銃は剣より強し (尼寺捜索)
しおりを挟む

1話

見切り発車ですが頑張って投稿していくので、コメントや評価を頂けると嬉しいです。

※追記
なんとrenDK様に本作の主人公・言ノ葉綴のイラストを頂きました!!
私の思い描いた通りの姿で感動しまくりです……!!
この場を借りて改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます!!

【挿絵表示】



 突然だが、ボクこと言ノ葉(ことのは)(つづり)は銃の霊装(デバイス)を持っている。ほとんどの伐刀者(ブレイザー)は剣にまつわる武器を霊装とする中、銃の霊装はそこそこ珍しかった。まぁ、中には武器と関係ねぇだろって物を霊装にしてる人もいるけど。

 しかしボクという人間にはそれ以外の特徴は備わっておらず、チヤホヤされたり有名になったりという夢物語はなく、一般の伐刀者たちと同じように普通の小学校・中学校を通い、人並みの成績を残して卒業した。

 ただ、自己同一性という奴を確立しようと四苦八苦する年頃でもあったボクは、そんなどこにでもいそうな人になりたくないと思い、自分の特徴だけは大切にしようと決めたのだ。

 

 すなわち、射撃である。

 といっても別に奇をてらったようなものじゃなく、射的を始め早撃ちやガンアクションといったポピュラーなものの練習だ。

 やると決めたからにはしっかりやり抜けと両親から教えられてきたから、決心したその日から取り組んだ。これが思ったより楽しく、自分にしっくりきたものがあったので趣味になった。

 早朝に起きて庭に作ってもらった的に撃ち込み、昼休みや授業中も頭の中で射撃し、放課後も風呂が沸くまでひたすら的に撃ち込んだ。

 

 まあ、ボクには銃くらいしかなかったからね。銃に関しては誰にも負けたくなかったって思いはあったかもしれない。

 

「綴ー、あなた時間じゃないのー?」

 

 日課の射撃をしているとベランダの空いたドアから母が声をあげた。

 ふと腕時計を見れば電車の時間が迫っていた。今日は高校の入学式である。遅刻するわけにはいかない。

 今自身が身につけている破軍学園の制服を見下ろす。これスカート短すぎじゃと何度目かわからないため息が漏れる。

 

「はーい!もう行くー!」

 

 そう返してから最後の一回だけと的に向き直り、射撃。

 無音のマズルフラッシュと同時に的が不可視の魔弾に撃たれ倒れた。すぐに跳ね起きた的に満足感を覚えたボクは早足で家に戻った。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 ボクは一年一組に配属された。

 担任の女性教師が自己紹介を終え、小・中学校でもお馴染みのクラスメイトも一人ずつ自己紹介を終えた。

 

 小学校では男女隣の席が固定で、中学校ではくじで決めたため自由席だった。が、この高校では男女一組の席らしい。

 ちらりと隣を盗み見ると、たまたまこちらを見ていた彼と目が合う。

 初対面の人と目が合っちゃうと反応に困るという、日本人特有の習性を持つボクは何て声をかければ良いか迷った。

 しかしその男子生徒は朗らかな笑みを浮かべて躊躇いなく声をかけてきた。

 

「初めまして。僕は黒鉄一輝。言ノ葉さんで間違ってないよね?」

「うん。よろしくね黒鉄君」

 

 苗字の通り鉄を思わせる黒く鋭い目に反して柔らかい光を湛える瞳を持つ少年はふわりと笑った。

 男女それぞれ出席番号順に座っているため、同じ九番同士のボクたちは隣人となった。

 

 よかった。第一印象通りの優しそうな人だ。世の中には合法ロリかつトンデモ失礼女とかいるから侮れない。

 

 つい最近ひょんな事で家庭訪問してきた着物の女性を脳裏に思い浮かべながら諸連絡を聞き、入学式当日ということもありそのまま解散と相成った。

 基本的に破軍学園は寮制なので、この後は各自に割り当てられた部屋に荷物を置いてルームメイトと顔合わせとなるだろう。

 

 教師が退出し、早くもグループのできつつある教室はにわかに沸き立つ。

 女子に於けるグループは社会となんら変わりなく、この流れに乗り損ねた女子は今後の学園生活が決まってしまうようなものだ。

 そのせいで女子たちが素早くグループを形成して行く中、ボクは席を立ち──

 

 ──そのまま教室の扉に手をかけた。

 

 女子のグループ?知るかそんなものっ!ボクは銃しか興味ないんだよ!人間関係に勤しむくらいなら射撃の練習したいのさ!

 いかにもいじめられそうな態度だが、それなりのコミュニケーションは取れるので惨めな思いをしたことは一度もない。それとなく空気に混ざる技術を得たボクに死角はなかったのだ。

 

 さっさと女子寮に行こうと引き戸を開けた時。

 

『おい、見ろよアレ。例のFランクじゃねぇの、アイツ?』

 

 誰が言ったか分からないけど、おそらく男子生徒だ。雑音や話し声で盛り上がっていた教室が死んだように静まり返った。

 侮蔑の色が多分に含まれたその呟きは、血が絨毯に染み渡るように溶け込んだ。

 

『あぁ、面接官に媚を売って入学したっていうやつか?』

 

 声の発生源は教室のはじで固まっていたグループからのものだった。

 クラス中の視線が一気に集まると、グループから代表格らしい男子生徒が一歩前に出てきた。

 口元が嘲りで歪んだその男子は、確か桐原と言った。

 

「何素知らぬふりしてんのさ、黒鉄君。キミのことを言ってるんだよ?」

 

 嫌悪の色すら感じられるその声に打たれたように、再びクラスの視線が一点に集中する。ボクの隣の席で教科書の整理をしていた黒鉄君が観衆の目に晒される。

 ボクに見せたような柔らかい笑みはなく、冷たい鉄のような無表情で桐原に視線を向けた黒鉄君は、口調だけは普通のもので答えた。

 

「僕に何か用かな、桐原君」

「いやぁ、クラスメイトに挨拶をしておこうと思ってね。底辺のキミにはどんな挨拶をしたらいいか迷っていたのさ」

 

 桐原の後ろに控える男子生徒たちは下衆な忍び笑いを聞こえがよしに漏らす。それを変わらぬ無表情で眺める黒鉄君。

 明らかにマズイ空気が漂っているのに、周りの生徒たちは何もせず傍観を決め込む。

 

 巻き込まれたくないのだ。変な正義感を発揮して介入して、もし下手を打ったら黒鉄君と同じ運命を歩むことになるから。

 それに、Fランクという地位は並大抵のことではない。もちろん、悪い意味で。

 

 ランクという区分で実力差が克明化されれば、当然上下差の意識が生まれ、見下し見下されの関係も生まれる。

 AからFまで評価があり、全国の学生騎士はおよそDランク。ちょうど壺型に人口が分布する。Dランクより上になるほど少なくなり、下に行っても少なくなる。

 Dランクという地位は絶妙で、仲間が多いものの少数の上位勢に一方的に見下される。常に見上げる立場なのだ。

 そんな感覚がこびりついた彼らにとって、自分より下位のFランクの人間は心地よい存在なのだ。自分より下がいるから安心できる。鬱憤の捌け口にしても良心は痛まない。だって自分が散々されてきたのだから。

 

 ……実にくだらない思想である。中学校でも似たような現象を何度か見たことがあるけど、本当にくだらない。

 そんなに下の立場が嫌なら上に上がればいいのに。だって頑張れば()()()()()()のだから。

 

 それ以上聞いていても気分が悪くなるだけなので、とっとと教室から出た。

 

 その後のことはボクは一切知らない。

 だけど、その日から黒鉄君へのイジメは始まったのだ。

 

 隣の席のボクは同情することも慰めてやることもなく、隣人として普通の付き合いをしていた。黒鉄君本人がめげずにいるのだから、頑張れとか口が裂けても言えない。せめて普通に接してやるのが彼の救いになるだろう。

 

 巻き込まれるかもと思ったが、劣等意識だけでイジメている訳ではないらしく、恣意的に黒鉄君という個人をイジメているらしいのだ。

 それも、学校規模で。というか、学校の運営が執り行っている節まで伺える。実戦教科を受講する最低限度の能力水準とかいう、ありもしない規定を作って黒鉄君を授業から締め出したときはさすがに唖然としたものだ。

 

 それが入学式から一週間経ったころの話だ。

 

 ボクはそんな学校に嫌気がさして、黒鉄君をイジメる授業は全てサボることにした。ボク自身に被害があったわけじゃないけど、隣の席の優しい彼がこうも酷い扱いをされると気分が悪いし、頭に来るものもある。

 それに、()()()()()で破軍学園に入学させられたボクは、すでに卒業までに必要な単位を全て持っていることになっている。なら気分を害してまで付き合ってやる義理はない。

 

 そうなると一日のほとんどが暇な時間になるので、ボクは学校に大量に備わっている訓練所の一角を借りて、自宅から持ってきた愛用の射的をセットして射撃するのだった。

 爽快の一言である。休日が毎日あるようなものだ。趣味を誰に憚かることもなく没頭できるなんて最高の一言だ。

 それに家では設置不可能だった動く的がこの訓練所にはある。素晴らしすぎる。今までは遠い土地にある射撃場にいかないと叶わなかった動く的が、歩けばある。もしかしたら破軍学園は最強かも知れない。実態は屑だけど。

 

 人生で初めて授業をサボっているにも関わらず超ハイテンションで射的しまくるボク。

 快感と言っても過言ではない感覚を噛み締めている時だった。

 

「あれ、もしかして言ノ葉さん?」

 

 声の主は迫害を受けている黒鉄君だった。ジャージ姿で汗をかきながら首にタオルを巻いているのを見ると走り込みでもしていたのだろうか。

 まん丸に目を見開いて歩いて来る彼に、どことなく居心地の悪さを覚える。

 

 だって、この流れ絶対に「なんでここにいるの?」って聞かれる奴でしょ?

 

「今は授業中だと思うけど……」

 

 案の定だよ。まさか『キミがイジメられているのを見て嫌気がさしたのでサボってます』なんて言えないし、他に理由をでっち上げようにも妙案がパッと思い浮かぶはずもない。

 結局口をモゴモゴさせて曖昧な笑みを浮かべた。そこはかとなく、聞かないでくれと空気で訴えかける作戦だ。

 

 幸い聡い彼は「やっぱなんでもないや」と取り下げてくれた。代わりにボクの方から質問を投げかけた。

 

「黒鉄君もその姿はどうしたの?」

「授業に出れないから、空いた時間をトレーニングにあててるんだ。ちょうど学校の周りを走ってきたところ」

 

 ボクと同じ考えの人だったのか。少しおかしく感じてくすりと笑いが漏れる。それにつられたように黒鉄君も流れる汗を拭き取りながら笑う。

 

 というかさらっと学園の周りを走ってきたって言ってるけど、ここって東京ドーム十個分とかデタラメな敷地を持ってるんですが。その直後でその程度の疲労って……。

 やばい、笑みが引きつった。

 

「へ、へぇー、体力結構あるんだね?」

「体力には自信があるんだよね」

 

 そして少し寂しそうな笑みに変わり、ポツリと呟いた。

 

「僕にはそれくらいしかないから」

 

 その言葉を聞いたとき、無意識にボクは彼の手を取っていた。

 え?と間抜けな声を漏らす黒鉄君に構わず、ボクは食い入るように答えた。

 

「キミも、そうなのかい?」

「キミもって、どういう……?」

 

 怪訝な顔を見てようやく自分が突飛な言動をしていたことに気づき、顔に熱が集まるのを感じながら手を離した。

 

 それから顎で向こうに置かれた的を指して、いつもの射撃の姿勢を取る。

 それは自然体。余分な力を抜いて、肩幅に足を開く。両の素手もだらんと横に垂らす。

 

 ボクが何をしようとしているのか感じ取ったのか、鋭く息を呑んだ気配がした。

 それすらも意識から排除して両目を瞑る。

 

 真っ暗な視界に光のサークルのイメージが現れ、徐々に間隔が狭まっていく。

 円が点になったその瞬間、ボクの全てが一本に研ぎ澄まされた。

 

 そして。

 

「──ッな」

 

 目を開ければ、いつものように的が撃たれたことにより倒れ、反動で再び起き上がったところが見えた。

 隣で愕然と口を開けている黒鉄君に渾身のドヤ顔を見せてやった。

 

「ボクもこれくらいしかないから」

 

 ふふ、やってやったぞ。ボクが人生で一度はやってみたかったシチュエーション!

 本当にボクはこれしか興味なかったからね。会心の出来栄えである。イメトレしててよかった……!

 

 さぁ、黒鉄君の反応や如何に!

 

 ……気づくと黒鉄君は頭を下げて、手を差し出していた。

 

「僕と(訓練に)付き合ってほしい!」

 

 ──わっつ?

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 言ノ葉さんはとても不思議な人だった。

 僕こと黒鉄一輝は学校からイジメを受けてる人間だ。正しくは実家からなんだろうけど、イジメられていることには変わりない。

 普通はイジメられている人間と関わろうとしないだろう。しかし言ノ葉さんは同情や同調ではなく、本当の自然体で僕と接してくれた。

 

 そう、言ノ葉さんは常に自然体なんだ。

 

 一目見たときに、この人は何かとんでもない物を持っていると直感した。けれど、強者や熟練者なら誰もが醸し出してしまう剣気のようなものは一切帯びておらず、ただの一般人と紹介されればそのまま信じてしまえそうな空気を持っていた。

 

 歩き方や座り方も一般人のそれで、武に理解があるとも思えない。僕の気のせいかと思い始めていた頃に、彼女の正体を見てしまった。

 

 10メートルほど離れた所に立てられた的を射撃した。前から彼女は銃の霊装を持つ伐刀者だと聞いていたから、そこに驚いたのではない。

 その射撃……いや、早撃ちの速度。霊装を顕現し、構え、射撃し、元の体勢に戻し、霊装を仕舞う。それが文字通り、目にも留まらぬスピードだったのだ。霊装のデザインすら見えなかった。

 そして何より早撃ち前の姿勢。彼女の溶け込んでしまうような自然体はこれに起因していた。自然と一体化しているとはまさにこのこと。

 

 自慢になるけど、僕は目には自信がある。剣筋を見ればその人の思考や癖、更にその流派の根源を辿ることもできる。それくらい出来ないと生きていけない世界で鍛えられた目に捉えられないものはないのでは、と少し思っていたくらいだ。

 

 だけど、僕の目には何も見えなかった。コマが抜け落ちた映画を観たようなものだった。あるべき光景がすっぽり抜け落ちていたのだ。

 

 見落としたのかと思いもう一度頼んでみても、やはり見えなかった。

 多分、僕が見落としたのではなく、()()()()()()()()

 早撃ちの工程のタイムラグが限りなくゼロになった結果が、無音のマズルフラッシュしか見えなかった現象。

 

 ……僕の目が実は節穴だったと思った方が何倍も信じやすいが、もし確かであるのなら言ノ葉さんの早撃ちは人の領域を遥かに超えてしまっている。

 

 ふと巡りあった異次元に対してしばらく言葉を失ってしまう。が、我に帰ったときには言ノ葉さんに貴女は何者なのかと尋ねるよりも先に頭を下げて、訓練に付き合ってもらえるよう頼み込んでいた。

 

 僕はFランクという出身のせいで師事を仰ぐことができない環境に置かれていた。

 だから盗み見て技術を盗むことでしか成長できなかった。同級生にも唾を吐かれる始末では、ライバルと呼べるような人も得られるはずがない。

 

 けれど、今目の前に実家からの影響を受けずに僕と対等に接してくれる実力者が現れた。願ってやまなかったライバルと呼べる存在が、目の前に。

 人生で初めて全身全霊の誠意を込めて頭を下げた。

 

 僕たちの間に沈黙が降りる。

 

 もし断られたらどうしよう。

 嗚呼、でも僕はFランクで、彼女はB()ランクだ。彼女が僕に興味を持つ理由なんてないじゃないか。

 そんな。またとない機会を取りこぼしてしまうのか。他でもない、自分の無能さで。

 

 永遠にも思えるような時を経て、果たして返答は──

 

「えっと、まずはお友達からでもいいかな?いきなり彼女とかありえないし」

 

 想像の斜め上をいくものだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話

 黒鉄君に告白されたボクはすげなく断った。

 まあ、実際は空いた時間に模擬戦闘をしてほしいというお願いだったんだけど。

 

 後に聞いたところ一世一代の頼みごとだったらしいからテンパるのもわかるよ。でも、一番重要な要素を抜かすドジとか普通やらかす?しっかりしてそうな見た目に反して、変なところに抜けがあるらしい。

 

 しかしボクの早撃ちの正体に一発で気づいたのは驚いた。

 今まで誰に見せても「うわー速いですねー」で終わらされて『違う。そうじゃない』と不満に感じていた。いや確かに速いんだけどね?もっと深いところまで気づいてほしいなぁって、ならない?そこのところ黒鉄君はしっかり見抜いた上で驚いてくれていたから嬉しかった。

 

 そこから察するに、彼は伐刀者としてはFランクだけど、人間としては超人クラスなんじゃないだろうか。こう言ってしまうとボク自身も超人なんだぜ〜みたいに聞こえちゃうけど、事実ボクの早撃ちはそんじょそこらのものとは格が違うと自負しているからね。

 蛇足に、ランクとは伐刀者としての評価だから、主に魔力に関する評価が成される。逆に言えば運動神経とか座学とかはほとんど含まれない。運とかいう意味わからん項目もあったりするんだけど、ともかく黒鉄君のFランクは魔力関連のことしか表していないのだろう。

 もしかしたら身体能力だけならAランクとかピーキーな人だったりして。この学園を一周走って息すら上がってないのだからありえそうだ。

 

 そんな彼に「どうやってそんな早撃ちをしているんだい?」と尋ねられたけど、残念ながらボクもほとんど意識してやってる訳じゃないから「なんとなく?」としか答えられなかった。

 随分前から繰り返してる動作だから体に染み付いちゃってるのだ。例えると、キミはどうやって足を動かしてるの?と聞かれているような感じ。そんなの「なんとなく」としか言えないでしょ。

 

 さておき。話がついたところでボクたちは違う訓練所に移動していた。第七訓練所とラベルされていたところだ。

 ボクが最初にいた訓練所は遠距離攻撃を扱う伐刀者──魔法をメインに戦う人とか──に向けられた仕様だったのに対して、こちらは完全なリング。石畳のフィールドを取り囲む階段兼観客席はコロシアムを彷彿とさせる。実戦訓練に使うのだろう。

 

 訓練所というより会場って言った方がいいだろと内心で呟いていると、黒鉄君が霊装を取り出してリングの開始線に立った。

 

「黒鉄君の霊装はシンプルな剣なんだね」

「ただの日本刀のようなものさ」

 

 確か彼の霊装に備わった能力は身体能力の向上だったはず。ほとんどの伐刀者は一瞬だけとはいえ魔力を使って身体能力の向上を行えるから、実質の無能力と言い換えられる。たぶんこれもFランクの由縁になってる。

 もっとパッとした能力だったら黒鉄君もイジメなんて受けずに済んだかもしれないのに、運がないねぇ……。あ、だからFランクなのか。悲しすぎる。

 

 彼のとことん恵まれない環境に涙を禁じえないボクは、訓練所に置かれていたタイマーを勝手に持ち出してリングの端っこに設置した。

 その意図は彼の提案にある。

 

「でも本当にいいのかい?ボクの早撃ち、見えなかったんだろう?普通の模擬戦闘の方がいいんじゃない?」

「奥の手……《一刀修羅》を使っても見えなかったら、今度から普通の模擬戦闘にしてもらうよ」

 

 つまり、彼はボクの早撃ちと対決したいとのこと。タイマーは公平なゴングとして使うわけだ。

 ちなみに、当然お互い幻想形態の使用である。学生騎士の規制にある霊装の使用許可も学園の訓練所でなら問題ない。

 え、ボクが自宅で霊装を使いまくってただろうって?ハハッ、バレなきゃ違反じゃあないんですよ。

 

 そんなわけで、準備も整ったことだしボクも開始線に立つ。人を射撃するのは初めてだけど、不思議と抵抗がない。こういうのって結構抵抗を覚えるらしいけれど、もしかしてボクってサイコパスなのか?トリガーハッピーじゃないのは確かのはず。

 

 そんなくだらない事を考えるボクと対峙する黒鉄君は己の霊装──《陰鉄》を垂直に構え、

 

「僕の最弱(さいきょう)を以って、君の最強を打ち破る!」

 

 言葉とともに黒鉄君の体と《陰鉄》から光が生まれる。蒼い焰のように揺らめく淡い輝きが、瞬く間に彼の体を覆った。

 可視化できるほどに高まった魔力の光だ。魔法とは違い、ただ純粋に魔力のみが放出された状態。これが黒鉄君の異能、身体能力の倍化だろう。

 

 離れていても熱を感じるほど振りまかれる魔力。これほどの量を放出し続けていれば、Fランクと評価される彼の魔力はすぐに枯れるんじゃないか?

 そんなボクの疑問を読んだように黒鉄君は言う。

 

「普段、人は全力の三割しか出力できないように作られてる。生存本能が体を守っているからね。それは魔力にも言えて、これも全体の三割から五割程度しか出せないらしい。だから今、僕はそのリミッターを外した」

 

 なるほど、どうやってリミッターを解除したのというのは置いといて、だから尋常ならざる魔力が迸っているのか。

 しかし、

 

「それは、何と言うか……」

 

 ──あまりに不器用すぎじゃないか?

 さっきも言った通り、普通の伐刀者は瞬間的に魔力を放出することで一瞬だけ身体能力を向上させることができる。そうすることで何メートルも跳躍したり、霊装で地面を叩き割ったりできる。

 何が言いたいかと言うと、黒鉄君もそうやって小出しに魔力を放出すればいいのでは、ということだ。

 何もそう多くはないであろう魔力を垂れ流す必要はないじゃないか。それだけの量の魔力を用意できるのなら、その濃度のまま一瞬一瞬で使った方が遥かに合理的だと思う。

 

 しかし、同時にボクは気づく。だから彼はFランクのレッテルを貼られているんだと。彼は魔力制御もままならないのだ。小出しすることもできないほどに。

 黒鉄君自身が言ったように、彼には武器となる強みは身体能力しかないのだ。だから彼はイジメられ授業から締め出されても、自己鍛錬に当てていた。その強みだけは負けたくないから。

 

 何となく彼の人となりがわかってきた気がする。わかってしまうほどの覚悟が、今の彼から伝わってくる。

 

「……わかったよ。ボクも本気でいこう」

 

 なら、なおのこと負けられないね。ボクも(コイツ)に関しては誰にも負けるつもりはないから。

 

 それからお互いに口をつぐみ、仕掛けられたタイマーの針が時を刻む音に耳を傾ける。

 昔から庭でしてきたように一番慣れ親しんだ姿勢──棒立ちのまま意識を高める。それにつれて心臓の鼓動も限りなく穏やかに静まる。

 

 チク、タク。チク、タク。

 

 そして、けたたましくベルが鳴った。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 《一刀修羅》はどの異能と比べても完全下位互換と評される。しかしそれはあくまで能力のみを評価した場合に限る。

 この異能の最大の強みは身体能力の強化そのものではなく、一点特化による戦力の先鋭化。一分という短い時間の中に、正真正銘、自身の全てを注ぎ込み最強の状態を作り出す。生半な伐刀絶技(ノウヴルアーツ)もその一分間でなら太刀打ち、もしくは打倒することができる。

 

 この状態になることこそが一輝が伐刀者として持ち得る唯一にして最大の強み。一輝だからこそ使いこなせる異能。

 

 ゆえに一輝は綴の早撃ちに勝負を挑んだ。この状態なら彼女の早業を見切れると踏んだから。

 それは正解であり──不正解でもあった。

 

 チャイムの音を耳が捉えたと同時に一輝は動いた。そのラグはおよそ0.13秒。人類において最高峰の反応速度で以ってスタートを切った。

 対し、綴は未だ動かず。否、動けない。特殊な訓練や先天的な才能が無ければ人は反応するのに0.2秒すら切れないのだから。射撃しかしてこなかった彼女が反応できる道理はない。

 

 この時点で0.07秒以上のアドバンテージを得た一輝。常人ならば切って捨てるようなごく薄い時間でも今の一輝にとっては非常に有利な時間となる。

 それだけ有利な時間があれば、彼女の筋肉の動きから、目線から、呼吸から、銃弾の軌道を予測することもできる。当然、早撃ちの工程すら観察できるだろう。

 事実、綴がチャイムに反応して肩から腕の筋肉を動かし始めたのを見切った。

 

 ──さあ、見せてもらうよ。キミの最強を!

 

 一輝は己の目に勝利を確信した。

 しかし、次に一輝が目にしたのは、綴が霊装を光の粒へと()()()姿。

 そして、いつの間にか眼前に迫り来ている不可視の魔弾()()

 

 ──バカな。

 

 三度目の正直。《一刀修羅》を用いても、遂に彼女の早撃ちを見破ることは叶わなかった。

 絶対的有利な時間を持っていたにも関わらず、それを嘲笑うかのように踏み越えてきた彼女の早業を。後より出でて、先を断つ早撃ちを。

 

 そう、確かに一輝は見たのだ。綴が人間の限界を超えた早撃ちをしていたのを。

 そして、彼女が最初に見せた早撃ちは本気ではなかったということを。

 

 答えを得たと同時に一輝の敗北は確定した。

 《一刀修羅》は最強の一分間を得る能力。しかしその最強の定義は、一輝自身が持つ《完全掌握》を始めとした超人的な読みや技術を十全に発揮できる状態のこと。

 いくら身体能力が倍化されていようと、本人が付いてこれなければ空回りするだけ。

 

 つまり、綴の早撃ちが一輝の反応速度と読みを上回った時点で、一輝が綴に対抗できる武器は何一つ無くなった。

 その上、喉・右脇・左肩目掛けて突進してくる目に見えない()()の銃弾を躱すなんて、無謀の極み。

 

 薄い飴のように引き伸ばされた時間の中、スーパースロー映像のように迫ってくる不可視の魔弾を見ながら一輝は思った。

 

 ──あれはマズルフラッシュじゃなくて、霊装の着脱の光だったのか。

 

 三ヶ所を全く同時に穿たれた一輝の意識は暗転した。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 気だるさを覚えて意識を取り戻した僕は、観客席に横たえていた。

 

「起きたみたいだね」

 

 その声はすぐ隣から聞こえた。幻想形態の銃弾で喉を撃たれたせいか満足に首を動かせない。

 目だけで声を辿ると、最初に出会った訓練所で使っていた的に射撃している言ノ葉さんの姿。

 

 だんだんと体の感覚が戻ってきたのを感じ、ゆっくり体を起こすと第七訓練所の景色が映る。長いこと枕にしていたせいか、起こした頭に引っ付いていたタオルがはらりと落ちた。

 どうやらわざわざ僕の介抱をしてくれた上で射的しながら起きるのを待ってくれていたらしい。

 

 そして、自分が負けたことも。

 

 的から目線を外して僕に向き直った言ノ葉さんの手には、映画でよく見られる回転式拳銃──コンバットマグナム──が握られていた。黒い銃身に上質な木がはめ込まれたようなグリップ。銃に精通していない僕でも一目で洗練されたデザインだと感じる。あれが彼女の霊装のようだ。

 僕の目線で気づいた言ノ葉さんは有名どころのガンアクションを披露してくれる。おー、と拍手を送ると最初に見せたようなドヤ顔を浮かべた。どこかよそよそしさの感じられた空気はなくなっており、今の言ノ葉さんが素なんだと気づく。

 

「どう?カッコイイでしょ」

「キレがあって見応えあるよ」

「練習したからね!」

 

 ニッと歯を見せ、クルクルと回していた手を止めて僕の隣に座った。それから伺うように僕の顔を覗き込んだ。

 

「幻想形態で撃ったから後遺症はないと思うけど、気だるさ以外に何か変なところある?」

「特に何も。もう少し休めば元通りになる」

 

 なら良かった、と明るく笑った。

 《一刀修羅》を使った後は反動で疲労困憊で呼吸すら儘ならなくなるのだが、発動時間が短すぎたために反動はなかったようだ。

 

 すなわち、それだけ彼女の早撃ちは速かったのだ。

 それに、あの勝負では僕は更に負けていた。

 

「言ノ葉さんが撃った三発の弾。牽制弾でもあったんだろう?」

「まぁね。どこに逃げても一発は当たるように撃ったよ」

 

 しゃがめば額に。左に避ければ胸に。跳んでも右に避けても腹に。考えられる回避先を全て潰していたのだ。仮に銃弾を斬っていても、やはり一発は受けてしまう。

 僕は躱すことでいっぱいだったのに対し、言ノ葉さんはその先すら読んでいた。あの短い時間に行動を読むだけの余裕があった。

 

 文句なしの完敗だ。

 ……自信あったんだけどなぁ。

 

 自分でもよくわからない虚無感が心に巣食う。その感覚から逃げるように空を見上げた。雲ひとつない快晴だった。

 それきり二人の呼吸音とそよ風だけがその場を行き来した。どれくらい時間が経ったか忘れた頃に、ふと言ノ葉さんが口を開いた。

 

「黒鉄君って負けず嫌いでしょ。それも極度の」

 

 前触れもなく呟かれた言葉に僕は呆然と顔を向けることしかできなかった。その内容は痛いほど自覚している。けれど、知り合って間もない彼女がなぜそれを言い当てられたのか。

 僕の反応を見て、言ノ葉さんは小さく微笑んだ。

 

「見てればわかるよ。普通あんなイジメ受けてたら不登校になるし、伐刀者の道も諦める。僕は才能がないから〜とか言い訳してさ。たぶんボクならそうしてる。でもキミはそうじゃなかったんでしょ?こんな奴らに負けないって踏ん張ったんでしょ?」

 

 息をするのも忘れて言ノ葉さんの横顔を見つめる。彼女はこちらを見ずに、長く使い込んでいるのであろう射的を眺める。そこに何かを探すように。

 

「普段の姿と『これくらいしかないから』って言葉、それにキミの能力を見て確信したよ」

 

 そして僕の両目を見て、ハッキリと言った。

 

「キミはすごい奴だ。ボクよりずっとね」

 

 力強い響きが、心に巣食った(くう)に溶け込む。

 

「ボクには想像も出来ないような苦しみの中でキミは頑張ってきたんだろう?同級生から見下されても、学校から見放されても、キミは努力をしてきたんだろう?」

 

 僕の一番古い記憶が蘇る。道場に兄や分家の人たちが稽古をつけてもらっているのを外から覗き見る自分。身も心も寒くて。蔑まれ、唾を吐かれ、除け者にされ。それでも盗み出した竹刀を握り続けた。

 

「だからそんな顔をしちゃダメだ」

 

 言ノ葉さんは落ちていたタオルを拾って僕の顔を拭った。思い出したように視界が滲み始める。慌ててジャージの袖で拭いても、熱いものが溢れ出る。

 ──なんで僕は泣いているんだ?

 鏡を見れば、きっとひどい顔をしているに違いない。自分に絶望してしまったような、ひどい顔を。

 

「誰かに負けるのは別に良いんだよ。いつか勝てば良いんだからさ。泣いたって良い。また立ち上がれば良いんだから。でも自分にだけは負けちゃいけない。今まで自分にだけは勝ち続けてきたなら、たった一度誰かに負けたことなんて大したことじゃないさ」

 

 だからさ、と手を差し伸べ彼女は言った。

 

「挫けちゃいそうだなって思ったならボクに相談しなよ。まあ銃くらいしか興味ないから協力できることは少ないと思うけど、弱音くらいなら聞けるから」

 

 ボロボロと溢れる涙を拭うことすら忘れて、震える両手で彼女の手を取った。白く細い手は女性らしく華奢で柔らかいが、数カ所だけ大の大人も顔負けの硬い部分があった。

 タコだ。位置的にグリップと引き金によるもの。何度もマメを作っては潰して、それでも飽き足らずに握り続けたのだろう。僕ですらこんなに硬くなるほどのタコは作ったことはない。

 

 そこに彼女が的を通して見ていたものが見えた気がする。彼女も僕と同じように、ずっと頑張ってきているんだ。あの早撃ちを裏付ける確かな過去があるんだ。彼女のようにやり遂げれば、僕もいつか同じような土俵に立てるかもしれない。

 

 それがどうしようもなく嬉しくて、恥も外聞もなく声を上げてその手に縋り付いた。

 涙やら鼻水やらで汚れて不快だったろうに、僕が泣き止むまで何も言わずにじっとしていた。

 

 初めて差し伸べられた手は、とても温かかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話

 ダムが決壊したように滂沱の涙を流した黒鉄君は、しばらくして憑き物が落ちた晴れ晴れとした笑顔を取り戻した。それから心底恥ずかしかったのか、いろんな液体でベトベトになったボクの手をハンカチで拭きながら赤面。そして謝るのではなく、お礼を言ってその日は解散した。

 

 知り合って間もないボクがペラペラと諭しちゃったけど、たぶん彼にとっては良いきっかけになったんじゃないかな。

 いくら負けず嫌いだからと言っても、この世の終わりを目の当たりにしたような顔をするのは異常すぎる。

 それだけ黒鉄君の心が押し潰されていたということだし、それを独りで背負い込むことしかできなかったということだ。

 

 彼にとってあの異能と研鑽してきた技術が何よりの強みであるのと同時に、彼の心を支える唯一の柱でもあるのだ。

 だって、それ以外に他の人に勝てるものがないから。それだけは譲れないから。

 

 そんな不器用ながら一念を貫いている黒鉄君を、ボクは応援したい。かつてボクも味わった苦痛でもあるから。それを乗り越えられると知っているから。

 だから彼の訓練に付き合うことにした。ボクとしても対人の練習台を得られて一石二鳥だ。

 こんな時にも銃本位で考えるボクなのであった。

 

 ……それにしても、今まで銃以外全く見向きもしない生活を送っていたボクが、こうも誰かに入れ込むなんて変なこともあるもんだ。親近感を覚えたからかな。

 生じた疑問を他人事のように結論づけ、夜が更けるまで射的をした。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 ところで、破軍学園の寮は男子寮と女子寮に分かれているんだけど、ちょうど二つの住宅マンションがいくつかの架け橋を結んで建っているようなもので、寮監督がいるわけでもないから、やろうと思えば簡単に異性の寮に入ることができる。

 

 まぁ、何が言いたいかと言うと、黒鉄君がボクの部屋に入り浸るようになった。ものすごく変な誤解をされそうな字面だね。

 ちゃんと正しく言えば、黒鉄君の避難先である。

 

「また絡まれたの?ほら、手当てしてあげるから座りなよ」

「いつも申し訳ないね……」

 

 全身の至る所に傷を作っている黒鉄君は用意した椅子に腰掛けて苦笑いを浮かべる。

 見れば見るほど酷い怪我だ。穿たれたような傷もある。傷口から想像するに、鏃のようなもので刺されたもの。……また桐原か。

 

 つまり黒鉄君へのイジメがついに直接的な暴力にまで発展し始めたのだ。

 

 一週間前のことだ。寮の中庭で黒鉄君が今のようにボロボロの状態で気絶していたのが発見された。

 下手人は桐原。なんでも中庭で昼食を摂っていた黒鉄君に対し、奴がいきなり決闘をふっかけてきたらしい。

 もちろん黒鉄君は拒否。霊装の無許可の使用で罰則を与えようとしているに決まっているからだ。

 

 しかし桐原は無抵抗の黒鉄君を霊装で攻撃。当然のように実体化させているので本物の傷ができる。

 それでも黒鉄君は自分に戦意がないことを明白にするために回避すらせず、ひたすら攻撃を受け止めたのだという。

 その場には教師陣が陰から様子を伺っていたらしく、下手に動けば難癖をつけられて退学に追い込まれてしまうからと黒鉄君は言っていた。

 結局黒鉄君の読みは的を射ており、ギリギリ、処分されずに済んだらしい。それだけの暴挙に出た桐原は厳重注意だけで済まされた。あからさまな学園からの差し向けである。

 

 その日以降から黒鉄君はそういった襲撃を受けるようになり、その度に負傷した。

 傷も癒えぬ内に襲ってくるものだから黒鉄君も堪ったものじゃない。早々にボクにそのことを打ち明けてくれた。

 

 ボクの知らぬところでそんなことがあったとは夢にも思っていなかったから、ボクは自分の部屋を避難所として使うように言ったのだ。

 幸いボクは一人部屋なので、変な邪魔が入ることはない。学園側がボクをVIP対応でもてなしたのが幸いだった。

 

 最後の傷である頰の擦過傷に消毒液を塗りながら黒鉄君に尋ねる。

 

「キミのルームメイトは大丈夫?キミと仲良くしてくれてるって話じゃない」

「彼は巻き込まれてないよ。あくまで僕がターゲットだからさ。まぁ、だからこそあんまり彼に気を遣わせたくない」

「優しいのは結構だけど、もう少し自分にも気を遣いなよ。訓練に支障をきたすでしょ」

 

 ガーゼを傷口の大きさに合わせて切ったところで、黒鉄君がひょんとした顔で

 

「言ノ葉さんが僕のぶんも気遣ってくれてるから大丈夫だよ」

「……恥ずかしいこと言うな、バカ」

 

 ぬけぬけと言ってくるので、叩きつけるようにテープでその頰にガーゼを引っ付ける。

 イテテと傷を抑えながら満更でもなさそうに笑う黒鉄君。臆面もなくそういうことを言ってくるのはやめてほしい。まるでボクが彼女のようで無性に気恥ずかしくなる。

 

 黒鉄君の訓練に付き合い始めてから早くも半年が過ぎたけど、ボクは彼に恋愛感情のようなものは一切抱いていない。それは黒鉄君も同じだろう。

 ボクは対人の練習ができるし、黒鉄君はボクを指標にしてライバル意識を持っている。持ちつ持たれつの関係だ。それ以上でも以下でもない。

 

 ……くそ、どっかで小耳に挟んだ『言ノ葉は黒鉄と付き合っている』って噂のせいで変に意識しちゃうじゃないか。はたから見ればそう見えるのもわかるけど。

 悶々と頭の中で文句を垂れていると、黒鉄君は逆に心配そうな表情を浮かべた。

 

「僕は言ノ葉さんが心配だよ。僕のルームメイトはともかく、言ノ葉さんは僕と一緒にいるだけじゃなく授業もサボってるんだろう?クラスメイトから嫌がらせとか受けてない?」

「桐原辺りには嫌な顔されるけど、他は特にないかな」

 

 黒鉄君にはボクが特殊な事情で破軍学園に入学していることを話してある。さすがに事情の詳細は()()()()に相当するから詮索しないよう頼んだけど。

 ともかく、それでボクが学園側からは手を出されないことは知っている。問題は生徒の方だが、これも少なくともボクが知ってる範囲内では被害はない。

 

 授業サボって『近くにいると内申が下がる』とか言われている黒鉄君と一緒にいる。もうこの字面だけで叩かれるに十分なものだけど、この前の定期試験──つまり伐刀者としての実技試験で黙らせたから変にちょっかいは出してこないだろう。

 それにこれだけ問題行動をとってるボクが学園から何も仕打ちを受けていないことから、薄々ボクがこのイカれた学園に対して優位な立場にいると感じ取っている奴もいる。

 触らぬ神に祟りなし。生徒たちのボクに対する印象はそんなところだろう。

 

 あ、ちなみに定期試験で学年首席の桐原を倒したときに《沈黙》とかいう二つ名を付けられた。

 恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい。なんで奴らは嬉々としてそんなもん付けるの。そういうのは中学校で卒業してよ。普通に言ノ葉でいいじゃん。

 それを黒鉄君も喜んでるしさ。よく見たら個人情報登録用紙にも二つ名とかいう欄があるし。ちょっと勘弁してほしい。

 

「そんなことより、今日もご飯食べてく?時間はまだあるし」

 

 ここ破軍学園は珍しいことに異性の寮に入ること自体は禁止されていない。その代わり午後六時以降は立ち入り禁止になっている。そして今は五時ちょっと前。

 学園のすぐそばにあるでかいモールに食べに行ってもいいけど、全身包帯まみれの彼を連れて行くのは忍びない。そういう時は大概ボクの部屋で軽く食べていっているのだ。

 

 母に料理と身嗜みだけはできるようにとうるさく言われた甲斐があった。といっても、本当に簡単なものしか作れないんだよね。興味ないものには身が入らないから仕方ない。

 黒鉄君は迷うそぶりもなく食べていくと答えて、ボクはキッチンに立つのだった。

 

「言ノ葉さんの料理は美味しいからね」と言われればやる気も出るものだ。さて何を作ろうか。昨日は青椒肉絲を出したから今日はあっさりしたものを出すか。

 適当に買い置きしておいた冷蔵庫の中身と相談していると、ふと思った。

 

 ──なんか今のボクたちって夫婦っぽくね?

 

「ああもう!!だから違うって言ったんでしょうがッ!!」

『えっ、どうしたの言ノ葉さん!?』

「知らない!今日は胡麻豆腐と適当なやつのポン酢漬けね!!」

 

 そういうことに全く気づいてなさそうな黒鉄君に多少イラつくのは仕方ないことだと思います。

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 一悶着あった夕ご飯を食べ終わり、ボクたちは訓練所にやってきた。嬉しいことに訓練所は夜十時まで解放されているのだ。

 生徒の自主鍛錬を尊重がなんとかという理由で。まあ、ボクたち以外の生徒は来てないんだけどね。そこまで熱心な生徒は中々いないのである。

 

 しんと静まり返ったフィールドで黒鉄君が軽い準備運動をして、ボクから10メートル離れたところに《陰鉄》を片手に立った。

 

「よし、始めようか」

 

 やることは簡単。ボクが黒鉄君を射撃して、黒鉄君はそれを躱す。そしてボクに触れられれば黒鉄君の勝ち。

 普通意図的に銃弾を躱すなんてキツイどころの話じゃない。実際最初のうちは2メートル進むことすらできずに被弾していた。けれど五回くらい繰り返しているうちにだんだん距離を詰められるようになってきて、この前は危うく負けるところだったくらいだ。やはり黒鉄君の身体能力でたらめすぎる。

 

 ボクは両手で己の霊装──《ボナンザ》とか黒鉄君に呼ばれてる。やめろ──を構え、黒鉄君に狙いを定める。

 早撃ちで対決した日以降は黒鉄君の宣言通り、普通の射撃で訓練に付き合っている。

 

 リング端にセットしたタイマーが鳴ると共に引き金を引いた。

 

 ズドンと腹の底に響くような銃声とマズルフラッシュ。ボクの銃は火薬で撃っていないから、本当は銃声なんて出ない。霊装の能力で銃声の有無を決めることが出来る。マズルフラッシュも同様だ。

 ついでに、魔力を弾にして撃っているから反動も無ければ、リロードも必要なかったりする。だから引き金を引いてもシリンダーが回るだけである。

 

 こら、そこオモチャみたいだなとか言わない。

 

 この訓練では本物の銃を想定しているから銃声もマズルフラッシュも有りにしている。銃弾は魔力のみでできているので可視化できない。そこは妥協してもらってる。

 他にも霊装らしい能力もあるんだけど、それをオンにしちゃうと訓練にならないから、これはオフだ。

 

 さて、最初の銃弾はヘッドショット狙いだ。ヒットすれば余裕で意識を刈り取れる。しかし当然のように黒鉄君は首を逸らすことで躱し、大きく一歩踏み込む。

 確かボクの目線やら筋肉の動きで射線を把握できるとか言ってた。だからって躱せるとは思えないんだけど……ほんとにデタラメだな。

 

 躱されることは知ってるから続けざまに足元と胴体それぞれ二発撃ち込む。今度は立ち止まり、爪先ギリギリで足元の銃弾をやり過ごし、《陰鉄》の一閃で二発の銃弾を斬り捨てる。

 なんで平然と見えない銃弾を斬るのかなぁ。剣の薄さで銃弾みたいな小さいものを斬ろうとする思考回路が僕には信じられないね。

 

 悲しいかな、もう見慣れた光景である。胸に飛来した驚愕を仕舞い込み、引き金を引き続ける。

 その度にシリンダーが回るが、それが止まることはない。弾幕を難なく潜り抜けてくるからだ。

 

 縦横無尽に駆け巡るは獣の如く。鋭くしなやかに距離を詰めてくる。ようやく当たったと思ったらそれは残像で──《蜃気狼》という体術らしい──欺むかれただけだったり、やっぱり銃弾を斬られたりでなかなか仕留められない。

 

 物言わぬ的ではありえない、意図的に躱してくる的。ボクの思考を読んでくる的。今まで味わったことのない、当たらない的。

 撃てば当たるのが当然だったボクの射撃が、面白いほど当たらない。それが楽しくて仕方ない。

 ボクの射撃に着いてこれる人がいるなんて思っていなかった。最初は付き合ってあげようかな、程度の考えだったのに、今ではすっかり付き合ってもらってる立場だ。

 

 でも負けるつもりは一切ない。今日も勝たせてもらう。グリップを握る手に熱がこもる。

 

 ついに5メートルまで追い詰められた。

 この距離は銃よりナイフの方が有利と言われる間合いだ。まぁ、それは銃をしまった相手に対してという前置きがあるけれど、それだけ詰めるのに時間がかからない距離ということ。

 そして銃にとっては絶対に的に当てなければならない間合い。特にリボルバーなど装填数が有名な銃なんかは尚の事。敵の間合い外でありながら射撃の当たりやすい近距離でもあるからだ。

 

 お互いの首に手をかけた状態。今の条件ならボクの方がまだ有利な状態だけど、黒鉄君はその程度の不利を不利としない奴だ。

 それは黒鉄君もわかっていること。ボクもそう簡単にやられる奴じゃないことを知っている。

 視線がぶつかり、ニィと笑い合う。

 

 果たして──

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

「いつも肩を貸してもらってありがとう」

「勝者の余裕ってやつさ」

 

 ふふんと胸を張ってドヤ顔を見せつける言ノ葉さん。すっかり日が沈み、歩道を照らす灯り以外は暗闇の中、僕は肩を借りながら片足を引きずっていた。

 

 今日も僕が負けてしまった。あと3メートルのところでタイミングをずらして撃ってきた銃弾が太ももに当たってしまったのだ。

 幻想形態で撃たれた部位は実際に撃たれた時と同じように使い物にならない。尤も、極度の疲労が原因で動かなくなっているだけだから、一日寝ればすぐ回復する。

 

 しかし今日も負けちゃったか……。これで僕の黒星は白星の百倍になってしまった。つまり僕は言ノ葉さんに一度しか勝ったことがない。

 その時は初めて《蜃気狼》を見せたから言ノ葉さんの意表を突く形で勝てたけど、負けたことが心底悔しかったのか目に涙すら浮かべて地団駄を踏んでいたのがとても印象的だった。

 

 まぁ、次の日は1メートルも詰められずに負けちゃったんだけど……。まさか一度《蜃気狼》を見ただけで通用しなくなるとは思わなかった。原理とか教えなかったのに、しっかり僕が逃げた先に弾幕を張っていたから、完全に見破られていた。言ノ葉さんは「これくらいは余裕さ」なんて冷静ぶってたけど、世界で一番鼻が高くなっているのではと思うほど喜んでいたのは明白だ。僕と同じように負けず嫌いなんだなぁと痛感した日だ。

 

 あと、彼女の射撃時の自然体が最も厄介だ。いつどんな時でも絶対にブレないその姿勢で平然と五発同時に撃ってきたりするから、中々読めないのだ。日を重ねるごとに緩急の付け方や牽制が如実に上手くなってきているぶん、余計にやり辛さが増している。今日も5メートルを詰めるのに十分も掛かったくらいだ。

 訓練をすればするほど彼女の思考や癖を読める僕が有利かと思っていたけど、全然そんなことはなかった。むしろ日に日に差をつけられている気がする。

 

 やっぱり言ノ葉さんは凄い人だ。伐刀者としてではなく、人として尊敬せずにはいられない。

 魔力を使えない僕は純粋な技術のみで相手を凌駕するしかない。それを痛いほど理解して、修羅になってでもその道を極めると誓った。まだまだ甘いところはたくさんあるけれど、同年代の人たちには負けないくらい上達したと思っている。

 

 けど、彼女は僕の先を往く。同じ道の先に、彼女はいるんだ。

 銃と剣。全く違う物だけれど、その信念は同じだ。

 

 超えてみせる。この人を。

 そして、いつか──

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話

 言ノ葉綴。ボクにとって残念な女の名前だ。

 

 日本人らしい黒髪は肩にかかる程度の長さ──いわゆるボブカットに切りそろえられており、大きく縁取られた黒目は自信に依るものかすこし釣り上がっている。女子にしては背が高めで、およそ160後半。モデルのようにすらりと伸びた両足。けれどスカートは長めに穿いている。胸は大きすぎず小さすぎず。

 全体的にざっくばらんな印象を受けるものの、どこか絶妙に調整された美しさがある。特徴的な一人称に違わず中性的な出で立ちをする彼女は、文句なしで美少女と呼べるだろう。

 伐刀者の面でもBランクと非常に優秀だ。この天才のボクの女にするに相応しい女。

 

 それだけに残念だ。あのクズ──黒鉄に入れ込んでいることが。

 血迷ったのか知らないけど、入学してから一週間経ったときからパッタリと授業に出なくなって、何をしているのかと思えば訓練場で黒鉄とイチャついているらしい。

 

 実に愚かだ。それだけ恵まれた才能と容姿を持っていながら、それをドブに捨てるような真似をするなんてねぇ。馬鹿な女ほど気軽に遊べるけれど、彼女は馬鹿すぎる。

 

 けれど、もし。

 もし、言ノ葉綴は黒鉄に弱みを握られていて、嫌々付き添っているのだとしたら。

 それならばボクは男として、彼女を見捨てるわけにはいかない。

 

 そうだ、きっとそうに違いない。あんな無能のゴミクズに尻を振る奴なんかいるわけがない。ボクのように才能に満ち溢れていて人としても伐刀者としても優れた男に媚びるのが正しい。

 

 黒鉄から言ノ葉を取り上げ、ボクの物にする。

 そして見せつけてやる。この世は才能だけで決まるってことを。お前みたいな底辺に恵まれるものは何もないってことを!

 

 しかし──

 

『桐原、戦闘不能!勝者、言ノ葉!』

 

 一学期中間試験。ボクは言ノ葉に敗れた。それも、あの男から救ってやると提案したこのボクの手を振り払うように。

 学年首席で入学したボクとBランクの銃使いという珍しい組み合わせの試合には、それは多くの観客がいた。その観衆の目の前で、このボクをコケにしやがった。

 

『キミ程度の男についていく女の気が知れないね』

 

 開幕直後に両足を撃たれ跪くボクに吐き捨てたその言葉。思い返すだけで腑が煮えくり返る。

 せっかくこのボクがチャンスをくれてやったのにそれを捨てるだけじゃ飽き足らず、観衆の前でボクに恥をかかせるなんて。

 

 許せない。絶対に許さない。あの女だけは、必ず後悔させてやる。

 理不尽な仕打ちに怒りを燃やすボクに、またとないチャンスが舞い降りた。

 

 七星剣武祭代表選抜。全校生徒から能力値である程度まで絞り込み、抽選した生徒の意思を確認、定員がオーバーするようなら決闘で出場権利を決める。

 その話がボクと言ノ葉に舞い込んできたのだ。

 席次は上級生から埋めていくらしいが、席が一つだけ余ったらしい。そこで一年生から選抜したところ、ボクと言ノ葉しかいなかったそうだ。

 本来ならランク的に言ノ葉が選ばれるはずだったが、学年首席と強力な能力を持つボクにも声がかけられたのだ。

 

 七星剣王とか学生騎士の頂点とか、そういう汗臭いものに興味はなかったけれど、ボクを讃える肩書きが増えるなら参加してやってもいい。

 そんな軽い気持ちでいたが、あの言ノ葉が余った席に座ろうとしているなら話は別だ。

 

 蹴落として、見下して、唾を吐きかけてやる。ゴミにたかるハエに相応しい惨めな思いをさせてやる。

 キミがボクにしたように、大勢の目の前でな!

 

 果たして、ボクと言ノ葉の代表選抜戦の日程が生徒たちに公開された。

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 

「言ノ葉さん、これどういうこと!?」

「どういうことって、書いてある通りだよ」

 

 珍しく怪我を負っていない黒鉄君が部屋に慌ただしく駆け込んできたと思ったら、明日執り行う代表選抜戦のことだった。

 ボクが呆れた声で返すと、黒鉄君は食い下がった。

 

「代表選抜戦のことじゃなくて、この一文だよ」

 

 ずいっと差し出してきたプリントを手にとって読んでみる。

 なになに?『代表選抜戦は明日の放課後、第三訓練所で行う。観戦は自由。P.S.お前を蹴落としてやる、逃げるんじゃないぞ!』と。

 

「これがどうしたの?」

「どうしたのじゃないよ!なんでキミが桐原君に目の仇にされてるのさ!」

 

 クラスメイトから嫌がらせを受けていないって言ったじゃないか!そう顔で訴えていた。

 マイルドに略して読み上げたけど、実際はもっと汚い言葉が並んでいる。桐原が純粋に席を奪い合う目的で選抜戦に挑んでいるわけじゃないのは明白だ。

 

 その理由はたぶん学年全体が知ってることなんだけど……。

 あぁ、そっか。黒鉄君はあの場にいなかった──訂正、締め出されていたから知らないのか。

 

 言い逃れは許さないぞと睨んでくる黒鉄君に、ボクは正直に答えた。

 

「この前定期試験で桐原を倒したって言ったろう?その時に噛み付かれてね。わからせてやったら、逆恨みをされたらしい」

「なんでそんなことを……。言ノ葉さん、そういうことは相手にしない人だろう?」

 

 いつもなら、そうなんだけどね。

 あの時に言われたことを思い出すだけで頭にくる。

 

「あの野郎、キミのことをどうしようもない屑とか言いやがったんだぞ。黒鉄君がどれだけ頑張ってるか知らないくせに。才能に溺れて何も努力していない奴が、何を偉そうに」

「え、えっと、言ノ葉さん?」

「ん?あぁ、ちょっと口が汚かったね。忘れて」

 

 顔が引き攣っている黒鉄君を見て冷静さを取り戻す。いけないいけない。あまりにイラつきすぎて女子らしさを忘れるところだった。どんなに興味がなくても料理と身嗜みだけはしっかりやれと親に厳しく言い付けられているからね。今度から気をつけなきゃ。

 

 しかし、何も黒鉄君をバカにされたからってだけで怒っているわけじゃない。奴は過去のボクすらコケにする発言をした。

 何が才能が全てだ。こちとら天才に負けたくない一心で頑張ってるんだよ。努力の『ど』の字すら知らない奴が──

 

「言ノ葉さーん!戻ってきてー!」

「あ、ごめんごめん。ともかく、奴はボクの逆鱗に触れた。だから叩きのめした。そしたら逆恨みされた。以上!」

 

 ボクが誤魔化しついでにまとめると、黒鉄君は首ふり人形のようにコクコクと頷いた。

 ──このとき一輝は悟った。綴は怒らせたらやばいタイプの人だと。

 

 微妙な空気を変えるように黒鉄君は口にした。

 

「まぁ、幸い桐原君の能力が強力とはいえ、言ノ葉さんの早撃ちから逃れることはできないと思うし、心配ないかな」

 

 桐原の異能《狩人の森(エリア・インビジブル)》は自身を不可視の存在、すなわちステルスにするというもの。それもボクの銃弾のような不可視ではなく、正真正銘のステルス。得物が弓であることも相まって、非常に強力な能力と言える。

 しかし、《狩人の森》は発動してから完全なステルスになるまで時間が必要だ。それが数少ない弱点の内、最大の弱点だ。スタートの合図があるまで能力は使用できないから、得意の早撃ちで速攻すれば余裕で勝てる。事実、それで定期試験も終わらせた。試合形式に限っていえば、ボクは桐原に負けることはない。

 

 だが──

 

「いや、ボクは桐原に先手を譲るよ」

「は、はぁ!?なんでわざわざそんなことを!」

 

 黒鉄君が素っ頓狂な声を上げるのもわかる。桐原の異能は本当に強力だ。一度の発動も許してはならないほどに。

 それはボクも重々承知だ。けれど、

 

「奴は先天的な才能に絶対の自信を持っている。なら、奴の土俵に立ってやって、そのくだらない自信をへし折ってやる。奴が馬鹿にした無能力でね」

 

 それはボクの怒りをおさめるためだけじゃない。泥を啜ってでも頑張っている黒鉄君の励ましにもなる。

 

「だから証明してくる。キミのように伐刀者としては無能でも、いくらでも巻き返すことができるってことを」

 

 ボクの言葉にハッと気づいたように目を見開き、そして顔をうつむかせた。

 

「──ありがとう」

「なに他人事のように言ってるのさ。キミもそうなるために頑張ってるんだろう?ほら、さっさと訓練しに行くよ」

「うん!今日こそ僕が勝つ!」

「ふふ、残念。明日のこともあるから、いつも通り、ボクが勝たせてもらうよ」

「言ったな!?」

 

 鬱屈とした気分はすっかり忘れ、ボクは目の前の対決に胸を踊らせるのだった。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 選抜戦当日、第三訓練所は生徒で溢れかえっていた。当然である。学年首席で入学した期待の新人と、同じく一年にしてBランク騎士の真剣勝負。両者ともに七星剣武祭代表に選ばれるだけの実力を備えているのだ。それだけハイレベルな対決を生で見れるのだから、見ない手はない。

 

 やれどっちが勝つやら、やれ今回はリベンジマッチも兼ねているやら。

 歓声と野次で騒がしい観客に囲まれた当事者たちはリング上で対峙していた。

 

「逃げずに来たようだね、言ノ葉綴」

「そっちこそ、定期試験で瞬殺されたことをお忘れのようだけど?」

「あんな卑怯な手で勝った気になるなよ」

「おやおや。姿を隠して遠くから弓を撃つことしか出来ない人が言えた義理かい?」

 

 売り言葉に買い言葉。いつもの綴なら興味のない会話は適当に切って捨てるが、今回だけは鶏冠に来ているためか、口がよく動く。

 そのまま口喧嘩に発展しそうなところをレフェリーが割って入り、両者の舌鋒は収まった。

 

 ルール確認を行い、最後の意思確認をするレフェリー。

 選抜戦と言えど、七星剣武祭代表を想定した対決のため、七星剣武祭と同じく実戦形式で執り行われる。そのため幻想形態の使用は認められず、場合によっては命の危険すら伴う。自分の才能に浮かれ血気盛んになりがちな学生騎士にはしつこいくらい確認する方がいいのだ。

 

 当然二人は即決で了承。レフェリーが下がり、両者が開始線につく。

 

「狩りの時間だ。《朧月》」

 

 桐原は翠の色をした弓を手にしたが、綴は棒立ちのままその光景を見送った。

 その態度に露骨な侮蔑を込めた目線を送る桐原。

 

「またそれか。ガンマン気取りもいい加減にしろよ」

「安心しなよ。今回はキミにチャンスをやるつもりだからさ」

「……なに?」

 

 桐原は顔を顰めた。綴は構わずに続けた。

 

「キミが矢を番えるまでは何もせずに待ってあげるよ。当然、矢を番えない限り能力を使っても構わない。それまでボクはこの状態で待つことを約束する」

 

 綴の言葉に会場が騒然となる。それは桐原の心中もしかり。

 

 口ではなんだかんだと言っても、綴の早撃ちは厄介そのもの。自分の得意な土俵に上がる前に決着をつけてくるため、桐原にとっては一番の鬼門だった。

 その問題を桐原はフライングで《狩人の森》を展開することで切り抜けようとしていた。完全にステルスになるタイミングとゴングのタイミングをピタリと合わせることで、惑わせる作戦だ。

 尤も、これは違反と判定されかねない行為だ。完全にステルスになるまで時間がかかるという弱点は有名だからだ。その弱点を克服したという言い訳を用意しているものの、危ない橋であることには変わりない。万が一アウトだった場合、定期試験の二の舞になる。

 

 だがどうだ。綴がわざわざ土俵を用意してくれたではないか。

 桐原は内心ほくそ笑む。馬鹿めと。

 

 ──今は好きなだけ驕るがいい。ボクは寛大な心でそれを許してやる。だが、それがお前の命取りだ。消えろ!あの黒鉄(ゴミ)と共にな!

