エロエロンナ物語 (ないしのかみ)
しおりを挟む

第1章
輝ける乙女


古妖精語の単語が一杯出ますが、殆どが作者の造語です。

一応、今後、人死に(妖精とか魔族死に?)も出る予定なので、念の為にR-15と残酷描写を選択してます。


〈序〉

 

 最初にそれを見た時は良く出来た人形だと思った。

 いや、生きているのかと疑った程だ。

 ひと離れした半妖精(ハーフエルフ)なんだからと言っても、生活臭というか、呆れる程に生気が無い。心ここに在らずと言った感じで、無感動に、船渠で忙しく作業する俺たちをじっと見ている華奢な少女。

 身なりはしっかりしている。装飾は少ないが動き易そうな、緑色の上等なドレスを身に纏い、首からは繊細なペンダントを下げている。ブーツも高価そうだし、短ケープを羽織って眼鏡を掛けている。

 何処かの御令嬢と言った風情だ。貴族階級なのかも知れない。

 それが何で、この田舎町の造船所の軒先にいるんだ?

 

「お嬢ちゃん、うちに何か用かね?」

 

 俺は思いきって声を掛けてみた。少女は首を傾げると石段を伝い、とことこと船渠内へと降りてくる。作業中に来られると邪魔だし危ないんだが、幸い、今は入渠中の船はない。代わりに置かれているのは、赤銅色の不格好な機械だけだ。

 

「これは何?」

 

 そう来たか。確かに珍しいだろうな。

 

「大気圧機関さ。燃料を燃やして梃子を上下させる揚水ポンプを改良したモンだ」

 

 細かい説明はしても仕方が無い。多分、素人には理解の範囲外だろうからな。

 まぁ、後の世で言う蒸気機関なんだが、この頃はまだまだ未熟な玩具みたいな物だった。燃費は悪いし、人件費も掛かる。しかし、それでも鉱山なんかでは排水用に歓迎されていた。

 これを船の動力に利用出来ないかと閃いて、梃子の上下運動を回転運動に変える実験を始めようとしていたって所だ。

 

「ボイラーで水を熱して蒸気が上がると、ピストンにより上部のシリンダーが押し上げられる」

「すると、あのシーソーみたいな場所が引っ張られて動く訳だな」

「ご明察。あのシーソー部分。専門用語じゃビームと言うんだが…」

 

 おや、予想に反して俺の話に食いついてきたな。

 シリンダーの上にはピストンと連結された棒が有り、それがビームの片方に接続されており、上下するのだ。ビームのもう片方はクランクに繋がっていて、これを回転運動へと変化させる仕組みになっている。

 

「だが、それではシリンダーは上がり続けるだけだろう?」

「そこでシリンダーが最大まで引き上げられた所に、蒸気を止めて冷水を注入するとシリンダーの蒸気は凝縮する。

 これでシリンダー内は真空に近い状態となり、大気の圧力で下方へと押し下げられるんだ。ま、これを連続で続けると、ビームが絶えず動いて動力を得られる訳だな」

「大気圧とはそう言う意味か」

「ああ。だが、まだまだ未熟な技術だぜ。蒸気や冷水の出し入れ操作は手動で管理せにゃならん。燃料も食い過ぎる。ここらを何とかしなきゃ、船の動力には合格点は与えられねぇ」

「そうか」

「ま、いずれ伝説のエトロワ(神話の船)を作ろうとしているとでも思ってくれ。ははは」

 

 ま、これはジョークだ。神話の中に出てくる神の船。帆も櫂も無く、海を稲妻の様に走り、それどころか、空をも進み、星々の世界にまで達するのがエトロワだ。

 そんな物と比較したら、目の前にあるのは船体すらない、みすぼらしい銅釜に過ぎないからな。

 

「エトロワを作るのか!」

 

 だが、それを聞いた少女はかっと目を見開いて叫んだ。先程までの機械的な発声ではない、言うならば生者が発する生の叫びだ。感情が含まれている。

 余りの豹変に戸惑っていると、少女は続けて言葉を発した。

 

「私もそれに参加させてくれ。エトロワがあれば、私は元の…」

 

 そこで異変が起こった。少女がまるで糸の切れたマリオネットの様に、ぶつんと力を失ってその場に崩れてしまったのだ。

 慌てて倒れかけの身体を支える。幸い外傷もないが、完全に意識も失っている。作業中の若い衆も何事だと集まってくる。

 

「おいおい」

「姫様っ!」

 

 途方に暮れた俺の声と、ヒステリックな女の声が交差したのはその時だ。

 造船所の若い衆をかき分けて現れたのは、ウサ耳族(ウォーリアバニー)の女だった。

 身体にぴったりとした肩出しの民族衣装。淡青のバニースーツを身に纏い、頭からはぴょこんと兎の耳が飛び出している。腰には短めの船刀を佩いているから、恐らくこの嬢ちゃんの護衛か何かなのだろう。

 

「姫様だぁ?」

「領主のお嬢様だ。私は姫様付きの侍女、ニナ」

「俺はこの造船所の主。ブラートだ。ああ、そう言えば、セドナ殿が最近、身寄りの無い半妖精を養女にしたと聞いたが、彼女か?」

 

 ニナと名乗った気の強そうな少女は頷く。

 これが俺と彼女らとの出会い。腐れ縁の始まりだった。

 

 ちなみに、最初の大気圧機関を装備した蒸気船は余り良い出来ではなかった。

 小型曳船だったが馬力の割りに燃料を馬鹿食いする。保守点検が難しい。まぁ、失敗作に近いが、それでも航行可能だったのは一筋の光明を照らし出した。

 まぁ、二年後の嵐の夜に波浪を受けて沈んじまったんだが、釜は銅製なんで回収した後、そこそこの値段で売れたのは良かったかもしれん。

 次の蒸気船の進水は機関の改良が進んだ数年後になるが、それはそれで別の話である。

 

 

〈エロエロンナ物語1〉

 

 初めての記憶は夕闇迫る海岸線だった。

 半裸のあたしは差し伸べられた手をとって身を起こすと、首から下げていたペンダントがしゃらんと澄んだ音を出した。

 目の前には見知らぬ女性が訝しげな表情を浮かべてあたしを見つめている。

 

「何があったのかい?」

 

 細身だが筋肉質な女性だった。赤い外套を羽織り、裾の短めな緑のドレスを着ている。顔立ちは若いが老成した雰囲気があり、緑色の髪を結い上げて、腰には短めの刀を佩いている。やけに耳が長いのが気になったけど。

 

「さぁ…」

 

 あたしは身体を改めて確認する。怪我は…ない。火傷も負っていない。惨めに千切れた服の残骸から覗く白い肌にはそれらは認められず、目の前の女性に似た薄緑色の銀髪もダメージを受けている兆候は無い。

 

「名前は?」

 

 潮騒混じりに問われる声にあたしは首をかしげる。名前…。そうだ。あたしは何者だろう?

 

「……分からない」

 

 嘆息。彼女は肩をすくめる。そしておもむろに着ていた外套を脱ぐと、あたしへ着せてくれる。

 

「? なに…」

「女の子が、その格好じゃまずいだろ」

 

 セドナは深い緑色の目を細めながら、言葉を継ぐ。そうか、あたしは女の子なのか。

 

「漂流者。にしては難破した船が見つからないが、放っておく訳にも行くまいねぇ。いいわ、あたしはセドナ・ルローラ。ここら一帯を占めてる頭って所さね」

 

 セドナと名乗った女性は続ける。

 

「見た所、種族的にはあんたはお仲間みたいだ。良かったら、あたしの所へ来るかい?」

 

 ここにいても行く宛ても無い。しばらくして、あたしは頷いた。

 

          ◆         ◆        ◆

 

 案内された屋敷は大きそうだった。城門とも呼べそうな木で出来た大門。頑丈そうな石壁がぐるりと取り巻いている姿は、ちょっとした城塞にも見える。

 

「一応、あたしは荘園主って事になってるからね。爵位は無いけどさ」

 

 セドナは笑いながらそう答える。門から入ると道の両側に数人の男女が並んで頭を下げていた。

 

「名前が無いと不便だね。エルフィン(古妖精語)が分かるかい?」

 

 あたしは頭を振る。セドナによるとあたしは妖精種と他種族とのハーフで、半妖精族であるらしい。

 

「エロコ。意味は輝ける乙女って意味さ。それでいいかい?」

「エロコ?」

「あんたを見つける前に、空が光り輝いた。と言うより巨大な火の玉が空をかすめて北の方へ落ちていったと言う方が正しいんだけど」

 

 それからの由来か。とあたしは理解した。

 

「構わない。そうか、あたしはエロコか」

「ニナ!」

 

 セドナが誰かを呼んだ。列の中から頭からぴょこんと細長い耳を揺らした少女が出てくる。胸の谷間が見えるデザインの身体にぴったりした衣装を着ていた。

 

「はっ」

 

 ニナと呼ばれた少女は片膝を着いて、御前に傅く形で頭を下げた。

 

「侍女としてエロコの世話をお前に任せる」

「私がですか?」

 

 顔を上げて意外そうな顔を見せる。

 

「不満かい?」

「いえ…」

 

 返事とは裏腹に、顔の表情を察するに不満そうだ。セドナはそれを無視してあたしにニナを紹介する。

 

「この娘はニナ。見れば分かるがウサ耳族の出身だ。当家の奉公人として三年になる。部屋は使ってない『渚の間』を用意しようか。

 そうそう、ニナもエロコ付きになるから部屋も変わるね。新しい部屋は隣の侍女部屋になる。案内が済んだら荷物を纏めておいで」

 

 あたしも会釈する。

 

「エロコよ。よろしく」

 

 ニナの身長はあたしよりも頭一つは分は低い。歳は十かそこらだろう。桃色の髪の毛からピョコンと兎の白い耳が飛び出している。

 

「ニナと申します。至らぬ所も多々ありましょうが、仕えさせて頂きます」

 

 こうして新しい生活は始まった。

 

          ◆         ◆        ◆

 

 この世界はエルダと呼ばれている。大地という意味だ。

 その中でも中心地として中央大陸があり、その南端に位置するのが王国だ。正確にはグラン王国と言うが、古代王国の後に興った国なので俗称である新王国や、単に王国と呼ばれている。

 種族的には人間と呼ばれるヒト種が最も多く、次いで獣人族。妖精族。魔族なんかが亜人と呼ばれている。

 亜人とは失礼な物言いだが、何しろ数的には人間族には敵わない。人口比で半分以上占められているのだから、人間を基準として見られるのも仕方が無いのかも知れない。

 技術的には数々の魔法を駆使していた古代王国期。更にそれより古い超古代文明期に比べ、今の世界はかなり技術的に後退しているらしい。

 栄華を誇った古代王国は約千年前に原因不明で滅んだが、今でもその残滓が世界のあちこちに残っており、魔法も細々と継承されている。

 

「光よ」

 

 ぽわっと目の前にピンクの光源が浮かんだ。あたしは魔法の杖を水平に掲げ、それを維持しようと努める。

 

「揺れてますよ」

 

 ニナが口を挟む。言われなくても光は今にも消え入りそうな弱々しさで、揺らめいている。やがて一瞬明るくなったかと思ったら、ふっと消え失せた。

 

「失敗ね」

 

 ニナが鎧戸を押し開けると外の陽光が部屋を満たした。初歩的な魔法【幻光】はまたしても短時間で終わった。

 

「灯せるだけでも凄いですけどね。ニナには出来ません」

 

 種族的にはあたしは半妖精(ハーフエルフ)らしい。妖精族の中でもエルフ種は魔法に秀でた種族であり、ハーフでもその性質を引いているのだそうだが、残念ながらあたしには才能が無かった様だ。

 幾つかの初歩的な魔法はそれでも扱える。だが、威力という点からしたら落第だろう。

 

「午後は剣の練習にしますか?」

「面倒くさい。久しぶりに外へ散策しようかしらね。明後日から航海だし、暫く、町ともお別れになりそうだから」

 

 ベレー帽を頭に乗せ、眼鏡をかけ直す。

 

「どうせ、親方の所でしょう」

 

 ニナがサマーマントを掛けてくれる。色はお気に入りの空色。

 

「良く分かってるじゃない」

「…お供します」

 

 拾われてから五年が過ぎていた。あたしはルローラ家の養女として育てられ、それにふさわしい色々な教育を受けていた。

 

「あ、姫様」

「姫様。ご機嫌うるわしゅう」

 

 館を出ると町の人々が挨拶してくれる。

 ルローラ家は爵位こそ無いが貴族である。土地の名と同じルローラの名を持つ荘園を幾つも所有する士族(ユンカー)で、爵位持ち領主に関する幾つかの特権はないが、下手な男爵家を凌駕する勢力家。おかげで養女のあたしも、ここでは姫様扱いだ。

 手を振り返したり、にっこりと会釈しながら歩くと数分で目的地に到着。

 港に面した造船所。商都にある様な十指を超えたドライドックを持った立派な作りでは無いが、それでもこの辺りでは一番の規模を誇る。

 

「お、エロコ嬢ちゃんか」

「! 姫様と…」

「ニナ」

 

 いきなり激高するの発言ニナを腕で遮り、あたしは親方、マイスター・ブラートに頭を下げる。

 エルフ種にしてはがっしりとした体付き。だが彼はセドナと同じく森林に生きる狩人の道を捨て、造船の道を歩んだ変わり種だった。

 

「今日も勉強しに参りました」

 

 マイスターは日焼けした顔を苦笑させ、「立ち話も何だ」と言いつつ、奥の自室へあたしを案内する。

 

「あれがあたしの乗る船ですか?」

 

 ドックの脇を通る際、一隻の小さな帆船が修船作業に追われているのが見えた。船底の蛎殻を搔き落とした後、船体へ防腐用のタールを塗り直している。

 

「ドライデン。俺の作った船じゃ、一番古いキャラベルだな。色々と手直ししてきたが、まぁ、今度の航海で引退だろう。整備は完璧を期すから安心しな」

「二百年前のボロ船です」

 

 ブラートとニナが同時に答える。後で聞いたが、新造時そのままで残っているのは鐘と舵輪位らしい。何とまぁ、愛着を受けた船だ。

 

「なんで、こんなくたびれた船が用意させられたのか」

「ニナじゃ理解出来ねぇか。おっ、着いたぜ」

 

 造船所長室。分厚い扉を押し開けて我々一行は中へ通された。それなりに調度は整っているが、質実剛健な簡素な部屋である。

 

「製図道具はいつもの場所だ。っと、その前に何かお茶でも用意すべきだったかな?」

 

 ブラートは頭を掻きながら、サモワール(茶沸かし器)の置いてある自分の席へと向かう。あたしは頷くと部屋の一角にある製図台へと向かった。

 

「…で、今度の航海。エロコが王家への名代を任されたのは、やっぱり訳ありだろう。王都の学校へ入るってのが本当だとしても、な」

 

 サモワールから出る水音と共にお茶の香りが漂う。

 

「義母の意向です。と言うより、ルローラ家はどちらへ付くのかを計りかねてます」

「御前様…、つまり引退した前国王が亡くなって半年。国王は姿を見せず、今、王宮内で権勢があるのは帝国派の側室だぜ?」

 

 王国は現在、国王不在と言う危機に見舞われている。国王が死んだ訳では無い。行方知れずになっているだけなのだが、今、女王として仮の国主で采配を振るうマルグリット王妃には、王女がいるだけで幸か不幸か跡継ぎがいない。

 対して側室であるジナ王妃は幼いが王子がいる。

 つまり、マルグリッド妃が将来的に王太子へ王位を譲る事になるだうと予測されているが、問題はジナ妃の出身が帝国である事だ。

 マーダー帝国は強大な軍事国家。北方の隣国であり度々、王国と衝突を繰り返していた。政略結婚の形で帝国皇室からジナ妃との輿入れが行われた後は、国境付近での小競り合い程度に落ち着いたけど、それでも火種はくすぶっている。

 現に数年ぶりに帝国の挑発行為が増えている。

 非正規軍、つまり山賊まがいの傭兵が国境で略奪行為を繰り返しているとかだけど、裏から誰が糸を引いているのかは王国はうすうす感じ取っている。挙げ句、討伐を名目に『良かったら帝国軍を派遣する』とも打診するマッチポンプぶりに、国境付近の領主はストレスを溜めているらしい。

 

「あれ? 両王妃の仲は悪くないって聞いていますが」

 

 これはニナ。

 

「そう単純には行かないのよ。困った事にね」

 

 烏口に墨を入れながら、あたしは呟く。一応、貴族子女の手習いとして、あたしも帝王学を囓っている。

 問題は本人がではなく、その後ろ盾となっている派閥がなのだ。

 

「田舎士族にとっては、どちらへ付くかは死活問題だからな。ま、近いうち宮廷闘争は起きるだろうがね」

「『さて、私は養女ゆえ、当主の考えは即答しかねます』と、のらりくらり言い逃れるつもりですが…なるべく頼りにならぬ、困窮した田舎者だと印象付けて」

 

 目の前に置かれたティーカップを口へ運ぶ。正直、宮廷闘争やら社交界は面倒くさいのだが、拾ってくれた恩もあり、嫌だと言える立場でもないので文句も言えないわ。

 

「上出来だな。今は確かに日和っているのが正解だ」

「内乱が起きたら、あたしの人生設計が狂いますからね」

 

 それは家から出て独立する事だ。いつまでも、このルローラ家の世話になるのも心苦しい。しかし、家の荘園は限られており、あたしに回る余裕なんぞ無い。実子の方々だって家を出て独立しているのだ。

 ルローラ家が元々、南大陸から王国へ移住してきたのも海に生きる民であったからで、これは森林に生きる妖精族には珍しい背景を持つと言える。よって家業も海運や漁業、そして私掠船主として軍務に当たるのが伝統となっている。

 一族は海へ出るのが慣例となっており、あたしも何回か航海に出ている。でも、船乗りとしてのあたしは余り優秀な方では無い。どちらかと言えば、船を建造する技師の方が性に合っており、こうして勉強もしている。

 

「エロコ様が海軍士官学校に入る前に国が潰れたら困りますからね」

「当たり前。タダで設計の勉強が出来てしかも給金が出る、美味しい学校なんて天国があるのに、潰されては堪らないわ」

 

 図面に墨入れしつつ、ニナへ本音を語る。

 国の海軍士官、しかも技術将校になるのがあたしの夢だ。運良く海軍に留まれれば将来は安泰だし、例え軍務に就けなくとも、造船技師なら民間で潰しが効くとの皮算用もある。だからせめて学校卒業まで、王国が内戦に入って貰っては困る。大変に困る。

 

「才能あれば、魔導士になれたんだけどね」

 

 先程の魔術行使の通り、自分の魔術的才能は決して高くない。半分妖精種であるのだから、特性的には高い潜在魔力を持っているらしいのだが、そっちの方には開花しなかったのだから仕方が無い。

 

「国立魔導学院はルローラ家の定番コースだが、俺としちゃ、お嬢を弟子が出来る方が嬉しいかな」

 

 実際、義兄、義姉らの何人かは正規の魔導士だし、それに関連する仕事に就いている。魔導杖よりも計算尺の方が得意なんてあたしは、家の中では異端だろう。

 

「はぁ…。この男が師匠とは。こんな所に案内するんじゃありませんでした」

 

 ニナがため息をつく。

 

「酷い言い草ね。あたしは感謝してるわよ」

 

 あたしを親方と知り合いになれたのはニナのお陰だ。領内を色々と案内する際に、確か森林、農園、そして造船所を含む港町の順だったかな。そこで造船所を見学して親方と出会い、今に至る。

 あたしは自分が何者かが分からない。一応、年齢は15歳となっているが、それも推定に過ぎない。そして何事に付けても、無感動で人形の様だったと周りの者は語る。

 運動や勉強は卒なくこなし、記憶力も良いと褒められていた。だが、反応は機械的で自分から率先して何かを始めようという気概は無かった。

 そのあたしが唯一、反応を見せたのが造船だった。「あれをやってみたい」と自ら興味を示したのだ。それは、ほんの三年前の出来事だったと言う。

 セドナは「良い傾向じゃないか。やってみな」と勧めてくれた。

 感情的な面が戻ってきたのはその時からだと言う。あたし本人には自覚は無いのだけどね。ニナが言うには、喜怒哀楽が表に出てきたのは確からしいわ。

 

「王都までは俺が送ってやる。船長としてな」

「マイスターが同行してくれるのですか?」

 

 マイスター・ブラートが片目を瞑った。

 

「あの船の最後の航海だ。見届けてやる必要があるだろうよ。

 ん、だいぶ巧く引ける様になったな。清書が終わったら持って来い。それとお替わりの茶は適当に自分で淹れろ。幾ら飲んでも構わんぞ」

 

 現場へ戻る親方の声を背中で聞きつつ、あたしは製図引きに没頭した。

 

〈続く〉

 




大気圧機関はニューメコンのスチームエンジン相当です。まだ、ワットまでは達しておりません。
ファンタジーと言いながら、魔法は全盛期よりも衰退し、一部の科学技術は中世よりも近世寄りです。

作者の励みになりますので、出来れば感想を宜しくお願い致します。
ログイン不要になっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

海魔

〈幕間〉

 そりゃ、貴族の方と親しくなるのは初めての経験でしたよ。

 客として泊まりに来る方だって、基本は最低限の接触で放置ですしね。もし何かの拍子に貴族様の秘密の会話でも聞いてしまったりしたら、面倒臭いじゃないですか。

 うっかり関わったばかりに、因縁を付けられてその場で手打ちにされる、なんてのも珍しくないんですからね。

 表向き、法は守ってくれると言うのが建前ですけど、そんなのは気休めに過ぎないってのを、あたしら平民は理解してますからね。

 闇に葬られないにしても見舞金としての幾ばくかの金貨数枚分があたし代価でしょう。

 無論、あたしはその際に死んでるから、それを貰えるのは国と遺族だけなので、あたしは死に損です。

 

 うーん、何て言うのかな。

 その貴族の少女は傲慢な所もなく、『姫』と呼ばれていた反面、身分差による見下しもなく、本当にごく普通に接して下さったんです。

 グリューナ号に三等船客として乗ってた時、貴族階級に汚い物を見る目つきで蔑視されていた時とは違い、彼女は雲の上の存在だと思っていた貴族を、初めて同じ人として見る事が出来たのが新鮮でした。

 それにあたしは、こんな出自ですしね。

 

『船宿女将、ラーラ・ポーカムの語り』

 

 

〈エロエロンナ物語2〉

 

「風が気持ちよいですね、姫様」

 

 数日後、あたしは侍女のニナを伴って王都へ向かう船上の人となっていた。

 

「ええ」

 

 修繕が済んだばかりのキャラベル船、ドライデンはタールの匂いがきつかったが、甲板に上がって風を受けているとその匂いも気にならなくなるわね。

 

「さんざボロ船と罵っていたのに、いざ船に乗るとニナの態度が一変したわね」

「当然です。私は私掠船主になりたいんですから、このままずっと航海していたいくらいです」

 

 ニナは元々、船乗りとして実家に仕えた海の女。本質的には身体を使う体育会系で、どちらかと言うならインドア系のあたし付きの侍女に向いた性格では無い。

 

「王都に着かなければ困るから、ずっと航海は却下」

 

 一応は家の名代だからね。

 

「分かってます。ああ、でもやはり現場はいいですね」

 

 ニナは「マストに昇る」と伝えると、ウサ耳族らしい俊敏な動きで縄梯子をするすると上がって行く。生き生きとした表情がまぶしい。

 

「…士族か」

 

 我がルローラ家は森を後背にした海に面した土地を領地にしている。当主がエルフ族らしく森林生活を営むかと思いきや、主な産業は林業の他は私掠船の運営。

 私掠船。つまり、我がグラン王国に公認を受けた国家海賊の事。

 海賊と言っても無論、自国の船は襲わないわ。また、普段は海賊専門では無く、貿易に携わっている方が多い。

 そしていざ戦争になると海軍の一部として戦力の一部に、と言うか、伝統的に陸主海従な王国はまともな海軍が無いので、実質的な戦力になるの。

 艦隊ってのは平時には維持に費用が掛かるから、王国直属の艦船なんてほんの数隻。残りは各地の領主が持ち船を集めて艦隊を作る。

 国は徴集された艦隊へ海軍士官を派遣して、船の指揮を執る。

 その戦力を維持するために、王国はルローラ家の様な爵位を持たぬけど、小金持ちの平民や荘園主へ私掠船免状を交付して士族の位を贈っている。

 つまり、ニナが晴れて私掠船主へなれたなら、平民から士族へと成り上がれると言う事。

 

「一代限りだけど、成功すれば世襲貴族並みかそれ以上になれるチャンスか」

 

 士族(ユンカー)。俗的に言えば騎士(ナイト)も含まれる階級は下級だけど、それでも貴族の仲間入りとなり、社会的ステータスは飛躍的に上昇するわ。

 当然、地位に見合う義務は課せられるわよ。その中には軍役も含まれるの。しかし、士族には大艦隊を持つ者など殆どいないわ。所有船一隻だけと言う、いわゆる一杯船主が多数。でも、こんな寄せ集めでも、常設の海軍を置くよりは安上がりなのよね。

 

「あたしも士族を目指さないと…な」

 

 今の身分は士族令嬢。言ってみれば義母であるセドナの七光りに過ぎない。士官学校を出て軍功を得れば、上手く行ったら士族の仲間入りを果たせるかも、って皮算用は立ててあるけど、正直、それは甘いと自分でも思う。

 あたしは養女で家に対する継承権が無いから、もし海軍に仕官出来なかったら、政略結婚の駒だろう。まぁ、拾ってくれた恩もあるし、これは仕方ないわね。

 それでも初めっから駒では無く、義母がこうして別の道を用意してくれた事には感謝したい。だって、言うならばあたしは、何処の誰とも分からない馬の骨だからね。

 

「姫様。右舷に船影。あと、水柱か何かが見えます!」

 

 あたしの考えを中断させたのは、緊迫したニナの叫びだった。

 

「水柱?」

 

 慌てて舷側に駆け寄ると、水平線近くに鯨の潮吹きを何十倍にもスケールアップした様な、確かに水柱としか表現出来ぬ物が視界に飛び込んで来た。

 

「海魔か! 見るのは二十年ぶりだが」

 

 いつの間に居たのか、あたしの隣でマイスター、いや今の立場は船長ね、が呻いている。って、さらりと呟いてるけど海魔って海の魔物よね?

 

「あ、やられた」

 

 先程、報告にあった船影。シルエットからでもこのドライデンなんかより、大きさも装備も立派そうな帆船が突進する海魔の体当たりを受けて、一撃で粉々に砕かれた。

 

「急げ、先の船には悪いが、一刻も早くここから離れるんだ」

 

 薄情かも知れないが、船長の判断は正しいとしか言えなかった。

 海魔には普通の武器は通じない。例え弩砲(バリスタ)を沢山備えた戦闘艦でも意味はない。大威力の攻撃魔法でも無い限りは抗っても無駄な存在。

 そしてその生態は謎に満ちている。何せ本体は水の中だからね。

 浮上時に出現する水柱のみが目撃例の大半だし、突然、真下から奇襲されたらそれすら見る事も敵わない。

 幸い海魔の関心は、まだこのドライデンには向いてない。悔しいが、ここは尻尾を巻いて遁走するのが正解。

 水夫達が甲板を駆けている。補助の帆が幾つも張られ、滑車がうなりを上げて巻き取られて行く。こんな時、あたしは何も出来ないと自分の無力を痛感した。

 

「海魔が沈みまーす」

 

 ニナの声にあたしははっと顔を上げた。見ると水柱は消え、黒い影が海面下へ没して行く姿が目に映った。

 

「助かったのかしらね?」

 

 でも油断は出来ない。

 

「あのー」

 

 海魔が鯨の化け物みたいな物だとしたら、水面下を密かに押し進み、この哀れなボロ船を板切れに変えるなんか造作も無いはずだから。

 

「えーと、宜しいでしょうか」

 

 あたしは舷側から身を乗り出すと、海魔の消えた辺りを…。

 

「もしもーし」

 

 ってうるさい。

 

「ニナは少し黙っていて!」

「エロコ様、ニナは何も言ってません」

 

 ニナじゃない。そう言えば声は上からではなく、下から聞こえた様な…。視線を下に向けると、見慣れぬ人影が喫水線の近くに認められた。

 

「あー、やっと気が付いてくれましたぁ。船の上に引き上げてくれませんか」

 

 黒髪。そして白い肌の少女は気絶した少年を背負って、波に飲まれまいと必死に船腹にしがみいていたのだった。

 

            ◆      ◆      ◆

 

 船上に引き挙げられた彼女はラーラと名乗った。海魔に沈められた船の船客であり、同じ船客である少年をとっさに救って、海の中を漂流していたのだそうだ。

 と言う事は、海魔は既に何隻もの船を餌食にしているって事よね。

 

「いきなりで海に放り出されて。だから、私もこの男の子が何者かは知らないんですよ。あ、お茶をもう一杯頂けますか?」

 

 ラーラは屈託の無い笑みを浮かべてカップを突き出した。身にまとう裾の長い実用的なエプロンドレスは、仕立てから身分は町娘っぽい。

 対する少年、こちらはまだ気絶したままだけど、は地味だが上流階級の子息にふさわしい装いをしている。

 

「グリューナ号か。確かロートハイユ公爵家の持ち船だったな。東の皇国との航路へ就いていた奴だ」

 

 ブラート船長が尋ねる。撃沈されたあの船は、ロートハイユ公爵家の船だったらしい。あそこ金持ちなのよね。

 

「はい。私は皇国へ行く途中で下船する予定でしたけど」

「うちは王都へ行くんだが、大丈夫か?」

 

 船長が顎に手を添えてラーラに問う

 

「あはは、助けられたんだから文句を言うとバチが当たります。ただ…」

「ただ?」

 

 ラーラは全財産が海没してしまった事を告げた。元々、東行きの船に乗って珍しい香辛料を仕入れる予定だったのだが、なけなしの元手が全て海の底へと消えてしまい、途方に暮れている、と語る。

 

「気の毒に…。しかし、俺にはどうする事も出来ん」

「ですよねぇ。取りあえず次の港まで乗せてくれませんか?」

「この船、王都直行だぞ」

 

 思い出した。王国は温暖な気候な為に香辛料と呼べる植物はハーブを除いて育たないから、それが入手可能な東方から輸入しているのよね。

 でも陸路では行き来が難しい。それは皇国との間に広がる危険な大砂漠地帯のせい。隊商を組んで行き交う者はあるけど、流砂他の過酷な環境やモンスターに盗賊なんかの危険があって、交易は海路の方に比重が移りつつある。

 例え、生還率が半々の丁半博打でも、成功さえすればかなりの儲けを見込めるのよね。

 

「もっと安全な船が作れれば…ううん、任せて。絶対安全な新型船を設計してみせるから!」

「姫様。ラーラがどう反応して良いか、困ってますよ」

 

 水夫の呆れ声。気が付いたら、彼女の両肩に手を置いて力説していたようだ。

 

「あ、ごめんなさい。あたしはエロコ・ルローラ」

「ラーラ・ポーカムです。先程は助けて頂き、感謝します。えーと、姫様だから高貴なお方なんですよね」

「田舎の士族令嬢よ。そんなに高い身分じゃないわ」

 

 姫なんて呼び名は領内でしか通じないだろう。特に男爵以上の子息、令嬢がわんさかいる王都ではお笑いよ。

 

「いえいえ、それでも貴族の方には失礼は出来ません。あたし実家は船宿なんです。宿泊客の方に失礼していては、商売あがったりだと祖父から教えられておりますし」

「へぇ、どこの宿だい?」

 

 ラーラの発言に船長が興味を持ったみたいだわ。

 

「スキュラ亭です。エロンナ村の」

「ああ、そこか。素通りしちまうな。済まん」

 

 あら、盛り上がってるわね。ん、エロンナ村?

 

「エルフィン(妖精語)だわね。『光る村』?」

「名前は素敵ですけど、ポワン河々口の東岸にある集落に過ぎねぇぜ」

 

 ラーラの後を船長が継ぐ。

 

「姫様はご存知ないでしょうね。砂漠の入口にある寂れた村ですから。ほら、あそこの砂は石英が多くて遠目にも輝いているでしょう?」

 

 白い砂が砂糖菓子みたいに輝いているから、砂漠を旅する人は眩しさから目を保護しないと痛めるって話よね。

 

「ああ、だから光る村なのか。あの大河東岸に集落なんかあったんだ」

 

 ポワン河はグラン王国でも最大規模を誇る大河。この船みたいな喫水の浅い船なら遡行すれば王都まで直接乗り付ける事が出来る。

 

「小型船が補給目的で寄航するけど、基本的にはエロンナは寒村ですねぇ。名前は妖精族の初代村長が付けたって聞いてます」

「その村、ルローラ家の領地だった気がするな」

 

 船長の何気ない言葉に、え?となる。そう言えば、幾つかの領地は遠隔の飛び地にあるとは耳にしていたけど。

 

「エロコ様」

 

 そこへ船内からニナがパタパタ駆け上がってくる。

 

「漂流者が目を覚ましました!」

 

            ◆      ◆      ◆

 

 ラーラと共に助け上げられた少年。

 明るい金髪を持ったヒト種の男の子だ。身長は150cm位だろうか。色白で華奢な体付きをしている。

 

「…喋ってくれないわね」

「どうします?」

「かなり怯えてるみたいですねぇ」

 

 かなり狭い船室でぎゅうぎゅう詰めになりながらの三者三様の意見だ。

 勿論、あたし、ニナ、ラーラの三人よ。ベッドに腰掛けて顔も上げない少年を前に途方に暮れているってのが真相だけど。

 

「えと、私はエロコ。良かったら、何か話してくれないかしら?」

 

 もう一回乞うてみるわ。

 

「出来れば何で東方へ行きたかったとか、これからどうする気なのかとか、今後の身の振り方に関係するから、答えてくれると嬉しいな」

 

 顔を覗き込むけど無反応。困った。あたしもルローラ家の一員だけど、権力を持ってない養女だから、自由になる権限はあまりないんだ。

 

「聾唖者(ろうあしゃ)かも知れません」

 

 ニナが呟く。

 

「背負ってた時にうわごとを耳にしてますから、喋れると思いますねぇ」

「何て言ってたの?」

 

 ラーラは暫く目を瞑ると、「父上、母上、だったですねぇ」と呟いた。

 少なくても庶民ではなさそう。と少年をあたしは判断する。

 

「向こうの船に乗ってた時に見かけた事ありましたか?」

 

 ニナの問いにラーラは首を横に振った。曰く「あたしは三等船室客ですから」だ。確かにこの身なりから、少年は船室を取れる身分よね。船底にハンモックか雑魚寝の三等船客とは同じエリアに立ち入る事はなさそうだし。

 

「歳からして両親とか、家令か護衛みたいな大人の保護者が付き添っていると考えた方が自然なんですが、見ていませんでしたか…」

 

 三等船客は一番運賃が安いだけあって、殆ど荷物扱いで乗船させられる。食事になっても食堂に招かれる事は無い。窓の無い暗い大部屋で航海中は甲板に出る事も許されない。だって、甲板は船室を取れる二等船客以上の場所だから、三等に乗る様な下層民が視界の端にうろついていたら迷惑と言うことらしい。

 あたしは全然迷惑では無いんだけど、まぁ、上流貴族様や富豪みたいな階級ともなると、無役な士族令嬢と違い、色々あるってのは理解出来なくも無い。

 それはともかく、ラーラがそうであった以上、甲板で少年とその保護者の姿を彼女が目撃する機会は無い。手掛かり皆無という事だ。

 

「まだ時間が必要なのかも知れないわね。でも、どうしよう?」

「良かったら私に任せて貰えませんか。同じ漂流者同士だし、これでも船宿屋の娘ですから、子守には慣れてますからぁ」

 

 ラーラが申し出た。

 

「ニナは構いませんが、姫様はどうなさいますか?」

 

 勿論、あたしも異存は無い。

 

「済まないわね。でもいいの?」

「はい、お任せです」

 

 任せなさいとラーラはどんと胸を叩いた。

 

〈続く〉

 




連投ですが第2話目をお届けします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ファタ・エロイナー女伯

〈幕間〉

 

 数万年昔に滅亡した超古代文明。それは謎に満ちている。

 古妖精族の口伝として伝えられる超古代文明が行った行為が、余りにも人間離れしているからだ。

 天にも届く巨塔を作り、光に満ちた眠らぬ都を一夜にして造り上げ、豊穣なる大地を一瞬に不毛の砂漠へと変える。

 現代人は大規模な魔導の技が使われた物と理解している。だが、それは違う。超古代文明は古代王国や現在の文明が基幹とする、魔素を用いなかった文明なのだ。

 信じられないが彼らは魔法ではない、別の高位な何等かの技術を持っていたのだ。

 

『ノルーデンの歴史書より』

 

〈エロエロンナ物語3〉

 

 それからドライデンは順調に航海を続け、二日後にはポワン河の河口に辿り着いた。

 

「いつ見ても目を疑う光景ね」

 

 今まであたしたちが航行してきたポワン河の西岸は緑豊かな山野が広がるのに対して、東岸は乾燥した不毛の砂漠地帯だ。陽の光を受けて白い砂がきらきらと輝いている。

 王国が主張する国境線は遙か東だけど、凶暴な怪物も多く、住む民も殆ど居ない砂漠は国土としたら無価値なんだろう。東からの脅威を食い止める防壁として、この河が事実上の国境線と認識されている。

 

「あ、あそこがエロンナ村です」

 

 ラーラが指さした先には、白い砂に埋没しかかっている様な小さな集落があった。村の港は小さく、あれでは大型船は寄港不可能だろう。

 

「じいちゃんごめん。王都経由で帰ってくるよ」

 

 無情にも村の側を通過して行く船上から、ラーラは手を合わせて謝っている。もっとも三角州に大小無数の河が流れている関係で、側と言っても本流からはかなり離れてるんだけど。

 

「姫様、古代の戦争ってどんなだったんですか」

 

 ニナは呆れ顔だ。確かにポワン河は幅が数キロにも及ぶ大河だが、河の左右でこれだけ地形と気候が一変してしまうのが大古の戦争の結果だとしたら、想像を絶する。

 

「さぁ、元々は西岸と同じく、緑豊かな沃土だったと伝えられてるけど、ハイロード種の妖精族でも無い限り、正確な歴史は分からないでしょうね」

 

 全ての妖精族の故郷、南大陸の妖精王国にはその歴史を知る者も居るんだろうと思う。でも、彼らは口をつぐんで何も言うまい。

 地形や気候まで一変させる戦い。今は失われた大規模な魔導が用いられたんたろうけど、これが現代まで伝わってないのは、僥倖なのだろうか。

 

「………」

 

 ラーラの隣には例の少年。やはり無言だ。海水に濡れた高価な仕立てのブラウスやズボンは脱がされ、今は船員達の身に付ける水夫服が着せられている。まぁ、これはラーラも同じで、あたしの着替えだったシンプルなドレスを着せられている。

 ニナの服はウサ耳族の民族衣装。肩出しで太もも丸出しの『バニースーツ』と呼ばれる露出度の高い服だ。流石にウサ耳族以外は着るのを躊躇われるから、あたしの着替えの出番となったのよね。

 因みにラーラには「わぁ、こんな上等な服、初めてですぅ」と感激されてしまった。いえ、あたしの服なんて貴族令嬢としては安物ですよ?

 

「お嬢。本流に入った。ここからは流れに逆らって遡行するので船足は遅くなる」

「有難う、船長。それで王都への到着は?」

「何も無いのなら三日後。予定通りだな」

 

 ここまでは海魔に遭遇した以外は、概ね順調な航海だったと言えるわね。

 

「あ…」

 

 そんなとき、今まで言葉を発しなかった少年が口を開いた。

 

『ぴーよーよー、ぴよよー』

 

 な、何? この頭の中に響いてくる不快な音色は。

 

「ニナ、調子っぱずれの笛の音みたいのが聞こえるんだけど…」

 

 ニナのウサ耳がびくんと動く。ウサ耳族に限らず、獣人は普段の生活に使う普通の耳と、人間や妖精には聞こえぬ音を捉える獣耳の計四つの耳がある。

 

「いえ、姫様。ニナには何も」

 

 聴覚の鋭いウサ耳族だけあって、ニナが嘘をついているとは思えない。じゃ、これは何?

 そう考えた時、船の前後から舟影が現れる。

 

「KILL」

 

 手漕ぎの小舟だ。但し、その船上にはぎっしりと黒ずくめの人影が詰まってて、白刃に煌めく物騒な武器を掲げている。

 

「KILL」

 

 あれは槍かな?

 

「野郎共、戦闘配置だ!」

 

 即座に船長の号令が飛び、あたしへ一礼をして離れて行く。だが突然すぎて、弩砲の準備も間に合いそうもない。

 

「姫様。奴らキル(殺す)とか物騒な事を呟いてませんか?」

「あたしにもそう聞こえるわ。って、私掠船を襲う賊なんて居るのね」

 

 何て命知らず。と呆れてしまう。

 

「KILL」「KILL」

 

 あたしは愛用のカトラスに手を伸ばした。女貴族や女騎士はレイピアみたいな優雅な細剣を愛用するものだけど、私掠船乗りとして海戦主体のルローラ家での獲物は船上で扱い易い短めのこの曲刀だ。

 

「KILL」「KILL」

 

 こいつらキルキル言いながら、登ってきたわよ。同時に頭の中の騒音も『ぴーよよーよ、よよよー』と一段と激しく、五月蠅くなってきたわ。

 

「姫様はお下がりをっ!」

 

 ニナが叫んで先頭で登ってきた黒ずくめを蹴り落とす。バニースーツから伸びたすらりとした長い足が一閃すると、相手はそのまま吹っ飛んで水面へ墜ちる。

 他の船員もニナ同様、甲板に立つ前に賊を叩き落としているらしく、あちこちで水柱が上がる水音が響いてる。

 

「KILL」「KILL」

 

 だけど数は多い。間もなく、乗り込んできた連中と船員達の剣戟が始まってしまった。

 

「ラーラ、船室へ!」

 

 あたしは少年とラーラを護衛しつつ、じりじりと後退する。ニナは既に側におらず、カトラスを抜いて敵と切り結んでいる。

 あたしだって刀槍は扱える。貴族子女の嗜み程度と侮っては困る。これでも海賊を生業とする家の娘として育てられたのよ。市井の暴漢を返り討ちにする位は容易いと自負しているわよ。

 だけど、それだけ。今目の前で行われてる殺し合いに関しては、圧倒的に実戦経験が足りない。ニナや義母は「要は慣れ」とも言われているけと、これ、慣れる事は出来そうも無いわ。

 

「KILL」

 

 が、向こうはそんなこっちの事情に合わせてくれる訳は無い。どう考えても戦う力の無いラーラと少年を船尾楼の船室へ押し込めると、扉の前で楯となったあたしに、ついに賊の一人が踊りかかってくる。その槍の一撃をがしっとカトラスで受け止める。

 

『ぴーよーよー、ぴよよー』

 

 まだ頭の中ではあの怪音が響いている。

 

『ええぃっ、五月蠅いっ。こっちは斬り合いに忙しいのよっ!』

 

 鬱陶しい。あたしは心中で思いっきり叫んでいた。

 

『!』と、頭の中で誰かが息を止める気配がした。同時につばぜり合いに勝ったこちらの刃が相手を薙ぐ。

 

「な…に?」

 

 あたしのカトラスは、呆気無く敵の横腹を切り裂いていた。斬り捨てられた黒ずくめはバタリと倒れて動かなくなった。あの笛の音が途絶えている。

 うわ…これであたしも人斬りの仲間入りなの。ねぇ?

 

「お、おい」

「な…何、これ」

 

 当惑したニナ達の声にはっとなって、あたしは周囲を見回したわ。見ると襲撃犯達は一人残らず床に転がっているじゃない。

 

「どうしたのニナ? 報告なさい」

 

 あたしは愛刀を鞘へ収めながら、呆然と立ち尽くす侍女へ命令した。

 

「奴らが動きを止めました。そしてばたばたと力を失って自滅したんです」

 

 あたしは床に転がる黒ずくめ共に目をやった。そして自分の斬った相手を確かめる。

 

「…あら、血が出てないわね」

 

 不作法だけど相手を蹴った。お気に入りのブーツを履いた右足が賊の身体をすくい上げてひっくり返す。ごろりと転がる衣服の切れ目から、青黒い油粘土の様な地肌が見えた。筋肉や内臓らしき物は無い。

 

「クレイゴーレム?」

 

 内心、「ああ、まだ殺人には手に染めてない。セーフ」との気持ちと、「敵は魔導士が錬金術師。厄介ね」という判断が入り交じる。

 

「姫様…」

 

 ニナが不安げにあたしを見る。

 

「あたしは専門家じゃ無いけど、これが傀儡の類いである事は分かるわ。船長、証拠になる一体をふん縛って、後は河へ投棄しなさい。また動き出したら面倒だから」

「了解だ。それっ」

 

 船長が敬礼すると水夫達にてきぱき指示を下して、クレイゴーレムをどんどん舷側から放り出して行く。

 

「あの~、チャンバラは終わりましたかぁ?」

 

 背後の扉が開いて、キョロキョロ辺りを窺うラーラが、その場にそぐわぬ間抜けな声を出した。

 

               ◆    ◆    ◆

 

 王都ハイグラード。

 国内最大の都市だ。ドライデンはその河港の一角に停泊していた。

 

「献上用の積荷は、一旦エロイナー商会に移して保管して貰います。姫様達も商会へ宿泊予定です」

「船長達は?」

「拾い上げたラーラとガキ、おっと坊主を連れて船宿の風鈴亭へ泊まる予定だ」

「いつもの定宿ね。出航予定日は…オーケー、後で顔を出すわ」

 

 埠頭で打ち合わせをしていたら、がらがらと車輪の音を響かせて高級そうな露天馬車がやって来た。御者台にニナが座っている。

 

「姫様。お待たせしました」

 

 馬車の側面にはエロイナー伯爵家の家紋がある。あたしはその車中の人となり、エロイナー伯爵家別邸へと向かう。

 

「ファタ義姉様って、一回しか会った事無いのよね」

「ニナも三回位しかお目に掛かってません。商会には何度か出入りしてますが、姫様とニナでは立場が違いますし…」

 

 あれから襲撃に警戒する日々が続いたけど、幸い、再襲撃も無く王都へ到着したわ。あたしは義姉であるファタ・エロイナー女伯を頼る事にしたの。

 まぁ、襲撃があろうが無かろうが、王都では女伯を頼る事は決定事項だったんだけどね。だって、ルローラ家には王都に屋敷が無いから。

 

「あんまりあたしに好印象を抱いてない雰囲気があるのよね。五年前は赤の他人だったから仕方ないんだろうけど」

 

 義母のセドナは「王都へ別邸持つなんて無駄。国政にも関わらないし、社交界にも出ないんだから」と言って、王都にある別邸(タウンハウス)を廃止してしまったそうだ。その代わり、共に貴族であるファタ義姉様とエルン義兄様が、王都における目となってセドナの仕事を代行してくれる様になったという。

 

「姫様は名前にエロが入ってるからじゃないですか。もし、将来独立の際に分家が出来て、家名にもエロが入ったら、エルフ的には凄い名誉だから、ファタ様が嫉妬してるとの噂が…」

「ないない…と思いたい」

 

 そう。エルフィン(妖精語)でエロは『光』とか、『輝き』って意味ね。だからエロって単語は大変に名誉があるのよね。エロイナーも『素晴らしき輝き』って意味だし。

 

「まさかですが、河口での襲撃はファタ様が黒幕で」

「あたしに将来エロが二つネームに入る位で、それは無いでしょう。一代で王国有数の商会をお創りになった方だし、その聡明さはあたしも憧れてるんだから」

 

 三代前の国王の時代、帝国との戦争で頭角を現し、その功績で貴族となったのがファタ姉様だ。王立魔法学院の主席で王国軍の一員として多大な貢献をした。

 従軍中に学園在学中からの同級生に見初められ、結婚。今は軍務や国政から身を引いて、代わりに夫の商家を引き継いでエロイナー商会を創立し、経済界の重鎮になっている。

 

「そんな義姉様が、まだ海軍士官学校にも入ってない青二才に嫉妬なんて、ねぇ?」

「…また自分を卑下する。姫様は充分凄いですよ」

 

 そんな会話を交わしつつ、賑やかな大通りを進んで行くと、ひときわ重厚な四階建ての建物が見えてくる。エロイナー商会本店兼エロイナー伯爵家の別邸よ。

 店頭にいた商会員に目的を告げると、あたし達は商会の奥に通された。当主である義姉はすぐ来るとの話で、暫く応接間で待つ事を告げられる。

 待つ事、十数分。

 

「お待たせしたわね」

 

 妖精種らしい背が高く細身。シンプルな緑のドレスに紫がかった銀髪を高く結い上げ、手に高価そうな魔法杖を持っている。三百歳を超えてる筈なのに見た目はヒト種では、まだ二十歳前後に見える女性。ファタ・エロイナー女伯だ。

 

「お久しぶりです。今回は義母の名代として租税他の納税を任されました」

「貴女に出来るの? まぁ、お手伝いしますけど」

「経営学は学んでおりますが、ファタ様に御教授願えるなら、是非ともその手腕を間近に見て勉強したく存じます」

 

 ほほほ、と義姉と上品に笑い合う。他人行儀なのが良く分かるわ。

 まだ値踏み段階。極端に好かれてなければ、嫌われている訳でも無い。とあたしは女伯があたしを現時点で評価していると判断している。

 例え身内であろうが無条件に信用したりはしないのが、帝王学を学んだ者にとっては常識だ。ましてあたしは妹だが、養女。血の繋がりすら無い馬の骨なんだから。

 

「…さて」

 

 暫くはルローラ領での出来事や、商会が扱う商品の市場動向等、当たり障りの無い世間話的な会話をしていたが、頃合いだろう。

 

「義母から王室に対して良からぬ噂を耳にしております。今、下手をすると国分裂の危機とか、国王崩御の噂は本当でしょうか」

 

 女伯は優雅に眉をひそめて見せた。

 

「ギース……じゃなかった、国王陛下は半年以上行方不明なのは事実よ」

 

 ギース・グラン王。命を何度も救った事で前国王陛下の一人娘マルグリッドに見初められ、冒険者でありながら王国の婿として認められた王。

 一応、廃絶した田舎の子爵家の出身とされてはいるが、それは王家との結婚に対して体裁を整えるだけの後付けだ。

 冒険者時代は良い腕をしていたのは確かで、戦士としての実力はある。女伯も何度か依頼を行ったばかりか、一緒にクエストにも同行したらしい。正妃、いや当時の王女に「ギース様の本質を見極めて下さい」と懇願され、一介の女魔導士を装ってだけど。

 王国に限らず、拓けて来たとは言うものの、まだまだエルダではモンスターやら山賊やらの危険が多い。何でも屋として活躍する山師達。気取って「クエスター」とか名乗ってる冒険者達の出番もまだまだ多いのだ。

 

「国政を放り出して自分から動いてしまうってのは悪癖よね。他者に任せられないってのは、王が臣下を信用出来ないって公言してる様な物だし、それでも、何とかなっていたのは正妃マルグリッド様と前国王陛下が優秀なため」

 

 女伯は優雅にお茶菓子をつまんでみせる。

 

「まぁ、クエスター(冒険者)上がりのあの方なら、多分、生きてるんじゃ無いかと思うわ」

「自信ありますね?」

「ギースの奴なら、殺したって死なないわよ」

 

 国王陛下を呼び捨ててるわ。

 

「あくまで個人的な憶測だけど、国王はわざと雲隠れしてるんじゃ無いかって気もする。それか逃亡ね。『王様でいるのが飽きた』って奴。あたしからしたらギースが良く、王宮なんて詰まらない場所で、二十年も王様でござい面が出来てるのか不思議だったのよ」

 

 あたしはお茶菓子をぽいと口に放り込んで、続きを促す。

 

「元々、風の様な自由人だからね。拘束されるのが嫌いで反権力的。本来はどう考えたって国王になる柄じゃないのよ。愛しているマルグリッドに請われて、王国を支えるって約束なんかしなけりゃ、あのギースが王冠なんか被るもんですか」

「はぁ」

 

 力説なさるなぁ。

 

「ああ、話を元に戻すわね。これ以上、ギースを思い出すと腹立ってくるから」

 

 女伯は息を整えると深く深呼吸した。

 

「では、お話の続きをお願いします」

「知ってるとは思うけど、マルグリッド妃を支えていた父親…前国王陛下がみまかわれたわ。四六時中王座を空けてる国王に代わり、実質的な国務を担っていた両輪の片方が砕かれた。これが宮廷勢力が二つに割れた原因」

 

 それまでも水面下では派閥争いがあったのも事実。でも、国王が飛び回ってたとしても、宮廷はしっかりとこの二人によって掌握されており、一枚岩とは言えないけど、対外政策に関してはぶれは無かったのよね。

 

「ジナ妃を立てる帝国派が力を増した。ですね」

「半分正解。ほら、ギースには貴族の中では敵が多いのよ。擁立されるまでの経緯とか、王になった後の行動とか、エロイナー家みたいな中級貴族ならともかく、侯爵以上の上流貴族には受けが悪いわ。

 特に王位継承権を持ってる公爵とかになると、『なんで何処とも知れぬ馬の骨に頭を下げなければならん』と内心思ってるでしょうから」

「国益よりも怨恨が優先の連中も居るって事ですか。厄介な」

「まぁ、でも国王陛下はそれでも有能よ」

 

 嘆息。そして女伯は卓上の鈴を鳴らして、紅茶のお替わりを要求する。

 

「女伯、このお茶ならば、このニナが…」

「貴女はエロコ付きの侍女でしょう。ここはエロイナー家です。控えてなさい」

 

 女伯はあたしの後ろに控えるウサ耳族に鋭い視線を送る。当然だ。他家の使用人が当主へ給仕が許されていると思ってはいけないわよ。

 毒殺の危険だってあるんだからね!

 

「お話の続きを」

「そうね」

 

 外から優雅にお茶を乗せたワゴンがやって来て、屋敷の侍女さん達がテーブルに茶を淹れて行く。一礼して応接間を去ると、やっと女伯が口を開く。

 

「ギースね。本当なら王家や貴族社会を否定して、革命でも起こして共和制でも敷きたいんでしょうけどね。今の世でそれをするのは無理だって悟ってる。ま、私やマルグリッドが教えた様な物だけど」

 

 突然、王家や貴族制を否定し、社会秩序をぶっ壊したらどうなるか。

 国を守り、治安を司る軍は当然瓦解する。反発した貴族が勝手に独立を宣言し、その日暮らししか考えなかった平民達は、無秩序の社会に狼狽するだろう。

 共和制の前に内乱になる。そして外国が攻めてきて終わりと言うシナリオしか見えない。

 

「要は共和制に移行する基盤が無い。ですか」

「そ。民衆には学が無いわ。突然、国政を渡されて『君らが明日から王家に代わって国家を運営しろ』なんて無理よ。

 となると結局、学のある大商人か、大地主みたいな金持ちが政治を占める事となるけど、これって名を変えた貴族制とどう違うのって話になるわ。

 しかも統治者には『高貴なる者には、高貴なるが故の義務が課せられる』(ノブレスオブリージェ)すらない、単に金か武力を多く持った者に統治されるだけの、ね」

「貧富の差が縮まるどころか、より差別が目立ちますね」

「本末転倒よ。だから社会を変える為には力が必要だって教えたのよ。むしろ、自分が権力中枢を支配して、ゆっくりと国自体を改変すればいいってね。

 まぁ、ついでに『だから、私と共に王国を支えてくれませんか』って、マルグリッドは続けたんだけど」

「それで国王にクラスチェンジですか?」

「見事にね。そしてギースは幾つか改革をなした。奴隷制を廃止して農奴を解放したり、職業訓練校を創り、軍の近代化も推進した。貴女が入ろうとする士官学校なんてのもギースの発案よ。縁故では無く、能力を持った平民が国軍の主力になれる様にね」

「それは国王陛下に感謝。ですね」

 

 これは本音。国王陛下、有難うございます。

 

「でも、第一段階の『国から文盲を無くしたいって』願いは未だ届いてないのよね。私達みたいにヒト種の寿命は長くないから、ギースが死ぬまでに叶うかどうか…」

 

 ファタ義姉様は少し遠い目をしていた。さらっと流しているけど、農奴解放や職業訓練校の導入なんかも大変な反発があったらしい。

 特に奴隷制は貴族にとって領地経営の要だから、本当に死活問題。だから、現時点でも完全に奴隷制の廃止までは至っていない。罪人以外の新たな奴隷取引を禁止して、新たに『奴隷の家系は子々孫々まで奴隷身分』だったのを、『奴隷の家系であろうと、子孫は自由民』とする新法を発布した程度。

 

「まぁ、ギースが帰還したら政争も少しは収まると見てるわ。燃えだした炎が灰の下でくすぶる埋め火に戻るだけだけども、世継ぎ問題が表面化する事態に陥る事は無いでしょう。あたしはマルグリッドに付くからね」

 

 意外な言動だわね。

 

「義母はあたしにはどちらにも肩入れせず、中立を守れと指示していますが」

「それはルローラ本家の方針。あたしは分家として独立したエロイナー伯爵家の当主よ。お母様の方針には口出ししない代わり、伯爵家の方針にも口出し無用」

 

 あたしの意見はぴしゃりと弾かれた。

 

「一族を助けたいってのは無論あるわ。でも、ファタ・エロイナーは友達を見捨てては置けない。見捨てたら、私は永遠に後悔する」

「了解しました。ただ、あたしは本家の方針で活動させて頂きます」

 

 あたしは一礼する。しかし、これでエロイナー伯爵家と商会に全幅な信頼は置けなくなった。決裂という程では無いが、これからの王都生活を考えると痛い。

 

「構わないわ。そうね、良かったらエルン兄様を頼りなさい。他に知りたい事は?」

 

 エルン義兄様は北方で辺境伯をしている貴族だ。ルローラ本家とは距離を置いているので、お目に掛かったのは一回だけだし、この時期に王都へ赴いているのかは知らないが、女伯が頼れと言うのなら、現時点ではタウンハウスへ逗留しているのだろう。

 

「既に報告は行っているでしょうが、ドライデン襲撃の際にクレイゴーレムが使われた形跡が…。あたしは魔導に関して素人です。女伯の力を貸して頂きたいのですが」

「これから商会の雑務を片付けるから、その仕事は明日になる可能性が高いけど、いいかしら。それと場所は埠頭で構わない?」

「はい。ゴーレムはドライデンの船倉で保管してますので」

「期待しないで待っていて」

 

 その後、幾つかの情報を得ると、あたしとニナは商会を退出した。

 

〈続く〉

 




第3話目。
概ね6000から8000字程度で投稿予定です。
やや、政治方面が入って参りました。

かなりスローテンポですが、宜しくおつきあい下さいませ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ネクロマンサー

やや短いです。


〈幕間〉

 

 古妖精達はメルダ法を使う我々と違い、ルーン法と呼ばれる単位を使う。

 1ルーンは約4Km。1コーダは約4m。1ラングは約4kg。と言った具合だ。

 対して我々の使うメルダ法は、古代王国期に設定された物だと言われている。超古代文明期に使われたルーン法を廃し、新た設定した物であるのだが、これも起源がはっきりしない。

 古代王国の中興を担った【落ちてきた】英雄、テラ・アキツシマが設定したとも言われているが、テラは一代で数々の改革、発明を成したとされる実在が疑われる人物なので、話半分に聞いていた方が良さそうだ。

 紙や蒸留酒、果てはスリミの様な練り物を発明し、

 メルダ法…当時はメートル法と言っていたらしいが…や時間を60進法。ひいては24時間に制定する単位改革を行い、

 木から樹液を採ってゴムを普及させ、

 コークスによって製鉄法を改良して弩砲を完成し、

 数々の戦場で指揮を執っては不敗を誇ったなどという人物が、果たしてたった一人の英雄として存在しえるのか?

 

 テラに当たる人物は複数存在し、それが一人に集約された偶像として史書に載っているのではないか。

 そう考えた方が自然であろう。

 

王国アカデミー著『古代王国の謎』より。

 

 

〈エロエロンナ物語4〉

 

 風鈴亭。

 埠頭に面した船員通りにある、賑やかな喧噪に包まれた船宿だ。軒先に吊してある風鈴が目印で、それが店名の由来であるらしい。

 ニナとあたしは商会へ宿泊する予定を変更し、船長達が宿を取ったこの風鈴亭へやって来た。万が一、政変でもあった場合、義姉の家へ迷惑を掛けない為よ。

 

「姫様も一杯どうです?」

「美味しそうね。頂くわ」

 

 到着した時には船長以下、水夫達の酒盛りが始まっており、あたしらもそれに混ざって夕食を取っている。

 

「わぁ、同じ船宿だけど、うちとは違って繁盛してますねぇ!」

 

 同業であるラーラは何か役に立つのでは無いかと、出された料理や宿のインテリアなどを色々観察しているらしい。

 

「……」

 

 あの少年はラーラの隣に座っている。相変わらず無口。だが、出された食事には手を付けており、口がもぐもぐと動いて咀嚼しているのが分かる。

 

「姫様。屋根裏部屋ですが、一室取れました」

 

 フロントで宿泊交渉をしていたニナが戻ってきた。「ご苦労様」とあたしは彼女を労う。定宿とは言うものの、急な宿泊客追加なので満室を恐れていたけど、何とか空きがあったみたい。だから、それが屋根裏だろうが有り難い。

 

「これから、ラーラはどうするの?」

 

 皿に載った地魚の揚げ物を突きながら、あたしは尋ねた。

 

「やー、いつまでも姫様達のお世話になるのも心苦しいですから、エロンナ村行きの船を見つけて、一旦、帰郷しようと思ってますよぉ」

「帰りは急がないから、途中で寄航して送り届けてあげるわよ。二日後に抜錨予定だから、船長も構わないでしょ?」

「構わんぜ。ラーラ嬢ちゃんの作る飯は美味いから、こちらから頼みたいぐらいだ」

 

 船長の言うとおり、ただで乗船するのも心苦しいとして、往路ラーラはドライデンの厨房を手伝った。本職だけあって水夫が交代で作る食事より遙かに美味しく、船長なんか「いっそ、船の料理番として雇いたい」と誘った位なのよね。

 

「でも、この子の事が心配で…。彼、どうなっちゃうんでしょうねぇ?」

 

 少年に付いては頭が痛い。こっちに着いたらエロイナー商会を頼って人捜しをする予定だったけど、その目論見は潰えた。

 

「教会付属の施設に預けるしか無いと思いますが」

 

 と語る、ニナの意見は順当だった。残念だけど、あたし達は最後まで責任を取れる様な立場には居ない。

 

「!」

 

 がたっと席を立つ少年。そのまま駆け出すと出口から夜の町へ。

 

「え、ちょ…」

 

 とっさの事で反応が遅れる。「姫様はここでお待ちを!」と言い残し、しなやかな動きでニナが続く。

 そう言われても「はいそうですか」と、大人しく従うあたしじゃ無い。運ばれて来たばかりの夕食が心残りだけど、当然、あたしも追いかけたわよ。

 

               ◆    ◆    ◆

 

 船員通りはろくな街路灯が無い。先行するニナのバニースーツが明色系であるのが幸いだ。そして月明かりがあって助かる。

 波止場の近くだし、数軒の船宿の他は倉庫ばっかりで、一般市民が繰り出す様な場所じゃ無いけど、それにしても暗い。

 

「何で追ってきたんですか」

「あたしの性分じゃ無かったからよ。あたし付き侍女なら分かるでしょう?」

 

 ニナが嘆息する。

 

「その癖、姫様は変な所で慎重で思慮深いんですよね」

 

 少年は既にニナに捕まっていたわ。まぁ、身体能力の高いウサ耳族の戦闘侍女は伊達じゃ無い。それでも彼が風鈴亭から数百mも逃げられたのは、あっぱれなのかも知れない。

 

「帰りますよ。物取りの類いが出たら物騒です」

 

 ニナが促す。そこへ、がらがらと大きな音を立てて前から荷馬車がやって来た。何を積んでいるのかは知らないけど、近づくにつれて異臭が漂う。

 

「…フロル様か?」

 

 御者台の男が呟いた。少年はそれを耳にした途端、硬直する。

 

「ほう。教授の魔手を逃れたってのは、そいつらか」

 

 男がぎろりとあたし達を睨んで言った。良く見ると男は漆黒のローブにフード姿の異様な出で立ちをしている。口元を覆った顔にぎらぎらした目だけが妙に目立った。

 うん、こいつは黒頭巾と呼んでやろう。

 ニナが前へ出る。カトラスを抜刀し、油断無く左右に視線を走らせる。

 

「やれ」

 

 短い命令。すると馬車の荷台からむくり、むくりと人影が起き上がった。

 

「光よ」

 

 あたしの唱えた【幻光】は、何故かこんな時だけは一発で成功するのよね。空に浮かび上がる光の塊は、周囲を照らし出した。

 

「貴方、ネクロマンサー(死霊術士)ね」

 

 馬車より降りてくる人影は腐りかけの死体だった。そして良く見ると、荷馬車に繋がれた馬も腹から白いウジを涌かせ、白く濁った目をしたアンデッド。

 動く死体、リビングデッドだわ。うええ、気色悪い。

 

「ご名答。しかし、フロル様共々、ここで亡くなって頂きます。ああ、死体は私の手下として有効利用しますので、心置きなく死んで下さい」

 

 冗談じゃない。あたしも抜刀すると少年を庇う形で相対する。リビング・デッド共は石で出来た粗末な棍棒を掲げて、ゆらゆらとおぼつかない足取りで迫る。

 

「言って置くが仲間はここへは来ぬぞ。宿や船の方にも手を回してある」

 

 御者台から降りつつ、黒頭巾は言い放ったわ。あいつをやっつけりゃ、何とかなりそうな気もするけど、壁になってる死体が邪魔ね。

 

「教会の手の者か」

 

 発言したよ、この子。初めて意志のある言葉を口にしたわよ。あたしはびっくりしたけど、ここで敵から注意を逸らす訳にも行かず、横目で少年へ視線をやるだけに留める。

 

「それはお答えしかねますな。ここで天界へ昇天、いや、地獄とやらへ墜ちてから、ご自分で冥王にお尋ね下さい」

「やぁーっ」

 

 ニナが突撃する。先手必勝とばかりにカトラスがリビング・デッドの身体に食い込む。しかし悲しいかな、相手は生身じゃ無かった。刃が背中まで突き抜けているのにまるで痛痒を感じてない。

 

「無駄じゃ。お、教授の方もやり始めおったな」

 

 埠頭の方で大きな破裂音が聞こえる。倉庫の屋根越しに真っ赤な炎が天を焦がすのが見えた。そう言えば、黒頭巾の仲間が船の方にも襲撃をかけると言ってたわね。

 

『ぴーよーよー、びよよー』

 

 聞き覚えのある不協和音。それがかすかに頭の中で響き出す。

 

「くそっ、放せ」

 

 ニナの方はと見れば、貫通したカトラスが回収不可能になってしまったらしく、愛刀を抜こうと悪戦苦闘中だった。

 そこへリビング・デッドのパンチがお見舞いされる。悲鳴を上げて小さな身体が吹き飛んで行き、石畳に数回身体を打ち付けて動きを止める。

 

「ニナ!」

 

 あたしはニナへ駆け寄った。同時に精神集中が消えて、辺りを照らしていた【幻光】の光が消滅した。ええ、あたしの魔法の実力なんざ、こんな物よ。

 駆け寄ったのは迂闊だが先程、ニナを殴った剣付きの奴がニナの方へと向かったからだ。このまま無防備なニナが追撃を喰らったら、命の危険がある。

 剣付きの背中から全力を込めて刃を振るうと腐った腕が千切れる。

 返す刀で胴を薙ぐと、腹が斬り裂かれ、あんまり直視したくない内容物が、吐き気を催す異臭と共に路上に飛び散った。しかし、それでもリビング・デッドの歩みは止まらない。

 

「姫様…うし…ろ」

 

 息も絶え絶えのニナが顔を上げ、よろよろとあたしを指さす。あっと気が付いた時には、別のリビング・デッドが背後からがっしりとあたしを捉えていた。

 

「うああああ」

 

 出るのは情けない悲鳴。でも痛い痛い痛い!

 こいつ冗談じゃ無く、その怪力であたしを押し潰そうとしてるわ。

 

「聖なる力よ。浄化の光を持って、不浄なる者共に裁きを与えん」

 

 突然、視界が白光で満たされる。そして身体を締め付ける圧力が消えた。ニナへとどめの一撃を刺そうとしていた剣付きも、分解される様に光に包まれた空中へと消えて行く。

 あれ、これって聖句魔法(ホーリィワード)?

 

「くぅ、これがフロル様の力かっ!」

 

 黒頭巾は馬車に飛び乗って逃げようとしたけど、それを引く馬も今は浄化されていない事に気が付くと、自分の二本の足で遁走する。

 ええぃ、逃がさない。カトラスは締め付けられた際に取り落としてしまったから、とっさに路傍の石を拾う。石は重さもサイズも丁度手頃な拳大で、横投げの要領で恨みを込めて投げつけた。

 

「ぐげっ」

 

 投擲された石は黒頭巾の後頭部に見事に命中。黒頭巾はカエルの声みたいなのを一声挙げてばったりと倒れた。余程、良い所に当たったのか、ぴくりとも動かなくなる。

 

「ニナ!」

 

 侍女の方へ振り向くと、あの少年がニナの所へ座って手当てをしているのが目に映る。

あたしは再び、【幻光】の呪文を唱えて辺りを照らすと、ニナへ駆け寄る。

 

「施術で手当は施しました。そちらも良かったらどうぞ」

 

 彼はそう告げてあたしを見た。

 

「その前に色々と尋ねたいわね。名前はフロルだっけ?」

「はい。今はその名で呼ばれています」

「別の名もあるんだ。でも、一番疑問なのは…」

「私が、何故、巫女にしか使えぬホーリィワードを使えるか、ですね」

 

 聖句魔法。生命とか癒やしに関する魔法体系。

 精霊魔法や錬金術などの他の魔導体系と決定的に違うのは、それが女性にしか発現しない点にある。何故かは知らないけど、男性には使えない。

 

「だけどフロル。貴方はそのホーリィワードを使って見せた」

 

 フロルは肩をすくめる。

 

「そうです。だから追われてます」

「教会にね。それって聖教会?」

 

 聖教会。中央大陸で広く信仰されている白の神達を祀る教会。

 ただ、最近は権威的な世俗主義が強くなり、権勢欲に塗れてきていると古参は嘆く。

 

「それを知ってしまうと、姫様もこちらの事情に巻き込まれますよ?」

「とっくに巻き込まれてるのに、何を今更…」

「ははっ、違いない。私さえ国から離れてしまえば迷惑を掛けないと計算してたのですが……他国でこれだけ派手にやらかすとは」

 

 少年改め、フロル君は星空を見上げて叫んだ。

 

「甘かった。ええ、大甘だった。何が聖女だ!」

「姫様。お話中失礼しますが、ニナは宿か船に戻られ、味方へ合流する方が宜しいかと提案致します。最悪の場合はエロイナー家を頼るべきかと…」

 

 復活したウサ耳侍女がそっと告げたわ。聖句魔法になってすっかり元気になっているみたいね。

 

「そうね。ここなら波止場の方が近いから、ドライデンへ参りましょう」

 

 最悪の場合。それは宿と船の双方が全滅している事態だ。あたしはフロルの方へ向き直ると宣言する。

 

「フロル君。ここまで巻き込んでくれたんだから、来て貰うわよ。文句は無いわよね」

「ええ」

「それとニナ、あの黒頭巾ネクロマンサーを縛って連れてきなさい」

「無理です。姫様の投石でぽっくり逝っちゃってます」

「え?」

 

 一瞬、思考が止まった。

 

「当たり所が悪かったみたいですね。見事に事切れてます。姫様、初戦果おめでとうございます」

 

 なんですと?

 

「口を割らせるつもりだったに…口封じしてどうする、あたし!」

 

 おいおい、黒頭巾。確か「お前達を死体にしてやる」とか喚いてなかったの。

 って、あたし、何気なく初めて人を殺しちゃったわよ。

 

〈続く〉

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

王宮にて

エロコは中央の政争に巻き込まれていきます。
ただの士族令嬢がどうしてこうなった!


〈幕間〉

 

 ラグーン法国とは中央大陸では珍しい宗教国家である。

 古代王国滅亡から、中央大陸は未開の土地として困難な生活環境にあった。

 野生の猛獣は無論の事、魔獣、魔族、と言った人智を越える化け物共が跳梁し、ヒト種を中心とする人間達の生活を脅かす。

 そんなに中、大陸南西部の聖句魔法の使い手達が興した小さな開拓地、それがラグーン法国の礎となる。

 彼らは白の神々の中でも、聖なる女神ラグーンを奉じて脅威に立ち向かって行き、ついには大陸全体に僧兵や神官を送り込んで、困窮する各地の民を手助けする。

 やがてラグーン聖教会は、他国からの干渉から対外的な独立を護るべく、国家として立ち上がる。

 中央大陸での宗教は様々なれど、ラグーン聖教会ほど組織立っている物は皆無であり、その権威は大陸中で広がっていると見て良い。

 

『エルダ地理誌』

 

〈エロエロンナ物語5〉

 

 結論的に言うならば船と宿は無事だった。

 例のクレイゴーレム共が襲ってきたんだけど、横合いから現れたファタ義姉の魔導攻撃に蹴散らされたわ。火炎魔法一発で掃討されていた。

 

「ああ、やっぱり。頭の中の笛の音が絶えていたから、こっちは無事だと思ったわ」

 

 目の前には死屍累々、ではなくバラバラになった傀儡の残骸。

 

「予定よりも早く仕事が終わってね。で、埠頭へ行ったらこいつらが襲ってきたじゃない。身の程知らずだから吹っ飛ばしたら、油粘土みたいな身体で着火して良く燃えるから困ったわ。歩く松明って感じで」

 

 ファタ義姉様はころころと笑った。今でこそ伯爵当主に収まってるけど、帝国との戦争では英雄だったんだよね。今は亡きあの方と結婚してなければ、もっと高い爵位を授けられていたに違いないわ。

 

「風鈴亭の方でも負傷者は出たけど、幸い死者は皆無って報告が届いてるわ。

 さて、鑑定を始めましょうか?」

「こちらへ」

 

 ニナが先導して船内へと案内し、雁字搦めに拘束されているサンプルを見せる。火球の魔法で吹っ飛ばしてしまったのに比べ、こちらは損傷が少ないからね。

 

「で、どう判断しましたか?」

 

 幾つの鑑定魔法や、実際にいじくり回した後、難しい顔をして黙ってしまった女伯へ、あたしはおずおずと尋ねた。

 

「見た事の無いタイプ。かしら。普通のゴーレムなら魔力が感じられるんだけど、目の前に感じたこれには、何も無い」

 

 考えられるのは一つか。

 

「まさか発掘兵器、ですか?」

 

 妖精種すらこの中央大陸に存在していなかった時代。古代王国も建国されてなかった古い、古い時代に存在したとされる謎の超古代文明。

 魔法を極めた古代王国すら凌ぐ奇跡の数々を体現せしめた。と神話にはある。

 ホントかしら? あたしは眉唾って気がするんだけども。

 でも、そんな文明の物品がたまに発掘される事が本当。殆どが単なるガラクタだけど、それでもごく僅かに機能する代物もあるの。

 物騒な事に、作動する品の大半は兵器の類い。

 一万年を優に超えるってどれだけ耐久性があるのって呆れるけど、今の世では、それらを発掘兵器と呼ぶわ。

 これが厄介なのは、現世で主流の魔力で組み立てられた理が全く効かない点。

 例えば、弓の無いクロスボウみたいな武器があって、引き金を引くと岩をも溶かす熱線を放つ。これに対しては防御用の魔導も無効なのよね。

 高位ランクの攻撃魔法すら防ぐ結界魔法でも、構わず貫通してしまう。何故なら、発掘兵器は魔力を放つ物では無いからよ。相手の魔法を防ぐべく、魔力干渉によって威力を中和するプロセスが全く役に立たないから。

 無論、魔法の中には通常の物理的打撃や熱を防ぐ結界や障壁もあるんだけど、発掘兵器はそもそも威力が違いすぎるらしく、易々とオーバーキル気味のダメージでこれらを無力化してしまう。

 活火山の輻射熱から身を守れる数千度の熱に耐えらる障壁でも、発掘兵器が数万度の熱を与えて来るんじゃ、はっきり言ってお手上げだ。

 

「普通、使い捨てのアーティファクトでも、魔力が抜けた後の残滓が残るけど、こいつには魔力反応は皆無。なら、発掘兵器の類としか言えないわ」

 

 但し、義姉は「そんな発掘兵器。あたしの知る限りでは初耳だけど」とも告げる。困惑しているのは明らかだった。

 

「ま、ゴーレムは脇に置いて、次の案件ね。フロル君?」

 

 義姉がつい、と視線を移す。あたしとニナもフロルに注目する。

 

「説明責任を果たせ。ですね」

 

 フロルは一旦目を閉じて、一呼吸を置いた。

 

「私はラグーン法国の聖教会から追われています」

 

 ラグーン法国は、グラン王国の西に位置する半島に存在する宗教国家だ。

 

「知っての通り、法国は聖教の総本山です。聖句を使える女性は神官となり、使えぬ男性は神官を支援する法官となります。それは古代王国が滅亡した千年前よりの変わらぬ秩序でした」

「それが崩れたってのが、フロル君の存在だって訳ね?」

 

 あたしの問いを彼はこくりと肯定した。

 

「貴方の存在は聖句を使えず、ずっと神官の下に位置していた法官達の野心を呼び起こすのに充分な火種よね。組織を維持する為に、その存在を消し去りたいのも分かるわ」

「女伯の仰る通りです。

 私は教会の法官だった父と神官だった母の間に生まれた赤子でした。

 その素質ゆえか、産まれて間もなく…ゆりかごに寝ていた赤子の時点で聖句を唱えたのだそうです。

 父と母は無論、その場にいた人々は驚愕したそうです」

 

 あれ? どことなく。

 

「あの、姫様」

「ニナも、聞いた事あるのね?」

 

 これ聖教会が聖女として認定した、うら若い神官の誕生秘話っぽいわよ。確か、名はフローレと言った。

 

「両親は困惑しました。しかし、私が聖句を使えるのは事実。だから、本当の性別を隠し、対外的には女性として世間で通す事にしたのです」

 

 でも、女装で生きたとしても二次性徴期を迎えれば限界は来る。だから、家族は口裏を合わせ、密かに法国を出て国外で生活する様に手配した。と彼は語った。

 

「で、今、法国で公式行事に出てこない聖女フローレ様は病死って筋書きか。

 凄い国際問題を連れてきたわね。我が義妹は」

 

 そんなこと言われて睨まれたって困るわよ。じゃ、どうするのよ。あの時ラーラ共々救助しないで、海の藻屑にせいとでも?

 

「私の事を知ってらっしゃったんですね」

 

 義姉は当然頷く。

 

「そりゃ、法国があれだけ宣伝してる有名人だからね。それに立場的には法王と最高司祭の子。聖女として持ち上げられるのも宜なるかな」

 

 聖女フローレの絵姿は見た事ある。もっと長くて豊かな御髪だったけど、多分、変装の為にばっさり切ってしまったのか。

 

「そう言えば、エロコは海軍士官学校へ入るのよね?」

「はい。二日後に」

 

 だから、明日は納税とか手続きを済ませなきゃならないのよね。

 

「貴族子女は世話をする使用人が二人まで許されるんだったっけ」

 

 これは寄宿舎で生活する規定になってるからね。自活能力に乏しい高貴な方々は、身の回りを世話する侍女が、寮への同居が認められている。

 当然だけど、そんなのを何十人とぞろぞろ連れて来たら迷惑なので、人数は最大二人までに制限されている。あたしの場合、使用人はいなくても構わないんだけど、一応、士族の見栄とお目付役も兼ねてか、ニナが付けられている。

 

「エロコ、寄宿舎でフローレ様と同居しなさい。侍女追加の手続きは私が取るわ」

 

 聖女様は大きく目を見開いた。勿論、あたしにとっては寝耳に水。

 

「良いのですか?」

「流石に貴女の国籍を偽って入学させる力は無いけど、侍女としてならお墨付きを一筆したためる程度は可能だからね」

 

 えええええ!

 

「流石です女伯。士官学校は国立の、しかも軍の機関ですからね。法国の連中もそうそう手出し出来ないでしょう」

 

 ニナまで賛同しちゃってるわよ。

 

「侍女は入学前に先行して寄宿舎へ入り、主人の生活環境を整えておくから明日にでも入寮出来る。そうだったわね?」

「はい。ニナは荷物と共に赴く予定でした」

「ファタ義姉様。あの…」

 

 おずおずと声を掛けるけど、ぶつぶつ呟いてる義姉に無視された。

 

「マルグリッドに情報伝えるべきよね。流石にここまで大きくなると、一伯爵家で収まる様な事態じゃないし…。エルン兄様にも連絡しなきゃ駄目か。

 ニナ、その線で準備を進めて下さらない?」

 

 義姉様、仕切らないで下さい。

 

「了解しました。女伯」

 

 こら、ニナ。貴女、私付きの侍女で女伯の部下じゃ無いでしょう?

 

「エロコ。これはエロイナー伯爵からの命令です。楽しい学校生活を送りたいなら、貴女に拒否権はありません」

 

 無いの。拒否権無いのね。立場弱いなぁ、あたし。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 学校生活が始まろうとしていた。

 その間、税関系の役人が訪れて「聞きしに勝る老朽船だ」と、うちの船を馬鹿にした上で、納税のやりとりを完了させたり、船長達とラーラが挨拶に来たりと色々あった。

 むかっ腹は立ったけど、役人に『うちは貧乏です』的な印象を与えるのには成功したわね。それから義姉様と共に王城へ登城します。

 

「最近は大きな行事以外、私もあんまり来た事無いのよね」

 

 と仰ってますが通い慣れた道なのか、ファタ義姉様の態度は堂々とした物。

 流石に王城の建物は大きく華美で、敷地面積も広い広い。ルローラ領では一番立派な我が家の館がまるで犬小屋だわ。

 

「建物がお菓子みたいですね」

 

 建物全体が淡い桃色なのよ。

 

「桃石ね。高級建材よ。王族ってお金持ちだってつくづく思うわ」

 

 ファタ義姉様は言いつつ馬車を降りた。ここからは徒歩だ。エスコート役の騎士が出迎えてくれて、あたしと義姉が宮廷の先へと進む。

 謁見の間は使われず、通された先はマルグリッド王妃の私室だった。

 エスコートの騎士は一礼すると、あたし達を残して扉の向こうへ消える。

 

「ファタ。良く来てくれました」

 

 絵姿でしか見た事の無い王妃様本人がそこに居たわ。紫色の髪の毛をストレートで流し、純白のドレスに身を包んだ美女。

 ヒト種でありながら四十代とは思えない若々しい容姿に圧倒される。

 

「王妃様もご機嫌麗しゅう…って、挨拶は省いて本題に入っていい?」

 

 人目がないからって態度を変えすぎです。

 

「相変わらずね。そちらが義妹さん?」

 

 苦笑する王妃を見て、あたしも「エロコと申します」と自己紹介する。

 

「聖女様は侍女として既に士官学校へ送り込んだわ。法国がどんな事をするかは予想も付かないけど、王国軍相手に無茶はしないでしょ。で、ギースは?」

 

 王妃はかぶりを振った。

 

「生きては居るわね。昨日、手紙が届いたの」

「へぇ、で内容は? エロコには聞かせて良いわよ。もう悪巧み仲間の一員だから」

 

 これは、あたしを足抜けさせない思惑もあるわね。

 

「何やら何処かの組織に潜入中らしいわね。国を転覆する悪巧みの証拠を掴む為とか書いてあるわ。かなり大がかりな陰謀が進んでるらしいの。ローレル、説明を」

 

 カーテンの影から一人の男が歩み出た。青年、と言って良いだろうが、鎧を着ているのに、足音もさせずに現れた身のこなしが尋常じゃないわ。

 

「失礼。我が名はローレル。密偵として陛下に仕え、本日は伝令を仰せつかっております。敵組織の黒幕は恐らく国家に匹敵する大規模な物。陛下はこれを内々で収めたい意向です」

 

 敵は王国に内乱を起こさせたいらしい。恐らく帝国が背後にいると睨んでいるが、それだけではなく別の思惑もある。と彼は報告する。

 

「別の?」

 

 彼は黒髪をさらりと揺らして頷く。

 

「は、女伯。我が国だけではなく、同様な工作が法国と帝国でも見られるのです。

 例えば、法国内での内紛。あれは前国王陛下の崩御とほぼ同時期に起きております。帝国軍の動きが活発化したのも…」

「帝国軍の挑発はお父様の崩御に端を発した示威行動では?

 何でもかんでも陰謀に結びつけるのは危険ではありませんか」

 

 マルグリッド妃が口を挟む。でも、ローレルは首を横に振ったわ。

 

「動員された軍の数が桁違いなのです。その数、約五万。

 突発的に動かせる兵数ではありません。しかも、まるで何年も掛けて補給段列を整えたとしか思えない程、兵站が整えられている」

 

 約五万人か。確かにねぇ。

 周到に準備しないと動かせる軍勢じゃないのは確かよ。首都が丸々動いているに等しい人数じゃない。

 

「とんでもないわよね」

 

 義姉は天井を見上げる。仮に消費するのが糧秣限定だとしても、その五万人分が食べる食料が一日何トンになるのか想像するに恐ろしい。

 

「我が方も警戒を出していますが、何故か軍の動きが鈍いのです」

 

 平時の軍隊はそうそう動けないと言うのはある。駐屯地周辺の治安維持任務もあるからと、前述の補給の問題。

 糧秣が手元不如意で動けば、大軍が動くと進撃路沿い村々が食料徴発で飢餓になりかねないからだ。

 けど、それにしても動きが鈍すぎる。らしい。

 

「帝国軍はまだ露骨に国境付近に配置されてないだけはマシだけど、それだけに危機感が薄いのか。はたまた、既に調略されているのか…」

 

 女伯が言いよどむ。

 

「或いはこれを辺境伯他、北方貴族の力を削ぐ為の奇貨として利用を目論んだ者が居るか、でしょうか?」

「女伯の義妹殿は、ご慧眼ですな」

 

 ローレルは感心した様に頷く。あ、しまった。出しゃばりすぎたかしら?

 

「帝国寄りの北方国境線には、勢力家が多いと聞き及んでいますので…」

 

 取り繕う様に発言するが、これは本当の事。

 帝国との国境近辺には辺境伯、或いは侯爵以上の大貴族の領地が多いのよ。万が一、攻められた際に大兵力が必要な為と、王都から大貴族の影響力をなるべく受けない為でもあるわ。

 王都への移動にお金を使わせて街道沿いを富ませるとの噂があるけど、それは半ば眉唾のガセと思うので、この際考慮しないわ。

 

「この件に関して、ギースは何と?」

 

 ファタ義姉様が口を出す。

 

「陛下は内通者の推定をなされている様でした。ただ、まだ大事にはしたくないとして、証拠固めに間者を放っている段階です」

「それは重畳。既にあんた以外の『闇』も動いてるのね」

 

 ローレルは頭を垂れた。この人、噂に聞こえた王国間諜部隊『闇』の一員なのね。

 

「さて、聞く限り、私らにはまだ手出しが出来る状態じゃないわね。軍主力は難しいにしても、遊撃部隊は北方へ送っているのでしょう?」

「その点は抜かりはないわ。連隊規模を三つ。

 万が一侵攻があっても、一個師団程度なら二日や三日は支えられる筈です。それより、そちらの厄介事の件だけど…」

「聖女様ね。エロコの侍女として潜り込ませる事にしたわ」

 

 王妃様と義姉が会話を交わす。

 

「フォローは?」

「要るわね。法国は国際問題になるから手出しを控えるとしても、ギースが目を付けた組織が関わってるとしたら、あそこが国軍施設だろうが無関係で襲って来るかも知れない。さりげなく何人か護衛役を回してくれると助かるわ」

「陛下が全力で酷使してるから、今の『闇』に余剰戦力は無いわ。

 暫くは無理よ。エロイナーの方で何とかならない?」

「侍女はもう増やせないわよ。

 うちは商家だから元々、軍事力は低いし、エルン兄様は国境に掛かりきりでしょう。ルローラ本家、母様はこの手の事に無関心…」

 

 関わり合いになるなって話になるでしょうね。

 

「他の貴族に当るのはどうかしら。今年はロートハイユ公爵家の令嬢が入学してるし、あの辺りなら親戚だから顔も利くわ」

 

 ロートハイユ家は南部の大貴族。六大公爵家の一つで立ち位置はやや中立ながら、派閥は正妃派と見て良いだろう。

 

「情報漏洩の点から、あんまり他家、それも有力貴族を巻き込むのも気が引けるわよ。それもロートハイユ公爵じゃ、貸しが大きくなりそうだし…」

 

 確かに有力貴族であるロートハイユ公を味方に入れれば心強いが、見返りに何を要求されるかが怖い。

 

「王妃様。発言をお許し願えますか?」

 

 女伯と王妃様がうんうん頭をひねっている時、唐突にローレルが口を開く。

 

「構いません」

「私的な人材ですが士官学校の内部に宛てがあります。『闇』ではありませんが、それなりに何でもこなせる人物です」

「あら…」

「へぇ」

 

 意外な顔を見せる二人。義姉様はローレルへ向くと質問をする。

 

「宛ては確実なのかしら?」

「これから問うてみるので確約は出来ません。何しろ、裏社会のそれを生業とする玄人でもありませんから。

 が、頼めば無理は利くと思いますし、腕も及第点は行く筈です」

 

 女伯は顎に手を添えると目を閉じる。

 暫くして「では頼みます。『闇』の推薦ならば、期待は裏切らないでしょうし」との言葉。 

 まぁ、ゼロよりはマシとの判断ね。

 

 その後も話し合いは続いた。

 ちなみに納税の報告は簡単に片付けられてしまったわ。献上した書類をぺらぺらと王妃様が確認するだけであっけなく。

 「ご苦労様です」との労いの言葉は頂いたけどね。

 そして半時後、あたし達は王宮を後にする事となる。

 

〈続く〉




発掘兵器登場です。
ようやく、タグの「超古代文明」が出せました。
しかし、例に挙げたあれ、どう見ても「超文明(ピー)銃」(By古き歯車)ですね(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、パン職人の憂鬱

〈閑話〉です。
士官学校編の冒頭を飾ってたのですが、独立させました。



〈閑話〉パン職人の憂鬱

 

 パンを焼く。沢山パンをひたすら焼く。

 

「馬鹿野郎。使い終わったら竃をきちんと掃除しやがれ。そこ、もたもたするんじゃねぇ」

「へい、親方」

 

 忙しいがパン屋としては嬉しい限りだ。

 上等な小麦を使った白パン。保存性の高い黒パン。そして乾パン。パンと言うより、堅焼きのビスケットなんだが、それを含めて、毎日、毎日、パンを焼く。

 昔、親方から独立したばかりで青二才だった俺も、今じゃいっぱしの職人面して、徒弟を雇い、女房と娘のいるささやかな所帯を持てたのも、我が王国海軍が士官学校を開いてくれたお陰だ。

 廃兵院の頃には患者と看守ばっかりで、門外に出る奴らなんて皆無だったが、二十年前、何も無かった郊外にこうして小さな門前町みたいな集落が出来たのもその為だ。出入り御者として軍関係に納入する事で、安定した収入が得られる。

 

「父さん。粉屋のおじさんが…」

「何だ? 今月の支払いは済んでるはずだぜ」

 

 愛娘の声に顔を上げると、娘の隣に馴染みの粉屋の野郎が立っていた。

 顔色が良くないな。

 

「どうしたい。不景気な面だぜ」

 

 粉屋の主人、ガヴドはここに居を構えて以来の仲である。パン屋と粉屋であるから二人三脚の様に、ずっと親しく付き合いをさせて貰っている。

 

「悪い知らせだ。…砂糖を来月から値上げせざる得なくなったんでな」

 

 値上げ…だと?

 

「おいおい。冗談は顔だけにしてくれ」

「北の方で何かあったらしい。物流が途絶え気味でな」

 

 こいつは粉屋だが砂糖や塩、調味料も扱っている。

 北方。我が王国の砂糖供給源である甜菜糖の産地だ。サトウキビから作られる南方の竹糖と違い、国内生産でまかなえる分、廉価な甘味料として普及している。

 

「噂の戦か?」

「戦端は開かれてはいないが…。今は買い占めは起こっていないが穀類も軍用として買い上げられつつあってな。

 まだ北以外の供給量が豊富な分、さしたる影響はないが、場合によっては」

「小麦も値上げか」

 

 軍の兵糧用として買い上げられてしまう可能性は否めない。

 俺はため息をついた。こりゃ、士官学校の経理に掛け合う必要がありそうだ。場合によっては特別配給を回して貰いたいとな。

 

「やだねぇ」

「全くだ。単なる国境紛争で終わって欲しいぜ」

 

 俺と粉屋は顔を見合わせて肩をすくめた。

 グラン王国とマーダー帝国は幸い、直ぐには戦火を開かなかったが、これが長い間のにらみ合いとなり、物価に関して一喜一憂する事態に陥るなんて、その時は思わなかったぜ。

 

〈FIN〉                                     <



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、入学編

ようやく士官学校入学です。

エルダ世界の成人は13歳なので、15のエロコ達も飲酒OKです。
てか、飲酒法とか存在してるんだろうか。謎だ。
ご不快になった方は済みません。


〈エロエロンナ物語6〉

 

 学校へ出発前に、お別れの挨拶にはドライデンの乗組員一同もやって来た。と言っても同じ風鈴亭に泊まってるから、あたしが屋根裏部屋の窓から、外の大通りに並ぶ一同と挨拶を交わしただけだけど。

 風鈴亭の損害は軽微で、あの夜も殺傷が目的では無く、あたし達へ援軍を送るのを阻止する為の足留めが主だったらしいわ。

 相手はリビング・デッド数体。

 無論、こっちは浄化魔法では無く、船長以下が物理的に寄ってたかって叩き潰したのよね。うーん、流石は荒事慣れした私掠船員。

 

「では、お世話になりましたぁ。もしエロンナ村へお越しの際には、スキュラ亭をごひいき下さいねぇ」

 

 多分、あの寒村に足を踏み入れる機会ってないわよ。と思っていても顔に出したりはしない。まぁ、ラーラと再会はしたいのは本音だけど。

 彼女は名残惜しそうに別れを告げると、船長達と共に帰途の船出へ就いた。

 船尾楼にある、窓があるちゃんとした船室があてがわれたのが嬉しいと、妙にハイテンションだったのが可愛い。

 で、あたしはと言うと…。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 ひーこら言いながら校庭を駆けてます。

 いやね、分かってたわよ。軍の学校だから、単に座学のお勉強する場だけじゃないってのは。でもあたしは基本的に非体育会系だから、とってもきついのよ。

 

「遅いっ、エロコ・ルローラ。追加であと一周!」

 

 教官からの叱咤が飛ぶ。ここは水兵では無く、指揮官を養成する士官学校だから、身体動かす系の授業は少なめだけど、それでも基礎体力は必要だから容赦なくしごかれる。

 縄梯子にも登れず、泳げない士官様なぞ、移乗戦闘で敵艦へ乗り込めないからね。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 校庭を十二周した後、あたしは大の字になって芝生に転がった。

 

「お疲れ様です」

 

 そんなあたしにタオルを渡してくれるのは、聖女フローレ様、おっと改め侍女のイブリン。偽名は元の韻を踏まない様に努力したわよ。フロルだなんて一発でバレそうな偽名は使わせない。「隠してるけど、私フローレです」って暗喩してどうする聖女様。全く別の印象を与えなきゃ駄目でしょうが!

 

「有難う」

 

 濡れタオルだから火照った身体に丁度良い。あたしはメイド服を着た彼女に礼を言いつつ、のろのろと立ち上がる。

 あたしが虚弱じゃ無いのよ。士官学校は王立の廃兵院を転用した物で王都の外(城壁外)にある。まぁ、じゃないと広大な土地を確保出来ないんだろうけどさ。だから校庭と言ってもかなり広い。一応、あたしは完走したけど、死屍累々でリタイヤした連中だって多いってのを、あたしの名誉の為に言っておくわよ。

 

「流石にきつそうですね」

「序の口だと思う。故郷ではそれなりに鍛えてたつもりんだけど、甘かったわ。明日からは自主的に朝練で走ろう」

「ご苦労様です」

「何言ってるの? あたしが走るんだからイブリンやニナも走るに決まってるでしょ」

 

 イブリンの顔が引きつった。

 

「私は侍女で…」

「聖女様が朝練で身体を鍛えてるとは誰も思わない。どうせ運動不足だったんでしょ。男の娘なら身体を鍛えないさい」

「エロコ様。男の『こ』字が違います。多分」

 

 ニュアンスから察してるわね。

 

「お黙りなさい。ここでの主はあたしよ。それに体力を増強させておけば、後々役立つわよ。あと聖句魔法でのずるは禁止」

 

 【肉体強化】の聖句、便利だからね。ひ弱な聖女様でもニナ並みの運動能力が得られるのは反則だと思うわよ。

 

「さて、昼食へ行きましょうか」

 

 ここの食堂の昼食は概ね質が高くて、結構、美味しい。量もあるからあたし的には満足なのよね。

 荒天時に調理にかまどが使えない時、干し肉に固いビスケットだけ延々と食べさせられる事を経験させられている身からすれば、本当に船上生活で食べる食事に比べれば天国みたいな味よ。

 材料だって腐敗してない生野菜に、塩漬け肉では無い生肉だし、お替わりも自由。パンも上質な白パン。

 そう、流石は王立の学校。白パンよ。白パン。毎日白パン。正真正銘の小麦粉だけの奴。故郷じゃ特別な日だけに出てくるあれが、毎日食べ放題。夢か、ここは。

 あたしは疲れた身体を奮い起こし、食堂へと向かったわ。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 学生食堂は質実剛健な造りで、装飾も施されてない長テーブルに丸椅子が素っ気なく並ぶ、本当に船内の食堂みたいな感じ。

 食事は各自カウンターからセルフで受け取る方式よ。当然、学校で雇ってる給仕なんかは居ないけど、中には実家から連れてきた侍女にそれをやらせてる人も居る。

 

「何だっ、これは!」

 

 あたし達が食堂に着いた時、乱暴に皿を置く音と怒鳴り声が耳に届いた。

 あらあら、貴族様の舌には不満はあるんでしょうね。新入生らしき男子生徒が大声を上げている。皿が船内仕様の木製で良かったわね。陶器や磁器だったら、割れて大変な事になってたわよ。

 あたしは目を合わせない様にそっちの方に向けた視線を戻すと、カウンターへ向かって歩き出す。今日の献立はベーコン巻き肉団子入りキャベツスープか。パンも付いてるから浸しながら食べると美味しいのよね。

 

「不味いっ、何という食事だ」

 

 多分、貴族の次男か三男で、しかも、領地収入だけで暮らせるお家柄なんだろうな。「家から、どこそこのシェフ」を呼べとか「酒は無いのか、酒は」とか、無茶ぶりっ言ってるし、控えてるお付きの侍女さんズも困ってるわよ。

 

「姫様。給仕ならニナが…」

「不要よ」

 

 正規の士官になったら、従兵が給仕してくれるけど、今のあたしには分不相応だろう。それにお家の体面とか考える様な家柄でもない。

 

「姫様だと?」

 

 その言葉をあたしは無視した。だって、関わり合いになるのは御免だわ。

 

「おい、お前、どこの名家様だよ」

 

 その声は先程の文句男。侍女を困らせるのに飽きて、あたしに攻撃の矛先を向けてきたのがありありと分かる。あたしは内心嘆息をついてそいつに向き直る。

 ヒト種ね。赤毛で天パ。身体はがっしりしてる体育会系。ふぅん、俺様最強系のガキ大将みたいな雰囲気をまとってるわ。

 生徒は学校の制服を着るのが校則だから、身なりから身分は判断不可能だけど、腰の佩刀から貴族だってのは大体予想が付くわね。

 

「何処のご子息だかは知りませんが、他人に名を尋ねるなら、まずは自分の名を出すって常識も弁えないのは如何な物でしょう」

 

 眼鏡をくいっとかけ直しながら、鼻で笑ってやる。

 

「くっ、俺はダニエル。ボルスト侯爵家の者だ」

 

 顔を茹で蛸みたいに真っ赤にしながら、そいつは名乗った。

 ボルスト侯爵。確か北方のエルン義兄様の隣に領地を構える勢力家だったかな。帝国との国境線に接してるから、北の守りを任されてる関係で武系の家柄だったわね。

 でも、それなら何で海軍?

 

「エロコ・ルローラと申します」

 

 あたしも自己紹介する。

 

「ルローラ? 聞いた事が無いな」

「若様」

 

 首をかしげるダニエル。すかさず控えている侍女から二言、三言耳打ちされる。この主と違い、ボルスト家の侍女さんは流石に優秀ね。

 

「士族の令嬢ごときが姫とは片腹痛い」

「自分でも分不相応な尊称とは思っております。が、この者は田舎での癖が抜けないのです。笑って許して頂けると有り難いのですが」

 

 一応、下出に出てみる。でも侯爵本人ならばともかく、ただの侯爵令息に士族令嬢ごときとか言われたくないわね。特に食事ごときで癇癪を起こす様な、お子様にはね。

 

「躾がなっていない様だな。俺が躾てやるから、そのウサ耳を寄越せ」

 

 何を言ってるんだ。このアホは?

 

「奴隷売買は法で禁止されていますから、お断りです」

 

 流石に周りの侍女達が行き過ぎた主の暴走を止めるべく、「若様その位で」と諭しているが、耳に入ってない様だ。

 

「俺の命令だぞ。このダニエル・ボルストが命じてるんだ」

 

 駄目だ、こりゃ。穏便に話を収める気も失せた。よろしい、売られた喧嘩は買ってやろうじゃ無いの。

 

「お聞きになられましたか、皆様!」

 

 給食のトレイを持って突っ立てるまんまなのが、何となく情けないのは承知しているけど、あたしは大げさな口調で食堂を睥睨した。

 

「諸先輩方。この御方はあたしの侍女を取り上げ、犯罪の片棒を担げと強要なされている。我がグラン王国を担う軍人の卵に、身分を楯に国法を犯せと仰るのは如何な物でしょうか?

 この拒絶。あたしが間違っているのなら、その間違いをご指導下さいませ」

 

 でも、ここはあたしが直接、この馬鹿を叩き潰すのは下策。先輩方が絞めてくれた方がいいとの判断よ。

 

「エロコ嬢の言い分は正しいな」

 

 がたっと席から立ち上がったのは、長い黒髪を後ろに束ねた男子生徒だった。あれ、どっかで見た記憶が…。

 

「粗食に耐えられぬなら去るがいい。ここは海軍士官を養成する場所、船上で豪奢に舌鼓を打てる食事が毎回出るとも思っているのか」

 

 出ません。特等船客でもなければ出ません。士官なら私物で酒とかの嗜好品を持ち込めるけど、基本は水夫と一緒です。

 

「騎士になったらいいですわ。確か、ボルスト家の領地には海も河も湖もないから、丁度いいでしょう」

 

 金髪の縦ロールを持った別の女生徒が言う。あら、制服のタイから見るに先輩では無く、あたしと同じ一年生だ。

 

「俺はっ…」

 

 ダニエルは綴るべき言葉を飲み込む。あー、やっぱりか、この男、継ぐべき土地が無いのね。

 貴族の長子は跡継ぎ。次男以降はそのスペア。そして領地を相続可能なのは裕福な貴族でも三男位までで、残りは騎士になって何処かの家臣となるか、或いはあたしらみたいな国に仕える軍人か、官僚になるかがお決まりのコース。

 独立して商売で財をなすってのは、才能があればの話で滅多に聞かない。

 ファタ義姉様みたいな貴族上がりの商家がギルドで幅を効かせてるから、新規で成功するのは茨の道だからね。

 

「わたくしはビッチ・ビッチン。身分を振りかざす奴は嫌いな15歳」

 

 その子の自己紹介に固まる。す、凄い名だ。あたしのエロコも共通語では凄い響きだけど、ビッチですか。

 エルフィンでビッチは『凄い』とか『最上』とか『素晴らしい』って意味だから、この娘さんのフルネームは『最上の素晴らしき者』なのよ。

 良く見ると僅かに尖った耳があるから、あたしと同じ半妖精ね。納得。

 

「ロートハイユ公爵令嬢。先輩として忠告するが、名前詐称は感心しないな」

 

 最初に立ち上がった黒髪の先輩が指摘する。おや、彼女が噂のロートハイユ公爵家の御令嬢なのか。

 

「あら、わたくし的にはビッチ・ビッチンよ。とっとと実家から独立して、ビッチン家を立てる輝かしい未来が…」

「簡単に独立させてくれるか? あのロートハイユ公が」

 

 黒髪の先輩が顔をしかめる。

 

「幾ら妾腹の十三女だからって、命名もお母様に一任して、田舎の所領へ放置の上、学校に入るまで一切無関心な父なんて知りません」

 

 ロートハイユ公爵は子宝に恵まれてるので有名だ。お妾さんも何人も居て、側室以外にも市井の女に産ませた御落胤がぞろぞろしてるって噂がある。

 

「適齢期に育った政略結婚の駒をわざわざ見過ごさないだろう。今は良いが、卒業したら何処かへ嫁がされるぞ。それにビッチから改名したのではないか?」

 

 それを聞いた縦ロール令嬢は、ふふんと笑う。

 

「その前に海軍で手柄を立てて、海軍卿から是非、海軍に残留して欲しいと懇願される立場になります。それに改名の話は父が『ビッチ』では世間体に悪いと、入学直前で勝手に行った本人不在の行為。わたくしは同意書にサインしていません」

 

 名がビッチじゃなぁ。でも、15になるまで娘の名前にロートハイユ公爵は無関心だったのかとも呆れる。父親としてそれはどうかと思うわよ。

 ちなみに王国では13歳になると大人と認められるので、法的には例え両親であっても、15となっている本人の同意無しでは改名は不可能よ。

 貴族謄本にも『ビッチ・ロートハイユ』が正式名として登記されている筈。

 

「ああ、エロコさん。そう言う訳なのでよろしく」

 

 突然、話を振られた。あ、ちなみにあたしは、もう着座してスープ飲んでます。料理は冷える前に食さないとね。

 

「こちらこそよろしく。ビッチ公爵令嬢」

「ああ、ビッチって響きが素敵。真にビッチよね。妖精語で名を授けてくれたお母様に感謝しなきゃ」

 

 あたしの言うビッチに反応して、うっとりした表情を見せる公爵令嬢。本当にビッチが好きなんだ。

 

「女性で士官になりたいのって少ないのよね。わたくし一人だけだったらどうしようかと思ってたから、心強いわ。おほほほ、無論、成績では負けないわよ」

 

 ビッチ様は口に手を当てて笑った。これってライバル宣言なのかしらね?

 

「で、だ、ダニエル君。生徒会長として言っておく」

 

 さっきから絶賛放置中の侯爵子息に黒髪の生徒が向き直る。ああ、どっかで見た顔だと思ったら、入学式の時に式辞を述べた生徒会長様でしたか。

 

「君もここに入ったからには俗世間の身分ではなく、士官候補生の一人であるのを自覚したまえ。無論、去るのも自由だ」

 

 生徒会長、ジェダ・ドメニコ様がそう告げるのを、あたしは白パンを浸したスープを口に運びながら聞く事になったのだった。

 

〈続く〉

 




ビッチ様は良い意味での悪役令嬢ポジですね。ライバル役の。
イブリンも出たので「男の娘」と「悪役令嬢」のタグを追加です。
ついでにニナの「バニーガール」も入れとこう(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、只今実習中

〈エロエロンナ物語7〉

 

 ビッチ様とダニエルはあたしと同じクラスでも学科が違った為、四六時中顔を合わせる事態にはならなかった。

 ちなみにあたしは技術科。彼らは掌帆科だ。実際に軍艦に乗って指揮を執るのが掌帆科。船や港を設計したり作り上げるのが技術科で、軍の任務から言えば裏方になる。

 とは言っても基礎として重なる部分も多いから、一年生では合同授業が多いの。

 まずは主計ね。船内で糧秣とか管理する仕事。糧秣や嗜好品の買い付け、管理は元より、麾下の部下達に関する給料も管轄するので計算は必須。

 羅針盤や六分儀を使っての位置測定。測量のやり方も基礎よ。騎士が馬に乗れて武器を振り回すだけでも何とかこなせそうな阿呆でもなれるのに比べ、海軍って読み書き計算、そして測量が出来なきゃ士官になれない。

 あとは基礎体力作り。特に泳げないと駄目よ。

 中には泳げませんって人もいて、何で海軍士官になろうと思ったんだろうと疑問符が付くケースもあったり。

 そう言う人は猛特訓で水泳を叩き込まれるけど、残念ながら身につかず、エリミネートされる場合が結構ある。まぁ、船から放り出されて溺死しちゃうのは勘弁だからなぁ。

 

            ◆       ◆       ◆

 

「太陽の高度から時間を計る。ああ、面倒くさい。懐中に入る時計があるなら楽なのに、そうは思いませんこと?」

 

 士官学校に隣接して満々と水をたたえるのがネーベル湖。王都の水瓶とも言われ、ポワン河の水源の一つともなっている大きな湖。あたし達は実習を受ける為にカッターと呼ばれる大型艇に乗っている。

 

「曇ってたら使えませんが、このクロス・スタッフを使う際の基本にもなります。そして小型の時計はいつか開発されるでしょうけど、今は無い物ねだり。ぼやかずに身に付けましょう。そちらの方が格好良いですし」

 

 ビッチ様が隣で同意を求めるけど、あたしは無視して天測を続け、口だけで対応する。足元がゆらゆら揺れてるから、結構安定させるのが大変なのよね。

 艇と名乗っていても長さは12m近くある。基本はオールでの漕走だけど、マストもあって帆走も可能だし、ある程度の航洋性もあるから準備万端整えれば、十日以上の長距離航海だって可能だ。

 でも揺れる。風が強いからだ。

 

「…正論ですわね。でも、いつかわたくしは時計技師のパトロンになろうと決意しましたわ。懐中時計欲しいですもの」

 

 技術屋さんに資金が流れるのは結構な事だ。うんうん。 

 ちなみにあたし達、この湖の真ん中までカッターを漕がされましたよ。ええ、これも基礎訓練の一環。一糸乱れず櫂を漕げなければ教官から叱咤が飛ぶ。

 貴族だろうが平民だろうが、市井の身分は関係なしにね。

 陸軍なら迷子になっても、適当に馬を駆れば少なくとも何とかなるし、地図の読み方を知らない騎士が居ても問題ない。

 でも大海原では、自分の位置も分かりませんって指揮官が居たら全員お陀仏よ。適当に船進めても、港や陸地が必ず現れる保障は無いもの。

 船では板子一枚下は地獄。無能者の士官は要らない。だから海軍は徹底的な実力本位の教育を受ける事になる。毎年、堪え切れなくなって貴族入学者の半分近くが去るのも宜なるかな。

 

「ビッチ様は頑張っていらっしゃりますわ。昨日も一人辞めましたし」

 

 彼女はふふんと鼻を鳴らし、つんとすまし顔をしつつ、「この程度で音を上げるなど、わたくしのプライドが許しませんのよ」と仰る。

 その言葉は心強いのよね。やっぱり女の子は少ないから。

 学校全体で一割居れば良い方。学内には侍女や職員なんかも居るから、実際は男だらけって程では無いけど。

 流石に入学してから三ヶ月にもなると、退学者のペースも落ち始めているけど、女性の候補生の方が根性あるのかしら、辞めた人間は男子よりも少ない。

 

「午前十時って所ですわね。そろそろ帰港に入りそうですけど。午後は選択授業ですから…、そう言えばわたくしは魔法ですが、エロコ様は何を選択なされたのかしら?」

 

 同じ半妖精だけど、あたしと違って彼女には魔法の才がある。まぁ、羨ましいけど道が違うんだから仕方ない。

 

「錬金術ですわ。アタノール炉とか、色々と変わった道具を知れて面白いです」

「わたくしは風の魔法に特化しようと思いますの。【送風】を極めれば、指揮する船は活躍間違いなしですから」

 

 火系の派手な攻撃魔法に比べて地味だけど、海では風系は使い出あると見做されている。帆船は風が命だから、何処でも順風を起こせる風魔法は使い勝手が良い。

 

「魔法はあくまで補助だ。最後は指揮が物を言う」

 

 突っかかる様に途中で割り込んできた声はダニエル。

 

「まぁ、それは正しいわね」

 

 ちらと目をやる。意外な事にダニエルはめげる事無く、授業に付いてきていた。単に負けず嫌いなのかは知れないが、リタイヤせずに今も学校へ籍を置いている。

 

「攻撃魔法は射程の点で弓に劣る。操船に風魔法は便利だが、それも巧く艦隊機動を理解してないと役に立たないからな」

 

 彼の言う通り、派手な攻撃魔法は距離的に100m放てればいい方で、弩砲や長弓に劣る。どちらかと言えばクエスターなんかの個人戦向きね。

 例外的に戦争向けの超射程魔法もあるけど、事前に大きな魔方陣を描くなり、魔導マテリアルが大量に要るとかの準備が大変で、攻城戦ならともかく遭遇戦では役に立たない場合が多いわ。

 

「でも、根拠の無い自信だけの愚鈍な指揮官が誕生しない様に祈りますわ。おほほほ」

「誰の事だ」

「さて、誰の事かしら?」

 

 公爵令嬢と侯爵子息の掛け合いを横目に、あたしは測量道具を片付ける。やがて教官の声が上がり、カッターは港へ向けて漕ぎ出されるだろう。

 オールを握る手を保護する為に、あたしは包帯を巻き始める。血豆とか出来ると製図の時に困るからね。

 聖句魔法で治癒するって手はあるけど、校医に負担は掛けたくないし、ましてイブリンに頼る訳にはいかない。

 

「そう言えば、エロコ様も魔法は使えるんでしたわね?」

「児戯みたいな物です。威力や精度の点では呆れる程にお粗末な」

「ふん、それでも半妖精か?」

 

 ダニエル。ダニ公とか言ってやろうかしら、は痛い所を突いてくるわね。でも、そんな事は今まで散々からかわれてるから気にしないわよ。

 冷ややかに笑って侮蔑の視線を向ける。

 

「向き不向きは誰にでもあります。ダヨー鳥の様に空を飛べない鳥だっているのと同じ様に…」

 

 ダヨー鳥は南大陸原産の飛べない大型鳥で、かつて持ち込まれて以来、中央大陸にも家禽として定着している。

 王国では割合ポピュラーな高級食材だ。卵も肉も美味。でも、あたしみたいな士族層では年に数回食べられるかどうかってご馳走になる。

 

「あれ、美味しいんですけどね」

 

 ぼそっと付け足したのは、年末に食べたダヨーの丸焼きを思い出した為。一家総出で舌鼓を打ったご馳走だったわよ。

 

「そうですわね。わたくしもダヨー料理は好きよ。ダニエル様はお嫌いでして?」

 

 とビッチ様。

 

「俺は…嫌いでは無いが」

 

 そこへ教官から「漕ぎ方用意」の命令が響く。候補生達はオールをばたばたと用意する準備に取り掛かり、会話は中断となった。

 教官の「いち、にー、いち、にー」のかけ声と共にオールを漕ぐ。ガレー船ならドラムが鳴らされる場面だけど、カッターにはそんな物積む余裕は無い。

 オール捌きは一糸乱れずっていうのが理想だけど、あたし達はにわかなのでそんなに上手く行く訳も無く、タイミングずれが起こるのはしばしばだし、中には巧く漕げない人だって居る。その度に怒声が飛んで来る。

 まぁ、真っ直ぐ進まない最初の頃に比べたら、それなりに見られる漕ぎ方にはなってるとは思うわ。上級生達の漕走を見ていると先輩達は完璧にこなしているから、あたし達も二年生になればあれだけ上手く漕げるんじゃないかな?

