走って、お兄さんは最初からそのつもりだったのですか?」

「……たまに七乃と言動がかぶるから、そういうこと言うのやめようね? あと負ぶってくれっていったの風だからな?」

 

 ともあれ。

 ばたばた暴れる柄を担いだままに浴場へ。

 一緒に入ることはせず、風に任せて浴場をあとにした俺は、自分がのんびり入れる時間になるまで適当に体を動かすことにした。

 




 お待たせしました、編集を再開いたします。
 いやー……6月はいろいろありました。
 SS書いたり、ずっとやめていたブラウザゲームに再びドハマリしたり、SS書いたり、精霊の魂とか出ないにもほどがある! 覚醒させる気あるのかウィーバー!! と心震えたり、SS書いたり、それでも根性で覚醒したり、SS書いたり、なんか丁度イベント始まったからこのまま285レベルにしちゃおうと張り切って極限クエスト終わらせたり、SS書いたり、なんか忘却のアカドラトとか経験値めっちゃ入るんですが……え? 精霊の神殿で苦労しながらレベル上げてた僕の時間の価値は……? え? ここ一時間ぽっちで1レベル上がっちゃうんですが……? とそのまま290レベルまでいってみたり、SS書いたり、プラバ防衛線であっさりブチコロがされたり、SS書いたり……花騎士やる時間が極端に減りました。

 あ、花騎士といえばアプリ版が出たり、なんでもアニメ化まで噂されているとか。
 事前登録? ええ、しましたとも。


 ……そして投稿したと思ってたら投稿できていなかった悲しみ。
 ワンモアタァイム! ゴー!!


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133:IF2/形を求める人々①

186/成長した先でどうなるのかは、きっと本人も知らないしわからない

 

 今さら言うが、怖いものは怖い。

 この場合の“今さら”は、何度も言っているから今さらなのと、怖くて当然なのだから今さらなのとが混ざっている。

 場所は中庭。目の前には華雄。

 黒の空の下、見張り台の松明を灯りに、俺と彼女は武器を手に対峙していた。

 というのも華雄が食後の腹ごなしに鍛錬をしていたので、それにつき合わせてもらっているだけ……なのだが。

 軽く動かすつもりの体を全力で動かさなければならないハメになり、戸惑いつつも───

 

「くぅあっ───ここっ!」

「むぅっ! また弾くか!」

 

 おかげで、手甲での受け流し(パリィ)の練習は随分と捗っている……って言っていいのだろうか。

 デカイ斧だからこそ軌道がわかり易いと大半の人は言うだろうが、この時代のお方の腕力で言えば、あまり他の武器と速度が変わらない気がするのです。

 しかもデカいだけあって真上からの振り下ろしの威力の高いこと高いこと。

 パリィと言えば聞こえはいいが、腕で払うだけなのではなく、腕で逸らしながら体を逃がしているような状態だ。

 つまり斧怖い。

 

(は、はっ……はぁっ……! いくら氣を流しやすくなったからって、怖いもんは怖いって! レプリカだからってあんなもんまともにくらったらどうなることか……!)

 

 切れ味云々以前に潰れます。普通に鈍器じゃないか。

 “デカくて速くて強いこと。これだけ揃えば負けはない”とは誰のセリフだったか。

 いや、覚えてるけどさ。

 

「ならばこうだ!」

「───!」

 

 逸らし、その勢いに俺の氣を加えて弾いた先。

 華雄はその反動を利用して大きく振りかぶり、それこそ俺の胴体を両断せんばかりの勢いで金剛爆斧を横凪ぎにしてきた───ってこらぁああっ! ほんとに死んじゃうだろぉおおおってキャァァアアーッ!?

 

(しゅしゅしゅしゅしゅ集中!)

 

 まずすぐに体を傾けて、振るわれる斧に自分の氣をくっつける。

 常時力に変換している氣へと自分の氣を混ぜ合わせて、力の向く方向を上へと逸らしながら、なんとか加速で追いつかせた手甲を添えて───上へと弾く!!

 

「ひぃいっ!?」

 

 一息のうちにやった行動の直後、傾け中だった身体の先、逃がし遅れた髪の毛をヂョリっと掠め、金剛爆斧が見事に逸れた。

 俺はといえばその迫力と、やってのけた行動に一気に気が緩んで、傾けた勢いそのままに尻餅をついてしまう。

 ……で。

 逸らされた華雄はその勢いを利用してその場で回転。

 遠心力を味方にした次なる一撃が、尻餅をついた僕へと思いっきりってキャーッ!?

 

(いやだめこれ逸らすっていうか触れたら篭手ごと砕けそうなんかいろいろでもでもギャアアたすけてぇえええ!!)

 

 刹那、俺の脳裏には今までの思い出が高速で流れてって走馬灯じゃないかこれ!!

 ええいもういいだったらこの刹那の集中を利用する!

 って意識した途端に普通の速度に戻る世界。

 

「うぉぉおわぁああーっ!?」

 

 慌てて逃げた。そりゃそうだ。直後に、本当に直後に俺が尻餅をついていた場所に金剛爆斧がドゴォンと落とされ……その部分の地面が綺麗に裂けました。

 

(うん……死ぬ……死ぬよね、あれ……)

 

 もっと集中しないといつか死にそうです。

 走馬灯って意識しないからそういうことが出来るんであって、きっと意識したら脳の速度なんて普通に戻るに決まってる。

 なので普通の速度しか出せない意識下の脳で、今自分の身に降りかかっている火の粉を分析する。

 まず自分。金剛爆斧から慌てて逃げる勢いで起き上がり、華雄と対峙する形で構えている。

 対する華雄。

 金剛爆斧を手に、地を蹴って俺へと激走───ゲエエエーッ!!

 

「れれれれ冷静に! まずは───」

 

 構え! 華雄の構え……斧は両手で前に構えている!

 振り被る様子はまだ無し! なら……

 

(散々目に焼き付けて刻み込んだことを思い出せ! 金剛爆斧を振る距離まで、あと……)

 

 ぐっと重心を下ろす。この場で攻撃を受け止めようとしていると見せかけるため。

 氣を木刀に流し込んで、受けるだけじゃなく攻撃もすると見せかけるため。

 やがて華雄が金剛爆斧を振り被る動作に入る……その一歩前。

 

「おぉおおおおおっ!!!」

 

 木刀に集めていた氣は切り離して、瞬時に足へと氣を装填。

 地面を蹴り弾くとともに華雄との距離を一気に縮めた。

 

「!? っ、なっ」

 

 華雄はここで金剛爆斧を振り被ったわけだが、既に俺は目の前に。

 動作を何度も見て、それでも真っ直ぐに行って相手を潰すという、とことんまでに真っ直ぐな華雄にだからこそ通用する方法。言い方は悪いかもだが、それでも勝ってみせる華雄だからこそ続けている行動なのだろう。

 

「せぇええあぁあああっ!!!」

 

 一気に距離を縮めての、氣だけで行う加速居合い。

 篭手の重さが木刀に乗ったそれは華雄目掛けて

 

「ふっ!」

「───うぇっ……!?」

 

 振り切った。

 が、ぶつかるような対象はそこにおらず、華雄は振り被った体勢のままに跳躍。

 それこそ俺の太刀筋なんぞ見飽きているのだろう、本当にギリギリの高さで跳躍して、木刀を躱してみせた。

 その上で金剛爆斧から片手を離すと、俺の肩に手をついて、トンと弾むように後方へと降り───て、振り向いたら絶対に斧を突きつけられて終わりだ。

 そう直感したら行動は速い。

 肩から手が離れるや、振るった木刀を戻す反動を利用しての加速居合い。

 振り向き様に振るわれたそれは着地する華雄へと吸い込まれるように弧を描いて、しかしその華雄こそが構えていた金剛爆斧によってあっさりと防がれ、仕切り直しに到る。

 無理な体勢からの居合いを放った俺は次の行動に移るのに時間を要したし、着地を狙われた華雄もバランスを崩したまま着地することになって、動けたのはほぼ同時だった。

 

「……うむ。日々を重ねる毎に追いつかんとしてくるその在り方よ、実に見事だ。私の武を受け止めてなお立ち上がれる男など、やはりお前だけだ。実にいい」

 

 どずんと斧を地面に突き刺して、華雄さんは語る。

 いつもの顎に指を当てた格好を見ると、とりあえず戦いは終わったのだろうかと息を吐く。

 でもまだ目が鋭いから、油断はしないようにしましょうね。

 

「ごほん。時に北郷」

「ん? なんだ?」

 

 随分とまたわざとらしく“ごほん”とか言った。

 咳払いじゃなくて、本当にごほんって言った。

 言ってからは何故か目の鋭さは無くなって、あちらこちらへ視線を泳がせている。

 ハテ、なんだろうか。なんだ、というかどうかしたのだろうか。

 

「お、お前との付き合いも……その、もう随分になるな」

「そうだなー。思えばあの宴の時、初めて戦ったのも華雄だったし」

「むう……負けた時はどうしてくれようかと思ったが、結果から見れば……負けてよかった……とは言いたくないが、だがしかし負けねば……うぬぬ」

「えと……なんの話? 勝った負けたの話なら、あれは引き分けってことになったじゃないか」

「そ、そうだな。そうだったな。うむ。その後の戦いで負けたのだからな。負け……うぬぬ」

「………」

 

 どうあっても負けというのは清々しくはいかないらしい。

 まあ仕方ないのかもなぁ。俺って真正面からぶつかるっていうよりは小細工が多いし。

 でもわかってください、小細工無しで勝てるような次元じゃないんです、あなたたちの居る世界は。

 けれども男には、たとえ負けるとわかっていても立ち向かわなくてはならない時があるんだ。でも……いつか勝てるようになってやる。って前にもやったよこれ。

 ジョナサンは努力の人だね、俺はなかなかそれを叶えられないよ。……主に周囲が強すぎて。

 

「ともかくだ。お前の女になると言った言葉に嘘はない。そもそも嘘は好かない」

「そうだね、華雄ってそういう性格してるよ」

「そうだ。だから、だな。うぬぬ……」

 

 ……さっきからうぬぬと唸ってばかりの華雄さん。

 俺はどうしたら? もしかしてまたか? また乙女心とやらを察しなければならない場面に立っているのか俺は。

 

(よし考えよう)

 

 なんだっけ。華雄は俺との付き合いも長いなーと言ってきた。

 昔を懐かしみたい? に、しては負けたことを悔やみまくっているわけで。

 ……ハッ!? もしや今こそその雪辱をと切り出すところ!?

 そ、そうか。武のことばかりの彼女が言いそうなことじゃないか! 言いづらそうにしているのは、その行為が過去の敗戦をぶちぶちとこぼすような女々しい行為と思っているからか!

 そこへ俺が“じゃあこうしようか”と言うことに、乙女心への勝利が───!

 

「わかったよ華雄」

「え、なっ!? ななななにがだっ……? わわ私はまだ何も───」

「いっぱい、長い時間をもやもやさせたんだよな、きっと。大丈夫、俺……もう決めたから」

「う……そ、そうなのか。私としては、その、お前とそういうことをするというのは、いざとなると……。確かめ合うだけでなく、何かを生み出すための行為と自覚するのとでは、いろいろと違うというかなんというか……!」

 

 口早に喋る華雄の目がぐるぐると回っていっている。

 い、いったい何事か? 顔も赤いし……ああ、そりゃそうか、武人として過去の敗戦をあーだこーだ言うのは、それほど恥ずかしいことなのかもしれない。

 負けてばかりの俺にはきっとわからないことなのだ。

 そこまでをわかって受け止めてやらないで、何が乙女心か。きっとそういうことなのだ。きっと。

 でも生み出すってなんだろう。

 

(ハッ!? ……勝利か!)

 

 なるほど納得!

 

「じゃあ華雄。早速だけど───」

「なっ……さ、早速か!? ゃっ……そのっ……戦い、昂ぶっているのはわかるがっ……! い、いや待て、私はまだその、周期というかだな、まだなんだ」

「? しゅうき?」

 

 しゅうき? まだ? 秋季……秋? 秋になると本当の実力が出せるとか? な、なにそれすげぇ! じゃなくて。

 臭気……じゃあないよな。

 終期……なにかが終わる? もしかして暑い日には力が出なくて、やっぱり秋は最強になれるとか、ってだからそれは違う。たぶん。

 昂ぶっているっていうのは……普通だよな。さっきまで戦ってて、いい具合に体も温まっている。

 今なら無茶な動作でも出来そうな気がする。やるなら今でしょう。

 

「よくわからないけど、華雄は今すぐはまずいのか?」

「う……ああ。敵前逃亡のようで悪いが、これも約束だ。皆で誓いを立てた以上、それを私情で崩すわけにもいかん」

(……反董卓連合で突出したこと、やっぱり悔やんでるのかなぁ)

 

 言わないでおこう。余計なことだ。

 ともあれ、どうやら何かをみんなで誓ったらしい。

 みんなとの誓いと俺となんの関係があるのかはわからないが、きっと大事なことなのだ。

 こういう時の女性の……えーと、連帯感? っていうのは強い気がする。

 それこそ男の俺には理解できないことがたくさんあるのだろう。

 そこのところは毎度のことながら、ちょっと寂しく思う。

 もし俺が乙女心というものを正しく理解出来たとしても、そういったものの輪には入れないんだろうなぁ。

 入れたら入れたで、かなり壊そう……もとい、怖そうではあるが。

 

「でもさ、そんなに急いで生み出すものじゃないんじゃないかな。華雄がその気になれば、いつでも出来ることだと思うし」

 

 実際、仕合で勝つのも死に物狂いな俺なんだ。

 華雄が本気でこちらを潰す気でくれば、あっという間だろう。

 ……なんてことを口にしたら、華雄さん顔真っ赤。ホワイ!?

 

「ま、待て。それはそれで男らしいと思うが……! お前はっ……お前はそんな、いつでも平気だとでも……!?」

「え? あ、えと。うん、出来るだけ時間は作るよ。おかしな話だけど、誓いとか約束を守ってまでの何かをしようって話なら、後回しにはしたくないし」

「───」

 

 うんと頷いて、グッと拳を握ってみる。

 ノックはしなくても決まる覚悟もある。

 こんな覚悟くらい、胸に刻まなくても決められなきゃ男じゃないっ!

 とか、清々しい気分で覚悟を決めていると、華雄がどうしてか赤い顔……なのはさっきからだけど、ポー……と、なにやら目を潤ませてこちらを真っ直ぐに見ておりました。え? なに? 瞬きしてなくて目でも乾いた? そ、そんなんじゃないよな?

 

「そうか……そ、そうか……。後回しにしたく───あ……こほん。……なるほど。器の大きいことだな。初めて会った時の、どこかおどおどした男とは到底思えん。これが男か」

「いや……なんだろう。華雄の話を聞いて、俺自身……そこまで変われた気がしないんだけど……むしろ全然」

(お……男か……。初めて抱かれた時以来、こうまで女であることを自覚させられたことはなかったな……。これが男の……ほ、包容力? とかいうものか。武はまだまだだというのに、寄りかかってしまいたくなるこの気持ちは……うう……)

「………」

 

 なんだかさっきから華雄の顔色が大変なんだが……大丈夫なのか?

 

(訊いてみたところで問題ないって頷かれそうだし、顔色以外は全然平気そうだし……うん、様子を見よう)

 

 と……それはそれとして。変われた気、というのは本当にしない。

 今でも武器を向けられればヒィイとか叫んでしまうし、危機からは逃げ出したくなる心ももちろんある。

 そこらが多少変わった程度で“男だな”と言ってもらえるなら…………その一歩ってのは、男にとってはとんでもなく大変な一歩なのでしょうなぁ……としみじみ思ってしまった。

 いや待て、そりゃそうだ。武器(武氣)向けられて怯えないところからの一歩なら、もう十分すぎるだろオイ。

 待て待て待て! なんかもう俺、いろいろな基準がおかしくなってないか!?

 ぶ……武器、コワイ。OK? 武氣……相手からの戦う意志、コワイ。OK?

 あ、相手が武器を持って向かってきたら、それはもう戦う意思と見なしてブチノメーション……ってちょっと待て! 基準がおかしい! やっぱりおかしい! 話し合いだろまず! なんで相手が武器を持ったら嬉々としてぶちのめさなきゃならんのだ!

 あぁっとと、口調口調……!

 

(……いろんな人との鍛錬の日々に、もはやまずは話し合いという部分すら抜け落ちたか……)

 

 主に華雄とか春蘭とか祭さんとか雪蓮とか華雄とか春蘭とか春蘭とか春蘭とか華雄とか。

 おじいさま……人は変われる生き物ですね。変わった事実に今まで気づかなかった自分に、自分が一番驚いております。

 ……と、それはそれとして華雄だ。

 武人っていうのはやっぱり自分には厳しいものなんだなぁって、改めて思う。

 約束と誓いを前に、自分の目標のための一歩を、一時的にだろうが止めてみせる。

 そんな生き方って、素直に凄いと思う。そう簡単に出来ることじゃない。

 

(きっと散々悩んでの答えなんだろうな……)

 

 そこにどんな約束や誓いがあったのかは知らないが、“武に生きる者として”を根っこから認めている華雄が踏みとどまるのだ。相当なことだ。

 武人って……格好いいなぁ。(*いろいろ間違っています)

 そうだな、こういう潔さとか格好良さに、俺は憧れたんだ。

 そんな憧れも半ばに勝手に天狗になって、叩き折られて見失ってしまったけど……真っ直ぐで居られたら、俺もこんな風に潔くも真っ直ぐな存在になれていたんだろうか。

 

「なぁ華雄」

「! う、うんっ? なんだっ?」

 

 なにやら金剛爆斧の長柄をぎゅうっと胸に抱くように握り締めたまま、俯いて考え事をしていたらしい、ぶつぶつと呟いていた華雄に声をかけると、ハッとした様子で顔を持ち上げる。真っ赤だ。

 呟きは言葉として全く拾えなかったものの、これから伝えることを考えていた所為かあまり気にならず、後で訊いてみることも忘れて声を出していた。

 

「俺でも力になれることがあったら、いつでも言ってくれな。もちろん今悩んでる何かのことでもいいし、約束や誓い以外のことでもさ」

「………」

 

 ぽかんとした顔。

 ハテ。

 妙なことを言っただろうかと、自分の言葉を頭の中で繰り返してみるが、別に……ヘンじゃないよな? と思っていたら、華雄はフッと笑って「なるほど、これも男か」と呟いた。

 

「あぁ……その、なんだ。大きく出るのは構わないが、そういうことを言うから後に後悔をするのだ。お前は少し、無警戒がすぎるぞ。……ん? 後に後悔? 後に悔い? ……うむ!」

 

 いや、うむじゃなくて。意味被ってるから。

 って、後悔? 無警戒?

 

「……えっと、そうかな。そうは言っても、俺に出来ることって限られてるし、みんなだってそう無茶は言わないだろ。春蘭とか桂花は遠慮のタガが外れてるからご遠慮願いたいけど」

「な、なんだと……あの二人、妙に北郷に突っかかっていると思っていたが、私たちの知らない場ではそうまで積極的に……?」

「え? 積極? ……あ、あー……そうだな、ある意味相当積極的だよな」

 

 急に鍛錬に付き合えって、こっちの都合も関係無しに首根っこ掴んで引きずったり、人が疲れて熟睡している時ばかりを狙って部屋に侵入、虫が詰まった籠をぶちまけるとか。嫌な方向に積極的な所為で、もう随分と深い意味でご遠慮願いたい。

 ……そんな想いを込めた言葉だったのに、何故か華雄さんは再び俯き、顔を赤くしながらうんうんと唸っていた。いつもの顎に手を当てるポーズも、どこか恥ずかしがっている乙女を彷彿とさせる格好を連想させるほど。ア、アレレー……? いつもは堂々とした姿勢に見えるのに、おかしいなァ……。

 

「お前はそんな状況にも対応出来ているのか……(*訳:急に迫られても受け入れ、抱き締めているのか)」

「そりゃあ、うん。対応出来ないとまずいだろ(*訳:対応できないとボッコボコだし、虫まみれだし、必死だよ)」

「む……そうか……逞しいんだな」

「逞しいとかそういう話でもない気がするけどね……。早く満足させてやれるようにならないと」

「まぁっ!? まっ……満足出来ないほどに持て余しているのかっ!?」

「そりゃ、春蘭相手はまだまだ難しいよ。桂花はまあ……最近じゃあやられる前に押さえつけるくらいは出来るようになってきたけど」

「押さえつけっ……!?」

「や、これがまたすごい暴れるんだ。夜遅くに睡眠妨害しに来ておいて、殴るわ噛み付くわ。そうなれば力技しかないだろ?」

「な…………なる、ほど……力ずくか……。自分が認めた男に、力でというのは……武ばかりを誇っていた者としては、ある意味で幸せなのかもしれん……」

「え?」

「え?」

 

 やあ、なんだか今日の華雄は聞き上手だなぁ。

 熱心にうんうんと頷きながら、時に顔を赤くして聞いてくれる。

 ところであのー……ところどころで僕と彼女の理解に温度差を感じるのですが、気の所為ですよね?

 っと、温度で思い出した。

 

「あ、話は変わるけど、華雄も風呂、入るよな?」

「うん? ああ、そういえば今日は風呂の日だったか……うむ、いただくとしよう」

「そか」

 

 それじゃあ俺の番は結構あとになりそうだ。

 他のみんなも入るだろうし……うーん、俺は俺で、兵のみんなと一緒にドラム缶風呂にしようかなぁ。あっちはあっちでなんというか、妙に心くすぐるものがあるんだよなぁ。

 足が伸ばせないのは辛いけど、そこには男心を擽るなにかがあるのです。

 普通に風呂を待ってたら相当時間がかかりそうだし……かといって、一緒に入る気はさらさらございません。

 ああいうことをいたしたことがあるからといって、女性と一緒に風呂に入るのとは……やはり違うのだ。というか基本、一人で風呂に入ることをしない皆様だ。

 大勢の女性の中に男が一人…………考えただけで怖い。

 羨ましいと思える人は、まずはその状況を深くイメージしてみてほしい。

 常に意識され、常に誰かに見られ、行動のひとつひとつを監視され続けているような心地。さらにはその視線や女の中に男が一人という状況が、リラックスしたいのに出来ない状況を生み出す……! リラックスしに来て余計に疲れてちゃ意味がないだろう。

 それでも羨ましいと思える人はきっと居る。居るんだろうなぁ……。

 傍から見ることが出来たなら、俺だってきっと羨んでいただろう。

 ……その果てに過労で倒れてりゃ、世話ない。そういう話なのだ。

 休憩は大事です。リラックスはとても大事です。

 好意を抱いてくれる大勢の中で、休むことの出来る時間というものがどれほど大事か……これを、どうか忘れないでほしいのだ。

 想像出来ないなら、その周囲全員が自分を嫌っている人だったら、という方向でイメージしてみてほしい。気が休まる時間があるかを考えてみてくれ。常に警戒し続ける、緊張し続けるというのは、本当に楽じゃないのだ。

 

「そんなわけで、俺は兵舎に行こうと思うんだ」

「話がまったく見えんのだが」

 

 思いのたけを纏めて、結論だけを華雄に届けた。

 ……呆れだけが残った。



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133:IF2/形を求める人々➁

 なにかが動き始めていた。

 それは間違いなんかではなくて、俺を見る女性の目が、日に日に怖くなっていた。

 ……とある日のことだ。

 その日は柄と一緒に鍛冶工房を見学したり、隊ごとの調練の様子を見学したりしていたのだ。

 鍛冶工房では目を輝かせ、調練では兵の動きに目を輝かせ、本当に楽しい日だった。

 が、些細なことというのは、些細であろうとそこに存在するからには感じてしまうものなのだ。

 

「違和感だ」

「違和感?」

 

 見学も一通り終わって、街をのんびりと歩いていた。

 昼の頃ってこともあり、街は活気に溢れている。

 適当な店に寄って肉まんを買ったり果物を買ったりして、もぐもぐしゃりしゃり。

 柄は買い食いが好きらしく、給金の大半はそちらで消滅するらしい。

 だから以前話したバイトめいたものに積極的に申し込んでは、小銭を稼いで買い食い。

 酒が苦手なのに対してそっちで浪費しているとくるのだから、趣向での散財って点ではあまり変わらないのかもしれない。

 まあ、そんなわけで違和感。柄とは関係ないが、違和感を語ろう。

 

「最近視線を感じないか?」

「これだけ人が居るんだから当然だと思いますぞ、父よ」

「その妙な星口調はやめなさい」

「直ってくれないんだ、助けてくれ父よ」

 

 その落ち込み様は凄かった。

 そんな柄の頭をぽむぽむと撫でて、話を戻す。

 

「視線っていってもただの視線じゃないだ。なんというかこうー……狙われているって感覚に近い。桂花が俺を狙うソレとは違うんだけどな? たとえばほら、」

「お、おおっ……? よくわかったな父……私が手を繋ぎたがっているって」

「まあ、そんなとこ。こうやってさ、手を繋ぎたい~とか、そういうものの延長の何かを強くしすぎたような視線を感じるんだ」

「手を繋ぐことの先? …………に、握り潰すのか!?」

「怖いよ!! そうじゃなくて!」

 

 父としてそれはどうなのかとも思ったものの、恋人としてのアレコレを軽く説明する。

 手を繋いだり、指を絡ませ合って握ったり、腕を組んだり抱き締めあったり、まあいろいろ。……チ、チスまでは言ってない。気にしないでくれ。キスとか思い描いたら殺意の波動に目覚めそうなのでチスという表現にしているとかそんなことは心底どうでもいい。

 だがそれを言わなければ、柄がチスの話題を出すことなど───

 

「なるほどっ、そういったことのあとに接吻をするんだなっ」

 

 ───子供の知識の量を見誤っておりました。この北郷も老いておったわ。

 そして娘からそういう話題が出てくると、心にめらりと黒い感情が……!

 

「あ、あー……その。柄? 柄はー……あー、なんというかその、えー……なんだ。おー……」

「いないぞ。男は皆軟弱だ。私は私の相手と認める存在は強い存在がいいっ」

「察しがいいなぁ俺の子なのに!」

「父は私たちの相手とか、そういった話になると途端に“あー”とか“おー”とか言って、ちらちらこちらを見るからな」

 

 よく見てらっしゃる……こんな頃から女って怖いのかもしれない。

 ……女にしてみれば、この頃から男は暴力的で怖いのかもしれないが……この時代の男がどれだけ暴力に走ろうが、潰されそうな気がするのは俺だけじゃないよな……?

 今やあの心優しかった璃々ちゃんも、“氣を操って武に生きることが出来る人”な現在ですものなぁ……。

 

「そう言う子ほど、あっさりコロリといきそうな気がするのはどうしてだろうなぁ」

「むうっ……失礼だな父は。私は私より強いか、一緒に強くなれる相手とじゃないと嫌だぞ」

「俺が言うのもなんだけど、我が娘たちはちゃんと結婚できるんだろうか」

「いざとなったら父がもらってくれ」

「もらいませんやめなさい」

 

 恐ろしいことを言わないでくれ。ただでさえ最近、丕と登の様子がおかしいんだから。

 なんだかやたらとヤキモチというのか、嫉妬みたいな視線を向けてくるのだ。

 脇腹抓ってくるし。

 

「? 何故だ? 璃々姉ぇは父の娘だが、父の子を産むつもりでいるのだろう?」

「璃々ちゃんは紫苑の娘であって、俺の娘ではありません。前にも言っただろ」

「な、なんと……では父は黄忠さまの夫から妻を寝取って、今まさに娘までをと……!」

「俺もうお前たちを桂花の私塾に通わせるの嫌になってきた」

 

 言った途端に“何故わかったのだ!?”みたいな顔をされる。わかるわ、いい加減。

 

「いやまあ、それはいい。あ、いいっていうのは俺が寝取ったとかそういうことじゃなくて。……言っておくけどな、紫苑の旦那さんは」

「あ、待ってくれ父よ。なんとなくわかる。死んでしまったか、蒸発したのだろう? 父が人からなにかを奪うような人じゃないことくらい想像がつく」

「だったら寝取るなんて言葉をまず使わないように」

「はにゅっ!?」

 

 デコピン一閃。

 いたずらっ子な顔をしてニシシと笑っていた柄は驚いていたが、額をさすりながらもやっぱり笑った。

 

「まあ、そんなわけで。俺としても璃々ちゃんは娘っていうよりは妹みたいに見てきたから、子供をとか言われてもな……っつか、え? それ、璃々ちゃんが言ってたのか?」

「え? ああ、うん。璃々姉ぇ、いつかはそうしたいって恥ずかしそうに言ってた」

「───」

 

 璃々ちゃん……キミならもっといい男を狙えるだろうに……。

 あ、でもそうなると、紫苑がどんな反応するのかは気になるな。

 俺は妹として見てきたつもりだから、娘を嫁にやるよりは多少は、多少~は冷静になれる筈……。

 

「なぁ父よ。もし璃々姉ぇが他の男のもとへ行ったら、父はどんな反応をするんだ?」

「璃々ちゃんが自分から行ったなら、それはもう祝福するだけだろ」

「むう。じゃあ男が言い寄ってきたら?」

「まずはそいつのことを調査だなっ! なによりやさしさと包容力がないとなっ! 外面だけがよくて、恋人とか妻になった途端に私物化みたいにして、逆らえば叩くとかそういうやつだったら───」

「だったら?」

「産まれてきたことを祝福しつつも生きていることを後悔させてくれるわグオッフォフォ……!!」

「父!? 笑い方がおかしい!」

「おおっ!?」

 

 い、いかんいかん、悪魔的な想像が膨らみすぎて、ついサンシャインスマイルが……。

 あれ? でも擦れ違う町人たちには微笑ましい顔で「あっはっは、またですか御遣いさまー」なんて言われてスルーされてますが?

 …………俺、“また”とか言われるくらいにサンシャインスマイルなんてしてるのか? あ、いやいや、子煩悩がって意味だよね? サンシャインがじゃないよね?

 

「けどまあ、あれだな。柄はその“父”って呼び方、変えてみる気はないのか?」

「? おかしいのか、父よ」

「おかしいっていうか……祭さんが小さくなったような容姿でその喋り方って、結構違和感あるぞ」

「むう、私は私なんだが……それに私は母には似ないよう生きると決めているんだ。むしろ父の故郷である……天? だっけ? に生きる人のようになってみたい! にほんーとかいう場所なんだよな!」

 

 どうなんだー! と訊いてきなさる。

 興奮すると口調が乱れるのは遺伝ですかおじいさま。

 

「まあ、そうだな。ケータイの写真で見せたような服とか建物がある」

「おぉお……よくわからない角ばったものがいっぱいだったあれか」

「日本を好きになるのはいいけど、それよりも故郷を好きになろうな。俺も故郷だからこそ好きなわけだし」

「故郷への愛か。父、私は都になにを求めればいいんだろうか」

「ん? んー……買い食いが好きなら、買い食い出来るものの種類を増やすとか? 牛乳も地味に広まってきたし、クレープやアイスの店を作ってみるとか……」

「あいすは知ってる。父のあれは美味いな。でもくれーぷってなんであるか?」

「口調がおかしくなってるぞー。えっとだな、薄く焼いた生地に果物とかアイスとかクリームとかまあともかく美味いものを包んでだな……」

「父、私はラーメンが好きだ。包めるか?」

「無茶言わない!」

 

 輝く瞳で見上げられ、そんな瞳に残酷な返事。そりゃ汁さえ度外視するなら包めなくも無いが……ク、クレープにラーメン……!? ああいや、タマゴトッピングのラーメンみたいなものなのか?

 と、そんな思考の前で、がーん、と聞こえそうなほどに仰け反る娘に、彼女が誰に似たのかをよく考えてみて、鈴々と星を足して、それを春蘭で割ったかのようだと結論づけた。

 姉妹の前では割とまともなのに、俺の前ではどうしてこうも抜けているのか。

 あれか。

 祭さんも誰かの前ではキリっとしてるけど、冥琳が絡むと失敗が目立つアレなのか。

 

「なんていうか……似てないなぁとか思っても、妙なところで娘なんだなぁお前って」

「し、失礼な!」

 

 あ、今のは自分に似てる。なんて思ってしまった。

 

「私は母のようにのんだくれではないし、誰かを巻き込んで、その誰かを理由に酒を飲んでいたーなどという言い訳はしないぞ!」

「行動のたびに邵を巻き込んでるお前が言うか」

「邵とはきちんと“りえき”を認めた上で協力し合っているのだ! 大丈夫、問題はない!」

「利益……へぇ……」

 

 そんなことを考えて行動してたのか。

 子供だとか思ってたら、結構考えて行動してるんだなぁ。

 俺が子供の頃なんか、他人の利益というよりは自分のことばっかりだったもんなぁ。

 

「邵にとっての利益って?」

「父の匂いは動物を引き寄せるから、父の服を拝借して邵に渡すと、邵はその日はお猫様天国で───はう!?」

「前に洗濯に出した服がズタズタになって返ってきたと思ったらお前か! お前だな! お前なんだなぁああっ!?」

「およゎぇあぅえぇあぁああっ!!? すまっ、すまなんだ父よっ! 謝るから揺らすのはやめやぅえぁぇえええっ!!?」

 

 犯人が解ってるのに“お前か”もなにもないものだが、それだって凪が新調してくれたからこそフランチェスカ学園制式学生服【レプリカ】としてここにある。

 恐らくは猫に引っかかれたのであろうあの制服も、随分と思い出深いものだから捨てたりなんかしていないが……いや、あの時は目の前が真っ白になったもんだ。

 つい美以たちを疑ってしまったりもしたが、真犯人はここに居たのだ。

 

「柄……天ではな、子への制裁には昔からの伝統奥義として、お尻ぺんぺんというものがあるんだが」

「ぬ、ぬう……尾死裡貶変……!」

「無理に男塾風にせんでよろしい」

 

 教えたの俺だけど。

 しかしさすがに娘にやるのは残酷だろうか。

 ほら、一応まだ町に居るわけだし。

 

「………」

 

 “この世界で男女差別なぞ笑いの対象では”と思った俺……べつに悪くないよな?

 溜め息ひとつ、掴んでいた柄の肩を離すと、頭を乱暴に撫でた。

 祭さんのように軽く結ってある髪がほどけて、はらりと広がるのもお構いなしに。

 

「うう……なにをするんだ父……。髪を綺麗にまとめるのは、あれで難しいものなんだぞ……? 乱暴にやると妙なところで引っかかって、固結びになったりするし……」

「俺の思い出の詰まった制服はズタズタになったら直らないけどなー」

「ひ、卑怯だぞ父! それを言われたらもはや言い返せないではないか!」

「無断で人の一張羅を取引材料にしてくれた上にたわけたこと言ってんじゃあございません」

「むびゅーっ!?」

 

 両の頬を引っ張ってやりました。

 最初こそ暴れたものの、さすがにやりすぎたと反省していたのか、抵抗もなくなる。

 その抵抗が無くなった時点で俺も息を吐いて、頬を引っ張っていた手を離して……頭をぽむぽむと撫でてやった。

 

「なんていうか、子供だよなぁお前らは。子供、なんだよなぁ……? 当然なんだけど納得出来ないのは、妙なところで子供らしくないからなんだろうな」

「こ、子供なんだから子供なのは当然ではないか。あ、いや……というか、父? 人が見ている……あまり頭を撫でないでくれ、恥ずかしい……」

「魔のショーグンクロ~……!」

「ギャーッ!!」

 

 頬を赤らめ、俯きつつもちらちらと周囲に視線を泳がせていた柄。

 そんな娘の頭蓋にアイアンクローをプレゼントした。それを含めての説教だばかたれ、とばかりに。

 

「お前は痛いよりも恥ずかしいほうが罰になるだろ。ほら、とっとと歩く」

「うぅ……父、他の姉妹らと比べて、私の扱いがぞんざいじゃないか……? 私はやさしい父が好きだぞ……?」

「甘やかしたらとことんまで甘えるだろーが。それこそ俺に迷惑かけるって意味で」

「今まではずっと誰かに迷惑をかけないようにと言われてきたんだっ! それが、今は父が庇ってくれたりするんだぞ! 嬉しいじゃないか!」

「ええいほんとどうしてくれようかこの馬鹿正直娘」

 

 どうやら自分が無茶をした結果で、誰かに庇われるのが嬉しいらしい。

 気の強い柄のことだ、きっと将来も自分を守ってくれた誰かに惚れたりするのだろう。

 その時は……そ、その時は。

 うん、まずはブチノメ……じゃなくて、鍛えてあげようなっ! うん!

 この世界の女性を守るっていうのはとんでもないことなんだから、鍛えないと!

 大丈夫! 愛があれば鍛錬なんてどうってことないさ!

 あの曹孟徳をして無茶と言わせる我が鍛錬の真髄……その全てを叩き込みましょう!

 あと南蛮に連れていって、野生の勘を身に付けさせて、春蘭とか華雄と対峙させても逃げ出さない勇気を持たせて、恋の本気モードを前にしても前を向く勇気を…………───

 

「!? ち、父!? 何故泣いているんだ!? 私が悪かったのか!?」

「へ? あ、あれ?」

 

 なんか泣いてました。

 イヤ、僕ベツニ、今までよく生きてタナーとかしみじみ思っただけで、悲しいことがあったワケじゃないヨ?

 

「あ、ぁあああ……すまない父、すまない……! 泣かせるつもりなどなかったんだ……! 私はただ、甘えてみたかっただけで……!」

「こういう時くらい男らしい口調はなんとかならないのか娘よ」

「涙を流しながら真顔で言われると、それはそれで凄く胸に突き刺さるぞ、父よ……」

 

 改めて振り返ると、なんとも親子らしくない会話である。

 でも親に対する口調がこんなで、妙に態度が大きいのは祭さんの娘らしいのかなぁ。

 ……祭さんっていうよりは、やっぱり鈴々や星や春蘭っぽさが盛りだくさんな気分だ。

 

「ところで父よ」

「話題の切り替えが早いのは母親譲りだよな、絶対」

「いや、反省はした。父を泣かせてしまうなど自分が情けない。だが話したいこととそれはまた別なので、気持ちは切り替えたほうがよろしいではないですか」

「その微妙に敬語みたいなのが混ざる口調はなんとかならないのか」

「じゃあ父が口調を決めてくれ。泣かせた非礼は態度で示そう!」

「ワーイ男らしー」

 

 どうにも性格なのか、柄と接するときは娘と、というより悪友のようなノリでいってしまう。口調や態度に遠慮がないからだろう。

 そしてそれを、俺が受け入れてしまっているからだ。

 しつけをしっかりとする人ならば叱ったりもするんだろうが、一度、まともに接することすら出来ない状況を味わってしまっている俺としては、強く出すぎるということに躊躇を持ってしまっている。

 母親相手ならいざしらず、俺相手ならべつに砕けた口調でもいいかぁ、なんて考えが出てしまっているのだ。だって俺の扱いって、御遣いで支柱なのにいろいろとアレだったし。慣れってやつだ、どーしようもない。

 胸を張ってフンスと鼻息も荒く、「さーこいー!」なんて言っている娘を前に軽い頭痛を覚えた。戦士の力と血が滾ってタックルでもかますんだろうか。

 

「じゃあ試しに。祭さんみたいに喋ってくれ」

「!?」

 

 あ、固まった。

 まさかこうくるとは思っていたなかったのか、視線が泳ぎ放題だ。

 というかさっきから歩いては止まり歩いては止まりで通行人の邪魔になってるな、俺達。

 

「え、あ、えー……そ、そうじゃのう父。わ、わわわ、わー……儂は、あー……酒が好きじゃー!」

「落ち着け」

 

 上手くイメージ出来なかったようで、結局祭さん=酒に行き着いたらしい彼女は、両手を天へと突き出して真っ赤な顔でそう叫んだ。

 ガオーとでも言いそうな、なんとも可愛い迫力しかなかった。

 

「ふはははははは儂は黄蓋であるぞじゃー! 酒を持ってこーい! じゃー!」

 

 そして語尾に無理矢理“じゃ”をつけて、あとは酒を欲する謎の生命体が光臨しなすった。

 こんなところを祭さんに見つかるか、誰かに見つかって祭さんに報告されたらただではすまないだろう。

 なので───

 

1:共犯って素晴らしいよね。(一緒に叫ぶ)

 

2:口を塞いで黙らせる。(手で……手ですよ? 口なわけがない)

 

3:説き伏せる。(祭さんに見つかったら危険だ等の説得)

 

4:チョークスリーパーで落とす。(得られる静寂、生まれる後悔)

 

5:マッスルリベンジャーで叩き潰す。(落ち着け、俺)

 

結論;1

 

 ───え?

 あ、いや……その意気や良し!

 受身ばかりの馬鹿者であったこの北郷、今こそ捨て身に辿り着かん!

 

「酒が好きだぁーっ!!」

「酒が好きじゃぁーっ!!」

 

 天下の往来で叫ぶ親子の姿よ、なんと潔い。

 そしてなんのノリなのか、もはや軽い騒ぎなどいつものことと認めている都の住人は、これもいつものことだとばかりに……一緒に騒ぎだした。

 

「おー! 俺っちも酒が好きだぜぇーっ!!」

「仕事の後に飲む酒は最高だぁなぁ!!」

「だっはっはっはっは! こんなこと、普通堂々と言えねぇわなぁ!」

 

 なんだかよくわからないうちに広がる輪……酒好きたちによる集い。

 騒げば騒ぐほど心が勇気とノリで満たされ、気づけば酒好きのおっさん達と肩を組み足を上げ、「ジョーダンじゃなァーいわよーう! ジョーダンじゃなァーいわよーう!!」なんて騒ぎ合った。

 熱く、厚い絆は自然と酒好きの本能をくすぐり、酒を愛するものはその鼓舞にも似た叫びを耳ではなく心で聞きとめ、この場へと集ったのだ……!

 

「ほおう? 随分と楽しそうなことをしておるのぉ北郷」

『ひぎゃいっ!?』

 

 ……そう。

 きっと誰にも負けないほどの酒が好きな、あの人まで。

 お約束? ええお約束ですとも。

 

(なぁ柄。こんな時……こんな状況に題名をつけて絵にするなら、なんてつける?)

(はっはっは、父はよくわからんことを言うなぁ。私にはもう難しすぎてなにがなにやら)

(そっかそっかぁ。こういう時はね、重要なことを題名にするのが一番なんだ)

(そうなのか。それじゃあ───)

(ああ、それじゃあ───)

 

 サブタイ:振り向けばそこに。

 

「おかしなこともあるものじゃのう。確か我が娘は、酒が大層嫌いであった筈だが……」

「はっ……は、ああ……!」

 

 胸の下で腕を組み、にたりと笑う姿は恐怖の塊。

 なんかもう柄が、武論尊さん漫画のモブっぽい引き攣った声をもらしている。俺もだけど。

 

「酒の味に目覚めたのか? んん? どうなんじゃ?」

「は、はうっ……はうう……!」

 

 軽く腰を折り、自分の顎に手を当てて値踏みするような視線で柄の表情を間近で覗き見る祭さんは、もうわかっててやっているのが周囲の誰もが理解できるほどに楽しそうに柄をからかっていた。

 で、そんな柄はチラチラと俺に、視線で助けを求めてくる。

 

「よし、では酒を飲みに行くとしよう。ああ心配はいらん、儂の奢りじゃ」

「!? だっ───んぐっ!」

 

 あの祭さんが奢り!? 酒で!?

 思わず懲りずに誰だ貴様とか言いそうになるのをなんとか抑え、ともかく驚愕。

 そんな様子を、祭さんがじとーっとした目で見つめてくる。

 ああ、うん。俺もだなぁ。こういうところでの失敗がいつまで経っても少なくできないから、いろいろと苦労を重ねるんだろうなぁ。

 娘に偉そうなことをてんで言えない父親でございますが、今後ともよろしく。

 そんな思いを込めて、ササッと柄の後ろに回り、「うん?」と祭さんが訝しむのに合わせてニコリと微笑む。

 

「祭さん。俺はね、祭さんやみんなと鍛錬をしてきて、わかったことが結構あるんだ」

「ほう? こんな状況で言うということは、重要なことか」

「うん。祭さん、賭けをしよう。俺が勝ったら柄も一緒に見逃してくれ」

「はっ、勝負ときたか。お主が儂に勝負を仕掛けるなぞ、珍しいこともあるものじゃのう」

「どうする? 勝負方法を聞いてから受けるか、このまま受けるか」

「見くびるでないわ孺子。勝負を挑まれれば受けて立つのが武に生きる者よ。戦が無くなったとはいえ、腕を鈍らせるようなことなぞしてはおらん」

 

 当然とばかりに、勝負に乗ってくる祭さん。

 そんな事実に柄の体が強張るが、まあ心配しなさんなとばかりにポムポムと頭を撫でる。

 

「じゃあ勝負ね。俺と柄が城の部屋に戻るまでに、祭さんが捕まえられなかったら俺たちの勝ちで! んじゃゴー!!」

「なっ!? なんじゃとっ!?」

 

 言うや、柄を抱えて全速ダッシュ!

 もちろん氣を弾かせて加速するのも忘れない。

 一歩で相手との距離を殺す歩法に身体への加速効果も合わせ、人が溢れる街の中を駆け抜けていった。

 

「くうっ! やってくれるわ!」

 

 すぐに追いかけてくる祭さんだったが、フフフ……甘いぞ祭さん!

 街、そして祭さんとくれば、上手く身動きが出来ない理由は存在する!

 

「おーいみんなー! 黄蓋様が遊んでくれるってさー!」

「ぬあっ!? 北郷貴様っ!!」

 

 遠慮することもなく叫ぶ。

 するとどうでしょう、丁度その場に集まっていた子供達や、親と一緒に歩いて居た子供たちが、一斉にバッと振り向きその表情を輝かせた。

 

「あー! 黄蓋さまだー!」

「黄蓋さまー!」

「黄蓋さま! 遊んでー!?」

「ぬあっ!? こ、こらっ! 道を空けいっ! 今はちと立て込んでおってじゃなっ……!」

 

 あっという間に街の子供たちに囲まれる祭さんの図。

 そんな光景を自分の肩越しに見つめ、さてととばかりに先を急いだ。

 

「くううっ……おのれ北郷ぉおおっ……! よくもこの儂を出し抜いて……ってこらっ! 誰じゃ今胸を触ったのは!」

「ご、ごめんなさい……わたし、こうがいさまみたいにおおきくなりたくて……」

「こんなもの、大きくても邪魔になるだけじゃっ! 重い上に走りづらい……くっ、なるほどのう、走るという時点で勝利を確信しておったか、北郷め……! って、だから胸を触るでないわ! ええいいつの時代も何故子供はこうなんじゃ!」

 

 いろいろと躊躇がないからだと思います。

 ハンケチーフでも揺らしたい気分だったけど、そんなことをして別の誰かに捕まるのもアレなので、早々にその場から離れ、部屋を目指したのでした。



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134:IF2/絆を紡ぐ人々①

187/丕ぃ散歩 ~ べつに散歩はしない、ぶらり終点自室 ~

 

 で、見事に何事も無しに部屋に辿り着いたわけだが。

 

「…………うりゃ」

「ぴうっ!?」

 

 部屋の中、人様の寝台ですいよすいよと眠っていた丕の脇腹に、人差し指を埋めてみた。

 と、跳ね起きて戦闘体勢。

 

「ななな何者!? こここここが父さまの部屋と知っての狼藉かぁーっ!!」

 

 人様の部屋に忍び込んで寝台使ってる狼藉者なら目の前にしか居ないのだが。

 目を回してあたふたと叫ぶ丕の言葉に、柄が「ろーぜきってなんだ?」と問いかけてくる。

 うん、私塾で天の言葉は学んでも、主に桂花の話ばっかり聞いてるんだなぁお前は。……ていうか、狼藉って別に日本独自の言葉ってわけじゃ……なかったよな?

 

「はれっ!? と、…………父、さま……?」

「大変なんだ丕。狼藉者が現れた。そいつは俺の部屋に勝手に入って、寝台ですいよすいよと幸せそうに寝てたんだ。どうすればいい」

「へわう!? あ、え、あ、あぁああわわわわ……!! 潔く切腹!!」

「やめなさい!?」

 

 少し意地悪をしてやるつもりが、何を思ったのか、目を回した愛娘は己の真剣を逆手に腹部を出し始めたので全力で止めました。

 落ち着かせる意味も込めて状況を説明してやると、どんどんと顔を赤くしてゆき、最後には頭を抱えて唸りだした。……ウワー、ものすっごい親近感。親だけど。

 

「ほあー……丕ぃ姉は完璧な人だと思っていたが、これはまた随分と……なんというかそのー……」

「可愛い?」

「それだ」

「実の姉を捕まえて可愛いとはなによ可愛いとはっ!」

「顔を真っ赤にして言われても怖くないぞ、姉よ。その赤さが怒りからなら怖かったんだろうがなぁ……。父に可愛いと言われて赤くなばぁーばばばっ!?」

「それ以上言ったら……ふふっ、わかるわね?」

「こっ……怖いんだか可愛いんだか、どっちかにしてくれると私は嬉しいぞ、丕ぃ姉……!」

 

 とてもとてもやさしい笑顔で柄の頬に刃の腹を当てる丕……の、頭をぺしんと軽く叩いてやめさせる。

 華琳もよくやるけど、あれに慣れられると第二の華琳の誕生なので勘弁してくださいとばかりに。

 

「なんというか、父はどんどんと私たちへの遠慮が無くなっていっている気がするな」

「ん? そうか?」

「うむ。前までだったらそうして気安くぺしりと叩くことさえしなかったぞ。まあ、私はこっちのほうが気楽でいい。前のように顔色を伺ってばかりなのは、逆に疲れる」

「丕もそう思うか?」

「う……その。顔色を伺うという意味では、兵の皆よりも余計に感じていました……」

「───」

 

 驚愕の事実だった。思わず呆然。

 そりゃあ、なんとか仲良く出来ないかとかそういうことばっかり考えてたから、ご機嫌伺いのようなものをしていた自覚は……あるにはあるんだが。

 でもこうして接してみて、子供というよりは大人っぽいなぁと思っていた我が子らが、その実妙なところで抜けていることに気づきまくって……そしたら安心したっていうところはある。

 なんだかんだで俺自身、娘達に対して腫れ物を扱うーだとか、触れちゃいけないものなのではって、勘違いめいたものを抱いていたところはあるのだ。

 もっと踏み込んでいけばよかったんだよな。隠し事なんてせずに。

 そしたら…………

 

「でも最近ではそんな視線さえあまり感じなくなって……。……どうして私はあの時に……」

 

 そしたら、なんだか脇腹を抓られるような現在を知ることもなかったんじゃないかなーとか思うのです。

 あれなのかな。娘達にしてみれば、今までは他人みたいな人が、急に父親になってくれたみたいな状況なのかな。

 だから手探りで知ろうとする中で、これは私の父だーみたいな独占欲めいた何かが働いて、俺が別の子供と仲良くしてると脇腹抓ってきたりとか……。

 

(ハテ?)

 

 の、割には、丕、登、延は相手が女の子の場合だけなような……。あ、いや、丕はなんかやせ我慢みたいな表情だったけど。

 述は普通に他の子供全般に頬を膨らませたりするのだが……うん、あれは可愛い。写真に収めようとして思春に刺されそうになったのはもはや……い、いい思い出……ダヨ?

 

「で、丕は今日はもう仕事がないのか?」

「は、はい。暇です。予定を入れられようとも全てを拒否できるだけの覚悟が───この曹子桓には出来ているわ!」

『───』

 

 柄と二人、なんだかとっても不思議な覚悟を口にしながら、覇王の覇気を放つこの小さな娘を前に微笑ましいものを見る目で黙った。

 興奮しているのか、瞳の色が変わってらっしゃる。

 俺のこげ茶の色から、華琳の蒼色へ。

 興奮で目の色が変わるなんて、本当に不思議な娘だ。

 華佗は氣の影響だって言ってたけど、そりゃそっか。事実として三つの氣を受け入れて生まれたんだもんなぁ。

 俺の氣で攻守合わせて二つに、華琳の氣。妙なところで負担になったりしないかとか不安になったもんだけど、よかったよかった。

 

「………」

 

 “他の娘にはその兆候がないのは?”とは、もちろん訊ねた言葉だ。

 華佗の返事は単に“氣の相性”の問題らしい。

 混ざり合い易いか否か。

 俺の氣と御遣いの氣が合わさった事実と同じように、氣と氣が殺し合って混ざり合わなかった場合は普通に産まれるのでは、だそうだ。

 なので丕は、“氣”って意味では一番親に近いってこと。

 ……悪い部分まで継承しちゃってるんだから、そりゃ近いよなぁ。

 

「そっか。でも生憎とこっちも仕事はないぞ? 最近やたらと手伝いに参上してくれるけどさ。丕もなにか趣味とかもってみたらどうだ?」

「え、趣味……えと、趣味、は…………親孝行!」

「おお! それを胸を張って言えるとは、流石だな丕ぃ姉!」

「ふ、ふふっ? これくらい当然よ。というわけで父さま! なにか孝行させてください!」

「え? 孝行……んー……いきなり言われてもな。……あ、じゃあそれだ。布団干すから手伝ってくれ」

「………」

 

 布団を干そうと提案したら、とても悲しそうな顔で見られてしまった。

 

「あの……干したら……お日様の匂いだけに……」

「? や、そりゃそうだろ」

「と、父さまの暖かさが……」

「もう昼だし、俺が寝てた頃の暖かさなんてないだろ?」

「………」

「?」

 

 首を傾げたい状況のなか、とぼとぼと布団を干しにかかる丕。

 ハテ、いったいなにが言いたかったのか。

 ……しかしあれだな。

 運ぶ際、小さな体で布団を抱え、よたよたと歩く姿はなんというかこう……。

 

「……、……」

「父? またしゃしんとかいうのを撮るのか?」

「ケータイの寿命が来た時点でそれも無駄になるって解ってるけどな。その一瞬はその一瞬にしか残せない。大事なのは残したか残さなかったか……それだけなんだ」

「なにやらいいことのようなことを呟きつつ、娘の姿を形に残す父の図である」

「説明しなくていいから」

 

 言いつつもカシュリと。

 画面の中には、なにやら消える何かを惜しむようにぎうーと布団を抱き締める娘がおった。

 

(……太陽の香り、嫌いなのかな……)

(丕ぃ姉は太陽の香りが嫌いなのか……?)

 

 なんとなくそんなことを思いつつ、画面を覗き込もうとしていた柄と視線がぶつかった。漏れる苦笑。まあなんだ、こういう平和もいいもんだ。

 

「干した布団の匂いは、安心できるものだと思うぞ、丕ぃ姉」

「? べつに陽の香りは嫌いではないわよ」

「うん? そうなのか? だったら何故干したがらないんだ? 自分のものは率先して干すのに」

「え……あ、だ、だからそれは」

「?」

「……その」

「うんん? 丕ぃ姉らしくないな。ずばっと言わないなんて。もしかして言いづらいことなのか……? はっ!? もしや姉はおもらしをしていて、それを乾かすために率先して」

「父さまの前で何を間の抜けた勘違いをしているのあなたは!!」

 

 雷が落ちた。

 おお、丕の眼が真っ青に燃えている……! これ以上無いってくらい蒼い……!

 なのに顔は真っ赤である。大丈夫か、いろいろと。

 

「じゃあどうしてそれ、早く干さないんだ?」

「えっ? ───あっ、いえ、ちがうのよこれは。ただほら。その。布団というものは手放しづらい妙な魅力があって……!」

 

 問われ、慌てたのかパッと手を離す丕さん。

 ドシャアと落ちる俺の布団。

 慌てて拾い上げようと屈み、ゴドォ、と寝台の角に勢いよく頭をぶつける丕さん。

 蚊の鳴くような声で、「くぁあああぅぃいぃぃぃ…………っ!!」と苦しむ丕さん。

 そしてそんな姉の姿を前に、「しゃったーちゃんすだ、父よ」と激写を促す我が娘。

 どうしてそういう言葉ばかりを覚えるんだ、娘よ。

 思いつつも写真に収めて、ほっこり笑顔な俺が居た。

 ていうかなんかもう見ていられなかったから近寄って抱き締めて、ぶつけたところを撫でてやった。

 

「なるほど。父はそうして、数多の女性を落としてきたんだな」

「落とすとか言わない。そういう言い方は、それを目的として近寄っているヤツにだけ言ってやれ」

「んむ……ああ、それこそ正しくなるほどだな。目的としてないのに落とすとか言われるのはちょっと嫌な感じだ。父は~……あれか? やっぱりそういうことをいろいろなやつに言われたりするのか? そういう事実に頭を悩ませたりしたのか?」

「父さんとしては、娘にこういう話題を振られるって今現在に首を傾げたい」

「いいじゃないか、私以外じゃこんなことを訊くやつが居ないだろ。父はあの母を出し抜くほどの素晴らしい人だが、それ以上にこの気安さを受け入れてくれるから好きだ。こーきんなんかはひどいんだぞ、やれその態度はーだのその口調はーだのと」

 

 こういうことを訊くヤツって意味では、案外延がズバズバ踏み込んでくるんだが。

 のんびりゆったりペースで訊いてくるもんだから、聞き方によっては相当ねちっこく。

 でもまあ……言われたりするのは事実だ。また落とした~とか、なぁ。

 

「まあ、そうだな。言われるよ。また種馬が~とか、またですか~とか。冷やかしみたいなもんだから笑って誤魔化すしかないんだけどね」

 

 言いつつ、浮かんできた丕の涙を拭う。

 ついでに赤く腫れている額に氣を集中させて、癒すのも忘れない。

 

「ふむ……? 父はその、種馬~とかいうのはもう受け入れているのか? なんというか、娘としてはあまり、聞いていていい気分になれるものじゃないのだが」

「言われ慣れたって部分はあるよ。大体、否定したところで現状がそんな感じなんだし、どうとも言えないだろ」

「いやいや、待ってくれ父よ。種馬、では男側など誰でもいいみたいに聞こえるじゃないか。私は嫌だぞ、父が父じゃなければ絶対に嫌だ。母も母だ、こんな不名誉な呼称を言わせたままにするなど……」

「へ? いや、むしろ率先してその言葉で俺をからかってきたのは祭さんと雪蓮だけど───」

 

 バッ───と。

 ここまでを聞いていた丕が、突然俺の抱擁から逃れ、柄に突きつけた時もそうだったがいつから持っていたのかわからない剣を鈍く輝かせ───って光どこから来た!? ……って違うだろ! まず武器をどこから出したのかを疑問にだな! ええいもうなんか慣れすぎてる自分が怖い!

 

「柄、いくわよ。二人がかりででもあの勘頼りの元呉王を潰すわ」

「今までの雪辱を晴らすときだなっ、丕ぃ姉! ……あ、母はほうっておく方向で」

「はいはい待ちなさい」

『ふぐっ!?』

 

 しかし今こそ好機、打って出ると言わんばかりの二人は止める。頭を鷲掴みにしてでも引き止める。

 まずあの二人に勝つというのが無茶だし、そもそも俺は別に気にしていないから平気だ。

 

「けど父さまっ! 父さまを種馬扱いなど、私はっ!」

「おぉなるほど。種馬が相手だから璃々姉ぇも、父を相手に~とか思ってるとか? 対象が“種馬”ならば、父親とか兄として見る必要がないから」

「わたっ───………………」

「ん? はて? どうした丕ぃ姉、続き、言わないのか?」

「ひうっ!? えあっ……い、言うわよ!? 言えばいいんでしょう!?」

「え? え? なんで私が悪いみたいに怒鳴られるんだ?」

 

 なにやらわたわたと自分を奮い立たせる我が娘。

 ちっこい華琳さんに黒髪が混ざったような容姿そのままに、左拳を腰に、右手をバッと右方へと払うように広げ、まるで華琳のような姿勢で俺に向き直る。

 

「と、父さま!」

「うん、なんだい、丕」

 

 そんな姿が背伸びをする子って感じがして、微笑ましく思う。

 なもんだから口調もやさしく、にっこり笑顔で続く言葉を待った───

 

「り、璃々姉さまと子供を作るんですか!?」

 

 ───結果がこれだよ。

 やさしい笑顔も裸足で逃げ出すわ。

 

「丕……そりゃね、紫苑には何年か前、璃々ちゃんが大人になったらって言われたよ? でもな、だからって本人の意思を蔑ろにした行動は───」

「いやいや父よ、待っていただこう。璃々姉ぇのあの父を見る表情……あれは父に惚れてるぞ? 同じ女として断言しよう」

「手を繋ぐ先の行為を握り潰しと断言した子のどんな発言を信じろと」

「うぐっ……!? だ、大丈夫だ! 代わりにその先の行為については博識だぞ!」

「はっはっは、偉いぞ柄ー。その意気を見込んで、桂花の寝顔に虫の大群をばら撒く仕事を依頼したいくらいだあっはっはー」

 

 ええい私塾でどんなことを吹き込んどるんだあの猫耳軍師はァァァ……!!

 日常的に人の悪口ばっかり叩き込んでるじゃなかろうな……!

 

「………」

 

 ああ、うん。なんかもうそれが当たり前すぎて、今さらなに言ってんだって自分にツッコミ入れちゃったよ。

 前略おじいさま。娘達の知識の量が、まず性教育側から強化されていっている気がしてなりません。華琳に言って、罰の厳しさをUPしてもらわないとやめるものもやめないんじゃなかろうか……。

 

「なぁ二人とも。桂花が嫌がることってなんだと思う?」

「父さまに関係することの全てです」

「父に抱き締められたり愛を囁かれることじゃないか? 随分嫌っているし」

「ウワー……」

 

 もはや娘達にまで、嫌われてるって事実が広まってるぞー桂花ー。

 

「いっそ今度は筍彧さまと子供を作ってみてはどうか。毛嫌いする相手の子を宿すとなると、相当な屈辱だと思うんだが」

「冗談でもそういうのはやめような、柄。実際にそうなって泣いた人だって居ると思う」

「う……そ、そうか。考えが足りなかった、すまぬ父……」

 

 きちんと謝れるのは、それだけですごいことだと思う傍ら……なんだか言われたことがいつか事実になるんじゃないかと不安に思ったとは、口が裂けても言えません。

 さすがにもうないよな……いくら華琳の命令だからって、桂花を抱けとかは……なぁ?

 

「あ……父さま、桂花といえば───」

「? あ、そうだ父、思い出した。嫌がることで引っかかっていたんだが」

「ん? なにかあったのか?」

 

 ハテ、と訊ねてみると、こくりと頷いた柄ではなく、丕が説明してくれる。

 

「はい。桂花が教えることに偏りがありすぎると、民からの声があったとかで。……何度目かは忘れましたが。母さまが盛大に溜め息を吐きながら“罰が必要ね……”と」

「そう、それだ。私も聞いたぞ。私の場合は、民が話しているのを偶然聞いただけだが」

「───」

 

 ああ、フラグでしたか……。

 そう思いつつ涼しげな笑みを浮かべ、布団を干した窓から遠くを眺めることしか出来ませんでした。

 



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134:IF2/絆を紡ぐ人々②

 まあいろいろあったものの、布団を干しながらの団欒は続いた。

 いい天気ってこともあって、太陽光で充電している携帯電話も今はまだ動いている。

 いつ壊れてもおかしくはないが、その命尽きるまで、せめてともに生きてゆこう。

 さすがの真桜も映像データをコピーする絡繰までは作れない。

 俺が長い時間を生きていく中で、これらを残せなくなるのはとても悲しいけど……こればっかりは仕方のないことだろう。

 ともかくそうして会話は続いた。

 途中、祭さんが俺に一言文句を言いに訪れたりしたものの、丕が居ることに気づくと、大した愚痴もこぼさずに俺をいじり倒すだけに留め、去っていった。

 ……丕から冥琳に報告されるのを恐れたんだろうか。

 それ以前に勝負ごととはいえ、ちゃんと勝ったんだものなぁ。

 去る際、少し悔しそうにしていた理由は、そんなところだろう。

 

「しかしまあ、なんだ。邵がこぼすように、父の傍は居心地がいいな」

「そうか?」

 

 さて。いろいろと考えている俺の膝の上には、どういうわけか柄が居る。

 つい先ほど届けられた警備隊の報告書に目を通す傍ら、“ちょっと失礼して”なんて言いつつ登ってきたのだ。

 その際、丕がなんかもうすっごい顔になったんだが、喩えられる言葉が見つからない。

 えーと……いや、ほんとなんと言っていいのか。ともかく凄い顔になって固まった。

 口をぱくぱくさせて柄を指差して、何かを叫ぼうとして踏みとどまって、思案して、俺と柄を何度も見比べて……胸の前で指をこねこね。これが現在の状況である。

 

「んむ? おー、おーおーおー、なぁ父よ」

「ん? どしたー?」

「次は丕ぃ姉が膝に乗りたいと」

「ひぃぅっ!? い、言ってないわよ! だだだ誰がそんなっ!」

「……違うそうだが」

 

 言っておいて、ハッとして口を押さえている丕だが。え? 言ってないんだよな?

 

「む? おかしいな。私の目も衰えたか」

「その歳で衰えたとか言わない。なぁ丕? …………丕?」

 

 ちらりと、さっきまで指をこねこね、顔を赤くしていた丕に視線をやってみれば……なにやら頭を抱えて落ち込んでいる丕さん。

 ……この僅かな時間にいったいなにがあった。

 

「丕ぃ姉はいろいろと苦労しそうだな。もっと素直になれば良いものを」

「……私はその時の感情に立派に素直よ……。素直な結果で後悔しているのだから、悔いはあっても文句は口にしないのよ……!」

「……おお、なるほど。誤魔化すのも確かにその時の素直な反応と言えるのか。丕ぃ姉はいろいろな意味で博識で墓穴堀りだなぁ」

「ほうっておきなさいっ!」

 

 姉妹の会話の意味が微妙に解らず、首を傾げているうちに丕は勉強にとりかかった。……勉強だよな? 隣の円卓で一人、書物に目を通しているわけだし。

 

「丕はどんな本を読んでるんだ?」

 

 ちょっと気になったので訊いてみる。

 と、丁度開いていた部分を見せてくれた。

 てっきりびっしりと文字が書いてあるかと思われたそこには、絵と文字。つまり絵本だった。

 

「絵本か。丕ぃ姉でもそういうのを見るんだな」

「う……その。さ、様々を興じてこそ…………うぅ」

「思いついたことを素直に言うのは、素直っていうのか、丕ぃ姉」

 

 見せてくれたのは絵本。

 それは確かだが、懐かしさを覚える絵本だった。

 結構前、まだ俺が盛大に嫌われていた頃に、俺が丕に一緒に読まないかと言った絵本だ。

 

「懐かしいなぁそれ。なんだかんだで読んでてくれたのか?」

「…………い、いえ。これが、初めてです」

「あれ? そうなのか?」

 

 一緒に読まないかとは言った。ええ、もちろん断られましたさ。

 しかも俺が絵本を奨めたってだけで、丕は絵本から遠ざかりました。

 当時はもうショックでショックで……。けれどもそんな丕が絵本を……!

 

「絵本か。私も絵本は随分と読んだなぁ。というか、戦術書とかは読んでいると眠たくなってくる。絵本のようにわかり易いのがいいな、うん」

「お前はもうちょっと勉強しような……」

 

 苦笑をひとつ、ミニ黒板を柄の前に置いて、そこに軽い問題を書いてみせる。

 で、それを解いてみろ~と言ってみれば、

 

「はっはっは、任せろ父よ! 勉強は好まんが頭が悪いわけではないぞ! 姉妹の中で私だけがたわけであるなどとは思われたくないからな!」

 

 祭さんのように腰に手を当ててからからと笑ったのち、すらすらと解いてみせる。

 おお……さすが祭さんの娘……って、この言い方は比較の第一歩だからやめような。

 登や述はこれをされるととんでもなく落ち込む。

 褒めるのなら解いてみせた本人を褒めるべきだ。

 

「どうだ? 合っているだろう父。私はこれでも文武両道というものを目指しているのだ。丕ぃ姉に敵う気はしないが、いつか追いついて背中を預けられるほどの猛者になるのだ。格好いいだろう?」

「……星に、そんな状況を静かに、けれど熱く語られたりした?」

「何故わかった!?」

「いや……うん。人の言葉に乗せられやすいのは、もう仕方ないのかもしれないなぁ……」

 

 俺もそんな感じだから。

 と、賑やかにしつつも一問解かせては一問を出す。

 無駄話をしながらなら案外勉強も好きなようで、出す問いにもきちんと答えていった。

 ……なるほど、あの堅苦しい“勉強のみをしなければいけない空気”が嫌いなのか。

 言っちゃなんだけど、祭さんの娘らしい。

 …………はぁ。俺もすぐに親と比べる癖は直しておかないとな。

 口にしないからって、態度でわかることだって当然ある。

 なにより宅の娘たちは鋭すぎるから。

 

「~……父さまっ」

「ホ? どうした? 丕」

 

 考え事をしながら一問一答を繰り返す俺と柄を見て、丕がシュバッと挙手をする。

 左手で胸に絵本を抱き、右手でシュバッと。うむ元気だ。元気だけど最近顔が赤い日が多い気がする。

 やっぱり華琳のように頭痛持ちとかの遺伝で、微熱持ちとか……?

 

「い、いぃいいっ……い、いつかの約束通り、絵本を読んでくださいっ!」

 

 ……心配を余所に、言われた言葉は絵本に関してのこと。

 ハテ、約束? いつかの約束とは……。

 

「えーとだな、丕。あれは一応約束に入るのか?」

 

 あの時の会話を思い出してみる。

 丕に“一緒に絵本を読まないか”と訊ねて、丕が“ええいつかね。いつか”と言って去っていった。

 ───完。

 思い出しつつ訊ねてみれば、丕自身も無理があると思っているのか、不安そうな顔で俺を見上げるばかり。椅子にちょこんと座りつつ挙手していた手もいつしか本を抱いて、まあなんというか……純粋に絵本をおねだりする子供に見えて、なんだか妙に安心してしまった自分が居た。

 能力がズバ抜けた子供を前にすると、子供らしい一面があることにいちいち安堵してしまう俺は、やっぱりまだ天での癖みたいなのが残っているのだろうか。

 能力が高い子供を持つと、親って苦労するもんなぁ…………自覚とともにお届けする言葉がこんなに重いなんてことは、いろいろな方面で知っているつもりだ。これでもこの世界でいろいろと苦労しておりますから。

 しかしまあ。

 絵本を読んでほしいと乞われて断る理由なぞ、今の俺には無いわけで。

 当時にこんな風にお願いされていたら、それこそ断る理由なんて皆無だったろうに。

 

「よし、じゃあ一緒に読むか」

「ぁ……! はいっ!」

 

 で、OKしてみればこの笑顔だ。

 こんな笑顔が待っているかもしれないと想像した上で断るなんて、俺には無理だな。

 

「お? では丕ぃ姉はここに来るといい。父の膝の上は心地良いぞ~?」

「! ……こ、こほんっ。え、ええ、それは、一緒に読むのだから、とと当然……当然…………~……!」

「丕ぃ姉、俯いても顔が緩んでるのが丸わかりだぞ。妹の前だからって完璧であろうとするの、疲れはしないか? なんというか私はもう、丕ぃ姉がいろいろと失敗する姿は見ているから、気にせず父に甘えていいのだぞ?」

「なぁっ!? あ、あああああなた、いつから……!?」

「いや……いつからもなにも、父と仲直りしてから今日までだけで、十分すぎる気がするのだが……」

「───! はぅうっ……!」

「むしろ自分が案外抜けていると気づいていないのは、丕ぃ姉だけじゃないか?」

「……! ……!!」

 

 妹の言葉に突き刺さるものがあったのか、頭を抱える我が娘。

 拍子に胸に抱いていた絵本が落ちて、床に落ちる前に取ろうとしたのか……物凄い勢いで机に頭をぶつけて悶絶した。

 どごぉん、って凄い音が鳴った。

 痛いな……あれは痛い。「きゆぅぃいいいいゅぅぅぅぅぅ……っ!!」って、声にならない声が絞り出されてるし。

 

「なんだろうなぁ父よ……私は丕ぃ姉が文武両道でありながらも、妙に人間くさいところに安心するのだが……」

「ああ、それは俺も同じだ……」

 

 頭を押さえて痛がる娘を前に、ほっこりしながら言う言葉では断じてないだろう。

 しかし、まるで喧嘩でもしているかのように構うことも出来なかった頃を思うと、柄の言う通りなんというかこう……安心するのだ。

 自立を自覚しているからこそビシッとしている人、居るよね。けどそういう人って、ひとつでも寄りかかれる場所を見つけると、一気に気が抜けるらしい。それこそ自覚は無いそうで、心が自然と甘えてしまうんだそうだ。

 だからやったこともない甘えや愚痴を拠り所にぶつけてしまい……その拠り所が人であった場合、ぶつけ方にもよるのだろうけど多くの場合が破局……って、何を考えてる俺。破局とか…………あれ? この場合、ぶつけられてるのってもしかして俺?

 

「………」

 

 ア、アレー……? 普通は男がぎゃーぎゃーと愚痴こぼして、ってドラマ的な展開を想像するだろうに、自分がぶつけられている光景しか浮かんでこないヤー。

 そっかー。俺、この世界でドラマを作るとしたら女性側の立ち位置だったのかー。

 

「父?」

「あ、いや」

 

 ここで私が母ですよとか言って抱き締めたらどうなるのだろう。

 そんな馬鹿なおふざけが浮かんだものの、おふざけとして取られなかったら大惨事になるのでやめておいた。

 そういったヘンテコ思考を展開していると、柄がぴょいと俺の膝の上から降りて、痛がる丕をがしぃと捕獲。驚く丕をそのまま持ち上げて、俺の膝の上によいせと押し付けてきた。

 

「ぴぃっ!?」

 

 ……瞬間、痛みすら忘れたのか、コキーンと固まる丕。

 

「………」

 

 ええと。とりあえずそのー……押さえていたところに手を当てて、氣でもって癒してゆく。もはや当然みたいになったけど、不思議なもので。俺が氣なんてものを使えること、人を癒せること……努力の結晶ではあるけど、それも"御遣いだからこそ”だと思ってる。

 きっと天に戻ればこんな力も無くなるのだろう。

 それどころか、いろいろな人とお別れすることになって………………

 

「…………」

「ん? どうした、父」

 

 ふと感じた寂しさに、固まっている丕と、手招きすることで寄ってきた柄……を、抱き締めた。「ほゃぁあぃぇあひゃわぁあっ!?」……何故か片方がとんでもない声を出したが、どちらかは言わないで置こう。

 

「お、おぉお……? どうしたんだ父。私は別に褒められるようなことをした覚えはないが」

「褒めるって……あのなぁ、ご褒美なら抱き締める以外にもなにかあるだろ。お前は父さんをなんだと思ってるんだ」

「……ふむ、そういうものなのか? 丕ぃ姉を見ていると、そうは思えないんだ」

 

 ど……どちらかとは言わないが、片方が顔を真っ赤にして目を潤ませて、ふるふると震えていた。もしかして泣く寸前なのだろうか。

 さらにもしかしてを唱えるなら、仲直りはしたものの、俺なんぞに抱き締められるのは冗談ではないと思っていたとか───!?

 

「っ───あ、ああー! 急に抱き締めたりして悪かった! そりゃびっくりするよな! うん! ほ、ほら丕もっ、もう痛みは無くなったと思うから、そろそろ絵本読もうかー!」

 

 嫌われるのは怖い。

 またあの日々のように無視されたり突き放されたりを娘にされるのは、今の俺には相当なダメージだ。

 なので慌てて、抱き締めていた柄や丕をすとんと床に下ろすのだが───

 

「……父はあれだな。乙女心がわかってないと、よく言われるだろう」

「なんでわかった!?」

 

 娘にまで乙女心云々を唱えられる俺が居た。

 そこまでわかっておりませんか、俺……。

 

「ほら丕ぃ姉、絵本、読むのだろう?」

「……なんというか、あなた。随分と砕けたわね」

「王の娘だとか将の娘だとか、本来なら気にしなければならんことなのだろうがなぁ……丕ぃ姉や父、母を見ていると、なんというかもったいない気がする。私はもっと、父が話す“天の家族”みたいな関係でいたい。母は母、姉妹は姉妹で、もっと楽しくだ。堅苦しい肩書きよりも、家族を大事にしたいと思う」

「……、……そう。そうね。それは、とても眩しいことだわ」

 

 以前の私では、決して、考えることさえなかったことね。

 そう言って、丕は寂しそうに笑った。

 が、だ。

 どれだけそうであろうとしようが、国というものはそういう馴れ合いを良く見ようとはしないものだ。

 王の娘に気安く接するな~なんて、誰かが言いそうな言葉だろう。

 歪んでいる部分もあるだろけど、そういった関係もあるからこそ、今の状況があるといってもいいのだから。

 たとえば春蘭や秋蘭が華琳相手にタメ口を利くようだったら。華琳の言うことをてんで聞かなかったら。

 それを考えてしまえば、こういう関係は“良くも悪くも”といった無難な位置に落ち着いてしまう。

 じゃあどうすればいいのか。考えながらも、躊躇している丕を抱き上げて膝の上へ招く。とすんと座らせれば、あとは机に向かって座り直すだけだ。

 抱き上げた瞬間にコキーンと固まってしまった丕が、なんだか本当に動かなくなってしまったんだが……いろいろと考えることがあるのだろう。だ、大丈夫。抱き締めなければ嫌われないさ、きっと。

 俺の膝へ座ることへのあれほどのまでの驚愕が、嫌悪からきていなければきっと……!

 

「べつに父さんは、二人が姉妹らしくあったって何も言わないぞ? むしろ嬉しい。だからな、丕、柄。俺の部屋に来た時くらい、姉妹でいなさい。外に出れば王の娘と将の娘。そんな関係だっていい。成長すれば、周囲はもっと厳しくなるだろうからさ」

「父……それはやはり、母が言う“策さまや権さま、尚香さまには失礼のないように”というあれなのだな?」

「そゆこと。母と近しい者だからって、気安くしていい時代じゃない。や、天でもそこはきちっとしてた方がいいけど」

 

 堅苦しいよりは仲良く居たい。

 そう思うのは、どの世界でも一緒だろう。気安すぎるのもアレだけど。

 俺としては、おやじの店みたいな気安さが心地良い。

 御遣いとか民だとかじゃなくて、一人の男として、親として話せる場……最高です。

 

「なんというか……父は、父だなぁ。うん、是非そのままの父で居てほしい」

「そのままって。どういう意味でだ?」

「はっはっは、そうやって訊き返してくるくらいの父が丁度良いという意味でだ。あと、もっと姉妹が欲しい」

「オイ」

 

 さっき種馬がどうとか言ってたじゃないか。

 ズビシとツッコんでみると、それはそれ、これはこれと笑われた。

 

「私はもっと、気安く“家族”で居られる先を目指したい。堅苦しいのは好きではないのだ。そうすれば、街中でも堂々と父に飛びつき甘える丕ぃ姉が見られるだろう。というか、平気か丕ぃ姉。さっきから黙りっぱなしだが」

「べっ!? …………べっ……べつにっ、どうも……しないわよ? こほん。えぇえ……え、絵本に……集中していただけなの、だから」

「……その割には、一頁目からてんで進んでいないんだが?」

「あっ……! ~……あたっ、当たり前、じゃない。絵本に集中していたのだから」

「………」

「………」

「絵に集中していたのか?」

「お願いだからそっとしておいて頂戴!!」

 

 なんだかいろいろあるらしい。

 もはや懇願とさえ思える丕の叫びには、いったいどういった意味が含まれていたのか。

 苦笑どころかやがて普通に笑い始めた柄は、実に楽しそうだった。

 

「はっはっは、家族というものはいいな。やはり私は気安いものがいい」

「柄はそういうところ、祭さんじゃなくて星に似てる気がするよ」

「おや、そうか? ……しかし、こういった場合、あの方の場合は“そうですかな?”と返すな」

「言っても敬語、やめてくれないしね」

 

 メンマの友なら普通に話してくれって言っても聞きやしない。

 偉大なるメンマ神がどうたら~って熱く語られて、結局は敬語だ。

 

「で、今さらだけど……膝を降りて、柄はどうするんだ?」

「ふっふっふ……忘れたか父よ! 時も良き頃合! ほんわり干された父の布団で、思う様眠るのだ!」

「あ、悪いけどそれ、もうちょっと干しておいてくれ」

「え、なっ……そ、その方がいいのか? むう……ならば仕方無い……」

 

 時々無茶だけど、結構素直な子です。

 冗談だと言いつつ丕を促して立ち上がり、一緒に布団の回収に移る。

 柄は「父はいじわるだ! いじわるだー!」と言いつつも、程よく太陽の熱を吸収した布団を抱えると、ほやー……とまったり顔に。

 丕はおそるおそる掛け布団を持ち上げると、ちらりとこちらを見上げてから……パスッ、と布団に顔を押し付けた。

 …………そして、少ししてから顔をあげると、なんだかとても悲しそうな顔で溜め息を吐いていた。やっぱり陽の香り、嫌いなんじゃなかろうか。

 そんな些細な団欒を経つつも、少し賑やかな時間はまったりと過ぎていった。



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135:IF2/然を守る人々①

188/然を守る=当然としてそこにあるものを守る。

 

 さて……そんなこんなで夜である。

 昼は買い食いで済ませるー、と事前に言っておいたから普通に終わったが、夜は……

 

「さ、兄様、召し上がれっ」

 

 流琉が腕を振るった……多分薬膳料理的ななにかが、我が部屋の卓に並べられていた。

 みんなの分は? と訊ねてみれば、皆様のは厨房にありますとのこと。

 え? 俺だけここで、しかもこの量を食べるの?

 問うてみたけど、「必要なことなんです」と困った顔で言われた。

 ……やっぱり何かが動き始めているのだろうか。

 また誰かが何かを企んだとか。面白い側の企み事なら、雪蓮あたりがやりそうだ。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 でもだ。どんな事情があるにせよ、鳴る腹には勝てません。

 良い香りにあっさりと散った意志を余所に、手を合わせて食事を開始する。

 ちなみに丕も柄も、流琉の前に来た詠と月に促されるまま、厨房に向かっている。

 “ああ、あんたはここで良いのよ”と言われた俺だけがここに残って……この量でございます。

 しかしながら、不思議と食えるのだ。

 消化器官が活性化でもされているんだろうか……薬膳料理とかの“奥深き”には、まだまだ理解には到りそうにない。“危うき”には近寄らずが常識だが、“奥深き”は積極的に探求したいと思う。なにせ口内が幸せであるからして。

 俺が天に戻ってから学んだ料理なんて、既にみんなが知っているようなものばっかりだし。中国……ではなく、こういった古来の料理の効能に関しては、確実に流琉の方が詳しいだろう。

 で、いったいこの料理たちがどういった効果を現すのかといえば。

 

「………」

 

 俺の疲労回復のために作ってくれているらしいし、そのままに決まってるじゃないか。

 心配してくれてるんだから、なにを不安がることがありましょう。

 

「うん美味い」

 

 この料理は正解だった。

 塩加減も丁度いい……無茶続きだった体に、染みこむようなやさしい味付けだ。

 これのお陰なのか、風呂入ってリラックスした時みたいに、疲れがこう……ドロォ~って感じで抜けていく。力を抜いて湯船に浮くみたいに、こう……フワっというよりはドロって感じ。疲れている時はわかると思うんだが……あの感じは、ちょっと幸せ。

 しかし美味しいなこれ。なんて名前なんだろ。

 え? 名前は特に無い? 疲れにいい食材を、味が良くなるように調節して調理しただけ? ……つくづく思うけど、創作料理が出来る人ってすごいな。

 そんな会話をしながらの食事は続いて、やがては食べ終わる。

 ちょっと苦しいけど、吐きそうになるまではいかない心地良い満腹感に浸りつつ、笑顔で食器を下げて出て行った流琉や詠や月を見送って、はふぅと溜め息。

 

「体がカッカしてるな……」

 

 あの生姜っぽいのが効いたんだろうか。

 生姜……だよな? 体が芯から温められる気分だ。

 

「良薬口に苦しっていうけど、どうせなら美味しいのがいいっていうのは……贅沢だとしても願いたいもんだよなぁ」

 

 美味しいほうが絶対にいい。散々な辛さが治るというのなら、苦さだってきっと我慢は出来るとしても、出来るなら美味しいほうがいいだろう。

 自分の思い通りには行かない世の中……せめて対価を払って得るものくらい、自由でありたい。だからこそ多少わがままになろうが、独りで静かに豊かに食べたくなるんだろうなぁ。

 今の俺のわがままを言うとすれば…………鍋。昆布出汁の利いた、鍋。

 とても食べたいが、ソレはすでに多少のわがままではなくなってしまっている。

 国どころか海を跨いだ先の味を求める意志は、もはやそれこそ天の意志をも左右しなければ得られないほどの我が儘にございます。

 

「しゅぅ……すぅう……」

 

 まあそんなことはソレとしてだ。

 立ち上がって、部屋の中心までを歩くと、そこで軽い運動。

 呼吸法とともに動かすのは内臓。

 消化を助ける運動ってやつだ。

 ただでさえ熱くなってきた体には、少しの運動でも発汗が促されて、その汗も結構な量だ。そういえば……水分が多い料理ばっかりだったよな。

 こういうことまで考えて作られてるんだろうなぁ……ほんと、料理人ってすごい。

 料理人もだけど、レシピを考える人、効能を考える人もか。

 つまりそれらをきっちりこなす流琉がスゴイ。

 

「ん……ほっ、よっ……っと」

 

 内臓を動かすとはいっても激しい運動ではなく、ゆったりとしたもの。

 主に上半身を傾けたり、腕を高い位置に広げたり伸ばしたりをして内蔵を揺らすイメージ。

 水分ばかりの場合は胃酸が薄まるっていうし、気長に。

 

「馳走である!」

 

 で、そんな気長なゆったり運動のさなか、どばーんと扉を開けて参上したのは……柄だった。とりあえず夜ということもありノックも無しだったので、静かになさいとばかりにデコピン。ディシィッ、といい音が鳴った。

 

「いたっ! ……す、すまん父よ。なんだか料理がとても美味しかったので、気分が高揚していたのだ」

「まあ、確かに美味しかったよな。で……どうかしたか? ん……特にここに戻ってくるような用事は~……無かったと思うんだけどな」

「遊びに来た!」

「遊戯室で遊びなさい」

「一人ではなにも出来んではないか! さあ父! 遊ぼう! 遊びでなら勝てるやもと母を誘ったのだが、典韋殿に料理について相談をされていてな……」

「自分に正直だなぁ柄は」

 

 言いたいことをズケズケ言うタイプなのか、特に意識していないだけなのか。

 ……こんな性格だからこそ、祭さんも遠慮無しにゲンコツとかをかますのか。

 

「述か邵を誘えばよかったんじゃないか? 丕や登や延はやりそうにないけど、邵や……今の述なら喜んでノってくるだろ」

「述姉ぇはなぁ……まさかあんなにも遊びが上手いとは思わなんだよなぁ……。うむ、まるで歯が立たんから誘わなかった。邵は禅と話があるそうで、こっちもダメだ」

「話?」

「父の生態についてらしいぞ。よくわからんが」

「あの。なんで俺、娘に研究されてるんですか?」

「私が知るものか!」

「俺だって知らんわ!」

 

 無意味に声を荒げて、のちにニカッと笑う。言葉遊びの延長だ。

 笑ったあとは、俺の軽い運動を柄が真似し始めて、なんとも奇妙な空間が生まれる。

 いつか蓮華とやった、太極拳もどきみたいな感じ。

 ……や、さすがに室内でかめはめ波は出さないぞ?

 

「父? この動きに意味はあるのか? なんだか随分と眠たくなる運動だが……」

「ん? んー……よし。じゃあ柄、体を動かすのを、全部氣でやってみろ」

「ぜっ!? ……全部をか。むう、そう言われると、途端に眠たくなどならない恐ろしい鍛錬のように思えてきた……!」

 

 言いつつもしっかり行動に移る柄さん。素直だ。

 ちょっと失礼して氣を繋いでみれば、なるほど、本当にすぐに氣での行動に移ったようだ。

 ゆっっっっくりとした動きを、氣のみで再現するのは本当に難しい。

 なにせ疲れるくらいの集中が必要であり、常に“動かすこと”をイメージしなければいけないのだ。拳を振るうために、拳を突き出すイメージを弾かせて終わらせる、なんて単純なことだけじゃ終わらない。

 拳を突き出す際、突き出して戻す、もしくは突き出すってイメージ以外は特に働かせないものだ。けど、まあその。人間でございますもの、ゆっくりと動いてみればわかるけど、いろいろと別の思考が働くわけだ。

 そして“氣のみ”で動かす場合、集中というものはとても大事なわけでして。

 雑念が入りすぎると震える。滅茶苦茶震える。結果として片足だけで立つとかも無駄に難しいし、バランスを取るのは……疲れる。それを地道に体に覚えさせるわけだ。それこそ8年近くをたっぷりかけて。継続は力なり。何より難しいのは、ともかく“続けること”だと思うのです。

 簡単だろとか思うことなかれ……日々を“……上達してるのか? これ……”とか思いながら続けるんだ。早く強くなりたいのに、実感の沸かないことをずぅっと。ええ、そりゃあもう気が滅入ります。

 俺みたいに“筋力が増やしようがない”ってわかってるならそれも出来るだろう。そう、“まだ”、出来るほうだ。

 しかしながら、そういったわけでもない、筋力や氣以外にも伸ばせるなにかを持つ人がそれを続けるとなると……とてもとても。

 

「ぬっ、くっ……お、おおっ……!? これは、また……! むずっ、むずかっ……!」

 

 体を氣だけで動かす鍛錬は、子供たちは既に経験済みだ。

 実際、それで城壁の上を走る鍛錬【子供向け編】は十分にやったと、丕も言っていた。

 走るのなら結構慣れ易い。おかしな話、走るより歩く方が難しかったりするのだ。

 俺は歩くことから初めて随分と混乱したものの、歩くのが楽になると……走る方も応用でなんとかなったのだ。慣れはもちろん必要だったが、歩くことに比べたら楽だった。あくまで、比べれば。

 慣れたものだと、フンスと鼻息も荒く得意げな顔で始めた柄は、早くも表情に焦りを浮かばせていた。

 片足で立ってみるも、筋力ではなく氣で足を持ち上げるのと、体勢を保つのとで大忙しだ。バランスを取ろうと咄嗟に広げる両手も、ハッとして氣で動かそうとして……失敗。見事にステーンと転んだ。

 慌てて起き上がるかと思えばそうでもなく、むすっとした顔をしつつも胡坐をかき、俺を見上げながら「……父。これは大人向けの鍛錬なのか?」と訊ねてきた。

 

「ん、そうだな」

「これを続ければ母のようになれるだろうか」

「祭さんのようにっていうのはちょっと難しいな。そもそもお前、大剣使いだろ」

「武器にこだわるのはやめたのだ。経験を積んで、自分に合ったものを探すつもりだ。巡り巡ってそれが大剣だろうが構わんのだ。私はより高みを目指したい。目指した上で、今のこんな、なんでもないような家族の在り方を守りたいと思っている」

「………」

 

 言われてみて考えた。

 家族を守る……それって親だけの勤めだろうか。

 親がどれだけ頑張ろうが、子が離れれば家族は壊れることなんて、俺はもうとっくに経験した。

 けど今、その離れていた筈の子が、家族を守りたいと言ってくれている。

 ……嬉しかった。

 と同時に、だからって娘に任せっきりにするわけがないでしょーが、なんて思いも湧きあがる。

 

「柄は、今の天下を好きでいてくれるか?」

「乱世を味わったことのない私でも、人が死ぬのは嫌だということくらいは知っている。親しい人が急に居なくなり、二度と話せないというのは嫌だ。それがもし母や父であったなら、家族であったならと考えるだけで胸が苦しい。だから……私は平和が好きだ。こんな日々が、ずっと続けばいいと本気で思っているぞ」

「……そか」

 

 立ち上がって胸を張る娘の頭を、なんとも言えない気持ちでわしゃわしゃ撫でる。

 わぷぷと多少の抵抗に出るが、少しすると胸を張り直して撫でられるがままになった。

 いわく、「誇れることを言って褒められているのに、それに抵抗するのは嘘だ」だそうだ。

 

「なぁ父。父は天に家族が居るのだよな?」

「ああ、居るな」

「……気軽に帰れる場所ではないのだよな?」

「そだな。帰るとなると、周りのみんなが寿命で死んでしまう頃くらいになる」

「そ、そんなになのか。……家族と離れ離れで、寂しくないのか?」

「寂しい? んん……」

 

 考えてみる。もう何度も考えたことだけど、娘に訊ねられて応え(答え)るのは、少し考え方の元が違うように感じたから。

 そもそも寂しいもなにも、自分が望んで帰ってきたこの世界。

 会いたいなと思うことはそりゃあある。

 じいちゃんとの鍛錬メニューもまだ残っているし、及川との約束もあった。

 学校だってあったし、あっちでしか出来ないこともまだまだ……。

 だけどさ。考える度、思う度……“でもさ”って笑えるんだ。

 望んでこの世界にもう一度降り立って、他の誰でもない自分が歩んだ外史をもう一度歩めて。大事な人が居る世界で大事な人がたくさん出来て。

 そんな今までを振り返ってみて、いざ“寂しいか?”なんて問われてもさ。

 

「会いたい気持ちは、そりゃああるんだけどなぁ」

「お、おお? なんだか今日の父はやけに頭を撫でるな」

「生憎、寂しいなんて思うよりも、大事にしたいものの方が増えたよ。だから寂しくない。会いたいって思うだけで、いつかは会えるさって考えを持てるだけで、心の中がもう決着をつけちゃってるんだよ」

「それでいい、って感じでか……?」

「寂しく思う暇なんてないってことだよ。それだけ満たされてるんだ、これ以上は贅沢だ」

 

 なにせこれ以下を存分に味わったからな! 娘達に嫌われまくることで!

 あの日々に比べればこの程度……!

 あぁ、でもじいちゃんには会いたいんだよなぁ。

 言われても訳がわからず受け取れなかったことも、今ならわかる気がするのだ。

 あと及川。

 人のバッグにいろいろとアレなものを仕込んでくれたアイツに、一言いろいろな意味でのお礼をしたい。

 もちろんあの、この世界に帰ってきたばかりの頃の、オーバーマン的な恨みも忘れていない。一発殴ろう、うん。

 

「わからないぞ、父。私は家族と一緒に居るのが好きだから、父の言う贅沢は、贅沢とは思えない」

「生きてりゃ見えてくるものもあるってことだよ。今見えないからってあまり焦らないこと。……って、これは祭さんからの受け売りだけどね」

 

 ……育ててくれた家族よりも優先させたい人たちや世界がある。

 そんな世界へ戻りたくて、一年間、自分を苛め抜けるほどに帰りたい場所があった。

 家族は大事だ。

 でも、戻りたい場所はどこかを考えてみれば、結局は───

 

「柄は、俺に帰ってほしいのか?」

「!? ち、違うぞ!? そんな意味で言ったんじゃない! 家族と一緒がいいって言ったじゃないか! 一人でも欠けるのは嫌だ!」

「っと……!?」

 

 意地悪くも訊ねてみた言葉に、柄は予想以上の反応を見せた。

 なんというか……もう今さらな気もするのに、きちんと“家族”って枠に入れていることが嬉しい。

 蹴られてばかりだった日々が、もう遠い日のようだ。

 

「いや、ごめんな。俺もそういう意味で言ったんじゃないんだ。俺も家族と一緒がいい」

 

 いいんだけどさ、と続けて、柄の頭を撫でた。

 

「困ったことに、どっちにも家族が居るから、柄が言うような贅沢じゃないっていう考えは、どうにも持てないんだ。こうなると、俺の本当の贅沢っていうのは……どっちの家族も同じ場所に居るって状況なんだと思うし」

「む……確かに、それは贅沢かもしれない。そうであれば嬉しいが、そうなってはくれないのだよな、父」

「そうなんだよなぁ……。───……ところで柄。お前はどうして、一言一言で俺を呼ぶんだ? べつに今は俺と柄しか居ないんだし、父父と呼ぶ必要はないんだぞ?」

「はっはっは、何を言うかと思えば父よ。子龍様とて主よ主よと仰っておるではありませぬか」

「やっぱり星の影響か……」

 

 納得しながらも考えるのは、置いてきた家族のこと。

 いくら向こうの時間が経たないとはいえ、何も言わずにこちらへ来てしまったことへの罪悪感など、もういつの間にか軽くなってしまっている。

 そんな自分に呆れながら、もうやめてしまっていた運動を再開することもせず、寝台に座った。

 

「………」

 

 どっちの家族を、なんて……優先順位なんてものを作ってしまったことに、後悔がないといえばきっと嘘で。

 もう散々と悩んだそれのことを、吹っ切ったというよりは忙しさにかまけて忘れようとしていたというところもあった。

 今もう一度振り返って、あからさまに話題を逸らしてみて、まだ家族の顔や声を思い出せるくらいには、薄情ではないらしい。

 いつか帰ることが出来たら。

 その時は、この世界で過ごした分、出来なかった家族孝行でも……したいな、なんて思っている。今はそれだけで十分だ。

 今この世界に居るのなら、居ることが出来る時間だけ、この国に返してゆこう。

 三国を歩いた分、都というものが出来た分、余計に三国との繋がりが出来た分、返したい想いが次から次へと溢れてくるけど、きっと……華琳に望まれたこの世界での役目が終わる頃には、返せていると思うから。

 

(返せてなかったら、どんな想いで帰ることになるんだろうか……)

 

 その時になってみなければわからない。未経験のものの大半はそんなものだろうが、どうか辛さに潰れてしまうほどの状況で帰ることがないよう願いたい。

 

「柄、出来ることをたくさんやろう。まず手始めに、今やりたいことを言ってみてくれ」

「え、お、えおおっ!? どどどうしたんだ父よっ、子龍様の話から何故そんなことに!?」

「使命感に目覚めたんだ。真実と使命感を求める44の鉄連盟選手のように」

「訳がわからんのだが!?」

 

 今なら氣を用いて44ソニック・オン・ファイヤーとか投げられそうだ。ボールが燃えつきそうだけど。

 バッと寝台から立ち上がり、驚いている柄へと畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

 家族を思い出すたびに心が沈む、なんてことがないように。

 

「さあ柄! やりたいことはなんだ!? 父は全力でそれに応えよう!」

「お、おお……なにやら父がやる気に……! よくはわからんがこんなことは滅多に無いと受け取ろう! というわけで母と戦ってみてくれ!」

「嫌です」

「即答!?」

 

 いや……いやいや。何を言うてはりますの、アータ。

 

「柄……俺はお前のやりたいことを聞きたいんだ。やってほしいことじゃなくて……こう……な? わかるだろ?」

「普通に“母とは戦いたくない”と聞こえるのだが……」

「うん戦いたくない」

 

 強くはなりたいけど戦いたいかって訊かれれば、それは当然NOでございます。

 力があるから戦うのではない……戦いたいから戦うで十分だ。もう8年前にも確認した事実だし。……そして俺は戦いたくない。

 そもそも俺が得た武は守るための武。自慢するための武じゃあないし、急に喧嘩をふっかけるためにあるような武でもない。

 だから戦わない。……べ、べつに負けるのが怖いわけじゃないよ? 負けるのはもう、俺がまだまだ未熟だからって意味では当然として受け取れるから、怖いわけじゃあない。

 ただ本当に、力があるから誰かと戦うというのは違うのだ。

 だからと、腰を再び寝台に落ち着けて、じっくりと話すポーズを。



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135:IF2/然を守る人々②

 

「我が子よ……よくお聞きなさい。これからあなたに話すことは、とても大切なこと。私たちが、ここから始める……親から子へと、絶え間なく伝えてゆく……長い長い……旅のお話なのですよ」

「いったいなにを話すつもりだ父! 真顔にしようとするのと笑いをこらえるのとで、表情がおかしなものになっているぞ!?」

 

 真面目なことを伝えるつもりでも、堅苦しいのは似合わない。

 述といろいろ話し合って、肩の力を抜いていこうって決めたのだ。

 だから、重くならない程度に伝える。

 自分の武は守るためのものだし、無闇に人に挑んだりするためのものではないと。

 打倒愛紗はあくまでも目標だ。

 鍛錬中なら立ち合いを挑むこともあるけど、それは鍛錬の延長だからだ。

 などなど、自分が立っている状況に冗談を混ぜつつ、のんびりと話していった。

 

「………」

 

 柄は黙って聞いていた。

 途中、寝台に座る俺の足の間へと座って、続く言葉を待っていた。

 そんな柄の頭を撫でながらも話は進んで……なるほど、と頷いたのち、柄は言う。

 

「うん、わかった。なんというか、父はやはり父だった。私が期待していた通りの偉大な父だ。おかしなところで面白い父でもあって、それはとても素晴らしいことだ」

「むしろ俺は、お前が俺にどんな父を求めていたのかが不安になったよ」

 

 散々と情けない部分を見せてもまだ、期待通りと言いますか。

 宅の娘の精神は意外とタフらしい。弱い父を見せても笑えるほどにタフです。

 その笑いが軽蔑とかではなくて、丕を喩えた時にも言ったような“人間らしさ”を認めた上で浮かべる笑みなのだから、本当に……子供っていうのは、親が思うよりも見ているものなんだなって思った。

 

「なんというか……はは。子供に教えられることって、本当にいっぱいあるんだなぁ」

「何を言うんだ父。父とて童心は大事にといつも言っているではないか。子から学ぶことがあるのなら、童心を大事にしている父が日々から学ぶことばかりなのは当然だろう」

「………」

 

 言葉ののち、俺の胸に背を預けながらも俺を見上げる顔が、“どーだ”って顔になる。

 言い負かしてやったぞー、とでも言いたいのだろう。

 ニィッと持ち上げた口角、その口の隙間から見えた軽く食い縛った歯が、なんというか性格を現していて面白かった。

 でもちょっと悔しかったので、その頬を軽く引っ張ったり戻したりして遊んだ。

 「なにをするー!」などという声も右から左へ。

 腕を掴まれて抵抗されるも、そんな抵抗を……抵抗に……て、ていこっ……ぬ、ぬおお……!

 あれぇ!? なんかもう普通の腕力じゃどっこいどっこいくらいなんですが!? いやむしろ負けてそう!?

 ならばと軽く氣を行使して抗い、少し焦ったじゃれ合いを続けた。

 

「なぁ父~」

「んー? どうしたー、柄~」

 

 しばらくして、柄が強引に俺の腕を自分胸の前でクロスさせ、押さえつける。

 笑っている彼女はそれはもう楽しそうに、しかし気安い感じで俺を見上げながら言った。

 

「今度これを丕ぃ姉にやってみてくれ。きっと真っ赤になって固まるから」

「お前は姉を尊敬しているのかおもちゃにしているのか……」

 

 そして俺は、そんな娘の在り方に、軽く遠い目をするのでした。

 

「丕ぃ姉は、なんだかいつも気を張っていた気がするからな。家族に息が詰まる思いをさせるのは嫌なんだ。だから、その張り詰めたなにかを、とりあえず破裂させてやらないと……丕ぃ姉、いつかいろいろ諦めちゃいそうでさ」

「………」

 

 ぽろりとこぼれた言葉。

 その最後は、星などの影響を受けた言葉ではなくて、柄の言葉そのものだった。

 驚いて見下ろす柄の顔に、さっきまでの笑顔はない。

 ただ心配そうに、不安そうに俺を見上げる顔があるだけだ。

 ……だけ、なんだが。

 

「悲しそうな顔で破裂とか、考えることが物騒だなぁ」

「あの母にしてこの子あり、とかいうやつだな」

「自分で言わない」

「おお、ならば父が言ったことにして、母に報告でも」

「やめて!?」

 

 軽い騒ぎと、途端に溢れる笑顔。

 女ってコワイ。けど、まあ。

 あんな顔をずっとされるよりはいいって思えたから。

 

「父。私は父の、国に返すって言葉が好きだ。だから、私は私のやりたいことを言って、父に全力で応えてもらいたい」

「ん。そか。じゃあ、柄がしたいことってなんだ?」

 

 さっき言って、結局置いておかれたことを聞く。

 さあ、と軽く構えていると、柄はクロスさせていた俺の腕を離して、ととんっと立ち上がると向き直り、

 

「武と知、そして愛の溢れる国造りをしよう!」

 

 むんっと胸を張って、そう言った。

 

「今でも三国が手を取って都を支える、もしくは都が全体を支える状態のこの大陸に、もっと武と知と愛を広めたい! 大陸がどれだけ平和でも、過去には別のところに襲われた歴史もあるそうではないか! ならばそれらに負けない武と知をいつまでも磨き、それらを絶やさぬために愛を広げる! ……具体的には大陸に住まう者全てを父の家族にする勢いが欲しい」

「感動や衝撃が最後の一言でぶち壊されたんだが」

「この意志を皆に伝え切るには、王や将だけが家族では足りない気がするじゃないか。こう……なんというか。そもそも父は、私たちが適当な男と一緒になるのを嫌っているだろう? もし私が民の一人と一緒になりたいと言ったとして───」

「───」

「ひえいっ!? ちっ……父……!? 一瞬にして、空気が凍りついたのだが……?」

「いや、うん。わかってはいるんだけど」

 

 落ち着きなさい北郷一刀。

 もしもの話にまでいちいち反応しない。

 

「ええと、ともかく。民と一緒になりたいと言ったとして、今のように父は反対すると思う。だったらもう、民が願うなら、娘を父に嫁がせるとかそういう制度を」

「ワー……」

 

 なんちゅうこと言いはらすばいこんお子め。

 そして聞いた俺になんと言えと?

 

「そしてゆくゆくは大陸全土を制圧し、大陸という国の名を北郷に───!」

「落ち着きなさい娘さん」

 

 そこまでいくと流石に笑えません。いえ、ほんと、本気で。

 

「むうっ……何故だ? 将だって元々は民から登用された者だろう? 現在は学校での経験を経て、文官見習いとして蜀で働く者も居ると聞いたぞ?」

 

 その言葉で、呉で会った文官を思い出した。

 ああ、うん……憧れを口にされたら、いろいろ言えなくなったなぁ……。

 そんな理由で、いずれは娘達に好意を寄せる武官文官も現れるのだろう。

 …………あくまで、男が武か知で強くあれば。

 

「だからつまり、そういったことを続けていれば、いずれ全ての家系が繋がることになり、家系図のあらゆるところに父の名が記されることに───!」

「だから落ち着いて!? お願い!」

 

 大体待とう!? そもそもいくらああいった文官のような、俺に憧れるなんて特殊な例があったとして、俺と一緒になるかどうかなんてわからないだろ!

 そもそもそれらをみんなが認めるかどうか……!

 ……といったことを、焦りながら言ってみた。

 

「母は笑いながら了承すると思うぞ?」

「ウワァイ俺も素直にそう思っちゃったよちくしょぉおーっ!!」

 

 からから笑いながら、それでこそ男よとか言ってそう!

 でも待って!? 面白そうとかじゃなくて、こちらの愛というものも考えて!?

 

「えーと、柄? もしかしてだけど、俺のことを相手が女なら誰にでも手を伸ばす男だとか思ってない?」

「筍彧様著、北郷の生態にはそれが然と書いてあるが」

「捨てなさいそんな書物! ていうかなんでそんなの書いてるのあの軍師様!! もっと他に書き残すこととかあるだろ! こんなのもし1800年後まで残されたら俺恥ずかしさのあまり首吊る自信あるよ!?」

「1800……あ、そういえば丕ぃ姉が言っていたな。父は1800年後から降りた天の御遣いだと。こう、得意顔で」

「───」

 

 驚いた。

 あの夕暮れの日……丕が俺のことを避ける切っ掛けになった日のことを、覚えていたなんて。

 俺が丕に、1800年後のことを話したのなんて、あの日以外にはなかった筈だ。

 ……あの日のことを思えば、正直辛さばかりが前に出る。

 隠し事なんてしなければよかったと。

 もっときちんと話を聞いてやればよかったと。

 けれども今のこうした関係をやり直したいとも思わないあたり、世の中にはまだまだ……多少なりとも救いってものはあるのだろう。

 

「それは本当なのだろうか。私にはいまいちわからないが、本当なら面白い」

「信じるのか?」

「その方が面白いではないか。疑う理由こそ聞きたい。別に損をするわけでもあるまいに」

「なるほど、そりゃそうだ」

 

 みんながみんな、こんなふうに砕けた性格なら、こっちも即興昔話とかをしやすいのだが。

 あ……即興昔話といえば、最近は美羽もここに来なくなったよな。

 以前まではほぼ毎日、ここに寝に来ていたのに。

 やっぱりあれか。自分より年下の存在にしっかりした自分を見せたいとかか。

 ……結構ポカやっているところを見られても、そういう在り方って大事だよな。

 

「まあ、とりあえず本当だ。今から1800年ほど先の未来で俺は産まれた。いろいろ事情が重なって、こうして1800年前に降りたけど、俺がいろいろ知っているのはつまり、それが理由だ」

「おおー……つまりそのけーたいとかいうのも未来の絡繰なわけか! なるほど、曼成さまが真似できないわけだ!」

「カメラ作れれば十分だよもう……」

 

 真桜はあれ以上どこへ行くというのだろう。

 頼んでおいてなんだけど、まさかバイクもどきや飛行絡繰まで作れるとは思ってもみなかった。

 そうして軽く、知っている人物の超人的な技術に尊敬と呆れを混ぜたものを抱いていると、部屋に響くノック。

 

「北郷、儂じゃ」

「祭さん?」

 

 祭さんだった。

 どうぞと言うと入ってきた祭さんは、俺と柄を見ると「おう」と言って笑う。

 続く言葉は「予想通り、まだここにおったか」だった。

 

「母、どうかしたのか? もしや父を酒に誘いに!? だだだだめだぞ! あんなものを父に飲ませたら臭いではないか!」

「……まったく。いつになったらお前は酒を好くようになる……」

「はっはっは、私が酒を好きに? ありえませんな。はっはっは」

「北郷。嫌いなものを好きにさせる方法はないのか。お主の天の知識が輝く時じゃぞ」

「成長以外にそういうものは無いよ。もしくは少量ずつ飲ませて慣れさせるか」

「よぅし柄よ、今すぐ寝ろ。寝ている隙に少しずつ飲ませてくれよう」

「宣言されて誰が眠るものか!」

 

 当然の返答だった。

 祭さんもただからかっただけなのか、笑いながら「なんじゃつまらん」と呟いた。いや、笑ってますからね? 顔が思いっきり笑ってますから。

 

「まああれじゃ。用事というほどのものでもないがな、どうせこやつのことじゃ。北郷のところに入り浸り、お主の睡眠時間を削ろうとしているのではと思ってな」

「な、なにを言う母。私はそんなことはしないぞ。精々で父に即興昔話をしてもらい、ここで眠るだけだ」

「お前は話が終わるまで聞いているじゃろうが。わくわくして眠たくもならん話を続けて、いつ北郷が眠れる」

「………………私が眠気に耐えられなくなった時?」

「よぅしよくぞ言うたわ。これで遠慮なく連れていける」

「うわぁああーっ!! い、いやだ! 母と一緒は嫌だぁあーっ! 一緒に寝かせるならせめて眠る前の酒はやめてくれ母よぉおおーっ!!」

「だめじゃ」

「即答!? た、助けてくれ父! 寝るたび起きるたび、酒の匂いに迎えられるのは嫌なんだーっ!!」

 

 ちょ……柄さんっ!? ここで助けを求めるとかっ……!

 これじゃあ助けなきゃ本気で薄情者として認識されるじゃないか!

 

「あ、あのさっ、祭さ───」

「おう北郷。覇王さまから直々の伝達じゃ。徹夜の一切を禁ずる。さっさと寝なさい、だそうじゃぞ」

「ん───……ハイ」

「父ーっ!?」

 

 無理、無理なのだ娘よ……! 覇王には逆らえぬ……!

 むしろ祭さん、って呼び止めようとして、“さ”で止まって“ん”から始まり、次ぐ言葉が納得以外なかった父さんの悲しみも理解してくれ。

 

「柄……家族を愛するなら、家族の趣向も───」

「家族は好きだが酒は嫌いだ!」

「……お前は揺れんのぅ。誰に似たんじゃ、まったく」

「………」

「………」

「なんじゃ、二人して儂を見て」

 

 軽く半目、軽く口を尖らせた祭さんが、俺と柄を交互に睨んだ。

 いえまあ、頑固なところなんて祭さんに似たんじゃないのかなぁ。

 柄の目はむしろ、母に言われたくないといった意味での視線だろう。

 

「ふむ、まあよいわ。……北郷」

「ん? なに? 祭さん」

 

 改まって声をかけられて、きょとん。

 柄の襟首を掴みながら俺に向き直った祭さんは、「んん……」と目を伏せつつ頭を掻いたのち、

 

「まあ、なんじゃ。挫けるでないぞ」

「?」

 

 よくわからないことを口にした。

 挫ける? いや、俺はもういろいろと未来へ懸ける想いがあるから、挫けるなんてことは無い……つもりなんだけど。

 なんかあったっけ? もしかして何かが動き始めているアレコレに、祭さんも関係がある?

 

「えと、祭さん。最近なんか食事の事情とか、みんなの態度とかがおかしい気がするんだけど……なにか知ってる?」

「む……まあのう。ちと呼び止められ、相談されてな。じゃが言うつもりはないぞ? 言ってしまってはつまらんからのお」

「うわー、楽しそうな顔。……あれ? じゃあなんでちょっと口ごもったりなんかしたの?」

「面白そうなのと、お主の苦労と……まあ、いろいろとあるということじゃ」

「………」

 

 ますますわからなかった。

 祭さんも俺が困惑している内に適当に言葉を残し、部屋から出ていってしまう。

 

「…………」

 

 とりあえず、何かが起こっているということは、正しく確信へと到った。

 俺に関係していて、挫けないで頑張らなきゃいけないこと……らしい。

 

「まあ、教えてくれないってことは言う必要がないってことだもんな」

 

 いずれわかることなんだろう。わからないのは兄さんが満たされているからだよ。

 つまり困り事が出来たなら、その時に全力で対処すればいいんだ。

 よし、そのためにもまずは休憩。もういい時間だし、ゆっくりと眠ろう。

 

「あ」

 

 と、着替えて寝台へ……というところで、ふと。

 そういえばここしばらく、夜のお誘いとかがないな……と、そんなことを考えた。

 

「疲れてるようだったから、とかで料理を用意してくれてるんだし……休ませてくれてるのかも」

 

 だったら遠慮なく休もう。

 徹夜禁止も言い渡されたし、遠慮なくだ。

 でも……

 

(覇王直々にっていうくらいなら、部屋に来てくれてもよかったのになぁ)

 

 そんな、小さな……少々乙女チック? な感情を抱きつつ、着替えも終えて布団へ潜り込んだ。

 さて。明日はどんな日になるのか。

 柄のこともあるし、なにか家族孝行のようなものが出来ればいいな、なんて思いながら目を閉じて、やがて訪れる心地良い眠気に身を委ねて、眠りについた。



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136:IF2/お猫物語①

189/求めるものへと全力で駆ける者

 

 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 そんなことわざがある。

 芍薬は立って見るのが美しく、牡丹は座りながら見るのが美しく、百合の花は歩きながら見るのが美しい、というものらしい。

 なんで花の見方を制限されなきゃならないんだとツッコむ人が大半だろうが、それらは花の形に由来があるらしい。

 まあ、花の見方の話はともかく。

 その美しさを譬え、女性の姿にも唱えられる言葉というものでもある。

 立てば芍薬のように美しく、座れば牡丹のように美しく、歩けば百合のように美しい。

 では走るとどうなるのか。武器を持つとどうなるのか。戦うとどうなるのか。

 え? 俺の見解? そうだなぁ……立てば爆薬座ればボカン、歩く姿は核弾頭? ほら、たとえば苛立っている時の春蘭とかがそんな感じじゃないかなぁ。

 まあ、それは春蘭に目を向けた場合であるからして、現状で言うならかなり違う。

 

「みぎゃーっ!! 来るんじゃないのにゃぁああーっ!!」

「お猫様お猫様お猫様お猫様お猫様ぁああーっ!!」

 

 現在、俺の視界の中では一人の子供が一人の……猫人? を追いかけている。

 時は昼、場所は中庭。

 今日は美以にお願いして、かつて俺も経験し……今でもたまに頼んでいる追いかけっこを邵相手にしてもらっている。……のだが、相手が相手だからか邵が暴走。

 目を爛々に輝かせて、地を蹴り、時に跳躍し、枝を蹴り。

 これで氣を使っていないというのだから恐ろしい。

 重力が体を襲う中、バブルスくんを追いかけるマゴゴソラさんのように顔に苦しさが浮かぶでもなく、邵はどこまでも幸せそうに楽しそうに美以を追いかけていた。

 お猫様パワー……すごい。

 

「兄! 助けるにゃ! 兄! 兄ぃいーっ!!」

 

 幸せ笑顔で追いすがられることに恐怖を覚えたのだろうか。

 美以はもはや涙目で、持ち前のその素早い動きで俺のところまで来ると、俺の肩に昇って頭の上まで上って……って曲芸師ですかキミは! って痛い痛い痛い! そもそも重い!

 キミもう子供体型じゃないんだから、そうやって上るのはだなぁっ!

 

「お猫様逃げないでください! これも鍛錬なのです! 鍛錬なのですから……!」

「息荒げて襲い掛かるやつにそんなこと言われても怖いだけだじょ!」

 

 そして辿り着いた邵が俺の体に飛びついて、頭頂で逆立ちするようにしている美以へと……ってやめて!? 首が大変なことになるからやめて!?

 

「ふかーっ!!」

「威嚇までお猫様のようです! 素晴らしいです! ぜぜぜ是非もふもふさせてくださいぃっ!」

「兄! こいつ怖いにゃ! 目が危険にゃ!」

「俺は今まさに首が危険でいだぁあああだだだだ暴れるな暴れるなぁああっ!!」

 

 氣を巡らせて筋がおかしくならないように支えてはいるものの、こうも暴れられると……むしろ降りて!? いつまで人の身体の上で悶着してらっしゃるの!?

 

「邵!? 邵! しょーう! 落ち着きなさい! ストップ! ストーップ!!」

「はう!?」

 

 ……止まった。

 ストップという言葉に反応したというよりは、俺の必死な顔がようやく視界に入ってくれたらしい。

 びくりと体を震わせると途端に離れて、ぺこぺこと謝ってきた。

 ……こうまで真っ直ぐ謝られると、どうしてか俺の方に奇妙な罪悪感が……。さっきまであんなに幸せそうな顔をしていた分、余計にこう……。

 

「ふう、危機一髪にゃ……!」

「いいから降りよう?」

 

 人の頭の上で器用にあぐらを掻いて、グイと額を拭うお猫様に呟いた。

 身体ばかりがすらりと成長しても、やはりというべきか、中身はあまり変わらない。

 つか、立ち合って相手の眼を見た瞬間に逃げんでください、だいおーさま。

 

「そうはいうけど兄ぃ、あの女からはみんめーと同じ匂いがするにゃ……! やつは危険なのにゃ……!」

「そりゃ娘だからなぁ」

「娘!? あれが噂に聞いたみんめーの娘にゃ!?」

「知らなかったの!?」

 

 アータ会合とか宴で会ってたでしょうが!

 ……って、そういえば食べてばっかで、人なんて見てなかったっけ……。

 会合の時も興味なさそうに丸くなってたし…………や、それでも8年を知らずに生きるって無関心が過ぎるでしょうだいおーさま。

 

「ていうかさ、美以。明命とは“しんゆう”になったんじゃ……」

「にゃ。みんめーはしんゆうにゃ。今ではきちんとみぃたちを人として見てくれているのにゃ」

「あー……なるほど、つまり」

 

 まーた心を許すまでは追いかけっこが続くわけか。

 

「とととと父さま父さま! このお猫様は父さまとはどういったご関係で!? 紹介してください! むしろください! 飼っていいですか!?」

「和解してから娘にこれ言うの、もう数えるのも面倒なくらいだけどさ。落ち着いて? お願い」

 

 ああ……自分の意見を滅多に前に出さないあの邵が、物凄い勢いで問いかけてきている……。

 彼女に稟の血が少しでも流れていたら、ここら一帯鼻血の海だったなぁ……なんて思えるくらいの興奮っぷりが目の前にあった。

 猫にだけ熱心かと思いきや、美以にまで……。

 しかも飼っていいですかってストレートできたー……。

 

「どうする……? 冥琳呼べば一瞬でオチがつくぞこれ……」

「ふふん、みぃはだいおーだから、一度通った道に恐怖は抱かないのにゃ」

 

 や、逃げてたじゃないのさ、さっき。とは言わない。

 とりあえず頭からずり下がり、肩車に落ち着いた美以に溜め息を吐きつつ、……ていうかね、美以。キミズボンとか穿かないから太腿とかがね、……あー、うん。言っても無駄だね……。でも言った。「それがどーかしたのにゃ?」って素で返された。わかってたよ、うん。

 

「父さま!」

「ああうん……なんだい邵……」

 

 もうどうにでもしてって感じで返事。

 中身が子供なままのだいおーさまと、真実子供な娘を前に、早くも諦めの境地に立たされた俺は───

 

「首にぶら下がっていいでしょうか!」

「今だいおーさまが肩車してるってわかってて言ってる!?」

 

 ───何に対抗意識を燃やしたのかわからない、熱い瞳の娘を前に、いつも通りたそがれるのだった。

 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 これだけ女性がいるこの都でも、その条件に合った人なんてそうそう居ないもんだよなぁ……。

 蒼い空の下、そんなことを思いながら。

 

……。

 

 昼を過ぎた夕刻。

 陽が落ちてゆく朱の景色を眺めながら、独り中庭で娘とだいおーの帰りを待っている。

 追いかけっこサバイバルを始めてどれくらいになるのか、二人はまだ戻ってきていない。

 日々が暑いとはいっても、じっとりと出た汗が風に撫でられ続ければ寒いとも感じるわけで、そろそろ部屋に戻りたいのだが……二人はまだ帰ってこない。

 だったら部屋で待てばいいじゃないかって話だが、娘が外で頑張っているのに親がすぐに室内に戻るのって……なぁ。

 そんな葛藤と戦っていると、スッと静かに差し出されるお盆……の、上にあるお茶。

 

「え? あ───月」

「あの……ご主人様? あまり外に居ると、また風邪を引いてしまいますよ……?」

 

 月が居た。

 少し驚きながらもお茶を受け取って、感謝を告げつつ飲むと……熱すぎない丁度いい温度の水分が、口と喉を通っていった。

 

  ありがたい

 

 素直にそう思える些細な気配りが、どうしてかこんなにも心に染みる。

 どうしてかなぁ……なんて思ってみるのは、多分いろいろと無駄なんだろうなぁ……。

 

「あ」

「?」

 

 そこで気づく些細がひとつ。

 あ、あー……なるほど。芍薬、牡丹、百合。なるほどー。

 月を見ながら頷いていると、月を探してやってきたらしい詠が、なんだか“やっぱり”って顔で歩いてきた。

 

「やっぱりこの男のところに居たんだ。さっき通路で見てたから、そうじゃないかって思ったわ」

「へぅ……ごめんね詠ちゃん。先に言っておけばよかったね」

「いいわよべつに。ある意味ではわかりやすかったし」

 

 こぼす苦笑ももう慣れたものって感じ。

 そんな詠に歩み寄って、思っていたことを……月には聞こえないように呟いた。

 

(なんかしみじみ納得したんだけどさ。月ってあれだな。立てば芍薬座れば牡丹)

(? 当然じゃない)

 

 即答でした。

 しかも“なに今さら当たり前のこと言ってんのよ”って顔で。

 

(月はそれはもう牡丹のように美しいわよ。むしろ牡丹より美しいわ。ところで牡丹ってなによ)

(知らないで頷いてたの!? あ、あぁ、えぇっと。ほら、芍薬に似た花で……あれ? 最初は“木芍薬”とか言われてたんだっけ?)

(木芍薬? なによ、花の話?)

(天のことわざで、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花っていうのがあって、どれも美しい花を女性に譬えて言うものなんだけど───)

(まあぼたん……だっけ? 木芍薬はわかるけど、べつに芍薬はそう珍しい花でもないでしょ。似てるけど、樹木に咲く花と草に咲く花って違いだけで。で、百合ってどんな花よ)

(まあそうだけど。百合については……説明のしようがないな。白くて綺麗な花だよ。なんというか……清楚だなぁって感じの)

(そ。ならいいわ)

 

 いいらしい。

 もし普通の花だ~とか言ったらどうなってたんだろう。

 想像してみるとちょっと怖い。

 

「ごちそうさま、月。美味しかった」

「はい」

「で? あんたはこんな時間にこんなところで何やってるのよ。もしかして待ち合わせでもしてすっぽかされたの?」

「すっぽかされたこと前提で話をしないでくれ。美以と邵が追いかけっこしてて、まだ帰ってきてないんだ。途中で移動するわけにもいかないからこうして待ってる、と。そんな状況」

「別に二度と会わないわけじゃないんだから、部屋に戻るくらいいいじゃない。あんたほんと過保護ね」

「そうかなぁ」

 

 むしろこれって過保護ってカテゴリに入るのか?

 ただ待っているだけなんだから、こう……我慢強い? ちょっと違うか。

 

「あ、そうだ。月と詠に訊きたいことがあったんだ」

「? はい?」

「ボクたちに訊きたいこと? 怪しいことだったら蹴るわよ」

「話す前から疑ってかかるのは性格なんでしょうか」

 

 俺のツッコミもいつものこととばかりに「はいはい」と手をひらひらさせて、続きを促す。ほんと……月にはやさしいのになぁ。

 

「昨日急に華佗が部屋に来てさ。特に理由も言わずに“頑張れ”だけ言って、俺にツボマッサージとかしたあとに針刺していったんだけど……なにか知らないか?」

『───』

 

 そう、それは昨日のことだっ───って物凄いあからさまに顔を背けた!?

 思い出すとか回想するまでももなく怪しいってすごいなぁもう!

 そしてもうツボマッサージで言葉が通じる事実に無駄に感心した! 今はどうでもいいけど!

 

「えちょっ……知ってるのか!? なに!? あれなんなんだ!? 祭さんにも頑張れって言われたし、華佗にも……! 俺になにを頑張れと!? 知ってたら教えてくれ! 頼むよ! 鍛錬ならありがとうだけど、なんだか物凄く意味ありげで怖いんだって!」

「へ、へぅ……! それは、そのっ……」

「あ、ちょっとあんた卑怯よ!? 追い詰めれば月なら喋ると思って!」

「……やっぱりなにか知ってるのか」

「あ」

 

 軍師さま硬直の瞬間。

 大事な人の危機って、いろいろとこぼれ落ちやすいヨナー……。

 人間、焦っちゃだめだよなー……ほんと……。

 

「え、詠ちゃん……どうしよう……」

「どうしようって言われたって……べつに内緒にしてくれとは言われてないんだし、いっそ話しちゃった方がいざという時に逃げられないんじゃない?」

「───……」

 

 アノー、話し合っているところすいません。

 それってそのー……いきなり聞けば逃げ出したくなるような内容なのですか?

 俺……なにかしました? ここ最近は静かに休んでたよ? いや本当に。

 それとももしかして……え? 俺死ぬ? 針刺さなきゃ実は死ぬ謎の体質とか!?

 

「で、で……? いったい何が起こってるんだ……!?」

「だから、その。あーもう……言うからちょっと待ってて、今纏めるから」

「え? そ、そか」

 

 纏めるって、そんなに言わなきゃいけないことが多いとか?

 詠くらいの人になると、もうわざわざ纏める必要もなくズケズケと言ってくるものかと。

 

「じゃあ言うけど」

「よしっ、どんとこいっ」

 

 妙な緊張が走った所為か、それこそ妙に構えてしまう。

 詠はそんな俺の態度に少し呆れたような軽い笑みを少しだけ浮かべて、語ってくれた。

 

「纏めた結果だけを簡潔に唱えるなら、あんたを万全の状態にしたいだけの話よ」

「………………………」

「………」

「…………え? それだけ?」

「だから。纏めるって言ったでしょ?」

「えー……だって、ほら、俺を万全にしてなにをさせるーとか、そういうのは……」

「日頃から無茶しすぎだから、ただ万全にしてあげようってだけよ。もちろん、万全になったらやることやってもらうけど」

「ん、それは当たり前だよな。むしろどんとこいだっ」

 

 ドンッと胸をノックして頷いてみせた。

 ……途端、詠の眼鏡が一瞬、光の加減か鈍くテコーンと光り……少し俯いた彼女の口元がこう……ニヤリと歪んだような……?

 

「言ったわね?」

「? 言ったって?」

「“当たり前だ、どんとこい”って言ったわね? あんたがよくやる覚悟を胸に刻むことまでして」

「え? あ、ああ……そりゃ、国に返し切るのが俺の目標でもあるし───」

「それならいいわ。疲れ果てるほどに“やること”が待ってるから、今から十分に休むことね。言っとくけど、やっぱり嫌だなんて聞かないから」

「ははは、言わない言わない。むしろ最近は仕事が少なくて手持ち無沙汰なこともあるから、それこそ望むところだ」

 

 念を押してくる詠がなんだかちょっと可愛いと感じてしまい、誤魔化すように笑いながら言った。

 すると……どうしてだろう。詠の少し後ろに居た月が、両手で自分の頬を包むようにして俯き、その顔は赤くて……エ? あの、どうして赤く?

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待った。詠? そのやることって、恥ずかしいこととかじゃないよな?」

「なに言ってんのよ、恥ずかしいことなわけがないじゃない。ボクだって月だって出来ることよ。……相手によるけど

「へうっ!?」

「その割にはなんだか月が赤いんだけど!? え!? ほんとなに!?」

「ああもううるさい! 覚悟決めたくせにうだうだ言うんじゃない! それともあんたの“国へ返すため”の覚悟ってその程度のものなの!?」

「!」

 

 ずしんときた……なるほど、それは確かにそうだ。

 今さら何を頼まれようが、それを断るようじゃ未来の最果てへ臨むことなんて出来ないじゃないか……!

 

「わ……わわわかった! 俺も男だ! 逃げも隠れもしない! 詠がどんなことを言ってきたって、真正面から受け止める!」

「まっ───!? あ、な、ぅああ……!? なっ……んで、あんたってそう……! ヘンなところで格好良い───じゃなくて! “どんなことを言ってきたって”なんて言われても、ボクは───! ………………ど、どんなことでも? どんな…………」

「? 詠?」

「…………」

「?」

 

 おろおろしたりわなわなしたりして俯いた詠が、こちらをちらりと見てきた。いわゆる上目遣いというものだ。

 なんだか今日の詠はとっても賑やかだなぁ……。

 

「あ、もちろん月もだからな? どんなことでも言ってくれ。俺に出来る限り、張り切って取り掛かるから」

「張り切っ……!? へ、へぅ、へぅうう……!」

「あぁっ!? ちょっと! 月を見てどんな行為を想像してんのよこのエロ魔人!!」

「話が見えないんですが!?」

 

 え!? 仕事のことだよね!?

 なんでエロ!? 行為ってなに!?

 

「え……し、仕事……だよな?」

「当たり前じゃない(同盟の証の仕事という意味で)」

「……うん……仕事、だよなぁ……? うん……」

 

 あれぇ……? じゃあなんでエロに?

 いつものノリで言っただけとか?

 いやいやいや、別に俺、そういう行為の時だけ張り切ってるわけじゃないよね?

 

「とにかく。いいからさっさと中に入っちゃいなさいよ。風邪なんか引かれたらこっちの仕事が増えるんだから」

「仕事が増える、って……看病してくれるのか?」

「わざと引いたりしたら、愛紗に任すけどね」

「ごめんなさい入ります」

 

 魚が飛び出た炒飯が頭の中に浮かんだ瞬間、素直に謝って歩きだした。

 すまない邵……待っていてあげたいけど、もう風邪を引くわけにはいかないんだ……!

 ていうか病人に炒飯って、愛紗ももうちょっと考えてほしい。……とは言えない、情けない俺でございます。

 

 ……ちなみに。

 邵が戻ってきたのは、正確な時間なんてわからないものの、深夜と言っても差し支えないほど真っ暗な、相当遅くのことでした。

 言っちゃなんだけど、外で待ってなくてよかった……!

 ……まあ、寝ないで待ってはいたけどね。

 しかしながら当然のごとく明命に捕まった邵は、しっかりがみがみ説教をくらっていた。明命の説教って相手を思い切り心配している分、こたえるんだよなぁ……。

 



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136:IF2/お猫物語②

-_-/周邵

 

 地を駆ける。

 時に跳び、時に滑り。

 そうして追う者の姿は、何度見ても素晴らしい。

 見ているだけで幸せですが、捕まえたら……もふもふしたらとても気持ちがいいのでしょう。

 

「お猫様お猫様お猫様ぁあーっ!!」

「みぎゃぁああっ! しつこいにゃーっ!!」

 

 追いかけっこを始めた日より一日。

 昨日は結局捕まえることが出来ず、さらに帰ってきた時間が時間なだけあって、父さまももう部屋に戻っていました。ちょっと寂しく思いましたが、その代わり一緒に眠ることを許可されたので嬉しかったです。……母さまにはお説教されてしまいましたが。

 いろいろなことを話しました……お猫様の逃げるお姿、お猫様の滑るお姿……。

 途中、木で爪を研いでいるお姿など、もう機会を窺っていたことなど忘れ、飛びつくくらいでした。

 ……もっとも、簡単に避けられてしまいましたが。

 

「待ってくださいべつにひどいことなんてしませんから! ぜぜぜ是非! 是非そのお腹にすりすりを───」

「変態にゃぁああああーっ!!」

「うぇえええ!? ちちちぃいいちちち違いますよ!? 変態さんじゃありません! 純粋にそう願っているだけで、変態さんじゃないのですよ!?」

 

 今日も今日とてお猫様……孟獲さまというそうですが、そんなお猫様を追っています。

 食べ物にも顎すりすりにも動じない恐ろしいお猫様……さすが“だいおーさまです”。

 でも私は変態さんなどではありません! これは純粋な願いなんです!

 お猫様と戯れたい……そんな粉雪のような純白の想いです!

 そんな“純粋”を胸に、今日も今日とて走ります。

 昨日は帰ってくるのが遅かったこともあり、中庭限定の追いかけっこですけど。

 

「いくぞ柄ー!」

「どんと来いだ父ー!」

 

 そんな私を余所に、中庭にはもう一組。

 柄姉さまと父さまが、“きゃっちぼうる”なるものをやっている。

 手に持った球を相手に投げて、相手は“ぐろおぶ”なるものでそれを受け取って、それを相手に投げ返すというものだそうです。

 ただ、その速度というのが───

 

  ヒュゴドバァンッ! ヒュゴドバァンッ!!

 

 ……だったりする。

 風を切る音がしたと思えば、大きな音を立ててぐろおぶに納まる球。

 

「はっはっは! 父! これ面白いなぁ!」

「ちょっ……いいから真っ直ぐなげなさい! 妙なところに投げ……うぉおわっ!?」

「おお! よく取れたな父! さぁ次は私の番だ! 何処にでもこーい!!」

 

 ……柄姉さまが、犬さんのようにはうはうと父さまが投げる球を待っている。

 尻尾があれば、きっと千切れんほどに振っていたでしょう。

 たまに奉先さまのところの犬さんとも球を投げて遊びますが、あれはまさにそんな感じです。

 

「こんのっ……分身魔球ゥウーッ!!」

 

 はうあっ!? 父さまが投げた球が分裂した!?

 

「なっ……なんと!? 父が投げた球が火の球と普通の球に分かれた!?」

 

 ……そして、驚きとは別に普通に取られていました。

 そうですよね、氣で作った火の球と普通の球なら、普通の球を取れば済む話ですよね。

 

「やるな父……! 危うく二つとも取らなければ私の負けなのではという謎の緊張に飲み込まれるところだったぞ……!」

 

 そうだったんですか!? 今の球にはそんな意味が……!

 

「妙な勘違いをしないっ! 子供に火の球本気でぶつけるわけないだろー!」

 

 違いました!?

 も、もうもうもう! 柄姉さまはわざわざ勘繰りすぎなんです!

 そのくせ自分のことはすぐに人任せにしたりして……!

 

「ではこちらも……と言いたいところだが、むぅ。私は父のように変則的な氣の使い方はまだ出来んしなぁ。まだ。うむ、まだ出来ないだけだ。いつか出来る。まあともかくそんなわけなので、ただただ全力でぇえっ……投げるっ!!」

 

 ……! 柄姉さまが本気で投げました!

 対する父さまはただ静かに左手を翳して……

 

「まず左手で衝撃を吸収します」

 

 ひうっ!? す、素手で受け止めるなんて、父さまっ!? ぶあっちぃいんってすごい音が鳴りましたよ!? 無茶は───え?

 

「次に吸収した氣と衝撃を自分の色に変換しつつ、体外を走らせて右手へ。この際、左手にある球は右手に放り投げまして……翳します」

 

 ひょいと右手に投げられた球を、驚いている柄姉さまに向けて翳す。

 丁度その頃に右手に自分の氣と衝撃が集ったのか、翳しているだけの手に軽く挟まれていた球が───

 

「ええとええとなにか適当な名前とか言ったほうがいいのかこれ。え、あ、あー……! リリリリジェクトォオオッ!!」

 

 ───向いている方向。

 つまり、柄姉さま目掛けて、氣と衝撃の集束の分、物凄い速度で撃ち出された。

 

「えわ、うわぁっ!? うぃっ、いいっ!?」

 

 物凄い音を立てた、柄姉さまが咄嗟に構えたぐろおぶの中。

 そこには、ざしゅうう……と未だ回転を続けている球が。

 

「ほ、あああ……!」

「ふわ……」

 

 お猫様を追うのも忘れて、ぴうと駆け寄った柄姉さまの隣で、一緒になってぐろおぶの中の球を見た。

 次いで、こんなことをやってのける父さまを見てみると───

 

「……! ……っ……~くあっはッ……ぁぃぃいっ……!!」

 

 …………もう、これでもかってくらい痛がってました。

 やっぱり素手で受け止めるのは無謀だったみたいです。

 

「すごいな父! 今のどうやったんだ!? 父!? 父!! しっかりするんだ父! 苦しむのはやり方を教えてからにしてくれ!」

「無茶言うねお前!!」

 

 最近思ったんですが、父さまと柄姉さま、急に仲良くなった気がします。

 前までは跳び蹴りをしてばかりだった柄姉さまも、跳び蹴りではなくて飛びつくだけになった気がしますし。

 ……まあ、飛びついてから攻撃にかかることもしょっちゅうですが。

 

「ああほら、なんというかあれだ。左手で受け止めた衝撃を右手から、自分の氣と一緒に撃ち出したんだよ。氣を思いっきり回転させてやって、加速も混ぜて。で、ただ撃ち出すんじゃなくてこう……爆発させるみたいに。覚えてるか? 仲直り前に丕にやったあれ」

「あ……お腹にこうやって拳を当てて……」

「そ。あれを強くしたのが今の。今回のは内側じゃなくて外側にぶつけたんだけど」

 

 それであれなんですか。

 なんだか氣って、本当に不思議です。

 

「父は面白いなぁ。どうすればそんな発想が出来るんだ?」

「天ではね、そういったことの先駆者が笑えるくらいいっぱい居たんだよ……。……紙の中に

「笑えるくらいにか!? 本当にすごいな! 父、父! 私はますます天に興味が出てきましたぞ!」

「だから口調がヘンだって。どうしてお前は興奮すると口調が……うん、なんかごめん」

「へわっ!? い、いきなり謝られたぞ邵! どうすればいい!?」

「私に訊かれましても困りますですっ!!」

 

 騒ぐように話し合っている私を、お猫様……もとい、孟獲さまが注意深く見つめてきます。遠くから。

 樹の陰に隠れるようにして見つめてくるお猫様のお姿……! 可愛すぎます……! もふもふしたいです……!

 

「で、具体的にはどうすればいいんだ父!」

「具体的って……いや、だからな? 受け止めた衝撃を……こう……」

「ふんふん……! で、具体的にはどうすればいいんだ父!」

「ちょっとしか試さないで通販モノにケチつける迷惑客かお前は!! 結果だけを先に求めない! これが出来るまでどれほどかかってると思ってるんだ!」

「大丈夫だ! 父はなんでも出来る! なにせぐうたらに見せかけて実は影の実力者だったくらいだ! 今回もきっと私の想像の上をいくに違いない……! ふふ、父は恐ろしい男ですな……! さ、というわけですぐに出来る方法を教えてくれ」

「祭さん呼んでくる」

「やめて許して私が悪かった母はやめて呼ばないで!!」

「柄さん……きみ、どれだけ自分の母親苦手なの……」

「話していると酒臭いところと胸が大きいところと片手で人を持ち上げられる馬鹿力と空を飛ばされるところが」

「どこの宇宙海賊に恐怖する柾樹さんですかキミは」

 

 真顔で淡々と語る姉さまに、父さまも真顔で返しました。

 うちゅーかいぞくってなんでしょう。

 

「しかし父、父も言っていたではありませぬか。経験した者が次の者に方法と結果を説くからこそ、次の者はより早く上達するものだと」

「へ~いぃ~……? 鍛錬を積むのと楽をするのは、違うからなぁ~? ……な?」

「……わ……わかったぞ、父……。わかったから、その恐ろしい笑顔をやめてくれ……」

 

 物凄い笑顔でした。

 笑顔なのにこう、璃々姉さまがするみたいな黒い氣のようなものがめらりと……!

 それでも柄姉さまが納得すると、よしと言って普通の笑顔で頭を撫でてくれました。どうしてか私まで。

 

「むう……しかし、説かれただけでは上手くできんぞ……。邵、お前は出来るか?」

「氣の扱いならおまかせですですっ! えぇっと、」

「ん? ああ、俺は練習の時、蒲公英に棒っきれで叩いてもらってたな」

「おお……父に意外な趣味がいひゃーっふぁふぁふぁ!? ひふぁい! ひゃめふぇふふぇふぃふぃ! ふぃふぃーっ!!」

「あと桂花から教えてもらった俺に関することは信じなくてよろしい。いいね? 邵」

「は、はい……」

 

 頬を引っ張られる柄姉さまをよそに、私は私で構えてみる。

 と、父さまがお手本を見せてくれるというので、じっくりと見ることに。

 

「いいか? こうやって相手からの攻撃を左手に集めた氣で受け止めて……」

「は、はい……」

「ひゅふ…………」

 

 頬を引っ張られながらも頷く柄姉さまは無駄に強いです。

 というか父さま、右手役を姉さまにやらせるくらいなら、手は離してあげてくださいです。

 そんな視線を受け取ってか、父さまはにっこり笑うと柄姉さまの頬から手を離しました。

 

「おお痛い……! 少し手加減してくれると嬉しいぞ、父……!」

「お前はなんでも鵜呑みにするのをやめることを覚えてくれ」

「む? いやしかしだな、目で見て覚えることは大事だと、孫権母さまが仰っていたぞ?」

「いやいやいやっ! 見たとしても覚えるものとそうでないものくらい選びましょうね!?」

「む、むう……すまない父。当時の私は、少しでも父のことを知ることが出来るのならと、躍起だったのだ……」

「え───あ……そっか。そうだな…………そもそも俺が妙に隠し事なんてしなければ───」

「そして私は父が縛った女性を無理矢理襲う卑劣漢だととある猫耳ふぅどの軍師から知らされた」

「もうなんでもいいから某軍師に罰を下してほしくなったよ……」

 

 ほろりと笑顔で涙する父さま。

 そんな父さまを心配してか、遠くに居たお猫様が走り寄ってきて、その背中に抱きつきます。

 背中というか、後ろから首に抱きついて負ぶさるような形にはうあぁああああっ!?

 

「お猫様いけません! その首は私のものですっ!」

「落ち着きなさい邵! その言い方なんか怖い!」

「美以は猫じゃないにゃ! みんめーの娘でもそれだけは譲れないじょ!」

「いいえお猫様! 私は父さまのお話で真実を知っているのです! 猫の中には特殊な存在が居て、長生きをすると“ねこまた”なる変化になれると……!」

「それただの即興作り話だからね!? 言ったよね!? 俺ちゃんと言ったよね!?」

「父……もうだめだ。ああなると邵は話を聞かないのだ……」

「え? そうなの?」

 

 柄姉さまが何かを言ってますがこれは譲れません!

 そこは私がぶらさがる場所です! あの丕姉さまだってやらないでいてくれているのに、お猫様のように愛らしい存在がそれをやってしまうなんて……!

 

「あ、あの! 父さま!」

「あ……話は聞かないのに自分は言うのね……───あれ? ……ああ、はは、いつものことだった。ああなんだ、俺自然の中に居るじゃないか、ヤッター……」

「父さまっ!!」

「ああ、うん……なんだい邵……。父さんもう次に出てくる言葉が予想出来るんだけど……」

「はい! お猫様もろとも抱き締めていいでしょうか!」

「予想の斜め上を行った!? い、いやいや、普通そこはぶら下がっていいでしょうかって昨日みたいに……!」

 

 昨日? ……言いましたね。

 あの時の私は愚かでした。

 真実に到達しようともせず、嫉妬にばかり揺らされる未熟者です。

 ……しかしです!

 

「……父さま。私……周邵は一つ、とても大切なことに気づいたのです」

 

 心の決意を胸に、普段では胸に秘めたままにするであろう自分の意見を、真っ直ぐに父さまへとぶつけるつもりで見上げました。



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136:IF2/お猫物語③

 ……するとどうだろう。父さまはとんでもなくやさしい笑顔をして、だというのにそこに陰を見せるようなとても言葉では言い表せない表情で呟いた。

 

「柄……代わりに聞いてあげて……。俺……俺な? 体は元気なのに……なんだか心がいろいろ辛いんだ……」

 

 なんだか聞くことを拒否されてしまったようです!?

 え、え!? 何故ですか父さま! 私は今、こんなにも前向きに───!

 

「と、父さ───」

「なにを言うんだ父! こんな時こそ娘を受け止めるのが父だろう!」

 

 戸惑いを口にしようと心の準備をするほんの数瞬。私よりも先に、柄姉さまが父さまへと物申しました。

 ……柄姉さまはやっぱり、根っこは優しい人です。

 感謝の気持ちがじんわりと胸に広がってゆきます。

 そんな衝動が、きっと父さまにも広がってくれていることを願いつつ、柄姉さまに向けていた視線を父さまに向け……た、ら……さっきと変わらぬやさしい陰りを孕んだ笑顔のままに言いました。

 

「普段は大人しく……自分の意見を前に出せない娘が、こうして積極的になってくれて嬉しい…………嬉しいよ? なのに、その対象が猫ってだけじゃなくて美以とかって、俺にどうしろっていうんだ……」

 

 えぇ!? もしかしていけないことだったのですか!?

 お猫様への愛は穢れ無き衝動だと母さまも教えてくださったのに!

 

「お……おおう……!? なんだか改めて聞くと、父の苦悩が突き刺さるような……! あれか、娘の成長は嬉しいけど、それを喜び放置すれば、女性を追いかけ捕まえて、その腹に顔をうずめてはあはあ言うような娘の在り方を“成長”、と呼ばなければいけないという───」

「そういう事細かなことまで言わなくていいから! 星じゃあるまいしどうしてそういうことばっかりぽんぽん口に出すのかなぁお前は!」

「時々自分でも怖いんだ、助けてくれ父」

「………」

「………」

 

 ……どちらともなく、静かに、しんみりと握手をする姉と父の姿がそこにありました。

 あ、あれ? あの、この状況はどうしたことなのでしょう。

 私はただ、お猫様と父さまを……あれ?

 なんだか私、孤立してますですか!?

 ……と思ったら、父さまがちょいちょいと手招きをします。

 なんだか不安を抱きつつも、促されるままに……繋がれた父さまと柄姉さまの手の上に自分の手を重ねる。……と、そこにお猫様も手を乗せてきました。

 

「え、え? あの? 父さま? お猫様も……」

「そんなわけだから邵。まずは知り合いから。次に友達になって、親友になりなさい。美以へのもふもふは親友になってからじゃなきゃ叶わないって受け取れば、なにも嫌がる美以を追い続けることもないんだから」

「お知り合い……」

「そうにゃ。まずはみぃに認められるようになったら、“しれん”をおまえに与えるにゃ!」

「試練ですか! いったいどのような……!?」

「みぃのふるさとでしばらく暮らしてもらうのにゃ! もちろんみぃが認めるまで、途中で抜け出すのは許さないにゃ! それはそれはとても恐ろしい試練だじょ!」

「お猫様の故郷……!」

 

 ああ、見えます……! 頭に浮かんだお猫様だらけの楽園……!

 きっとふにふにのもふもふで、毎日が幸せです……!

 

「ウワー、なんだろうなぁ柄~……俺、邵がどんな勘違いしてるのかが目に浮かぶよー……」

「む? 猫だらけの楽園ではないのか?」

「どっちかっていうと猪だらけの湿地帯」

「うむ! 全力で行きたくないな!」

「ちなみに兄は、そこで何日も何日も過ごして野生に目覚めたのにゃ!」

「本当か父!」

「本当ですか父さま!」

「なぁ美以……。同じ話をしていたはずなのに、驚いて見上げてくる娘の表情の方向性が全く違うって、どういうことなんだろうなぁ……」

「おなじ視線なんて面白くないにゃ。違いがあればこそにゃ」

「美以、それ適当に言ってるだけだろ……」

「兄にむずかしーことを言われたら、とりあえずこういえと“みう”の仲間の女に言われたのにゃ」

「七乃さん……あんたって人は……」

 

 都には俺をからかおうとする人が多すぎる……そう言って、父さまが遠い空を見つめます。

 私はともかく、お猫様が父さまの肩から下りたのを再度確認すると、父さまの首に抱きついてその暖かさに頬を緩めます。

 

「あ、こら! それはだいおーたるみぃの場所にゃ!」

 

 するとどうでしょう。

 あれほど私から逃げ回っていたお猫様が、私の体を掴んで下ろそうとしてくるのです。

 その際に当たった肉球がふにふにと……! はっ……はぅあぁああーっ!!

 

「ちなみに父。孟獲様との出会いはどういったものだったのだ? 随分と懐いているように見えるが」

「餌と間違われた」

「餌!? ……お、おお……なるほど、なぁ……。確かに父は良い匂いがする。美味いのだろうか」

「やっぱり祭さん呼んでいい?」

「ななななな何故だ!? 父の香りは都では秘密な話だったりしたのか!?」

「娘に味見されそうだなんて状況で暢気に話なんて出来るもんかぁあっ!!」

 

 父さまの叫び。

 それは相当慌てていたようで、普段ではあまり聞かないような大きさでした。

 よく通る声は中庭に響き渡り……その声に、丁度書簡の幾つかを手に通路を歩いていた……猫耳ふぅどとやらを着た軍師様が、ぴたりと歩を止めた。

 

「───ハッ!?」

「…………」

 

 父さまの短い悲鳴も特に気にすることもなく。

 ただ、筍彧様は害虫でも見るかのような表情をすると、同じ速度で歩いてゆくのでした。

 

「だぁーっ!! 絶対に誤解されたぁああーっ!! ちょっ、ちょちょちょちょ桂花!? 桂花ーっ!! 娘に味見とかそういう意味じゃない! 待ってくれちょっと! 待ってぇえーっ!!」

 

 慌てて走る父さま。

 私も流石に状況を理解して、父さまの首から降りました。

 柄姉さまは「なんだか面白そうだ!」と言うと父さまを追いかけていき…………そして、私とお猫様だけが残されました。

 

「……!」

「なぜつばを飲むにゃ!?」

「はうあ!? いえいえいえ! 特に深い意味は! それよりおねっ……孟獲さま! お話をしましょう! 何も知らない知り合い同士は、まず話し合うことだと教わりました!」

「…………」

「警戒しないでくださいですっ!? だだ大丈夫です、もう追いかけたりはしませ───というかあれは鍛錬であって、捕まえてどうこうするつもりはっ!」

「……ほんとにゃ?」

「ほっ……ほんとですっ!」

「どもったにゃ! やっぱり怪しいのにゃ!」

「はうあぁあっ!? あ、あのっ、これはちがっ───ちが、違うんです……!」

 

 勢いで喋っていたものの、肝心なところで詰まってしまった。

 途端にむき出しにされる警戒心に、さすがに心の疲労が浮き出てしまいました。

 私はいつもこうです。

 言わなきゃいけないことだって勢いに任せてでなければ言えないし、ここぞという時にこそ強く言えません。

 

「にゃ? なにかじじょーがあるにゃ? 兄にはまず人の話を聞くよーにと言われているにゃ。めんどーだけど、これも同じ食べ物で結んだ絆だじょ。さあみんめーの娘、話してみるがよいのにゃ! みぃはだいおーだから、どんなそーだんにものってみせるのにゃ!」

 

 落ち込んでいる私に、お猫様はそう仰ってくださいました。

 なんとおやさしいのでしょう……やはり長生きをした“ねこまた様”は、一歩も二歩もお猫様の先を歩んでいるのでしょう! 素晴らしいです!

 

「あ、あの……では、私も……まずは自己紹介から、その……したいと思いますです」

「じこしょーかい? おお、ならみぃもするのにゃ! ───みぃこそ! あの南蛮を誕生の基とするだいおー! 南蛮王の孟獲なのにゃーっ!!」

 

 両手を空に突き上げて、がおー、とでも言わんばかりの迫力(?)で叫ぶお猫様。

 その在り方も可愛らしく、先ほどから抱き締めてもふもふしたい衝動にかられっぱなしです。

 

「それでお前はなににゃ? みんめーの娘というのは知ってるじょ? でもそれだけにゃ」

「か、母さまのことは知っているのですね……」

「みんめーは“しんゆう”にゃ。ともに地を駆け、ともに食をはみ、ともにこーきんに怒られた仲なのにゃ」

「…………怒られたんですか」

「…………おこられたにゃ」

 

 でもでも、ともになにかを食べるというのはいいことですよね。

 いかにも親友というか、親しい者って感じです。

 私には…………私たちには、そういった相手が居ませんから、羨ましいです。

 

(あ)

 

 ちなみに“食む”とは食べることで、または“はみ出す”という言葉も“食み出す”と書くのだそうです。食べてるときに口から出てるから、“食み”から“出す”と書くのかもしれない、とは……天の授業の中で習ったことです。

 国語と天の授業とを両立するのは難しいものですが、慣れてくると面白いです。

 ……などということを話題作りのために話してみたのですが、

 

「むつかしーことはどうでもいいにゃ」

 

 あっさりと流されてしまいました。

 

「え、あ、えと……ではその……先ほどの事情を……」

「どーんと話してみるがよいのにゃ!」

 

 待ってましたとばかりに頷かれる。

 元気ですね、本当に。

 話す私は、少し心苦しいのですが……。

 けれど話さないわけにもいかないので、私は私の“ここぞという時に上手く喋れないところ”や、“真面目に返したい時ほど失敗すること”を話すことにしました。

 

 

 

 

-_-/かずぴー

 

 ……柄の協力もあって、なんとか桂花の誤解を解けた現在。

 

「すっかり暗くなってしまったな、父……」

「まさかここまで誤解を引きずられるとは思ってもみなかったよ……」

 

 現在とはいっても、空はすっかり暗かったりする。

 どこまで人を誤解していたいんだよあの猫耳フード軍師様は……。

 

「なぁ父。置いていくかたちになってしまったが、邵はどうしているだろうか」

「さすがにもう部屋に戻ってるんじゃないか? 戻ってなかったら明命が探しに行くだろうし」

「周泰母さまか……怖いな。普段はにこにこしているのに、我が儘が過ぎると捕まって顔にいたずら書きされるからなぁ……」

「慣れてる俺でも、完全に捉えるのは難しいんだよ……思春も明命も、気配の断ち方が上手すぎる」

 

 ずっと一緒に居て、それでも“あ、そこに居るかも”と思える程度。

 本気の本気を出されれば、“あ、”の時点で拘束される自信がある。嫌な方向の自信だが、困ったことに事実だ。

 

「まあとにかく、柄ももう寝なさい。俺もこのまま部屋に戻って寝るから」

「呉の屋敷まで戻るのが面倒だ。父のところで寝ていいだろうか」

「祭さんが迎えにくるぞ」

「い、居ないと言ってほしい」

「だめだ」

「たまには私の我が儘も聞いてくれ父!!」

 

 世紀末愛戦士のようにきっぱり言ったら腕を掴まれてぶんぶんと振るわれた。

 いや、わがままなら十分聞いていると思うんだが……確かに柄相手だと妙な遠慮をしないから、他の娘よりは厳し目かもしれない。

 

「じゃあ俺が祭さんのところに行って、事情を話してくるよ。お前はこのまま俺の部屋に───」

「それはだめだ」

『うぅわぁあっ!?』

 

 突然の声に、俺と柄はそれはもう驚いた。

 完全に二人だけだと思っていたら、なんとすぐ後ろに思春が……!

 

「思春!? 声をかけるならまず気配を少しずつ感じさせてからって、前に言ったじゃないか!」

「そんなことは知らん。完全に捉えられないまでも、少しも気づかなかった貴様が悪い」

「いや、そりゃそうだけ───……あれ? なんか拗ねてる?」

「黙れ」

 

 だまっ……!?

 だ、だだ黙れと言われてしまった……。

 でも拗ねてるように見えるんだけどな。

 ……これだけ長い時間を傍に居るのに、気配に気づけないのが腹立たしいとか?

 …………いやいやいやあっはっはっは、まさかね、思春だもんなぁ!

 

「………」

「………」

 

 違うよね?

 なにやらじっと見つめ合ってしまったが、それはともあれ駄目な理由を訊かないと。

 

「あの、思春? 駄目って……なんで?」

 

 おそるおそる訊いてしまうのは、ここでの生活で慣れたことのひとつと言えましょう。

 だって容赦無い時は本当に容赦のない思春さんです、つい一歩距離を取ろうとしてしまうのは仕方なきことかと。

 もちろん本気で怯えているわけじゃないんだけどさ。

 

「夜はきちんと部屋に居るようにとの、雪蓮様のお達しだ」

「……ウソでも伝達が雪蓮からじゃなければ、まだ普通に受け取れた気がするよ」

 

 ま~た何か、自分が面白いと思うことでも企んでらっしゃるのでしょう。

 慣れていても嫌な予感しかしない。なのに待たなければ地獄が待っていて、待っていても地獄が待っているかもしれないこの支柱の悲しさよ。

 アゥハハハハァ、ヘイボブ、…………平和ってなんだっけ。

 

「雪蓮から何か聞いてる?」

「いいや、聞いてはいない。だが、こう言うのもなんだが……なにかを企んでいる、と見ていいだろう」

「……思春も言うようになったね」

「忘れたか。元呉将だが、今は貴様に就いている。貴様というよりは三国にだが。内容がどうあれ、危険だと思うことから貴様を守るのが私の仕事だ」

「……ん、ありがと、思春」

 

 でもそれなら“貴様”はやめてくれると嬉しいです。

 あとこの場合、雪蓮が危険なことを考えているのなら守ってくれるのでしょうか。

 

「柄は私が連れていこう。貴様は部屋に戻ってそこから出るな」

「出るなとまで言う!? やっ……そりゃ出る用事もないからいいけどさ……」

「いくぞ、柄」

「は、はい」

 

 さすがの柄も、思春の前では普通に敬語だった。

 まあ……印象からして、攻撃的な言葉で話せる相手じゃないもんなぁ。

 そんなわけで、柄を連れて思春が歩いていったわけだが……

 

「………」

 

 一人で夜の通路に立つっていうのも、結構不気味なものがある。

 意識するからそう感じるんだが、意識してしまうと中々に奇妙な……奇妙な、ええと……迫力、とも違うんだけど、何かがあるわけで。

 結構抜け出したりしているくせに、こうして改まってみると……うん、やぱり雰囲気あるよなぁ、夜の通路。

 

「戻るか」

 

 何があるわけでもない。

 たははと苦笑しながら通路を歩いて、自室の扉を開けた。

 一応気配を探るためにも気を引き締めていたが、やっぱりなにも───

 

『あ』

「あ」

 

 入った自室。───の、寝台。───の、上。

 そこに、はぁはぁ言いながら美以に覆いかぶさる邵と、その下で涙目でもがいている美以が───!