 

「へぇ、いいのかい?負けたからってそれを言い訳にするのは見苦しいぞ?」

「二度は言わない。さっさと始めよう」

 

 困惑気味のレフェリーに開始するよう促す綴。

 

 なに気取ってやがるこのクソアマが、と頭の中で唾を吐きかける桐原。

 しかし、あと少しすればその生意気な態度も取れない無残な姿になるのだと思えば、多少の溜飲は下がる。むしろ楽しみだ。

 

 散々コケにしたツケはでかい。ただで終わると思うな。レフェリーストップが入るギリギリまで嬲り尽くしてやる。

 

 表にその感情が現れる。明らかに危険な空気だ。感づいたレフェリーが視線で問うても、綴は無視した。

 ついにレフェリーは選抜戦の幕を切って落とした。

 

 当然桐原は異能を展開する。空気に溶け込むようにジワジワとその体を透明にしていき、そして完全に姿を消した。

 鬼門を突破した。この時点で勝利を確信した桐原は高らかに嘲笑を上げる。

 

『ハハハハッ!!馬鹿め!ゴミと絡んでいる時点で馬鹿だと思っていたけど、ここまで馬鹿だったとは!ボクをコケにしたこと、泣いて後悔させてやるぞ。いいや、泣くだけですませてやるものか。キミの無残な負け姿を晒しあげてやる』

 

 何もない空間から声がこだまする。もうすでに狩人の舞台は整ったのだ。距離も方向もぐちゃぐちゃになった声に、会場は畏怖を覚える。

 凶悪な能力。姿形すら見えず、どうしてこの能力を打ち破れるだろうか。広範囲を絨毯爆撃をするように攻撃できるなら話は別だが、それほどのことを仕出かせるのはAランクの騎士のみ。観客たちのような平均の騎士はおろか、Bランクですら勝てないのではないか。

 

 開始早々、会場が桐原の勝利を確信する。そして、血に塗れて地にひれ伏す哀れな綴の姿をも。

 

 しかし。その綴は。

 ──笑みを浮かべていた。

 

「終わったかい?いい加減に待ちくたびれたんだけど」

 

 緊迫な空気に相応しくない、まさしく冗談を目の当たりにしたような声と表情で虚空に答えた綴。

 

 ──何なんだコイツ。まさかこの状況を理解していないのか?

 嘲りが一周回ると冷静になることを初めて知った桐原だが、綴の態度を痩せ我慢だと見限り一笑に付した。

 

 だが、冷静になったことが不幸中の幸いだったことに気付くべきだった。冷静になったときに気付くべきだったのだ。

 どうして綴が桐原がまだ矢を番えていないことを前提に話しているのか、ということに。

 しかし、例え桐原がそのことに気づいていても、やはり無駄だっただろう。偶然と片付けてしまったから。

 

 それが、偶然でないにも関わらず。

 

 どこを撃ち抜いてやろうかと考えながら弓矢を手にした、その時。

 

()()()()

 

 今まで開始から1ミリたりとも動かしていなかった顔が、こちらをピタリと見据えていた。

 

 瞬間、桐原に想像を絶する悪寒が走る。

 何を隠そう、ステルスになった桐原がいるのは綴の目の前でもなければ真後ろでもない。レフェリーの真横。それも、片膝をついている状態。

 偶然目が合うような場所じゃないのだ。そこを、綴は迷うそぶりもなく、目を向けた。

 

 ──マズイ!!速く撃たなくては!!

 勝利の美酒に酔いしれていた頭に冷水がかけられた桐原だが、

 

「ボクの方が速い」

 

 その言葉は桐原の幻聴だったかもしれない。なぜなら、その言葉を綴が発したのは、彼の両耳を撃ち抜いた後だったのだから。

 

 声にならぬ絶叫がレフェリーの横から突如上がり、レフェリーはぶったまげる。が、役割を忘れなかったレフェリーは慌ててのたうちまわる桐原の側に座り込み、様子を伺う。

 そして

 

「桐原、戦闘不能!勝者、言ノ葉!」

 

 はたからみれば綴は何もしていないのに桐原が負けたように見えただろう。しかし、会場の一角に座って見ていた一輝だけは綴の神業を見届けた。鳥肌の立つ両腕をさすり、羨望と挑戦の眼差しを持ってリングから立ち去る綴に目をやった。

 一輝が座っている方角に微笑みをこぼし、綴は会場を後にした。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 その年の七星剣武祭は大いに騒がれた。

 一年生にして銃の霊装を操る少女が、全ての試合を異能を使わずに一秒以内に終わらせたからだ。

 その少女がインタビューに残したセリフは、多くの人に希望を持たせたことだろう。

 

『異能がなくても、頑張り次第で何とかなるものさ』

 

 異色の七星剣王は、こうして生まれたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話

「やっと終わったぁぁ……」

 

 選手村のホテルに戻ったボクは盛大にため息をつきながらベッドに身を埋めた。

 

 まさかインタビューだけで二時間も拘束されるとは思わなかったよ……。海外の報道陣も押しかけてきて大変だった。ガン無視決め込みたかったけど、大会運営の人が逃がしてくれなかったせいで全部捌くハメになった。いったい何カ国来てたんだよまったく……。

 

 それだけ彼らにとっては衝撃的な結果だったんでしょう。歴代最強の七星剣王とか言われたし、事実ボク自身も圧倒しすぎて驚いたくらいだ。

 黒鉄君レベルの人として超人、みたいな人がいたらもう少しまともな大会になったと思う。まぁ、あんなデタラメな人がゴロゴロいて堪るかって感じだ。

 

 インタビューのせいで帰りの便は明日に延長となった。一泊余計に泊まるハメになったけれど、運営が負担してくれるらしいから良しとしよう。ここのご飯美味しいし、ベッドも最高だしね。無駄にだだっ広いお陰で部屋で射的も出来る。ここに住んでも良いかもしれない。

 

 ある程度ベッドで疲れを癒したら、早速持って来た的をセットして射的し始める。

 あー、やっぱり射的してると落ち着くなー。一種のセラピーになりつつある。人生の三分の二以上は捧げてるだけある。

 

 ほんわかと良い気分になりながら淡々と撃ち込んでいると、チャイムが鳴った。

 気持ちよくなってたのに、誰だ邪魔する奴は。無視してやろうと思った時、ドアの外から感じる気配で来訪者がわかってしまったボクは、思わず声を上げてしまった。

 

「こちらの部屋は現在使われておりません。帰れという声が聞こえましたら、何もせずに直ちにお帰りやがれください」

「相変わらずつれないヤツだなーつづりんは」

「ちょ、なにナチュラルにマスターキー使ってるの」

「細けーこと気にすんなって」

 

 チャリンとわざとらしくマスターキーを見せびらかし、ニヤニヤと笑うこの女は西京寧音。鮮やかな着物を肩が出るほど着崩して片手に扇を持つ合法ロリという特徴てんこ盛りの彼女は、ボクの先輩にあたる人物だ。尤も、ボクはこの人にこれっぽっちも敬意を払ってないけど。

 

 ちなみに、今回の七星剣武祭の解説の席に座っていたのもこの人。「うっはー味気ねー!つづりんマジ味気ねー!」と全世界に発信しているマイクで爆笑しまくり運営を困らせたのもこの人。そのせいで二度と解説に呼ばれないと噂されている。ざまぁみろ。

 

 さっきまでドアの目の前にいたのに、いつの間にかベッドに腰掛け盛大に足を組んでいる。挨拶もなしでこの態度。この人は礼儀というものをご存知でないらしい。

 

「つづりん部屋でも射的してんのー?ほんと銃しか頭にねーのなぁ」

「キミは南郷さんしか頭にないでしょ」

「ハ、ハァ!?誰があんなジジイを……!」

「顔を赤くしてるから説得力ないよー。そういうのツンデレって言うんでしょ?」

「一度ぶちのめしてやろうか!?」

「お、やってみるかい?前からそのお花畑が広がってそうな頭を撃ち抜いてやりたいって思ってたんだよね」

 

 お互い霊装すら取り出していがみ合ったものの、これは半ば恒例行事と化しているからお互い本気じゃない。

 ふんと鼻を鳴らして部屋に備えてあった茶菓子を勝手に摘まみ出すコイツ、この厚顔無恥な態度にしてKoKとかいう世界大会で活躍しているスーパースターらしい。

 らしい、というのは破軍学園に入学する直前で初めてニュースやらネットやらといったメディア媒体に触れたボクは、世間で話題になってるニュースとかスポーツとかにほとほと縁がない。合法ロリとかツンデレとかいう言葉も寧音から仕入れた語彙だったりする。

 

 本当に射的しかしてなかったから仕方ないね。それをこの人、初対面で指を指しながら「世間知らずどころの騒ぎじゃねー!いつの時代から来たんだよブハハ!」とかぬかしてきたからな。絶対許さん。

 親は超有名人が来訪したことに恐縮しまくってペコペコしてるだけだし。その時から寧音とは反りが合わないのだ。

 

 んで、何でスーパースターが一般人のボクを来訪したかと言うと、ボクが魔人(デスペラード)とかいう存在になったから、らしい。

 

 何言ってんだお前ってなるのもわかる。ボクもそう思った。だけど『総魔力量は増えない』という()に発表されている絶対法則を無視して、ボクの魔力が増え始めたのも事実。

 一般人から逸般人になっていたらしいボクは、同じ魔人である寧音に、非常に複雑な立場にいるということをざっくりと説明されて破軍学園に入学することとなったのだ。これが特殊な事情の正体。寧音曰く国家機密レベルの事情らしい。

 

 正直に言って魔人って何なのかボク自身もよくわかってない。が、ひとまず魔人になると頑張れば頑張るほど魔力量が増えて、超人的な技術も身につくことはわかってる。

 桐原の異能を看破したのもその一環で、『気配を見る』ことで奴が隠れている場所を特定できた。最初は魔人になったときに発現した異能かと思ったけど、寧音が言うには魔人というのはあくまで運命の限界を突破した人のことを言うのであって、異能に目覚めることはないらしい。

 

 運命の限界とか意味のわからんことはさておき、結局その技術はボクが自力で習得したもので《心眼》という武術の一つらしい。射的のしすぎで独自の感覚が鋭くなったから、とかなんとか。

 まぁ、難しいことを省けば頑張れば誰でも習得できるものだったということだ。

 

 真に恐ろしいのは、ボクの鍛えられた感覚を以ってしても仕留めることの難しい黒鉄君の身体能力よ。《蜃気狼》で初見殺しされた以外は勝ってるものの、最近は訓練が三十分かかることもザラにあるくらい接戦している。それだけ黒鉄君の技術が人外じみているということだ。

 

 ちなみに、魔人とよばれる人は日本に於いてボクを含め三人しかいないらしい。一応伐刀者なら頑張れば誰でもなれるけれど、その頑張るの基準がすごい厳しいから世界的に見ても滅多にいないとのこと。なんか人としての限界を極め尽くすとか言ってたなぁ。ボク、そんな大それたことしてないんだけど。

 

 話を戻し、魔人として大先輩の寧音はベッドに寝転がりながら菓子を貪る。

 

「何がともあれ、優勝おめでとさん。歴代最強の七星剣王《沈黙》ちゃん」

「ちょっと待て!それどこで聞いたの!?」

「世界のマスゴミ──おっと、マスコミを舐めちゃあいけねーぜ。奴らはどんな小さなことでも根掘り葉掘り調べてくるからねぇ。学園で通ってる渾名を調べるなんざ朝飯前だぜ」

「う、うわぁ……最悪だ……」

 

 話を聞けばボクの霊装の名前も《ボナンザ》で報道されてるらしい。黒鉄君しか呼んでないはずの名前すら知ってるとか、ちょっと怖すぎる。《沈黙》とか根暗っぽくて嫌だ。素直にやめてほしい。ていうか勝手に二つ名とか付けるのやめろ。

 世界の恐ろしさを目の当たりにし戦々恐々とするボクを鼻で笑うように続けた。

 

「まだつづりんは幸運な方なんだぜ?うちなんて初っ端からスリーサイズばらされたんだからな……」

「うっ……初めてキミに同情するよ」

 

 世界的に大活躍する日本人というだけで話題のネタに十分なのに、見た目が合法ロリなだけにそういう界隈にも通じてしまっているらしい。気持ち悪くなってきたと顔を青ざめさせる寧音。思わずお茶を出してしまうくらいかわいそうだった。

 寧音はせり上がってきた吐き気を呑み下すようにお茶を呷った。そして打って変わって真剣な声音で続けた。

 

「マスゴミに繋がる話なんだけどさ、世界ってやつはお前のことをよく見てる。それこそちょいと調べりゃお前のプライベートなんて丸裸になるくらいだ。いつか話したように、もうお前は一般人じゃねーんだ。いつどこで他国の奴らがちょっかい出してくるかもわからねー」

「またその話かい?もうわかったと何度言えば……」

「わかってねーから何度も言いに来てるんだぜ、つづりん」

 

 ジト目で茶菓子をかじる寧音からじゃっかん目を逸らす。ぶっちゃけ世界の勢力図とか、いつ戦争が起こるかわからないとか言われても、射撃だけで生きてきた一般人のボクが理解できるはずがない。ようやく魔人ってやつを理解し始めたばっかなのに。まぁ、射撃さえ出来れば大体のことはどうでもいいと割り切ってるんだけどさ。

 ぶーぶーと不貞腐れるボクに、これ見よがしにため息をついた寧音。

 

「そんなバカなつづりんのためにうちが一肌脱ぎましたぜ」

「余計な一言入れるな。あともともと脱いでるじゃないか」

「ちゃっかり上手いこと言うねぇ。──お目付役ってことで人を呼んどいた。そろそろ来ると思うんだけど」

 

 タイミングを見計らったように、控えめなノックが鳴った。「開いてるよー」と寧音が返事──部屋主ボクなんだが?──すると、失礼すると断りを入れながら黒服の麗人が入ってきた。

 

「紹介するよー。うちの同僚のくーちゃんだ」

「もっとマシな紹介はできんのか貴様は……。紹介に預かった新宮寺黒乃だ。よろしく頼む」

「よ、よろしくお願いします」

 

 寧音が呼んだ人なんてろくでもなさそうだと思ったけど、しっかりした人そうで安心した。それに黒のスーツをパリッと着こなしてるのすごくカッコいいし好感持てる。

 

「どーせつづりんは知らねーと思うから言っとくと、くーちゃんも元KoK選手でブイブイ言わせてた凄腕伐刀者だ。退役しちまったけど、実力の方は折り紙つきさね」

「は、はぁ……。お目付役と聞きましたが、新宮寺さんはボクのボディガードとかするんですか?」

「いや、私は破軍学園の理事長を務めることになった。お目付役と言っても、目の届くところでお前の周りを監視するくらいだ。変に縛ったりすることはないから、安心しろ」

 

 ほっ。よかった。今の生活は結構気に入ってるから、いつも通りの生活を送れるなら文句はない。

 しかし今、理事長を務めると言ったよね?それはどういうことなんだろう。尋ねてみると、寧音とは違い、丁寧に教えてくれた。

 

「近年、日本にある他の騎士学校と比べて破軍学園はいいところが何もない。七星剣武祭も負け続きだったしな。そんな破軍学園を立て直すために私は理事会に呼ばれた。実際の着任は来年からだがな。そのついでと言っては悪いが、お前の監視役を頼まれた訳だ」

「今年はつづりんが優勝しちゃったせいで、くーちゃんの就任が取り消されそうになったんだよねぇ。ま、破軍学園の教育で優勝したわけじゃねーし、文句言われても魔人が関わってることだから国が圧力かけるだろうし、問題なかったろうけどなー」

 

 寧音が蛇足したが、つまり神宮寺さんはあのイカれた学園を変えてくれるということか。

 それなら──

 

「新宮寺さん、失礼を承知で一つお願いがあります」

「つづりん、うちとは態度全然ちげーな」

「寧音は黙ってろ。……それで、お願いとは?」

「はい。理事長に就任した際、どうかろくでもない教師たちを排除してくれませんか」

 

 ボクの願いに神宮寺さんのみならず寧音も驚いたように目を見開いた。

 

「私の教育方針に従わん輩は徹底的に排除するつもりだったが……そんなに今の破軍学園の教育は酷いのか?」

「酷いなんてものじゃありません。教育者どころか、人としても最低な奴らです。黒鉄君を……伐刀者としてちょっと力が弱いからって学園が生徒に呼びかけてイジメを行うなんて、信じられません」

「……文句なしのクズだな。そのことについては任せてもらおう。着任早々に忙しくなりそうだ」

 

 新宮寺さんが良い人で本当によかった。いくらボクと訓練をしているとは言え、やはり本物のプロの元で教われるならそれに越したことはない。それに黒鉄君はそろそろ報われても良いはずだ。黒鉄君の頑張りを知っているボクが保障する。

 安堵のため息を漏らすと、寧音がニヤつきながらボクの脇腹を突く。

 

「んで、その黒鉄君とやらはつづりんのボーイフレンドなのかなぁ?」

「小学生かキミは。彼はボク以上の頑張り屋さ。そんな彼が不当な扱いを受けていたら見過ごせるはずがないだろう」

 

 真面目に話すと、意外なことに寧音は茶化すことなくあっさりと手を引いた。「黒鉄ねぇ……」と意味深に呟いたけど、黒鉄君のことを知っているのだろうか。

 

 それからいくつか諸連絡を受けた後に解散となった。思わぬ形で黒鉄君への手土産が増えた。良かった良かったとホクホク顔で射的を再開するのだった。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

「どうだったよくーちゃん。つづりんを見た感想は」

「お前の言う通りだったな。本当に()()()()()にしか見えなかったよ」

 

 旧知の仲である二人はホテルのレストランで優雅な夕食を摂っていた。その話題のタネは、去年突如として現れた魔人・綴のことだった。

 

「経歴や系譜も洗ってみたけど、本当にただの一般人なんだよねぇ、つづりんは。最初の伐刀者ランクは文句なしのFランクだったし、どうしていきなり魔人になれちゃったんだろうねぇ」

「確か中学校卒業直前で魔人になったんだろう?例え言ノ葉が隠れた天才だったとしても、あまりに早熟すぎる」

 

 魔人──それは個人の限界を極め尽くし、なおその先を目指す者のみが到達しうる境地。その個人が習得しうるありとあらゆる強さを身につけ、初めて魔の境地へ入る資格を得るのだ。それをわずか十五年で成し得るというのは、どだい無理な話。《夜叉姫》と、世界の強豪たちを恐怖で震えさせる寧音でさえ、高校三年生の終盤で覚醒したというのに。

 

 しかし、綴は正真正銘の魔人である。それは今回の七星剣武祭で証明したことだ。何せ、黒乃はおろか寧音ですら綴の早撃ちを見切ることはできなかったのだから。

 

 綴が魔人になったと気づいたのは寧音の師匠であり、日本最初の魔人でもある南郷寅次郎だった。

 久しぶりに親愛なる師匠とお茶を楽しんでいた寧音だが、突如南郷が「日本(ここ)で魔人が生まれよったな」と呟いたことにより、急遽魔人探しの旅に出るよう言い付けられ、魔人特有の『意識すれば魔人を大雑把に感知できる』というアバウトすぎる能力のみを頼りに日本全土を駆け巡り、ようやく見つかったのが綴。

 

 しかし歩き方や目線のやり方など一般人のように()()()で、ろくな武術すら学んでいないのは明らか。自分の目が狂ったかと師匠に確認してもらっても、やはり一般人のそれなのに魔人という矛盾を抱えていた。

 

 綴を見た南郷曰く、「あやつにとって、真の意味で銃が全てなんじゃろう」

 つまり、綴という個人に秘められた可能性は全て銃のことであり、武術など他の力を極めなくとも──否、極められず、銃すなわち射撃だけを極めれば魔人になれる人物だったということ。

 

 何せ、突如家に押しかけられ「お前は国家にとって核兵器に匹敵するほど重要な戦力だから他国から命を狙われるかもしれないけど、ひとまず騎士学校に通ってこい」と言われても、「射撃できるなら何でもいい」で済ませるような人なのだ。言ノ葉綴という少女は。

 普段の態度は良識人のそれだが、やはり根本的には銃のことしか頭にない。それは綴自身がそう考えているのか、はたまた運命という奴がそう定めたのか不明だが、確かに綴は魔人になり得る素質があったのだ。

 

 その事実を知る由もない黒乃は食後のコーヒーを味わいながら続けた。

 

「だが言ノ葉がまともな奴で安心したよ。魔人ってやつらはどうも頭のネジが外れてる奴が多いからな」

「あ"?テメェ先生のことバカにしたか?したな?したよな?よし殺す」

「南郷先生のことじゃない。お前のことだ馬鹿者が」

 

 魔人になるような人が普通の人の感性を持っている訳がないのだ。それこそ頭のネジの一つや二つ飛ばさないと人は限界にまで至れない。実際、魔人の扉を目の前にした黒乃はそれを確信している。

 普段はおちょくることが好きな好々爺に見える南郷も、蓋を開ければとんでもない戦闘狂だったりする。彼は自分のそういうところを弁えて隠しているぶんまだ良心的と言えるが、寧音は隠しもしないのだから手に負えない。それに年遅れのキャラ付けなどしているから輪にかけて酷い。後半に関して口にすると例の事件の再来になるので黒乃は黙っているが。

 

 ともかく、表面上は常識人の綴に好感を寄せる黒乃だったが、手元の資料に目を落とすと気が重そうに息を吐いた。

 

「黒鉄と聞いてまさかとは思ったが、案の定だったか。道理で理不尽な仕打ちを受けるはずだ」

 

 理解も納得もできんがな、と乱暴にタバコを灰皿に潰す。黒鉄といえば極東の小国だった日本を戦勝国に導いた《大英雄》黒鉄龍馬が有名だ。『サムライ・リョーマ』として世界的にも有名で、日本人なら幼稚園児でも知っていることだろう。

 

 そう、黒鉄一輝はその黒鉄龍馬の系譜に当たる人物だったのだ。あの大英雄の末裔。その言葉の響きだけでどれだけ優秀かと勝手に想像してしまうことだろう。

 しかし蓋を開けてみれば世にも珍しいFランクの落ちこぼれ。大方、名家の恥晒しになると考えた黒鉄家が一輝の存在を疎んでいるのだろう。実にくだらない考えである。

 

 理事長に就任した暁にはクズ同然の教師を軒並みクビにし、黒鉄家からのちょっかいも相手にしなければならないらしい。面倒なことだと思うが、無辜の生徒が苦しんでいるのを見て見ぬ振りをするわけにもいかない。それに、綴が気にかけているくらいの人物には興味がある。

 

 楽しくなりそうだと忍び笑いをする黒乃。が、それに水を差すように寧音が口にした。

 

「少年にご執心のところ悪いんだけどさー」

「ご老人にご執心の奴が何か用か?」

「いい加減そのネタやめろ!……えーっとなんだっけ。あ、そうそう、なるべくつづりんにも気を回してやってね」

 

 頬杖をついて気だるげにそう言った寧音に、首を傾げながら答えた。

 

「もちろん監視の任を忘れたりしない。……何かあるのか?」

 

 長年の付き合いで、寧音が興味無さげな態度を取りながら忠告してくるときは、大抵それは的中すると知っている。

 ただならぬ気配を感じ取った黒乃が質問をすると、寧音はテラスから覗く空をどうでもよさげに見やりながら言った。

 

「んー……勘かな。近いうちにつづりんに何かが起こる。そんな気がする」

 

 午前は心地の良い晴れだったにも関わらず、気づけば雨が降り出しそうな重い雲が天を覆っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話

 時は流れ、冬は過ぎ去り春がやってきた。

 それに伴い、予定通り破軍学園の理事長が新宮寺さんに変わり、『完全な実力主義と徹底した実戦主義』という教育方針を打ち立てたことにより、学園の何もかもが一変した。

 

 まず、大量の教師が入れ替わった。ボクのお願いを聞き届けてくれた上で除名リストを作成したところ、実に半分の教師がヒットしたらしく、それらを問答無用でクビにした新宮寺さん。それだけ黒鉄家の息のかかった連中が跋扈していたということだ。

 黒鉄君の家の事情を知った時は世も末だなと呆れ果てたものだが、快刀乱麻を断つ新宮寺さんの辣腕には舌を巻く。

 

 そして授業方針も変わった。今までは実技と座学は半々の割合だったが、新宮寺式になったことによりその割合は七対三に振り分けられた。

 将来的に国を守る騎士となる学生騎士たちは実力は勿論のこと教養も付けるべきだと言われている中で、かなり挑戦的な改革を行った破軍学園はそれなりに話題を呼んだらしい。

 相変わらずボクは世間と隔絶した生活を送っているので、その手の話は新宮寺さんから愚痴という形で聞いただけで、詳しくは知らない。ひとまず大変だったらしいとだけ。

 

 ちなみに新宮寺さんによってボクの特別待遇──つまり、卒業までに必要な単位をすでに取得しているという奴は取り消された。いくら魔人という特殊な人材でも学生なのだから学生をしろ、とは新宮寺さんの弁。

 これについてボクからは何の文句もない。ボクが授業をサボり出したのは授業と教師が気に食わなかったからで、それがなければ小・中学と同じように普通に授業を受けていただろうから、それらが一新された今は真面目に学生をするつもりだ。

 毎日が休日のようなものだった生活を取り上げられるのは心苦しいが、実技授業が多くなったのなら射撃できる機会も増えるだろうし「まぁいっか」と割り切った。

 

 最後に、ボクは無事に進級できたものの黒鉄君は留年となった。ボクも出席日数が明らかに足りていなかったけれど定期試験でちゃんと結果を出していたから大目に見られた。一方黒鉄君は定期試験すら受けさせてもらえてなかったから進級できる要素が何もなかったのだ。

 ……というのが表向きの理由。本当は新宮寺さんが就任する前からすでに留年は確定されており、就任したときにはどうすることもできない状態だったらしい。一年の留年どころか無期留年に処されており、そこから黒鉄君が七星剣武祭で優勝すれば卒業見込みを出せるところまで漕ぎ着けた新宮寺さんマジ優秀。

 新宮寺さんは大変不満そうだったが、黒鉄君本人は卒業の目処がたっただけでも万々歳だと喜んでいたので複雑そうな顔を浮かべてた。

 

 他にもちらほら細かい変化もあるけど、そこらへんはザックリと割愛させてもらおう。綺麗な破軍学園になりましたー、という報告でした。

 

 さて、新年明けて清々しい気分で休暇を射撃で満喫していたボクは、新宮寺さんに電話で呼び出されて黒塗りの高級車に乗せられていた。

 普通の生活に慣れ親しんでいる者としては非常に落ち着かない。が、それ以上に対面に座る新宮寺さんの顔を直視できない。

 

「なぁ言ノ葉。私は確かに正装で来いと伝えたはずだが」

「学生服も立派な正装だと思います!」

「あぁ確かにお前の言う通り、学生としては正装だな。だが私はこうも言ったよな?『国賓を護衛する魔導騎士として』とも」

「……ごめんなさい。ボク、正装はおろか私服すら持ってなくて」

 

 観念して白状すると、新宮寺さんは盛大にため息と紫煙を吐き出した。仕方ないじゃないか。中学校も制服だったし、私事で外出することなんてほとんどなかったんだもん。

 せめてもの言い訳として口を開く。

 

「そもそも新宮寺さんにだって非がありますよ。普通国賓の護衛という重大な任務を当日に言い渡します?せめて前日であれば正装の準備くらいはできましたよ」

 

 ボクの反論に新宮寺さんは、うっと言葉を詰まらせた。それからバツの悪そうに早口で返す。

 

「仕方ないだろう。予定していた騎士が約束を放っぽり出したんだから。急遽呼び出せる奴はお前くらいしかいなかったんだ」

「……ちなみに、その騎士の名前は」

「西京寧音だ」

 

 今度は揃ってため息を吐いた。ボクたちの無益な言い争いはここで終結した。何もかも寧音(バカ)が悪かったのだ。

 今度会ったらあのパッパラパーな頭に一発ぶち込んでやる。そう固く決意したボクは窓から外を見渡す。

 空港に着いた車から見えるのは所狭しと並ぶマスコミ関係者たちの姿。

 

「それにしても、あんなびっしりと出口を塞いじゃって。報道陣はステラ姫を迎え入れるつもりはあるんですかねぇ」

「その出口をこじ開けるのがお前の仕事だ」

 

 うへぇと変な声が漏れる。気が滅入るほどのマスコミ関係者が押しかけているのだ。ボクはマスコミに良い印象なんか持ってないぶん、余計に嫌なんだけど……。勝手に二つ名とか報道したの、今でも根に持ってるからな。

 

 ……そう、ボクが駆り出された理由は、今年から海外からはるばる破軍学園に入学してくることになったヴァーミリオン皇国のお姫様を、空港から学園に着くまで護衛することになったからである。

 護衛なら新宮寺さん一人で事足りるだろと思ったけど、彼女は学園の理事長として迎えるので歓迎の意志をアピールするためには明確な護衛役を連れる必要があるんだとか。ボクには理解できなかったけど、国同士の付き合い上必要なものらしい。

 

 そんな大事な任務をドタキャンする寧音の神経が疑われる。頭おかしすぎるだろあの合法ロリ。

 一発だけじゃ足りなさそうだ。三発くらいぶち込んだ方が良さげである。

 

 愚痴はさておき、魔人なんて大それた肩書きを持つ以前に学生騎士であるボクが何故お仕事をしているのかと言うと、まだまだ未熟と言えど優秀な学生騎士に将来を見据えて仕事を依頼できる制度──特別召集を受けたからだ。

 日課である目覚ましの射的を邪魔されてイラついたので無視したかったけど、何かと気をかけてくれる上に黒鉄君の一件で世話になった新宮寺さんからの頼みだったので、渋々引き受けた。その代わり振替休日をもらったからむしろ儲けものである。

 

 けど、年が明けるまでに国のお偉いさんに呼び出されたり、魔導騎士連盟日本支部長に呼び出されたり、色々と忙しいなぁ。最近もまた呼び出し食らったし、そんなに仕事を押し付けないでほしいものだ。

 

 閑話休題。他愛もない雑談をしていると、とうとう噂のお姫様が到着したのか、車の外が騒がしくなってきた。

 人の波が渦巻く光景を目の当たりにし目線で本当にいかなきゃダメ?と尋ねると、いかなきゃダメと頷かれた。観念してドアを開けた。

 

 すると人混みの後方にいた記者がボクの登場に気づき声をあげた。それが波紋上に広がり、報道陣の視線がボクの方にも分散する。

 

『《沈黙》だ!《沈黙》がいるぞ!』

『な、なんだって!?どうしてあの七星剣王がここに……』

『きっとステラ姫の護衛に就いているのよ。あえて学生服を着ているところ、生徒の代表も兼ねてるんだわ』

『学園も本気ってわけだ……思わぬスクープだ』

 

 ……なんか色々言われてるけど、極力スルーしつつ道を開けてもらう。ごめんなさーい。失礼しますー。道を開けて頂けますかー?

 棒読みでも最低限の礼儀を忘れてはいけない。寧音は良い反面教師である。

 

 思ったよりあっさり道が空き人の海を泳ぎ切った先に、ステラさんはいた。

 燃え盛る炎を体現するかのようなウェーブのかかった紅蓮の髪。日本人離れした美しい顔立ちに、自信に満ち溢れたルビーの瞳。本当に絵に描いたような美しいお姫様である。

 そして何気なく纏っている魔力の量が尋常じゃない。ボクが歩兵なら、ステラさんは歩く要塞である。さすが常人の三十倍の魔力量を誇る天才。

 

 胡乱げに報道陣に向けていた視線ががっちりと合う。そして何故かその瞳が驚愕で見開かれ、長い足を大股に動かし目の前まで来た皇女はボクの手を取り、

 

「アナタがツヅリ・コトノハね!会えて嬉しいわ!」

 

 流暢な日本語でとびっきりの笑顔と共にそう言ったのだ。何でボクのこと知ってるんだと思ったら去年の七星剣武祭をライブで視聴していたらしい。

 

 一国のお姫様と言われてボクは鼻にかけた態度をしてそうだと勝手に予想していたけど、どうやらそれは見当違いだったようだ。とても人懐っこそうで、身分の違いを忘れてしまいそう。

 

 本当ならボクも相応の態度で彼女の好意に応えたいところだ。が、今は余計な目がありすぎる。

 握ってきている彼女の手をやんわりとほどき、ボクの手に乗せる。いわゆるエスコートの態度である。

 

「我が国にようこそいらっしゃいました、ステラ皇女。ここからはボクたちが学園にご案内しますので、どうぞこちらに」

 

 貴族と話した経験なんかあるはずもないし、社会人の礼節すら知らないからちょっと不安だったが、ステラ姫の溌剌とした笑みを見るところ正解だったようだ。

 

『お、王子様だわ……!ボクっ娘王子様だわ!』

『ボクっ娘パワーを全開だッ!』

『つづりんのボクっ娘力は世界一ィ!』

『クレイジーサイコレズ……イイネ……』

 

 外野がやかましすぎるので、さっさと車にお連れすることにした。あと一番最後のヤツは覚えておけよ。

 フラッシュの嵐を背負いながらボクたちは逃げるように空港を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 

 滔々と新宮寺さんに説教される黒鉄君の姿を見て綴は思う。

 

 ──どうしてこうなった。

 

「年頃の男女を一つの部屋に押し込んだ新宮寺さんが悪いんだけどね?」

「なんだ言ノ葉、何か文句でもあるのか?」

「イエナニモ」

 

 説教の飛び火がこっちに移る前に退散したボク。友情より己の安全を真っ先に優先するところを目の当たりにした黒鉄君は愕然と顎を落とした。

 許せ黒鉄君、また今度だ。

 

 事件が起きたのはつい先ほど。黒鉄君が寮の自室でステラさんの着替えを覗いたとのこと。犯罪臭が凄まじいが、この話には続きがある。

 

 実は黒鉄君とステラさんはルームメイトだったのだ。新宮寺さんの改革により、ルームメイトも実力の近しい者同士を割り当てることで競争意識を持たせるという名目の下、性別問わず部屋が割り振られた。

 その結果男女ペアの部屋がいくつか出来てしまい、それがたまたま黒鉄君とステラさんにも当てはまることだったということだ。

 

 ルームメイトの発表は三日後の新学期初日に行われる予定だった。当然黒鉄君の知る由もなく普段通りの生活を送っていただけであり、ステラさんは手続きやら何やらで早めに来てもらっていたので、ちょうど食い違う形でこの事件は相成った。

 

 哀れ黒鉄君、彼に非は一切ない悲しい事件である。だいたい新宮寺さんのせいである。

 

 ちなみになぜFランクの黒鉄君とAランクのステラさんが同室になったかというと、お互い両極端のせいで実力が拮抗した人がおらず余り物になったらしい。ちょうどいいやと思った新宮寺さん──!?──は二人をくっつけたとさ。ツッコミどころ満載のオチだ。

 

 蛇足に、ボクは今年も一人部屋だった。変に誰かと組み合わせるより一人にしておいた方が有事の際に都合が良いとか何とか。ボクもその方が気楽なので助かる。

 だがもしその事情を抜きにしていたら多分ボクと黒鉄君が同室になっていただろう。一年近く同じ釜の飯を突いてきた仲だから今更同室になったところで……いや、結構問題あるな。やっぱ一人部屋が最適解だ。

 

 さて、男なら度量を見せろという新宮寺さんの立派なパワハラで黒鉄君が責任を負うハメになったところで、理事長室のドアが開いた。破軍学園の制服を着たステラさんだ。

 黒鉄君に恨みがましい視線を投げかけるその目元は赤く腫れていた。直前まで何をしていたか明白だ。

 

 気まずい沈黙が訪れるかと思ったが、黒鉄君が真っ先に頭を下げたことにより若干だが空気が弛緩した。

 黒鉄君はすごいなぁ。ボクだったら理不尽すぎる始末に逆に食ってかかりそうだ。この手の理不尽に慣れてしまったのだろう。涙を禁じ得ない。

 

 完全にボクが空気になりつつ、当事者たちが案外仲よさそうに会話しているのを眺めていると、唐突に新宮寺さんが二人の会話に割り込んだ。

 

「やれやれ、このままでは平行線を辿るばかりだな。なら二人で模擬戦をやって、勝った方が部屋のルールを決めるんだ。己の運命を剣で切り開くのが騎士道なれば、これに異論を唱える者はいないだろう?」

 

 さも第三者ですよという顔してるけど、半分以上はあなたの不手際が原因なんですよ新宮寺さん。ジト目で見つめるとギロリと睨まれた。くわばらくわばら。

 まぁ、ステラさんは国賓という立場にある人であり、入学早々こんな不祥事が起こってしまったらマスコミが寄ってたかってくるに違いない。それが黒鉄君によるものだとなればいよいよ面倒臭いこと山の如し。これからの事務処理を思うとイラつくのはわかる。不祥事の原因は新宮寺さんにあるけど。

 

 売り言葉に買い言葉。頭に血が昇ったステラさんはその提案を承諾した。なんか物のついでみたいに負けたら一生下僕がなんだとか言ってたけど、ヴァーミリオン皇国って奴隷制度とかあるの?ちょっとステラさんが怖くなってきた。

 

 それにしても黒鉄君の模擬戦か。なんだかんだで黒鉄君が誰かと戦うのを見るの、これが初めてじゃないか?今まで銃で相手していたから、黒鉄君の剣術の腕前もよくわかってないし、ちょっと興味が湧いてきた。

 

 もはや他人事として認識し始めていたボクだったが、思わぬ流れ弾が飛んできた。

 

「が、その前に、黒鉄は言ノ葉とも一戦交えろ」

『……は?』

 

 ボクと黒鉄君の声が重なった。ステラさんも新宮寺さんの発言に疑問を抱いているのか、頭にハテナマークを浮かべていた。

 

「よく考えろ言ノ葉。お前は、今日一日、ステラ・ヴァーミリオンの護衛に就いていたよな?」

「え、えぇ。そうですね。……あ、まさか」

 

 ボクがそんなバカなと顔で訴えるが、神宮寺さんは無慈悲に判定を下した。

 

「そう、お前は護衛中のはずのステラ・ヴァーミリオンに襲いかかった不祥事を未然に防げなかった責任がある」

「ま、待ってください!確かにボクはステラさんの護衛をしていましたが、それは空港から学園までの間という話だったじゃないですか!」

「事実はそうでも、世間からはそう見えるんだよ。なまじ空港で目立った真似をしたせいで余計にバイアスがかかるだろうな」

 

 そんなぁ!アドリブにしては上出来の対応だったじゃないか!

 ボクの悲鳴は世間に届く前に歪曲されるのだ。

 

「そういう訳だ。黒鉄と模擬戦をやって、世間にケジメというやつをアピールするしかない」

「うぅ……ごめんよ黒鉄君……」

 

 謂れなき決闘を背負う黒鉄君に申し訳が立たない。しかし黒鉄君はいつもの優しい笑みで許してくれた。

 

「仕方ないよ言ノ葉さん。決闘二回で丸く収まるなら安いものだよ」

 

 そんな簡単に納得できる黒鉄君聖人すぎでしょ……。ボクが彼の立場なら今日は厄日認定待ったなしだよ。

 黒鉄君の懐の広さにうちしがれていると、今まで黙っていたステラさんが口を挟んだ。その顔には、なぜか憤怒が浮かんでいる。

 

「ちょっとアンタ、安いものってどういうことよ。今アンタが何を言ってるかわかってるの?」

「安いって言葉は不謹慎だったね。ごめん、それは取り消すよ。でも僕がステラさんと言ノ葉さんの模擬戦に勝てばいいんでしょ?」

 

 キョトンとした顔で黒鉄君は言った。

 

 おっ、さらっとボクを挑発してきたな?どれ、その挑発高く買ってやろうじゃないか。

 ボクが密かに息巻く反面、ステラさんは怒りの息を吐いた。

 

「Fランクの!進級すらできないような《落第騎士》が!あの《七星剣王》のツヅリさんはおろか、Aランク騎士のアタシに勝てるはずがないでしょッ!?」

 

 言われてようやく合点した様子を見せた黒鉄君。

 まぁ、確かにステラさんから見れば無謀を通り越した無理を、さも可能であると公言するバカのように映るだろう。普通に考えればFランクがAランクに勝つなんて逆立ちしても無理。それが常識。当然の考えである。

 何せ、それだけ魔力や異能という才能は理不尽なのだ。何の努力をしなくとも並程度なら圧倒できてしまうほどに。十年に一度の天才と言われるステラさんが一番理解していることだ。

 

 だけど、この黒鉄君に限って言えば、その常識は当てはまらない。

 なぜなら──

 

「ステラさん、先に言っておきますけど、黒鉄君はボクと互角以上に戦える人ですよ」

「……は?ツヅリさん、何を言って……」

 

 文字通り、何を言ってるんだと顔が歪むステラさん。

 でも、予め教えてあげないとほぼ確実にステラさんが黒鉄君の永続下僕になるので、そんな甘ったれた考えをしているなら忠告しておかないとかわいそうだ。

 そう思って続けようとしたら、新宮寺さんが割った。

 

「喧嘩は模擬戦の中で存分にできるだろう。もたもたせずに訓練所に行くぞ。騎士たるもの疾くあれってな」

 

 あ、この人、もしかしてこの状況をちょっと楽しんでる?楽しんでるよね?タバコを咥えるフリして口元を隠してるけど、確実に笑ってるよね?

 一応これ、国際問題に発展しかねない事態なんですけど……。良くも悪くも、寧音の親友なだけある。

 

 結局ボクの忠告はうやむやになり、ボクたちは訓練所に向かうのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話

 ひょんな事で決闘に巻き込まれてしまった綴たちは第三訓練所にやってきた。

 その中心に、一輝と綴はレフェリーである黒乃を挟み20メートルほどの間を開けて対峙する。

 

 そして、そんな二人を見つめるいくつもの視線が観客席にある。元々この訓練場を使ってトレーニングしていたり、噂を聞きつけて見学に来た上級生たちの視線だ。

 数は二十強。ここに限らず様々な訓練場を借りて日々競い合っている綴から見ても、すこし多いくらいだ。それだけ《七星剣王》ならびに《紅蓮の皇女》は注目を集める存在だということ。

 

 ざっとあたりを見回した黒乃はメリハリのある声で、会場全体に聞こえるよう二人に呼びかけた。

 

「ルールを確認するぞ。幻想形態による初撃決着。判定は私が下す。制限時間はなし。能力の使用を認める。開始は双方の霊装を展開した状態で行うものとする。……何か質問があれば聞くが」

『ないです』

 

 ぴったりと高低の声が重なり、黒乃は了承の首肯。

 実戦であればわざわざ霊装を展開させないのだが、あくまで訓練を前提にした模擬戦のため霊装による意思表示を行うのだ。

 尤も、そんなのは建前で、綴の早撃ちで決着をつけられては面白くないというのが黒乃の本音である。聞いたところによれば一輝は()()()()なら早撃ちをいなすことができようになったらしいが、綴は平気で三発以上ぶっ放してくるので保険である。

 

「来てくれ。《陰鉄》」

「……」

 

 決め台詞のようなものや霊装に名前をつけていないため、無言でその手に銃を顕現させる綴。

 おそらく綴が普通に銃を構えるところを初めて見たのだろう、観客たちがにわかにざわつく。同じ観客席に座るステラも同様。

 

 そんな周りの反応に気づかないように、お互いを凝視する二人。もうすでに彼らの戦いは始まっているのだ。

 

「よし。では、試合開始!」

 

 開幕と同時、一輝が姿を煙らせ、遅れて複数重なったように反響する銃声。

 

「えっ!?」

 

 我が目を疑うように身を乗り出すステラ。しかしすでに一輝は次のアクションに移っており、今彼が何をしたのか理解することはできなかった。

 単純に開幕直後に飛んで来た四発の魔弾を最小限の動きで躱しただけなのだが、射撃した綴も回避した一輝も桁違いの俊敏さで攻防を成したせいで、ろくに目に捉えることが出来なかったのだ。

 

 当然である。今の一瞬のやり取りが可能な者なんて、それこそ数えられるほどしかいないのだから。世界的に見てそこそこのレベルでしか訓練できなかったステラに非はない。

 いきなり始まった異次元の攻防に置いていかれる観客たちに構わず、当人たちはお構いなし。否、開始の合図を出す前から彼らの意識から外されていた。

 

 眩く光るマズルフラッシュとほぼ同時に一輝の《陰鉄》が迸り、宙にいくつもの火花と擦過音が撒き散らされる。

 時に鋭く。時に柔らかく。一輝は培ってきた技術と知識をふんだんに注ぎ込み、綴の猛攻をいなし徐々に前へ進む。

 

 しかし、進むといってもたかだか5センチ程度。20メートルの間合いと比べれば、誤差と言っても過言ではない程度。

 彼らの攻防を理解できぬ者がそのわずかな進みの偉大さを、どうして理解出来るだろうか。

 はたから見れば、一方的に撃たれ続けられる一輝がたたらを踏んでいるようにしか見えまい。

 

 やはり最強の七星剣王には勝てないだとか、あの留年生は押されっぱなしだとか、試合開始からわずか十秒で観客席から諦めムードが漂う。

 ステラも綴の言葉を思い出し、もしかしたらと気を持ち直しているものの、本音を言えば他の観客たちと同じだった。

 

 たが、唯一二人の攻防を正しく理解できている者は呆れのため息をこぼした。

 

「あいつら……完全に遊んでやがるな」

「理事長先生?」

 

 レフェリーの黒乃が煙草をふかしながらステラの横に腰を下ろした。

 黒乃の声にステラが顔を上げる。

 

「まぁ、奴らがいつもやってることをそのままやらせてるようなものだからな。こうなるのも必然か」

「いつもってどういうことですか?」

 

 外部者にとっては意味深な発言に困惑するステラ。一度大きく紫煙を吐き出した黒乃は質問に答えた。

 

「そのままの意味だ。あの二人は知り合ってからほぼ毎日、あの攻防を繰り広げて勝敗を競っている」

「ま、毎日!?」

 

 視線を戻せば、開始位置より如実に進んでいることがわかる間合いで、一輝は相変わらずたたらを踏んでいる。ように見える。

 

 自分の間合い外から一方的に攻撃されているだけのこの光景を、毎日?

 ステラにとっては冗談にもならない戯言である。

 

 しかし、当の本人たちは別だ。

 

「馬鹿馬鹿しいと思うか?まぁ、普通はそう思うだろうな。何でこんな無意味な茶番をやるんだ、と。だが考えてみろヴァーミリオン。ならどうして黒鉄はまだ倒れていないんだ?」

「え?それは──」

 

 言葉を続けようとして、されど口はそれ以上動かない。なんて言えばいいのかわからない。

 一目見たとき、確かに馬鹿馬鹿しいと思った。そんなもの間合いで勝っている銃が圧倒的に有利じゃないか。銃が勝って当然である。

 そう思う一方で、ではなぜ不利な剣は今もなお立っていられるのか、という疑問が湧く。

 

 根本的に当然の疑問にようやく気付いたステラを導くように黒乃は言う。

 

「KoKや七星剣武祭のような超現実的な試合を見ているほど無意識に狂ってしまう感覚なんだが、銃弾の速度を知っているか?」

「え、えぇーっと……」

「まぁ知らんのは当然だ。銃や弾の種類にもよるが、言ノ葉のような拳銃の弾速は秒速300メートルから400メートルと思ってくれればいい」

「秒速300メートル……最初の間合いが20メートルだったから……」

「着弾するのに約0.07秒だ」

 

 凄まじく現実的な数字が算出され、ステラは絶句。

 

 現代では何よりも異能が重視される傾向にあるため、ほとんどの国民や学生騎士は異能を前提に考える。

 つまり超常現象が当たり前の思考。現実的な武術が軽んじられるのはこのためだ。

 

 なぜならそんな現実的なことは、異能の前に屈するからだ。異能という理不尽はそれだけ強力なのだ。

 それは正しい考えだ。けれど忘れてはならない。その異能を使うのは現実に生きる、ただの人間であるということを。

 

 目先の幻に惑わされ、誤った感覚を備えてしまう騎士の典型だったステラは、そこまで言われてようやく目を覚ました。

 0.07秒で着弾する弾丸を見てから躱す、だって?

 

「そんなの無理に決まってるじゃない!!」

「そう、無理だ。普通は無理なんだよ、そんなことは。勝負になりもしない。でも奴はそれを可能にしているんだ。何か変だと思わないか?」

 

 何かどころの騒ぎじゃない。何もかもがおかしい。なんで今の今まで違和感を抱かなかったのか、不思議で仕方ない。

 

「黒鉄は言っていたぞ。相手の目線、呼吸、筋肉、思考、癖。それら全てを見切れば躱せるとな」

「そ、そんなデタラメな……」

 

 理屈はわかる。それは剣術に於いても通ずる理論だからだ。異能のみならず皇室剣技(インペリアルアーツ)をも修めているステラにも、多少は理解できる理屈。

 だけどその理屈は決定的に破綻している。なぜなら、そんな芸当を対戦中に成し遂げることができたら誰も苦労なんてしないからだ。その芸当が机上の空論であることは、人間の歴史が証明している。

 それこそ異能を使わない限り不可能の芸当。

 

 なら、その不可能をさも当然のように生身でしでかしているあの《落第騎士》は何者なんだ。

 えも言えぬ悪寒がステラの肌を舐める。それを人は畏怖と呼ぶ。

 

 両腕をさするステラを横目に煙草をふかし、黒乃は続ける。

 

「そこまで理解したなら、もう一つ違和感を感じるはずだ」

「もう一つ……?」

 

 まだこの試合におかしなところがあるのか。そんな気持ちで思考を巡らせたステラだったが、それは案外すぐに見つかった。

 

「あれ?ならどうして黒鉄(アイツ)は前に進めてないの?」

「ほう、思ったより飲み込みが早いようだな」

 

 そう、全てのアクションを読めるなら、一輝の足が止まる理由がつかない。

 銃弾を躱し、斬り捨てることすら可能にするほどの読みを持つなら、ノンストップで銃弾をくぐり抜けることだって可能。

 あくまで攻撃速度と射程範囲を武器にしている銃は、その強みを潰されてしまうと鉄屑と化してしまう。

 一輝がその強みを潰せる手段を持つ時点で、この勝負は成り立たないはずなのだ。

 

 なら勝負が成り立っていることに何か理由があるはず。ステラはすぐに思い当たった。

 

「ツヅリさんがイッキの読みを上回っている?」

「正解だ。尤も、言ノ葉は感覚と技術で黒鉄を抑え込んでるようだがな」

 

 それは全てを読み通す一輝を釘付けにするほど超人的な感覚を持つ綴が凄まじいのか、あるいはその逆か。

 あまりに飛びすぎた両者に優劣をつけることはステラにはできない。

 

 その差すらわからないのだから。二人はステラの立つステージの遥か上にいるのだから。

 

 両者が両者、桁違いの技量を持つからこそ実現し拮抗する、本物の超人の戦い。

 今目の前に広がる戦いは、そういう次元にある。

 

「……これを、毎日、ですって……?」

 

 これだけ拮抗しているのに決着がつくまで鎬を削り、毎日お互いを超えんとしている。

 なんと途方も無いことか。

 

「今のところ黒鉄は一回しか勝ててないようだがな。お互い負けたくない一心で、それは毎日楽しんで勝負している」

 

 ゆえに黒乃は言った。奴らは遊んでいると。

 

 Fランクだの《落第騎士》だの散々見下していたあの一輝が自分より遥か格上だと痛感したステラには、もう綴が雲の上の人にしか思えなくなった。

 そして、ようやくステラはテレビで見た異常を正確に理解できたのだ。道理であの瞬殺劇が行われるはずだと。この人にとっては学生騎士の頂点ですら生温いのだと。

 

 ステラは綴がインタビューで言い残した言葉に深い共感を抱いていた。

 どんな天才でも絶え間ない努力をしているんだ。最初は誰だって弱い、そこからどれだけ努力できるかがその人の人生を決めるんだ。昔の自分に当てはめて、ステラはそう思ったのだ。

 

 けど違った。真に綴が言いたかったのはそうじゃない。

 どんなに努力したって足りない。限界というものすら無視して、修羅のように努力するのは当たり前。

 その上で、()()()のだ。

 

 思い知ったステラは、なんだか目の前の景色が地平線の彼方にあるような感覚に襲われる。

 きっとこれは彼らとの距離なのだ。それだけ彼我の実力はおろか、覚悟の強さですら隔絶されている証拠。

 

「それでもなお、黒鉄に勝負を挑むのか?」

 

 黒乃は無慈悲に尋ねる。そんな矮小なお前が勝てるはずがないだろうと、言外に言っていた。

 その問いに、ステラは──

 

()()()……ッ!!どれだけ惨敗したっていい、アタシはそのためにここに来たんだから!!」

 

 燃え上がっていた。そのルビーを思わせるような美しい髪と瞳が本物の炎のように見えるほど、ステラは燃え上がった。

 

 ステラが遠い日本の学園にわざわざ入学したのは、上を目指したいからだ。

 十年に一度の天才だとか、常人の三十倍の魔力を持っているから誰も敵わないだとか、そんな小さい枠に収まりたくないから母国を飛び出した。

 愛するヴァーミリオン皇国を守る騎士となるため、自分は立ち止まってなどいられないのだから。

 

 遥か格上上等。惨敗すら歓迎だ。全てを飲み干して上へ往く。

 ステラの決意を見届けた黒乃はふっと小さく笑みをこぼして立ち上がった。

 

「これを言うのは少し早い気がするが、ひとまずこの一年は黒鉄の背を全力で追いかけてみろ。そして見てくるんだ。高みのステージというやつを」

「はい!」

「よし、そうと決まればさっさと奴らを止めてお前の試合に移るぞ」

「ええ!……えぇ!?」

 

 あまりにあっさりと言ったために流されそうになった。

 ステラが慌てて見上げると、いたずらに成功したような笑みを浮かべている黒乃の顔が。

 

「くくく……今回の事の発端をよく考えてみろ。そもそもこの決闘をする理由はなんだ?」

「それはツヅリさんがイッキの覗き……じゃなくて、事故を防げなかった責任として──」

「じゃあ、その不祥事を公に発表するのは誰だ?」

「え?当然マスコミ……マス……コミ……?ああああああ!!!!」

 

 真実に気づき絶叫したステラに、ついに堪えきれず爆笑し始める黒乃。

 

「そう、今回の事件を知っているのは我々と、現場を目撃した寮の警備員のみ。そしてこの学園の実権を握っている私にかかれば警備員一人の口封じなんてお手の物。当然当事者の黒鉄も、責任を負うことになる言ノ葉も黙る。つまり、不祥事として公にできる奴はお前しかいないんだよ、ステラ・ヴァーミリオン」

「じゃ、じゃあツヅリさんたちにも勘違いさせるような言い方をしたのも──」

「ああ、お高くとまった皇女様をけしかけるために決まっているだろう」

 

 ──してやられたあああああ!!!!