 

            ◆       ◆       ◆

 

「お疲れ様です」「お嬢様」「我が主よ」

 

 到着した桟橋には沢山の侍女が待ち受けていた。

 無論、ニナ達だけでは無く、他家の侍女も含めてよ。それぞれタオルや飲料を手に持って主を出迎えている。これから食事時間だし、余裕のある者なら湯浴みの後、着替えになるからだ。

 付き人と無縁の平民候補生達は、彼らを横目に見ながらさっさとその場を後にする。あたしも本来はあっちよねと思いつつ、歩きながらイブリンからタオルを受け取った。

 

「湯浴みにしますか?」

「そうね。制服の着替えを用意して頂戴」

 

 ニナの問いかけにあたしは頷いた。ここらの細かさは侍女歴の差でイブリンには無理だ。元聖女様は、他者に仕えるより仕えさせる側なんだから仕方ない。

 ニナに教わって侍女の所作を勉強中らしいけどね。

 

「イブリン関係の動きは?」

 

 前に襲われた様な刺客がこちらへも派遣されないと言う保障は皆無。もっとも、ここ三ヶ月は特に変わった動きは無かった。

 

「怪しい動きをしている侍女が数名。もっとも法国の間者とは断定と出来兼ねますが」

 

 侍女二人と浴場に向かいながら、あたしはニナの報告を受ける。

 

「そうね。主の護衛を兼ねている戦闘侍女が付けられている場合が多いから、別口での警戒もあるんでしょうし」

 

 お家騒動やら、権力闘争なんかは貴族間では別に珍しくも無いわ。そんなのに無縁な、あたしにはぴんと来ないけどね。あたしを害しても、ルローラ家やその一族、何も困らないから。

 

「怪しい生徒は?」

 

 イブリンが尋ねる。まぁ、用意周到な相手なら間者や暗殺者を士官候補生を装って入学させるって手口はある。だけど…。

 

「流石に無理でしょ。貴女が侍女入りしたのは入学式ぎりぎりよ。そこから遡って生徒を用意させる余裕なんてないもの。入学試験はどうするのよ?」

 

 でも貴族なら無試験って抜け道はあるわ。あたしも末席だけど貴族階級だからその恩恵を受けてるけど、暗殺者が貴族ってのは流石にねぇ。

 

「本物の貴族を用意しないと無理ですか」

 

 転入生なら有り得るかもだけど、普通の学校ならともかく、軍の士官学校へ途中編入なんてのは不可能だろう。だって海軍の士官学校は王立のここ一校しか無い。

 

「裏家業専門のお家柄の噂はあるけどね」

 

 暗殺や諜報に強いお家柄って幾つか知っている。但し、あくまで噂で『暗殺者を生業とする家でござい』って、堂々とばらしている所は無いわよ。

 

「姫様。そこの子女だったら或いはって可能性もありますが、法国の利害の為に動く事は売国奴の決意を固めてない限り、まず有り得ません」

 

 ちなみにグラン王国では貴族の戸籍は厳密に管理されてる。

 出生したら半年以内に王都へ届け出る必要があるし、この試験とかには公的に発行されたな身分証を提示する必要がある。勿論、身分詐称したら重い罪に問われるわ。

 折角、手に入れた王国での地位を棒に振ってまで外国に利するメリットは現時点では無い。

 国を追放されて他所へ行っても、今までより高い地位には就けないだろうし、体よく使い潰されるのがオチ。

 

「でもまぁ、侍女に紛れてって線はあるから警戒は怠らないで」

 

 生徒と違って侍女は雇い主の推薦だから、途中でも入れ替えが効く。当然、身分保障は必要だけど、それほど厳密な物では無い。

 と、その時…。痛っ!

 

「おっと、失礼」

 

 脇見をしていたから、あたしは他人にぶつかってしまったらしい。尻餅をつかなかったのは幸いだけど。

 

「いえ、こちらこそ」

 

 改めて顔を見る。灰色の髪に黒ずくめのローブを着た青年だ。銀縁の眼鏡をかけて、手には分厚い魔導書に杖。魔導士ね。

 

「キルン先生」

 そう声を掛けたのはダニエル。相変わらず侍女二人を引き連れて、こちらへ走り寄ってくる。

 

「おい、エロコ。貴様、先生に失礼な事をしたんじゃ無かろうな?」

 

 言いがかりをつけに来たのか。暇人な。とあたしは内心呆れつつ、ダニエルを無視してあたしはぶつかった相手を改めて観察する。

 

「教師でらしたのですか。技術科一年のエロコ・ルローラと申します」

「学園講師のラドガ・キルンだ。魔導の授業を担当しているよ」

 

 あたしは技術科の上に魔導授業は選択してないので無関係だけど、掌帆科の皆にはお馴染みの人物なんだろう。にしても若い。講師だから外部の軍属なのだろうと思う。

 

「キルン先生は凄い方で、既に魔導一級資格を持ってらっしゃるんだぞ」

 

 だから、何でお前が威張る。ダニ公。

 

「ははは、持ち上げても成績や内申は上がらないよ。ダニエル君。おや?」

「何か?」

 

 あたしの顔をまじまじに覗き込む仕草。

 

「その首飾りは珍しいね」

 

 あたしの首にはペンダント。あたしが発見された時、服以外に唯一身に付けていた物だ。が下がっている。

 

「そうなのですか?」

 

 と言っても、チェーンに太さ1cm、長さ15cm程の細いスティックとその左右にやや短く、中央のそれよりも細長い同様なスティックがぶら下がっているだけのシンプルな物だ。

 彫金もなされてなければ宝飾類の飾りも無い単なる棒。

 色はターコイズブルー。材質は不明だが硬質で、三本のスティックが触れ合うとしゃらんと甲高い金属質な音がする。

 

「身内は音叉か風鈴みたいと揶揄しますが、何か珍しいのですか?」

「何となく…ね。勘でしか無いが」

 

 キルン先生は微笑んだ。

 

「メライズの物と酷似している。あ、いや、考古学的な話題になるから、女性には余り興味ないだろうな。

 失礼、昼休みの時間を無駄にしてしまったね。急いだ方が良いんじゃないかい?」

「姫様。湯浴みの時間が無くなりますよ」

 

 ニナがそっと耳にする。もっともだ。あたしは一礼するとその場から離れた。このペンダントがそんなに珍しい物なのかと思いつつ。

 その時、あたしは何故、『メライズ』なる単語を気に留めなかったのか後悔する時が来るとは思っていなかった。

 

〈続く〉




ダヨー鳥はダチョウ相当の大型家禽になります。
ある地方では乗用としても飼育されてる、なんて裏設定も。
中東には騎手を乗せた「ダチョウレース」なんてのも実際存在しますからね。もっとも小柄な少年しかダチョウ騎手になれないそうですけど。

それと、タグ「モンスター娘」追加ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、初夏

〈エロエロンナ物語8〉

 

 季節は春から夏へ動いていた。

 時間を取ってイブリンと話し合う。事態は三ヶ月前と似た様な物だが、王国側の動きと法国側の動き、そして帝国側の動きに連動性を疑ったからだ。

 

「何か、急激に国際関係が慌ただしくなっているのよね。きっかけは国王陛下の長期不在だったけど、法国でも教会の権力争い。そして帝国の挑発。偶然にしてはタイミングが良すぎない?」

 

 王宮でのやりとりは無論伏せてあるけど、国王不在の噂は既に市井に広まってしまっていた。だが、普段から不在である事が多かった為、王国民にも「慣れ」があるので、幸いにして大事にはなってはいないわ。

 大衆の多くは「危機になったら帰ってくるだろう。今までみたいに」と言う反応なのよね。このパターンが過去に何回もあったからね。

 前国王が崩御していて今までとは危険度が段違いなんだけど、そこまでを認識している王国民が少数派なのが王国を安定させていると言えるわ。

 

「法国での聖女不在は突発的な出来事ですよ。余り関連性があるとは…。まぁ、聖女の件を奇貨にして父、いえ、法王の退位を迫る連中が外国とつるんでいるのは確実ですけどね」

 

 彼女の身を狙うのは法国の中でも保守派だ。特に既得権益を守りたい派閥。そして少数だが巫女達の中にも黒幕が居るらしい。男が聖句を使える何て知れ渡ったら、今までの支配構造が瓦解するでしょうからね。

 

「枢機卿達が特に怪しい。でしょうか。色々な怪しげな連中と組んでいるとの噂でしたけど、まさか禁忌の死霊使いとすら組むとは…嘆かわしい限りです」

 

 死霊を滅するのが教義の聖教会が、そいつらと手を組むなんて本末転倒よね。

 

「教会内に味方は居るの?」

「信用出来るのは父と母だけですね。あと巫女仲間が数人。

 但し、身内以外を完全に信用し切れるかと言えば否です。教会関係者ですから友情と手放しに喜べない。何らかの思惑を抱いて、聖女に近づいて来たと見てますから」

 

 むしろ、法国との利害関係が皆無なあたし達の方が、信用出来るのは皮肉だと寂しそうな笑みを浮かべる聖女様。

 

「傀儡使いについては?」

「聞いた事はあります。古代文明の力を操れる者が存在する話は。ただ、具体的に誰なのかと問われると…」

 

 あの手の研究は帝国の方が進んでおり、多分、帝国の手の者ではと自信がなさうだ。マーダー帝国は領土内に幾つもの大規模な古代遺跡があり、国家事業として積極的に調査しているのは有名だからね。

 

「しっ」

 

 放課後に人目を避けるべく、校舎から離れて湖畔で相談していたのだが、こちらへ金髪をきらきら輝かせながら、ビッチ様が駆け寄って来るのを視界に捉えた。

 あたし達は会話を止め、侍女二人とその主の顔へと戻る。

 

「お聞きになりました。エロコ様」

 

 挨拶もそこそこ、ビッチ様が語りかけてきた。

 

「何でしょう?」

 

 身分から考えれば彼女、公爵令嬢で雲の上の人なのだけど、士官学校では女子が少ないから自然、話し相手になる事が多く、クラスメイトと言う事もあって親しくして貰っている。プライドは高いけど悪い人じゃないし、田舎育ちで権力を振り回すタイプでも無い。そして努力家だ。

 

「実家からの情報ですが、国王陛下が久々に王宮へお戻りになられたそうですの」

 

 初耳だわ。でもここは無関心っぽく「あら、それはめでたいですね」とだけ答えておく。

 

「これで中央のごたごたも収まるでしょう。わたくしたちも一心不乱に勉学に励めると言う物ですわ」

 

 ニナに確認させに行かせるべきかしら。公爵家の情報網はやはり義姉の伯爵家よりも強いのか、それともガセか。

 

「はい、だいぶ鍛えられてきたとは言え、まだまだですし」

 

 勉学と行ってもここは軍の学校。座学の他に体育。特に水泳は必須。そしてカッター漕ぎ。白兵戦の授業もあるから、噂に聞く王立魔導学校とはだいぶ趣を異にする。

 まぁ、あっちの方が貴族子女が通う正統派なコースなんだけどね。授業はあるんだろうけど、優雅なんだろうなと想像するわよ。

 だって実質的な読み書きや礼儀作法、歴史なんかの実学は、貴族なら入学前に各家庭で学ばせて済ませているのが普通よ。学校に通わせるのは主に魔法の勉強と学生活動を通じて貴族次期当主の人脈を作る為の場なのだから。

 無論、士官学校だって人脈作りの場ではあるけど、普通は貴族の次期当主たる、長子や長女は絶対に来ないからね。向こうとは意味合いがまるで違う。

 

「そうですわね。でも、わたくし1kmや2kmを走っても平気になりましてよ。多分、姉妹の中では一番耐久力がありますわ」

 

 兄弟とは言わないのは、恐らく騎士になって軍務に就いてる女子も居る為ね。

 

「魔法の方は如何ですか?」

 

 こっちは選択していない科目なので、ついでに尋ねてみる。

 

「精霊魔法は適性が合ってるらしく順調ですわ。ただ、魔導の方はあまり。聖句魔法は駄目でしたの」

 

 魔法の系統はこの三つ。

 地水火風の精霊力を操る精霊魔法。

 内なる魔力を元に、呪句を口にして唱える魔導。

 聖なる力で身体を癒やす聖句魔法。がある。ただ、この三つの系統を全て使いこなせる者は少ないわ。大抵は一つ。良くて二つ。力の発現にも偏りがある。

 聖句に至っては普通は女子専門だ。まぁ、イブリンと言うイレギュラーが存在するから、今後は研究次第でどうなるのかは知らないけどね。

 

「三つ操れる、エロコ様が羨ましいですわ」

「どれも力が弱いですよ?」

 

 そう。驚いた事に学校の測定で、あたしは魔法全系統を操れるのが判明したのだ。ただ、力の発現はどれも微弱で、初級の系統なら網羅可能だけど、中級魔法を操れるのかは怪しいと言われてしまった。

 広く浅く。良い意味で言うなら応用が利くのが取り柄ってお話で、どれも極める事が出来ないから、魔法の専門家にはなれないのよね。

 

「あら、魔法の効果を込める錬金術師にとってはプラスではありませんの?」

「ええ…まぁ」

「そうだ。錬金術の授業を話して下さいませ」

 

 錬金術。と言っても要は鍛冶や薬学の延長線上にある便利技術ね。まぁ、卑金属から金を作れると信じて研究に邁進する人もまだ居るけどね。

 金属の精錬。薬物の合成。機械の設計やら何でも。ぶっちゃけ魔法を介して物作りするのが錬金術。だから内容も多岐に渡る。

 中には「これも錬金術なの?」と疑う様な技術。例えばお酒の醸造とか、紙漉きとか、市井の職人がやりそうな物も内容に含まれる。

 この前、畑で堆肥作りしたし、牛舎隣の工房でバターを作ったわよ。

 

「あらあら」

「いえ、これらは全部基礎なんです。まず、元となる製品の成り立ちを知らなければ錬金術の本質は判らないと。こうやって制作過程を知り、その上で魔力を付与して行くのが錬金術なんです」

 

 例えば耐久性に優れた魔法の剣を作りたい場合、完成品に付与するより、制作中の時点で魔力を練り込んで行く方が高性能になる。

 鍛冶の最中、鉄を打ちながら「強くなれ、強くなれ」と念を込めながら付与して行く方が良いと言う訳だ。

 

「そして錬金術ではあたしみたいな初級魔法でも、数多く重ね掛けして行けば問題は無いそうで、魔力の総量が高い分、あたし向きなのだそうですわ」

 

 つまり、あたしは強い魔力で一発錬成ってのは出来ないけど、時間は掛かるけどこつこつとやって行けば、性能的にそれに劣らない錬成品を作る事が可能なのよね。しかも、全系統の魔法を付与可能で。

 嬉しい誤算ね。もし軍に就職出来なくても工房構えたら、市井でも生きて行けそうじゃない。いやいや、目指すは海軍士官よ。

 

「大変ですのね。それに比べたらわたくしの悩みなんて矮小な物。頑張らねば!」

 

 何か心の琴線に触れたみたいで、何か決意を新にした様に気合いを入れる公爵令嬢。そろそろ話題を変えたいあたしは、さりげなく情報収集を開始する。

 

「ところで国王陛下の帰還について、詳しく教えて頂けませんか?」

 

            ◆       ◆       ◆

 

 深夜、かたん。と鎧戸が軽く鳴った。

 暫くしてかたん。かたん。と二回鳴る。あたしは【幻光】の魔法を発動すると、鎧戸の閂を外して押し上げる。途端にするっと窓からウサ耳族が入ってくる。

 

「只今戻りました。姫様」

 

 ニナにイブリンが水の入った杯を渡す。喉を鳴らして飲み干すのを認めた後、あたしは彼女へ「ご苦労様」と労いの言葉を告げ、エロイナー家からの報告を待つ。

 

「国王陛下は帰還した事になっています。但し、それは表向きです」

 

 影武者ね。

 

「黒幕は義姉様?」

「と、王妃様ですね。陛下健在のアピールで事態の収拾を図る模様です」

 

 一時的なカンフル剤にしかならないわね。

 

「その猿芝居、何処まで通用しますか?」

 

 これはイブリン。

 

「死亡しても、いいえ、私的には没した事にされた方が良い私と違って、ギース陛下は生きて健在ぶりを示す必要があります。そして公務に携わる事は避けられません。どうしてもボロが出るでしょう」

「数日間、王宮で過ごした後に、また姿をくらませる予定だそうです」

 

 普通の王室では通用しないが、あの国王陛下なら通用する手だ。執務室を留守にしてふらりと何処かへ行ってしまう。

 

「…問題は、今回からはその手が使えなくなる可能性ね」

 

 それは留守中の公務を、王妃と先代国王が務めていたからこそ出来た技であると言う事だ。先代国王亡き現在、果たして上手く抜け出せるか否か。

 昼間に聞いたビッチ様の情報では、国王帰還は話題にはなっているがそれが偽者だと疑いを抱いているとの雰囲気は感じられなかった。

 もっとも、幾ら貴族の子女とは言え、国政に縁遠い一般レベルの情報ではこんな物だろう。腹芸で重要情報は隠している可能性も否定出来ないけど、だとしたらビッチ様は恐ろしい程高い政治・外交能力の持ち主と言う事となる。

 帝王学は高位貴族の嗜み。妾腹で下位だろうけど、一応は爵位継承権を持った公爵令嬢だから可能性はあるわ。

 

「もどかしいわね。あたしにもっと何かの力があれば」

 

 実は物凄い魔法や武術を使えて、並み居る敵を鎧袖一触。当るを幸い幸いバッタバッタと打ち倒す、もう神話か伝説に出てきそうなチートな力は無理としても、権力や財力で他者を動かす黒幕タイプだって構わない。

 あたしが王女様とか、大公家令嬢みたいな身分ある立場に居たらとも思う。

 でも現実は士族令嬢。毎日お小遣いで、酒保のみかん水を買って飲むのも苦しい財力。種族的補正があろうが十人並みの容姿。インドア派であっても学力はずば抜けた成績では無く、中の上もしくは上の下がせいぜい。

 将来は海軍士官と言う手堅い職を目指してる一般人なのに、国規模の陰謀に二つも巻き込まれている状況が異常なのよね。

 でも、それを放っては置けない。あたしの将来設計が、放置するとがらがらと瓦解するから!

 

「仮に力があったとしても、立場上、振るう事が困難なケースの方が多いですよ」

 

 自分の経験でしょうけど、やな現実を言うわね。元聖女様。

 

「…ニナ。続けて」

「側妃派の動きは幸い、鈍いらしいです。ただ帝国との国境線が騒がしいらしく…。

 具体的には帝国軍の一個師団が南下して国境付近に陣を張り、加えて海上でも帝国の動きが目立つそうです。私掠船数隻が領海内へ侵入を繰り返しています」

 

 国境でもし何かあった場合、国王が気ままに姿を消す訳には行かなくなるだろう。それに気が付いての帝国側の揺さぶりなのかしら。手を打ってきたと言うべき?

 帝国との最前線になる、北方を領地にしている貴族達の間にも緊張が走っている筈だ。山賊退治程度ならいざ知らず、場合によっては王国軍を派遣する必要があるからね。

 

「陛下探索の方はどうなってるの?」

 

 ニナは首を横に振る。手掛かりは余りないか。

 海でも動きがあるって事は、海軍予備として士官候補生が動員される可能性があるけど、赴くのは一年生ではなく、恐らく先輩方だ。

 ちらと視線を置き時計に向けると時刻は午前二時。今日も朝は早い。ここで心配していても、まだ士官候補生の身であるあたし達では何も出来ないのだ。

 

「分かったわ。夜更かしは肌に悪いので、今日はもう就寝しましょう」

 

 各人が寝床へ入ると、あたしは唱えていた魔法の灯火を消灯した。せめて外を出歩ける自由時間が欲しいと願いながら。

 

『…巫女よ』

 イブリンが呼ばれてるわね。

『巫女よ…エリルラよ』

 はいはい。もう寝ているので口は閉じましょうね。

 あたしは寝返りを打ち、そのまま眠りに就いた。

 

〈続く〉

 




学生生活、絶賛謳歌中。
しかし、二足わらじのもう一足の方では、こちらから能動的に動けないのがエロコ達の弱点です。
せいぜいニナを放つ位。

…と書いた時点で、ふと寄宿舎時代の『ラ・セーヌの☆』を思い出してしまった。
エロコが夜中に「変身」して闇を駆け抜ける、正義のヒーローだったら話は別なのでしょうけど、運動苦手の彼女じゃ無理だ(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、探検!ユーレイ島

新たな学友が登場です。


〈エロエロンナ物語9〉

 

 朝早く面会者があった。でも、あたし達が相手ではない。

 

「お前は来なくていい」

「しかし、兄貴」

「くどい。足手纏いだ。それに衆人環境で大声を出すな」

 

 食堂正面で赤毛の男性二人の口論が聞こえてくる。一人は馬鹿ダニエル。もう一人は旅装に身を包んだ知らない貴族の男だ。

 

「ボルスト侯爵家の長子。バウアー様ですわ」

 

 いつもの様に隣に座っているビッチ様が教えてくれる。次期侯爵継承者で社交界では人気との噂がある男だ。顔かたちや雰囲気はダニエルに近い。

 

「こんな朝早くに面会ですか、何かあったのでしょうか?」

 

 事情は予想が付く。しかし、あたしは敢えて知らぬ振りをして話題を振った。

 

「さぁ、わたくしには何とも…ただ」

 

 縦ロールの公爵令嬢はパンにバターをたっぷり塗ると、優雅な手つきで千切って口へと放り込む。左右に控えた侍女さん達がバター入りの紅茶を注いで差し出すと、やはり上品に杯を飲み干した。

 

「国境付近がきな臭いとの噂が届いてますわ。領地へ下がる前に弟君へ面会に来られたのでしょう。ボルスト家の領地は北方でしたからね」

 

 ため息一つ。

 

「帝国国境沿いに領地を持つ貴族は、今、例外なく領地へ走っていると思いますわね」

 

 身内だとエルン義兄様辺りか。

 

「あら、となると、いつもの山賊だかの越境行為では無いのですか?」

「帝国の正規軍が演習と称して動いたらしいですわ」

 

 そんな会話をしていたら、いつの間にか不機嫌そうな顔をした赤毛が、乱暴に椅子を引いてどっかと座り込んだ。

 

「畜生。兄貴め」

 

 テーブルを叩く。悔しいのは分かるけど、物に八つ当たりは困るわよ。

 

「俺は駄目なのか。侯爵家の一人として何の役にも立たないのか!」

 

 ダニエルは喚くと、視線に気が付いてじろりとあたしを睨み付けた。

 

「…笑えよエロコ。家の一大事にも呼んで貰えない、役立たずな俺に」

 

 兄に同行すると我が儘言って、戦力外通告されたみたいね。

 

「それで貴方の気分が晴れるのなら…、笑わせて頂きますが」

 

 一息入れる為、バター茶を口にする。

 

「先程のバウアー様でしたか? 兄君が言った言葉を取り違えてますね。その意味なら笑いに値するかも知れません」

「どう言う意味だ」

「あたし達は成人ですが、まだ齢15である事実です。そして見習いですが身分は爵位有無に関係なく海軍士官候補生。つまり、国に仕える軍属です」

 

 つまり後ろにグラン王国を背負っているって話よ。国の公的な人的財産なんだから、どんな高位貴族だろうが、勝手に引き抜いて連れて行くとかしたら、国家財産の横領になってしまうじゃない。

 

「無論、ここで退学して士官候補生の身分を捨てるのはありです。でも、バウアー様は

れを良しとしなかった。理由は分かりますよね。ダニエル様?」

 

 これで分からなけりゃ、救い様の無い馬鹿の烙印を押させて頂くわよ。

 

「! 俺の、将来を…」

「その通りですわ。愚鈍な侯爵の四男坊にも、ようやく理解出来た様子ですわね」

 

 縦ロール揺らしてビッチ様が口を開く。相変わらずきつい毒舌だけどね。

 前にも説明したけど、世襲貴族の領主が没したら長男は家と爵位を継ぎ、次男以下は貴族の分家として小さいながらも領地を与えられ、本家より下位の爵位得るのが通例だけど、分家になれるのはその貴族の財力に掛かってくる。

 王族や大公クラスならまだしも、公爵や侯爵クラスでも良くて三人が限界。伯爵以下は二人居ればビックリレベルよ。当然、四男坊のダニエルにボルスト侯爵が分け与えられる領地や爵位は無い。

 ここで士官候補生の経歴を棒に振ってしまったら、無位、無冠の平民になるか、一代貴族として金で士族の身分を買うしか無くなる。

 そう、士族身分は金銭でも買えます。但し、値段は中規模な荘園が一つ買える位にお高いわよ。男爵や子爵クラスの貴族にだって、おいそれとは手が出ません。

 と言うか、普通そんな金があったら長子以外は他家へ嫁入り婿入りさせ、収入増の為に荘園買います。

 

「兄君は一時の感情から、ダニエル様が一生を棒に振る事を諫めたのでしょう。分かったのなら貴方は、三年間歯を食いしばって学業に励み、卒業せねばなりません」

 

 卒業さえすれば、海軍士官として士族位は自動的に貰えるからね。あー、あたしはこの馬鹿のカウンセラーじゃ無いんだけどなぁ。

 

「流石はバウアー様。将来を心配して下さる、良き兄ちゃんだよね♪」

 

 軽い声がした。

 

「ユーリィ」

 

 金色のさらさらな直毛を後ろに束ね、着崩したセーラー服を着こなした女子生徒。クラスメイトのユーリィ・リリカ子爵令嬢。

 所属はあたしと同じ技術科だけど、何故か交友関係は広いのよね。

 

「まぁ、帝国の侵攻は現役の騎士達に任せて、あたいらはあたいらで、如何に楽しい学園生活を送れるかって考えよう♪」

 

 テヘ、って感じで片目を瞑ってぺろりと舌を出す。

 

「賛成ですが、その制服は学校の規定違反ではありませんこと。特にスカートの裾が物凄く短いですわよ」

 

 元々、制服のスカートは船上で活動的に動く為に短いんだけど、彼女のそれは一寸屈むと下着丸見えになる丈だ。しかもキュロットでは無く、普通のプリーツだし。

 

「ビッチは相変わらずお堅いなぁ。ちゃんとした制服だよ。常裝からスカートを礼装のそれと交換したけどさ♪」

「丈も詰めましたわね?」

「大正解♪ 大丈夫。見せパン穿いてるから」

 

 わざとらしくスカートをめくり、白いフリルが沢山付いた下着を見せる。

 

「そう言う事ではございません!」

 

 ユーリィ様とビッチ様の掛け合い漫才。

 驚いた事にこの二人は幼馴染みだそうだわ。所領が隣同士で、田舎で育ったから兄弟姉妹よりも親しき仲なんだとか。ビッチ様は深窓の令嬢。ユーリィ様は野生児的な行動派の姐御肌で、タイプは全く違うんだけど。

 

「あー、それよりもさ♪ お化け退治に行かない?」

 

 ユーリィ様はビッチ様のみならず、食堂の皆に対して提案した。

 

「お化け?」

「ほら、廃兵院の幽霊島♪ 知ってるでしょ?」

 

 ネーベル湖の中央にある島にある廃墟だ。幽霊が出るとの怪談話が伝わってきている。ガセだろうけどね。

 

「ダニエルも気分転換にさ。楽しくピクニック♪」

「ピクニックって、おい。幽霊退治じゃ無いのか?」

 

 ダニエルの問いに、ユーリィ様は頭をポリポリと掻きながら悪戯っぽく笑う。

 

「幽霊なんて枯れ尾花だよ。退治とか言っても、それを証明する余興さ♪」

 

 彼女曰く、「無人島の探検気分を味わおう」との話ね。次の休日に日帰りで探検出来そうだし、装備は自主訓練扱いで借りられるのが安上がり。

 

「まぁ、本当にアンデットが出るんだったら、とっくのとうに教官達が退治してるだろうしね。で、乗るのかな♪」

 

 気分転換か。何も手出しが出来ず、もどかしく事態の推移を見守るより良いかもしれない。あたしは挙手をした。

 

「うーん、あたいを入れて四人か。みんなチャレンジャーじゃ無いなぁ。ま、いいか。許可はあたいが申請するよ♪」

 

            ◆       ◆       ◆

 

 次の休日、自主訓練の名目でカッターを借り、帆走して約20分。

 あたし達は幽霊島と呼ばれる無人島の地へと立つ。

 

「おおっ、到着したね♪」

 

 最初に上陸したのが言い出しっぺのユーリィ様。すたこら走って舫縄を近くのポラードへ結びつける。鮮やかなロープワークは見事ね。

 あたしはニナ達を。ビッチ様とアドニスはそれぞれのお付きの侍女達を伴っているが、ユーリィ様は単独だ。と言うか、彼女は貴族子女としては珍しく、実家からの侍女を伴っていないのよ。

 曰く「子供じゃあるまいし、自分の事は自分でやるよ」って主義との事。「狙われる様なお家柄じゃないし、護衛も不要。士官学校で貴族の見栄。何それ、美味しいの?」なのだそうだ。決して、リリカ子爵家が貧乏って訳では無いんだけどね。

 ユーリィ様は次女で家を継ぐ立場では無い。兄と姉の三人姉弟の末っ子で、ビッチ様曰く「野生の悪たれ」だそう。

 実際、彼女は腕っ節が強い。剣の模擬戦なんかでは常に上位だ。しかも、正統派の貴族の習う、細剣を操る華麗な流派なのよね。

 

「幽霊か。ここが閉鎖されてかなり経つけどな」

 

 続いて桟橋に降り立ったダニエルが呟く。足元は草に覆われた石畳だ。その先は鬱蒼とした森へ消えている。

 

「古い施設には付きものの怪談ですわよ。まぁ、他に幾つか伝わってますけど」

 

 ビッチ様が仰る通り、この士官学校は元は古い廃兵院だった。

 廃兵院というのは、戦場で負傷して障害を負った軍人の福利厚生施設。約百年前の帝国との戦いでは四肢を失ったり、障害を受けた患者が一杯だったと言う。

 そんな生活を営むのに困難な者達を、国が責任を持って生活の面倒を見るのだけど、大きな戦が無くなってから規模は縮小の一途を辿り、ついに二十年ほど前に廃止された。最後まで残っていた兵が寿命を全うしたからだ。

 廃兵院に収容された患者は家族達と別れ、孤独死するケースが多く。それらの無念の想いが幽霊となって徘徊している。と面白おかしく伝えられている。

 真夜中に交代を告げる幽霊衛兵。

 フルヘルムを被り「あたしの顔、綺麗?」と尋ねて来る女騎士。お約束通り、面貌を上げると顔面は無茶苦茶に爛れてるってオチの奴とか。

 でも「衛兵は患者じゃないだろう」や「騎士なら廃兵院でお世話になってる訳無かろう」とかのツッコミ満載よね?

 

「ここは狂人を隔離する場所だった。ぞっとするな」

 

 湖の真ん中にあるのはそう言う理由だ。戦場で狂気に犯された兵士を収監した施設がある。その建物は刑務所さながらだったと伝えられているわね。

 

「まぁ、先輩達の脅しや誇張があると見るわね。実際、これから確かめに行ったら、何か分かるでしょう」

 

 あたしは燦々と照る陽光を見上げながら言う。天気良いなぁ。鳥の鳴き声も聞こえて行楽日和だ。

 

「森の向こうに塔があるって噂だよね。登ってみたいな♪」

「崩れる程の廃墟にはなってないと思うけど、はしゃぐなよ?」

「いやー、それは確約出来ない♪」

 

 森の向こうに塔が見えてきた。煉瓦造りで灯台風だ。

 

「意外と大きいな。遠目では塔しか見えなかったが…」

 

 近づいてみると塔の下にはコの字型に立てられた二階建ての建物があった。こちちも煉瓦造りで、塔はその建物が作る中庭から生えている。

 

「獄舎…ではなく、病棟ですわね」

 

 鉄格子が填まった窓が光景は、確かに病棟と言うより獄舎を連想させる。

 窓に付けられていただろう鎧戸はない。長年の風雨で朽ち果ててしまっただろう。しかし、建物自体はがっしりとしており、手入れさえすれば再使用は可能だと思えた。中の梁が腐ってないのなら、が条件になるけど。

 

「お、こっから入れそう♪」

 

 正面玄関に当たる場所でユーリィ様が手招きする。

 屋根付きの車寄せがあり、その奥にある玄関は重厚な扉で閉鎖されているが、蝶番が外れて傾いだ扉は用をなしていない。空いた開口部は人が一人潜り抜けるのに充分なサイズだった。

 失礼して潜り抜ける。 あれ?

 

「これ、足跡だわね?」

 

 皆が建物に入った後、あたしは正面玄関から奥の方へ続く足跡を見つけてしまった。それも二つ。サイズは大人の靴底ほどで、埃の溜まった床に点々と残されている。

 

「本当ですね。しかも、それ程古くなさそうです。姫様」

 

 腰をかがめて、足跡を調べていたニナが顔を上げた。

 

「管理人でも来たのか? こんな場所へ来るのは俺達だけだと思ったんだが」

「ユーレイだったりして♪」

「おやめなさい、縁起でもない」 

 

 あたしは周囲を見回す。一階の右側は元々は集会室だったらしく大広間状になっており、開口部が多いだけあって、館内はそれ程暗いと言う印象はない。

 左側は受付だったらしきカウンターが並ぶ。その隣に事務室が設けられていた模様だ。変わって正面を見ると、二階へ上がる巨大な階段があって、足跡はその階段方面へと伸びている。その先は暗くて見えない。

 

「【幻光】!」

 

 得意ではないが光の魔法を唱える。二階へ行くのなら必要になるだろう。

 

「上へ行くのでしょう?」

 

 あたしの問いに皆は一斉に頷いた。

 

〈続く〉

 




息抜きに島へ冒険に出かけたエロコと学友達。
同じく、島へ赴いたのに閑話のラーラ達と違ってお気楽モードですね。
しかし…、と言う所で続きます♪

おっと、ユーリィの癖が移ったか(笑)。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、廃病棟

探検開始です。


〈エロエロンナ物語10〉

 

 大きな階段は案外しっかりしていた。放棄されてから半世紀以上も経っているが、風雨にさらされる外壁と違い、屋根が頑張っている分、老朽化の進行が遅いのだろう。

 階段を登り切って突き当たると、道は左右の廊下に別れる。

 ここはコの字型した建物の中央部分だ。まぁ、正確には二階部分はぐるりと一周するロの字型なんだけど、さて、どちらへ行こうかしらね?

 

「足跡は左の方に続いてるな」

 

 ダニエルがぼそりと呟くと、ビッチ様も頷いたわ。

 左右に分かれた廊下の壁には一方、ここから見るとコの字型の中庭方向には個室の扉が並び、もう一方には窓が並んでいる。

 もっとも窓ガラスなんて高級品が出回る前の時代の建物だから、窓は鎧戸が閉められてるので、外の陽光は朽ちた狭間からしか差し込んでいるに過ぎないのよね。

 

「ハミーナ。ローズ。ここで待機なさい」

「お嬢様」

「この狭い廊下でこの人数は多すぎますわ」

 

 ビッチ様は侍女達に命じた。うん、かなりの大人数なのは本当だ。

 あたし。ダニエル。ビッチ様。ユーリィ様で四人。侍女達は総計六人。この人数で三人も並べば満杯の幅を進むのはかなりきつい。

 ダニエルもそれは了解した様で、自分の侍女二人を一階へ降りる様に指示している。ビッチ様の侍女。ハミーナだっけ? は自分達用に【幻光】を唱えている。

 さすが公爵家の侍女。魔法も使えるのか。

 

「あれ、どーしたの♪」

「いえ、ハミーナさんの術が、あたしの劣等感を…」

 

 時計回りに進んで暫くしてからあたしは嘆息した。だって上手いんだもの。

 ユーリィ様はうんうんと頷く。そして「ロートハイユ公爵家の侍女は優秀だから気にしちゃいけない♪」と諭す。

 

「あれは出身が、士族層や下級貴族の子女だからね♪」

「基礎がそれだけ高いと言う事ですね」

 

 下位とは言え、貴族ならばそれなりに教育も受けている。中には魔法を習った者も居るに違いない。

 

「まぁ、花嫁修業も兼ねているらしいけどさぁ。適当な所で引退してどっかに嫁ぐ腰掛けになれれば良いねって話で♪」

 

 公爵家で働いていれば、礼儀作法も身に付くし、もしかしたら社交の場でいい役職持ちや、高位の異性とも知り合える確率が高いとの目論見だわね。

 現実はそうは上手く行かないんだけども…。

 頑張って良い出会いを見つけて欲しいなぁ。貴族階級でも後継の長子や長女以外は遊んで暮らせる程、この国は豊かじゃないからね。就職や結婚は死活問題よ。

 あたしも士官学校がなかったなら、この高級貴族の侍女コースへ行っていた可能性だってある。だから他人事とは思えないのよね。

 

            ◆       ◆       ◆

 

「例外なく、鍵が掛かってますわね」

 

 ビッチ様が言った。

 ずらりと並ぶ部屋には当時、最新タイプだった筈のドアノブと鍵が付いている。ノブが重厚な青銅製で、環を通した獅子の頭を模しているのにも歴史を感じる。今なら単なるレバー式の筈だからね。

 そして南京錠。部屋の内側から開けられないのは、この個室の部屋主達が狂人であった為だ。良く見ると扉の下側にスリットがある。これは看守が食事を与える為の物だわね。

 

「一つ位、開いてりゃ良いのに♪」

「とは言うものの、ぶっ壊す訳にも行かないぞ」

「まぁ、ここは放棄されたとは言うものの、まだ国立の施設ですからね。それに無理して中を覗く必要も無いでしょうし」

「覗き窓は木で塞がれてますわ。そのままにしとけばいいのに、余計な事を…」

 

 忌々しげにかぶりを振るビッチ様。まぁまぁと宥めるのはユーリィ様。

 廊下を右に曲がって既に数百歩。一旦、建物の突き当たりにぶつかって右に曲がり、更に五十歩程進んだ所だ。

 ちなみにニナとイブリンはその最初の角に待機させてるわ。

 二人は【幻光】の魔法は使えないから、普通のランタンを灯していて、ここからでもその光がちらちら見える。

 視点を前に変えると、すぐ先に又、曲がり角がある。そして外光が入っているらしく、明るい光が見えている。

 あたし達は進み、角を曲がった光景に絶句した。

 

「こっちの鎧戸はあらかた無いのか」

「と言うか…。これは破壊されていると言って良いのではありませんの?」

 

 目の前に広がるのは破壊の跡、誰かが激しく戦ったのだろう、外に面する木製の鎧戸はあらかた吹き飛ばされている。こりゃ、外光がさんさんと入ってくる訳だわ。

 何等かの魔法を使ったのだと理解出来る。焦げ目が破片に確認出来るから、多分、【電光】か何かだよね。これ?

 一直線に電撃を放つ魔法だ。直撃せずとも空気を振るわせて。かするだけでダメージを与えられる。勿論、あたしには使えない類いの上位魔法だ。

 

「足跡も乱れてるな。とにかく誰かが、ここで魔法を使って戦ったのは間違いない」

「実力から言えば、確実に魔導士五級以上だね♪」

「破片はまだ新しい。最近ですね…」

「これは…私達では危険ですわね」

 

 実践的な魔導で戦闘を行った者がいる。それだけでも危険な香りがぷんぷん漂う。

 第一、この島は国有の島なのよ。クエスター風情が気軽に上陸出来る立地ではない。となると、国の役人か何かが戦闘した事になるけど、そんな報告はあたし達は聞いても居ない。つまり、現在進行形で何等かの戦闘行為が行われていると判断せざる得ないわね。

 

「一旦、引き返して教官に報告するか?」

「最近だけど、少なくともあたい達が上陸する前後じゃない筈だよ♪」

 

 砕かれた破片を調べていたユーリィ様が呟く。

 

「そうなのか?」

「だって、これだけの威力の魔法を使ったなら、少なくとも爆裂音をあたし達が耳にしている訳だし、でもそんな音聞いてもいないからね♪

 そして破砕面が白くて新鮮に見えるけど、これは【劣化防止】の魔法か何かを使った偽装だね。カムフラージュだ」

 

 ダニエルに対してユーリィ様の冷静な意見。しかし、何等かの攻撃魔法を使う何者かがこの付近に身を潜めている可能性には変わりない。

 

「何でそんな手の込んだ偽装をするんだ」

「これを見た他者を警戒させて、この先に近寄らせない為、かしら?」

 

 答えたのはあたし。推測に過ぎないけどね。でも確か【劣化防止】の魔法はかなり高度な呪文だったから、そうそう気軽に使えないのよね。

 ここはコの字型から、二階だけロの字型になる、二番目の角部分。前進すべきか、後退すべきか。

 あたし達はその場で相談し、この場から引き返す事を決定したわ。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 再び闇の中、元来た道を辿る。だが数歩も行かぬ内に、あたしは異変に気が付いたの。

 

「ニナ達の灯りが見えない?」

「あら、本当ですわね」

 

 先程まで見えていた、廊下の先の曲がり角にあった筈の灯りが消えている。

 嫌な予感がした。イブリンは新米だけど、それでも侍女教育はニナがきちんと躾けている。命令も無しに勝手に部署を離れたりはしないし、離れるにせよ、最低限、侍女どちらかのランタンは置いて行く筈だ。

 自分の心に不安が広がるのが分かるけど、ここで焦ってはいけないと思い直して、慎重に、そして用心深く速歩で最初の曲がり角へと近づく。

 

「やっぱりいない…」

「こりゃ、罠かなんかにはまったね♪」

 

 と指摘する子爵令嬢。

 

「え?」

「エロコは気が付かないかな。ほら、ここってさっきとは別の場所だよ。あの辿って来た足跡はおろか、あたいら自身の足跡すらないじゃん♪」

「え、あっ、本当だ!」

 

 そう。よく似ているが、言われてみれば確かに別の場所だったのよ。

 床に埃が溜まっていた筈だったのに、それが無く、これまであたし達が付けていた筈の痕跡が全くない。後ろを振り返ると、外光が入って明るかった出口も消えている。

 

「結界魔法ですわね。これ程大がかりな物を見るのは初めてですけど」

「おいおい、どんだけ有能な魔導士が紡いだんだよ」

 

 選択で魔法を学んでいる二人が声を上げる。

 後で知った事なんだけど、これは儀式魔法の一種で、魔法で擬似的な位相空間を作り出して敵を捕らえたり、惑わせる為のトラップとして使われる類いの物らしい。

 勿論、ビッチ様やダニエルなんかの手には負えない高等魔法だけど、一応、どんな物なのか対処を尋ねてみる。

 

「結界の核を破壊すれば、元の重なり合った通常空間に戻れる筈ですわ。でも、結界の核となっている物が何なのかが分からないと…」

 

 成る程、何か核となる物体がある訳ね。魔法陣とかかしら?

 

「時間が来れば結界は解除される筈…だったかな。予習でそこまでは勉強した」

「問題は、その持続時間が不明な点だよねぇ♪」

 

 使う魔力によって持続時間は左右される。

 幾ら何でも魔導士一人の魔力なんかはたかが知れてるから、良くて数分。でも魔力を充分に供給可能な魔石とか使っているのなら、最悪、数年なんて事にもなりかねないわ。

 今より質の良い魔石が大量に存在してた古代文明期の遺跡なんか、今でも稼働してる代物だってある。

 

「罠なら、その核となる物は隠されてると思いますわ。誰でも判る表面に設置されていたら単なる大間抜けか、あからさまなダミーでしょうしね」

 

 うーん、閉じ込められて餓死はイヤだわね。

 

「しっ♪」

 

 突然、ユーリィ様が口に指を当てて警告を発した。

 と、同時に素早く自分のスカートに手を突っ込んで、太股に装備された細身のスティレット(投擲短剣)を抜きざまに投げつけた。

 ややあって「きん」と澄んだ金属音が響く。

 弾かれた?

 

「あ…ないなぁ」

「よせ、敵じゃなさそうだ」

 

 闇の向こうから聞こえるのは聞き慣れぬ声。呟きは女で制止した方は男の声だ。

 あたふたとダニエルは抜刀し、ユーリィ様は次のスティレットを片手に持ったまま警戒している。当然、あたしもカトラスを抜いたわ。

 

「誰ですの。姿を見せなさい!」

 

 自分の魔導杖を突き付けて、ビッチ様の誰何が飛ぶ。

 

「わーった、攻撃するなよ」

「ヘ…ヘイガー!」

 

 女の焦った声。それを半ば無視して暗闇の向こうから現れたのは壮年の男よ。

 がっしりした体付きで革鎧に長剣を下げたクエスター風の装いをしている。

 青い瞳と太い眉が意志の強そうな、色黒なワイルドな顔立ち。栗色の頭髪にやや白い物が混じり始めているが、その動作に老いは感じられない。

 

「俺はヘイガー。だったよな? えーと、こっちはマリィ」

 

 彼は名乗った。

 にやりと凄みのある笑みを見せた後、続けて「王国の『闇』だ」と自分達を紹介したわ。

 

 えーと、確か『闇』って王国の誇る間諜部隊よね?

 

「『闇』ですって…!」

「あちゃあ…」

 

 『闇』と聞いて驚愕するビッチ様。何故か、頭を抱えるユーリィ様。

 ダニエルだけは事態を把握してない様で、「何だ?」と間の抜けた顔をしている。

 彼、そっち方面の情報に疎いのかしら。

 でも何でそんな大層な組織が、この幽霊島の廃屋に居るのよ!

 

〈続く〉




 

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、『闇』

〈エロエロンナ物語11〉

 

「ヘイ…ヘイガー。不用心すぎるわよ」

 

 ヘイガーと名乗る男の後ろから、金髪の若い女が現れたわ。

 黒と黄色を基調とする露出度の高そうな革服を着ているのね。

 

「士官学校の生徒だろ。なら、半人前でも国家公務員だ」

「でも」

「こんな状況だ。味方は多い方がいい」

 

 そう相棒、マリィとか言ったわね。に語るとこちらを向く。

 

「王立諜報部隊の方ですわね。わたくしはビッチ・ロートハイユ。海軍士官学校の一年生ですわ。事情の説明を求めますわよ」

 

 あ、さすがに『ビッチ・ビッチン』は名乗らないのね。

 ヘイガーの表情が僅かに動いたわ。

 

「ロートハイユ公爵家の?」

「娘ですわ」

「ほぉ。出来れば残りの者達も名乗ってくれ」

 

 真っ先に名乗ったのは侯爵子息。いつも思うんだけど、何故、威張る?

 

「俺はダニエル・ボルスト」

「あたしはエロコ・ルローラ。『闇』の方に会えて光栄です」

 

 期せずして自己紹介になったわね。

 って、あれ、何でユーリィ様は頭を抱えて座り込んでいるのよ。

 

「どうされましたか?」

「あ、エロコ。悪い。暫く…いや、ちょっとで良いから放っておいてくれない」

 

 いつもの快活さ、語尾に♪が付かないわね。まぁ、いいわ。あたしは正体不明な二人に向き直った。しげしげとその容姿を観察する。

 『闇』だけあって実戦仕様だ。ヘイガーの方は余計な装飾は一切無く、実用的な装備で身を固めている。

 マリィと紹介された女の方は若い。と言っても二十歳は過ぎているだろう。顔はマスクで半分隠れていて、あたしからでは目元だけしか見えず、あまり表情は掴めないが、切れ長で藍色の瞳は気が強そうな印象を受ける。

 服装は煽情的だけど動き易そうだし、『闇』なら色気を武器として使うのも考慮されているとしたら、納得出来るわね。

 憎らしいけど、体型は出てる所が出て引っ込んでる所が引っ込んでるし。

 

「王国に対して国家転覆を謀ろうとする賊がいてな、そいつを追い詰めたら罠に掛かった。がぶっちゃけた理由だな」

「間抜けですわね」

「面目次第もない」

 

 ヘイガーは肩をすくめた。「で?」と、ビッチ様は縦ロールを揺らしながら続きを促す。それに苦笑しつつ、ヘイガーは説明する。

 曰く、先程、あたし達の見た戦闘跡はヘイガーと敵組織との争いで起こった事。

 曰く、その首魁らしき奴を追いかけていたら、この結界に誘い込まれた事。

 曰く、ここに閉じ込められて、体感時間で三日は経っている事。

 

「まぁ、結界の内と外で時間の流れが違うって話もある。つう訳でこの三日ってのはあくまで俺達の主観だ」

「脱出の手かがりは見つからなかったのか?」

 

 これはダニエル。

 

「ああ。ここは一種の閉じた空間らしくてな。マリィ、頼む。どうも魔法的な事を説明するのは苦手だ」

「は。お任せ下さい。して…どの程度まで話して構いませんか?」

「全部だ」

 

 と答えるヘイガーだったが、「あ」と呟いた後、ややあって追加を口なする。

 

「でも機密部分は守秘しろよ。後が面倒臭い」

「しかし…後始末した方が」

「お前、ロートハイユ公を敵に回したいか?」

「いえ…」

 

 その言葉使いや態度からして、マリィの主がヘイガーなのね。

 先程のやりとりで察する。

 あの「全部」とは危険な言葉だった。そんな開け広げに事態を全て話す訳はないわ。

 恐らく、あの口ぶりではあたし達を協力させた後に機密保持の為、「始末」する予定だったに相違ないわね。

 ビッチ様がここに居て良かったわ。あたしだけだったら事が終わった後、口封じに消されてもおかしくないもの。

 本人は十三女だと謙遜してるけど、それでも王国で権勢を誇る大貴族だけあって、ネームバリューは一級品ね。

 

「安心しろ。機密保持の為に危害は加えねぇよ。 

 それにロートハイユ公だけじゃない。ボルスト侯爵家とよりにもよってルローラ家だ。ファタ・エロイナーや、エロボスラー家まで敵に回すと始末が悪い」

 

 厳しく、硬いあたしの表情に気が付いたのか、ヘイガーが説明を加える。でもこれはマリィにも言い含めた物ね。

 ちなみにファタ・エロイナーは義姉。エロボスラー家はエルン義兄様が治める辺境伯家よ。家名は妖精語で『輝きの支配者』って意味。

 北辺だけどかなり有力な貴族。昔の大戦では兵団を率いて地位を築いた事から、その潜在的な軍事力は侮れない。驚異の領民皆兵制度とか敷いてるしね。

 

「そう願いますね。では、説明を」

「ああ、だがここで話す事は他言無用。国家機密に関わるのを理解してくれ」

 

 あたしを含めた全員が首を縦に振ると、マリィが説明を開始した。

 我が国に暗躍する陰謀団が存在する。それは大掛かりでまだ正体不明であるが、 どうやら邪教徒であり、混沌の祭神を祀っているらしい。

 

「混沌のって、あれは昔、叩き潰されたって聞きましてよ」

「正確には王国建国期にだ。混沌の勢力は黒と白、両方の神を同時にあがめる邪教徒であり、自らを至高の存在であると自称している。ここまではいいな?」

 

 白の神とは善なる神。ヒト種や亜人を守護し、一般的に大衆から祀られる神様。まぁ、神様は一柱だけじゃなくて一杯いるけどね。

 対して黒の神とはいわゆる悪神ね。主に魔族が信奉し、破壊だの疫病だの、あんまり歓迎出来ない災厄を司ってるわ。

 混沌の教徒はこの相反する白と黒の神を同時に崇め、両方の神の力のいいとこ取りをしようと画策した異端共と言われているのよ。

 もう五百年も前の話。グラン王国建国期の頃、勢力を伸ばした時期もあったが、余りにも独善過ぎる事が仇となって滅ぼされた筈。

 それは「我々は白と黒、両方の神をも調和させる新しき教義を持つ。それは我々が世界を背負って立つべきだと神々に約束された存在であるからだ。

 混沌こそが至高の存在であり、一方のみを信じる既存の神の信仰は間違っている。さぁ、間違った教義を捨て、我々に従うのだ」と宣言したから、白と黒両方の信徒の怒りを買ったのよ。

 当たり前よね。要は自分達混沌信者が支配階級として君臨する。古い権威である教会組織を認めないから解体しろって脅迫じゃないの。

 

「その残党が、ここ数ヶ月前から国家間の緊張を操ってるらしいんだ。だから、かなり大掛かりな組織であるのは確実だ。あ、済まんな、話の腰を折った」

「我々はその組織の一端を掴み、この島に何等かの拠点があるのを察した。だが、その首魁と思われる人物と戦闘中、ここに誘い込まれて三日もさまよっている」

 

 その首魁という人物は、全身黒ローブに身を包んだ魔導士だったらしい。

 巧みに逃げたと見せ掛けて、ここに誘い込んで結界を作動させた後、捨て台詞を吐いて消えたらしいから、何等かの出入りする手段はあるんだろうけどね。

 ちなみにこの場所は完全なる閉鎖系であるらしく、何処まで行っても廊下と曲がり角のみで構成されていると言う。

 

「鎧戸は壊してみたのですか?」

「壊したさ。でも、その先には何も無い。ああ、個室も同じだ。形だけで何も無い」

 

 あたしの疑問に、どちらも壊した向こうに不可視の壁のような物があるだけだとマリィは語る。

 

「鎧戸も壁も、それどころか天井も床も破壊してみたが、徒労に終わった。

 ああ、そうだ。もしあるなら食料と水を分けてくれないか。幾ばくかの蓄えはあったんだが、今日、使い果たしてしまってな」

 

 と要求されたけど…。

 

「残念ながら、こっちは持ち合わせてません」

「そうだよなぁ。侍女達のバスケットにお昼があるけど…」

「水もありませんわね」

 

 あたし達の食料を持って来た侍女達は、結界の向こうだ。

 これはのんびりしていられない。餓死の危機だわね。

 

「干し肉と胡桃で良いなら。水筒もあるよ♪」

 

 おっと、ここでユーリィ様の声が。

 ビッチ様は「さすが野生児ですわ」と褒めてるんだか、けなしてるんだか分からない賛辞を送っている。疲れた様な顔でユーリィ様は携帯食の入った袋と、水筒を差しだす。

 

「ほい、マーリィ♪」

「お前…」

 

 そう呼ばれたマリィが目を見開いた。

 

「偽名は元の語感や名から外れて付けた方が良いね♪」

 

 あら、これはあたしと同意見ね。

 

「! ユーリィ、貴様」

「少なくとも、あたしならそうする。ハールーンとかアシャンティとかが良いかな♪」

 

 ハールーンにアシャンティはどちらも歴史上の人物だ。古代王国の巫女姫と姫将軍だったかしら? 

 まぁ、あからさまに偽名ですって名乗ってる様な気がするけど…。って、あれ?

 何故、名乗ってもないユーリィ様の名をマリィが知ってるのよ。もしかしてお知り合いで?

 

「知り合いか?」

 

 ヘイガーも興味深そうに問う。

 マリィはこめかみに手を当てて、嘆息すると「詳しくは話せませんが…身内の者です」と、絞り出す様に呟いたわ。

 あ、何となく分かっちゃった。多分……。

 

「済まん。あの偽名はとっさに俺が考えた物だから、彼女に罪は無い。って、彼女の身内なら、既に俺の事もバレバレか」

「はい。でも、それを口にしたりはしませんよ♪」

 

 ヘイガーも偽名だわね。でも『闇』なら当たり前か。最初に「ヘイガーだっけな?」とか、間抜けに名乗ってたし。

 

「賢明だ。さて、八方塞がりと言えばそうなんだが…、お前達が来てくれたお陰で、一つ目星が付いた事がある」

 

 そう言うとヘイガーはにやりと笑った。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 あたし達は移動していた。

 最初に結界に取り込まれた地点だ。正確にはニナの灯りが確認出来なくなった場所。

 この付近に何かの手掛かりがある可能性が高いらしい。

 ヘイガー達が取り込まれた地点は、戦闘でバタバタしてどこから侵入したのか確認不能の状態だったので、あたし達が来た事は渡りに舟の状況なのだそうだ。

 

「多分、ここらだね♪」

「余り移動してなくて助かりましたわね。うろうろしてたら、何処も同じ様な作りですから、感覚を失って分からなくなってたかもしれませんわ」

「マリィ、やってくれ!」

 

 目を閉じて呪句をぶつぶつ唱え始める。これは【魔力探査】ね。あたしでも唱える事が可能な基本魔法だけど、使ってる魔法のレベルが違うのが分かるわ。

 巧妙に隠された魔力発生源を探している。周囲が魔的な空間だからそこら中から反応があるんだけど、精度を上げてその中でも中心的な魔力を探り当てようとしているのね。あたかも無数の真鍮の針の中に隠された、たった一本の金の針を探し出す様な物。 

 多分、あたしでは四方八方から放たれる魔力反応に掻き回されて、場所を特定出来ないで終わるわね。

 

「凄いな。王立諜報部隊。あれは魔導士としてもかなりの腕だぜ」

 

 ダニエルが呆然としている。

 

「魔法の事は良く分かりませんが、そうなのですか?」

「ああ、少なくても五級はありそうだ」

 

 魔導士は七級から始まって、腕が良くなるにつれて階級が上がる。

 これは技術と魔力の両方から当てはめて決める物で、魔力が多いからと言って高い階級を貰える訳じゃないし、逆に技術は有っても魔力が乏しくては駄目。

 職業的な魔導士を名乗れるのは五級からだ。三級以上だと一流の腕利きだと言っていい。高名な魔法戦士や、小国の宮廷魔導士になれる程だ。

 ちなみに、あたしやダニエルはまだ七級よ。ビッチ様とユーリィ様が六級。ファタ義姉様は三級。

 そして魔導士じゃないけど、イブリンが一級相当ね。

 まぁ、イブリンは聖句魔法をこれ見よがしに使わないけどね。でもやろうと思えば、死者の蘇生すら可能なのよね。そうそう簡単に行使はできないらしいけど。

 

「見つけました。【マーカー】を設置します」

 

 別の詠唱。床が光り出し、複雑な文様を描いた魔法陣が形作られる。

 これが隠されていた魔法陣を浮き立たされる目印だわ。勿論、マリィが無理矢理光らせているのだから、そんなに長く光が持続する様な物じゃない。

 はぁはあと荒い息を吐くマリィ。そのままへたり込んでしまう。

 かなりの魔力を使うんだ。これじゃ、当てずっぽうに魔法を掛けまくって、無差別探知なんて訳にも行かないわよね。

 

「よし。後は任せろ」

 

 腰の長剣をすらりと抜くヘイガー。肉切り包丁の様に刀身が分厚い、実戦本位な無骨な蛮刀(フォルッシャン)だ。

 

「お嬢ちゃん達、結界を崩した途端、凄い衝撃があると思うが悪く思うなよ」

「覚悟の上ですわ」

「上等だ。さて、この魔法陣を叩き割ってやるか」

 

 剣を振りかぶるヘイガー。筋肉が盛り上がり、二の腕の太さが増す。そして光り輝く魔法陣の中心に向けて、一気に振り下ろされる。

 バキンと硬質の何かが割れる音がして床が砕かれた。

 同時にぐらりと世界その物が揺れた。魔法陣の残骸から魔力の風が無茶苦茶に吹きまくる中、あたし達は結界外へ、元の世界へと放り出された。

 

〈続く〉




フォルッシャン(Falchion)。
片刃の蛮刀。一説では『アーサー王伝説』のエクスカリバーが、これだったのではとも言われてますね(時代的に大流行した時期に重なるので)。
フォルシオン。フォールションとかフォールチュンとも言われる西欧の片手剣ですが、ここでは懐かしのTRPG、初代『RtoL』に出てきた名前を貰ってます。
発音として間違いかも知れないけど、フォルッシャンの方が響きがカッコイイですからね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、立つ鳥跡を濁さず

〈エロエロンナ物語12〉

 

「くうぅぅぅぅ!」

 

 衝撃。体中に感じると違和感。

 身体が圧迫され、巨大な手で撫で回されて揉まれる気分だ。

 気分が悪い。胃の中から嘔吐がこみ上げてくるのを押さえる。

 ぐらりと空間が揺れ、あたし達は突然、元の暗い廊下に放り出された。

 

「姫様っ!」

 

 遠くから響くニナの声。ああ、こっち側に戻って来たんだと安堵したわ。

 顔を上げるとカンテラの明かりが近づいてくる。ニナとイブリンね。

 

「何者っ?」

「お止めなさい。敵ではないわ」

 

 見慣れぬ二人、ヘイガーとマリィね。を認めた我が侍女達の誰何を押しとどめる。

 気分が悪いし、頭がくらくらしてるけどね。

 

「こいつが結界の元です」

「魔石か。こりゃかなりの高級品だな」

 

 一方のヘイガー達は我関せずって感じで、結界を維持していたらしい魔石を発見して、あーだこーだと論評中よ。魔法陣と共に床に仕込まれていたみたいね。

 と言うか、ヘイガー達も同じ衝撃を食らったはずなのにタフね。

 あたしやビッチ様、ダニエルはまだ立ち上がれないのに…。

 

「で、こんな事があってさ。この二人はそこで知り合った訳♪」

「そんな事が…四時間も消息不明で心配したのですよ」

「うん♪ それでさ…」

 

 例外が一人。ユーリィ様だわ。あたしの侍女達に説明役を買って出ている。

 ビッチ様が「野生児ですわ」と評したのも分かる気がするわね。

 

「エロコ様。しっかりして下さい」

 

 イブリンが肩を貸してくれる。

 差しだされた水筒で、喉を潤したらようやく人心地が付いたわ。

 

「聖句を使いましょうか?」

「やめておいた方が良いわ。あの『闇』達は、まだ信頼が置けないから」

 

 小声で尋ねるイブリンにあたしも声を潜めて返す。そう、信用は出来ないても信頼は無理だ。それがあたしの出した答えだった。

 ユーリィ様の身内。これだけがかろうじて信用出来る根拠になっている。だが、その理由だけで信頼に値する訳じゃない。

 諜報機関にイブリンの持つ、特殊な情報を与えるのは拙いだろう。本当は身体が楽になるんだから、聖句は使って欲しかったけどね。

 

「若様っ」

 

 各所に待機させていた、他の侍女達もやって来たわね。

 かなり大きな爆発音がした筈だから、順当な所か。

 そしてその侍女達にもユーリィ様の説明が入る。

 

「鍛えたと思ってたのですが、まだまだですわね…悔しい」

 

 いつの間にか回復したのか、ビッチ様は拳を握っていた。

 まぁ仕方ないでしょう。相手はその手の荒事専門なんだから。ああ、でもダニエルよりはマシだろう。彼、だらしなく泡吹いてるもの。

 あたしはそっと彼女に近づき、声を掛ける。

 

「済みません。ちょっと内々にお話ししたい事が…」

 

 今ならヘイガー達の関心が結界魔法陣の方に向いている。彼らに悟られぬ様に情報を集めたいと思ったのよ。

 ビッチ様も了解した様子でこくりと頷き、その先を促してくる。

 

「ビッチ様はユーリィ様と親しいと聞きました。だから、恐らく、貴女はマリィの事をも知っているのでは?」

 

 これはマリィが身内と語っていたからだ。

 と言うか、あたしには一つの確信があった。それは王城でローレルが語っていた内容。あたしにサポートして付けられたと思われる何者か。

 ローレルが「私的な人材ですが士官学校の内部に宛てがある」と告げ、正規の間者ではないが「頼めば無理は利き、腕も及第点は行く筈」と太鼓判を押した人物。

 恐らく、それはユーリィ様だ。

 

「…答えずらいですわね。ただ、心当たりはあるとだけ回答しますわ」

「分かりました」

 

 ビッチ様にも事情があるのだろう。ユーリィ様との間に何か約束があるのかも知れない。

 だが、あたしにはその回答で充分だった。

 リリカ子爵家。それは『闇』の者達を輩出している裏稼業を生業とする家柄なんだろうと想像するわ。だからユーリィ様とマリィ。恐らく同門に違いないと目星を付ける。

 想像でしかないけどね。

 でも、ビッチ様の答えから推測するに、これは恐らく正解だろう。身内てあるマリィがユーリィ様の姉君に当たるのか、それとも師匠筋の誰かなのかは判らないけど。

 

「さて、結界も破ったから先へ進むぞ」

「部外者だらけですよ。一旦、撤退した方が…」

「時間を与えたくねぇんだよ。ここで退いたら、証拠を隠滅して奴らは姿をくらますからな。同じ様な罠があるかも知れんから、マリィは探知を怠るなよ」

 

 ふと前を見ると、ヘイガーとマリィが方針を巡って意見を交わしている。

 ビッチ様が進み出る。

 

「この先に敵のアジトがありますの?」

「ああ…だが、お前達は下がれ。ここから先は大人の仕事だ」

 

 向こうからしてみれば、当然の反応ね。

 あたし達は海軍士官候補生と侍女。半人前の軍人とメイドさんの群れに過ぎない。はっきり言えば足手纏いの素人集団だ。

 

「俺は嫌だ。俺だって王国軍の一員だ」

「そうですわね。ここまで来たなら、毒食らえば皿まですわよ」

 

 って、反対意見二人。ビッチ様まで行く気満々だ。

 おーいダニエル。どうしちゃったのよ。

 

「…なんか、彼の何かに火が付いてしまったみたいだね♪」

 

 やれやれという表情を見せるのはユーリィ様。

 これまで役立たずで足手纏いって事で、散々溜まったうっぷんを晴らす気なのかしら。うわぁ、これは厄介だわね。でも、そうなるとあたしも腹をくくるしかないか。

 

「ではあたしも同行しましょう。人数が多い程、味方が居れば居る程、任務達成率は高くなるでしょうからね」

「しかし、なぁ」

 

 ヘイガーは苦い顔をしている。

 

「【魔力探知】だけなら、あたし達でも使えます。

 失礼ですが、マリィさんは既に大分魔力を消耗している様子。もし決戦をするのでしたら、あたし達が肩代わりをした方が、戦略的に有効なのでは?」

「一理あるな」

「それに敵に知られてない隠密行動ならまだしも、相手は既にこちらの事に気が付いてます。戦闘が起こるとしたら力押しになるでしょう。

 二人よりも十二人の方が明らかに戦力は上です。それに…」

 

 あたしはニナ達に視線をやる。

 

「ここにいるメイドはただの使用人ではありません。主を護衛する戦闘侍女です。戦力的に足手纏いにはならないかと…」

 

 いや、戦闘侍女の例外が一人。イブリンだけどね。

 でも、敢えてそんな指摘はしないわよ。それに非戦闘要員だとしても、その聖句魔法は何かの役に立つだろうしね。

 

「分かった。協力を頼む」

「ヘイガーっ!」

「眼鏡のお嬢さんの言う通りだ。ただ、この先、何かあっても責任は取れん。恨むなよ!」

 

 あたし達は頷いた。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 再び廊下を進み、先の戦闘跡に達する。

 敵の首魁は廊下に突然出現して、不意打ちで【電光】の魔法をぶっ放したが、それはマリィが貼った障壁で無効化。鎧戸を全て破壊したが無意味に終わる。

 駆け寄って叩き斬ろうとしたヘイガーの一撃を受ける直前に、彼らの真後ろ(つまり、マリィの背後)に【転移】して逃走したらしい。

 

「今、思うと何で奴は前へ逃げなかったのか。

 後ろにあの【結界】の罠があったとしても、前に同様な罠を張れば良いだけなのに、一目散に後ろへ逃走したのには、何か理由がある筈だ」

 

 彼はあの結界は一度、こっちに足を踏み入れないと作動しないタイプで、しかも一旦、引き返した者のみを対象とする物だったのかも知れないとの推測を述べる。

 

「この先に、部外者に見せたくない物があったとか?」

「かもな。或いは別の理由があったのか」

 

 いずれにせよ、【転移】が使えるなんて相当な実力者だわね。国内に使い手は殆ど居ない筈よ。

 

「大丈夫ですわ。半径10mに魔力は感じられません」

 

 今の【魔力探知】の担当はビッチ様。基礎的な魔法だけど、四六時中発動させるのは困難らしく、少し動いては呪句を唱えの繰り返しだ。

 10m前進。

 鎧戸と反対方向の壁は、今までの様な扉の並んだ個室ではなく、ただの壁だ。やや離れた先に大きな扉が見える。

 

「あっちの大扉は食堂と看守の部屋とかの職員専用区画。奥に進むと所長とかの管理職が住んでた塔があるよ♪」

「良く知ってるな」

「事前に調べた♪ ほこり臭いカビだらけの資料の中からね」

 

 ダニエルに答えるユーリィ様。

 用意周到なのねと感心すると同時に、やはり彼女があたしのサポート役なのかとの疑いをますます濃くしてしまうわね。

 

「クリア。魔力反応はありませんわ」

 

 更に10m前進。大扉は目の前だ。

 それは無骨な扉で、両開き式の引き戸式鉄扉だった。大扉の内側に小さな扉が付属しているけど、こっちが通用門なんだろう。

 マリィが前へ出る。何やら細工道具らしき物を取り出して、小扉の前に座り込むとかちゃかちゃとやり始める。罠の有無を探っているのね。

 

「人の気配はなさそうですが…音が聞こえます」

「どんなのだ?」

「石切場で、何かを打っている様な音です」

 

 彫刻でも彫ってるのかしら、あたしは訝しげに扉を見つめた。

 ヘイガーは暫く腕組みしていたが、やがて決心した様に宣言する。

 

「留まっていても仕方ねぇ。扉を開けるぞ。

 しかし、何が出てくるか分からんから各員警戒を怠るな。おっと魔力反応は?」

「幾つか室内に確認してますわ。ただ、微弱ですが」

「では、結界級の罠じゃねえな。殴り込むぞ!」

 

 言うが早いが通用門に突入する。が、「うぉっと!」と慌てて止まる。

 床がなかったのだ。室内の床板は半分近く消失しており、僅かに残った床の残骸にかろうじて踏み止まった彼は、あやうく墜落死を免れた。

 

「これは撤退準備ですかね?」

 

 マリィは呟く。こちらから見て対岸の方。

 そこに居るのは手にツルハシを持った白骨(スケルトン)が数体。

 床を壊す単純作業を強いられている哀れな屍だわ。

 あのまま床を砕いて行けば、自分達の居場所も無くなってしまい、最後には床下へ転落すると思うのだけど、使い捨ての手勢なんだろう。うつろに柄を振り上げて、黙々と床を砕いて行く。これが微弱な魔力反応の正体ね。

 幽霊島との噂は、案外こいつだったのかもね。

 

「早すぎるぜ…幾ら何でも、まさか!

 おい、今日は何日だ?」

 

 すっかり壁も屋根すら取り除かれて、青天井となった室内を見て呆然としてるダニエルへ、彼は問うた。

 

「7月1日ですが」

 

 ダニエルの返答にヘイガーがこめかみに手を当てた。

 壁に拳を殴りつけて「やられた」と呟く。

 

「俺達が奴と交戦したのが4月10日。あの結界でさまよってる内に、三ヶ月近く過ぎちまったのかよ」

 

 エルダの月の数え方は、六日で一週間。それが五つでひと月三十日。

 これが十二ヶ月あって、三百日にプラス年末に二日。年明けに三日の安息日があって、計三百六十五日で一年。

 これは古代王国期の英雄、テラって人が考えたらしいんだけど、何でそうなってるのかはあたしは知らないわ。

 そう言えばあたし達が結界内に居たのは、せいぜい十数分。でも外では四時間も流れているって、さっきニナが言ってたわね。

 

「悔しかろう」

 

 はっとして顔を上げる。声の主は…。冗談でしょ?

 向かい壁に巨大な顔が浮かんでいた。顔…顔と言って良いのかしら、正確には白と赤を基調にした、のっぺりした仮面を付けた頭部で素顔は晒してない。

 

「私はキル。別名、教授との渾名を頂いてるがね。君達に我々の遠大な計画を邪魔されると困るので、この拠点を撤収させて貰ったよ。

 いや、研究中の設備一式を引っ越すのは大変だったがね。全く余計な手間を掛けさせてくれる」

 

 声も篭もってて、なんか肉声じゃないみたいな感じね。

 ええと、教授? 聞き覚えがある様な…。

 と、突然、マリィがスティレット(投擲短剣)を投げつけたわ。顔に見事に命中!

 でも、反応は「ふははははっ」との嘲りだったわ。

 

「それは私の映像を映し出した幕に過ぎぬよ。

 そんな白布に剣を突き立てた所で、この私が参るものか」

 

 高笑いを続ける顔。白い布が切り裂かれてよじれ、映像も変な形に歪んで一部が映ってないから、余計に頭に来るわ。

 

「貴様、邪教徒か」

 

 ヘイガーが吼える。

 

「君に正体を教える必要があるのかね。私は慈善家ではないのだよ?」

 

 とことん馬鹿にした口調だわね。あ、思い出した。教授ってドライデンを襲ったクレイゴーレムを操ってた奴じゃないの。

 

「じゃあ、何故、ここに姿を表したのよ!」

 

 あたしは叫んでいた。さっきの言動からすると、教授がわざわざ自己紹介したり、会話するのは無駄と言う事になる。では、どうして?

 単に他者を馬鹿にする、嫌な趣味の持ち主って可能性もあるけどね。

 

「心外だな。『エトロワ』を求める君が、それを言うとは」

「え…」

「『エリルラ』よ、私は神々の船を復活させる。そう、必ずだ」

 

 こいつ何を言ってるの。あたしが『エトロワ』を追い求めているのを知ってるのは、ニナやセドナを含めて、数名のみなのに。

 

「では、諸君。さらばだ」

 

 それを最後に、短剣の突き刺さった白い幕から映像は消え失せた。

 同時に建物自体がぐらぐら揺れる。

 

「お嬢様、中庭からぁ!」

「な、なんですの?」

 

 ローザ、だったかしら。ビッチ様の侍女が悲鳴を上げた。

 言葉に出来ない。異質な物体が現れたからだ。

 一言で言えば、直径15mは有りそうな巨大なディスク。上下に一回り小さな円盤が積み重なっているわ。銀色したそれが中庭から上昇して来るの。

 

「『エリルラ』よ。お前がここに居合わせるのは意外だった。くくく…。

 それならそれで面白い物を見せてやろう。砲塔展開」

 

 目を剥いて絶句してるあたし達に、教授の声が浮かぶ円盤から発せられる。

 では、あのディスクは乗り物なの?

 窓なんか何処にもないし、下の円盤からは何か長い棒状の物体が、音も無くするすると伸びて行くし…。

 

「な、何…」

 

 こんな物見た事ない。とすれば答えは一つだ。

 

「これは発掘兵器なの!?」

 

 あたしは声を絞り出した。

 

「『裁きの光』です!」

「やばい、みんな伏せろ!」

 

 ディスクが上昇して行く中、マリィとヘイガーが同時に怒鳴ったわ。

 

「これが、神の船『エトロワ』が実在した証拠だよ。本物には程遠いがね」

 

 長い棒は下へ向けられ、直後にまばゆい光を放ったわ。

 一直線に走った光は、廃兵院の塔に突き刺さると同時に炸裂する。

 瞬時に塔が爆発音を伴って倒壊した。

 誰だかは判らないけど、「ひぃぃぃー」と甲高い女性の悲鳴。

 

「本物の『エトロワ』はこの何千倍もの威力で、大地を不毛な砂漠に変えたのだよ!」

 

 塔は原型すら残ってない。基部まで溶岩の様に真っ赤に溶解してる。

 

「ははははは、ははははははっ!」

 

 教授の哄笑と共に空飛ぶ円盤は急速に高度を上げ、空の彼方へと消え去ったわ。

 でも残された我々は、呆然とそれを見守るしかなかったの。

 

〈続く〉




ハウニブじゃありません。
決して機体にバルカンクロイツとか、底にタイガー戦車の砲塔は付いてないんだからね(笑)。
と書くと、ヘイガー達がばってんファイルかMIBの登場人物に見えてくるから不思議だ。
マリィ「ヘイガー、あなた疲れているのよ」
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、リーリィ

独立させました。


〈閑話〉リーリィ

 

 意外な所で妹と出会った。

 数年間、実家から離れていたから久しぶりだった。

 

「久しぶりに、お前の取り乱す姿を見たぜ。リーリィ」

 

 幽霊島からの帰路。用意された箱馬車に同乗する我が主。

 仮にヘイガーと呼ぼう…は、にやにや笑った。

 

「ま、いざとなったら肉親でも手に掛けなきゃならん。それがお前の掟だからな」

「私がと言うより、同じ家同士でも、敵味方に分かれて争う事がある。それが我が家の家訓ですので」

 

 ヘイガーが視線を投げかけてくる。

 

「リリカ家か。だから裏稼業の家として絶大な信頼を受けてるのだが」

 

 そうなのだ。我が家はそんなダーティワークを家業として受け継いできた。だが、それでも肉親の情という物はある。機密保持の為、その場の全員を始末する対象中に実の妹が居た。だから私は取り乱した。感情を押し殺していたが、主には看破されていた。

 未熟。そう、それでは駄目なのだ。

 

「済みません。私が未熟なばかりに…」

「責めちゃいねえよ。リーリィ・リリカ子爵令嬢」

 

 主は敢えてフルネームで私を呼んだ。

 『闇』の間者として与えられるコードネームではなく、表の名でだ。

 

「俺はお前にまだそんな感情が残っているのに安堵したのさ。

 無論、『闇』としては及第点を与えられないが、パーティの仲間としては信頼度が大いに上がったぜ。何しろ…」

 

 主は「道具ではなく、生きてる人間として見れる」と呟く。

 な…どう言う意味なのだろう。だが、私は押し黙った。ここで意味を聞いてはいけない気がしたからだ。

 

「話は変わるが、例の士官候補生達な。どう思う?」

「我が妹、ユーリィはさておいて他は平凡に見えましたが、一人だけ…」

 

 そう、あのエロコとか言う、緑髪で眼鏡の娘だ。

 

「やはり、眼鏡の嬢ちゃんか」

「はい」

 

 見た目は何処にでも居そうな半妖精である。

 だが、教授があの娘だけ、何故か特別視している雰囲気が濃厚だったのが引っかかるのだ。何者なのか。

 

「教授が語った『エトロワ』とは神話の中に登場する、神々の船です」

「法螺みたいな話だよな」

 

 実はこの神話は口伝だ。

 最古に記録されている物は南大陸の妖精王国が記した古文で、かなり古い時代の物であるものの、その記述が超古代文明の民が語った口伝であるのがはっきりと記されている。

 つまり、最低でも一万年以上も昔の物語と言う事になる。

 

「実を言うと『エトロワ』との単語は、本来は古妖精語ではありません」

「意味は?」

 

 私は躊躇いつつも答えた。「超古代語から古妖精語に単語が引き写され、現代訳だと『神々の船』であるが、元の意味は『星船』です」と。

 

「となると、キルの乗っていたディスク。あれが『星船』の劣化版という話になるな。

 とんでもねぇ話だが、本物の『エトロワ』はあれよりも強力なのか」

 

 私は何も言えなかった。

 以前、興味があってたまたま調べた知識であるが、神話に出てくるエトロワは、教授の使った円盤とは比較にならないスケールの船である。

 全長数百m。そんなサイズの巨船が空を飛び、一撃で大地を耕す。悪夢だ。

 

「もう一つの謎単語。『エリルラ』とは?」

「不明です。申し訳ありません」

 

 私は考古学者ではない。それなりに古代史とか、神話なんかの知識もあるにはあるが、専門家レベルの物を求められてもお手上げになってしまう。

 

「ここらは調査の必要があるか。

 教授は彼女の事を『エリルラ』と呼んでいたからな」

「エロコ・ルローラ自身の背景も、出来れば徹底的に洗うべきでしょう」

 

 補足する形で提案する。

 

「セドナ相手だと難しいぞ。知っているだろう。あそこは密偵の墓場と言われる危険地帯だ」

 

 主の渋い顔。

 セドナ・ルローラ。それは単なる一士族ではない。

 王家を含め、大公家以上の家訓には古くから『ルローラ家には手を出すな』があったりする。

 

「裏からこそこそではなく、堂々と表から調査の協力を申し出れば?」

「ファタ・エロイナーに頭を下げるか。エルン・エロボスラーの方は苦手だ」

 

 まだまだ謎は多い。全てはこれからだ。

 

「さて、すっすり道草を食ってしまった。王城へ顔を出す必要があるな」

「はい」

 

 四ヶ月も世間からおさらばしていた。

 大体の現状は学校の教授連と話して掴んでいるが、致命的な事態を引き起こす前に、ローレルとも相談して軌道修正しなくてはなるまい。

 馬車は全速力で、夕闇迫る中を王都へ向けて突っ走って行った。

 

〈FIN〉



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

士官学校、昼下がり

お待たせしました。


〈エロエロンナ物語13〉

 

 こうして、あたし達のピクニックは意外な結末を迎えたわ。

 超古代文明を使役する謎の組織。

 『闇』の出現。

 教授の圧倒的な力。

 勿論、あれから一時間としない内に、実際に教官達が幽霊島へとやって来たわ。

 特に塔を破壊した『裁きの光』は学校からも遠望出来たそうで、押っ取り刀で駆け付けたらしいのよ。まぁ、あれだけ凄い音が響いたしね。

 ヘイガーと教官達は意外な事に顔見知りだったらしく、教官達、特に校長先生なんか一様にビックリしてたわね。

 で、あたし達は学校へと連行され、詳しい調書を取られた後に解放されたわ。

 解放されたのは翌日の明け方近くになってたけどね。

 ヘイガー達?

 別口よ。『闇』だけあって特別扱いなんでしょうけど、その動向はあたし達学生には掴めなかったわ。無論、国家機密を理由に彼らの存在を語ったりするのは禁じられたわ。

 それでも授業は粛々と進み、間もなく、夏休みに入るわね。

 

「悪夢を見てた。そう感じる事があるな」

 

 昼休みの湖畔。そうダニエルが呟いたわ。

 視線の先には幽霊島。もう一ヶ月も経ってしまったのね。

 

「悪夢ならマシですわよ。うちの侍女が一人、引退してしまいましたし…」

 

 ビッチ様付きの侍女ローズだ。あの円盤を目撃後、恐慌状態に陥って、精神が病んでしまったのよ。

 お盆とか皿とか、とにかく丸いディスク状の物を怖がり、見るだけで悲鳴を上げて胎児の様に丸まって震え続けるの。

 それは異様な光景だったわ。「円盤。円盤。お嬢様、お嬢様っ。円盤が、ひひひっ、円盤が。ああっ、いやぁ」と叫び続けるローズさん。

 完璧に心が壊れてしまったのね、

 

「今頃は何処に居るのでしょうね…。良くなるといいんですが」

 

 当然、ローズさんは職務続行不可能とされて解任。新しい侍女に交代したわ。

 身柄は公爵家が責任を取って面倒を見る事になったけど、故郷へ送り返された後は連絡も無い。ビッチ様が問い合わせても梨の礫だそうだ。

 

「廃兵院の精神病棟患者って、あれに近かったのかな。もしかして、あれこそが呪いか。ぞっとしたぜ」

 

 おい、ダニ公。そこはかとなく全員が感じていたとは言うものの、口にするとはデリカシーが無いわよ。

 

「ま、あたしらに士族位授与ってのは、『闇』の口止め策っぽいけどね♪」

 

 そうなの。正式な通達はまだだけど、内々にあたし達四人に士族の位が贈られるらしいとの国からの通達があったのよ。

 卒業するまで、二年半ほど早くない?

 

「多分。当たりだと思いますね」

 

 ユーリィ様が申す通り、これは『闇』が国を動かしたんだろう。士族として国の一員としての責務を持たせ、同時に機密に対する口止めとする。

 

「嬉しいけど、参ったなぁ。形式だけでも公爵やら伯爵やら、親の影響から遠ざけ様としている。とも取れるけどね♪」

 

 貴族の子息や子女ではなく、独立した士族階級なら形式上は親が口出しは不可能だ。王国側にとっては、生け贄として料理するにも簡単になろう。

 まぁ、そう簡単に行かないのが親子のしがらみなんだけどね。あたしを除いてこのメンバーの誰かを処分したら、只じゃ済まないわよ。

 

「俺達は本当に、国家陰謀に巻き込まれてしまったんだなぁ」

 

 天を仰ぐダニエル。

 あたしはひと月前の事を思い出していたわ。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 キル教授の円盤が消えた後、あたし達は周囲を探索したの。

 ただ、残ってる手掛かりは無に等しかったけどね。でも、そんな中、一つの遺留品が発見されたのよ。

 

「超古代文明の物ですね」

 

 マリィがヘイガーに差し出した物は不思議な形の物体だった。

 レンズ…なのかしら、それが前面に付いた薄くて小さな箱。今とは違う文字で注意書きが書き込まれてるスイッチ類。掌に収まってしまいそうにコンパクトだ。

 

「遺跡が見かけた事があるな。音と動く映像を映し出すアーティファクトだ」

 

 これは吹き飛ばされた塔ではなく、この建物に仕掛けられていたから残っていた物だった。遠隔操作で壁に音声と映像を映し出す代物らしい。

 

「では、さっきのキルの頭はこれが映し出した画像なのか?」

 

 ダニエルが問うとヘイガーはそれを肯定した。

 

「見ただろう。奴らは超古代文明期の遺産を使う。

 高度な魔法。それは禁忌の死霊魔術(ネクロマンシー)とかも含むが、それを使う相手は厄介だ。そう、今回みたいな結界魔法とかな。

 しかし、それでも対処方法が解析されているから、常識に当てはめればなんとかなる。が、超古代文明相手では勝手が違う。苦い失敗を重ねたからな」

 

「どんな失敗ですの?」

「機密だ」

 

 マリィはぴしゃりと答えたが、主の方は意見が違った様ね。

 

「構わん。先月…。いや、三ヶ月余計に経過しているから、四ヶ月程前だな。俺達はとある情報を掴んで、極秘で我が国を訪れたある人物の暗殺を阻止しようとした」

 

 さすがに、対象は誰なのかは教えてくれなさそうだったけど、話によると沿道には探知魔法を張り巡らし、馬車にも防御用の結界も用意した。

 蟻一匹も入り込めない、水も漏らさぬ体制だと自負していた警備が、何の役にも立たなかったそうだ。

 その守るべき人物の馬車が丸ごと吹き飛んでしまったから。

 

「それって…」

「さっきの平べったいディスクだ。そいつが飛来したと思ったら、終わっていた」

 

 あたしの問いに忌々しげに答えるマリィ。

 さっきの一撃を『裁きの光』と表現したのは、その襲撃時にキル教授が「裁きの光を食らうがいい」と喋ったからだそうだ。

 馬車は蒸発した。文字通りにね。

 王国の魔導士の粋を集め、大威力の【爆裂魔法】すら防げると太鼓判を押した守りも、発掘兵器の前には無力だったのよ。

 

「奴の攻撃一発でお仕舞いさ」

 

 激怒した『闇』は国中でディスクの飛来情報を集め、ネーベル湖付近にらしき物体の目撃例を掴み、ここへ辿り着いたのは良いが、結果はご覧の通り。

 

「だが、奴も大慌てだったんだろうな。お前達が来てくれて助かった」

「どう言う事ですか?」

「あれだ」

 

 彼が指し示した先には、『裁きの光』を浴びて溶解した塔がある。

 

「見ろ。教授も撤退がまだ完璧じゃ無かったんだろう」

 

 ぐつぐつと煮立った塔の跡から、原形を留めていないが多数のアーティファクトの残骸が見えている。歪んでいるが様々な中の装置だ。

 超高熱を受けても完全に消滅していないのが恐ろしい。それが何に使われたのかは、あたし達の想像を超えているから判別も付かないんだけどね。

 

「俺達の結界脱出が早まったお陰で、塔内に未回収の物が大量にあったのを慌てて始末したんだろう。俺達に証拠を残させまいとな」 

「では、あたし達は教授に完敗した訳ではない?」

「それどころか、かなりの打撃を与えたのかも知れん」

 

 この装置類が別の場所へ移転していたらと考えれば、確かに敵組織の計画に関して大幅な遅延を与えている可能性もあるわね。

 

「その内、お前達に国からご褒美が贈られる。きっとな」

 

 彼、やけに確信めいた事を言ってたけど。でも…。

 

「ヘイガーのあれ、実現してしまったわね…」

 

 回想から覚める。

 ご褒美とは士族位授与の件だ。

 

「しかし、国王陛下は精力的に国を指導してるし、あまり心配する事でも無いと思うよ♪」

「あら、エロコ様は辞退しますの?」

「まさか…。有り難く頂きます」

 

 棚ぼたでも貰える物は貰っておくわよ。

 

「予定が少し早まったと思えば悪くないですし」

 

 どの道、卒業と同時に頂く予定だったのだ。セドナに対してもいい顔が出来るしね。

 

「あたいも同じ♪ ビッチやダニエルはどうするのさ?」

「辞退なんか出来る訳ありませんわ」

 

 即答。

 

「うち、親父が煩いからなぁ。辞退したら勘当されそうだ」

 

 皆が口々に言う。勿論、王国民としては辞退は不可能だ。まして我々は半人前だけど軍人だからね。忠誠度の点で問題有りと見做されれば、これからの昇進にも影響するに決まっている。

 

「位を貰っても、これからの生活費をどうするかが問題だな」

 

 侯爵の四男坊がごちる。

 士族になっても領地とかの収入源が無いからね。国に対する義務は出来るけど、補助金を国が支給してくれる訳でも無し。

 

「その食い扶持を稼ぐ為に海軍士官になるんですのよ。そう言えば、皆様、期末試験はどうでしたの?」

 

 皆が押し黙る。

 いや、余り成績は考えたくないなぁ。幽霊島での出来事が大きすぎて、勉強に手が付かなかったのも原因だけど。

 

「あー、止め止め。辛気くさいのは忘れよう♪」

 

 ユーリィ様は両手をぶんぶん振って叫んだ。

 彼女はこんな時、ムードメーカーになるのよね。

 

「どうせ、あたいらはまな板のコーイ。ならば、来月の遠洋航海実習の事とか考えた方がマシだよ♪」

 

 コーイってのは東の皇国からもたらせられた淡水魚。

 赤とか白とか金色とか、色鮮やかな魚で観賞用として珍重されているわ。当然、高価で物によると一匹金貨数枚で取引される、びっくりな高級魚。

 でも、原産国の皇国ではこの魚を食べてしまうらしいのよ。何て贅沢な。恐らく、皇帝か誰かが食べる宮廷料理なんだろうけど。

 『まな板のコーイ』ってのは、そこから来ている表現よ。確か『コーイよ。皇帝に食べられるから、観念して大人しく料理になれ』って意味だったかしら?

 どうせ何をやっても無駄だから、『大人しくまな板の上に乗って処分を待ちます』って覚悟だったような気も…。どっちだったか覚えてない。

 

「夏休みの特別実習か。どうせ、家に帰るのも面倒臭いしな」

 

 うんざりした顔で呟くダニエル。

 ボルスト侯爵領は北辺。

 夏休み。故郷へ帰省って人も多いけど、遠隔から来てる生徒は領地へ往復するだけで、休日を殆ど消化してしまうってケースも多いのよ。

 彼の場合はこのケースに当たる。

 

「わたくしも同じですわ。家に帰っても面白そうじゃありませんし」

 

 とビッチ様。

 こちらは多分、本宅へ行くのが面倒臭いのね。

 彼女の本拠は南部だからダニエルよりは距離的に近いし、日数も掛からないだろう。

 でも、序列十三女では色々と肩身が狭いらしいのね。姉弟、姉妹からも余り好意的に見られていない節がある。

 

「実習に出るか…。潮気を感じるのも悪くないからな」

 

 そんな事情を考慮してか、士官学校にはこの長期休暇中、学校に残って実践的な実習に参加するってプランが用意されている。

 これも授業の一環だから、ちゃんと特別単位が出るし、お給金だって貰える。

 そして、湖じゃない、本物の海に出られるしね。

 

「どうする? エロコは♪」

「まだ思案中です」

 

 迷いはあるのよね。航海も捨てがたい。参加すればニナ辺りは大喜びだろう。

 でも、航海実習はどちらかと言えば技術科よりも掌帆科の比重が強い。だから別プランである、技術実習に参加した方が個人的に実りが大きい。

 それに帰省とは別になるけど、そろそろ直接、ファタ義姉様にお会いすべき時期だと思う。

 連絡要員として、時々ニナを派遣してるけど、やっぱり対策とか色々話したい事もあるしなぁ。

 

〈続く〉




 コールオブ何チャラ風、ローズさんSANチェック失敗の巻。
「円盤を見たローズは1D6+1の正気度を失った。おや、彼女はアイディアロール成功。一時的狂気に陥ったね。彼女は硬直して『お嬢様、円盤がぁ』と叫ばざる得ない」
 (中略)
「超絶的な『裁きの光』を目にした皆は1D10+5の正気度を失う。あ、ローズは不定の狂気に陥ったね。悲鳴を上げ続けるよ。
 恐怖症と緊張症を得る。ローズは円盤状の物体を見るとパニックに陥る。胎児のポーズで周りとの接触を断ってしまう。
 治るかって? 気長に治療を受ければ可能性は。但し、エルダ世界の医学は未発達だからね。隔離されてどうなるか…」

 かくて、一人の侍女が物語からドロップアウトしたのでした。 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、スキュラ

各話にあった、<閑話>スキュラを纏めました。
やや、加筆修正もしてあります。


〈閑話〉スキュラ

 

 ポワン河は最大幅数キロの大河である。

 東の陸路の終点がここであり、グラン王国本土へ入国するには、どうしてもここを渡らねばならないが、防衛の為に大河に橋を架ける事は禁じられているし、現実問題、建設費やら何やらを考えれば、この大河に架橋されるだけの価値は無い。

 無論、東西を行き来する砂漠越えの旅人は少ないながら、時には隊商が到着する事もあってそれなりに需要は多いが、定期的に到着する訳でもないので、年間維持費を考えれば架橋は赤字になってしまうだろう。

 エロンナ村はそんな背景から、東西の岸を結ぶ渡し船を営んでいる。貧しい村の、それが貴重な現金収入だ。

 

「スキュラが出たんですかぁ?」

 

 ドライデンで故郷に到着したラーラが耳にした噂がこれだった。

 彼女の生家、船宿の名が『スキュラ亭』と言うだけあって、エロンナ村には古くからこの魔族が住み着いているが、最後に目にしたと言うのは十数年も前の話だ。

 

「ああ、若い奴が確かめた。幸い遺跡の方に引きこもってるらしいがね」

「困りましたねぇ…。話し合いで何とか出来るといいんですがぁ」

「ありゃ、魔族と言うより単なる魔物だろう。話が通じるのか?」

 

 今まで黙っていたブラート船長が横合いから口に出す。

 魔族。つまり、概ね人型を模した魔的種族は人語を操り、解するが、魔物は反対に本能のみで生きているので、コミュニケーションが取れないと分別されているからだ。

 もっとも、それらの学術的研究はまだまだ未開で未知の点が多い為、余り当てにならないというのが本当の所である。

 古妖精族に言わせると「ヒト」も、昔は「サル」に分類されていて、獣扱いだった歴史があった様に。

 

「やってみなければですけどぉ…。うん、きっと通じますよぉ」

「おいおい…」

 

 スキュラは凶暴な水棲魔族である。美しい女性の上半身を持つが、下半身は触手が絡み合った怪物で、触手の中に数本の蛇の頭を持っている。主な食べ物は魚介類だと言われているが、時には水辺にいる陸棲の獲物を水中へ引きずり込んで食う。

 始末に悪いのは人間も大好物だと言う事。そして数種類の魔法を生まれながら持っている事だ。華奢な見掛けによらずタフで、動きも素早い。

 

「国に討伐を依頼するのが一番だと思うがな」

「でも今の所、悪さはしてないからなぁ。討伐隊も現状では出してくれるのか…」

 

 船長の意見を認めながらも村人は懐疑的だ。

 

「ですねぇ。村長さんはどう判断してるんでしょうか。いざとなったら、有志をつのるんでしょうけどもぉ」

 

 国境の情勢がきな臭くなっているらしい、程度の噂は辺境のエロンナ村でも届いている。村人の心配は妥当な所だ。

 この村には領主は居ない。セドナの代理として置かれてるのが村長である。幸い、船長のブラートが使者として領主へ窮状を訴えてくれるとの話だが、片道三日。それから中央へ届けても、返事が返ってくるのは不確定だ。

 

「この村に傭兵を傭うお金があるとは思えませんからねぇ」とラーラ。

 最後にスキュラが出た時は村の有志を集めて退治をしたそうである。一応、交渉したが丸きり話が通じなかったからだ。

 無論、過去にはそんなスキュラの他にきちんと話が通じる者も居て、その様な個体とは協定を結んで棲み分けをしていた事もある。

 問題はそんな個体はほとんど稀と言う事である。人語を解するスキュラは圧倒的に少ない。これがスキュラを魔族とするか、魔物とするかの論点になっている。

 

「討伐隊はともかく、確認の為に調査隊を送るのが先決だのう」

 

 寄り合いでの結論がこれだった。

 調査隊の一員にラーラが加わっていたのは船長を驚かせたが、本人が真っ先に名乗り出た事。村に若い者が余り居ない(出稼ぎに行っている)事情。

 そしてラーラの祖父が賛成した事で、これはあっさりと許可されていた。

 

「孫が危険な事するのに賛成するんて、何てじいさんだよ」

 

 船長は憤るが、当のラーラは気にしていないらしい。

 

「大丈夫だって信じてる、おじいちゃんなりの気配りですよぉ」

「あんた、実は武道の達人とか?」

 

 そうは見えないが、一応尋ねてみる。

 

「いえ、家事には自信がありますけど、そっち方面はからきしですぅ」

「魔法を使えるとか?」

 

 見掛けによらず、意外な奴が魔導士だったりする。

 

「船宿の娘に何を期待してるんですかぁ。敢えて言うなら…櫂か竿で舟を漕ぐとかは自信ありますよぉ。お客さんを送迎するのに要りますからぁ」

 

 胸を張られても困るんだがなぁ。と船長は頭を抱える。

 とにかく、急遽整えられた調査隊は明日、出発する。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エロンナ村は寒村だが。実は面積は多い。

 と言うのも、河口にある三角州が村の領域に含まれているからだ。東岸にあるのが本村だが、それ以外に飛び地的に幾つもの三角州。島と言っても良いだろう、が村の耕作地として開拓されている。

 

「その内の一つに、スキュラが棲み着いたと言う訳か」

 

 ぶっちゃけ領域として含まれる土地は多いのだが、この寒村の村人には手が余るので、村人が容易に行ける土地を優先して開拓し、大半の三角州は手つかずのままなのが現状であった。

 

「遺跡の島ですねぇ。幸い、あそこは未開拓地ですがぁ」

 

 ブラートの問いに、ラーラはそう答える。

 スキュラ調査隊は小さな舟二艘に分乗していた。ブラートが乗る舟の漕ぎ手はラーラ。他に漁師の村人が二人乗っている。

 もう一艘にも四人が乗り組む。こちらはブラートの部下であるドライデンの水夫達だ。総計八人。これが今回の調査隊の陣容だ。

 

「遺跡の島か。と言っても、あそこはいわゆる枯れた遺跡だったな」

 

 大抵の古代遺跡には宝物や遺物が眠っている物だが、枯れた遺跡は既に山師だの冒険者だのに荒らされた遺跡の通称だ。

 

「はい。とっくの昔に盗掘され、価値ある物は何も残っていないですからねぇ」

「観光する建物すら無い、崩れかかった遺構だからな。まぁ、あっちこっちに穴が空いてて、その水溜まりにスキュラが身を隠すのには絶好な場所だが」

 

 半ば水没し、危険なので村人も近づかない。砂漠の暑い気候を受けて河からの湿気が高く、植物が傍若無人に繁殖している。放棄された島である。

 だからスキュラが大人しく遺跡の島のみに居を構えて出てこないと良いのだが、向こうにだって都合はあるだろう。こちらの思惑通りには行くまい。

 

 そうこうする間に、小舟二艘は遺跡の島に到着する。

 ポーリング(竿さぱき)には自信があると言ってただけあって、ラーラの操船は船長の目から見ても合格点だった。

 見事に竿を操って、遺跡の島の半ば崩れた岸壁に漕ぎ寄せてると踝まで包んだ長いスカートを翻しながら降りて、舫綱を手早く岸壁のボラードに固縛する。

 各人も岸壁に降りて、武器他の装備を整える。なるべく遠くから処理したいので、弓や槍が目立つ。

 

「密林だな」

 

 船長は呻いた。行く手にはびっしりと植物が茂っている。遙か以前にもここは訪れた事があるが、状況は更に酷くなっていると感じていた。

 

「用意完了しました。頭、山刀を持ってきたのは正解でしたね」

「前、200年位昔か…に訪れて以来だが、ここの状況は知ってたからな」

 

 足元は石造りだが草がぼうぼうだ。千年以上前に放棄されただけあって、建物と思しき石造建造物も蔦などに侵食されて、大自然に還りつつあった。

 

「しかし、前にも増して酷くなってやがる。ここ暫く、誰も草刈りに来てなかったんじゃないか?」

「人手が足りませんよぉ。それにここ、たまに親の目を盗んで子供が来て、スリルを求めて遊び場にするのが関の山ですよぉ」

 

 再利用に備えて最低限の整備は行っていた記憶があるが、それも時が経つにつれて絶えてしまった様だ。これだけ人口が減少したのだから当然と言えるのだが。

 

「マーダー帝国との第三次大戦当時、ここに砦があって、それなりに賑やかだったんだ」

 

 藪を切り開きながらブラートは語る。

 砂漠方面に派遣された帝国の遊撃隊が、魔物を動員してしばしば侵入を掛けてきた事。それを防いでいたのが、エロンナ砦だった。

 

「聞いた事がありますよぉ。しかし、古老のお話を実際に経験してるなんて、妖精族の方は凄いですねぇ」

「人間の寿命が半世紀として、俺達は十倍は生きるからな。ま、それはそうとして、人口は今の三倍近くあった。と言うか兵を増派された。

 しかし、インフラもないのに人数だけ増えて、最初は困った。自給しようにもろくな農地はありゃしない。砦を立てようにも建材が揃わないと散々だった」

 

 話をしながらも道は切り開かれる。蔦や枝が絡んでいた密林に、遅々とした歩みだが緑の海に一筋の道が作られて行く。

 やがて、半ば水没した広場へと到達する。

 ポワン河の水が流れ込み、その一部と化した様な光景だが、ここは河ではない。

 陥没でもあったのだろう。あちこちに建物の遺構が残ってはいるが、屋根の先だけ残して大部分が水中に没している。

 

「スキュラがいるとしたら、この辺りだな」

「水の透明度は案外高いですねぇ。奇襲され難いのは助かりますよぉ」

 

 とは言うものの、岸に沿って警戒するのが関の山だ。水辺に入るとか、水棲魔族の領域へ迂闊に足を踏み入れるのは愚かである。

 スキュラの姿が確認出来ないので、水辺からやや離れた場所に野営の準備をする。水棲と言っても、相手は陸にも上がれるので油断は禁物だ。

 終わった時にはすっかり日は傾いていた。

 

「闇の中から奇襲してくる可能性もある。焚き火の火を絶やすなよ」

「分かりました」

「うーん、良い土ですねぇ…」

 

 何かに気が付いたラーラはしゃがみ込んだ。お仕着せの長スカートの裾が水溜まりにつかるが気にしていない。

 

「弓はいつでも使える様にしとけ!」

「案外、ここを使うのも手でしょうか…。伐採が大変ですけどぉ」

 

 船宿の娘は「むぅっ」と唸る。

 

「って、ラーラ。何をしてるんだ?」

 

 ブラートが声を掛ける。慌ただしく野営の準備に皆が走る中、ラーラは座り込んで何やらぶつぶつと呟いていたからだ。

 ラーラは顔を上げると手にしていた土を見せる。

 

「済みません。農地の事を考えてましたぁ」

「農地?」

「はい。前に香辛料を買う予定だったのは、村で香辛料栽培が出来ないかと考えてたからなんですぅ」

 

 ブラートは黒髪の少女を見下ろした。

 ここならば気候的には充分に可能であろうが、何故、王国で香辛料が採れないのかは理由があるからだ。

 

「確かに高い温度にこの中州でなら、砂漠よりも土が肥えてるのは間違いねぇが、産出国の皇国では香辛料を生のまま輸出してる訳じゃない。これは知ってるな?」

「はい」

 

 輸出先で栽培されたら旨味を失う。だから輸出される香辛料の種には発芽せぬ様な加工を施してある。香辛料栽培の試みが幾度も行われ、そしてことごとく失敗したのも、王国が死んだ種しか入手出来なかったためだ。

 

「でも、生きた種を入手出来れば、可能ですよねぇ?」

「そりゃあ、なぁ」

 

 不可能に近いとブラートは思う。あの国の官僚の仕事は緻密で手を抜かない。

 建前なのか何なのかは知らないが、目先の利益よりも皇帝が与えてくれる名誉を重んずる連中である。

 手続きの煩雑さからお目こぼしにと賄賂を送った者が、皇帝より拝領した仕事を屈辱されたとの理由で、国外追放になる様な国なのだ。

 

「だから考えたんですよぉ。皇国産の香辛料では駄目だけど、じゃあ、皇国産以外の土地で香辛料を作ってる所はないかって」

「まさか…」

 

 ラーラは微笑んだ。そう言えば、グリューナ号で東へ行く際、皇国へ行く途中で降りると言っていた筈だ。

 

「砂漠を渡るオアシスの一つに、ハダラマ・カン国と言う国があるんですよぉ。人馬(セントール)族の小国家なんですけどぉ、旅のお客さんから聞いた話では胡椒を栽培してるって耳にしましてねぇ」

「そこから入手するつもりだったのか?」

「はい。幸い、胡椒は内需用で輸出する程の規模はないって聞きましてぇ、ならば、輸出用の特殊加工なんてしてないんじゃないかと当たりを付けたんですよぉ」

 

 話がそこまで進んだ時、水辺の方から激しい水音が聞こえてきた。

 水音と共に現れたのは全裸の美女だ。

 

「出やがったか!」

 

 長い緑髪を振り乱し、大きな胸を揺らして妖艶な雰囲気を漂わせているものの、それは人間じゃなくてスキュラである。

 下半身は二本脚の先が、蛇を想起させる鱗付きの触手の塊であったからだ。

 ご丁寧に幾つか触手には、蛇の頭が付いていて「しゃあああ」と威嚇の声を上げている。

 

「え、えーと。こんにちは…。時間的には、こんばんわですかねぇ」

「しゃあっ!」

「もしもーし。私はエロンナ村のラーラと申しますぅ」

「しゃあああああ!」

「見た所、かなりお機嫌が悪そうですが、お話させて頂けませんかぁ?」

「しゃあ、しゃぁぁぁぁ」

 

 会話を試みるが、梨の礫である。

 

「困りましたねぇ。蛇頭しか喋ってくれません。

 本体の綺麗な頭の方は飾りなんですかねぇ?」

 

 お手上げという表情でブラートの方を向くラーラ。

 船長の方はと言うと、仲間共々、既に武器を構えている。そんな敵対行動を見てか、スキュラはますます猛り狂っている様子だ。

 

「馬鹿っ、スキュラから目を離すな!」

 

 熊や狼と言った肉食系の動物から視線を離すと、攻撃のチャンスと捉えて飛びかかってくる。それと同じだ。

 船長の叫びも虚しく、スキュラは水辺から上陸すると、絡み合った触手をうねうねと動かしながら一気に迫ってくる! 