 

「あ、あぁあああ……!? ごごごごめんなさいねぇいつまで経っても気が利かないお父さんで……! すすすすぐに出ていくからね……!? ごっ……~……ごごごゆっくりぃいいっ!!」

「兄待つにゃ! 兄! よくわからないけど違うにゃ待つにゃ待ってほしいにゃあああっ!!!」

 

 息子or娘の愛の劇場を目の当たりにしてしまった“おかあさん”が如く、そそくさと部屋を出ようとした俺へと届く、美以の必死の絶叫。

 部屋を出ようとした体勢から思わず振り返ってみれば……なんのことはない、美以のもふもふ加減に暴走した邵が、美以のお腹に頬擦りしたり肉球ふにふにしたり、美以の南蛮装備のふさふさの部分に顔を埋めてとろけているだけだった。

 ……うん。次代を担う子供がこれで、大丈夫なんだろうか……都の未来。

 しみじみとそう思ってしまった、とある夜の出来事でした。



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137:IF2/嗚呼、愛といふものよ①

190/求めるは愛の結晶。でも必要ないものは勘弁してください。

 

 しゅうううう……。

 

「で、邵。なにか言うことは?」

「も、もふもふ最高でしたっ!!」

「ああもう児童相談所とか欲しいぃーぃ!!」

 

 相談したところで苦笑されそうですが。

 ふと、“本当は怖い、児童相談所!”とかそんなタイトルが頭に浮かんだけど、なんだろう。逆に相談所のほうが滅びそうな気がする。

 ともかく、ゲンコツを落とされて頭から煙を出している子の言う言葉じゃないよね。

 

「いいですか邵さん。いくら合意の上とはいえ、もふる時は愛とともに理性を持ってください。欲望だけを振り翳すのは、それは愛ではなく己の欲望だけです。当たり前だけど」

「はうっ!?」

 

 心当たりがあったのか、正座をしていた邵が胸を押さえて苦しそうな顔をする。

 寝台の上に座る美以はといえば……なんだか挙動がおかしかったりする。

 

「美以も……ていうか、まずは知り合いからじゃなかったっけ?」

「話していたら、意外に気が合ったのにゃ……。で、そのままずるずると押し切られるままに……ご、強引に迫られたのにゃ? みみみんめーの娘、恐ろしいのにゃ……?」

 

 そう言われて、床に転がったねこじゃらしを見下ろす。

 ……ああ、うん、そうだね、恐ろしいね。押し切られ方が。

 押し切られるにしても、もう少し別の方向で頑張りましょうね、美以さん。

 俺の視線を追ってか、散乱したねこじゃらしに気づいた美以が大慌てで言い訳を口にする。

 俺はといえば……そんな大慌てな猫チックだいおーの口からこぼれる言葉の様々を自愛に満ちた笑顔で受け止め、ねこじゃらしの一つを拾い……振るってみた。

 

「にゃああ~んっ♪」

 

 ……物凄い飛びつき様だった。

 肉球ふにふにの手で器用にハッシとねこじゃらしを捕まえると、小さく開かれた猫口でハミハミハミハミと小刻みに噛んで……そんな状態で俺の視線にハッとして、硬直。目が見開かれた猫目のようだ。

 ……猫だ。うん猫だ。

 

「ええっと、美以さん? なにが強引だったんだっけ?」

「…………」

 

 硬直したまま汗を垂らすお猫様。

 そんな猫っぽい動作に、早くも顔が緩んでらっしゃる我が娘。

 ……ねぇ思春。やっぱり俺、自分で柄を送りたかったかも。この場をキミに任せてさ……。

 

「さすが父さまです……! 私ではあんなにも警戒していたお猫様が、たったひと振りで……!」

 

 そして娘におかしな方向で羨望の眼差しを向けられる自分を、どこか客観的に遠い目で見る自分が居た。

 

「ところで兄」

「うん?」

 

 しばらく遠い目をしていると、ふと美以が声をかけてくる。

 ねこじゃらしにとびつき、軽く暴れたためか、自然と腹を見せている仰向け状態のまま。……ねこじゃらしは強く強く掴んだままで。

 

「兄はつよい女は好きにゃ?」

「いきなりだなぁ……」

 

 ていうか娘の前でそういうのは勘弁してほしい。

 なんて言ってもきっと無駄なのでしょうね。ここ数年でもう、無駄に悟った事実にございます。だからってなんでも受け取るわけじゃないが。

 

「兄はつよいやつって、どんなやつだと思うにゃ?」

「質問の意図がまるっきりわからないんだが……ああ、本当に強いやつが好きかってことか? んん、そうだなぁ」

 

 強さっていうのにもいろいろあると思う。

 戦う強さはもちろんだけど、意志の強さや心の強さ、曲がらない思いに消えない想い。

 純粋な武力とかで言うなら、そりゃもちろん圧倒的であるに越したことは無いんだろうけど……

 

「力とかで言うなら、十回戦って十回とも勝ってみせるとかが強さかな。心で言うなら、なんでも受け止めて、その上でどうするか考えられて……今は無理でもいつかは解決出来る。そんな諦めない、折れない心を持った存在……とか?」

 

 俺もそうなりたいって思うことを素直に言ってみる。

 するとどうだろう、美以の顔がぱああと輝き、起き上がるや───

 

「そうにゃ! 強い男はそうでなきゃいけないのにゃ!」

 

 再びがおーと両手を天に、しかし顔は嬉しそうにしている。

 …………ハテ、なにやら物凄く嫌な予感がするのですが。

 

「ということで兄!」

「う、うん? なんだ?」

 

 元気いっぱいに声をかけられた。笑顔だ。なのに何故か足が一歩後ろに下がる。

 

「みぃもみんなのお祭りに参加するにゃ! 参加して、力を残すにゃ!(遺伝子的な意味で)」

「え? え、え?」

 

 祭り? 参加? なんのこと? 力?

 美以の話は中々に理解しづらいのは今に始まったことじゃないにしろ、今回のはまるで謎だった。

 何を以って祭りと仰るのか。

 参加して力を残すとはいったい?

 

「なぁ美以。祭りって、どんなものなんだ?」

 

 しかしなにもピンとこないわけでもない。

 美以がこれだけわくわくしたような顔をしているのなら、それは楽しいものなのだろう。きっと食事関連が充実しているに違いない。

 ……ん? それだと、どうして今まで参加しようとしなかったんだ?

 わあ、なんだか嫌な予感が加速してやってきたぞ。人の心を襲うこの予感は、いつだって土足で入ってくるのだ。お茶を出すから靴を脱いでくれ。そしてくつろいでくれ。キミが慌しいと、こっちの心がいつまで経っても落ち着かないんだ。

 

「みんなで集まって“かいぎ”をしたにゃ! よくわからなかったけど、ともかく周期が来ればみぃも黙っていないのにゃ!」

「周期?」

 

 周期って。……あ、華雄が言ってたあれか?

 

(みんなで会議……あ、うん、そうだよな、秋季になると強くなるとか、そんなわけないもんなぁ。あはははは───マテ。じゃああの会話ってなんだったんだ?)

 

 嫌な予感が加速どころかニトロで爆死というか……どうしようほんと。

 いやぁ……いやいやぁ? こういう時こそ単なる俺の勘違い~とか、嫌な予感なんて最初から気の所為だったんじゃよとか、そんな風にだねぇ。

 だから、ね? スマイルスマイル。にっこり笑って質問を続けようじゃないか。

 

「ちなみにその“しゅうき”って───」

「はつじょうきにゃ!!」

(ギャアーッ!!)

 

 笑顔のままに心で叫んだ。ニコォと横に伸ばした口角の端から、ブシィと動揺が漏れるほどに。

 え!? なに!? え!? 発情期!?

 みんなで会議って、みんな揃って発情期の話をしてたの!?

 じゃあ華雄も!? “しゅうき”って───周期かァァァァ!!

 うゎややややや……!? じゃあなんだ……!?

 最近やけに料理が健康を考えたものなのも、夜にあっち関係の用事で誰かが訪れることがなくなったのも、周期……いわゆる排卵期じゃないからとか……!?

 

「ち……ちなみにそのー……美以? 強い相手のことを訊いてきた理由って───」

「? 弱い男の子を産むなんて、だいおーの名折れにゃ! だから兄が強ければみぃはなんのもんだいもないのにゃ!」

「いやいやいやいや俺なんてまだまだ弱いだ───」

「恋に勝ってるのにゃ」

(ギャアアーッ!!)

 

 ずびしと指さされ、そしてまた心で絶叫。

 ハッとして邵に視線を移せば、

 

「発情期ですか! とととっととと父さま! ねねねねこまた様の子供はどんな感じなのでしょう!」

(こっちはこっちで暴走してらっしゃるーっ!!)

 

 盛大に暴走してらっしゃった。

 興奮するのも大概にしてほしいってくらい、爛々と目を輝かせて。……わあ。輝いている割に、目は渦巻き状だ。

 

「お子さんが生まれましたら是非見せてほしいです!」

「まっかせるのにゃ! 次のなんばんだいおーにふさわしい、つよい子供を産んでみせるじょ!」

「はいっ!」

 

 ぽんっ、と胸の前で手を合わせる邵の動作。

 その、ぽん、という音が……随分とまあ遠くに聞こえた。

 つまりそのー……うん、まあ、そういうわけなのか。

 最近の妙な張り詰めた空気も、祭さんの様子がおかしかったのも、けれど他の人……子を持つ人たちの様子はなにも変わらなかったのも。

 

(───マズイ)

 

 なにがまずいって、彼女らがそういった方向に本気になったことがまずい。

 彼女らの本気はどの方向に向かっても、一般的なものよりも強烈なのだ。

 料理のことを考えればわかりやすいってものだけど、遠慮がないのだ。全力なのだ。

 そんな彼女らが本気で子が欲しいとなったら……!

 

「あっははは、そっか~。美以~? 詳しい説明をしたのは朱里と雛里だよな~?」

「もちろんなのにゃっ」

(オィイイイイイイッ!!)

 

 軽いノリで訊いてみればやっぱりだよあの二人!!

 ちょっとお二人さん!? 盟友のお二人さん!?

 互いを信頼し、よほどのことでない限り隠し事も禁ずって! 結盟者の危機には手助けするものとす、って!

 あ、あれぇ!? これを守れなきゃ辛い罰を与えるって誓いじゃございませんでしたっけ!?

 

「邵」

「ここに」

 

 キリッと本気声で、低く低く唱えると、邵がザッと跪いて俺を見上げた。

 いや、ここにもなにもさっきから居たでしょ。誰からどんな影響受けてるのさキミ。

 しかしながらそんなことをツッコんでいる余裕もない俺は、そんな愉快な娘さんに事情を話して結盟者のもとへと急ぐ旨を伝えた。

 

「ハッ! お気をつけて! というわけでお猫様二人きりですっ!」

「はっ!? ま、待つにゃ兄! 行くならみぃもふぎゃぎゃーっ!!? ぎゃにゃああっ! よすにゃやめるにゃ! 兄! 兄ぃいーっ!! 待つにゃ閉めちゃだめにゃ置いてっちゃいやにゃああーっ!!」

 

 無情。

 邵に飛びつかれた美以の声を聞かなかったことにして、ソッと後ろ手で扉を閉めた。

 

……。

 

 部屋を出ればあとは早い。

 キッと俯かせていた顔を持ち上げ、蜀側の屋敷を目指して駆ける。

 廊下を駆けて城庭という名の中庭に目を向けつつ駆ける。

 さすがに夜ってこともあって、誰かが鍛錬をしているということもない……わけでもなかった。

 禅が松明の光の下、模擬刀を振るっていた。

 そういえば最近はあまり付き合ってやれてなかった……が、すまない、今日は……っ! 今日は勘弁してくれ……! 今度、時間が取れたら全力で手伝うからっ……!

 そうして駆ける途中、屋敷の門の警備をしている兵に呼び止められた。

 

「あ、北郷隊長? こんな時間に何処に───」

「男としての危機を解放しに!」

「………………」

 

 静かな敬礼だった。

 静かで、けれど……とても誇らしげで、凛々しくて、温かい。

 そんな……綺麗な敬礼だった。

 

(なんか誤解されてない!?)

 

 そうは思うが立ち止まってもいられない。

 なんか後ろから「大勢の女性に好かれるかぁ……いいことばっかじゃないよなぁ……」なんて聞こえたけど気の所為だ!

 そんなことを考えている暇があるなら走れ! 走るんだ! 走って、そして軍師様と話をして、それで───それで……!

 様々な思考が回転している中、門を抜けて蜀側の屋敷が存在する場所までを駆ける。

 大丈夫、朱里と雛里が居る部屋は記憶している。

 今日は部屋を交換しましょう、なんてことが無ければそこに居る筈。

 そこでなんとか説き伏せて───

 

「貴様何処へ行く。止まれ」

「キャーッ!?」

 

 音も無しに隣に現れ併走する気配に絶叫した。

 貴様って時点でもう誰だかわかるものの、だからって驚かないわけじゃないんだから勘弁してほしい。

 でも止まらない。

 止まらない、事情も説明しないと知るや、彼女は実力行使に───って速ァッ!!? もうちょっと時間かけません!? 三回は訊ねてみるとかさ! キミ仮にもさっきは俺を守るとか言ってた人じゃないですか!

 

「───」

 

 手が伸びる。

 俺の腕を極め、力ずくで止めるつもりなのだろう。

 なんかもうこんな状況に慣れきってる自分が怖いが、そう……慣れてるからこそ。

 

「悪いけど本気だっ!」

「っ!?」

 

 俺を捕らえようとする手を逆に掴む。

 すると咄嗟に───反射的に手を自由にしようと、人は手を引っ込めようとする。

 その動作に意識が集中した瞬間、体では走る動作を、氣では足払いを行使して、意識の外から思春の足を払う。

 手を引っ込める方向へと、体を流すのを手伝うように。

 ついでに掴んだ手から思春の氣と自分の氣を同調させて、氣の方向も無理矢理変えてやると、思春の体が肩を軸にするようにぐるりと勢いよく回転する。

 

「これは───!? くぅっ!」

 

 驚くくらいに綺麗な回転。

 驚くくらいに、というか驚いた。

 漫画であるような合気の投げは大げさだなんて思ってたけど、氣が合わさると本当にこんなに───あ。

 

「気を緩めたな」

「いや違───いだぁああーっ!?」

 

 宙に投げ出されたと思った思春さん。

 俺の手を逆にギュリィと両手で掴んで、首に足を絡めてきて地面に叩きつけてきました。

 膝が顔面に当たってたら、とんだ虎王でございます。

 ええつまり、腕……極められちゃってます。

 

「さあ言え。さっさと言え。貴様、何処へ行くつもりだった。部屋に居ろと言った筈だが?」

「いだだいだだだだ!! ちょっと待った痛い! でもやわらか───いだぁあーだだだだだー!?」

 

 うつ伏せ状態で右腕を天に翳すように捻られ、首には足が絡まって……苦しいけど太腿がすべすべしててってだから違う!

 なんでふんどしなんですか思春さん! 最近は夜は庶人服だったじゃないですか! なんで───はうあそうだった柄を部屋に戻してたから着替える時間なかったんですねごめんなさい!

 

「え、えと……! 最近みんなの様子がおかしい理由がわかって、その大元である人物と話をしにいこうとしてたんだっ! おかしなことをするつもりはないからとりあえず手を離してくれると嬉しいなぁ!」

「……だったら先にそう言えばいいだろう。私は止まれと言ったはずだが?」

「それだけ急いでたんだってば! ちょっ……わかった、全部話す! お願いだ本気で急いでるんだ! 離してくれ思春!」

「うっ……? な、なんだという……」

 

 戸惑った声。

 けれど、離してくれた。

 …………あれ? 背中からはどいてくれないんですか?

 ええい構うか負ぶってでも前へ進む!

 

「ふわっ!?」

「おんぶ完了……! いくぞ思春! これは孔明の罠だ!」

「な、なんだとっ!?」

 

 驚く彼女を背に、手は膝裏を抱えるようにして走る!

 漫画とかではよくお尻を持つようなおんぶを見るが、気をつけろ! あれは主に子供を負ぶるやり方だ! 女性にやれば殴られても文句は言えない! ていうかそんなことやってまともに負ぶれるもんか!

 

「北郷……罠とはどういうことだ」

 

 本気声が耳元で放たれる。

 俺はそれにごくりと喉を鳴らしてから、確信に到るまでのことを走りながら説明した。

 そしたら

 

「待て」

「あぽろ!?」

 

 ごきゅりと首を捻られました。

 さすがに止まらざるをえず、止まった瞬間に思春は俺の背からするりと降りた。

 そして一言。

 

「馬鹿か貴様はいや馬鹿か」

「間くらい置いて!? 繋げて二度馬鹿とかやめて!?」

「北郷。貴様の仕事はなんだ」

「支柱です」

「そうだ。同盟の証であり、さらには次代を担う子を育むための種でもある。それが、よもやその行為を断るとでも言う気か?」

「………」

 

 それは、そうだ。種馬~とか言われてはいたが、今現在の自分はまさにそれ。

 いや、いい。それはいいんだ、それはもう覚悟の内に入ってる。

 でもね、思春さん。俺が止めたいのはそういうことじゃなくてね?

 

「あ、あーその……思春はその……賛成?」

「当然だ」

「本当の本当に?」

「くどい」

「……将の数だけ子供が一気に出来ても?」

「くどっ───………………と、当然だ」

「今でさえ街を歩けば将ばかりが騒ぎを起こしてるのに?」

「うぐっ……!? ………………と、…………ぐぅ……」

「いや、うん。俺もね、子供を作るのは……その、恥ずかしいけどさ、いいと思う。国が国として歩んでいくためには必要だし、そもそもそのことに関しては、もう胸に覚悟として刻んであるからさ。それはいいんだ」

「なに? では何故あんなにも焦っていた」

「あー……」

 

 それはその、と、頬を掻く。

 どう説明したものか。

 

「女性だもんな、そりゃ……若い内に子供が欲しいよな。もう8年だもんな……不安になるの、わかるよ。子供たちも元気に成長してるし、そんな子供を見てたら自分もって思うのもわかる」

「ああ」

「述なんか自分の得意分野を見つけたって、すっごい笑顔を見せてくれるようになってさ。嬉しかったなぁ、ほんとに」

「う、うむ。そうだな。うむ」

 

 述の話が出てきたら、なんだかちょっとだけ思春の胸が前に出た気がした。

 胸を張っているんだろうか。

 

「言った通り、それはいいんだ。なんだかんだで俺も子供は可愛いし、そんな子たちと一緒に生きていけるのって、楽しいって思える。まあ……会話が出来るまでは正直長いし辛かったりもしたけどさ」

 

 もう一度頬を掻いて、少し溜め息。

 それを話題を切り替える溜めとして……じゃあ、本題を。

 

「俺が止めたかったのは子作りじゃないんだ。……朱里と雛里が見てた、房中術に関してのことだ」

「───…………?」

 

 ぽかんとした顔で見られた。

 わかる、うん……わかるよー、思春さん。

 子作りの話じゃないのになんで房中術の話になるんだーってことだよね?

 

「えっとな、朱里や雛里は……って、ここで言ったら結盟契約違反に……マテ、既に盛大に隠し事されてるぞ俺。これがよっぽどのことって条件なんだとしても、俺も関わってる時点で教えて貰わないと困るわけだし───よし」

 

 トンと胸をノック。

 すまん朱里、雛里……これも今後のためと思って目を瞑ってくれ。

 俺も目を瞑るから。

 

「えっとな……」

 



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137:IF2/嗚呼、愛といふものよ②

 それから場所を移動して……城門の傍……松明の下での、女性に房中術についての話をするという、なんともこっぱずかしい時間が始まった。

 近くに居る門番は、なんというか“いつもいつもご愁傷様です”って感じで目頭をぐっぐっと押さえている。いや、せめてご苦労さまですって言って!? いつもいつもご愁傷さまってなに!?

 

「……なに……? 読んでいる書物が、そもそもおかしい……?」

「そうなんだよ。や、そりゃあ書いてあること自体にそうそう間違いは無いと思うよ? でもさ、ちょっと進みすぎてるんだ。進みっていうのは過激って意味でのことで、その……なんというか」

「なんだ。はっきりと言え」

「縄で縛るとか蝋燭を垂らすとか平気で書いてまおぶぅっふぇえっ!?」

 

 キリッとした表情できっぱり、と言った途端にボディに突き刺さる拳。

 見れば、真っ赤な顔した思春さんが俺にボディブローをおごごごご……!!

 

「な、なな縄……!? 蝋燭……!? それが何故房中術になる!」

「わっ、わー! わーっ! しーっ! 思春っ、静かにっ……! そんな大声で房中術とかっ……!」

「!? …………」

「!! あ、う、ご、ごほんっ! じょ、城門、異常なーし!」

「…………~……!」

 

 あ。頭抱えた。

 門番のささやかなスルーが余計に心を抉ったらしい。

 

「つ、つまり……!? 貴様が朱里様や雛里様を止めたかったのは……!」

「そう……そんな行為が“普通である”なんて知識がみんなに植え込まれてたとしたら、俺……子供を作るどころか───」

 

 新たな世界の扉を開いて、もう帰ってこれなくなるかもしれません。

 遠い目をしてそう呟いた。

 思春は「必ずしもそうであるとは限らんだろう」と言ってはくれるが、

 

「蜀の有名軍師が事細かに説明して、しかも自信満々だったら?」

「う……」

「そうだと教え込まれて頷いたのが、春蘭や華雄だったら?」

「うぐぅっ!?」

 

 折れた。

 陰の差した表情でどんよりとして、けれど俺を真っ直ぐに見ると、何故かぽむと肩に手を置いてきた。

 そうしてから、すぅ……と息を吸うと、キリッとした顔になって俺に言ってくれた。

 

「急ぐぞ。まだ間に合う筈だ」

 

 ぺっぺらぺー! 思春 が 仲間になった!

 ……どうしようどうしようと思っていた心に、ファンファーレが鳴った。冗談抜きで、架空だろうと鳴った。

 

「え……て、手伝ってくれる……のか?」

「忘れたか。私はお前に就いている」

(憑いているの間違いじゃないよな……)

 

 無言で通せばいきなり掴みかかってくる憑依霊なんて勘弁です。けど、まるではぐれメタルが仲間になる瞬間を迎えた気分でした。

 彼女が居れば……そう、相手は二人なのだ。二人で向かってこそだ!

 

「うん? ……いや待て、お前は部屋へ戻っていろ。雪蓮様のご命令だ」

「あれぇ!? そこには反逆しないの!?」

「雪蓮様の行動とお前の言うことが関係性を持っているかなどわからん。もし違っていたとしたら、どう言い訳をするつもりだ」

「ウワァアァァ……!!」

 

 確かにそうだった。

 だってあの雪蓮だ。

 話を聞いていたのに居なかったとなれば、それを理由にどんなことを要求されるか……!

 

「お前は部屋へ行け。朱里様と雛里様の下へは私が行く」

「え……思春、お前……」

「勘違いをするな。お前にはまだまだ述の親として、やってもらわねばならんことがある。行為の果てに死んだなど笑い話にもならん上、仮に生きていられたとして、習った房中術で片親が死に掛けたなど、とんだ笑い話だ」

「わあ」

 

 まるで男のツンデレさんだ。

 まさかこんな状況での“勘違いをするな”をこの目で見られるとは。

 でもそっか。……そっかぁ。

 ちゃんと親として見てもらえてたんだなぁ。

 片親……片親かぁ。

 

「……なにを笑っている」

「いや、なんでも。じゃあ、任せる」

「言われるまでもない」

 

 言って、思春は駆けていった。

 途中から呼び方が“貴様”から“お前”になってたの、気づいてたかな。

 まあ、いいか。どっちでも。

 

「がんばれ、かーさん」

 

 にかっと笑って、状況にくすぐったくなりながら、張り上げるでもなく普通に言った。

 ……するとドグシャアとズッコケる思春さん。

 あれ? 聞こえた。

 もう結構離れてるのに、耳いいなぁ……とか考えてたら、庭の松明の下、ふるふると肩を震わせていた彼女は……立ち上がる途中も立ち上がったあともこちらを見ず、そのままゴシャーと逃げるように走っていった。

 ……ああ、うん……聞こえてたねアレ……絶対に。

 べつに、なんかこう、いっつもキリッとした顔なのにちゃんと母親やってて、こうやって俺のことでも真剣になってくれる姿を見て、軽く……そう、ほんと軽く。

 家族って、妻って、母親って、こんな感じなのかなって思ったから、ついぽろっと口からこぼれた言葉。

 思春は振り向かなかったけど、そっか。ズッコケるほど驚いたのか。

 苦笑しながら門番の兵を見ると、彼も困った顔をしていた。

 

「なんというか……俺って、つくづくそういう言葉を言ってないんだなぁ……」

「北郷隊長……それは人数的にも仕方ないかと」

「うぐ……ありがと、そう言ってくれると少し救われる……」

 

 門番と顔を見合わせて、とほーと息を吐いた。

 好きだとか愛してるとか、最後に言ったのは絡繰で空を飛んだ時だったっけ。

 そんな頻度でしか言ってないんじゃ、そりゃあ急に言われればびっくりするよなぁ。

 それも、好きだとかじゃなくて“かーさん”。正式な妻という括りがないくせにそんな言い方をされれば、なぁ……。

 

「今度、隊のみんなでメシでも食いにいこうか。俺の奢りで」

「え……いいんですか?」

「うん……俺が無事だったら」

「なんというか……頑張ってください」

 

 やがて歩く。

 会議があったと美以は言った。あった。過去形なのだ。

 既に事細かに説明がなされて、ただただ疑問符がつく平和が続いたと考えるべき。

 その平和の裏で、いったいどんな房中術が磨かれたのかは……考えたくない。大体なんであの艶本は異様にマニアックなことしか書いてないんだよ!

 もしかして著者の趣味ですか!? 勘弁してくださいあんなのを本気で実行された日には、春蘭とか華雄に絞殺されてしまいます!

 

(“痛みを伴うが慣れればそれも快感に”とか、痛みをぶつけてくる相手の腕力もちったぁ考えて書けちくしょうめぇええっ!!)

 

 やばい、本気でやばい。

 子供がどうとか以前に本気で死ぬかもしれない。

 相手は本気で子供を欲しがっている。会議をするほどだ。みんなと言ったからには本当にみんななのだろう。

 それはいい。子供はいいです。

 でも参考にする本がヤバイ。

 互いに興奮を高めましょうなんて時に、じゃあSMで、なんて来てみろ……! あのみなさまの惜しみない腕力がこの身に降り注ぐ……! それも相手に興奮してもらいたくてという善意で……!

 

「ア、アレ……? 視界が滲んでる……なんでだろ……。なんで今さら、毎晩くたくたになるほど励んでいた頃を思い出すんだろ……。辛いと思ったこともあった筈なのに、懐かしいのはなんで……?」

 

 風に水っぽいとか言われたことさえ遠い日に感じる。

 今……部屋に戻ったら何が待っているのだろう。

 そんな心をあざ笑うかのように、自分の部屋たる建物が見えてきた。

 

「………」

 

 ゴ、ゴクッと喉が鳴る。

 怖い。

 足が竦んで歩けない。

 そう離れていない中庭では、今も禅が鍛錬をしているのに。

 

「………」

 

 ひたむきに剣を振るう姿は、親の贔屓目で見ても綺麗なものだ。

 そんな娘に情けない親だと思われたくない。

 だから……今こそ勇気を。

 絶対に死ねない。絶対に死なない。

 必ず生きて、この大陸の先を見届けるんだ。

 

(部屋に戻るだけなのに、どうしてこんなにいろいろなものが愛しく感じるんだろうなぁ)

 

 さあ行こう。

 この恐怖もいずれは慣れる。

 案外俺の勘違いで、いつも通りの未来が待っているのかもしれないのだから。

 

(なに一刀? 愛の先に命を刈り取られるかもしれないのが怖い? 一刀、それは奪われると思うからだよ。逆に考えるんだ。“差し出しちゃっていいさ”と考えるんだ)

(も、孟徳さ───誰!? いやちょっ……誰!? ジョースター卿!?)

 

 脳内孟徳さんも絶賛混乱中らしかった。

 でもそっか、この身は魏に捧げた。

 それから三国に捧げ、今、ここに支柱として立っている。

 ならば───

 

「殺されて本望!」

 

 今こそ命を賭そう。

 生命を創るというのなら、それ相応の代償を以ってこれを為す!

 さあいくぞ元呉王……こちらの覚悟は───今決まった!

 

……。

 

 で。

 

「あ、一刀っ、何処行ってたのよもう! って、あぁいいわ、とにかくちょっと手伝って! 述に挑まれて遊んだんだけど、これが面白いくらいに勝てなくてね~! 悔しいから今度はこっちからいたぁあーっ!?」

 

 部屋に戻り、雪蓮を確認。

 用件を聞くなり彼女が持ってきていたハリセンで頭をぶっ叩きました。

 邵と美以は……居ないな。あれから美以が逃げて邵が追った……とかかな。

 

「ちょっとー! なにするのよ一刀ー!」

「お黙れ」

「お黙れ!?」

 

 ええはいもうなんて言ったらいいんだろうなぁこんちくしょう……! 人が散々っぱら悩んで答えを出して、覚悟まで決めてやってきたというのに……!

 

「雪蓮さん。部屋に居ろって、これをするため?」

「? 他になにがあるのよ」

「企みごとの件は?」

「企み? んふふー? なんのことかしらねー♪」

 

 にこー、と笑ってとぼける雪蓮さん。

 そんな彼女に向けて、ぼそりと「子供」と言うと、

 

「! ……誰かが漏らしたのね。やるわね一刀、準備が整うまでバレない筈だったのに……!」

 

 飄々とした表情が一変する。

 いつもの胡散臭いにっこり笑顔ではなく、瞳孔が虎のそれへとギュンと細められるような、そんな鋭さを持った。

 

「雪蓮。質問、いいかな」

「……答えられないこと以外なら、ね」

 

 ニヤリと笑う雪蓮は、この状況を楽しんでいるようだった。

 まあ雰囲気は出てるけど、別に扉開けてさっさと去ってしまえばそれで終わる状況だもんなぁ。

 

「そか。じゃあ……朱里と雛里から、艶本を糧に得た知識を聞いたね?」

「もっちろん。一刀にあんな趣味があったなんて知らなかったわー」

「やっぱり盛大に誤解してるよドチクショウ! 雪蓮さんちょっとそこへ直りなさい! 今から全部説明するから!」

 

 どうしてこうこの人は自分が面白いと思ったことに全速力で突っ走るかなぁ! わかる部分もあるけど、相手の迷惑もたまには考えて!? 巻き込まれても結局最後が楽しかったりするから余計に性質が悪いのかありがとうなのかああもう!

 

「えー? もう一刀の趣味ってことでいーじゃない。その方が面白いし。あ、もちろん私はそんなこと信じてないわよ? 一刀の趣味だーとか言い出したのって春蘭だし」

「一度だってそんなことなかったのになんでそんな受け取り方してんのあの人!!」

「あぁほら、あれじゃない? 春蘭自身が華琳に焦らされたり苛められたりするのが好きそうだから、そういうところから考えが枝分かれした~とか」

「───」

 

 一発で納得してしまった。

 そこに桂花が居たら、それはもう盛大にヤバイことに……あれ?

 

「会議を開いたって聞いたけど、桂花は居なかったのか?」

「そりゃ居ないわよ。子供が欲しい者の集いだったんだし」

「あー……」

 

 あの猫耳フードさんがそれを望むわけもないか。

 

「……じゃあ、えっと。こう、言い出すのって非常に難しいんだけど、あ、あー……よし、言う、言うぞ?」

「? え? なになに? 面白いこと?」

「雪蓮、キミね……。人が恥ずかしがってるのに、最初に出てくるのが面白いことかどうかの確認って……」

「面白いじゃない。特に華琳とか愛紗とか。恥ずかしがってる華琳をからかうのが面白くないなんて、言わせないわよ?」

「うん、あれはいい」

 

 力強く頷いた。……じゃなくて。

 代わりに手酷いしっぺ返しが待っているものの、言葉に詰まったり顔を真っ赤にして狼狽える華琳は……って、そうじゃないってば。

 ……いいものだとは思うけど。

 

「はぁ、いい感じに力が抜けたよ。じゃあもう気にせず訊くけどさ」

「うん、なになに? あ、べつに私、まだ周期じゃないわよ?」

「うわーい力が余計に抜けたー」

 

 こういうことって、女性本人の方が簡単に言えるものなのでしょうか。

 女同士ならわかるけど、男相手にそんな、挨拶のついででモノを言うみたいに……。

 

「え? なに? 訊きたかったのってそれなの?」

「まあ……そうなんだけど、まさか本当にただ遊びに来ただけとは思わなかったよ……」

「いーじゃない、娯楽があるなら手を出すべきよー? じゃないと冥琳みたいに眉間に皺を寄せて生活するはめになるんだから。息抜きは必要でしょ?」

「冥琳の眉間の皺の原因の大元が何言ってやがりますか」

「あっははっ? いいのいいの、冥琳は無茶を言われてやる気を出す性格なんだから。振り回されてもきちんと纏められるから、呉で軍師なんてしていられるんだから」

「それ、絶対に蓮華に言わないほうがいいぞ……」

「言ったわよ? 激怒されたけど」

「想像の先を行き過ぎるのも大概にしようね!? どうせならいい方に行き過ぎてよもう!」

 

 酒の匂いはしないのに、酒が入った時くらいに上機嫌な元呉王さま。

 遊びに来ただけっていうならそれはそれでいいんだけど……まあ、いいって思えるならいいか。

 

「はぁ。じゃあ、思いっきり遊ぶか」

「んふふー……一刀ってなんだかんだ言っても付き合ってくれるからいいわよねー。冥琳は付き合ってはくれないからねー」

「雪蓮のことだから、誘ってもノってこない冥琳の頭にハリセン落とすとか普通に……ああ、もうやったパターンだなこれ」

「ぱたーんってのはよくわからないけど、やったわよ? この遊びに誘う時はこうするんだー、って一刀が言ってたって理屈で」

「なにしてくれちゃってんのちょっとぉおおおおおおっ!!!」

 

 ああああもう本当に人の平穏に刺激を流し込むのが好きな元王だなぁ! ならばもはや遠慮は要らぬ!

 現代日本男児として! うぬのその遊び心……存分に叩き折ってくれるわぁあーっ!!

 



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137:IF2/嗚呼、愛といふものよ③

 しゅうううう……。

 

「うぅううう……」

「いや……うん……正直すまんかった……」

 

 氣を全力で使って、加速で取って加速でぶっ叩きました。

 じゃんけんの際にも雪蓮の指の動きに集中して、薬指と小指が動いたら俺はチョキ、何処にも動く感がなかったら俺はパー、人差し指と中指が動いたら俺はグー。

 それらを正に全力でやった結果……落ち込んでいる呉王さんのお姿。

 ……が、なにやら急にキッとなって俺を睨んだ。

 

「娯楽は楽しむためのものって言ったのは一刀でしょー!? なのに全力でやるなんて、一刀ってば大人げないわよー!」

「その娯楽を冥琳の激怒を浴びせることから始めようとしたヤツがそれを言うかぁあっ!!」

「言うだけなら“ただ”でしょー!? いいわよっ!? こうなったら遊戯室に行って片っ端から勝負といこうじゃない!」

「やらいでかっ! 全部で勝って思い知らせてやる!」

「私だっていつまでも勘だけで勝てるだなんて思ってないんだからね……? 後悔させてあげるわよ、一刀!」

 

 いざ、扉を開けて外の世界へ───!!

 

 

 

「───…………なにをしている」

 

 

 

 ───行った先に般若が居ました。

 雪蓮と二人、燃える遊び魂が一気にコキーンと凍りつく音を聞いた。

 

「は、はああ……! しっ、しししっしし思春さん……!?」

 

 蛇に睨まれたカエル、という言葉を思い出しました。

 ああうん、終わった。なんかもうこれダメなパターン。

 ならばと、そろっと逃げようとする雪蓮さんの首をやさしくやさぁ~しくネックロックして引き止めると、僕は静かに天を仰ぐのです。

 

(片親に重要なことを任せて、片方は遊ぶ。…………激怒でしょう)

 

 雷が落ちた。

 本日快晴、雲のない綺麗な月の夜に、それはもう盛大な雷が。

 静かに怒るタイプの思春にしては珍しく、いや……もう本当に珍しく、顔を真っ赤にしてガーミガミガミと怒られました。

 え? 僕と雪蓮? ええはい、正座です。いつものスタイルにございます。

 眼力だけで自室に戻されて、眼力だけで正座をさせられて、眼力だけで怒られるがままのぼくら。

 これで一応三国と都を合わせての重要人物な二人だというのだから、なんとまあ……そりゃ怒るよなぁ。

 

「貴様私がどんな気持ちであの部屋に踏み入ったか……!! 気配を消して、他国の衛兵の目を潜り抜ける行為までさせておいて、き、きさっ……貴様ぁああ……!!」

 

 ギャアア予想の遥か天空を貫いた怒りをお持ちでいらっしゃるぅううーっ!!

 

「いいぃいいいやあの大丈夫雪蓮からはちゃんと今回の会議の話も聞けてネッ!? そほっ!? そっ……そんなことからいろいろと言い合ってたら、なんか勝負だってことになっちゃってだだだだからあのそのごごごごめんなさぃいいいっ!!!」

 

 必死の言い訳。

 途中から声がひっくり返ってしまったりと余裕もなしに口早に。

 しかし思春さんはきちんと聞く姿勢は取ってくれて、

 

「ほう……? ならばその会議の話とやらを事細かに話してみろ」

(エエエエエェェェェェエエエエエエ!!?)

 

 いやあの事細かって!

 今俺頭真っ白で……! あ、あれ!? なに言われたんだっけ!?

 雪蓮さんなんて言ってたっけ!? あぁああでもここで雪蓮に訊くのは物凄いアウト臭が……!

 

「エ、エート」

「ああ」

「ソノ……」

「ああ」

「………」

「………」

「お、美味しいオムレツを作る時はタマゴは三つじゃなくて二つ───」

「───」

「ギャア待ってやめて鈴音抜かないで現状の恐怖で思い出せなくなってるだけだから話し合ったのほんと話し合ったの信じてお願い!!」

 

 おぉおお回れ俺の思考回路! じゃないと本当にヤバイ本気でヤバイ!

 なななんだったっけ関係者の顔を思い出せばピンと来るはずだ! ていうか雪蓮さん!? この状況で人の慌てっぷり見て大爆笑ってアータ!

 えーとえとえとそうだ華雄! 華雄で……周期! そう! 思い出した!

 

「周期の話! そうっ! み、みんなが夜にやってこないで、俺に精のつくものを食べさせてる理由とかがわかったんだ! ってこれは美以の話を聞いた時点でわかってたことだった! あぁでもそこらへんのことに確信を持てたって意味では決して無駄ではなかったわけで! えーとえーとつまりそのぅ! 結論から言いまして、やっぱり皆様子供が欲しかったというところに落ち着くわけで……!」

「……そうか。わかった、それはいい」

(……ほっ…………ほぉおぅぉおおおぁあああ……!!)

 

 腹の底から安堵の溜め息。

 あからさまにやると睨まれそうなので、長く静かに吐き出しました。

 そんな俺を余所に、思春はちらりと笑っている雪蓮を見て一言。その一言は予想がついたので、即答できる準備をした。

 

「で? 雪蓮さまと遊んでいた理由はなんだ」

「この人が述に負けたのが悔しくて勝てるようになりたいからって僕に遊べって言ってきたんです」

「ちょぉっ!? 一刀!?」

 

 先ほどまでの慌てっぷりが嘘のように、キッパリでいて淡々と説明出来ました。

 そして、説教中だというのに笑い転げていた所為で、思春さんから物凄く鋭い眼光で睨まれる雪蓮さん。

 

「え、えと……うわー……? 思春、なんだか前より怖くなってない……?」

 

 雪蓮さん。知りなさい。

 母は強し。

 それ以外に教えてやれる言葉はないけれど……女性というのはそれだけでも十分なのです。

 

「さて、雪蓮さま。いろいろと唱えたい言もございましょう。しかし一歩踏み込み、私は“母として”言を放たせてもらいます」

「母として!? へ、へぇえ……あの思春が言うようになったわね~」

「うわバッ……こういう時の思春にからかうような言葉はっ……! ぁああ思春さん!? 今のはキャーッ!?」

 

 目を向けた刹那、俺は般若を見た。

 ええ……落雷は直後でした。

 それから説教は続いた。……それはもう続いた。

 あの雪蓮が半泣きになるほどの正論攻め。

 ”~……っ! そのような在り方でっ! 子を欲しがるとは何事かぁああーっ!!”、から始まった彼女の言葉は、返す言葉もない雪蓮さんをとことんまでに追い詰め───

 

「な、なんとかなるわよっ! 私の勘がそう告げているわっ! ふきゃーうっ!?」

 

 勘ばかりがどーのこーの言っていた雪蓮さんがそう仰った瞬間、俺はハリセンを落とすのでした。

 

「ちょ、なにするのよぅ一刀ーっ! い、今そんなことすると泣くわよ!? ほんとのほんとに泣くわよーっ!?」

「ああ、うん……雪蓮……。俺には見えるんだ……。俺か冥琳に子供の世話を任せて、身籠っていたために遊べなかった分を存分にと駆け回る元呉王の姿が……」

「うぐっ……!? わ、私だってさすがに子供が出来ればそんなことっ………………」

 

 …………。

 

「………」

「………」

「………」

「……あ、でも、いつか成長した子供と遊ぶためにも、そういうのは必要いぃったぁあーっ!?」

 

 攻撃用ハリセンと防御用メットが、俺と思春の手によって一閃ずつ放たれた。

 

「よし思春、ちょっと雪蓮押さえてて。今、冥琳先生を召喚するから」

「わかった」

「うわわちょっとやめて!? ここまでやっておいてさらに冥琳はないでしょ!?」

「雪蓮さま。北郷から教わった、教育に向けて語る言葉にこのようなものがあります」

「うぅ……なによぅ」

「───痛くなければ覚えません」

 

 訪れる沈黙。

 その隙に俺は外へと出て、直後に聞こえてくる喚き声。

 俺はゆっくりと呉側の屋敷へ向かい、呉が誇る対雪蓮説教用パーフェクト呉国軍師さまを召喚。

 ……我が部屋が、修羅場となりました。

 

……。

 

 部屋が修羅場と化した俺は、冥琳に何処か適当な場所で寝てくれと頼まれまして、なんだったら私の部屋でも構わんと言われたものの……気になったので邵の……というよりは明命の部屋へ。

 しっかりとそこで寝ていた邵と明命……に、囲まれて息苦しそうに寝る美以をよそに、うわぁい寝るスペースないやー、と結局は冥琳の部屋で寝ました。

 ノックに気づかずに眠り続けるなんて、明命もやっぱり猫の傍じゃあ気が緩むんだろうなぁ。……美以、猫じゃないけど。

 で。明けて翌日の現在。

 

「それで旦那様は冥琳様のお部屋に居たわけですね。驚きました」

「うん、ごめんな。軽く起こしてでも事情を説明しておけばよかった」

「いえいえですっ、こちらこそその、雪蓮様が……その」

 

 呉の屋敷の明命の部屋。

 その寝台に腰掛けて、同じく隣に座る明命と話している。

 邵は……うん、昨日は散々と燥いだせいもあってか、疲れているようで寝惚け眼。なのにしっかりと背中側から俺の首に抱きついていて、時折「うぇぅるぁ~……」とよくわからない声を出してはこっくりこっくりと船を漕いでいる。寝なさい、そんなに眠いなら。

 ちなみに美以は、俺が冥琳の部屋を出てこの部屋を訪ねた時点で逃走。応対してくれた明命もさすがに引き止めることはせず、その時は眠っていた邵は、当然ながら追うことは出来なかった。

 

「けれど、そんなことが実行されていただなんて知りませんでした」

「俺も驚きだったけど……当然だよな。みんな、自分が得たなにかを誰かに……それこそ自分の子供に残したいって思うもんな」

 

 状況説明の都合上、明命にはあのことを話した。

 多少驚いていたものの、やっぱり頷けるところがあったのか、俺を見上げてくる瞳。

 そんな顔をしなくてもきちんと受け止めるからと頭を撫でて、これからのことを少し話した。いえ、房中術の話ではなくて。

 

「朱里様と雛里様にはもう話は通してあるのですか?」

「うん、思春がなんとか説得してくれたらしい。早速今日にでも会議を開くらしいよ」

「……そこでまた、奇妙な誤解が広まらなければいいのですが」

「だよね……」

 

 ちなみに結盟条約違反の話については、コトがコトなので俺に相談出来るはずもなく、朱里も雛里もそのことでは随分と罪悪感を感じていたらしい。

 会議があった日から今日までだ。随分と胸を痛めていたことだろう。急に知った俺も随分と焦ったんだ、その重さを想像すれば、まあ……許そうって思うのは当然だった。

 むしろ……“周期”の話になるけど、全員が全員都合よく別の日に来るとは限らず、むしろ今までが静かだった分、一気に来るんじゃないかって……その場合はもちろん全員相手にしろとのことなので、余計に我が身が無事でいられるかが心配になってきた。

 

「皆様の子供がどんな子になるのか、今から楽しみですっ」

 

 胸の前で手を合わせる明命さんはとても楽しそう。

 俺もそれは楽しみだけど…………その前に自分が無事でいられるかが心配で心配で。

 

「朱里と雛里は誤解を解きますとは言ってくれたみたいだけどさ……。もし春蘭や華雄がそれを余計に曲解したら……」

「…………」

「そっと視線逸らさないで!?」

 

 やっぱりそこは、明命も心配の種ではあったらしい。

 うん、まあ……縄や蝋燭プレイが誤解だったと知らされても、“使い方が違うのか!”とか妙な誤解を誕生させそうなんだよなぁ……特に春蘭。

 ……みんなで食事、行けるといいなぁ。

 昨日は乗り越えられたけど、果たして俺は……春蘭が周期になった際、無事でいられるのかどうか。

 まあ……今は今出来ることをやったり楽しんだりしようか。

 難しいことは難しい時に考えよう。

 

「よしっ、それじゃあ散歩にでも行こうか」

「はいっ! って、仕事は平気ですか? 私は夕刻からですが……」

「ん、大丈夫。少しくらい溜まってからやるのも、たまにはいいよ」

 

 探せばある仕事。たまには探さずに溜めてみましょう。

 もちろん溜めてたら他が進まないっていうなら優先的にやるけど。

 

「ほら邵~、散歩いくぞ~」

「はゆぅ……」

「あ、あはは……“はい”すら言葉に出来てませんです……。では、僭越ながら私が」

 

 珍しく得意顔で、トンと胸を叩く明命さん。そんな彼女が、俺の首に腕を回してまどろみの中に居る娘を───

 

「あ、お猫様です」

「どこですかっ!?」

 

 ───予想出来なかったわけじゃない起こし方で、起こしてみせました。

 なんか、親子って感じでつい笑ってしまう。

 

「は、う、はえっ……? お、お猫様は……」

「邵。散歩に行くから起きよう? お猫様は散歩の時に見つければいいから」

「え? は、はい……? あ、父さま、おひゃよごひゃふぁふふ~……あぅ」

 

 随分とまあ可愛い欠伸だった。明命もくすくすと笑っている。

 顔を真っ赤にする邵だけど、俺の首に回す腕は離すつもりはないらしく、背中というよりは肩に寄りかかるようにして、赤い顔で俺の顔の隣で俯いている。器用だ。

 

「じゃ、行こうか」

「はいっ」

「は、はい」

 

 首に抱きついたままの邵をそのままに、ハンズフリーなおんぶ状態で歩く。

 明命はやっぱりにこにこ笑っていて、邵はなんだかツッコまれないことに首を傾げている。

 そんな時に思い浮かべるのは、門番との会話。

 

(そうだよなぁ、俺ってあまり、人に好きだ愛してるとか言わないよなぁ)

 

 だからまぁ。

 たまにはこんな、当然とも思えるような家族サービスくらいは。

 

「よかったですね、邵。こうして好きな時に抱きつけるようになって」

「はうわっ!? かかかか母さま!?」

「そうだな。俺も飛び蹴りよりはこっちの方がいいかも」

「父さまっ! 蹴っていたのは柄姉さまですっ!」

「そうそう、そうやってもっと、自分の考えを口に出せるようになろうな?」

「はぅうっ!? う、うぅう……父さまも母さまもいじわるです……」

 

 美以を前にしたキミほどではないよと、にこにこ笑顔の裏側でツッコんだのは内緒だ。

 そうやって笑いながら部屋を出た。

 

「うん」

 

 さて、今日もいい天気。まずは朝食を摂って、それから散歩を楽しもう。

 街をぶらつくのもいいし、川へ行って魚を捕ってみるのもいい。景色を楽しむってだけでもいい。

 たまには心を癒して、日々の温かさに癒されよう。

 

 

 ……なんて思っていた俺が、町の片隅で縄と蝋燭を買う春蘭さんと華雄さんを発見、笑顔のままに立ちながら気絶したのは……これから少しあとでした。



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138:IF2/眼下の日常①

191/寂しがり屋が見下ろす景色

 

 美以言うところのお祭りの最初の相手が春蘭だったことを知り、気絶したのち。

 縄が首を絞めたり、蝋燭が体を焼いたりする前に蜀の軍師さまが割って入ってくれたこともあり、なんとか五体満足で朝を迎えた。

 散々と“なにぃ!? 話が違うではないか!”という意見が飛んだけど、じいちゃん……俺、生きてるよ……! 今日を迎えられているよ……!

 

「………」

 

 現在……隣で眠る春蘭を見て、何度目かの安堵の溜め息を吐く。

 無事に朝を迎えられたこともそうだけど、その……久しぶりだったので、少々加減が……。華琳の時のように泣くまでとはいかなかったものの、それこそ子供が出来ますようにと何度も何度も……。

 お陰でいつでもオールバック的な髪の毛は乱れ、前髪も額側に下りていて、パッと見では“春蘭だ”と認識できない。普段の性格からは想像出来ないくらい、穏やかに寝息をたてる美女が、そこにいた。

 

「………」

 

 で、まあ、思うのだ。

 これを、子供が出来るまで続けるのでせうかと。

 いや、そりゃあ体を動かす筋肉が疲れたなら、氣を使って体を動かす方法もあるのだ。実際今回もやった。

 けれどももちろん疲労はどうしようもなく溜まるわけでして。

 日が経つにつれ、他の人の周期がまだ訪れないことに、月の終わりを目指して進む日々に恐怖を抱き始めました。

 

「春蘭、春蘭~」

 

 けれどもそんな自分の恐怖と、彼女らの希望とはまた違う。

 俺も子供は欲しいし、国の先を担う子は、きっと何人居ても足りないくらいなんだと思う。そういったものを育むのも支柱の勤めだし、そうしていきたいと思う自分自身の夢でもある。

 

「ん、んん……?」

 

 肩に触れて揺すると、ゆっくりと気だるそうに開く瞳。

 それが俺を捉えると、途端に頬が赤く染まった。

 

「おはよ」

「う、あ、う、うぅ……あ、あぁ」

 

 その赤が顔全体を覆うと、彼女は自分の格好に気づいて自分の鼻の頭まで布団を被ってしまう。

 いや、うん。昨日は本当に……その、何度も何度もだったから。いやさ、おかしいんだ。原因はなんとなく予想がつくんだけど、一度始めたら歯止めが利かなくなったっていうか……華佗の針の所為だよね、絶対。

 あれだけの回数を深く深く……そりゃあ改めて顔を合わすのは恥ずかしいよな、うん。昨日は、どころか夜を跨いで、だったからなおさら。

 

「?」

 

 あれ? ちょっと待て?

 ……排卵日ってべつに、一日限定ってわけじゃなかった……よな?

 それじゃあつまり……排卵日が続く限り、その人とは何度も、というわけで……。

 前にも考えたことだけど、縄だのなんだのの誤解でさえこんなに気苦労が働くことを、それこそ子供が出来るまで幾度も……?

 

「───」

 

 俺、無事でいられるのかな。

 そんなことを、少し涙目になって思うのでした。

 

……。

 

 厨房で水をもらって、その場で朝餉の用意をしている凪に挨拶。

 そんな時に呼び出され、中庭の東屋へ。

 そこでは“秘密……?”の小さな集まりがあって、それがなんの集まりかを知る者は極一部。で、ここに集った二人は……

 

「はわわわわわ……!」

「あ、あわわわわわ……!」

 

 相も変わらず、はわあわと狼狽えておりました。

 

「いや、そんな怯えなくても……」

「いえあのでしゅねっ……!? 何度も言おうと思ったんでしゅよ……!? ある日急に愛紗さんがやってきて、“お前たちの知識が必要だ!”と言われて……!」

「ち……知識が必要と言われては……あう……張り切らないわけには……あわわ……!」

「よよよ夜に集まりがあるからと行ってみれば、急に“今まで溜め込んだその知識、存分に披露されませい”と言われましゅて……!」

「あ、あの狭い部屋の……中で……あれだけの人に……き、期待を込めた目で……見られたら……!」

「───……」

 

 蜀の兵を通じて呼び出された東屋。

 辿り着いてみれば結盟者である二人が待っていて、顔を見るなり「はわぁあーっ!」とか「あわぁぁああ……!!」とか、そんな声とともに泣かれてしまった。

 そして早くも許す以外の選択肢が見つからない状況。元々許すつもりだったのに、なんだろうこの罪悪感……。

 そうは思うも、俺の罪悪感よりも、先に裏切る形になってしまった二人の方が罪悪感は上なのだろう。だったら早くそんなものから解き放つためにも、泣いて怯える二人の頭を撫でて、

 

「大丈夫。怒ってないよ」

 

 そう告げた。

 

「ほ、ほんとでしゅ───はわっ!? い、いえ……! ご主人様ならきっとそう仰ると思ってましたから……!」

「だ、だから……ご主人様としてじゃなくて……あわ……結盟者として……」

「え?」

 

 はて、なんでだろう。

 許した筈なのに雲行きが怪しくなってきたような。

 なんて思った直後、二人から……『罰を与えてくだしゃい!』という言葉が放たれました。

 

「───」

 

 罰。

 いやいや、罰って。

 そりゃあそういう盟約だったけどさ。

 

「や、朱里? 雛里? そういうことは───」

「はうぅううううぅぅ~……!!」

「あぅぅううぅうううぅ~……!!」

「アウワワワ……!!」

 

 涙目の困り顔で見つめられてしまった。

 え……だめなのか? 罰は無しって選択肢、だめなの?

 そんなこと言われたって、罰って……いやいやいやどうしてそこで桂花の顔が浮かぶ! だめ! あっち方面の、華琳に言われて桂花にやるような罰はまずい!

 まずいので───

 

「あ、じゃあ。今日は凪が料理を作ってくれるそうなんだけどさ。例によって精がつくもの」

「はわっ!?」

「あわっ……!?」

「……辛いのとか、平気?」

「はっ……はわわわわ、はわわわわわわ……!!」

「あわわわわわわわわわ……わわ……!!」

 

 物凄い挙動不審さを目の当たりにした。

 汗を滝のように、視線はあちらこちらへ、けれど拒否できないそんな切ない状況。

 

「さあ軍師殿。この状況を覆す策はおありか!」

『ありません……』

「即答!?」

 

 妙なところで蜀が誇る二大軍師に打ち勝ってしまった、ちょっぴり虚しい朝の始まりであった。

 始まりであるからして、さあさと二人を促して立ち上がる。

 途端にビクゥと跳ねる肩が、辛さへの恐怖を見せ付けているかのようだ。

 そんな彼女らをさらに促して歩くんだが……ついてくる二人が今から奴隷商にでも売られるかのような怯え方&歩き方なのはなんとかならないだろうか。や、自分で促しておいてなんだけどさ。

 

「大丈夫だよ。凪の料理は確かに辛いのが多いけど、辛さの中にある旨味がきちんとわかる料理だ。辛さブームにあやかって、ただ辛いだけの料理を出す場所とは訳が違う。とても辛くてもきちんとラーメンの味がするラーメンと、ただ辛いだけで香辛料の味しかしないラーメン……どちらがいいかなんて訊くまでもないだろ? ラーメン食べに来たのにラーメンの味がしなかったらまるで意味がない」

 

 少し戻って、手を握って歩く。

 引かれるように、朱里が歩き、朱里と手を繋いでいる雛里も歩いた。

 

「だから大丈夫。凪の料理は美味しいよ」

「で、でも……辛い……ん、ですよね?」

「うん辛い」

「はわっ……!!」

「あわ……わ……!」

 

 きっぱり言ったら怯えてしまった。

 でもなぁ、辛さが苦手な人に、辛いけど美味い料理を知ってもらいたくなる気持ち、辛いもの好きの人ならわかると思うのだ。

 だから知ってほしい未知の領域。

 そうして怯える二人を急ぐでもなくゆっくりと引っ張って、厨房へ歩いた。

 のんびり歩く朝の空気は心地良い。

 なんというかこう……疲れた体に朝の空気はありがたいというか。

 出来ることなら朝一番でシャワーでも浴びたい心境ではございますが……あー、川にでもいけばよかったかも。

 いろいろ考えているうちに厨房には辿り着いて、もはや無言の二人とともに卓へ。そこへ、ずっと待ち構えていたとしか思えない速度で凪がお茶を用意してくれる。

 

「は、速いな……って、二度目だけどおはよう、凪」

「はっ。おはようございます隊長 」

「……朝から随分と凛々しいな」

「隊長に半端なものを食べていただきたくありませんから」

 

 わあ、朝から物凄くキリっとしてらっしゃる。

 あ、で、でもあれだよ? 今日はゲストさんがいらっしゃるから、あまり本気を出すと……。

 

「隊長は、辛さは平気でしたよね?」

「え? ああ、うん。平気だけど……あ、でもな、今日は」

「では仕上げに入らせていただきます!」

「へ!? やっ、ちょっ、凪!? 凪さぁーん!?」

 

 言ったところで届かない。

 もはや調理に集中しきってしまった彼女には、たとえ俺が何を言おうが……。

 

「はわわわわわわ罰が当たったんですきっと罰がはわわわわわわ……!!」

「しゅっ……ぐすっ……朱里ちゃぁあん……!!」

 

 …………神様。

 なんか罰を与える側の俺のほうが、物凄い罪悪感に襲われています。

 これが、俺が思春に話してしまったための罰なのだとしたら、結構キツいです……!

 香る料理の匂いはとてもおいしそうなのに、ちらりと視線を移せば脳内でドナドナが流れるような雰囲気。目を閉じて鼻から息を吸えばこの後が楽しみなのに、目を開けば……いっそ料理が来なければと思ってしまうほどに怯えている少女二人。

 ……どうしろと。

 あ、そ、そうだな、なにも全部が全部辛いわけじゃないだろうし、辛いのは俺が引き受ければ───

 

「隊長! お待たせしました!」

 

 ───……なんて思っていた時期が、つい数秒前までありました。

 どどんと置かれる赤。

 次いで置かれる赤、赤、赤。

 白い輝きを放つものが米しかないほどの状況下に、朱里も雛里もはわあわ言うことも忘れ、静かにぽろぽろと涙し始めた。

 い、いやいや大丈夫だよ二人とも! 凪の料理は美味しいから! 辛くても美味しいのが素晴らしいんだから!

 

「いただきます!」

「はいっ!」

 

 よほどに自信があるのか、彼女にしては珍しく元気に返された。

 頑張ってくれたんだろうなぁ……ありがたくいただこう。

 じゃあまずこっちの皿の赤から。……赤しかないけど。

 

「はむっ、ん、んん…………おっ? これ餃子かぁっ」

「はい。カリッと仕上げた餃子に餡をかけました。相性も考え、出来るだけカリカリさを損なわないよう仕上げた餡なのですが、どうでしょう」

「うん、美味しい。こっちじゃ水餃子が基本だから、焼き餃子とか揚げ餃子は嬉しいなぁ!」

 

 早速ご飯を掻っ込むと、浮き出してきた辛さが米に染みこんで中和される。この時の絶妙な刺激が好きだ。単体では辛いのに、ご飯と合わさるとこうも美味い。

 もちろん餃子だけでも美味しいが、やっぱりおかずはご飯とともにだろう。

 

「ほら、朱里も雛里も。ご飯と一緒に食べてごらん。怖かったら先にご飯を口に入れておくのもいいかも」

 

 個人的にはおかずのあとにご飯を追わせるのが好きだけど、やっぱりそれも個人の好みだ。辛さに刺激されて出てきた唾液に、ご飯の甘さが合わさる感覚がいい。

 さらに言えば辛さのために刺激に弱くなった口内に、熱々のご飯を放り込んではふはふするのがたまらない。

 こんな味を是非とも、知らずに怯える人たちに伝えたい。

 

「………」

「………」

 

 おそるおそる、箸を取ってご飯を。

 次いで、赤い餡かけ餃子をカリッと食べる軍師二人は───

 

「ふわっ───」

「ほわっ───」

 

 俯かせていた顔を持ち上げ、目尻に溜まった涙を散らしながら、頬を緩めた。

 

「は、はわっ、はわわわわ……! おい、美味しいです、美味しい……!」

「あわわ、かりかりしてて、はふはふして、ぴりぴりして、あかくて、しろくて……やっぱり辛いでしゅぅううううっ!!」

 

 珍しくも雛里絶叫。

 けれど少々の苦しみを見せただけで、涙を溜めつつも食事に向き合った。

 ……そう、そうなのです鳳雛殿───辛さにはクセになるなにかがある。

 それがなにかと唱えるならば、この北郷。それを魅力と唱えましょう。

 ひとたび口にすれば刺激にやられ、多少のつらさも覚えるだろう。しかし、何故か後を引く。もう一度その刺激が欲しくなる。やがてその刺激に舌が慣れた時───

 

「…………!」

「……、……!」

 

 ならば他の辛さとはどういったものなのか。別の辛い食べ物にも興味が沸くのです。

 餃子を攻略した二人は次に、隣の真っ赤な野菜炒めへ。それを口にして、辛さと旨味が上手く絡まったシャキシャキ感に感動。辛さに涙しつつもご飯をはむはむと食べて、次を次をと箸を進める。

 人の知識とは、なにも本のみから得られるものではない。

 未知を知ろうとすることを喜びと感じる知将ならば、舌で探る未知の味にも興味を示すと期待していた。

 そしてそれは、上手いこと彼女たちの味覚を掴んでくれたらしい。……二人とも、辛さと熱さで涙ぼろぼろだけど。

 

「あの……隊長? 箸が止まっていますが……お口に合わなかったでしょうか」

「へっ!? あ、いやいや美味しいよ! ちょっと二人の食べっぷりに驚いてただけだから!」

「……そうですね。私も、お二人のここまでの勢いを見るのは初めてです」

 

 新しい味に目覚めた人の食欲というのは、結構激しいものがある。

 用意された皿も多いため、こっちはあっちはと味を確かめる度に、子供のように目を輝かせる二人を見ていると、こちらも頬が緩んでしまう。

 しかし緩んでいるだけで終わるものかと、俺の胃袋も次を催促するかのようにぐるるぅと鳴った。笑いながら箸を持ち直すと、空きっ腹を鎮めるべく二人に負けない勢いで食べた。

 お腹の中が空っぽな、朝っぱらから辛いもの。

 ……後日の厠が怖いなぁなんて思いながら。



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138:IF2/眼下の日常②

 食事が終わり、結盟の件でいつまでもいつまでもぺこぺこと頭を下げていた二人を見送りつつ……これからのことを考える。

 二人はこれから会議に向けての重要なお報せ的な書類を作るそうだ。

 凪は兵の調練。で、俺は…………昨日の仕事も、結局散歩が終わってからやっちゃったしなぁ。ええ、もちろん気絶から復活してから。

 さて、それはそれとして仕事なんだけど……探せばあるものの、迂闊に首を突っ込んだ仕事の仕方をすると、他の人の仕事を奪うことになりかねないし……そこのところが難しい。

 お小遣い目当てで街での“バイト”を支柱がするのもアレだしなぁ……うーん。

 

「邵」

「ここに」

「いや、ここにじゃなくて」

 

 厨房を出たあたりから後方に気配。

 呼びかけてみれば出てきた邵は、俺を見上げるやにっこり笑った。

 

「お呼びですか父さまっ! 私はべつに、父さまの首を狙ったりなどしていませんよっ!?」

「だから首って言い方やめよう!? 意味はわかるけど怖いよ!」

 

 首に抱き付くのが好きかぁ……面白い“好き”を持つ娘に育ったもんだなぁ。

 

「こほん。いやな、わざわざ待ってたみたいだったから、何か用なのかって思ってな」

「あ、いえその、用というほどのことではないのですが……ひとつ相談が」

「相談?」

 

 それが用なんじゃないか、なんてヤボは言いません。

 そんな細かさを気にしていたら、三国同盟の証なぞやってられませんので。

 立ち話もなんだし、東屋にでも行こうと言って歩く。途端に首に飛びついてきた邵に、「狙ってないんじゃなかったのかー?」と苦笑交じりに言ってみても、くすぐったそうに笑うだけで……返事らしい返事もない。

 ああ、本当に和解出来て良かった。出来ていなかったら、こんなくすぐったさすらずぅっと感じられなかったかもしれないんだから。

 軽く鼻歌なんぞを奏でながら、中庭を歩いて東屋へ。

 すとんと邵を下ろして自分も椅子に座ると、少し緊張した面持ちの邵が相談の内容を投げかけてきたのでした。

 

「───琮が?」

「はい。お気づきの通り、琮は……どうしてか父さまのことをお手伝いさんと呼んでいます。理由を訊いてみても、お手伝いさんだからですとしか言わないのです」

「お、オテツダイサン……」

 

 父ですらないのですか呂琮さん。

 や、俺も何度かお手伝いさん発言は聞いていたけど、冗談抜きで俺のことだったとは……!

 

「え、えと。それで、誰のことを父だと……?」

 

 誰が、いったい誰が?

 もし俺の前で琮に父上とか呼ばれている存在が居たならば、途端に俺の拳が血を求める可能性が……!

 

「いえ、それが、偉大なる父は死んだと」

「あれ本気だったの!?」

 

 お……おぉおおお……! まさか本当に死んでいることになっていたとは……! 校務仮面になってた時もそうだけど、凪からもそれっぽいことを聞いてはいた……けど、なにかの冗談だって思っていたのに……!

 

「え……じゃあ俺、琮にとっては……偉大なる父に成り変わろうと、姉妹に手を出す下衆野郎……?」

「と、父さま……さすがに下衆野郎は言いすぎです……」

「下衆以上御遣い未満か」

「返し辛い質問はやめてくださいっ!」

 

 でもね、邵。この都において、御遣いなんていじくられてナンボな立ち位置なんだ。割と本気で。それを考えると下衆以上御遣い未満って…………考えないようにしよう。

 

「で、その琮は? 一度そのことについて、じっくり話し合ってみようと思うんだけど」

「あ、それでしたら今の時間は───」

 

 言って、ちらりと東屋の屋根の端……空を仰ぐように上を見る邵。

 釣られて同じ方向を見てみると、城壁のさらに上の見張り台の、そのまた屋根の上で本を広げている小さな姿。

 

「……高いところが好きなのか?」

「高いところというよりは……琮は目がいいですから。遠くを眺めるのと本を読むのが好きなんですよ」

「へえ……」

 

 亞莎のようにキョンシーハットを被り、長い袖をそのままに器用にページをめくる姿。視線を感じたのか俺と邵に目を向けると……また本に視線を戻した。

 ……ほんと、一度話してみたほうがいいかも。そう思いつつ立ち上がり、邵にそういえばと声をかける。

 

「なぁ邵。琮が本と景色以外に興味を持ってるものは?」

「はい。なんでも仕事をサボって食べるごま団子だとか───はうあっ!? 父さま!? 何故急に崩れ落ちるのですか!?」

 

 なんたること……! 似なくていい部分が思い切り似てしまってるとか、なんたること……!

 よりにもよってサボリか! サボリ癖が似てしまったのか!

 聞いた途端に膝から崩れ落ちた俺に、あわあわと狼狽えつつ席を立つ邵に、大丈夫と言いつつ立ち上がる。

 どれもこれも話としては聞いたことはあったけど、全部が本当となるとダメージがデカい……!

 

(い、いや、まだぞ。全ての確信を得るまでは、落ち込むわけには……!)

 

 さあ質問を続けよう。主に希望を求めて。

 

「ほ、他に好きなこととか嫌いなことは……?」

「え? え、えと……好きなことは勉強で、嫌いなことは鍛錬……だったはずです」

「…………」

 

 わあ、俺だ。

 まるでこの世界に降り立って、戦いは無理だから勉強をと取り組んでいた俺のよう……!

 

「あ、でも琮はすごいんですよ? 目がいいのもそうですけど、身体能力もすごいんです。妙才さまや黄忠さま、黄蓋母さまが褒めるほどですっ」

 

 うん。気の所為だった。

 俺にそんな才能無かったよ。

 

「そっかそっか……どうしたもんかな」

「どうするもこうするも、父さまは父さまなんですから、どどんと向かっていけばいいのですっ! きっと琮も照れているだけに違いないですっ!」

「え……そ、そうかな。そう思うか?」

「はいですっ!」

「そ……そっか」

 

 少し勇気が沸いた。

 そうだよな、俺は……親なんだから。

 もっと構いすぎるくらい前に出るつもりでいかないと、このままじゃ本当にいつかお手伝いさんになってしまう。

 

「よし、じゃあ見張り台におわっと!? どうした邵───」

「え? いえ、私はなにも」

「あれ?」

 

 歩き出そうとした一歩が、服を掴まれることで止まってしまう。

 一緒に居たのは邵だからと振り向いてみても、そういえば引っ張られる方向と邵の位置が一致しない。

 で、振り向いてみれば…………三国無双様。

 

「ああ、ははっ、恋だったか。どうしたんだ?」

 

 ていうかいつの間に傍に?

 

「ご主人様……」

「ん?」

「…………、…………」

「恋?」

 

 目が合うと、まるで霞がそうするように、俯きながら両手の人差し指をついついとつつき合わせる。ぼーっとすることはあっても、こんな行動は珍しい。

 

「───」

「……」

 

 ちらりと苦笑とともに邵を見ると、邵はにっこり笑って席を外してくれた。

 ただし去る際には琮の方をちらりと見たあとにもう一度俺を見て。

 ……琮のこと、よろしくお願いしますってことだろう。

 

「それで、恋? どうかした?」

「…………ご主人様」

「うん」

「……恋と、勝負してほしい」

「───」

 

 うん、と言いつつにっこり、頭を撫でようと軽く持ち上がった手が、びしりと止まった。

 今……なんと?

 

「ぼっ……坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた……」

「……?」

「……ごめん恋。今、なんて?」

 

 大丈夫聞き間違いだ。だって理由がないだろう。

 きっとほら、あれだ。似たなにかが間違って耳に届いたんだ。

 ほらあるだろ? しょ、しょー……

 

「……恋と、勝負してほしい」

 

 うんわかってた。わかってたよ北郷。北郷自分に嘘ついてた。聞き間違いじゃなかったよ。

 

「勝負か。恋、なにで勝負したい? 叩いて守って? ババ抜き? それとも新しい、何かを使ったものを───」

「……模擬の武器……使う」

「………」

 

 必死に遊びのカテゴリに逃げようとしても無駄だった。

 こくこくと頷き、模擬の武器を使うと宣言する恋に、笑顔で返すほかなかったんだ。

 ああどうしようどうしよう。こんなことならこだわらずにバイトでもなんでもしておけば今頃は……!

 

「……癖だよなぁ」

「……? ご主人様……?」

「いや。……………………よしっ、やろうか、恋っ」

「……! ん……やる……!」

 

 あーだこーだ言って逃げようとするのは癖だ。

 けど、逃げてちゃ未来は築けない。

 困ったことに強くなる必要があるのだ……逃げてばかりじゃ始まらない。

 でもね、でも……なにもその一歩が三国無双じゃなくてもいいだろって思うくらい……許されるべきだよね……?

 

 

 

-_-/呂琮

 

 今日も陽の下で読書。

 とても暑く、むしろ熱い。

 けれど私は学んだ。

 お手伝いさんの言う言葉は正しい。

 人とは“じゅんのー”出来る存在。

 つまり暑さに慣れたくば、暑い中にあって、それが当然だと体に覚えこませることが大事。

 それが出来た時、呼吸法のひとつで……たとえば周囲が暑いと言う温度も、なんのことはなく過ごせる。

 ただし水分は摂るように。……お手伝いさんは本当に知識が深い。

 

「慣れてくると、うっすらと掻く汗が体を冷やしてくれる。いい調子です、さすが私。さすがお手伝いさんの知識」

 

 私はこうして知識を武器に、皆さんが暑い~だるい~などと言っている今を乗り切るのです。

 天国の父……見てくださっていますか。琮は……周囲より一歩を先んじて、なおかつさらなる知識を望む勉強熱心な子です。えへん。

 え? 武術鍛錬? 知りません。

 大体私は、目を向ければ鍛錬鍛錬と言う人が好きじゃない。

 まるで“私が知を磨くこと”が無駄だと言われているようだから。

 だから……こうして、今日も読書を。

 

「ふむむ、絵本も奥が深いですね……! 続きが気になって仕方がありません……!」

 

 鍛錬はサボっても仕事はする琮です、多少のお金はありますが……絵本を買うには足りません。

 どうしたものでしょう。

 公瑾さまなら持っているのでしょうが、貸す代償として鍛錬をしろと言われるのが目に見えています。それはいけません。

 

「ならばなにか、知識欲を満たすものを……あ」

 

 ちらりと中庭を見下ろしてみると、先ほどは東屋に居たお手伝いさんが奉先さまと戦っていた。

 ……? はて、邵姉さんは?

 

「琮」

「はわうえぁあああーっ!?」

 

 トンと背中をつつかれる。

 驚きのあまり絶叫してしまい、体勢まで崩してしまい、危うく見張り台から落ちそうになってしまった。

 

「しょしょしょっしょしょ邵姉さんっ! 気配を殺して後ろからはやめてくださいとあれっ……あれほどっ……!」

「鍛錬をしないからです。減点ですよ」

「はっ!? また黄柄姉さまの差し金ですか!? 黄柄姉さまはいつもいつも人が嫌がることをして! くぅうう……いつか眠っているところにご飯粒をつけて、起きた時に黄蓋母さまに“人が寝ている最中に食事とはいい度胸じゃ”と説教をされるよう、仕向けて差し上げましょう……!」

「琮が近づいた時点で黄蓋母さまが起きますよ」

「潜入は任せました、邵姉さん!」

「やりませんっ!」

 

 だめですか。人を散々と驚かせておいて、人のお願いは聞いてくれないとは……周邵姉さんも中々にいじわるです。

 

「琮、気配察知くらいは出来るようにしておくべきですよ? 遠くも見れて近くにも敏感。強くなれますです」

「では“こつ”だけ教えてください」

「そんなものはありません。努力あるのみですっ」

「じゃあいいです。私は知さえ磨ければ十分ですので」

「あぅう……」

 

 別に目が悪いわけでもないけれど、半眼になって中庭での攻防を見守る。

 奉先さまの攻撃を避けて、避けて、避けて……反撃しないお手伝いさん。

 

「うわー……速いですね」

「……お手伝いさんは相変わらず見事です」

 

 きっと、今は亡き父の姿に追いつこうと努力を続けたのでしょう。

 みんなが彼を父と呼んでいるのがいい証拠だ……きっと強くあることで、みんなを落胆させないために……私たちに気づかれぬよう表ではぐうたらを、裏では血の滲むような努力を……!

 もうあれですね、お手伝いさんは立派な人だ。

 

(そういえば……)

 

 偉大なる母によると、偉大なる父は輝いている人なのだそうだ。

 驚いた。人とは輝くのだなぁと。

 なんでも、良い眼鏡をかけて見てしまうと眩しすぎて直視できないほどに輝いているらしい。すごい、やはり偉大な父はその姿だけでも偉大なのだ。

 そんな父に会えなかったことは残念だ。

 この、無駄に視力だけはいい目で、その輝きというものを見てみたかった。

 ……実際にそうして、目が潰れてしまわないか心配ではありますが。

 お手伝いさん知識によれば、輝いていることを“しゃいにんぐー”とか言うらしい。なるほど、お手伝いさんが時折ぶつぶつと言っていた“しゃいにんぐ・御遣い・ほんごー”というのは偉大なる父のことだったのだ。

 きっと乱世の時代、敵国に夜襲をかける時もご自分の輝きにご苦労なされたに違いない。いや、むしろ堂々と戦ったのだろう。さすがだ。かつては後方で戦を見ていただけとも聞いたけれど、その際も全体を見ていろいろと知恵を絞ったに違いない。素晴らしい。

 ……うっ? いや、そうなると呉や蜀と戦ったことになるのだから、敵国ということに……うう。

 なるほど……偉大なる母のご苦労も窺えるというものです。かつての敵国の相手に恋をし、さぞご苦労なされたことでしょう。

 

「ふわー……父さますごいです」

「お手伝いさんはさっきから避けてばかりですが……なるほど、相手の動きを見切る練習ですね」

「おお、わかりますか琮」

「目にだけは自信があります。えへん」

 

 言いつつも、そうじゃないかと思ったことを口にしただけです。

 だって鍛錬嫌いですから、きっとそうなのだろうという知識しかありませんし。見切りなんて言われたってわかりませんよ。

 “よく見える”=“絶対に躱せる”ではないのですから。

 

「琮は奉先さまの攻撃、見えますか?」

「よく見えますけど、躱せはしません。それは絶対です」

「うう、もったいない……。琮はもっと鍛えるべきです」

「わかっていませんね邵姉さん。例えば私がどれだけ目が良くとも、鍛えた程度であれを避けられると思いますか? 思わないでしょう。見えていても事故は起こるから事故なのだ。お手伝いさんはとてもよい言葉を私に教えてくれました」

「あぁああ父さまぁあーっ!!」

 

 「話の切っ掛けが欲しかったんでしょうけど、失敗です、それは失敗ですぅうう……!」と、周邵姉さんが頭を抱え始めた。

 文謙さまもそうだった。

 なぜにこう、お手伝いさんの話題になるとみんな一様に頭を抱えるのか。

 そう思った時、ひと際大きい衝突音が耳に届く。

 ぱっと中庭へと視線を戻してみれば、吹き飛ぶ奉先さま───を追って、驚く速さで距離を詰めるお手伝いさん。

 何があったのかは……会話までは聞こえないからわからないけど、ちょっと珍しい。お手伝いさんが中庭で誰かと戦う姿を見るのは、もうあの日から数えれば一度や二度じゃあありません。

 その中でも、多少の距離を詰めることはあっても、吹き飛んだ人に目掛けて全速力というのは……やっぱり珍しいです。

 吹き飛んだ奉先さまも、いつもなら座った状態でお手伝いさんにぽこりと頭を叩かれて負けを認めるだけだったのに、今日は体勢を崩しもせずにお手伝いさんを迎え撃っている。

 

「え、え……? いつもならこれで終わるのに」

「すごい……お手伝いさん、本気です」

 

 いっつも本気ではあったと思う。

 けれど今日のお手伝いさんは……ううん、むしろ奉先さまから感じる気迫がいつもと違う。

 まるで強者を倒さんとするその眼光は、いっそ怖いと思ってしまうほどで───その気迫のままに攻撃をするけれど、お手伝いさんはそれを避けて、いなしてを繰り返す。

 いなす場合は一撃一撃に体を持っていかれているけれど、当たってしまえばほぼ一撃。だったらたとえそうでも無事でいられる方を選ぶとばかりに……氣がどうとかはわかりませんが、見たままの攻防にそのままの感想を述べるなら、すごいの一言。

 

「っ───二ぃいいい回目ぇえええっ!!!」

 

 お手伝いさんの絶叫がここまで届く。

 と、奉先さまの武器の長柄の部分を左手で受けたお手伝いさんが、右手の木刀で奉先さまを吹き飛ばす。

 すぐにまた追うのかな、と思ったけど、受け止めた左手が痛かったのか、腕をばたばたと振るだけで追うことをしない。

 そうこうしている内に奉先さまが走って戻ってきて、その勢いのままに武器……ほうてん、なんでしたっけ、を振るう。

 お手伝いさんはそれを棒立ちのまま迎え入れて……凝視っていうくらいに奉先さまの……肩? を見つめて、振るわれたそれに一瞬で手を添えると、力の向く方向を奉先さまに向けて、……わあっ!? 返した!? すごい!

 結果として大振りの空振りに終わって、体勢を崩した奉先さま───の、がら空きになった脇腹にそっと手を添えた。

 

『あっ!』

 

 周邵姉さんと声が重なる。

 あれは確か、曹丕姉さまと校務仮面さんが戦った時に、校務仮面さんがやった技───そう記憶を過去に遡らせた瞬間には衝撃が徹ったようで、奉先さまがお腹を庇って後ろに飛ぶ───のを追って、その首に木刀を突きつけた。

 ……すごい、あの奉先さま相手にあれだけ───あ、あれ? 優勢に見えるお手伝いさんのほうが、物凄く息を荒く肩を上下させてます……どうしたんでしょう。

 

「邵姉さん、あれは……」

「奉先さま相手にあれだけの行動ですから……それはもうずうっと緊張しっぱなしの筈です。というか奉先さまの攻撃の速度に合わせて手を動かして、武器に手を添えるなんて無茶苦茶ですよ……」

「あれはどういった技なんですか?」

「アイキ、とか言っていた気がします。父さまお得意の“出来たらいいな講座”で語られた技です。相手の力に自分の力を乗せて、相手に返すというものらしいですけど……下手をすると自分が空を飛ぶか、危うくて大怪我、絶命の可能性を考えれば、成功させても精神的に疲弊するのでは……」

「………」

 

 それはなんというか、だめなんじゃないだろうか。

 けれど返して見せた。すごい。

 

「?」

 

 決着がついた……と思ったのに、奉先さまがまた構えた。驚愕のお手伝いさん。

 それからはまた攻防が始まって…………



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138:IF2/眼下の日常③

 ───……お手伝いさんがぜひーぜひーと、それはもう全力で息をしている。体全体で息をするって言葉があるなら、きっとあんな感じ。

 対する奉先さま。

 もう、何回吹き飛ばされたり木刀を突きつけられたのか……数えていませんでしたが、なんだか目がすごく爛々と輝いています。

 でもやっぱり……氣、ですよね? 内側に衝撃をぶつけられ続けたのが効いたのか、少し息を荒くしています。

 

「あぅあぁあああ……!! い、いつまでやるのでしょう……! もう見ているだけでも怖くて、邵は、邵はぁあ……!!」

(…………お手伝いさん、がんばれ!)

 

 まだまだ戦えるといった感じの奉先さまに対し、ぼろぼろのお手伝いさん。

 なんのかんのと仕切り直しみたいな感じのことをやって、えーと……なんていうのでしょう。なんぼんしょーぶ? 先に何回勝ったら勝ち、とかそういうものをやっているのでしょうか……お手伝いさんが奉先さまの頭を何回木刀でポコリと叩こうが、首に木刀を突きつけようが、奉先さまは向かっていきます。

 

「……でも、父さま上手いです。奉先さまの力が武器に乗り切る前に衝撃を吸収して、少ない氣の消費で奉先さまを吹き飛ばしています」

「それも何回でしたっけ……」

「ついさっきので6回目。木刀を突きつけた回数は3回。次勝てば丁度10回ですね。負け無しでここまでなんて、偶然でもすごいですっ!」

「奉先さまの強さは私でも知ってますが……お手伝いさん、一体何者なのでしょう……!」

「いえ、ですから父さまですよ」

「偉大なる父は死にました」

「死んでません!」

 

 ……でも。ああいえ、偉大なる父のことではなくて。

 でも、奉先さま……きっとなんだかんだで手加減はしているのでしょう。

 さすがに本気で潰しにはかからない……と思います。

 けれどどうしてでしょう。お手伝いさんの勝ちが重なるたびに奉先さまの目が輝いていって、まるで何かを熱望するかのように、やがて鋭く、目で見えるほどの何かが溢れ出してってキャーッ!?

 

「な、なななななんですかこれは邵姉さん! 奉先さまから赤黒いモヤのようなものがー!」

「ぬ、ぬうこれは……」

「し、知っているのか雷電……」

「はい。父さまが言っていた過去のお話に、こんなものがありました……。なんでも奉先さまはとある大会で、氣で巨大な武器を作り上げたことがあるとか……!」

「……え? いえあの、それを……ここで?」

「………」

「………」

「だ、大丈夫です! お手伝いさんなら……お手伝いさんならきっとなんとかしてくださいます!」

「その父さまが今、奉先さまの目の前で悲鳴を上げているんですが!?」

「えぇええええっ!!?」

 

 見れば確かに大慌て。「キャーッ!?」と全力で叫ぶお手伝いさんは、誰の目から見ても泣いています。

 ああ……わかりますよお手伝いさん。離れている私たちでもこうなのに、目の前のお手伝いさんはもっと怖いことでしょう。

 ですが私はお手伝いさんを信じます。勝手に。

 

「どどどどうしたというんですか奉先さま……! 急に戦って、それも急に全力でなんて……!」

「お手伝いさんが何かをやらかしてしまったのでしょうか……」

「最近は一緒に居ましたけど特に奉先さまと何かがということはありませんでしたよ!? むしろ散歩の途中で気絶してしまってからは、会うことすらなかった筈ですし!」

 

 だったら別の何かがあったということでしょうか。

 ……と、原因を考えていると、ぞろぞろと集まってくる人、人、人。

 戦いの最中にもちらほらと来てはいましたが、この氣の放出に軍師の皆様までもが集まったようで。

 

「こ、こら! 恋ーっ! いったいなにをしているのだぁっ!!」

 

 雲長さまが叫ぶ。けれど爛々な瞳の奉先さまには届かない。

 やがて奉先さまが持つ、ほうてんなんとかに赤黒いもやが集まっていって……鈍く輝いた。なんだろう、特になにがあるわけでもないし、もやも消えてくれたのならって思うのに、あの武器に触れただけで指が吹き飛びそうなくらいの危うさを感じます。

 対するお手伝いさん。

 途中で悲鳴を上げなくなって、どうしたのかなと見てみると……深呼吸を続けて、胸を何度も拳で叩いている。

 あと、なんだか……溢れ散って漂っていた奉先さまのモヤ……氣? が、少しずつだけどお手伝いさんの体に流れていっている。

 

「あ……集氣……外氣功」

「しゅうき? がいき? なんですかそれ」

「……やっぱり琮は武術の勉強もするべきですよ。えっとですね、氣功には内氣功と外氣功というものがありまして」

 

 周邵姉さんが説明してくれている間にも事態は進む。

 

「自分の内側に存在する自分の氣、つまりこれが内氣で、体外に存在する良い氣、または自分以外の氣を自分の氣として吸収、力にするのが外氣功で───」

 

 奉先さまが構えて、少し屈むみたいにする。

 お手伝いさんはそれを見てすぐに構えを取ると───もう呼吸も乱れてない、肩も上下していない様子のままに、自分も奉先さま目掛けて弾かれるように走りました。

 響く両者の咆哮。

 説明中の周邵姉さんもびくっとなって声を詰まらせるほどの迫力同士が、中庭でぶつかり合った。

 もはやどうなろうと構わんって感じで衝突する武器と武器。

 お手伝いさんが持つ木剣からは金色の輝きが溢れて、奉先さまが持つ模擬の武器からは赤黒く鈍い輝き。

 それらが轟音を立てた時、同時に何かが砕ける音も響いた。

 途端に突風。

 中庭から全方面へと、何かが爆発したみたいに解放されたそれは…………

 

「………」

「……、……」

 

 奉先さまが持っていたほうてんなんたらが砕け、中から漏れた氣だったのだと……のちに、周邵姉さんが教えてくれました。

 直後に場を埋めつくす歓声。……と、怒声。

 怒っているのはもちろん雲長さまだったけど、それ以外のほぼは安堵と歓声ばかりだった。

 将のみなさんがお手伝いさんへと駆け寄る中、お手伝いさんは立っているのも辛いってくらいのふらふら状態で、けれど……そんな状態のままに軽く手を上げて……奉先さまの頭に、ぽこりと手刀。

 自分の砕けた武器を見下ろして呆然としていた奉先さまは、一度頭を両手で触ったのち……ぱあっと目を輝かせると、お手伝いさんに抱きついて───はぁああわわわわわ!?

 

「え、あ、えっ!? な、舐めっ……!?」

「あぁうあぁあああああっ!? ほほほほ奉先さま、大胆ですっ!」

 

 押し倒される形になったお手伝いさんは、抵抗する力も残っていないのか舐められるがまま。周りの将のみなさんが剥がしにかかるけど、離れません。

 まるで自分のものに匂いを付けるのに一生懸命な動物さんみたいです。

 ……と、ここでふと気づく。

 今、お手伝いさん……右手で手刀しましたよね。

 あれ? 木剣はどこに───

 

「うひぃえぁあぁああああっ!?」

「はうぁああっ!?」

 

 ───直後、空からびゅおんびゅおんと回転した木剣が落ちてきました。

 とんでもなくびっくりです。

 けれどそれがお手伝いさんの木剣だと気づくと、屋根から落下してしまう前に慌てて掴みます。

 

「わ、あ、熱い、です……」

 

 掴んでみれば熱かった。

 しかもあれだけの轟音と衝突だったのに、折れてもいない。

 

「どんな作りをしているんでしょうね……模擬の武器を砕いたというのに」

「あ、あはは……いえいえ琮、あれはちょっと違うんですよ」

「違う? とは?」

「砕いたというか、砕けたのだと思いますです。普通の奉先さま愛用の方天画戟ならまだしも、あれは模造の、鍛錬や仕合用の武器ですから。形だけを似せた適当な素材で出来たものに、奉先さまの氣を凝縮して詰めれば……しかもあれだけ思い切りぶつかれば、爆発しちゃいます」

「……え? それでは、お手伝いさんが勝てたのは……」

「言ってはなんですけど……運ですね。氣を込めずに向かってきていたら、きっと父さまは負けてましたです」

「………」

 

 勝負は時の運、という言葉くらいは知っていますが、やっぱり努力だけでなんとかなる世界ではないのでしょう。

 ……あ、引き剥がされそうになった奉先さまから、また赤黒いもやが……。

 

「うひゃわああああっ!! 恋ちゃんが怒ったーっ!」

「恋っ! 桃香さまに氣を向けるんじゃない! というか暴れるなぁああっ!!」

「うわわわわ恋落ち着きぃ!! あーもうねねはどこやー!!」

「ねねなら璃々と買い物に出てるわよ! それより恋! 落ち着きなさい! 月もいるんだから暴れない!」

「うわわ兄ちゃんぼろぼろだ……! 流琉、ボクちょっと華佗のおっちゃん呼んでく───」

「おっちゃんではない! お・に・い・さん! だぁーッ!!」

「うわぁっ!? おっちゃん居たの!?」

「だから俺はまだおっちゃんではないと! ……しかしなるほど、これはまた随分と強引に錬氣をしたな、一刀」

「相手が全力でくるなら全力で……って、下手すりゃ死んでたけどね。恋も気が済んだみたいだし……はぁ、流石にもう無理動けな痛ッツァアアアアーッ!?」

「ははは、それだけ叫べればまだまだ元気だ。が、あまりこういった無茶は、医者としてはお奨めできないな。だから必治癒は無しだ。少しは懲りろとの、覇王さまのお達しだ」

「俺だってどうしてこんな大バトルになったのか教えてほしいくらいなんですが!? なんとか七回ずつ全力錬氣で吹き飛ばせたけど、これ以上続けられたら───……あ、あれ? 勝ったの十回? 十? 十回連続……───ぁ……美以ぃいいいいっ!! 恋にへんなこと吹き込んだのお前かぁあああっ!!」

 

 眼下に広がる世界はとても賑やかだ。

 わいわい騒いではどこかから悲鳴が聞こえて、聞こえたと思ったら笑い声に変わって。

 

「十回連続? ……あ」

 

 そんな眼下をよそに木剣を眺める私の隣で、周邵姉さんが妙に納得いった、といった感じの声をあげる。訊ねてみると、なんでも奉先さまはお手伝いさんに“強者”であってほしかったとかなんとか……なんのことでしょう。

 一回勝てるだけでも十分に強いと思うんですが。

 

「ますます産まれるお子さまが楽しみですっ!」

「? 産まれるんですか? まあ……はい、そう……ですね。その通りです」

「琮っ、これからもっともっと都は賑やかになりますよっ!」

「はい、思い浮かべるだけで、賑やかというかやかましそうです」

「次に産まれる子たちに負けぬよう、鍛錬鍛錬ですっ!」

「え? 嫌ですよ鍛錬なんか」

「ここは素直にのってきてくださいぃっ!!」

 

 お手伝いさんの木刀を、強く強く握ってみる。

 偉大なる父も木剣使いだと偉大なる母に聞いた。

 感じるこの温かさは、父に近しいモノを握っているからでしょうか。

 ……普通にお手伝いさんの氣の残りの所為ですよね。

 

「………」

 

 温かい氣です。

 氣でいいんですよね? この温かさは。

 触れていると、まるで守られているような気分になって、少しだけ楽しい気分になってくる。

 

「あっと、それは父さまに返さなければいけませんね」

「はい」

 

 軽くひゅんひゅんと振るってみる。

 ……が、重い。拾った時にも思ったけれど、この木剣……重いです。

 この黒さが重みの秘密だったりするのでしょうか……私とて木剣を持ったことはありますが、こんなに重いものは持ったことが……!

 

「おおお……これをあんなに簡単に振るうなんて……。お手伝いさん、やはり只者では……! ───あ」

「だから父さまだと───あ」

 

 重々しくのろりのろりと振るっていた木剣がすっぽ抜けた。

 途端、さああっ、と血の気が引く。

 あれはお手伝いさんが大事にしているものだ。

 中庭に来る時は大体持っていて、休憩しようという時でもそこらに投げ捨てて休憩、なんてことをせず、わざわざ長い布袋に入れてそっと傍に置くくらい。

 それを落下させてしまった。いや、まだ落ちきってない。

 

「……くぅっ!!」

「えっ!? あっ、琮っ!? だめっ!」

 

 駆けた。駆けて、飛んだ。

 城内で一番高い場所から、屋根を蹴って。

 その勢いの分だけ、黒い木剣には近づけた───けれど、今さら余計に血の気が引く。

 木剣と自分の落下地点を考えれば、落ち切る前に掴めはする。するけれど……痛いで済めばいいなぁ。

 ああ偉大な父……あなたもこうして、なにか大切なもののために命を賭したのでしょう。心血注いで民のためにと駆けたのでしょう。

 たった一本の武器のために、もしやすれば命さえ失いかねないことをする私は、あなたの娘として己を誇るべきですか? それとも無謀だと笑われるべきでしょうか。

 ……笑われるのでしょうね。

 皆が望むことをしようともしない私は一人です。

 結局、自分が目指したいものも周囲には認められず、あれをやれこれをやれと言われるだけで、誰に褒められることも誇られることもなく死ぬのでしょう。

 それが……今はとても悲しいです。寂しいです。

 出来ることなら───もしこの先で死ぬのだとしても、次は誰かに褒められて、誇ってもらえるような自分になりたいな。

 

  木剣を掴む。

 

 さあ、あとは落ちるだけ。

 されどこの木剣は意地でも守りましょう。

 どれだけ痛いのだろう。

 目を瞑れば痛くないかな。

 そう思って目を閉じる刹那、仰向けに倒れたままのお手伝いさんと目が合った。

 

「ぅぁっ!? 亞莎!!」

 

 途端、ぼろぼろの体を起こして、傍に居た母の名を呼ぶ。

 見上げた母の目つきが瞬時に鋭いものへと変わって、即座に振るわれた長い袖から暗器が飛び出してうひゃわぁあああああっ!?

 

「旦那さま! いきます!」

「こいっ!」

 

 飛び出した暗器……鎖のようなものが私の体に巻きついて、一気に引かれる。

 落下を待っていた体は横へと流れ、けれどこのままだと地面を滑るか母に激突してしまう……なんて思っていた私が玩具のように振るわれて、地面にぶつかるどころかそのまま鎖から解放されて、飛んだ先には……ぼろぼろの体なのに、私を抱きとめてくれる……お手伝いさん。

 

「いぃっつ……!! くはっ……!! だっ…………~……だ、大丈夫か……? 琮……!」

 

 痛いだろうに、心配をかけまいと無理矢理普通の顔をしようとして……失敗している。面白い顔だった。

 ……ああ、やっぱりこの人はいい人。

 これで一番最初にくるのが怒声だったら、少し泣いてました。

 いえ、目尻にあるのは涙ではなくて謎の汁ですよ? 驚くと分泌されるのです。涙ではありません。

 などと誰に言い訳をしているのかも解らない状況の中、お手伝いさんがどすんと尻餅をついてしまう。やっぱり無理をしてくれたようだった。

 将のみんながすぐに駆け寄ってくれる。

 振り回される私の軌道上から見事に避けてくれていました。なんというか、さすがです。

 

「お、お手伝いさん……」

「ああ、ははっ……だ、大丈夫大丈夫……! 娘がハンマー投げの要領で振り回される貴重な場面を見れた代償だって思えば……!」

 

 はんまーなげってなんでしょう。

 あれですか? 許緒さまのいわだむはんまを投げるといった感じの意味ですか? …………ああ、確かにそうかもです。

 

「で、どーして急に空から…………って、なるほど」

 

 はふぅ、と溜め息を吐きながら訊いてくるけれど、私が胸に抱いた木剣を見て、大体のことは納得してくれたみたいです。

 さすがお手伝いさん……私の行動などお見通しですか。

 

「ありがとう。大切なものなんだ、守ってくれて本当にありがとう」

「あぅ……」

 

 やさしく頭を撫でられる。

 この人は、この気安さがいい。

 踏み込む時は遠慮が皆無というくらいに踏み込む───それは上から見ていたので知っていますが、それ以外は距離というものを知っています。

 相手が望む距離を保ってくれるので、とても心地がいい。

 

「で~もっ」

「はうっ!?」

 

 おでこに軽い衝撃。

 それでも木剣を離さない私にお手伝いさんは苦笑して、

 

「木刀は壊れても、まあ……思い出は砕けるけど、忘れるわけじゃない。でもな、琮が死んじゃったら代わりは居ないんだぞ? 守ってくれてありがとう。でも、無茶をしたのは怒ります。今のデコピンは、その分ってことで」

「………」

 

 ぽかんとしてしまう。

 そんな中、お手伝いさんは「っていうか、今せいぜいでデコピンが限界なだけなんだけどね……」と苦笑を崩して痛がっている。

 そんなお手伝いさんを見て将のみんなは笑って、……ハッと何かの気配に気づいた時。

 

「…………」

「はぅがっ!? はっ……はああ……!!」

 

 傍らに立つ、笑顔なのに怖い偉大なる母の姿に、私の体は固まった。



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139:IF2/誇ってくれる、眩しい人①

192/愛しさと切なさと心細さと

 

-_-/かずぴー

 

 刑罰・お尻ぺんぺんが、亞莎によって実行された。

 どうやら相当の“心配&怒り”を抱いたようで、琮のお尻を叩くその顔からも心配の色が滲み出ている。むしろ叩く方が泣きそうっていうのだから、口出しをしようにも出来ない。

 

「はぁ……疲れた……」

「うむ。しかし、呂布と戦う……か。無茶をするな、北郷」

「あ……秋蘭か」

 

 体全体が痛くて立ち上がるのもキツイところに、秋蘭がいつものように腕を組む姿勢で話しかけてくる。

 その横にはさっきから事情の説明を促していた華琳が居て、その隣に春蘭。……春蘭は目を合わせようとはせず、赤い顔のままで視線をうろうろと彷徨わせている。間違い無く夜の行為が原因だろうけど、声をかけたら暴走しそうなので……落ち着くまでは触れないでおこう。

 

「いやさ、俺もべつに好きで全力で戦ったわけじゃなくてね……?」

「だから、さっきからその理由を訊いているんじゃない。なにがあったの? 言いなさい、一刀」

「なにが、っていうか……急に恋が戦ってほしいって切り出してきて、で……俺も強くなりたかったから、よしやろうってことになって……」

「それで?」

「俺は氣が無いとまともに戦えないから、氣の消費を少なくして立ち回るためにも、ずっと避けて、隙をついて、ってやってたんだけどさ」

「ふうん?」

「呂布の攻撃を避ける……なんでもないように言っているが、とんでもないことだぞ、北郷」

「イメージトレーニングの相手はなにも雪蓮だけじゃないから。恋はこう、戦い方が“本能的”っていうのかな。雪蓮に近いんだ。本能……野生? 小細工無しの武力とか野生の勘みたいなやつ」

 

 やっぱり全力でやっても勝てたためしはないけど、逆に未来を目指すために頑張れるってもんだ。ってくらい、頑張ったつもりだ。

 それになんだかんだで加減してくれるしね、恋は。

 

「今のところ、7回まで一気に氣を溜めることが出来るから、それでなんとか6回吹き飛ばして、3回はなんとか立ち回って怯ませて……そもそも一回で終わるかと思ったら十回で、俺のほうがなんでこうなるって感じだったよ」

「そう。で? 何かに気づいて美以の名前を叫んでいたようだったけれど。あれはなに?」

「え゛っ……や、イヤー……ソノ」

「あぁそう、また女絡みなの」

「ヤメテヨ! 決め付けヨクナイヨ!」

「あら。違うの?」

「…………」

 

 違いません。

 

「う、うー……と、……美以に……ね? 強い存在の条件ってなんだ~って訊かれてね? で、俺が十回戦って十回勝てることじゃないかーって言ったから、恋はそれを聞いたんじゃないかなって」

「……はぁ。あなたね、ここまで騒ぎを大きくしておいてなに? 結局は自業自得?」

「こうなんじゃないかって話で誰が三国無双が挑んでくるって考えますかぁあっ!! 自業自得にしたって死ぬところだったよ! もうどれだけ涙で視界が滲んだか! 数えるのも怖いよ!」

「華琳さま……さすがに何気ない話題で呂布と十回も戦うとなると、自業自得の域を凌駕しているかと」

 

 体に力が入らず、崩れた胡坐状態の俺を見下ろして、華琳は溜め息。

 次いで、ちらりと暴れる恋を見やると、

 

「それで? 十回勝ったからあの娘はああなった?」

「じゃ……ないかと」

 

 やれやれ、といった感じで目を伏せて溜め息を吐いた。

 うう、毎度毎度騒ぎの中心でごめんなさい。でも毎度望んでるわけじゃないんです、信じてください。

 

「そう。さて、春蘭、秋蘭」

『はっ』

「最近、私に黙って会議を開いたそうね」

「……華琳さま、それは」

「い、いえっ! 華琳さまっ! あれは黙っていたわけではありませんっ! そ、そうっ、子を持たぬものの会議だったので華琳様は呼べなかっただけなのです!」

「……姉者ぁ……」

「ん、んん? なんだ秋蘭、何故そんな、頭が痛そうな顔をしているんだ?」

 

 秘密裏に行なった会議。それを自ら明かすことを、たとえ華琳相手でも良しとしなかった秋蘭みたいだったけど、春蘭さんがさすがですってくらいにあっさりと暴露してしまった。

 

「───そう。その、悪いことを訊いたわね、秋蘭」

「いえ。そう言っていただけるだけで十分です」

 

 さすがの華琳も、少しばつが悪そうな顔をしている。

 そりゃね、そういえばと口に出した言葉のあとに、全てがわかってしまうことになるとは誰も夢にも思うまい。

 きっとソレをネタに少しつつければいいなくらいの悪戯心だっただろうに……。って、華琳さん、悪いの俺じゃない。睨まないで。

 

「なんにせよ、一刀」

「ハイ」

 

 体がぼろぼろなのに、キリっとした声調で言われるとつい正座をしてしまう。そして痛みのあまりに涙する。嫌だ、嫌だよこんなパブロフ。

 

「なっ……べ、べつに泣くようなことを言うつもりはないのだから、聞く前に泣くことないでしょう!?」

「それ叱るたびに正座させてた人の言う言葉!? 華琳だけってわけじゃないけど!」

「だから別に叱るわけじゃないわよ! ……一言言いたかっただけよ、そう、一言」

「………」

 

 ついつい、ホントデスカ? とばかりに窺うように見上げてしまう。

 と、涙目の男の上目遣いなぞ気持ち悪いのか、顔を赤くしてフイとそっぽを向いてしまう。そりゃそうだ気持ち悪いよ。

 

「一刀。次に恋に挑まれる……いいえ? 誰かに挑まれたりした際には、立会人を用意なさい。そうすれば、相手が興奮してあなたの制止を聞かなかったとしても、その立会人が止めてくれるでしょう?」

「ア」

「……なによ、その“そういえばそんな方法が”って顔は」

「イヤアノアノ……!」

 

 思いつかなかった、とは言えませぬ。

 いや、そりゃ俺だってそういうことを考えなかったわけじゃないよ?

 でもさ、目の前の相手との仕合が終わったあと、立会人だと思ってた人が急に“次は○○の番なのだー!”とか言い出す世界……! 気づけば、そんな人を立たせたら余計に自分が危なくなるだけだと、心でなく体が理解してしまっていた……!

 しかしそれも、ちゃんと相手を選べばなんとかなった筈なのだ。それをなんというか早くも諦めていたということもあって、なんというかゴメンナサイ。

 

「そっか、そうだよなー……なんか、立会人だった筈の人が“次は私の番だー”とか言って武器を取る光景が当たり前になりすぎてて、そういうのを頼むことが頭の中から消えてたよ……」

「……北郷。挑まれたら私に言え。立会人になろう」

「え? あ、ほんと!? ほんとにか!? あとで“次は私だ”とか言わない!?」

「うむ。言わない、言わないから泣くな……こちらの方が泣きたくなる」

「~っ……あ、ありがとう! ありがとう秋蘭! ありがとう!」

「う、うむ……気にするな」

 

 喜びと安堵のあまり、秋蘭の手を取って感謝を続けた。

 そっか、秋蘭に頼めばよかったんだ! そうすれば一人が終わったあとに、その前に戦ったはずの人が“じゃあもう一度だ”なんて武器を手にすることもないんだ!

 や、やった! ハレルヤ! 俺、もうキャーとか叫ばなくていいんだ! おめでとうありがとう!

 

「………」

「……華琳さま」

「わかっているわよ……さすがにこんな姿を見せられては、一刀ばかりに注意を続けるわけにはいかないもの」

 

 ? あ、あれ? 何故か華琳にぽむぽむと頭を撫でられたんだが。なに?

 あの……秋蘭さん? そのとてもやさしいのに微妙に哀れみを込めた目はなに? そして春蘭さん、一層に視線があちらこちらに散っておりますが、大丈夫?

 などと疑問が浮かんだのち、この場に居る全員へと華琳から言が放たれた。

 それはさっき俺が心配していた立会人のことが大半であり、言われた言葉に力自慢の皆様が気まずそうにソッと視線を逸らしたのがとても印象的だった。

 

「以上。何か言いたいことがある者が居るのなら、挙手ののちに発言せよ」

「あ、はい、華琳さまー」

「季衣? なにかしら」

「仕合じゃなくて、遊ぶのだったらいいんですか?」

「………」

「……華琳さま」

「わかっているわよ秋蘭……はぁ。そうね、季衣。あくまで一刀の常識内での“遊び”だったらいいわよ。……一刀も、いいわね?」

「ああ、それはもちろん。全速力で走ってきて腹に頭突きをするだとか、競い合う二人に手を引っ張られた上で全速力で走られて地面を引きずり回されるだとか、鬼ごっこと称して仕事を抜け出したことで追ってきた美髪公から逃げるなんてことじゃなければ」

『………』

 

 ぽろりと出た本音に、集まった一同が深い深い溜め息を吐いた。

 

「……一刀。それは遊びなのかしら?」

「え? えー……と……本人は遊びだって言ってたから、そう……なんじゃないか?」

「誰か、などと訊いたところで、あなたは答えないでしょうね」

「ん、もちろん」

「そう。それじゃあ……季衣、鈴々、それから美以。前へ出なさい」

『はうっ!?』

 

 わあ、すごい。一発でお当てになられたよこの覇王さま。

 そしてそこから始まる説教劇場。

 ここで俺が“俺が言ってしまったばっかりに”なんて思って後悔するのは、いいことなのか悪いことなのか。

 そんな心配が顔に張り付いていたのか、秋蘭がフッと笑って言ってくれる。

 

「たまにはいい薬だろう。こういった時くらい心配を顔に浮かべるな、“一刀”」

「秋蘭……」

 

 一刀、と。そう言われただけで、普段の語調ではあったけど心配させてしまったんだなと受け取れた。……そりゃそうだ、さっきだって恋と戦ったことを心配してくれていたんだ、気づかないでのほほんとしているほうがおかしい。

 

「ほんと、ありがとう。いつまで経っても心配かけてばっかりでごめん」

「なに、それは構わんさ。あまり急激に変わられてもこちらが戸惑う。心配をかけすぎるのも問題だが、お前はそれくらいが丁度いい」

「……どうしていいかわからなくなる言葉だな」

「ふふっ……いや、すまんな。私も少々動揺しているらしい」

 

 ふっと笑って、さっきの華琳みたいにぽむぽむと頭を撫でてゆく。や、だからあの、なんなんでしょうか。もしかして今の俺、子供っぽく見えるとか?

 ……そういえば俺、もう姿が変わらないから、みんなからしてみればいたっ!? あたたたた秋蘭さん!? なにやら急に撫でる手がアイアンクローにギャアーッ!!

 

「うむ……いや、すまないな北郷。なにやら妙な視線を投げられた所為か、つい力が入ってしまった」

 

 女性って年齢的なものに敏感ですよね。いや、逆に男が口ほどに視線で語る生き物だからなのかも。女性って何処を見られてる~とか敏感らしいし、女性は男がそうするよりも“相手の目”を見るらしいからね……。

 でもつい力が入ると、撫でという行為がアイアンクローに進化するなんて初めて知ったよ俺。

 珍しくも悪戯っぽい笑みを浮かべて、秋蘭が春蘭を促して歩いてゆく。

 ほう、と段落を得られたと思うや出てしまう息は、状況に対しての溜め息なのか、ただ単に安心から出た安堵の塊なのか。

 

「父さま大丈夫ですか!?」

 

 動けないし、いっそぱたりと倒れてしまおうかと思った矢先、将の間をくぐるようにして丕がやってくる。その後ろには延も述も柄も居る。

 

「あ、ああ。大丈───」

「みみみみぃいいっみみみ見張り台から落ちたって! その上あの呂奉先さまと十回戦って七回吹き飛ばされてうわーん!!」

「落ち着いて!? な!? 落ち着こうな丕!! なんかすごいごっちゃになってるから!」

「うんん? いや、違うぞ丕ぃ姉。私が聞いたのは、父がこう……奉先さまに吹き飛ばされて大回転しながら見張り台の屋根に激突して、落ちてくるところを子明母さまの暗器で絡め取られて振り回されて、芝生にどしゃあと捨てられたと」

「私が聞いたのは……父さまが新たなる技、竜巻風陣脚で回転しながら奉先様を幾度も吹き飛ばし、ついに解き放たれた校務仮面さまの奥義がご自分もろとも奉先さまを……! あの轟音はそれが原因ですよね?」

「あらあら登姉さまぁ? 延が聞いた限りでは、大回転して突撃したお父さんが奉先さまに打たれて、それを子明母さまが暗器で受け止めて、伝説の“ぴっちゃーがえし”なるものを見せて、また打たれたとか……。述ちゃんもそうですよねぇ……?」

「い、いえ……私が聞いたものは、父上が校務仮面さまとなって、高いところから跳躍しようとしたところを子明母さまの暗器で引き摺り下ろされて、脇腹から落下して物凄い音が───」

「やめて!? なんかもう俺がひどい目に遭ったってことしか合ってないからやめて!? ていうか脇腹から落下してドデカい衝突音とか怖いだろ!」

「いやいや違うぞ父よ、もうひとつ合っていることがある。訊いたわけではないが、きっとこれは総意だぞ」

「えっ? ……いや、どうせぬか喜びだろうし、ろくでもないことだろ。ほら、恋相手に十回も戦って、よく生きてたなーとか」

「な、何故わかったのだ!?」

「どうせなら無事でいてくれて嬉しいって方向での総意にしてほしかったよ!!」

 

 見れば全員同じような驚きの表情。

 ……まあ、うん。実際俺も、よくもまあ手加減されたとはいえ無事だったなとは思うよ。

 最後は全力だったかもだけど、それにしたって恋が自爆したみたいな結果だ。

 ちらりと見てみれば、恋は季衣や鈴々、美以に続いて華琳に怒られている。無茶をするなって感じの説教らしい。いやほんと、もう無茶は勘弁してほしい。

 でもこちらをちらちらと……見ずに、堂々と見てる。目を逸らさない。そんな瞳が段々と潤んでいって、やがて暴れ出して───って、ああ、またみんなが押さえつけに……あそこだけでも大忙しだ。

 

「はぁ……」

 

 ともかくこちらはこちらとして、びゃーと泣く丕を引き寄せて胡坐の上に座らせると、泣き止め~とばかりに頭を撫でる。……おかしいなぁ、丕はもっと凛々しいと思ってたんだが。そりゃ、やろうとすることで悉くポカしたりとか、落としたものを咄嗟に拾おうとして机に頭ぶつけたりだとか…………あれ? あまり凛々しくない?

 おかしいなぁ、かつての嫌われていた頃を思い出してみても、ミニ華琳として考えてもなんらおかしくなかった筈なのに。

 や、そりゃね、急に父親が見張り台から落ちて……あれ? 考えてみれば順序がおかしすぎません? なんで見張り台から落ちたあとに恋と戦ってるんだ俺。しかも“俺が恋を”じゃなくて“恋が俺を”七回吹き飛ばしたことになってて……ああ、うん、泣くね。泣くね、これ。普通にやってたら死んでるよ。もしその当事者が俺じゃなくて丕だったら、俺も当然泣いてたよ。なるほど。

 

「ごめんなぁ、たくさん心配させた」

「い、いえ、いえっ……無事だったら……ぐすっ」

「はっはっは、丕ぃ姉は思っていたより泣き虫だなぁ。まあ、私は父がその程度で死ぬ筈がないと確信していたが。なぁ登姉ぇ」

「ええもちろんよ。校務仮面様たる父さまが、見張り台からの落下程度で死ぬわけがないわ。ねぇ? 述」

「はい、校務仮面さまたる父上がそんなまさか」

「あらぁ~? その割には、登姉さんも述ちゃんも当事者がお父さんと知った時、泣きそうな顔に───」

『なってません!!』

「うふふ~、お二人とも可愛いですねぇ~」

 

 どちらにせよ心配してくれた子供たちに感謝を。賑やかなのはいいことだ。

 ほんと、子供たちとの関係のために踏み出してよかったと、心から思う。



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139:IF2/誇ってくれる、眩しい人②

 ……で、だけど。

 

「えっと、悪い。子高、そろそろ亞莎を止めてやってくれないか? 琮が……」

「え? 琮? ───えぅっ!? 琮が大泣きしてる!? 何事ですか父さま!」

「落ち着くんだ登姉! ───ぬ、ぬうあれは……尾死裡貶変(おしりぺんぺん)……!」」

「し、知っているの!? 柄!」

「う、うむ……私も父から聞いただけで、この目で見るとは思ってもみなかったが……!」

「……柄。その反応、無理にしなくてもいいと父上が仰っていたぞ」

「述姉! 今いいところだからそっとしておいてくれ!」

 

 いや、きみたちね。

 そういう問答はいいから助けてあげなさい。

 と言ってみれば、子高が琮と亞莎を見て首を横に振るう。

 

「あ、いえ、父さま。あれはあれで、琮にもいい薬みたいです。亞莎はさすがね……叩きながらも愛があります」

「あ、本当ですね。何気に鍛錬もするようにと言い聞かせようとしています。さすが登姉さま、ものの見方もお見事です」

「あら~、またお尻叩かれちゃいましたね~」

「……なぁ父。あそこで“鍛錬? 嫌です”と言える琮は、どれだけ根性があるんだ」

「いや……あれって根性って言えるのか?」

 

 というか本当に助けてあげてください。

 あれじゃあ椅子にも座れなくなってしまう。

 ……あ、明命が止めに入ってくれた。……ハテ、なにやら明命がこっちを指差して……亞莎が俺を見て、わあ、顔真っ赤。

 

「おお……すごいな父。眼光ひとつで子明母さまが真っ赤だ……!」

「亞莎のことだし、過剰に怒りすぎたところを見られて恥ずかしがっているだけじゃない?」

「むう。登姉はいいなぁ。私も早く皆に認められ、真名を許されたい」

「……べつに特別なことではないわ。特別なのは、王の子という肩書きだけだもの。真名を許された理由なんて、それ以外には存在しないわ」

「登姉さま……」

「……はぁ。ほら、子高」

 

 少し悲しそうに言う登の腕を掴み、驚く顔をそのままに引っ張って抱き寄せる。丁度、丕の隣に座らせるように。

 

「そういうことは気にしない。肩書きがどうのがあっても、認められない人は認められないんだから」

「うぅ……」

 

 わしわしと頭を撫でると、結果として俺の足に座るかたちになっていて、立とう立とうとしていた足から力が抜けて……とすんと体を預けてくる。

 ……ハテ、丕さんのほうもなにやら思い切り寄りかかってきた気が……気の所為?

 

「で……王の子、で思い出したんだけど。禅は?」

「禅? 禅ならほれ、あっちだ父」

 

 促された方を見てみる。

 ……季衣、鈴々、美以たちとともに、暴れる恋を押さえつけていた。というかしがみついていた。

 

「ところで奉先さまはどうして暴れているのだ? どうにも父を見ているように見えるのだが」

「あ、それは私も気になっていました。父上、結局のところここで一体なにが?」

「きっとあれですよぅ? 以前のようにお父さんに負けてしまった奉先さまが、目を輝かせてお父さんに抱きつこうとしたところ、誰かに邪魔されてしまったので……暴れるというよりはこちらに来ようとしているだけなのかもしれませんねぇ~」

「……だけ、と言うのは少し力が篭りすぎている気がするのだけれど」

 

 と、これまでぐすぐすと鼻をすすっていた丕が、素直な意見をここに。そして俺も同じ意見です。

 でも実際顔を舐められたし……本当にただこっちに来たいだけなのか?

 

「はぁ。愛されているわね、一刀」

「へ? あ、華琳……いいのか? あれ」

「いいのよ。罰だもの」

 

 あれ、というのはもちろん恋を止めようとしている季衣と鈴々と美以だ。三国無双相手に素手で掴みかかり───わあい、振り回されてるー。って相変わらず滅茶苦茶です三国無双さん! やっぱり物凄く手加減してくれてたんですね!?

 

「今までは単に懐きの延長上のものだったのでしょうけれど……ふふっ、火のついた三国無双がどれほどなのか、見ものね」

「火のついた、って……今の恋?」

「他に誰が居るのよ」

 

 や、まあ、現在こちらに来ようとずりずり近づいてきておりますが。

 みんなに押さえられてるから来れないようだけど、それでもずりずり近づいてきてる。ハテ、そういえばどうして押さえてるんだろうか。べつにそんなに怖いものでも───

 

「おおお……冷静じゃないな、奉先さま。父よ、私たちも禅のように押さえるのを手伝うべきか?」

「禅だけでは心許な───あぁああ振り回されているわ! と、父さまっ! 私行きます! 曹丕姉さまも!」

「言われるまでもないわよ! 邵! 近くに居るわね!? 手伝いなさい!」

「は、はいぃっ! って、あうぁああーっ!? 前にして見ると余計に怖いですーっ!」

「うう~ん、確かにそうですねぇ。なんだかこのままお父さんに抱きついて、興奮のあまり力加減を忘れて骨まで折りそうなほどの勢いを感じますねぇ~……」

 

 みんな押さえてくれてありがとう本当にもうありがとう! それしか言う言葉が見つからない!

 でも確かにちょっと目が怖い! 普段は大人しい感じの目が物凄く鋭い! まるで同じ雌を取り合う雄の猛獣のような熱さと鋭さを───あれぇ!? 俺が雌なの!? 普通逆じゃない!?

 

「で? どうするのよ一刀。皆が止めに入っているけれど、止められるのはきっとあなただけよ?」

「それがわかってて向かわせるのって、普通に非道じゃないか……?」

「なんでもかんでも非道を引き合いに出されては何も出来ないじゃない。罰を与えることが非道に当たるなら、桃香を覇王として仰いでいなさい。……本当にそうしたら蹴るけれど」

 

 蹴るらしい。

 けど、そっか。考えてみればあの暴走、天下一品武道会の時と似ている。

 じゃああれか、なにかパンク寸前の興奮を抜けるような何かを届けてあげられれば。

 

「えっと……恋~! なにかひとつ言うこと聞くから、暴れるのやめなさ~い!」

「……ん、やめる」

『えぇええええっ!?』

 

 走り出した娘達が心底驚いた。

 そして俺はといえば……何故か華琳さんに頬を抓られた。

 え? な、ちょ、痛い! なになに!? えっ!?

 あ、もしかして華琳もなにかしてほしいとか!? やっ、それならいつだって言ってくれればっ! 俺が誰を恋しく想って今日まで頑張ってきたかぃぁああーだだだだだ!? だだだだからなんで抓るんだよ! 違うのか!? 違うんだったら───あ。もしかして“言うことを聞く”ってところが気に入らなかったとかぁああいだだだだだぁーっ!?

 

……。

 

 さて。

 そんなことがあってから時間は流れ、とっぷりと夜。

 周期ながら、恥ずかしいから一日置いてほしいという春蘭の言伝が秋蘭から届けられ、ほっとしたような、妙な気分を抱きつつ寝台に沈んだ。

 今日はなんだかいろいろあった。

 今頃朱里と雛里はみんなを集めて会議中だろう。

 その中には春蘭と秋蘭も居るのだろうか。言伝と参加とを考えれば、秋蘭も大分忙しい。

 なんにせよこれでSM的房中術の心配もなくなるわけだ。

 今さらそのこと以上に怖いことなど滅多にないだろう。

 

  ……なんて、思ってしまったのがまずかったのかもしれない。

 

 突如としてがちゃりと扉が開いて、布団に沈んだままに、閉じていた目を開いてちらりと見ると……そこに、何故か蝶々型のマスク……マスク? 眼鏡? のようなものをつけて、縄と蝋燭を持った……三国無双ォオオオオオッ!?

 ギャアア魏武の大剣の上が来たァアアアアアッ!!

 えあぁあああアバババババなになになにごと!? 何事かァアアアッ!!

 ズバァと思わず立ち上がり、寝台の上で身構えた。

 ……すると、三国無双はこてりと首を傾げて手に持った縄をくねくねと動かし、遊んでいた。

 

「………」

「………?」

 

 あの。もしかしてよく解らず、縄と蝋燭を持ってきた?

 テイウカアノー、今日会議ある筈だよね? 何故にここに?

 

「れ、恋……? 今日、会議が……」

「ん……必要ない。勉強した」

 

 言いつつ、たるませていた縄を引っ張る恋。

 “じぱぁんっ!”って音と一緒に今あのー……衝撃波、出てませんでした? は、ははっ!? 気の所為だよね!? この後の俺の運命が、サブタイ:『悲運、音速拳』的なことになったりしませんよね!?

 

「……恋。冷静に、行動に移る前に聞いてほしいことがある」

「大丈夫。ご主人様……、ん……天井? の……しみ? を、数えているだけで……いい」

「どこで習ったのそんなこと! むしろ艶本の作者なに考えてるの!? そして多分それ言うほうが逆!」

「? ご主人様が言う……? ………………じゃあ、これもご主人様が、使う……?」

 

 言って、縄と蝋燭をサムと差し出してくる恋さん。

 

「使いません! いいからちょっとこっち来なさい!」

「ん……」

 

 頷いて、近づいてくる恋。そんな彼女からとりあえず……これ、柄も持ってる華蝶仮面でいいんだよな? を、スッと取って寝台の上に置く。

 うん、やっぱり恋は春蘭よりもよっぽど聞き分けがいい。

 昨日の春蘭はそれはもう説得に時間がかかったもんなぁ。

 今の恋みたいに、寝台にきしりと上ってきて、ちょこんと座りつつも俺の両手を縄で縛ったりなんかオォオオオオオオーッ!?

 

「恋!? いいから! 縛らなくていいから!!」

「? 朱里と雛里が……こうするって……」

「それ間違った知識だから! 今日の会議で間違いだったことを説明する筈だったの!」

「…………残念」

「残念なの!?」

 

 一応わかってくれたみたいで、縄と蝋燭がポイスとそこらに捨てられる。

 それに安堵した俺は恋と向き合うかたちで寝台に胡坐をかくと───なぜか恋が俺に抱きついてきた。

 驚いてべりゃあと剥がすと、こてりと首を傾げたのちにまた抱き付く。剥がす。抱きつく。剥がす。抱き付く。剥が……っ……ハガァーッ!!

 なんか剥がすたびに力が上がってらっしゃる! まずいこれまずい! あまり剥がしすぎると、それこそ俺の背骨が“バキボキグラビッ!”ってことに……!

 ……仕方ないので抱き締められるままになっていると、今度は犬のように顔を舐めてくる。あの……これも抵抗したら噛まれたりするんでしょうか。

 

「ん、んんっ。恋、どうかしたのか? 仕合が終わってからちょっと変だぞ?」

 

 赤くなっていく顔を自覚しつつ、咳払いをしてから訊いてみる。

 対する恋は特に気にしたふうでもなく俺に頬擦りをしてきて、時折かぷかぷと首を噛んでくる。……で、この行為で美以を思い出したわけでして。

 

「そのー……まさかとは思うけど。美以が言ってた強い男がどうのってことと……関係ある?」

「ん……美以が言ってた。強い女は、強い男の子供、産む……って」

「子供って……! いや、恋? そういうのは言われたから残すんじゃなくて……」

「言われたからじゃない。恋は、残したいから残す。ご主人様と恋の子供……きっと強い。強いから……」

「え……強いから?」

 

 内心は戸惑いのまま。

 けれどきちんと聞く耳は持っておくよう努め、恋の言葉の先を促す。

 恋がこれだけきっぱり言うんだ、半端な気持ちじゃないとは思うけど───

 

「恋より強くなってほしい。そうしたら戦う。全力で戦う」

「………」

 

 ───なんか“この人どこかから範馬の血でも受け継いだんじゃないか”って軽く考えてしまった。

 一瞬、もし子供が産まれて息子だったら、刃牙とか名前つけますかと訊ねそうになる。もちろんしない。

 

「恋……それでも、やめておいたほうが───」

「平気」

「や、けどな?」

「平気」

「う……あ、じゃあさ、ええっと、こんな話があるんだが───」

 

 話をする。とにかく、遠回しだろうが近回しだろうが恋が諦めそうな例え話を。子供が産まれたらこういうことが大変なんだぞー、とか、さりげなく。

 

「平気」

「───」

 

 しかし何も変わらなかった。

 

「恋、あのな?」

「……ひとつ、言うことを聞く。……ご主人様が言った」

「───」

 

 そしてまた俺は後悔するのでした。

 ああ、わかってる。願われることなどわかってるんだ。もうさすがにわからないとか言わないよ。悲しい方向に成長したもんだなぁ……俺。

 

「恋、待った。わかったから、願いごとで子供を作るとかやめてくれ。それは、子供が可哀相だ」

「ん……でも、んゆ……」

「わかったから」

 

 言葉を繋ごうとする恋の頭を、前髪から後ろへと滑らせるように、けれどゆっくり撫でる。こう、一度無理矢理にでも目を瞑らせて、見ているものをリセットさせるために。

 ……なんでも言うことを聞く、という約束で子供を作るわけにはいかない。

 かといって説得でどうこうなるようにも見えない。だったらどうするか?

 

「……恋。後悔しない?」

「平気 」

「ほんとのほんとに?」

「平気 」

「子作りって、なにをするか知ってるよな?」

「セキトもやってた。大丈夫……わかってる」

「…………」

 

 思わぬところでセキトの情事を知ってしまった。

 顔が熱いのは気にしちゃいけないことだろう。

 

「じゃあその、重要なことを訊くな?」

「?」

「えぇっと……その。恋は、俺のこと……好きか? もし好きとかじゃなく、美以に言われた条件上の男だからって理由でなら、俺は───」

「……? よくわからない」

「あ、あー……そか。じゃあ、そうだな。ほら、さっき俺の顔舐めただろ? ああいうこと、兵にしたいとか───」

「!? ……嫌」

「え? あ……恋?」

「嫌」

「あ、や、嫌ならそれでい───」

「嫌……!」

「うう……」

 

 警戒心が上がった。

 珍しくも怒った様子で俺を睨んでくる。

 

「じゃあ質問を変えるけど……俺だったら?」

「………」

「わっと」

 

 抱き付かれた。その上で、俺の匂いを自分につけるようにより密着して、胸にこしこしと顔を擦り付けてくる。

 …………質問の答えは、こういうことらしい。

 好きとか嫌いとかは深く自覚はないまでも、自分との間に残したいものがある。そう言ってくれているようだった。

 

「───」

 

 苦笑、小さな溜め息。

 それをいっぺんにやった辺りで、こちらの覚悟も決まった。

 

(知られたら、ねねに蹴り回されそうだなぁ……はは)

 

 どつき回すのではなく蹴り回す。そんなことを想像するあたり、やっぱり苦笑は漏れたけど……それも恋に口を塞がれたあたりで止まった。

 塞がれたというよりは、顔の時と同じように舐められたというもの。

 けれどお返しとばかりに舐めて、塞いでと繰り返していくうちに高まり、やがて……体を傾け、交じり合っていった。

 



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139:IF2/誇ってくれる、眩しい人③

 そうして時は過ぎて……朝がくる。

 コトが済んだのちにドラム缶風呂でいろいろ流し、現在さっぱり状態の俺と恋。

 たった二人のために大きな風呂を用意するわけにもいかなかったので、ドラム缶。

 つくづく思うけど、これを製作してもらったのは本当に正解だった。

 元々は中華鍋を繋ぎ合わせたものだーなんて言って、果たして誰が信じてくれるのか。あの頃はまだまだ都も出来てなかったなぁ……懐かしい。

 しかし風呂でいろいろ流し終わって、部屋に戻ってからも……何故か恋はやたらと擦り寄ってきて、隙あらば顔を舐めてきたり頬擦りをしてくる。どうしたのかを訊ねてみれば、

 

「……匂い、消えてる」

「マーキング!?」

 

 詳しく訊いてみたところ、春蘭の香りが色濃く存在するのが嫌だったんだとか。

 十回戦って負けた⇒本当に強い男と認識⇒強い女は強い男と子供を作る⇒なのに相手からは春蘭の香り⇒恋の匂い、つける⇒みんな邪魔する⇒暴走。

 ……そういった経緯が、彼女の中にあったらしい。

 な、なるほどぉおお……そういうことなのね……。

 

「あ、っと。それで恋、恋は今日、仕事は?」

「ん……朝から、ねねと一緒に見回り」

「そっか。じゃあそろそろ朝餉食べないと」

「……行ってくる」

 

 うっすらとやさしい笑みを浮かべ、歩いていく。

 部屋の扉を開けて外に出るまで、何度も何度もこちらを振り向いて。

 その度にいってらっしゃいと手を振るんだが、少しするとまた振り向いて……って、犬じゃないんだから早く行きなさい!

 

「ふぅ……」

 

 やがてパタムと閉ざされる扉に溜め息。

 懐いてくれるのは嬉しいけど、美羽の時みたいに依存っぽくなるのは危険だ。

 とはいえ……いたしてしまいました。いや、後悔はないし、きちんと全力で愛した。けど……ふと思う。あの三国無双との間に出来る子供。……やっぱり強いのかしら、とか。

 もし俺の想像を遥かに超えて、産まれた瞬間から授乳を強要するような地上最強の生物だったらどうしましょうとか。

 ……その時はその時か。

 とりあえず部屋の中の空気、なんとかしないと。

 

「ぃよいしょっ……っと」

 

 窓を開けて、扉を開ける。

 ……と、そこに立ってる三国無双。

 

「……食べてきなさい」

「……ん」

 

 今度こそ、とばかりに歩いていく恋。

 今度は振り向かずに歩き、やがて廊下の先で見えなくなった。

 

「うん」

 

 見送ってからは早い。

 いたしたあとの処理と言うべきか、とりあえず布団を干して、ついでに携帯電話も陽の下に置いてと。

 と、そんなところで来訪者。

 

「お手伝いさぁああ~ん!!」

「おぉうわっ!?」

 

 なにやら泣いた琮が、俺の腰にタックルしてきた。

 お、おぉおお何事……!? いやいや琮!? タックルはだね、腰から下に……でもなくて!

 

「ど、どうしたんだ、琮。見張り台から落ちたことなら、もう散々亞莎に怒られたみたいだから、もう謝らなくても」

「い、家出をしてきたのです……! ここに居させてくださいぃい~っ……!!」

「………」

 

 ……神様。家出だそうです。

 随分と近い家出であるな、と脳内神様が笑っておられた。

 

「琮……? 俺を頼ってくれるのは嬉しいけど、家出はさすがに……」

「で、でもっ、あの偉大なる母が私を叩き、涙したのです……! わわわ私はもう、合わせる顔がぁああ……!!」

「や、一日一緒に居られたなら大丈───」

「一日一緒に居たから息が詰まるんだもん!!」

「おおっ!?」

 

 安心させるようにいろいろと言おうとしてみれば、子供らしい口調で怒られてしまった。

 妙に悟った雰囲気は持ち合わせていても、やっぱり子供のようだ。

 で、結局どうするかなんだが……

 

「……本気なのか? 心配させることになるぞ?」

「うふふふふその心配を武器に今度こそ鍛錬無しの日々をもぎとって痛い痛い痛いですーっ!!!」

 

 ああなんだ、その。この子無駄に逞しいです。

 顔は亞莎なのに中身がまるで雪蓮だ。

 

「うう……お手伝いさんは時々ひどいです……こういう時は何も言わずに匿ってくれるのが、男のやさしさだと黄蓋母さまが仰ってましたよ……?」

「とことんいろんな娘に困ったことを教える人だなぁもう……。ていうか、なんで黄蓋母さまだったり公覆母さまだったりするんだ?」

「あ、いえ、それは黄蓋母さまが───《スッ》真名以外なら好きに呼べぃ───と」

「や、妙に雰囲気出して祭さんの真似しなくていいから。むしろそれなら祭さんのところに転がりこんでもよかったんじゃないか?」

「え? いやですお酒臭いし」

「明命のところは?」

「お猫様談義が尽きることなく放たれるので」

「思春───述の部屋は……」

「鍛錬鍛錬と述姉さまがやかましいです」

「……蓮華のところは」

「同じです。武の才があるのにもったいない、と」

「……禅は?」

「あのぽやぽやした空気はとても素晴らしいです。が、同じようにまったりしていると雲長さまに捕まりますし」

「はぁ……丕のところは?」

「偉大なる父の話でいっぱいです。これは文句はありませんが、どうやら自分の知らない父のことを話されるのが嫌いらしく、いろいろと面倒なので」

「……まったりって意味で、穏と延のところは?」

「本を読んでいると羨ましそうな目でねっとりと見られて、正直身の危険を感じるので駄目です」

「………」

「………」

「他の将のところは」

「誰も彼もが鍛錬しろ鍛錬しろなので嫌です」

「………」

 

 候補が絞られた結果、ここだったようです。

 ようするに一番最後。

 いや、泣くことないんだよ? 俺。最後にちゃんと頼られたってことじゃないか。

 

「わかった。じゃあ、勉強するか」

「ぁ……っ! 望むところですっ!」

 

 にっこり笑顔がそこにあった。

 あったけど、尻が痛いらしくて椅子は無理だと泣かれた。

 なので寝台に座った俺の胡坐に琮を乗っけるカタチで…………さて、それでは思考の回転速度を上げましょうか。

 難しい問いから始めて簡単な問いに。理解しづらい覚え方から理解しやすい覚え方へ。

 応用を素っ飛ばして困惑から始めて、応用こそを受け取りやすいものとして受け入れさせる。

 

「いいかい琮。覚え方にもいろいろある。これを見たらこう考えろって頭に叩き込むのもそうだし、この陣形を見れば崩し方はこうだって記憶しておくのもいい」

「はい」

「ただし、それをそのまま応用に回さずに固定するのは危険だしもったいない。いいかい? 固定した考え方は自分の進む道を閉ざすものだって覚えなさい。これはこうだから、それは有り得ない、じゃなくてな? これはこうだけど、こういう考え方もあるって覚え方をしよう」

「可能性は捨てずに持て、ですね。偉大なる父の書物に書いてありました」

「うぐっ……み、見たのか?」

「はい。曹丕姉さまが“琮は頭が硬いから”と、見せてくれたものがありました。……とても興味深いものでした」

「そ、そっか? はは、そかそか」

 

 深く、しみじみと言われてはさすがに照れてしまう。

 しかし琮に「何故お手伝いさんが照れるのですか?」と言われれば、泣きたくもなりましょう。

 

「ああ、わかりました。お手伝いさんも偉大なる父が褒められて嬉しいのですね。わかります、すごくわかりますよ」

「───」

 

 そして違うとも言えない俺。

 照れと悲しさと微妙な感情とが混ざり合い、なんとも奇妙な表情で停止してしまう。その間にも琮は話を続けて……俺はといえば、きちんと返せる言葉には返して、投げかけられる言葉はきちんと拾ってゆく。

 こういうタイプは……うん、きちんと言葉を拾ってあげることが重要だ。それはシャオの時でも美羽の時でも、感じたことは変わってない。

 なので根気良く。

 向かっている方向への後押しをするようにして、ただしたまには体を動かさないとといった感じでクッションを差し込む。ようするに、俺も一緒にやるから運動をしよう、みたいな感じ。

 

(……はぁ)

 

 それにしても、いつになったらこの娘は俺のことを父として認識してくれるのか。

 怒鳴るように言い聞かせたってその後が気まずいし、かといって優しく語り掛けたって“いくらお手伝いさんとはいえ偉大なる父の名を騙るなんて……!”とか言われそう。……うわー、すごい言われそう。ほんと言われそう。

 なので首を捻る。どうしたものかと。

 

「お手伝いさんは偉大なる父の生前を知っているのですよね? 教えてください。曹丕姉さまに自慢してやるのです」

「お前は結構腹黒いのな……」

「腹黒い? いいえ、私は素直ですよ。表で黒いのですから。鍛錬しろとばかり言う様々な人に、そうして少しずつ鍛錬をしろと言うたびに、聞きたくないことを言われるのだと教え込ませるんです」

「やめましょうね?」

 

 言いつつ、胡坐の上で“フスー!”と得意げにガッツポーズを取る琮の頭を撫でる。宥めるって意味も込めて。

 すると俺を見上げ、拍子にキョンシー帽がずるりと落ちるのもお構い無しに、琮が言う。

 

「お手伝いさんはやっぱり不思議な人ですね。いえいえ、いい人という意味で。普通こんな態度の子供と居たら、嫌気が走ると思いますが」

「え? なんで?」

「え……だって、かわいげなんてないじゃないですか。私だったら嫌です。ごめんです。こんな子供はほうっておいて、自分の時間のために動きますね」

 

 自分でそこまで言いますか。

 でもなぁ、俺にそんなこと言われたってな。

 それこそ“なんで?”だ。

 こんな態度? どんな態度?(*様々な将に散々と振り回されたため、嫌気の基準がおかしい。主に猫耳フードな軍師の所為で)

 

「別に困ったやつだとも思わないし、いいんじゃないか? それが琮らしい生き方なら。俺はお前がそれでいいって胸を張れてるなら、なんの文句もないし……」

「あ……」

「ちゃんと、誇っていいことだと思うぞ?」

 

 やさしく撫でる。

 俺の胸に頭のてっぺんを当てるようにして俺を見上げる琮の、そのおでこを。

 頭を撫でようにもこの体勢だと難しい。

 

「……誇ってくれるんですか? こんな私を。鍛錬もサボるし、サボって食べる胡麻団子が好きな私ですよ?」

「鍛錬はサボっても、仕事や勉強はちゃんとやってるんだろ? 伸ばしたいことを率先してやるのは努力であって、別に批難されるようなことじゃないさ。亞莎だって元は武官で、そこから文官に移ったって聞くし。あ、でもな、ここで亞莎を喩えに出したからって、琮にそうなれって言ってるわけじゃないぞ? 琮は琮がやりたいことをやりなさい。そのことで周りがどれだけ怒ろうとも、呆れて離れていこうとも、俺は琮の傍に居てずうっと応援しているから」

 

 相手は俺をお手伝いさんと呼ぶ。

 だったら、もうそれでいいんじゃないかなって思う。

 少なくとも偉大なる父って言ってくれているんだし、親であることは俺が自覚していればそれでいいんだから。

 だったらせめて……そう、せめて、お手伝いさんとして見守ってあげよう。

 押し付けるだけ押し付けて、さあ頑張れって言うんじゃなくて。周りが敵だらけになったとしても、一緒に居て笑っていられる用務員さん的な気さくさで。

 ありったけの親心を込めて、そんな思いをぶつけた。

 するとどうだろう。

 表情をなくしたような顔で黙った琮が、額を撫でていた俺の手をきゅっと握る。俺の顔を見ながらだから上手く握れなくて、人差し指と中指を握るようなもの。

 なんとなく指でも折られるのではと怖くなったものの、そうなりそうなら全力で抵抗しよう───なんて思っていたのだが。

 

「………~……!」

 

 何故か娘は眩しそうに目を細め、足から降りて駆けてゆく。

 そのままの勢いで扉を開けると、そのまま走り去───らずに、わざわざ扉を閉めようとしてくれたのか、向き直ってくれて……

 

「わ、私はっ!」

 

 叫んだ。そんなに叫ばなくても聞こえるって距離なのに、それはもう大声で。

 

「へ? あ、ああ、うん……?」

 

 思わず気の抜けた返事をしてしまったが、どうか許してほしい。

 

「私はっ、これからお手伝いさんが誇れるような立派な人間になります! 勉強をいっぱいして、た、たたた鍛錬も面倒ですけどきちんとやって! そしたら、誇ってくれますか!? いっぱいいっぱい誇ってくれますか!?」

 

 言われて嬉しくない言葉なわけがない。

 むしろくすぐったくなって、笑顔をこぼしながら、はっきりと言って返した。

 

「───ああ。もちろん」

 

 頷くとともに胸にノックを。

 そうすると琮は歳相応の無邪気な笑顔を見せて、パタパタと走っていった。…………扉はそのままで。

 ……あれっ? 閉めてってくれるんじゃなかったの?

 

「……えーと」

 

 やっぱりお手伝いさんのままだけど……いいのかな? うん。いいよな。

 いつか大人になったあたりか、その前に気づいてくれるだろう。

 だから今は、お手伝いさんしかしてやれないことをたくさんしてやろう。陰ながら支えてやるのもいいし、辛くなったら慰めてやるのもいい。

 そうして彼女の心が満たされるまで支えてやって───



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139:IF2/誇ってくれる、眩しい人④

 ───で……数分後。

 

「偉大なる母様……私は、琮は……ようやく母が言っていたことがわかりました。きらきら輝く人……私もそんな人を見つけることが出来ました!」

「ふえっ!? ふえぇええっ!? え、えええっ!? きらきらっ……!? そ、琮? それはどんな……?」

「はいっ、お手伝いさんですっ」

「───」

 

 叱ったために家出をした娘が急に帰ってきて、爆弾発言をするという恐ろしい出来事があったそうで。

 

「母様……私は、大きくなったらお手伝いさんと婚儀をしたく思います!!」

「───ふぅうえぇえええええっ!?」

 

 その言葉に亞莎が絶叫。

 何事かと集まる呉将の前で、琮は言ったそうな。

 強くなりたいので武を教えてほしいと。

 賢くなりたいので一層の知を与えてほしいと。

 突然どうしたのだと訊いてみれば───ほぼが半眼、じとーっとした目つきだった少女が信じられないくらいに可愛い笑顔で笑い、

 

「そんな自分を誇ってもらいたい、眩しい人に出会えました! その人の伴侶となれるよう、自分を磨きたいのです!」

 

 それはそれは立派な理由だった。

 そう言われては是非もないと、武官文官は腕まくりまでして彼女を応援しようとしたのだが。

 

「かっかっか、そうかそうか。応、どんと任せておけぃ。───時に呂琮よ。その相手とは誰じゃ?」

「お手伝いさんです!」

『───』

 

 からかうように問うた祭さんと、その場にいた呉のみなさんがその後、俺の部屋に突撃してくるまで……そう時間は要りませんでした。

 

『一刀あなた自分の娘相手になに考えていつかやると思っておったがよもや本当にやるとは思わなんだわこの馬鹿者貴様よもや述に対しても同じようなことを考えて旦那さまいくら女性への手が早くても自分の娘にそれは最近延も旦那さまを見る目がおかしいなぁとか思っていましたけどまさか本当にそうだったなんてぇ~だだっ、だだ旦那さまっ……そんな、旦那さまが琮に……! すすすすいませっ……私に魅力がなかったから……!』

「いきなりなに!? ていうか一人ずつ喋って!? むしろ何があったのか説明してくれぇええっ!!」

 

 ええもちろん、突撃してきた母親全員にいっぺんに喋られてもわかる筈もなく。

 それからじっくりと説明された俺は、まあなんといいますか。

 ずっと一緒に居て見守るって言ってしまった手前、激しく否定することも出来ず、そこらへんはきちんと段階を置きながらしっかり説明したんだが……うん、なんだろ。

 むしろこんなことになって、“やっぱり”とか思われていたあたり、なんだか悲しくなって笑顔のままに泣きました。

 

「お、おおっ……!? なにも泣くことはないじゃろう……」

「娘相手に“いつかやる”とか思われてた俺の身にもなってよちくしょう!!」

「しかし貴様のことだ、どうせ嬉しかったのだろう?」

「あ、そうですよ旦那さまっ、話の途中で顔が緩んでましたっ」

「ウ」

 

 どうせなら違う方向で、大きくなったらお父さんのお嫁さんになるー、と聞きたかった。ハイ、本心です。

 

「一刀、あなたまさか本気で……」

「いやいやいやいや蓮華さん!? ちょっと待った! 娘に“大きくなったらお父さんのお嫁さんになる”って言われるのは、娘を溺愛する父親が持つ夢みたいなものでしてね!? 天では結局そう言われようが娘は他の男を好きになって嫁いでいくんだから、むしろもうのちのピエロのようなものでしてね!? 決して怒られるような感情じゃないんだって! 後のこと考えれば悲しいくらいの僅かな喜びなんだよぅ!」

「あらら~、必死ですねぇ~」

「必死にもなるよ!? 今の状況で必死にならなきゃ俺がみんなにボコられるでしょーが!!」

「しかしそうか。ふむぅ……まあ、たとえお主が娘に手を出したところで、娘が歳相応になってもお主のことを好いておればそれはそれで面白───構わんとは思うが」

「祭さん、今面白そうって言おうとしなかった?」

「かっかっか、知らんのぉ」

 

 楽しんでらっしゃる。さっきはあんな形相だったのに。

 「とにかく」、と一息置いて、子供たちは確かに大事だけど、手を出すつもりなんて本当にないことを告げる。

 大体、確かに嬉しかったことは事実だけど、天ではそういうのは恐ろしい重罪だとも。「というかいくら我が子が可愛くても、そういう感情は沸かないから」とキッパリ。

 

「あと亞莎に魅力がないなんてことないから、卑下しないの。いい?」

「はうっ……!? は、はいぃっ……あ、ああありがとうございまっ……!」

 

 ……いつものことながら、やっぱり言葉は最後まで聞こえないなぁ……。

 消え入るような声っていう言葉があるけど、亞莎の場合は語尾が本当に消えてしまうから困る。ここ8年でもそれは直らなかったので、もう仕方ないのかもしれない。

 喋ってる本人、真っ赤だし。

 

「それで一刀? もう起きて平気なの? 布団を干しているようだけど、昨日の今日で動き回るのは感心しないわ」

「ああ、大丈夫大丈夫。そりゃあ痛むけど、体というよりは氣脈に無茶させた感じだからさ。体を筋肉で動かす分にはそこまで負担はかからないって」

「……そう」

「だ、旦那さまっ……この度は琮がご迷惑をおかけして、も、もうしわけっ……!」

「あぁーしぇっ! そんな他人みたいなこと言わないっ! 琮は俺の娘でもあるんだから、そういう言い方はちょっと……かなり……いや、物凄く悲しい!」

「ふええっ!?」

「ふふふっ、亞莎はいつまで経っても照れ屋さんですねっ」

「んふふ~、いい加減慣れればいいのにぃ、亞莎ちゃんは恥ずかしがり屋さんですねぇ~♪」

「だ、だ、だって旦那様がっ……一刀様がっ、他人、他人みたいなこと言わない、って……!」

「ふむ? おお、確かにその言い方は、まるで夫婦みたいじゃのう」

「ふうっ───!?」

「わわっ、また赤くなりましたっ!」

「あらあら~、亞莎ちゃん、愛されてますね~」

「ひ、ひやああ~……! や、やめてくださっ……いぃい……!!」

 

 ますます赤くなる亞莎を囲み、わいわいと騒ぐ明命と穏と祭さん。そんな様子に溜め息を吐くのは蓮華で、その傍でこちらを見ているのは思春。

 呉のみんなは家族のこととなると一斉に来るから、結構心臓に悪いです、はい。

 でも、その“内側を大事にする構え”は好きなんだよなぁ、一生懸命で。

 

「で、肝心の琮は?」

「言いつけた鍛錬をしている。本を読んでばかりだったから、まずは基礎だな」

「……手加減してやってね、思春」

「基礎程度で折れるのならその程度の話だろう」

「安心していいわよ、一刀。こうは言うけど、思春ったら述にくれぐれも怪我をしないようにと琮を見張らせて───」

「れ、蓮華さまっ!」

「……思春。述にもちゃんと教えてやってね。じゃないと拗ねるぞ」

「言われるまでもないっ」

 

 言われるまでもないらしい。さすがおかーさん。

 思わずくっくっと笑っていると、ギロリと睨まれたので「ワラッテナイヨ!?」と返しておく。

 

「ふふふっ……けれど、今日は本当にいい天気ね。こんな日に窓も扉も開けているのは、確かに心地良いわ」

「エ? ア、ウン、ソウダヨネ」

「…………」

「なんで睨むのかな、思春さん」

 

 理由はなんとなくわかりそうな気もするけど。

 

「さて。それでは儂は戻るとしよう。柄に剣術を教える約束をしておるのでな」

「あ、はい。私も邵により一層の気配の消し方を乞われているので」

「あらあら~そうなんですかぁ。穏は延に、殿方の支え方を教えてほしいと乞われているんですけど~……あのぅ、旦那さまぁ? ほんとーに、ほんっとーに、娘に対してそういうことはしませんよねぇ?」

「しませんよ!? なんでそこで念を押して訊くの!?」

「いえいえぇ~、深い意味なんてありませんよぅ~?」

「………」

 

 嘘だ、絶対嘘だ。

 そうは思っても、深く訊けばなんか自分が危うそうなのでやめておきました。

 

「あ……で、では私も行きます……夢中だったとはいえ、琮にはきつく躾をしすぎてしまいましたから……」

「いや、うん。さすがに我を忘れるほどの尻叩きはもう勘弁してやってね……」

「はぅっ……は、はいぃ……!」

「まあ……のう」

「はぃ~……暗器で縛った子供を引き寄せて振り回せるほどの腕力で、あれだけのおしりぺんぺんは、穏でも怖いですよぅ……」

「こ、怖かったんですかっ!? ご、ごごごごめんなさっ……こ、こんな私では、一刀様の伴侶失格で……!」

「こらこら亞莎、卑下禁止だってば」

「そうよ、亞莎。あと誰が伴侶なの」

「え? ツッコむところそこなの?」

 

 蓮華さんに思わずツッコむが、なんかもう伴侶って言葉で皆様が超反応を見せて、ガヤガーヤと騒ぎ出した。

 そしてこの北郷は早くも悟るのです。

 もう……なにを言っても無駄なのに、きっと肝心なところの決定は俺にさせるんだろうなーと。

 

「一刀っ! 結局あなたは誰をっ!!」

「やっぱ来たぁあああっ!!」

 

 慣れたものだけど、状況には慣れようと答えを見つけることにはいつまで経っても慣れません。

 今日も都はとても平和です。

 そんな言葉に“極一部を除いて”という言葉を足したい俺は、誤魔化すように言った一言を糧にまた騒ぎ出す母たちをよそに、そっと窓から脱出をし───はい捕まりました。

 ヤ、ヤア思春サン、今日モ麗ワシュウ。

 

「何処へ行く」

「───俺より強い奴に会いに行く……!」

 

 思春さんの質問に、風に髪を撫でられながら思いついた言葉を適当に言ってみた。

 ……昨日の今日で何事かと、全員から説教くらいました。




 お久しぶりです。
 随分と更新が遅れてごめんなさいです。
 連日連夜の熱地獄に苦しんでまして、ろくに更新できませんでした。
 まあ、はい、なんといいますか…………クーラーとかないんですよね、うち……。
 しかも僕の部屋、気温にめっちゃ影響されやすく、夏は灼熱・冬は極寒みたいな部屋で、窓開けたって熱風しかこないし、なもんだから寝苦しく、仕事中にも寝不足でくらくらするし、なんか足から力が抜けて機敏に動けなくなるし、なんの負けるか男じゃわしゃあああ! と走ったら目が回ってぐったり状態になるわ、病院に行ってみても足に力が入らなくなる現象は謎であるとくるわ……いえまあ貧血気味で疲労物質が溜まりやすくなっている、というのは聞いたんですけど、直接の原因と言えるかは、うーん……と言われてしまい、結局なんなのよォオオ~~~ッ!! って感じです。
 そんなわけで、全部この夏の暑さがいけないのよ……!!

 なんか寝ても寝ても疲れが取れなくてネ……。
 どうせ寝られぬのなら……! と編集作業とかやってると、予想通りといいますかそれまで以上に疲れました。
 やっぱり少しだろうと眠るのは大事ですね。
 皆様も暑さ対策などをして、僕なんぞより快適にお過ごしください。


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140:IF2/約束って恐ろしい①

193/手加減という言葉がとても素晴らしいものだと感じて、ちょっと悲しかった男の子の昼

 

 左腕に込めた氣を右回転! 右腕に込めた氣を左回転!

 そのふたつの拳の間に生じる真空状態の圧倒的破壊空間は、まさに歯車的……普通の嵐の小宇宙!!

 やがてその小宇宙は俺の両腕からミチミチと嫌な音を奏でさせ───

 

「痛ァアアアーッ!?」

 

 そんな小宇宙を前に叫んだ。

 穏に氣で作った風を浴びせたいつかを思い出して、なんとかして風を操れないかなぁと試してみた結果、腕がメキメキ鳴って痛いだけだった。

 腕っていうか、ほら、強風を浴びると顔とかが痛いアレみたいな。皮膚だな。風が出ている間、子供の拷問奥義“ぞうきん”で腕を絞られたような痛みに襲われた。地味に痛い。

 

「思いついたからってなんでもやってみるのはいいけど……無茶はしないようにしよう……」

 

 そもそも自分の関節は、“捻れて回っても平気”なんてものではないのだから。

 

「ふう」

 

 心に段落を持たせるために吐く息は、まだまだ透明だ。

 見上げれば夏の空。

 まだまだ暑い蒼の下、中庭に立って鍛錬をしている。

 ちらりと視線を動かしてみれば、秋蘭と祭さんと紫苑の指導のもと、琮が弓の練習をしていて……

 

「え、えと……こう、ですか?」

「うむ。その姿勢を体に覚えさせれば、とりあえずはどんな場所だろうと矢を射れる」

「おっと、待ってもらおうか妙才よ。その構えは子供には向かんじゃろう。子供の頃から覚えさせるのであれば、この構えがじゃな……」

「祭さん? それを覚えさせると成長してから癖が出てしまうわ。今教えるのなら、このほうが……」

「え? え? こう? こう?」

「違う。呂琮よ、こうだ」

「違うと言っておるだろう、こうじゃ」

「違うわよ、琮ちゃん。こうして……」

「えっと、こう……」

「いや、こうだ。腕は軽く構える程度で、すぐに動かせるように」

「どんな場面であろうと的を外さぬよう、腕はがっしりと構えておけい」

「いい? 琮ちゃん。腕からは弓を構える分だけの力。代わりに足腰は揺れないようにしっかりと───」

「こ、こう? こうですよね?」

「いや違う」

「ええい違うと言っとるじゃろうが」

「落ち着いて琮ちゃん。そうじゃなくて───」

「助けてぇえええええっ!!」

 

 娘も元気だ。元気に……絡まれてる。

 頑張れ、頑張れ琮。

 この都で強く生きるというのは、そういうことなんだ……!

 

「はふ。柔軟、終わりましたっ」

「よしっ」

 

 で、俺は現在なにをしているのかといえば。

 自分の鍛錬の傍ら、禅の鍛錬を見るということをしているわけで。

 監視ともまた違うものの、まああまり変わりはないのだろう。

 

「それじゃあ次は───おぉっと!?」

 

 じゃあ柔軟の次は、と鍛錬内容を告げようとしたところ、腰にどすっと何かが抱きつく衝撃。体を捻るようにして見下ろしてみれば、涙目の呂琮さん。

 

「お、お手伝いさん! あの人たちは鬼です! 悪鬼です! 自分が出来るからって人の型にけちをつけてくるんです!」

 

 ちらりと見てみれば、珍しくも秋蘭や紫苑を含めた三人が、揃って視線を彷徨わせる。……珍しくないのが祭さんしかいないのは、気にしちゃいけない。

 

「三人とも……始める前に手加減してやってって言ったばっかでしょ……」

「う、うむ……そのつもりだったが、思いのほか吸収が早くてな……つい急かしてしまった」

「素直に覚えようとしてくれるのが嬉しくて、つい……すいません、ご主人様……」

「武を学びたいというのであれば、この程度は当然じゃろう」

「うん、祭さんはそんな感じでくると思ってた」

 

 半眼で胸張って、フンスと鼻で息を吐く祭さんに、悪びれなんてものは一切ない。

 でもさすがに、泣く我が子をどうぞとは差し出せない。

 なので休憩と称して、弓使い三人衆の傍ではなくてこちら側で休んでいてもらうことにする。

 

「うう……助かりました。さすがはお手伝いさんです、なんと頼りに……」

「言いつつこちらを全然見ないのは何故ですか呂琮さん」

「だ、だだだだって、眩しくて見ていられませんっ! どうなっているんですかお手伝いさんの顔は!」

「俺普通に立ってるだけなんですが!? “見ていられない”って……! 見て……見ていられない……」

「わああととさま! 大丈夫ですよっ! 禅はっ……わ、私はちゃんと見れるよ!?」

「うう……ありがとうなぁ禅……」

 

 背伸びをしたいお年頃なのか、自分のことを禅と言ってしまうのを直そうとしている禅は、なんというか……うん、背伸びっぷりが可愛い。

 フォローが嬉しかったから「ありがとう」と改めて頭を撫でる……と、何故かその光景を見てぷくりと頬を膨らませる半眼のミニキョンシーさん。

 

「お、お手伝いさん! 私とてべつに見ようと思えば見れます! なので見れたらなでなでしてください!」

「え? お、おお……?」

 

 いつから人の顔を見るって行為は褒美が出るほど高難度になったんだろう。

 けれど“見ていられない”とまで仰った子が、見ようと努力してくれる。それは嬉しかったので了承。

 すると……

 

「~……そ、そう、できますよ、できるのです。ま、まずはそうっ……ちらっと見るだけでも。こう……ちらっ? ───あうぅううう! 目がぁああーっ!!」

「ちょっと何処まで輝いてんの俺の顔! チラ見しただけで目が眩むっておかしいでしょ!? 琮!? 琮ーっ!?」

 

 ちらりと見ただけで顔が真っ赤。

 たっぷりと余らせた長い袖で顔を隠すと、ふるふると震えだした。

 

「………」

 

 亞莎に眼鏡を買った時も、こんな感じだったよなぁ。

 明命に眼鏡のサイズを調べてもらって、二人で贈ったっけ。

 しみじみ懐かしんでいると、真っ赤な琮が袖の間からこちらを見てくる。……おお努力の子。ならばと見つめ返していると、一層に赤くなっていき、ついには───

 

「ひやぁあぅぅぅっ!!」

 

 ───逃げ出した。

 

「逃走は許さん」

「きあーっ!?」

 

 で、見張っていた思春にあっさり捕まった。

 そんな光景も当たり前になってゆく日々の中、笑顔を殺さずに生きていられることに感謝。

 みんなが笑っていられる天下は、目の届くところで叶えられていると信じたい。

 

「お兄ちゃーん!」

 

 平和な日常に……心は度外視すればとっても平和な日常に、思わず顔が緩みだした頃。ふと、禅に向き直った俺へと投げられる声に振り向いた。

 見れば、元気に駆けてくる鈴々さん。

 

「鈴々。おはよ」

「おはよーなのだ! というわけで勝負なのだ!」

「どういうわけ!?」

 

 目の前に到着した途端に勝負宣言が出た。

 ちょっと待ってくれ、耳は正常だよな? 何故にいきなりそんなことに?

 

「勝負って、いきなりどうしたんだ? あ、誰かと戦いたいならあそこに弓がとっても上手な三人が」

「約束を果たしに来たのだ!」

「約束? やくそ───く…………ワア」

 

 約束。鈴々との約束。

 その言葉が自分の中で渦巻いた途端、8年前……蜀に行った時に鈴々とした約束を思い出したのです。

 

  “じゃあ俺がもっともっと強くなれたら、その時は思いっきりやろうか”

 

 ……強く、なってるよね。少なくとも8年前よりは。

 鈴々がなにを基準に俺を強者と認めたのかは知らな───……ア。

 

(間違い無く恋に十回勝ったことですよねそりゃそうですよね!!)

 

 でもちょっと待とう!? 俺まだ無理させた氣脈が治りきってなくてね!? そんなボロボロの体なのに周囲に挑まれ続けるアライなジュニアさんとは違って、むしろ勘弁してほしいのですが!?

 

「よ、よし、やろう。体が本調子じゃないからって、敵は待ってくれないもんな」

 

 けれどそれがどうしたというのだろう。

 言った通り、敵も状況も待ってはくれないのなら、降り掛かるどころか雪崩を起こした火の粉は吹き飛ばさなければ!