 

 頭を抱え込んだステラは悔しさやら恥ずかしさやらで、顔と目の区別がわからなくなるほど赤面した。

 真の勝者は私だと言わんばかりに高笑いする黒乃は、ようやく1メートル詰めた一輝に声をかけた。

 

「両者そこまでだ!この戦いは引き分けとする!」

『へ?……はぁ!?ふざけないでください!!(ボク)はまだ勝っていません!!』

「そうは言ってもな、もう集中力が切れただろう?」

『あなたのせいですよ!!』

 

 全く同じタイミングで全く同じことを全く同じ表情で叫ぶ二人は、まさに気の置けないライバルのようだとステラは思った。

 

「ハハッ、それだけ元気があるなら十分だ。黒鉄はヴァーミリオンの試合に引き継げ。言ノ葉はヴァーミリオンと交代だ」

「ちょ、ほんとふざけないでくださいよ!勝ち負けつけずに引き分けとか、一番ありえないんですけど!?ていうか責任云々の件は!?」

「よかったな。今日は引き分け記念日だ」

「『この判定がいいね』と君が言ったから今日は──ってやかましいわ!黒鉄君からも何か言ってやってよ!」

「うーん……でも確かに理事長は判定を下すのは自分だって言ってたし……」

「そんな屁理屈に屈するつもり!?」

 

 黒乃に噛み付く綴を苦笑いで見守る一輝。二人の間に友情を超えた何かが結ばれているような気がして、いつかアタシもそんな関係になれたらなぁとぼんやりと考える。

 そして、なんでイッキなんかとくっついてるところを想像してんのアタシ!?と一人で暴走する。

 

「ヴァーミリオン、早く準備をしろ」

「新宮寺さん覚えておいてくださいね……この恨み絶対晴らしますから……!」

「まぁまぁ、続きは今日の夜にってことにしようよ」

「むぅ……納得いかないけど、黒鉄君がそう言うんだったら……。なら黒鉄君、絶対に勝ちなよ?ぼろ負けして気絶して寝過ごすとか承知しないから」

「うん、わかったよ。その代わりと言っちゃなんだけど、《一刀修羅》止めるのよろしく」

「ん?……あぁ、そういうこと。わかった」

 

 ──この学園に来てよかった、と決意を新たにステラは観客席を飛び出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話

 予想はしていたけど、やっぱり黒鉄君の圧勝だった。

 ボクと黒鉄君の試合を見て慢心を改めたステラさんは最初から異能全開で挑んだ。

 しかし、《一刀修羅》で灼熱の異能をやり過ごし、ステラさんの剣術──皇室剣技というらしい─をあっという間に読みとき、ろくな抵抗すら許さず斬り捨てた。

 ステラさんの莫大な魔力によって編まれたシールドを黒鉄君が突破できるか不安だったものの、《一刀修羅》による状態なら問題なかったようだ。

 

 その後《一刀修羅》は途中で止めることができないからボクが黒鉄君を気絶させて無理やり止め、約束通り再戦してボクが勝った。

 しかし当たりどころが悪く黒鉄君がまたも気絶してしまったので、様子を見に来ていた──本人は下僕だから付き添ってるとよくわからない主張をしていたけど──ステラさんに後を任せてその日は終えた。

 彼女、細い腕に反して凄まじい力の持ち主らしく、スリムなマッチョの黒鉄君を軽々と持ち上げていた。まぁ身の丈ほどある大剣の霊装をぶん回してるから、ある意味当たり前か。

 

 そして入学式当日、黒鉄君のクラスである一年一組の教室が吹っ飛んだ。

 なんでもステラさんと黒鉄君の妹さん──珠雫さんが喧嘩した結果らしい。何やってんだ。

 下された処分は一週間の停学。学年の違う二年生まで広まっているくらいだから、入学早々から話題の尽きぬステラさんである。

 

 ちなみに、約束通り永続下僕になったステラさんだけど、黒鉄君の命令によって普通の友達になったとのこと。

 今まで友達がボクしかいなかった黒鉄君に理解のある友達ができたのは素直に喜ばしいことだ。なにせ去年は友達どころの騒ぎじゃなかったからね。

 今年から黒鉄君の人生は明るいものになる、そんな兆しを感じる入学式だった。

 

 そして数日が経ったある日、黒鉄君に映画を観にいかないかといつもの訓練の後に誘われた。

 ボクは射的して放課後を満喫したかったけれど、よく考えたら黒鉄君から外出の誘いを受けた覚えがなく、なんとなく断るのが惜しい気がしたので乗った。

 が、返事をしたところで私服を持っていないことに気づき、当日に恥をかくくらいならと正直にそのことを話すと、黒鉄君はなら映画を観に行くついでに服も買いに行こうと提案してくれて話がまとまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 

「あたしの目に狂いはなかったわ……綴ちゃん、あなた最高よ!」

「慣れないから何だか恥ずかしいなぁ……。黒鉄君、ボク変じゃない?」

 

 綴たちは学園のすぐ近くにある巨大モールに訪れていた。その中にある全国的に展開している服屋に彼らの姿はあった。

 

 タイツを穿き形の良い脚を引き締め、ショートパンツとニーハイブーツを組み合わせることで更に際立たせ。

 春の季節に合った淡くも明るいチュニックを着た綴は、周りの目を気にするように体を縮こませる。

 

 彼女を前に、一輝はぽかんと口を開けて見つめていた。

 普段見慣れた制服姿が私服に変わるだけで、人とはこうも変わるのかと痛感する。

 

 こう言っては綴に失礼だが、一輝は綴のことを異性として意識したことはほとんどなかった。

 それは彼女のことを本気で尊敬していたからであり、越えるべきライバルでもあり、唯一無二の親友だからでもあるのだが、何よりも特徴的な一人称と白黒はっきりつける明瞭とした性格がどことなく少年らしさを思わせたことが大きい。

 そのため女性として認識してはいるものの、恋愛対象の異性として綴を見たことは一度たりともない。

 

 が、そんな一輝が思わず胸を抑えるほど、コーディネートされた綴は魅力的な異性に見えた。

 

「……ハッ。ごめん言ノ葉さん、見惚れてて聞いてなかった。何て言ったの?」

「っ、もういい!それで十分だよバカ!」

「あらあら照れちゃって。それじゃ次にいってみましょ!」

 

 綴を仕立て上げた有栖院凪──通称アリスは実に楽しげに洋服をピックアップし、堪らず更衣室のカーテンを閉じた綴に渡していく。

 彼は珠雫のルームメイトであり、いわゆるオカマと呼ばれる人種である。それもファッションではなく、本物の男色家。

 動揺されるかと経験則で予想していたアリスだが、彼に会う前に、一輝の過度なシスコン疑惑や珠雫の近親相姦紛いの行動とゴスロリ衣装、と怒涛の勢いで非日常が襲いかかったせいでまともな感覚がぶっ壊れていた綴は、アリスと対面しても逆に普通に対応出来てしまった。

 

 それにより変な先入観なく会話することができた二人はモールに着く頃には仲良くなっており、アリスが綴の私服を選ぶことを申し出たのだった。

 アリスのコーディネートを鑑賞する役は必然的に一輝が担い、今に至る。

 

 嬉々として綴の着替えを待っている一輝の背後では──

 

「イッキィ〜……ッ!!」

「ステラさん、さすがの私から見ても許容量が小さすぎです。どうして胸だけは無駄に大きいのに度量はないんですか」

「うっさい!てかアンタが一番怒りそうなのに、なんで平然としてるのよッ!?」

 

 ステラと珠雫がその様を眺めていた。ステラは嫉妬、珠雫は静観である。

 

 ステラの指摘は尤もだと珠雫は思う。しかしそれはあくまでどこの馬の骨とも知れぬ──それこそステラのような──女が一輝に纏わり付いている場合であって、綴は例外だった。

 兄と再会してから綴の話をよく聞いており、兄にとって綴がどれほど大切な人であるかを認識していたからだ。そして直に見て反応を伺い、珠雫は綴を兄のそばにいるのに相応しい人間だと認めたのだ。

 

 綴は、珠雫では与えることのできない温もりを与えられる人だったのだ。

 ステラのように色目を使うでもなく、珠雫のように家族愛を注ぐ訳でもなく。ただ一輝の友達として、ライバルとして、先人としてあり続ける。

 

 母としての愛情も、妹としての愛情も、恋人としての愛情も珠雫は一輝に与えられると思っている。

 けれど一輝と同じ道を歩むことは珠雫には絶対に出来ないことだった。それを成せる才能も努力もないからだ。

 

 家内部だけの迫害に留まらず、学園にも迫害の手が伸びてきた時、一輝はさぞ苦しかっただろう。家のみならず、社会からも存在を認められなかったと実感したはずだ。

 ある意味最も辛い時の彼を支えてくれた綴には、感謝をしてもしきれない。

 

「言ノ葉さんは良いんですよ。彼女はお兄様には相応しい方ですから」

「ならアタシも良いじゃない!」

「雌豚がよくもぬけぬけと」

「アンタほんとに口が悪いわね……ッ」

 

 青筋を浮かべて睨み合う二人を蚊帳の外に、綴の私服選びは続く。

 

「えっ、これ男っぽいじゃないか!」

「いいじゃない、口調は男の子なんだし」

「これはお父さんのが移っただけだよ!」

「ほら、一輝が待ちわびてるわよ。待たせるのは良くないわ」

「これで変って言われたら撃ち抜くからね!?」

「大丈夫よ。普通に女の子のファッションの一つなんだから」

 

 皇女であるステラを驚嘆させるほどのコーディネートの腕前を持つアリスと、一般のファッショントレンドすら理解していない綴。

 アリスを信じるしかない立場にある綴は、ええいままよとカーテンを開ける。

 

 薄いパーカーにジーンズと本当にひねりっけのないスタイルなのだが、女性成分に偏った中性的な顔と長身のアリスすら驚嘆する美しく長い足を持つ綴が着ると、健気さと美しさが両立するという不思議。

 パーカーを目に見える程度に押し上げる胸や吸い込まれそうになる絶妙なくびれ。ジーンズによって官能的なまでに極まった足。それらが没個性のファッションを別の何かへ昇華させていた。

 

 Yes!とガッツポーズする一輝。

 

「なんで男の格好で喜ぶんだよぉ……!」

「仕方ないじゃないか。言ノ葉さん、違う服を着るたびに見応えある姿になっちゃうんだから」

「綴ちゃんはちょうどいい具合に中性的な顔と良い体をしてるから、何を着てもだいたい似合っちゃうのよねぇ。確かめるために着せてみたけど、恐ろしく違和感ないわ。まぁ女の子だから、一番似合うのは女の子らしい格好だけど!さぁ次はこっちよ」

「まだあるの!?私服ってそんなに買わなきゃダメなの!?」

「女の子はたくさん服を持っているものよ」

 

 本音は着せ替えるのが楽しくなっているだけなのだが。しかし年頃の女子として私服を一つも持っていないというのは致命的なので、この機に最低でも四季にあわせてそれぞれ二着ずつ買わせるつもりである。

 生まれてこの方、己の銃にしか興味がなかったため、小遣いやお年玉も使うことも一切ない。それが幸いし現在の綴のポケットマネーは大変豊かである。

 買った服は郵送してもらうことになりそうだと密かにため息を零す綴。

 

 その後アリスの悪ノリが過激になり、珠雫が着ているようなゴスロリやどこから持ってきたと突っ込みたくなるようなスーツ、果てに水着も着ることになった。

 前半の二つはさすがにスルーしたものの、水着はいつかプールにいくこともあるわよと正論を言われ、渋々購入した綴だった。

 

 綴の着せ替えショーを心いっぱい楽しんだ一輝は、綴の新鮮な姿にご満悦。

 銃以外興味ないと公言するのを憚らない綴の邪魔をするのも悪いかと外出の誘いは控えていたが、意外と付き合いの悪くない人だと今更ながらに知ったので、また見れるなら誘ってみようと決める。

 尤も、あくまで友達の感覚で、だが。

 

 ちなみに、外野の皇女様は一輝の目を奪う綴に激しく対抗心を燃やしており、ゴスロリ妹はそんな皇女様を鬱陶しそうに眺めていたのだった。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 そんな平和な彼らの日常の裏。

 

『そろそろ時間だ。配置につけ』

 

 一人の男の号令により、目出し帽を被った何人もの不審者がモールのあちこちから湧くように出現した。

 手には銃火器を持ち、中には戦闘服に手榴弾を備えた者もいる。

 

 彼らは《解放軍(リベリオン)》。

 伐刀者を選ばれた新人類と崇め、それ以外を下等種族と位置付ける選民意識の下、現代社会の構造の破壊を目論む、簡単に言えばテロリストだった。

 

 手段を問わず、己の願望のためなら犠牲を出すことも躊躇わない彼らは闇から現れる。

 

「楽園にゴミは不要。ゴミは罪。罪には罰を。ヒヒヒ……掃除の時間だ」

 

 闇から伸びた両手には不気味な光を湛える一対の指輪がはめられていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話

 購入した私服に着替えた綴は、一階のフードコートでアリスに勧められた喫茶店でクレープをいただき、映画の上映まで時間を潰した。

 その時に珠雫の口についたクリームを一輝が拭って食べるという行為をしでかしたために、対抗したステラがサンタクロースの髭のようにクリームを塗りたくるという怪事件があったりしたが、ここでは割愛しよう。

 

 さて、そうこうしているうちに予定の時間が迫り、一行はエスカレーターに乗りながら観る映画を決めていた。

 というのも、珠雫の観ようとしていた映画が『私は妹に恋をした』というR−15恋愛映画であり、タイトルからしてドン引きものだったので却下となったからだ。

 

「恋愛映画を観たいなら『砂漠の女王カルナ』とかいいんじゃない?砂漠の盗賊団に攫われたカルナ姫が若い盗賊リーダーに恋するアニメ映画だって」

「却下です。何が悲しくて氏素性も知れぬチンピラに股を開くビッチを観なくちゃいけないんですか」

「血の繋がった兄と変態映画を観ようとしてた奴に言われたくないわよッ!」

 

 とまぁ、案の定二人は仲良くしているので、一輝はこのグループで一番の常識人である綴に振った。

 

「言ノ葉さんは何か観たいものとかある?」

「うーん……ボク映画自体観たことないからなぁ」

 

 私服を持っていない時点で薄々予想はしていたが、家のテレビすら見ていないだなんて。それくらい射撃に夢中にならないとあの領域には達さないのだろうか。さすが我がライバル。

 おめかしをした綴は少しの間手元のチラシに目を落とし、

 

「あ、銃を使う映画なんてあるんだ。これ面白そうだよ」

「アクション映画だと大体出てくるよ。それで何てタイトルなんだい?」

「『ガンジー怒りの解脱』」

「なにそれすんごい気になる」

 

 炎をバックに上半身半裸の筋肉モリモリマッチョマンの坊主が銃火器を担いで佇む画像が大変インパクトだ。

『許すことは強さの証と言ったな。あれは嘘だ』という煽り文句の酷さが逆に興味をそそる。まともなレビューより、こういったカオスなものの方が話題を呼びやすいのだ。

 

 幸いアクション映画は男女ともに楽しめるジャンルなので、一行の観る映画はそれに決定した。

 アリスが腐女子向けの映画を口惜しそうに眺めていたが、敢え無く無視された。

 

 エスカレーターで三階に着いたとき、一輝がふと思い立った。

 

「ごめんみんな。先にトイレを済ましてくるから、僕のぶんのチケットも買っておいて」

「あら。ならあたしもお供しようかしら」

「ボクも行っておこうかな。二人は?」

「私たちは結構です。チケットを買っておきますので、後でお金渡してください」

「始まる前に戻って来なさいよ」

 

 こうして三人は三階のトイレを目指すことになったのだが──

 

「なんで男子トイレのそばに女子トイレがないのかなぁ」

 

 案内板を見たところ、なぜか女子トイレは男子トイレの反対側にあるらしい。なにを思ってこんな配置にしたのだろうか。

 そこはかとなく邪念が漂う設計に文句を零しながら綴は男子二人とも別れ、履き慣れないブーツを鳴らしながら一人でモールを歩いていた。

 

 すれ違う人たちから視線を投げかけられる中、綴は上映時間に遅れないように早足でトイレに着いた。

 

「そういえば黒鉄君大丈夫かな……」

 

 男色家のアリスと一緒にトイレ。……字面だけでヤバイ雰囲気が醸し出される。

 尤も、アリスは見境のない人ではないことを知っている──ノンケは食わないとか聞いていた──ので、半ば冗談の呟きだ。

 

 しかし、それが別の意味で的中した呟きだったと知ったのは、その直後。

 

 バァンとアクション映画さながらに女子トイレのドアが開いた。

 そんな野蛮な行いをしたのは、アサルトライフルを持ち目出し帽を被った、一目で不審者とわかる男二人組だった。

 ちょうど無人のトイレで用を済ませ手を洗っていた綴と視線が合致し、お互い無言で少し見つめ合う。

 

 そして、

 

『おいおい、コイツはある意味当たり──』

「うるさい」

 

 背の高い方の不審者が何かを言おうとした直後、綴は何の躊躇いもなく二人の不審者の額を撃ち抜いた。

 半ば反射で体に染み付いた早撃ちが出てしまったが、普段の訓練で幻想形態を心がけていたためか、うっかり殺してしまうことはなかった。

 

 まぁ、女子トイレを堂々と覗いてきた不埒な輩の生死なんて、綴は拘らなかったが。

 

 一瞬で無力化された不審者二人が床に崩れ落ち、ガシャガシャと音を立ててアサルトライフルが転がった。

 それを手にとって観察してみると、

 

「うわ、これ本物じゃん」

 

 金属による重い手応え。マガジンに込められた金に輝く弾丸。それらが雄弁にこの者たちがただの不審者ではないことを語っていた。落とした時に暴発しなくてよかった。

 生まれて初めて事件に巻き込まれた綴だが、自分が思った以上に冷静であることを自覚しつつ、倒れた男の身元を改めた。

 

 すると、胸ポケットから無骨なトランシーバーが出てきた。

 つまり、下手人はこの二人のみならず、かなりの数がいると見ていいだろう。

 

 さてどうしようかとトランシーバーを回収しつつ女子トイレを出た綴だったが、

 

「げっ」

「あ」

 

 私服姿の桐原とばったり出くわした。お互いをお互いに嫌っているため、顔を合わせた瞬間に思い切り顔を顰めた。

 

「なんでキミがこんなところにいる」

「それはボクのセリフだ桐原」

 

 桐原はガールフレンド()()とモールに遊びに来ていただけであり、トイレに行ったきり中々帰ってこない女を探していたところだった。

 しかし一年生のときの確執がある手前、当然険悪な空気が漂い始めるが、桐原が綴の持つトランシーバーに目ざとく気づく。

 

「おい、それなんだ」

「女子トイレに転がってる奴から奪った」

 

 あん?と躊躇いなく女子トイレを開けて確かめる桐原。

 無様に気絶して倒れている男二人を見て、尋常ではない状況を悟った。

 

「これはどういうことだ」

「ボクだって知らないよ。今から調べるところ」

 

 すげなく返した綴はさっさと立ち去ろうとするが、桐原はニヤリと邪な笑みを浮かべてその肩を掴んだ。

 

「待てよ言ノ葉。まさか手柄を独り占めしよう、なんて魂胆じゃねぇよなぁ?」

「はぁ?何言ってんのキミ」

 

 肩に乗せられた手を払いのけると、桐原は気にした風もなく言葉を返す。

 

「歴代最強の《七星剣王》様は興味ないだろうけど、こういった事件をボクたち学生騎士が解決すると、学園から報酬が出されるんだよ。臨時召集とか言ったかな」

「はぁ……。で?キミはそれが欲しいの?」

「いいや?キミが貰おうとしてるなら見逃せないだけだ」

 

 普段の桐原を見ている人は驚くだろう。彼は身内に対しては猫を被っているので、ここまであからさまに邪悪な性格を露にすることはない。

 が、今の彼に人目を憚る理由は何もない。ゆえに本性剥き出しで綴に絡みつく。伐刀者としては確かに優秀だが、その事実が彼の自尊心を大いに満たしたせいで、醜い心が肥大化してしまったのである。

 桐原は、態度はでかいが器は小さいという、典型の悪党なのだ。

 

 そんな桐原に心底呆れたため息を零す綴だが、ふとこの場を上手く利用する妙案を思いついた。

 

「よし、キミのそのみみっちくてドブのように汚い正義感に心を打たれたボクは」

「おい」

「キミにチャンスをやろう」

 

 その言葉に、露骨に嫌そうに顔を顰めて両耳に手を当てた桐原。

 ちょうどあの時も同じことを言ったっけ、とどうでもいい思い出を脳裏に浮かべる綴は続けた。

 

「ここにトランシーバーがある」

「ああ」

「これを持っていたのは男だ」

「そうだな」

「ボクは女だ」

「は?」

「また両耳撃ち抜かれたいようだね?……それで、キミは男だろう?」

 

 そこまで言えば綴が何を言おうとしているのか予想はつく。

 トランシーバーで敵の情報を桐原が聴きだす作戦だ。

 しかし、桐原は嘲るように言った。

 

「馬鹿なのか?いや、それはもうとっくに知っていたな。キミは大馬鹿だ。そんなことをしなくとも、もっとクレバーな方法があるだろう」

 

 そう、桐原の言う通り、彼には《狩人の森》という非常に優秀な能力がある。

 試合でも猛威を振るうそれが真価を発揮するのは、まさに現在のような敵にこちらの存在を知られてはならない状況、すなわちスニーキングミッションだ。

 だがそれには一つの条件を満たす必要がある。

 

「まさかキミはこの広いモールを片っ端から探していくつもりなのかい?いくらキミの能力でも効果範囲が足りないし、魔力の無駄だ」

「……」

 

 《狩人の森》は自身をステルス化させる能力だが、あくまで一定範囲内に於いてという前提がある。とてもじゃないがモール全体を範囲指定するのは無理だ。

 わざわざ効果範囲ギリギリまで移動して能力を解除、そして再び発動、なんてことをするのは効率悪いこと甚だしい。いくらCランク騎士の桐原でも、敵が早々に見つからなければ魔力が枯渇する怖れがある。

 

 《狩人の森》を使うべきは、敵の現在地を特定したときだ。

 

 それを手短に説明すれば、地頭は悪くないのだろう、桐原は案外素直に納得した。

 

「それでトランシーバーか」

「そういうこと。事は一刻を争う。一般人に被害が出たら報酬が減るかもしれないよ」

「だからボクはそんなもの──」

「いいから、やれ。二度は言わない」

 

 いい加減に痺れを切らした綴は敢えてわかりやすく自然体を取る。それを見た桐原はコクコクと青ざめた顔で首肯した。

 震える手で操作してトランシーバーを起動した。スピーカーからノイズが流れた。

 

『どうした。もう客の確認は済んだのか?』

 

 敵はこちらを疑っていない。絶好のチャンスだ。

 綴はトランシーバーに顎をしゃくり、はやく答えろと催促する。

 よく考えたら凄まじい無茶振りだなと遅まきながら気づく桐原だった。

 

「あー、悪いんだけど、集合場所忘れちゃってさ」

『はぁ?お前頭大丈夫か?』

 

 敵の反応は尤もである。こんなテロ紛いの事件を起こしている最中に計画を忘れるとか、さすがにバカすぎる。

 青筋を浮かべて口元をひくつかせる桐原だが、敵は呆れのため息を零しながらも答えた。

 

『一階のフードコートだ。頼むぜ、ビショウさんキレさせたら俺たちが殺されちまうんだから』

「あ、あぁ、すまん。すぐ向かう」

 

 切ったのを確認し、重いため息を零す桐原。

 

「よく情報を聴きだした。褒めてあげる」

「ほんとテメェはウザい奴だな……!」

 

 元々この緊急事態にどうでもいいことで突っかかってきた桐原が悪いのだ。ぞんざいな態度になるのも仕方ない。

 メンチを切る桐原を無視して電子生徒手帳に登録されている緊急連絡用の電話番号に連絡を取り、破軍学園理事長の黒乃に事態を報告。

 ちょうど黒乃たちもモールがテロに遭っていることを知ったらしく、捜査しているらしい。

 ひとまず手に入れた情報を共有しつつ、学園外での霊装と能力の使用許可を得た。その前に綴はぶっ放していたが、それは護身として処理される。

 

「人質か……また厄介なことを」

「その中に子猫ちゃんたちがいる。さっさと行くぞ」

「子猫?」

「ボクのガールフレンドさ」

「うぇ。気持ち悪い」

「そろそろ我慢の限界なんだが」

 

 なんだかんだ言いつつ今の状況は忘れていないので、速やかに移動を開始する。

 吹き抜けのど真ん中を突き抜くエスカレーターでは目立つので階段から二階へ降りた時だ。

 

「っと、先に行ってて」

「あぁ?」

 

 ちらりと人影が見えたが、間違いなくテロリストの一員だろう。おそらく二階の客を改めている部隊だ。

 本来なら無視して本陣を叩くべきなのだろうが、もし今見かけた奴らが血迷った奴だとしたら平気で銃を乱射するかもしれない。

 無力化できるなら、するに越したことはない。

 

「いいかい、本陣を見つけたらすぐに倒すんだぞ」

「わかってるよ。さすがに彼女たちを見殺しにはしない」

 

 なんでそういう時に優しさを発揮するのだろうか。あぁ、でもコイツ女を物くらいにしか考えてないから、失うのは惜しいくらいにしか考えてないのか。

 やはり綴の中で、桐原の株は大暴落する定めだった。

 

 さっさと別れて別働隊の消えた角を追うと、四人のテロリストを発見する。

 彼らのうち二人が男子トイレに入り、残りの二人が扉の前に立っている。綴の時のように客を改めているのか、それとも単純に用をたしているのかはわからない。

 

 が、固まってくれているなら好都合だ。

 

 手に銃を顕現させた綴は近くの柱に隠れて、()()()から狙いを定める。物陰から撃っても変わらないのなら、確実に見つからないように撃つ方が良いに決まっている。

 

 目を閉じれば、四つの気配が暗闇から白い輪郭として浮かび上がり、目標の位置を把握する。

 銃を両手で構え、素早く射撃した。

 

 魔弾はなんの抵抗もなく柱を貫き、扉の前にいた男の両肩と両膝を抉る。

 それと並行して隣の男も同じ箇所から血が噴き出す。

 

 ほぼ同時に撃たれた彼らが絶叫をあげると、トイレに入っていた男たちからも悲鳴があがる。

 室内にいた彼らも綴に柱と扉越しに射撃されたことによって、先の二人と同じ運命を辿ったからだ。

 

 魔弾に、対象に当たるまで『あらゆる干渉を受けない』という概念を宿す、概念干渉系の能力。それが綴の()の異能。

 相手がどんな鉄壁を持っていようが、綴が本人を対象に射撃すれば紙くず同然に貫くことができる。

 

 この能力が真価を表すのは、敵が伐刀者の時である。

 霊装は超高密度の魔力塊なので、ダイヤモンド並みの硬度を誇る。これにより滅多に壊れることがないのだが、壊れてしまった時は所有者の意識を断ってしまう。

 その欠点を突き、問答無用で敵本体を撃ってしまえば敵は防ごうと霊装を掲げ、あえなく自滅してくれるだろう。尤も、綴の射撃を防げればの話だが。

 能力で防ごうにもやはり異能で跳ね返されるため、回避するしか逃れるすべはない。

 

 なので敵の自衛する方法が異能頼りであるならば、とんでもない脅威を発揮する。

 ただし一輝のような自身を強化する者に対しては相性が悪いものの、綴の早撃ちと射撃技術の前に躱せるものはいないだろう。今回のように《心眼》を併用すれば、さらに脅威度が増す。

 

 そして銃そのものの異能として、銃弾の威力や射程は込めた魔力に依存するが、実体化させた時は最高威力で撃てばいいので、ヒットは即ち殺害に等しい。

 今回は殺害するわけにはいかないので最大時の五分の一にも満たない魔力を込めたが、それでも拳銃として十分な働きをするのを証明した。

 

 派手な能力ではないが、術者とマッチした優秀な能力と言えるだろう。

 欠点は、あくまで弾に概念を宿すだけで、綴本人には何も影響しないので、自身の防御に関しては一切働かないことだろう。

 そのため、試合のような一対一や今のような奇襲することに於いては最強の能力だが、多対一だったり奇襲を受けることに対してはかなり弱い能力だ。

 

 さて、四肢を破壊され蹲り呻くしかないテロリストたちに近づき、幻想形態で頭を撃ち抜き気絶させた綴は一息つく。

 他にも別働隊がいないとも言い切れないので二階を見て回ろうとエリア中央の吹き抜けに戻ったところで、吹き抜けから飛び降りた一輝を目撃する。

 

 すわ何事かと目を見張った綴だが、一輝の体から青い光が溢れていたのを見て事態を把握する。

 

 一輝の飛び降りた先に、両手に悪趣味な指輪を着けた男が一輝に手を突き出していた。

 それは斬ってくださいと言っているようなものじゃ、と綴が思った時にはその腕は宙を舞っており、男は絶叫をあげた。

 その光景を見てテロリストの間に動揺が走ったのを見ると、斬られた男がリーダー格か。まぁ他の奴らとは違う服装してるし、そりゃそうか。

 

 後は取り巻きを抑え一件落着かと思えば、取り巻きの一人が人質の中年女性に拳銃を突きつけ、事態が一変。

 一輝たちが下手に動けなくなってしまった。

 

 ……が、アイツがステルスの状態で弓を番えたのを見届けた綴は銃をしまい、急いで一階に降りたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話

 解放軍によるテロを解決した一輝たちだったが、去年の一輝をイジメていた代表格の桐原に遭遇し、因縁を付けられた。

 それだけならば良かったが、運の悪いことに七星剣武祭の代表選抜戦一回戦が桐原と判明。

 さらに、一輝を貶され憤慨したステラは桐原の戯言に乗ってしまい、一輝が負けると彼のガールフレンドの一人にされてしまうことになってしまった。

 尤も、それはステラが一輝の勝利を確信している故の承諾だったが、一輝にとってはますます負けられない戦いとなった。

 

 なぜなら、一輝の卒業もかかっているのだから。

 

 今年から全校生徒参加による実戦選抜に変わったため、代表に選ばれるまでにかなりの試合数をこなさなくてはならない。

 それに、今年の一年生はステラや珠雫を始め優秀な学生騎士が揃っている上に、生徒会を始めとする経験豊富な上級生も相手になるだろう。

 それだけの人が集まれば、無敗で勝ち進む人も出てくる。となれば、代表の座は一敗するだけでも遠ざかる。

 

 だから負けられないのだ。絶対に。

 

 それはとても厳しい道のりだろう。

 だが綴は未来を示してくれた。暗澹とした道のりに光を照らしてくれた。

 それだけで一輝は心を持ち直せたのだ。

 

 ……しかし、それは必ずしも彼の心を癒せるものとは限らないのだ。

 ジワジワと染み入るように彼の心を陰から蝕むものは、もう表へ食い破ろうとしている。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 選抜戦一日目が終了し、寮室に戻ってきたステラに祝辞を述べた僕は、TV画面に目を戻した。

 そこには、去年の代表選抜戦の試合映像が映されている。

 

「またツヅリさんの動画を見てたの?昨日からずっとじゃない」

「うん。なるべく少しでも彼の呼吸を掴んでおきたくて」

 

 この動画は新聞部部長・日下部(くさがべ)加々美(かがみ)にお願いして譲ってもらった資料だ。

 実際に僕も見ていた試合だけれど、客観的に見れる記録は何かと便利だ。

 

 ステラは困ったような、呆れたような。そんな曖昧なため息を小さく零して、僕の隣に腰を下ろした。

 

「呼吸って言っても、ただあの男がレフェリーの隣に移動して、ツヅリさんに撃たれてるだけじゃない」

 

 ステラの言う通りだ。何度も見直しているけれど、彼は言ノ葉さんに一矢足りとも撃たせてもらえていないので、呼吸も何もあったものじゃない。

 それでも彼の試合映像はこれしかないので流しているのが現状だ。

 

 僕は負けるわけにはいかないから。勝つしか道はないから。

 

「でもツヅリさん凄いわよね。これ、ツヅリさんには見えてないんでしょ?」

「桐原君の《狩人の森》は気配や匂いはもちろん、姿形すら肉眼では捉えられなくなる。厳密には効果範囲内にいる人に対してステルスになる能力らしい。だから映像では彼の姿が見えてるけど、相手にしたくない力だよ」

 

 レンズや鏡越しなら効果範囲内でも見えるのかも知れないが、メガネをかけただけで破られるようなら学年首席の座は取れないだろう。

 モールの事件で実際に桐原君の異能を目の当たりにしたステラは、苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「ほんといけすかない能力ね……。これに鼻をかけてムカつく態度を取ってるんだと思うと、腹が立ってくるわ」

 

 ステラは己に授かった才能の大きさを自覚している。けれど彼女は『それだけに収まる自分じゃない』と母国を飛び出し、日本にやってきた。

 才能に溺れず自らを磨く。まさしく英雄に相応しい道を歩むステラにとって、才能の上に胡座をかく桐原君は気持ちのいい存在ではないだろう。

 

 他人事のように言っている僕も、少しそう思っているんだけどね。

 

 内心で苦笑いを零すと、ステラは「あれ?」と声を零してリモコンを操作。

 試合開始から決着まで見直すと眉を顰めた。

 

「どうしてツヅリさんは見えないはずのアイツを撃って……るのよね?撃ててるのかしら」

 

 自信なさげに言ったのは、映像の中の言ノ葉さんは終始棒立ちだからだ。

 はたから見ると、言ノ葉さんの右腰から光が生まれただけで桐原君が倒れたように見えるので、ステラが戸惑うのは尤もだ。

 まぁ、この映像に限って言えば、言ノ葉さんの早撃ちはカメラのフレームに捉えられていないから、見えるはずがないんだけど。

 

 ステラの疑問に僕は答えた。

 

「言ノ葉さんは『気配を見た』って言ってたよ」

「え?でも気配は無くなってるんでしょ?何で見えるの?」

「うーん……実は言ノ葉さん自身もその技能をよくわかってないらしくて、そうとしか言いようがないって言われたよ」

「何よそれ」

 

 納得いかないのか首を傾げるステラ。

 言ノ葉さんの言動から武術の一つである《心眼》に近しいものだと推測しているけど、これは理屈ではなく感覚による技術だから上手く言葉にしにくいのだろう。

 強いて言えば、あくまで気配を感じ取れなくなるだけで、桐原君の気配自体は消えてないから、見えるものは見えるということか。

 

 そんな曖昧な情報だけでよく両耳というシビアな部位を狙い撃てたなぁと畏敬の念を覚えるが、何にせよ、残念ながら僕は《心眼》を心得ていないので、言ノ葉さんの攻略法は参考にできない。

 

 その事実を僕の口ぶりから悟ったのか、ステラの顔色がにわかに暗くなる。

 

「でも対策はある」

「っ!ほんと!?」

 

 転じてパッと太陽のような笑みを浮かべる。表情の変化が豊かで可愛らしい。

 

「《狩人の森》はあくまで桐原君自身を隠蔽する能力。攻撃手段である弓矢はステルスにできないんだ」

「それは確かな情報なの?」

「去年、実戦授業をちょっとだけ覗き見れることがあったんだけど、その時に見たよ。対戦者が何もないところからいきなり飛んでくる矢に悲鳴をあげてた」

 

 それが数少ない《狩人の森》の弱点だ。

 射出された弓矢が見えるなら、射手の位置も割り出せる。

 そこまでわかれば姿が見えなかろうが関係ない。

 

 そう。それで勝てる。勝てるんだ。

 今まで言ノ葉さんと散々訓練してきたじゃないか。それくらいの事なら簡単にできる。

 

 なのに、なぜ。

 ──僕の手はこんなにも震えているんだ?

 

「イッキ……?急にどうしたの、顔色がひどいわ」

「……そうかい?普通だと思うけど」

 

 精一杯の笑みを浮かべてみたけど、ステラの顔はますます険しくなる。

 どうやら笑みを作ることすらままならないらしい。

 それを自覚すると、今度は足が、肩が、頰が。体のあらゆるところが震え始めた。

 

 ステラが、震えを抑えようと固く組んだ僕の手に細い手を重ねた。

 驚くほど温かった。ならば、ステラにとってはそれだけ冷たく感じだろう。

 

「イッキ!」

 

 悲鳴をあげてベッドから毛布を引っぺがしてきたステラが、僕の体に巻きつけた。

 暑いわけじゃないのに、額から汗が流れる。服が背中に張り付く。息が乱れる。喉が乾く。

 

 突然僕の身に襲いかかった異常は、僕自身が一番わかっていることだ。

 

 桐原君との一戦は、僕の戦いだ。誰の思惑が絡むことのない、真剣勝負だ。

 僕の過去と未来、全てがかかった一戦に誰もつけ込む余地はない。

 正真正銘、僕一人の戦いだ。

 

 でも。だからこそ。

 その戦いに負けてしまった時、僕はどうなってしまうのか。

 

 それを考えてしまうのが怖い。それを考えてしまう自分が怖い。

 戦う前から自分が負けてしまっているようで、どうしようもなく怖いのだ。

 それを口にするのが怖い。言ってしまうと、ギリギリの所で立っている心が、どうしようもないくらいに崩れてしまいそうに思える。

 

 僕の意思に反して、僕の心が底なし沼の沈んでいく。飲み込まれ、食われそうになる。

 必死にもがき、手を伸ばしても変わらない。

 

 ──僕はどうしたらいい?

 

 その時、凍え切った頭の中にふと声が蘇った。

 

『自分にだけは負けちゃいけない』

 

 それは、今のように僕の心が壊れそうな時にかけられた言葉だった。

 

『挫けちゃいそうだなって思ったらボクに相談しなよ』

 

 それは、僕が一人で泣いていたときにかけられた言葉だった。

 

『弱音くらいなら聞けるから』

 

 それは、生まれてから誰にも認められなかった僕に、一人じゃないことを教えてくれた言葉だった。

 

 気づけば、青白くなるほど固く握られていた拳に血が通っていた。差し伸べられた手から受け取った温もりが蘇ったようだった。

 まだ震えは収まらないけれど、早鐘のように鳴っていた鼓動は落ち着きつつある。

 

 ──ありがとう、言ノ葉さん。

 

 僕の憧れであり、先を往く人に感謝を送る。

 

「……ステラ、僕の弱音を聞いてくれるかい?」

 

 僕の体を抱きしめて温めてくれていたステラに尋ねてみた。

 返事を聞くのが少しだけ怖かったけど、彼女は目の端に涙を浮かべて満面の笑みで答えた。

 

「当たり前よ!あたしはイッキの友達なんだから!」

 

 力強い返事に体の震えはついに収まったのだった。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。破軍学園理事長室にて。

 

「お前は今年から七星剣武祭に出るな」

「……え、なんで?」

 

 唐突に言い渡された命令に、思わず素で答えてしまった綴。

 しかし当然の反応だろう。いきなり呼び出しをくらったと思ったら、楽しみにしていた行事に出禁を食らったのだから。

 

 何せ、今年は一輝も参加するのだ。彼なら代表の座を勝ち取るのも難しくない。なら七星剣武祭の決勝で雌雄を決する、なんてことも考うる。

 ライバルと史上初の二連覇を掛けた対決。実に面白そうではないか。

 

 そんなことを目論んでいたところに出禁である。ショックなんてものじゃない。

 愕然とする綴に、たっぷりと紫煙を吐き出した黒乃が答えた。

 

「七星剣武祭運営委員会から連絡があってな。簡単にまとめると、あまりに一方的すぎて絵面が悪くなるからやめてほしいとのことだ」

「は、はぁ!?そんなの知ったこっちゃありませんよ!七星剣武祭は全国の学生騎士の頂点を決める式典ですよね?なら学生騎士最強が出場しないと話にならないじゃないですか!」

「まぁ落ち着け。言いたいことはわかる。だが、最強を決めるためだけで七星剣武祭を行なっているわけじゃないんだ」

 

 息巻く綴を鎮めた黒乃は、タブレットからとある資料を引き出し、ホロウパネルに映し出した。

 そこには七星剣武祭にまつわる金の運用について書かれている。

 

「伐刀者同士の戦いにはどうしても金が必要だ。会場費に保安費用、交通整備や委員会の人件費。とんでもない額が必要になる。そこで騎士連盟日本支部は放映権を競売にかけ、大会にかかる諸経費を──」

「難しいことは置いといて、ひとまずマスコミが悪いってことですね?」

「……まぁ、本当に大雑把に言えば、そうなるな」

 

 放映権あたりで目からハイライトの失せた綴に軽く引く。彼女のマスコミに対する恨みは深いのだ。

 

 事の顛末を簡単に言えば、去年放映権を獲得した出資者たちから「ツヅリ・コトノハは一瞬で勝負を終わらせる上に何をしているのかわからない」と猛烈なクレームが入り、運営委員会は金を得ている立場上逆らうわけにもいかず、綴の出場禁止が決まったのだ。

 

 本来ならそんなマナーのないクレームは出さないし、聞かないものなのだが、今年はステラという超大目玉が出場することが世界中から期待されているため、今年の七星剣武祭はもはや日本の式典だけに収まらなくなってしまったのだ。

 ステラの飛び抜けた才能から考えて、一般的に見れば綴といい勝負をしてくれそうに思える。しかし運営側は綴の対人特化の能力を知っているため、去年と同じ結末が起こることになると予想したのだ。

 

 もしかしたら世界中が注目している選手が一戦目で瞬殺されるかもしれない。そうなれば、なりふり構わず大金をつぎ込んできた出資者たちは黙っていられない。出資者たちが離れてしまうと今後の式典は成り立たない。

 結果として、綴一人が犠牲になった方が安いとなったのだった。

 

「ふーざーけーんーな!!」

 

 当然本人は納得できるはずもないが、もうすでに運営側が決定してしまったことだ。黒乃一人でどうにかできる話じゃない。もう諦めるしか道はない。

 野郎、ぶっ殺してやる。と運営に乗り込むことも辞さない綴だったが、黒乃は何とか宥めた。

 

「大会側の通告もそうだが、私個人としてもお前に出場してもらうわけにはいかない」

「……どうしてですか」

 

 すっかり不貞腐れた綴。対し黒乃は至極真面目な事情を話す。

 

「今年の七星剣武祭は危険なんだ。何が起こるかわからない」

「えぇ?どういう意味です?」

「さっきも言った通り、今年はヴァーミリオンが参加することが見通されているだけあって、世界中から注目を集めている。マスコミだけじゃない。世界の三大勢力である《同盟》も《解放軍》も然り。つまり、七星剣武祭の会場に刺客が紛れ込むことも考えられる」

「はぁ……またその話ですか」

「これは本当に重要なことなんだぞ。寧音に散々言われているだろうが、お前は国家レベルの重要人になったんだ。いい加減、その自覚を持て」

 

 黒乃の主張は真っ当なものだ。魔人というのは、世界中の国が喉から手が出るほど貴重な人材だ。

 なぜならいずれ来たる第三次世界大戦に備え、少しでも戦力を蓄えたいからだ。一人でも多く抱え込めれば、それだけ有利になる。

 

 しかし、逆に相手国の魔人が一人でも減れば、それだけアドバンテージも得られるのだ。

 

 今回の七星剣武祭は世界中から観客が来る。それだけ刺客のカモフラージュも効く。

 いくら黒乃と言えど、それだけの観衆に潜む刺客を察知するのは至難だ。まして、その刺客が魔人だった場合、至難どころか無理になる。

 

「はぁ……もうわかりましたよ。ボクは一人悲しくここで射的してますよ……」

 

 萎えに萎えた綴が七星剣武祭の参加決意を投げ捨てたところで。

 

「いや、お前は七星剣武祭の会場の護衛についてもらうことになる」

「もおおおお!!なんでボクがそんなことしなくちゃいけないんですかぁ!!」

 

 綴、ついにキレる。

 待ちに待った七星剣武祭を取り上げられた挙句、慰めの射的すら取り上げられれば当然である。

 

「私は七星剣武祭の観客を守る伐刀者として参加することになっている。そして私はお前の監視役でもある。だからお前を連れて行くしかない」

「変に縛ることはないって言ったじゃないですか!それに刺客たちの集まりに連れて行くって正気ですか!?」

「無論正気だ。仮にお前をここに置いて行ったとして、もしここに刺客が来たらどうするつもりなんだ。それに会場には私だけじゃなく寧音や連盟の騎士たちが控えている。無防備にさせるより遥かにマシだ」

 

 未だに自分が重要人という自覚を持てない綴だが、黒乃の言い分はわかる。

 わかるが、萎えている手前、素直に認めたくない。

 

「でも……」

 

 ここで綴が何と言おうと連れて行くので、

 

「そんなに射的したいならホテルの部屋ですればいいだろう」

 

 と、投げやり気味に言うと。

 

「……あ、その手があったか。なら行きます!」

 

 コロっと態度を変えてニコニコする魔人に、密かにため息をつく。

 チョロすぎる。

 

「納得してもらえたならなによりだ。それで話は変わるが、先生との話はどうなった」

「そのことでしたら、依然として断ってますけど」

 

 先生、というのは黒乃の学生時代の教師だった者のことだが、現在彼はこの国の首相を務めている。

 異例のスピードで成り上がった彼から綴はとある依頼を頼まれているのだが、その内容が力を貸して欲しいという大変曖昧なもので、迂闊に承認しようものなら何に巻き込まれるかわからない。

 生徒だった身として彼を信じてはいるものの、綴の監視役としては信用ならない。例えこの国のトップだったとしてもだ。

 

 去年の今頃……そう、ちょうど綴が七星剣王になった後からちょくちょく連絡をよこす彼に言い得ぬ不信感を抱く。

 寧音の言葉が脳裏に蘇るからだ。

 ひとまず保留にするよう綴に言ってあるが、こちらも警戒せねばなるまい。

 

 堪らず大きなため息を零す黒乃だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話

 黒鉄君にとって初めての公式戦となる代表選抜戦は、第四訓練所で午後一時半から開始である。

 選抜戦期間中の授業は午前中のみとなり、午後から夕方まで選抜戦が行われるため、選抜戦もクソもなくなったボクは黒鉄君の試合を見物しにいくことにした。

 

 彼にとって、非常に大きな意味のある一戦だ。変に緊張して調子が崩れているかもしれない。

 そんな心配もあって試合会場に来た黒鉄君に声をかけたのだけど、

 

「言ノ葉さん、来てくれたんだ」

「勿論だよ。……何かあった?」

 

 いつもより清々しい笑みを湛えていた。いつも微笑みを絶やさない彼だけど、それよりもちょっと明るい気がする。

 ボクが尋ねると、黒鉄君は嬉しそうに「わかるかい?」と返した。

 

「実は昨日、緊張で調子を崩しちゃったんだけど、ステラに弱音を聞いてもらったらサッパリしたんだ」

 

 へぇ、そんなことが。道理で隣に付き添うステラさんもご満悦なわけだ。

 お兄ちゃん大好きっ子の珠雫は少し複雑そうに表情を困らせていたけど、黒鉄君の助けになったと認めているのか、何も言わずに黙っている。そんなルームメイトをあらあらと微笑みながら見守るアリスさんは相変わらずだ。

 

「ありがとう、言ノ葉さん。キミには助けられてばかりだ」

「え?ボクが何かした?」

「初めて会った時に言ってくれた言葉が僕に勇気をくれた。あの言葉がなかったら、きっと僕は一人で抱え込んで潰れていた。だからありがとう」

 

 初めて会った時というと、黒鉄君が泣いちゃった時のことかな。相談に乗るよ、くらいしか言ってなかった気がするけど、彼がその言葉に救われたと言っているのなら、素直に受け取っておこう。

 

「じゃあ僕は少し早いけど控え室に行くよ」

「試合は見に行かないの?」

 

 黒鉄君の前の人がリング上で戦っているが、黒鉄君は静かに首を横に振った。

 

「今は自分の試合に集中したいから。それじゃ、行ってくるよ」

「お兄様、必ず勝ってくださいね」

「昨日も言ったけど、あたしに勝ったイッキなら余裕よ!気弱になるものなんかないわっ!」

「気をつけてね」

 

 三人の励ましの言葉を受け階段を降りて行く黒鉄君。

 その背を見送るボクに、アリスさんが小突く。

 

「何か言ってあげないの?」

 

 どうやらボクが黙っていたのを見かねたらしい。

 けれど、それは無用の心配だ。

 

「言う必要がないからね。黒鉄君は勝つよ。彼の実力は誰よりも知っているから」

 

 ボクの射撃を平然といなしてくる人が、桐原如きに負けるはずがない。火を見るよりも明らかだ。

 そう断言すると、アリスさんは「そう」と安心したようなため息をつく。

 

「あたしね、珠雫から一輝の家での処遇について聞いていたのよ。そんな過酷な環境で耐え抜いて来ている彼が、どうしてあんなにこやかにしていられるんだろうってずっと疑問だった。最初は自分の心の悲鳴に気づかないほど磨耗しているのかと思ったけれど、そうじゃなかったみたいね」

「ボクが黒鉄君と出会った時点で相当参ってたけどね」

「でしょうね。だからこそ、綴ちゃんの支えは大きかったはずよ。あたしが言うのも変だけど、彼の悲鳴を聞いてくれてありがとう。これからも支えてやって頂戴」

 

 そんな真剣にお礼を言われても困る。ひとまず了解の笑みを返しておく。

 知り合って間もないだろうに、そんなに黒鉄君のことを心配していたのか。

 

 不思議な人だと今更ながらに感じた。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 結果から言うと、圧勝だった。

 《落第騎士》の負け姿を野次りに来た観客が困惑のあまり黙り込むくらい圧勝だった。

 

 しかも、かつてボクがやったように、桐原に先手を譲った上で。

 

 去年から成長したのか《狩人の森》によって射出した矢すらもステルスにしてきた桐原だったが、《一刀修羅》を使った黒鉄君の前では全くの無意味だった。

 あっという間に桐原を追い詰めて、桐原に降参させたのだった。降参寸前にもの凄くダサいことを口走っていた気もするが、どうでもいいことだ。

 

 ボクのように『気配を見る』ことはできないと言っていた黒鉄君がどうしてステルスの桐原を追えたのか聞いたところ、「矢に乗った殺気を辿って桐原君の思考を読んだ」とのこと。

 

 うん、全く意味のわからない攻略法だよね。そんな曖昧なものだけで、よく桐原の位置を割り出せるものだ。

 相変わらず人間をやめている黒鉄君に呆れたボクだったが、それを聞いて彼は「言ノ葉さんにだけは言われたくない」と返された。

 お互い様だったか。

 

 そんなわけで無事に一戦目を突破した黒鉄君は、プラスの意味で有名になった。

 彼に対する生徒の認識は、《落第騎士(ワーストワン)》から《無冠の剣王(アナザーワン)》に昇格しているらしい。どうでもいいけど、二つ名で評価をする文化やめません?

 去年とは雲泥の差である。黒鉄君の一年間──いや、今までの人生が報われているのだろう。ボクとしても喜ばしい。

 

 一方で、七星剣武祭に出禁を食らったボクはというと──

 

「むぅ……」

「あら、あなたが嫉妬なんて珍しいわね」

「いやぁ、他の子に構ってるくらいなら、ボクと訓練してほしいなぁと思っちゃうんだよね」

「あなたらしいわね。全く邪心が混ざってないあたり、本当に。珠雫にも見習わせたいわ」

 

 アリスさんとベンチに座って粘土を捏ねていた。

 これは魔術をメインとする伐刀者が行う魔力制御の訓練で、粘土を魔力を使って整形していくのだ。

 ステラさんは黙々と素振りをしており、珠雫さんは諸事情で席を外している。

 

 そんなことより、ボクは口をへの字にして目の前の光景を眺めているのだ。

 

「フッ、ハァッ!」

「綾辻さん。ちょっと止めて」

 

 黒鉄君と稽古として打ち合っていた黒髪で片目を隠した小顔が特徴の女性が、戸惑いながら手を止めた。

 彼女は綾辻(あやつじ)絢瀬(あやせ)さん。三年生の先輩である。

 

 つい先日、ひょんなことから綾辻先輩に剣術の稽古を頼まれた黒鉄君は放課後にこうして彼女を指導している。

 が、その指導する場所はいつもボクが射的しているところでもあり、黒鉄君と訓練しているところでもある。

 

 それが今の状況だ。訓練相手を盗られてしまったボクは寂しくアリスの訓練を一緒にやっているというわけだ。

 たまには射的以外もやってみるかと思ったけど、やっぱりスッキリしない。黒鉄君と綾辻先輩がイチャついているせいかもしれない。

 

「あら上手ね。これは銃かしら」

「うん。ボクの霊装をデザインしたよ」

 

 霊装と作り上げた粘土の銃を並べて比べてみる。ボクの霊装の方がかっこいいな。

 射的しかしてこなかったボクだけど、射撃する弾は魔力だ。撃っているうちにある程度の魔力制御もできるようになっており、粘土を捏ねるのもお手の物だ。

 

「あと一回矯正すれば大丈夫そうだ。そこに構えてくれるかな」

「う、うん……」

 

 刀身に淡い赤を帯びた日本刀の霊装《緋爪》を構えた綾辻先輩の顔が蛸のように真っ赤に染まる。

 そばに跪いた黒鉄君は「我慢してね」と断りを入れて、綾辻先輩の足に手を添える。

 

 これは決して変なプレイではなく、綾辻先輩のフォームを彼女に最適な形にするための矯正らしい。

 ボクにはただセクハラしてるようにしか見えないけど、これで綾辻先輩のキレも格段に良くなっている。

 

 ……うん。ひじょーに面白くない。

 胸の内にモヤモヤしたものが広がる。射的でもすれば晴れるだろう。

 

 ──パン。パン。パン。

 

「……よし、だいぶ身についてきているね」

「本当にありがとう黒鉄くん。ボクのためにここまでしてくれて」

 

 ──バンッ。バンッ。バンッ。

 

「体に染み付いた型を違うものに完成させるのは並大抵のことじゃない。綾辻さんの努力あってのものだ」

「二年間ずっと悩んでたことをこんなにすんなりと解決できるなんて、黒鉄くんは剣術博士だね!」

 

 ──ズバァン!!ズバァン!!ズバァン!