 

「ひぇぇぇ」

 

 船宿の看板娘は悲鳴を上げながら後退するが、スキュラ唱えた魔法に身をさらされる。氷の礫を飛ばす物で、かなり危険な攻撃魔法だ。

 とっさに顔を庇ったラーラに礫が命中する。

 あ、死んだなとブラートが直感するが…。

 

「痛い、痛い!」

 

 長いスカートが貫通され、白いエプロンと濃い緑の布地が千切れ飛んだ。それだけで済んだ。ラーラは涙を浮かべながらびっこを引いて駆け抜ける。

 ブラート配下の者が槍を構え、猟師達が弓を放ち、数本の矢はスキュラに命中するが勢いは止まらない。

 

「ううっ、酷い目に遭いましたぁ。このお仕着せ、結構気に入ってたんですよぉ!」

「痛い程度で済む方がビックリだよ」

 

 槍を構えた船長が叫ぶ。

 一瞬後、スキュラがその穂先に到達。勢いを殺さずに来た事が仇となり、ぶっすりと触手に突き刺さる。

「ぐぎゃぁぁぁ」と、スキュラは初めて人頭で悲鳴を上げた。

 動きが止まった所で、他の者も攻撃に入る。血を流しながら、スキュラはずるずると後退しようとするが、既に退路は槍持ちの私掠船員に塞がれていた。

 

「降伏なさった方が良いですよぉ。言葉分かりませんかぁ?」

「止めろ、既に話し合いで済む段階は過ぎてるぜ」

「でもぉ」

 

 彼女は言いよどむ。その間にもスキュラは傷付き、やがて力が尽きた様にどぅと倒れた。

 絡み合った触手がひくひくと痙攣し、上半身の女は「うう」と呻きつつ、苦しげに荒い息を吐いている。

 

「頭、やりましたね」

「…まだ完全に死んじゃいねぇ。油断するなよ」

「させない…。殺させない」

 

 部下に注意を払う様に指示していたブラートの耳に、か細いが怨嗟の声が混じる。

 スキュラだった。明確な現代標準語を口にしていた。喋れるのかと視線をちらと走らせる。

 

「何で…最初から喋ってくれないんですかぁ!」

「近づくんじゃねぇ」

 

 ラーラの怒声。ブラートは駆け寄りそうになってた彼女の肩をがっしりと掴む。死にかけとは言え、突然、蛇頭でがぶりとかの最後の反撃の危険がある。確か、あの牙には毒がある可能性が否めない。

 中には無毒なスキュラもいるが、命を賭けてのチャレンジではあるまい。

 

「あたしの…こ、ども」

 

 その一言が最後の言葉であった。背をのけぞって大きく痙攣するとスキュラはかっと目を見開いて絶命する。

 完全に死んだのを確かめた後、スキュラの遺体は荼毘に付された。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 スキュラの遺体を荼毘に付すと時刻は夜半を回っていた。

 魔物だろうが、遺体は火葬にするのが王国をはじめとするの世界の常識だ。遺体を放置すると不死怪物(アンデッド)になるからである。

 始末を終えてブラートがテントに入ると、ラーラがお茶を沸かして待っていた。

 

「ご苦労様ですぅ。悲しい行き違いでしたねぇ。あたしがあの時、視線を外さなければ…」

「悪い事はしたが、殺らなければ、こっちが殺されてた」

「船長を非難はしませんよぉ。ただ、もう少し早く気が付いてあげるべきでしたねぇ」

 

 ラーラは本当に悔やんでいた。

 

「まぁ、終わった事だ。明日は早朝から出かける事になるから、早く眠れよ」

「…スキュラの子供捜しですねぇ?」

 

 ブラートは頷く。断末魔の言葉から、スキュラは自分の子供を守る為に襲ってきたと調査隊は判断していた。放置する事は出来ない。

 

「早めに発見して始末しなきゃな」

「えー、可哀想ですよぉ。子供に罪はありません!」

「しかし、なぁ」

「しかしも、お菓子もありません。あたしは猛反対ですぅ!」

 

 その言葉を耳にした途端、ラーラは焦った様に言葉を紡いだ。

 必死だった。普段ののんびり屋からは想像も付かない必死さで、船長に命の尊さを説き、猛反対する。

 

「そこまで必死なのは…。何か理由でもあるのか?」

 

 ブラートはその反論を聞き流していたが、やがて宿屋の娘に命乞いの理由を尋ねた。

 

「あたしのお母さんは、行方不明なんですぅ」

「…それで孤児になったスキュラに、自分を投影したって話か」

「それもあります。でも、それだけじゃないんですぅ」

 

 ラーラはそう言ってスカートの紐を緩めた。

 繕ったばかりの緑の布地のお仕着せが、ばさりと足元へ落ちる。

 

「あたしのお母さんはスキュラなんですぅ」

「お…まえ」

 

 スキュラが母と言うなら、子もスキュラである。

 そも、スキュラは、いや、スキュラ限らず女性型の魔族は女性しか産まれない。では繁殖するのにどうするかと言えば、ヒトや亜人の男を捕らえて精を搾り取るのである。

 目の前の娘。下着から伸びる股の下には脚がある。しかし、膝から下は枝分かれして絡み合った白い触手の群れだ。蛇の頭も数本見えている。

 

「あ…あんまり見ないで下さいねぇ…」

「あ、すまん。しかし、何でずっと裾をこする長いスカートを、あんたが穿いていたのか理解したぜ」

 

 他の種族の男と性交する為に、スキュラの下腹部にはちゃんと女性器がある。

 と言ってもラーラは下着を履いてるが、サイドで留めるひもパンなのはスキュラの身体上、下から履くのが困難なせいだろう。

 ラーラは恥ずかしがりながら、再びスカートを元通りに履き直した。

 

「そもそも調査隊に加わったのは、そのスキュラがお母さんじゃ無いかと考えたから。実際は違ってましたけどぉ」

 

 母。名をローラと言うらしい、は自分と同じ黒髪であると聞いている。しかし、先刻、火葬にしたスキュラの髪の毛は淡い緑髪だったから、別人だろう。

 

「ほぉ。で、父親は?」

「お父さんはヘンリーと言う名で祖父の息子ですぅ」

「食われたのか?」

 

 スキュラは男を魅了すると繁殖用に精を搾り、用済みとなった男は、子を産むための栄養として頭から食ってしまうと流布されている。カマキリや蜘蛛の雌と同じだ。

 ラーラは否定した。お父さんとお母さんは相思相愛で夫婦仲も良かったと。

 

「村の人達とも仲が良かったんですよぉ。でもぉ…」

 

 しかし、ラーラが生まれた直後、別のスキュラがエロンナ村に現れて非道を働き、その対応で父は死亡。母もそのスキュラに重傷を負わされて何処かへ去ったらしい。

 ラーラを村人に託して。

 残された遺児は船宿を経営する祖父に育てられ、そして人と交じって暮らした魔族娘は立派な村人になって現在に至る。

 

「魔族だってきちんと育てれば、あたしみたいな子になれるんですぅ。だから、どうか子供が見つかったら殺さないでくださぁい!」

「そりゃ出来かねるな」

 

 当然の答えだ。将来の禍根は断つ。それが数百年生きてきた彼の流儀だからだ。

 

「お願いします。お願いしますぅ」

 

 船長はふうとため息をついた。

 

「子供がどれくらい成長してるか…だな」

「え?」

「赤子なら見込みがあるって事だ。ラーラもじいちゃんに育てられたって時期は、恐らく何も知らない赤ん坊の頃だろう?」

 

 彼女がこくりと頷くのを確認して、船長は続けた。

 

「だがな。スキュラがある程度成長していたら、もう思考は魔族その物だ。ヒト社会のモラルなんて物は受付ねぇ。その時は殺すしかない」

 

 これが妥協点である。ヒトを獲物としか認識していないなら、放置したら世の中の為にならない。駆除するしかないのだ。

 

「その際は致し方ありません…」

「良いのか?」

「あたしだってエロンナ村の住人ですよぉ。村人の脅威になるのなら…仕方が…」

 

 言葉が途中で消えた。そしてラーラが涙を堪えているのが分かった。

 

「あたしは、いつか、亜人にすら劣る扱いを受けてる魔族を、受け入れられる世の中を作りたいんですよぉ。そのために仲間を増やしたいんですぅ」

「現状を変えるのは無理とは言わねぇが、それは茨の道になるぜ」

 

 理想を語るのは容易い。だが、それを実現させるのは別だ。

 その思想に、当事者である魔族自身が共感するとは限らないからだ。強大な力を持つ魔族の中には、ヒトや亜人を下等生物だと蔑む者だって多い。

 ブラート自身が経験をしている事実だ。

 

「それでも!」

「まぁ、ラーラの決意は分かった。もう寝ろ」

 

 わざと突き放すような言い方で告げると、暫く沈黙した後、彼女は一礼してテントを出て行った。

 

「ふう」

 

 改めてブラートは床机に身体を委ねて目を閉じる。ポーカーフェイスで乗り切ったが、ラーラが魔族であるとの衝撃は大きい。

 改めて思えば、グリューナ号の沈没からドライデンまでの距離を、あの短時間で泳ぎ切ったのも、彼女がスキュラだったからなのだろうと思い当たる。

 スキュラの氷礫を食らった時も、魔族の魔的防御力が高いせいで「痛い」程度で済んだのだろう。普通、あんな魔法食らえば一般人はお陀仏だ。

 

「さて、参ったな。俺は魔族に対して悪感情しか持ってねぇ」

 

 数百年生きてきたが、今回の様なケースは初めてだ。

 特にスキュラ、サッキュバス、アラクネーと言った魅了する女性型魔族。どいつもこいつも敵として相対して来た。ラーラの様な友好的な魔族は皆無である。

 

「良い娘なんだがな…」

 

 ぽりぽりと頭を掻く。

 ちょっとトロいし、世の中、善意を信じすぎているきらいはあるが、厨房を預かった際の仕事ぶりも気に入っていたし、今までの態度だって演技では無かろう。

 そして村の為に、果たせるかどうか分からぬ冒険まで買って出ている。種を求めて砂漠の国まで赴くなんて、一介の村人じゃ考えつかない博打だ。

 悪い娘じゃない。

 その晩、ブラートは長考に沈んだのであった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

『スキュラ亭』はエロンナ村唯一宿泊施設だ。

 村でも珍しい二階建ての威容を誇る。

 まぁ、大きさは都会にある宿屋と比べるべきもない。それでも部屋数は三十を超え、最大百名程度の宿泊客が泊められる様になっているのは、たまに来る隊商用なのだろう。

 その船宿の看板娘ラーラ・ポーカムは、祖父であるロベルト・ポーカムとドライデンの船長ブラート共に、居間で一つの揺りかごを囲んでいた。

 

「この赤ちゃんの為に気が立ってたんですねぇ」

 

 揺りかごの中身はスキュラの赤子であった。

 夜が明けて周囲を探索すると、調査隊の一行は水辺に作られたスキュラの巣を発見した。

 水草と枯れ枝で編まれ、周囲からは見えない様にカムフラされている。その中で生まれたばかりのスキュラの幼体がすやすや寝ていたのである。

 

「赤ん坊なら、殺さないが約束だったからな」

「名前は何にしましょうかねぇ。セーラ。うん、セーラがいいですねぇ。おじいちゃんはどう思いますかぁ?」

 

 ラーラの視線の先には祖父のロベルト。杖を手にした枯れ枝のような老人がいた。

 その眼光は鋭く、腰は曲がっていない。

 

「お前に任せる。任せたからには、世話はお前がやるんじゃぞ」

「はぁい。許可取れて良かったですねぇ。セーラ」

 

 そんな孫娘を祖父は優しく見守る。

 しかし、問題はこの赤子なのである。

 発見された時点で殺されていてもおかしくなかったのだが、同行していた村人達は意外にも赤子を殺さずに保護する事に賛成だった。

 ラーラと言う前例があった為らしい。そして約束していた船長もこれに同意して、ここまで連れて来たという訳だ。

 育英が『スキュラ亭』に一任されたのも、ラーラの存在があった為だろう。ラーラ自身も妹が出来たと喜んでおり、自分で育てる気、満々である。

 

「うま…うま、うま、ほぎゃ、ほぎゃあ」

「あ、あれ? はいはいミルクですねぇ。沸かして来ますらねぇ」

 

 目を覚ました赤ん坊が泣き出すのを見て、とっさに空腹だと判断したラーラが動く。宿屋での経験から、赤子の世話には慣れているらしい。

 彼女と赤子が部屋に居なくなってから、ブラートが口を開く。

 

「で、どうするよ?」

「二回目じゃからな。孫と違って赤の他人じゃが…」

「やっぱり、あの話は本当だったのか」

「…何処まで聞いておる?」

 

 枯れ木の様な体躯の老人がぎろりと睨む。

 

「ラーラの願いか。それとも、あんたの孫娘の正体か?」

「後者じゃよ。孫は何処まだ話したのじゃ」

「今回のスキュラ騒動が、あの娘にとって母親探しだってのは聞いたのは昨晩だったな」

 

 スキュラを殺してしまった晩、ラーラは自分のせいだとして思い悩んだ。そして船長のテントで何故、自分が調査に加わったのかを説明したのだ。

 

「自分はスキュラで、お母さんを探したいからと言ってたな。しかし、あんたもよく魔族を育てたもんだぜ」

「あれが息子の精を受けて生まれたのは確かじゃからな。血縁上ではスキュラと言っても孫には変わりない」

 

 息子のヘンリーがローラを嫁として連れてきた時には困惑した。魅了の術に掛かって騙されているのだと思った。

 実際、最初はそうだったのだが、ローラはなかなか情愛が深い女性で、付き合って行く内に愛情に変化したのである。彼女自身が『ヒトに飼われていた』変わり者であったのも幸いしたらしい。

 

「飼われていた?」

「本当か、嘘か分からんがな」

 

 貴族の館に住んでいた。何処の貴族なのかは口をつぐんで答えなかったが、ローラの母は捕らえられて監禁され、散々弄ばれた挙げ句に死亡した。

 その貴族は異種姦を趣味とする変態だったらしい。その際、生まれた娘がローラであり、信じられないが貴族の娘としての教育を受けた。

 だが、それは父親がローラを愛していた訳ではなく、暗殺者として道具に使う為だったと言うが、計画は途中でその貴族家が取り潰しになった事で破綻し、ローラはそのどさくさに紛れて脱走した。

 

「真偽は謎じゃよ。調べる余裕も手段もわしらにはない」

「だろうな。そいつの所属が王国なのか帝国なのかも、はっきりしねぇだろうし」

 

 しかし、自分なら調べる事は可能だろう。と船長は内心思っている。それがラーラにとって良い事なのか、悪い事なのかは疑問であるが。

 

「そんな訳で紆余曲折あったが、流れ流れてローラは村に住み始めた。息子と結婚して宿の名も『スキュラ亭』に改名した。良く働いたし、村の皆も祝福してくれた」

 

 魔族は高位になる程、受胎確率が低いと言われる。これは世界にとって幸いだと言われている。そりゃそうだ。魔将クラス魔族が簡単にぽんぽん生まれたら、この世の地獄。たまったものではない。

 スキュラも中位魔族。だから受胎は難しい部類に入るのだが、結婚してから二年。彼女は待望の子供を妊娠し、産み落とす。ラーラの誕生だ。

 そんな中、ある事件が起こる。ローラとは別のスキュラが村の沿岸に現れて、その治安を脅かし始めたからだ。

 

「あんたの息子が死んだって事件だな」

「ヘンリーはローラに慣れすぎていた。スキュラが魔族であって、ローラは特別なスキュラであると言うのを忘れていたんじゃ」

 

 新しく現れたスキュラ。

 それはローラに比較すれば、一般的なスキュラだったと言えるだろう。

 人語で他者と交渉も出来たが、より野性的で感情と本能のまま動いていた。

 人を見下し、自分の圧倒的な力に優越感を持つ魔族だった。

 大抵の魔族は己より強いか、弱いかの上下関係で動くのが基本だ。より強者には媚びへつらい、弱者には強権を発動し、支配するか一顧だにせずに殺す。

 だから、新しく現れたスキュラも村人を従える支配者として傲慢な要求を口にした。

 

「お前達を保護してやる代償に、定期的に生贄を寄越せ。とな」

「やりそうな要求だぜ」

 

 船長は魔族退治の経験もそこそこある。辺境の村ではこの手のトラブルが多い。

 中には東の皇国みたいに、棲み分けの境界線だけ設定して平和的に共存しているマーメイド(人魚)の例だってあるが、そんな事例は圧倒的に少数派である。

 大抵は無理難題を押しつけてくるのだ。しかも、彼女らはその要求が妥当な物だと認識している。

 

「交渉に当たったのは息子だった。何しろ、スキュラと結婚しているのだから慣れているとの理由でな。

 ローラは自分が行くと言い張ったが、ラーラを産んだばかりで大事を取って行かせなかった」

 

 それでもスキュラが要求する生贄が家畜の類いならまだ妥協も出来た。牛馬はさすがに無理だし、鶏でも貧しいエロンナ村では痛い出費であるのだが、調達出来ぬ訳でも無い。

 しかし、スキュラが要求したのは人間であったのだ。

 

「息子は当然却下したが、その答えは死だった。ふんと鼻息を鳴らした次の瞬間、蛇の頭が息子を襲った。猛毒にやられて即死だったよ」

「ラーラの話だとローラがその後、出て行ってスキュラと戦ったらしいな」

「ああ…。悲壮な覚悟でわしにラーラを託してな。その後の話はわしが直接目にした訳ではない」

 

 ローラと村人達はそのスキュラと戦った。産後で万全な状態ではないローラと戦闘のプロではない村人達では、スキュラ相手に状況は圧倒的に不利である。

 特に敵は魔法を駆使する強敵だった。スキュラの魔法は魅了以外は後天的に覚える物が主であり、幼少時に母を亡くしていたローラは強力な攻撃魔法を覚える機会が無かったのだ(これはラーラも同じ)。

 

「結果は相打ち。敵を倒したがローラもまた、相手と共に水面へ沈んだらしい。

 もっともラーラには『重傷を負ってそのまま姿を消した』と言ってあるが、状況から見て生存してる可能性は低いじゃろう」

「この村の住人が魔族のラーラを受け入れてるのは、その恩義の為なんだな」

「それもあるが、最大の理由はあれ自身の魅力じゃな。さすが、わしの孫だけあって皆に好かれておる」

 

 単なる孫びいきだ。だが、それは本当の事だろう。魅力と言ってもスキュラの魅了技を使ってる訳ではあるまい。

 と厨房に通じる扉が開き、赤子を連れたラーラが戻って来た。

 

「どうじゃ?」

「一杯飲んでおねむですねぇ。はぁ、でもどうしましょう」

「何がだ」

 

 彼女はゆりかごを床に置くと、前々から企ててる香辛料計画を話し出した。

 自分はエロンナ村から動けなくなってしまったからだ。少なくともセーラのおむつが取れるまでは(おむつはしてないけど)。

 

「セーラが物心つく頃になったら、砂漠の国に赴きたいですねぇ。四、五年位、先になるんでしょうかぁ」

「軍資金が貯まるまでの期間と考えりゃ、丁度良いんじゃないか?」

 

 先の沈没事故で購入資金は全て失われている。ラーラが宿屋で働いてる給金がどの程度かは知らないが、まともに考えれば年単位は必要だろう。

 

「ですねぇ。おじいちゃんから借りるのも心苦しいですしぃ」

「そも、どうしてあんな大それた事を思いついたんだ?」

「そりゃ、ここが貧しい村だからですよぉ。ここに何か特産品が…いえ、干物があると言えばあるんですがぁ」

 

 エロンナ村の特産は漁で揚がった魚を使った干物である。でも、大抵の漁師村ならこれはやっている。

 ラーラは自分の生まれ育った故郷が好きだった。だから村を栄えさせてくれる他所と重ならない、本当の意味での特産品が欲しいのが切なる願いだった。

 

「セドナに口添えしてみるか」

「え…それって、領主様ですかぁ」

 

 ブラートは「ああ」と肯定する。

 当然だが、ラーラは領主に謁見した事はなく、肖像画で顔を知るのみだ。

 

「この計画はこの寒村を繁栄させるいい策だと思ってる。ここもルローラ領なのには間違いねぇからな。何等かの援助をして下さるのを期待しようぜ」

「はいっ」

 

 後日、この計画はセドナの興味を引き、資金援助が行われるのだが、それはそれで別の話となる。

 

                                 

〈FIN〉




ラーラの父は『超時〇世紀』で海蹴りに乗っていたエースパイロットがモデル。熱血漢で角刈り、その上、ギジ○の声で喋る(笑)。
あっけなく死んでしまうのもそのせいだったり…。ラーラの祖父はその上司がモデル。

スキュラは設定的に、やや『剣の世界』系のノリが入ってます。
下半身犬頭よりも、触手蛇頭系の方が面白そうでしたので。
ラーラ曰く「視界の切り替えが大変なんですよぉ」との事。メインは人頭で蛇頭の方はあくまで補助。普段は数本の蛇頭はそれぞれの補助脳に任せて、メインが制御する負担を軽くしないと疲れるらしいです。
概ね人頭の支配下にありますが、たまに気を抜くと、勝手に蛇頭がつまみ食いする(厨房の魚や卵を丸呑みしたり)とかもあるので、びっくりする事もあるとか。
視界は総動員すると蛇頭の方は、メイン画面横に本数分が小さく分割して見えるそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、ビゴの墓守

独立しました。


〈閑話〉ビゴの墓守

 

 帝国領の一角。南部のビゴ砂漠地帯に遺跡がある。

 それは古代王国が作った巨大な墓だ。人里離れた僻地。しかも危険な魔物が跳梁している土地に在る為、未だクエスター共にも踏破されていない遺跡である。

 単に人一人を葬る為の物としてなら、馬鹿馬鹿しい程のサイズを誇る遺跡に、銀の光が舞い降り、一人の男が足を踏み入れていた。

 

「おや、久しいな」

 

 内部へ入った途端、掛けられた声を男は無視した。

 

「ここへ来るとは珍しい」

「来たくて来た訳では無いよ。墓守」

 

 二度目の問いかけに男は初めて口を開く。

 その男は真っ黒なローブと奇妙な仮面を身に付けていた。

 

「だろうな。教授」

「ちょっとしたハプニングだ。幽霊島の拠点を失った。

 移転させた実験設備はだいたい無事だったが、必要なマテリアルを破棄せざる得なかった」

「むう。教授にしては珍しい失敗だな」

 

 墓守と呼ばれた存在は唸る。墓守自体はその場に居るのではない、何処か別の場所から古代のアーティファクトを使い、部屋へ声を飛ばしているのだ。

 

「だから、マテリアルの補充をしにな」

 

 男、キル教授は手慣れた仕草で通路の罠を解除しながら、ずんずんと遺跡の奥へと向かって行く。

 盗掘者を迷わせ、死の罠に誘い込むテレポーターを利用して空間を跳躍し、墓の中心部へとだ。

 

「君には充分なマテリアルを渡していたのだが、まぁ、そんな事情では仕方ないな」

「助かる」

 

 ひゅっと空間が揺らめいて、その場に黒ローブが出現する。遺跡の玄室、墓の中心部にある広大な空間だ。

 丁度、教授の正面。ピラミッド状の四角錐の中腹に豪華な椅子があり、その金と緑に彩られた椅子には女性が座っていた。

 見た目は少女だ。透ける様な、と言うより病的とも言える真っ白い肌に、前髪を切り揃えたショートカット。漆黒の髪と瞳が神秘的である。

 白い古代スタイルの衣装。宝石と金細工の細工を施された冠を始めとして、各所にこれでもかと付けられた装身具。シャドウやアイメイクを強調とした化粧は、歴史書に記された古代王国期の貴人の姿をしていた。

 椅子の背後は、更に高くなっており、その頂点には棺が安置されている。

 

「手元にマテリアルがなければ、幾ら発掘兵器があっても意味が無いからな」

「君がやられるとは、よっぽどの相手だったのだろうな」

 

 にやにや笑う墓守。確かに相手は手練れの間諜だった。

 王国の『闇』だろう。お、そう言えば…。

 

「そうだ。面白い人物を発見したよ」

「ほぅ?」

 

 墓守。椅子に座った妖精族の少女は教授を見下ろした。腕に幾重にも巻いた金環がじゃらりと音を立てる。

 

「エロコと言う少女だ」

「『輝く乙女』もしくは『光の乙女』か。南大陸では珍しくない名だな」

 

 南は妖精族の支配する大陸だ。よって、エロに現代共通語にある嫌らしい響きはない。

 

「留学生ではないよ。敢えて言うなら正体不明だな」

 

 くくく、と教授は笑いを漏らす。その姿を墓守は興味深げに見つめる。

 

「恐らく、彼女は『エリルラ』だ」

「なにっ!」

 

 がたっと椅子から立ち上がる墓守。だが教授はそれを手で制する。

 

「『エリルラ』は古代文明期に全て滅んだ筈だぞ。我ら、古代文明を築いた者達による、尊い犠牲を払ってな」

「存在自体も抹消され、公式記録からも全て消された存在。だったな。無論、我らの様に古(いにしえ)の記録を引き継いでいる者以外にとっては、だが」

 

 教授はそのまま歩を進め、階段を昇って墓守の前へと立つ。

 その間、幾分、冷静さを取り戻したのか、墓守は息を整えて着座した。

 

「安心しろ。あの様子だとエロコの能力は開花してはいない。

 …そして、自分の持つ力を把握してもおるまいよ」

「抹殺すべきだ…」

 

 と墓守。しかし、教授はかぶりを振る。

 

「本気か。もし覚醒でもしたら、やぶ蛇になるぞ」

「…今は泳がしておくしかないのか」

「おまけにルローラ家の一員だ」

 

 墓守の顔が歪む。

 自分でも酷い表情をしていると墓守は自覚するが、それでも嫌悪感が表に出てしまう。よりにもよってあの一族なのか、と。

 

「セドナか。忌々しい」

「俺はエロコを上手く味方に付けられれば、とも思っているよ。敵に回したくないから、取り込んでしまえ、とね」

 

 それを「酔狂だな」と切って捨てる墓守。

 まぁ、冗談みたいな話だろうと判断する。

 

「さて、問題のマテリアルの件に移ろう」

「必要分はこの程度。だが、予備を含めて…」

 

 教授の要請に応える墓守。

 誰も近づかない巨大な墓場の内部で交渉が白熱する。

 

〈FIN〉




おかげさまで、
UAが2,000を突破。PVが約4,000になりました。

閲覧して下さる読者様に感謝。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章
偽りの聖女1


 お待たせしました。
 士官学校編は夏休みに入ったので暫くお休みです。


〈エロエロンナ物語14〉

 

 夏休み初日。

 あたしは侍女二人を伴って、久々に王都へ出かけたわ。

 士官学校だって王都なのだけど、だいぶ辺境だからこうして中心部へ出ると、賑やかさが全然違うわね。

 

「やっぱり都会だわね」

 

 都市の喧噪ってのはある。行き交う雑踏。商品を売る売り子達の声。馬のいななきとか、それを含めて田舎町では感じられない活気がある。

 活気がありすぎて、路上で喧嘩も起こってたけど気にしないでおこう。

 エロイナー商会前はそんな活気に満ちた一角にある。荷馬車も頻繁に行き交うからね。

 

「こちらへ」

 

 前と違って直ぐに奥へ通されたのは、あたし達の価値が上がってる証拠かしらね。

 執務室ではファタ義姉様が待っていたわ。手元には何やら書類がある。

 

「お久しぶりです」

 

 あたしは貴族式に腰をかがめて一礼。本当はスカートの裾を摘ままなきゃならないんだけど、制服のスカートはキュロットだから無理なのよね。

 ニナとイブリンは後ろで頭を下げている。

 

「ようこそ。早速だけど本題に入って良いかしら?」

「はい」

 

 国の現状を説明される。

 まず、北辺の国境紛争は小競り合いがあったけど小康状態。

 私掠船活動は双方が活発化して、輸送に支障が出ている。

 でも、最大に驚いたのが…。

 

「ギースが帰ってきたわ」

「えっ?」

 

 本物の国王が姿を見せたって事かしらね。

 

「正真正銘の本物。あれが贋者だったら、ドッペルゲンガーね」

 

 と義姉様が言うからには本物で間違いないわね。

 夜半、たまたま、王妃と相談中の席に王城にひょっこりと顔を見せたそうだ。

 王妃様は抱きつき、同時に義姉は頭を一発ぶん殴ったそうよ。

 

「それから溜まった仕事を押しつけて、宮廷で健在アピールをしたり…色々忙しかったけど、お陰で側妃派の不穏な動きは沈静化したわ」

「それは重畳。後は帝国との戦争回避ですね」

 

 国内の体制が固まったけど問題は帝国側の動きよ。

 

「一応、互いに兵を引く事で合意したわ。まぁ、色々と汚い手段を使ったんだろうけど」

「汚い?」

 

 義姉はうんざりした顔で「『闇』の仕業だろうけど」と前置きする。

 

「帝国側の主戦派の重鎮が突然、発作であの世行き。とかね。

 まぁ、元々、そいつ、グレゴール将軍は王国側に言いがかりをつけ来てたし」

「難癖ですか」

「国境紛争を解決する秘密交渉の使者として、王国へ密かに派遣した元将軍のなにがし…ええっと、名は」

 

 手元の資料で名を確認する義姉。

 

「ああ、ドラヴィダ侯爵だったわね。が、王国側に誅殺された仇を取るのだ。とか言っててね」

「国際問題じゃないですか」

「頭がおかしいのよ。空に巨大なディスクが現れて、それによって侯爵は骨も残さず焼き殺された。なんて戯れ言を言ってるし」

 

 けらけら笑う女伯だけど、あたし達は顔面蒼白。

 

「大体、穏健派のドラヴィタ侯を王国側が殺す理由なんて無いでしょ」

 

 ファタ義姉様。それ、本当の事です!

 ドラヴィタ侯爵。お忍びで王国に訪れたから、入国証明が立証出来ないのだろうな。そして王国側も公に出来ないわ。水面下で秘密の交渉をしてましたとか。

 そして遺体は綺麗さっぱり消されてるから、失踪して行方不明扱いよね。

 

「グレゴールの死で主戦派が統制が取れなくなって、帝国も長期出兵から来る負担に耐えられなくなったから、順次、兵を引いてるわ」

 

 グレゴール将軍哀れ。こっちは本当に誅殺されちゃったのね。

 ま、まぁ、和平の為の貴い犠牲だと割り切ろう。

 

「話は変わりますが、法国の問題は?」

「フローレ様。いえ、今はイブリンだっけ」

 

 後ろに控えていたイブリンが前へ出る。すっかり侍女スタイルが身に付いているわね。

 

「はい」

「相変わらず、聖女様は公式行事に出ずに病に伏せってる事になってるわ。まぁ、いつまで続けられるのかは分からないけどね」

「死亡の発表はないのですか?」

 

 女伯はすぅっと目を細めた。

 

「無いわね。法王は死亡にして一件落着を狙ってるんでしょうけど、側近達がそれを許さないみたいよ。これを何か政治的な動きに結びつけたいんでしょうけども」

「そうですか…」

 

 自分の話題なのにあっさりと引き下がるイブリン。以後、その話題はこの場では出なかった。

 そして幾つかの情報交換。例のディスクの件を義姉が知らないと言う事は、あたしに付けられている見習い『闇』、多分ユーリィ様だろうけど、からも報告が上がってない所から、あたし達も秘匿する事にしたわ。

 そしてあたし達は執務室から退出する。

 

            ◆       ◆       ◆

 

「イブリン。貴女は誰かに命を狙われているのだけど、聖教会も表向きさっさと死亡にしておいた方が都合が良いんじゃないかしら。

 何故、彼らは聖女の死亡を発表しないの?」

 

 商会の廊下を移動しつつ、あたしは前々からの疑問点を本人にぶつけてみた。

 イブリンは立ち止まると、「そうですね」と前置きしてから口を開く。

 

「聖教会には派閥があります。聖女を密葬にするのを是としない者も当然居るでしょう。やるなら、教会を上げて派手に裝式を挙げたいって者が多勢を占める筈です。

 しかし、そうなると聖女の体が必要になるでしょう。少なくとも素顔を見せる必要がある遺体が…。葬儀の場は大聖堂でしょうから、【幻影】の術で誤魔化しは効きません」

「物理的な問題ね」

 

 こくんと頷き、彼女は続けたわ。

 

「影武者なり何なりを使うと方法も考えられますが、さすがに邪悪すぎて、聖教会の関係者が手を下す事は無いでしょう。ばれれば、今後の経歴にも差し支えます。

 ただ、前にネクロマンサーに襲われた例の様に、外部の助けを借りて間接的に殺人を成そうとする可能性はないとも言えません」

 

 自分の手を汚さずに、か。

 そして噂に過ぎないけど、ラグーン法国にも我が国の『闇』に相当する、裏仕事を担当する特殊部隊があるらしいわ。

 まぁ、そんなのどの国にも、いえ、下手すると有力な貴族家なら、規模の差はあるけれど有しているのが常識だけどね。

 

「他に考えられるのは、私の死体が必要な場合があるケースですね。

 つまり、聖女が男だと証明する証拠として」

「あ」

 

 そうなのよね。法官派はそれを狙っているのかも知れない。

 今まであった『男性は聖句を使えない』ヒエラルキーを一気に突き崩す、決定的な物理的証拠。それが闇に葬られるのは何としても阻止したい筈だわ。

 廊下の曲がり角。そして、その娘は現れたわ。

 

「きゃっ!」

「あいたたた。もうっ、誰よぉ!」

 

 出会い頭にあたしはその娘と衝突。互いに尻餅をついてしまったわ。

 ずれた眼鏡をかけ直す。あら、お仕着せから見るとエロイナー家の侍女さんね。ぷんぷん怒りながら文句を言ってるわ。

 まだ若い。見た目は10歳位だから、侍女は侍女でも見習いね。

 でも、特徴的なのは彼女が亜人でも珍しい人馬族(セントール)だって事ね。大きさはボニー程度だけど、成長したらあたしは一方的に跳ね飛ばされて、向こうは無傷だったでしょうね。

 

「姫様に無礼な!」

 

 ニナが怒ってるのと対照的に、イブリンはその侍女に手を差し伸べているわね。

 手を取ると四本の足を使って、よっこらしょっと立ち上がっているわ。

 

「あれ? 貴女は聖女様。わぁ、聖女様だぁ」

 

 え、と困惑気味になるあたし達。

 その侍女さん。彼女は明らかにイブリンの顔を覗き込んで感激していたのよ。

 

            ◆       ◆       ◆

 

 興奮気味のその馬娘。

 名前をユイーズと言った、を落ち着かせてから改めて聞き取りをする。

 

「ええと、イブリンさんでしたっけ。済みません。さっき会った聖女様にそっくりだった物ですから」

 

 彼女は王都の広場で聖女フローレを目撃したと語ったのよ。勿論、本物、つまりイブリン自身はユイーズとは初対面だ。

 しかし、ユイーズは大聖堂の絵姿で聖女の絵姿を知っており、会ったのは肖像画に描かれている聖女がそのまま抜け出してきた姿であり、神の奇跡を披露する場面を直接見たと告げたのよ。

 

「ええ、愛犬を馬車に轢かれて落涙する少女を慈愛を持って抱きしめ、そのわんちゃんへ【蘇生】の聖句を使ったんです。凄いですよね。さすが聖女様です」

 

 犬に【蘇生】を使った?

 イブリンは絶句している。常に【蘇生】の聖句は、むやみやたらに使う類いの呪文ではないと強調していたからね。

 

「犬に使える物なんですか?」

「冗談ではありません。ヒトに対してでも厳重な審査が必要なのに、犬に使って良い物じゃありません。只でさえ、自然の理を無視する禁呪なのですから!」

 

 ニナの問いに全力で否定するイブリン。

 

「まぁ、それはそれとして…。どこで会ったのか詳しく教えて頂戴」

 

 興奮気味のイブリンをどうどうと押さえつつ、あたしはユイーズに尋ねる。

 それによると彼女は見習い侍女で、広場の商人へ伝言を伝える簡単なお使いに行かされて遭遇したと言う。

 その聖女は高位の巫女が着る聖教会の正装を身に纏い、神々しい戴冠を頭にいただき、優雅で仕草も格調高かったそうだ。顔はイブリンと瓜二つ。但し、彼女が切ってしまった長い御髪は健在だったらしい。

 あたしは位置を聞き出すと、ユイーズに「その報告をファタ義姉様にしなさい」と指示を出す。

 あたしが士族で(あれから正式に授与されたのよ)、主の義妹であるのにビックリして平謝りしてたけど、それは気にしないからと解放して、三人で広場へと急ぐ。

 

「影武者って線はあるけど、使える聖句がどうも本物っぽいわね。

 例えば、影武者って【蘇生】の聖句が使える物なの?」

 

 それを使える聖句魔法の使い手って中央大陸に数える程じゃなかった?

 

「姫様。ドッペルと言う、他者に化ける魔物の事は耳にした事があります」

「全世界でも、使い手は二十人程度の魔法です。魔物や影武者にせよ、そうそう簡単に再現は不可能な筈なのですが…」

 

 とにかくあたし達は目撃現場とされる広場へと飛んだわ。

 王都には幾つもの広場がある。だから単に広場と言われても、何処なのかを把握しないと全然、別の場所に行ってしまうから要注意よ。

 この広場は日中、庶民が使う市場が開かれてるわ。主に肉や魚、野菜なんかを取引する青空市で、王都に幾つもある市場の中では特色は無いわね。

 エロイナー商会前よりも猥雑で、ごみごみ、ごちゃごちゃしてるけど、やはり活気があるわ。その分、あんまり治安って面からすると褒められないわね。スリに気を付けなきゃいけないし、時々、刃傷沙汰か起こったりするからね。

 で、セーラー服とバニースーツとメイド服の三人組は、目撃証言を集めて贋者を追ったわ。

 

「フローレ様。うん、あたしのケロちゃんを生き返られてくれたのっ」

 

 と嬉しそうに話す女の子の脇では、でっかい犬が尻尾を振ってるわ。これがケロちゃんだろう。にしても本当に生き返ったのね。

 何でも、散歩に連れて来た愛犬が喧噪の中ではぐれ、不幸にも行き交う荷馬車に轢かれてしまったのだそうだ。そこに現れたのが慈愛を持った聖女様。

 

「で、大泣きする女の子を抱いて慰めた後、魔法でたちどころに犬を蘇生した。と」

 

 ニナは聞き取った話をメモに走らせる。あたし付きの侍女だから、彼女は読み書きの習得を強要されて身に付けているわ。本人は凄い嫌がってたけどね。

 

「少なくとも、対外的にフローレを名乗っているのは確認出来たわね」

 

 ユイーズははっきり贋者が己を「フローレ」と名乗っているのを耳にしたと証言しているけど、女の子からも確認が取れた訳ね。

 

「少なくとも、行為自体は邪悪じゃないわね」

 

 本物のイブリン。おっと、フローレ様なら『魔法で蘇生させる』以外の行為なら、恐らく行うだろう。

 

「それにしても惜しいです。あのユイーズが贋者をそのまま監視していたら、もっと楽だったのに」

 

 とニナ。

 

「仕方ないわよ。フローレ。つまりイブリンの事はエロイナー家中でもトップシークレットだし、事情も何も知らない下っ端なので、それがそんなに大変な事とは思わなかったんでしょう」

 

 一連の奇跡のやりとりを目にした後、彼女はそのままお使いを優先して、広場を去ってしまったのよね。

 

「また格好が、如何にも聖教の神官だったって話の方も気になりますね。高位の神官を象徴する白いローブドレスに戴冠。そんな正装、教会内での儀式以外は着ませんし」

「これ見よがし過ぎる。わよね」

 

 イブリン本人が断言しているけど、略装でも慣れてないと動きづらいらしく、本人曰く「メイド服が楽なんで助かる」そうよ。まぁ、着心地とかはともかく、そんな派手な格好で市井を歩くかって疑問は出る。

 

「誰かに、私に見せる為、でしょうか」

「それは…フロ、イブリンに?」

 

 確かに誘き出し手段としては考えられるわね。

 目撃証言を追って行く内に、あたし達が辿り着いたのは、市場の隅にある小さな教会だった。こじんまりとしてるけど、大袈裟な装飾もなくシンプルな造りは、なかなか好ましくて、あたしの趣味だわね。

 足が付くとして、普段は教会へ近づかないイブリンも慎重に中を窺う。

 

「聖女様にお会い出来て光栄です」

「面を上げなさい。私達は同じ神官。身分差はありません」

 

 中を覗いてみたら、居た!

 髪を伸ばしたイブリンそっくりな贋者さんと、数人の神官が会話を交わしているわ。

 絹だと思う高そうな布地の白装束に魔銀(ミスリル)の冠。以前、大聖堂で見かけた肖像がそっくりな姿ね。

 

「姫様、どうしますか?」

 

 扉の陰に身を隠したニナが小声で呟く。このまま乗り込んで行くのも手だけど、どう話しかけたら良いのやら。

 いきなり連行しようとしたら、あの神官達と一戦交える様な気もする。

 さて、困ったわね。

 

〈続く〉



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈幕間〉 、ヤシクネー

今回は幕間編です。
さぁ、皆もヤシクネーの謎を一緒に見てみよう(笑)。

改訂。
糸吐く量を増量しました。代わりに操糸性能が低くなってます。つまり、アラクネーみたいに自由に糸を操れないのね(ウェブ状にも出来ないし)。


〈幕間〉ヤシクネー

 

 ヤシクネーとは南洋に生息する魔族である。

 場所によってはヤシガニーとも言われるが、これは蔑称であって彼女たちを怒らせる事もあるので慎むべきである。

 

 アラクネーの亜種だと言われるが、アラクネーは蜘蛛の下半身を備えた女系魔族で、魔物として忌み嫌われるのに対して、ヤシクネーは性格は温厚で、社会性を持っているのが幸いしてか、ヒトや亜人と混じって共同生活をしている場合も多く、魔物ではなく明確に魔族に分類される。

 

 上半身はヒト種の女性。ヤシガニの下半身を持つ。ヤシガニ部分の第二胸部は硬い甲羅に覆われているが、時期が来ると脱皮する。脱皮した直後の身体は柔らかくなってしまう為に外敵に対して危険で、これが原因で専ら単独行動を好むアラクネーと違い、群れを作って行動する様になったのではと考えられている。

 

 また、ヤシガニと同じく、第二腹部は第二胸部と違って殻に覆われていないので、普段は内側に折り畳む形で保護している。この腹部には糸を吐く発射口があるが、機能的には退化しており、「やろうすれば、糸を吐けます」程度で射出量はあるが操糸性能は低く、武器としては心許ない。

 計八本の脚の内、前の二対は大きな鋏が特徴で主に木に登るのに使う。挟む力は強く、その気になればヒトをあっさりと切断してしまう程だが、彼女らは武器としてより作業肢に位置づけており、ココ椰子を割ったり、重い荷物を持ち運ぶのに用いている。

 これはもし戦闘で鋏が取れてしまうと、再生に時間が掛かりすぎる為であるらしい。実際に戦うよりも威嚇用に近い。

 

 ヤシクネーは哺乳類であり、胎生だ。

 下半身が甲殻類なので誤解が大きいが、子供を産んだ後にちゃんと上半身の乳房で授乳する。また妊娠中は上半身のお腹が膨らんで臨月を迎えるため、生まれる個体にはへそがある。

 中位魔族だけあって受胎確率は低いが、これを多産で補ってるらしく一回の性交で大抵は数人を孕む。そして上手く受精した場合はこれでもかと子供を産む。

 過去、最大83体を同時に出産した記録もあるそうだ。

 生まれたての子供は掌に載るくらい小さい。鋏は未発達なので、危険から守る為に母体は、我が子を下半身の第二腹部にある子袋に収納して育てる。

 糸を吐く穴が出入り口で、この状態では彼女らは糸を吐く事が出来ない。これが糸を吐く機能が退化した理由だと考えられている。

 下腹部に子供を収納している時は、折り畳んだ第二腹部が不自然にぼこぼこ動くのですぐそれと分かる。子供の数が多すぎてパンパンに膨れ上がっている場合もある。

 ある程度、子供が成長したら子袋から外界で育てるのに移行するが、子供にとっては子袋が居心地良いらしく、子袋に入りたがる者が絶えない。

 かなり大きくなっても子袋に入っている例が見られるが、有袋類風に顔だけ外に出して母親にぶら下がっているのは、かなりシュールな光景である。

 子供は鋏が生え揃うまでは授乳で育て、その後は通常食に切り替える。

 

 主食は椰子の実など主に果実であるが、実は雑食性なので何でも食べる。

 アラクネーと違ってヒトや亜人を食べる事は稀であるが、人里に定住せず、個で放浪している個体は食べないとも言いがたいので注意が必要である。

 味覚はヒト寄りらしく、甘い、辛い、すっぱい、等の五感も持ち、料理も嗜むものの、どちらかと言えば生食が好物。狩りをしたら獲物をその場で解体し、鋏で引きちぎってばりばりと食べてしまう事もある。

 外殻を再生する為に、脱皮した己の甲羅を食べる光景も珍しくない。

 骨格で言うならばヤシクネーを含む節足類型女系魔族は、外骨格と内骨格のハイブリッド型で、大きさの大半を占める下半身には骨はなく、完全な外骨格型であるが、女性の胴体部分にはちゃんと骨がある。

 よって骸になると、ちゃんとシャレコウベを含む骨が残る。だから彼女らも骸骨が怖いとの感情を持っており、スケルトン等を見ると恐怖を感じるらしい。

 

 魔法的な種族なので、かつては多彩な魔法の才を持っていたらしいが、現在は【魅了】の技以外に生来持ってた魔法を扱える個体は稀である。

 ただ、後天的に訓練された個体は強く、優秀なクエスターに成り得るが、その姿からヒトに誤解され。忌み嫌われる事が多いので、冒険者として活躍する者は少ない。

 熱帯や亜熱帯生まれで寒さに弱いとの欠点も、クエスターとして活躍出来ない原因でもある。20℃以下になると活動が鈍り、零下になると生存の危機が訪れる。

 

 約一万年前、超古代文明が滅びたと同時に到来した魔族の大量発生。

 その軍勢の一員として姿を見せたのがヤシクネーである。

 彼女たちは優秀な補給部隊であった。常に上位の魔族に命令され、数々の戦場に姿を見せた。そして文字通り、身を粉にして魔軍に尽くされるのを強要された。

 ヤシクネーは魔族にしては、それなりの力を持っているに過ぎない。そして温厚で本来は戦い好きな種族では無い。だから戦力として期待された訳ではなかった。

 生きた食料。それが彼女らに与えられた仕事。

 実はヤシクネーは美味いのだ。脚や大型の鋏には弾力性のあるカニ肉が豊富で、上半身はヒトの肉。そして第二腹部には濃厚なミソがたっぷり詰まっている。おまけに多産だから、常に豊富な食料が得られる。魔族にとって理想的な生きた補給物資だった。

 上位魔族に支配され、骨の髄まで舐め尽くされる彼女たちヤシクネーが、奴隷の境遇から脱走してヒト側へ味方したのも分からなくもない。

 そうして生き残った子孫が、今、南方で生活を送る彼女たちである。現地住人もその当時からの子孫であり、互いに手を取り合って共同生活を営んでいる。

 だが、今でもヤシクネーは自分と同等以上の魔族に対してはこう口走る。

 

「た、食べないで下さいっ!」

 

 悲しき歴史に刻まれた本能なのであろう。 

 

皇国図書館編『魔族事典』




次回は偽りの聖女編2の予定です。
〈外伝〉の実習航海編と交互に掲載の予定。

実は手違いで偽りの聖女編の原稿が電子の彼方へ…Orz。
もう一度、プロットを練り直して一から再掲載の予定です。一週間程待っててね。

ヤシクネーは本来、実習航海編2の冒頭を飾るはずだったのですが、代原として単独掲載します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女2

思いの外、短時間で完成しましたので投稿します。
<閑話>のウサ耳村はニナの幼少期のお話。まだルローラ家に仕える前ですね。
これもスキュラ同様、暫く続きますので宜しく。



〈閑話〉ウサ耳村1

 

 ナイフ片手に木に刻みを入れる。

 斜めに切られた傷痕から、白い樹液がじわっと染み出てくる。それを傷下に置かれた小さな壺へと溜めて、壺が一杯になったら交換。

 いつもの光景。単純作業だが、日が高くなると暑さの為にやっていられなくなる。

 でも、まだゴム園での労働は楽な方だ。椰子の木に登らされて実を採取する高所作業は、転落すると生死に関わる。

 ああ言う場所の作業はヤシクネーなんかが最適なのだが、彼女たちはそれなりに高給取りであり、コストの問題もあってニナの様な子供が多数従事させられている。

 賃金は大人の二割で済む。その分、労働効率は大人の半分程度であるが、コストパフォーマンスから考えれば、農園経営者にとって子供は安価な労働力として歓迎される存在なのである。

 

「船が着くらしいぴょん」

「私掠船だ。歓迎の宴があるらしいよ」

 

 午前の作業が終わった。ニナが休憩の為、宿舎に戻ろうとする時、数人の大人達の会話を耳にする。

 私掠船。国家公認海賊の事だ。良く分からないけど、グラン王国以外の船舶を襲って取り分を国家に献上するらしい。他に無許可の海賊を取り締まったり、時には海軍の一員にもなるらしい。と、婆様から聞いている。  

 ニナはまだ五歳。両親は分からない。

 ウサ耳族の常として、母親は行きずりの男(大抵は異種族だ)と交わり、子供を出産したら部族に預けて何処かへ行ってしまう事が多い。

 亜人の大半がそうである様に、ウサ耳族も女性が大半を占め、男性が生まれてくる事は極めて稀であるからだ。

 生まれた子供もウサ耳族以外の場合、昔、奴隷制度があった頃は奴隷商に売り飛ばしていたが、それから考えると現在の境遇は悲惨のひと言に尽きるだろう。大抵は放置で、そのまま餓死させてしまうからだ。

 男児の場合、場合によっては繁殖用に育てられる。つまり、大きくなったら部族の性奴隷役としてウサ耳族達の玩具にされるのだ。要は種馬である。

 ニナも母から産み捨てられた身だ。ウサ耳族は部族社会なので、そうした子供達は部族の者達の手で育てられる。その際、母の名は分かっていても秘匿される。後で親子関係で問題を起こすと、部族全体の統制が乱れるからである。

 

「婆様。今、帰った」

 

 布一枚が張られただけの、粗末な小屋の入口をくぐる。

 中央の土間、囲炉裏を囲む正面に年老いたウサ耳族の老女が座っている。その周囲に沢山の子供達が走り回っている。

 

「表が騒がしいね。ニナ、何があったのかえ」

「私掠船が港に入るそうだよ。あ、これ土産」

 

 ニナは婆様に途中で拾ったココ椰子を投げた。 ヤシ酒を作る為、実が殆ど成らないココ椰子はここらでは貴重品だが、採取の際に落ちた奴を拾うのは許されている。

 愛用のナイフを抜き、もう一つのココ椰子の上をえぐると、美味そうに中のジュースを喉を鳴らして飲み干した。

 

「そうかえ。最近、海賊が暴れ回っておるしの」

「時間が出来たら見物に行ってみるよ」

 

 ニナはそのまま殻を割って、白いコプラ(果肉)をすくって口に運ぶ。若い実であるらしく、コプラも弾力性があってガリガリ削る必要はなかった。

 婆様はこの付近のウサ耳族の長老格だ。名はあるのだろうが、ニナは婆様としか認識してないし、部族内でもそれで通る。

 既に戦士や働き手としては一線から退いているが、子守役としての重責を務め、また、発言力も族長に比肩する程の重みを持つ。

 

「歓迎の宴があるって話だし」

 

 婆様はふむと口にしてしわくちゃの顔をほころばせる。宴と聞いてご馳走を思い起こしたのだろう。ウサ耳族の平均寿命から考えれば、婆様は物凄い高齢なのだが、若い頃は一流の戦士であったと聞いている。

 齢は八十を超え、杖を必要とし、視力も衰えて眼鏡を愛用せねばならなかったが、まだまだ身体は健康で食欲は旺盛だ。無論、酒も嗜むのでそれを期待しているのに相違ない。

 

「族長からの招待状が、早う来んかのぅ」

「飲み過ぎると身体に良くないよ」

 

 ニナは釘を刺した。

 育ててくれた恩人なのだから、なるべく長く生きて貰いたいとの願いがある。

 そして、部屋の中に居る姉妹達(血縁はないが)の面倒を見るべく、腰を上げる。年少者の世話は、ニナの様な年上の仕事である。

 おしめも取れない様なのは婆に任せて、やんちゃな姉妹達を纏めて遊び場へと連れて行く。お昼頃まで面倒を見るのが日課だ。

 長い、本当に長い一日が始まろうとしていた。

 

 

 

〈エロエロンナ物語15〉

 

 あたし達が教会の入口で様子を窺ってると、外を通る人々が不思議そうな表情で通り過ぎて行く。ここは人通りの多い広場だから当たり前なんだけど。

 まぁ、どう見ても不審者よね。格好もバラバラだし。

 

「目立ってますね」

 

 最初に指摘したのはイブリンよ。

 そして「エロコ様達だけ中へ」と提案する。

 

「イブリンは?」

「流石に同じ顔がご対面ってのは避けたいでしょう。こちらの素性も隠したいし…」

 

 そうなのよね。イブリンはある意味切り札。向こうの反応が未知数だから、尚更表へは出したくないわ。でも、一人にすると危ないし…。

 

「やっ、エロコ達じゃん♪」

 

 そこへ声が掛かる。この軽い口調は…。

 

「どしたの。あたいが王都で遊び回ってちゃ、おかしいのかなっ♪」

 

 何処かの露店で買ったのだろう。串焼きを片手にもぐもぐしながら現れたのはユーリィ・リリカ子爵令嬢。

 今日は士官学校の制服であるセーラー服ではなく、私服だ。黒と黄色のレザーで出来た露出度の高いセパレーツルック。大胆にもスリットが入った丈の短いミニスカート。ベルトには綺麗な細工を施したレイピアを帯剣をしている。

 その姿は、そう…あのマリィを連想させるわね。

 

「ユーリィ様。丁度良かった。

 済みません、うちの侍女を少しの間、見ててくれませんか」

「へ? そりゃエロコの頼みだから構わないけど…あ、おーい♪」

 

 言い残すと、あたしとニナは教会の中へと進んだ。

 そして確信していた。ユーリィ様が現れたのは偶然じゃない。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「参ったね♪」

「参ってらっしゃらないでしょう?」

 

 やれやれと頭を掻くユーリィへ、侍女の姿をした聖女が告げる。

 エロコ同様、イブリンも確信しているからだ。

 彼女が何故、楽しみにしていた実習航海を突然、キャンセルしてこちらに残ったのか。それは夏休みに本土に残留する、エロコの行動に会わせた為だと。

 

「どゆこと♪」

「我々はそれ程愚鈍ではありませんよ。ユーリィ様。

 貴女がエロコ様。いいえ、私の護衛兼お目付役に。王室から付けられたエージェントであるのは、大体、察しているのですよ」

 

 いつもにこやかで、得体の知れない軽い表情をしているユーリィの顔が少し真面目になった気がしたが、それはほんの一瞬。

 次の瞬間、彼女は腹を抱えて大爆笑していた。

 

「あははは、な、何それ。凄いなーっ、あたいは王室の秘密捜査官か何かだったのか♪

 あ、あたいが、じょ、冗談きついよ。あはははは♪」

 

 しかし、これは演技だ。とイブリンは看破していた。

 自分だって聖女としてのVIP歴は長い。この手の間者との付き合いも当然ある。

 本職ではなく、急遽、臨時に回された半人前である事は、エロコからも知らされている。だから、さっきの様な隙が生まれるのだろう。

 本職ならば、指摘されても表情を変える事なく、もっと上手く演技する筈だからだ。

 

「あくまで否定なさるのですね。まぁ、構いませんけど」

「ひ…否定も何も…あははは、あー可笑しい♪」

 

 ここで仲間に引き入れるのは諦めた。出来れば、何でも話せる仲になって共同でこれからの脅威に対処をしたかったのだが、向こうにも都合があるのだろう。

 組織とはそう言う物だから仕方ない。

 こちらの考えを強要するのは、単なるこちらの我が儘に過ぎない。

 

「そんな事より、串焼き食べに行かない♪」

「貴女の奢りなら。侍女のお給金って少ないんですよ」

 

 本当の事だ。結構重労働だから、もう少し欲しいのは本音。

 尤も、この世界一般から考えれば、内勤で済む仕事でこれだけ貰えるなら、かなりの高給取りに分類されるだろう。

 馬車馬の様に働かされる土方や、糸を紡ぐ女工なんかに比べれば天国である。 

 

「士族になった子爵令嬢のお小遣いもね。

 先月、国から支給された額も少なかったしなぁ♪」

 

 上っ面な会話を続けながら、彼女ら二人はエロコが出てくるのを待ったのだった。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「おーい、その可愛娘ちゃんを紹介してくれよ」

 

 軽薄そうな言葉。それが耳にした第一声だったわ。

 若い、と言ってもあたし達よりは年上ね。ハイティーンのやたら軽そうな男性が、事もあろうに贋イブリン、もとい贋聖女に声を掛けていたのよ。

 

「あの…」

「俺はワール・ウインドウ。ワールって呼んでくれ」

 

 爽やかなと言うか、何も悩みのなさそうな、滅茶苦茶明るい表情でナンパしてますね。

 短い灰色の髪。瞳は黄色。派手な緑色の革鎧に褐色のズボン。 腰には鞭を下げていて、ズボンに短剣を挟み、頭に赤いバンダナを巻いている。

 右頬にばってん傷がある。街でたむろってる愚連隊のリーダーか、良くて冒険に出かける若い山師(クエスター)かしらね。

 盗賊系の身なりだし、鞭を持ってる時点で、やくざな商売に就いてるのが分かるけどね。

 

「あの…私は…フローレ」

「オーケー、オーケー、フローレちゃんね。さ、どこへ行く。

 ここら辺だとお洒落な店はないから、西地区がいいかな」

 

 こ、こいつ、他人の話を聞いてねぇ。

 自分ペースに乗せて連れ出す気満々だ。ニナが「姫様」と呟いた時、あたしは決心したわ。贋者だけど、こいつの手にイブリンを委ねちゃいけないと。

 

「いい加減になさい。その女性が困ってるわ」

 

 あたしが前へ出ようとした時、反対側から咎める声が響いた。

 あ、異国の女性。東方の皇国風な格好をしているわ。白と赤の衣装に身を包み、髪型はポニーテール。腰に長い刀を佩いている。

 

「なんだ。マドカか」

 

 ワールはその女性と顔見知りらしい。一目見ただけで、うんざりした表情を作る。

 その女性はワールを無視して、贋フローレの前に進んで跪く。

 頭を垂れると、特徴的な青い髪がさらりと前へ流れた。

 

「聖女様。私の知人の無礼、お許し下さい」

 

 このマドカって人も目の前の女性が聖女だって知ってるのか。まぁ、有名人だから当たり前かな。にしても皇国人にも有名なのね。

 後ろから聞こえる、「おーい、マドカ。聖女って何の話だぁ」ってワールの言葉は無視してるわね。

 贋フローレはきょとんとした意外な顔でマドカを見ていたけど、やがてにっこり、「面を上げて下さい」の言葉と共に微笑んだ。

 

「そちらにの方も、どうぞ、いらして下さいな」

 

 これは入口で立ちすくむ、あたしとニナへ向けた言葉だ。

 先程まで贋聖女と話していた神官二人は、互いに頷き合って入口へ向かい、正面の扉を重々しく閉鎖する。

 密室。

 これで教会内に居るこの七人以外の余人は、入って来られなくなったわね。

 外に居るイブリン達が心配だけど、ユーリィ様が居るから大丈夫でしょうと思い込むわ。

 

「あたしの目が間違っておらぬのなら、ラグーン法国の聖女、フローレ様とお見受け致します。それが何故、我がグラン王国の王都ハイグラードへいらっしゃったのですか」

 

 あたしは主題をずばっと切り込んだ。

 贋聖女は相変わらず、曖昧な笑みを浮かべている。一人、「せいじょ~?」と間抜けな声を出しているのはワール。

 

「それは、私も知りたい所です。あっ、私は春社 円…。いえ、こちらで言うなら、マドカ・ハルシャと申します。東方の出で、今は理由あって、この教会の責任者をしている者です」

 

 面を上げ、はっとした様に自己紹介を付け加えるマドカ。

 神官さん二人も「ルイザです」「レオナと申します」と同じ様に自己紹介してるわね。

 

「ええと…」

「エロコと申します。こちらは侍女のニナ」

「…エロコさん。それが私にも分からないのです」

 

 え?

 

「いつの間にやらここへ来ていた。と言うべきでしょうか。

 昨晩まで、確かに私は聖都でお勤めをしていた筈なのです」

 

           ◆       ◆       ◆ 

 

 互いの自己紹介を交えて、贋聖女の話を総合すると…。

 自分は聖都の大神殿で仕事をしていた筈だし、昨夜も一日の礼拝を終えて床に就いた記憶がある。しかし、目が覚めたら、王都の雑踏に居たらしい。

 しかも、何故か正装で。

 こんな姿で眠る訳はないし、夢遊病とかが仮に自分にあったとしても、こんな遠隔の地に、一晩で移動するとも思えない。

 

「ここが隣国の王都だと耳にして、本当に肝を潰しました」

 

 そう語ってるけど、あんまり驚いた表情してないのよね。

 せいぜい『まぁ、大変』程度の感じで、『驚愕してます』やら、『ああ、どうしよう』てな焦りの感情を出してないと言うか。

 公的な顔って奴かな。

 素のイブリンを身近で見ている分、あたしにとってかなりの違和感。

 もっともイブリンも聖女の顔を見せたら、同じ様な感じに豹変可能なのかも知れないけどね。そう言えば、出会った最初の頃はあんな感じに近かったかしら?

 ある時、「イブリンも喜怒哀楽がはっきり出る様になったわね」と言ったら、「姫様がそれを仰られるとは…」とニナに呆れられてしまったわ。

 昔のあたしは、あれよりもっと酷かったらしいのよね。

 

「なー、難しい話は終わったのか。じゃあ、飯食いに行こーぜ」

「ワール、黙ってなさい」

 

 一方、こっちは凸凹コンビね。

 後に聞いた話だけどマドカは皇国の神官で、貴族子女、つまり良い所のお嬢様だけど、武者修行とやらで各地を回っていたらしいのよね。

 ワールは盗賊系のクエスター。自称、義賊。う、胡散臭いわ。

 二人は何処かの遺跡で出会って以来の腐れ縁。今、こうしてこの小さな教会にいるのも、地元のごろつきが教会の立ち退きを迫るのに、ワールが変な正義感を出して首を突っ込み、遺跡で一攫千金を得て解決した結果だと言う。

 でも教会を管理していた法官は既に高齢で亡くなり、借金を重ねた結果の立ち退き騒動だったから、借金を返してもいずれは同じ困窮に陥る。

 だから、周りから推されてマドカがこの教会の責任者になった。

 遙か昔、ラグーン法国から神官が皇国へ辿り着き、布教をした結果、ラグーン教は皇国にも根付いていて、マドカはラグーン教の司祭だったからよ。

 もっとも、現地化して本国とはだいぶ様式が代わってしまっており、東方では本山を崇めるけど、その直接的な権威は認めてないわ。だからラグーン法国の過激派は東方ラグーン教を、『異端』と嫌悪する向きもある。。

 まぁ、距離的に遠いからねぇ。砂漠を越えて、皇国まで腕木通信線を延々と伸ばす訳にも行かないでしょうし。

 そんな訳で、マドカとワールは教会に住み込んでいるんだけど、そこへ市場で聖女を発見した見習神官さん、さっきのルイザとレオナね。が聖女様を教会へ連れてきたって話になるわ。保護って意味もあったんでしょうけどね。

 

「保護は良いんですが、その服、着替えませんか?」

 

 ずっと控えていたニナが意見する。

 

「しかし、これは神衣ですから」

「目立ちますよ。とっても」

 

 ウサ耳族に指摘され、考え込む贋聖女。

 

「ですよねぇ」

「私の服で宜しければ」

 

 マドカが申し出る。向こうの女性神職が着る、白い上着にひだが入った緋色のスカート、巫女装束とか言う皇国風の格好だけど、彼女のはもっと過激で、胸にサラシを巻いているだけだわ。その双房は悔しいけどかなり大きい。

 

「…出来れば、もう少しおとなしめの服を」

「ルイザ、貴女の神官衣を貸して差し上げなさい」

「はい、マドカ様」

 

 着替えの為に、ルイザと共に奥へ消える贋聖女。あっちは神職の生活スペースね。

 惜しい。皇国風の姿は見たかった。

 でも、本物の聖女、つまりイブリンなら着てしまう気がする。「こんな格好している方が、よもや聖女とは思われませんから」とか言ってね。

 

「なーなー、要するにフローレちゃんは迷子なんだろ?」

「迷子…といえば、迷子なのかしらね?」

「姫様。ニナには判断出来かねます」

 

 ワールの問いにふと思う。迷子なら、いっそあたしが保護しちゃえば良いのではと。

 義姉様の名を出してね。

 手に入れてしまえばこっちの物だ。彼女が何者かも調べられるしなぁ。

 悪党っぽいけど、あたしは正義の味方じゃないし…。

 

「よしっ、俺がフローレちゃんを彼女の国に連れて帰ってやろう」

 

 こっちが考えを巡らせてる間に、この男、そんなとんでもない事を言いだしたわよ。

 あたしは口をあんぐり。

 マドカも同様。でも、はっと我に返って「冗談じゃない。多分、これは教団内の政治的何かよ。単純に故郷へ連れて行く訳には…」と怒り出したわ。

 

「知らねーよ。困ってる娘が居る。だから助ける。それの何が悪いんだ」

「あんたの単純さは、利点でもあるけど欠点よね」

「あんだよ」

 

 マドカは頭痛を抑える様に、こめかみに手を当てている。

 

「色々裏があるって話ですね」

 

 たまらず、あたしは助け船のつもりで発言した。

 

「部外者に教団の実情を話すのは不本意ですけど…その通りです。

 知っているかも知れませんが、聖女フローレ様は数ヶ月前より、ご病気であると公式に発表がなされているからです」

「そんな折、ここに健康体の聖女が現れた。それは極めて不自然だと?」

「エロコさんと言いましたか。慧眼恐れ入ります」

 

 そう言ってマドカはあたしに会釈した。そして言葉を継ぐ。

 

「彼女は…聖女様は、今、何等かの陰謀に巻き込まれている。

 私はそう判断しているのです」

 

 ひときわ大きな悲鳴と物を壊す様に物音が響いたのは、その直後だった。

 

〈続く〉

 




書き直しになったので裏話。

円さんは書き直し前は法国のキャラで、名前も姿も違っていました。
でも「そろそろ東の皇国を出す方が良いか」と思い直し、元原が電子の彼方へ消えたのをきっかけに、思いっきりオリエンタルのキャラに変更。
そう、東方は東洋風の世界なのです。皇国はオリエンタル日本で、勿論、天…ではなく、皇帝が治めてます。
ちなみに円さんの格好は『世界〇』のブシ子風(笑)。

次は実習航海編2です。
少し更新に時間が掛かるかも知れません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈幕間〉、竜騎兵

前のヤシクネー同様、<幕間>投下。
本編の前を飾るには、多少、文章量が多めになってしまったと言う理由有り。
むぅ、もっと短く書かないとなぁ…。

だから次回の実習航海編2には、<閑話>も<幕間>もありません。



〈幕間〉竜騎兵

 

 軍の精鋭部隊。

 騎竜槍(ドラゴンランス)を構え、地上の敵を蹂躙して行く姿は圧倒的で、無敵の天翔る騎士団として勇名を馳せた。

 そう、そんな風にもてはやされていた時期があった。

 第一次、第二次グラン大戦(帝国側呼称。王国側では逆にマーダー大戦と呼ぶ)では、その機動力を生かして敵を翻弄した花形部隊であった。

 

 しかし、その栄光は今は昔。

 復古(ルネサンス)運動によって旧古代王国の技術が発掘され、軍に改良型弩砲(バリスタ)の配備が広まるにつれて、主戦場では活躍する場が狭まった為だ。

 竜と言っても、軍が使用するのは亜竜であるのも拍車を掛けた。

 亜竜とはいわゆるワイバーンの事である。

 大きさは成竜で大体、全長10m、翼長は12m程。赤色系の鱗で覆われており、前肢はなく、後肢に鋭いかぎ爪を持っている。

 本物の竜と違って竜の息(ドラゴンブレス)は吐けない。おまけに知能は低く、この為、長距離攻撃手段がない。

 育成するのが大変で(下手すると騎手すら食おうとする)、維持費も高価(肉食なので餌代が掛かる)。だから数を揃えられない。

 加えて補給も難しい。亜竜は一日に100Kg近い肉を食べる。

 この大食らいの為に運用はかなり制限されていた。一頭でこれだ。部隊が進撃する時にどれ程の負担を兵站に与えるのか、想像して見るが良い。

 それが訓練をされてるとは言うものの、単なる弩砲を操る一般兵に太矢(ボルト)を投射されて次々と串刺しにされるのだ。軍としてはたまった物ではない。

 

 無論、竜騎兵側も問題を座視していた訳ではない。

 時代の趨勢に会わせて騎竜槍を捨て、武器を連弩や投擲槍に持ち替えて延命を図る。つまり敵に対して射程を得る事で、アドバンテージを保持しようと努力したのだ。

 騎竜槍による空からの襲撃で、高らかに自分の名乗りを上げ、地上の兵を次々と葬る古来からの勇壮なイメージから、相手が届かない高度から槍を投擲したり、連弩を撃つ戦法になり、多くの竜騎士が「格好が悪い」や「卑怯極まりない」としてその座を辞したとも言う。

 いや、卑怯極まりないのであれば、「地上の兵と戦うのだから、お前も竜から降りて戦え」と言いたくなるのは、筆者のひがみであろうか?

 それでも騎竜部隊は軍の花形、正面決戦兵科から、偵察や哨戒、或いは遊撃任務に回されて残った。空を飛べるのは他兵科に対してアドバンテージであったし、その移動力も軍で随一の物であったからである。

 特に弩砲を持たない、或いは行軍中で展開出来ない敵に対しては、かなり優位に戦いを進められるからだ。

 

 新暦800年代、高名なクエスター(冒険家)、ドルス・ワイルダー卿が西大陸で発見した竜の新種が、騎竜兵科に最大の衝撃を与える。

 草食竜(グラスドラゴン)、略して草竜なる飛竜が中央大陸へともたらされたのだ。

 従来の亜竜に比べると飛行速度も遅く(亜竜は最大飛行速度約300Km/hであるが、その3分の2)、総合性能で見れば劣るが、竜運用の最大のネックだった補給問題が劇的に改善される見込みが立ったのだ。

 彼らの餌は草や穀物と言った、植物性の物である。

 まぁ、草竜も軍馬並みに食うのだが、それでも腐り易く、確保に困難な肉を大量に用意する手間から解放されたのは大きい。

 生育の難しさは余り変わらず、価格も軍馬の数倍に達するので相変わらす調達は困難だが、せいぜい十数頭単位だった竜が、数百頭単位とこれまでとは比べものにならぬ数の竜が、各国の軍に配備されたのも分からなくもない。

 ただ、やはり戦力としては期待されておらず、伝令や輸送方面へと比重が移ってしまったのは仕方の無い事であろう。

 

 草竜の発見は、軍のみならず、民間にも竜が普及する副次的な効果ももたらせた。

 どう猛な性格の亜竜と違い、草竜は比較的温厚で、かなり臆病であったからである。

 軍馬も同じであるが、戦竜は戦場に必要とされる胆力、槍衾に突撃したり、矢玉飛び交う戦場で平然と飛行したりする、いわゆる戦場慣れが必須だ。

 そうでないと竜はパニックを起こして勝手に戦場から離脱するし、時には騎手を振り落として墜死させてしまうかも知れない。

 だから、育成時にこうした戦場慣れを覚えさせるのだ。それ故、戦場に出る軍用竜に育成する場合、これが覚えれない大量の失格竜が出てしまう。

 この失格竜は安価で(いや、それでも馬の数倍は高いのだが)民間に放出され、民間、特に富裕層へと竜を普及させる事となる。

 失格竜でも戦闘に使わず、ただ飛ばすだけなら何の問題も無い。専門調教師が必要だった亜竜に比べると、まだ素人にも世話が手に負えるのも幸いしている。

 草竜は亜竜に比べると小型で、成竜で全長8m、翼長10m程。緑系の鱗に覆われている。残念だが、やはりドラゴンブレスは噴けない。

 ドラゴンとの名が付いているからも判るが、亜竜と違って手として使える前肢がある。後肢はやはり鋭い爪を持つが、民生竜では危険防止用に爪を切ってしまう事も多い。

 

 余談だが、肉食と草食の違いだろうが、亜竜の肉が臭みがありすぎて食用に向かない(でも食える)のに対し、草竜の肉はかなり美味しく食べられる。味はトカゲに近い淡泊な感じである。

 竜騎士が泣く泣く、戦死したり処分した己の騎竜を食うとの逸話は、草竜が導入されて以後、劇的に増大したのもそのせいであろう。

 滅多にないが、竜肉は時には肉屋にも卸される事もあるので、もし機会があるなら食べてみるのも一興だろう。

 

ヒンケル・バルガリア著、『帝国軍学史』より




個人的な話ですが、何故か、皆、感想を書いてくれない。
執筆を続ける為の燃料になりますので、出来れば感想をお願いします。
果たしてこの作品、受けているのか居ないのか、面白いのか否なのか反応が知りたいんです。無反応だとやる気ゲージが減って行きそうで(笑)。

ログインしなくとも書ける様にロックを外しておりますので、宜しくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女3

難産でしたが、偽りの聖女編3をお届けします。

3/13、加筆。
「し」との誤読を避ける為、市に「いち」と読み仮名追加。


〈閑話〉ネコ耳村2

 

 ざわり、ニナの背筋に悪寒が走る。

 本能だ。ひと目、船を見た時から感じる危険な何か。

 それは岬を回ると、速度を落とさずに岸壁に近づいてきた。

 船体には汚い。真っ赤に塗られた船体に黒ずみの様なカビが目立つし、海鳥の糞があちこちに白い汚れを付けている。

 明らかに普段寄港する私掠船とは雰囲気が違う。

 村の連中も異変に気が付いたらしく、カーン、カーンと鐘が鳴らされる。

 これは何だ。

 船縁に並ぶ、手に手に得物を持っている汚い男共は?

 

「う…」

 

 頭が痛い。

 そうだ。村は連中に襲われ、捕らえられて!

 

「おや、気が付いたみたいだね」

 

 知らない声。ばっと起き上がり、身構えながらそいつを見つめる。

 緑の髪をまとめたエルフ(妖精種)の女性?

 婆様から話には聞いていたが、実物は初めて見る。にしても剣を佩いたりしているし、ずいぶん戦闘的な格好だ。

 

「まずは食べな。あんたは海の中を漂ってたんだ。もう少し助けるのが遅けりゃ、土左衛門だったよ」

 

 差し出されたのは木の椀。中身は雑穀のおかゆらしき物。

 上等な食事とはとても言えないが、良い匂いが漂っている。ニナの腹がぐうと鳴り、たまらずそれを受け取って、がつがつと食べてしまう。

 

「ここは?」

「私掠船、『グリューングリューン』さ。あたしは頭領のセドナ・ルローラ、さて、あんたの村が海賊に襲われた事を話してくれないかい?」

「私掠船…」

「あんたの村へ行くって連絡していた筈なんだけどねぇ。一足違いで、海賊に襲われちまったみたいだね」

 

 そうだ。ニナの村は海賊の襲撃に遭ったのだ。

 ここはゴム園しかない辺鄙な開拓村に過ぎないが、ゴム収入のお陰で比較的裕福で、村人は飢えもせずにそれなりに楽しい暮らしを送っている。

 婆様が語る昔話は「昔は食べられなくてね。皆、傭兵となって外へ出て行ったもんさ」と、かなり悲惨さを強調していた気がするが、傭兵として出稼ぎに行かずに済んでいる現状から、ネコ耳族の村としては生活が安定していると言えるのだ。

 

「その小金を狙う輩が多くてね。

 特にここみたいな開拓村は、地理的に孤立してるから、隣村との横の連絡が悪くて襲いやすい。いつまで経っても連絡が無いから、見に行ったら全滅してたなんて事がザラにあって…。済まないね」

 

 セドナは頭を垂れた「その為に海賊討伐に乗り出したのだが、間に合わなかった」と。

 

「やつらは建物に火をかけて、村人を捕まえてた」

「奴隷だね。特に若いウサ耳は奴隷として高価だからね」

 

 グラン王国では王の方針もあって、罪人以外の奴隷取引は禁止されている。しかし、蛇の道は何とやら。裏ルートという物も存在し、更に外国では奴隷取引は合法だ。

 つまり王国を出てしまえば、奴隷は売り放題なのである。

 

「あたしは奴らの目を盗んで海に飛び込んで…それから」

「この船に拾われた。危なかった。聖句がなかったら死んでたよ」

「そうだ。村は、村はどうなったのか!」

 

 ニナが捕らえられたのは初期だったので、惨劇の一部始終しか見ていない。

 セドナは「ついてきな」と言うと、船室を後にした。そう言えば、さっきから揺れが少ない。この船が航行中ではない印だ。何処かに着岸しているのか。

 上甲板へ出る。

 目の前に広がるその光景に、ニナは目を見開いて絶句する。

 変わり果てた故郷の姿がそこにあった。

 

〈続く〉

 

〈エロエロンナ物語16〉

 

 本来なら、教会のバックヤードは聖職者しか入れない。

 そこは関係者の生活区画であり、また、秘技が行われる神聖な場所であるからだ。

 だけど、あたしはそれを無視した。緊急事態なんだから神様だって許してくれるだろうと信じて。

 

「シスター、ルイザ。何があったのです?」

 

 真っ先に、その部屋に飛び込んだのはマドカ。

 贋聖女の姿はない。そしてルイザは部屋の中央で気を失って倒れている。

 部屋の窓は開いており、風にカーテンが揺れていた。

 あ、窓がでっかいガラス窓だわ。凄い、小さいけど教会って高級建材を使えるのね。

 

「姫様。これは誘拐でしょうか?」

「まだ、そう結論するのは早いわ」

 

 そんな中「フローレちゃーん」と叫ぶのはワールだ。何と言うか、鬱陶しい。

 ルイザに駆け寄って介抱するのはレオナ。双子の姉妹だそうで、レオナの方が姉であるらしい。髪の長さ(レオナの方が長い)を除けば、姿はそっくりだ。

 

「聖女様はどうしたのですか?」

 

 ようやく意識を回復したルイザに対して、厳しい顔をしたマドカが問う。

 がくがく震えるルイザは、青い顔をマドカへ向けると口を開く。

 

「…消えたのです。あの男が…、聖女様を連れて行こうと…でも、聖女様は」

「【転移】魔法ですか?」

「違います。ああっ、聖女様が、聖女様がかき消えて!」

 

 恐怖と興奮の入り交じった回答。

 誰かがこの部屋に現れて聖女を連れ出そうとした。悲鳴を上げつつも、ルイザともみ合っているうち、突然、聖女が消失した。

 ルイザから何とか聞き出した話を総合するとこうなる。

 贋聖女は文字通り、影が薄くなるとドロドロに溶けて空間にかき消えたらしい。その光景を目にしたルイザは恐怖のあまり失神。

 気が付いたら、部屋へ侵入した男。いや、多分男だろうと思っただけで、性別も未確認なのだが、の姿は無く、介抱されていたとの話なのよ。

 

「表面から、バターの様にドロドロと溶けた…。怖いわね」

「でも、シミ一つ残ってませんよ」

 

 ニナの指摘通り、部屋にはそんな痕跡はない。

 割られたガラス窓。寝台や椅子等の乱暴に引き倒されたり、動かされた家具類はあっても、何かが溶けて作ったシミの類いは床には見当たらなかった。

 マドカが問うた様に【転移】の可能性もあったが、転移前に身体が崩れると言ったホラーな現象が起こるのは聞いた事がない。

 

「確か、イブリンは【転移】を使えなかった筈だし」

 

 その男とやらの事も気になる。

 マドカとレオナはまだ震えてるルイザから色々と聞き出そうとしているが、要領を得ない模様だ。一人、ワールだけが手持ち無沙汰で唸っている。

 

「なぁ、ここで何かやってるより、とっとと、その襲った奴を追っかけた方がいいんじゃねーか?」

「相手の特徴も判らないのに? 闇雲に探しても無駄よ」

 

 とマドカ。まぁ、それはそうね。だいぶ時間が経ってしまっているから、既に雑踏の中に紛れ込んでるわよ。

 

「小柄な男。いや、人物なのね?」

「は…はい」

「ルイザ。顔立ちは?」

 

 姉が誰何する。

 

「頭巾を被ってましたから詳しくは…。

 身長は私と同じ位でした。そう…そうだ。赤い長衣をまとっていました」

 

 そこまで話した時、「よし」との一言を残して立ち上がるワール。

 

「それだけ聞けば充分だ。俺はフローレちゃんと賊を探しに行くぜ」

 

 言い残して、開いている窓から身を躍らせる。脱兎の如く走って、あっという間に視界から消えてしまう。

 

「…あの莫迦は放っておいて良いでしょう。

 さて、レオナ。済まないけど応接間の用意を。エロコ様とニナ様。取りあえず、今後の事を話し合いませんか?」

 

 そう言い切るマドカの態度に、有無を言わさぬ物が混じる。

 贋聖女が居ない今、ここには用は無いから、とっとと退散したかったんだけどね。

 あたしは困惑しながらも、了承するしか無かった。

 

           ◆       ◆       ◆ 

 

 串焼きは庶民の食べ物だ。

 小さく切った肉や野菜を串刺しにして炭火で焼き上げる料理で、屋台や居酒屋のメニューであり、間違っても上級貴族の食卓に上がる様な代物ではない。

 もっとも、男爵以下の下級貴族になると話は別だ。体面から住居なんかはそれなりに贅を尽くすが、日々の生活は少し羽振りの良い庶民レベルで、大抵が割合質素である。だから、串焼きもお馴染みの料理となる。

 貴族だからと言って、全員が毎日豪勢に舞踏会を開いたり、金銀財宝を買い集めたり、酒池肉林の豪勢な飲み食いなんかは出来ないのだ。

 一応、中級貴族で子爵令嬢のユーリィだが、串焼きとは長い友達である。と言うか、お酒の友だ。別の屋台で買ったエール片手に串焼き屋を訪れる。

 

「ここの店が一番のお勧めだよ♪」

「はあ…」

 

 広場の一角にやって来たイブリン達は、そんな訳で子爵令嬢の太鼓判を押された串焼き屋へとやって来ていた。

 しかも、ちゃんとエロコ達が入った教会を視角へ収めている。ここら辺は抜け目がないのが、『闇』予備軍と言うべきか。

 

「おっちゃん、豚串と鳥串二つずつね♪」

「へい。まいだり」

 

 慣れているのだろう。ユーリィは子爵令嬢とは思えぬ気楽さで、串焼きを注文して行く。

 イブリンは警戒しつつ、周囲に目を配る。丁度、広場の一角で乱闘騒ぎを起こっており、それに注目せざる得なかったのだ。

 

「ん♪ どしたの?」

「いえ、女性が何やら因縁を付けられていますので」

 

 焼き上がった串を両手に持って、満面の笑みを浮かべるユーリイに対して、イブリンはそう指摘する。

 視線の先、ここから30m程離れた露店で如何にもやくざぽい男共が、小柄な女性の襟首を引っ立てて怒声を浴びせている。

 女は何か反論している風に見えたが、男共は問答無用とばかりに女の顔へ拳を突き入れる。そのまま、路上へと吹き飛ぶ姿を見たイブリンは、自然に駆け出していた。

 

「おやめなさい」

 

 思わず立ちふさがる聖女。

 ユーリィは「あちゃー」と顔に手を当てて呟くが、ほっとけないので串焼きを頬張ってから、もぐもぐ咀嚼しつつ現場へと向かう。

 

「そいつをかばい立てするのか!」

「そいつは店の品物を壊し、とんずらしようとした悪党だぞ」

 

 男二人が吼える。

 良く見ると、男達の店、まぁ、床に敷物を敷き、天幕を張っただけの露店だが、の商品はかなり乱雑に破壊されている。

 陶器中心なのが致命的で、皿や置物なんかは割れて使い物になりそうもない。

 

「でも暴力は、女性に手を上げるのはいけません」

「この野郎。お前も仲間かっ」

 

 イブリンに向かって手を振り上げる。しかし、その手をぐいっと捻る者が一人。

 

「はいはい、そこまで、そこまで。

 この喧嘩、ユーリィ・リリカ子爵令嬢が預かるよ♪」

「いててて、って子爵令嬢?」

「損害は市(いち)の責任者通して、リリカ子爵家へ請求書回してくれれば、対応するよ♪」

 

 にんまり笑うユーリィの顔が、悪鬼に見えるのは気のせいか。

 男共の顔から怒気が薄れて行く。イブリンはそれを無視して、地面へと投げ出された女性の介抱を優先していた。

 

「い、いやぁ、子爵家の手を煩わせる程では…、なっな」

「兄貴の言う通りでさ」

 

 ユーリィは少し考えるそぶりをして、それから懐から金袋を取り出す。

 

「ふーん…。でもそれじゃあ、リリカの名が廃る。損害額は銀貨50って所だね。でも、手持ちは20しかないけど…。足りない分はこれから市の事務へ行って…」

「いや、20で結構です」

「悪いね♪」

 

 金を受け取ると、そそくさと店を畳んで男達は去った。

 市の認可を受けてない無許可屋台だったかと目星を付けていたが、どうやら正解だったらしい。30儲けたが、先月、国から貰った士族昇格の支度金はこれでパァだ。

 ユーリィは視線をイブリンの方へ向ける。

 女の着ていた赤い長衣を脱がし、服も緩めて介抱しているのが目に入る。

 

「どう?」

「良くはありませんね。この方、殴られた影響だけでは無く、

 どうやら、元々病も患っていた様です」

 

 いつもは禁じ手だとされている、【癒やし】の聖句を唱えたからか、死にそうな顔色が生気を帯びた物へと徐々に変わって行く。

 小柄な身体は少女かと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 一見、顔から見た目は若々しく見えなくはないが、これは妖精族の種族的特徴に過ぎないのだろう。かさかさの肌の張りや艶色の具合などから、それなりの年齢を経た大人だと思われた。

 

「エロコ様とは別々になってしまいますが、とにかく、別の場所に運んだ方が良いですね。ここでは手当もろくに出来ません」

 

 イブリンの言葉をユーリィも認めざる得ない。

 エロコなら、あのニナとかに任せておけば大丈夫だとの見方もある。それよりも聖女の監視と護衛の方が優先事項だ。任務序列から言ってしまえば、だが。

 せめて交代要員を送ってくれ。との要求は却下されてるのがきつい。ローレルに「あたいは単なる学生だぞ」と抗議したが無駄だった。

 

「了解♪ どこへ運ぶ?」

「ここからですとエロイナー商会でしょうか。私、王都の場所って良く分からなくて、お医者様の所が良いんですけどね」

 

 法都育ちで、ずっと士官学校で生活していたから無理も無い。

 ユーリィは頭の中で地図を思い浮かべ、幾つか使えそうな場所をピックアップする。

 闇医者ベッケルの所が一番近いか。

 

「容体は安定してるね。なら、そっちを抱えて♪」

「はい」

 

 肩に手を回して二人がかりで運ぶ。

 本当はユーリィだけでも大丈夫なのだが、このお嬢さんを自由にさせたらどこへ行くか気が気じゃない。患者運びに拘束しておこうとの配慮である。

 よっこらせと歩き出したユーリィら三人を、影から見張っている人物が尾行していたのを、イブリンは気が付いていなかった。

 

           ◆       ◆       ◆ 

 

 マドカがあたし達に語る話とは、要は口止めの事だった。

 それと自己紹介以上の突っ込んだ話、あたしの身分とか何者かに関してね、を問われて話したわ。勿論、馬鹿正直に全ては明かさなかったけど。

 同時にマドカやら、ワールやらの過去話を聞いたのもこの場ね。

 双子の神官、レオナとルイザの話なんかも聞けた。この教会に元から勤めていた神官で、初歩的な聖句魔法(六級相当)を使える、若いけどなかなか優秀な子達らしい。

 教団の経営する孤児院の出だそうで、その関係から神官になってずっと務めていたけど、いよいよ借金で首が回らなくなっていた所に、マドカらが現れて救ってくれた為、そのマドカを教会主へ推した本人達でもあるわ。

 

「ではエロコさんは士族でいらっしゃるのですね」

「なったばかりで、荘園とかも所有してませんけど」

 

 はったりでも、エルダでは身分ってのは武器だ。

 ヒトの価値は身分のみに非ずってのは解っているわ。でも世の中は封建制が基本なのだから、階級はヒトの価値の上下を決める物差しの一つとして使われてしまう。

 平民と貴族階級の間には、厳然とした差が生ずる。それが今の世の中の常識だ。

 

「聖女様消失の話、出来れば世間に広げない様にお願いしたいのですが…」

「それは出来かねます。無闇に口外は致しませんが、必要ならば、然るべき方々へ報告する義務があります。軍人ですので」

 

 この身分秩序から、やや外れるのが神職ね。

 無論、平民よりは偉い。俗的世界の身分に換算すれば、司祭ならば下級貴族。司教で中級貴族。幹部級の枢機卿クラスで上級貴族とほぼ同等と見られている。

 つまり、司祭の権威で、士族であるあたしに対して口止めしようとするのは駄目って話になる。ほぼ、身分が対等だからね。

 だから、はっきりと断りを入れたわ。

 もし、あたしが士族令嬢と言う限りなく平民に近い身分だったなら、このままマドカに押し切られて、「口外するな」との約束を一方的に押しつけられてたかも知れない。

 良いタイミングで士族身分を手に入れたわよね。国王に感謝。

 

「ですが、協力は致しましょう。

 この不可解な事件を解決したいと個人的には思っておりますので」

 

 とも付け加える。

 これは本音だし、向こうに不安材料を与えて敵対はしたくないからね。

 

「有難うございます」

「では、そろそろ退出しても宜しいですか。別所に知り合いを待たせてありますので」

 

 イブリンが心配で、余り長居はしたくないのが本音。

 

「奴らのアジトを発見したぜ!」

 

 勢い込んでやって来るのは自称、義賊。

 

「奴らって、ルイザを襲った賊の事?

 仲間が居たの」

「ああ。尾行して奴らの入った建物を確かめた。ここは踏み込んで一網打尽だぜ」

 

 言うなり部屋の一角から荷物を引き出して、クロスボウだの長剣だのと、かなり危なそうな武装を整えて行く。

 あー、何か解ったら連絡頂戴ね。とばかりに「では、いずれ報告をお願いします」と言い残して、あたしとニナは退出。

 

「姫様、良いのですか?」

「これ以上、関わり合いになるのは御免よ。それに贋聖女に関しては『闇』が、多分動くと思うから、そっちの方の報告を頼りにしましょ」

 

 とニナに答える。クエスターの力を侮る訳じゃ無いけどね。

 とにかく今は正真正銘の聖女様との合流の方が先だけど、教会の出口には見当たらないわね。

 

「その娘達なら、クロンフト通りの方へ歩いて行ったよ」

「有難うございます」

 

 ニナが情報を集めてきたけど、何かいざこざがあったらしいわね。

 

「クロンフト通りはエロイナー商会方面だわ。一旦、商会へ戻ったのかしら」

「恐らくそうでしょう。あれ、姫様、先程の義賊小僧達ですよ」

 

 物々しく武装したワール達が、小走りで駆けて行く。

 これから出入りなのか、お疲れ様。

 

「ここに居ても仕方ないわね。では、我々も戻りましょうか」

「はい、姫様」

 

 ちゃっと眼鏡の位置を直すと、あたし達は歩み出した。

 ここからエロイナー商会まではほんの数分。一旦、街路を幾つか変更して高級住宅地を通り抜けて行く方が近い。

 都市にしては広い間取りの敷地に、ゴージャスだけど瀟洒な建物群。大半が貴族が王都に用意したタウンハウスだ。が並んでいる。

 いつかこんな屋敷を構えてみたいわね。かなり煩いけど…。

 ん、煩い?

 

「何の音?」

「剣戟の音に聞こえますが…」

 

 チャンチャンと剣同士がつばぜり合いをする音だ。

 ある屋敷の一角、その庭で二人の人影が剣で渡り合っているのが見えた。

 長剣を細剣で華麗に受け流し、長い金髪を優雅に揺らしながら、余裕の表情で舌舐めずりする女性。

 

「くっそお、強ええ!」

 

 相手はワール。そしてその相手は…。

 

「や、エロコとニナじゃん♪」

 

 ユーリィ・リリカ。学友だった。

 え、どうして、何でこの二人が剣を交えてる訳?

 あたしは頭の中が真っ白になったわ。

 

〈続く〉   




次回は〈実習航海編3〉の予定。

交互に別の話を書いてるのは、一つに集中すると詰まってしまう事か多いので気分転換を兼ねてです。
自分だけかも知れませんが、「あー、筆が進まない」となった時、全く別の話題を文章にしてれば、気分が一新されてその内書ける様になるんですね。
ただ、時として二つとも筆が進まなくなる事態に陥ったりもします(笑)。

次の更新は一週間後を予定してます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女4

偽りの聖女編、長くなりそうです。
南海で暴れてるビッチ達と合流するのが遠のきそうな…(笑)。


〈閑話〉ウサ耳村3

 

 建物は殆ど焼け落ちている。

 埠頭に並ぶゴムの倉庫は黒煙を上げて燃え続けていたし、人々の憩いの場であった広場も夥しい血が流れ、死体があちこちに転がっている。

 数少ない商店は掠奪の跡が痛々しい。村は死んでいた。

 

「密林の奥に逃げ込んだ連中が見つかったよ」

「えっ」

「数は数人。老人と子供だけだけどね。それ以外は死ぬか、連れ去られたらしいね」

 

 セドナの言葉にニナは驚いた。

 たった数人。それでも無事な者が居たのだ。

 

「会わせてくれ」

「いいとも、こっちさ」

 

 セドナは歩き出した。船を降りて村へと足を向ける。

 燻り、白煙が立ちこめた村の埠頭を抜けると、大きな天幕が張られているが見えた。

 天幕には見覚えが無いので、この私掠船の連中の備品だろう。

 

「婆様っ!」

 

 天幕の中に見知った姿を見つけたニナは駆け寄る。他に小さい子供が数名。その内、半分が幼児であった。

 

「おお、ニナ。ニナかえ」

「よく無事で…」

 

 襲撃を逃れたのは婆様が保護していた幼子だけであった。

 それを知ってニナはぐっと唇を噛む。鉄の味が口全体に広がって行く。

 

「さて、あたし達は海賊船を追うけど、あんたらはどうするね?」

「隣村へ身を寄せるかしかないの。村の皆が帰ってくれば再びここへ住む事も叶うのじゃろうが」

「途中まで送ろう。明日朝出港予定だから、それまでに身支度を調えておくれ」

「セドナ、済まないねぇ」

「何の、あたしとマーヤーの仲だ。遠慮は不要さ。この娘もあんたに預けとく」

 

 そう言いつつ、ニナを置いてセドナは去った。

 ニナが「マーヤー?」と尋ねると婆様はカラカラ笑って、「あたしの名だよ」と答える。そして、あの私掠船長セドナと一緒に暴れていた頃があったのだ。と教えてくれた。

 

「さて…身支度を調えなくてはのぅ。ニナも付いておいで」

 

 婆様は身を起こし、残った幼児をを子供達に託すと元の家、子育ての為の共同住居へと向かう。

 幸い、家は無事で掠奪の手も入っていない様子だった。ごそごそと身の回りの品を集めて、一カ所に纏める。

 その中に古いカトラス(船刀)をニナは見つけた。婆様が現役だった頃に使っていた武器であった。

 

「どうしたのかえ?」

 

 刀を手に動きを停めてしまったニナに、何か想い詰めていると感じた婆様は問うた。

 

「婆様。ニナは皆の仇を討って、そして皆の身柄を奪還したい」

「本気の様…じゃな」

 

 やれやれと首を振る老婆。しかし、その意志が固い事は分かる。

 何十年も前、自分もかつてそうだった。

 

「良かろう。しかし、戦士になるのであればそれなりの支度が必要になる。ニナはまだ成人の儀すら上げておらんからの」

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語17〉

 

 華麗な剣裁きと無骨で直線的な叩き合い。

 力でねじ伏せようとするワールのブロードソード(長剣)。対してユーリィ様のレイピア(細剣)はそれを受け流す形だわ。

 

「良い剣筋してるね♪」

 

 ワールを褒めるユーリィ様。余裕って感じでひょいと避けて、逆に素早い突きを入れる。

 ぶっと剣先がワールの手首を突いた。たまらず剣を落とすワール。

 

「でも動きが単調だな。これで終わりだよ♪」

「ストープっ!」

 

 そのままトドメを刺そうとするユーリィ様に、制止の声をあたしは上げた。

 だって、あれ、顔は笑ってるけど本気で殺す目だもの。

 

「ワールも謝りなさい。勝てる相手じゃ無いわよ」

 

 だって、あたし達士官候補生の中でも本気で剣技教官と渡り合えるなんて、彼女しかいないのよ。教官曰く、「ありゃ、何処かで本当に『死合』をしてやがる。数多の実戦を経験してきた剣筋だ」と評価されてる位なんだから。

 多分、子爵家の裏家業で何人も手に掛けてるのだと思う。

 

「畜生。どうとでもしやがれ」

「うーん、したいのは山々なんだけどな♪

 エロコの頼みとあっちゃ、単に骸にする訳にも行かないからね」

 

 と答えてるけど、彼女の剣は抜き身のままだ。つまり、一旦は引いたけど、あくまで一時停止状態。いつでも再開可能な様に警戒は解いてないのね。

 

「で、エロコはこいつらとどんな関係? 場合によっちゃ、許してやらなくも無いよ♪」

「一寸した知り合いです。こいつらと言う事は、他に神官達がいたんですね?」

「誘拐犯の仲間が…」

「死にたいんだね♪ 事情は君でなくても聞けるからなぁ」

 

 わーっ、本気のユーリィ様を怒らしては駄目だってば!

 ぐさって心臓を貫いてから、「ごめん。生意気だから、つい手が滑っちゃった♪」とか、テヘペロっとやりかねないわよ。

 あたしはニナに命じて、ワールを縄で拘束させたわ。そして改めて、この屋敷の敷地へと足を踏み入れる。

 誰のお屋敷なんだろう。ユーリィ様の実家、リリカ子爵家のタウンハウスかしら?

 

「知り合いの屋敷だよ。ああ、そいつの連れなら拘束してる♪」

「エロコ様」

 

 そう説明してくれるのと、屋敷の中からイブリンが姿を現すのがほぼ同時だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ここはゲルハン邸。西部領域を領地とするベッケル・ゲルハン男爵のタウンハウスよ。

 明褐色の煉瓦造り。二百年程前のルネサンス期に復興された耐火煉瓦だ。を使っているのでやや野暮ったいが、こぢんまりとして瀟洒な三階建ての建物だ。

 回廊に囲まれた大きな中庭。噴水なんかもあって花が沢山咲いている。

 でも、ユーリィ様曰く「あ、それにみだりに触らない様にね。薬草と言うか、毒草が混じってるから」だそうで、慌てて手を引っ込めたわ。

 ゲルハン男爵。そっち(裏家業)方面の関係者なのかしら?

 

「どうも…、当主のベッケル・ゲルハンだ」

 

 そう自己紹介する男性。短い紺色の髪。灰色の服を着た背が低い紳士。大きな丸眼鏡を掛けていて神経質そうな顔立ちね。が、室内から現れて、あたし達に席を勧める。

 テラスに備わったテーブル席。こんな時じゃなかったら、午後のお茶を楽しむ雰囲気だわね。

 ここのお屋敷の侍女さん達が影の様にすぅっと現れて、茶器を用意してくれる。でも、始終無言なのね。動きもなんだか機械的というか、人間らしさがないし。

 そう言えば、拘束されたワールもこの侍女達に何処かへ連行されてたわね。どこへ行ったんだろう?

 ここからは姿を確認出来ないけど。

 

「で、ユーリィ。この方々ではない先のお客さんだが、おっと、この方々に話して良いのかね?」

「構わないよ。『聖女』事件の関係者、いや当事者だから♪」

「王妃様が仰ってたあれか。なら、構わないだろう」

 

 この人も『闇』関係者か。

 お茶を淹れてくれる音に耳を傾けながら、あたしは次の言葉を待つ。

 

「ユーリィが連れてきた女。あれは錬金術師『ベラドンナ』だ」

「ベラドンナですって!」

 

 それに反応してしまったのはあたし。

 ニナ以下、みんなが驚いてあたしを注目する。でも、仕方ないのよ、ベラドンナと言えば錬金術師の中でも大物なんだから!

 あたしが知ったのもついこの前だけど、錬金術の教科書にも出てくる有名人よ。

 

「それって有名人なのですか?

 私にとっては、弱った女性の方でしかありませんでしたけど」

「んー、そりゃ、あたいも同じだねぇ。そんな大物だったんだ♪」

 

 イブリンとユーリィ様が答える。どう言う事なのかと尋ねると、彼女らはここへ運び込んだ経緯を説明してくれた。

 こちらも教会での出来事を伝え、情報交換を行う。

 

「赤い服を着た奴か。確かに赤い長衣を着てたなぁ♪」

「多分、それが原因でワール達が殴り込んだ事に繋がりますね」

「…話を続けるが、いいかね?」

 

 男爵は錬金術師ベラドンナについて解説してくれる。

 かつて天才錬金術師として名が通っていた女性である。たが、約半世紀前に行方知れずになってしまい、その消息はぷっつりと途切れてしまった事。

 古代文明の遺跡へ向かい、恐らく、凶悪な古代の罠にでもかかって死亡したのではとも、人生に失望して失踪し、自ら命を絶ったとも諸説あるんだけどね。

 

「失踪前に娘を亡くしたのが原因だと言われているが、詳しい事は分からない」

「このベッケルは錬金術師オタクなんだ♪」

「失敬な。私は現役の錬金術師だ。ったく、兄上に似て口が悪い」

 

 ああ、とさっきの薬草群の事を納得。錬金術師なら、様々な素材を育てていても不思議じゃ無いわね。専門は何かで変わってくるけど。

 にしてもユーリィ様のお兄様と知り合いなのか。昔尋ねてみたけど「立派だけど、とってもおっかない兄ちゃん♪」としか、ユーリィ様は答えてくれなかった記憶が。

 リリカ子爵家の現当主だっけ?

 

「で、ベラドンナの状態は?」

「容体は安定しました。薬草と聖句の併用で…。でも基礎体力がなさそうですね。何かの病も患ってますから、これは一時的な処置に過ぎません」

 

 イブリンが返答する。

 

「意識も無い。だから尋問も出来んよ。それより、先の闖入者の始末をどう付ける?」

「ワール。それとマドカという聖職者が居た筈ですが」

「姫様。それとレオナとルイザです」

 

 ある意味、貴族の邸宅は平民にとって治外法権だわ。

 貴族同士なら国法が適用されるが、それ以外ならその貴族の領地での法が優先される。

 これは屋敷の敷地自体を、その貴族が治める地方領と同等の権利を持った土地として国が認めているせいよ。

 と言っても、「俺の領地では奴隷法が合法だから、奴隷をこき使う」とか大幅に国法に背く政策は取れないのだけど、まぁ、それは置いておいて、裁判権や司法権なんかも、その領地が管理する事となるの。王国は地方自治が基本だからね。

 極端な話、犯罪者が貴族の邸宅に逃げ込んだら警備隊等の普通の官憲では手出しが出来ないわ。それを追い詰めるには軍や王法を持つ特別な部署のお出ましを願う事になるのだけど、今の場合、ゲルハン邸に侵入したワール達を館の主人は領内の法で勝手に処罰して良いって事になる。

 ゲルハン男爵領の法がどうなっているのかは知らないけどね。

 

「男爵。出来れば寛大なご処置を。

 多分、誤解による行き違いかと思われますので」

 

 あたしはそう願い出た。

 男爵は無表情であたしを見ると、「君が責任を負うのかね。士族エロコ・ルローラ?」と返して来た。それに対してあたしは頷く。

 

「とにかく、一度話し合ってみます。誤解が解ければ、彼らもあたし達に協力してくれると思います」

「許可しよう。だが、拘束を解くのは保留だ。司祭の方はまだしも、あの盗賊は何をしでかすのか、予測不能だからな」

 

 そうしてあたしは許可を得て、マドカ達とご対面。

 相手は牢屋の中だけどね。抜き身の武器を持って貴族の館に侵入したのだから、そりゃ捕まるわよね。

 ユーリィ様曰く、「神職達はそれなりに強かったよ♪」だそうで、当て身で無力化するのに苦労したらしい。神官を殺しちゃうと後が厄介だからね。

 もっとも、ユーリィ様はワールの尾行を感づいていたらしくて、迎撃準備を万端整えていた所に突入してしまったのよね。「奇襲だったら危なかったかも知れない」と語っていたわ。にしても、ここの侍女さん達の戦闘能力って高いのね。

 

「と言う事なの」

 

 一応、あたしの説明は終わったわ。その上で「これからどうします?」って尋ねたわ。

 犯罪者の烙印を押されるのは嫌でしょうからね。

 

「事情は分かりました。私達の無法をお詫び致します」

 

 マドカが男爵に跪く。後ろのレオナとルイザもそれに従うが、ワールはそっぽを向いているのにマドカが気が付くと、頭をぶん殴って「あんたもよ」と命令する。

 

「どうも、そちらの男は反省の色が見えないが」

「貴族なんて信用するな」

「ほう」

 

 反発するワールに、ゲルハン男爵は「くくく」と短く笑う。そして「その女達を解放しなさい。だが、その男は駄目だ」と配下に命じたわ。

 で、一人牢獄の人となるワール。そのまま放置よ。ま、一応、牢番の人が残ったらぼっちじゃ無いけど、あたし達は地下の牢獄から、上の応接間へと移ったからね。

 マドカは男爵へ「殺すのですか?」と尋ねたけど、男爵は首を振って「それじゃ楽しくない。彼には暫く滞在して貰おう」とだけ言ったのよね。でも…余り楽しくなさそうな将来が待ってそうな気がする。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「さて、消えた聖女の話だが…思い当たる節はある」

 

 上に一同が揃った事で、ゲルハン男爵が口を開いたわ。

 

「晩年の、いや、生きていたのだからこの言い方は語弊があるな、失踪前にベラドンナが行っていた研究主題は、ホムンクルス(人工生命)だった」

「え、あれってまだ行ってる者が居たんですか?」

 

 あたしは声を上げた。人工的に生命体を造り上げる神を冒涜する禁断の技。

 王国よりも、帝国方面で盛んに研究されているのだが、余り表立った成果は上げられていないので、最近では研究者はめっきり減っている。

 どっちかと言えば、傍流である遺伝の成り立ちを家畜の改良に応用した方が、成果を上げつつある。ミルクを多く出す新種の牛とか、多産の鶏とかね。

 

「私もその一人だよ。エロコ君」

「いや、ベッケルはどっちかと言えば闇医者だろ♪」

「それは余技だ。続けるが良いかな」

 

 突っ込みを退けると、彼はこほんと軽く咳をして一同を見渡す。

 たまらずにマドカが挙手をした。

 

「つまり、私達が見て、関わった聖女様は贋者で、それがホムンクルスであったと?」

「マドカ君だったかな。私はそう推測している」

「でも、それでは溶けた原因は…」

 

 これはレオナ。この中で唯一、聖女消失を目撃した者よ。

 

「寿命だろうな。ホムンクルスは短命だ。私の知る限り、最長記録は五年だったが、大抵はもっと短い」

「贋聖女は聖女の記憶も持っており、行動にも不自然さは無かった気がします。これはホムンクルスでも可能なのですか?」

 

 次の質問者はイブリン。メイドカチューシャから紗の薄布を垂らして顔を覆っているのは、マドカ達に顔を見られない為ね。

 

「記憶を植え付けられる操作は可能だ。と言うか、ホムンクルスを使える様にするには基本動作を与えてやらないと役に立たない」

 

 つまり、生まれたばかりの赤子ならともかく、大人として生まれる身体が、立てない、歩けない、口も利けないでは困るから、予めその基本動作をインストールするのだと言う。やり方は秘伝との話なので聞けなかったんだけどね。 

 それと同様に、記憶に当たる物を与える事も可能だそうだ。だが、こちらの成功率は芳しくないらしい。

 

「そう、記憶というのは高度な物らしくてな。失敗例ばかりが続いて、いつしか省みられなくなったが…。

 或いはベラドンナなら何等かのブレークスルーを発見したのかも知れん」

「贋聖女事件は、法国の教団本部へ報告すべきか否か、ですが、どう思われますか?」

 

 続けてイブリンは問う。これは男爵のみならず、場に居る全員への問いなのだろう。

 

「私は報告はしない方が良いと感じます」

「理由は? 司祭マドカ」

「恐らく、この事件には教団本部の内部対立が軸になった陰謀の一部である。と思われるからです」

「つまり、下手に藪を突いて蛇を出すかも知れないと、司祭様はお考えなのですね」

 

 レオナの問いにマドカは頷いた。続いてルイザが「中央の政争に巻き込まれるのは御免です」と意思表明をする。

 神官達の意見はまとまった様だ。イブリンは「他の方の意見は?」と言うが、むろん、あたし達だってこれを法国に伝える気は無い。面倒だもん。

 

「国際問題って面倒ですから、ここは報告は無しって話で」

「同じく♪」

「私は姫様の侍女ですから、意見は控えさせて頂きます」

 

 ほらね。

 

「だが、この事件はグラン王国としても機密問題である。諸君はそれを理解しているかな?

 関わってしまった以上、君達は機密を共有する者として、国家に協力し、その為に働いて貰う事になる」

 

 突然、横合いからそんな言葉が浴びせられた。

 あ、この声…、聞き覚えがある。

 

「ローレル♪」

「君か、ローレル殿」

 

 ユーリィ様とゲルハン男爵が口を揃える。

 そう、現れたのは騎士の姿をした青年。

 王立諜報部隊『闇』に所属する高官と思われる男、ローレルだった。

 

〈続く〉




ワール君は暫くお休みです。
まぁ、その内現れると思いますけど。

次の更新は一週間後位になると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、サッキュバス

今回は番外編です。
時系列的に現時点の『エロエロンナ物語』よりも、かなり未来のお話になります。


〈閑話〉サッキュバス

 

 ここは娼館の裏庭。

 昼前の穏やかな日、お母さん達は寝ている。

 あたし達子供は余り声を立てない様に、幾つか用意された遊具で遊ぶ。

 だって、お母さん達は仕事明けで眠いと思うからね。

 ブランコは楽しいけど、大声できゃっきゃっと笑いたいなぁ。

 

 あたしは淫魔、サッキュバスと言う魔族だから、近所の子供と接触させて貰えないって言うんだ。

 何でも【魅了】て魔法を本能的に持ってるから、それを上手くコントロールしないといけないらしいのよ。

 

 うん、サッキュバスは淫魔。だから生きて行く為の糧として殿方のエキスが必要。

 小さい頃はお母さんから分けて貰うんだけど、あたし位の年頃になったら、自力で補給する術を学ぶわ。 

 その手段が【魅了】ね。お母さんの助手として殿方相手に練習してるけど、加減が上手く行かないのが悩みだなぁ。強すぎて、このまま本番に突入しちゃう所だったし、まだ、9歳で処女は散らしたくないから焦ったわ。

 お口か尻尾で受けてエキスを啜るのだけど、恥丘目掛けてあれが突っ込んでくるんだもん。お母さんがとっさに庇ってくれて何とか回避したけど、これって加減が難しい。

 上のお口でエキスを吸精するのは本当は効率が悪くて、下のお口を用いた方が何倍も吸精効率が良いらしいんだけど、まだ未熟だからと10歳を超えないと許可されない。でも、事故で処女喪失しちゃうサッキュバスの娘もいるのも分かるわ。

 

 勘違いする人も多いけど、サッキュバスは魔族であって悪魔じゃ無いのよ。

 魔族と言うのは、ある時、魔界って所からやって来た種族。つまり、生き物ね。ヒトよりも優れた能力を持っているけど、生き物だから殺されたら死んじゃう。

 対して悪魔ってのは、生物とは違う上位の存在。

 この世界に仮初めの身体を持って現れるけど、倒されても滅びる事は無い。仮初めの身体が滅んで世界に干渉出来なくなるだけ。

 精神を同時に滅ぼさない限り、幾ら倒しても時と共に再生しちゃう。

 でも、再生には百年単位の時間が掛かるらしいから、取りあえず倒せば、妖精族でも無い限り、一生再会する事は無いんでしょうけどね。

 

 魔族にも色々な種があって、サッキュバスは中位魔族から下位魔族に相当するのね。両性具有種で、女性型だけど自分の意志で股間に逸物を生やす事が出来るわ。

 この形態をインキュバスって呼ぶ事もあるけど、それって間違いだからね。

 見た目は普通の女性よ。種族特性として美人が多いと言われてるけどね。身体もヒトと違う所を上げれば、尻尾がある位かな。

 大半を占めるのがコモン種。こっちが下位魔族。

 そしてロイヤル種と呼ばれる上級種が存在するわ。

 ロイヤル種は背中に出し入れ自由なコウモリ風の羽が生えていて空を飛べる。一寸羨ましい。でも、あんまり速くないらしい(あたし、実物見た事ないの)。

 でも、一番の違いはロイヤル種は自分の身体で子孫を孕める事ね。コモン種はロイヤル種が作り出す、蜂や蟻に例えれば働き蜂か蟻みたいな者で、自分の胎内に精を受けても妊娠出来ない。出来るのは吸精だけ。

 そうして吸精された殿方のエキスはサッキュバスの胎内で精製されて、より濃縮された生命力の満ちたエキスとして再生されるわ。そうしてコモン種が集めたそのエキスをロイヤル種が摂取する。働き蜂が集めた花粉を女王蜂が頂く様にね。

 中にはコモン種を何十人も接合して、特別に濃厚なエキスを作る事もあったらしいわね。射精、吸精、精製、射精を繰り返して最終的に作り出されたエキスは、硬いゼリー並みの粘度を持ち、黄色を通り越して黄金色に輝いていたそうよ。

 

 こう言ったロイヤル種の下にコモン種が隷属する、女王国家にも似た体勢が古代王朝期まで続いたのだけど、ある日、それが潰えたのよ。

 テラ・アキツシマ。古代王国の英雄が「基幹艦隊と同じく頭を潰せば、烏合の衆じゃん」と次々とロイヤル種を狙い撃ちにして、サッキュバスの組織が崩壊したの。

 テラが女傑なのも悪かったわね。一部の特殊な性癖を除いて、あたし達の【魅了】は女性には通用しないのよ。

 こうしてロイヤル種は殆ど居なくなってしまった。このまま、サッキュバスは滅亡すると思われたし、事実、滅亡寸前まで数が減ったの。

 コモン種の寿命は短く、せいぜい人間の倍程度だからね。

 

 でも、あたし達は諦めなかった。自分達が孕めないのなら、他種族に代理出産しても貰おうと考えた一派が登場したの。両性具有なら可能じゃ無いかってね。

 そして、その試みは成功したわ。

 但し、出産確率はとてつもなく低かった。しかも、ただセックスしただけでは駄目で、互いに相思相愛じゃ無いと生まれないって条件が付いたわ。そして、生まれたのもコモン種ばかりだった。

 それでも種族滅亡は回避出来た。あたし達は徐々に数を増やして行くけど、かつての王朝時代の栄光は取り戻せなかった。

 リーダーたるロイヤル種が存在せず、昔みたいな組織化が出来なかったのよ。

 サッキュバスは個人で、或いは数人で世界中に散り、細々と活動を続けしかなかったわ。

 

 ここまでが『サッキュバス史』の予習ね。

 学校の勉強って楽しい。あたし達には娼館に併設された公立の学校があるんだ。学ぶのはみんなサッキュバス。

 世間で生きて行ける様に世の中の事とか、これから公職に就く為の勉強も習ってるわ。

 ここの領主がサッキュバスを保護してかなり経つ。

 迫害された我が種族を保護するってのが名目だけど、自分の糧を自分で稼ぐ為、公娼制度を取り入れて、暫くしてから公務員としての仕事に追加がなされたの。

 それは「あれ? もしかして彼女たち間者として優秀なんじゃね」と気が付いた事。だから枕事で情報を収集する、娼婦兼スパイとしての教育も行われてるのよ。

 高級娼婦として礼儀作法や知識を叩き込まれたり、武器の扱い方、毒薬の知識なんかもね。無論、世間一般に知られてないわよ。

 まだまだ、サッキュバスって偏見の目で見られてしまうからね。

 

 13歳から公職、最初は公娼として15年務めれば予備役になる。予備役になったら自由に職業が選べる。いざと言う時に動員されちゃう条件付きだけど、それでも本当にやってみたい職に憧れるのよね。

 唯一の不満は、この街から出られないとかしら?

 ここは領主様が特別にサッキュバスに市民権を与えてるから、市民としての権利が保障されてるけど、領地の外に出たら、魔物として狩られてしまう。

 サッキュバスを魔族では無く、害獣の魔物であるとしている土地は多いわ。だから、殺されても文句一つ言えないのよね。

 大抵のサッキュバスはヒトを搾り尽くして、殺めたりする事は無いのになぁ。

 大勢を【魅了】して村中の男を一晩で枯死させて行く、凶悪なイメージは余程の田舎者じゃ無い限りはやらないわ。ヒトと共生しないと生きていけないんだから。

 

 あたしは庭の向こうに見える海を眺めながら、ブランコを漕ぐ足に一層力を入れたわ。

 いつか、船に乗って外国へ行ってみたいなと夢見ながら。

 

〈FIN〉




単独話。
いや、気分転換に書いてたら出来てしまった。
題材が題材だけに、ちょいとエッチです。

露骨な性描写は入れてないので、ぎりぎりR15の筈。
敢えてサッキュバス少女の名は入れてません。

改訂
エルダ世界の成人年齢を考慮して、15歳→13歳へ年齢変更。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女5

お待たせしました。偽りの聖女編をお届けします。

更新が不定期になりそうです。
なるべく一週間に1回。最悪、二週間に1回を保ちたく思います。



〈閑話〉ウサ耳村4

 

 成人の儀。

 それはウサ耳族に伝わる一人前になった印である。

 元々は戦人として一人前の戦士になった事を示す為の物で、戦装束に身を固めて武器を携える事で、幼少時の姿を捨て去る事にあり、大人に庇護される存在から、自前で生きて行ける証として身なりを整えるのだ。

 ニナへ婆様はボディスーツ状の衣装、バニースーツを着せた。

 これは他種族からはウサ耳族の民族衣装と言われているが、元々は戦装束だ。森や密林に生きる彼女らにとって、身の軽さを旨とする為の、そして女性が圧倒的に多いウォーリアバニーにとって他種族を悩殺する為に考案されたと言われている。

 耐久性と伸縮性を兼ね備えた魔糸で織られており、手触りや着心地も良く、しなやかで動きを妨げない。

 

「え、これは?」

 

 着た途端、明らかにぶかぶかだったスーツが、ニナの身体に合わせてジャストフィットしたのに驚く。最初からあつらえた様にぴったりだ。

 婆様は微笑んで「ふむ、正常に作動しているようじゃ」と満足そうに頷いた

 

「マジックアイテム?」

「そうじゃ。大抵のバニースーツには魔法防御力が付与されておるが、こいつは特別での。昔、傭兵をしていた時に手に入れた古代王国期の秘宝じゃ」

 

 元々バニースーツを考案した者は、女傑テラだった。

 ウォーリアバニーを目にしたテラが「折角、ウサ耳あるのにバニーガールじゃないなんて」と呟き、それは何だと言う話になって、テラの故郷に存在していたバニースーツが紹介され、広まったという伝承がある。

 テラに心酔していたウサ耳族がバニースーツなる服を聞き出し、勝手に制作して着出したという説もあるのだが、まぁ、それはさて置いて、それから五千年。バニースーツはウォーリアバニー一族の象徴的なシンボルと化している。

 

「そんな凄い物を」

「何、既に婆が着るには過ぎた代物よ。じゃが、婆とてそのスーツの本当の力を引く出すには至らなかった。ニナ、お主にそれを託す」

 

 古代王国期に作られたバニースーツは、今の物とは段違いに高性能である。

 バニースーツに限らず、服飾系アイテム全体がそうなのだが、今より魔法が遙かに発達していた時代であるので、今のスーツは高級品でもせいぜい防御魔法が付与してあるだけだが、先程の着る者に会わせて自動的にサイズが変化する能力の他、自動的に汚れが落ちたり、寒暖差を感じさせず、常に一定の温度を保つ機能などが施術されている。

 婆様曰く、「他にも色々な機能が搭載されている様じゃが、皆目見当が付かない」との話だった。

 ちなみに婆様も長衣の下にバニースーツを着ているが、これは現代製の安物であるそうだ。安物と言っても、この秘宝に比べての話なのだろうが…。

 

「いずれ、誰か後継者に譲らないとと思っておったが、ニナとはのう。」

「その言い方は…」

「まぁ怒るな。さて、武器の授与じゃ」

 

 ふくれるニナを押し留め、成人の儀で最も大切なブロセスに移る。

 老女は服とは反対に、今度は新品で使い込まれていない刀をタンスの奥から取り出し、刀身を抜いてニナへ向ける。

 

「しゃがむのじゃ。武器の授与を行う」

 

 膝を突いて頭を垂れる若いウサ耳族の肩へ、刀を寝かしてその刀身を載せる。

 なちみに刀が新品なのは、武器は己の力の象徴としての物であり、自分の実力で買い換えて揃えて行けとの話になっているからだ。

 最初がとんでもない安物である事も珍しくは無いが、この刀は市販品だが、あまり質は悪くなさそうである。

 

「ニナよ。汝に真名を与える」

「我が名はニナ。マルート族のウェーリアバニーなり!」

「ニナよ。汝に我がヘイワースの姓を与え、成人の証としてバニースーツと武器を与える」

「了承した。ニナ・ヘイワース。今日より成人として部族に名を連ねる」

 

 ニナはすっと立ち上がり、婆様から差し出された刀を鞘に収める。

 真名を与える事は儀式を行う者の特権だ。これは普段は名乗らず、特別な時のみに名乗る名であり、本来の目的は呪殺避けとも言われるが、定かでは無い。

 言えるのは、真名を知る者は親しい者、両親や兄弟に限られる。しかし、両親も定かではないニナは、婆様の真名、ヘイワースを継承した事となったのだった。

 これで儀式は終了した。以後、大人となったニナは子供達が共同生活する、この館へ戻る事は無い。

 

「住み慣れた館を離れるのは、さみしくは無いかの?」

「もう決めた事。ニナはこれから戦士となる!」

 

 やがて、荷物を纏めた二人は館を去る。

 出港が間近に迫っていた。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語18〉

 

 ローレルの登場は唐突だったけど、あたしの中では想定はされていたわ。

 何せ相手は『闇』ですものね。

 いつ何処に出現してもおかしくないわよ。

 彼は自分の立場や、今までの経緯説明(でもイブリンの事は内密)をした後に、グラン王国の国民としてマドカ達に協力を要請したわ。

 彼女たちは些か迷っていたけど、それでも了承した。でも、絶対に言外の圧力を感じ取っていたわよね。あれは…。

 

「さて、先程聞いた錬金術師の話ですが…」

 

 じろりと男爵を睨むローレル。

 「む?」と、ゲルハン男爵は訝しげに彼を見返す。

 

「何故、貴方はその女がベラドンナであると断定なされたのです」

「…昔、と言ってもかなり前だが、小生は彼女に直接、会った事があるからだ」

 

 あれ、錬金術師ベラドンナって、確か半世紀も前に行方知れずになっていたんじゃ無かった?

 

「成る程。そう言えば男爵も妖精貴族(エルフィンノーブル)の一人でしたね。

 その出会いを教えて貰いたい物です」

 

 妖精貴族とは文字通り、エルフ族の貴族よ。

 まぁ、俗界の政治や社会に興味を持つエルフ自体がそんなに居ないから、元々数は多くは無かったんだけど、それでも国に対して功績を挙げた者は叙勲された訳。

 ただ、そうしたら弊害が出てしまった。と言うのも妖精種は寿命がヒト種や他の亜人よりも遙かに長いので、国家を運営する際に問題になったのよ。

 余りにも寿命が長いので統治者として力を持ちすぎてしまうの。

 だから第三次マーダー大戦終結後の二百年ほど前に、新規に妖精族を貴族にすることが禁止されたのよ。同時に代替わりする際、妖精族を指名出来なくした。

 反対する有力な妖精貴族が大戦で次々とお亡くなりになったので、強引に設立した観があるわよね。

 ああ、うちの一族で言えば、第三次大戦で功を上げたファタ義姉様やエルン義兄様が、最後の滑り込み叙勲組だったかしら。今は妖精族は士族にはなれるけど爵位は貰えないの。

 それでも妖精貴族は、大小二十余家存在してた筈。ゲルハン男爵もその一人なのね。

 

「それは要請と言うよりも、有無を言わさずに聞こえるが?」

 

 ローレルはにっこりと笑みを返し、「そう思って頂けると幸いですね」と続ける。

 うへぇ、国家権力怖い。

 

「お聞きしたいです」

「あの、お話し下さい」

 

 懇願したのはレオナ達神官姉妹だった。こちらは純粋に興味からだろうか。

 そう言えばさっき、「もし邪悪な考えを持たないのであれば、弱者を救うのが神の御心です」とか会話していたわね。

 

「さて、何から話そう…。

 私の経歴なんぞ、ローレル殿は既に知っているかと思うがね」

 

 男爵は苦笑して語り始める。

 それは「同級生だったのだよ。王立魔導学院の…」から始まる、長い昔話だったわ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 王立魔導学院。

 それはグラン王国で一番の伝統を持つ学校だわ。

 国が建国したとほぼ同時に開校した歴史を持ち、今では三大王立校の一つとされてるけど、約三百年前に開かれた王立軍学校。まして、たった二十年前に開設された海軍士官学校とは格が違うわ。

 長年、貴族の子女なら必ず入学するエリート校とされてきたの。

 ここだけの話、貴族の子女を人質として管理する側面はあったのは否めないけどね。

 

 魔導って名が付いてるから分かる様に、学校であると同時に魔術関係を研究する公的機関でもあるのよ。

 新暦800年代に起こったルネサンス運動。を王国で牽引したのも無論ここよ。

 これは失われていた古代王国期の技を復活させた一連の技術開発の事で、古代王国期にも同じく起こったルネサンス期を手本とした物よ。

 まぁ、古代ルネサンス(現代のルネサンスと差別化する為、こう呼ばれるわ)は超古代文明の技術を復古した物だけどね。それに匹敵する技術革命が相次いで起こったのは間違いなく、魔導学院は名声を高めていったわ。

 そう、そのルネサンス時代に、男爵と錬金術師ベラドンナは同級生だったのよ。

 

「ルネサンスを明るい時代だと思う者も多かろう。

 だが当時は国境付近がきな臭くてな。隣国のマーダー帝国が再び侵攻を開始しようとしていた。学業もその影響を受けて、皆、びりびりと張り詰めておった」

 

 と男爵。彼は錬金術師の卵であり、当時は男爵家の子息でも無い、単なる学生でしか無かった。その上、妖精族は今日と違い社会では少数派で、学院では日陰者扱いだった。

 

「妖精族や半妖精がある程度、社会に溢れている今から見れば信じられぬだろうがね」

「奇異に見られる。と言うのは別の意味で経験があります」

 

 とマドカ。そう言えば東方の皇国では妖精族はどんな扱いなのかしら?