 そんなわけで早速とばかりに秋蘭に立会人を頼んだ。

 彼女自身も「早速か……」と少々呆れていたけれど、了承してくれた。

 そうして戦うに到り───俺は、イメージトレーニングをした相手以外とは、そこまで上手く立ち回れない事実を…………空を飛びながら自覚したのでした。

 うん、つまり決着は早々についた。もちろん俺の負けで───

 

「むー! お兄ちゃん本気を出すのだ!」

 

 ───続行だった。

 

「ちょ、ちょっ……思い切り吹き飛ばしておいて本気で来いって、俺が鈴々相手に手抜きが出来るわけないだろぉおーっ!?」

 

 喋りながらも振り回される蛇矛から逃げ回り、説得を試みるも右から左。

 

「恋を思い切り吹き飛ばしていたのだ! あれ、鈴々にもやってみてほしいのだ!」

「簡単に言うなぁあああっ!!」

 

 鈴々の戦い方にはやっぱり型って感じのものはない。

 それこそ本能のままに動いて磨き続けた、“敵を倒しやすい動き方”をしているだけ。けどこれがクセモノなわけで。

 命のやり取りをする戦場でそれらをずうっと磨き続ければ、現代の“本当の敵が居ない場所”でする鍛錬よりもよっぽど成長する。なにせ失敗すれば死ぬのだから。

 お陰で隙らしい隙はあまり無く、見つけたと思った隙もすぐに次の行動の予備動作で消えていく。

 

「っ! そこっ!」

「甘いのだっ!」

「んなぁっ!?」

 

 横に振るってきた蛇矛。それを掴む柄の部分を下からかち上げようとした瞬間、あろうことか強引に力の向きを変えて、持ち上げてみせた。

 もちろん弾かれるのと自分の意思で持ち上げるのとでは隙が明らかに違うわけで。むしろ当たると思って思い切り振った俺こそが空振りに終わって、隙だらけな状態。

 そこへ、持ち上げる動作のままに上段の構えに入った鈴々が、蛇矛を一気に下ろすわけで───あ、死ぬ。

 

「危険には自ら突っ込む!!」

「にゃっ!?」

 

 だったらタックル。

 振り下ろす行動に力が入りきる前にタックルをかまし、その勢いのままに鈴々の横へと逃れた───途端、たたらを踏みながらも蛇矛を横薙ぎにしてくる鈴々……っておおぉおわっ!?

 

「いぃいっつ!? くっは……!」

 

 慌てて木刀を盾にするも、体勢が悪すぎて左腕に喰らってしまう。

 勢いの多少は殺せたものの、なにせ鈴々の一撃。あっという間に左腕は痺れてしまい、距離を取って構え直した頃には冷や汗ばかりが滲み出ていた。

 

「いっちちちち……! さ、さすが鈴々……! あそこからすぐに攻撃なんて……」

「お兄ちゃんが語りだしたのだ! もう騙されないのだーっ!!」

「キャーッ!?」

 

 痺れが消えるまで時間稼ぎを、と思ったら襲い掛かってきた。

 おおおおお! もはや勝つための小細工の大体が通用しない! からかう材料が日に日に無くなっていく七乃もこんな気持ちだったのかなぁ!

 

(───だが甘し)

 

 こういう状況になれば相手は焦って大振りでくる。

 現に鈴々も思い切り振り被りながらの突進だ。

 ふふ……鈴々、恋にやった吹き飛ばすアレを見せてほしいといったね。俺はね、その大振りの一撃を───待っていたんだ!

 

「痺れが回る前に受け止め───…………あ、あら? いやちょっ……既に完全に痺れてらっしゃるーっ!!」

 

 待っていた分だけ不利になった自分が居た。

 持ち上がって!? ちょっ……持ち上がらないとやばいって! ああそうだ氣で動かしてそのままギャアア無理無理こんな一瞬で集中なんてアーッ!!

 

 

  本日の戦いの結果

 

 

    ───空が蒼かったです

 

 

 

───……。

 

 

……。

 

 さて、一応の戦いが終わった現在。

 

「…………」

「やっ……ほらっ……鈴々、機嫌直して……」

 

 俺の胡坐の上に座って、頬を膨らませる燕人さんがいらっしゃった。

 なにが気に入らなかったのか、という疑問は無くて、恋と戦った時より俺がねばらなかったのが気に入らなかったそうだ。

 

「むー、鈴々のいめーじとも戦うのだ! そして強くなるのだ! 戦うのだ!」

「全然これっぽっちもやってないわけじゃないんだけどなぁ……」

 

 むしろあの日から今日まで、全然追いつけている気がしないのが泣けてくる。

 

「俺、あの日から成長してないのかなぁ……」

「きっとそうなのだ。あの時とあんまり変わってないからきっとそうなのだ」

「……ダメ出し二回もありがとう」

 

 遠慮無しに言ってくれるのは、これで結構ありがたいしね。

 などと、若干の悲しみを抱いていると、俺と鈴々のやりとりを見ていた6人がこちらへやってくる。

 秋蘭、祭さん、紫苑に思春、琮に禅だ。

 

「いや、変わっていないということはないだろう」

「ふむ、そうじゃろうなあ。ちっとも強くなっていないと感じるのなら、張飛よ。それだけお主の力も上がったということだ」

「そうよ、鈴々ちゃん。鈴々ちゃんだってずっと鍛錬を続けていたんだから、それに追いつこうとするご主人様が中々追いつけないのも、無理は無いわ」

 

 ……あ、そっか。

 自分を鍛えることばっかりで、周囲も鍛えているんだってこと忘れてた。なるほど、追いつけないよそれは。

 

「相性の問題、というのもあるだろう。この男は心から本気にならないと、基本は逃げ回ってばかりだからな」

 

 思春さん、指差しながら“この男”呼ばわりはやめてください。

 

「にゃ? 心からの本気? …………───あ、そういえばお兄ちゃん、戦う前に“かくごかんりょー”してなかったのだ」

「え? や、そりゃ……まあ、ねぇ?」

「今すぐするのだっ! そしてもう一回戦ってー!?」

「今すぐ!?」

 

 むしろやれって言われて割り切ってやれるほど、簡単なキモは持っていないんだが……!

 ほら、さ? やれと言われてハイって頷くような覚悟なんて………………

 

(……基本、言われて決めてるよなぁ俺……)

 

 誰かに何かを言われて理解することが多いこの世界だ。学ばせてくれる人が多いのだから仕方が無い。とはいえ、体の内側は結構疲れている。治りきっていない氣脈を無理矢理使ったからだろう。

 ではどうするか?

 

1:琮を生贄に捧げる

 

2:禅を生贄に捧げる

 

3:また今度ね

 

4:かかってこいっ!

 

5:足の上に居るんだから擽って勝つ

 

結論:…………3、いや───4!

 

「───」

 

 すぅ、と吸って、大きく吐く。

 鈴々を足の上から下ろすと、頬を二度三度叩いて、逃げようとする心に胸をノックすることで喝を入れる。

 そうしてから自分の道を振り返って、力を求めた理由を確認。

 いたずらに振るうために得た力じゃあないことなんて、ずっと意識の中に埋め込んであっても、時に忘れることもある。それでも胸を叩くたび、“いつかみんなを守るため”、“国に全てを返すため”という意志を思い出し、こうして覚悟は決まるのだ。

 経験を積むことで強くなれるのなら。

 重ねることで、叩きのめされることで、曲がってしまいそうな自分に喝を与えられるなら。へらへら笑って誤魔化すよりは、飛び込もう。……その、死なない程度に。



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140:IF2/約束って恐ろしい②

 ゆっくりと立ち上がって……呟く。覚悟完了と。

 

「よし鈴々!」

「にゃっ!? なになにお兄ちゃん! やるの!? やるのー!?」

「応! かかってこい!!」

 

 言った途端、鈴々が地面を弾くように跳ねて、後方に着地。座った状態からバックステップで立ち上がるって、無茶……でもないか、この世界の人なら。

 

「えぇっ!? ととさま本気!? そ、琮お姉ちゃん、止め───」

「頑張ってくださいお手伝いさん! 大丈夫ですお手伝いさんならいけます!」

「えぇええええっ!?」

 

 娘の声を耳にしながらも、早速氣を充実させて、鈴々に集中───した時には、もう鈴々は突撃を仕掛けていた。大振りの一撃だ。

 

「よしっ」

 

 ならばともう一度踏み込む───動作だけをすると、鈴々が思い切り蛇矛を振って……空振った。

 

「にゃっ!? 来ないのだ!」

 

 さっきの今でいきなり大振りで来るわけがないと思ったら、見事に格好だけのエサだったようだ。今のタイミングで走ってたらあっという間に空飛んでたね。

 なので見事に空振りしてくれた鈴々へと、今度こそ突撃を仕掛ける。

 

「甘いのだっ! こっちも囮なのだっ!」

「うん知ってる」

「そうなのかー!?」

 

 空振りをした蛇矛から片手が離れていたのは見た。

 だからその左手に集中して、駆けた俺へと振るわれた拳をいつか焔耶にもやったように手でのパリィ。ただし今回は木刀を持った右手の甲で。

 そうして氣の向きを変えて払ってやれば、隙だらけの燕人の出来上がり……なのだが、だったらとばかりに飛び蹴りをしかけてきた。

 

「よいっ───しょぉおっ!!」

 

 当たると肋骨とか砕けるんじゃないかっていうほどに勢いの乗った左の膝蹴り。

 それから身を捻って避ける動作のまま、突き出した左の手甲が鈴々の腹部に埋まる。そこで俺の氣と一緒に弾かれるように飛び出したのは、鈴々の拳を受け止めた衝撃だ。

 当たってくれたことに安堵する───時間もなく、鈴々は痛みを感じながらも蛇矛を戻す動作のままに攻撃を仕掛けて「とわぁああったた!?」咄嗟に避けたけど掠った! コメカミ掠った! なんて動揺を浮かばせてしまった瞬間には鈴々の体勢が整ってしまい、暴風雨のような連撃が俺を襲うことになった。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃぁああーっ!!」

「うわたたたたわっとったわっ! たっ! とっ!!」

 

 避ける弾く逸らす。

 これでもかという連撃をなんとか……逸らしきれない! 無理これ無理!! ガードしてもどこかに当たるほど思い切り打ち込んできてる! 防御が間に合わない!

 ああもうほんとありがとう恋! 手加減って素晴らしいですね!

 

「にゃーっ!」

「───! ふぅっ!!」

 

 またしても横薙ぎに振るわれる蛇矛を、震脚で吸収した衝撃と拳とで上へと殴り逸らすと、殴ることでかかる圧力をそのまましゃがむ力に変えて、蛇矛の軌道から逃げる。

 

「んぐっ……えぃやぁあっ!!」

「えちょっ!?」

 

 と思ったら、逸らされた反動を利用して、その防御ごと破壊してくれるわとばかりに全力で振るわれ直す蛇矛様! む、無理無理! これをまた逸らすとか、体勢が悪すぎてウォアーッ!!

 

「ひぃいいっ!!?」

 

 ごひゅぅうんっ!! と目の前の空気を裂いていく大迫力の剛撃。

 慌てて、必死に避けてはみせるが、体勢を崩した俺へと容赦なく襲い掛かる鈴々。

 

「やっ、ちょっ……! 鈴々無茶しない! あんまり無理矢理戻すと腕の筋おかしくするぞ!?」

 

 必死で逃げ回りながら“あまり無茶はするな”と言っても、「全然へーきなのだ!」ととっても元気。

 ……うん、なんだろう。俺の基準での心配って、するだけ無駄なのかな。

 

「………」

 

 慌てつつも左手の感覚を調べる。

 鈴々の腹に衝撃を放った時にも、ちょっと感覚が心許なかったそれも、痺れが取れてくれば自由に使える。

 鈴々のイメージとの戦いは、言った通り多少とはいえやっていた。本当に多少だけど。動きは実に本能的で、狙いやすい場所……こっちにしてみれば攻撃されると対処しづらい場所ばかりを狙ってくる。

 そのイメージは雪蓮や恋と似たものだったから、だったらと恋のイメージに集中はしていたものの……

 

「うりゃりゃぁあーっ!!」

 

 フェイントらしいフェイントもなく、それを狙う時はあからさまでわかりやすい。なんとも真っ直ぐな攻撃だ。

 だからこそ一撃一撃が重くて、防御ごと弾かれたりもすれば、避ける場合は紙一重なんて怖いことはまず無理だ。

 

「むー! 避けてばっかりじゃつまらないのだーっ!!」

 

 そして、避けられれば避けられるほど鬱憤が溜まってゆく。

 そうして蓄積された憤りは腕力と振るう武器に委ねられ、ますます威力を鋭く、攻撃を単調にさせて───

 

「ここっ!」

 

 おもいっきり。いっそ叩き潰されるんじゃないかってくらいの大振りの一撃が来た時、左の手甲でそれを受け止めた。「あ」って鈴々の口が動いた時には、もう木刀への衝撃装填は済み、振るってまであった。

 

「負けないのだ! うぅうりゃぁああーっ!!」

 

 なのに、あろうことか防御どころか迫り来る木刀目掛けて武器を振るいなすった。

 受け止められた蛇矛を引っ込めず、そのまま俺の手から滑らせるように。

 結果、そんな体勢からでは勢いが乗るはずもなく、吹き飛んでゆく鈴々。

 俺はといえば、吹き飛ばせたことへの安心感で一気に気を抜いてしまい───直後、身を回転させて蛇矛を地面に突き刺し、衝撃に持っていかれる体を無理矢理地面に下ろし、駆けて来る鈴々の姿に驚くほかなかった。

 

「ちょ、ちょっ…………オワァーッ!!」

 

 すぐに心に喝を入れるが一手届かず。

 決着もついていないのに気を緩めてしまった所為で、俺は再び……空を飛んだ。

 

「鈴々の勝ちなのだーっ!」

 

 しかし着地。そして疾駆。

 俺の行動に気づいた鈴々が驚きつつも距離を空けて、こちらの攻撃に備えた。

 

「にゃーっ!? お兄ちゃん“おーじょーぎわ”が悪いのだっ!!」

「先に吹っ飛んだのは鈴々だろ!? べ、べつに負けを認めるのが嫌なわけじゃないぞ!? 戦いに対して前向きなだけだ! 星には負けるけど! こうなったら氣が枯渇するあと5回まで付き合ってもらうからなっ! 鈴々!!」

「おー……! ……えっへへー、望むところなのだ!!」

 

 緩んだ顔で攻撃を受け止めて、無邪気な笑顔で返す燕人がおりました。あ、やばい、ほんと勝てる気しない。

 そんな、さっさと負けを認めて鍛錬に戻ればよかった俺を見て、立会人が呟いたそうな。

 

「やれやれ……連続で戦いたくないから立会人を頼んだのだろうに。これでは意味がないな」

 

 まったくそのとおりです。

 でもね、始まっちゃえばね、鍛えた男ってのはね、負けたくないんだ。

 だから戦う。秋蘭が居ればこの後に挑んでくる人は居ないのだから、戦う。

 

「加ぁああ速加速加速加速ぅうううっ!!!」

「おぉおー! 速いのだー!」

「うえぇ!? 全部弾かれた!?」

「鈴々ももっと速くするのだ! にゃー!」

「え? も、もっとってキャーッ!?」

 

 ……前略、おじいさま。

 過去の英雄は本当の本気で……言っちゃなんだけど化物です。

 このこわっぱめがどれほど鍛錬しようとも、常にその先を歩んでおります。

 全速力で追いかけたとして、いったいいつ追いつき、守ってあげられる自分になれるのでしょう。

 そんな目標の終着点が、まだまだ見えてはくれません。

 

「いぃっぢっ!? く、くそ、ぉおわっ!? ひぇえいっ!? ───ギャーッ!!」

 

 押されっぱなしです。

 けれど隙を見ては装填倍返しを放ち、なんとか吹き飛ばして───今度は油断するどころか自分で突っ込み、さっきと同じように地面に蛇矛を突き立てて体勢を立て直そうとする鈴々へと木刀を突き出し、寸止めをして勝利を───

 

「せりゃぁっ!」

「うぅっ!? っぐ!?」

 

 体勢を立て直すどころか、地面に足もつけないままに蛇矛を軸に回転蹴りをかましてきた。追ってくることが予想できていたのだろう。もう本当に勘弁してほしい。

 しかもその蹴りが丁度キツいところに埋まったために、呼吸が止まる。苦痛に顔を歪めている間にも当然相手は動いているわけで、肺がごひゅうと息を吸った頃にはもう、体勢を立て直した鈴々が俺へと蛇矛を振るっていた。

 

「ふぅんぐっ! ───ぉぉおぉおあぁっ!!」

 

 袈裟の一撃。そこへと加速で振るった木刀を添えて、自分の右側へと逸らして弾く。こっちだって呼吸を整えている中でも目は見えているのだ。棒立ちだろうと次への行動は決められる。一手遅れようが、掠っただけでも大ダメージだろうが、倒れない限りは根性論だろうとなんだろうと……!

 

「まだなのだっ! うりゃぁー!!」

 

 ……と、いきたいところなんだけど。

 相手は攻撃を受け止められるたびに笑顔の花が咲く。

 一方こちらは続けば続くほどにヒィヒィ。

 じっ……実力の差って……残酷だ……!!

 たとえここで“私の負けだぁーーーーーあっ!”と敗北を知りたい死刑囚のように叫んだところで、彼女は絶対に納得はしないだろう。

 むしろ日を改めてもう一度ってことになるに違いない。なにせこれは約束があっての戦いなのだから。

 ならばどうするか。

 全力を以って、この氣尽きるまで。

 これでしょう。

 

「せいっ! おぉおあぁっ!!」

 

 震脚からの左の直突き。

 氣で加速したそれを、彼女は紙一重で躱しながら蛇矛を振るい、俺はそれを“もう慣れたものだ”とばかりに避けて、木刀を振るう。

 “紙一重で避けられること”、“その動作を利用した攻撃”等は、もう雪蓮のイメージで随分と慣れされてもらっている。あちらは勘で動くから、そっちの方がまだ捉えづらくも思えるくらいだ。

 鈴々の場合は勘というよりはそれこそ本能。“こう来たからこう避けるのだ!”と体で表現しているような動きだからこそ……勘を武器にする人と戦い続けた俺にとって、まさに相性が悪い。雪蓮の勘が辿るルールをどれだけ追い続けても、鈴々が自分で自分に刻み付けたルールには追いつけない。

 鈴々の言うとおり、鈴々に勝ちたいなら鈴々のイメージと戦わなければ意味がないのだ。

 

「せいせいせいせいせいせいせいぃいっ!!」

 

 体は既に、ずぅっと加速状態。

 関節ごとに氣のクッションを置いて、それら全てを加速させての攻撃と防御。

 それだけやってもまだ鈴々の顔には余裕があって、攻撃すればするほど、防御すればするほど、こちらがただただ消耗してゆく。

 

「見切ったのだっ! えぃやぁーっ!!」

「同じくね! 喰らえ倍返し!」

「にゃっ!?」

 

 一定パターンの連続攻撃。

 そこに出る隙に攻撃を仕掛けた鈴々に、その攻撃を受け止めてからの倍返し。

 

「その手はもう喰らわないのだ!」

 

 けれどまあ、受け止めて装填して返す、なんてものを馬鹿正直に繰り返していれば、鈴々相手じゃあっという間に見切られるのも当然で。

 鈴々は袈裟に振るわれた木刀をくぐるように、体を反らすことで躱して見せて───

 

「鈴々も倍返しなの───だ?」

 

 すぐさま反らした体を持ち上げるように、元気に蛇矛を振るおうとする鈴々。───の、腹部に、左の手甲がトンと当たる。

 そう。まあ、左で受け止めて、右に装填、なんてパターンを相手が信じてるなら、相手はそれだけに集中して、それだけを注意深く避けるだけでいいわけだ。……こっちが本当に、馬鹿正直に何度も何度も右に装填していれば。

 あ、なんて声が彼女の口から漏れた途端、自分の身にも響いてくるほどの“ずどぉんっ!!”という衝撃。

 

「けぷっ───!?」

 

 残った氣の全てをぶちかますつもりで放ったそれは、内側によく響いたようだ。

 思い切り殴りつけて炸裂させたほうが強いのは当然……だけど、そっとやらないと、この世界の英雄さまは察知してしまうから。だから殴る意味でのダメージはゼロで、鈴々の攻撃に自分の氣を乗せただけのものになった。

 ……だけっていっても、もうこっちはすっからかんだから、全身全霊の一撃とも言えるわけで。

 自分に触れた手甲の感触に気づいて、珍しくも焦った表情が浮かんだ時には、彼女は体をくの字に曲げていた。

 

「げほっ! けほっ! う、うぅうっ……す、すごいのだお兄ちゃん……! 右は囮、だったの、かー……!?」

「おお鈴々が語りだした! キエエエェエーッ!!」

「にゃーっ!?」

 

 が、しかし。すっからかんだろうが相手はまだまだ平気そうなので、外から氣を少しでも取り入れての突撃。

 ……もっとも、加速出来るほども集まらず、精一杯の全速力の一撃はあっさりと防御された。一方の鈴々はこれまた元気に蛇矛を振るう始末で、“ああ俺の氣って……!”と悲しくなったのも確かなわけで。

 それでも諦めない負けず嫌い根性を自覚しつつ、ほぼ逃げるみたいに鈴々の攻撃を避けながら、少しずつ少しずつ氣を取り込んで……せめて一太刀を返せるってくらいの氣が、今こそこの手に集った時。俺は───!

 

「追い詰めたのだっ! にゃーっ!!」

「キャーッ!?」

 

 俺は……壁に追い詰められていました。

 キエエとか言って襲い掛かっておいてこの様である。

 まだほんのちょっと距離はある……構えからして来る攻撃は上段からの振り下ろし。コマンドどうする!?

 

1:真剣白羽取り(下手すると脳天割れます。多分下手しなくても)

 

2:タックルは腰から下(タックル⇒マウント)

 

3:足元がお留守でしたよ?(足払い⇒顔面下段突き寸止め)

 

4:相打ち覚悟の加速居合い(相打ちっていうか俺だけ酷い目に遭いそう)

 

5:スクリューパイルドライバーで吸い込む(ボリショ~イ! パビエ~ダ!)

 

結論:……4! 最後まで諦めない! 諦めかけのヤケクソっぽい行動だけど、希望は捨てない!

 

 ていうか5! 俺そんなの出来ないから! 距離が空いてるのに無理矢理掴んで投げるとか無理だから!

 

「しぃっ!」

 

 思考にツッコミながらも加速。

 “左の手甲を鞘代わりに、滑らせるようにして一撃を“発射”する”。

 手甲という名の鞘から弾き出される一撃は、それこそ発射って言葉が似合うくらいの速度が出るだろう。

 ……もっとも、そんな“構えて戻して払って”の動作より、鈴々の振り下ろしが遅ければ。

 

「にゃっ……!?」

 

 けど。

 腰に溜めた手甲に木刀を構えたあたりで、鈴々の膝が力を無くした。

 腹の内側への衝撃が今頃足に来たようで、バランスを崩したのだ。

 勝利への確信からなのか、それとも油断だったのか。

 意識の緩みが無ければ、あるいはこの世界の英雄なら膝へのダメージくらい耐えられたのかもしれない。

 いや、むしろ英雄だからこそ、自分はこんなものどうってことないって心こそが、この好機を───

 

「せぇえいやぁあああっ!!」

 

 今こそ一撃。

 手甲から発射された加速の居合いが、鈴々目掛けて弧を描く。

 そこにあるのは驚愕か、焦りか。

 キッと見たその表情は───……笑みだった。

 

「ふぅうっりゃぁあああああっ!!」

「───、……え……?」

 

 彼女の右の腹目掛けて振るわれたそれ。

 足から力が抜けた人は、反射的に膝に力を込める。誰だってそうすると思う。

 けど鈴々は、膝なんてそのままほったらかしで、自由に動く上半身を動かした。腕を振るい、迫る居合いの一撃を、咄嗟に構えた蛇矛で受け止めて。もちろん体勢の悪さが災いして吹き飛ぶ、なんてことにはなったけど…………すぐに地面に手をついて、ひょいと元気に着地してみせた。

 

「………」

 

 ここまで反応出来てこそ英雄。

 呆然とするほか無かった俺へ、突撃してくる鈴々。

 ハッとして構えてももう遅く。

 今度こそ氣もすっからかんな俺は、鈴々の一撃を腹に受け、倒れた。



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141:IF2/食事の意見が分かれるのは大体いつものこと①

193/普通って、いいよね

 

 約束の下での戦いを終えて、痛む腹を庇いながら、いつものように樹の下に座った現在。

 

「楽しかったのだー!」

 

 俺の胡坐の上には、燥ぐ元気な鈴々さんが……おがったとしぇ。

 

「あれだけ動き回ってまだまだ元気って…………はぁあ」

 

 本当に、つくづく調子には乗らせてくれないらしい。

 いいけどね、天狗になるよりは。

 ちなみに胡坐はそうしたのではなく、鈴々にそうさせられた。

 ぐったりと足を伸ばして休みたかったのに、テキパキと膝を曲げられてこんな状態だ。そんな鈴々さんは俺に遠慮無用に体重かけてきていて、すっかりリラックスモードだ。                                                       

 痛むお腹をさすりたくてもさすれない。タスケテ。

 そんな俺へと、呆れ顔の秋蘭が言う。

 

「あまり無茶はするなよ、北郷」

 

 うん、もうほんと無茶だった。

 秋蘭が立ち会ってくれるから次に挑んでくる人が居ない……そんな安心感を武器に、もう本当に全力でいった。いった結果がこれだ。

 いやー……安定しないなぁ俺。 

 最後のだって一か八かすぎたし、腹へのダメージが無ければそんな好機もなかったし。好機と思ったのにあっさり受け止められるし……うう。いけるって思ったんだけどなぁ。

 

「もっと強くならないとなぁ……道は遠いやぁ」

「かっかっか、そう易々と抜かれてたまるか。ほれ北郷、もっと強ぅなりたいならば氣脈でも広げておれぃ」

「いや、今無理……カラッポすぎてくらくらする」

「なんじゃだらしのない」

「これがだらしなかったら俺の目標って高すぎて泣けてくるんだけど!? もう泣いたけど!」

 

 打倒愛紗……愛紗かああ……!

 最終的に鈴々を梃子摺らせることも出来ないんじゃ、きっとまだまだなんだろうなぁ。鍛錬あるのみとはいうけど、筋肉が鍛えられないのは痛い。

 

「でもでも、お見事でしたお手伝いさん! 眩しくて直視出来ませんでしたが、きっと激戦の中でも凛々しいお顔だったに違いありません!」

「キミの視界の中の俺は常時フェイスフラッシュをしてるキン肉族ですか」

 

 随分と周囲に迷惑な凛々しさだ。

 

「ごめんな、禅。きちんと組み手とかやって教えてやりたいんだけど、この調子じゃ無理そうだ」

「大丈夫だよぅととさま。さすがにこんな状態のととさまに体捌きを教えてとか言わないもん」

「そか。じゃあ見るだけなら出来るから。ごめんな」

「いいってば、もう。ととさまはあれだね、私たちに気を使いすぎだよ。たまにはととさまだって甘えてもいいと思うよ?」

「ほっ! 一丁前のことを言いおるのぉ公嗣様は」

「黄蓋母さまっ! 公嗣様はやめてってば!」

「あらあら……公嗣さま? 照れなくてもよいではありませんか」

「黄忠さまも!」

「うふふ……わたくしのことは紫苑でいいと、言ってありますよ?」

「うー……私も禅でいいよ。私が偉いんじゃなくて、偉いのはかかさまだもん。だから、禅って呼んでくれたら………………こっちは、その、紫苑さま、で」

「では駄目です」

「いじわるーっ!」

 

 ……思うに、宅の娘らはからかわれやすいのかもしれない。

 それが誰の影響なのか、どんな血が影響しているのかは……言わずとも理解できそうでちょっぴり悲しい。

 そうして軽く落ち込んでいると、そんな俺の傍に立ちながら、キーキー騒ぐ禅に目をやる秋蘭がくすりと笑った。

 

「やれやれ……もはや、この賑やかさにも慣れてしまったな」

 

 笑いとまではいかないまでも、彼女によく似合っている微笑。見下ろしてくる彼女を見上げながら、俺も“たはっ”と息をこぼすと、そこから笑う。

 俺が感じている慣れと、秋蘭が感じている慣れは随分違うんだろーなーとか考えながら、腹に響いたけど、笑った。

 そんな中、ちらりと視線を動かせば……弓使い三人衆を見つめながらもそろりそろりと逃げてゆく琮を発見。そういえば積極的に会話に混ざることをしなかった。でも気配が殺しきれてない上に───

 

(琮、琮ーっ! そっち行くと……あ、あー……)

 

 後方にばかり注意していた琮だったが、前方不注意でなにかにぶつかり……慌てて前を向いてみれば思春さん。そんな、琮本人にしてみれば必死の逃走も、琮には悪いけど今はなんだかおもしろい。

 

(誇れる自分になりたいと張り切ることは出来たって、教えてくれる三人が三人とも違う意見だから、逃げたくもなるよなぁ……解るよ琮。俺もそうだったから)

 

 焔耶と翠に捕まって、随分と振り回されたなぁ。

 それももう8年前か。

 懐かしいなぁ…………なつかし───……

 

(……起きる事柄まで遺伝したりしないよな?)

 

 さすがにそれはないとは思っても、想像してみるとありそうで怖かった。

 

「うー……それで、ととさま? 私、なにをすればいいかな」

「そうだなぁ……基礎がしっかりしてるなら応用だな。自分の中での“動きやすい型”を見つけると楽だ。氣の使い方から構え方まで、いろいろ学んで“これだ”って思うものを体に叩き込むんだ。で、叩き込んだらそこからまた応用」

「ふええ……応用ばっかりなんだね」

「いつまでも同じ型だとね……少し手合わせしただけで全部見切られるんだよ……」

「あぅ……いつもお疲れ様、ととさま……」

 

 だから相手一人一人にしたって違う戦い方を考えなきゃいけないわけで、ああもう……本当にこの世界は頭の回転だけはずぅうっとさせてなきゃいけない世界だ。

 日本じゃ調べごとなんて調べれば一発なのに、ここじゃあ“体で覚えなきゃわからない”有様。覚えるために何度空を飛んだかは考えたくもない。

 それでも最終的にはこうして仲良く、笑っていられるんだから……ほんと、不思議。

 

「ねぇととさま。ととさまみたいに相手の内側に氣をぶつけるの、どうやるの?」

「鈴々いわく、“んー! ってやって、うおーっ!”ってやれば出来るぞ」

「わからないよぅ!」

「違うのだ! こう、うりゃりゃーってやって、どっかーん! なのだ!」

「な?」

「ますますわからないよ!?」

 

 まあそこはおいおい。鈴々語を理解するなら、まずは彼女のうりゃりゃーがどんなもので、どっかーんがどんなものかを知るところから始めよう。え? 俺はわかるのか? ええ、もちろんわかりません。

 

「まあまあ。とりあえず少しぐったりしたいから、昼餉にしないか? 父さんお腹痛いのにお腹空いたよ……」

 

 たははと笑いながら言う。

 そんな俺を見て、秋蘭は懐かしむように「うむ」と頷いた。

 

「街の治安維持のため、兵となって駆けずり回っていた頃が懐かしいな。もはや走りすぎて吐くこともないか。逞しくなったものだ」

「あー……うん、あの頃はもう走りすぎて、ものが食べられないくらいだったのになー……。今じゃ動けば動くほど腹が減るよ」

 

 現に殴られた腹は痛むものの、胃袋さんはそれはそれ、これはこれ。栄養よこせとばかりにゴルルゥと鳴っている。食べたって筋肉は作れないのに、なんと贅沢な。

 ……これって栄養とかは何処に行ってるんだろ。

 もしかすると、天……日本に戻った時に、って、もしかしてもなにも、これはちょくちょく思ってることだ。日本に戻ったら栄養だの筋肉だのがいっぺんにドカンとつくのでは。

 と、考えてみたところで一度戻った俺の体には特にこれといった変化はなかった……はずだ。もっとも、ただ単に俺がそれを普通として受け取りすぎてたから気づかなかっただけなのでは……というのも何度も考えたこと。

 よーするに考えても答えは出ないのだ。しょうもない。

 

「鈴々、どいてもらっていいか?」

「わかったのだ」

 

 言ってひょいと立ち上がると、グミミミミと大きく伸びをする。

 俺もそうしてみたものの、腹が伸びたあたりで痛みが走って、苦笑とともに中断。

 そんな苦笑を顔に残したまま、厨房へ───

 

「延姉さまぁーっ!! お手伝いさんが腹痛だそうです! 癒せますかーっ!?」

「あらあらぁしょうがないですねぇお父さんはぁ~っ♪」

「速ぁっ!?」

 

 ───移動を開始した途端、ふらつく俺を見たからだろうか。琮が叫んだ途端に延がシュザァと現れ、頬に片手を当ててにっこり笑顔。いやいやいやいやいやっ! あの速さで滑り込んできておいて、その仕草って物凄くヘンだぞ延!!

 つか、そののほほんとした性格の何処からあんな速度が生まれる!? あぁああでも穏もああ見えて多節棍を武器に戦えるわけでっ……! 基礎の身体能力なんか、氣を使わない俺なんぞとっくに追い抜いているであろう娘に、何を言えるやら……!

 

「い、いやっ、“しょうがない”って、俺はべつにっ……!」

「はいはい男の子特有の強がりとか負けず嫌いはいいですからぁ。早くお腹見せてくださいねぇお父さん」

「聞いて!? おわぁっ!? いやいややめろやめなさいこら脱がすな脱がすなぁあっ!!」

 

 俺のことを、誰かが傍に居ないとだめな人と断じてしまったらしいあの日から、延は本当に過保護である。どっちが親だってツッコミを入れたくなるほどに世話をしようとするから、やめなさいやめなさいと言い続けているんだが……ああ、うん、その甲斐あって、そこまで踏み込んでこなくなったよ。現に恋との時はそうでもなかったし。

 ただし、こうした失敗みたいなのが起こると、“やっぱり傍に居ないと駄目じゃないですかぁ~♪”と、これまた嬉しそうに言うんだ……。

 

(ああもう……)

 

 癒しの氣に特化していることもあって、こちらが怪我をしようものならこうしてズズイと踏み込んできて……氣脈の問題とかだったらそうでもないんだ。問題は怪我があるか否からしく、こうなるとこっちの話なんてそれこそ右から左だ。

 ……ああ、なんだろう。ちょっとだけ、ちょっとだけだけど……もし延に彼氏とかが出来たら、きっと彼氏くんは苦労するんだろうなぁとか思ってしまった。

 その苦労の中にはきっと、俺という親の存在も混ざっているのだろうけど……うん、割と娘を見ていると思うことだから、今さらだった。だからもし現れるのなら彼氏くん……胸に覚悟を刻んでくるのだ。……なんて、軽く目の前の出来事から目を逸らしている場合じゃなかった。

 

「それではお手伝いさんのお世話は私と延姉さまに任せて、みなさんは厨房へ! 大丈夫です! べつに食事の時まで三竦み状態で食べたくないとかそんなこと全然───あれ? あの、黄蓋母さま? なぜ私の襟を掴むんでしょうか。あのっ!? 私にはお手伝いさんのお世話という重要な使命がっ!」

「ほう? 癒しの氣は使えるか?」

「ふふん、伊達に目だけを褒められているわけではありませんよ? そんなものはちっとも使えません!」

「……よう言うた。それを恥とせず言う勇気には見事と言っておこう」

「……あれ? 褒められました? ……や、やりましたお手伝いさん! 私褒められ───はぴう!?」

 

 拳骨が落ちました。

 うわーいほんと容赦ない。

 

「飯はお預けじゃ。妙才、紫苑。こやつに氣と武のなんたるかを叩き込むぞ」

「いたたたた……! なにをするんですか褒めておいて拳骨なんて! これが噂のあれですか!? “ほめごろし”とかいうのですか!? おのれ喜びを持たせてからそれを破壊するなんて! こうなったらいつか靴を脱いだときに砂利を入れて、つぶつぶとした地味な痛みに困惑させてやります……!」

「……いちいちやることがみみっちぃのうお主は」

「本気で嫌がらせをして、本気の嫌がらせをされたら泣いちゃうじゃないですか!」

「それ以前に嫌がらせをやめればよいだろうに……」

 

 ああ、祭さんが頭が痛そうに額に手ぇ当ててる。

 しかもそんな祭さんに「頭痛ですか? お酒ばっかり飲んでるからですよ?」と普通に言う勇気ある娘。……拳骨は直後だった。

 そういったやり取りに、珍しくも秋蘭が肩を震わせて笑った。笑った上で、言うのだ。

 

「くふっ……! はっはっは……! うむ、良い性格をしているな、琮は」

 

 なるほど、物凄い皮肉にも聞こえるし、実際いい性格だとも受け取れる。

 本人と親の前で随分とはっきり言うなぁなんて、苦笑いと一緒に漏れてしまうのも仕方ない。

 ただまあ、琮の場合はそれが褒め言葉になることなどないわけで。

 

「え? 本当ですか? お世辞にもいい性格だなんて思いませんけど……これがもし相手だったら引っ叩いてますよ私」

 

 本気できょとんとする琮を前に、秋蘭の笑顔が引き攣った。

 

「良い性格すぎるぞ北郷……なんとかしてやれ」

「そこでいきなり俺に振る!?」

 

 驚く俺は現在、延に道着を引っ張られてキアーと叫んでいた。

 

「そ、琮ちゃん……? 自分でそう思うのなら、少しは改めようとかは……」

「それで周りが変わりますか? 変わりませんよね? みんな私の目のことしか褒めず、目と武にしか期待しません。いいんですそれで。私は私が誇りたい、誇ってもらいたい道を歩みたいだけですから。……なるほど、そうですね、私も掌返しは嫌いみたいです。裏表なく真っ直ぐに見て、真っ直ぐに誇ってくれる人が一人でも居れば、それで満足だと思えます」

 

 言いつつ、俺のところへテトテトと小走りに……やってくる途中で捕まった。

 

「さぁ琮、鍛錬をしよう。父上と遊びたいのなら、まずは───私を倒してみるがいい!」

 

 述である。

 何処からやってきたのか、琮を抱きかかえると走り、少し離れた位置へとすとんと下ろす。

 

「……述姉さまはもうちょっと空気を読むべきだと思います」

「読む暇があるのなら、一歩だろう。むしろ“今だ”と思ったから降りてきたんだが。……お前に習い、見張り台から見ていたんだ。実に暑かった。ああいや、そんなことはいいんだ」

「……なんですか」

「琮……私もいろいろと他人事みたいに見ていたことがあった。けど、お前の鍛錬を見て、私も決めたぞ」

「なにをですか……?」

「私は知を得ようと思う」

 

 え? 今なんて言ったの述。

 え? チヲエヨウ? ───知を……あの述が!?

 

「正気ですか? 今まで周囲の反対を押し退けて武を学んでいたのに。その延長で私にまで武を学べと言ってきた述姉さまが」

「しょっ……!? 正気を疑われるほど、頑固者だったのか、私は……」

 

 あ、なんか落ち込んでる。

 うーん……でもなんか、妹と話す述って珍しい気がする。むしろよく話していたのが登……子高ばっかりだったから、珍しいというよりは……ああいや、やっぱり珍しい。

 

「ああ、その、なんだ。私はあまりこう、話すのは得意ではないが……逃げるのは嫌だから、きっかけをくれたお前には言おうと思った。武を磨きたいのに知の才……才と呼べるのかもわからないものしかない自分が嫌だったが……生意気にもひとつ、得意だと自信が持てるものを得て、“改めて考える時間”を持った」

「考える時間……ですか」

「“遊戯が上手い”。こんな才、なんの役にも立たんと、ある日ひどく冷静に受け止めてしまった。途端に、目指した武を磨かずになにをしているのかと自分を殴りたいとすら思ったんだが……」

「殴りました? 痛かったですか?」

「いや殴ってない、殴ってないから興味津々って顔で目を輝かせるな」

「残念です。あ、舌打ちは嫌いなのでしませんよ? こういう時は“のり”でそういうことする人が居ますが、聞いていて不快なので」

「真面目に聞く気はないのか……」

「いえ、ただ本気なのかなと。目指した場所なんてどうでもよくなりましたか?」

 

 なんでもないふうに訊く琮は、けれど手だけはぎううと強く強く握り締めて、顔では冷静に述を見ていた。

 

「ああ、どうでもいい。それは私の目指したものではなく、状況によって目指すことを目標にされたような道だと気づいた。“母のようになりたい”。強い母が傍に居れば、それを目標にしてしまうのは、私の中では然たるものだった。だが……私は、そうするよりも遊びの才で人の笑顔を引き出せることの方が嬉しかった。だから悩んだ。本当にこのままでいいのかと」

「いいんじゃないですか? 遊びも武も知も、全部手にしてしまえばいいじゃないですか。周囲が期待しているから、目指したなにかを諦めて、なんて。そんなの誇れません。そんな自分は私が嫌です」

「そうだ。だから私は知を得る。知を得て、要領の悪いこの頭に理解力を叩き込み、その上で効率良く武を磨く。先ほど父上が仰っていたな。自分の力を応用してこそ、と。いい言葉だ」

「……そうですか。つまり、述姉さまは」

「ああ。私は知を得て、知を応用して武を得る。知を得れば遊びの才も広がるだろう。これが応用でなくてなんだ?」

 

 わあ、素晴らしいまでの“頭いいだろ私はっ”て顔。やめなさい、背後に麗羽の幻覚が見える。

 そんな姉を前に、琮はとほーと溜め息。

 

「同類だったんじゃないですか……目的は違うかもしれませんが」

「いや、もちろん褒められたいという思いはある。何をやっても身に付かなかった私だ。褒められることの嬉しさは、正直捨てられない」

「私はとうに諦めてましたけどね。私になにかを言ってくる人なんてみんな同じ。同じなら、感情なんて込めずに薄目で見ていれば、誰に何を言われようがどうでもよくなります」

「……お前が半眼な理由って、それなのか?」

「目がいいって、いいことばかりじゃありませんから」

 

 ふん、と鼻を鳴らして、半眼のままに述を見る。

 亞莎のように“見ようとしている所為で目つきが悪い”のではなく、“見たくないものから目を背けようとして目つきが悪い”、なんて、親子で間逆のものの見方のままで。

 

「そうか。だったら私は同類だ、存分に見てくれて構わない」

「え? 嫌です」

 

 そして即答だった。

 黙ってことの成り行きを見守っている全員で、ズッコケそうになってしまった。

 




ここで丁度400話目でございます。
分割するとこうまで長かったのかぁ……と遠い目中です。
ささ、あと50万字もないと思うので、お気楽にまいりましょう!


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141:IF2/食事の意見が分かれるのは大体いつものこと②

「な、何故だっ!? べつに見るくらい構わないだろうっ! ど、同類だってお前から言い出したのにっ!」

「え、や、ですからっ……──────恥ずかしい……じゃないですか」

「───……へ?」

 

 え? 今なんて言った? 地味に距離があって聞こえなかった。ぼそりとなんか言ったよな?

 むしろ述の口から“へ?”なんて言葉が出たことに、俺も思春も驚きを隠せなかった。

 

「は、ず……? え?」

「だだだ大体人の目を見て話せなんて無茶な考えですよ、なんですかあれ。べべべべつに人の目なんか見なくたって話くらい出来ますし?  しょもっ……!? そ……そもそも、私はお手伝いさんさえ誇ってくれたらべちゅっ……べつに、それでっ……」

「………」

「………」

「ぶふっ!」

「笑うなぁあーっ!!」

 

 なにかをぼそぼそと言って、述が吹き出した途端に琮が暴走。

 うがーと述へと襲い掛かり、こうして……武の才は無いけど鍛錬は続けていた姉と、武の才はあるけど鍛錬はサボっていた妹が激突。

 

「そうかそうか~っ! あの子明母さまの娘の割りに堂々としすぎだと思った! 琮、お前はやっぱり───」

「偉大なる母さまの悪口を言うなぁぁあっ!!」

 

 ぼうっとしている間に取っ組み合いの喧嘩が勃発。

 すぐに止めようとしたけど、途端に紫苑からのアイコンタクトを飛ばされ、“止めてはいけない”という“意”を受け取る。……え? ほっといていいのかこれ───とか思っているうちに、琮も混乱しているのかいろいろと叫び、そうして途中から聞こえてきた話を組み立てるに、えー……?

 

1:やっぱりみんなは自分の目にしか期待していない。

 

2:自分たちは私にいろいろ言うのに、こちらのことなんて右から左。私だって考えて行動しているのに、自分の考えに合った行動じゃないってだけですぐ怒る。

 

3:じゃあもう私だって見ない。誰が何を言ってきたって知るもんか。

 

4:なのに例外が一人出来た。(例外=俺、らしい)

 

5:同じくいろいろと考えさせられた。

 

6:一度は目を見て話そうとしたけど、今さら恥ずかしい。(俺は眩しくて見えないらしい)

 

7:なので目を見ないようにする半眼はこのまま続行。

 

8:諦めた。なんかもうお手伝いさんだけでいいです。眩しくて見れませんけど。

 

9:Fin……

 

 ……とのことらしい。

 ようするに、人の顔を見ずに話すようになって久しく、見たら見たで上がってしまうらしいそうで。

 …………エート。

 

((((親子だなぁ……))))

 

 きっとこの場に居る全員が思ったことだろう。

 顔を真っ赤にして、言葉を噛んだり語尾がしぼんだりして話す娘を前に、そう思わないでいるなんてことは無理だったのだ。

 

「じゃあ練習だ、琮。私の目を見て話してみろ」

「嫌です知りません」

 

 ……で、喧嘩したというのに、そのことに関しては引きずることもせず、琮は口を尖らせそっぽ向き、述は困ったって顔に苦笑を混ぜた表情で琮に話しかけ続けていた。

 目を見なければ普通に話せるのか? とも思ったんだけど、どうにも感情を込めて言う言葉は噛みやすいようだ。

 一方は知を求め、一方は武を求めた、互いに持って生まれたかった才能が逆な娘達。これで案外、もっと互いを知れば、誰よりも仲良くなれるんじゃないだろうか。

 苦笑してばかりの本日、普通に微笑を浮かべて、娘達の成長を見守ることが出来る今に感謝を。嬉しくて、二人の頭を撫でたくなるものの……今割って入るのは空気が読めてないよなぁ。むしろ未だに道着を脱がそうとする娘に、俺はどうすればいいのでしょう。

 

「い・い・か・げ・ん・にぃい~っ……! 脱いで、くださいぃい~っ……!」

「うわわやめろ延! 破ける! 道着破ける! 今こっち氣がろくに使えないんだから、筋肉使って全力で抵抗するほかないんだよっ! そんなんでお互いが全力で引っ張ったら……!」

「お父さんが離せばすむことですよぅ!」

「別に脱がさなくてもできますよね!?」

「病魔退散の第一歩は触診からだから必要なことです~! これ以上延を困らせないでくさいぃ~!」

「困らせるって言葉の割りになんで嬉しそうなの!?」

 

 前略おじいさま、娘が怖いです。

 まるで本当にだらしのない存在を甲斐甲斐しくも世話するお姉さんのような……!

 いやちょっと思春さん!? やれやれって溜め息吐いてないで助けて!? 俺もう腕力とか握力で娘に負けるって時点で泣きそう! 今まで氣でなんとか誤魔化し誤魔化しやってきたけど、疲れているとはいえこのままじゃ力で負けた上に脱がされる!

 鈴々助け───あれ居ない!? 何処っ……あれ!? もしかしてもう厨房に向かった!? 祭さんっ……も居ない!? 食事は中止じゃなかったの!? 紫苑───は、琮と述の言い争いをやんわりと宥めてるから、何かを頼める空気じゃない……! ていうか宥めながら琮の汗を拭いている。器用だ。

 ハッ!? 秋蘭は!? 僕らの良心、秋蘭は───……わあ、やってきた春蘭に食事に誘われてるー。こっち見てわざわざ軽く“すまないな”って顔を見せて……じゃなくて春蘭!? 俺も行く! 行くから誘って!? ていうか華琳の前に秋蘭を誘うなんて珍し───ぁあああそういえば華琳は他の王と一緒に視察に出てた! 華琳が居ればこんな状況も鎮まるだろうに! ……って春蘭待って! 顔赤くして逃げようとしないで!? むしろまだ赤いのですか!? ともかく俺も行くから! 逃げないでくれ! 俺も行く! 行くんだよォオーッ!!

 

「大体ぃいっ……お父さん、はぁああ……! なにをっ……恥ずかしがって、いるん、です、かぁ……!?」

「そこは男の子というかっ……ぐぎぎ……! いろいろ意地とか事情があるんだよっ! 心配してくれるのは嬉しいけど、まだ娘に傷の手当とかしてもらう歳じゃないとか、なんかそういう抵抗感があるんだっ!」

「大丈夫ですよぅ! 延は医者ですからっ……! そんなことはっ……気にしないで、いいんです~……!」

「だったらまず力ずくで道着を脱がすところから離れろぉおーっ!!」

 

 力の込めすぎで言葉が途切れ途切れになるほどとか勘弁してほしい。

 何処まで元気なんだ宅の娘たちは。むしろこっちがもう限界なのに。

 治療なら氣が溜まり次第やるからって言ったって聞きやしない。

 やがて握力もなくなって、さらされる道着の下。

 夏の陽の下、全力で力を込めていたこともあって汗ばんでいたそれを、赤くなりながらもなんとか留まっていた春蘭が見た時、彼女は真っ赤になって逃走した。秋蘭もそれを追うかたちで走っていってしまい……我らが良心が居なくなってしまった。

 途端に誰かに挑まれるのではと警戒してしまうのは、えーと……悪いことじゃない……よな?

 

「だっは……はぁ、はぁっ……! ……いやほら……な? 汗もすごいし、触診したら気持ち悪いだろ、な?」

 

 誰も襲い掛かってこないことに安堵して、力を込めっぱなしだった手をぷらぷらさせながら返すも、延さんは「そんな理由で嫌がっていたんですかぁ? 本当にもう、お父さんはしょうがないですねぇ~」なんて笑顔で仰る。何処まで俺をだらしのない存在として見たいのでしょうか。

 などと溜め息を吐きつつも、自分の腹を見てみると……痣、出来てた。ああ、まあ……一応武器で殴られたし。……ええいやめなさい、重症を隠していた子供を見るような“どうしてすぐ言わなかったの”って顔はやめなさい。

 

「……俺もさ、一応癒しは出来るのに、娘に癒してもらいたくて怪我をしたとか思われると恥ずかしいだろ……どこぞの猫耳フード軍師とか特に」

「怪我人は怪我人です。それ以上でもそれ以下でもありません。相手が親だろうと関係ないのです」

「凛々しく言っても、力の込めすぎで汗だくだぞ、延」

「お父さんがなかなか離してくれないからですよぅ!」

 

 ともあれ、一度はだけてしまえば“もういいや”って感じで、タオルで腹部を拭う。そこに早速とばかりに手を添える延は、やっぱり仕方ないですねぇって顔でにこにこ。器用だ。

 

「延はこんなふうに、辻治療とかやってるのか?」

「時間が空いていれば、修行の一環としてですねぇ。活動時間が逆転してからは、どういうわけか体調も良いですし、体も健康そのものです。けだるさが無くなるって、素晴らしいですねー」

 

 だから何度も夜は早く寝なさいと……。といっても過ぎたことだから、今さら言うことじゃないだろう。

 氣で癒しをおこなってくれることに感謝しつつ、誰か見ていやしないかと辺りを見渡してみる。

 ……珍しく誰も居ない。述も琮も、紫苑に促されるままに厨房へ向かったみたいだ。ちらりと見たけど汗も拭いてたみたいだし、俺も早く行きたいんだが……移動しようとすると延に回り込まれる。

 こんな状態のままだと、また桂花あたりが通りすがったりするんじゃないかと警戒しても、やってくる様子もない。平和だ。

 とりあえず安堵。

 思春だけが待ってくれているこの場で、ようやく長い長い息を吐けた。

 あー、お腹痛い。気を緩めた途端に走る痛みは、さすがは模造品とはいえど英雄の腕で振るわれた一撃。随分と内側まで響いたらしい。

 

「本当にしょうがないお父さんですねぇ……みんなが居なくなるまで我慢するのも、親の勤めですか?」

「努め……努力のほうの努めかな。どうせなら延にも知られたくなかったけど」

「興覇お母さんはいいんですか?」

「どれだけ誤魔化しても見抜かれるからね、無駄なんだ」

 

 支柱警護の仕事は伊達じゃあないらしい。

 

「う~ん……親というのは心配事を隠すみたいですけど、見せてくれたほうが嬉しいことだってありますよぅ?」

「親の心配ねぇ……」

 

 想像してみる。

 ……頭に浮かんだのは、動けないほどの重症状態の親の姿だった。

 ああなるほど、親っていうのは強い。

 弱さを見せず、ようやく見えたと思えばもう手遅れってパターンばかりが頭に浮かぶ。

 それなら小さな弱さを少しずつだろうと見せてくれた方が安心だと思えた。

 ……小さな借金が洒落にならないくらいに膨れ上がって、どうしようもなくなってから相談されても困る……そんな感じに。

 

「なるほど、確かに隠すよりは見せてほしいな。手遅れになってからだと遅すぎる」

「はいぃ、そーゆーことです」

 

 にこー、と笑顔でそう返す延は、熱心に氣を送って、腹部をさすってくれる。それがまた、こそばゆい。

 

「ハッ!?」

 

 こんなふうにくすぐったさを感じた瞬間、桂花が!! …………居ないな。

 ……もういい加減、罰が重なったこともあって懲り……る気がしない。なにせ桂花だ。

 俺も、華琳に言われてやるとはいえ、ああいうのは心が痛むから自重してほしいんだけどなぁ……。

 なのに仕返しとばかりに落とし穴を掘るものだから、またそれで呼び出されて罰くらって、って……。あの人軍師だよね? 懲りるってことを知らないって意味では不屈の精神お見事ですって言いたいけど、こうなるってわかってても地面を掘らずにいられないのは、こう……なんとかならないのだろうか。

 ええはい……地味に桂花への罰は重なっていたりする。

 その度に“桂花が嫌がること=俺とアレコレ”が華琳によって決定され、夜を待たずに華琳の前で……ああもう。

 

「どんな感じだ?」

「そうですねぇ……骨に異常はありませんね。お父さんのことだから、他の傷も隠しているんじゃないかって思いましたけど、大丈夫そうで安心しました~」

「……地味に信用無いのね、俺……」

「娘相手だからっていろいろと隠すお父さんが悪いんですよぅ。そもそも仕事をしていることとか鍛錬をしていることも、隠していたからこじれたんじゃないですかぁ。……もっと小さな頃から甘えたいことだってあったのに。……まったく、本当にお父さんはしょうがない人です」

「申し訳ない」

 

 けれどもそういうことがあったからこその今の関係も、もしやり直せるんだとしても無くすのは嫌だと思えるのだ。

 過去の自分に“よくやった”なんて言えないような歩みだっただろうけど、諍いの上に築く信頼も、そう悪いもんじゃない。相手の良し悪しを認めた上で、それでも一緒にいる関係っていうのは……心にやさしいもんだ。そう思う。

 

(この都に住む人たちも、元々は争っていた人たち……なんだもんな)

 

 戦が終わってから、こんな光景が当然って世界に生まれ落ちた人には、きっと理解出来ない世界。

 こんなことがあったんだとどれだけ語られても、そんなことがあったんだと納得は出来ても、その場にあった怒りや悲しみまでもは受け取れない。受け取れたとしても……こうして辿り着いた未来を、なにも今さら引きずりだした怒りや悲しみで壊すことなんてないと、そう思える。

 ……なるほど、抵抗はしたものの、こうやって娘の行動にいちいち焦るのも、平和であればこそなのだ。苦笑だろうと笑みを浮かべて、受け取ってい───

 

「では下も脱ぎましょうねぇ~」

「待ちなさい!?」

 

 ───けないよ! なんでここで下!?

 ちょっと物思いにふけっていたら、娘がいきなり恐ろしい存在に!

 

「お父さんのことですから、普段は絶対に見せないところなどにも傷が───」

「無い! 本当に無い! 華琳に誓って無いからやめなさい!! ああもうほらっ! 考えてみたら氣を流し込まれてるんだから、少し貰えればそれで自分で癒せるじゃないか! いくぞ延! ご飯だご飯!」

「医療より食欲なんて……お父さんは本当に、大人なのに子供みたいですねぇ……」

「だからお父さんをそういうやんちゃ坊主を見る目で見るのはやめなさい!? ほ、ほらっ、思春も行こう! むしろお願い一緒に来て!?」

 

 俺一人でこの子を躱すのは無理です。

 なんでもかんでも“仕方の無い子ね”って感じで流される。流しておいて、こっちの話なんてほんと聞きやしないよ。嫌な方向でこの世界での生き方を学んでらっしゃる。

 みんなももうちょっとだけ俺の話を聞いてくれればなぁ……聞いてほしい部分だけ、あえて全力でスルーしてくるからなぁみんな。

 とほほと情けない顔をしながら厨房を目指して早歩きをする俺へ、隣を小走り気味に歩く延がまだ脱がそうと───ってだからやめなさい! 歩きながら脱がすってどんな芸当!?

 ともかくそんなやりとりをしながら厨房へ。

 結構時間が経っていたにも関わらずみんな待ってくれていたようで───っていうか本当にみんなだ。同じ時間にこんなに集まるのは珍しい。面倒な人は大体が国ごとに用意された屋敷の厨房で食べるのに。

 不思議がりながらも“たまにはこんな日もあるか”、と歩いて卓へ……座ろうという時、皆が静まって、一点を見ていることに気づいた。

 目を向けてみれば、なにやらその視線は中央の卓に集中しているようで、そこでお腹を抱えて蹲る存在と、けろりとした顔……というかむしろ無表情で、ガッツポーズを取る存在が。

 

「うぅう……もう食べられないのだぁ……」

「……ご主人様の仇、恋が取った」

 

 ……恋と鈴々でした。

 ていうか、仇って……見てたんですか恋さん。

 てこてこと寄ってくる恋の頭を、ありがとうとばかりに撫でるものの……いつもながら、かなり複雑な心境だ。負けた上に強力な助っ人に頼み込んで強引に謝らせた子供のような、なんとも情けない心境。

 いや、気を取り直してご飯を食べよう。

 

「えっと……? みんなはもう食べたのか?」

「う……はい、私はまだですが、なんといいますか、その……」

「?」

 

 訊ねてみると、もう食べ終えたらしい愛紗がそう返してくれた。のだが。なんだか妙に歯切れが悪い。

 まあそれはそれとしてと、これまた気を取り直すように食事を探すのだが……

 

「申し訳ありません、ご主人様。その……今、恋が食べたものが、作られたものの最後でして」

「───」

 

 最後、って……いっつも随分作ってませんでしたっけ?

 や、というか今日も誰かが精がつくものをー、とか言って作ってたりとかは?

 

「作ったもの全て、鈴々と恋が……」

「え……いっつもみんなの分とは別に作ってなかったっけ」

 

 精のつく料理が部屋に運ばれてきたりして、“俺だけ一人なんて嫌だー!”とばかりに場所を厨房に移してもらってからも、それは続いたはずなんだけど……え? それも全部? この二人が?

 

「それも、全部。加えて言うなら、もう材料がありません」

「うそぉ!?」

 

 材料が!? 買い物には俺も荷物持ちとして付き合うけど、それでも何往復するんだってくらいのあの量を!? や、それでも冷蔵庫がないから、長期保存が出来ないものは買わないけど……それにしたって全部って!

 

「じゃあ、街に食べに行くしかないのか……。ていうかみんな、どうしてこっちの厨房に? 国ごとの屋敷の厨房でも十分に食べられるのに」

「いえ、それがその……」

 

 みんなが集まって食べるなんて本当に珍しい。

 けれども愛紗の視線が、空になった皿を申し訳無さそうに見ているあたりで、とても嫌な予想がゾワリと頭に浮かぶ。

 

「……もしかして、他の屋敷の食材もない……とか?」

「……仰る通りです」

 

 宴が開催されれば買い出しに行ってでも用意する都だけども、それにしたって元々の大人数だから買い置きだって結構あっただろうに! それが全部!? 各国ごとで買い出しだってしてるでしょうが! どれだけ食ったんだよみんな! ……材料がなくなるほどだったね、そうだよね……。

 

「その……大食い対決ということで、食べることが自慢の者が我こそはと食べ、作っては消え作っては消え……」

「……それを叱るべき王さま方は? って、そういえば朝から邑の視察に出たって……」

「はい……気づき、止めに来た頃には、もはや食材も調理したあとで……」

 

 うわあ……。

 で、残しておくという余裕も湧かないくらいに腕自慢ならぬ食自慢たちががつがつ食べて、こんな静けさに到ってしまったと……。

 対決だったのに、通りで静かだと思ったよ。

 

「わかった。じゃあ食べてない人は俺と一緒に街に行こう」

「………!」

「恋~? 口の端にご飯粒つけながら、さりげなく挙手してもだめだぞ~」

「………」

 

 あと、出来れば大食い対決はやめてください。

 今は食材が随分豊富になったからといって、その食材のために命をかけた人々や、少量の食材のために襲われて滅びた村があったことを忘れないためにも。

 ……そういう場所まで辿り着けたっていう意味では、本当に……平和になったなぁとは思うけどさ。



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141:IF2/食事の意見が分かれるのは大体いつものこと③

「じゃ、行こうか。あ、もちろん俺が奢るから」

 

 途端にブーイングが(主に沙和とか真桜とかから)起こるが、からかう感じのものだから、こっちも苦笑は沸いても不快には思わない。

 春蘭や秋蘭が居ないところを見ると、どうやら春蘭も街へ繰り出したようだ。元々そのつもりだったのか、途中で気が変わったのか。

 

「愛紗、食べたいものとかってある?」

「そうですね。麺よりは米の気分です」

「延もご飯がいいですねぇ」

「思春は?」

「なんでも構わん」

「そっか。んー……たまには我がまま言ったりしてみない?」

「必要ない」

 

 そんな会話をしながら厨房をあとに……する前に、ちょっとしか食べられなかったという紫苑と琮と述が加わる。

 

「父上、私は前に教わった“まーぼーどん”なるものを食べてみたいです」

「お手伝いさん、私は出来立ての胡麻団子で。これは譲れません」

「はいはい……紫苑は?」

「わたくしは、みんなで食べられれば何処でも構いませんよ」

 

 うん、紫苑はなんとなくそう言うと思ってた。

 伊達に長い間お母さんはやってな───……わあ、長い間ってところで、急に紫苑から黒い氣がモシャアと……! 女性って怖い。

 口に出してもいないのに、どうしてわかるんだろうなぁ。直感ってやつか? ……な、なるほどー、こんな直感があるからこそ、みんなあの戦の中を生きてこられたのかー。

 ……たとえ俺があの頃にどれだけ鍛えていたとしても……勝てる気がしないって思うの、仕方のないことだよな……?

 

「ほら琮、目を見るんだ、恥ずかしがらずに」

「嫌です」

「ずうっとしそうして誰とも目を合わせずにいる気ではないのだろう? 悪いことは言わん、慣れておけ」

「述姉さま、もっと子供らしい口調で話してください」

「なっ…………こ、子供らしく、ないのか……?」

「はい全然。顔の作りも相まって、興覇母さまが喋っているみたいです」

「それはそれで嫌だとは言わないが……って、誤魔化すなっ! 目を見ろ目を!」

「嫌です」

 

 笑顔の紫苑から漏れる黒い氣に嫌な汗をかきつつも、ちらりと娘達の様子を見る……が、あれで結構仲が良いのかもしれない。互いにつつくような会話をしているのに怒気らしいものを感じない。

 ……あ、娘といえば……。

 

「紫苑、璃々ちゃんは?」

「璃々ですか? 今日は街の道場へ行っている筈ですから……そうですわ、璃々の昼餉も考えないといけません」

「道場か。槍だっけ、弓だっけ。それとも体術?」

「弓術です。好きなものにしなさいといったのに、体術は胸が痛くなるから嫌だと……」

「あー……」

「………」

「思春、べつに鼻の下は伸ばさないから、構えてなくていいよ」

「ぐっ……!? いやっ、私はべつに……!」

 

 けれどまあ、胸が痛いっていうのは胸の大きさの所為だろうなぁ。

 ……むしろ、弓術でこそ邪魔になるんじゃ、なんて言ったところで、きっと聞きやしないのだろう。紫苑も祭さんも秋蘭も、よくもまああの大きさで…………あ、いや、ごほん。

 

「じゃあ、みんなは先に飯店に行って席を取っておいてくれ。弓術道場には俺が迎えにいくから」

「え……けれどご主人様」

「いいからいいから。紫苑の方がこの二人を落ち着かせるのは上手そうだし。思春は……席を取っておいてくれって言っても、こっちについてくるよな?」

「当たり前だ」

 

 護衛だもんな、そりゃそうだ。

 そんなわけで、氣が少ないこともあって気だるい体を引きずるようにして行動開始。

 どうせなら風呂にでも入りたいとはどうしても思ってしまうが、やっぱり気軽に入れるわけでもないのでこのまま。タオルで拭いただけだけど、戻ってからまた鍛錬をするなら……いやそもそも氣が無いから見てるだけって話になったんだ、着替えてから……。

 

「………」

 

 娘たちをちらりと見る。

 ……元気だ。じゃなくて、特に汗を気にした様子もない。

 むしろこの世界じゃこれが自然だ。汗の香りは鍛錬の香りとばかりに、誇りはすれども恥ずかしがったりは……あまりしない。

 いつでも風呂に入れるとか、汗の匂いを何とかできるって思える天が、この世界から見ればおかしいってレベルなんだもんな。汗を拭いたり着替えたりするだけで処理はOKなこの世界とは違う。

 ……うーん、だるさの所為か、どうでもいいようなことばっかり頭に浮かぶ。正直に言えば部屋でぐったりと眠りたい。最近、氣を酷使してばっかりだから、体が休息を求めている……このままだとまた倒れるんじゃなかろうか。

 そうなったら今度こそ華琳から罰が下りそうだから、それだけは回避しないとなぁ……。

 

「何か、体力がつくものを食べたいな……」

「……まあ、ご主人様ったら」

「夜のこととかじゃなくて、普通に疲れてるだけだからね? 紫苑」

「うふふっ、冗談です」

「ではお父さん~? 師匠に(はり)を落としてもらいますかぁ?」

「いや、華佗だって暇じゃないだろうし、こっちは休んでおけば回復するから」

 

 言っているうちに門を抜け、街へ。

 そこで一度立ち止まって、みんなに道場に行くことを伝えた。

 

「っと、じゃあ俺は道場に行くな? ……いや待て待て、結局店は何処にするんだ?」

 

 そうだった、結局何処にするのか聞いてない。

 これじゃあ璃々ちゃんと合流しても向かう場所がわからない。

 胡麻団子があって、麻婆豆腐があるお店かぁ……あ、ここからなら随分前に真桜が言ってた店があるか。思いつけばあとは早く、場所を紫苑に告げて、わからなかったら兵に訊けばすぐわかるからと自信を以って紹介。

 今やすっかり警備というよりは案内人な兵たちだが、これでも丕が目を回すほどに忙しいのだ。……あくまで将が起こす問題に振り回される所為で。

 

「じゃ、行こうか。───延は紫苑についていくよーに。ちゃっかりこっちに来ない」

「はいはいぃ~」

 

 元々冗談だったのか、にこーと笑って紫苑と一緒に歩いていく。

 子供が三人と紫苑が一人……なんだか親子だーって思えるから不思議。紫苑ってほんと、お母さんって感じだよな。

 離れゆく四人を見送って、じゃあ、と思春と一緒に道場を目指す。賑やかな街をのんびり歩いて、時折どころかしょっちゅう民のみんなに声をかけられたりしながら。

 店の主人が俺の格好を見て「おっ、鍛錬してたのかい! 疲れてるだろ、これ食いな!」と威勢よく言って小さく摘めるものを無理矢理に持たせてきて、困りながらも食べて移動。アツアツのものを冷ましてしまうのはもったいない。そう、もったいないのだ。決して述と一緒に食べたくないとかそういうのじゃないんだから、あまり睨まないでください思春さん。

 

「思春ってあれだな。厳しいけど、最終的には子煩悩」

「───」

 

 ノーコメントみたいだけど、顔からふしゅうううと湯気が出そうなくらい赤かった。

 出会ったばかりの頃を考えれば、随分と変わったよな、思春。

 いろいろ……本当に出会ってからいろいろあったけど、こういう形に落ち着いてくれたことには感謝するべきなんだろう。

 

(あの頃は魏に操を……って、そればっかりだったな)

 

 懐かしい。

 あの頃の俺が今の俺を見たら、どんな反応をするんだろう。

 きっと、お前なんか俺じゃないとか言ったりするだろうな。

 

(……8年かぁ。そりゃいろいろ変わるよなぁ)

 

 願わくば、左慈ってやつが来るまで……この平和が続きますよう。

 いざこざがあろうと、人が死ななければいけないようなものではありませんよう。

 そう願わずにはいられない。

 少し心がしんみりした辺りで、自分を軽く笑うように思春に問いかける。相手の居ない誤魔化しは失敗したのか成功したのか。「やっぱり我が儘言う気はないかー?」なんて、食べたいものはないかと問うてみる。

 思春は「ないと言っている」と返すだけで、ツンとした態度を取るものの……常に周囲に注意をしたり、俺の進む先になにかないかと目を光らせている。

 俺の氣が少ないから余計にだろう。

 しみじみとありがたいと思いながらも頼ってしまっている自分を思えば、周りだけじゃなくて、自分も相当変わったんだなって自覚が湧き上がる。

 

「思春、ちょっと道場覗いていっていい?」

 

 思っている間に道場前。

 街の道場とはいっても、町のド真ん中に“ででんっ!”と建っているわけではなく、数え役萬☆姉妹の事務所のように少し離れた位置にあるものだ。

 えーっと、町の中ではあるが、街のド真ん中ではない。町と街って、ちょっとわかりづらいよな。町は全体、街は一角……そんな考えということで。……あれ? じゃあ町のド真ん中ではないって例えのほうが……ああ、いいや、それより璃々ちゃんだ。

 

「覗くなどと言わず、堂々と入ればいい。ここで璃々が出てくるまで待っているわけにもいかないだろう」

「だよね」

 

 ならばと中へ入っていく。きちんと靴を履き替えて。

 そこは設計に協力したこともあって、実に“弓道場”って感じの弓道場だ。子供達は日夜ここで汗を流し、将来的には兵に志願したり、別の才を見つけて医師方面に志願したり、文官に志願したり、自分の先を見出すのに役立っている。

 ……日夜と言っても、夜はべつに開いていない。一応。

 

「失礼します」

 

 神棚はないので上座に礼をしてから挨拶。声をかけると、門下生の皆が一斉にこちらを向く。

 子供から青年あたりまで、歳は案外ばらばらだ。

 そんな中で璃々ちゃんが俺を見て笑顔をこぼし、丁度終わる頃だったのか本日の師範役だったらしい桔梗が終了を報せる。

 途端に駆け出す子供たち……ということはなく、きちんと礼を行ったのちに解散。道場の外に出た途端にワッと散り散りに駆け出し、あっという間に見えなくなった。……速い。

 

「お疲れ、璃々ちゃん。桔梗も」

「うんっ、こんにちは、ご主人様っ」

「道場に足を運ぶとは珍しい。お館様は璃々にご用か?」

「屋敷のほうでいろいろあって、食材が尽きちゃってね。それの報せと、一緒にご飯を食べに行こうってお誘い。人数は……紫苑と延と述と琮と、俺と思春の六人だな」

「ほほう、それはそれは……ふむ……?」

「……あーはいはい、窺うような視線を飛ばしてこなくても、きちんと俺の奢りだから」

「おっとと、いや失礼。べつに狙ったわけではないのですが。奢ってくださるというのなら、遠慮をするのも悪かろう。わしも同行して構いませんかな?」

 

 言う割りに、ちゃっかりと奢りと聞いてから同行の許可を得ようとしている。この世界の女性って本当に逞しいというかなんというか。

 が、当然断る理由もないので了承。

 璃々ちゃんも喜んでくれてるみたいだし、あとは合流するだけだ。

 

「して、お館様? いったい何処で食べるおつもりか」

「ああほら、前に桔梗も連れていったことがあったところ。辛さと酒の組み合わせがうんたら~って、うんうん頷きながら麻婆食べてただろ」

「おお、なるほど。ふむ……なるほど。あそこは飯しかなかったな……お館様、わしは今、麺の気分なのですが……」

 

 確かめるように二回“なるほど”と言った桔梗がそんなことを言う。

 一人くらいはみんなの意見から外れる人は居るだろうとは思ったけど、まさか後から追加されたメンバーからこの言葉が出るとは。

 となると、璃々ちゃんも……?

 

「……璃々ちゃんは? なにが食べたい?」

「え? うん、私は……えっと、材料を買って、厨房で作るのはだめかな。もし大丈夫なら、ご主人様の料理が食べたいかなー……なんて」

「………」

 

 嬉しいことを言ってくれる。言ってくれるが……。

 

「……璃々ちゃん。せっかく外で食べられる機会なんだ。俺の普通の料理よりも、美味しいのを食べよう」

 

 それに対し、そっと肩に手を置いて、いかに自分の料理が普通なのかを真っ直ぐに語った。

 なにも材料買ってまで俺の料理を食べることはないだろうと。

 むしろ紫苑か桔梗のほうが上手く作れるんじゃなかろうかと。

 そしたら璃々ちゃん、ちょっぴり残念そうな顔をして、「あ、うん、だめならいいんだ、わがまま言ってごめんなさいご主人様」と謝ってくる。

 ……アレ? 当然のことをした筈なのに、なんだろうこの罪悪感。

 

「はぁ……。貴様はつくづく……」

 

 そしてなんでか思春に溜め息を吐かれながら貴様呼ばわりされた。

 や、だって買って戻るにしたって他の人は外で食べる気になってるだろうし、もう今さらって感じじゃないか。むしろもう席だって取ってあるかもだし。店が込んでたら無理かもしれないけどさ。と言ってみるも、

 

「ならば私が貴様の言う“我が儘”を言おう。材料を買って作る、貴様の手料理が食べたい」

「わあ」

 

 これは困った切り返しが来たもんだ。

 言い出したのが自分なだけに、断りづらい。

 

「あー……うん、わかった。じゃあ一応みんなと合流して、そこでみんなが“いいよ”って言ったらね?」

「よかったなぁ璃々。よもや紫苑やお館様の子達が、お館様の手料理の機会を見逃す筈もあるまい」

「う、うんっ! ……あの、ごめんなさい、ご主人様」

「いいって。……ていうか、もう俺が作るの確定なのか? “普通の味は嫌だ~”って断られるかもしれないのに」

『ありえん』

 

 桔梗と思春の声が重なった。

 その事実に黙って向き合う二人に、璃々ちゃんがくすくすと笑う。

 俺も危うく吹き出しそうになったけど、ここで笑えば鈴音が光を放ちそうなので我慢。

 

「じゃあ璃々ちゃん、今の内に何を食べたいか考えておいて。全力で普通を完成させよう」

「うんっ」

「おお、お館様、わしは日本酒と、あの大麻竹のつまみがですな……」

「璃々ちゃんより桔梗が先に言ってどうすんの! しかもなんか星みたいなリクエストだし! ~……思春は? 一応思春の我が儘っていう名目なんだから、もちろん考えてあるよな? すぐに言わないなら中止ね」

「なっ!?」

「えぇっ!? あ、し、思春お姉ちゃん、頑張って!」

「思春、ほれ、なにぞあるだろう! 食べたいものを素直に言えば良い! 言え!」

「待てっ、私はそういうことには疎くてだな……!」

「うー、すー、さん、あーる……」

「待て! わかった! 言うから待て!」

 

 5、4、3、2、と数を数えると、それこそ慌てる思春さん。

 “我が儘”の言質に対する軽い仕返しのつもりが、なんだか面白いことに繋がった。必死ながらも顔は笑顔の璃々ちゃんに、思い切りからかってますって顔の桔梗。

 そんな三人と道場を閉めて、街の人並みに飲まれていく。

 料理の話をしながら賑やかに歩くなんて、随分とまた懐かしい。

 仕事のほぼが警備隊の頃……つまり魏に居た時は、三羽烏や兵たちとよくこんなやりとりをしたっけ。

 

「そ、そうだ。ならば、ほら、あの、あれだ。う……げ、激辛麻婆丼と、清湯だ! 作れるものなら作ってみろ!」

 

 そんな中、三方向から急かされて狼狽える思春が言った、食べたいもの。

 それがいつか、俺が毒見の仕返しとして店で頼んだものだと思い出した時、自分でも信じられないくらいの……照れ、というのだろうか。喩えようのない感情に襲われて、顔が灼熱するのを感じた。

 対する思春はどうしてそれが考えた末に出たものなのかもわからないって顔で、叫ぶように言ってからは硬直。のちにみるみる赤くなっていき……逃走を開始。した途端に桔梗に捕まった。

 

「う、ぐっ……は、離せっ! 離せぇええっ!!」

「なにをそんなに赤くなっている。もしや我が儘を言うのは初めてか? それとも久しいのか。……いや、男に我が儘を言うのが初めてなのか」

「!?」

「はっは、おお赤い赤い。実にわかりやすい反応よなぁ。べつに相手の子さえも産んだ仲。今さらなにを照れる必要がある」

「ご主人様、激辛麻婆丼と清湯って、何処かで食べたことあるの?」

「うん? んー……ははっ、内緒」

 

 これも思い出ってものなのだろう。

 だから、訊いてくる璃々ちゃんにも桔梗にも、笑ってそう返した。

 それを見たからなのかますます赤くなり、大人しくなってしまう思春をさらにいじる桔梗は……もうどうすればいいのか。

 助けてやりたいけど、このテのタイプは踏み込む者全てを巻き込み笑うサイクロンだ。なので、「思春お姉ちゃんはどうしてその料理を食べたいって思ったの? 辛いの平気だったっけ」と踏み込んだ璃々ちゃんに敬礼。早速からかわれて赤くなる璃々ちゃんへと、心の中で敬礼した。

 

(……席、もう取ってあったらどう言い訳しよう……)

 

 軽く現実逃避をしながら。



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142:IF2/今、ここにあるやさしさ①

194/ただ、いつかで待つ悲しさ。

 

-_-/劉禅

 

 静かな時間が続いている。

 暑さの中に段々と涼しさが混ざり始めた日々の中、ととさまの部屋にて。

 時は朝。外は生憎の雨で、今日は外での鍛錬は出来ず。また───仕事の方も大体が中止になって、各自自室で待機というかたちに落ち着いた。

 

「はふ」

 

 走らせていたチョークを止めて、カツカツと黒板に書いていた文字を消す。うん、意味はない。

 ちらりと視線を寝台に移せば、子明母さまに耳かきをしてもらっているととさま。どうしてこんなことになっているんだろう……なんて別に考えない。ただ単に、ととさまの耳の中に虫が入ったのが原因だったから。

 虫は簡単に取れたんだけど、せっかくだからと耳かきを探したととさまを子明母さまが発見。耳かきでしたらありますという話になって……えと。そういえばどうしてわざわざ子明母さまがやることになったんだろう。不思議。

 

(……あとで禅もやってもらうつもりだけど)

 

 既に話は通ってる。ぬかりはないのです。じゃなくて。

 

「………」

 

 雨の音が聞こえる。

 雨でも降らなければいっつも騒がしいこの都で、この静けさは本当に貴重だと思う。ととさまの傍であれば、それは余計に。

 そんな静けさの中、誰にも邪魔されずに耳かきが出来る……すごい珍しいことだよね。ほら、扉を見ていると、今にも誰かがどっかーんって入ってきそうだもん。

 

「ねぇ子明母さま?」

「え? は、はい? なんでしょう公嗣さま」

「“さま”はいらないってばぁ……えっとね、ととさまの顔って、輝いてるってほんと?」

「っ……」

 

 聞いた途端に真っ赤だった。

 慌てて俯く視線の先には、膝枕状態のととさまの横顔。どうやら心地良くて眠ってしまったみたいで、穏やかな寝顔がそこにあった。

 

「ひやうっ……!」

 

 余計に赤くなる子明母さまだったけど、それでも……すーはーと深呼吸をして、じっくりとととさまの顔を見下ろして……とてもやさしい顔になると、ととさまの髪をさらりと撫でて言った。「はい……輝いていますよ。とっても……」と。

 そこには琮お姉ちゃんのような慌てた様子はなくて、ただ、えっと……なんていうんだろう。いとしさ? いとおしさ? まだ私が知らないようなとっても温かい感情があるように見えた。

 

「ねぇねぇ子明母さま。男の人の耳かきをするのって、どんな感じ? やっぱり他の人と変わらないのかなぁ」

「え……───あ、ふふっ……」

「? どうして笑うの?」

 

 私の問いに、一度きょとんとした顔を持ち上げる。

 けどすぐにくすりと笑って……その顔が本当に幸せそうだったから、どうして笑うの、なんて疑問も消えてしまった。幸せだから笑うんだ。きっとそういうものなんだろう。

 

「私も……私も、ですね? 小さい頃、母が父の耳のお手入れをしているのを見て、いいなって思っていたんです。いつか、自分にも好きな人が出来たら……って」

 

 幸せな笑顔がととさまを見下ろす。

 ととさまを撫でる手付きはやさしくて。

 まるで幼い頃の夢を叶えた人が、思い出の宝物に触れるくらいに穏やかで。

 

「………」

 

 静かな時間が過ぎてゆく。

 さらさらとととさまの髪に触れていた長い袖が、そのままのやさしさで耳かきを動かす。

 目を閉じれば雨の音。

 私にもいつか、こんなことをしてあげたいと思う人が出来るのかな。

 まだ全然わからない感情だけど、あんな笑顔が出来るのなら、それはとても……幸せなことなんだろう。

 

「ん、ん……」

「……大丈夫ですよ、旦那様。まだ眠っていてください」

「亞莎……うん……」

 

 寝返りをうとうとして、体勢がそれをさせなかったために起きたととさま。

 そんなととさまをそっと手伝って、反対の向きにさせた子明母さまは、穏やかな顔のままにととさまの頭を撫でた。

 すぅ、って。

 息を整えるような音がして、ととさまは安心した子供のように眠った。

 子供のように、っていうか本当に子供みたいだなって思ったけど……

 

(あ……)

 

 そうだ。

 この都で、ととさまが安心して休める場所は少ない。

 なのに子明母さまの一言で、あんなにも安心して眠った。

 

「………」

 

 すごいことなんだ、これって。

 そう思うと、なんだか自分がこの場で、とても場違いな存在に思えてくる。

 思わず立ち上がって、部屋から出ようとした私に、子明母さまがにっこりと笑ってくれる。

 手招きをされて近寄ってみると、一言謝られてから頭を撫でられて……言葉のないやさしさなのに、どうしてかとても心に染みこんだ。

 促されるままに寝台にちょこんと座って、そんな穏やかさの隣で、流れる静けさの中を過ごす。

 

  地を雨が打つ音がする。

 

 ただただ静かな時間に、つまらなさもなにも感じない。

 気づけば場違いなんて思いも消え去って、幸せそうに耳かきをする子明母さまの隣で、こてんと寝転がった。

 このやさしい香りは子明母さまの香りかな。

 とても安心する。

 かかさまもいい匂いがするけど、かかさまってあれで結構、静かに出来ないから。

 

(……静かだなぁ)

 

 賑やかなのは好きだ。

 “楽しい”はもっと好き。

 みんなの笑顔が大好きだし、自分が笑える時間もとっても好きだ。

 でも……なんだろう。

 こんな静けさは、好きとか嫌いとかじゃなくて……とても嬉しくて、大事に思える。

 雨の日なんて何も出来なくてつまらないと思っていたのに。

 

「……ねぇ、しめいかーさま……」

「……、はい、なんでしょう」

 

 静けさを壊したくなくて、ゆっくりと喋る。

 子明母さまも同じように穏やかに返事をしてくれて、そんなやさしさも嬉しい。

 それをやさしさと言うのかなんて、訊かれたって答えられなくても。今はそれがやさしさと思えるくらい、この静けさが大事だった。

 

「子明母さまは……この先も、ずっとこうしていたいとか……思う?」

 

 ずっと先。

 それは、おじいちゃんおばあちゃんになってもって意味。

 きっともっと前から、全然姿が変わらないととさまと、どうしても老いてしまう私たち。

 そんな関係であっても、こんなやさしい時間を共有して生きていけたなら、それはどれだけ幸せで、嬉しくて、楽しくて……。

 

「………」

 

 返事はなく、ととさまの頭を撫でる手はやさしいまま。

 ちらりと見た子明母さまの顔は、変わらずに穏やかでやさしい。

 そんな子明母さまが、そのままの顔で言う。

 

「私は……幸せです。こんなにも人を好きになれて、大事に思ってもらえて。子供の頃のささやかな夢だって、この人はすぐに叶えちゃうんです。どんなお願いでも厚かましさでも笑って、“もちろん”って言って」

 

 ……うん。ととさまは、よっぽどのことでも文句を言いながらも叶えてくれる。

 簡単なことから難しいことまで、今出来なくても出来るようになる努力をする。そんな人だからあれだけの人に慕われていて、傍に居る人も幸せになれる。

 乱世を生きた人に比べれば、世の中の辛さの半分も知らない私でも、幸せの価値の多少くらいは知っているつもりだ。

 だからそんな幸せをくれるととさまが、みんなにとってどれほど大事なのかも知っているつもり。

 

「きっと……私がおばあちゃんになっても、旦那さまはこのお姿で……それでも変わらず愛してくれるし、大事にしてくれるのでしょうね……」

「……うん。それは、ぜったい」

 

 気づけば子明母さまの顔に、照れたような赤みはなくて。ただただなにかを慈しむ、穏やかな表情がそこにあった。

 

「私は怖いです。いつかこの人を置いて、誰も彼もが死んでしまったあとが。ずっとお傍に居てあげたい。ずっとお傍に居たい。でも……きっとそれは叶いません」

「……うん」

「いつか、幸せのままに死ぬのだとしても、それからを生きる旦那様を思うと辛いです。どうか泣かないでほしいと思っても……きっと、泣いてしまうのだと思います。……あ、あっは、ちょっと自意識過剰でしょうか」

「……そんなこと、ないよ……。きっと悲しいよ。だって……」

 

 だって、こんなにも無防備に眠っている。

 爪を隠した獣っていうほど気性が荒いわけでもないととさまだけど、気配に敏感ではあるのだから。そんなととさまが頭に触れられても安心して傍に居られる人が死んで、泣かないわけがない。

 …………ああ、そっか。それは、怖い。

 そんなととさまがそんな人を亡くしてしまったら、どうなってしまうのだろう。

 思ってしまえば願わずにはいられない。

 

「……どうか。旦那様が、幸せで……。泣いてしまったあとも、私が大好きな笑顔で……笑えていますように」

 

 子明母さまも同じ気持ちだったのだろう。

 さっきまでのやさしい顔を、泣きそうなくらいの悲しい顔に変えて、さらりともう一度ととさまの顔を撫でた。

 それで起きたのか、うっすらと目を開けたととさまが子明母さまを見上げて……やさしく、その目尻に溜まった涙を拭った。

 

「ん……どうかした? 亞莎」

「……いいえ、なんでも。さ、旦那様、お耳のお手入れ、終わりましたよ」

 

 そう言う子明母さまの顔は、もう笑顔。

 そんな子明母さまの目尻から手を滑らせて頬を撫でるととさまは、一度溜め息を吐くと苦笑する。

 

  “そんな顔してなんでもないは無しだよ、亞莎”

 

 その苦笑に込められた意味は、なんとなくだけどそれだと思った。

 けれどととさまは何も言わない。

 何も言わないで、ただやさしく子明母さまの頬に手を当てて、穏やかな顔でじっとしていた。

 子明母さまもととさまの手に自分の手を重ねて、穏やかに微笑んでいた。

 

「………」

 

 今度は場違いだなんて感じない。

 ただただ穏やかな雨の日の中、静かな時間がここにあった。

 振り返ってみればなんでもないただの一日でも、感じ方ひとつでこうも違う。

 いつかおばあちゃんになっても、素早く動けなくなったとしても……こんなふうに穏やかに過ごせたら、幸せなんだろうな。

 言葉はなくても言いたいことがわかっているみたいなととさまと子明母さまは、そうして静かな時間を過ごしていった。

 

「よい……しょっと」

 

 少しして、ととさまが起き上がる。

 子明母さまはそれを止めず、今度は私に向かって笑って言う。「お待たせしました」と。

 それが耳かきのことだって思い出して、ちょっぴり笑った。

 早速子明母さまの膝に頭を乗せる……わあ、やわらか……じゃなくてすべすべ……じゃなくて、えとえと。……やわらかくてすべすべです。

 

「動かないでくださいね」

「は、はい」

 

 いつもはわたわたと慌てることの多い子明母さまを思うと、今日の子明母さまはとても穏やか。きっと、ととさまと二人の時にしか見せない……か、それとも見られない顔、っていうものなんだと思う。

 

「………はふ」

 

 サワ、と耳かきが耳に入ってくる。

 手付きはとてもやさしい。

 この香りに包まれているだけで心が穏やかになって、瞼が自然と落ちてくる。

 うう、だめだ、眠りたくない。この穏やかさをもっと堪能して……なんて思っていると、起き上がったととさまが私の傍に座って、脇腹をやさしく撫でてくる。

 くすぐったさもない、落ち着かせるようなやさしさが、さらに私を眠りの世界へと誘う。うう、なんだろう、ずるい。普段こんなことしないのに、ずるい。

 そう思うのと同時に、なるほどとも納得した。

 子明母さまがととさまと二人の時に変わるように、ととさまも……。

 

(……あぅ)

 

 全身から力が抜けた。

 気づけば既に夢の中。

 心地良い温かさと香りに包まれながら、私の意識はそこで途絶えた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ……雨の音が聞こえる。

 けだるさが体をずしりと重くさせて、でも……自分を包む香りが、とても心を落ち着かせてくれていた。

 

「あ……ふえ……? わ、わたし……」

「目が覚めましたか?」

「あれ……しめいかーさま……? ふ、あひゅひゅ……」

 

 なんでここに、と言おうとして欠伸に負けた。

 そうしているうちに段々と眠る前のことを思い出して、ああそっかと納得する。

 

「ご、ごめんね子明母さま、すぐにどくからっ」

「あっ……」

 

 ばっと飛び起きる。

 途端、ちょっと急に動いたことを後悔。

 少しだけ、穏やかな空気が逃げてしまったからだ。

 

「………」

 

 ちょっと気まずい気持ちを抱きながら、ぽすんと寝台の上に座る。

 そのまま部屋を出てしまおうかとも思ったけれど、それをしたらこの気まずさが倍以上になりそうで、それが嫌だった。

 けれどもそんな気まずさなんて、私が勝手に感じただけのものだったのだろう。子明母さまは変わらぬ穏やかさで私の頭を撫でてくれて、それだけで……私の心も落ち着いてしまった。我ながら単純だなぁ、なんて思ってしまう。

 

(……なんか、いいなぁ)

 

 私もこんな人になりたいな。

 こんなふうに、好きな人との時間を心から穏やかに、大事にできるような人に───

 

「じゃあ、次は亞莎ね」

「え?」

 

 ───って思ってたら、幸せそうな笑顔が真っ赤に染まった。

 さすがととさま、こういう状況を覆すのがとっても上手だ。

 

「え、ふえっ……!? だ、だだだ旦那ひゃまっ……!? 次はわひゃっ、わらひって……!?」

「亞莎の耳のお手入れ、するよ? ほら、耳かき貸して」

「い、いいいいいえいえいえいえ結構でひゅからっ……! そんな、旦那様にこんな場所、覗かれるくらいなら……!」

「え……く、くらいなら?」

「……~……死にます……!」

「早まるなぁあーっ!!」

 

 一気に飛んだ。まさか耳の穴を見られることが死に繋がるとは思ってなかった。私もととさまも大驚愕だ。

 でもだ。

 

「子明母さま。ととさまもやってもらったんなら、ととさまもきっと子明母さまにしてあげたいって思うよ。子明母さまのお母様は、やってもらわなかったの?」

「はぅぇっ……!? あ、あの……その……ひゃあっ!?」

 

 さっきまでの穏やかさが嘘のように、慌てふためく子明母さま。

 そんな子明母さまの頭を抱き寄せるようにして、膝の上にこてんと寝かせたのは……当然、ととさまだった。

 

「か、かかかっか一刀様っ!?」

「亞莎~? 呼び方が一刀に戻ってるぞー」

「えっ!? い、いいいいいえちがっ、ちがいまっ……! 旦那様と呼ぶのが嫌になったというわけではなく、ただっ、そのっ……!」

 

 慌てる子明母さまを、ととさまはやさしく撫でてゆく。

 すると、どうだろう。あれだけ慌てていた子明母さまが、眠る前のととさまのように大人しくなっていって、慌てた口数も減ってゆく。

 

「じゃあ、入れるよ」

「は、はい……やさしく、してくださいね……」

 

 ……なんでだろう。とてもいやらしく聞こえた。きっと気の所為だよね。

 

「………」

 

 耳かきをするととさまは、さっきの子明母さまのように穏やかだ。

 そっと手を動かして、指に挟まれた耳かきでお手入れをしていく。

 一方の子明母さまはくすぐったいのか、時折肩をぴくんぴくんと震わせて、きゅっと目を閉じている。眠たくはならないのかな。力、抜けばいいのに。

 

「亞莎、痛い? 肩が震えてるけど」

「い、いえっ、あのっ……旦那様の息が、耳に……当たって……!」

「………」

「禅、不可抗力だから睨まないでくれ」

 

 けれどこればっかりは仕方ないと、続行。

 しばらくすると子明母さまも慣れてきたのか、次第に体から強張りが抜け───……た、と思ったら、こてりと眠ってしまった。

 

「う、うわっ……かわいい……───ハッ」

 

 無防備な寝顔を見るのは初めてなのかな。それとも久しぶりだったのかな。

 ととさまが子明母さまの顔を見下ろして、素直な感想を口からこぼしていた。本当に“こぼしちゃった”らしくて、とっても慌てている。

 

「………」

 

 小さくこほんと咳払いをしてから、耳かきをもう一度。

 私もくすくすと漏れる笑みを飲み込みながら、また寝台に寝転がった。

 



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142:IF2/今、ここにあるやさしさ②

 雨の音は一定。

 結構な時間が経っても、勢いは増しもせず減りもせず。

 やがて耳掃除を終えたととさまは、さっきの子明母さまと同じようにやさしくやさしく子明母さまの頭を撫でていた。

 

「……ととさま」

「んー……?」

「……ととさまって、歳……とらないんだよね?」

「………………うん」

 

 思い切って訊いてみると、少しの間があってから頷いた。

 表情はやさしいまま。ただそこに、複雑ななにかが混ざったように見えて、少し悲しくなった。

 

「体はずっとこのまんまなんだろうな。このままで、みんなだけが成長して……多分、俺だけ置いていかれる」

 

 子明母さまの頭をやさしく撫でていく。

 それこそ大切なものを大切にするように。

 

「さっきな、夢を見たよ。真っ白な世界に真っ白な猫が一匹。すぐに夢だってわかって……そこからが不思議でさ」

「うん……」

「暖かいなにかに包まれながら……ああまあ、その暖かさが亞莎のものだっていうのはすぐにわかったんだけどな。不思議なことに猫が喋ったんだ」

「猫さんが?」

「“やさしい顔で泣いている子が居るから、涙を拭いてあげなさい”って。よくわからなかったけど……直後に目が覚めて、気づいたら目の前で亞莎が泣いてた。もちろん目尻に涙があったってだけだし、欠伸してただけって言われればそれまでだろうけど……」

 

 どうしてだろうなぁ。

 そう言って、ととさまはやさしく笑った。

 

「笑顔だったのに、泣いてたんだってわかった。どうして泣いていたのかもなんとなくわかって……。わかったら、ちょっと……生きていくのが怖くなった」

 

 ……驚いた。

 生きていくのが怖い。じゃあ死んでしまうのか。

 そう思ったら、穏やかな空気のなにもかもを壊してでも否定したくなっ───た、瞬間には、もう頭を撫でられていた。

 

「ずっと先の未来で、どうしてもやらなきゃいけないことがある。俺はそればっかりを見て、他を見るのを怖がってたんだよ。ずっと変わらず生きるってことは、誰かの死を見届けるのと一緒だ。残されるほうも悲しいけど、きっと……大切な人を残して逝ってしまう人も悲しい……ん、だよな……」

 

 撫でる手が止まる。

 思わず見上げてみれば、ととさまは今にも泣きそうな顔で。

 けれど目が合うと、すぐに笑顔になった。……笑顔を、作った。

 

「死にたくない。きっといろいろな人が思うことだよな。普通は生きていたいって思うんだ。生きる方を選ぶんだと思う」

「うん……」

「でもな……でも……。ととさまな、初めて……“一緒に死にたい”って思った」

「───!」

 

 嗚咽が混じったような声が耳に届く。

 瞬間、雨の音さえ忘れたような静寂が訪れて、言葉を無くした私はなにも言ってあげられなくて。

 

「苦労して頑張って、一緒に生きて……一緒に笑って。そんな人達を見送るばかりじゃなくて……最後まで一緒に、死ぬことさえ一緒に成し遂げられたら、それは、なんて…………───は、ははっ、だめだよな、こんなんじゃ。やらなきゃいけないこと、あるんだから……な」

 

 寂しそうに笑う。

 ……みんなは……ととさまが一緒に天下を、と走ってきた人たちは、いったいいつまで生きていられるだろう。

 気づいた時には誰も居なくて、たとえばその時に私がととさまの傍に居たとしても、その気持ちをわかってあげられるのかな。

 まだ私たちが居るんだから、なんてことはきっと言えないのだろう。

 誰にだって、代わりは居ない。

 居ないからこそ、こんなにもやさしく、相手を愛しいって思える顔で、人を撫でられるのだろうから。

 

「……どうか。いつか静かに眠る日が訪れても。眠るみんなが……俺を心配せず、笑顔で眠れますように」

 

 ───……その言葉を聞いて、思った。

 ああ、そっか。この人達は……互いに大切に思いすぎているんだ。

 不器用なんてものじゃない。

 これが不器用ってだけの話なら、愛だ恋だなんて言葉だけの飾りだと思う。

 だから、“たとえ未来で自分が泣こうとも、相手が幸せであればいいな”なんて……そんな幸せを願えるんだ。

 もっと自分を大切にしてほしいって言葉は、きっと届かない。

 そんな場所まで届かない自分の幼さが、今は悔しかった。

 

「禅。今言ったこと、みんなには内緒な?」

 

 ……ととさまはずるい。

 そんな泣きそうな顔で言われたら、頷くことしか出来ない。

 ねぇ、延姉さま。延姉さまは“親の弱さを知りたい”って言ってたけれど……辛いよ。こんな弱さは、幼い自分には重過ぎるよ。

 なんとかしてあげたいのに、きっと私もいつか、ととさまを悲しませながら死んじゃうんだ。それは、ととさまがこの都で絆を増やしていけばいくほど広がる、悲しみの連鎖だ。

 街を歩けば声をかけてくるみんなも、いつかは死んでしまう。街で見かける動物たちも、もっと早くに死んでしまうのだろう。ととさまはそんなみんなを、どんな気持ちで見送るのかな。

 「おじいちゃんにならないだけで、寿命で死んだりはしないの?」って訊いてみても、首を横に振って、困った顔で笑うだけだった。

 

「もちろん、心臓を刺されれば死ぬし、自殺だってやろうと思えば出来るんだ。でもな、そんなのみんなは認めないし、そんな死に方で“一緒に死にたい”を叶えるのは違うんだよ」

 

 苦労してきたからこそ、笑い合ってきたからこそ───ともに老いて、ともに死にたかったと。ととさまはそう言って、もう一度私の頭を撫でた。

 

「なぁ禅」

「え……あ、言わないよ、誰にも」

「うん、まあそれもだけどな。……いつか……俺がどうしてもしなくちゃいけないことが訪れた日。俺は多分、この世界から消えてると思う。天に帰るんだ」

「───! ~……っ……う、うん。それで?」

 

 叫び出しそうになる自分を押さえて、先を促す。

 ととさまはくしゃりと少し乱暴に私の頭を撫でると、最後にぽんぽんと頭の上で手を弾ませて、言った。

 

「その時が来たら……それから先のことを、よろしく頼む。この世界の平和は、みんなが生きていた証になる。それは平和が続けば続くほどに眩しく輝くものだろうからさ。だから…………ははっ、そうだな」

 

 表情から寂しさを消すように、ととさまは笑った。笑って……言った。

 

「1800年後。その時代の日本に届くくらい、世界中が羨むくらい、平和で賑やかな国にしてくれ。姉妹仲良く……まあ、たまには喧嘩もするだろうけど、出来るだけ仲良く」

「……その1800年後に、ととさまは居るの? 頑張れば、ととさまに届くの?」

「頑張るよ。そうなるように、俺は未来に向かってる。この世界が外史で、俺が居た場所も外史だっていうなら……きっと叶うから。誰も願ってくれないのなら、俺がそんな外史を願うよ。……だから」

 

 だから。

 いつか戻った天の先で、どうか、自分たちが生きた証が……まだそこにありますようにと。ととさまはそう言って、私のことを引き寄せて、ぎうーって抱き締めた。

 ちょっと苦しかったけど、その分だけ勇気付けられた気がした。

 やらなきゃいけないことなんて、まだまだなんにもわからない。

 私たちがどれだけそれを願おうと、私たちの次の世代や、そのまた次の世代の人が、ととさまの思いを受け取ってくれるとは限らない。

 それでも……願うことは。努力することは出来るのだから、せめて……いつか消えてしまうであろうこんなぬくもりも、別のかたちで届けられたなら……きっとととさまは笑ってくれるだろうから。

 

「う、うん、頑張る。頑張るね、禅も」

「……ああ」

 

 ととさまがどんな方法でそれを叶えるかなんてものは知らない。

 多分、知っても私はどうすることも出来ない。

 ととさまがどんなものを背負って、どんなことをしようとしているのかも、きっと訊いても答えてくれないのだろう。

 そのくせ人には頼るのだから、ととさまはやっぱりずるい。

 

「ん、えと。ととさま。私、ととさまが何をやろうとしてるのかは知らないけどね? でも……それをするとどうにか出来るかもしれないんだよね?」

「そうだな。そのために、愛紗に打ち勝てるくらいになっておかなきゃいけないんだ」

「それってそのためだったの!?」

「へ? あ、ああ、うん……? そう、だけど……?」

 

 なんてことだろう。

 愛紗……うう、許されてても呼びづらい……ええと、愛紗がたまに悲しそうにしてたのを、ととさまは知らないのだろうか。

 急に打倒愛紗ー! なんて好きな人に言われて、嬉しいはずがないのに。

 

「……ととさま。いつか愛紗に謝ってね?」

「え? 俺なんかした?」

「したの! 打倒愛紗とか言ってた所為で、愛紗落ち込んでたんだからね!?」

「へ? ……えぇっ!? ななななんでっ……って、あ、あーあーあー! だからこの前、一緒に食事しようって時に妙におどおどしてたのか!」

「……ととさまぁ……」

「いや違う! そんなつもりで打倒愛紗って言ってたんじゃないっ! ……わ、わかった、ちゃんと謝るからっ……!」

 

 ……もう、本当にととさまは。

 でもよかった。きちんと事情を説明すれば、愛紗だって喜ぶはず。

 それなら安心だ。だから……言いたかったことを、言おう。

 

「あのね、ととさま」

「うん」

「もしね、私たちが頑張って、私たちの……えと、子供も頑張って、1800年後まで頑張って、こんな温かさをととさまの居る“日本”にまで届くくらいに幸せで居られたらね?」

「うん」

「……きっと、“ここ”に帰ってきてね? 日本がどんな場所かは知らないけど、きっと帰ってきてね? その時は、もうととさまを知っている人は居ないかもしれないけど……みんな死んじゃってるだろうけど……ずっと待ってるから。ずっとずっと待ってるから」

 

 だから。

 そんな日がもし来てくれたなら。

 琮お姉ちゃんじゃないけど……いっぱい誇ってほしい。いっぱいいっぱい褒めてほしい。

 どうして天に帰ることが、1800年後に繋がるのかなんて全然わからないし、訊きたいことはいっぱいある。でも、ととさまが頑張ってなにかをしようとしていることくらい、私にだってわかるから。戻った先で、ととさまのことを好きな人が誰も居なかったとしても、せめて想いは届くよう。

 だから、ととさまがみんなと一緒に死ぬことが出来ないのなら、私はそんな父を誇りながら精一杯生きて、死んでゆこう。

 

「……ああ、そうだな。きっと帰るよ。大丈夫、遠距離恋愛は慣れっこだ。家族に向ける愛だって、1800年の壁くらい越えられるよ」

「ほんと?」

「ああ、ほんと」

「うそついたら禅とお姉さまたちをお嫁にもらう?」

「なんでそうなるの!? い、いやっ……大丈夫だから、嘘はつかないから。琮の時もいろいろと誤解が凄かったんだから、娘を嫁にとかはありません」

「うん、そうだよね」

「そうそう」

 

 笑う。

 あれだけ騒いだのにすぅすぅと眠る子明母さまに遠慮もせず。

 ……するとさすがにもぞりと動いて、目を開けた。

 

「ふぁぅ……? あ、あれ……? 一刀様……?」

「まだ寝てていいよ、亞莎」

「ぁ……はぃ……」

 

 さっきとは逆。

 ととさまが言った言葉に心底安心を得たように、子明母さまはこてりと眠ってしまった。

 ……子明母さまって、油断っていうか……隙がある時ってととさまのこと、一刀様って呼ぶんだ……失礼かもしれないけど、かわいい。

 そんな子明母さまの頭を撫でるととさまの顔は、とても穏やかで……幸せそうだ。

 

「……悔しいなぁ。いつかじいさんになっても、こんな風に傍に居て……幸せ、噛み締めたかったなぁ」

 

 漏れたのは苦笑。

 でも、それは諦めのために出たものじゃなくて……悔しくても、目指すものに変わりはないっていう、開き直りみたいな苦笑だった。

 

「まあでも、たとえ歳老いてもやることは変わらないけどね。老いても老いなくても一緒に居るし、幸せなら……姿の問題なんて、二の次だよな」

 

 ───気づけば窓から陽が差していた。

 雨の音はもう聞こえない。

 それと同時にどたばたと走る音が聞こえて、やがて……扉がどばーんと開かれる。

 さて、また日常が騒がしくやってきた。

 ととさまの周りは本当に賑やかで、飽きることを教えてくれない。

 そんな日常が私は好きだし、そんな平和こそを……ととさまが日常と呼べる景色こそを、未来に持っていけるように。

 

「あははっ、はぁ~いか~ずとっ! やっと周期が来たから、今日は寝かさないわよ~?」

「へっ!? 雪蓮!? 周期って……む、娘の前でなんてことを! つか大勢でどうした!? 朝餉ならもう食べたよな!?」

「い、いえ、隊長。今日はその、周期が来た者たちで報告を、と……」

「あー、ええって凪。そんな堅っ苦しいのは無しにしよ。大事なのは雰囲気作りや。な~、一刀~?」

「おーっほっほっほっほ! 周期だか瘴気だか知りませんけれど、なにを為すにももちろんっ! このっ、わ・た・く・し・がっ! 先ですわっ!」

「よくわからんが、麗羽姉さまと一緒なのは怖いのじゃ……じゃ、じゃがの主様っ、妾頑張るゆえ、今日からよろしく頼むのじゃっ!」

「まあ、そういうことだ北郷。どういう巡りあわせなのか、この面子が周期に入った」

 

 でも。

 入ってきた人達の賑やかさを前にしたら、なんだかそれも、そう難しいことじゃないように思えてきた。

 ととさまは、入ってきたみんなを前に「冥琳……きみもなのか」って、驚きと困惑を顔に貼り付けた大変な表情になってる。

 

「あ、ちなみに遅れてくるけど愛紗と鈴々もだそうよ?」

「…………」

 

 あ、固まった。

 

「しぇ、しぇしぇしぇ雪蓮さ、ん……? あの、俺、ついさっきまでとっても暖かな平和の中に───」

「へー。じゃあ夜を待つのも面倒だし早速始めましょ?」

「最後まで聞いて!? つか今亞莎が眠ってるからっ!」

 

 振り回されていく。

 けれど子明母さまもみんなの気配に目を開けて、集まったみんなを前にぱちくり。

 直後に瞬間沸騰した顔を長い袖で隠して、物凄い速さでゴシャーアーと走り去っていってしまった。

 

「………」

「………」

 

 ととさまと目が合った。

 そして多分、同じことを思ったという直感があったので、我慢することなく口にした。

 

『平和って……儚いね……』

 

 それでも大切に思えるのだから頑張ろう。

 まずは知らないことを覚える努力から、だよね。

 

「ねぇ公瑾さま。これからととさまとすることで、なにが出来るの?」

「ぬぐっ!? あ、ああ……ええっと、それは、だな……」

「あははははは! 冥琳がこうまで狼狽えるなんてめずらっ……ぶふっ! 珍しいわねあははははは!!」

「ならお前が言えばいいだろうっ、雪蓮っ!」

「私? べつにいーけど。そうね、禅。───子供が出来るわ」

『直球すぎだぁーっ!!』

 

 ととさまと公瑾さま、絶叫。

 べしびしと叩いたりでこぴんしたりで、伯符さまがキャーキャーと痛がっている。

 でもそっか。子供が出来る……子供。

 

「禅もやる!」

『しぇぇえええれぇえええんっ!!!!』

「え、えっ!? これ私が悪いのっ!? 言えって言ったのめーりんじゃないのよーっ!!」

 

 頑張るって決めたから、じゃあ早速未来のために子供を作って……と思って、言った途端。ととさまと公瑾さまがまた絶叫して、今度は伯符さまの手首に指二本を添えて、びしゃんびしゃんと叩き始めて……

 

「いたいいたいいたいってば痛いーっ!!」

 

 あぁ、あれ、遊びの時の罰げーむで、しっぺとかいうのだ……痛いよね、あれ……。

 

「あー、ほら、な? 禅ちゃん? それをやるにはまだちぃ~っとばかし早いなぁ。もうちょいおっきくなってから、好きな相手にでもゆーてみ? きっと相手、骨抜きやで?」

「し、霞さまっ、子供に言うには早すぎますっ!」

「あら、べつによいではありませんの、えー…………と……楽進さん? 一刀さんなら誰でもいけますわ。なにせわたくしが、このわたくしがっ! ……認めた殿方ですものおーっほっほっほっほ!」

「……やっぱりこのねーちん、何をやるのかいまいちわかっとらんのとちゃう?」

「はい、恐らくは……あの、袁術殿は、なにをするかは……」

「うほほ、もちろんわかっておるのじゃ。七乃の嘘も見破った今、もはや妾に間違いなどありはしないのじゃ」

「見破ったっちゅーか、普通に七乃が自爆しただけやろ……」

 

 よくわからないけど、私ではまだだめらしい。

 ……そっか、お腹に出来るんだもんね、子供って。

 私まだちっちゃいし、子供が出来たら……お腹が破裂しちゃう!?

 

「う、うん、わかった、もっと大きくなってからにする」

「お~♪ 聞き分けのい~娘ぉは好きやで~? それに禅ちゃんやったら大人になれば男のほうから寄ってくるから安心しぃ」

「そうなのかな」

「はい。公嗣さまは大変可愛らしくあります。……隊長も気が気ではないでしょうが」

「あっはっはっは、それはそれで楽しみや~ん♪ 可愛い娘に言い寄る男に目ぇ光らせんのも、男親の義務みたいなもんやって一刀もゆーとったし」

 

 うう……あんまり言われると、どう返していいのかわからない。

 くすぐったいし照れちゃうし。

 

「えっと……そんで? このねーちんが一番っちゅーことやけど」

「え~ぇ、何をおいても一番はこのわたくし、袁本初であるべきですわ」

「……ちなみに経験は?」

「経験? なんですの?」

『………』

「あの、袁紹殿? 以前夜の会議に出ておられましたよね? あの会議がどんなものかは……」

「あああれですの? 猪々子さんと斗詩さんがこそこそと動き回っていたから、捕まえて案内させただけですわ」

『………』

 

 な、なんだか妙な雰囲気になってきた。なにこれ。

 ととさまもなんだか本初さまを見てぽかんとしてるし。

 

「あー……一刀のこの顔から察するに……」

「なるほど、まだか」

「それでいっちゃん最初~言う勇気……気に入った! ウチはべつにかまへんけど、他はどうするん?」

「わ、私はその、最後でも……愛していただけるのなら」

「妾もべつに構わんぞよ? それにしても……妾、知らぬ間に先んじておったのじゃなっ! うははははっ、麗羽姉さま、頑張るのじゃー!」

「頑張りなど必要ありませんわ~? 何事も出来てしまうからこそ、このわたくしは───」

「じゃあ早速準備しましょ」

「ちょっと雪蓮さん!? 最後まで言わせてくださる!?」

 

 そうして、“準備”が始まったみたい。

 ととさまはしきりに本初さまのことを心配していろいろ言ってるのに、本初さまは「何が来ても華麗に対処してみせますわ!」って、聞く耳を持ってくれない。

 

「おっと、こっから先はちぃと目に毒や。よかったら走ってった呂蒙ちんを追ってやってくれん?」

「あ、う、うん。えっと……よくわからないけど、頑張ってねととさま!」

「ぐっはっ! こ、ここも頑張りどころなのか……!? そりゃ未来的にはそうなのかもしれないけど、だってえっと……あぁああ麗羽!? 麗羽! 本気!? 本気でやるつもり!? 今ならまだ間に合うぞ!?」

「おーっほっほっほっほ! 臆することはありませんわぁ~? 一刀さんも認めるこのっ! 美しくも可愛い袁本初! ……どんなことでも華麗にこなしてみせますわっ!」

「いやっ、そんな胸張ってる場合じゃなくてさぁっ!」

「ほらほらいーからっ! 早くやっちゃいなさい一刀っ!」

「北郷。本人が“やる”と熱望しているんだ、断るほうが失礼だろう」

「ほ、他の者のまぐわいを見るのは初めてじゃの……うみゅ、なにやら緊張するのじゃ……!」

「一刀~? 一応やさしくしたってな~♪」

「隊長……。せめて、やさしく」

「止めてやるのもやさしさだと思うんだよね俺!!」

 

 部屋を出て、ぱたんと扉を閉めた。

 なんだかもう振り返ってはいけない気がして、何処に行ったのかもわからない子明母さまを探して、走ることしか出来なかった。

 う、うん、頑張ろう。

 出来ることをやっていけば、きっといつか平和な未来に……

 

「なっ!? ちょ、なにをなさいますの雪蓮さん! 急に服を脱がそうだなんて!」

「まーまーまーまーまー!」

「ちょっと張遼さん!? 何処を触っていますの!?」

「まーまーまーまーまー!」

「ま、まあ? 同姓さえ虜にしてしまうこのわたくしの美しい体が悪───ってだからなぜ脱がしますの!?」

『まーまーまーまーまー!』

 

 いろいろ聞こえてきたけどだだだだ大丈夫! 禅頑張るよ!?

 今は子明母さまを見つけることが先決だもんね! 頑張る!

 耳を塞いで走った。

 なんだか……これからちょっぴり、ととさまの部屋に行きづらくなってしまったように感じるのは、気の所為だよね……?




404話目。
404って数字って、なんだかソワソワしますよね。
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143:IF2/罪と罰と喋る粘液①

195/人を呪わば…………落とし穴

 

=_=/いきなり回想である

 

 人の在り方というものを、時々に考える。

 どうしてこう懲りないのかなぁとか、まあそんなところ。

 軽く現実逃避をしている現在、話は結構前まで戻るわけだが……

 

「かっ、華琳さま! 今は危険な時期なので、別の罰に……!」

 

 昔々~あるところに、猫耳フードを被った毒舌軍師が~……おったぁそうじゃあ……。

 この軍師は事ある毎に落とし穴を作り、男を嫌い、いろいろな意味でも厄介さをもっておった。相手が他国の兵であっても、男であるというだけで飛ばした罵声は数知れず。

 稀に落とし穴に落ちて足を挫いてしまう者もおり……

 

「桂花。私は何度も“罠を仕掛けるのをやめなさい”と言った筈よ? それを聞かずに幾度も実行、他者まで巻き込んだ者への罰など、極刑でないだけやさしいじゃない」

 

 そう。話は度重なる罠のことを、華琳が知った頃に戻る。

 それまではちくちくと個人的な小競り合いみたいにやっていた、一種の漫才めいた言い合いだった。俺の、“子供になに教えてんだー!”、が最初だったと思う。しかし“私の勉強で私が何を教えようが勝手じゃない!”という話になって、そこからは遠慮無用のギャースカ騒ぎ。

 そんな姿を華琳に見つかってしまい、その時はまだ軽い注意で済んだのだ。あの華琳がだ。失敗の罰が“拘束&初めてを散らす”であったあの頃に比べて、なんとやさしいことだろう。

 しかしこの猫耳フード先生、叱られたのは俺の所為だとのたまった。

 いつもの事ではあるのだが、さすがに子供達に行き過ぎたあちらの知識を植え込まれすぎても困ると、俺も随分と引かなかった。結果が……度重なる落とし穴の設置。

 それもまた華琳に知られてしまい、そこもまた注意だけで終わったのに……彼女が懲りなかったために現在に到る。

 

「桂花。あなたはこれを非道と謳うのかしら?」

 

 静かな部屋の片隅。

 雰囲気の所為で正座をしてしまう俺は、もう立派なパブロフの犬なのだろう。

 べつに俺が叱られているわけでもないのに。

 ていうかなんで俺の部屋でやるの!? わざわざ桂花連れてきて、いきなり説教とかされても困るんだけど!?

 

「他者を巻き込んだ……!? 華琳さま! まさか他国の王が落とし穴に落ちたことを、北郷が喋って───」

「へえ? 初耳ね」

『あ』

 

 そして軍師様は自爆なさった。

 “やってしまった”を表す言葉は、俺の口からも桂花の口からもこぼれた。

 

「普段はものを隠すことが上手いあなたのこと。一刀の前で叱ってやれば意識が散漫してすぐに何かをこぼすと思っていたけれど。へえ? そう。他国の王を落とし穴に……一刀、それは真実?」

「ほっ、北郷!」

「……悪い桂花、さすがにこれはもう隠せないだろ。むしろ自分から言うなんて思ってもみなかった。というわけで、本当だ。もちろん深く謝罪したし怪我もないし、当の本人もびっくりした~ってだけで怒ってはいなかったよ。だけど……」

「一刀。本人の意思がどうあれ、それだけでは許されないことはあなたが一番わかっているわね?」

「ん、そうくると思ってた。だから向こうに“してほしいことをなんでも言ってくれ”って条件を出したよ」

「へえ? さすがに一度問題を起こしただけあって、手際がいいじゃない」

「刺されたほうが言うことを聞くっていうのも、ある意味貴重な体験だったけどね」

 

 あれも俺が妙に煽った所為だったし、吐き出させたかったってこともあるし、そこはもうつっつかないでほしい。恥ずかしいというか照れる。今ではそんなみんなと仲良くしているっていうんだから、余計に。

 

「それで? 相手はなにを望んだのかしら」

「ああ、うん。俺に目一杯の“お持て成し”をしてほしいって」

「おもてなし?」

 

 そう。

 子供も結構成長して、ようやく息を吐けるって頃。

 彼女たちが欲したのは癒しだった。

 ああもちろん癒しといっても、普段から世話を焼いてくれる人がするものではなく、恋人関係を続けるよりも子供が出来るほうが早かった事実を振り返っての、いわば……その、多分、いちゃつきたいとかそういう意味での癒し。

 なので俺は執事になった。

 執事になって、落とし穴に落ちた人物……桃香と蓮華を目一杯もてなして、時間が取れれば落下した兵を俺の奢りで食事に誘ったりして、桂花の件での処理を秘密裏に片付けたわけだ。

 ……そのことに関して、思春からの桂花への態度が非常に悪かったのは紛れもない事実であるが。

 

「あ、あなたそんなことまでしていたの!?」

 

 華琳にした説明を聞いて、まず声をあげたのは桂花だった。

 うん、していました。知らないのは当然だろう、言ってないし。

 自分からわざわざ“こんなことしましたよ~、感謝しろ~”なんて言うわけないでしょうが。

 感謝はいいから、まず落とし穴と子供に妙な知識を教えるのをなんとかしてください。

 

「……桂花」

「ひっ!? は、はいっ、華琳さま……!」

「あなたは一刀が嫌いね?」

「……き、嫌い、です」

「そう。これだけの借りを作っても、嫌いと言いきれるのね」

「……嫌いです」

 

 ふうん、と華琳は笑みも無しに桂花をねめつける。

 その顔が怖い。とても怖いです。

 

「ねぇ一刀。桃香や蓮華は何故、桂花ではなくあなたに願いを要求したのかしら」

「なんでって。俺がそうしてくれって頼んだからだよ。支えるのが支柱の役目だろ? もちろん、いざこざの全ての責任を俺が負えるわけじゃないけどさ」

「当たり前でしょう? そうであれば全ての存在が好き勝手に動いて、責任の全てをあなたに押し付けるだけの国になるわよ。あなたはあくまで同盟の象徴であって、罪への身代わりの形ではないのだから」

 

 ふう、と溜め息。

 次いで、「大体それを受け入れた桃香と蓮華にも問題があるわよ」とぶつぶつと……。

 ん? 問題?

 

「華琳? 問題って?」

「いいわよ、王がきちんとそれで手打ちとして受け入れたのなら。あとはこちらが軍師への罰をきちんと示せば、全ては丸く治まる。ただそれだけのことよ」

「?」

 

 手打ち……うん、や、手打ち……だよな? 問題は……まああるのかもしれないけど、人が刺されることよりは多少はましであってくれる……といいなぁ。

 

「あぁそれと一刀」

「へ? あ、ああ、なんだ?」

「その“お持て成し”というもの。今度私にもやってみせなさい」

「え……いや、べつに華琳は落とし穴に落ちたわけじゃ」

「なに? 桃香や蓮華は持て成せて、私は嫌だと? それともなに? あなたは私が落とし穴に落ちる様を見たいとでも言うの?」

「───」

 

 華琳が落とし穴に落ちる瞬間?

 …………わあ、まずい、すっごい見てみたい。

 

「ねえ一刀。その緩んだ顔に勢い良く拳を埋め込んでいいかしら」

「ごめんなさいっ!?」

 

 いやっ、べつに無様さがどうとかじゃなくてね!?

 なんかちょっと可愛いかもって! ほらっ……ねぇっ!?

 そりゃあかつてはそうなりそうなこともあったけど!

 

「そもそも桂花。私はあなたに言った筈よね? 城内に罠は禁止と。ええ、確かにここは魏ではないわ。けれど敵が居ないことも確かであり、むしろ同盟の者が数多く存在する都の中心でしょう? そこに罠を仕掛け、他国の王がかかれば、罠に嵌める筈だった男に尻拭いをさせて、自分はその事実すら知らない。……男が嫌いとはいえ、情報をなにより大切にしなければならない軍師がそれでは、果たして私はあなたになにを期待すればいいのかしら」

「……! お、お許しください華琳さま! じょっ……除名だけは! もうご期待に背くようなことは決していたしません! ですから───!」

「それを聞いて私は何度、あなたを軽い注意で済ませたのかしら。あなたはその度に何度、私の期待に応えられたのかしら。ええ、私も甘くなったものだと思っているわよ。一刀の助言の通り、出来ない者も出来るまで教える、という考えで堪えたつもりよ? それがどう? どれほど待っても問題を起こすし他国にさえ迷惑をかける。───わかるでしょう一刀。これを罰さず庇い続けるほうが、他国からすればもはや非道と映るのよ」

「あー……」

「ちょっと! 庇いなさいよ!」

「無茶言わないでくれます!?」

 

 思わずうんうんと頷いたら、桂花にツッコまれた。

 でもごめん、むしろその反応にツッコみたい。

 他の人が失敗をして罰を受ける中、お前が軽い罰で見逃されていることを他の人が知ったらどうなさいますか。不公平だだの贔屓だだの言われて、当たり前のように“気に入った存在を贔屓しすぎる非道な王”に見られるに決まってるじゃないか。

 

「聞きなさい桂花。あなたが起こした他国の王への被害も、今は一刀のお陰で不問とされているのよ。けれどなに? あなたは私に……あなたの主であり王である私に、“知らなかったからなにもする必要はないのだ”と踏ん反り返っていろと言う気?」

「いっ……いえ、そういうわけでは……」

「そうね。桃香と蓮華は“私の私物を借りる”という名目も含めて、一刀からの持て成しを要求したのでしょうね。そういった意味では細かいけれど、強引だろうと自国の将を頷かせることは出来るのかもしれないわね。で……? その主である私は、借りられたことも知らずに、日々を過ごしていた……!? 軍師の失態に気づきもしないで……!?」

「ひぃいいっ!? もっ……もうしわけっ……申し訳ありません華琳さまっ! ですがっ」

「おだまりなさい!! 申し訳が無いのなら言い訳を口にするな!!」

「っ!!」

 

 いつかの繰り返しのように放たれた“おだまりなさい”。

 けれどそれは、いつかよりも余程に迫力があり、桂花を黙らせるには効果的だった。

 ていうか寒い! また背筋が凍るくらい寒い!

 夏でよかったなぁとかそんな考えが吹き飛ぶくらいに凍てつく殺気が部屋中に!

 

「桂花」

「……!」

「あなたは先ほど、今は危険な時期だと言ったわね」

「……は、は……ぃ」

「ええ、だからこそよ。今だから言うわ。───桂花、あなた……子を産みなさい」

「───!?」

「次代を担う子を儲け、それを育むことで、人として、女として落ち着きなさい。そして、それを通じて子に及ぶ悪影響というものを知っていきなさい」

「……! ……!」

「あら、だめよ。拒否は許さないわ。それとも迷惑をかけた兵らに代わる代わる質問をされたい?」

「~っ」

 

 震える桂花はもはや涙ぼろぼろだ。

 見ていられないのに、いつかのように逃げることもフォローすることも出来そうにない。そもそも尻叩きで終わったのが奇跡だったのだ。

 華琳の前に“二度目”っていうのは滅多にない。それが三度四度とあった筈なのに、桂花はやってしまったのだ。どうフォローしたってなにも変わらないだろう。

 そしてそんな状況の中、華琳さんが俺を見つめてくるわけで。

 く、くる! 絶対に孕ませなさいとか言ってくる!

 拒否するんだ一刀! 嫌がっている女性を妊娠なんて、さすがに無理だ! どんな言い訳でもいいから拒否する方向で───!

 

「というわけよ、一刀。桂花を孕ませなさい」

「いやいや無理だ! これから剣術の稽古があるんだ! 付き合えない!」

「今日は休みなさい」

「えぇっ!?」

 

 大驚愕! まさか華琳の口から休めという言葉が!

 いやまあ稽古なんてないのですが! あとなんでか脳内で“デェェェェェェン!”って効果音とともに、筋肉モリモリマッチョマンの変態が重火器を抱えて渋い顔をしていた。

 

「で? 他になにか言い訳は考えてあるのかしら。片っ端から却下してあげるから早く並べなさい」

 

 大変いい笑顔でそんなことを仰る覇王様がおりました。

 うん……まあ、逃げ道なんて最初からないって、わかってたよ……。

 なので、

 

「問う者よ! この世界の危機を救う術を、俺は探しに行く!」

 

 などと一気に言い放ち、窓へと走って逃走を「へ!? ぉゎぶべぇえっぷ!?」───した途端に何者かに足を掴まれて、顔面から床に激突。

 何事かと体を起こして振り向いてみれば…………いやいやいやいや!!

 

「桂花さん!? どうしてここできみが俺の足を掴みますか!?」

 

 どれほど動転しているのか、涙ぼろぼろでただただ首を横に振って俺の足を掴む桂花さんの姿が! いやっ、このままじゃきみ、俺とその……ねぇ!?

 やっ、そりゃあ大した面識もない兵大勢に代わる代わるっていうのを考えれば、って意味での行動かもしれないけどさ! そうなれば誰の子になるのかもわからない恐怖もあるだろうけどさぁ!

 

「一刀。今……逃げようとしたのかしら?」

「急に外の空気が吸いたくなったので窓を全力で開けに行きました」

「へえ? そう。世界の危機を救う術とやらはいいのかしら?」

「言ってみただけだから改まって問わないで!? ……あ、え、えーと……それからさ、桂花の罰、前みたいに尻叩きに落ち着いたりとかは……」

 

 恥ずかしさへの誤魔化しついでに、軽く提案。

 ……溜め息を吐かれてしまった。

 

「あのねぇ一刀。私はなにも、罰のためだけに桂花に子を孕めと言っているわけではないわよ。確かに罰ではあるけれど、優秀な軍師の子が欲しいのもまた事実なの。さて桂花? そうして産まれた子に、もしまだ必要のないことを言い聞かされ続けたら、あなたはどう思うのかしら。女が産まれたとして、男と付き合うことはとてもよいことだと教え込まれたら、あなたは堪えられる?」

「……、……!?」

 

 物凄く首を横に振ってる。

 そっ……そこまで嫌か!? なにがきみをそこまでさせたの!? 本当に不思議でならないのですが!?

 

「そう思えるのなら、余計なことは教えないことね。知識を与えろとは言ったけれど、男との付き合いの全てを絶つよう教えろと言った覚えはないわ。お陰で同年代の男を嫌って、父親好きが行き過ぎて怖いくらいじゃない」

「え? そ、そう? 俺ちゃんと好かれてる? 黄柄とか、未だに飛び蹴りしてくるんだけど。丕だって休みの日を合わせて遊ぼうとしたら、なんでか別の日にばっかり休み入れてるし」

「……ええそうね。その上で自分の無駄な行動に頭を抱えて落ち込んでいるわよ。あなたたちはね、一刀。まず話し合って休みを決めるところから始めなさい」

「いや、これでも話し合ったんだぞ? で、じゃあ華琳の休みは~って話になって……」

「驚かそうとして相談もせずに適当に休みを決めて、頭を抱えた?」

「……ハイ」

 

 返答は直後でした。「馬鹿ね」───これだけです。

 サプライズって、案外思っていたより上手くいかないもんですよね。

 と、こんな感じの自分らの馬鹿話で華琳の怒りを軽く宥めつつ、あっはっは~と笑いながら去ろうとして……あっさり捕まりました。

 

「さ、一刀。孕ませなさい」

 

 さらに全てが無駄であったことを悟ったのでした。

 ふふ、一刀よ。自分で思ったばかりじゃないか。華琳に二度目は滅多にないと。



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143:IF2/罪と罰と喋る粘液②

「いや……けどさ、華琳。嫌がっている人に嫌いな男の子供を産ませるなんて───」

「あなたがやらないのなら、別の男になるだけの話よ。わかっていないの? それとも受け入れる気がないだけ? これはね、一刀。嫌がらせでもなんでもなく、“桂花自身の過ちによって生まれた罰”なのよ。今回もそう。王らを持て成すことで相手は納得したのでしょうね。あなたが持て成すことで。ええ、あなたがね」

「……言いたいことは、そりゃわかるよ。庇ってばっかじゃ解決なんてしないって。でも子供を産ませるっていうのは」

「きっかけがなければ優秀な軍師の血が途絶えるだけよ。桂花、あなたはそれで満足? 自分が育てた子とともに、この天下の先を見たいとは思わないの? 己が得てきたものの全てを託すことが出来る、自分の血を持つ者が欲しいと思わないと?」

「………」

「ええ、そうだというのならばそれでもいいわよ。罰は別に考えるとしましょう? ただ、用意した舞台の上でもないのに他国の王や兵らを罠に嵌めた事実。用意するものは、女として……嫌いな存在の子を孕めと言う言葉と並ぶほどの罰であると知りなさい。これは王として二度三度と見逃してあげたことさえ無視した不敬への、当然の罰なのだから」

「………」

 

 桂花は顔を真っ青にして震えている。

 当然だ……なにせ華琳の桂花を見る顔が、この部屋の空気よりも冷たいものだから。

 冗談抜きで除名だなんて言いかねないほどに、つい最近までの平和の中に居た少女華琳のものではなくなっている。まさに覇王孟徳って表情だ。

 ……いや、大丈夫。ここで迂闊にも“少女って歳じゃないだろ”とか考えたりはぁああだだだだ腿がぁああーっ!! いやごめんなさい考えてないって考えを考えてしまってましたごめんなさい許して離して痛い痛い!!

 八つ当たりのような抓りから逃れつつ、桂花の傍へ。

 床に座り込み真っ青なまま震えている彼女へ、なにか声をかけてやらないと壊れてしまいそうで怖かった。

 だから嫌がれるだろうが、震えてぶつぶつと言う彼女の肩を掴んで、きっと最悪な方向にばかり傾いているであろう思考に喝を入れてやろうと

 

「……へ?」

 

 ……思ったら、逆に服を掴まれた。

 掴まれたというか、つままれたというか。

 おそるおそる顔を覗いてみれば、涙をいっぱいこぼしながら俺を憎々しげに睨み、なのに“もはやこうするしか……!”とばかりに瞳にだけは魂が篭っていたりして……え、えー……? あの、なんですかこの状況……!

 

「……桂花。発言を許可するわ。一刀の服を握った意味を、はっきりと、明確に述べなさい」

「おわぅあっ!? 華琳!?」

 

 俺の腿を抓ってから扉のほうに歩いていったから、てっきり出て行くのかと思ったのに、なんで隣に!?

 なんて俺の疑問なんて右から左。うんわかってたけどさ。

 ともかく涙でくしゃくしゃの桂花を見下ろし、言葉を待っている。

 なのにその目はさっきのように期待を持たない目のままだ。

 こんな状況じゃあ、桂花ももうこれが最後だ、なんて考えで頭がいっぱいだろう。華琳が望む答えをきっぱりと言えなければ、きっと……いや、うん。桂花さん? いくらなんでも除名はないと思うんだ。きっとこの状況も含めて全部華琳の掌の上だよ? ほら、今もきみが俯いた時なんか、ニタリとした笑みを───ヒィしてない! 冷たい表情のままだ!

 ほ、本気か!? 本気で桂花を除名とかそれほどの刑に処すつもりで!?

 

「一刀。私はあなたを飾り物の支柱にした覚えはない───そうよね?」

「え? あ、ああ」

「同盟の証としても、三国の父としてもきちんと立ち、国へ返す心を忘れぬあなたを私は評価しているつもりよ。けれど、じゃあなに? 子も残さない、王の情けには楯突く、他国の王を罠に嵌める。さらには最後の情けにもはっきりと言葉を返せない者を、まだあなたは許せというの?」

「…………」

 

 言われ、桂花を見つめる。

 何度も何度も深呼吸をして、止まらぬ涙を拭おうともせず、それでも俺の服は離さずに、ぎぢぢと歯を食いしばって───それを覚悟としたようだった。よほどに言いたくなかったことを言うため、彼女は嗚咽をビシッと止めると、華琳を見上げてはっきりと言ってみせた。

 

「───この筍文若。体から心まで、華琳さまのものと決めております。華琳さまが望むのならば───っ……~……っはぁ……っ……! この身から産まれるものさえも……! 姓は筍、名は彧、字は文若、真名を桂花……! 私は、三国が支柱、北郷一刀との間に子を成し、生涯を魏に、華琳様に尽くすとさらなる忠誠を……所存などとは謳わず、我が命に懸けて誓います!!」

 

 跪き、頭を下げ、華琳が言ったように“はっきりとした”答えを口にした。

 ぼかすようなことを言えば、きっと華琳の目つきは変わることはなかっただろう。けれど期待の上をいったのか、華琳の表情に温かみが戻る。

 俺はそんな状況にほっとしつつ、キイ、と開けた窓から足を出して逃走を……掴まった。涙目のままの桂花さんに、再び。

 

「あんたねぇ! 人が舌を噛み千切りたいほどの決断を口にしている横で、堂々と逃げ出そうとしてるんじゃないわよ!!」

「どれだけ綺麗に決心しようが結局は全部お前の自業自得なんじゃないかこの馬鹿ぁあーっ!! 嫌がる女に子供を産ませなきゃいけない俺の身にもなれぇえええっ!!」

「いぃいいい嫌がってなんかなななないわわわよ……!? これっ……これは華琳さまのっ……華琳様のためダッだだだもののも、ものののものもの……!!」

「今にも人を殺しそうなくらいの殺気出してどもりながら言われても説得力のかけらもないわぁあっ!!」

「くふふふふ……! 知っているかしら北郷……! かまきりの雌は雄との交尾中、雄を食べて殺すそうよ……? 種さえ出来れば雄なんていらないんだもの……殺してもいいって判断していいのよね……!?」

「華琳さん!? やっぱりちょっと驚かせすぎだったのでは!? ちょっと壊れてません!?」

「驚かす? なんのことよ。私は本気のことしか言っていないわよ。御託はいいからさっさと始めなさい」

「いやぁああーっ!? 女って怖ぇええーっ!!」

 

 口調が崩れるのもお構い無しに、現在の心境を隠すことなく叫んだ。そんな俺は、華琳に捕まってずるずると寝台へと引きずられていっている。ふふふ、もはや腕力で勝てぬと悟ったこの北郷、涙も出ぬわ。別の悲しみでは盛大に出るけど。

 

「……桂花。本当に、本気か? やめるなら今だぞ」

「ふん、華琳さまに引きずられながら言っているあんたの言なんかで、今さら口にしたことを変える気はないわよ」

 

 いや、今きみも引きずられてるからね? ごしごし涙を拭いながらも今思いっきり引きずられてるからね? つか片手ずつで人一人を引きずらないで!? 華琳さんあなたどこまで覇王なの!?

 

「それによくよく考えれば悪いことばかりじゃないじゃない。華琳さま公認の下、私の意志と知識を継いでくれる者を自分で産み出せるんだもの。言っておくけど子供が産まれてもあんたなんかに見せたり抱かせたりしないんだから! 誕生早々孕ませられたらたまらないわ!」

「孕むかぁああっ!!」

 

 おぉおおおこの猫耳フード軍師さまはほんっとに二言目には孕む孕むとォオオオ!!

 と、なにか言い返してくれようかと口を開きかけたところ、華琳が目で“黙ってなさい”と睨んできた。……もちろんそうされれば黙るしかなく……いや黙ったら抱くことになるんじゃん! とにかくなにかを……アア、ハイ、既に寝台の上でした。

 

「さて一刀? この期に及んでまだ渋るようなら、」

「待ったわかったもう絶はいいですはい!」

 

 まだ絶は出されていないものの、もう出るパターンとかわかってしまっている自分が悲しい。

 それに本人が決意して、子育てプランまで「くっふっふっふっふ……!」とか邪悪な笑みを浮かべながら考えてるほどなら……なぁ。

 ムードもへったくれもない状況だけど、受け入れた。

 

「で、うん。覚悟は決まったんだけど……さ」

「? なによ」

「……華琳はさ、部屋を出たりは……」

「しないわよ? するわけがないじゃない」

「やっぱりぃいーっ!!」

 

 なにを今さらとばかりに言われた。

 そうだよねー、罰としての行為で、きみが部屋から出て行ったことなんてなかったもんねー。

 俺、もう逃げていいよね? 次代の子を育むことは確かにやるべきことの範疇だろうが、見世物であることは断じて無い筈だ!

 

「ふうん? つまりなに? あなたは私にも混ざれと言いたいの?」

「なにも言ってませんよね!? 俺!!」

「わかるわよ。どうせ子供を作ることが務めのひとつにあろうが、見世物になるのは違うだのと思ったのでしょう?」

「───」

 

 なんかもう心の底から素直に、“自分はこの人には勝てない”って思った。

 や、惚れた弱みとかいろいろなもの度外視しても。

 勝てるとしたらせいぜいで………………い、いえいえ、別に寝台の上で泣かすこととか、そんなことはですね?

 

「華琳、さすがに混ざれとは言わないけど、他人の行為を傍で見るのは……」

「初めての時は随分と乗り気だったじゃない」

「あれは忘れてください」

 

 もう思い出したくもないです、はい。

 あの時の俺はどうかしていたんだ……きっとそうだ、そうに違いない。

 

「あの時の言葉は今でも覚えているわよこの変態色欲種馬男! なにが“そう簡単に妊娠するかっての”よ! あんなことを言っておいて、よくも嫌がる人を~だのと言えたものだわ!」

「ぎゃああああ!! やめろっ! やめてっ! やめてくださいお願いします!」

 

 かつての自分を振り返って、なんかもう地面に埋まって死にたくなった。

 今思い出しても外道である。

 華琳に言われたこととはいえ、いくらなんでもあれは……なぁ……?

 

「ああ、そういえばそうね。一刀? 嫌がっていた相手が自分から求めてくる気分はどう?」

「なんかべつに求めようが嫌がっていようが、嫌がってることには変わりはないみたいだから、うん。なんかいつもとなんにも変わらないですはい」

「まあ、そうよね」

 

 言って、華琳は笑った。質問しておいて、既に答えはわかりきっていたようだ。

 そんな笑みのまま、華琳が桂花を押し倒し、ゆっくりと体に触れてゆく……って結局参加するの!? いやいやちょっと待てなんだこの状況! やっ、子作りはわかるよ!? わかりたくないけどわかる!

 でもなんというかこれって、華琳が出て行ってくれれば済む話なのでは───などと呆然と思っていたところで、急に扉が“どばぁあんっ!!”と勢いよく開かれ……アレ? 琮さん!? なんでここに!?

 

「お手伝いさん見てください! 昼餉におにぎりを作ってみました! 褒めてくだキャーッ!?」

「キャーッ!?」

 

 なんかもう準備? うん、準備だね。を、し始めていた華琳と桂花の大人の愛劇場を発見、絶叫。

 決めポーズよろしく、高々と自慢げに翳されたおにぎりが、絶叫とともにグシャームと握り潰され、なんとも見るも無残な姿に……などと冷静に頭が動く中、口から飛び出したのは琮と同じ絶叫であった。

 いつか着替えを焔耶に覗かれた時のように、互いにキャーキャー叫び合って、終いには溜め息を吐いた華琳に脇腹をドボォと蹴られて落ち着いた。

 それからの話はといえば……まあその。詳しく話すといろいろと危険なこともあり、軽く思い返す程度にしようか。

 思い返すもなにも、脳内茹蛸状態でふらふらな琮を華琳が部屋から連れ出し、俺に「一刀。あとはあなたと桂花でやりなさい。私はこの騒がしい子に、のっくの仕方と空気の読み方を教えてくるわ」と言って姿を消した。

 残されたのは当然といえば当然で俺と桂花なわけで。

 お互い、顔を見合わせたのちに窓を閉めて扉を閉めて、鍵をチェックしたり天井に何者かが潜んでいないかまで入念に調べたのち……まあ、なんというか。一応、初めて? 同意? の下に、交わったわけだ。

 

 ええ、行為の最中にはそれはもう様々な罵倒文句や、いつもの受け取りづらいあだ名みたいなものを幾度も飛ばされたわけだが、それでも。

 俺はかつてを後悔しながらひどくやさしく行動。

 桂花が一応ではあるが受け入れるかたちで行動。

 結果として残ったものは、行為後……顔を真っ赤にして布団に顔を突っ込み、出てこなくなった軍師様の図だった。

 ひっぺがそうと布団を掴めば、ぞるぞると布団の四隅を巻き込み丸まってゆき、ついにはアダマンタイマイへと進化した。

 

「………」

「………」

 

 顔は出していない。

 少しの隙間を空けて、そこから片目で見上げるように覗いてきている。

 どうしろというのでしょう。

 ……あれか? 写真でも撮ればいいのか?

 あ、写真で思い出したが、携帯で写真を撮ることを写メと言う人が居るが、写メって写真をメールで送受信すること……だよな? “写メ撮っていい?”という言葉は何処から生まれたのだろうか……。

 と軽く現実逃避しつつ、携帯電話を手に持ったが……写真は撮らなかった。

 事後の女性を撮るって、いろいろアレだろう。

 たとえ相手の現在がアダマンタイマイであっても。

 

「………」

 

 苦笑をもらしつつ、ぽむぽむとアダマンタイマイの上で手を弾ませて、服を着ていく。

 肝心のアダマンタイマイ……桂花はどうしようかとも思ったものの、アダマンタイマイから見て彼女が着ていたものは離れた位置にあった。

 時折隙間からヌッと手が伸びて、それを取ろうとするが……全然届いていないわけで。で、俺が取ろうとするとギャーギャーと罵倒が飛んでくるわけで。いわく、「手渡しされた服なんてきたら妊娠するでしょう!?」だそうで。

 ……いや、こう言うのもなんだけど、妊娠するのが目的というか罰なんじゃ……?

 心の中でツッコミながら、漏れる笑みを隠しもしないで桂花の服を手に取った。やっぱりギャーギャーと文句を言われたけれど、なんかもう今さらだ。はい、と服をアダマンタイマイの前に置いてみれば、ヤゴの捕喰ばりの速度でシュパァンと引きずり込まれる服。

 それからもぞもぞとアダマンタイマイが揺れるわけだが……途中から、と言うよりもよっぽど早く、アダマンタイマイからはぁはぁぜぇぜぇと荒い呼吸が漏れていた。

 

(………)

 

 さて。

 涼しくなってきたとはいえ、まだぎりぎり夏の暑さの残る季節。

 そんな中、事後の熱がまだ体の芯に残った状態で、行為をしたために熱が篭っていた布団にくるまり、服を取ろうとジタバタもがいたりしたアダマンタイマイ先生が、今現在布団の中で服を着ようともがいている図が目の前にあるわけだが……

 

「はぁ……はぁはぁ、んっく……このっ……はぁはぁ……!」

 

 …………不気味である。

 なんだか呼吸が一層に荒くなってきて、揺れも大きくなってきて……落ちた。寝台から。

 

「桂花ぁあーっ!?」

 

 咄嗟に布団を支えたものの、こう……くるるっと包みから中身が転がるみたいな感じで……ごどしゃあと落下。

 春巻から具だけが放り出されたような状態で、どうやら熱と回転と衝撃で目を回しているらしい桂花さんは……何故か着衣で関節をキメるみたいな格好でがんじがらめになって、ぐったりしていた。

 

「どう着ようとすれば腕を通すところに足突っ込んで、もう片方に腕突っ込んで関節キメる結果になるんだよ……」

「う、うるさいっ! あんた、おぼえておきなさいよ!? 落とし穴のことがばれたからには、あんたの娘……劉禅が私を蹴ったことだって黙ったままにはしておかないんだから!」

「ああ、うん……それなんだけどさ。俺がどうこうする以前に、あれ以降にお前が掘った落とし穴に禅が落ちて、足を挫いたことがあってさ……」

「………」

「………」

「…………」

「……まあその……元気、だせ?」

「うるさい! いっそ殺しなさいよ! むしろあんただけ死ね!」

 

 一応、蹴られた相手に復讐できてよかったじゃないかと言ってみたが、無意味であった。

 親の言葉ではないにしろ、禅が桂花を蹴ったことは事実だもんなぁ……。



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143:IF2/罪と罰と喋る粘液③

-_-/かずピー

 

 ……と。そんなわけで回想も終わった現在。

 

「と、このように。人を呪わば穴二つって言葉を彼女に当てはめた場合、落とし穴から始まる連鎖というものがあってだな」

「子供たちになんてこと教えてんのよこの馬鹿白濁!」

「馬鹿白濁!?」

 

 思考回転授業……いわゆる頭の回転をよくするための、天の知識の授業をするため、街の私塾にて教鞭を振るったある日。

 誰かを呪おうとすれば、いつかは自分に返るから気をつけような~ってことを、いろいろぼかしつつ話した現在。

 

「いや、それはお前に言われたくないぞ!? 普段どういう授業をしているか聞いた時、どれだけ呆れたかわかるか!?」

「気安くお前だなんて呼ぶんじゃないわよ夫婦とか思われたらどうすんのよこの液体!」

「自意識過剰の小学生かお前はぁあああっ!! ───液体!?」

 

 ついに“男”すらつけられなくなった。

 ……あ、馬鹿白濁の時点でそうだった。

 

「ねぇねぇみつかいさまー、はくだく、ってなにー?」

「あ、おれしってるー! えーっとたしか、なにかえーと、けんり? をうばわれることだ!」

「それ“はくだつ”だよー」

「え? そうだっけ?」

 

 子供はまだまだ純粋でございます。

 むしろ子供とはいえ女の子に“白濁ってなにー?”とか訊かれて、桂花に贈るアイアンクローに力が篭りそうなくらいです。いや、ほんとにはやらないけどさ。

 

「桂花……この子供たちの純粋さを前にして、男の汚さとかよく教えていられるな……」

「子供のうちに女を敬う男として育てれば、将来使える男になるかもしれないんだから当たり前じゃない」

「人様の預かり子を好き勝手に育てるのはやめましょうね!?」

 

 大体使える男もなにも、女性が強いこの天下……大体の男は女性を敬っております。確かに誰かを大事に出来る大人になってほしいとは思うけど…………桂花なら極端になりすぎそうで怖い。

 そもそも今回のこの授業だって、華琳から命令されての授業なんだ。

 あんまりにもあんまりな授業をしているようならば、罰を増やすとか……いや、もう勘弁してあげてください。教えるものに偏りはありますが、教えることはきちんと教えているのです。

 その基準が“美しい孟徳様がどうのこうの”に関わる様々なことなのは、正直どうかとは思うが。

 

「いい? つまり慈悲深くも美しい孟徳さまが、突出した猪を抑えるためには───」

「はいっ、えーと、“はくだく”が、いのししをいっつもおさえておけばいいー!」

「そう、その通りよ」

「前言撤回なんてこと教えてんだこの脳内桃色軍師!」

「なっ!? 誰に向かって言ってるのよこの全身白濁男!」

 

 ……とはいうものの、これはこれで子供たちも楽しんでいる……んだろうか。

 今日だけで何回叫び合ったのか、子供たちは「またはじまったー」なんて言って笑っている。

 

「ねぇねぇぶんじゃくさまー。ぶんじゃくさまはみつかいさまのこと、すきなのー?」

「私が? この男を? …………はんっ」

「鼻で笑われた!?」

「そんな感情は微塵もないわよ。あの時だって、華琳さまの命令じゃなければ誰が受け入れたりなんか」

「………」

 

 そうは言うが、ひたすらにやさしく、ゆっくりじっくりと愛したあの日、彼女はめちゃくちゃ赤くなって顔を合わせるのも辛いってくらい恥ずかしがって、アダマンタイマイにクラスチェンジしたのだが。

 ……これ言ったらいろいろと叫び出しそうだし、言わないほうがいいよな。

 しかし、華琳の命令だからっていうのは……ちょっと悲しい。

 贅沢な話だし、実際心の底から嫌われているのか否かも……わ、わからない、かもしれないが、やっぱり悲しい。

 

「あのときってなにー? なにかしたのー?」

「ばっかだなー、きっとあれやったんだぜあれー!」

「あれ? あれってなにー?」

「うちのとーちゃんとかーちゃんもたまにやってんだぜー? せっぷんだとか、ちゅーだとか言ってた」

「せっ……!? こっ! こんなやつ相手にするわけないでしょなに言ってんのよ!」

「えー? してないのー?」

 

 しました。

 ひたすらにやさしく、ゆっくりじっくりと、何度も何度も。

 ……うん、なんだろう。

 本当に、冷静に考えるととことんクズですね俺。

 女性をとっかえひっかえ、愛すだのじっくりだの。

 嗚呼、子供の純粋な眼差しが眩しい。

 そして顔を真っ赤にして否定をし続ける桂花を余所に、俺はといえば……今日の夕餉、なにかなーなどと……軽く現実逃避をするのでした。昼もまだなのにね。

 ……いいよね、それくらい。

 じゃないとさ、ほら。ギンッと睨んできた猫耳フード軍師さんの気迫に堪えられそうにございません。

 男って弱いね、こういう時。まあ、睨まれたからって怒鳴り返す男になるよりは、こんな自分のほうがいいとは思っているわけで。

 

「じゃ、授業を続けるぞー」

「あー、みつかいさまごまかしたー!」

「ごまかしたー!」

「ごっ、誤魔化してなんかないぞー!? 授業中なんだから授業をしないとなっ!」

「じゃあみつかいさまー、みつかいさまはぶんじゃくさまのこと、すきー?」

「なっ!? ちょっと! 変なこと訊いてないで授業を───!」

「───ん、好きだぞ? ずっと守っていきたいって思ってる。(国に返すって意味も込めて)」

「なぁあっ!?」

 

 子供に問われたことを、真正面から受け止めて真正面から返した。

 さすがにもう何度も自問自答したことだ、躊躇なく言える。

 桂花には嫌われてるんだろうけど、俺は別に嫌っていない。というか散々抱いておいて嫌いとか言えない。もちろん抱いたがどうとか、そういうのを抜きにしたところで、結局のところ嫌えないのだ、俺は。

 そういう考えを煮詰めて、ずうっと考えてみれば……まあ、結局は好きなのだ。

 

「なに!? あんた変態!? 罵倒されても嫌われても好きだなんてよく言えるわね!」

「ん? んー……罵倒されようが嫌われようが、大切って思えるなら“好き”ってことじゃないか? むしろ罵倒も嫌いもしない桂花なんて桂花じゃないだろ。改めろって言われようが改めないからこそ、あんな罰が下ったんだし」

「な、か、くかっ……! かっ……!? ~っ……!」

 

 事実としてあんな罰が下ったってことがあるからか、顔を真っ赤にして言葉に詰まる桂花さん。何かを言おうとしているんだろうけど、怒りからなのか図星からなのか、原因はわからないものの、思考が纏まらないようだ。

 きっと人間がいっぺんにいろいろと喋られる存在なら、纏った罵倒がゴバァと飛び出すのだろう。こう、騒音レベルで。どちらにしろ聞き取れないだろうなぁ。

 

「みつかいさま~? みつかいさまはおこられるのがすきなの~?」

「怒られるのが好きな人っていうのはあまり居ないと思うぞ? きちんと相手のことを思って、成長を望めばこその説教ならともかく……ストレス発散のための説教ほど辛いものはないだろうなぁ」

「すとれすってなに?」

「…………よしっ。じゃあみんなー? 思考を回転させようなー? ストレスっていうのは───」

 

 チョークを摘んだ指ごと手をくるりと回して、黒板にストレス、とカタカナで書く。

 

「ストレスっていうのはよく精神的なものの例えとして使われるけど、語源は機械工学にあって、まあ簡単に言うと“ものの歪み”に関係するもので───」

「きかいこうがくってなにー?」

「よーしよし、わからないことを考えようとする姿勢は大事だぞー? でもわからないから答えを得るよりも、自分なりにまず考えてみような? それが思考の回転だ。考えることで脳は発達するから、考えるより先に答えを得るのはあまりよろしくない。で、機械工学っていうのは───」

 

 喩えを出す度にそれってなにこれってなにと言われ、一週回ってストレスに戻ると、子供達が「そっかー!」と笑顔で笑う。

 うん、なんかこういう瞬間って嬉しい。

 理解を得られることが嬉しいから、教師を目指す人は頑張るのかなぁ。

 

「………」

「ん? どうかしたか?」

 

 笑顔できゃいきゃい喜ぶ子供たちを見ていると、ふと感じる視線。

 隣を見れば、なにやらじぃいいっとこちらを見る……じゃないな、睨んでらっしゃる桂花さん。

 

「べつに。なんでもないわよ」

「そか。でも、やっぱり理解が早いなぁ。子供だからっていうのもあるんだろうけど、桂花の教え方もいいんだろうな。言い方が悪いだろうけど、知識に貪欲な子ほど教え甲斐があるよ」

「───。当然よ。私が教えてるんだから」

「これでなぁ……余計なことを言わないのと、問題の喩えが美しい華琳様じゃなければなぁ……」

「なに当然のことを否定しようとしてるのよ」

「既に当然の域なのか」

 

 子供たちが不憫だとは言わないけど、考えてもみてくれ。

 指折りで数を数える時、美しい孟徳さまが一人、美しい孟徳さまが二人って数を数えていた子供を街で見かけた時、俺でさえブボオッシュって吹き出して全力で止めに入ったんだぞ? それをお前、見てたのが華琳だったら罰がどうなるか……。

 

「………」

「? なによ」

 

 微塵も考えてないんだろうなぁ。だって当たり前のことだって受け入れちゃってるんだもの。

 

「ああいや、なんでも。それよりほら、子供たちが知識をご所望みたいだぞ? これからどんな授業を始めるんだ? せんせ」

「ふんっ……べつにあんたの先生になったつもりなんてないわよ。……それじゃあ前回、途中になっていたところから始めるわよ。美しい孟徳さまが───」

「桂花さん? 一度美しい孟徳さんから離れてみない?」

「…………華麗なる曹孟徳様が」

「変わってないからそれ!」

「うるさい! 邪魔するなら出ていきなさいよ粘液!」

「邪魔っていうより方向性の問題───粘液!?」

 

 けどまあ結局。どれだけ頭が良かろうが嫌ってようが、こんなやりとりをやっていても笑ってくれる人は居る。そんな瞬間のひとつひとつを嬉しいと感じられる今に、ただ感謝。

 子供たちの「また始まったー!」なんて笑い声も、今となっては心地良く……いつか、懐かしむ時も来るのだろう。

 

(……最近、時間のこととかを考えると、妙に寂しくなるなぁ)

 

 成長する子供たちを見て思うこと、同期だった兵が、どんどんと変わっていくのを見て思うこと、未来を思って溜め息を吐くことなんてたくさんある。

 一週間、一ヶ月、一年……時が過ぎるたびに、心の中に穴が空いてしまうのを感じながら、いつかは嫌われていた時間さえも……愛しくなるのだろうか。

 笑えた時間を思い出して、その時にこんなことがあったって懐かしめれば、その度に返したい思いは増えていくんだろうなぁ。いや、粘液って言われたことに対して喜びを抱くわけじゃなく。

 

(………)

 

 なんかこのまま、無駄に人生経験ばかり積んで、体は青年、心は老人な自分になるのではと、確かにそうなるんだろうけどちょっぴり悲しい未来を描いた。

 いや、いいと思うよ? どっしりと構えている、余裕のある青年。

 でもなぁ、どうしてかなぁ、そこに女性が絡むだけで、余裕もなにもなくキャーキャー騒ぐ自分の姿が簡単に想像できるのは。

 ……何度目か忘れたけど、こんな心の苦労を分かち合える男の友人が欲しいです。

 祭さんと紫苑と桔梗に一度相談したことのあることだが、笑われたあとに不可能だと言われた。何故? と問うたら、“お館様のように三国の支柱となり、三国の女性のみならず男性にも好かれた存在が他に居るとお思いか?”と返された。

 うん、その時にわかったのです。

 分かち合うのは永遠に無理だと。

 だったらもう開き直って、こんな気持ちをわかってくれる息子が出来れば……! なんて思わないでもない今日この頃。どうしてかなぁ、自分の未来を簡単に想像出来るのと同じで、息子じゃなくて娘しか産まれないんじゃないかって思ってしまうのは。

 それに大体にして、息子にわかってもらうにしても、気持ちを分かち合うってことは……ほら。将来的には周囲の女性をとっかえひっかえ……いや無理! 息子にだけは! 子供にだけはそんな道を歩いてほしくない! 主に胃痛とか、女性に振り回される苦労とか空を飛ばされる悲しさとかそういった意味で!



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143:IF2/罪と罰と喋る粘液④

 いろいろと悩みながらも授業をする俺を見ている子供たちを見る。

 今は男も女もないって感じで付き合っている彼ら彼女らだが、大人になればいろいろと変わってくるのだろう。

 少年達……強く生きなさい。この蒼天の下の女性は強いぞ。

 などと応援せずにはいられない。

 ……もし自分の周りに、たとえばここだろうが天だろうが、どこでもいい。親しい存在に子供が出来たら……それが男の子だったら。女性に囲まれても強く在れるよう、生き方を教えてあげたい。

 

(……あれ? それって、俺が教えて参考になるのかな)

 

 ふと思ったことを煮詰めた状態で未来を予想。

 ……戦闘能力は高いのに、キャーキャー叫んで女性に振り回される男の子の姿が頭の中に浮かんだ。

 ああうん。だめだこれ。

 

「なぁ桂花」

「なによ粘液」

「粘液で固定されてる!? あ、ああいや、まあ今はいいや。えっとさ」

「とうとう認めたわねこの粘液! 汚らわしいから寄るんじゃないわよ! ああ怖い、きっとねっちょりとひっついて、触れた女全てを妊娠させるに違いないわ……!」

「だーっ!! ひとまず話をしようってスルーした人の気持ちをちょっとは考えろこの罵倒観音(ばとうかんのん)!! 男に罵倒を飛ばすことに使命感でも持ってるのかお前は!!」

「ひっ……喋ったわ!」

「喋るわぁっ!!」

 

 そしてまた始まる言い合い。

 子供たちが笑う中、ギャースカと互いの残念な部分を指摘し合う。

 互いの残念なところに詳しすぎることもあって、よくもまあこれだけあるもんだと自分の残念な部分も受け取りつつ、やがて言い合いも一周して───声をかけたきっかけを思い出して口にしたのだが。

 

「だぁから! 俺はただ、産まれてくる子供が男だったらどうするつもりなのかを訊こうとしただけで!」

「……? なに言ってるの? あんたの女にだらしのないいやらしい子種から、男が産まれるわけないじゃない」

「───、……えぁっ!? いやいやいやそんなわけないだろ! そこまでいくと人としてどうなんだ!?」

 

 とんでもない返事でしばし呆然。

 ていうか危ない! 今本気で“あーそうかも”って思った!