 

「う、うん……。あの、言ノ葉さん?」

「何かな、黒鉄君」

「その、いつもより魔力込めてるね」

「そうだね。いつもの三倍込めて撃ってるからね」

「……なんで怒ってるの?」

 

 キッと思い切り睨みつける。心なしか黒鉄君の防御力が下がった。

 彼の隣に立つ綾辻先輩は身を縮こませる。

 

「ボクはね、今ものすごく寂しいんだ。いつもなら軽く準備運動をして黒鉄君と訓練しているころだよ」

「その、ごめんね言ノ葉さん。()()が黒鉄君を盗っちゃったみたいで」

「それは良いんです。黒鉄君の実力が認められ始めた証拠だし、それはボクとしても喜ばしいことなんです。けれど……」

 

 目を綾辻先輩に移すと、彼女の口から小さな悲鳴が漏れる。

 

「なんでボクと同じ一人称なんですか!!」

「し、知らないよ!?」

「口調も似た感じだし、背も同じくらいだし!全体的にボクとキャラが被ってるのが許せない!」

「そんなのボクに言われても……」

「すっごく理不尽なことを言ってる自覚はありますが、これだけは言わせてください。ずるい!ずるいですよ!ポジションが入れ替えられたような感じがして、とっても寂しいです!!」

 

 言われた綾辻先輩の顔が困惑を通り越して呆れに変わりつつある。

 そう、彼女はボクと同じ、いわゆるボクっ娘である。ボクのアイデンティティになりつつあった一人称が、まさかの被ったのだ。

 ボクのこれはお父さんの口調がうつったのが原因なんだけど、それなりに気に入っていたのだ。もともと銃に染まったのも自己同一性の確立だったし、ちょうどよかった。

 

 なのに。なのに!ここにきてまさかのキャラ被り!しかも、黒鉄君とつきっきりで稽古を付けてもらっている。

 まるでボクが綾辻先輩と挿げ替えられた気分だ。楽しそうにやっているのを見るぶん、余計に堪えるものがある。

 

 銃にしか興味のなかったボクが、こんなことで嫉妬する日がくるなんて。ステラさんのこと言える立場じゃなくなってしまった。

 それだけボクは黒鉄君との訓練にハマっていた証拠である。

 

 そんなボクの情けない訴えに、黒鉄君は何とも言えないという表情でボクと綾辻先輩に視線を往復させる。

 綾辻先輩は申し訳なさそうに肩を狭めた。

 

「ごめんよ、言ノ葉さん。その、キミの気持ちを汲み取れなくて……」

「ボクもすみませんでした。いきなり言われても困るだけですよね」

「ううん。彼氏が知らない女と一緒にいるのは気分が悪いよね。次から気をつける」

「いえ、彼氏とかそんなのじゃ全くないので」

「そんな真顔で否定しなくとも……」

 

 最後のは黒鉄君のつぶやきである。アリスさんは笑みを噛み殺して粘土をいじくっている。

 ボクの否定に目をパチクリと瞬かせた綾辻先輩。

 

「えっ、違うの!?」

「はい。彼とは親友ですが、恋愛要素は一切ないですよ」

「へぇ……。男女の関係って恋愛感情抜きでは語れないと思ってたけど、そんなこともあるんだね……」

 

 物珍しそうにボクと黒鉄君を見やる綾辻先輩。

 

 この人は初見の男性と目を合わせることすらできないくらい男性を意識してしまうらしいのだが、それは苦手というわけではなく、むしろ大好きだから恥ずかしくなって合わせられないらしい。

 黒鉄君のときも全力で顔を背けていたのは印象的だ。三日もすれば普通に接することができていたけど。

 それくらい男女関係に興味津々で、寧音の言葉を借りるとむっつりスケベというやつだ。

 ちなみに彼女も自認している。

 

 そんな彼女なら誤解してそうだから、この際はっきりと断っておいた。

 そうじゃないと、いつか巡り巡って珠雫さんに殺されかねないからね……。

 

「でも、そういう関係もいいね!何だか微笑ましいよ」

「ボクも結構気に入ってるんですよ。ボクについて来れるのは彼くらいですし」

「そっかぁ……ならボクが独り占めするのはマズかったよね」

「まぁ、本音を言えば寂しいんですが、綾辻先輩も自己鍛錬のために黒鉄君に教えを受けているのは知っているので我慢します。面倒臭い人でごめんなさい」

「ううん、言ってくれてよかったよ。ボク、言ノ葉さんのこと《七星剣王》ってことしか知らなかったから勝手に堅い人なのかなって思ってた。けど、実際は親しみやすい良い人だって知れたから」

「……何だか恥ずかしくなってきました。何であんなに荒れちゃったんだろ」

「それだけ黒鉄君が大事だからだよ。ボクも邪魔する気はないから、折を見て交代するよ」

「本当ですか!?」

「お陰様で悩みの種は解決したしね。矯正してもらった型を一人でもアジャストできるようになるべきだし、ちょうど良かった」

 

 最初の空気はどこへ行ったのやら。いつの間にか綾辻先輩と仲良く話しており、ボクっ娘同士よろしくと握手すら交わした。

 当事者なのに置いていかれた黒鉄君はというと、寂しそうにアリスの隣でボクの作った銃を眺めていた。

 ボクと立場が完全に入れ替わっている。

 

「ご、ごめんよ黒鉄君!邪魔した挙句放っておくなんて」

「……少し言ノ葉さんの気持ちがわかったよ。ちょっと寂しいね、これ」

「黒鉄くーん!」

「ふふっ。あたし完全に空気にされてたけど、面白かったから良しとするわ」

 

 一番除け者にされていたアリスさんが一番楽しそうなのが不思議である。

 

 そのあとはボクと黒鉄君がいつもの訓練をして、それを綾辻先輩が見学していった。

 改めて黒鉄君のデタラメさ、もとい実力を思い知ったのか目をキラッキラさせて興奮していた。

 

 そして、先ほどのボクたちの会話を踏まえて、黒鉄君が今度の休暇に鍛錬を兼ねてプールに行くことを提案した。

 何でも、綾辻先輩の体は使い慣れていない筋肉を動かしているせいで自覚しているより疲労が溜まっているらしい。そのため筋肉を休めながら鍛錬できる修行をするんだとか。

 

 モールでアリスさんが言っていたことが早くも実現したため、彼に感謝しながら同行することにした。

 剣術の鍛錬は門外漢だったから参加出来なかったけど、これなら混ざれそうだし、黒鉄君の鍛錬にも興味があった。

 

 ……そう言えば、ステラさんはどこに行ったんだろうと周りを見渡せば、少し離れたところで涙目になりながら霊装の大剣をぶん回していた。

 一生懸命素振りでアピールしていたらしいのだが、全然気づかなかった。

 除け者どころか存在を忘れられていた彼女に全員で謝ったのは当然の流れだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話

 翌日、綴たちは学園近郊にあるスポーツジムの屋内温水プールにやってきた。

 もちろん破軍学園にもプールはあるのだが、二つあるプールの片方が掃除中で一方は講義に使われているので、こうして外出したわけである。

 

 さて、往々にして女子は準備に時間のかかる生き物で、それは綴たちにも当てはまることであった。

 

「うっわ、ステラさんそれ攻めすぎでしょ……」

「う、うるさいわね!ちょっと力入れただけでしょ!?」

「あはは。零れちゃわないか心配だね」

 

 綴が思い切り頰を引きつらせて眺めているのは、ステラの水着姿である。

 普通のビキニと比べても明らかに布面積が少なく、歩くたびに暴力的な双丘が踊り出しており、男性が見れば悩殺されそうである。

 白い肌を際立たせるような黒い紐ビキニは、同性の綴から見ても赤面ものだ。そんなものを着て人前に出れる気がしれない。

 

「そうまでして黒鉄君の意識を引きたいのかい?」

「うぅ……だって最近ライバルが増えてきてるんだもん……!」

「言わんとすることはわかるけど、一応鍛錬という名目で来てるんだから、もう少し運動に適した水着にしときなよ」

 

 ステラはどうやら一輝に気があるらしい。

 そのことをステラから相談された綴。しかし彼女も恋愛とは無縁の生活を送っているので空回りしたのだが、『一緒にいればそのうち黒鉄君からアプローチがあるよ』という言葉を信じ、こうしてステラも鍛錬に付いてきたのだった。

 まぁ、傍にビーチボールを持っている時点で、ステラの目的は明らかなのだが。

 

 それにしても、ここまでの暴挙に出るとは思っていなかった綴は頭を抱えた。

 

「あとここ市民プールだから、当然他の客もいるんだよ?そんな姿見られて恥ずかしくないの?」

「恥ずかしくないわ!だって水着だもの!」

 

 皇族らしく堂々たる宣言である。

 水着ゆえに肌が露出するのは仕方ないにしても、限度というものがあろうに。

 綴の感覚ではステラのそれは完全にアウト。絢瀬の着ているスポーティなデザインのセパレートくらいが普通。

 それは絢瀬も同じようで、ステラの煽情的なそれに固唾を飲んでいる。

 

 こんなところで皇族と一般人とのズレがあるなんて、と見当違いな戦慄を覚える。

 実は自分でも狙いすぎたという自覚のあるステラは、それを誤魔化すために矛先を変える。

 

「ツヅリさんは想像通りというか、納得する水着よね」

「そうだね。ボクも何にするか気になってたけど、イメージ通りだ」

「アリスさんが選んだんだけどね。ボク好みで気に入ってる」

 

 ゆったりしたサイズの長袖のラッシュパーカーにショートパンツという露出が控えめの格好だ。

 ジップアップを胸元あたりまで開けているため、インナーが少しだけ顔を覗かせる。

 裾から伸びる長い足は本来のものより更に長く感じさせる。

 そこだけが肌の露出となっているため、自然と視線を集めることになる。元から美脚であるため、釘付け間違いなしだ。

 実用性を考えればラッシュガードが相応しいが、鍛錬の内容が『水中を漂うだけ』らしいのでこちらを採用した。

 

 ひとしきりお互いの水着について語ったところで、彼女たちはプールサイドに出た。

 

 瞬間、あちらこちらから視線が殺到するのを感じる綴。

 無理もない。控えめに言っても絶世の美女であるステラが挑戦的な水着を着ているのだから、目がいかないわけがない。

 初めて一般開放されたプールに来た綴にとっては肩身の狭い感覚だ。早々に一輝の元に向かう。

 

 ……尤も、綴本人の自覚がないだけで、不躾な視線は彼女にも注がれているので逃れることはできないのだが。

 

「おまたせ黒鉄君。やっぱりステラさん凄いね」

「う、うん。凄く綺麗だ……」

 

 お、これは好感触じゃないか。もともとずば抜けた美貌を持っているから当たり前と言えば当たり前だが。

 

 ──頑張れステラさん。狙い通りだぞ!

 内心でグッと親指を立てる。

 

「言ノ葉さんもよく似合ってるよ」

「それこの前も聞いたよ」

 

 一輝には水着を選ぶときに見てもらっているから、目新しさはないだろう。

 その意味を込めて返すと、一輝は頰を掻きながら言った。

 

「そうだけど、改めて見るとどうしても言いたくてさ。本当に綺麗だ」

「……面と向かって言われるの恥ずかしいね。まぁ、ありがとう」

 

 はにかみながら一輝の隣に腰を下ろす。プールのあちこちから舌打ちが上がったが、彼らの耳に届くことはなかった。

 ざっとプールを見渡していたステラが苦笑を浮かべる絢瀬を連れてやって来た。

 

「思ってたより人が少ないわね。まだプールの時期じゃないからかしら。まぁいいわ。思いっきり遊ぶわよ!」

「いや、遊びに来たわけじゃないんだけどね」

「あ、そうだった。鍛錬だったわよね、うん」

 

 あははと頭を掻いて誤魔化すステラ。

 さっきボクが注意したばかりじゃないか。綴が半目でステラを睨む。

 

(仕方ないじゃないの!センパイには悪いけど、アタシはイッキと遊びにきたのよ!)

(ふーん。まぁいいんじゃない?黒鉄君は鍛錬に真剣な人が好きだと思うけど、遊びに来たステラさんには関係ないことだよね)

(うわぁぁん!!ゴメンなさい真面目に鍛錬しますぅ!!)

 

 不思議なことに目線だけで会話が成立したのだった。

 そんなやり取りを尻目に、絢瀬は尋ねる。

 

「それで黒鉄くん。鍛錬って何するの?やっぱり泳ぐのかな?」

「いや、今日は筋肉を使わない鍛錬をする。簡単に言えば、クラゲのように水中を漂うだけ」

「そ、それって鍛錬になるの?」

「なる。意識の持ち方が重要なんだ」

 

 曰く、水中では自分自身がとても近くに感じられる。

 綴と絢瀬は疑問符を掲げたが、ステラは合点がいったように頷いている。

 

「たぶんやってみた方が早いと思うよ。立つために込める力も、視界の景色を見て理解するための意識も、全部忘れて自分の内側に意識を向けるんだ」

「……よくわからないけど、やってみる」

 

 鍛錬の意図こそ理解できないものの、一輝のことを全面的に信頼している絢瀬は、大きく息を吸うと水中に身を沈めた。

 見届けた綴は一輝に問う。

 

「どれくらい潜っていればいいの?」

「言ノ葉さんは肺活量を鍛えてないから、息苦しくなってきたと思ったらすぐに上がって。これは肺活量を鍛える鍛錬にもなるから」

「わかった」

 

 射的しかしてこなかった綴は精々一分が限界だろう。無理をさせても逆効果なので、綴には普通の鍛錬を言い渡す。

 

「それと言ノ葉さんはいつもの自然体で水中に漂うことを意識してみて」

「う、うーん……言われてみると難しいような」

「水中で早撃ちをする感覚で、と言うと出来そうじゃない?」

「なるほどね。それなら簡単だよ」

 

 綴が曖昧なことを説明されて理解に苦しんだとき、大概銃に置き換えて説明すると上手くいくことを知っている一輝は、言ノ葉さんは言ノ葉さんだと謎の満足感を覚える。

 そして、潜った綴の隣で『仲間になりたそうにこちらを見つめている!』という吹き出しが入りそうな目を向けているステラに一輝は、

 

「まずボールをしまおうか」

「なんでアタシだけ!?」

「ステラだけが遊びに来てるからだよ……」

 

 それもあるが、実際のところステラはこの鍛錬をする意味がないのだ。なぜなら、すでに彼女はこの鍛錬を通して学ぶものを会得しているから。

 己の内側へ意識を傾けることによって、筋肉の微動を始め血の巡りや神経伝達の機微を感じ取る。いわば精神統一のようなもので、これにより一つの無駄な動きや非合理な動きを削ぎ落とすことができる。

 

 これが出来ていないからこそ絢瀬は二年間悩んでいた。故に一輝はこの鍛錬を提案したのである。

 対して、ステラはこれが出来ている。適当にスウィングしても勝手に最適のアクションにアジャストされるくらい、彼女は完璧にマスターしているのだ。

 

 なので、改めてこの鍛錬をさせたところで復習にもなりやしない。

 ならば肺活量はと思うだろうが、これが不思議なことにステラは一輝の十倍以上の肺活量を誇る。

 鯨か何かかという疑問はさて置き、やはりこれも意味がない。

 

 つまり、この場に於いてステラに有効な鍛錬をさせることは出来ないのだ。あまりに彼女が優秀なために。

 そのことを懇切丁寧に説いた一輝は、ステラからビーチボールを取り上げた。

 

「じゃあ僕はこれをしまってくるから、それまでステラは二人を見てやってくれないかな」

「むむむ……っ!!」

 

 やる事なす事が空回りするステラは口をへの字に曲げて一輝を見送った。

 綴に鍛錬のためにプールに行くんだよと念押しされていたのに、遊ぶつもりでついて来たのが悪いのだが。

 

 しかし、この水着に関して触れられないのは物申したい。

 綴には反応していたのに、アタシには何も言ってくれなかった。それどころか、なるべく視界に入らないように立ち回ってる節まである。

 ……後半はステラが男性にとって目に毒な姿をしているからなのだが、恋する乙女には気づかない。

 

「むぅ……ツヅリさんばかりズルい……」

 

 今にも早撃ちが閃きそうな姿勢で水中を漂っている綴を見て、密かにため息を零す。

 

「何がズルいの?」

「ミキャ!?」

 

 背後からいきなり声をかけられたステラの口から奇妙な悲鳴が漏れる。

 振り向くと、ニマニマと笑う恋に恋する乙女が。

 

「やっぱりヴァーミリオンさんって黒鉄くんのことが好きなんだー」

 

 あぁ、これは誤魔化せないヤツだ。静かに悟ったステラなのだった。

 なお、綴は黙々と漂うだけである。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 少しばかり色恋沙汰で騒いだことがあったが、概ね充実した鍛錬を終えた綴たちが外に出た頃には、すっかり日が落ちていた。

 空腹を感じた一行は、寮に戻る前に町で夕食をとることに。

 一輝は女性陣に何か食べたいものはないか尋ねたが、案の定特にないとのことなので適当なファミリーレストランに案内した。

 

 一輝は大盛りきつねうどん。綴はサイコロステーキ。絢瀬は鮭定食。

 ここまで普通だったのだが、ステラはなんとミックスグリルを四人分とステーキ三枚を注文。

 注文を承りに来たバイトが思わず聞き直したのも納得である。

 

 実際に料理がテーブルに並ぶと壮観の一言。

 本当に食べきれるのかと疑念の眼差しを向ける綴。しかし毎日の食事を共にするルームメイトの一輝はステラの大食いを知っているので、何事もないようにうどんを啜る。

 

「ヴァーミリオンさんってよく食べるね……」

「……仕方ないでしょ。これくらい食べないと体が動かないのよ」

「これ全部エネルギーになっちゃうのか……」

 

 体重や体脂肪などあまり気にするタチではない綴でも、さすがに心配になる量だ。

 その心中を鼻で笑うが如く、バクバクとカロリーたっぷりの夕食を平らげる。

 細身からは考えられない怪力はここから来ているのかと妙な納得をする。

 

 健啖ぶりを見せつけるステラを見て、絢瀬は楽しそうに笑う。

 

「今日は……ううん、今日もとても勉強になった。黒鉄くんと一緒に修行するようになって、毎日が発見と成長だらけだよ。父さんから教えてもらった奥義を使いこなすにはまだまだ未熟だけど、でも少しずつ父さんに近づけてる実感がある。本当に感謝してもしたりないよ」

「すべて綾辻さんの努力あってこそだよ。それに綾辻さん一人でもいずれは気づいていただろうし、その奥義にもいずれ至れていた。僕は少し背中を押しただけだから、恩に着ることはないよ」

 

 少し押してくれたからこそ綾辻先輩は感謝しているんだよ、と綴は内心で呟く。

 見え透いた謙遜なんかではなく、本心から些細なことだと思っている一輝。

 そんなところが彼らしいと密かに笑みをこぼしたところで、ふと視界に入った男に目を凝らす。

 

「──だから、なんとしても代表戦に勝ち残らないといけない。七星剣武祭に出て、奪われた大切なものを取り戻すために」

 

 やけに熱のこもった決意を見せる絢瀬を見つけたその男は、まっすぐこちらのテーブルに向かって来た。

 この男を、綴は知っていた。

 

「ハハッ。どっかで見たツラだと思えば、絢瀬じゃねェか」

「……倉敷(くらしき)蔵人(くらうど)

「アン?」

 

 低く呟かれた名前に、その男は反応した。

 そして綴の顔を見た男は「げぇ」と遠慮なく顔を顰めてみせた。

 

「綴じゃねェかよ……!?」

「気安く名前で呼ぶな。何でキミがここにいる」

「それはオレのセリフだ!」

 

 突然の来訪者に困惑していた一輝が視線を投げかけて来た。

 チラリと隣を見ると、絢瀬が俯いて唇を噛んでいる。

 真面目な彼女にとって、この手の輩は苦手でしかないだろう。

 なるべく早く追い払いたい。

 

「去年の七星剣武祭でコイツと当たってね。ちょっとした顔見知りさ」

「七星剣武祭!?こんなヤツが!?」

「ハッハー。言ってくれるな皇女様よぉ」

 

 下品な笑いを零す蔵人を睨みつけるステラ。

 

 こんなチンピラが七星剣武祭の代表ですって?

 そんな気持ちがありありと伝わってくる目に、綴が補足する。

 

「で、ボクに負けてベスト8止まりのヤツが、一体何の用かな」

「チッ、イケすかねぇヤツだ」

 

 ふかしていた煙草を指で挟み、わざと紫煙を吐きつける。

 

 ベスト8と言っても、それは凄まじい成績であることは明白だ。

 簡単な話、星の数ほどいる学生騎士の中で上から八番目に強いという意味なのだから。

 

『ねぇクラウドぉ、誰と話してんのー?』

『早くゲーセンいこうぜぇ』

『お?絢瀬ちゃんじゃないのぉ。おっひさー!』

『最近遊びにこないから心配してたんだぜ?ギャハハ』

 

 ゾロゾロと蔵人の連れらしきアウトローな風体の若者たちがテーブルに集まってくる。

 すげなく追い払うつもりだったのに、面倒が更に増える。楽しい気分で食事していたのに完全にパーだ。

 それにもともと不良は嫌いである。出来れば話したくもない。

 

 ジリジリとイラつきが燻る綴だが、一方で度々絢瀬の名が彼らの口から出ることから、彼女と何らかの関係があるのかと考える。

 しかし絢瀬は何かに耐えるように不良たちの言葉を無視して俯き続ける。髪から覗く口元はキツく結ばれている。

 それを目敏く感じ取った一輝は、素早く行動を取った。

 

「悪いけど連れが嫌がってる。離れてくれないか」

『アァン!?なんだテメェは!?』

『ナマ言ってっと殺すぞ!』

 

 外野ががなりたてるが、一輝は相手にしない。

 相手にすべきはこいつらのリーダー格である蔵人ただ一人だ。

 すると、蔵人は一輝を興味深そうに睥睨し、不思議なことを尋ねた。

 

「テメェ、剣客か」

「わかるのかい?」

「ハッ、何となくな。テメェらには独特の気配がある」

 

 呟くと、蔵人は一輝たちの近くで食事をしていた家族客のテーブルから、ビール瓶とグラスを取り上げると、

 

「悪かったなブラザー。食事の邪魔してよ。そこにいるのが懐かしい顔だったもんで、つい気安く話しかけちまった」

 

 グラスにビールを注ぎ、一輝の前に置いた。

 

「コイツは詫びの印だ。受け取ってくれや」

「悪いね」

 

 目の前で堂々とかっぱらって来たものをよくもぬけぬけと。

 しかし事を荒だてたところで不愉快な時間が続くだけだ。文句を飲みくだし、一輝はグラスに手を掛ける。

 

 たとえ、蔵人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()としても、場を流すために無視するだけだ。

 

 数瞬後に後頭部へ襲いかかる衝撃に備えた一輝だが──

 

「ッ!?」

 

 突如、尋常ならざる剣幕で大きく後ろに跳んだ蔵人。跳んだ先のテーブルが音を立てて崩れ、皿からこぼれた料理が床を汚し、客が悲鳴をあげる。

 そんなことは眼中にない蔵人の鋭い目は、普通に座っているだけの綴を捉えていた。彼の額には俄かの汗が滲んでいる。

 

 蔵人の奇行に取り巻きの不良やステラは困惑するも、一輝は正確に理解していた。

 

「使用許可もないのに霊装を出しちゃダメだよ、言ノ葉さん」

「犯罪の現場と緊急事態に限っては認められてるんだよ、黒鉄君。今回の場合は暴行未遂と営業妨害だ」

 

 軽口を叩く調子でやり取りする二人。すでに店内はこの騒動によって静まり返っているため、よりシュールさを際立たせた。

 だが、蔵人は内心で冷や汗を流す。

 

 ──チッ。このオレが霊装を()()()ことにしか気づけねぇとはな。相変わらずイカれた野郎だ。

 

 蔵人が瓶を振り上げた瞬間、綴は霊装の銃を取り出し、蔵人の額に照準を合わせ、何もせずにしまったのだ。

 あまりに早すぎた脅迫行為に、蔵人と一輝以外は気づかなかっただけの話。

 

 これだ。オレが七星剣武祭で負けた原因は。

 このオレが何も出来ねぇまま戦闘不能にされた芸当を、また食らった。

 その事実に怒りが湧いてくる。

 

 ……蔵人には《神速反射(マージナルカウンター)》という特殊体質が備わっている。

 常人の反応速度はおよそ0.3秒と言われている。鍛えれば0.2秒に迫り、一流アスリートらは0.15秒あたりまで縮まる。

 これはどんなに鍛えても0.1秒を切ることは不可能とされており、つまりそれが人間の限界である。

 

 しかし、蔵人のそれは0.05秒。限界を逸脱した反応速度を先天的に備えていたのだ。

 論理的に言えば、人が一つのアクションを起こす間に、蔵人は二つから三つのアクションを行うことができる。

 悪魔のような才能。究極の後だしジャンケン。それを可能とするのが《神速反射》だ。

 

 これにより数多の剣客や道場を潰して来た蔵人だったが、去年の七星剣武祭で初めて反応できなかったモノに遭遇した。

 それが綴の早撃ち。

 絶対の自信を寄せていた才能を嘲笑うかの如く潰して来たあの早撃ちが、蔵人は苦手だった。

 

 人間の限界をはるかに超越した早撃ち。

 これが斬撃であり剣客であれば文句なしで最高だったのだが、生憎彼女はガンマン。蔵人が望む剣による尋常な死合いはできない。

 そんな惜しさもあって、綴に苦手意識を持っていた。

 

 銃を向けられたと感じた瞬間がむしゃらに跳んだために、他の客たちのテーブルに突っ込んでしまった。

 これにより店内の客という客が蔵人たちを遠巻きに見ており、その影で店員たちが電話を片手に成り行きを観察していた。

 

 明らかに分が悪い。絢瀬に軽くちょっかいを出すつもりだったのに、とんだご破算だ。

 

 しかし、思わぬ収穫もある。

 綴の脅迫に反応したのは己だけじゃない。あの黒髪の優男も気づいていた。

 それに不意打ちの瓶による強打も、恐らく察していたはず。敢えて受けることでこちらを興醒めさせ帰らせる魂胆だったのだろう。

 アンニュイな笑みの裏では、余計な怪我を負わないように衝撃を逃す算段を付けていたに違いない。

 

「おい、テメェの名前を聞かせろ」

「……黒鉄一輝」

「クロガネだな。覚えたぜ。今は気分が乗らねぇから見逃してやる。今度会ったときは殺りあおうや」

「お手柔らかに頼むよ」

「ハッ、さっきまでの演技は隠すつもりもねェってか。いくぞ」

 

 最後に綴を一瞥し店から出て行った蔵人たち。

 彼らが姿を消すとあわてた様子で店長とおぼしき男が一輝たちの元に駆けてくる。

 一番の被害者であろう彼は、一輝にペコペコ頭を下げる。

 

 それをやんわりと流す一輝を尻目に、綴はため息をついてすっかり冷めたステーキを口に放り込む。

 そして、己の隣でひたすら俯いていた絢瀬に声を掛ける。

 

「話を聞かせてもらってもいいですか、綾辻先輩?」

 

 垂れた髪の奥から忿怒の炎を目に宿し蔵人を睨みつけていた彼女に。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話

 倉敷と綾辻先輩の因縁を聞いた。それは彼女が殺意にも似た怒りを覚えるに相応しいものだった。

 大切な道場や仲間と父を傷つけられ、誇りも思い出も全て奪われたという。

 

「アイツはボクらの道場を乗っ取って好き放題している。決闘で勝てば返すって言われたけど……」

 

 そこまで声を絞り出し、悔しさのあまり目尻に涙が浮かぶ。

 語る先輩の手が真っ白に染まっており、硬く結んだ口から歯軋りすら聞こえそうだ。

 

 勝てば当面の問題を解決出来るのに、自分の力が足りないせいで叶わない。

 何度倉敷に挑んでもまるで子猫をあしらうように返り討ちに遭い、遂には門前払いされる始末になったそうだ。

 

 歳下の黒鉄君に頭を下げてまで修行をしていたのは、倉敷に勝つためだったということだ。

 今年の七星剣武祭に代表選手として出場し、倉敷を下す。それが先輩の決意。

 

 ……あんな不良と真面目な先輩が関わることだからろくでもないことだと思っていたけど、想像以上に深刻な内容にボクらは閉口する。

 

 完全に警察ごとなのだから警察に通報すれば良いとボクが提案したのだが、形はどうあれ、最終的に道場主の綾辻海斗さんが承諾した決闘の末に起きた事件ゆえに、海斗さんが昏倒したことも道場を奪われたことも合法とギリギリ言い張れるらしく、届け出ても解決できないらしい。この国の法律どうなってんだ。

 

 七星剣武祭に並々ならぬ意志を見せていた理由はわかった。けれど、なんと声をかけたものか。

 正直にボクの所感を言ってしまうと、綾辻先輩の目論見は非常に厳しいことだと思う。

 

 今年の七星剣武祭は全校生徒の半分が代表候補となっており、代表選抜戦の性質ゆえに一戦の勝敗の価値が非常に高くなる。

 おそらく、一回でも負けたら代表から外れるだろう。それだけ倍率が高いのだ。

 

 すごく失礼なことだと自覚しているけど、今の綾辻先輩の実力を考えると全勝するのは不可能に近い。

 

 彼女の伐刀者としての実力は知らないけれど、何十戦もある代表選抜戦全てに勝利するには、やはりそれ相応の突出した強みが必要になる。

 黒鉄君ならその超人的な身体能力と、卓越した戦闘技術。ステラさんなら圧倒的な魔力量と魔術の火力。

 勝利には必ず理由があるのだ。

 

 翻るに、先輩にそのような抜群の強みがない。

 そもそも平凡を圧倒できるような強みを持っていたら、倉敷に汗一つかかせることすらできないという事態はあり得ないだろう。

 現実的に考えて、先輩が完勝するのは不可能に近い。

 

 もちろん一敗でもしたら代表になれないと決まっているわけではないが、黒鉄君から聞くには今の所全勝で勝ち抜いている生徒が複数名いることは確かなのだ。

 そして、用意された席は補欠を含めて七つ。そのうち二つは黒鉄君とステラさんが確定しているとして、補欠は出場できる保障がないため、実質残りの席は四つ。

 そう考えると一敗が致命傷に成り得る。

 

 それを回避するには力が必要になるが、そう簡単に実力が伸びるはずもない。

 端的に言って、今の先輩は八方塞がりである。他者であるボクらが何とかできる問題ではないし、それらを正しく認識しているからこそ先輩は苦しんでいる。

 

 まぁ、それはあくまで先輩の目論見の達成に限った話だが。

 

 声をかけあぐねているのを誤魔化すように最後の一口ステーキを食べた時に、不意に()()()の生徒手帳がメールの着信を知らせた。

 黒鉄君と綾辻先輩が同時にポケットから生徒手帳を取り出し、画面を見る。

 すると、黒鉄君の顔が『なんてタイミングだ』と言わんばかりの表情に歪む。対面の綾辻先輩なんて全身から血の気が失せており、顔に至っては青ざめてすらいる。

 

 ──あぁ、これはマズイやつだ。

 

 速やかに察したボクは、立ち上がろうとした先輩の肩を捕まえた。

 

「どうするつもりですか」

 

 脈絡もない問いかけだが、先輩には十分伝わるはずだ。

 たった今、ボクらに代表選抜戦で負ける訳にはいかないと公言したばかりなのだ。

 その手前で全勝で勝ち進んでいる黒鉄君とマッチングした。これがどれほど不運な巡り合わせなことか。

 

 ボクが先輩の立場なら有無を言わさずこの場から逃げ出すだろう。先輩も同じ心境に違いない。

 

 だからこそ聞かなくてはいけない。

 逃げ出したあと、どうするつもりなのかと。

 

 先輩は己の力量をきちんと弁えている。だから、例え能力ありの実践形式であっても黒鉄君に勝てないことは痛いほど理解できているはず。

 けれど、ここで負けたら、もしかしたら倉敷に挑むチャンスがもう二度と訪れないかもしれない。

 それだけじゃない。黒鉄君に負けたことで、自分に対する自信すら失ってしまうかもしれない。

 

 退っ引きならぬ窮地。されど窮地に反骨する強い覚悟。

 まさしく窮鼠が猫を噛む状況。何をするかわからない。

 

 短い付き合いだけれど、綾辻先輩が本当に誠実で真面目な人だということは知っている。

 そんな人が卑怯な手に出るとは思えないが、逆にそれだけ強い目的意識を持っている人ならどんな手を使ってでも目的を成し遂げようとするかもしれない。

 

 ボクの眼差しを受けて、先輩の目があっちこっちに彷徨う。その行き先のほとんどは黒鉄君だ。

 

「ボ、ボクは……」

 

 いつの間にかカラカラに乾いてしまっている唇を震わせる先輩。

 まるで死刑判決を待つ囚人のような表情で言葉を詰まらせる。

 

 ……酷なことを尋ねているのは重々承知だ。だってこんなこと、答え合わせに等しいもの。

 ボクがどうするつもりなのかと尋ねて、先輩が狼狽えた時点で結論が出てしまっているのだから。

 

 この裁判をしているような空気を楽しむ趣味はない。

 だから手っ取り早く済ませることにした。

 

「綾辻先輩。先輩は一つ勘違いをしています」

「勘違い……?」

 

 先輩には突飛な発言に聞こえただろう。眉を顰める。

 今の先輩はかなり混乱しているだろうから、順序立てて説明するべきか。

 黒鉄君とステラさんも真剣にボクの言葉を待っている。一つ呼吸を置いた。

 

「先輩の目的はなんですか?」

「アイツに……倉敷に勝つことだよ」

「それは()()勝つべきなのですか?」

「ボクに決まってるだろう!?」

「そこです。そこが違います」

 

 片目が隠れた顔でも、表情の変化はよくわかる。それだけ彼女の感情の起伏が豊かということだし、一つのことにリアクションを取ってしまうくらい真面目な人なんだと改めて思わされる。

 キョトンとした顔から一転して真っ赤な怒りに染まる。

 

「何が違うんだ!ボクが勝たないと意味がないだろう!」

「それは綾辻先輩の気持ちの問題です。そうではなくて、もともと倉敷に挑もうとした原因はなんでしたか?」

「ボクの道場を取り戻すために──ッ」

「なら綾辻先輩が倉敷に勝つ必要はないじゃないですか」

 

 遂に怒鳴ろうとした綾辻先輩を制するように言葉を被せた。それにより勢いが止まり、先輩の口もピタリと止まった。

 

「な、何を言って……?」

「だって、どこの馬の骨とも知れぬ奴が合法の決闘を仕掛けた上で道場を奪ったのでしょう?なら綾辻道場に全く関係ない人が道場を賭けた合法の決闘を申し込んでも問題ないですよね」

「え?……えっ?」

 

 相当混乱しているらしい。頭を抱え出してしまう。

 が、客観的視点に立っている黒鉄君はしっかり理解できたようで、なるほどと相槌を打った。

 

「綾辻さん。つまり、倉敷君がやったように、誰かが道場を奪い返せば良いということだよ」

「う、うん……。でも、奪い返した人がボクじゃないと──」

「その人がキミに道場を譲り渡せば良い」

 

 あ、始めからそう言えば良かったか。ちゃんと説明しようと思ってたけど、知らず知らずのうちに迂遠な言い方になってたらしい。

 簡潔にスパッと言った方がわかりやすいに決まってたね。どうやらボクも少し動転していたらしい。

 ボクの生徒手帳のディスプレイに映っていた差出人の名前が名前だったから、つい……。

 

 黒鉄君の補足で合点がいったようで、確かにと呟いたところで切り返した。

 

「でもダメだ。そんな都合の良いことなんて有り得ない」

「いるじゃないですか。倉敷の眼鏡に適った人で、かつ、綾辻先輩の味方になってくれる強い剣客が」

 

 ボクがわざとらしく目線を送る。辿った先にいるのは、それはもう待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべている黒鉄君。

 綾辻先輩は信じられないといった表情で呆然と眺めている。

 

「そ、そんな……どうして……」

 

 震える声で先輩が尋ねた。

 それこそ答え合わせのように、黒鉄君は明瞭に答えた。

 

「友達に手を差し伸べるのに、理由なんていらないよ」

 

 まぁ、綾辻先輩が信じられないのもわかるよ。

 付き合いも短いのに目の前で裏切ろうとしていた人を助けたいと思う人なんて、そうそういない。

 けれど、黒鉄君は助けたいと思えるような人なんだよ。理不尽に自分をイジメてきた人に恨みを抱くどころか、他人に被害が広がらないか心配するような呆れるほど善良な人なんだ。

 

 綾辻先輩の話を聞いている時点で『何とか力になりたいな』って考えてたからね、彼。そんな顔してた。

 だからボクは彼の気持ちを汲み取った上で提案しただけだ。

 

 本音を言えば、黒鉄君に頭を下げてまで力を付けようと諦めなかったのだから、最後まで自分の力で何とかする方が良いと思ったけれど、何事にも限度というものがある。誰も彼もが黒鉄君のような鋼の精神を持っているわけじゃないからね。

 世の中、綺麗事だけで済むほど楽ではない。

 

 例えば、ボクの生徒手帳に舞い込んだ()()()()()()()()()とかね。

 

 あまりに予想外で、同時にあまりに嬉しかったのか、感極まって泣き出してしまった綾辻先輩を微笑みで見守りながら、心中で密かにため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

「よく来てくれたね。《七星剣王》」

「ど、どうも……」

 

 人当たりの良い笑みを浮かべながら歓迎の言葉を述べる獏牙に、乾いた笑みを返す綴。

 

 綴が呼び出された場所は日本の政治機関の総本山・国会議事堂である。

 その一角──首相の書斎に連れ込まれた綴は日本のトップとマンツーマンで対面するという、非常に居心地の悪い状況に置かれていた。

 

 去年の七星剣武祭が終わった辺りから幾度となく獏牙から声は掛かっていたのだが、黒乃が上手く手を回して断っていたため殆ど関わりがなかった。

 しかし、遂に痺れを切らしたのか騎士連盟日本支部の責任者──支部長とは別に設けられた、謂わば日本支部そのものを監視する地位──の権利を使い、綴を一介の魔導騎士として呼び出したのである。

 この呼び出しについて黒乃にはすでに言い含めていたらしく、非常に苦い顔をしながら送り出してもらった。

 

 綴を呼び出すのに実に一年の歳月をかけた訳だが、すぐに強硬手段に出なかった辺り火急の用事と言う訳ではあるまい。

 今更になって呼び出さなければならないような状況になったのか。

 

 ──首相が困るほどの問題って、それこそ国際問題レベルでしょ?ボクにどうしろと言うんだ。

 

 正直お国柄の問題に巻き込まないで欲しいのだが、散々寧音に言われて来た通りそういう立場になってしまったからには相応の責任が求められる。

 例えそれが本人の望んだ地位でなかったとしてもだ。

 

 綴の内心を見透かしたように、獏牙は話を切り出した。

 

「今までは貴女を魔人として狙う敵陣営からの刺客……すなわち《同盟》や《解放軍》によるちょっかいを警戒して新宮寺女史や西京君に警護させていたが、その必要はほぼ無くなったのだよ」

「それはボクが誰かから狙われなくなったということですか?」

 

 ぶっちゃけ夜道で背後に気をつけるみたいな危機感は一切抱かず日常を過ごしていた身としては実感のない話である。

 なにせ実際にそういう目に遭ったことがないから。モールでたまたまテロ現場に出くわしたが、あれは綴を狙ったものではないし、割とあっさり解決してしまったため恐ろしい目に遭ったという恐怖は皆無である。

 

 綴の世間に対する無関心さを知っている獏牙は彼女の気持ちを推測しつつ答える。

 

「正しくは狙われなくなる予定だがね。それは今から具体的に説明していこう」

 

 獏牙の顔に深く刻まれた皺が寄る。口元には微笑みが湛えられているが、どこか疲労と焦燥を感じさせる人相だと綴は感じた。

 

「すでに西京君から聞き及んでいると思うが、現在我々が享受している平和は薄氷の上に辛うじて立っているものだ。世界を三分するそれぞれの勢力が互いに拮抗し、抑止力となって平和を保っている。しかし、そう遠くないうちに三大勢力のうちの一つ《解放軍》が瓦解することが決定されている」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「《解放軍》のリーダーである《暴君》と呼ばれる伐刀者がかなり高齢の方でね。いつ天寿を全うするかわからないくらい長生きしている。リーダーを失えば組織はたやすく崩壊する。僅かな猶予があるかもしれないが、崩壊は絶対に免れない」

「仮にその人が亡くなっても、違う人がリーダーになると思うんですけど」

「なりたくてもなれないのだよ。彼は君と同じ《魔人》なのだから」

 

 その言葉に綴は僅かに息を詰まらせる。

 言われてきたことだから理解しているつもりだったが、寧音の言う通りわかってなかったらしい。魔人というステイタスがどれだけ甚大かということを。

 

 核兵器に匹敵する重大な存在というのは誇張でもなんでもない。本当にそのままの意味だったのだ。

 寧音や黒乃の説明だけでは実感が湧かなかったが、こうして実例を挙げられると途端に魔人という肩書きがズシリと重くなる。

 

「それにただの魔人ではなく、魔人たちの中でもさらに桁外れの実力を備えた魔人だ。当然、そう簡単に代わりの人材を据えられるはずもない。そういった化け物が三大勢力のトップにそれぞれ君臨しているからこそ拮抗できている。《解放軍》が崩れ去る理由は理解できたかね?」

 

 コクコクと頷く綴。日本という国を背負う男は咳払いを入れてから続けた。

 

「《解放軍》が消えると次に何が起こるか。それは残った二つの陣営による《解放軍》の残党の取り合いだ」

「……少しでも敵陣営との戦力差をつけるため、ですか」

「察しがいいね。その通りだ。そして残念なことに、囲い込み競争はすでに起こっている」

「なら、ボクらの陣営……えっと、《連盟》でしたっけ。《連盟》がその競争に勝てば良いのではないですか?」

「それは不可能なのだ。《連盟》は《解放軍》に対して明確な敵対姿勢を見せているから、おいそれと《解放軍》を引き込めないのだよ」

 

 《連盟》の掲げる魔導騎士とは簡単に言ってしまえば武力行使の出来る自衛隊のようなものだ。

 犯罪者を取り押さえたり、他国の紛争の抑圧に向かったり。騎士の名に恥じぬ、正義の味方が魔導騎士のあるべき姿。

 

 それに対し《解放軍》はならず者の集まりだ。凶悪な犯罪者たちによる巨大な組織である。

 どうして正義の味方である騎士が倒すべき犯罪者たちと手を結べるだろうか。

 こればかりはどんな事情があろうと曲げられない体裁なのだ。

 

「《連盟》が引き込めないぶん、《同盟》は大多数の戦力を手に入れることができる。これは後に起こる第三次世界大戦に於いて致命的になる」

「その戦争は絶対に起こることなんですか?ボクには戦争をする理由がわからないです」

「もともと《大国同盟》とはこの世界を大国による分割管理下に置くことを目的に結成された組織。対し《国際騎士連盟》は小国同士が協力し合い今の世界の形を保とうとすることが目的。根本的に相反する組織が対立すれば、必然的に敵を消そうとする動きが起こる。それが戦争に繋がるというわけだ」

 

 スケールを小さくして言えば、子供同士の喧嘩である。

 相手が気に食わないから。相手が目障りだから。

 どんなに些細なことでも争いは起こる。それが世界規模に発展しただけ。

 

 子供の喧嘩と違うのは、それがどちらか一方が消えるまでの徹底的な殲滅戦になることである。

 三大勢力のうち二つの陣営が戦争を起こし、それが終戦したとき、勝ち残った陣営が消耗しきっているのは当たり前のことだ。

 そこに残った陣営が攻め込んでくるのは当然であり、攻め込まれた陣営の敗北は必至である。

 

 だからこそ拮抗できていた。お互いが抑止力となっていた。

 けれど、それももう終わろうとしている。

 血で血を洗う戦争の時代が顔を覗かせている。

 

 戦争に勝つためには戦力が必要だ。魔人のような強大な戦力が。

 しかし日本は敗色濃厚の《連盟》に所属している。一人足りとも魔人を逃したり出来ないし、失うわけにもいかない。

 だからこそ綴は世界序列元三位と現三位の監視下という、非常に厳重な保護の下に置かれたのだ。

 だというのに、その必要が無くなったというのはどういうことなのだろう。

 

 ようやく本題のスタートラインに立った綴に獏牙は簡潔に述べた。

 

「我々日本が《同盟》に鞍替えをする。《同盟》の仲間になることで貴女という魔人は《同盟》の戦力として数えられ、《同盟》に暗殺される心配はなくなる。そして日本が負け戦に巻き込まれることはなくなる」

 

 あまりに常軌を逸した提案。尋常ならざる策。

 されど、これこそが本題。満を持して持ちかけた。

 

「その第一歩として貴女に協力してもらいたいことがある。《暁学園》に参加していただきたい」

 

 銃使いの魔人が真剣な表情で喉を鳴らしたのを見て、口だけで教師から総理に成り上がった男の口角が釣りあがった。

 

 綴が射撃以外のことに関してほとほと関心がないことは把握していた。それに反して人並み程度の良識と良心を持ち合わせている。

 そんな彼女がこの計画に参加したいと思うとは考えにくい。

 しかし日本の未来を背負う者として、彼女には是非とも参加してもらいたい。仮に断られても支障のないようプラニングしているが、だめ押しの切り札を揃えられるなら揃えるべきだ。

 

 一年間断られても声をかけ続けていたのは、総仕上げまで猶予があったからだ。七校の代表選手がほぼ決まりつつある現在が最後の機会である。

 

 どうすれば彼女に賛同してもらえるか。

 それは、自分が参加するべきだと思わせればよい。

 人間は不思議なもので、自分にしか出来ないことがあると、自分がするべきだと使命感のようなものを覚える生き物で、それは受動的であればあるほど効果がある。

 特に綴のような良心を持つ者には覿面である。

 

 一つ一つ丁寧に状況を理解させて、いかに現状がマズイかを説く。

 そして相手の立場を詳らかにして、いかに現状に影響を与えるかを説く。

 ミクロからマクロへ細分化していき、ゴールまでの道筋を示せればなお良い。

 

 それだけで相手は動こうとするだろう。

 アイデンティティという言葉があるように、人間は思考のどこかに独自性を求めてしまう。

 その欲求を満たせる餌がぶら下げられれば、大抵の人間は食いついてしまう。

 

 かつての己のように。

 ただの変哲も無い教師が()()()()()だけでがむしゃらに突き動かされ、口八丁だけで総理大臣まで成り上がったように。

 

 己の経験と重ね合わせ、獏牙は綴を巧みに唆かした。

 わざわざ総理大臣の書斎に呼びつけ雰囲気と威圧のセッティングもした。

 数多の魑魅魍魎を相手に口で勝ち抜いてきた男は確かな手応えを覚えた。

 

 入室してきたときの気の滅入り具合はどこへ飛んだのか、綴は非常に真剣に考え込んでいる。

 あとは彼女の答えを聞くだけである。

 

 果たして──

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 《暁学園》。

 それは月影総理が個人的な繋がりで得た《解放軍》の先鋭たちによる、七星剣武祭の第八校目の勢力。

 国立の伐刀者教育機関という名目のもと、連盟所属の七校を打倒することで脱連盟の気運を上げるのが目的らしい。

 

 ボクに日本代表としてそこへ参加してほしいとのこと。

 歴代最強の七星剣王が反旗を掲げることで気運の勢いをつけたいそうだ。

 

 ……ボクはこの話を断りたいと思っている。

 当たり前だ。犯罪者と手を組んでテロリズムに等しいことをしないかと持ちかけられてるのだから。

 ボクは犯罪者になりたくないし、ましてその頭目みたいな立場になるなんて御免被る。

 

 けれど、ボクのワガママだけで済まされる話ではない。

 射撃さえ出来れば大体のことは流してきたけど、それが許されてきたのは他人に影響が及ばないからだ。

 翻って、今回の話は言ってしまえば日本の未来がかかっている。日本の魔人として取らなければならない責任がある。

 

 それは、ボクにしか出来ないこと。ボクがやるべきこと。

 

 面倒ごとに関わりたくないという私情と、未来の日本を救うために動くべきという世情。

 二つに板挟みされ頭を抱える。

 

 しばらく頭を悩ませたが、遂に天啓を得る。

 犯罪者にならずに、日本を助けるアクションを起こせば良いのだろう?

 

 あるじゃないか。

 その両方を満たして、かつ、ボク好みの簡単な解決法が。

 

「《暁学園》の生徒を呼んでもらってもいいですか?七星剣武祭で優勝できるか、ボクが試してみます」

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 ──なんでそうなった。

 獏牙は頭を抱えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話

 綴のワガママは、思いの外あっさりと了承された。

 彼女が計画に参加することになればメンバーとの顔合わせをする必要があったし、もともと近日に最終確認の会議を開く予定だったので不都合はなかったのだ。

 

 その代わり獏牙が指定した宿で日を過ごすことを約束させられた。

 現時点で計画の全貌が表に漏洩するのはさすがに厳しいものがある。

 仮に漏れたとしても、綴がそう感じたように、あまりにも荒唐無稽な話なので笑い話で済まされるだろうが、念には念を入れるべきだ。

 

 そんなわけで数日欠席することを学園に連絡し──黒乃に大変心配されたが、何も問題ないことを伝えた──高級ホテルの一室で、綴はベッドに腰掛けながら資料に目を通していた。

 クリップで留められた複数の紙には、暁学園のメンバーに関する情報が詳細に記載されている。これは獏牙から寄越してもらったもので、綴が彼らを試すために必要な情報であった。

 暁学園のメンバーは他校の代表メンバーとして潜り込んでいるらしく、()()()()()()()()()にそれぞれ一人配置されていた。

 そこに載っている伐刀者たちの能力は、なるほど《解放軍》の先鋭を取り寄せただけあって、非常にハイレベルな水準に纏まっていた。

 

 例えば貪狼学園代表の多々良(たたら)幽衣(ゆい)

 彼女は打撃や斬撃はもちろん、炎熱や雷撃などの魔法攻撃に至る全ての攻撃を反射する非常にレベルの高い《反射使い(リフレクター)》だ。

 どうやら体の表面に反射の概念を纏った結界を作ることが彼女の伐刀絶技(ノウヴルアーツ)らしいが、それは認識した一部の箇所に限るらしい。

 しかし本人の運動神経も良く、動体視力は取り分け優れているらしく、真っ向から戦う分にはそれが足枷になることはないそうだ。

 そのためこれといった弱点もなく、普通に戦えば苦戦は必至だろう。

 ただし、綴の異能や、去年の七星剣武祭準優勝の豪傑・諸星(もろぼし)雄大(ゆうだい)の《暴喰(タイガーバイト)》といった能力無効系の異能持ちは苦手としている。

 

 次に禄存学園代表のサラ・ブラッドリリー。

 表向きはCランクとしているようだが、その実態はAランク。

 魔力で練り上げた筆と絵の具で絵を描くことで、絵の概念を実体化させ操る能力を持つ。

 それは伐刀者を実体化させても本人のスペックをそのまま再現できるらしく、その伐刀絶技も例外ではないそうだ。

 しかも描きあげる速度も尋常ではなく、作品をいくらでも生み出せるほどの魔力量も持つ。

 はっきり言って隙なしである。苦手な敵はいないと思えるほどである。これがよーいドンで始まる試合ではなく本物の戦場であれば、彼女一人で何十人分の伐刀者の仕事を熟せるだろう。

 ただしサラ自身は途轍もない運動音痴らしいので、弱点といえば本人の貧弱さくらいか。

 

 最後に巨門学園代表の紫乃宮(しのみや)天音(あまね)

 彼こそが暁学園のメンバーの中でぶっちぎりの最強である。

 彼の異能《過剰なる女神の寵愛(ネームレスグローリー)》は、ただ願うだけで彼の都合のいいように因果がねじ曲がり、願いが叶ってしまうという規格外の能力。

 その願い事の範囲は非常に広く、彼にとって不都合な事象は常にかき消され、実現可能な因果ならばどんな事であろうと即座に引き起こせるのだとか。極端な話、『お前は心筋梗塞で死ぬ』と言えば本当にその通りになってしまうのだ。

 まさしくチート。異能に限って言えば、おそらく世界で最も強力な伐刀者の一人と言えるだろう。

 彼の場合だと、そもそも試合が始まる前に対戦相手が死亡してしまうように願うだけで不戦勝、なんてことも可能なので勝負どころの話ではない。攻略法は一切不明である。

 

 とまぁ、一国の長が自信満々に臨むだけあって、紹介しなかった他のメンバーも粒揃いである。

 普通に考えれば優勝も苦ではないレベルだ。

 

 しかし、綴はこうも思うのだ。

 ──あの黒鉄君とステラさんが彼らに遅れを取るのだろうか、とも。

 

 今回暁学園を試すと言った理由はそこに尽きる。

 あの人外二人を抑え込めるほどの伐刀者がいるのか疑問だったのだ。

 

 一輝の場合、彼自身の異能が身体能力の倍加のため、幽衣のような異能で防御する伐刀者を当てられれば相性の問題で何とかなるだろうが、ステラを真っ向から倒せる人材はそうはいない。

 普段一輝に遅れを取っているため勘違いされがちだが、ステラ自身のポテンシャルは非常に高い。具体的に、寧音が一度だけ《抜き足》と呼ばれる特殊な歩法を見せて、原理を説明しただけで真似出来てしまう程度には身体能力は優れている。

 魔力量に関しては言うに及ばず、魔術の火力に関する競争で右に出る者はいないだろう。

 

 魔力量の評価がBの綴から見ても歩く要塞に見えるほどの魔力量。異能の優劣で勝負が左右されがちな伐刀者の試合において、これほど単純明解な武器は他にない。

 何せ、一輝が全身全霊の魔力と集中力で以ってようやく無意識に纏っている魔力の壁を切り崩せるくらいだ。全力で防御を固めたとなれば、もはや核シェルター並みの強度を誇るだろう。

 天音とは違うベクトルのチートである。

 

 資料を見た後でも暁学園の敗北が心配でならない。

 大抵のメンバーは真っ向から火力の暴力で吹き飛ばせそうだし、唯一勝ち目がありそうな天音でも、彼のような因果干渉系能力は『運命力』即ち魔力量に左右されると聞いたことがあるため、ステラには通用しない可能性は十分にあり得る。

 

 つまり、ステラを安定して攻略できるメンバーが誰一人としていない。

 暁学園に対抗する七校からすれば、完全に『もうあいつ一人でいいんじゃないかな』状態だ。暁学園から見ればステラという化け物が参戦する時点で勝利が厳しくなる。そこに一輝という違う種類の化け物が加わるのだ。

 

 ステラを倒せる人材がいるからこそ計画を実行しているのかと思っていたが、そんなことは全然無かった。

 綴から言わせれば、ステラを結構舐めたメンバー編成である。

 

 そもそも、試合形式で常人の魔力量の三十倍という馬鹿げたチートに安定して勝てる伐刀者、かつ、七星剣武祭に出場できる学生騎士なんて世界規模で見ても綴くらいしかいないだろう。

 国をあげて人材をかき集めても、いない者はいないのだ。獏牙も承知の上だろう。

 しかし、だからこそ綴に声を掛けたのだろう。人外たちを倒せる最後の保険として。

 

 そうとわかれば綴が思うことはただ一つである。

 

 ──参ったなぁ……断る材料が無くなったぞ……。

 

 綴の思惑ではステラを倒せそうな人を見つけて、その人と模擬戦を行う。

 そして、ある程度戦えると感じれば自分の出る幕は無いので辞退しますと逃げる作戦だった。

 割とガバガバな計画だが、一応筋の通った主張でもあるので通用する見込みはあった。

 しかし、その目的の人物が存在しないとなると話にならない。

 

 熟読した資料をテーブルに投げ捨て、ベッドに身を沈める。

 しばらく黙って考えてみた後に、ぽつりと呟いた。

 

「……まぁ、なるようになるかな」

 

 お手上げである。

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 暁学園メンバーとの顔合わせの日がやってきた。

 国際競技場の一角を貸し切って、犯罪予備軍たちが勢揃い。

 

 只者ならぬ雰囲気を醸し出す彼らだが、誰も彼も格好が奇抜である。

 スーツ姿の獏牙とラフな格好の綴、そして巨門学園の制服を着た天音だけがまともな服装だ。これでは仮装パーティに迷い込んだ一般人のようだ。

 

 面々を見渡した綴は単刀直入に言った。

 

「これから面接を行う」

『……は?』

 

 呆けるとはまさにこのこと。事前に聞かされていた獏牙以外の人間が疑問の色を浮かべる。

 尤も、大半が怒りや苛立ちの色も混ざっているが。

 代表をするように、夏だというのに全身を防寒着で固めた女子・幽衣が口を開く。

 

「何か勘違いしてるようだなぁ。アタイらはアンタらに頼まれてここにいるんだぜ?なんでアタイらが(ふるい)にかけられなきゃなんねぇんだ」

「これは落とすための面接じゃなくて意思確認のようなものだから、重く捉える必要はないよ」

 

 ますます意味わからんと言わんばかりに顔を顰める面々。

 綴だってこんなことをする予定ではなかったのだ。

 ステラを倒せる見込みのある人をさくっと試してみて、なんだかんだ言って逃げるつもりだったのに、肝心な見込みのある人がいないせいでそうすることもできない。

 

「ボクもぐだぐだやるつもりはないから、さっさと始めるよ。まずはキミからにしようかな、多々良幽衣」

「ふん」

「他の人たちは呼ばれるまで好きにしてていいから」

 

 クレームを受けつけるより、手早く話をまとめて流した方がスムーズに事が運ぶだろう。

 背中に不満の眼差しを受けながらもそれらを無視して幽衣を一室に案内したのだった。

 

 彼らに尋ねることは『今回の七星剣武祭で注目している選手はいるか』『能力の応用はどこまで効くか』の二点だけである。

 前者は彼らがどれくらい今回の仕事を楽観視しているかを確認するため、後者は資料だけではわかりえない意外性を見つけるためだ。

 

 これらを確かめて暁学園の勝利の目が見えなかったら腹を括るつもりだったのだが──

 

「……キミ、人間じゃないでしょ」

「ほう、貴女は気づけるのですねぇ」

「だって体の至る所から糸が伸びてる……というよりは入ってるのかな?何でもいいや。そんな堂々と絡繰り人形みたいな格好してたら誰でも気づくよ」

「この魔力の糸には『迷彩』を掛けているので、余程の実力者でなければバレないはずなんですが……。さすが歴代最強の七星剣王というところでしょうか」

「『迷彩』というと、魔力を感知されにくくする魔力制御技術のことかな?なるほど、魔力制御Aは伊達じゃないわけだ。見た所、結構遠い所から操作しているみたいだけど、どれくらい戦えるの?」

「お手元の資料の通り、Bランク伐刀者並みの仕事しかできませんよ」

「えぇ……?何でキミ本人が来ないのさ。人形越しでこれほどの実力を出せるなら、直接やった方が良いんじゃないの?」

「それは見当違いの考えですねぇ。傀儡使いは、傀儡を使うから傀儡使いなんです。傀儡が主力なのに、どうして弱点である術者がのこのこ顔を見せなければならないのです?」

「な、なるほど。一理あるね。いや待てよ、それなら傀儡を生徒として登録してるのは反則なんじゃないの?せめて生身の人間じゃないとフェアじゃないでしょ」

「ふふ、貴女は真面目なのですね。そんな貴女に良い言葉を教えてあげましょう。『バレなきゃイカサマじゃあないんですよ』」

「汚いっ!?……って、何でボクに糸を伸ばしてくるんだ。変なことするならその頭撃ち抜くぞ」

「やはりバレてしまいますか。貴女の力を借りられれば優勝は盤石になるのですがねぇ」

「キミの傀儡になるくらいなら首を括って死んでやる。そんな卑劣なことしなくてもたぶん仲間にならざるを得ないから安心しなよ」

「……常識人のようで、どこか破綻した考えを持つ。本人にその自覚はない。貴女は面白い人ですねぇ。少し興味が湧いてきましたよ」

「うん?何か言ったかい?」

「いいえ何も。貴女の助力に期待していますよ」

 