 

「皇国では皇室の方々や貴族。そして神職などが主だったかな?」

「はい。殿上人と呼ばれております。こちらとは逆に、尊い者とされ、一般庶民が接触するのに拒否感を出してきます」

 

 ああ、向こうでは高貴な血筋とされているのね。

 だけど、マドカ曰く、「それは堅苦しいだけで嫌だ」との見解を述べる。自分も半妖精だけど、他人行儀で他種族に友も作れないし、妖精族から見れば、混血児として蔑みの目で見られる事が多い。と。

 

「南大陸に住む妖精族がそんな感じであったな。彼らは妖精族至上主義で他種族を蔑み、住み家である南大陸を一歩も出ず、閉鎖的だ」

「それが妖精族の本質だと思いますけど…」

 

 あたしが口を挟む。中央大陸に居住する妖精族も大半がその気質を持っている。

 優れた魔法を習得し、他者から見て異様に寿命が長い故にそうなるのである。

 時間感覚が違う。妖精族にとって一年は一日程度の感覚でしか無い。彼らからすれば、せかせかと生き急ぐ、現代社会に参加しようとする方が変わり者なのだ。 

 

「ま、そうだろうな。それは置いておくとして、今はベラドンナだ」

 

 男爵は言う。彼女も妖精族故に孤立していた、と。

 

「特にあの童顔だ。あの顔で一人前の意見を言い、大人ぶった冷静な口調で話されると大抵の者は向かっ腹を立ててしまう。

 幼女に言い負かされると悔しい。とな。

 くくく、だが彼女は幼女ではなく、齢五十を超えた立派な少女であったのだがね」

「五十?!」

「ヒトで言えば、まだ思春期の真っ盛りですよ。ルイザ」

 

 びっくりするルイザにマドカが冷静に諭す。

 妖精族は長寿命だけに成長が遅い。大人になるまで百年かかるのが普通だ。

 だから他種族は、セドナ曰く「生まれたと思ったら、いつの間にかころっと死んでいる程度の感覚」なのだそうよ。

 

「まぁ、そんな嫌われ者同士。いつしか私は、ベラドンナと仲良くなった。

 恋愛って関係ではなく錬金術師としてだがね。

 研究畑が違うが彼女は天才だった」

 

 ベラドンナ。当時はその名では無かったそうだけど、彼女が天才であるというのは本当の話で、失われた技術を幾つも復興している。

 その成果の一つが、ルネサンス最大の功績とも称えられる、鋼の大量生産法ね。古代王国期に失われたコークスの製法を解き明かし、貴重品であった鋼の生産量を飛躍的に上げたのよ。

 今の世の中ではそこら中に鋼が使われてるけど、新暦800年代では鉄製品は殆ど粗鉄で、魔法剣とかならともかく、普通の刀剣なんか斬り合いすると最後には曲がる様な代物だったのよ。軟鉄だからね。

 硬く丈夫で、柔軟性もある鋼を安く、しかも大量に生産出来る様になったのは彼女のお陰だわ。

 

「ま、それも、彼女に言わせれば『古代の文献を調べ、口伝からヒントを得て石炭を蒸し焼きにしただけだ』だそうだけどね。

 もっとも『製鉄で森が荒らされるのが気に食わない』のが最大の理由らしいが」

 

 判る。昔の製鉄は木炭を燃料としていたから、森を領域としてたエルフとは折り合いが悪いのよね。間伐材を炭にするのはまだしも、建材にも使えそうな立派な成木を単なる燃料にするのには耐えられない。

 木を切り出そうとする他種族、特に製鉄を主な産業にするドワーフ族だけど、としばしば衝突したのもそれが原因。

 

「彼女は孤高の研究者だった。在学中に友人と呼べる者は少なく、殆どが錬金術を通じた研究者ばかりだった。

 私も友人とは呼べないだろうな。出来の悪い弟子程度と見られていたに相違ない。

 そして、在学中に第三次マーダー大戦が勃発した」

「男爵は戦場へ赴き、そこで活躍なされて爵位を得た。ですね?」

「…酷い戦だったからな。私の故郷であった森も敵に焼き払われ、多くの親類縁者が死んだ。だからあれは単なる復讐心さ」

 

 ローレルの問いをゲルハン男爵は肯定する。

 第三次マーダー大戦は十年間も続いた。一進一退で国境線は何度も書き換えられ、多大な犠牲者を出して終結するが、グラン王国もマーダー帝国も共に得るものが殆ど無かった。

 国境線付近の町や村が荒廃し、妖精族の住む森が焼かれ、海沿いの領地が神出鬼没の艦隊に襲われて大被害を食らっただけだった。

 王国では妖精貴族達の多くが戦場で倒れ、帝国ではクーデターが起こってより中央集権制が固まったとかの動きはあったが、疲弊しただけの不毛な戦争であった。

 法国の介入で終戦条約が結ばれ、新任の男爵が王都へと戻ると名をベラドンナと改めた彼女は、独立し錬金術工房を構えた主になっていた。

 

「そこからの付き合いは疎遠になったよ。何せ、何の因果か叙勲されてしまったからね」

 

 故郷の森を復興する為に領地を頂いた男爵は、貴族の責務として慣れない領地経営をしなければならなくなったからだ。

 生き残った一族郎党からも頼られており、放り出す訳にも行かずに復興に取り組んだ。しかも、彼の故郷は戦争で被害の最も多かった西部。国境付近を割り当てられたのだから、その経営は大変苦しかったらしい。

 

「でも、新暦950年頃までには領地も一応は安定した。植林も順調で焼け野原から森と言っても良い程に育った。その時だよ、ベラドンナの事を耳にしたのは」

 

 すなわち、ベラドンナが忽然と失踪したとの話ね。

 男爵も友人として行方を追った。疎遠になっていたとは言う物の、それでもちょくちょく付き合いはあったし、妊娠したと聞いた時には立ち会った。

 あの彼女の眼鏡にかなう男が居たのだろうかと思ったが、ベラドンナは相手の事を頑なに話そうとはしなかった。

 その頃、彼女は高名な錬金術師として名を馳せており、世間的にも話題になったが、その行方は蓉として知れる事は無かった。

 

「…まぁ、ここまでの話はローレル殿ならとっくに知っていよう」

「買い被りです。私はそれ程、万能な男ではありませんよ。男爵」

「どうだかな。さて、問題は今、隣の部屋で寝ているベラドンナなのだが、君達はどうしたいね?」

 

 ゲルハン男爵は丸眼鏡をきらりと光らせながら、あたし達の方を向いたわ。

 ユーリィ様が「はいはーい♪」と手を上げる。

 

「自白剤で口を割らせよう♪」

「却下だ」

「あたしも却下」

「死んじゃいますよ」

「神職としては容認出来ませんね」

「ニナは止めた方が良いと思います。姫様は?」

「当然、却下」

 

 反対多数で没。ユーリィ様は「低刺激性の奴を使えば行けるのに…」とぶつくさ文句を言っていたが、万が一、お亡くなりになったら困るのよ。

 もっとも、あたし達には聖女なる切り札が有るけどね。でも、こんな所で使うのは反対するだろうしなぁ。  

 

「とにかく体力回復を待ち、意識が戻ったら尋問。オーソドックスですが正統派のやり方で行くべきでしょう」

 

 ローレルの答えがあたしたちの総意に近かった。

 とにかく、まずは時間が必要だとの結論になる。あれだけ色々な事があって、ふと考えると全部で半日も経ってないのよねぇ。

 目まぐるしい日だった。

 実習航海してる友人達は今、何をやってるのかしら?

 ふと懐かしく思い出す。

 向こうは楽しく、のんびり南洋で航海してるのよねぇ。あたしも参加すれば良かったなぁ…と。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ローレルの提案もあり、関係者はゲルハン邸へお泊まりとなった。

 連絡の為、ニナをエロイナー商会へ向かわせようとしたら、ローレルから「それはこちらでやりますので、勝手に動かないで下さい」と言われて中止。

 マドカ達教会組も同じで、教会の管理は『闇』が手配を回してるらしく、いわば関係者全員がゲルハン邸に軟禁状態。

 そのとある一室では、猛烈な抗議が行われていた。

 

「どう言う事」

「何がです?」

 

 ♪の付かないユーリィの怒声に、にこやかに答えるのは騎士ローレル。

 

「人手不足だって言うからエロコ達に張り付いてたのに、君はちゃんと監視してるじゃないか。突然、ベッケルの所に現れるなんて!」

「王都だから出来た事ですよ。この事件専用の密偵を用意している訳ではありません。ユーリィ、君の存在は大変重要なんですよ」

「別口の密偵がたまたま報告していたと?」

「ええ」

 

 本当かと訝しむ。だが、嘘とも決めつけも出来ない。

 だから、駄目元でもう一度要請してみる。「せめて、交代要員を増やしてくれ」と。

 

「却下…と言いたい所ですが、ふむ、考えておきましょう」

「ストップ。ぬか喜びは嫌だ。そんな『検討はしましたが、やはり駄目でした』的な後出しでケムを撒く、行政か政治家みたいな答えは要らないよ」

 

 腰に手を当てて、不満顔で抗議する子爵令嬢。

 それを見て『闇』の高官は嘆息する。確かにオーバーワークを強いてるのはこちらなのである。では、どうするか。

 

「リーリィは動かせませんよ」

「姉様に頼る訳には行かないだろ。それ位は、あたいでも分かる」

「見習いで良いのであれば、手配は出来ますが…質は落ちますよ?」

 

 妥協点だ。質が落ちるのは嫌だが、過労でぶっ倒れるよりはマシである。

 ユーリィはそう判断する。

 

「この際、妥協するよ」

 

 背に腹は替えられない。エロコ達は結構、アグレッシブに動くので手が回らない。イブリンのみを集中的に監視しているが、睡眠時間を削るのも限界だ。

 

「分かりました。クローネ、クローネ!」

 

 パンパンと手を叩きつつ、ローレルはクローネなる単語を叫ぶ。

 近づいてくる気配を感じ、咄嗟に投擲短剣を取り出して構えたのは、ユーリィの密偵としての性であろう。

 

「確かに質は悪いね」

「見習いですからね。この者がクローネです」

 

 すたっと天井から着地した小柄な人影を前に、ユーリィは呟いた。

 一応は基本をマスターしているらしいが、足捌きとか気配の消し方が雑すぎる。

 

「クローネと申します。宜しくお願いします。ユーリィ様」

 

 意外と可愛らしい声で、クローネは自己紹介をしたのだった。

 

〈続く〉




報告。
後の描写で矛盾が出るので、ゲルハン男爵領の位置を北部→西部に改訂しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女6

お待たせしました。
次はもう一話、<閑話>を独立させた後、実習航海編の続きを来週掲載予定です。




〈閑話〉ウサ耳村5

 

 明け方に船は出港した。

 数時間の航海で隣村へと到着し、生き残りの村人を下船させる。

 婆もこの時、子供達と共に降りた。

 ニナはセドナに託され、今、後甲板に立っている。

 

「見掛けだけは一人前だね」

 

 ニナを目にした彼女の第一声がそれだった。恐らく、それは着込んでいるバニースーツから、かっての婆の姿を重ねていたのだろうと思う。

 

「ニナは一人前だ!」

「およし、気負っていちゃ、生き残れはしないよ」

 

 セドナは苦笑しつつ、憤るニナを諫める。

 最初は臆病な方が良いのだ。攻める事よりも、まずは生き残る事。

 だから、セドナはニナを戦闘へ投入する気はさらさらなかった。復讐心のまま突き進み、初陣で戦死するのが目に見えてたからである。

 生き残り続けたら、その内に戦士としてベテランになって行く。

 

「あんたには船員として一人前になって貰うよ」

「船乗りになる気は…」

「このセドナに預けられたからには、文句は言わせない。それとも降りるかい?」

 

 ニナは押し黙った。自分の立場を理解する。

 居候ではなく、セドナの配下として雇用されたのである。契約期間は取りあえず半年。それまでは文句を言わずに勤め上げるのが傭兵としての仁義だ。

 

「分かった」

「働きが良いなら、その内、家臣に取り立ててやるよ」

 

 たったの五歳の小娘にとって、今の条件は破格であると婆はニナに告げていた。そして「くれぐれも失礼のない様に、じゃ」と言い含められている。

 セドナと婆の間柄だから成立している条件なのだろう、とニナは察していた。普通、子供の小遣い銭程度の給金である筈なのに、ニナは大銀貨を手にしていた。

 価値が大銀貨の一割しか無い小銀貨なら目にして使った事もある。が、こんな大金を貰ったのは生まれて初めてだ。しかも前払いで、だ。

 

「信用されてくれた分の働きは見せる」

「期待するよ。さて、まずは基本だね。ラオ、リーミン!」

 

 呼ばれた二名が現れた。一人はヒト族の男で老齢。もう一人はネコミミ族の若い女である。ニナは思わず身を硬くした。

 

「ラオだ。航海長(ボースン)でいいぞ」

「リーミンだにゃ。ウサ耳かぁ、面白い玩具ににゃるかにゃ?」

 

 リーミンと呼ばれた女は、興味深そうにしげしげとニナを眺めている。ウサ耳族のバニースーツを酷似した服(キャットスーツ)を着ており、その姿からニナを不快にさせる。

 

「およし、こいつはニナだ。この娘に私掠船員としての基本を叩き込んでやりな」

「へい」

「うちがかにゃ?」

 

 もっとも服装に関しては、キャットスーツはバニースーツと同時期に作られた物だろうと言われている。作られた経緯も同じだ。

 ネコミミ族から言わせれば、バニースーツの方が模倣であって正統派こっちだとの言い分であり、五千年間ずっと論争を続けているので有名だ。

 まぁ、ニナの着ている古代の秘宝もバニーなのか、キャットなのかは正確な所分からないし、現代の縫製業者だってどっちにも使える様に売っているのだから。

 

「頼んだよ。ああ、ラオは後であたしの所へ来ておくれ」

「はい、御館様」

「じゃ、まずは甲板掃除だにゃ」

 

 リーミンにモップを押しつけられる。

 ぺろりと舌を出して舌舐めずりするネコ耳娘。黄色い瞳の虹彩がすっと細められる。

 ニナの船員としての経歴は、ここから始まろうとしていた。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語19〉

 

「エロコ様」

 

 呆然とした顔で困惑するのはイブリン。

 あたしも同じなんだけどね。ここ何処って感じだから。

 さっきまであたし達はゲルハン邸に居た筈だったし、窓から見える夏の熱い日差しを鬱陶しく感じていた筈だったわ。

 でも、ここは鬱蒼と暗い森の中。空気の肌触りが違う。

 

「成功…したか」

 

 苦しそうな息で呟くのは赤い装束を身に纏ったロリ…ではなく、錬金術師ベラドンナ。

 あたしは眼鏡を片手でくいっとかけ直す。何か気合いを入れたい時や、冷静になりたい時に思わずやってしまう癖だけど、この場合は湧き上がる怒りを堪える為よ。

 

「【転移】の魔法ですか」

 

 冷静に、冷静と内心呟きながら問う。多分、あたし達三人はかなりの長距離を転移させられてしまったのだと理解しつつ、それでも問い質さずにはいられない。

 そもそも、どうしてこうなった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ベラドンナが意識を取り戻したのが翌日の事だった。

 彼女と面会したあたし達は、何を質問しても沈黙を続ける錬金術師に困惑したわ。

 

「何故、教会に侵入したのですか?」

「聖女のホムンクルスを制作した理由は?」

 

 マドカとローレルの質問に沈黙を守るベラドンナ。

 寝台に寝かされて半身を起こしているが、表情はうつろで生気が無い。無論、逃げ出せない様に下半身はベルトで拘束されている。

 しげしげと観察したのは初めてだけど、切り揃えた金色の髪に白い肌。そして幼女と言っても良いロリ顔。でも肌の色艶は悪く、金の髪も所々、色が抜けて白化している。

 普通、妖精族は年を取っても白髪になる事は無いわ。もう、これは明らかに何かの疾患を抱えてる様な感じね。

 

「やれやれ…口を割らせる方法としては下策であるのは分かっているのですが…」

 

 相変わらず陰気な雰囲気を纏って、部屋にゲルハン男爵が登場したわ。

 ぴくりと初めてベラドンナが反応した。

 

「…ベッケルか」

「はい、不肖の弟子、ベッケル・ゲルハンですな。

 さて、話して頂けますかな。言わねば、貴女の真の名をここで明かしますぞ」

 

 あら、ベラドンナの声は意外と可愛いのね。

 もっと、声だけ老人なロリ婆風かと思っていたから意外な感じ。

 

「やめい」

「やはり、あれはランラン関連の…?」

「やめいと言うておる。娘の事に口出しするでない」

 

 男爵はそっぽを向いたベラドンナを放置すると、あたし達の方を向いて「ランランとは亡くなった彼女の娘さんだ」と説明を加えた。

 東方系の名ね。向こうの文字とかで表すと、蘭々とか爛々かな?

 

「一説ではベラドンナがホムンクルスの研究に乗り出したのは、亡くなった愛娘を甦らせようとしたからだとか」

 

 あたしは男爵に言った。これは錬金術の授業で、担当教官から余談として話された事だ。もっとも「本当かどうかは確認されていない」とも語られているが。

 ゲルハン男爵は首を縦に振った。

 イブリンは「それは生命を冒涜する行為です」と感情を抑えながら、その行為を否定している。聖職者だなぁ、と思うわね。

 

「私は、それがある程度成功したと見ているよ。

 私でさえムンクルスを作れたのだ。彼女が出来ない訳がない」

「では、失踪したのは?」

「さて、それは私にも分からん。ただ、失踪時の彼女の工房にはホムンクルスの完成体は残されていなかった。不完全な物はあったがね。少なくても、私が確認した作品は…な」

 

 そう言うと男爵は再び、ベラドンナに視線をやる。

 完成体? との単語があたしには引っかかっていた。だから思い切って尋ねる。「もしかして、その時点で亡くなった者の再生には成功していたのですか?」と。

 

「…肉体だけはな」

「やはり…、魂の再生は叶わなかったのですね」

 

 死者を甦らすには、無論、魔法での蘇生という方法があるわ。

 これは聖句魔法の最上技だけど、問題は死んである程度の時間が経つと魂が肉体から離れてしまい、再生する事が叶わなくなる所ね。

 禁忌の死霊魔法にも同じ様な魔法もあるけど、こちらは時間制限は無いけど、甦る肉体は生者ではなく、アンデッド(不死怪物)になってしまう物だから、厳密には復活とは言えなくなるわ。

 

「いや、完成体は魂の再生を部分的だが成し遂げていた」

 

 え、それって凄い事なのでは?

 少なくとも、教科書とか講義では聴いた事ないわよ。それともあたしがまだ一年生だから、習ってないからかも知れないだけなのかしら。

 

「どんな方法を使ったのかは、私が知りたいくらいだがね。

 さて、ベラドンナ。今の事件関係を答えられないのなら、失踪した時の事を教えて貰えないかね?」

「ランドーラが…娘を連れて行った」

 

 ぷいっと拗ねた様に横を向いて呟いた言葉。

 って、ランドーラって誰よ?

 だけどゲルハン男爵はそれを聞いた途端、顔色を変えたわ。

 

「ランドーラ…あの男か!」

「再生した娘の魂を…。すまぬ、身体が痛い。この束縛から解放して貰えぬか?」

 

 ベラドンナは拘束された下半身の革紐を指したわ。男爵は「よかろう」と頷いてメイドさん達に命ずる。

 相変わらず影の様にするっと動いて、無言で拘束を解く使用人達。

 その間に男爵は、ランドーラなる人物の事をあたし達に説明してくれた。

 男爵もそう詳しくはないけど、ランランの父親とされていた男性だそうだ。ただ相当な自由人で自己中心的、ふらりと現れては姿を消す。

 しかも、普段は何をやっているか掴み所のない男で、正体不明だったらしいのよ。

 

「顔は残念ながら良かったがね。そして、錬金術、魔術の才能も高かった。

 だが、王立魔導学院で調べてもランドーラなる男は存在しなかった。奴が独学でその才を極めたのか、他国の出身なのか。或いは偽名なのか…」

 

 低い声で「くくく」と男爵は苦笑いをした。

 そして「いずれにせよ、私はリンリンを奴に横からかっさわれたのだよ」と告げたわ。

 え、誰。リンリンって?

 

「大丈夫ですか?」

 

 イブリンの声に、あたしはそっちを向く。

 ベラドンナが倒れていた。彼女はそれを助け起こそうと駆け寄っててたのよ。あたしも思わずそちらへと近づく。

 周りのメイドさん達は無表情で彼女らを見下ろしている。って、さっきからこの人達、凄く不気味なんですけど。ねぇ?

 

「済まぬ。おや、お前は…」

 

 助け起こされた女錬金術師は、イブリンの顔を見つめると驚いていた。顔を薄布で覆っているのだけど、聖女だって分かったのかしら?

 突然、びっと凄まじい魔力反応が出たのはその時だったわ。

 それは魔法の【障壁】だった。

 【結界】と【障壁】って似てるけど、結界が不可視なのに対して障壁は目で見えるって違いがあるわね。

 物凄い勢いで噴き出る魔力によって形成された壁。あたしと側に居たメイド達はそれが展開した余波によって吹き飛ばされる。

 いえ、メイドの一人は直撃を受けて炎に包まれて踊っているわ!

 その中心点にはベラドンナ。

 そして近くに居るイブリンも取り込まれているのよ。

 

「イ、イブリ…ン」

 

 あたしはそれを言うのがやっとだった。急激に目の前が暗くなって…。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 魔法の障壁が突如発生し、ベラドンナと周りの者の間に壁が出来たのは、誰も予想が付かなかった。

 

「そんなっ、今のベラドンナにそんな魔力がある訳は無いのに!」

 

 マドカが叫ぶ。昨夜、息も絶え絶えだった事を確認しているのだ。

 これは明らかに異常であった。

 

「済まぬな。悪いがこの娘を頂いて行くぞよ」

 

 ロリ顔の錬金術師は勝ち誇った顔で、いや、本人としては勝ち誇った顔をしたかったのだろうけど、やや苦痛に満ちた笑顔で宣言した。

 床に新たな魔法陣が光と共に描かれる。ローレルはそれが【転移】の魔法陣だと言う事に気が付いたが、こうなっては手も足も出ない。

 

「私をどうする気ですか?」

 

 取り込まれたイブリンは障壁を越える事が出来ないが、比較的冷静にベラドンナへ問うた。対するベラドンナは「一緒に来て貰う」とだけ返す。

 

「馬鹿な真似は止めなさい。何処へ逃げても貴女は逃れられませんよ」

 

 ローレルが宣言する。彼が言うのだからハッタリと言う線は低いだろう。と気絶したエロコを介抱していたユーリィは思う。

 それにあたいにも切り札だってある。早速、役に立つは思わなかったけど。

 

「手は出すなよ。触れたら、ゲルハンの人形達と同じ目に遭うからのぅ」

 

 ベラドンナは顎をしゃくり上げ、燃え尽きて灰になったメイドを示す。

 

「人形ですか、かなり良い出来だったのですが…。まだまだ貴女のホムンクルスとでは出来に差がありますか」

「悪くはない。じゃが、そいつはまだ人形に過ぎぬよ」

「困るな。イブリンを連れて行かれるのは」

 

 ユーリィの手当を受けていたエロコが、ゆらりと立ち上がって錬金術師二人の会話に割り込んだ。

 

「イブリンはエロコにとって失う事は出来ない者だ。と私は理解している」

「ひ、姫様」

「ニナ、済まないが、セドナに説明を宜しく」

 

 ニナはぞくりと身体を震わせる。この姫様は昔の、そう造船所で倒れる以前の、まだ感情表現が未発達だった頃の姫様だ。

 そうしてエロコは障壁へと足を進める。

 

「待て、それに触れたら只では済まないぞ!」

 

 ゲルハン男爵が叫ぶが、エロコは気にせずに障壁へ身体を突っ込んだ。

 膨大な魔力が彼女を襲った筈だった。普通ならそれに焼かれて酷い有様になっているのだが、エロコ・ルローラは事も無げに突破する。

 

「待てっ、リンリン!」

 

 驚きつつも、ゲルハン男爵が制止の声を上げる。

 

「え、エロコ様?」

「イブリン、大丈夫。私は伊達にエリルラではない」

「エリルラだとっ、貴様はあの、エリルラなのか!」

 

 男爵の制止は無視され、障壁内で三者三様の声が上がる。

 その直後、魔法陣が発動して三人共、どこかの場所にて転移したらしく消え失せた。

 

「エロコっ、イブリンっ!」

 

 護衛失敗だと感じつつも叫ぶユーリィ。折角、部下とも言えるクローネが来たばかりなのに…。いや、これからだ。自分は彼女を追わなくちゃならない。

 

「御館様とファタ様に知らせねば!

 男爵、ローレル様。軟禁状態を解いて貰います」

 

 こちらはニナ。許可を与えないと、こちらを殺しても任務を果たす雰囲気バリバリである。それにエロコと言う押さえがなくなった今、ニナを止める事はほぼ可能だろう。

 そう判断したローレルは「ああ」と許可を与える。

 

「エリルラだと。あれは伝説の筈だ…」

「それって、何ですか」

「随分、ベラドンナが驚いてましたよねっ」

 

 一方、ゲルハン男爵は状況について来れずに呆然としていた。それに噛み付いたのはレオナとルイザ達であった。

 

「私も知りたいですね。ベッケル・ゲルハン男爵」

 

 それにローレルも加わる。無論、その場に居る全員が異議を唱える事はない。

 

「…私も詳しくは知らん

 元々、あのランドーラが話した知識なのでな」

 

 男爵は重い口を開いた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「いつの間にか、なのよね」

 

 あたしは何も答えてくれぬベラドンナを縛っていた。イブリンの話によると、直前に何か凄い魔法を使ってて、弱ってるから捕縛するのは楽だったわよ。

 無論、ロープなんて無いから、イブリンの顔を覆ってたヴェールを拝借してよ。

 気絶して、気が付いたらこの光景。何処なのここは?

 

「エロコ様は、別人におなりでした。少なくとも私にはそう見えました」

「え、嫌だ」

「障壁をものともせずに…」

 

 えーと、聞く限り、それチート過ぎ。それにあたしの中に、あたし以外が居る?

 あんまり考えたくないわよ。そんな事は。

 

「ふん、奴も短時間しか出てこられないのか。それともわざと引っ込んだのか」

 

 ぶつぶつ呟くベラドンナ。しきりに「エリルラめ」とか悪態を付いてるけど、それがあたしではない、誰かさんの正体?

 

「ベラドンナ。いいえ、リンリン」

 

 イブリンが勝ち誇る。

 

「うっ、何故その名を…」

「男爵が叫んでましたからね。貴女の本名でしょう?」

 

 ああ、リンリンってのはベラドンナの真名なのね。

 魔導士には呪術的な約束が多いけど、その中に『名は本質を縛る』ってのがあるのよね。つまり、名を知られると敵に呪術的な呪いを掛けられたりして不利になる。だから、本当の名を隠すってのがある。

 形を変えて民間にも伝えられてる迷信だけど、迷信とも言い切れないのが魔導の世界。だから、魔導士は世間的には仮名を名乗ったりするのよ。

 

「その名を言うな」

「ではその代わりに、さっきから呟いてるエリルラの話をして下さい」

「約束じゃぞ」

「聖なる女神の誓いに賭けて」

 

 イブリンは聖教会式の誓いを取る。それに安心したのか「わしも余り詳しい事は知らぬ。ランドーラからの又聞きじゃからな」と前置きする。

 

「構いません。しかし、嘘は言わないで下さい」

「それはどうかのう」

 

 リンリンは口を開いた。

 それは古代の、いえ、超古代の伝説だと思われている事柄だったのよ。

 

〈続く〉




エロコ(プロトタイプ)は本人に見えませんが、あれもエロコです。
でも、本当の名は…。

さて、転移でどっかへ飛ばされてしまいましたね。暫く、イブリンとお邪魔虫の三人道中になります。無論、残留のゲルハン邸組も出ますけど、そっちはお話的にサブにならざる得ないかもしれません。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈幕間〉、フロリナ島の探検家

書いてたら、また長くなってしまったので単独投稿します。


〈幕間〉フロリナ島の探検家

 

 フロリナ島はバニーアイランドの一部である。

 正確には、昔は独立した島であったのだが、噴火の際に噴出物が堆積して本島と繋がってしまったのだ。

 

 この島の発見は、冒険者(クエスター)、フロリナ・ロペスの名を挙げる事が不可欠だろう。彼女は文字通り、この島に生涯を捧げたと言って良い。

 彼女はセントール族の冒険者だった。

 セントール。半人半馬の種族であり、王国ではその数は決して多くない。元々、砂漠や草原に居を構える遊牧民で、新暦200年代に起こった蛮族の西進で広く知られる様になった種族である。

 この詳細は別の機会に譲ろう。とにかく、偉大なるカーン、大帝ハーン・ゴーダーに率いられたセントール族の軍団はポワン河を越え、今のグラン王国、マーダー帝国の各地を掠奪、蹂躙しまくった。

 その暴威は凄まじく、一説では魔族との戦いよりも悲惨であったとも言われる。

 現在の法国が力を貸して彼らを撃退した後、多くのセントールは西方より去ったが、残された子孫に当たる者達がフロリナになる。

 

 フロリナがクエスターを志したのも、世間に対してセントール族の地位向上を示す為とも言われているが、著者は彼女が山師でしか、その能力を認められぬのではないかとの疑問も持っている。

 世間体の関係が無いやくざの商売でしか、正統な実力を示せないからである。

 生前、彼女はこう語っていたと言う。「本当は商人目指してたんだ」と。

 だが、商人としての下働き期間、フロリナは明らかにうだつの上がらぬ存在であった。原因は差別にあった。どんな優秀な働きを見せても、その手柄は正当な評価を与えられなず、常に二番手三番手に成果が横取りされた。

 彼女が商店の傘下を離れ、何の保障も無い冒険者としての道歩んだのは、新暦300年代だと言われている。

 

 フロリナは新しいやり方の冒険者であった。

 従来の冒険者が腕一つで未知の領域に乗り込んで行き、ただ遺跡や土地を走破するのに対して、彼女は後ろ盾となるスポンサーを募ったのである。

 その成果を発表するとの条件で。

 未知の土地に挑み、それを探索する行為を大々的に宣伝し、成果を後援者に示してその名誉を分かち合う。今では珍しくないやり方だが、それを開拓したのが彼女なのだ。

 今では冒険貴族として有名なワイルダー伯爵家も、元はと言えばフロリナのスポンサーであり、彼女の発表する成果を受けて名声を高めたと言っても良い。

 

 特に悪魔の海峡として恐れられたドロイド海峡を渡り、バニーアイランドを再発見した功績は大きい。

 古代王国が滅んで三百年間、西方では迷信がはびこり、「海の端は巨大な滝になっている」との戯れ言が信じられており、船は沿岸航行しかしなくなってしまっていた。

 本土から僅か170kmしか離れていないバニーアイランドも、『幻の島』扱いで、海峡を渡るのは愚かで罰当たりな行為と思われていたのだ。

 もっとも、フロリナが成果を上げた後も、数千キロも離れた西大陸から妖精族が西方に移住してくるまで、大半の船乗り達は相変わらず頑迷で迷信深かったのだが…。

 まぁ、それは別の話になるのでさておき、フロリナは果敢に海峡を渡って島を再発見し、その成果を大々的に発表し、大センセーションをまき起こした。

 

 そしてフロリナは、航海冒険家との名声を確定する。

 実を言えば、それはフロリナにとって不得手な事であった。セントール族はどちらかと言えば平原での機動性が高い種族であり、明らかに船上での行動には向かない身体構造をしているからだ。

 今もそうだが、大体、船という構造物はセントール向きに作られていない。

 扉や船内はヒトや人馬族以外の亜人を基準に作られているので、腰高のセントールでは不都合が多く、また、レドンダ(横帆船)では操帆にマストへ登る事は不可能である。

 フロリナが用いた船は、故にラティーナ(縦帆船)であった。ラティーナならば甲板で操帆作業も行え、切り上がり性能も高く、逆風にも強い。

 セントール向きに特別な改装を施し、船内へ入れる様に整えた船は中古の漁船だったが、彼女はこれを気に入って『シーホース』と名付けて生涯使い続けた。

 海軍士官学校の博物館に『シーホース』のレプリカが展示されているが、全長は15m程の小型船でしかなく、カッターに毛の生えた様なこれで、数々の探検航海を駆け巡っただと思うと驚かれる事だろう。

 

 ある時、フロリナに取材した者が「何故、セントールなのに海に挑戦し続けるのか」を問うた所、「航海するクエスターはあたし以外には居ない。これは強みだ」と言い切ったと伝えられる。

 恐らく、それは本音だろう。ライバルひしめく陸上での冒険よりも、未知の海洋冒険に軸足を置いた方が有利だと確信していたのだろう。

 彼女はそれからもバニーアイランドへ挑戦し続け、島を西回りで一周する帰路(バニー本島が島なのか、それとも半島の一部なのかを確かめる航海だった)、その東方域に火山島を発見する。

 後援者にちなみ、フロリナはこの島をワイルド島と命名する。

 この島は発見物の宝庫だった。本土にはない珍しい動植物、豊富な資源、中でも最大の発見は野鳥の群生地に溜まった鳥糞、膨大なリン鉱石だった。

 今では既に取り尽くして枯渇しているものの、肥料としてフロリナ島の産業を長年支えた立役者である。

 

 この発見が彼女にワイルダー卿他の後援者共々、富を与える源泉となり、士族位が与えられるきっかけとなったのである。更にフロリナは再度、この火山島を調査し、硫黄鉱山を開拓すべく、火山へと足を踏み入れる事となる。

 実を言えばグアノ(リン鉱石)の採掘が軌道に乗って来た矢先であり、士族位を授与された直後でもあった。グアノが生み出す収入も次々と懐中へ入ってくる状態で、何も無理をして冒険を続ける理由は無かったと言っても良い。

 このまま楽隠居しても、一生を過ごせるだけの富が約束されていたのだ。

 

 だが、彼女はこの火山島に挑戦した。「これがクエスターとして最後の花道になるだろう」と周囲に述べていた発言は、現実の事となってしまった。

 登頂二日目、突如、火山が爆発。その火砕流に飲み込まれ、フロリナ・ロペスは帰らぬ人となってしまったのだから。

 フロリナが没した後も約半年間火山活動は続き、噴出した堆積物は島とバニー本島に橋を架けた様な形で海を埋めてしまい、独立した島ではなくなってしまった。

 だが、本土の人々はそれを知らず、没したフロリナの功績を称え、島と火山に『フロリナ』の名を冠したのである。

 

 今でも、フロリナ・ロペスは航海者の間では伝説の存在になっており、その功績は称えられている。

 後に伝説の大陸目指して大海原を行く、大航海時代(新暦500~700年代)に比べれば、その走破距離は遙かに小さいとは言うものの、迷信を打ち破り、外洋へ初めて足を伸ばした航海者としての輝きは大きな物であるからだ。

 また、彼女の活躍によってセントール族の地位が向上した事も見逃せない。侵略者の子孫として蔑まされていた存在から改善され、今では差別的な待遇を受けるのも是正されている。

 また、彼女に憧れて船乗りを目指すセントール族が続出したというのも、副次的な影響と言えるかも知れない。当時に比べ、船の扉や天井の高さがセントールが屈めば通れる様に高くなったのも、彼女の与えた影響だろう。

 

 

『王国海洋史、第二章、先駆者ロペス』より引用。




フロリナ・ロペス。姓は『大航〇時代Ⅱ』に出てきたロリコンの地図屋から。
顔は『赤毛のア〇』的なそばかす顔な、純朴で気の強そうな女性冒険家のイメージ。でも、実は馬体がシマウマだったりします。
現実ではシマウマって家畜化出来ないそうですが、ファンタジー世界じゃ、構わないよねって事で、エルダ世界ではシマウマに騎乗した騎兵ってのもいたりします。

まぁ、髪の色がピンクや水色のキャラだって居る世界ですから「変な体色の動物だって居ても構わない」と、勝手に考えてます(笑)。
緑に赤い斑点の、パキスタンカラーのパンダだっていてもおかしくないじゃん(当分、出ませんよ。多分)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女7

偽りの聖女編7です。
展開がややスローですが、宜しくお付き合い下さいませ。

五歳のニナが殴られてますが、エルダ世界と現代ではモラルが違いますので、余り目くじらを立てぬ様にお願い致します。
五歳なら子供ですが、児童就労が当たり前の世界では立派な働き手と見做されますので。


〈閑話〉ウサ耳村6

 

 甲板掃除は過酷だった。

 単純作業であるが、担当面積が広大であったからだ。

 このグリューン・グリューンは『ガリオット』または『スループ』と呼ばれる艦種であり、二艢式で長さは約30mと、さほど大きい船では無いが、与えられた担当箇所は全甲板であった。

 間違いではない、艦首から艦尾までの全デッキである。

 

「可哀想だから、船内の担当は免除してやるにゃあ」

 

 リーミンは勿体ぶってそう言った。

 ネコ耳族はサディストが多いと言う噂は本当だな。とニナは感じる。

 ウサ耳族とネコ耳族は仲が悪い。

 元々、森林に居を構えて狩猟生活を営んでいたネコ耳族と、平原に住んで農耕生活を営んでいたウサ耳族とは長年、狩る者と狩られる者の関係であった。

 もっとも猫科の性質を備えているかの種族は、ウサ耳だけではなく、ヒトを含む亜人をも標的にした人喰い亜人であったのだが、流石に今ではその習慣は廃れている。

 今でも「ウサ肉は美味いにゃ」とうそぶくネコ耳が多いが、これは冗談だ。流石に未開でよっぽどの辺境でもない限り、国民同士を共食いさせる国家は存在しない。

 

「何か文句があるにゃ?」

「別に…」

 

 ニナは『貴様の安いプライドがそれで満足するなら』と続けたかったが、喉奥に押し込めて、ぐっと我慢する。

 戦闘種族としてウサ耳族が台頭したのは古代王国期からで、あのテラ・アキツシマがウサ耳族の意識を改革するまでは、ネコ耳族に狩られる獲物としての存在だった。

 魔族から身を守る為の自衛目的に自ら変わり、結果としてネコ耳族の圧力をも跳ね返したのである。

 本気になれば、こんな奴には負けないとの思いから、今は忍従の時だ。

 

「終わったぞ」

 

 南国の強い日差しに挫けそうになる。時々、嫌がらせなのか、リーミンはバケツの水をぶっかけてくるが、モップで甲板を磨き終わったのは数時間後であった。

  

「休んでイイにゃ。磨き足りないけど、初めてにしちゃ上出来にゃ」

「そりゃどうも」

 

 言い残すと、ニナはリーミンから離れる。

 とにかく、こいつの側には居たくなかった。指揮を執るセドナの所へ行く。後甲板に天幕を張り、設けられた指揮席に彼女の姿を発見する。

 

「セドナっ!」

 

 ボースンが握る舵輪直後の指揮席に、座っていたセドナがこちらを向く。

 

「おや、ようやく終わったのかい?」

「ああ、終わった。それで敵の行方は…」

 

 突然、衝撃と共に目の前が真っ白になった。何回かバウンドした身体がきしみを上げ、じんとした痛みが走る。

 

「馬鹿野郎。御館様に何と言う口ぶりだっ!」

「ラオ、およし」

 

 ボースンだった。彼のげんこつを食らったのだと理解するのに数秒かかる。

 ニナの軽い身体はぶっ飛ばされて、上甲板のブルワークに激突していた。

 

「てめぇ、御館様を呼び捨てにするたぁ、不逞野郎だっ。教えただろう」

 

 ニナはボースンから「これからは、御館様と言え」と指導されていたからのを思い出した。手痛いミスだ。それに立場を弁えていなかった。

 

「御館様。我が村を襲った敵の情報は?」

 

 改めて言い直す。ボースンことラオはまだ怒気を治めていなかったが、セドナが制して一旦は事なきを得る。もっとも、この後きつい指導が待っているだろうが。

 

「そう簡単に分かりゃ苦労はしないねぇ」

 

 セドナは海流と海域から、奴隷取引のありそうな場所を割り出している所だと語った。食糧事情から、経済的にもいつまでも船に虜囚を乗せておく事はない。一旦、どこかの根拠地、または港へ帰港する筈であるからだ。

 

「この前、群島内のカマルは潰したから、国外かねぇ?」

「となると、本土東の砂漠地帯が一番怪しいすね。あっしなら、そこで取引をして荷を降ろしますぜ」

 

 ラオとセドナは意見を交わす。

 詳しく聞くと先に私掠船の根拠地だったカマル島の拠点を潰してある、との話だった。だから、向かう先は本土の国境よりも東にあるオアシスだろうと目星を付けている。

 潰した拠点が、村を襲った奴らと別の勢力だったら意味はない。また、こちらの知らぬ、未知の根拠地がある可能性はあるが、そうであったらお手上げだ。

 

「博打みたいだな」

「そんなもんさ。敵だって必死。素直に補足されちゃあくれないよ」

 

 婆様ことマーヤーが伝えた所の目撃からは、敵の船は『ブリッグ』級の中型船だったらしい。機動性は低いが、搭載量は多い貨物船タイプの船だ。

 このグリューン・グリューンの方が船足が速いから、上手く行けば先行出来る筈であるとセドナは述べた。

 

「もっとも敵に風使いが居れば、この計算は崩れるね。

 だが、魔術師を乗せてる船なんてそうそう居ない。 と信じるしかないねぇ」

 

 海賊船なら乗せている可能性は高いのだが、それは敢えて言わない。

 まぁ、一般的に風魔法の出番は戦闘機動時で、凪でも無い限り、通常航行に使う事は少ないのだが。

 とにかく、目星を付けた航路へ私掠船は進んで行く。

 

〈続く〉

 

 

<エロエロンナ物語20>

 

「それは古代王国期の話だ。『エリルラ』と呼ばれる存在が居たとされる。

 彼らは超古代文明の生き残り、はて、何と言ったかな、『メ…』だとか何か、確か固有名詞があった筈だが、思い出せん。

 とにかく、その中でも特別な者達であったらしい」

 

 ゲルハン男爵が語り始める。

 

「超古代文明人ですか?」

「生き乗りって居ないって話では?」

 

 レオナとルイザが驚いた。超古代文明を築いた民は戦争で全て消え去っている。と教会の教養学習で習っていたからだ。

 

「それは教会の表向きの歴史ですよ」

 

 そこへマドカが口を出した。教義の上から『過去に信仰心がない為に滅んだ愚かな存在』として、聖教会の歴史学では歪めて教えられているのである。

 西方の影響が少ない、皇国で学問を受けているマドカは、西方の教会教育が歪められている事を知って驚いたものだ。

 例えば、ある偉人の発明が『神から与えられたひらめき』から、それを創造した事になっていたり、英雄が『神の加護によって』武功を上げられる事になっていたりと、全て聖教会の教義に当てはめる事で、学問としての側面が蔑ろにされているのだ。

 

「続けて良いかな?」

「済みません。どうぞ」

 

 男爵は「では」と前置きしつつ、言葉を継ぐ。

 

「古代王国期。彼ら、特に『エリルラ』は狩られたらしい。何故なら、彼らは悪魔だとされたからだ」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「悪魔…ですか」

「うむ、そうじゃ」

 

 ベラドンナが頷く。

 しかし、悪魔なんてのは、魔族の上に君臨した異世界の存在としてしか知らないわよ。

 確か、実態を持っていないアストラル体だけの存在で、こっちに降臨する為には多大な魔力を用いて受肉、実体化する精神体だった筈。

 まかり間違っても、超古代文明人ではなかったと思うけどね。

 

「身体が特別であって、物質的な損害を受けない精神種族という訳ではないのじゃよ。

 悪魔と呼ばれた理由は、持っていた能力が特殊すぎた為らしい」

 

 ベラドンナは「ま、これもランドーラの受け売りじゃが」と呟くと、「超古代人にとって、本来の意味は『巫女』だった」と続ける。

 

「聖教会でも巫女はあります。女性の聖職者はすべらく巫女ですが…」

「さてのぅ。それは既に形骸化しておらぬか?」

 

 イブリンに対して皮肉っぽい笑みをたたえる錬金術師。

 

「巫女とは自らに神を降ろし、神託を告げ、預言などを行う存在じゃ。

 今の聖教会の巫女にそれが行える、『真性の巫女』が果たしてどれくらいおるのかの?」

 

 イブリンは押し黙る。それが行える者は全体の数パーセント居るか、どうかだろう。

 無論、イブリン自身は神を降ろした経験もある。伊達に聖女ではないのだ。

 

「『エリルラ』はそれが可能だった。そして、それ以上の異常な力を持っていたのじゃよ」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「例えば?」

 

 ローレルが質問する。

 実に興味深い話だ。もし、エロコ嬢が、その『エリルラ』だとすれば、その力を入手すれば、各国に対して王国が優位に立てるアドバンテージになる可能性がある。

 

「無詠唱で手も動かさず、相手に干渉出来る。と言ったら信じるかね?」

「信じられないなぁ♪」

 

 エルダ世界では、大抵の魔法でも詠唱は必要だ。

 マジックアイテム発動以外は無詠唱で効果は発現しない。が常識になっている。だから人魚族などの種族以外、水中で魔法は発動不可能である。

 例外は【魅了魔法】など、魔族が本来持っている生体魔法の類いだが、これは種族が本来所持している身体能力に近い。

 

「そして『エリルラ』は相手の心を読み、遠く離れた相手でも精神を飛ばして会話出来ると言う。そして驚くべき事に魔法が効かない。らしい」

「効かないのですか?」

「さっき見ただろう。我が輩も目を疑ったが…」

 

 ローレルが沈黙する。そう、エロコは魔法の障壁を、触れたら只では済まないあれを、無視するかの様にあっさりと越えたのである。

 

「姫様は普通の御方です。悪魔なんかじゃありません!」

 

 ニナが叫んだ。自分にとっては優しい主人であり、頑張って努力している普通の士族だった。まかり間違っても悪魔だなんて呼ばせやしない。

 

「そーいや、時々、変な声が聞こえるとか、昔言ってたな。

 あれは『巫女』としての力の発現かな♪」

 

 エロコが時々、「あたし以外には聞こえないらしいんだけど、時々、幻聴が頭の中に響くのよ」と言っていたのを、ユーリィが思い出す。

 

「悪魔ではないにせよ。いやはや、それは既にヒトや亜人を越えた、超生物ではないか…。

 だから古代王国人は全力を挙げて、『エリルラ』を抹殺したらしい」

「男爵。一つ宜しいでしょうか?」

 

 ローレルが挙手した。是非とも尋ねておかねばならなかったからだ。

 何故、「その『エリルラ』の話を、ランドーラなる者が知っていたのか」である。

 

「さてな。奴は自称、古代文明の研究家だった。

 本当か否かは知らんがね。ただ、豊富な錬金知識と魔導知識、そして博物学でも極めていたのか、何でも知っていたよ。

 ベラドンナと子を作った後、行方知れずになったのだが、まさか、今回の事件に関与していたとは…」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「それが、あたし?」

 

 と言われても、信じられないわよ。

 あたしはただの士官候補生で、そんな化け物じみた力は持ってない。

 本物の超人なら、「明日のテスト、分かる様になぁれ」と願ったら、自動書記みたいに勝手に解答用紙の回答欄を埋めてくれるとか、そんな力が無いと駄目じゃないの。

 

「えーと…イブリン。何か考えて」

「はい?」

 

 訝しげにこっちを見るけど、とにかく確認が先よ。

 まずは読心が出来るか、どうかよね?

 

「欲しいおやつでも、好きな花でも、とにかく何でも良いわ」

「じゃ、色を考えます」

 

 じっと彼女の顔を見つめる。

 えーと、何考えてるのか聞こえて来い!

 

「良いですか?」

 

 数秒経った。あたしは頷いて答えを言い合う。

 

「じゃ、深紅」

「深緑ですね」 

 

 やっばり当たる訳無いわよね。

 ベラドンナは切り株に座ると皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 

「さて、これがわしの知る『エリルラ』の全てじゃよ。

 では、休ませて貰うぞえ」

 

 それだけ言うと、こっちの返事を待たずに寝入ってしまった。

 あたし達は顔を見合わせる。

 

「どう思う?」

「でも、一概に嘘とは言えませんね…」

 

 実際、障壁破りをイブリンは目撃したと主張する。うーん…。

 

「まぁ、それは後回しとして…ここは何処なのか、把握する必要があるわね」

「下手すると、グラン王国じゃない可能性も?」

「有り得るわね。とにかく、このロリが起きたら、森から出ましょう」

 

 三時間後、あたし達は出発した。

 でも歩く気が無い、お邪魔虫を連れているからかなり歩みは鈍いわよ。

 やれ、「疲れた」だの、「年寄りを労れ」だの文句たらたら。そして、少し歩いて座り込みの繰り返し。

 

「とうしても【転移】先を言わないつもりね」

「ふん。お前らとわしは、所詮は相容れぬ敵同士じゃ。足手纏いなら、この年寄りを置き去りにしても構わんぞ」

 

 ここは何処だとの質問には答えない。それどころか、そんな憎たらしい事を口に出す。全く協力的ではない。

 本当にぶち殺すか、放置したい所だわ。

 でも我慢、我慢。ホムンクルス事件の全容を調べる為の証拠なんだし。

 歩いている内、少し拓けた所があったので、船上実習の実践で天測した所、かなり西の地方らしいとだけ分かった。クロス・スタッフもないから目測だけどね。

 

「下手すると、ここは法国ですよ」

「へえ…あたし、外国は初めてなのよね」

 

 イブリンにそう言われたけど、人里離れてるから、あんまり外国へ来たってイメージが湧かないなぁ。

 相変わらず、行けども行けども鬱蒼とした森。こう言う時、あたし達の格好が軽装で助かってるわね。セーラー服とお仕着せのメイド服。

 士官学校の制服って良く考えられてるわ。狭い船内を駆けたり、マスト登ったりするんだから当然だけど、動き易くて助かる。

 短くて脚が丸見えだけど、平装ではスカートもキュロットだからパンチラ皆無だしね。男子は残念って言ってるけどさ。

 それでいて上品なデザインだから、女の子にも好評なのよね。白地に淡い緑のセーラーカラー。そして胸元のリボンが可愛いのよ。

 普通の貴族令嬢ならば、裾の長いドレスがデフォ。いや、これでも貴族階級の末席だから着用経験はあるわよ。

 でも、あの格好じゃ多分、この森を走破するのに困難を極める筈よ。まして夜会用のコルセットぎゅうぎゅうの奴ならアウトよね。

 

「水がありますね。飲用に適するとは思いますが…」

「森の中なのだし、毒水じゃないでしょ」

 

 湧き水が岩の間から浸み出している。一面に苔が生えてるから、毒では無いと判断したんだけど、イブリンは慎重だ。

 ごにょごにょと唱えると、聖句の【毒感知】を用いたのよ。で、結果は白。

 量はぽたぽたって感じで、少しずつ出ているからがぶ飲みは出来なかったんだけど、あたし達は岩肌に口を付けて久しぶりに水を口にしたわ。

 

「美味しい。水がこんなに美味しいとは思わなかったわ」

「一寸、硬水ぽいですけどね。修業時代を思い出します」

 

 尋ねると神官は野外で瞑想する修行があったらしいわ。

 ただ、そこへ赴くだけではなく、野外で生存する技術も教えられるとの話。

 これは巡礼とか、布教の為に野営したりする必要があるので、一応、基本的なサバイバル技術は教え込まれるのだとか。

 

「神官も大変ね。あたしは聖堂に篭もって祈り三昧だと思ったわ」

 

 そんなイメージはある。イブリンは苦笑すると「都市部の神官はそうかも知れませんね」と肯定した。聞けば、最近では野外での修行はおなざりで、形骸化している事が多いのだとか。修行に適した土地が近くに無いからなのだそうだけど。

 

「私の育った所は田舎でしたから、こんな感じで近所に自然が一杯でしたからね」

「へ? イブリンって聖都の生まれじゃないの?」

「産後、直ぐに地方へ引っ越したんです。人口の少ない田舎でしたよ」

 

 意外だった。あ、性別が男だからだったからかな。聖都ではなく人の少ない田舎の方が、その機密が守り易かったって理由なのかもと推測できるわね。

 

「うん…」

「? 何ですか」

「あ、いえ、気にしないで」

 

 男性…なのよね。

 あたしはイブリンの姿を見ながらそう思う。

 メイド服。黒地のワンピースにフリルの付いた白い前掛け。エプロンドレスって言うんだっけ。それが良く似合ってるわ。悔しいけど仕草とかスタイルとかは、純粋な女性である筈のあたしが負けている気がする。

 女としては複雑な気持ちだわ。

 あたしはベレー帽を被り直して目をそらした。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 何処とも知れぬ遺跡の奥深く。二人の人物が会話している。

 それ人知れず、ビゴ砂漠にある巨大な墳墓内だ。

 

「では、私にそこへ行けというのだな?」

 

 奇妙な仮面で顔を覆い、漆黒の長衣に身を包んだ男が、遙か高位から自分を見下ろす女にそう尋ねた。

 

「うむ。ただで君に貴重な資源を分ける程、こちらも潤沢ではないのでな」

「移動手段はどうする。稼働用のマテリアルを回してくれるのかね?」

「円盤用にか? それはないな。君がそれを別の物に流用してしまう危惧がある」

 

 女は妖精族の少女だった。古代王国仕様の白い衣装に身を包み、同じく古代王国仕様の金の装身具、冠やら首飾りをじゃらじゃらと身に纏っている。

 

「信用がないな」

 

 少女は肩をすくめた。腕に付けた金環がしゃららと澄んだ音を出す。

 

「どれ位、わらわが君に付き合っていると思うのだ。君に約束を反故にされた事例なぞ、既に両手で足りぬ程だよ」

「しかし、それでは…私に徒歩で行けというのかね。海底へ?」

 

 少女。仮にいつも名乗っている『墓守』と呼ぼう、は、にぃっと口を歪めると目を細めて『教授』をねめつける。

 

「君には別の手駒もあろう。そう、海魔だよ」

「あれか。確かに、あれなら余裕があるが」

「そう言う事だ。火山を爆発させ、竜脈を活性化してくれればいい」

 

 完璧に墓守の趣味だな、と教授は思う。本当にレイラインが働いているのかを確かめる為の、テストなのだろうが…。

 

「それをすれば、地震や津波で死者続出だな。余り私の趣味ではないが…」

「現世の民など、幾ら死んでも困らぬよ。やってくれるな?」

 

 こいつ、言い切りやがった。

 仮面の下の顔が歪んだが、本質は墓守も自分も変わらないかと納得する。所詮、現世を転覆させる為に存在する、同じ穴の狢だ。

 

「…指示された場所は了解した。マテリアルはちゃんと渡せよ?」

「約束しよう。そうそう、帝国の『アモン・ラー』があの辺りを遊弋している。いざと言う時には協力を頼むがいい。何かの足しにはなるだろうて」

 

 墓守はそうは告げたが、何の期待もしてはおらぬだろう。古代王国人はこれだ。現代人を蔑んで下に見ている。

 

「ブロドール船長の船か、『光の乙女』の友達が確か海域に居るのだったな。それを始末して貰おうか」

「では、期待してるぞよ」

 

 教授が【転移】を使って消える。

 墓守は切り揃えた黒い前髪を揺らして、その漆黒の瞳を閉じた。

 再び沈黙が、ビゴ砂漠の墳墓を支配した。

 

〈続く〉




はい、実は聖女編、〈外伝〉の実習航海編と連動してたりします。
火山爆発の原因は教授達だったんですね。
竜脈うんぬんは、『天空のエスカフ〇ーネ』でザイバ〇ハ帝国が手に入れようしていた奴に似た物です。これを何に使うかは、まだ秘密。
ろくでもない事に使うとは思いますけど(笑)。

エロコ達は森をさまよい歩いてます。つーか、殆ど何の装備もない。
多分、サバイバル色が強くなるかも?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女8

一週間ぶりです。
聖女編をお届け致します。


〈閑話〉ウサ耳村7

 

 船は航海を続け、三日目には大陸本土を視界に収めた。

 その間、ニナは下働きを続ける。相変わらず甲板掃除ばっかりだが、リーミンやボースンの指導は厳しく、手抜きをすると張り飛ばされた。

 東へ航行を続ける中、艦首左手に真っ白な砂漠が広がる。きらきらと陽光を浴びて反射する姿は、砂糖菓子の表面の様だ。

 

「エロ・ファンベータ。妖精語で『光る砂漠』と呼ばれる由縁さ」

 

 セドナは説明する。この砂漠には昔からタチの悪い魔物やら、盗賊団やらが棲み着いていてろくでもない。と。

 

「幸い、奴らの影響はポワン河って大河でせき止められてるけどね。

 昔はその東岸で苦労したもんさ」

「昔?」

「エロンナ村って所で領主やらされてね。まぁ、昔話はいいか。

 ここから暫く行った所にオアシスがある。敵の海賊船はそこを目指している可能性が高い。あそこには…」

 

 先んじて「奴隷市場がある」とニナが呟く。

 セドナは頷いて、「そう。だが、そいつを壊滅させる訳には行かないのさ」と続けた。

 

「何故だ」

「憤るんじゃないよ。オアシスのある村、アル・ファランはグラン王国じゃない。何処の国にも属さない自治領なのさ」

 

 現実的には王国と帝国、双方に貢ぎ物を送って臣下の礼を取っているが、実質的には独立勢力である。よって、どちらの国法にも従う事はない。

 

「つまり、奴隷取引は合法だと…」

「そう言う事。そして諍いを起こすとこっちの首を絞めかねない」

 

 よってオアシスで争うのは御法度。

 

「だから、なるべくアル・ファランの港外で決着を付ける。港内に逃げ込まれたら厄介だし、陸戦はやりたくない」

 

 オアシス太守の手勢が介入してくる事態を招くと厄介だからだ。本気でやり合えば勝てなくはないだろうが、ここで余計な損害が出てもつまらない。

 

「海賊ならまだしも、こちらはグラン王国の士族ゆえに外交的にも問題が出る」

「ふぅん」

 

 外交とか良く分からないが、ニナは納得したふりをする。

 まぁ、余り煩わしい事にゃ、関わりたくないって事なのだろうと思う。

 そこへボースンとリーミンらがやって来た。

 

「どうやら先回り出来たようですぜ」

 

 とボースン。先程、すれ違った商船からの情報である。

 旗旒信号で問うた所、汚く赤い船体の船の目撃例はないとの話だ。

 

「もっとも、海賊が別の港へ向かった可能性もあるにゃ」

 

 とはリーミン。しかし、そうなると行き先は遙か東の皇国か、それとも西回り航路を取って帝国へと向かった事になる。だとしたら、もう追跡はもうお手上げになる。

 

「ま、それだったら仕方ないよ。運が無かったと諦めるしかないねぇ」

「皆を見捨てるのか?」

「残念だけど、皇国や帝国の領海で海戦をやらかす危険は踏めないよ」

 

 ニナに反発心が起きる。

 

「大人の論理だ」

「そうだね。だが、これがあたしが出来る事の限界さ」

 

 セドナはふっと自嘲の笑いを浮かべた。若い頃だったら、ニナと同じく脇目も振らずに連れ去られた捕虜を救出して行ったろう。

 被る損害を考慮せず、それによって後々、何の影響が出るのかも構わずに。目の前の事しか見えてない頃であったなら。

 

「でも…」

 

 いきなり横っ面を張り飛ばされる。

 

「いい加減にしないかにゃ!」

 

 リーミンだった。仁王立ちになってニナを見下ろしながら、冷ややかに告げる。

 

「あのなぁ、それを行う義務が御館様にあるのかにゃ?

 私らは海賊退治も担当するが、正規軍でも正義の味方でも、慈善家でもないにゃ。よって自ずからに限界はあるんだにゃ」

 

 ラオが「経済的にもペイしねぇ」と付け加える。

 私掠船はタダで動いている訳ではない。赤字は出せない。無論、国民を救えば国からは報奨金だって出るだろう。

 しかし、それが航海にかかる費用を下回れば単なる損になる。「その補填をお前がしてくれるのかにゃ?」とリーミンは鼻を鳴らした。

 

「…出来ない」

「なら黙ってるにゃ。本当なら、お前の村の住人を助ける義務だって御館様にはないにゃ。

 もし乗組員に負傷者、戦死者が出た際の赤字に目を瞑ってくれてるのが判らないのかにゃ?」

 

 ニナは打ちのめされた。

 そんな事、考えた事もなかったからである。

 あくまで好意で動いてくれていた。それが今の状況なのを思い知り、肩を落とす。

 ラオは「新入り、甲板掃除だ」と声を掛け、そのままミドルデッキへ行く様に伝える。

 

「若いにゃ」

「あんたの昔だね」

 

 頬を紅潮されるネコ耳娘。「そうだったかにゃ?」とぽりぽりと頬を掻いて誤魔化す。

 セドナは羽根扇を広げて口元を隠し、くすくすと笑った。

 

「だが、子供の頃はあれでいいんだよ。大人の世界に入るまではね。

 ただ、ニナはもう子供の世界にゃ戻れない。それを選択しちまったからねぇ」

 

 顔が真顔に戻る。

 

「戦士だからにゃ。命のやりとりに大人も子供だからって、手加減は一切してくれないにゃ」

「殺すか、殺されるか。だからね。

 もう少し、マーヤーの元へ置いときたかったよ。ラオ、リーミン」

 

 名を呼ばれたボースンとネコ耳娘は、腰をかがめてざっと礼を取る。

 

「は、御館様」

「ニナに刀の稽古を付けてやってくれ。刀じゃなくても良いけどね」

 

 ラオは「御意」と返答して頭を垂れた。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語21〉

 

 鬱蒼とした森。

 だが、それはベラドンナことリンリンには見慣れた風景であった。

 元々妖精族。森林の民であった彼女にはこうした地形こそ、親和性が高い物であり、土地勘もある程度働く物であるからだ。

 わざとこの地を狙って跳んだ、と言うアドバンテージもある。

 あの眼鏡、エロコとか言ったか、が予想していた通り、ここは法国領であり、王国からかなり離れた僻地であった。

 ゲルハンが迂闊者であったのも幸いした。

 あの男は詰めか甘い。よく調べれば、自分の奥歯に全て魔石が仕込まれているのが判明したろうに、それを怠った。

 もっともここへ跳んだり、障壁を張るのに半分は使ってしまったので、残りは半分だ。

 全部使うと物が噛めなくなるので、なるべく温存したい所であった。

 さて、この小娘どもはこれからどう出るか。

 にやりと『既に我が手中に落ちているのを理解した時、その反応が楽しみじゃわい』と、暗い笑いを忍ばせる。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「何か笑われた気がするわ」

 

 とあたし。寝ているロリ婆が口元を歪めた様に見えたのね。

 

「気のせいだと思いますよ」

 

 イブリンは薪を火中に放り込みながら返事をした。

 陽が落ちるのにはまだ早いけど、あたし達は野営の準備をしている。だって【転移】のせいでろくな装備がないから、なるべく早め、早めに準備を急いだのよ。

 

「やはり冷えてきましたね。早めに焚き火をたいて正解でした」

 

 それでもイブリンは侍女だから、幾つかの生活道具を身に付けている。

 火口(ほくち)箱とかナイフね。対してあたしの方はろくに道具は無いわ。カトラスは身に付けていたけど、これじゃ薪を得る為の道具になりゃしない。

 無理すれば使い物にならなくなる。

 うー、今度から短剣を身に付ける習慣を付けとこう。

 

「大袈裟なサマーマントを着てて良かったわ」

「メイド服も長袖で助かります」

 

 あたしは水色のマントをばさりと翻した。

 王国では初夏。季節の変わり目で突然、暑くなったり、逆に冷え込んだりと寒暖差が激しい時期だったのが幸いしたわね。

 もう少し。タイミングが遅れてれば、半袖な夏向きの涼しい服装に衣替えしてたから、この状況で苦境に陥ってた筈よ。

 

「問題は野生動物ですね。ヴォルフとかベアーとか出なきゃ良いんですけど…」

「鬼族やもっと質の悪い魔族もね」

 

 人里では駆逐されているが、辺境ではこうした魔物も多い。

 

「もっと始末に悪いのはヒトですね。あれは火を発見したら近寄ってきます」

 

 盗賊、夜盗、山賊…呼び名は色々あるけど、要は悪党共よね。

 女三人。いえ、イブリンは違うけど見掛けは美少女だし、もし、こんな所で遭遇したら格好の獲物になってしまうわよ。

 

「まぁ、その心配は置いておきましょう。問題は食糧よ」

「水はさっき発見しましたけど」

 

 そうなのよ。手持ちは皆無なのよね。

 森をさまよう事半日。発見したのはキノコの類いだけ。これって食べられるのかしらと半信半疑の代物だわ。狩りかなんかしようにも道具もないしなぁ。

 

「大丈夫。大丈夫です」

 

 イブリンがあたしを抱いてくれる。

 えっ、あたしは仰天したけど、付き放つ事もなく、そのまま温もりに包まれてしまう。

 

「私が何とかします。心配せずに…」

 

 しかし、イブリンはあたしの耳元で別の言葉をささやいていた。

 周囲に気が付かれない様な小声で、「誰かがこちらを見ています」と。

 はっとして周囲を確かめようとするが、「きょろきょろしてはいけません。気が付かれます」との制止で気配を探るのみに徹する。

 

「精霊よ。気配を教えよ。【探知】」

 

 そっと精霊魔法を唱える。

 あたしが使える初歩的な魔法だ。あたしの腕では探知範囲は狭いけど、なかなか役に立つ。

 

「反応あり、ね。ヒト級が三人って所?」

「山賊か、それとも鬼族か…。そのまま何処かへ行ってくれれば良いんですけど」

 

 抱きかかえられながらも、小声で会話は続けられたわ。

 端から見れば、二人の少女が抱擁している風にしか見えないだろう。あ、でも股間に硬い物が当たる。これって、あれ…よね?

 オトコノコなんだ。と、改めてイブリンに異性を感じてしまうわ。うわっ、考えようによっては、あたしって大胆な事してる?

 

「ふむ、ようやくやって来たかのぅ」

 

 そこに響いたのはロリ婆。いや、妖精族の錬金術師が発した声だった。

 樹にもたれかかって寝ていた彼女が、すくっと立ち上がっていた。無論、手は拘束してあるんだけどね。白っぽい金髪が焚き火の炎に反射して鈍く輝く。

 

「貴女の手下なの?」

「大人しく捕まる方が良いぞ。わしには『エリルラ』は不要の者じゃ」

 

 童顔で美しい容貌が歪む。

 

「お主が死んでも、わしにはデメリットも痛痒もない」

 

 迂闊だった。ここへ飛ばしたのだから、この土地は彼女のホームグランドである可能性を失念していたわ。

 同時に気配が動いた。前方と後方から、それぞれ得物を手にした白い長衣の人影が現れる。前から二人、後ろからは一人。体格はそれ程大きくないわ。

 

「エロコ様、私の後ろへ」

 

 イブリンが離れると咄嗟に焚き火から丸太を引き抜いたわ。太さは細くて頼りないけど、火の付いた松明状態だから迫力はある。武器としては有効そうね。

 あたしもカトラスを引き抜く。

 パチパチと焚き火の弾ける音が辺りを支配したわ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「エロコに対しては追跡手段がある♪」

 

 ゲルハン邸で一連の話し合いが終了後、ユーリィは説明をしていた。

 ニナは既に屋敷を出てエロイナー邸へと向かっていたし、マドカらも解放されて元の教会へと戻っていたから、ここにいるのは『闇』関係者だけだ。

 

「ビーコンを付けたのですね?」

 

 そう問うて来るのはローレルだ。ユーリィは頷くと「但し、相手はエロコじゃなくて聖女様だけどね♪」と補足する。

 

「二人になった時に襟の裏にね。あのメイド服を脱がない限り、上手く行けば一週間は追跡可能だよ♪」

「上出来です。早速、足取りを掴みましょう」

 

 ローレルは褒め、ベッケル・ゲルハンは「ふむ」と感心する中、ただ一人だけ状況を掴めないのはクローネ。「あの…どう言う事なのですか?」とおずおずと質問する。

 

「ああ、貴女は見習いですから、まだ習っていませんでしたか」

 

 問われた『闇』の幹部は説明する。だが「これは『闇』に於いても最高機密です。無関係な他者に口外すれば死罪ですよ」と脅しをかけるのを忘れなかった。

 

「精霊魔法の一種なんですが、マーキングした物体を探知する魔法があるんですよ」

「【探知】ですか?」

 

 ローレルは首を振る。似ているがそれとは違う魔法だと。

 

「範囲が全く違うんだよ」

 

 ゲルハン男爵が代わって答える。大陸間さえ追跡可能な遠距離魔法なのだと。普通の【探知】は一級魔導士でもせいぜい数百キロなのに…だ。

 

「『ファーロング・トモロー』と呼ばれる、特殊な魔力を発する物質があってね。まぁ、専門的に言えば何かの菌らしいんだが、そいつの反応を辿るのさ」

 

 古代王国で開発された遺失魔法で一般的には知られていない。無論、各国の諜報機関でも最高機密に相当する魔法であると述べる。

 ユーリィは「まぁ、その内、教えられるだろうけど♪」とクローネへ笑いかけると、鉛に包まれた容器を見せる。塗り薬の軟膏入れに似ていた。

 

「魔力を遮断する容器だ。この中に菌が入ってる。

 こいつを気が付かれない様に、相手の何処かに素早く塗りつける。

 菌が生存出来るのが長くても一週間。下手すると半日で死滅しちまうのか欠点だね♪」

 

 極端な低温、高熱に晒されると弱いのは性質上仕方ない。

 それでも有用なのは確かなのである。

 ローレルは探知装置である水晶球状のマジックアイテム取り出すと、ユーリィに番号を尋ねる。『ファーロング・トモロー』には固有のロット番号があって、それそれ発する特殊魔力が違っており、これによって特定の周波を絞り込むのである。

 

「これですか…」

「ありゃ、こりゃ遠いわ♪」

 

 反応は国外である。水晶球の映し出された輝点はラグーン法国内を示していた。

 王都から遙か西の森林地帯だ。

 

「ビーコンが働いてる内に何とか連れ戻したいですね」

「どうせ、あたいなんだろ。いいさ…、【転移】の使える奴を用意してくれる♪」

 

 とは言うものの、言った先の帰還方法はない。

 送り込まれたら、自力で帰還するしかない片道切符になるのだが、ユーリィは覚悟を決めた。

 

「済みませんね」

「言葉よりも装備だよ、ローレル。その水晶球とか色々貸してくれ♪」

 

 自慢の長い金髪をばさばさと掻くと、彼女はクローネの方を向く。

 そして一言「あんたも災難だけど、あたいの部下だから任務に同行して貰うよ♪」と言い放ったのである。

 

〈続く〉




かなり掛かってしまった。
ウサ耳村も完結したら纏める予定ですが、多分タイトルが変更されます。
最初は文字通り、ニナの村でのお話だったんですが、私掠船での行動中心になったので「タイトル詐欺だよなぁ」と。
始めはもっと短く終わらせる予定だったのがどうしてこうなった。ちなみに忠義者なニナの性格が全く違うのは、あれから成長したからです。

ビーコン。微生物の観念がないので菌と言ってますが、要は生体発信器です。
判る人には判りますよね。ファンタジーで出してみたかったんですよ(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女9

何とか、今週に間に合いました。


〈閑話〉ウサ耳村8

 

「この程度で、戦士を名乗るにゃあ!」

 

 木刀の重い一撃がニナにめり込む。

 

「立つにゃ。やりたくないのなら,止めちまうにゃ」

「まだ…まだ」

 

 崩れ落ち、血反吐を吐いているがニナは立ち上がる。

 リーミンの稽古とはとんでもない実戦仕様だった。型を教えるとかの基礎を吹っ飛ばし、まずは木刀を持たせた後、「どっからでも良いから,掛かってくるにゃ」とニナに伝えたのである。

 振るわれるニナの数多の攻撃を、このネコ耳族はさらりと躱し続けた。

 はぁはぁと息が上がり、攻撃が止まった所でリーミンの最初の反撃。まずは小手をしたたかに打たれて、武器を落とされる。

 続いて先程の容赦無い突きだ。幼いウサ耳娘は吹き飛ばされ、舷側まで吹き飛び、背後にあった弩砲に背中をしたたかに打ち付けられた。

 

「お前の攻撃は直線的過ぎるにゃ。殺気がこもっているから剣筋がバレバレにゃ」

 

 リーミンはそれから木刀を拾う様に指示する。

 そこへ現れたのはラオことボースン。「どんな感じか?」と尋ねると、「見込みはあるにゃ」とリーミンは素っ気なく返答する。

 手近にあった桶から柄杓で水を汲むと、美味そうに喉を潤し、残った水をニナへと投げる。

 

「暫く休んだから続きにゃ」

 

 びしょ濡れになったニナを一瞥し、リーミンは身体をはたいて後ろを向いた。

 チャンス。『どっからでも掛かってこい』なら、今だって襲撃時間だ。そうニナはずる賢く計算すると、黄色いキャットスーツの無防備な背中目掛けて木刀を振りかぶる。

 

「バレバレだと言った筈にゃ」

 

 あっさり見破られ、その脳天に一撃を食らうウサ耳。

 目から火花が飛んだ。頭を抱えて転げ回る。ボースンはゲラゲラ笑いながら、「殺すなよ」とリーミンに言い含めて、マストの上に登って行く。

 

「何故だ」

「殺気を纏うのは構わにゃいが、それを剣先に乗せるからだにゃ」

 

 対峙した際、相手を圧倒する気持ちで身体から殺気を出すのは推奨される。

 が、あくまでそれは相手を威圧する為の物。剣にそれを乗せるのは愚策だとリーミンは述べた。

 

「敵に剣筋を読ませてはならないにゃ」

「身体の方は構わないのか?」

「構わんにゃ。敵が身体の方に意識を集中してくれる分、手先が自由に振るう事が出来るにゃ」

 

 要は殺気を出す身体を囮にする事なのだと言う。

 

「本当の剣豪なり暗殺者は、殺気すらも押し殺して剣を自在に繰り出すらしいにゃ。でも、あたしは凡人だから、そこまでの境地には達してないにゃ」

 

 武器を使う時にどうしても殺気は込めてしまう。

 無意識に武器を操れる程の訓練は受けていないのは、リーミンも正規の武術を習っておらず、長年の傭兵生活で身に付けた我流だからだと語る。

 

「死線を潜り抜けて生き残れば、ニナもいずれ身に付くにゃあ。

 さて、暫く休憩したら、続きだにゃ」

 

 その日の日没まで、ニナはリーミンに翻弄され、躱されては殴られ続けた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 目的地に到着したのは翌朝。

 田舎町かと思ってたら、アル・ファランは結構な賑わいを見せる活気のある港町であった。

 

「ついといで」

 

 セドナに請われて、ニナは上陸に付き合う事となった。

 本船は港外に停泊。ボースンを留守役に残し、セドナ達は港の太守に挨拶に赴く。

 港には防波堤があり、木製の杭が港を半周する形で囲んでいる。所々に砲座が設けられており、弩砲が外敵に睨みを効かせ、入口の左右には石造りの監視塔が建っている。

 そこに跳ね上げられたアーム状の腕木に渡されているのは,頑丈な鉄鎖である。アームによって高い位置にあるのは,航行する船のマストに干渉せぬ様に工夫された物だ。

 いざと言う時には、監視塔の間に渡されたこの鎖が降ろされ、敵船の侵入を防ぐのだろう。

 

「交易港は大体、こんな仕組みで港を防護してるにゃ」

 

 カッターで港へ向かう一行の頭上に垂れる巨大な防護施設を、口を開けてニナが見つめる中、やはり同行しているリーミンが、櫂を漕ぎながら説明する。

 ニナの故郷の漁港にはこんな設備は無かったからだ。まぁ、それなりに金が無いと設けられないのではあるが、もし、これが故郷の港にあったらと歯がみしたくなる。

 あの海賊の侵入を防げたのでは無いか?

 

「そろそろ岸壁だね。用意しな」

「「「イエッサー」」」

 

 カッターを漕いでいる全員が返事をする。

 岸壁には中原風の格好をした者達が行き交っている中、セドナ達一行はアル・ファランの町に上陸した。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語22〉

 

 前後に三人。そして背を合わせながら、互いに武器を構えるあたしとイブリン。

 森には夕闇が迫っている。

 ぱちぱちと音を立てる焚き火が、周囲を照らす中、襲撃者はじりじりと距離を詰めてくる。

 

「無駄な抵抗は止めた方が身の為じゃぞ」

 

 ロリ婆の警告は無視。あたしは襲撃者の方を観察する。

 背はあたしやイブリン位ね。それ程高くないし、体型もがっちりとしてはいない。何とかなりそうだと感じたわ。

 これがマッチョな、筋肉だるまの典型的な傭兵かなんかだったら、抵抗するのを諦めてしまったかも知れない。でも、これならまだ光明はある。

 敵の得物は鎚矛(メイス)ね。教会の聖職者がよく使う武器だわ。

 俗説では「流血をさせない為に」とか説明される武器だけど、とんでもないわ。単に先端が丸い穀物(鎚頭)ならそうかもだけど、今の襲撃者が持っている様な羽根付きメイスで直接肌を殴られたら、大流血必至なのは間違いないわよ。

 

 カトラスを構えたまま、「最悪、リンリンを人質に取ってしまいましょう」とあたしは呟いたわ。

 イブリンの方も「まぁ、仕方なしです」と答えてくれた。

 元聖女様だから反対するかと思ったけど、現実主義者で助かるわね。だって、あたしたちは弱者であり、清廉潔白な正義の味方でも、公明正大で義に溢れた剣士でもないんだからね。

 

「来たわよ!」

 

 暗殺者系なのだろう。無言で殴りかかってくる。

 あたしはサイドステップで横に跳び、返す刀で敵を薙ぐ。幸い敵はそんなに腕の立つ奴らじゃなさそうだわ。

 やれると確信する。イブリンの方も敵をいなしているからね。

 教会の巫女は戦闘訓練を受けているとの話は,どうやら本当みたい。敵の武器をを松明で受け止めている。

 

「まさかっ、そんな」

 

 鍔迫り合いになったイブリンが叫ぶ。同時に後ろで控えていたロリ婆は低い声で笑ったわ。

 

「気が付いたようじゃな」

 

 その間にも敵は斬りかかってくる。この際、背に腹は替えられない。あたしは覚悟をして敵をカトラスで薙ぎ払ったわ。

 鮮血が飛び散る。能動的に敵を殺したのは初めてよ。

 血飛沫を上げて呆気なく敵が崩れ落ちる。終わってみればたわいも無い。フードから長い金髪をこぼしながら、敵が息絶えた。

 けどっ、これは…。

 

「イブリン?!」

 

 その光景に絶句する。今、倒した敵はイブリンそのものの姿をしていたからだ。

 あたしは衝撃を受けて、一瞬無防備な姿を敵中に晒してしまった。そこへ残った敵が突進してきて、あたしの腹に重い一撃をお見舞いする。

 

「ぐはっ」

 

 情けないくぐもった悲鳴。胃から逆流する酸っぱい何か。

 膝を折って耐えるけど、イブリンのそっくりさんが頭へと振りかぶった穀物が、あたしが意識を手放す最後に見た光景よ。

 くらりと意識が深い闇の底へと沈んで行く。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 クローネはネコ耳族だ。

 元々は良い所のお嬢様であったが、今は王都の貧民街に暮らす下層民だ。

 7歳の時に誘拐された。しかし、誘拐犯達は内部分裂を起こしたらしく、王国軍が駆け付けた時には仲間割れで殆どが死に絶えていた。

 拉致されたクローネら子供達は解放されたが、行き先の無い者、何処から拐かされたのが分からない者は、孤児院に引き取られるしか無かった。

 そんな時、これに目を付けたのが『闇』であった。

 こうした幼く、もし失っても国家の損失にならない者達を、訓練して密偵として育て上げる。

 これは王国だけでは無く、どこの諜報機関でも行っている割合ポピュラーな手である。

 

「ふぅん、ネコ耳族とはね…」

 

 ユーリィは覆面と外套を脱いだクローネの姿をしげしげと観察する。

 オレンジ気味の茶髪をしたおかっぱ頭。ネコ耳族を強調する、白と赤のセクシーなキャットスーツ。だが、胸はぺったんこで残念な出来だ。

 まぁ、歳を聞くとまだ11と言うから仕方ないのだけど、これは将来に期待と言うべきだろうか。

 

「密偵の訓練を受けて約五年か…。で、この娘が一番マシな出来な訳?」

 

 ユーリィは側に立つローレルに振り返って言う。

 その言葉に、普段の明るい「♪」付きのポップな感じがないのは、演技では無く密偵としての「素」の口調で話している為である。

 

「同期は他に何人か居ますが、王都にすぐさま招聘出来たのはクローネだけでした。

 交代要員を要求したのは貴女でしょう?」

「まぁ、そりゃあね。でも、今度の任務に連れて行くに当たっては…なぁ」

 

 行く先は死地に近い。そんな中、任務の達成度を下げる要因はなるべく避けたかった。

 だが、一人で行くのはやはり難しく、バックアップは欲しい。だから、もう少し質の良い相棒を彼女は要請したのである。

 しかし、答えは否であった。手空きの者は居ないとの答えである。

 『闇』の台所事情はかなり厳しいらしい。正確に言えば、ユーリィとて正規の『闇』ではないのだ。それすら動員せずには居られないのだ。

 

「大丈夫です。ユーリィ様のお役に立って見せます」

「と、クローネも言っていますしね」

「仕方ないなぁ」

 

 嘆息。しかし、現実は変わらない。ユーリィは覚悟を決めた。

 

「命がけになるけど全力を尽くせ。そして、あたいを恨むなよ」

「はいっ」

「密偵時にエロコ達に姿を見られるな。直接的な接触は避けろ」

「はいっ」

 

 返事だけは元気良いなぁ。とユーリィは思う。

 接触を避けるのは、クローネをあくまで黒子として動かしたい為だ。顔やら特徴を知られるのは、今後の活動で支障が出る。

 馬鹿正直に『密偵でござい』面をした者を近寄らせる程、あの二人は阿呆ではなかろうとの判断である。まぁ、先の聖女様の反応から、自分も疑われてるのは知っているが…。

 自分が疑われているから、クローネを隠し球として保持したいとの思惑もあったりする。

 

「装備はこれで全部ですか?」

「ああ、あたいは終わってる。クローネは?」

「はいっ、終わりました」

「では移動しますよ」

 

 ゲルハン邸の地下に設置された魔法陣。魔力を充填され、鈍い燐光を放っている。

 脇には操作用の魔法装置が設置され、それをベッケル・ゲルハン男爵が入力操作していた。

 

「転移装置ってのは最高機密なんですよね」

「あの魔法陣自体は臨時に描かれた物で、肝は隣の操作卓にあるんだけどね♪」

 

 古代遺跡からの発掘品である。現世に残っている物は知られている限り、両手両足の指の数よりも少なかった筈である。

 これを再現しようと試みた錬金術師は多かったが、発掘品の余りにも複雑な術式と特殊な素材が必要なのが理由で挫折している。

 しかし、操作方法の解析は可能であったので運用は可能だ。使用毎に莫大な魔石を消費する燃費の悪さに目を瞑ればだが…。

 

「感激ですっ」

「ん、ああ、もしかしてさっきから気分が高揚してるのは,そいつの為ぇ?」

 

 子供だ。いや、年齢からすれば、充分に子供なんだろうけど。

 未知のマジックアイテムを使う特別な経験に、わくわくしてるのか。ユーリィは頭に痛みを感じていた。この猫娘、絶対に密偵向きじゃ無いよ。

 

「ローレル、大丈夫なのか、こいつ」

「技術的には問題ありません。それは王立魔導学院のガナー博士からも…」

「いや、装置じゃなくて、クローネ」

 

 騎士は「おや」と言う風に首を傾げ、それからユーリィの肩をぼんぽんと叩く。

 

「見習いですからね。基礎は充分に叩き込んでますから大丈夫ですよ」

「いや、今更だけど…」

 

 笑いながらローレルはユーリィを転移陣内に押し込み、「見習いでも構わないと仰ったのは、貴女ですよ」と言いながら一歩下がる。

 

「そりゃ、そうだけど」

「クローネも準備整いましたね。では、いってらっしゃい」

 

 ぱぁぁぁぁと眩しい光が転移陣内を包む。

 数瞬後、転移陣内にあった密偵二人は空間転移して地下室から飛ばされていた。

 

「上手く行きましたか、男爵?」

 

 ローレルは振り返ってゲルハン男爵に問う。

 

「さてな、こいつは気難しい魔法装置だから、正確には飛ばせないのだよ」

「誤差は?」

「10Km内外。まぁ、完全に調整済みだから岩の中や地面、建物の壁で実体化する事は無いと思うがね」

 

 男爵は肩をすくめた。これと似た魔法装置で、昔、えらい目に遭った事があるからだ。

 

「誤差に関しては問題ないでしょう。多少ずれていたとしても、あの二人ならば自力で辿り着けますよ」

「『ファーロング・トモロ』が生きている限り、はな。

 それと今回の経費は『闇』に回しておくぞ。実費+レンタル料だ」

「ご随意に。しかし、魔石を食らう金食い虫ですね」

 

 財政担当が文句を絶対言うなと、ローレルは対応を考える。

 機密費とは何だ。と出所不明の支出にいつも噛み付いてくるあの役人。なまじ優秀なので左遷も出来ないし、したら、ギース王から文句が出るだろう。 

 

              ◆       ◆       ◆

 

 夢を見ていたわ。

 暗い、真っ暗な闇の中であたしが浮かんでいる。

 夜空に近いわね。闇の中でも小さな光が幾つも見えるわ。何か、でっかい黄色と茶色をした球体が輪っかを伴って近所に見えるけど、これは何だろう?

 

『星系の空間内に、敵は感じられない…』

『新米の巫女(エリルラ)よ。もっと感覚を広げてみなさい』

 

 これあたしの台詞?

 喋ったのはあたしだけど、意識はあるのに自分の身体に干渉出来ないのは何故?

 幽霊(ゴースト)の中でも憑依霊みたいな感じなのかしら。

 あたしはあたし、区別付ける為にあたしⅡと仮称するわね。に「おーい」や「応えて」と問いかけるけど、奴は完全に無視してる。

 

『あ、発見しました。先輩』

 

 あたしⅡが、姿の見えぬ誰かに嬉しそうに告げる。

 感覚が爆発的に広がり、とてつもない空間に渡って、そこに何があるのかを掴んで行くあたしⅡ。感覚がリンクしてるから、その情報があたしにも流れて…って、ええっ!

 な、何。これって脳が爆発しそうよ。

 把握される情報が膨大すぎるのよ。あたしは悲鳴を上げるけど、あたしの身体を支配している、もう一人のあたしⅡは全く気が付いてくれない。

 

『メルーンのメラーズタイプ戦闘母艦です。ガスジャイアントの影に隠れていたのね』

『一隻だけです。始末は貴女に任せます』

 

 思考波が強くなる。何かに働きかけているみたい。

 発見した戦闘母艦とやらは大きかったわ。あたしが知る最大の船の二十倍以上有りそうな灰色の巨体。平べったい形は教授のディスクを彷彿させるけど、武器らしき弩砲みたいのが全身に配されていて、あれよりもっと禍々しい。

 あたしⅡはそれを睨み付け『えいっ、沈め!』と敵意を送り出す。

 すると数条の光がその船を貫いた。無音の爆発。木っ端微塵だわ。

 

『よくやりました。これでまた、数千人の敵が宇宙から消えましたね』

『エリルラとして当然です』

 

 って、これが『エリルラ』って奴の力なの?

 ひと睨みで、距離は…、多分、数十万Kmとか、とんでもない数値だろうけど、空間の先に居る敵を消し飛ばした。それで数千人が一瞬で死んだ?

 知りうる限りの最強の攻撃魔導だってこうは行かないわよ。ヒトの持つ力じゃ無いわよ。化け物じみた力だよ。

 

「あ、あああああ」

 

 何かを叫びそうになった時、あたしは声を発している事に気が付いたわ。

 

「エロコ様。気が付きましたか。

 お怪我は大丈夫ですか」

 

 目の前に居たのはイブリン。

 あたしは横たえられて、彼女(?)に膝枕されて看病されていたみたい。

 

「もっとも、この台詞は二度目なんですけど。いつものエロコ様ですよね?」

「あたしはあたしよ。それよりも、ここは何処?」

 

 あたしは周囲を見回す。

 知らない屋内だった。どちらかと言えば、窓も無い石牢って感じの部屋ね。

 壁に掲げられた一本の燭台だけが灯火だった。

 

「ここは、ベラドンナの秘密アトリエだと思います」

 

〈続く〉




でっかくて、黄色と茶色の輪っか付きの球体。
「ガロワ・ザンとマジス・ザンは第六惑星へと向かう。ジム・ザンは敵の針路上にこれを迎え撃って、第六惑星ポイントへ誘き出せ」
「ジム・ザン発進します!」
「健闘を祈る。上手く誘き出してくれ」
に出てきた星じゃ無いですよ。似てるけど(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、トイズ家の昼下がり

本編の方の筆が進まないので<閑話>投下。
気分転換に書いたら、結構長くなってしまった。

実習航海編に登場した、ヤシクネーのトイズ家が主役です。


〈閑話〉トイズ家の昼下がり

 

「ママレンジ、ママレンジ♪」

 

 イマーイは水牛の乳を小麦粉でこねて、鶏卵と黒っぽい糖を入れる。

 前肢にある鋏で鍋を固定し、かき混ぜながら、上半身の両手は卵を割って砂糖を振る。ヤシクネーだから出来る芸当だ。

 

「前掛け付けて焼きましょう♪」

 

 アリーイは姉の歌を続けながら、コンロに炭をくべてレンジの調子を見る。

 骨董品である。自分達が生まれる前からあって、日々、食事に供されてきた台所道具。母であるアサヒが遺してくれた大切な品だ。

 

「お姉ちゃん。まだー?」

「お腹空いたー」

「手伝おうかー?」

 

 妹たち三人が台所の外で囃し立てる。

 今日は二週に一度の安息日。普段ならイマーイ達年少組の五人も、それぞれの職場へ行っており、職場で配膳される昼飯にありつけるが、休みの今日は自前になる。

 

「ミドーリ、ロッソは黙ってなさい。サーンワは良い子ねぇ。お姉ちゃん、感激しちゃうわよ。でも、大丈夫。手伝わなくても平気よ」

「ずるーい。あたしとミドーリは重労働なんだから、お腹も減るの」

「渾身の力を込めて糸吐いてるんだからねっ!」

 

 ミドーリとロッソの職場は製糸工場。サーンワは姉達と同じ麻畑だ。

 

「普段から良い物食べてるんだから、我慢しな」

 

 アリーイが振り返りながら叱る。

 

「「ぶーっ」」

 

 ヤシクネーの特性を生かしてお腹から糸を吐き、それを元にして魔糸を紡ぐのは確かに重労働だが、それだけに工場側でも高カロリーな食事を用意してくれている。

 肉や魚なんかである。一般的なヤシクネーの家庭では、一週間に一度並ぶかと言うご馳走だ。製糸工場側も品質の悪い糸を出されると困るので、糸を吐く従業員には毎日、こうした豪華な昼食を会社持ちで出してくれるのだ。 

 

「はい、焼けたわよ」

 

 フライパンを持ったまま、姉のイマーイが現れる。

 黒々とした黄色。熱々のホットケーキが皿に移されると、ヤシクネーの妹たち三人は「わぁっ」と歓声を上げる。無理も無い、まだ10歳なのだ。

 

「ホットケーキ、久しぶり」

「お母さんの得意料理だったのよねぇ」

「お母さんが亡くなってもう二年だよねぇ」

 

 姉妹は口々に語ると、自前の鋏でケーキを切り分けてそれぞれの口に運ぶ。

 

「仕事には慣れた?」

「うん。ただ、連続して糸を吐くのが難しいの。ミドーリなんか怒られてる」

「あーっ、それロッソだって同じじゃない」

 

 その会話を耳にしたイマーイは「二枚目はもう少し待ってね」と言って、再び台所へ下がる。同い年なのだけど、一番上だけあって気苦労も多い。

 母が生きていればなぁ、とつくづく思うが、口は出すまいと決意しているので黙る。

 

「職場の先輩は凄いわよ。ふんっと力を入れると、連続してしゅるるると糸が出るの」

「そうそう、それが何分も続くの」

「あたし達なら、一分位で限界。スタミナ切れじゃないから糸は出るんだけど、どうしても切れ切れになっちゃう」

 

 糸は撚り合わせる事で長く加工するが、それでも短い糸よりも長い方が喜ばれるのは自明の理である。品質的には一定の太さの物が高級品とされるが、姉妹の出す糸は途中で太さが変わったりして、等級は低い。

 

「先輩は、あと二年もすれば一級品が吐けるわよって励ましてくれるんだけど」

「あ、いいな。あたしの所の先輩は嫌みな奴だから、いっつも『愚図』とか叱るだけのババア。でも言うだけあって実力はあるのよねぇ」

 

 ロッソはやっぱ、ヤシガニ体が太った方が良いのかなとも思う。あのババアも下半身が物凄く大きくて太ってる。大量の糸が出るのもその為だろう。

 上半身が太るのは嫌だけど、今度、脱皮した時にたらふく食って、下半身を太らせようかとも考える。

 

「製糸工場で優秀な工員になると、母様みたいに稼げるからねぇ」

 

 末の妹サーンワはしみじみと言う。

 麻畑は単調で危険な作業も多い割りに、余り稼げない。幼いから割りの良い仕事は大人に持って行かれる。だから、加工場の方に進んでやろうと決意している。

 

「だけど、結構辛いっていつも言ってた。身をすり減らすから、あたし達に女工になるのは反対って」

 

 確かに母は優秀で、三十人姉妹(先に産んだ十八人姉妹。加えてイマーイ達は十二人)を女手一つで育てた。

 もっとも生存しているのは半分以下だが、それでも何とかやって行けたのは、母が優秀な糸吐きだったからである。

 体内から大量の糸を吐き出し続け、表彰される事数回。基本給に加えて多額のボーナスも年間貰っていた。いい加減、補修の必要があるこの家を、新築で手に入れられたのもその為である。

 

「糸吐きって過酷だよ。母さん頑張りすぎて、早死にしたって言われてるし。

 先輩からいつも全力だったって聞いた。あ、だからかなぁ。あたしに先輩が優しいの。母さん、職場で慕われてたらしいし」

「きっとババアがあたしに辛く当たるのは、ライバル工場の好敵手をだったからね」

 

 緑のボディを揺らしてアリーイが現れた。姉妹故に顔は見分けが付かないが、髪の色でどうにか判別が可能だ。

 

「ほい、ホットケーキ。三枚目は今、焼いてる」

「お姉ちゃん。午後からは出かけるんだっけ?」

「うん。イマーイと一緒にタカトゥク姉ちゃんの所へ行ってくる。脱皮の手伝い」

 

 タカトゥクは彼女らの姉だ。十歳程年上である。

 

「お産間近なんだよね。危ないよね」

「まぁ、二、三日ずれてるけど、確かに脱皮と重なったら悲劇だよね」

 

 脱皮とお産。どっちも大量に体力を消耗する。下手すると死んでしまうかも知れない危険な行為である。重なればそれだけ死のリスクが高まるのだ。

 

「あたし達も行こうか?」

「不必要。あんたらは食べて体力を回復しなさい。糸、吐くんだし」

「糸と言えば、知ってる?」

 

 サーンワ曰く「この前、商品名がアラクネ糸になってた。ヤシクネ糸なのに」と不満そうに語る。正確には『アラクネ糸(高級ヤシクネ糸を使用しています)』だったらしいが、詐欺商法じゃないかと不満げである。

 

「糸の品質的にはヤシクネの方が高いのに…。うちらと違って、アラクネなんて殆ど糸を生産してないじゃない」

 

 数の多さとヒト社会に順応している分、ヤシクネ達の製糸業は商業化されて久しい。対してアラクネは数も少なく、吐いた糸が出回る事は皆無に近い。

 

「そっちの名の方が、稀少品っぽくて売れるからなぁ…」とは、ミドーリの意見。

 アラクネ糸とヤシクネ糸。どちらも伸縮性に富むのが特徴だ。

 ウサ耳族の使うバニースーツが普及したのも、その材質にヤシクネーの提供する魔糸が容易に手に入った為でもある。レオタードに水着など、身体にフィットした服を造る際に伸縮性が欠かせないのだ。

 

「それでいて強く。触り心地もいいのが売りだから、高く売れる」

「ゴムが普及してからは、下着のシュアは落ちたけどね」

「姉さん達は、それでいいの?」

「ん、庶民の下着は相変わらず紐留めだけどね」

「いや、下着の留め具の話じゃなくて…」

 

 プライドなのだ。とサーンワは力説する。

「そりゃ悔しいけど、あたしらは工場主じゃないし…」

「売れれば。そして、そのお金があたし達工員に回ってくるなら、あたしは名を捨てて、実を取るなぁ」

 

 そこへ三枚目のホットケーキ。「まずは、貧乏から脱出してからだね」とアリーイが会話へ割って入る。

 

「工場主に『ヤシクネ糸って表示して下さい』って請願する程度なら構わないと思うけど、部外者のサーンワじゃ、鼻であしらわれて終わりだからね。

 なら一国一城の主となって、製糸工場の主になって製品名を改善した方がまだ望みはあるんじゃない?」

 

 不可能とも言える目標を告げる姉に、妹は押し黙る。

 

「無理」

「あたしは出来ると思うぞ。つーか、タカトゥク姉さんはそれを目指してる」

「「「ええっ」」」

 

 妹たち全員が驚いた。それは寝耳に水の出来事だったからだ。

 上の姉達とは年が離れている分、どうしても同じ歳の姉妹達と一緒に過ごす事が多く、余り交流はない分、余計に驚いてしまう。

 

「タカトゥク姉さんって、仕事何やってたっけ?」

「昔はあたしらと一緒で製糸工場務めだったよ。今は、転職して水商売」

「ああ、あの、娼…もとい風俗の…」

 

 こそこそと会話を交わす、妹三人。

 アリーイはふっと笑う。

 

「タカトゥク姉さんは店を持とうと頑張ってるんだ。娼館のね。

 そして、いずれ金が貯まったら、製糸工場をやりたいとも言ってたよ」

「出来るの?」

 

 やや不審顔のロッソ。

 

「道半ばだね。でも、妊娠させた相手の男が責任取るって言っててね、姉さん、玉の輿に乗れそうなんだよ」

「お金持ち?」

「商家の若旦那。大店じゃなさそうだけど、姉さんの店通える位は小金持ちだね」

 

 アリーイは姉の相手であるヒト種を思い浮かべる。

 良い所のぼんぼんで、ヤシクネーである姉を娶るとか、なかなか誠実な男であった。

 多分、姉は本妻ではないだろうが、それでもいいと思う。

 

「タカトゥク姉さんのお店、そこそこ高級娼家だしね。あの大陸から来た男でしょ?」

「サーンワ、見た事あるの?」

「ちらっと。名はケージー・マールゼンだったかな?」

 

 確かそんな名だったとサーンワは記憶している。

 姉を訪ねていった時、その優男から「妹さんかい?」と問われて、店で酒ならぬ、パインジュースをご馳走になったっけ。

 

「それ、大物だよぉ!」

「自由貿易船団の主じゃん」

 

 妹二人が驚きの顔で興奮している。対してアリーイとサーンワは顔を見合わせた。

 

「ここ数年で名を上げてる交易商人よ。船団も持ってるわ」

 

 奥からイマーイが現れる。皿にはホットケーキが二枚。

 イマーイは「あたしもタカトゥク姉さんから聞いただけで、詳しくは知らないけど」と前置きした後、かなりのお大尽である事を告げる。

 

「船団持ち?」

「マールゼンの商船隊って言ったら、あたし達の魔糸を買い上げて行くお得意様よ」

 

 サンーワの疑問に答えるのはミドーリ。

 製糸関係者ならとっくに周知の話だが、サーンワは知らなかったらしい。

 

「姉さん。そんな男に嫁ぐんだ」

「現地妻かもよ。嫁ぐとは違うんじゃない」

「でも、玉の輿だね。本当に工場主になれるかも!」

 

 母であるアサヒ・トイズも現地妻だった。イマーイ達の父親は養育費だけを送る存在であったが、数年後、それは絶たれた。

 生前の母曰く、「クエスターだったから、どっかでのたれ死んだのよ」だそうだが、それは好意的解釈だろうと姉妹は思っている。父は母を捨てたのだと。

 

「ホットケーキはこれで終わり。つーか、お前達、食べ過ぎ」

 

 アリーイが皿を卓に乗せる。

 一人一枚相当で焼いていたのだが、既に五枚目である。

 

「美味しいから」

「えへへ…甘い物が好き」

「やっぱり、この味だよぉ」

「御免ね。砂糖が黒糖なのが、今ひとつだけど」

 

 その姉の言葉に姉妹は首を振る。

 竹糖を現地生産してるから、本土よりはずっと砂糖が安価とは言え、白砂糖なんて高級品を要求するなんて恐れ多い。

 それに、廃蜜が抜けていない、黒糖独特の癖が良い味を出しているのだから。

 

「お母さんの味だね」

「また作ってね」

「今度、焼き方教えて」

 

 調子良いなとアリーイは思う。けど、やはり妹たちは可愛い。

 彼女は「これから出かけるから、留守は任せるよ」と言い置く。

 

「今夜は?」

「泊まりになると思う。脱皮は一両日中だろうし、イマーイと一緒に寝ずに様子を見るよ」

「ご苦労様。じゃ、留守は任せといてね」

「備蓄の椰子、食べていい?」

「全部食べちゃ駄目だぞ。ミドーリは食い意地張ってるんだから」

「さて、出かけるよ、アリーイ」

「あははは、じゃ、また明日ねー」

 

 ごく、普通の昼下がりだった。

 しかし、イマーイ達は知らない。これがミドーリ達との永遠の別れである事を。

 

 その夜、海底火山による地震と大津波が、フロリナ島を襲った。

 

〈FIN〉

 




「高級ヤシクネ糸を使っています」は、鮭缶の原材料「鮭(カラフトマス)」のノリ。

本編は来週更新予定。
今週中は一寸無理っぽいです。

<閑話>は結構すらすら書けるのに、難産なんですよね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女10

偽りの聖女編10です。
何とか今週に間に合いました。


〈閑話〉ウサ耳村9

 

 港に上陸すると役人が現れて、入港手続きを取る必要があった。

 何処でもそうであるが、この手の役人は威張りくさっている。それは自分の権威をひけらかすのと同時に、細かい所に難癖を付けて便宜を要求する為だと言う。

 

「まぁ、大抵はへいへい言う事を聞いてれば良いんだけどね。

 でも必要以上に下出に出たら舐められるから、そこらの加減さね」

 

 とセドナは説明する。

 腹ただしいが袖の下は渡してやる。一杯飲める程度の小遣い銭程度が適当で、それ以上でもそれ以下でも問題が起きる。

 それ以上を要求する奴には容赦なく、鉄槌を食らわしてやって構わないと判断している。役人の上司を呼ぶなり、実力で痛い目に遭わしてやっても良い。

 

「理不尽な要求だな」

 

 憤るニナへ、まだ子供だなと思いつつ、「ま、連中も貧しいにゃ。余録の一つも欲しいんだろうと理解してあげるんだにゃ」と説明するリーミン。

 

「持ちつ、持たれつなんだよ」とはセドナ。

 

「どの道、そうやって渡った賄賂は更に上へ上納される。現場の連中に残る金額は半分以下だろう。それを納められぬ者は上から疎まれて、恐らく出世に影響するのだから、やらざる得ないんだろうと理解してやりな」

 

 ニナの言い分も分かる。自分も若い頃はそれを理解出来なかった。理性を基本とする妖精族ゆえに尚更である。だが、世の中は清廉潔白だけでは回らない。

 悪しき習慣だが、それを是正するまで現実が至っていないのだ。

 

「それを理解する事が、大人になるって言う事だにゃ」

「……」

 

 正直、理解したくはない。

 だが黙る。自分はまだ未熟で、経験が足りてない事は嫌と言う程、体験したからである。

 ここ数日だけでも、故郷の村から出て体験し、初めて知った知識や経験は多い。思い込みだけで仇は取れないのだと実感していた。

 

「太守の館だ。ま、失礼の無い様にするんだよ」

 

 日干し煉瓦で建造された建物が視界に入ってきた。

 館と言っても城館では無い。外敵に備えた無骨な砦である。四方を城壁で囲んであり、跳ね橋こそ下がっていたが分厚い門扉が正門を塞いでいる。

 正門脇に小さな通用門があり、こちらは解放されているが、左右に門番が厳つい顔で槍を持って立っている。普段はこちらを使うらしい。

 堀は空堀だった。セドナ達一行は橋を渡ると門番に誰何され、それを終えると中へと通される。

 

「ここからは、あたしだけで行く」

 

 ぞろぞろと供を連れて行く事は出来ないのであろう。ニナらは庭に残された。

 門番ら太守の兵達は、興味深そうにちらちらとニナ達異国人の方に視線を向ける。ニナも異国の装いに興味があるので、負けずと彼らを観察する。

 

「人馬族(セントール)は初めて見た」

 

 ニナの偽らざる感想である。

 実際、この町には人馬族が多い。

 頭にターバンを巻いたり、短いチョッキやゆったりと膨らんだズボン(ハーレムパンツ)を履いた中原風の格好をする男共に混じり、人馬族も中原風な装いだ。

 女は腹部や脚部を露出した衣装を着ている。ニナ達から見ていささか煽情的であるが、中原ではこれが普通の様だ。

 

「健康的に肌を見せるのが、若者の嗜みって事になってるにゃ」

 

 そして「陽がさんさん照りで、砂塵舞う砂漠を行くなどの時を除いては」と、リーミンは付け加える。実際、肌を隠しているのは年寄り連中が多いそうだ。

 

「誰も例外なく、腰に短剣を差しているんだな」

「成人の証らしいにゃ。子供は持っていないにゃ。

 そう言えば、お前が腰に歳に似合わない大きな刃物を持ってるのに、向こうの衛兵が注目してるみたいだにゃあ」

 

 ニナは戦士の証としてカトラスを佩いていた。

 と言っても五歳の子供である。その姿は全長60cm程な大して長くない刀であっても、鞘を引きずる様な感じでアンバランス感が酷い。

 リーミンは得物が大きすぎると感じていたが、ウサ耳にはウサ耳の種族的な拘りがあるんだろうと敢えて放って置いた。

 どの道、この腕では戦闘に本格参戦させるつもりもないし、こいつを抜く時はもっと大人になった暁だろうと踏んでいたからだったが、もっと短い短剣を用意させるべきかとも思う。

 似合わぬ武器は単なる飾りだ。実用的な面を考えて、武器交換は視野に入れるべきだと決心する。

 

「御館様が戻ってきた」

 

 半時間もしない内にセドナが建物から出てきた。

 交渉は上手く行ったのだろうか。開口一番、「出発するよ」と声を掛け、脇目も振らずに門を出てゆく。

 

「ただならぬ雰囲気だにゃ」

「そうなのか?」

「ニナは感じないかにゃ。御館様がリーミン達に労いの言葉も掛けないのは異常だにゃ」

 

 そう言えばそうだ。中で何かあったのかも知れない。

 それに従い、ニナ達護衛も後を追って太守の館を後にする。

 

「まずいね。あの太守…」

「何かあっかにゃ?」

 

 隣に並んだリーミンが質問する。脚行きが早い。

 

「ああ、雰囲気だけどね。あたしに海賊退治を止めさせる様に暗に言い含めてきたよ。

 多分、あの太守。あの海賊共と結託してやがる。

 リーミン。補給を急がせるんだよ。今夜にでもここを立ちたい」

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語23〉

 

「ベラドンナのアトリエ?」

 

 イブリンは頷いて「恐らく秘密工房でしょう」と、付け加えたわ。

 あたしが身を起こそうとすると、イブリンが「まだ安静になさって下さい」とそれを押し留める。

 

「また、変な事になったら大変ですから」

「…あたし、何かしたの。ああ、それと気絶してる間の事情を説明して」

 

 彼女(?)は困惑した表情をすると、「私にも良く理解出来ないのですが…」と続けたわ。

 それによると、一度、あたしは意識を取り戻したらしいのよ。

 あれからイブリンは、あたしを人質に取られた時点で降伏を余儀なくされた。勝ち誇ったベラドンナはあたし達を今度は逆に拘束すると、このアトリエへと連行したらしいのよ。

 この森はあらかじめ【迷路化】の結界が張ってあったらしい。

 それを解除すると、このアトリエに到着するのに必要な時間は二十分足らず。あたしらが足を棒にしてさまよった時間を返せと言いたくなるわね。

 ちなみにここへ辿り着く風景を見せない為に、イブリンは目隠しをされていたらしく、アトリエ自体の外見は把握出来なかったそうよ。

 

「外からの大きさや、立地が掴めれば良かったのですが」

「仕方ないわよ。あのロリ婆が用意周到だって事だから」

 

 ああ見えて、年を食っているから狡猾なのよね。

 流石、伝説の錬金術士ね。本当だったら、一にも二も無く、弟子入りしたいんだけどなぁ。正体を知ってしまった今では、無理よねぇ。

 

「しかし、エロコ様が本人で安心しました」

「へ?」

「さっきは別人だったですから」

 

 さっきって、記憶が無いわよ。

 つーか、またあたしであって、あたしで無い奴が出現したのかしら?

 

「それって…」

「はい。エロコ様が想像なされているのと多分、一緒だと」

 

 複雑な表情で言い切るイブリン。

 出たのか。あれが。

 いえ、あたし自身は知らないし、自覚した事も会った事もないけどね。

 

「どんな感じだった?」

「目を覚ました後、虚空を睨み付けて独り言を言ってましたね」

 

 何か、危ないヒトみたい。

 さっきの夢で見た、あたしⅡな様な感じなのだろうか?

 まぁ、取りあえずそれは脇に置いておこう。あたしは起き上がった。

 それよりも監禁されてる今の状態を把握する方が先よ。

 

「ここは地下なのかしら?」

「階段やスロープを下った覚えがありません。だから同一階だと思われるのですが」

「入口らしき所から、歩いた距離は?」

「時間にして五分。でしょうか」

「結構な距離を歩いたって事ね。でも、わざと連れ回されたって線も疑わなきゃ」

 

 正面に見えるのは錆の浮いた鉄の扉。これが唯一の出入り口だわ。

 覗き窓が付いてるけど、こちらからは開けられない仕様で、当然、その蓋は閉まったままよ。

 

「かなりの年期物ね」

「そうなのですか?」

 

 あたしはブーツで扉をゴンゴン蹴る。

 

「ほら、蹴るとこの通りだから」

 

 ぱらぱらと赤錆が落ち、つま先が扉に半ばめり込んでいるのが分かる。

 構造的には一枚板じゃ無くて、二枚の鉄板を木製の土台を挟んで貼り合わせた扉ね。そのこっち側が錆による老朽化が進行しているのだろう。

 しかし、それでも流石に土台の方は突き破る事は出来ないわね。忌々しいけど、こっちは朽ちずにしっかりと扉の役目を果たしているみたい。

 

「木の方も腐ってくれてたら楽だったのに」

「まぁ、そう上手くは行かないのが世の常ですよ。そうだ」

 

 元聖女様は燭台に手を伸ばしたわ。

 

「下が木だと言う事は、これで扉を燃やせませんか?」

「結構、考える事が過激よね。可能だと思うけど…問題は」

 

 これでもあたしは最新の錬金理論を習っている。で、最近、分かったのは空気には特別な要素があり、これが奪われると息が出来なくなると言う事。

 学術用語で『生素』と名付けられているわ。生きる為に必要な要素だからね。そして、どうも木々や植物なんかが、この生素を生み出してくれるって研究もあるわ。

 で、濁った空気、物を燃やした空気には生素が減少してたり奪われていたりする。だから息苦しくなり、窒息すると言うのよ。

 

「物を燃やすと生素が減少するのよ。この狭い部屋で扉を燃やした場合、あたし達にどんな影響が出るのかが心配だわね」

 

 と言いつつ、あたしは部屋を見回したわ。

 ここがどんな構造なのかを把握するのよ。伊達に建築学まで勉強してないんだからね。

 石造りで、ふん、ふん…。あ、床に換気口発見。流石にこのサイズではヒトは抜けられないわね。

 空気量は…あら、以外とあるのね。行けそうだわ。

 

「どうしますか?」

「やるわ。万が一駄目でも、見張り辺りがすっ飛んでくるだろうから、その時には見張りをぶっ倒して、逃げ出すわよ」

 

 あたしは鉄扉に手を掛ける。

 扉に付いているノブは回らず、単なる取っ手で素っ気ない代物だ。内部に鍵の機構は組み込まれていないんだろうと予想出来た。多分、外付けの閂か南京錠でも使っているだろう。

 強度を確かめなきゃと思って、ぐいっと引っ張る。

 

「あら?」

 

 扉が呆気なく開いた。そう、まるで何の抵抗もなく、あっさりと。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 グレタ教会。

 王都下町の一角にある、小さな教会である。

 昼間は喧噪とした市場に面したそれも、夕刻近くになると静けさを取り戻し、夜になると辺りは静寂に包まれる。

 その中で、司祭マドカ達は卓を囲んでいた。

 

「ワールをどう取り戻すか、よね」

 

 東方風のサラシに包まれた、大きな胸を揺らしながら司祭マドカが呟く。

 貴族の屋敷で乱暴狼藉を働いた以上、それなりの罪に問われるだろうが、投獄されている現状は改善したいと思う。

 

「しかし、彼の性格だと反省はしてないと思うのですが」

「私も姉の意見と同じです」

 

 レオナの意見にルイザも同調する。解き放った瞬間、暴走しかねないのがワール・ウインドと言う男の性格だ。

 唯我独尊。周りを見ない。自分の思惑だけで、自分の正義だけを信じて行動する困ったちゃんだ。折り合う事も、清濁併せ持つ事も出来ない。

 マドカは彼を早死にすると見ている。しかし、そうであってもそれを捨て置くのは忍びない。

 

「どなたかいらっしゃいますかな?」

 

 声と同時に「りりん」と来客用のベルが鳴る。

 教会の表側、聖堂の方だ。参拝客か誰かなのだろう。教会は基本、参拝客を拒まないので四六時中、開けっぱなしが基本であるからである。

 裏のバックヤードで卓を囲んでいたマドカが「はい」と、返事をして立ち上がった。

 まだ夜も早い。来客があっても不思議では無い時間だ。

 

「失礼しました。取り込んでいたので…」

 

 聖堂の方へ出るとマドカは驚く。

 相手は同じ聖教会の聖職者であったからだ。しかも、服装からしてかなりの高位な身分にあると思われる男である。同時に供も数人居るのか確認出来た。

 

「少し、お話をうかがいたい」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 扉はあっさりと開いた。

 錠前か閂の閉め忘れかとあたしは思ったけど、外に出て扉の惨状を見て絶句したわ。

 閂とか錠前はひしゃげ、完璧に破壊されていたのよ。

 まるで巨人が、引きちぎったか潰したみたいにぐちゃぐちゃにね。

 

「これは…エロコ様の仕業ですか?」

「そんな事出来る訳無いでしょ」

 

 イブリンの驚きに返答するあたし。そんな凄い力を持った魔導士だったら、今頃、王立魔導学院で飛び級してるわよ。

 とにかく、あたし達は廊下へ出て歩き出した。

 牢屋のエリアだったらしく、同じ様な造りの扉が幾つもあったわ。でも、どれも随分使われていない雰囲気があって、放置気味な感じがする。

 

「いえ、エロコ様であって貴女ではない方の…」

「また、例の?」

「はい」

 

 エリルラって奴か。

 確か、手も使わず、呪文も唱えずに力を行使する悪魔だと古代王国の民は忌み嫌っていたわよね。

 仮に、仮によ。あの夢が本当だとしたら、あれ位は出来るのかも知れない。

 

「まぁ、いいわよ。しかし、ここ体制が粗末すぎない?」

「そうですね。牢の前に見張りの一人も居ないですし」

 

 考えられる事は一つ。人手不足なのだ。

 ベラドンナに味方する者が少ないのか、それとも、始めから個人で活動してきたのかは分からないけど、いずれにせよ、それはこちらにとっては有利な点になり得るだろう。

 そう言えば、この廊下も掃除が行き届いていないわよね。

 廃墟とまでは行かないけど、余り綺麗とは言えないわ。所々にある燭台の周りに虫とか転がってるし、掃除する人手もないんだろうな。

 

「【魔力探知】を唱えてみるわね」

 

 武器とかは取り上げられてしまっていた。しかし、まだ口は魔法を唱える事が出来るわよ。ってあれ?

 

「そう言えば魔力封じの封環とか、ベラドンナはあたし達に付けなかったのね?」

「いえ…」

 

 イブリンが否定した。確かにそれは首に装着されていたとの事。

 だけど、最初に目ざめたあたしがぶっ壊してしまったらしいのよ。イブリンの分も含めて「邪魔だな」の一言であっさりと。

 

「封環は対魔法能力が高かった筈よ」

 

 そうじゃないと役目を果たさない。無論、設計上の規定量以上の魔力を受けるとオーバーフローを起こして崩壊するけどね。

 

「あっさり手で引きちぎってましたね」

「うそぉ!」

 

 その性質上、物理的にもかなり強い材質で作られるているし、少なくとも手で引きちぎるなんてのは、普通の人間じゃ無理よ。

 エリルラって魔族並みの筋力でもあるのかしら?