 いやあの……うん、俺の所為じゃないよな? 男の子が産まれないの、俺の所為じゃないよな?

 

「……あんた、今自分で認めそうになったわね? 自覚があるなんてそれだけで汚らわしいわ」

「やめて!? ちょっとシャレになってないからやめてください!?」

 

 だだだ大丈夫、俺べつにそういった遺伝子しか持ってないとかそういうのじゃない…………よね? 違うよね!? どうしてかはっきりと否定出来ないのが悲しいけど、違う……といいなぁ。

 頭を抱えて自分の遺伝子について苦悩。

 そんな俺へと、子供たちのきらきらした好奇心いっぱいの瞳が突き刺さるわけで。

 

「みつかいさまー、こだね、ってなにー?」

 

 投げかけられた質問は、もう笑顔で涙したいほどにキツイものでした。

 

「……なぁ桂花。指に氣をたっぷり込めてデコピンしていいかな。もうこれ、コウノトリじゃ納得出来ないところまで説明しないと引き下がらないレベルだろ。むしろなんでそっち方面にばっか興味が向いてんですかこの子たち。日々の勉学の成果? そっかそっかー」

「な、なによ! まだなにも言ってないわよ私!」

「今までのこと考えれば簡単に想像つくわ! むしろこれどう説明するつもりだよ! こ、子種!? 子種のソフトな説明の仕方って……!」

「大人になる過程で勝手に知るわよ。別に今知る必要はないとか言っておけばいいじゃない」

「頭を鍛えることを目標としてるこの授業で、今知る必要はないって言葉がどれだけ適切じゃないか、少しは考えて発言してください」

「だったら私に訊いてないで自分で考えなさいよ!」

「子供の前で子種言ったのきみなんですが!?」

「ねぇねぇみつかいさまー? おとこのこがうまれるって、こだねがあるとこどもがうまれるのー?」

『───』

 

 停止。

 どう答えたものかと、桂花と俺とで石のように固まった。

 

「ア、アー……えっと。べつのこと勉強しよう! な!?」

「えー? やだー。わからなくてもがんばってかんがえようっていったの、みつかいさまだもん」

「ギャアア俺の馬鹿ぁああーっ!!」

 

 ハイ、たとえばここで子供の問いに真っ直ぐに答えるとします。

 すると子供たちは親たちに、自分の知識を自慢するように全てを口にします。

 それを聞いた大人たちの反応やいかに?

 

「桂花……この私塾、今までよく無事だったな……」

「? どういう意味よ」

 

 そのまんまの意味ですが。

 なんかもうとんでもないことを教えてる場所として、潰れていても不思議じゃない気がするのです。や、そりゃね、他にも教えることもあるし、教師もその度変わるんだから、潰れるとすればよっぽどのことだろうけどさ。

 

「みつかいさまー、こだねー」

「こだねおしえてー?」

「子種の意味を知らない子達が、子種子種と…………なんか俺、今自分が汚れているような気がしてならない」

「は? なに? 今頃気づいたの? 自覚のない馬鹿なんて最悪じゃないの」

「元の原因であるお前にだけは言われたくないわ脳内桜花爛漫軍師!」

「私だってあんたにだけは言われたくないわよ全身子種男!」

 

 結局。

 子種のことは……ヘンにぼかすと親に“こだねってなにー?”とか訊きそうだったので、壮大なストーリーとともに別の喩えで誤魔化しました。

 おしべとめしべ的なもので。

 うん、植物の話なら安心だ! 最初からこうすればよか───

 

「みつかいのにーちゃーん。なんで“しょくぶつ”のはなしなのに、さっきはおとこがうまれるーとかいってたんだー?」

 

 ───ちっとも安心出来ないよ!

 なんかもうやだ! 逃げていいかな! 俺もう旅に出ていいかなぁ!

 

「け、桂花サン。僕用事思い出したカラこれでサヨナ離してぇええっ!!」

「ふざけるんじゃないわよ! こんな状況残して自分だけ逃げようったってそうはいかないわよ!?」

「ほぼ自業自得だろ!? 元からそっち方面のことばっか教えてなければこんなことにはならなかったろ!?」

「あんたが産まれるだのなんだの言うからでしょ!?」

「み、みつかいさまもぶんじゃくさまも、けんか、めーなのー!」

「ほっとけって。うちのとうちゃんもかあちゃんもこんなふうにいいあってるけど、さいごはちゅーしてなかなおりするんだぜー?」

「えー!? ちゅーするのー!?」

「なっ……!? し、しなっ───ふぐっ!?」

「こほんっ! ……ええっと、桂花? こういう時に勢い任せで子供に怒鳴るのはよろしくないぞー」

 

 話の流れからして、そうなりそうだったから咄嗟に桂花の口を塞ぐ。……手でだ。ああもちろん手だとも。

 

「はぁ……こういうのも予想して動けるあたり、それだけ苦労してるってこ痛ァァアアアーッ!?」

 

 噛まれた。

 しかも噛んでおきながら、ぺっぺって唾吐くみたいなことしてる!

 室内だからさすがに本気で唾吐いたりはしてないけど!

 

「急に触るんじゃないわよ! 妊娠したらどうしてくれるのよ!」

「だから手で触れただけで妊娠なんかするかぁっ!! お前の中じゃ俺は何処まで全身白濁液男なんだよ!」

「………」

「じと目で沈黙とかやめよう!? “本気でわからないの?”みたいな態度やめてくれほんと!」

 

 むしろわかってたまるか! 触れただけで妊娠なんて無理だからね!?

 というかだ。

 そもそも華琳からの罰で妊娠しなさいとか言われているんだから……って、そういう問題でもないよな、こういうのって。

 だから、俺からすれば“ごめん”を何度だって言いたい気分だ。

 

(あー……)

 

 確かに罰ではあった。注意を聞かずに落とし穴を作り続けた桂花が悪い。

 でもなぁ、嫌いな人の子供を身籠るって、女性としてはとてもとても辛いことだろう。

 いつもの調子でこんなやり取りをしてはいるものの、時々沈黙しながら俺を見る桂花のことだ、俺がそういった……その、申し訳なさを抱いていることなんて、とっくに気づいているだろう。

 その上で散々と馬鹿白濁だの粘液だのを言えるあたり、もうなんというかさすが桂花としか言いようが無い。まあ、相手のことが嫌いなら言えて当然か。

 

「はぁ」

 

 溜め息ひとつ。

 なんだかんだと授業を進めて、「今日はここまで」を伝えたあとは、どっと疲れが出てくる。ええ、もちろん精神的なものでございます。

 しかも終わるや子供たちに囲まれて、「にーちゃんあそぼー!」とか誘われる始末で。いや、始末って言い方だと悪いことみたいだな。誘われるのは嬉しいが、出来ればそういうことは丕とかにこそしてほしい。この子たちとは年齢離れてるけど、たぶん喜んでくれると思うのだ。……子桓さまって呼ばなきゃ、だけど。

 

「ごめんな、これから城に戻って別の仕事が……あるけど、昼餉を急いで食えばなんとか遊べる! ようし子供たち! 急いで遊ぶぞ!」

「さっすがにーちゃん! はなしわっかるーぅ!」

「ほかのしょーさまって、いそがしーから、ばっかだもんなー!」

「や、忙しいのは事実なんだから、そういうこと言っちゃだめだぞ? って、言ってる暇があったら遊ぶぞ! それで、なにで遊びたい?」

『にーちゃーん!』

「いつから遊び道具になったんだ俺は」

 

 男女問わずの、子供たちからの笑顔の返答に真剣な顔でツッコんだ。

 授業中は出来る限り御遣い様で通すようにって言ってはあるけど……や、先生って呼んでくれっていっても聞いてくれないんだ。だから御遣いさま。なんでか様付けには軽く同意してくれたんだ。子供って結構、“様”とかつく呼び方って好きだよね。

 でも授業が終わればにーちゃん。

 丕も、こんなノリで子桓さま呼ばわりされても体当たりしていけば……もっといろいろ違ったのかもしれないなぁ。そういうことを教えてやれなかったかつての自分が情けない。

 

「ねーねーにーちゃんにーちゃん、おはなししてー?」

「え? 遊びはいいのか?」

「あそびながらー!」

「難度高いなおい! あ、あー……よし、わかった。無理だと思うよりやってみよう精神だ。で、どんなお話がいいのかなー……?」

「まえにぶんじゃくさまがいってた、おしろにいるおばけのおはなしー!」

「お化け? へぇ、桂花が怪談話なんて珍しいな」

 

 ちらりと桂花を見る……と、なにやら教材を慌しく整頓、それを手に私塾を出て行くところで───

 

「わたししってるよー? おしろには、さわると、えーと、にんしんする、まっしろなおばけがいるって」

「けぇえええええいふぁぁああああっ!!」

 

 ───その後を追いながら絶叫。

 俺の服を引っ張っていた子供たちを腕に抱え、罵倒をこぼしながら逃げる軍師さまを追った。

 

「わー! はやいはやいー!」

「すっげー! にーちゃん、あしはえー!」

「すごいすごい! ひといっぱいなのに、ぜんぜんぶつからないー!」

 

 ……本日も良い天気。

 涼しくなってきた空の下、日差しに負けない温かさを持つ賑わいの中、軍師と御遣いが賑わいに相応しくないことを言い合いながら駆けていたという事実が覇王さまのもとへと届き、二人して罰を受けることになるのは……もう少しあとのことでした。

 

 




 次回から最終章になります。
 ラストのために必要なお方が追加されますが、かつてもそうでしたが意見は分かれるのでしょうなぁ。
 二次創作等で転移するのは一人だけでいい、と今でも思っている凍傷ですが、やっぱりこれだけはどうにもなりませんゆえ、どうぞしょうぉおおお~~がねぇなぁあ~~~っ! とホルマジオのごとく我慢してやってください。
 なお、追加キャラは数話だけの活躍です。
 やっぱりね、たとえ原作に居たとしても、あっちに居るのとこっちに居るのとじゃあ心の反応って変わりますよね。


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外史終端偏
144:IF3/蒼天より来たる者①


*注意
 今回から少しの間、男キャラが一人追加されます。
 いえ、問題なく原作キャラなのでオリ主が引っ掻き回す、というものではないのですが。
 ラストに必要なことですので、どうか少しの間、見守ってあげてください。
 どうあっても“日本にならいいけど、三国世界にはかずピーだけじゃなきゃ嫌!”という人は注意を。
 え? 最近よくあるNTR? はははまっさかぁ! 僕NTR大嫌いですもの!
 吐き気するほどダメです、ほんとダメです。なのでそれは絶対にありません。


196/落下時のダメージはどうなっているんだろうとか真面目に考えたらいけない

 

 螺旋とは穿つイメージを備えた、人の中での“破壊に適したイメージ”だ。

 拳もただ突き出すより、捻るようにして打ったほうがいいという。

 先人に敬意を払いつつ放つ加速にも、螺旋の応用が当然ある。

 爪先から膝、膝から腰、腰から脊髄……一連の行動の際に動く関節も、ともに駆け昇る氣も、螺旋を描きながら手へと走る。

 軽身功の応用として、自分の体重を爪先から昇る氣に乗せて対象にぶつけることも、破壊力向上には大事な要素だ。

 

「こういう考えがあったから、今の自分はその過程を素っ飛ばして次の段階に移れる。そういった先人への敬意を忘れれば、人なんてまだまだ原始人だ、なんて言う人も居るくらいだ」

 

 故に。

 先人に(なら)い、先人に学び、先人に敬意を払うこと。成長というものに重要なそれを、人は忘れるべきではない。

 そして柔軟に物事を受け入れる過程で重要なのは童心だ。

 これはこういうものだと固定した考えで物事を受け止める……それももちろん大事ではあるけれど、それとともに“次”を想像して創り出す柔軟さも必要なのだ。

 絵を描こうとすれば、まず誰かの絵の真似から入り、次第に自分の描き方を見つけるように、第一歩を自分の力のみで踏み出すことは容易ではない。

 当然としてそこにあるものを自分が受け止めて当然、即座に次の一歩を自分が歩み、自慢するのが当然……というのではなく。……既にそこにあるからこそ、自分がもう一歩を進める事実を受け止め、そうさせてくれた先人に感謝する。

 

「一撃に感謝。行動の一つ一つに感謝する」

 

 丈夫な体に産んでくれた両親に、鍛えてくれた祖父に、いろいろあってもあまりツッコまなかった妹にも一応。

 感謝と敬意を抱き、心を静かにした状態で脱力する。

 

「───」

 

 見えるものは中庭の、いつもと変わらぬ景色。

 そんな景色にも感謝できるものはたくさんあり、たとえば見張りをしている兵にだって、庭の手入れをしてくれている人にだっていくらでも出来るだろう。

 こうしてのんびり鍛錬が出来るのは、見張りという仕事をしてくれている人が居てこそだと。

 

「ひゅう……すぅ……───」

 

 脱力、脱力。

 体の力を極力抜いて、氣だけで体を支える。

 そうしてあまりの脱力に、眠りに落ちた時のように“かくんっ”と体から“無意識上の力み”さえもが消えた瞬間。

 

「」

 

 掛け声も何もない、脱力からの螺旋が居合いを放った。

 足から手までを駆け昇る氣の速さは過去最速。

 腕を振り切った勢いに脱力した体が持っていかれたが、すぐに体に力を込めて支える。

 

「イッツァアーッ!!」

 

 そして大激痛に襲われた。

 自分でも驚くほどの速度が出たまではいいけど、お陰で関節に激痛が走った。主に肩と肘と手首。

 

「お、黄金長方形の回転とはいったい……うごごご」

 

 はい、散々ともったいぶったことをやってはいたものの、結局は童心を糧にしたかめはめ波的なアレである。

 氣の回転速度向上は上手くいっている。驚くほど加速居合いが速くなったよ。……お陰で関節も痛いけど。

 

「自然の中から黄金長方形を探すっていってもな……うーん」

 

 まあ、あれだ。愚痴をこぼしていても始まらない。

 今日はこのあと予定がぎっしりなのだ。主に皆様に誘われて。

 ……ああうん、皆様といっても、みんなとどっかに行くわけではなく……一人一人からご丁寧に時間ずらして誘われております。

 先約があるからごめんって言っても右から左。

 散々と振り回されて、気づけば夜で……休日ってなんだっけ、と思うわけだ。

 もちろんみんなと一緒なのが嫌なわけじゃない。

 ただ……ただね? たまにさ、独りで休みたいとか、男の誰かと休みたいとか思うんだ。

 男じゃなきゃ出来ない、こう……くだらなくも苦笑せずにはいられない話をたっくさんしてさぁ。

 

「黄金長方形……建造物、人が手を加えたものは駄目なんだよな……木だって手入れをしたものだってあるだろうし……。人に飼われて、成長過程の一部を人に操られた馬でも大丈夫なんだっけ? うんん? わからなくなってきた」

 

 いろいろ考えながらも回転考察を続ける。

 氣の量も随分と多くなってきたし、だったらそろそろ氣自体に“小細工”を混ぜてみましょうってことで、思考を開始したんだけど……これがまた上手くいかない。

 回転、螺旋のエネルギーを振るうにしても、その速度、破壊力に体がついてこれないのが現状。普通はそうだよなぁ。今までの鍛錬に倣い、もちろん関節ごとに氣のクッションはつけている。それでも痛いのだ。

 人は自然には勝てないとはよく言ったものだなぁ。

 

「あー……だから投擲とか発射するものだったわけか」

 

 黄金の回転エネルギーを利用して繰り出されるものは、大体が投擲、発射物だった。

 無限回転エネルギーというくらいだから、振り切れば終わるような行動には向いていないのだろう。北郷納得。

 ふむ。だったらこう……弓はどうかな。

 

「……弓って螺旋を描いて飛ぶのか?」

 

 無理だ。某サッカーゲームの翼くんのサイクロンならまだしも。

 今思えばあれって、黄金回転だったから人を吹き飛ばすほどの威力が……ああいやいや、あれはデフォルトだった。誰が蹴っても必殺シュートだったら吹き飛ぶんだ、あの世界は。

 

「そもそも自然の法則で、投擲物って基本……真っ直ぐにしか飛ばない……よな」

 

 ブーメランなど、形状を目的のために変形されたものならまだしも、たとえばボールを投げれば……いや、カーブとかの投法があるなら可能……いやいや空中を大きく螺旋を描いて飛ぶボールってどうなんだ? それこそ翼くんのサイクロンじゃないといろいろと無茶な気が……!

 

「………」

 

 サイクロンって前例があるから別にいいか。よし柔軟にいこう。

 たとえそれが創作物の世界のものであっても、そこから得られるヒントは計り知れない。

 

「ええっと……まずは氣の球を作って……それを後方回転」

 

 胸の前に構えた両手の間に氣の球を作って、高速回転させる。

 それが完成したら、左手の上に回転させたままの状態でキープして……

 

「む、難しいなこれ……! ええっと、次に……」

 

 次に、右足から右手までの加速を込めた螺旋の氣を、高速回転している氣の球にぶつける。もちろん、さらに回転するように。

 

「………」

 

 回転エネルギーを込めた右拳に殴られた氣の球は、ドチューン、と左手の上から吹き飛んでいった。風に影響されてか不規則な方向転換を続けて。で、途中で霧散。

 

「……翼くんすごいなおい」

 

 ボールにバックスピン、頭上に上げたボールが落下してきた時にドライブシュートを打つ。そんな高速回転を込めたのがサイクロンだそうです。その理論を氣の球を使ってやってみたんだけど、何処に飛ぶかわかったもんじゃなかった。

 

「よし操氣弾だ」

 

 だったらヤムチャさんだ。

 そうだよなぁ、球を操れるっていうなら、ヤムチャさんほど完全なる黄金の回転エネルギーに適した技の使い手は居ない。

 

「つおっ!」

 

 恒例の掛け声を放ちつつ、掌に氣弾を作成。

 ……結構あの掛け声好きだったのに、あとになればなるほど無くなった気がするよなぁ。

 

「まずは操氣弾を高速回転させます」

 

 可能な限り高速回転。

 風を巻き込んでゴヒャーとか扇風機(強)みたいな音を立ててるけど、気にしちゃいけません。

 

「次に爪先から成る加速のイメージも、螺旋を加えて高速化。右手に構えた氣弾にそれをぶつけて、掌から発射させるイメージで……!」

 

 右手は撃鉄、氣は火薬。

 自分が想像出来るもので一番発射速度と回転のイメージが強いものを思い浮かべて、それをなぞるようにして動作を完了させる。

 もちろんその際に、それらを簡単にイメージ出来る事実に、先人達へ払う敬意も忘れない。

 

「黄金の回転! 鉄球のぉおぁぉぅぉおおぁぅう!?」

 

 けれど思い出してみてほしい。

 俺が使う操氣弾は、氣弾に氣を繋げて操るものでした。

 それを高速回転を加え、それこそ弾丸のように発射すればどうなるでしょう?

 結論。繋げた部分から一気に氣を持っていかれます。

 お陰でヘンテコな力の抜ける声が出た……がどうした!

 

「今なら操れる!」

 

 氣を引きずり出されてもなお、瞬時に錬氣して氣弾を操る!

 敬意を払えッ! 見えずともいい! 建造物であろうとなかろうと、この場にある全てに感謝し、これを完成させ───“ドゴォーン!!”と炸裂音が鳴った。

 

「ゲェエエエエーッ!!」

 

 回転させることばかりに熱中するあまり、氣弾が何処に向かっていたかとか全然考えてなかった。むしろ見えてなかった。

 通路側の欄干を見事に破壊した氣弾は、それでもなお回転を続けて直線状にあったものを次々と破壊してキャーッ!?

 

「いやいや止まって!? むしろ消えて!? 今まで何かにぶつかったらすぐに消えてたくせに、なんだって今日に限ってそんなにしぶといんだぁあーっ!!」

 

 結論。まだ氣を繋げたままだから。

 大慌てで氣を追って駆ける俺は、慌てていたからこそそんなことさえも忘れていて……ハッとそれが操氣弾であることを思い出して、操ろうとした瞬間に氣を枯渇させて昏倒した。

 ……俺、こんなのばっかですね……。

 ええ、もちろん破壊したものについては、たっぷりと覇王さまからの説教と罰をいただきました。

 

……。

 

 中庭にある東屋には、いつも誰かが座っているイメージがある。

 現在はといえば覇王さまがずずんと座ってらっしゃって、俺の技開発状況を見て呆れていた。

 

「つまりなに? せっかくの休日に誰とともにあるでもなく、休むでもなく? 先人に感謝をしながら自分が使える技術を開発していたと?」

「だってたまには無邪気な男っぽいことをしたいじゃないか!」

 

 言いつつ、片手を目の前辺りまで持ち上げて、瞬間錬氣。

 一瞬で満たされた氣を行使して、「観音寺弾(キャノンボール)!!」操氣弾の超簡易版、観音寺弾を作る。

 親指の先程度の大きさしかないそれはしかし、綺麗に圧縮された氣の塊だ。

 それを飛ばして、操ってみると、結構器用に操作出来た。

 

「へえ……氣というのはそんなことまで出来るのね」

「……!」

「そこでかつてないほどの無邪気な笑みを向けられても困るのだけれど」

 

 だってやってみたことを褒められたみたいで嬉しいじゃん! と言いそうになるのを堪える。

 童心全開だったら確実に言っていたそれを、今度は調子に乗ってさらなる行動を取ることで失敗する子供のように、「キルキルアウナンアウマクキルナンンン……! これぞ正義の必殺! 二連観音寺弾(ゴールデンキャノンボール)!!」……詠唱とともに掲げた両手の先に二つの観音寺弾を生成!!

 内股になりつつ、それを眼前へと放つことで、その器用さを見てもらった。

 で、どうだーとばかりにバッと振り向いて華琳を見てみるのだが。

 

「…………!」

「………」

「………」

「……」

「……?」

「首を傾げられても、言うことなんて得に無いわよ」

 

 所詮そんなもんだった。

 

(……まあ)

 

 女性と付き合うと、やることの基準が女性側に傾くものです。

 確かに行動が男らしい方々も大勢いらっしゃる。

 だが、やはり女性なのです。

 男子高校生が友達とするようなくだらない行動……そんなことを気兼ねなく出来る相手というのは、これで難しい。

 なので漫画知識に感謝して技を開発~なんてことをやっていたのだ。

 木の棒を拾って勇者ごっことか、たまに子供に戻って燥ぐくらいがいいんだ。それを通行人に見られて恥ずかしい思いをする……そんな甘酸っぱさがほしかったのだ。

 ……そこで敢えて続行するという雄々しさもたまには必要だけどね。

 

「気安さかぁ……及川が居たらどうなったかなぁ」

 

 もっと気楽に生きていられただろうか。

 人生の厳しさとか人付き合いの難しさとか、三国無双と対峙する恐怖とか空を飛ばされる悲しさとか、そんな思いを共有出来たのだろうか。

 

「また“おいかわ”? あなたって本当にその男が好きなのね」

「好きとかじゃなくてさ。一緒に居ると楽っていうか……重くないんだよな。ずかずかと踏み込んでくる割に、一緒に居る時に窮屈さを感じないっていうのかな。こいつと居る時はこうしなきゃいけない、みたいなのがないんだ。そして何より遠慮無用で居られる男って感じ」

 

 この世界の女性に俺がどんな遠慮をしなかろうが、軽く捻られるのは事実だ。

 けど、それでもやっぱり相手は女なのだ。全てを遠慮無用でっていうのは無理だ。

 ならばこそ考える。もしこの場に彼が居たのなら、どれほど自分は日々の楽しさや辛さを語り合い、笑っていられたのだろうかと……!

 

「ふぅん……? たしか、けーたいとかいうのにその男の写真があったわね?」

「へ? ああうん、そこで太陽光充電してるから、見たかったらどうぞだ。操作の仕方はもう覚えたよな?」

「ええ、問題ないわ」

 

 東屋を囲う欄干の上、ちょこんと置かれ、陽に当たっている携帯電話を手に取り、パキャリと開く華琳さん。

 ……うーん、過去の英傑が現代機器を持つ姿……ぱっと見た限りでは普通な姿な筈なのに、物凄い違和感だ。

 

「……この男ね。見た雰囲気からして軽そうに見えるわ。あなたが言った“重くない”という言葉がそういう意味ではないにしても、確かに軽そうと感じるわね」

「まあ、そうだよな」

 

 及川祐(おいかわたすく)は軽そうだ。重くないって意味でも、雰囲気でも。

 でも、付き合ってみればわかるが、人のいろんなところを見ている抜け目の無い男だ。

 そんな彼に合う言葉があるとすれば……ああ、多分これだな。

 

  “生き方が上手い”。

 

 ただ、どうしても不器用な部分は……そりゃあね、人間だもの、存在する。

 ああいうタイプの人間は……そうだな、大抵のことは引いてくれるけど、曲げたくないことには全力でぶつかる。そんなものがあったら、友人を殴ってでも貫こうとする、そんな覚悟が…………あるんだろうか。うん、そこまではわからない。

 あれは……真桜か星を男にした感じ? むしろ真桜と星を足して二で割ったのを男にした感じ? …………雪蓮でも通用しそうな気がする。

 妙に打たれ強くて、早坂兄に殴られても次の瞬間には飄々としていたほど。

 あのしぶとさは見習いたいものがあった。

 

「……この男が、一刀。あなたより人として勝っているというの?」

「見習いたいところとかは結構あったぞ? 人付き合いも上手いし、場を盛り上げるのも上手い。ちょっと踏み込みすぎっていうか、無鉄砲なところもあったけど……結果として場の雰囲気が明るくなるってところに落ち着く、不思議なやつだった」

 

 本当に不思議なやつだ。

 元の世界……天での彼が時間が止まったままなら、きっと俺のバッグにいろいろと詰め込んだように、自分の荷物にもビールとか突っ込んでいたんだろうなぁ。

 あんなもん、もし大人や教師に見つかったらと思うと……や、俺もこの世界じゃ散々飲んでるけどさ。

 

「……ふぅん。こんな、軽そうな男がね」

「軽そうな雰囲気っていっても、真桜だって雪蓮だって全然優秀だろ? って、優秀だ~なんて言い方だと自分が偉そうな人間みたいで嫌だけどさ。しぶとさでは右に出るやつなんて居ないんじゃないかな(男でという意味で)」

「そう」

 

 ちらりと見た華琳の顔。

 その口角が、つい、と少し持ち上がった。

 ……いや、会いたいっていったって無理だからな?

 さすがに天に居る人を呼び出すなんて………………アレ? そういえば俺、召喚されたよね?

 いやいや待て待て? そもそも“その世界の軸”になった人の願いは、何回くらい叶えられるんだ? 俺は華琳に御遣いとして呼び込まれた……んだよな? また会いましょうって。で、会って……えーと。

 わあ、なんだか物凄く嫌な予感。

 真剣に願えば何度だって叶うんじゃないだろうな、これ。

 

  なぁんて思っていた次の瞬間。

 

 どっかーん、なんて音と、瞬間的な地震が起きて。

 次いで、「流星が落ちたぞー!」なんて見張りの兵が叫んで。

 

「………」

「………」

 

 俺と華琳は目を合わせて………………駆け出した。

 



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144:IF3/蒼天より来たる者②

 流星(?)の落下地点には人が一人倒れていた。

 数え役萬☆姉妹の事務所近くに落下したソレは、何故か小さなクレーターの中心でヤムチャなポーズで気絶。

 そしてその服装は……遊ぶ気満々の、外行きの服。しかも、天でしか見られないような、フランチェスカの制服ほど綺麗とは言わないまでも、良い材質で作られたものだった。

 

「あ、ちょっと一刀ー! なんか急に人が落ちてきたけど、なんなのよこれー!」

 

 そんなヤムチャさんな人の傍で、腰に手を当ててぷんすかしているのは、事務所でのんびりとしていたのだろう地和さん。

 いや、地和? この世界ではなんでもかんでもいろいろ起こるからって、人が空から降って来たのにその反応ってどうなの?

 

「…………」

「………」

 

 そんなぷんすかさんの意見など右から左。

 倒れている男の顔を見た華琳は面白そうに口角を持ち上げ、俺は……“かつての知り合い”がそこに居たことに喜びと戸惑いとを合わせた感情を抱いていた。

 

「………」

 

 噂をすれば陰が差す。

 そこで倒れていたのは紛れもない、及川祐その人だった。

 しかし喜びも困惑も束の間だ。常識的な思考が働けば、空から降って来た人間が無事という考えは働かない。なんかもう散々と空を飛ばされた俺が言うのもなんだけど、それでも相手が及川だってことが、ほんのちょっぴりだけ常識を思い出させてくれた。

 

「衛生兵! すぐにこの者を医療室へと」

「あ~、死ぬか思たわ」

「はこぉっ!?」

 

 それは華琳も同じだったようで、すぐに衛生兵への指示を……出そうとした途端、倒れていた及川がむくりと起き上がった。

 ……どれだけ打たれ強いんだ、お前は。

 覇王も驚くそのしぶとさ、まさに国宝級である。

 

「ん? お、かずピー……ってなんやジブンその格好。汗流しにいって、なんでまた胴着やねん」

「あー……うん、とりあえずちょっと待ってくれ」

 

 OK、その言葉だけで十分だ。やっぱり向こうじゃ時間は経ってない。

 それはまあわかってたというか、覚悟はしていたけど……そっかそっかー。

 じゃなくて。いやそれも重要だけど。

 

「えーと、及川、だよな?」

「? どないしたんかずピー、もちろん俺や俺、及川祐。ゆう、やのーて“たすく”な、タスク。かずピーやあきちゃんの悩める親友。覚え辛かったらこう……牙、って書いて(タスク)、って覚えてくれても……ええんやで? キラーン♪ ……と、まあそないなことよりかずピー、そこのべっぴんさん誰や? ちゅうか俺ら道場におった……よなぁ?」

「……及川祐ね? 一刀から話は聞いているわ」

 

 戸惑う及川に、華琳が声をかける。

 地和は戸惑う及川を珍しそうにじろじろと見て、及川はそんな視線に自分を抱くようにしてくねくね蠢いている。及川、悪いことは言わん。華琳の方を見なさい。

 

「っとと、べっぴんさんに声をかけられて返事をせんのはいかんな。うんそう、俺及川祐。“す”を抜いて気軽にたくちゃんとか呼んでくれてえーですよー」

「そう。名乗られたのなら名乗り返すのが礼儀ね。姓は曹、名は操、字は孟徳。早速本題に入りたいのだけれど、あなたは一刀の友人、で間違いないわね?」

 

 名乗りとともに訊ねられた及川…………が、なんか真っ赤を通りこして紫色の驚き顔で硬直している。

 …………あー、そっか、そうだよなー。もうすっかり慣れてたけど、いきなり曹操が女だとか知ったら……なぁ。こうなると、大抵の人はただそういう“ノリ”で名乗ってるとか思う。多分及川も───

 

「あ、そうですー、かずピーは俺の親友ですわー!」

 

 なんか元気に返事してらっしゃった!

 え、あ、えぇ!? お前、そこは普通驚いたまま相手を困らせるとかそういう状況じゃないか!?

 

「そう。一応確認したいのだけれど。一刀の姓名を言ってみなさい」

「んっへへー、かずピーやあきちゃんのことやったらなんでも知っとんでー? 名前は北郷一刀。剣道でいろいろあって、距離取っとったのになんでか急に再開して、いっつも愛しいなにかを追うみたいにボーっとしとったなぁ。あ、あと急に勉強するようになったーとかもあったし、あとは……」

「い、いいわ、もう結構」

「ん? ええの? これからやったのに~。ほんでえーと、孟徳さま? 顔赤いけど平気です?」

「問題ないわよ」

 

 言われてちらりと見てみれば、なるほど、赤い。

 というか俺も赤いだろうと思う。

 まさかここに帰るために頑張っていた日々を、及川に語られるとは思ってもなかった。

 

「あ、そんで孟徳さま。ちいぃっとかずピーと話したいんやけど……かまへ───えーですか?」

「……、ええ、構わないわ。急に現れた者の心境には、まあ理解があるつもりよ」

 

 どうしてか軽く胸を張るようにして言う華琳に促されて、及川の傍へ。

 すると急に俺の首根っこを腕で引き寄せ、ヴォソォリと囁いてきた。

 

「どぉおおないなっとんねやかずピィイイー……!! なんや急に空が見えた思たら落下して、死ぬか思たら目の前にべっぴんさんがおって、しかもそれが曹操……さま、て!」

「ぼそぼそ喋りでも“さま”ってつけたのはいい仕事だと思うぞ、うん」

 

 少し離れてくれたけど、今もじいっと見てるしね、華琳。

 

「お、俺ら道場におったはずやろ……!? それがなんでこ、こっ、こっ……!」

「気持ちはわかる。急に見知らぬ場所で、過去の人物が女性だっていうなら───」

「アホ言いなや! ……本来やったら男な筈やのに、女になってるなんて最高やんか!」

「………」

 

 ああ、うん。疑うよりも相手が曹操だって、もう信じちゃってるんだな、お前。

 そうだよなー、女の言うことならなんでも信じるようなお前だもんなー。

 早坂(兄)。むしろ章仁。こいつ殴っていいかな。

 オーバーマンの恨みもあるし、なんかもう殴っていいかなぁ。逆恨みかも知れないけど、いろいろあったんだ。ほんといろいろあったんだよ、なぁ、章仁。

 

「あ、ちなみにここで注意しとかなあかんこととかってある? よくわからんけどかずピーと仲良ぇみたいやし、ちゅーかなんで俺と降りた時期違てるん? あんだけ気安く名前を呼ぶっちゅーことは、付き合い長いっちゅうことやろ? せやったらやっぱ、一緒におったはずやのに時間がずれたりでもしたってことで、あー……ははぁんアレやろ。大方ここは違う世界で、こっちにおると向こうの世界じゃ時間が流れへんとかそういうのやろ」

「どうしてお前はそう考え方が柔軟すぎるかなぁ!」

 

 当たりすぎてて怖いよこいつ!

 

「柔軟もなにも、こんなんそこらの話やったらよくあることやん。てか、なぁなぁかずピー? 曹操……さま、っちゅうことはここ、三国志の世界なんやろ? やー……あんまりにも俺のハートがどきゅんで固まっとったわ」

「? どういう意味だ?」

「や、ぱっと見た時な? 曹操……さま、がな? 俺が妄想しとった女版曹操さまにあまりにも当て嵌まってたもんやから。名前聞いて一層驚いたわ」

「………」

 

 ……なんだろう。

 左慈ってやつと悶着して銅鏡を割る前の最初の北郷一刀って、こいつから要らない知恵とか貰ってたりしたのかな。三国志の人物が女だったらなーとかそれっぽいこと。

 

「なぁ及川。お前が俺の想像を遥かに超越した精神の持ち主だってことはわかった。わかったけどさ、なにか他に抱く思いとかはないのか? 普通これはこうだろー、とか」

「なに言うてんねんな。理解におっつかんことがあるのはいつの時代も一緒やで。あきちゃんにも言ったけど、そんな小さなこと気にしとったら世の中生きていけへんで? おるもんはおるねんから、受け入れなしゃあないやんか」

 

 かかかと眼鏡を輝かせて笑う。

 ……ほんと、何処に飛んでも生きるのに困らなそうなやつだ。

 

「で? 気をつけな死ぬとかそんなん、なんかある? なにせ人死にが日常的にあった時代やろ? ……あ、それは日本とかでも一緒か。まあでも無礼を働いて刺されて死ぬ~なんてことは……」

「すまん、ある」

「あるんかい!! や、ちょっ、かずピー俺どないしたらええの!? 俺まだ死ぬのコワイ!」

「俺だって怖いわ! え、ええっとだな。まずはこの世界の風習で、真名っていうのがあるんだが」

「マナ? おお、なんや魔法とか使えそうやな。俺にもあるん? あるんやったらこ~……透視の魔法~とか」

「いや、そういうのじゃなくて。こう……真、に名、って書いて……」

 

 地面に文字を書いて見せる。

 真名。

 これは本当に危険なものだから、教えておかないとまずい。

 というかあんまり長話しているのもまずい。

 華琳を待たせたままなのは本当にまずい。

 というか離れた位置からいろんな将がこっちを見ている。その視線が痛い。

 流星を、天から降りたものだと考えたからだろう。華琳がみんなに離れていなさいと指示を出した結果なんだが……春蘭が怖い。秋蘭が押さえてるけど、今にも飛び出しそうだ。

 むしろ俺の首根っこが掴まれた辺りから、娘たちから及川へ殺気が……!

 

「ふんふん……で、その真名がどないしたん? 名、ってあるけど、もしかしてうっかり口にすると殺されるとか? あっはっは、さすがにそれはない───」

「……その通りだ」

「いやぁあああ帰してぇええっ!! 俺おうち帰るーっ!!」

「落ち着け! おるもんはおる精神はどうした!」

 

 急に泣き叫ぶ及川をなんとか宥めつつ、呼ばなきゃ大丈夫だととにかく教え込んだ。

 そもそも教えられなきゃ呼びようがないからと。

 

「な、なんや……それやったらまず最初にそれ教えてくれな怖いやん……。まあ、せやなぁ。そんな大事なもんやったら、まさか自分で自分を真名っちゅーもんで日常的に呼ぶやつもおらへんやろ」

「悪い、居る」

「いやぁああ帰るーっ!! 人に名前訊くのんも命がけやなんて嫌ァアアーッ!!」

「だから落ち着けって!! わかるけど! 気持ちすごくわかるけど!! 理不尽すぎて泣きたくなるのもわかるけど!」

 

 風の真名を口にした時の自分を思い返す。

 ああ、無知って怖い。怖いよな。

 

「あ、しゃあけど口にせんかったら問題ないんねやな。せやったらべっぴんさんとヨロシク出来る機会こそ、大事にするべきやで。な? かずぴー?」

 

 そしてあっさり自己解決した。

 ……自分に対しても軽いのだろうか、この男は。

 

「で、ここって曹操軍なん? なんっちゅうたっけなぁ……えー……魏?」

「いや、ここは都だ。あとで説明はするけど、今はもう戦は終わってる。魏が天下統一して、今は三国が手を取り合って歩んでるところって感じだ」

「…………おっしゃ覚えた。あとできちんと全部聞かせてもらうで、かずピー」

「ああ。今は人の悪口を軽々しく言わないことと、覇王様の機嫌を損ねないことだけを考えてくれ。あ、あと身体的特徴も口にしないこと」

「……機嫌損ねたらどないなるんか、聞きたないけど聞かせて?」

「あそこの服の赤い、蝶々眼帯の女性に斬られる」

「───……えっ、縁を切られる……とかやなっ? あははっ、いややなぁかずぴー、そない意味深な言い方してー♪ 仲良くなる切っ掛け切られるのんは寂しいけど、しゃーないっちゅーことで───」

「いや。主に首が飛ぶ」

「………」

 

 彼は笑顔で涙した。

 

「話は終わったのかしら?」

「え、あ、はいっ、ひとまずかずピーに、したら死ぬことは教えてもらいましたわ! も、もらった、です、ハイ……!」

「構わないわよ、普通に喋りなさい」

「へっ!? あ、おおきに! そ、そんであのー……俺、急に現れたわけやけどー……これからどない……どうなるのか、とか……そのー……」

 

 真面目に、けれどおずおずと訊ねる及川をよそに、華琳は……なんだか笑いを堪えているような顔だ。

 その視線の先には及川……なんだが、よく見ればその視線は彼の足にあった。

 ……うん、正座だ。

 多分、怒られる俺がすぐに取る姿勢だから、及川までそれをしているって事実が面白かったんだろう。

 

「? あのー、俺、なにか笑わせるようなことしてしもたんでしょうか?」

「ふふっ……いえ、なんでもないわ。それより貴方、一刀の友人というからには、何か特技や、ここで生かせる知識を持っているのでしょうね?」

「え? 特技? 急に特技、言われてもなぁ……」

「貴方の友人が随分と貴方を持ち上げていたのよ。及川だったらもっと上手く立ち回れただの、及川ならここはこうしただろう、だのとね」

「ちょぉ待ちやジブンー! おまっ……! なに影でハードルあげとんねんな!! 人の命をなんだと思っとるんやー! アホー! かずピーのアホー! ひとでなしー!」

 

 華琳の言葉に顔を真っ青……ま、真っ紫? にして叫ぶ及川───って、だからこの世界で軽々しく人の悪口をだな……!!

 

『……!』

『……、……!』

 

 あぁあああほら見ろ! 凪を筆頭に、将や娘たちが武器を構えたり拳を鳴らしたりウォーミングアップを始めたり……!!

 

「あぁええっとやな……? で、ですな……? ぁあああ関西弁の敬語ってどうやったっけ!? かずピー!? かずピー!!」

「落ち着けってば!」

「人の生き死にかかっとんねやぞ!? ここで慌てずいつ慌てろ言うねん! あ、でも慌てたら死ぬゆーんやったら落ち着こー」

「………」

「……ええ、そうね、確かにあなたの言う通り、妙なところで軽いわね」

 

 少し疲れた顔で仰る華琳が、なんというか物凄く印象的だった。

 

「あー、えと。孟徳さま? ……俺、別にすごいことでけへんです。期待されると困りますわ。学ぶ時間を用意してくれんねやったらそれなりのことは出来る思う……思いますけど、すぐには難しいなぁ」

「それは当然よ。無知の者に、今すぐ知らぬ知識に解を持てなどと、非道なことは言わないわ」

「お、おおう…………な、な、かずピー? 孟徳さまって、なんっちゅうかぁこー……話のわかる人やなぁ。俺、も~ちっと厳しい人か思っとったわ」

「いろいろあったからなー……」

 

 ええほんと、いろいろあったさ。

 むしろその時にこそ一緒にいて欲しかったよ、男の友達に。

 



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144:IF3/蒼天より来たる者③

「では及川。あなたの処遇だけれど」

「あ、はいな。どーせ行く場所もあらへんし、置いてくれるんやったら頑張りますわ」

「良い心掛けね。見知らぬ場所で不安もあるでしょう。まずは一刀の傍でこの世界のことを学びなさい。文字も覚えること。仕事のことを覚えるのはその後にしてもらうわ」

「仕事……っちゅーことは置いてくれるん!? ……あ、ですか!?」

「勘違いしてもらっては困るけれど、置くのはあくまで一刀の知り合いであるからよ。その理由に、学ぶ期間を設けただけのことよ。使えないと知れば、すぐにでも追い出すわ。そのつもりで励みなさい」

「おー、そんならいける思いますわ! えー……ちゅ、ちゅうごくご? 漢文? は、ちぃっと不安やけど……かずピーに負けんよう頑張っふむぐっ!?」

 

 顔を(>ヮ<)な感じにして張り切って喋っていた及川の口を塞ぐ。

 それ以上、いけない。

 

「な、なにすんねんかずピー! せっかく俺が張り切り具合を口にしようと───」

「自分でハードル上げてどうするんだこのばかっ! 悪いことは言わないから誰々より頑張るとかはやめとけ!」

「え~? やってここ、女の子ばっかやん。男の俺らが頑張らんで、なにするっちゅうねん」

「……及川。お前、あそこの木を拳ひとつで折れる?」

「へ? そんなん無理に決まっとるやん」

「……いいか、これは嘘でもなんでもないから、よぉおおおおおおおお~っく覚えておいてくれ。……この世界の女の子はな? それが出来て当たり前ってレベルの力の持ち主だ。姿は変わっても三国の武将だから、決して……けっして……! “力仕事やったら男の俺が~”なんてことは言うな」

「───」

 

 そして彼はまた、笑顔で泣いたのです。

 

「え、え? そんならかずピー、ジブンいったいなにで活躍出来とるん? 男の子として、なにで?」

「……未来の知識が主でございます」

「………」

「………」

 

 ガッシィ、と……握手が交わされた。

 誓う想いはただひとつ。

 ……強く生きていこう。

 

「一刀?」

「あ、ああうん、大丈夫だ。及川のことは俺に任せてくれ。いろいろ話してやらないといけなことが多すぎるから、少しかかるかもだけど」

「ええ結構。ああそれと、及川」

「ヒィ!? な、なんです?」

 

 無礼=首チョンパとインプットしたのだろう。

 俺との会話で緩めていた気がビッシィと引き締まり、少し猫背気味になっていた正座が美しいものへと変化した。

 

「ああ、ええと。こほん」

 

 で、及川に何の用があって声をかけたのか。

 華琳はこほんと咳払いをしつつ、ちらちらと……及川の傍に転がっているバッグに視線を投げていた。───ああ、なるほど。

 

「及川。華琳……孟徳様の機嫌を、それはもう良くする方法がある」

「え!? そないな方法があるんか!? お、教えて教えてかずピー教えて!」

「ああ、えっと。けど条件があってだな……もしそれをクリアしてなければ、ちょっと印象悪くなるかも」

「えぇ!? 俺まだ何もやっとらんねやけど!?」

 

 がーん、と顔を青くする彼は、さっきからこう……うん。顔面がやかましい。

 

「なぁ及川。お前俺のバッグにビールとかツマミ、仕込んだよな?」

「あ、気づいてくれたー? やー、苦労したんやであれー。どうせやったら何者にも縛られない楽しい宴会っぽいのが出来たらなー思て、いろいろ仕込んだんや」

「ああ、それなんだけどな? か……孟徳さま、そのビールとツマミに興味津々でさ。もしバッグに入ってたら、機嫌取りは問題ない。無かったら………………」

「え? なに? なんで!? なんでそこで溜めるんかずピー!」

「まあそれはそれとして、持ってるか?」

「怖いところでそれとしておかんといて!? や、そらぁかずピーだけに押し付けるわけにはって、持っとるけど」

 

 恐怖と困惑とでおろおろする及川の陰で、華琳に向けてサムズアップ。

 ……覇王さまのご機嫌度が、はちゃめちゃに上がった!

 ところではちゃめちゃってどういう意味だったっけ。

 

 *はちゃめちゃ⇒滅茶苦茶と同じ意味。乱暴、乱雑、などの意。この場合、過程や方法はどうあれとってもご機嫌になった的な意味。

 

「どうする? 一応所有者は及川だし、渡す渡さないはお前の意思でいいけど」

「べっぴんさんのあ~んな期待を込めた目ぇを無視出来るわけないやん。あ、孟徳さまー? これ、お近づきの印にひとつどうでっしゃろ」

 

 言いつつ、華琳の視線が釘付けになっていたバッグから、ズオオオ……と覇王様待望のビールが取り出される。

 俺が祭さんに渡したものとは違い、入れてからそこまで時間は経っていない状態だったのだろう、よく冷えているように見える、水滴がついたビール缶。……あ、祭さんが人垣を押して前に出た。直後に冥琳に捕まった。

 そんな光景を視界の隅に、華琳はごくりと喉を鳴らしてビール缶を見下ろす。

 

「……一刀。これがあなたの言っていた、びーる……?」

「ん、そう。刺激が強いから、飲む時は注意な。あと……うん、飲むには最適な温度だと思うぞ。冷えていたほうが美味いらしいから」

「っ……!? そ、そう、なるほどね。あいすのように冷たいのね、これは」

 

 及川からビールを受け取り、目線より高く上げてシゲシゲと見つめている。

 天の文字……日本語も結構学んだから、読める部分が嬉しいのだろう。少し得意げな顔で文字を見ている……のだが、カロリー表記などのアルファベットのところで目が止まり、無意識だろう、ちょこんと首を傾げていた。……やばい、吹き出しそうになるくらい可愛かった。

 堪えろ俺……! せっかく機嫌がいいんだから、ここで笑うな……!

 そんな顔面の忍耐との勝負の中、

 

「あ、ビールっちゅーたらこれですわ」

 

 及川がさらに差し出したツマミを見て、好奇心をくすぐられたのか、あからさまにぱぁっと笑顔になった華琳がもう……!

 

(たっは……! 堪えっ……堪えろォオ……!! ああでも笑いたい……! こんな子供みたいな華琳、珍しい……!)

 

 最近はあまり、好奇心を擽られるようなことがなかったからだろう。

 欲しくても諦めるしかなかったビールとツマミだ。願いが叶ったのだから仕方が無い……とはいえ、勘弁してください。俺のほうがまいってしまう。

 なんかもう覇王じゃなくて、少女華琳すぎて……まるで秋蘭が春蘭にそうするみたいに、華琳はかわいいなぁとか言いそうになる口を必死で押さえる。

 言った途端に大笑いしそうで辛いです。

 いや、俺だってね? 人の喜びを笑いで蹴散らす酷い人間である自覚なんてないんだ。でもさ、普段とのあまりのギャップがさ。笑いをこらえることは出来ても、この腕が彼女を抱き締めたくてうずうずしているといいますか。ああうん、やっぱりこれだ。華琳はかわいいなぁ。

 

「……、………………、……」

 

 そしてビール缶のプルタブに苦戦し、困惑しながらちらちらと俺に視線を投げる天下の覇王様。

 あの。神様。俺もう吹き出していいですか? 抱き締めていいですか?

 もう十分我慢したと思うのです。

 

「かっ……かずピー……? あれ、教えたらあかんねんな……? それとも……?」

 

 ぷるぷる震える俺に顔を近づけ、ぽそりと訊ねる及川。

 余計なこと言って怒らせる結果にならないかと心配してのことだろう。

 教えてみて、そんなことは知っていると言われれば、それは侮辱に繋がるだろうから。

 ほんと、改めて思うけど……難しい世界だ。

 

「あと、あれ俺と一緒に落ちたわけやけど……開けたら爆発せぇへん?」

「…………」

 

 それはそれで見たいという、熱くも自殺行為な衝動との戦いが始まった。

 まあそれはそれとして、開け方に苦悩する覇王さまをちらり。

 俺が開けようか? と言ってみても、様々を興じてこそ云々を説かれ、一言を告げて黙ることにした。

 

「華琳。それ、開け方が悪いと中身が噴き出すから」

「なっ!? ……そう。つまり、貴方の“開けようか”という助言を受け入れなかった私への、これは挑戦と言うわけね?」

 

 ビール片手に、ふふんと胸を張る覇王様。

 言葉はアレだが、ただビールのプルタブを開けるだけである。

 

「……? というか、なに? この銀色の部分に開け方が書いてあるじゃない。……いえ、これは文字? 文字としてあるけれど、書かれているわけではない……不思議ね。まあいいわ、この妙なものを起こして戻す。それだけのこ───」

 

 パキャア、とプルタブが一気に起こされた。

 途端、噴き出す白い噴水。

 …………OH。

 得意げに喋っていた覇王様が、プルタブを開けた途端に泡まみれに……。

 

「………」

『………』

 

 そしてこの無言。

 正座状態から見上げれば、ビール然とした泡の弾ける音をBGMに、半眼のまま表情をなくしたような顔の覇王さまがおる。

 

「…………かずピーどないしょ……。フォローするための言葉がなにひとつ浮かんでくれへん……俺、ここで死ぬんかな……」

「ちなみにな……この世界で生きていくと、こんなことが日常的に起こるから……」

「…………俺、早くも胃が痛なってきた……」

 

 顔は笑って眉毛で泣く及川。見事な八の字眉毛である。

 自分が持ってきたビールが原因で、覇王さまが泡まみれになるとは思ってもみなかったのだろう。少し震え、天を仰いでいる。

 そんな僕らの心配を余所に、華琳は何事もなかったかのようにビールをぐいっと飲みだして

 

『だぁああオチが見えたぁああああああああーっ!!』

 

 及川と二人、慌てて止めようとするも……一手遅く。

 祭さんの時のように炭酸にびっくりして、口を押さえながらビールを吹き出してしまった覇王さま。

 

  さて問題です。

 

 急に現れた者より献上品があって、早速それを飲んだ覇王さまが苦しげにそれを吐き、咳き込み始めたら……その者の下の者はどうするでしょう。

 

「華琳さまぁああっ!! ───おのれ貴様ァァァ! やはり毒を!」

「最初からこれが狙いだったのね!? これだから男は!」

 

 春蘭と桂花を筆頭に、待機していた魏の皆様が一斉に飛び出した!

 それを見て、というか殺気を当てられて、「しええぇえええーっ!?」と奇妙な悲鳴を上げて俺を盾にして隠れるおいかっ……及川ァアーッ!?

 

「北郷貴様! その男を庇うとは!」

「えぇ!? 辿り着いた途端になに言ってるのこの大剣さま!」

 

 どう見たって盾にされてるだけですよね!?

 でも止まってくれてありがとう! 一緒にずんばらりんと斬らずに居てくれて本当にありがとう! でも殺気は引っ込めてくれないんですね勘弁してください!

 

「ちょっと待った待った待ってお願い待ってぇええっ!! 祭さん!? 祭さぁああん! 説明お願い! この大剣さま俺の言葉じゃ止まってくれないぃいいっ!!」

「応! 待てい元譲! 先走る前に己が主の様子をよく見よ!」

「なにい!? 華琳様ならこの男が出した飲み物で───……」

「問題ないわ。下がりなさい春蘭」

「華琳様!?」

「華琳様っ! ご無事なのですかっ!?」

 

 けろりとしつつ、しゃんとした姿勢で立つ華琳に、春蘭と桂花がずずいと詰め寄る。

 うん、平気そうに立ってる。目尻に涙残ってるけど、立ってる。

 

「一刀。これが以前言っていた“たんさんいんりょう”というものね?」

「へっ!? あ、ああ……ビールはその炭酸と苦味を喉で味わうもんだって聞いてる。つかな、刺激が強いから気をつけろって言ったのにどうしてあんな、一気飲みまがいのことするんだよ」

「……うるさい、察しなさいよ」

「…………ハイ」

 

 いや、うん。そりゃね、ちょっと考えればわかるけどさ。

 これだけの人数に見られている中で、中身爆発でビールまみれ。そりゃ、刺激物の一気飲みで誤魔化すとかしたくなるよね。

 でもそれで自爆していたら世話無いのです我らが覇王よ。

 

「はぁ。もういいわ。喉で飲む、ね……───んっ」

「華琳様いけません! 毒がっ───」

「…………へえ、面白いわね。確かに苦いけれど、このすぐに消える刺激は悪くはないわ」

 

 毒が、と慌てた桂花を前に、ぷはー、と少し上機嫌で息を吐く華琳。対して、飛び込んででもビールを奪おうとしたのか、妙な体勢で固まる桂花さん。

 

「? なにかしら、桂花」

「へっ!? あ、いえっ、なんでもっ」

 

 そんな桂花に気づいた華琳が声をかけるものの、飛び掛るつもりでしたーなんて言えるはずもなく。……というか今気づいた。この押し寄せた大人数の中に、華琳大好き人間がもう一人足りないなーと思ったら……通路の屋根で弓構えて及川を狙ってらっしゃる秋蘭さんが!

 すぐに問題ないってゼスチャーを送ると、華琳の顔で判断したのか、溜め息を吐くような動作ののちに通路の屋根から飛び降りる。

 

「それで? これはなにかしら。妙な形をしているけれど」

「……! ……!」

「……及川? 私はあなたに訊いているのだけれど?」

「しひぃっ!? ハ、ハハハハイ! それは柿ピーいいます! 酒やビールの肴にどうかと用意したもんですわ! あ、あっ、あたりめもありますさかい、じゃんじゃん食ったってください!」

 

 バッグを漁る及川が次から次へと献上する。

 華琳はそれらを試すように口にしたのち、一口ごとにビールもぐびりと飲んで味わっていた。いつかアニキさんの店……まあオヤジの店だけど、でやっていたことだ。

 酒に合うか否かを試しているのだろう……さすがは覇王さま。こんな状況でも味を楽しむことや味を試すことを忘れない。

 そして最後に開けた袋から中身の一つを取り、カリッ……と噛み砕いた途端。

 

「───凪。これはあなたが片付けなさい」

「えっ!? わ、私が!? ───いえ、はいっ!」

 

 ある袋が、凪に下賜された。

 ……ちらりと見たら、袋には柿の種&ピーナッツ(激辛!)って書いてあった。

 華琳も案外ブレがない気がした瞬間であった。




 うん、言いたいことはわかりますぞ。
 恋姫世界に余計な男はいりんせん、という人はかなり多い。
 異世界転移ものだとやっぱり転移者は一人の方がいい、という人も多い。
 かずピーだからこそ……! という人が大半で、僕も恋姫キャラが好きになるのはかずピーだけがええなーって者です。今では大分落ち着いてますが、以前は特に。
 そんな中にあって及川転移ですが、じゃあこれからおなごが及川を好きになるか、なんて話が……ありません、はいありません。
 ラストに向けてどうしても必要なことなので、特に気にせず物語の1ページとしてキン肉マンチックに「そ、そうか~~~~~~~っ!」と受け取ってもらえたら幸いです。




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145:IF3/騒がしさの大元①

197/歴史の基盤、銅鏡の欠片、そして

 

 そんなこんなでいろいろあって、我が自室へ。

 中庭の東屋に近い通路のさらに奥にいった先にぽつんとあるそこで、ようやく俺達は心から息を吐けた。

 

「たは~っ、こらいろんな意味でたまらんわぁ。なぁかずピー? これってば夢やな? 夢やないと俺いややで?」

「ああ夢だよ。間違い無くね」

 

 ただし胡蝶が飛んでる。言ってしまえば、それこそさまざまな“願って創られた世界”なのだから、夢以外のなにものでもないのだろう。

 

「なぁんややっぱ夢かぁ。そら、こない都合のええ現実なんてあるわけないわなー。ま、そんでも恐怖はホンモンや。かずピー、いろいろ聞かせてもらうで?」

「ん、わかってる。とりあえず前提として、これは夢である。OK?」

「おー、おっけおっけ、俺理解力だけはあるつもりやし。感覚鋭い夢も見たことあるわ。その延長やでこれ。そーに違いないわ」

「……“理解力”と“めんどいから適当に流す”のとじゃあ違うって、ちゃんと受け取っといてくれな」

 

 そうして説明開始。

 細かいところは適当に砕いて、大事なところをきちんと教える感じで。

 

「ほへー? つまりなんや? かずピーはこの世界に天の御遣いとして降りて? 孟徳さまと一緒に戦って天下統一して? 一年前に帰ってきた時のかずピーがそん時のかずピーやったと」

「ああ、そういうこと」

「なるほどなー。んでかずピー? 俺がこの世界に降りた理由はなんやねんな? 俺べつにそのー……最初のかずピー? とのことで関係なんてあらへんやん」

「それなんだけどな。お前が願ったアレな考えが、歴史にいろいろと影響を与えてる可能性がひっじょーに高いことがさっきわかった」

「えー!? なんでー!? 俺べつになんもしてへんやーん!」

「あー……そうだなぁ。あ、ほら。フランチェスカに歴史資料館が出来たよな?」

「あーあれなー。俺が誘ってもかずピー一緒に行ってくれんかったやつなー」

 

 お陰で作文大変やったんやでー、なんてぶちぶちこぼす及川に、一言質問。

 

「遺物とかを見てどう思った?」

「へ? そら……壷見た時、これにはメンマが大量に入ってた~とか、鎧を見れば、実はこれを着てたんは女の子で、そんな格好のままマニアックなエッチしてたんや~とか」

「やっぱりお前も原因かぁこの馬鹿ぁあーっ!!! おぉおおお思わぬところで別の原因が見つかったわァアアア!!」

「え!? なに!? 俺なんかやってもーたん!?」

 

 ……貂蝉さん、一刀です。

 俺と左慈だけじゃあありませんでした。

 どうしましょう、この事態。

 

「おかしいと思ったんだよ! 左慈が“歴史っていう基盤”、俺が“割れた銅鏡の欠片の軸”、じゃあ他の登場人物の像は!? って考えて、どうして女の子だったのかとか! どうしてメンマだったのかとか!!」

「え? 別におかしないやろ? なんやメンマやったら昔っからありそーなイメージあるし。登場人物もむっさいおっさんよかべっぴんさんのほうがえーし。頭の硬い軍師さんなんて、ちっこくて可愛いか色っぽい女教師さんみたいな人のほうがえーやん。むっちむちでー、黒髪でー、こ~……眼鏡なんかつけてやなー……♪」

 

 うわぁい殴りたいこの笑顔ー。

 ていうか最後の外見、思いっきり冥琳じゃないか。

 

「あ、ところでかずピー? さっき集まっとった人ら、なんや俺の理想のまんまの女の子ばっかやったんやけど、やっぱ彼氏とかおったりするんかなぁ。まだやったら俺、あの猫耳フードの子ぉに……」

「…………」(←ついこの間、罰としてアレコレいたしましたとは言えない)

「でもあの孟徳さまは~……あれやな? かずピーにぞっこんやな」

「……へっ!? そうなのか!?」

「はぁ……かずピーといいあきちゃんといい、なんでこう鈍感やねん……あんなぁかずピー? あないあからさまにちらっちらかずピーんことばっか見とったら、普通気づくやろ」

 

 いや、あれプルタブをどうするかで不安になってただけです。断言します。

 でも鈍感って部分は素直に受け取る。困ったことに、乙女心なんてまだまだわからない俺だから。

 

「……で、なんでよりにもよって桂花……文若なんだ? あ、文若っていうのがあの猫耳フードだから」

「ぶんじゃくちゃん言うんかー。かわえかったなー。あ、そんで理由やけど。……あん中でいっちゃんかずピーんこと嫌っとったみたいやから」

「うわーいわっかりやすーい」

 

 思わず口から棒読みな言葉がこぼれた。

 あんな状況だったのに抜け目なく見てるなぁ。

 余裕もなく人のことを盾にしておいて、実はいろいろ観察してたのか。呆れた観察眼だ。

 

「これでも人を見る目はあるんやで~? せやなかったら新しい恋なんて追えへんもん」

「……見る目があるならフラれ続けてないで一発でキメろよ……」

「ぐさっ……ひどい! かずピーひどい! 俺かて好きでフラれとんのとちゃうもん! 俺はただ、燃えるような恋が……過去を忘れられるくらいに熱い恋がしたいだけやもん!」

「や、だからさ。一回目で」

「……一回目が本気すぎたからいかんかったんやん……。親友殴ってでも手に入れたかったんやもん……」

「………」

「………」

「……え? 殴ってでもって、章仁相手に?」

「だー! もうこの話やめよ! な、かずピー! な!?」

「え、あ、お、おう……?」

 

 額あたりを紫に、目の辺りを赤く、頬辺りを青くするという相変わらず怒った顔が恐ろしい及川の迫力に負けて、つい頷いてしまう。

 ……まあ、そうだよな。だめだったっていうなら、思い返すのは辛いだろう。

 

「暗い気持ち払拭するためにも、なんか明るい話しよ! あんな大人数のべっぴんさんらに囲まれとんのやから、ちっとくらいアハンな話とかあるんやろ? かずピー」

 

 ちょっとというか…………うん。

 これ、馬鹿正直に話していいこと……じゃないな、断じてない。

 事後をカメラに納める以上にない気がする。

 

「い、いや、俺より……及川のほうはどうなんだ? 俺としてはむしろこっちでの生活が長すぎるくらいだから、久しぶりにそっちの話が聞きたいかなーって」

「聞きたいもなにも、俺かてさっきえーと、天? で、シャワーに行くかずピー見送ったばっかやし。情報なんてたぶん変わってへんよ?」

「それでもだよ。鍛錬ばっかで、情報なんててんでだったんだ。どんな話でも新鮮に聞けると思う」

「……そか? まあ、かずピーがそこまで言うんやったら」

 

 こほん。

 珍しくわざわざ咳払いから始め、彼は語りだした。

 

「なぁかずピー。アニメとか漫画の水着回ってなんの意味あるんやろなぁ」

 

 直後に殴りたくなる俺が居た。

 

「俺なー? 女の子の笑顔、好きやねん。でも一回目の痛烈な失恋のあと、わかったことがあるんねんけど…………俺、恋してる女の子の笑顔が好きやってんなぁ」

「恋する女の子の? ……へぇ」

 

 あ、なんかわかるかも。

 ほにゃって安心するみたいな笑顔を見ると、“あ、可愛い”って思うよな。

 ……それが恋する乙女の笑顔かどうかなんて、俺にはわからないわけだが。

 

「で、水着回に戻るんやけどな? あんな動き止めながらウフフ言うだけの回に、恋する乙女のウフフ劇場以上のどんな価値があるっちゅーねん。普段より多い肌の露出? いーや、そないなもんと恋する乙女を見守るハラハラ感は秤に合わん。もちろんこれを秤に出すんやったら外せんのは───」

「続けて温泉回とかぬかしたらグーで殴る」

「………」

「………」

「デコピンに負かられへん?」

「引き下がる選択肢を作れ」

 

 やっぱり及川は及川のようだ。

 ちょっと安心するとともに、妙に力が抜けている自分に気づくと……苦笑が漏れた。どれだけ頑張ってみても、馴染んでも、力というものは入ってしまうようだと実感。

 仕方ないよな、慣れれば慣れるほど期待される場所に居るんだし……みんなが上手くやっている中で、自分だけ失敗っていうのも嫌だし。それに何より……国に返したいって思いが全く消えないのだ。

 

「ほんなら別の話やな。ここに住んどんのやったら、ほれ、こー……むっふっふ、お風呂覗いたりとか~……やったことあるんやろ?」

「いや、ないな」

 

 覗くどころか一緒に入りました。

 はい、もちろん言いません。

 

「かーっ! このへたれっ! ジブンそれでも男かいっ! かずピーはまさかアレかっ!? オトコの園でごきげんようなんかっ!?」

「うん、時々思うんだ。俺、漢でいたかったナーとか」

「? 男やないんか?」

「や、漢な。こう、さんずいの方の」

「男と漢って……なにが違うねん。……ハッ!? やっぱりアニキ的なアレなんか!?」

 

 どうしてこいつはこう、妙にホモチックに走りたくなるのだろうか。

 早坂(兄)と一緒に居る時も、彼に向けて唇突き出していた時とかもあったしなぁ。

 まあ、例に漏れずBAQQOOUUUNと殴られてたけど。

 

「意識の違いだろ。ほら、男っていうのは女にだらしがなくて、漢っていうのは力強く守る~みたいな。もちろん男女差別せず守る方向で」

「りょっ……両刀使いっちゅうやつやなはぐぅんっ!?」

「そういう意味じゃねぇよ! ───ハッ!?」

 

 しまった口調口調!

 いやまずい、及川が相手だからか、どうにも前までの口調が……!

 ていうか結構強く殴っちゃったんだけど大丈夫か!?

 

「やー、せやったら俺、漢っちゅうんは無理やなぁ。俺、女の子好きやし」

「………」

 

 なんかケロリとしてました。

 

「……えと。殴られたところ、痛くないのか?」

「フッ……甘いなぁかずピー。そんな拳で俺を倒せる思っとったんか? 男のツッコミの拳なんぞ、女の子にビンタされてフラレた時の痛みに比べれば軽いもんやでっ!」

「………」

「………」

「……お茶、飲むか?」

「……おおきに」

 

 茶器を使ってお茶を淹れる。

 もう手馴れたそれで振る舞うお茶は、及川に長い長い溜め息を吐かせた。

 

「俺かて……俺かて好きでフラレとんのと違う。とっかえひっかえ言われようと、これでも真面目に付き合うとんねんで? けど、いっつも最後は“私を通してどなたかを見ていらっしゃるのね”とか言われて……。俺、そないなつもりも自覚もないのに、そんなんあんまりやん! だからかずピー! 俺……この夢の中で女の子と付き合ぅて、もっと経験積んで乙女心っちゅーもんを学んでみよ思うんや!」

「……えーと。出鼻挫いて悪い。あそこに集まってたの、ほぼ全員……えーと、人妻、でさ」

「んなぁっ!? ……あ、んあぁ……ああまあ、うん、せやろなぁ、なんか納得出来るわ……トホホイ。ほんならあのー……まだちっこかった子ォを今の内に俺に惚れさせて、将来的には~……」

 

 あ。なんか俺の中でスイッチがゴキィンって。

 口が勝手に動いた。こう、ヴォソォリと囁くように、殺気をこぼしながら。

 「───娘に手ぇ出したら氣も込みで全力で殴る」って。

 

「ウヒィッ!? やちょぉおおちょちょちょ何事かずピー!! なんか今めっちゃ寒気が! え!? なに!? 今かずピーなんて言ったん!? ねぇ!」

「あっはっは、なんでもないぞーぅ? ところで誰を誰に惚れさせるってー?」

「あぁ、あっはっは、ほらあの子やって。あの黒の混ざった金髪の、ツインテールのちっちゃな」

「よし。忘れずに墓碑に刻むから眠れ。迷わず……いや、迷ってもいいからとっとと眠れ。大丈夫、立派な墓を作るよ。ところで刻む名前はビッグタスクドリルでよかったか?」

「俺いつからマンモスマンになったん!? “たすく”は合っとるのに前後に余計なもんついとる所為で必殺技になってもーとるやないかい! ってかなんで殺す気満々やねん!」

 

 なんで? なんでって……及川が丕を自分に惚れさせるなんて言い出したからだ。

 もしそれが叶ったら、及川が俺の義理の息子に……!?

 

「なぁ及川。日本じゃ昔っから、娘を男に託す時って相手を殴るっていうよな」

「へ? あ、あー……そういうんもあったなー。あ、やっぱかずピーん家も古い家系言うとったさかい、そーゆーのあるん?」

「そうだな。託すわけでもないのに全力で殴りたい」

「うん。なんでかずピー、それを俺見て笑顔で言うんやろなー?」

 

 二人して笑顔。笑顔は威嚇の意味もあったという伝説がありますが、及川よ。その質問の答えなら、理由ならさっき言……───思っただけだった、すまん。

 

「なんか背筋ぞくぞくするから別の話、しよ。そんでえーと、文若ちゃんも相手がおるねんな?」

「……まあその、一応」

「へー……ほんなら孟徳さまの相手って誰やねん。かずピーんこと見る目、随分と信頼を置いた目ぇに見えとったんやけどー……それでも他に相手おるん? それともかずピーの独り相撲?」

「そうだなぁ。主に俺が空回ってる感じは、確かにあるかも」

 

 好きって言われた時の喜びはとんでもないものだった。

 それでも今も空回りをすることは度々あるのだから、なんとも上手くいかない。

 そうなる度に、やっぱり丕は自分の娘だなぁとニヤケるとともに申し訳ない気持ちになるわけで。こんな空回りファーザーですみません。

 

「ほふぅん? ま、女の子の話もえーけど、ちぃっと真面目な話もしよか。俺が原因の一部みたいなよーわからんことゆーとったけど、結局なんのことやねん」

「……及川。お前ってさ、普段おちゃらけてるのに、真面目な時ってどうしてそう核心にずずいと踏み込んでくるんだ」

「あほやなぁかずピーは。おちゃらけてるからこそ周りから情報を得られて、ここぞって時に真面目なこと言うから芯の方で信頼されるんやん。相手がほんまに困る軽口は言わん。変わりにそういうとこつついて、相手のもやもやを引きずり出して吐き出させる。“友達”っちゅーんはな、かずピー。そん時大事なやつを傍で見といて、相手が困った時に客観的な助言与えられるくらいが丁度ええんやって」

「あー……“自分で気づかなきゃ意味がない~”とかか?」

「あ、それ違う。俺もうそれ、あきちゃんの時で懲りたわ。あーゆーのんは言ってやらな最悪の状態まで落ちる。そっから助言出しても“俺は悪くねぇ”的な妙な意地張ってもーて話にならんから」

「……まあ、確かに早坂兄って妙な集中をすると、人の話を聞かないところはあったよな」

「普段はそこをつつくのがおもろいねんけどなー♪ けど、いきすぎると話は聞かない、人の所為にする、自分は動かない。そーゆーひどいことになってまうわけや」

「そういう時は?」

「そら、わからんアホや動かん機械は殴るに限るやろ」

「……なるほど」

 

 想像した通りだったわけだ、このばかものの生き様は。

 普段は重くないけど、いざって時は本気で向き合ってくれる。そういうタイプの馬鹿のようだ。

 

「で、俺が原因って話やけど」

「いや、そこ別に流してくれてもよかったんだが」

「俺が知りたいのに流してどないすんねや! ……そんで? いろいろ話してくれる約束やろ?」

「……まあ、うん。えっとな、この世界はな、あー……人に願われて作られた世界だ」

 

 頭をコリコリと掻きつつ頭の中で軽く纏めながら、言葉にする。

 どう説明したものか。

 これでも成績はいい及川だから、理解力は無駄にあるはずだ。

 それも踏まえてどんな説明を……と。

 

「おお、つまりこの世界には俺の願いも影響されとるわけやな?」

「“も”っていうか、ほぼだと思うぞ」

 

 反発することなくあっさり受け入れた。

 説明しておいてなんだけど、それでいいのか及川よ。

 夢だから、っていう前提としての受け入れやすさもそりゃああるんだろうけどさ。

 

「えっとな、さっきも説明したけど……まず舞台。左慈って存在が物語の基盤になっていて、一番最初にそいつと関わって、銅鏡を割っちまったらしい俺もそこに影響を与えた。まあ……いろんな軸から考えて、登場人物のひとつ、天の御遣いって存在に祀り上げられたわけだ」

「へー。っつーても俺、そのどーきょー? なんて知らへんで?」

「俺だって知るもんか。資料館には確かにあった気がするけど、それを“俺”が割ったわけでもないし」

「ともかくそのー……どーきょー? が、関係しとるっちゅーわけやろ? なに? それ、願いを叶える魔法のなんたら~とかそんなもんやったん?」

「らしい。なんでも持ち主の願う“世界”を創り出すとか……いや、単純に願いを叶えるっていったほうがいいか。でも、世界規模で影響するものだから、滅多な願いはひどい結果しか生まないっぽい」

「……あ、かずピー質問。かずピーはなんでそんなこと知っとるんや?」

 

 当然の質問がきた。

 なので、夢で見たことやそれを経て積み重ねた予想を話して聞かせる。

 

「へー……つまりこの世界は孟徳さまが主軸の世界やから、強く願えば、その願いが叶う可能性がある、と……?」

「多分俺と及川は、原因の一端だから呼び寄せることが出来たんだろうけどな。そんな誰でも呼び寄せられたら、なんか……俺の家族とか既にここに居るような気がしてならないし」

「あ、それ言えとるわ。それに俺の場合、かずピーのケータイにあった写真も影響しとんのやろーなぁ。いろんな人の願いで構築されとるんやとしたら、なにも俺だけが原因の一端ってわけやないやろ? 他の原因の誰かさんも呼べなぁおかしいやん」

「……俺達が知らないだけで、他の軸じゃあ知らない誰かとかいっぱい居そうだけどな」

 

 それこそ俺の代わりに御遣いしてたりとか。

 まあ、それこそもしもか。

 

「けど、随分とまああっさり納得したなぁ。もっと説明に梃子摺るかと思ってたのに」

「かまへんかまへん、楽しいほうがえーやん。こない貴重体験、夢の中でしかでけへんやろ? ほんならまごまごしとるより受け入れたほうが、楽しいこと逃さずに済むっちゅーもんやん」

「そりゃそうだけど」

 

 ……いや、ほんとまいった。口調が砕ける。

 でもたまにはいいか。いいよな。

 これから及川にいろいろ教えなきゃいけないんだし、今から気を張ってたら……というかこいつ相手に気を張ってたら、それこそ疲れ果てそうだ。

 

「じゃ、まず文字の勉強からな」

「おー、早速勉強なんてかずピーさっすがー! 最近やたら勉強しとる思たら、まあこんな世界知ってもーたら勉強せんわけにはいかへんよなー! ……あれ? 夢なんやから勉強とか……あれ? あ、ちょっと待ったかずピー、いろいろこんがらがってきたわー……」

「難しいこと考えるよりも、今のこと考えようぜ。な、及川」

「おー、わかっとるやんかずピー! で、勉強ってなんやねんな? ちゅーごくゆーたら……んん、ごくり……! ……ぼ、ぼーちゅーじゅちゅとかか?」

「文字だっつっとろーがこのエロメガネ」

「えー? 絵で学べる漢文講座~とかないの~? 俺、アハンな絵でならかつてない速さで学べる思うんやけどなぁ」

「あーそーだろーなー、そーゆーやつだよおまえはー」

「わーお、かずピーものっそい棒言葉」

 

 言いつつ、用意した本を取る。

 机に並べられてあるそれらは、及川用にと用意したものだ。

 

「まあ、絵本ならあるぞ? 俺も今でも読んでるくらい、受け入れやすい絵本とかもあるし」

「今でも学べるほどのエロ本やて!?」

「無理矢理“ロ”を入れるなドアホウ。絵本だ絵本」

 

 先行きは不安だった。



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145:IF3/騒がしさの大元②

 そうして始まった勉学。

 まずは常識的なこと、やってはいけないことを中心に教えて、その合間に文字を教える方向で。

 

「ほへー、教科書で見る漢文と違てるところとか、結構あるんねやなー……」

「現代に残された文字とこっちじゃ、そりゃ違いはあるだろ」

「っへへー、なんややってみるとけっこーおもろいもんやね。あ、この黒板とチョークってかずピーが出した案やろ」

「最初はチョークがボロボロ崩れて大変だったよ。ていうかな、天の御遣いとか言われたけど、正直日本で得た知識が無ければとっくの昔に役立たずとして捨てられてたよ」

「学んどる過程でもその様が簡単に想像出来るわ。物騒やなぁほんま」

 

 用意した小さな卓で、書き取りをする及川の図。

 最初の俺と比べてみても、その在り方は堂々としている。

 ……やっぱり、こういうところは敵わないなぁと思うのだ。

 どこに居ても自分のペースを崩さないっていうのか。

 

「あ、ところでかずピー? この夢、いつ頃覚めるん?」

「あ……そうだな。俺はあと何十年後かに覚めると思う。及川は願われ方もあれだし原因としての関わり方もアレだから……多分だけど、最初に呼ばれた俺と同じくらいか、もっと短いものか……それとも華琳……孟徳さまが満足した時点で覚めるかのどれかだろ」

 

 そういった意味では、華琳は結構気まぐれだから……気づいたらいつの間にか消えていた、なんてこともあるかもしれない。

 それを思えば……

 

「及川、ケータイ貸してくれ」

「へ? どしたんかずピー。もしかして俺のこと撮りたなった? って、自分のケータイどしたん? 太陽光で充電できるの、買ったやん。もしかして忘れたん? やー、かずピーはドジっ子やなー」

「及川のケータイ、赤外線通信で画像受信出来るタイプだっけ」

「人の言葉無視してこっちの情報を得ようとかかずピー鬼畜! でも出来るでー、コミュニケーションには外せんことやしねー」

 

 妙なところで素直な相手で話が早い。

 ほい、と渡してくれた及川のケータイに、今まで撮ってきた写真を送る。

 ……これで、いつかこのケータイが壊れても、及川が戻ってしまっても、思い出は残る。

 

「ところでかずピー……俺前から思っとったんやけど……コミュニケーションとコミニュケーションって間違えやすいよなー?」

「交流って意味なんだから、コミュニティって覚えておけば問題ないだろ。さすがにコミニュティって言う人は…………居るかも」

「つか、かずピーなにしとるん? 赤外線で画像送信? ……お? なに? 写真くれるん? ───はあぁっ!? もしやべっぴんさんのアハンな写真とか!? グ、グッジョブ! ええ仕事やでかずピー! 俺かずピーの親友でよかったわ!」

「答えを聞く前に暴走するなよ! お前が期待するようなものなんか一切ないから!」

 

 そう、もちろんエロォスなものなんてない。

 あったとしても、そういうものを送ったりなどするわけがない。

 まあ、あるとすれば……

 

「お、終わった? 見せたって見せたってー♪ あー…………」

 

 ケータイを返し、止める間も無く画像を開いた及川。

 そんな彼が突如、ピタっと止まって頬を染めた。

 …………回り込んで覗いてみれば、いつかの思春の無防備な寝顔があった。

 

「おぉおおんどれこないなもん間近で撮る機会にどうやって恵まれたんやぁああっ!! 膝枕やろこれ! 膝枕やろぉおお!? しかもこんな無防備なっ……! これかずピーの彼女!? 彼女居ない暦更新中やったかずピーにまさかの美人さん!? フランチェスカで可愛い子ちゃんに誘われても動かんかったんはこれが原因かぁああっ!!」

「お、おぉお……落ち着け及川、人の写真を勝手に見て怒るな。な? あと顔色怖い。顔より顔色が怖いから」

「こォオれが怒らずにおられるかいぃいっ! どーせこのぎょーさんある画像も、このべっぴんさんとの甘ったるいので埋め尽くされてるんやろ!? こーなったら見たる! 全部見て、ほんで文句のあとにお幸せにって祝福したる! ……ほんでなんで次が孟徳さまの寝顔やねん! どないなってんねやかずピー!!」

「だ、だから……な? 人の写真を……つかお前顔色大丈夫か? どうなってるんだお前の体内組織。むしろ色素」

「そーかそーかこれ寝起きどっきりとかに使った写真やろ!? せやな!? せやゆーて!? それとも俺んことほっといてかずピーったらここで、俺より女性経験豊富に……!? 彼女を取り替えては膝枕してーを繰り返したん!?」

「いや……ほら……な?」

「かーっ! 羨ましいやっちゃなぁかずピー! やー、しゃあけどさすがにちゅーまではいってへんよな? お昼寝しとる女の子の部屋ぁ忍びこんで、膝枕して撮った~とか、そんなもんやろ?」

「よーしいっぺん殴らせろこの野郎」

「恥ずかしがらんでえーって! かずピーがどんだけ奥手かは俺も知っとるしー? かずピーがこっちで10年近く生きとる言われたって、俺ほんぎゃあああああああっ!?」

「ほぉぅわっ!? おっ……及川……!?」

 

 怒ったり叫んだりして、しかし急ににっこにこ笑顔になっていた及川が、急に叫んだ。

 覗いたその写真の中には……まだちっちゃな頃の璃々ちゃんを抱いて、こちらをやわらかな笑顔で見つめる紫苑がいらっしゃいました。

 

「こっ……こどっ、こど、どどど……!? もしや、もしやもしやかずっ、かず、ぴ、ぴぴぴ……!?」

「断言するけど俺の子供じゃないぞ?」

「せやろなー♪ んなわけあらへんよなー♪ 信じとったでかずピー!」

「………」

 

 なんだろう。力ずくでも見るのを止めないと、やばいような気がする。

 主に娘たちの写真に辿り着いた時とかに。

 

「…………………………」

「お、及川? そろそろいいだろ?」

「…………なぁかずピー? なんで……なんでこの写真のべっぴんさんら、みぃんな……───んあー……」

「及川?」

「なぁかずピー? 俺、恋する女の子の笑顔、好きゆーたよな?」

「───」

 

 “恋する女の子の笑顔が好き=写真の中のみんながそんな笑顔”!?

 うああ……! しまった……! これもう言い逃れ出来ない状況だ……!

 

「この写真撮ったの、み~んなかずピーやねんな?」

「チガウヨ?」

「ちっちっち、かずピー嘘はいかんなぁ。知っとった? かずピーは嘘つくとき、口角がちぃとばかし持ち上がるんや」

「お前は顔が紫色に変色するんだ。知ってたか?」

「マジで!?」

 

 人の嘘のクセより、自分の変色具合に驚いたらしい。

 

「ところで絵本なんだけどな、及川」

「強引に話題変えてきよったな……なはは、まあえーけど。好きになる前に予約済みとかわかってよかったわ。んで、かずピーは誰が本命なん?」

「かっ───」

 

 ───反射的に華琳、って言いそうになった時、自室の扉や窓の外からガタタッと謎の音が。

 及川に悟られないようにソッと窓を見てみれば……なんか普通に部屋を覗いてらっしゃる三国無双さん。

 

(ちょぉっ! 恋っ! ちゃんと隠れときっ!)

「そうすると見えない……」

(見えんでええんやって! 今は声が聞こえたらそれでええ!)

「ん……わかった」

 

 ……覗かれている側が見守る中、ゆっくりとしゃがんで、視界から消える三国無双さん。ていうか今思いっきり声聞こえてましたよ、霞さん。

 

「………」

 

 訪れた静けさの中、遠くで謎の鳥が鳴いていた。

 

「及川さんや」

「はいはいなんですかー、北郷さんや」

「……絵本読もう」

「艶本とかないん?」

「それについては師範とも呼べる人が居るな」

 

 自信を持って頷いたら、扉の向こうで何かがどべしゃあと倒れる音が!

 ……うん、なんかもうきっと、みんなでこの部屋囲んでるんだろうね。逃げられん。

 

「まさか艶本の師範……エロ師範の存在を教えてもらえるとは思ってもみぃひんかったわ。てっきりあきちゃんみたく殴りかかってくるかと~」

「そんな暴力的であってたまるか。これでもじいちゃんからいろいろ教わって、口調とかだって気をつけてるんだからな?」

「せやなー、前のかずピー、もっと口調汚い感じやったもん。あれで金持ちとかやったら、いけすかない越小路のぼっちゃんみたくなっとったのとちゃう?」

「剣道をあんな方向に扱うヤツみたいにはなりたくないなぁ」

「なはは、剣道で勝てへんかったら仲間呼んで囲みそうやもんなー、あいつ。ところでかずピー?」

「ん? どしたー?」

「……いつの間にか部屋の隅に女の子立っとんねんけど、あの人誰? ユーレイ?」

「いつ入ってきたの思春さん!!」

 

 言われて振り向いてみればほんとに居たよ! いつから居たの!? っていうか居たなら声くらいかけて!? それとも偵察的ななにかをしていたのですか!? 偵察……てい……ちょっとなにやってらっしゃるの錦帆賊の頭さん! 確かにそれっぽい役どころな気もするけど、むしろそういうのって明命の仕事でしょ!?

 とか驚愕に染まる頭でいろいろ考えていたら、つかつかと歩いてきた彼女は“くっ……!”って目を伏せながら言いました。

 

「許せ……! 蓮華さまに頼まれては嫌とは言えん……!」

「その割りに依頼主はあっさり吐くんだな……」

 

 でももういい加減、嫌って言ってもいいと思うんだ、俺。

 悲しみを分かち合いながら、おーよしよしと頭を撫で……払われた。

 

「お? お、おおー。おーおーおー! せやせや! 写真の中におった子ぉやな! やっぱべっぴんさんやなー! あ、俺及川祐いいます、よろしゅー頼んますわ」

「む……甘興覇だ。あまり気安くするな。私にとっての貴様は、ただの北郷の友人というだけの存在だ」

「ぬっふっふ~、おー、それでえーよー? 間違ぉてへんもん。けど人の出会いっちゅーもんはそんな些細なとこから始まるもんやしなー。ちゅうわけで俺のええ人になってください!」

「無理だな」

 

 膝から崩れ落ちる男を見た。

 まさか自分以外にこれをやる人を見られるとは……!

 

「あ、あのー……理由とか、聞いてもええです……? や、女々しいのは百も承知なんやけど」

「自分の全てを置く場所は既に決まっている。他に流れるなど有り得ん」

「うわぁああーおう!」

「んぐっ……!」

 

 キリッとした表情でキッパリ言い切る思春に、及川は目を輝かせて俺は赤面。

 まさかあの思春がこんなことを言ってくれるなんて……!

 …………いや待て、それってちゃんと俺のことなのか?

 曲がり曲がって蓮華のことでは? だってあの思春が俺の前で、真顔であんなことを! じゃなかったら俺はなにか悪い夢でも見ているのでは……ああきっとそうだ、だってこんなあっさり友人が現れるとか都合よすぎるもん!

 

「ええな! ええなぁ! ここまできっぱり言える子って俺めっちゃ好きやー! 言えずにうじうじしもじもじするのもええねんけど、やっぱりタイミング逃してがっくりしとんの見るよりはざっくり言ったほうがえーよなー!」

「思春……きみはそんな風に思っていたんだな───」

「う……わ、悪いか。自分の気持ちに気づいたからには、きちんとだな……!」

「───蓮華のことっ」

「……貴様は一度死んだほうがいい」

 

 真顔で死んだほうがいいと言われた。

 ……え? 蓮華のことじゃなかったの!?

 

「かずピーってやっぱり鈍感やねんなぁ……普通女の子にそこまで言われたら、気づかんほうがおかしいで……そんであれか? “今なんか言ったか?”とかゆーて、“ううん、なんでもっ”とか言われて流される人生。っかー! 情けないっ!」

「いや。この男は聞き逃したことはこちらが吐くまで詰め寄ってくるぞ」

「マジで!? かずピーいつの間にそんなレベルアップしたん!?」

「いや、だってさ、あのパターンってどうしてか男が悪いことになるだろ? なにか言ったかって訊き返してるのに喋らない女だって悪いのに。だから意地でも聞き直すことにしてるんだ」

「うわー……それはそれでウザイわー……」

「ええいじゃあどうしろっていうんだ」

 

 気持ち、わからないでもないけどさ。

 

「まあとにかく絵本だ絵本。まず字を覚えなくちゃなにも出来ないだろ」

「せやなー。あ、なぁなぁかずピー、俺結構悪役~っちゅうの? そういうのは覚えるの得意なんやけど~……ほら、三国志ゆーたら董た───むぐっ!?」

「……及川。死にたくなかったらそれはやめとけ」

「んぐむごごむぐむむーむむ!?(訳:何気ない会話でも死ぬゆーんか!?)」

 

 恐らく皆様に囲まれているであろう現在。董卓───月の話題はマズイ。

 他の話題ならまだいいかもしれないし、知ってる人だってそりゃあ居るけど、あまり好ましくないことは事実だ。

 だから別の話を───

 

「ぶー……せやったらあれやな。なんやすぐ歴史の陰に消えてまう公孫さぶむっ!?」

「お前はなにか!? 死にたいのか!? いくら殴られ慣れてたって命はひとつなんだぞこの馬鹿!」

「むぶーっ!?(訳:えぇーっ!?)」

「貴様らな……勉強はどうした……」

『あ』

 

 思春さんのツッコミで勉強に戻りました。

 とはいうものの、及川はやっぱり物覚えもよく、応用も利く。

 教えた先から絵の雰囲気で文字を予測して、頭の中で言葉を作ってみては当てはめて……次々と覚えていく。

 

「おー、絵本ってのはええもんやなー。ちっと幼稚やないかーとか思っとった自分をしばきたいわ」

「俺で良ければ全力で殴るぞ?」

「なんでそんな殴る気満々なん? あ、ところでえーと……興覇さん?」

「なんだ」

「えーと、かずピーとはどんな関係です? 俺てっきり、かずピーは孟徳さまとそーゆー関係や思とったんやけど。や、それ以前にみぃんな人妻みたいなもんやーゆーとったから、かずピーも一人寂しい思いをしとるんやないかって」

 

 ……じとりと睨まれた。

 貴様は何故堂々と説明しないのだといわんばかりの眼光にござる。

 いえ違うんです思春さん。

 この世界と僕らの世界とじゃあ、一般常識からしていろいろと違うといいますか。

 呉や蜀に回る前に、既に多数の女性と関係を持ってたからって、天でもそういうのが許されるってわけではなくてですね? ……どー説明しろっつーんじゃぁああっ!!

 なに!? なぜこんな事態に!? 俺べつになにもやってないよな!?

 

「ア、アー! ところで及川ー!? お前って多数の女性と関係持ってる男ってどう思うー!?」

「……爆発してえーのんとちゃう?」

「お前やっぱいろいろな物事の原因の一部だと思うんだ、俺」

「え? なにがー?」

 

 答えずに勉強に戻りました。

 なんかもう逃げられないなら、さっさと喋ってしまってもいいとは思うんだけどさ。

 

「ところで興覇さんー? 随分お若いですけど、子供とかいてはるんですかー?」

「居るがどうした」

 

 うわぁお正直!

 

「お、俺と娘さんの清い交際を認めてつかぁさい!」

「死ね」

「死ねとな!? うあーんかずピー!」

 

 感情を込めない、道端の石でも見るような目で即答された及川が、ビワーと泣きついてきた。

 ……ていうかなんで広島弁になった。

 

「今までフラレるにしてもあんなっ……あないなっ……即答で死ねとかっ……!」

「はっはっは、落ち着けって及川。そんないきなり現れた男に、娘さんを僕にくださいなんて、いっぺんブチコロがすぞとか言われても文句言わせて貰う前にとっとと死ね」

「あれぇかずピー!? 慰めの言葉が途中から死亡願望になっとらん!?」

「気の所為だ。それより勉強勉強。ほら、ここに文字書くから読んでみれ~?」

「うう、かずピー……俺のためにわざと砕けた口調で……! おおきにかずピー! 俺頑張るわ! 今の俺やったら簡単な文字くらいどどんと読める……なんかそんな気がする! ほーれ書かれた文字かて一発読破! “大・往・生”! ……やっぱり死んどるーっ!!」

 

 「あとこれ別に漢文習ぉてへんでも読めるやぁああん!」と泣きながら叫ぶ彼をとりあえずスルー。授業を続けました。

 わかってくれ……これも一応、お前の命のためなんだ……!

 むしろ華琳に用済みだと思われたら、なんかすぐにでも消えてしまいそうな気がして……! だからまず字を覚えてくれ。そして働いてくれ。己の価値を高めるんだ! じゃないとこの世界では生きていけない……!

 

「…………」

 

 あれ? この場合むしろ、俺が脱線の原因ではございませんか?

 

「よし及川、勉強だ」

「お、おお! 今の流していいジョークやってんな!? ほんなら俺、真面目に勉強して興覇さんの娘さんに相応しい男になるー! 未来に繋ぐ行動ってこーゆーことのを言うねんな! 俺……一回目が成功すれば、以降も頑張れる気がする! さあかずピー!? まずなにしたらええの!?」

「死ね」

「以降に何も出来ませんが!?」

 

 あ、素に戻った。

 たった一回大阪に行っただけなのに、どうしてこう関西弁を好んでいるのだろうか、この男は。

 

「北郷」

「へ? あ、ああ、なんだ? 思春」

「とりあえずこの男は殺していいのか?」

「なんでいきなりそんな物騒な確認が!?」

「……貴様は普段の自分がどれだけ相手に生易しいかを考えるべきだ」

「ナマッ……!?」

 

 生易しいって……え、いや、うん……? や、優しいじゃなくて、ナマヤサ……!?

 

「あ、ああ、まあ……確かに俺、人に“死ね”なんて言わないよなぁ」

「呆れるほどにな。その影響か、先ほどから外から複数の殺気が漏れてきている」

「え? あ、ほんとだ! 自分の殺気の所為で気づかなかった!」

「かずピー!?」

 

 なんかいろいろ重なって及川が大変ショックを受けていた。

 ともかく外の皆様には冗談であることを伝えて、勉強の続きを…………

 

「……隠れる意味ないよな、これ」

「言ってやるな」

 

 堂々と外に話しかけてみても、誰ひとりとして入ってこないこの状況。

 ……ああうん、隠れて聞きたいお年頃なのよきっと。そういうことにしておこう。

 

「ところでさっきの……俺と及川の話、聞いてた?」

「? よくわからんが、私たちが周囲に集まったのは、そこの男が“おんどれ”などと叫んでからだ。その前は知らん」

「……そか」

 

 よかったのかそうでないのか。

 まあ、あとのことなんて残される者の仕事か。

 

「え、えーと……かずピー? 結局俺、どーなるん?」

「夢から覚めるまで、頑張って働こうな」

「そんな俺の頑張りを見て惚れる娘多数!」

「惚れたとして、元の世界の恋人は」

「大丈夫! 居たらかずピーら男どもを誘って遊びに~なんて考えへん!」

「……思えばお前は人のバッグにアルコール詰め込んで、どこに遊びに行くつもりだったんだ」

「何処て~…………てへっ♪」

『……よし殴ろう』

 

 朱色の君と意見が合った。

 ゴキベキと拳を鳴らして動き出す俺達に、及川の悲鳴が響き渡る。

 拳の雨が振り、拳の突風が吹き荒んだ。

 そして───

 

「あ、ところでかずピー? これなんて読むん?」

「“唔該”……ムゴーイ。してくれたことに感謝するって意味だよ……っていうかお前の体っていったいなにで出来てるんだ?」

「ニッケルクロモリ鉱?」

「砕けろ合金鋼」

「わお! かずピームゴーイ!」

「変態かお前は!」

「いやこれ普通にムゴイって意味やで!? 合金鋼扱いされて感謝するとか俺どんだけ変態やねん!」

 

 思春に殴られても平然と勉強に戻る変人を前に、俺も思春も大層驚いた。

 ああうん、頑丈ってだけで、それだけでこの世界では優遇されてるんだと思うよ。

 きっと空飛んだってすぐに回復できるよ。

 ていうかこの場合、及川の氣ってどっち側なんだろうね。

 俺と一緒で二つあったりするのかなぁ。

 

「………」

「? なに? かずピー」

 

 あったとしても、天でもここでも守りの氣のような気がする。

 むしろ絶対そうだと、本人の意思を全く無視して決定した。

 

「お、及川~……? ちょっと握手しないか~……?」

「お? もしかして友情の確かめ合いってやつ? ええでええで~? や~、やっぱ夢の中ってだけあってかずピーもノリええなぁ。ほい握手」

 

 握手と書いてアクセスと読む。そして彼の中に俺の氣を沈めて、早速氣の探知を開始。

 ………………。

 

「………」

「? どないしたん? かずピー」

 

 …………そっと手を離して、自分の机に着く。

 そして机に肘を立て、静かに俯き、手を頭へ。

 すぅっと息を吐いて……長く長く吐き出した。

 さて結論。

 

(どうしよう……! こいつ、ほんとに守りの氣しかない……!)

 

 しかも滅法微弱。

 なのにあの頑丈性。

 ああそうか、こいつ……生物学的にも変態だったのか。

 

「なぁ。お前ってなんでそんな頑丈なの……?」

「いややなー、俺かて殴られれば痛いでー? あきちゃんと殴り合って、動けなくなってまうくらいに。普通や普通」

「お前今すぐ“普通”の人たちに謝れ」

「んー……あきちゃんが言うにはこう……“ギャグ体質”?」

 

 えっ……? えあっ……え!? それで納得していいのか!? 人としてどうなんだ!? あ、もしかしてこいつ人じゃないのか!?

 ……言っておいてなんだけどものすげぇ説得力だどうしよう!

 

「シリアス空間で殴られるとこう……芯に響くみたいな? や、そーゆー時ってケロリとしとると空気読め~って感じになるや~ん」

「……まあ、普通に考えたらツッコミで本気で殴るヤツ居な───……マテ。お前早坂兄に殴られてる時、わりと血とか吐いてなかったか?」

「芸人体質の男はいつも口の中にケチャップ袋仕込んどんねんで?」

「そこはウソでも血糊にしとこうな?」

「あぁほら、プロレスラーかて毒霧仕込んどるやろ? 同じ同じ~♪」

 

 同じなのか? ていうかケチャップってぺっとりしててあんまり血っぽくないよな考えてみれば。そこはトメイトジュースとか……あれも血って言うには色が薄いよね本当!

 じゃあどうすればそれっぽくなるのか?

 

「……勉強、するか」

「せやな」

「何度脱線すれば気が済む……」

 

 律儀に見守っている思春も、なんというかご苦労さまですって感じだった。

 



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146:IF3/子供たちの警戒度が上がる日々①

198/一味違った世界とともに

 

 それからの日々を語ろうか。

 

「かずピーかずピー! けーらっちゅうの教えてー!」

 

 物覚えも順応も速い友人が都で暮らすようになってからの日々は、瞬く間に過ぎてゆく。

 

「と、父さま! 今お暇ですか!? よよよよろしかったら稽古を!」

「あー……ごめんな、丕。これから及川に教えなきゃいけないことが」

 

 そう、一風変わった日々が過ぎてゆく。気安く付き合える男……そう、男の友人が現れたことで。

 警邏で街を歩きながら買い食いをして、笑顔で駄弁ったり……素晴らしい!

 久しく味わっていなかったこの気安さ……素晴らしい!

 

「父よ! 美味そうなのを食べてるな! 私も欲しいぞ!」

「っとと、じゃあ、ほれ。無駄遣いするなよー」

 

 ドゴォと背中にしがみついてきた柄に、ぽんとお小遣いをあげられるほどに上機嫌。

 そして警邏に戻り、また駄弁りを続け……

 

「ん? 今あのちっこい子、とっても重大なこと言うてへんかった?」

「ん? 重大って? べつにふつーのことしか言ってないと思うけどな」

 

 久しぶりに味わう友人との時間に、まあそのー……浮かれていたんだろうねぇ俺ってやつは。

 で、そんなことが何日も続いたある日のこと……だったわけだが。

 

……。

 

 とある秋の日の昼のことでございました。

 

「なぁかずピー」

「ん? どしたー?」

「かずピーって……人間?」

 

 いつも通り鍛錬を終え、いつも通り仕事をこなしていた俺へと、及川が軽い質問を…………重いなおい。

 

「お前にだけは言われたくないんだけど……人間だぞ?」

「いや……俺の知っとる人間はかめはめ波なんぞ撃たんし座ったままの姿勢でジャンプもよぉでけへんし、なによりあんな速度で走られへん……! もしやかずピー! ジブンかずピーの皮を被った…………!! ……かぶったー……あー……、……誰?」

「考えてないなら言うなよ!!」

 

 などと、くだらないツッコミを入れている時にやってきたのだ。

 ……コンコン、と控えめなノックが。

 

「あ、ほいほいー、今開けますわー。おっ、かずピーなんか今の、秘書さんっぽくあらへんっ!?」

「人の部屋の開閉許可をお前が出すなよ……って、誰だろな。今日は誰かが来るなんて予定は……」

 

 一瞬だった。

 及川が扉を開け、何者かがその股下をスライディングで潜り、驚いて下を向いた及川の腹へと何者かが飛び蹴りをかまし、そのままの勢いで腹から肩へと駆け上がり、顎へ膝蹴り。

 ふらついた彼へ、次に襲い掛かった影が膝を踏み台にしてのシャイニングウィザード。その逆側から襲い掛かった何者かが及川の腕を極め、顎に膝をキメ、腕を捻って床に叩きつけた。

 ……虎王、完了。

 じゃなくて。

 

「ちょっ……なにやってんのお前らぁあーっ!!」

 

 お前ら。

 そう呼んだ先には自分の娘たちが居て、ふぅ……と額の汗を拭った登……子高が、こちらへと振り返り、

 

「父さま、やりました!」

「えぇええええっ!?」

 

 なんかもう大魔王でもコロがしましたって笑顔で言うもんだから、もうなにを怒っていいものやら。

 若干引いていると、及川をほったらかしにした娘達が一気にこちらへ。

 

「父! 最近の父はよろしくない! なにかというと眼鏡眼鏡と!」

「そ、そうです! お猫様とのモフモフを後においてまで優先させるほどのモフ度が、あの人にあるとでも!?」

「……へっ!? え、あー……そ、そっか、確かに最近は及川とばっかり……ていうかモフ度ってなに? あとなんとなく予想つくけど柄!? その言い方だと俺、眼鏡無くした人みたいだからな!? ちゃんと及川って言ってやろうな!?」

「せっかくの休みも毎度毎度あの眼鏡と遊びに行く始末……! 私たちは、どうしたらいいのかと……!」

「いや、子高? 俺言ったよね? 及川って呼んであげてって言ったばっかだったよね? ホヤホヤだよね?(ホヤホヤ=出来たて、言いたてという意味で)」

「そこで決めたのです。あの眼鏡が父上を独占するというのなら、私たちであの眼鏡を黙らせようと」

「眼鏡であることは確定なのか!? やめなさい! 某万屋のぱっつぁんみたいな位置に定着しちゃうから!」

「えへへぇ、とりあえず痛い目に合わせてあげれば、お父さんに近寄ることもあるまいと思いましてぇ」

「……きみたちはもっと子供らしい方法で対策しましょうね。洒落にならないから。きみたちの実力で叩き伏せられたりしたら、なんかもうやられた方が大変だから」

「お手伝いさんを独占なんて、する方が悪いのですよ。偉大なる母たちでさえいろいろと我慢しているというのにまったくあの眼鏡は……!」

「お前なにか眼鏡に恨みでもあるの!?」

「う、うん……それがね、あの眼鏡……あ、えと……名前なんだっけ。あ、うん、とりあえず眼鏡で話を進めるね? あの眼鏡がね? 子明かーさまの眼鏡のこと、片方だけの眼鏡って、意味あるん~? って」

「───」

 

 ああ、うん……えと……うん。

 いや、うん。…………そりゃさ、俺も思ったことはあるけどさ。

 でも本人を前にしてきっぱり言うとか……。

 

「いやいやちゃうねんで!? そら誤解や! 俺はただ、そんな眼鏡かけとったら視力が偏って大変やろーって!」

『………』

「……あれ? なに? なんで俺見つめられとるの?」

「っ……馬鹿な……! 校務仮面さまに伝授された虎王を決められて、なお立ち上がるとは……! と、登姉さま!」

「ああ……さすがは父さまの友人を勝手に名乗っているだけのことはある……!」

「いや勝手ちゃいますが!? なー!? 俺ら親友やもんなーかずピー!?」

「とりあえず亞莎の眼鏡は俺がプレゼントしたものなんだ。だから───眼鏡の文句は俺に言え!!」

「あれぇ!? 敵しかおらへん!」

 

 とまあいろいろ悶着もあったものの、とりあえずは着席。

 小さな卓に座った……いや、座らされた及川を中心に、娘達がぞろりと集った。

 ……うん、なんかまるで、極道の事務所に連れてこられて固まってる若者の姿のようだ。周りの娘たちもなにやら顔が怖いし。

 

「さあきりきり吐いてもらおうかこの眼鏡……! どうやって父の興味を引いたのだ……!」

「あ、あの、俺、及川祐言いますよって、眼鏡眼鏡言うんは堪忍してほしいなぁ」

「黙れ眼鏡」

「かずピーがそこで否定するん!?」

 

 いや落ち着け俺、及川がしたのは俺も気になっていたことなんだ。

 なのに相手を一方的に罵るのは桂花と同じだ。それはいけない。

 

「………」

「………」

 

 で、この状況でこれ以上なにをしろと?

 

「遊ぶか」

『了解!!』

 

 全員の心がひとつになった瞬間である。ちゃっかり決めポーズまで取ってらっしゃる。

 え? うん、及川も誰もかもが一斉に叫んでらっしゃった。

 

「お前らさ、喧嘩してたんじゃなかったのか……?」

「ん? 俺べつに喧嘩なんてしとらんけど?」

「叩きのめしてスッキリしました!」

「娘とはいえ呉の勢力からそんな言葉を聞く日がくるとは……」

 

 子高……孫登さんが輝いてらっしゃる。孫の姓を担うものがこんなにも凶暴だ、どうしよう冥琳。

 

「やー、しっかしかわゆい子ばっかやーん♪ なぁなぁかずピー? この子ら誰の子? 言葉からしてかずピーが育て役やってたーっちゅうのは想像つくけど」

『っ……!!』

「へっ!? あれっ!? なんでここで一斉に両手両膝ついて落ち込むん!?」

 

 そんな状況に俺と禅も大驚愕! ……あれ? 禅はいいの?

 

『そっ…………育てられてない……!』

 

 そういえばそうだったァアア!!

 いやでも途中までは育てたんだからそんなこと言わないで!? 父さん泣いちゃう!

 

「えっ? そんならなんでかずピーのことおとーさん言うとるのん?」

「え゛っ……や、だから……な? それはな、及川……」

「はっはーん? もしやこの子ら全員、かずピーの娘とかぁ?」

「やっ、ち、ちがっ───」

『!!』

 

 ア。

 思わず否定しそうになった途端、蹲りつつも俺を見上げていた娘達が物凄いショック顔を。

 ど、どうするバラすのか!? この娘たちは俺の娘ですと! それ=たくさん経験してますヨとか言うことにええい娘の涙と変えられるかバッキャロォオオ!!

 

「親ばかで何が悪い! 俺が父親だぁああっ!!」

 

 男とは。一度馬鹿に走れば無限に馬鹿になれる生き物である。

 ハンパな馬鹿など馬鹿に非ず。

 一度足を踏み込んだのなら……娘のためにこそ至高の馬鹿に!

 

「……へ? かず……へ? や、冗談やってんけど……へ?」

「おーおそうだよ俺が親だよ文句あるかぁ!」

「…………おお! せやったんか! 親の鑑やなかずピー!」

「え? ……あの、いや、それはないだろ。自分で言っておいてなんだけど」

「いやいやそーゆーのんはハッキリ言えるもんやあらへん! そーかそーかぁ! ちゅーか俺空気読めてへんかったなぁ、ごめんなぁみんな」

「え……、……別に謝ってもらうほどのことでもないわよ」

「おほほっ、これまたかわえーツンデレさんやな~♪ ん、けど解った! かずピーだけやといろいろ大変やろ、俺も力貸すで!」

「……力? へ?」

「や、この子ぉらそのー……孤児かなんかなんやろ? ほら、言いにくいねんけど……戦で親亡くした~とか、な……? しゃあからかずピーが親代わりになって───」

 

 ア。いや、及川サン?

 この子らの前で親のコトは───

 

「へえ……? 覇王たる母さまを勝手に殺すとはいい度胸ね……」

「呉で力劣るのは私であって、孫の名ではないわ……。その言葉、孫家への侮辱受け取った。覚悟しろこの眼鏡……ッ!」

「あらあらぁ……ほんとうに随分と勝手なことを言ってくださいますねぇ~…………どうしてくれましょうかぁ、この眼鏡……」

「呉ではなく都の父に降った母を、牙をもがれた獣とでも言う気か貴様……。いいだろう、ならば獣らしく貴様の喉笛を噛み切ってやろう……!」

「あの母が? 戦で死ぬ? ───いい度胸だ眼鏡、貴様は私の目標を侮辱した」

「顔にいたずら書きくらいじゃ許しませんよ? 知ることも気づくこともなく始末します」

「よくも……よくも貴様、偉大なる母を……! 偉大なる父が亡くなってから、独りで私を育ててくれた母を……!」

「戦ではろくに戦えなかったかかさまだけど、それからずっごく頑張ったって聞いたよ……? 最後に全然役に立てなかったって、どれだけ悩んでたかも知らないで……っ……! そんなかかさまをよりにもよって戦で亡くなったなんて……!」

 

 は、はああ……! 娘がっ……娘達から暗黒のオーラ的ななにかが……! ななななんという威圧感……!

 あと琮!? 俺生きてるからね!? 亞莎に任せっきりになんてしてないからね!?

 

「………」

 

 に、しても……。

 子供の頃からこれほどとは……もしこのまま成長したら、どれほど強く…………あれ? そうなると俺、どうなるの? ちょっとしたじゃれつきで首がボチューンと飛んだりとか……いやいやいや! そんなことよりその矛先が───!

 

「あ、あれっ!? 俺なんかまずいことゆーた!? 俺ただ心配しただけっ……かずピー!」

 

 あれ……でも、うん。なんだろう。

 こいつならどれだけボコられても、一息入れれば平然と起き上がってきそうな気がする。

 でも、待ってくれ娘たち。

 そんな謎の生命体でも俺の友人なんだ。

 実際、こいつが来てから随分と助けられた。(精神的に)

 だから───

 

「みんな」

『っ……』

 

 声をかけると、殺気立っていた娘達がびくりと肩を揺らす。

 そして窺うような目を向け、まるで“どうして止めるの?”とでも言うかのように……

 

「死なない程度にやりなさい」

『……! はいっ!!』

「うぇええええ!? そこ喜ぶとことちゃうゥウーッ!!」

 

 あ、でも子供相手でそんな怯えることー……なんて続けた彼がこの後、血祭りに上げられるまで……そう時間は必要ではございませんでした。や、血はでないけどさ。

 

「ぎゃああ強いこの子ら強い! かずピー助けてかずピィイイッ!!」

「フフフ愚かな。貴様が頼ろうとしている俺なぞ、この世界では小物。支柱になれたのが不思議なくらいの弱者よ」

「それ今聞かされて嬉しいこととちゃうんですけど!? いやほんまこの世界の女の子どないなっとんのーっ!?」

 

 別の場所から来た人ならきっと誰もが思うこと。

 でもね、及川。そんなこと……すぐに慣れないと心が保たないぞ?

 ああちなみに、本当にボコるのはいろいろと問題があるので、ゲーム的なものでのブチノメしとなった。

 現在は柄が腕相撲中。ずどーんと一瞬で負け……ることを許さず、メキメキとゆっくり倒してゆく柄のなんと残酷なことよ。

 いっそ一思いにやってしまえばいいのに、わざと男の子のなけなしのプライドを、その腕とともにメキメキと折りにいっている。ていうかコキリと軽い音が鳴って、彼は敗北した。

 

「あぁあああんかずピー! 腕が! 腕がけったいな方向にー!」

「はいはい~、任せてくださいねぇ~?」

「ギャア待って今掴まんといて痛い痛い痛───ホワッ!? 治った!? しかも痛ないっ!? お、おぉお……なんや優しい子もおるねんなぁ!」

「治りましたかぁそうですかぁよかったですねぇ~……では存分にブチノメしてさしあげますねぇ……!?」

「ヒギャアやっぱりこの子も怖い!! かずピー!? かずピー!!」

「すまん及川。俺ちょっとこのことで覇王さまに報告しなきゃいけないことが出来たから、ちょっと出るな」

「エェエエエエッ!!? おまっ……ここで置いてくとかあんまりすぎやんっ! お、おれっ……俺ぇえっ……! 死んでまうーっ!!」

「うふふふふ大げさですねぇ、指相撲で死んだりなんかしませんよぅ? ……指は折れるかもしれませんが」

「キャーッ!? いやぁああばばばばばば違う違うわこんなん違う! 女の子に言い寄られたい~思とったことあったけどこんなん違うーっ! いやぁあああ助けてかずピーッ!!」

 

 叫ぶ及川の声を扉で遮断して歩き出した。

 さあ、いざ覇王の元へ。

 俺達の戦いは……始まったばかりだ───!

 ……いやまあ、ただちょっと休みを貰えないか許可を取りに行くだけだけどね。

 しばらく遊んでやれなかったからなぁ……。

 及川……俺が戻るまで待っててくれ。今、休みを土産に……戻るから。

 

……。

 

 で、結果。

 

「へえ、そう。休みが欲しいの。ええいいわよ?」

「ほんとかっ!?」

「ただし私に付き合いなさい」

「───」

 

 ………のちに。

 (主に遊びに振り回されて)ボロボロになった及川が、俺の部屋で発見された。

 一人でも十分なのに、娘全員の遊びに付き合うとなると……そりゃあ鍛えていようがなかろうが、疲れるよなぁ。



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146:IF3/子供たちの警戒度が上がる日々②

 で、さらにその後。

 

「なに? また休みが欲しい?」

「こ、子供たちと遊ぶ時間がさっ! ほらっ、この前は華琳と一緒だったからっ!」

「……そうね。まあいいわよ、それほど仕事があるわけでもないし。というかここはあなたが支柱の都でしょう? 少しは自分勝手に休みを決めてみるとかしたらどうなの?」

「愛紗にどやされるから無理」

「……ぷふっ! あなたって、本当にっ……くっふふふ……!」

「うぐっ……わ、笑うことないだろっ!」

「笑われて当然でしょう? あなたは今、覇王たる私よりも愛紗が怖いと言ったのよ? 怒る以前に笑いを堪えるほうが難しいわよ。……はぁ、困ったものね、まったく。もう、武人として怒るよりも先に、女として笑えてしまうんだもの」

「しょーがないだろ……? 愛紗の説教長いんだもん……ええっと、なんて言うのかな。叱る要点を決めて罰を下す華琳とは違って、怒り方が違いすぎるんだよ」

「あらそう。どういう感じに?」

「そうだなぁ……一言で言うと“おかん”」

「おか…………え?」

 

 怒り出したら止まらない。

 変な方向に話が逸れる。

 関係ないことでさらに怒る。

 昔の怒りどころを引っ張り出す。

 そして最初に戻ってまた怒る。

 ループ。

 これぞおかん怒り。

 と、これらを実際の経験も込めて熱く説いてみた。……ら、引かれた。

 

「そ、そう。まあ……あの鈴々と一緒に長い間一緒に居たのなら、その説教の仕方もわかりそうなものだけれど」

「いや……うん、鈴々だもんなぁ」

 

 元気な子供のいい例である。

 そんな鈴々と旅を続けていたのなら、ああなっても…………

 

「───」

 

 ああ、うん……桃香が追加されることで、その振り回されようはパワーアップしたんだろうなぁ。

 

「今度愛紗にアイスでも贈ろう……」

「!?」

 

 そんなわけで休みを得ることが出来ました。

 あとなんか華琳にもアイスをねだられた。珍しいから即了承したけど。

 

……。

 

 で、そんな休みの日。

 

「かっずピ~♪ 今日───おごっ!? んぐむぐぐーっ!?」

 

 ……中庭が見える通路の途中、呼ばれた気がして振り向くと、誰も居なかった。

 

「……なんだろ。なんか鳩尾に一撃喰らって布でも被せられて、強引に体を曲げられて便利に収納されたような、謎の悲鳴が聞こえたような……」

 

 気の所為か。

 そういうことにしておこう。

 

「さてと」

 

 通路を歩き、辿り着いた門の前。

 そこで待ち合わせをしていた娘達は───っと、居た居た。

 

「ごめん、待たせたか?」

「い、いえっ! 私も今来たところですっ!」

「そ、そっか」

 

 元気に返してくれた丕は、何故か言ったあとに握り拳を軽く持ち上げ、遠い空へと「言えた……!」なんて呟いていた。なにがあった。

 

「はっはっは、まるで程昱さまが教えてくれた恋人の上等文句だな」

「へっ、柄っ! そういうことはわざわざ言わなくてもっ……!!」

 

 そんな言葉をきっかけに、わいわい騒ぐ娘たち。

 ……ああ、頬が緩むなぁ。

 ようし、今日は娘達のために一日の全てを使い切ると誓おう。

 ていうか、あれ? なんかさっきまで邵が居なかったような気が……あれぇ? 居たっけ?

 

「邵? さっきからそこに居たか?」

「ひうっ!? え、ええええエエト!? い、いましたよ!? 居ましたとも!」

「そ、そうだぞ父よ! 邵はさっきからここに居た! 間違っても邪魔者の排除になど行っていな───ふぎゅっ!?」

「柄……少し黙りなさい」

「ひょっ……ひょうふぁいふぁ……ふぃぃ姉ぇ……!」

「……丕。喋り途中の人へのチョークスリーパーはほどほどにな」

「? なんですか? ちょーくすりーぱーって」

「すりーぱー……ちょーくということは、あの黒板に書く白い棒と同じ……はっ!? まさか校務仮面さまの新たなる奥義!?」

「聞き逃せませんね登姉さま! きっと棒を使ったものか、真っ白ななにかがっ!」

「聞き逃して!? そういうのじゃないから!」

 

 子高と述のノリが華蝶仮面的ななにかに迫りつつある……いっそ星に勧誘でもしてもらったほうがいいんだろうか。

 

「かずピーなに悩んどるん?」

「んー? いや、子供の成長についてをいろいろ───って及川?」

『っ……!?』

「やっほ、かずピー。やー、ちょっと聞いてやかずピー、さっき急に腹が痛なった思ったら目の前が真っ暗になってなー?」

「お前、へんなもの拾い食いとかしてないだろうな……って、どうした? お前ら」

 

 にっこにこ笑顔で登場した及川を前に、娘たちが驚愕の顔でカタカタと震えだす。

 ハテ、いったいなにが?

 

「あ、ところでかずピー今日休みやねんな? これから俺とー───」

『───!』

「父さま少しお話がっ!」

「へっ? おぉわっ!?」

 

 丕が急に俺の服を引っ張って、顔を近づかせる。

 手を口元に添えているあたり、内緒話でもしたいのだろう。

 及川の話の途中だけど、心の中で謝罪しつつもとりあえずは耳を傾けて《フボッ》えあっ!?

 

「ちょっ、丕っ!? 話するのに人の耳を塞いでどうす───」

「あわわわわわ父さまのお顔が近いちかちかちかかかか……!!」

「赤ァアアーッ!? なんだどうした丕! 熱でもあるのかってレベルじゃないぞ!?」

 

 と心配はしても耳から手は離してくれず、なんかどこかからドカバキギャアアアなんて殴打音と悲鳴が聞こえたような聞こえなかったような。

 

「……それで、丕? 話って?」

 

 ……なんか耳を解放してもらえたから聞いてみれば、真っ赤な顔をした丕は、

 

「…………、!?」

 

 なんか急にハッとして、おろおろわたわたと手を動かしたのち……

 

「……いっ、いい天気ですね!」

「………」

 

 ……うん。

 テンパりすぎて目がぐるぐるな娘に、追求をする勇気は俺にはなかった。

 

「まあ、いい天気だから出かけるんだもんな。晴れてよかったよな、丕」

「はいっ!」

 

 おお、いい笑顔。

 そんな丕の頭を撫でると、さてと振り向いて……

 

「で、話の続きだけどな、おいか及川!?」

 

 あれ居ない!?

 驚いて呼び途中だった名前を改めて言い直すなんて、器用なのかどうなのかヘンテコなことをしてしまった!

 

「父よ、やつなら帰ったぞ?」

「帰った? なんだ、急ぎの用でもあったのかな……? 話の途中で悪いことしたかな……」

「───土に」

「へっ? 柄、今なにか……」

「いい天気だと、工夫も鎚を持つ手に力が入るなって言おうとしたんだ。噛んだことくらい見逃してくれ、父」

「あ、そっか。つちね、鎚……」

 

 なんか一瞬恐ろしい言葉が聞こえたような気がするけど、気の所為…………だよなぁ。

 

……。

 

 ご機嫌取り、と言ってしまってもいいのだろう一日が始まった。

 娘達が足を止めれば足を止め、希望があれば喜んで。

 そうして娘達の要望を聞いているうちに───

 

「よしっ、じゃあ次は服屋だな。次は本屋で次は眼鏡か。食事も少しずつ、いろんなところで食べるのでいいよな?」

『───…………』

 

 訊ねてみると、どうしてか娘達はぽかんと停止。

 その中で、おず……と質問を飛ばしてくる禅に、俺はフツーに言葉を返す。

 

「あの。ととさま? なんでしようとしてたこと、全部わかっちゃうの……?」

「んー? だってこの流れだとそうなるだろ? 父さんの案内歴をナメるなよー?」

((((((仕事人だ…………根っからの仕事人だ…………!))))))

「そうだなー……丕にはああいった服が似合いそうだし、子高にはあの服も……」

((((((似合う服まで想像されてるっ!?))))))

 

 乙女心は理解出来なくても、様々な人を案内したり見たりしてきたこの北郷。微笑む娘らをがっかりさせるようなことなど起こしてたまるものですか!

 そんなわけで服を───

 

「おぉ~っ! このメイド服めっちゃ凝っとるわぁ~! あ、こっちの服もええなぁ! やっぱかずピーにもこの道の才があったわけやな!」

 

 ……ハテ。自分がよく知る男の声が耳に届いたんだが。

 と、声の出所を探ってみれば……俺達が見ていた服屋とは対面に位置する服屋で、入り口前に飾られているメイド服を見て興奮する男が───

 

「あ、あれ? 及川? 急ぎの用ってもしかして───」

『!!』

「と、ととさまっ! 荷車が通るよっ! こっちこっち!」

「え? いや禅? あの速度なら、今からでも全然向こうまで渡れる───」

「ちゅういいちびょーけがいっしょー! ととさまが言ったの! いーからくるの!」

「あ、は、はい……」

 

 反対側の服屋まで、ぱっと行ってしまおうと思ったのだが……禅に引かれて、少し歩いた道を軽く戻る。

 そうして振り返ってみると…………服屋で騒いでいたはずの及川の姿がなくなっていた。

 えっ!? あれっ!? イリュージョン!?

 

「ど、どうしたの? ととさま」

「えっ、どう、って……いや、さっきあそこに及川が……あれぇっ……!?」

 

 俺……疲れてるのかな……。

 及川と久しぶりに(はしゃ)げて幻覚でも見たのかな。

 ああやばいな、それはやばい。

 そうだよな、大体俺は今日一日を娘達のために使うと誓ったのだ。

 及川のことは忘れよう。

 丁度荷車も通り過ぎたし、及川のことは…………おい……

 

「…………なんか今の荷車に、どっかで見た髪の色した眼鏡が乗せられていたような……」

「え、えー? ぜぜぜ禅は見えなかったけどー……?」

「……そ、そうだよな、気の所為だよな」

 

 そうだとしてもあんなズタボロ状態なわけがないよな、うん。

 きっとなにかの傷んだ荷物だったに違いない。

 

「さて、服を……って」

 

 ハテ。さっきまで周りに居た娘達が、禅以外居ないんだが。

 

「あれ? 丕? 子高? 延? 述、柄、邵? 琮~?」

 

 見えなくなった子供の名を呼んでみる。と、『ここに……!』という言葉とともに、背後に跪いて現れる子供たち。

 

「おぉわっ!? どこの忍者だお前らは! 何処に行ってたのか知らないけど、来るならもっと普通に来なさい!」

 

 何故か呼び出された忍者のようにシュタッと降ってきた子供たちに注意を。

 というか……なんでそんなにぜえぜえしてはりますの?

 

「………」

 

 …………。

 

(ああ、トイレか) *違います

 

 ここは踏み込んだことは訊くべきじゃないな。

 さて、娘に似合う服を探すとしますかぁっ!

 ああ、いいなぁ、休日のパパしてるって実感がある! じいちゃん……俺、今とってもパパしてるよ!

 

……。

 

 そうして……何度か娘達が忽然と姿を消すこと十数回。

 楽しんでくれているはずの娘たちが、時間が経つごとにぜえぜえと疲労を隠せなくなってきたあたりで、いい加減どうしたものかと思考に沈むわけで。

 

「あの……父さま」

「ん? どうかしたか? 丕」

 

 琮のリクエストでごま団子を食べている最中、軽く俯いた我が娘がおそるおそる声をかけてきた。

 なんというか。まぁ。

 こういう雰囲気って、相手が娘じゃなくてそーゆーお年頃だったら、恋人みたいに見えるのかなぁ。

 

「……あの眼鏡って人間ですか?」

 

 でも話題は恋人トークとはかけ離れすぎていた。

 

「いきなり失礼だな……人間だぞ? 決まってるじゃ───」

「父さまのように鍛錬をしているわけでもないのに、氣を学んでいるわけでもないのに、異常なほどに頑丈なあの眼鏡が、ですか?」

「───……いや……うん、まあその……ほら……な? に、にん……人間……?」

 

 すまん及川。断言は無理だ。お前絶対おかしい。

 そしてもう眼鏡で通ってしまっている。許してくれ。言っても直してくれないんだ。

 

「ま、まあ多少は頑丈なところもあるけど…………多少? いや相当……相当?」

 

 なんかもう相当どころじゃ済ませられないタフさを感じる。

 ちっぽけな根性どころじゃない、生命体としてのタフさというか。

 

「なるほど……父さまもあれを人間として認めていないと」

「いやっ! 一応人間ではあるはずなんだぞ!? 頑丈なだけで───……、……うん。ていうかな、丕。あいつの存在には俺も助けられてるんだ。友達を悪く言うのは、やめてくれ。な?」

「………で、でも男ですよ!?」

「ちょっと待とうか娘」

 

 お前はなにか、俺が女じゃなければ友人関係すら作らんとか思ってたのか。

 軽く頭を掻いてから、シツケの一環として丕の頬を軽く引っ張った。

 

「いふぁふぁふぁふぁ! いふぁい! いふぁいでふふぉーふぁま!」

「及川は友達だ。天での友達。こっちじゃ俺は支柱って立場で、気安く友達になってくれるやつなんて居ないの。……丕ならわかるだろ? お前が子桓さまって呼ばれる状況と同じなんだよ、俺の立場って」

「……あぅ……」

 

 グミミミミと引っ張っていた頬を離す。

 出るのは溜め息。でも、なんとなく相手がどうなるかもわかってたから、その頭を撫でた。

 

「ごめんなさいは無し。自分だけ寂しがって、っていうのも無し。どの道、こういう立場で友達ってのは難しいもんだよ」

「と、父さ───わぷっ」

 

 なおも謝ろうと見上げてくる娘の頭を、多少乱暴に押さえつける。で、わしわしと撫でる。

 

「まあ、だからって仲良くしろなんて、とーさん言いません」

「え……?」

「ただ、一方的に嫌うことはやめてほしい。ちゃんと相手のことも知って、その上で……まあ、だめだったら嫌ってくれ。……な、丕。もし俺とも華琳とも別れて、知ってる人がだ~れも居ない場所にいきなり飛ばされたら……どうする?」

「ど、どうするって…………わかりません。なってみなければ……」

「そうだよな。俺もそうだったし、多分……今、及川がそんな状態だ」

「あ……」

「ん。それだけわかればいいよ。それを知った上でぶつかってやってくれ。何も知らないで、知ろうともしないで嫌われまくる痛みは……あー……なんというか、存分に知ってるから」

 

 頭から手を離すと、丕はムームーと唸って……少しののち、こくりと頷いた。

 そして、散らばって燥いでいた妹たちを呼ぶと……何故か円陣を組んでヴォソォリと内緒話を始めた。

 ……で、ぽつんと残される俺。

 

「………」

 

 お、俺は混ざっちゃだめなのね……トホホ。

 父さん、のけもので内緒話かぁ……こうして大人になっていくんだなぁ……。

 

「やっほいかずピー、な~にたそがれとるん?」

「おわっと、及川っ? お前今までどこにっ……」

「どこって。やー、なんや知らんけど俺、今日は厄日なんかもしれん。なんや急に目の前暗くなってな? で、なにやら体中が痛みだした思ったら見知らぬ場所に転がっとるんや。首から下が地面に埋まってた時はどないしょ思たわ」

「むっ……夢遊病、か……!?」

「えっ!? これやっぱそーなん!? “夢見とるんやったら自然とそーなってもおかしないんちゃう!?”とか思っとったらまさかの意見の一致……! 痛覚のある夢や~ってだけで怖いっちゅうのに、神さんは意地悪やなぁ……俺にこないな試練を与えるやなんて……」

「そ、そっか。まあこの世界にも腕のいい医者は居るから、見てもらったらどうだ?」

「俺お医者さん苦手やねん……あ、もしかして女医さん!? この夢の中の流れからすると女医さんやろ!?」

「男だけど?」

「空気読めやコラそこは普通女医さんやろがぁあ!!」

「俺に言われたってどうも出来んわぁっ!!」

 

 あと顔怖いから! 顔っていうか顔色怖いから!

 などと顔を近づけてホギャーと叫ぶ及川をとりあえず押しやり、ハフゥと溜め息。

 と、そこへ娘達がやってきて、及川を見るや、何故かビクゥと肩を弾かせた。

 

「……呆れたしぶとさだなこの眼鏡……」

 

 かつてない異形のものを見るような目で、柄が引きながら言った。

 しぶとさ? ハテ。や、まあしぶといけどさ。

 



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146:IF3/子供たちの警戒度が上がる日々③

 怯えとまではいかないまでも、及川の元気さに引いているっぽい娘たち。

 元気すぎるヤツって、確かに“もーちょっと静かにー……”とか心の中で思ったり呆れちゃったりする時もあるけど、そんなビクッとしてまで引くほどだろうか、と思いつつ……様子を見る。

 

「お、やっほーお嬢ちゃんたちー♪ 今日はかずピーとおでかけー? ええなええなー、俺のが先に誘いたかってんけど、先越されてもーたんならなんも言えへんなぁ」

「……べつに構わないわ」

「───へ?」

「だから。べつに一緒に来ても構わない、と言っているのよ」

「えー…………え? ほんま!? 俺じょーちゃんらに嫌われとる思ててんけど、ええの!?」

「構わないと言っているでしょう? ただし父さまからは離れなさい」

「おーおー! そんくらいやったらかまへんかまへん! なんせ俺とかずピーは愛の絆で繋がっとるさかいなー♪」

「図に乗るなよこの眼鏡……!」

「しひぃ!? えっ……今、ちょっ……えっ!? 甘述ちゃん!? 今なんやすごいこと言わはりませんどした!?」

「及川ー、口調がおかしくなってるぞー」

 

 心なしか殺気が漏れた気もしたけど……述はムフーと溜め息を吐きつつも、一緒に居ることを許したようだ。

 ……もしかして、丕がいろいろ言ってくれたのだろうか。

 だったら感謝だな。まずはなんにしてもきっかけがないとどうにも出来ない。

 たとえばそのー……今の述を見たから言うんじゃないけど、最初の頃の俺と思春みたいに。きっかけは大事だよね、ほんと。

 良いほうでも……悪いほうでも。

 

(良い方向に転がるといいなぁ)

 

 小さく呟いて、歩き出す。

 今日一日と言ったからには一日中付き合おう。

 俺が歩くのに合わせて一斉に歩き出した娘たちに大いに驚くが、まあそんな驚きも今さらだ。日常日常。

 これからもこんな日常が───

 

「なーなー嬢ちゃんたちー♪ あと何年かしたら俺のとこお嫁に来ぃひん~?」

 

 ───よし殺そう。

 じゃなくて! 落ち着け! 娘達が踏み込もうって頑張ってくれているのに親がこんなんで───

 

「ふふっ…………」

 

 ほらっ、丕だって優雅に笑って───

 

「……やっぱり無理ね。どう始末してくれようかしらこの眼鏡……!」

 

 駄目だったァアアーッ!! しかもなんかすんごいドス黒い溜め息吐いてらっしゃるゥウウ!!

 そしてザリッと足を止めて及川の眼を見上げる丕からは、華琳のような威圧感が……!

 

「はっきり言うと」

「へ? な、なに? 返事くれるん?」

「ええ、はっきり言わないと届きそうにないから言わせてもらうわ」

「はっきり……あー、んや、ええてええて。どーせOKもらえへんの、わかっとるし」

「なっ……!? あ、あなたは! そんな浮ついたままに人の一生を左右することを!?」

「軽くてもなんでもええねん。まず目ぇ見てもらえんことには話もでけへん。んで、今日よーやっと目ぇ見てもらえたわ」

「なっ……な、なな……!?」

 

 眼鏡を少しおろし、にかー、っと笑う及川。

 ああ……なるほど、そういうことか。

 ……諦めなさい丕。及川はな、呆れるくらいに軽いけど、だからこそ呆れてしまうほどに人を見る人間だ。

 そんな良さに惹かれて恋人になる人が居る。居るには居る。

 けど……まあ。どうしてかフラれるらしい。

 恋を引きずるようなキャラに見えないんだけど……それだけ俺が、あいつのそっちの顔を知らないってだけだろうなぁ。

 

「俺な、かずピーのこと好きやねん」

『!?』

「あ、もちろん友達としてな?」

『…………』

 

 物凄い安堵の溜め息が、我ら家族の口から漏れた。

 

「なんでかっちゅーと、目ぇ見て話してくれるからや。そこはあきちゃんも同じで、だからこそ信頼出来んねやけどな。そら、ふざけとる時とかはフツーに逸らすけどな? ……まあなにが言いたいかっちゅーと、目ぇ見て話さんやつに何言われても、てんで痛くあらへん。感情ぶつけるのに相手もろくに見んで、いったいなにが伝わるんやーってな? せやから、な、えーと……曹丕ちゃん?」

「“子桓”よ! いきなり姓名でとかなにを考えているのこの眼鏡!」

「あっちゃ……なっはは、すんません。まだこっちの常識とかに慣れ切ってへんもんやから、勘弁したってください。……で、えぇと、子桓ちゃん? 俺、眼鏡やのーて及川祐いいます。いっぺんした紹介やけど……もっぺん、改めてよろしくさせてもらえへんかな」

「………」

 

 沈黙する丕に対し、及川は「んへー♪」と歯を見せて微笑む。

 

「……。まずはろくに目も見ずに話をしたことを詫びるわ。ごめんなさい」

「わおっ、謝られとるのにえらい威圧感っ」

「けれど、私は父が好きなの。だからあなたの嫁にとか、脅迫されても死を選ぶほどにごめんだわ」

「うっひゃーォかずピー愛されとるーゥ!!」

「ただ。知る努力はするつもりよ。確かに、一方的に嫌うのは卑怯だわ」

 

 はっはっはー……桂花~、言われてるぞ~。

 …………あれ? じゃあ俺ってもしかして、知られた上で嫌われてる?

 いやでも、知ろうとするどころか男って理由だけで落とし穴仕掛けられる俺だし……。

 

「むう……丕ぃ姉がそう言うのなら、私も……努力はしよう。ただし母を侮辱すれば今度こそ……」

「ア、アー……今度こそ? 今度こそなにー? そそそそこで止められると俺、めっちゃ怖いんやけどー……?」

「……殺す」

「言われたほうが怖かったわァアーッ!! いやぁああんかずピー助けしひぃいっ!? 喉に冷たい感触……これってあれ!? 仕事人とかでたまに見る短刀とかが突きつけられとるあれー!?」

「言われたことを理解していないのか貴様は……! 父上には近づくな……!」

「えぇええええっ!? それってこれからずっとなん!? かずピー! かずピィーィイイ!!」

 

 ああ……なんか述が思春化してきてる……!

 まさか刃物を首に押し当てるところまで似るとは……!

 ……アレ? じゃあ今の俺、蓮華役?

 

「……“思春”期かぁ……」

 

 愛紗にもあったなぁ、そんな頃……。

 となれば、俺から及川に言えることなんてただ一つだ。

 

「及川」

「ああっ! かずピー! やっぱりなんだかんだ言っても助けてくれ───」

「……死ぬなよ?」

「いやァアアアーァアアア!?」

 

 肩をポムと叩いて歩き出した。

 後ろから「許可が出た……!」「許可……!」「あらあらぁ、出ちゃいましたねぇ~」とか聞こえてきたけど、歩き出した。

 その後になんか聞いたことの無い絶叫が聞こえてきたけど、歩き出した。

 さ、次は何処へ行こうか。時間はまだある。

 娘達が喜ぶよう、努めて元気にいこう。

 

「荷車に乗せても戻ってきたほどです! 登姉さま、ここはもう沈しか!」

「チン!? えぇ!? 俺なにされるの!? や、やめっ……キャー! イヤー! 持ち上げんといて持ち上げんとい、て、……って、ぇえええっ!!? わわわ腕力すごぉおおおっ!?」

 

 後ろなど振り向かないで行こう。

 及川……俺、強くなるよ。

 その第一歩として娘達に……娘……むす…………

 

「お前に構ってる所為で誰一人一緒に来てくれないじゃないかこの泥棒猫ォオオオ!!」

「ええっ!? この状況で俺怒られるん!!?」

「うるさいうるさい! おぉおおお俺が娘に目ぇ見て話してもらえるまでどれほど道が険しかったか!! それをっ、それをぉおおっ!! …………述」

「はいっ!」

「おおっ、かっこええ敬礼っ、つか落ちる落ちる! 人持ち上げながら敬礼……えぇえっ!? どどどどんな腕力ヒィイ落ちる落ちるぅうう!!」

「───沈」

「了解!」

「いやぁああんなんか今のかずピーのゼスチャーでチンの意味わかってもーたぁああっ!! たたたたすけてぇえ子桓ちゃん! 子桓ちゃあああん!!」

 

 首を掻っ切ってゴートゥヘルなゼスチャー。サムズアップを逆にするアレだ。

 というか、まあそれはそれとして。述に片手で持ち上げられている及川を見た。……なんというか、述も強くなったなぁ。やっぱりただ、鍛錬の仕方が悪かっただけなんだろう。

 今ではこんな、人を片手で持ち上げられるほどに………………ハ、反抗期トカ、もうないよネ? あんな腕力振るわれたら、俺死んじゃう……!

 

「……及川。なんというかそのー……そう気安く人の娘を呼ぶのはな……」

「おおっ? なっはは、なんちゅーか、おとうさんやなぁかずピー」

「だれがお義父さんかァアアアアッ!!! きききっきき貴様にそんなこと言われる筋合いないわぁああっ!!!」

「ヒィイ!? かずピーが暴走しとる!」

「ホォオオァアアア……! 貴様言うにことかいてこの俺を義父(ぎふ)……! お義父さんと……!! 話のきっかけのための嫁がどうのだと思えばよもや本気だったとは……!」

「いやぁあままま待って! 待ったって!? かずピー誤解しとる! 俺ただおとんっぽいことしとんなーって」

「キッサマ既に馴れ馴れしくおとん呼ばわりかァアアーッ!!」

「あっれぇえええ!? 今日のかずピーちぃとも話聞いてくれへーん!!」

 

 ハッ!? 話……そ、そうだ、話聞かない、ヨクナイ!

 娘の前で理不尽な怒りを爆発させるところだった!(*手遅れです)

 

「述、及川くんを下ろしてやりなさい」

「ふえっ!? は、はいっ」

「へ? 沈やめてくれるん? た、たすかったー……って、かずピーなんやねんその及川くんて」

「……少し、そこの茶屋で話をしようか。なぁに心配せんでも私の奢りだ。よもや……逃げたりはしないね?」

「うーひゃー……なんやかずピーがドラマでよくあるオトーサンに……」

「だから誰がお義父さんかッ!!」

「ひいっ!? ちゃうのにっ、そういうおとーさんとちゃうのにっ!」

「誰がお義父さんかァアアーッ!! 許さん! 許さんぞぉおーっ!!」

「落ち着いてやかずピー! 頼むから落ち着いてぇえーっ!!」

 

 そうして僕は叫びました。

 叫んで叫んで……そして……

 

……。

 

 夜。

 

「………」

 

 自室の寝台で頭を抱えて悶絶する自分がおりました。

 

「あんなっ……あんな街中でっ……義父とかっ……ぐぅうあぁあああ……!!」

 

 恥でございます。

 思いっきり、恥でございます。

 なんかもう死にたい。死んでしまいたい。

 でもやらなきゃいけないことがあるので死にません。死んでたまるか。

 

「ああでもあんな恥ずかしいことっ……しかも及川の前でっ……むしろ及川にっ……!」

 

 娘はやらんぞーってどこの頑固親父ですか俺……!

 想像の中でやったりはしたけど、まさか本当に我を忘れるほどの勢いでやらかすだなんて……! あぁああ穴っ! 穴があったら埋まりたい……! 入るどころかいっそ埋まっていたい……!

 

「はぁ……でも、あれだけ絶叫したってことは……本心なんだろうなぁ……」

 

 どれほど親ばかですか俺は。

 はぁ……きっと娘達も呆れ果てたに違いない。

 ……なんでか丕がものすごい上機嫌だった気がするけど、きっと俺に気を使ったのさ……そうだそうに違いない……。

 寝台に仰向けになった状態で、ただただ長い溜め息を吐いた。

 

「はーあ……明日からどんな顔して会えばいいやら……」

 

 ───それは。

 

「もし及川にこのことでからかわれたら……」

 

 そんな、なんでもない日に唐突に起きた。

 

「……なるようになれだな。がんばろうっ」

 

 夏が過ぎ、残飯がほどよくとろけてきた───

 

「……いい加減寝るか。もう夜中だし」

 

 ───そんな時期に、起きたのだ。

 

 

 

「はわわぁああああああーっ!?」

 

 

 

 ───そう、引き金は、そんな悲鳴だった。

 

「へ!? しゅ、朱里!?」

 

 悲鳴だけで彼女とわかるあたり、実に独特な悲鳴である。

 ともあれ聞こえたからにはじっとしてはいられない。部屋を飛び出て夜中の通路を駆け抜けて、聞こえたと思われる悲鳴の発生源を目指して駆け───辿り着いた場所には。

 

「っ……!? えっ……朱里!? 朱里! 朱里ぃいいーっ!!」

 

 気絶して通路に倒れた、朱里だけがそこに残されていた。



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147:IF3/普通の人の考え①

199/ブリード先生

 

 ……で。

 

「ご……御器噛(ごきかじり)……?」

「はいぃっ……!」

 

 夜中。

 目を覚ますまで俺の部屋の寝台で寝かせていた朱里が目覚め、何が起こったのかを聞いていたわけだが……先生、ゴキブリでした。

 なにか飛んできたと思って咄嗟に手を動かしたら、なんの偶然か見事にキャッチ。“伊達に愛紗さんたちの戦いを近くで見てきたわけではありませんよっ”と、無駄に得意になってフフンと鼻息も弾む勢いで手を開いてみたら……ヤツが居たそうで。

 気絶まではいかないまでも、なるほど、それは驚く。

 

「ぬ、ぬう……御器噛……!」

「し、知っているの? 柄……!」

「う、うむ……ごきかじり……よもや見ることなどないと思っていたが……!」

 

 ◆御器噛───ごきかじり(ごきかぶり)

 ごき。御器と書くが、食器、つまり御器をかじるところからそう名づけられ、明治時代までを御器噛、または御器被(ごきかぶり)として過ごし、のちになんらかの表記違いで“か”が抜け、ごきぶりと呼ばれるようになった。

 その動きは初速からトップスピードであり、体内はほぼ液体とも云われ、それ故か冬の寒い時期にはやたらと動きがのろい。

 食事は残飯などとも言われているが、人の髪の毛でも食べるとされ、水があれば平気で生きられる超生命力の持ち主である。

 なおこの生物を師として仰ぎ見る地下闘技場のチャンプが(略)

 師から習った奥義は、かの地上最強の生物でさえ認めるところであり(略)

 *神冥書房刊:『でも菌は持っていないとの噂』より

 

「ていうか娘達、なんでここに居るの」

「え? 女性の悲鳴が聞こえたから」

「いやあの禅さん? さらっと言ったけど別に俺女性の悲鳴の原因じゃないからね? それを当然のようにされるとなんかもう俺泣くよ?」

 

 ともかく、朱里が言うには黒いヤツ……ゴキブリ様が出たらしい。

 

「おおう……かの孔明先生がゴッキーに驚く……! これもある意味孔明の罠やな……! ああーんっ♪ 是非とも8年前に会いたかったわーん! きっとかわゆかったんやろなー! なんっちゅーかもう、羽未ちゃんみたくっ!」

「早坂妹かぁ……ああ、うん、でもどっちかっていうとシスター見習いのあの娘と竜禅寺センセを合わせたみたいな……」

「あーっ! そんな感じかぁ! なるほどなるほどぉ!」

「………」

「………」

『………』

「貴様どこから湧いて出たっ……!!」

「あぁんまたこのパターン! ちょ、短刀押し付けんのやめてぇや甘述ちゃん! それゆーたら甘述ちゃんかていつ来た~って話やんっ!」

 

 いや、冗談抜きでどこから湧いてきたんだお前は。

 そして述。きみは本当に思春に似てきたね。どこから出したのその刃物。

 

「あ、ところでかずピー? ゴッキーに困っとんねやったらほら、やっぱあれっきゃないやろ」

「お前って刃物突きつけられてもタフなのな……」

「提案するだけで殺されるならそれだけの人生や~って、なんやそんな悟った気分を出してみましたー。かっこえー? 俺かっこえー?」

「ああかっこいーぞ。かっこいーからそのまま頑張れ」

「うそですごめんなさい今すぐ助けて足震えてもうあかん刃物コワィイイイ!!」

「というわけで、殺虫剤を作ろう」

「かずピー!? かずピー!!」

「黙れ」

「ヒアーッ!? ちくっていった! チクッて! 喉が! 喉がー!」

 

 とっても賑やか。

 夜中なんだから静かにしてください親友さん。

 とは、思ってみても言えません。俺も割りとよく叫んでたし。

 

「さっちゅうざい……ですか?」

 

 むむ、といった感じで軽く俯く朱里。

 背も大分伸びた所為か、この仕草も様になっている。

 ……小さかった時は、どうしても背伸びしている子供にしか見えなかった……というのも口には出さない。出せません。

 

「そう。虫が嫌がるものを噴射するものだ。まあこの際、薬じゃなくても氣を噴射~とかで、虫を殺してもいいとは思うんだけどね」

「氣……はわわ、ということは、また真桜さんに……?」

「そういうの作れる人って言ったら真桜しか思い浮かばないしなぁ」

「うう……ごめんなさいご主人様。私はいつも知識ばかりで、なにも作れず……」

「イヤ、なんかもう知識だけで十分なんで、これ以上なにかされたら僕らの立場ガ……」

 

 たまにお菓子作ってくれるだけでも本当にありがとうです。

 というわけで真桜に氣を噴射させる絡繰を作ってもらうとして……ただの氣で死ぬんだろうか。むしろ殺虫剤だからこそ、吹きかけたあとでも効果が現れるんであって、ただ氣をぶつけて倒すとなると……それこそ直撃させなければいけない。じゃあどうするか? えーと……?

 

「なにか毒のようなものを放つものを絡繰の中に仕込んで、その香りを氣で噴出させる……? 毒っていってもな。なぁ娘達、毒と聞いて思い浮かぶものとかってあるか?」

『…………』

「あれ? なんでそこで目を逸らすんだ? なにか心当たりが───……って、禅? どうした? そんなに震えて、もしかして寒いのか?」

「イィイイイィエ!? ぜ、禅、ベツにふるえてナイヨ!? ホントダヨ!?」

「ほんとって言われてもな……どうする? 桃香……は確実に寝てるだろうし、あ、そうだ。今の時間なら愛紗が起きて───」

「ひぃっ!? だだだだめ! 愛紗はだめ! 呼んだらだめだよととさまっ!」

「え? そ、そうなのか? じゃあ他の…………マテ。愛紗? 毒? 愛紗……」

 

 …………。謎は全て解けた。

 

「そっか……そうだな……。じゃあ、協力者として春蘭を呼ばないわけには……なぁ……」

「だ、だめだよととさま! 用意してって頼んだら、絶対に一口は食べないと納得してくれないよ!? ととさまはまた、あの炒飯から飛び出した魚の姿を見たいの!?」

「正直二度と見たくありません」

 

 そう……毒とはまさにそれ。

 空を飛ぶ虫でさえ香りで絶命させる凶悪な料理だ。

 その香りを氣で噴射できるようにすれば…………!!

 

(……ゴキブリの前に使用者が悶絶しそうな気がする……ッ!)

 

 い、いや、ここはなんとかなると信じよう。

 そう……この殺虫剤は、誰かの犠牲の上で完成するのだろうからッ……!

 うん、まあつまりは誰かが作って~って頼まなきゃ作らないと思うのだ、あの二人は。

 その誰かっていうのが……

 

「……禅」

「いやだよ!?」

 

 全力で嫌がられた。

 

「……丕」

「父さまは私に死ねと!? う、うぅうう……! でも父さまに、かっこいいところ……!」

 

 驚愕ののち、思考。次いで、頑張ろうとする丕……の、足が物凄くガクガクガタガタと震えて「やめなさい父さんが悪かった!」───見ていられなかったので全力で止めました。

 

「……~……はぁあ……ま、まあ……順当にいけば……こうなるよな……」

 

 訊くまでもなく、どの道俺が食べることになるのは……まあ、わかっていたよ……。

 

「? かずピー、なんの話ー?」

「刃物つきつけられてるのに、普通に話しかけてくるお前って……ほんと逞しいな。ああ、えっと。…………お、及川ー? もし美人さん二人に手料理作ってもらえるって言ったら、お前どうするー?」

「そらもちろん乗る!」

「え゛…………マジで?」

『っ……!』

 

 元気なその返答に、俺はもちろん子供たちが一斉に引いた。

 ぬ、ぬうこやつ……知らぬとはいえ本気か……!? って感じに。

 

「えっ? な、なに? なんやのそれ、相当マズイ……とか?」

「ちなみに今の返事は既にケータイで録音済みだ。貴様はもはや逃れられん」

「いきなり脅迫!? ちょ、タンマタンマ今のなし! ちゅうかケータイにそんな機能あったかいな!」

「及川さん……まだ若いのに……」

「孔明先生になんか今から死にそうな心配された!? いったいどない料理が出されんねや!」

 

 どんな? どんなって……。

 

「“炒飯?”と、“杏仁豆腐?”だな。他には匂いだけで虫を殺せる謎の料理が、かつてあった三国の会合の時には名物料理として(主に罰ゲームとして)振る舞われてたな」

「……なんや、どれも普通の───……あら? なんでどれも疑問系なん? 虫を殺せる? どゆ意味?」

「食ってみればわかる」

「でも死ぬんやろ?」

「死なないぞ? 完食したって死ぬもんか」

 

 ただし魏武の大剣が一口で崩れ落ちる破壊力を誇る。

 

「……実感篭った言い方やね、かずピー」

「毎度完食してますから」

 

 世界が白くなって天使がお迎えに来たり、世界が黒くなって死神が迎えにきたりしたけど、食べられないこともない。

 大事なのは……胃袋の丈夫さと、味覚を鈍らせる努力と根性……つまり、努力と根性と腹筋ということで。腹筋関係ないけど、腹に力を込めると少しはマシな気がするんだ。うん。

 

「えー……孔明先生、かずピーのゆーとること、ほんま?」

「えっ……はい、ご主人様は完食なさってますよ」

「腹、壊したりとかは……」

「してません」

 

 そう、腹を壊すことはない。以前は壊したけど、この8年でレベルアップした料理は……ハッキリ言えばただ苦しいだけだ。味覚とか舌とか喉とかまあいろいろ。ホービバムビバを叫んで食べた時も、まあ意識が吹き飛んだりはしたものの、腹痛とかはほら、いろいろとアレだったよ? うん。

 ともかく腹を下すとかはないのだ。

 大丈夫、腹に入ればもう辛くないよ? なんだかね? お腹がね? 異常に熱くなる気がするだけで、痛くないよ? ほんとだよ?

 下すことで体外に排出して楽になる、なんてことを簡単にさせてくれない苦しさって意味では地獄だけど。

 

「そうか……ついにあれも兵器……もとい、嫌悪あるものを退けるものとなるのか……いや、最初からなってたか?」

「……なぁなぁ孔明先生、かずピーのやつなにゆーとるん?」

「……いろいろあったんです。いろいろ……」

 

 でもゴキブリがもし嫌悪感を抱かない形だったら、そうそう嫌われたりもしなかったんだろうなぁ。普通に飼ったりしている人が居るって、どっかで見たこともあるし。

 そもそも嫌われる理由ってなんなんだろうか。

 あのスピード? あの形? ……本能が太古の遺伝子に恐怖している?

 ……よし、ワカラナイ。

 

「というわけで、絡繰は真桜に、毒は愛紗と春蘭に任せる方向で」

「あの、ご主人様? 愛紗さんと春蘭さんにはどう説明されるおつもりで……?」

「二人の料理を食べてみたい人が居るって」

「…………嘘では……ないですよね」

「…………ぎりぎり、嘘ではないよな……」

 

 ちらり、と二人で及川を見る。

 述に刃物を向けられたままの彼は、それでもめげずに述と話をしている最中だ。

 

「あの。耐性がないのに、二つ一緒に食べてしまって大丈夫でしょうか」

「…………しまった、それ考えてなかった」

 

 食べさせなければいいというものでもあるんだが、食べないことには感想は生まれない。なので一口。一口だけでも食べてもらう必要があるのだ。

 というか8年経っても対して変わらない味、というのも……老舗の馴染みの味とかなら嬉しいだろうに、どうしてちっとも嬉しくないんだろうなぁ。

 

「あー…………まあ、それらは明日考えよう。なるようになるって期待を込めて。……いざという時は…………延」

「はい~」

 

 ちょいちょいと手招きをして、寄ってきた延にいざとなったらの治療を頼む。

 華佗は今、別の国に行っていて居ないのだ。

 

「はいぃ、任されました~」

「悪いな。俺が出来ればいいんだけど、真髄まではさすがに知らないから」

「仕方ありませんよぅ、五斗米道は一子相伝ですからぁ」

 

 一子相伝……華佗の子じゃないけど、まあそれを言ったら北斗神拳だっていろいろある。

 全てを知るのは一人でいいってことだろう。

 ……あれ? この場合、北斗神拳って本当に一子相伝だったのかな。

 奥義とか知っている人、いっぱい居たような。

 ああいや、今はそんなことより明日に備えてさっさと寝よう。

 

「というわけでみんな~? そろそろ部屋に戻ろうなー?」

『いやです』

 

 即答だった。

 

「ちゅうか……なあかずピー? 今までつっこまんかったけど、なんで自分“ご主人様”やねん」

「……なんでだろうなぁ」

「へ?」

 

 俺はね、嫌だって言ったんだ。

 言ったんだよ……及川くん……。



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147:IF3/普通の人の考え②

200/外史考察番外編

 

 明けて翌日。

 時は昼であり、ゴキブリと聞いては手を止める理由も無しと、真桜によって早速作られたのがこの毒噴射器であり、名前は……“○○○くん”や“○○○ちゃん”といった名前ではなく、“滅殺はわわジェット”となった。

 その威力は凄まじく、耐性のない生物ならばたとえ人間であろうと気絶させられるほどの威力を誇り……俺の部屋、閉ざされたその密室にて、その大元であるブツを口にした英雄が

 

「ブゥウッフェォゴプッ!!」

 

 ……吐いた。

 ハイポーションをストローで飲んだ馬のような吐き方だった。

 いや、吐いたと言い切ってしまうのは酷だ。彼は必死で口を閉じ、ブツが流れ出すのをこらえてみせた。その在り方や、見事。

 彼は食ったのだ。匂いで躊躇していたのに、それでも踏み出したのだ。そんな英雄が今……人の姿も気配もない俺の部屋にて、俺の足元で痙攣している。

 

「……及川。世界は広いだろ」

「……かずピー……俺……俺な……? 世界が傾ぐほどの料理なんて……漫画の中だけか思っとったわ……」

「……俺もだよ」

 

 言って、手を差し伸べる。

 伸ばされた手を、きょとんとした目で見たそいつは……ニッと笑って握り返してくると、引っ張られるままに起き上がり……盛大に足を震わせて、ドゴシャアとコケた。

 

「あ、無理、足にキとるわこれ。脳に異常ない筈やのに足震えとるわ。やっちゅーのに不思議と腹は壊してないとか……なぁかずピー? これって料理? 料理なん?」

「間違い無く料理だよ……俺達の想像の常識を遥かに超えた……」

「……歴史の壁は……大きいんやなぁ……。現代の調理師さんや、料理の出来る人に感謝や……」

 

 自室で二人、遠い目をした。

 そんな犠牲の下に完成した滅殺はわわジェットの威力は本当にすごい。

 ゴキブリが一発で動かなくなる破壊力だ。

 ただし使用後は窓などを全開にして、空気の入れ替えをしてください。

 

「ところでな、及川」

「ん……なんや……? 今ちっと感覚おかしなっとるから、回復するまで───」

「これな……? 全部食べたあとに無難な言葉を返さないと、魏武の大剣さまが怖いんだ……」

「───」

 

 彼は固まった。

 俺も、言いつつ固まっていた。

 

「もちろんな? 俺だって今まで適当な感想で誤魔化してきたわけじゃない。きちんと言って斬られそうになったことだってある。そんなことを繰り返してもな……? なんでか曲解して“これでいい”みたいに受け取られて、同じものが……」

「……それって、あー、んん、雲長さんやったっけ? その人のも同じなん……?」

「普通の料理を教えた筈なのになぁ……どういうわけか話を聞いてないのか、同じものが出来てばっかで……」

「それってただ、かずピーと一緒に料理してて緊張しとるんだけやない?」

「いや、教えればきちんとな? こう……はい、はい、って返すんだぞ? なのに聞いてないっていうのはおかしいだろ」

「………」

「………」

「かずピー……俺……なんでいっそのこと気絶せんかったんやろな……」

「それはお前が頑丈だからさ……」

「…………タフで損するなんて、思ってもみぃひんかったわ……。ん、せやけど、女の子が作ったモンは意地でも食うのが男の意地っちゅーもんやなっ。かずピー……手伝ってくれるな?」

「えっ」

「えっ」

「………」

「………」

 

 いや……いやいやいや、なにをそんな、人を巻き込もうと? なんて考えが頭に浮かんだものの、そもそも俺が巻き込んだようなものだ。殺虫剤作るから~って、なにもこの料理じゃなくても出来た筈なのだ。それを、俺や子供たちが決めてしまった。巻き込んだのは俺だ、ここで動かなければ男じゃない。

 それに……考えてもみよう。ここで無理だ無理だ言って逃げるのって、なんか違うだろ。

 友達ってそういうものか?

 友達って……そいつがチャレンジするものに付き合って、失敗しても笑ってやれるような気安さがいいんじゃないか? さすがに友達が女性の下着を盗んだからって、自分も手にとって頭に装着、なんてことはしないが……

 

「……いただこう。全部……食わないとな」

「かずピー……」

「俺、忘れてたよ。世界はいつだって戦場なんだ。相手を殺すためのものを作ったのなら……自分も死ぬ気でいかなきゃ……」

 

 俺達はこれを元としたもので、ゴキブリ師匠の命を奪うのだ。

 ならば俺達も、相応の覚悟で挑まなきゃ……相手に対して顔向け出来ぬ!

 

「さあいこう及川。二人で完食するんだ」

「お、おう! せやでかずピー! 男が女の作ったモン残す時は、相手が計画殺人考えてる時だけでえーんや!」

「物騒なこと言わないでくれよ! やりそうな猫耳フードに心当たりがあるから!」

 

 それでも食す。

 作ってくれた人、食材を育んでくれた人たちに感謝し、まずは魚の飛び出た炒飯をバクリと

 

「ウゴォオッフ!?」

「オゴォオオッフェェッ!?」

 

 口にした途端に胃から酸っぱいものが込み上げてくるのを、なんとか体が跳ねるくらいで済ませた───横で、及川が閉じた口からキラキラと輝く液体を吐き出していたのは見なかったことにしよう。大丈夫、食材は吐いてない。米の一粒すら糧にしなければ、先人に顔向け出来ない……以前に、そもそもこの料理を作らせた時点でいろいろ冒涜……だったのだろうか。

 ……いや、今はなにも言うまい。

 ともかく、人払いは済んでいる。当然、済んでいるんだ。

 だから誰に遠慮することなく、素直な心を解き放った。

 おわかりいただけるだろうか……これが、悪友と大事な話があるということで人払いが出来なければ、製造者……もとい製作者が、俺達が完食するまで傍でじっと見ているんだ。

 当然、マズイと言えるはずもない。

 こうして心の内を吐ける相手が……同じ思いを共有できる友人が居ること……それだけのことが、どれだけ支えになってくれるか。

 ……結果は二人しての悶絶劇場ではございますが。

 二人で炒飯一皿と戦っているというのに、なんという強きことよ……!