「すごいな、本当にボクが二人いるみたいだ」

「そういう能力だから」

「資料によるとこの絵は本人と全く同じ実力を出せるようだけど、それはボクの早撃ちもできるってことかい?」

「一応できる。けれど、私には無理」

「……というと?」

「絵はどこまでいっても本物の贋作だけれど、本物に近づけるにはそれだけ本物を理解する必要がある。どんな絵でも一緒」

「もう少しわかりやすく説明してもらえるかな」

「私には貴女の早撃ちが理解できない。せめて肉眼で捉えられれば話は別なのだけど、貴女の早撃ちはそれすらもできない。だから私の絵に早撃ちさせることもできない」

「あぁ、なるほどね。そこらへんの不都合も賄ってくれるわけじゃないのか。ならボクの異能を使うことはできそうだね」

「見せてもらえれば可能」

「つくづくズルい異能だねぇ。そのズルを可能にする魔力量も魔力制御もバカにならないだろうに、よくそれでCランクなんて言えたもんだよ」

「私の本職は画家。伐刀者なんて知ったことじゃない。絵を描けるなら他は何だっていい」

「……へぇ。犯罪者の一味ってだけで偏見を持ってたけど、キミには少し好感が持てそうだよ。一念鬼神に通ずるって言うのかな、そういうの結構好きだよ」

「そう。私も貴女に目を付けてるわ」

「ボクに?」

「男女のヌードモデルを探しているの。一目見た時にピンと来たわ。貴女の体は女体の理想像に限りなく近い。どう?今から私のアトリエに──」

「いやいやいや行かないよ!?当たり前でしょ!?」

「ならせめて首から下を置いていって」

「妖怪首置いてけ擬きかキミは!」

「文句の多い人ね。何のために私がこの計画に参加してると思ってるの」

「ほんと何で参加したのかな!?」

 

 ……とまぁ、一般の基準から考えて異常な思考を持つ彼らにまともな面接を行えるはずもなく。

 幽衣は五分程度で済んだのだが、次の玲泉から一気に時間がかかり、続くサラのマイペースで面接を壊され、トドメの風祭(かざまつり)凛奈(りんな)の中二病全開スタイルに精神的に疲弊した。

 一人十分程度で終わる見込みだったのに、結果として三倍も時間を費やしてしまうことになった。

 

 手早く終わらせるために面接という形を取ったのが仇であった。本当に早く終わらせたければアンケートに回答させれば良かったのである。

 

 なんとか四人捌いたところで、綴は大きなため息をついた。

 疲れによるものも含まれるが、何より残った二人が問題児なのである。

 

 どうしたものかと顎に手を添えたところで、控えめなノックが部屋に響く。

 この様子から察するに、巨門学園の問題児だろう。

 

「どうぞ」

「失礼しまーす」

 

 間延びした挨拶とともに入室してきたのは、予想した通り小柄な少年だった。

 女子中学生として紹介されれば納得してしまうほど中性的な体つきと顔を持つ彼は、紫乃宮天音という。

 

 とてとてと歩いてきて許可なく椅子に腰を落とした天音は、無邪気な笑顔を浮かべてこう言った。

 

「僕は君のことが大嫌いだ」

「奇遇だね。ボクもキミが大嫌いだ」

 

 初対面にも等しい場で発せられた第一声がこれである。

 天音の毒に何の躊躇いもなく即答で毒を吐き返した綴は背もたれに体を預け、腕を組んだ。

 

「キミはこの世で最もボクと相容れない存在だ。顔も見たくない」

「なら僕を呼びつけるなよ。僕も無駄に時間を潰されてウザいんだけど」

「キミが優勝してくれなくちゃ困るからね、ボクなりに()()をしているんだよ」

「──」

 

 アクセントを強く踏んで叩きつけるように言うと、天音の顔から笑顔が消えた。永久凍土のような無表情になり、瞳にドロドロと混濁した闇が渦巻く。

 

 ……なぜ彼らがお互いを蛇蝎の如く嫌っているかと言うと、単にお互いの生き方が正反対だからだ。

 

 綴は何の特徴も無い人間になるのを嫌い、己の霊装に全てを賭けた人生を歩んできた。一心不乱に銃に人生を捧げ、それを良しとしてきた。

 

 そこに自分に秘められた可能性があるかとか、才能があるかとか、そんな邪念は一切ない。

 せっかく比較的珍しいと言われている銃の霊装を発現したのだから、それくらいは自分が一番になりたい。その一念で生きてきた。

 

 努力しなければ一番になれない。努力すれば一番になれるかもしれない。なら努力するのは当然。それが大前提。

 努力するしない、できるできないという次元ではないのだ。

 

 対し、天音は恵まれ過ぎた能力を宿したことによって、悉くが能力に塗りつぶされる人生だった。

 どれだけ頑張ってテストで良い点を取っても、どれだけ努力して体育で活躍しても、全て異能の恩恵として見られてきた。

 

 実際のところ、天音の獲得した成果が本当に彼の努力の結果なのか、はたまた異能が介入したおかげなのか、それは術者である本人ですら曖昧な所でもあった。

 しかし、曖昧だからこそ天音は誰かに認められたかった。運なんかではなく、自分の力で勝ち取ったのだと。

 

 が、そう簡単に周りが納得するはずもなく。

 ついぞ誰にも天音という人間は認められず、異能こそが天音という人間として認められるようになった。

 そうなれば天音に自分を信じることは出来なくなる。努力することも出来なくなる。どうせ全て異能のおかげにされるのだから。

 

 二人の何もかもが正反対。生き方も考え方も、全て。

 

 綴から見れば、天音は悲劇のヒロインを気取り、己の弱さを免罪符と勘違いし喚き散らす外道である。

 誰もが己に対して強く生きられるとは思っていない。道半ばで挫折してしまうのも仕方ないことだろう。けれど、厳しい道を歩む人に嫉妬し、憎み、邪魔しようと考える天音は絶対に許せないのだ。

 

 天音から見れば、綴は己の欲する全てを手に入れた英雄である。

 自分の可能性を信じ続ける勇気を持ち、それを認めてくれる人を手に入れ、成果を勝ち取り、世界にその名を刻んだ。

 勇気を持てず、人も持てず、成果は異能に取り上げられ、異能がこの世界に存在する唯一の証拠と成り果てた天音には、綴があまりにも妬ましかった。

 

 同情もなければ尊敬もない。歩み寄る余地なんてこれっぽっちもない。

 水と油の関係とはまさにこのこと。

 

 ……なぜ綴が天音の事情を知っているかというと、獏牙から渡された資料に天音の生きてきた環境に関する情報と、彼の道理に外れた行動の数々が詳細に載っていたからだ。

 その情報を自分に与えた意図は読めない。しかし、一つだけ確かに言えることは、その情報のおかげで何の後腐れなく天音を割り切れたということだけ。

 

 天音の異能は本当に強力だ。それこそ、優勝することも可能だろう。

 だが、優勝するためにありとあらゆる姑息な手を使うとなると、綴としては納得いかない。

 七星剣武祭とは己が磨き上げてきた全てを敵にぶつけ、勝利を勝ち取るイベントだ。邪道は無粋に過ぎる。

 

 が、天音本人が努力を完全に放棄した人間だというならば、邪道が当たり前の奴なんだと割り切れる。

 変な怒りや憎悪も抱くことはない。彼に関することは事務的に処理できる。

 

「キミが今回の七星剣武祭で注目している選手は?」

「知るか」

「能力の応用はどこまで効く?」

「僕が知りたいね」

「結構。面接は終了だ。退室していいよ」

 

 一分も経たず面接を終えた天音は能面のような無表情を顔に貼り付けたままドアに手を掛けた。

 そして、

 

「ほんと、()()()()()()()

 

 地獄の釜の底に響くような低音で呟かれた呪詛。

 いつものように運命の女神が天音の願いを聞き届け、因果を捻じ曲げ始める。

 天音の願いは一秒もかからず実現するだろう。

 

 だが。

 綴はとっくに天音を意識の外に放り出し、最後の面接相手である男の資料に目を落としていた。

 パラパラと淀むことなく紙が擦れる音が部屋に染み渡る。

 

 ()()()()()()()

 

 それはなぜか。綴の運命は、すでにこの星を巡る運命の輪から外れているからだ。

 魔力とは『この世界に自らの意思を反映する力』と言われている。生涯総魔力量が変わらないのは、生まれ落ちた瞬間にその者の世界に及ぼす影響力の大きさが決まっているからに他ならない。だからこそ魔力量Aランクの天音の《過剰なる女神の寵愛》はほぼ際限なく因果を捻じ曲げることができる。

 

 しかし、それは運命の輪の中に限った話だ。神様が個人に設けた限界を突破してみせた綴には、この星の運命は適用されない。魔力が増え続けていることが、この星の絶対法則を破っていることの証左。

 枠に縛られている運命が、枠から逸脱した運命に干渉できるはずがないのだ。なにせ、適用されている法則が違うのだから。

 

 その異常に天音は気づくことなく退室した。今の彼には何かに気がつく余裕がないほど負の感情で思考が支配されていたからだ。

 

 しかし、彼が気づかなかったのは幸運だったのかもしれない。

 異能に弄ばれない存在、つまり、純粋に天音という人間を見つめることのできる存在が、己が最も妬み憎んでいる存在であり、そして己を完膚なきまでに見放している存在でもあったのだ。

 

 それは紛うことなく、運命の女神から贈られた渾身の皮肉だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

 

 

 つい数秒前までの出来事を綺麗さっぱり割り切った綴。

 彼女の無関心な物に対する態度が露骨に表れた所で、ドアが蹴破られたかと思うほど大きな音を立てて開いた。

 驚いて顔を上げると、そこには時代錯誤の和装を着た男が射殺さんばかりにこちらを見つめていた。

 

「表に出ろ」

 

 短く言い放ち、そのまま踵を返した和装の男。

 呆気にとられて数秒固まってしまった綴だが、ふと呆れの笑みをこぼした。

 

「黒鉄君の兄だからどんな人かと思えば、兄妹に似て一途な人だねぇ」

 

 手元の資料の人物概要には、誰よりも『強さ』に貪欲な男と書かれていた。

 最後の面接相手は、日本に於いて唯一のAランク学生騎士であり、かつてジュニアの世界大会で優勝を収めた天才騎士・黒鉄王馬(おうま)その人である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話

 綴が獏牙と対談している頃、一輝たちは綾瀬の病室にいた。

 

「やっぱり黒鉄くんはすごいね。手も足も出なかったよ」

 

 病衣をまとってベッドに横たえる綾瀬の表情は選抜戦で敗北を喫した者とは思えないほど清々しい。

 対して側に腰掛ける一輝は尊敬の念を漂わせる神妙な表情で賛辞を受け止めた。

 

「それは僕の台詞だよ絢辻さん。正直君の実力を見誤っていた」

 

 犯した過ちを深く恥じた綾瀬は全身全霊で挑むことが何よりの誠意だと悟り、完全なコンディションで一輝に対峙した。一切の雑念を削ぎ落とし、ただ目の前の強敵に打ち勝たんとする気迫はどんな業物にも勝る刃の如く。対面した一輝すら息を呑むほどだった。

 《最後の侍(ラストサムライ)》が剣を構えたらこんな姿になるだろうと一輝は感じた。父の背を尊敬し、毎日追い続けたからこそ為せる佇まい。誇りを新たにし一人の武人として立つ綾瀬はまさに別人のようだった。

 

 負け試合だとタカをくくっていた観客たちもその威容を感じ取り、奇妙な沈黙の中戦いの火蓋が切られたのだった。

 この大剣豪を相手に二分も剣戟を演じてみせたものの、その間に全ての体力と集中力を注ぎ込んだ綾瀬は一瞬の綻びを呈してしまい、それが決着となった。

 

 観客たちは《無冠の剣王》によくぞ善戦したと賞賛を送ったが、斬り伏せた本人である一輝の内心は竦みあがる思いだった。

 太刀筋が僅かに狂ったのだ。いや、正しく言えば()()()()()()()()()太刀筋がズレた。それは《最後の侍》が生涯掛けて編み出した前代未聞の絶技の一端に相違なかった。

 森羅万象の流れを把握しあらゆる攻撃を完全に受け流す奥義はまさしく絢辻一刀流の真髄。未熟な綾瀬が体得しえないはずのないそれを、この土壇場で繰り出してきたのだ。過去最高の冴えで、かつ過去に父から奥義を見せてもらっていたからこそ生まれた奇跡だった。

 

 結局は深手を負い戦闘不能となったが、仮に奥義を完璧に極められていたら致命の一撃を被るのは一輝だったかもしれない。綾瀬の霊装《緋爪》には霊装で付けた傷を無尽蔵に開く能力が宿っている。かすり傷一つが致命傷足り得る恐ろしい異能だ。

 敗北する可能性はあったのだ。たまたま綾瀬の体力と技術が足りなかっただけでもぎ取れた勝利。試合を終えた今でも心臓が竦む思いである。

 

 自分が奥義の一端を成したと未だに信じられない綾瀬は困ったように曖昧な笑みを浮かべる。

 

「ボクが父さんの奥義《天衣無縫》を使ったなんて……。何かの偶然だよ」

「偶然は天文学的数字でも起こり得るから偶然なんだよ。万が一にも絢辻さんは奥義を使え得たってこと。それは日々の積み重ねがなければ絶対にあり得ない。もっと自分に自信を持つべきだ」

 

 蔵人に惨敗し続けたことが彼女から自信を奪っていた。対戦中は一輝に報いることしか考えていなかったからそれが表に出なかったものの、今は根づいた無力感が首をもたげている。

 自分に謙虚になるのは良いことだ。しかし必要以上のネガティヴはかえって本来の実力を塞ぎ込んでしまうだけだ。一輝はそれが勿体無いと思っていた。綾瀬はそんな器に収まる人じゃないと感じたから、なんとか取り除いてやれないものかと考えていた。

 

「絢辻さん。もう一度倉敷蔵人に挑んでみないかい」

 

 だからこその提案だった。失った自信は取り戻すことでしか返ってこない。そういう意味では蔵人への挑戦ははまたとないチャンスだった。

 これまで笑顔だった綾瀬の表情が音を立てて固まった。

 

「……無理だ。あいつには勝てない」

「そんなに強いの?あのチンピラ」

 

 ステラの問いにブルブルと震えながら首肯した。ステラから見ても綾瀬の評価は変わっていた。最高に冴えていたという限定的な状態だったにせよ、あの一輝に食らいつけるだけのポテンシャルと地盤があったということだ。入学直前のいざこざの時一輝にあしらわれた身として、歯を立てられたこと自体が尋常でないことを痛感している。

 

 だからこそ、それだけの剣術の腕ないしポテンシャルを持つ綾瀬を足蹴にする蔵人が得体の知れない怪物のように思えた。

 いまいち納得のいかない心情で相槌を打つと、ステラの内心を汲み取った一輝が「倉敷君の強さはたぶんステラの思っている強さとは違う」と指摘した。

 

「倉敷君は剣術に関して言えば素人だよ。去年の七星剣武祭の試合を見る限り間違いない」

「それならどうしてベスト8になれたのよ?」

「彼の能力が厄介というのもあるけど、本人のスペックが桁違いに高いんだ」

 

 そう言うと綾瀬もすかさず追従した。

 

「そうなんだよ。アイツ、見てから反応してくるんだ」

「見てから?」

 

 それはおかしなことだ。剣術に精通している者は非常に機敏だ。アクションの行程に於ける無駄を削ぎ落とし、先鋭化しているからだ。その速さは迅雷に喩えられるほどで、事実達人のそれは()()()()

 なぜ見えないのか。単純にヒトの反応速度をはるかに上回っているからである。つまり見てから反応できる道理はない。そんな刹那の世界を生き抜くためには一輝のように敵の呼吸を読み解き攻撃を予見したり、実戦経験から培われる勘で察知するしかない。そうやって剣士たちの攻防は成り立っている。

 そんなシビアな世界に身を置いている綾瀬にとって、蔵人の戦い方は異質以外の何者でもなかった。動く剣先にピタリと目を張り付かせてくる不気味さを今でも覚えている。

 

 その前提を嘲笑うかのような不可解な発言を一輝が繋いだ。

 

「彼は超人的な反応速度を持ってるんだ。それが彼を《剣士殺し(ソードイーター)》足らしめる強さだ」

 

 一輝が蔵人の才能を見抜けたのは昨日のファミレスでの一件だ。あの場に於いて蔵人は誰よりも早く綴の脅迫に気づいていた。それだけで十分だったのである。

 

「じゃあ、どんなに速く攻撃しても躱されるってこと!?」

「論理的に考えればそうなるね。だけど人間には、反応できても体が付いてこれないことだってあるだろう?」

 

 意味深な目線を寄越す一輝に、綾瀬は譫言のように零す。

 

「まさか──」

「『後の先』を制す。攻撃した直後は必ず無防備だ。その隙を突く技術を絢辻さんは知っているはずだよ」

「もう一度《天衣無縫》をやれって言うのか!?」

 

 絹を裂くような声で叫んだ。トラウマである蔵人の前に立たなくてはならない上に、宿敵にたまたま出来ただけの奥義を再び演じてみせろと言われれば絶叫ものだ。

 さすがにステラも無茶振りが過ぎると感じ目線で引き下げるよう訴える。しかし、彼女らの思いを受けてなお一輝は退かなかった。一輝の提案の狙いはそこではないからだ。

 

「もちろん勝ってこいなんて言うつもりはないさ。《天衣無縫》を体得して挑めなんて言うつもりもないよ」

「だったら……ッ!」

「でも、絢辻さんは()()()()()()?」

 

 ぴしゃりと叩きつけられた言葉に喉を詰まらせる。

 

「昨日言ノ葉さんは問題の解決に絢辻さんの気持ちは関係ないと言った。それは間違ってない。だけど()()()は?道場を取り戻した。誇りだって取り戻せた。けれど、倉敷君に手も足も出せず負けたという結果だけは取り戻せない。それだけは一生取り返せないんだ」

「……当たり前だろう。ボクじゃあいつに逆立ちしたって勝てないんだから」

 

 言葉だけなら開き直ったように思える。しかし彼女の涙の滲んだ目が。食いしばった口元が。シーツに皺を作る手が。その言葉が偽りであることを物語る。

 

 悔しい。死ぬほど悔しい。当たり前だ。出来ることなら自分の手で取り戻したかった。それが叶わないから過ちを犯した。

 傷口に塩を塗るような言葉を投げかける一輝の考えが理解できない。蔵人を退治し道場を取り戻す。それでいいじゃないか。奴に勝てないのは仕方のないことなんだから。綾瀬は本気で悩む。

 

 だが、だからこそ。彼女が本気でそう思っているからこそ、一輝は言わなくてはならなかった。

 

「『誰かに負けるのはいい。いつか勝てばいいんだから。泣いてもいい。また立ち上がればいいんだから』」

 

 ()()()()()()に投げかけるように、優しい声音で綾瀬にナイフを突き立てた。

 

「『でも自分にだけは負けちゃいけない』」

「!!」

 

 瞬間、ガッと少女の腕力とは思えないほどの力で胸ぐらを掴み上げられた。息がかかるくらい近い距離で睨みつけてくる眼は恐ろしい光を宿していた。

「イッキ!!」と叫び綾瀬を引き剥がそうとするステラに、一輝は無言で手をかざしそれを拒絶した。

 

 まさに鬼の形相を浮かべる綾瀬。しかし一輝には怯え震える子供が張る虚勢にしか見えない。

 これは心の奥底に閉じ込めたモノに触れさせないようにするための精一杯の威嚇だ。もう一度表に出してしまえば地獄のような苦痛を味わうから、触らないでほしいのだ。

 

 それを正確に見抜いた上で()()を抉り抜く。

 

「あんなチンピラに見下されたまま終わっていいの?」

「良い訳が──ッ!!」

「そう!良い訳がない!!」

 

 遂に激昂するかと思われたところを一輝が怒号で塗り潰した。柔和な彼らしからぬそれに綾瀬のみならずステラも度肝を抜かれ、ぽかんと呆ける。

 

「絢辻さん、あなたは本当に誇り高い人だ。相手に飽きられるほど負けても挑み続けた!信念を曲げてでも自分の力で乗り越えようとした!結果的に間違いを犯してしまったけれど、それを償うだけの誠意と誇りを見せた!」

 

 綾瀬の中途半端に開いた口から声にならぬ吐息が断続的に漏れる。突然の賛辞の嵐を前に戸惑うことしか出来ないからだ。

 だが一輝はお構いなしに叫ぶ。叫ばずにはいられない。

 

「そんな絢辻さんがどうして自分を諦めるんだ!!」

「なっ、なにを」

 

 ようやく絞り出せた声に、ふと一輝は語調を元に戻した。その表情は何かを惜しむような色を浮かべていた。

 

「あなたは《最後の侍》の剣を手にできたじゃないか。たとえそれが完全から程遠くても、偉大な父の剣術を宿した何よりの証拠じゃないか。それがどれほど凄いことか、父の背を追い続けてきたあなたが一番よく理解しているだろう?どうしてそんな自分を信じてやれないんだ」

 

 涙をこぼすような声音で締めくくった一輝は綾瀬の返事を待った。つかの間の沈黙が病室を支配する。ステラは固唾を飲んで二人を見守っている。

 それからポツリと綾瀬が呟いた。

 

「ボクには父さんのような才能がない」

 

 彼女の胸の奥に封印されていたものは劣等感だった。それは怠けた凡人が天才に抱くような下等な妬みではない。努力を怠らず天才を追い続けたからこそ理解した諦観。非情なる現実が示す理不尽の壁。

 

「ボクなりに頑張ってきた。父さんの修行にずっと付いて来た。なのに同い年のアイツに手も足も出なかった。年下のキミにも傷一つつけられなかった。同じ時間を過ごしているのに、どうしてここまで差が出来るの?」

 

 ステラは下唇を噛んだ。才能を言い訳に怠けることを唾棄する彼女にとって綾瀬の言い分はいっけんバカらしいことだった。

 けれど、内心を語る綾瀬の顔が。手が。その全てが彼女の歩んで来た時間に怠けは無かったことを物語っていた。

 

 それを修行の時間が足りないからだと一蹴することは出来ない。まぎれもない天才であるステラだからこそ、そんなことを言ってはならない。

 全員が同じ内容の時間を過ごせば同じだけ成長するだろうか。いや、するはずがない。全員が全員、飲み込みの早さが違うのだから。

 歩幅に喩えればわかりやすいだろうか。ある人が一歩で進める距離でも、ある人にとっては二歩必要かもしれない。この歩幅の差は本人の意思でどうにか出来るものじゃない。生まれ落ちたその時に決められたものだ。

 

 そんな誰のせいにも出来ない理不尽を、人は才能と呼ぶのだ。

 

 狂気じみた努力をすればいつか天才に追いつけるかもしれない。けれど、それは本当に遠い未来で起こりうる可能性だ。たった十数年の歳月で埋められる差ではない。天才だって努力しているのだから。

 

 綾瀬の劣等感はつまりこの理不尽なのである。

 だからステラは黙るしかない。母国には自分に付いてこれる人は誰一人としていなかった。みんな勤勉に努力していた。けれど、それでもステラには追いつけなかったのだ。だからこそ自分は日本(ここ)にいる。凡才を見限った自分が間違っても口を出してはならないのだ。

 

 助けを乞うようにステラが目線を上げた。そして目を見開く。才能という理不尽を誰よりも理解しているはずの一輝が毅然と綾瀬の顔を見つめ返していたから。なにも気後れするものはないと物語っていた。

 

 ──どうして!?それがどれほど残酷なことかアンタが一番わかってるはずじゃない!──

 

 伐刀者として無能のレッテルを貼られた男は、しばらく間を置いてから口を開いた。

 

「二日前の模擬戦で421敗目になる」

 

 呟かれたその言葉にステラが鋭く息を呑んだ。少し遅れて綾瀬が察し口を押さえた。

 

「絢辻さんの言う通り、確かに僕には剣術の才能があったかもしれない。そのおかげで選抜戦を勝ち抜けてこれたのかもしれない。けれど、そんな僕でも全く敵わない人がいる。僕よりずっと天才の人がいる」

 

 一輝がとある《七星剣王》と毎日模擬戦を行なっていることを学園内で知らぬ者はいない。そして選抜戦で無双している者とは思えないほどの黒星を重ねていることも。それでも懲りずに挑み続けていることも。

 

 それが今の自分にそっくりだと感じたからこそ、綾瀬は己が失言をしたことを遅まきながらに気づいた。一輝が悲痛な表情とともに訴える理由を悟った。

 

 相手より才能で劣っているから勝てないのは仕方ない。なら負け続けてなお理不尽に立ち向かう一輝は何なんだ?身の程を弁えないバカだとでも言うのか?縮まらない差を埋めようと無駄な努力をしているとでも言うのか?

 

「ち、違う。黒鉄くん、ボクはそんな意味で言ったんじゃ……っ!」

「わかってる。絢辻さんに悪意がないのはわかってる」

 

 青褪めた綾瀬を宥めた一輝は「でもこれだけは知っていてほしい」と言い聞かせた。

 

「格下の僕でも一回だけ勝ちをもぎ取ることが出来たんだ。それがまぐれだったとしても、それまでの積み重ねがなければ絶対にもぎ取れなかった1勝なんだ」

 

 綾瀬の味わった絶望は去年の春に経験した。人生を捧げたと言っても過言ではないくらい努力をしてきたのに負けた。

 その時ばかりは本気で己の才能の無さに絶望した。今までの努力は無駄だったのかと。何のために努力してきたのかと。

 

 でも違ったのだ。初めから勝てるなら誰も苦労しない。努力すれば負け知らずになれる、なんてことがあるはずがない。

 敗北を受け入れ過酷な現実に立ち向かい続けなければ、勝利を手にすることは絶対に叶わないのだ。立ち向かい続けるからこそ手にする権利を得られる。

 

「積み重ねて、積み重ねて、積み重ねる。それは本当に苦しくて逃げたくなる日々だけど、自分から逃げ続ける人生よりマシさ」

 

 綾瀬が唇を噛む。綾瀬が蔵人に挑み続けたのは、なにも道場を取り戻すためじゃない。もちろんそれが本命だが、それ以前に一人の武人として強者に勝ちたいという本能がざわついていたのだ。

 そうでなければ、あそこまで自分一人で解決することに固執することはなかっただろう。

 だが敗北を繰り返していくうちに燃え盛っていた本能は磨耗していき、道場を取り戻すという使命感だけで動くようになった。そして過ちを生んだ。

 

「これは僕のワガママだ。だから無視してくれても構わない。けど、この機を逃したら必ず後悔することになると思う」

 

 本能は擦り切れた。けれど死んではいない。少し息を吹きかけてやれば消し飛ぶくらいか細いけれど、ギリギリのところで火を紡いでいる。

 一度息絶えたら二度と蘇らない。一生才能を言い訳にして逃げ続ける運命を辿る。今ここが分水嶺なのだ。

 

 他ならぬ本能で感じ取った綾瀬は深く、そして長い吐息を繰り返した。

 それは断崖絶壁から飛び降りようとする人のように見えた。

 それは灰になりかけの炎を必死に熾そうとする人のように見えた。

 

 綾瀬は父の教えを思い出していた。絢辻の剣は守る剣である。これが絢辻流の信念であり、真髄だと。

 しかし父はこうも言っていた。

 

『常に虚心を心掛けろ。己に強くなれ。自分一人に勝てない輩が誰かを守ることはできん』

 

 目先の信念ばかりに気を取られて忘れていたことだった。目先の現実に屈して目を逸らしていたことだった。

 

 だけど今は違う。教えを思い出した。現実に向き合った。

 ならば踏み出すだけだ。絢辻の名に恥じぬ生き方をするために。

 

 顔を起こした綾瀬の瞳に炎が宿っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話

 ガチガチに体を強張らせている綾瀬に一輝が声をかけた。

 

「やっぱり緊張するかい?」

「そ、そりゃもちろん」

「そう意気込むことはないさ。気楽にいこう」

 

 一輝の笑みと対照的にぎこちない笑みらしきものを浮かべる。一輝も綾瀬の内心を理解しているので、気楽にいけるはずがないことも承知している。

 

「いいかい絢辻さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなものを意識しちゃダメだ」

「どういうこと?」

「昨日の僕との試合を思い出してみて。絢辻さんは僕と戦うとき、そんなことを考えながら戦っていたかい?」

 

 少し考える仕草を見せて答えた。

 

「……いや、何も考えてなかった」

 

 正直に言うと、一輝は満足そうに頷く

 

「それがベストの状態なんだよ。小難しいことは考えずに、ただ目の前の敵と戦うことに集中する。そう心掛ければ自然と緊張もほぐれるよ」

「うーん……やってみるよ」

 

 眉を顰めながら思考に意識を傾けた綾瀬。あまり合点がいってない様子だ。

 それもそのはず。一輝はあえてぼかして言ったのだから。一輝が言わんとすることをきちんと説明すると混乱するだろうし、そもそもきちんと説明してしまうとかえって理解出来なくなってしまうことなのである。

 概念的なことを理解するためには自分の中にある感覚に当てはめなくてはならない。その型は個人個人で違う。闇雲にピースを型に押し当ててみて、ピタリとハマりそうな角度を変えながら探していくしかない。

 

 疑問符を掲げながらも綾瀬が了解の首肯を返したところで目的地に着いた。

 

 威厳ある門構えだったはずの絢辻道場は見るも無惨に荒らされており、入り口には下品な笑い声を上げる不良たちが屯している。変わり果てた光景に綾瀬の歯が音を立てて軋んだ。

 一輝は悲嘆のため息を押し殺し綾瀬の肩に手を置いた。

 

「ウォーミングアップの時間だ。覚悟を決めたあなたの姿を見せつける時だ」

 

 一輝に言われずとも綾瀬はわかっていた。蔵人に相手にされないのならば、相手にする他ない状態にしてやればいい。取り巻きを全て薙ぎ払い挑戦状を叩きつけてやるのだ。

 

『あん?ンだテメェら』

 

 入り口付近でタバコをふかしていた不良の一人がメンチを切って立ち上がる。それを合図に綾瀬も自らの霊装を顕現させて一歩踏み込んだ。

 

「引き立て役になってもらうぞ。覚悟しろ」

 

 少女とは思えないほど低い声で呟かれたそれに思わず聞き返そうとした不良は、そのときには視界が傾いていた。

 

 近年下品な笑い声しか聞こえなかった絢辻道場に活気溢れる、されど獰猛な雄叫びが飛び交い始めた。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

『ク、クラウドぉ!!』

 

 青ざめた表情で情けなく駆け込んできた不良によって、道場内で好き勝手遊んでいた取り巻きたちが俄かに騒めく。

 対し、一番奥に勝手に持ち込んだソファに身を沈めていた蔵人はニヤリと口角を吊り上げた。

 

「ハッ、随分と早ェ再会じゃねェか。この俺に喧嘩売ってくるとはクレイジーな野郎だ」

 

 巷で話題の《無冠の剣王》が殴り込みに来たと取った蔵人が飛び上がる。

 しかし駆け込んで来た不良は『ちげぇんです!』と悲鳴に似た絶叫で彼を止める。

 

『綾瀬です!綾瀬のヤツが目に入った奴らを片っ端からぶちのめしてるんです!』

「なに?綾瀬だと?」

 

 言われてみれば報告に来たこの不良の様子は大袈裟だった。一輝のようなガタイの良い男が暴れまわる様子は不良たちにとって見慣れた光景だ。こんなに怯えることはない。

 

 しかしこの不良は、まるで鬼を見たかのような怯えようだ。尋常ではない光景が繰り広げられていたのだろう。喩えば、かつて見下していた存在が予想外の暴力を以って歯向かって来たような。

 自分と顔を合わせるたびに小動物のように震えていた綾瀬が真っ向から喧嘩を売ってくる。蔵人には考えられない光景だが、しかし心当たりはあった。

 

 一輝だ。あの男が何か吹き込んだに違いない。根本からポッキリ折れた綾瀬の心を立ち直らせた何かを。

 それが何であるかはどうでもいい。ただ、立ち直った綾瀬が蔵人の欲するものを見せてくれるかどうかが問題だ。

 

 蔵人は思い出す。綾瀬に抱いていた期待を。未熟な綾瀬を叩きのめすことで鍛え、いつか《最後の侍》が見せようとしたモノを携えてやってくるという淡い期待。

 随分前に見限ったはずの期待が今更になって返ってきたらしい。二年間という長い月日を賭けて待った甲斐があったようだ。

 

 なるほどと小さく呟いた蔵人は一旦真顔で考える仕草を見せて、再び獰猛な笑みを浮かべて指示を出した。

 

「テメェらは引っ込んでろ。外にいるヤツも全員だ。どうやら面白ェことになったらしい」

 

 蔵人の意味深な言葉に疑問を抱きながらも忠実に従う取り巻きたち。全員がわきに退いたところで入り口から足音が響き渡る。

 姿を現した来客三人の前に仁王立ちした蔵人は両腕を広げた。

 

「揃いも揃っておっかねぇツラしてやがる。まぁ、話の早ェヤツは嫌いじゃねェ。いいぜ、誰からヤる?」

「お前の相手はボクだ」

 

 霊装《緋爪》の鋒を突きつけ歩み出た。

 

「道場を賭けて勝負しろ倉敷!」

「ハッ。威勢がいいな。泣き寝入りしてたヤツとは思えねェな」

 

 ゴキゴキと手を鳴らした倉敷はサングラスの奥から一輝を睨め付ける。

 道場に踏み入ってから何かを探るように見回す彼に威嚇する。

 

「待ってなクロガネ。ソッコーでテメェの番にしてやるからよ」

「それは楽しみだ。ルールは実戦形式かい?」

「ったりめぇだ!ここは俺の道場だ。道場主の意向に従えねぇなら出ていきな」

「いや、それでいい。確認しておかないと規約違反になるからね」

 

 律儀なこった、と小さく毒づく。

 認められた敷地外での霊装の使用はご法度だ。ただし国から使用許可が出た場合と、国に認可された私営道場の道場主が使用許可を出した場合は例外となる。今回は後者に当たる。

 もちろん不良の蔵人はそんな面倒なことを忘れて暴れまわっていたので何度も叱責を受けているのだが、それはさておき。

 

「判定は僕が取ればいいのかな」

「何寝ぼけたこと言ってやがる。()()()()()()()()()

「なるほど。──良いルールだね」

「ハッ、知ったような口を叩く野郎だ。わかったらすっこんでな」

 

 やれやれと肩をすくめて言いなりになる一輝にステラが問い詰める。

 

「何が良いルールなのよッ!それってつまり死体蹴りもアリってことでしょ!?センパイを危険に晒してるじゃない!」

「確かに彼ならやりかねないけど、絢辻さんに限っては絶対にしないよ」

「どうしてそう言い切れるのよ!?」

「そんなことをするなら初めからしてるからさ」

 

 綾瀬は道場を奪われてから二年間、蔵人の提示する条件下で戦って来たはずだ。その全てに負けてきた綾瀬だが、逆に言えば二年間戦い続けられるだけのコンディションがあったということ。

 仮に蔵人が死体蹴りをしていたならば今頃綾瀬は心身ともに壊れていたはず。しかし彼女の身体は健康そのものだった。それは判定を緩くして早々にケリをつけていたことに他ならない。

 

「言われてみれば確かに……。でもどうしてそんなことを?アイツ、そんな優しいヤツじゃないでしょ?」

「もちろん優しさなんかじゃない。たぶん、絢辻さんの勝負を受けることに意味があったんだよ」

 

 その証拠に、と辺りにぐるりと目を巡らせる。

 

「彼は取り巻きに手出しさせないよう徹底している。本当に飽き飽きしているのならいつも通り門前払いをするか、取り巻きにあしらわさせるはずさ」

「なんで今更相手にするのよ」

 

 首を傾げるステラに微笑みを落とし一輝は推測する。

 蔵人は今までに多くの道場を潰してきた。不規則に、気まぐれに、確実に。

 しかしひとつ確実なのは、道場潰しは点々と行ってきたということである。ひとつの場所に留まらず手当たり次第。さながら何かを求めて放浪する鬼のように。

 そんな彼が潰したはずの絢辻道場に二年も居続けるのは不自然極まりない。何か理由があるはず。

 

 その謎に一輝は心当たりがあった。《最後の侍》こと絢辻海斗である。

 綾瀬によると心臓病により体調が優れない身で戦い、蔵人に敗北したという。そして意識不明の重態に陥ったとも。

 

 もし仮に一輝が当時の蔵人だったなら、どう思うだろうか。

 ()()()()()()。歴史に名を刻んだ武人と手合わせできたにも関わらず相手が不調子で、しかもそこにつけ込んだ形で勝利しても納得できない。

 今度は万全な状態で戦いたい。そう願うはずだ。それが形となって道場に居続けているのではないか。いつか目を覚まし道場を取り返しに来る海斗と戦うために。

 

 全て憶測に過ぎない。だがこれしか辻褄が合わないのだ。蔵人が綾瀬を相手にする理由が。

 海斗の剣を手に入れた綾瀬ならもしかしたら。そんな淡い期待を寄せていたからこそ、過度に痛めつけることなく相手し続けたのではないのか。

 

「君の願いが叶うかもしれないよ」

 

 人知れず呟かれたそれを契機に綾瀬と蔵人の霊装が火花を散らした。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 綾瀬の戦闘スタイルは『待ち』だ。絢辻一刀流はカウンターを主にする剣術であるからして当然の帰結である。

 

 しかし敵対する蔵人の霊装《大蛇丸》は刀身を自在に伸縮できる異能を持つため、日本刀と同等の間合いでしか勝負できない綾瀬が待とうとしても──

 

「ハッハーっ!さっきまでの威勢はどうしたぁ!?」

 

 抜身の骨のような野太刀がまさに蛇の如く空間を走り回り、間合いの外から一方的に綾瀬を打ちのめす。

 蔵人が綾瀬に能力を使うのはこれが初めてだった。今までは綾瀬に対して全く警戒することがなかったため、才能にモノを言わせてインファイトを仕掛け綾瀬の対応を振り切って倒してきた。

 

 だが今回は違う。今の綾瀬は蔵人をして警戒しなければならないと思わせる何かがあった。幾多の強者を食らってきたために培われた一種の直感が何かを感じ取ったのだ。

 

 言い換えれば、初めて蔵人が本腰を入れて立ちふさがった。それがこの決闘に何の影響を与えるのか、蔵人は知る由もない。

 

 異形の生物を相手取っている錯覚に陥りながら綾瀬は懸命に剣を振るう。時に空振りを交えながら道場内を走り回り迫り来る切っ先を叩き落とす。

 

 だが人間の腕によって振るわれるのではなく、魔力という見えない力によって踊る剣戟は強い違和感を植え付ける。

 対人に慣れきっている者ほどこの異様な光景に手をこまねくだろう。人を相手に剣術を振るう剣士を殺す伐刀絶技《蛇骨刃》。《剣士殺し(ソードイーター)》とはよく言ったものである。

 

 結果、見切れなかった斬撃が皮膚を掠め僅かながらも着実に綾瀬の体にダメージが蓄積していく。

 しかし綾瀬は待ちの姿勢を崩さない。解こうとしない。傷を無視し正眼に構え縦横無尽に駆け巡る斬撃に追われながらも凌ぎ続ける。

 

「まずいわよセンパイ……!待ってても事態は好転しないわ!」

 

 ステラが忠告しても綾瀬は聞く耳を持たず、ひたすら蛇の毒牙を捌き続ける。

 一方、その隣に座る一輝は綾瀬の真意に気づいていた。綾瀬が大袈裟に道場内を動き回る狙いを読み取ったのだ。

 

「ステラ、心配はいらないよ。絢辻さんは文字通り、待ち伏せているのさ」

 

 どういうことか問いただそうとしたまさにその時、何もない空間から火花が散り《大蛇丸》が怯んだように軌道を変えた。

 ピクリと眉を動かした蔵人に対し綾瀬は腰に《緋爪》を引きつけ、柄に手を添えている。

 

「えっ!?何が起こったの!?」

「絢辻さんの異能は霊装で付けた傷を開くというもの。それは人体だけじゃなく空間に対しても可能だったというわけだ」

「ということは、道場内を走り回っていたのも──」

「斬撃の配置が目的。今絢辻さんの周りには無数の斬撃が漂っている。どんな角度から攻めてこられようが能力を発動すれば対処できる状態だ」

 

 綾瀬の伐刀絶技《風の爪痕》による究極の待ちが完成した瞬間である。

 しかしこれは蔵人が相手だからこそできた布陣。真剣勝負中に斬撃を配置することはほぼ不可能だからだ。

 斬撃を配置するにはそれだけ空振りする必要がある。すなわち自ら致命的な隙を作らなければならないのだ。その隙を見逃すほど剣士は甘くない。ゆえに一輝と戦った時には使えなかった。

 

 だが蔵人は違う。彼は剣士であるにも関わらず遠距離攻撃を仕掛けるスタイルだ。攻撃するのにどうしてもタイムラグが発生するし、次の攻撃を仕掛ける時にも時間がかかる。

 綾瀬の待ちに対しアウトボクシングを徹底すると決めたゆえの隙。そこを綾瀬は利用したのだ。

 

「チッ。面倒なことしやがって……」

 

 《剣士殺し》を思わぬ形で封殺された蔵人は渋面を浮かべる。が、焦る様子は全くない。確かに攻めの手を潰されたのは痛いが、良くも悪くも綾瀬は待ちを徹底している。こちらが攻めに動かなければ敵も動かない道理。いくら斬撃を配置しようが、それが蔵人に直接害を与えられないのならば打開策を考える時間はいくらでも確保できる。

 

 一方的な追いかけっこから一転して膠着状態に陥った戦況を見て、一輝は綾瀬の更なる真意を悟る。

 

 ()()()()()。もとより配置した斬撃だけで蔵人をどうにかしようなどと考えていないのだ。

 綾瀬の能力を発動するのに条件があるらしく、それは《緋爪》の柄を手で叩くことのようだ。絢辻一刀流にはない居合のような姿勢を取っているのが良い証拠。

 斬撃を起動するのに無駄なアクションを強いられるということは、当然ラグが生じる。そのラグに対して《神速反射》を持つ蔵人が反応できないはずがない。

 つまり不可視の斬撃が鬩ぎ合う森は《蛇骨刃》を弾くことは出来ても、蔵人の侵入を妨げる足かせにはなり得ないのだ。綾瀬の予備動作をヒントにすれば回避するのに事足りるのだから。

 

 それを自覚した上でなお斬撃の森に身を潜める理由とは──

 

「いいぜ。テメェの土俵で戦ってやるよォ!!」

 

 同じく綾瀬の布陣の弱点に気づいた蔵人は《大蛇丸》をデフォルトに戻すと同時に躊躇わず危険地帯に突進した。

 足を踏み入れた瞬間綾瀬が柄を叩くが

 

「おせェッ!」

 

 身を煙らせ紙一重で斬撃を躱す。回避先の空間から刃が飛んできても豪腕を振るい危なげなく防ぐ。

 一進一退を繰り返しながらも着実に侵入していく蛇は今か今かと牙をちらつかせる。蔵人に合わせジリジリと後退する綾瀬だがすぐに壁際まで追い込まれ逃げ場を失った。

 

 遂に決着かと思われたが、

 

「せあァッ!!」

 

 後ろに下げた足を踏み込み足に転じ、逆に蔵人へ飛び出した。

 突然の切り返しにも関わらず蔵人はあっさり綾瀬の腕を弾き飛ばしてみせ、牙を剥く。

 

「あばよ」

 

 払った腕を引き戻し、豪腕が振り払われる。

 数瞬後の惨劇を予見し咄嗟に目を瞑るステラ。しかしその予想は裏切られることとなる。

 

 ギィン!と鋭い擦過音を鳴らして《大蛇丸》が空中でつっかえたのだ。

 

「なにッ」

「せあァッ!!」

 

 体勢を立て直した綾瀬が再び食らいつく。

 

「クソがッ!」

 

 短く毒づく。その場を飛び退くことで難を逃れるが、綾瀬が柄に手を添えたのを見せたことにより息をつく暇すら得られない。

 耳元を掠めた斬撃に続き、回避した隙を縫って間合いを詰めた綾瀬による攻撃が蔵人を襲う。このままではマズイと直ちに判断し、斬撃の森から抜け出さんと後方へステップしようとしたところで背後の空間から鎌鼬が発生。すんでで立ち止まった蔵人を待つのは綾瀬の追撃である。

 

 この迷いのない連携に蔵人は遅まきながら綾瀬の真の狙いを悟った。

 

 ──配置した斬撃で体勢を崩し本命の追撃で仕留める狙いか!追撃を受け止められようが躱されようが、その隙に能力を発動しループさせるってわけだ……!《蛇骨刃》を防いでみせたのはオレがこの結界に突っ込むよう仕向ける罠!一度入れちまえば後は能力で逃げ場を絶って内に戻るよう誘導すればいい……!──

 

 さながらコーナーに追い込まれたボクサーのよう。パンチをガードしても背後のロープの弾性で前面に押し出され、再びパンチを受けなければならない悪循環。ジリ貧の一方だ。

 

 これは綾瀬の思惑外だが、実はこの悪循環こそ蔵人の最大の弱点を突くものだった。

 《神速反射》は常人より遥かに早く反応できる才能だが、裏を返せば常人より何倍もの体力を消費しなければならない道理。

 常人なら見落としてしまうような些細なことでも《神速反射》は過敏に反応してしまう。その都度スタミナを余計に削らなければならない。

 

 そして今のような常に気を張らなければならない状況だと、その無駄な浪費が秒単位で行われることになる。

 反応したくなくてもしてしまう。過敏ゆえの摂理。皮肉なことに、こればっかりは蔵人本人の意思で抑えられるものではないのだ。

 

 あっという間に体力を燃焼させてしまった蔵人の口から荒い息が不規則に吐き出される。凄じい勢いで消耗を強いられる蔵人を見てステラは渾身の声援を送る。

 

「なるほど!これが《神速反射》の弱点だったのね!いける、いけるわよセンパイ!」

「凄いの一言に尽きるよ。完全に自分の土俵に引き摺り込んだ。だけど……」

 

 後半の言葉を濁した一輝は厳しい面持ちだった。

 その理由は、青ざめた額にびっしり汗を貼り付かせる綾瀬を見れば明らかだった。ゆえに、蔵人は窮地に立たされている者とは思えない獰猛な笑みを剥いた。

 

「策に溺れたな綾瀬!いや、それすら織り込み済みならテメェは大したクレイジーだぜ!このオレに命がけのチキンレースを仕掛けるたァな!!」

 

 不可解な発言にステラが眉を顰める。

 

「チキンレースっ?何言ってるのアイツ」

「君は一番重要なことを忘れているよ。能力を使うためには何が必要かな」

「そりゃあ魔力よ。……あっ、まさかッ!?」

「そう。魔力切れだ。絢辻さんの魔力量は決して多くない。あんなに能力を連発していればすぐに底を尽く。倉敷君と同じくらい絢辻さんも追い詰められているんだ」

 

 桁違いの魔力を有するステラが見落とすのも無理はなかった。魔力切れを気にするようなことは無いし、一輝のような一芸に掛けた能力を見慣れていると忘れがちになる現実である。

 どんなに燃費の良い能力だろうと数が重なれば山となる。森を作るほどの斬撃を用意すればそれだけ消耗するのは至極当たり前のこと。

 

 逃げ場がないのは二人とも同じ。どっちが先に尽きるかのチキンレース。綾瀬の一世一代の大勝負だ。

 狂行とも言えるそれに戦闘狂(バトルジャンキー)の蔵人が喜ばないはずがない。まして自分の前から逃げ出した弱者が仕出かしたのだ。これほど嬉しいサプライズはない。

 

 ゆえに。蔵人は素直に綾瀬を認めた。

 

 ──弱虫っ()ったのは撤回してやる。テメェは《最後の侍》の後継者に相応しい剣客だ──

 

 かの剣豪には遠く及ばない。けれど、それを余りある覚悟で覆すだけのものを見せてくれた。

 それで十分だった。もう綾瀬に思い残すことは何もない。良い意味で期待を裏切ってくれた綾瀬に惜しみない賞賛を抱き。

 

 ゆえに。蔵人は決断した。

 

 ──全力だ。殺しちまっても後悔はしねェ。テメェと立ち会えたことを誇りに生きていく……ッ!!──

 

 理不尽に道場を奪われ乗り越えたなら、命すら奪われようとする今も乗り越えて見せてくれ。

 《神速反射》を以って成す超人の絶技──

 

「《八岐大蛇(やまたのおろち)》ッッ!!」

 

 渾身。振るうは一瞬に放たれる八連撃。ただでさえ速い脳の伝達信号を更にフルスロットルに回し撃ち出すそれは、骨のように光沢のない八つ首の白蛇を幻視させる。

 残っていた体力を全て注ぎ込んだ全身全霊の必殺技である。

 

 その絶技が放たれるわずか直前に綾瀬はそれを察知できた。

 なぜかはわからない。強いていうならば死に対する剣士の直感が知らせた。

 迫り来る死に対し綾瀬が抱いたのは恐怖でもなければ反骨でもなかった。

 

『虚』。何もなかったのである。

 

 もとより決闘が始まった直後から綾瀬は何も感じていなかった。

 今に至ってもそうだった。限界に至ったはずの体は痛覚どころか疲労すら覚えていなかった。ステラの忠告を無視したのではなく、そもそも聞こえていなかったのだ。

 感覚が麻痺したのではない。ひとえに一輝にアドバイスされた『何も考えないこと』に集中した結果だった。

 

 それが父・海斗の教えである虚心に至らしめた。何ものにも動じず、あるがままに受け入れる。絢辻一刀流の真髄に触れたのだ。

 

 時間感覚の矛盾の狭間、綾瀬は湖面の如く静かな心のまま己の手を《緋爪》の柄に触れさせた。

 蔵人の腕が動き出したと同時に綾瀬を守るように弧を描いた斬撃が浮かび上がる。しかし数が足りない。大量の斬撃を用意したとは言え、一ヶ所に集中した攻撃を防げるような都合の良い斬撃があるはずもない。

 

 起動した斬撃は四つ。どんなに上手く捌けたとしても絶対に一つの太刀が致命傷を与える角度だった。

 全ての手札を切ってもなお凌ぎきれない──たった一つの道を除いて。今の綾瀬を躊躇わせるものは何もなかった。

 

 対しその経緯を正確に見届けた蔵人は勝利を確信する。文句の付けようのない詰み。確実に死に至らしめる。

 だというのに、思考と裏腹に蔵人は感じた。自身の命を切り裂くような悪寒を。

 

 向かいくる八つ首の牙を前に刀を正眼に、切っ先を蔵人に向けたまま、守るそぶりすら見せず飛び込んでくる綾瀬の目。それを過去に一度だけ見たことのある目だったのだ。

 ──絢辻海斗との戦い、その最後の瞬間。今の綾瀬と同じように飛び込んできた海斗は、何の感情すら感じさせない、されど光すら断ちそうな鋭い眼光を浮かべていた。

 

 まさにその光景が、夢にまで見た『あの日』の続きが目の前に。

 

「待った甲斐があったぞ!二年間────ッッ!!」

 

 二人の渾身が交錯し、そして。

 

「──」

 

 僅かに世界が停止したが、それを破ったのは綾瀬だった。

 《緋爪》を振り切った姿勢のまま固まっていた彼女が音もなく傾いた。そのまま床に崩れるかというところでガシリと綾瀬の体が止まった。

 

 蔵人だった。彼が左腕で倒れこんできた綾瀬を受け止めたのだ。ピクリとも動かない彼女のうなじを見下ろす顔は全ての精気が抜け切ったような無表情だった。

 しかしそれは見た人に『彼の悲願が叶った瞬間だ』と思わせるような達成感に満ち溢れた虚脱感だ。

 

「──なるほどな」

 

 荒々しい性格から出たとは信じられないほど穏やかな声音で呟かれたそれは、誰の耳にも留められることはなかった。

 右手に残った奇妙な手応えを探るように開閉させる。水を斬ったような、空を漂う木の葉を斬ったような。そんな手応えを、誰よりも敏感に感じ取れる蔵人は持て余していた。

 およそ人の成し得る技ではない《最後の侍》の奥義。その一端を垣間見れた蔵人は胸につっかえていた蟠りがストンと降りた気分だった。

 

『あの日』の終わり。胸糞悪い気分で道場を後にしようとした時、蔵人は確かに聞いたのだ。

 すまない、と。昏倒したはずの男から発せられた謝罪は誰に向けられたものなのか瞬時に悟った。そしてその意味を今ようやく正しく理解できたのだ。

 奥義を見せられず無様を晒したことを恥じ謝ったのだ。《最後の侍》に憧れ挑んできたクソガキに応えられなかった不甲斐なさを悔やんで。

 

 そこまでして見せたかったもの。それを直に味わった蔵人はようやくこの道場から去ることが出来る。後を継いだ娘から《最後の侍(オマエ)》の姿をしかと見届けたと踏ん切りがついた。

 きっと完全から程遠いものだったのだろうが構わない。武の究極に達した男の生き様を見れたのだから。

 

 感慨の呟きを口にした自覚がないようなそぶりで、決闘の気迫に呑まれ黙り込んでいた取り巻きたちに視線を巡らせ、目的の人物に声を掛けた。

 

「おいオマエ。確か車持ってただろ。綾瀬を学園に運んでやれ」

『……えっ?なんで──』

「いいから、運べ」

 

 ドスの利いた声で命令された不良は小さく悲鳴を漏らすと、脱力し切った綾瀬の体を受け取った。

 

 そして彼女の容態に気づく。体の至る所に裂傷が刻まれており、特にひどいのが上半身と顔だった。左右から抉り取られたように肉が削ぎ落ち止めどなく血が溢れる腹部に、その傷に重なるよう袈裟に迸った一条の裂傷。端整だった顔は左の頰肉が皮と共に大きくめくれてしまい恐ろしい様相を呈していた。魔力を全部使い切ったせいで魔力欠乏症を引き起こして顔色も著しく悪い。心臓が動いているのが不思議なくらいである。

 

 数人で協力して綾瀬を外に運び出したころに、ようやく我に帰ったステラが彼らを止めようとした。が、一輝が肩に手を置いたことにより綾瀬はそのまま送られた。

 

「今更綾瀬さんをどうこうしようとするほど無粋じゃないよ。張り合った強敵には最大の敬意を。そうだろう?倉敷君」

 

 だらりと腕を下げたまま見送った蔵人は清々しい微笑みを浮かべて答えた。

 

「よくわかってんじゃねェか。何でもお見通しだな、クロガネ」

「……そんなことはないさ。君がそこで切り上げたのは意外だった」

 

 近づき、一輝は蔵人のコートをめくった。その下には野晒しにされた腹と、薄っすらと浮かび上がる一条の切り傷があった。

 綾瀬の刀は僅かながら届いていなかったのだ。とても一本取ったとは言えない傷だが、蔵人にとってはそれでも良かった。それで満足だったのだ。

 

「《天衣無縫》……。やはり海斗さんとの試合で見たのはそれだったのか」

「ハハッ。ほんとにお見通しじゃねェか。エスパーか何かか?」

「君と考え方が同じだけだよ」

 

 一回区切り、一輝は同類に尋ねた。

 

「僕らの憧れた偉大な剣客は、君のように笑えていたかい?」

「ハッ。熱い死合いを楽しめねぇようなヘタレが《最後の侍》なんて呼ばれる訳ねェだろうが」

 

 吐き捨てるように返した蔵人と少しだけ見つめあった後、揃って笑いを零す。片やその通りだという思いで、片やコイツも大概イカれてやがるという思いで。

 蚊帳の外にされたステラが遺憾の念を顔で訴えてきたところで咳払いを一つ置いた。

 

「それで道場は綾瀬さんに返すってことでいいのかな?」

 

 わかりきった問だったが、しかし蔵人は

 

「いや、ダメだ」

 

 断ってしまった。これには一輝も驚き目を丸くする。ステラはツインテールを逆立てて噛みつく。

 

「ちょっとアンタ!自分が立てたルールすら守れないワケっ!?」

「今すぐ返す訳にはいかねェ。まだクロガネとヤってねぇからな。その後ならくれてやる」

「この期に及んでぇ……!」

 

 ふてぶてしい態度に憤慨するステラ。対し蔵人はしれっと言葉を返す。

 

「いいじゃねェか。今すぐ返したって綾瀬がいないんじゃ意味ねぇだろ。あの様子じゃ二日は起きねェぞ」

「むむ。確かに……いやでも」

「うるせェ女だな。返すことは確約してんだから納得しろよ」

「ムキーッ!!」

「まぁまぁ。当初の目的は果たせたんだから、それで良しとしとこう」

 

 地団駄を踏むステラを宥めなつつ、それでと先に進める。

 

「ならいつやるかってなるけど、今からやるかい?僕は構わないけど」

 

 これに対して蔵人は緩やかに首を横に振った。

 

「今日はやめだ。そんな気分じゃねェ。明日は空いてるか?」

「午後からならいける」

「よし。明日の午後ここに集合だ。存分にヤりあおうや」

 

 なぜか仲良く拳をぶつける二人にむっすりするステラだった。

 また明日、と挨拶したところで一輝が振り返って蔵人に言った。

 

「君には特別に見せたいものがあるんだ」

「ほう?なんだよ。言ってみろ」

 

 軽口のつもりだったが、一輝が悪戯小僧のような悪どい笑みと共に返した。

 

「《最後の侍》と同じ域の技さ」

「ッ──!?」

「もちろん《天衣無縫》のことじゃない。むしろ逆ベクトルの技だ」

「──ヘェ。そこまで大口叩くんなら楽しみにしとくぜ。くだらねェ真似しやがったら道場は返さねぇぞ」

「構わないよ。きっと君好みだろうからね」

 

 そして今度こそ立ち去った一輝たちを見て蔵人は顎をさすりながら笑みを浮かべる。自分が挑戦者になるのは『あの日』以来だ。

 久しぶりの感覚に血湧く蔵人だった。

 

 

 △

 

 

 

 後日、一輝は約束を果たした。

 

 《天衣無縫》が『受け』の究極ならば、それは『攻め』の究極。

 ()()()()()に倒された蔵人は愕然としながらも、畏怖と畏敬に身を震わせた。

 

 ()()に至ったこともそうだが、何よりも至るために費やした狂気に対して同じ戦闘狂として慄かずにいられなかったのだ。体に深く交差した太刀筋を見下ろしながら吐き捨てる。

 

「……ハッ。狂ってやがる。()()()に勝つためだけにそこまですンのかよ」

 

 一方的な勝利を収めたはずなのに、ともすれば蔵人よりボロボロになった一輝は弱々しくも得意げな笑みを剥いた。

 

「ハァ……ッ!ハァ……!……するさ。当たり前、だろう。……()()が僕の憧れた場所なんだ。ハァ……ッ、手が届くなら、是が非でもしがみつくさ」

「ハハハっ!やっぱりイカれてやがる野郎だテメェは!()()()は性に合わなかったが、テメェは最高に俺好みだ!」

 

 全身の裂傷から夥しい血を流し肩で息をする一輝に拳を突き出し宣言する。

 

「この続きは七星剣武祭だ。それまでにオレはテメェに追いついてやるよ。だからテメェは()()を完成させやがれ」

「……気づいていたのか」

「一番納得してなさそうな野郎がどの口叩いてやがる。コケにしてんのか」

 

 自分の顔に手を当て困り笑いを零した一輝は蔵人の拳に己の拳を合わせ力強く頷いた。

 

 こうして彼らの邂逅は幕を閉じたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話

 少し離れたところにいる時代錯誤の男──黒鉄王馬はボクを睨め付ける。

 最後の面接相手である彼はどういうことかボクを目の敵にしているようなのだ。

 

 もちろんボクには全く身に覚えはない。が、彼の方から決闘を仕掛けてくるのは、むしろ歓迎するところ。

 

 彼は紫ノ宮を除けば日本の学生騎士に於いて唯一のAランク騎士である。ステラさんへの対抗馬として注目していた。

 それでもやっぱりステラさんのチートの前には勝てそうにないが、実際に戦ってみないとわからないものもある。

 

 紫乃宮の運評価はSランクなのになぜかステラさんの魔力総量評価はAランクだったり、割と適当に評価されているところがあるからだ。

 それに珠雫さんも魔力制御評価はAランクだけど、ステラさんより遥かに卓越しているという事例もある。

 

 ボクなんて魔力B+だぞ。なんだ+って。Aに届きそうだけど届きそうもないからB+ねって感じか。なんだか悔しいな。

 

 ともかく、ひょっとしたら黒鉄王馬にもデータ上ではわからない強さがあるかもしれない。

 

 ……ところで全く関係ないことなんだけど、黒鉄王馬のことをなんと呼べばいいのかかなり悩んでたりするんだよね。

 

 ここだけの話、ボクは黒鉄という言葉の一本通った力強い響きが好きで、それが黒鉄君にぴったりだと思っている。

 だから彼のことは名前で呼ばずに黒鉄君と呼んでいる。

 

 そんな愛着があるから妹である珠雫さんには名前呼びをしているわけだが、これをそのまま流用すると黒鉄君の兄である黒鉄王馬は『王馬さん』と呼ぶことになる。

 

 ……うん。違和感はんぱない。それにいきなり王馬さんと呼んで彼に怒られないか心配だ。

 しかし他に呼び名の候補もない。最終手段に寧音式命名法があるが、さすがに『くろがねっち』とか『おうまん』はヤバすぎる。却下だ。

 とことん役に立たないな寧音のやつ。

 

 仕方ない。勇気を振り絞って呼びかけるしかない。

 

「あの、王馬さん」

「……なんだ」

「呼び方は王馬さんでいいかな……?」

 

 我ながら酷すぎる会話だ。だけど犯罪者予備軍にして親友の兄っていうすっごく気まずい関係にあるボクの心境を察してほしい。

 書類を見る限り彼の生き方に強い共感を抱いているし、できれば仲良くなりたいって思ってるからさ。決闘する気満々の手前、説得力皆無かも知れないけど。

 

 そんなボクの苦悩を知ってか知らずか、王馬さんはひとつ鼻を鳴らした。

 

「好きに呼べ」

 

 怫然としながら承諾してくれた。

 お?てっきり『貴様と馴れ合うつもりはない!』とか言われるかと思ってたのに、案外普通に会話してくれてるぞ。

 

 良い手応えの反面、余計に彼の怒りの原因がわからなくなる。

 

「どうしてキミは怒っているのかな?いきなり呼び出して待たせたのは悪いと思っているけど」

「時間を潰されたのも業腹だが、それは必要経費だった。貴様に問いたださねばならんことがあるからな」

 

 というと、この計画に関わる前からボクに目をつけていたのか。ますますわからん。

 すると王馬さんは射殺さんばかりに目尻をあげた。

 

「一年前、貴様は言ったな。『魔力は強さの一部に過ぎない』と」

 

 なんのこっちゃと記憶を探るとすぐに思い当たった。

 

 去年の七星剣武祭の閉会式の後、世界中のメディアというメディアが押しかけてきて無理やりインタビューしてきたのだ。

 逃げようとしたボクは運営委員会の人に『《七星剣王》の肩書きを手にした者の責務だ』とか適当なこと言われて、なくなくインタビューを受けたわけだ。

 

 そんなときにとある記者がボクに尋ねたのだ。『なぜ魔術を使わなかったのか』と。

 

 伐刀者の決闘と言えば魔術や異能が飛び交うのが常。一般人では成し得ない非日常を繰り広げてくれるからこそ七星剣武祭やKoKといったイベントは人気を博している。

 翻り、伐刀者にも関わらずその由縁である魔術を使わずに戦ったボク。今までそんな戦闘スタイルを取ってきた伐刀者がいなかっただけに、余計異色に映ったのだろう。

 

 その質問に対して返したのが王馬さんの言った言葉だった。

 厳密に言えば『魔力は強さの一部に過ぎない。異能がなくとも頑張り次第でなんとかなるものさ』である。

 

 肯定の首肯を返すと彼から発せられる怒気が露骨に膨れ上がった。

 

「なら貴様の言う『強さ』とはなんだ」

「え?」

「運命を切り拓いた()()でありながらなぜ魔力を否定する」

「なっ、なんでキミが知ってるの!?」

 

 魔人のことを知っているのはごく少数だと聞いていたのに。てか国家機密の情報を暁学園(こいつら)の前で言って大丈夫なのか?