 

「ま、まぁいいわ。少なくともあたし達に不利な事ではないし。

 行くわよ。その力を持って魔力を流れを見よ。【魔力感知】」

 

 基本中の基本魔法。でも、これが馬鹿に出来ないのよね。

 錬金術師のアトリエなら、これに反応する所が重要地点な筈よ。そこに至れば、敵の親玉。つまりベラドンナがお出ましになるって寸法になるわ。

 

「強い気配はあっちに…。何カ所か有るわね」

「便利ですね」

「ただ、あたしじゃ持続時間が短いのが欠点よ」

 

 こればっかりは能力不足。

 学校の見立てによると魔力自体は多いらしいんだけどね。使う際の精度が不足してるのよ。つまり、力を扱う技が拙いので魔法が維持出来ないのだそう。

 でも、魔法だって独学では無く本格的に習い始めてまだ半年だし、これからよ、これから。

 

「暫く歩くわよ。そこで再び【魔力感知】をかけるわ」

 

 あたしの能力では一分もしない内に切れる。

 大体の位置を記憶しておいて、近づいたら再度発動する事にして、あたし達は汚い廊下を歩き始めた。

 

〈続く〉




うーん、話が遅々として進みませんね。
過程に於ける余計な描写を飛ばして、唐突に話を進めた方が良いんだろうか。
これでも「前に目ざめたエロコ」の描写を後語りにして、話を進めているんですが(そのシーンを描写すると、更に頁を喰うと判断して)。
迷っております。

教会方面は動きがあった模様。
ワール君、忘れ去られているかもなぁ(笑)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女11

偽りの聖女編11をお届けします。


〈閑話〉ウサ耳村10

 

 慌ただしい決定であったが、出港するには準備が必要になる。

 船の次の寄港地が決まるまでは補給が欠かせないからだ。特に私掠船の様な船は一旦、出港すると何日海上に出ているのかは不定であり、積める時に積んでおかないと、後で困る事になる。

 

「リーミン。後は任せたよ」

「了解にゃ」

 

 セドナは慌ただしく本船へと戻って行く。ラオと協議するのだろう。

 残されたのはネコ耳とウサ耳の二人組。他、若干の乗組員達である。

 

「まずは水にゃ。混ぜ物されたら堪らにゃいから、威度から直接汲み出してるのを買うにゃ。

 続いて食料。これはあたしが直接見て回るにゃ」

 

 リーミンはそれなりの権限があるらしく、あれこれと指示を飛ばしている。

 食料、水。また、僅かではあるが薪炭類の積み込みも急務であった。

 

「ニナも付いて来るにゃ」

「混ぜ物?」

 

 歩き出したキャットスーツの後ろ姿に、ニナが問う。

 

「太守の命で毒でも入れられてるって可能性でもあるのか?」

「それもあるにゃ。まぁ、これは用心のしすぎだけど…」

 

 リーミンは樽に詰められている水が腐敗している可能性も指摘した。

 汲み置きの水にはそう言う類いも多いのである。一々汲み出すのを面倒がり、その場で詰めていない炎天下に放り出された樽を納入しようとする奴も多い。

 

「下痢になりたくはないにゃ」

「結構高いんだな。水なんか、手数料以外はタダかと思ってた」

「砂漠だからにゃ」

 

 砂漠ならではの事情である。下手すると酒並みに高い。

 水が豊富だったバニーアイランド育ちのニナには暴利としか思えなかった。

 

「さて、市場(いち)にゃ」

「これは…」

「目移りして、無駄遣いをするんじゃないにゃ」

 

 ニナ達は、このオアシスで一番賑やかであろう場所に到着した。

 基本的には露店が並ぶ青空市であるが、色とりどりの天幕が密集し、客寄せの呼び声が交差するごちゃごちゃした印象がある。

 故郷の村でもお馴染みの光景だが、それが異国風なのが新鮮に映る。

 頭にターバンを巻き、ゆったりした中原風の服装をした男達。

 逆に上半身ブラのみの、露出度の高い煽情的な衣装を纏う女達。

 

「人馬族だらけだな」

「ニナの島がウサ耳だらけなのと一緒にゃ。ここらの人口比から考えれば、普通だにゃ」

 

 土地によって種族的に偏りがあるのを指摘する。

 本土に行けば、今度はヒト族だらけであり、ヤシクネー族みたいな人外がほぼ見当たらないのを説明すると、ニナは不思議そうな顔をした。

 そんな土地が存在するのか?

 

「常識って奴の違いだにゃ」

 

 船に乗る前の自分がそうだったなと、リーミンは懐かしく思う。

 別の土地。別の世界を知るのは驚きに満ちている。しかも、リーミンとてまだまだ世界の一端を覗いただけに過ぎないのだ。

 御館様の様に別の大陸を見た事は無いし、ボースンが行ったと自慢する東方へも赴いた事も無い。せいぜい、西方三国を直にこの目で見ただけに過ぎないからだ。

 

「おいおい、ニナも理解する事になゃるよ。

 さて、あたしは商店へ行くけど、ニナもははぐれずに付いてくるにゃ」

 

 船に納入出来るような規模の商いは、流石に露天商では手に余る。

 それなりの店へ行く必要があった。幸い、この港では古くから懇意にしている店があり、リーミンもそこへと向かった。

 市の一角にある食料商だ。看板を掲げていなきゃ潰れかけてるんじゃないかと疑う程、狭く、薄汚い外観をしていた。

 

「バモーの店?」

「店長の名だにゃ。おーい、バモーの爺さん」

 

 呼ばれて出てきたのは、若い人馬族の娘。

 爺さんなのに変だなとニナが思う。

 

「済みません。祖父は病で伏せっております」

「えっ、爺さん平気なのかにゃ?」

「平気と言えば、平気なのですが…。脚を悪くしてしまって」

 

 そこまで話した時、店の奥から「客か。客なんだな!」と癇癪混じりの怒声が聞こえてきた。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語23〉

 

 とにかく到着はした。到着点はかなりずれてはいるものの。

 

「9kmほど離れているな♪」

「二時間の歩きですね」

「それで済むなら、大いに結構だが、問題はそれが直線距離でと言う事だ♪」

 

 ユーリィは水晶玉を見つめてため息をついた。

 真っ平らな地形。例えば大平原とか砂漠ならば、二点間を直接歩けば良い。

 だが、到着した先は森林地帯なのだ。しかも、詳細な地形を記した地図なんか手元には無い。この先、どんな高低差があって、川や谷などの行く手を阻む地形が待ち構えてるのか、それを考慮に入れねばならないからである。

 

「転移装置って面白いですね。クローネ、ファンになってしまいそうです」

 

 飛ばされている最中の感覚が気に入った様子である。

 

「気持ち悪かったけど♪」

「ええっ、あの周りが光となって流れる様な感じ。身体の中を何かが通過して行く、あの不思議な感覚って面白いじゃないですか」

「胃の中を、何か別の物が通り過ぎて行く感じがねぇ?」

 

 当たり前だが、捉え方に個人差があるようである。

 自分が自分で無くなったような感触。ユーリィはあれが好きになれなかった。

 

「まぁ、それは置いておいて…。強行軍になる。ビーコンが切れる前に接触するよ♪」

「はいっ」

 

 話しても埒が明かぬと判断した彼女は、話題を切り替えて走破準備に入る。

 場所は森林地帯。歩き易いとは到底言えないが、日照の関係で下生えが生えていない分、まだ何とかなりそうな感じである。

 但し、樹木の根っこが障害物になりそうだ。それと視界が悪く、周囲が見通せないから、方位を見失ったらやばそうな感じである。

 

「あたいを見失いようにね♪」

「はいっ」

 

 小走りに歩き出す。

 英雄譚(サーガ)に出てくる密偵みたいに無闇に走りはしない。行く手に何があるのか分からない地形で、確認用に停止したり、方向転換が出来ないのは致命傷になり得るからだ。

 あっと気が付いたら止まれずに谷底へ真っ逆さま、とかは洒落にもならない。

 それでも先を急ぐ為、たたたっと小走りで競歩している様な速度だ。

 

「それなりに修練は重ねてる様だね♪」

「そりゃ、もう」

「急ぐぞ。周囲に気を配れ。敵が現れないとも限らないんだからね。

 それと以後、状況が変わるまで無言だ♪」

 

 答えは無かった。ユーリィは『基礎は出来ているな』と満足した。

 当たり前なのだが、「以後は無言」と言った先から「はい」と返事したなら、彼女はクローネに失格の烙印を押すつもりであったのだ。

 若い密偵二人は声を立てぬまま、深い森林を跳ぶように移動して行った。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「この先に反応があるわね」

 

 牢は地階と言うか、とにかく低い場所に位置していたみたいね。

 あたしは階段を昇り切ると、周囲を警戒しつつ、そっと顔を出す。左右とも相変わらずの石造りの廊下が続くが、その先に魔力反応があるわね

 

「どんな感じですか?」

「かなり強かったわ。多分、永続的な魔法装置が配されていると思うんだけど…」

 

 魔力反応と言っても、その形態は千差万別よ。

 威力の大きさだけ取っても、【爆裂魔法】的な爆発的な魔力が瞬間的に感じられる場合と、大量に魔力反応があるが、それが一箇所に停滞している場合もある。

 あたしが感じたのは後者だった。

 

「魔力は大きいんだけど、 消費量は少ないからね」

「実験室みたいな感じでしょうか?」

 

 警戒しながら尋ねるイブリンは、ずっとあたしの前に出て先導していた。「これでも男の娘ですから」(男の「こ」字は間違っている可能性もあります。※作者、注)が、その理由よ。

 

「だと思う。あの扉ね」

 

 近づくと、ぶん、ぶぅぅん、と何かが振動している音も聞こえてきた。

 錬金装置特有の音だわ。授業中に良く聞いた音ね。魔石を利用して装置を駆動させている。

 物を冷やす冷蔵装置とか欲しかったから値段を尋ねてみた所、とても手の届かない物凄く高い代物だと知って愕然となったのよね。

 

「あれで冷やした水は美味しかったわね」

「? 何の話です」

「何でもないわ。さて…」

 

 あたしは別口で魔法を唱えたわ。魔力ではない方の【感知】魔法よ。

 連続で魔法を使うのは結構しんどい。

 ふぅん、扉の中には動かない生命反応があるわね。寝ているのかしら?

 

「反応一名。少なくても動いていないわ」

「就寝中のベラドンナですか?」

「だとしたら有り難いわね。

 どうする。このまま中へと踏み込むか、それとも放置して先を急ぐか…」

 

 無闇に飛び込んで外したらやぶ蛇だ。

 生命反応たって、だいたいのサイズを判定する物でしか無い。身体の大きさからネズミや犬と人間の反応は区別可能だけど、あたしの初級魔法では同じサイズの生き物を、どんな種別なのかって判断する精密さは無い。

 熟練の魔導士ならば、精度が高いから判る様になるんだけどね。だから、中に居るのが下っ端のオーク(子鬼)とかだってありえるのよ。

 

「賭けましょう。寝ているのなら違っていたとしても、制圧可能な筈です」

 

 長考していたイブリンが顔を上げて宣言した。

 その顔に思わずどきんとしてしまう。あ、男性っぽいなと…。え、あれっ、何で?

 女の子以上に美少女なのに、りりしいと感じてしまったのは何故なのかしら。

 

「そ…そうね」

 

 慎重に扉に手を掛けるイブリン。

 扉は普通の外開き式の奴だ。ただ、材質は鉄製だけど、これは錬金装置を安置するならば珍しくない。万が一、取り扱いを間違えて爆発したりしても被害を外にもたらさない為なのよね。

 木製の扉だと粉砕されてしまうからね。さっきの牢の扉同様、中身が木で鉄板を挟んであるだけの構造かも知れないけど。

 

「開けます」

 

 ぎっと、扉は簡単に開いたわ。

 中から光が漏れる。廊下と違って魔法的な照明を使っているのね。松明や蝋燭の赤や黄色っぽい光では無く、人工的な白色の光だわ。

 

「これは…ホムンクルスの培養施設?」

 

 扉を開けた瞬間から、例の低い振動音が高まったわ。

 幾つもの錬金装置。その殆どが理解を超えた代物だったけど、巨大なガラス瓶が幾つも並んでいるのは、ホムンクルス用の施設だと言うのは理解が出来た。

 瓶と言うより、巨大な管かしらね。その中には液体が満たされていたり、されてなかったり、でも、あたし達はその中の一つを見て息を止める程に目を見開いてしまった。

 

「これは…。私ですね」

 

 イブリン…いえ、フローレと呼ぶべきか。

 たった一つ、液体の満ちたケースの中にゆらゆらと裸体が浮かんでいた。

 それは目の前の男の娘と姿形は酷似していた。でも…。

 

「いいえ、イブリンじゃ無い。だって、だって!」

 

 だって容姿や外見はそっくりでも、その身体は完璧に女性だったのよ!

 

              ◆       ◆       ◆

 

 グレタ教会。

 マドカは来訪者を警戒しつつ、ここへやって来た意図を尋ねた。

 

「無論、聖女様に関してですよ」

「奥へ…。ああ、お連れの方はここに留まる様にお願い致します」

 

 危険な香り。いや、長年、冒険者(クエスター)家業を営んできたが故に、いつの間にか身に付いてしまったマドカの勘が、それを告げている。

 危険!

 危険!!

 危険!!!。

 目の前の高位聖職者は持ち物からして司教クラスか。しかし、この王都に居を構えて一年余り、マドカはこの男の顔を知らなかった。

 グラン王国の王都司教座担当は、アラバスター大司教だし、この教会担当になった時から、その他の司教クラスにも面通しをして顔見知りになっている。

 結構、教会関係は縦割り社会で、上下の秩序に厳しいからである。

 だが、見知らぬ顔となると『聖教会の中枢から来たか、それとも聖教会の聖職を騙る輩か』と、マドカは推察する。

 流石にラグーン法国にある教会組織の全貌なんて、一司祭であるマドカは掴んでいないが、良くない噂は耳に入っている。

 

「彼らは護衛です」

「ここは神の館。信心篤き信徒しか居ません。警戒は無用です」

 

 サラシで包まれた豊かな胸を揺らして、やんわりと断りを入れるマドカ。

 後ろの護衛と称された者達がざわめき、「なんと傲慢な」や「東方の異端め」とか呟くのが耳に入る。しかし、目の前の司教は納得したらしく、手でそのざわめきを止めて見せた。

 騙りでは無く、こいつらは聖職者なのだなとマドカは納得する。と同時に、本山の関係者かと逆に頭が痛くなった。厄介だ。とてつもなく厄介な事を持ち込まれそうな予感がする。

  

「失礼。司祭マドカ。では奥に参りましょうか」

「済みません。その前にお名前を…」

 

 マドカが問う。「なんとお呼びしたら良いのか、困りますので」と告げつつ。

 司教は意外な顔をしつつ微笑んだ。そして、「失礼しました。我が名はグレスコ。グレスコ・ゴールマン」と自己紹介する。

 一瞬、偽名かと疑ったが、思い当たる名があった。

 

「グレスコ司教? 大法官様の側近の…」

 

 本山関係には疎いが、男性聖職者の頂点を極める大法官、バークトル・リンゴの側近中の側近であった。名前だけなら東方出身のマドカでも耳にしていたのである。

 聖教会を守る武人であり(聖教会の男性聖職者は聖句が使えないので、大抵そうなのだが)、若い頃は、鬼族を討伐したり、個人的な武勇を響かせているとの話は耳にしている。

 成る程、体躯からしてがっしりしており、鍛え抜いた筋肉質であるのが見て取れる。

 顔立ちは太い眉に刈り込んだ白髪交じりの灰色の髪。

 年齢はそろそろ齢五十(エルダでのヒト族の平均寿命は、50歳である)の老境に達していようと思われるが、浅黒い肌は張りを持ち、まだまだ侮れない肉体的能力を秘めているのが見て取れた。

 

「では、こちらへ」

 

 驚きながらも、緋色の袴を翻して奥へ案内する。

 巫女であるがマドカも一角の武人であり、いつか会ってみたいとの希望を持っていたのだが、まさかここで叶えられるとは…。

 

「レオナ、ルイザ。お客様にお茶を」

 

 そう声を掛けるが、マドカ自身は警戒を解いていない。

 むしろ、相手の正体が判明した今、物凄い強敵と相対しているのだと言うプレッシャーがのしかかってきている。

 聖女関連の事に関しては、聖教会でも最上級の機密の筈だからである。下手に対応を間違えるととんでもない事になるのは予想出来た。

 もし、敵対してきたら?

 私は彼に勝てるのだろうか?

 

「さて、単刀直入に申しますと、貴女方がこの教会で保護された聖女様に関してです」

 

 出された茶に手も付けず、グレスコが出した話題がそれであった。

 マドカ側は顔を見合わせる。さて、どう答えれば良いのやら。

 

「聖女様に関しては、今はこの教会に居りませんが…」

 

 レオナが切り出す。これは事実だ。

 

「ほぅ」

「目を離した隙に、何処かへ行ってしまったのです」

 

 こっちは嘘。しかし、マドカは平然と偽りを述べた。

 実際の所、ゲルハン邸で軟禁されていた時に、教会組は今後の対応について話し合っていた。

 本山には報告せず。ただし、追求があった際は『知らぬ、存ぜぬを貫き通す』のが基本方針になっていた。

 グラン王国からの、正確には『闇』からのプレッシャーも無論ある。国家機密に近い事件であり、今後の王国外交をも左右するだろう事柄だから、口外するのは控えてくれとの要請があったからである。

 あのローレルからだ。

 彼は微笑みを浮かべながら「でないと、王国としては大変残念な事態になりかねませんので」と、含みを持たせてマドカに述べたのである。

 

「何処へ向かいましたか?」

「行き先は判りかねます。恐らく、助けを求める信徒の救済へと赴いたのでしょう」

 

 言いつつ、ルイザが聖印を手に祈る。

 グレスコ司教も同じ様に聖印を手にする。

 そして、ややあってから口を開いた。曰く「皆様は聖女、フローレ様が何故、この地に降臨したかを知りたくはないですか?」と。

 

〈続く〉

 




お陰様で全話PVが約6,800。
UAが約3,500に到達しました。有難うございます。

グレスコ司教。また新キャラが出ちゃいました。
強そうな僧兵って感じの御方です。この作品では珍しいマッチョ系。
武蔵坊弁慶的な感じを想像すると、多分、イメージ的にはマルだと思います。長柄メイスを振るえば、恐らく天下無双ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈幕間〉、魔界

外伝11の頭を飾る予定でした。
でも、やっぱり長くなってしまったのでこちらへ掲載します。


〈幕間〉、魔界

 

 魔界とはこの世とは別の異世界である。

 で、終わってしまえば楽だろう。実際、世の中の多くの人間はそれ以上の情報を知らない。

 それは、魔界なる物の実体が余り判っていないのに起因する。

 

 魔界が初めて認知されたのは古代王国時代にまで遡る。

 それまで知られていなかった異世界であり、突如、エルダに魔界の門が開いたのである。

 その世界には世界を統べる魔王なる者の存在があり、その支配下にある眷属として、魔族や魔物等が大挙してこちらへと侵攻してきたのである。

 彼らは異形の姿をしている者が多く、種類も千差万別で、例外なく魔力が高かった。身体能力を使うように、生まれ持った【生体魔法】を使いこなす恐るべき侵略者であった。

 

 超古代文明滅亡後、エルダ界は混沌とした状況に置かれていたが、この魔界の侵攻に立ち向かうが如く、分裂していた勢力が一致団結して一つの勢力が出来上がる。

 古代王国の誕生である。

 劣勢であったが、古代王国は団結して時の魔王を討ち果たし、少数精鋭の英雄達が魔界の門への逆侵攻をかける。

 そして門を閉鎖させ、その接触を断つ事に成功したのだ。

 

 だが、英雄達は魔界からは帰還しなかった。その為、門の向こうの世界、魔界とはどんな場所なのかを記述する記録は残念ながら残されていないのである。

 現在、魔界の様子として知られる記述は、捕虜となった魔族達より尋問で聞き出した内容が主であり、その信憑性はかなり怪しいと思わざる得ない。

 彼らが真実を語っているとは限らないからである。むしろ、情報を混乱させる為、ある事無い事を捏造している可能性だってある。

 更に純粋に、本当に魔界からやって来た第一世代が少なくなり、エルダで産まれた第二世代以降が魔族達の中心となると、親から聞いた記憶が歪み、間違って伝わっている場合もあるだろう。

 

 その中でも証言を精査すると、ある程度の共通項は出てくる。

 魔界とは魔族が統べる地である。

 頂点は魔王と称される、もっとも力のある魔族が支配者として君臨している。

 魔王とは単に力の強い魔族ではなく、魔王以外の者は無条件に臣従する絶対的な支配力を持った存在であるらしい。

 その世界は弱肉強食な荒れた世界であり、戦乱が続き、魔族同士の抗争も絶えない。しかし、魔王は自分の支配領域外に関しては干渉せぬ、比較的緩やかな統治を行っているらしい。

 但し、例外はある。

 それは魔王となるべき存在が複数現れた場合である。その場合、新たな魔王は周辺の魔族を取りまとめ、新たなテリトリーを確保するべく、異世界への侵攻を始める。

 一つの世界に魔王は二つ並び立たないからである。これは我々の世界で類似の物としては、新女王が誕生して分蜂される蜂の行動にも似ている。

 

 過去、魔王同士の戦いは不幸しか起こらなかった為、もし魔王が誕生した際は一方が別の世界へ去る事が不文律になったらしい。

 つまり、エルダに開いた魔界と呼ばれる世界も、元々は単なる異世界で魔族が侵攻してくる前までは、魔界では無いとの話になる。

 だから、氷に閉ざされた永久凍土地帯やら、猛毒のガスが蔓延する湖沼地帯だのとの特異な場所とかも供述に残るが、殆どは我々の世界とは変わりない光景が多数を占めるらしい。

 但し、農業や漁業の様な一次産業の全ては奴隷が担い、支配階級は全く生産には携わらずに、退廃的な遊興にふけり、唯一の生きがいである戦に興じているとの話である。

 女系魔族。淫魔の様な魔族が煽情的で退廃的な姿をしているのも、そのせいであろう。

 

 それはともかく、こうして古代王国は魔界の侵攻を防ぎ、魔界からの援軍を絶たれた魔族は暴威を振るいながらも、徐々に衰退する事となる。

 倒された魔王の後継は立てられたが、幸か不幸か(エルダ側にとっては幸運であったが)、それは真の魔王とは言いがたい支配力の弱い存在であった。

 無論、それなりの支配力はあり、膨大な魔力や高い戦闘力も侮り難い存在ではあったのだが、魔王に必須とされる『全ての魔族が忠誠を誓う、絶対的な支配力』を有しておらず、魔族の間に綻びが生じたのである。

 ヤシクネー族の離反が一番良い例かも知れない。

 奴隷として使役され、自分達が上位魔族の食料として食べられる事に何の疑問を抱かなかった彼女たちが、魔王の精神支配に支配されていた世代から代を重ねて、遂にそれに反発してエルダ側に寝返ったのである。

 

 そう、魔族も世代を重ねる毎に魔王からの呪縛を受けなくなって行ったのだ。

 魔族だからと無条件で連携し、犠牲を厭わずに一糸乱れず行動する軍隊アリの様な行動は、魔王の支配故の産物である。

 魔王が「捨て駒となって死ぬ」と命令すれば、魔族は何の躊躇も無く、「はい、魔王様」と捨て駒となって命を散らしたのだ。しかし、これはもう過去の光景である。魔王の道具では無く、個々が自分の考えで行動する個人になってしまった魔族には、この真似は出来ない。

 ただ一つ危惧するのは、魔族の中から『真の魔王』が再び誕生しないかだけであるが、こればかりは余りにも不確定要素が大きく、予想がしがたい。

 我々に可能なのは、悪夢が再び起こらぬ事を祈るしか無いのである。

 

 この魔族との戦いが古代王国の歴史とも言える。

 古代王国は建国から終焉まで、ほぼ魔族との抗争に国力を費やして、戦いに終始した。

 その結果、魔族の技術を取り入れて、魔法が異常に発達した社会を形成した。それは現代でも再現不可能な高度な魔法も多い。

 しかし、それでも次元に干渉して、別の世界へ通じる門を開ける魔法は再現できなかった。

 かの女傑、テラ・アキツシマが「そいつがあれば、もしかしたらあたしの世界へと帰還できるのに」と嘆いたとの話は余りにも有名である。

     

ラルフ・カーンズバック著『古代王国誌、別冊』




魔界のお話でした。
魔族はそれでも生物(いきもの)なので、特殊ですが時が来ればいずれは死にます。
魔王はその為に魔族の血統を他次元へと送って、種の保存に尽力するのでしょう。
え? 次元を越えて、異世界への扉が再び開く事があるのか?
それは未定です(笑)。

外伝の方は今週末にまで上げる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女12

やっと本編です。
やっぱりスローテンポですねぇ。御免なさい。

次回はリオンの後編の予定です。来週更新。


〈閑話〉ウサ耳島11

 

 その店内にバモーの爺さんはいた。

 ぎっくり腰を患って上手く立てないみたいだが、声の大きさから感じる限り、よっぽどの事がない限りはくたばりそうもないとニナは思う。

 

「おじーちゃん。無理は禁物よ」

「いててて…畜生め。腰さえ無事なら孫娘に任せたりしないものの」

 

 黒い馬体を引きずって何とか番台まで這い寄り、そんな事をぶつくさ呟いてる。

 リーミン曰く「バモーの爺さんは、ずっと昔から御館様と付き合いがあった食料商だにゃ」だそうだ。出会った最初の頃は少年であったらしいが、今も孫も居る爺いである。

 

「今夜には出港するから、船に食料を頼むにゃ」

「5t程度で構わんか。それ以上になると在庫がねぇ」

 

 リーミンは即答で「結構だにゃ。の、代わりに急いで欲しいにゃ」と注文を付けた。

 

「孫を派遣する。アーモ、しっかりやれぃ」

 

 アーモと呼ばれた孫娘は、「えっ」と目を見開いた。

 

「何を呆けてやがる。わしが直接行けないのなら、お前に任せるしかないだろう」

「じいちゃん。ありがとう」

 

 アーモは目を輝かせると蹄を鳴らして店を飛び出した。ぱからっ、ぱからっとギャロップで通りをあっという間に走り抜けて行く。

 呆気に取られるのは私掠船員二人。バモーはガハハと笑って、「アーモはこの店を継ぎたいと言ってやがるんだ。が、ろくな仕事を与えちゃいなかったからな」と告げる。

 

「仕事を与えたから倉庫へまっしぐら、にゃ?」

「そう言うこった。だが、まだまだだな」

 

 バモーの顔が厳しい商売人のそれに戻る。「浮かれてやがる。商売相手の事もきちんと尋ねんなぞ、商人としちゃ失格だ」と呟いた。

 

「確かに納入先の事が分からなけりゃ、何処へ荷物を持って行くのかが分からないな」

「そう言うこった。そこのウサ耳、お前新入りか?」

 

 老セントールは問うた。

 セドナの部下に対する顔ぶれは大抵は覚えているが、ニナは初見であったからだ。

 

「ニナ・ヘイワースだ」

「ふん。若すぎないか?」

 

 自己紹介したニナを上から下まで舐め回す様に観察したバモーが、正直な感想を口にする。

 反発しようと開き欠けた口に、ネコ耳の肉球付きの掌が塞ぐ。

 

「そう。若僧だにゃ」

「むーっ、むーっ!」

「ふふん、しかも、生意気盛りと見える。リーミン、てめぇの昔を見る様だぜ」

 

 「にゃはははは」と何とも言えない情けない表情を作るリーミンに対して、ニナはモガモガとうなり声を上げる事しか出来ない。

 

「で、今度の船は『ドライデン』か『バーレンハイム』か?」

「『グリューン・グリューン』だにゃ」

 

 バモーは頭を傾げる。

 

「聞いた事ないな。新造船か」

「去年、船火事に遭った『バーレンハイム』の後身だにゃ」

 

 焼け残った船体を改装後、ゲン担ぎで改名したとリーミンが説明する。

 爺さんは納得して「それじゃ、5tじゃ足りねぇか?」と聞いてくるが、リーミンは今は量よりも質。それよりも時間の方が優先と説明する。

 

「やばいのか?」

「かなりだにゃ。下手すると太守からの妨害も入りそうだにゃ」

 

 真っ正面から敵対する事は無いだろうが、間接的に手を回してくるだろうとセドナは判断していた。突然、先約があるとかで食料が品切れになったり、あったとしても数倍の値段に高騰するとかだ。無論、ボースンやリーミンもそれを承知している。

 この爺さんの店を頼ったのも、昔から取引があり、太守の支配下にない零細な独立商店だからである。大店は大抵、太守の息が掛かっている。

 

「分かった。急がせよう。と、アーモ。この慌て者め!」

「じーちゃん。納入先って、何処の船?」

 

 蹄の音がして縞の馬体を持った孫娘が戻って来たのは、丁度その時であった。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語24〉

 

「先程戦った奴らもこれなのでしょうか?」

 

 全裸で硝子のシリンダーに半ば浮かび、眠った様に目を閉じている美少女。

 目の前にいる自分そっくりな彼女をしげしげと眺めるイブリンは、疑問を口にしながら筒の周りを一周したわ。

 

「ホムンクルスって奴ね」

 

 ロットが違うみたいだけどあたしが戦って、命を奪った個体と同じ物じゃないかしらね。人間そっくりだけど錬金術によって生み出された人造生命体よ。

 

「聖女の偽者を作り出す為にこうして実験していると考えれば、何となく辻褄は合いそうよね」

 

 あたしは頭に浮かんだ推論を述べた。

 最初に王都に現れた偽聖女もこれの仲間に違いない。ホムンクルスの製造に関してあたしは門外漢だけど、それでも基本は勉強しているから、それが短命であるのは承知している。

 平均、半年から三年。良く出来た個体でも十年と保たないで死を迎える。そして制作には膨大な手間暇とお金が掛かる。

 この効率の悪さから、最近では研究する者も少ないわ。ゲルハン男爵が研究を続行してると知った時、あたしが驚いたくらいだもの。

 

「しかし、何の為に?」

「これを製造する事によって、利益を得られそうな誰かが黒幕よね」

 

 イブリンは長考に沈んでしまった。腕を組み、親指を噛んで何かを思考している。

 さて、あたしも考えを巡らせよう。

 ベラドンナが何故、イブリンそっくりさんを量産するのか?

 意のままに動く聖女を擁する事によって、莫大な利益を得られる連中が必ず存在するからよ。

 

 その一。聖教会、またはその関係者からから依頼があって偽者を造り上げた。は、余り有り得なさそう。だって女の聖女では、法官派が付け入る証拠にならないからね。

 かと言って、完全には否定出来ないのよねぇ。聖女健在を示す事によって安定を得る勢力も存在するのだし……。

 

 その二。外部勢力からの依頼。

 まぁ、それが誰かは別にして、これが一番有り得そうよね。国家。或いは教授の邪教組織みたいな陰謀結社とかよ。

 祖国だし、グラン王国が黒幕だとは考えたくないけれど、それでも客観的に判断するとその線も捨てきれない。『闇』は慌てていたけど、あれが演技だって事だって有り得るもん。

 あたし、ローレルを全面的に信頼してる訳じゃないわ。

 

 その三。ベラドンナの趣味。

 論外。そんな事して何の利益があるのよ!

 

「考えていても仕方有りませんね。 エロコ様、これからどうします?」

 

 考えを打ち切ってイブリンが尋ねてきた。

 

「そうね。取りあえずは脱出が先決よ。

 ここは出口へ向かう方面じゃ無いかも知れない。元来た道を引き返すか、それとも先に進むか」

 

 イブリンの話だと連行された際に、スロープを含む高低差を感じ取れなかったと言ってたから、既に階段を上がってしまったあたしたちは、脱出路と反対方向に歩いている可能性が高いわ。

 無難に反対方面へ進むか、それとも運を天に任せてこのまま前進するか。

 

「無難な方を選択しますね」

「そう」

「貴女を危険に曝したくないですから」

 

 どきっと心臓が高鳴ったわよ。

 えーと、えーと、落ち着け自分。なんで鼓動が高まるのよ。相手は女性の姿をしてるのよ。

 あたし、百合っ気があったのかしら。

 

「しっ!」

 

 イブリンの表情が厳しい物に変化した。

 鋭い警告と共に口に一本指を当てるポーズ。思わず「え?」と息が漏れるけど、直後にその警告の正体が判明したわ。

 誰かが会話しながら、この部屋へと近づいてくるのよ。

 

「こっちへ」

 

 彼が手招く。幸い研究室らしく、雑多な様々な機器や道具が片隅に積み上げてある。

 あたしは頷いて、そこの裏へと隠れる様に身を潜める。

 イブリンとほとんど密着する体勢に近くなったけど、悪くないなぁとか感じてしまってる。

 やがて、扉が開いて数人の人間が入ってきたわ。

 

「素晴らしい!」

 

 先頭の男が驚嘆の声を上げたわ。

 地味目の格好をしているけど、聖職者のそれに近い白い長衣を纏ってるわね。

 

「これ程の施設だとは思いませんでしたぞ。おおっ、おおっ!」

 

 その男。下世話な表現をすると禿げのおっさんね。は、何かに気が付くと、再び大袈裟な声を上げた。視線の先を辿ると偽聖女入りのシリンダーに注目してるみたいだわ。

 

「既にここまで再現していたのですか。これで、我々の悲願も…」

「残念ながら、それはこのままでは、使い物にはならぬのじゃよ」

 

 これは良く知ったロリ声。ベラドンナね。

 列の最後に位置していて、残念そうに首を横へと振っているわ。

 

「そいつは人形に過ぎぬ。姿形は完璧でも、まだフローレを完全に再現した訳ではないのじゃ」

「ほほぅ。しかし、報告のあった件とは、いささか違う様だが」

 

 異議を唱えたのは禿げではなく、その後ろに位置していた若い男だったわ。

 全体的に黒で纏めた軍服。あれは授業で習ったマーダー帝国の、しかも親衛部隊の物を着て、マントまでが真っ黒な格好をしている。

 顔立ちは冷酷そうな切れ長の瞳で、頭髪や瞳まで黒なのに肌の色は吹ける様に白い。造りの良さそうで、如何にも高価そうな長剣を佩いているわ。

 まだ【魔力感知】の効果が残ってるから解ったんだけど、あれは魔剣ね。

 高級将校だわね。

 でも残念。階級章は取り外してある。だからどの程度の地位にあるのかは判らないわ。

 

「報告じゃと?」

 

 ベラドンナの問いに黒づくめは「王国に出現した聖女の事だ」と述べる。

 

「帝国の情報力を舐めて貰っては困る。あれは聖女その物では無かったのか?」

「あれも不完全体の一体じゃ。

 完成した後に様子を見ようと準備している内に、誰かが持ち出してしもうたが、さて、その犯人は誰なのじゃろうの?

 仕方なく、わし自らが取り戻しに動いたが、努力虚しく、限界が来て消滅してしまいおったわ」

「わ、私ではありませんぞ」

 

 弁明を述べる禿げ。黒づくめも「当然、我が帝国が犯人ではない」と否定意見を述べる。

 ベラドンナは低い笑いを響かせると、「誰かは知らぬが、門外漢には手出しを出して貰いたくはないものじゃ」と告げて、シリンダーに近づく。

 

「このホムンクルスには魂がない。

 魂その物をコピーする技術はまだ試作段階で、未だ技術として確立されている訳でもない」

 

 彼女はシリンダーの表面に手を触れると、濡れている水滴を払う。

 

「じゃから、そなたらにはこれまで以上に支援をお願いしたい所じゃ。研究には膨大な資金が必要なのでのぅ」

「問題はいつ実用化のめどが立つか、だな」

 

 黒づくめは冷ややかに笑ったわ。

 

「半世紀もの間、帝国は貴様を支援してきたのだがな。手っ取り早い成果が欲しい所だ」

「成果は渡したろう?

 ギャラガの種。あれは帝国に莫大な富をもたらした筈じゃ」

 

 えっ、ギャラガってベラドンナの作品なの?

 

「それも二昔も前の話だ。そろそろ、別の成果も上げてくれねば困る」

「やれやれ、軍人は急ぎすぎじゃのう」

「貴様の様な長命種とは、ライフスパンが違うのでな」

 

 黒づくめの言う事ももっともだけど、あたしは衝撃を受けていたわ。 

 ギャラガは帝国が二十年程前に開発した植物よ。

 それは真っ黄色の花で、花の大きさは直径1mにも達する巨大な一年草。

 花が枯れると中央にびっしりと大きな種が付くんだけど、これは油脂を大量に含んでいて絞ると良質の油が取れるの。

 食用、灯火用、そして工業用としても有用な油がね。

 帝国はこれを大々的に栽培して油市場を一手に支配したわ。

 この花の登場で油の価格が大幅に廉価になり、王国の油取引は採算的に割が合わなくなって、関税を引き上げる結果となったのよ。

 だって、今までの油から見れば馬鹿みたいに安いんだもん!

 

 食通なんかは「ギャラガ油は、胡麻油と違ってサラサラでコクがない」とか評価するんだけど、それまで限られていた灯火が普及して、街全体が明るくなったのは絶対にギャラガのせいよ。

 つまり、一晩中、明かりを灯しても気にならない価格まで油代が下がったのよ。あたしが生誕前の出来事だから実感ないけど、セドナや師匠の言だと衝撃的だったって聞いているわね。

 一般庶民がランプを灯せる時代が来たんだって。

 流石に王国や法国も、灯火用の需要に関しては認めざる得ず、灯火用に混ぜ物をする処置で食用不能にしたギャラガ油を輸入してるわ。

 ギャラガは帝国で大々的に栽培されているわ。スケールメリットから規模が小さな農園で栽培するのには向いておらず、封建制を取る我が国では栽培しても余りペイしないのよ。

 それを作ったのが、あのベラドンナだったなんて。

 

「貴殿の国の計画か。ろくな事にはなるまいと思うが…」

「聖女の偽者を用いて国を乗っ取ろうとする、法国に言われたくはないな」

 

 あらあら、今度は禿げと黒づくめが喧嘩を始めてしまったわね。

 

「無礼な。救国の志を分かりもせぬ輩が」

「きれい事を言っていても、最終目的は現勢力からの権力奪取だろう。我々と同じ穴の狢だ」

「熱くなるのは構わぬが、ここでの争いは御法度じゃからの」

 

 流石に拙いと見たのか、双方抜刀しそうな所でベラドンナが割って入る。

 禿げと黒づくめは腰の剣から手を離したわね。

 

「まぁ、研究は結実しつつあるのは確かじゃ。

 不完全体とは言うものの、聖女の記憶と力を持ったホムンクルスを錬成したのは事実。これを応用すれば帝国の期待にも応えられるやも知れぬ」

「問題点は?」

「魔力じゃ。本物程のキャパシティは持っておらぬ。

 力を使いすぎると身体の方が堪えられなくなり、崩壊してしまうのじゃ」

 

 禿げにそう説明するロリ婆。

 あたしはルイザから聞いた贋聖女の最後を思い出したわ。

 身体がドロドロに溶けて消え失せた、と。

 

「幸い、問題点を修正する為のサンプルも入手出来た」

 

 ロリ婆がにぃと笑う。あたしは背中にぞくりと悪寒が走ったわ。こいつ、イブリンに何かする予定なんだ。とっとと逃げ出さないと。

 そんな時、唐突に警報のベルが響き渡ったわ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「聞きたくない、と言うのは嘘になります」

 

 マドカはそこで目を閉じると、息を整える。

 

「しかし、それを聞く事で今の我々の立場が危機に陥る事になるのであれば、敢えて聞きたくはありません」

「ふむ」

「我々が中央の政争に巻き込まれる事態は、御免被りたいからです」

 

 グレスコ司教にはっきりと述べるマドカ。

 王都の田舎教会で聖職に就く生活であり、単調ながらも充実した毎日を送っていると感じている。それが壊れる事を、この東方からの巫女は恐れていた。

 

「失礼した。だが、知って貰いたい。現在の聖教会の苦境を。

 そして力を貸して頂きたいのだ。司祭マドカ」

「それは大法官様のお立場からですか?」

 

 マドカは切り込んだ。グレスコが大法官。つまり、聖教会のNo2であるバークトルの側近である事を知っていたからである。

 

「む」

「それとも、父親としてのお立場でしょうか?」

 

 法官派。つまり立場の上では巫女を束ねる神官派とは敵対する派閥の長ではあるが、バークトルは同時に聖女フローレの父親でもある。

 

「困りましたな。流石は皇国の巫女姫だ」

「その名は捨てましたが…」

「いやいや、春社 円(はるしゃ・まどか)殿。我々は貴女に注目しておるのですよ」

 

 やはり司教。しかも大法官の側近だけあって一筋縄では行かなそうだ。

 何故、自分の皇国時代の渾名と本名を出したのか。それは『お前の手の内は知っているぞ』との意思の表れだろう。

 カウンター技として繰り出して来た一手の大きさに、改めてこの男が強敵だとの認識を改める。

 さて、どう出る?

 

「失礼。皇国が貴女に与えた任務について、私どもの口からはとやかく言う事ではありませんな」

「ええ、殆ど見込みのない任務ですからね。

 私も半ば貧乏くじを引いたと思い、諦めております」

 

 東の皇国を統べる、もっとも尊い御方の勅命ではある。

 しかし、それは形だけの話で、実際はマドカを東方から遠隔の地へと追いやる口実に過ぎない。

 そう『西方へ行き、あの朝敵を討て』との話だが、敵が何処へ居るのか教えられず、随行の者達すら付けられる事がなかった。

 当時の若僧だった自分は勅命を受けて、勇躍旅立ったが、齢を重ねた今なら判る。あれは自分を、皇国の巫女姫と呼ばれた存在を東方から追い出す為の罠であったと。

 

「…本音で話しましょう。私の行動は大法官様の、父親としての立場から下された任務です」

 

〈続く〉




リオンにパンシャーヌネタを書いたら、「じゃあ、リーミンは神様ですね」と言われてしまった。
いや、語尾が「にゃあ」だけど、カンボジア人のオリンピック選手じゃないから。
そのイメージで語られると、リーミンが哀れだからやめちくれ(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女13

偽りの聖女編です。
本編はまだ、25しか進んでないんだなと改めて自分の遅筆ぶりを痛感しています。



〈閑話〉ウサ耳島12

 

 積み込みは手早く行われた。

 接岸した埠頭を経由すると妨害に遭う可能性がある。そこでバモー商会倉庫の裏手に艀を着けて、そこから物資を運び出して本船との間を往復をさせる。

 陸の監視を縫う形で、ゲリラ的に積み込みが完了したのが午後四時。

 船乗りの呼称では16:00(いちろくまるまる)だ。

 

 乗組員総出で行った為、ニナも手伝ったが、操船訓練を受けておらず、子供であったのでどちらかと言えば邪魔者扱いされてしまった。

 リーミン曰く「お前は荷物を引き上げるにゃ」である。

 本船に横付けされた艀から、荷物を船倉へと運ぶ係である。

 大人と混じって働くが、当然ながら、子供なので運べる量はたかが知れている。

 

 隣で手伝うバモーの孫娘、アーモの様に背中に樽や小麦袋を括り付けて、一気に運ぶとかの芸当は無理で、小さな箱をうんしょうんしょと運ぶ、子供のままごと(まぁ、本当に子供なのだから仕方ない)レベルのお手伝いがせいぜいだ。

 

「いつか、あんな風に一人前になってやる」

 

 竿を操り、艀を自在に動かすポーリングを絶対に習ってやると心に誓う。

 船は出港準備を整えて、既に艫綱も解かれていた。

 補助の櫂が漕がれ、縮帆状態だが微速前進で港外へ向かいつつある。

 

「あはは、大丈夫。まだ若いから」

 

 そんな彼女にアーモが語りかけてくる。

 

「それにウサ耳族は操船に向いてるからね。人馬は船に向かないからなぁ」

「そうなのか?」

「安定性の問題よね」

 

 彼女は「ああ言う小舟は重心がね。どうしても高くなって危険なんだ。ある程度、サイズがある船ならそんなに危険じゃないんだけど」と呟く。

 艀の様な小艇に乗る時は立ち上がらず、膝を折り曲げないと危険なのだそうである。

 

「ご苦労。無事に積み込みは終わった」

 

 そこへボースンが現れて、報酬と契約書をアーモに渡す。

 西方ではほぼ確実。中原でも東方でも換金率の高い、信用のある銀行手形である。

 

「ジャイロック銀行の手形ですね。確かに」

「拙いな、太守の兵が嗅ぎ付けた様だ」

 

 舷側の方を振り向くと岸壁が騒がしくなっており、多数の衛兵が右往左往しているのが見える。

 アーモが「あちゃあ」と頭を抱えるのと同時に、ボースンの「増速!」の命令が響き渡った。漕ぐスピードが上がり、帆が張られて行く。

 

「済まんね。あんたを降ろすのは港外へ出た後になりそうだ」

「お気遣いなく。まずは門を突破するのが先でありましょう」

 

 港の入口にある侵入阻止用の鎖は外からの侵入を防ぐだけではなく、当然、港内に居る在泊船にも有効である。まだ、動く気配は無いが、もし降ろされてしまえば万事休すだ。

 

「吹けよ。【送風】」

 

 帆が風を捕らえた。いや、一人の女が正確には帆に風を与えているのである。

 セドナが甲板に立ち、風魔法によって帆へ力を与えた途端、グリューン・グリューンは今までとは比較にならぬ速度で突進を開始する。

 

「御館様」

「こんな時に船長室なんぞに篭もっては居られないだろ?」

 

 そのまま私掠船は門を越える。

 セドナは「はん」と鼻を鳴らした。門の阻止バリアーは降りる気配が無い。

 

「賢明な判断だね」

 

 間に合わないと見て阻止行動を中止したのだろう。ここで門を閉鎖してしまったら、完璧にグラン王国士族との争いになる。あの太守はいけ好かない奴だが、咄嗟の判断は的確だった。

 

「御館様」

「ラオ、港外に投錨する。油断するな、敵船は恐らく一両日中にやって来る」

「はっ」

 

 それからセドナは、ボースンの隣に居る人馬族に目をやる。

 

「バモーのお孫さんだね」

「アーモと言います。セドナ様の事は祖父よりいつもうかがっておりました」

 

 それを聞いて苦笑する妖精族の女。

 いつも自分に関して何を言っているのかは、敢えて尋ねまい。

 

「上陸させたいのは山々だけど、直ぐに日が沈む」

 

 まだ集落の近くだから危険度は低いが、夜の砂漠には何が出るのか判らない。

 夜間行軍の方が旅には向いてると言う事実があるにせよ、夜は人間よりも魔物や怪物の時間である。砂漠に生息する強力な魔物や、亡者の群れと鉢合わせなんて事は珍しくないのである。

 

「この時間は危ないから一晩滞在する方が安全だけど、希望はあるかい?」

「では、お言葉に甘えて泊めて頂けませんか」

「了解だ」

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語25〉

 

 グレスコ司教は語る。

 自分は大法官、バークトルの命を受け、聖女の行方を探していると。

 今からその内容を詳しく話すが、これは口外無用。と聖教会式の誓いを求め、マドカ達が同意したので語り出す。

 

「興味深いお話ですね」

「そうして、この国へ到着したのは掴んでおります」

 

 その内容は聖女が法国から抜け出し、船に乗って遭難した事。その後、私掠船に拾われて王都までやって来た事。しかし、その後の行方がぷっつりと途切れた事、等だ。

 

「この前の聖女騒動が起きる前まで、その消息は掴めず…ですか?」

「お恥ずかしいですが、その通りです」

 

 一時は死亡説も流れたが、巫女のお告げによると生存していると大法官は主張し、グレスコが送り込まれたのだという。

 

「再調査した所、聖女の行方を探ったこちらの間者は、ことごとく行方不明になっておりました」

「始末されたのですか?」

「はい。相手は『闇』と、恐らくルローラ家です」

「ルローラ?」

 

 マドカは首を傾げた。そして思い至る。あの眼鏡の士族はエロコ・ルローラと名乗っていた。

 グレスコは「調べました所、士族家ながら、恐ろしい家系だと判明しました」と語った。

 まず、古い。それこそ建国以来の大公家にも匹敵する家柄だが、目立たない。

 決して権勢を誇示したりはしない。だが強力な軍事を持つ辺境伯家と、商業的に強い影響力のある伯爵家とが親子の縁で結ばれており、侮ると酷い目に遭わされる。

 地位は低くとも、影の権力。厳然たる力を保持しており、王家他の古い有力家はそれを知っているらしく、決して手出しはしない。

 

「かの領地は密偵の墓場と称されておりまして、そこへ不用意に手を出した者達は討たれてしまったらしいのです」

「怖いわね」

「しかし、この度、王都で起こった聖女騒動までは隠蔽出来ず、我らの耳に入った次第」

 

 だが、その消息は再び、この教会で途切れてしまった。

 マドカは悩む。それが贋物で突然、消失してしまった事を告げるべきか、否か。

 聖教徒としての立場と、グラン王国民としての立場もある。

 特に『闇』の報復も恐ろしい。

 仮に自分一人であったなら気にもしないのだが、この教会とレオナとルイザ、二人の女司祭に関しては自信が持てないからだ。

 個人の武勇で全てを退けるのは可能である。しかし、護るべき者が出来てしまった場合、それを害する存在に対して対応は出来ないのだ。

 個人は所詮、個人でしかなく、護るべき対象を全て影響下には置けない。

 

「司教」

「何かな?」

「神に対して誓って貰えますか?」

 

 マドカは決断した。聖教会式の宣誓を取る事である。

 先程、マドカ達三人が承認した宣誓と同じ事をグレスコに求めたのである。これは今から話す内容は口外無用と司教に誓わせる事であった。

 すっと同僚二人に視線を投げると、自然にレオナとルイザが席を立った。レオナは音を立てないでドアに向かい、ルイザは窓の外を窺いながら、脚立を手に天井の羽目板を外す。

 

「うわっ」

 

 不意にドアを勢いよく開けると、間抜けな声と一緒に司教の随行員が転びつつ入って来た。

 どうやら、扉に耳を付けて中の会話を盗み聞きしていたらしい。

 

「そっちは?」

 

 そいつをふん縛ってからのレオナの問いに、「流石にネズミは居なかったみたい」とのくぐもった答えが、天井裏に顔を突っ込んだルイザから返って来る。

 

「ガエル!」

「困りますね。こんな行為は」

 

 部下を叱責するグレスコ司教の声と、半ば呆れ顔のマドカの発言が重なる。

 

「他国人である我々を信用出来ないのも理解出来ますが…」

 

 とはレオナ。

 

「同じ聖教徒ではありませんか」

 

 とはルイザ。

 

「面目ない。教育がなっていなかった様だ」

 

 グレスコは謝ると部下に命じてふん縛られた男をつまみ出した。

 ついでに随行員全員を教会の外へと追い出す。「閣下」だの、「危険であります」だのの文句が上がるが「わしを怒らせたくないのなら、黙れ」の一言で沈黙した。

 

「で、誓いであったな。これから話す内容を口外するな。おおよそ、そう見当したのだが…」

「ご明察です」

「しかし、そうなると教会の仲間にもその内容を伝えられぬ話になる」

 

 つまり、話を聞いたとしても、その情報を仲間と共有出来ぬので意味が無い。死に体になるので意味が無いのでは無いか、との疑問だ。

 

「我々にも我々の利害、生活がありますからね。

 成る程、法国中央から見れば、このグレタ教会はちっぽけな小教会の一つに過ぎず、潰されたとしても何の痛痒も感じぬ存在なのかも知れません。

 しかし、我々はこの国で多大な努力をして、この街にこの教会を建てて、信徒を育ててきた歴史があります。それを中央の意向一つで、左右されたら堪らぬのです。

 ここで現地政府に逆らえば、どうなるかは火を見るより明らかですよね?」

 

 グレスコは黙って話を聞いているが、マドカの『闇』からの口止めを匂わせる。話すのはそれなりの外交的な手順が必要だとのニュアンスは伝わったらしい。

 

「よって、お話しするにしても教会組織が直接知りうる事柄は話せず、グレスコ司教個人に対して渡せる範囲内でしか無いのです」

「理解はした。司祭らに教徒として犠牲になれ、とは確かに強要は出来ぬ」

「それでも構わぬのであれば、神への誓いを宣誓した後でお話しします」

 

 神への宣誓は聖句の一つである。

 神へ「○○をするのを誓う」と宣誓し、その約束を違わぬ様に呪文をかけるのである。一種の呪いであり、神の御名に於いて誓った事に関しては、それを反故すると神罰が下る。

 途中で口が利けなくなる。くしゃみや咳が身体を襲う。最悪、死に至るなど神罰の効果は様々だが、それのどれもがろくでもない事は確かである。

 聖教会の巫女であれば、司祭級ならば大抵は会得している魔法であり、マドカは無論、レオナも使える聖句であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 非常ベル。

 伝声管から耳障りな魔鈴がじりじり鳴り、何かを警告しているわね。

 ベラドンナは「侵入者か」と呟いたわ。

 

「侵入者ですと?!」

 

 驚いた顔で問い質したのは禿の方。

 

「入口に張っていた罠に誰かが引っかかったようじゃ。

 安心せい。既に部下が迎撃に向かっておる」

「出来の悪いホムンクルスでは心許ないな」

 

 これは黒衣の帝国軍人。

 

「不安かや。ふむ、では我らも現場へ行く事にしようかの?」

「俺は構わん。貴様はどうする。バパップマン」

 

 若い将校は早くも腰の帯剣に手を掛けて、その鯉口を抜いたり入れたりしているわね。

 視線を逸らしてあたしの後ろに居るイブリンに目をやると、アイコンタクトが判ったのか、彼女はこくりと頷いたわ。

 禿の名前判明。あたしはバパップマンって聞き覚えは無いけど、やっぱりイブリンは知っているみたい。その禿(一々名前なんか呼んでやらない)は「置いていかないで下され」とか言って、先行する二人について行く。

 

「ふうっ」

 

 多分、充分遠ざかったのを見計らい、あたし達は狭い物陰から身を這い出して息を吐く。

 警報はまだ鳴ってる。数秒鳴ると一時停止して、更に数秒鳴るってのがパターンみたい。多分、この機構は時計的な機械装置を介して作動してるわね。錬金術師としては参考になる。

 

「バパップマンは恐らく法国の法官です。

 ボリス・バパップマン。私も名前しか知りませんが、そんな名の司祭が居たのを覚えています」

 

 説明によると、巫女の権限を抑制して権力を奪取せんと企む法官派の一員だそうだ。名前しか知らないのは、あんまり中央近くに居た人じゃ無いからだそうな。

 名簿にあった名前をたまたま記憶していただけで、実は本人かどうかも判らないと言う。これがバパップマンとか言う特徴的な名以外なら、多分、『誰だ、それは?』的な扱いになってたんじゃないかしらね。

 

「入口とやらは、やっぱりあたし達の進んで来た進行方向とは逆みたいね」

 

 ロリ婆達の去った方向からの推測よ。私達もそっちへ向かうべきか、それとも?

 

「余りぐずぐずもしていられませんが、しかし、今の状況は情報収集には絶好の機会ですね」

「研究資料か。確かに豊富にありそうね」

 

 あたしは納得した。ここは研究室の一部らしい。でも、あたし達が隠れていたガラクタとかもそうだけど、この荒れ具合から見てメインの研究室では無いけどね。

 イブリンの偽者を作る理由。そしてそれを使った計画の全貌が掴めるかも知れない。

 

「例えば、これ、解読出来ますか?」

「書き損じの書類ね。どれどれ」

 

 差し出された丸められた紙くず。それに目を通してみる。

 ホムンクルスに関する記録だわね。几帳面に書いてあるけど、『上手く複製出来ぬ。No108、これは失敗作じゃ』の記述を最後にぐちゃぐちゃと汚い線が舞っているわ。

 え、108体もホムンクルス作ってるの?

 しかも、これ結構古びた紙だから、現在は何作目なのよ!

 

「…くらくらして来たわ」

 

 天才と言われただけある。一体を作るのに心血を注ぐと称されるホムンクルス製造。それを事も無げに百体以上造り上げているのに、あたしは眩暈を覚えた。

 

「読めるのですね。今、分析する時間がありません。適当に頂いて行きましょう」

「なら紙束じゃない、本になってるのが良いわね」

 

 あたしは適当に、多分、重要じゃないかと目星を付けた数点の資料を収集する。

 持ち運びに不便なのでガラクタの中から、使えそうな鞄を発見してそいつに詰める。色が紫色だったから、実は趣味じゃ無かったけど贅沢は言ってられません。

 形は腰に付けるヒップバッグタイプ(もしかしたら、馬用のサドルバッグなのかも知れないけど)で、これから逃避行をするのには丁度良かったし。

 

「誰か来ます!」

「えっ、待ってよ。今、準備中」

 

 イブリンが警告する。既に手には放置されてた魔法の杖らしき物を手に構えている。

 廊下をバタバタと走ってくる複数の足音。剣戟の音。こちらへと近づいてくるのが判るけど、こっちもこっちで、バッグを腰に結びつけている真っ最中なのよ。

 どうにか元のガラクタの置いてある場所へと戻ろうとした時、ばんっと乱暴に扉が開いた。

 中へ入ってきた小柄な影へ、イブリンが杖を振り下ろした。

 

「あがっ」

 

 その小さな影は、頭に一撃を食らって昏倒したわ。

 続いて入って来た奴にも連続して攻撃するけど、そっちは空振り。敵の細剣が受け止める。

 返す刀で反撃され、イブリンの腕にぱっと血が飛び散る。

 

「また、聖女様もどきか!」

 

 杖を取り落とした彼女へトドメの攻撃が入る寸前、あたしは叫んだわ。

 

「ユーリィ!」

 

〈続く〉




ようやくユーリィと合流。
でも、折角の味方も追い詰められている様で…?

次回は恐らく「風紗館のリオン」です。
次こそ完結だ。
リオンは暫くしたら、全てを繋げて統合予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話〉、ロリラウネちゃん

息抜きに書いてたら出来てしまった。
『エロエロナ物語』からの派生です。でもR-18ではありません(笑)。


〈閑話〉ロリラウネちゃん

 

 ロリラウネちゃんは朝、目を覚ましました。

 閉じていた大きな蕾が開くと、その中央に人間の女の子そっくりな裸の身体が現れます。

 大きく伸びをすると「ふわぁぁ」と、欠伸を一つ漏らします。

 

 両手で顔をごしごし擦り、手櫛で髪の毛を梳くと「よしっ」と気合いを入れます。

 それから腰を中心にぐるぐる回したり、腕を回したり胸を反らしたりして準備運動です。

 人間の女の子そっくりな緑色の裸体。その腰から下は花弁の中に埋まっていますから、これ以上の動きは出来ません。前後への屈伸と合わせてこれが限界です。

 

「ふうっ」

 

 身体がほぐれた所で、移動を開始します。

 木漏れ日の差す森の中は気持ちが良いのですが、生憎、光合成には余り向きません。

 身体の下、大きな壷型をした緑の本体をぶるりと奮わせ、その根元にある太く、短い根っこを脚として移動するのです。

 

 本体の側面には、幾つもの華が大輪の花を開かせています。中央トップにある主花と違って、こちらの花弁には女の子は生えていませんが、こっちにも重要な役割があるのです。

 本体の根元には茨の様な、鋭い棘持つ無数の蔓と生殖用の触手が十数本生えており、こちらも自在に動かす事が出来ます。

 これは武器で、悪い敵が来たらこれらで撃退するのです。

 

 そして大地をうねうねと根っこで歩き始めた所で、ぶぶぶと翅の立てる音が響きました。魔蜂キラーホーネット(殺戮蜂)。

 黄色と黒の縞模様が目立つ、半人半蟲の魔物です。

 

「おはようございます。今日も蜜を頂きに来ました」

 

 ホーネットのお姉さん達が挨拶してきます。

 彼女たちは人間の上半身と蜂の縞々な腹部が合体した形で、背中に四翅の透明な翅を持って空を飛び回ります。

 その動きは機敏でロリラウネちゃんから見たら、羨ましいの一言に尽きます。

 

「おはよう。女王陛下はご機嫌宜しくて」

「はい。今日も元気に卵を産んでますね。あたしも今朝、新しい卵を頂きました」

 

 にっこりと笑うお姉さん。笑顔が眩しいです。

 キラーホーネットは女王蜂を頂点とする群体種族で、女王以外は全て兵隊、もしくは働き蜂です。そして全て女性に見える半陽の一族であり、女王以外は卵を産む機能がありません。

 生殖器官は退化して毒針、毒嚢、毒腺に変化してしまっています。でも、毒針と兼用の産卵管は残っており、ここに女王から与えられる卵を格納しています。

 これで相手を刺した際、毒液や自分の精液と共に卵を相手の体内へと産み付けるのです。こうして卵を寄生させ、新たな女王蜂を誕生させるらしいのですが、ロリラウネちゃんはまだ新しい女王が誕生したのを見た事がありません。

 

「今度の卵も、また無駄になりそうね」

「平和ですからね。いいことじゃ無いでしょうか?」

 

 本来、寄生蜂であるキラーホーネットは動物に卵を産み付けまくります。卵が孵る確率は八割前後、その後、女王蜂として生き延びるのは一割に満ちません。

 魔物と言えど、力の弱い産まれ立ての女王蜂は巣を作るまでに捕食されてしまうからです。

 そして女王は巣でせっせと卵を産み続けます。

 それらは働き蜂になります。そして無精卵は働き蜂への下賜用です。これは前述の様に女王蜂を誕生させる為で、働き蜂の精子がないと女王が出来ないからです。女王自身の精子を与えた卵は働き蜂にしかなりません。

 

 しかし、この森に住む女王蜂は働き蜂の数を制限しました。卵を産む数も抑制して、自分の寿命を延ばす努力もしています。

 ここは森を中心とした小さな生態系です。必要以上に生き物の数が増えるとあっという間にバランスが崩れ、森は死を迎えてしまうのです。

 だから、森が支えられる生息数の上限を魔物も厳しく守るべきだと考えたのでした。

 よって働き蜂にも卵を下賜しますが、「やたらと産み付けない様に」と厳命しています。抱えている卵にだって限界はあるのですが、「古くなって死んだ卵は新しいのと交換する」としてそれを守らせているのです。

 この森に生きる動物たちに一斉に産み付けたら、そこら中が女王蜂だらけになってしまいますからね。また、基本的に天敵も居ないので、巣を必要以上に拡大する必要も有りません。

 

「あの……そろそろ」

「うん、蜜をどうぞ」

 

 ロリラウネちゃんは頷くと移動を中止しました。

 ホーネットのお姉さんがその身体に殺到します。側面に咲いた華に頭を突っ込んで、その花粉や蜜を採取して行くのです。

 お姉さん達が一方的に恩恵を受けている様に見えますが、同時に花々は受粉されるので、ギブアンドテイクと言えるでしょう。

 こうしてロリラウネちゃんも種子を得る事が出来るのですから。

 

「大分、貯まったなぁ」

 

 蜜や花粉の収集が終わったキラーホーネット達と別れ、ロリラウネちゃんは自分が形成した種子を数え直しました。

 作られた種子は花の表面から、本体内部の種袋へと送られて貯蔵されています。数は既に千個は超えていますが、ロリラウネちゃんはキラーホーネット達と同じ理由で、まだ一度もこれを使った事がありません。

 他にも理由があります。ここには魔物以外に野生動物しか居ない為です。

 

「この種も体重が重くなる原因なのかしら?」

 

 そして森から出ると日当たりの良い丘の上へ移動して、太陽からの光を一杯浴びます。

 

「いつも思うけど、歩くのがのろいのよね」

 

 気持ちいい光合成を続けながら、ロリラウネちゃんは独りごちます。

 まだ小さかった頃は、こんなに動きが緩慢じゃ無かった筈だったからです。

 でも仕方有りません。成長の結果、既に本体の直径は十メートルを超え、自重も数トンに達してしまってるのでから、動きが鈍くなるのも当然なのです。

 

 すうっと丘の上から遠くを眺めます。

 ロリラウネちゃんは頂上に生えたこの身体で、植物型の魔物にあるまじき視覚や聴覚を持っています。この姿は人間や亜人を惑わせる為でもあるのですが、それ以上に視聴覚の感覚器としての役割を担っていると言っても良いかもしれません。

 

「中原の大砂漠……」

 

 広がるのは白く果てしない砂の海です。この森を中心とした直径にすれば僅か数キロにも満たない土地の他は、回りは乾燥した過酷な砂漠に囲まれていて、動物も、ロリラウネちゃんの様な植物も見当たらない死の世界です。

 ロリラウネちゃんが生まれた土地。

 この平穏な緑の孤島から、ロリラウネちゃんは出た事がありません。

 何処か別の土地へ行く必要が無かったからであり、概ね、ここでの穏やかな生活に満足していたからです。

 

 生まれた時の事を思い出します。

 種を産み付けられた苗床の中で成長し、その腹を破って外界に出たとき、回りには同族達は誰も居ませんでした。

 代わりに居たのは数人の人間です。苗床とした女の仲間だったのでしょうか、半狂乱になって何か、この女の名を叫び続ける者。「おのれ、ロリラウネめ!」とか憎しみの視線で、自分に刃を向ける者。パニックに陥って逃げ出す者。と様々です。

 

「えっと、ロリラウネ?」

「そうだ、貴様だ。妖花ロリラウネ!」

 

 剣を向ける男が教えてくれました。

 どうやら、自分はロリラウネと言う名前であるらしいのを。

 ロリラウネちゃんは「戦う気は無いよ。そんな怖い顔しないで」と伝えましたが、相手は「黙れ、パティの仇だ!」とか興奮気味になっていて、お話になりません。

 パティと言うのが、この苗床の名前なのでしょう。

 見た事も無い自分のお母さんが、このパティなる女の胎内に種を植え付け、その中で発芽した自分が最終的に、この苗床女を内側から破壊してしまったのだと理解します。

 

「わざとじゃないの。発芽して生まれる為に必要な事だったの」

 

 そう弁明したのですが、それは怒りの火に油を注いだだけでした。

 怒りにまかせて斬りかかってくる刃を、未だ自分に栄養を供給してくれる苗床女の身体を操って、ギリギリ躱します。

 今の状態は苗床女の腹から、丁度、自分が突き出ている状態なのです。本体の下を埋没している苗床は既に屍体ですが、何故か、ロリラウネちゃんはこれをコントロール出来るのです。

 生まれたばかりで、まだ上手く身体が動かせないロリラウネちゃんにとって、自分の代わりに巧みに動ける足があるのは大助かりでした。

 

「やめてよぅ。いじめないでよぉ」

 

 ロリラウネちゃんは泣き叫びました。ただ単に発芽して世に出ただけなのに、何でこの人達は自分を目の敵にするのか、さっぱり理解出来ません。

 そんな時、不意にロリラウネちゃんの頭に思考が流れ込んで来ます。

 

「ハーガン止めて、剣を引いて」

 

 ロリラウネちゃんの口から発せられた言葉です。ハーガンと呼ばれた男は驚愕し、思わず攻撃を止めてしまいます。

 この男は剣士のハーガン。私の名を半狂乱になって叫び続けてるのはヒーラーのゼシュカ。向こうで逃げ惑っているのは盗賊のバッシュ。

 

 苗床になったパティの知識でした。この女の魂をも完璧に取り込んだお陰で、その素質がロリラウネちゃんの一部となった瞬間でした。

 ロリラウネの一族が人間を苗床にするのは、犠牲者となった者の魂を取り込んで自分の基礎にする為なのです。

 まだ一度も種子を使った事が無いのもこれが理由です。

 だって、動物に植え付けても畜生の知性しか生じません。言葉も話せず、高度な思考も出来ず、ただ「がるるる」とか「うもー」とか鳴くだけの個体は、この世界では生き延びる確率は低くなるからです。

 同様に女性に植え付ければ上に生えるのは女性体。逆なら男性体になります。しかし、大抵は女性に種を植え付けるのは、そちらの方が生存率が高めであると経験則から知っているからです。見た目がヤローより、可憐な少女の方が好印象ですからね。

 

「パティ」

「そうよ。でも、今のあたしはパティじゃ無いの。もうロリラウネなのよ」

 

 ハーガンはパティの恋人だったっけ、とロリラウネちゃんはその知識を辿ります。ゼシュカと恋のさや当てもした事があったっけ。

 そして一瞬、及び腰になった所を狙い、茨の棘が生えた蔓を繰り出します。蔓はハーガンに巻き付いて、その棘から麻痺毒をたっぷりと注入してしまいました。

 

「ゼシュカ。バッシュ!」

 

 ハーガンを無力化した後、ロリラウネちゃんはパティの仲間二人を呼びます。

 暫くパティに成り切って、演技を続けた方が良いでしょう。

 

「パティ」

「ゼシュカ。ハーガンを連れて去って。そして、もうここへは来ないで」

 

 あれ? 何故か涙が出ます。どうしたんだろう。

 

「こんな形でハーガンを譲るとは思わなかったわ。ゼシュカ、彼とお幸せにね」

 

 身を翻します。そして駆けます。

 後ろから「パティ」の声。でも振り向かず、「あたしはロリラウネ」とだけ答えて、遠くへ、遠くへ、森の奥地へ。

 頭の中から「ありがとう。ロリラウネ」と言うパティの感謝の言葉。

 ロリラウネちゃんも自分がパティになった様な錯覚を覚えましたが、あれ以来、自分がパティとして自覚したことはありません。

 ロリラウネは知識や経験として苗床になった者を利用しますが、性格形成に多少の影響はあるらしいのですが、当の本人そのものなコピーになる事はない筈なのです。

 

 とにかく、流血の事態は避けられ、あれ以来、この緑の孤島に人間が訪れる事はありません。

 人間が訪れたら、また、同じ様にロリラウネちゃんの身が危機に陥る可能性は高く、平和主義者である彼女も、そのトラブルを避けたいと願っています。

 それでも目を皿の様にして砂漠を渡る何かを発見しようと目をこらすのは、もしかしたら、人界に対する未練なのでしょうか?

 

「さて、日光浴終わり」

 

 充分、光合成も出来ました。

 元々、この乾燥地帯に対応した種ではなく、もっと湿潤な気候で繁栄していたと思われる魔物ですから、砂漠の暑い直射日光を浴び続けるのは毒です。

 うんしょ、うんしょと丘を駆け下ります。

 

 森の中で木漏れ日を浴びて、今日は静かにお昼寝しようかな。

 それとも土壌改良のお仕事をしようか。

 堆肥作りは面白く、土が根から得る栄養は概ね満足出来るレベルでした。

 うーん、いっそ、川沿いを散策するのも良いかもしれません。この前見付けた魚や海老の観察もなかなか興味深かったから、とも考えを巡らします。

 そうしてロリラウネちゃんは身体を揺らしながら、森の奥へと消えて行くのでした。

 

 

〈FIN〉




あっち(「戦麗舞と雷之進」)に登場したロリラウネとは別個体です。
判ってるとは思いますけど、全部のロリラウネがこんな性格ではありません。と言うか、この娘はかなり特殊です(笑)。
エコ(?)なキラーホーネットの女王様との交流も、変な性格形成に一役買っているようです。

この植物型魔物、向こうでも書いたけど『世界樹の迷〇』シリーズに登場する、アルル〇ナのイメージです。他にアルラウネの特徴も一部入ってます。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈幕間〉、セイレーン

久々の幕間です。
『エロエロナ物語』に登場したウィンがセイレーンなので、その記念かな。

翼変化タイプなのは『ベレヌスの〇ビン』に登場した〇ムとリ〇の影響ですね。


〈幕間〉、セイレーン

 

 セイレーンは鳥形の女系魔族である。

 普段の姿はヒト種他の人間と変わりない。ただ一つの相違点は、足がいわゆる鳥脚であり、猛禽類を思い起こす鋭い爪が生えている。

 魔族の中では少数民族に属し、胎生の少子種族故に個体数は決して多くない。

 

 身体的な特徴は、自身の両腕を翼へと変じられる能力である。この為に彼女たちは袖のある服を着る事は無い。

 この翼で羽ばたき、滑空する事で空を自由に飛ぶ。その飛行能力は飛竜に比べれば落ちるが、それでも空を飛べない種族から見れば、驚異的な機動性を持っているのには変わりない。

 手が翼へ変じる所から空中では武器を扱えないので、その攻撃方法は脚に生えた鉤爪である。その力は強く、文字通り、人間一人程度なら鷲掴みにして空中へ連れ去る事すら可能で、掴み上げられた対象を墜死させるのが彼らの戦闘法であると言える。

 

 だが、それ以上に脅威なのはセイレーンの持つ【呪歌】(まがうた)である。

 魔族の持つ生体魔法、生まれつき持つ魔法効果を発揮する能力であり、彼女らのそれは歌に各種の魔的効果を付与する恐るべき技であった。

 この為、古代の魔族戦争期では空飛ぶ魔族の尖兵となり、恐れられたのも【呪歌】の力を見込まれた故であった。

 

 無論、単体の【呪歌】でも充分脅威である。その歌声は魔法耐性を持った者以外に強く働き、【眠り】や【魅了】などを引き起こす。滅多に居ないが、時には【死の歌】を使える個体も存在し、聞いた者に問答無用の死をもたらすのだ。

 だが、それ以上に厄介だったのは、本能しか持たず、統率するのが難しい下級魔物。主に蟲とかであるが、を【呪歌】によって誘導して、敵へ襲撃させる指揮者としてだった。

 雲霞の如く空を埋め尽くす、ジャイアントキラービー(殺人巨蜂)の後ろで優雅に唄を歌って、これを操るセイレーンは、さながら死の天使だと記録されている。

 セイレーンは良く混同される魔物、鳥頭のハルピュイアと違って知性が高く、魔族軍の指揮官としての素質を充分発揮したからだ。

 

 魔界が閉ざされて魔王が滅び、魔族の統率を失って大規模な軍勢として存在しなくなると、将兵としての彼女らは次第に前線に姿を現さなくなる。

 もっとも元々、稀少な種族故、動員されていた数も少なかったせいもあるし、戦時に前線へと集中配置されていたのが異常であったのだが…。

 新暦期に入ると、セイレーンは幻の魔族として話題にも上らなくなる。彼女らの一族は高い山間や、南洋の小島に引っ込んで、滅多に人間の前に姿を現さなくなったのである。

 だが、それが終わりを告げたのが新暦600年代の大航海時代であった。

 

 当時、再発見された南大陸へと航海者達が続々と繰り出していた。

 だが、大洋を横断する航海は危険が多く、天候、海流、凪、座礁、時には海の魔物にも遭遇し、命がけの冒険にも等しい苦行でもあった。

 無事に帰還出来るのは五分五分、と言われていた時代である。

 そんな中、異様に生還率の低い航路があった。出て行った者が還って来ない魔の航路と恐れられたのだが、ある日、そこへ向かった船団が帰還したのである。

 船は完璧。但し、中の乗組員は一人してして存在せぬ状態で漂着したのだ。

 その異常事態を重く見た、当時のグラン王国は調査艦隊を派遣したのだ。

 

 果たせるかな、その航路上には群島があり、セイレーンの国が存在したのである。

 行方不明になった船員達は【呪歌】によって魅了され、彼らの奴隷として囚われていた。

 セイレーンは他の女系魔族と同じく、男性なる者が存在しない。船団の男達は種付け用の生殖奴隷として、女は愛玩奴隷として弄ばれていたのだ。

 驚いた王国は開放の為の交渉に乗り出したが、魔族である彼女らのプライドは高く、王国からの使節は鼻であしらわれ、更にある国、ファタファタ国では女王が気分を害したとして、使節団全員が殺害されるとの暴挙に及んだ。

 この時、セイレーン達の国が一国ではなく、島に別れて複数国が対立していたのが幸いだったのかも知れない。

 その内の一つ、利に敏い、シャルカーン女王国が王国との同盟を結ぶ。

 そして虐殺に激怒した王国の大攻略艦隊と呼応して、暴挙に及んだファタファタ国を攻め滅ぼしたのだ。

 

 国と称していても、セイレーン達の国家規模は女王を頂点とした千人にも満たない部族国家にすぎず、当時、王国も海軍力は低かったものの、精鋭の騎竜をも動員した数千人からなる大艦隊の前には抗すべきもなかった。

 更に王国は【呪歌】対策として、魔的防御力の高い魔導士や神官、妖精族に半妖精族、更に併合したばかりの南洋諸島から、抗魔力のある魔族であるヤシクネーを大量動員していた。

 グラン王国を本気にさせた代償は大きかった。ファタファタ国は焼き尽くされ、そこのセイレーンは最後の一兵に至るまで殲滅されたのである。

 

 ここまで苛烈な攻略が行われた理由は復讐だけではない。

 戦後、残りのセイレーン国家が二度とグラン王国へ叛旗を翻す事のない様にする為の見せしめであった。事実、最初に同盟に応じたシャルカーンは王国へと恭順し、主権を放棄して王国の一領主として臣籍に下った。

 程なく残りの国もそれに倣い、後にセイレーン群島と呼ばれるこの島々は王国の版図となったのである。現在、領主としてこの地を治めるリーザ・シャルカーン侯爵は、恭順したシャルカーン女王の血筋を引く子孫である。

 

 そんな凄惨な歴史はあった物の、セイレーンが王国の一員となった事で変化が生まれる。

 セイレーン諸島から、王国各地に彼女らが流入したのだ。

 無論、大量に産まれるヤシクネー等と違って、その数は少ない。しかし、少しずつでも、セイレーンは王国各地へと浸透して行った。

 傭兵や冒険者、それに兵士として優秀であり、魔導士としても才を発揮するが、変わった所では養蜂家として名を上げている。

 

 そう、【呪歌】によって蟲を操る能力は健在で、その対象がジャイアントキラービーから、ジャイアントハニービー(巨大蜜蜂)に代わり、セイレーンは王国へ貴重な蜂蜜を提供する第一人者になっているのだ。

 巨大養蜂業を独占する結果になってしまったが、危険な魔物である巨大昆虫を操れるのは彼女らしかおらず、今の所、競合する養蜂家以外は文句は上がっていない。

 もっとも、扱う昆虫が魔物だけに、それが飼える場所が限定されてしまうのが悩みだそうだが、その不利を飛べる事で相殺しているらしい。

 

 セイレーンは詩を詠み、作曲し、唄を歌う。天性の歌い手であり、本職の音楽家でもないのにこれらを嗜むのが標準になっている。

 故に音楽家としても名高いが、唄が全て【呪歌】となってしまうのでセイレーンのみのコンサートでない限り、声楽家としての本領を発揮出来ず、意外にも音楽家として身を立てている者は少ない。

 

 また、同じく空をテリトリーとする魔物のハルピュイアとは仇敵で、「あんな馬鹿とは一緒にして欲しくない」と忌み嫌っている。

 腕の部分が翼である事(だが、ハルピュイアのそれは翼固定で腕にはならない)。脚がいわゆる鳥脚である事などで共通点が多いが、ハルピュイアが一般的に鳥頭の馬鹿であって、知性溢れたセイレーンと混同される事に憤慨しているのだ。

 あるセイレーン曰く、「ヒト種。ああ、あの山に住んでるお猿さんですね? と言われたら、貴方はどう思われますか」だそうである。

 文化のへったくれもない動物。胸すら隠す事をしない魔物と一緒にして欲しくないとの思いは、ハルピュイアと混同されて狩られてしまう事の多かった過去から来る恨みなのであろう。

 

シンディ・バーム著。『セイレーンのお話』より抜粋。

 

〈FIN〉  




エルダ世界の女系魔族は大半が胎生です。卵生は魔物タイプに多くなります。
ほら、ファンタジー調の漫画やイラストとか見るとモンスター娘の大半はお臍や見事な巨乳なのに、卵生って場合が多いでしょ?
卵生なら臍はないし、授乳も要らないから乳もないわな。じゃあ、人間を獲物にする魔物は卵生。人間と交わって子を産む魔族は胎生にしようと考えたんです。
だいたい産みっぱなしで我が子を育てない、非情な奴が悪役で卵生だってのが基準でしょうか?
卵生の魔物のお臍や胸は、人間を魅了する為の擬態で形だけの物と設定したのです。

まぁ、あんまり知ってても得にもならぬ裏設定ですけどね(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女14

偽りの聖女編をお届けします。
〈閑話〉や『エロエロナ』ばっかりで後回しになっていましたが、難産でした。
筆が進まないんですよね。
いや、正確には書いては没にし、書いては没にし、の繰り返し。
プロットでは幾つかの分岐があったのですが、最終的にこのルートになりました。

お楽しみ下さい。


〈閑話〉ウサ耳島13

 

 私掠船は沖に待機となった。

 とは言うものの、アル・ファランの港から追っ手が出てくる恐れがある為、その監視の為に港門を監視出来る位置に留まる必要があった。

 セドナは警戒の為、不寝番を立てて監視を命令していた。

 

「ご苦労にゃ」

 

 船首で見張りに立っているニナへ、リーミンが声を掛けた。

 両手に持っているココナッツの実の一つを放り投げる。突然でニナは実を取り落としそうになるが、何とかキャッチしてリーミンを睨む。

 

「危ないじゃないか」

「にゃははは、その程度の運動神経が無きゃ、私掠船員なんぞやってられないにゃ」

 

 リーミンは腰の短剣を抜く。

 長い刀身をココナツの実に当ててコンコン叩き、器用に穴を貫通させると中身のココナツジュースを美味そうに飲み干した。

 

「お前も飲むにゃ」

「ナイフが無い」

 

 剣はあるがニナはナイフを所持していなかった。

 リーミンは自分の短剣を差し出す。

 移乗戦闘用のポーティングナイフと呼ばれる短剣で、細身の刀身が長く、同じく長い柄が付いていて扱いにくそうな形状をしている。

 かなり使い込まれている様子で、柄なんかは手沢で黒光りしている。

 

「そいつを貸すにゃ」

「使いづらいな」

「元々、ポーティングスピア(移乗戦用槍)の柄を短くした代物にゃから、生活用ナイフとしての機能はあんまり考えられてないにゃ」

 

 リーミンは、その全長60センチ程の得物をニナの手に握らせた。

 

「これを普通のナイフの様に扱える様になれば、お前も立派な船乗りにゃ」

「そうなのか?」

 

 半分嘘だ。船乗りだって普通使いにはもっと扱い易い短剣を使う。

 私掠船の船員や海軍の将兵なんかの一部には、この使いづらい短剣を器用に扱えるのがステータスシンボルになっている所もあるが、それは単なる見栄だろう。

 しかし、リーミンには考えがあって平然と嘘を突き通した。

 

「うん。お前にこれを貸与するから、しっかり使いこなすにゃ」

「分かった」

 

 リーミンに押しつけられた鞘と共に、短剣はニナの物となる。

 まず『第一段階はクリア』とリーミンはほっとする。以前から危惧していたのだが、ニナの所持する剣は子供には大きすぎて扱いにくい。

 だから、この短剣を与えて戦技を習得させるつもりであったのだ。

 ニナの事だ。「これを使いこなせ」と課題を与えれば、意地になっても扱いを習得しようとするだろう。それでいい。

 

「なぁ、ニナはやはり戦士になりたいのかにゃ?」

 

 不器用にココナッツの中天に穴を開け始めたニナへ、リーミンが不意に問うた。

 

「何を今更…」

「戦士とはカッコイイだけじゃナイにゃ。そんな中途半端な憧れだけじゃ、やって行けないにゃ」

 

 ネコ耳族は続ける。「今なら、まだ平穏な世界へ引き返せる」と。

 戦士の仕事はどんな理由を付けようが、最終的には人間(亜人を含む)を殺す事だ。それが動物やモンスターを相手にする、ハンター(猟師)やクエスター(冒険者)との違いだと。

 無論、クエスターだって対人専門の賞金稼ぎだって居るだろう。

 しかし、それを差し置いても、戦士とは人殺し家業なのだと告げるリーミン。

 

「でも、私掠船乗りだって人殺しの海賊だろ?」

 

 国から免状を貰っていても、襲われる方から見れば海賊には違いない。

 

「否定は出来ないにゃ…」

 

 リーミンは肯定する。しかし…。

 

「普通、襲った船の全員を皆殺しにする私掠船は居ないにゃ。

 抵抗すれば当然排除するけど、一旦、趨勢が決まれば、捕虜にして身代金を取るか、または有り金と積荷だけを奪って解放するのが基本だにゃ」

「でも、あたしの村を襲った連中は!」

「外道にゃ。だから、御館様はこうして討伐をして下さっているにゃ」

 

 私掠船は相手に一定以上の被害をもたらすのを嫌う。

 それは「狩り場が危険だと分かれば、獲物が逃げて行ってしまう」為である。対象が全く海域を通らなくなったら、こちらが日干しになってしまうからだ。

 だから、根こそぎ相手から奪う事をせず、損害が出ても致命的な結果を起こさぬ様に注意を払う。

 例えば、船を沈めてしまえば船主は廃業してしまう。それではこちらの実入りになる収入源を根こそぎ絶つと言う事で、長い目で見れば本末転倒になる。

 

「私掠船は、そんなバランスを考えて営業してるにゃ」

「毎日卵を産む鶏を絞め殺したら、肉は美味いが、明日から卵は食えなくなる。なのか」

「その通り、ニナは偉いにゃ」

 

 但し、例外は国家間が戦争状態になった時だ。

 交戦国籍の船は問答無用な拿捕される。これは被害をもたらして、交戦国の国力を削ぐ為なので容赦が無い。

 幸い、幾つかの国境紛争を通じて緊張状態に放った事はあるが、過去約二世紀、第三次マーダー大戦以来、国家間戦争は起きておらず、これは半ば死文化された規定になっていた。

 

 だが、私掠船以外の海賊には、先程までの仁義は通用しない。

 手っ取り早く稼ぐ、急ぎ働きをする連中が多いのだ。

 そんな掟破りを取り締まるのも、正当な私掠船の役目になる。

 

「人殺しは…知らない方がイイにゃよ」

 

 リーミンがぽんと肩を叩く。

 ニナが何か答えようとする前に、ネコ耳族は船首楼の階段を降りて行ってしまったのだった。

 

〈続く〉

 

 

〈エロエロンナ物語26〉

 

 飛び込んで来たユーリィ様は、あたしの声と姿を見て立ち止まったわ。

 

「エロコ!」

「どうして此処に、やっぱり…貴女は」

 

 その間にイブリンが立ち上がって反撃体制を作るけど、相手が知り合いだと判ると攻撃を中止するわ。代わりに聖句を唱えて自分の怪我を治癒する。

 

「え、えーと…。これは」

「ユーリィ様が『闇』の一員である事は、私もエロコもとっくに気が付いてますよ」

 

 そうなのだ。

 誤魔化しはあったし、あたしも事情があるからだと察して積極的に尋ねるのは避けていたけど、彼女が『闇』から派遣されて来た存在であるのは、薄々気が付いている。

 だって、じゃなきゃ、こんな国外までやって来る訳ないもんね。

 どんな手を使ったのかは知らないけれど。

 

「とにかく、こっちの方は何者ですか?」

「っと、ああ、一応味方…って、あんた本物だったんだ」

 

 最初に殴られて、ぶっ倒された小柄な人を指摘するイブリン。

 ぴんと立った耳が特徴的だから、ネコ耳族かしらね?

 

「クローネっ、クローネっ、全く…」

 

 その小柄な女性(よね? 多分)に声を掛けるユーリィ様。

 あたしは警戒しつつ、扉の方に近寄って外を観察したわ。外の方で剣戟の音があったって事は、確実にユーリィ様を追う敵が居る筈だもの。

 

「一応、追撃者は倒したよ。見える範囲のね♪」

「逆説的に言えば、見える範囲外の奴らがやって来るという話ですね?」

「そー言う事。聖女様♪」

 

 やはり、イブリンの正体に気が付いてるわね。

 扉の外を眺めた範囲内では敵らしき影は無いけど、ベラドンナの事だ、どんな相手を繰り出してくるのか分かったもんじゃ無いわ。

 あたしは「此処に立て籠もるのは駄目だわ。打って出ましょう」と告げる。

 

「賛成♪」

「どの道、この部屋は行き止まりですからね」

 

 気絶している一人を除いて意見の一致を見たわね。

 あたしは素早く脱出の準備を整えたわ。あの喧しい警報は、既に止まっている。

 と言う事は、敵は既に次の手を繰り出す前触れよね。先手を打たねばやられるわ。

 

「行きましょう」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 神との誓いは受け入れられた。

 グレスコ司教は割合あっさりとそれを認めたのであった。

 

「では、宜しいか?」

「私達の分かる範囲ですが…」

 

 マドカの話はここへ現れた聖女が偽者であり、突然、跡形も残さずに消えた事実を伝えるのみであった。

 

「但し、偽者とは思えぬ所もあります」

「ほぅ」

「彼女は【蘇生】級の聖句を行使した。と言っても信じられますか?」

「何と!」

 

 グレスコは驚愕した。

 そんな聖句を使いこなせる者は数少ない。グレスコ個人が知る限り、数名しか知らず、実際に使っている者を見たのは、先代の最高司祭と聖女フローレ様だけだ。

 それが偽者であろうが、なかろうが、それだけで貴重な人材であると言える。

 

「それが本当だとすれば…、いや、マドカ司祭の言葉を疑っている訳ではない」

 

 誓いの上の言葉であるのなら、これは事実なのであろう。

 しかし、グレスコはある事を思い当たる。

 偽者だろうが本物と同じ力を有すなら、それを政治的に利用する者にとって、それは本物と成り得るのだ、と。

 

「恐ろしい事だ」

「こちらからの質問は宜しいでしょうか?」

 

 マドカの言葉に、グレスコは衝撃から我に返る。

 

「うむ」

「大法官バークトル様は、聖女様をどの様に扱う気なのですか?」

 

 沈黙。しかし、ややあって司教は口を開いた。

 

「大法官様個人としては、表向きは病死にしたいと仰っておる」

「個人以外の公的な立場では?」

 

 レオナの突っ込みにグレスコは眉を顰める。

 しかし、観念した様に「無論、聖都への帰還である」と告げた。

 

「聖女としての任務に復帰し、公務に就いて貰いたいが表向きの理由。

 だが…、これは最高機密だが敢えて話そう」

 

 じじっ、と照明のカンテラが芯の燃える音を立てる。

 

「フローレ様は聖女だが、男性なのですよ」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 クローネを何とか気絶から立ち直らせ、得物を確認するとユーリィは先頭を切って部屋の外へと飛び出した。

 聖女様もどき、声も無く襲って来る人形の様な刺客を既に五人程倒している。

 ユーリィの細剣は、世間的には名剣と言われるにふさわしい逸品ではあるが、魔剣の類いでは無い只の出来の良い武器に過ぎない。

 

『保てば良いけどね』

 

 剣戟で五人も相手に斬りまくったのだ。結構な割合で受けとかもしている。

 無論、刃では無く、剣の腹で受けてダメージは最小限に留めてはいるのだが、そろそろガタが来てもおかしくない。

 

「黒百合様」

「その名は禁句」

 

 クローネの言葉にユーリィが応える。

 エロコが「黒百合様?」と尋ねて来る。ああ、だから禁句にしたのにと頭をかきむしりたくなるが、右手が剣で塞がってるので自由な左手を使う訳にも行かない。

 こんな時は何時、何が起きても対応しなければならないのだ。

 片手はそれに備えて開けておくのが基本になる。太股に仕込んだ投擲短剣(スティレット)を投げたり、咄嗟に顔を庇ったりする為にも。

 

「あたしのコードネーム♪」

「『闇』の?」

「そう。馬鹿正直にユーリィ・リリカって名乗れないでしょ♪」

 

 エロコは『ああ、納得』とでも言う様に首を縦に振る。黒い衣装に流れる様な金髪。それがユーリィだから、〝黒百合〟と称されても妥当な線だからである。

 

『コードネームの変更を申請しよう』

 

 と内心思ったが、既に学友に正体は知られてしまって居るのに気付き、彼女はこれを打ち消した。それならばいっそと「だから、これからは本名じゃ無くて黒百合って呼んで♪」等と伝えてみる。

 

「了解したわ」

「助かる♪ さて、エロコ、あたしらは元来た道を戻りたくは無いんだけど…」

「訳ありなの?」

「正面突破するのに難しそうな敵が居るんです」

 

 横合いから口を挟むのはクローネ。

 聖女様もどきはそれなり手強かったが、まだ、普通の人間レベルの敵であった。

 例えホムンクルスであろうとも、剣で斬れば当然死ぬ。

 しかし、その後衛に現れたのは命をも持たぬ魔導人形、ゴーレムだった。

 

「ゴーレムまで持ってるの。ベラドンナは!」

「でかいストーンゴーレム(石巨人)だったわよ。動きが鈍いのが幸いして、足の速さを生かして何とか引き離したけどね♪」

 

 実際、厄介な相手だ。

 あの手の敵は剣が通用しない。鉄塊みたいな大剣でも用いれば通用するのかもだが、普通は石に対して斬り掛かったも効果は薄いし、こちらの得物が折れるのが関の山である。

 数は一体だが、屋内の通路で通せんぼしてるので脇をすり抜けるのは至難の業。

 そして奴の腕の一振りは何処にでも届きそうだし、食らったら良くて戦闘不能。悪くすれば一発であの世行きだ。

 

「でも、この先は何処へ通じているか確かめていませんよ」

 

 イブリンが言う。

 しかし、戻ったら確実に死あるのみである。今の戦力ではまともにぶつかってストーンゴーレムに打ち勝つ事は出来そうも無い。

 ユーリィとクローネのみでなら、まだやり様は有るのだが、密偵以外の二人を引き連れての脱出行ではリスクが高すぎるのである。

 

「専門家が言うんだから、ここは黒百合様の言葉に従いましょう」

「おっ、助かるね♪」

 

 エロコの決断が入った。

 

「時間もなさそうですしね」

 

 決断には訳がある。微かな振動と共にぱらぱらと天井から埃が落ちて来たのだ。

 そしてずーん、ずーんと遠くからの足音が響いていた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「…そこまで話しますか」

 

 いきなり第三者の声がグレタ教会内に響いた。

 マドカ達がはっと身構える。聞き覚えのある声だ。

 

「失礼。我が名はローレル」

 

 部屋の暗闇からぬっと姿を現したのは、忘れもしない『闇』の重鎮であった。

 グレスコ司教は大きな身体を揺らしてローレルに相対する。自然体であるが、その身に纏うのは闘気。いつでも武器を抜ける様に準備している。

 

「初めまして。法国のグレスコ司教ですね」。

「何者であるか?」

 

 司教の問いに答えたのはルイザ。「グラン王国諜報部隊『闇』の幹部です」と。

 ローレルは優雅に一礼する。

 グレスコは相手をどう扱ったら良いのか、まだ判断が付かない。しかし、ここで事を大きくする訳には行かない。相手は大国の国家機関なのである。

 

「さて、お話の途中ですが、私もグラン王国の政治に関与する一員として話に加わっても宜しいでしょうかね?」

 

 ローレルの表情は穏やかだが、その目は笑っていない。

 

「我が国に現れた聖女様の扱いに関しては、陛下と王妃様のご意向もあります」

「意向とな?」

「はい。偽聖女を含めて、でありますが」

 

 司教は『グラン王国のギース王まで話が行っているのか』、とほぞを噛む。

 国際問題に発展する前に収めたかったのだが、当てが外れた様だ。

 

「どの様な方針なのか、話を聞きたいが構わぬかな?」

「はい。司教閣下が先程仰っていた、大法官様の方針に沿うのであれば…」

 

 ローレルは言葉を一旦切って、周囲を見回す。

 大法官の方針。バークトルの『表向きは病死』案である。

 

「我が国としても、それに協力する事はやぶさかではありません」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 あたし達は先に進んだわ。

 廊下の先の光景は相変わらず、殺風景な通路と整備もろくにされていない照明器具。

 幾つかは壊れてて、灯火も無かったわね。

 

「【魔力探知】を唱える暇も無いわね」

 

 前に発動した分はとっくの昔に切れてしまっていたわ。ある意味、あたしが使える唯一の切り札的な呪文なのに情けない。

 精度を持った高めて、持続時間を延長したい。せめて六級程度までは!

 

「ユーリ…黒百合様、あたしの代わりに」

「無理♪ あたしの方も唱える暇も魔力も無い」

 

 恐らく、魔力を温存しているのだろうと推察出来たわ。

 敵対的な魔法に対して、保有魔力が低いと抵抗値が落ちて危険だからよ。

 あたしの場合、皮肉な事に保有魔力は物凄く多いらしいのよね。常人の数倍。三級以上の魔導士に匹敵するらしくて、抵抗値は無茶苦茶高いのよ。

 魔力があっても精度が低いから、魔法行使にはあんまり役に立たないけどさ。

 

「走るな。走ると体力を消耗するぞ。黒根♪」

 

 黒百合様が注意を促すのが、多分、『闇』の密偵だろう黒根さん。

 小柄な女の子だと思うけど、顔は覆面で隠れてるから良く分からない。しかし、ユーリィチームは『黒』でコードネームを統一したのかしらね?

 

 因みにユーリィ様(面倒だから元へ戻すわよ)が注意したのは、追っ手である敵ゴーレムの移動速度が低い為。

 全力疾走しなくとも早歩きで距離を稼げるから、後に備えて力を温存する策よ。

 

「正面に扉です」

 

 イブリンが叫ぶ。とうとう廊下の突き当たりに到達したわ。

 大きな扉だ。やはり耳を澄ませば、魔導装置が奏でる低い唸りが聞こえる。

 

「此処が行き止まりなら、籠城するしか無いな♪」

「魔導装置があるのだから、ゴーレムも内部破壊を恐れて、無闇に暴れられないかも知れないわね」

 

 とあたしは述べたけど、勿論、これは希望的な観測。

 あのロリ婆が本気になったら、何をやるのかは想像付かないからね。

 

「問題は扉に鍵が掛かってないかですね」

 

 イブリンの言う通りだ。しかし、扉にはちょこんと鍵穴がある。

 

「魔導的な奴なら駄目だけど…。黒根、解錠♪」

「はいっ」

 

 黒根さんが取り付き、何やら道具を出してガチャガチャと鍵穴を弄り出す。

 しかし、その間にずーん、ずーんとの足音はいよいよ大きくなって来て、あたしの肉眼でもシルエットが捕らえられるまでになっていた。

 

 やだ、でかい。

 真に岩だ。茶色いごつごつした上半身と、灰色の下半身が合体している。

 あら、岩の種類が違うのかしらね? 

 明らかに下半身の方が火成岩的な硬質そうな岩で、上は逆に凝灰岩系柔らかそうな感じだ。

 上半身は腕を武器に使う為に敢えて柔軟性のある岩を選び、下半身は敵の攻撃を受けるのを想定して、動きは鈍くなるけど堅固な岩で形成してるんだ。

 まぁ、そのお陰で足の歩みも鈍いんだろうけどね。

 技術者と言うか、錬金術師的な目から見ると上手く出来てるなと感心するわね。

 

「開きましたっ!」

 

 扉の解錠に成功したみたい。快哉の声が上がる。

 あたし達はその内側に飛び込むと、直ちに扉を閉めて施錠したわ。

 

「な、何だ。ここは?」

 

 あたしはその言葉に振り向く。イブリンが絶句しているの?

 御免。あたしも絶句した。

 

「な…に?」

 

 改めて扉の内側。その内部の光景が余りにも異様な物で埋め尽くされていた。

 硝子や水晶で出来た様な透明の板が、大小様々に光を帯びて輝いている金属の塊。

 その表面には何等かの情報なのか、幾何学的な模様や、理解不能な記号(もしかすると文字なのかしらね?)が浮かんでは消え、浮かんでは消えて変化している。

 ぴかぴかと点滅する物。

 其処此処から飛び出している、操作用のレバーかスイッチ類。

 

 機械装置?

 でも普通の人間がデザインする様な物じゃ無い。

 有機的と言うか、そう、例えば昆虫の、蜂の巣や蜘蛛の巣的なデザインセンスなのよね。

 キラキラした糸の様な、用途不明のネット状の物が張り巡らされているし、その形自体が蜘蛛の巣みたいに歪なのよね。 曲線をモチーフにしたシンメトリーでありながら、何処かアンシンメトリーで不安定な感じ。

 

 何よりも異様なのは装飾だった。

 人によっては道具(剣とかドアノブとか)を彫金で装飾する向きもあるけど、これは違う。あたしがもし設計するとしても、美しさや機能的に関係ない、変な突起みたいのは機械の表面に生やさないわよ。

 これって機械なの。でも、何処かで見た事がある。

 

「幽霊島のあの尖塔…」

 

 イブリンの呟きで、あたしの記憶が繋がったわ。

 そう、教授の円盤が証拠隠滅の時に放った神罰の光。

 あの時、完全な破壊を免れて原形を留めていた機器類。その特徴が一致したのよ!

 

〈続く〉




部屋内部の異様さは、ガミ〇スやゴド〇辺りの異星人的なデザインセンスです。

どうでも良い裏話。
プロットに関して、廊下の扉の向こう側の設定が幾つかあったんですが、最終的には実験室になりました。
単なる外に出る扉案や、中が異空間に繋がってる案もあったんですが、書いていて「面白くねぇ」と没になりました。

まぁ、偽聖女製造に関してヒントを与える必要も有りますしね。
え、ホムンクルスだろって?
そうなんだけど、単なるホムンクルスが聖女様の力や、記憶を持てると思いますか。
と言う訳で、ネタバレになるから答えは次回以降(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女15

聖女編です。
〈閑話〉のネコ耳村はお休みさせて頂きます。


〈エロエロンナ物語27〉

 

 正確には幽霊島で見た機器その物ではないわね。

 あれの特徴が混ざっている。そんな感じかしら?

 

「あー、そう言われればそんな感じだね♪」

 

 ユーリィ様も同意する。頭を捻るのはあの時、現場に居なかった黒根さんだけね。

 観察するけど、はっきり言って良く解らない。

 若干のスイッチ類が付いているから、何かを操作するんだって事は分かるけど、それがどんな働きをするんだかの想像は出来なかったわ。

 

 それらは機械装置に連動していないからよ。

 普通、機械ってのは操作系を動かせば何かを介して、その先に付いている装置を操作する物だと教わっているわ。

 レバーを操作したらロックが外れて、動力が伝達されたギアやロッド、チェーンとかが動き出す。時計なんかが典型例よね?

 でも、こいつは違う。魔導装置みたいに回路が組み込んであって、動かせば機械式の伝達機構を無視して作動すると思う。だから、何に繋がっているのかが全く予想が出来ない。

 下手に弄ると何が起きるのかが判らないわ。

 

「黒百合様。どうやら敵が扉の前に到達したみたいですよ」

 

 イブリンの声に皆がはっと扉の方を見る。

 やがて、物を叩き付ける重々しい音と共に扉がびりびりと震え出した。

 

「殴ってるね♪」

「酷い音ですね。さて、どうやら、エロコ様の予想は外れたみたいですね」

 

 まさか、ゴーレムが暴れ込む事はないだろうとの希望的観測ね。

 しかし、それに関してユーリィ様は首を振って「まだ分からないよ」と告げる。

 

「扉の破壊に留まる可能性はある。見た所、こいつは失ったら再建が困難な施設だからね。

 多分、そこから先はホムンクルスなりを突入させて来るだろうね」

 

 しかし、「無論、最悪の事態も覚悟すべきだろうけど」とも付け加える。

 ベラドンナにとって、この施設がどれだけ重要なのかの判断は、今の我々には判断が付かないからだ。もしかすると同じ様な施設が複数あって、一つを喪失した程度では屁とも思わないとかだって有り得るのであるから。

 

「まぁ、聖女様もどき程度だったら何とかする自信はある♪」

「それ以外の者が居ます。黒百合様」

 

 イブリンは手早く、黒衣の帝国将校の情報を伝えたわ。

 恐らく手練れ。あの魔剣は伊達ではないだろうとも。

 

「そんな奴が…。こりゃ参ったなぁ♪」

「でも、ユーリィ様の腕なら互角に戦えると思います」

 

 とあたしはフォローするが、本人は浮かない顔だ。

 魔剣の種類を聞いて、ますますしかめっ面になる。

 

「バスタード(破斬剣)か。正統派だね♪」

「帝国が良く使う片手半剣でしたね」

 

 今は無くしたあたしのカトラスもそうだけど、我が王国は昔、中原からの侵略を受けた影響で、剣よりも刀の方がどちらかと言えば普及しているわ。

 対して帝国は、古代王国からの流れを引いて今も剣が主流。もっとも、時代が下った現在は曖昧になって来ているけどね。

 王国人だってユーリィ様みたいにレイピアを使ったり、帝国人も騎兵隊は曲刀を使う者が多いから、傾向としてってだけに過ぎないのだけども。

 

「やられるつもりはないけど、下手に押しまくられると負けるな♪」

 

 ユーリィ様は気弱な事を言うけど、それには理由があると見ている。

 彼女が常々、「あたしの剣は所詮は小手先」と述べているのだが、それは実戦用の流派ではないと考えているからなのね。

 短時間での決闘や、せいぜい船上での白兵戦なら何とかなる。でも、本格的な陸戦みたいな戦場では、力に押し切られてしまうだろうと自覚しているらしいのよ。

 

 戦場では一対多は当たり前。そして剣ではなく、槍や槌、更に飛び道具も遠慮会釈なく襲いかかって来る。受けたら一撃で細剣が折れそうな、大剣や長柄武器を得意とする猛牛みたいな戦士だってごろごろしいるわ。

 幾ら剣技が優れていても、物理的にこれに対抗するのは骨が折れる。

 だけど、あたしはそれは彼女なりの謙遜よねと思っている。

 力の差を跳ね返す、それだけの実力があるのだ。

 

「親衛隊だとしたら、かなりの手練れだろうねぇ♪」

 

 ほら、言いながらも目が笑ってるわ。

 もしかすると、単に空元気なのかも知れないけどね。

 

「とにかく、この部屋の探索を開始しましょう」

 

 割れ鐘みたいな音が響く中、あたしは宣言した。

 出口が見付かればそこから脱出。行き止まりだったら、それはそれで何か使えるかも知れない材料を探す手掛かりを得たい。

 

「うわっ、これは何だろうね♪」

 

 機械類の裏側に回ったユーリィ様が素っ頓狂な声を上げた。

 その声の方向にあたしも向かうけど、すぅと意識が遠くなる。

 え?

 

              ◆       ◆       ◆

 

 グレタ教会。

 『闇』いや、王国の突然の申し入れに、聖教会側は戸惑っていた。

 

「それは、我が国の問題に介入する事になるが?」

「既に王国側も巻き込まれています。となれば、法国の法官派…、失礼、正確には大法官個人の立場で動く司教様に肩入れするのが、我が国にとって最善手であるとの判断であります」

 

 ローレルは淡々と述べた。

 グレスコ司教は「むぅ」と唸って、「それはギース王の判断か?」と問う。ローレルは「王、そして王妃様の判断です」と淀みなく答える。

 

「マドカ様。どうなっているのでしょうか?」

 

 話の大きさに付いていけなくなったルイザが、傍らの皇国人に疑問をぶつける。

 

「恐らくだけど。王国は聖女様がこのまま世を去るのが最善と判断したんでしょうね。

 聖女の権威を利用する勢力の駒として使われるよりは、このまま表舞台を去ってくれた方が、法国、そして王国他の他国に与える影響が最も少ないと考えて…」

 

 サラシに包まれた巨乳を揺らしながら、巫女装束の女司祭はそう答える。

 

「信じたのかね?」

「法官派の中で裏切り行為を働いていると、そうまで宣言したグレスコ司教の御言葉、重さが違うと感じますが」

 

 ローレルは言外に「グレスコ司教ともあろう者が、マドカらに嘘をつく様な人物ではあるまい」と語っている。

 大法官バークトルは無論、法官派のリーダーである。

 本来ならば自分の娘であるフローレよりも、自分の派閥の事を優先し、娘本当の性別を明かして〝男が聖句を使える事実〟を広く世間に知らしめ、聖句を独占している巫女派から権力を奪取するのが当然の話なのである。

 だが、聖女はそうなる前に父母の手によって密かに逃がされた。

 それでも邪教組織の様に聖女を狙う者、更に聖女を確保しようとする者も現れている。本来、グレスコ司教もこの聖女を確保する者の筈だった。

 

「表向き、聖女を確保すると見せ掛け、実は密かに聖女を逃がすのが目的。

 大法官様の側近でないとなかなか任せられぬ任務でしょうが、我が国と連携すれば、それも容易くなるとは思いませんか?」

 

 食えぬ男だ。とグレスコは目の前の若僧を見つめ直す。『闇』の高官であるとの話は本当の様だ。とも判断する。

 

「で、貴国が我が国に要求する見返りは?」

「今の所はありません」

 

 ローレルは営業スマイルを浮かべる。しかし、直後に「ただ…」と付け加える。

 

「…働きがあった事を心に留め置いて貰い、いつか、それに見合うお礼は期待しますよ」

 

 これは法国全体。大法官だけではなく、最高司祭に対しての言葉であろう。

 貸し一つか。高く付きそうだが、さて?

 断る事も無論可能だろう。しかし、ここでそれをして司教側に利があるのかと考えると、恐らくない。それ所か、以後の活動が妨害される可能性が高くなる。

 

「よかろう。宜しくお願いする」

「司教様」

 

 流石にマドカが声を掛けるが、グレスコはそれを手で制した。

 ここにローレルが来ているとなれば、それなりの手勢が教会周辺に配されている筈であろう。身一つで、のこのこと現れる訳はないのだ。

 既に此処は敵地。軍が動いている可能性すらある。踏み込まれ、スパイとして捕らえられたとしても不思議ではないのだ。断ったら、何をされるのか判った物ではない。

 利と不利を天秤に掛けて、グレスコ司教はローレルに頭を下げたのだった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 意識を目覚めさせる。

 エロコが起きている間は干渉をしないつもりであったが、これは見過ごせない状況だ。

 この機械群…。明らかにメライシャンの物だけじゃ無い。

 うわっ、我が帝国の物や、ヴィオリアンの代物まで混じってるぞ。

 エロコの評する通り、ベラドンナと言うのが優れた天才的な錬金術師であるのは理解出来た。

 全く違うテクノロジー三つを融合し、更に魔導的な技術で補っている。

 まともに動くのかどうかは知らないが、それでも大した物だと感心する。

 

「これって…生きてるの?」

 

 どぅーん、どぅーんと心臓の鼓動にも似た音を出し、肺の様に膨らんだり萎んだりする器官を見詰めて、イブリンが不気味がる。

 ヴィオリアン。

 つまり奴らの技術は、生体メカだ。

 人工的に培養した生体組織を組み合わせてメカを作る。いや、作ると言うより産み出すに近いか。

 生きていると称しても間違いでは無い。

 

 ヴィオリアンの技術は呪術学。科学では理解不可能な法則で組み立てられている。

 巫女(エリルラ)を擁する我々も半ばそっち方面にも理解があるが、連中の技術は極北まで行ってしまっているので、最終的には理解不能な点が多い。

 邪教の儀式みたいな手順で、化け物みたいな異形のデバイスを創造する。

 だって機械が生きてるとか、出産して増えるとか、訳が分からないし、概して形はグロいから生理的嫌悪感をも催すのだ。

 精神面の低い種族なら、目にしただけでも発狂してしまうだろう。

 

 理解不能に近いけど、観察はしてみる。

 伊達に巫女になる前は技術将校だった訳ではないのだ。

 え…時間。そして空間を歪める?

 

『これは…パラレルード(空間門)か』

 

 まさか、まさか…。そんな事が可能なのか。では、偽聖女の正体は?

 

              ◆       ◆       ◆

 

 ベラドンナは数名の連れと共に、現場へと赴いていた。

 こんな時、アジトのシステムが完璧だったらと悔やむが、それは現状では仕方が無い。

 完成してから約半世紀。あちこちにガタが来ているし、重要ではないと判断した区画は放置して省みなかったからである。

 牢を含む、監禁場所も本来なら監視の目が光っていた筈だったし、牢番となるホムンクルスの一体も配備していたのだろうが、研究を優先してメンテナンスは後回しにされていたからだ。

 

「新たな侵入者共と、合流したみたいだな」

 

 帝国の黒衣が呟く。

 

「どうなさるおつもりで?」

 

 こちらは法国の禿げ。ボリスとか言ったか、この先に籠城している娘の一人が聖女らしき女と知れば、目の色が変わるのであろうが、それを告げる義理はベラドンナにはない。

 ベラドンナ自身は数体の護衛を引き連れて、「問題ない」との返答後は、ストーンゴーレムが叩き続けている扉をじっと見詰めていた。

 

「しかし、ゴーレムに許されるのは扉破壊までになりましょうな」

「ほぅ、どうしてそう思う?」

 

 ババッブマンの言葉尻を捉えて、黒衣の将校は質問する。

 

「あの扉の向こうに何があるか、それを考えればやたらの破壊が許されないからですよ」

「貴様には判るのか?」

「これでも法国の神官ですぞ。聖句は使えぬにせよ、他の魔法の心得はあります故」

「【魔力探知】の魔法か」

 

 それが魔法装置の反応かと黒衣の男は納得する。

 確かに繊細で、恐らく代替が利かぬ貴重な装置であるならば、ただ単に暴れ回るしか能の無い、あの石塊人形では手は余ろう。

 

「俺の手が要るか、魔女よ?」

 

 帝国の男はロリ婆に申し出る。

 

「手を貸して貰えると有り難いの」

 

 意外な事に、錬金術師は首を縦に振ってその申し出を受け入れた。

 しかし、前提として「中の装置を極力壊さずに賊を捕らえてくれると助かる」とも追加したが。

 

「帝国も研究が遅滞したら困るであろう?」

「それは同意する」

「なら、上手くやって貰おう。こちらの人形では、残念ながら賊の腕には叶わぬ様なのでのぅ」

 

 並以上の暗殺術は仕込んであった筈なのであるが、侵入した賊は手練れで、こちらのホムンクルスを五体程葬り去っている。

 この黒衣の将校なら、そいつとも渡り合えるだろうとの目算だ。

 

「了解した」

「うむ、そろそろ耐久度も限界じゃろう」

 

 分厚い金属製の扉は、ゴーレムパンチによってぼこぼこに歪んでいた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「どうしました。ぼーっとして?」

 

 黒根さんが語りかけてきた。

 思ったよりも若くて可愛い声ね。

 

「えっと、ちょっと頭に霞が掛かった様な…」

 

 グランワイデ(正規空母)の艦橋に居た時以来よね。あの時は初任務だったから、って。

 あれ? 何、この知識と記憶。

 

「読める…。メライズ文字…かしら」

 

 メモ書きの様な物を発見して一瞥する。

 空間を焦点に合わせて時間軸を固定。

 対象を同調させ、一気にレプリケーション。これって空間転送の原理だわ。

 違うのは、対象が同一時間軸に存在しない対象である事よ。

 これって、時間観測機器?

 エリルラの過去見を機械的に引き起こす装置だ。ちょっ、奴らはそんな技術まで実用化してるの。

 でも、エリルラの巫力無しでこれを稼働させるのって、物凄いエネルギーロスよ。

 

「見た所、次元反応炉は無いみたいだし、これを作動させるのにはかなりの時間が…」

「エロコ様。エロコ様」

 

 ガクガクとイブリンに身体を揺すられる。

 あたしは、はっとなってイブリンの方に振り返ったわ。と、その途端、今まで明確に頭の中にあった概念とかがあっさりと消えて行く。

 えーと、あたし、何を話してたのかな?

 

「あ、イブリン」

「大丈夫ですか。何か熱に浮かれていたみたいに」

「この機械の使用目的が分かった気がしたのよ」

 

 分かった気がした。と言うか、さっきまでは理解していた。

 でも、あたしの意識がこちらに引き戻された途端、明確に理解していた筈のそれがぼやけ、何を掴んでいたのかが、全く判らなくなった。

 これって、もう一人のあたしの知識だ。

 

「これは異界の物よ。多分、あたし達の世界の産物じゃない」

 

 それだけ答えるのが精一杯だった。

 時間と空間がどうとか言ってた気もするけど、残念ながらそれが何であったのかは理解出来ない。

 空間魔法はともかく、時間魔法?

 王立魔導学院で研究中だって噂なら耳にした事はある。でも、研究が行き詰まり、殆ど進んでいないとか、それを引き起こす装置なのか…。

 

「さて、どっかに出口は無いかしらね」

 

 あたしはイブリンに返すと、部屋の中を再び探索し始める。

 凄い不気味な物だらけよね。心臓の様に鼓動する訳の分からない器官(機械なんだろうけど、どう見たって何かの生き物の内臓にしかみえないもん)。

 出鱈目に、それでいて規則的に蜘蛛の巣状に張り巡らされた幾何学模様が、脈打ちながら壁中を這い回ってる。

 と同時に、どうやって作ったのか判らないけど、金属製のコンソールなんかが組み合わさっている。第10002空間工廠製か、何か懐かしい感じがする。

 

 違和感。

 え、ええっ、文字が読める?

 メライズ文字もそうだけど、この未知の文字、リグノーアリアを理解してるのよ!