 美髪公の実力とは、食事にすら影響するものであったか……!

 

(お主こそ、万夫不当の豪傑よ!)

(も、孟徳さん! …………手伝って孟徳さん! 自信満々にそんなこと言ってる余裕があるなら、もう人格交換とかイタイ子とか言われてもいいから交代して!?)

(関雲長が義の刃……我が大望をも断つか……!)

(孟徳さん!? 敵前逃亡しないで!? 一口でいいから変わってったら! 頼むから!)

 

 ……もはや幻聴は聞こえなかった。

 結局は自分達で片付けるしかないわけだ、この強敵を。

 たった一皿だというのに、フフフ、なんという迫力よ……!

 目を閉じて全てをなかったことにして、青春を求めて駆け出したくなるような武力よ……!(*走って逃げたいだけ)

 

「フー! フー……! フッ……フー! フー!」

「ア、アゥガガガガ……! か、かずピー……? なんや俺、腰から下ががくがく震えだしてきたんやけど……!」

「甘いな……俺なんてもはや手が震えて食事どころじゃない……!」

「おわっほ!? 匙子めっちゃ震えとるやん! あっはっはっはっは! なんやもう辛さ通り越しておもろなってきたわ! 毒食えば皿までやな! ゴッキーかて食器かじってたゆーなら、皿くらい食ったらなカッコつかんでおぉおりゃあっ!! ブボォオオフェエエッ!!?」

「そこまで言ったならせめて胃液を吐き出すのも止めような!? ……って言ってるよりはさっさと片付ける! ……すーはー……んっ!」

 

 息を止めて掻っ込む!

 息が続く限り咀嚼して、限界がきたら一気に飲む!

 そして、嬉しくないけど熟練者としての余裕の笑みを及川に見せてやろう!

 慣れれば食えなくもないんだよって、安心させる意味も込めて!

 

「……フッ」

「ゲッホゴホッ……! か、かずピー……? カッコよぉキメたつもりなんねやろうけど……汗と涙と震えが尋常やないからな……? これを前に見栄とか、無理やって……この短い間で悟ったから……な?」

「い、いや……実際こうじゃなきゃ完食むずかし……うっぷオォオゥエッ!?」

 

 ゲップがごぽりと出た途端、地獄の風味が食道を通って鼻腔に届いた。

 ……途端、吐き気を催す悪しき物質を吐き出してしまいそうになり、それを止めるために荒い呼吸を繰り返すはめになった。

 

「ん、っぐ……! ……んっ」

「ぜー、ぜー…………へっ? な、なんやねんな、この差し出した皿。……え? 俺にも同じことせぇって?」

「……!」

 

 わかってくれ、及川。このままちまちま食べていたんじゃ埒があかない。

 ならば腹痛は起こらないという現実を救いとして受け取って、詰め込むしかないじゃないか……!

 

「あ、あー……せやったな、腹痛はないんねやもんな。せやったら……すぅ……はぁ。んっ!」

 

 及川が皿を受け取り、呼吸を止めて一気に行く!

 傾けた炒飯を開けた口にざぼざぼと落とすように!

 そんな炒飯からぼろりと黒っぽいなにかがこぼれ、及川の口にダイレクトに落ちて

 

「フブゥウウッフォ!?」

 

 吐いた。器用に黒い物体だけ。

 ごしゃっ、ぞぼっ、と音を立てて落下したその黒い物体は…………焦げたにんにくであった。

 

「うげぇっほげっほごほっ! 砂っ!? 炭っ!? なんやじょりじょりしたもんが───ヒィ砂鉄!? 砂鉄が入っとったん!?」

 

 落下して砕けたそれを見ての友人の一言がそれだった。

 かろうじて白い部分がなければ、俺も砂鉄か炭の塊かで納得していたであるソレを見て、俺は少し遠い目で壁や天井の先にあるであろう蒼空を見つめた。

 

(……そういえば……愛紗にアドバイスとしてにんにくを油と一緒に炒めておくと風味が~……とか言って…………言ったのに、これなのか。ちゃんと輪切りにって言ったのに、まさか丸ごととは……)

 

 程度ってものを知ってください愛紗さん。これじゃあただの黒い団子だよ。ホウサン団子レベルとまでは言っていいのかどうなのか、下手するとがん細胞とかが活性化するんじゃなかろうか。

 

「え、えーと……かずピー? つい吐いてもーたけど……皿ん中からっぽなら~……食ったゆーことで、ええよ……な? まさかこの黒いもんまで食べなあかんとか……」

「……片付けは必要だけど、いいと思うぞ」

 

 ……二人、こくりと頷いて片づけを開始。

 無言でてきぱきと。かつ、バレないように。無事な部分は食ってもらって。悪いけどな、及川。この世界で食べ物は粗末に出来ない。なんかもうこの作戦自体がそういう方向に向かってそうでも、食べずに捨てることだけは許されないというか、許したくない。

 そうして炒飯とダークマタ……もとい、にんにくを片付け終えると、さあやってまいりました杏仁豆腐。

 

「おー! 綺麗な色どりや~ん! なぁなぁかずピー? さっきの“炒飯?”は確かにアレやったけど、これは期待できるんとちゃう? 今までは失敗してたんかもしれんけど、今回は成功したって考えてえーやろ! なっ!?」

「ああっ、そうかもなっ! じゃあ及川、一応お前用にって作られたんだからお前が先に」

「いやいやかずピーにはいろいろ世話んなっとるから、一口目は譲るわ」

「いやいややっぱりお前からじゃないと」

「やぁん、遠慮なんてええねんで? がーっといったってやかずピー」

「………」

「………」

『さいしょはグゥウウウーッ!!』

 

 人の、生きようとする本能がそうさせたのだろう。

 俺と及川は同時に動き、振るう拳に全身全霊を込めて互いの運を武器とした。

 

『じゃんけんほいっ!!』

 

 ズバァと振るわれた手。

 そこに存在するのは二つの握り拳。

 

『あいこでしょぉおっ!! あいこでしょぉおおっ!! あいこでぇえええっ!!』

 

 振るっても振るってもあいこ。

 力みすぎて手が開けないのだ。

 恐ろしきは生存本能よ……生きようとするあまりに火事場のクソ力的なものが発動して、その所為で逆に手が開けないのだ。

 

「ふっ……ふへへへっへっへ……! やるやないかかずピー……!」

「ださなきゃ負けよジャンケンポォン!」

「おわ汚ァッ!!?」

 

 場の雰囲気に飲まれ、強敵と相対するキャラのように顎をグイと拭う及川を無視してジャンケン。惜しい、もうちょっとで後出しになったのに。

 

「っしょぉ! ほっ、本気っ……っしょぉ! やなっ……かずピー! っしょぉ!」

「あいこでっ……無駄にっ! あいこでっ……鍛えられてっ……あいこでっ! ……るからなっ! あいこでぇえっ!」

「あ、それやそれ。それのこと、ず~っと気にかかっててん」

「それ?」

「ほい出さなきゃ負けよ、と」

「どれだ?」

「……涼しい顔して普通に出すのなー……かずピーってば隙ないんやからもう」

 

 じゃんけんを続けながら話を続ける。

 及川の言い分というか、気になっていたというのはこんなことだった。

 

「や、ほら。俺、なんや急に降りてきたやろ? 俺にしてみたらかずピーはシャワーに出てったかずピーやのに、かずピー自身はもう10年近くもこの夢の中で生きてるゆーし。詳しいことはよーわかられへんけど、ようするに戦争にも巻き込まれたし人死にも見たんやろ?」

「……そだな。仲良かったやつが死んだりもした。……正直、辛かったよ」

「それや。……俺、なんや場違いやろ。平和なとこに急に現れて、んでかずピーの友達やから迎えられる~とか。や、そら俺も孟徳さまに役に立てないなら~とか言われとるよ? むしろそら当然のことやからそれはそれでええ。しゃあけどな、ちっこい子供が大人の仕事手伝っとる姿見て、なにも出来んけど飯食わせて寝かせて~、なんて恥ずかしくて言えるかい」

「まあ、そうだよな」

 

 場違いかどうかは知らないが。

 

「何気なく食わせてもらってるもんも、その一粒のために兵になったモンまでおる言うやないか。それ聞いて、余計頑張らな思った」

 

 今現在。

 涼しくなった時節に合わせて、“周期”ではない将は自国に戻って各国の開拓に励んでいる。新しい軍師の指導はもちろん、国境への警戒指導も。

 10年近く経っても、武器を納める国は存在しない。

 平和とは言うが、それはあくまで都……中心の話だ。

 天下統一とはいってもそれはあくまでこの三国での話。

 全てが統一されたのであったなら、俺が居ない間に五胡に襲われるなんてことはなかったのだ。

 だから誰も警戒は解かない。

 それこそ、周辺国との諍いとも思えるものが完全になくなるであろう、50年や100年くらい先まで、鍛錬や武技などは廃らせるべきではないと。

 ……当然、俺はそれに賛成した。

 この外史の果てで決着をつけなければいけないとはいえ、相手……左慈が一人で来る保証などはどこにもない。だから、それこそ100年近くは武も技も失わず、練度は保つか鍛えながら進んでいきたい。

 華琳が亡くなったのちに相手が現れるのなら余計に。

 ……みんなが、静かに、安心して眠っていられるように。

 

「しゃあけどなにを頑張ればええのかもわからん! 焦って手ぇつけてみれば、それは他の人の仕事やって怒られたわ! 手伝わせたってって言ぅても自分がやるゆーてなんにもできん!」

「じゃあ毒見の仕事を」

「わーい仕事や~♪ ってそーゆーネタ振りとちゃうわ!!」

 

 ……気づけばじゃんけんはもう、じゃんけんじゃなくなっていた。

 手が振るわれることもなくなって、及川はぎううと拳を握り締めて、俺の目を見て。

 

「……な、かずピー」

「ん? どした? ぽんっ、と」

「じゃんけんやめん!?」

 

 グーを出せばグーを出された。ツッコミながらも、姿勢を戻せば「たはっ……」と笑った。



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147:IF3/普通の人の考え③

 笑みで緩ませた顔を少し引き締めて、けれどなんでもないように会話を再開させる。

 

「……はぁ。な、かずピー。かずピーにとって、故郷って何処や?」

「“(きた)”の“(さと)”。───何処だ、なんて決めなくてもさ、長いことそこで育って、短くても必死で生きれば、そこが故郷って名前になるだろ。まあ、この世界で言うんだったら……せっかくだから、やっぱり北の郷だ」

「…………どこ? なんやお相撲さんみたいな名前やな」

「……お前ね、そこで訊かれるとわざわざ遠回しに言った意味がないだろ……。北だよ北。地図で言うと、魏だ」

「あー、なるほどなるほど……といいつつグー」

「その手にゃ乗らん」

 

 きたのさと。合わせて北郷。いつかそんな故郷を守れる一振りの刀になりたい。

 そういうことを思うたび、名前ってのは大事だなって思うのだ。

 どれだけの時間が経っても、みんなが俺の前から居なくなって、土の下で眠ってしまった未来でも。今、みんなが頑張って作り上げている“生きた証”を……くだらない笑い話で馬鹿みたいに笑えた日々さえ思い出して、そんなものさえ抱えて歩けるみんなの覇道を、こんな名前とともに歩いてゆく。

 その道を守ることが出来たなら、その先でただ願おう。

 銅鏡に託す肯定はもう決まっている。

 きっとそこから歩いてゆける。

 アホのようなきっかけだったけれど、そんな未来の証明をこの悪友が持ってきてくれたから。

 

「そかそか。……な、かずピー」

「お前ね、一度で用件済ませられないのか? さっきから名前呼ぶの何度目だよ」

「まーま、えーやん俺とかずピーの仲なんやし」

「………」

「………」

 

 にかっとした笑顔で言われて、きょとんとしてから自然と笑んだ。

 椅子を動かして、卓の上にある存在感たっぷりの杏仁豆腐なのかフルーツポンチなのかわからないそれを挟んで座って。

 そうしてから少しの間を取って、俺も及川も静かに長い息を吐いてから、苦笑をこぼす。

 

「ごめんな、かずピー。それと……おおきに」

「いーよ。言いたいことはわかるから。俺も、ありがと」

 

 知らない世界へ降りたことがあった。

 耳に届いた名前らしきものを口にしたら、殺されても仕方がない世界だった。

 見渡す限りの荒野は、話しかけられれば“ものを置いていけ”と脅されるような怖い場所で。

 誰にも連絡出来なければ、誰も味方をしてくれない……言葉一つで、相手の受け取りかた一つで簡単に命が摘まれる世界だった。

 

  ───頑張って咲いた花が、簡単に千切られる光景を覚えている。

 

 摘み取った少女はにこやかに笑って、道の先で待っていた母親のもとへと笑顔で駆けた。

 摘み取られた花の周囲には、少女に踏まれた花があった。

 珍しくもない花々は、踏まれたことさえ気づかれずに……ふと思い出した頃には茶色く変色していた。

 そんなものと並べて考えてしまうくらい、命というものが簡単に蹂躙される……米の一粒のために、命を投げ出さなければ食べてもいけない世界だった。

 必死って言葉がひどく似合う世界で、ようやく少しくらい微笑むことが出来た街の隅で、隠れて兵と一緒に桃を食べて笑った。

 気づけば幾度も戦をして、笑い合っていた笑顔が戻らないことを知って、誰にも気づかれないよう、涙した。

 

  平和って眩しいね

 

 子供の俺が呟いた。

 そんな世界に最初から降りることが出来たならって、きっと誰もが思うだろう。

 ありがとう、ごめんなさい。

 そこに込める言葉の意味も、伝えたいやるせなさも、どうしようも出来ないのだから。

 だからこそ呟く言葉が、こんなにも胸に響く。

 “知っている人が居る”。それだけで、ただただ安らいだ。

 

「俺、なんもしてへん。戦に貢献したわけでもない。誰かを助けたわけでもない。なのにな、み~んな笑うんや。かずピーの知り合いやゆーこと知っただけで、眩しいくらい……眩しすぎるくらいにな」

「……ああ」

「孔明ちゃんの悲鳴聞くまで、孟徳さまのところで話きいてた。かずピーがどんなことしてここで頑張ってたか」

「……って、ことは」

「ま、ここ日本やあらへんし、本人同士がそんでえーなら俺が言うことなんてなんもあらへん。嬢ちゃんらのことで怒ったのも、“おとうさん”の一言で怒ったのも、まー理解したらおもろいもんやし。ただ、ご主人様については聞いとらんかったから引いたわー……」

「俺はな、嫌だって言ったんだよ……ちゃんと……」

 

 眩しすぎる景色には目を開けない。

 見届けなきゃいけない現実も、救えなかった影のことも、みんなみんな眩しさの中にあったのに。

 ……なぁ、みんな。一時でも俺を隊長って呼んでくれたみんな。

 俺は……

 

「胡蝶の夢なー……こんな世界があって、女の子にぎょーさんモテて、めっちゃ愛の経験積んで、子供まで出来て。そんでも───」

「………」

「な、かずピー。もう、終わらしてしまわん? はっきり言ってこれ、夢は夢でも“そこまで都合のええもん”とちゃうやろ。人は死ぬし歳も取る。けどかずピーは10年経ってもそのまんま。こんなんよっぽどアホやなけりゃ気づくわ。……かずピー、自分このままやと、下手すると子供の最期看取るかもしれんねやぞ?」

「………」

 

 ……俺は。

 俺はここまでこれたよ。これたのに……平和な世界に居るのに、先に進むのが怖くなってるんだ。

 贅沢だよな。

 このまま賑やかな景色に埋没して、ずっと笑えていられたらって、思わずにはいられない。

 ある季節がやってくるたび、何度桃を持って魏に戻っただろう。

 兵舎に行くたび、何度とっくに処分された名前を探しただろう。

 笑った日のことも、どんな話題で笑ったかも思いだせるのに。

 どうして……笑顔ばかりが、その表情ばかりが記憶から消えていってしまうのか。

 ……あれからたくさんの人と会ったよ。

 たくさん思い出が出来た。

 一度天に戻ってさ、自分でも呆れるくらいに鍛錬したんだ。

 サボってばっかりだった俺がだよ。

 そんな過去さえ思い出して笑えるのに。

 

「果てには行くよ。約束があるんだ。俺は、俺が歩いてきた道も……あいつらが生きてきたこの世界も、否定したくないから」

 

 心が冷たくなると、自分の頭を胸に抱いてくれた温かさを思い出すようにしている。

 道があるのなら歩まないと。

 覇道はまだ続いている。

 怖くても、辿り着きたい未来と、肯定したい世界があるから。

 

「……かずピーは、孟徳さまに願われたから降り立って聞いた」

「……ああ。そうだな」

「二度目はまた会いましょう、やったか?」

「……ああ」

「な、かずピー。かずピーは……自分のこと銅鏡のカケラがどうとか言うとったよな?」

「? あ、ああ……言ったな」

「銅鏡は願いを叶えるだの世界を変えるだのの力があるんやったな?」

「ああ……それがどうかしたのか?」

 

 らしくない真剣な目と自分の視線がぶつかった。

 らしくないのはきっと俺も同じで、出来ることならニヘラと笑って、こんな空気を壊したかった。

 でも、そいつの目があんまりにも真剣だったから。誤魔化すようなことはしないで、話を待った。

 

「かずピーの話を纏めると、この世界は一度役割を失ったけど、孟徳さまの世界になったお陰でカタチをたもてた……で、えーんやったな? なんや、自分までそういった世界の住人や認めるんは気味悪いけど……それはこの世界のみんなかて同じやしなぁ」

「……そだな」

 

 及川の質問に答えながら、杏仁豆腐を軽く掬ってみる。

 口に入れるとほのかな酸味と酸っぱさが口内を支配して───マテ。なんで杏仁豆腐から魚の生臭さが香ってくる。

 

「……かずピー。きっと、これで最期や。孟徳さまが願ったからゆーて、また何か願いが叶う、なんてことはまずあらへん」

「? どういう意味だ? ……ぐっふ! えふっ! おほっ!」

 

 杏仁豆腐の味と格闘しつつ、先を促す。

 及川もつられてほんのちょっとだけ食べて……顔を紫色に変色させながらも、吐くまいと堪えていた。

 

「げほっ……! ん、んんっ……えっとな、勝手な推測やし笑ってくれてかまわんけどな。世界は願われた数だけあって、その分だけ予想される銅鏡のかけらもかずピーの数も変化する。せやったら、最初の願いは御遣いを下ろして天下を取ること。そんでその世界の願いは終わってもーてる。天下統一されたあとの願いは御遣いやのうて、“孟徳さまがまた会いたいかずピー”の召喚や。んで、もうそれも叶ったな?」

「あ、ああ……そうだな。けど、これで最期ってのは?」

「存在意義が書き換えられた時点で、この世界は新しい世界ってことになっとったんやとしたら、最初の世界とおんなじで天下統一を目指すなんて願いが誰かによって叶えられて、それを孟徳さまがたまたまた拾った。まあ、これがかずピーやな」

 

 及川が自分の荷物からメモとシャーペンを取って、図を描く。

 

  一回目の世界の願い:天下統一という平和=かずピーの召喚

 

「あ、“かずピー”って部分は天の御遣いって感じで覚えたってや。最初の世界っちゅうのも、銅鏡ってのが割られた世界ってことやで?」

「ん」

 

 軽く返して、図の先を促す。

 

  一回目の世界の願い:天下統一という平和=かずピーの召喚

  二回目の世界の願い:また会いたいかずピーの召喚

  三回目の願い:~~、、……

 

「及川?」

 

 三回目の願い、という部分で、及川はメモに波線を書いたり点を落としたりと、躊躇しているようだった。

 

「んーと」

 

 途端、ばつの悪そうな顔。

 

「アニメのことやけど」

「へ? 今関係あるのか?」

「重要やな。……出てきていきなり去っていくキャラっておるやん? あれって意味あったんかなーとか思うよなー」

「……一応、なにかのきっかけにはなってるんじゃないか? そんなキャラを好きになる人だって居るわけだし」

「せやな。でも俺はあんまり好かん。出たからには、もっと活躍してほしー思う」

「まあ、そりゃそうだけどさ」

「でもな、召喚されてみて思ったわ。理想ではあるけど、現実的やあらへん。誰かが頑張って築いた世界に急に降りて許されるのんは魔王だけって思う。けどなぁ、俺に魔王なんて似合わんし……親友の“敵”になるのは、もう嫌や」

 

 シャーペンが走る。

 そこに書かれたのは……

 

  三度目の願い;かずピーの心労の除去

 

 ……一瞬、意味がわからなかった。

 心労? べつに俺は───と言おうとしても、どうしてか言葉が出なくて。

 

「孟徳さまにな、訊いてきた。俺が降りる前、どんなこと考えてたんや~って。散々話逸らされそうになったけど、かずピーに関することで、重要なことやからって言ったら教えてくれたわ」

「……及川、これって」

「女ばっかの場所で、周りに居る男は自分を友達とは見てくれない。そんな場所でずっと生きて、本当に心の底からの息なんて吐けるもんかい。孟徳さまの考えがどうあれ、かずピーの心を癒そ思ったら、世界がそれに反応した。それだけのことや」

「……この“三度目”ってのは?」

「銅鏡の数だけ世界があるなら、世界自体が銅鏡のかけらやろ? まあ予想やねんけど。んで、降りるかずピーも銅鏡のかけらの数だけなら、それに影響されとる。三度目のかけらは“かずピーの中のもの”や。最初の誰かの世界でかずピーはたまたま孟徳さまに拾われて、一回目の願いを叶えた。あとは孟徳さまを軸とした世界って感じで世界は上書きされて、そこに二個目のかけらが宛がわれた。二度目の願いでそれはのーなったってわけや」

「そりゃまた、“想像”すぎる話だな」

「こーゆーのは合ってなくても簡単な定義作って“頭に覚えさせる”のが重要やろ? 忘れるよりはマシや」

「………」

 

 文字と図が描かれてゆく。

 三度目。

 軸である華琳が願って、傍にカケラがあったから叶えられた小さな願い。

 世界に影響があるほどの願いなんて叶えられないけど、せいぜいで人ひとりの心が安らぐ程度の時間の夢を叶えるもの。

 

「……な、かずピー。ちっとくらいは楽しめた?」

「……そだな。遠慮することなく騒げたのは、久しぶりだったかもな」

 

 口調でも態度でも、人をツッコミで殴るのでさえ懐かしかった。

 今じゃ、やるとしてもデコピンくらいだから。

 

「そかそか。まあそんなわけやから……俺はそう長くはこの世界にはおられへん。天下統一した時点でかずピーが元の世界に戻ったなら、俺かてかずピーの心が癒されたら戻ることになるやろ。それに……この世界は、この世界で頑張ってきたみんなのもんや。俺みたいな、平和になってから急に現れたモンが笑い飛ばせるもんやあらへん」

「それ言ったら子供たちはどうなるんだよ」

「次代を担う子ぉらやろ? 俺はそんなんとちゃうよ。支柱になんてなりたないし、仕事の量かて目ぇ回るほどや」

「や、少ないほうだぞ? こんなの」

「あっははー、そら基準がおかしいわー」

 

 ズビシとツッコまれた。

 ……まあ、そうか。軍関係の仕事が減ってきたなら、それこそ量が減るのは当然だ。

 代わりに街づくりや野山を削っての開墾が盛んになっているから、そっちの処理で将らが遠出をすることが増えたくらいで。

 武器を手放す日はまだまだ遠いし、周辺国も合わせて武器を手放す日までは油断は出来ない。平和なんていつ崩れるかわからないのだから、それまでは街を作りながら、築かれていく景色を見守っていようと思っている。

 

  狡兎死して走狗煮らる

 

 戦で活躍した武将は道場を開いて学びたい人に武を教えている。

 学校で教えている人も居れば、それぞれの道場で軽い競い合いをしている場所もあったりする。もちろん殺伐したものにならないよう、やるとしてもそこはやっぱり運動会レベルの催し物だ。

 人が増えれば学を得ようとする人も増えて、増え始めた私塾で教鞭を取る文官も増えた。

 ……現状は少しずつ変わっていっている。

 見慣れた景色が削られていくたびに、そこで見た笑顔を思い出せなくなってしまって、新しい笑顔でそれらが塗り潰されてしまっても……。

 

「一度さ、相談されたことがあるんだ」

「相談? 世界のこと?」

「いや、戦いが終わってからのこと」

「あー……武将のみんなはそら、考えるわなぁ」

 

 霞には結局答えは出せなかった。

 羅馬に行こうと言ったけど、行ったとして解決には繋がらない。

 春蘭は道化になると言っていた。

 けれど彼女は華琳を楽しませる道化になると言っていたのであって、それでは稼げない。

 理想っていうのは思い通りにはいかないもので、そう在れたらいいなと思うことほど上手くはいってくれない。

 

「華琳は……孟徳さまは、言った通り戦いの場も知を振るう場も用意してくれたな。お陰で10年、お祭り騒ぎをずっと堪能したし、忙しさの中で武将の嘆きを聞くことも、そう無かったよ」

「……でも、そらただ言わんかっただけなんとちゃう?」

「ん、俺もそう思う。戦があった時ほど役に立ててないって、いつか恋……呂布が言ってたよ」

 

 ただでさえ動物をいっぱい傍に置いているから、何かで役に立ちたいと。

 けど、だからってなんにでも首を突っ込んだら、今度は民や兵の仕事が無くなる。

 今でこそ開墾や新しい街づくりで補っているけど、これから何年何十年と続けば、それはどうなってしまうのか。

 本当に平和になって、将からただの民に戻った時、呼び方も態度も気にせずに民達と笑って仕事が出来るか、といったら……それは多分違うんだと思う。

 結局は先送りにしているだけで、解決できていることなんて少ないものだ。

 

「けどまあ……んー、せやなぁ。難しく考えることないのとちゃう?」

「え? なんでだ?」

「いや、なんでて。あんなぁ、いくら強くたって、人間やろ? 一騎当千やゆーても、人一人にはかわらへん。仕事っちゅうんはなんや? 力がある~なんて理由で、他の人の数倍を一人に押し付けるもんか?」

「けどさ、能力の───」

「有効活用以前に人間や。将でなく人として考えればええねん。そしたら、仕事なんてそこらじゅうに落ちとるやろ。そんで給金もらってメシ食って、生きてけばええ。戦の場は孟徳さまが作ってくれるやろ。俺みたいな一般人から見たら、もはやかずピーの考え方は異常や」

「いっ……!? 異常、か……!? 常識的だとばっかり思ってたのに……!」

「相手を女の子として見とるくせに、仕事となれば将として見とるんやろ? 差別することあらへんやん。考えることの達人に力仕事任せたら自分、それまでと同じ量の仕事を力仕事として押し付けるん? ちゃうやろ?」

「…………うわー」

 

 それは確かにそうだ。

 文官の仕事量を、力仕事も同じように押し付ければ文官が潰れる。

 それと同じで、確かに無理にキツい仕事を任せる必要はないのだ。

 少なくとも、それで稼いでいけるのだから。

 ……まさかそんな単純なことさえ忘れるほど、この世界に染まっていたとは……。

 

「武将のみんなもな、戦がのーなって落ち込む前に、別ののめりこめるもんを探してみればええねん。今で言うなら~……せやな、子作りでも子育てでもなんでもええ。やったことのないもんに手ぇ出しまくってみればそれでええやん。そんなん出来るの、将である内だけやで~? 多少の自由が利く内になんでもやってみて、酒作りでも勉学でもやってみればええんや」

「…………そっか」

 

 難しく考えることはなかった。

 この三国だけでも、空いている場所なんて呆れるほどある。

 街を作って人を集めて、そこで仕事を用意すれば出来ることなんて山ほどだ。

 武人として立っていたから武だけしか出来ないなんて、そんなのは……うん、そうだ。やってもいない人の言い訳でしかないのだから。

 兎を追った犬だって、なにも兎を追うだけしか出来ないわけじゃないんだから。

 ……なんだ、それこそ“出来るまで教える”ってことじゃないか。

 自分で提案しておいて根本を忘れるなんて、なにをやってるんだか。

 

「……そ~……っと」

「ほい」

「そっと出したじゃんけんくらいそっとしといてくれん!?」

「おおダジャレか。つまらないな」

「狙ったわけやあらへんもん。それにな、ダジャレってのは畳み掛けるから面白いんや。つまらんものも積もれば一笑。その一笑に価値を見い出せるかどうかや」

 

 むんっ、と無駄にガッツポーズを取って見せる及川───の隙をついてグーを出した。

 慌てて出されるグーに、俺も及川も顔を見合わせて笑う。

 

「まあ、けどさ。武だけしか、って言ってた人だって、それを探さなかったわけじゃないと思うんだ。むしろ誰よりも探してたと思う。そういうところは俺には見せてくれなかったけど」

「見せなかったんやのーて見せたくなかったんやろ? かっこわるいとこ、好きな相手に見せるなんて恥ずかしいやん。や~、俺から見たらものっそいかわええ反応やで~? かずピー、やっぱ肝心なとこで鈍感やし」

「ぐっ……追求しなきゃわからないこともまだまだあるからなぁ……反論が難しい」

「なっははは、けどまぁ将のみんな見とったら、あんま心配なさそーやし。ちゅうかほんまに“戦”って10年も前の話なん? あの娘ぉらめっちゃ若いやん」

「いや、あれは俺にもわからない」

 

 元々小さかった将は相応に大きくなった。

 璃々ちゃんは特に。ねねもかなり。朱里と雛里もそれなりに……なんだけど、いつまでもはわわあわわ言っている所為で、あまりそういうものが伝わってこなかったりする。

 

「ま、ぜ~んぶ夢なら夢で、それはそれで言葉通り夢があってええねんけどなー。目が覚めてみて、ハッとケータイ見てみたら、そこには夢の中で見たみんなの姿がー! って」

「まあ、実際そうなるんだろうな。俺のケータイは……途中で壊れるだろうから、お前にデータ預けたわけだけど」

「ハッと目覚めた俺……かずピーのデータ入りのケータイ……。そっとシャワー室を開くと、そこには……かずピーがおらんかった」

「勝手に消すな」

 

 けど、実際どうなるんだろう。

 ささやかな願いなんていつかは消えてしまう。

 俺の心が癒されるとかこじつけはしてみても、気づけば及川も居なくなっているかもしれない。

 その場合、俺の心が疲れたらまたこいつは召喚されるのか。

 ……しないだろうな。

 そもそも俺の中に銅鏡のかけらが、なんて言うなら、もっと早くにこの世界に来ることが出来たんじゃないか? それこそ、俺の中のかけらで無意識に願って。

 ……あ、そっか。この場合、俺がこの“基盤の世界”に来なければ、かけら自体が存在しないのか。外史ってややこしいなぁ。

 でもマテ、俺、一度この世界に来てるよな? 帰りたくないってあの時に願ったなら、それこそ華琳の傍に居られたはずだ。

 つまり願いを叶えるかどうかは……やっぱり世界の軸の問題ってことになるよな。

 

「………」

 

 ようするに、天下統一って願いに比べたら、俺に会いたいなんて願いは簡単すぎたってことだろう。だから及川を呼べるだけの願いの枠が残ってた、とか……そんなところなんだと思う。

 



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147:IF3/普通の人の考え④

「納得できた、って顔しとるやん。つまらん予測も大事やろ? 俺がどー言おうが結論出すのはこの世界やかずピーやもん」

「……はぁ。お前さ、それって自分はさっさと戻りたいって言葉に聞こえるぞ?」

「ん、帰りたいな。自分の在り方や生き方、周囲に完全に掴まれた状態でここに居たいなんて、普通は考えられへん。言葉を間違えれば首が飛ぶ世界やろ? 正直言うわ、帰りたい」

「………」

「わかるやろかずピー。俺は確かにかずピーのために呼ばれたんやとしても、知り合いがかずピーしかおらんねや。出来るだけフレンドリーに踏み込んでみたけど、や~、攻撃力高すぎて俺の体のほうがもたへんわ」

「いや、それはおかしい」

 

 思わずツッコんだ。

 そもそも平気だった方がおかしかったんだが、今は及川の言葉のほうがおかしいと感じてしまう俺はおかしいのか?

 

「まーま、落ち着きなさいなかずピー。仲間や子供がおるかずピーとは違うっちゅう話や。な~んも難しいことあらへん。結局長いこと居座っとるわけやけど、かずピーの友達ってだけで、立場は庶人となんも変わらへん。ただ城で勉強教えてもろてる特別な庶人てだけやろ?」

「だから帰りたい?」

「おかしいかなぁ。俺当然のこと言っとるつもりやけど。いや~、いろんな小説とかアニメとか見てきたけど、実際なってみると怖いわこれ。俺のほうこそ心の癒しが欲しいくらいやで」

「………」

「なんて言われたら、かずピーの心労増える?」

「よし殴らせろコノヤロウ」

 

 強く強く、巻き込んでしまったことへの罪悪感が生まれた……頃には、及川はニパッと笑ってそう言った。

 軽い取っ組み合いをしては笑って、あとは覚悟を決めてから杏仁豆腐を食らう。

 

「あ、けどな、帰りたい思ったのはほんまやで? 死にたない思っとるのもほんま。帰る手段があるなら帰りたいって思う。でもな、かずピーこのままにして帰る気にはなれんかった」

「及川……」

「これから何年生きていく気ぃなんかは知らんけど……あんま、世界がどーとか考えすぎんようにせぇや? 孟徳さまにも言えへんようなこと、俺に相談してくれたんは、そら親友冥利につきるけどなぁ……重いやろ、これ。なにかしてやりたくても俺じゃあなんもしてやれへん」

「……悪い」

「悪いことなんてあらへんて。これも貴重な体験やし、死なずに戻れたならいくらでも喧嘩してから笑い合えばええて。あ、しゃあけど強いてゆぅならこれ食うのに付き合せたことだけは謝るくらいじゃ許されへん」

「随分軽いなお前の危機感!」

「じゃあこれ全部食うてな?」

「ゴメンナサイ」

 

 食べ物を粗末にしたくはないと思っていても、やっぱり辛いものは辛いのです。

 でも食う。今まで一人で平気だったのだ……いけないことなどありはしない!

 

「ウビュウム!?」

 

 器を傾け、口の中に一気にじょぽりと。

 全部は流石に無理だったが、限界まで流し込んで……肩を震わせた。こう、二度一気に痙攣するみたいに。あとヘンな声出た。なんだ今の。

 

「……ピー!? かずピー!? しっかりしぃやカズピー!」

「…………、……んはっ!?」

 

 及川がなんか叫んでる。

 おかしいな、食べてから吐きそうな自分を抑えていただけなのに、叫ばれるまで気づけなかった? ……マテ。もしかして気を失ってた?

 

「……及川、俺……どうなってた?」

「どう、て……それ食った思ったら固まって、そのあと気色悪いくらい震えだして、なんやわけのわからんことぶつぶつ言い始めて」

「ごめんやめてやっぱりいい」

 

 気になるけど知ってはいけない気がした。

 なので、あとは及川に任せることに。

 スッと差し出せば、ごくりと喉は鳴らしたもののしっかりと受け取る我が友。

 大丈夫だ、半分は食った。あとはキミの頑張り次第だ。

 

「……こう言うのもなんやけど……吐けないって、こんなにキツいことやってんなぁ……」

「喉もと過ぎればなんとやらだよ……隣接する臓器に熱は伝わるから、熱さ忘れるってのはちょっと違うんじゃないかって前から思ってたけど、大丈夫だ。臓器に味は伝わらない」

「うわーいちぃとも気休めになってへーん」

 

 それでもグッと構える及川は、ある意味で勇者だ。

 むしろこの状況をオイシイとさえ思っているのだろうか。こう、芸人気質風に。

 

「お笑い芸人やったらこの状況、オイシイとか思うんねやろか……食べ物は美味ないのに」

「そういう状況の芸人って好きか?」

「あー……大げさすぎてよー好かれへん。あーゆーのってこう、ほんまに美味ないなら、マズいとか言う以前にブゥウウッフェェッ!?」

 

 まあ、うん……不味い不味い言う以前に吐くよなぁ。

 けど見事だ及川。

 吐きそうになっても歯だけは食い縛って、咀嚼物が放たれるのを防いだ。

 その所為で今も味覚と格闘中だけど、ナイスファイトだ。

 

「んぐっ……! ごっふ! ぐすっ……ウゥェッ……! と、ともかく、や……! どれだけマズかろうが、頑張れば食べられんことはないと……そう思っとった時期が、俺にもあったわ……! ゲテモノ料理かて、食べてまえば平気やって……強気でおった頃もあったのに、なんでやろなぁ……。今やったら、これとゲテモノどっちを食べる~訊かれたら、ゲテモノに全力疾走する自分しか想像でけへん……!」

「いや……俺が言うのもなんだけど、なにも泣くことないだろ」

「感涙ってことにしといたって……女の子ぉの手作りモン食べて、マズい言うわけにはブプウゥッシュ!!」

 

 震えながらももう一口いった及川だったが、吐き出さないように完全に口を閉ざしたのがまずかったのだろう。鼻から謎の汁がブシュウと噴き出した。

 

「頑張れ及川! あと一口だ!」

「先にもっと言うことあらへん!?」

 

 紳士としてポケットティッシュを持っていたらしく、汁を優雅に拭きとってから再び杏仁豆腐と向き合う及川。

 俺はそんな彼の勇姿を温かく見守り───

 

「ってなんで俺ひとりで食うみたいな状況になっとんねん! あとこれ一口って量とちゃうで!?」

「なんで、って。俺が半分食べたからだろ。そして流し込めばいける。俺もいった。キミもいける」

「かずピー!? なんか目ぇ怖なってんで!? つかそもそもこれ、かずピーにって、えーと……雲長さんにげんじょーさん? が作ったもんやろ? そんな愛の結晶を俺が半分も食ってええわけが───」

「気にするなって。俺達……友達だろ?」

「気にする! めっちゃ気にするから食って!? むしろ手伝ぉてくれんともう無理! 鼻腔にこう、杏仁豆腐の匂いがこびりついて今にも失神しそうなんやって! 足もなんやフルオートマシンガンみたくズゴゴゴゴって震えとるし!」

「……むしろさ、しんみりした話だったんだからさぁ……。しんみりと終わる努力、出来なかったのか……?」

「そもそも殺虫剤の素材をこれにせぇへんかったらこないなことにならんかったわ!! 孔明センセに頼めばなにか別にそういう成分のもの用意出来たのとちゃうんか!?」

「………」

「………」

「これを……これを、さ。何かで役立てたかったんだ……許してくれ……」

「…………あぁ……うん…………そ、そか…………うん……」

 

 ……しんみりとした。

 そんな気分の内に、結局は残りを半分に分けて片付けて…………話は、終わった。

 い、いいよな、うん。しみりしたし。うん。

 頑張ったよ俺達。努力出来たよ。

 馬鹿な友達のノリとしては、多分申し分ないと思うよ。

 

……。

 

 さて、そうした犠牲の上で完成した“滅殺はわわジェット”だが。

 

「今でしゅ!」

 

 厨房の一角にて、ヘニョリと構えた朱里が、壁にカサリと張り付いていたゴキブリに《マシュー!》と噴射してみせれば、元気だったゴキブリがドシャアと落下。

 殺傷力はないものの、気絶が約束された素晴らしき威力を発揮。

 や、及川と食事する前に試しては見たから知ってるんだけど……朱里の張り切り様を見ていると、そういう野暮なことは言いっこなしだろう。

 

「はわわご主人様! 敵を殲滅しちゃいました!」

 

 で、落下したゴキブリをハリセンでベパァーンと殲滅。

 はわわジェットとセットで作られたハリセンの威力は、真桜が推すほどの破壊力だ。もちろん虫限定で。

 人間にやるならツッコミ用だけど、もちろんゴキブリ用をツッコミに使えば、やられた者の激怒を頂くことになるだろう。

 

「知識でしかお役に立てなかった私が、今……戦うことでお役に……!」

 

 ところで……ええと。

 ゴキブリを仕留めて感動なさっている伝説の名軍師さまを前に、この北郷……どういった反応すればよいのでしょうか。

 今まさに“この平和な時代に光を得た……!”みたいな顔で、胸の前で手を組んで空を見上げてらっしゃるのだが……殺虫剤とハリセンを胸に抱いて。

 

「あ、あー……あーの、朱里ー……?」

 

 初めて会った頃から比べればすらりと伸びた背と、少し伸ばした髪。

 ぱっと見ればとても落ち着きのある、大人し目でやさしい印象の女の子って感じ……なのだが。

 

「はわっ! こ、この感動を雛里ちゃんにも教えなきゃ! ごごごっごごご主人様! そんなわけですので私はこれで失礼しましゅひゅふ!?」

 

 噛んだ。

 しかも言いながら駆け出してたもんだから、痛みに思わず目を瞑ったのちに出入り口の壁に激突。ドゴォンとステキな音が鳴ったあとはふらふらとふらついて、そこで止まればいいのに無理に先を急ごうとして転倒。

 拍子にはわわジェットが噴射され、鼻に直撃を受けた彼女は体をビクンと弾かせたのちに動かなくなった……。

 

「………」

 

 厨房の窓枠にそっと手を添え、空を眺めた。

 ……いい天気だった。

 などと現実逃避してないでと。

 

「朱里……もうちょっと落ち着こうな……?」

 

 人のこと言えないけどさ。

 言いつつ朱里の顔を布で拭いてから、ひょいとお姫様抱っこして歩き出す。

 ついでに拾ったはわわジェットは、きちんと文字も刻まれたスグレモノだ。

 教えた通りに作ってくれた真桜に感謝だな。

 

(………)

 

 うんうん魘されている朱里を見下ろす。

 舌を噛んだ上に頭から壁に激突、はわわジェットで滅殺されかけた彼女の額は、やっぱり赤い。いや、そんなことを確かめたかったわけではないんだが。

 まあその。

 ここに居るってことは、うん。つまり彼女は現在、周期なわけだが……不思議だなぁ。こんな彼女の子供が優秀である予想が全然出来ない。

 諸葛瞻(しょかつせん)……孔明の子供って、武将だったっけ。

 記憶力がよかったとかいろいろ言われて、実力以上の周囲からの期待を受けていた人、だったよな。

 実力以上の期待……かぁ。

 なんだろうなぁ、もし子供が出来たとして、そこのところだけは……妙にリアルに想像出来る自分が居る。

 孔明さまと御遣いの子供だーとか言われて、期待されまくって、それが嫌で武に走る、とか。

 

「うわあ……」

 

 気をつけてあげなきゃだな……産まれたらの話だから、気の早いことだけど。

 娘たちも親のことでいろいろあったし、今度は最初から支えてあげられたらいいなぁ。

 

「……あ、そういえば、子供って新しい妹とか弟が出来ると嫉妬するっていうけど」

 

 なんていったっけ。幼児退行? 嫉妬して、子供っぽく振る舞って構ってもらおうとするアレとか…………なんかちょっと違った気がするけど、そういうことは……ないな。なんというかしっかりしすぎていて、逆に怖いくらいの子供たちだし。

 考えることが子供っぽくないっていうのかなぁ……やっぱり周りにすごい人が居ると、ああいう子供が育つのだろうか。

 でもちょっと見てみたい気がするのです。赤子に嫉妬する我が子かぁ……いいなぁ。いいけど……どうしてその嫉妬の矛先が、俺に向けられていること前提での想像ばかりが頭に浮かぶのか。

 ほら、赤子を見てデレデレしていたら、足を踏まれるだとかどこかを抓られるとか。

 ……あれ? それって子供の嫉妬の反応として合っておりますか? どっちかというと恋人っぽい方向性なんじゃ…………。

 

「えっと、蜀側の屋敷は……」

 

 考えながらも蜀の屋敷を目指す。

 とりあえず朱里を部屋に戻したら、桃香と街散策の約束があるし、はわわジェットは雛里に託すとして……

 

「………」

 

 子供かぁ。

 今さらだけど、本当に……遠いところまで来たなぁ。

 この世界で外史の終わりを見届けて、それで天に戻るとして……俺、また学生からやり直しなんだよな……?

 ……大丈夫だろうか。その時が来たら、自分の趣味とかがお爺様化していたりしないだろうか。

 

「ははっ、案外じいちゃんと話が合うようになってたりして」

 

 …………。

 

「シャレにならん」

 

 いいかもだけど、あのおじいさまと意気投合して肩を組んでわっはっはしている自分を想像したら、こう……謎の汗がだらだらと。

 だって、あのじいちゃんだぞ? 普段からむすっとしたあのお方が、俺と肩を組んでワッハッハ……!?

 

「………」

 

 なんでだろうなぁ。

 この世界の最果てまでを経験した自分なら、いけそうな気がしたよ。

 苦労話じゃ負けないって頷ける気さえしたんだ。おかしいよね……。

 

「まあ」

 

 それもまた、この世界の果てまで行ってからの話だ。

 その先で自分がどうなるかなんて、まだまだわからない。

 華琳がいつまで生きていられるのかだって、もうとっくに史実の話からは離れてしまっている。史実でだって、正確な日時も知らない有様だけど。

 

(それに……)

 

 言ってしまえば、決着をつけなきゃいけないっていうのに戦う相手の顔さえわからない。

 なにが決着で、戦いだけでしか決着をつけられないのか。その基準もわからないでいる。本当にわからないことだらけだ。

 でも、一番最初の自分の所為で彼の行き先が崩れたのなら、彼はきっと俺を殴りたいだろうし、俺にしてみれば彼にとっての“こんな世界”を否定したくはない。

 だったら……自分の意地を通すなら、どんな形であれ負けてやるわけにはいかないのだ。

 

「っと、ごくろうさまー」

「おお、御遣いさま、ご苦労さまです」

「さまはやめてくれって……」

 

 蜀の屋敷前の門番に挨拶。

 お決まりのやりとりをしつつも通してもらう中、口にはしないが“またですか……”という苦笑いを含めた表情をいただいた。

 うん、またなんだ。

 何も起こらずに一日を見送る、なんてことは本当に珍しい。

 今日も誰かがどこかで悶着を起こして、その度に俺が連れ出されたりする……そんな日々を何度も過ごす中、門番の対応にも“またですか”が定着していった。

 いや、いいんだけどね、これはこれで。

 たださ、威厳とかさぁ……ねぇ?

 世代が変わるにつれて、新しく配属される人の中には、“本当にこんな人が天下取りに貢献したのか”とか疑うの子も出てくるんじゃなかろうか。

 いやむしろ出てくるだろう。

 で、無謀にも戦いを挑んでこてんぱんにノされて……。

 

「うん? ご主人様? なにかこちらに用事でも?」

 

 考え事をしながら苦笑をしていると、後ろから声をかけられた。

 勝手知ったるなんとやら、無意識に通路を歩いていたらしい俺が振り返ると、そこには書類を抱えた愛紗が。

 

「朱里? ……もしやご主人様、周期だからといって昼間から」

「いきなりそっちへ行かない! ほら、これっ! これこれっ!」

 

 抱き上げている朱里が掴んでいるブツを見るように促す。

 “滅殺! はわわジェット!”と書かれているそれを見ると、愛紗も「ああ、なるほど」と頷いてくれた。

 

「大方、妙に張り切った朱里が誤って自分にこれを噴射、気絶したというところですね?」

「うんまあその通り」

「やれやれ。知識は信じられないくらいにあるというのに、何故こうも落ち着きがないのか」

「………」

「? なにか?」

「イエナニモ」

 

 8年以上も練習していて、何故ああも料理が下手なのか……。

 似たようなことを思ったなんて、言ったら大変なことになりますね。

 

「ところでご主人様。さっちゅうざい、というこれは、どういったもので出来ているのですか? 真桜が作ったとは聞いておりますが」

「ああうん、材料を中に詰めて、氣を送ることで中身を混ぜて、その香りを噴射イエゴメンナサイナンデモナイデスワスレテクダサイ」

「忘れてと言われましても、私が聞きたくて訊いたことですが……」

「ア、アアウン、でもごめん、朱里を部屋まで送らないといけないからボクもう行くネ?」

「そうですか。……ああ、それでしたら私が部屋まで」

「あぁ今俺物凄く朱里を部屋まで全力で運びたいナァ! だから行くねほんとゴメッ……ごめんごめんなさぁああいぃい!!」

「ご主人様っ!?」

 

 なんかもう墓穴堀まくったためにいたたまれなくなって駆け出した。

 ……いつか……いつかきちんと説明しないとなぁ。

 じゃないとバレた時にどれほどの地獄が待っているか……。

 

「ああなんかもうアレだ」

 

 どの道ひどい目には遭うわけですね?

 そうだよね、合意で作ったわけじゃないもの。

 自分が頑張って………………が、頑張って作った料理……料理? を、殺虫剤に使われたら……そりゃあ誰だって怒るよね……。

 よし、朱里を運ぶついでに雛里と話し合って、別の殺虫剤の素を考えよう。

 きっと雛里なら、素敵な案を出してくれるに違いないから───!

 

 

 ───……俺の足取りはとてもかろやかでした。

 のちに雛里と相談して、その帰りの足取りも。

 ただ、その様子を愛紗に見られ───問い詰められた雛里が慌てるあまりにいろいろこぼし、我が頭上に美髪公と魏武の大剣様の稲妻が舞い降りたのは……それからほんの少しあとのことでした。

 でもそれならもうちょっと上手くなろうね!? これ俺怒られ損じゃないか!




 よぅしようやく盆休み(たった一日)だ! 連続投稿とかやってみよう!

  ~しばらく後~

 アカンもう目がよう見えられへん……!
 目薬差しても視力戻らんしこれもうだめなやつや……!

 というわけで、とりあえず連続投稿終了。
 視力回復したら、またちょっとやってみようかと思います。
 出来なかったら……お察しください。

 もっと休みが欲しいよぅ!


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148:IF3/遥か遠くの過去の空へ①

201/懐かしむ暇もないくらい、賑やかでいられればいい

 

 見上げた空が蒼かったのを覚えている。

 泥まみれになりながら遊んだ日は遠く、ふと思い返してみると、自分は今よりもよっぽど笑っていたなと苦笑する。

 新しいことだらけの日々が好きだった。

 それは、いつから“新しいこと”が怖くなったのかなんて、思い出せないくらい。

 知らなければ楽でいられたことがたくさんあることを知った。

 世界は、無くしてしまえば戻らなくなるものが多いことを知った。

 同じものを用意されても、前のものにはあった筈の思いがそこにないことを知った。

 知れば知るほど“なりたかった大人”になった筈なのに、手を広げてみても守れるものはとても少ないことを知った。

 じゃあ自分はなにが出来るのか。

 周囲の人に勝てた。

 だから調子に乗って、本物に出会って、敗北を知って、強くなることから逃げ出した。

 

 人の一生ってものを考えてみる。

 なにがきっかけで自分に幸を運ぶのかはわからないそれを、静かに。

 城壁の上から見上げる空は、小さな頃よりよっぽど蒼く見える。

 自分が立っている時代は過去なのに、自分が歩む今はとっくに未来だ。

 見上げる蒼は過去より過去で、悩む自分はあの日よりも大人だった。

 そんな自分は、あの日よりもよっぽど強くなれたと思っている。

 なのに最果てで世界を肯定するには、どこまで強くなればいいのかもわからない。

 そんなことを思えば、なるほどとも頷けるのだ。

 こんなことばかりを考えていれば、心の癒しくらいは必要にもなると。

 

 で、そんな心の癒しが今なにをしているのかと言えば。

 

「ほわぁあーっ! ほわっ! ほわぁああああーっ!!」

 

 ……城壁の外、天下一品武道会にも使われた舞台の上で歌う数え役萬☆姉妹を前に、奇声をあげていたりする。

 同じ舞台上で一緒に歌う美羽も、今ではすっかり三人と息を合わせている。途中途中で……及川と同じように舞台の傍に居るのではなく、城壁の上で彼女らを見下ろす俺を見上げては、ぶんぶんと手を振ってくるので……それはやめなさいとゼスチャーするのだが……それを応援のサインとでも受け取ったのか、一層手を振ってくる始末。

 そして何故か邪魔しないでくださいとばかりに人和に睨まれる俺。

 いや、いいんだけどね、今は客が及川と璃々ちゃんだけの、ただの練習風景だから。

 

「………」

 

 賑やかな場所に居ると、ふと周囲の音が気にならなくなることがある。

 無意識に、自分の意識が孤立するとでも言えばいいのだろうか。

 そんな時に過去を思うと、ふとその頃に見た何かを追いたくなる。

 空を見上げた理由なんてそんなものだ。

 よく“離れていても、この空は繋がっている”なんて言葉があるけど……いや、あるよね? あるってことにしておこう。

 ……けど、この空は繋がってないんだよな。

 日本を目指したってフランチェスカがあるわけでも実家があるわけでもない。

 未来に行ったって俺が産まれることもないのだろう。

 いろいろと考えていたら、あの頃に戻れたら、なんてことを考えてしまった。

 過去に戻れたとして、やりたいことといったらなんだろう。

 自分の汚点を消すこと? いいかもしれない。そうして進んだ先で、知らない未来で汚点を残すのが簡単に想像出来るあたり、自分はあまり賢くはないのだろう。

 

「ひぃいやっほぉおおーい!! ええ声やで四人ともぉーっ!! ……ああ! 一年前のあの日、あきちゃんに写真集のこと話したことすら懐かしい! やっぱ有名な人ぉ見るなら平面よりも本人やね!」

 

 そうして自分の軽い行き先を苦笑する最中、そんな脱力感さえ吹き飛ばせるあの燥ぎっぷりは、なるほど。確かに心にはやさしいのかもしれない。精神的にはどうかは知らないけど。

 

「なーなー璃々ちゃんも歌わへんの? 袁術ちゃんとええコンビできる思うんねやけどなぁ」

「私は無理だよ。目立つの、苦手だから」

「えーやんえーやぁ~ん、これを機会におもっくそ目立って、慣れてまえばえぇんやって」

「でも、恥ずかしいし……」

「恥ずかしがることなんてあらへんやぁ~ん♪ そぉんな立派なもん持っとるのに今さら目立つの嫌ぁ~なんて」

「ちんきゅぅきぃっく!」

「ブオォッホオッ!?」

 

 恥ずかしがる璃々ちゃんに、じりじり迫りつつも熱弁していた及川の脇腹に、駆けつけたねねの蹴りが減り込んだ。

 おお、いい助走だった。あれは痛い。

 そして他人事として見ていると、いっつもあんな鋭い蹴りくらってたのかー……と軽く引いた。

 いや、うん。城壁の上から氣弾投げてくれようかと、とっくに構えてはいたのですが。

 

「まったく男というのはどうしてこう……! そこのお前! 璃々を怯えさせるとはなにごとです! ことと次第によっては蹴るですよ!」

「も、もう蹴られとりますが……!?」

「……急所を」

「やめて!?」

 

 咄嗟に股間を両手で隠すようにした及川……が、前屈みになった瞬間に顎をカポォーンと蹴り上げられた。おお、物凄い誘導だ。

 

「なんで蹴るん!? 言葉に対しての暴力反対! もっと優しゅーしたって!?」

「ほほう、ならば一言言ってやるです。璃々ににやにや顔で近づくなです」

「えっ……やぁ~……それはただ、璃々ちゃん歌ったら似合うかなぁ思て……やなぁ」

「即座に諦められずにねちねちとしつこくする時点で、一言で済まないことは明らかです。聞き分けの無い存在に説得なぞ必要ですか?」

「イェッサーやめます! やめますよって視線落として構え取るのやめたって!?」

 

 大慌てで距離を取る及川を城壁から見下ろす。

 なんというか……うん、俺も普段はあんなふうに映ってるんだろうなぁってしみじみ思った。大丈夫、泣いてない。

 

「あ……璃々ちゃんがだめやったらえーと、ちんきゅーちゃん? どないなん? 背丈もあの三人とよー合っとる思うんやけどなぁ」

「歌になぞ興味はないです。それよりもねねは、恋殿とこれからのことを考えるので大変なのですから。まあもっとも、仕事などねねと恋殿が居ればいくらでも用意できますが」

「んー……こんだけべっぴんさんやのに女の子ぉが好きっちゅーのはもったいないなぁ。ちんきゅーちゃんはどないやの? かずピーのことは好きやったりせんの?」

「ふん、あいつはただの友達なのです。どれだけ周りになんと言われようと、友達よりも気安い関係などないのですから」

「んっへへー、そう言う割には顔赤くして、頬膨らませてそっぽ向いとるや~ん♪ 隠してもおふぅ!? ちょ、喋り途中に蹴りとかやめて!」

「うるさいのです! 男への評価を嬉々として、面と向かって男に話す馬鹿が何処に居るですか!」

「言われてみればそうやったァアーッ!! あっ! やめたってっ! 蹴らんといて!」

 

 顔を変色させて驚いた及川へ、げしげしと蹴りが放たれる。

 そんな中でも俺は無心に数え役萬☆姉妹の動きを見守っていた。

 大丈夫、無理に話に混ざらなければ、あらぬ誤解をかけられて俺が蹴られることもないだろう。

 というか。

 

「ご主人様、楽しんでますか?」

「いつ来たの璃々ちゃん……」

 

 振り向けばそこに。

 隣で舞台を見下ろす璃々ちゃん参上。

 

「今ですよ? 城壁を登って、こう」

「あのー!? ここ結構勾配すごいんですがー!? 勾配っていうかもうそれこそ壁なんですがー!?」

 

 氣の使い方とかいろいろ教えたとはいえ、どうしてこう成長がすごいかなぁこの世界の子! お願い! いい娘だからちゃんと階段とか登ってきましょうね!? 城壁が城壁の役目果たしてないからァ!!

 

「ご主人様が“逃走用に”ってつけた凹凸じゃないですか」

「なんで知ってるの!?」

 

 秘密裏に、屋敷から抜け出すために作っていた凹凸を、まさか璃々ちゃんに知られていようとは……! や、ただ門番にも見つからずに外に出て、鍛錬してただけなんだけどね……?

 だってもう今となっては、朝食⇒仕事⇒昼食⇒仕事⇒夕食⇒子作りとか、鍛錬の時間とか思いっきり削られちゃってるしさ。だったら多少無茶してでも鍛えないと、最果てでなんて戦えなさそうだしっ……!

 

「なんで、って。邵ちゃんが言ってましたよー? 母さま……ええと、幼平様が抜け出すご主人様を見た~って」

「……なんか俺いっつもこうだね」

 

 バレてないと思っているのはいつも自分だけってパターンだ。

 まあそんなわけで、城壁の隅……見張り台の隅っこのほうを外側に乗り越えると、目立たない出っ張りがある。ええ、夜な夜な壁を削って、足場になるように調整したのだ。出っ張りと言うのはちょっと違うが、パッと見じゃあ気づかれない程度の仕事だった筈なのに…………出ていく俺が見つかっちゃってちゃ意味が無かった。迂闊である。……いや、なんかもういつも通りって気がする。迂闊って言葉すら通用しないんだな、俺の失敗って。

 ていうかごめんなさい、建造物勝手に削っちゃってごめんなさい。でも夜に無駄な体力消耗をするとみんな怒るから、黙ってやるしかなかったんだ。

 

「ところで璃々ちゃん? 何度も言ってるけどべつに敬語とか使わなくていいよ?」

「う、うん。でもお母さんが」

「……このやり取りも毎度のことか」

 

 ある程度育ったら敬語しか許してくれなくなった。

 俺は別にいいって言ってるんだけど、そこは紫苑の性格らしい。

 なにせ紫苑自身が敬語だもんなぁ……その割に、他の娘が敬語じゃなくても気にはしないらしい。我が子故の躾ってやつなのだろうか。

 

(俺は……今さらだなぁ)

 

 我が子に偉そうに躾をすることが出来るほど、積極的な躾というか係わり合いが出来なかった。これは俺が悪い。うん。

 でも今の元気な娘達を見ているだけでも十分ほっこりできるのだ。それはそれでいいのだろう。

 

「………」

 

 ちらりと見下ろした舞台で、借りたマイクで及川が歌っていた。

 俺の隣では璃々ちゃんがにこにこしながら手拍子を取っている。

 うん、それはいいんだけど……なんで演歌なんだ、及川よ。

 

「っと、そろそろか。この後のことも見ておきたい気もするけど、仕事なんだよなぁ」

 

 時計なんて無い世界では、時間なんてものは感覚で覚える。

 なので案外時間には大雑把なものの、それを何年も続けていれば慣れるというもので。

 

「ごめん璃々ちゃん、仕事があるからこれで行くね」

「あ、はい。頑張ってきてくださいね」

「ん。りょーかい。……」

 

 あれが、前までは“がんばってねー!”と送り出してくれた子である。

 なんだかちょっと寂しい。敬語になると、途端に妹みたいな子だった筈が、他人って壁を作られてしまったみたいで、こう……ねぇ?

 ともあれ仕事だ、さすがに遅れるわけにはいかない。ちょっと急ごう。

 



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148:IF3/遥か遠くの過去の空へ②

 街にある道場の一つ、体術道場にはたくさんの子供たちが居る。

 将来的には頭を鍛えておいて損はない、というのが今の都の考えではあるものの、頭でっかちばかりでは国は守れない。

 そこのところは前も考えた通りの話だ。頭脳はダメでも体術ならって子が体術や武器を用いた技術を習い、氣に長けた者はまず癒し側に適正があるかを試してみる、とかだ。

 そうして時が過ぎた結果、武術を学ぶ人や知識を学ぶ人で、綺麗に分かれたわけで。

 中には両方出来る子も居て、世が世ならば~なんて珍しがられた。

 まあ、そういう子に限って天狗になったところを叩き折られて、復活するまでが長かったりするわけで。

 

「じゃあ柔軟体操から始めよう。各自、教えた順番通りによ~く体をほぐすこと」

『はいっ!』

 

 さて、もう一度言うがここは体術道場。

 たくさんの子供たちが拳を振るったり足を振るったりをして、いい汗を掻いている……そんな場所だ。

 柔軟性の大切さをみっちり教えたのちの柔軟は、なんというか迫力あるものだ。そりゃそうか、ちょっと大げさに説いたし。

 ええと、簡単に説明すると……マトリックス避けが出来るのと出来ないのとでは、振るわれた刃がどうなるかをこう……即興昔話などで鍛えた話術で事細かに、かつ子供たちが想像しやすい言葉で説明したわけだ。

 ようするに死にます。胴体真っ二つです。みたいに。

 すると子供たち、全力で柔軟開始。

 そんな大げさなー、とばかりに笑っていた元気っ子の前で、軽く曲げた藁束とマトリックス避け的なポーズになるまで曲げた藁束とで、加速居合いを振るってみせたところ、軽く曲げた方は木っ端微塵に、マトリックス避け藁束には当たらないといった結果が残り、こんな鍛錬状況に。

 というか、なんか今までは話しやすいお兄さん的な位置に居た筈の俺が、気づけば怯えを混ぜるような目とか尊敬を混ぜるような目で見られているんだけど……え? なに? 俺なにかした?

 

「隊長……さすがに藁束を破壊するのはやりすぎだったのでは……」

「え? あれ!? その所為!?」

 

 ぃやっ……違うんだよ凪さん!? 俺としてはこう、氣を研ぎ澄ませて両断出来ればなぁなんて思ってやっただけで……っ……! 木刀で藁束が斬れたらすごいよねって意味でやったのに! ……まさか両断どころか爆砕するなんて誰が思いましょうか……!

 きっと研ぎ澄まし方が悪かったんだ……もっと圧縮とか凝縮とか出来るようにならないと。氣だけが自慢みたいなもんだもんなぁ、俺。

 

「んん~……んっ」

 

 手に持っている黒檀木刀を持ち上げ、見下ろしつつ、氣を集中させてみる。

 そうしてから、えっと、どうしよう。チェーンソーみたいに回転させてみる? こう、刀身の部分でだけ縦に回転する~みたいに。

 

(“流法(モード)”! 輝彩滑刀(きさいかっとう)!)

 

 やってみた。もちろん掛け声は小声で。

 

「? 隊長? 今なにか───」

「ナニモイッテナイヨ!?」

 

 そしてちょっと恥ずかしかった。

 で、だけど……回転する氣は、まあその、回転しているだけだ。俺の手を軸に、ハバキから走った氣が棟を駆け、鎬地に伸びて切っ先を巡り、刃先をなぞってハバキに戻る。その氣を逆立たせるように調整して、あたかもチェーンソーのように氣を巡らせる。

 意識して高速回転させてみた。

 

「………」

 

 …………。

 

「………」

 

 シュールだ。いや、ここは敢えて現実離れしている、と言おう。

 やろうと思えば出来るだろうとは思っていたけど、むしろこんなことが出来るようになってしまって、天に戻ったらおかしな人物として認定されそうで怖い。

 

(この状態の氣を飛ばしたらどうなるんだろ)

 

 あれか。チェーンソーみたいな刃がクルクル飛んでいくのか。

 で、繋げてあるなら戻ってこいと念じれば戻ってくる、みたいな。

 

(……いや、それ以前に体術道場で木刀構えるな)

 

 氣を治めて木刀を仕舞う。それからは体術鍛錬だ。

 休みの日に及川と遊ぶことが増えてからというもの、それ以外の日にみんなに誘われることが増えた。

 というか及川がみんなに遠慮するから、休みの日もみんなに連れまわされる日が増えた。

 そして休みなのにちっとも休めない俺の誕生でございます。

 ……あ、いつものことだった。

 ああっ……! また亞莎とのんびりまったり過ごしたいっ……!!

 

「あの、隊長」

「へ? あ、ああ、なんだ?」

 

 日々の俺だけの忙しなさを考えて、頭を抱えそうだった俺に凪の声が届く。

 なに? とばかりに向き直ってみれば、なにか天に伝わる体術奥義かなにかを教えてほしいとのこと。

 体術奥義……体術奥義ね。

 

「………」

 

 いや違う。キ○肉バスターは違う。

 体術ではあるけど、凪が求めているのはもっとこう、打撃的ななにかだろう。

 もしくは氣を使ったもの。

 というと?

 ああ、そういえば相手とは全く違う異質の氣を相手に流し込むと、拒絶反応とか起きたりするね。それを利用してマホイミなんぞを……って、それもいろいろ問題だ。

 

「凪、真似てみて」

「? はい」

 

 右手に氣を込める。

 その状態で、それとは別に足に氣を込めて、螺旋の容量で加速。

 足から右手までを出来る限り加速した状態で一気に振るって、右手の氣と結合。

 その状態から“繋げたまま”氣を放って、勢いが乗り切ったところで氣を一気に振り戻す。

 すると“ヂパァンッ!!”という、鞭が空気を弾くような音が道場に響き渡った。

 

「………」

 

 わあ、上手くいった。

 出来る限り濃く集中させた氣でなら、こんな現象が出来るのではと思ってやってみただけなのに。タオルとか紙鉄砲でも出来るんだから、きっと氣でも鳴るさってくらいの気安さだったのに。

 

「た、隊長……今のは?」

「あ、んー……なんて説明したらいいやら。こう……な? 擬似的? に、音の壁を捉えるというか……」

「音の壁……ですか」

「そう。タオル、あるだろ? これをさ、こう……」

 

 タオルの端を持って、勢い良く振るってから一気に戻す。

 ずぱんっ、て音が鳴ると、凪が“ああっ”と頷く。

 

「これを、氣を加速させた状態でやるんだ。あ、もちろん手に篭らせたままやったらだめだぞ? 最悪、手が使い物にならなくなる」

「……布が平気なのに、ですか?」

「そりゃ、加速してないもん。全力で加速させれば、布だったら大変なことになると思うぞ?」

「……なるほど」

「まあその、俺もそれで全力で振るうのが怖くなって、篭手を作ってもらったタチなんだけど」

「余計に納得出来ました」

 

 言いつつ、凪が真似てみる。

 振るった手から氣を放ち、すぐに戻す。

 すると俺の時よりも綺麗な音が鳴って、少年少女が一斉にこちらを向く。

 …………い、いや、別に悔しくナイヨ? 氣の扱い方なら凪や明命や祭さんの方が上手いもん、わかってたことだもん。

 でも一度見せただけでやってのけるなんて……これでも俺、思いついてから出来るようになるまでっていう過程では、結構苦労するタイプなだけに羨ましい。

 今回はそりゃあぶっつけ本番みたいな感じで出来たけど、それだって今まで苦労して身に付けた氣の経験があったからで……アーナルホドー、氣で言えば凪のほうが経験が上だもんねー、そりゃ成功するヨー。

 

「隊長はやはり素晴らしいお方です。こんな技を閃くことが出来るとは」

「これ自体は書物に書いてあったことを実践しただけで、俺が閃いたってわけじゃないって。天にはな、“出来るかもしれない”が溢れてるんだ。もちろんやろうとしたって出来ないことばっかりだけど、そういうことを考えることに長けている人がそれはもうたくさんいる」

「たくさん、ですか」

「そう、たくさん。いっそ常識なんて破壊しちゃったほうが、可能性なんてものは広がるのかもしれないなーってくらいの数だな。出来ないと思うから出来ないんだ~って、天の教師はよく言うんだけどさ、そう思うよりはどうせ決め付けるなら、案外試してみてから諦めるのも手だと思うんだよな。あ、もちろんやってみたら全てが終わるようなことは、本人の判断でやるべきだけど」

「駄目で元々、というものですか?」

「そういうのってさ、やってみると案外“もう一回”ってやりたくなるんだよ。で、繰り返す内に慣れてくる。慣れてくると段々出来るようになってきて、“もう一回”が地味に楽しくなってくる。俺の氣についてのことも……まあ、それの延長みたいなものかも」

「隊長の場合、楽しむというものの限度を越えている気がしますが」

「え? そうか?」

「……他人がやれば吐いて呼吸困難になるほどの走りを“準備運動”として構える人が、そんな真顔で首を傾げないでください」

「いや、それこそ俺にしてみれば“キミタチが言わないでくれ”なんだが」

 

 今の状態になるまでに、俺がどれだけ悲鳴を上げたと思ってるのさ。

 それでもまだ運が無ければ勝てないんだから、この世界の女性っていうのは本当に……。

 

「ところで隊長、今日はこの後は───」

「弓術道場。その後に剣術道場行って、錬氣道場、医療私塾とか経済私塾とか行って、市場周りの確認が終わったら真桜の工房に行ってから兵舎に行って───」

「一人でどれだけなさっているのですか!!」

「ヒィ!? え、や……だってこれでも少なくなったほうで───」

「……隊長。隊長の仕事を他の将に回してください。それだけで仕事が無いなどと言えなくなりますから」

「え……でも俺だけでも出来ることだし、むしろ急に仕事が無くなると、子供たちに無職の疲れた中年男性みたいに見られるんじゃ……こ、この場合あれか? 適当にブランコでも作って、座りながら弁当を食べなきゃいけないのか?」

「なんの話ですか……。ともかく、鍛錬にも言えることですが隊長は少々やりすぎです」

「でもさ、もし別の子供が産まれてきたとき、俺にろくに仕事がなかったら───」

「これから嫌でも増えます」

「………そか」

 

 そりゃそうだった。

 街や田畑の開墾の数を考えれば、まだまだ……だよなぁ。

 それこそこれから1800年は仕事に困ることが無さそうな勢いだし。

 もちろん安定はさせなきゃいけない。

 安定する前にあれやこれやと作りすぎれば、無駄なものが積み重なるだけだし。

 

「街が増えて道も舗装されていけば、商人のほうが儲かるのかもしれないな」

「荷物を運ぶことが一番の苦労になりそうですしね」

「今は居なくなったけど、しばらくすればまた山賊まがいの人も出てくるのかも」

「そのための道場でしょう。こうして体術を学んでいれば、力強い商人もいずれ増えます。……逆がないことを願うばかりですね」

「覚えた体術で山賊? ……たしかにそれは、嫌だな」

 

 そうなったらまず説得。

 応じなかったら潰そう。

 もはやこの北郷、平和を乱す者に容赦の一切も無し。

 

「まあ、将が力の振るいどころを持て余す時もある現状で、山賊なんてやったらどうなるのかなんて……今じゃ誰でも知ってるだろうし、やる人は居ないだろうなぁ」

「仕事の枠は民を優先させていると聞きました。大丈夫でしょう」

「手に入ったものを奪う人も居ないんだし、まあそこはね。もっと安定するように上が頑張らないといけないことだ。というわけで俺も頑張らないといけないんだ。えーと……わかるよな?」

「隊長の仕事は他に分けてください」

「うぐっ……及川にも言われたけど、俺そんなに働いてるか……? 戦があった頃のほうが忙しかっただろ……」

「今では武官の中でも知性が高かった者が分担していますし、文官の皆様も戦に分ける知識を使う必要が無くなりましたから。むしろ隊長はどうして今の自分を働きすぎだと思わないのですか。お言葉ですが、散々とさぼっていた隊長から考えると、少しいきすぎなくらいです」

「いや行き過ぎってキミ……」

 

 国に返したいって心底思ってるし、支柱の務めを果たしたいし、務めって考えなくても国もみんなも大事だし、子供が居るから頑張らないとって思うし、もう“だめな父親”とか思われたくないし……いろいろあるんです、ほんと。

 そんなことを事細かに説明してみれば、片手で顔を覆って、たはー……と溜め息を吐く凪さん。いやあの、きみが訊いてきたのに何故溜め息?

 

「気持ちは、まあわかりますが。隊長、それで体を壊してはもともこもありません。いくら以前より鍛えられているとはいえ、風邪を引いて寝込んだこともあれば、体を壊したことだってあったでしょう。隊長、先を見るのは悪くないことだとは思いますが、ここしばらくの隊長は少し急ぎすぎているように思えます。もう少し今を大事に、落ち着いてみてはどうでしょうか」

「の、のんびりしすぎて職を失ったらどうしよう……!」

「その時は片春屠くんで運送業でも開きましょう。わ、私も及ばずながら、協力します」

「かつての支柱が運送業かぁ……まあ仕事が無くなった時点で贅沢なんて言ってられないよな。むしろそっちのほうが需要がありそうだって思う俺っておかしいかな」

「高速で移動出来る運送業ですし、重宝するでしょう。他の行商の仕事を食ってしまわないか、心配なくらいです」

「……ほんと、真桜に感謝だよな」

「それを言うのなら、天の知識にも、ですよ、隊長」

 

 知識が無ければ出来なかったのですからと、凪が笑みを浮かべて言う。

 俺からしてみれば、過去の技術で燃料無しの高速移動機体が出来ること自体に驚きだ。氣っていう、休めば永久に湧き出るものを燃料としているから金が無くても俺一人で動かせるし、なによりとっても頑丈です。ガスだって出ません。……いいことだらけだなほんと。

 

「しかし隊長……今さらではありますが、子供たちに氣を教えても良かったのでしょうか。いらない争いが起こったりは……」

「それを治めるのも仕事だって。というか、争いが起こったらそれこそ武官が喜んで止めに入るだろ。争ってるところに春蘭か霞が駆けつけたらどうなると思う?」

「あ゛……はい……争うどころでは……ありませんね」

 

 想像してみたら思いのほか簡単に頭の中に浮かんだだろう光景に、彼女は引き攣った笑みを浮かべていた。

 一緒に暴れられても敵わないし、喧嘩をやめてもむしろ“なにぃ!? 決着がついてないだとぉ!? なら今すぐ決着をつけろ!”とか言って喧嘩させるかもしれないし。

 どっちに転んでも恐ろしい結末しか待っていない。(その連中に)

 じゃあ霞だったらどうなるか?

 ……民に混じって祭りやってた過去があるからなぁ霞の場合。きっと止めるどころか自分も参加、それも喧嘩じゃなくて催し物的ななにかでやりそうな気がする。周囲を巻き込んだ上で。賑やかなのが好きだからなぁ、彼女は。

 

「っと、そろそろ行くな。ごめん、ろくに手伝うことも出来ないで」

「そう思ってくれるのでしたら、仕事を振り分けて暇を作ってください」

「だ、だって忙しい父親のほうが立派に見えるじゃないか!」

「結局そこですか」

 

 いや……だって凪……あんな目でずっと見られていれば、もう二度と役立たずファーザーには見られたくないって思うぞ……?

 でも確かに仕事にかまけて家庭を顧みない親にはなりたくないな。

 うん、華琳と相談してみようか。

 

……。

 

 で。

 

「むしろそうしなさい」

「エッ!?」

 

 相談したら一発で仕事のほぼが無くなりました。

 



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149:IF3/遥か遠くの未来の空へ①

202/歩む日々こそ我らが覇道

 

 ざりざりざりざり……シャー……シュッシュッシュッ……。

 バサッ! ……シュルシュル……ギッ、ギシッ……。

 

「…………明日からどうしよう……」

 

 そんなわけで、中庭にある大きな樹に自作のブランコを引っ掛けて、座ってからたそがれてみました。

 え? ええ、もちろん仕事はありますよ? 明日からどうしよう、も言ってみただけだし。

 けどまあ、カンナを使ってブランコ的な椅子を作るのが中々楽しかった。

 いいよね、あのシャーってやる瞬間。

 

「はっはっは、主もまた、おかしなものを作りますなぁ」

「星? って、いつからそこに居たのさ」

「ふむ。主がその吊るし椅子に座る瞬間に、ひょいと」

 

 いつの間にか枝の上に座っていた星が、けらけらと……は、ちょっと違うけど似たような感じで笑う。

 丁度見上げるかたちになるが、なにに対抗してか星が足だけで枝にぶらさがり、仰ぐようにして俺を見上げ……見下ろし……な、なんて言うんだ? この場合。

 ともかくまあ、姿勢からすれば見上げるようにしてきた。

 

「疲れないか?」

「たまにはくだらんことだろうが幼稚なことだろうが、やってみることにこそ意味がありましょう。これで案外、面白いものです」

「まあ、それは解るよ」

「うむ。主の好きな童心というものですな。子供のように、これと決めたら行動する。なるほど、悪くないものだ。ああもちろん、どこぞの赤い隻眼大剣のようになるつもりは微塵もありませぬが」

「それはとっても結構だけど、頭に血が上るぞ、星」

「なんと。この趙子龍が些細なことで怒るとでも?」

「その血が上るじゃなくてね!?」

「ふふふ、甘く見ないでいただきたい。この趙子龍、些細なことで己の在り方を乱すようなぐおお顔がみしみしと鈍痛に襲われて……!」

「いいからその体勢やめなさい!」

 

 とりあえず星の頭を支えてやって、そのまま上に押し戻して事なきを。

 むしろなにがやりたかったんですかアータ。

 

「ところで主、これは?」

「ブランコ。仕事がなくなったからたそがれなくちゃなー、って、妙な使命感に襲われた……というのはこの場のノリだけどさ」

「ほう仕事が。では主」

「酒なら付き合わないからなー」

「いやいや、酒ではござらん。そもそも私はここに、主を呼びに来たのだ。主をよく見かける場所といえば、部屋か中庭だからな、はっはっは」

「……地味に否定出来ない認識だなぁ」

 

 苦笑しつつも先を促してみると、なんでも軍師様が俺を探していたらしい。

 もちろん真っ先に訊くのは“なんの用なんだ?”なんてことではない。

 ……何処の軍師様? 具体的にはどの国の軍師様?

 出来れば宅のお国の猫耳フードさんは勘弁だなぁとか……ねぇ?

 

「呉と蜀、公瑾殿と雛里だ。主に少々訊きたいことがあるらしい。で、私が中庭に用があった故、ついでということで呼びに来たのです」

「へえ……で、星の用っていうのは? 中庭になにかあったのか?」

「うむ。偶然主と出会って、偶然主と話をして、偶然穏やかに過ごす。そんな偶然をたまにはと」

「ウワーイ会うため探してる時点でもう偶然とかどうでもイイヤー」

「おおそうでしょうとも。主ならばそう仰ると予測しておりましたぞ」

「それもう偶然とかいろいろ超越した何かだよね!? 言葉まで予測してたの!?」

 

 からから笑いつつ、俺が座っているブランコの両隅に足をかけ、反動を付け始める。

 立ち漕ぎと座り漕ぎが合わさったような、まあ、青春っぽいアレである。喋ってることは実に青春とは程遠いが。

 ……うん。程遠いんだけどな。

 なんでかなぁ。ブランコっていうのは、子供の頃を思い出させる。

 

「ところで主。これはただ揺れるだけのものなのか? もっとこう……勢い良く振ると一回転するとかは───」

「あってたまりますか」

 

 きみは天のものをなんだと思ってんですか。

 ていうかこんなの、普通に蜀の学校にも…………ああ、うん、作った記憶、ないかも。

 

「ああでも、昔はブランコで勝負とかもやったなぁ」

「───ほう、勝負ですと?」

「……星。やっぱり結構、勝負とかに餓えてる?」

「う、むむ……はぁ。まあ、隠してもせん無き事ですが……どうにもこう、勝負と聞くと身構えてしまうのです。本能的なものでしょうな。こればっかりはなかなかどうして、自分でもどうにも出来んのです」

「そか。じゃあやってみるか? ブランコ対決」

「ぶ……ぶらこん対決……! 何故だかとても危険な香りのする名ですな……!」

「はーいブランコねー!? 謎の迫力に息飲んでるとこ悪いけど名前は正しく覚えましょうねー!?」

 

 あと人の頭上で無意味に迫力出して息を飲むのも今すぐやめて!? ていうかブランコ漕ぎながらなんでブラコン話なんてしてるんだよ俺達!

 

「はぁ……べつに難しいことじゃなくてさ。こう、ブランコを思いっきり漕いで、飛び降りるんだ。で、一番遠くに着地出来たほうの勝ち」

「むう、なんだ、そんな単純なもの……天の決闘というのだから、もっと凄まじいものを期待したというのに」

「ちょっと待とうね変形ナース。いつ誰が決闘なんて言いましたか」

「ふふふっ……いやいや、失礼した。随分と肩の荷が下りたようだと、ついからかってしまった。以前のような、なんでもかんでも自分がやらなくてはと気負っていた主とはまた違う。私は今の主のほうが傍に居やすいと思いますぞ」

「肩の荷って……俺はべつに」

「ほう? 違うと? ならば主は今まで、私のことを……意味はわかりませんが“変形なーす”などと呼ぶことはございましたかな?」

「ないな」

「まあ、そういうことでしょう? 主は今のほうが砕けているという、ただそれだけのことです。というか今までが生真面目で堅苦しすぎたというだけのことですな」

(歴史的人物に対してどこまで気安くしろと言うのか)

 

 気安い以前に様々なことしちゃってますけどね、俺。

 気安く声をかけるとか肩を叩いて挨拶する以上に子供作っちゃってますよね、はい。

 

「ただまあそのぉー……それを引き出したのがあの友人というのがどうにも悔しいのです。出来ることなら我らが、我らの傍で、我らの隣でこそ、砕けた主を許してやりたかったと、どうしても思ってしまうのですよ」

 

 それだけ言うと、星がぽーんとブランコから飛び降りて、地面にとすんと着地する。

 振り向いた彼女は……楽しそうだった。

 

「はっはっは、どうですかな主! この趙子龍の飛距離に敵いますかな!?」

「ちなみにこの遊び、立ち漕ぎ禁止だから」

「なんと!?」

 

 地味に驚いている星に、これまた地味に遊びのルールを説明する。

 必ず座った状態で、ブランコの勢いで飛ぶこと。

 ブランコを踏み台にして跳んでは、身体能力である程度の距離が確保出来てしまうからだ。

 なのでそれを踏まえての対決が、今、始まった……!

 

「ふ、ふふふ! ならば散々と立ち漕ぎをしてから座り直して飛べば文句はありますまいぃっ!」

「ああ! それならOKだ!」

 

 先行、趙子龍さん。

 散々と立ち漕ぎをしたのち、座り直して椅子から射出。

 ……ほぼ上に飛んでしまい、着地してから物凄い悲しそうな顔で見つめられた。

 

「い、いや。今のは準備運動というかほらあれですよ主 何事もまず試してからやるべきというか主もよく言っていたでしょう服もまずは着てから買うかを決めるべきだと」

「うん落ち着こうね? とりあえずそんなガトリング言い訳をしなくても、もう一回やっていいから」

「おおそうでしょうとも! ふふふ、さすが私が認めた男だ、懐の大きさが違う」

「…………」

 

 うん、褒められている筈なのにてんで嬉しくない。

 ともあれ再びブランコに乗った彼女は、投擲の軌跡がどーたらこうたらとぶつぶつ言いつつ、勢いを付け始めた。

 その顔からは真剣と書いてマジと読むほどの気迫が感じられ、邪魔をすれば何処から出したのかもわからない武器で刺されそうなほどの殺気さえ……って星さん!? 本末が! 本末が転倒する! 肩の荷を下ろさせたかったんじゃなかったの!? なんかもういろいろ背負ってるように見えるんですけど!? 武人としての誇りとか勝負する者の立場とかなんかいろいろ!

 と、どうツッコんで止めたもんかと考えていたところへ、さきほど話題に出た雛里と冥琳がやってきた。

 

「北郷、ここに居たか」

「ご主人様、あの、その……」

「ああうん、雛里、その調子その調子。あわわは出来るだけ言わないようになー」

「は、はいぃ……ががががんばり、が、がががががが……!!」

「あわわにどれだけ精神安定力振り分けておいでで!? わかったごめんもう言わないから!」

 

 ゴキブリ事件の際、朱里があんまりにもはわわだったからと、雛里にやってみないかと持ちかけたのが……愛紗と春蘭に滅法怒られた翌日。

 素直に頷いてくれた雛里は本当に良い子…………もう子って歳でもないか?

 ともかく、そんなわけでやっていたんだが……早くも限界だったようで。

 

「ああ丁度いい、話というのもその口調についてなんだが」

「何気ない話題が広がりを見せる瞬間って、なんか居心地悪いかちょっぴり嬉しいかのどっちかだよね……」

 

 俺はもちろん前者で。

 

「口調について、って。……ん? そういえばどうして雛里と冥琳は一緒だったんだ? なにか街についての相談ごととか?」

「いいや? まあ、当然なのかもしれないが、あまり常に難しいことを考えているという見方はしないでほしいな。時にはそういったことから外れたことも考えたくもなる」

「あ……っと、そうだよな。軍師だからってそういう難しいことばっかってことは───」

「ああ。実はこれからの三国の在り方についてなんだが」

「滅茶苦茶難しいんですが!?」

 

 え、あえ、えぇ!? 難しくないの!? 難しいよね!?

 じゃあなに!? きみたちいっつもこれよりも難しいこと考えておいでで!?

 

「なにをそんな素っ頓狂な声を出している。こんなもの、雪蓮がどうすれば真面目に仕事をするのかを考えるよりも簡単だろう」

「わーうんすっごい簡単だー」

 

 即答である。

 なんだ、全然難しいことなんてなかったじゃないか。

 基準がおかしいけどなんか今ならいろいろと理解出来る気がするよ……。

 

「あ、それでその、あ、ご主人様……あ、こ、これからの、あ、くくく国の、あ……!」

「いやいいから! もうあわわって言っていいから! 逆に気になるよその“あ”って!」

「ふむ? いや、ここは少し条件をつけてみればいい。そもそも北郷、人の癖というのは人の精神安定に強く貢献しているものだ。わかっていても手を出してしまうもの、というのは、それそのものに依存することで安心が得られるからこそ離れられないものだろう?」

「あー……雪蓮がいっつも酒飲んでるのとか絶対にそうだと思うよ。やめる気なんて最初から無いだろうけどね」

「まああいつのことは今は捨ておけ」

「いや、せめて置いてやろうよ」

「ともかくだ。他者の精神安定を捨てろというのなら、それに見合った対価が無いのはよくないことだ。そんなわけで北郷。なにか雛里が喜ぶものを差し出す、というのはどうだ?」

「……!」

「俺のなにかを? っていってもな、私物なんて私服と胴着と木刀と制服くらいしかないぞ?」

「なにかあるだろう? まさかこの世界に来てから、自分のものを一切買ってないなどとは言わないだろう?」

「? 服以外ないぞ?」

「………」

「………」

「……お前は……。この世界に降り立って何年だ……?」

「……うん……なんかごめん……」

 

 でも私物って言われても本当に無いのだ。

 だからあげられるものも…………あ。

 

「じゃあ雛里。俺のメモとシャーペンでもど、……ぅ、だ?」

「ま……待て。待て北郷。それは私でも欲しいぞ」

 

 いろいろ考えてから、そういえばシャーペンの芯も残り少なくなっていたものがあったなぁと……思い出して言ってみれば、横からガシィと腕を掴まれた。ええもちろん冥琳さん。

 

「え……いや、これは雛里の癖への等価交換であって……っていうか冥琳には別に直さなきゃいけない癖なんてないだろ」

「なにっ!? ………………じ、じつはだな北郷。私は、……わ、わた……、~……」

「いいから! 考えなくていいから!」

 

 欠点らしい欠点がないのもこれはこれで面倒なのかもしれない。

 いいことばっかりじゃないのかもなぁと、とっても不思議な思考を回転させた。

 

「しかし北郷、お前はそれでいいのか? めもは、お前が随分と大切に使っていたものだろう」

「ああ……芯を無くさないためにも薄字で丁寧に使っていた十年もののシャーペンさ……。でもまあ、シャーペンも芯も及川が無駄に持ってるし、それならって。あ、でもそれなら使い古しの十年ものよりも及川のやつのほうが───」

「ご、ごごごっごご主人様のでお願いしましゅ!」

「え? でも」

「うぅうう~…………!!」

「……ああ、うん、わかった、わかったから服引っ張るのやめて? 一応これも思い出の品だからね……? 凪が新調してくれた方のじゃないからね? お願い……」

「なに? 新調したのか? ……その服を作れるほどの技術があるとは思えんが……」

「いや、俺も驚いたクチなんだけどさ。えぇっとそのー……少し前、その……こっ……子作り、した次の日に……贈り物だって」

「………」

「………」

 

 いや……そこで黙られると空気が重いんですけど。

 

「ふははははは! どうです主! この距離ならば文句はありますまいー!」

「………」

「………」

「………」

 

 振り向けば、体操選手のようにピーンと伸ばした手を天に掲げる星が居た。

 なんというか、太陽万歳とか言いたくなるポーズだった。

 そしてごめん、忘れてた。あ、で、でも気づいてなかったみたいだし、いいかな? いい……よね? あ、遊びに夢中だったなら仕方ないヨネ……?

 

「ふっふっふ、自分で言うのもなんだとは思いますが、これはもはや塗り替えることなど到底無理な距離と言えましょう。いや、何度やり直そうと何も言わずに居てくれた主に深き感謝を。途中までは見栄を張って、いろいろと言い訳を呟いてしまった自分が恥ずかしい。どっしりと構え、黙っていた主はまさに支柱の鑑ですな。しかしその甲斐あって、納得の出来る記録が出来たとここに宣言しよう! ここ! こここそがこの趙子龍の最高!」

「いやうん、すごいから待って? 足で芝生削らないで? 庭師の人が泣いちゃうから、ね?」

 

 あとごめんなさい、全然関係ない話とかしてました。

 全然関係ない賞品とかも考えてましたごめんなさい。

 

「さあ! 次は主が跳んでみせてくだされ!」

「俺もやるの!?」

「はっはっは、なにをおっしゃる。もとはと言えば主が言い出した遊び。そして私は遊びが豊富な主の国の遊びで主に勝ち───」

「お、俺に勝ち……?」

「ぐすっ……! めもとしゃーぺんとやらを私が頂戴する……!」

「やっぱり聞いてたァアアーッ!!」

 

 涙を滲ませ、ぎりりと歯軋りをするように睨むその目は、なんだかとっても寂しそうだった。なんというか、主人に無視された犬とか猫みたいな……こう、ねぇ?

 

「あ、あの、星?」

「なんだっ! 童心を語り、遊びに誘っておいて、跳んで燥いでいた私をほうっておいて楽しげに燥いでいた主よ!」

「呼び方長いよ!? あと燥いでないからね!? 忘れてたのは謝るか───」

「わすれっ……!?」

「ラァアアアーッ!?」

 

 アレェエーッ!!? 忘れられてたとまでは考えてなかったパターンだったぁああーっ!!

 ていうかショックのあまり本気でよろよろと後退る人初めて見た! すごいよこれ演技じゃない! マジだ! ってヘンなところに感動してる場合じゃなくて!

 

「いぃいいいいいやいやいやいや忘れてたっていうかいろいろあってわすっ……いや、つまりこれはわすっ……じゃなくて、わす………………忘れてましたごめんなさい」

「北郷、少し落ち着け」

「いやうん違うんだよ冥琳……慌てすぎてもう一周しちゃったんだ……冷静だよ……ひどく冷静だ……」

「ご主人様……あ、げ、元気を出してくださいぃ……」

 

 それでもやっぱり“あ”は漏れるんですね、雛里さん。

 

「……いいでしょう。主……主がそんなにも人の癖を直すことに夢中になりたいというのであれば……」

「いやべつに夢中になってるわけじゃ」

「跳んでくだされ主。もし主が勝てたのなら忘れられたことは忘れましょう」

「結局跳ばなきゃだめなのな……」

「いや待て趙雲。忘れるよりも、それ自体は北郷に償わせればいい。癖を直す、という話だったのだから、北郷にもなにかしらの癖を直させればいいのだ」

「む。なるほど」

「ご主人様の癖……」

 

 あ、あれ!? なんか了承もなしに話が進んでる!?

 あ、でも別に俺に癖なんて───

 

「ふむ。ならば主、女癖の悪さを」

「俺元々“魏に操を”って言ってた筈ですがね!?」

「むっ……なるほど、それは確かに主の所為ではないな……」

「ふむ? 北郷の癖、といえば……」

「おお、そういえば各国の皆に夜のアレがどうかと訊いてみたのだが、子作りよりも口○が多いと」

「……なるほど、それは確かに聞いたことがある。口○だな」

「あ、あ、あっ……わ、わたしゅも……その、あっ、あ……っ……!」

「あわわ言っていいってば! なんか誤解されそうだからやめて!?」

「艶本にも描いてあったものだな……。ああ、天ではたしか、ふ○ら○お、と……!」

「言わなくてよろしい!! ていうかそれ別に癖とかじゃないって!」

 

 ともかく三人に落ち着いてもらって、星にはきちんとお詫びをすることを話して───

 

「では跳んでくだされ」

「結局やるの!?」

「主……勝負を途中でやめるなど、武人に恥を掻けと?」

「さっき童心がどうとか言ってたキミに今すぐ出会いたい」

 

 ───跳ぶことになりました。

 



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149:IF3/遥か遠くの未来の空へ②

「うう……じゃあ跳ぶけどさ」

「ふふふ、どうぞ。まあっ、私の記録は塗り替えることは出来ますまいっ!」

「じゃあ星」

「むふんっ……なにかっ?」

「俺が勝ったらメンマ癖直そうな」

「!?」

「じゃあいっくぞー、ってうおっ!?」

 

 きぃ、と反動を付け始めた途端、星にガシィと腕とブランコの縄を掴まれた。……ものすごい力である。

 

「まままっままま待ってくだされ主! あなっ、あなたは私に死ねと!?」

「はっはっは、大丈夫だって星~。ちょっと全力で行くだけだからさ。天では(子供の頃に剣道で)無敗とされたこの北郷が、正々堂々と同じ条件で跳ぶだけなんだから」

「いっ……いやっ……ひやっ……まま待ってほしい! そっ、それは負けるとは思ってもおりませぬが……おりませぬがっ……!」

 

 慌てる星。

 そんな彼女の前に立ち、その両肩にポムと手を乗せる。

 

「いいかい星……雛里も冥琳も、自分の精神安定を懸けて立ち上がったんだ……ここでお前だけがそれは無いと首を横に振ってどうするんだ……」

「し、しかしっ! 私のは癖ではなく好物という意味でありっ!」

「酒が好きな人で、酔って暴れたりすることをなんて言う?」

「? さ、酒癖が悪───ハッ!?」

「そう……酒好きは酒癖。メンマ好きもまたメンマ癖……好物のことで万が一にも迷惑をかけたなら、そういうことになるんだ」

「う、うぅ、ううぅううう~……!!」

 

 熱心に語った。

 ……語ったら、なんだかぽろぽろと泣き始めてルヴォァアアーッ!?

 

「ちょっ……自信満々に踏ん反り返ってたのになんでそこまで絶望的な未来しか見えないの!? もっと自分の記録を信じようよ!」

「いや……いいのです下手な慰めは……。私は知ってしまった……先に高記録を取って踏ん反り返る者は、のちに記録を作る者の踏み台でしかないと……!」

「……聞きたくないけど情報提供者は?」

「……? あのおいかわとか言う男ですが」

 

 うん知ってた。むしろ予想出来ないほうがおかしかった。

 

「ワー、こんなところに裸で歩く女の子ガー」

「ぬぁんやてどこどこ何処におヘヴォルギョーア!?」

 

 棒読み感満載の声を何処で聞いていたのか、ホイホイ現れた友人を、滑り込んできたその勢いごとストレートにグーで殴った。

 

「で、話を戻すけど」

「……この男には容赦がないな、北郷」

 

 倒れて痙攣している及川を見下ろしつつ、呆れ顔で言う冥琳に、「大丈夫。心の癒しになってくれるって宣言してくれたから」と親指を立ててみせた。

 

「いやあれそういう意味とちゃうんですけど!? って、あたたたた……! んもう急になにするんねやかずピー……」

「ん、ちょっとブランコ跳び対決をしててさ」

「あれ? 女の子ぉの裸スルー?」

「むしろ殴られたことをスルーするお前ってすごいよな……」

「ンやぁん、べつに大したことあらへんってぇ」

 

 照れてくねくね蠢いている。

 うん、頼む及川、その動きはモンゴルマッチョの抱擁を思い出すから勘弁してくれ。

 

「しっかしブランコねー、なっつかしいもんやっとんなー。あ、俺も混ざってええ?」

「いいけど、負けると癖を封印することになるけど、いいか?」

「癖? あっはは、俺に癖らしい癖なんて」

「そか。じゃあ関西弁、やめてみような」

「……!!」

 

 あ。なんか顔を変色させた驚き顔のまま固まった。ていうかこっち見るな。その顔と顔色のまま固まられると怖い。

 

「かずピー!? 俺に死ねゆーんか!?」

「だからなんでみんな死ぬんだよ!! 癖を直すだけって言ったよね俺!!」

「じゃ、じゃあかずピーが負けたら鍛錬癖直せるっちゅーんか!?」

「お前俺に死ねってのか!?」

「ほれみぃやぁ~! ほれみぃ~! やっぱそうなるやないかー!!」

「じゃなくて俺の場合本当に死ぬんだってば!」

「ん……そうやね……自分だけ特別って思いたなる時……あるねんな……フフッ」

「ほぉおおおおこのエセ関西ィイイイイッ!! お前、全ッ然理解してないだろォオオ!!」

 

 俺の場合本当に死にます。

 なにせ鍛錬しなければ最果てにおいて左慈に負ける。

 なのに人の肩に手をおいて物凄いやさしい笑顔で言うもんだからああもうこの馬鹿は! ていうか俺お前に話したよね!? 最果てで起こることのために鍛錬してるって話したよね!?

 

「へへっ……つまりこらあれやな……死闘っちゅーわけやな……?」

「メンマを封印か……どうしても引かぬと主が言うのであれば、それに殉ずるのもメンマ愛……」

「あ、あ……あああ……わ、私、も……きちんと直すためにも、一度なにかをきっかけにしたほうが……!」

「雛里さん!? それもう負けること前提になってません!?」

「癖……癖か。北郷、私に癖があれば、そのめもは貰えるのか?」

「勝てたらって話じゃございませんでしたっけ!? いつから癖があったら漏れなくプレゼント祭りになってたんだ!?」

 

 つかもうツッコミすぎて疲れたからやめよう!? ね!?

 そもそも俺、ここにただたそがれに来ただけだったのに、なんでこんなことになってるのさ!

 

「ではまず私から行かせていただこう……己で己の記録を打ち破るというのも、武に生きる者の否定出来ぬ“(サガ)”……!」

 

 そして人の話を無視してさっさとブランコに座る変形ナースがおった。

 どこまでブランコ対決がしたいのですかあなたは。

 

「あ、ちなみにかずピー? 何回フライ勝負や?」

「一回だろ。真剣勝負に二度目はないってことで」

「ほー、なるほどなー。つまりあのナースな娘はいっちゃん最初に手の内さらすっちゅーわけやな」

「!?」

 

 星さん!? なんでそこで“やられた”って顔で俺見るの!? いや、いいんだからね!? 全力で跳べばそれでいいんだからね!? 遠慮することないんだよ!? わかってるよね!?

 あ、あぁああ……! なんか物凄い絶望を孕んだ顔でがたがた震え始めた……! しかもメンマメンマ呟き始めたし……ああああ涙滲んでるぅうーっ!!

 

「あ、あー……なぁ星? そもそもこれは遊びなんだから、純粋に楽しまないか? 俺も鍛錬を禁止されるととっても困るし……な、なぁ雛里? 雛里も普通にあわわって言ってたほうが落ち着くんだもんな?」

「い、いえ……ご主人様……あ、わ、わた……あっ、わたし……あぅ……」

「ねぇわざと!? わざと言ってるの!? 涙目で顔真っ赤にしてそれ続けられると誤解する人が、少なくとも二人は居るんですけど!?」

「す、すごい話術やなかずピー……! まさか言葉だけで女の娘ぉをあんあん言わせるやなんて……!」

「ベンハァーッ!!」

「ぶべぇっしぇ!!」

 

 遠慮無用で右のグーが走った。

 もうそれがオーバーマン騒動で殺されそうになった時の借りでいい。素直に殴らせてくれ。

 

「アホかお前はいやアホだなあぁアホだろこの阿呆!! 言葉だけで人がそんなことになるわけあるかぁっ!!」

「いやいやなにゆーとんねやかずピー。世の中に言葉責めって言葉がある時点で、そらもう確立されたジャンルでやな」

「……今はお前のタフさが心底恨めしいよこの野郎。あれか。もう氣を込めて全力で殴っていいのか。岩とか壊せるようになったけど、もう全力出していいのか。お前のタフさを信用していいのか」

「普通に死ぬからやめぇや!? ……へ? か、かずピー?」

「大丈夫。俺達……親友だろ? 俺……お前のこと信じてるぜ?」

「信頼の方向性全力で間違ぉとるゥウーッ!!」

 

 なんかもう未来がいっぱいいっぱいだ。

 そして友人の肩に手を置いて語る言葉の中ではとても素晴らしい台詞だったはずなのに、及川はとても嫌がっていた。そりゃ嫌がるか。

 でも騒ぐことでいろいろと冷静になれたのか、深呼吸をした星が───……ブランコ漕ぎ始めました。

 

「だからやめようって言ってるのに!」

「いや……いや主! ここで逃げてはメンマから逃げたのと同じ! ならば私は必ず勝って、メンマというものを謳い続けなければならぬのです!」

「そこまで使命感を働かせなくていいから! 好きなものが重荷になる瞬間って相当辛いもんだぞ!? やめよう!?」

「いくら主の願いでも、こればかりは───!」

「そっか……残念だ。大麻竹のい~ぃのが丁度食べごろになってたのにな。これで負けたら一生食べられないのか」

「すぐやめましょう」

「ワーオ!? ビタァって止まったで!?」

 

 うん止まった。大麻竹すげぇ。

 でもどうせ止まるんだったらもうちょっといい理由で止まりましょうね、星さん。

 

「なんだやめるのか。それで? めものことはどうなるんだ?」

「いやどんだけメモ欲しいのさ」

「いつでも書けていつでも消せる優れものだろう? 欲しいに決まっているじゃないか」

「あー……まあ、わかるけどさ」

 

 黒板じゃ、いくらミニサイズでも邪魔だし、ページ増やすと無駄に重いもんなぁ。

 

「及川、お前メモとシャーペン、結構持ってたよな」

「んお? おー、そらもちろん、いつでも女の子ぉの情報メモっておけるように、バッグにたっぷり収納してあんで~?」

「全部くれ」

「全部とな!?」

 

 うっとり笑顔で語っていた顔が驚愕に染まった上で変色した。

 だから、その顔怖いって。

 

「あー……うん、まあええけど。かずピーには貴重な画像データ、見せてもらったし。その他にも衣食住で世話なっとるしなぁ。あ、でももう使てるもんとかは堪忍したってや。ちゅうかジブンどんだけ俺からモノ奪うつもりや……もしやあれか? 取るもん取ったらもう要らんゆーてそこらにポイっと……ひどい! かずピーひどい! 所詮道具だけが目当てだったのね!」

「で、このシャーペンだけどな? 使い方はこう、ここを押して……」

「うわーめっちゃスルーしおるこの友人~」

「あのな、道具目当てだったらビールとかつまみとかメモとか取って捨てるだけだろ。衣食住と仕事の面倒を見る必要がどこにあるんだよ」

「うんわかってる。かずピーなんだかんだでやさしいもんなー♪ やなくて、ボケに対するツッコミをやな……スルーっていっちゃん虚しいやん……」

「じゃあ及川、ブランコしよう」

「それ結局スルーやない!?」

「いいからいいから」

 

 騒ぐ及川を押して、ブランコ対決を開始。

 もちろん賭けるものはなしで、純粋に距離を競うものだ。

 何かを賭けるのって確かに本気を出すにはいいかもだけど、それで何かを失ってちゃ寂しいと思うのだ。なので賭けは禁止。

 

「んっはははは! いっくでーっ!? とーう!」

 

 ブランコをたっぷりと漕いで勢いをつけた及川が、すぽーんとブランコからすっぽ抜けるように跳ぶ。

 高さも丁度いい具合であり、その距離は……星の印に一歩及ばず程度の位置に。

 

「!?」

 

 これには星さん大慌て。

 武を知らぬ者に勝負で負けるわけにはと再度の跳躍を申し出て、再び跳んで、上手く飛べなくて。

 

「ふむ、なるほど。原理は構築できた。次は私が出よう」

 

 慌てる星を押し退けて、三番手には冥琳が立った。

 その顔は……どこか楽しそうだ。

 

「雛里よ。いつかの武道会では負けたが、今回は勝たせてもらうぞ」

 

 それどころか雛里を見て、そんなことまで言い出す……もしかして結構悔しかったりしたのだろうか。

 いや、そりゃ悔しいか。

 でも今はそれよりも、子供冥琳の方が前に出ている感じだ。

 凛々しいといういつもの表情よりも、無邪気に近い表情だ。

 そうしてブランコを漕ぎ始めた彼女はチラリチラチラと樹の位置や地面を見下ろしたりして何かを測って……

 

「……! ここっ!」

 

 シュパンッ……と綺麗に跳んだ。

 そしてその距離が、星よりも先、という結果に……!

 

「……! ……!!」

 

 その瞬間を見届けた俺が、ソッと趙子龍さんを見た時。

 彼女はとても荒い呼吸で、何度も何度も安堵の溜め……た、溜めてないな。ともかく安堵の息を吐いていた。

 賭けなくてよかったね……ほんと……。

 

「うん、いい距離だ。さあ雛里、あとはお前だけだぞ。ああ、ちなみに私が勝ったならば、北郷が使っていためもは私がもらう」

「!」

「え? いや、そんなの新品を使えば───」

「わぁ~かっとらんなぁかずピー。ん~なんやから鈍感~とか言われんねやぞ?」

「え……お前はわかるのか?」

「おー、あったり前やぁん! 伊達にいろんな子と付き合ぉてフラッ……フラレ…………うっ……ぐすっ……」

「自分から言い出して泣くなよもう!」

「うっさいわぃ! 鈍感のくせして成功しとるかずピーに、俺の気持ちなんかわかるもんかい!」

「だからそれ以前にメモのことがわからないんだって!」

「かーっ! んなもんちぃと考えたらわかることやろがぁ!」

「あー……うん、鈍感なのは自覚してる。すまん。……ところでそれは、わかるとフラレるものなのか?」

「ゲブゥ!?」

 

 何気なく放った言葉に、何故か血でも吐くような動作でビクゥと震える及川。

 ……少しののちにがくりと項垂れて、「成功するやつに、一歩足りんやつの気持ちなんぞよーわかられへん……」とか言い出した。

 

「…………今の跳び方、重心を置く位置、ぶらんこの揺れ幅……座る位置……あ、あっ……あ……」

「………」

 

 もうツッコまない。

 雛里さん、もう跳んじゃってください。

 そして勝利して、存分にあわわを言ってください。

 

「……主」

「星? どうかした?」

「い、今、そのー……大麻竹メンマをくれたなら、もしや私の中の隠されたぶらんこ力が解放されて、より遠くに飛べるやも……!」

「まず深呼吸して落ち着こうね子龍さん」

 

 俺も負けず嫌いだけど、やっぱり星には負けるよ。

 でもどうしてだろう……彼女なら本当に、メンマを食べればパワーアップする気がするのは。

 

「ところで主」

「ああ」

「ぶらんこに乗る雛里……」

「ああ」

「………ありですな」

「ありだな」

「ありやね」

 

 及川も合わせて三人、腕を組んでうんうんと頷いた。

 そんな意味のない行動をしている内に、雛里も冥琳と同じく樹を見て地面を見て、遠くを見て、ここぞと思ったところあたりで被っていた帽子をひょいと俺に投げ渡し……ついに、シュパンと跳んでみせた。

 座った状態、というよりは体を寝かせた状態に近い。

 まるで背で風を受け止めるかのような姿勢で跳び、降下が始まると上半身を起こして着地の姿勢に。

 やがて彼女は

 

「ふきゅっ!?」

『キャーッ!?』

 

 ……地面に激突した。

 俺と及川、思わず絶叫。

 

「ホワァアワワ大丈夫かほーちゃん! 今顔面からいっとったやろ!」

「雛里───ってストップ及川!」

「へっ!? なんっ───おおそうやな! 台無しにするところやった!」

 

 派手にコケた雛里だったが、着地した位置にはきちんと自分でぞりぞりと印をつけていた。

 そうしてから立ち上がると、……うん、まあ、てとてと歩いてきて俺にしがみついてお泣きあそばれた。

 

「己が身を省みない特攻か……そこまでしてこそ勝利できるというもの。この趙子龍、遊びという言葉で本気さを忘れていたか……」

「いや、随分と本気だった気がするけど」

 

 でも、確かに綺麗な着地を望んではこの距離は出せなかった筈だ。

 その距離……派手にコケただけはあって、冥琳よりも遠くに跳んだのだ。

 

「あ~、こらぁあれやな、体の軽さも手伝って、ぽーんと」

「そか? 勢いがつけば、重いほうが飛ぶ気がしないか?」

「ほう、北郷。誰が重いって?」

「はっはっは、主よ。……少々話したいことが」

「エ? あ、いやっ! 重いっていうのは雛里に比べたらって意味であってだな!」

「なはは、アホやなぁかずピーは。そーゆーことはわかってても言うことやあら、……へ、ん?」

「そーかそーか、お主も私が重いと思っていたか。ならばともに来るがよかろう。友の危機に傍に居るのもまた、友の務めというものだろう」

「えぇええええ!? いやいやいや俺遠慮しときますわ! ちゅうか俺別に思ってへんよ!? ほんまやって! 言葉のあやってやつやもん!」

「ほう。ならば私と趙雲と、どちらが重そうに見える」

「そら周さんやな。背もおっきいし胸もおっきいし───っていやぁあああーっ!? なんで!? なんで襟掴んで引きずるん!?」

「大変正直な男だ。こうまで遠慮無用にものを言われたのは雪蓮と北郷以来だ」

「ああっ! これこそまさに正直者はバカをみるっちゅーやつやなっ! かずピー助けてぇえ!!」

「一緒に引きずられてる俺になにをどう助けろっていうんだお前は!」

 

 冥琳に引きずられる及川と、星に引きずられる俺。

 雛里に助けを求めても、泣いて俺にしがみつくばかりであり、むしろ一緒に引きずられるカタチになっている。そして星さん、平気な顔で人間二人を片手で引きずらないでいただきたい。

 ああっ、腕力っていうより技術だって思ってた星も、やっぱりこの世界の女性だなぁ! 腕力すごいったらないよもう!

 

「あ、あのー、星? 話をするだけなら、別に引きずる必要はないんじゃないかなー、なんて」

「はっはっは、なにを仰る。聞けば主は現在仕事が無くて時間が空いているという。こんな時こそ普段は中々時間が合わない我らとともに在る時間を過ごすべきだろう」

「いやあの、むしろ何処に連れて行く気なのかを訊いてるんだけどー……」

「無論、蜀の屋敷だ」

「なに? それは許さんぞ趙雲。北郷は呉の屋敷へと連れてゆく。代わりにこれをやるから諦めろ」

「あれ? なんや俺、今コレ扱いされんかった?」

「いや、悪いがこれは譲れないな。なにせ距離では雛里が勝ったのだ。ここは蜀へ連れていくべきだろう」

「賭けは無しの方向で話はついていた筈だ。それを勝ったからと急に引き合いに出すのは少々女々しいんじゃないか?」

「ほほーう……? ならば今度は主との時間を賭けて、正々堂々と勝負といこうか」

「面白い。武でもなく知でもなく、単純な跳び合いで雌雄を決するというのか。断っておくが、私が知しか能のない者だと思ったら大間違いだぞ」

「ふふっ……そちらこそ。この趙子龍、武だけと高を括られては困る」

「ほう……?」

「ならば───」

『相手にとって不足無し!』

 

 クワッと睨み合って、二人が今来た道を急に戻り始めた。

 瞬間、掴まれたままの俺と及川は急に襟を捻られるハメになり、ゲホリゴホリと悶絶しながら元の場所へ。

 それからムキになって、ブランコを漕ぐ二人が通りすがりの皆々様に目撃されるに到り、暇がある将の皆様も参加することになって……



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149:IF3/遥か遠くの未来の空へ③

 ……こんなことになってしまった。

 

「鈴々のほうが跳んでたのだ!」

「いーやボクの方が跳んでたね!」

「むーっ! やるのか春巻きーっ!!」

「なんだよちびっこーっ!!」

「もうちびっこじゃないのだ!」

「ボクよりちっこければちびっこだ! このちびっこぉっ!」

「はいはい喧嘩はおよしなー? もう子供やないんやから。ほれほれここの印~、一緒のとこやさかい、引き分けってことで、な?」

「よく見るのだ眼鏡! 鈴々のほうが少しだけ遠いのだ!」

「いーやボクだね! 兄ちゃんがちゃんと言ってたじゃんか! 爪先じゃなくて踵の方を記録にするって!」

「後ろ向きで着地したんだからこれでいいのだ!」

「なんだとーっ!?」

「なんなのだーっ!!」

「あぁんかずピー! この娘ら全然俺の話聞いてくれんーっ! 助けてぇええっ!!」

 

 まあその。

 そりゃね? いつも通りといえばいつも通りの騒がしさなわけだが。

 

「えっへへー! やったやったよご主人様ー! 華琳さんに勝っちゃったー!」

「え……ほんとか!?」

「あははははは! あっはははははは!! そう、そうなのよ一刀あっははははは!! ぶふっ! ぷはははははは!!」

「……雪蓮。お前がそこまで笑うってことは……」

「くひふっ……そ、そう……ぶふっ! 華琳ってば、着地に失敗してぶふっ!」

「……珍しいな、華琳」

「言いがかりもほどほどになさい。失敗はしていないわよ。ただ───」

「ただ?」

「勢い良く跳んだ私を、何を思ったのか春蘭が抱きとめたのよ。お陰で反則負け」

「うわー……って、それでなんで雪蓮は笑ってるんだ?」

「だってあんなに勝ち誇った顔で飛んでおいて、春蘭に抱きとめられた時の華琳の顔ときたらあっははははははは!!」

「……うん……気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着こう、雪蓮」

 

 燥ぐ王様笑う王様呆れる王様、そんなみんなとともに、ただ子供っぽい遊びを興じた。

 夢中になりさえすれば、人間に年齢なんて関係ないのかもしれない。

 漕いで跳ぶだけ、というシンプルな方法が思いのほかウケたのか、現在都に居る、時間の空いているものがこぞって競い合い、距離を跳んでは笑い合った。

 

「おぉっしゃこれ最高記録やろ! あ、俺優勝したらかずピーの子とゆったりとした時間を過ごした───……い?」

「……追い越したぞ。私が一番だ」

「あれぇ!? 興覇さん!? 参加せんゆぅとりませんでした!?」

「黙れ」

「だまっ!?」

 

 遊ぶ者競う者、賞品を聞かされてからやる気を出す者様々だ。

 見ているだけでも顔が綻び、一緒の時間を生きているって実感を得た。

 平和だからこそ出来る遊びと、こんな平和に……ただ、感謝を。

 

「いよぉっとぉっ───っととっ、ほいっ! ……よしっ! 一番っ!」

「なんやて!? かずピーが勝ったらおもろないやん! それこそまさに出すぎやぞ! 自重せい! やないか!」

「う、うるさいなっ! こういうことでしか滅多に勝てないんだから、それくらいいいだろーが!」

「おおっ……では風と宝譿が跳んで、宝譿が風より先へ跳んだら宝譿の勝ちということでー……」

『それは反則だっ!!』

「おおっ……!? みなさん息ぴったりですねー……」

 

 まあもちろん、本気でやるにしたって楽しむ方向での本気なわけで。

 跳ぶ人跳ぶ人、みんながみんな笑顔だった。

 まあもっとも、どこぞの大剣さんとか美髪公とかは超本気の真剣でございましたが。

 うん、凪とかも。

 

「隊長! 跳んでいる最中に氣弾を放って距離を稼ぐのは───」

「反則です」

「うぅ……そうですか」

 

 そして段々と皆様手段を選ばなくなってきた。

 楽しい時間というのは、たまにそうやって人の感覚を麻痺させます。

 けどまあ……みんなが笑っているのなら、そういうのもアリなのかもしれない。

 

「せいっ! ───はっ! ……あっ……や、やりました旦那様っ! 旦那様より跳べました!」

「あっちゃ……やっぱりこういうのは明命が強いかぁ」

「なんのっ! よいっ───しょおっ! ……よしっ、ふふんっ、どうっ!? こういうのだったら、ちぃだって負けてないんだから!」

「……胸張るのはいいけど、僅差で負けてるぞ?」

「え? あれぇ!?」

 

 そんなやり取りに笑って、馬鹿みたいな行動で燥いで、友人との軽いノリでぼかぼか殴り合ってまた笑う。

 そんな笑顔がみんなに移って、みんなも笑って……そんな瞬間に、やっぱり感謝したくなる。

 降りたばっかりの頃は不安ばかりが渦巻いていたこの蒼の下。

 今はただ、笑顔ばかりが生まれることに感謝する。

 

「よおっしゃ二回戦ナンバーワーンッ!! 見て見てかずピー! これやったら俺でも伝説の武人達に勝てるでーっ!!」

「図に乗るなよ眼鏡が……!」

「だから怖いってば甘述ちゃん!! もぉちょい俺にやさしくしたって!?」

 

 負けてなるものかと逸れば逸るほど失敗が増えて、我が身を省みないダイブを繰り返す及川が勝利する。

 及川曰く、“かずピーがおるからみんな無茶な飛び方でけへんねや”、らしい。

 格好悪い姿は見せたくないってことなのだろう。

 そんな状況にも苦笑が漏れて、苦笑もやがて普通の笑み変わって、その笑みが広がってゆく。

 ああ、平和だ。

 穏やかな“楽しい”の中に自分が居ることを、深く深く自覚した。

 

「えー、ちゅーわけで! 見事総合優勝を果たした俺、及川祐! 及川祐をよろしくやー!」

「へえ、そう。あなたを覚えることが賞品でいいのね?」

「あぁ待ったって!? 実は勝てたら是非ともやってほしいことがあったんやって!」

 

 そしていつの間にか誰よりも遠くへ跳べたらしい彼が、顔をボッコボコにしながら笑顔で立っていた。

 どこまで我が身の安全を無視したダイブをしたのか。

 

「えっと、みなさんに歌、歌ってもらいたいです」

『歌?』

 

 ほぼ全員の声が重なった。

 なんのことはなく、この世界での思い出を映像で残しておきたいのだという。

 音源は及川のケータイの中にあるから、それに合わせて歌ってくれたら、俺のケータイでそれを録画するから、と。

 

「俺の、もうそんなに長くないぞ? 音源俺の方に移して、録画をそっちでやったほうがよくないか?」

「あ、せやな。ちゅーか、歌ってくれるん?」

「構わないわ。勝者に欲しいものを与えるのも、王の務めというものよ」

「おお、さっすが器がおっきいなぁ。じゃ、えーと……たぶん覚えるの苦労すると思うから、しばらく練習期間を設けたいんやけど……ええです? せっかくならみんながきちんと歌えとるのんを撮りたいし」

「とる? 写真のことではないの?」

「……かずピー、まさかやけど、写真しか撮ったことなかったりする?」

「……そのまさかだ」

「っかー! もったいなっ! そらつまりあれか!? 子供の赤子の頃の動画も撮っとらんっちゅーことか!」

「心霊動画になったら怖いだろうが!」

「そないな理由!? せやのに写真は撮るとかどーゆー神経しとんねん!」

 

 まったくだった。

 

「あーまーええわ。ともかくかずピー、歌詞書くの頼むわ。俺まだこっちの文字完璧に書けへんし」

「そりゃいいけど……なんて歌だ? 俺も知ってるか?」

「知ってるかは知らんなぁ。ま、えーからえーから。歌とカラオケと両方入っとるし、ピンとくれば書きやすいってだけのことやろ。あ、ところで孟徳さま? えーと……急にこないなこと訊いて失礼かもですけど、他国に行っとる他の将の皆さんらが戻ってくるの、いつになります?」

「あら。随分と気安く訊いてくれるわね」

「え? や、そらかずピーの正妻さんやし、ちょいと親しみ込めていこーかな思ったんですけど」

「せっ………………そ、そう。まあ、いいわ」

 

 華琳さん。顔、真っ赤です。

 でも敢えてツッコミません。足踏まれそうだし。

 

「で、他の者が戻ってくる日、だったかしら」

「はい、そーです」

「順調ならば近い内に戻る筈よ。人の入れ替えもそう多いものでもないし、予定が狂うことなどそうそうないもの」

「あ、せやったら是非、全員で歌ってほしいんですけど……こう、思い出を残す意味で」

「二言はないわよ。皆で歌えというのなら歌わせるわ。ああもちろん、くだらない歌だったのなら次の敗北には心底気をつけることね」

「ヒィ!? き、肝に銘じておきますわ……!」

 

 ギロリと睨まれ、ヒィと悲鳴を上げる及川に、奇妙な友情を感じた。

 ……うん、この世界じゃさ、及川……。男の立場ってそんなものだよ……。

 

  そんなしみじみな寂しさを心に秘めて、練習は始まった。

 

 皆、暇を見つければ歌ってみながら歌詞を覚えて、違っていたら指摘し合って。

 思えば一つのことをみんなで、なんてことは滅多になかった。

 歌を歌うにしたってみんながみんな別々の歌を歌って燥ぐのが、俺達の宴だったのだ。

 だから妙な楽しさもあって、誰もそれを拒んだりはしなかった。

 心配だった桂花も、華琳が歌うのならって……むしろ張り切っていた。

 別の意味で心配だった思春も参加してくれて、一つのことに向けて、三国が手を合わせ、声を合わせた。そんな些細が……自分でも驚くくらいに嬉しかった。

 そうした忙しい日々の、ほんの小さな、隙間みたいな一瞬だったと思う。

 及川がふと、言葉を漏らした。

 

「な、かずピー。俺、ちっとはかずピーに思い出みたいなの、作ってやれたんかな」

 

 それだけ。

 及川は返事も聞かないままにニカッと笑って、仕事の時間やーとか言って走っていった。

 そんな後姿を見て、静かに思う。

 

(思い出……かぁ)

 

 人はいつまでも若いままじゃいられない。

 及川の言う通り、いつかは老いたみんなを、死にゆくみんなを見ることになるのだろう。

 その時を迎える覚悟が、自分にはあるのか。

 一緒に老いていきたかったと、どれだけ願っても叶うことはない。

 それどころか子供たちまで見送らなければならなくなるかもしれない。

 子が親よりも長く生きる保証なんて何処にもないのだ。

 万能の医者が居たところで、寿命までは延ばせない。

 万能の医術があったところで、その場にその人が居なければ意味がない。

 そんなことが重なってしまえば、自分が思うよりも早く見送ることだってあるかもしれない。

 

  ……自分は、一切老いることもなく。

 

 それが、怖いといえば怖い。

 怖いのに、目指さなければいけないのだ。

 それまでの全てを肯定するために。

 そんな道をずっと歩かなければいけない。

 挫けそうになっても、そうしなければ天に戻ることも出来ないのだと思う。

 じゃあ、挫けないためにも何が欲しいと思うのか。

 

「………」

 

 考えてみて、笑った。

 笑って、やっぱり感謝しか生まれなかったんだ。

 

「十分だよ……ばかやろ……」

 

 形に残る思い出があるのなら。

 それを見て、肯定したいと何度でも思えるのなら。

 きっと、自分は挫けずにいける筈だから。

 だから……一人の友人に、感謝を。

 

「……って! おいこら及川ぁあーっ!! お前の仕事、外じゃないだろぉおーっ!!」

「えっ!? あらー!? 警邏やなかったっけーっ!?」

「書類整理の手伝いついでに文字の勉強だったろーがーっ!!」

「あっちゃーっ! 明日のと勘違いしとったわーっ!!」

 

 見送り途中の背中を呼び止めるなんて貴重体験を経てもまだ、やっぱり感謝を胸に笑った。

 慌てて戻ってきて、たははと笑う悪友とどつき合いながら、さらに笑った。

 こんな感じでいつか、心がやすらいだ時……彼は戻るのだろう。

 未来を思えば寂しくないわけがない。

 出来れば一緒に最果てまで、なんて思うのは当然で。

 でも……それは、俺の都合にこいつを巻き込むだけだから、願うことはきっとない。

 今はただ、この蒼の下で賑わう優しい覇道を、のんびりと歩いていこう。

 その覇道こそを、肯定し続けるために。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ……後日。

 みんなが揃った日に、何度かのミスをしながらも……録画は終了した。

 照れるような笑顔がそこにあった。

 自分のケータイにも移されたそれを見れば、今でも、いつでだって笑うことが出来る。

 そんな心の支えの形を得てしまったから、なのだろうか。

 きっとその答えは、いつまで経ったってわからないし、予想くらいしか出来ないのだろう。

 

「………」

 

 ……みんなで笑い合ったその日。

 及川は、俺の背を笑いながら叩いて……天へと帰った。

 最後の言葉は感動的でもなんでもない、乱暴な言葉だった。

 ただ、胸には届いたから、胸を張って進もうって思えた。

 

 “帰ってきたら一発殴らせぇや? そんで、おじいちゃんな歳まで生きてまってても、俺の知っとるかずピーに戻れ。……生きすぎて、壊れんやないで?”

 

 それだけ。

 頑張れ、なんて一言もなかった。

 ただ、親しい者の死を、家族の死を、人の何十倍も見届けなければいけない道の先を、案じてくれた。

 感謝以外浮かばなかった。

 ただ同時に、そうありたいとも思った。

 寂しさに負けない自分でいようと……思えた。

 

「───」

 

 ───見上げた空が蒼かったのを覚えている。

 泥まみれになりながら遊んだ日は遠く、ふと思い返してみると、自分は今よりもよっぽど笑っていたなと苦笑する。

 それでも……今立っている日々は、あの日滲んだ日々よりも輝いていると信じてる。

 自分に勝手に見切りをつけた日々よりも、強く、強く。

 子供の頃には高すぎて目が眩んだ空も、大人になれば、手を伸ばせばきっと掴めると思っていた雲も、今だったら……願えばきっと、何処までだって飛んでいけるし、掴めないものだってわかっているから。

 子供の自分に答えを届けよう。

 

「……うん」

 

 新しいことはとても怖いよ。

 でも、果てまで歩いてみたい道を見つけたんだ。

 ずっとずっと歩いていって、そんな世界をいつまでだって肯定していきたいって思った。

 たとえ一人になってしまっても、自分しか生きていられないほどの果てまで歩いても……その果てでどう思おうと、今ここに居る俺の笑みは、決して嘘ではないから。

 目指すだけならタダで、果てで願えば叶うなら。

 俺は、こんな覇道をいつまでだって歩きたい。

 新しいことはさ、怖いけど楽しいんだ。

 子供の頃のように、まだまだ勝てない人はいっぱい居るし、亡くせば戻らないものももっと知ったよ。

 それでもさ。

 全部投げ出して泣くよりも、笑える今を肯定したいから。

 

「………んじゃ、殴られに行きますか」

 

 長い長い覇道の果てに待つものが、友人に殴られるオチっていうのも……まあ、悪くない。

 精神年齢だけがじいさんな自分なんて想像できないけど、まあ、それはそれで。

 そのためにもこの世界を肯定しよう。

 生憎負けず嫌いだ、どれだけの苦難があろうが、絶対に肯定してやる。

 

「相手もそうなのかな…………あぁ、ははっ、子供の喧嘩だな、これじゃ」

 

 相手がどれだけ俺を恨んでいようが、結局はどちらが勝つかの問題。

 もう俺にも負けられない理由が揃っている。

 どれだけの年月を左慈ってやつが歩いてきたのか。

 それを思うよりも、この世界を守りたいって思ってしまっているんだから、結論なんてひとつだ。

 負けるわけにはいかない。それだけ。

 

「………」

 

 軽く持ち上げた右手を見て、自然と綻ぶ頬を引き締める。

 そうして、強く強く拳を硬め、ドンと胸をノックした。

 

「……覚悟、完了」

 

 いざ、この世界の最果てへ。

 世界を肯定するために。

 ……世界の連鎖を、終わらせるために。




 次回よりラストへ向けてのお話。
 うーん、見直してみると、やっぱり蜀の出番が少ない気が。
 書こうと思ってるとどうにも忘れてしまうんですよね。特に馬姉妹。
 翠も蒲公英も好きなんですけど。
 好きなキャラの話で一本一本話を作ったとして、どうせまた分割しなきゃならないくらい長ったらしい話になるでしょうし、それを五十ウン話分書いたとしたら分割150話あっても足りないんじゃないでしょうか。
 ……うん、終わりにしましょう。やっぱり終わりにしましょう。
 というわけで残り数話か十数話、お付き合いください。


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150:IF3/過去形にはしない想い①

203/“いつまでも普通に”という言葉の中にあるもの

 

 ───秋が過ぎて夏が過ぎて、冬が過ぎて春が来る。

 めまぐるしく、なんて言葉が全部を語ってくれるみたいに、普通に過ぎていた筈の時間は、振り返ってみれば馬鹿みたいに早く過去になってしまっていた。

 

「父! 父ー! 面白い遊びを作ってみたぞー! 是非見てくれー!」

「ととさまー! 柄姉さまが一人で球を投げて一人で回り込んで打ってるよぅ!」

「甘いぞ柄! その遊びなら既に星が開発済みだ!」

「な、なんだってぇ!? うぬぬやるな子龍さま……! だったら自分で投げた球を自分で受け止めるという全く新しい遊びを───」

「どうして独り限定の遊び開発に前向きなんだよお前は!」

「だったら遊んでくれ父! 秋にはどんな遊びがあるのだ!」

「焼きいもを作ろう」

「よし乗った!」

「えぇっ!? 柄姉さま、遊びは!?」

「捨ておけ」

「なんでそんなに男らしく言うの!? 遊びを作ろうっていうから一緒に居たのにっ! もうっ!」

「ところで禅。“やきいも”って字はこう……“焼き”、は漢字とひらがなで、“いも”はひらがなで書くのが良いと、父さんは思うんだ」

「日本語のことはまだそんなにわからないよぅ!」

 

 ほうっておけば過ぎていく時間。

 やろうと思えば出来ることも、多分そこら中に転がっていて、そういったものをやる勇気とか意志を持てるかが、失敗だの成功だのを左右するのだろう。と、偉い人は仰る。

 が、やろうって意志だけじゃあ“出来るわけがない”には勝てないと、我らが覇王さまは仰る。自分が見る現実を“理想の範囲”に触れさせることが、まずはなによりも重要なんだそうだ。

 

「おーい華雄~? 大事な用事ってなんだ? この寒いのにわざわざ外になんて」

「とうとう来た……この季節が来たっ!! ふはははは雪だ! 雪が来たぞ北郷! さあいざ合戦の時!!」

「なんで毎年毎年雪が降ると俺に挑んでくるんだよお前は!」

「武の証明こそ我が存在の証明───あっ、だ、大丈夫だぞ? 今年はきちんと加減して雪を握る。だから以前のようには」

「あの、華雄さん? そう言って、毎年毎年俺の脇腹に雪球直撃させてるの誰でしたっけ? しかも鉄球みたいに硬くなったのを」

「こ、今年は平気だ!」

「その言葉を何年信じて何年血反吐を吐いてるとお思いで!?」

「石を仕込むあの猫耳軍師よりはマシだろう!」

「投擲力が強すぎるお前のほうがよっぽど問題じゃぁあっ!!」

 

 人の在り方は相変わらず。

 その相変わらずが人の数だけ“ほんのちょっと”の変化を受け取って、全体がほんのちょっとずつ変わってゆく。

 そんなことの繰り返しで、街も、街の数も、人や人の数も変わっていった。

 

「お腹、空いた……」

「って言ってもな……お腹いっぱい食べたんじゃないのか?」

「……最近、みんなそう言う。食べさせてくれない……」

 

 そう、人の数も。

 恋が妊娠したのをきっかけにしたみたいに、他の将もめでたく妊娠。お腹が出っ張ってきて、それを食べすぎの所為だなんてことから始まった騒動も、安定に向かえば静かなもので。

 一気に増える子供の数に、果たして最果てに行く前に過労死してしまいやしないかと、苦笑を浮かべる時間が増えた。

 

「父さま。歳の離れた妹も産まれました。私もそろそろ、父さまに甘えないような立派な姉を目指そうと思います」

「丕……そっか、丕ももうそんな立派なことを言える歳になったか……。嬉しいなぁ。嬉しいから、人の腕抓るの、やめような?」

「いえべつにこれに意味なんてありませんよ? 私の直感が急に働いて、父さまはきっとここが痒いに違いないと思い、孝行出来る娘でいようと思っただけです。ええ、仕事の時でも赤子を離さずでれっでれしている父さまに腹を立てたなど、とんでもないことです」

「そっかそっかー、寂しかったのか、丕」

「さみっ!? さっ……寂しくなど! 私はただ、赤子とはいえでれでれしている父さまが……」

「で、でれでれね……。華琳が言うには、丕が産まれた時なんてもっとひどかったそうなんだけどな。ん、よし。じゃあ───丕っ! 父さんの胸に飛び込んできなさい! これでもかってくらい甘えていいぞっ! ははっ、な~んて」

「はい是非!」

「あれぇ!? 甘えない立派な姉って何処!?」

 

 人の成長を見守るって意味で、なるほど、不老っていうのは随分と都合よくもあれば、寂しくもあるもんだ。

 産まれたばかりの赤子が、赤子が産まれた頃の娘らと同じくらいの歳になると、そんなことをしみじみと思う。

 いつまでも体が成長しない俺を、民はどう思うだろうか。

 化物? それとも天の御遣いだからと妙な納得の仕方をするのか。

 そんなことを、時折城壁の上から街を眺めては、思いふけっていた。

 

「父、父」

「はいはい、なんだい姫」

「ん。姫、大きくなったら父のお嫁さんになる」

「宴の準備をしろぉおおおおおおおっ!!!」

「うおっ……!? 北郷隊各員に伝令! また隊長の病気が始まった!」

「だぁああもう! 隊長ぉおっ! いい加減娘離れしてくださいよぉっ!!」

「だだだだだって呂姫が! 娘が俺のお嫁にって! こんなにストレートに言われたの俺初めてなんだもん!」

「隊長……姿はそれでももう“だもん”って歳じゃないでしょう……」

「まっ……真顔でなんてことを!」

 

 呂姫玲綺(りょきれいき)。恋と俺の娘……うん、娘なんだ、うん。息子が産まれない。

 恋のように喋るのが苦手なのか、ちょっとだけつっかえながら喋る。

 これがまた物凄い……えーと、自分で言うのもなんだが、ファザコンだ。

 凪との娘である楽綝(がくりん)と並べると、人懐っこすぎる犬のようだ。

 この数年で自分の娘の数は倍以上にもなり、もはや首を横に触れないほどに……種馬って言葉が似合う自分へと到ってしまった。

 子供が産まれることは喜べるものの、やっぱり種馬って言葉は遠慮したい。そう思うことくらいは許されたって……ああうん、絶対に許そうとしない軍師さまからも、子供が産まれた。

 名前は筍惲(じゅんうん)。タケノコとも読める筍の姓が示す通り、桂花と俺の娘である。

 え? ああ、うん。文字は似ているが、断じて褌と書いてフンドシではない。惲と褌で紛らわしいが、惲な、惲。“小”が“うん”、“ネ”が“ふんどし”、と覚えれば大丈夫だ。

 可愛い娘ではあるのだが……なにがどう働いてそうなったのか、丕ととても仲が悪かった。むしろ筍惲が一方的に嫌っていた。

 

「けどさ。袁尚って名前、ややこしくなかったか? 今さらだけど」

「あぁらぁ~、一刀さん? ま~だ言ってますの? この美しくも美しいわたくし、袁紹と同じ読みの名を受けた娘。きっと美しく育つと一刀さんも頷いたではありませんの」

「いやまあうん、最終的にはね。……むしろこっちの意見を麗羽がちっとも聞いてくれなかったというか」

「いやぁ~、でもアニキ~? お嬢はすっごい頭いいんだぜ~? ……誰かと違って」

「そうなんですよ? 難しい問題もすぐに解いたりして。しかも間違ってないんです。……誰かと違って」

「おーっほっほっほっほ! 当然ですわぁ~? 大陸に名だたる袁家の名を継ぐ者が、周囲に遅れを取るなどあってはならないことですわっ! ……けれど髪が黒いのが残念ですわね。髪型もあんなに地味に纏めて」

「いやいやいやいや麗羽様っ!? お嬢はあれがいーんですって!」

「そうですよ麗羽様! あんな小さな頃から妙に自信家で急に笑い出したりしたら、友達がいつまで経っても出来ませんしっ!」

「……ちょっと斗詩さん? 急に笑い出すとは、いったいどなたの何を指して仰っているのかしら?」

「ひぐっ!? え、あ、えとっ……!?」

「うわっ! 珍しく猪々子じゃなくて斗詩が自爆した!」

「うえっ!? 珍しくってどういう意味だよアニキ!」

 

 けどまあ。騒がしさは……というか、やっぱり根っこの方は相変わらずと言っていいのかどうか。

 それを騒がしさとして認識している辺り、俺ももう、すっかりこっちの世界の住人だった。そりゃそうだ、もうこっちで生きている時間の方が長いのだ。

 

「父上様! 炒飯を作ってみました! お味見を!」

「チャヴァァアアハハハハ炒飯!?」

「…………あの。母上様の“炒飯?”が危険物なのは私も知っていますから、炒飯と聞いただけで叫びながら退くのはどうか……」

「あ、ああ、ごめんな平……。わかってはいるんだけど、どうにも警戒信号というか、心の警報が……あ、ああえっと、味見……だったな。するよ、うん、する」

「……私自身で味見は済ませてありますから、そんなに怯えないでください」

「俺だって食べ物に恐怖したくなんかないよ!? よ、よし! そんなイメージを払拭するためにもいざ! んっ、んぐんぐ……」

「……ど、どう、ですか……?」

「───…………」

「うえやわぁあああっ!? ちちち父上様!? 何故!? 何故涙を!?」

「……ちゃーはんだ……へ、へへっ……ぐすっ……へへへへ、ちゃーはんだぁああ……!! ひぐっ……うっ……うぇええええ……!!」

「いえあのそれはそうですよ!? 炒飯を作ったんですから……って、ですから泣かないでください!」

 

 母の手料理に絶望して料理を学んだ娘は強かった。

 娘の炒飯に感動して涙した日、俺は兵士の何人かを片春屠くんに乗せて、氣の許す限りに全速力でオヤジの店へとかっ飛ばし、ささやかな宴会をした。

 地味にその味を知っている北郷隊のみんなも涙とともに祝ってくれて、暑苦しい男達の宴は朝まで続き……戻ったのち、朝の仕事に間に合わなかったために覇王さまからライデインが降り注いだ。

 そんな日々までもが懐かしく思えるくらい、一歩歩いたと思えば過去が遠くなっていた。

 一歩のつもりで踏み出したのに、振り向いてみれば……平和の只中で寿命で死んだ老人たちの笑顔ばかりが頭に浮かぶのだ。

 戦で死ぬことは無くなった。

 食糧難で死ぬことだって無くなった。

 病気で死ぬことは、華佗や延、それか俺が間に合えば、治療をすることも出来たけど……間に合わなかった場合は、どうしようもなかった。

 氣を学び、医療を学んだ子達が成長して、病気の人を助ける場面を何度も見た。

 でも、氣だって医療だって万能じゃないから、“助けたかったのに助けられなかった”と涙する少年少女だって何度も見た。

 

「……北郷、どうだった?」

「華佗……ああ、だめだったよ。じっちゃん、若い姿のまま……眠った。……やっぱり、若返りの薬っていったって寿命が延ばせるわけじゃない。一定時間が経てば勝手に元の量に戻る、なんて、液体の量まで若返るとんでもないものでも……出来ないことって、やっぱりあるんだな」

「そうか……やはり万能の薬などないのだろうか。我が五斗米道も寿命には勝てない。いや、勝ってはいけない。自然に死にゆく者を生かし続ければ、その果てには滅びしかないのだろうから」

「全員が死なずに生きる世界か…………はは、それは、確かに」

「天ではどうだったんだ? ここより人は居るんだろう?」

「ああ。それこそ数えていられるかってくらいに。人は滅んではいなかったけど……そうだな。今この時よりも、天のほうが……誰も死ななかったら、あっという間に滅びそうだよ。住む場所が無くなって、自然を削って、食べるものが無くなって。餓えでも死なないんだったら、それこそ地獄みたいな世界になるんだろうな」

「……そうか。北郷、お前はそれでも生きたいと思うか?」

「…………、俺の希望は、秘密だ。たったひとりくらい不老が居てもいいんじゃないかとは思うけど……それはきっと、つまらないなんてことはないだろうけど、楽しいことでもないよ」

「ああ。俺もそう思う」

「………」

「………」

「そんな顔、しないでくれ」

「……そうだな。やれやれ、俺もすっかり“おじさん”だ。お兄さんじゃあ通じないっていうのも悲しいな」

「笑うと目尻にシワが」

「ぐっ……ほうっておいてくれっ! 生きている証拠だっ! ……おっと、それじゃあ俺は次の町に行ってくる。この世に病ある限り、医者に休みなど無いからな」

「片春屠くんで送っていこうか?」

「やめてくれっ! お前はこのあと休憩だろう!? そんなことを頼めばお前の娘達に殺されるっ!」

「ちょっと待て! さすがに殺っ…………こ…………せ、せいぜい……半殺し?」

「よし! 俺は走っていく! また会おう!」

「速っ!? あいつの氣も、大概普通じゃないよなぁ……はは……はぁ。───うん。長生きしてくれよ、華佗」

 

 人の死を見届けると、心の中に穴が空く。

 そのくせ、軽くなるどころかずっしりと重くなる。

 都に住んでいたじっちゃんが死んだ時、自分の祖父の死を連想して胸が苦しくなったのを覚えている。

 知り合いでこれなら、仲間である兵だったら? 関係を持った他国の将だったら? ともに生き抜いた魏の将だったら?

 頭の中をぐるぐる回る恐怖を何度も何度も誤魔化す日々は、もうとっくに始まっていた。

 



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150:IF3/過去形にはしない想い②

「せぁあありゃぁあああっ!!」

「ご主人様……! 下がる……!」

「今下がっても追いつかれるだけだ! 恋! 全力でいい! 敬意を払って立ち向かおう!」

「久しぶりに武が振るえると言うから来てみれば! 北郷! 貴様ぁああ……! 相手は人間ではないではないか!!」

「俺だってまさか、衣類材料に龍の素材を使うなんて思いもしなかったよ! って、衣類はついでだった! 薬を作るのにどうしても必要だって華佗が言うんだ、仕方ないだろー!?」

「その華佗のおっちゃんはどうしたのだー!?」

「別の材料探しに行くってさっき言ってたの聞いてたよな!? って、とにかく全力で行こう! 急に襲いかかっておいてなんだけど、俺達も死ぬわけにはいかない!」

「衣類の材料ねぇ……ねー一刀? いったいどんな服を作ってもらうつもりなの?」

「え? 水着ゲッフゴフン!! あの……雪蓮さん? 今はそれよりも戦うことに集中をげぶおあはぁああっ!?」

「はぅわぁああっ!? 旦那様が龍の尻尾で吹き飛ばされました!」

「だっ……だはっ……! だいじょっ……げっほ! い、一応衝撃は吸収……げっほごほげほっ!」

「大丈夫どころか生まれたてのお猫様のように震えてらっしゃいますけど!?」

「───! ご主人様の仇は恋が───!」

「よし! 霞! 私たちも一緒に出るぞ!」

「へっ……!? あ、愛紗……愛紗がウチに“一緒に”て……!」

「声を掛けるたびにいちいちうっとりするなぁっ!! ご、ご主人様! 霞に喝を!」

「いや、なんかもう愛紗が突撃すれば一緒に行く気がする」

 

 楽しい時間やハラハラする時間を共に歩む。

 それだけでとても幸せだというのに、そんな幸せの中で突然、心が目を覚ますみたいに冷静になることがある。

 待っているのは寂しい未来だから、今の内に離れたほうがいいんじゃないかとか、出来ることなら全員を見送らなきゃいけない日が来る前に、天へと帰ってしまえば……とか。

 もちろん帰り方なんてわからない。けれど、どうしようもなく待っている別れを思うと、心が泣いてしまうのだ。

 

「ありがとう、助かったよ北郷。これでより多くの人々を救える」

「そっか…………っ……はぁ~っ……! しんどかったぁああ……!」

「いや、しかし驚いたぞ。まさか討伐してしまうだなんて」

「いやぁそれほどでも───マテ。え? 討伐してしまうだなんて、って……え? 討伐せずにどうやって手に入れろって……」

「頼んだものは角と鱗と涙だったろう? 削ってもいいし掬い取るだけでも構わなかったんだが」

「……………」

「………」

「いや、その、なんだ。すまない。きちんと説明しなかった俺の───」

「材料フルに使おう! 薬を作るんだ! あと水着も! む、無駄なんかじゃないぞ!? 無駄なんかじゃないとも! とととととにかくいい戦いだったんだ! トドメ刺したの恋だけど!」

「そ、そうか……ああ、だが確かに無駄ばかりじゃないぞ? 北郷、龍の血液や、龍自体が持つ宝玉にはそれ自体に神秘性というものがあってな。氣や氣脈の活性化に役立つ。伸び悩んでいると言っていただろう? いい薬が作ってやれると思う」

「ほんとか!? お、おぉおおお……!!  ……あれ? でもそれってなんかドーピングみたいでズルくないか?」

「どーぴんぐ……ああ、以前聞いたことがあったな。お前は龍を倒して力を得るんだ、別に卑怯なことじゃない。それに安心しろ。精力増強にも役立つ!」

「ああもう精力=俺みたいな認識が染み付いちゃってるよドチクショウ!!」

「ん……要らないのか?」

「クダサイ」

 

 現在の段階で不治の病、というものにぶつかることも当然あった。

 五斗米道で治しても、治した矢先に病の形状を変えて転移するような……そう、まるで癌のような病に侵される人も居て、それを癒すのに龍の素材が必要だと言われ、北から南へ東から西へ。

 慌しい日々はむしろどんとこいだった。

 難しいことを考える時間がないくらいに、日々が忙しければと何度思っただろう。

 楽しさで忙しいくらいが丁度よかったのに、今ではじわじわと近づいてくる最果てが、怖くてたまらなかった。

 

「いやー、それにしてもあの水着っちゅうの、軽いし涼しいしで楽やったな~♪ なんっちゅーても愛紗の裸も見られたし……」

「少しは欲望を抑えようね、霞……」

「えー? あれは一刀が持ってきたもんやろー? ウチべつに結果的に見れただけやし、抑える必要あらへんもん」

「はぁあ……」

「けど……おおきにな、一刀。実際、もう羅馬なんて目指さへんのやろなーとか思っとった。ウチはもう、なんやそれでも構わへんとか思い始めとったけど……」

「約束したし、なんていうか……龍と戦ったら今さら羅馬の道中で何が待ってる~とか考えるのもどうでもよくなった」

「あはは、そらそうや。龍に比べたらちぃとばかしの数の人間なんて怖ないなぁ」

「まあ、羅馬に着いても言語がわかりませんとかじゃどうにもならない気もするけど」

「ん? そんなん普通に喋ればええんやないの?」

「………」

「?」

「あれ……なんだろ……。なんか普通に会話出来る気がしてきた」

「や、そら出来るやろ。喋っとんねやから」

「……そうだよなー、ここだって日本語で通じるんだもんなぁ……。難しく考えるの、やめよ」

 

 霞とは約束通り、羅馬を目指して旅をしたりもした。

 きちんと大型の休暇を取る形で。

 そうして片春屠くんで旅をして、その過程で呆れるほどの恐怖に見舞われてもまだ、なんというか龍と対峙した恐怖に比べれば、って……少し経つと笑って、危険ばかりのシルクロードの旅は続いた。人と会えば案の定普通に話が出来て、けれどそう簡単に仲良くなどなれる筈もなく、捕らえられそうになるわ奇声を上げられて襲い掛かられるわで散々だった筈なのに……やっぱり霞と一緒だからなのか、かつて無謀だとか思っていた大秦の旅は、随分と楽しいものとなった。うん、まあほぼが逃げの旅だったんだけどさ。

 勝手に侵入して、ヤバかったから殺しましたじゃさすがに人格としてどうなのか。ということで、機動性を生かして逃げた。そりゃもう逃げまくった。

 馬でも良かったんだけど、それだと時間の大半が休憩に取られそうだから、ということで。もちろんそれも理由なんだけど、珍しいことに霞が“男に任せっきりの、男に頼った旅をしてみたい”なんて言いだしたから、まあきっかけはそんなところで。

 

「一刀一刀! 相手女やで!」

「だからなに!? 女だからなに!?」

「や、口説いて懐柔して、のんびり旅を~って。一刀なら出来るやろ!」

「キミ人のことなんだと思ってんの!? ああもうとにかく逃げるぞ!」

 

 ……あと、俺が健康なら、疲れることなく移動出来るからというのが最大の理由だろう。実際逃げまくりの旅だったわけだし。

 この急な訪問がきっかけで、歴史的な交易路が戦場にならないことを願おう。

 

「なぁ真桜。前に稼動式絡繰華琳様造った時のことだけどさ」

「んえ? おわっ、隊長もう帰ってきてたん!? ああそれより土産は!? 大秦ってどんなとこやった!?」

「土産を手に入れる余裕は無かったなぁ……ほぼ逃げ回ってたし」

「へー……で、何人くらいに惚れられたん?」

「なんで逃げ回りの話を聞いて真っ先にそれを訊くかな?」

「やぁほら、隊長のことやから、よその国でも相手に惚れられて、そっから逃げる旅やった~とか」

「……絡繰華琳様のことだけどさ」

「わっ、流しよった。まあええけど……絡繰華琳様? あー、あの隊長が、隊っ長~がっ! 氣を送り込んで暴走させた絡繰華琳様な?」

「わざわざ“隊長が”を強調せんでよろしい。その時にさ、ちょっと思ったんだ。あれ、氣を流し続けたわけでもないのに動いてただろ? 氣を蓄積出来るなにかがあるなら、ちょっと作ってみてほしいんだ」

「あ~……なるほど、隊長の武器は氣やもんなぁ。それを体内以外に持っておけるなら、そら……」

「……なんでここで下半身を見るかな?」

「やっ、べつに、溜め込んだ分だけ氣ぃで体動かして夜の活動力にする~とかそないなことあいだだだだぁーっ!!? やめて! こめかみぐりぐりはやめたってぇ~っ!!」

 

 強くなるための努力も、自分の鍛錬以外にもいろいろと考えた。

 俺の食事が龍の肉とか血とか、なんか危険なものになった時期もあったものの、謎の発汗やら腹痛、頭痛に吐き気に寒気など、様々な苦しみを五斗米道の秘術で無理矢理癒しては苦しんでを繰り返して、氣脈拡張に臨んだりとか……うん、ほんといろいろあったけど、一応生きてる。

 ちなみに龍の肉は不味かった。

 血はまるで超神水を飲んだ野菜人な人のように苦しむ破目になったし、角と爪と鱗を削って作った秘薬(華佗が言うところの)は、きっぱり毒だとしか思えないくらいに絶叫&悶絶。

 散々と華佗に癒してもらっても、もう二度とやりたくありませんと言えるほどに苦しいものだった。

 ……それでも限界の一線を越えられた……かも? ってくらいの伸びしか得られず、相変わらずの鍛錬の日々だ。限界って言うからにはそんなもんだと、今は納得している。それでも伸びたのだから。

 

「北郷一刀ぉおおおおーっ!!」

「ホワッ!? え……ね、ねね? どうしたんだ急に。ていうか、なんでみんな俺の部屋の扉は思い切り開けるのか───」

「そんなことはどうでもいいのです! それよりも! り、りりり、璃々と夜をともにしたとは本当のことですかぁあーっ!!」

「…………」

「目を逸らすなですーっ!!」

「ねね……人にはね……? 逃げられない状況っていうのが……あるんだよ……」

「璃々が相手だろうと今のおまえなら逃げられるです! どんな理由があれば今のおまえが───」

「ふふっ……ねね? それ、紫苑と祭さんと桔梗に掴まって、さらに酒を飲まされまくったあとでも言える? さらに三人に押さえつけられてる状況でも?」

「………」

「………」

「……いい酒があるです。今夜は一緒に飲むですよ……」

「…………謝謝」

「あ、でも待つです。……押さえつけられたにしても、きちんと愛したですか?」

「なんでそういうこと訊くかなぁみんな!」

「あぁもうわかったのです。その顔の赤さで十分ですよ。けどそのままの勢いで娘を襲うのだけはやめるです」

「いや、本気でやめてくれ、それ。最近華煉───丕が怖い。ねねと焔耶くらいだよ……友達として気軽にこういうこと話せるの」

「…………。まあ、精々癒されるがいいのです。こちらとしても気安く付き合えて万々歳ですから。ただ───」

「? ただ?」

「…………いや、なんでもないのです。それより仕事は終わるですか? さっさとねねの部屋に行くのです」

「ああ、丁度休憩入れようと思ってたところだから」

「ならさっさと来るのです。酒と聞いて動く輩が、この都には嫌というほど居るのですから」

「そだな。よしっ、じゃあちょっと急ぐかっ」

「あっ……なにも走れとは───…………はぁ。まあ、あれですよ。いつまでも友人でと望まれているのなら、それはそれで良い付き合いというものです。だから……そうですね、生まれ変わりでもしたら、その時は……。好きという感情は厄介ですねぇ。そうありたくもないのに勝手に湧き出しやがるのです。そのことで焔耶に相談されたばかりだというのに、璃々のことや鈍感なあの男の友達発言…………はぁ。戦を終えても、“考えることが仕事”なのは変わってくれないのです」

 

 まったく、本当に、この空の下の騒がしさはいつも通りで、笑顔は絶えない。

 一歩歩けば話題が飛んでくるみたいな感じだ。休む暇がない。

 

「よぉっしご主人様確保ーっ!!」

「うぉおおわあぁっ!? な、なんっ……蒲公英!?」

「あー……悪いな、ご主人様。蒲公英のやつご主人様が最近こっちに来ないから、拗ねちまって」

「だからって自分の部屋の近くで宙吊りにされるとは思わなかったよ! ていうか……この前、関平に連れられて行った時、探しても居なかったんだけど」

「ああ、聞いた。丁度別の用件で出てる時で、それに関して蒲公英を誘ったのがあたしで……」

「……あの。翠さん? まさかとは思うけど、罪滅ぼし的な意味で、思春が居ない今を狙った……とか?」

「………」

「目、逸らさない」

「だって思春が別件で居ない時じゃないと、ご主人様を捕縛とか出来ないでしょー!? ってわけでほらほらお姉さまっ! 誰かに見つかっちゃう前に屋敷に運んじゃおっ!」

「この前また桂花が落とし穴で怒られたってのに、どうしてこの人たちはもぉおおおーっ!!」

「……悪い、ご主人様……。子供が出来てもほら、やっぱりさ、す、好きな人との時間とか、欲しいんだよ」

「お姉さまっ、もじもじとか今はいーから!」

 

 それでも、時間は普通に過ぎてゆく。

 誰かに声を掛けられて振り向くたび、何度笑顔を作ったのかも忘れるほど。

 ……日々は、時間は普通に過ぎていった。



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150:IF3/過去形にはしない想い③

 ……遠いいつかを思い出す。

 笑えた日々は遥かに遠く、悩んだ日々さえ今は遠く。

 恐怖した日を笑顔で噛み締め、笑みを作った日は振り向けばすぐ後ろに。

 ねぇ、と誰かが自分を呼ぶ声。

 振り向けば小さな子供が居て、抱き上げればきゃははと笑った。

 今、自分はどんな世界に立っているのだろう。

 笑っていられてるだろうか。

 元気に誤魔化せているだろうか。

 

  ある夜に怖い未来を夢に見て、泣き出した日を思い出す。

 

 そんな恐怖を空へと叫んだいつか。

 すっかり平和に満たされた黒の下、見張りも居ない城壁の上で、独りで泣いたいつか。

 気がつくと傍にきみが居て、いつかのように俺の頭を抱いてくれた。

 子供のように、「怖い夢を見たんだ」と言うと、ぽかんとしたあとに盛大に笑ってくれた。

 

  その日の自分は何人を見送ってきただろう。

 

 もう皺だらけになった手が、子供をあやすように頭を撫でた。

 「覚悟なんて散々としたでしょう?」と問いかけるように言う彼女に、俺は涙でしか返せない。

 こんな筈じゃなかったなんて言えばいいのだろうか。

 きっとこの世が平和でなかったなら、泣きはすれども次の戦のために立ち上がっていけたのだろう。

 でも、次へ備えるにはこの世界は平和すぎて。

 備えれば備えるほどに、失う度に心が砕かれ、涙が溢れ、声を枯らした。

 娘の外見が俺より大人のそれになり、孫にまでその過程を迎えられ、それでもその姿のままで生きてきた。

 約束を、誓いを果たそうと、年月を重ねるたびに弱っていくみんなに手を伸ばすけど、みんなはそんな手は借りたくないと断った。

 守られてばかりだったから守りたかった。頑張ってきた意味を、少しでも返したかった。

 そう言うと、彼女はまた笑った。

 

  もう十分に守ってもらったのだから。

  それ以上受け取ったら、もう返せないじゃない。

 

 穏やかな笑顔だった。

 俺は「返せてなんかない」って言うけど、彼女は首を横に振って苦笑を漏らす。

 そして言った。

 もう十分に返してもらった。国にも、自分たちにも。戦ばかりで尖るだけだった自分たちを、幸せなんてものを感じられるくらいに守ってくれた、と。

 そんなわけがない、と食い下がろうとする、涙をこぼしたままのいつまでも子供な俺が、そんな状態だったからこそ思い出した。

 

  免許皆伝なんて、一方が押し付けるものじゃあない。

 

 自分が返せていないと言い張ろうが、相手に返してもらったと言われてしまえばどうしようもないのだと。

 そんなことを思い出してしまえば、返せていないと強情に言い張ってしまった過去に後悔する。

 せめて返せたと言って、安心させて送り出せればと。

 もう戻れない日々を思い、涙は余計に溢れた。

 

  天の御遣いが聞いて呆れるわね、まったく。

  あなたね、姿はそんなでもいい歳でしょう?