 対する王馬さんはどうでも良さげに胡乱な目を向けてくる。

 

「《比翼》の剣術を知っていれば予想はつく。貴様は射撃に限って言えば、彼女に迫るないし同等の域にいるからな」

 

 ……《比翼》って誰だろう。二つ名で呼ぶ文化いい加減やめてくれません?たぶん本名言われても知らないだろうけど。

 ひとまずプライドの高そうな王馬さんが上に見るくらいだからとても強い人なのは確かなのだろう。

 

「だからこそ、頂きに至った貴様にだからこそ尋ねなければならん。貴様の『強さ』とはなんだ。無限の魔力を有する機会を得ているにも関わらず、なぜ魔力を否定した」

 

『強さ』に魔力、か。なるほど、なんとなく見えてきたぞ。

 

 王馬さんは『強さ』にもの凄い拘りがあるらしい。中学生という若すぎる歳で世界に飛び出すくらいのものだ。だが資料にはそれくらいしか記載されておらず、総理大臣も詳細を計りかねているようだ。

 

 そこで『なぜ魔力を否定する』という発言だ。彼にとっての『強さ』とは『魔力』なんじゃないだろうか。なにせ過去に一度、世界の小学生騎士の頂点に輝いた天才騎士だ。伐刀者の象徴である魔力に誇りを抱いているのは、むしろ当然なこと。

 

 その魔力を必要ないと断じたボクを許せなかった。憶測にすぎないが、彼の怒りはそこら辺から来ているように思えた。

 まぁ、誰しも自分の拘りを否定されたらムカッてするよね。ボクにとっては身もふたもないことだけど、王馬さんが怒るのも頷ける。

 

 話が見えて来たところでボクも正直に答えるとしよう。

 

「ボクにとっての『強さ』は『相手に勝てる』ことだよ。その場のルールに則っている範囲でなら、それがなんだって構わない」

「……」

「超人的な技術で圧倒しようが、バカみたいな魔力でゴリ押しをしようが、伐刀者を何人もコピーしようが、奇跡としか言いようのない偶然を操ろうが、相手に勝てるならそれは立派な『強さ』だと思う」

 

 ちらりとボクらを取り囲む暁学園の生徒たちに目をやる。一人見当たらなかったが、瑣末なことだ。

 

「だってそうだろう?どんな才能だろうとそれを持って生まれた以上、それに文句を付けるのは間違ってる」

 

 王馬さんは黙して続きを促す。まるで言いたいことをまだ言っていないだろ、と咎めるように。

 

「でもまぁ、世の中にはそういう『強さ』に恵まれなかった人もいるわけだよ。伐刀者として最弱クラスの人が格上に勝つにはどうしても相応の『強さ』がいる」

 

 それがないから困ってるんだよね、と付け加える。

 そして簡潔な結論を述べる。

 

「だったら作ればいい。ボクだけの『強さ』ってやつを。相手がどんな『強さ』を持っていようが自分を貫き通す『貫徹』する『強さ』。それが早撃ちだったってだけさ」

 

 練習し始めた当初は趣味でやってただけだからそんなこと考えてなかったけど。

 そのうち銃使いで一番になりたいって思うようになって、どうすれば相手に勝てるか真剣に考えた結果今に至る。

 

「だから魔力を否定するつもりもないよ。ボクが『魔力は強さの一部に過ぎない』って言ったのは色んな『強さ』があるって言いたかっただけさ」

 

 魔力が絶対っていうのが今の世論だ。だから魔力を基準に伐刀者ランクを決めるし、それを伐刀者の強さとイコールで結ぶ。

 一概に間違ってるとは思わないけど、その風潮のせいで苦しんできた人がいた。そんな人たちの励みになればと思って異能を使わずに優勝してきた。

 

「相手がどんなに強かろうと関係なく勝てる『強さ』。それがボクの『強さ』だ」

 

 きっかり言い終えると王馬さんは顰めっ面のままボクを見つめる。それは何かを見定めるような目だった。

 そしてふと目線を切った。

 

「どうやら俺の勘違いだったらしいな」

「許してもらえるなら良かった」

「手を下す手間が省けた」

 

 さらりと物騒なこと言ったぞこの人。まぁあの剣幕からして荒事は察してたけどね。

 ほっと息をついたところで王馬さんが小さく呟いた。

 

「貴様は愚弟とは違ったのだな」

「ん?黒鉄君と?どういうこと?」

愚弟(アレ)は一人では何もできない弱者だ。それをあたかも唯一無二の『強さ』のように演出してみせる。ペテンを騙る程度なら捨て置くが、それがステラ・ヴァーミリオンに悪影響を及ぼすのなら話は別だ」

 

 ……なんかボクの思ってた話と違いそうだぞ。てかなんでステラさんが出てきた。

 

「魔力とは己の意志を押し通す力。それをステラ・ヴァーミリオンは無尽蔵に持っている。今は竜の卵に過ぎんが、正しく孵れば間違いなく世界最強の竜となる。《夜叉姫》や《闘神》なんぞ物の数ではない」

 

 それをあのペテン師は、と唾棄する。

 

「アレの戦い方を真似ても強くなることは愚か、かえって弱くなる。ステラ・ヴァーミリオンはそんな下らない『強さ』に縋り付くほど矮小じゃない」

「えぇっと、よく話がわからないけど、ひとまずキミはステラさんの応援をしたいのかな?」

 

 するともの凄く納得いかなそうな表情を浮かべた。言い方が気に食わなかった様子だ。

 しかし、

 

「結果的にはな」

 

 認めた。認めたぞ。

 言ったボクが言うのもなんだけど、王馬さんが応援って死ぬほど似つかわしくないな。

 

 っと思った瞬間思い切り睨まれた。勘のいい人だ。

 

「勘違いするなよ。ステラ・ヴァーミリオンは世界最強になれる器を持つにも関わらず、それをよりにもよってあの愚弟に台無しにされそうになっているのだ。それが看過できんだけだ」

 

 これはいわゆるツンデレというやつだろうか?

 口にして言ってみたかったけど、たぶんそれが決闘の契機になるだろうから黙っとく。

 

 冗談を抜きにしてもなぜそこまでステラさんに拘ってるんだろうか。

 それに付随して黒鉄君が謂れなき罵倒を受けているのが可哀想だ。

 ボクの疑問を汲み取ったように王馬さんは続けた。

 

「かつて《暴君》に挑んだことがある」

 

 いきなり凄いこと言ったぞこの人。

 《暴君》って解放軍のボスの名前だったよね?世界三大勢力の一角だったよね?え、王馬さんそんな人に喧嘩売っちゃったの?

 

「よく生きて帰ってこれたね……」

「事実、《比翼》に助け出されなければ死んでいた」

 

 ……《比翼》さん凄くね?《暴君》相手に立ち回れるって何者だよ。ちょっとその人に興味が湧いたから後で総理大臣に聞いてみよう。

 

「死力を尽くしてなお抵抗一つできなかった……。そのときの恐怖は未だ体に刻み込まれている」

 

 突き出した右手は微かに震えており、言葉に偽りがないことを物語る。

 トラウマと言っても差し支えないのだろう。その恐怖を握り潰すように右拳を作ると力強く宣言した。

 

「俺は勝ちの目が一切ないような殺し合いを望んでいる。圧倒的な暴力。絶対的な理不尽。それを乗り越えれば、俺は過去の自分と区切りをつけ進化できるはずなのだから」

「それでステラさんねぇ……」

「だが今の彼女はあまりに未熟だ。せっかくの『強さ』を活かしきれていない姿は見るに耐えん。それもこれもあの愚弟が彼女の成長を妨げているせいだ」

 

 ふーむ。ボクはそんなことないと思うけれど、王馬さんの言う『強さ』とは伐刀者としての『強さ』だ。黒鉄君の『強さ』は人としての『強さ』だから根本的に相容れないのは当然だ。

 

 ステラさんは後者を見て成長しているから王馬さんにとっては面白くない、という感じかな。

 

「キミから見たらボクは邪魔にならないのかい?一応これでもステラさんと交流がある身なんだけど」

 

 実はステラさんと何回か戦ったことがあったりする。もちろんボクが全勝してますけどねっ!

 それはともかく、さっき黒鉄君とは違うと言ったということは、王馬さんから見てボクがステラさんの成長を邪魔する奴に見えたということ。少なからず黒鉄君と重なって見えたところがあるということだ。

 

 それを撤回したのはなぜなのか。王馬さんは簡潔に答えた。

 

「貴様は伐刀者としての『強さ』を手にしている。愚弟のやり方に似てはいるが、決定的に違うのはそこだ。ゆえに貴様がステラ・ヴァーミリオンに害を与えることはありえん」

 

 意外な返答だった。てっきりボクの早撃ちを誤解しているのかと思ってたから。

 

 世間はボクの早撃ちばかりに目を付けて騒いでいるけれど、早撃ちの真価はボクの異能を最大限に利用できる点にある。

 なんでも貫通できる弾と言っても当たらなければ意味がない。確実に撃ち込むためには相応の技術がいる。

 魔人になる以前は魔力総量Fだったから無駄撃ちできなかったし、結果として最速で勝負を決めにいける早撃ちを選んだわけだ。

 

 まぁ、当時は()()()()()()()()()()()()()()んだけどね……。

 

 なんにせよ、ボクの戦闘スタイルは異能が前提なのだ。今までは異能を使わずとも勝てただけな話。たぶん黒鉄君と実戦形式で戦うことになったら異能を解禁せざるを得ないだろう。

 

 そんなボクの内心をさておき、王馬さんは興味を無くしたように目を伏せて問う。

 

「俺の用事は済んだ。あとは貴様の面接とやらだが?」

「ん?あぁ、そうだね……」

 

 驚きの連続ですっかり忘れてた。

 彼のこの計画に対する意気込みと注目している選手はよくわかった。あとは能力の応用についてだけれど、単純な火力はもちろん()()()()()()()()()()()こともできるようだからかなり汎用性が高いと見た。

 

 実際に戦ってみるのもいいが、たぶん能力を使わないとあの防御は突破できない。それがわかっただけで儲けもの。今回はお預けだ。

 

「じゃ、一つだけ聞いておこうかな」

 

 黙って促した王馬さんに思い切って尋ねた。

 

「死にかけてまで『強さ』に拘るのは何でなんだい?キミは十分強いじゃないか」

 

 黒鉄君と違って王馬さんは伐刀者として才能に恵まれていた。にも関わらず小さい頃に世界に飛び出し武者修行に励み、今もまっしぐらに突き進んでいる。

 

 それは並大抵のことじゃない。ボクや黒鉄君がここまで邁進できたのは逆境の中にあったからという部分が大きい。逆境に負けたくないという思いを燃料にしてきたからこそ歩み続けられた。

 だが王馬さんは生まれたその時点で日本の頂点にいた。普通なら自分の才能に驕り慢心する。にも関わらず彼は、ひょっとしたらボクら以上に頑張っている。

 

 一体何を燃料にしているのか。何が彼を突き動かしているのか。わかりきっているけれど、その根源を聞きたかった。

 

 ボクの問いに対し王馬さんは「愚問だな」と一笑に付し、

 

「俺が目指すところは世界の頂点だ。妥協なんぞありえん。貴様も同類だろう」

「……なんで知ってるの?」

「仮にも《比翼》の域に達した奴が生半な覚悟をしているはずがない」

 

 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。それを見抜いたからこそボクに突っかかってきたという訳か。俺と同じ道を歩むのになぜそれを否定するのかと。

 結論を得たところで成り行きを見守っていた総理に声をかける。

 

「月影総理、今回の件は辞退させていただいきます」

「……わかった。気が変わったら連絡を入れて欲しい」

 

 わかっていたとばかりに吐息と共に頷いた。

 

 面接を通して暁学園の可能性を探ってみたけど、やはり結論は変わらなかった。たぶん王馬さんですらステラさんには敵わないだろう。

 だけどそんな理屈を抜きにして応援してみたくなったのだ。同じ志を持つ者として、その不可能を覆してほしいと思えた。

 

 そして願わくば……。

 

 国の存亡をかけた計画に私情を持ち込んで申し訳ないが、これは譲れない。同志の邪魔はしたくない。

 

 まぁ、七星剣武祭の出場権を捨てるのは惜しいけれど……。テロリストの名を借りてまで黒鉄君と競いたいとは思わないし、彼も彼でステラさんとの決着を賭けているらしいから素直に身を引くことにする。

 

 一つ会釈をしてボクはその場を去ったのだった。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 綴が国際競技場から立ち去り、他のメンバーも解散した後。

 

「良かったのですか?彼女さえいれば成功は盤石だったものを」

 

 計画の最終チェックを行っていた獏牙に玲泉が語りかけた。

 獏牙はメガネを押し上げて首を振る。

 

「良し悪しで言えば悪しだがね。一応これでも教師の立場を取っている。なに、君らだけでも十分な見込みがある、生徒の活躍に期待するよ」

 

 獏牙の返しにふむと相槌を返した玲泉がその気味の悪い仮面の奥で薄ら笑う。

 

「貴方が望むのなら、多少強引な手になりますが彼女を仲間に引き込むことはできますよ」

 

 すっと右手の指を見せる。それは彼の霊装である糸。対象に結びつけることで意のままに操ることができる恐ろしい能力だ。

 しかしそれは綴には通用しない。だが物は使いようだ。

 

 ()()()()()()()()程度なら造作もない。

 

 その意図を素早く読み取った獏牙は人の良い笑みを消し去り、鋭く叱責した。

 

「やめなさい。これは国を護るための計画だ。護るべき者に無駄な危害を加えては本末転倒だ」

「そうですか。手段を選んでいられる立場じゃないでしょうに」

 

 足元を見た皮肉を零し肩をすくめる玲泉。そんなことは百も承知だ。出来ることなら道理をすっ飛ばしたいところだ。

 だがこの国を導かんと名乗りをあげた意志は偽りではない。であるならば一般国民を第一に動くのは当然のこと。踏み越えてはならない一線なのだ。

 

 それに。

 

 ──言ノ葉君に念を押されているのでね……──

 

 思い出すは昨日の別れ際。生徒の資料を渡した後に綴は言ったのだ。

 

『霊装を無許可で使って良い場面は二つありますよね。一つは犯行現場に立ち会ったとき。もう一つは()()()()()()と遭遇したとき。……身内が巻き込まれたときボクは容赦するつもりはありませんので、そのおつもりで』

 

 脅迫するどころか、むしろ脅迫されているのである。国のトップを相手に爆弾発言をしたその目は鮮明に思い出せる。

 

 あれは人を見る目ではなかった。もっと無機質な何かを見る目……そう、喩えば『的』を見つめるような。

 家族を人質に取る腹積もりは一切なかったが、あの目を見てしまった今はそんな気すら起きない。

 

 それを知る由もない玲泉に内心ため息をつきながら、獏牙は計画の調整を締めくくったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 綴の過去1

2話編成になります。

年齢が年齢なので「ぼく」表記なのは仕様です。



 言ノ葉詠詞(えいじ)と言ノ葉詩織(しおり)の間に一人の娘が産まれた。

 綴と名付けられた少女は千人に一人と言われている、魔力を宿し操る者・伐刀者であった。

 

 伐刀者と言えば世間では花形職と持て囃される魔導騎士の雛形。世界で最も人気なスポーツを司る人種だ。彼らを中心に世界は回っていると言っても過言ではない。

 少し下賤な話を含めれば伐刀者の子供を持った家庭には奨励金が入ったりするし、魔導騎士という栄誉に溢れた将来を確保した子でもある。

 親にとってこれほど嬉しい子供はいないだろう。それが伐刀者だ。

 

 しかし。いや、それゆえ。綴の両親は大いに慌てた。

 平凡な日常に舞い込んだハプニングに困惑したというのもある。が、それ以上に我が子の将来を心配したのだ。

 

 何かと世間を騒がせている魔導騎士だが、客観的な事実だけを見れば武器を手に犯罪者と戦う戦士なのだ。当然血を流すことはしょっちゅうあるだろう。下手をすれば成人できずに命を落とす可能性すらある。

 

 幼少の頃から人の生殺与奪を握る凶器に慣れさせるのも気が引ける話だ。人の命を軽んじる思考が育ってしまったらどうしよう。そんな残酷な人生を歩ませたくないと思うのは愛ある親なら当然の心配である。

 

 しかも魔導騎士は生粋の実力主義社会だ。一般人には高収入に高待遇といいこと尽くめに見えるだろうが、伐刀者当人は常に格差を意識しなければならない空間に身を置くことになる。

 いかに金銭的に恵まれていようと、その仕事場に合わなければ地獄も同然。その問題をクリアするためには並々ならぬ才能と努力が必要だ。

 

 そんな苛烈な環境に、お前は特別なんだと言いながら我が子を送り出す。考えただけでも恐ろしい思いだった。

 

 しかし、将来を案じることは親の使命だが、将来を決めるのは子の使命だ。綴が精神的に自立するまで目一杯愛し大切に育て上げ、綴自身が進みたい道を見つけた時にはそっと背を押してやろうと決意したのだった。

 

 幸せな家庭そのものの生活を歩みだした言ノ葉一家。綴が小学生になるまで順風満帆の子育て生活に従事したが、娘が小学校に慣れた頃に小さな違和感に気づく。

 

 それは──

 

「今日もお友達と遊びに行かないの?」

「うん。お家でこれの練習をしたいから」

 

 そう言って小さな手に握られた物を掲げた。

 幼い子供に似つかわしくない、柔肌と対照的なゴツくて恐ろしい凶器。彼女の魂が具現化した霊装・銃だった。

 

 小学校に入ってからしばらくは頻繁に外に出かけては泥だらけになって帰ってきた綴だが、ある時期を境にピタリと外出しなくなってしまったのだ。その代わり家に置いてあったガラクタで作った的を庭に置き、射撃の練習をし出した。

 

 始めはいじめを受けているのかと問いただしたのだが、綴はそんなことないと首を振った。隠している様子もないし、心に傷を負った素振りも見せない。

 

 ならなぜ遊びに行かなくなったのかと聞けば、こう答えたのだ。

 

 ──ぼくにはこれしかないの。これで一番になりたい!

 

 その時の衝撃は生涯忘れることはないだろう。小さな子供は己の可能性を一切疑っていない。この前はパイロットになりたいと言っていたのに今日は突然サッカー選手になりたいと言い出すのは普通のこと。何にでもなれると思っているのだ。

 

 翻り、綴は幼稚園から上がったばかりの子供。思春期はおろか自己の認識すらしていないはずの時期。

 そんな子供が『これしかない』と言ったのだ。まるで()()()()()()()()()()()()かのような口ぶり。青年期を迎えた人間ですら決断することの難しい己の将来を、こんな小さな子供が迷う素振りもなく決めてしまったのだ。

 

 それが子供の無邪気な戯言だと片付けられればどれだけ気楽だったことか。

 

 最初の日は魔力制御を誤り全ての魔力を吐き出してしまい失神。それから半年は空いた時間全てを己の銃に魔力の弾を出し入れすることで出力の調節を学習。以来は毎日魔力が枯渇する寸前まで撃ち尽くし、魔力欠乏症で肌を青白くさせながらも庭で銃を構え射撃のイメージを固める。

 

 ご飯の時間に遅れることはしょっちゅう。時間が惜しいからと、汗で汚れた体を洗わずに放っておいてしまうことも何度もあった。終いには学校に行く時間も勿体ないからと登校拒否を申し出たこともある。

 

 プロのアスリートも真っ青になるくらい過酷なトレーニングを自ずと始め徹底したのだ。

 

 尋常ならざる覚悟を嫌でも感じ取ってしまう娘の様子をさすがにおかしいと気づき始めた詩織は精神科医に連れて行こうか真剣に悩んだ。

 

 綴の伐刀者評価は身体能力以外は全てFランク。全国規模で見ても最底辺の評価だ。

 それを周りの子供伐刀者と比較して気負っているのではないか。深刻なトラウマになって自暴自棄になっているのではないか。

 思えば物をねだってゴネるようなこともしたことがない。子育てマニュアルに載っている子供の典型からかけ離れたことばかりだったように思える。

 伐刀者の子供は例外なのだろうか?でも他の母たちは普通に育っていると言っている。ならうちの子はどうしてしまったのだろう。

 考えれば考えるほど心配の種は増えてしまう。

 

「どうしましょうあなた……」

「うーん……僕は構わないと思うけどねぇ」

 

 悩み疲れている詩織の肩を揉む詠詞の顔はどこか楽観的だ。

 

「やりたいことをやれるっていうのは子供の特権じゃないか。好きにやらせてやればいいんじゃないのかい?」

「そのぶん他が見えなくなってちゃ困るわ!お友達と遊びに行かなくなっちゃったし、お勉強もサボるし」

「まぁ、さすがにお風呂に入らないのは問題だけど」

「それだけじゃないわよ!ご飯食べなかったり夜遅くまで起きてたり……」

 

 時間も経てば飽きてやめるだろうという詩織の目測は完全に裏切られ、むしろ突き進む一方だ。日が経つにつれてガサツさが増している。

 そのことは綴擁護派の詠詞も目に余っていたことなので、いよいよかと意を決した。

 

「一度真剣に話し合ってみよう。綴の考えをちゃんと知った上で僕らもどうするか考える」

「そうねぇ……。あんなにいい子だったのに急にどうして……あっ、そこもう少し強く」

「肩凝り過ぎじゃないかい?僕より酷そうだ」

「ずっと悩んでる私の身にもなってほしいわ。まったく……」

 

 詩織の肩凝りを解消したあたりでベランダから綴が入ってきた。日課の射的の練習に一区切りつけて水分補給しに着たのだろう。

 白のTシャツにボーイズの半パンを穿き汗をびっしりかいている様は完全に男子小学生だ。顔は若干青ざめており右の掌は血が滲んでいる。

 

 すっかり見慣れた光景だが、その度に詩織の心労が重なる。僅かにため息をついた詩織の代わりに詠詞が声をかけた。

 

「綴。少し話があるんだけど、いいかな」

 

 綴は名残惜しそうに庭を一瞥した。

 

「……まぁいいか。どうしたのお父さん」

「ひとまず風呂に入って着替えてきなさい。そんな汚れた格好で家をうろついちゃダメだろう」

「えーっ。めんどくさいよ」

「綴。大事な話なんだ」

 

 穏やかな詠詞が珍しく真剣味の帯びた声音で話しかけていることに綴も何かを感じたのだろう、ぶーぶーと唇を尖らせながらもトタトタと風呂場に駆けて行った。

 普段はお利口そのものなのだが、日課の練習が絡むと途端に頑固になるのだ。

 

「お茶持っていくからお風呂の中で飲みなさい」

『はーい!』

 

 元気なことは変わらないんだが、と詩織と顔を見合わせて肩を竦めた。

 

 さて、さっぱり綺麗になった綴を机につかせて言ノ葉一家初めての家族会議が開かれた。

 

「少し前から始めている銃の練習についてなんだけど、どうして急にやり始めたんだい?」

「楽しいからだよ!」

「辛くないの?今日もクタクタになるまでやってたじゃないか」

「疲れるけど、必要なことだし」

 

 必要なこと。小学生の子供がそんな難しいことを理解している事実に詠詞は少し驚く。

 彼女の中ですでに確固たる未来があり、そこに到達するための道筋を逆算していることに他ならない。目の前のことでいっぱいになる子供ができることじゃない。

 

 詩織の目線を受け止めながら詠詞は真摯に問いかける。

 

「じゃあ、綴は自分には銃しかないって言ったよね。それはどういうことなんだい?お父さんに教えてほしいんだ」

 

 床につかない足をぶらつかせながら「うーん」と可愛らしく唸る。焦らせないよう微笑みを浮かべ見守る両親に、綴はたどたどしく話し始めた。

 

「ぼくね。小学校の友だちとか先生を見てて、何となくイヤだなって思ったの。あっ、イジワルとかこわいとかじゃないよ!なんて言うのかなー……このままいったらみんなと同じになっちゃう気がして、つまんないなーって。なにかちがうことしたいなって思ったの!」

「それが銃の練習なのかい?」

「うん!他のみんなは剣なのにぼくだけ銃だったから!」

 

 しっかり自分の思いを言葉にできた実感があるのか、満面の笑みで血豆だらけの右手を上げながら答えた。

 

 幼いゆえに具体的な表現に欠けた訴えだったが、それでも何となく我が子の思いを汲み取れた。

 自己同一性(アイデンティティ)の確立。思春期と共に訪れるとされる精神的成長。それを綴は言いたかったのだろう。

 

 本来ならば様々な経験をして色々なことを学んでいき、少しずつ自分とは何なのかと考えることで初めて得られる自己認識を、思春期すら迎えていない子が獲得した。

 確かに普通の子とは違う様子だ。かつて自分にもそのような時期があったが、早く見積もっても小学校高学年からだったように思える。間違っても低学年、それも一年生でそんな難しい事を考えた記憶はない。

 

「でも綴、何も銃だけじゃないだろう?ほら、駆けっことかクラスで一番だったじゃないか」

 

 それでも銃しかないと言い張るのは早計と言わざるを得ない。子供は無限の可能性を秘めている。それは嘘誇張ではない。その子の考え次第でいくらでも将来は顔を変える。

 銃しか見えていないのだとしたら、親として違う道もあることを示さなければならない。すでに決められた将来しか歩めない大人と違って、子供はいろんな道を選べるのだから。

 

 だが、詠詞の言葉に綴は首を振った。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 一切の躊躇なく断言した。返した綴の目は真っ直ぐ詠詞を射抜く。小さな子供に気圧されたのは初めてだった。

 

「今までいろんなことしてきたけれど、どれもちょっと違うなって感じてたの。でも銃を撃った時に『これだ!』ってきたんだよ!なんだろう、ズレてたモノがピッタリはまったの!」

 

 発見したときの感動を一生懸命伝えようと両腕を広げて体を跳ねさせる。

 見ている者も幸せになりそうな顔だった。満ち足りた人生を歩んでいる大人のように輝いていた。

 

 今も言葉を重ねていかに充実しているかを語る綴に思わず見惚れてた二人は、なにか言いたくても言えなくなってしまった。

 その顔が。その目が。あまりに純粋で透き通っていたから。神の声を聞き天職を手に入れた者にしか作れなさそうなその表情には、彼女にとってそれが最善なのだと無条件に信じさせるものがあった。

 

 反応がなくなったことに気付いたのか「お父さん?」と小首を傾げた綴に、ようやく我に帰った詠詞は慌てて微笑みを作った。

 

「そうか。そんなに銃が好きなんだね」

「うん!お父さんもやる?」

「いやぁ、父さんにはちょっと難しいかなぁ」

「えーっ」

 

 笑みを一転させて残念そうに肩を落とす娘に、今度は本当に自然な笑みをこぼした詠詞。

 そして隣に座る詩織を見やると、彼女は心配と幸せをごっちゃ混ぜにした表情で涙を落としていた。

 詩織は綴が魔導騎士になることに強く反対していた。が、今の娘の様子を見てしまっては口が裂けてもやめろと言えない。反面娘が最高の幸福を噛みしめていることに無上の喜びを得た。

 

 その気持ちが痛いほどわかる詠詞もつられて目頭が熱くなるのを自覚した。

 

「お母さん!?どうしたのっ?どこか痛いの!?」

 

 椅子から飛び降り嗚咽を押し殺している母に抱きついた。親が泣いている姿を初めて見た彼女は何をどうすればいいのかわからず、力一杯腕を回しながらもオドオドと両親の顔に視線を行ったり来たりさせる。

 

 健気に寄り添ってくれる娘の頭を優しく撫でてやりながら詩織は思った。

 この子ならきっと大丈夫だろうと。苛酷溢れる世界でも優しさを忘れない騎士になれると。

 

 詩織が頷いてみせ、彼女の意を受け止めた詠詞が顔に手を添えた。

 

「綴の思いはよくわかったよ。もう父さんたちも止めない。君の好きなようにしなさい」

「ほんとっ!?」

「もちろんだとも。その代わり父さんたちと約束してほしいことがあるんだ」

 

 詠詞の目配せに詩織がしゃっくり混じりに語りかける。

 

「お母さんからは二つよ。お料理と身嗜みだけは出来るようにしなさい」

「みだしなみってなに?」

「自分を大切にすることよ。ちゃんとお風呂に入ったり正しい言葉遣いをしたり。せっかく可愛い女の子に産まれたんだから無駄にしちゃダメよ」

「お料理と合わせたら三つあるじゃん」

「全部まとめて身嗜みって言うの」

「えぇー。なんかズルい」

「お願い。お母さんのワガママ、聞いてくれる?」

「むぅ……わかったよ」

「ありがとう綴。大好きよ」

 

 額にキスを落とし柔らかく抱きしめてやる。少し納得してなさそうな顔をしている綴をこちらに向けさせる。

 

「今度は父さんとの約束だ」

「一つだけだよ?」

「うーん、ごめん。僕も二つあるんだ」

「父さんもワガママ言うのー!?」

「一生に一度だけのワガママだ。もうワガママ言わないよ」

「ぶーぶー。しょうがないなぁ」

「綴は優しいな。ありがとう」

 

 膨らませた頰をぷにっと潰し猫にやるように顎をさする。

 

「一つ目。何があっても学校に行きなさい。君にとって大切な時間を過ごせる場所だ」

「……わかった」

 

 ずっと行きたくないと言っていたため、素直に聞き入れてくれたことに安堵する。しっかりと綴の目を見ながら続けた。

 

「じゃあ二つ目。一度やると決めたら最後までやり抜きなさい。どんなことでも、どんなに辛くてもね」

「やり抜く……」

 

 綴は口の中で転がすように復唱する。どことなくお気に入りの毛玉で遊ぶ猫のように思えた。

 

「父さんね。実は子供の頃の夢はピアニストだったんだよ」

「お父さんがピアノ弾くのー?似合わなーい!」

「無邪気さが痛い!?」

 

 ねーっ、と詩織と唱和することでさらに詠詞の心が削られる。そんなところまで似なくていいじゃないかと内心愚痴をこぼす。

 

「……まぁ、結構頑張ってたんだけどね。発表会とかで他の子たちの演奏を見ていると、段々ピアノを弾くことが苦しくなってきたんだ」

「どうして……?」

「理由は色々あるけど、一番は『これ以上頑張っても無駄だ』って思っちゃったことだと思う」

 

 頑張るためには燃料がいる。向上心。競争心。何でもいい、とにかく何かを燃やさなければ自分という機関車は走らない。

 当時の詠詞も情熱を燃やして走っていたが、どんなに頑張っても上には上がいることを思い知った彼は燃料をくべても火が点かなくなってしまったのだ。

 何度か挫折と復帰を繰り返していたものの、才能という絶対的な壁にぶつかった彼の心は遂に立ち直ることができなくなった。

 

 頑張った結果なのだから仕方ないとやめたものの、しかし心のどこかで小さくわだかまる黒い靄が巣食っていた。

 もしあそこで諦めず続けられていたならどうなっていたのだろうか。そう思わずにはいられないのだ。

 

 取り返しのつかない後悔を胸に抱いたまま生きてきた詠詞は、だからこそ綴にそんな思いをしてほしくなかった。好きなことで後悔をするようなことだけはしてほしくない。他でもない、自分がその苦しさを知っているから。

 

「いいかい綴。君はいずれ必ず大きな壁にぶつかる。何度も何度もぶつかる。そのたびにとても辛い思いをするだろう。もう無理だと思うこともあるだろう。けど、そこで諦めちゃダメだ。自分を奮い立てて頑張り続けるんだ。それが結果に結ばなくても無駄にはならないから」

 

 口を半開きにして聞き入る綴に右手の小指を差し出しす。

 

「とっても難しいことだけれど、君ならできるはずだよ。父さんと約束、できる?」

 

 少し小指を見つめた後、綴は詠詞に目を向けた。そこには大の大人すらも息を呑むような強い意志を宿した瞳があった。銃を語るときと全く同じ瞳だ。

 

「約束する。ぼく、絶対に最後までやり抜くよ」

「……いい子だ」

 

 綴が羨ましかった。あの時のぼくもそう思えたらと、照らし合わせてしまう。だが昔には戻れない。どんなに後悔しても過去には戻れないのだ。

 

 ──だからこそ、君のことを全力で応援しよう。何があっても君を守る。父さんも約束するよ。

 

 ゆーびきーりげーんまん・嘘ついたらはーりせーんぼん飲ーます・指きった!──

 

 絡めた指をほどき、にぱっと笑う綴の頭を撫でて立ち上がった。

 

「よぅし、父さんも頑張ろうかな!新しい的を欲しがってただろう、明日父さんが買ってくるよ」

「ほんとっ!?今度はたくさんマス目が分かれたやつがいい!」

「それなら綴も見に来るかい?」

「行く行く!」

「じゃあ今日はもう練習するのはやめておきなさい。明日疲れちゃうぞ」

「いつも疲れが残らないように気をつけてるから大丈夫!」

「うーん……喜んでいいのかよくわからない成長だ」

 

 詩織はじゃれ合う二人を眺めて静かに涙を拭き続けた。尊い光景に、綴なら自分たちの予想から逸脱した何かをやり遂げてくれるだろうという確信を抱いた。親バカではなく、言葉にできないモノが綴に秘められていることを思い知ったのだ。

 

 こうして『言ノ葉綴』の人生が始まったのである。

 

 

 △

 

 

 伐刀者ランクFの少女は約束通り死ぬほど()()()()

 

 まず一年間全てを捧げたことにより魔力制御技術がDに向上した。ランクが上がることは決して珍しくない。が、二階級上がる事例となると極端に少なくなる。

 

 なぜなら前者は限りなく上の階級に近い評価だったから届き得た事例がほとんどであるからだ。純粋に丸々1ランク上げた者は歴史的に見ても三桁いれば良い方だろう。

 

 ランクとは基本的に習熟度と熟練効率を併せて評価したもの。それが最底辺のFだったということは致命的に才能がないことを示唆する。そこから平均まで引き上げたことがどれだけのことか、語るまでもない。

 ちなみに、これによって相対的に攻撃力評価がEに上がっていたりする。

 

 ようやっとまともに弾を撃てるようになった綴は、今度は単純な射的に没頭した。弾を狙った標的に確実に当てられなければ話にならないため、36分割の的を百発百中でクリアするまで他のことは一切やらないと決意。

 

 こちらは魔力制御とは比べ物にならないほど飛躍的に上達し、わずか半年で目標を達成。「もう少し行けるのでは?」と的を分割していき魔力制御の練習を兼ねて射的をしていると、年末には100分割の的を制覇した。

 

 実は分割すればするほどマスが小さくなるのでそのぶんだけ弾を小さくする必要があり、最後の一ヶ月はその習熟に手間取っただけなので実質十一ヶ月で射的マスターになったことになる。

 

 また両親との約束を守り普通の学生生活を送っているのだが、やはりそれでは時間が足りなかった。魔力量が少ないため一日に撃てる回数も限られている。甚だ練習効率の悪い環境だった。

 

 なので無理やり効率を上げた。()()()()射的できるよう訓練したのだ。有り体に言えば究極のイメージトレーニングである。

 

 庭で射的する自分を脳内に投影し、それを何度も繰り返す。間違ったイメージが固まってしまうと現実で射的するときに齟齬が生じるので、実際に射的するときにチューニングを施しつつ盤石にしていく。

 

 このイメージトレーニングを何かしながらでも出来るようにすれば、いつでもどこでも練習することができる。

 

 ということで、()()()()()()()()。狂気と言える集中力と執念で習得してしまった綴は、ご飯を食べているときはもちろん勉強している最中でさえ頭の片隅で射的の練習をし始める。

 

 最初はイメージトレーニングをしていると現実の動作がおろそかになってしまっていたが、それも慣れてくるともはや就寝中にも行えるようになり、最終的には二十四時間何も意識せずとも出来るようになった。

 これにより練習の絶対量が爆発的に増え、習得効率も比例して飛躍したのだった。

 

 ところで綴の異能は銃声とマズルフラッシュの有無、そして弾の威力を増幅させる()()()の能力だった。小学生四年生のとき模擬戦のルールを知ったことで自分の戦闘スタイルについて考えた結果、早撃ちを極めることが最短の近道と結論づけた。

 

 敵のほとんどが近接武器である以上単なる射撃でも大きなアドバンテージを得られるのは間違いない。が、中には魔術をメインに戦う人もいるだろうし、なにより防御系の異能を相手にしたとき真正面から突破しようとしても魔力量と強化率の乏しさを考慮すると厳しいものがあったのだ。

 

 先手必勝をコンセプトに早撃ちの練習をし始めたのだが、これがかなり難航した。

 早撃ち自体はすぐに習得できたものの、一発しか撃てないとなると決定打に欠けると気づいたのだ。

 前述の通り綴の火力は低い。どれくらい低いかと言うと、魔力量の豊富な伐刀者が無意識に纏っている魔力の鎧を貫通しきれないくらい低い。

 

 つまり一矢一殺出来ない可能性がある。そこで打開策として射撃数を増やす案を考えたのだった。能力を強化する案もあったのだが、どんなに頑張っても自分の能力を制御することが出来なかったため却下となった。撃つ度に威力にバラつきが出てしまい安定性に欠けるというデメリットを補う意味でも射撃数を増やした方が都合が良かった。

 

 イメージトレーニングによる修練により年が過ぎるごとに一発また一発と早撃ちできる数が増えていく一方で、中学へ進学した綴はある違和感を感じるようになっていった。

 

 右腕が重いのだ。物理的に重いわけでも精神的に重いわけでもない。なぜかわからないが、ただ漠然と()()()()()()()()()感覚があるのだ。

 

 が、その違和感は早撃ちをする度に少し、また少しとさながら錆びて朽ちていく鉄の楔のように解けていった。

 どうやら早撃ちの速度が上がれば上がるほど解けるらしい。目星をつけた綴は言われるまでもなく極めていった。

 

 それは何万桁とあるダイアル式鍵を地道に解除するような作業だった。あまりに気の遠くなるような作業。本当に自分は成長できているのかわからないほどの微小変化。

 けれどその積み重ねは徐々に、されど確実に鎖を解いていく。

 

「あと少しなんだけどなぁ……」

 

 中学三年生の冬。雪がしんしんと降る庭の中で綴は首をひねる。

 彼女の早撃ちはすでに霊装の着脱の光しか視認することができなくなっており、右腕の違和感はほとんどなくなっていた。

 

 一方で綴の中に漠然と理想の形が見えるようになっていた。今の自分の射撃とほとんど同じなのに、決定的な何かが違うそれ。名状に尽くしがたい食い違いを前に歯噛みする。

 

 カチっ。カチ。カチっ。カチ。

 

 トリガーを引く度に理想へ近づいている。その音は最後のダイアルを回す音のようにも思えた。

 星の数ほど繰り返してきた射撃が、ついに魔の扉の鍵を開かんとしていた。

 

 十・九・八・七・六・五・四・三・二・一・──

 

「あ」

 

 ──そして、零に至る。

 

 瞬間、恐ろしいほどの魔力がその身から迸る。明らかに魔力総量を上回る量を前にただ呆然とする綴だが、状況を飲み込めると次第に全能感に身を震わせて快哉を叫んだ。

 

 魔力が増えたことよりも自分の射撃が遂に理想に追いついたことを自覚し狂喜乱舞する。

 後にとある少年から《零の衝撃(フロムゼロ)》と呼ばれる神業が完成した瞬間である。

 その狂喜は朝食の支度していた詩織が叱責するまで続き、ぶっちゃけ絶頂していた。

 

 同時刻、世界中に点在するごく少数の者たちは一斉に空を見上げた。花火のように一瞬だけ発せられた濃厚な気配に、世界のどこかで自分と同じ境地に達した者が現れたのだと理解した。

 その胸に飛来した感情に差はあれど、誰もが笑みを剥いたのだった。新たな同胞を祝福するように。

 

 自身がいかなる存在へ昇華されたか露とも知らぬ少女は喉が枯れるまで叫び続けていた。

 




家庭環境をx軸、成果をy軸に取ると
第一象限:綴
第二象限:一輝
第三象限:天音
という感じで対称になるよう作りました。
第四象限は誰になるんでしょう……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 綴の過去2


✳︎追記
原作14巻発売と同時に一部内容を修正しました。
じゃっかん捏造が残ってますがご了承ください。


 それから一週間の時が過ぎた。少し先に卒業式を控える言ノ葉一家の前に男女二人が立っていた。

 両者ともに和装に一歯下駄と変わった出で立ちをしており、現代においてはかなり異質な出で立ちである。女性にいたっては鮮やかな着物を肩まではだけさせていた。

 

 中学生と紹介されてもすんなり信じられるくらい幼い見た目をした女性こそは、世界のプロ魔導騎士たちを恐怖で慄かせる《夜叉姫》西京寧音その人である。彼女を知らぬ者はいないと言われているほど超有名人であり、いわゆるスーパースターだ。

 

「たぶんここだぜジジイ」

「ふぅむ、どうやらそのようじゃの。よく見つけ出したのぉ」

「ま、まぁウチにかかればチョロいもんさね!もっと褒めてもいいぞっ?」

「チョロいのはどっちかのう」

 

 スーパースターをひ孫のようにあしらう老人は寧音の師匠であり、日本史にその名を刻んだ《闘神》南郷寅次郎。傍若無人な寧音をして未だ頭の上がらないほどの実力者である。

 

 さてそんな二人がどうしてこんな辺鄙なところに赴いたかというと、己と同じ覚醒を果たした者に会うためだった。

 自身の可能性を極め尽くし限界を超えた者《魔人》。日本において僅か二人しか存在しなかったのだが、つい先日新たな一人が突如として出現した。

 それが言ノ葉綴という女子中学生だったのだ。

 

 魔人となった者にその身に起こったことの経緯や国際的な立場の変化を説明する必要があるため、全国を手当たり次第駆けずり回って探し当てたのが寧音である。

 尤も、寧音はもちろん寅次郎もそんな殊勝な心がけで貴重な己の時間を割いた訳ではなかった。同胞になった者のご尊顔を拝もうという好奇心のついでで訪ねたのだった。

 

「楽しみじゃのう。そんなに奇特な女子(おなご)じゃったか」

「あぁ……あんな変なヤツ初めて見た」

 

 自分の体を抱くように二の腕をさする。

 実は昨日の時点で寧音は綴の姿を確認していた。いくら女子中学生と言えど魔人は魔人。いきなり戦闘をふっかけられても不思議ではない。

 

 敵情視察を兼ねて覗き見たのだが、その少女は一般人の佇まいと全く同じだったのだ。

 武人らしさがない、という意味ではない。魔人に至った者が纏う特有の狂気を感じられないのだ。

 

 人は限界に至るためには正気を保っていられない。いや、正気を保って成すことは不可能。狂気こそ魔の扉を開く鍵なのである。

 ゆえに魔人に昇華した者は一人も例外なく狂人である。狂い方は個人によって違うが、その狂い方は人として決定的に破綻したものに違いない。その歪みが表へ滲み出てしまうのが魔人という人種なのだ。

 

 対し、綴にはその狂気が感じられない。村人Cのように有象無象に埋もれるような気配しかない。

 なら魔人ではないのかと言えばそうでもなく、確かにその体は()()()から解き放たれており、魔人同士の惹かれあう性質も反応しているのだ。

 

 これを気味が悪いと言わず何と言う。まるで人の皮を被った怪物を眺めている気分だ。

 

 寅次郎を連れてきたのは自分だけでは判断できかねるという理由もあった。

 寧音が珍しく素直に助力を求めてきたことからその奇特さを察した寅次郎はからかうことをせず、こうしてお供している。

 

 カツカツと杖を突きインターホンの前に立った寅次郎は寧音に目配せをする。

 厳かに頷いたのを確認してからチャイムを鳴らした。

 

 束の間の沈黙のあと玄関の扉が開かれた。

 

「はーい」

 

 少し幼さが残った顔立ちの少女が出てきた。学校の体操服を着た彼女は間違いなく言ノ葉綴だろう。

 寅次郎たちの格好に驚いたのか大きな目をパチクリさせた。

 

「えぇっと、どちら様でしょうか……?」

 

 目の前に現れた未知の魔人を一瞬で観察した寅次郎は、

 

 ──なるほど。こりゃ寧音も困惑するわな──

 

 背中に冷たいものが這い上ったのを感じた。

 寧音の言わんとしていたことを理解した上で、一般人なのに魔人という矛盾の正体を看破した。

 

 この少女はいついかなる場合でも引き金を引けるよう心構えている。いや、頭の中で()()()()()()()のか。

 いわゆる『常在戦場』と呼ばれる武の理念に近い。が、この少女の場合はその真逆。日常を戦場と思うのではなく、戦場こそが彼女にとっての日常なのだ。

 銃を撃っていることこそが日常。それが普通なのだと心の底から信じ切っていながら、常人と同じ生活を送ることも普通だと信じている。だから一般人のように見えてしまう。

 

 根本的に食い違っているはずなのに両立している矛盾。それそのものが言ノ葉綴という魔人の狂気に他ならなかった。

 

 いったいどんな思考をすればそんな歪んだ生き方ができるのか。それもこの若さで。深淵の闇の底にあるであろうその答えを垣間見て、寅次郎は戦慄したのだ。

 しかし内心をおくびにも出さず好好爺を振舞ってみせた寅次郎も相当なものである。

 

「国際騎士連盟の者なんじゃが、お主のご家庭に話があって参った次第じゃ。ご両親はいらっしゃるかな?」

「いますよ。すぐ呼んできますね」

 

 少々お待ちくださいと礼儀正しく断り内へ戻った隙に寧音が寅次郎に詰め寄る。

 

「な、変なヤツだろ!?どうなってんの!?」

「……彼奴が辻斬りの類だったら、ワシ死んどったぞ」

 

『常在戦場』を完全に心得ている寅次郎ですら一般人と思ってしまったくらいだ。

 もし綴の正体を知らず対面していたとしたら自分はその狂気に気づくことができただろうか。答えは否。運良く気づけたとしてもそれは戦場において致命的な隙を生む。

 

「……マジかよ」

 

 ごくりと生唾を飲んだ寧音は、今寅次郎が立っている足元に視線を落とす。

 IFの世界で血溜まりに伏す己の屍から目を逸らし、寅次郎は言う。

 

「じゃが同時に安心したわい。彼奴が日本におる限りワシらの敵にはならん。さすがにワシも彼奴を真正面から相手取るのは御免被りたいところじゃ」

 

 裏を返せば、もし綴が敵に回ったとき命を賭す覚悟で臨まなければならないということ。

 師匠にそこまで言わせる綴という少女に、いよいよ異界の怪物か何かかと恐れを抱き始める。

 

 気を紛らわせようと他のことに思考を向けた寧音は一つ素朴な疑問をこぼす。

 

「そーいや、あいつウチのこと見てもノーリアクションだったな」

「ふむ?言われてみればそうじゃな。尾行に気付いとったんかの」

「そりゃねーよ。気付いてたなら何かしら反応するっしょ」

 

 前述の通り寧音は国民的スーパースターで幼稚園児ですら顔と名前を知っているくらいだ。まして伐刀者となれば知らなければ恥とすら言える存在。

 その自覚のある寧音は密かに綴がぶったまげるのを楽しみにしていたのだが、結果はご覧の通り。

 

 ウチは眼中にないってことか?と若干理不尽な怒りを抱いたところで、再び玄関が開く。

 

「すみませんお待たせしました〜。どうぞお上り……くだ、さ……」

 

 綴によく似た女性が口を開けたまま固まってしまっていた。恐らく母の詩織だろう。目線は寧音の顔に固定されており、お化けを見たような表情を浮かべている。

 

「そうそうこういう反応が普通なんだよな。んで、そろそろ絶きょ──」

「きゃぁぁあっ!?」

 

 か細い体から出たとは思えないほどの絶叫に、すわ何事かと家の中が慌ただしくなる。

 

「どうした詩織!?」

「母さん大丈夫!?」

 

 綴が腰を抜かしへたり込む詩織の視線を辿り、その先で満足そうにニヤついている寧音を見つけて目尻を釣り上げた。

 

「お前!母さんに何をした!!」

「いやぁ。別になにも?」

「っ!」

 

 おちょくるような口調と表情で戯けた寧音に銃を向けようとしたその時。

 一足早く事情を察した父・詠詞が綴の肩を掴んだ。

 

「よせ綴。彼女は何もしていないよ」

「なんでわかるのさ!?」

 

 詠詞の制止に食ってかかる綴だが、詠詞は努めて冷静に答えた。

 

「あの人は日本魔導騎士界のトップ《夜叉姫》西京寧音さんだ」

「ご名答。ま、世界規模で見てもトップ3だけど」

 

 は?と間抜け面を晒す綴に『あ、こいつ思ったほどヤベェやつじゃねぇな』と直感した寧音は不敵な笑みを浮かべてたのだった。

 

「今日からつづりんはウチの後輩だから。そこんとこよろしく」

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

「ブハハっ!!ひぃーっ、ふぅ……。ぶッ」

「……笑いすぎだろキミ」

「いやだって、知らなかっただけならともかく、よりによって『メディアに触れたことがない』って!!いつの時代から来たのさ!やばい殺される!笑い殺される!!」

「母さんどいて!そいつ殴れない!!」

 

 机をバンバン叩きながら爆笑する寧音に殴りかかろうとする綴を懸命に抑える詩織。

 それを尻目に寅次郎と詠詞は対話していた。呑気にお茶を啜る寅次郎と対照的に詠詞の表情は硬い。話の内容が突飛なもので俄かに信じられないのだ。

 情報を交換し終わり一区切りついたところで寅次郎は改めてぺこりと頭を下げた。

 

「突然の来訪、重ねてお詫びする」

「いえ、それは大丈夫なんですが……。先ほどの話は本当なんでしょうか」

「全て真実じゃ。まぁ、荒唐無稽なのは百も承知。だからこそ電話口でなく、こうして寧音を連れて話しに来た」

 

 寅次郎の言い分は最もだった。電話口で娘が全ての可能性を極め尽くし《魔人》という存在に昇華した、なんて話をされたところで詐欺かイタズラ電話だと思っていただろう。

 

 今でさえ信じきれないものの、多忙の身であるはずの寧音がわざわざ足を運んでいるという事実が信憑性を裏付けている。

 それに語り手である寅次郎も日本史を勉強した者なら誰もが知る英雄である。そんな人物が名も知らぬような家庭に来てまで嘘をつくはずもない。

 加え彼ら自身がその《魔人》だと言うのだから文句のつけようがない。

 

 詠詞の苦悩を察している寅次郎はじゃれている綴──本人はガチギレしている──を眺める。

 

「あの子自身が魔力が増えたと言っとったんじゃろ?」

「……はい。加えて綴の一日に撃てる回数も劇的に増えましたから、間違いないです」

 

 限界まで出力を抑えてようやく百発ほど撃てる程度だったにも関わらず、ある日突然その倍、いや何十倍もの量を撃てるようになったのだ。

 学校から帰って来て日が落ちるまで撃ってもまだ余裕があるなんて信じられない!と大はしゃぎしていたものだ。

 

 魔力総量は生涯変わらない。それは世界の常識だった。ゆえに詠詞はこの異変を、綴が今まで何らかの理由で魔力を全開にできていなかっただけだと思っていた。

 多少無理のある納得だが、まさか世界の絶対法則を破っていると勘付けと言うのは酷な話だ。

 

「今すぐ受け入れろとは言わんが、ゆくゆくは納得していただきたい。追って国からも通達が来るじゃろう」

 

 詠詞ら一般人にとって奇天烈すぎる話であることを重々理解している寅次郎は寧音にアイコンタクトを送りつつ、そう話を締めた。

 

 寧音は本気で殴りかかって来る綴を適当にいなして、わざとおちゃらけた口調を作った。

 

「ほーらわかったろ。つづりんじゃ一生ウチに触れないっての」

「こんのぉ……!」

「それはそうと、そろそろ日課の射的の時間じゃないのん?」

「言われずともしてくるさ!!」

 