 

『それは、今、私の意識が混ざってるからだよ』

『誰?』

 

 それは唐突だったわ。

 頭の中で誰かが、あたしに語りかけて来たからよ。

 

『私の名は…。いや、昔の名はどうでもいいか、エロコ、お前だよ』

『エリルラ?』

『確かに巫女だな。時間が無い。説明は後だ。良ーく聞いて欲しい』

 

 意識を明け渡せ。

 彼女が要求したのはそれよ。端折った説明によると、今みたいに二つの意識が同時に働いていると、脳が容量不足でパンクしかねないらしいのね。

 彼女が言うには、まだ向こうの意識の半分にも満たない状態で、身体の支配権を獲得していないけど、この段階でも充分危険らしいの。意識がもうろうとしてたのは、その副作用ね。

 だから、いつもは潜在意識下で成り行きを見てるだけだけど、今の状況は拙すぎるらしいから起きた。強制的に乗っ取るのも可能だけど、『それでは納得すまい』との提案だった

 意識を手放して眠れば、彼女の力で何とかしてくれるらしい。

 

『何とかなるの?』

『試してみたい事がある。それが正解ならば、恐らく危機から脱せるだろう』

 

 どうしよう。あたしは躊躇ったわ。

 でも、八方塞がりならば賭けてみるしかないとの結論に達する。

 

『いいわ。賭けてみましょう』

『助かる。これから意識を眠らせる。気が遠くなるが、任せて欲しい』

 

 すうっと身体の感覚が抜けて、あたしは白い闇の中へと落ちていったわ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「こりゃ、拙いね♪」

 

 壊された扉が、金属のきしむ耳障りな音と共にこじ開けられて行く様を目にしたユーリィが呟く。

 

「黒百合様」

「あんたも戦うんだよ。主敵はあたいが何とかするから、雑魚を防げ♪」

 

 クローネに指示を与えて、子爵令嬢は改めて細剣を構えた。

 話に聞いた黒衣の男が目に入る。見かけ倒しなら良かったのにと期待していたが、こいつは本物の武人らしい。

 魔剣だろう剣は抜刀されてはいないが、雰囲気だけでその強さは大体判る。

 その後ろからは例の聖女もどきが数名続く。

 

「奴もそれなりに強そうだからなぁ♪」

 

 ホムンクルスだけあって動きが単調で、精錬された暗殺術を教育されているのだろうが、どことなく機械的なパターンを持っているのだ。見切れればそれ程怖くないが、クローネの手には余るかも知れない。

 

「何をなさっているのです」

 

 後ろからそんな声が飛んでくる。

 イブリンだ。となると問いかけている相手はエロコか。

 ぶぅぅん、と言う変な機械音が高まった。先程から低く響いていた魔導装置の音である。

 

「これと、これか。この光景は何処を表してるのかしらね?」

「これは聖都の生家ですよ!」

「イブリンのおうちね。ふん、となるとやはり…」

 

 後ろでごちゃごちゃと会話がなされている。

 まだ、黒衣の将校がこちらに接敵するタイミングではないと見計らって、ユーリィはチラリと後ろを一瞥した。

 

 エロコが何やら機械装置に取り付いて操作している。

 平板な硝子板みたいな物にはどこかの光景が映っていた。高級そうな調度に囲まれた私室っぽい部屋。貴族の館か何かだろう。

 ぱちぱちと幾つかのスイッチを入れ、ダイヤルを回す。

 

「そなた、何をやっておるのじゃ!」

 

 悲鳴にも近い声を上げたのはロリ婆、ベラドンナ。

 

「貴女様は!」

 

 同時に声を上げたのはボリス・ババップマンだ。こちらは初めて見る、イブリンの素顔に驚愕している様子である。

 

「パラレルードを作動させている。済まないが貯め込んでいたエネルギーはこれで使い果たされるだろう。お前の研究は遅れると思うが、ま、悪く思わないでくれ」

 

 答えるエロコ。途端に部屋の片隅にあった床が輝き出した。

 

『雰囲気が違う。これはエリルラの方だね』

 

 ユーリィはそう判断して、意識を前方の敵へと再び向けた。

 相手はすらりと抜刀し、いつでも襲いかかれる姿勢である。ゴーレムの奴は事前の予想通り、部屋の外に留まっているらしい。少し肩の荷が下りる。

 

「皆、あの床の所へ集まってくれ」

 

 エロコが叫ぶ。

 え、と思う。床になってる場所は小部屋風になっており、壁とか床ははっきり言ってグロくて得体の知れない物質に覆われた場所だからだ。

 肉質で血管みたいな物が表面に走ってるし、部屋自体が脈動し始めてるし…。

 

「早く!」

 

 再び促される。ユーリィは剣を構えながら、じりじりと後退して部屋に達する。

 イブリンは素直に従ったみたいだ。

 しかし、クローネは躊躇している。だって怪物の胃袋と言うか、邪教の小部屋みたいな代物だ。普通の神経をしてる女性ならば近寄りたくもないだろう。

 

「くっ」

「いかん、捕らえるのじゃ!」

 

 エロコが身を翻したのと、ベラドンナが命令を発したのがほぼ同時であった。

 クローネの襟首を捕まえて、飛び込む様に部屋に転がり込むと同時に装置が作動した。

 

「おおっ」

 

 それが誰の声だったのかは判らない。

 部屋の輝きは消え、ベラドンナたちの目前から一行は消えていたのであった。

 

〈続く〉




どうでも良い裏話。
えーと、生体メカ描写に付きましては『クト〇ルフ』に出てきそうな化け物の器官が並んでいるとでも解釈して下さい。
或いは『ゴ〇ショーグン』小説版の海の惑星か、総〇Zの胎内ですかね?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

偽りの聖女16

二ヶ月ぶりの本編です。
今回も『ネコミミ村』は休載です。ごめんなさい。


〈エロエロンナ物語28〉

 

 転移は上手くいったな。

 私は辺りを見回してほっと息をつく。

 短距離空間転移。此処はあのアジトからは余り離れていないが、座標を確認して再セットする暇が無かったからだ。本当はエロコの母国辺りに転移したかったのだが、まぁ、仕方が無い。

 

「皆は無事か?」

「はい」

「大丈夫♪」

「何とか…」

 

 返事を聞きながら、まぁ、上出来だろうと自画自賛する。パラレルードの作動に敵が蓄えていたエネルギーをほぼ消費したから、敵はあれを再稼働しては追っては来ないだろう。

 

「ここは!」

「イブリン…いや、聖女フローレの居室だ。座標は此処に固定されていた」

 

 驚愕しているらしいイブリンに回答する。

 部屋全体は暗い。外からの星明かりのせいで暗黒では無いが。僅かに物がシルエットで判別出来る程度だ。しかし、イブリンは半妖精の血を引いているだけあって、こうした暗闇には強い様だ。

 

「明かりを付けても大丈夫かな♪」

「一応、鎧戸は閉めますね」

 

 黒根がばたんばたんと窓中を閉めると、辺りは暗黒になるが、ややあってユーリィの手で【幻光】の光が灯った。外から照明が灯ったのはこれで分からないだろうと思いたい。

 部屋の中は割合シンプルだ。

 金銀ぎらぎらの豪華絢爛と言う物では無く、絨毯やカーテンみたいな調度品は高級感があるが、その装飾や造りは簡素な物が多い。ただ、重厚さはあって、見る者が見れば、かなりのお金が掛かっているのが判る。

 天蓋付きベッドとか、士族のエロコですら縁遠い家具だからね。

 

「エリルラ、どうしてここに…」

「我々はベラドンナの追撃を逃れるために此処へ跳躍した。

 さっきも説明したが、パラレルード。次元門の座標が此処に設定されていたからだ。理由は知らない」

 

 明るく照らされた室内で、私はイブリンの問いに答えた。

 ユーリイが「奴らが追って来る可能性は、あるのかな♪」と問い質すが、私は肩をすくめて「蓄積された魔力の殆どを使ったから、再充填まで装置は使えないだろう」と述べる。

 もっとも「予備エネルギーでも用意していたら、この予想は外れる」とも付け足したけどね。

 

「ここは確かに私の居室です。しかし、これからどうしましょう…」

「まぁ、聖女様が、唐突に帰還じゃなぁ♪」

 

 首脳部にはイブリンが不在なのは、流石にばれているだろう。

 しかし、ここで再び姿を現す事も出来ない。

 お困りの様なので、私は「抜け道の一つも無いのか?」と問うた。

 

「抜け道。使った事はありませんけど…確か」

 

 イブリンがはっとした表情をして、壁際に儲けられた暖炉へと駆け寄る。

 古典的な隠し通路だな。

 

「言い伝えでは、この奥にあるとか…」

「えっ、使った事無いの♪」

 

 ユーリィの言葉に聖女は首を横に振る。

 曰く「そんな必要有りませんでしたし、話半分母上が語っていた物ですから」だそうな。

 

「通路らしき空間があるな」

「え」

「判るんだ♪」

 

 巫力を使ってそこを見てみると、暖炉の後ろに確かに空洞が広がっている。

 

「余り力は使いたくないから、何処へ繋がっているのかまでは、今は判らない」

 

 透視の技。本気を出せば判るのだろうが、エロコに対する負担を考えると差し控えるべきだろう。何故ならそろそろ、この身体も限界を迎えそうだからだ。

 

「と言う訳で、そろそろ私は眠りに就く。後は頼むぞ」

「ちょっ…、あーあ、行っちまったか♪」

 

 私は身体の支配権をエロコへと戻し、床に横たわった。

 さて、これからどんな手を考えて実行するのか、そのお手並みを拝見させて貰うぞ。もう一人の、そして現世での巫女よ。

 

              ◆       ◆       ◆

  

「取り逃がしましたな」

 

 空虚になった室内でババップマンが呟く。

 研究室は酷い有様だったが、幸い、物理的損傷は少なそうであった。

 コンソールの一つに取り付いて座標を調べていたベラドンナは顔を上げ、「まだ手の内にはある」とその言葉を否定する。

 

「ほぅ?」

「転移先は聖都じゃ。今から追撃すれば、一両日中には追いつけよう」

 

 ロリ婆は口元をにやりと歪める。

 

「そなたの領域じゃろう。捕縛を期待しておるぞ」

「あれは本物の聖女殿か?」

 

 今まで黙っていた黒衣の将校が尋ねる。

 ベラドンナはチラリと彼を一瞥する。

 

「分からぬ。妾もその正体を掴みかねておる。出会いは突然で偶然だったからの」

「姿形だけの他人のそら似か、それとも影武者か」

「或いは本物ですな」

 

 三者三様の意見が述べられる。

 

「本物なら良し。偽者であっても使い道はあるだろうな」

 

 それだけ言うと、黒衣の将校が身を翻した。

 

「どちらへ?」

「そっちの事情には深入りしたくないのでな。

 私は別の計画の進行状況を確かめる為に来たに過ぎん」

 

 後は勝手にやってくれ、と言わんばかりにババップマンに答える。

 ベラドンナは「くくく」と低く笑って、「試作は終わっておるよ。基礎概念図は既に回したから、量産はそちらの責任じゃ」と釘を刺した。

 帝国が再現出来るのか、との皮肉も当然入っている。

 

「貴様だけが天才ではないよ。帝国にも錬金術師は山程居る」

「お手並み拝見と言う所ですな。さて、私はどう出るべきでしょうか。聖女のフェイクは近日中に用意は出来ないらしいとなると、転移したあの者を確保すべきか」

 

 黒衣の帝国将校が去った後、呟くババップマン。

 彼は今、この錬金術師の下に居る意味を失いかけていた。

 むしろ、聖都へ跳んだらしい聖女もどきを追うべきか。或いは…。

 

「そうだ。部下の一体をお譲り頂きたい」

「ホムンクルスをか。何に使う気なのじゃ」

 

 ババップマンの申し出にベラドンナは首を捻る。

 

「顔が聖女様そっくりならば、使い道は色々考えられるという話です」

「影武者か。しかし、基本、ホムンクルスは喋らんし、演技も出来ぬただの人形だぞ」

「物言わなくとも、病床の寝台に寝せているだけでも価値はありますぞ」

 

 口にこそ出さないが、いざと言う時の死体役にもなってくれようとの目論見もある。

 ベラドンナは「ふむ」と暫し沈黙し、「よかろう」と決断を下した。

 

「顔だけで良いのなら、人形の中でも出来損ないを下げ渡そう」

「おお」

「基本、生きているだけで能動的な行動は取れん。

 そしてシリンダーから出したら生存は一月程度じゃ。それでも構わぬな?」

 

 ロリ婆が確かめる様に尋ねる。

 ババップマンが了承すると、彼女は部屋の隅へと移動し、壁の計器類を操作する。

 やがて壁面が開き、中にシリンダーの群れが現れた。

 胎児から成長途中。そして成人となったホムンクルスの予備軍が、ゆらゆらと液体の中で揺れている。

 

「こいつは失敗作じゃ。知性が発生せず、生きているだけの木偶じゃが…」

 

 シリンダーが開かれる。

 透明な筒が上昇し、中の培養液がざばざばと床へとぶちまけられる。

 

「一ヶ月しか生きないのは?」

「なに、培養液の中に居る間は問題は無いのじゃが、外に出せば栄養の補給手段がないのよ」

 

 ベラドンナは顔を歪め、「口を動かして食べる事も出来ぬからのぉ。もっとも、こやつの内蔵では、普通の食べ物を消化出来るとも思えぬが」と付け加える。

 シリンダーは完璧に開かれ、床には流れ出した液体と一緒にホムンクルスの裸体が転がっている。

 咳き込んで「けはっ」と液体を吐き出しているのは、空気呼吸に移行するためであろうか。

 

「聖都では逃げた連中を追うのであろう?」

「そのつもりでありますぞ」

「とっ捕まえたら、こちらへと送って欲しいのじゃ。研究材料として貴重なのでの」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 真っ暗けな空間に、あたしとユーリィ様の作った【幻光】だけが青く輝いている。

 煉瓦造りの暖炉の後ろにあった抜け穴よ。

 身体を返されて間もなく、この狭っ苦しい場所にずりずりと這いながら進んでいるのよ。

 

「何か見えますか?」

 

 最後尾から黒根さんの声。

 穴は人一人が這って進める程度の大きさしかないので、前が全く見えないのよね。

 あたしは「変化無しよ」と答えてあげる。

 つーか、正直、あたしも前を這ってるイブリンのお尻しか見えないんだけどさ。

 

「ユーリィ様。先には何が?」

 

 先頭の子爵令嬢に声を掛けるのはイブリン。

 

「ずっと通路だね。ああ、罠感知やってるから、急かさないで欲しいな♪」

「脱出用の抜け穴に、ですか?」

 

 とイブリン。しかし、ユーリィ様曰く「それを逆利用して、刺客が入り込んだりもするんだよね♪」と返す。そう言う視点もあるのね。

 その為に、罠を仕掛けておく事はままあるらしい。

 

「本来なら、罠を停止させる何かキーワードなりが施してあるんだけど、何か聞いていないの。聖女様♪」

「知りません。母なら知ってるかもですけど」

「なら、地道に調べながら進むしか無いねぇ♪」

 

 ユーリィ様の言葉によると、ここはかなり旧い造りだそうだ。

 造られてから一度も使われてないんじゃ無いか、とも言っていた。お陰で機械的な罠の幾つかは、作動前に朽ちていて役に立たない状態であったらしく、助かったらしい。

 問題は魔法的な罠で、そっちの方は【解呪】が必要になる為、苦労しているらしい。

 

「エロコ様。身体の方は大事ないですか?」

「大丈夫。疲れは残ってるけど、酷使してくれたわね。あいつ」

 

 何度目かの同じ問いに、あたしはイブリンに答えた。

 心配してくれるのは嬉しいけどね。

 エリルラのあいつ、本当の名は知らないけどが、身体を使うと疲労がどっとやって来るのは分かったわ。

 特に巫力。とか言う物を使うとね。

 今まではあたしと交替する時、あたし自身は意識を失ってたから分からなかったけど、今回は半覚醒状態だったから、奴が行った全ての事に対しての記憶が残ってるのよ。

 

 フワフワと何も無い空間に漂いながら、それでも意識だけがちゃんと覚醒してる。

 向こうが見聞きした事。五感が全て感じられるのよね。

 でも、こっちからは何も出来なくて、叫ぼうが何しようが干渉も出来ない。手足も口も封じられて、観客席に座らされて演劇を見てる感じ。が最も近い感覚かしら?

 

 困ったのは目も閉じられないのよ。

 身体が無いから当たり前なんだけどさ、観客席に居てその劇が詰まらなかったら、最悪、寝て過ごしちゃえば良いんだけど、それも出来ないのには困ったわ。

 

「巫力ですか」

「あいつ曰く、巫女の力らしいけどね」

 

 それが具体的にどう言う物かは、あたしにも判らない。

 しかし、使うと身体が酷使される事は判明したわ。半覚醒時でも力が抜ける感覚があるのよ。例えれば、アンデットに触れられて、悪寒と共に精神を盗まれる様な。

 だから、もしかしたら、巫力って精神をパワーソースにしているのかも知れないわね。

 

「あのヘンテコな機械を操作する際、彼女は巫力を用いていたわ」

「次元門。だったっけ? 似た様な装置を知ってるけど、ここまで正確に座標を取れるのは大したもんだね♪」

 

 ユーリィ様が会話に加わった。

 

「似た様な装置?」

「こっちは古代遺跡からの発掘品。でも、座標は大雑把だった♪」

「キロ単位でずれましたから」

 

 黒根が補足する。

 多分、その装置であのアジト付近まで跳んできたのか、と推測したわ。

 

「そんな装置は聖教会にもありますよ。門外不出の秘宝ですけど」

「ま、各国にあるらしいけど、使うのにえらく手間暇が掛かって、そして魔石を馬鹿食いするらしい♪」

 

 あたしは絶句した。 

 魔石って豆粒大で、小さな家が一軒買える値段だわね。

 しかも魔力灯を灯す程度なら、半永久的に魔力が続く様な代物だから、それを一瞬で消費し尽くして馬鹿食いって、そんなの有り?

 

「だから秘宝なんですよ」

「ま、原理も分からないし、現代で再現も不可能だからね。よっと、突き当たりだ♪」

 

 イブリンのお尻の隙間から、僅かながらに前方が見える。

 ユーリィ様の姿は下半身しか見えず、立ち上がっているのだろう。

 この先の空間は立ち上がれる程の高さが存在するのか。

 

「丁字路だ。左右どちらかへ曲がる必要があるね♪」

「でも、這い回るよりはマシですね」

 

 イブリンも抜けて、更にあたし達もその空間へと出た。

 やはり煉瓦造りの閉鎖通路だ。

 今までの抜け道が支道だとすれば、こちらは明らかに本道だわね。

 もしかして表側の道に出たのかを尋ねてみるが、イブリンはそれを否定する。

 見た事の無い道らしい。

 今までの道同様に荒れているし、掃除もなされていないが、支道と違って積もった埃は薄そうだ。「誰かが利用しているね。そう、頻繁じゃ無いにしろ♪」と、ユーリイ様。

 

「じゃあ、誰かと鉢合わせする危険も…」

「無いとは言い切れない♪」

 

 黒根の不安な声に彼女は応えて、左右を見回す。

 どちらも同じ様な通路が続く光景だ。先の通路は勾配が感じられなかったから、少なくても上下の階へ移動したとは思えない。此処は地理に不案内なので、私達はイブリンの答えを待つ。

 

「上級聖職者階ですから、どちらへ行っても誰かの部屋に当たると思います」

「なら、決めて♪」

「コインを投げて表が右。裏が左で」

 

 ピンとユーリィ手中のコインが跳ね上げられる。

 銅貨はくるくると回転し、手の甲の上に落下。ばしっと重ねられた手が除けられる。

 緑青の噴いたコインは数字の方を向いていた。

 

「左♪」

 

 彼女はコインを仕舞い込むとさっさと歩き出してしまう。

 あたし達は慌てて追ったわ。

 

「見な。道のあちこちに穴がある。これも全部、一見すると抜け道の穴だね♪」

 

 そう解説しながら、時々呪文を唱えて慎重に歩いて行く。

 時々、止まりながら左右にある穴を指さして、「ダミーも混じってるね。これに入ったら上が崩れて圧死するよ♪」とおっかない説明もしてくれる。

 

「全部が全部、抜け穴じゃないと言う事ですか?」

「五割は偽物の罠。四割は何処にも通じてないただの穴。本物は一割程度じゃないかな♪」

 

 こうした偽装は珍しくないらしい。

 暇人なのか、偏執狂なのかは別にして、王国内でもこの手の設計にやたら凝る職人が居るとの話だが、どんな人がやってるのだろうか。設計技師としては後学の為に知っておきたい気もするのよね。

 

「エロコが設計するのかな?」

「建築も学んでるから、もしかしたらですけど…」

「キミが設計したら、とんでもない物が完成しそうだな♪

 おっと、行き止まりだ♪」

 

 角を曲がって100mは行かなかったが、廊下は終点になった。

 突き当たりはスライド式の石扉だ。

 

「さて、聖女様。開ける?」

「鬼が出るか、蛇が出るか…ですね」

「やっぱり暖炉の裏なのかしら?」

 

 一人黙り込むのはイブリン。

 決断を待つのに数分かかったが、こくりと頷く。

 そのあいだにあたしとユーリィ様は探知魔法をかけ終えていた。

 罠は感知されず。だが、当然、その精度は低い。もしかしたらの危険性もある。

 

「進みましょう。女神のお導きを信じて!」

「じゃ、行くよ♪」

 

 石壁がゴロゴロと思い音を立てて、ゆっくりと開いて行く。

 それと同時に、白い煙が辺り一面を覆った。

 いや、煙じゃ無いわね。これって水蒸気?

 

「浴場だ♪」

「あ、ここって…、こんな所に通じていたのか」

 

 そこは湯気に包まれた、お風呂場だったのよ! 

 

              ◆       ◆       ◆

 

 グレタ教会から会談場所は移されている。

 教会の娘達にはお馴染みの、ゲンハン男爵の屋敷だ。

 

「まさか教会の大物が尋ねて来ようとはな」

 

 男爵がため息交じりで呟くとローレルが苦笑する。

 グレスコ司教らを此処へ案内したのは彼である。具体的な相談をする場所としては、あの教会は不適当だと判断したからだ。

 ローレルが突然出現したのも分かる通り、どんなに素人が警戒しているとしても、本格的な間者から見れば、その防備は穴だらけであるからだ。

 教会の娘達には言ってはいないが、あそこは常に間者によって監視されている。

 

 ユーリィに語った〝人手不足〟はある意味、嘘である。エロコに張り付けられるだけの人員が枯渇しているのは確かであったが、それは彼女の重要度が低い為だ。

 聖女の方には士官学校にも監視要員が回されていたのを、ユーリィは知らない。

 もっとも、エロコがエリルラであったとの事実を知った後は、重要度は変動してるのであるが…。 

 

「グレスコに語った内容を知りたい所ではあるが…」

「場所提供者としては当然の権利ですね」

 

 政府関係者。主に『闇』だが、がやって来て教会の聖女探索隊と語り合ったのだが、その会談は男爵が立ち会えなかったのだ。

 まぁ、男爵はやって来た要人の顔を見て仰天したのであるが、まぁ、これは脇に置いておこう。

 ローレルは肩をすくめて、「お伝え出来る範囲内なら、無論、他言は無用ですよ」と伝える。

 

「構わん。テーオがやって来た時点で、とんでもない案件であるのは承知している」

「聖女ですね。実は本物が我が国に居たんですよ」

「な…に?」

 

 ローレルはその経緯を男爵に説明する。

 それが済むと、ゲルハン男爵はため息をついた。

 

「ではあの侍女が本物であったのか」

「男爵には偽情報を流して混乱させてしまいました」

「少年だったからな。てっきり、聖女の影武者か何かだと思っていたが」

 

 ゲルハンはテーブルの上にある酒をゴブレットに注いで、一気に煽る。

 ワインが何となく苦くて不味かった。

 

「では、グレスコ司教は聖女とエロコ嬢の後を追う事になるのか」

「そうなりますね。こちらとの合同チームを組んで調査に当たります」

「その為に派遣されるのが、彼女か…。リーリィまで繰り出すのは予想外だったぞ」

 

 意外そうな顔をする男爵に、ローレルは「エリルラが関わってきましたから」と口を濁す。

 正体を表したエロコの存在は、それだけ衝撃的な物であったらしい。

 

「ルローラ家とは?」

「接触しています。ただ、返答はまだですが…」

「下手をすれば命取りになる。エロコ嬢の扱いは慎重にな」

 

〈続く〉




お風呂。
「プルプル」と叫びながら、幼女が走り回るイメージが浮かぶのは何故だろう(笑)。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海1

ビッチとダニエル編です。


〈外伝〉実習航海1

 

 練習帆船『エロンホーフェン』は北辺の貴族、エルン・エロボスラー辺境伯が王家へ寄贈した二艢式の航洋ヨットだ。

 名は辺境伯の領地にそびえる高峰からで、古妖精語で『輝きの峰』との意味。

 何か水上で儀式のある時には王家のお召し船になる為、その内装は贅を尽くしてあるが、平時は海軍士官学校の練習船として運用されている。

 ただ、武闘派で知られるエロボスラー伯爵が建造しただけあって、ヨットと言っても武装は施されており、実質的にはコルベット艦と呼んでも差し支えがない。小粒ながらも有力な小型艦だ。

 

「総員起こし!」

 

 夜も明けきらぬ早朝、声と共に船鐘が鳴る。

 鳴り終わる前にバタバタと全員が起きて甲板へ。

 既に学校では日課みたいな物であり、貴族子女であるビッチも慣れてしまっていた。

 

「おはよう」

「おはようございます」

 

 個室を出ると挨拶が交わされる。狭いながらも個室を与えられたのは、自分が士族である為だ。まだ士官候補生の身分だったら大部屋で雑魚寝だろう。

 この様に伝統的に海軍では身分差が大きい。釈然としなかったけど、士族位を貰っておいて良かったと感謝する。

 

「よぉ、おはよう」

 

 同じ様に個室を与えられているダニエルが挨拶する。

 

「おはようございますわ。甲板へ急ぎましょう」

 

 士族の者は先任士官としての役割を与えられているからだ。同級生達数人を率いる指揮官である。指揮官が遅れる訳には行かない。

 

「お嬢様。御髪を…」

「後で。今はその暇はありませんの」

 

 コテを構えた従兵相当の侍女を振り切る。お陰で自慢の縦ロールは解けかけているが、仕方ない。甲板に上がると当直以外の全員が集まってきていた。

 実習練習航海も三日目だ。

 ネーベル湖を出てポワン河へ入り、そのまま河口まで下るのに一日。さすがに河の流れに乗って下るのは早く、二日目は海上に出た。時化ずに天候は良好。

 そして三日目。エロンホーフェンの寄港地となるウサ耳島が、既に見えている筈だった。

 残念ながら、まだ薄暗くて見えないが。

 

「全員、注目!」

 

 教官の声。船首楼の上に仁王立ちになった教官達が、ビッチ達を見下ろしている。

 最終的に実習に参加したのは六十余名。全校生徒の一割程度だ。皆の目が教官へと集中する。

 

「実習も三日目になった。本日夕刻、バニーアイランドへ寄港予定であるが、日中は各種訓練を行うので気を抜くな」

「「「「はいっ!」」」

 

 全生徒の返答に教官は満足そうに頷き、予定を述べて行く。

 ちなみにバニーアイランドとは、ウサ耳島の正式名称である。ウサ耳族が大量に住んでいるのでこう呼ばれており、世間的にも通称の方が通りが良い。

 

            ◆       ◆       ◆

 

「第14班点呼!」

「いち」

「にー」

「さん」

「しー、全員揃ってます」

 

 この班の責任者はビッチ・ビッチン(自称)であった。

 彼女自身が一年生である為、配属された者達も一年生中心である。恐らく、幾ら士族であっても、上級生を指揮下に置くと問題が起きると判断したのだろう。

 これは別班のダニエルも同じ措置が執られている。

 その中で、ただ一人の二年生はガリュ-ト・ベクター。彼は副班長として経験の少ないビッチの補佐に当たる事になっている。

 

「宜しい。わたくし達は07:30(まるしちさんまる)時より当直を交代。右舷にて配置に付きます。任務交代は13:30(ひとさんさんまる)時。さぁ、時間がありません。直ちに食事にかかるのですわ!」

「イエス・サー!」

 

 部下達は敬礼すると直ちに解散。食堂へとひた走る。余裕は三十分しかないからだ。

 無論、班長のビッチだって例外ではない。

 現時点では士官候補生は兵食しか口に出来ない。それが教育の一環である。

 士官になったら兵とは別にやや高級な食事をあてがわれるが、実はそれは自腹であり、給料からさっ引かれるのを知ったのは、ついこの前だ。

 だから新米の少尉や中尉なんかは兵と同じ兵食を食べるのが多い。佐官クラスにならなけれは、士官食なんか毎日口に出来ないのが現実。

 でも彼女は絶望しない、要は口を兵食に慣らしてしまえば良いのだ。幸い、好き嫌いはないし、兵食でも充分旨いとの味覚も持っている。

 兵員食堂は居住区にある。専用の施設ではなく、夜はハンモックを吊って兵員が眠る場所だ。自然と置いてあるテーブル等も組み立て式の簡素な造りである。まぁ、これは海軍の船ならどこも同じなのだが。

 

「今日の献立は挽肉のキャベツ巻ですの。まだ野菜は欠乏してませんのね」

 

 大抵、生鮮食料品は一週間(六日)で使い尽くして船内から消える。と先輩達からビッチは聞き及んでいる。あとは保存食が中心となる。

 

「流石にまだ航海三日目ですからね。今日港へ寄港しますから、当分は美味しい物を口に出来るでしょう」

 

 顔を上げると向かいの席に副班長のガリュートがいた。

 ぴょこんと頭から兎耳が突き出しているのは、彼がウォーリアバニーであるからだ。しかも、かの種族では希少種の男性だ。

 

「ガリュート先輩」

「先輩はよして下さいよ。貴女は班長。俺は部下です」

「でも、先輩は先輩ですわ。今は訓練時ではありません。そう呼ばせて下さいな」

 

 ビッチの言葉に彼はやれやれと肩をすくめた。

 

「班長のお好きな様に」

「では、食事を頂きましょう。時間は有限ですわ。ああ、食べながらで良いから、予定表のチェックをお願いしますわ。副班長」

 

             ◆       ◆       ◆

 

「二番、三番リギンを巻き上げろ。そこ、遅いぞ」

「精霊の御名において吹き荒れよ。【送風】」

「取りかーじ、何やってる。一人で駄目なら、五人がかりで舵輪をもっと早く回せっ」

 

 船を縦横無尽に海上を機動させる猛訓練が始まった。

 帆を展開し、【送風】の魔法を使い、舵を右へ左に切ってエロンホーフェンは突き進む。

 ローリング、ピッチング。

 揺れが酷い。普段、ネーベル湖で行ってる帆走練習と違い、海ならではの波浪が船体に襲いかかる。半人前の船乗り達の一年は船酔いでダウンする者も続出だ。

 

「ユーリィなんかは、はぁはぁ、平気なのでしょうね」

「多分、うえっ…エロコもだ。あいつ、私掠船に乗ってた…とか、言ってた…からな」

 

 当然、と言うか、海に慣れてない新米士族の班長二人はグロッキーだ。

 ダニエルは折角食べた朝食を海へとプレゼントしているし、ビッチの方も息が絶え絶えである。班の指揮は実質、ガリュートが仕切っていた。

 三年生は年期があるだけに大抵は平気である。二年生は三割が船酔いと言った所か。対する一年は、大半が使い物にならない。

 

「エロコはともかく…どうして…ユーリィは参加…しなかったんだろうな」

「さぁ、野生児の考える事なぞ…理解出来ませんわ」

「一番楽しみにしてた…あいつが」

 

 ダニエルは同級生二人の名を上げて不思議がる。今回、この二人は実習航海に参加しなかった。不可解なのは、直前になってユーリィが参加をキャンセルした事である。

 ビッチはその理由を知っていたが、敢えて沈黙する。

 知らない方が良いのだ。例え、もう巻き込まれている口だと言っても、知れば不幸にしかならないのだから。

 

「よーし、交代」

 

 交代時間を告げる船鐘が鳴った。くたくたになった午前担当班に代わって、午後担当班が甲板下から現れるが、こちらも一年生達は既にグロッキー気味だった。

 現場に居ようが居まいが、先程まで、船をぶん回していたのだから仕方ない。

 6時間後の夜間担当班が交代するまで、彼らもみっちりとしごかれるのだろう。

 

「第14班集合」

「欠員無し。但し、マルカ、ゼオ、リーリナの三名は救護室です」

「…それ、全滅ですわね」

 

 班長、副班長を含めて五名である。内、ぴんぴんしているのはガリュートのみだ。

 副班長は苦笑いしながら「まぁ、最初はこんなもんですよ」と声を掛けてくれるが、ビッチとしては敗北感で一杯であった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 エロンホーフェンは夕刻には入港する。

 ウサ耳島、バニーアイランド最大の港町、ポートバニーは予想に反して大規模でグラン本土にある並みの港町にも負けない規模があった。

 

「これがポートバニーの港ですか。大型船が出入り出来る立派な埠頭がありますのね」

 

 正直、南海にある島の港なので、この船の様な小型船がやっと横付け可能な、しょぼい鄙びた港を想像していたので、数隻の大型船が寄港している光景は予想外であった。

 盛んに荷の積み込みを行っており、端から見ただけでもその取引量は膨大であるのが見て取れる。

 

「我が国唯一とも言えるゴムの大産地ですからね。あと砂糖やジュートみたいな植物資源の一大集積地ですよ」

 

 船を降りたビッチにガリュートが説明してくれる。

 一応、エロンホーフェンも軍艦だけあって、全乗組員が全て下船するような事は無い。必ず半分のクルーを残す半舷上陸が基本である。今日、ビッチの第14班は上陸許可が下りている。

 

「流石、地元ですわね」

「それを言われるのは辛いのですけどね。あまり、この島へ戻って来たくは無かったので」

「あら、何故ですの?」

 

 彼はウサ耳島の地元民である。

 ビッチは班長として部下の履歴はチェックしている。 確か、この島の有力貴族出身であった筈だ。しかも男爵家の跡取りである。

 

「本当は家は兄貴が継ぐ筈だったんですよ。俺は次男で…。

 だから、この士官学校も辞めろ辞めろと実家が煩いんです」

 

 海軍士官学校は長子以外が入学し、士官になって士族位と職を得るのが一般的な入学動機である。しかし、そのまま男爵位を継げるなら、わざわざ在学する事もあるまいと判断されてもおかしくはない。

 別に士官にならなくとも、爵位を継げば充分に生活出来るのだから。

 

「兄貴は急に死んでしまいましたから、俺に白羽の矢が立って…。だから今回の寄港で身内に見つからないかって、びくびくしてるんですよ」

「それは…ご愁傷様ですわ」

 

 彼が海が好きな事をビッチは感じていた。

 志半ばで強制的に進路を変えられるのは、彼女にも嫌悪感がある。しかし、跡継ぎとして考えるのなら、彼は学校卒業後に、海軍士官の道を捨てざる得ないだろう。

 そんな事を考えていると、彼女の脇を日焼けした少女と小山のような塊がすれ違った。数本の脚がわしゃわしゃとリズミカルにステップを踏んでいる。

 

「アラクネー!」

 

 彼女が叫んでしまったのも仕方が無いだろう。それは節足動物から少女の上半身が生えている魔族なのだ。

 しかし、叫ばれたその少女は立ち止まってこちらを振り返り「へ?」と首を傾げている。小山のような下半身はピンク地に紫色で、蜘蛛に良くある剛毛は生えていない。

 

「あの…島外から来た方ですよね?」

 

 と褐色の日焼け少女。ぐるんと身体ごとこちらを向く。

 

「怖がらないで下さい。何も貴女方へ危害を加える気は無いですよ」

「大丈夫です。彼女の種族はヤシクネー。アラクネーの親戚というか、亜種と言うか、昔からこの島に生息してる…」

「あっ、ガリュート様だぁ!」

 

 副班長の説明途中にヤシクネーと紹介された当人が叫んだ。

 その声を聞きつけたのか、港中からわらわらと人が集まってきて、あっという間に取り囲まれてしまう。

 特にヤシクネーと言われた魔族がかなりの数混ざっているので、ビッチとしては悲鳴を押し殺すのに必死だった。

 皆、ガリュートの事を知ってるらしく、「若が戻られた」とか「これでベクター家も安泰です」なんかの声が混じっている。

 

「副班長、これは?」

「…だから戻りたくなかっんだ。君!」

 

 と指名されたのは、最初の褐色ヤシクネー。

 

「は、はい」

「実家へ行く。先導を頼む。

 他の者は作業に戻って欲しい。これは命令だ」

 

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

 六本の脚が複雑に動いている後ろを歩くのは、変な気分だった。

 港からは立派な街道が伸びていた。両側は椰子の木なのだそうで、ヤシクネー達が盛んに登って椰子の実を採取している。

 先頭を行くヤシクネーの名はルウ・ピプン。ガリュートの実家、ベクター男爵家に仕える領民で、普段は農作業に従事しているらしい。

 ヤシクネーとはヤシガニの下半身を持ったアラクネーの亜種であり、雑食だが椰子の実を主食とする魔族なのだそうだ。

 八本の脚の内、前腕の二つは大きな鋏となっている。胴体は毛で覆われてなく、キチン質の硬い甲羅でここらは蟹に近い。甲殻類の前部に女性の上半身が生えていて、当然だが服も着ている。白いシンプルな袖無しワンピースだ。腰に当たる部分はロインクロス(腰布)を垂らしている。

 ヤシガニ同様、木に登るのが上手く、樹上労働者としては優秀で、特に南洋産の高い樹木相手の作業には引っ張りだこなのだと言う。

 

「にしても驚きましたわ」

「魔族と言っても温和な種族だからね。

 昔から、この島ではウサ耳族と共同生活を営んでるから慣れてるけど、島外の者はかなり衝撃を受けるみたいだな。大陸では見かけないし」

 

 無論、領民と言うからにはグラン王国民だ。魔物でないのでちゃんと納税もしているし、その権利も領主によって保障されている。

 

「寒い所で活動するのが苦手なんです。姉が申してましたけど、本土では雪とか言うのが降るんでしょう。動けなくなってしまったそうです」

 

 とルウ。アラクネーの中には冬でも元気に活動するのも居るが、ヤシクネーは熱帯産だけあって寒さに弱い様子だ。グラン本土で見かけないのもそのためだろう。

 

「彼女たちが大陸を歩いていたら、最悪、斬り殺されていますわよ」

「ははは、違いない。っと、ルウ、ここまででいい」

 

 椰子の木畑を過ぎて、樹上で作業するヤシクネー達の目が届かなくなった頃合いに、ガリュートが突然、そう発言する。

 

「えっ? ガリュ-ト様、男爵邸まではまだありますが」

「屋敷へ行くと言ったのは嘘だ。俺はまだ、士官候補生だからな」

 

 絶句するルウ。そのまま身を翻す副班長を、ビッチも呆然と見守るしかない。

 ルウは暫く固まっていたが、はっと我に返る。

 

「ガリュート様ーっ」

 

 焦って両手だけではなく、前腕の大きな鋏をもぶんぶん振る。

 

「ルウ、彼女を港へ連れ帰ってやってくれ。俺が逃亡した事は適当にお袋達に説明を頼むぞ」

「そんなー、あたしが怒られますからー」

 

 しかし、無情にも彼は手をひらひらさせて、芭蕉の木が群生する密林の奥へと姿を消した。わざと木の密集した狭い場所を選んでいる模様で、図体のでかいルウでは追いかけるのが難しい。

 

「門限には帰ってくるのですわよー」

 

 そのビッチの声も聞こえてるのか、聞こえてないのやら。

 半舷上陸の期限は翌日15時。

 それまでに帰還しないと流石にビッチでも彼を庇いきれないからだ。

 

「さて…ポートバニーへ引き返しましょうか?」

 

 縦ロール令嬢の言葉に、ルウはこくこくと頷くしか出来なかった。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「へー、案外腹部は柔らかいんだ」

「わぁ、触らないで下さい」

 

 真っ赤になった顔を隠すルウ。士官候補生達が泊まる予定の宿舎で、彼女は興味津々な生徒達に囲まれて見世物状態になっていた。

 

「この鋏凄いね」

「力仕事用ですよ。主に木登りに使います」

「鉄の棒でも切断出来そうだ」

「それは無理です。でも、曲げる事程度なら…」

 

 始めは皆、人外の魔族にびっくり仰天だったが、好奇心の方が勝ってしまい、しかもルウが人畜無害っぽいので質問攻めに遭い、そしてぺたぺたと触りまくられる羽目に陥っているのだ。

 

「人気だね」

「みんな興味あったんですわ。ただ、港で働いているヤシクネーの方々には流石に初対面では近づきがたかったのでしょう」

 

 ダニエルに答えるビッチ。

 丁度良いタイミングにルウを連れてきてしまったのだろう。ちょっと可哀想だが、真面目に受け答えをしている辺り、まんざら嫌でもなさそうだ。

 

「【魅了】とか使えるの、それと糸を吐けるのかな?」

「あたしは使った事無いですね。糸は吐けますよ。あたし達の種族は上手ではありませんけど、お尻から」

「やっぱ、生まれるのは女性ばっかなのか? 卵とかは」

「誤解されますがヤシクネーは胎生ですよ。

 それと…、女性しか産まれないのは本当です。だから、その…今回、ガリュート様が戻ってきたのが一大イベントになる筈なんです」

 

 突如、パンパンと手が鳴った。皆か驚いて振り向くとビッチ・ビッチンが歩み出る。

 彼女は少ししかめっ面をすると「そろそろ解放して差し上げなさいな」と皆に告げ、ルウの手を取るとそのまま奥へ、自分の部屋へと引っ張って行く。

 

「強引に連れてきて申し訳ありませんわね」

 

 扉を閉めるとまず謝罪。

 部屋は個室である。本来は二人程度なら充分な広さが確保出来るのだか、ヤシクネーの身体は大きい為、かなり窮屈になってしまった。

 

「いえ、あ、寝台に乗っても良いですか?」

「ええ」

 

 ルウの巨体がよっこらせと寝台へ移る。ぐるんとベッド上で回転するとそのまま腹部を降ろして公爵令嬢に顔を向けた。これでかなり狭さは解消だ。

 

「さて、お尋ねしたい事がありますの。

 副班長。いえ、ガリュ-ト先輩に対する一大イベントとは?」

 

 個人的な興味のみならず、第14班の班長の立場としても把握すべき事柄であった。

 

〈続く〉

 




 ヤシクネー。
 ヤシガニが下半身のアラクネーって面白かろうと作ったオリジナル魔族です。
 設定的には亜種で弱いんですけどね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海2

エロコが贋聖女と関わってる間、実習航海組は何をしていたかのお話。
よって文体は三人称です。



〈外伝〉実習航海2

 

「えーと、次期当主として皆にお披露目された後、当主の義務を果たすのです」

「具体的には?」

「あ、あたしが言ったとは皆には言わないで下さい」

 

 ベッドの上でヤシガニ娘は懇願した。

 ビッチは高圧的に「ロートハイユ公爵令嬢が命令します。言いなさい」と告げる。普段は余り好かない実家の名だが、武器として使えるのなら利用するのが彼女である。

 

「勿論、黙ってて差し上げますわ」

「ほっ、本当ですね。侯爵様」

「公爵令嬢ですわ」

 

 訂正しても本当は士族なのだとは言わない。それに嘘は言ってないし、名乗るならはったりが効いた方が有利だからだ。

 ヤシクネーは意を決したらしく、重い口を開く。

 

「男爵家の男子の務めとして、一族領民の皆に精を分け与えるんです」

「…精」

 

 ちょっと顔を赤らめてしまうのは、ビッチもやはり15歳の乙女故か。

 

「あたし達、ヤシクネーに対してもです。その約定があるから、ベクター男爵家はこの地にて繁栄してきたと言われてます」

 

 しかし、何となく謎は解けた。公式行事として乱交パーティをやろうとしているのを、副班長は逃げだそうとしているのだ。

 ウサ耳族には男子が生まれる確率は少ない。その中で当主の家に生まれたガリュート兄弟は、男爵家にとって至宝みたいな扱いだったのだろう。

 そんな時、兄が死んだ。外の世界で学んでいた弟へは、帰還せよとの矢の様な催促。

 多分、これで捕まったら一生家から逃げられない。

 

「特に近年、男爵家は二代続いて女性当主でしたから、期待はいやが上にも高まっているんです」

「ガリュートが哀れですわね」

 

 家の為に犠牲になる。それは貴族として生まれたからには当然の責務。

 ビッチもそう教えられて育ってきた。領民へ高貴なる者の義務を果たす必要から、領地の安定の為に意に染まぬ結婚や、将来を選ばねばならない時だってある。

 でも、やはり思うのだ。貴族個人の意思はどうなると。

 

「誤解なさらないで下さい。ゲルダ・ベクター女男爵は良き母上だし、良き領主であると思います。単なる一領民から見ても善政を敷かれています。

 あたしみたいなヤシクネーにも、教育を施して下さったし…」

「教育?」

「読み書き計算です」

 

 話によると領主が自ら学問所を開き、初歩的な読み書き計算を領民へ施しているらしい。

 これは二十年前に王となったギース王との約定で、内乱になりかけた時にどっちつかずに位置していた貴族達、特に最後まで去就を決めかねていた者に対する命令だった。

 曰く「俺に味方をするという意志があるなら、以後、公学校を建ててこれからずっと領民へ教育を施せ。それが、俺に対する遅参の詫びだと受け取ろう」である。

 ビッチの実家、ロートハイユ公爵家はいち早くギース王の後ろ盾になっていたから、この要求は無かったが、数多くの貴族(全体の二割程)がこの要求に従う事になる。

 その為、皮肉な事に敵対した貴族領の方が、今では識字率は上がってしまっており、産業面でも活力を付けてしまっているのだ。

 学を付けた領民が創意工夫を行い、生産性が上がり、結果として富を持つ領民達が形作られる。領民は消費者となって商品が売れ、それだけ経済は回転する。

 良い例が、このポートバニーの繁栄だろう。

 

「それに苦渋の決断で、ガリュート様を人質に送った訳ですし…」

「人質?」

 

 それは初耳だ。

 だが、話を聞いてみると、これも王位継承の乱からの影響で、ベクター男爵が王家への忠誠を示す為、生まれた身内を王国へ留学させているとの話であった。

 ちなみにギース王は人質を要求した事はないが、王都へ留学に行く貴族子女達は自然と王家の人質扱いになるのは常識となっている。

 王立魔法学院。王立軍学校。王立海軍士官学校。この三つに毎年、貴族が送られてくるのは、言外にそう言う意味がある。と、薄々ビッチも勘付いている。

 

「成る程。貴重なご意見、有難うございますわ。お送り致しましょう」

 

 そうしてルウを部屋から解放し玄関まで送る。

 外はもう真っ暗だ。ただ、田舎の港町はそぐわぬ街灯が立っており、結果的にかなり明るい。ポートバニーが豊かな街なのだと実感出来る。

 この街を領地にするガリュートの実家は、かなりの勢力家なのだろう。自分が育った田舎の領地よりも遙かにインフラが整えられている。

 

「本来、お家騒動には関わらないつもりでしたのに」

 

 ルウを見送った後、ぽつりと呟く。

 自分の実家も内部対立がある。継承権下位なので興味は持てないし、そも「海軍へ入って、ロートハイユ家から独立します」と常に宣言しているから、火の粉が直接降りかかってくる事態にはないのだけど、継承権上位の兄や姉達は日夜政争を繰り広げているらしい。

 

「士族位も貰ったし、そろそろ本当にビッチン家を立ち上げるべきかしら」

 

 だが、まだ実家の名を捨てるには早い。足元を固めるまでは利用すべき物は、何だって利用するとの計算が独立を押し留めている。

 あと二年半。せめて、本当の海軍士官になるまで。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「あ、伝令だ」

 

 翌朝、第14班の点呼を取るビッチの下にガリュートの姿はなかった。その事を気にしつつも、彼女はさらりと点呼を終えた。

 無論、内勤表での評価は×である。如何なる理由があろうとも、軍隊なのだから見過ごす訳には行かないからだ。

 解散の命令を発した後、耳にしたのが「伝令」の言葉であった。

 

「あら、海軍の騎竜ですわね。定期便かしら?」

 

 緑色の竜が広場の一角に降りてくる。

 羽ばたきで速度を殺し、ホバリング体勢で四点着陸。前肢と後肢を同時に地面へと付ける海軍式の着艦法だ。

 後肢だけで着陸する二点着陸法の陸軍からは格好悪いと中傷されるが、揺れの大きな艦上へ着艦する海軍竜は、格好よりも確実に竜を降ろして安定させる技術を好み、この四点着陸法が標準になっている。

 同様に、竜の待機姿勢もべたっと地面に腹ばいになるのが基本だ。これも狭い艦上で竜が波で不意に体勢を崩し、滑って甲板を暴走したら大事故が起こりかねないからだ。

 当然だが、着艦中は滑り出さぬ様に竜を係留索で固定する。

  

「ご苦労様ですわ」

 

 本土からの定期便だろう。僻地や離島には腕木通信線が伸ばせないので、竜や船で物理的に情報を届ける必要がある。ただ、海上を飛ぶ連絡便は専ら海軍の担当になる。

 多くの竜使いは川や都市等の地形を確認して飛ぶ、いわゆる地紋航法しか習得しておらず、何も無い海上での飛行を不安がるからだ。一方、海軍士官は天測航法が必須なので、海軍竜は太陽や星を観測して何も無い海上を飛行可能なのである。

 ここで誰も近所に士官級が居ないのに気が付き、その場で一番階級が高そうなビッチが挨拶する。それだけで済むはずだったのだが…。

 

「…エロンホーフェンの者か?」

「はい」

「…艦長にこの…命令書…を」

 

 竜騎士はそこまで言うとゆっくりと倒れた。

 拘束帯で身体を固定しているので、竜座からずり落ちる事は無かったが、意識を失ってがくりと前のめりになっている。

 慌てて駆け寄る。遠目には判らなかったが、良く見ると下半身が血まみれだ。右足と脇腹に折れた矢が突き刺さっている。

 

「誰か、誰か、お医者様を!」

 

 拘束帯を解き、意識を失った竜騎士を抱えながら、ビッチは叫ぶのだけで精一杯だった。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「半舷上陸中止と来たか!」

 

 この血塗れ竜騎士が飛び込んでしまってから、南洋諸島の異国情緒を楽しみつつ、和気藹々と臨んでいた実習航海が、ぎすぎすした雰囲気に一変した。

 上陸していた生徒達は直ちに船へ戻され、平時編制から戦闘配備に準じたシフトに移行したのである。

 

「今日の午後からは俺達の休みだったってのに、ついてないな」

 

 ぼやくダニエル。一方、ビッチの方は血塗れ騎士の血を浴びた制服を着替え終わり、ようやく一息ついた所であった。

 まだ港で助かったと思う。島の浴場で湯浴みす事が出来たからだ。

 一端、船が出港したらこうは行かない。真水は貴重品であり、身体を洗うのは主に海水である。最終的に真水で仕上げをするにせよ、塩気を含んでいて髪や肌に悪そうだ。

 

「海賊が出てしまったのですから、仕方有りませんわよ」

「で、ただの海賊かと思うか?」

 

 その侯爵子息の問いに、公爵令嬢は暫く沈黙するが、推論を交えて話し出す。

 否と。

 

「ただの海賊が戦竜を持っているとも思えません。竜騎士は戦竜に奇襲された。連弩を浴びせられ、何とか振り切ってポートバニーへ辿り着いた。

 明らかに賊は、こちらの騎竜が『海賊討伐の命令書』を携えているのを知っていたと見るべきでしょう」

 

 甲板から見える光景は慌ただしかった。緊急出港に備えて備品の納入が行われており、ヤシクネー達が背中に荷物を背負って搬入を急いでいる。彼女らの硬質の脚がかちゃかちゃと立てる音が騒がしい。

 

「とすると、敵は海賊は海賊でも私掠船だな」

「明らかにマーダー帝国の、が付きますわよ」

 

 かの国とは正式に戦端を開いた訳ではない。

 しかし、公式な停戦はまだなされてはいない。

 そして私掠船は軍艦ではない。準軍艦とでも言える性格の船舶であるが、正式な海軍の艦艇ではないのだ。だから、こうした紛争時に便利に使われる。

 敵国の通商破壊を行い、打撃を与える為に。

 その責任を追及されても「それは民間の愛国者が行った行為、我が海軍の方針とは無関係である」としらばっくれられる。

 

「竜母(飛竜母艦)を伴っているのかな?」

「まさかとは思いますわね。

 でも、あの騎士様は敵の母艦を確認した訳でもありませんし」

 

 竜母は飛竜を運用する為だけの軍艦だ。前後の甲板が広く、竜の搭載や発着に適した構造になっている。だいたい、十頭前後の竜を搭載する。

 しかし、余りにも竜搭載に特化しすぎた特殊構造である為、他の任務への転用は難しく、帆走装備も貧弱な為、機動性は悪く、かつ大型な為に鈍足である。

 民間船である私掠船には向かない不経済な特殊船であり、今回は伴ってはおるまいと考えたい所である。

 

「今夜出港予定だけど、ビッチの班は全員収容出来たのか?」

「いえ、副班長がまだ帰還していません」

 

 門限までに戻れるのだろうか。

 ふと不安になる。その時、ダニエルを呼ぶ声が後ろから響き、彼が会話から離れる。

 

「搬入完了しました。数量確認お願いします」

 

 そう問うてきたのは、荷役作業をしていたヤシクネー。

 ヤシガニ部分は青地に暗赤色で、脚の生えてる第二胸部の上に荷台を設置している。無論、今は荷台は空だ。

 女性の上半身はかなりのダイナマイトボディで、特にブラに包まれた胸は爆乳であると言える。美人だが野性味ある顔立ちの美女であった。

 

「ああ、これは…あるな。大丈夫だが、保存食がもう少し欲しい所だ。頼めるか?」

「追加ですね。10ケース程で構いませんか」

「15だな。間に合うか?」

 

 ダニエルは当直士官。この搬入に関しての責任者でもある。

 この手の交渉は、士官になったら頻繁に行われるので、今から慣れさせる為に教官からも一任されている。

 

「大丈夫ですが、値段は相場の二割増しになります」

「高い、一割にまけろ」

「妥当な値段ですよ。では一割五分」

 

 無論、値切り交渉も経験の内だ。

 これも実技なので後で教官に調べられ、実技採点の対象となる。

 

「良かろう。搬入を急いでくれ」

「契約書にサインをお願いします」

 

 差し出された内容を確かめ、羽根ペンでさらさらとサインを入れる。

 ヤシクネーはしげしげとそれを眺めると署名を大事そうに丸め、一礼して下がった。

 

「契約書を持ち出されるとはな」

「ここの亜人や魔族には、口約束は通じませんわよ」

 

 ルウにだって通じないと思う。

 口約束を利用して、後で契約を反故にするテクニックはある。物資さえ手に入ればこっちの物。立場はこっちの方が上だから、「あの時、相場の半分でと言った筈だ」とか難癖付けてしまうやり方だってある。

 だが、それは海軍としては禁じ手にすべきだとビッチは思っている。それは他者の無知、無学を利用した悪しき商習慣だし、今後の信用に関わるからだ。

 我々は王国民を守る軍人なのだから、その王国民相手に苦しめてどうするとの矜持もある。

 

「この港町では少なくとも文盲や、無学の者はかなり少ないと見るべきですわ。特に先程のヤシクネー姐さん的な、荷役の頭領ならば尚の事でしょう」

「ま、いいか。一割五分なら、悪くない取引だからな」

 

 ダニエルは気持ちを切り替える。そして自分の第10班に命令して、運び込まれた補給物資を船倉へと格納する指揮に移った。

 チラリとビッチは時計に目をやる。

 船には甲板に航海用の大時計が設置されている。本体である精密な機械部分はここには無く、これは端末で、本体は船内に設置され、長い航海の間、時が狂わない様に厳重に管理されている。

 一日の誤差は僅か数秒。その針が長・短針共に、真上を向こうとしていた。

 

「そろそろ正午ですわね。全く、副班長は何やってますのやら」

 

 正午と同時に、船鐘の綱を握っていた当直兵が盛大に鐘を鳴らす。

 あと三時間で門限だ。一応、エロンホーフェンの出港予定時刻は18:00(ひとはちまるまる)。それまでに間に合えば良いのだが…。

 

            ◆       ◆       ◆ 

 

「では士官、そして見習士官諸君、概要を説明しよう。

 本艦は実習航海を中断。本国から連絡のあった海賊退治へと出発する。

 この海域に海軍所属艦船は本艦しかおらぬ事。

 そして実戦を通して腕を磨くのも、また立派な実習であると私が判断したのだ。

 では、質問に移ろう。疑問点がある者は挙手の上、発言したまえ」

 

 艦長のエッケナー大佐は皆を睥睨する。

 時間は14:00(ひとよんまるまる)。

 ここは士官室。普段は士官の溜まり場で、玉突き台なんかも置いてある高級サロンだ。

 本職の士官。そして各班長となっている士官候補生達が一堂に集められ、作戦会議を開いていた。

 

「敵の推定戦力は?」

「不明である。本国からの情報だとナオ級の中型私掠船が1隻だが、敵飛竜の存在が出た事で不確定となった。艦隊を組んでいる可能性もある」

「敵のこれまでの行動は?」

「商船3隻を拿捕、撃沈。我が国本土沿岸の村を襲っての略奪行為。犠牲者は三百人を超えている。由々しき事態だ」

「我が軍の援軍は?」

「軍としては出ない。西艦隊に所属する『ウルーカ』が急行してくれる事を祈るが、余り期待は出来まい。ただ付近の私掠船に動員を掛けている。との話だ」

 

 ウルーカはグラン海軍の保有するフリゲート艦だ。やや古いが、戦力的には期待出来る。しかし、西艦隊は法国付近の国境を守る艦隊だから、この東海域に派遣されるかと言えば、艦長の仰る通り、かなり心許ない。

 ビッチは挙手した。助けた竜騎士の事が知りたかったのである。

 

「竜騎士の安否か…ふむ、重傷であるが、聖句魔法が間に合ったので命に別状はない。しかし、回復するまで時間は掛かるし、残念ながら足に後遺症は残るだろう」

「彼の竜は如何しますか?」

「本艦に艦載したい所だが、残念ながら本艦には乗り手がおらん。ここに残して行くしかあるまい」

「残念です。一応、騎竜免許は持っていますが…」

 

 でも、軍用の戦竜には乗った事はない。この航海にユーリィが参加していればと思う。彼女は戦竜に乗っていた。

 ビッチは彼女の故郷で年老いた老竜に乗って遊んだだけなのだ。本家で酷使されていた草竜で、のんびり余生を過ごす為にビッチの住む地方領へ回されてきたのだった。

 免許は洒落で取った。その竜は12歳の時永眠し、以後、彼女は竜に騎乗する機会はなかった。

 だが、それを耳にした会議の面々はざわついていた。

 

「ビッチ・ロートハイユ士官候補生。それは真実(まこと)か?」

「はい。民生竜でしたが…」

 

 暫く間があった。大佐は自慢のカイゼル髭を撫でると、やがて重々しい口調で一つの命を下した。「では命令する。以後、貴官は臨時に竜担当を任ずる」と。

 

「え」

「復唱!」

「はいっ、ビッチ士官候補生。竜担当を拝任いたします!」

 

 いいのだろうか。と悩む。

 自分は騎竜の専門家じゃないのだけども。

 と言うか、海軍式の着艦、やった経験が無いのに気が付き顔が青ざめる。

 しかし、軍隊に於いて命令は絶対なのであった。

 

〈続く〉




もしかしたら、次はようやく対艦戦を描写出来るかも。
やっとタグ「海戦」が、嘘にならずに済みそうだ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海3

前の予告通り、今回は「海戦」です。

本当は速度単位にnt(ノット)/hを使いたい所だけど、ただでさえ、テラ語で誤魔化してるんだから、「ノットって単位はどっから出てきた」って話になってややこしくなるので、作中の単位はメルダ法に統一します。
Km/hね。
海里とかも使わないんで、『海の勇者、ホーン何とか』みたいな海洋物の雰囲気出ないかもだけど、ご了承下さい。


〈幕間〉テラ語

 

 古代王国期の英雄、女傑テラ・アキツシマは有名である。

 彼女は戦場で武勇を誇っただけでは無く、様々な革新的な改革を行ったからである。

 それは、まさにルネサンス(革新、もしくは温故知新)であった。

 

 さて、諸君は今では平然と、この「ルネサンス」なる言葉を用いているが、これがテラ語、つまり、テラ本人が発明した言葉であるのをご存じだろうか?

 彼女は一説によると、何処かから落ちて来たと自ら語った様に、どこか別の世界の住人であり、彼女の使うテラ語もその別世界の単語であると言う。

 例えば、今や軍の標準装備として名高い弩砲。一般的にバリスタと呼ばれているが、実はこれもテラ語だ。

 超古代語は勿論、古代語や古妖精語にも対応する単語が実はあるが、今はテラが広めた「バリスタ」が一般名詞になってしまっている。

 それまで弩砲は「ビュンバ」と呼ばれていた。しかし、木製の弓を使ったその威力は弱く、連射もままならない代物で、砲座は固定され、しかも射撃後に長い装填時間を必要とする、戦場では殆ど役立たずな代物であった。

 それをテラが鋼を用いて改良したのが、現在の弩砲だ。

 従来の数倍の威力と射程。更に旋回砲架と巻上機を備えて、全周射界と連射が発揮出来る様に改良した結果だから、当然とも言えるのだが「バリスタ」の前に、「ビュンバ」は取って代わられてしまった。

 以来、弩砲をビュンバと呼ぶ者は居なくなってしまったのだ。

 

 テラとは何者か。本当に異世界人なのか。

 長年の研究から、私はテラ語を他言語と比較して関連性を調べたが、ことごとく徒労に終わった。つまり単語に関連性が全くないのだ。全くの新語として出てくる事態に、言語学者である私は頭を抱えた。

 テラなる名も彼女がやって来た世界の名である、との学説があるが、そうであるならば、言語学者としてテラ語の辞典が是非欲しい所である。

 

言語学者、ハッサン・ランマの日記より。

 

 

 

〈外伝〉実習航海3

 

 空を飛ぶのは久しぶりだったが、何回か竜に乗っている内に感覚が戻って来た。

 良く訓練されている、とビッチは感心していた。

 何より素直だ。気難しい竜に当たると制御が難しいし、騎手に反する行動を良く取る。

 ここら辺は馬も同じなのだが、騎手に自分に乗るだけの度量が無いと認めたなら、敢えて騎手を馬鹿にして反抗する竜は珍しくない。

 亜竜の頃に比べれば危険度は低いが、それでも『主として認めない』事で事故が起きる事は多々ある。

 

「ヤスミーンでしたわね。非常に良い子です」

 

 慌ただしい時間を割いての慣熟飛行。見よう見まねで海軍式の四点着陸法を練習したビッチは、着艦後、この草竜を手放しで褒めた。

 まだ生まれてから一年経っていない若い竜だ。多分、経験も不足しているのだろうが、それでも基本は備わっており、今の所は問題は無い。

 いざ空戦の際、どんな反応を示すのかは未知数(前の空戦では一方的に逃走したので、攻勢時の反応は不明)だが、今、それを考えていても仕方ないと割り切る。どの道、彼女にはこの竜しか無いのだから。

 

「艦載完了です」

「ご苦労様。水と餌はたっぷり与えて下さいな。あ、トイレも忘れないで」

「了解です」

 

 甲板の一角に臨時の格納庫、帆布製の天幕が張られただけだが、そこへヤスミーンが移動され、胴体が太い綱で固定される。

 やや遊びがあるが、動揺の際に滑らない様にがっちりと固縛され 、窮屈そうにしている彼女を、ビッチは撫でてやる。

 

「きゅーん」

「暫く我慢ですわ。貴女も栄光ある海軍竜なのですから、情けない顔をしてはなりませんわよ」

 

 暫くして竜がいる側の舷側扉が開放された。ビッチはヤスミーンの頭をぽんぽんと叩いて、船縁へお尻を突き出す様に指示を与える。

 のろのろと尻尾を含むお尻が突き出され、「ふんっ」と竜が力むと大きな流動音と共に竜が排泄を開始した。

 ぼとぼとと大量の草色の塊が海に垂れ流される。匂いはそれ程でも無いのは草食だからだろう。軍医が、ふむふむと頷きながら記録を取って行く。

 

「色は良いね。下痢便じゃないし、健康そうだよ」

「量的に多めでしょうか?」

「いや、こんな物だろう。前の騎手が多少、甘やかして沢山食べさせていたと見るがね」

 

 エロンホーフェンに固定の竜は居ないから、軍医は専門の竜医ではないものの、教官だけあって戦竜や軍馬を診た経験は豊富だ。見立ては間違っていないだろう。

 

「さっ、今度は御飯の時間ですわよ」

「がうっがうっ」

 

 舷側の扉が閉められ、水桶と飼い葉桶が運ばれて来た。

 キノコと干し草、野菜中心の御飯を、前肢を使いながら器用に口へと運ぶ。幸せそうな表情をしているのを診て、ビッチもほっこりと和む。

 

「班長。リーリナです。第14班は昼食終わりました。

 13:00(ひとさんまるまる)で、第8班と交代準備の予定です」

「報告ご苦労ですわ」

 

 報告に来た班員に敬礼で答える。

 このリーリナは士族の令嬢。現在、臨時で副班長に就いている。

 赤茶色の髪を後ろに纏め、おでこが目立つ髪型が特徴で、どう見ても軍人面は似合わない、田舎っぽくてのんびりした顔立ちをしている。

 

「竜だけでは無く、班長もお食事を済ませて下さい」

「副班長の様子は?」

 

 問われるとリーリナが顔をしかめる。雰囲気はポワポワした感じのお嬢さんなのだが、見ているとかなり辛そうだ。

 

「私からは何とも…。まだ昏睡状態です。軍医にもう一度診せますか?」

「いえ、命に別状が無いとの判断ですから、まだ寝かしておきましょう」

「イエッサー」

 

 駆け足で戻って行くリーリナの姿を見送った後、ビッチは竜の世話係となった水兵達に労いの言葉をかけて、食堂へと足を向けた。

 出港直前に戻って来た副班長。ガリュートの様子が気がかりだった。

 彼は多量の睡眠薬を投与されており、何とか船には辿り着いたものの、気力だけで身体を動かしていたのだろう、甲板に上がった途端、昏倒してずっと眠り続けている。

 

「報告書に何と書いたら良いのやら…」

 

 既に出港二日目。敵との遭遇はまだない。

 

           ◆       ◆       ◆ 

 

「班長…」

 

 ガリュートの意識が戻ったのは日が暮れてからだった。

「気が付きましたのね」

「寝台有難うございます」

 

 救護室の簡易ベッドに寝かされているのは、ビッチなりの配慮である。彼は一般の候補生なので個室は無論、寝台も用意されていないからだ。

 

「礼は必要有りませんわ。ハンモックは使えませんしね」

 

 水兵の寝床は普通、食堂等の共用スペースである。当然、就寝時間以外ではハンモックは片づけられてしまうので、傷病兵は倉庫へ追いやられる事も珍しくない。

 

「何があったか、お聞きなさるのでしょう?」

「当然。班長として義務ですわ。

 でも、まだ語りたくないのであれば、体調が良くなってから語って下さいな」

 

 しかし、大体、ビッチはルウの語った事から予想が付いた。

 

「済みません。明日、報告致します」

「今は身体を癒やしなさい。明日は甲板勤務ですわよ」

 

 言い残すとその場から退出する。

 恐らく彼は実家の者に捕まって、種族繁栄の為の人身御供にされた。或いはされかけられたのだろう。薬物すら使用する手法に怖気を感じる。

 

「この実習航海中に解決すべきですわね」

 

 ビッチはベクター男爵家へ行く意志を固めていた。

 

           ◆       ◆       ◆ 

 

 敵艦は本土とこの南洋諸島の中間点に位置してる。と推測されていた。

 数隻の船とすれ違う度、エロンホーフェンは互いの情報を交換しあっていたからだ。航海中の船はこの情報交換が大事である。

 情報の交換方法は主に手旗信号だ。余程の事ではないと、互いの船を海上に停止させて人員を派遣する事はない。

 

「右舷に船影」

「船籍と所属を問え」

「グラン王国。チテーバー海運所属、商船『ハイザブン』と答えています。ドロイド湾のネンド目指して航行中との事」

 

 ダニエルは望遠鏡でそれを確認後、手元に在る船籍名簿をめくり上げる。

 これは艦船の人別帳みたいな物である。正規の艦船ならシルエットと共に登記されている分厚い本だ。半年に一度、更新される。

 

「『ハイザブン』か、間違いないな?」

 

 ただ、船籍名簿は完璧ではない。

 世の中にある船全部を把握する事は不可能だし、そも漁船を筆頭に勝手に建造される雑多な沿岸航行船は、数が多くて最初から把握不可能だ。

 だから、登記された物は遠洋航海する規模の大きな船に限られるのだ。

 

「班長、何か違う気もしますね」

「カラット、何か気が付いたのか?」

「商船にしては吃水が深くありません。ありゃ、空荷ですよ」

 

 第10班の中でも、この男、カラットは商船主の息子だ。本場の海に関してはダニエルよりも場数を踏んでいる。

 ダニエルは迷う事無く、教官を呼ぶ。

 

「空荷だな。普通、商船は船倉を満載にする」

 

 教官のブラッド少佐が呟く。

 商船が航行するのなら、行きも帰りも空荷で動く事は殆どない。

 それは経済的な理由だ。航海には費用が掛かる。特に最近は風術士を乗せる船が増えたが、その費用が運航費に加わるので、常に商品を積載しなければ赤字になりかねないケースが増えているのだ。

 

「では?」

「警戒しろ。第2級戦闘配備!」

 

 ゆえに空荷で動くのは商船としてはかなり怪しいと見ざる得ない。

 カンカンカン、と激しく船鐘が鳴る。ダニエル達は第10班はバタバタと動いて戦闘準備を整える。

 一方、ビッチら第14班も配置に就く。

 ガリュートはまだ本調子では無いが、それでも軍隊では待ったをかけてはくれない。

 甲板にある弩砲の固定を解いて、ぎりぎりと弓を巻き上げる。巻上げ器(ウインドラス)の把柄にそれぞれ人が付き、槍の様な鋼の太矢を装填する。

 

「落ち着いて用意なさい。でも素早く、焦らずにですわ」

 

 まだ第2級戦闘配備なので、弩砲を舷側から押し出してはいない。これを砲門から覗かせたら、完璧に敵対していますという印となるからだ。

 但し、甲板上にある8門の弩砲は甲板下にある弩砲と違い、砲門を開けなくとも発射可能な状態にある。これは対空砲も兼ねているからだ。

 

「臨検を行おう。相手へ停船信号を送れ」

 

 艦長が命令する。マストにいる信号手がヤード上に移ると手旗を振る。

 だが、返答は無く、相手の行き足は止まらない。

 

「第1級戦闘配置!」

「「「「第1級戦闘配置!!」」」」

 

 艦長命令が各所で復唱され、それと共に弩砲が押し出される。舷側に並んだ砲郭の蓋が跳ね上げられ、太矢を装填した砲門がずらりと出現した。

 

「距離800m、敵速16km」

「速いな、空船の上、風術士が乗っているぞ」

 

 ダニエルが顔をしかめる。

 第10班は移乗白兵戦に備えている。武器庫が解放され、弓や船槍(ポーティングスピア)が各自に配られて行く。

 

「敵船、距離500m」

「とりかーじ、300に入ったら、弩砲射撃開始せよ」

 

 艦長命令が下る。エロンホーフェンはくぐっと左へ船体を回し始めた。

 砲郭に配備されてる全24門の弩砲を有効に使うには、相手へ船腹を晒す必要があるのだ。

 弩砲の性能から距離300はやや近いが、敵船はどうやら弩砲を搭載してないから、この程度で射撃しても問題なかろう。

 

「距離400…380…350…」

 

 ビッチの弩砲も敵船へ照準を合わせる。

 リーリナが照準器の中心点へ目標を合わせていると、ガリュートの声が飛んだ。

 

「どこを狙ってる。敵船は移動してるんだ。

 こっちもそれに合わせて見越し射撃をしないと当たらないぞ。それと弩砲は遠くへ撃つと、やや後落するのを忘れるな!」

「はっ、はい」

 

 叱責されて照準を心持ち上へ、敵船の前方へと修正する。

 流石に実戦慣れしてるとビッチは感心する。あのまま撃ってれば、射撃はずっと後方に逸れ、しかも手前に海没してただろう。

 

「距離300mっ」

「撃てっ!」

 

 片舷12門の弩砲が放たれた。だが、弾道はバラバラで上手く命中する物もあれば、明後日の方向に行く物もあって効果的では無い。

 殆どが初実戦の士官候補生が砲手なのだから、まぁ、予想はしていたが。

 通常の太矢なので命中しても敵船に突き刺さるだけだ。もっとも、その船板の背後に人が居た場合、確実に人員を殺傷するだけの威力は持っている。

 

「再装填急げ。魔導弾頭の使用を許可する!」

「指導教官。まぁ、最初はこんな物か?」

「半数が当たったのは高評価ですよ。艦長」

 

 ダニエルの耳に、エッケナー大佐と指導教官のルーゲンス教官の会話が聞こえてくる。

 こりゃ実戦であると同時に、俺達の実力を測る試験なんだなとの認識を新たにする。

 

「魔導弾頭か」

「使うのは初めてですわ。どんな物なのですか、副班長?」

「俺も本物を使うのは初めてです。

 ただ、装着すると重くなるから、それに気を付けて照準を意識しろ。リーリナ」

「り、了解。マルカ、ゼオ、装填急いで」

 

 第14班の残る二人、マルカとゼオがウインドラスを巻き上げている。

 最初は軽いが、弓にテンションが張られて次第に重くなって行くのはお約束である。親の仇の様に二人がかりで回しても、なかなか弓がセットされない。

 武器庫から魔導弾頭付きの太矢が到着する。

 ばらけた状態で野積みされる普通の矢と違い、一本毎に木製のケースに保管してあり、箱書きが記されている。

 

「手順、覚えてますよね?」

「大丈夫ですわ。ええと、これは『光よ、あまねく敵を打ち破れ』ですか」

 

 箱書きに書いてある魔法文字を読み上げる。本番では弾頭に手を添えて、この言葉を読み上げる必要がある。

 

「敵、200m」

「装填よしっ」

 

 ケースから取り出された魔導弾頭が弩砲にセットされる。

 太矢の先に一回り膨らんだ形で弾頭が取り付けられており、弾頭はクリスタル状で箱書きと同じ文字が刻まれている。

 ビッチが手を触れ、「『光よ、あまねく敵を打ち破れ』」と唱えると弾頭がほのかに輝きを増した。これで準備は完了した筈だ。

 

「班長は下がって下さい!」

 

 リーリナが警告する。このまま撃つと弓の弦がビッチを巻き込んでしまう。弩砲のそれに巻き込まれたら大怪我である。

 

「距離100mっ」

「この距離なら直接照準で行ける。リーリナ、ぶっ放せ!」

「発射っ!」

 

 がこん。

 矢が飛び出す。そのまま敵の船首に吸い込まれて行き、命中と同時に超高熱の白光を展開する。それはたちまち船体舐め尽くし、引火物全てを炎上させた。

 続いて、別の矢が飛来。こっちは命中と同時に凍結の効果を発揮し、敵船の表面を氷塊で覆い尽くした。それは良いのだが、こっちの炎上の効果まで奪い去る。

 

「あー?!」

「誰だよ。うちの攻撃、台無しにしやがったのは」

 

 マルカとゼオが叫んだ。

 魔導弾頭とは、元々、冒険者が遺跡から回収した魔法的な罠(別名、魔導地雷)をリサイクルした兵器であり、大体の効果は判るが威力の幅が大きい。

 使用の際には後付けで施した封印を解く必要があり、先程の様に手で直接触れながら、魔法文字で書かれた呪文を唱える必要がある。

 弾着時に魔法の効果が現れるのだが、炎の魔法が封じられてるのは判っても、それが地獄の大火を生み出すのか、火口に点火するだけの物なのかは、使ってみないと分からないと言うランダムさがある。

 まぁ、元々、触れれば作動する魔法罠を解呪してクエスターギルドに持ち込んだ屑アイテムを、なんかの役に立てられるかと工夫した再生兵器。

 マジックアイテム的には安価な方だし、もし玉石混淆の玉に当たったらラッキーだと思うべきで、文句を言ったらバチが当たる。 

 

「でも、効いてるぞ」

「しかし、次射は無理ですわね。近すぎますわ」

「普通の太矢に切り替えろ」

 

 ビッチの言う通り、距離はもう30を切っている。ランダム効果のある魔導弾頭では危険な距離だ。

 敵船は面舵を取りつつ、こちらに併走を開始すると同時に敵の甲板から火の玉が飛んで来る。しかし、ローリングが激しくて頭を飛び越して、遙か彼方に水柱を上げた。

 長距離魔導が届く圏内に入ったのだ。

 

「敵の魔導士だ。【炎弾】だぞ」

「魔導士官、どこだ、魔導士官。こっちも撃ち返せ!」

 

 ダニエルが吼えるが、肝心な魔導士官。又は魔導士官候補生は見当たらない。ビッチを筆頭に各班の指揮に就いてるからだと気が付く。

 舌打ちしつつ、彼は第10班に弓術戦を命令する。

 

「手数で攻めろ。とにかく甲板上の敵兵をなぎ払え!」

 

 正確さよりも数に物を言わせて、敵を釘付けにするのが今は正解だ。

 乱射とも言える矢の雨が敵船へと降り注ぐ。敵甲板上の数人が倒れ、残りが慌て遮蔽物へと身を隠す。魔導士を倒せなかったのは残念だが、この調子なら魔法は使えまい。

 

「敵はどうやら、例の私掠船ではありませんな」

「うむ、弩砲を備えていないのが証拠だろう。だから、別口と見るべきか。竜も積んでは居なさそうだからな」

 

 後方の操舵甲板で大佐と指導教官が言葉を交わす。

 

「多分、あれは途中で鹵獲した商船ですな。荷はとっくに処分して分配済み、と言った所でしょうが」

「本艦に勝てると思っているのか?」

「さて、海賊の考えは分かりかねますが…」

 

 ルーゲンス指導教官はそこで口ごもるが、やがて意見を述べる。

 

「これは私見でありますが、海軍士官候補生が乗るひよっこ艦なら、奇襲を生かせば、充分勝てると判断してもおかしくはありますまい」

「甘く見られても仕方なし、か」

 

 がこんっ、と弩砲が再び唸る。

 この至近距離だが砲手のリーリナは容赦がなかった。太矢は敵甲板に並べられていた樽を貫いて、その後ろに隠れていた魔導士を串刺しにする。

 魔導士は樽ごと貫かれ、しかも甲板からそのまま後ろの海へとすっ飛んでいった。ドップラー効果を伴って、魔導士の悲鳴が尾を引いて消える。

 

「口から血反吐を吐いて…ありゃ、助からないな」

「オーバーキルですが、良くやりましたわ。リーリナ」

 

 この一撃で敵の士気が崩壊したのかは定かでは無いが、抵抗は次第に弱まり、移乗戦闘へ移行。やがて敵マストへ白旗が揚がる。

 死闘、約半時間。

 味方の負傷者は約15名だが、死者は無し。

 

 こうしてビッチ達士官候補生は、最初の実戦を終えたのだった。

 

〈続く〉




本邦初公開。ヤスミーンちゃんのお花摘み。
いや、騎竜の出る作品多々あれど、食事の光景はあるけどあっちの描写やった人が居ないなぁと…。
家畜と考えれば本当は大切です。お馬さんの健康管理なんかと同じく。

ともあれ、やっと海戦です。
でも、今回は白兵戦の描写をさらりと流しました。それは前座では無く、本番でと言う事で勘弁して下さい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海4

ギリギリ今週に間に合ったかな。
実習航海編4をお届けします。


〈幕間〉魔導地雷

 

 遺跡、主に古代遺跡だが、を探検する冒険者(クエスター)は厄介な罠に遭遇する事が多々ある。

 釣り天井や落とし穴と言った物理的なトラップ。

 モンスターを利用した生物兵器的な物。窓に見えて実は素材がゼラチンキューブだったりとか、絨毯にキノコが仕込まれていて、踏むと猛毒の胞子がまき散らされるとかだ。

 そして魔法を用いた罠の数々。

 その中でも魔導地雷なるものを、諸君はご存知であろうか?

 

 これは初歩的な罠なのだが、床や壁に仕掛けてあって、誰かが触れるとスイッチが入って作動する厄介な罠だ。

 外見は魔石に似た水晶状の結晶である。六角柱型で大きさや色は様々だ。

 効果は大抵が人を殺傷する物で、爆発したり、凍結したり、とえげつない。

 中には冗談っぽく、人々を驚かすだけの罠もあるのだが、外見からは区別が付かない。

 巧妙に偽装されたのもあって油断出来ないが、大半はあらかじめ【魔法探知】を用いれば比較的簡単に察知可能だ。

 とは言うものの、四六時中【魔法探知】を継続出来る魔導士など少ないので、大抵のクエスターは一度は引っかかる類の罠である。

 もっとも、その一回であの世行きになる者も居るから、洒落にならないのだが。

 

 発見したクエスター達は、これを無駄に作動させるか、可能なら解除して(【封印】の呪文が唱えられる者が居れば)無効化を図るのが常である。

 魔導地雷を作る魔法、もしくは錬金術は現在発見されておらず、古代王国期のアーティファクトであるから、クエスターギルドに持ち込めば金銭に換金可能である。

 但し、値段はそんなに高くない。

 鑑定しても「火の魔法が入っている」「水の魔法が入ってる」程度で、その威力がどんな物なのかの測定不能であるからだ。つまり、作動させてみないと本当の威力が分からないと言う事で、これでは罠として再利用しようと買う者も躊躇してしまう。

 警備用に屋敷に仕掛けて作動したら、「屋敷全体が大爆発で吹き飛びました」では洒落にもならない。

 

「弩砲の弾にしたらどうだろう?」

 近年、行われている再利用法がこれだ。

 無論、発射前に爆発せぬ様に後付けされた封印を解く必要がある。これが可能なのは少なくとも「ルーン(魔法文字)が読め」て、【解呪】の使える魔導士に限られ、実際に弾頭に触れて魔力をその場で注入せねばならない。

 威力は相変わらず不定だが、敵に対して飛ばす物だから問題にはならないだろう。威力を被るは敵なんだし。

 元々買い手が付かず、殆ど屑アイテム扱いだけあって、クエスターギルドでも在庫縮小の効果があって一石二鳥だった。また、買い手側もマジックアイテムとしては安価である分、歓迎されている。

 まぁ、安価と言ってもそれは普通のマジックアイテムに比較しての事だから、魔導弾頭を買うお得意さんは軍が主であり(魔導士も必要だし)、一般的に普及しているとは言い難い。

 

 更に「飛竜から落とす爆弾にしたらどうだろう」と声も上がり、研究が成されたが、こっちは途中で放棄された。

 翼下か胴体(或いは足に掴んで)に携行出来たのなら事情は違ってたのかも知れぬが、それでは魔力を注入出来ないから、飛行中に騎手自身が弾を取り出して【解呪】する事になる。

 でも想像してみるがいい。それは危険すぎた。

 飛行中に呪文を唱えるのも困難なら、成功したとしても、封印解除後に何かの拍子に起爆部分に触れたら空中で自爆する。

 余りに危険さに騎竜科は装備を拒否したのも仕方があるまい。 

 

リック・ワイルダー著『マジックアイテムあれこれ』より

 

 

 

〈外伝〉実習航海4

 

 改めて商船『ハイザブン』の臨検と内部調査が行われ、捕虜から聞き出した情報では敵の本隊、つまり首領の乗っている船が私掠船『アモンラー』である事が確認された。

 

「こっちの船は殆ど使い捨ての囮だな」

 

 検分の終わったダニエルが、記録を付けながら言った。

 ハイザブンは単なるコグ船だ。弩砲を装備しておらず、一艢しかないマストに太く、丸っこい船体から機動性に優れている訳でも無い。

 取り柄は効率良く、大量の積荷を搭載可能な事だ。これは商船としては大変優れた特性であるが、戦闘艦には向いていない。

 

「小手調べと言う所ですわね。余り、乗員の質も高くなかった様子ですから」

 

 生き残りの捕虜を尋問する形で聴取が行われた結果、この船に乗っていた連中は海賊から見て、使い捨てに出来る人材が中心だと言う事が判明している。

 ビッチはため息をついた。

 

「元々、襲った商船で命乞いをして助かった者ですしね」

 

 そう、襲撃で生き残った元船員に対して「仲間になるのなら忠誠心を見せてみろ」と船を与えられ、無理矢理、このエロンホーフェンへぶつけられたというのが真相である。一部を除いて士気が低かったのも頷ける。

 結果としては敗退。船も大打撃を受けて廃船同然だ。

 しかし、それでも敵船を入手したからには勝手に廃棄処分も出来ず、近くの港へと曳航し、こうして調査しているのが、今の士官候補生達であった。

 

「しかし、酷いな。船倉を調べてみたら食料、水は一週間(六日)分。武器もなまくら刀やナイフに斧がせいぜいだ。厄介払いに近かったんだろうな」

 

 バニーアイランドのフロリナ港にエロンホーフェンの姿はあった。

 最大のバニーアイランドを含めて、通称、バニー諸島(南洋諸島)と呼ばれる多島海。その入口に位置する港で、ポートバニーから見れば南西側にある地方港だ。

 背後に薄く棚引く煙を出している火山を持ち、時々噴火する厄介な場所であるが、バニー麻と言うロープ用の麻が特産品である。

 ここもポートバニー程ではないが活気に満ちており、ウサ耳族やヤシクネー達が盛んに働いている。

 ビッチ達はこの港で待機中である。

 

「敵の捕虜は官憲に引き渡したし、船の検分も済みましたのに、何をグズグズしているのでしょうね」

「本国からの応援を待っているらしいですよ」

 

 それに応えたのはガリュートだった。あれから体調も回復している。

 

「本国って、出せる様な艦艇いましたかしら?」

 

 東西戦区に分けられた王国の領海。西海域は法国や帝国の領海と接しているので、戦力的にはまだ充実しているが、逆に東海域には接する国がない分、ろくな艦隊が配置されていない。

 

「私掠船隊ですよ」

「海軍の指揮下には入ってますの?」

「多分…。でも、まだ分かりませんね。俺も大佐達の会話を小耳に挟んだだけですから」

 

 とにかく、合流するまで待機との話である。洋上合流(ランデヴー)も有り得たのだが、士官候補生には荷が重かろうとして、この形に落ち着いたらしい。

 

「まぁ、俺達は暫くのんびりと出来るって話だろう。

 しかし、実習期間の延長が有り得るのかな?」

 

 赤毛の士官候補生の言い分はもっともだった。

 元々、二週間の予定で組まれたスケジュールだが、既に一週間を消化している。このままだと、海賊退治が終わるまでこの海域に釘付けって話になりかねない。

 

「その為の応援だと思われます。サー」

「だと良いんだがな、海曹」

 

 ちなみに海曹とはガリュートの事だ。

 士官(オフィサー)扱いの班長に対して、副班長は下士官(サージャント)の位が仮に与えられるのである。

 新たにくる援軍が任務の交代をしてくれるならば、エロンホーフェンも通常の練習航海に戻り、士官学校へと帰投出来る。

 

「まぁ、練度はかなり上がりましたわ。今では船酔いで吐く軟弱者は見当たりませんし」

「そりゃ、認める」

 

 戦闘航海一回で、かなり鍛えられたのは確かだ。

 本職から見たらまだまだだろうが、それなりに海軍軍人としてのスキルは上がったと自覚を持てる程度までは成長している。

 

「第10と14班はこれから半舷上陸になるが、お前はどうするんだ?」

「そうですわね…」

 

 共に午後担当だから、18:00(ひとはちまるまる)には夜間班と交代になる。その後は翌日正午までは自由時間だ。

 

「ここじゃ、余り良い遊び場は望めそうも無いよな」

「全く、殿方と言うのは…」

 

 ビッチは呆れるが、半舷上陸中は船乗りの定番コース、呑む、打つ、買うの三つに明け暮れるのが常である。

 まぁ、それでも士官候補生。大抵は良い所の出身ゆえに質は問うから、場末の所へは行かない。変な所で何かに当たったり、病でも貰ったりしたら大変だからである。

 ここは港自体を活気を帯びてはいるが、残念ながら規模的にポートバニー程は達していない。よって歓楽街も小規模であった。

 

「今夜は副班長と話をしようと思ってますわ」

「恋バナか?」

「殴りますわよ。何発がお望み?」

 

 おお、怖とばかりに両手を挙げるダニエル。

 それを無視してビッチはガリュートの方へ向き直る。あれから忙しくて全然時間が取れなかったからだ。

 

「よろしいですわね?」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 黒い影が海面を進んでいた。

 それは船ではなかった。大半が水面下に沈んでおり、今見えるのは魚で言えば、いわば背びれ部分に相当する箇所であり、本体の形は蓉として知れない。

 

「こんな物まで必要なのか」

「いや、本来なら不必要だとも」

 

 私掠船『アモンラー』はナオ級の中型船である。

 その船上で渋い顔をしていた首領のブロドールは、「むっ」と言う顔で己の言葉を否定した男を睨み付ける。

 

「君とその配下の艦隊があれば、練習艦の一隻如きを沈めるは容易い筈だ」

「お世辞か、教授」

「まさか。正当な評価だよ。ブロドール船長」

 

 奇妙な仮面を付けた男はそう言い切る。だが、この男は何を考えてるのか分からないから、素直に受け取るのは危険だと船長の勘が告げている。

 ブロドールは赤ら顔の鼻を「ふん」と鳴らす。

 

「ちょっと派手な事をやってしまったのでね。いつもの自家用機が使えなくなった。

 あれはその代わりの足さ。まぁ、君らの戦いに介入する気はない」

「貴様に与えられたのは、結社本部からの極秘任務か?」

「それは想像に任せるよ。墓守が案外ケチでね。私の計画を進める代償に、幾つか雑用をこなさなくならなくなった」

 

 教授は如何にも面倒臭そうな仕草で首を振る。

 

「もっとも、君にあの練習艦を叩き潰して欲しいと言う願いは本当の事さ。

 あの船には『光の乙女』の関係者が乗っている。そいつを殺して精神的なダメージを彼女に与えて欲しいとも思うからね」

「何だ、その『光の乙女』って?」

 

 それはエロコの現代訳語名であるが、ブロドールは当然知らない。

 

「今の所は単なる士官候補さ。

 私が直接手を掛けると面倒なんでね。一見、無関係の君に是非とも始末を頼みたい。今後の事を考えると、あの友人達は生かしておくと厄介だからね」

 

 船長は「良くは判らんが、皆殺しにすれば良いんだな?」と念を押す。教授は黒衣を翻し、短く「ああ」とだけ答えて、舳先から跳躍した。

 前方百mは離れているだろう黒い影、迷信深い船乗り達の間では『海魔』と恐れられている怪物の上へ降り立ち、中へと消える。

 暫く影は水上航行していたが、やがて音も無く海面下に姿を消した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 フロリナ港の船宿。

 ランクから言えば、この港では上等な方だろう。

 魔道具のランタンの下、ガリュートはビッチに呼び出されていた。

 

「昔からの部族の慣習ですか」

「古い、古い約定だと聞きます。祖先がバニーアイランドへ定住した五千年前からの」

 

 超古代文明が滅んで一万年。

 そして古代王国が花開いたのが八千年前。五千年前に女傑テラが降臨し、最盛期を迎えた古代王国が突如、衰退したのが千年前。

 以後、新暦として現代の文明が千年間続いているのが、エルダ、特に中央大陸の大まかな歴史である。

 別の大陸では、特に南大陸辺りでは別の歴史が語られている模様であるが、ビッチにはその知識が無いので論評出来ない。が、中央大陸に興ったこの二つの王朝(超古代文明が王制を取っていたのかは不明だが)は、全大陸に影響を及ぼしている筈だ。

 ガリュートの語った五千年前からと言うのは、建国して五百年のグラン王国の歴史から見れば、その十倍の長さを持つ伝統と言う事になる。

 

「途方も無いですわね」

「魔族戦争の頃からの約定ですからね」

 

 残された口伝や文献を紐解けば、古代王国の歴史は魔族との戦いの歴史だった。

 魔界、なる世界から大挙として魔族が押し寄せ、世界の存亡を賭けて戦ったのが古代王国であった。

 しかし、長きにわたる戦いで魔軍も一枚岩ではなくなり、一部はヒト側に味方する者も現れる。そして魔族と妥協する勢力もヒト側に現れた。

 魔界からやって来た第一世代はともかく、現地で生まれ、エルダ育ちの第二世代以降は魔王の命令を無視して、自由勝手に離反し始めたのも理由であるが、要するに双方とも泥沼の戦に疲れたのだ。

 

「我がウサ耳族は、その中で離反したヤシクネー族と和解しました。

 その際に彼女らの子孫に関する約定を結んだんです」

「それが、族長の種を与える契約ですわね」

「族長だけでは無いんですけどね。まあ、男性ならば無条件にですよ」

 

 成人男性に達すると有無を言わさず、寄ってたかってヤシクネー達に童貞を奪われるのだ。彼女たちは決してむごい扱いをしないとは言うものの、幼い子供にとってはトラウマになりそうだ。

 

「で、捕まった貴方も?」

「当然です。母から『これも次期領主の役目です』と宣言されて人身御供ですよ。何人もとまぐわって、一瞬の隙を突いて、逃げ出しましたが…。

 でもルウには悪い事をしてしまったな」

 

 その状況から救ってくれたのは、あの褐色娘ルウ・ピプン。

 自分の番に行為をしながら脱走し、港へ送り届けてくれたのだそうだ。「村八分にされてなければ良いんですが」と副班長は力なく言う。

 

「島にいる間、不干渉にせよとわたくしも男爵家に説得しますわ」

「ここからですか?」

 

 ここもバニーアイランドであるが、ベクター男爵領とは30Km程離れている別の貴族が有する荘園だ。隣の島、ランバート島を領地とするセクウィン男爵の飛び地であり、それ故、ベクター男爵家の魔手がガリュートに及ぶ事は無い。

 

「難しいですの? 街道があるでしょう」

「同じ島内と言っても、ここからベクター領へ赴く事は困難さを極めますよ」

 

 本土の方は勘違いする事が多いのだが、大陸は長年の整備で道が整っているのが当たり前だと思ってるし、街道と名が付けば、立派の舗装道路だと想像するのだろうが「島嶼の道なんて名だけ街道が多いのだ」と説明する。

 物資輸送用に立派な道はあるが、それも途切れ途切れで、特に隣の領地へ繋がる道は経済上で必要な物はともかく、軍事上の問題から荒れたままの道が多い。

 

「では、一度、ポートバニーに戻らないといけませんわね」

「フロリナでの待機命令後、その機会が訪れれば良いんですけどね」

 

 そうなのだ。このまま援軍と合流後、何処へ行くかは未確定である。

 思わず顔をしかめてしまったビッチへ、ガリュートは「それはそれで構わないと思いますよ」と私見を述べる。

 

「無理矢理実家を説得するより、俺がウサ耳島を物理的に離れてしまっ方が、後腐れ無いと思いますからね」

「しかし…」

「骨折り有難うございます。でも、俺とてガリュート・ベクターとして生を受けた手前、部族の当主としての責務を負います」

 

 そして決めたのだと決意を述べる。

 領内の労働力が不足しているのが問題になっているのが分かったからだ。

 ウサ耳族はともかく、ヤシクネー達は外から来る人々との子作りに支障を来している問題があった。

 下半身節足動物の魔族は外見的嫌悪が大きく、子孫が順調に増えていない。勿論、領内の男衆は頑張っているけども、人口はずっと横ばい状態が続いている。

 

「奴隷制があった頃は問題なかったんですけどね。外から買ってきた男を、繁殖用に使えましたから」

「理屈としては分かりますわよ。うちも奴隷制が無くなってから、労働力は確保が難しくなったと父が嘆いておりますし」

 

 南部に広がるロートハイユ公爵領は綿花の一大産地だ。だが、綿花栽培には人手が掛かり、仕事も過酷で、近年は労働力を確保するのが難しくなってきている。

 奴隷制廃止はこうした弊害を伴う政策なのであり、ギース王に対して各地の貴族が潜在的に不満を抱いているのも分からなくも無い。

 

「士官学校在学中は自由にやらせて貰うつもりです。でも一年半後、島へ戻って当主の座を引き継ぐ予定です」

「それで構いませんの?」

「はい。ただ…」

 

 彼は言った。「懲罰を受けるだろう、ルウの件に関しては何とかしたい所です」と。

 ぐらり、と部屋が揺れたのはその直後だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「損害を報告せよ」

 

 船長であるエッケナー大佐が後部甲板へ登ってきて叫ぶ。

 

「今の所、怪我人が数人」

「舷門に横付けしていたタラップが損傷」

「第二マストの帆桁が落下して、リギンが数本駄目になりました」

「揺れに竜が驚いて、固縛を解いて逃げました!」

 

 その報告にカイゼル髭を撫でて、やや安心する大佐。

 

「損害軽微か。何が起こったのか?」

「沖合で爆発です。海底火山が噴火した物かと…」

 

 夜間だというのに、沖合が真っ赤に染まっている。

 

「海底噴火か。知識としては知っていたが、本物に遭遇するとは」

 

 火山爆発の中でも海底噴火は特殊なケースであり、それがあるとの知識だけは古代の文献から知られているが、それを直接目にした者は極めて少ない。

 

「大佐、すぐに高波が来ると思います。出港を提案致します」

「うむ、出港用意だ。しかし、半舷上陸した者の回収はどうする?」

 

 大佐が港の方へ視線を走らせた。

 揺れによって安普請の建物は倒壊したり、中には火事になっている家屋もあって、被害は甚大そうだ。

 

「暫く待って、集合出来なかった者は置いて行くしか有りませんな」

「よし、10分だけ待とう。それと港の方へ使いを出せ。恐らく、津波が押し寄せるから高台へ逃げろ、とな」

 

 指導教官の報告に大佐は即答した。

 この海底噴火の影響は大きく、バニー諸島の各沿岸部に甚大な被害をもたらしたのだった。

 

〈続く〉




さて、教授登場。
果たして結社の目的は?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海5

津波など、やや陰惨な描写が含まれます。
読む際にはお気をつけ下さい。
 
追記。
フロリナ島について設定漏れがあったので矛盾を修正。


〈幕間〉バニー諸島

 

 グラン本土の南方海上にある諸島群。最大のバニーアイランドは南北に350km、東西に200Kmの長さを持った大型島であり、本土とは約170kmほど離れて位置している。

 本島の西側には小さな群島が無数にあり、それぞれ探索や開拓が進められているが、未だその全容は明らかになっていない。

 気候は亜熱帯性である。本土には見られない植物群が茂り、珍しい珍獣も生息するが、これもまだまだ未調査段階である。

 

 バニー諸島の記録が初めて現れたのは古代王国期である。

 今から約五千年前。魔族戦争を通じて勇名を馳せた亜人種、ウサ耳族、ネコ耳族が開拓に入ったのが最初とされている。

 それを象徴としてバニー諸島と名付けられたのだが、それはその島々に興味を示す者が当時居なかった印でもあった。

 それは島特有の風土病が酷かったからである。 特にヒト種は罹り易く、古代王国はここを流刑の島に定めた程であった。

 しかし、ウサ耳族は風土病には耐性があったらしく、感染する事はあっても命を落とす程の症状は見られなかった。これは他の妖精族や亜人種も同様だったのだが、妖精族は本土との気候と植物相のあまりの相違からこの地を好まず、他の亜人種達も先行したウサ耳族に対する遠慮から、大規模な以上は行われなかった。

 例外はウサ耳族と同盟を結んだ魔族、ヤシクネー族である。

 これは本土を含む大陸では差別対象になっていた事が挙げられる。魔族の中でも温厚な種族なのだが、外見からどうしても忌むべき者と認識されてしまうのである。

 また、気候がヤシクネー族の食料である椰子類栽培に適しており、更にヒト種を含む他種族がごく少数である事も生活環境に合致し、彼女たちはほぼ一族郎党全てがバニー諸島へと居を移した為、今では本土でヤシクネー族を見かけるのは難しい。

 

 古代王国滅亡後、島は本土同様に群雄割拠の時代が長く続いたが、グラン王国成立後に行われた女王の親政で本島の勢力は王国の支配下へと組み込まれる。

 新暦630年代の事であった。王国がこの地を長年放置していたのだが、バニー諸島を根拠とする海賊の跳梁と、バニー諸島が生産する特殊な生産物に気が付いた為である。

 特にルネサンス時代に復興したゴムの生産には、この地は必要不可欠とされ、竹糖や麻に椰子類。実芭蕉を筆頭とする果実類などが注目されたからである。

 大規模な移民団による本格開拓も行われ、今ではウサ耳族以外の者、特にウサ耳族に対抗意識を持つネコ耳族が大挙して押し寄せてきている。

 但し、摩擦を避ける様にして、ネコ耳族が向かった先は本島ではなく、未開拓の群島の方が主である為(これには属領の統治問題をややこしくしたくない、王室の意向もある様だ)、大規模な衝突は今の所、起こっていない。

 

 宝島とも言えるバニー諸島であるが、その重要性は近年、他国にも認識されており、特にマーダー帝国が食指を動かしているともっぱらの噂である。

 もし、だが、仮に王国と帝国が大戦を起こしたら、今度はバニー諸島を巡る制海権の取り合いになると危惧されている。

 これだけ豊かな資源を、王国一国に独占させておく事は無いと帝国が思うのは当たり前であろう。揚陸作戦すら展開される危険も高い。

 王国、正確には現国王ギース陛下が王海軍士官学校を設立し、海軍士官の育成に力を注ぐのも、これに対する対抗策と見るのである。

 

デボルド・ボロナード著、『新暦1003年のバニー諸島考察』より

 

 

 

〈外伝〉実習航海5

 

「大丈夫ですの?!」

 

 宿屋が瓦礫と化すのは一瞬だった。

 元々、耐震構造なんて観念の無い世界である。強い横揺れを食らった建物の多くは、あっけなく倒壊していった。

 

「な、何とか」

 

 こちらも瓦礫の中から顔を出したガリュートは、班長の問いに答えていた。

 怪我は無い。この建物が軽量の竹や椰子の葉が素材で南洋風な造りであった為に、上から重量物が落下しなかったのが幸いした様だ。

 

「とにかく外へ出ますわよ」

「はい」

 

 残骸を乗り越えて外へ出る。

 そこには命からがら脱出してきた民が呆然と立ち尽くしていた。

 

「負傷者は多いようですね」

「でも、大怪我した者は少ないですわね。これが大陸の石造構造物であったなら、こうは行かないですわね」

 

 石壁や太い梁が落下して押し潰される者続出だろう。

 そして住民の中に強い外骨格を持ったヤシクネーが多いのも幸いしていた。

 

「とにかく救助活動をしませんと…。あそこですわ」

「しかし、この場合、速やかに帰艦しないと」

 

 さっきの宿屋からうめき声が聞こえる。ビッチは瓦礫を取り除くべく戻り、手近な瓦礫を除去し始めた。宿屋の中に閉じ込められてる者が居るのは確かだ。

 

「大丈夫ですの?」

「あ、あしが挟まれて…助けて」

 

 誰何すると弱々しい答えが返ってきた。若い女の声である。

 ビッチはガリュートへ「何か、照明を」と要求し、彼は近場の火事場へ走って行く。そう、火災も起きているのだ。

 

「大丈夫ですわ。直ぐに助かります」

「あ、ありがとう」

 

 元気を出して貰いたいとかけた声に対する返答は、かなり弱々しい。

 と遠くから「おーい、津波がくるぞーっ!」との叫びが耳に入ってきた。

 

「船を出せ」

「高台へ逃げろ」

 

 すると被害の大きさに呆然としていた付近の住人に動きが起きた。

 周囲がにわかに騒がしくなる。火事の火を消そうとしていた者達が、住人の救出に当たっていた者達が、持ち場を離れてどんどん逃げて行ってしまう。

 

「班長、俺達も避難しましょう!」

 

 松明を持って帰ってきた副班長が肩を掴んだ。

 

「何を言ってますの。彼女を捨てて逃げる訳には」

「津波です。多分、大津波なんです」

「ああっ、もう、津波って何ですの?!」

 

 王国では地震は滅多に起きず、よって津波の概念も浸透していないのである。

 松明の光によって、かろうじて照らされた奥に血塗れの顔がにっこりと微笑んだ。瓦礫によって負傷しているらしく、全く身動きが出来ない様だ。

 

「有難う。でも逃げて下さい。あたしを置いて行って下さい」

「何を馬鹿な事を」

 

 ごぉーっと言う不気味が音が耳朶を打つ。

 ガリュートは『ああ、いよいよだ』と覚悟して、周辺に使えそうな物がないかとサーチする。だが看板、タライ、大きなテーブル、ガラクタばかりだ。

 しかし、神は彼を見捨てなかった。半壊している物置の横に古ぼけたボート。恐らく、昔は現役だったのだろうが、幾艘も積んであったのだ。

 

「くそっ」

 

 彼は松明をその場に置いて駆け出し、ボートを固縛しているロープを外すと、舟達はがらがらと崩れる様に地面へと落ちた。

 その中の何隻かをひっくり返し、損傷程度を素早く見極める。

 穴が開いている物。船体が損傷している物は駄目だ。最低でもきちんと水面に浮かび、沈まない舟である必要がある。

 

「班長っ、こちらへ!」

 

 ようやく眼鏡にかなった舟を見つけ、数本の櫂を適当にボートへ放り込んだガリュートが叫ぶ。

 

「さようなら、あたしの脚っ! ぎゃぁぁぁぁっ」

 

 彼が振り向くと同時に凄い悲鳴が上がる。

 やがて瓦礫の中からビッチが立ち上がり、重い物を引きずる形で現れる。。

 

「ガリュート、手をお貸しなさい」

「彼女は…?」

「話は後。わたくしだけではこの娘は重くて引きずるのが精一杯ですわ」

 

 彼女が引きずっていたのは気絶した少女。しかも、ヤシクネーであった。

 まだ成人前だろうが重いのも頷ける。六本の脚の内、左側の一本が切断されており、赤い血がしたたり落ちている。

 手を貸して何とかボートに全員を乗せた所に、とうとう水がやって来た。

 最初は足元をぬらして行く程度の穏やかな増え方であったが、どんどん水かさが増して勢いも激しくなって行く。

 がくん、とボートがごつごつと船底を擦りながら動き出した。浮力を得て水面へ浮かんだのだ。

 

「流れに乗ります。何処へ行くかは見当も付きませんが…」

「任せますわ。聖なる癒やしを与えん。【治癒】」

 

 茶色の体色をしたヤシクネーの止血と共に聖句を唱えたビッチは顔を上げた。流血は止まったものの、彼女の腕では脚の再生は叶わない。

 街を水が洗っていた。ボートは木の葉の様に揺れて島の内側へと押し流されて行く。月明かりの惨劇の下、しかし、まだ彼らは生きていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「前方より大波っ!」

「艦首を縦に向けろ。あれを乗り越すぞ。面舵もどーせー」

「もどーせー」

 

 うねりと共に巨大な大波が前方より迫ってくる。

 エロンホーフェンは波に向けて正対すると、急坂を上がる様に大波の上を乗り越えて、続いて俯角を付けて真っ逆さまへ突っ込む。

 加速度が凄い。飛竜乗りに言わせればトリム/ツリム30°の角度で上昇、降下をやっている様な物である。士官候補生の中には吐き出してしまっている者もいる。

 

「凄ぇ、気分が悪い」

 

 ダニエルは口元を拭うと再び立った。当直では無いが、こんな時に大人しく船内でじっとしては居られない。

 第10班の者は欠員無しだが、負傷者が若干出てしまっているのを確認している。それに対してはほっとしているが、問題は第14班の方だ。

 その班長と副班長の姿は帰還した者の中には居なかった。

 ビッチ付きの侍女二名も「うちのお嬢様が見当たらないのです」と、半狂乱になっているのを確認している。

 

「冗談じゃねぇぞ」

 

 教授の罠もかいくぐった仲間が、そう簡単にくたばってたまるか。

 心の中で高笑いしている令嬢に問う。『俺達には輝かしい未来が待ってるんだ。そうだろう、ビッチ・ビッチン?』と。

 

「ダニエルっ、手空きならミズンの操帆に付いてくれ」

 

 伝令が用事を伝え、彼は「了解した」と返して駆け足でミズンマストへの配置へ就く。

 助かった。この間手持ち無沙汰なら気が狂いそうだったからだ。何かの任務に没頭していられる時、その分だけ、何も考えずに済む。

 

「本艦の針路は如何しますか?」

「津波が収まったらフロリナ港へ寄港して災害救助だ」

 

 指導教官へ艦長は断言する。

 一番近い港がそこであり、他の港へ向かう事は時間のロスになりかねない。災害時に時間を掛ければ、それだけ被災者の生存確率が低くなるからである。

 

「点呼が済んだのか」

「はっ」

「本艦に戻れなかった者は?」

「五名です。ビッチ・ロートハイユ。サザン・アルバータ。ガメル・ブライアン。ガリュート・ベクター。パカ・パカ」

 

 指導教官のデス・ルーゲンス少佐は資料を読み上げる。

 これが港へ戻るもう一つの理由であった。

 無事に助かっていて欲しいとエッケナー大佐は願うが、それはあくまで本人の希望的観測だろうとも割り切っている。

 

「生死確認はしなくては…な。デス」

「辛いですが…」

「それが大人の仕事だよ。生徒達の前では泣くなよ。それが軍人だ」

「努力致します」

 

 大佐はまだ赤い光を出しつつ、噴煙を噴き上げる海底火山の方に目をやった。

 船はまだ荒波に翻弄されており、帰港はいつになるのか見当も付かなかった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ミモリ・ラマーヤは目を覚ました。

 いつもの様に宿でシフトへ入って、給仕をやっていたら突然揺れて、天井が崩れて…。ああっ、痛い!

 脚を切断した事を思い出した途端、ずきずきと痛みが登ってくる。今まで痛覚とかころりと忘れてたのにいい加減な、と悪態を付きたくなる。

 

「舟の上だ…あれ」

 

 ゆっくり辺りを見回す。

 これって古いボートだ。宿で使っていたお古で、去年、新しいのが入ったからお払い箱になって倉庫に野積みにされてた奴だと勘付いた。

 送迎で漕いだ事があるけど、相当くたびれていた筈。同型艇の中には舷側に穴が開いたり、底が抜けてるのもあったけど、これは大丈夫なんだろうか。

 

「気が付きましたのね」

「あ、士官候補生様」

 

 自分を助けてくれた女の人だった。左足が瓦礫に挟まって動けない所を、「ヤシクネーの外骨格末端は、欠損しても再生すると聞きますわ。選びなさい。脚を一本失うか、それともここで命を落とすか」と、選択を迫った方。

 理論的にそうかもだけど、戦士とかならまだしも、大多数のヤシクネーは鋏や脚を失った経験は無い。そしてミモリは13歳。船宿に勤めるただの従業員なのだ。

 怖かった。ましてこの人は縦ロールで吊り目の顔立ちが悪役っぽいし、言い方もきつい感じがした。手にした刀もうっすらと血に塗れている感じもあった。

 でも、ミモリは決断した。死にたくない。

 数ヶ月我慢すれば脚は生えてくる。だから「やって下さいと」覚悟を決めた。

 

「さようなら、あたしの脚っ!」

 

 斬り落とされた瞬間、激痛と一緒に悲鳴を上げて、それからの記憶が無い。

 多分、気絶してしまったのだろう。それから…?