 

 口調は変わらないままの彼女が、だというにただただやさしい手付きで俺の頭を撫でていた。

 突き放してからそんな言葉を言ったであろう日々だって、もはや遠すぎる。

 思い出すことなんてあんな日々の中で、心から笑えていたことばかりだ。

 アニキさんが結婚した日のこと。

 相手との間に生まれた子供が男の子で、アニキさんより俺のほうが燥いだこと。

 娘の結婚相手が今から首を吊りますって顔で挨拶に来た日のことや、わざわざ真桜に作らせてまで用意したちゃぶ台をひっくり返したあの日。

 成長したアニキさんの子供とキャッチボールをして、感動して泣いた瞬間に、子供が投げた球が股間に直撃して別の意味で泣いた日。

 “楽しい”ばかりに埋め尽くされた日々だった。けど、不安がなかった日なんて、きっとなかった。

 それでも楽しい日々は楽しいままで、いつしか作り笑顔と本当の笑顔の境界線があやふやになっていて。

 そんな日々の中でも、華琳は随分あっさりと人の表情に気づいて。

 

  悔しい

 

 泣きながらこぼした声に、頭を撫でる手が止まる。

 そしてある形に手を構えると、でしん、と俺の額を中指で弾いた。

 

  こんな空の下にまで辿り着いておいて、なにがよ

 

 夜だというのに見張りも居ない平和な空の下。

 山賊も盗賊も出ない平和へと辿り着いてどれほど経っただろう。

 日々はやることに事欠かず、仕事は探せば腐るほどあって。

 いつかに備えてと、腕を鈍らさないために鍛錬に付き合ってくれたみんなももう居ない。

 その技術を受け継いだかつての子供も立派な大人で、さらにその子供でさえ子供を持つ歳になっている。

 ……あきれるほどに平和な日々だった。

 見渡せば笑顔ばかりの日々に辿り着けたことを……そんな笑顔を見て、死んでいった仲間の……忘れてしまった仲間の笑顔を思い出せそうになって泣いてしまうくらい、平和な日々だった。

 桃を見ても、もう思い出せない。

 たくさんの笑顔に囲まれるたび、散っていった人たちの笑顔が塗り潰されてしまって、泣いたいつかもあったのに。

 こんな過去までいつかは笑い話に出来るようになってしまうんじゃないかって、それが怖くてまた泣いた。

 いろいろな想いが過去になる。

 いろいろな思いが新しい景色に塗り替えられてゆく。

 望んでいた筈の未来に、覇道に辿り着けた筈なのに、どうして泣いてばかりいるんだろう。

 

  いいのよ、これで。

  これこそ皆の覇道の果てじゃない。

  そして、私で最後。

 

 戦の中を生きた者は、もう彼女と俺だけだから。

 そんな果てまで、彼女は付き合ってくれたから。

 俺が独りで泣いてしまわないようにと、薬で姿を偽らずに、そのままで。

 そんなことを考えたからだろう。

 口から、「……華琳は、薬を飲ギャー!」ついこぼれた言葉に、額がビシャームと叩かれた。

 ぐおお、こんな老体のどこにこれほどの力が……なんて、いつかを思い出すような口調で言ってみれば、彼女は……やっぱりただただやさしい笑顔のままに返した。

 

  あら。使ってほしいのかしら?

 

 これが、出会った頃の彼女だったら、ニタリと見下ろすような視線で見てきたのだろうに。

 ……ああ、そうか。

 これが、老いとともにただただやさしくなっていく、ってやつなのか、なんて……静かに染みこんでいくみたいに心が納得してしまった。

 ……使ってほしい。

 素直にそう思った。

 願わくば、みんなのようにあの頃の姿のままで眠ってほしいと。

 きっとこれは我が儘だ。

 今だからそう思う。

 みんなも自然のままに眠りたかったに決まっている。

 なのにわざわざ薬で若返ってから眠りについたのは……

 

  ……ずるいよな、みんな。

 

 きっと、俺がこの姿のままで生きているから。

 だから、別れるのならあの頃の姿のままでと。

 

  なによ。今頃気づいたの?

 

 ずるいよな、という問い掛けに、彼女は呆れた風情でそうこぼす。

 そう、ずるい。

 今際の際にそんなことをされたら、もう返せない。

 もう言葉も、行動も、なにも返してやれない。

 だからせめて、気づけた今は。気づけたこれからだけは。

 

  ええ、いいわよ。眠りにつく前に若返るくらい。

 

 なんでもないようにそう言う彼女は、本当に、どれだけ歳を重ねても彼女だった。

 ───そんな笑顔まで、いつかは消える事実に、自分は……どれだけの覚悟を重ねれば笑顔を作れるのだろう。

 

「……じいちゃん……俺……わからないよ……」

 

 どれだけ頑張っても、強くなっても、わかりもしない答えを……誰かに教えて欲しかった。

 

 

 

204/あの日のような黒の下で

 

 ───……よく晴れた日だった。

 朝から雲ひとつ無い日。

 今日一日をともに過ごしなさいと言った彼女はいつの間にか若く、あの頃の姿のままで、俺の部屋をノックした。

 

「なによ」

「………」

「な、なに、よぷっ!?」

「……、……っ……ふ、ぐぅぅ、ううう~……っ……!!」

「なっ……!? …………はぁ。一刀、あなた涙もろくなりすぎていない?」

「だって、だって華琳が、華琳がぁあ~……!!」

 

 目の前に、ちっこい華琳。

 言ったら刺されるだろうから言わないけど、ちっこい華琳。

 あの頃の華琳だ。

 嬉しくて抱き締めた。

 静かに、決して壊さぬよう、やさしく。

 

「はぁ、まったく。ほら、いいから行くわよ。ああ、服はいつものアレにしなさい。フランチェスカといったわね」

「……発音とか、もう完璧だな……」

「知らない知識を頭に入れることは楽しいことよ。興味が向いているものに限るけれど」

 

 言われるままに着替えてから部屋を出て、歩き出した。

 促されるままに歩く日々が来るたび、視界が滲むのは何度目だろう。

 何度も何度も繰り返される出来事が、その度に自分の中のなにかを削っていった。

 ───最初は誰だっただろう。

 ノックされて、開いてるぞ~なんて暢気な声を返してみても誰も入ってこなくて。不思議に思って扉を開けたら、若返った彼女が居て。

 戸惑いながらも話を聞けば、この姿ででぇとがしたいなんて言い出して。

 それで……………………それで。涙をぼろぼろ流して、動かなくなった彼女へすがる俺だけが残されて。

 

「それで華琳? 行くって何処へ?」

「一刀。片春屠を出しなさい」

「へ? 遠出か? そりゃいいけど、それこそ何処へ?」

「魏よ。一日と掛からず全速力で飛ばしなさい」

「相変わらず無茶言うねお前!」

「あら。あなたこそ、随分と乱暴に物事を言うようになったじゃない」

「……こんだけ一緒に居れば、遠慮なんて無駄だって嫌でも悟るよ……」

「……ええ、良い心掛けね」

 

 歩いて、片春屠くんが置かれている倉まで行き、そこからは大急ぎ。

 呆れるほどに改良が加えられたこの絡繰も、弱い氣で随分と素早く動くようになった。

 ……眠りにつくまでとことん絡繰に熱心だった彼女も、こうして眠った後も使ってもらえているのなら本望……なのだろうか。

 いつまでも使ってほしいな、なんて言葉を最後にされては、どれだけ大事にしたくたって使わないわけにはいかない。

 本当に、みんなずるい。

 

「それでー!? まずは魏の何処に行くんだー!?」

「許昌へ行きなさい! ともかく速く!」

「許昌!? 精々で国境近くとかじゃなくて!? 一日掛からずって……ほんと無茶言うなぁもう!」

「その無茶を通したからこそ今があるのよ! いいから進みなさい!」

「だー! わかったから髪の毛引っ張るなぁっ! 子供かお前は!」

「……いいのよっ。過去に出来なかったことを、今やっているだけなのだから」

「へー!? 風強くて聞こえなかった! 今なんて言ったー!?」

「さっさと進みなさいと言ったのよー!」

 

 速度を出しすぎて、叫ばなければ声が届かない状況でも、何があったのか彼女はとても元気だった。

 そんな速度で行けば国境もあっさりと見えて、敬礼されつつ魏の領土に入れば、また大急ぎで許昌を目指す。

 途中途中で様々な町に寄って、もはや知っている顔の方が少なくなってきた蒼の下に、どうしてか……こんなにも平和な世界へと辿り着いたというのに、虚しさが胸をついた。

 みんな、俺が御遣いであることは知っていた。

 華琳を見た時は、教科書の人相描きと瓜二つだっていうんで様々な人が驚いた。

 自分が曹孟徳である、なんて言えば笑われるだろうと思ったのか、華琳は……───それでも胸を張って「我が世の覇王、曹孟徳である!」なんてノリノリで胸を張り、腕まで組んで言ってみせた。

 子供達、爆笑。

 少年少女は「すげー! すごーい!」なんて驚いて、大人は「あらあら」なんて微笑んで……老人は深々と頭を下げた。

 もちろん、無礼であるだなんて理由で人の首が飛ぶ時代なんて、とうに過ぎ……俺達がそうなるように働いたからこその、随分と静かな平和が、そこにはあった。

 無礼がすぎれば死刑もある。そこらへんはまだまだ上が束ねなければ、無法者が増えるだけだとの助言だ。

 けど、今の時代に華琳が、かつての姿でそんなことを言ったところで若い者は本人であるだなんて思わないのだ。

 言ってしまえば、今この瞬間では明らかに華琳が浮いてしまっているのだから。

 

「……寂しいって……そう思っちゃ、いけないんだよな」

「良い世の中じゃない。願って、その場へ辿り着けたのよ? 民は私たちの思い通りに動く駒ではないのよ。胸を張りなさい」

「いずれ自分たちの手で、世の中を動かしていけるまで、なんて……それ、ただ俺達が損してるだけじゃないかって思う時があるよ」

「あら。願いは叶ったのだから当然でしょう? なにもせずに任せるのは、世を束ねようと立ち上がり、束ねれば“任せた”と言って投げ捨てるのと同じよ。何かを成功させるのであれば、自分が持つもののなにから何までを犠牲にしていいのか、きちんと決めて動くべきだわ。私は覇王となって、自分の持てる限りで理想の天下に辿り着くことを心に刻んだわ。私だけの道ではなく、三国の王や将や民が手を取って辿り着く場所。そこがここならば、一体何を損と謳うべきなのかしら?」

「……相変わらず、理解が早いっていうか早すぎるっていうか。もっと我が儘を言ってもよかったんじゃないかって話をしたいんだよ、俺は」

「我が儘?」

「命懸けで戦って、世界を平和にしてさ。その後にやることが世界平和の維持、って。命懸けで戦うだけじゃ足りなかったのかなって……今になって思うんだ」

 

 みんな必死だった。

 知恵を絞って状況を見極めて、兵の命だって一人や二人では済まないくらいの数を背負って、一度のミスが沢山の命を散らしてしまう状況の中を駆けてきた。

 そんな世界をようやく乗り越えてもまだ、人々が安定して暮らせるまでを見る必要があった。

 わかってはいるんだ。

 民が維持してくれたもののお陰で戦ってこれたことくらい。

 それに報いるためにも頑張って、それこそ死闘を超えて辿り着いてもまだ……どれだけ平和になってもまだ、いつまでも王でいなければいけなかった事実が、少しだけ悲しかった。

 いつまでも王で居る必要なんてないんじゃないか?

 どれだけそう言ったって、彼女は結局王で。

 我が儘らしい振る舞いはそりゃあしてきたけど、結局はそれが“国のため”に繋がっていた。

 結果で誰かが幸せになれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 そう思ったことだってもちろんある。何度も思ったことだ。

 でも……じゃあ、華琳だけのためのものって、いったい何があったのだろう。

 そう訊ねてみると、彼女は驚いた表情で俺を見て……そのまま何故かポムと赤くなって、俺の足をドゲシと蹴った。

 

「なっ、なんで蹴っ……!?」

「何度言えばわかって、何処まで近い言葉を言えば理解出来る鈍感なのよあなたは! 失敗があっても不都合があってもあなたを放さなかった理由を考えればわかりそうなものでしょう!?」

「へっ!? あ───え、えぁぁああーっ!?」

 

 けど、まあ。

 我が儘っていうのは、人に知られずに実行されていることの方が、言葉通りの意味に近いのかもしれない。

 数十年、手放すことなどしなかった御遣いが居ることが、彼女なりの我が儘だったというのなら……なるほど、出会いから加入、それからの日々を思えば、確かにそれは彼女の我が儘だったのだろう。



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150:IF3/過去形にはしない想い④

「……そういえばさー! 城にあまり人が居なかった気がするんだけどさー!」

「仕事を頼んだのよ! 少し遠出をしてもらったわ!」

「遠出ー!?」

 

 町を巡り、時に買い食いをし、街の責任者と挨拶を交わして、時に挑まれては勝ってみせて。笑いながらの旅は続いた。

 華琳が仕合ってあげると言った時は、挑んだ青年はぽかんとしていたが……ええまあ、何処から出したのかわからない絶にまず驚愕。次いで、華琳の実力にも驚愕。

 お名前をとすがる青年に、華琳は無邪気な笑みをこぼしてこう言った。

 “誰でもいいわ。ただの、この男の妻よ”、なんて。

 当然、俺が誰なのかを知っている青年は驚いて、それよりも俺が驚いて、しかし嬉しかったのでそのままの勢いでがばしーと抱き締めたら、サクリと絶で刺されて絶叫。

 相変わらずの反応だった。

 

「いや……でもさぁ、なにも刺さなくても……。あんな顔で、華琳があんなこと言うなんて……嬉しかったのに」

「だとしても時と場所を弁えなさいっ!」

「弁えたら抱き締めていいのか!?」

「……あなた、本当に度胸だけは無駄についたわね」

「実力だってついたよ。胸張れるほどかは別として」

「まあそうね。いつまで子供や兵たちに鍛錬をさせるのかと呆れたものだけれど。確かにお陰で、ここに攻め込む愚か者は居ないわね」

「まあ……誰が好き好んで、兵士までもが氣を使って戦う国と戦うかって話だよな」

「問題点があるとすれば、殺し合いをしたことがないところでしょうね」

「実戦を想定した鍛錬なら随分やらせたんだけどなー……殺し合いはさすがにさせるわけにはいかないし」

「……それで? そこまで鍛えた理由はきちんとあるんでしょうね」

 

 じとりと睨まれて、笑った。

 言ってしまってもいいだろうかと思うも、心配なんてないままに眠ってくれたほうがいいとも思うのだ。

 

「鍛えた理由かぁ。この世界を肯定し続けたかったから、かなぁ」

「肯定?」

「そう。たとえばこんな平和な世界なんて要らない~なんて言って攻めて来る人が居たとしてさ? そういう人達からこんな平和を守っていけたら、それって肯定にならないか?」

「……本当に、あなたってよくわからないことを行動理由にすることがあるわね。それだけが理由なの?」

「そ」

「呆れた。もし民が徒党を組んで謀反したらとか思わなかったの?」

「したらしたで、それでいいんじゃないか? 今の平和を否定するなら、俺も全力で肯定するだけだよ。話し合おうともせずに、教えてもらった武力で立ち向かうなら、同じ武力で叩き潰すだけだ」

「話し合いしか出来なかったあなたが、強く出るわね」

「……力を振るう恐怖は、もう散々覚えたよ。初めて蜀に行って自己紹介した時に、特に。だからこそ振るおうって思える。守りたいものを守るために身につけた力だもん、そこで使わなきゃ嘘だ」

 

 あの日から今まで、自問自答をした回数なんて数え切れない。

 どれだけ綺麗ごとを並べようと、振るうのは力で、貫くのは自分の意思だ。

 それが、相手の希望を挫いてまで目指したいものかどうかを何度も何度も考えた。

 相手を尊重することを考えれば大人しく否定されるべきか? それはつまり、この世界を諦めることか? それとも、そもそも相手の否定が外史の連鎖の否定であって、この世界単体の否定ではないのなら……そう考えることもあった。

 けど、“肯定の可能性”のひとつとしてこの世界があるのなら、譲ってはいけないことの一つなのだろうと信じて、ここまで来た。

 ……答えのない未来ほど不安に思うことはない。

 それで合っているのかと、何度だって不安に思った。それは、それこそ今も。

 その度に、“そんな日々は当然だ”と言い聞かせて歩いてきた。

 天狗になって調子に乗って、鼻を折られた日から今までも、日々はずぅっと不安で満たされていたのだから。“今さらだ”と一度だって笑えてしまえば、不安に囚われ続けることなどないのだと。

 ……そうは言ってもやっぱり人間だから、不安は残るんだけどね。

 

「な、華琳。お前の願い、きちんと叶ったかな」

「あら。あなたは……私が己の願いを叶えもせず、この歳になるまで燻っていると思うのかしら?」

「そうだなぁ。たとえば現状に満足しちゃって、目指すまでもない~とか思っちゃったとか」

「……この国に住む全ての民の平穏と幸福。そんなものはとっくに叶っているわよ。叶った時点で他の願いも目指し、全て叶えた。満足しているわよ」

「そっか」

「………」

「………」

 

 魏の国で見上げる蒼の下、ふと途切れた会話。

 それが嫌な空気に変わることもなく、ただ、ともに居られる時間を惜しむように歩いた。

 片春屠に乗れば、また叫ぶように目的地や状況についてを話し合って、次に着いたら降りてから話して。

 

「俺さ、今日……最初に華琳に何処に行くのかって訊いた時、“成都へ”って言われるんじゃないかって思った」

「成都へ? 何故そう思うのよ」

「今日の華琳みたいに若くなったみんながさ、初めて出会った場所に行きたいって言うんだ。そこでお別れをした。子供や、今まで付き合ってくれた仲間の傍じゃなくていいのかって言ったところで、別れは済ませたからって笑うんだ」

「それでどうして成都になるのよ。私があなたを拾った場所が成都だったとでも言う気?」

「わかってて訊くのは反則だろ……」

「覇王を泣かせた罰よ。甘んじて受けなさい」

 

 戦が終わった成都の、黒の下。

 流れる川の傍で消えたいつかを思い出す。

 似たような川が魏にも呉にもあったっけー、なんて思ったのもいい思い出だ。

 

「そういえば。再会は川の傍だったよな。あれってやっぱり、別れたところと似てたから───ベンケェ!?」

「うるさいっ! 余計なことはいいから次へ行くわよ!」

「いっちちちち……!! はぁ……ほんと、結局こんな関係は出会いから今まで、変わらなかったよなぁ」

「………」

「……あの。なに? その“なにを言っているのよこの馬鹿は”って顔」

「出会った頃から変わっていないのなら、あなたが三国に与える影響なんて些細なものだったと言いたいのよ。適当に拾っただけの、利用価値が曖昧な者に重要な仕事を任せる馬鹿が何処にいるの?」

「……いや、うん。ごめん、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど。そうだよなぁ、実際に変わってないなら、女好きの華琳が俺と───いたっ!? でっ! ちょっ! 痛いって! 泣き所はやめて! 弁慶が泣いちゃう!」

「あなたは……! いちいち人の恥ずかしいことを抉らないと気がすまないの!?」

「そんなつもりは微塵もなかったんですが!? ていうかそれだけは華琳に言われたくない気がする!」

 

 やりとりは変わらない。

 学を得て、少しは魏のために貢献出来るようになって、それこそ……警備隊の案でやることが安定した頃から。

 眠りにつかんとする秋蘭に随分とお礼を言われたっけ。

 華琳様を支え続けてくれてありがとう、かぁ。

 ほんと、最後の最後まで華琳様だった。秋蘭も、春蘭も。

 最後くらい、自分の我が儘を押し付けてくれたってよかったのに。

 

「………」

 

 それが俺の“守りたいもの”に繋がるかもとか考えたのか、終わりが近づくにつれ、みんなは俺に何かを残すことはしなかった。

 遺言らしい遺言もなく、ただ、ともに歩めてよかったと。

 本当に、言葉にしてみればなんでもないことだけを遺して、彼女たちは逝った。

 

「……なぁ。都にみんなが居なかったのってさ」

「ええそうね。許昌に呼んであるわ。流石に全員とまではいかなかったけれど。最後くらい、我が儘を言ってみようと思ったのよ」

「………」

「自分の最後くらいはわかるわよ。戦から離れて数十年と経てど、この身は武人のそれだもの。己の死くらい感じられるわ」

「最初から、そういう話だったもんな。最後の時くらい、若返ってもいい、って」

 

 少女のままの彼女が笑う。

 戦があった頃は滅多に見ることの出来なかった、それこそ少女のままの笑顔。

 ふと、抱き締めて逃げ出したくなってしまうのはどうしてだろう。

 目的地に行かなければ、まだずっと、こんな夢が続いてくれるんじゃ……なんて、そんなことを考えてしまう。

 みんな同じだったんだ。

 みんなが望むからと行きたい場所へ連れていき、その度に終わりを迎えて涙した。

 今この時も、それが待っているとわかっているからこそ、心から行きたくないと───

 

「……俺。もう何度もお別れをしたよ」

「そうね」

「いつかはくることだってわかってた。当たり前のことなのに、辛くてさ」

「……ええ」

「最初は強くあろうって、笑顔で見送るんだ。でもさ、何度もやってるとそんな我慢もきかなくなってさ」

「……そうね」

「あとになって悔やんだよ。後悔って、ほんと文字通りの言葉だ。……別れの時に無理に笑ったって、相手に不安が残るだけだ。むしろ……どうして俺は、心のままに別れを悲しんでやらなかったんだって……」

「………」

「………」

 

 思い出して、少しツンときた鼻をすすって、歩く。

 再び片春屠に乗って、次の町へ。次の町へ。次の町へ。

 それこそ、民に別れを告げるように、華琳は笑顔で訪れる町を歩いた。

 誰もそれが覇王であると気づかぬまま。

 気づいた者だけが何処か懐かしい日を思い出すように笑みを浮かべ、体を曲げて頭を下げた。

 もう、町の人も知っている。

 若返った人が町を訪れるのはこれが最初じゃないから、知っている。

 この来訪が何を意味するのか。

 この来訪ののちに、なにがあるのか。

 だからこそ頭を下げ、小さく笑みを浮かべるも何も言わずに擦れ違う華琳に言った。

 

  平和を、ありがとうございました

 

 途端、華琳の足が止まりかける。

 余裕を持った表情は一瞬にして砕けかけて、それでも彼女は歩いて……

 

  こちらこそ、感謝を

 

 そう残し、互いに擦れ違った。

 ……王だけが居て勝てる戦いなんて、きっとない。

 民が生きる糧を用意して、その民を守る者が居て、戦う者が居たからこそ手に入れられたものがある。

 だからこそ、感謝を。

 生きてくれてありがとう。

 平和をありがとう。

 生き続け、迎える終わりを前に感謝されることほど、満たされることなどきっとない。

 自分の人生は感謝されるほどに立派であったと胸を張れる。

 ……凪が眠りにつく際、数え切れないほどのありがとうを伝えた。

 その時に、彼女は笑顔でそう言った。

 満たされたまま逝ける自分は幸せですと。

 

「…………俺は」

 

 そして、また見送るのだ。

 満たされた人を。

 残される自分が、何度も何度も。

 自分が消える際、自分は満たされているのだろうか。悲しんでくれる人は居るのだろうか。

 ともに居たいと願った人が次々と眠りにつく中、俺の願いがいったい何回叶っただろう。

 そんなことを懲りもせず考えて………………俺はまた、泣くのだろう。

 



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150:IF3/過去形にはしない想い⑤

 黒の空の下に居る。

 いつかの夜のように、眼下には騒ぐ人々。

 城壁から見下ろす景色は賑やかで、今も宴会騒ぎのようなもので溢れている。

 娘も孫も曾孫も騒ぐそんな景色はひどく平和だ。

 これから別れが待っているだなんて、あの頃の華琳も思ってもいなかっただろう。

 

「……“こんなところにいたのか”」

「“ん? ……ああ、一刀。どうしたのよ、三国連合の立役者が”」

 

 宴を抜け、城壁の上で空を見上げて居た少女に声をかける。

 まさかこう返されるとは、と思いながらも二人、ふっと笑って並んで立った。

 ……見下ろせばあの頃の景色が見えてくるような喧噪。

 魏呉蜀、どこの存在であろうと関係なく、集ったことで騒ぐ大宴会の真っ最中だ。

 ただし、華琳の提案で酒は無し。

 ……何処まで見越してらっしゃるんだろうなぁ、この覇王さまは。

 

「まったく。柄があんな歳になっても酒が嫌いなままとは思わなかったよ。冗談で用意するかって訊いてみたら、抱き付いてきて……それだけはやめてくれって言ってくるんだぞ?」

「ふふっ……飲んだのは生涯でたた一度、祭が眠る時だけ、だったわね」

「まあ、これからはわからないけどな」

「華煉も、結局誰ともくっつかなかったわね。あなたも妙な意地を張っていないで、抱いてあげればよかったのに」

「近親相姦の趣味はありません」

「娘を泣かせる趣味も無かったでしょうに」

「いや、こっちもどうしてあそこまで好かれてるのかわからないくらいだぞ? むしろそんな子が一人だけじゃないっていうのが正直辛い」

 

 華煉(曹丕)や、虎瑠(こる)(呂姫)はその筆頭と言える。

 吹風(すいか)(楽綝)は好きというよりは憧れ的なものだったからよかったんだが……華煉と虎瑠がなぁ。

 苦笑を漏らす俺に、華琳も苦笑で応え……ため息をひとつ、ここから見える景色を眺めた。

 見下ろせば大宴会。

 いつかの、大陸全土を巻き込んだ宴会を思い出す。

 腕の見せどころだとばかりに腕を鳴らした娘や孫たちの手で作られた未来の料理は、もはや炒飯から魚が飛び出るような失敗もなく……どうしてかなぁ、そんなことさえ懐かしく思えるのは。

 

「……そろそろ、か?」

「そうね。むしろ今日はずうっと、足がふらついているわよ。今まで平気な顔をしてみせた自分を褒めてもらいたいところだわ」

「ん。いい子いい子~♪」

「………」

「……華琳ってたまに頭撫でられると、動かなくなるよな。恥ずかしがってる?」

「長く生きていると、余裕というものが生まれるものよ。頭を撫でられるくらいがなによって、そんな感じにね。むしろ当然の報酬だと受け入れるべきね。そう思えば、若い頃なんて無駄に尖ってばかりで、恥ずかしいったらないわ」

「……華琳の口からそんな言葉が聞けるとはなぁ」

「なによ。尖ってなければ私じゃない、みたいな言い方じゃない」

「甘えてくれ~って言ったって聞きやしなかったじゃないか」

「当たり前でしょう? 十分に甘えているのだから」

「…………」

 

 言われたあと、少し乱暴に頭を撫でた。

 また蹴られるかなって思ったけど、そんな仕返しもなく。

 ただ、彼女が手を差し伸べてきたから手を取って……ゆっくりと歩いた。

 向かう場所はたったひとつ。

 ……別れは、月の下、小川の傍で。

 

……。

 

 いつかを思い出すような、静かな夜だった。

 宴会の声は遠く、小川の周辺は……あの頃のように虫の鳴き声しか聞こえない。

 

「……間諜は居なくても、五胡は居たよなぁ」

「なに? いつかの仕返し?」

 

 辿り着くや、あの日の会話を思い出して笑う。

 景色がそうさせるのか、あの日の言葉が頭に浮かんでは消えていく。

 こんなふうに、忘れてしまった兵らの笑顔も思い出せればよかったのに。

 

「あの頃の成都よりも、今の世は安全かな」

「そうね。随分とまあ好き勝手に、人の理想を形にしてくれたものだわ。私がやることが少なかったくらいよ」

「華琳は華琳で好き勝手してたじゃないか」

「やるべきことの大半をあなたがやっていたのだから、当然じゃない。今だから言うけれど、支柱になれとは言ったけれど支えすぎよ」

「そういうことは思った時点で言ってくれません!?」

 

 なんでもない話で笑い合って、もう足が震えて立っていられない彼女をやさしく、支えるように抱き締める。

 

「はぁ。立ちながら、あなたが見ていない状況で逝ってやろうとずうっと思っていたのに。死というのは、さすがに人を自由にはさせてくれないものね」

「こんな時まで武人であろうとするなったら……俺、この言葉、今まで見送ってきたほぼ全員に言ったんだぞ……?」

「支えられていたくないから言ってしまうのよ。……死にたくない、ずっとこうして寄り添って居たいと、そう思ってしまうのだから」

「…………そっか」

「……今、あなたが考えていることを、私もあの時思ったわ」

「そうだよな。逝かないでって……言ってくれたもんな」

「ええそうね。仕返しは必ずすると決めていたから、もちろん聞いてあげないわよ?」

「笑いながら言う言葉じゃないよな、それ……しかもこんな状況で」

「こんな状況だから許されるんじゃない。散々と歩いて、散々と願いを叶えた今だからこそ」

「………」

 

 ゆっくりと、草の上に腰を下ろし、掻いた胡坐に華琳を座らせる。

 後ろから抱き締めるようにして座らせた彼女の頭をやさしく撫でて、ただ、いつかを……何度も、何度も思い出す。

 

「なぁ、華琳。俺は……恩を返せたかな。華琳が言ってくれた、“この場に居ないことを死ぬほど悔しがるような国”を……支えてこられたかな」

「十分よ。皆は満足して逝ったのでしょう? 何を疑問に思おうと、その笑みを信じなさい」

「……うん」

 

 見上げた月はまんまる。

 いつかのように綺麗な満月と、雲も見当たらない黒の下、ただ静かに流れる時を過ごした。

 別れは必ずくる。

 そのことを、誰かが死ぬ度に味わってきた。

 その度に立ち上がろうと心を奮い立たせ、その数日後に別の誰かを見送り、涙した。

 楽しい思い出を思い出しては立とうとして、その悲しみが楽しさを埋め尽くしてしまった時、心の奥底の、なにか大事なものが軋む音を聞いた気がした。

 こんな日々を続けてもまだ、自分は肯定し続けられるのか。

 こんな日々を続けたからこそ、最果てで待つ彼は否定しようと思ったんじゃないか。

 そんな疑問に辿り着いても、そうなんじゃないかって思ってしまう時があっても…………笑顔で逝けた彼女たちが、まだいくらでも思い出せる今なら。

 

「ねぇ一刀。この場合、未来はどうなるのかしら」

「未来って?」

「あなたの世界と繋がるか、と訊いているのよ」

「……元々、俺の居た世界での“曹操”は華琳じゃなかった。曹操は大陸統一を成し遂げられなかったけど、華琳は成し遂げた……そんな歴史があっても、根本が違うなら、天の歴史には届かないよ。元からね」

「……そう。どれだけ願っても、それだけは叶うことはないのね」

「………」

「欲しいものを求めて、歩むべき道を歩んだ。その歩んだ道も、望んだ道に辿り着けないのであれば、意味が無いものだと……あなたは思う?」

「そんなことはないだろ。辿り着けないなら手を貸すよ。一人じゃ駄目ならみんなでだ」

「なに? 自分なら歴史さえ変えられるとでも言うつもり?」

「生憎と、覇王様が拾った種馬様は、一度そんな経験がございます故」

「それで自分が消えていれば、世話がないけれどね」

「それは言わないでおこう!?」

 

 笑みが弾けた。

 人の鼓動が温かい。

 こんな命の輝きが、もう消えてしまうものだなんて信じたくない。

 なのに、信じないでいた願いの全てはもう何度も裏切られて……だからこそ、そんな願いなんてするだけ無駄だと知ってしまっているのだ。

 

「……───」

 

 すぅ、と華琳が長く長く息を吸った。

 途端に跳ね上がり、臆病になる鼓動をなんとか押さえて、震えそうになる声を絞り出して……笑う。

 怖い。怖い怖い怖い。

 置いていかないでくれと叫びそうになる心を押さえつける自分さえ、そうしようとしてしまう自分さえもが怖い。

 いっそ子供のように泣き叫べばいい。

 泣かなかった過去に後悔したというのに、最後の最後で意地を張るのか。

 

「一刀……?」

「あ、ああ……うん、なんだ?」

「私が死んだあとのことだけれど」

「なんだよ、遺言か? 大丈夫だぞ、どんな無茶だって受け取ってやる。これでもほら、祭さんに命じられて大都督になったこともあったし」

「ほぼ似たようなことを毎日やっているでしょう……」

「祭さんがそんな俺を見てみたいって言うから……あ、あぁえっと、まあいいや。で、なんだ?」

「………」

「……華琳?」

 

 他愛の無い会話が途切れて、まさかと覗きこむ表情が、とてもとてもやさしいものに変わっていた。

 そっと頬を撫でる手はやさしくて、嫌でもこの後に訪れるものを連想させて、みんながそうであったことを思い出させて……胸を締め付けた。

 ───……来るべき時は、どうしてもやってくるものだ。

 自然が自然として在るように、別れも、悲しみも。

 人生に“心の準備”が出来るものなどそうそう無いと、いつか祖父が教えてくれた。

 それはその通りだなって何度も思った。

 だって、覚悟していた事態そのものが来たのなら、全ては想定通りに終えられる筈なのだ。なのに世界はやさしくなくて、覚悟していたものとは違うことばかりを運んでくる。

 

「まったく。あなたはちっとも変わらないわね…………本当、嫌な男……」

「……俺も歳をとりたかった。みんなと……老いたかった」

「……ばか」

 

 どれほどの時を生き、どれほどの時間をともに過ごしてきたのか。

 もうそんなことさえ忘れてしまった頃。静かに、ゆっくりと。この大陸の覇王の最後の時が、近づいてきていた。

 

「……ふふ…………やっぱり、悲しい……?」

「当たり前だろ……何人見送ってきたと思ってるんだよ」

 

 ふと気がつけば二人きりだった。

 あの日から魏に尽くし、民を守り国を守り、新たに産まれる生命を歓迎しては、消えてゆく生命に涙した。

 時には病気で、時には寿命で……時には事故で。

 あんなにも輝いていた日々の名残は……俺と華琳の二人だけになっていた。

 

「……覚えているかしら……初めて会った時のこと」

「ああ、覚えてる。……華琳は奪われた本を探してたな」

「世は乱世、黄巾党征伐の真っ最中で……」

「俺は天の御遣い、なんて言われて秋蘭に引っ立てられてた」

「ええ……そうね。あなたともそれからの付き合い…………ふふっ、相当長いわね……こういうのを腐れ縁、というのかしら」

「そうだな……これだけ腐ってれば、もう離れられないだろ」

 

 思えば長い道のりを歩いてきた。

 華琳と出会って天の御遣いとして魏の旗をともに掲げて。

 乱世を渡って天下を取って。

 一年の別れを経験して、再会を喜んで…………そして…………たくさんの仲間との別れを経験した。

 全ての人に別離を告げ、全ての教えに感謝して、全ての死に涙した。

 

「本当に…………私より先に逝くなんて……不忠義な娘たち……」

 

 ……そんな俺の考えを表情から読み取ったのか、華琳がこぼす。

 俺はその言葉に苦笑いを返して言う。

 

「はは、単に華琳がしぶとすぎたんだろ。ていうかその言葉、冗談でもみんな泣くぞ?」

「……ええ、わかっているわよ。眠る瞬間まで、どこまでも忠義に溢れた娘たちだったわ」

「うん」

「けど、それも当然なのでしょうね。それくらい強くないと、きっと立っていられない男が居ただろうから……」

「………………うん」

 

 泣きそうになった。

 そう……もう、何人見送ってきただろう。

 蜀のみんなとも呉のみんなとも仲良くなって、都合を付けられればみんなで集まって、馬鹿みたいに騒いで。

 いつしか全員が真名を許し合って、“みんなが笑っていられる天下”を手に入れたことに心から喜んで、やっぱり俺の幸せはここにあった、って思えて…………

 

「…………」

 

 いつだっただろう、“本当に歳を取らない自分”に気がついたのは。

 李衣に“髪が伸びてきたから切ってー”と頼まれて、髪を切った。

 紫苑に“璃々が大きくなってきたから”と新しい服の意匠をお願いされた。

 子供が産まれ、すくすくと成長して、子供たちが走り回るのを眺めていた時に……どれだけ時が経っても、やっぱり歳を取らない自分に気づいた。確信した、とも観念した、とも言える瞬間だった。

 そんな過去を思い出して、皺だらけになっていた彼女の掌を思い出し、その手を握った。

 

「…………ね、一刀……」

「うん……?」

「……これまでありがとう、一刀……」

「どっ……! ~……どうしたんだよ、急に……」

「……あなたは本当に……魏に尽くしてくれた。願った通りに……私達のために……」

「当たり前だろ……俺は……俺の家族を守りたかったから───」

 

 いつの頃か、誓った思いを確かめるように胸をノックした。

 じいちゃんが言っていた。

 守れるほどに強くないなら守られているといい。

 けど、いつか守れるようになったのなら……全力で守ってやれ。それが恩を返すことだ、と。

 

「……やっぱり、みんなひどいよな。弱っていく姿を見せるくせに、守ってやろうとすると“お前の助けは借りん!”とか言うんだ。…………結局、誰にも恩を返せなかった」

「ふふっ……まだ本当にそう思っているのなら、あなたは本当に鈍感なのね……。そういうところまで……ちっとも変わってない……」

「……華琳? それってどういう……」

 

 可笑しそうに笑う。

 仕方のない人、と言うかのように。

 そんな笑みがしばらく続くと、華琳は笑みのままに俺を見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「一刀……私達はね……あなたに、もうたくさんのものを貰ったの……。戦いに明け暮れていただけじゃあ絶対に手に入れられなかったものを、あなたはたくさん……本当にたくさん、私達にくれたのよ……」

「俺が……? 華琳たちに……? 本当にそうなのか……?」

「ええ……。それなのに……最後の最後に助けられたら…………逝くに逝けないじゃない……」

 

 笑顔でそう言って、華琳が弱々しく伸ばした手が……もう一度俺の頬を撫でてゆく。

 皺だらけのものではなく、あの頃の手で、けれどあの頃とは違い、ひどくやさしく、ゆっくりと慈しむように。

 

「華琳……」

「ありがとう、一刀……あなたのお陰で、本当に退屈のない生を送れたわ……」

「それはこっちの台詞だ……華琳やみんながここに居たから、ここに帰ってきたいって思えたんだ……守りたいって思ったんだよ……」

 

 そんな手を、肩から抱き締めるようにして両手で掴んで、頬に当てたままに言葉を返した。

 ……そんな手から、少しずつ力が抜けていくのを……泣き叫びそうになるくらいの悲しみと不安を噛み締めることで、受け入れながら。

 

「……ね、一刀……」

「ああ……なんだ? してほしいことがあるなら言ってくれ。こう見えても帝王様ってくらいに信頼はあるつもりだぞ? 多少の無茶は…………あぁうん、華煉のやつにどやされそうだな」

「ふふっ……ふふふふっ……」

「わ、笑うなよ……最近あいつ手厳しいんだ、やれ父様はどーのこーのって。まったく誰に似たんだか」

「間違いなく秋蘭と凪でしょうね……。生真面目さばかり受け取ってしまったし、あなたがちっとも想いに応えようとしないから」

「……でも、いい子に育ってくれた。華煉の子供は見れなかったけど、他の方面で孫も見れたし……魏の後継は“夏侯”に任せたし……他国は言うまでもない。とりあえずは安泰だよな」

 

 華煉は結局、誰かを夫として迎えることはなかった。ファザコン、ここに極まれり、である。

 なもんだから後継のことはと話し合ったんだが……“自分たちだけ好きな人と一緒になったのに、娘には望まない相手と結ばせる気か”と激怒した華煉は、それはもう恐ろしかった。

 結局、古くから華琳に、魏に貢献してくれたという理由で春蘭や秋蘭の孫を、華煉の後継として決めた。今は丁度、その孫が頑張っている頃だ。

 そんないつかを思い出してもまだ笑えるのに、目には涙が溜まる一方だ。

 ……体っていうのは、つくづく本人の思い通りにはなってくれないらしい。

 

「ええ……だから、ね……一刀……」

「……うん……?」

 

 華琳の指が……むに、と……俺の頬を軽くつまんだ。

 まるで、こんな泣きたくなるような瞬間でさえも、なんでもない日常にしようとしてくれているかのように。

 

「もう……休んでいいの」

「え……?」

「あなたはもう十分に……本当に十分なくらいに魏に、三国に尽くしてくれた。だから……」

「……ま、待て……待て待て……待ってくれ。俺は……」

「わかっているわ……誓いがあったから尽くしてくれたんじゃない……あなたはあなたがそうしたいから、そうしてきた……」

「そうだよ……わかってるなら、なんで───」

「それでもね……もういいの……休んで頂戴……。あの日から今日まで、あなたはずっと走り続けてきた……。もういい加減……足を休ませてあげて……」

「…………」

 

 手を伸ばす。

 いつかのように、華琳の頬へ。

 でも…………

 

「……いやだ」

「……一刀……?」

「いやだよ、俺……。もっと……もっと魏を、この大陸を……。まだできることがあるよきっと……だからさ……華琳……」

 

 ……抓めない。

 抓んで、引っ張ることが出来ない。

 震える手で頬を撫で、湧き出る嗚咽に震える喉で、声を振り絞ることしか出来なかった。

 

「……しっかりしなさい、北郷一刀」

「………」

「あなたは……この世界で学んだのでしょう……? 覚悟を、生き方を、信念を……。教えたでしょう……? 現状維持は大切……。でも、進む気がないのなら……それは普通ですらないと……」

「でも……でも華琳……! でも……!」

「お願い……。あなたはもう十分に頑張ったの……これ以上走り続けたら……あなたはきっと立てなくなる。そうなったらもう、支えてくれる仲間が居ないのよ……?」

「っ……」

「あなたはやさしい人……でも、同時に心が弱すぎた。全ての逝く人に涙を流すあなただから、私が逝ってしまったらどうなるか……いつも怖かった」

「華琳……」

 

 頬を抓っていた指がふっと緩み、頬を撫でる。

 ……その手には、もう力と呼べるものなんて残ってなくて……

 

「……一刀。魏も、呉も、蜀も……都も。もうあなた無しでも栄えていける……。あなたがそう育んできたから、もう立派に生きていけるの……」

「でも華琳、俺は───!」

「……天が御遣い、北郷一刀……」

「……! 華琳……?」

「我……魏の王が命ずる……。永きに渡る魏への忠義を忘れ…………ただの一刀として───休んで、頂戴……。私も……覇王ではなくなるから…………ずっと一緒って……言ったでしょう……?」

「っ───」

 

 ……力が……消えていく。

 

「そっ……そうだ……そうだよ……! ずっと一緒だ! 約束した! 帰ってきたじゃないか! ずっと一緒って───! だから───だから俺っ……!」

 

 消えていく……力強さが、気高さが、温もりが…………優しさが。

 

「一度は破っちまったけど、こうして傍に居たじゃないか! 今度はお前が破るのか!? 王は一度言った言葉を覆さないんじゃなかったのかよ!」

 

 繋ぎ止めたくて力強く握る。

 けどそんな力でさえその手が壊れてしまいそうで……行き場のない悲しさが激しい嗚咽となって喉から溢れる。

 笑って見送るなんて無理だ。我慢なんて出来るわけがない。言葉が乱暴になったって構わない、そんなことを考える余裕がないくらい、震える心で叫んだ。

 

「いやだ……華琳……! っ……置いていかないでくれ……! お前が居たから……お前と一緒だったから、俺は……! みんなに守られてたから笑っていられたんだ……! やっとわかったんだ……! 守られるってことの意味が……守るってことの意味が……! それなのに……───」

 

 まるで子供のようだった。

 今まで育んできた国の下に居るというのに、まるで荒野に一人投げ捨てられた子供のように、情けなく涙を流した。

 いや……無様でもいい、情けなくてもいい……今心を支配するこの悲しみは、曲げようの無い事実なのだから。

 でも……そんな俺の頬を、震える手が……最後に、小さく抓ってくれて───

 

「…………また……会えて…………ふふっ…………うれしかったわ、かずと───……」

 

 ゆっくりと……

 

「さよなら……天の御遣い……」

「華琳……」

 

 ゆっくりと……

 

「さよなら……涙もろい男の子……」

「華琳…………」

 

 一本一本、力が抜けていき……

 

「さよなら………………愛しているわ、一刀───」

「華琳…………?」

 

 やがて…………その手が、俺の手から…………

 

「ふふっ……わたしは───過去形になんて……して、あげない、ん…………、───」

「かっ……───」

 

 力無く、落ちた。

 

「か……華琳……? 華琳……!」

 

 涙に滲んだ視界で見た、愛しき者の顔。

 その目は閉ざされていて……その顔は、全てをやり終えたかのように穏やかに笑み……

 

「……っ……く、ぐ……っ……───!!」

 

 喉まで出掛かった絶叫。

 それを、歯を食い縛ることで無理矢理殺し、涙を拭った。

 

「まだだ……」

 

 力無く垂れた華琳の手を戻し、胸の上に整えてやり……横抱きにして立ち上がる。

 

「まだだ……!」

 

 叫び出したかった。

 いっそ気が狂ってしまえば、このどうしようもない悲しみから解放されるのだろうか。そんなことすら考えた。

 けど、そんなことをするわけにはいかなかった。

 

「返さなきゃ……!」

 

 出来ることがあるはずだ、と。

 天を仰ぎ、嗚咽の所為で荒れる呼吸を無理矢理直し、そうしてから踵を返して……いざ、最果てへ。

 

「みんな居なくなった……! みんな失った……! 仲間も部下も、楽しい日々も愛しい人も───!!」

 

 でも、だけど、まだ呉が、蜀が───魏が残っている。

 あの日から始まり、ここまで至り、王が死んだ今もまだ、旗だけは───!

 

「魏に尽くすって誓ったんだ……! 肯定するって決めたんだ……! 守れないなら、守れる時になったら全力で守るって……! みんな居なくなってしまった……なら……っ……俺がっ……!」

 

 人としての在り方を教わった。

 戦乱の世というものの怖さを教わった。

 生きることの素晴らしさ、死ぬことの悲しさを教わった。

 喜びを知った。悲しみを知った。

 進みゆく目標を……立ち上がる理由を。

 立ち向かう勇気を、振り翳す希望を、力を振るう、その意味を───!!

 教えてもらった全てを以って、今こそその恩を、この国に……みんなが愛したこの大陸に返すんだ……!!

 

「だから───、う、ぁ───あ……、え……?」

 

 そんな思いを胸に……華琳を抱いたまま歩こうとした瞬間───軽い、眩暈。

 

「な、……んで……」

 

 次いで、強い立ち眩みと、立っていられないほどの虚脱感。

 

「……、……」

 

 気を失いそうになるのを繋ぎ止める。

 華琳を腕から落としてしまわないように、屈みながら。

 ……そんな中で、俺はただただ愕然としていた。

 

  この感覚を知っている。

 

 自分の中が空っぽになるような感覚。

 そしてそれを、こんなにも強烈に味わうのは……二度目だった。

 

「消え……る……? そんな───」

 

 自分の手を見て、心臓が潰されたんじゃないかってくらいに絶望を覚える。

 その手は透明になりかけ、そこから地面が鮮明に見えていた。

 

「華琳の物語が……終わったから……か……?」

 

 震える声で呟きながら、もはや目覚めることのない愛しい人を見下ろす。

 ……途端に、自分の口から出た“終わり”という言葉に泣きたくなった。

 まだだ……まだだ、違う、終わりじゃない、と。

 だから、華琳の肩を抱いている手に力を込めて、前を向く。

 そう、まだ残っている。

 やらなきゃいけないことが、ひとつだけ。

 決着をつけなきゃいけない。

 外史ってものの連鎖に。

 そして……肯定と、否定に縛られた男の、長い長い旅に。

 

「……華琳。最後の最後まで見送ってやれなくてごめん。他の誰かに弔ってもらわなきゃいけないことを、どうか許してほしい」

 

 歩いて歩いて、二人で来た道を一人歩いて、宴の賑やかさの中に戻っていく。

 そこで俺を見つけてくれた娘に彼女の死を告げて……涙は見せたけど、「既に別れは済ませてありましたから」と言われ、華琳っていう人間に、やっぱりちょっと呆れた。

 どれだけ先を見越せば気が済むんだか、本当に。

 

「───」

 

 そんなふうにして、彼女を彼女の娘である華煉に任せた瞬間。

 どくん、と。

 心の奥で、何かが躍動した。

 まるで、自分の中にある存在理由が、敵としての何かを感じ取ったような、そんな……異様な躍動。

 途端、慌てて駆けてきた、この賑やかさには似合わない表情の兵に、状況を理解した。

 

「も、申し上げます! 許昌前方に突如謎の軍勢が出現しました!!」

「謎の……? どういうことか!」

「そ、それが私にもよくわからず……! ただ、妙な服を着た男が“北郷一刀を出しなさい”とだけ……!」

 

 華煉が声を荒げるも、兵にしてみれば急に現れた存在、としか映らなかったんだろう。

 このタイミングでの突然の事態なんて、予想がつけられるものなどひとつだけ。

 だから───

 

「その軍勢は、武器は持っていたか?」

「は、はい! 出て来なければ突撃させる、と……」

「……そっか」

 

 一度頷いて、華煉に向き直って自分の胸をノックする。

 華煉の腕の中で眠る華琳の頬を最後に撫でて、真っ直ぐに華煉の目を見て、伝える。

 

「華煉。今まで準備してきたことがようやく試される時が来た。全員に伝えろ。外に居る軍勢は敵で、俺を殺しにきたヤツだって」

「父さまを殺しに!?」

「将も兵も全員集めてすぐに戦の準備をしろ! これから始まるのは演習じゃなくて本当の戦だってことも伝えるのを忘れるな! ───武器は持ってきているな?」

「は、はい。どういう訳か母さまが持ってくるようにと。最初は模造武器のことかと思ったのですが」

「よし、だったらいい。ほんと、呆れるくらいに見通してくれたことに感謝だ。……まず俺が前に出るけど、軍勢が居るってことは相手も容赦無しに突撃してくると思う。長い目で見れば、誰かに片春屠か摩破人星で他所に増援要請をしてもらいながら、篭城戦で持ち堪えるのがいいだろうけど、相手は急に現れたりするらしいから、篭城は無意味かもしれない。相手が実力行使で来たら、遠慮せずに全力でぶつかれ」

「はいっ! 聞こえていたわね!? すぐに早馬か絡繰を用いて他国に伝令を飛ばしなさい!」

「は、はっ!」

 

 華煉が兵に命令して、自分も俺に一礼をしてから駆け、宴の中心で大音声にて大号令。

 娘達や孫達の目つき、それから長くこの国に仕えている兵の目が、一気に鋭いものへと変化した。

 

「これより立ち上がるあなた達に言葉を届けよう! 油断は敵である! 各々、全力を以って敵を粉砕するまで、一時も油断を持つことを禁ずる!!」

『応ッ!!』

「結構! ───つい先ほど、知らされていた通り母が眠りについたわ! その母の眠りを騒音にて妨げる者に、彼女達が作り上げてきた国の力がどれほどのものか、見せ付けてくれよう!」

『応ッ!!』

「平和を乱す者は敵である! 先人の教えに従い、先人に感謝し、今この地に立っている我らが、これからの大陸を守ろうではないか!」

『応ッッ!!』

「この戦を母に! そして導いてくれた先人にこそ捧げよう!! 無様を見せずに勝ってみせよ!!」

『応ォオオオオッ!!』

 

 鼓舞が終わるや、宴をしていた者の全てが一気に散る。

 その速度は全員が全員氣を行使しているためか速く、華煉が俺を見て頷くのを確認すると、俺も動き出した。

 ……わかりきっていることだが、篭城するつもりはないのかと訊いてみれば、「突然現れたのなら、それこそ何処に居ようと同じです」と。さらには「ならば守りの構えよりも、攻めの構えです」とも。

 やれやれだ。勝気なところは誰に似たんだか。

 

「……よし。じゃあ……華煉」

「はい?」

「会えるのもこれで最後かもしれない。だから───いい未来を築いてくれ。未来で、待ってる」

「最、後……、───まさかっ! 禅が言っていたことは、今この時の───!?」

 

 驚く華煉の頭を久しぶりに撫でて、擦れ違ってからは早かった。

 兵や将が乱れることなく流れるように外へと駆ける中、俺も、見下ろした拳を力強く握り締め、胸をノックし駆け出した。

 

「覚悟、完了───!」

 

 さあ始めよう。

 ずうっと続いた、否定を願った先輩の旅を終わらせる戦いを。

 そして───この歴史を肯定し続ける意志を、貫き通すための戦いを。



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151:IF3/突端と終端①

205/物語というもの

 

 許昌の町を出てその先へと進めば、すぐに白の軍勢が目に付く。

 満月とはいえ夜空の下でも目立つほどの白、白、白。呆れるほどの数だ。

 どうやって一瞬にして、なんてことは……きっと道術の類だと早目に納得してしまったほうがいいのだろう。

 そんな、視界を埋め尽くさんとする数を前に怯むことなく立ち、息を吸って、吐く。

 

「久しぶり、と言うべきか?」

 

 その拍子、現れたのは一人の男。

 額に妙な紋様のある───……フランチェスカの制服を着た男だった。

 

「既に知っているだろうが名乗らせてもらおう。左慈だ。この外史を否定する、貴様の敵だ。……ああ、服のことは気にするな。あの日の借りを返すため、あえてこの服装をしているだけだ」

「……そっか。ああ、あんたの存在は知ってる。あんたと戦うために、ずっと鍛えてきたんだから」

 

 広い広い平原を埋める白い法衣のようなものを纏った存在。

 それぞれが確かに武器を持っていて、しかし微動だにせず立っている。

 普通は揺れたりするだろうに、立っていることに少しの疲れも見せないように、まるで風景のようにそこに存在していた。

 

「後ろのやつらが気になるか? ……安心しろ、俺がやつらをけしかけることはない。于吉のヤツがどう出るかは知らんがな。貴様のお陰で随分と苦労したが───それも今日、ここで終わる」

「……確かめたいことがある」

「馴れ合いはしない。貴様が肯定に走る以上、俺の願いを否定するも同然だ。そして、俺は貴様の願いの全てを否定したい。散々と苦労させられたんだぞ、貴様の存在そのものを否定して、この外史という連鎖ごと消してくれる!」

「じゃあ俺はこの世界を肯定しないから、俺の否定と一緒にこの世界を肯定してくれ」

「ふざけているのか貴様っ!!」

 

 言い回しが気になったから試しに言ってみたら、怒られてしまった。

 俺の願いを否定するって言ってたのに。

 

「悪い。散々と振り回された結果、無駄に度胸だけはついてね。別れには未だに慣れないけど……戦うことへの覚悟は、もう嫌ってくらいにしたよ」

「……フン、ならばいい。この時までを待って、貴様が一瞬で死ぬようならばそれはそれで歯応えがない。あの瞬間、貴様が邪魔をしなければ、俺は───」

「それは俺じゃない俺だから、俺に言ったって仕方ないだろ。そういうの、逆恨みって言うんだぞ」

「うるさい黙れ分かっている!!」

 

 ……えーと。まいったぞ、こいつ結構からかい甲斐がありそうで困る。

 それこそ……あれだ。別の出会い方をしていたら、友達にでもなりたいって性格をしている。

 

「くっ……おい、北郷一刀。俺と貴様はこんなくだらないことを話すために、この場に立っているわけじゃないだろう」

「ああ、そうだな……。じゃあメシでも食いに行こう」

「何故そうなるっ!!」

 

 またしても、言ってみたら怒られた。

 ……正直な話をすれば、大切な人と別れたばかりなのに、戦いなんてものはしたくない。

 やらなきゃいけないことがすぐ目の前にあるのはわかっている。

 けど、別れにはいつまで経っても慣れてくれないんだ。

 どれだけの覚悟を決めたって、どれだけの時を生きたって、こぼれる涙を止める術を時間以外に知らないんだよ、俺は。

 笑ったって涙は出る。楽しくたって、どうしようもなくこぼれるものを知っている。

 だから……話でもして、意識を前に向けなきゃやっていけない。

 そんな弱さに気づいたのか、左慈が俺を見てフンと笑う。

 

「……弱いな、貴様は」

「自分が化物だなんて悟れるほど生きてないんだ。それは見逃してくれ、先輩」

「………」

「………」

 

 見つめ合い、互いに前に出た。

 突き出せば拳が当たる距離。

 そんな距離で、左慈は静かに構えを取る。

 

「聞かせろ。貴様はこの世界に、外史というものになにを願う」

「想像することの自由を」

「その想像の度に振り回されると知ってもか。願われる度、くだらん“こうだったらいい”に振り回されるんだぞ。似たような世界をほんのちょっと違うだけの世界として、幾度も幾度も……! 自分がこんな結末は嫌だと変えようとすれば、鋭い頭痛とともに己を消され、目覚めればまた一からやり直し……そんな世界を何度もだ!」

「……うん。正直、繰り返さなきゃわからないことだ。俺がどうこう言える問題じゃない」

「ああそうだ。だから言ってやっている。本来ならばすぐさまに殺してやりたいところだが、話をしてやっているんだぞ」

「左慈、お前ってさ。野菜星の王子だったり───」

「なんの話だっ!!」

「あ、じゃあステーキが好きな、どこぞのお嬢様のボディーガードの」

「だからなんの話だっ!!」

「……実は人造人間で、ロケットパンチが出来たりとか」

「……造られた存在という意味では変わらんが、ロケットパンチなんぞ撃ててたまるか!」

 

 ツッコミのごとく振るわれた蹴り。

 それをよく見て、氣を込めた手でパンと弾く。

 

「! ……ほう? 少しは出来るように鍛えてきたということか。そうでなくちゃ面白くない」

「必死に鍛えたからなぁ……っていうかな、攻撃するならするって言ってくれないと、後ろの皆様が怖いんだが」

「別に俺は何人で来ようが構わんぞ? ただし、間違ってくれるなよ北郷一刀。この戦いは俺と貴様とで決着をつけなければ繰り返すだけだ。それこそ、貴様は帰るべき外史との繋がりを失い、俺達のように剪定者として確立されることになる」

「こっちだって、そっちの白い軍勢が突撃してこなきゃ、他を突撃させる気もないよ。……わかってる。これは、俺とあんたの戦いだ。決着をつけるために鍛えてきたんだ、それを間違ったら意味が無い」

「………」

「………」

 

 再び構える。

 武器を持たない左慈は、構えからして蹴り技重視。

 こちらは腰に木刀、手と足には手甲と具足。

 けれど相手が戦う意思を完全に解放していないから、武器はまだ手に取らない。

 

「北郷一刀。この場で勝った者……俺と貴様のどちらかが銅鏡を手に、願いを叶えることになるだろう。俺は否定、貴様は肯定」

「ああ、そうだな」

「貴様は何を願う? 肯定は当然だ。だが、肯定にも望み方というものがあるだろう?」

「……そういうあんたは? 人に訊くなら、まずは自分からだろう」

「フン、口の減らん野郎だ……。俺は貴様という存在を消し、外史全てを否定することを願う。正史のみがそこにあればいい。願われるだけ繰り返す世界なぞに興味はない。飽きるほど知り尽くした世界の中で、尽くして悦べるほどマゾじゃない。笑顔だのなんだののために、何故俺達が苦痛を感じなければならない」

「……今、こうすることで苦痛を感じることはあるのか?」

「曹操は死んだんだろう? この世界の主が死んだ世界を他人がどうしようが、もはやそこに理は存在しない。だから今を選んだんだ。全力で貴様を殺せる今をな───!」

 

 構える左慈の手が、軽く構えられたソレからギリリと力強いソレへと変わる。

 そんな鋭い怒りを真っ直ぐにぶつけられても、俺は───

 

「じゃあ。俺は……そんな考えも肯定する世界を願うよ」

「なに……? 貴様、何を馬鹿なことを───」

「世界っていうのはさ、肯定も否定もあって、初めて完成するものだって思ってる。否定だけじゃ何も産み出せないし、肯定だけしてたって間違いには気づけない。……左慈、俺は今日まで誰にも言ってこなかったけどな。俺が願う肯定っていうのは、そういう肯定だ。“否定も肯定も合わせた世界を肯定する”。大体、この外史を生きてみて、自分の意思を通せたことの方が少ないんだ。そんな否定だらけの世界でも肯定したいって思える今を、最初っから否定するなんてもったいない」

「……ならば、貴様は」

「繰り返すことが嫌なら、繰り返さないことを肯定すればいい。否定癖なんてつけてないで、頷ける自分作りも始めようぜ、先輩さん」

 

 言って、軽く拳を振るった。

 左慈はそれを軽い動作でパンと弾いて、それから……俺の目を真っ直ぐに見て、笑った。

 

「それが貴様の願いか。そんなものが。そんな願いを叶えて、自分の外史さえも諦めるつもりか!」

「いや全然。むしろそれを願ってからじゃないと、本当の願いには届かないんだ。だから───あんたの願いも肯定するけど、負けてやる理由には全然、これっぽっちも繋がらない」

「なに……!? なにが言いたいんだ貴様!」

「なにが言いたい……ああ、えっと、うん。───肯定者北郷一刀! あんたをぶっ潰して自分の願いを叶える! 肯定することは当然のこととして胸に刻んだ! ここであんたを殴るのは、一人の北郷一刀として行き場の無い鬱憤を身勝手に晴らしたいだけだ! 文句あるか!!」

「なっ……!? ああいいだろうかかってこいこの見境無しの種馬野郎! 俺だって貴様が最初の北郷一刀とは関係ないことくらいわかっている! これだって立派な八つ当たりだということもわかっている! だがそれでもそれが決着に繋がる! ようやく解放されるんだ俺達は! だから……貴様を否定する! 文句はあるまい!」

「大有りだこの馬鹿! 逆恨みで存在ごと消されてたまるか!」

「こっちだって大有りだ! 苛々するんだよそのツラその格好! 人の希望をくだらん正義感で文字通り砕きやがって! カケラを追って来てみれば、貴様は守られながら女どもと幸せそうに……そんな世界を何度見せられたと思っている!」

「……ちょっと待て、もしかしてあんたの行動理由って妬みとか」

「そんなわけがあるか殺すぞ貴様!!」

 

 本気の殺気をぶつけられるほどに違ったらしい。

 でもなるほど、確かにそうだ。

 ようやく希望を手に入れたのに邪魔されて、希望を砕かれて、それでもカケラを集めて願おうと思ったら、そのカケラ的存在が幸せになる外史ばかりを繰り返し見せられたら……うわあ、最初の俺を、俺こそが殴ってやりたい。

 

「俺はただ、北郷一刀というファクターによって作られたこの世界を壊し、俺の願いを叶えたいだけだ!」

「俺も最初の北郷一刀はブン殴ってやりたいけど、一緒に俺まで否定されるのは冗談じゃない。だから、全力で抗う」

「当然だ。それとも何もせずに死んでくれるのか?」

「いや。ただ、負けた時は……友達にでもなろう」

「正気で言っているのか? 俺は、殺すと言っているんだぞ」

「外史は否定すりゃいいさ。負けたなら従うのが当然。この世界で学んだことだ、逆らう気はない」

「……ほう?」

 

 その時、初めて興味を持った目で見つめられた気がした。

 まあ、それも当然なのだろう。

 怨敵に抱くのは興味じゃなく、憎悪なのだから。

 

「けど、下した相手と手を取って明日を見たことも、この世界で学んだことだ。俺はそれを否定したくない」

「おい待て貴様。負けた上で、まだ肯定云々をほざく気か?」

「選択肢をひとつだけしか用意しないのはつまらないだろ」

「ならば貴様が俺に勝った時は、俺に友達になれとでもほざくつもりか?」

「いや殺す」

「鬼か貴様は!!」

 

 息を吸って、吐く。

 心を、戦場へと持ってゆく。

 華琳は死んだ。みんな、死んだ。

 もうかつての仲間は居ない。

 かつてともに戦場に立った兵も、とっくに家庭を持ち、自分の故郷へと帰った。

 戦を知るのは自分だけだ。

 けど、相手も一人だ。

 学んだことを全て活かせ。

 与えられたもの全てを用いて実力以上の世界へ到れ。

 そのための準備だった筈だろう? 北郷一刀。

 

「………」

 

 手甲、具足、衣服に付けられた幾つもの絡繰が音を慣らす。

 ひとつひとつに氣を装填しておけるものだ。

 当然、手甲にも具足にも、それ自身に氣を込めてある。

 氣脈の強化も十分だ。

 それだけやってもまだ、勝利に確信を持っているかと言われればNOだ。

 結局俺は、愛紗には勝てなかったから。

 それに、歳を重ねるごとに、彼女たちがいつまでも武器を振るってなどいられなくなったのが最大の理由だ。

 それは、主に俺が遠慮した。武器を振るうばかりでなく、女性として幸せになってほしかったからだ。

 そうして重ねた日々の結果が、華琳が言うように幸せの上で眠りにつけたというのなら……それは、彼女達を守れたこととして、誇ってもいいのだろうか。

 今となっては、もう誰も答えてくれない。

 

「フッ……いい具合に目が濁り始めているじゃないか。そのまま傾き、否定に染まってしまえばいい」

「傾いたら傾いたまま肯定するさ。あんたが年齢的にガンコなジジイなら、俺だってもうそんな歳だ」

「そうか。それは残念だ。ならば───」

「ああ、だから───」

 

 距離をさらに縮める。

 

「貴様の存在を───!」

「それでも、これまでの道も、あんたの今までの人生も───!」

 

 腕をどう振るおうがぶつかるような距離で睨み合って、やがて───

 

「否定する!」

「肯定する!」

 

 否定と肯定が、拳と足をぶつけ合った。

 



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151:IF3/突端と終端②

 氣が篭った手甲と足とがぶつかり、閃光のような火花を発する。

 それを合図に白装束の軍勢が動き出し、対抗するようにこちら側も一斉に動き出した。

 

「チッ! 于吉め、余計なことを!」

 

 左慈が舌打ちとともに叫び、同時に放つ蹴りを俺は左の手甲で逸らし、右の手甲で反撃する。

 左慈はそれを、身を回転させることで避けながら、逸らされた右足ではなく左足で蹴り上げ、着地するや屈みこみ、流れる動きで足払いへと移行。

 だがむしろ蹴られて構わんとばかりに、構えた状態から加速の直突き。水面蹴りにより、体ごと回転するその頬へと、カウンターを決めるように拳を振るった。

 けれど左慈は拳が頬に触れた瞬間に脱力。

 頬に氣を集束させて、クッションとして代用。俺の拳を軸に身を回転させて、殴られた衝撃を外側へと逃がして、回転のままに俺を蹴り、軽く距離を取りながら着地した。

 

「何を驚いている? 肉体は成長せず、氣を高めるか道術を鍛えるしかなかった俺達だ。こんなことくらい、出来て当然だろう?」

「ああそうだなっ! っせぃっ!」

「フン、馬鹿正直な突きだ。構えも視線も真っ直ぐすぎて、避けることさえ作業になる」

 

 地を蹴り接近し、右拳を真っ直ぐに突き出すも、左慈は僅かな動作だけで無駄なく避けてみせた。

 そんな彼を、

 

「そりゃ、避けさせるための行動だし」

「なにっ!?」

 

 肘を曲げて頭を掴み、引き寄せると同時に左手に込めた氣を、腹部に埋め込むように放つ。

 いや、放とうとしたが、その掴んだ頭でさえ軸にして、彼は身を回転させて左の掌底を避ける。

 ならどうするか? 引き寄せる動作を受け入れて、前回転で攻撃を避けた彼……その体を抱き締めるようにして、

 

「パイル!」

「おごぉっ!?」

 

 パイルドライバー。

 普通じゃ絶対に聞けないだろう悲鳴をあげて、しかし左慈はすぐに起き上がり、俺が顔面目掛けて振り下ろした下段突きを躱す。

 

「づぅうっ……! き、貴様ぁあ……! この状況でプロレス技だと……!?」

「状況や手段を選んで勝ちを拾えるほど、平和で余裕な鍛錬なんて……生憎、許されなかったんだよ」

 

 どんな方法だろうと相手の隙は穿て。じゃなければ、同じく成長する将らには一生勝てやしない。

 俺にそう教えてくれたのは冥琳だ。

 勝ちたいと本気で思うのなら、綺麗な勝利など最初から想定してはいけない。

 決められた型の武術で勝つ戦いなんてものは、意識するよりもよっぽど綺麗なものだ。

 美学を持ち込まない勝利というのはとてもドス黒いもので、それこそ戦う以前に毒殺してしまうことほど確実なものはないのだと。

 ただしそれは、相手から呆れるほどの怒りを買うものだとも。

 そりゃそうだ。

 

「ならば───こうだ!」

 

 勉強の続きだ。

 そうして、相手にとっての“自分が思いもつかない行動”で虚を突かれた場合、多くは相手に苛立ちを持たせる。

 そして無意識下で対抗意識というものを燃やす相手が多く、“ならば”と卑劣一歩手前の行動をしてくることも多い。

 “予想通り”に足下の石を蹴り弾き、俺へと飛ばしてきた彼───の眼前へと、飛んで来た石を手甲で弾きながらも一気に詰める。

 

「なっ!?」

 

 相手が驚きに身を硬直させる瞬間を逃す手は無い。

 地につけた右足から一気に螺旋の加速を開始して放たれた拳が、左慈の腹部へと突き刺さる。───が、その手応えがやけに軽い。

 直後に左慈は吹き飛び、しかし地面に手をついてひらりと体勢を立て直す。

 ……腹部に氣を込めて、自分から後方に跳躍してダメージを殺したのだ。

 

「……よくもまあ、あの一瞬でころころと次の手を」

「貴様こそ、随分と姑息に徹することに躊躇が無いな。貴様に武を教えた者は皆、そうであれと唱えたのか?」

「いいや? 正々堂々ぶつかって勝てって人ばっかりだったよ」

「ハッ。だったら貴様は随分と仲間との絆とやらを軽んじる北郷一刀なんだな。俺が今まで見てきた北郷一刀とは随分と違うらしい」

「貫く理想があるから、その過程でどう思われるかなんてことはとっくに切り捨てたよ。勝たなきゃ辿り着けないなら、勝たなきゃ───話にもなりゃしない!」

 

 踏み込んで正拳。

 だが左慈はその場から動かず、接近する俺の拳を逸らす動作とともに───どんな力が働いたのか、こちらの体が宙を舞った。

 まるで漫画とかで見る合気だ。

 回転しながら吹き飛ぶ自分を何処か他人事に感じつつ、その回転を利用しての蹴りを放つが、それすらも逸らされ、地面に激突させられる。

 すぐに跳躍からの踏みつけが容赦なく顔面目掛けて落とされる。その空中に居るという状況を逆に利用して、起き上がる体勢も半端なままに、地面についた手から腰にかけてを螺旋加速。

 逆に左慈の顔面に浴びせ蹴りをかましてやり、衝撃を逸らされて逃げられても構うかって勢いのままに、踵で捉えたまま地面に叩きつけた。

 

「ぐはっ!? きさ───ちぃっ!」

 

 すぐに起き上がって顔面目掛けて拳を振り下ろすけど、それより早く起き上がった左慈には当たらない。

 それどころか振り下ろそうとした動作さえ隙と断じて、すぐに蹴り込んでくる姿に呆れと感心の念さえ抱く。

 氣をクッションにしながら、後方へ跳躍することで腹へのソレの威力を殺し、着地と同時に息を吐く。

 戦ってみて気づくが、こいつ……本当に行動の一つ一つが綺麗で、巧い。

 ……長い間を鍛えたのだろう。

 先輩って呼びたくなる意識の大半はそこからくるものだ。

 けど、だからってなにもせずに否定を受け入れる覚悟なんて刻めやしない。

 絶対に勝つ。

 勝って、なにもかもを肯定して、自分が願う未来に、必ず───!

 

「おぉおおぁああっ!!」

「勢いづくのは勝手だがな……! 直撃を食らっていないからと調子に乗るな!」

 

 踏み込みからの、拳による加速突き。

 それを、苛立ち混じりに見守りながら、左慈は流れるような動作を見せた。

 

  “構えから、蹴り”。

 

 当然のようにしなければならない動作から、ソレは放たれた。

 が、振るわれた足が膝の先から見えなくなるほどの速度であったそれに、一瞬、取るべき行動を忘れた。

 直後、左腕に衝撃。

 その痛みで戻ってきた意識に、動けなかった自分に驚く。

 戦いながらあそこまで棒立ちになるなんて、いったいなにを考えているのか。

 そうは思うが、あまりにも綺麗だったのだ。

 それこそその攻撃を完成形にまで昇華させたと思わせるほど、動作から攻撃までの流れに目を奪われた。

 

「棒立ちのまま喰らうとはな。まさかもう疲れたとでも───」

 

 けど。

 そんなことを言って全てを投げ出すわけにはいかない。

 鍛錬したのはこちらも同じ。

 だったら、今、その成果を発揮しないでどうするんだ。

 相手の武術に感動している場合じゃない。

 そんな武さえ乗り越えなきゃ、望んだ未来には辿り着けないのだから。

 

「ッ───!」

 

 将と兵が白装束の軍勢とぶつかり、一気に周囲が騒がしくなったこの場で、決めた覚悟を胸に殴りつけ、蹴られたことでじくじくと痛む左腕は、癒しの氣で痛みを和らげる。

 それを、地面を蹴って距離を詰める過程で終わらせて、再び螺旋加速を実行。手甲も無しに振るったんじゃ、拳や筋を壊してしまう速度をそのままに拳を振りきる。

 左慈はそれを見切って必要最低限の距離を下がることで避けてみせるが、お生憎様、というやつだ。

 

  ヂパァン! という音が、喧噪の中で響いた。

 

 振り切った拳から放たれた、繋げたままの加速した氣を“鞭をしならせ音速を越えさせる方法”の応用で、さらに加速させて体内へ。

 その速度を保たせたままに足へと走らせた速度を、今度は具足で地面を蹴り弾くことで一気に接近、肉薄。

 

「な」

「おぉおおおりゃぁあああああっ!!」

 

 驚愕の声なんて最後まで聞いてやらない。

 再び振り切った拳が今度こそ左慈の腹へと勢いよく埋まり、

 

「がぁっはぁあっ!?」

 

 鈍い手応えとともに、彼は胃液をぶちまけながらも追撃を警戒して距離を取った。

 逃がすものかと足に氣を込めた矢先、その足にいつの間に放たれたのか、左慈の氣弾が直撃。たたらを踏んだ時点で追撃のタイミングは無くなっていた。

 

「ぐ、うぅぅっ……! よくも……貴様、っ……はぁっ……! 北郷、一刀ぉおお……!!」

 

 グイ、と口周りの胃液を袖で拭い、憎々しげに俺を睨む左慈。

 追撃が出来ないと判断するや、俺は俺で呼吸を整えることに努めていた。

 

「こんな雑魚の攻撃に、この俺が……! これは油断か……? ああ油断だろうな……! 忌々しい……こんな男の攻撃を受けて、反吐さえ吐く自分こそが忌々しい……!」

 

 素直な怒りをここまで真っ直ぐにぶつけられるのは、そう珍しいことじゃなかった。

 これも春蘭との付き合いのお陰だろうか。

 こんな、体の中を無理矢理冷たい刃で掻き回されるような殺気も、冷静に受け止められる。

 ただ、冷静になった時にも注意が必要だと教えてくれた人も居た。

 熱くなった存在は一点に意識が向きやすい。

 ただ、冷静になってもその状態を保たせようとする意識が走りすぎることがある。

 幾度も幾度も鍛えた者の場合、無意識に状況に対応出来るのが一番だと彼女……秋蘭は言った。

 意識しすぎるな。ただ、状況に順応して、経験したことのないものさえ今から学んで刻み込め。同じ攻撃は二度以上体に埋め込むことなどしないよう。

 

「容赦はしない───その首、蹴り落としてやろう!」

 

 構え、蹴り。

 再びの動作に心臓が跳ね上がる。

 また見えない蹴りが来る───そう頭が考えるより先に、俺の目は彼の膝より上を見ていた。

 膝から先が消える? だったら───膝の向きでその先を予測しろ。見えないものばかりに意識を持っていかれるな。

 

(そもそも、右足での攻撃なら、っ!! くぅう……っ! ~……正中線から左側にしか、来ないんだろうからな───!)

「!?」

 

 膝の位置から軌道を予測。氣を込めて構えた腕にズシンを重い衝撃が走るが、そんな驚愕もこちらにしてみればありがとうだ。

 左腕に走った衝撃を装填、振るう右拳から氣弾として放ち、再び腕の長さの分だけ軽く下がって避けるつもりだった左慈へと直撃させた。

 

「ガッ!? 小細工をっ……!」

 

 顔面に直撃、弾けたために猫騙しのような効果までもたらした反撃を前に、左慈は顔を庇うように下がる。

 その動作に重ねるように俺も間合いを詰めに地を蹴って、同じ分だけの距離を縮めるや───

 

「ごっ!? っ……あ、かはっ……!?」

 

 ……。鋭い蹴りが、俺の腹に突き刺さった。

 やられた。

 踏み込んだ勢いの分だけ、カウンターダメージとして返ってきた。

 骨のある硬い部分は狙わず、内臓を抉るような下から斜め上に減り込ませる鋭い蹴りだった。

 

「うぶっ! がはぁっ!」

 

 恥もなにもない。今度は俺が吐く番で、逃げる番だった。

 胃液をぶちまけながら、追撃として振るわれた蹴りを避け、それでも相手をしっかり睨みながら距離を取る。

 腹を庇うように体を屈ませ、下がる姿は滑稽に映ったのだろう。左慈はにたりと笑みを浮かべながら、どれだけの反撃が来ようが構うものかと一気に近づき、

 

「げがぁあっ!?」

 

 間合いに入った瞬間に一切の容赦無く振るわれた加速居合いの直撃を受け、地面に転がった。

 

「っ……ぶ、はぁっ───! がっはっ……はぁ、はぁっ……!!」

 

 ……一撃を腹に喰らったあたりで用意はしていた。

 予め絡繰に蓄積させておいた氣を加速に利用して、腹を庇う姿勢のままに重心を下ろして、近づけば居合い。

 吐きそうなくらいの集中力を無理矢理振り絞ったこともそうだし、腹部へ受けたダメージも本物だ。追撃したいのに、腹の中のものをぶちまけることにしか働いてくれない自分の稼動可能な意識に、涙さえ溢れてくる。

 不完全だった。

 全ての順序を正しく加速に向けられた筈だったのに、なにかが引っかかるみたいに氣の流れが途中で鈍った。だから追撃をしなければいけない。

 今動ければ決着がつけられる。

 吐きながらでもいいから動けと命令するのに、なんの冗談なのか足が動いてくれない。

 腹に喰らったのはマズかった。

 意識を蹴られた部分の奥に向けてみれば別の氣が滲み込んでいて、それが氣脈の動きを邪魔していた。

 これの所為で、居合いは完成に到らなかったのだ。

 

  と、なれば。

 

 確実に起き上がってくる。

 だから動けと命じるのに足は動かないし、氣で動かそうにも澱みが邪魔をして満足に動かせない。

 すぐに澱みの除去に意識を向けるも、どれだけ練りこまれた氣だったのか、中々消え去ってはくれず……動けるようになった頃には、相手も立ち上がって呼吸を整え、改めて俺を睨んでいた。

 

「フフッ……今ので決着といかなかったのは、貴様にとっては絶望の結果だったようだな」

「勝手に決めるなよ。望みを絶ってたら、こうしてあんたと向き合うことだってしないって」

 

 呼吸を整えて向かい合う。

 周囲は騒がしいが、白装束が意図的に俺と左慈を避けているのか、どちらかの軍勢が俺達を巻き込むことはない。

 

「上手く誘導したんだろうが、その木刀を喰らうことは二度と無いぞ。身に着けているものに一切の注意を向けないとでも思ったか?」

「居合いが来るのを予想していたみたいな言い回しだな」

「氣を用いての加速など、氣しか伸ばせるものが無い俺達では選んで当然の道だ。加えて俺は、この世界に居る傀儡どもと違って他の世界の知識を知らんわけでもない。貴様の知るフランチェスカがある世界にも居たことがあるんだぞ? 居合いの知識くらい、持っていて当然だろう」

「そうだな。ファクターだのなんだの、普通に言うくらいだもんな。……で、その当然の中で、どうしてあの貂蝉は」

「知らん言うな考えるだけ無駄だ」

「お、おう」

 

 やっぱりそこらへんは謎らしかった。

 そんなやりとりにみんなとの日々を思い出し、クスリと笑って……緊張ばかりだった心に少しのやすらぎを。

 

「……? 何が可笑しい」

「わかったことがあったんだ。誰が何をどう言おうが、それは受け取る側の問題なんだって」

「当然だろう。それがどうした」

「あんたが愛紗並みに強くても、戦い方が違えば、武器が違えば取る方法も変わる。むしろ戦う手段の大半が氣を用いたものなら、愛紗と戦うよりも自分らしい戦い方が出来る」

「ほう? それがなんだ。俺に勝てるとでも言うつもりか?」

「勝てるさ。まず俺がそう信じなきゃ、どんな勝機も見逃すことになる」

「出来るのか? 仲間が居ない貴様に。お得意の、女の影に隠れて勝利にのみ酔うことが出来ないのに」

「俺とあんたとの決着じゃなきゃ連鎖は終わらないんだろ? だったら他に頼ることはしないし、出来ない」

「……ああそうだ。よく言った」

 

 相手の氣が充実していくのを感じる。

 どこからあんなにも濃い氣が湧いてくるのか、全身に氣を行き渡らせたらしい彼は、構えののちに疾駆。

 間合いに入るや右の蹴りを放ち、こちらは木刀を振るうことで迎え撃ってはみたが、相手の足を砕くどころか、左慈は木刀を足で受け止めてみせた。

 

「フン、足でも砕くつもりだったか? 笑わせるなよ北郷一刀。俺の氣は、抜き身の刃でだろうと斬れはしない」

 

 言うや、木刀を手で掴んで前蹴りへとスイッチ。

 まるで細剣を相手に立っているような尖った寒気に襲われた俺は、咄嗟にこれを避ける。

 ……、掠った制服が、あっさりと穿たれた。

 

「ッ! せいっ!」

 

 どういう氣の練り方をしているのか。

 確かに湧いた焦りから、咄嗟に左拳での反撃を。

 左慈は掴んでいた木刀を離すと突き出された拳に手を添えるようにして逸らし、体勢を崩した俺の顔面へと突き出した足を戻す過程で膝蹴りを。

 咄嗟に離された木刀の石突でその膝を殴りつけるが、勢いに負けて俺の手から木刀が飛ぶ。

 

「そらっ! 頼みの武器サマは飛んでいったぞ!」

 

 次いで突き出される貫手。

 体勢からして全ての悪条件が揃っている状態。躱すか受けるか。

 足に込めた氣を弾かせて下がれば当たらないだろうが、相手に攻撃の勢い……攻勢を持たせることになるだ───って考える余裕なんてない! ぶつかる!

 

「っ───だぁっ! ……りゃあっ!!」

 

 迷ったなら突撃。

 左手が右側へ、右手も膝を殴ったような半端な格好で、足の氣を弾かせて下がるのではなく前へ。

 貫手を掠らせながらも左肩からタックルをかまして、膝が浮きっぱなしだった左慈の体勢を崩して……躱した貫手を掴んで一本背負いを。

 

「! 貴様っ!」

 

 踏み込んだ足から螺旋加速を行使しての、強引な一本背負い。

 相手の腕を捻り切るつもりで実行したそれはしかし、左慈が俺の背に手を添え自分の体を宙へと飛ばし、腕を追うことで威力を殺される。

 しかもそれだけでは終わらず、跳躍の際に氣を加速。宙に跳んでから、さらに俺の“捻り切ろうとする力”さえ氣に乗せて、蹴りを放ってきた。無茶苦茶だ。

 当然一本背負いなんて格好の俺がそれを避けられるわけもなく、なんて考えるより先に手を離した。

 

「なにっ!?」

 

 勢いが乗り切った彼は放り投げられる形で宙を舞う。

 そこへ、手甲に込めた氣を砲弾のように放つことで追撃。

 左慈は振るった蹴りの勢いで空中で体勢を立て直すと、その氣弾を氣を込めた足で蹴り弾くことで余裕を以って着地する。

 

「っ……ふっ!」

 

 その着地に合わせて駆ける途中、落ちてきた木刀を手に横一閃に剣閃を放つ。

 それを屈むことで避けた左慈は、立ち上がる勢いを利用して一気に疾駆。

 振るう木刀と蹴りとが再度ぶつかり、氣の火花を散らした。



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151:IF3/突端と終端③

 

「おぉおらっ!」

「しぃいっ!」

 

 振るわれる拳は逸らし、鞭のような蹴りは出来るだけ避けて、上段で来ればくぐるように避けては軸足を狙い、避けられてはまたぶつかり合い。

 絡繰に込めた氣はここぞという時以外には使わず、散った氣の少しずつでも吸収しては、一撃一撃を必殺の意志で繰り出す。

 普通ならこんな攻撃、直撃すれば相手は死ぬだろう。

 殺せば殺人による罪悪感が胸を支配するのだろうか。

 ……今さらだろう。

 乱世の中、自分が考えた作戦で死んだ人が居なかったなんて言うつもりはない。

 もっと無意識に自分を投げ出せ。

 考えずとも動けるだけの鍛錬を、いったいどれほど積んできた。

 

  相手が仕留めに全力で来たのなら、相手にこそ避ける余裕などない

 

 春蘭が教えてくれた、敵に一撃を当てる方法。

 目に殺気を込めて仕掛けてきた左慈の一撃に、全力を以って攻撃を重ねる。

 当然、勢いが乗った足の先ではなく、外側ほど勢いの乗らない足の付け根へだ。

 

「がぁっ!?」

 

 当然避ける動作なんてしなかったから、こちらも一撃をくらってしまう。

 だが怯む動作なんてものはほんの少しでいい。痛みなんて歯を食い縛って忘れてしまえ。

 

  敵に勝ちたいなら、気持ちで負けてはいけない

 

 鈴々が教えてくれたこと。

 怯もうが恐怖しようが、勝てることを疑うな。

 

「貴様殺す!」

 

 そして。

 相手がこちらの氣に集中した時にこそ。

 

  ヒュトッ───

 

 気配を殺して、

 

「!? 消え」

 

 仕留めにかかる!!

 

「げがぁあっ!?」

 

 一瞬でよかった。

 それこそ、一番最初に明命が教えてくれたように、“少しでも攻撃の意識を見せると気取られる”程度の隙でいい。

 散らさずに満たしていた氣を周囲に溶け込ませ、目の前に居るのに見失うという状況の中、咄嗟に行なってしまう“敵を探す動作”の間隙を縫っての一撃。

 

  最速の一撃を当てるなら、正眼からの突き

 

 蓮華とともに磨いた意識だ。

 それでも左慈の防御は間に合い、喉を潰すつもりで放った突きも、見えないなにかがクッションになったのを感じた。

 呆れるほどに存在する氣を、常に盾にでもしているのだろう。それを、殺気が向けられた場所へと集束させることに、既に慣れている。

 そりゃそうだ、生きた時間なら相手の方が遥かに長いんだ、経験で勝てるだなんて思っていない。

 

「けどなぁっ───!」

 

 こっちだって、何も学ばずに生きてきたわけじゃない。

 教えてくれる人達が居て、刻み込み続けられるほどの生き様を見てきた。

 生きることに絶望して、全てを否定するための生き方とは絶対に違う。

 長く生きる事に心が折れかかったことだってあった。

 大切な人を、普通の数倍見送ることに、その日が幾度もくることに、心が枯れそうになったこともあった。

 それでも……そんな世界を肯定したいって思い続けることが出来たのだから。

 

「図に乗るなよ貴様ァアアッ!!」

 

 喉への衝撃で濁った声での怒声が響く。

 追撃を仕掛けに駆けた俺へと加速された蹴りが繰り出され、俺はそれに加速させた木刀の一撃を合わせて再び合い打ちに。

 確実に当てるのならこれしかない……そう思ったが、足と木刀がぶつかった瞬間、木刀に込めていた氣ごと、俺の攻撃が逸らされた。

 

「!? えっ───」

 

 頭に浮かんだのは、自分でもよくやった方法。

 相手の氣に自分の氣をくっつけて逸らした、あの───

 

「おぉおらぁっ!!」

「! くあっ!」

 

 木刀に氣を取られた瞬間に放たれる、氣が篭った崩拳を手甲で逸らす。同じ方法で。

 途端に左慈の表情が驚愕に染まり、それも隙として攻撃出来るほどに長くは続かず、攻防だけが続いた。

 避け、逸らし、防御し、そうした動作の中で飽きることなく攻撃を重ね、相手の行動を頭に叩き込んでいく。

 

  鍛錬するのであれば、架空の相手と戦うことを想定して

 

 祭さんや雪蓮に、元の知識の上にさらに叩きこまれたことだ。

 こうして戦っている最中でも相手の動きを学んで、次の攻撃へと備えてゆく。

 一撃一撃が来る度にその癖を見て、掠める度に力強さを学び、受け止めるのに必要な氣の量を計算して、相手の行動の一手先を───!

 

「これで───寝ていろ!」

 

 構え、蹴り。

 完成された動作は確かに美しい。

 けど、完成されているからこそ体に当たるまでの時間も読み易い。

 

(───ここっ!)

 

 相変わらず膝から先が見えない蹴りを、振り上げた左拳で上へと殴り弾く。

 確かな手応えとともに膝から先の目視が完了した頃、左慈の表情が凍りつき、そうなった瞬間にはもう、袈裟掛けに振り下ろした木刀が左慈の左肩を強打していた。

 

「ぐぅあっ!?」

 

 氣を込めればモノも斬れる木刀。

 本気で打ちつけたそれだが、馬鹿げた氣の量の所為なのか道術の力なのか、強打は出来ても一撃で下すことなど出来ない。

 

  ───そんなことがわかっているからこそ。

 

 一度で終わるなんて慢心をするな。

 相手が一撃の防御に集中している時にこそ、肩から一番遠い場所へと追撃を仕掛ける。

 木刀に込めていた氣は自分の中から振り絞った氣。

 そして、自分の左肩に意識と氣を集中させているであろう左慈の右脇腹に添えた手甲からは、手甲に装着した絡繰から放つ氣で、

 

「げっはぁっ!!?」

 

 わざと混ざり合うことのない氣の色に変えたソレを、左慈の腹部でズドンと炸裂させた。

 木刀で殴った時よりも強く激しい手応え。

 よろめき下がる姿を追撃しない手は無く、再び氣を装填させた木刀を、加速させた体で振るう。

 

「───馬鹿がっ!」

 

 そんな刹那だった筈だ。

 口の端から血を滲ませながら、歯を食い縛った姿が一瞬で目の前に現れた。

 どうする、なんて考える暇もない。

 最初から、こちらの思考が完全に“攻撃”に向いた瞬間を狙われていた。

 踏み込みと同時に震脚で硬い具足ごと左足の甲を潰され、次いで放たれる左掌底で右膝を砕かれ、右の貫手が腹部に突き刺さり、貫手の動作と同時に戻された左手が、心臓部分へと掌底を埋める。

 自分の意思とは関係なく崩れる体。

 その動きさえ利用され、こんな至近距離だというのに顎を跳ね上げるのは彼の足の底だった。

 

「そこそこは楽しめたが、まあこんなものだろう」

 

 ……追撃は来ない。

 やがて倒れる体を静かに見下ろして、左慈は口の端の血を制服の袖で拭った。

 

「貴様はそこで見ているがいい。無力を噛み締め、世界が否定される様を」

 

 口角を軽く持ち上げて笑う姿には余裕があった。

 一方の俺は足を砕かれ膝を砕かれ、腹には穴が空いて、心臓は弱々しく脈打つだけ。

 ……そう、それ“だけ”だ。

 足と腹に癒しの氣を。

 心臓は氣を使って無理矢理鼓動させる。

 癒しきれない損傷は氣でもって繋げて、無理矢理に体を起こして……!

 

「……呆れたしぶとさだな。骨を砕かれても戦うのが、貴様が学んだ戦か?」

「ははっ……はぁっ……! ああ、そうだなぁ……! 腕が折れることなんて、日常茶飯事だったかもなぁっ……!!」

 

 腕が折れた状態で戦ったことなんて何度もあった。

 氣脈が痛んでいようが戦うことだってもちろんあった。

 足の甲の骨が踏み砕かれようが、膝の皿を砕かれようが……それを無理矢理動かす知識を学んだ過去がある。

 動けるのなら、敗北なんて認めてやらない。───決着は、ついていないのだから。

 

「情けで命まではと思ってやったというのにな。死にたがりなのか、貴様」

「死にたいなんて思わない。寿命以外でなんて、余計にだ。勝ちたいだけだよ……っ……つはっ……! 勝って……俺の願いを、叶えたいだけだ……っ!」

 

 砕けた膝で立とうとし、痛みに息が荒れるのを、癒しの氣でがんじがらめに縛りつけるようにして誤魔化す。

 腹から血が出ているが、幸いと言っていいのか、風穴が空いたわけじゃない。

 こちらも癒しの氣で包んで、痛みを誤魔化した上で構えた。

 

「……今の貴様を潰すのに、一分もかからん。最後の情けだ、勝負を諦めて決着を認めろ」

「すぅ……っ……はぁぁあっ…………! ───いやだねっ! 逆の立場だった時を考えてから言えっ!」

 

 砕けた部分に氣のクッションを挟み、痛みは歯を噛み締めて───疾駆。

 途端に全身が硬直してもおかしくないほどの激痛に襲われるも、痛みにだって散々と慣れた。

 その上でのやせ我慢を貫き、ただ目の前の敵を倒すだけを意識する。

 

「フン……先に言っておくぞ。───無様だと」

 

 けど。

 そんな、満足な状態でも攻撃を当てることすら苦労した自分が、こんな状態で満足に渡り合える筈も無い。

 再び連撃をこの身に喰らい、地面に倒れ伏した。

 

「理解しろ。人の限界が想像の域を越えることなど決してない。想像を具現化出来るならまだしも、俺達はそれを叶える側じゃないんだよ。叶えるために繰り返すだけのくだらない傀儡だ。……もう動くな、北郷一刀。これでようやく全てが終わる。願われれば叶えるだけの、叶えなければ苦しむだけの世界が終端へと辿り着くんだ」

 

 左慈はそう言いながら、立ち上がろうにも立ち上がれない俺を見下ろし、それから周囲で戦いを続けているみんなを見て、何処か寂しそうな表情をした。

 

「呆れた連中だ。兵一人一人が氣を当然のように操るか。傀儡どもでは保たんな。……まあ、普通は、だが」

 

 見れば、氣を乗せた攻撃で敵を貫いてみせる孫の姿が。

 しかし貫かれた白装束の存在はボフンと煙のように消え去り、左慈の近くから新たに出現しては、またみんなのもとへと駆けていく。

 

「見ただろう。アレは方術で象った傀儡だ。ただ敵を倒すために動き、生み出す者自身が止めない限り、滅びることもない」

「………」

「さっさと負けを認めろ。認めれば、傀儡を消してやる。今はいいだろうが、次第に体力を枯らし、刺されて死ぬぞ。術で動く傀儡と違い、やつらは疲れる。殺し合いを知らんやつらがその初戦でどれほど神経をすり減らしていくか。知らんわけでもないだろう」

「……随分、やさしいんだな。問答無用で殺しにくるかと思ってたよ」

 

 呟きは当然の疑問。

 なんだって、殺す殺すと言っていたのにトドメを刺さないのか。

 その答えはあっさりと返された。

 

「他人のためだのなんだのと甘いことを抜かして生きる貴様には、武の敗北よりも仲間の死こそがこたえるだろう。そうした絶望を味わわせてやったほうが、決着というものは刻まれやすいものだ」

「………」

「負けを認めるなら助けてやる。認めないと言うのなら───」

 

 俺から視線を外し、軽く手を上げる左慈。

 そんな姿に躊躇なく剣閃を放ち、手で弾けさせた氣を反動に一気に起き上がった。

 

「!? 貴様ッ!!」

 

 脅迫なんてものには頷かない。

 決着もついていないのに、敵から視線を外した相手に遠慮なんてしてやらない。

 弾かれるように宙に舞った体で、剣閃を躱した姿に自分の体重ごと木刀を振り下ろした。

 木刀は氣を込めた手で受け止められ、振り上げられた脚が跳んだ俺の腹に突き刺さるが、そんなものは望むところだ。

 脊髄を駆け上り脳天を貫くような激痛に身が緊張しかけるも、そんなものはとっくの昔に経験済みだ。

 あの頃は庶人に腹を刺されるだなんて思ってもみなかったし、それが痛みの想像力を跳ね上げてくれるなんて思ってもみなかったけど───

 

「お返しだぁああっ!!」

 

 振り上げられ、伸びた脚。

 その膝の皿へと、絡繰から引き出した氣と自分自身の氣を合わせて握り固めた手甲を、躊躇の一切も無く振り下ろした。

 

  左手甲から腕を伝ってくる、何かを砕く感触。

 

 穴の空いた腹に蹴りを入れられれば攻撃どころではないだろう、なんてタカを括っていたのだろう。

 意識の外からの攻撃に悲鳴を上げた彼は、掴んでいた木刀を離して距離を取ろうとして……その場で崩れ落ちるように膝をついた。

 好機と見て着地とともに構えようとするが、こちらだってとっくに両膝が壊れている。

 着地の衝撃で勝手に悲鳴を上げてしまうほどの痛みが走り───……それでも。

 

「ッ……つ、ガァアアアアアアッ!!!」

 

 木刀を振るう。

 痛覚なんて置いていけと意識に命令をしたところで、それはきっと叶わない。

 だったらそんなものさえ意識出来ないほどに守りを忘れた獣になれ。

 攻撃の意識を隙と見られるなら、その攻撃ごと破壊するつもりで。

 

「舐めるなっ!」

 

 手による防御、と視認した次の瞬間には、木刀の軌道が逸らされていた。

 氣で弾かれたのだろう。

 構わない。

 もう、どうせ満足に動けないなら、体にある氣の全てを───!

 

「おぉおおおおあぁああああっ!!!」

 

 一撃一撃を全力で。

 自分の中で技とも呼べない、けれど将であるみんなと打ち合うために身に付けたそれ。

 振るう度に一気に散る氣を瞬時に満たして振るい、ぶちかまして、相手の氣の防御を破壊してゆく。

 

「ッ……!? 貴様正気か!? こんな馬鹿げた戦法がいつまでも続くと───!」

 

 散った分を吸収して上乗せして、弾かれようが逸らされようが、隙を穿たれて攻撃を受けようが……歯を食い縛って、一歩も退かずに振るってゆく。

 捨て身……? ああ、捨て身なんだろう。

 足に送るべき癒しの氣さえも攻撃に回して、痛みが脳天を焼こうが、優先すべきは勝利なのだと、心が理解しているのだ。

 

「~っ……! ああそうだろう! ここで余裕を残すことに意味などない! ならば───ぐあっ!? な、なん」

 

 四度、五度、六度と続いて、手に氣を込めて防御していた左慈の手が、鈍い音を立てて砕ける。

 なんだと、と続けられる筈だったのであろう言葉は驚愕に飲まれて、やがて。

 

「これでぇえっ……!! 終わりだぁああああっ!!」

 

 作戦も勝機も、先へ繋ぐ予測もない。

 自分の命ごとをぶつけるつもりで続けた、七度きりの瞬間錬氣。

 氣脈は痛んで、体も激痛に襲われ、視界なんて激痛による涙で滲みっぱなし。

 傍から見れば子供の喧嘩みたいに見えるんだろうな、なんて馬鹿なことを考えながら……自分の中から氣っていうものが枯れ果てて、振るった木刀にのみ装填される感触を、ただ感じていた。

 



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151:IF3/突端と終端④

───/───

 

 ───信じていたものがあった筈だった。

 たとえば自分というもの。

 なんのために生きてなんのために死ぬのか、なんて、普通に生きていればいちいち考えることなどないだろう。

 なにかにぶつかって、辛い思いをして、初めてそんなことを考えるのが人間というものだと俺は思う。

 だからこそ、そんな風に思うばかりになってしまった自分の頭で、なんのために生きているのか、産まれたのかを強く強く考えた。

 誰かの望みを延々と叶えるため?

 そのために自分が望む“こうであったら”を放棄して?

 そんなものは違うと思った。

 ならば自分の願いは誰が叶えてくれるのか。

 いつしか不満しか持てなくなった世界というものの理を、他でも無い世界が与えた力でこそ砕いてやりたくなった。

 

「───」

 

 それからの日々は、否定とともに頭痛や自分自身の存在の希薄感に吐き気を覚える毎日。

 願われる度に初めから歩き、果てに着けば戻されて。

 こんな世界を願っていたのかと他者の願いに呆れを抱き、視界に納める世界を、どこか冷えた心で眺め続けていた。

 それでも希望があったから、目的があったのだから、まだ歩ける理由にはなったのだろう。

 その全てが終われば、ようやくこのくだらない連鎖からも解放される。

 解放された先にはなにがあるのだろうと考えて、高揚したことだって……確かにあったのだ。

 もしかしたら自分も願う側に立てるのかもしれない。

 叶うのなら、あんな未来が無い世界を、などと。

 

  そんな希望が砕かれた。

 

 くだらない正義感を振り翳した男によって、それこそバラバラに。

 その時の絶望をどれだけ説こうが、目の前の男には届くまい。

 どうすればいいなどと訊かれようが、謝罪など相手の自己満足以外のなにものでもない。

 許せないのではなく許さないだけ、なんて言葉も霞むほどに恨んだ。

 恨みは消えず、枯れず、ただ俺は、そいつが仲間を作って幸福へと辿り着く世界を何度も何度も見せられた。

 自分がいつか願った、願う側に立つという世界を、他でも無い自分の願いを砕いた男が叶えていたのだ。

 目の前が白くなるのと同時に、心が冷たくなるのを感じた。

 僅かに残った何かが砕ける音がした、と思えば、もはや破壊する心しか湧かず。

 繰り返せば繰り返すほど、憎しみは増すばかりだった。

 

  ……いつだったか。

 

 意味を無くして消える筈だった世界が消えず、別の意味を持って続いたと于吉が言った。

 耳を疑ったが真実らしく、あろうことかその世界に役目を終えた筈の北郷一刀が戻ったのだという。

 放った言葉は“ふざけるな”だった。

 呆れるほどある砕けた欠片の世界を潰し、それが終われば連鎖も終わると信じていた俺は、怒る以外になんの感情も持てなかった。

 だが、そこに現れて助言を放つ存在があった。

 貂蝉だ。

 もはや欠片の世界と連鎖、人の願いと欠片の世界が繋がっている。

 本当に連鎖を終わらせたいのなら、突端を終端へ辿り着かせるしかないと。

 突端。つまり、北郷一刀と俺の因縁。

 あんな出来事から始まったそもそもが突端ならば、俺はそもそもあの軸で、北郷一刀に願う世界を任せるべきではなかったのだ。

 あいつが願ったのはさらなる世界の拡大。

 その連鎖の分だけ広がった世界を、俺はまた最初から歩くことになった。

 

  こんなもの、肯定したのと変わらない。

 

 やはり否定しなければ、終端には辿り着けないのだと。

 それからの日々は、曹操が死ぬのを待つ日々となった。

 意味を持った世界の主が死ななければ、その世界に干渉することは容易ではない。

 夢の中に入る程度ならば可能だろうが、生憎と“世界の理”に反しきれるほどの力を俺達は許されていない。

 だから待った。

 この時を待って、干渉に成功した時点で曹操が死んだと確信し、この長いだけでなんの希望もない旅を終わらせられると思ったのに。

 

  なぜ貴様が立ち塞がる。

 

 簡単に倒せるなら、それでは気が治まらないとは思った。

 だが、ここまでしぶといなどとは思わなかった。

 氣のみを磨くことをいつかの自分のように実行し、その操り方にも迷いが無い。

 それどころか様々な応用を加え、氣の量で勝っている筈の俺を悉く出し抜いてくる。

 こんな男に負ける筈が無い。

 攻撃の度にそう思い、相手の骨を、肉を穿つ度に確信し───その度、仕返しを受けた。

 

  貴様の所為で。貴様が居たから。

 

 ふざけるなは頭の中から生まれ続ける。

 攻撃を返し、膝を砕かれ、目の前の相手のように氣を緩衝剤にして立とうとするも、相手はそれを許さない。

 馬鹿げた量の氣を得物に宿し、攻撃を続け、俺が足に氣を送る時間を与えない。

 振るわれる木刀を、氣を込めた手で逸らした先からこちらの氣が散らされ、どれほど無茶な錬氣をすればこんな全力を続けられるのかと、目の前の存在の在り方を疑った。

 だがそれがどうした。

 こんな戦法が長く続く筈が無い。

 この一撃を逸らして腹に空いた穴を穿ち、痛みを思い出させてやろう。

 そうして、防御のみに集中させていた氣を、攻撃と防御に分けた途端、一撃を受けた手から乾いた音。

 

  ───

 

 え、なんて馬鹿な声が喉の奥で鳴った気がした。

 そんな一瞬さえ待たない、一歩先の余裕さえ捨てた一撃が目前に迫っている。

 防御を捨てた一撃だ。

 ……問題ない。これに思いきり返してやればいい。

 今まで見てきた北郷一刀など、守られてばかりの甘ちゃんだった。

 どうせ人を殺すことさえ躊躇するだろう。

 敵を殺しきれない馬鹿ヅラに、こちらのありったけをぶつけ……今度こそ、俺は───!!

 

  ───瞬間、何かを砕く音ののち、赤が吹き出した。

 

 思考が追いつかない。

 突き出した貫手は砕かれ、肩から脇腹に掛けて赤が吹き出して。

 何をするんだったのか。

 ああそうだ、敵を殺し切れない、何処までも甘い相手に、一撃を……

 

  構え、蹴り。

 

 ずっと、こればかりを磨いた。

 その一撃なら届くと信じて疑わず。

 ……だが。

 信じれば届くのなら、じゃあ……俺が今まで味わってきた世界は、何故理想に届いてくれなかったのか。

 

  当たると確信していたそれが、途中でだらりと折れた。

 

 膝を砕かれていたことすら忘れていたのか。

 結局それは相手に当たることすらなく。

 木刀を握ったままの手甲が眼前に迫った瞬間、俺の中で……こんな、人の願いの悉くを砕く世界への希望が、頬へ走る衝撃と一緒に……完全に、砕け散った。

 

 

 

-_-/一刀

 

 氣も乗らない、勢いだけの拳が左慈の頬を捉えた。

 いつかのように波立たせたチェーンソーのような氣が左慈の手を砕き肩から脇腹までを斬り、けれどそれで、絡繰の氣も俺自身の氣も枯渇して。

 それでも決着はつかないのだろうと、拍子も置かずに振るった拳が、左慈を殴りつけた。

 氣も込めずに人を本気で殴ったのはどれくらいぶりだろう。

 そう思った瞬間には膝の骨がガコンッとズレて、その場に崩れ落ちる。

 思い出したように走る激痛に、声にならない声を上げて……それでも敵からは目を逸らさず。

 

「はっ……はっ……はぁっ……! はぁああ……!! ん、ぐっ……! つ、はっ……!」

 

 視界が赤く点滅する。

 鼓動の度に、ずぐんずぐんと赤くなり、力を込めようとする体をメキメキと噛み締めるように蝕んでゆく。

 

  動け。

 

 どうすれば決着がつくのかなんてこと、俺は知らないのだ。

 それこそ相手が降参するまで終わらないのであれば、俺はまだ立たなきゃいけない。

 なのに足は持ち上がらず、それどころかありえない方向へと膝から先が曲がっており、自分の体だというのに気持ち悪さを抱く。

 

「はっ……はぁあ……! はぁっ……!」

 

 立てないのなら、体を引きずってでも。

 ずる、ずる……と前へと進もうとするが、自分の体にさえ遠慮もせずに加速を行使し続けたためか、腕すらもが動かなくなっていた。

 もはや、回復することも出来ない。

 

「くそっ……!」

 

 歯を食い縛って無理矢理動かそうとしても、痛いだけでぴくりとも動かない。

 腹からはじわりじわりと血が滲んで、痛みと寒気で吐き気までもが体を襲う。

 

「ああ結構。もう動かないでください」

 

 自分に無力さを感じ始めた……そんな時だった。

 男の声がして、ばっと顔を持ち上げれば……さっきまではそこに居なかった筈の不思議な服を着た男が、左慈に肩を貸しながら立っていた。

 

「あぁ申し遅れましたね。私は于吉。左慈と同じく、この連鎖を否定する者の仲間ですよ。まあ、私は左慈に付き合っているだけであって、世界がどう転ぼうがどうでもよいのですが」

 

 特に感情も乗せない表情で淡々と言う姿は……どこか不気味さを感じる。

 いや、それよりも否定者ということは……!

 

「そう警戒しないでほしいものですね。決着はもう着いています。今さら私がどうこう言うつもりはありませんよ」

「っ……はっ……、え……?」

 

 痛みに荒く吐く息ののち、疑問が吐息とともに出ると、于吉と名乗った男は“やれやれ”といった感じで目を伏せた。

 

「この世界がどうなろうと知ったことではないと言ったのです。ああ、あなたの勝ちだとも。心配せずとも、もう左慈に戦う意思はありませんよ」

「っ……」

 

 言葉に詰まった理由はそこじゃあない。

 確かにそれも心配ではあったけど、于吉───于吉と名乗ったんだ、目の前の男は。

 于吉……白装束が襲い掛かって来た時、左慈が言った名前だ。

 つまりこの男が白装束を操って……!

 

「い、ぎっ……! な、なぁあんた……! 白装束は、あんたが動かしてるのか……!? 勝負がついたなら、ギッ……!! っ……~……白装束を、」

「止めろ、と?」

 

 痛みに軋む体を庇いながら言った言葉に于吉は軽く訊ねてくる。

 俺はそれに頷いて返したが、

 

「ああ、お断りですね。止める理由がありません」

 

 そんなものは拒否で返された。

 どうして。

 そう返す前に、彼は語る。

 

「ええ、外史連鎖の勝負はあなたが勝ちました。油断なく確実に殺すつもりでいけば、あなたなどに負けなかっただろうに。左慈も詰めが甘い。が、外史の終端とその戦いとはまた別ですよ。あなたが勝とうが負けようが、外史は終わらなければならない。曹操が死んだのなら、この世界も“結末”を得て終わらなければならないのです」

「ど……どういう、意味だ……!」

「簡単ですよ。たとえば誰かが考えた物語があるとします。それは誰かが願ったから出来たものであり、それはなんの意味もなく急に終わることなどありません。願った者が放棄しない限り。わかりますね?」

「………」

「意味を持って終わることは、物語にとっての最後の役目と言えましょう。だからこの世界は終わる必要がある。白装束の兵と戦って勝ち、次代を担う者がそれからも生きました、めでたしめでたしとなるか、白装束に襲われて全滅しました、で終わるか」

「全滅……!? そ、そんなこと、誰がさせるかっ!」

「無駄ですよ。今のあなたに何が出来るというのです。あなたはいわば、曹操の物語に無理矢理入ってきた部外者です。今さら今の物語の終端に入り込むことに、意味などありません」

「……だから、どうした……! 守りたいから守るんだ……! それが強くなった理由だし、この世界に帰ってきた理由だ!」

「………」

「っ……」

 

 睨み合う。

 いや、俺が一方的に睨んでいるだけであって、于吉は窺うような目で俺の目を覗きこむだけだ。

 けれどそんな状態が少し続くと、彼は小さく息を吐いて目を伏せた。

 

「まあ、構いません。止めもしません。どうぞご自由に。そんな状態で、何かを為すことが出来るのなら」

 

 最後にフフッと笑うと……左慈を連れた于吉は、幻だったかのように消え去った。

 

「………」

 

 なのに、白装束は未だに消えない。

 みんなを襲っては、疲れも見せずに暴れ回っている。

 

「~っ……く、ぉお……!!」

 

 起き上がろうとする。

 立てない。

 這おうとする。

 手が動かない。

 今こそ誓いを、約束を守る時なのに、体は動いてくれない。

 動け動けと頭が熱くなるくらい命じても、僅かな氣もない体は、段々と力を無くすばかりだ。

 

「なんだよ……! なんなんだよ!!」

 

 決着はついたんじゃなかったのか。

 自分が勝ったんじゃなかったのか。

 勝てたのに、体は動かない。

 今こそ守るべき時なのに。

 みんなが死んでしまったこの地を、今こそ守れる筈なのに。

 なんのために鍛えたんだ。

 なんのために戻ってきた。

 

「動けよ、くそっ……動け───、っ……!?」

 

 再び無理矢理動かそうとして、ドクンと心臓が跳ね上がった。

 知っている感覚だった。

 自分の存在が怖いくらいに希薄になって、手が足が、体が透けるこれは……!

 

「……、うそだ。だって、今じゃないか……! 約束したんだよ……自分に誓ったんだ、覚悟を決めてきたんだよ! 自分の力じゃみんなを守れやしないからって! だったらみんなが動けなくなったら守ろうって! ───いぐぁっ!? ~っ……!」

 

 痛みとともに消えてゆく。

 視線の先では、まだ娘達が、孫達が、兵たちが戦っているのに。

 

「……くそ……! 動けよ! まだ消えるな! 終わってなんかいないんだ! これからなんじゃないのかよ! やっと心配事が消えて、作り笑いなんてものをする理由もなくなったんだよ!」

 

 指が消えてゆく。

 ゾッとした時には手が見えなくなった。

 視界に映った娘の姿に手を伸ばそうとしたが───

 

「やっと返せるんだ……! 守ってやれるんだよぉっ! 華琳が愛した世界を! みんなが育んできた国を! 大陸を!! 俺達の“幸せ”を!!」

 

 伸ばしたい手は既に無く、進めたい歩は動かせもせず。

 

「散々受け取ってきたんだ……! 守ってもらってきたんだよ! やっとそれを返していけるって……! 報いることが出来るって思ったのに───!」

 

 涙を流しながら叫ぶ。

 伸ばし切ることが出来たなら、きっと届いたであろう、この外史の未来へと手を届かせるように。

 

「っ……終わりなんかじゃない! 終わりなんかじゃっ……!! 俺達の覇道は……俺達の幸せは……っ……! ───っ……華琳ーッ!!」

 

 ただ、伸ばした。

 声でも消えた腕でも、いっそ体ごとでもよかった。

 自分の何かが届くのなら、届いたなにかで少しでも報いることが出来るなら、と。

 

  ───顔も消えたのか、目の前が真っ白だった。

 

 それでも伸ばす。

 もう、なにを伸ばしていいかもわからないのに、ただ……なにかが届けばいいと、いつまでも、いつまでもこの世界のことを思い。

 

  ───泣き叫ぶ喉も消えたのか、もう声も出ない。

 

 それでも悲しみは消えないで、涙を流すことしか出来ない自分を……深く深く恨んだ。

 そうして辿り着いた、今はもうなんの感覚もない中で、やがて───

 

 

 

      ……ごつり、と。なにかがなにかに触れる。

 

 

 

 ……途端に全ての感覚が戻って、俺は───その“扉”を開けた。

 

 

 ───……。

 

 

「…………」

 

 そして…………立ち尽くした。

 呆然として、震えてくる体を止めることもしない。

 目の前の光景が信じられなくて、どうして自分がこんなところに立っているのかが、わからなくなる。

 

「は……はは……? は……」

 

 胡蝶の夢、という言葉が思い浮かんだ。

 いつか城壁の上で華琳と話した。

 自分は夢の中で蝶となって飛んだのか、自分が蝶が見ている夢の中の住人なのか。

 

「なんで……どうして……」

 

 足が思い出したかのように震えて、床に崩れるように座りこんだ。膝は砕け、足も砕けている体が立っていられるわけもない。

 かつてここから魏へと飛んだ瞬間の姿勢に戻って、支えきれずに倒れたのだ。

 

「………」

 

 そう……開け放った先にあったもの。

 そこは道場の更衣室……だった。

 あの日、汗を流したのちに及川とともに遊びに行くはずだった、第一歩。

 それを───いまさら、踏みしめていた。

 

「なん、だよこれ……! 俺は……俺は魏で……都で……みんなの夢を……幸せをっ……! こんなっ……! なんで……!」

 

 言葉が意味を持たなくなってゆく。

 嗚咽はもう止められず、叫び出したかった声も……もう、抑える必要すらなかった。

 

「あ、あ……うあぁぁああああああああっ!! あぁあああああああああああっ!!」

 

 ただただ、四肢が動かぬ体で天井を仰ぎ、叫んだ。

 誰にでもない、今の状況にこそ。

 それを聞きつけ駆けつけた及川になにを言われても反応すら出来ず、喉が枯れ、涙が枯れるまで、俺はただ……何もかもを……強くなりたかった意味さえも失った自分として。

 かつての故郷に……戻されていた。

 



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152:IF3/外史①

終端へ/外史の終端。それは想像と創造の始まり

 

 窓際に設置された病院のベッドから眺める景色は、なんというか味気ない。

 変わり映えのしない景色に溜め息をついてみるも、ついたところで何が変わるわけでもない。

 けど、そんな景色に見知った顔が入り込むと、なんだか無性に顔が緩むのは……退屈だけはさせてくれないやつだからと、心が理解してしまっているからなんだろうか。

 

「はぁ」

 

 あれからまあまあの時間が経った。

 といっても、俺の気持ちが落ち着かなかったために、日々を長く感じただけなのかもしれないが、ようやくこうして心が落ち着くくらいにまで……まあ、うん。時間は経ってくれた。

 今さらどう足掻いたってあの瞬間には戻れない。

 終わってしまった世界へ行くには、それこそ願いを叶えて行く以外はないのだろう。

 そして、願いを叶える銅鏡とやらをくれる筈の貂蝉が何処に居るのか、なんてことは……当然と言うべきか、俺が知るわけがない。

 そもそもそれが本当に貰えるものなのかも、貂蝉がこの世界に居るのかも、俺にはわからないのだ。

 

「やっほーかずピー! 暇人の心の友! 及川祐ゥ! ただいま推参やぁーっ!!」

 

 さて、考え事をしているうちに大急ぎで来たらしい友人が、歯を光らせての登場だ。

 ご丁寧に口にペンライトを仕込んで。

 そうまでして歯を光らせたいのだろうか。

 

「……やっぱ無理やな。歯ァ光らせるなんてどうやったって無理やろ。コレ歯が光っとんのとちゃうもん。歯が照らされとるだけやもん。ペンライトに唾液付くし、踏んだり蹴ったりやん」

 

 笑顔で自分にツッコミながら、離れた位置にあった椅子を引きずってきて、どすんと座る。

 

「や、かずピー。調子どう?」

「ん、もうかなり治ってる」

 

 さて、あれから一ヶ月……と言わず、二週間。

 更衣室で泣き喚いて、及川に心配され、体中がズタズタであることに絶叫され、及川が呼んでくれた救急車で病院に運ばれつつ、しばらくはまともな会話も出来ないままに日々を過ごした。

 で、最近ようやく及川のケータイを貸してもらい、動画や写真が残っていることに笑みを浮かべることが出来て、今に至る。残念ながら手甲と具足は壊れて、もう使えそうもなかった。歪んだままの形で、寮ではなく自宅の方の俺の部屋に置かれているらしい。

 

「っはぁ~……しっかし、本気でおじいちゃんレベルまで残るなんて、かずピーったら人生経験豊富やなぁ。いろいろ終わったからこうして戻ってきたんやろーけど。ああまぁ、詳しい話は今まで通り、話したなったらでええわ」

「いや、助かる。あんな状態で根掘り葉掘り訊かれたら、全力で暴れ回ってたかもしれない」

「……かめはめ波撃てる男の暴走なんて、事情知っとる俺からしてみたら悪夢以外のなにモンでもないわ」

 

 正直、及川が動画や写真を残していてくれて助かった。

 あんな最後だったから、あの世界のことが全部嘘だったんじゃ、なんて錯覚まで起こしかけた。

 あれだな、全部無かったことにしてでも、心を正気でいさせようと防衛本能が動いたんだろう。

 動画や写真を眺めて落ち着くまでは、そりゃ長かった。客観的に自分を見る“俺”にとっては。

 “立ち直るまで一ヶ月や半年、それくらいかかるだろう”と、別の自分が冷めた目で見ているような感覚を覚えつつも、このままじゃダメだって思えたから前を向けた。

 落ち込むだけなら誰でも出来るし、なにより……希望を捨てるつもりはないのだ。

 勝利することが出来たのなら、いつになるかはわからないけど貂蝉はきっと来ると信じることにした。

 無茶な願いは、その時にでも叶えてもらおう。

 

「お医者さんも驚いとったでぇ? 全治を判断するのもややこしいくらいのズタボロ状態やったのに、二週間かそこらでこの回復力。骨があっさりくっついたことに、お医者さん頭抱えとったわ」

「氣って凄いよなー」

「凄いわなぁ」

 

 あの世界から外れたことにより、御遣いの氣は無くなっていた。

 しかしまあ、それでも自分自身の氣はあるわけで。

 残ったのは攻撃特化の氣だったけど、長い時間を生きて磨いた氣や知識は、それの応用を可能にすることくらい簡単にしてくれた。

 お陰で無理矢理広げてきた氣脈には、悲しんでいる間に氣がたっぷりと溜まり、それを用いては、まずは砕かれた骨の癒しを開始。氣脈より優先させた理由は、妙な形でくっつかれても困るからだ。

 そうして次は氣脈を癒して~とか、違和感があるところを癒して~とか、まあ暇な時間を存分に使っては癒してきたわけだ。

 お陰で全快も近い。

 御遣いの氣が混ざっていた時ほど癒しの力は強くないものの、そんなものはやっぱり応用だ。真髄までは知れなくとも、五斗米道を体験し続けた俺だ。

 華佗に癒してもらった時や延に癒してもらった時に、きっちりと自分の中の氣がどう刺激されていたのか~等も学習済み。ぬかりはございません。本人達には言えないけどね。

 

「で、だけどさ」

「お? なんやなんやかずピー。なんか訊きたいことでもあるん? あ、もしかして家族のこと? や~、それやったら見舞いに来た時とそう変わってへんで?」

「いや、家族のことはちょっと」

 

 剣術鍛錬でどうすればあんな怪我をするのか。そのことに関しては当然、家族からツッコまれた。

 けれども俺がまともに話せる状態じゃなかったため、流れはしたんだが……まあ、いつか話さなくちゃなぁ。

 今度はなんて話そうか。前は天下統一してきた~って言ったらオタマで殴られたし、今回は……これだな。“歴史と戦ってきた”。うん、間違ってない。オタマは飛びそうだけど、間違ってはいないよな。

 

「あの時代のことと、今のことを訊きたいんだ」

「ほへ? あの時代? ……や、俺にそれ訊いたってかずピーほどわからへんで?」

「ああ悪い、そういう意味じゃなくて。あー、なんて言うんだ? ほら、一応俺は最後の最後まで残って、その時代の……その、外史? を、中途半端に見届けたんだけどさ」

「中途半端なん? あーまーええわ、まずは聞こ」

「助かる。そう、中途半端なんだ。最後まで見届けることは許されなかった。だからさ」

 

 だから。

 もしかしたら、もう俺の願いが叶ったりしてないかの確認をしたかった。

 それなら貂蝉が現れない理由もわかるからだ。

 

「真っ直ぐ、正直に答えてくれ。過去に活躍した英雄はさ、───」

「───、ん。それがどう関係しとるのかは知らんけど、それはないわ。元のままや」

「……そか」

 

 訊いてみて、答えられて、溜め息をひとつ。

 願いは叶えられていないようだ。

 なら次の質問だ。

 

「夢で見たことがあるから訊くな? フランチェスカ内部にさ、こう……筋肉ゴリモリで頭が禿てて、モミアゲだけはあってそのモミアゲを三つ編みっぽくしてるオカマっぽい漢女が居たりは───」

 

 あの世界で見た夢の中、彼が現れたのはいつもフランチェスカの景色の中だった。

 だったらもしかして、なんて思って訊ねて───

 

「んあ? なんで知っとるん? 確かちょーせんとかゆー筋肉ゴリモリオカマッスルが、なんや古びた丸っこいの持って数日前からくねくね蠢いとってなぁ」

「居たァアアアアーアアアアアアアッ!!」

 

 ていうか既に来てた!

 ちょ……なにやってんのポリスな人に突き出されたらどうすんの!?

 どんな言い訳しても捕まりそうじゃないか! ……捕まったら普通に脱獄して来そうだけど!

 

「な、なぁ及川……? こういう時ってさ……普通は散々探し回って、何年かしたらひょっこり見つかるとかそんなんじゃ……」

「え? なんの話?」

「………」

 

 物凄い脱力感とともに説明を開始する。

 と、及川も微妙な表情で頬を掻いていた。

 

「あー、しゃあけどそーゆーの、最後に探すところを一番最初に探すかどうかの問題やん。あーゆー世界があって、物語っちゅーもんを体験した俺らやから言えることやけど、結局物語って最初にするか後にするかであっさり終わるか長引くかやろ?」

「そうだけどさ……」

 

 わかってはいるんだが、まあなんというか……脱力。

 

「ああまあけどわかったわ。よーするにかずピーがあのゴリモリマッチョに会えば話は進むんやな? せやったら善は急げや! 善やなくても急ご! 何がしたいのかまるでわからんけど!」

「その行動力だけは無駄に羨ましいな」

 

 言いつつも動く。

 さすがに完治はしていない体を氣で繋いで。

 

「あ、でもどないするん? お医者さんに見つかったらさすがに捕まるで?」

「外の空気を吸いたいって名目で、車椅子だな」

「んっへっへぇ、かずピーも悪やなぁ。あ、なら俺が押したるわ。で、車椅子どこ?」

 

 ガヤガヤと騒ぎながら用意を開始。

 個室でよかった。

 そうじゃなかったら、もう変人達の会話の域なんじゃなかろうか。

 

「おっしゃ準備万端! スーパーグレート松葉号! 発・進!」

「なんだよその名前」

「や、松葉杖の松葉って結局なんなんやろなーとか思ぅた結果」

 

 車椅子が発進する。

 及川はこんな面倒なことにも軽く頷いてくれて、いろいろと支えてくれた。

 振り返ってみれば一ヶ月にも満たない短い時間の中でも、自分が無理してるなって実感を持っている今……そんな気安さがありがたかった。

 

……。

 

 外に出てからは……なんというか、ひどかった。

 車椅子を目立たない場所へとソッと隠し、出入り口……まあ、門ではなくて壁を登って外へと出て。スリッパでは進みづらいから足に氣を込めてアスファルトの感触をシャットアウト、裸足で疾走を開始。

 後ろから「もうちょいゆっくり走ったってくれんーっ!?」とツッコまれつつも、そんな“悪さ”に懐かしさを感じて、笑った。

 居なきゃいけない場所から抜け出すなんて行為、破ったのはいつ以来だろう。

 あの世界ででもアニキさんの店に行くために、都から抜け出て……とかやったなぁ、なんて思い出す。

 アニキさんが店をやれなくなってからは、あまり寄ることもなくなったあそこ。

 彼の最後は家族に見守られての、黄巾時代を後悔しながらの往生だった。

 “あの時代でも、こんな風に看取られて死にたかったやつは居た筈なのになぁ”と、涙して逝った。

 先に立つ後悔はない。

 誰かに許されたとしても、その罪悪感はいつだって戻ってくるものなのだろう。

 

「ぜはーっ! ぜはーっ!! はっ……あ、あいっかわらずっ……どーゆー体力しとんねやっ……!! 俺っ……俺っ……もっ……もうっ……! だめっ……アカン……!」

「お姫さま抱っこでもするか?」

「そないなことして俺とかずピーの間で“アッー!”な噂が流れたらどないすんねん! 俺んこと好きな少女が悲しむやろが!」

「あれから彼女出来たのか?」

「やめて!? その祖父が孫を心配するみたいな目ぇやめて!?」

 

 ───ひとつの、長い長い旅が終わった。

 聞いたことはあっても見たことは無かった過去へ飛び、違いの多さに驚いて、戦を知った長い旅。

 生きることを学んで、死ぬことを知って、別れの涙を経験して、無力な自分に歯噛みする。

 呆れるくらいの辛さを知って、呆れるくらいの笑顔を知って、呆れるくらいの涙を知って、呆れるくらいの時を生きて。

 ふと振り返ると過去はすぐそこにあって、そんな世界が一瞬にも満たない程度の時間の狭間にあったことに、また呆れる。

 楽しかったかと訊かれれば、頷きもするし即答も出来る。

 けど、悲しかったかと言われても答えは同じ。

 そんな、とても、不思議な不思議な経験をした。

 

「おお! 自転車少年発見! なーなーかずピー!? こーゆー時って後で返すからとかゆーて奪ってもええ場面やってんな!? な!? んで、これがあとに巡り合いとして続いて、少年と友達になったりそのお姉さんとえー仲になったり!」

「警察に突き出されたりか」

「そんなん巡り合いとちゃうよ!?」

「大丈夫だって。お巡りさんと鉢合わせすれば、それは文字通り巡り合いだ」

「そんな奇妙なダジャレっぽい無駄知識いらんよ俺!」

 

 目を閉ざせば思い出せる日々がある。

 思い出せない顔達も、結果となって心にある。

 ……なぁ、みんな。俺はちゃんと、みんなが生きた証を肯定出来ただろうか。

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、兵と一緒に桃をかじったあの日や、俺の奢りで兵たちと一緒に飯を食べに行ったあの日。

 北郷隊は他の隊より絆が強くて羨ましい、なんて誰かが言っていた。

 そんな隊も、時間が経てば一人、また一人と家庭を持ち、故郷へ帰ったり旅に出たりと姿を消していった。

 それを寂しく思わなかったといえば……一人残された気分だった自分だけは、やっぱり寂しかったのだ。

 みんな旅立って、自分だけが残された、なんて錯覚を、どうしても感じてしまった。

 

「あ、タクシー停まってんでタクシー! ヘーイタク───」

「金は!?」

「……ヘ、ヘーイ! タスクー! 俺タスクー! タスッ……いやぁあああドア開けんといてぇえ!! すんませんえろうすんません! 金もってないの忘れてたんで見逃したってください!」

 

 ぜえぜえ言いながらもついてくる及川には、本当に感謝している。

 いろいろなことがぐるぐると頭の中で回るだけだったこの世界で、俯かせてばかりだった顔を持ち上げる勇気をくれた。

 今は考えるより走らなきゃ、見える筈のものだって見えないのだ。

 そう。どちらの世界でも思うことはきっと変わらない。

 いろんな思いが交差するこの世界で、それでも前を向いていられる理由が持てた。

 目標があるなら進まないと。理由があるなら立たないと。

 ……あの日と、あの夜。

 俺の頭を抱いてくれたやさしいぬくもりに報いるためにも。

 

「ほら及川っ、どうしたんだよ、早く行こう!」

「おんどれ病院からどんだけ走った思とんねや殺す気かオラァ!! 俺かて死に方くらい選ぶ権利あるやろ! “友達に付き合ぉて青春ダッシュして疲れ果てて死にました♪”なんてただの笑い話やろがぁっ! ……あ、自分で言うてて泣きたなってきた……! いやー! 俺もっとアハンな死に方したいー!」

「死に方が選べるんならそこの道端で白骨化してみてくれ。瞬時に」

「瞬時に!?」

「もしくは米の食い過ぎとかで」

「それアハンやのぉてご飯やーん! ……つまらんツッコミさせんなやぁ!! もういやー! 俺お家帰るー! ……結局フランチェスカやん! 寮とも呼べんプレハブ住まいやん!」

 

 御遣いの氣があった時ほど速くは走れない。

 それでも走れば走った分は進めて、それに呼吸をおかしくしながらもついてくる及川も及川で、途中途中で氣で喝を入れながらも背中を押した。

 ていうか、うん。別についてこなきゃいけない理由もないんだろうけど……ああ、ははっ。これも、彼なりの気遣いなんだろうって思えたら、なんか途中で意地でも最後まで連れていきたくなったのだ。

 

「げっほっ……! か、かずピ……かずっ……ピッヒッ……かずピーィイ! お、俺っ……俺もうだめ……無理……! かずピーだけでも……先にっ……」

「だめだ」

「いや冗談とかやのーてホンマに! 死ぬ! 本気で死ブッフ! げっほごほっ!」

「だ、大丈夫か及川! よし! 今からお前の中の氣を引き出すからそれを使って走るんだ! 使いきったらしばらく意識失うけど!」

「やめて!? なにっ……げっほ! なに怖いこと、ぜひっ、へはっ……さ、さらっと言ぅとんねん! ~……っはぁっ! お、俺もーだめやゆーとんねやぞ!? 聞いとる!?」

「いや、お前には恩がある。疲れてもついてきてくれるお前を今さら置いていけるか! ほら手ぇ出せ! 慣れないと垂れ流しになって結局気絶するけど」

「いやぁあああああやめてやめてやめてぇえええっ!!」

 

 いい天気だった。

 老人ってくらいの歳まで生きて、こうして元の世界に戻ってきて、姿は変わらなくても経験は高くて、心は老人っぽくて。

 でも……こんな友人と馬鹿みたいな会話を挟むだけで、心があの頃の自分に戻るようで。

 環境が人を変えるって言葉があるように、俺への態度が変わらないこの世界じゃ、俺はきっとかつてのままでいられるのだろう。

 この蒼の下……あの蒼とはまったく別の、時代すら繋がってさえいない空の下で、それでも……俺は。



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152:IF3/外史②

 気配を消して、及川の陰に隠れるようにしてフランチェスカの景色を歩く。

 入院してるくせに、こんなところでパジャマ姿でなんて、見つかったらただじゃ済まない。なので、及川の陰に隠れて。

 向かう先は、いつか夢の中で見た景色。

 ようやく呼吸を整えた及川に飲みものを奢……ろうとするも、財布を忘れたことに気づいて、後払いということで俺の分も自分の分も及川に買ってもらった。

 「奢りって感じがちぃともせんわ……」と、トホホな涙をこぼした及川と一緒に、景色の先へ。

 そこで待っていたのは……何故かはち切れんばかりのマッスルボディを白衣で包んだ、いつぞやのモンゴルマッチョであり……

 

「あぁ~らぁん! お久しぶりねぃ、ンごぉ~主人さァ~まァん!!」

 

 名を、貂蝉といった。

 

「よし及川、呼ばれてるぞ」

「ご主人サマゆーたらかずピーやろ!? ャッ……なんか怖い! くねくね蠢きながらこっち来とんでかずピー! なにアレ! なんやのアレ! 話には聞いとったけど、まさかアレが貂蝉やなんて俺知らんかった! 知りたくもなかった!」

「どぅあぁーれが闇夜に蠢く裸を曝す変態よりもテカテカしていて不気味な痴漢ですってぇえーん!?」

「ヒィごめんなさい! ゆーてません! そこまでゆーてませんけどなんかごめんなさい!」

 

 Q:白衣を着たビキニマッスルが突然筋肉を隆起させて目を光らせました。あなたならどうしますか?

 A:及川祐の回答/泣く。

 A:北郷一刀の回答/逃げ《しかし回り込まれてしまった!》……泣く。

 *ここ、テストに出ます。

 

「んもう! 久しぶりの再会だっていうのにぃん! つぅ~れないんだかるぁん!」

「いやうん、会いに来ておいて、会った途端に逃げようとして悪かったから。妙に“しな”をつくるのやめてくれ。及川が泣いてる」

 

 “あんな世界があったんやから、もしかしたら貂蝉ちゃんって意識すれば、べっぴんさんに見えるのかも!”とか儚すぎる夢を抱いていた彼の涙は、そりゃあもう見てられない。

 

「でゅふっ♪ え~えこんな会話よりも、知りたいことや欲しいものがあるんでしょん? も~ちろん用意してあるし、どんな質問もバッチリこォい、よん?」

「なんで白衣着てるんだか教えてください」

「何故って、こんな格好なら実験の先生っぽく見えるでしょん?」

(間違いようもないくらいに変態だ)

(ぶっちぎりにイカレた変態や……!)

「にゅふふ、あの世界のことよりもこの貂蝉ちゃんに興味津々だなんて、ご主人様ったらいけないオ・カ・タ♪」

「ヒギャアォオアァ!!? かかかかずピー!? かずピーィイイイ!! コレ今ウィンクで突風吹き荒ばせたァアアア!!」

「コレって誰ェ!! コレって何処ォ!!」

「ごめんなさいなんかもうごめんなさい顔近づけんといてェエエ!!」

 

 落ち着こう、及川。

 貂蝉もな、慣れれば普通の気の良い人なんだ。格好はアレだけど。

 

「ぬふん……よかったわん、いぃ~ぃ笑顔が出来るようになったのねぃ、ご主人様ん。あんなことの後だったから、ここに来るのはもっと後かと思ってたんだけどォもォゥ」

「……ああ。思い出と経験と……友人に感謝だ」

 

 その友人、泣いてるけどね。

 

「さぁ~てとゥン、軽い話はここまで。そろそろ真面目な話、していきましょ? 訊きたい事、あるんでしょう? ご主人様」

「ああ。……まず、俺が居た外史がどうなったのか、教えてくれ」

「そうねぃ、崩れていっているところよん。曹操ちゃんが死んじゃったあたりから崩れ始めて、それでも“ご主人様と左慈ちゃんが決着をつける舞台”って名目で、左慈ちゃん自身がその場限りの意味を持たせた。けど、それも終わったから、崩れるだけ」

「…………白装束とみんなとの決着は」

「ごめんなさい、それはわからないのよん。見届けてしまったら、私も外史の崩壊に巻き込まれてしまうから」

「見てたのか?」

「ええ。助けることはしなかったけれど」

「いや、いいよ。助けたら、それこそ連鎖が終わらなかったんだろうし」

 

 そっか。

 ……そうだな、どうなったのかわからないほうが、まだ希望が持てる。

 全滅した未来なんて、聞かされなくてよかった。

 今はそう思っておこう。

 

「で、私はご主人様がこの世界に来る前にここに来て、ずっと待ってたわけだけれども」

「そんな前からか!? な、なんで」

「だってご主人様が左慈ちゃんに勝ったら、いろいろと意味が変わってくるじゃない? あのねん、ご主人様ん? 今のご主人様はね? 曹操ちゃんが天下統一をした時と同じような状況なの。ここはご主人様が主軸の世界。突端同士が戦ってご主人様が勝ったから、この世界は今、ご主人様を主軸に置いた状態なの。どうしてあの世界ではなくてこの世界なのかは、あの世界がもう終わる世界だから。それはァ、わぁ~かるわねぃ?」

「………」

 

 言われてみて、少しホッとした。

 願った未来に、それは内容の一部として存在していたから。

 本当は全部を銅鏡に託すつもりだったけど……そっか。

 

「ご主人様が左慈ちゃんを倒すことで、世界にあった銅鏡のカケラの権利が完全にご主人様に移った、と言えばいいのかしらん」

「ああ、うん、十分だ。あ、で、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」

「あらん? 私のことをもっと知りた」

「違う」

「んもぉお~ぅう、さぁいごまで言わせてくれたっていいじゃな~いのぅん! でもそんないけずなご主人様もス・テ・キ♪」

「ギャッ……ヤヤッ……!!」

 

 ちなみに現在、貂蝉との間に及川を挟んで話している。

 逃げないように肩をがっしりと掴んで。

 なのでウィンクによる突風も、くねくねとした視覚ダメージも、ムチュリと飛ばされた投げキッスもほぼを及川が痙攣しながら受け取ってくれている。

 

「銅鏡に託す願いは、どうすれば叶えられるんだ?」

「銅鏡に触れれば叶うわん。そうじゃなかったらそもそも、最初のご主人様の考えが外史に反映されることなんてなかったでしょん?」

 

 ……なるほど、そうだったら、その前に及川に“実はメンマが~”とか言われてたら、多少は反映されるよなぁ。

 

「……わかった。早速で悪いんだけど、銅鏡って……」

「あるわよん? あ、もちろん私がもっているからってぇ、私の願いが叶えられるなぁ~んてことにはならないかぁ~らぁ、あぁんしんしてオッケイよんっ?」

「キャー!?」

 

 震える及川が、先ほどから元気だ。主に恐怖側の感情で。

 そしてウィンクで風を発生させるのはやめてくれ、本当に。

 

「願い事は決まっているのよねぃ? やっぱり外史の肯定?」

「まあそのー……とんでもない願い事。あ、でも渡される前に、まだ訊きたいことがあるんだ」

「きゃんっ、なんて真面目な凛々しい目。さ~すがのこの貂蝉ちゃんの心もぅ、こぉんな目で見つめられたぁらぁん、そっと目を閉じてぇ、唇を突き出してしまうわぁん!」

「ヒギャーギャギャギャギャギャギャアアアアアア!!! やめてかずピーやめてぇええ!! 離して! 離してぇえええ!!」

 

 及川が元気だ。

 そして離さない。ソレよりも話そう。

 

「実はさ、───」

「……、……あらぁん」

 

 望みを話して聞かせると、貂蝉は相当に驚いたようで目をぱちくり。

 でも、やがて穏やかな表情で笑うと、静かに「ありがとう」と言ってくれた。

 

「ええ、もちろんそれは、辻褄合わせってものが働いて、一気に、なんてことにはならないと思うわん。あぁんでも、そんな願いを聞かされちゃ~あぁあ、ま~すます託さないわけにはいかないわねぃ! さあ! ご~主人さァ~まぁ! これが銅鏡よん!」

 

 ヒュボォアア! と両手で、銅鏡が突き出された。

 途端、及川の眼鏡があまりの突風にパリーンと割れて……彼は再び泣いた。

 俺はそんな状況に笑いながら、心静かに……けれど、いっぱいの願いを込めて、それを真実と疑わずに、銅鏡を受け取───る前に。

 

「及川、悪い。ケータイ貸してくれ」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 目の前のゴリモリマッチョさんに恐怖しつつも、ストラップ付きのソレをカチャリと渡してくれる。

 俺はそんなケータイを操作して、映像の中に居るみんなを見つめながら……強く、強く心の中に思い描いた。願うべき世界を。願うべきこれからを。

 そうしてから銅鏡に手を伸ばして……それを、受け取った。

 

「……うん」

 

 ずしりと手に乗る重み。

 あんな願いを託すには、ちょっとばっかり軽いかな、なんて思わなくもないけど。でも、全てを託そう。託した上で───

 

「これで、もう叶ってるのかな」

「うぅん、確認のしようがないわねぃ。たとえばあっちの世界ではあって、こっちの世界ではないものがあったりすれば───」

「あっちの世界ではあって…………あ」

 

 ハッとして、自分の内側に意識を向ける……と、ここでまたどうしようもなく頬が緩むのを感じて、全ての準備が整ったことに、素直に笑った。

 さあ。無茶を始めよう。

 そもそもが……そう、突端からして無茶だらけだった長い長い旅の終わり。

 でも、人の話なんてものは誰かが想像してしまえば、そこからどれほどまでも創造できるものだ。

 そんな“もしも”が連なって出来るのが外史ってもので、こうだったらいいなが形になった世界だから。そこに、正史なんてものは存在しない。外史は外史なのだから。

 

  ニカッと笑って空を仰ぎ、願いを叫ぶ。

 

 銅鏡に願った思いとは別に、世界の辻褄が現在に届くよりも先に。

 辻褄とともにいつかはこの氣脈の中に戻るであろう、“御遣いの氣”を思いながら。

 

「華琳! みんな! 俺はここだぞ! みんなが居ないと寂しくてやってられない子供な俺だ! どうか、こんな弱い俺を助けてくれ! ───ははっ、頼むよ! “御遣いさま”!!」

 

 ───遠いいつか。

 覇王に到り、世界の軸となった少女が願った末に、一人の御遣いが召喚された。

 御遣いは少女が願う通りに“またね”を叶えて、そんな世界をずっと一緒に生きた。

 その過程で少女は、そんな御遣いの友人に会ってみたいと思い、同時に御遣いの心労を癒してやりたいと願った。

 結果として友人が召喚された。

 じゃあ、左慈に勝つことで外史の軸って立場を濃くした自分は、なにを願うだろう。

 世界平和? 退屈の抹消? 願ったところで、きっとそれは、本当の願いまでにはどれも一歩が足りていない。

 だったらそんなものを消してしまえるくらいの、頼りになる天の……ああいや、ここが天なら……うん。“地の御遣いさま”を召喚しよう。

 銅鏡が俺の願いを叶え、“外史の全て”をくっつけ終える前に。

 

「ちょ、ちょちょちょちょっと、ご主人様ん? みんなってまさかぁ、曹操ちゃんたちをここへ呼ぼうって魂胆にゃ~のかしらぁん!?」

「魂胆っていうか、決めてたことだよ。無駄に時間はあったから。もし自分が勝つことで、覇王になった華琳みたいに“願える立場”になったならって。銅鏡に託す願いとは別にね」

「それはさすがに無理よん! 曹操ちゃんだってそもそも、呼べたのはご主人様一人だったでしょん!?」

「さっき訊いた通りだよ。俺が銅鏡に願った時点で、外史は過去からじっくりと、辻褄を合わせながらくっついていってるんだろ? だったら、そこにあった銅鏡のカケラの分だけ、願いだって叶えられるよ。願うだけならタダだし……それに」

「それに?」

「あの世界で及川が前例を作ってくれた。人一人を召喚するのなんて、天下統一を成し遂げるより、簡単だろ?」

「………」

 

 貂蝉はぽかんとしたのち、とんでもなく……本当に、本当にやさしい笑顔になって、頷いてくれた。

 そう。

 銅鏡に願ったのは外史の結合。

 全ての外史を一つにして、“ここ”までを繋げる。

 いつか禅に聞かせた通り、あの頃から今まで……1800年後で待てるように。

 歴史での曹操は男だった。

 けど、そんな過去は正史に任せよう。

 俺達は外史を生きてきた。

 外史はどこまでいっても外史でしかないのなら……そんな世界を肯定して、そこからみんなで歩いていけばいい。

 

「でもねぃご主人様ぁ? 確かに天下統一よりは簡単でしょぉ~ぅけぇれどもぉん。それだって、呼べて一人か二人くらいになるんじゃないのん?」

「“俺”が誰かの御遣いとして降りる世界は、カケラの数だけあったんだろ? それが一つになるんだ。呼べる人だってそれだけ増えるって」

「……あらやだ、ごぉ~主人様ったぁ~るぁん、意外にずっこいこととか考えちゃうのねん」

「心が老人になるまで生きれば、常識からちょっとズレたところを探すくらい誰でも出来るよ。ほんと、時間だけはあったんだから」

 

 大切な人が亡くなる度、何かに費やす時間は減ったのだ。

 それこそ鍛錬ばかりになってしまって、娘や孫に怒られたのを覚えている。

 そんな過去に頬を緩ませながら、はぁと息を吐く。

 空を見上げ、目を閉じて……しばらくそうして風に吹かれてから、目を開いて手を見下ろす。

 まるで風に解けたかのように消えて無くなった銅鏡に、頼んだぞ、なんて思いを浮かべながら。

 

「あ、あぁああ……けどな、ななななかずずず」

「落ち着け及川」

「えひゃい!?」

 

 動揺中の友人の脇腹に貫手をすると、彼はアミバ的な悲鳴を上げて、震えを止めた。

 

「あ、あぁええとやな。さっきかずピー叫んどったけど、昔の人ここに呼ぶなんて、出来んの?」

「未来の人を過去に飛ばすことだって出来たんだ。上手くいくよ。いかなければいかないで、仕方ないって」

「仕方ないって顔しとらんけどな、かずピー……あ、で、やけど。呼んだらおばーちゃんになったみんなが来るん?」

「……なんのために動画見てたと思ってんだおのれは」

「あ、あーあーあー! そゆことー! そうやったんかなるほどなるほどー!」

 

 思い出せる笑顔はたくさん。

 思い出せない笑顔もたくさん。

 思い出せないものにごめんを唱えると、心の中の俺が泣いた。

 それでも歩いていきたい未来があるんだ。

 一人ぼっちじゃ寂しい世界を、本来なら居なかった筈の俺が、自分として居るべきこの世界で……本来なら居ないみんなを願う。

 いつになってもいいから、どうか叶った日には顔を見せてほしい。

 それこそ、臨終の時まで待ってるから。

 だから、また出会えたその時は。

 みんなで、あの懐かしい大陸に帰ろう。

 娘とそう約束をしたから。

 

「願った瞬間に叶う願いなんて、そりゃないよな」

「そら、願いってのは大体自分で叶えるもんやしなぁ。他人の力借りて叶えることに、時間がかかりすぎや~なんて文句言っても始まらんわなぁ」

「そうねぃ、それにそんなとんでもないお願い、世界に受け入れられるかもわからないしねん」

「ん……いやぁ、それは大丈夫なんじゃないかな。少なくとも、もうそれを否定したい相手は……うん、居ないと思うから」

「あらん? それってばどぉ~~ぅゆぅ~ことぉん?」

 

 願ったものは外史の結合。

 外史ってものをくっつけて、ひとつにする。

 そこに、別の世界の住人だから成長しないもの、なんてものはない。

 つまり───

 

「今度はさ、友達になれると思うんだよ。本気でぶつかり合った男同士ってのは、単純で馬鹿なんだ。今度は一緒に歳とって、一緒に酒でも飲める仲になりたいよ」

 

 あの日に姿を消した二人とも、きっとまた出会える。

 もう願われるたびに、それに従って生きる必要もない。

 だから、まあ。

 もし出会えたら……とりあえず于吉は一発殴ろう。グーで殴ろう。

 

「じゃあ……これで」

「そうねぃ、私も役目を終えることが出来たようだぁ~かるぁん。……って、あらん? ちょぉ~っと待ってん、ご主人さまぁん。私これから、何処へ帰ればいいのかしらん」

「何処って。もうこの世界以外に外史なんて無くなるから、貂蝉もこの世界で歳を取って死ぬだけだぞ?」

「………」

「……いや。まさか気づいてなかったのか?」

 

 訊ねてみる……と、貂蝉は少し震え、ひと雫の涙を零した。

 ……どうした、なんて訊かない。

 生きてみればわかる、歳も取らずに見送る寂しさを、俺はもう知ったから。

 それが、ようやく大切な人と歳をとれる。

 それは当たり前のことだけど、大切なことだから。

 

「……ありがとう、ご主人様。まさかこんな形で剪定者の役目から離れられるなんて思ってもみなかったわん……!」

「……よかった。余計なことだったらどうしようかと思ったよ。今回のことで一番怖かったのは、肯定者の反応だったんだ」

「あー、そらわかるわ。否定するモンにしてみりゃこれはありがたいことやろーけど、肯定してたモンにしてみりゃ余計なことをってもんやろーしなぁ」

「あ、でもその場合、身分証とかはどうすればいいかな」

「そこんところはソッチ系の力で強引に捻り込むわよん。なんだったら左慈ちゃんと于吉ちゃん探して、方術で偽造してもいいしねんっ! あ、卑弥呼も探さないとだわん。いろいろと揉めそうだけど、それもまあ……んふん、覚悟の上でぶつかっちゃうわよん!」

「もう否定も肯定も滅茶苦茶やな……いがみ合ってたのとちゃうん?」

「否定も肯定も認められたこの世界だ~もにょん、今さらよん、そんなものは」

 

 そう、今さらってことでいいのだろう。

 これからのことはこれから考えよう。

 持っているものでどうにでも出来るんだったら迷わずしてしまえばいい。

 ああもちろん、殺しとか脅迫は無しの方向で。

 

「それじゃーねぃ、ご主人様。縁があったらまた何処かで会いましょん?」

「ああ、貂蝉も、げ…………うん、元気じゃない貂蝉って想像できないな」

「あー、わかるわーその気持ち」

「どぅあーれが常時筋肉を震わせてゲラゲラ笑う怪物ですってぇえん!?」

『そこまで言ってないよ!?』

 

 あまりの迫力に、素に戻った及川とともにツッコンだ。

 ともあれ手を振って別れてからは、急に静かになった広いフランチェスカの敷地内で、芝生の上に腰を下ろしてボウっとした。

 

「……はぁー、せやけど、なんやほんと夢みたいな時間やったなぁ」

「そうだな。……この世界に戻ってきた時、胡蝶の夢って言葉、思い出したよ」

「ああ、こっちが夢なのかあっちが夢なのかーってやつやな? いやー、まさか自分らが経験するとは思ってもみんかったなぁ。俺完全にただの夢やー思とったもん。貴重体験やけど、きっと誰に話しても信用されんな」

「だよなぁ。及川だって、今でも夢みたいだろ?」

「……今ここに立ってることとかも、なんや不安定に思えてきたくらいや」

「……ん。俺もだ」

 

 これで段落はついたのだろう。

 あとは過去から現在へ、辻褄合わせが済めば……正史なんて関係ない、外史だけの物語が続いていく。

 そもそも最初っからこの世界が作られた世界だって知っていたなら、正史なんてものを大事に思う必要もなかったんだ。

 正史の曹操がどんなことをしてどうなったのか。正直なところ、伝え聞いたことくらいしか知らない俺達だ。

 実際に彼らが何を為し、何を思っていたかを知る人は居ない。

 それが正史ってものなら、俺達が経験した全ては外史で、俺達が立っている場所も外史なのだ。正史なんてものは、関係がないものだったとさえ言えてしまうわけで。

 

「あー……しゃあけどかずピー? 辻褄合わせはえーけどな? どんな過去がここまで来るのか~とかはわかるん? や、もしかしたらやけど、俺達が知る外史とは違てる外史が過去にあてがわれるかもしれんねやろ?」

「外史を結合させようなんて考えた人間がどれだけ居るかじゃないか? あの外史を経験したのは俺だけなんだし、そんな俺が願ったなら……まあ」

「あぁ、せやな。そら言ったって始まらんわ。なってみてのお愉しみやね」

「そゆこと」

 

 顔を見合ってニカッと笑い、ぽてりと寝転がる。

 いい風が吹いていた。

 大きく吸って吐いたなら、そのまま眠れそうなくらいのやすらぎを感じる。

 そこまで考えてみて、ああそういえばと笑った。

 華琳に呼ばれてからずっと、自分は御遣いとして気を張ったままだったんだなぁと。

 ただの学生に戻るまでにいったいどれほどの時間がかかったのか。

 やらなきゃいけないことから意識が逸れるまで、どれほど時間がかかったのか。

 ようやく息を吐けたのだ。

 そりゃ、やすらぎもする。

 

「あ、ところでかずピー? 一発殴らせろゆーたの覚えとる?」

「ん、ああ、覚えてるよ。その拳に俺がクロスカウンターを重ねる約束だったな」

「生きすぎてボケたのとちゃうよね!? ただ俺が殴るって約束やったやろが!」

 

 くだらないやりとりも気安いもの。

 結局は傷が完治してからって話になって、そのままくだらない話をした。

 勉強のことがどうの、女の子のことがどうの。

 「遊びに行く約束パーになったんやから、今度は思い切り付き合ぉてもらうでー」なんて、眼鏡を輝かせながら言う友人に、ん、と頷いて。

 

  長い長い旅は終わったのだ。

 

 空を正面に捉えて、目を閉じた時。

 そんな言葉が自然と心をノックした気がした。

 覚悟完了を唱えるまでもなく、理解したのだろう。終わったものは懐かしめても、その日には戻れないのだと。

 だから、今は帰ろう。

 あの世界の故郷ではなく、今の自分が帰るべき場所へ。

 そこで、この世界でしか出来ないことをしながら……ゆっくりと待とうか。

 いつか、辻褄が自分の氣脈に御遣いの氣を持ってくる日を。

 

  立ち上がって、歩き出す。

 

 新しい目標を思い描いて、まずはなにをしようか、なんて笑いながら。

 及川は何処か美味いメシ食べに行こう、なんて言って、“当然女の子と”なんて付け加えてニシシと笑っていた。

 いつかはあの蒼と繋がるだろう空の下、忙しくもない日々が、再び動き始めた。

 新しい第一歩は踏み締めたばかり。

 友人とくだらない時間を過ごしながら、時には意外性に走りつつ、日々を待とう。

 願ったことが、せめて少しでも多くの人に笑みを贈ることのできるものだと信じて。

 

 

 

  …………まあ、誰かが笑う前に。

 

 

  戻った先の病室で、お医者さんに激怒されたのは言うまでもない。

 

 

 



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END:IF3/地から天への物語①

END/終端

 

 傷が完治して少し経った頃のことを話そうか。

 

「うぬ!? ムグオオッ!?」

 

 完治記念に久しぶりにじいちゃんと仕合うことになった。もちろん家の道場で。

 で……まあ、なんと言いますか、圧勝。

 竹刀がじいちゃんの頭部を叩くと、あっさりと勝敗は決まったわけで。

 

「……むう。よもやこうもあっさり負けるとは……。一刀、入院中に何かを掴んだか?」

「いや、むしろ入院前に何かを掴みまくったから、あんなズタボロだったわけで」

「……そうか。泣き叫ぶお前を見た時は、まだまだ小僧だと嘆息したものだがな。時折病室に顔を出してみれば、妙に迷いの晴れた顔をしておる。なにかあったか、とは思ったがな」

「ああうん。ちょっと歴史と戦ってきた」

「───……そうか。守りたかったものは守れたか?」

「へ? あ、ああ、えっと……うん。みんなは“守ってもらった”って言ったよ。俺に自覚がなくても、みんな幸せそうだった」

「………」

 

 そう返すと、じいちゃんは俺の話を笑うでもなく真剣な顔で聞いて、頷いてくれた。

 仕合いを見ていた及川でさえ、「言ったってわかられへんてー……」と寂しがっているのに。

 

「世迷言をと切って捨てるのは容易いのだろうな。だが、お前の目は嘘をついてはおらん。儂はそんな目をして話す孫の言葉を鼻で笑うほど耄碌しとらんつもりだ。世の中というのは己が知らんだけで、理解に追いつかん物事がごろごろと転がっておるものよ。どれほどの科学者や権威を持ったものが知識を並べようが、説明し切れんものこそ溢れるほどにな」

 

 言いながら俺に近づいて、ポムと頭に手を乗せる。

 それから俺の目をじっと見つめて……言った。

 

「おう、良い目だ。世の何も知らん孺子には出来ぬ目よ。故に、なぁ、一刀よ───」

「じ、じいちゃん? うわっ!? ……っと」

「道場は、お前が継げ。今なら受け取れるな?」

「───」

 

 なにを、なんて返さない。

 免許皆伝。

 もはや教えることなど無いと、あのじいちゃんが俺の胸を殴りつけ、言ったのだ。

 断る? いや、そんな選択肢は無かった。

 人に何かを託す時の期待感はよく知っている。

 父になった。祖父にもなった。

 そんな自分が、自分の何かを誰かに託す瞬間を、何度も経験してきた。

 あの時の感情を、じいちゃんも感じてくれているのだろうか。

 こんな、じいちゃんからしてみれば、急に怪我をして入院しただけの男に。

 

「でも俺、技とか全然教えてもらって───」

「そんなものは倉の書物でも好きに漁って学んでゆけばよいわ。基礎さえ学べば、そのための骨組みなんぞは気づけば仕上がっているものぞ」

「……ごめんじいちゃん、基礎忘れた」

「ぬおっ!? ……叩き込み終えたばかりであろうが!!」

「ごめんなさい!?」

 

 でも50年以上もあんな世界で生きてたら、自然と型とかも変わりますよ!?

 俺悪くないよね!? こればっかりは悪くないよねぇ!?

 あーこら! 及川! 笑うな!

 

「ええいもういい! 叩き込み直してくれるわ! ……ム、だが待て、そろそろ“らじお”が……」

「おぉう!? かずピーのじっちゃん、ラジオなんて聞くのん!?」

「野球の実況だよ。テレビ見ればいいのに、ラジオを聞いて状況を想像するのが好きらしい」

「うへぇぁ……なんやさすがかずピーのじっちゃんやね……。妙なところでちょいおかしいわ」

「え? 俺おかしいか?」

 

 ラジオをつける。

 ご丁寧に道場まで持ってきてあるのは、どれだけ好きなのかを現すのに丁度いいというか。

 神聖な道場になにを───! なんてことは言わないのだ。これでこの人、結構いい加減だし。厳しいけど程よくいい加減。そんな人だ。ああ、俺のじいちゃんだなー、なんて、そんな時ばかりは深く頷いてしまう。

 

「んお? なーかずピー? かずピーんとこのおかん、なんや入り口で呼んどるでー?」

「? なんだろ……って、呼ばれてるのじいちゃんじゃないか」

「なんじゃいこの忙しい時に……! 儂は今らじおを……」

 

 ぶつくさ言いながらも、母さんが言う言葉に耳を傾け……やがて、ピーンと眉を持ち上げ、驚いた。

 

「……なに!? 道場破りじゃと!?」

「ウッヒャーオ!? 俺、生の道場破りなんて見るのも聞くのも、産まれて初めてやで!?」

「俺だってそうだよ! っへぇえ……! 居るんだなぁ道場破りなんて……!」

「応、ではゆけ一刀。儂もう道場のこと任せたから関係ないし、お前に任せた」

『えぇええええええええええええっ!?』

 

 及川と俺、じいちゃんの言葉に絶叫。

 でも確かに託されてしまい、しかもその託す時の気持ちとやらもわかってしまったわけで。

 それでもじいちゃんがこんなに簡単に人にものを任せる性格とは……! ……あの、もしかしてあっさり負けたことにイジケてらっしゃるとか……ハ、ハハ!? まさかねぇ!?