 全く何なんだこの人、とぶつくさ文句を垂れながら庭へ出て行った後輩に苦笑いを零す。

 

「本当に申し訳ございません……うちの子がとんだご無礼を……」

「いいっていいって。()()()中坊はあれくらい生意気なもんさね」

 

 ずっと頭を上げ下げする詩織をあやし寅次郎の隣にどかっと座るとさっきまでの飄々とした態度はどこへ行ったのやら、真面目な表情に切り替わる。ふざけているようでしっかり会話を聞いていたのである。

 

「つづりんもどっか行ったことだし、本題に入らせてもらうぜ」

「さっきのが本題じゃなかったんですか?」

「前置きってやつだぁね。そこんとこ知っててくんねぇと話にならんのよ」

 

 そして寧音は語り出す。今の世界均衡の危うさ。国にとって《魔人》がどれほど重要か。翻り敵国にとって《魔人》がどれほど目障りな存在になるか。

 これらは全て国から規制された情報であり、一般市民はおろかマスメディアすら知り得ない情報でもある。

 

 当然詠詞にとっては二度目の霹靂。詠詞は先ほどの驚きもあり一定の冷静さを保って聞き入れたが、詩織には到底受け入れがたいもので顔面を蒼白にして震えていた。

 

「……それはつまり、もし戦争が起こってしまったら綴は徴兵されるということでしょうか……?」

「魔導騎士って時点で徴兵は決定してるようなもんだけど、まぁ間違いなく重要なポジションに据えられるだろうねぇ」

 

 淡々と告げられたそれは死刑宣告にも似た響きを持っていた。詩織は耐えきれずに泣き出してしまう。

 

「少し休んだ方がいい。詩織、部屋に行けるかい?」

「……そうするわ。ごめんなさい。あなた一人に押し付けちゃって」

「いいさ、これくらい。今まで君が頑張ってきたんだから」

 

 偉人二人に一礼して退出したのを見送った後、詠詞も頭を下げた。

 

「お気遣いありがとうございます」

「さぁて、何のことかねぇ」

「明言しないでいただいたことです」

 

 なおも知らんぷりをする寧音。詠詞が本当にわかって言っているのか試しているのだ。

 

「重要なポジション。それは敵の《魔人》と戦うことでしょう」

 

 じっと見つめる寧音は、ふと表情を崩した。

 

「驚いた。本当に気づいてたとは思わなかった。混乱している相手に我ながらひでぇ説明したと思ってたんだけどねぇ」

「それもわざとボカして説明をして、僕たちに不必要な重圧をかけないためでしょう?綴を外に出したのも、彼女に国を背負う重責を感じさせないため」

「……なるほど。伊達にあの銃バカを()()に育て上げたわけじゃないってか」

「綴を思う気持ちは誰にも負けるつもりはありませんので」

 

 慣れねーことはするもんじゃないねぇ、と嘯いた寧音が格好を崩し頭の後ろで腕を組んだ。

 

「パパさんの言う通り、実際に戦争が起こったとき一番厄介な相手は《魔人》だ。そこらの伐刀者を千人連れてきたって皆殺しにできる。ならこっちも《魔人》で対抗するしかねぇって寸法さね」

「それは予想できたのですが、しかし綴がそんなに強い伐刀者とは思えないのですが……」

 

 素人目で見ても綴の早撃ちは凄まじいものを感じるが、逆に言えばそれだけだ。伐刀者としての強さは現時点で下されているDランク相当だろう。

 対して敵の魔人は寧音のようにデタラメな強さを誇っているはず。寧音が学生時代に七星剣武祭で引き起こした伝説──大気圏から隕石を引っ張ってきて叩き落とす──に勝るとも劣らない仕業をやってのける連中を相手に、綴がまともに戦えるとは思えなかった。

 

「よぉくわかってんじゃないの」と着眼点を褒めたがすぐに切り返す。

 

「なにも《魔人》全員が戦略級の戦闘能力を持ってなくてもいいんだよ。要は使い所の問題さね」

「そうなんですか」

「馬鹿正直にサシでやる必要ねぇからな。つーか、つづりんの戦闘スタイル的にサシでやるのは無謀すぎる。ありゃあ、ある程度条件が揃わねぇとダメなタイプだ」

 

 早撃ちが得意と聞いた瞬間に寧音は綴の考えを全て見通していた。

 もともと馬鹿正直に戦うつもりは全くない。敵の隙を全力で殺しにいく一点特化型。

 試合形式の戦闘を前提にした戦い方だ。逆に言えば条件さえ整ってしまえば猛威を振るうのだがその反面、戦争のように無秩序の乱戦では力を発揮し辛い戦闘スタイルと言える。

 

 兵として扱う上ではそこが玉に瑕なのだが、伐刀者として見れば自分の土俵をしっかり弁えた賢い戦い方である。

 これを小学一年生のときから考えていたというのだから驚きだ。

 

魔人(ウチら)の中にゃサポート専門っつーやつもいる。そいつと組ませて適材適所に投入すりゃ十分な活躍が見込めるだろうさ」

「……なるほど」

 

 生返事を返した詠詞の顔は浮かない。その心情を察せないほど人間を捨てていない寧音は明るい声音を出した。

 

「まぁすぐ戦争がおっぱじまるってわけじゃねぇ。よっぽど切羽詰まってなけりゃ高校生活を送れる程度の余裕はある。そう気落ちしなさんな」

「そうだと、いいんですが」

 

 身を切るような苦々しい声をこぼしズボンにシワが残るくらい強く握り込む。無理して目を開けているのは、瞑ったそのとき涙が溢れるとわかっているからか。

 

 ……詠詞が気にしているのはそんな小さなことじゃないことくらい、寧音もわかっている。気丈に振る舞っていても娘のことが心配でたまらないのだ。

 彼は。いや、彼らは。ただ娘が幸せに生きて欲しいと願っているだけなのだ。大人になって誰かと結婚をして家庭を持つ。そんな人並みの幸せを得られることを望んでいるだけ。

 

 高校生活を送れても、戦争に駆り出されて死んでしまってはダメなのだ。

 

 寧音はガリガリと頭をかいた。自由奔放を良しとしてきた自分が、まさかこんな役回りを買って出るなんて。

 本当にらしくないことはするもんじゃないと内心毒づく。

 

「なぁパパさんや。ウチら《魔人》の産まれってどんな感じだと思う?」

「え?普通の家庭なのでは……?」

 

 ゆっくりとかぶりを振った。

 

「ウチは貧しい家の産まれだったんだけどね。物心ついたときから能力使って遊んでた。『大地を浮かせること』が夢だったよ。なんでか知らねーけど、それが一番楽しいって信じてたんだぜ。しょーもねぇだろ?けどウチはマジで目指してさ。暇さえありゃずっと練習したもんさね」

 

 同じだ。あの日の綴と全く同じだ。産まれた瞬間から自分の生きるべき道を知っていたかのように夢中になっていたのだろう。

 

「そんなウチに対して親は猛反対した。さっさと働かせて金を稼がせたかったんだろ。けれどウチはやめなかった。よく遊ぶわ言うことは聞かないわ。挙句飯はバカみたいに食うから、ついにプッチンしちゃったんだよね」

「……まさか」

 

 あり得ないものを見る目で呻いた。

 

「知らねぇ間に捨てられたよ。気づいたら家がすっからかんさ」

「そんなことをする親がいたなんて……」

「そっからどーでも良くなっちまってねぇ。そりゃあ派手にやんちゃしたもんさ。パパさんには言えねぇこともいっぱいやった。警察に世話にならねぇ日がなかったくらい、いっぱいな。獣みてぇな生き方してたんだ」

 

 凄絶な内容に口を挟むことすら出来なくなってしまう。

 

「ま、たまたま通りかかった人に拾ってもらったおかげでこうしてある程度まともに生きているんだが」

 

 寧音が会話に入ってから一度も言葉を発していない寅次郎がバリバリと音を立てて煎餅を齧った。どこか懐かしむ顔をしている。

 

「今じゃ親の顔も名前も覚えてねぇ。探そうとも思わねぇ。完全に繫がりを絶っちまってんのさ」

「……」

「《魔人》はそんなクソッタレな環境で生き抜いて来た奴らが殆どさね。いや、そういう環境で育ったからこそ《魔人》になれるんかねぇ」

 

 他人事のようにのたまう様は、本当に親のことを何とも思っていないことを如実に物語っていた。

 憎みもせず、焦がれもせず。自分を産んでくれた人を赤の他人と割り切ってしまうだなんて、これほど悲しい生き方があるのだろうか。

 

「そんなんだからさぁ。つづりんのこと、ちょっと羨ましかったんだよね。自分を理解してくれる親がいて、自分を愛してくれる親がいて、自分を守ってくれる親がいる。普通の幸せの中で自分のやりたいことを思い切りできるって、どんだけ幸運なんだよってさ」

 

 皮肉なことに《魔人》は親の手から離れたからこそ《魔人》になれた節がある。誰にも邪魔をされないからこそ自分の道を存分に歩めた。中には邪魔する者を全て殺してきた《魔人》もいたと言う。

 そういう生き方をしているせいで《魔人》という人種は悪に堕ちることが多かった。

 

 だが綴は違った。綴の良心がそうさせたのか、はたまた両親の懸命な教育が成したのかは不明だが、綴は《魔人》らしからぬ常識を保ったまま狂気を育んだ。

 父親の口調がうつるくらい慕っているのだから、きっと後者なのだろう。

 

 それがどれだけ奇跡的なことだったか。少しでも間違えば崩壊していたであろう。

 その尊さが寧音には眩しかった。そんな《魔人》が年若くして死んでしまうのは心苦しかった。

 

「だからウチがつづりんのことを守ってやる。パパさんたちが大切に育ててきたもんは壊させやしねぇ」

 

 柄にもなく、そう思えてしまうくらいには。

 

 ぽかんと呆ける詠詞の視線が気恥ずかしくて、目を逸らしながら早口でまくしたてた。

 

「仕方なくだかんな!仕方なく!一応ウチの方が歳上だし?先輩だし?そんくらいはしてやってもいいかなって思っただけだかんな!」

 

 早口でまくし立てる寧音に、詠詞は静かに立ち上がり彼女の前に立つと涙を湛えた顔を伏し、

 

「ありがとうございます。どうか娘のことをよろしくお願いします」

 

 深く頭を下げた。精一杯の感謝を込めたお辞儀であることが所作の端々から伝わってくる。

 綴がいかに愛されているか十分すぎるほど分かるそれに、寧音は照れ隠しをやめて真摯に答えた。

 

「任されたよ。安心しな」

 

 目元を拭きながら着席した詠詞だが、真面目モードから一転して普段のおちゃらけた態度に戻った寧音はあくどい笑みを浮かべて迫った。

 

「さぁて。自分語りなんて小っ恥ずかしいことをさせられた挙句、娘さんの面倒まで見てやることになったんだ。ご存知の通りウチは忙しくてねぇ。それなりの対価を貰わねぇとなぁ?」

「お金ならいくらでも払います」

 

 KoK選手に無理を言って頼んでもらったのだ。いくら要求されようと絶対に支払う覚悟を決めていた。

 が、詠詞の覚悟に反して寧音は首を振った。

 

「んなもん掃いて捨てるほど持ってるっての。それに消耗品なんか貰ったって仕方ねぇだろ」

「それでは……?」

 

 寧音がニィと口角を上げた。その言葉を待っていたと言わんばかりに。

 

「ウチのファンになれ」

「えっ?」

「もちろん一家全員でだぜ?ウチがKoKで活躍してたら応援の一つでも送ってくれりゃそれで十分だ。金は簡単に手に入っても、ウチ好みのファンは中々見つからなくてね」

 

 んじゃ後輩と交流を深めてこようかねぇ、と一方的に告げてベランダに出て行ってしまった。

 予想外の対応に呆然とする。

 

「礼はいらんというあの子なりの気遣いじゃよ。下手くそすぎて伝わりにくいが、まぁ慣れないことをしている自覚もあるんじゃろ。言い逃げしよったわ。許してやってくれ」

「南郷さん」

 

 終始黙っていた南郷は困ったように目尻を下げつつも温かい目をベランダに向けた。

 

「昔から素直じゃない子でのぉ。お互い困った娘を持ったもんじゃ」

 

 その言葉で寧音を拾った人物が誰であるのかを察した詠詞は莞爾と笑ってみせる。

 

「けど、娘に困らされるのも悪くないものですよね」

「よくわかっとるのぉ。つい甘やかしてしまうわい」

 

 寅次郎も笑みを浮かべお茶を飲み干す。それからは互いの娘について語り合う父親たちの姿がそこにあった。

 

 

 

 △

 

 

 

「……何しに来た」

「んー?見物しに来ただけだよん」

「帰れ!」

「つれねーヤツだなぁ」

 

 簡素な縁側で涅槃像のようにふてぶてしく寝転がる寧音。それを見て口元をひくつかせる綴。

 他人の家に上がり込んで来てこの態度。こいつとは馬が合わないと再認識した瞬間である。

 

「これでもウチはプロなんだぜ?腕前を見てもらえる良いチャンスじゃねぇか」

「はぁ……」

 

 これ以上言っても消える気がないと悟り思い切りため息をこぼす。

 そしていつものように的に集中を向けて没頭し始める。

 

 淡々と弾を撃ち込む様子を見つつ寧音は内心で感嘆していた。

 

 ──弾に込めてる魔力量が寸分違わず一定だ。魔力制御はDって話だったけど……──

 

 その疑問の答えはすぐに出た。練習したのだろう。体に染み付くまで何度も繰り返して身につけたに違いない。

 一定を保つのは一見簡単そうで実はかなり難しいことだ。並大抵の修練では身につかない。それこそ無意識に出来てしまうくらい体に刻み込む必要がある。

 元Fランクの人間がプロ顔負けの精密さで魔弾を生成できるために費やされた気力は計り知れない。

 

 些細な所からでも綴の尋常ならざる努力を読み取った寧音は、反面新たな疑問を抱えることになる。

 

 ──確かに一定なのに、どうして()()()()が毎回違うんだ?──

 

 弾が的を叩く音が毎回バラバラなのだ。込めた魔力が一定ならば弾の威力も一定のはず。音がズレるはずがないのだ。

 そのことから綴の能力を聞いたときからずっと感じていた違和感の正体に気付き始めた。

 

「なぁつづりん」

「なにさ。冷やかしなら聞かないよ」

「いや、割と真面目な話なんだけどさ。つづりんの能力って何だっけ?」

 

 いきなり何だという面持ちながら素直に答える。

 

「弾の威力を増幅させる()()()の能力だけど」

「ふーん。強化系、ねぇ」

「地味な能力で悪かったね」

 

 綴が口をへの字に曲げて悪態をつく。初対面からいきなり世間知らずと馬鹿笑いされた挙句適当にあしらわれた手前、いちいちトゲトゲしい反応をしてしまうのは仕方のないことだった。

 そんな小さな抵抗を毛ほども気にせずに寧音は返す。

 

「ちなみにそれ、誰から聞いたの?」

「は?能力計測のときの先生からだけど」

「あー……やっぱりか……」

 

 まるで当たって欲しくない予想が当たったような反応に眉を顰める綴は一旦腕を下ろした。きな臭い気配を感じ取ったのだ。

 

「ボクの能力がどうかしたの?」

「そう慌てなさんな。もう一つ確かめておきたいんだけど、能力体系ってどれくらいあるか知ってる?」

「えっと、身体強化系と自然干渉系に概念干渉系。あと因果干渉系と空間転移系があるんだっけ」

「よくお勉強してるじゃないの」

「おい。冷やかしは聞かないって言ったぞ」

 

 いつもの調子で言ってしまったとは言えなかったので端的に本題を述べた。

 

「つづりんが言った通り、能力体系に()()()()()()()()()()

「え?」

「その先生だとかが何言ったか知らねぇけど、まさか身体強化系の派生とか思ってねぇだろうな」

「……ははっ。何のことやら」

「図星かよ。どうりで噛み合ってねぇわけだぁね」

 

 いいか、と寝転がりながらも真剣に続ける。

 

「最初に言っておくとつづりんは自分の能力を勘違いしてる可能性がある」

「勘違い?」

「あぁそうだ。誰でも最初は能力を扱いきれないもんだが、いずれは慣れてある程度は制御できるようになるもんだ。ちっちゃい頃からずっと撃ち続けてるのに全く制御できねぇなんて有り得ない話なのさ」

「でもどんなに頑張っても制御できなかったよ?」

「だからこそ能力を勘違いしてるって話になる。実際の能力の一面を全てだと思い込んでいるからエラーを起こしてる」

「う、うーん……」

「勘違いってのは珍しいことじゃねぇ。ウチもそのクチだったしな」

 

 例えばと言いつつ庭に生えている芝生を少し毟り空中に放る。すると草が不自然に空中に固定された。

 

「一見すると物を浮かす能力に見えるだろ?けどウチの能力は『重力』を操る自然干渉系だ。浮かすのはただの一面にすぎねぇ。ガキのころは大地を浮かすことが夢だったりしたんだがな。本質を知ってからは天に輝く星を落としてみたいって思ったっけなぁ」

 

 さらりと恐ろしいことを言う寧音にドン引く綴だが、本当に星を落として日本を地図から消し飛ばしかけたことがあるとは知る由もない。

 

 浮かしていた草を庭に戻し核心に迫る。

 

「ここまでわかったなら、今度は何の能力を勘違いして強化系だと思ったのかが問題になる。が、つづりんの場合は簡単にわかることさね」

「え?なんでよ」

「考えてもみろ。弾の威力が変動していることは間違いねぇんだから身体強化系と空間転移系は論外。話を聞いてる限りだと普通の銃と変わらねぇみたいだから自然干渉系も考えづらい。あとは因果干渉系だが、後者は目に見えてわかるようなもんじゃねぇから保留だ」

「となると残ったのは概念干渉系……?」

「そうなるな。弾に何らかの概念を乗せて飛ばしていると考えれば辻褄も合う」

 

 長年悩んできた謎をあっさりと解かれていくことに何とも言えない肩透かしを覚える。

 

「んで、概念干渉系ってのはさ。名前の通りに概念っつーイマイチぱっとしねぇもんを元にするから、どうしても術者本人がその曖昧さを補強しなくちゃならねぇのよ」

「確かにわからないものを具現化なんてできないもんね」

「そゆこと。ウチのダチに『時間』を操るヤツがいるんだけど、そいつは頭の中に懐中時計をイメージしてるって言ってたな。巻き戻す時はネジを逆に回すとかなんとか」

「なるほどねぇ。……でもボクの能力、何を元にしてるかわからないんだけど」

「そこが一番の問題なんだよなぁ」

 

 がくりと肩を落とす綴。あと少しのところで手詰まりになるとは。

 しかし寧音は陽気なまま続けた。

 

「ま、一つだけ心当たりがあるんだが」

「本当!?」

 

 がっと肩を掴んでそう叫んだ。ものすごい食いつき方である。「お、おう」とやんわりと手を外す。

 

「霊装ってのは魂の具現って言うだろ?なら霊装が宿す能力も術者の魂に依るってもんだろ。特に概念系はモロに影響を受けるだろうさ」

「ボクの魂……」

「難しく考える必要はないぜつづりん。素直に自分に問いかければいい。つづりんにとって何が大切なのかを」

 

 そう説かれ綴は瞑目し考える。

 

 自分にとって大切なものは案外少ない。銃はもちろん両親も大好きだ。

 あとは両親との約束くらいなのだが──

 

「──あ」

「どーやら見つかったみたいだぁね。そいつを頭に浮かべながらもう一度撃ってみな」

 

 厳かに頷き的に向き直った綴は深呼吸をした。

 

 人生において心を揺るがすものが三つあった。

 一つは銃を初めて撃ったとき。もう一つは魔人に至ったとき。

 

 そして最後の一つは()()()()()()()()()()()()()

 

 鮮烈に焼きついたそのときの気持ちを思い描き、いつものように腕を閃かせた。

 

 瞬間、的どころかその向こうの塀にすら穴が空いた。

 ちょうど銃弾一つ通れそうな穴はまさしく自分が開けたもの。

 従来の威力ではとても成し得ないその光景に我を忘れる綴に寧音は結論づけた。

 

「『貫徹』の概念を纏う弾を撃つ概念干渉系の能力。それがつづりんの能力だ。つづりんが()()()()()()と信じ続ける限り、誰にもその銃弾を止めることはできない」

 

 食い入るように穴を見つめている綴の首がギギギと動き寧音に向く。

 まん丸に見開かれた目がふとふにゃりと柔らかくなり、花が咲いたという形容が相応しい笑みが浮かぶ。

 

「ありがとう!!」

「うおっ!?」

 

 見惚れていた寧音に全力のタックルをかまし額をグリグリと押し付ける。

 さっきまでのつっけんどんな態度はどこへ消えたのやら、今は尻尾が生えてブンブン振り回しそうな勢いである。

 

「ずっと悩んでたことがこんな簡単に解決するなんて……!寧音ってすごいんだね!」

「そっ、そうだろー!?ウチはプロだかんなー!つづりんもウチを見習え!?」

「ほんと見直したよ!ありがとう先輩!」

「うっ、うう……」

 

 無邪気な好意にとことん弱いせいで照れ隠しすら出来ずに狼狽えてしまう。

 冷たかった態度からのギャップが激しすぎて目が回りそうになるが、確かにあんな笑顔を見せられたら支えたくなるよなぁと苦笑いを零す。

 

 これに鼻をかけた寧音が調子に乗ってせっかく獲得した好感度をマイナスに叩き落とすことになるのだが、それはもう少し先の話である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話

「いやあ、助かりました。本当にありがとうございます」

「いえいえ。一人で運ぶのはしんどい量でしたし」

「あはは……横着してて一回で運ぼうとしたんですが、ものぐさはいけませんね。反省します」

 

 ちろりと舌を出してはにかむこの人は東堂刀華。昨年度の七星剣武祭ベスト4の破軍学園()()の騎士にして生徒会長だ。

 

 両手に抱えるほどの量の紙束を運んでいた彼女を見かねて手伝おうかと声をかけたところ驚かせてしまい、かえって彼女の邪魔をしてしまうことに。

 今は散らばった書類を集めてステラと一緒に生徒会室に運んでいる最中だ。

 

「でもまずいタイミングで顔合わせしちゃいましたかね……?」

 

 まずいタイミングとは今日の選抜戦のことだろう。

 今日、期待の新星《深海の魔女(ローレライ)》こと珠雫の無敗伝説はこの人によって切り捨てられた。

 一敗が命取りになる選抜戦に於いて今日の敗北は致命傷。事実上の落選だ。

 

 妹を蹴落とした張本人がその兄である僕と顔をあわせるのは気まずかろう。

 東堂さんの言葉に首を振る。

 

「勝負は勝負です。珠雫は全力を出しきって立派に戦いました。貴女は珠雫の全てを受け止めて、その上で破ったにすぎません。全力で応えてくれたことに感謝こそすれど、恨むことはありません」

 

 これは僕の本心だ。

 珠雫は今日まで全力を出すまでもなく勝ててしまう選抜戦に不満を抱いていた。

 転じて死力を尽くせる格上との決闘を望んでいた。

 

 ……それは僕にはどうしてやることもできない望みだった。

 珠雫は僕のことを本気で愛してくれていて、支えになろうとしてくれている。そのために必死に努力してBランクにまで上り詰めたくらいだ。

 けれど、そんな彼女を、僕は『可愛らしい守るべき妹』としか見てやれないのだ。

 もし僕が選抜戦で珠雫と当たったとしても、全力で戦いながらも心のどこかで珠雫を気遣ってしまったことだろう。

 

 それは珠雫の望む全力ではない。それは珠雫の全力を受け止めたことにはならない。それは不誠実に向き合ったことになってしまう。

 僕は珠雫の全力を受け止めるに足る存在になり得ないのだ。

 

 東堂さんは僕には出来ないことをしてくれた。

 珠雫に全力を吐き出させる敵となり、その上をいく敵になってくれた。

 この経験は珠雫をさらなる高みへ連れて行ってくれるはずだ。

 

 不甲斐ない兄として精一杯の感謝を伝えると、東堂さんはくすりと小さく笑った。

 

「少し安心しました」

「責められると思いましたか?」

「いいえ。その逆です。私の想像した通りの人なんだと確信できました」

 

 どういうことか尋ねる前に、東堂さんは続けた。

 

「《落第騎士》改め《無冠の剣王》。私は貴方を一人の武人として心から尊敬していますから」

 

 予想外の発言に僕のみならずステラも目を剥く。

 

 桐原君を打倒して以来、学園内での僕の評価はそれなりに見直されている。

 けれどあくまで一部での話。大部分の人は今でも《落第騎士》として僕を見ている。

 どれだけ連勝しようともFランクの烙印は事実だ。伐刀者としては最弱。今までの活躍はマッチングのおかげと見られるのは当たり前のこと。

 

 その評価は僕も認めるところだ。これだけで見返せるとは思っちゃいない。七星の頂に立って初めて、僕は誰に憚ることなく己の強さを謳えるのだから。

 

 なのに、未だ僕を侮る人が多い中、破軍学園最強の彼女は僕を認めていると言ったのだ。

 

「ぼ、僕なんかを……?」

「そうです。貴方と《七星剣王》の模擬戦を見て以来、ずっと」

 

 それにステラが少し嫌そうな顔をした。

 

「それってもしかして入学式直前のやつかしら」

「えぇ。ネットに投稿されていたものを見ました」

 

 やっぱりかーとこめかみに指を添えるステラ。

 アレはステラにとって胸糞悪いものとして記憶されているからね……。

 

 というのも、初めてステラと出会ったあの日に行った模擬戦が丸々ネットに投稿されていたのだ。

 あの場にいた生徒の誰かが撮影したのだろう。そこまでは別によかったのだが、この動画がネットで大炎上してしまったのだ。

 

 何せFランクの伐刀者がAランク騎士の《紅蓮の皇女》を真正面から倒した、という内容なのだから。

 ただでさえ信じがたいものなのに、その前座で歴代最強の《七星剣王》と張り合っているとなれば、いよいよ大荒れする。

 それはもう凄まじい反応で、散々僕を罵倒した挙句『黒鉄家がヴァーミリオンに賄賂した』という根も葉もない憶測が()()()()()()ほどだ。

 

『《七星剣王》を利用してまで売名したかったのか』と学園に電話が殺到した時は流石に驚いた。

 言ノ葉さんは「しょーもな」と一蹴して気にも留めなかったけれど、対照的にステラは大激怒。

「アタシがそんな卑怯な真似に手を貸すはずないじゃない!」と怒りを炎に変えて、投稿者を締め上げようとまでした。

 

 それはなんとか抑えてもらったものの未だに彼女の中で燻っているのだろう、今でも紅い髪からチリチリと燐光が漏れている。

 抑えて抑えてと訴えると「わかってるわよ」と髪を払い熱を霧散させた。

 

「それにしても、よくあの動画を信じる気になれたわね。ネットの奴らになんて言われてるか知ってるでしょ?」

「詳細は覚えてませんが酷い言われようでしたね。尤も、私も当初は信じられない気持ちでしたが」

「ま、それはそうよね。アタシもイッキに初めて会ったとき散々見下したこと言ったもの。アンタなんかが勝てるはずないでしょって」

 

 だからネットの奴らに強く言えないのよね、と不満げに零した。

 しかし東堂さんはそれに「あぁ、誤解させてしましたね」と首を振った。

 

「ステラさんとの試合はすぐに信じられましたよ?」

「えっ」

「だって八百長しているなら能力全開で挑む必要ないじゃないですか。演技の可能性もありましたけど、どうみても開幕から本気で潰しにかかってましたし。ステラさんが真剣に挑んでいたのは一目でわかりました」

「あ、あら、そう?嬉しいような悔しいような……」

 

 肩透かしを食らった顔でがっかりと肩を落とす。

 ごめんなさいと謝りながら僕に目を向けた東堂さんは言う。

 

「あの《七星剣王》の射撃を凌ぎきった貴方が信じられませんでした。私には()()()()()()ことでしたから」

「えっ、トーカさん、ツヅリさんと戦ったことがあるの?」

 

 ステラの質問に僕も内心同意する。

 言ノ葉さんが東堂さんと戦ったなんて聞いたことがない。

 学園で行えばたちまち噂になっているだろうし、というか学園にいるときはほとんど僕と一緒にいるはずだからそれはない。

 

 ならばいったいいつ……?

 が、少し考えればすぐに思い当たった。

 

「強化合宿ですか」

「そうです。そこで三回だけ手合わせさせてもらいました」

 

 合点がいくと、ステラがちょんちょんと袖を引いてきた。「なによそれ」と説明を求める顔をしているので要望に応える。

 

「破軍学園では例年、七星剣武祭の前に代表生全員で強化合宿に行くんだよ。去年言ノ葉さんも行ってきてた」

「ふーん、面白そうね。何をしたって言ってた?」

「……『射的楽しかった』としか聞いてない」

「……相変わらずねツヅリさん」

「あはは……」

 

 年上の女性らしい柔和な笑みを崩し苦笑いする東堂さん。その様子を見るに他の代表生そっちのけで射的に勤しんでいたようだ。

 言ノ葉さんはブレないなぁ……。彼女らしいと納得できてしまえるあたり、本当にブレない。

 

「まぁ言ノ葉さんは唯一の一年生でしたし馴染みにくかったのもあると思うんですが、何より私たちじゃ彼女の相手になれなかったのが原因ですね」

「それでトーカさんとツヅリさんが戦ったことに繋がるのね」

「私以外の代表生とも戦いましたが……言わずともわかりますよね」

 

 ステラが察した表情で頷いた。

 七星剣武祭で見せた瞬殺劇が繰り広げられたのだろう。

 

「あれは本当に驚きました……。右手が光ったと思ったその時には相手が倒れていますし、何の能力も使っていないと言われたら他のみんなは怖がっちゃって……」

「誰も言ノ葉さんの相手をしなくなった、と」

「先輩として恥ずかしい限りです……」

「でもトーカさんは三回も挑んだんでしょ?」

 

 ステラの言葉に神妙に頷いた。

 

「あの早撃ちは破れないと痛感させられたので、早撃ちと能力無しでお願いしてもらったんです」

「それって……」

「はい。まさに貴方が普段からやっている模擬戦と同じルールです」

「結果はどうなったの?」

 

 急かすステラを落ち着かせるような緩慢とした動作で首を横に振った。

 

()()()()()()()()()()()。ものの数秒で倒されて終わりました」

「うそ……《閃理眼(リバースサイト)》があってもダメだったの……!?」

 

 《閃理眼》。それは自らの視界を遮断し知覚を鋭くすることで、相手の身体に流れる微細な伝達信号を感じ取る伐刀絶技。雷使いの東堂さんだからこそできる技だ。

 脳から発せられる伝達信号は、いわば相手の偽ることのできない剥き出しの本心。相手がどういう心理状態なのか、次にどういう行動を想定しているか、その全てを把握できてしまうという恐ろしい伐刀絶技。

 実際にこれを用いて鬼神の如き強さを見せつけ、珠雫を破った。

 

 が、東堂さんはステラの驚嘆を否定した。

 

「いえ、正しく言えば《閃理眼》は役に立ちませんでした。なぜなら──」

「『()()()()()()()()()()()()()かっ()()。違いますか?」

 

 遮るように言えば驚きの表情を浮かべた。

 

「その通りです。……よくわかりましたね」

「まぁ、言ノ葉さんとは長い付き合いなので」

 

 そう言うとなぜかステラがむすっとした表情になった。

 ……なんで急に不機嫌になったんだ?よくわからないが触らない方が良さげだ。

 ステラの様子に気づいていないらしい東堂さんは続ける。

 

「彼女に繋げた瞬間『撃つ』という言葉が洪水のように流れてきたんです。そのせいで言ノ葉さんの思考を全く読み取れなくて……」

「そんなにすごかったの?」

「えっと、テレビを点けたら大音量の砂嵐が流れたと喩えれば伝わりますか?」

「……えぇ……」

 

 思い切り顔を引きつらせたステラ。

 

 言ノ葉さんの異次元な早撃ちについて、どうしてあの若さで()()()()に辿り着けたのか考察してみて、ある程度の予想を立てていた。

 どうやらその予想が当たっていたようなのであんまり驚かなかったけれど、改めてそうだと言われると呆れてしまう。

 なんて無茶苦茶な人なんだ、あの人は。

 

「そんな体験初めてだったので、思わず動揺しちゃってすぐやられちゃいました……」

「なら三戦目は?」

「《閃理眼》を使わず素直にぶつかりに行きました。が、結果は同じでした。手も足も出せずとはこのことです」

 

 こうして他人から言ノ葉さんの恐ろしさを聞くと、やはり彼女は凄い人なんだなと実感するとともに、僕の憧れる人はこんなにも強いんだと誇らしく思う。

 

 言ノ葉さんが誰かに負ける姿は見たくない。僕が彼女を負かせる唯一の人でありたいから。

 ……と思うのは少しワガママだろうか。

 

 尤も、言ノ葉さんに勝てたのは何重にも手加減してもらった状態だったからであって、彼女の本気には遠く及ばないんだけどね。

 またまだあの背中は遠い。早く彼女の隣に並びたいものだ。

 

「──ですから、言ノ葉さんの射撃を捌く黒鉄君の姿は鮮烈に映りました」

 

 東堂さんの声で現実に意識が戻る。

 いけないな。言ノ葉さんのことになるとすぐ傾倒してしまう。

 

「そしてあの《七星剣王》と毎日競っていると聞けば認めざるを得ません。言ノ葉さんに追いつこうとするその信念に感服しました。私はたったの三度で投げ出したから……」

「そんな大袈裟な……僕はただ憧れただけです」

 

 東堂さんは真剣な表情のまま首を振る。

 

「それそのものが凄いことなんです。誰もが彼女に追いつくことを諦めたんですから。その証拠に、お二人も今日の選抜戦のときに実況の方が言ったことを覚えているでしょう」

「あ、破軍学園最強の騎士って紹介ね!」

「そうです。破軍学園の最強は間違いなく言ノ葉さんです。けれどみんなは私が最強だと言う。 これはみんなが言ノ葉さんを『例外』と見なしたことに他なりません」

 

 あの紹介にそんな意味があったのか……。強すぎたせいで七星剣武祭から出禁を食らった人だからそう思うのも無理はないのかもしれない。

 しかし、それで納得いくこともある。そんな『例外』に挑み続けるバカがいれば誰もが無駄なことをと思うことだろう。みんなが僕に向けていた奇異な目線はコレが原因だったのだ。

 

「私も言ノ葉さんを『例外』と見なした一人です。あまりにかけ離れすぎていて追いつけるなんて夢にも思えません。だからこそ言ノ葉さんに追いつこうとする貴方を尊敬しています」

「……そんなにヤバイ人だったの、ツヅリさんって?アタシはイッキより少し上かなってくらいに思ってたんだけど」

 

 ステラの質問に対して、僕に気遣う視線を寄越した東堂さん。

 本人の前では言いづらいだろう、代わりに僕が答える。

 

「それは限りなく正解に近いけれど、限りなく正解から遠くもあるかな」

「どういうこと?」

「言ノ葉さんは武の結論──零に至った人だ。それが僕と言ノ葉さんの決定的な差だよ」

 

 武そのものに精神的な研磨も含まれるので、正しくは数多くある結論の一つと言うべきなのだろうが、それはさておき。

 

「零ってなによ」

「本当にそのままの意味さ。〝攻撃()()〟のと〝攻撃()()〟を同時に行うことだよ」

「えぇっとぉ……?」

 

 ステラがコテンと首を傾げた。子供らしい仕草が異様に似合うのは美少女だからか。

 しかしこれ以上の簡単な言い方が出来ないのでどう説明したものかと思ったところで、東堂さんが口を開いた。

 

「剣をスウィングするところを考えるとわかりやすいかもしれません。敵を斬るためには剣を構えて、腕を上げて、振り下ろさなければなりませんよね。構えることを〝攻撃()()〟とすれば、振り下ろしたことを〝攻撃()()〟と言えます。この二つの行動の間に腕を上げて振り下ろすという行程が挟まっているため、どれだけ速く動いたとしても必ず〝攻撃()()〟の後に〝攻撃()()〟が来ます」

「そりゃそうよ。体の構造的に時間のズレがあるのは当たり前じゃない。ほぼ同時にならできるでしょうけど」

「その通りです。が、そのズレを無くしちゃった人がいるんですよ」

「……嘘でしょ?」

 

 もはや泣き出しそうな顔で僕を見てくる。

 その気持ち、痛いほどわかるよ。けれど残念ながらそれが事実なんだ。

 

「信じられないことにね。対して僕は零の()()()()()()()けど、所詮は零に限りなく近い一に過ぎない。真の零には程遠いよ」

「それであんなヘンテコな答え方をしたのね……」

「ちなみに同じように零に至った人をステラは知っているよ」

「えっ?誰?」

「綾辻海斗さんだよ。《天衣無縫》は〝防御する〟と〝攻撃する〟を同時に行う技だ。これも紛れも無い零だよ」

 

 言ノ葉さんは先手を結論にしたのに対して《最後の侍》は後手を結論にしたため、到達点は真逆であるものの至った境地は同じだ。

 東堂さんの代名詞である伐刀絶技《雷切》も零を目指した技である。尤もこちらは異能でブーストを掛けている上に零には至っていない。だからこそ生身で零に至った言ノ葉さんに畏怖しているのだろう。

 ステラはなるほどと頷きどこか引っかかりを覚えている面持ちで下がった一方で、同じく聞いていた東堂さんは目を輝かせた。

 

「あの《最後の侍》と面識があるんですか!」

「この間に知り合う機会がありまして」

 

 おぉ!と声を上げる。すごい食いつきっぷりだが、剣術家の間ではそれだけ《最後の侍》は偉大な人なのだ。

 

 曰く、非伐刀者でありながら凶悪な伐刀者たちと幾度と渡り合い、これを斬り伏せた。

 曰く、この世で最も非伐刀者であることを惜しまれた稀代の天才剣士。

 曰く、侍の時代の終幕を飾った最後の侍。

 

 この生きる伝説に憧れる者は後を絶たない。東堂さんもその一人なのだろう。

 

「どんな方でしたか!?」

「電話越しだったので外見はわかりませんが、声だけでも剣客としての凄みを感じましたよ」

 

 そうですか〜そうですか〜!と、興奮を隠せない様子。選抜戦の時に見せた恐ろしい強さと裏腹に可愛らしい一面に思わず笑みをこぼす。

 そこで入れ替わるようにステラが前へ出た。顔を見るに引っかかった骨が取れたようだ。

 

「《最後の侍》で思い出したわ。カイトさんは生涯をかけて《天衣無縫》を編み出したんでしょ?稀代の天才とまで言われた人がそこまでしてようやく辿り着いた境地に、どうしてアタシたちとほぼ同い年のツヅリさんが辿り着けたのよ」

 

 ステラの疑問に、浮かれていた東堂さんが冷や水を浴びせられたように一瞬で真面目な顔に戻った。

 

「……確かに。結果に驚かされたせいで忘れてた。そんな早く武の結論に至れるなんて、才能だけじゃとてもじゃないけど説明つきません」

 

 それはそうだ。零に至るためには無限に広がる小数点以下のズレを一切無くさなければならない。

 事を成すために必要なのは陳腐な才能などではなく、同じことを無限に繰り返すだけの気力と時間である。

 だからこそ《最後の侍》は生涯という莫大な時間を代償に零へ至った。

 

 翻り、なぜ言ノ葉さんは彼の半生にも満たない時間で零へ至ったのか。

 

 矛盾に満ちた疑問を前に、ステラは確信を持った眼差しで僕を見つめる。

 

「ねぇイッキ。アンタはもうすでに知ってるんじゃない?さっき真似事はできるって言ってたし」

 

 ステラの尋問と共に東堂さんからも無言の圧力をかけられる。

 

「……鋭いね。ステラの言う通り、大体の検討はついてるよ。けど、あまりに無茶苦茶な内容だから信じられるかわからないよ」

「ここまできたら鬼が出ようが蛇が出ようが驚かないわ」

 

 呆れることはあるかもしれないけど、と付け足す。

 そこまで言うなら遠慮なく述べるとしよう。

 

「文字通り二十四時間、ずっと頭の中で早撃ちの練習をしているんだよ。それも一秒に何発も撃つくらいの密度でね。……意味がわからないのはわかるからそんな睨まないで」

「イッキってちょっと勿体ぶるの好きよね」

「そんなことはないんだけどなぁ……」

 

 たしかにちょっと回りくどく説明する癖があるのは自覚しているけども。

 外堀から埋めないと理解しにくい概念的なことを説明するのが多いせいだろうか。

 気を取り直すことにしよう。

 

「東堂さんが視た大量の『撃つ』という伝達信号がまさにそれなんだ。実際に撃つのと遜色ない鮮明度で早撃ちする自分の姿を頭の中に投影する。それを一秒に何回も繰り返し、二十四時間延々と繰り返す。いついかなる時もね」

「……待ってよ。それはおかしいんじゃない?二十四時間なんて簡単に言うけど、寝てるときとかはどうすんのよ」

「どうするも何も、変わらず続けてるのさ。もちろん投影のクオリティも、繰り返す回数の密度もそのままに」

 

 そう言うと、何言ってんだコイツみたいな顔で僕を見つめてくる。

 だから言ったじゃないか、あまりにも無茶苦茶な話なんだって……。

 

 僕だって自分で何を言ってるのか理解している。

 なにせ、たった一つの動作を延々と眺め続けることに等しいのだから。

 コンマ以下のズレしかない動作をひたすら見直して修正する。それを一切の休みなく続けるのだ。

 一週間も続ければ気が狂うのは必然。

 

 それがどれだけ馬鹿げた話かも承知の上。

 けれどそれしか考えられないのだ。言ノ葉さんが零へ至った理由は。

 

「僕らは睡眠時間はもちろん食事や休憩を摂らないといけないから、実際に一日に許される活動時間は半日くらいしかない。けれど言ノ葉さんは一切の無駄なく二十四時間練習することが出来るから、僕らより倍以上の練習量をこなすことができる。加えて一秒ごとの密度も桁違いに高いから効率は更に上がるだろうね」

 

 この理屈に従えば、僕らの言う一日の間で言ノ葉さんは何倍もの日数を駆け抜けていることになる。

 これを年齢に置き換えれば、たしかに生涯に匹敵する時間を過ごしていることになる。

 

 ……当たり前の話だが、これは暫定的な計算に過ぎない。実際はどうなのかは僕にもわからない。

 だが、これくらいふざけたことをしなければ辻褄が合わないのも道理だ。

 発狂するような修練を何年も続けていれば気配なんて曖昧なものも見えるようにもなるだろうし、何百回も模擬戦しても一向に勝機が見えないのも僕の成長をはるかに上回る速度で彼女が成長しているからだと説明つく。

 

「言ノ葉さんにどうやって早撃ちしているのか聞いたら『足で歩くのと同じ感じかな』って答えたよ。彼女にとって撃つことは人間が産まれ持っている身体機能を使うのと何ら変わらないんだ。僕らがどれだけ熟睡しても当たり前のように心臓を動かしているのと同じってことさ。そうなるくらいまで体に刷り込んだんだろうね」

「何よそれ……一体どんな神経してればそんなこと出来るのよ……」

「それは僕にもわからない。ただ一つ言えるのは、彼女の言う〝()()()〟と僕らの言う〝頑張る〟はまるで意味が違うってことだね」

 

 宣言通り驚かず、代わりに呆れ果てた様子のステラ。

 留学先を破軍学園に決めたのは《七星剣王》になった言ノ葉さんの言葉に共感したからだと言っていた。

 その言葉は僕の道標にもなっているからよく覚えている。

 

『異能がなくとも頑張り次第で何とかなる』

 

 記者の質問に淡々とそう答えた言ノ葉さんの姿を一生忘れることはないだろう。

 威風堂々たるその佇まいこそが、僕の憧れた理想に他ならないのだから。祖父は過去の原点(スタート)として、言ノ葉さんは未来の終点(ゴール)として僕の心を支えてくれている。

 

「黒鉄くん、貴方は……」

 

 東堂さんはどこか憂いを帯びた表情で僕を呼んだ。

 思わずといった様子で、本人も僕が顔を向けて初めて声を漏らしたと自覚したらしい。一瞬言葉を宙に彷徨わせた後、控えめな声音で尋ねてきた。

 

「そこまでわかっていながら、それでもなお彼女に挑むと言うのですか。彼女との距離を縮めることは不可能なようなものだとわかっていて、それでも届くと思えるのは何故ですか」

 

 東堂さんには僕が奇妙な生物のように見えているのだろう。その問いに一切の揶揄はなく、ただただ不思議そうだった。

 するとステラも強い視線を送ってくる。

 

 深刻な話を聞く面持ちをされても、万人を驚かせるような大層な理由なんて無い僕としては困る。

 そんな気持ちを暗に言うように何気ない口調で答えた。

 

「言ノ葉さんは僕の憧れですから。そんな彼女に『キミなら出来る』って言われたら、そりゃあ目指したくなりますよ。彼女と同じ世界を見てみたい。ただそれだけのことです」

 

 (おうま)に並ぶほどのストイックさ。一つのことに全力で突っ走れる弾丸なような愚直さ。

 そして何より、誰もが認めるほどの強さを手に入れた求道者。

 器用貧乏な僕が夢見る理想を実現させたような人なんだから。

 

 東堂さんはふっと微笑みをこぼすと目を伏せ「やはり貴方は只者ではありませんね」と呟いた。

 その呟きをかき消すように続けた。

 

「そんな貴方を見込んで折り入ってお願いしたいことがあります」

「僕に出来る事なら喜んで」

 

 快諾に莞爾と笑った東堂さんは言うのだった。

 

「親睦を深めるのも兼ねて、奥多摩に巨人探しに行きませんか?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話

 強化合宿を行う奥多摩に巨人が目撃されているらしい。

 全長5m──ビル2階に及ぶ巨体が合宿場付近を闊歩しているとのこと。

 七星剣武祭を目前に控えたこの時期理事長たちは手を離せないらしく、生徒会に安全の確認を依頼したそうだ。

 

 が、生徒会はたったの五人で運営している組織。現地捜索するには明らかに人手が足りない状況だ。

 そこで一般生からボランティアで参加者を募っており、僕に白羽の矢が立ったという流れだ。

 

 現地捜索なんて大仰な言い方をしたものの生徒会は巨人の存在にかなり懐疑的で、選抜戦の息抜きのついでという色合いが強い。だからこそ東堂さんは『親睦を深めるついでに』という言い方をしたのだろう。

 

 ただ意外だったのは、僕の方から言ノ葉さんにも声をかけてもらえないだろうかと打診されたことだ。

 万が一の事態に備えて《七星剣王》の力を借りたいのと、去年あまり絡めなかったぶん取り戻したいからだと言っていた。

 

 さて、生徒会で話を終えた後寮に戻ったとき、丁度今外出から帰ってきた言ノ葉さんと出会ったのでそのまま説明したところ、

 

「は?巨人?」

「目撃情報によるとそうらしいよ」

「はぁ……この時期に巨人ねぇ……心当たりがありすぎるんだけど()

「どうかしたのかい?」

「ん〜……。いや、何でもないや」

 

 明朗な彼女にしては珍しく回答を渋った。

「確かめに行った方が良いのかなぁ……」とブツブツ独り言を漏らしながら悩んだものの、最終的には嫌々ながらも同行すると言った。

 

 僕としては休暇を遠出で潰されるのは嫌だと断るものだと思っていたので意外な反応だった。

 まぁ、その気持ちに引きずられているのは目に見えているのだが。

 

 ちなみに彼女の外出は今に始まったことではない。

 特殊な事情で破軍学園に入学したらしく、それ関連で度々日を跨いで外出することがあった。

 事情の詮索はやめてくれと頼まれているから内容は全く知らないが、彼女ほどの実力者ならば特別招集を受けていても不思議ではない。

 生徒会会計を務める貴徳原(とうとくばら)カナタさんも特別招集を受けている生徒の一人で、東堂さんも実際の戦場を何度も経験している本物の猛者だ。その繋がりで言ノ葉さんを指名したと思われる。

 

 そんな一幕もあって、僕らは奥多摩へ調査しに行くことになったのだった。

 

 

 △

 

 

 

 次の日曜日、僕らは早朝に集合し生徒会書記・砕城(さいじょう)(いかづち)さんの操るバンに揺られていた。

 

 八人乗車だと言うのにゆとりを感じるくらい広い後部座席は三列に分かれており、最前列に座るステラは庶務・兎丸(とまる)恋々(れんれん)さんとすっかり意気投合しトランプをしながら会話に華を咲かせている。

 真ん中の列に東堂さんと副会長・御祓(みそぎ)泡沫(うたかた)さんが、最後尾に僕と言ノ葉さんが座る形だ。

 

「学生で車の運転免許を持っているのは珍しいですね。何年になるんですか?」

「彼が生徒会に入った時には持ってたから、最低でも二年は経ってるよ」

 

 変わってるよねぇと御祓さんが呟く。

 日本では十五で元服し、成人として扱われる。なので取ろうと思えば十五の時から免許を取れる。

 が、中学校を卒業した直後で免許が必要になる人は殆どいないだろう。そういう実情もあって僕らの年代で取得する人はかなり珍しいのだ。

 

 ではなぜ生徒会に車があるのかと言うと、貴徳原さんの自腹で購入したそうだ。

 御祓さんが冗談半分で『でっかい車に乗ってみたいよなー』とボヤいたところ、その場でどこかに電話をしてそのまま買ってしまったのだとのこと。

 超巨大財閥の娘らしくかなり金銭感覚が狂っている。金銭面で庶民にとっての冗談であることが彼女にとっては当たり前であることが多々あるからその手の冗談は控えめに、とは御祓さんの談。

 

 そう言われている貴徳原さんは助手席で優雅に紅茶を飲んでおり、ミラー越しに目が合うとこれまた優雅に会釈を寄越す。

 こんな調子でポンと大金はたいてくるのか……。罪悪感が凄そうだ。

 

 ぎこちなく会釈を返したところで、少し前から頻繁に体勢を変えていた言ノ葉さんが声をかけてきた。

 その顔はだいぶ眠そうだ。退屈に眠気が襲ってきたのだろう。

 

「ごめん黒鉄君。肩貸してくれない?」

「いいよ」

 

 背もたれに寄りかかり使いやすいようにしてやると、「悪いね」と断りながらコテンと頭を乗せた。

 それから体重を預けてきて何回か位置を微調整した後、納得いく体勢を見つけたのか満足げに息を漏らした。

 なんとなく猫を思わせる様子だ。

 

「枕が欲しいなら膝を貸そうか?肩じゃ痛いでしょ」

「いやー、ここだとさすがに恥ずかしいかな。それに手の置き場所に困るんじゃない?」

「僕は構わないよ」

「食い下がるねぇ。そんなに膝枕したいの?」

「そ、そんなことない」

「ふふっ。冗談だよ。膝枕は違う機会にお願いするよ」

「それなら僕もいつか言ノ葉さんに膝枕してもらうかな」

「え、嫌だよ。足痺れるじゃん」

「なんて身勝手な」

 

 打てば響く軽口の応酬。軽く笑い合いながら意味もない言葉を交わす。

 服越しに感じる人肌の温かさが心地よい。僕の腕を包むように形を変える体の弾力性に、頰をくすぐる彼女の髪からほのかに香る甘い匂いが確かに彼女は女性なのだと意識させる。

 

 けれどそこにステラのような男性を焚き付けるものはない。

 いつまでもこうしていたくなる温かさが僕に安心感を与える。

 

「思えばこうやってのんびりするのは久しぶりだねぇ」

「今年に入ってから何かと忙しかったからね。学年が違うと日程が噛み合わないことも多いし」

 

 去年はお互い同じ学年だった上に一日のほとんどを暇にしていた身だから、顔を合わせない時間の方が少なかった。

 なにせほぼ毎日昼食と夕食を共にしていたくらいだ。独りに慣れていた僕にとって、あの頃の時間はとても新鮮で楽しいものだった。

 もちろん今も十分楽しい日々を送っているけど、それとは別の躍動感があった。

 

 言ノ葉さんも過去に思いを馳せているのか、薄目で遠くを見つめている。

 

「寂しい思いはあるけど、それ以上に安心しているよ。キミが忙しいと感じているということは真っ当な学生生活を送れているってことだからね。報われてる証拠さ」

「そうだね……。前までじゃ考えられないくらいまともな環境になった」

 

 高校以前は各地を回って道場破りみたいな行為をして修行していた。

 当然ろくに学校に通わなかったし、そんな真似をしていれば道場の門下生たちから不評を買う。

 お陰で酷い目に遭うことも多かった。今はやんちゃな思い出話程度に済んでいるものの、当時は色々と追い詰められていたのもあって結構荒れていた。

 

 今がどれだけ恵まれた環境であるか、語るまでもないだろう。

 

「言ノ葉さんに会ってから何もかもが変わったよ」

「またそれかい?キミが勝ち取った結果だって何度言えば……。ボクに帰依する癖、いい加減に治しなよ」

「本当のことなんだから仕方ないだろう?感謝してもしきれないくらいの恩を受けてるんだ」

 

 そう言うと心底呆れたようにため息をつく。

 

 言ノ葉さんも言ノ葉さんで、僕の成果に自分は関与していないと固辞する癖があると言いたい。

 彼女との出会いという思いがけない幸運こそ僕の人生の転換期だったのだから、彼女に感謝するのは当たり前の話だろうに。

 言ノ葉さんは基本的に自分一人で完結してる人だから、誰かに恩をふっかけられるのを迷惑に思うのかもしれない。

 

 言ノ葉さんは何でもいいかとボヤいた後、

 

「それじゃボクへの恩返しということで着いたら起こしてね。それでチャラってことで」

「随分と安い恩返しだね……。わかったよ。おやすみ」

「ん。おやすみ」

 

 数十秒後には静かに寝息を立てていた。遠慮なく体を預けているのは僕を信頼してのことか。

 年頃の女子として無防備すぎると思うだろうが、寝ている彼女に変なことをすればその瞬間に頭が吹っ飛ぶのは目に見えている。

 怖いもの見たさでイタズラしたい気持ちがもたげるものの、精神修行の一環として耐え忍ぶとしよう。

 

 気ままな七星剣王に密かにため息をこぼし何気なく視線を上げると、シートの上からこちらを覗き見していた御祓さんとばっちり目が合う。

 もともと隠れるつもりはなかったようで、げんなりした表情で「ピロートークかよ」と吐き捨てた。

 小さい体を背もたれの上に布団掛けするように乗り上げて両手をぶらぶらさせながら言う。

 

「見てたこっちがむず痒くなってきたわ。なに、いつもそんな調子なの?」

「違います」

「かなり手慣れた様子だったけどねぇ?後輩クンたち付き合ってたりするでしょ」

「付き合ってませんよ……。言ノ葉さんもそう答えます」

「おっと女の心を代弁するとは……お主、さては相当なヤリ手だな」

 

 からかっているのは目に見えているので降参の意を表す。

 それに満足そうに笑う。人を弄るのが好きなようだ。

 

「戯れはほどほどにな。不純異性交遊は粛清対象だぜ」

「気をつけます。……何か話があるのでは?」

 

 そう言うと御祓さんはチラリと己の隣に目線を落とした。東堂さんがいるはずだが何も反応がない。

 

「刀華は万が一に備えて仮眠を摂るってさ。ちょうど七星剣王も寝たことだし、水入らずで後輩クンに聞こうと思ってね」

「何をですか?」

「君の強さについてだ」

 

 打って変わって真剣な声音で返した御祓さんは、どんよりと光沢の無い瞳で僕を睥睨する。

 ステラと兎丸さんのはしゃぐ声が妙に大きく聞こえる。

 

「刀華がね、昨日珍しく弱音を吐いたんだ。もし選抜戦で君に当たったら勝てないかもしれないってね。悲観的ってよりは挑戦的な感じだったけど、誰にも怯えなかった刀華が初めて弱気になっていたんだ」

 

 あ、『例外』は除くよ。と付け足す。

 

「何となく伝わってるだろうけど、そんな刀華を見るのは初めてでね。彼女にそこまで言わせた君の強さってやつが気になったのさ。よければソイツを教えてくれないかな」

「僕の強さ、ですか」

 

 かなりアバウトな質問であることを自覚しているのだろう、僕のおうむ返しに気を悪くすることもなく言葉を重ねた。

 

「具体例を出そうか。刀華の強さは『善意』にある。あんまし詳しい事情は言えないけど、刀華は自分のために戦っているんじゃないんだ。彼女はたくさんの人たちの期待や願いを背負ってリングに立っている。その望みに応えるために勝ち抜いているのさ。自分の敗北がどれだけ多くの人を悲しませるか理解しているから折れないし、負けない。君たちと()()()()()()()()()()()が違う。それが刀華を《雷切》足らしめる強さだ」

 

 自分のためではなく、他人のために力を振るう。

 守るべきもののために戦うからこそ比類なき力を発揮することができる。

 東堂刀華とはそういう魂のあり方をした少女なのだという。

 

 ならば、そんな彼女を圧した僕にはどんな思いが乗せられているのか。それを聞きたいと御祓さんは言ったのだ。

 

 問われた僕は返答することが出来なかった。

 僕は自分自身の価値を信じたいという一心でここまできた。誰のためでもなく、自分の理想とする自分になるために。

 故に僕の剣には御祓さんの言う重みがない。他人に託された思いが宿っていない。

 

 その事実が、未だに僕の中で深く刻み込まれている傷を抉る。

 

『何も出来ないお前は、何もするな』

 