 

「ビッチ・ビッチンですわ。」

「あ、ミモリ。ミモリ・ラマーヤです」

「俺はガリュートだ」

 

 驚いて後ろを振り向くと、艇尾に竿を持った男性が立っていた。この人も士官候補生である。確かビッチ様、先程の宿泊客のお連れ様だった記憶がある。

 

「痛かったでしょう。でもあの時は仕方無かったのです」

「はい。でも止血されているみたいですし、何とか動けます。あっ」

 

 立ち上がろうとしてつんのめる。前の第一肢が切断されているので上手くバランスが取れないのだ。これが中程の第二肢なら何とかなったのだろうが、立ち上がれずに無様にお腹を着いてしまう。

 

「うえっ、上手く立てない」

 

 何故か涙が双眸から溢れる。脚の痛みも加わってぐすぐすと鼻を鳴らし、仕舞いには大声でわんわん泣き出してしまう。

 ビッチがそっとミモリを抱きかかえる。その胸に顔を埋めて魔族の少女は泣き続けた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「泣き疲れて、眠ってしまいましたね」

「まだ、社会人になったばかりの子供ですわ。

 魔族だから、再生可能な四肢を失っても平気かと思ったのですけど…」

「それは英雄譚や戦記物に出てくる、魔族の女戦士ですよ」

 

 ガリュートが指摘する。確かにその類いの物語に出てくる魔族の女戦士は「甘いな。たかが四肢を失っただけだ」とか言って、事も無げに再生可能な箇所を犠牲にする事により、敵からの斬撃を防いだりしている。

 

「この娘は宿屋の給仕で、普通の女の子ですよ」

「確かに普通の少女ですわね。自分が片輪になったのにショックを感じてしまったのでしょう。もう少し、わたくしに聖句が使えれば…」

「いいっこなしですよ。俺なんか、その初歩的な聖句すら使えません。

 と、ここらは何処でしょうかね?」

 

 ずっと海とは反対側の内陸方面に流されていた。

 流れはかなり急であり、途中、水面下の突起物や無数の障害物、瓦礫や流木等にも、何とかぶつからずに躱す事が出来た。

 ようやく、流れが落ち着き、停滞したのが今の状態である。

 

「逆流しないって事は、海岸線からかなり奥まで流された証拠ですわ」

「間近にフロリナ山が見えます。こりゃ10kmは内陸ですね」

 

 フロリナ島のフロリナ山。何て面白みの無い名前なんだけど、この島を発見した女性探検家、フロリナ・ロペスの名を取って名付けられたのだから仕方が無い。

 ちなみにフロリナは、この島で火砕流に飲み込まれて死んだ。死後、その死の原因となった火山に同名が名付けられたのも、この噴火による堆積でバニー本島と地続きになってしまったので、フロリナ『島』でなくなってしまったのも、彼女にとっては皮肉な事と言えるのかも知れない。

 

「フロリナ山は火山でしたわね。爆発はしませんかしら?」

「沖の海底火山に誘発される可能性はありますが…」

 

 陸地、と言ってもフロリナ山の山腹だが、が迫って来ている。

 竿は水底に届かなくなってきている。流されて行く途中は、樹々がそれでも見えたのだが、付近は麻畑の筈だが、何もかも水面下に没していて真っ平らである。

 特産のバニー麻の樹は平均5mにも達するのだから、すなわち水位は5m以上上昇している事になる。高所に避難出来た者はどの程度居るのかは考えたくない。

 

「とにかく陸地に付けましょう。

 下手すると水が引くのは数日かかるも知れません」

「任せますわ。わたくしにも櫂を下さいませ」

 

 漂流物を押しのけていた竿を捨てて櫂に持ち替えたガリュートだが、ビッチに予備の櫂を差し出して一緒に漕ぐ。

 

「あの山腹に人家があればいいのですけど、食料や水を手に入れないとなりませんもの」

 

 現在、手元には食料が無い。

 水はそこら中にあるが、これは海水混じりの汚水で口に出来る様な代物では無い。早急にこれらを入手する必要があった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 フロリナ港のあった場所は水没していた。

 様々な瓦礫、そして残骸や死体が浮かんでいる。

 海軍の練習艦は座礁の危険があるので港外に位置を取って投錨し、カッターを降ろして救難活動に当たっていた。

 【幻光】による物を含めて、ありったけの照明が舷側に動員され、あたかも満艦飾状態になったエロンホーフェン。

 

「うぇぇぇぇぇ、夢に見そうだ」

「馬鹿な事言ってないで運べ。お客さんはどんどん来るんだぞ」

「おいっ、生きてる奴が居る。拾い上げろ」

 

 士官候補生達は全員が借り出され、長柄の藻鎌を手に収容作業に従事している。流れてくる生存者や水死体を舷側から拾い上げるのだ。

 

「生存者を艦内へ入れろ。遺体は前甲板に並べておけ」

「もう、並べる余裕がありません。中甲板に安置したいと思うのですが」

「馬鹿者、操帆用の空間が必要なのだから、全ての甲板に遺体は置けんのだ」

 

 生徒は相当参ってるな。と命令しながら指導教官は感じている。

 困惑する生徒へ「積み重ねろ」の指示を出し、苛々しながら手近なカンテラからパイプに火を付ける。紫煙がやや落ち着きを取り戻してくれる事を期待したが、あまり効果は無さそうだ。

 

「まだ、我が艦の候補生達は見つからないか」

「艦長」

 

 大佐がやって来る。ルーゲンスは姿勢を正して敬礼する。

 エッケナーは手を挙げて答礼すると、そのまま舵輪に身体を預けた。こちらも大分、疲労している様子である。

 

「今、第14班が生存者確認へカッターで向かっています」

「彼らの報告を待つしか無いな。それにしても、長い夜だ」

 

 時間は深夜を回っている。既に日付は変わっているが、このまま不眠不休で朝まで過ごす事になりそうだ。

 カッターは二隻全て出されていたが、内、一隻が収容に回されている。もう一隻は生存者の探索へと回され、カンテラを掲げて内陸部へと入っていた。

 

「カラット、何か見えるか?」

「瓦礫ばっかりです。生存者は…」

 

 発見出来る生存者は死体に比較すると一割にも満たない。大半が避難途中で洪水に巻これ、命を落としたのだろう。

 

「ヤシクネーは、ヤシガニなんだから泳げると思ったのに」

「そりゃ迷信。ヤシガニは陸棲では泳ぎが苦手だそうだよ。海に放すと溺れて死んじまうらしいから、ヤシクネーも殆どが金槌なんだろ」

「そこ、おしゃべりは止めろ!」

 

 カッターの指揮を執るダニエルは舌打ちする。こうなったら付近の丘、高地に望みを掛けるだけだ。

 辿り着いている者がいればの話になるが…。

 本艦へ生存者発見の方が届いたのは、夜が完全に明けきった08:00(まるはちまるまる)であった。

 

〈続く〉

 




<幕間>と<閑話>の違いについて問われたのですが、<幕間>は誰かの伝聞とか、書物の中の言葉を引用した物。
誰それが昔言っていた。この本の著者はこう考えるって奴ですね。主に雑学的内容です。

対して<閑話>は、『エロエロンナ物語』本編の外伝です。
つまりエロコ以外の者達が、劇中で何をやっていたかですね。だから基本的に三人称になります。

ヤシクネーの血は赤いです。甲殻類だから銅系の青い血でも良かったんですが、それじゃガミ〇ス人みたいになるし、上半身からの兼ね合いも含めて赤に。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海6

案外早く完成しました。
〈幕間〉抜きですが、分量としては丁度良かったみたいです。


〈外伝〉実習航海6

 

 とにかく岸に辿り着いたのは夜明け頃であった。

 山腹は火山灰が堆積しており、雨が降ると灰色の泥沼と化してしまうらしいが、幸い、雨は降っておらず、何とか上陸は出来た。

 但し、代わりと言っては何だが、ふわふわの灰で足が埋まる。体重を掛けると数cmは沈んでしまうのだ。

 ミモリに言わせれば「雨が何回も降ってますから、まだマシな方です」だそうで、表面の灰はこれでも流されている状態らしく、噴火の直後だと酷いとの事。

 

「あ、お帰りなさい」

 

 付近に偵察へ行っていたガリュートの帰還に、ミモリが松葉杖をぎこちなく持ち上げて歓迎の意を示す。

 ビッチはミモリの脚を心配して傷口を縛った布を取り替えた。止血は成されているが、傷口は痛々しい。

 

「歩けそうですの?」

「何とか…。左前肢分を杖で支えれば」

 

 松葉杖は廃オールを加工したやっつけ仕事だが、それでも彼女にとって嬉しかったと見えて、しきりに具合を確かめて、よいしょっと、歩いて見せる。

 杖も灰に埋まって難儀をしているが、どうにかバランスを取って歩けそうだ。

 

「松葉杖、有難うございます」

「俺はそれを加工しただけだ。礼は杖の制作を思いついた班長に言ってくれ」

 

 驚くミモリ。てっきりガリュートが発案したと思ったからだ。

 慌てて礼を言うと、彼女は手でそれを制して「当たり前の事をしただけですわ」とだけ述べ、ガリュートの方を向いて会話に入る。

 

「何も言わない所を見ると、成果は芳しい物ではなさそうですわね」

 

 先に行かせた偵察行だ。何かめぼしい物でもあれば、真っ先に報告するであろうからだ。

 副班長は無言で肯定すると、小枝を拾って火山灰の上に簡単な地図を描き出す。

 今の位置、そして走破してきた先の地形。

 

「未確認でしたが、少し上の山腹に山小屋らしき建物がありました。

 斜面を登らねばなりませんが、なにも入手出来ないよりはマシかと…」

「ボートを離れるのには抵抗を感じますけど、とにかく、水と食料の入手が先決ですわね。

 そうそう、その山小屋に覚えがありまして?」

 

 突然、自分に話題を振られて、ミモリは固まってしまった。

 言葉が咄嗟に出てこない。こんな時、悪役令嬢ならば「まぁ、どん臭い田舎娘ですわね!」とか思いっきり罵られて、侮蔑の高笑いされるシーンだと戦慄する。

 少なくとも、自分が愛読している軽文芸誌(若者向けの小説を載せている流行誌)ではそうだった。

 ああ、次号は今日到着する定期便で届く筈だったけど(本国とは一週間遅れ)、生きて再び読めるのかしら、と関係の無い思いが頭を駆け巡る。

 

「ミモリさん?」

「はっ、はいい。えと…その山小屋は非常待避用です。お姉ちゃんが話してました。それって外見が、目立つ赤で石造りだったでしょう?」

 

 万が一、登坂中に噴火があった場合、逃げ込む為の建物だと説明する。

 

「では、中に非常用の食料や飲料が備えられていますのね?」

「た、多分。お姉ちゃんの話だと…」

 

 ミモリはヤシクネーだけあって姉妹は多い。この場合、お姉ちゃんとは硫黄鉱山で働く、第22女のノリアン・ラマーヤの事だ。ちなみにミモリは第32女の末っ子だ。

 ミモリのフロリナ山関連の知識は、実を言えば、この姉が話してくれたこの受け売りである。ミモリ自身はこの山に足を踏み入れたのは今日が初めてだ。

 

「もし、火砕流に遇っても籠城していれば大丈夫との話でした。

 色々と凄い工夫がなされているとか…。御免なさい、お姉ちゃんは仕組みを色々説明してくれたんだけど、覚えてません」

 

 聞き流さなきゃ良かったと反省する。しかし、その話を聞いて海軍士官候補生達は安心した様で、「まぁ、とにかく行ってみるしかありませんわね」と呟いた後、慌ただしく、出発の準備を開始したのである。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ダニエルは高地に生存者を発見していた。

 かなり多い。ぎっしりと人混みが見える。丘の上に数百人は居そうである。

 

「おーい、ダニエル!」

「パカ・パカ、貴様、無事だったのかぁ」

 

 人混みの中、カッターを目にして叫んだのは同じ士官候補生のセントールだった。

 地震と津波の中、エロン・ホーフェンに帰還出来なかったメンバーの一人である。パカ・パカは一年生でこの実習航海に参加した唯一のセントール。別クラスながらダニエルとは知り合いだ。

 

「おうっ、死んでたまるか。

 それよりこっちには怪我人がかなり多い。聖句使いがいるなら回してくれ!」

「済まん。このカッターには乗っていない。他に士官候補生はそっちに居るのか?」

 

 カッターに搭乗しているのは第10班と第14班の混成チームだが、班長のビッチを欠いているので聖句使いは誰も居なかった。

 

「一応、サザンとガメルが居るな。昨日居酒屋で一緒に飲んでたんだ」

「ビッチとガリュートは?」

 

 パカ・パカは首を横に振った。

 ダニエルは肩を落とすが、今はやるべき事をやるだけだ。

 

「重傷者を運ぶのは死傷率を高めるだけだ。軽傷者を中心に移乗させよう。

 それから帰艦して軍医を連れて来る。お前達は済まんが、そこで統制を取ってくれ」

「分かった。まず、何人載せられる?」

「最初は十人程度だ」

 

 詰め込めば、この小舟でも50人は載せられるだろうが、流石に怪我人をぎゅう詰めで乗せる訳には行かない。

 

「了解した」

「擦り傷を負ったとかの軽い怪我人は後回しだ。元気だが骨折した奴とかを優先して選別しろよ。これから接岸するが、避難民をパニクらせるな」

「わーったって」

 

 秩序を失い、カッターへ人々が殺到する事態に備える。

 幸い、向こうに居る士官候補生達は理解しているらしく、人々を統制してちゃんと秩序を保ってくれている模様だ。

 時々、「俺を優先的に乗せろ」と目上視点で言ってくる奴。「幾ら欲しいんだ」とか金をちらつかせて、賄賂で買収しようとする奴も居るが、士官候補生は軍人だ。

 目先の金で一生を棒に振る訳には行かないのだ。

 それに殆どが貴族の子息。端金で買収される程、金に困っている奴も居ない。

 

「船が戻って来ましたな」

「うむ」

 

 艦長のエッケナー大佐が頷く。

 彼が言う船とはエロンホーフェンのカッターではない。

 港外に緊急待避していた他の船舶である。一夜明けて、母港へと戻ってきたのだ。

 

「他船へ手旗信号。『救難に協力求む』だ」

「了解。『救難に協力求む』」

 

 通信兵が復唱する。この措置は生存者を移乗させる為の手続きであった。

 流石に数百人も載せたのなら、この練習艦は避難民で溢れかえってしまう。少しでも分散させる必要があったし、地元の船舶の方が安心にも繋がるだろう。

 見える限り、商船から漁船を含めて大小七隻。とにかく次にカッターが帰還した時は、避難民は他の船に移乗させるべきであろう。

 

「こちらへ向かってる艦隊と連絡が付けばいいのだが…」

「竜が逃亡してしまいましたからね」

 

 デス・ルーゲンス少佐は付け加える。「それに竜に乗れるロートハイユ候補生が行方知れずです」と。竜が仮に戻って来ても騎手がいないのだ。

 

「宝の持ち腐れか」 

「残念ながら…。艦隊側が連絡を取ってくれるのを祈るばかりです」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 斜面を登って行くのは骨が折れた。

 しかし、火山灰の積もっている地形であっても緑が皆無という訳ではなく、背が低いがあちこちに木々は生えている。

 火山地帯に対応した植物らしく、大地にしっかりと根付いており、良く見ると小さくて色とりどりの花が咲いていた。

 

「もし火砕流とかで燃えても、根は生き残るし、種を土中に散らして種としては生存するらしいですよ」

「へぇ。良く知ってるな」

「宿での観光案内のフレーズですけどね」

 

 ガリュートの質問にミモリは頭を掻いた。何でも、この島へ植物狩人なる学者がちょくちょく訪れるのだそうだ。

 で「珍しい植物はないか」と尋ねられると、この木々の事を説明するのだそうだ。正式名称は知らないが、通称『フロリナ樹』と呼ばれている。

 種は硬い殻で覆われており、殻はどんな高温にも耐えるだけの力があり、普段はびっちりと閉じて開かないが、一定の高温に晒された後にだけ、殻が外れて中身が出る特異な性質がある。

 

「生命サイクルに噴火が組み込まれているのですわね。

 一面の焼けた大地に種がまかれて、子孫が息吹くと…」

「この山は数年に一度は、噴火しますからね」

 

 まだ若いが、ミモリも噴火するフロリナ山を何度も目撃している。

 ただ、彼女が噴火と称しているのは火砕流を発生させる程の規模である。単に噴煙を上げるとかの小規模爆発はしょっちゅうで、島民にとって年中行事みたいな物であった。

 

「確かに赤いな」

 

 灰まみれではあったが、避難小屋は確かに赤く塗られていた。

 手で壁を拭ってみると、灰がぽろっと落ちて色鮮やかな赤い壁面が姿を現す。元々は耐火煉瓦なのだろうが、わざわざ目立つ赤土を混ぜて作られている。

 

「避難の際に目立つ為の工夫ですの?」

「かも知れませんね。でも、これだけ灰に覆われていたら無関係の様な…。

 よっと、ここが入口かな?」

 

 スライド式の石扉を発見すると、副班長は思いっきり引く。

 ごろごろと音を立てて入口が開いた。中は暗闇だが、すかさずビッチが【幻光】を唱えたので内部が照らし出される。

 先は地下へ続く階段だった。横幅がヒト三人分程もあるのは、横幅を取るヤシクネーが使う事を考慮している為だろう。

 

「入りましょう。ああ、ミモリ。最後に扉はきちんと閉めておいて下さいませ」

「あ、はい」

 

 石扉が再び閉まる。金属製の扉を使わないのは、これ自体が耐火扉を兼ねており、火山性の腐食物質に耐える為なのだろう。

 もし鉄か何を使っていたら、数年でぼろぼろになって役に立たなくなってしまうのだとビッチは推測する。

 良く見ると、入口と下へ続く階段の間に短い廊下があって側面に扉がある。これは単純に木製だ。

 そして表札があり、『貯蔵庫』との表示が掲げられていた。

 

「ありましたよ。食料です」

 

 寄り道して中を調べると、乾物中心だが食料が発見出来た。

 他に大工道具を始めとして色々な道具類もある。バケツと柄杓もあったのでビッチが拝借する。これから必要になるだろうからだ。

 

「乾果。干し肉に干し魚。それに乾パンか」

「絵に描いた様な船上メニューですわね。でも、虫に食われてないだけ、かなりマシと見るべきですわね。あ、蜂蜜発見ですわ」

「不味そう。これ、いつのですか?」

 

 ヤシクネー娘は気味悪がっているが、二人の士官候補生にとっては何となく慣れた食べ物である。ビッチは「安心なさい。推定でも一年以内の物ですわ」とミモリに声を掛ける。もっと古ければ、こんな物では済まないからだ。

 

「素晴らしいですわ。ちゃんと定期的に消耗品を補充している様ですわね」

「ええ、ミモリのお姉さんは優秀だ」

「えーと…」

 

 困惑するミモリだが、ビッチ達が賞賛するのには訳がある。

 と言うのも、大抵、非常用の備品は一旦補充されたら、誰も省みない事が多いのである。単に忘れ去られているのなら、まだいい。

 年に一度は交換、補充となっている場合でも、担当者がその分を懐に入れてポッケないないする腐った連中が実に多いからである。

 または非常備品を勝手に持ち出して、売ってしまう奴も珍しくない。そんな奴らと比較すれば、ミモリの姉である硫黄鉱山の職員は実に優秀だと言わざる得ない。

 

「さ、先に進みましょう」

 

 ミモリは松葉杖を持ち直し、貯蔵庫から出る事を提案した。

 

「広い。ここで行き止まりみたいですよ」

 

 階段を下ると広い部屋に出た。

 家具、粗末だが頑丈そうな椅子やテーブル類が置かれ、せせらぎを思わせる水音が聞こえてくる。ハンモックも吊してあった。

 

「水音は地下水脈ですね」

 

 部屋の隅に穴が開いており、そこに釣瓶が引っかかっている。

 水音はその穴の中から聞こえてくる。かなり下、闇の彼方に水脈が轟音を立てて流れているのだろう。

 

「ここから下へ桶を降ろして、水を確保する仕組みですか?」

「ああ、多分ね」

「水だけではなく、ここの水脈から空気も確保していますわね」

 

 この穴からは上昇気流も吹き上げていた。ここが仮に火山灰で完全に埋まったとしても、少なくとも窒息死の心配は無い訳だ。

 良く出来た待避壕だと感心する。溶岩流が直接ここを飲み込まない限り、大抵の事なら安心が確保可能なシェルターだろう。

 

「で、どうします班長?」

「暫く休んでから、水と食糧を確保して下山しましょう」

 

 ここが最終目的地ではない。

 あくまで水と食糧の確保の為に立ち寄っただけなのだから、彼女の判断は当然であった。ただ、暫くは休息が欲しかった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ダニエルのカッターは高地との間を三往復していた。

 重傷者を手当後に運んだり、避難民を鈴なりに乗せて他の商船へと届けたりと忙しかったが、ようやくお役御免の時間がやって来た。

 

「カッター1号艇帰還しました。異常なし」

「ご苦労。交代要員に替われ、飯もまだだろう、食ってこい」

「はっ、ご配慮感謝します」 

 

 ダニエルは報告を終え、敬礼すると退出する。

 教官に言われてから気が付いたが、腹が減っている実感が湧いてきた。緊張の連続で空腹である事も忘れていた事に気が付く。

 昼飯はおろか、朝食も摂っていなかったのだなと苦笑する。

 

「班長、交代の第5班が来ました」

「そうか、引き継ぎ後は解散。あ、待て、第5班の連中にパカ・パカ、サザン、ガメルの飯を持って行ってやれ、と伝えろ」

 

 本来なら、真っ先に帰還すべき連中だが、未だあの高地で整理に当たっている同級生を思い浮かべる。人手が足りないからだが。

 ついでに「出来ればパカ・パカ達を本艦に戻して、第5班が治安維持スタッフになれ、とも伝えろ、カラット」と付け加える。

 

「了解」

 

 ここでパカ・パカ達が帰還出来るのかは知らない。第5班だって人手が足りているとは言えないのだ。が、少なくとも空腹で放って置くよりはマシだろう。

 船内へと入る。だが、ここもいつもの船内風景ではない。

 助けられた避難民達が、精も根も尽き果てた様に通路で雑魚寝している。ヒト種の数が相対的に少ないのも本土育ちであるダニエルには異様に思えた。

 

「あの…すみません」

 

 遠慮気味に声を掛けてくる女性が居た。

 一瞬、ぎょっとした。その女が魔族であるヤシクネーだったからだ。

 この航海を通じて、だいぶ慣れたつもりだったが、通路の暗がりの向こうからの不意打ちだ。緑地に白い斑点を散らした下半身は禍々しく見えた。

 

「何でしょう?」

「こんな事態にぶしつけなのですが…広い部屋に移してくれませんか?」

 

 何を言っているんだ。この女は?

 断ろうと一歩足を踏み出した時、腰の辺りに違和感を関して下を見る。

 いつの間にか取り付いたのか、小さな女の子が二人、腰を掴んで上目遣いにこっちを見ていた。

 

「お姉ちゃんに部屋を貸してあげて、産まれそうなの」

「お姉ちゃん、身体が変なの。もうすぐ、脱皮が始まっちゃうの」

 

 そう訴えてくるこの二人も下半身がヤシガニの、ヤシクネーの幼生体だ。

 濃いピンクの髪と薄いピンクの髪。ヤシガニ部分の体色は女性と同じで緑地に白の斑点だ。お姉ちゃんと言ってる所から、女性と姉妹なのかも知れない。

 しかし、耳が確かなら、今、とんでもない単語を聞いた気がする。

 産まれる?

 脱皮する?

 良く見ると、女性の腹部(上半身の方)はぷくりと膨れ上がっている。

 明らかに妊婦のお腹だった。

 

「ご、御免なさい。もう…、ああっ!」

「うわーっ」

 

 女性はへたり込むと両手で胸を抱え込み、ヤシガニの下半身を震わせる。

 幼女の一人は「お姉ちゃん」と叫んで駆け寄るが、もう一人はダニエルに「お部屋、早く」と訴えていた。

 ぱきぱきっと外骨格に亀裂が入り、女性の背中が割れ始めたのはその時だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 暫く身体を休め、それから水筒を確保し、水を補充する。

 前夜に睡眠を取っていて、一番元気なミモリが「寝てて下さい。作業はあたしがやっておきます」と明言した。

 士官候補生達には疲労の限界に達しており、断る事無く、その言葉に甘える事にした。

 ハンモックではなく、敷物を敷いて床に身体を預ける形だったが、疲労からビッチ達は泥の様に眠ってしまったのだった。

 

「疲れているんですね」

 

 その様子にミモリは呟くと、音を立てない様にそっと水を汲んで水筒を満たす。

 簡単そうに見えるが、かなり手間を食ってしまった。

 終了後、次は松葉杖を使って階段を上がる。

 ひょこ、ひょことぎこちない動きではあるが、慣れもあって上手く操れる様になっており、カンテラを掲げて貯蔵庫へと歩を進める。

 

「あたしの脚、ちゃんと再生するのかなぁ」

 

 早く生えてくれれば良いなぁ、と思う。

 経験者の話によると、肉芽が段々と伸びてきて、まずは小さなミニ脚が形成され、脱皮と共に大きくなるのだとか。

 いつもの全身ではなく、部分脱皮と言って、脚だけ頻繁に脱皮を繰り返すらしいのだが、その間は再生した脚が痒くなるとの話だ。

 今、傷口の感じがズキズキより、ムズムズに変化しているのは、早くも再生が始まっているからだろうと推測する。

 

「死にたい位に凄く痒くなるぞ、って姉さんが脅していたから怖いんですよね」

 

 姉妹の第15女オルトルート・ラマーヤの言葉だ。彼女はクエスター家業なので荒事が多く、鋏や脚の末端を失う事もしばしばで、その言葉には実感がこもっている。

 

「みんな無事だと良いんだけど」

 

 残った家族の事を心配しつつも、階段を上がりきって貯蔵庫へ到着する。

 カンテラを置いて、梱包されていた箱から食料をずた袋へと詰める。

 干し肉や乾パンはともかく、干し魚はミモリとしては敬遠したい匂いで詰めたくなかったのだが、贅沢は言っていられない。

 せめて別の袋へ隔離するのが関の山であった。

 

「蜂蜜は持って行きましょう。ビッチ様が好きそうでしたし。

 あ、これはナツメヤシのジャム。あたしの好物ですから、当然携行しましょう」

 

 好みで取捨選択をするヤシクネー。種族的にも甘味は大好物である。

 三人分の装備を調えた後、再び貯蔵庫を出て廊下へ至る。その時、ふと、外の状況を確認しようかと思ったのが、彼女にとっての恐怖の始まりだった。

 ゴロゴロと扉をスライドする。

 

「きゃぁぁぁぁーっ!」

 

 その悲鳴にビッチとガリュートは目を覚ました。

 何が起こっているのかは分からないが、身体は反射的に反応し、武器を片手に飛び起きたのだった。

 

〈続く〉




軽文芸誌は、ミモリの愛読雑誌。
王国では識字率が高く、印刷技術も発明されて久しいので雑誌が商売になります。
但し、高価。ちょっとした雑誌が、小銀貨1、2枚(小銀貨は現代の価値換算で1枚が、だいたい千円)ほどですね。
だから、ミモリ達の様に数人の割り勘で買って、皆で回し読みが庶民の購読方。内容は若者向けのラノベ的な読み物です。当然、大人達からは余り良く思われてません。
悪役令嬢物が人気らしいです。

さて、悲鳴を上げるミモリが遭遇した物は?
そしてダニエルの方は脱皮&お産に遭遇。いや、どーなるんでしょうね(笑)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海7

今回、ビッチ&ガリュート、ミモリ組の出番が少ないです。

お産シーンがありますが、架空の生命体(魔族)のお話なので、学問的な考証は皆無です。
下半身甲殻類でも胎生で哺乳類ですからね。
「何で女系魔族に臍や乳房があるのだろう?」って疑問から生まれた設定ですので、余り目くじらを立てない様にお願いします。


〈外伝〉実習航海7

 

 ビッチは階段を一気に駆け上がる。

 照明はなく暗かったが(【幻光】はとうに時間切れで、普通のカンテラはミモリが持って行った)、何とか足を踏み外す事無く、二十段余りの階段を昇り切った。

 

「ミモリっ!」

 

 まだ抜刀はしてない。

 前方は石扉が開いているせいで明るいが、逆光となってしまっているので外に何か居るのかはの正体は掴めない。

 

「きゃあ、きゃあああ。くすぐったい!」

 

 ヤシガニ娘は五本の脚と二本の手をバタバタさせている。

 ビッチは「あら?」と言う表情を見せて、外に居る何かを確認した。大きな顔からでかい舌が伸びて、ミモリをべろべろ舐めているそれは…。

 

「ヤスミーンではありませんの?」

 

 船に置いてきてしまった草竜だった。

 ミモリを入口からどけて、ビッチが前へ出ると、主の顔を発見したヤスミーンは「きゅーん」と甘えた声を出す。

 

「班長。竜がこの場に居るとなると…」

 

 ミモリの面倒を見つつ、追いついたガリュートが言葉を濁す。

 

「船に何か、重大な損傷が起こったのかも知れませんわね」

 

 実際、エロンホーフェンの損傷は軽かったのであるが、それをビッチ達が知る術はない。

 一方、竜の唾液で顔や身体がべとべとになってしまったミモリは泣いていた。

 

「うぇぇ…。べとべとぉ」

「着替えた方が良いな」

 

 が、それに反発するミモリ。

 

「どこに? 貯蔵庫の中にだって女の子向けの服が転がってる幸運は望み薄です」

「この島なら、ヤシクネー用の服が常備されてる可能性もあるぞ」

「希望的観測は止めて下さい」

 

 怒っていた。

 いきなり竜が目の前に現れて、「食べられる」と思った恐怖の後に、念入りに舐め回されたのだ。理不尽だが、怒りを目前の男に向けでも仕方有るまい。

 

「それにしても…竜の嗅覚は鋭いとの伝承は本当でしたのね」

 

 ビッチは外へ出てヤスミーンの状態を確認する。

 あれは俗説と思っていたが、ここへやって来たと言う事はビッチの匂いを追跡してきたに相違ない。今の自分に彼女を扶養は負担になるかもだが、空を行く手段が手に入ったのは心強かった。

 

「きゅーん、すんすん」

「お腹が空いてますのね。どうしましょうか…」

 

 ひとしきり確認して、状態が悪くないのを確かめたのはいいが、問題は給餌してくれと騎竜が要求してくる事であった。

 草食なので手に入った干し肉とかは食わせられない。

 干し草なんかないし、目に入る緑はフロリナ樹ばかりである。「あれは竜が食べられたっけ?」と知識を探るが、答えは出てこない。

 

「タンポポでも、ぺんぺん草でも、牧草や豆でもあれば…」

「豆ならあるかも知れませんよ」

 

 ガリュートが言った。豆は長期保存に耐えられる食材の一つだ。野菜なんかは駄目だが、豆なら貯蔵庫にしまってある可能性がある。

 ビッチは中へと取って返し、貯蔵庫へ。ミモリが泣きながら服を探している隣で、やはりごそごそと備品をひっくり返す。

 

「あった!」

 

 ひよこ豆の袋。中身は5Kg程だが無いよりはマシだった。

 ぺろりと直ぐ平らげてしまうだろうけど、当座はこれで我慢して貰うしかない。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 外骨格が背中に沿って切れ目が入る。

 女性はヤシガニ体の下半身をぶるっと震わせる。パキパキ音を立てながら、中身が半分、ずるりと出てくる。

 

「御免なさい。た…単に脱皮だけなら大丈夫だったんですけど…ううっ」

「産まれちゃう。お姉ちゃんをお部屋に!」

「廊下でお産したら、子供が何処かへ行っちゃうよぅ」

 

 姉妹が口々に叫ぶが、ダニエルは混乱していた。

 目の前の女性の言葉によると『脱皮時期と妊娠が重なってしまった』らしい。その上、今回の被災で産気づいてしまったそうで、廊下でお産すると危険なのだそうだ。

 

「俺の部屋へ」

「あたし、お産婆さん探してくるぅ!」

 

 ダニエルと濃いピンクの髪をしたヤシガニ幼女が同時に叫ぶ。

 こうなったら、自分の士官室へ女性を入れるしかないと決断し、下半身をぶるぶると震わせている女性に手を貸す。

 叫んだ方のヤシガニ幼女は六本の脚をかたかたと鳴らしながら、脱兎の如く何処かへ去り、もう一人が心配そうに女性を励ましている。

 

「歩けますか?」

「な、何とか…」

 

 と答えたが辛そうだ。脱皮は進行しており、脚の底が抜け掛かっている。

 キチン質の透明な管の中を、緑色の脚が歩く度にピストンの様に出たり入ったりを繰り返して歩きづらそうである。

 何とか部屋に辿り着くと、女性は力が抜けた様に座り込んでしまう。

 

「産婆さん連れてきたよっ」

「アリーイ、ナイス!」

 

 部屋の外から幼女達の声が聞こえ、扉が開いて一人の老女が姿を現す。

 意外な事にヤシクネーではなく、普通のヒト種だ。背が低く、しわしわの顔。灰色の長衣を纏い、手には何やら診療鞄らしき物を持っている。

 

「わしは動物専門じゃと言うたであろうが」

「でも、お姉ちゃんを診て。お願い」

 

 おいおい、獣医かよ!

 絶句するが居ないよりまマシか。老婆は鞄を開けて道具を取り出すと、ヤシクネーの女性に近づいて何やら会話をしている。

  

「そこの若いの、そう、お前じゃ。タカトゥクの身体を押さえるのじゃ」

「俺? タカトゥク?」

「そこのご婦人の名じゃ、ええいっ、使えない奴じゃ」

 

 そんな会話が流れる中、「ああーっ」とご婦人ことタカトゥクの悲鳴が上がる。

 老婆が「ぬ、いかん。破水が始まったか」と呟いて、外に居たヤシクネーの幼女達を呼び寄せる。やって来たのは良いのだが、ただでさえ、面積を取るヤシクネーが三体。狭い個室は満杯になってしまう。

 

「お前達もタカトゥクの身体を押さえるのじゃ」

「「はいっ」」

 

 幼女達も女性に近づくと、それぞれ第二腹部を押さえる。

 脱皮中程なので、体液にぬるりと包まれた新しい身体がぷにぷにしている。

 本来なら、下半身に力を入れて、古い皮を全てを脱ぎ去るのだが、お産の方に力を取られて中途半端な状態である。

 

「お産が始まると、産の苦しみから猛烈に暴れるぞ。

 そして脱皮中だから、普段よりも身体が柔らかい。母体が怪我をせぬ様に気を付けて押さえるのじゃ」

 

 人間の上半身には脱皮は起こらない。だが、代わりに下腹部から液体がダラダラと流れ出している。服で隠れていてよく見えないのだが、尻に当たる部分のあそこから出ているのだろう。血も混じっている。

 

「あああーっ、痛いっ、痛いっ!」

「息むのじゃ」

 

 余程苦痛なのか、がしがしと手足の他に鋏を振り回しだしたが、その途端、ぱきりとひびが入った後に皮が崩落し、鋏部分の脱皮が完了する。

 こうして押さえていても物凄い力である。ヤシクネー幼児の二人など、半ば持ち上げられている。下半身の六本脚も滅茶苦茶に動き、苦痛から逃れようと揺れ動いている。

 成る程、廊下で産んでいれば、凄まじい勢いで100kg越えのこの巨体が転がっていた筈だ。と押さえつけながらダニエルは思う。

 その場合、廊下で雑魚寝していた避難民が何人巻き込まれるか。押し潰されて阿鼻叫喚の惨状になってた筈だ。

 

「下腹に力を入れよ。それ、いちに、いちに」

「ふーっ、ふー」

 

 ぶしゅ。水音と一緒に最初の子が胎内から排出される。

 掌に収まってしまう程小さいが、胞衣に包まれた赤子である。

 産婆が取り上げると同時に、手に持ったナイフで臍の緒を切ると胞衣に包まれたまま、何処からかみつけたのか、篭に放り込む。 

 

「それっ、どんどん産まれるぞ」

「んっ、んんーっ!」

 

 続いて一人、また一人。リズミカルに腹部が動き、短時間でぽんぽんぽんと流れ作業的に子供が産み落とされる。合計八人。

 

「ふむ、ヤシクネーにしては少ない方じゃな。まだ、お腹に子供を残してないかえ?」

「これで少ない方なのか?」

 

 呆れて問うが、答えは「平均、十五人位産むぞ。七十とか、八十とかの記録すらある」であった。幼女二人が手を挙げて「あたし達は十二人姉妹」や「タカトゥクお姉ちゃんとは十歳違い。あっちは十八人姉妹だよ」とか言ってくる。

 

「ちび達のくせに、それだけの姉妹を良く覚えられるな」

「ちびじゃないぞ。あたしはイマーイ」

「あたしアリーイ。ちゃんと覚えてね。

 でも、正直言って時々、全員を覚えられてるかと問われれば、自信ない」

 

 薄桃髪がイマーイで、濃い方がアリーイらしい。

 

「あっ、いけない。脱走しちゃう」

 

 タカトゥクが指さした先には篭に入れられた己の子供が、自分で胞衣を切って蠢いている。その中の一人が篭の壁を登って脱走しようとしていた。

 ご丁寧に上半身には人形みたいな小さな人影。下半身は甲殻類。そして生まれたばかりなので身体が透き通り、骨や血管まで見えている。

 おかげで上半身部分には骨格があるが、下半身の方は上半身の直下以外は外骨格で、骨は一切無いハイブリッドな身体なのが一目瞭然だ。

 

「逃げちゃう。捕まえて」

 

 母体は出産したばかりで息も絶え絶えだ。これから脱皮もしないといけない。

 彼女は身体に力を入れて、皮を脱ぎ始める。

 中途半端に脱皮を諦めると、身体の硬化が始まって最悪、死を迎える。幼少時に脱皮が上手く行かなくて、死んでしまう個体も多いのだ。

 疲れていてもすぐに脱皮を完了させる必要があった。

 

「痛ててっ、挟まれた」

 

 捕まえようとするが鋏で抵抗し、そのままダニエルの身体の上を這って逃げる。長さ8cm位なのでなかなか素早い。

 と、何を思ったのか、そのまま士官服のポケットにするりと入ってしまった。

 

「お姉ちゃん。こっちの赤ちゃん達は捕まえたよ」

 

 ずるっと身体を皮から脱いだのはその時だった。母体そっくりの抜け殻が士官室の真ん中に鎮座した。上半身と途中で剥離してしまった鋏を除いては見事に本体その物である。

 

「蝉の抜け殻の巨大版じゃのぅ」

「そんな事より、こいつ、どうするんだ?」

 

 透明な下半身の見事なオブジェに感心する産婆。一方のダニエルは胸ポケットの中に籠城する子供に困惑気味であった。

 母親は篭から子供を受け取ると、第二腹部にある子袋へ我が子を詰めて行く。ヤシガニ部の腹部がぽこぽこと動いて、内側で子供が元気よく動いてるのが確認出来た。

 

「あ、えーと、私の袋に詰めますので持って来て下さい」

 

 まだ身体の自由が効かない、タカトゥク・トイズは済まなそうに頭を下げた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 下山。

 ミモリがべとべとの服を洗濯すると言って聞かなかったので、大分時間を食ってしまった。乾かす時間が無かったので、そのまま着させている。

 幸い、熱帯気候であるので服は着ていれば自然に乾く。風邪引く心配も無く、逆に冷たいから避暑にもなるらしい。

 でも肌にまとわりついて、気持ちが悪い」とは本人の談。

 

「一応、竜の方は何処かで草を食べさせるとして、飛ばせられますか?」

 

 ガリュートが尋ねる。多分、平気だと思うが…。

 

「ボートに着くまでは歩かせますわ。その後は偵察飛行させましょう」

 

 一応、士官候補生二人だけならタンデムで搭乗可能だ。が、ミモリはその体型から騎乗は出来ないし、おまけに怪我をしている。

 本来ならば、ミモリを置いて二人だけで先行すべきなのだが、そんな非情さは二人にはなかった。

 

「徐々にですが、水位が下がってますね」

 

 水辺であった所からボートが取り残されていた。

 数時間前は岸だった所には水はなく、かなり後退しているが、困った事は地質にあった。水に濡れた土地は足を捕まえる灰色の泥と化している。

 

「うわっ、足が沈む」

「ブーツを脱ぎなさい。ボートを浮きにして押し通るのです。

 ミモリはボートに乗って、ガリュートが泥に填まったら船上に引き上げなさい」

 

 言いつつ、ビッチは久しぶりに騎竜の主となる。ボートに乗ってしまったのなら、竜に騎乗する事が出来ないからだ。この巨体ではボートの上に乗る事は不可能だし、乗れたとしても自重でちっぽけな小艇なんか沈めてしまうだろう。

 

「行けそうですわね」

 

 手綱や轡などの装具を点検し、何か欠けてないのかを調べると、鞍の上に乗って安全帯で身体を固定する。

 ヤスミーンは首を曲げてこちらを見ていた。

 

「さぁ、行きますわよ」

 

 ばさばさと翼が羽ばたきを始める。

 

「このまま、先に母艦に帰還しますか?」

「いいえ、まずは付近を見て回りますわ。

 暫くしたら戻りますので待機していて下さいませ」

 

 浮上前に言葉を交わす。一旦、飛び上がってしまえば、こうした肉声での会話は不可能になる。速度差の為に地上との会話が成立しないのだ。

 とっとっとっとヤスミーンが助走を開始して、やがてふわりと竜が浮き上がった。

 

「うん、良好。良好」

 

 放っといたのは一日だけだが、見掛けによらず竜は繊細な生き物である。環境変化によっては体調とか崩しやすく、個体によっては精神的にも神経が細かい。

 ここら辺は馬にも通ずる所がある。

 上昇したり旋回を繰り返して、暫く挙動を確かめるが、特に問題はなさそうだ。

 

「さて、と」

 

 上空500m程か、騎竜服を持って来てないから、寒くて余り高度は取れない。

 鞍に備えられている物入れの中をまさぐり、標準装備の望遠鏡を取り出す。特に騎竜専用に造られた細く、軽い品だがやや耐久性に欠ける所がある。

 倍率は約五倍と大した性能ではないが、肉眼よりは大分マシである。

 

「港の方は…。ああ、母艦を発見。無事でしたのね」

 

 停泊しているエロンホーフェン。ニスを塗られた木目に縁取りの青い塗装が眩しい。

 他に大小数隻の船舶。しかし、港は壊滅的でまだ水が引いていない。そして、海面にはへし折られた木材。瓦礫などの雑多な漂流物で埋まっている。

 

「フロリナ島の復興には時間が掛かりそうですわね。それと、バニー本島も」

 

 望遠鏡から目を離す。とにかく、母艦が無事なのが確認出来たのは収穫だ。

 下からでは様々な障害物で視線が通らないが、一旦、飛び上がってしまえば条件によっては数十Kmは見通せる。これが軍竜が重宝される理由の一つだ。

 

「?」

 

 港の方から下のガリュートらを確認すべく、視線を移した時だった。ビッチの視界に異様な物が映る。

 それはフロリナ山の反対側に位置しており、今までなら死角になっていた場所に横たわっていた。黒い、黒くて何とも言えぬ物体である。

 

「あれは…なんですの?」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ダニエルは困っていた。

 胸ポケットに入ったヤシクネーの赤子が、頑として出てこようとしないのだ。

 

「お母さんの子袋と間違えてしまってるのじゃ」

 

 とは産婆の推測。ヤシクネーには第二腹部に幼い子供を入れる袋がある。赤子をまずここに入れて外敵から身を守るのだが、それと勘違いしているというのだ。

 

「済みません。その…出て来ないのですか?」

 

 母親の方は、幼女二人の手を借りて身体を身ぎれいにしている。

 二本の足が膝の所まであり、そこから先が外骨格に埋まっている構造である。そして局部も見た目だけならヒトの女性と変わらない。

 破水で汚れてしまった股間を拭い、下着他を換えている光景は魔族とは言う物の、とても猥雑で下半身が反応してしまう。

 

「手を突っ込むと鋏で抵抗するし、挟まれると痛い」

 

 生意気にも、こんな小さくたって血が出る程の力があるのだ。

 

「困ったわね…。では誘き出し作戦。ほーら、お乳をあげますよ」

 

 母親であるタカトゥクは上着を脱いで豊満な乳を見せつけるが、逆にこちらの目のやり場がない。他の赤子達は順番に乳房にしゃぶりつき、母乳を吸っている。

 女系魔族の中には擬態としてヒト型を持つ者も居るが(だから卵生でも臍を持っていたりするが、これはヒトや亜人を騙して油断させ、捕食する為の擬態だ)、ヤシクネーは本当に哺乳類なんだな。と改めて認識する。

 

「あんっ、あんっ」

 

 吸われる度に何かを感じてしまうらしく、色っぽい声が響く。

 

「わー、美味しそう。お姉ちゃん、あたしもー」

「だーめ。イマーイ。赤ちゃんの栄養だよ。横取りすると飢えちゃう」

 

 幼女姉妹はそれを見て何やら言っているが、ダニエルは自分の胸元を覗くしかない。

 暫く時間が経った為か、赤子は体色に覆われ始めている。透き通っていた身体から人間態の上半身は肌色っぽくなり、下半身の第二胸部、第二腹部も黒ずんで来ていた。

 

「その子、何番目でしたっけ?」

「五番目だよ」

 

 母親は「そう」と言いながら、授乳中の我が子に筆で番号と名前を書き連ねて行く。暫くしてからダニエルの方を向く。

 

「えーと、その子、多分、第七女なのよね。名前の候補は…」

 

 メモを取り出して「ええと、ポピーは六番目だから、クローバーね」と告げる。

 そのメモにはずらっと名前が並んでいる。20人近い数だが、出産前に予め考えていたのだろう。ヤシクネーにはお馴染みの事だ。

 たまに予定数よりも多く産んでしまう場合があって、考えていた名前が足りなくなり、暫く名無しの子も出てしまう事もある。

 

「いや、名前を言われても」

「でも名無しでは呼びにくいでしょ? だからクローバーって呼んであげて」

 

 かさこそと胸ポケットの中から、赤子。クローバーが身を乗り出した。

 ヒトの赤子と違い、生まれても鳴き声を上げるだけの無力な存在ではなく、ある程度の自律行動が可能なのは、やはりヤシガニや蜘蛛の様な節足類に近いのかも知れない。

 

「やはり、お乳が欲しいみたいだな」

 

 警戒気味にポケットから這い出るクローバー。手を伸ばしてタカトゥクの肩を掴むと、伸ばされたダニエルの手を橋にして、素早く乳房に辿り着く。

 そのまま、乳首に吸い付いて母乳を飲み始める。

 

「…良かった。このまま篭もってたら、餓死しちゃうから」

「餓死?」

 

 ヤシクネーは多産だが「無事に大人になれるのは半分程度」なのだ。と説明される。

 原因は色々。病や怪我で死ぬのはヒトや亜人同様だが、今の様に餓死や事故。

 

「小さな頃は獣も大敵で、鳥に襲われたり、犬や猫にも食べられてしまう事だってあるんです。魔族だって、私達を食べちゃいますしね」

「うん、イマーイ達の姉妹も生き残ってるのは半分位だよ」

「お医者さんも居ないしね」

 

 特に【聖句】を唱えられる物が辺境では少ない。都会では助かっただろう病も、医者の絶対数が足りぬ為に命を落とす者が多い。

 居たとしても金がない為に、或いは魔族故に診療拒否なんてのもザラである。「どうせ沢山生まれるんだから、また産めよ」と罵られる事すらある。

 

「だから、わしの様な獣医が診る事も多いのじゃ」

 

 老婆の自嘲気味の台詞。そうか、この婆さんが慣れていた理由はこれか、と痛感する。

 まだ、王国内でも差別はある。

 

「士官候補生様」

「ダニエル・ボルストだ。ダニエルでいい」

「ではダニエル様。ご協力感謝します。

 いつまでもお部屋を占拠する訳にも参りませんので、暫くしたら廊下へ戻ります」

 

 ヤシクネー達は頭を下げた。

 いや、赤子連れで廊下で雑魚寝は厳しくないかと思う。それに脱皮したばかりだし、体力だって相当消耗しているはずだ。魔族はタフだと聞くが、それでも苦労するだろう。

 

「身体が硬化するのはいつになる?」

 

 今は脱ぎたてだから、外骨格部分はぷにぷにと柔らかい。

 押すと弾力があって触り心地が面白い。この間に身体を大きく成長させ、再び、硬い外皮に覆うのであるが、この間、特に幼少時に外敵に狙われるとひとたまりもない。

 

「一週間位でしょうか?」

「流石に一週間は無理だが、暫くはこの部屋を貸してもいい。三日か、四日って所だが。しかし、軍命があった場合は従って貰う」

 

 そこまで言った時に、腹が「ぐぅぅ」と鳴り、ダニエルは色々あって、まだ何も食べてない事に気が付いた。

 

〈続く〉




ヤシクネー出産編。みたいになってしまった(笑)。
タカトゥク達の元ネタは玩具会社。でも、今は三社共に消滅してます。
この三人は『オーガの群れ』関連。

以下、どうでも良い裏設定。
彼女らの母はアサヒ・トイズ。出産経験は二回。初回はマールサンなる男との行きずり。二度目はブルーマクーなる男との行きずり。ヤシクネーは正式に夫となる伴侶を持たない事が多いです。
イマーイ曰く「アサヒママはレンジを使って、ホットケーキを焼くのが得意なの」だそうです。
って、全然関係ない話ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海8

実習航海編8になります。

今更ながら、ダニエル達は物凄く濃い『実践』学習をしてると思う。
よくある目の前にステータスが浮かんで可視出来るチート小説みたいな仕様だったらば、スキル的に物凄く上がってる筈だよなぁと、書いていて思う次第だったりします。



〈外伝〉実習航海8

 

 それは異様な物体だった。

 黒い、漆黒と言って良い様な色をした巨大な塊。

 形は南洋で目にするシャコ貝に似ていたが、二枚貝の間からは無数の触手状の物が出ており、うねうねと蠢いている。

 そして貝殻の下からは百足を彷彿させる、足の生えた長い胴体が連なっていた。

 頭らしき物はない。

 敢えて言うのならシャコ貝の部分が頭に相当するのかも知れないし、もしかすると、本当の頭部が貝の口の中に引っ込んでいるのかも知れないが、それは窺い知れぬ。

 

「何て大きさ…ですの」

 

 ビッチは唖然としていた。

 この怪物…。怪物だろう、おそらくは、は上空から監察しただけでも、サイズは大型帆船の数倍はあろうからだ。

 ちなみに、現代で知られている中央大陸最大の船が全長80mである。超古代文明は全長300mにも達する途方もない大型艦船を有していたとも言われるが、それに匹敵する大きさだ。

 

「ヤスミーン。気が付かれない様に降りますわよ」

 

 幸い、あの怪物が位置を占めるのは山の反対側だった。ガリュートらに知らせねばと焦りつつ、乗騎に声を掛け、ビッチはフロリナ山を回り込む様にして高度を下げる。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「竜か、騎竜みたいだな」

 

 騎竜であれば脅威にはならないなと教授は考える。

 真のドラゴンならブレスを吐いたりして厄介だが、人間に飼い慣らされた亜竜の類いなら、この海魔ならば問題にならない。

 噛み付こうが、引っかかれようが全ての攻撃は通用しないからだ。

 

「ふん、墓守の理論は合っているのか…。竜脈は変動を起こしている」

 

 手元の計器に目を落としながら教授は呟いた。

 これが引き起こす莫大なパワーを何に使うつもりなのか、墓守の意図は分からない。

 だが、これが本番ではなく、単なる事前調査である事なのは予想は付いた。それが必要になる程の計画が、これから進められるのだろうと。

 

「あの墓守の事だ。何年先になる事やら…」

 

 古代王国風の姿をした姫チックな妖精族を思い起こす。

 種族的な特性もあって、信じられない位に息の長い計画を立てる。百年単位も珍しくない。時間の感覚が違うのだと判っていても、どうにもまどろっこしい。

 

「ま、今回の事は帝国とも何かあったと見ているが…」

 

 結社による幾つかの計画が同時進行しているのは感じている。法国や王国を巻き込んでの陰謀に自分も荷担しているからだ。

 帝国からの要請で王国沿岸地帯にダメージを与えるのも視野に入っているのだろうと思う。

 実際、今回の津波で王国は相当の被害を被っているはずだ。

 

「仕上げを急がないとな」

 

 海魔は唸りを上げている。触手群は土中に潜り込み、マグマの圧力を高めて行っている筈だ。

 このフロリナ火山を爆発させるのに、あと数時間足らずだろう。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「出てこないんだがな」

 

 ヤシクネーの幼生体にダニエルはお手上げと行った様子だった。

 クローバーと名付けられた子供は、あれから乳を飲み終えると、再びダニエルの胸ポケットへと籠城してしまったのである。

 

「気に入ったんだよ」

「気に入ったんだね」

 

 イマーイとアリーイが声を揃える。

 皆で食堂へと移動し、粗末ながらも与えられた配給食をぱくぱくと食べている。オートミールみたいな粥で、ダニエルに言わせると『家畜の餌』みたいな物だが、彼女らは粗食に慣れている様子で、文句も言わず口にしている。

 

「困るぞ」

「あれ、ダニエルはクローバー嫌い?」

「そうじゃない。軍務で邪魔になるからな」

 

 万が一、ぶつかったりしてポケット内で潰してしまったりすると寝覚めが悪い。

 生まれたばかりなのでまだ身体がぷにぷにで、硬い外殻に覆われていないから尚更である。

 

「そっか、クローバー、クローバー」

 

 イマーイが語りかける。ポケット内のヤシクネーがひょこっと顔を出す。

 

「クロー…バー?」

「そっ、貴女の名前はクローバー」

 

 自分を指さすイマーイに、首を傾げるクローバー。

 真似して自分を指さして「クローバー」と名乗り、やがて自分の個体名として認識した様だ。

 ヤシクネーに限らず、外敵から身を守る為に魔族は学習スピードが速い。やがて、幾つかの単語を理解して、言葉らしき物も操れる様になる。

 

「うん、お利口。お利口」

「さっすが、あたしの姪だねぇ」

 

 ダニエルは置いてきほりだ。ヤシクネー達だけで盛り上がっている。

 構わず彼は士官食を食べる。士官食とは兵食と違って『自腹を切って食べる食事』であり、基本的に士官にのみ許されている贅沢だ。

 内容は兵食よりも数段上だ。国内ならばレストランに出てくる様な品々に、高級なワインやらブランデーやらも付いている。

 それでも彼にとって、この食事は『実家で食べる品に比べて数段劣る』内容なのだが、兵食に我慢出来ないダニエルは毎回、士官食しか頼まない。

 ここら辺が兵食で文句を言わないビッチとは違う、お坊ちゃんであるのだろう。

 

「しかし、この飯もいつまで食えるのか…」

 

 タルタル付きのエビフライを賞味したダニエルは嘆く。

 難民が押し寄せているのだ。この船だって食料の統制が入るのも時間の問題であろう。士官食は今日限りで終わりになりそうだとの予感が働いている。

 酒保で酒を買い占めたいが、既に統制が入ってしまっているのを、さっき知ったばかりである。艦長であるエッケナー大佐の行動の素早さを恨む。

    

「そう言えば、タカトゥク殿は?」

「お姉ちゃん、具合が悪いって寝てる。産婆のおばあさんが見てくれてるけど」

 

 アリーイが口を濁す。具合が急変したのだ。

 

「元々、お姉ちゃん、丈夫な方じゃなかったし…。だから、御飯持って行くんだ」

「そうか…」

 

 そこへ伝令がやって来る。

 メガホンに口を宛て「船が接舷するので、避難民番号300番までは移乗せよ」と大声で伝える。 ダニエルはイマーイ達の番号を聞いた。

 すると『281』と『323』との答え。

 

「どうしよう。姉妹がばらけちゃう」

「何とかしよう。甲板へ上がってくれ」

 

 とにかく甲板に上がると、右舷に大型のキャラベル船が見える。

 あれが接舷する船らしい。ダニエルは艦尾の操舵甲板に艦長を見つけると近寄った。

 

「マールゼン商会のケージー9世号。接舷します」

「慎重にな。タラップの用意を急がせろ」

 

 指示を飛ばす艦長。

 指揮を邪魔する訳にも行かぬので、ダニエルは暫く待つが、二人のヤシクネー幼女はお構いなしの様だ。「ねーねー」とか、「艦長さん、お願い聞いて」とか話しかける。

 

「こらっ」

 

 側に立つ従兵が怒るが、艦長はそれを遮って「何の御用かな?」と幼女らに問いかけた。

 ダニエルも加わり、汗を拭きながら説明する。

 

「それは大変だな。わしも離散家族を作るのには反対だ」

「はっ、出来れば彼女たちと、姉のタカトゥク殿も一緒に移乗組へ入れられませんか?」

 

 大佐はカイゼル髭を撫でると「ふむ」と一言。

 

「ケージー9の方とも相談しなくてはならないが…」

 

 言いつつ、接舷の終わった相手商船の方に視線を向ける。

 タラップが渡され、商船の方から船長クラスの責任者達がこちらへ移乗してくる所であった。

 と、そこでイマーイが歓声を上げる。

 

「ケージー・マールゼンっ、あたしよ、イマーイよ!」

「え。ケージーって姉さんの…」

 

 アリーイの方はぽかんとしている。すると移乗してきた相手方の方にも変化が起こった。

 先頭の若い男が駆け寄ってくる。

 あっという間にラッタルを駆け上がると、息を切らせて「イマーイ、無事だったのか!」と叫び、対してイマーイも「姉さんが乗ってるわ」と返答する。どうやらこの二人は顔見知りらしい。

 

「失礼しました。私はケージー・マールゼン。マールゼン自由貿易船団の長です」

「ケージー9世号の船長、スコーピオンじゃ」

 

 どっしりとしたドワーフの船長と挨拶する優男。中原風の格好をした青年で、歳はダニエルよりも十は上に見えるが、『この若さで船団を持ってるのかよ』との嫉妬も芽生えてしまう。

 そう言えば、マールゼンって何処かで耳にしたと思ったが、こいつがそうかと改めて驚く。

 モテそうな奴だなと思いつつ、ダニエルは他の士官と共に敬礼を返す。海軍士官は常にスマートに、紳士たれがモットーなのだ。

 

「練習艦エロンホーフェン艦長、エッケナーだ」

 

 艦長と船団主が言葉を交わす中、イマーイはアリーイに「お姉ちゃんを連れて来て」と命令し、やがて甲板下から具合の悪そうなタカトゥクが姿を現した。

 優男は交渉をドワーフの船長に任せて、彼女の元へと走って行く。

 

「ダニエル士官候補生。先方の許可が出た。その姉妹達は全員移乗だ」

「はっ」

 

 敬礼。これで肩の荷が一つ下りたと感じる。

 良かったなとアリーイの肩をぽんぽん叩くと、改めてはっとなって「有難うございます」と礼を述べる姉妹。

 タカトゥクの方も何やら泣いているが、あの優男に慰められているのが分かった。「家族が殆ど見付からない」「ミドーリ達もか?」とのやりとりが切れ切れに耳に入った。

 移乗は速やかに行われた。ヤシクネーを含む300人近い人数だが幸い、マールゼン商会の船は大きく余裕はありそうである。

 

「ありがと、ダニエルさん」

「バイバイー、元気でねーっ」

 

 両船が離れて行く。イマーイ達は元気よく手を振っているが、タカトゥクの姿は見えない。やはり具合が悪いのだろうかと心配する。

 

「無事に過ごせれば良いがのぅ…」

「あんたは乗らなかったのか」

 

 隣にあの産婆が居るのを意外な目で見つめる。

 産婆は「わしは401番だったでの」とカラカラ笑うが、真顔に戻り、「わしの見立てが外れれば良いが、恐らくタカトゥクは長くない」と告げて目を伏せた。

 

「まさか…」

「脱皮と出産が重なっただけでも失った体力消費は膨大じゃ。それを補えれば助かるが、聖句魔法でも駆使せぬ限り、状況は絶望的じゃな。

 向こうの船に聖句使いが居る事を祈ろうぞ」

 

 改めて彼は、遠ざかりつつあるケージー9世号に目をやる。

 バニー本島も状況的には同じだと予想し、かの船は本土に向かうとの話だ。

 大型キャラベルであろうが基本的には貨物船である。それに乗員を満載しているのだ。元々搭載している食料や水も少ないだろう。当然、配給も乏しい筈だ。

 無論、タカトゥクは船団主の彼女なのだろうから、船室や食事の扱いが、それなりに厚遇されるとは予想出来るのだが…。

 

「ところでお主、そいつをどうするのじゃ?」

「そいつ?」

 

 そう言いかけた時に、「ふわぁぁ」と欠伸が胸元から聞こえ、胸ポケットから寝ぼけまなこのクローバーがひょいと顔を出した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「怪物?」

 

 ガリュート達の反応は微妙だった。

 そりゃそうだろうとビッチも思う。自分が当事者じゃなかったら、こんな荒唐無稽の話なんか信じられない。

 この山の後ろに巨大な化け物が居て、火山に取り付いてるなんてのは。

 

「ええ、とにかく監視をせねばならないと思いますわ」

「あの…逃げた方が良いと思うんですけど」

 

 反対、約一名。ミモリの判断は民間人としては正しい。

 だが、悲しい事にビッチ達は軍人だった。まずは敵の正体を繰り、可能ならば正体を看破して報告するのが義務なのである。

 

「却下。でも、わたくし達の事情ですから、ミモリはお逃げなさい」

「母艦は無事だったのでしょう。一度、班長は騎竜で帰還して報告した方が…」

「えーっ、嫌ですよ。皆さんと離れるなんてっ!」

 

 ここまで来たら一蓮托生だとミモリは思っていた。

 どの道、松葉杖頼りのこの脚では長距離を走破出来ない。ボートは操れるけど、一人で行動するのは心細い。そして、もしも密林に住む魔物や猛獣に出会ったら助からない。

 魔族のヤシクネーだからと言っても、ミモリは傭兵やクエスターである姉らと違って、普通の女の子なのだ。立派な武器になる大きな鋏を振り回しても、突然、岩猪(ロックボアー)が突進してきたら勝てる気がしない。

 と考えた時に、思わず『岩猪、ステーキにすると美味いんだけど…』とか変な連想してしまうのは、妄想癖があるミモリの悪癖だ。

 

「地上から近づくのは危険ですわ。やはり、竜でもう一度上空から偵察しましょう」

「複座に出来るなら、ご一緒します。ミモリはここでボート番を…」

「だから、あたしを独りぽっちにしないで下さい!」

 

 妥協案。

 ビッチが空から偵察。ガリュートとミモリはボートで港へ。

 危ないと判断したら、ビッチは即待避。一目散に母艦へと向かう。

 

「これで宜しいですわね?」

 

 確認する公爵令嬢。腕を組むガリュート。やや不安ながら、こくこくと頷くミモリ。

 そこへ大地が揺れを伴って、再び鳴動する。

 余震か、それとも火山の脈動か?

 だが、それは別の物であった。視界の先にある地面が突如、ミミズ腫れの様に盛り上がると、こちらへ一直線に向かってくるのである。

 

「な、何だ?!」

 

 流石の怪現象に焦るガリュート。

 それは前進を続け、彼らからほんの数十mの所まで到達した時に変化が現れた。

 大地が裂け、太く、黒々とした鋼鉄のミミズが姿を現したのである。

 高さは10mにも達しようか。そいつが鎌首を上げてビッチらを睥睨する。気弱なヤスミーンがバタバタと翼を動かし、逃亡しようとするのをビッチは慌てて制御する。

 

「ほぉ、こんな所で再会するとはな」

 

 士族の彼女には、忘れられない聞き覚えのある声だ。

 

「こちらこそ、こんな所で会えるとは思いませんでしたわ」

 

 吊り目気味の眼が、鋼鉄のミミズをきっと睨み付ける。

 事情を知らぬ残りの二人が困惑する中、ミミズの頭部に黒衣の異様な姿をした男がぬっと現れた。

 

〈続く〉




てな訳で、無事にSS9〇00とK〇9は結ばれました。って誰が判る(笑)。
一応、航海編でのトイズ家とはこれでお別れです(その内、出そうだけど)。
いえ、一人を除いて…。

クローバー「クローバー、コンビネーション・ゴー」
ちっちゃな身体でしゃかしゃか走る。
クローバー「クローバー・イン」
お人形の鎧を着る。甦るヤシクネ戦士!
クローバー「クローバー・フォロー!」
やっぱり、人形用の斧槍を構える。
ダニエル「何をやってるんだ?」
クローバー「戦闘訓練よ。あたしがダニエルを守ってあげるんだ!」
とか、戦場で戦士の肩に乗って騒ぐ、妖精的なマスコット役になりそうな予感。
そーいや『ダンバ〇ン』のスポンサーも、かの会社だったっけ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海9

実習航海編9になります。

久々に〈幕間〉付きです。


〈幕間〉、西方服装史

 

 古来から衣服は防寒などの実用的な側面以外、纏う者の地位を表す物としても機能してきた。

 最初に文明が興ったと言われる(妖精族、特に南大陸の者ははこれを否定するが)、超古代文明では、かなり様々な装いが着られていたらしい。

 

 らしい、と曖昧なのは遺跡から発掘される他に現物が残ってない為である。

 また、記録の上でも記述は少ないが、その残滓と言える装いは現代に繋がる服の系譜として受け継がれている。

 特に身体にフィットする形式の服。レオタードやボディスーツ系の装いはこの文明期でよく見掛けられる物が、現代まで残った物と言われている。

 本当かどうかは眉唾なのであるが、こうした服を着用した超古代人が海面下何万メートルもの深海や、星空の彼方の世界まで行ってしまうとの話すらある。しかし、露出度の高さから、これはお伽話なのだろうと結論せざる得ない。

 強化服(パワード・スーツ)や戦装束(バトルドレス)とか言う物であるらしいが…。

 

 古代王国期に入ると流石に記録は増えてくる。

 あの時代は貫頭衣系のゆったりした装いが中心だった様だ。

 服地は麻が主な素材で、上流階級は絹を纏っていた。絹は東方からの輸入品で大変高価な物であったが、競う様に買い求められている。

 また、やたらと貴金属の装身具を付け、顔にアイメイクをするのが流行った。これは一種の魔除けと、虫避けであり、実用的な側面もあった様だ。

 中期に入るとかの女傑、テラ・アキツシマの影響で奇抜な装いが一気に広まる。

 立体裁断法。バニースーツやパンツスタイル。逆にワソーなる平面的な裁断を駆使した形式(これは西方では広まらなかったが、東方に大影響を与えている)も伝えられ、バリエーションが一気に広がる事となる。

 中にはビキニアーマーの様な奇抜な物すら含まれる。テラ自身が薄着を好んだ為、以後、女性が肌も露わな服装をするのがタブー視されなくなった側面もある。

 テラが何処からこれらの衣服を考案したのか、それは謎とされており、今後の研究に期待する物である(なお、著者は「あたしの生まれた世界から」とテラが証言しているとの記録は、眉唾として一切を否定する立場を取りたい)。

 また、綿花が西方で普及し始めたのもテラの功績であり、以後、木綿が主要な織物素材に加わった事は特筆されるべきだろう。

 

 新暦期。当時は西方の社会全般が貧しかった。

 東方では早くから統一国家、皇国が成立したのと違い、最初の200年程は戦乱が絶えない野蛮な世界であったのだ。

 服装も実用的な物が好まれ、華美な装いが発展する下地が無かった。ようやく300年代に法国が建国され、宗教的な権威付けの為に神官服が発達すると、ファッションもどうにか華やかさを取り戻す事となる。

 当然だが神聖で厳かだが、権威ある装いが好まれた。肌を隠した長衣スタイルが基本であるが、これは古代王国の物が基礎になっている感じであり、有り体に言えばリバイバルであると言えよう。しかし、この装いは西方の上流階級に影響を多く与えた。

 

 新暦500年代以降、貴族女性の基本スタイルはドレスである。

 しかし、これにも時代によって流行り廃れがあり、腕や脚を大胆に露出させたり、逆に身体をコルセットで締め付けて身体のラインを隠す物。などが周期的に流行する。

 貴族以外の富裕層は、概ね貴族の装いに準じているが、それよりもボーンなどを使わない、活動的でラフなスタイルが好まれた。

 

 庶民はめかし込んでいるとしても簡素な服装である。

 生活は厳しく、庶民の服装は基本的に着た切り雀で、数着の着替えを着回すしか道がなかったせいでもある。

 新ルネサンス期(新暦800年代)までは洗濯行為は、布を傷める屎尿法か灰を使ったアルカリ法でやるしかなかったのだから、無論、庶民の服は洗濯もされなかったのだ。

 当時の洗濯とは重労働で、おかみさんが井戸端会議をしながら出来る様な代物では無かった。洗濯とは富のある富裕層だけに許された贅沢であったのだ。

 新ルネサンス期に洗濯板と石鹸が登場した事を、庶民は感謝すべきであろう。

 

 今の繊維素材は木綿や麻などの植物素材が中心で、他は羊毛。それと東方よりもたらされる絹。変わった所で南洋産の魔糸である。

 この内、羊毛と絹と魔糸は動物性糸であるが、絹の正体は実は不明である。輸出している皇国が厳しく秘密を管理している為、西方ではそれが何らかの動物から採れる糸である事しか伝わっていない。それ故、恐ろしく高価な贅沢品になっている。

 南洋産の魔糸は、魔族であるアラクネーやヤシクネーが吐く繊維である。これも恐ろしく高価であったのだが、大航海時代によるバニーアイランド再発見で、ヤシクネー達が魔糸を商業生産した事もあり、価格は暴落。頑張れば庶民の手が届くまでになっている。

 

 繊維では無いが、同様にゴムの再発見によって、ファッションは新たなバリエーションを生み出している様だ。

 

チュチュ・パニエ著『西方服装史』より。

 

 

 

〈外伝〉実習航海9

 

 化け物ミミズ。海魔の触手の上から、教授は三人を見下ろしていた。

 

「火山爆発。貴方の仕業かしら?」

「ブロドールではなく、私が手を下す羽目になるとはね」

 

 教授はそれに答えず、如何にも面倒臭いと行った仕草でやれやれと肩をすくめる。

 

「どうせ、私達を生かして返す気は無いのでしょう?」

 

 ビッチは教授めがけて魔導杖を向ける。

 ガリュートとミモリは二人の関係が分からなかったが、この仕草で理解する。

 あれは敵だ。と。

 

「ほう。何かの魔法を使う気かな?」

「裂けよ、【烈風】!」

 

 公爵令嬢が唱えたのは真空の刃。いわゆるカマイタチを飛ばす攻撃魔導である。

 初級魔導に属するが、射程は30mと割合長い。

 熟練の魔導士であるなら命中さえしさえすれば、大木や、薄手の鉄の盾すら切り裂くであろうが、威力的にはビッチが使えるランクでは心許ない。鎧を着ていたらダメージが入るのか怪しいレベルである。

 

「おや、危ない」

 

 化け物ミミズの頭部に乗っていた教授が、その場でジャンプしてひょいと避ける。やや下を狙いすぎていたらしく、真空の刃は土台であるミミズに当たって「かっ」と乾いた音を立てた。

 

「精度が悪いですね。良く狙う練習をした方が宜しいですよ」

「それはご丁寧に…ですわね」

 

 範囲魔法ではない単体攻撃術なので、『放つ』と同時に『狙う』事が必要になるのである。それを指摘されたビッチは、相手がとてつもない余裕を持っているのに焦りを感じる。

 こちらに飛び道具はない。教授は化け物ミミズの頭部におり、地上から数メートルの高さに位置している。よって、今、自分の持つ魔力が切れたら一方的に殴られるだけなのだ。

 

「そろそろ相手をして差し上げますか」

 

 金髪縦ロールを揺らして残存魔力量を計算しだした彼女に、仮面の怪人は自分の長衣の中から、長大な棒状の物を取り出してうそぶく。

 魔導杖の一種らしい。これを口に当て「ぴーよーよー」と不思議な音色を奏でる。

 

「笛なのか?」

「きゃあっ、ガリュートさん、ビッチ様ぁ!」

 

 ウサ耳族の彼は、笛であろう音色の正体を探ろうとウサ耳をぴんと立てるが、直後にミモリの悲鳴が耳に入ってきた。

 地面がボコッボコッと隆起し、泥状のヒト型。クレイゴーレムが何体も浮かび上がってきたからである。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああっ…」

 

 しかし、曲がりなりにも授業で魔導知識の習う士官候補生ならそう判断しただろうが、一般人で魔導とは縁遠いミモリには、それは地獄から現れた異形の魔物である。ヤシガニの身体を丸め、頭を抱えて恐怖に震えつつ、泣き叫ぶ事しか出来ない。

 

「これが、エロコが前に語っていた粘土人形(ネンドロイド)ですのね」

「班長」

 

 ビッチの前にガリュートが抜刀しつつ、カバーに入る形で護衛に入る。

 魔導を使えるのはビッチだけで、この攻撃手段が無くなれば教授に手も足も出なくなる。故に地上で対抗可能な雑魚は自分が引き受ける役割分担であった。

 

「ミモリ、済まない」

 

 無論、これは行動不能なミモリを斬り捨てる形となるが、良心の呵責を感じながらも軍人らしく、大の為に小を捨てる判断をしたのである。

 全てを救う事は現在不可能。なら『少しでも光明の見えて、最大限自分達の助かるベターな選択をせよ』が、学校で教えられる座学での戦略論であった。 

 

「ヤスミーンが使えれば…ですわね」

 

 竜の方は逃亡してしまっている。

 余りにも激しく暴れるので、手綱を握っている方が危険とビッチが判断した為である。

 無理すれば飛び立とうとして、引きずられて怪我をしかねないし、元々、ヤスミーンは戦竜と言っても純粋戦闘用とは言い難いタイプであった。

 この教授戦に投入しても役に立つかどうか。と考えた時、彼女の鞍に連弩があった事を思いだして、舌打ちする。

 あれだけは装備してから放すべきだった。

 

「後悔先に立たず、ですわ」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 クローバーは乳を飲んでいた。

 母親であるタカトゥクが居ないので、仕方なく代用として食堂で出して貰った物である。

 艦内で飼っている山羊からの搾り立てであるが、無論、タダではない。と言うか、かなり高い。酒並みの価格を取られた。

 

「おいしー」

「そりゃそうだろうよ。俺の小遣いが飛んでいるんだからな」

 

 ちっちゃいヤシクネーは頭を傾げて、「お替わり」と元気よく要求した。

 産まれてから一日と経っていないが魔族の成長は目を見張る程で、彼女の身体は大きくなり、また貪欲に知識を吸収していた。

 特にダニエル付きの侍女二人が面白がって言葉を教えたので、言葉遣いもかなり操れるレベルになっていた。

 

「にしても大きくなったな。もうポケットに入らないぞ」

「そう? じゃ、何処で寝ようかな」

 

 体長8cm程度だったクローバーだが、既に20cm程に大きくなっている。体色も透明だったのが色が付いてヤシガニらしくなっており、上半身の人間体も肌色になって、紫色の頭髪が伸びてきていた。幼いが顔立ちは母親似である。

 

「まだ、ぷよぷよしてるな」

「きゃははははっ、くすぐったい」

 

 ダニエルの指先で触れられ、クローバーは笑い転げる。

 身体がキチン質の外皮で覆われるまで、なるべく栄養を取って身体を大きくしなければならない。これは脱皮を繰り返す甲殻類の基本である。

 

「ダニエル様、部屋の掃除が完了しましたが…その」

 

 そこへやって来たのはダニエル付きの侍女。確か、名はテルミと言ったか。

 ベテランと若い方のコンビで、若い方である。薄紫の長い髪の毛を両脇で縛り、流しているツーテールが特徴で、背中には何故か大きな箒を背負っている。

 

「何だ?」

「タカトゥク様のオブジェを、どう処理したのか宜しいのか判断に苦しみまして、ご裁可をお願いしたいとアリエル様が」

「アリエルが?」

 

 アリエルはベテランの方で、地位的にはテルミの上司に当たる。もっとも、ダニエル付きの侍女は二人のみなので、侍女長だが本家に帰れば下っ端である。

 当然だが、ただのメイドさんでは無く、二人とも護衛も兼ねる戦闘侍女であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 夕刻。水位は徐々に下がっていった。

 海面下へと沈んだ港の護岸が姿を現している。波にさらわれた港は建物が一掃され、悲惨の一言では済まぬ惨状であったが、何も手を貸す事は出来なかった。

 

「これ以上は、移乗もままなりませんな」

 

 操舵甲板にて、艦長へ指導教官のデス・ルーゲンス少佐が意見を述べる。

 乗せられる分だけ、練習艦で助けた難民を他船へと移乗させたが、既にフロリナ港に到着した船舶では手一杯で、これ以上は望めそうも無かった。

 

「残存人数は?」

「概ね、百人前後ですな」

 

 エロンホーフェンの最大乗組員数は三百人。定数は二百人前後である。

 食料や水の残量が気になるが、幸い、入港したばかりなので多少の余裕はあった。何とか航行可能であろうと艦長は計算する。

 

「いつまでも、ここに留まる事は出来ぬ。明朝出港しよう」

「行き先は?」

「先のマールゼンと同じく、本土か、或いはバニー本島の東岸域だな」

 

 津波をもろに被った西岸域と違い、反対側の東岸域ではまだ被害が少ないのではないか、との希望的観測なのだが、これも行ってみないと分からない。

 

「本土へ行くと討伐艦隊との連絡は、ほぼ絶望的になりますからな」

「しかし、東部域でも無事な港があるのかは賭だ。

 竜が健在ならば、事前に偵察も可能だったのだが…」

 

 そしてそれを操れる、ビッチ・ロートハイユ士官候補生は行方不明のままだ。

 明朝までに発見出来ず、未帰還となると彼女に死亡判定を下して、最悪、遺体回収すら出来ずに出港との結果となる。

 

「まだ希望はあります」

「私の考えてる事が分かるのだな…」

 

 艦長はやや悲しい笑いを浮かべて、視線をルーゲンス少佐から外した。

 

「済みません」

「いや、構わんよ。しかし、そうであって欲しいものだ。

 暫く休む。ずっと指揮を執り続けたので眠い」

 

 余りにも色々な事があったので、忘れかけていたが大佐は一晩寝ていない。

 少佐に「20:00まで休むが、何かあったら直ぐ起こせ」と言い残し、甲板を後にする。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「こいつぁ」

 

 自室で出迎えたのはアリエル。侍女長である。

 背の高い女性だ。長いブラウンの髪の毛を後ろでまとめ上げ、大きな瓶底眼鏡で表情は読み取れない。顔立ちは整っていると思うのだが、ダニエルは素顔を見た事が無いので不明だ。

 

「どうしますか?」

 

 声は若い。実際年齢も三十路を越えていない筈なのだが、口調は常に事務的なので、余りプライベートな話題を尋ねた事は無かった。

 問題は部屋に鎮座する、タカトゥクが残した抜け殻だ。

 下半身のヤシガニ部分。それが見事な形で原形を留めたまま、寝台の上にあった。キチン質で出来た等身大のオブジェと言って良い。

 

「もしかしたら、本国へ持って帰れば、好事家に高く売れるかもな」

 

 最初は透き通っていたのだが、時間が経った今は、やや黄色っぽい色が目立つ。残念だが、女性が生えていた上半身部分は外骨格ではないので存在しない。もし、それも脱皮の対象であったら、もっと高く好事家が買うんだろうと夢想する。

 

「では、そうしますか?」

「いや、冗談だ。しかし、どうするか」

 

 クローバーの方をチラリと見る。

 六本の脚と鋏を上手く使って、器用にダニエルの肩の上に乗っているのだ。

 

「こいつにとって、お母さんの物だからな」

 

 処分するのは楽だ。体積に比較して軽量だし、力を込めれば容易に破砕が可能だろう。バラバラにして海へ投棄すれば済む話だ。

 しかし、あの産婆が言う事には「タカトゥクは長くない」との話だった。本当だとすれば、これはクローバーにとって形見の品と成り得ると言う事になる。

 だが、この狭い船室では邪魔だ。長さ1.5m。幅が2.5m近くある。保管しようにも場所が無い。

 

「いずれにせよ、保管したいとの話ですね」

「ああ、が、船倉を借りる訳にも行かないしな」

 

 普段は空いている船倉も、今は難民の生活区画に転用されている。

 二人が頭を悩ましている時、薄紫の長髪をなびかせつつ、箒片手にテルミが室内へと入ってきた。

 

「あら、それなら簡単ですよ。天井から吊せば良いんです。あれ、見た目より軽いですし」

 

 話を聞いてテルミの出した解決策がこれである。

 

「何ぃ?」

「寝台の所なら空いてますよね。そこ以外だったら、吊されてると邪魔臭いですけど、寝台なら寝る時以外はデッドスペースですし、どうせ横になるから邪魔にはなりませんよ」

「提灯かよ…」

 

 絶句するが、確かに言っている事は理に叶っていた。侍女長はふむふむと頷いている。

 だが、頭上にヤクシネーの抜け殻がゆらゆら揺れているのは、目が覚めた時に心臓に悪そうである。それをダニエルが抗議するが、「では、坊ちゃまは如何なる代案をお持ちですか?」とテルミに問われると、何も出てこなくなる。

 

「わぁ、おかーさんだ」

 

 結局、抜け殻は吊されてしまった。

 クローバーはゆらゆら揺れる母親の姿を見て歓声を上げている。それを見て『まぁ、こいつが喜んでいるから良しとするか』と、ダニエルは無理矢理自分を納得させた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 ミモリは怖くて怖くて、泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 化物ミミズの上に立つ男。男だろうとミモリは判断した、は、笛を吹いて人型の異形を操り、ビッチとガリュートがそれに対抗して武技を繰り出す。

 幸なのか不幸なのかは知らないが、この戦いの間、自分は無視されていた。

 ただの民間人。それも何も出来ない小娘なんかに割く戦力が無かったからなのか、それとも、士官候補生さえ始末してしまえば、こんなヤシクネーなぞ、いつでもひねり潰せるとでも敵の男が考えていたのか、それは解らない。

 

「くそっ、斬っても斬っても手応えが無い」

 

 まずガリュートが倒された。

 果敢にビッチに近づこうとする敵を牽制し、その身を守っていたのだが、粘土の塊である相手に剣は相性が悪すぎた。

 普通のクレイゴーレムは、それを駆動させる為の核(コア)があり、それさえ発見して破壊してしまえば無力化するのであるが、教授のネンドロイドは超古代文明の産物である為にコアレスなのである。

 つまり、剣で斬っても対抗手段が無い。

 斬り落とされた部分は独立して動き、小さなネンドロイドと化すだけで、そいつはその内、本体と融合して元のサイズに戻るのである。これは始末が悪い。

 

「あっ、ガリュートさんっ」

 

 多勢に無勢。ゴーレムパンチで殴り飛ばされる。

 その次はビッチだ。

 最初は教授との戦いに専念していたが、護衛役が倒された事で自衛に切り替えざる得ない。だが、カマイタチもまた、敵のネンドロイドに対して有効打には成り得なかった。

 エロコから聞いていた話から、あの粘土人形の身体は油粘土に近く、着火すると良く燃えるとの事実を聞き出していただけに、「火属性の魔法を覚えていたら」と悔やむが、彼女の専門は風属性である。

 

「ああっ、ビッチさん!」

 

 健闘虚しく、殴られて大地に伏せる公爵令嬢。

 教授は勝利を確信し、笛を吹きながら地上へと着地する。ミモリは泣くのを止め、慌てて二人に駆け寄って、大きく鋏を広げて阻止しようとする。

 脚一本を失っているから、松葉杖の補助があっても動作は緩慢だったが、何とか間に合った。

 怖い。怖い。怖い。

 でも、今何かしないといけない。

 この人達を見捨ててしまったら、あたしは一生後悔する気がする。と感じていた為だ。

 

「邪魔するか、ヤシガニーの小娘」

 

 教授が笛から口を離し、馬鹿にした口調で問う。

 ちなみにヤシガニーとは、ヤシクネーに対する蔑称である。

 ミモリは頷き、無言で教授を威嚇する。前椀部の鋏がカタカタと震えてるのは気のせいでは無い。

 

「では、お前も一緒に死んでもらいますよ」

「死ぬのはお前の方だ。メライシャン」

 

 教授の言葉を遮り、涼しげな女性の声が響いたのがその時だった。

 ミモリは幻かと目を疑う。

 

「誰?」

 

〈続く〉




実習航海編は 〈閑話〉にしてきましたが、他と違って余りにも長編なので〈外伝〉と名称を変える事にしました。

ヤシクネ提灯。ねぶた祭ですね。
実は脱皮後の皮は、カルシウム補給の為に脱いだ本人が食べる事もあるんですが、大抵のヤシクネーは貧しくて栄養が行き届いてないので、その皮は「不味い」そうです。
逆に栄養過多の場合、余計な糖分とかを分泌しているので「甘くて美味しい」そうです。でも、大抵の彼女らは薬だと思って黙々と食べるんだそうで、最近は食糧事情も良くなったので、別の食物からカルシウム分を補給する方が多いとか。

さて、絶体絶命に陥ったビッチ達の前に現れたのは?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海10

今回も〈幕間〉なしです。

改訂。
レンズ豆→ひよこ豆。
覚え間違えてました。いかんなぁ。


〈外伝〉実習航海10

 

 ここは牢屋。

 私は身を起こした。大体の状況は表側の私、今の名はエロコ・ルローラが行動している最中でも意識があって認識している。

 こうして気を失った時しか、私は能動的に活動出来ないのがもどかしい。

 もっとも強制的に意識の入れ替えも可能なのだが、それをすると表側のエロコに悪影響が出かねない。一つの身体に二つの意識。この不自然な状況では無理をすると、人格が壊れて、廃人が出現しかねないと危惧するからだ。

 

「 エロコ様。気が付きましたか。

 お怪我は大丈夫ですか」

 

 そう心配そうに尋ねて来るのはイブリン。

 真っ直ぐな金髪にブルーの瞳。絵に描いたような美少女。エロコ付きの侍女だ。

 もっとも、それは仮の姿であるのだけど、最近は大分、侍女業が板に付いてきていると思う。 それはニナ…もう一人の侍女の仕込みが良いからだろう。

 

「ああ、平気…。あれ?」

 

 巫力が働いて感応してしまう。ああ、これは身近の者に対する危機だ。

 第六感と言う奴に近い。予知能力にも似たそれが自動的に働くのだ。これは放って置いたら大変な事になるだろう。と告げている。

 しかし、干渉すべきなのだろうか?

 運命から言ったら、なるべく不用意な干渉は避けるべきなのであるが、これを放置したらエロコは一生後悔する事になりそうだ。

 エロコでは無い、私、にはどうでも良い事にも思えるが、一番近しい他人である彼女を悲しませるのは不本意だ。

 私は腹をくくった。身を起こし、正座するとそのまま目を閉じる。

 

「暫く、無防備になるわ」

 

 その場に居るだろうイブリンへとそう伝え、意識を遙か先にまで集中する。

 しゃりーんと首から提げている巫女の護符。それが共鳴して澄んだ音を立てる。

 遙か遠隔の地であるが、惑星間、恒星間程の距離から考えれば、たかが惑星上の近距離である。私の意識は幽体として跳んだ。

 

「死ぬのはお前の方だ。メライシャン」

 

 友人達を殺そうとしている不埒な輩の前に現出する。

 仮面を被り、姿を隠しているこの教授とか言う奴。メライシャン。つまり恐らくメライズ文明の末裔だ。奴は突如出現した私に驚愕している様だった。

 

「貴女もメライシャンではありませんか。エリルラよ」

 

 気を取り直したのか、友人達の前で威嚇のポーズを取っているヤシクネー(後にミモリという名であったと判明する)を捨て置き、奴は私に向かって質問してきた。

 

「残念だが違う。私はリグノーゼアン」

「リグ…星間帝国の人間か!」

「おや、少しは物を知っている様だな。流石、貴様もメライズ。『星の民』の後裔だ。

 どうする。それを知ってもやるのか。それとも引くのか?」

 

 我が帝国の事を知っているのは意外だな。もっとも、知った所でこの惑星上では何の意味も無い。それは私自身を含めてなのだが…。

 星界へ帰還する手段がないのだ。せめて『エトロワ』(星船)の一隻でも調達出来れば。

 

「伸びろ、紫電よ。【電光】!」

 

 答えは実力行使だった。いきなり魔法。エロコから得た知識だが、この惑星で発達したマナを根源とする技術、を私に向けて放ってきたのである。

 だが、そんな物は効かない。そもそも、私はここに存在しないのだ。

 ここに居る私は精神だけを飛ばし、巫力で仮の身体を形成しているだけなのである。蜃気楼か、幻影みたいな物だ。

 物理的な攻撃なんぞ、何の役にも立つものか。

 ん、ああ、そう言えば、この世界の魔導的な常識ならば、霊体に対して魔力攻撃は効くんだったな。そのセオリーから判断すれば、正しい対処法だ。

 だが、私はエリルラ。巫女なのだ。仮に実体ごとここに転移していたとしても、その魔法とやらは全く通じないぞ。

 

「それだけか?」

 

 私はチラリと周囲を見回し、目標を確認すると視線に巫力を込めた。

 数は見えるだけで八つ。不必要なのだが、大袈裟にポーズを取る為にぶんと腕を振るう。周囲のネンドロイドが凝縮され、塊となって潰れて圧縮される。

 凄まじい圧力を加えられた事で土塊自体を熱を持ち、灼熱化した。

 煉瓦色に変色した八つの塊が、瞬時に地面へと転がる。ジュウジュウと音を立てて表面が泡立っており、もし、微少素材が使われているとしても、こう変質してしまえば再生不可能だろう。

 

「す…凄い」

 

 傍観者であるミモリの声が聞こえた。

 教授は地面を蹴って鋼鉄のミミズの頭上へと戻る。だが、逃がしはしない。

 

「命だけは助けてやる。ここは引け」

 

 せめてもの慈悲であるが、あの海中機動兵器は厄介だ。

 これだけは始末してしまおう。

 おっ、衛星軌道上に生き残っている存在があるのか。エトロワが生き残っているのであれば、直ぐに大気圏へ降下させるのだが、これは単なる端末だな。

 

「雷撃!」

 

 触手、そしてその本体は、上空から降下する空間魚雷が命中して吹き飛んだ。

 教授は、まぁ、運が良ければ生き残ってるだろう。

 

「ビッチ達を頼む」

 

 私は呆然としているヤシクネーの少女に笑いかけて、そのまま、意識を元の部屋へと戻した。

 こっちに出した仮の身体は、幻の様に消え失せた筈だ。

 

「ただいま」

 

 元の牢屋では、私がぶつぶつと独り言を言ってるのを不気味がってるのに違いない。

 そろそろ意識をエロコに返そう。エリルラ状態では身体に負担を掛けすぎるのだ。

 ああ、ついでにこの拘束具らしき物と廊下の錠前をぶち壊しておく。巫力の念を込めれば、その程度の事は容易いからね。

 

「暫く横になるわ。ああ、目覚めたら、エロコに戻ってるから安心なさい」

 

 不安そうに私を視姦するイブリンへそう告げると、私は身体の支配権を手放した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 ミモリは語る。

 突然、蜃気楼の様に女性が現れて助けてくれたと。

 

「で、その結果がこの惨状な訳ですの?」

 

 教授の使っていた鋼鉄のミミズは爆散していた。

 その正体は機械であったのだろう。断面からは中心部に何やら精密な部品類と、その周囲は幾重もの材質不明のチューブが束ねられており、千切れたチューブからは何やら液体が滴り落ちている。

 液体は暗緑色の血にも似た色合いで、実際に血液を彷彿される錆び混じりの嫌な匂いが、ビッチらの鼻腔をくすぐる。

 

「はい」

「どんな姿でしたか?」

 

 こちらはガリュート。打撲の傷も痛々しく、剣を支えになんとか立っているような状態だが、意識はしっかりとしていた。

 

「半透明な幽霊みたいな女性でした。あ、そう言えばビッチさんと同じ制服を着ていました。

 妖精族っぽい顔立ちで、眼鏡を掛けた…」

「髪の色は薄緑で、ベレー帽を被っててマントを棚引かせてる、なーんて姿じゃありませんわよね」

「ああ、そうです。メライシャンが何とか言ってましたね」

 

 ビッチは押し黙った。その容姿で思い当たる人物はただ一人。

 しかし、彼女はこの場所から遠く離れた本土に居る筈だった。無論、ビッチは彼女の実力は良く理解している。【転移】級の魔導を仕えるような実力は無い。

 

「エロコですわね…」

 

 ぼつりと呟く。信じたくない思いだ。

 周囲には例のネンドロイド共も散乱している。どいつもこいつも原形を留めておらず、既に土塊へと変化した状態で転がっていた。

 変色もしており、単に物理的にねじ切ったとかそんな風では無いのが分かる。組成その物に何かの打撃を与えたとしか考えられなかった。

 

「エロコって、班長の同級生の?」

「ですわ」

 

 ガリュートは二年生なので、一年のエロコ・ルローラに関して詳しくは知らない。

 ユーレイ島での活躍で、ビッチとダニエルと同時に士族任官された程度である。もっとも彼とてこの航海に参加しなければ、ビッチ達とも疎遠であったろう。

 

「メライシャンか…。すると教授は超古代文明人の末裔か何かって話になりますね」

「何か知ってますの?」

「超古代文明の民達は、自分の事を『メライズ』、現代語訳すると『星の民』と自称してたって説があるんですよ。そして『メライシャン』とは、それに属する者達って意味ですね」

「良く知ってますわね」

「歴史の教科書からの受け売りですよ。班長は歴史の授業を選択してなかったんですか?」

 

 ビッチは本格的な歴史学は選択していなかった。大半はそうだろう。余り実用的な学問では無いから、不人気であり、学者を目指す者でも無ければ選択しない。

 殆どの士官候補生にとって、歴史とは別の授業の教養課程で習う程度である。

 

「とにかく、謎の女性が現れて、教授の軍勢を一掃したって話になりますのね」

「はい、凄かったですよ。

 教授ですか、それとタメ口利いた後と、ゴーレムを腕一振りで蹴散らして、あの化け物ミミズを天からの一撃で葬り去って」

「その天からの一撃って、信じられないんだけど」

 

 ミモリの言によると、突然、上から何かが降ってきたらしい。

 何かと問われれば、とにかく何かの物体らしいが、それがミミズに命中して大爆発を起こしたそうなのである。

 

「今ひとつ、状況が分からないけど、とにかく教授はその女性に負けて撤退し、その女性も幻のように消え失せた。ですのね?」

 

 ミモリが幽霊と称したのは言い得て妙だろう。

 ふっと突然、そんな消え方をするのが普通の生者ではあり得ない。

 生き霊を出して別の場所へ出現させる魔法が、禁忌の死霊魔術にあるらしいけど、まさか、あのエロコがそれを会得しているとは思えないし。

 

「にわかに信じられませんが…、とにかく助かったのは確かです。

 班長、ヤスミーンを回収して母艦へ戻りましょう」

 

 ヤスミーンは頭上を旋回していた。

 怖さから逃げ出したものの、主を見捨てられないのだ。しかし、だとしても、もっと荒事に強く訓練するのが、今後の課題だとビッチは思う。

 このままでは軍竜としては失格寸前なのである。

 

「そうですわね。帰還しましょう」

 

 その日、ビッチ・ビッチン。ガリュート・ベクターら士官候補生二人は、エロンホーフェンへ無事帰還した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 朝日が昇ると同時に、練習艦は帆を上げて出港した。

 行方不明だった生徒が無事帰還し、同時に食糧問題から、フロリナ港へ留まるのが出来なくなったからである。

 大量に積み込んだ筈の物資は、難民対策で殆どが消費されてしまっていた。

 

「やはり、士官食は無くなったか」

 

 ダニエルの嘆きである。酒保も閉店し、兵食も質素な物に変更されてしまっていた。

 

「煮物中心になりましたわね」

「次の港へ着くまでの我慢ですよ…。行き先があそこなのは気になりますが」

 

 メニューは堅焼きビスケットにシチューだった。

 堅焼きビスケットは、かちかちに焼いた水分の殆ど無い大型乾パンで、海軍、陸軍共に軍隊ではお馴染みの物である。

 手で割れないので、何か硬い物。例えばナイフの柄で砕くのがスタンダートだ。僅かに塩味が付いており、食べるのには水かお茶が必須だったが、今はシチューで代用である。

 しかし、ガリュートは元より、ビッチ的には悪くない献立である。

 

「美味しいです」

 

 と感想を漏らすのは、同席しているミモリ。

 職場が壊滅し、行き場もないのでビッチ達と同道する事になったのである。しかし、甘やかすのも何なので、ビッチが下働きとして雇うとの条件を付けている。

 見習い侍女と言う事になるのか。主にヤスミーンの世話を担当させる事となっている。

 脚一本失ったヤシクネー。しかも、産業の壊滅したフロリナ島ではろくな職にも就けないだろうとの、ビッチなりの心遣いである。

 

「ダニエルさんは贅沢ですね」

「うん、贅沢。贅沢」

「ヤシクネー共、五月蠅いぞ」

 

 食堂に居るもう一人のヤシクネーはクローバー。

 ダニエルの肩に乗っている。初めて見た時はその存在に絶句したビッチらであるが、事情を聞いて納得した。

 むしろ、無責任に放り出す事をしなかった分、ダニエルを見直したと言っても良い。

 彼にはそう言う、酷薄な所があったからである。

 

「でも、いつまでも裸と言うのも問題がありますね」

「幼女でも、レディの嗜みとして何か着せてやらねばなりませんわ」

 

 そうガリュートとビッチが会話していた時、食堂の入口をくぐって現れたのは人馬族。

 馬面と言って良い程に、顔の長いその男の名はパカ・バカ。

 

「よぉ、ダニエル」

「来たか。ブツは用意出来たのか?」

 

 彼は「ああ」と肯定して、ごそごそと腰のポーチをまさぐる。

 

「お前がドールに興味あったとは意外だったぞ」

「知らん。こいつはあくまでクローバーの服の調達だ」

「仲間が増えたと思ったのにな」

 

 軽口を叩きながら会話する二人。

 パカ・パカの趣味は人形作りだ。玩具では無く、精巧な間接球体人形を制作し、本物そっくりの衣装を着せて製作する一品物である。

 元は家業であるらしいのだが、それでは飽き足らずに独自に研究に走ったらしい。

 高価な玩具として富裕層に好まれているらしいが、ダニエルには不気味な生き人形にしか思えなかった。

 特にガラスで作られた瞳が、こっちを見つめている様な感じがしてぞっとする。その感想を述べたら、パカ・パカ曰く「それは生きているからだよ」との言だ。

 

「もしも、錬金術かなんかで動き出したりしたら怖いな」

「そう言う研究、やってる奴が魔導学院に居るらしいぞ」

 

 王立魔導学院は王都にある魔法アカデミーでもある。学ぶ生徒達の他に、上級魔導士達の研究機関も存在しているから、あながち法螺ではあるまい。

 

「わぁ、これがあたしの服?」

 

 取り出され、地味なテーブルの上に広げられた色とりどりの華やかな衣装を前に、クローバーが歓喜の声を上げた。

 豪華なドレス系が多い。

 

「もっと地味目の服は無かったのかよ」

「ドール用だぜ。そんな地味な服なんて有る訳ねぇよ。さて、着てごらん。

 これからクローバーちゃんも大きくなるから、サイズは少し大きめのを用意してみた」

 

 迷っていたクローバーであったが、一つの衣装を見つけると躊躇無くそれに手を伸ばす。

 豪華なドレスでは無く、シンプルなセーラー服。

 この王立士官学校の女子制服だった。やや大きめらしく、スカートを履かなくてもワンピースの様に裾が足を隠してしまう。

 

「下着がちくちくするぅ」

 

 と言ってブラを脱ぎ捨てる。人形用だけあって下着の縫製には気を遣ってなかったらしく、この点だけは不評の様子だ。

 

「ふむふむ。改良型を制作する必要があるな。

 それと下着か。人形は文句言わないけど、形だけじゃなくて実際に使える素材と縫製が要るな」

 

 パカ・パカは幾つかメモを取る。今後の課題として修正するらしい。

 一方、ガリュートらの方は今後の話題に話が移っていた。

 次の寄港先がバニー本島のポートバニーであるからだ。そこは勿論、ガリュートの故郷であり、ベクター男爵の治める地である。

 東岸寄りにある港と違い、反対側にあるので津波の被害はさほどでは無いとの判断だ。

 

「今度は、わたくしも同道致しますわ」

「班長」

「退学なんかさせませんことよ」

 

 それは本音だった。あと一年半待てないと言うのは理不尽だからだ。

 ビッチとて、有能な副官を失うのは痛手である。だから、同道してベクター男爵に会見するつもりであった。

 

「ありがとうございます」

「ガリュートさんのお母様って、そんなに怖い方なのですか?」

 

 ミモリが割って入った。

 侍女としては失格だ。主人の会話に加わるのは不作法であるから、ビッチ付きのメイド長が短く、「これっ」と注意を与える。

 ビッチは手を挙げてそれを取りなした。昨日、今日入った新入りだからである。しかし、これからは使用人として扱わねばとの意識も芽生える。

 

「怖いですよ。ただ、尊敬出来る母ではありましたね」

「うちのママとは大違いだ」

 

 ミモリの母は飲んだくれで尊敬など出来ない女だった。だから、ミモリは姉達に育てられた。

 やっと独立して、さぁ、これからと働き始めた矢先、あの地震と津波である。姉達の消息が不明なのは痛かったが、無事だろうか?

 

「ビッチ様」

 

 侍女が一人やって来て礼をする。「なんですの?」と答えると彼女は「艦長がお呼びです」との伝令を伝えた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「来たか。ロートハイユ候補生」

 

 公爵令嬢が操舵甲板に上がると艦長のエッケナー大佐が待っていた。

 敬礼を交わし、次の指示を待つ。

 

「竜は使えそうかね?」

「率直に言って訓練が足りません。伝令飛行程度なら問題ありませんが、現状だと戦闘行為にヤスミーンを使うのには不安があります」

 

 軍竜としては経験不足なのである。胆力を鍛えねば、一線級の軍竜としては使えないと説明する。

 大佐は一々、「ふむ、ふむ」と反応し、「偵察に出られるか?」と問うて来た。

 

「今日は無理です。一昨日から色々な事がありすぎました」

「明日には出られるという意味に聞こえるが、それで間違いないか?」

「それは艦隊ヘの伝令でしょうか?」

「それもあるが、候補生。質問が先走りしてるぞ」

 

 ビッチは「はっ、済みません」と反省する。上官に叱責されるのは汚点である。

 

「もし明日に出ろと命令されれば、今日中に仕上げてご覧に入れます」

「状態は悪いのか?」

「体調管理の点で不安があります。昨日はほぼ空腹で彷徨ってましたから」

 

 シェルターで拾ったひよこ豆しか食べさせていない。

 

「そうしてくれ。まずは艦隊との連絡。二次的に敵艦隊の探索を命ずる」

 

 ビッチは「はっ、承りました」と再び敬礼した。

 

〈続く〉

 




聖女編と思いっきりリンクしてますね。
書いていて、殆ど『超人〇ック』かよと思ってしまった(笑)。
もっとも、エロコ本気モードはあんな物(これでも片手間)じゃないんですが…。
暫く、この別人エロコは出てきません。
つーか、彼女チート過ぎて面白くないよ。居るだけで何でも力業で解決しちゃいそうだもん。この物語はそう言うタイプの話じゃ無いぞ。

パカ・パカ君の実家は人形屋さんです。
地球で言う所のビスクドールとかを作ってたんじゃないかな?
エルダ世界ではお貴族様が文化を主導してるので、この手の産業が結構あったりします。まぁ、それだけ社会に余裕があるんだろうなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海11

お待たせしました。実習航海11です。

次はリオンの後編か、聖女編12になると思います。
来週には更新予定。

改訂。
魔法の名前変更。【烈風】→【強風】へ。


〈外伝〉実習航海11

 

 ビゴ砂漠。

 墓守はまどろんでいたが、唐突にそれは破られた。

 

「教授ではないか?」

 

 気配からしてそう判断する。

 空間から蜃気楼の様に現れた人物は片膝を着いて、ぜいぜいと息を吐いていた。

 

「エリルラめ…。死ぬかと思ったぞ」

 

 そんな呪詛を吐いたのは、ボロボロな姿となった教授であった。

 黒い長衣は焼け焦げているし、特徴的にその仮面にもひびが入って、一部が欠損し、口元が見えている。何らかの攻撃を…、それも高威力の物を受けたのは明白であった。

 

「光の乙女にやられたのか?」

 

 墓守は『活動地域には確か居なかった筈ではないのか?』と訝りつつ、席を立った。

 そのまま、床をたんと軽く蹴るとふわりと宙を舞う。

 

「その通りだ。いかんな、奴の能力(ちから)を過小評価していたよ」

「ほぉ」

「評価を上方へ修正しよう。エリルラが発掘兵器まで使えるとは思わなかった」

 

 白い衣を棚引かせ、優雅に着地すると墓守は【癒やし】の聖句を唱える。

 教授は「済まんな」と謝意を表して、その治療を素直に受ける。墓守は「大した力ではないが、やらぬよりはマシと考えてくれ」と、傷口を塞いで行く。

 

「竜脈の方はどうなったか?」

 

 墓守は自分の目的をそれとなく聞き出す。

 

「第一段階は成功した。しかし、光の乙女の妨害でそれ以上は無理だった。

 が、バニーアイランドに与えた損害は軽くない。帝国への義理は果たしたと思って良い」

 

 教授の算盤では海魔を失った事で収支は大赤字だと感じている。あれは、まだ複数の予備があった筈だが、再整備して竣役させるのに手間が掛かりそうである。

 

「それは重畳」

「それと…エリルラと光の乙女が別人格と判ったのも、収穫の一つだな」

 

 同一人物かと考えていたが、これは今後の計画に対して修正が必要になるだろう。

 

「仲間への引き入れ…まだ諦めてないのか?」

「ああ。エリルラは無理だとしても、エロコの方はな。

 それより目的は果たしたのだ。損害も大きいのでマテリアルは大幅におまけして貰うぞ」

 

 教授の言に、エルフの美少女は「う、うむ」と押され気味に頷くしかなかった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 竜が艦上から飛び出すのは苦労が多い。

 専門の竜母ならいざ知らず、普通の軍艦には帆柱や帆、リギンと言った邪魔者が艦上に張り巡らされているからである。

 それらを避けて飛び立つのはアクロバットに近く、ベテランの竜騎士でも無い限りは、危険すぎて誰もやりはしない。

 

「吹けよ、【強風】」

 

 ビッチが風魔法を唱える。【送風】の魔法に似ているが、こちらの【強風】は強烈な風を起こす呪文で、長時間、一定の風を支配する【送風】と違って極めて短時間しか持続しない。

 帆を畳み、索具類を一時的に取り払って甲板をクリアにした状態で、なおかつ、この【強風】の風に乗せて短距離発艦を行うのが、通常の艦上発艦であった。

 

「さぁ、飛びますわ」

 

 下から上へ吹き上げる上昇気流に乗って、ヤスミーンが翼を大きく上下に動かした。

 力強く、何度も翼を羽ばたかせるとふわりと巨体が浮かび上がる。そのまま甲板を後肢で蹴り、、舷側より飛び出す騎竜。

 船は航行中だ。ぐずぐずすると後ろへ流されて、帆柱とかに衝突しかねないからである。

 やや手間取ったが、何とか発艦に成功したビッチは息を吐いた。

 

「毎度ながら、冷や汗ものですわね」

 

 昨日一日掛けて、ヤスミーンを休養させ体調も整えた。

 飼い葉もたっぷりと与え、全身を洗い清めて鱗も磨いた。竜はいつも清潔にしていないと、いつの間にか鱗の中に寄生虫が入り込んで病気になったりするので、こうした日々のケアは大切だ。

 二日近く放置してたので心配であったのだが、問題は無かったみたいでほっとしていた。

 

「さて、艦隊の集結ポイントは…」

 

 海図とコンパスを頼りに方向を定める。無論、これは津波前の予定に過ぎないので、実際は変更されている可能性が高い。だから予定ポイントを中心に周囲を回る必要があろう。

 

「旗旒信号確認。行きますわよ」

 

 直ぐには針路を取らず、エロンホーフェンの周囲をぐるりと旋回する。飛び立った後、時として追加として艦からの連絡があるからである。

 大抵の信号は、今掲げられた旗旒信号のような「飛行ノ無事ヲイノル」だのの激励だが、時として重要な追加の命令変更があったりするのだ。これを見落としたら任務の上で大変な事になりかねない。

 ビッチは周回を三回重ね。手元の小さな海図(気流に飛ばされぬ様に鞍の前に固定され、湿気を防ぐ為に油脂でコートされている)を何度も確認してから、目的地へと針路を取った。

 

「行きましたな」

「うむ」

 

 指導教官と艦長がそれを見送る。

 その近所に立つのはダニエルである。正確にはダニエルとクローバー。そして侍女達。

 

「空飛ぶって凄いね。えーと、り、りょうだっけ?」

「竜だ。正確には騎竜。草竜とも呼ばれるがな」

 

 クローバーはダニエルの肩に乗って一生懸命叫んでいる。肺が小さいので叫ばないと会話が成立しないのであるが、まだ生まれ立てなので単語が少し怪しい。

 ダニエルの訂正に、彼女は「りゅう、りゅう。うん覚えた」と何度か口に出して単語を繰り返す。侍女達はそれを微笑ましく眺めている。

 

「若様があんな風に他人に世話を焼くのは初めて見ました」

 

 ダニエル付きのテルミの呟きに、侍女長のアリエルが瓶底眼鏡をきらりと光らせて笑う。

 

「そうなのですか?」

 

 疑問を口にしたのはミモリ。こちらはダニエルでは無く、ビッチ付きの見習い侍女だが主同士が親しい関係で、自然と一緒に居る事が多くなっている。

 テルミが「ええ」と頷いた。

 

「人を見下す事の多い方ですから…」

 

 テルミも見習いの頃からダニエル付きに配されたのだが、かなり傍若無人で我が儘。身内か一定身分以上の者にしか配慮のせぬ、困ったお坊ちゃんな記憶しか無い。

 それでもテルミは持ち前の図太さで、ある意味、彼に対抗してきたのであるが…。

 

「まぁ、ダニエル様付きで残ってるのテルミと私くらいですね。

 神経の細い子や、精神的に弱い者は辞めたり、異動してしまいましたから」

「今度の士官学校入りになって、屋敷の侍女達は胸をなで下ろした筈ですよ。

 何せ、お付きの侍女は二人だけと規定されてますからね」

 

 必然的に他の侍女はダニエルの世話から外れる。

 ミモリは松葉杖を持ち直しながら、「大変ですね」と呟いた。

 

「まぁ、若様はあれはあれで、優しい方なのですよ」

 

 侍女長はそう断言する。

 アリエルだって尊敬する大侍女長に留意されなければ、とっくに辞めている筈だった。「戦闘侍女が、子供の我が儘程度をこなせなければどうするね?」と挑発されたってのもある。

 徹底的に我が儘を無視し、無理難題も「出来ません」「そうでございますか」と鉄面皮で要求をスルーして、今の地位がある。

 そして基本的に彼が強気を装っている事が判ってからは、気が楽になった。

 例え「言う事が聞けないのなら、お前はクビだ」と脅したとしても、実際にそれを実行に移す事は滅多に無かったからである。

 本当に辞めた時は前言撤回して頭を下げて来る。まぁ、そう言っても「お前が辞めたくないのなら、帰ってきて良いぞ」とツンデレ気味なのだが。

 

「俺も騎竜術を覚えた方が良かったかな」

「危ないよ?」

「心配してくれるのか」

「しんぱい…。えーと、それ何」

 

 まだ単語の意味を完全に理解してない彼女に、ダニエルは単語の意味を教えて行く。

 そうしつつ、『面白い』と彼は思う。妹分が出来たみたいだ。

 彼は末子であり、上に兄二人が居るだけである。ボルスト侯爵である父は領地の経営や政界に忙殺され、母は社交界へ顔を出すのに忙しかった。

 その為、跡継ぎでもない三人目の息子であるダニエルに両親が掛ける愛情は少なく、本当に手が離れる年齢になると乳母に任せて、殆ど構う事はなかった。

 彼は孤独であったのだ。権力に任せて横暴に振る舞ったのはその反動と言えた。

 もし彼の下に弟妹が居れば、そんな事はなかったのだろう。

 

「文字を教えてやろう。これからはヤシクネーだろうが学は必要になるからな」

「も…じ?」

 

 きょとんとした顔でダニエルを見返すクローバー。

 ダニエルは肩の上に乗る彼女に視線をやると、「ああ、同時に計算もな」と告げる。

 貴族には読み書き計算は基本である。この娘は自分と違って、読み書き計算を嫌う事はあるまいと踏んだ。

 彼は幼い頃、これが大嫌いで、散々我が儘を言って家庭教師を何人もクビにしたのだった。

 兄がやって来て、拳骨で制裁されたのも今は苦い思い出だ。

 

「面白いの?」

「面白いと思った方が楽しいぞ。そして自慢できる」

 

 クローバーの顔がほころんだのを見て、ダニエルも何となく愉快な気分になるのであった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 伝令飛行なので低空を行く。

 高度を上げた方が空気の薄さから竜の負担が少なくなり、航続距離も増えるのだが、雲の上からでは合流予定の船団を見落とす可能性が高くなる。

 

「もう少し大きいと便利なのですけど…」

 

 ビッチは鞍の前に設置された地図板を操作する。

 海図の両端をスクロールにして張り渡してある。手元のつまみをくるくる回すと地図が上下にスクロールする仕組みである。

 騎竜に搭載する為にサイズは大きくない。ビッチはそれが不満であった。

 古代王国期は映像盤と言う物を映すマジックアイテムがあったらしく、それがあれば夜間でも鮮明に地図とかの映像が見れたらしい、との思いを馳せる。

 

「コンパス(方位磁針)は正常。速度は125Km/h…」

 

 速度計を見る。これは鞍から突き出した長い棒(ピトー管)の先に計測器が入っており、速度を知る事が出来る。古代王国期の物を参考して、最近導入された最新器材だ。

 でも、残念ながら誤差はあるらしい。高度を変えるとそれだけでも誤差が出るとの話で、ベテランの竜騎士ほど頼らずに己の五感を優先するのだが、ビッチにとっては大体でも速度を計測できる速度計は福音だった。時速数キロ程度の誤差ならば気にもならない。

 

「針路は良し。このまま進みますわよ」

「くぅーん」

 

 当たり前だが、騎竜の体力を温存する為に全速では進まない。

 一番体力を消耗しない巡航速度。滑空を主体として羽ばたかない経済速度を維持するのがコツである。

 本来ならば、高空の方が空気抵抗が少ないので有利なのであるが、前述の理由で雲の下を行かねばならない。

 だから合流予定ポイントまでは高空で飛行し、ポイント付近で低空飛行へ切り替えるのが王道なのだが、津波の影響で船団が予定以外の海域をうろついている可能性や、ついでに敵船団を発見するのも考慮に入れて、低空オンリーで行く事にしたのである。

 

「これで三時間程進めば…。ヤスミーン、退屈でしょうが頑張りますのよ」

 

 当然、ビッチも退屈である。島でもあれば少しは景色に彩りが添えられるのだろうが、残念ながら目の前に広がるのは青一色の大海原でしかない。

 飛び立ったエロンホーフェンも遙か後方。既に姿は見えない。

 それでも監視は怠らない。船影を発見すれば偵察は必要だし、物騒だが敵竜から奇襲される可能性もある。それに今は機位的にこちらが低位なので、危険性は高まっている。

 上下左右に視線を巡らす。幸い、今日は雲量が少ない。

 

「お弁当でも食べましょうか」

 

 二時間程飛んだ時、ふっと緊張を解いて彼女は騎竜弁当の事を思い出した。

 ヤスミーンと組んだ後、これほど長時間の飛行したのはこれが初めてだったのである。

 短距離飛行ならば十数回やって慣れていたのだが、やはり長距離飛行は緊張感が違う。何とか慣れてきたと感じた時、不意に空腹であるのを覚えたのである。

 鞍の物入れに手を突っ込むと、粗末なライ麦パンにハムを挟んだサンドイッチが出てくる。

 風に飛ばされない様にそれを慎重に口に運び、一口囓って咀嚼する。酸っぱい風味と意外に豊かなハムの風味が合わさって美味である。

 

「食糧事情はやっぱり厳しいのでしょうね」

 

 騎竜弁当のパンは最高級の物を使う規定になっている。これがライ麦パンだと言う事は、本艦で最高級の食材がライ麦パンだと言う事を指す。

 しかし、この味ならライ麦パンでも不満はない。五個用意されたサンドイッチをビッチは食べ尽くした。海軍軍人は早弁の才能も必要なのである。

 

「サンドイッチってテラ語でしたっけ?」

 

 何でサンドイッチと呼ばれているのかは古代の女傑、テラが名付けたとの話だけで、語源は不明な料理なのだが、軽食として世界中に普及している料理である。

 海軍でもこの騎竜食だけではなく、戦闘中に食べる戦闘食として採用されている。手で摘まむと言う、いささか不作法な料理故、貴族子女では嫌う者も多いのだが、公爵令嬢に似合わずにビッチは気にしない。これは幼馴染みの悪友の影響だろう。

 

「! 船影」

 

 ビッチとヤスミーンが予定通り船団に到着したのは、予定より半時間程早い時刻であった。

 

〈続く〉




今回は殆ど、竜の飛行になってしまった気が(笑)。
でも思うんですよ。竜が出てくる作品読んでも、鞍一つに竜騎士が乗ってるってだけって作品が多いので、地紋航法を使わない目印無しの海上を飛ぶ場合、どうやって自分の機位を測定したり、目的地へ向かう為の航法どうしてるんだろうって。
地図とかコンパス、そして速度計、高度計なんてのも必要だろう。寒さに耐えられる騎竜服や、騎竜ゴーグルなんかも要るだろうって。
初歩的だけど、WW1の飛行機乗り程度の装備は持たせてやりたいなと思ったので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海12

実習航海編です。
『エロエロナ物語』の投稿でやや遅れてしまいました。



〈外伝〉実習航海12

 

 派遣された艦隊は旗艦『ウーラガン』を中心とした三隻だった。

 ウーラガンは東艦隊所属のコルベットであるが、残りの二隻は私掠船で規模は小さく、キャラベル程度である。

 ビッチの見た所、随伴船の質は船、乗員共に余り良くなさそうだ。

 

「敵の正体が『アモンラー』率いる艦隊か。だが、艦隊規模までは掴んでおらぬのだな」

「はっ、捕虜の話では最低でも二隻は居るとの情報ですが、詳細は掴めておりません」

 

 ビッチ・ビッチンの報告に、艦隊司令ブリンナー大佐は顔をしかめた。

 この情報とて、既にかなり旧い物だ。もしかしたら新たに船を増強させているのかもしれないし、敵船団の構成艦だってはっきりとしない。

 

 司令はエッケナー大佐からもたらされた伝令文をくるくると巻いた。そして代わりに封蝋の施された文書を手渡す。

 こちらは返信としてビッチが持ち帰る封書である。

 ビッチは直ちにそれを通信筒に入れた。ゴムでパッキングされた細長い金属管で、防水・湿気対策も施されている。

 

「では、エッケナー大佐に宜しく伝えてくれ」

「はいっ、直ちに帰還致します!」

 

 敬礼をして騎竜へ駆け寄ると、まず、鞍に装備されたラックに通信筒を固定する。

 騎竜服と騎竜帽の状態を点検。南方海域では毛皮で作られたこれらは暑苦しいが、空の上に昇る事で感じる寒気を防いでくれる優れものである。

 唯一、ビッチが気に入らないのは元々、自分用にあつらえられた服では無いと言う事で、これは急遽用意された為に、既製品を使わざる得なかった為だ。

 

「さぁ、今度は帰還ですわよ」

 

 ぽんぽんとヤスミーンの頭を撫でる。数時間しか休めなかったのはやや不安だが、今、出発しなかったら、帰投時間が夕方を過ぎて夜になってしまう。

 鞍を点検して固定を確認後、鞍に跨がって身体を拘束帯で固定する。この船に到着後に鞍を一旦外していたので(騎竜のストレス対策である)、これらの点検は重要だ。

 鐙の調子を確かめつつ、つまみを回して地図をスクロールしたり、コンパスの調子や高度計などの機器類を調整する。

 

「この船の乾舷は幾らでしたかしら?」

「主甲板なら、4.5mです」

「ありがとうですわ」

 

 高度計の針を4.5mに微調整。速度計が時速6から9kmの間を小刻みに動いているが、勘で大体、船速が時速8km程度だと見当を付けて、まぁ、こんな物かと放置する。

 厳密な数字なんか出る筈がないのだ。この程度なら誤差の範囲内だろう。

 

「発艦用意良し!」

「了解。ロートハイユ候補生、左舷より発艦せよ」

 

 甲板士官の指示に従い、ビッチとヤスミーンは再び空の人となった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 エロンホーフェンは再び、バニー本島へ寄港した。

 津波の被害はこちらにも達していたが、岬を回った反対側は、被害の状況が直撃されたフロリナ島とは違って遙かに軽い。

 それでも、港内には幾隻もの沈船が見える。沿岸の建物も幾つか被害を受けた様子だ。だが、多数の人々がかいがいしく働き、瓦礫の除去などの各種作業を行っている点が、フロリナ港との地力の違いを感じられる。

 向こうの港は全て洗い流され、人を含めて何も残ってはいなかった。

 

「帰ってきてしまったか…」

 

 ガリュートは故郷の港を複雑な表情で眺めた。

 港の被害の少なさに安堵している自分と、これからの展開を思うと心が沈む自分がいる。

 

「これが、ぽーとばにぃなの?」

「ポートバニーだ。発音が悪いぞ」

「大きいね。人も一杯!」

 

 こちらはダニエル様御一行。

 クローバーは相変わらず無邪気で、好奇心一杯である。働くヤシクネーらが気になる様子で、港湾で清掃作業している団体を興味深げに眺めている。

 

「では、入港手続きを宜しくお願いします」

「うむ」

 

 艦長は途中で乗船したパイロット(水先案内人)に敬礼し、下船して行くのを見送った。

 

「驚いたな。まさか、パイロットが派遣されているとは思いませんでした」

 

 副長の正直な感想である。てっきり港の被害に忙殺されて、入港管理もいい加減になっていると予想していたのだ。

 

「それだけ組織立っているのだろう。しかし、正直、私も驚いている。

 水先案内艇(パイロットボート)が現れた時、幻かと疑ったよ」

 

 そう語る大佐の視線の先には、転舵しつつ、本艦から離れて行く白く小さな船があった。

 先程まで接舷していた、この港所属の水先案内艇である。申し訳程度のキャビンとラテンセールを一枚持っただけの軽快そうな縦帆船だ。

 一昨日被害があった筈なのに、もう通常業務に復旧しているのは凄かった。

 

「ロートハイユ候補生が到着するのは、そろそろか?」

「向こうで手間どっていない限りは、18:00(いちはちまるまる)までには…。あ、あれがそうではありませんか?」

「いや、二騎いるぞ。デス、警報を鳴らせ、対空戦闘用意!」

 

 空の一角に騎影を認めたエッケナー大佐は鋭い声で命令を発した。

 相手は二騎。追われている様子で、緩降下しながら後ろの一騎を振り切ろうとしている。

 こちらの甲板も大忙しである。もうすぐ入港だと気を抜いている時にラッパが鳴り、突然の戦闘配置命令だ。あたふたと弩砲の固縛を解いているが、見た所、8基ある内の一部しか間に合いそうもない。

 

「な、何であたし達がぁ」

「ミモリさん。口よりも手を動かしなさい!」

 

 ミモリが目を白黒させながら、ウインドラス(巻上器)を回す。

 侍女だろうと使える者は使えとダニエルに強制動員されてしまったのだが、流石にダニエル付きのアリエルやテルミ。ビッチ付きのハミーナ、マリエル達の動きは素早かった。彼女ら貴族付きの侍女は、いざと言う時は補助戦闘員としても働く様に訓練されているからである。

 一番砲座の射手席に座るのはダニエル。こちらも旋回ハンドルを回して指向している。唯一、弩砲の撃ち方を心得ているからである。

 

「やれーっ、いけーっ、うてー!」

「騒ぐな。命令が無けりゃ、発砲出来ないんだよ」

「えー?」

 

 肩に乗ったクローバーが騒ぐが、ダニエルはそれをたしなめる。

 ようやく弩にテンションが掛かり、発射可能になった頃、望遠鏡で竜を観察していたデス・ルーゲンス少佐が声を上げる。

 

「先頭はロートハイユ候補生ですな」

「では後ろが敵か。一番砲座、後方の敵へ警告射を放て!」

 

 仰角を掛けられた弩砲が照準を付け、引き絞った弦から太矢(ボルト)が放たれる。

 太矢は飛翔しつつ、弾頭から耳障りな音が響かせた。これは先端に付けられた笛が音を発して、騎竜に威嚇を与える為の対空用のボルトである。

 敵を怯ませられれば上等。な理屈で考案された矢であるが、心理的にはかなり効く様である。

 

「びぃぃぃんって鳴った!」

「でっかい鏑矢だからな。さて、次彈装填急げっ!」

「ひぇぇぇぇ。また、ぐるぐるー!」

 

 一番砲座から三者三様の怒声や悲鳴が上がる。

 警告射はビッチの後ろに位置する敵竜の脇を、予定通りにかすめると後落して行く。効果はあった様で、その竜はくるりと騎首を翻した。

 

「二射目はなさそうだな…」

 

 ダニエルは汗を拭う。

 彼の本質は指揮官であり、弩砲の射手をしたのは訓練以来だったからだ。間違ってビッチの方を串刺しにしてしまったらと焦っていたのは秘密である。

 

「あれはお嬢様ですね」

「ええ、確かに…」

 

 ビッチ付きの侍女長ハミーナとその配下、マリエルは会話を交わす。

 マリエルは職を辞したローズに代わりで、やはり、士族令嬢と言う良い所のお嬢さんである。無論、戦闘侍女であり、見掛けに反してそれなりの戦闘力を持っている。

 

「怪我を負ってなければ良いのですが…」

 

 ハミーナは港の一角に降りる騎竜を見送った。こちらは入港中なので、帆を畳んだりリギンを外したりする着艦準備が出来ないのである。

 接岸し、舷門(タラップ)が架けられると侍女二人は真っ先に駆け下りて主の元へと向かう。

 ダニエルも後を追いたかったのだが、生憎、こちらは侍女と違って軍人だ。勝手に船から離れる事は出来ない。

 

「お嬢様!」

 

 広場の一角で竜が四点着艦法のまま、身を横たえていた。

 鞍の上にぐったり前のめりになった主の姿を確認すると、ハミーナが声を掛ける。

 その声に反応したのか、ビッチが身を起こす。ゆるゆると手を挙げて、自分が健在であるのをアピールした。

 

「だ、大丈夫ですわ。それよりも報告を…」

「お嬢様」

「ヤスミーンは無事ですの?」

 

 その言葉を受け、マリエルが騎竜の周囲を回る。

 見た所、竜は大きな損傷や怪我は見当たらない。幾らか鱗に傷が付いているが、これは敵の連弩からの攻撃を受けた跡だろう。

 貫通している箇所はなく、命中したが鱗で弾いているのだ。

 個人用の連弩であって幸いである。これが対空用バリスタだったら致命傷を受けていた所である。連弩も威力的には対人ではオーバーキル気味なのだが、竜の鱗に対しては少々威力不足なのだ。

 

「あたしに乗って下さい」

 

 松葉杖の為、正規の侍女二人からはやや遅れたミモリが声を掛ける。

 一応、彼女もビッチ付きの侍女である。臨時雇いなのでこれからどうなるのか不安であるが、今はそれを気にする余裕はない。

 彼女はヤシガニ体の広い背中を示し、ビッチを背負うべく回れ右をする。

 

「怪我人なんだから無理は禁物よ」

「大丈夫です。脚を一本失ってますけど、何とかなります」

 

 マリエルの言に『そろそろ役に立たなきゃ』と考えているミモリは、胸を張って断言した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 最初にそれに気が付いたのは、旗艦の周囲を周回中だった。

 旗旒信号が上がり、「我ガ艦隊にカカワラズ、タダチニ帰還スベシ」の通信文を読んだ時であった。慌てて周囲に視線を巡らせると、数隻の船影が見えた。

 

「まさか、敵?」

 

 普通、商船は独航が基本である。船団を組む事は殆ど無い。

 しかも、最後尾に位置する船が独特すぎた。主船体の左右にアウトリガーを設け、その上に甲板を張った三胴船なのである。

 しかも、主船体からやや離された、その左右甲板に蠢く大きな影。

 

「りっ、竜母ですの?」

 

 騎竜母艦。通称、竜母。

 竜を発着させる広い専用の飛行甲板を持ち、十数頭の騎竜を搭載する、海上で竜を運用する為の専用艦である。

 海軍でも虎の子の金食い虫であり、普通は私掠船団如きが保有する事はあり得ない。

 あり得ない筈なのだが…。その飛行甲板から数頭の騎竜が飛び立ったのだ。

 ビッチはヤスミーンに鞭を入れて上昇に移る。

 敵よりも高度を稼がねば危険であった。

 

「! 艦隊が」

 

 幸い、こちらを追撃するのは僅か一騎。残りの七騎は全て艦隊の方へと殺到している。

 旗艦ウーラガンを始め、各艦が対空射撃を開始するが、弩砲の殆どは外れで、敵騎の接近を許してしまっていた。

 針路をエロンホーフェンとの合流海域へ向かう為、ビッチは艦隊の方に注意を向けられる時間は少なく、殆どが高度稼ぎの最中に見た物であるが、敵騎の動きは明らかにおかしかった。

 

「何故、海面すれすれに?」

 

 弩によって甲板を掃射するにしても、普通は艦の上方から降下する物である。

 敵艦の弩砲を騎竜へ分散させ、連携した味方艦隊にその脅威を向けさせない事が目的だからであり、水平飛行で長く姿を晒す事自体が、弩砲の的と化す自殺行為と考えられている為である。

 そも騎竜自体、艦隊攻撃には向かない。本物の竜と違い、口から火焔だの電光だのを吐く事が出来ないからだ。だが…。

 

「ええっ!?」

 

 敵騎が何かを投下したのだ。

 水面に水柱が立ち、その後、白い航跡がするすると味方船に伸びる。それが味方と交差した時、船を含む一体の海面が凍結した。

 

「あれは見た事がありますわ!」

 

 味方私掠船。確か船名は『ギャラホルン』とか言ったか、は氷塊に包まれて惰性で航行していた。帆は既に役に立ってない。甲板にいた人間は凍結して生きてはいないだろう。

 ビッチはあれを知っていた。数日前、敵と交戦した際に魔導弾頭の一つにあれと似た効果の物があったのだ。

 敵はそれを用いて、竜から投下する水中推進弾を開発したのかも知れない。

 

「やばいですわね」

 

 余り長く見てはいられない。水中推進弾を投下し終えた敵騎が上昇に移ったからである。こちらへ向かってくる前に逃げねばならない。

 先行した一騎はこちらへと追いつく程の猛追をしている。この上、敵の数が増えてしまったら、完全に不利になる。

 ここは逃げるが勝ちである。

 

「早く、この情報を母艦に伝えねば!」

 

              ◆       ◆       ◆

 

ブロドールの旗艦、アモンラー。

 

「凄い物だな…」

 

 用意した新兵器は胡散臭かったが、予想以上の力を発揮してブロドールを驚かせていた。

 

「試作品と言っていたが、教授め」

 

 竜へ搭載可能にした魔導弾頭。但し、空中ではなく水中を進むと説明された時、ブロドールは何も期待していなかったのだが、これは凄いと認めざる得なかった。

 今回のこれはプロモートなのだろう。その威力を示し、帝国へと売り込む為のデモンストレーションだと認識する。わざわざ結社が竜母まで用意させたのもその為か。

 

「が、竜母を用意する価値はあるな」

 

 ブロドールは後方を走る竜母『パンゲア』を一瞥する。

 結社からの貸与であり、今の指揮権は自分にあるが。正確には自分の持ち船ではない。乗り組んでるのも結社の関係者で、全て教授と同じ様に表情のない仮面を被っている不気味な連中だ。

 

「敵旗艦に命中弾!」

「これじゃあ、あっし達が手を出す前に全て終わっちまいますぜ、頭ぁ!」

 

 甲板で弩砲を構えている無法者共が、不満の声を上げる。

 斬り込みを用意してた手下達も同様である。

 最初の一隻は凍結するだけだったが、次の奴は火球に包まれて爆沈。今度の旗艦も轟沈は免れたが、あの被害では海に没するのは避けられまい。

 斬り込み移乗戦闘で戦利品を漁る機会が消えたのだ。私掠船にとってこれは痛手である。

 

「こっちの都合は考えてくれないのが、錬金術師らしいと言うべきか」

 

 終わってしまった物は仕方が無い。

 ブロドールは凍結してる敵艦への接舷を命令した。氷を砕いて中を調べれば、幾ばくかの戦利品が見付かるだろうとの皮算用であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ご苦労」

「はっ…あ、あら、です…わ」

 

 母艦で報告を終えたビッチは敬礼後に気を失う。

 敵騎と追いつ、追われつつの空戦をしながら辿り着いたのである。何とか気力でここまで保っていたのだろう。侍女達が慌てて介護する中、エッケナー大佐らは頭を抱えていた。

 

「艦隊との合流は…」

「デス。わしはブリンナー大佐が無事でいる可能性は低いと判断している。

 万が一、撃沈されていないとしても、艦隊は半壊状態だろう」

 

 先のロートハイユ候補生の報告を信じるなら、既に艦隊の三割は喪失している。

 生き残ったなら、このポートバニーに入港してくるだろうが、戦力として計算出来るのかと言えば、余り頼りにないのは確かだ。

 

「戦えるのは、我々だけと覚悟しておいた方が良いかもしれん」

 

〈続く〉




魚雷登場。
でも発掘兵器ではなく、教授が考案したオリジナル兵器です。
まぁ、アイディアは発掘兵器にあるのでしょうが、この機構を工夫して考えたのは彼の功績です。
さて、個人ではなく、組織としての結社が出て参りました。
まだ全貌は謎ですけどね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海13

長らくお待たせしました。<外伝>をお届けします。



〈外伝〉実習航海13

 

「態度がよそよそしくなってますわね」

 

 最初にそれに気が付いたのはビッチであった。

 偶然と言っても良いが、きっかけはミモリである。半舷上陸し、侍女達と買い物へと出かけた際に、ミモリが迷子になったのである。

 ポートバニーの町は地方都市と称して構わぬほど立派で規模が大きい。

 フロリナ島の田舎町しか知らないミモリが雑踏ではぐれ、右も左も分からなくなってしまったのは仕方ない事だったのかも知れない。

 

「ここは何処でしょう?」

 

 道を尋ねた町のチンピラに騙され、あわやと言う時に現れた騎士がミモリを助け出してくれた。

 ケルマディック。彼女は領主に仕える人馬族の騎士で、警備隊を率いていた隊長であった。

 

「え、君は練習艦の乗組員なのか?」

「いえ、違いますけど、難民でお世話になっているんです」

 

 暴漢を鮮やかに退治した彼女は、ミモリの事情を聞いて顔を歪めた。

 ようやくはぐれた侍女見習いを発見し、合流しようとしたビッチはハミーナに行動を制される。

 態度がおかしい。ここは様子見だと無言で告げる侍女長。

 

「困ったな。まぁ、助けてしまったからには仕方ない」

「はい?」

 

 ミモリはきょとんとしている。きせびやかな騎士の服装をした見目麗しい騎士隊長は、こほんと軽く咳をすると、じっとミモリを覗き込んだ。

 セントールとヤシクネーなので身長差は余り違わない。これが、普通の人間だったら高身長から上から目線になる所である。

 

「ここだけの話だが、なるべく早く船を降りた方が良い。死にたくなければ」

「え?」

「誰にも言うな。では、さらばだ」

 

 それだけ告げると、ぱかっぱかっと蹄の音も高く去ってしまう女騎士。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ケルマディック・ワダツミですね。それは」

 

 半舷上陸から帰還したビッチ一行を出迎えたガリュートは、その女騎士の事を知っていた。

 

「騎士隊長の中では実力者ですよ。元々セントールだから力も強いですし、うちの領内ではトップと言って良いんじゃないでしょうか?」

「東方系の名ですわね?」

 

 ワダツミとの名に引っかかりを持ったビッチが尋ねる。

 

「元々、先祖が東方からの出だそうで、あのゴーダー・カーンの軍勢にも加わっていたそうです。代々傭兵だったらしいんですけど、祖父の代から我がベクター家に仕えました」

 

 ゴーダー・カーンは新暦200年代に西方を席巻した騎馬民族の大帝だ。

 カーンの帝国は悪逆非道。無慈悲であり、今でも子供達は「悪い事をすると、カーンの人馬に連れ去られるよ」と言って、親に脅される程である。

 

「それは良いとして、彼女は何故、ミモリにあんな事を言ったのかしら?」

 

 ハミーナの疑問。

 

「まさか、賊と内通しているとかではありませんよね?」

「馬鹿なっ、幾ら何でも」

 

 否定するガリュートだが、ハミーナは続ける。

 

「ベクター男爵が関わっているか別にして、その女騎士個人がは有り得るとは思いますね」

 

 流石に爵位持ち貴族が、グラン王国に叛旗を翻すとは簡単に判断は出来ない。

 だが、騎士が何やら企みに一枚噛んでいるのは確かだ。

 冗談でも「死にたくなければ」とか、告げるとは思えないからである。

 

「しかし、ケルマディックは我が家に昔から仕える騎士。悪事に荷担する様な者ではありません」

「では、どうしてミモリにあんな事を?