 

「どどどどどどないすんねやかずピー! おまっ……これ、負けたら道場の看板下ろすことに……! ……。負け? あー……まあ、うん、殺さへんようにな?」

「真顔で心配するところ、そこなのか」

 

 及川があんまりにも慌てたりするもんだから、逆に冷静になれた。

 軽くツッコミつつも、早くと急かす母さんに苦笑しながらも歩く。

 ほんと、どの世界でも意識していないだけで、これで案外……退屈なんてものは出来ないように出来ているのかもしれない。

 

「じゃあ相手側に弟子とか居たら、先鋒は任せた」

「俺になに期待しとんの!? いやいやもし相手が木刀とか持っとったら俺死ぬわ!」

「いや、案外相手は、剣の道に生きた大和撫子美人とかだったり───」

「よっしゃあ先鋒任されたわ! 勝負方法は寝技限定で!」

「……お前さ、そんなんだからフラレるんじゃないか?」

「ほっといたって!? えーやんべつに自分に正直で!」

 

 騒ぎながらも歩く今は、重荷が下りたからなのか、はたまた背負ったからこそ強く在れるのか。前よりもひどく軽い一歩にわくわくしつつ、及川と二人、入り口へと急いだ。

 道場破りの勝負を受け入れるのか断るのかは、まあもちろん考え中なんだけど……たまにはそういう冒険もいいのかもしれない。

 負けたら看板下ろすことになるわけだけど、じいちゃんがそれでいいと頷いているのなら。両親は滅茶苦茶怒りそうだけどね。

 

「あ、ほんなら前口上は俺が言うなー? “ふふふ、よー来たな道場破り! お前はかずピーに触れることすら出来ずに負けることになるでぇ!”とか。どや? これどないやー!?」

「先鋒の及川が相手に抱き付いて自爆して勝つのか。なるほど、俺に触れてもいないな」

「俺何処のサイバイマン!? そもそも俺に自爆能力なんてあらへんよ!?」

 

 日々は刺激に事欠かない。

 自分が気づいていないだけで、手を伸ばせば掴めるものは、自分が思うよりも沢山あると思う。

 そんなものへと自分から一歩近づくだけで、世界は大きく色を変える。

 そっちへ進まなきゃよかった、なんて後悔することもあるだろう。

 あちらへ進んでおけばと泣きたくなることなんて、きっと呆れるほど。

 でも……───そうだなぁ。

 そんな時間もいつかは笑い飛ばせる日が来るから。

 そんな日々を笑い話に出来るほど、今を謳歌する努力をしようか。

 休む暇なんてないくらい、それこそ……全ての時間を精一杯に楽しむように。

 

「よっしゃあ道場破りは何処やぁーっ!! この道場の主たる北郷一刀サマが相手になるでぇーっ!?」

「馬鹿っ! 言葉で言われただけで、まだ正式に主になったわけじゃないだろがっ!」

「あー! 馬鹿ってゆーたー! へへーん馬鹿って言うほうが馬鹿やこの馬鹿! かずピーの馬鹿! 馬鹿ピー!」

 

 騒ぐだけ騒いだままに道場の外へ。

 母の呆れ顔に迎えられながら、新しい刺激を求めた一歩が、今───

 

 

 

「やれやれ、騒がしいことよなぁ。あれでしっかりやっていけるのか。……いや、それはもはや儂が心配することでもないか。どぅれ、らじおの方は……」

 

『───続いてのニュースです。数日前、○○○に落下が確認された流星群ですが、調査班が向かったところクレーターがあるのみであり、なにがあるわけでもなかったという話が───』

 

 

 

 ───ゆっくりと、踏み出された。

 

「───って、左慈ぃいいいっ!? おまっ……なんでここに!?」

「はぁ~いご主人様ぁん! 左慈ちゃんと于吉ちゃんめっけちゃったから挨拶しにきたわよん!」

「貂蝉まで!? 挨拶って…………そのマッスル白衣でか……!? もうちょっとこっちに気を使った格好をしてほしいんだが……!」

「フン、何が挨拶だ。俺が来た理由は言葉通り、道場破りだ。……北郷一刀。あの時の借りを返してもらいにきたぞ……!」

「へ? なに? コレが“サジ”とかゆーやつなん? なんかトゲトゲしとるけど、決着ついたのとちゃうのん?」

「ああついたな。だから来たに決まっているだろう。外史もなにも関係無い……純粋な勝負をしに来てやったんだ」

「うっは、えらっそうやなぁこのにーちゃん。態度めっちゃデカいやん。背ぇ低いくせに」

「殺すぞ貴様!!」

 

 第一歩の先に待つなにかを、たとえば少し想像してみたとして。

 そんな一歩で欲しいものが手に入る、なんてことが現実として有り得るかと誰かが問うた。

 その問いに、ある人は笑って答えた。

 “そんなものは気持ちの持ちようだ”と。

 手に入ったと思わなければ、たとえ本当にソレを手に持っていたとしても、いつまで経っても手に入れたとは思えないものなのだと。

 

「あ、及川? こいつの口癖、この“殺す”だから、あんまり気にすることないぞ」

「なっ……! 勘違いするなよ北郷一刀……! 俺がその気になれば、貴様など……!」

「はいはい、それくらいにしておきなさい左慈。今日は礼を言いに来たのでしょう?」

「だっ!? だだ誰がこんな男に礼を!」

 

 ───今、俺はなにを手に入れることが出来ただろう。

 ここに至るまでの日々を思い返して、小さくそう考えた。

 退屈しない日常は確かにある。

 なにかが足りなくても、いつかはそれに順応していく自分を想像していたのに、騒がしさっていうものは自分をほうっておいてはくれないらしいから。

 そう思えば、手に入れることが出来たものなんて、やっぱり意識していなかっただけで、もうとっくにそこにはあったのだ。

 うんざりするくらいの騒がしさの中に居ても、その中の些細で少し笑えたら、意識してしまえばそれは確かに……笑顔を手に入れたってことにもなるのだから。

 

「あぁ~んらぁ~、素直じゃないわね左ぁ~慈ちゃぁあん。そんなアータには、貂蝉ちゃんが素直になれるお・ま・じ・な・い・を、ぶちゅっとホッペに」

「やめろ肉ダルマ! 頬が腐る!」

「あぁら失礼しちゃぁ~う! 誰が骨すら溶かす妖怪ダルマですってん!?」

「いえ貂蝉、その役目はこの于吉が。では左慈、私が素直になれるまじないとやら」

「やめろ気色悪い! いいから黙っていろ! ~……北郷一刀!」

「へ? あ、ああ……えと、なんだ?」

「き、きさっ……貴様、は……、その……、~……北郷一刀!」

「だっ……だからなんだよ!」

「……、……拳を出せ」

「?」

 

 言われるまま、とりあえず突き出してみた拳に、左慈の拳がゴツっとぶつけられた。

 左慈はまるで叱られた後に仕方なく仲直りをしようとする少年のように、そっぽを向いて。

 俺は、そんな左慈と自分の拳とを見下ろして。

 

「お? なになに? もしかして友達の儀式とかゆーやつ? あぁ、そういや全力で殴り合ったんやってんな? 殴り合って友情芽生えるなんて、いつの時代の青春や~って話やなぁ。ま、俺とあきちゃんもやったけど」

「あらぁん? 喧嘩して仲直りするのに、いつの時代も関係ないわよ及川ちゃん。むしろあんな過去で殴り合ったかぁ~らこそぉん、こんな青臭いのがぴったりなんじゃないのん」

「あ、そらそーや! 言われてみればせやった!」

「なにが儀式だ! 誰が友達だ! 勘違いするなよ貴様ら! 俺はただ! ……た、ただ、だな。その。…………くだらない連鎖から解放してくれたことに、だな」

「……え? なに? もしかして俺、ツン10割がデレる瞬間とかに出くわしとるの?」

「ええ、よい着眼点です。左慈は本当に面倒くさいツンですからね。長く連れ添った私にさえデレてくれないというのに。やれやれ」

「蹴り殺すぞ貴様らぁ!! ~っ……どいつもこいつも……! いいか北郷一刀! つまりだな……っ!」

「あ、ああ……?」

「………~……!!」

 

 顔、真っ赤。

 どれだけの葛藤が彼の中で渦巻いているのか。

 そんな疑問を抱いた途端、彼が俺の耳に一気に顔を近づけ、一言を言った。

 

「え!? なにー!? 聞こえんかったからもっかいゆーてー!?」

「誰が言うかっ! そもそも貴様に聞かせる理由がどこにある!」

「俺が聞きたいだけやぁあーっ!!」

「……北郷一刀。友達は選ぶべきだぞ」

「友人関連でお前に心配されるとは思わなかったよ。言えてるけど」

「えぇ!? ひどない!?」

 

 少しずつ少しずつ、何かをきっかけに暖かな何かが近づいてきている予感。

 漠然としたものなのに、寒い日が続いたあとに、急に暖かな日が訪れるみたいに。

 小さな暖かさが、ゆっくりとやってきていた。

 

  ……俺を肯定してくれて───

 

 そんな暖かさに笑みを浮かべる。

 生憎と、耳の傍で放たれた言葉は最後が聞こえなかったけど。真っ赤な顔を見れば、それに続く言葉も少しは想像ができた。

 おそらくこれからは一生、俺にそんなことは言わないんだろう。

 

「それでなんだけどご主人様ん? これからちょぉ~ぃとばっかしぃ、散歩でもしなぁ~ぁい? お空がとぉってもぉぅ、い~い天気にゃ~にょよん」

「待て貂蝉! 俺は道場破りをすると言っただろう!」

「そして勝って、北郷流の正統伝承者になるわけですね? ああ、流派は適当に言っただけなのでお気になさらず。ふふっ、しかし左慈にもこの時代でやりたいことが見つかりましたか。ええ、結構」

「ちょっと待て! 何故俺が北郷一刀の流派なぞ継がなければならん!」

「知りませんでしたか? 道場破りとはそういう結果に繋がるのですよ?」

「そっ……そうなのか!?」

「ええまあ嘘ですが」

「貴様殺す!!」

 

 散歩の提案ののちに漫才を始めたかつての敵を前に、なんかもう笑うしか無くなってくる。

 こうなれば乗らない手はない。

 息抜きがてらに道着のままに外に出て、行き先も決めずに歩き出す。

 歩く先でもやかましいのは、なんかもういっそ吼えたがりの犬の散歩をしている気分で行こうと、心が頷いた。

 ビキニパンツの白衣マッチョや、妙な……法衣? を来た男達と、道着姿の俺が道をゆく光景に、擦れ違うご近所さんに早速おかしな目で見られたのは……きっと気にしてはいけないことだ。

 

「けどかずピーんとこのおかん、このムチムチ白衣マッチョを前によく腰抜かしたりせぇへんかったなぁ」

「道場ってだけで、結構いろいろな人が出入りするからなぁ」

「……おかんがそれで、なんでかずピーはそうなんかなぁ」

「抱き付かれた経験があるから」

「……ごめん」

 

 素で謝られた。



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END:IF3/地から天への物語②

 ……それから、散歩と称して家を出て、適当に歩いた。

 目的地は……まだ決まっていない。

 

「で、貂蝉。散歩って何処へ? 当てもなくだと本当に適当になるぞ?」

「資料館とォかァ、行ってみたくなぁ~ぁい?」

「資料館って……フランチェスカの?」

「そう。私の漢女チックなハートがドキンドキンしてるの。きっとそろそろなんじゃないかって」

「ほへ? そろそろて、なにがや?」

「つ・じ・つ・ま♪ むしろ気づいてないだけでぇ、ご主人様とかはもう無意識に感じちゃってたりするんじゃなぁ~ぁい?」

「俺? 俺はべつに───……あ」

 

 あった。

 そういえば、道場を出る時、なんだか体が異様なくらい軽くて───

 

「………」

 

 その軽さに懐かしさを覚えた頃、懐かしい匂いを感じた瞬間。踏み出した一歩というのはいい方向へ進んでくれたんだなって、静かに……けれど深く、心から思うことが出来た。

 意識を目の前に戻してみれば、視界に広がる近所の広い公園。

 子供が燥ぐ声や、誰かの楽しげな大声。

 ここらじゃ珍しいたい焼きの露店が出ていて、今も何人かの女性が姦しく集まっていた。

 

「なに? かずピー気づいたことでもあるん?」

「ああ。さっきさ、」

「食い逃げだぁあああーっ!!」

「そう、食い逃───……あー……」

 

 ───さて。

 じゃあ、ゆっくりとした日常のことも話したことだし、物語の続きを話そうか。

 そうだなぁ、まずは何から話したものか。

 ああそうそう、踏み出した一歩から何十歩歩いたあとのこと。

 勉強に遊びに鍛錬に、日々を面白おかしく過ごしていた所為で気づけなかったことがあったんだ。

 なんでも数日前、近くの山に流星群が落ちたらしい。

 流星が落ちるだけでも珍しいっていうのに、それが群れで落ちてきたというのだ。

 でも、編成された調査班が調べに行ってもなにもなく。

 それどころか何人かの調査班が何者かに気絶させられ、その顔に怖いくらいの悪戯書きをされていたとか。

 

「……財布、持ってたっけ。……あるな」

 

 そんなことをしでかした“彼女ら”だが、この世界の通貨なんぞ持っている筈もなく、美味しい匂いに誘われて喰らったらしいたい焼き屋の前で、そんな騒ぎはよーく耳に届いたわけで。

 

「し、失礼した! 食べるつもりはなかったのだ! ……こらっ! 食い意地を張るにしても我らの状況を考えてからだな……!」

 

 さらりと揺れる黒に、目を奪われた。

 思えば困っている顔か怒っている顔ばかりを見ていたな、なんて思い出すのは、彼女に失礼だろうか。

 

「だってお腹空いたのだ! もう何日も食べてなくて、お腹と背中がくっつくのだー!」

 

 騒ぐ姿はいつかのまま。

 記憶はどうなのかな、なんて考えるのは野暮だろうか。

 

「か、華琳様! 鈴々がとうとうやらかしたそうで! ───私もいただいてしまっていいでしょうか!」

「いいわけがないでしょう! それよりも今は、一刻も早く……!」

「しかし華琳様。フランチェスカ、という名のみを頼りに歩むのも限界が……」

「他に頼る当てがあるのなら是非聞いてみたいわね、秋蘭。なに? 人の体ばかりににやにやと目をやり近づいてくる、そんな男どもの案内を受けよとでも言うつもりかしら」

 

 走って、近づいて、抱き締めてしまうのは、許されないことだろうか。

 そうしてみて、もし彼女たちが俺の知る人たちではなかったら?

 違う外史の辻褄からここへ来た人達だったら?

 ちょっと考えて、笑った。

 途端、ぶつぶつ言いながらも何故か俺の隣を歩いていた左慈が、俺をちらりと見て顎で促した。

 

「勝者がなにを躊躇う必要がある。貴様が願ったからこそ現れた“御遣いども”だろう」

「え……どうして」

「貂蝉から話は聞いた。つくづく弱いな貴様は。やつらが居なければ今を生きる力もないのか」

「………」

 

 考えてみる。

 と、そんな考えが纏まる前に及川に殴られた。

 今さら考えることとちゃうやろアホ、と。

 

「ま、これが約束の一発でえーわ。いいキツケになったやろ、幸せモン」

「…………ああっ!」

 

 ゲンコツで殴られた頭の痛みさえ今は笑える。

 駆け出した俺の耳に、于吉の溜め息が聞こえたけど……構わずに駆けた。

 

「まあ、そういうことですよ。物語は終わりを迎えるものです。それは必ず。一種の呪いのように、始まりと終わりは切っても切れません。過去があるから未来があるのなら、今があるなら過去があるんですよ。あなたが過去の記憶を持っている時点で、“そうでなければ成り立たない”のですから」

 

 途中まで聞こえた声も中途半端に、溜め息を吐く覇王様に抱きついた。

 よっぽど油断していたのかあっさり抱きつかれて悲鳴をあげる覇王様。

 驚き、振り向くと同時に武器───は、ないので拳を構える女性達が、こんなにも懐かしい。

 

「今まで作った銅鏡も無駄にならずに済みました。まあもっとも、これだけの人数を過去から引っ張るというだけで、願いなんてものは叶え尽くされているとは思いますがね」

「ん? よーわからんけど、外史がひとつになってもーたんなら、別の外史でやったことは覚えてられんよーになるん?」

「それはありませんよ。私たちはいわゆる“例外”ですから。辻褄を多少“ここに至る結果”に引っ張ることは出来て、けれど私たちの知らない過去がくっついたとしても、今持っている知識は消えません。私たちが経験したことは私たちの中では真実です。過去の多少が認識と違っていても、それらが消されると今の私たちが成り立たないでしょう。それは外史の辻褄とは違い、私たち“登場人物”の問題です」

「人と世界は同じやないっちゅーこと?」

「例をあげるのなら猫ですね。猫は時間に囚われない生物、という知識があります。一日を20時間も寝て過ごす猫は、寝ている間になにを見るのでしょう。それは過去とも未来とも言われ、バラバラ過ぎて考えるのも馬鹿らしいものだといいます」

「あー、しゅれてぃんがーなんとか? あれ? シュレディンガーやったっけ?」

「目で見るものでなければ確信には到れません。今ここに猫が居たとして、では私たちはその猫が過去になにをしてきたのか、など知る術はありませんし、知らなくて不都合が起きますか?」

「あっ……な~る。人が人に持つ認識なんて、会ってからのことばっかやもんな」

「そういうことです。これからの日々、他人が私たちにどう干渉しようが、私たちが話さなければ他人が知る術はない。話したとして、笑い話になるだけです。ですから私たちの知識や経験は私達だけが知っていればいいのです。そこには他人の不都合などは関係ないのですから」

「んー……なら過去が変わろうが、知ったことを忘れることは絶対に有り得へんの?」

「そこに、別の強制力が働いていなければ、ですが。ええ、もちろん私たちはそんな野暮はしませんよ。ようは、“銅鏡に願った者”が、どういった過去を経験したかで決まるものもある、という話です」

「ほへー……やったらそのー……強制? されたりしたらどうなるん? たとえば~……あー、目を離さずに、その、なんや、猫をず~っと見てたとして、“目の前に居る”って認識しとんのに忘れるとかは……」

「どうなのでしょうね。私の他に、私がその猫を知っているという情報を持つ者が数多く居るのでしたら、忘れることもないのでしょうが……恐らくは、そう上手くはいきません」

「うわ……やっぱ忘れるっちゅーことなんかなぁ」

 

 敵意剥き出しで俺の手を払い、振り向いた彼女が、その勢いの分以上に硬直した。

 そんな彼女に挨拶をすると、横から物凄い勢いで鈴々がすっ飛んできて、脇腹にタックルをかましてくれた。

 

「それもまた、一種の“狸に化かされた状況”に似ているのでしょう。それこそ夢ですね。夢の中で道に迷ったら、猫を探してみるのもいいかもしれません。なにか面白い胡蝶の夢でも見られるかもしれませんよ」

「“俺が主役の夢”を見せてくれる猫やったら、喜んでついてくんやけどなぁ」

「主人公が一番最初に死ぬ物語ですか。なるほど、続きが気になりますね」

「なんで俺いきなり死んどんの!? べつに死なんくてもええやろ!? え!? ダメなん!?」

「嫌な夢ならまた猫を探してみるといいでしょう。やさしい猫なら、夢を見続けるよりも目覚ましになってくれるかもしれませんよ」

「目ぇ覚ましたら、実は俺はモッテモテのナイスガイやった、っちゅーオチは……」

「あなたの現在が胡蝶だとするのなら、現実は恐らく……」

「お、おそらく……?」

「マンモスマンですね」

「だから違ぇえっつーとるやろぉお!? (たすく)は名前であってビッグタスクドリルとかとは全く関係ないのわかって!? ちゅーかマンモスマン知っとるん!?」

「んもうちょっとォ、お二人さぁん? 感動の再会の瞬間なのになぁ~にマンモスマンのこと熱く語り合っちゃってるのよん!」

「俺別に好きでマンモスマン語っとんのとちゃうんですけど!?」

 

 及川の叫びが耳に届いたのか、いろいろなところから見知った顔が現れる。

 見知った顔だったり、時には見知らぬ顔だったり、面影があるけど若々しい顔だったり。

 いったい何処からここまで辿り着いたのか、みんながみんな疲れた顔をして、でも……俺の顔を見るや、笑ってくれたから。

 俺ももう、“今に辿り着くために存在した過去がどんなものなのか”、なんて考えることなく、辻褄と一緒に攻撃特化の氣にゆっくりと混じってくる守りの氣に安心を抱きながら、おかえりを届けた。

 状況に混乱しながらもただいまを唱え、それはそれとして腹が減ったから何か食わせてくれという大剣様に、耐え切れずに腹を抱えて笑いつつも……怒り顔のたい焼き屋のおやじにお金を払い、食べられるだけ食べさせてもらって。

 俺は、一緒に居たらしい華佗に、鈴々にタックルされてグキィと鳴ったところを、軽く見てもらって。

 

「あ、あの。ご主人様……? だよね?」

「別人に見えるか?」

 

 どこか不安そうに訊ねてくるのは桃香。

 傍に寄ってきて、たい焼きを頬張りつつもスンスンと匂いを嗅いでくるのは恋。

 そして……何故か、気配を殺しつつもずぅっと俺の後ろで俺の道着の袖をちょんと摘んだまま俯いてらっしゃるのが……思春さん。

 

「だ、だって……私たち、死んじゃって。ご主人様、すごく泣いて……それで。なのに」

「あ……やっぱり死んだことも覚えてるのか」

 

 言った途端に服を引っ張られた。そして何事なのか、振り向いた先で……あろうことか、思春が俺の頭を胸に抱き、頭を撫でてきた。

 

「へっ!? し、思春っ!? ちょ、なにをっ」

「ずっとずっと、今際の際の、お前の泣き顔が頭から離れなかった……。安心しろ、北郷。もう、お前をあんな顔で泣かせはしない……」

「い、いや……あの、思春……? いい歳した精神ジジイに頭撫ではちょっと……!」

「どういうことなの一刀! 思春の前では泣いたって! わ、私の時は無理に作った笑顔で笑っていたでしょう!?」

「いやちょっと待とう蓮華さん! あの時はそのっ……! “笑顔でいた方が安心して眠れるんじゃないか”って無理矢理笑顔作ってたのが、丁度辛くなってきたところで……! ていうか口の端にあんこが」

「!? しっ……仕方ないでしょう!? お腹が空いていたのよ!! 死んだと思ったら急に右も左もわからないところに落ちるし! 記憶も子供の頃から臨終の時までのものが一気に溢れ出したみたいにごちゃ混ぜになっているし……! そんな時に妙な連中が近づいてきたものだから、明命に頼んで気絶させたまではよかったのだけど……結局その場所が何処かもわからない状況で……! たまたま見つけた立て札が、一刀が教えてくれた日本語だったから、ここは天に違いないって思って、それで……!」

「……ええそう。それで、“フランチェスカ”を探せばあなたも見つかると、そう思ったのよ」

「……華琳」

 

 はぁ、と息を吐く仕草が……どこか芝居掛かっているように見えた。

 そんな様子のままに状況を説明してくれるが……どうやら少し前から日本には落ちていたらしい。

 けれど頼る当てなどあるわけもなく、知っている場所もない。

 まさに最初の頃の俺である。

 そんな時、通行人がフランチェスカの名前を口にしているのを偶然耳にして、数十人で通行人を囲んで話を聞き出したとか……。その人、泣いてなきゃいいな。

 なんとなく気になって、“名前を訊いたりしなかったのか”と訊ねてみると「“おりと”とか言ってたのだ!」聞かなかったことにしよう。

 

「しかし、臨終の際に別れは済ませたというのに、またこうして顔を合わせるのは恥ずかしいものじゃのう」

「ええ、本当に……」

「というかお館様? 何故我らはまた妙に若くなっておるのだろうか。いや、幼少の頃から臨終の頃までを一気に“叩き込まれた”ような感覚なのですが、どうも違和感があるのだ。見るに、他の者とそう歳も変わらんようだ」

 

 そう言う桔梗の姿は……いや。両隣の祭さんや紫苑も同じく、大体俺と同じ歳くらいの若さになっていた。もちろん、他のみんなも同じだ。

 面影があっても若々しい人達っていうのは、主に同年代にまで若返っていた人達だった。

 で……見知らぬ人、というのが……華佗の隣に居る、白髪でマッスルな、どこか貂蝉を思い出させる類の人だった。まあ、その事実については、あとで華佗に訊いてみるとして。

 

「いや、なんとなく。いつか酔った勢いで言ってたことがあっただろ? 歳若い頃に出会い、恋をして子を生してみたかった~みたいなこと。記憶のことに関しては……えっと……いろいろありましたとしか言いようがないんだけど、姿に関しては一応気を利かせたつもり」

「いいや、実に良い! なるほどなるほど! お館様は懲りず、我らと子を生したいと!」

「しかし、むう。この若さか。……こんな年の瀬となると、あれか? 北郷に初めてを……」

「恋をして、初めてを捧げ、子を……。生まれる子は璃々ではないけれど、どちらも我が子であることに変わりはありませんね。よろしくお願いします、ご主人様」

「ちょっと待ったなんでいろいろすっ飛ばして子作りの話に!? 恋の段階無視!?」

「主様、今さらであろ?」

「……この世界でも認識は種馬ってこと……?」

 

 泣くぞコノヤロウ。

 悪態を吐くも、顔は笑いっぱなしだ。

 だって、確かに……臨終の際に別れを口に告げたのに、こうして顔を合わせられるのは恥ずかしい。

 華琳なんて、特にだ。

 彼女の芝居掛かった行動や言動も、多分そんなところから来ているもので……───でも、心を掴んで離さない思いは、今、確かに胸の中に溢れている。

 

  私は、過去形になんて───

 

 ……その通りだった。

 自分が消える時、過去形にしてしまったことをひどく後悔した。

 愛していた、じゃない。愛しているのだ。

 それはずっと、それこそ……天に戻り、魏に召喚されて、全員を見送ってもまだ好きでいられたほどに。

 過去形になんてしなければよかった。する意味もなかったのに。

 

「しっかしよくもまぁ~あぁあこれだけ来られたものねん。しかもそんな大胆な格好でぇ」

「いや、お主に言われたくはないぞ、貂蝉」

「あらんっ!? 星ちゃんったら私のこと覚えてるのぉん!?」

「覚えているというか……記憶が妙に混ざっている感覚だ。主と敵対した記憶もあれば、主と天下を手にした記憶もある、と言えばいいのか」

「外史統一の影響ねん。それもじきに辻褄と一緒に馴染むと思うわぁん。私たちみたいな“例外”は別としてぇもぉぅ、星ちゃんたちは外史の数だけ存在したんだもぉお~にょん」

「む……よくはわからないが、今はいい。今は主との再会を素直に喜ぼう。……しかし、やれやれ。子供な自分と老人な自分が混ざったような、妙な気分だ。少女のように燥ぎたくもあれば、大人のようにどんと構えていたくもある」

「そんな格好で居る間くらい、少女の感情に任せちゃってもいいんじゃなぁ~ぁぃい?」

「……ふむ。それもそうか。では主! ───早速この世界のメンマの頂点を知りたいのですが!」

「やっぱりメンマなのか!?」

 

 そんな格好、といってもかつての普段着だ。もちろん若い頃の。

 だから露出が多い。特に呉勢。

 ふんどしもある。主に呉勢。

 そりゃ、ニタニタ顔の男ばっかり寄ってくるでしょうよ。

 むしろごめんなさい。服装のこととか特に考えてなかった。

 “映像の中のみんな”を思い描いたからこんな事態に……。

 ああもう、最後まで締まらない。

 

「か、一刀」

「え……な、なんだ?」

 

 華琳に声をかけられ、心臓が跳ねた所為で、どもりつつ返す。

 視線が交差すると、やっぱり恥ずかしい。

 遺言みたいなものを伝えておいて、実は死にませんでした、なんてオチがついた時のようだ。

 それでも我らが覇王様は、しっかりと俺に訊ねてきた。



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END:IF3/地から天への物語③

 なにを訊ねられるのかとドキドキしていると、なんというか……とても当然なことを訊ねられた。

 

「一刀。天では身分を証明するものが不可欠だと、授業で言っていたことがあったわね?」

「え? あ、ああ、そうだな。そういえばそうだった」

 

 そうだ。嬉しさで忘れてたけど、やっぱり身分証明は必要なのだ。

 どうするか、なんて考えてると、貂蝉が“それだったらご安心”としなを作りつつ教えてくれる。

 

「みんなの戸籍ならも~う用意する目処はついちゃってあったりしちゃうのよねんっ」

「それは言葉として正しいのか? ていうかいつの間に!? どうやって!?」

「ええまあ、行くべき場所へ行って、少々人物全員の洗脳を」

「なにやろうとしてんのちょっとォオオオオーッ!!」

 

 洗脳!? 役所の方々を!? って銅鏡をもらった時に言ってたこと、本気でやるつもりだったのか!? やったほうがいいとは思ったけど、脅迫とかそっち方面は勘弁だぞ本当に!

 そりゃ確かにそれが一番手っ取り早いんだろうけど、いろいろ問題起きません!? 洗脳されていろいろ勝手にやった人がクビになったりとかさぁ!

 

「ほう? なら貴様に手があるとでも言うのか北郷一刀」

「い、いやっ……そりゃ無いけど……」

 

 再会出来た途端に犯罪犯しに行きなさいイイマスカ。おおあなたひどい人。

 言い負かしたと判断した途端に嬉しそうな顔をする左慈に、この人素直だなぁと少々感心した。

 

「洗脳以前に女何十人も孕ませといて今さら何言うとんねやかずピー。あっちならまだしも、ここでは重婚は犯罪やで?」

「うぐっ!? そ、それは……」

「あぁ、そういえばそんなことを言っていたわね。それじゃあ一刀」

「あー……な、なんでせう華琳さん。なんだか俺、と~っても嫌な予感が」

「まずはこの国に一夫多妻制度を作るわよ。もちろん見境無しに重婚されても困るでしょうから、きちんと養えることと愛していける事が前提ね」

「いやいやいや待ってくれ! ていうかほんとどの世界でも俺って、扱いも状況も変わらないなぁもう!」

「……ご主人様。その割りに随分と顔が緩んでいるようですが?」

「愛紗さんそこはツッコまないで!?」

「ちょっと華琳、それってつまりどういうことよ」

「あら。言わなきゃわからないあなたではないでしょう、雪蓮。つまりこの国の王を一刀にしてしまえば───」

「普通に学生で居させて!? お願いだから!!」

「学生結婚てだけで珍しいのに、その上重婚やなんて初耳やでかずピー! そっ……そこまでの覚悟やったんか……! んぐっ、ごくり」

「ごくりじゃなくて!! だぁああっ! いいからまず人の話を聞く努力をしてくれぇえええっ!!」

 

 求めてやまないものがあったとする。

 大体の場合、手に入れてみればこんなものだったのかと落ち込むことの方が多い。

 期待が実物を凌駕するなんてこと、よくあることだ。

 じゃあ俺自身に俺が問題を出そう。

 俺が立っている今は、期待していた未来よりもつまらないものだろうか。

 ……そんなの、頬が緩んでしまっていることが答えでいいんだろう。

 

「あ、そんで時間の話なんやけどな、于吉さんや」

「あなたも大概気安いというか馴れ馴れしいというか」

「馴れ馴れしいだろう」

「あぁん左慈っちゃん厳しい! でも聞く姿勢は取ってくれるあたり、二人ともやさしいなー♪ ……しゃあけどかずピーの親友の位置は俺のモンやさかい、ポっと出の男友達がしゃしゃり出るんやないでコラ」

「おい貴様。頭を蹴っていいか。安心しろ、痛みを感じる余裕無く仕留める」

「えろうすんませんでしたぁあ! 殺さんといてぇえ!! ───で、質問なんやけどな?」

「許すとも言わないうちに謝罪を取り下げるな貴様!」

「や、どー見たって誰が相手でも許すよーに見えんし、なら許しを得るより話、進めよ思ぉてな?」

「……ちぃっ……で、なんだ。質問? なにについてだ」

「や、そんな大したもんやあらへんねやけど。まずはこれやな。みんなのこと御遣いとして呼んでもーて、寿命とか平気なん?」

「んんー、い~ぃ質問ねん、及川ちゃん。でもあれはねん? 居るべき世界が違うから起きたことなのよん。世界が一つになった今ァ、今の私たちと同じくゥ、もう普通に歳をとってくことになるわん。ほら見てん!? 以前会った時よりちょぉ~っぴりだけ髪の毛が伸びたのよん! ぬふんっ♪」

「あ……ハイ、わかったからウィンクで突風吹かすのやめたってください……。あ、ほなら次の質問やけど……ほら、あそこでもう“えびす顔”に近いかずピーはまあほっといて、深いトコ聞いとこかなって」

「及川ちゃんはァ、な~かなか遠慮なく入り込んでくるわねぃ」

「遠慮してなにがあるわけでもあらへんねやろ? せやったらズイズイと入り込んでいかんとなー。で、やけど」

 

 及川が俺を指差して何かを言っている。

 が、そんな少しの気の逸らしも許さんとばかりに、私を見ろとみんなが俺を引っ張る。

 いやあの、みんな? 最後を看取った瞬間の寂しさとか悲しさとか、なんかいろいろなものが吹き飛ぶから、もう少しやさしくしてくれると嬉しいなぁ。

 外史統一の影響でいろいろな外史の記憶とかも影響してるんだろうけど───……あれ? それってつまり、今さらだけど……俺が桃香のところに降りた外史や、雪蓮か蓮華のところに降りた外史も混ざってるわけで……そこでも恋仲になっていたんだとしたら、みんなの好きとかって感情が倍化したり上乗せされたりしてる……とか?

 や、そりゃさ、“御遣いの氣”が満ちていくにつれ、俺にもいろんな外史の記憶が染みこんできてるよ? 左慈と違って俺は銅鏡のカケラの数だけ“登場人物”になった結果がある所為か、記憶もそれだけ混同してくるのもわかる。わかるけど……あぁあああ好きって感情とか大事にしたいって感情がごちゃまぜに! こんなのがみんなの中でも渦巻いてるなら、そりゃじっとしてられないよ!

 

(───)

 

 けど。

 “老後や臨終まで”を覚えているのは、俺が知っている外史だけだった。

 他の外史での記憶は途中で完全に消えている。

 恐らくこれが、“終端に辿り着いた外史”の結果なのだろう。

 “めでたしめでたし”で、童話が終わるみたいに……普通なら続く世界も、そこで途切れてしまったんだな───って、あの!? 今真面目に思考を纏めてるんだから、みんな引っ張るのやめて!?

 ていうかみんな腕力とか上がってない? 確実に上がってるよね!?

 どうし───て、って御遣いの氣の影響か!? 御遣いとして呼んだから!?

 ちょ、ちょっと待ってくれ! さすがにそれは想定外っていうかっ! 会えることばかりを夢見てて、そっちまで考える余裕がなかったっていうか!

 

「……。なるほど、どういった過去がこの軸へ繋げてくれたか、ですか」

「かずピーは、自分自身が願ったんだから~とかゆーてるけど、そういうのって基準とかあったりするんかなーって。や、そら前例がないのはわかっとんねんけどな? 結局かずピー、過去で娘さんたち守ってやれへんかったの、めっちゃ気にしてるみたいやから……まあ、なぁ」

「ふふふっ……なるほど、影ながら友人を支える姿。いいものです。その素晴らしき動機に免じて基準のひとつでも聞かせましょうか」

「あらあら于吉ちゃんとぅぁるぁ、め~ずらしく気前がい~じゃなぁい? いつもは左慈ちゃんのことばっかりで、他のことになんて目がいかないのにねぃ?」

「……見ていて気持ちの良い、裏表のない友情。そういったものを真っ直ぐに見せられては、邪険にする理由もありません」

「うぅ~ん、愛ねん!」

「ええ、愛でしょう」

「なんか熱ぅなっとるとこ悪いんやけど別に俺とかずピー、アハンな関係やのぉて───」

「いいの、わかってる、ぜぇ~んぶ解ってるわよ及川ちゃァん……!」

「最初は誰もが恥ずかしがるものです。さあ、説明を続けましょう」

「あれぇ!? なんや俺勝手に怪しい道にいざなわれとらん!? さ、左慈っちゃん!? 左慈っちゃんはちゃうよね!? ソッチの道やないやろ!?」

「貴様今度俺をそういった目で見たら殺すぞ……!!」

「あぁんどっちにしろひどい目にぃい! 助けてかずピー!」

 

 助けて、って……! むしろこっちが助けてもらいたっ……痛ッ! 痛い痛い引っ張るな引っ張る……ギャアーッ!! ちちち千切れるぅ! 大岡越前たすけてぇええ!!

 

「……そうですねぇ。銅鏡は、より強い願いや想いに誘われるものです。それは人の想いにも似たものと言えるでしょう」

「え……人の? せやろか」

「及川ちゃん。あなたも、ものすご~く一生懸命に何かを叶えようとしてるコが居たら、応援したくなったりしなぁ~ぃ?」

「べっぴんさんならそらぁもう! ……あ、でも、見てて辛くなるくらい頑張っとるんなら、相手が男でも……まあ、そらぁなぁ」

「でしょん? つまり、そういうことなのよん」

「私も、左慈の歪んだ真っ直ぐさと、からかえばすぐに意地になるところがとてもとても好きでしてね。そんな彼の行く末を見届けるのが、私流の応援ということで」

「貴様はただ楽しんでいるだけだろう!!」

「ええもちろんです。夢も見れて同時に楽しめる。これ以上の幸福などないでしょう」

「っはー……想いにもいろいろあんねんなぁ。あ、ほなら過去に宛がわれた強い願いや想いってなんなんやろな?」

「それは……今となっては私たちにもわかりませんね」

「方術や道術は使えても、もう過去や未来を覗く術は使えないからねぃ。外史が束ねられた今、猫ちゃんのように時間に干渉する、なんてことが出来なくなっちゃったのよん」

 

 みんなちょっと落ち着いて!? 一息入れよう!?

 むしろもう食べるのやめて!? たい焼き屋のおっちゃん作業が追いつかなくて泣いてるから! ……追いつかないからって急かすのやめてあげて春蘭! 桂花さん!? 焼く速度に男であることは関係ないから罵らないの!

 あぁああ恋! 鈴々! 二人して生地とか餡子に手を出そうとしない!

 さすがにそこまで財布は豊かじゃっ……いやぁあああそろそろ食べること自体やめてぇええ!! 俺こっちじゃただの学生で、あっちほど金があるわけじゃぁああーっ!!

 

「ただねん? 力強い想いはァ、今もずぅ~っと感じているわぁんっ」

「え? どんなんどんなんっ!? “今もずっと”て、誰それ、不老不死な人なんか!?」

「そういう意味ではありませんよ。そうですね……たとえば───……」

「えぇ~ぇえ、果たしたい約束のためにぃ、先人を敬う者たちがァ、頑張り続けているって……そんな想いかしらねん?」

「頑張り続けてる想い……あぁ、何代も続く想いとかやな? っはぁ~、なるほどなぁ。想いは死なん~っちゅうやつやなっ!」

「それがどんな過去で、誰の想いかは、もはや想像するしかないわけですが……」

「想像と創造の世界やし、それ考えるのもそれぞれの自由?」

「ええ。結果はいつか見えるでしょう。それこそ、辻褄が追いついた今あたりにでも───」

 

 あ、あの。焔耶? ねね? 守ってくれるのはありがたいけど、なんで腕に抱き付いて……え? 生まれ変わったからには遠慮しないってどういう……いやいや星ちょっと待った星! 餡子じゃなくてメンマが具になったたい焼きなんて無いから無茶な注文しない!

 しぇぇええれぇええん!! たい焼き屋で酒なんて注文して出てくるわけないだろっ!? ───祭さん、そこであからさまにショック受けられても困るんだけど……。

 朱里も雛里も、困ってる顔が好きなのはわかるけど、“もう二度と見られないと思ってたものを見る事ができた……!”みたいな顔されたってどう反応しろと……!

 華琳さん!? 笑ってないで助けて欲しいんですけど!? いやっ、うん、そりゃね!? 俺が願ったことではあるけどさぁ! ああもうそうだよ! 口ではいろいろ言っても顔は緩みっぱなしだよ! だからって国を乗っ取ろうなんて大それたことする勢いなんて無いからね!? いやっ、行くわよ、じゃなくて!

 ……はあぁ。それでも追わない理由がないんだよなぁ、ちくしょうめぇえ……。

 

 

  ───視線の先に、姿勢良く歩く姿。

 

 

 つい追いかけたくなる姿に、体中にしがみつかれている人達と視線を交わして、たはっと笑った。

 あの日、みんなで見た覇道っていう夢は終わってしまったのだろうか。

 それともまだ続いているのか。

 途切れてしまったとしても目指せるものが夢ならば、そんな夢をまた、この世界でも。なんて願うのは、贅沢かな。

 

  振り向いた覇王が、早くなさいと急かす。

 

 慌てて追う自分たちに苦笑して、また新しい一歩を踏み出す。

 この一歩はどんな先へと続いているだろう。

 少なくとも退屈だけはしない。そんな事実はどこであろうと変わらないだろう。

 どんな変化を望むのかといえば、やることはあっても平凡だった日々へのさようなら? だろうか。

 

  何処へ行くのかと訊ねると、身分証明を作りにと言う覇王に悲鳴で返す。

 

 そのあとは俺の家族へ挨拶に向かうと言う。資料館へ、なんて言葉は右から左だ。

 ……ああなるほど、退屈はしてなかったけど、これからは忙しい以上に家族への説明が大変なわけで。

 むしろ俺、じいちゃんに殺されたりしないカナ……。

 そんな俺の呟きも笑って返して、彼女は俺へと手を伸ばした。

 

  行くわよ、一刀。

 

 伸ばした手は“紡ぎ”のカタチ。

 誰かと誰かじゃ届かない手も、自分が間に入ることで届くような手になりたいと、いつか自分で願った。

 それを思い出しながら伸ばした手が、伸ばされた手と重なった。

 

  自分は、そんな手になれただろうか。

 

 手を取り引っ張る覇王の背中を見て、そんなことを小さく呟いた。

 すると、傍を歩く、なんだかんだでずっと傍に居てくれた朱の彼女が、“そうであったからこそ今があるんだろう”と言ってくれた。

 それだけでひどく嬉しくて、暖かくて、温かくて。

 やっぱり自然と笑んでしまう状況に、ありがとうを唱えた。

 その途端。

 

 

 

  ───え? あ───、…………ああ。

 

 

           …………うん。

 

 

 

 ───ざあ、と風が吹いた時に……懐かしい景色を、頭の中で見た気がする。

 懐かしい氣が氣脈に満ちて、自分の氣と完全に混ざった時に……さ。忘れてしまった様々な笑顔を思い出したんだ。御遣いの氣が、記憶を持ってきてくれたみたいに。

 “ここまで来れたよ”って言葉が喉からこぼれた時、耐え切れずに涙が溢れた。

 記憶の中に広がる懐かしい景色の中で、別れも言えずに眠ってしまったみんなが笑顔で敬礼してくれていた。

 都合のいい記憶の捏造なのかもしれない。

 幸せだけに浸りたいからって、記憶が作り出したずるい光景なのかもしれない。

 ……でも。でもさ。

 その中の一人が、馬鹿みたいな数の桃を抱えて、苦笑いして言ったんだ。

 

  こんなに食べきれませんよ、隊長。

 

 って。

 その笑顔が鮮明で、思い出せなくなってしまったことなんて全然恨んでなくて。あまりにも温かかったから……涙は止まらず、溢れ続けた。

 みんなが心配してくれる中で、何度も何度もありがとうを言いながら。

 ……やがて、そんな頭の中の光景が、記憶として薄れてゆくまで。

 

  ───泣きはしたけど笑いながら、ようやく止まった涙を拭った。

 

 さて、それじゃあまた、新しい一歩を踏み出そうか。

 きっかけを見つける度に、心に刻むように一歩ずつを。

 



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END:IF3/地から天への物語④

  ……胡蝶の夢って言葉がある。

 

 あの世界が本物なのか、この世界が本物なのか。

 それとも、今見ているこの景色こそが全部夢で、産まれた日から今日までの全てが、蝶が見ているものなのか。

 長い長い時間を生きて、人の死も誕生も見届けて、少しは悟った風な考え方が出来るようになっても、目指すものなんて変わらない。

 歩きたい道だって、あの頃からちっとも変わってやしないのだろう。それこそ、夢であろうと現実であろうと。

 だから、まあ。

 俺達が所詮、夢を見ている蝶なのだとしても───蝶ならば舞おう。

 人であるなら歩いてゆこう。

 それだけの違いだ、生きる事実は変わらない。

 

「ていうかさ! 身分証を作るにしても、全員この格好で行くのか!?」

「? 当然じゃない」

「あっちではそうでもこっちじゃ当然じゃないからね!? ああもうとりあえず全員家に来てくれ! こっちの服、出来るだけ用意するから!」

『……。───家に……』

「ヒィ!? なんか一瞬にして空気が凍った!?」

「おーっほっほっほ! ではこのわたくしが! まずは一刀さんのご家族に優雅な挨拶をして差し上げますわっ!」

「か、家族に挨拶かぁ……。したいけど、その家族にまで“なんだか普通な人ですね”とか言われたらどーしよ……いやいやっ、むしろこの中で、その普通さが気に入られたり……!」

「お嬢様っ? ここは一刀さんのご家族に、私たちを売り込む良い機会ですっ! 上手く気に入られれば、華琳さんを出し抜いて正妻に……!」

「おおっ!? それはなかなかよい考えじゃのっ! でも主様に迷惑がかからんかの……」

「そんなことをいちいち気にしていては正妻の座は手に入れられませんよー? むしろ迷惑をかけるくらいが丁度いいんですっ、はいっ」

「お前はちょっとは人の迷惑っていうのを考えような!?」

 

 一気に騒がしくなった大所帯。

 みんながみんな、家に行く=ご家族への挨拶と受け取ってしまったようで、騒がしさも一入(ひとしお)だ。

 

「むうっ……天では武を競う催し物が何度も行なわれていると、いつか北郷が言っていたな……。その武で頂点を取れば……いや、今は武は忘れ、女として……いやしかし武は……いや……武……」

「あっはっは、華雄は相変わらずやなぁ。けど、一刀の家族かぁ。ウチは一刀のじーちゃんに会いたいなぁ」

「応。なにせ北郷の祖父じゃ、いい酒が飲めるじゃろう」

「楽しみよなぁ。ただまあ心配ごとがあるとすれば……この姿で、果たしてお館様の祖父が酒に付き合ってくれるかどうか」

「二人とも? それ以前に、こんな大勢を受け入れてくれるかの問題を忘れているわよ」

「紫苑は固いのぅ。まあ……かっかっか、酔わせてしまえばどうとでもなるじゃろ」

「ねーちぃちゃん。アイドルとして売り出せば、一刀のご両親にも気に入られるかなぁ」

「そりゃもちろんでしょ! 天下に轟く数え役萬☆姉妹の名は伊達じゃないわっ!」

「待って姉さん。一刀さんに聞いた話だと、アイドル活動を嫌う人も居るって……」

「えぇえっ!? そうなの!?」

 

 なんかもう、騒がしさなんて自分の日常を構成するものの一部だ、なんて思ったほうが楽しいんだろうな、なんて奇妙な諦めも走る。

 諦めなのに、顔は笑ってるんだからどうしようもない。

 

「おおぅ……皆さん必死です……。確かに気に入られるなら第一歩が肝心ですねー……。稟ちゃんはなにか良い策はありますかー?」

「無理に飾らず正攻法で。これに勝るものはないかと」

「ですねー」

「た、隊長の家族に……隊長のご両親にご挨拶……! あ、あわわわわ……!」

「おわー! 沙和!? 沙和ー! 凪が真っ赤になって目ぇ回しとるーっ!」

「凪ちゃん!? しっかりするのーっ!」

「お、お義父さま! お義母さま! 隊長を……私にください!」

「いきなりなに!? ちゅうかウチにそれ言ってどないすんねん!」

「そもそも隊長って言ったって、相手には通じないと思うの……」

「なんだなんだ情けない。挨拶と言っても相手は北郷の親だろう? 気負う必要などあるまいっ」

「それはもちろんだが、姉者。なにか良い挨拶でも思いついたのか?」

「ああっ! 北郷自身が言っていたことだっ! 人心は胃袋で掴む! というわけで私は料理の材料を調達してくる! 金などなくとも、そこらの山で猪でも狩れば問題あるまいっ!」

「だ、だめだ姉者……料理はだめだ……! 早まるな姉者ぁあああーっ!!」

 

 いろいろと危険な話題が耳に届くも、あくまで服を取りに行く意識を前に出している俺は、嫌な汗を流すだけで顔は笑顔だ。顔は。

 これも日常……だよなぁ。うん、あの世界での日々と大差ない日常だ。

 

「ねーねーお姉さまー? お姉さまはどんな挨拶するつもりなのー?」

「そりゃお前、こう……なんだっけ? やまぶきいろの菓子? を用意するんだっけ?」

「……お姉さま」

「な、なんだよ蒲公英その目は!! か、菓子を用意して挨拶するんだろ!? そうだったよな!?」

「馬超。山吹色の菓子、というのは北郷から得た知識によると、賄賂の意味に近いぞ。相手に金を渡して秘密を守ってもらうのに使う、と授業で聞いた記憶がある」

「うえぇっ!? そそそそうなのか!? そうだったっけ!?」

「そういうこーきんさんは、挨拶とかは考えてるの?」

「郭嘉と変わらん。こういう時に策を弄してもいい結果は得られんさ。馬岱、お前で言うのなら、飾らない無邪気さで進むのが吉、ということだ。騒ぎすぎて嫌われない程度に、と頭につくが」

「うー……愛紗ちゃんはいいよねー、真っ黒い髪だし、ご主人様が言ってた“やまとなでしこー”とかいう雰囲気だよきっと……」

「と、桃香さま、私はべつに……」

「と言いつつ、先ほどから髪をいじっているなぁ愛紗よ」

「うぐっ!?」

「愛紗ちゃん……」

「い、いえ桃香さま! これに深い意味は! ───星っ! 妙な言いがかりはっ!」

「あら。うちの冥琳だって綺麗な黒髪よー? ちょっと肌黒いけど」

「雪蓮はどんな挨拶をするのだー?」

「酒呑みにとって、お酒に勝る言葉はないわよ。交わせばわかるわ」

「あのー……雪蓮さまぁ? もし一刀さんの親族の方が下戸だったら、どうするんですかぁ?」

「え? 知らない」

「はぁ……姉さま、あなたという人は……」

「そうやって溜め息ついてるお姉ちゃんはどうなの? あ、もちろんシャオは大人の余裕でばっちり挨拶するつもりだけどー♪」

「私も普通にするわ。一刀の家族だもの、妙に緊張するのは相手にとっても嬉しくないわ」

「へー、立派になったわねー蓮華も。これで、言葉の割りに視線がうろうろしてなきゃよかったのにねー」

「ねっ、姉さまっ!!」

 

 騒がしさに当てられたのか、左慈が片目を隠すような手の当て方で頭を抱え、于吉がくすりと笑う。

 これも、昨日の敵はなんとやらってことでいいんだろうか。

 まさか彼らのこんな姿が見られるとは。なんだかそれも嬉しい。

 

「うへー……挨拶とかって苦手だぜー……。なぁきょっちー、きょっちーはどんなこと言うんだ?」

「ボクは難しいこととか苦手だから、普通にするだけかなぁ。流琉は料理で攻めるの?」

「あのねぇ季衣、挨拶しに行って図々しくもいきなり厨房を借りられるわけがないでしょ……」

「あぅ……そうでした……」

「斗詩は料理で行く気だったのかー。あー、あたいやっぱりこういうの苦手だー!」

「挨拶……かぁ。な、なぁねね。アタシたちもなにか考えるべきか?」

「むしろどっしり構えるのですよ、焔耶。せっかく生まれ変わったと言ってもいいくらいの状況が整ったのです。経験を生かし、友として知った北郷一刀の在りのままを受け入れる姿勢で向かえば、障害などはそもそもあってないようなものです。恋殿を見るがいいのです。このどっしりとした構え。恐怖のかけらもないのです」

「ご主人様の親……ご主人様の……。気に入られなきゃ……捨てられる……? ……、……! ……!」

「……なんか、アタシの目にはもの凄い勢いで動揺してるように見えるんだが」

「恋殿!? しっかりしてくだされ恋殿ぉおーっ!!」

 

 もう、この空の蒼もあの頃の空と繋がっただろうか。

 ただ平凡に生きていた頃よりも人の感情の傍に立てた、あの頃の空と。

 

「あちこち建物だらけなのにゃ! もっと森が欲しいのにゃ! じゃないとみぃの心は満たされないのにゃー!」

「だいおーさま! 口のまわりが“あんこ”でいっぱいなのにゃ!」

「うぐっ!? お、おなかは満たされたのにゃ!? こっ……これは心の問題だから関係ないのにゃ!?」

「美衣ちゃんはお腹がいっぱいになっても心は満たされないの? 食べた後に眠ってる美衣ちゃん、幸せそうだけどなー」

「はう!? り、璃々はいじわるにゃ! そりゃみぃはお昼寝は好きだけど、それとこれとは話が別にゃ!」

「はああぁぁぁぅぅ~ん……! お猫様最高で……ハッ!? ち、違います違います、美衣さんはお猫様ではなくて“しんゆー”で───はうっ!?」

「腹を鳴らしてまで自分の分の“たい焼き”をあげる必要はないだろう……食え。半分だ」

「うぅ、ごめんなさい思春殿……」

「思春も随分と世話焼きになったのぉ……以前までならば、権殿が相手ならばまだわかったが。……ふむ。思春よ、北郷の家族への挨拶、お主ならばどう出る」

「!? い、いえ、挨拶など、私は」

「なんじゃつまらん。もう北郷に寂しい顔はさせぬのではなかったのか?」

「はっ───!? ……だ、大丈夫だ北郷、私に任せろ。全て上手くいく。……お前は安心して待っていればいい」

「なんかもういろいろツッコミたいけどとりあえず立場逆じゃないかなぁこれ」

「なっはははは、せやなーかずピー。性別が逆なら感動モンやったりするやろなぁコレ。男らしいわー、(ねー)ちんめっちゃ男らしいわー」

 

 繋がっているのなら、過去の歴史を紐解いて、その生き様を見てみたい。

 自分が知っている歴史がそこにあったなら、ただただ胸を張って誇ろう。

 そこで生きた人々は、必死に、今日を生きていたんだと。

 

「“たいやき”……焼きもので餡子を包む……この手法、ごま団子に通ずるものが……? あ、油で揚げるのではなくて、あえて焼いてみるごま団子……」

「亞莎、お前は少し落ち着け。大人のお前はまだ余裕があったろう」

「はうっ!? めめめ冥琳さまごめんなさっ……!」

「亞莎さん! 餡子を作ったお菓子なら私と雛里ちゃんも出来ますから、力になれると思いますっ! ……か、噛まずに言えましゅた! ……はわっ!?」

「しゅ、朱里ちゃん、落ち着いて……!」

「……頭の回転は速いだろうに、どうしていっつも噛むのかしら。蜀の軍師ってわからないわ。私なら、華琳様を思えばどんなに長い言葉も早口言葉も語り尽くせるのに」

「おー! せやったらこれゆーてみてー!? “孟徳さまが早々に猛特訓を冒涜した猛毒どもを葬送した”! ハイ!」

「ひぃ男!? 近寄るんじゃないわよなんで私があんたなんかの願い通りに動かなきゃいけないのよそこで白骨化して黙りなさいよ瞬時に!」

「なんで白骨化に対してみんな瞬時にこだわるん!? てかほんまに早口すごいわ! 早口暴言凄まじい!」

 

 ……かつて、戦いがあった。

 正史をなぞった、けれど少し違う不思議な戦。

 物語が願われて、物語が始まって、物語を歩いて、終わりを迎えて。

 その先になにが待っているのかは、辿り着いてみなければわからない。一歩先さえわからない道なのだ、果てに待つもののことなんてわかるわけがない。

 わからないのは怖いことだ。

 それでも進む理由はなにかと訊かれれば、自分はなんと答えるだろう。

 

「なぁ華佗。さっきから気になってたんだけど……あっちの白い髪と髭の筋肉って誰? 華佗と俺のことをじーっと見てるけど」

「卑弥呼だ。貂蝉の知り合いだ」

「───」

「一刀。“やっぱり”って言葉を顔に貼り付けたみたいな表情になっているわよ」

「うん。華琳、平気って顔をしつつも俺の腕を折るくらいに抱き締めるのはやめてください。あと滅茶苦茶震えてる。誤魔化しがきかないくらい震えてるから」

「……一刀。あなた、私たちのことを守ってくれると、そう言ったわよね? ま、ままままずはあの、じりじりとにじり寄ってくる筋肉二人から私を守りなさい!」

「ちょっと待てぇええっ!! さすがにそれはないだろ!? もっと別の機会に聞きたかったよその言葉!!」

「守れだなんて失礼しちゃうわねぇん! 別になにもしたりはしなぁ~いわよぉぅ!」

「曹操よ! うぬもメノコであるならば、この迸る漢女の波動を感じるであろう! 女とは己のものだけでなく、相手の乙女心をもわかってこそ真の漢女(おとめ)! それで覇王を名乗るなぞまだまだ真の乙女とは呼べ───」

「いやぁあああああっ!! 一刀っ! 一刀ぉっ!」

「だわぁあっだっ!? 人の影に隠れるなっ……って押すな押す───えぇっ!? なにこの可愛い反応!」

「ぬっ! こやつめやりおるわ! 我らの接近をダシに、オノコに抱き付き甘える機会を合法的に作りおった!」

「あぁ~らぁん! 曹操ちゃんてばやるじゃなぁ~ぁい!? これは私たちもぉぅ、ウカウカなんてしてられなぁ~いわねぇい!」

「どう見ても本気で嫌がってるだけだろ!」

 

 答えるべき言葉は……今はまだ無い。

 この世界で、自分の命の許す限りの果てに辿り着いたら、その時にでも見つかるんじゃないかな。

 なんのために生きてたんだろうって振り返って、思い出に浸って、ようやくそれまでの自分に気づける。そんな人生で、その時にこそ満足して笑える自分で居たいって思うのだ。

 あの時は一緒に歳を取ることもできなかったけど、今度は一緒に、笑顔で眠りたい。

 

「とにかく華琳が怯えるからそっちに居てくれ。ほんと、悪いとは思うけど」

「むう。好みのオノコに頼まれては嫌とは言えぬが漢女心。うぬもなかなかに漢女泣かせよ」

「そりゃぁ~そうよぅ卑弥呼っとぅぁらん! ご主人様は今や、様々な外史で様々な曹操ちゃんたちを虜にしてきた百戦錬磨のツワモノなんだからん! 経験だけで言えば、私たちよりも強者である可能性だってぇ、あぁ~るかもしれないのよぉん!?」

「ぬうそうか! この卑弥呼一生の不覚! 道理でこの私の胸も、だぁりんの前だというのに早鐘を打っていると思ったわ!」

「華佗、助けてくれ。この人達が話を聞いてくれないんだ」

「あ、ああ。二人は俺の知り合いだ、俺が話をつけておく」

「助かる……いやほんと、助かる……」

 

 老いて、眠る時が来た時、自分はいったいなにを思って眠るのだろう。

 ふと、そんなことを考えた。

 誰かを思って眠る? それとも過去を振り返るだけ振り返って、懐かしんで眠る?

 考えてみても、やっぱり特には思い浮かばない。

 ただ、“これだけは”と思うものは確かにあった。

 

  どうか、自分を先に眠りにつかせてほしい。

 

 ……大切な人を、何度も見送ってきたのだから。

 それだけは約束された先で、眠りたいと……そう思うのだ。

 だからまあ、それまでは思う様に生きよう。

 “地”から続くこの“天”で、命尽きるまで。

 ならば───ああ、ならば。

 

「女性というのは元気ですね。挨拶挨拶と言っていますが、あなたたちは自分達が認められるとでも?」

「……? 急になによアンタ」

「え、詠ちゃんっ、喧嘩腰はだめだよぅっ……!」

「いえ、べつに構いませんよ。一応、あなたたちよりも世界というものを知っている私から、ひとつ質問をさせてもらいます」

「だから、なによ」

「詠ちゃんっ」

「……この世界でろくに職も持たぬ者が、相手に簡単に認められるとでも?」

『───!』

「あぁそれとも学生で通すのでしょうか。ええ、確かに見た目は学生のそれですね。皆お若い。ですが学生と口にして、果たしてそれだけの学が、常識が、あなたがたにありますかね」

「う、うー、うー……! か、華佗のおじさんは医者なのだ!」

「いや、俺にはべつに、北郷の親に認めらようとする理由がないんだが。───ハッ! そうだ、この姿なら言える! 俺はおじさんではない!」

「ていうか、華佗がこの世界で医者になったら、もうゴッドハンドレベルだろ。治せない病気がないぞ?」

「───一刀」

「へ? な、なに? 華琳」

「仕事を紹介なさい。お義父───ごほんっ! ご家族への挨拶はそれからよ」

「紹介って……あれ? 今華琳、お義父さんって」

「お黙りなさい!」

「ごめんなさいっ!?」

 

 ───天命は“我ら”にあり。

 さあ、共に舞おうではないか。

 夢幻を飛ぶ蝶としてでもいい、ここから始まる覇道の中を。

 いつまでも、みんなで。

 

 

 

「あれ? そーいやかずピー、なんで子桓ちゃん達おらへんの?」

 

「え? いや、フランチェスカ探すために別行動とってるとかじゃないのか?」

 

「……いえ、ご主人様……。この世界に下りた中に、平……娘達は居ませんでした」

 

「璃々は居るのに、妙な話よの」

 

「ハッ!? まさかかずピー、娘がおったら安心して子作りが出来んからって、意識的に除外を───!」

 

「そんなわけあるかぁっ!!」

 

「でゅふふ、きっと大丈夫よん。“役目”を果たせばァ、きっとひょっこり現れるわん」

 

「もしくは“産まれる”でしょうか」

 

「貴様らが思うよりも、人の絆とやらは強いということだろう。……北郷一刀」

 

「え? な、なんだ?」

 

「出来るだけ早く“行ってやれ”。果たされなければ眠りにつけない想いというものもある」

 

『…………』

 

「熱はないっ! いちいち額に触るな貴様らっ!!」

 

 

───……

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

───/───

 

 ……白みかけた空を眺めた。

 荒れる息はようやく整い、生きている今にとりあえずは安堵する。

 

「氣が残っている者は負傷者の手当てに当たれ! それ以外の動ける者は白装束の残りが居ないかを警戒せよ!」

 

 夜通し続いた争いは、こちらの勝利でなんとか幕を閉じた。

 呆れるほどに生まれ続ける敵を、それこそ全国力で潰しにかかるような、ひどい乱戦だった。

 相手には戦法なんてものはなく、ただただ殺しにかかるという厄介な存在。

 痛みも感じないのか、怯むことさえなく、怯ませてから繋げる技法などがそもそも通じなかった。

 

「華煉姉さま」

「桜花か。死者数は?」

「重傷者は居ますが、なんとか」

「……そうか。よかった」

「……はい。氣や戦い方を教わっていなかったらと思うと、眩暈がしますよ。民であった者たちも兵であった人達も、皆が学んでくれたからこそ得られた勝利です」

「ああ。そうでなければ今頃……」

「………」

 

 血を流す者は沢山。

 それを癒し、生かす者も沢山。

 その技術が無ければ死んでいたものが大半であり、それを思えば先人には感謝以外のなにも浮かばない。

 

「……ふふっ、見ろ、桜花。武や氣を学びつつもどこか腑抜けていた者たちが、生きていることを噛み締めている」

「無理もありませんよ。実際に戦うなんてことにならなければ、学んできたことなんて何処で活かせばいいのかもわからなかったのです。気の長い結果にはなりましたが……学んだからこそ生きています」

「ああ。その通りだ」

 

 夜が完全に明けてゆく。

 自分の体についた赤は、返り血などではなく全部自分や味方のものだ。

 敵は切り捨てれば煙のように消える。

 傍で味方が斬られるたびにその血を浴び、下がって癒せと命令しては敵を斬った。

 経験が少ないという事実は、随分とこちらの寿命を減らしてくれたと思う。

 なるほど、こんな経験をしてしまっては、戦なんて馬鹿げたものだと心底頷ける。

 それは、ここに居る皆の総意だろう。

 が、逆にそんな経験は未来に繋がる。

 平和に呆けた時にやってくる脅威ほど恐ろしいものはないのだ。

 父の教えに従い、続けてきたことは無駄ではなかった。

 それが嬉しい。生きていられることが嬉しい。

 嬉しいが……

 

「……父さまは、もう行かれたのだな」

「そのようです」

「1800年後か。父さまがその時代から来た、という話は聞いていたが、約束のことをお前から聞かされた時は驚いたものだ。……また、気の長い約束だな」

「ええ。けれど、きっと届かせましょう。そして───」

「ああ。帰ってくるのを待つとしよう。母さまの時にも帰ってきたというのだ、きっとまた帰ってきてくれる。それが1800年後だというのなら、それまでに国を育て、うんと豊かになったこの大陸に驚いてもらおう」

「はい。では、まずはそのために」

「とりあえずは皆の治療だな。それから、今日の恐怖をのちの世にも伝えてゆこう」

「はい。……ああえっと、それとは別に祀瓢(しひょう)姉さまの提案なのですが、大陸の名を“北郷”に───」

「却下だ。それは父さまから厳重に言われている。“それだけはやめてくれ”と」

「根回しは完了済みですか。さすがは“ととさま”」

「その呼び方も懐かしいな」

 

 父さまはもう居ない。

 居ないのなら、先へ届けよう。

 私たちの頑張った証が、その目に、耳に届くように。

 それが私たちの進む理由であり、父さまとの確かな約束だから。

 

「さて、では行こうか。───未来で、父さまが待っている」

「はい。命果てても、想いこそは、いつまでも」

 

 黒から白へ、やがて蒼に変わる空の下───こんな歳になってからの私たちの突端は、始まりを告げた。

 私達に残された時間はそう長いものではないし、終端なんてあっさりと迎えてしまうのだろうが……自分達が遺す何かが、遠い未来へ届くよう、死する瞬間まで頑張ろう。

 向かう先が“天”という未来なら、私たちはこの“地”から歩いてゆく。

 きっと届くよう、胸に覚悟を叩き込んで。

 

「覚悟完了、か。ふふっ……生まれ変われたら、意志が娘でも婚儀は可能だろうか」

「まだ諦めてなかったのですか!?」

 

 そしていつか、果ての未来に想いが届いたなら……たくさんたくさん唱えよう。

 ───帰ってきてくれた父へと、“おかえりなさい”と。

 何度でも、何度でも。

 

 

 

 

         真・恋姫†無双 魏伝アフター / 了

 

 

 




 はい、これにて終了となります。
 あとは蛇足ではありますが、軽い後日談的なものをUPするかしないかで。
 そちらはお墓参りをして終了、というカタチで終わると思います。

 それにしても……440話かー……毎日コツコツUPしていれば一年くらいで終わるかな? なんて思っていたらとんでもない、結局一年と7ヶ月くらいかかってしまいました。すまぬ……。
 番外にプラスして、こっちでの真名名づけ物語を書くのもいいかもですね。
 あっちの方向にはいかない書き方で。ただほんとキャラが多すぎて辛い。
 性格考えるのも楽じゃないですね、ほんと。

 あ、おさらいとして、以前にも番外で書きましたが───
 華煉⇒曹丕
 桜花⇒劉禅
 祀瓢⇒黄柄
 です。
 ではではこれにて、一応完結済みを掲げさせていただきマシュル。

 読んでくださった方、応援してくださった方、評価してくださった方、ありがとうございましたー!!
 もうね、何度も最初から読んで読破してる、って方には感謝感謝です!
 更新滞ってばっかりですみませんでしたぁああっ!!


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後日談笑編
後日談1:辿り着いた今のお話①


 ───とある、遠い過去の話をしようか。

 かつて、世は混乱の只中にあった。

 人々は日々を生きるのみで精一杯であり、上に立つ者ばかりが私腹を肥やす日々。

 民などはほぼ痩せ細っており、太っている存在などは滅多に見られるものではなかった。

 

 当然民は“ただ黙して死ぬくらいならば”と立ち上がった。

 だが、その立ち方はあまりに間違っていた。

 向かうべき上の者には立ち向かわず、同じ苦労を味わう者の手にある僅かな蓄えを奪い、明日を生きるという立ち上がり方であった。

 当然そんな行為が許される筈もなく、そういった者達は始末され、そうすることで糧を育む者は次々と減り、世界は静かに死へと向かっていた。

 育む者が居ないというのに私腹を肥やす速度を緩めもせぬ上の者は、少ないのであれば民の分をと奪い、余計に民を苦しめる。

 そんな世を正すために、立ち上がる者達が居た。

 

 当然それぞれの目的はところどころで違ったのだろうが、世を変えようと立ち上がった事実は変わらない。

 己の幸福にしか興味のない者を下し、難民を招き、ゆっくりとだが人々に生きる術を与えてゆく。

 そんな勢力がのちに、大まかに分けて三つ確認され、そんな世界の歴史を三つの国の志と例え、三國志と云った。

 三国の力は強く、民の様々がこの王ならばと信じ、その国で生きた。

 糧を育み、未来を夢に見て、次第に増えた笑顔に心からの安堵を吐き。

 どの国の者も自国の王が勝つことを信じて疑わなかった。

 

 結果として覇王に到った者は魏王・曹孟徳。

 同盟を結んだ呉と蜀の力をも跳ね返して見せ、大陸の天下を統べ、それだけではなく敗北した二国の王にも、ここから理想の良い国を作ってゆきなさいと、下した二国を二人の王に任せたのだという。

 これこそが覇王の器であろう。

 非道な王だと思ったのなら迷わず討ちに来なさいとまで言ったとされ、人々はその在り方に惹かれたのだという。

 

 だがこの孟徳、歴史の初期では中々に腹黒いという印象があり、部下を苛めて楽しむという少々非道な面もあったというのだが、覇王に至る頃には随分と丸くなっていたとか。

 そんな覇王にいったいどんな心境の変化があったのか。

 それを知るには、まず彼女の前に降り立った存在、“しゃいにんぐ・御遣い・北郷”のことを語らねばなるまい。

 

 その者、天より遣わされし知将。

 銀の衣を身に纏い、黒の木剣を手に、人々に“笑顔”を思い出させる天使。

 魏が魏として出来る以前、曹の旗に舞い降りた彼は、曹孟徳が“力”として誇っていた“威圧”を解き、警備が怖いという理由だけでその威圧を砕く行動に走り、警備を強化するだけでなく民への無用な威圧を殺してみせた。

 このしばらくののちに魏が誇るなんでも屋、“北郷警備隊”が組まれることになるのだが、それはまた別の話だ。

 ともかく彼の出現により、彼女が任されていた、歩く民が兵に怯える町や村は一変。笑顔溢れる平和な町へと色を変えていった。

 その影響だろうか。

 戦の中では鬼とさえ思えるほどの強さを誇るのちの覇王が、城では随分と顔を緩ませ、御遣いが作った天の料理に舌鼓を打っていたとか。

 なおこの知識は遺された書物より得たものを纏めたものであるため、琮、ではなく私は悪くない。琮ではありません。どちらかというと、禅です。禅ですとも。

 

 そしてこの御遣いの活躍が、覇王曹孟徳を勝利に導いたとされ、魏ではそれはもう有名な人物となっていた。

 むしろのちに三国の中心に造られる都では、将の顔は知らぬが御遣いを知らぬ者は居ないとさえ云われるほどであり、もし曹孟徳が威圧を少しも殺さずに天を握っていたとしたら、こんな未来はなかったのではとさえ思えるほどであり、民のほとんどは彼、しゃいにんぐ・御遣い・北郷を随分と好いていた。

 さて、この御遣い。

 名を北郷一刀といい、姓を北郷、名を一刀。字と真名が無い存在であり、見つめると輝いて見える素晴らしいお方だ。

 その武力はのちにあの三国無双にも追いすがらんとする勢いであり、男でありながらこの武力を誇るというだけで、皆は息を飲んだものである。

 そんな、数ある彼の話の中でも不思議なものがあり───

 

 料理の腕は普通。

 天のお菓子を作らせたら右に出る者なし。

 鉄の胃袋を持つ男。

 炒飯と杏仁豆腐という言葉にとてもよく反応する。 

 ふと見てみると仕事か鍛錬をしている人。

 人にとんでもなく好かれやすい。

 関係を持つ女性が両手両足でも数え切れない。

 魏の種馬。

 女じゃ彼には勝てない。

 昼に武で勝った女性が、夜に床で泣かされた。

 なのに男にも好かれる。おかしな意味ではなく。

 

 言い始めればキリが無いが、ともかく彼は凄い。

 そんな彼が三国の同盟の証として置かれたのも、過去の知識を紐解くだけで嫌でも理解できるというものだろう。

 

 他の特徴として、自身が成長出来ない身であることから、筋肉を使わない武技を学んでいたことも知っておくべきだろう。

 彼は筋肉も強化出来ないことから、力を必要としない氣のみの技術を磨き、まさに護身と呼べる術を発展させていった。

 男性より女性が強いとされるこの空の下、この技術に感謝しなかった男性はおらず、女性もまたこの技術を学び、様々な者が氣を学び、技術を学び、練磨に励んだ。

 その技術は御遣いと、その否定者との戦において大変な功績を遺し、この技術がなければ三国は負けていたとさえ云える。

 

 ───この書を読んでいる未来の人よ。

 この書は1800年後へ届いているだろうか。

 どうか未来の日本の、ふらんちぇすかという場にその者が現れたら、この書を届けてほしい。

 そして、私たちは最後まで力強く生きることが出来たと伝えてほしい。

 ……ええ、戦は私たちが勝ちましたよ。

 心配しているだろうから、ここに記します。

 

 

           呂 琮

 

 

  ───……と。

 

 

「まあ、これがお前を一刀と名づけた理由なんだがな」

「にわとりィイイイイ!?」

 

 

 

 

 

 

番外のいち/鶏が先なのか卵が先なのか? そんなの鶏に進化する前のなにかにきまってるじゃない。つまり結局はタマゴが先さ! きっと!

 

-_-/かずピー

 

 話をしよう。なんでもない、ある日常の一端で起きた奇跡的な再会とその後の話だ。

 よく再会の場面をエンディングにする物語ってあるよな。

 ゲームとかアニメとか漫画とか、喩えを挙げればキリがない。

 さて、そんな再会の後日談だが。

 ひどく現実的で夢の無い、だが正直な話をしよう。

 

  食費がヤバイ

 

 これに限る。

 あれからみんなを連れて道場に戻ったら、母上様驚愕。もちろんお爺様もであらせられたが、どう説明したものかと考えているうちに及川が暴露。

 “みーんなかずピーの恋人さんやー!”と言った彼は、ある意味勇者だ。

 偽造させた身分証の住所欄には北郷宅が記されており、なんとかならなかったのかと于吉に訊いてみれば、先立つものがありませんのでとキッパリ言われた。

 

 派手な服装の皆様を前に固まっている母を余所に、真っ先に問い詰めにきたお爺様。道場に連行されて、改めれて問い詰められるに到り、俺はありのまま、正直に話した。嘘を言っても仕方ないし、こればっかりは真っ直ぐに向かわないといけない。みんなと生きた世界を肯定するために、俺は肯定も否定も選んだのだから。

 もちろん悶着はあって、男子たる者の在り方を散々と説かれた。説かれたけど、それを真正面から切って捨てまくったのは我らが覇王さまであった。尋常ならざる迫力とともに、じいちゃんの口からこぼれる言葉の全てを真正面から微塵切り。

 コメカミをバルバル震わせていたじいちゃんだったけど、時間が経って多少は“思考の根元”が落ち着きを取り戻していくと、急に態度を変えた。

 いったいなにが───と戸惑う俺達を前に、一度道場を出て、戻ってくるや……一冊の書物を見せてきた。

 それが、呂琮が書いたらしいものだった。

 それと俺とを交互に見たのち、じいちゃんは長い長~い溜め息を吐き出して、俺に問うた。お前はどうしたい、と。

 

 どうする。

 その質問に対しての答えは、もう胸にあった。

 金も無ければ住処もない。だったら広い場所を提供する以外はないだろう。

 ということで、

 

  道場に住まわせる!

 

 キッパリハッキリ。

 何か言い返そうとしたじいちゃんだったけど、「……道場、継がせたよね?」と囁くと、頭を抱えた。

 ああうん、俺もいっつもこんな感じで抱えてたんだろうなぁって、そんな光景を見つめていた。

 これで住む場所はOKだった。じいちゃんに思い切りドツかれたけど、OKだった。他の家族には当然止められたけど、じいちゃんが何事かを話すと家族も納得。話自体は受け入れてもらえた。

 ……のだが。結局は食費なのだ。だってみんな、とっても食べるし。しかも家族が頷いた理由が“食費に関しては一切面倒は見ない”という条件の下だったため、さあ大変。

 当日から一致団結での食費稼ぎが始まった。当然、日雇いのバイト(力仕事優先)を探しまくっての荒稼ぎ。

 力仕事かつ複雑でないもの探しが優先される中、軍師の皆様はこの時代の知識の吸収に回される。

 最初からハードルが高いと言っても聞かない皆様は、最初から図書館に挑み、様々を知る日々を続けた。

 

  で、現在。

 

 場所は道場。

 俺の目の前で床に胡坐を掻いて座るじいちゃんが、いつかの日に持ってきた書物を手に、名づけの理由を教えてくれた。

 うん、本当に、鶏が先なのか卵が先なのかって話だ。

 過去に行った俺の話が書物として残されており、書かれた文字が日本語とくるのだから、そりゃもう驚くしかないだろう。というか、原文がよくもまあ残っていたものだ。

 書いたのは琮だ。随分と文字も綺麗だ。

 綺麗なのに、未だにお手伝いさん呼ばわりなのはどういうことか。

 きちんと説明したよなぁ、俺……。

 亞莎は“恥ずかしがっているだけですよ”と言ってくれたが、書物に残されると大分ショックだ。

 

「………はぁ」

 

 ともあれ。

 娘達の歴史が辻褄合わせに選ばれてくれていた。

 それだけで、鼻がツンとしてくるくらいに嬉しい。

 じいちゃんが居なければ泣いていただろう。

 

「女に好かれるところや黒の木剣、ふらんちぇすか、という部分までもが酷似しておるとくる。そしてお前の“歴史と戦ってきた”、という言葉。……一刀よ。お前がここに記されている天の御遣いだと、儂は思っておる。だからお前の話にわざわざ驚きもせなんだ」

「いや、その頃はまだ辻褄も追いついてなかったんじゃ……ああそっか、もう追いついたからこそ、その部分も変わってるってことか」

 

 いろいろ気を使ってくれただけなんだろうなぁ、じいちゃん。

 

「えっと。まあその、一応。で、一緒に来た女性たちが、その時代で一緒に戦った人達」

「……。ふむ? なんじゃな? つまりは、あー……」

「うん。曹孟徳や孫仲謀や劉玄徳」

「………」

「………」

「……儂、赤い髪の静かな子に肩揉みとか頼んじゃったんじゃけど……」

「うん。あの娘、呂布」

「りょっ!? ……婆さん……儂、もう死ぬかも」

 

 じいちゃんがかつてないほどにサワヤカかつ男らしい表情のまま、道場の神棚を見つめてそう言った。

 いや、大丈夫だから。むしろじいちゃんに気に入られようと頑張ってたから、恋。

 

「し、して、一刀よ。この書物、北郷という苗字と、道場があるという理由だけで、ある日に渡されたものだが。ここにある御遣いの娘達、というのは」

「えーっと。その。俺の娘」

「ぬおっ!? ならばその娘の娘というのは」

「孫で、その娘が曾孫」

「…………で! その娘は!? 祖父に隠れて子作りとはなんたることか! 抱かせい!」

「抱きたかったらその時代にタイムスリップするしかないんじゃないかなぁ……」

「ぬうう……! 儂の初曾孫……! 一刀お前、よもや自分だけ儂より先に初曾孫を抱いたなどと……!」

「や、そりゃ抱くって」

「この裏切り者がぁああーっ!! 祖父より早く曾孫を抱く孫が何処におるかぁあーっ!!」

「えぇええーっ!? い、いやっ、居るだろ! 居るよ!? 居るって!」

「やかましゃぁああっ! 立てぇい! その根性、叩き直してくれるわ!」

 

 どこから出したのか、竹刀片手にホギャーと憤慨するお爺様。落ち着いてくれと頼んだって聞いてくれない。

 まさかこの人が、こうも曾孫を求めていたなんて。

 …………ああ、そういえば、二度目にあっちへ行く前に、曾孫がどうとか言ってたっけ……。

 

「祖父より先に死ぬ孫を叱る者の気持ち、儂にも当然わかる! そしてその理屈をそのままに、祖父より先に曾孫を抱く孫……許せん!」

「理屈が無茶苦茶だぁっ!! ちょ、じいちゃん本気で落ち着いてくれって!」

「問答無用ォオオオオオッ!」

 

 じいちゃんが竹刀を上段へと構え、キエエと立ち上がる勢いと同時に襲い掛かってきた───そんな時だった。

 道場の出入り口の戸が開き、ひょこりと顔を覗かせる三国無双が……!

 

「!? ……、……………」

「…………。……? じいちゃん?」

 

 来るであろう衝撃に身構えていたものの、いつまで経っても一撃はこない。

 むしろじいちゃん、こちらを見つめる恋の視線に固まってしまっていて、顔がみるみる青く……!

 

「……ご主人様のこと、殴る……?」

「え、あ、いや、儂はだな、その」

「殴る……?」

「これは男と男の……」

「武器を持っていないご主人様を、殴る……?」

「ナグリマセン」

「……ん」

 

 偉大なる祖父が“伝説”の眼力に敗北した瞬間であった。

 そして俺は俺で、なんだかこの祖父に物凄い親近感を湧かせていた。

 

「っと、それはそれとして。恋、どうしたんだ? ねねと一緒にペットショップの仕事を探すって言ってただろ」

「ん……見てきた」

「もう!? ……どれだけ急いで行ってきたんだよ……あ、で、どうだった? 仕事、出来そうか?」

「……仲良くなった子が目の前で買われていった……」

「……あの。恋さん? 提案された時にも言ったけどさ。動物を家族って言える人にペットショップは辛いと思うぞ……?」

「ん……いい、やる。これも弱肉強食……!」

「ある意味合ってるから違うって言いづらいなぁもう」

 

 仕事はそれぞれの個性を前に出したもので決まりそうだ。もちろん最初はバイトで。

 料理上手な流琉や斗詩も、まずは食事処で仕事をして、調理師の免許を取ってから本格的に、という段階を踏み始めたばかりだ。(*ちなみに調理師免許は食事処での二年間以上の実務経験が受験条件に含まれている)

 恋もその道で先を目指すならと、専門学校への入学を……とか、いろいろ忙しい。

 そういったものの内容確認や対処法を率先して調べてくれているのが、詠だったりする。頭に冷えピタ張って調べごとをする姿が、なんというか妙に様になってるんだよなぁ……“キミ本当に過去の人?”って訊きたくなるくらいに。

 でも詠さん? 頭を冷やしたいなら貼るところは額じゃなくて太い血管のあるところにしようね。額に貼ってもあまり熱は取れないから。

 

「年齢偽装とかよかったのかなぁ……みんな来年からフランチェスカとか専門学校に通うつもりなんだよな? 勉強とかなんとかなりそうか?」

「なんとか、する……!」

 

 なんとも力の篭った頷きだった。

 その頃には俺はもう卒業してるんだけど、いろいろ心配だなぁ。

 王様や、その臣下が一つの学園に勢揃いするわけだ。

 妙な派閥とか出来ないといいけど。学園三国志、みたいに。

 …………いや、シャレになってないから考えるのはよそう。

 

「むう……ふと気づけば孫が儂を追い抜くという、妙な状況……。“銅鏡”、のう……不思議なこともあるものよなぁ」

「まあまた銅鏡が見つかったところで、もう別の外史は無いんだから派生のしようもないと思うけどね。……あ、あー……その。じいちゃん? 無い……よね? なにかしらの“いわくつき”のものとか」

「ふむ。……おお、そういえば蔵に随分とまあ古びた刀があってだなぁ。いつからあったのかさえ忘れてしまった、それはもう不気味なものなんだが」

「封印してください」

「む? 派生のしようがないから、別にどうでもよいのではないのか? お前が一人前になったら譲ろうと思っていたんだが」

「いわくつき、って条件で思い出された刀より、あの黒檀木刀を正式に譲ってほしいんだって。あ、もちろん金は働いて払うよ」

「おおぉ……あれなぁ。不思議と手に持っても、儂の手にはもはや馴染まなんだ。同じものを握り続けていれば、握る部分が手の形に変形する、という話はあったが……氣、だったか。お前がずっとそれで包んでいた所為か、ちっとも変形しておらんというのに、誰が持っても馴染まんものになってしまっている」

「そりゃ、随分と長い時間を一緒に過ごしたしなぁ」

 

 アレに何度命を救われたことか。

 ていうか、貂蝉の話だとあんまりにもアレを持って氣を繋げていた所為か、木刀自体に氣脈が出来ているらしい。普通じゃ考えられないそうだ。

 だから俺の氣だったら木刀に瞬時に満たされるけど、他の人の氣は馴染まない。大事にされたものには魂が宿るとか言ってたけどなぁ、まさか氣脈が出来るとは。

 そういう理由と愛着もあって、件の謎の刀なんぞよりもあの木刀を正式に譲ってほしいのだ。あれじゃないと上手く立ち回れる気がしないし、この時代じゃ篭手と具足を直す真桜工房も無いしなぁ。

 今でも鍛錬は続けていて、みんなには御遣いの氣の扱い方を教えていたりもする。皆様覚えるのが早く、早速ボコボコにされているこの北郷めでございますが、それでも人の順応ってものは素晴らしいもので……勝てないまでも、粘るくらいなら出来るようになっていた。

 ええはい、最初はてんで勝てませんでしたとも。ただでさえ強いお方たちが、さらに氣を増幅させてしまったのだ、普通にやって勝てるわけがない。

 

「あれは知人に造ってもらったものでなぁ。儂としてもそれなりに愛着がある。元々が黒檀の素振り刀、という名が示す通り、素振り用のものとしてお前に貸したものだ」

「その“貸す”を“譲る”に、なんとか……! 頼むよじいちゃんっ!」

「蔵の刀は」

「要りません」

「………」

「………」

「ならばあれよなぁ。刀とともにならば考えんでもない」

「どれだけ手放したいんだよその刀!」

「これだけ歳を取れば、妙な直感というものを感じるものよ。“あれ”は危うい。まるで誰かが触れるのを待っているかのようだ」

「……じいちゃん。触れたことは?」

「危ういと言ったろうが。誰が触るものか」

「………」

「………」

 

 俺の奇妙な危機感知能力って、じいちゃんからの遺伝なのかしら。

 まあ、わかってたところで大体地雷を踏む俺だけど。

 

「……ほんとに、その条件でいいのか?」

「応。子供でも産まれたら、そやつに継がせてしまえ。それでお前も共犯よ」

「孫になんてものの片棒を担がせようとしてんだこのお爺様」

「ともかくだ。迂闊に触らんようにとお嬢さん方にも言っておけ。木刀は、まあ……お前が持っておけ、まったく。道場をくれてやっただけでは足りんのか、欲張りな孺子よなぁ」

「! じ、じいちゃん! じゃあ!」

「まあそれとこれとは別だから、10万はきっちり払うのだぞ」

「ワーオ!」

 

 ちゃっかりしてらっしゃる! 譲ってくれれば深く深く感謝してたのに!

 まあそれはこっちの都合だから、言っても仕方ないことだけどさ。

 ていうかどうせ支払うなら、受け継ぐ意味とか無くないですか!?

 

「……じゃあ、じいちゃんも曾孫の名前全員分、考えてくれよ……? 恩返しがどうとかって、そういう約束だったよな」

「ぬごっ!? お、おおお……!? ごほんっ! ……一刀よ。ちなみに娘は何人くらい……」

「50人以上は確実」

「───」

 

 その時俺は……喜びと悲しみとを混ぜ合わせた、まるで虚しい戦いを続けた歴戦の勇者のような表情を……祖父の顔に見たのでした。



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後日談1:辿り着いた今のお話②

 それぞれの生活が始まった。

 

「これが冷蔵庫なぁ~……っへぇえ……中身気になるわぁ~……たいちょ、分解してええ?」

「やめなさい」

 

 北郷宅を拠点に、みんなが一歩から始める新生活。

 

「おぅい公瑾~! 儂の服を知らんか~!?」

「祭殿が脱ぎ散らかしたものなら、思春が持っていきました」

「ちょっと冥琳~!? 私の靴下がないんだけどー!」

「既にそこに分けてあるだろう、訊くよりもきちんと探してから言え」

「訊いたほうが早いじゃない。さってと~、退屈しない内はお仕事お仕事~♪」

「……策殿が仕事仕事と言っていると、不気味なものがあるのぉ」

「同感です。まあ、この時代のものに興味がある内は迷いもないでしょう」

「でもそろそろこの仕事飽きてきたかなぁ。ねぇめーりん? 他の仕事探していい?」

「権殿に報告してもいいのならな」

「あー……も、もうちょっと頑張ってみよっかなー……。逃げ場無いし、ずうっとねちねち怒られるのも……ねぇ……」

「ああ。当然私も存分に説教するがな」

「じゃあ行ってくるわねー! あ、祭ー!? 今日はウェビスとキリンジのビールを飲み比べるから、先に飲んでちゃだめだからねー!?」

「酒の話はいいからさっさと行け。寄り道はするなよ」

「はいはいしませんしませーん」

 

 俺がそうだったように、みんなもまずは常識的なものから学んで、自力をつけて地力を高めるところから始まった。

 そこから早速日給を手に入れて勇ましく帰ってきた女性たちに、なんかもう早速力仕事で仕事場に馴染むことが出来た云々を聞いて、引き攣った苦笑いをこぼしてしまった俺は悪くないと思う。

 

「む、むむう……この場合、どちらを買うのがいいのだろうか……。こちらは安いが……何故同じものなのに値段が……? やはり質が……?」

「愛紗、買うならその賞味期限間近の安い方だ。我々の人数で賞味期限の短さは気にするな。鈴々、余計なものは入れるな。我々に菓子を買う余裕などないぞ」

「……思春? 思春は随分と、あー……なんだ。この世界に馴染んでいる気がするのだが……」

「北郷に財布を預かったからには、全てを仕切らせてもらう。余計なものに使う金なぞ存在すると思うな」

「でも自分で稼いだ分くらいは自由に使いたいのだ! 雪蓮だってびーるとか買ってるのだー!」

「問題はない。勝手に使った数だけ食事から抜かせてもらっている。米すら出なくていいというのなら存分に買うがいい。使った金額の分だけ次の食事にも影響することを忘れるな。一食我慢すればいいなどと、甘いことをぬかすつもりはない。───星、そのメンマはやめておけ。会社の名前で値段ばかりが高く、質も量も大したことはない。───愛紗、今日の料理に生魚は要らん。置いてこい」

「……ふわぁあ……! 思春ちゃん、すっかりこの時代の人って感じだね……!」

「なんだかおかーさんって感じなのだ」

「! ……つまっ……こほん。つまらないことを言うな。財布の紐を任されたからには、気を引き締めなければと思っているだけだ」

「あはは、そうだねー。確かに私や愛紗ちゃんが持ってると、お願いされたらついつい買っちゃおっか、ってなっちゃいそうだし」

「う……それは、その。桃香さま、私はそのようなことは」

「鈴々ちゃんにおねだりされ続けて、ずっとダメ~って言える? 愛紗ちゃんなら、“今回だけだぞ”~とか言って、結局買っちゃうと思うなぁ」

「うぐっ……! それは……」

「にゃはは、よくわかんないけど、財布は思春が持ってたほうがいいということなのだ」

「ふむ? しかしなぁ鈴々よ。主が持っていた書物……“まんが”によれば、多くの場合は財布を預かる女性というのはその男の“妻”という立場のようだが」

「重いだろう思春。その財布、この関雲長が預かろう」

「断る」

 

 俺も学校があるからつきっきりでなんていられないし、みんなも何もせずに道場で待つ、なんてことが出来るほど退屈好きじゃあない。

 すぐに行動に移るあたり元気がいいことだが、そういう行動にこそ助けられているのも確かだ。

 

「あ、あ、あうぅうう……! もう我慢できないの! お洒落したいーっ!!」

「おわー!? 沙和がついに我慢の限界に!? ちょっ、凪ぃっ!? ぼさっとしとらんと押さえるの手伝いぃ!」

「あ、ああっ!」

「働いて帰ってきてもお金の管理は思春さんだから手元に残らないし! 服とかもっとほしいー! 阿蘇阿蘇……じゃなくてふぁっしょん誌もー!」

「うっ……押さえといてなんやけど、気持ちわかるなぁ。ウチも“機械”のことをもっと調べたいなー思とったし……でも先立つものがなぁ、お金がなぁ、難しい話やなぁ」

「というわけで思春さん! お金くださいなの!」

「一ヶ月以上を水道水で生きたいなら止めはしないが? 言っておくが一切の冗談も情けもありはしないぞ? 塩の一粒さえ許さん」

「いえっさー我慢します! なの!」

「ウチせめてカルキ抜きがええ! 水道水はやめたって!? ちゅーかちゃんとおまんま食べたいです! ほ、ほら! 凪からもなんかゆーたって!」

「私まで巻き込むな!」

 

 全員が近くに居る現代での生活は、新鮮といえば新鮮で……心配といえば物凄い心配だった。

 

「わ、わわわわっ!? ちぃちゃんっ、せんたくきーが泡噴き出したよ!?」

「えぇっ!? ちゃんと説明書通りにやったわよ!? 読めないところは飛ばしたけど! なによこの妙な文字!」

「ちぃねえさん、それがアルファベットよ。わからなかったら訊いてってあれだけ言ったのに、なにをやっているの……」

「こ、こんなものは適当でやればどうとでもなるわよ! この液体が綺麗にするっていうなら、いっぱい入れたほうが綺麗になるに決まってるんだから!」

「ちぃ姉さん……思春さんに散々節約を言い渡されたの、忘れた……?」

「あ」

『………』

「やっ、ちょっ……なんで無言で距離取るのよ! べつに私がなにかするとかじゃないでしょ!? 大体ここにあの朱い悪魔が居るわけじゃ、ってほきゃああああーっ!? だだだっだだ誰!? こんな時に後ろから肩叩くとかどうせ一刀でしょ驚かせるんじゃ出たぁああーっ!? や、ちっ……ちちがっ違うのっ! これは入れ過ぎとかじゃなくて、あるふぁべんとーとかいうのが悪いんであって、ちぃはべつにっ!」

「洗剤の値段、噴き出る泡と水の量から換算……貴様の夕餉はないものと知れ」

「いやぁああああああああーっ!?」

 

 ああそれから、思春がやたらと張り切って、いろいろなことを担ってくれている。

 分担しようって言ってもやわらかい笑顔で“なにも心配はいらない、私に任せろ”とか言い出して、この世界のことの勉強から仕事、家事やらなにやら、様々なことに手を出し始めた。

 ……もしかして思春って……いや、もしかしなくても、一線を越えるとものすごーく過保護になる……タイプでしたね。そもそも蓮華に対してもそうだったし。

 それが、自分の臨終の瞬間、俺の泣き顔を見てしまうことで爆発した……ってことでいいのでしょうか。自分が関係してしまっている分、認めるのがものすごーく恥ずかしいのですが。

 ただ、言わせてもらえるのなら……今の思春、過保護すぎ。

 

「忘れ物はないか?」

「あ、ああ」

「歯は磨いたな?」

「磨いた……っていうか無理矢理磨こうとしてきたじゃないか」

「お前がもたもたしているからだろう。それと、ボタンはきちんと上まで締めろ」

「いや、これ上までやるとキツいんだよ。筋肉ついてきたし」

「だとしてもだ。お前がだらしのないヤツだなどと思われるのは屈辱だ。もういい、私が───ああこらっ、動くなっ」

「いいって、自分でやれるからっ。……ほら、これで、ってなにすんの!?」

「髪もきちんと整えろ。髪は洗うくせにお前はいつもこうだ」

「梳かしてもこうなるんだって! クセ毛なんだよ!」

「……よし。じゃあ───いや待て、靴下が裏返しだ」

「靴履いてから気づくか普通! いやちょっとやめて無理矢理脱がそうとしなくていいから! やめてその仕方の無いやつだなぁって顔!」

 

 ……過保護だ。

 蓮華が引くくらい過保護だ。

 

「なに? そんなことを相談しにきたのか?」

「そんなことって……秋蘭、こっちにとっちゃ随分と重要なことだぞ?」

「ふむ……まあ、興覇にしてみれば北郷、お前のことがそれこそ大事な身内に見えて仕方が無いのだろう。私や姉者が華琳さまをそういった目で見るのと同じく、やつにも心から守りたい者が見つかったと、それだけのことだ」

「それって蓮華じゃなくて?」

「それはそうだろう。私や姉者は、華琳さまや北郷以外とは、ああいった関係に到りたいとは思わんぞ? 興覇が抱く“大事”の方向性は、そういったものだろう。受け止めてやればいい。自分が許容できる限界までな」

「……そういうものなのか」

 

 そんな過保護に対しての疑問や疑問解決、果ては暴走やら喧嘩やらもしょっちゅうあったけど、今のところはまあ……なんとかやれているのだと思う。

 

「フッ……今日も私が誰よりも貢献したぞ……! これを見ろ北郷! 給金が増えたぞ!」

「あの、華雄さん? 一日毎に襟首掴んで封筒突きつけるのやめてくれませんか……?」

「む。そうは言うが、他の者たちは“あぁはいはい”としか返してくれん。真面目に向き合ってくれるのがお前くらいなんだ」

(そこでしょんぼりされると余計に逃げられないんだけどなぁ……)

「まあともかく見てくれ。ええっと、なんだ? ふくざわ、という紙が一枚増えたぞ。これは高いのか? ああまあともかく私の武が評価された証だ! 誰よりも貢献した者に一枚贈呈されるという話だったのだ。やはり誇るべきは武であり力。存分に発揮してみれば見事に認められた」

「そ、そっか」

「北郷、お前は誇ってくれるか? そ、それともやはり武だけではだめだろうか。いやしかし、武が……武……私にとって武は誇るべきところであり……いやしかし……」

「もちろん誇らしいよ。華雄が一番得意で誇るべきところが認められたんだ、嬉しくないはずがないって」

「そ、そうか……そうかぁっ……! フッ……ならばもはやなにも躊躇する必要は無い……! 人員不足で嘆く仕事場の憂い、この華雄の武を以って終わらせてくれる!」

「……お手柔らかにな。俺は華雄の武も立派なものだって誇ってるけど、体だって心配なんだから」

「! ……そ、そうだな。そうか、そうだ。一度体験したとはいえ、私の体はもう私だけのものでは……いや身籠っているわけではないが、こう、将来的には……」

「ごめんな。あの頃みたいに都を担ってるわけでもないから、お金のことじゃ本当に苦労かける」

「む? ……フッ、それこそ気にするな。逆に“武将”の在り方がよぅく味わえる。国の援助があったから生きていられたあの頃とは明らかに違う。武というものがこれほど知に遅れを取る世界に立たされて、自覚出来ぬほどに愚かなわけではない」

「華雄……」

「私たちは生かされていた。他でもない、あの頃の国や都に。つまり北郷、お前にだ。お前は立派に私たちを支えてくれていたのだな。……ならば、今度は私たちの番だろう? 思春ではないが……お前は必ず、私たちが守る。共に生き、共に逝こうぞ、我らが柱よ」

「…………ああ。……───ああっ!」

 

 自然と、胸をノックする回数が減ってきたのは……きっと、自分の中にそれだけ、物事に対する覚悟というものが固まってきたからなのだろう。

 困難を前に、きちんと前を向いて歩く。

 それだけのことに足を震わせていたあの頃とはもう違うのだ。

 50年以上を生きて、それでも決められない覚悟はあっても……絶対に立ち向かえないのかと言われれば、きっと俺は首を横に振るえる。

 向かうものが違っても、恐怖の方向性が違っても、きっと……外史って世界に立ち向かうよりは、よっぽど気楽なのだろうから。

 ……ええはい、怖いものは怖いですがね。

 

「せいやぁあああっ!!」

「おぉおおおおぁあああっ!!」

「おうおう、飽きもせずにようやるのぅ」

「あら祭さん。今日、お仕事は?」

「午前で終わりじゃ。ほれ桔梗、すぅぱぁで安売りしとった350缶じゃ」

「すまんな。ほれ紫苑」

「ありがとう。もう、また思春ちゃんにおかずを引かれますよ?」

「おかずの一品が惜しくて酒を抜けるか。いざとなれば穏のやつからちょろまかせばよい。まあ、思春のやつもきちんと酒の値段を見ておかずを抜くから、儂も儂で計算しながら飲んでおる。言葉通り、これも計算のうちよ、かっかっか」

「それに私たちまで巻き込まないでほしいのだけれど……はぁ」

「言いつつも誰よりも先に開けとるぞ、紫苑」

「うふふ、だってご主人様の戦いを見ていながら、飲まないなんて」

「応、もったいないというものじゃろう。で? そうまで言うなら桔梗、お主の分は必要なかったか?」

「開けたものを飲まずに返せば礼を欠くというもの。喜んで頂く」

「素直ではないのぉ。で、北郷のやつはいつからやっておる」

「朝から。丁度祭さんが出かけて、いつもの鍛錬から始めて、星ちゃんが混ざってからよ」

「ほーう……? 北郷も随分と氣の扱いが上手くなったのぉ」

「まあ、当然よなぁ。我らが死んでからもずぅっと鍛錬を欠かさなかったと聞く。見る者が見れば荒削り……と言いたいところだが、なかなかどうして。北郷の動きとしてはあれほど無駄がないというのは……くっく、うずくのう。武器さえあれば一手願いたいほどよ」

「ええ。ふふ……今では左慈ちゃんを、ええっと、いめーじとれーにんぐ? の相手として見据えて、鍛錬をしているそうなの。左慈ちゃんの動きは見たことはないのだけれど……あの速さを見るに、よっぽど速いのでしょうね……ねぇ祭さ───あら?」

「よぅし北郷! 次は儂じゃ! 星、ちぃとばかり退いておけ!」

「あ、あー……もう、祭さんったら……桔梗、あなたからも───あら?」

「いいや次はわしだ! 祭よ、順番は守ってもらわんと困るぞ!」

「武器がないと言っておったろう!」

「そんなものは星が持っている竹刀で十分よ! さあ星! さっさとそれを寄越せぃ!」

「ほお、ふむふむ。なるほど、お二方の意見はよーくわかった。わかった上でお断りする。そもそも無粋というものであろう、人の決闘に土足で割り込むとは」

「決闘!? え、あ、えぇ!? 星!? 俺、星が練習って言うから付き合ってたんだけど!?」

「はっはっは、なんのことやら知りませんなぁ」

「知らんのなら寄越せ! 儂に!」

「いいやわしだ! これは譲れん!」

「あ、あらあら……はぁ、まったくあの二人は……」

 

 そんな、胸の中にもうある覚悟をもって歩く世界は、賑やかだ。

 楽しいことばかりではもちろんないけど、それでも。

 約束された幸福が手の中になくても、一日の生活に目を回しながらやりくりをしていても、それでも……賑やかであることには違いなんてなくて、そんな世界で笑っている。

 ……なぁ、娘達。

 きみたちが到った世界は平和だろうか。

 誰もが笑っていられる国は、まだそこにあるだろうか。

 誰かと誰かの間に立って、手を繋げる笑顔は……そこにあるだろうか。

 いつか必ずそこへ行くから、どうか待っていてほしい。

 その時は……おかえりを受け取ろう。

 だからどうか、ただいまを言わせてほしい。



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後日談1:辿り着いた今のお話③

 誰かに囲まれてばかりの日々を続けると、ふと一人になりたくなる時がある。

 そんな時には思考の海に放り投げられてばかりで、面倒なことをよく考えるもんだ。

 そのくせ、考えなんて纏らないから、どれだけ生きたってどこまで行ったって、今の自分は孺子にすぎないんだなって溜め息を吐く時がある。

 

「な~に空なんかボーっと見てるのよ」

「んあ? ああ、詠」

「ああ、詠、じゃなくて。なにかあったの? 最近のあんた、ボーっとしてるか騒動に巻き込まれてるかのどっちかじゃない……って、それは前からね、悪かったわ」

「それについて謝られると泣きたくなるからやめてくれ」

「で? なにかあったの?」

「なにかあった、っていうかなぁ……あのさ。ここ屋根の上だぞ? たまたま通りかかって来られる場所じゃあないんだが」

「なによ。たまたま通りかからなきゃ声もかけちゃいけないの?」

「ほら、よくあるだろ? 詠みたいな性格の子が言う常套句。たまたま見かけたから声をかけただけよー、とか。先読みして言ってみた」

「まあそうね。月と一緒に夜空を眺めてたら、屋根の上でくしゃみをする馬鹿が見えたから、ちょっと引きとめに来ただけよ」

「引き止め? なんで?」

「月がお茶を淹れてるから、持ってくるまで待ってなさい。無駄にしたら突き落とすわよ」

「おお、そしたら氣を使って着地するな」

「……いよいよ返事が変人じみてきたわね」

「俺もそう思う」

 

 とはいえ、当たり前のことだけど考え事をしながら生きる日々に終わりはない。

 あれがああだったら、なんて誰もが考えることだろう。

 そこに老若男女は関係なく、長い時を経て一つの外史に到った俺でも、それを思わない日なんてない。

 誰だってきっと、“最高の現在”を望みたい筈だ。

 それが叶う世界に辿り着いてもまだ、手に入れられなかったものなんてたくさんあるのだ。

 誰かが言ったね、この世は後悔ばかりで構築されてるって。

 後悔があるから改善のために誰かと何かが動いて、動く度に別の後悔が生まれる。

 人は何度“やり直し”が出来るように作られても、満足には至らないってじいちゃんが言った。

 生きていれば必ず後悔に突き当たり、こんな筈じゃなかったと過去を懐かしむのだそうだ。

 それはそうだ。後悔の無い自分は“新しい自分”だ。新しいものに前知識なんて存在しない。何処へ到れば幸福なのかという例もないのなら、想像もつかない世界など……到ってしまえば後悔だらけだ。

 そうして新しいことばかりの世界で、自分は“もっとああ出来た筈だ、こう出来た筈だ”と後悔する。

 そんな自分ばかりが浮かぶ───のだけど。

 

「北郷一刀ぉおおおっ!!」

「左慈ぃいいいいっ!!」

「ちょっと付き合え! 拒否権は無い!」

「いいやお前が付き合え! 公園なんかじゃなくて道場来い! 暴れるぞ!」

「望むところだ! ……まったくなんだこの世界は! 生きづらいったらありはしない! 貴様本当にこんな世界を望んでいたのか!?」

「なにからなにまで自分の思い通りに統一できるわけがないだろうが! それくらい考えろこの馬鹿!」

「なんだと貴様ぁあっ!!」

「否定を選ぼうとしてたお前が自分を否定されて怒るなって言ってるんだよ!」

「だったらまずこの世界の在り方をなんとかしろ馬鹿野郎!! ただ怒るだけでろくに仕事もしない男が、社長の息子だから上司!? それだけを理由に人を見下す世界なぞさっさと統一して変えてしまえ!」

「無茶言うなったらこの馬鹿!」

「なんだとこの野郎!!」

「なんだったら今ここでやるかこの野郎!!」

「のぞっ───……いや待て。大変受け取りたい提案だが、俺自身やっておかねばならないことがある」

「へ? ……珍しいな、お前がノってこないなんて」

「いいから聞け、北郷一刀。俺は貴様にどうしても言っておかなければならないことがある」

「? なんだよ、それ」

「貴様……いつになったらこの国の王になるんだ。さっさと一夫多妻を認めさせ、国の在り方を変えろ。それをするなら俺も于吉も協力してやらんでもない」

「……お前どれほど今の世の中生き難く思ってんのさ……」

「指示するだけでろくに働かん上司が俺よりも給料がいい世の中が、どれほど生き易いと言える」

「どの世界もそーゆーところって同じだよなー……」

「殺してもどうにかなっただけ、過去の方がまだ楽だ。力が振るうべくを善しとされた時代の終わりが、こうも窮屈だとはな。呆れすら朽ちる世だ。貴様らはいったい、こんな世界になにを求めた。何を願えばこんな世界に希望を抱ける。何を目指せばこんな世界を肯定出来る」

「……まあ、散々と“難しいことなんて”~って考えてきたんだけどさ。こういう時はたったひとつだよ。こういう時だけは難しく考えちゃいけないんだ。深刻になるな、なんて言葉があるだろ? “考えすぎっていうのはそれだけで難しい”んだよ。願うことも目指すものも単純なほどいい。馬鹿馬鹿しくたって、ただそれだけでホッと息を吐ける瞬間があることさえ知っていればさ、あー……その。えっと」

 

 生きる理由が“笑いたいから”ってだけでも、この世界はまだまだ楽しいのだ。

 “難しい”は要らない。“楽しい”を掻き集めて、馬鹿みたいに笑ってみればいい。

 この世界をやめる時なんて、全く笑えなくなった瞬間か、この世界を手放したくなった時か……自然に死ぬ時だけでいいんだと思う。

 目指した位置には辿り着けたんだ。

 もうお釣りばっかりで、支払うものなんて覚悟だけで十分だって……誰かに言ってほしい。これからも命懸けじゃなきゃ目指せないものばかりだというのなら、世界ってものは本当に……やさしくない。

 

「肯定否定を合わせて願ったこの世界だけどさ。それは願われたものであって、叶ったものとは違うんだよな?」

「? どういうことだ」

「ほら、俺はこうあってほしいって願っただろ? で、世界は統一された。でもたとえば、俺が“この人はこうだったらな”なんて考えた相手が居たとして、その人がそんな風に変わるとかはありえるのか?」

「さあな。人の在り方まで強制的に変える力がアレにあったかなど、俺は知らない。そもそも使っていたのはほぼ貴様だけだろう。俺に訊くな、お門違いだ」

「うぐっ……それ言われると辛いな……。ええと、何を言いたいかっていうと、願った世界ではあったけど、人の性格までもが俺が願う通り改善される、なんてことはないわけだよな? だから俺に世界の在り方をどうにかしろ、なんて言われたって無理だぞ?」

「そういうことか。ああそうだな、その点に関しては確かに無意味だ。だが俺がスッとする」

「お前ほんといい性格してるな!」

「フン、俺は貴様と違って、思ったことは相手に遠慮せず正直に言っているだけだ」

「時には必要な性格だろうけど、常時ソレだと俺に“生き難い”って言うことこそお門違いだぞこの野郎」

「……ああそれとだな。貴様が願ったことで世界に影響があるか、という部分だが、あるとだけ言っておこう。今を変える方法が全く無いわけじゃない。今この世界は束ねられたもので、他の“もしも”がひどく希薄だ。過去にでも戻ることが出来たなら、現在をいじくることくらい容易いぞ」

「へえ……って、そうは言うけど、過去に行ったりとかはもう出来ないんだろ?」

「俺達は既に不可能だ。が、何事にも例外は存在する。例えば于吉の話に出た猫だが───って、なんだその目は」

「いや。左慈もさ、話に夢中になると普通に話せるよな~って。会うたびに喧嘩腰なの、なんとかならないか?」

「貴様人の話を真面目に聞く気があるのか!」

「言ってから黙ってりゃよかったって思ったけどいつかは言わなきゃだろ今のは!!」

「~っ……馴れ合いはしない! 俺が言いたいのは、求めるものが平和ばかりでは後悔するぞということだけだ!」

「え? それってどういう……」

「知らんついてくるなもう知らん!」

「知らん二回言った!? ってちょっと待て! こういう時に説明不足で去るのって、絶対にあとでよくないことに繋がるだろ! 俺もうそういうのいいから話していってくれ!」

「貴様の都合なぞ知ったことか!」

「それ言うなら俺だって知るか!」

 

 やさしくはないけど、やっぱり世界はいつも通りだ。

 滅多な変化を望まない限り、訪れた変化のきっかけに誰かが手を伸ばさない限り、世界はこんな調子のまま進むのだろう。

 

(……俺が願った世界かぁ……)

 

 外史に託した願いなんてきっと様々。

 俺だけがどうこう願ったからって、過去から続く辻褄が俺の思うように動くわけがない。

 それでも、多少の可能性ってものはあったんだと思う。

 外史の結合を願って、“左慈と戦った俺”の意識が一番前に浮かぶなんて現状。もしかしたら別の俺が一番前に立っていたことだって……ああいや、それも結局もしもか。

 結合を願うことが出来た“北郷一刀”が、あの時は自分だけだった。だから結合しても自分が前に出ることが出来た。全部及川が于吉や貂蝉から聞いた通りなんだろう。あとで説明されても、及川の説明だとちんぷんかんぷんだったけど。

 けどまあ。

 

「お~ぅかえりなっすぁいご主人様ァン。ンごぉ~はんにします? おぉ~風呂にしますぅん? そ・れ・と・もぉん、貂ぉお~ぅ蝉ちゅわんっ?」

「チェンジで」

「そんなシステムなぁ~いわよん!?」

「じゃあ警備システムはあるんだから、不法侵入で警察に突き出しても文句はないだろ! どこから入ったんだよ!」

「あらぁん、普通にお客さんとして来ただけよん? 最近物騒だから、こうして家庭訪問も兼ねて近辺で怪しい人を見てないか、親御さんに聞き込みをしているところにゃ~にょよんっ♪」

「……。あ、もしもし警察ですか? 今家にウィンクで突風撒き散らすビキニパンツと白衣だけのモンゴルマッチョで物騒の塊みたいな存在が」

「どぅぁあーれが物騒という概念を密集させて完成した美少女ですってぇーん!?」

「そこまで言ってないよ!? 特に美少女!」

 

 悩むことはあっても、日常は日常。

 程よい……程よい? 刺激もまあまああって、退屈はしていないなら……願った甲斐も、目指した甲斐もあったのだ。

 物語にありがちなハッピーエンドの先は、幸せだけなのかって小さい頃に考えたことがある。

 散々と苦労をして、やっと魔王を倒して世界を平和にして、王女様と結ばれて胸を張れた勇者が居たとする。

 そんな彼はエンディングのあと、果たして幸せに生きていけたのだろうか。

 魔物と戦えたから応援された勇者だ。平和になった世界で、果たしてどれだけ役に立てるのか。

 華琳にも話したことだ。

 

  命懸けで戦って、世界を平和にしてさ。

  その後にやることが世界平和の維持、って。

  命懸けで戦うだけじゃ足りなかったのかなって。

 

 勇者はきっと、今度は人の争いに巻き込まれる。

 そして思うのだ。こんな筈じゃなかったって。

 倒した魔物よりもよっぽど黒い何かを見せられて、いつか……“倒してしまった魔王”を思うこともあるのだろう。

 ……こんなこと言ったら左慈は絶対に“気色悪い、殺すぞ貴様”って返すだろうけど。

 “勇者だって人間だ”。

 天の御遣いとして、支柱として立ってみたからわかることって、結構ある。

 そうして、多分……物語で言うエンディングのその後に立っている今の俺は……やっぱり、幸せ、ってだけの場所には立っていられてなかった。

 苦労のあとに来る幸せの方が嬉しいものだっていうのは、まあわかるけどね。



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後日談1:辿り着いた今のお話④

 そういったこれからのことを相談したり想像したりしている、とある日、とある現在。

 俺と華佗は俺の部屋でのんびりしつつも時間を潰していた。

 本日。学校はあるが、すぐに向かうには少し時間が早いのだ。

 プレハブ生活だった日々が懐かしいけど、現在は自宅住まいだ、これは仕方ない。

 早寝早起きを心掛けているのはいいことだけど、たまに早く起きるとこうなる。

 そんなわけで、男ってことで俺と同じ部屋で寝泊りしている華佗と、現代で医師になるにはどうするか、を話し合っているわけで。

 

「医療免許か……我が五斗米道をどれだけ説こうと、この時代の者は受け入れてはくれなさそうなんだが……」

「かと言って、闇医者になるわけにもいかないしなぁ。まああれだ。針師の資格を取るにはいろいろ積んでおかなきゃいけない経験もあるし、やっぱり学園卒業からだろ」

「勉強だけを修了させて、試験に臨むことは出来ないか? こうしている間にも病に苦しむ者が居るんだ。そんな人達を見過ごすには、学園卒業は長すぎる」

「高校卒業程度の認定試験に合格してればいいって、どっかに書いてあったな」

「そうなのか! ならばそれに合格して───」

「で、定められた養成施設を修了すること、だったかな」

「結局学ばなければいけないのか……!」

「そう言わない。あの時代には無かった病気とか結構あるんだ、学んでおかないと対処法とかわからないだろ。なんでも(はり)で治せれば、そりゃあいいかもだけどさ。それじゃあみんな、次第に針治療しかしなくなるじゃないか。渡せる薬や自分で出来る軽い民間療法なんてものがあるから、病院が病人だらけになってないんだから」

「……そうか。救うことを考えるあまり、目先のことにしか頭が回らなかった。俺もまだまだ未熟だな。よし、ならばその養成施設とやらを一刻も早く修了し、不治の病などこの世から消し去ってやろう!」

 

 華佗は華佗で燃えていた。

 仕事を手に入れるって大変だ。

 そもそも学校卒業が前提となっている職だらけなので、様々な方向からどうやって望んでいる職種に就けるかが問題なのだ。

 大陸に行くのはもうちょっと生活が安定してからになるだろう。

 しかしまあ……医者なぁ。

 最近は怠惰な医者が増えたよなー。患者が来れば、少し聴診器当てて“じゃあ薬出しますからねー”で終わりだ。

 薬を売ればそれで終了、少し具合を訊くだけでも終了、で、“初回問診が○○○○円となります♪”なんてよくあることだ。俺はあれを医者と認めない。

 華佗が見たら怒り狂いそうな医者ばかりなのだ、現代社会は。

 

「はぁ。俺も、大陸側に傾きすぎた知識の基準をこっちに戻さないとなぁ」

「苦労しているのか? そうは見えないが」

「ふとした拍子にね。さすがに50年以上をあっちで過ごすと、こっちに戻っても基準が向こう側になる。……“別の常識的なこと”は、こっち側の方に向いてるのにな」

 

 みんなと再会するまで感覚を戻そうと頑張ってはみたものの、それも“ついやってしまうこと”にはまだまだ対応出来ていない。

 なんというかこう、人の流れを見るとその時点でどうすることが丁度いいのかとか、そういった流れが見えることがある。仕事の病といえばいいのか。こう、剣道で言うと筋のいい人を見るといろいろ教えたくなる、みたいな感じだ。

 相手にしてみれば何様だって話になるから、無理に首を突っ込むことはしてないんだけどね。後輩にこうしたほうがと教えた時なんて、いろいろ大変だったしなぁ……。一応は高学年ってことで言うことを聞いてはくれたけど、そもそもフランチェスカは女学園だ。男の言うことを聞くことに抵抗を持つ子だって当然居る。

 教えた相手が丁度そういう娘だったために、いやぁもう拒絶されるわいろいろ罵倒されるわ、その後日に何故かツンデレ怒り気味に謝罪されてもっと教えろと言われるしで、もう訳がわからなかった。

 “かずピーってほんま、天然のタラシやね”とは及川の言葉だ。

 

「北郷はこれから学校か?」

「ああ。過去の世界でどれだけのことをやったって、こっちじゃただの学生だからなぁ」

「そうか。この時代に生きる者にしてみれば、過去などはあくまで基盤でしかないのだろうな。残るのは伝説のみで、俺達がどんなことをしてきたか、なんてことは……向こうで死ぬ前に、痛いくらいにわかったつもりだったが」

「そんなもんだよ。過去の戦を束ねてみせたんだってどれだけ言ったって、それが真実だとわかっても相手にしてみれば“そうなんだ、すごいね”で終わる。……あの世界はさ、味わってみなきゃ、誰にもどうとも言えないし、多分……言ってほしくもないことだと思う」

「……そうだな」

 

 どう説明したって真実ごと届くことなどないのだろう。

 当然だ、想像するしかないのだから。

 だからといって映像として人の死を遺しておくわけにもいかない。

 記して遺すしか出来なかった時代の、それが精一杯だ。

 ありがとうな、琮。お前達が勝てたって知ることが出来ただけで、俺もようやく救われた。

 でも“シャイニング・御遣い・北郷”は書かんでよろしかった。

 華琳が涙するほどの腹筋崩壊劇場なんて、きっとそうそう見れないぞ……?

 “これはお前のものだ”と琮が残した書物をくれたのはじいちゃんだが、それを手に取り勝手に読んだのは華琳だ。そして泣くほど爆笑したのも華琳だ。

 雪蓮あたりならそうなるのも予想出来たけど、まさかなぁ、華琳がなぁ。

 

「………」

 

 書物には、都は発展させるけれど、出来るだけ原型は留めるつもり、という旨まで書かれていた。

 1800年もそんな願いが叶えられるものかな、なんて思ってしまうあたり、俺も案外現実ばっかりを見ているのかもしれない。

 そうであったなら、とはもちろん思う。

 でも、住む場所っていうのは今を生きる人が変えてしまえるものだから。

 死んでゆく者がどれだけ願ったところで、死んでしまった者の意志は生きている者の意志には勝てやしないのだ。

 

「……大陸の方はどうなってるのかな」

「名前は中国。紀元前からこの名前はあったと書かれていたな。現在もそのままで呼ばれているらしい」

「うん。ちょっと、怖くて歴史を紐解くことに躊躇してる段階だ」

「見てみればいい。なかなか面白いことになっているぞ?」

「面白いこと?」

 

 ハテ。

 面白いって、なにが?

 ……まさか中国とは表の名前で、裏の名前が北郷とか言い出す気じゃあるまいな。

 

「氣を扱わせれば右に出る国は無し。武道の大会に出れば確実に勝利し、様々な競技の頂点に立っている、と。むしろ世界的な競技への出場が見直され、中国は中国内で最強を決めてほしいと願われるほどだ」

「なんでそんなことになってるの!?」

「ははは、原因は大衆に氣を教え始めたとされる“天の御遣い”らしいぞ? 乱世において人々に笑顔と楽しさを教え、平和であることの素晴らしさを伝え、敵同士であった三国を見事纏めてみせた天の御遣い。彼が居なければ三国の同盟もあそこまで深いものにはならなかったとさえ伝えられている」

「ぬっく!? く、おお……!?」

「ちなみに御遣いの名前のほぼは“シャイニング・御遣い・北郷”で占められていたぞ」

「いっそ殺してくれよもう!!」

 

 ていうか誰!? 誰がその名前で後世に残そうとしたの!?

 と訊ねてみれば、どれも自分の娘の仕業であったことを知り、頭を抱えた。

 なお、呉には校務仮面の名前までもが残されており、もう俺にどうしてほしかったのやら。

 保存するために一定周期で写本を作ったのだろうが、書き写した人はどんな気分だったんだろうなぁ……いやほんと。

 でも原文も残ってたりするもんだから、俺、真っ赤。だって原文が残ってちゃ“それは違う”って言えないんだもん。

 

「えと……それで? 中国は今……」

「都を主体に、未だに魏呉蜀がある武闘派国家らしい」

「なんだってぇえーッ!? い、いやっ……だって……! 中国ってほんと、いろいろあったからこそあの頃の、って言われても知らないだろうけど、ああいう国に……!」

「お前が知っている中国とは何がどう違うのかは知らないが、敵となる脅威は全て討ち下し、力を高めてきた場所らしい。世界大戦とやらでもその“兵器”を持たずに“絡繰”を用い、世の戦を渡ってきたとされている。御遣いが周邵に漏らしたNINJAの話が広く伝わったようで、気配を殺して兵よりも司令塔を真っ先に始末する戦い方で、ほぼを勝ち残ってきたらしい」

「もうなんでもありだなぁもう!」

 

 でも絡繰って部分で少しじぃんと来たのは内緒だ。

 あー……でもあれかなぁ。片春屠くんで高速突撃して戦ったりとか、摩破人星くんで空から奇襲をかけたりとか……いや、そういったものももっと進化してるのかもなぁ。怖くなってきた、考えるのやめよう。

 

「当然そんな、過去にこだわりすぎる国に不満を持つ野心家も現れたには現れたらしいんだが……」

「らっ……らしいん、だが……?」

「ボコボコにされたのち、自分が行使している氣も過去から学んだものだろうと正論で論破され、なんか諦めたそうだ」

「なんか諦めたの!?」

 

 い、いやちょっと……なんかってアータ……!

 もうちょっと強い意志を持って頑張ろうとか思わなかったのか野心家さん……!

 

「血筋なのかどうなのか、どうにも“北郷”の血を持つ者たちは、先人に感謝する者が多かったそうだ。それが王や将の数だけ子を為していったんだ、そういう集団に至ることもあるだろう」

「先人に感謝って姿勢は頷けるよ……これで名前にシャイニングがついてなけりゃ、俺だってさぁ……」

「自分で名乗ったんじゃなかったのか?」

「ぽろっと口にしたことはあるよ!? けどそれが後世まで伝えられるって誰が考えるってのさ!」

 

 なんだろう……物凄く大陸に帰りづらくなっちゃった……!

 

「えと。ちなみにさ、その御遣いの情報って、どんなものが……」

 

 とんでもない誇張があったら、もう本気で帰れない。

 今でさえ恥ずかしいっていうのに、これ以上とか勘弁してほしい。

 

「曇天を氣の竜巻で吹き飛ばし、手からは光り輝く波動……光線を放ち、黒の木剣を構えればそれが金色に輝き、その剣からは光の剣閃を放ち、座ったままの姿勢で高く跳躍したり己の氣で空を飛んだり───」

「いやうんなんかもういいですごめんなさいぃぃ……!!」

 

 顔がちりちりと痛くて仕方ない。もう無理。絶対に真っ赤。

 帰るにしても、ちょっと行ってすぐ帰るとかでいいんじゃないかなぁもう。

 

「はぁあ……けどまあ、そこまで行くともう誰が聞いても誇張だ~とか思うよな。竜巻を発生させるなんて、普通に考えて出来るわけがないし」

「ははは、そうだな。ああちなみに、北郷の血を引く者からはどうしてか女ばかりが産まれ、ついには中国は女性天下の国家として確立したとか」

「それずぅっと昔から変わってない気がするんだけど」

 

 女が将で男が兵だった世界だし。

 

「まあそういった理由で、強い男を見てみたいという女性ばかりだそうだ。氣の扱いには慣れているそうだが、天の御遣い様のように異様と思えるほどの応用が出来ないらしい。北郷、お前は氣の応用については遺さなかったのか?」

「そりゃ、我がもの顔で借り物の知識を遺す気になんてなるもんか。かめはめ波とか操氣弾とか、鳥山先生ごめんなさいだろあれは」

「実際に撃てるんだから仕方ないと思うが。いや、いい漫画だな、あれは」

 

 家にあった漫画は皆様に大好評だった。

 ああ、漫画で思い出したけど、正史であった筈のじいちゃんの書物全般は、ほぼ全て外史のものになっていたそうだ。ほぼ、というのも、結局は曖昧な部分が多いためにそれが正しいかもわかっていないから、というもの。

 正史は全て除外したって意味でなら、俺達からしてみればそれらは間違い無く正しい歴史だ。……もっとも、過去の人々がきちんと伝えていればだが。

 

「っと、そろそろ時間がヤバいな。じゃあ華佗、俺行くな」

「ああ。貂蝉と卑弥呼によろしく言ってくれ」

 

 貂蝉と卑弥呼はその持ち前のいかつさを武器に、フランチェスカの警備員として落ち着いた。“いかつさって何ィ!”とか文句は言っていたが、言い続けてなどいられない状況なのでお願いしたっていうのもある。

 “かよわい漢女に警備員だなんてぇい!”とか言っていたが、むしろ悪さをしに入ってきた存在が男だった場合が心配だ。

 

「さてと」

 

 ぐうっと伸びをしたら行動開始。

 ちゃちゃっと着替えて準備を整えて、部屋を出て家を出て、そこからはジョギングがてらのダッシュ。……ダッシュってジョギングとは違うよな、うん。

 けど今さらこんなんじゃ疲れもしなくなったあたり、やっぱり氣ってすごいなぁと思うのだ。

 そうして走り終えた先はフランチェスカのプレハブ。

 ボロアパート、とでも名づけたほうが形が想像しやすいそこで、まずは及川を叩き起こす。

 

「朝は幼馴染が起こしてくれるもんとちゃうのー?」

「どこのゲームの世界だそれは。ほら、さっさと用意する」

「シャツ脱ぐ時ってさー、こう、右手で左脇腹側を、左手で右脇腹側を持って、ゆっくりと脱ぎたならない? そんで脱ぎ終わったらビューティフル」

「お前は何処の喧嘩師だ」

「ンやぁん、俺かてそんな、ズボンごとビリビリ破くとかでけへんて~」

 

 馬鹿話をしつつ、部屋を出て学園へ。

 

「せっかくだし章仁も起こすか?」

「やめや。あきちゃんはこれから恋人に起こしてもらうっちゅー大事なイベントがあんねや。それを邪魔したらジブン、馬に蹴られてレッスン5やで?」

「無理矢理ネタ混ぜるのやめなさい」

 

 今日も一日の始まり。

 勉強して部活して、存分に体を動かして、時間が取れたらこちらもバイト。

 学園側には事情を話して許可は得た。大丈夫、体力には自信がある。

 仕事は土木関係。氣を思う様使って働きまくり、仕事仲間と会話をして人脈も増やしつつ、日々を過ごした。

 仕事仲間と喋っている時、どうしても警備隊時代を思い出してしまうのは、仕方の無いことだと思う。

 



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後日談1:辿り着いた今のお話⑤

「はぁあ……」

 

 そして仕事が終わればとっぷりと夜。

 フランチェスカの寮に帰るのではなく、自宅の方へと走って帰る。

 みんなの帰りも大体この時で、家の風呂では狭いので、みんなして銭湯へ。

 

「最初の頃は別々に入ることにツッコまれて大変だったなぁ……向こうでだって普通に別々だった筈なのに」

「俺達の方が逆に驚いたさ。まさか本当に、毎日風呂に入ることが出来るなんて」

 

 体を洗って湯船に浸かって、だはぁと長い息を吐く。

 一緒に来ている華佗とともに、お湯の熱を体全体で感じていると……近くに見知った誰かさん。

 

「……左慈も于吉も、ここの風呂使ってたんだな」

「近場にここしかないんだよ。いちいち絡んでくるな、鬱陶しい」

「素直ではありませんねぇ左慈は」

「ちょっと待て于吉。この場合での素直が何を意味するのか言ってみろ」

「貧乏なのでお金を貸してください?」

「誰が借りるかこんな奴に!! ~……くそっ! おい北郷! なんだこの生き辛い世の中は! 何をするにも資格資格! 確かに誰もがなりたいからなる、なんて世界ではやっていられないだろうが、ここまでとは知らなかったぞ!」

「いや、お前もこの世界の在り方くらい知ってただろ? あーほら、最初の頃制服着て潜り込んでたくらいなんだから」

「───……そうかそうか。そういえば貴様は全ての外史を統一させたんだったな。つまりあの頃の、俺の願いを妨害した北郷も混ざっているわけだ。───貴様殺す!!」

「だぁっ! 風呂で暴れるなガキかお前は!」

「誰がガキだこの野郎! どいつもこいつの人の背のことぐちぐち言いやがって!」

「ええそうです。これから伸びますよ。これから」

「やめろ貴様! 微笑ましいものを見る目で俺を見るな!」

 

 流れとして騒げば、あとはムスっとしながらも普通にゆったり。

 最近あったことなどを話して、貧乏で苦しんでいることを知る。

 まあ、そりゃそうだ。

 急に日本に飛ばされて、裕福だから問題ない、なんてことはないだろう。

 実際問題、俺達もそれで苦労しているわけだし。

 

「左慈は一応フランチェスカ卒業生扱いとして、仕事は優先的に回してもらえたのですがね。これがまた、どこへ行ってもツンツンするものですから相手側に嫌われてしまいまして」

「いや……なにやってんのお前」

「しみじみ言うなぁぁっ!! くそっ……まさか普通に生きることがこうまで辛いことばかりとは……!」

「なんだかわからないが、いろいろと苦労しているんだな。貂蝉と卑弥呼はあれで結構楽しそうなんだが」

「───! ……華佗か。…………」

「フフフ、左慈。背を高くするツボはないか、と訊きたそうな顔をしていますね」

「どんな顔だ!! いいから黙っていろ貴様は!」

 

 お節介焼きのオカンに付き添われたワガママ坊主を見ているようだった。

 

「……貴様はその、どうなんだ、北郷一刀。未だに学生なんてものをやっているのか?」

「そりゃ、卒業してないし」

「于吉の力でどうとでも変えることが出来ただろう。それこそ資格なんぞも都合をつけて、女どもを仕事に就かせればよかったものを」

「みんな頑張って仕事探してるんだよ。それを能力があるからって適当に書き変えて、努力で仕事を勝ち取ろうとしている人を蹴落とせって? そんなことしたら華琳に首を落とされるよ」

 

 他者の仕事を奪うな、というのは暗黙の了解だったもんなぁ。

 俺も最初は怒られたクチだし。

 

「だから能力で仕事を、っていうのはナシ。そこらへんはみんな頑張ってるから、その頑張りを信じるよ」

「フン、信じた結果、食費で道場が潰れなければいいがな」

「シャレになってないからやめてくれ割りと本気で」

 

 みんな頑張ってる。

 俺も……と言いたいところだけど、学校を中退して仕事、というわけにもいかない。

 もう3年なんだ、しっかり卒業して、いい場所を探すべきだろう。

 ……あぁ、なんというか、現実だなぁ。

 

「あなたはどういった仕事をお望みで?」

「へっ? あ、ああ、そうだなぁ。あの世界での生活が長かった所為か、記憶力だけは無駄に……いや、そうでもないのか? 親しかった兵の顔を忘れるくらいだしなぁ……はぁ」

「そこまで全員を鮮明に覚えているほうが不思議なレベルですね」

「そうかな。……ああ、で、仕事だけど。体育教師あたりが向いてるかなって」

「営業マンなどではないのですか? 少々驚きですが」

「小学校とかの体育の先生あたりが向いてるんじゃないかって。なんか、凪と愛紗にやたらと奨められた」

「そうだな。北郷は子供の面倒を見るのも上手いし、体の動かし方を教えるのも上手かった。劉備あたりに訊いてみれば、太鼓判がもらえるだろうな」

 

 華佗はしみじみと頷きながら言ってくれるが……そうだろうかなぁ。

 そりゃ、蜀で鈴々と鍛錬した時も、美以と山を駆けずり回った時も、実際に桃香に教えるようになった時も、いろいろあったといえばいろいろあったけどさ。

 奨められておいてなんだけど、似合ってるかどうかなんて自分じゃわからないもんだ。

 

「けど、他になりたいものがあるわけでもないし、じいちゃんもそれならそれで、教師やりながら道場もやればいい、なんて軽く言ってくれるし」

「うん? なにか不都合があるのか北郷。……あの時代と比べてみて、どっちが忙しそうだ?」

「あの時代」

 

 悩む必要ございませんでした。

 そうだよなー、体を動かすことに特化した氣や体に、ここでならついに鍛えられる筋肉。さらにはあの時代で自分の頭に頼った勉強や調べごとで鍛えられた脳。

 これだけあれば、今の時代のほうが仕事なんて楽だよなぁ。

 

「華佗は俺に、子供の教育とか勤まるって思うか?」

「今さらなにを言ってるんだ?」

 

 なんか物凄く言葉通りの意味を込めた顔で言われてしまった。

 ええそうでしょうとも、何人もの子供を育ててきましたさ。

 正直、小学校の教師なんてなんとかなるさってくらいの意気込みですよ。

 でもね、華佗。それは、“自分の子供だから”って安心があってこそなんだ。

 今日日、喜んで教師になろうなんて人は、そうそう居ないと思う。

 体罰だの教育方針だの、イジメだのなんだのと、話題をあげればキリがない。

 “自分だけはそうならない!”って意気込んで教師になって、心を折った教師だって沢山居るだろう。

 そういったことを踏まえて、先の不安を打ち明けてみると、

 

『お前に関して、それだけは絶対にない』

 

 キッパリと言われた。于吉までわざわざ口調を揃えて。

 

「ツン10割の左慈と友情の接拳をしておいて、なにを恐れますか。むしろ子供たちをたらしこんで大変なことになりそうだと心配出来るくらいです」

「おのれは人をなんだと思ってるんだ」

「人に好かれることに関しては一級の存在、でしょうか」

「うんうん」

「はい華佗さん、そこで頷かない」

「しかしな、実際に俺もそう思ってるんだから仕方ないだろう。そうでなければあの三国が臨終までを笑顔で付き合えるわけがない」

「あの時代とここじゃあ、それこそ時代が違うよ。いろいろな条件下だったからこそ好かれたっていうのは当たり前にあるんだから、楽観視なんて出来るもんか」

 

 世界は案外やさしくない。

 こうだったら、こうならいいのに、が叶えられることは極僅かだ。

 あの時代よりは確かに豊かだけど、探せば辛い思いをしている人なんて沢山居る。

 そして、なにかをするにもその全てに“理由”が必要なんだ。

 仲間を助けるのに理由が必要か? なんて、あの時代なら言えることも、この世界じゃ通らない。

 知らない人からの助けほど、怖いものはない世界なのだ。

 

「………」

 

 時代って、その時その時で人に伸ばせる手の形さえ変えちゃうんだな。

 

(あの頃みたいにもっと、簡単に繋げたらよかったのに)

 

 湯船から持ち上げた自分の手を見下ろして、そんなことを思った。

 

……。

 

 銭湯から出ると、まだ誰も上がってきていないのか、自分一人だった。

 これから用事があるという華佗と別れて、一人ぽつんとみんなを待つ。

 左慈たちはこっちが上がるのも待たずにさっさと出て行ってしまった。実に自由だ。

 

「………」

 

 こんな場面って、なんだか自分では新鮮だ。

 漫画とかだと冬が定番だっけ。待ってる場面で口から白い息だしてさ。

 で、出てきた相手に“待ったー?”って言われて、頭に雪積もってるくせに強がり言って。

 

「はは……」

 

 小さく笑って空を仰いだ。

 

「………」

 

 “これからどうなるんだろう”は、正直に言えばずっと自分の中に存在している。

 一夫多妻なんて本当に出来るなんて思えない。

 というより、この時代に辿り着いた時点でこっちの常識が前に出てきてしまっている。

 それは当然、“大勢の女の子と関係を持つなんて”っていうものだ。

 今さらだと言ってしまえば今さらだ。

 けど、現実はそうじゃないから悩むのだ。

 

(こんな悩みも、いつかは晴れるのかな……)

 

 日本の規律の一部を変える。

 そんなもの、天下を統一するよりは楽だ。

 でも、じゃあ、現実的に自分になにが出来るというのだろう。

 考えてしまえばキリがない。

 偉い人になったからって、なんでもかんでも変えられるわけじゃない。

 もとより、権限があるからって好き勝手に何かを変える存在が、俺達は嫌いだった筈だ。

 自分の都合で一夫多妻制度なんて作っていい筈がない。

 だから───……

 

「だから……かぁ」

 

 子供達は頑張って、あの頃より今までを書物という形で届けてくれた。

 その頑張りに、何かを以って返したい。

 でも……俺になにが出来るだろう。何を返してやれるだろう。

 もはや支柱でも大都督でも、魏に降りた御遣いでもない自分に、いったいなにが───

 

「あの。すいません」

「え───……?」

 

 考え事をしていると、突然声をかけられた。

 なにが、と視線を下ろしてみれば…………───誰?

 

 

───……。

 

 

 ……結論から言ってしまおう。

 外史って怖い。

 そんな思いを、帰ってきた道場で語ろう。

 

「なに? つまり一刀の祖父に書物を渡した人の……その関係者に声をかけられて?」

「うん……なんか、大陸に来ないかって」

 

 呆れ顔で疑問を飛ばす華琳と、不安顔の俺を囲むように皆が座る道場。俺、現在頭が混乱中。

 言われた言葉もどう受け取ったのやら、いろいろと断片的になってしまっている。

 

「相手は何故一刀を一刀だと確信出来たのかしら」

「二種類混ざった氣を探したって言ってた。書物に、天の御遣いは二種類の氣が混ざったものを扱う、っていうのがあったらしい。それが密集してたのが銭湯で、男が俺だけだったからって」

「……なるほどね」

 

 人生の転機っていうのはいつ来るのかはわからないもので、多くの場合はそのきっかけに気づかずに手放してしまっているらしい。

 そんな知識を持っているからといって、なんでもかんでもに乗っかって後悔する人だって当然居る。

 この場合の俺は、転機なのかどうなのか。

 

「それで? その相手は?」

「うん。なんか最初は物凄く堅苦しいイメージだったのに、話の途中で急にしどろもどろになって噛みまくって鼻血噴き出してと、なんだかものすごーく身近な誰かに似てたなぁと」

 

 稟とか朱里とか雛里の血が混ざってる人だったのかなぁとか、普通に考えてしまった。

 

「でね、まだ風呂に入ってたみんなの氣にも気づいてたみたいで、中の人は知り合いで? って訊いてきたんだよね」

「……それで、あなたは馬鹿正直に私たちが私たちだと言ったと?」

「うん。言ったらもう泣き出すわ鼻血出すわで」

「そ、そう」

 

 鼻血って部分でさすがに華琳が引いてる。

 

「迎える用意は出来てるって。えと……自分で言うのもなんだけど……その。先祖が愛した御遣いに帰ってきてほしいって。あと、みんなにも是非って」

「あの時代でなにかを為したとはいえ、過去は過去でしょうに。今さら私たちを迎えることになんの意味があるというのよ」

「先人の願いを叶えてあげたいのと、」

「と?」

「……なんか一種のアマゾネスな国になってるらしくて、男の強さというのを見せてもらいたいって……」

「…………~……」

 

 あ。頭抱えた。

 わかるよ、俺もその人に聞いた時、あっちゃあって思ったもん。

 もちろん華佗から先に前情報っぽいものは聞いてはいたけどなぁ……あ、華佗も頭抱えてる。俺に奨めるだけあって、歴史書で知ることで俺より詳しかったんだろうけど、実際にその国の人に言われるのはやっぱり頭を抱える事実だったようだ。

 

「それで?」

「いや、なんかもう大変驚いたことに、とんとん拍子に話が進んで、英雄の皆様が一緒なのでしたら話は早いとか、やはりこちらへいらしてくださいとか」

「言われるままに頷いた、と?」

「さすがにそれはないよ。どれだけ舌が早く動く人相手でも、納得出来ないことには頷かない」

「そう。それで、私たちが一緒なら話が早い、というのはどういう意味なのかしら?」

「………」

「一刀?」

「……あっち、一夫多妻制だって」

 

 ……その日。

 溜め息混じりにお茶を飲んでいた覇王さまが、茶を噴き出し───殴られました。

 

「噴き出したものを浴びせた上に殴るか普通!!」

「うるさいわね! 大体どうしてそんなことになっているのよ!」

「だ、だからっ……なんか知らないけど産まれる子供の大半が女の子らしくてっ……! でも妥協で弱い男の子供は産みたくないから、俺に鍛え直して欲しいとかなんとか……」

「…………ああそう、なるほどね」

「なんでそこであからさまに俺を睨むんだよ! べ、べつに女の子しか産まれないのは俺の血の所為じゃないだろ!? ないよな!?」

 

 ないと言ってくださいお願いします!

 結局最後まで自分の子供に息子が産まれなかった俺の悲しみもちょっとは考えて!?

 孫も曾孫も女の子って、どうなってるんだよもう!

 

「で? あなたから見てどうだったのよ、その女は」

「え? かわいかっ───」

「そうではなくて。……強そうであったかどうかよ」

「アァアハハそうだよねアハハハハ!? つ、強そうだったかね! うん! うん……───」

 

 思い出してみる。

 あの女性から感じたもの、雰囲気、立ち方を。

 

「現代人、一般の女性からしたら強いってくらいだよ。鍛えてはいるみたいだけど、なんていうか……あれだな。小さい頃の孫登を見てるみたいだった」

「へえ、そう。間違った鍛え方をしている、と」

「現状を変えたがってる……かな。きちんとやってるのに上手くいかない、馴染まないっていうの、あるだろ? あれと戦ってる最中みたいだ。それに近いこと言ってた」

 

 共感出来すぎて大変だった。

 俺も左慈に会うまではがむしゃらだったもんなぁ……それは華琳もよく知るところだろうけど。

 ああほら、なんか“誰に似たのかしら”って顔で見てるし。

 

「で? どうするのよ」

「ん? 行かないよ?」

「………」

「?」

 

 普通に返したら、華琳が固まった。

 そして後ろで聞き耳立ててたみんなも。



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後日談1:辿り着いた今のお話⑥

 誰かがズッコケてもおかしくないような空気の中、一番にツッコんできたのは華琳だった。

 

「い、いかないって、何故よ!」

「え? だって俺学校あるしバイトもあるし」

「娘達との約束があるのでしょう!?」

「引き継いだばっかりでいきなり道場を留守には出来ないって。あっちへは自分で稼いで行くよ」

「………」

 

 苦笑混じりにそう返すと、華琳もみんなもそれはもう見事な困惑を顔に貼り付けたような表情を見せてくれた。

 うん、きっと帰るよ。でも今じゃない。人生の転機はいろいろあっても、今がそうかと言われたら……そうだとしても乗る気が無いならどうにもならない。

 

「一刀。あなたはそれでいいの? 道場を継いだとはいえ、管理する者が完全にあなた一人というわけではないでしょう」

「なんかね、向こう行ったらそう簡単には帰れない気がして。いや、教育がどうとか言ってるなら帰れないだろうね」

「んんー? お兄ちゃんは帰りたくないのかー?」

「んー……はは、そうだなぁ……鈴々は帰りたいか? 帰って……そこに住みたいって思うか?」

「むー……ちょっと難しいのだ」

「だよな。俺もそう思う。今さら帰って英雄ヅラして住めばいいのか、ただちょっと見て帰ればいいのか」

 

 戻って願われるままに教えて、叩き直せばそれでいいのだろうか。

 

「………」

 

 いや───……いや。

 そういうのじゃ……ないんだよな。

 ただ俺は、帰って……そして……───そして。

 

(あるのなら、墓に、“頑張ったな”って……言ってやりたい)

 

 過去に自分がなにをしたのかとか、そんなことは二の次でよかった。

 ただ俺は、家族として…………───そうだよな。

 勝手に難しく考えていたのは俺だ。

 

「悩むクセはいくつになっても消えてくれないな、まったく」

「本当にそうよ。そのクセは直しなさいと言ったでしょう?」

「馬鹿は死んでも治らないって言葉もあるんだし、ちょっとは見逃してくれると嬉しいかも」

「死んでも治らない? そんなもの───……あ」

「! なにか私にご用ですか、華琳さまぁっ!」

「そっ…………そう、ね。そうだったわね。死んでも治らないものも……あるわよね」

「ここで春蘭見て言うのって、相当ひどくないか……?」

 

 事情を知らずに目を輝かせている春蘭はきっと幸せだ。

 散歩前の散歩大好きお犬様のような様子で、おめめがとってもシャイニ~ング。

 

「麗羽だけでも十分よ。外史の記憶も若い頃の記憶の方が多くて引っ張られるところがあるとはいえ、少しは大人しくなってくれたらよかったのに」

「ん……混ざるの、嫌だったか?」

「冗談でしょう? ほぼ全ての外史で結局はあなたと一緒に居ることを考えれば、果てまで生きたことを自分の道に感謝するだけで十分よ」

 

 困ったことに、本当に全ての外史の記憶はここにある。

 えーとその。華琳と敵対してたことや、華琳が于吉たちに操られたことや、華琳を縛って後ろから……ゲッホゴホッ!!

 なんだろうなぁ。あの光景を思い出すと、縛られていた桂花の初めてを散らせた時のことを思い出す。

 外史って、やっぱりなにかしらの繋がりがあったりするのだろうか。

 

「娘たちもそうだけど、大喬小喬も居なかったしなぁ。あの頃の俺じゃあ、二人をイメージ出来なかった」

 

 冥琳にもだけど、雪蓮に会いたかっただろうに。

 仕方ないこととはいえ、やっぱり悲しい。

 そんな俺に、小さく笑みを浮かべた冥琳が言ってくれる。

 

「仕方ないさ。それに、なにかしらの辻褄合わせで現れないとも限らん。たとえばそうだな……記憶が混ざり合った今があって、今こそが外史に固定されたのなら、願う際にお前が思い浮かべない筈が無い、などとな。だめならだめで、仕方の無い事だ」

「ていうか一刀? その場合だと大喬小喬にとんでもなく恨まれることになるけど、それでいいの?」

「ああうん……むしろ小喬は喜ぶんじゃないかなぁ……」

 

 なにせ冥琳よりも姉の大喬のことが好きだったからなぁ……。

 

「けど、行くにしてもいろいろと準備は必要だよな。学園は休めないし……そうなると卒業前か後が一番安心していけるんだけど」

「何を言っているのよ、国からの要請でしょう? 一人の学生の都合に合わせて国全てにそれを待てというの?」

「それだって俺が行きたくないって言えば終わることだろ。人一人の都合に合わせろって、じゃあ上の一人の命令や都合に合わせる国民はなんなんだって話じゃないか」

「合わせたからこそ勝てた過去があるじゃない」

「……そうでした」

 

 いろいろなものには前例がある。

 良いことにも悪いことにもだ。

 だから俺がフランチェスカに休学届けを出して、中国に行ってしまうという前例を作るのだって、きっと今なんだろう。

 かつての故郷に休学届けを出して帰りますっていうのも、なんというか旅行気分で……休学届け出すのにも相当の勇気が必要そうだ。

 

「で……俺本当に休学届け出さなきゃダメ? 俺今、これから~って時なんだけど」

「わからないのならはっきりと言うわよ一刀。このままではこの道場は潰れるわ。他ならぬ私たちの所為で」

「うぐっ……」

「想像出来ないわけではないでしょう? 継いだとはいえあなたは学生で、学生から教わろうとする者などほぼ居ない。今来ている門下生も、私たちを見ては居心地悪そうに距離を取るばかりじゃない。こんな調子で続くと、本気で思っているの?」

「……簡単なことばかりじゃないっていうのは、わかってるよ」

「そう。ならさっさと向こうで実績を手に入れてきなさい。氣を扱わせれば右に出る国無し。いい響きじゃない。そんな国に氣を教えることが出来れば、この道場も安泰でしょう?」

「うわー……黒いこと考え付くなぁ」

「あら。こんなことは普通でしょう? 持っている力を存分に振るっているだけじゃない。氣を扱えるのはあなただけではないのだし、この場に居る皆を救う結果にも繋がるわ」

「………」

 

 考えなかったわけじゃないけど、転がりこんできた甘い蜜に手を出していいものか。そういう躊躇が生まれていた。

 けれど彼女はその蜜を鷲掴みして、心行くまで利用するつもりらしい。

 逞しいことだ。

 ていうか、継いだからってすぐに教えられるとか、そういうのじゃないと思うんだが。

 

「それで? その相手との連絡手段は?」

「一応名刺は貰ってる。連絡先も書いてあるから、ここに電話すれば……」

「そう。じゃあ貸しなさい」

「……エ?」

 

 ぴしり。

 その場に、冷たい空気が流れた。

 

「……? なによ」

「や、だって華琳、機械苦手じゃ」

「ぅなぅ!? へっ、平気よ。なによこんなもの、写真を見るのと変わらないじゃない」

「…………そか? じゃあ、はい」

 

 こんな短い期間で携帯電話を買い換えるなんてかずピーくらいやでー、と言われつつ、また新たに買った携帯電話を華琳へ。

 一緒に名刺も渡すと、それを見下ろしつつごくりと息を飲む覇王さま。

 

「か、華琳さま? 私が───」

「いいわよ秋蘭。私一人で十分だわ」

((((((物凄く不安だ……))))))

 

 普段ならば頼もしい覇王さまが、この時ばかりはこうも……!

 けれど何度も携帯と名刺とを交互に睨みながら番号を押す。

 そしてフンスと得意顔になる……ことしばらく。

 

「華琳、通話ボタン」

「へゃっ!? あ、し、知っていたわよ!」

 

 そして通話。

 携帯を耳の傍で構え、目を閉じながらそわそわする覇王の図。

 あ、稟が鼻血吹き出した。

 

「はいはい稟ちゃん~、とんとんしましょうね~」

「ふがふが……」

 

 なんともはや、特訓の甲斐もなく、稟はかつて以上に鼻血を吹き出しやすくなっている気がする。

 外史が合わさった所為なんだろうか。……なんだろうなぁ。

 そんな微笑ましくも不安が残る……残る? 君臨、だな。不安が堂々と君臨してらっしゃる道場の一角にて、ついに相手側へと電波が届いたようで、華琳の肩が小さくビクーンと跳ねた。

 

「おお主よ、どうやら繋がったようだ」

「わかり易いな」

「星、冥琳、言わないであげて」

 

 隣にいらっしゃる美周朗さんと、正面から華琳を観察しにいらっしゃった星の気持ち、わからんでもないですが……苦手なものの前では誰だってこんな感じだよきっと。

 言葉にしたら本人こそが大反論するから言わないけど。

 それにね、冥琳。通話状態にさえなってしまえば華琳は無敵だ。

 得意の話術であっという間にペースを掴んで───

 

「ひゃっ!? も、もひもし!? あ、やっ……! え!? あ、な、名前っ……!? 一刀っ、相手の名前っ……あ、ちが、訊くなら自分からでっ……わわわ私が曹孟徳であるーっ!!」

 

 ……。

 

 ───星さんや。誰でしょうなぁあの可愛い生物。

 

 ───はっはっは、主よ。孟徳だ。あれが覇王でありますぞ。

 

 ───落ち着かせてやれ。郭嘉が血を流しすぎて痙攣している。

 

 そんな会話がうっすらと笑顔を浮かべたままにされて、稟の鼻血が例の如く大変なことになった。

 それから、目が渦巻き状態の暴走覇王様からスイッとケータイを抜き取った雪蓮が会話を繋いだんだが……直後、覇王様が道場の隅でT-SUWARIをしだしたことにはツッコんじゃいけないんだと思う。

 

「え? そう? そうなの、へぇ~……あ、そうそう、呉って今どうなってるの? 連絡手段とかってやっぱりこのケータイとかいうものとか? ああ、いんたぁねっととかいうの? 及川が言ってたわよー? 楽しいんだってねー」

 

 “こういうことに素直に自分を合わせられる人”って居るよね。

 雪蓮はきっとその典型だろう。

 物怖じもせずに楽しげに会話をして、それでいて相手の方から情報を引き出そうとしている。

 俺の視線に気づくと“ニィイイマアァアアッ……!”っておもちゃを見つけた子供みたいな笑顔を見せるし。

 ……でも、なんだろうなぁ。インターネットと雪蓮……それは引き合わせてはいけないものってイメージがとても強いのだ。

 なんでだろう、と軽く考えてみる。

 

1:興味津々、情報収集楽しい

 

2:面白いサイト発見

 

3:もっともっと

 

4:そもそもあの時代から仕事をしない人

 

5:ぜったいに働きたくないでござる!

 

 結論:HIKIKOMORI

 

 軽く考えただけでこれなのだから、軽く頭を痛めつつ、冥琳にそのことを詳しく話して聞かせた。

 その直後に冥琳は弾かれるように疾駆して、雪蓮からケータイを奪って交代。

 驚きつつも文句を飛ばす雪蓮だったが、絶対零度の“黙れ”を込めた睨みをされ、黙るしかなかったのです。

 そんな雪蓮が「ちぇー」とか言いつつ唇を尖らせて、さっきまで冥琳が居た俺の隣へ。

 

「なんなの冥琳ったら。もうちょっとでいろいろい聞き出せてたのに」

「ああうん、ケータイでもインターネットが出来るんだぞって言ったらああなった」

「一刀の所為!? え!? なに!? 私いんたぁねっととかいうのやっちゃだめなの!?」

「……雪蓮」

 

 戸惑う小覇王様の両肩に手を置き、薄く笑みを浮かべる。

 そして心はやさしいままに、でも、しっかりと言うのだ。

 

「だめだ」

「なっ……なんでよー!!」

 

 あたかも核の炎に包まれた世界の世紀末愛戦士のように。

 絶対にだめとは言わない。ただ、きみにはちょっと前科というか前例がありすぎるのだ。

 

「楽しいこと見つけると、仕事もしないで没頭するから」

「うぐっ……!? だ、大丈夫だってば、仕事もその~……やるわよ? うんやる」

「本当に?」

「ほんとほんと!」

「絶対に?」

「ぜったいにぜったいに!」

「じゃあ今の言葉しっかりと録音させてもらったから、あとで冥琳にも聞かせるな?」

「一刀。命が惜しければ今すぐその機械をこちらに渡しなさい」

「なんでいきなり生殺問題にまで話が飛ぶんだよ!!」

 

 にっこにこ笑顔で“絶対に絶対に”って言ってた人の目ではありませんでした。

 もう虎だ。手負いの虎だ。無傷なのにさっきの一言でどれほどの深手を負ったんですかあなたは。

 

「北郷」

「うん?」

 

 話を終えたのか、冥琳がケータイ片手に……いや両手に俺に声を投げる。

 見ればケータイの通話部分は片手で押さえられていて、聞こえないようにしているようだった。

 

「来るのなら旅費は全て向こうが出すと言っている。というか既に来ることが国を通して決定しているらしい。私たち全員が無理でも、北郷だけは必ず寄越すようにと」

「いきなり話が飛びすぎてない!? 雪蓮といい、どうしてこう段階ってものを無視するんだよぅ!」

「まあ私も北郷の性格を考え、似たような質問は飛ばしたんだがな。段階は踏んでいるそうだぞ? きちんと手続きをした上でこの国に来て、北郷を探し、見つけ、国に報告。それから国の頭同士が会話をして、自国に来てくれ、と言った。間違いようがないくらいに段階は踏んでいるな。……たった一段だけ飛ばしてしまっているが」

「……これできちんと俺に確認を取るって部分があればなぁ……」

 

 そこが一番重要でしょうに、国が決めちゃったんじゃ断れないじゃないか。

 ていうかそんな重要なことをお国問題にされちゃ、道場から人が遠ざかりそうなんですが!?

 あぁああ……ますますきちんと実力を見せて、向こうでも教えられるほどって能力を見せ付けなきゃいけなくなっちゃったじゃないか……!

 失敗したらどうなるんだこれ。道場、本気で潰れる?