 それでは、その悪巧みが主家の命で行われたとの話になってしまいますよ」

 

 班長と家来の中に割って入ったのはビッチであった。

 

「ガリュートの件もありますわね。では、いっそベクター家に乗り込んでみましょう」

「ええっ」

「いきなり本拠地を突きますか、お嬢様」

 

 ビッチの発言は唐突ではあったが、威力偵察としては理には叶っている物であった。

 囲まれて危害が加えられる可能性も、無論ある。しかし、いざとなれば人質としてベクター男爵の息子も居るのだし、悪い手であるとは言えない。

 

「おい、何話してるんだ?」

「楽しい話? それとも悲しい話?」

 

 横合いから現れた同僚とその肩に乗るヤシクネーに、ビッチ・ビッチンは丁度良かったと声を掛ける。

 

「ああ、余り楽しくない話ですのよ。丁度良かった、頼みたい事がありますの」

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ふむ、襲撃される可能性あり…か」

「はっ! ビッチ・ロートハイユの言でありますが」

 

 艦長に発言するのは、報告を肩代わりされたダニエルだ。

 彼女は善は急げとばかりに出掛けてしまい、報告はダニエル任せになってしまったのだ。彼の肩の上にいるクローバーは、「仕事押しつけられた」とおかんむりである。

 

「どう思うね。指導教官?」

「判断材料が少なすぎますな。しかし、無視する訳にも行きますまい」

 

 単なる与太話ならば良いのだが、発言相手が領主麾下の騎士隊長である点が引っかかる。

 警戒するに越した事はない。と大佐は腹をくくる。

 

「デス。半舷上陸している者を呼び戻せ。陸戦隊を編制し、警戒に当たらせろ」

「はっ、指揮は私が取ります」

 

 デス・ルーゲンス少佐は一礼するとダニエルへと振り向く。

 

「総員を呼集させよ。臨時に陸戦隊を編制し、警戒に当たらせる」

「了解しました」

 

 カンカンカンと船鐘が打ち鳴らされると、班長クラスのオフィサーがたちまち甲板に集合し、命令が伝えられる。

 

「シフトは三班。6時間交替で第1~5班。6~10班。11~15班に別れる。第16班は予備として操船体制で待機。現在上陸中の11班以下を艦に戻す様に伝令を出せ」

「こちらが警戒している事を相手に気取られるな。あくまで、平常運転だと思わせるんだ」

 

 指示が出ると同時に最初の第一陣向けに、武器庫が開けられて装備が用意される。

 元々が海兵なので武器と言ってもかなりの軽武装だが、甲板に並べられた武器・防具の類いはがちゃがちゃとかなり五月蠅い。

 

「うわぁ、鎧だ。俺、初めて着るよ」

「連弩の太矢って何処?」

 

 口々に感想を述べる士官候補生達。

 特に鎧は普段から縁遠い装備である。陸軍と違って艦上では邪魔になるので身に付ける事は殆どないし、溺死を避ける為に金属を使われている箇所は少ない革鎧である。

 中には着用法が分からず、途方に暮れる者だって出る。

 

「ポーティングランス(移乗戦槍)なんて、訓練以外で使うとは思わなかったなぁ」

 

 覆いを取り去って長い穂先を確かめる者。捕鯨用の投げ銛そっくりで、後ろには縄も付いている。敵に向かって投げつけて、尻の縄をたぐって回収する大型の槍だ。

 

「そいつを持った奴は歩哨ね」

「ええっ」

「見た目から怖そうだから、はったりが利きそうだろ?」

 

 確かにこれで歩哨すると見た目から威嚇にはなりそうだ。

 

「カラット、俺達の担当は夜半からだが、港へ行って半舷の奴らを連れ戻す。

 単独は避けて分隊単位で行動しろ。それと港の奴らに気取られるな」

「分かりました。班長は第一分隊を率いて下さい」

 

 ダニエルは副官に指示を与えると、四人の部下を率いて街へと飛び出した。

 街は復興の慌ただしさはあるが、フロリナ港と違って被害は少なかったらしく、そこらに未処理の死体が放置されてるとかの悲惨な光景は余り見られない。

 あっちは地獄みたいだったからな。とダニエルは思い出す。

 

「こっちでは、酒場や食堂が開いているんだからな」

 

 少なくとも、全ての建物は津波で流れ去っていた向こうでは考えられない光景だ。その中で飲食している候補生を見付け、直ぐに帰還する様に指示を出す。

 帰還理由を聞かれるが、「そんな事は俺にも分からん。教官なり艦長なりに直接聞け」とにべもない答えを返すのは、どこに敵の耳があるのかが判らぬからだ。

 

「よぉ」

「パカ・パカ、貴様か」

 

 数軒目の屋台でほろ酔い気分になっている人馬族を発見する。

 早速命令を伝えると彼は怪訝そうな顔をして、こちらへ顔を近づけた。

 

「まぁ、座れや。おーい、オヤジ。こいつにもエールを一杯ね」

「おいっ」

「しっ、俺達を見張っててる奴が居る」

 

 それを聞いて黙って相席になるダニエル。

 

「何処に居る?」

「目をやるなよ。そうだ、クローバー。何か唄を歌え」

 

 肩上のヤシクネーはきょとんした顔をしていたが、こくんと頷くと「もーもーさん。もーもーさんとみのたうろす。ほるすたいんがお気に入り♪」と調子っぱずれの唄を歌い出す。

 その間に人馬族は小声で会話を交わす。

 無論、クローバーの歌に手拍子をしながらである。

 

「上手い上手い。もーもーさん♪

 でだ、俺の斜め向かいに座ってる奴。海賊っぽいがどうも聞き耳を立ててやがる」

「海賊? 領主配下の軍人じゃないのか」

「そう言うお上品な奴にゃ見えないな。っと、もーもーさん。もーもーさん♪」

 

 クローバーのもーもーさんの歌に合わせながらなので、会話が進まないが、彼女の歌声は充分、会話を聞き取りにくくする工作には役立っている。

 ちなみにもーもーさんは、ダニエルの侍女テルミがクローバーに教えた童謡だ。

 怪物ミノノタウロスが牧場の雌牛に惚れてしまうという戯れ唄だが、本当にあった事件を題材にしているので、牧場関係者にとっての警告を主としている唄らしい。

 

「アリエル、テルミ」

 

 侍女二人の名を呼ぶと、ダニエルはハンドサインで指示を出す。

 二人は目で合図しながら、ダニエル達から離れて監視体制へと移る。

 

「よしっ、まぁまぁの出来だね」

「いや、音痴だろ」

「ダニエル酷ーい!」

「続きは船に帰ってからだ。ほら、パカ・パカ、歩けるか?」

 

 パカ・パカに肩を貸しながら一行は席を立った。

 オヤジに支払いしつつ、侍女二人が海賊の男らしきのを監視しているのを確かめつつ、ダニエルは店を出てエロンホーフェンへ向かった。

 

「ほるすたうろすって、本当に居るの?」

「眉唾じゃねぇ。女型のミノなんてさ」

 

 道中、そんな馬鹿話を繰り広げながら船へ着く。

 しかし、監視の目は続いているのを一行は感じていた。

 特にクローバーが「付いて来てるよ。ダニエル」と耳元で囁くのはかなり役に立つ。身体が小さいと目立たないのだなと、彼はこの小さな同居人を見直した。

 途中で別れたアリエル達が気がかりだったが、今は無事であるのを祈るしか無い。

 

「良くやった。クローバー、アイスを奢ってやる」

「わーい」

 

 酒保の方も入港でかなり食料事情が改善されて、嗜好品が解禁になっている。

 水属性魔法の【氷】を使ったアイスクリームは高価だが人気だ。牛乳と卵に砂糖が必要なので、いつでも造れるメニューではないが、ダニエルはそれを奢る事にした。

 

「パカ・パカ。カラット、どう思う?」

「監視の目は確かにありましたね。ロートハイユ班長の主張も信憑味を帯びてきたと言う事ですが、しかし、相手はどう見てもチンピラか無頼漢の類いでしたよ」

 

 身体と同じサイズはありそうなアイスの器に顔を突っ込んで、幸せそうにアイスを頬張るクローバーを横目に見ながら、カラットは疑問を述べる。

 

「領主配下の兵ではないな。考えられるのは結託だな」

「結託だと?」

「ああ、つまり、直接俺達を襲うのは海賊で、それを領主側が見逃すって話だ」

 

 パカ・パカは断言する。

 

「見て見ぬ振り、か」

 

 有り得るな、とダニエルも納得する。

 もし、私掠船側と裏で通じていたとしても表立って敵対せず、便宜を図る方が後々言い訳もしやすい。問題は、それが例の騎士隊長一人の問題なのか、それとも領主ぐるみの陰謀なのかだ。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 侍女二人、ハミーナとマリエルの力を借りてビッチ一行は旅装を整えた。

 街道を行く為に馬車を借り、ベクター男爵邸へと歩みを進める。

 馬車は普通のコーチ(箱馬車)タイプ。

 カブリオレ(露天)タイプでも良かったのだが、流石に外から丸見えなのは避けたいからである。

 

「窓を開けないと暑苦しいですわね」

 

 南国だから暑いのである。しかも、今着ているビッチの服装はいつものセーラー服ではなく、私服のドレス姿。袖無しとは言え、熱気の篭もる馬車内では暑苦しい。

 

「ガリュート様を見せる訳にも行きませんし、我慢して下さいお嬢様」

「判っていますわ。微風を我が元へ【送風】」

 

 アリエルにそう答えると、ビッチは風魔法を発動した。

 ちなみにこの時代の馬車には、王侯貴族のそれでもない限り窓硝子なんか填まっていない。常に窓全開で、もし雨が降ったら板の鎧戸を閉めるだけである。

 

「荒ぶるカーテン…」

 

 身体の大きさから中へ入れないミモリが御者台で呟く。

 不自然なまでにバタバタと煽られるカーテン。微風にしては少し強すぎるが、この程度はないと暑くてたまらないのであろう。

 

「そろそろでは有りませんか。ガリュート様?」

 

 同じく御者台で手綱を握る、ハミーナが注意を促した。

 ガリュートは窓からそっと外を眺める。ベクター男爵領の中心地、木壁に囲まれたカルシスの街が見えて来る。

 その利便性から男爵邸のポートバニーへの移転も囁かれているが、農地に囲まれたここが、ずっとベクター男爵領の中心である。

 懐かしさと共に『敵地に乗り込んでいるのだ』との意識も上がって来る。さて、母上はどんな事を考えているのか。

 

「衛視が居ますね」

 

 ハミーナが告げる。街へと入る手前の門に衛兵が立っている。

 大袈裟なハルバード(斧槍)を持ったウォーリアバニーの衛兵は一人だけだが、木製の壁を張り巡らした市壁と一体化した粗末な詰め所があって、その中にも数人が詰めている様子である。

 

「堂々と正面から行きますわよ。身分を出してね」

「正攻法ですか。分かりました」

 

 その為にわざわざ貴族の正装して、このクソ暑い中ドレス姿なのである。

 馬車は市門の前で一旦、停車する。

 

「カルシスへ入る用件を述べよ」

「特にありません。敢えて言うなら物見遊山でしょうか」

「何だと?」

 

 バニーガールが鼻息を荒くした時、「下がりなさい。下郎!」との厳しい声が上がり、馬車の扉がばたんと開く。

 ずいっと身を乗り出すのは、豪華なコルセット付きのドレスに身を包んだ、羽根扇を手にした縦ロールの貴族令嬢。

 

「田舎者は礼儀も心得ませんの」

「こちらはロートハイユ公爵令嬢です」

 

 ビッチとマリエルの声が交差する。

 上から鋭い目線で射て、如何にも貴族でござい的な、尊大な態度で見下ろされると萎縮してしまうらしく、びくりと衛視が固まる。

 

「こ、公爵令嬢?」

「如何にも。お嬢様はグラン王国の八大侯爵家、ロートハイユ公爵家の一員でございます」

 

 今は士族だけどね。とビッチは内心ぺろりと舌を出すが、顔の表情は変わっていない。

 むしろ、『さぁ、大貴族の悪役令嬢ですわ』的なオーラで睥睨している。

 

「わたくしが到着したとベクター男爵へ使いを出しなさい。

 礼儀として領主殿へ訪問したく思いますわ」

 

 身分証明として家紋入りの文書を手渡す。封蝋された文はシーリングでビッチの印が押してあり、貴族階級が見れば完璧に本物だと分かる代物である。

 

「お、お待ちを…」

 

 詰め所からこのバニーの上司らしき女騎士が出てきて、顔を真っ青にしながらあれこれ指示を出している。木壁上にある回廊でも数人の兵がバタバタと駆け回っている様子だ。

 

「さて、どう出てくるやら」

「こ…これは、流石に勘弁して欲しいですよ。班長」

 

 馬車に戻ったビッチの呟きと、ボリュームのあるスカートの中から情けない声を出すガリュートの嘆きが同時に上がる。

 

「あら、貴方が変な考えを起こさねば、何の問題もありませんことよ」

 

 ビッチはボーンで膨らんだドレスの中に、とっさに部下を隠していたのである。

 馬車内を覗かれたら、一発で彼の存在がばれてしまうので窮余の策であったが、上手く行った。

 

「いっその事。男爵と会う時もスカートの中に隠れていらしたら?」

「それは勘弁です」

 

 一行がベクター男爵邸へと案内されたのは、それから間もなくであった。

 

〈続く〉




ベクター男爵領もそうですが、南洋の島々の所領はウォーリアバニーやヤシクネーみたいな女系種族が主なので、騎士や兵士なども男性の割合が低くなっています。
ゆえに男性は売り手市場なんですが、貴族家なんかじゃ、男は大切に囲われて表に出てこない。だから、もし婚姻となったら婿へ求婚が殺到します。
まぁ、市民階級は行きずりの男とやるんですが、名のある士族以上だと名誉の点でそうも行きませんからね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈外伝〉、実習航海14

外伝をお届けします。
結構な長さになってしまったよ。
久々の『エロエロンナ』です。お楽しみ下さい。


〈外伝〉実習航海14

 

 館の中は混乱中であった。

 前日の無理難題の要求に加え、新たに難題が持ち込まれたからである。

 

「これは確かにロートハイユ公爵家の物ですね」

 

 手紙の確認を行ったベクター男爵が呟く。

 これを調べるのに書庫から貴族年鑑を引っ張り出し、わざわざ封蝋を壊さない様に調べ上げるのに時間が掛かった。

 開封し、更にサインをも確認するとまごう事なき本物であるのが判明する。

 

「如何しましょう?」

 

 傍らに勤める家令のエドワード、この島には珍しい男性のそれだ、が尋ねる。

 仕立ての良い簡素なドレスに身を包んだ女男爵は、「貴方はどう思うのかしら?」と逆に質問する。

 家令はごほんと咳をすると、「では…」とおもむろに口を開いた。

 

「ビッチ・ロートハイユ公爵令嬢は本物です。となれば我が男爵家で歓迎すべきですな」

「門前払いはならぬと?」

「はい。少なくとも、我が家へ迎え入れるべきです」

 

 男爵はチラリとエドワードに視線をやり、「その後は?」と続きを促した。

 まずは歓待して様子を見るべきと彼は続ける。

 相手の目的が分からぬ以上、手出しは避けるべきとも。

 

「こちらが注意すべき人物の一人が、こちらの手中へとやって来たのですからな」

「もう一人は、侯爵家の息子だったわね」

 

 ボルスト侯爵の次男。名はダニエルとか言ったか。

 練習艦の名簿にあった要注意人物だ。この二人の他に高位貴族の子女は確か居ない。他は子爵以下の中堅貴族ばかりだった。

 万が一、敵に回しても何とか切り抜けられる筈だ。

 

「とにかく、歓迎の支度を調えなさい」

 

 家令は一礼すると、他の使用人に対して指示を出して行く。

 

「海賊の要求でさえ頭が痛いのに……」

 

 高価な窓ガラスの外を見詰めて、ベクター男爵は盛大なため息をついた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 カルシスの町は平和そうな田舎町であった。

 無論、領主の居する領都であるから、それなりの発展をしているものの、港町ポートバニーに比較したらその繁栄度は比べものにはならない。

 

「いずれ、古都と言われる様になるでしょう」

 

 馬車内でガリュートの説明にビッチは頷いた。

 今でも食料供給の要であり、隣の領主に備えた軍事的要地ではあるが、経済的な中心は既にポートバニーへと移っている。

 よって軍事も騎士中心の陸軍よりも、港防衛の海軍に力を注ぐ必要がある。行政の中心が移るのも時間の問題だろう。

 

「そんな中で、海賊との結託。海に対する防備の薄さを突かれたと見るべきかしらね?」

「かも知れません」

 

 ビッチの問いにガリュートは顔を曇らせた。

 

「男爵は軍艦をお持ちですの?」

「本格的な物は僕が留学前に一隻あった筈です。でも、稼働しているかどうかは怪しいと思われるのですが……」

 

 記憶をまさぐりながら答えるガリュート。

 軍艦は金食い虫である。地方貴族の間では、平時は軍艦を持たず、必要になったら漁船なんかを徴用して臨時の軍船に仕立てるのが多い。

 

「艦種は何ですの?」

「ガリオットです。残念ながら、それ以外に軍艦と呼べる船はありません」

 

 ガリオットは小型ガレー船の一種。小回りが効いて、低乾舷な為に浅瀬での活動に向いているが、逆に言えば荒れる海では活動が困難になる。

 また、どのガレー系の船でも同じであるが、漕ぎ手を多数必要とするので食料搭載の問題から長距離航行には向かない。

 風魔法を用いなくとも自由に航行が可能なのが利点だが、漕ぎ手の人員確保とその維持費に頭を悩ませる事になる。

 

「漕手は確保されてますの?」

「いえ、現国王時代になってからは」

 

 ガリュート曰く、昔は漕ぎ手に奴隷を用いていたのだが、奴隷制が廃止されてる今日では、必要な漕ぎ手確保は至難の業であるそうだ。

 必要人員が居なければガレーは動かない。補助に帆も持つが、それでは漕走船の特徴を殺しているような物であり、戦力としては計上出来ない。

 

「建造されてから年月も経っていますし、そろそろ代艦の話も出ていた位ですから、戦力としては余り頼りにならないと思います」

 

 ガリュートは、もし海賊が攻めてきたら頼りになるかは怪しいと述べる。

 

「港で象徴としての置物になっているのかも知れませんね」

 

 マリエルが口を挟む。

 

「パイロットボート(水先案内艇)の方が目立ってましたしね」

 

 こちらは御者台に座るハミーナ。

 あっちの方がばりばりの現役だが、あれは軍艦として使うのには小さすぎる。

 

「さて、いよいよ男爵邸ですわ。覚悟は宜しくて?」

 

 会話している内に目的地に到着した様だ。

 門に立っている衛兵が、跳ね橋を下ろしてビッチ達の馬車を迎え入れる。

 屋敷は地方貴族の典型的な城館で、本土の貴族家の様な屋敷だけの物では無く、周囲に堀と塀を張り巡らした小さな要塞である。

 近隣の勢力との抗争や、山賊や魔獣の襲撃ら備えた実戦タイプの砦であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 アリエル達は海賊と思しき者達を監視していた。

 メイド服は注目を集める服装だと思われがちだが、白いエプロンを脱いでカチューシャを外してしまえば、案外、目立たない地味な服になる。

 彼女らは路地を利用してその早変わりを実践し、一般市民に溶け込んでいた。

 

「ダニエル様を追跡していった奴は放って置いていいのですか?」

 

 テルミはアリエルに問うが、ベテランの侍女長は肯定した。

 曰く、「あの存在は主だって気が付いているから、放置しても問題ない」と。

 後れを取る事はあるまいとの判断である。

 

「それより、残った奴らが何処へ行くのかを突き止めるのが先決です」

 

 屋台近辺に残る男達。

 目を付けていたゴロツキの他に、市場の各所から其処此処から集まり始め、案外、数が多い。

 全部で五人。

 リーダー格が支払いを済ませると、海賊の仲間らしき者達はたわいも無い会話を交わしながら、やがて移動を開始した。

 無論、侍女二人は耳を立てる。

 

「こいつら……、海賊ブロドールの配下ですね」

 

 屋台の影からそっと移動しつつ、テルミは呟いた。

 その途端、どかーんと大きな物音がして、近くの酒樽が吹き飛んだ。

 

「テルミ! もっと用心深くありなさい」

 

 バラバラになった酒樽の付近から立ち上がったのは侍女長のアリエル。

 手には伸びた男が捕まえられている。

 屋台の親父だ。アリエルに掴まれて放り投げられたのだろう。

 落下地点にあったラム酒浸しになって失神している。

 

「侍女長」

「こいつも仲間でしたよ。貴女はこいつを引っ立てて練習艦へ戻りなさい」

 

 アリエルは「ふん」と鼻を鳴らして、グロッキーになった親父を同僚に引き渡す。

 

「私は先程の男達を追跡します」

 

 言うが早いが、アリエルは影となって素早く姿を消した。

 敵わない。侍女長は戦闘侍女と言うより、本気で『闇』に就職出来るのはないのか?

 テルミは上司の身のこなしを、呆気に取られて見送るしか無かった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 一旦、堀と塀を越えると城は簡素な佇まいだった。

 石造りの荒々しさが目立つ本館は、内郭から見ると砦と言うより、居住用の城館風に改造されていた。

 大きな窓が並び、貴重な窓硝子が填まっていて、もし内側へ敵兵が侵入したら如何にも脆そうな作りになっている。

 

「元は城塞風であったのでしょうに」

 

 ビッチは呟く。しかし、戦が程遠くなった時代に、戦争よりも住居としての快適さを求めるのは仕方が無い。ロートハイユ家でもそうであったからだ。

 およそ、城塞という軍事施設は住居とは相反する設計思想で作られている。

 窓は狭く、陽が入る事は無く、湿ってじめじめして暗い。

 湿気が篭もり、かび臭く、鼠や虫などの嫌な生き物が大量発生する。

 防衛を最優先するとこうなる。

 

 だから、戦争が多発する時代では、城とは純粋な防衛施設であって、城主ら居住者は普段は城で生活する事は余りなく、城の側に生活用の別棟を建てて、普段はそこで生活する物であった。

 今でも、紛争地域の近くの城塞はその形式だ。

 

「母上が継ぐまでは、仮設の城館があったらしいですが……あの」

「何ですの?」

「私はこれを着なくてはなりませんか?」

 

 服を前に困惑する男子。

 メイド服。いわゆる侍女のお仕着せである。

 

「当然です。貴方本人であると、男爵に晒す訳には参りません」

 

 とはマリエル。ちなみに貸し出した服一式とウイッグの持ち主である。

 

「うーん……」

「なら、ビッチ様のスカートの中で行きますか?」

「……着替えます」

 

 マリエルのその一言が決め手となって、渋々だが異裝が行われた。

 もっともガリュートは屋敷内へ同行するのはリスクが大きい為、ミモリと一緒に馬車でお留守番に回される予定だ。

 屋敷内を見学する気満々だったミモリは不満げだが、無学なヤシクネーを伴っての訪問は拙いし、馬車に工作される恐れもあるから、馬車を無人にする訳にも行かなかったのである。

 流石に知り合いの多い邸内で、その姿を見せるのは都合が悪かろうとの配慮で、基本的には彼は馬車内で待機する事となる。

 馬車内を覗かれても、遠目には誤魔化しやすいからだ。

 

「では、これを」

 

 言いつつも、手にカトラス(船刀)を持って降りるビッチ。

 二本の内、一振りをガリュートに渡すのは万が一の用心の為だ。もう一振りは、裾をたくし上げて太股に吊してあるが、ボリューミーのあるドレスのせいで、全く目立たない。

 

「行きますわよ」

 

 ビッチは侍女二人の前で宣言する。

 後ろで「いってらっしゃいませ」と、にわか仕立てで覚えた礼をするのはミモリ。

 本当なら元気良く、手をぶんぶんと振りながら「いってらっしゃーい」と大声で叫びたいのだが、それは「メイドの作法としては駄目」と教えられたので我慢する。

 

「ミモリ達もお留守番、宜しくお願いしますわね」

 

 後ろを振り返りつつ、公爵令嬢は残留組に声を掛けて歩み始める。

 ミモリ〝達〟で、ガリュートの名は出さないが当然含まれているのは、言うまでも無い。

 前方には男爵側の使用人達が、案内しようと待ち構えていた。

 

「ご案内宜しく」

 

 先導役の客間侍女(パーラーメイド)らしき年配女性へ、主に代わってハミーナが告げる。

 客間侍女はメイドの中でも接客担当の使用人で、沢山のメイドを雇える家庭にしか存在しないが、従僕(フットマン)の様な男性使用人の代理という面も持っているので、これを雇っている家は〝男性を雇えない金銭的余裕の無い屋敷〟と家格が位置づけられる事が多かった。

 もっとも、バニー諸島では人口比の問題から男性の使用人を雇える家の方が少ないし、客間侍女自体も世間的に地位が向上して、昔程は低く見られる事は無くなっている。

 

「では、こちらへ」

 

 先導され、歩き出す一行。

 客間女中に続くのはハミーナ。その後ろに豪華なドレス姿の主人が続き、最後尾にマリエル。

 前後に侍女が位置するのは、当然ながら護衛を兼ねているからだ。

 

 正面の石段を昇り、邸内へと入ると印象が一変した。

 無骨な砦と言った風情は何処へやら、床には絨毯が敷き詰められた広いロビーが現れる。

 備えられた窓から入る日差しで室内は暗くない。

 正面には大階段があって、その奥が客間の様である。階段の左右には連弩を持ったヤシクネー像がそれぞれ飾られていた。

 騎士みたいにいっちょ前に胸甲を身に付けているのが、何となく可笑しい。

 

「お嬢様。射線から外れます様に……」

 

 ハミーナが目配せすると後ろからマリエルが近づいて来て、ビッチの耳に囁く。

 

「やはり?」

「罠の類いですね。あの連弩は遠隔の無人砲座です」

 

 小声で確認し合う主従。

 ビッチは「まさか、今の段階で撃つとは思えませんわね」と述べるが、侍女二人は警戒して、それぞれ主の横へと己の位置を変える。

 左右の連弩の射線前に立ち、主の盾となってカバーしようとする姿勢である。

 

「堂々としてれば宜しくてよ」

 

 ビッチはその心遣いに感謝しつつも、鷹揚に構えていた。

 恐らく、あのヤシクネー像の下にある台座の中に射手がおり、台座自体が旋回して広い射角に矢を浴びせる構造になっているのだろう。

 弾倉の大きさから、連射可能な数は限られるだろうが(左右合わせて二十射程度か)、弩だけあって威力はありそうだし、不用意に足を踏み入れた侵入者は酷い目に遭うに違いない。

 だが、ビッチは像から視線は感じても、敵意は無いと判断した。不意に像がこちらを向く様だったら困るが、今の所は大丈夫そうだからだ。

 射手からは死角となる階段に辿り着き、侍女二人は警戒を解く。その時、階段の上から小柄な人影が動いた。

 

「ようこそ、ロートハイユ公爵令嬢」

 

 コルセットもフープも使っていないシンプルなドレスを身に纏っており、左右に女騎士を伴っている所から、この女性がベクター男爵本人なのだろう。

 

「男爵閣下ですの?」

「はい、この領地を治めるロザリア・ベクターと申します」

 

 女性は答えた。

 姿形はガリュートの面影があるので、贋者では無いとビッチは素早く判断する。

 

「この度はこちらへ旅行の最中、御領主様にご挨拶をと思って立ち寄らせて頂きましたわ」

 

 ビッチは続けて「震災の被害に遭ったとの話。お悔やみを申し上げますわ」と続け、頭を垂れて哀悼の意を表した。

 勿論、前後の侍女二人も同じである。

 

「ありがとうございます。さ、こちらへどうぞ」

 

 男爵は三人へ手招きをすると、くるりと背を翻して奥へと消えた。

 ビッチらも階段を昇り、男爵の後へと続く。

 やがて客間らしき部屋へと案内され、席を勧められる。

 

「このカルシスは、幸いにして被害は大きくありませんでした。しかし……」

 

 男爵は窓の外を見る。

 

「ポートバニーですわね」

「はい。そちらの被害は大変大きかったと聞き及んでおります」

 

 ビッチの言葉に返事を返す男爵。

 『聞き及んでいる?』との言葉に違和感を感じるビッチ。

 

「直接、港の被害を見ていないのですか?」

「お恥ずかしながら、別の用件が立て込んでいまして……」

 

 男爵は寂しく笑うとビッチに向き直り、「さて、本当のご用件を伺いたく思います」と口にする。

 やはり、挨拶だけではないと見抜かれていたか。

 ビッチは息を整えて、「貴方のご子息のお話です」と核心を突く。

 

「やはり、貴女は海軍の方でしたね」

「判りますの?」

「入港した船の記録はこちらにも届いております。公爵令嬢を載せた客船は寄港していませんからね。消去法で言うなら、貴女は身分詐称をする贋者か……」

 

 最後までは言わせず、その言葉を継いだのはビッチである。

 

「エロンホーフェンに乗り組む士官候補生、と言う結論に達しますのね?」

「前に寄港した際、人員名簿に貴女の名がありましたからね。

 取りあえず、本物のロートハイユ公爵令嬢なのは確かですから、粗略な扱いは出来ません」

 

 そう語る、ベクター男爵の言葉には裏があった。

 要するにロートハイユ公爵家の名が物を言っているのだ。王国有数の大貴族で無ければ、とっくのとうに謀殺されていたかも知れない。

 

「息子の問題ですが、今はそれどころでは無いのです」

「あら、ガリュートの問題よりも重要なんですの?」

 

 男爵は下を向いて顔を伏せる。

 ここはもう一つの核心に迫るべきだろうか?

 

              ◆       ◆       ◆

 

 バニー本島には入り江となっている場所が無数にある。

 しかし、条件が良い場所のみが選ばれて、多くの場合は港として利用される訳では無い。

 入り江の状態が良くても、後背地が山だったりすると港としては不適格だし、水深や大きさの問題だって関わってくる。

 地元の漁船が利用するだけの物だってあるのだ。

 

「これは……」

 

 アリエルが葉影から慎重に相手を監察する。

 船影がある。

 

「ブロドールの艦ですね」

 

 侍女長に確認するテルミ。取って返してきたばかりである。

 海賊らしき男達を付けてきて、発見したのが目の前の船だ。

 ご丁寧に海賊旗なんかを船尾に掲げている。

 

「旗艦ではなさそうね。先遣隊の一隻ね」

「あっ、もう一隻やって来ますよ。侍女長」

 

 入り江を回って一隻の船が姿を現す。

 巨大で異様なシルエットの船だった。左右からアウトリガーを突き出した三胴艦で、その上に張られた甲板が特徴的だ。

 それにもまして異様なのは、その甲板上に蠢く巨獣達である。

 

「竜母ですって」

「えっ、ビッチ様の報告にあった騎竜母艦ですか」

「ブロドールはこれを背景に、ベクター男爵を脅迫している可能性があるわね」

 

 甲板を歩いて中央船体の格納庫へ入りつつある竜を見て、テルミは絶句した。

 アリエルは手でテルミをそっと招くと、「ダニエル様達に報告を」との命令を伝える。

 

「侍女長は?」

「私は此処に留まって監視を続けます。奴らの動向を掴む必要があるでしょう」

 

 アリエルは顔を上げると、テルミに早く行く様に申しつける。

 後ろ髪を引かれつつも、テルミは己の任を果たすべく、上司に従ってその場を離れた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「出歩いちゃ、危ないんじゃないですか」

 

 ミモリが仰天したのは、ガリュートが馬車の外へ出たからである。

 彼は苦笑して、「この格好なら大丈夫だよ」とウイッグを直しながら言った。

 

「軽くそこらを見てくるだけだ。この屋敷には土地勘もある」

 

 言い終わるや、彼は駆け出した。

 あっと言うのに建物の影へと消える。

 

「私がビッチ様に怒られちゃいますよぉ」

 

 涙目になるヤシクネー。不自由な脚のせいで追えないのだ。

 ミモリにお構いなく、ガリュートは勝手知ったる城の中を突き進んだ。

 

「確か、こっちだったな」

 

 故郷を離れて三年。もしかしたら館の配置が変わっているかとも危惧したが、どうやらそれは杞憂に終わった様だ。

 秘密の通路(と言っているが、子供の頃に開拓した抜け道)も以前のままだ。

 時々、歩哨が立っている場所が一番苦労した。

 裏手に回り、目が届かぬ所から建物内へと侵入する。

 向かうは地下牢。

 

『相変わらずだね』

 

 地下はかび臭く、手入れは成されていない。

 子供の頃から破損した鍵なんかもそのままだ。

 廊下は細い隙間から差し込む、小さな明かり取りだけが光源である。灯火なんかは燃えておらず、夜のとばりが降りてしまえば一寸先は闇だろう。

 

『昼間で助かったな』

 

 徐々に闇に慣れた目で、ガリュートは慎重に歩を進めた。

 恐らく、目的の人物はその先に居る筈だった。幾つかある収監室の一つにだ。

 

「どなた……ですか?」

 

 到着すると同時に、か細い声が闇に木霊する。

 どうやら気配で気付いた様だ。

 その声のする部屋を覗き込むと、横たわっていた大きなシルエットがむくりと動いた。

 

「ルゥか?」

「! ガリュート様」

 

 カタカタと石畳に硬質の足音が響き、扉に付けられた小さな覗き窓に顔が現れる。

 ルゥ・ピプン。前回、館からガリュートを逃がしてくれたヤシクネーである。

 

「地下牢に閉じ込められてたと予想してたが、やっぱりか」

「ガリュート様。ガリュート様ぁ」

 

 泣き顔になる彼女をガリュートは「よく頑張ったね」と褒め称える。

 そして扉を調べて行く。

 流石に此処は鍵がちゃんと機能している。昔は壊れていたのだが、ルゥを収監する際に直したのだろうが、やはりお粗末な造りである。

 

「応急修理のつもりなんだろうが、安普請で助かる」

 

 スカートの下からカトラスを抜き、鉄棒の代わりにはめ込まれている木の棒を叩き折った。

 南京錠は取り替えたのに、こんな所が手抜きなのは、やはりバニー本島が長年平和慣れしすぎているからなのだろう。

 彼女の収監先が警備隊の獄舎で無かった事を感謝すべきかも知れない。あっちは現役だから、こうは行かないだろうと思う。

 

「済まない。苦労をかけた」

 

 錆び付いて立て付けの悪い鉄の扉を開けて、ルゥを抱擁する。

 ルゥの顔には疲労の色が濃い。

 ヤシガニ体の方は外骨格だけに目立った変化は無いが、上半身の方はげっそりと痩せてしまっている。多分、何日も絶食させられているのだろう。

 

「お腹が空きました」

「此処を出たら何かを奢るよ。さて、歩けるかい?」

 

 こくりとヤシガニ娘は頷いた。

 元来、ヤシクネーはタフなので基礎体力の方は余り落ちていないのだろう。

 

「さて、行きはよいよい、だが帰りは…」

 

 欠伸している歩哨だが、ルゥを連れて戻るのは一苦労になるかも知れない。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「海賊船が停泊してるのか」

 

 練習艦エロンホーフェン。

 ダニエルの元に捕虜は連れ込まれ、更に侍女は無事に帰還した。

 彼女らの報告を聞いたダニエルは、苦々しい顔で呟く。

 

「どう言う事?」

 

 肩の上に乗ったクローバーが問う。

 ダニエルはここらやや離れた目立たぬ入り江に、既に海賊の先遣艦が到着している旨を告げる。

 無論、それはブロドールの全艦隊ではない。

 

「大した戦力では無いと思うが…」

「いえ、ダニエル様」

 

 テルミが深刻な顔で否定する。思いの外、戦力は大きく、ブロドールはその力を背景に、ベクター男爵を脅迫していると。

 

「この目で竜母を確認しました」

「何だとっ?」

 

 騎竜母艦。ビッチの報告にあったあれか!

 

「確かに竜母があれば、地方の男爵領の一つや二つ、灰燼に帰せるな」

 

 とはパカ・パカ。しかし、それは搭載竜が揃っている場合だ。

 彼はテルミにその規模を尋ねる。

 

「正確では無いかも知れませんが……。

 全長は60mクラス。搭載騎竜は8頭を確認しています」

「8頭か、こりゃ手強いな」

「格納庫に入ってる竜は未確認です。恐らく、プラス数頭は増える物かと…」

 

 とテルミ。

 彼女とて海軍士官学校に入った主を補佐する為、海軍の知識は学習している。竜母の存在とその構造も叩き込まれているが、何しろ実物にお目に掛かるのは初めてである。

 それでも60mは大型艦で、主力艦隊に一隻居るか居ないかのレベルであり、8頭の竜がどの程度の戦力を有しているのかは知っている。

 

「竜母の他の戦力は?」

「小型のキャラベルだけです。こちらは典型的な海賊船ですね」

 

 テルミはダニエルに答えた。

 主は腕を組んで長考に沈むが、不意に顔を上げてテルミを呼ぶ。

 

「何か?」

「お前はこの情報を持ってビッチの所へ行け。

 この情報がベクター男爵に対して、何等かの武器になるやも知れんからな」

 

 テルミは一礼すると風の様にその場を去った。

 ダニエルはそれを確認すると、傍らの副官を呼ぶ。

 

「カラット。俺はこれから艦長の下へ行く。第10班の指揮代行を任せるぞ」

「いよいよ、決戦、決戦なのね」

「クローバーは少し黙れ。パカ・パカはその捕虜を引っ立てて付いて来てくれ」

 

 両名は「はっ」と返事を返した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 会見は曖昧に終わらされ、男爵は「では、ごゆるりと」との言葉と共に引き上げた。

 男爵曰く、「逗留するのならここを使って下さい」との言葉と共に提供された部屋は申し分の無い物であったが、無論、ビッチらが浮かれる事は無かった。

 

「どういうつもりでしょう?」

 

 盗聴の危険もある。ハミーナは【楽音】の魔法を発動し、優雅で多少騒がしい音楽で周囲を満たしながら、小声で呟いた。

 

「私達をどう扱うか定まっていないのでしょうね」

「ですわね。ハッタリとは言うものの、自分が公爵令嬢で大助かりですわ」

 

 王国有数の公爵家の娘を害したら、ロートハイユ公爵からどんな報復があるのかを恐れているのだ。しかし、もしロートハイユ家の内情に詳しかったら、こんな扱いはしなかったのに違いない。

 父、ロートハイユ公との関係は良くない。お義理で娘と認識している様な状況であり、娘の為に動くかと言えば、外面を取り繕う形だけの物になるのに違いない。

 

「激怒して『よくも我が娘おぉぉぉ!』となるとは思えませんわ」

「でも、ベクター領目当てに動きそうですよ」

 

 マリエルの指摘に、ビッチは「もっともですわね」と納得する。

 此処は豊かな領地である。娘の敵討ちを理由に攻める事は充分有り得た。

 一応、王国では建前上、領主同士の私闘は禁じられてはいるが、大義名分もあるから、王国とてこの報復戦を認可するしか無い。

 

 ガリュートの言から、本気になったら、ロートハイユ軍の海軍力(中型艦三隻を中心とする艦隊)でも圧倒可能な戦力しかなさそうだ。

 父は迷わずに嬉々として大軍を送り込むだろう。「ビッチよ。味噌っかすに見えて、よくぞ役立ってくれたな」とか言いながら。

 南洋の豊富なゴム、椰子、砂糖、ジュートは、それだけの価値があるのである。

 

「ロートハイユ令嬢。宜しいでしょうか?」

 

 こんこんとノックの音。主に確認すると、マリエルが「どうぞ」声を掛ける。

 声の主は部屋には入らず、「夕食の用意が出来ております。私は先触れで参りました。ご案内致します」と告げた。

 

「ベクター男爵は会食しますの?」

「既に食前でお待ちです」

 

〈続く〉




書き直し、書き直しの連続でしたが、これでも予定のエピソードまで行っていない。
うーん、拙いなぁ。
ベクター男爵とガリュートの件の解決まで書く予定だったのに…。
それと、ルゥを覚えている人はまだ居るんだろうか(笑)。 wy


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈資料〉、年表

暫定です。
メモ書きみたいな物で、改訂があるやもしれません。
無論、現時点より後のことはまだ書いてませんが(ネタバレになるので)、ちゃんと存在しますのでご安心を。

話が進むとその内、追加すると思います。



〈資料〉中央大陸王国の歴史

 

簡易年表

 

20,000年前:新暦マイナス20,000年頃。

 超古代文明誕生。

 

10,000年前:新暦マイナス10,000年頃。

 超古代文明滅亡。ここから古代歴が始まる。

 魔族の出現。魔界よりの大侵攻。

 

9,000年前 新暦マイナス9,000年頃。古代歴1,000年頃。

 南大陸より、妖精族の中央大陸進出。侵攻を続ける魔族の戦線を押し戻す。

 

8,000年前:新暦マイナス8,000年頃。古代歴2,000頃。

 魔族の脅威に対抗すべく古代王国成立。対魔族戦線は膠着状態。

 

5,000年前: 新暦マイナス5,000年頃。古代歴5,000頃。

 墜ちて来た女傑、テラ・アキツシマ降臨。ヒト側は魔族に対して反撃開始。

 古ルネサンス時代、遺失技術が次々と復興。古代王国最盛期を迎える。

 

1,000年前: 新暦0年。古代歴1,000年頃。

 魔法の暴走によって古代王国滅亡。巻き込まれた魔族もまた組織的抵抗力を失ない、小勢力に分裂する。

 新暦が制定される。

 

新暦100年代:

 中央大陸東部では、いち早く中央集権制の皇国が建国。

 西部、中部では群雄割拠時代。数多くの小勢力が生まれては滅んでいった。

 

新暦200年代:

 西部へ中部の草原地帯より、数次に渡って大帝ゴーダーの率いる人馬族の侵攻。街や村々を蹂躙。掠奪、暴行の限りを尽くして暴れ回る。

 

新暦300年代:

 宗教国家ラグーン法国建国。人馬族は本国へと後退。

 セドナ・ルローラが中央大陸へ移住。エロンナ村に居を構える。

 

新暦400-500年代:

 周囲の勢力を統合しつつ、マーダー帝国、グラン王国の基礎が固まる。両国はその後、最初の全面戦争(王国側呼称「マーダー大戦」)に突入するが、王国側が勝利する。

 セドナ、グラン王国の建国に協力。居をポワン河西岸へと移す。

 

新暦600-700年代:

 第二次マーダー大戦。新兵器、竜騎兵部隊が大活躍する。戦争は三年続き、帝国側の実質的な勝利に終わった。

 探検が本格化し、南大陸、西大陸を再発見。別大陸に対する交流が本格化。

 

新暦800年代:

 ルネサンス時代。古代王国滅亡時に遺失された技術が次々と復興される。

 王国では近海のバニー諸島に注目が集まる。

 第三次マーダー大戦勃発。泥沼の戦いで十年間も続き、どちらも痛み分けで終わる。

 戦功によってファタ・エロイナー。エルン・エロボスラー。ベッケル・ゲルハンら、最後の妖精貴族(エルフィン・ノーブル)達が誕生する。

 

新暦960年代:

 新暦964年に現国王、ギース・ロマンシアが誕生。ロマンシア子爵家の諸子とされるが、没落し、970年代には疾風のギースの二つ名で凄腕クエスターとして名を挙げていた。

 

新暦970年代:

 新暦965年に現王妃マルグリッド、・グランが誕生。979年に王位簒奪をも視野に入れた王女誘拐事件、いわゆる『マルグリット事件』が発生する。

 これを解決したのがギースであり、陰謀を企んだ大公は剣の錆となる。彼の活躍に王は感銘を受け、また王女が夫として推した為に、ギースは次期国王に指名されるが、当然、反発する者が続出する。

 

新暦980年代:

 980年にギース王即位。新政策を次々打ち出すが反発も多く、内乱寸前状態になった王国を帝国が狙う。しかし、ギース王は983年に帝国からジナ皇女を側室に迎え入れ、この動きを封じると共に、反対派を次々と調略、または改易させて安定を取り戻す。

 海軍士官学校他、各種職業校が開校。

 奴隷制度改定。

 

新暦997年:

 エロコが海岸で発見され、ルローラ家の養女となる。

 

新暦998年:

 エロコ、マイスターブラートと遭遇。失神後に人格改変?

 

新暦1,003年:

 4月、エロコ、海軍士官学校へ入学。

 7月、ビッチ・ビッチン、ダニエル・ボルストと共にエロコに士族位が贈られる。

 8月、南洋海戦事件。

 




今週に<閑話>リーリィを独立化させた後、聖女編の続きを投稿予定。

その後は、<閑話>スキュラを纏めますので、各話冒頭にあるスキュラを削除。
基本は変わりませんが、纏める際にやや加筆。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

<資料2>、地理

資料編。今回は地理。メモ書き程度の物ですが、どうぞ。

これも先の資料と同じく暫定版です。
話が先に進むにつれて、新たな事実が明かされて改訂する予定です。


<資料2>、地理

 

エルダ:

 物語の中心となる惑星。

 魔力に満ちた水の星。

 超古代文明人は惑星の全ての地理を把握していたらしいが、現在はその情報は失われてしまっており、物語の中心である中央大陸の住人には、世界の全貌は謎に包まれている。

 しかし、超古代文明からの知識で「エルダは球体」が、住民にとっては一般常識(但し未開種族など、一部の例外はある)。

 これは「水平線が丸いし、水平線の向こうから船が現れた際、マストが先端から徐々に見えてくるから」が根拠となって、どんな学の無い者にも「ああ、そう言えば」と納得されている。

 

 なお、どの地方でも同じであるが、精霊力やら魔力が関係するので、気候や植物・動物相の分布に於いて、地球の常識は通用しない。

 温帯が河一つ隔てて、突然砂漠地帯になってたり、甚だしい場合は、寒帯と亜熱帯が隣同士の場合もある。

 また、「どうやったら生きているんだ?」的な不可解な怪物が棲み着いていたりもする。不死怪物(アンデッド)や悪魔(デーモン)等が代表格。

 

中央大陸:

 『エロエロンナ物語』の舞台。世界の真ん中にあると信じられている大陸(しかし、他大陸の者の中では反発する向きもある)。

 超古代文明や、古代王国が興った地であり、興亡はあったにせよ、現有種族の中では文明も一番発展している。大きく三つの地域に分けられる。

 

大陸西方:

 正確には南西部、北西部に分けられる。

 

 南西部の西端には宗教国家ラグーン法国がある。「法国」と略される。

 地理的には西に突き出した半島国家で、東には王国。北には帝国との国境線を接するが地形上、攻めるのは困難な国土となっている。

 西部三国の内で最小であるが、その宗教的権威は高い。

 

 南西部の大半を占めるのはグラン王国である。「王国」と略される。

 西部二大国家の一つであり、緩やかな封建制度を敷いた豊かな国である。

 国の北方には山脈があり、帝国との国境役を果たしている。

 東方の砂漠地帯も領土に組み入れているが、無人地帯故。事実上、大河ポワン西岸のみが国土と考えて間違いは無いだろう。

 バニーアイランドを始めとする南洋諸島を領有し、南方進出で国力を高めようと画策している。

 

 北西部に存在するのがマーダー帝国である。「帝国」と略される。

 西方二大国家の一つを占める。皇帝を頂点とした中央政権国家であり、貴族制を取り入れているものの、貴族達の支配力は王国に比べて弱い物となっている。

 皇帝直轄の親衛軍を多数持った軍事強国であり、動員出来る軍勢は西部随一とされている。

 また、旧古代王国が存在した土地であるとされ、皇帝はその末裔を名乗っているが学問的には疑問視されている。しかし、東部に広がる砂漠地帯には古代王国期の遺跡が多く、その関係からか、魔導関連の研究が盛んな国柄である。

 

中部:

 「中原」とも呼ばれる。

 砂漠と乾燥した草原地帯が特徴の地域で、かつて人馬(セントール)族の強大な統一帝国、ゴーダー・カーン帝国が存在したが、今は分裂して小国家が郡立し、それらも栄枯盛衰が激しい。

 自然環境が厳しいので住人はセントール族の遊牧民が多く、定住する者はオアシス近辺などに限られる。

 遭遇する魔物も多い為、武勇を尊び、勇猛果敢な血の気の多い民が多いと評されている。

 

大陸東方:

 通称、「皇国」

 早くから中央政権国家が樹立した国々である。

 歴史的に早くから魔族の侵攻を撃退し、古代王国の影響を余り受けなかった事で、独自の東方文化を築いている。

 一般的には帝政国家として知られているが、ここの皇帝は直接権力を正確には持っておらず、祭司の長として君臨している尊き存在である。

 皇国を支配する上級貴族や皇族階層は全て妖精族であり、半永久的な統治を行っている。

 幾つもの小国家が皇国の下にあるが、これら領主を皇帝が認可する事で権威が成り立っており、皇室は国家間の調停役であるらしい。

 高度な技術と独自の文化を持っており、漆器・陶磁器・織物・武器等は、西方の民垂涎の的である。珍重される香辛料の輸出も盛んだ。

 

南大陸:

 中央大陸から大洋を経て南方にある大陸。

 サイズとしては中央大陸よりも小さいと言われている。

 国土の大半が森林に覆われており、妖精(エルフ)族の故郷である。現在、他大陸に存在する妖精族も、元は南大陸からの移民、もしくはその子孫だと言われている。

 閉鎖的であり、他の種族や他の大陸の同族に対しても心を開かないので、実体は余り明らかになっていないが、政治的には長老会なる組織が全てを決めているらしい。

 数カ所ある港町以外、他の大陸の者が寄港するのを禁じているので、地理的に不明な所が多く、実体は謎に包まれている。

 精霊魔法に関しては最高の技術を持ってる。

 

西大陸:

 新暦700年代、いわゆる大航海時代に再発見された大陸。数ヶ月大洋を横断した先にある。

 全貌は未だに不明なれど、新種の動植物が次々と発見され、一大センセーションを中央大陸に巻き起こした。

 草竜の発見が騎竜兵科に大変革をもたらし、赤ナスやトーキビ、そして芋類は食に革命を起こしたと行って良い。

 しかし、800年代に入って起こった第三次マーダー大戦の影響で探検熱が冷めてしまった現在、残念ながら交流は絶えた状態である。

 住民は鬼(オーガー)族が多いとされているが、性格は穏やかで、友好的であったと記録されている。

 

東大陸:

 超古代文明の記録上にはあるらしい。人跡未踏なので詳細は不明。

 

北大陸:

 同じく、記録上の存在で現有人種での到達記録はない。極寒の地とされている。詳細は不明。




お陰様でUAが約2,600。
全話PVが約5,000に到達しました。
読者の皆様、有難うございます。

いずれ、他の大陸の事も書きたいなぁ。
一応、この話は海洋物の側面もありますので、大海を渡って他の大陸の文化との交流とかも描きたい、とかの希望もあったりします。
まだエロコ達は士官候補生だから、本物の海軍士官になったらなんでしょうけどね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

<資料3>、人物

これも前資料と同じく暫定版です。
未定の所は、記述がありませんがその内、追加すると思います。




<資料3>人物

 

 

ルローラ家関連:

 

エロコ・ルローラ

 半妖精(ハーフエルフ)だと思う。女性。海軍士官候補生。士族令嬢→士族。薄緑色の髪。

 これでも主人公。冒険せず、多くは望まない小市民的安定志向なのだが、世間の方が勝手にトラブルに巻き込んでくる。星回りが悪い。

 ややきつめの顔立ち。意志の強そうな瞳は軽い弱視らしく、眼鏡が手放せない(頑張れば眼鏡無しでも見えるが、視界がぼやける)。髪型は後ろに纏めたポニーテール。

 一応、武芸の心得有りでチンピラ位なら返り討ちに出来るが、それより物作りが得意分野。魔導杖の代わりに計算尺にもなるワンド(短杖)を所持。武器はカトラス(船刀)。

 魔導全種が使えるオールラウンダーだが、各々の威力・精度は低い(7級)。

 普段はタイトなドレス姿でベレー帽とマントを好む。士官学校に入ってからは制服であるセーラー服だが、それでもベレー帽とマントは装備し続けるのは拘りか?

 別人格が存在する。超古代に存在した巫女(エリルラ)であるらしいが詳細は不明。

 

ニナ・ヘイワース

 ウサ耳族。女性。庶民。

 護衛も兼ねたエロコ付きの戦闘侍女。メイド服は着ず、ウサ耳族の民族衣装バニースーツを愛用。腰にはカトラスを佩いている。

 嫌々ながら侍女に収まったが、最近は侍女である事が板に付いてしまったのが悩み。

 エロコの事は「姫様」と呼ぶ。

 

フローレ/フロル/イブリン

 半妖精? 聖女。金髪。

 聖教会の聖女なのだが、実は男性。女性しか本来は使えない聖句魔法を駆使出来た為、政治的混乱を避けるべく、男の娘として育てられる。

 その姿は淑やかな美少女その物で、女顔、女声、白くきめ細かな肌を持つ。エロコに劣等感を与える程の完璧超人。魔導能力も凄く、聖句魔法に限るなら他の追随を許さない。

 現在はエロコ付きの侍女、イブリンに身をやつしている。フロルを名乗った時点で、変装用に長く美しいストレートな髪(床に引きずる程長かった)を切ってしまっており、勿体ないと周囲に嘆かれる。

 

セドナ・ルローラ

 妖精(エルフ)族。士族。エロコよりやや濃い、薄緑色の髪。

 士族であるルローラ家の当主。妖精族には珍しい姐御肌で、行動派。時々、私掠船を率いて暴れ回っている。

 エロコの義母であるが、エロコ自身もまだ義母の性格を掴みかねている。

 グラン王国建国に関わった張本人であり、本当なら大公家に叙されてもおかしくない人物なのだが、何故か固辞し、一士族の立場を貫いているものの、影の大物との噂もある。

 

ファタ・エロイナー

 妖精族。女性。伯爵。紫がかった銀髪。

 旧姓、ファタ・ルローラ。セドナの娘。学校で知り合った男と熱烈な恋愛の末に結婚したが、それが商店主であったのが運命を大きく動かした。

 エロイナー伯爵家の女当主。同時に王国有数の商会、エロイナー商会の主である。

 第三次マーダー大戦で功を上げ、伯爵に叙された最後の妖精貴族(エルフィンノーブル)の一人。魔導士としての腕は高く、王立魔導学院の教授連にも引けを取らない。

 現王妃、マルグリッドとは親友。

 姓は妖精語で「素晴らしき輝き」との意味。

 

エルン・エロボスラー

 妖精族。男性。辺境伯。青髪。

 本編未登場。セドナの息子。軍事を得意として辺境伯にまでのし上がった武門の男。

 領地には忠誠を誓う部下が一杯居るらしく、周囲に恐れられている。

 姓は妖精語で「光の指導者」との意味。

 

マイスター・ブラート

 妖精族。男性。

 セドナ領にある造船所の主。『マイスター』は尊称で本来の名は別にある筈だが、まだ不明。

 エロコの師匠。余り新しい物作りに興味を抱かない妖精族には珍しく、革新技術に目を向けて、新しい事に挑戦し続ける。

 若い頃は結構無茶をやってたらしい。

 

海軍士官学校/士官候補生:

 

ビッチ・ロートハイユ/ビッチ・ビッチン

 半妖精。女性。公爵令嬢→士族。金髪の縦ロール。

 有力貴族ロートハイユ公の十三女。公爵家の中では孤立気味で、本家から遠ざけられている等、余り省みられてない(要は居ても居なくてもどうでも良い)存在。その事から奮起して、海軍士官学校に入って実家からの独立を目指し、ビッチン家の立ち上げを画策する。

 悪役令嬢っぽい毒舌気味の言動。高笑いの似合う仕草が目立つが、田舎育ちなので上流貴族ながら、どこか庶民っぽい。辛い任務を完遂し、粗食にも文句を言わない。

 ゴージャスな雰囲気の美少女。私服は当然、着飾った貴族のドレス系なのだが、幸か不幸か、学校では制服のセーラー服ばかりで、まだ私服を着る機会がない。

 騎竜免許を持っている。魔法は精霊系をそれなり、聖句を囓った程度に使える。

 

ダニエル・ボルスト

 ヒト族。男性。侯爵令息→士族。赤毛。

 ボルスト侯爵家の三男坊。貰える土地が無いので海軍士官を目指した口。

 特権階級である貴族として偏見の塊であったが、最近はエロコ達に感化されて割合まともになった。それだけあってプライドは高いが、実力がついて行かない場合が多い。

 黙っていればそれなりの美男。

 亜人や異種族嫌いであったが、トイズ家との接触後に少し変わった模様。

 

ユーリィ・リリカ

 半妖精。女性。子爵令嬢→士族。金髪。

 リリカ子爵家の次女。田舎育ちでビッチとは幼馴染み。と言うか、公爵令嬢であるビッチがかなり庶民的なのは、絶対にこの人の影響。

 モデル体型で美少女。動き易く、かつ露出の高い格好を好む。武器は細剣(レイピア)。

 実は稼業の関係で『闇』の準構成員。剣の腕は高く、士官候補生内では最強クラス。

 性格はノリが良く、ポップな雰囲気で語尾に「♪」が付く。が、これは対外的な偽装であるらしく、素は冷徹で計算高い。

 出来すぎた兄妹が居るのがコンプレックス。

 

ガリュート・ベクター

 ウサ耳族。男性。男爵令息。

 バニーアイランド出身。ウサ耳族の中でも数少ない男子。だからバニースーツを着せられると赤面物だけど、当然、パレオを巻いて誤魔化します。

 ビッチを班長とする第14班の副長役。

 真面目な性格。海に憧れているが、これは半ば、部族社会である故郷の息苦しさから脱したいとの気持ちの表れ。海軍士官としては有能。

 

マルカとゼオ

 ヒト族。男性。

 第14班所属の士官候補生。

 

リーリナ

 ヒト族。女性。

 第14班所属の士官候補生。

 

カラット

 ヒト族。男性。

 ダニエル率いる第10班の副班長。

 実家が商船乗りで、航海の経験豊富。

 

エッケナー大佐

 ヒト族。男性。士族。

 練習艦『エロンホーフェン』の艦長。勿論、軍人かつ学校の教師でもある。

 カイゼル髭が特徴。

 

デス・ルーゲンス少佐

 ヒト族。男性。士族。

 指導教官。副長役も果たす。

 

パカ・パカ

 人馬族(セントール)。男性。

 海軍士官候補生の中でも少数派のセントール。ダニエルとは悪友。

 

サザン・アルバータ、ガメル・ブライアン

 男性。

 士官候補生。フロリナ島で半舷上陸中に。パカ・パカと一緒に居酒屋で飲んでいて津波に遭う。

 名前だけ。まだ詳細は決めていない。ごめん。

 

グラン王室/貴族関係:

 

ギース・グラン王

 ヒト族。男性。王族。

 グラン王国の壮年国王。昔は市井の冒険者(クエスター)だった。武が立ち、王妃を射止めて婿入りした逆玉の為、名目上は没落貴族、ロマンシア子爵家の御落胤となっている。

 故に血統を重んずる古参貴族からの心証は悪い。また、何でも自分が率先して動いてしまう悪癖があり、これが臣下の者達「我々の力を期待しておらず、信用されてないのか」との不満に繋がっている。

 しばしば王宮を放り出して、最前線へ行ってしまうが、まだ前国王と第一王妃が統治を代理してくれたお陰でボロを出さずに済んでいたものの、今後に不安を残す。

 愚王では無く、国民に対するカリスマ性はある。

 まだ名前しか登場せず。

 

マルグリッド・グラン王妃

 ヒト族。女性。王族。

 前国王の娘。誘拐されたがギースに助け出された過去が有り、これが縁でギースが国王になっている。内政などの政治は彼女担当なので、グラン王国を動かしている実力者はマルグリッドであるとして、実質「女王」であると思われている。

 

ジナ・グラン側妃

 半妖精。女性。王族。

 隣国、マーダー帝国から輿入れした元第三皇女。実は側室から生まれた取り替え子(チェンジリング)であった為、帝国内での立場は弱く、厄介払いを兼ねて王国に政略結婚させられたとの噂がある(それを受けちゃうのがギースなんだけど)。

 性格は控え目で、正妃であるマルグリッドとの関係も悪くないが、彼女を持ち上げる派閥が存在する。王子を産んだので次期継承権争いには一歩リードしている為だ。

 まだ作中には名前だけしか登場してない。。

 

仇役:

 

教授

 身長は可変。種族は不明。性別不詳。髪の色はその時の気分次第でころころ変わる。

 のっぺりした不気味な仮面を付けて、黒い長衣を纏った性別不明の人物。多分、男性か?

 超古代文明を操る邪教結社の一員らしい。

 魔導士としては超一級。おまけに超古代文明の遺物も扱うので始末に負えない。

 「なのだよ」口調。他人を見下げ、馬鹿にしている感じが強い。

 

墓守

 妖精族。女性。黒髪。

 同じく邪教結社の一員。ビゴ砂漠の古代遺跡、墳墓で文字通り墓守をしている。

 古代文明期から生き続けているらしく、白い古代文明の貴人姿をしている。地球風に言えば、ぶっちゃけ、クレオパトラのロリ版美少女。

 目尻に紅ラインを入れるアイメイクやら、瞼にシャドウを塗ったり、やたら装身具を身に付けてたり。髪型は短髪を切り揃えたクレオパトラカット。

 実力はまだ明かされてないが、教授を手玉に取れる位はあるらしい。

 

ブロドール。

 ヒト族。男性。士族。赤毛。

 赤ら顔の大男。私掠船『アモン・ラー』の船長であるが、単艦では無く、船団規模の艦隊を有している模様。

 帝国側の思惑に沿って行動しており、帝国籍の男であるのには間違いない。

 

ベラドンナ/リンリン

 妖精族。女性。庶民。白化した金髪。

 見た目は幼女にしか見えぬロリ婆。何か病を患っている。

 魔導士としての腕も立ち(【転移】が使えるって時点で超一流)、錬金術師としては「この人しか居ない」と言われる凄腕。

 

トイズ家/マールゼン家関連:

 

タカトゥク・トイズ/タカトゥク・マールゼン

 ヤシクネー。女性。庶民。

 ケージー・マールゼンの奥さん。

 何だかんだ言って正妻の座をゲットした模様。しかし、無理がたたって実習航海編後、翌年に命を落とした。夫との間に成した八人の子供達は健在。

 

ケージー・マールゼン

 ヒト族。男性。庶民→士族。

 中原系のヒト族。一代でマールゼン商船隊を築き上げ、後に商会を立ち上げて士族に成り上がった立志伝中の商人。

 優男でカッコイイ。イメージとしてはシンドバット的な若者→『ど〇らい男』的な老練な商会主(歳食ったら西〇輝彦?)。

 

アリーイ・トイズ、イマーイ・トイズ

 ヤシクネー。女性。庶民。ピンク髪。

 タカトゥクの妹。二人揃うと煩いが、後にマールゼン商会の幹部となって活躍する模様。

 商売人としての才能が高かったみたいである。

 

ミドーリ・トイズ、ロッソ・トイズ、サンーワ・トイズ

 ヤシクネー。女性。庶民。

 同じく、タカトゥクの妹たち。

 全員、フロリナ島を襲った震災で命を落とした。

 

サフラン・マールゼン、ヴィオラ・マールゼン

 ヤシクネー。女性。士族令嬢。

 タカトゥクの娘。

 長女。礼儀作法や社交に長けているとの話。どちらかか、マールゼン家の跡取りになると言われている。

 

クロッカス・マールゼン

 ヤシクネー。女性。士族令嬢。

 タカトゥクの娘。三女。

 ナイデンヌの森でククルゥと初雪と出会う。大人になったら海軍士官学校に入学する。

 

アマリリス・マールゼン、ジャスミン・マールゼン、デイジー・マールゼン、ポピー・マールゼン

 ヤシクネー。士族令嬢。

 クロッカスの妹たち。

 詳細はまだ決めていない。

 

クローバー・トイズ

 ヤシクネー。庶民。

 タカトゥクの娘。

 ダニエルの胸ポケットに籠城して、一人だけ置き去りにされてしまった。

 よって、彼女だけトイズ姓のままである。ダニエルの偏見を打ち破る存在になる予定。

 

アサヒ・トイズ

 ヤシクネー。女性。庶民。

 イマーイやタカトゥクの母親。故人。

 製糸工場の糸吐きとして三十人の子供を育てるも、半数は死亡(この数値はヤシクネーとしては珍しくない。全員健在なマールゼン家が例外なのである)。

 ホットケーキが得意だが、逆に言えばそれだけしか作れなかった貧しさの体現と言える。

 名の元ネタは『ア〇ヒ玩具のママレンジ』。

 

ククルゥ

 人馬族。男性。庶民。

 『アルゴ通運』の馬丁。ひょんな事からクロッカスと関わる。

 

初雪

 王族種淫魔(ロイヤルサッキュバス)。女性。貴族?

 東方の出身。十二単を着た皇国貴族の姿をしているが、その関係は不明。

 ナイデンヌの森でクロッカスとククルゥを助けるが、これは気まぐれ。気分さえ違えば、二人とも食べていてもおかしくなかった。

 

アルゴ・ノーツ、アストロ・ノーツ

 地小人(ドワーフ)。男性。庶民。

 運送業『アルゴ通運』の主。アストロは二代目。

 

『闇』関連者:

 

ローレル

 半妖精。男性。不明(士族?)。

 王立諜報機関『闇』の幹部である青年。騎士の姿をしているので、表向きの身分は軍関係者であるらしい。丁寧な口調で話すが、掴み所のない性格。

 

ヘイガー

 ヒト族。男性。

 壮年のクエスター風な男。『闇』の中でも実力者らしく、マリィの主である。

 

マリィ/リーリィ・リリカ

 半妖精。女性。子爵令嬢。

 ヘイガーのパートナーだが、実はユーリィの姉。

 実力は折り紙付きだが、実の妹を手に掛けるのを躊躇う。

 

ベッケル・ゲルハン

 妖精族。男性。男爵。

 王国で数少ない妖精貴族(エルフィンノーブル)の一人。錬金術師でもあり、腕も立つ。ユーリィに言わせると「闇医者」だそうだが、本人曰く、「これは余技」らしい。

 錬金術師ベラドンナとは師弟の関係。

 

クローネ

 ネコ耳族。庶民。オレンジがかった茶髪。

 ユーリィに付けられた見習いの密偵。

 

その他:

 

ラーラ・ポーカム

 スキュラ。女性。庶民。黒髪。

 エロンナ村の船宿『スキュラ亭』の看板娘。

 村に対する郷土愛は高い。魔族故に基本的な能力は高いが、戦闘力は皆無。得意技は料理、掃除を始めとする接客業。小舟の操船。間延びした口調で話す。

 生き別れたスキュラの母を探している。魔族を含めた幸せな社会を理想としている。

 

ロベルト・ポーカム

 ヒト族。男性。庶民。

 ラーラの祖父。『スキュラ亭』の主。老人だがまだまだ元気そうである。

 

ローラ・ポーカム、

 スキュラ。女性。貴族(?)→庶民。

 ラーラの母親。故人とされるが。正確には生死不明。

 スキュラだが元貴族だったとの噂がある。

 

ヘンリー・ポーカム

 ヒト族、男性。庶民。

 ラーラの父親。故人。熱血漢的な男であったらしい。

 

セーラ・ポーカム

 スキュラ。女性。庶民。緑髪。

 退治された野良スキュラの赤子。ラーラが妹分として育てている。

 成長したら、その内登場するだろう。でも、今は「ばぶばぶ」言うだけ。

 

バウアー・ボルスト

 ヒト族。男性。侯爵子息。赤毛。

 ダニエルの兄。ボルスト家の長男で、侯爵家の次期後継者。

 苦労人。

 

ユイーズ

 人馬族。女性。庶民。

 エロイナー家の見習い侍女。

 

マドカ

 半妖精。女性。司祭。

 皇国出身の女聖職者。正式には名を「円」と書く。

 クエスターであったが、成り行きで王都下町の教会を管理している。皇国では良い所のお嬢様であったらしいが、西方へ流れてきた理由は不明。

 生真面目。

 

ワール・ウインド

 ヒト族。男性。庶民。

 クエスターの少年。軽い性格で物事を深く考えない。権力が嫌い。以前はマドカと組んで冒険をしていたが、今は教会の居候。

 義賊を自称している。ナンパ野郎。剣の腕はそこそこに自信があったが、ユーリィには敵わずに一方的にやられてしまった。

 

ルゥ・ピプン

 ヤシクネー。女性。庶民。

 ベクター男爵領の領民。

 ガリュートを行為中に逃がした罪の為、大変な目に遭ってる可能性が高い。

 

レオナとルイザ

 ヒト族。女性。司祭。

 双子の姉妹。マドカに仕えて教会の仕事をしている。マドカに教会の管理者になって欲しい懇願したのは、実はこの二人。

 

ミモリ

 ヤシクネー。女性。庶民。

 フロリナ港の船宿従業員だったが、災害に巻き込まれて脚を一本失う。

 現在、成り行きでビッチ達に同行している。

 軽小説の愛読者。妄想癖がある。

 

 




覚え書きみたいな物です。
時々、自分も前書いた記述を忘れたりします。
「あれ、この人。肌の色は褐色だったっけ?」とかね。
エロコとか、ビッチみたいな主要人物ならともかく、他のキャラも性格とか口調は案外忘れない物ですが、細かい身体の特徴とかはど忘れする事も多いんですよ。

お陰様でUAが3,000を越えました。
有難うございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

〈閑話?〉、ゲロゲロンナ物語

色々と詰まって、突発的に書いてしまった。
『エロエロンナ物語』とは微妙に繋がってるかもだけど、別次元、平行宇宙でのお話です。あっちとは無関係に近いですからね。


ゲロゲロンナ物語

 

「うぇぇぇぇ…」

 込み上げてくる酸っぱい液体。

 私は吐いた。そりゃ見事に吐いた。

 

「うげえぇぇぇぇ」

 

 ケロケロケロケロっ、とリズミカルに胃液が後から後から、口よりぶちまけられる。

 まぁ、無理も無い。

 そこら中が死体(したい)。いや、屍体(したい)と言うべき環境にあって、正気を保っていろと言うのは酷すぎる。

 

「ゲルダ世界へよーこそ」

 

 天から聞こえてくるのは脳天気な女声。

 一応、胃の中が空っぽになったのか、彼女は口を拭うと辺りを見回した。

 声の主を捜す為だが、声の主らしき人物は判らなかった。

 

『もしかしたら、このアンデットの中にいるのだろうか?』

「そんな失礼な事を考えてはいけませんねー」

 

 頭の中で呟いただけなのに、先程の声の主がそれを感じ取ったのか警告してくる。

 

「あ、あんた、誰?」

「あっ、失礼しました。私はこの世界の、まぁ、女神でしょうかぁ」

 

 女神だと?

 

「本当の役職はあるんですけど、ぶっちゃけ管理人ですが、私一人しか居ないので女神とお呼び下さいねぇ。

 あ、女のメンタリティと声を持ってるのは、他人に対するサービスですよぉ」

「受け狙いな訳?」

「はい。野郎より、女性の方が客受けは良いですからねぇ」

 

 あっさりと肯定する、自称、女神。

 まぁ、言っている事は正しい。

 野郎よりも女郎の方が客受けが良いのは、機械に入ってる各種ナビの声がことごとく女声である事が多いのが証明している。

 野太い男声で「発券中です」とか、「次300m進んで右折して下さい」とやられても誰が嬉しいねん。ってのは心情的に理解出来る。

 

「で、この世界はゲルダって名なのですが、と、屍体がうざいので時間停止しますね」

 

 蠢いていた屍体がぴたりと停止する。

 自分は動ける所から、時間停滞フィールドでも働いているのか?

 

「あー、そんな技術的な物じゃ有りませんよ。神の力です」

「…神ねぇ」

「あー、馬鹿にする。

 思うに貴女。相当技術レベルの高い世界からやって来ましたね?

 地球、メルーン、ヴィオリータ、リグノーゼ…。ああ、あの次元からですか」

 

 恒星間航行が出来るレベルだよ。と答える前に結論を出しやがったか。

 心を読む、こいつエリルラか?

 

「残念。まぁ、貴女方の言う、エリルラ(異能力者)に近いかもですねぇ。

 読心も、瞬間移動も、何ならこの惑星を、火球に変える事だって出来ますよ」

「やめい」

「冗談です。最近、別の世界にエリルラが現れてね。

 ありゃ、放っておくと歴史を変えちゃいますから困ったもんだ。ある程度未来予知で見えちゃうんですよ。彼女がこれからやろうとする事が」

「排除…」

「無理です。手出しが出来ません」

 

 自称、女神は深いため息をついた。

 

「管轄が違うんですよ。あたしの管理下に無い次元の話なんです」

「管轄違い?」

「はい。神界もテリトリーって奴が決まっていまして…。

 ああ、勿論、貴女の生まれた世界にも上位管理者が居ます」

 

 そんな奴に会った事無いけどねぇ。

 

「そりゃ、そうですよ。普通は神様だって管理する世界に顔出しする事は滅多に無い」

「じゃ、あんたは?」

「貴女が別の世界の人間だから干渉したんです」

 

 曰く、四六時中、自分の世界に干渉するのは住人に進化させるのに余り宜しくないそうで、普通は自分の世界の住人に手出しはせず、放置して見守るのが基本スタンスらしい。

 

「まぁ、一概に言えない所もありますね。

 貴女の世界、地球でしたか、のギリシャの神々みたいに、じゃんじゃん俗界へ介入する神様も居ましたし、まぁ、あの方々も私と同じ、管理人に過ぎませんが」

「管理人って、かなり軽い言い方だね」

「上位管理職に比べれば、権限が低いんですよ。

 会社で言うなら課長クラス。範囲が及ぶのは一つの文化圏やせいぜい惑星一つとか、その辺りですね。

 上位管理者は次元一つを担当してます。重役ですねぇ」

 

 その声に羨望の響があったのは、気のせいでは無いだろう。

 

「ま、いいや。で、私は何でこんな所へ居る訳?」

「ああ、そうでしたね。簡単に言えば、事故です」

 

 事故?

 別にトラックにはねられた記憶は無いぞ。

 

「どこのラノベですか」

「異世界転生物の基本だろ?」

「ワンパターンなんですよ。どうせなら落ちてきた戦闘機に巻き込まれたとか、沈み行く客船と運命を共にしたとか…」

 

 犠牲者の家族が、どっかの広場でテント張りそうな展開だね。

 

「ト・アール国の事情は危ないので止めましょう」

「あ、ごめん」

「貴女は突然、次元の狭間に落ち込んだんですよ。次元反動転移航法で良くある話ですが」

 

 そうだった。私はアルファ・ケンタウリ行きの客船に乗っていた。

 次元反動転移航法。

 略して空間転移航法とは、宇宙船を別次元に移行させて、亜空間内を経由する事で移動距離を大幅に縮める航法である。

 

 通常空間の前方空間に次元干渉を起こし、次元の壁に穴を開けて船体を滑り込ませる事で、亜空間へ転移。亜空間内で進んで再び通常空間へ復帰する航法だ。

 亜空間内は通常宇宙に比較して空間が歪曲しており、たった数日、推進するだけで数十万光年に相当する距離を稼げるので、加速型ワープ航法などに比較して効率が高い。

 

 だが、時々、船内に次元空洞が発生する事故が起きる。本来、宇宙船の進路上に開けるべき次元の穴が、何故か、宇宙船の中に空いてしまうのだ。

 転移座標の計算間違い。自然の干渉による不測事態。とか色々言われてるが、詳しい事は判らない。確率的には1/100,000,000程度の天文学的な数値なのであるが、それでも発生するんだから仕方ない。

 次元空洞が発生する時間は長くて数分。だが、そこに吸い込まれた人間は行方不明になる。

 どこかの多次元宇宙か、亜空間に放り出されて還って来ないのだろうと推測されているが…。

 

「いわゆる異世界転移ですね。おめでとうございます」

「嬉しくも、何ともないわ」

 

 女神は「助けてあげたのに酷い」とうじうじと呟いた。

 詳しく話を聞くと、次元の狭間に放り出された私を保護して、このゲルダなる世界へと連れてきてくれたらしい。

 

「は、いいけど、周りのこの光景は何?」

「屍体ですね。まぁ、ぶっちゃけて言いますとこの世界って滅んでるんですよ」

「は?」

「いえ、ねぇ。世界は健全なんですけどね。この惑星で文明を築き上げた種族は、とっくに此処を見切りを付けて旅立ってしまっていましてね」

 

 文明崩壊後の世界かーい!

 

「知ってますよね。星の民(メライシャン)、あいつらです」

「知ってる…。あいつら、別の多元宇宙にも進出してたんか」

 

 地球を含む私の世界にも、連中の足跡が発見出来る。

 メライズ文明と言われる謎の異星文明。それは宇宙各地に様々な遺跡を残しているが、遙か昔に滅び去ったと言われている。

 恒星間航行可能な高度な技術を持ち、今でも解析不能な物も数多い。多かれ、少なかれ、宇宙に文明が生まれる所に干渉しているらしく、宇宙へ進出した異星人が互いにヒューマノイドなのも、この『メライシャンがそうなる様に調整しているのだ』との説すらある。

 

「此処もその一つでした。

 魔法文明。貴女方の世界では理解不能なテクノロジーを用いて世界を構築していたのですが、現地の人間が暴走しましてね。この通りです」

 

 何でもメライズに対抗する為、その支配から脱する為の力を持つべく現地人がアンデット化したそうだが、殆どの住人は吸血鬼とかの上級種族になれず、低級な屍体とかに変わり果ててしまったらしい。

 

「メライズは星を支配していると思ってなかったんですけどねぇ。現地人は彼らの観察対象であって、搾取する存在としては見ていなかったし…」

「メライシャンの対応は?」

 

 メライシャンとの間に何があったのか。

 星の民が原住民に負けて逃げ出したのなら痛快だったんだけど、その答えは面白くなかった。

 

「原住民が、それ以上は進化する兆候が見られないと判断してあっさりと星を捨てましたよ。未練があった、リグノーゼやヴィオリータと違ってね」

 

 リグノーゼとヴィオリータ。

 この二つは星間国家だ。どちらもメライズ系の文明を祖先に持ち地球連合と対峙している。

 もっとも、彼らの主敵は星間国家メルーン帝国なので地球とは熱戦状態にはなっていない。

 このゲルダと言う世界も、先の二つの様にメライズ系だったんだろう。

 

 彼らが去る時のパターンは『自分達の手を借りずともやって行ける』まで文明が成熟したと判断した場合と、『これは失敗した出来損ない』と判断したケースのみだ。

 失敗廃棄の殆どは開発初期に行われる物(主に生命や知的生命体が発生しなかった場合)だから、これだけ高等生命体が生まれた世界で、星の民がそれを捨て去るのはよっぽどの話である。

 

「ま、そりゃいいけど、このアンデットの中で私は暮らすのか?」

「勇者になって下さい」

 

 は?

 おいおい、私は民間人であって軍人でも武道家でもないよ。

 

「間もなく、この世界の均衡が崩れるからです。

 貴女は、まだアンデットと化していないこの星の知的種族を率いるリーダーとなって、次元を越えて現れる侵略者の前に立ちはだかるのです」

「唐突な。か弱い婦女子に何をやらせるんじゃ」

「ゾンビ萌えとか出来ますね」

 

 それは腐女子だ。

 

「失礼。と言う訳で、貴女に率いて貰いたいのは、りょうせい人類です」

「えっ、アンドロギュノス(ふたなり)?」

「いえいえ、彼らです」

 

 ゲロゲロっ、ゲロッピ。

 虚空に現れたホログラムは、どう見てもケロケロチャイム…じゃなかった。

 でっかいカエルだった。

 

「両生類かーい!」

「そです。まぁ、人以外の知的種族が彼らだけな訳でして…」

 

 ファンタジー風なら、エルフとかドワーフとか居ろよ。

 何が悲しくくて、勇者とやらになってカエルのリーダーにならにゃならん。

 

「他の世界に転移させろ」

「出来ません。私の権限はこのゲルダワールド限定なので」

 

 話によると、自分を助けたのも意図的では無くて義侠心に過ぎず、本来なら放置しても良かったらしい。それでは余りにも哀れだとして救い上げたのだが、扱いに困ってしまったのだそうだ。

 元の次元へ戻す事は禁止されている。

 本来、こうした管理者は人前に姿を現さないらしいとさっき話したが、折角、この世界に呼び寄せて生きる事を選択させてあげたのだから、せめて、この世界で何等かの役割を与えて活躍して貰おう。と考えたのだそうだ。

 嫌なら助けたのをこっちも忘れるから、死んでくれても結構と言われれば、半ば道は決まっているが…。

 

「それが勇者かい。しかも、カエルの」

「アンデット化した人類の勇者じゃ、面白くありませんからね。

 それとも貴女、ゾンビになる願望でもお持ちで?」

「面白さで決めるなよ」

 

 私は脱力した。まぁ、ゾンちゃんになるのは嫌だ。

 

「勇者になれば、勇者の力を与える事も出来ますよ。

 テレポートとか、サイコキネシスとか、まぁ、貴女の世界の超人。近い所でリグノーゼ帝国のエリルラ並みの事は」

「へ?」

「向こうの基準に当て嵌めると、特級エリルラ級になるのかな?」

 

 おいおい、特級ってリグノーゼの基準では例外中の例外、伝説クラスだろ。

 現在では一人も現存してないと言われてるぞ。大陸間をテレポートで跳躍する三級で数千人。衛星距離を跳躍する二級で数百人。惑星間を跳躍する一級クラスでも僅か数十人なのに、特級は生身で恒星間を瞬間移動するってお化けだ。

 

「あー、無論、女神である私には敵いませんよ。悪しからず」

「あんたが与える力だからな。自然とあんたのレッサーバージョンって訳か」

 

 まぁ、予想はしていたさ。

 しかし、そうだとするとこのおちゃらけ女神、とんでもない性能を持ってるんだな。

 仕方ない。私はその申し出を受け入れるしかないじゃないか。

 

            ★        ★        ★

 

「ゲーロゲロゲロゲロ(忌々しい屍人から、我らの土地を取り返すのだ)」

 

 私はカエル達に命令した。

 半ば幽体で空中に浮かび、女神らしいオリエンタルな薄衣を来た私は、印度神話のアプサラスみたいな姿だった。あ、趣味で高そうな装飾品じゃじゃらよ。

 装備は変えられても、姿形が元のままってのは納得行かんけど、女神に「それが貴女の個性ですので」と言われてしまったから仕方ない。

 この十人並の姿を絶世の美少女に出来たら素敵だったんだけど。

 

 幸い、カエル達は私を勇者と認めてくれて、すんなりレジスタンスのリーダーに祭り上げられた。

 私は地球語で命令してるんだけど、カエル用のゲロゲロ語に自動翻訳され、向こうのゲロゲロ言葉も地球語に変換されるので、コミュニケーションに問題は無い。

 

「ゲーロゲゲロ(敵だ)」

「ゲロゲロゲ(戦闘用意)」

 

 野生のゾンビが現れた!

 ゾンビは弱いが数が多い。しかも、地球の低級ホラー映画みたいにゾンビ菌(?)があるらしく、直接、触れられると感染して、知らないうちにゾンビ化してしまうんだそうだ。

 どう言う原理だよ。

 

「ゲロゲロゲロッピ(女神様の聖液を使え)」

「ゲロゲーロ(おうっ)」

 

 私は微妙な表情を浮かべてその光景を見詰めていた。

 最初に登場した時が悪かったな、と反省する。

 勇者、と言うよりカエル達の間で私は女神だと認識されているらしいが、ゾンビに襲われているカエルを助けに現れた時、私はやっぱり吐いちまったんだよ。

 でも、流石女神の胃液。

 ゾンビは私の消化液を被った途端、あら不思議、綺麗さっぱり融けてしまいました。

 

『うーん…』

 

 で、それを見たカエル達が真似をして、今や胃液を噴射するのが、対ゾンビ戦のトレンディに。

 

「ゲロゲロゲロー、ゲーロゲロゲー」

「ゲロゲロゲロー」

 

 あ、胃液を浴びたゾンビが消滅してます。

 これ不思議と効くんだよなぁ。私がカエルの胃液に『聖』属性を付与した為にね。

 あ、これ、私の信徒になったカエル限定ね。

 で、私は勇者。よりも聖女というか女神様として、この力を分け与える事で勢力拡大中な訳。

 

『さて、新たな次元侵略者とやらが現れるまで、勢力を何処まで盛り返せるかねぇ』

 

 それが現れるのは時間として地球時間で数十年後らしい。

 次元を押し開き、別の世界からイレギュラーとして現れるのは魔族と言う連中らしい。おおっ、何となくファンタジー的なノリじゃ無いか。

 

 侵略されても、ゲルダの支配種族であるアンデッドは無抵抗で支配下に入り、このゲルダ世界は平定される未来予想が立っているんだけど、女神曰く「それじゃ面白くない。これでもあたしが何万年も育てていた世界なんだから」なんだそーだ。

 でも直接、自分が表舞台に登場して干渉する事は神界の法で禁止されている。

 だから、私と言う異次元の存在を代理にあげた。

 

『もっとも、私だって力を制限されてんだけどねぇ』

 

 私一人で物事を解決するなら簡単だ。

 アンデットの拠点を丸ごと殲滅しちまえば良い。

 大地が裂け、天空から豪雨の降り注ぐ天変地異を引き起こし、地上に核融合による太陽を現出させる事だって、今の私には可能なのだ。

 かつて軍部の人間が常々「エリルラ怖い」と言ってたのが理解出来るよ。無論、現在の私の力程じゃないだろうけどね。

 

 だけど、それじゃあ世界が引き起こす解決法にはならない。

 この次元の問題は、あくまでもこの次元の生物が行う事じゃなければ、それは単なる『勇者、または女神による奇跡』に過ぎなくなる。

 人々がそんな奇跡に頼り始めたら、ろくな結果を生まない。

 停滞し、活力を失う、死んだ世界になるだけなのだ。

 だから、私の助力はあくまで限定的に行わねばならないらしい。

 

「ゲロゲロゲロ(ま、いっか)」

 

 私は独りごちた。

 元の私はアルファケンタウリへの途上で死んだのだ。今は今で、楽しく生きて生きて行くのを優先しよう。幸い、私の存在は殆ど不老不死な肉体らしいしね。

 

「ゲーロゲーロ」

 

 頑張れカエル。頑張れ私の配下。

 私は宙に浮かんだまま、奮戦するカエル達に「ゲロゲロ」っと声援を送り続けるのだった。

 

〈FIN〉




主人公の、私の名は「ゲロコ」にしようかと思ったけど、それじゃ完璧に虐めだから止めました。
世界の名も最初の予定では「ゲロダ」だったけど、こちらも流石に(笑)。

多分、これ一編だけで続編は無いです。恐らく…。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最新話
〈外伝〉、実習航海15


外伝です。
よーやく、ガリュートのお話が一段落です。

改訂。
一部抜けていたのを補足しました。


〈外伝〉実習航海15

 

 貴族の食事は豪華だって思うのは半ば正しく、半ば間違っている。

 侯爵クラス以上の上級貴族ならば、それは正しい。

 山海の珍味が、とまでは行かないが、一流の料理人が作った食事が毎回並び、しかも朝、昼、晩の三食が提供されるからである。

 

 に対して、士族や男爵クラスの下級貴族は庶民と同じく、一日に二食が基本。

 朝飯はなく、出てもお茶を飲む程度で流される。

 昼をメインするか、晩をメインにするかは、その家の家風次第なので何とも言えないが、ここで沢山食べて、腹ごしらえをするのが普通である。

 流石に貧相では無いものの、特別な場合を除いて、凝った料理とかは余り出ない。

 それでもお肉や魚がメインだし、ワインなんかも供されるのだから、一般庶民に比べれば大分贅沢なんだけど、上級貴族の食卓を夢見ていると失望する。

 

『ダヨー鳥の丸焼きですか…』

 

 飛べない家禽であり、下級貴族なら滅多に口に出来ない高級食材である。

 飴色した一抱えはありそうな巨大な身体が、逆さまになって脚を突き出しているのは美味そうだ。中に何かか詰められているのか、腹の所にはゼラチンの革紐で縫った跡がある。

 大分、無理していないかとビッチは判断する。

 公爵子女でも末の方に近いから、食卓に上がる事は滅多に無い(月に一回あれば良い方)し、士官候補生の薄給では買えないから、口にするのは久しぶりである。

 彼女付きの侍女達も、貴族子女の出だが同じである。

 大抵が、子爵以下の出であり、こうした高級品を日常的に食しているとは言い難い。

 

「それでは頂きましょう」

 

 ベクター男爵の合図で晩餐は開始された。

 高位貴族の晩餐では前菜などが最初に出る事もあるが、こちらはその手順は飛ばされて、最初からメインの鳥料理がお出ましになっている。

 赤ワインが真鍮のゴブレットに注がれ、ハミーナがそれを毒味後にビッチの前に置かれる。

 男爵が目の前の丸焼きにナイフを入れるのは、この場で刃物を使えるのが当主である事の証だからである。

 古い習慣であるが、今でもこれを守っている貴族家は多い。

 

 肉は当主によって切り分けられた後、それぞれの皿に盛られて供される。

 皿は平たく焼いたパンである。

 肉汁を吸い込んだそれは、勿論、食事の一部として食われる運命であるが、これは貴族が口にするより、背後に控えている家臣達の食事として払い下げられる事が多い。

 当然、ビッチ付きのハミーナやマリエルなんかもそっちである。彼女らは主が食事する中、それが終わるまでは、ずっと背後に控えていなければならない。

 この晩餐の席に着けるのは、基本的に領主とその家族、そして客人に重臣が数名と言う所である。

 

「では…」

「乾杯」

 

 杯が上げられ、乾杯の音頭が取られる。

 濃厚な味がビッチの口に広がり、特に果実の甘さが際立つ。

 この島ではワインも輸入の高級品であり、地方領の好みに合わせてかなり甘味のある種類が好まれているのである。

 これは砂糖が取れない地方の菓子が、やたら甘いのと同じ理由だ。ワインが日常的に飲まれる地方ならば、甘さではない渋さやすっきり感を重視するが、生産地以外になるとその特徴である甘味に価値を置き、濃度も濃い方が重視されるからだ。

 

「さて、息子の話でしたね」

 

 メインの鳥料理。サブとしてココナッツを用いたサラダ他、何種類かの料理が供された後、食事も一段落した頃、食後酒が運ばれて来た時にベクター男爵はおもむろに口を開いた。

 ビッチもゴブレットを持つ手を止めて、彼女に視線を向ける。

 

「はい。最低でも士官学校卒業までは、実家への召喚は待って頂けませんか?」

「…今の男爵領の状態では厳しいのよ」

 

 スミレ色のドレスを揺らしながら男爵は答える。

 彼女は「知っているとは思うけども…」との前置きを呟いて、本来、男爵領を継ぐべきガリュートの兄が死亡した事を挙げ、次席であるガリュートが急遽、継がねばならぬ事を伝える。

 

「それは知っております。しかし…」

「時間が無いのよ」

 

 途中で男爵はビッチの言葉を遮った。

 本当ならば残り一年程度なら待てる筈だった。

 

「そりゃ、士官学校を卒業してくれた方が資格も取れるし、嬉しいけどね」

「何か切羽詰まった事があったんですのね?」

 

 男爵は真顔になって、「海賊ブロドールを知っていますね?」と問う。

 公爵令嬢は内心驚愕したが、長年に渡る悪役令嬢としての訓練の成果か、それを表に出す事は無い。与えられた情報を『今、対峙している相手だと思われる相手ですわね』と分析する。

 

「知っておりますとも。海軍の中でも有名な海賊団の頭ですわ」

 

 極めて平静を保ちながら、ビッチは答えた。

 ちなみに悪役令嬢なる称号は、上級貴族の子女にとっては褒め言葉である。

 令嬢教育を通して、高貴、傲慢、傍若無人、そして鉄面皮な、まるで舞台役者の悪役っぽく演じる事が、時として要求されるからだ。

 それは悪役になれとの目的では無い。感情を表に出さない仮面を被り、相手を騙せとの目的であり、ある意味、別人に化ける間諜の訓練にも似ている。

 架空の令嬢として振る舞いながら、本心を見せず、ポーカーフェイスを決め込むのだ。

 

「彼が、我がベクター領へ押しかけてきているからです」

「退治する絶好の機会ですわね」

 

 そう答えつつも、ビッチは考えを巡らせる。『海賊に脅迫を受けてますわね』との予想は間違いなさそうだ。

 今のベクター男爵が持つ軍備では、恐らく海賊団に退行出来ないとの予想は、先程伺ったガリュートとの会話で判明している。

 陸戦に関しては騎士戦力の過多で優越しそうだが、ポートバニーを制圧されれば、その収入を経たれる等しく、時を経かずしてじり貧になろう。

 占領が短期間でも、街や港湾設備を破壊されたら致命的であるからだ。

 その再建に掛かる費用と時間は、地方の男爵領が負担するには重すぎる。

 

「退治するにも戦力が無いのですよ」

「海上戦力が、ですわね?」

「お恥ずかしい限りですが、唯一の軍船は、既に役に立ちません」

 

 これは話に聞いたガリオットだろう。

 

「では、どうしますの?」

 

 居住まいを正したビッチの質問へ、ベクター男爵が、ぱちんと指を鳴らすと正面の扉から武装兵が現れる。女性ばかりなのは南洋諸島の人材事情なのであろう。

 

「海賊の要求は一つです。貴女方の練習艦を撃沈するので、それを見て見ぬフリをしろ。と。

 それに先んじてロートハイユ公爵令嬢。貴女を拘束、監禁します」

「あら、殺害では無く、監禁ですの?」

 

 男爵は「ええ」と続ける。「このまま海賊に討たれるのも望みません。それに貴女を助ければ、少なくともロートハイユ大公に対する借りも出来ますからね」と言った。

 裏取引か何かで、襲撃に関しての取り決めが結ばれているのだろう。

 

「王国に対する反逆ですわね」

「仕方ないのです。街を人質に取られていますから」

 

 真っ赤なドレスを翻してビッチは席を立った。

 彼女はスカートの中からカトラスを取り出すと、一気に抜く。

 既にハミーナとマリエルは主の左右に陣取り、左右から迫る武装兵に対抗する構えである。

 

「待った! 待った!」

 

 ばんと扉が開き、渦中に第三者が現れたのだった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 にわかに表が騒がしくなった。

 御者台を離れて歩行練習していたミモリは顔を上げる。

 まだ、失った脚を再生するには至っておらず、脱皮の日を待ちわびながら、松葉杖でかたかたと歩き回っていたのだが、門番と誰かが言い争いをしている様子だ。

 

「あれは…」

 

 見知った顔だった。

 一緒に侍女修行の面倒を見てくれたテルミである。

 思わず「テルミさーん」と声を掛けてしまう。

 

「ほら、ビッチ様の関係者だって言ったでしょ。早く通しなさい!」

 

 そう言い放つと。テルミは強引に門を抜けて馬車へと駆け寄る。

 

「ああ、良かった。ビッチ様は?」

「屋敷の中です。何かあったんですか?」

 

 ミモリの答えに、テルミは搔い摘まみつつ「海賊の停泊地を発見した」事実を伝える。

 その時、がさがさと藪をかき分け、ガリュートが顔を出した。

 

「あ、その方は?」

「えっと、何で女装して…」

 

 二人の声を無視すると、ガリュートは疲労困憊したルゥを馬車に乗せ、「済まないが彼女の面倒を頼む」とミモリへと言い含める。

 そしてテルミの方へ向き直り、「ビッチ様が発見した竜母ですか…。しかし、これはチャンスかも知れませんよ」と呟く。

 

「どうなっているんですか?」

「反乱ですよ。いや、見て見ぬフリだから正確には違うのか」

 

 説明を求めるテルミへ、彼はここへ来るまでに耳にした情報を伝えた。

 所々、監視の兵が立っていたのだが、彼らが口にしていた会話を要約するとこうだ。

 

 今、男爵領は海賊ブロドールに脅迫を受けている。

 単なる海賊の脅迫ならば、男爵も折れなかっただろう。しかし、彼らの戦力は高く、多数の飛竜を擁しているので男爵領の軍では対抗出来かねる。

 見せしめとして、一つの村が焼かれてしまった。

 要求はただ一つ。王国海軍の練習艦襲撃に対して見て見ぬフリをせよ。約束さえ守れば男爵領に手出しはしない。しかし、命に逆らえば、街という街は焼いた小村と同じ運命を辿る事を覚悟せよ。

 男爵は了承したらしい。ただ、今、訪れている公爵令嬢の命は救うつもりである。

 八大大公であるロートハイユ家の報復は、ブロドールに負けず劣らず恐ろしい物であるからだ。ここは娘の命を助けた事で、大公家を通じて国との取引材料としたい所なのだろう。

 

 箇条書きにするとこうなる。兵達の規律が低く、機密をべらべらとガールズトークの様にお喋りするので助かった格好になる。

 

「と言う事は…」

「ええ、既にビッチ様達が拘束されている可能性もあります」

 

 その会話を聞いてここまで達するのに、案外時間を食ってしまった事が悔やまれる。

 体力の減ったルゥを連れていなければ、もっと早く到達出来たのだが、ガリュートはこのヤシクネーを見捨てたくは無かったのである。

 

「急ぎましょう。僕が案内します」

「あたしも疲れてるんだけどね。ここまで突っ走って来たから」

 

 カルシスはポートバニーから約5km程の位置にある。テルミはそこを急ぎ足(息が上がるので、基本的に走る事はしない)で駆け付けたのだ。

 それでも同意せざる得ないのは、ダニエルからの与えられた任務と、プロの護衛侍女としての自分の矜持でもあった。

 

「結構、強行突破になると思いますよ」

「あたしを誰だと思ってるの。舐めちゃ困るわ」

 

 ミモリにルゥを任せ、メイド服の二人は駆けた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「ガリュート、貴方…何と言う姿で!」

 

 部屋に入ってきた闖入者を出迎えた第一声は、間抜けな物であった。

 言葉を発したベクター男爵は元より、家令のエドワードも口をあんぐりと開けている。

 ビッチを囲んでいた兵達も、「えっ、ガリュート様?」と言った感じで一瞬、呆然となった所を見逃すビッチ付きの護衛侍女達ではない。

 

 一閃。

 侍女達は素手では無く、スカートの下に忍ばせていた伸縮棍。

 ビッチ自身もカトラスを峰打ちの要領で振るうと、囲んでいた兵達がバタバタと倒れて形勢は逆転する。

 ビッチらの倍は居た筈の武装兵達は無力化されてしまった。

 

「母上、降伏なさって下さい」

 

 メイド服を着た息子が降伏勧告する中、相変わらず席に座ったままでベクター男爵は静かに目を閉じた。ビッチはつかつかと上座に回ると、彼女にカトラスを突き付ける。

 唯一残った家令も、この状態では何も出来ず、立ち尽くしたままである。

 

「さて、落とし前を付けさせて頂きますわよ」

「班長!」

「お黙りなさい。わたくしは、今、男爵と話しているのです」

 

 公爵令嬢は割って入ったガリュートの言葉を退ける。

 ベクター男爵は「まさか、お嬢様にしてやられるとは…」と口ごもると、にやりと笑みを浮かべる。「負けた以上、我が首を差し上げます。しかし、領民達には罪は無いので寛大な処置を」とだけ発言し、先程、ダヨーを切り分けた肉切りナイフを…。

 

「誰が死ぬと言いましたの」

 

 それをカトラスで弾き飛ばすビッチ。

 驚きの目で見詰める男爵に、彼女はゴージャスな縦ロールを揺らして「ふんっ」と鼻を鳴らす。

 

「テルミでしたわね。報告を」

「はっ、我が主ダニエル様からの伝言です」

 

 一連の報告を聞いた後、ビッチ・ビッチンは「それ、逆転の一撃になりますわね」と呟いた。

 ベクター男爵に改めて事情を尋ね、ブロドールの脅迫に関しての飛竜戦力の事を分析する。

 

「竜が十二頭ですのね」

「ええ、そう聞いているわ。奴らそれだけではなく、沿岸のデモイン村を焼き払ったのよ」

 

 普通、単なる町や村に対空用の弩砲なんかある訳はない。

 ただの竜騎士の襲撃だけでも手に余るのに、奴らは焼夷弾攻撃による爆撃までやってのけたのである。小さな漁村はたちまち燃え尽きた。

 

「幸いと言うか、村の住民は我々へのメッセンジャーとして生かす事を許されたみたいで、犠牲者は見せしめの為の数名に留められたわ」

「それでも死んでいるのは確かです。無念であります」

 

 男爵の後に言葉を継ぐのは、家令のエドワードである。

 彼の娘がこの村の守備隊長であり、襲撃に対して抵抗して殺されているからだ。

 それを聞いたガリュートは絶句していた。知り合いであったのだろうとビッチは推測したが、深い事情に突っ込む事は止めた。

 それよりも、こちらが出せる手を使うべきである。

 

「もう夜だわね。テルミ、ダニエルは貴方の報告を聞いてどう行動すると思いますの?」

「ダニエル様の性格であれば…」

「わたくしなら、停泊している竜母に夜襲をかけて撃沈するわね」

 

 テルミも頷いた。

 どうやら、同じ結論に向こうも達しているらしい。

 

「騎竜母艦を沈めるのですか?」

 

 ガリュートが驚きの声を上げる。

 ビッチは「ええ」と肯定し、「竜は夜間飛行に向きませんわ。ならば、巣に入って寝ている時に奇襲しなくてどうします」と続ける。

 確認している竜母は一隻のみ。

 もし、別の母艦が居たら失敗であるが、特殊な船だけあって複数を運用する事態は余り考えられない。こいつを無力化すれば、当面の危機は去る。

 

「ベクター男爵」

 

 改めてビッチは彼女の方を向き、カトラスを鞘に仕舞う。

 

「ガリュートの士官学校の件、延長して貰いますわよ。それが今回の落とし前ですわ」

「…それだけ?」

「わたくしは父、ロートハイユ公とは違いますの。

 ベクター領を割譲しろとか、そんな無体な要求は行いませんわ」

 

 しかし、ビッチはその後に「基本的には」と付け加えた。

 つまり、場合によってはその要求が有り得るとの脅しだ。その約束が履行されぬ限り、いつでもちゃぶ台返しはあるとの話である。

 凄みのある、本当に悪役令嬢らしい笑顔でそれを告げ、「宜しいですわね」と確認に入る。

 

「是も否もありません」

「では、我々と同行して頂きたいですわね」

 

 事務的にそれを告げると、ハミーナに男爵を拘束する命を下す。

 彼女らが男爵を捕虜にして、エロンホーフェンへと帰還したのは夜七時過ぎであった。

 

 

〈続く〉




久しぶりのエロエロンナです。
『偽りの聖女』の方は来月になります。
今月、R-18の方の更新は出来るのかは微妙な線ですね。

宣伝。
『港湾都市編』の方にも新作「ヤシクネー イン ザ シェル」が出てますので、良かったらご覧下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。