 

「………」

 

 逃げ場はありませんでした。

 きっと向こうには頭がいいけど人を追い詰めるのが好きな軍師っぽい人が居るんだろうなぁ。

 そんなことを考えたのち、早速家族に呼び出された俺は、届けを出すまでもなく学校側から休学を命じられたのでした。電話で。

 

 ……こうして、行かなきゃいけない状況で自分の周りを固められたわけだけど。

 向こうがもう完全実力主義になっていることとか、強い者こそ王になる、なんて状態になっていること。それに加えて……呉のとあることで、ジワリと怒りが滲んだ、なんてことは……教えないほうがいいよなぁ。

 あっちの王も、こっちを歓迎するっていうよりは半信半疑で呼び寄せたいだけ、って風だし、妙に期待を持ちすぎるのはやめておこう。歓迎してくれる人、してくれない人は随分と分かれる……そんなぐらいが丁度いい。



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後日談2:いつかの約束①

番外のに/大陸。もはや彼の記憶に残る原型は、別の意味で存在しない

 

 ───それからは、怒涛のごとくと言うべきか。

 

 大陸への出発が決まり、移動手段は空。

 恐れ多くもお国が旅費を用意してくれたこともあり、飛行機を時間指定で既に予約されていて、それに合わせるためにドタバタ劇場。

 そして現れる問題、問題、問題。

 外国行くのに足りないものがごっちゃり。その大半も国が用意してくれたこともあって、余計に様々を断り辛くなったことを追記。

 さらには、いざ出発って時に“こんな巨大な塊が空を飛ぶわけがないじゃない!!”と悲鳴にも近い声で叫ぶ覇王様や、馬は大丈夫なのに車酔いしてぐったりな翠や蒲公英や白蓮、ちょっと目を離した隙にナンパされて気安く触られたことに激怒、相手をブチノメした華雄さんや、科学を前に興奮しっぱなしの真桜や……片時も傍を離れず、なにかというと世話をやいてくる思春さんとか。

 問題って言っていいのかは別として、そりゃあもう余裕はなかったと声を大に出来る。

 

 真っ青な顔で「飛ぶわけがない落ちるんだわきっと死ぬのよそうなのよ」とかぶつぶつ言ってる華琳と桂花、それを見て笑い死にしそうなくらい苦しんでいる雪蓮や、そんな雪蓮に散々と振り回されてぐったりしている冥琳……そしてそんな全員にあれはなにこれはなにあれを見ようこっちへ行こうと振り回されまくってアルティメットぐったりな俺。

 飛行機の中ではゆっくり寝ようって思っていたのに、周りが寝かせてくれない。

 なんの偶然か、どういう何がそうしたのか、隣になった思春が周囲に“黙れ”と喝を入れてくれたお陰でようやく眠れそうになった……のだが。

 ピキャーというなんとも奇妙な悲鳴に心底驚き、目は冴えた。

 だってね、叫んだのが覇王さまだったんですもの。てっきり美羽かと思ったくらいの悲鳴が、まさかの覇王様。もうどうしろと。

 遥かなる空から見下ろす世界に恐怖し、きっとすぐに落ちるんだと思ってしまったからにはもう大変。その隣だった桂花は既に泡を噴いて気絶している始末で、ああもう本当にどうしたらいいやら。

 俺の顔を見るなり抱き付いて来たかわゆい生物を前に、頭を撫でつつ「なにが起ころうとも天命で済ませるかと思ったのに」って言ってみたら、えーと……その。

 天命を唱えて目を閉じるには、大事なものが増えすぎてしまった、って。

 かつての黒の下、自分の臨終の際に泣きすがる俺を見たら、天命だからと生きる努力さえ放棄することなど許せなくなったって。

 なんかそれだけで俺も真っ赤になっちゃって。当然眠れるはずもなくて。

 

「……あぁ」

 

 疲労を蓄積させながらも、これが自分の日常だって思えてしまえること自体、案外これはこれで幸せってものなのだろう。

 いつか、夕暮れの教室で味わった、あんな孤独感と一緒の幸福とは違う、滲み出るみたいに微笑むことが出来る幸せ。手を伸ばせばそこにあるものこそが幸せの象徴だっていうなら、自分は確かに幸せなのだろう。

 なんでもないものに感謝を。

 無くして初めて気づける“なんでもないもの”が、こうしていつまでも手の届くところにありますように。

 そんなことを静かに思いつつ、

 

「愛紗愛紗ー! 雲が下にあるのだー! “あにめ”でやってたみたいに乗っかれるのかー!?」

「なぁなぁきょっちー! 雲の上ってのは竜とかが飛んでたりするんだよな! 前は出来なかったけど、今回は全員で戦えるぜぇっ!」

「文ちゃんっ! 戦うなんて言ったって武器もなにもないでしょ!?」

「主様主様ー! あの雲はまるで綿菓子のようじゃの! もしや食べられるのかの!? のう主様!」

「おうい、そこな女~。酒は売っとらんのかー?」

「申し訳ありませんが、お酒は……」

「ならばメンマはあるだろうか。いや、あるな? 無ければおかしい」

「メッ!? い、いえあの……メンマはさすがに……」

「このじゅーす美味しいのにゃー!」

「にゃー!」

「にゃうー!」

「うわこらっ! 勝手にジュースをだなっ……」

「お客様困ります!」

「あぁああごめんなさいごめんなさい! ……美以ぃいいっ!!」

「み、みぃ悪くないのにゃ!? 置いてあったから飲んだだけだじょ!」

 

 今は無事、あちらへ辿り着けることを祈っておこう。

 いや、墜落とかの心配じゃなくて、精神的に無事でいられることを願う方向で。

 墜落の心配は……ほら、無駄に運の強い王とか勘が働きすぎる王とか、常に天命の先を歩いてそうな王とかが居るから。……天命の人、今ガタガタ震えてらっしゃるけど。

 

「………」

 

 どうしたものかと考えて、どうにも出来ないことを早々と悟った俺は、もうやかましくても寝ることにした。

 

 

───……。

 

 

 それからのことを……割愛する。

 空港に降り立ってからの道のりは……長いとかそんなことがどうでもよくなるほど、その……やかましかった。それだけわかってくれればいい。それだけ……そう、十分なんだ……それで。口にしても疲れるだけなのだ、華琳の言葉じゃないが、察してほしい。

 衣服は皆、この時代で買ったものを装着。

 俺だけは李さんの強い希望でフランチェスカの制服に落ち着いたわけだが……せっかくの旅行なんだから、私服で行動したかったのは、きっと言っちゃいけないことなんだろう。

 と、まあ、そんなわけで。

 

「冗談でしょう?」

 

 まず最初に聞いたのが華琳の言葉。

 それも当然。俺達の目の前には、“あの頃の”都の姿があったのだ。

 三国の中心にあるのだから、当然他の国の様子も見てきたのだが、随分と大きく発展していた。緑豊かで綺麗な場所ばかり。

 未来を心配して書き残した書物が頑張ってくれたらしい。

 何が環境にとって毒になるのか、何が環境にとって薬となるのかを口酸っぱく……は出来ないから、筆酸っぱく書き殴っておいたのだ。

 ここまで来るのに車も無ければバイクもない。

 空気を汚染してしまうようなものは無く、ひたすらに絡繰に氣を通しての運用となっていた。

 で、辿り着いたのが都……なんだが、何度見てもあの頃のまま。

 1800年って時間があったにも係わらずだ。

 もちろんところどころに修繕の痕はあるにはあるが、その修繕も綺麗なもので、じいっと見なければ気づかないほどだ。どんな技術があればこんな───あ、ハイ、僕が教えた未来の知識を、1800年掛けてもっと昇華させたんですよね。

 三国1800年の歴史ってやつですね。語呂悪い。

 

「これはっ……すごいなぁああ……!!」

 

 語呂は置いておくにしても、素直に凄いと思った。思った瞬間には素直な感想が口からこぼれていたほど。

 発展していてほしいって願望はもちろんあった。あったけど、それはかつてを削ってまでしてほしいことだったか、と訊かれればNOだろう。遺産が遺産のままで残っているのは嬉しいものだ。思い出が当然ある。

 

「昔より、極力手は加えず、形を残す方向でとのお達しがあったそうで。むしろ住んでいた者が競うように、どちらがそのままの状態を保っていられるかというゲームをしたんだとか」

「それ考えたの祀瓢───あ、いや、黄柄だろ」

「えっ……よ、よくわかりましたね。確かに文献にはそう書かれておりましたが」

 

 案内から説明まで、ガイドをしてくれている女性……あの日、銭湯の前で会った李さんが驚きに表情を崩す。

 普段はキリっとした顔だが、どうにも感情が表情に出やすいらしい。それを隠すためにキリっとしているんだろうけど……ああうん、なんか、アレだ。この人もいつかの華煉みたいに、悪い部分ばっかり受け継いじゃった人なのかもしれない。

 というのも彼女、やっぱりというべきかみんなの血を継いでいるらしい。言った通りの状況でもあり、いろいろな恋があっていろいろな結婚があって、国同士は当然仲良く、他国に嫁に出た……えーと、王族って言っていいのだろうかこの場合。ともかく、他国に嫁に出た王の血筋もあったようで、そういう関係がずっと続いて今に至る。

 言うまでもなくそういうことが兵との間にも民との間にもあったようで、困ったことに……現在この大陸に住まうほとんどの人の中に、俺の血が含まれてらっしゃるそうで。え? 家系図? やめてください見たくありません。

 もちろんその血だっていい加減、滅茶苦茶薄い筈なのに……どういうわけか産まれてくる子の大半は女性ときたもので、現在の三国と都はほぼがアマゾネス状態。昔っからだけど、女性の天下って感じらしい。

 いやもちろん、不必要に男性を見下したりしている者は居ないが、困ったことに男性の方が“女性に勝てないのは当然”というのを受け入れてしまっているらしい。

 そうなれば、“そんな軟弱者の子など産みたくない!”と言う女性も増えるってもので、現在は結婚をしたいという女性が減ってきているのだとか。

 だからといって、男女間に恋愛感情が生まれないわけじゃないので、悶着はあってもこの国は動いている。

 

「ええっと、つまり? 俺に、この大陸に住む女性に男性の強さを教えてやってほしい、と……?」

「はいっ、ご先祖様!」

「あの。そのご先祖様っていうの、やめて?」

 

 秘書っぽい姿なのに、俺を見上げる彼女は珍しい者に目を輝かせる若者そのものだった。……マテ、若者ってなんだ。俺だってまだまだ若い……って、こんなこと考えている時点で若くないぞ、俺。

 あぁもう……無駄に長生きした所為で考え方が老人臭くなってるかも……。

 

「でもさ、別に俺の血がどうとか言わなくても、女性が強かったのは昔からだろ? 雪蓮や春蘭や愛紗みたいに、呆れるくらいに強い女性が相手じゃ、俺なんてすぐにやられて終わるぞ?」

「……そこです。そここそを、ご先祖様に期待しております。今の時代と違い、死ぬことのない仕合と、かつての死に接していた戦い。その違いを、今の女性に見せてあげてほしいのです。……いいえ、見せてほしいのはむしろ、男性にでしょうか。文献を見る限り、ご先祖様も鍛錬を始める前はとても弱かったと」

「ええそうね。逃げ足だけは無駄に速かったけれど」

「あの、華琳さん……? 急に話に入ってきて、言うことがそれって……」

 

 そうだけどさ。本当にそうだけどさ。

 軽く落ち込む俺をさておき、華琳は李さんに向き直ってこれからのことを話してゆく。

 おお、飛行機でガタガタ震えていた人と同一人物とは思えない、物凄い迫力だ。

 ただ立っているだけなのにこの威圧感……さすが───ひょいとな。

 

「…………~」

「人の足、踏む、ヨクナイ」

 

 覇王様が人の思考を正確に読み取って、人の足を踏もうとした。

 それを冷静に避けると何故か睨まれる。

 ……つくづく思うけど、どうしてこういう時の女性ってここまで勘が鋭いんだろうな。飛行機で震えていた~って考えていたなんて、人の思考を読まなきゃわからないだろうに。「……北郷。華琳様を見るお前の顔が、どうしようもないけど可愛い娘を見るように緩んでいたぞ」……あ、どうもすいません秋蘭さん。あとごめん華琳。

 

「そんなわけで早速、誰かと手合わせをしていただければと」

 

 そして思考の海に逃げ込もうとしていたら、突如として李さんが当然のようにそげなことを仰った。

 ……待ちなさい李さん。あなたはなんですか? 連れてきたばかりの人にいきなり戦えと?

 

「困ったことに過去から現在まで、この国では男性が女性に勝ったという歴史が無いのです。その歴史を塗り替え、少しでもこの国の男性が“強き”を目指す者になってくれれば、というのが私たちの考えです」

「あ、なんかわかっちゃったんだけど……当然さ、男なんてそのままでいい、なんて思ってる人も居るわけだよね?」

「……その。……は、はい」

 

 ワア、今この人明らかにどこぞの猫耳フードさんを見た。一瞬だったけど、確かに見たよ猫耳フードさんを。

 むしろ桂花はどうして意地でも猫耳フード付きの衣服の装着を願ったのか。

 さすがにそういうのは無く、現在は猫耳っぽいトンガリがついた帽子を被っているわけだが……。

 

「確かにそういった女性は居て、男性ではなく女性に恋をしている、という者もおります」

 

 ここで全員の視線が猫耳フードさんに集った。

 本人は「なによ……わ、私が原因だって言いたいの!?」と言っているが、血がどうとかは本人がどれだけ言おうと責任なんて取りようがないものなぁ。

 だから俺はソッと桂花の前に立ち、その肩にやさしく手を置い……た途端、ベシィと即座に払われたが、ともかく微笑み、言ったのだ。

 

「そうだよな、血なんて……関係ないよなっ」

「女ばっかり産まれるてくるのは絶対にあんたの所為だから勘違いするんじゃないわよこの後継血液白濁男」

「なんか血液にまでいちゃもんつけられた!」

 

 そして一息でなんとひどい。

 いつものこととはいえ、桂花も本当に遠慮や容赦が無い。

 外史統一に到り、様々な外史の記憶を手に入れてからは余計な気がする。

 今でも何処から取ってくるのか、虫を籠いっぱいに詰めて夜中に部屋に侵入しようとするし。……その度に思春に捕まって華琳の前に突き出されているそうな。お約束といえばそれまでなんだろうけど、彼女はその~……そういうことを続けて身籠ることになったのを、もはや忘れてしまったのだろうか。

 

「………」

「な、なによっ、孕むからこっち見続けるんじゃないわよっ!」

 

 アアウン、懲りてないだけだよこの人。

 むしろ他の桂花さんの記憶も混ざった所為で、余計に懲りることを忘れちゃったんでしょうね。

 小さくトホ~と息を吐いて、案内されるままに李さんに続いた。

 いっそ自分たちで自由に見て回りたいって意識の方が強かったものの、かつて住んでいたとはいえ、今じゃ俺達の方がお客さんだ。案内は大事だし、こうまで完璧に遺されちゃ文化遺産も同然だ。迂闊に突撃なんて出来るわけもない。

 案内される中、華琳、桃香、蓮華に話を通して、自国の将に迂闊にものに触れないようにと伝え合う。春蘭とか鈴々とか美以には特に。……そう考えてみて、呉ってやさしいなぁ……とか思ってしまったのは、やっぱり仕方の無いことだと思うんだ。やんちゃな破壊者様がいらっしゃらないだけで、なんともありがたい。

 

「面白いものじゃのう、こうまであの頃の在り方を遺しておけるとは。北郷の家でこの時代のことは学んだが、儂にしてみればこちらのほうが落ち着───おお、酒屋がそのまま残って」

「祭殿。他国の将が勝手を我慢しているというのに、あなたが真っ先に団体行動を乱すつもりですか」

「ぐっ……! 相変わらず硬いのう公瑾……! 儂はただ、あの頃と味が変わっていないかを確かめるためにじゃな……!」

「必要ありません」

 

 ばっさりだった。

 そんな祭さんに続き、雪蓮がこっそりと突撃しようとして、冥琳に捕まった。

 いや、捕まったっていうか、パブロフっていうか。

 一言、冥琳が「雪蓮」と声を掛けただけで、“ビックゥウウ!”と動きが止まった。さすが、一番怒られているだけのことはある。

 パワーバランスって、やっぱりあるよなぁ。

 呉は軍師……もとい、冥琳が強くて、蜀は武将……もとい、愛紗さんが強くて、魏は華琳様絶対主義。

 それはどの外史とくっつこうが変わらなかったらしい。

 だからこその安定なんだろうなぁ。他の誰かが主導を握ろうとしても、きっとだめなんだろう。つくづくそう思った、とある日の出来事でした。



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後日談2:いつかの約束②

 まず最初に通されたのは都の屋敷。

 自分たちがかつて過ごした場所は、多少ものの位置が変わっている感覚は覚えど、強い違和感を覚えることもなくそこにあった。

 書物などもそのままのものが遺されていたり、写本があるものも存在。むしろ原文そのままが残っていることの方が驚きだ。どうやったのかを訊いてみれば、本に氣を込めて、虫が寄れないようにしたり文字が劣化しないようにしたり、古くから工夫されてきたらしい。

 

「ご先祖様が何年もの間、木剣を大事にされていたという事実を先人様が実践してみようという形で為されました。紙も竹簡も元を辿れば木。ならば氣を通し続け、ご先祖様が大事にしていた木剣のようにしてしまえば、と」

「ナ、ナルホドー」

 

 木刀への工夫がこんなところで生かされていたなんて、思いもしなかった。

 そしてなんだか無性に恥ずかしい。くすぐったいと言えばいいのか、ともかく恥ずかしい。子供の頃に自分がやったことを、クラスのみんなの前で先生に褒められるような感覚に近い。

 

「一刀、時代から外れてまで貢献するのはどんな気分?」

「すごい複雑」

 

 ちりちりと顔が熱い自分をからかうように、笑みを浮かべた華琳が言葉を投げる。それに短く返した俺は、そんな彼女の視線にさえくすぐったさを感じてしまい、視線をあちらこちらへ彷徨わせるばかりだ。

 だが待って欲しい。時代から外れてまでの貢献って意味では、俺以上が確実にいらっしゃる。そんなことを挙げてみれば、皆様の視線は真桜に向き、彼女は真っ赤になって俯いた。

 

「そうだったわね。ここでは機械なんてものは使わずに絡繰を使い、燃料も氣で補うといった異常さ。無駄な伐採も開墾も避けたようで、自然も多いまま。特にあの排気ガスがないのはいいことだわ」

 

 車が大層嫌いな華琳様が、ハフゥと溜め息を吐きつつ言った。

 速く移動出来るのはいいものの、あの排気ガスだけは好きになれないらしい。

 そんなわけで、排気ガスを嫌う者が真桜を褒め称え、彼女が真っ赤になって狼狽える姿を眺めつつ、俺は俺で許可を得てから書物に目を通していた。

 かつて自分が執務をしていた部屋。

 綺麗なまま残っていて、訊いてみればこういった建物も氣で補強されているんだとか。

 俺が残した鍛錬書物を応用して、補強素材などに氣を混ぜて固定。それを用いて補強したものは壊れにくいし劣化速度も遅い。利用しない手はなかったんだとか。

 

「………」

 

 目を通した書物には、なんだかくすぐったいものばかりが書かれていたりした。

 寄せ書き、って言えばいいのかな。

 俺を知る人が最後に書いたもののようだ。

 それは娘だったり孫だったり曾孫だったり、兵だったり民だったりと、分厚い本にぎっしりと。

 そんなものを見てしまえば、民との交流も積極的にやっていた自分は間違ってなんかいなかったんだなぁって、ゆっくりと心が納得してくれた。

 ありがとう、生まれ変わっても会いたい、言葉にしようにも足りないほどの感謝が、頁をめくってもめくっても書かれていた。

 言葉のあとには名前。

 学校でよく見た民の名前もあって、顔がどうしようもなく緩んでしまう。

 北郷隊で一緒だった兵の名前もあって、つい“こんなの書いてないで仕事しろ仕事”なんて、苦笑と一緒に呟いてしまって。そんなことを言えるほどサボリから離れた自分がこれまたおかしくて、笑みが止まらなくなってしまう。

 

  こちらこそ、ありがとう。

 

 こんな俺についてきてくれて、感謝してくれて、ありがとう。

 これがいつから書かれていたものなのか、なんてわからない。置いてあった場所も、そもそも別の場所だったのかもしれない。

 最初の頁あたりには、それこそ最初に北郷隊をやめた者の名前が書いてあって、じゃあこれは彼らが引退する時に遺していったものなのか、と妙に納得した。

 学校で文字を学ぶ子供に負けていられません、なんて文字を教わりにきた兵も居たのを思い出せば、ああなるほど、と笑ってしまうのも仕方ない。それでも学べなかったであろう者の感謝は、ほぼ三つに絞られていた。

 

  謝謝 多謝 勤謝

 

 その文字の後にそれぞれ名前が書かれていて、誰が足したのか、“もっと伝えたいことがあるのに、文字が書けなくて悔しがっていましたよ”なんて書かれている。

 

「───……」

 

 寄せ書きなんて初めて手にした。しかもその寄せ書きが一つの書物になるほどの頁の多さ。

 なんだか可笑しくなって笑いそうになるのに、笑ったら涙までこぼれそうで、震えそうになる体を落ち着かせることに集中するはめになった。泣いたらいけないなんてことは無かっただろう。いっそ泣いてしまっても良かったんだろう。でも、ここで泣いていたら行く先々で泣いてしまいそうだったから、息を大きく吸って、ただただ我慢した。

 泣きっぱなしはちょっと勘弁してほしい。

 

「一刀?」

「っ!」

 

 華琳に声をかけられて、肩を弾かせた。

 みんなに見られないようにって背中を見せてコソコソ見ていたのに、我らが覇王様はどうやらほうっておいてくれないらしい。

 それでも涙を見せるのは恥ずかしい……じゃないか。照れくさかったから、誤魔化すように李さんを促して、次の場所へ向かうことにした。

 ……落ち着いたら、また来るから。

 その時はゆっくりと、今までの歴史を紐解かせてくれ。

 そう呟いて、かつては自分が仕事をしていた部屋に、頭を下げた。

 

……。

 

 で、次の場所。

 

「…………」

「は、はああ……!!」

 

 李さんを促しておいてなんだけど、話はそもそもそういうことだったことを忘れていた。

 移動してみれば天下一品武道会にも使われた武舞台。

 その中心に立つのはいかにもなオネーサマ。

 思わず姐御とか呼びたくなるような、自信に満ち溢れた女性が……そこに居た。

 髪の色は紫に近く、身だしなみとかはこう……男など意識する必要もなし、とばかりに露出が多目なものとなっており、整えられた髪形は、女性に好まれそうな感じで。

 露出高めの衣服は、意匠で言えば霞に近い。

 動きやすさが前面に押し出されており、男性が見てるかも、とかそういった方向での羞恥などは何処かに置き忘れたような……とりあえずアレだ。我が娘がこんな格好をしたならとりあえず正座させたいくらいの姿がそこにあった。いや、隠すべき場所は確かに隠れてるんだけどさ。

 あー……どう説明したものか。いや実際、霞っぽいのは確かだ。半被とか袴とか、それっぽい。ただし崩れたら崩れっぱなしというか……なんかもう“男の視線? どうでもいい、これがあたしだ”って、おかしな方向に開き直ってしまいました、って……そんな感じ。

 

「……。あなたが、櫓爛(ろらん)の言っていた御遣い様か」

 

 値踏するでもなく、何処か見定めるような目を向けられ、しかしそれもすぐに正される。てっきりジ~ロジロジロと足から頭までを睨みとともに見つめられまくったりするんじゃ、と思ったが、案外相手も冷静だ。

 

「失礼。私にあなたが本物かを断定する方法などないが、櫓爛が連れて来たのなら、そういうことなのだろう」

 

 櫓爛、っていうのは……李さんの真名だろうか。うっかり言わないよう気をつけよう。

 で、目の前の彼女だが……歳は恐らく俺より上。何処か落ち着いた雰囲気を放つ彼女は、武舞台の上でレプリカの武器を舞台に突き立て、その上に手を重ねた格好のまま俺を真っ直ぐに見つめてきている。

 ……あれ? もしかして本当に強いかどうか、見極めようとしてる?

 バトル漫画のように氣を解放してみせたほうがいいんだろうか。

 こう、蟹股っぽい姿勢で腰を落として、“はーっ!”って。

 

「櫓爛……っとと、すまない。李から聞いていると思うが、国という規模で少々困ったことになってしまっていてな。あなたが本当に伝説の北郷一刀様であるのなら、“強き男性”であるのなら、どうかそれを証明してほしい」

 

 先ほどから、ぴくり、ぴくりと傍に立つ思春の氣が尖っては宥められ、を繰り返している。いや、思春? 俺現代じゃ別に王だとか都の支柱だとかは関係ないから、相手の口調に反応する必要とか……ないのよ? むしろ相手の方が段違いで偉いから。

 ……あ、いや、相手がちゃんとこの都の主なら、って意味で。

 ともかくまずは挨拶だ。挨拶は大事。古事記にも書いてある。

 武舞台に立つ彼女のまん前に立っている俺は、まずは包拳。それから名乗って、相手の出方を待った。

 

「姓は北郷、名は一刀。字も真名も無い、日本国出身です」

 

 相手の様子は……先に言わせてしまって申し訳ない、といった感じだった。

 そういえば名前も知らないわけだが……紫色に近い髪っていったら、知る中では誰だろうか。

 

「私は甘尖という。一応、この都を任せてもらっている身だ。大変申し訳ないが、あなたが本物かどうかも見極められない内から頭を下げることは出来ない。早速で悪いのだが───」

 

 甘。

 甘ってことは───と、ちらりと思春を見ると、ビキリとコメカミの血管を浮き出させている思春さん。

 ア、アーッ! 力を示せってことですネ!? そうですよね甘尖=サン!

 先祖に対して礼儀というものを……とか言い出しそうな思春さんを余所に、ともかく確認! 一応礼儀としてその国の代表の名前くらい調べてきたから、きちんと相手が都の主であることの確認は取れた!

 姓が甘、名が史、字が尖、でよかった筈だ。

 甘史尖(かんしせん)。情報が電子ってカタチで飛び交う世で、名を大事にするっていうのは中々に難しいものだけど、だからって……知ってるからって軽々と口にしていいかって言ったら、あの時代を生きてきた俺達にしてみればそれは違う。

 だから、知りたいなら力を示せってことでいいんだろう。

 

「私が都の主であるからといって遠慮は要らない。あなたが、それが然である戦の在り方で、向かってきてくれ───!」

 

 そう言うや、彼女が模擬刀を構えたので───あ、試合開始。

 とばかりに氣を込めた足で武舞台を蹴り弾いて、短い距離を一気に殺し、その腹部に「しゅうっ───(フン)ッ!!」氣を充実させた掌底を、めり込ませていた。

 

  ……そして、俺達は……

 

  開始一秒と経たず、対左慈戦用螺旋加速猛掌打で吹き飛ぶ彼女を───

 

  どこか、「オヤァ……?」と呆けた気持ちで見送ったのでした。

 

 

……。

 

 で。

 目の前に、両の目に涙を溜めて、お腹の痛みに耐える都の主がおる。

 

「しっ……ししし失礼しました、ご先祖様……! あなたが、あなたが本当にあの、しゃいにんぐ・御遣い・北郷様だったとは……!」

「その呼び方やめて!?」

 

 俺にとって、相手が武器を手に構えた時こそ“よーいどん”だった。

 相手が構えた瞬間を戦う意思として受け取ったその時、瞬時に充実させた氣で地面を蹴って、懐に入るやその腹部に掌底を埋めていた。

 背中まで突き抜けるほどの、それは見事な錬氣掌底でございました。

 それをくらって吹き飛んだ彼女は、武舞台の外でドグシャアと転がり、しばらく痙攣していたのだが……ぷるぷる震えながら立ち上がったと思ったら、よろよろと戻ってきて……こんなことになってしまったがね……。

 少しだけ気になってたことがあって、それの所為で力が入りすぎたことに謝りたくなるが、今言っても仕方の無いことだろう。

 とにかく認めてもらえてよかった……んだが、対左慈用に使うものを初対面の女性にとか、やりすぎだったのかも……。

 い、いやでも大陸の女性ってだけで、無条件で自分より強いんだろう、なんて意識がどうしても抜けないから、こればっかりは仕方ないと受け取ってもらえると嬉しい。

 あ。ちなみに、改めて甘尖さんには名を含めて自己紹介された。

 そして現在のこのぷるぷる甘尖さんは、痛みに耐えているのもそうだけど、主な原因は俺の隣で無遠慮に怒気を撒き散らしている思春にあったりする。

 武器を構えておきながらあっさり接近を許し、あまつさえ一撃でなど、戦を舐めているいるのかこのたわけが、とでも言わんばかりの怒気である。目がマジです。怖い。

 

「………」

 

 しかし……男の強さの証明、って言われても。

 え? それってたぶん、この甘尖さんに勝つだけで納得してもらえること、とかじゃないんだよな?

 この人が漠然と“こやつは私に勝った者ぞ”と言ったところで、何人信じるかもわからないし。

 じゃあいったい───?

 などと思っていると、くすりと笑った華琳さんが一歩前へ。

 わあ、やな予感。

 

「さて。甘尖といったわね? これでかつての御遣いの実力の一端も味わえたと受け取っていいのかしら?」

「……、あなたは?」

「あら。ふふ……そうね、この時代ではもう、かつての常識は古いのだもの、当然だわ。都の主に対して、名乗りが遅れたのを詫びましょう。我が名は曹孟徳。あなたたちが学んだところで云う、魏の主にして覇王である」

 

 詫びましょうとか言っておいて、ものすげぇ太い態度の自己紹介だった。

 いやいや華琳!? 相手、都の主様だからね!? 俺達がいかに過去に様々なことをしていようが、今の都の主にはそれなりのだな───! あ、いや、わかっててやってるやこれ。相手の出方を見て、相手の度量器量を測ろうって魂胆だ。

 ああもうあの時代に生きた人ってどうしてこう、相手を測るのが好きかなぁ!

 

「───! ……あなたが。天の御遣いがその生涯をともに生きたとされる───」

『ちょっと待ったぁっ!!』

 

 甘尖さんが華琳の正体を知り、ごくりと息を飲みながら納得。

 かつて読んで知ったのであろうその生涯のことを唱えていると、黙って見守っていたみんなから待ったが入った。

 

「しょ、生涯をともにしたのは華琳さんだけじゃないよ!」

「そうだ! わ、私だって一刀と一緒にあの頃を生きたのだ! それを華琳だけの生涯ととられるのは納得がいかない!」

 

 その筆頭として、桃香と蓮華がズズイと前へ。もちろん、みんなと言ったからには他のみんなもズズイと甘尖さんに迫り、甘尖さんは「えっ……な、なにか気に障ることでも……!?」と困惑しながら、様々な言葉を受け止めて目を回していた。

 ……あ、ちなみに俺はこうなるととばっちりが絶対に飛んで来ると理解しているので、少し離れた場所にて李さんに今回の都来訪ツアーの詳細を聞いていた。

 

「もー! ご主人様ー!? ご主人様のこと話してるのに、なんでそんなところに居るのー!?」

「そうだ一刀! あなたが居ないことには始まらないでしょう!?」

 

 ……どうせこうやって巻き込まれるってわかってたから、離れてたんです、とは言えない。男ってやっぱり弱いです。

しかしその弱さも“惚れた弱み”として唱えるなら、まだ心に余裕が持てるんだから不思議だ。

 

「大勢に好かれるというのも、楽じゃないわね」

「華琳が本題から入らなかったからだろ……。他に男に不満を持っているヤツは居ないのか、って訊くつもりだったんじゃないのか?」

「ふふっ、ええ、もちろんそのつもりだったわ。都の主が納得しただけで、ここの住む者はもちろん、他国に住むものが簡単に納得する筈がないもの。だから今日でなくとも、恐らくは他国の実力者も用意している筈」

「それがなんでこんなことに……」

「知らないわよ。私は自己紹介しただけだもの」

「ただの自己紹介で、人は魏の主であることや覇王であることを強調しません」

「あら。わかり易いかつての役職を口にしただけじゃない。今では一介の民でしかないわ。どう出ようが彼女の勝手だった。それだけのことよ」

 

 うーわー、なんともまあ楽しそうにおっしゃる。

 ああそうだったそうだった、華琳ってどっかの軸で、王なんて面倒なもの、もう御免だわ、とか言ってたっけ。

 酒造を手掛けて女性を侍らせ、それでは足らずにマジカルステッキで───

 

「一刀、歯を食い縛りなさい。今とても不快なものを感じたわ」

「数秒前の自分の言葉を思い出してください」

「一介の民でも許せないことくらいあるわよ! だから民同士の喧嘩もあったのでしょう!?」

「だだだ大体不快なものを感じたってだけで殴られるなんて理不尽だろ! 俺がなにしたってんだー!!」

「私が不快に思うことを僅かたりとも思い浮かべなかった、と誓えるのなら、私の目を見て頷きなさい」

「あ、それは思ったから誓えない」

「思ってるんじゃないの!!」

「思っただけで殴るなっつっとるんじゃあああーっ!!」

 

 口調が乱れるのはもう仕方ない。

 それだけの北郷の集合体なのだから、また馴染むまで我慢我慢だ。

 

「じゃあなにを考えたのか言ってごらんなさい。殴るのはそれからにしてあげるわ」

「殴るなって言ってるんだけど……ああうん、まあいいや。じゃあ言うぞ?」

「ええ。殴るのは冗談だから、どんなくだらないことを考えたのかを───」

「えー……じゃあ。こほん。神も仏もこの世に居ないが魔法少女がここに居る! 我を崇め奉れ! 気分が良ければ助けてあげる!

「死ねぇええええええええっ!!」

「おぉわぁあああああああっ!?」

 

 殴らないと言った覇王が殺しにかかってきた瞬間である。

 その顔は羞恥で真紅に染まっており、一瞬にして滲んだ涙が、その羞恥の量を物語っていた。

 

「ななななっ、んっ、ななん、なんっでっ!! なんでそんなことを覚えているのよ!! 忘れなさい! 今すぐ忘れろ!! 命令でも一生のお願いでもなんでもいいから! 忘れなさい! 忘れろぉーっ!!」

「しょうがないだろいろんな外史の記憶が混ざってるんだから!」

「そんなことはどうでもいいのよ私は忘れなさいと言っているの忘れなさい!!」

「待て待てっ! じゃあお互い、記憶の確認とかしてみないか!? 言わないでほしいこととかはきっちり胸に仕舞っておくとか! なっ!?」

「あれ以外で隠したいことなどこの曹孟徳にあるとでも───!!」

「ほら、自分から進言してまでメイド服を着た時のこととか」

「───殺すわ」

 

 とてもとても良い笑顔であった。

 そしてそれは、鎌を持たない覇王との、攻防の開始の合図でもあったのです。

 

「あの……じゃれ合いでは誤魔化せないほどの争いを始めてしまったのですが……」

「ほうっておいて問題はないな。それより……」

「あ、はい、公瑾様。甘尖様と話し合ったことで、これ以降にも御遣い様にはそれぞれの国の強者と戦ってもらい、男の強さ、というものを教えてもらう手筈でした」

「ふーん? 一刀の強さねー……ねぇ、李とかいったっけ。それって一刀じゃなきゃだめなの? 代わりに私がみんな倒しちゃう、とかは?」

「えぇと、伯符様、ですよね? 御遣い様と幾度となく戦ったという」

「そうそう、伯符伯符♪ で、どう?」

「いえあの……」

「雪蓮。これは北郷の、……いや、男の強さというものを見直させるためのものだ。お前が戦い、勝ったところで、なんの意味もない」

「でも私に勝てない程度じゃ一刀にだって勝てないでしょ?」

「……あのなぁ雪蓮。お前の武力は“程度”で済ませられる域か? 北郷の強さは、ある意味で対お前に特化したものだろう。だというのにお前の強さを基準に測ってみろ、男の強さどころか、歪んだ誤解を生むことになる」

「えー? ……むう、たとえば?」

「……北郷一刀は江東の麒麟児を軽々と黙らせる修羅である」

「かっ!? かっ……かか軽々とじゃないわよー!! 私だって結構ねばって───」

「だが、結局負けるだろう?」

「………」

 

 真っ赤で涙目なマジカル☆曹操さんと手四つでぐぎぎぎぎと圧し合って居る中、なにやらちらりと見た光景の片隅で、とぼとぼと人の輪から外れ、一人ぽつんとT-SUWARIをしてしくしくと泣き出す麒麟児さんの姿を見た。

 なにがあったのだろうか……きっとなにか、とても辛いことがあったんだろう。

 

(声を掛けて話を聞いてあげよう。たぶんあれは、ぶつけどころのない想いに苦しんでいる者の姿だ───!!)

 

 過去において、守りたいという願いを叶えられなかったため、みんなの中で悲しむ誰かを見たくはないという衝動が強かった俺は、遠慮をしなかった。

 

  …………なお、その後。

 

  俺を圧す涙目の修羅が、一人追加された。

 

 



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後日談2:いつかの約束③

 そんな、どこかいつも通りの調子で騒ぎ、その賑やかさを蹴散らさん勢いで現れた各国の武将代表を前に、李さんに「えぇと、彼女たちと戦え、と?」と訊いた。

 そしたら真っ直ぐな目で「はい」だって。

 アレレー? おかしいぞー? 俺っていつから武闘派集団の仲間入りを果たしたんだっけー。

 こんな、認められたくば力を示せ! なんて、RPGとかだと旅の途中の精霊さんやら中ボスっぽいやつが言いそうなことに、頷かなきゃいけないなんて……!

 けれどこれも、現代の大陸に住まう男性を見直させるための第一歩。

 言い訳を並べて逃れることは、そもそももう選択肢にはなかった。

 

「冥琳、何か他に案は───」

「ないな」

「じゃ、じゃあこうした方がいいかも、とかは───」

「圧勝してくれ、北郷。それが一番状況的にいい。なにより───力強い男、という意味では、私もお前の本気を見てみたい」

「───」

 

 いつかの世のラスボスに、信頼の笑みで送り出されてしまった。

 張り切らない手はございますか? とんでもございません。

 

「ははははは! お前が噂の御遣いか! あたしゅぶぎゅ!?」

 

 笑いながら武器を構えた魏・代表が空を飛んだ。

 

「呉代表、孫廼牙(そんだいが)! 魏代表を吹き飛ばしてみせたその武にいざ、挑ませてもきゅぴゅう!?」

 

 目を虎のように鋭くさせ、武器を構えた呉・代表が空を飛んだ。

 

「ままま待っていただきたい! 素手でも強いことはよくわかった! いえわかりましたから! まずは武器を持って……! はっ!? あ、あの、自分は蜀代表、劉……はれ? あっ!? あいぃっ!? いだぁーったたたたたたた!? 痛い痛いやめて痛いうわぁああああーん!!」

 

 戦いたくば武器を取れ! と叫ぶ蜀・代表が、アイアンクローの前に沈んだ。

 鍛えた五体はそれだけで武器にございます。

 それを、俺はあの時代に教え込まれました。

 武器を構えれば強いんじゃないんだよ……わかって、蜀代表の人……。

 

「そんなわけで圧勝できたんだけど───」

『納得いかん!!』

 

 各国代表が納得しなかったので、再戦というかたちになった。なので氣を究極に充実させて木刀に金色の眩さを纏わせ、その氣を高速で動かすことでチェーンソーのように悉くを両断する刃とする。

 試しに振るってみればゴキィンという音とともに、武舞台の石床の一部が煙を昇らせながら綺麗に切断されて『嘘ですごめんなさい!!』嘘だったらしい。

 

「なんというか……さすが一刀の血筋ね。謝り方が実にあなたっぽいわ」

「いや……あのとりあえず突貫しようとする姿勢なんて、まるで春蘭みたいじゃないか。あ、魏代表は“夏侯”だった筈だから、そういう血を持ってるのは納得なんだけど」

「というか……あなたそんなことまで出来るの? どれだけ便利に使いこなしているのよ」

「左慈に勝つために頑張ったもん」

 

 むしろこれが決め手といってもいい勝利だった。

 まあそれはそれとしてだ。

 顔を青くして怯える各国代表を余所に、李さんに訊きたいことを訊いてみることにした。これで一応、用事っぽい用事は済んだ筈だし。

 

「えーと、李さん。用事も済んだし、娘たちの墓参りをしたいんだけど」

「──────えっ、あ、は、ははははいぃっ! ただいまぁっ!!」

 

 呆然としていた李さんに声をかけると、ビクーンと体全体で跳ねた彼女が慌てて動き出す。

 一応、強い男性を見てみたいって目的は果たせたと思うし、いいよな、これで。

 

「けど……あの、李さん? 質問いいかな」

「は、はいっ! なんでしょうご先祖様!」

「いや、なにもそんな、声かける度にビクーンってならなくても」

 

 だが気になることは訊いてみよう。聞いてみよう。これ、とても大事。

 

「あのさ。世界大戦でも影に潜んで勝利を得てきたとか聞いたんだけど……俺でも勝てる強さでそれって、ちょっと無理ない?」

「あの……はい。時代の流れといいますか。ご先祖様の仰る通り、現在は戦などありません。競い合う競技が多少ある程度で、それも氣を使ってしまえば有利に立てるので……」

「……多少鍛えた程度で満足してしまっていると」

「……お、お恥ずかしながら……っ!」

 

 なんだろう。

 今、初の超野菜人2になれた子供が青年になった頃のあの漫画を思い出した。

 これも平和ボケってやつなんだろうか。

 

「あのー……一応、俺も鍛錬のための書物とか残した筈なんだけど……実行する人、居なかったとか? それとも男が書いたものだから、って誰も実行に移らなかったとか?」

 

 だとしたら悲しいなぁ、なんて残念感を抱いていると、魏代表がしみじみと言った。

 

「三日毎とはいえ、あれを日課にしろとかご先祖様は鬼ですか!?」

 

 マジ声だった。

 ……。えっ?

 だ、だって俺、三日毎とはいえきっちりこなしてたよ?

 俺に出来たんだから、この大陸の女性ができないなんてあっはっはっはっは! ご冗談を!

 などと親しみやすい笑顔で言ってみたら、ひどくやさしい顔をした思春に、肩にポム……と手を置かれた。

 え? ……え? あの、え? えーっと……え? これ、俺がおかしいの?

 

「その、ご先祖様。もし会えたのなら、訊いてみたかったことがあります……! あの書物に書かれていたことは、氣を磨く者への心構えを記したものですよね!? 実行はっ、そのっ……ふ、不可能ですよね!?」

「え? いや、普通に三日毎にやってたけど」

『ひぃいいいいいいいいっ!?』

 

 北郷一刀。第二の故郷にて、末裔に悲鳴を上げられ引かれるの図。

 いやっ……いやいやいや! 出来るって! 出来ないならそれは頑張りが足りない証拠っていうか!

 ……あ、でも大前提として御遣いの気が無ければ出来ないっていうのもあるかも。

 あちゃー……そういう方向で考えてなかった。

 でも、やれるかやれないかで言えば出来はしたわけでして……う、嘘はついてないよな?

 しかしやっぱり信じられないのか、李さんがどこからか持ってきた書物───いつか俺が書き記した、鍛錬の仕方【粉骨砕身編】を広げ、「ほっ……本当に出来るのなら、証明を!」と言ってきた。

 やあ懐かしい、子供編や青年編、大人編があるそれの上級者向け……いわゆるとことんまでに自分をイジメ抜く“御遣い編”が目の前にあった。

 すごいな、まさかまだ原文が残ってるだなんて。

 

「あの……もちろん私どももこの書物に書かれた鍛錬に挑戦したのですが……その度に吐いて昏倒したほどの……その、鬼畜鍛錬、でした……。およそ人間のやるものではないとさえ噂されるほどで……。あの、本当に達成は可能なのですか……?」

「………」

 

 可能です。ていうかそこまで存在を疑われるほどじゃないと、自信を持って伝えたい。このくらいイジメ抜かなきゃ左慈に匹敵することさえ出来なかったんだから、むしろ左慈にしてみれば生ぬるい鍛錬に違いない。

 なので、あの頃の空の下の基準で考えれば生ぬるいに違いない……!

 というわけで、早速トレーニングを開始した。

 もちろん、疑り続ける夏侯さんの手を引っ張って。

 魏代表がするなら……と、他の国の代表も立ち上がり、甘尖さんも参加。

 どうせならと、一緒に来たみんなも参加した鍛錬は続き、桃香なんて久しぶりだな~なんて笑っているくらいだった。……だった。

 

……。

 

 で、数時間後。

 

『…………』

「よしっと。じゃあ次はたっぷりと柔軟な~……って、おーい、聞いてるかー?」

 

 死屍累々。

 別に言葉通り、“死体が多く重なっている”とかじゃあないが、それに近い状態が視界の先にあった。

 

「ほらほら、ぐったりしてても柔軟はするぞ? 散々足に負担をかけたんだから、血のめぐりを良くしてやらないと違和感が残るんだ。リンパとか小難しいのは抜きにして、むくみを取るものだって思ってくれ。ほら、立て立て~」

「ひぃ、や、やめひぇ……! うごかひゃにゃいれ……! ごめ、ぐすっ、ごめんなひゃい、みふはいひゃま……! うたぐって、ごめんなひゃい……!」

 

 ぐったりさん達を促して柔軟を促す。

 もちろん走る前にも入念な柔軟をさせたが、走り終わってからの柔軟だって相当大事なものだ。

 なにせ、やったのとやらないのとじゃあその後の鍛錬に酷く影響が出る。

 まずはゆっくりと水を飲ませるのも忘れない。水分補給、大事。

 次に足を肩幅より少し広く開いて立たせてから、その状態のまま足の外側で立つみたいにして足の裏の内側、土踏まずを持ち上げるようにする。故意にO脚を作るみたいな感じだ。

 その状態でしばらく固定。次は逆に足の裏の外側を地面から離すようにして、足を内側に絞る感じでぎゅ~っと……こちらもそのまましばらく固定。

 それを何度か繰り返したら、今度は軽く屈伸。あまり素早くやらないように。

 次は手を大きく伸ばして背伸びの運動~。

 はい次。はい次。はい次は───

 

……。

 

 コーン……

 

「華琳、大変だ。みんな動かなくなってしまった……!」

「少しは加減を知りなさいっ、このばかっ!」

 

 過去に生きたみんなは……まあ、武官であった皆様や一部の文官であった皆様は無事だ。一部の文官っていうのは主に亞莎。というか亞莎。

 が、現代に生きる子孫達はもう……本当の本当にぐったりさんで、もはや荒い呼吸を繰り返すだけの存在になっていた。

 

「お兄ちゃんの鍛錬、久しぶりだったのだー!」

「久しぶりにやるとさすがに疲れるな……」

「はい。蓮華様、拭く物を」

「ありがとう、思春。……けれど、前ほどは疲れないわね。一刀、やっぱりこれも“御遣いの氣”が原因なの?」

「たぶんね」

 

 両手を頭の後ろで組んで、にゃははと笑う鈴々の傍ら、軽く汗を拭って訊ねてくる蓮華にそう返す。予想は立てられても、実際にそうなのかは俺にもわからないからなぁ。

 というか蓮華さん。独り言と俺へ投げる際の口調が違いすぎます。独り言は男らしささえ感じたのに、俺に訊ねてくるとなったらどうしてここまで女の子になれるのか。これが王の在り方なんだろうか。

 うーん、王ってわからない。

 

「ん」

 

 ともかくだ。

 まずは少し休ませてから、良い体作りのための第二歩、栄養摂取を。

 ということで料理をしましょう。厨房を借りても平気だろうか。

 ぐったりさんな魏代表───夏侯頌瑛(しょうえい)さんに訊ねてみると、かろうじてこくりと頷いた。

 むしろ“今は休ませてくださいお願いします”と顔に書いてあるようだった。

 

(───)

 

 本当に出来る鍛錬法なのか、という疑問に乗っかるような結果になってしまってなんだけど。

 ごめん、娘達。向かうの、ちょっと遅くなる。

 

……。

 

 料理を作り終えたのちのこと。

 料理に関しては腕自慢の将……ああ、もう将じゃないんだった。

 流琉や斗詩、祭さんや紫苑に手伝ってもらって、普段の倍以上の量で仕上がった。

 それらを、俺を除いたみんなに食べてもらっている隙に、俺は一人、街から外れた場所に建てられた、立派な(びょう)の前に立っていた。

 中国の廟では墓は別の場所にあるっていうけど、ここだとどうなんだろう、なんて考える。いわばここは仏壇であり、墓とはまた違う。ここで手を合わせれば、墓まで届くかと言えば首を捻るけど……それは仏壇で手を合わせる日本でだって同じことだ。

 

「………」

 

 ……思えば、“こっち”じゃどういった作法なのかを知らない。

 かつてはみんなを見送りはしたけれど、あの頃と今のものが同じかどうかもわからない。

 適当にやっていいものではないだろう、とも考えたんだけど───どうしてだろうなぁ。作法はそりゃあ大事だけど、今は“俺らしく”やらないといけない気がした。

 だから……まあ。怒られた時は怒られた時ってことで、手を合わせた。

 ご苦労様ともお疲れ様とも言える、長い長い時間。

 いろいろと堅苦しいこともあっただろう。

 面倒なことだって当然のようにあっただろう。

 それでも…………ああ、それでも……こんな、自分のことばっかり考えていた親との約束を守ってくれて……本当に本当にありがとう。

 きちんと届いたから。

 この1800年後まで、届いてくれたから。

 

「……ありがとう」

 

 やっぱりそれしか伝えようがない。

 誇らしいって言うのとは違って、自慢出来る、と言うのとも違う。

 ソレは確かにそうであっても、欲しいのはきっと、叶えてもらった俺が踏ん反り返るような未来とか、そんなものじゃあ決して無い。

 じゃあなにが? と問われれば、結局ありがとうしか届けられない。

 今この場に居てくれたなら、自分に出来ることなら叶えてやりたいって思うのに。

 

好蓮(はおれん)桜花(おうか)(ふぅぁん)夜鈴(いぇーりん)(みこと)祀瓢(しひょう)結鷲(ゆじゅ)。…………華煉(かれん)

 

 ありがとうを唱えれば笑ってくれるだろうか。

 いつか見た幻みたいな仲間のように、笑顔をくれるだろうか。

 こんなに食べられませんよ、なんて……あんなふうに笑ってくれるだろうか。

 そんなふうに思うのに、口から漏れる言葉は違って。

 何を飾るでもなく考えるでもなく、俺の中で……俺の知らない間に、届けたい言葉なんてものは決まっていたようだった。

 

「……頑張ったな」

 

 届けた言葉は父としてのそれだった。

 手を合わせ終えた廟の中で、真っ直ぐに前を見て、目を閉じるでもなく、どうしようもなくこぼれる笑みのまま。

 確かに誇らしくて、確かに自慢したくて、届けたい言葉がありがとうだったとしても、他人行儀に感謝を届けるのではなく、過去に生きた伝説に届けるのではなく。

 ただ親と子として、褒める言葉を口にした。

 呆れられるだろうか。

 笑われるだろうか。

 それでもいい。

 それでいい。

 その方がきっと、自分らしいに違いないのだから。

 

「また来るな。って、次に向かうのが墓だから、またすぐに会うことになりそうだけど」

 

 たははと笑って、踵を返す。

 墓に向かう前に食事っていうのもなんか違うなって思ったから、実は何も食べていない。

 くぅ、と鳴る腹を一発殴ったのちに、やっぱり笑って一歩を踏み出───した直後。いや、踏み出したどころか、その一歩が地面につく前に、───

 

「………」

 

 くいっと、服を引っ張られた気がした。

 振り向いてみても、当然誰も居ない。

 そんな状況で思い出したのが、よりにもよって……子供たちが小さな頃に聞かせていた、即興昔話とかだったんだから笑える。

 当然、怖い話もしたのだから……なるほど、こんな仕返しもアリなのかな。

 怖い話をした所為で泣いたりしてしまった娘達を思い出して、やっぱり笑った。

 

「そこに、居るのか? ……居るなら聞いてくれ」

 

 笑ったけれど、それは“そんな馬鹿な”と嘲笑するようなものじゃあなくて。

 みんなと再会したあの日、かつての仲間たちの幻を見て泣いた日を覚えているからこそ、そんなことだってあるのだと理解しての笑みだった。

 

「頑張ったな、なんて言葉しか口に出来ないで、ごめんな。今さら頭なんて撫でられて喜ぶわけもないと思うけど、俺は───いてっ! え? あ、い、いててっ!? ……えぇっ!?」

 

 何故か、何も無いのに足を蹴られたような痛み。

 ……ワーイ娘ダ、娘ガオルヨー。

 じゃなくて、居る。確実に居てはります。

 凄いな、ポルターガイストとは違うんだろうけど……いや、そうなのか?

 なんにせよ……エート、まずはごめんなさい。絶対に、絶ッッッ対にマナー違反なのはわかっておりますが。

 

「激写」

 

 ケータイで写真を撮った。

 するとどうでしょう。

 

「………」

 

 ……腰に手を当てて、ぷんすか怒ってる華煉さんが居た。

 姿は……16~8あたりの歳の頃のものだろうか。

 その後ろに隠れるようにしている、幽霊の守護霊さんみたいな存在にも、呆れと同時に笑みがこぼれる。

 

「お前なぁ……どれだけ強い思念を遺せば、こんなハッキリ写るんだよ……。幽霊の存在率の定義なんて知らないけどさ」

 

 娘の強き執念を知った気がした。

 その後ろにたくさんの……人影、シルエットって言ったほうがいい、輪郭しかないヒトノカタチがあるのに気づいたけど、それはきっとここに意識を遺した者たちの影なのだろう。

 俺達や娘達だけが頑張ったから果たせた約束じゃあないのだ。だからこそ、想いも約束もここにある。

 

「………」

 

 廟の中には、俺以外には誰も居ない。

 監視役は居るようだけど、李さんが話は通してありますと言った通り、注意されることもない。写真を撮った時は睨まれたけど……うん。とりあえず自ら近づいて、事情を説明した。もちろん写真も見せた上で。そしたら逆に感心された。俺が、じゃなくて華煉が。

 そうだよなー、本当に怖いくらいにハッキリ写ってるもんなぁ。

 なんかもうお墓参りの時にある独特のしんみり感なんて、これだけで吹き飛んだよ。

 風情云々よりもまず、この方が俺達らしいなんて思ってしまうあたり、散々とあの時代で振り回された者の“慣れ”ってやつが、随分と染み付いてしまっているようだ。

 

「禅も、頑張ったな。随分と待たせちゃったけど……───ただいま。今、帰ったよ」

 

 写真の中、ぷんすかさんの後ろに隠れるようにして存在する娘にも、感謝を。

 ようやく果たせた約束を思って笑った途端、なんだか懐かしい香りがした。

 亞莎に膝枕をした雨の日に抱きしめた、娘の香り。

 

(……どうしてだろうなー、そんなわけじゃないのに、俺が“抱き締める”とか考えると別の方向に誤解されそうな気がするのは)

 

 漏れるのはやっぱり苦笑。

 昔からずうっと、たぶんそれはこれからもあまり変わらない。

 もっと素直に笑えたらいいのにって思わなくもないけど、苦笑だって立派な笑みだ。

 慣れてしまえば、そんな笑みだって大事に思える今に辿り着ける。

 だから……だから。

 

「みんなぁっ! ───今っ! 帰ったぞぉおおおおーっ!!」

 

 しみじみ言うだけじゃ足りない。

 待ちくたびれて、疲れてしまった人にも届くようにと大声で叫んだ。

 

  ───途端、ぱちんって音。

 

 まるで視覚のスイッチが切り替わったかのように見えている景色が変わって、あの頃の景色が見えた。

 それは長い時間ではなかったけれど、その景色の中に、見知ったみんなを見た瞬間には……我慢することもせず、叫んでいた。

 ただいまもごめんなさいも、遅くなったもありがとうも。

 触れることの出来ない景色に精一杯に手を伸ばして、待っていてくれた人達に叫んで届けた。

 娘達だけじゃない。

 民や兵が、国で隔てることもなく、そこに居た。

 溢れるように届けられる感情は“ありがとう”ばかり。

 寄せ書きに、感謝と名を連ねた者の姿もたくさん見つけて、恥と取ることもなく泣きながら感謝を叫んだ。

 感謝の数だけ想いは溢れて、自分がそんなにも感謝されていたことに、当然の困惑も抱いたけれど……それを疑って捨てるほど馬鹿じゃないし、みんな以上と自負できるほどに俺だって感謝してきた。

 こんな自分と一緒に歩いてくれてありがとう。

 信じてついてきてくれてありがとう。

 ともに笑顔でいてくれてありがとう。

 ……一緒に死ねなくて、ごめん。

 もう、自分がなにを叫んでいるかもわからないくらい、感情が溢れていた。

 涙は止まらないし嗚咽が邪魔して上手く声を出せなくて。

 それでもみんなは笑顔でそこに居て……笑顔のまま、静かに消えていった。

 

「……い、いまの……は……」

「………」

 

 震えながら声を絞り出したのは、一緒に居た監視役の人。

 彼にも見えたのだろう。

 呆然としたまま震えて、けれどその目からは涙がこぼれていた。

 溢れるほどのたくさんの感情に当てられたのだろう。

 ……困ったことに、俺も涙が止まらない。

 

「…………~……」

 

 みんなから届けられた言葉は“ありがとう”と……“おかえりなさい”。

 それと、激怒と一緒に届けられた“死ねなくてなんて言うな”だった。

 



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後日談2:いつかの約束④

 IF。

 もしもって言葉が通用する世界があるとするなら、たぶんこの世界ほど許される場所はないんじゃないかなって思う時がある。

 正史を排除して出来た外史の世界……世界中の様々な人の“もしも”が集まって出来た世界がここだ。

 幽霊に話しかけられる“もしも”なんて、立派な霊能力者さんなら日常的なのかもしれないし、そう考えれば……それはそれほど“もしも”である必要なんてないのかもしれない。

 勉強をしたから勉強が出来るようになりました、なんてものと一緒で、学べば出来る“もしも”なんて……案外自分たちが方法を知らないだけで、それに合った学び方さえ出来たなら、簡単にもしもの範疇から出られるものなのかもしれない。

 

  後のことを話そうか。

 

 廟をあとにして娘達の墓へ行くと、そこには大きな墓があった。

 墓地というか……宮殿? いや、それは言いすぎか。

 先祖を大事にするという風習が過去より強く存在しているらしく、特にこの大陸を外から守り抜いた者や、そもそもの過去の英雄たちは大変大事にされているそうで、どれくらい前かはわからずとも、大抵の者は皆、そこで眠っているのだという。

 そこで墓参りもして、みんなのところへ戻る最中、声を聞いた。

 聞こえた声は……最初の方がかすれていたけど、強い思いを宿した声だった。

 

  うん。私たちも……最後の最後まで頑張れたよ、ととさま───

 

 聞こえた声に振り向いても誰も居ない。

 居ないのに、胸に込み上げるのは誇らしさばかりで。

 誰も居ない空間に頷いてみせては、またひとつ、涙をこぼした。

 こぼしながら感謝して、何度も何度でも誇って。

 やがて、自分の周りに集まっていた温かな気配が無くなるまで、俺はその場で娘や仲間を誇り続けた。

 それで───奇跡みたいな出来事は終わった。

 

  最後に……娘達が好きだった、みんなで歌ったいつかの歌を流す。

 

 及川が勝者権限でみんなに歌ってもらったものを、音楽としてケータイに移したものだ。

 そうしながら写真を撮ってみれば、まるで俺がそうするのを予測していたかのような、綺麗な整列をして写真に写る幽霊様方。

 これには思わず笑ってしまい、笑って笑って……これが本当に最後だったんだって受け取って、笑いながら泣いて。泣きながら、歌に合わせて自分も歌って。

 やがて感謝と別れを込めた歌が、掠れる声で終わるとともに……俺は、頭を下げて、過去になってしまったみんなに、最後の感謝を唱えた。

 涙を拭うこともせず、感謝の言葉が嗚咽で潰れるのも構わず。

 それで、終わり。

 しばらくそのままで居続けて、ようやく嗚咽も涙も引いた頃、顔をあげた。

 なにも変わらない墓がそこにあって、俺はぐすりと鼻を鳴らして。

 そうして、踵を返して、誇らしさを胸に戻ろうとした時。

 掠れるような小さな声で……忘れることのない、禅の声が聞こえた。

 

  約束、守ってくれてありがとう

 

 ……。

 俺はそれに、振り向くこともなく……小さく笑んで、ああ、と返して。

 そうだよな……誇るのなら笑顔だよなと笑って、墓をあとにした。

 

……。

 

 その後の事といえば……計画通りと言えばいいのかどうか。

 

「そんなわけで……ご先祖様である御遣い様には、この大陸の男性にかつての力強さを思い出せてほしいのです!」

 

 甘尖さんの言葉に華琳と視線を合わせて苦笑し、これを引き受ける。

 御遣い式になるけど、いいかという言葉に「ひぃ」と引き攣った悲鳴を聞くことになるが、まあ、ようは男性が女性に見直されるよう強くなればいいのだと。

 

「いえ、ただ女性より弱いからという理由で、見下すことなどはしません。もちろんそうする者も居るには居ますが……その。やさしさに惹かれ、恋をする者も当然居ます。でなければとっくに滅んでいますよ、この大陸」

 

 怖いことを言う夏侯さんに、今度は俺達が引き攣った声を出すハメにもなったけど、再出発としてはいいんじゃないかと思える。

 

「あの、御遣い様? どうでしょう。都の代表、というだけの私より、御遣い様が再び三国の中心……いえ、この大陸の王となるのは」

「え? やだ」

「えぇっ!? やっ……やだ───えぇっ!?」

 

 その過程で、俺を王に推す話もあったものの、俺はあくまで日本で、道場を継いだのだからとこれを断る。

 指導者としてならこれから何度でもここに来るから、あくまで俺は過去の御遣いってことにしてくれと。

 絡繰が主で、もちろん今では電気も通ってるこの大陸ではあるが、それも主に妖術を使ってのもの。

 そこに左慈と于吉と貂蝉と卑弥呼が加わり、道術等も指導することになれば物事の幅も随分と広がった。

 なにもない場所に映像を作る技術の向上、マイクやカメラの絡繰の発達もそうだし───また、それらに必要な力を無意識に、この大陸に住まう者全てからほんのちょっぴりずつ引き出すことで、人の数だけ永久機関を作り出し、いつしか科学技術を忘れた国を作り出した。

 信じられる? ほぼ消費無しで、片春屠くんとか摩破人星くんとか使い放題なんだよ?

 

「IF……もしもの話を考えてたけど、ほんと……この世界って凄いよな」

「そういう世界なんだから、当然よん、ぬふんっ♪」

「それって日本でも出来ないのか?」

「無理だな。あそこでこれを再現するには、道術や妖術を信じない者が多すぎる。それ以前に、この大陸ほど銅鏡の欠片の効果が残る場所もあるまい」

「ええ。これが通用するのはこの大陸のみでしょう。……この地は、不思議なほどに“過去”に祝福されているようです。誰が原因かは……ふふっ、言うまでもないでしょう。ねぇ左慈」

「うるさい喋るたびにいちいち俺に話しかけるな」

「ぬわははは! さすがはだぁりんが認めたオノコよ! さあ貂蝉、この胸が高鳴っている内に、出来ることを終わらせようぞ!」

「んまぁ~かせてちょーだい! 貂蝉ちゃんとぅぁ~るぁあ、頑張っちゃうわよぉん!」

 

 卑弥呼は言った。

 娘達や仲間たち、民たちの想い……そういった過去から今にかけての1800年が、今を支えてくれてるって。

 だからこそ可能なことを今の内に基盤にして、今に馴染ませるのだ、って。

 もう、時間とともに顔を思い出せなくなることもない。

 いつだって供に在るのだから、好きなだけ一緒に歩むがよいわと。

 

「───……」

 

 そうしてまた感謝。

 その度に心が温かくなるのを、俺は笑って受け入れた。

 さあ行こうか、終わったと思った覇道はまだ続いている。

 あの日から今までを、娘達が、仲間たちが繋げてくれた。

 男性を見下すことで、“誰もが笑っていられる世界”を否定されたんじゃないか、って不安に思ったこともあったけど、今はそれも違ったんだって頷ける。

 見下す女性には見直させてやろう。

 どうせ男なんてと落ち込む男性には、自信を取り戻させよう。

 それからの日々を胸張って、共に歩めるよう、いつまでもいつまでも。

 

「……なにかあったの? 随分と顔つきが変わったわね」

「娘達と、みんなに会ってきた。っていっても結構前になるけど」

「会った、って……───いいえ、そう。元気だったのかしら」

「ああ。幽霊であることがおかしいだろって思えるくらい、おかえりとありがとうを伝えられたよ」

「そう」

「ああ」

「………」

「………」

「ねぇ一刀」

「うん?」

「あなた、道場を続けると言っていたけれど、これからどうするつもり? 一夫多妻はこの大陸のみ。けれど道場は日本。この場合、国籍はどうなるのかしら」

「とりあえず日本のお偉いさんを于吉が洗脳して、いろいろ許可出してもらった」

「……。ねぇ一刀。話が段違いで飛びすぎていると感じるのは私だけかしら」

「天下統一を果たすだけじゃ足りないっていうなら、使える手札は全部使わなきゃもったいないだろ? 俺ももう、遠慮なんてしないことにしたよ。……幸せになるまで突っ走ろう。で、幸せになれたら、臨終の時まで目一杯楽しむんだ。王になるのは御免だけど、だからって楽しむことを放棄したいわけじゃない。だろ?」

「…………ふ、ふふっ───あははははははっ! え、ええ、そうね、そうじゃないっ……! ふふっ……今私たちが立っているここは、私たちと……あなたが頑張った結果なのだからっ……!」

 

 だから、その結果として手に入れたものを全て使ってでも、この結果の果てまで突っ走る。

 そのことに、吹っ切れたように笑う華琳は頷いてくれたから。

 

「じゃあ、一刀」

「ああ、華琳」

 

 また、この地から。

 果てへと続く覇道を、歩み続けよう。

 そうだ、天命は我らにあり。

 さぁ、共に舞おうではないか。

 正史から外れた、この呆れるくらいにもしもで溢れた世界の果てまでも。

 

 

  そうして、歩き出す。

 

  約束された幸福なんてないけれど、米の一粒のために命をかけることもない、希望に溢れた世へ。

 

  皆が命を賭して歩み、皆が希望を胸に守ってきたからある、この“今”へ。

 

  だから、胸を張って微笑み、呟く。

 

  その度に、感謝も誇らしさも褒め続けたい喜びも続くと信じて。

 

  みんなが繋いでくれたからこそ在る今を、笑顔で踏み締めて。

 

 

  ───みんな。

 

 

  俺達は、ここまで来れたよ───

 

 

  と。

 




 はい、これにて本当に終了にござる。
 始まりこそ無萌伝ですが、ああいった感じの派生は無しで、墓参りと少々のその後で終了。本当に少々の後日談になりましてござい。
 切れる手札の全てを使って幸せになりましょうと歩む、皆様の覇道……その後どうなるかは皆様の心の中で。
 この後に妹さんの息子が、倉に安置されていた刀に触れて、どこぞの世界へ飛ばされる~とか……誰か、書いてくれてもそのー……いいんじゃよ?(笑)
 ではではこれまでのこの外史に触れてくださった皆様、本当にありがとうございました。
 長寿と繁栄を!


◆追記
 Q:かずピーが最後に流した歌ってなんですか?
 A:サクラ大戦4のED、君よ花よ

 聞いたことがない人は、是非聞いてみてください。


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外史欄外編
ギャフター小話①


 活動報告内でプロットも無しに適当に書いたものの纏めです。
 行き当たりばったりの内容なので、期待は無しの方で……。
 続くかは謎です。


 人が一生の内に真剣に何かを願い、その願いのために“その時ばかりは”と懸命になる。

 一生懸命と一所懸命の違いを胸に刻んだのはいつだっただろう。

 心に勇気を持って、心に刻んだ覚悟を以って。

 これはそんな、そうならないために懸命になった、一人の男のお話。

 

 

 

 

 ───それは、まだ俺達が、李さんに出会い、大陸へと飛ぶ前のお話だ。

 全員が過ごすには少々足りない道場で、けれど工夫を凝らしては全員が寝泊りし、食事も取れる状況を続ける日々。

 寒くなれば全員で寄って固まり暖を取り、現代の暖房に慣れ過ぎた軟弱さなど知らんとばかりに元気なみんなは、今日も今日とて元気だった。

 

  時は2月。

 

 予報で雪が降るかも、なんて言っている近頃は、降るやも、どころかちらちらと雪を降らせる空がちっとも青を見せてくれず、洗濯物が乾いても太陽の香りなどちっとも含ませてはくれない日々が続いていた。

 そういえば俺みたいな境遇の場合、自由登校とかどうなるんだろう、なんて思い始めたのもこの辺りだ。ていうかフランチェスカってそのあたりどうなんだ? 大体は2月末あたりから始まると思うんだが、そういえば不動先輩とかは───……あ、あー……いいか、今は。

 

「……ふむ。こんなものか」

 

 洗濯物をパンッと広げ、洗濯ばさみがいくつも並んだソレへとテキパキと吊るしているのは、いつからか“おかん力”を発揮しだした思春である。

 正式に財布を預けられたその責任から燃え上がり、常に節制と節約を胸に、北郷家の家計を支えてくれている。

 于吉が用意してくれた日雇いの仕事などを皆がこなす傍ら、俺は学生としての本分をこなしつつ、日々のこれからをよく考えていた。

 そりゃあ将来に不安はある。あの時代と違って、この世界の俺達はただ過去から現代に飛ばされたってだけの、いわば肩書きの無い一般人のようなものだ。

 大陸に行けばなにかがある───なんて期待はあっても、この時の俺たちはまだ大陸がどうなっているのか、なんて知りもしなかったのだ、仕方ない。

 

「……んっ」

 

 どぱぁんと炸裂音。

 何事なるやと気にすることもなくなったそれは庭から聞こえ、本日も恋が布団叩きを手に、よそ様の布団を叩いていた。

 どういう原理なのか、あれをやると布団が新品同然になるんだから不思議だ。

 普通はほら、二時間干して裏返して~なんてことをしなくちゃいけないそれが、恋の一歩足打法で撃たれると埃がボシュウと弾け飛び、目立たなくとも溜まってしまう皮脂なども弾き飛ばし、新品のように輝いたりする。

 俺の母親の口から奥様ネットワークで広がったこの事実は、恋にペットショップとは別の仕事を齎した。

 “布団一式をクリーニングに出すよりは安い価格で新品同様に!”をウリに出しているため、布団叩きを振るえば振るうほど儲かる謎機関の完成である。

 なにせクリーニングに出すだの、買った会社に連絡してあーだこーだしてもらうだのの手続きもなく、当日に持ち帰り可能! なんて謳い文句だ。「まっさかぁ」なんて思いつつも、“ダメだったらつっついて言い触らしてやるザマスわドゥホホホホ”といじわる奥様根性丸出しの先人さんが、逆に素晴らしさを広める役になってくれたことに感謝。

 自分が学生とバイトをこなす中、皆様が本当にたくましい。

 

  ───そうして、ひとつ、またひとつと日々を刻む。

 

 そのたび、毎日毎日何かが起こって、それを余裕の気持ちで受け入れられている今に、時折苦笑。

 静かな日がほぼ無く、気づけば母と紫苑がはちゃめちゃに仲良くなっていて、子育てについてを話し合ったりして、その傍らで誰かが騒ぎ、訪れる門下生にちょっかい出す春蘭を慌てて止めたりと、まあ……うん。ほぼこれと似たような日々を過ごしている。

 学業順調。バイトも問題なくやれて、みんなも仕事をこなせている。仕事の内容が肉体労働ばっかなのに、むしろそれが一番楽ってどうなんだろう。

 

  さて。そんな2月にいったいなにがあって、こんな振り返りを始めたのかというと。

 

 いや、まあ、さ? 買い物とかは思春や、時に荷物持ちとして、その時手の空いている人に同行を願ったりするわけなんだが───ああほら、人数が人数だから普通の量じゃ足りなくて、そのために力持ちさんを一緒に連れて行くのだ。で、ともかくそんな買い物に出た思春さんが、2月に入ってから思い出し、俺が最も警戒していたそれを持ってきてしまったわけで。

 

「北郷」

「ン、っと、思春? どうかした?」

 

 ガッコも終わり、これから着替えてバイトだーと自室に居た俺に、開けっ放しだった扉をノックした思春。

 振り向いてみれば、妙なチラシを持ち、部屋へと入ってきたのだが……え? なに? また特売のチラシを手に、家族ご一行で“お一人様一個まで”の卵でも買い占めに行くの?

 近寄り、チラシを見せてもらう。なんでも店の前で配っていた若い女から受け取ったものらしい。

 たまに割り引きクーポンとかついているものもあると知ると、思春さんはそういったチラシを逃さず受け取るようになった。

 そんなことを聞くまでは明らかに気配を消して、“そのような怪しものなど誰が受け取るか”といった感じだったっていうのに、今ではむしろウェルカム。実におかんである。

 けど。

 ああ、けど。

 今回もらったそれは、お財布にやさしい割引やセールのお報せのチラシではなくて。

 

  ───バレンタインフェア!

 

 と書かれた、赤と黒が目立つ色としてある、バレンタイン特集や予約のチラシだった。

 

「───」

 

 ぶしゅりと鼻血が飛び出そうな気分だった。

 おお神よ、あなたひどい神。あなた私に死ねとおっしゃいますか。

 ただでさえ、生活費が安定するにはまだまだ掛かるっていうのに、よりにもよってバレンタインって。

 見栄で一番高いのを買いそうな人が居て、手作りしようとして業務用チョコを買い占めそうな人が居て、盛大に失敗してどっかの誰かのように“外道:スライムチョコ”を作りそうな人が居る中にこんな爆弾を。

 作らないにしたって、好きな人にチョコを送る、なんて風習を知れば、きっとここにお住まいの方達は他のヤツより高いものを! とか無茶な買い物をするに決まっている。

 手作りしない人なら余計で、麗羽なんてその筆頭だろう。むしろ手作りされたら俺が死にそう死にたくない助けて。

 手作りという言葉に思考を揺らし、“俺のために頑張って……ウフフ”なんて思える人は本当に幸せだろう。

 俺の頭の中には、もう“チョコレート?”から顔を出す魚の姿しか無かった。

 違う……違うんやで雲長はん……。魚はチョコレートの材料には使わんねや……。

 

「ばれんたいん……で、よかったな? このかたかな、という文字はまだ苦手だが、これは特売などとは違うのか?」

「───」

 

 笑顔のまま真っ青であろう俺は、こふっ……と軽く咳き込み、口の中に鉄の味を感じるとともに、ソッと彼女に教えた。

 ウァレンティヌスっていう人の誕生日なんだよ、と。

 ああ、正直に生きるってなんて素晴らしいんだろう! 神様、俺決めたよ! これからは正直者として生きるよ!

 

「誕生日か。……その、なんだ。ここに、恋人に贈るのなら、と書いてあるが」

「こほっ……こ、恋人達の守護聖人として崇敬されてたから、殉教の日……2月14日をバレンタインデーとして扱ってるらしいよ?」

「……なるほど、それが理由で恋人の日、といったふうに書かれているのか」

 

 お団子状態ではなく、さらりと流した長髪な思春さん。

 真面目な顔でバレンタインデーのチラシを読む姿も綺麗なのだが……ああ、早く立ち去りたい……! ヴァヴァヴァバイトの時間までまだ少しあるけどいいかなぁもうこのまま行っていいかなぁ!

 

「ところでだがその、北郷」

「ナンデセウ」

 

 極上の穏やかな笑みを表で伝え、内心では“来たァアアアん!”と、こうして改まって声をかけられた時のそのー……末路的パターン? を想像して泣いた。

 

「恋人達の守護聖人、とやらの殉教の日に、こんな……ちょこれーと、といったか。の写真がついたチラシを配るということは───」

「いや、守護聖人ウァレンティヌスとチョコレートは関係ないよ?」

「なに? いや……、え……、……なに?」

 

 誓って嘘はありません。俺が知らない情報とかがあるならそれこそ余計に知りません。だから俺はウソはついてない。これやで工藤! これが完全犯罪やで工藤! いやそれ工藤って名前つけて言っちゃいけないことだろ落ち着け俺。

 

「ア、アット、僕モウ仕事ノ時間ダカラ行クネ?」

「……すまない、時間を取らせた。“あとはこちらで調べておく”」

 

 ……喉の奥からギャアという言葉が飛び出そうになった。代わりに軽く振り向いて、サワヤカにニコリと笑う傍ら、思春からは見えない方の口の端からコホリと血を垂らした。

 




4話分割で、次は45分になります。クイックセットありがたいです。
その次は10時、10時15分、といった感じでございます。


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ギャフター小話②

 バイト先で、「北郷くんほど幸せそうにバイトする子は中々見ないねぇ!」と肝っ玉母ちゃん風の店長さんにバッシバッシと背中を叩かれつつ、本日もお勤め終了。

 いや、そりゃね? 俺だって嬉しいんだよ? またみんなと居られて。

 でもさ、仕事の時だけはそういったもの(主に魚が飛び出たチョコレート)とかを忘れられるのだから、心が自然と癒しを求めるのも仕方ないと思いませんか?

 ともあれ、さあ家だ。思春だけじゃきっとバレンタインチョコレートの陰謀にまで辿り着けないし、辿り着いたとしても……ねぇ? そんなお菓子メーカーの陰謀に付き合ってやる義理はないー、とか華琳やら蓮華あたりが言って終了だ。

 

(なんだ、難しく考えることなかったんじゃないか)

 

 そう思うと頬も勝手ににやけてくるってもんで、笑顔のままに元気にただいまーと言って玄関をくぐった。

 

  そう、笑顔だったんだ。

 

  その玄関で、気絶している華佗を見つけるまでは。

 

 えっ……え? ぇかっ……華佗? 華佗さん!? えちょっ……華佗さん!?

 

「───」

 

 どくんと心臓が鳴った。やけに耳に残る音だった。

 同時に、自分の中の様々な北郷が叫んだ。“その先は地獄だぞ”と言わんばかりに。

 

「っ……」

 

 一歩進んで屈み、華佗を介抱するのは簡単だ。けれども心は今すぐ逃げろと叫んでいる。

 だがだ。待ってほしい。もしこうして華佗が倒れている原因が、俺が想像するものとは別のところにあった場合、俺は彼女らのことを無条件で疑っていることになるんじゃないか?

 そんな、良心をつつくような言葉をどこぞの北郷が……主に三国のどちらにも降りなかった、華佗や貂蝉と卑弥呼とともに世を駆けた北郷が囁きかけてくる。

 そんな北郷に、他の全北郷が返した。

 

  馬鹿お前そんな良心で一歩進んだ先で俺達がどれだけ地獄を見たと思ってんだ馬鹿なのかこの馬鹿!

 

 答えはそれだけで十分だったのだ。

 なので俺はニコリと微笑むと足音も気配も殺して、踵を返して逃げ「おおこれは主よ、よく帰られた」終わった……。

 聞こえた声に、鋭い絶望がゾブシャアと心臓を貫かんとする中で、返し途中だった踵を戻して振り向いてみれば、もはや変則ナースキャップなどつけていない、見るからに暖かそうな服に身をつつんだ星が居た。

 

「うんただいま。で、ちょっと用事思い出したんでもう一度外出てくるね?」

「おや、それは手間のかかることだ。ふむ、ではその用事とやら、この趙子龍も手伝いましょう」

「ヤハッ……ィャッ……た、たいした用事じゃなハぃから……! むしろ俺一人で十分っていうか……!」

「ははっ、いやなに、本日は少々主に早く腰を落ち着かせてほしい理由があるのです。ならばその面倒な用事とやら、早急に片付けてしまったほうがよろしいでしょう。手伝うのはこちらの一方的な我儘と受け取ってくれて構いませぬ。さ、主よ」

「……! ……!」

 

 助けてぇえええと心が叫びたがってらっしゃいます。

 そんな弱気北郷を他の北郷で必死になって押さえつつ、表情は凛々しい顔で保たせていた。

 いや……けど待てよ? 俺、過去の様々な経験や、こうして華佗が倒れていることを事実として、最悪の状況ばかりを思い描いていたけど……もし華佗が倒れている原因が他にあったら? チョコはなんか結局作られていて、けれどもしっかり美味しいチョコであったなら?

 それはやはり彼女たちへの侮辱に───だからちょっと黙ってて平和ボケ北郷! お前ほんとこれから先、様々な経験していつまでそんなこと言えるのか見物だよ!? 割と本気で!

 だって見てみなさいよ目の前の星さん! 華佗が玄関に横たわって痙攣してんのに見て見ぬフリっていうか視界に映ってるのに居ないモノとして捉えてるよ!? これもうアウトじゃないか! 原因知ってて、あえて目を逸らしてるとしか思えないんですが!?

 

「………」

 

 そんな彼女がオトモにつくそうです。偵察についてくるみたいです。

 ここは……

 

1:なんとかしてついて来させないようにする

 

2:いや、怪しまれるのはダメだ。一緒に来てもらおう

 

3:むしろ今から旅に出る。(探さないでください)

 

4:俺より強い奴に会いに行く。(たくさん居ますが?)

 

5:今宵の(ちん)は血に飢えておる。さ、どこからでもかかってくるでおじゃ(死ぬ)

 

 結論:……5はない。おい5。やめてくれ5。

 

 というわけで僕は1がいいと思うのです。

 

「いや、ほんと大した用事じゃないから」

「ふむ? それはいったいどういった用向きで? 帰って早々に再び出るなど、急ぎの用でもあり重要な用事であるともとれると推察できるのですが」

「及川関連」

 

 困ったときのタスク・オイカワ。

 男の知り合いの名前を出せば、女性と密会するわけでもないし怪しい用件があるわけでもない。そう、これこそ我が逃走経路よ───! そしてごめん、北郷早速嘘ついた。

 

「……なるほど。ふふ、いや失礼をした主よ。男同士でなければ語れないものもある、ということですな? 不躾に聞きだそうとしたことを素直に謝りましょう」

(違ァアアアアッ!? でも否定するとややこしくなりそうだしああああもう!!)

「しかし主。我らと関係を持っておきながら、艶本の類に気を傾けるのだけは遠慮願いたい。たとえそれがあの男が一方的に主に見せるものだとしてもです」

「? いや、その心配は一切必要ないぞ? なんで艶本の話が出るのか知らないけど、俺自身興味もないし、及川だってそんなことすりゃ地獄を見ることくらい想像つくだろ(各国の皆様にシメられるって意味で)」

「……!(地獄……! よもや主自らが、我らを想い……!?)」

「………」

「……、……、……(いや。いやいやはっはっは、主だぞ? あの主だ。地獄というのはつまり、我らが“主に余計なものを見せるな”と怒る方向のことだろうに。やれやれ、乱世を駆けた将がこれほど判断を鈍らせるとは。恋とは実に恐ろしいものだ)」

「……? 星?」

「……い、いえ。てっきり慌てて否定するものとばかり予想していたのですが。まるで興味も見せずに否定されるとは……」

 

 いや、艶本の類とか言われても。誤解だろうがそんなものを忍ばせてみろ、命がいくつあっても足りない上に、首なんて何度飛ぶかわからない。なのに艶本に興味? 他の女性の写真とか? はっはっは……死にたくないですいりませんそんなもの。

 大体、いまさら心も預けられない写真の中の誰かにときめけとか無理です。隣に立ちたいし、守りたいし、笑顔で居て欲しい……そんな相手以外に手を伸ばしたいなんて思うもんか。

 ……や、そりゃ咄嗟の状況とかだったら手を伸ばすかもだけど、その伸ばすって意味だってそういう方向のものではないわけだし。

 

「星~? 語らない人の心を勝手に想像するのは自由だけど、そんな勝手を人に押し付けて理不尽働くなら、俺だってたまには怒るぞ?」

「おっと、それは困りますな。想い人に笑顔でいて欲しいのは私とて同じ。まあ、その笑顔を独占したいと思う乙女心も拾っていただけたらと思わぬでもないわけですが」

「あー……その。ごめん」

 

 つまり。ちょっとの用事だろうと自分も連れていってくれると嬉しい、と言いたいらしい。

 マジでごめんなさい。その用事、ただ逃げるための言い訳なんです。

 

「いやいや、困らせるつもりはございませぬ。ただ、出る前に少々訊きたいことがあるのですが」

「訊きたいこと? ん、なんだろ」

「───ばれんたいんでーとは、とどのつまり想い人に、ちょこれいとなるものをあげるもの、でよろしいのですな?」

「───(ギャーアーッ!!)」

 

 不意打ちであった。

 ニコリと微笑を見せる俺だったが、内心絶叫状態である。

 そんな俺を見て、一度目を閉じた星がスゥ……と半眼のまま俺を見た。ア、この常山の昇り龍さん、人の反応見て楽しんでる時の目ぇしてる。

 はっはっは、星~? お前は俺をからかい慣れて、手玉に取っているつもりだろうけどな? ……俺だってお前の反応とかもう知り尽くしてるってこと、意識の外に出しちゃあだめだぞぅ?

 イエマアダカラト言ッテ、現状デ反撃出来ル手札ナンテナイノデスガ。手札ナンゾヨリサッサト逃ゲタイデス。

 

「主?」

「バレンタインデーっていうのはネ? 思春にも言ったんだけド、ウァレンティヌスって人のネ?」

「その辺りのことはしかと耳にしております。主が仕事に出掛けてから、妹君の助力を得て調べました故」

 

 じゃあなんで訊いたの!? 北郷わかんない! やっぱからかってるだけじゃねぇかこの昇り龍! あんまりおいたが過ぎるとどの国にも治まらなかった野蛮北郷が火を吹きますことよ!? 負ける未来しか思い描けないけど! ていうか妹お前ぇええええ!!

 

「ただ、主から直接確認を取りたかったのです。女性からちょこれいとなるものを貰えぬ者は、頑なに“そんな日ではない”と否定すると聞いたので」

(OHシスター……!!)

 

 心の中の妹がウィンクをしつつ、左手で敬礼をしていた。敬意は乗せずに叛逆の意を示すアレである。

 そんな脳内劇場が繰り広げられる中、予想通りに星は“しな”を作り笑みを浮かべ、俺へとからかうような視線を投げてくるのだ。

 

「ふふっ、主ともあろ───」

「うん、チョコレートなんて特に貰わなかったな」

「ぅお方……が……………」

「………」

 

 なのでからかわれる前にズバッと返した。

 途端、星が頬をぷくーっと膨らませて“しな”を解く。

 

「主……こういう時は───」

「星、やっぱり一緒に行こうか、用事」

「───……、……やれやれ、本当に主はずるいお方だ。構って欲しいからと食い下がる女を前に、欲しい甘言をぽんと投げる」

「そうか行かないかじゃあ僕行くね」

「待たれよ」

 

 再びしなを作り始めたので、うんもう行こうと歩き出したら物凄い速さで服の先をつままれて止められた。

 

「主。もはやこうなれば回りくどい問答も時間稼ぎもしておられませぬ。……主はちょこれいとが嫌いか?」

「星……よく聞いてくれ。チョコレートに魚は使わない」

「なんと!?」

 

 期待した言葉は“当然でござろう”的な言葉だった。でも……やっぱり今回もだめだったよ。

 なので俺は今こそ笑顔で、コフリと血の混ざった咳き込みを喉の奥でしつつも……なにもかもを放り出して逃げ出すつもりで走った。

 

「待っ、ちょ、主っ! 待っ───」

「離せ星離せマジで離せうぉおお離せぇええええええっ!!」

「誤解です主今のはちょっとした冗談で主っ、待っ、主っ! 主ぃいいっ!!」

 

 今こそ長い年月を必死に鍛えた氣を以って、服を掴んでふんばる星と全力で格闘。黄金色の氣を隠すことなく最大解放して、驚く星の手を強引に振りほどこうとするのだが、さすがはかの趙子龍……! 我が全北郷の抗いがこうもいなされ、振りほどこう、引っ張ろうとする力が分散されようとは……!

 一筋縄ではいかない……のならばどうするか? 決まっている。

 様々な北郷の中でも超・自然と向き合い、サバイバルを野生に帰すことで乗り越えた野生北郷が、ウキョロキョキョーンとその一手へ即座に切り替える。

 そしてそれはさすがの昇り龍先生も予想だにはしていなかったらしく、抱き締められ、ひょいと持ち上げることで全力疾走を果たせた!

 

「ふわぁっ!? あ、主っ!? あっ───くうっ!!」

 

 しかし星は手と足を伸ばし、玄関を掴んでは外への逃走を妨害する。

 そのくせ片手ではしっかりと俺の服を掴んでいるんだから、ええいこの英雄様は……!!

 

()ィイイイエェエエエエエッ!!」

 

 だが知ったことか!

 勢いのままに玄関ドガシャァンと破壊して───はまずいので、丁寧に持ち上げては引き持ち上げては引きを繰り返し、玄関の引き戸を横に外してニコリとスマイル。

 星は大変珍しいことに「い、いや、あの、主、これはその、桃香様の願いであり……」と行動の行方と落着を求めるような、曖昧な笑みを浮かべつつ言うが、もはや俺を縛る者なし。

 

「そのっ、いつかの言いつけは守っているのです! きちんと味見をするようにと各国の王らが伝えてあるので、主が予想しているであろう危険なことには───」

 

 などと供述する星の、その声の向こうから、「姉者やめろ……姉者ぁああーっ!!」と秋蘭の悲鳴が。

 その後に華佗の名を叫ぶ声や、窓開けぇやと叫ぶ霞の声、少しして漂ってくる、吸っただけでなんか涙が止まらなくなるほどの刺激臭。

 

「……さ、星、行こうか」

「ええ、行きましょう主。ここは人が身を休められるような場ではなかった」

 

 星が仲間に加わった。

 さあ行こう……俺達の旅は、始まったばか───

 

「けっほこほっ……!! まったく春蘭にも困ったものね……! どうすれば必要な材料だけを集めたもので、あんなものが───……あら、一刀?」

「助けてぇえええええええっ!!」

「なっ!? ちょ、一刀っ!? 待ちなさいっ! なによ人の顔見るなり助けてって───ちょ、待っ───速ぁああああっ!?」

 

 現れたのは華琳だった。胸に込み上げるトキメキ。

 手に持っていたのは試作したのであろう黒い塊だった。胸で高鳴るキングエンジン。

 さて問題です。好きな人にチョコレートを貰うとします。一番最初に貰いたいなー、なんて思っていた人に貰えたりするとします。

 その時は至福です。ええ嬉しいです。

 

  じゃあ次は?

 

 知りなさい北郷。誰かから貰うということは、以降のチョコレートを拒否出来ないということなのです。

 そりゃ逃げます。

 

Q:香りだけで涙が止まらなくなるものを圧縮したようなチョコレート、食べたいですか?

 

A:死にたくない

 

 それだけで十分だったのです。

 そうして俺は星を横抱きにしたまま夜の外へと駆け出したのだった。



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ギャフター小話③

 走った。ただひたすらに走った。女性を横抱きにしたまま、それでもそんな重さなどものともせず───!

 しかししばらく走った先で明命と思春に回り込まれてしまい───!

 

「旦那様戻ってください! なにも危険なことなんてありませんから!」

「うそだぁっ!! 臭いだけで涙が出てくるものが危険じゃないわけないじゃないかぁあっ!!」

「違うんです旦那様っ! あれは後片付けの時、混ぜてはいけない洗剤を混ぜてしまっただけでっ!」

「っ……!」

「うくっ……そ、そんな目で私を見ないでくれ、北郷……! だ、大丈夫だぞ、明命の言っていることに間違いはない。皆、きちんと味見はしたのだ。その上で平気であったものだけを贈ることになった。駄目だと判断された者は、来年まで修行ということに落ち着いて……だな……」

 

 キリッとしていた思春が、俺が目で訴えかけた途端におろおろしだした。何気に珍しい光景である。

 しかしながら……そうは言ってくれるものの、あれを実際に嗅いでしまい、涙まで出たという経験をしてしまったあとでは、その言葉をどこまで信じていいやら……!

 

「……星?」

「ふむ。私が見た状況と変わりはありませぬな。最後まで駄目だしをくらっていた春蘭が、最後にやらかしてくれたのかと思い、焦ってしまいましたが……」

「で、ですから、ね? 戻ってください旦那様。せっかく旦那様に届けようと、皆様心を込めて作ったのですから」

「………」

「あぅ……物凄い警戒度です……」

 

 街灯灯る道の一角にて、靴を履かない女性を横抱きにして、二人の女性へガルルルルと威嚇するように警戒を解かない俺。

 皆様の大丈夫に、いったいどれだけの北郷が何回騙されたら、ここまで警戒心が強い北郷になるというのでしょう。

 だが料理がどうとか以前に考えてほしい。

 ……調理場に、何故混ぜるな危険の洗剤があるのか。

 そしてそれらがチョコに混入していないと何故断言できる?

 香りだけで涙を流せるそれらが、出来上がったチョコに付着していないと何故断言できる?

 

「あ、あの、旦那様……」

「来るなら来るがいい周幼平……。この北郷、勝利し逃げることに一切の手も抜かぬ……!」

「何故だか先ほどまでより警戒心上がってますですっ!?」

 

 暗い夜道はピカピカの黄金闘氣がクソの役にも立ちません。自分の居場所をここですよと導いているようなもんです。

 

「う、うぅうう……旦那様、旦那様ぁあ……」

「むぅ……主よ、今のはいかん。旦那様と呼んでいる相手を、真名でもなく敵視したまま姓字で呼ぶなど……、お、おぉ? 主?」

 

 ぴしゃりと注意をする星さんを、ソッと地面に降ろす。

 首に腕を回すでもなく状況を見守っていた星だったが、俺がなにかをするつもりなのだと受け取ってくれたらしく、途中からは素直に自分で降り立ってくれた。

 そんな彼女が謝罪でも促すかのように“さ、どうぞ”とばかりに軽くニコリと笑う。そんな彼女に俺もニコリと笑い、

 

「貴様も敵か、趙子龍……!!」

「おおっと!? 飛び火したっ!? なんのかんのと言いながらもあの時代では最後には食してくれた主にしては珍しい……!」

 

 全力で警戒態勢を解放した。

 お前らはわかっていない……! あの時代にはなくて、現代にはある混ぜ合わせの恐怖……! 今でこそある化学薬品の殺傷能力……!

 マズすぎてヤバイ、なんて次元はそれこそ次元っていうか時代の壁とともに破壊されてるんだよ!

 あのねほんとヤバいの! 下手すると死ぬの! 毒殺されるの! メシマズとかそんなレベルじゃなくてね!? お願いわかって!?

 

「ほっ……、……北郷。その……あまり疑ってやらないでくれ。きさっ……お前にそうされるのが、この時代では一番辛いのだ……」

「……思春」

「私が言えたものではないのかもしれんが……食べてやってはくれないか。その、私が先に味見をするのでも構わ───」

「───」

 

 その瞬間、俺は警戒心MAX状態からニコリと微笑み、とことこと歩いて思春の両肩に手を置いて───

 

「───」

 

 ……この時代の組み合わせの怖さや、化学薬品の恐怖をやさしく丁寧に教えたのでした。

 

……。

 

 で。

 

「あぅあぅ……すいません旦那様……まさかそんなことになっていたなんて……」

「いや……………………うん。わかってくれたんなら……」

 

 ガー、と開き、後ろで閉じる自動ドアを振り返ることもなく、コンビニからてくてくと離れていく。

 そして、ある程度離れた駐車場スペースの横で、明命は「ではっ」と手をポムと合わせて微笑み、

 

「旦那様っ、いつもありがとうございますっ! これからもえぇとそのっ……支え合っていけたらなと思いますですっ!」

 

 言って、俺に向かって市販のバレンタインフェアのチョコを差し出してきた。

 断る理由なんて無かったのでそれを受け取って、早速だけど食べてみた。

 甘さがとろりと口内に溶ける感覚に、思わず頬が緩む。

 そういえばチョコレートなんて随分と久しぶりに……本当に久しぶりに食べた。

 そうだ、こういう味だったよな、チョコレート。なんて懐かしい味なんだ……!

 そんな素直な感想を………………星を横抱きにしたまま胸に抱いた。

 コンビニに入り、チョココーナーに案内し、チョコを買い、外に出る。

 極々自然な日常的な流れの中で、一人だけ日常とは掛け離れた存在は、顔を真っ赤にしながらもせめて顔は隠そうと、俺の胸に顔を押し付けっぱなしだった。

 仕方なかったんだ。だって、靴がなかった。まさか靴無しの女性にコンビニを歩かせるなど……!

 

「あ、あるっ……あるじよっ……! ほかに、ほかになにか方法があったのでは……! なにもあのような……あのようなこと……!」

「いやまあ……買う目的があったのは明命と思春だし、俺達は行く必要はなかったかもだけど」

「~っ……あるじぃいいいっ……!!」

「いやでも、考えてもみてくれ、星。コンビニ前の駐車場でさ? 男が女性を横抱きにして、ボーッと立ってるんだぞ? ……通報されるだろ。それなら堂々とコンビニに入った方が、まだ罰ゲームかなにかかも、とか思われるかもだろ」

「……女を腕に抱いておきながら、罰などとよくぞ申された。道場に戻ったならば、この趙子龍が武の手ほどきをいたしましょう。……もちろん加減無しで」

「よろしい。ならばこの北郷、全身全霊、全知全氣を以って、その未熟なる御遣いの氣ごと叩き潰してくれよう……!!」

「───」

 

 珍しいこと、星が喉の奥で「ひぅ」と小さな声を漏らして、ふるりと震えた。

 まだまだ御遣いの氣に不慣れであるみんなは、以前ほど自由に氣の行使が出来ない。

 そこに来て、左慈と会えば全力で氣のぶつかり合いをしている俺に全身全霊で、なんて言われると、さすがの星も息を飲んでしまうらしい。

 

「あ、主は鬼かっ! か弱くなってしまった女性を相手に全力など! この国では男性は女性を守るものだと!」

「あ、それね、男女平等を謡う人達の所為でもう随分と薄まってるんだ。そのくせ都合のいい時だけ女の子相手に本気で怒るとかサイテーとか言い出すから、真面目に相手をする人間も随分減ってるらしい」

「───」

「………」

「……北郷。この国の女はなにがしたいんだ?」

「“そうだね”って頷いてほしいんだよ」

「?」

「?」

「?」

 

 言ってみても届いてなさそうだった。そりゃそうだ。

 まあ、よーするに。

 

「この国の……いや、この時代の人はね、人の意見に否定から入る人が多いんだ。で、女性はただ無条件に“自分の意見に同意してほしい”って人が多くて、否定から入る人ってのは大体が男性」

「……なるほど。男女の関係があったとして、気を惹きたくても否定から入るおのこと、ただ“そうだね”と同意してほしいだけのめのこ。やれやれ、とうの昔に戦を終えた世だというのに、随分とまあ面倒なことだ」

「ほんとね。あの時代に比べれば、どれだけ気楽に人と話せると思ってるんだって話だけど」

 

 前提からして違うって言えばそこまでの話。

 ただまあもうちょっと素直になれればなという話でもある。

 そんな話が終わると、ふむ、と息をつく昇り龍さんひとり。

 

「さて、奇妙な落着ではあったものの、こうして落着したからには訊ねたいことがありまする。───主よ、どうするおつもりか?」

「………」

 

 それを今必死に考えているところです。

 いや、まあ、ほら、ねぇ? 理由が理由だから、受け取ってはくれると思うんだよ? ただまあそのぅ……何も知らない、ただ好きな相手のためにチョコを作っただけの女性から、助けてぇと叫びつつ逃げたのは確かなわけでして。

 そして“どうするおつもりか”、だけで真っ先にこれが浮かぶあたり、俺も随分とアレである。

 

「思春、明命、星」

「ああ」

「はいっ」

「何用ですかな、主よ」

「……短い実家暮らしだったな……!」

「待て、それはどういう意味だ」

 

 マグロが俺を呼んでいる。そんな気がしたんだ。

 食費や光熱費だって馬鹿にならないし、寝泊りする道場だって、あの人数じゃそのうちストレス等で問題も出てくる。

 ならばもう力と氣に任せるつもりで、マグロ漁船とかカツオ漁船に乗った方が───!

 ほら、幸い生き物の氣とかも感じ取れるようになったし、氣の波長でマグロやカツオを探知しては吊り上げる方向で……!

 …………あれ? これ真面目に考えても結構いけるのでは───?

 

「この胸に、闘魂ある限り───!」

 

 就職先が見えた気がした。

 ……なお、相談したら全力で止められた。主に一年以上は戻れない可能性のことにツッコまれて。

 

「なんならみんなも一緒の船に乗るとかでいいんじゃないか? 俺も正直、また一年間離れ離れとか嫌だし」

「しかし主、その船には主以外の男も居るのでしょう? 他の者が果たして納得するかどうか」

「……なんなら思春に船長になってもらって、全員で乗り込むって方法も───」

「錦帆賊は一人で成り立つものではない。私と、奴らが居たから出来たものだ。私一人で船のひとつがどうにかなるわけではないのはわかっているだろう」

「あー……そりゃそっか」

 

 でも想像してみても、なんだかなんとかなりそうな気がするんだよなぁ……みんなパワフルだし。まあそれ言い出したら、そもそも船を買う金なんてものも、資格もないわけなんだけどもさ。

 ともあれ、そんな話をしながら家までを歩いた。

 金策はどうしても必要だし、日雇いのバイトで高額を狙うなら、どうしても様々な資格は必要になる。

 華佗に薬剤師の免許でも取ったらどうだ、なんてことを持ち出そうとしたが、そもそもあいつ、薬剤がどうとか以前に鍼で解決ゴッドヴェイドォーだしなぁ。

 華佗で薬剤といえば……関係あるのかどうかは微妙ではあるものの、あの日飲んだ龍の血はきちんと気脈に残っていて、この体に戻った今の俺の状態は、じっくりと血が体に溶け込んで入っているところなんだとか。

 考えてみればあの頃の俺って体の時間は止まってたんだもんな、氣にしか影響がなかったものが、今ようやく体にじんわりと染み込んでいっているんだとか。

 

  どんな効果があるんだ? と訊ねると、前例が無いと言われた。怖い。

 

 なにせ飲んだ人が居たとして、その人の体の時間は普通に流れていたわけだ。当然、人の体に龍の血なんて拒絶反応だって起こりそうなもんだ。

 でも俺の場合、まず氣脈に取り込まれて、氣にじっくりと長い時間をかけて溶け込んだものが、今ようやく人の体に流れていっているところ、というのだ。

 ようするに人の体には合わない龍の血ではなく、俺の氣に馴染んだ龍の血が、俺の血肉に溶け込んでいっているわけで。

 人の壁というのか、それを越えると言ったら大げさになるかもしれないけれど、あの頃の女性に男性の実力が近づく、程度の恩恵はあるかもしれないってさ。

 ……あくまで、血が馴染んだ上で“鍛錬を続ければ”。

 そりゃそーだ、いきなりパワーアップするなんてあるわけがない。

 そんな会話をした相手が本日玄関で気絶していたわけだが。

 

「そもそも楽に力を手に入れても、俺が納得しないだろうしなぁ……」

「? 旦那様?」

「ああいや、なんでもない」

 

 苦笑しつつ、すっかりと刺激臭の消えた家へと入り、星を降ろすと引き戸を直しつつ中へ。華佗の姿はなかった。処理、もとい介抱されたか運ばれたか、自力で元気になぁれえええをしたのだろう。

 



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ギャフター小話④

 さて、と。

 誰かにマグロ漁船のことを相談したいなと考えていれば、丁度ひょいと廊下へ出てきた美周郎殿。

 

「あ、冥琳、丁度よかった。相談したいことがあるんだ」

「北郷? ……ふふっ、随分と騒がしく逃げ出したと聞いたが、随分とまあ普通に帰ってくるものだな」

「実家だもの」

「そうか。それで? 相談とはなんだ?」

「うん。マグロ漁船なんだけど」

「───。……まぐ?」

「マグロ漁船。遠洋漁業だな」

「えんよう……」

 

 ふむ、と軽く腕を組むような仕草で顎に曲げた人差し指と親指を当てる。悩むというよりは、それはどんなものだ? と軽くきょとんとするような感じ。

 なので、まあ、俺もそこまで詳しいわけではないから、ざっくりとした説明を。

 

「そんなものは雪蓮にでも任せてしまえ。一年帰ってこない? 結構な話だろう」

「ひどい!! 冥琳ひどい!!」

 

 ……してみたら、なんか途中からひょっこり現れた雪蓮が、そのまま生贄にされそうな勢いで軽く扱われていた。

 

「……でも一刀? それってどんな仕事なの? あ、まぐろ、が魚なのはわかるわよ? 漁業っていってたものね。それで?」

「どんな仕事───……んー、睡眠時間5時間程度、あとは全部仕事」

「あっはは、冥琳、これ無理だわ」

「北郷、契約はどうすればいい? どこに行けば叶う。とりあえずこの馬鹿者を問答無用で海に解き放ちたいのだが」

「だから待って冥琳待って! 日本来てから冥琳冷たい!! 私ちゃんと頑張ってるわよぅー!!」

 

 まあ、今じゃみんな等しく運命共同体みたいな状況で支えあってるもんなぁ。主に力仕事で。御遣いの加護のお陰で話し合いに問題はないし、現場監督さん(土木工事)にも“へえ! 日本語上手だねぇ!”なんて言われてたりする。

 あの頃の俺も、きっとそんな感じだったに違いない。俺はただ日本語を喋ってたつもりなんだけどね。

 

「あ、ところでだけど。……チョコのこと、どうなった?」

「魏の覇王殿の指示で全て破棄となった。まあ、普通に考えれば吸い込んだだけで涙と咳が出るようなものが空気中に溢れたあの状況だ、ちょこれいとが無事であったかも怪しい。そういった状況を、逃げ出したお前の行動から分析、判断した」

「ウワーイ、物凄く読まれてルー」

「洗剤や薬品のことに関しても、それらに関して知識を深めていた朱里や雛里、桂花などから判断材料として知識を得た。もちろん全員反対などしなかった」

「へ? そうなのか? もったいないとか絶対に誰か言いそうだと思ったのに」

「……最悪死ぬとまで言われれば、さすがにな」

「あー……」

 

 なるほどそりゃ確かに。

 

「ああ、でも春蘭は随分とゴネてたわね。北郷ならば問題なく食える筈です、とか華琳に言っちゃったりして」

 

 やめて!? 春蘭さんあなたのその他人への奇妙な信頼とかはどこから沸いて出てくるの!? 最悪死ぬって言ってるんだから、俺なら大丈夫とかそんな信頼要らないよ!?

 

「その所為で……ぷふっ! 華琳に、自分のことは“おいどんと口にするように”と、“語尾にゴワスをつけなさい”って言われて……っ……ぷっく、くぷふっ! あははははははは!! そしたらそしたら“な、何故でゴワスかおいどん様! 私はおいどん様のために! ゴワス!”って! あの子“自分のこと”って部分を華琳のことだと思って、華琳のことをおいどんって呼んであはははははは!!」

「……、~……」

 

 あ。思い出し爆笑してる雪蓮の斜め隣で、冥琳が顔を背けてぷるぷるしてる。

 ……いいのよ、笑っても。ていうかいっつもいっつも我らが魏武の大剣がすいません。

 ところで……俺としては桂花が化学薬品について調べていた事実が怖くて仕方ないんだが。え? あの、ほんとなにを思ってそんなことをお調べなさるようになったので?

 “混ぜるな危険”を“混ぜれば危険”として受け取った結果ですか? それを誰に使うおつもりで? ……エッ?

 

「さて、まあ相談というのが雪蓮の仕事というのならまたいつでも乗ろう。私たちはここらで戻るよ。お前には他に話し相手が居るようだ」

「ほ? 話し相手? 誰───」

 

 きょろりと軽く視線を動かした。

 ───腕を組んで、む~んとかオノマトペがつけられてそうな威圧とともに、覇王が廊下の先に立っておられた。

 コマンドどうする?

 

1:説得する。ここで(難航を極めるかもしれませぬ)

 

2:説得する。安らぎフートンに引きずり込んで(我、閨にて最強也)

 

3:持っているトリュフチョコで誤魔化す(明命にもらったものですが)

 

4:やあ華琳さん、今日もお美しいと言って抱き締めてみる(そう、で済まされる確率92%。絶が召喚される確率8%)

 

5:今宵の朕は糖分に飢えておる。さ、そこな小娘、朕の為に甘味を作るでおじゃ。(死ぬ)

 

 結論:た す け て

 

 1以外になにかあるのか!? これなにか出来るもんなのか!?

 そりゃさ!? 2はさ!? なんていうかそのぅ……外史統一してからというもの、閨での華琳がものすっごいあのー……じゅ、従順? ていうか素直な感はあるよ!? 縛った上で後ろから召し上がった経験とかがどこぞの北郷さんの記憶から流れてきた時は、ほぎゃあああと頭を抱えて暴れまわったもんですが!

 3に到ってはこれ明命にもらったやつだよ! 明命と、思春の二人がお金を出して買ってくれたやつだよ! それを献上して許してクラサイって……ただのクズじゃございませんこと!? そりゃ食べてみたいっていうなら一粒くらいはいいかもだけど!

 あと4。それ絶対両方来るからやめれ。そう、で済まされて絶が来るから。

 5。いい加減にしろ。

 などと悩んでいるうちに雪蓮と冥琳は行ってしまい、その奥から腕を組んだまま威圧を撒き散らしてやってくる覇王様。

 一体……いったいなにが彼女をこんなにまで威圧的に……!? はい、訊くまでもないですね。

 

「おかえりなさい? 一刀」

「ウ、ウン。イマカエッタヨ」

「ええ。で、だけれど。一刀? なにを言われるのか、予想はついているでしょうから回りくどいことは抜きにするわ」

「お、押忍」

「……よくもこの私を前に、“助けてぇ~”なんて悲鳴を上げて逃げてくれたわね」

 

 デスヨネ。

 覇王様が怒ってらっしゃった。それはもう、怒ってらっしゃった。

 冥琳や雪蓮の話では、俺の行動からいろいろと思い至ってチョコは廃棄してくれたらしいが、だからって好きな相手に助けてぇええと叫ばれ逃げられる心境といったらどうだろう。……俺なら泣くな。うん泣く。

 

「いやっ、でもそれももう納得してくれたんだろ!? 真面目に生命の危機だって思ったから仕方なくっ……!」

 

 じゃなきゃ素直に口から出た最初の言葉が“助けてぇええ!”なわけがない。

 チョコに警戒心を持っていて、出てきた覇王様がチョコを持ってる。そりゃ警戒もするでしょ。だってあの刺激臭の中から出てきたんですよ? するって!

 なんてことを丁寧にしてみると、「ええそうね」と、ちっとも“そうね”って納得していない目が俺をじとりと睨みあそばれた。覇王様はやる気だ!

 

「けれど一刀? それはべつにあなたが逃げずに説明していれば済んだ話ではなくて? 人がせっかくちょこれいとを手に出てきてみれば、あなたという人間は……」

「そりゃ俺だって華琳が出てきた時は胸がときめいたさ! サツバツとした空気の中で、もう逃げてしまおうって時に好きな人が出てくれば嬉しいよ! でも、じゃあ、説明してる最中に春蘭か鈴々が来て、いーから食べろ、食べるのだー! って口にチョコを突っ込んできたら!? そういうの、あの危機的状況でちっとも想像出来ずにいられるか!?」

「……、……。……~、……───、…………ごめんなさい」

 

 想像してみて、鮮明に想像できて、段々と顔を青くして、彼女は心を込めて謝ってくれました。

 

「ええ、そうね…………そうね。考えが足りなかったわ。そうよね、人の話など聞かずに自分の行動を優先させる者ばかりだということを忘れていたわ。……けれど」

「けれど?」

 

 つい、と。華琳の目が、俺が持っているトリュフチョコの箱に移る。その過程、そういえば明命と思春が居ないことに気づくと……なるほど、華琳は二人から報告を受けて、廊下に出てきたのかもしれない。

 

「気に入らないわね。買ったものとはいえ、私のものよりも先にちょこれいとを食べるなんて」

 

 で、俺が食べたことも報告済み、と。明命さん勘弁してください。

 

「えと。もらったのまだあるけど。食べるか?」

「そういう意味ではないわよ、ばか」

 

 言いつつも、差し出してみればひょいとトリュフチョコレートのひとつを摘む華琳。シゲシゲとパウダーに包まれたそれを見る目は、好奇心に溢れている。可愛い。ほんと、料理とか食べ物に関しては関心が強いよな。抱き締めて撫で回したい。

 そんな内心を誤魔化すように、俺が作った甘味なんかよりよっぽどおいしいぞー、なんて言ってみると、「へえ?」なんてニヤリと笑んで、笑ってる俺の口に───かぽりと、チョコを突っ込んできた。

 

「ふぇ? ふぁりん?」

「まあ、そうね。これでいいわ。納得させるわよ」

「? ん、んぐっ、ん。……誰を?」

「うん? ……ふふっ、ええ。私の中でやかましい、私たちを、よ」

 

 そう言って、彼女は笑った。

 ハテ……と自分の中で北郷会議が始まると、察しのいいどこぞの北郷が挙手。「ようするに、渡すのは明命に取られたけど、“食べさせる”のは自分がって意味じゃないか?」と。

 華琳の中のどんな華琳がどんな内容についてどんな風にやかましく騒いでいるのかはわからないが───それはきっと可愛らしいことなのでしょうなぁ……。そう想像した途端、ワァッと全北郷が沸いた。他の理屈はどうでもよろしい。“あの華琳が俺にあげるための一番ななにかが欲しかった”という事実。そのためにやかましいらしい脳内華琳様方。それがいい。それが嬉しいのでそれにする。ていうかそれです。ありがとう、はいアーン。

 そんな幸せな小さなお話。

 

「それにしても……なるほど、美味しいわね。私が作ったものよりも口溶けがよく、ほんのりと感じる苦味も……」

 

 そしてすぐに食への研究に移る孟徳さん。

 そんなチョコレート様にちょっぴり嫉妬する北郷ひとり。……俺だった。

 なんかもう安らぎのフートンに引きずり込んで説得してしまおうか、なんて邪なる北郷が起立しそうだった。

 そんな自分に溜め息を吐きつつ、顔を横に振るってシャキっとすると、もう臭いも消えた家の奥へと進もうと歩いた───先に、己が獲物を手にしなを作るでもなく構えを取る常山の昇り龍さん。

 

「………」

「………」

 

 いわゆる“表へ出ろぃ!”がそこにあった。

 武の手ほどき、諦めてなかったみたいです。

 

「星……氣が安定してないって言ってたんだから、無理にすること……」

「い、いやっ……いやっ! 武人がやると口にしたからにはっ! したからには……!!」

 

 星って飄々としてるくせに、結構頑固だよね。心の中で呟いてみると、様々な北郷が頷いた。

 

「じゃあ俺が勝ったら俺の部屋で朝までお仕置きコースで」

「ひぅっ!? ……ぁあぁああるっ……あるじっ……? その、明日は仕事は……」

「学校も仕事も休み」

「───」

 

 星は、瞳を潤ませつつ赤くなったり青くなったりと忙しい顔色をして、しかし覚悟が決まったのか、「では道場へ」と凛々しい顔で歩き出した。

 歩く姿はとても堂々としたものだ。耳真っ赤だけど。

 握る獲物も自然体の調子で、力みなどまったくない。耳真っ赤だけど。

 そうして歩く傍ら、雪蓮が「何回勝負にするの?」と訊いてきたり、祭さんが「なにを言うか策殿、星の次は儂ですぞ」と言ったり、鈴々が「じゃあその次は鈴々なのだ!」と言ったり、愛紗が「こら鈴々、自分がそうしたいからと、無理に意見を捻り込むんじゃないっ! ……申し訳ありませんご主人様。ご主人様が良しと思った順番で構わないので、私も相手をしていただけたら」などと仰って───うん待って?

 

 気づけば武官の皆様が横や前や後ろや斜めにぞろぞろと歩いていた。

 星も驚いたらしく、そんな皆様を見渡して……そうして見えたその顔は、それはもう耳と同じく真っ赤だったわけで。

 

「隊長、胸を貸していただきます!」

「ア……凪、キミもなんだ……」

 

 そうなればあとは早い。

 いつの間に集まったのか、道場に着く頃には武官のほぼがいらっしゃって、俺は笑顔で「帰りたい……」と呟いていた。……帰る家、ここだった。

 しかしだからといって逃げるのは自分の鍛錬に対しての冒涜と思い、戦う意思を以って錬氣解放。

 まずは星とぶつかり合い、ぶつけ合い、削り合い、振るい合って───やはり御遣いの氣の所為で以前ほど巧みに動けない隙をついて勝利……するも、即座に雪蓮が参戦。

 鈴々がぶーぶー言っていたので「じゃ、じゃあ鈴々が雪蓮と! 雪蓮と! 戦うか!?」と言ってみれば、「鈴々が戦いたいのはお兄ちゃんだから嫌なのだ」とキッパリ。

 ……ちくしょう。

 

「そうそう、一刀と戦いたいから集まってるのに、そんなことする筈がないじゃない」

「……愚かなり小覇王……! なんならここで、万全の状態の俺と戦いたいなら、って条件をかければ、恋ならきっと動いてくれる……!」

「ちょぉっ!? やめてよね一刀! それちょっと本気で洒落になってないから! それよりもほらほらっ、やるわよ一刀っ! この日のために仕事もほどほどに氣の練習してたんだからっ!」

……ほう?

「あ」

 

 雪蓮の言葉を聞いた美周郎殿のコメカミに、ビシィと青筋が走る。

 

「喜べ雪蓮。妹君に訊いたが、遠洋漁業は大間というところが盛んらしい。そこに連絡をして眼鏡に適えば、貴様も晴れて労働者だ」

「だから待って冥琳待って!? 私もう労働者だってば! いっつも頑張ってるでしょー!?」

「にゃはははははっ! 雪蓮は忙しいみたいだからやっぱり鈴々がやるのだ!」

「いや。ここはこの華雄が武威を示そう」

「兄ちゃーん、こんなちびっこよりボクが相手になるよ!」

「もうちびっこじゃないのだ! 春巻きだって鈴々と同じくらいな癖にー!」

「なんだとー!? 確かに胸じゃ負けるけど、ボクの方が腰やお尻の形だってなー!」

「なんなのだー!?」

「なんだよー!!」

 

 ……全員、俺と同じ年くらいになってくれたのは嬉しい。素直に嬉しい。

 鈴々とか璃々ちゃんとか、あれからどうすりゃそう育つのってくらい、スタイル抜群です。でもさ、その頃のノリでぶつかってくるから、もう正直どう扱っていいやら……!

 蜀北郷だって“これが鈴々!? え!? えぇえええっ!?”って本気で驚いたくらいだ。あ、璃々ちゃんの成長には素直にえびす顔になって喜んでた。父心だな。

 

「───」

 

 皆様が騒いでいる間に錬氣錬氣。そして少しでも回復を図る。

 と、目敏くそれに気づいたっぽい桂花がさっさと始めなさいよ的な発破を掛けたため、騒ぐ皆様を押しのけて翠が……って桂花お前ぇえええええっ!!

 

「いくぞご主人様っ、なまってる氣を叩き起こすの、手伝ってもらうからなっ!」

(是非そのままナマっててください!)

 

 強くなられると僕が困るんです日々の挑戦的な意味で!

 しかしそんな言葉を届けられる筈もなく。

 今日も今日とて次から次へと激戦を繰り広げ───最後に、例のごとく恋に空を飛ばされるのでした。

 

 

(*了)




「……ところでさ、華佗」
「どうした? 北郷」
「結局華佗ってなんで玄関で気絶してたんだ?」
「お前の妹が味見は男の仕事だと言った途端、夏侯惇が“なんだそうなのか! ならば食え!”と口に緑色をしたドロドロの液体を突っ込んできてな……」
「なんかごめんなさい」
「咄嗟に危険だと判断して吐こうとしたんだが、まず顎が痺れて動かなくなった」
「怖いよ!?」
「だから無理矢理手で口をこじ開けて吐き出した───まではよかったんだが、唾液を通して成分が体内に入ってしまったようでな。少しすると氣脈にまで異常が出てきて、我が五斗米道の真髄とも言える一鍼同体の理も引き出せなくなり……なんとか体が動く内に部屋からは逃げ出したんだが、玄関で力尽きた」
「───」
「あとで妹さんに泣くほど謝られたよ……」
「ごめんっ……なんか俺も泣くほど謝りたいっ……!」

 恋に飛ばされ、気絶した俺が運ばれた小部屋での、そんな小さなお話。
 先客だった華佗はつい先ほど目覚めたらしい。運んだのは妹だとか。
 しばし後、男ってつらいなぁ……なんてこぼしてみれば、素直に同意された。
 俺達の明日はどっちだろう。

 ギャフター小話/完


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我が愛と青春のチャーハソ①

そういえばこれこっちに投稿しておりませんでした。
チャーハンはお好き? 結構。僕も大好きです。


 ───ある日、ふと、一人になった。

 自分がそうしようと思ったわけでもなく、ただ偶然と偶然が重なって、そうなった。

 日々を忙しく生きていると、急に訪れる静寂に心細くなるものだけど、今日はまた違った。

 何故って、別に孤独がどうとかって意味でもない。

 自分は日本に居て、自分の家に居て、自分の部屋に居て、五体満足だからだ。

 

「───……珍しいもんだよなぁ」

 

 呟いた声を拾う者は居ない。

 本日は全員が全員、用事やら仕事やらで家に居ないからだ。

 俺だけがフランチェスカ自体が都合により休校、なんてことになったため、一人学校から戻り、誰も居ないことに気づき、なんだかこう……「へー……」なんて声を漏らしていた。

 実際珍しかったからだ。へー、こんなことあるもんなんだなぁ、って意味での“へー”だった。

 なもんだから、学校に行くって意識からも解放されたかった俺は、早速着替えると部屋着になって、今日一日を珍しくもだらだらと消費することに決めたのだ。

 

「……うん。今日は鍛錬も勉強もしない。気力充実のOFF日ってやつだなっ」

 

 むんと胸を張って頷いた。

 じゃあ何をしようかって話に自然と向かうと───

 

「………」

 

 向かうと…………

 

「………」

 

 むかう……

 

「…………いやいやいや」

 

 ははははは待っておくれよジョニィ、まさかっ、まさかだろう? この僕が休日の潰し方も思いつかないなんて。誰だジョニィ。謎のココロの安定剤は孟徳さんで間に合ってますよまったく、あはははははかなり大爆笑。

 

「久しぶりに漫画を読む! とか! 小説とかも───OH」

 

 いざと本棚を見てみれば、がらんとした本棚。端っこに勉強のための本などがナナメに立てられていた。

 それ以外? なにもございません。何故って鍛錬に集中するために全部及川や彰仁やその他の友人に貸してしまったからだ。期限無しで。……最初にあの世界から弾かれた時、本とかゲームとかがあると誘惑に負けそうだからって、娯楽系のほぼは手放しちゃったんだよなぁ……。

 妹が持ってるものを借りて、雪蓮たちが遊ぶことは出来るには出来るけど……俺の、無し。

 

「わあ」

 

 いよいよもって何も無い。あ、いや待て、新たなるケータイでネットサーフィンなどを……───そういえばネットサーフィンなんて言葉もあんまり聞かなくなったよなぁ。

 はふぅと溜め息を吐きつつケータイをいじってみれば、一通の重要メールとともに、何故かオンラインに繋げないケータイ。なにごとかとメールを開いてみれば、本日メンテナンスのため、インターネットが繋げないんだとか。

 

「…………なんで今日に限ってなんだよぅ」

 

 こういう時って、会社にとっても理不尽とわかっていてもツッコミたくなる。

 おのれプロバイダー、なんて言っても始まらないし、インターネットカフェに行ってまで繋げたいわけでもない。

 じゃあなにをするかって話なんだけど。…………うん。

 

「…………いい天気だ───」

 

 カララ……と窓を開けて、遠い目で空を見上げた。

 はっはっはっはー……おかしいなぁ。俺、こうまで無趣味だったっけー。

 

「趣味、と聞いて思い浮かぶものはなんですか?」

 

 1に鍛錬2に鍛錬! 3・4に勉学5に種う───違う種馬違う!

 そこは買い食いとかサボリとか他になにかあるだろ! なんで流れるように種馬思い浮かべてるんだよ!

 

「……でもサボリとか買い食いって言ってもな。サボる何かがあるわけでもないし、買い食い……ああ、朝メシをめちゃくちゃ軽くしか食べてないから、食欲はあるんだよな」

 

 例によって皆様に囲まれて登校準備が遅れたこともあって、朝食を摘む程度しか食べられなかった。よろしくない。

 けれども買ってまで食べたい何かがあるわけでもない。コンビニとかスーパーに行けば、それだけで食べたいものとかごろごろ発見できるんだろうけど……贅沢は敵である。

 なので食べるのなら、家にある適当な材料で、軽く小腹を満たす程度だ。

 妹には“なにそのお腹! 腹筋バッキバキじゃん! あてつけ!? ぷよってしてきた私へのあてつけなの!?”なんて言われたりもしたけど、とんでもない。日々の成果、当たり前の賜物です。うっうー。

 

「じゃあ、まずは冷蔵庫になにがあるかで決めよう」

 

 なにかがあっても米が無ければアウト。無ければ麺類? インスタントなんて果たしてこの家にあるかどうか。

 じいちゃんがインスタントをあまり好まないため、保存食系には彩りを感じない。

 カップメンでもあれば嬉しいものの、望みは薄そうだ。

 

「小腹を満たす……いや、満たすまでいかなくてもいいなら、コンビニでブタメンでも……いや、野菜もちょっとは欲しいよな。いやいや、なんでも買って食おうと判断するのはいけない」

 

 自分が作るものが普通だからって、そこは買い物に逃げてはいけません。自分が作る……自分、自分?

 

「あ」

 

 ふと、ピコンと閃きを覚える。

 おお、そうだそうだ、アレがあるじゃないか。

 あるじゃないかなんて大層なものじゃないけど、きっと誰もが時折胸に抱くソレ。

 

「よーしよし、多少固まってきたならまずは冷蔵庫、っと」

 

 ゴパチャアと冷蔵庫特有の開閉音を耳にしつつ、冷蔵庫を開く。

 目当てのものはー───あった。卵よしニラよし長ねぎよし、ベーコンよし、と。

 ご飯はどうだろうか……炊飯ジャーの中身は炊飯前のお米のみ、と。となると冷蔵、または冷凍に……よっしあった! 冷やしたご飯!

 ……あ、関係ないけどジャーっていうのは、英語で瓶のこと。日本では魔法瓶的な意味で捉えるコトが多いらしい。炊飯ジャーはつまり、炊いた上に保温まで出来ますよって方向での名前だそうだ。華琳に様々なものの意味を訊ねられた時、頑張って調べた結果だ。一緒に俺も賢くなった。

 

「あとはこれとこれと……フライパンと、油と……調味料も傍に置いて、手を伸ばせば届く位置に全部を置いて……ふふふっ」

 

 準備をしていく。作るものはもちろんチャーハソ。炒飯ではない、チャーハソ。

 流琉や他の料理上手のみんなが作るものが本場の炒飯だとするのなら、俺が作る超絶普通の焼き飯なんてチャーハソで十分だ。

 けど、いろんな美味しい店を知っていようと、美味しく作れる人が傍に居ようと、時折……むっしょーに“自分が作った、普通だけどちょっぴり美味しく出来た俺料理”とか、食べたくなることは無いだろうか。

 俺にとって、それが今なのだ。

 流琉の料理は美味しい。華琳の料理も祭さんの料理だって、そりゃもう当然ってばかりに美味しいことは知っている。

 でも違うのだ。時折にとてつもなく食べたくなるモノといったら、手間もかかるし面倒だなぁなんて思っても、何故か自分が作ったちょっぴり上手に出来た普通の料理だったりする。

 ……そんなこと、ありませんか?

 

「~♪」

 

 なので料理開始。

 まずは熱したフライパンに油を適量。正確には測らず、男の料理は目分量で勝負である。なにせ食べるのが俺だけなのだから。

 で、いい具合にフライパンに馴染んで、溶いた卵を箸でちょいと垂らしてみて、いい具合にブヂュブヂュと音を立てたならGO。───の前に! 危ねぇ! ニラとかベーコンとかまだ切ってないぞ俺!

 

「準備はしっかり確実に……! 焼いてる途中で調味料が傍に無いとか、出来上がったのに皿がないとか、自分の好みの焼き加減を愚かにも捨て去るようなもんだ……!」

 

 深呼吸をひとつ、徹底的に準備をしていく。

 やがてひとつひとつの確認が終わると、調理を開始した。

 

……。

 

 デレレレー♪! チャーハソが出来上がった!

 

「んっふふふふ~♪ この、誰に食べさせるでもない自分のための手間、自分のための量……! ちょっぴり多く作りすぎた気がしないでもないのに、これくらいならいけるいけるって思ってる自分がくすぐったい……!」

 

 出来たそれを炒飯が映える皿に盛る……わけでもなく、適当な丼にモシャっと入れる。乱暴でも構いません。男の料理に遠慮は無用。

 取り繕っても味は知れているのだ、格好付けたってしょうがない。

 

「……よし、いただきます」

 

 早速テーブルに一人、両手を合わせて食事を開始。

 一口食べてみれば、「あぁ~っはぁ~……!! これこれ……! この普通さ……!」なんて言葉が出るくらい、染み渡る普通。でも求めてたのがこれ、っていうおかしな話。

 誰に気を使うでもなく、スプーン山盛りにチャーハソを掬って、口に運んではモムモムと咀嚼。そのたびに広がる味にほっこりする。

 流琉の美味しい炒飯じゃ、なんだかもったいなくて出来ない“乱暴かつ周囲の人に気を使わないだらだらとした食べ方”。こういうのがたまに欲しくなる。

 

「ズズゥ」

 

 一緒に作ったスープを飲んで、ほぅと息を吐く。

 これもまた、最高に美味、なんて言えない味。なのにこのチャーハソにはこれじゃなきゃダメなのだ。面白いもんだよなー、料理って。これにはこれ、っていうこだわりが、多少慣れてるだけだってのにどうしようもなく出てくる。

 チャーハソ、スープ、チャーハソ、スープ……繰り返すように交互に食べるものの、すぐにスープを口にしたらチャーハソの味が流されてしまう。ので、しっかり味わいしっかり咀嚼してからスープ。

 唾液とチャーハソが完全に混ざり合って、チャーハソ特有の濃い味付けが甘く変わってきたら、そこにスープを混ぜるように。この合わさった味がまたB級っぽくてたまらない。

 華琳へは出せない味だな。鈴々だったら一緒に食べたい。そして愛紗が立ち上がったらたとえ相打ちになろうとも命懸けで止める。おやめなさい、炒飯に生魚は要りません。

 

「~♪」

 

 スープが先に少なくなれば、口に含む量を減らしてチャーハソは山盛りのまま頬張って。カリカリベーコンに醤油の漕げた部分が付着していて、それがまたベーコンとともにいい味を出したり、時折ふわっと香るニラの風味にほっこりしたり。

 そうしたことを頬を緩ませながら続けて、やがて食事を終えた。



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我が愛と青春のチャーハソ②

 コンビニに行けばブタメンだけで済ませるつもりだった追加の朝食は、すっかり朝昼兼用のガッツリ飯になってしまった。ああでも、幸せ。B級の幸せがここにある。

 こういう料理のなにが嬉しいって、自分で作って自分で満足出来て、文句言われる筋合いもなければ他人に作る理由もないところだよなー。

 作れと言われればもちろん作る。ただし文句は受け付けません。何故って、この味だからこそのこの満足感。B級はA級になっちゃあいけないんだよ。B⁺級でもダメ。B⁻級でもだめ。このいつもよりちょっぴり美味しいかもしれない、今日の俺、グッジョブ、みたいな小さな喜びこそが男の料理を美味くする。

 

「は~…………満足……!」

 

 まさかなぁ、あの時代からここに戻ってきて、みんなと一緒になって、まさかまさか。誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われる調理と食事が堪能できるだなんて思わなかった。

 しばらくは動かず、この余韻にひたっていたい……けど、怠惰は脂肪になります。動かねば。

 

「まあ、吸収されて血や肉になるのには三日くらいかかる~とはよく言うけどね」

 

 つまり、人よ。ダイエッターよ。三日だ。食べたものは三日以内にエネルギーとして滅ぼそう。

 ちなみに俺の運動量と食事の内容を詳しく妹に話したら、“……お兄。よく脂肪、っていうかお肉残ってたね……”と心底呆れられた。俺の運動量はどうやら、不老のあの時代だったからこそ可能なものらしい。

 今の状況でそれを続ければ、近いうちに肉も筋もコケていくからやめて、だそうで。いやー……まあ、最近やけに体が軽いなーとは思ってたけどさ。そりゃね、支える筋肉とか結構度外視して、氣で支えたりしていた俺だからね、気づくのも遅くなるよ。そのくせ鍛錬は続けていたわけだから、脂肪は削げるけど筋肉はまだまだあった、というわけで。

 でもこれ以上続けるとヤバイ。

 なので……今日の気力充実のOFF日は、本当の意味で気力充実になりそうだ。ようするに“食っちゃ寝しよう!”な日になりそう。

 

「……あ、そだ。試しに氣を全部消してみよう」

 

 俺の体の現在が氣で支えられているのなら、氣を消した時にこその自分の状態がわかるってものだろう。

 なのではい、氣を消し───とさり。

 

「おや?」

 

 ん? んんー? 何故か足がかくんと崩れて、尻餅をついてしまったぞう?

 しかもなんだか急に体が震えてきて、いやそれよりもお腹がおかしい! なんか凄いごろごろ鳴ってる! え!? 下した───とかじゃない! これ空腹方面のアレだ! え!? 今食べたばっかりですが!?

 もしかしてそこまで栄養不足でしたか俺の体!

 

「ヤヤヤヤヤバイなんかヤバイすごいヤバイ! なにか、なにか食べないと! いや食べるとかじゃなく直接栄養とか欲しい!」

 

 すぐに氣を体に纏わせて立ち上がる。その行為ですら、今まで体を支える力を忘れていた筋組織には相当な負荷だったようで……なんか足がメリリっていった! メリリって!

 

「~っ……や、やばっ……やばい! なにがどうこうとかじゃなくてやばい!」

 

 食卓にある、妹が美容目的で買ったとか言ってたスティック型の粉末青汁をごさりと掴み取って、封を切れば口にザヴァーと流し込み、少し前までスープが入っていた器に水を注いではガヴォガヴォと流し込む。喉に詰まりそうになったけど知らない。

 むしろ同じ要領でマルチヴィタミンの錠剤も口に放っては、グビグビと水で流し込んだ。

 消化吸収を早めるためにも軽い運動とかしたいものだけど、今の自分じゃそれすらもやばい、絶対やばい。

 試しに氣を消してみれば、どかんと来る身体的超疲労。立っていられなくなって、流しの前に蹲ってしまった。

 あぁあああああ……!! 重力装置を前に這い蹲るヤムチャ=サンの気持ちがわかるぅうう……!!

 

「きづっ……気づけてよかった……! 妹の言う通りだよこれ……! よく肉とか残ってたもんだ……!」

 

 餓死寸前の浮浪者に重い荷物を運ぶ仕事をしたらメシを恵んでやる、なんて言うような仕打ちを自分の体にしていたのだ。氣ってすごい! でもそれに慣れすぎると自分が死ぬ! いや普通は慣れないんだろうけどね!? これ絶対あの時代で不老だったから出来た“慣れ”の果てだから! 普通こんなんなれっこないから!

 体の不調を自覚出来た途端に、ギュグゥウウウと悲鳴を上げるお腹。腹のどこが鳴っているか、なんてわからないけど、多分コレ、物凄い勢いで消化吸収が開始されてる。散々鍛えられてきた体が、死んでたまるもんかって活性化しまくっているのだろう。

 なのでこう……血管とか血の巡りとか、胃の運動とか腸の運動とかを意識して氣を込めてみたら、ドゥッファアと汗が噴き出て、喉がメリメリと渇いてきてキャーッ!?

 

「んぐぐごっふっ!? ごっふごふごふっ! んぐっ! はっ……はぁっ! はぁっ!」

 

 慌てて水を飲むと、今度は腹が空腹方面でグウウと鳴って……俺の体どんだけヤバかったんだ!? いやちょ待って待って!? そんなすぐに料理とか作れない!

 今はとにかく栄養! 固形物じゃなくても、肉体を作る方面のなにかを───!

 

「うおおおおおお!!」

 

 冷蔵子を開けて、ありったけの卵をゴパキャアと割っては器に空け、それを生のまま飲む。次いで再びマルチヴィタミンさんを数個飲み込んで、次にプロテイン(最近の女性にはたんぱく質が足りて無い! という番組情報で買ったものらしい)を無断で頂いたり、やがてすぐさま摂れるものが無くなったところまでいっても、俺の腹は、喉は、体は、栄養を求める。

 

(どどどどうする!? どうする!? このままだと……!)

 

 ていうかこんだけ水飲めるってやばくないか!? 普通喉が受け付けなくなる筈なのに、いくらだって飲めるぞ!?

 飲んだ先から吸収されているようで、老廃物にすることさえ惜しいのか、便意も尿意も一切無い。

 それどころかもっと栄養を、と言うかのように空腹や眩暈が……!

 

「───」

 

 ごくり、と喉を鳴らした。

 最終手段……だったんだけど、この際うだうだ言っていられない……!!

 覚悟を決めた俺は“それ”を予備ごとどさりと食卓に並べ、封を開けるたびに大きな新品のバケツへと空けた。

 そこに水をたっぷりと注ぎ、軽く混ぜて……完成。

 

 

  ───14キロの

 

              砂糖水───

 

 

「奇跡が起こる」

 

 たぶん起きません。

 でもカロリーとかそういうものを一気に吸収するにはこれしかないと思った。主に糖分。

 あとたぶん14キロもないです。

 

「んぐっ───」

 

 けれどもこれしかなかったのだ。

 砂糖こんなに使ってごめんなさいだけど、無理! もう栄養摂取を求める体に心が勝てない!

 なので飲んだ。こんな量の一気飲みなんて絶対無理だ! バキボーイは頭がイカレてやがるんだ! なんてアレを見た時は思ったものだけど───

 

「───……っはぁっ!!」

 

 なんか……出来ちゃいました、一気飲み。

 バキボーイのように体から湯気が出たりするのかなー、なんて思ったりもしたけど、全然そんなことはなかった。

 代わりに呆れるくらいのカロリー摂取のためか、体がエネルギーを欲することもなくなり、ようやく体を襲っていた謎の重力めいた脱力も無くなった。

 でも……やっぱり体はだるい。

 こりゃ素直に自室でぐったり寝てたほうがよさそうだ。

 

「あー……せっかく着替えたのに」

 

 すぐに寝巻きに着替えなきゃいけなくなるなんて、とんだOFF日だった。

 



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我が愛と青春のチャーハソ③

 で。

 

「………」

 

 目が醒めたらマッスルだった。

 

「お兄ちゃん凄かったのだ! なんか煙だしてもごもご動いて! とにかくすごかったのだ! あれどうやったのー!? もっとやってほしいのだ!」

「う、うん、鈴々お帰り、あとたぶんもう無理です」

「うむ。すとーぶ、とやらも焚いていないのに、この部屋が暑すぎるくらいだった。北郷、体に異常はないか?」

「そ、そう、秋蘭もお帰り。体はなんかこう、不気味なくらい軽いくらいで、異常はないかな」

「というわけで北郷。お前の体に龍の血肉が馴染んだ」

「どういうことなのゴッドヴェイドォー!?」

 

 そして龍の血肉が馴染んだことを、華佗先生に告げられた。

 

「お前が気絶するように眠っている間、お前の体と氣脈を見させてもらったんだが、どうにもお前が常に纏っていた氣が、お前の肉体の成長や活性を押さえ込んでいたらしい。良く言えば老化を防ぐような氣の扱い方だが、悪く言えば成長を殺す使い方だ。お前の体があの時代の、老いないというイメージを覚え込んでしまっていた所為だろう」

「……それを消したから、体が急に成長を求めた?」

「もちろん体が急な成長を求めたところで、一気に成長出来る理由には届かない。北郷、お前は人が、精神的な要因で急に老いたり、老いが止まる話を聞いたことがあるか?」

「あ、ああ……」

 

 もちろん知っている。フィクションだけじゃなく、実際にもあるらしい。

 一瞬で、なんてことはもちろんないものの、その多くは極度の恐怖や緊張などを経験した者に多いのだとか。

 戦争などに出た兵士たちは、銃弾の雨を掻い潜って生還しても、その時の恐怖からか一晩で髪が白くなってしまったりしたのだとか。

 俺の場合は氣によるそれらの活性化が原因で、体が一気に、とかなのだろう。

 氣……つまり精神にも関係しているわけで。これが身体的急成長の原因なのだ。俺の場合、無駄に氣の量が……ほら、その、多いわけで。それを全部血管やら内臓やらに集中させた結果、体はこれ幸いと体の成長を促した、というのが華佗の予想らしい。

 ちらりと服をまくってみれば、あの時代に戻る前、必死こいて鍛えた体なんぞ置き去りにした細マッチョな腕がそこにあった。

 体も寝起きで、汗もたっぷり掻いたっていうのにだるさもなく、軽くて軽くて仕方が無いくらい。

 

「よくわからないけど一刀が強くなったってことでいいのよね?」

「ああ。馴染むまでは落ち着かせた方がいいのは確かだが───」

「じゃあ道場行くわよ一刀っ! あっはは早く早くっ♪」

「人の話を聞いていたのか孫策! 北郷はまだ本調子では───」

「いーじゃないのよぅー! 何度も戦った私と戦えば、一刀がどの程度強くなったのか、調子はどうなのかがわかるってものでしょ? で、私も楽しい。ほら、えっとー……うぃんうぃん? とかいうのじゃない! ほーら早く立って立って! 行くわよ、かず───」

「───雪蓮」

「……ハイ」

 

 きゃーいきゃいと燥いでいた麒麟児さん、冥琳の一言でしおらしくなるの巻。巻っていうか、割りといつものことだった。

 

「雪蓮がやらないなら鈴々がやるのだっ! お兄ちゃん立って立ってー!? 鈴々としょーぶ───」

「───鈴々」

「……ハイ」

 

 いざ益荒男よ、とばかりに立ち上がった翼徳さん、美髪公の前にしょんぼり。

 

「ははははは! だらしのない連中め! 北郷相手になにを臆する! ならばこの夏侯惇が」

「───春蘭」

「はいぃ華琳様っ! 今すぐこのわたしが北郷を───」

「やめなさい」

「……はいぃ」

 

 先の二人と違い、名を呼んだ程度では止まらなかった大剣様が、やめろと言われてようやく……しゅら~ん……と落ち込んで止まってくれた。

 うちの大剣様が他国よりひどいんですが。具体的に言われなきゃ止まってもくれないって……。

 

「ふむ。ではこの華雄が北郷の調子を調べてやろう」

「はーいはい華雄~? そーゆ~んはまた今度なー?」

「むっ……な、なぜだ? こんな時にこそ我が武がっ……」

「えーからえーから」

 

 ていうかあなた方、武を行使して俺をどうするおつもりか。

 体が軽いからって、今の俺はいわゆる病み上がり状態に近いのですが?

 霞に背を押されて部屋の隅に追いやられた華雄は、頻りに首を傾げていた。むしろこちらが傾げたい。病み上がりに“ようし貴様の体の調子を調べるから道場へ来い!”とか言われて、あなた方嬉し……嬉しいんだろうなぁ。

 

「でも驚いたよー。仕事から帰ってきたら鍵が開いてて、ご主人様かなーって思って道場に行ってみたら居ないし」

 

 マテ。何故まず道場に……あ、はい、俺だからですね桃香さん。

 

「そーそー。てっきり鍛錬終わりで水飲んでるのかなーって台所に来てみれば、食料だのなんだのが無くなってるわ妙に台所が荒れてるわで、盗賊が入ったんじゃないかって朱里が言い出すから」

「はわぁっ!? けけけけど、あの場合はさすがに仕方ないじゃないですか……!」

「そーだよお姉さま、そういうお姉さまだって、話も聞かずに真っ先にご主人様の部屋に走ってったくせに」

「うえっ!? ばかそれはいいんだよっ! なんでわざわざ言うんだ!」

「おうおう、しっかりと状態を見極めれば、散らばっていても荒らされたわけではないとわかりそうなものよなぁ」

「そんなことを言って。桔梗だって冷静な振りをして、隠しておいたお酒が取られてやしないか、ってちらちらとお台所の隅を見ていたじゃない」

「ぐうっ!? い、いやぁっ……あれはだなぁ、紫苑よ……!」

 

 ……一つの騒動に対して、どうしてこう叩くどころかつつけば埃まみれになるような人ばかりなのだろうなぁ。

 あと、こんな道場に立ち入る盗賊はなかなか居ないと思うなぁ。

 居るとしたら……命をお懸けめされい。我が屋の攻略、生半なことではないぞ。

 

「それで、一刀? 体の調子はどうなのかしら。嘘偽りなく答えなさい」

「や、本当に良好だよ。むしろ今までの方に違和感を覚えるくらいに軽い」

「そう。食欲はどうかしら」

「落ち着いてるかな。気絶するみたいに寝る前に、砂糖水とかがぶ飲みした所為か、エネルギーは足りてるみたいだ」

「がぶ飲み……ああ、そうね、そうだったわ。一刀」

「ん? どした?」

「あなたの妹が、目が覚めたらあなたに訊きたいことがあるそうよ? ぷろていんがどうとか、青汁がどうとか言っていたわね」

「───」

 

 夢中だったので俺は無実だ、とは言えませんでした。

 どうやらバイト代のいくらかに、さよならを伝えなくてはならないらしい。

 

「ふむ……しかし北郷。お前は倒れる前、そうなることが予測出来ていて料理を食べたのか? そんな気は無かったとしても、氣を消す前に食事を摂っていたのはいい判断だ」

「え……そうなのか?」

「ああ。そうして摂った熱量が無ければ、氣を消した時点でなにもない胃からの消化吸収が強引に行なわれ、筋肉組織は削がれ、脂肪は分解され続け、お前は動くことも新たな栄養を摂ることもできないまま、昏倒していた可能性が高い」

「───」

 

 怖ぁ!? こわっ! 怖い! え!? 俺あのチャーハソ食べてなかったら、自分の体に殺されてたかもなの!?

 となると、スープみたいな液体を飲んでおいたのもよかった、と……!

 ありがとうチャーハソ、ありがとうスープ……! まさか“B級男の料理”に命を救われる日が来るとは……!

 

「………」

 

 不思議だね。D級女性の料理に命を狙われることならあるのに、男の料理に救われる日が来るなんて。

 ちなみにD級のDはデスっぽいアレなアレです。

 

(……はぁ、しっかし)

 

 まいった。気力充実のOFF日だった筈が、ほとんどを寝て過ごしてしまった。

 お陰ですごいスッキリ感はもちろんあったりするんだけどさ、理屈じゃなく、やっぱりちょっともったいないと思ってしまうのだ。

 けど、寝すぎな状態から起きたばかりの、この妙な軽さと頭の重さは、案外嫌いじゃなかったりする。

 

「で……華佗。俺はこれからどうしたらいい? 医者としての意見とか、聞かせてほしい」

「眠れ。……っと、その前に栄養と、あとは修復に力を使い果たしている体に鍼を落とさせてもらう」

「へ……? 使い果たした、って……随分軽いぞ?」

「辛い状態を乗り越え、修復が終わったばかりだからそう思えるだけだろう。少しすれば、とんでもない痛みを味わうことになる。その前に栄養を摂取してたっぷりと眠るといい」

「……。と、とんでもない痛み……? わわわわかった、素直に寝かせてもらうよ……。その前に何か食べないと、だけどな」

 

 言われてみると、少し声が掠れてきた気がする。

 力も随分と抜けてきて、その抜けた力に抗わずに、自分の布団の感触に身を委ねてみる。

 

「では兄様っ、今から腕によりをかけて、栄養のつく料理を作らせていただきますねっ!」

「あ、ああ。頼むよ、流琉」

「はいっ、では華琳様、行ってまいります」

「流琉、その前に買い物が必要でしょう? 材料のほとんどは一刀が食べてしまったのだから」

「あ……そうでした」

「ああ平気や平気、買い物やったらたぶん───」

「……これで十分だろう」

「───冷蔵庫の中身と一刀の具合見て、寧ちんが飛び出していきよったから」

「「「「速いわねちょっと!!」」」」

 

 言っている傍から思春が買い物袋を下げて、自室の扉をコチャアと開けていた。

 それらを季衣と流琉に渡すと、足音も立てずに部屋を出ていった。慌ててあとを追う流琉と季衣は、なんというか……いや、考えない方向で。今は思考の回転よりもカロリーキープに勤しもう。

 

「では華琳様っ! 私も───」

「姉者、実は少し話したいことがある」

「んぁ、な、なんだ秋蘭? 私は」

「愛紗ちゃん? 何処にいくのかなー?」

「えっ、いえ、桃香様、私はご主人様のために───」

「祭、穏、シャオをお願い」

「おう心得た」

「はいは~い、小蓮様~? ちょおっとじっとしていましょうね~?」

「やっ、ちょっ、お姉ちゃん卑怯~!! シャオだってお兄ちゃんのために~!!」

「おーっほっほっほっほ! ならばここは───」

「麗羽様、ここはせめて空気を読むところですよ……」

「麗羽様ぁ……ほんと、空気読みましょーよ……」

「なっ、ちょっ、斗詩さん!? 猪々子さん!? わたっ……このわたくしのっ! 華麗なる活躍をっ……! 空気がなんだと、あ、あぁ~れぇ~っ!!」

「はぁ……。本当に、嘆かわしいわね……。料理と聞いて立ち上がる悉くが、料理に不慣れな者ばかりというのも」

 

 はいまったくです華琳さん。俺としてはそのー……貴女様も動いてくれたらナー、とか、ほんのちょっぴり考えたりもしたのですがね?

 そんな視線をちらりと向けてみると、くすりと笑って「いやよ、恨まれたくないもの」と、これっぽっちもそんな風には思ってなさそうな表情で応えられた。

 ……まあ、流琉なら間違いはないだろう。誰かが乱入しても、思春と季衣がなんとかしてくれる。

 あとのことはみんなに任せて、このけだるさを利用して眠ってしまうのもいいかもしれない。

 ただ……まあその。

 流琉の料理は楽しみだし、体が栄養を欲しているのも確かなんだけど、チャーハソの味が完全に上書きされるのだけが、今日の北郷さんはちょっぴり残念な気がしたのでした。

 ああ、本当に……なにかが起こらない日がまったくない、忙しい毎日だなぁ……。

 そんなことを思いつつ、スッと目を閉じて眠る体勢に───入った途端にぶすぶすと体に鍼が落とされてあいったぁああーっ!?

 

「華佗ぁああーっ! 元気にする時は一言言ってくれってあれほどーっ!!」

「ん、んん? だめだったか? 一応話を通した上で、お前が目を閉じたからいいとばかり……」

「あ、はい、なんかごめん」

 

 普通にOKな流れっぽかった。そしてさらに脱力していく俺の体。

 氣って本当に便利だ。時に毒にもなるってことがよーくわかったけど、便利だ。

 さあ、あとは引き続き内臓の活性化を続けて、自然治癒力を高めていこう。

 どうかこれ以上、面倒事とかキッツいことが起きませんように……!

 

  ……まあ、そんなことを願った時ほど、決まってろくでもないことが起きるのですが。

 

 フッ……とどこか悟った気持ちでいると、なんかもう心が勝手に覚悟完了しちゃって、眠気が裸足で駆けてくサザエさんの如く脱兎で逃げた。全然これっぽっちも愉快でも陽気でもない、待ってくれ、助けてくれサザエさん。

 

「……明るい窓のお向かいさんって誰だったっけ」

「? なんの話だ?」

 

 華佗にサザエさんの話を振ってもわかるわけがなかった。

 “お料理片手にお洗濯”も、片手間に洗濯って意味だったのか、フライパンでも持ちながら洗濯していたのか。いや、普通に考えれば片手間なんだろうが。

 私はサザエさんであなたもサザエさん。笑う声まで同じと認定されては……あ、うん、なんか頭が混乱してらっしゃる。



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我が愛と青春のチャーハソ④

「ン、ゴホッ……わ、わるい……誰か、水……水を───」

「あわわ……み、水でしゅね……! 今───」

「その必要はない。既に持っている」

「あわっ……? し、思春さん……?」

 

 喉の渇きに襲われて、助けを口に出してみれば即座に受け取ってくれた雛里───の前に、突如現れたのは思春だった。

 その手には水が入ったウォーターピッチャーと、一つのリンゴとナイフが乗ったグラスが。

 

「……見事なものね。一刀の様子を見て、必要なものを揃えてきたというの?」

「他に必要なものがあれば、纏めて持ってくるつもりであっただけです」

 

 華琳の質問に、リンゴとナイフを脇に、まずは水を注いで渡してくれる思春さん。渡してくれるっていうか、注いだ水を飲ませようとしてきたけど、丁寧に断って普通に受け取った。

 ぐいっと飲んでいくと、なんともまあ体の中に冷たさが広がっていくかのようだ……! 乾いた大地に水を垂らしたような吸収感と例えればいいのか、ともかく物凄い勢いで水が吸収されている感覚を覚える。

 そうして水に感動しているうちに、思春は器用な、という次元を越えた手際と速さでリンゴの皮を剥き、二口サイズほどに切り分けてくれた。

 

「あ、ありがと、思春」

「口を開けろ。食わせてやる」

「へ? あ、いや、さすがに手くらい動くから自分で───」

「口を開けろ」

「や、だから」

「口をあけろ」

「あの……ね?」

「口をあけろ」

「その」

「………」

「なんでそこで爪楊枝がナイフに代わるんでしょうか!?」

 

 ぷすり、とリンゴに刺された爪楊枝が、問答の末にざくりと刺されたナイフ様に代わった。

 口を開けねば殺すとまで言いそうな雰囲気である。雰囲気っていうかもうこれ迫力です。空気がどうとかそんなレベルを超越してらっしゃいます。

 さすがに口裂けおばけになりたくないので、素直に爪楊枝にていただくことにしました。

 

「ん、く…………あ、おいし……」

 

 食べさせてもらったリンゴをしゃりしょりと咀嚼する。

 べつに病気ってわけでもないのに何故リンゴ……と思ったもんだけど、なんだろ……リンゴの果汁とか食感とか味とか、なんもかもが体にやさしい……!

 

「次だ。食え」

「…………いやあの、思春さん?」

「食え」

「あの」

「食え」

「だから……ね?」

「食え」

「やっ、食うよ!? もらうよ!? 貰うけど、もうちょっとほらっ、ねっ!?」

 

 さあ食えや、みたいな刺し出しかたもとい差し出し方じゃなくて、“はいっ、あ~んっ♪”みたいなやさしさとかございませんでしょうか……! いやもちろんそれがとても無謀な自殺行為的考えだっていうのはわかっているのですがね!?

 病気とはまた違ったものだとしても、こうして看病的なことをしてくれるのなら、なんだかんだそういう系の扱いをされてみたいなぁとか……!

 ……そこには男のロマンがあると思うのです。断じて、狩った獲物の肉をナイフで捌いて、そのナイフに付き刺した肉をそのまま火で炙って、ナイフに刺さったままの肉をあぐっと食べるサバイバル的な世界を求めているわけでは断じてないわけで! 喩え長いなぁもう!

 しかしこの北郷、こんな言い回しで思春さんがそれを受け入れてくれるわけがないことなどわかっております。

 なのでここは───

 

 コマンドどうする!?

 

1:口移しでお願いします(殺気が溢れ出よるわ!)

 

2:ナイフっていいよね! このままいただくよ!(妖怪口裂け御遣いの誕生である)

 

3:爪楊枝でお願いします。あの、出来れば“あ~ん”って言葉付きで(そして逆にあ~ん返し)

 

4:あぁん!? とメンチ切りながらフォークでください。(興覇様は告らせ───たりしない)

 

5:これ小娘、朕は食事がしたいのでおじゃ。そのようなものは要らぬ、飯を寄越せ(死ぬ)

 

 結論:そもそも爪楊枝の時点で俺が食べてたら、この選択肢必要なかったよなぁもう!

 

「も、もらう、もらうからその……ごめん思春、やっぱり爪楊枝にしてくれないか……」

「………」

 

 言ってみればやれやれとばかりに、ナイフが刺さったリンゴにぷすりと爪楊枝が刺さる。

 そしてそれが俺の口へと運ばれる。……蒲公英の手で。

 ずいと差し出されたそれをつい、ひょいと口に含んで……シャリッ、と噛んでしまうと、途中で割れてしまったリンゴを「にっひひー♪」と笑って自分で食べてしまう蒲公英。

 

「ん、ぐっ……蒲公英……?」

「看病がどうとかーとか、そういうのはまだまだ誰かに任せた方が安心だけど、これなら蒲公英にだって出来るからねー。ほらほらお兄様っ、食べて食べて?」

「いやお前この状況でそんなことしたら───」

 

 あ、ダメ、これこの後のことが簡単に予想出来る───そう思った時には、蒲公英が確かに摘んでいた筈の爪楊枝がボッと姿を消した。

 

「あれっ!? えっ!? つまよーじが……!?」

「なるほど……これで林檎を刺して……。これならば私にも……!」

「あぁーっ!? ちょっと愛紗ー!?」

 

 爪楊枝を手にしたのは美髪公であった。

 

「林檎を貰うぞ思春よ。さあご主人様、そ、その……あ、あーん……!」

 

 貰うぞ、と言いつつ既に強奪してあったらしい、林檎が乗った皿を片手に、謎の迫力をゴゴゴゴゴ……と撒き散らしつつ林檎を付き出してくる愛紗さん。

 ど、どうしてだろう……! 口を開けた途端に愚地克己もびっくりの真・音速拳にも負けない速度で、あの林檎が口に突っ込まれる未来が見える……!

 あーん、とか言ってもらいたいなぁとか思ってた俺へ、この言葉を送りとうございます。……其の先の未来、実に地獄に候。

 

「あ、愛紗ちゃん? ご主人様に対して以前に、病人に対して氣を撒き散らしながら迫るものではないわよ?」

「あっ、し、紫苑っ! なにをっ……」

 

 けれどもそんな林檎が爪楊枝ごとひょいと取られる。

 お、おお、ここに救いの女神がご降臨あそばれた……! と思えば、ひょいと取られた先の林檎が、ちょうどそこに立っていた恋の前に揺れて、拍子にそれをぱくりと食べてしまう恋。

 

「「「「「───!!」」」」

 

 その時、年齢統一化がなされた少女らに、電撃が走る───!!

 何故って恋が、食べてしまった林檎の半分を口に咥えたまま、俺と自分の口の林檎とを交互に見て、とことこと近寄ってきたのだ。

 林檎はそこに。食べさせるべき相手はここに。その後の恋の行動が予測出来た歴戦の猛者どもが、それをみすみす許す筈もなく───!

 

「あ、あー! つつつ爪楊枝、折れちゃったなー! これは別の方法で食べさせてやらないと、な、なー!」

「お姉さまぁ……それさすがにきつい……」

「うぅうううるさいな蒲公英! そもそもお前が楊枝を奪ったりするからっ!」

「んふんっ? ねぇねぇ一刀~? シャオがぁ、今から一刀に林檎食べさせてあげる♪ もちろん、く・ち・う・つ・し、で~♪」

「ややややめないかはしたない! シャオ、どうしてお前はそうなんだ!」

「ぶーっ、お姉ちゃんっていっつもそー! 自分はそうする勇気がないからって人の邪魔ばーっかりしてー!」

「邪魔とはなんだ! 私にだってその……それっ、それくらいっ……」

「どーせ言うだけで出来ないんでしょー。だからぁ、ほらほら一刀~? シャオが───やんっ」

「だからやめろと言っているんだっ! かかかか一刀っ! 大体あなたがーっ!!」

「主様本当なのかのっ!? 林檎に蜜があるというのはっ!」

「HAHAHA、本当サ美羽サァン。ほぅら、あそこで目まぐるしく奪われまくっている皿の上の林檎の、少し水っぽく薄くなっているところがあるだろう? あそこが蜜が密集しているところなのサ」

「おお……! なるほどのっ! 主様は物知りなのじゃー!」

「───って聞いてるの一刀っ!!」

「すいません聞いてませんでした!!」

 

 だって聞いててもいっつも人の意見とか聞いてくれませんし!

 予想GUYデスどころか予想出来すぎる分、なんかもう結論だけパスしてくれたほうがなんかもう楽かなぁって!

 そうしてぎゃいぎゃいと騒がしくなる自室が混沌と化す中、いつの間に行動していたのか、俺の横に座ってしゃりしゃりと林檎を剥いている華琳様。

 綺麗に切ったそれを爪楊枝だの口移しだのでもなく、ただ「ほら、食べなさい」と手で摘んで差し出してくる。

 戸惑いつつもそれを口に含むと、くすりと悪い笑みを浮かべて「指が汚れてしまったわ。舐めて綺麗にしてちょうだい」と仰った。

 あ、はい、そういうのはあなたの背後で、“必ずやこの北郷めをぶち殺してやる”と血涙さえ流しそうなほど目を血走らせてる猫耳フードさんにやってもらってください。

 

「あー! 華琳さん抜け駆けずるいー!」

「なっ……!?」

「ほんと華琳ってそういうところあるわよねー? 人が騒いでる横でちゃっかりーって感じの? じゃ、私もこれもらっちゃうわね? はい一刀、あーんしてあーん」

「ちょっ、雪蓮!? それは私が剥いたっ……!」

「わ、私もっ! ご主人様っ、あーんしてっ!?」

「桃香!? あなたまでっ……!」

 

 そんなドS顔の華琳様に、指を差しての指摘をするは、酔えば対華琳様用決戦兵器に昇華する蜀王様と、普通の時でもある意味天敵となれる元呉王様その人だった。

 そうして覇王から余裕の様相が削がれれば、もはやどの勢力も黙っているわけがなく。

 さらにやかましくなっていく我が自室にて、静かにニコリ……と華佗へと笑み、「気力充実のOFF日になる筈だったんだ……」と静かに語った。

 彼は静かに俺の肩に手を置き、俺のそんな儚くも短い一日を偲んでくれた。

 

「………」

 

 食事はまだ届かない。

 俺はこの喧噪の中、お腹をぐーぐー鳴らしながら、どうやら口移し目的らしい少女らに次々と食われていく林檎たちの末路を見送った。

 性格が大人しい人たちが参戦しないのが、せめてもの救いだ……なんて思っていれば、七乃にそそのかされて別の方向での参戦を始め、それが林檎口移し戦力によって妨害されれば正式にこの喧噪への参戦が大決定。

 俺は静かに、エネルギー不足で動かなくなっていく体を寝かせながら切に願った。

 神様……。俺にあの、チャーハソを食って感動していた時間を返してくれ……と。

 凪や斗詩が懸命に場を落ち着かせようとしても、それで止まってくれる皆様だったらきっともっと静かな日々だったと思う。

 むしろ王様方が騒いじゃってたら止める方の勢いも削がれるってもので。

 そんな時、モキリと青筋ひとつを盛り上がらせた思春さんがついに立ち───!!

 

「思春! あなたもそう思うわよね!?」

「えっ……れ、蓮華様? いえ、私は」

「そう思うわよね!?」

「い、いえっ、あの、あの……」

 

 シャオとの言い合いが白熱してらっしゃる蓮華に急に答えを求められ、困惑していた。

 あ、だめだこれ、この場における俺の味方側最高戦力があっさり飲まれちゃった。

 はっ!? いや、まだぞ……! まだ頼りになる友が居る! 星、冥琳! どうかこの場を───あ、二人とも無理だ。そういえば星は仕事の都合で帰りが遅くなるとか言ってたし、冥琳は雪蓮と祭さんのわがままを抑えるのと孫家から思春を守るので手一杯だ。

 

「……華佗さんや。どうか鍼で眠らせてくださらんか……」

「い、いや、さすがに料理ももう出来ると思うぞ? なにも今から眠らなくても」

「見えるんだ……。出来上がって運ばれてきた料理が、みんなの手で奪い合いされまくる未来が……。ていうかあのー……俺、一緒に運ばれてきた箸、手にする機会が一度でもあると思う?」

「……、………、……───」

 

 長き時を生き、様々な世界を見てきたこの北郷の知る限りでも最高峰の名医さんは、沈痛な面持ちで俯き、なにも仰ってはくれませんでした。

 どんどんと騒がしくなるこの部屋には果たして、俺が求めた気力充実の“き”の字ですら存在することが許されないのだろうか。

 そうして華佗と二人、どこか遠い目で、このあと訪れるであろう当然のように予想出来る未来の光景を……待つのでした。

 

  ……あ。ちなみに。

 

  こんな混沌とした状況を一発で鎮めて、俺を看病してくださったのは実母でした。

 

  母は強し。そんなお話。

 



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