 見下ろす無機質で冷え冷えとした鋼の瞳が僕を震え上がらせる。

 僕は誰かから思いを託されるどころか、誰にも望まれていないんじゃないか──

 

「──クン。おーい、後輩クン?」

「っ!」

「顔色が悪いぜ。車酔い?」

「……いえ、少し寒気がしただけです」

「そうか?」

 

 むしろ暑いくらいじゃね?とひとりごちた御祓さん。

 

「気分が悪いなら君も寝たほうがいいんじゃない?暇つぶしに質問しただけだし、気が向いたらまた教えてくれよ」

「……そうします。申し訳ありません」

「いいって。じゃ、到着したら起こすから」

 

 そう言い残し座席に戻った。

 安堵からかけ離れたため息が漏れる。いつのまにか遠のいていた周りの雑音が音量を取り戻し、次第に全身の感覚も帰ってくる。

 座っているだけだと言うのに息は荒れており、立ちくらみを起こしたように頭の中が鈍い。

 背中にべったりと張り付いたインナーの感触が気持ち悪い。それがまるで心にへばり付いた靄のようで、無性に振り払いたくなった。

 

 頭に血を巡らせるために前屈みになろうとしたところで、太ももの上に乗せられた手に気づいた。

 はっとなり隣を見れば変わらずにすやすやと眠る言ノ葉さんの姿が映る。寝相を変えただけのようだ。

 仰向けに放られた右手は架空の銃を握る形に丸められており、隙間から覗く皮はタコによって厚く盛り上がっている。

 

 そう言えば、あの日この手に救われたんだった。

 誘われるように手を重ねればあの日と変わらずとても温かかった。

 自分の在り方を貫き通す彼女らしいその手が何よりも頼もしく感じられて、つい言葉を漏らす。

 

「君の強さは何なんだい……?」

 

 その答えを求めて寄りかかる彼女の体に意識を委ねた。

 言ノ葉さんの温もりは強張った僕の体と心をほぐし、いつまでも寄り添っていた。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 いつの間にか寝てしまっていたらしく、御祓さんに肩を叩かれたことによって目を覚ます。

 隣ではまだ言ノ葉さんが寝ているが、すでに車内は僕らだけになっていた。

 開け放たれたドアの向こうが妙に騒がしい。窓越しに外を見遣る御祓さんは心底呆れた表情でかぶりを振った。

 

「今の君たちを見たステラちゃんが外で騒いでるよ。同棲してる男が他の女と仲良く寝てるんだから当然ちゃ当然か。バカップルでもそこまでしないんじゃない?」

「どういう……?」

 

 言葉を遮るように僕の足の付け根を指差した。

 指先を辿れば言ノ葉さんの細い指にしっかりと絡みついている自分の手が。

 握ったまま寝てしまっていたらしい。どうあがいても言い逃れ出来ない格好だ。ここで慌てたりでもしたら更に弁明できないので、やんわりと離しておく。

 

「それに加えてお互い頭を寄せ合って寝ていたよ。チッ、見せつけてくれやがって。爆ぜろ」

「あはは……起こしていただきありがとうございます」

「そっちのバカは君が起こしてくれよ。ったく、とんだ貧乏くじ引いたぜ」

 

 車のキーを僕の膝の上に置き「降りた先にあるキャンプ場で待ってるからな」と言うだけ言ってさっさと降りてしまった。

 外で御祓さんの号令が発せられ沢山の足音が遠のくと、辺りに生い茂る木々がそよ風に晒される音だけが取り残される。

 いつまでも呆けているわけにはいかないので声をかけた。

 

「起きて、言ノ葉さん。着いたよ」

 

 枕にされている肩を上下に揺らしてやると、少し呻き声を漏らし顔を顰める。規則的に続ければさすがに起きた。

 

「ふぁ……。やっと着いたのか……」

 

 言ノ葉さんが上半身と腕をぐっと伸ばしたらバキバキとわりとエゲツない音が鳴る。

 ぐぅ、と声を鳴らしながらストレッチし終えた彼女は寝ぼけ眼をこちらに向けて、何を思ったのかじっと見つめてきた。

 

 僕の顔に何か付いているのだろうか。首を傾げてみせれば、意識が鮮明になったのかはっきりと訝しげな表情を浮かべて、

 

「……何かあった?」

 

 何気ないように核心を突く問いを投げかけてきたのだ。

 言われて御祓さんとの会話を頭に過ぎり、体を強張らせた。

 

 射撃以外のことは適当に済ませていると公言しているにも関わらず、どうしてか僕の機微を鋭く察知してくる。

 選抜戦初戦の時も立ち直った僕の心境を察知していた。

 

 やっぱりね、と呟いた言ノ葉さんは首を回しながら言う。

 

「今のキミ、初めて会った時みたいな感じがするよ」

「……そんなに酷い顔してる?」

「いや、表情じゃなくて雰囲気が」

 

 負のオーラ全開ということだろうか、今の僕は。

 でも御祓さんは特に気づいていなかったようだし、言ノ葉さんが鋭すぎるだけか。

『気配を視る』ことが出来るくらい彼女の目は優れている。コンマ以下のズレを修正し続けた賜物なのだろうか。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら、指摘された気まずさを誤魔化すように早口で返す。

 

「ちょっと気になることがあったんだ。それを考えてただけさ」

「ふーん」

 

 しなをつくるように長い足を組んだ。

 そして今日の天気を聞くような調子で続けるのだった。

 

「ボクで良ければ話を聞くけど?」

 

 その気負わない態度で深刻に考え込んでいる僕が空回りしているように思えて、かえって僕のつまらない意地を簡単に突き崩す。

 

「じゃあ、ちょっと相談してもいいかな」

「どうぞ」

 

 リラックスしきった体勢でそう答えた言ノ葉さんに不恰好な笑みをこぼし、事の顛末を話した。

 最初の方こそ適当な相槌を打つだけだったのだが、東堂さんの強さの話に入ると怪訝そうに眉を顰め、僕の剣にはその強さがないと続けるといよいよ下らなそうにため息を吐いた。

 

 ジトっと投げかける視線は「キミはバカだなぁ」と言わんばかりだった。

 

「キミはバカだなぁ」

 

 ……本当に言われてしまった。

 しかし僕にはそう言われる理由がわからない。

 そのニュアンスを感じ取ったらしい言ノ葉さんは、僕のリアクションを待たずに言った。

 

「誰かから託された思い、だっけ?それで強さが変わるとか筋違いにも程がある。ましてその思いには重さがあるだって?()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女にしてはえらく刺々しい……というか、いっそ仇敵を目の前にしたくらいの口調でそう断じた。

 

「……どういうことだい?」

「大前提として、キミも御祓先輩もひどい勘違いをしてる。そもそも東堂先輩は誰かのために戦っているんじゃない。そこを履き違えるからキミは拗らせてるんだ」

 

 いいかい、と呆れた表情をしながら、されど目にこれ以上ないほど真剣な光を宿して僕に突きつける。

 

「東堂先輩は『誰かのために戦いたい』っていう自己(エゴ)に忠実に従っているだけなんだよ。結果的に誰かが励まされたり救われたりしているだけに過ぎない。ステラさんにしても『母国を守るため』に修行しているのは本当なんだろうけど、『守れるだけ強い自分になりたい』って思いが根底に必ずあるはずさ。断じて誰かのために力を振るっているんじゃない」

「それはかなり捻くれた見方じゃないか?」

「これ以上ないくらい素直な見方だよ」

 

 一切迷いなくそう切り捨てた。

 

「じゃあ逆に聞くけどね。キミにはボクがそんなご立派な考えを持って戦っているように見えてるのかい?歴代最強の七星剣王と呼ばれたこのボクが」

「それはないね」

「加えて聞くなら、キミの空っぽな剣とやらでヴァーミリオン皇国から期待を一身に受けているステラさんを下しているわけだけど、それも実はステラさんの剣には何も重さがなかったということかな?」

「……それも、絶対にありえないね」

 

 脳裏に紅蓮の少女を思い浮かべる。

 あの気高き少女の剣が空っぽだなんて誰にも言わせない。

 

「だろう?でもキミたちの理屈だとそういうことになっちゃうんだよ。こんなふざけた矛盾が起こるのも当然さ。諦めずにどれだけ自分の意志で頑張れるかが全てなんだ。自己(エゴ)の無い強さなんてありはしないし、他の要素が付け入る余地なんてこれっぽっちもない」

 

 途方もない修練の果てに絶対の強さを手に入れた先人の言葉が鋭く突き刺さる。

 銃使いで最強になるという一心で戦う彼女にとって信じられるものは、地獄のような日々に打ち勝った己の心のみなのだ。

 その心こそが彼女の強さであるのだと言う。

 

「それにね、仮に重さを感じるんだとしたら、それはきっとその人自身の覚悟の表れなんだよ。その重さを再認識して改めて頑張らなきゃって思うんじゃないかな。まぁ、ボクはそんなモノ感じたことないんだけどさ」

 

 ()()()ことなんて当たり前だしね、と嘯く。

 そして我が身のことのように悲哀に満ちた声音で語りかけてくる。

 

「だからね黒鉄君。キミの剣は空っぽなんかじゃないんだ。それはキミが今まで積み重ねてきたキミの思いの結晶だ。誰かの思いなんて入っているはずがないんだよ。それを軽いなんて軽々しく言ってやるなよ。自分で自分を否定してどうするのさ」

「言ノ葉さん……」

 

 確かに僕の剣には誰かの思いなんて宿っていないのかもしれない。

 理想の自分になりたいという一心で駆け抜けた日々。その集合体がこの剣。

 この剣を誇りにし、誰に恥じることもなく、誰に望まれていなくとも己の価値を認めてもらう。

 

 言ノ葉さんは落としていた柳眉を戻し、力の抜けた笑みを浮かべた。

 

「……ここまで言っといてアレだけど、結局はボクの主観で話していることだからさ。それこそ他人事として聞き流してくれて構わないんだよ。いや、むしろちゃんと区別しないとダメだよ?キミはキミ。ボクはボク。考えが違うのは当然なんだからさ」

「そんなことないよ。とても参考になった」

 

 事実、目から鱗が落ちる思いだ。

 誰かのために戦いたいという自分の思いに従うからこそ力を振るえる。そんな見方があったなんて思いもよらなかった。

 

 それは凄絶な過去を乗り越えた末に得た彼女の哲学なのかもしれない。全ては自分一人で完結し、自分の思いこそが強さの唯一の証人なのだと。

 

 実に彼女らしい持論だと納得していると、僕の様子を見ていた言ノ葉さんも満足そうに頷いた。

 

「どうやら悩みは解決したようだし、そろそろ行こうかね。みんな待ってるんだろう?」

「うん。本当にありがとう。だいぶ気が楽になった」

「ま、要は他人なんか気にするなってことしか言ってないんだけどね」

 

 そう言いながら一足先にバンから降りると、「そうそう」と声を漏らした。

 

「大事なことを言い忘れてたよ」

「うん?」

「キミは思いを託されていないって言ってたけど、一人はいるってことを忘れないでほしいな」

「えっ、誰だい?」

「ボクだよ」

 

 肩越しに振り向いた言ノ葉さんはひょんとした調子で言った。

 

「もしキミ自身が空っぽなんだと認めているんだったら、ボクの思いを詰め込んであげるよ。きっとすぐに一杯になるからさ」

 

 彼女の答えに唖然となり、続けて降りようとしていた体がピタリと止まる。

 

 なんか、今ものすごいこと言われた気がする。

 たぶん言ノ葉さんにそんな意図は無いんだろうけど、それでもかなり恥ずかしい発言のような。

 

 食い入るように言ノ葉さんを凝視していると、何か変なことを言ったかと見つめ返してくる。

 が、一瞬「あっ」と声を漏らした後じわじわと顔が赤くなっていく。

 

 そして耐えきれなくなったのか、ふいと顔を逸らした。

 

「……ゴメン。今の忘れて。恥ずかしくなってきた」

「なになに、さっきのもう一回言ってよ」

「う、うるさい!もう二度と言ってやらないからな!」

「そう言わずにさ。僕を励ますと思って」

「このっ……!調子乗ってると頭撃ち抜くぞ!?」

 

 珍しく狼狽する姿をみせる言ノ葉さんがおかしくってつい意地悪を言ってしまう。

 銃を取り出して睨んできても顔が真っ赤なせいで全然怖くない。

 

 ……しかし、そうか。僕に思いを寄せてくれている人はいるんだったな。

 言ノ葉さんもそうだし、珠雫とステラ、それにアリスも僕に期待してくれているはずだ。

 それを無視して空っぽだなんて、僕はなんて馬鹿なことを言っていたのだろう。

 

 言ノ葉さんは他人の思いなんて気にしなくていいと言ったけれど、やはり僕は思いを託してくれた人に応えたいと思う。

 東堂さんのようは沢山の人からは期待されていない。だけど、その分だけ大きな期待を寄せられているに違いないのだから。

 彼らに顔向けできる自分になれるよう頑張りたい。それがきっと僕の理想とする自分に繋がるだろう。

 

「ありがとうね。言ノ葉さん」

「……ふん。最初からそう言えばいいんだよ。ばか」

 

 すっかりむくれてしまった彼女をあやしながら道を歩く。

 彼女の手に自分の手を重ねてみると、体温の違いはないように思えた。

 

 離してみても、寂しくならなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話

 数分も歩けばキャンプ場に着いた。

 そこには調理器具を運び込むステラたちの姿があった。

 

「……ミョーに遅かったわね」

「そうかな……?」

「あそこからここまで五分もかからないでしょ」

 

 ジトーっと睨んでくる。

 素直に言ノ葉さんに相談していたと言ってもいいのだが、自分の情けない所を自白するのも気恥ずかしく、曖昧に笑って誤魔化す。

 

 当の言ノ葉さんは例の爆弾発言を弄られたことを根に持って未だにむくれており、片頬を膨らませている。

 道中話しかけても「ふんっ」と鼻を鳴らし怒ってますよアピールしていたのと比べると随分改善された方である。

 律儀に反応してくれるあたり本気で怒っていないのはわかっていたものの、気難しい猫を世話する気分だった。

 言ノ葉さんを弄るのはほどほどにしよう。

 

「アンタたち呆れるほど仲良いわよね。ホントに付き合ってないの?」

「付き合ってないってば。……と言っても説得力ないだろうけど」

「ないわね、これっぽっちも」

 

 普通あんなこと恋人同士でもしないわよ、とぶっきらぼうなため息を吐く。

 間違いなく車で寝落ちしたときのことだろう。我ながら不覚だ。ますます言い訳出来なくなってしまった。

 

 ……実を言うと、僕は倉敷君との決闘の後にステラから告白されている。

 気づいてもらおうとしてもダメだと悟り、思い切って伝えようと思ったとは本人の弁だ。

 

 実際言われるまで全く気づいていなかった僕は凄まじい衝撃を受けた。

 僕という人のあり方が好きだと言ってくれた人なんて彼女が初めてだった。

 

 すごい困惑したし、それ以上に嬉しかった。すぐにでもお願いしたいくらいだった。

 それだけ完璧で美しい少女からの告白は凄まじい破壊力を持っていた。

 

 けれど、真剣に僕を好きになってくれたからこそ、中途半端な気持ちで返事をしたくなかった。

 僕がステラに向けている気持ちは確かに好意的なものだ。しかしステラが僕に向ける気持ちと釣り合いの取れるものではない。

 こんな適当な気持ちで付き合えばいつか必ず彼女を傷つけるだろうし、何より僕自身が許せなかった。

 

 だからそのことを正直に伝えて断った。

 勇気を出して気持ちを伝えて来てくれた女の子に対して酷い仕打ちだったろうに、ステラは笑って許してくれた。

 

 その時、言ノ葉さんのことが女性として好きなのかと問われたのだった。

 

 もちろん否と答えた。

 確かに彼女のことはとても好きだけど、どうしても恋愛対象として見ることが出来ない自分がいる。

 彼女は僕の憧れの人だ。尊敬して仰ぎ見ている言ノ葉さんを恋人の枠に押し込みたくないのかもしれない。

 

 ただ一方で僕の中で最も好意的な人でもあるから、将来なにかの拍子で恋愛に転じる可能性もあるとも伝えた。

 まぁ、仮にそうなったとしても言ノ葉さんは僕をそういう目で見ていないだろうから、失恋はほぼ確実なんだけどね……。

 

 疑いの目は変わらなかったものの、一応の了解を示したステラはいつか必ず振り向かせると宣言し、予約と称して僕の唇を奪った。大胆な告白は女の子の特権とはよく言ったものである。おかげで気持ちが揺らぎかけた。

 

 そんなことがあった手前のコレなので、ステラには申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 でも言ノ葉さんとの付き合い方は去年からこんな感じだったから今更変えることは出来ない。前向きに検討し善処するということで。

 

「ステラさんも大変だねぇ」

「他人事のように言ってるけどアンタが原因だからねツヅリさん」

「そうは言ってもねぇ……」

 

 ステラに恋愛のアドバイスをしたと言う言ノ葉さんは、相変わらずどうでも良さげに聞き流していた。

 そして僕の顔をジロリと一瞥した後、

 

「彼、いつも気丈に振る舞ってるけど、内心は結構ナイーブでさ。なんとなくほっとけないんだよね。弟みたいな感じ」

 

 と言った。

 

 なるほど僕が弟か。その発想は無かった。

 とすると言ノ葉さんが姉になるけど、どうも年上のイメージが湧かない。

 少し頭の中でシミュレーションしてみると、

 

「あ、双子の姉ならいけるな」

 

 ピッタリとはまった気がする。

 恋愛対象にならないけれど好意を寄せれる相手。憧れという見方も同時に満たせる。

 

 すごい。完璧だ。今度からこれを理由に弁明しよう。

 しかし言ノ葉さんが不満の声を上げた。

 

「物の喩えだよ。実際に黒鉄君の姉になるとか絶対ヤダ。超えちゃいけない一線を超えてきそう」

「ちょっと待とう。君は僕にどういうイメージを持っているんだ」

「実の妹にキスされても満更でもなさそうだった人」

「……」

 

 ぐうの音も出なかった。

 

 いや、違うんだ。決して喜んでたわけじゃないんだ。

 四年も顔を合わせていなかった。見違えるほど可愛くなっていたんだ。僕の知ってた珠雫と別人だったと言ってもいい。

 そんな女の子から突然キスされて動揺しない男がいるだろうか。いやいない。

 

 ……と声を大にして言いたいけれど、これはこれで話が面倒になりそうなので黙っておくことにする。

 せめてもの反抗として口を尖らせてみせると、先ほどまでの仏頂面を崩して小さく笑った。

 

「冗談さ。さっきの仕返しだよ」

「あれは君が勝手に自爆しただけじゃ……」

「その後の意地悪は必要なかっただろ」

「珍しかったから、ついね。後悔はしていない」

「良い度胸だ。ならばステラさんにあの事をチクってやろうか」

「ん?あの事?」

「去年キミがボクの風呂──」

「よし、お互い何も無かったことにしようじゃないか。その方がお互いの幸せになると思うんだ」

「いいね。公平な取引だ」

 

 コツンと拳をぶつけて取引成立。臭い物には蓋をするに限る。

 彼女が入浴しているのに気付かずにバスルームの部屋を開けたことなんて無かったんだ。

 ……一方的に言ノ葉さんが損している取引な気もするが、彼女が良いと言うのなら良いのだろう。

 

 僕らの様子を心底呆れた表情で眺めていたステラが「そういうところが疑わしいって言ってるんだけど……まぁいいわ」と投げやりに呟いた。

 

「巨人探しに行く前に腹ごしらえをするってトウカさんが言ってたわよ。そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」

「あぁ、それで調理器具か。悪いことしたな……」

 

 噂をすれば何とやら。合宿場の方面から大量の食材を抱え込んだ刀華さんと兎丸さんが戻ってきた。

 僕を見つけた東堂さんはパッと花が咲いたように微笑んだ。

 

「うたくんから体調を崩していたと聞いて心配でしたが、元気そうですね!」

「ご迷惑をお掛けしました。僕でよければ何かお手伝いしますよ」

「本当ですか?なら野菜を切ってもらえますか?キャンプカレーを作りますので」

「わかりました。言ノ葉さんはどうする?」

「じゃあ火熾しでもしようか。調理は二人もいれば十分でしょ」

「そうだね。ステラは……」

 

 声をかけようと振り向いたところ、いつの間にか兎丸さんと無駄にハイレベルなバドミントンを繰り広げていた。

 恐ろしく速いサーブ……僕でなきゃ見逃しちゃうね。

 

「ステラさんたちには後片付けをしてもらいましょうか。言ノ葉さんは火の準備ができたら飯盒で炊き始めちゃってください」

「わかりました」

 

 貴徳原さんと砕城さんは管理人に巨人の情報を聞きに行っているらしく、ご飯を食べながら情報整理をし具体的な計画を立てていくとのこと。

 遊び始めてしまった二人に気を悪くすることもなく的確な指示を出していくところはさすが生徒会長と言うべきか。

 

「そういえば御祓さんは……」

「バドの点数係してますよ」

 

 なに。さっき見たときはいなかったはずなのに、いつの間に。もう一度振り返ると確かに御祓さんがコートの端で点数をカウントしていた。どうやら兎丸さんが一歩リードしているらしいが、正確に集計しているのなら最初からいたという事なのか?

 驚く僕とは対照的に慣れたように説明をする。

 

「うたくんの能力ですよ。因果干渉系なんですけど、実質的なテレポートも可能なんです」

「す、凄いですね……。破軍の生徒に因果干渉系の能力者がいたのも驚きです」

 

 伐刀者自体希少な存在と言えるが、因果干渉系は輪にかけて希少な能力だ。

 しかしその能力は強力無比であり全系統の中で最強と言われているほどである。

 

 他の能力はどんな形であれ必ず〝過程〟を通らなければならないのに対し、因果干渉系は〝原因〟から直接〝結果〟に結びつけるのだから納得である。

 

 尤も、因果干渉系と一口に言っても内容は様々ある。

 近しい例で言うと理事長は時間を操作することで間接的に因果を改竄している。この間接的というのが重要で、理事長は時間の逆行・停止をすることでしか因果に介入できないため、『今日は晴れであった可能性』から『今日は雨である』という事象を上書きし『今日は晴れである』という事象に改竄する、というような管轄外の改竄は出来ない。

 

 これだけでもわかると思うが、因果干渉系と一括りに言っても内容はジーンマップのように広大で複雑なものばかりなので、術者本人も自分の能力がどこまで適応できるのか曖昧なことが多いと言う。

 

 こんなに複雑怪奇なのに、更に上下関係が存在することで改竄できる優先度が変わるというのだから術者たちも大変である。

 単純明快な身体強化系で良かった。

 

 閑話休題。

 

「出来るなら当たりたくないものですね……」

「選抜戦のことですか?」

「えぇ。因果干渉系の能力者と真剣勝負するのは初めてなんですよ」

 

 実は一回だけ現理事長と模擬戦をしたことがある。

 理事長が就任した際に『私の実力主義について来れるか試してやる。ついて来れもしない落ちこぼれを擁護してやるほど社会は甘くないからな』という名目で行われた、留年させるのに必要な書類製作を目的にした実力試験だった。

 

 能力ありの勝負だったものの理事長は二丁拳銃だけで戦った。恐らく言ノ葉さんとの訓練を真似たのだろう。

 非常に慣れたシチュエーションの上に《一刀修羅》を使えたのも助長して勝利を収められた。

 

 しかし今回は違う。未知数の能力をその場で攻略しなければならない。出来るなら事前に能力を調べ対策を練りたいものだが……。

 思わぬ伏兵に面食らう僕だったが、東堂さんはあっさりと答えた。

 

「それなら安心してください。うたくんはエントリーしてませんから」

「えっ、そうなんですか?」

「本人があまり乗り気じゃなくて」

 

 少し言い辛そうに言葉の端を濁した。

 御祓さんとの対戦がありえなくなったのなら安心だ。訳ありの様子だし言及は控えよう。

 

「そろそろ調理に入りましょうか」

「そうですね」

 

 仕切り直した東堂さんと共に野菜を切り始めた。

 

 

 

 △

 

 

 

 キャンプカレーを食べた後、三班に分かれて調査に出かけた。

 半ば山奥を散策する気分でいたのだが、そこで僕らは本当に巨人に遭遇した。

 

 しかしその実態は伐刀者の伐刀絶技によるゴーレムだった。

 岩石で出来た巨体は圧巻の一言。蟻から見た人間はこんな感じなのかと場違いな感想が浮かぶほど呆然となったものだ。

 

 ゴーレム自体は大したことなく簡単に倒すことができた。が、破壊しても崩れた岩石を魔力の糸で繋ぎあわせることにより復活させてきたのだ。

 ならば魔力の糸を斬れば良いと剣を振るったものの凄まじい強靭さを誇っており、一本斬るだけでも一苦労。ピアノ線より頑丈なのではないかといったところだ。

 挙げ句の果てに周囲の岩を利用して新たなゴーレムを生み出す始末。この山が無くなるまで潰さなければならないようなものだ。

 

 さすがに手をこまねいたところで御祓さんにより連れて来られた東堂さんと言ノ葉さんが合流し窮地を脱した。

 《雷切》でゴーレムを粉砕し、剥き出しになった糸を『貫徹』の概念を宿した銃弾を利用して断ち切る。完璧な役割分担でものの見事に撃退してみせた。

 

 東堂さんが糸に電撃を流して敵との距離を測ったらしいのだが、その距離なんと50km。県を跨いでようやくといった長距離からゴーレムを操っていたのだと言う。

 この手の能力を使う伐刀者を一般に《鋼線使い》と言い、普通は50mが限度である。優秀な者であれば100mを越すようだが、なおさら今回の《鋼線使い》の異常さが際立つ。

 

 この場ではどうしようもないと犯人の特定を諦めた東堂さんだったが、言ノ葉さんは珍しく険しい表情を浮かべていたのが印象的だった。

 今日は言ノ葉さんの珍しいところをよく見る日である。

 

 ひとまず一件落着となり学園に戻ろうとした、その時。貴徳原さんに連れてこられた男によって事態が一変した。

 

「ようやく見つけましたよ一輝クン。んっふっふ」

 

 ねっとりとした声が僕の心に絡みつく。

 恵比寿に似た顔に笑みを浮かべた、赤いスーツを身にまとう肥満体型の男性を、僕はよく知っていた。

 

「……お久しぶりです。赤座さん」

「私は顔も見たくなかったんですがねぇ。まぁ、相変わらずの様子で何より」

 

 露骨な侮蔑に言ノ葉さんとステラはこの男の身分に勘付いた。

 

「イッキ、この人って……」

「黒鉄家の分家の当主さんだよ」

 

 僕の答えにステラは思い切り顔を顰め、逆に言ノ葉さんの顔から表情が消えた。

 事情を知らない生徒会のみんなは未だ不審そうに赤座さんを見るが、その目には敵対心が宿っている。彼が僕に向ける嫌悪の色を声音から感じ取ったのだろう。

 

 それらの視線に臆する様子もなく、

 

「時間が勿体無いのでさっさと本題に入らせてください。今日私がわざわざここに来たのはぁ、騎士連盟日本支部の倫理委員長として一輝クンにお話があるからですぅ」

 

 話を切り出した。細められた目の奥に淀む黒い瞳が、それがロクでもない内容だと告げていた。

 言葉の端々から顔を覗かせる攻撃的なニュアンスに構うことなく、先を促す。

 

「話とはなんでしょうか」

「んっふっふ。話すより見てもらった方が早いでしょう。どーぞこれを」

 

 バッグから取り出されたのは新聞だった。これが僕と何の関係があると言うのか。

 今日の夕刊らしいそれを広げてみると、そこには木々を背景に口付けを交わしている僕とステラの写真が一面に貼り出されていた。

 

「これは……!?」

 

 僕とステラがキスをしたのは彼女が告白してきたその時のみ。場所は僕らがいつも訓練に使っている校舎裏。時間帯は夜。当時の状況と寸分違わず一致しているこの写真が闇雲に捏造されたものではないことを証明していた。

 

 たった数秒の出来事を、ピンポイントで、すっぱ抜かれたのだ。

 偶然で撮れるようなものではない。四六時中……いや、下手をすれば入学した当初から何者かが僕に密着していたのだろう。

 

 あまりに予想外の展開に言葉を失った僕だが、どこか冷静な頭は乾いた目に紙面を読み取らせていく。

 

『姫の純潔が奪われた!』『ヴァーミリオン国王大激怒!』『日本とヴァーミリオン皇国との国際問題に発展!?』と混乱を煽るような見出しの中に黒鉄家から提供されたという僕の人物像が書き連ねられている。

 

 曰く、昔から素行が悪く、黒鉄家を困らせていた問題児であり、人格的に問題のある人物だった。

 実家を困らせていたのは事実だが、他は完全なデタラメで埋め尽くされていた。

 

 そして、一面の最後に不吉な一文を見つける。

 

『加えて女癖も悪い。その証拠を我々は抑えた』

 

 妙な胸騒ぎとともにページをめくると、『歴代最強の《七星剣王》と交際していた!!』とドでかいフォントで見出しされた、言ノ葉さんが玄関先まで僕を見送っている写真がこれまた大きく紙面を占めていた。

 他にも学園近くのモールで食事を取っているところや夜道を二人で歩いている写真を添えて、破軍学園の学生たちの目撃情報やコメントすら載せられていた。

 これらを踏まえて僕らが非常に親密な関係まで発展していると断定した上で、僕がステラに浮気をした最低の不埒者であるとこれでもかと書き下ろされている。

 

 ……悪い予想が当たってしまった。本当に去年から張り付かれていたのだ。

 

 タチが悪いところは僕に関する情報以外は()()()()()ところだ。

 僕のことは実家である黒鉄家自らが提示していることから疑われることがない。

 それを良いことに勝手な解釈と決め付けで話を繋ぎ合わせているせいで表面上の筋は通ってしまっている。

 新聞を読むだけの一般人が容易に信じるように意図的な印象操作を施しているのだ。

 

 僕個人を貶めるためだけに作られた新聞。それも世論を巻き込んで叩く徹底ぶり。

 

 誰がやったのか、確かめるまでもない。

 恐ろしいまでの執着心に開いた口が塞がらない。人の悪意はここまで醜悪になれるものなのか。

 

「んっふっふ。昔からあなたには手を焼かされましたが、まさかここまでの事態を引き起こしてくれるとは。あなたのダメさ加減を甘ぁく見ていた我々にも非があるとはいえ、限度というものがあるでしょうに」

 

 追い討ちをかけるような赤座さんの言葉が右から左に流れる。

 そんな戯言に耳を貸している余裕がなかった。新聞を覗き込んでいる他のみんなの反応を気にする余裕もなかった。

 

 穴が空くほど紙面を見て、何度も何度も読み直し、これが本当に世に出回ったことを確認し。

 

 ──僕は、新聞を思い切り破り捨てた。

 

「おーおー、怖い怖い。これだから不良は困りますねぇ。物に当たるなという教育すらも忘れているとみえる」

 

 剽軽に振る舞う赤座さんを無視し、僕は努めて静かに問い掛ける。

 

「……言ったのは、誰だ」

「はい?」

「これを『不祥事』だと言ったのは、誰だと聞いている」

 

 兎丸さんあたりが小さく悲鳴を上げた。

 自分がこんなに低い声を出せるとは思えなかった。

 

「さぁて、誰でしょうねぇ?私には皆目見当──」

「父さんだな。父さんが、『不祥事』にしろと、言ったんだな」

「……はてさて。何のことやら」

 

 そう言い帽子を被り直した赤座さんの後に続く言葉はなかった。

 

 束の間に訪れた沈黙の中、僕は頭の中で暴れ狂う怒りを押さえつけるのに必死だった。

 

 僕を貶めるのは、まだ許せる。

 確かに僕は黒鉄家の子として相応しくなく、彼らにとって僕がいかに不都合な存在なのか自覚しているから。

 煙たがられ、拒絶され、貶められるのも、まだ納得できる。

 

 けど、けれど。

 僕に思いを寄せてくれた二人を巻き込んだことが許さなかった。

 彼女たちの好意を、善意を。僕を貶すためだけに踏みにじって、思いを寄せたことを『不祥事』に仕立て上げた奴らが堪らなく憎い。

 

 そして、彼女たちを傷つける原因となった自分が、何よりも憎かった。

 

「イッキ……」

 

 消え入りそうな声で僕を呼んだのはステラだった。

 いつもの溌溂とした笑みは失われ、自責の念で端整な顔が歪み目から涙が溢れていた。

 彼女が何を言おうとしているか容易に察せられた。

 

「アタシの勝手のせいで──」

「違う。君は悪くない。君は何も間違ってなんかいないんだ」

 

 僕の在り方が好きだと言ってくれたステラに、好きになったのが間違いだったなんて言わせたくない。僕が貶されているのは彼女のせいなんかじゃないのだから。

 誰かを好きになるのに間違いもクソもあるものか。ましてや初めてのキスを捧げても良いと思えるような相手に好意を寄せるのが間違っているなんておかしいに決まっている。

 

 ……そう思わせてしまっているのが自分なのだと思うと胸が張り裂けそうだ。

 

 突然の事態に置いてけぼりを食らっている生徒会のみんなも薄々何が起こっているのか飲み込めてきたらしく、残りの一人に目線が集まった。

 

 しかし、その瞬間に誰もが後ずさった。

 無表情で破り捨てられた新聞紙を見下ろす言ノ葉さんは、その目にも一切の感情を浮かべていなかった。

 怒りも、悲しみも、一切。身じろぎひとつせず、ただ見下ろす様は赤座さんですら顔を引きつらせた。

 

 全く色のない表情というものがこんなにも不気味だとは思わなかった。

 けれど、おかげで少し冷静になれた。それに似た表情を僕は一度だけ見たことがあったからだ。

 桐原君に過去を馬鹿にされたと言っていたとき、まさにこの表情をしていた。

 

 彼女は怒っている。それも尋常じゃないくらいに怒っている。

 それが僕への思いが本物であることを如実に語っていた。

 

 ……彼女の思いに、僕も応えなくてはならない。ステラの思いは正しいと証明しなければならない。

 思いを寄せてくれた人たちに応えられるような人になるために、これは避けては通れぬ道だ。今まで逃げてきたモノに顔を向ける時が来た。蓋を出来る時期は、もう過ぎたのだ。

 

「赤座さんが自ら出向いたということは、よほど緊急に倫理委員会が僕を招集しているんですよね」

「え、ええ。この一報を受けて一輝クンの騎士としての資質を疑問視する声が連盟から強く上がっていましてねぇ。今回の一件について査問会を行い、あなたの資質を総合的な観点から再検証しますぅ」

「適性がないようならば連盟からの除名を申請する……。おおかたそんなところでしょう」

「話が早くてとぉても助かりますぅ。もちろん来ていただけますよねぇ?」

 

 調子を取り戻した赤座さんが嫌味たっぷりに聞いてくる。

 そんな挑発がなくとも、僕の意思は最初から決まっている。

 

「行きます」

 

 短く応え、生徒会のみんなに向き直る。

 

「お騒がせしました。急用が出来てしまったので僕はこれで失礼します」

「は、はい。それは構わないのですが……大丈夫なんですか?」

 

 ただならぬ悪意を目の前にした東堂さんは遠慮がちに聞いた。

 

「僕は大丈夫です。が、学校に戻るステラと言ノ葉さんが心配です。どうかよろしくお願いします」

 

 一番の被害者は彼女たちだ。何の罪もないにも関わらず大人の勝手な事情で辱しめられたのだから。学校に戻ればさまざまな目に晒されることになるだろう。

 意図を汲み取ってくれた東堂さんが力強く頷いてくれた。

 

「ではさっさと行きますよ。山奥は蚊がうるさくてかないませんからねぇ」

 

 黒鉄家の悪意に向き直り、固く決意する。

 必ず彼女たちに被せた汚名を雪がせると。これからのためにも僕も然るべきけじめをつけると。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話

 連盟日本支部地下十階。そこの一室に僕は勾留されていた。

 煤けたベッドと今にも足が折れそうなテーブルと椅子が一組あるだけで、それ以外は何もない。

 丸一日査問会で立ちっぱなしにさせられ、食事もろくなものが出ない環境だ。

 

 査問会とは名ばかりの揚げ足取りの尋問を延々とされる日々が一週間も経った。

 内容はここでは割愛させてもらうが、毎度毎度ひどい茶番である。むしろ相手が飽きずに続けてくることに感心すら覚える。

 

 それだけ僕の揚げ足取りに必死になっている証なのか、単純に僕を貶すのが楽しいのか。

 おそらく両方だろうが、何にせよこの場を凌がなければ僕の騎士としての人生が終わるどころか、二人の名誉を損なうハメになる。弱音を吐くことは出来ない。

 

 しかし。

 

「……こんな生活は久しぶりだな」

 

 敵中にただ一人。四面楚歌。孤軍奮闘。

 そういうのに慣れているつもりだったが、椅子に腰を下ろした途端に込み上がってくる疲れを鑑みるに、相当堪えているようだった。

 

 他人事のように言ってしまうのは、頭では大したことないと思っているのに、心が悲鳴を訴えてくるというチグハグな内面に困惑しているからだ。

 

 言ノ葉さんとの出会いをきっかけに、僕の心は温かさにすっかり慣れてしまった。それが当たり前だと思い始めたところにこの凍えはキツイものがあったのだろう。

 

 心が弱ったのではない。成長したと言うべきはずだ。

 

 この困惑こそが正常なのだ。

 彼女たちが教えてくれなければ、この環境が異常だと気づけなかったはずだ。以前の僕であれば、今まさに頭で考えていたように、心までも〝こんなの大したことじゃない〟と思い込んでしまっていただろう。

 そしていずれ決定的に狂ってしまい、壊れたに違いない。凍え切った心を粉砕するのは振り下ろした金槌ではなく、衝撃から生じた内側の亀裂なのだから。

 

 さて、辟易するようなこの現状はそこまで長く続かないと見ている。

 時間をかけることはできても、かけすぎることは出来ない。なぜなら、七星剣武祭が始まってしまうからだ。

 

 七星剣武祭の代表生というネームバリューは世間一般人が思っている以上に重い。

 数多といる学生騎士たちの中から選りすぐられたトップたちが頂点を競う()()()()のイベントである。代表生に選ばれるということは騎士としての実力を連盟に認められるということだ。

 

 それは査問会(あちら)にとって非常にまずいはずだ。

 彼らは大元である国際騎士連盟に逆らえない立場にある。連盟が直々に認めた騎士に難癖を付けることはできない。

 

 僕が代表生に選ばれる可能性が皆無であればこんなことをしなかったのだろうが、生憎と有力候補になりつつあるのが現状だ。無視できない所まで来てしまったのである。

 

 だからこそ彼らは躍起になっている。何でもいいからとにかく僕が不利になるような材料を集め、連盟本部に騎士資格の剥奪を認めさせたがっている。

 表向きは余裕ぶっているものの内心では焦燥に駆られているに違いない。どんな嫌がらせをしても僕がへこたれない上に、こうしている今にも七星剣武祭が迫っているのだから。

 

 その焦りが表に出てくるのは、もうすぐだ。

 

 僕の予想に正解を出すように独房の目の前にあるエレベーターがベルを鳴らした。

 無機質の扉の向こうに姿を現したのは、昔の記憶と寸分も違わない底冷えする無機質な瞳をする父さん──黒鉄(いつき)だった。

 

 ついに騎士連盟日本支部支部長自らが乗り出してきたのだ。

 向こうに余裕はなくなった。そう思うと、無意識に早まった動悸を鎮めることが出来た。

 

「中に椅子を入れろ」

 

 鉛のような重い声音で背後に控えていた従者にそう命じた父さんは、無言で淡々と従う従者を無視して手に持つタブレットに目を落とす。

 声を掛けてくる様子がないので僕も黙り、独房には作業の物音のみが行き来した。

 

 これまた無言で退出した従者を尻目に父さんが用意された椅子に腰かけた。

 五歳の誕生日以来顔を合わせなかった手前少しの緊張感を帯びる。それと同時に二人を傷つけた張本人を前に胸の奥から怒りが沸々と茹でたつ。そんな一方で父との十年ぶりの再会に妙な疼きも覚える。

 

 しっちゃかめっちゃかになる心中を押さえつけながら、それを煩わしいと思う自分がいる。

 

 何を我慢することがあるのだろうか。この男がすべての元凶なのだ。内側に秘めてきた数々をぶちまけてやってもいいじゃないか。僕にはその権利があるはずだ。

 

 混乱し始める思考を押し留めたのは、別れ際に見た言ノ葉さんの色のない表情だった。

 沸騰しかけた頭に冷や水を浴びたことでかろうじてまともに戻ってこれた僕は、それでも燻る熱をため息と共に吐き出す。

 

 十年以上もの時間をかけて積もりに積もった感情。その凶暴性を我が事ながら甘く見ていた。

 

 怒りに任せて怒鳴っても何の解決にもならない。

 まだ爆発して良い時ではない。

 

 自制に集中する僕に対し、いつもの仏頂面をさげる父さんが言葉を繰り出す。

 

「率直に聞く。お前は騎士をやめるつもりはないんだな」

 

 査問会で意地でもボロを出さない姿勢から僕の意志を感じとったのだろう。無駄な前置きを省いた質問を投げかけて来た。

 

「ありません」

 

 僕も率直に返す。

 父さんは「そうか」と無感動な声音で呟いた。

 

「無能のお前がなぜ魔導騎士の道に固執するのか、私には理解できん」

 

 容赦のない言葉を吐き捨てながらタブレットを机の上に置いた。そこには先程から父さんが見ていたのであろう資料が映っていた。

 僕が画面を覗いたのを見た父さんは変わらない声音で続ける。

 

「それはお前の小学校から高校一年までの成績だ」

「え!?」

 

 タブレットにかじりつくと、確かに今まで渡されて来た成績表がそのまま載せられていた。

 

 なぜこんなものを見ていたのか。これでまた良からぬゴシップを作ろうとしていたのだろうか。

 しかし次の発言でその憶測は外れだと知る。

 

「伐刀者としての成績は散々だが、座学は目を見張るものがある。私が見ていたのはそこだ。お前は()()()()()()は無能だ。しかし()()()()()()ならその限りではない。親ながら驚いたものだ」

 

 思わぬ方向からの発言に面食らう。

 父さんの言う通り、座学の成績はかなり良い。それは万が一『座学の成績も悪いため魔導騎士として不適切』などと難癖付けられて進学出来なかったら困るため、文句を付けられないよう武の修行と並行してしっかりと勉強しているのだ。

 

 それが功を奏したのかは不明だが、高校でも座学の授業は普通に出席出来ていた。最低限度の能力水準とやらで僕を締め出すとほとんどの生徒を締め出さなければならなくなるからだろう。

 

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 

 確かに父さんは口にした。『親ながら』と。

 その言葉があまりにも予想外で、呼吸をするのも忘れて呆然と父さんを見つめる。

 

『何もできないお前は、何もするな』

 僕という人間の根底に刻まれた言葉であり、あらゆる困難と苦痛の元凶となった言葉であった。

 

 それは僕が父さんに失望されたからだと思っていた。

 黒鉄家の家名に泥を塗るような僕を息子として認めない。そういう意味で言ったんだと思っていた。

 

 だからこそ、僕は頑張ろうと思った。

 失望の裏返しは期待。僕に失望したということは、少しでも期待をしていたということなのだから。

 言葉遊びに過ぎないこじ付けだ。でも、当時の僕には何か生きる理由が必要だったのだ。何もかもを否定され、打ちのめされた心が崩れないよう縋り付ける何かが。

 

 些細でいて、されど致命的な食い違いをしている不安を覚えながらもそれを押し殺し、伐刀者としての実力を示せばいつか父さんも息子と認めてくれるはずだと()()()()()()()()

 

 誰からも除け者にされたがゆえの承認欲求だった。

 それを叶えるためならどんな辛いことだろうと躊躇うことをしなかった。

 

 高校に入り言ノ葉さんという親友を得てからその激情はだいぶ鎮まったものの、消えたわけじゃない。

 あれほど怒りと憎しみを寄せた父さんに、こうしている今でも繋がりを求めているのが良い証拠だ。

 

 

 そんな前提を崩すような発言に、僕は堪らず声を震わせてしまう。

 

「……父さんは、僕のことを息子と思ってたの?僕が家を出る前から」

「無論だ」

 

 まるで当たり前なことを尋ねられたそうな口ぶりで即答した。

 僕は衝動的に立ち上がって叫んだ。

 

「嘘だ!」

「嘘ではない。確かにお前に親らしいことはしなかったが、認めていないわけではない」

 

 どこまでも変わらない重々しい声が部屋を闊歩する。

 

「仮にお前を息子と思っていなかったなら、お前が五歳の時点で苗字を改めさせるなり養子に出すなり、それ相応の対処をしている」

「そ、んな……」

「実感がないか?ならばお前が破軍に通えているのは、私が退学を命じていないからだ。本来なら除籍に下すことは簡単だが、お前には座学が必要だ。だからこそ在籍を黙認している」

 

 淀みなく告げられる事実に唖然とする。

 そんな僕を無感動な瞳を浮かべる父さんを見て、かろうじて保っていた自制があっさりと千切れた。

 

「なら、なんで僕の邪魔をするのさ!なんで僕に伐刀者としての教育を受けさせてくれなかったのさ!なんで……ッ!」

 

 堰を切ったように溢れ出る怒りに踊らされ思考が暴走する。

 空回りした頭では喋ることすらままならず、先の言葉が出てこない。

 それを節目と捉えたのか、固く口を閉ざしていた父さんが言う。

 

「邪魔をしているのではない。是正しているだけだ。そしてお前に伐刀者の教育を施さなかったのは、お前には不要と判断したからだ。無能に技術を教えても、教える側教わる側双方に無益だからな」

「是正……?是正だって……?僕が魔導騎士になることのどこが間違いなの!?」

「それ自体が間違っているのではない。お前が()()()()()()()()()ことが間違いなのだ」

 

 そう静かに述べた父さんは、ひとつ間を置いた。

 

「……そうだな。先程から私とお前の間に齟齬があるらしい。それを改める意味も含めて、具体的に説明してやる」

 

 父さんとの齟齬なんてたくさんある。その中でも最も食い違っているであろう部分について父さんの口から言ってもらえるなら、一旦黙るべきだろう。

 暴れ出した感情を押さえつけるためにも好都合だった。

 

「お前も知っているだろうが、我々黒鉄は伐刀者が《侍》と呼ばれていたころから伐刀者をまとめ上げてきた。

 しかし、超常の力を持つ彼らを一つの組織にまとめることは至難の業だ。なぜなら己の力に溺れ、付け上がるからだ。

 俺はアイツより優れている。そう思い込むヤツらは自分勝手な振る舞いをし、組織の統率を崩す。

 そこで伐刀者にランクという枠を設け、間違っても思い上がらないように個人の限界を明確にしたのだ。

 人にはその人なりに出来る仕事がある。与えられた階級に相応しい仕事をこなせばいい。いや、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに中には己の限界を超えられる者もいるだろう。だがそれはごく一部の『例外』に過ぎない。

 普通の者に身の丈に合わない仕事を強要したところで得られるのは不利益だけだ。身の丈を超えられないからこそ普通だというのに。

 にも関わらず、目の前の甘美な英雄譚に惑わされ、ならば俺も出来ると勘違いする輩が現れるのだ。

 往々にしてこの手の輩は一度思い込むと中々現実を見ない。そんな存在は組織にとって害でしかない。そしてその害を生み出す元となる『例外』もまた不要なのだ。

 ランクとは絶対の指標。鉄の掟だ。掟を破る者は誰であれ処断する。黒鉄はそれを自らで示し、多くの伐刀者たちを組織にまとめてきたのだ」

 

 それが黒鉄という家に課せられた役目だと言う。

 忠実に、そして厳格にまっとうしてきた父さんは不惑(まどわず)の法の番人・《鉄血》の異名を持つに至ったのだろう。

 

「いいか一輝。私は黒鉄の命を背負う者として一切の矛盾を許してはならぬ存在なのだ。たとえ我が子が無能であっても、そこから挽回できる見込みがあったとしても、決して許しはしない。お前にはFランクという枠があり、その内に従事する義務がある。

 私がお前に伐刀者としての教育を施さなかったのは、それがFランクに出来る仕事だからだ。私がお前を是正するのは、お前が枠をはみ出すことを止めるためだ」

「……じゃあ僕を家でいない者扱いしたのは?黒鉄家に相応しくない子がいると名に傷が付くと思ったんじゃないの?」

「言っただろう。何もできないお前は、何もするなと。お前はそれを破ろうとした。だから無視した。それだけの話だ」

 

 家名など組織の運営に比べれば瑣末なことだ、と吐き捨てた。

 

 そこまで聞いてようやく、父さんの一見矛盾したような言動を正しく理解できた。

 

 この人は公私の割り振りを全て公に注いでいるのだ。

 もしかしたら人並みの親としての情を持っているのかもしれない。けれど、それを完全に押し殺しているだけなのだ。常に《鉄血》であり続けるために。

 

 あまりに不器用でいて、そして頑固な人だった。

 僕の思っていたような冷酷で残忍な人ではなかった。

 

 まぁ、親としてどうかと思うけど。

 

 けど、父さんの考えを聞けて本当に良かったと思う。

 僕が()()()()()と思っていたものはちゃんと繋がっていたのだから。

 それが歪で今にも千切れそうでも、僕にとっては堪らなく嬉しかった。

 

「……分かったよ、父さん。父さんの言いたいことをちゃんと理解できた」

「そうか。ならば──」

 

 心なしか明るくなった声音を発する父さんを遮って、断固として言った。

 

「だけど、父さんの望みは聞けない」

「……」

 

 僕にも譲れないものが出来た。なりたいと思った理想が出来たんだ。

 

「僕は誰に恥じることのない魔導騎士になりたい。僕に期待して思いを寄せてくれる人たちに応えられるような人でありたい。これだけは絶対に譲れない」

「聞いていなかったのか?落第騎士(おまえ)の英雄譚など害でしかないと言ったはずだ。お前は何も出来ないなりに、何もするな」

「父さんこそ聞いてなかったの?父さんの望みは聞けないって言ったよ」

 

 お互いが言いたいことを言い拮抗する。

 僕らは自分の信念に従って主張している。それも、死んでも曲げない強い信念の元に。

 妥協点や折衷案など一切無い、どちらかが折れるまでの角のぶつけ合い。

 

 威圧的に見つめてくる父さんはしばらくして「……そうか」と呟いた。

 どこか残念そうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 

「私にはわからない。お前は騎士の道以外でなら大成できる素質を持っている。それは今までの成績を見れば明らかだ。お前自身も自覚しているだろう。にも関わらず、なぜ自ら茨の道を進む。なぜ必要のない挑戦をする……。今からでも剣を捨てれば間に合うと言うのに」

 

 僕に投げかけているというより独り言に近い嘆きを聞き、僕は場違いにも少し笑いを漏らしてしまった。

 睨め付けるように目線を寄越す父さんに謝りを入れて答える。

 

「馬鹿にしたつもりじゃないよ。でも、そんなことは父さんが一番よくわかってると思ったから」

「なに?」

「一度そうと心に決めたら意地でも曲げない。父さんのそういうところが似ただけなんだもん」

 

 すると、豆鉄砲を食らったように目を見開いた。

 昔から鋼鉄のように微動だにしなかった父さんの表情が初めて変わった瞬間であった。

 それから心底憎々しそうに歯噛みし凄味のある顰めっ面を晒し、それを隠すように額に手を添えた。

 

 これほど大きく表情を変えるということは、本当に予想外だったのだろう。

 けれど同時に痛いほど納得したはずだ。だからこそ表情を保てないのか。

 

 父さんの人間らしい揺らぎに仄かな喜びを覚える。

 そのおかげなのか、緊張で重々しかった口は少し滑るようになった。

 

「僕は《七星剣王》になってみせる。こんな嫌がらせなんかで諦めてやるもんか」

 

 それに父さんが露骨に舌打ちを漏らした。

 しかし次に突拍子もないこともこぼす。

 

「……そう言えば、言ノ葉綴も『例外』だったな。よりにもよって公の場で無能どもを扇動するような言葉を吐くとはな……。揃いも揃って忌々しいことだ」

「え?」

 

 言ノ葉さんが『例外』だって?どういうことだろう。

 僕はFランクだからともかく、言ノ葉さんはBランクだ。Bランクと言えば誰もが羨むトップクラスの評価だ。全国規模で見ても二十人もいないだろう。

 

 そんなBランクの人が《七星剣王》になることを『例外』と言うのは変ではないか。

 現に、歴代の《七星剣王》はBランクの学生騎士が殆どだ。Aランクの学生騎士自体が希少も希少だからだ。

 

 そのことを問いただす前に、気を持ち直したのか普段の仏頂面に戻った父さんは席を立った。

 

「まぁいい。お前がその気ならば、私も然るべき処断をするまでだ」

「……そのことだけど、もう言ノ葉さんとステラを巻き込むのはやめてほしい。彼女たちは関係ないだろ」

「そのつもりだ。これ以上風評を煽っても大差ないだろうからな」

 

 そういう意味じゃないんだが……。まるで人の心を勘定しない態度に再び怒りが再燃し始めた。

 一発殴ってやろうかと思ったけど、「殴らせたら騎士をやめるか?」と返されそうなので黙ることにする。

 晒し者にされて傷ついた彼女たちには待たせる形になって申し訳ないが、この借りは僕が《七星剣王》となることで清算することにしよう。

 

「七星剣武祭に出れなくなればその大口も叩けなくなるだろう。お前を代表選抜戦で《雷切》と戦わせる。魔導騎士を目指す者なら己の剣で道を切り拓いてみせろ」

 

 去年の七星剣武祭ベスト4・東堂刀華さん。

 まともに戦えば苦戦は必至の猛者との試合に人生をかけろと言ってきた。

 

 負けることも十分ありえる上に、下手をすれば死ぬ恐れもある。それだけ《雷切》は強い。

 加えてあれほど悪辣な手段を切ってきた父さんだ、万全な状態で試合に臨めるかも怪しい。

 

 そんな無理に等しい吹っ掛けに対して、されど僕は不思議にも負けるとは露ほどにも思わなかった。

 

「受けて立つ。いずれは超えないといけない壁だ。それが少し早まっただけさ」

 

 父さんは僕の言葉に何も返さず部屋から立ち去った。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 その一時間後、一輝の生徒手帳に代表選抜戦のマッチングを通知するメールが届いた。

 

 《雷切》東堂刀華と《落第騎士》黒鉄一輝の真剣勝負。

 何の思惑が絡んでいようが関係ない。勝つか負けるかの二つに一つ。

 

 黒鉄一輝の人生の分かれ目は二日後だ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話

 一輝と刀華の決闘が決められた翌日の晩。

 

「……うん。大丈夫だよ。迷惑かけてごめんね。電話ありがとう」

 

 綴は通話が切れたのを確認してから何度目かわからないため息を吐いた。

 

 一輝との熱愛報道をでっち上げられてからというものストレスが絶えない。

 学園ではその話題で持ち切りで、同級生から遠巻きに腫物を扱うような目線を投げかけられる生活だ。

 しかもわざわざ本人がいる場所でヒソヒソと話すものだからタチが悪い。

 

 一輝に後を頼まれていた刀華が掛け合ってくれたお蔭もあり黒乃がしばらく授業に出なくても良いと気遣ってくれたが、それはそれでデマを認めたから泣き寝入りしたように見える。

 だから意地でも授業に出ているけどストレスは溜まる一方という嫌な板挟みに遭っていた。

 

 それに両親にも大きな迷惑を掛けてしまったのも大きい。

 

 あの報道があってから引っ切り無しに家にマスコミが集まっているらしいのだ。

 綴本人が公に出てしまうとデマだと判明してしまうので、両親という間を挟み記事の見た目を整えようとしているのだ。昔からある印象操作の典型である。

 そんな中こうして電話を寄越してくれる母に頭が上がらない。

 

 そして親友のみに飽き足らず身内にまで手を出した赤座ないし黒鉄家に殺意にも似た怒りが湧く。

 地の果てまで追いかけて泣き死ぬまで泣かせると固く決意した。

 

 

 一輝が連れていかれてから静かになったチャイムが久しく鳴った。

 もう日が沈んだというのに誰なのだろうか。ひとまずマスコミ関連者じゃないのは確かだ。

 かなり鬱屈とした気分なので誰かを確認だけして居留守してやろうと思いドアホンを見に行くと、そこには意外な人が立っていた。

 

「……珠雫さん?」

『遅くにごめんなさい。お兄様のことについて、少し相談があるんです』

 

 マイク越しの彼女の声は今にも消えてしまいそうなほど弱っている。

 例の件以来知り合いとは誰とも顔を合わせていなかったのだが、向こうは向こうで何かあったのだろうか。

 

 ともあれ、居留守を使うつもりが思わず応えてしまったので、気分が乗らないが迎え入れることにする。

 それに一輝についてと言われれば気になるものだ。

 

 珠雫を入れて席に座らせ、麦茶を入れて簡単な場を作ってから話を促した。

 それまで俯きがちに黙っていた珠雫は口につけることもないコップを両手で握りながら、言葉を選ぶように話し始めた。

 

「先程、生徒会長に呼び出されたんです。お兄様の選抜戦の相手が急遽変更されて、生徒会長と戦うことになったと。それが全て奴らに仕組まれた陰謀で、お兄様はそれに乗らなくてはならない状況まで追い込まれていると……」

「別にいいんじゃないかな?選抜戦で当たらなかったとしても七星剣武祭で当たってたかもしれないんだし」

 

 それが奴らの策略だったとしても関係はない。倒すべき敵と戦う時期が少し早まっただけの話だ。

 一輝なら刀華をも打ち倒せる。そう信じて疑っていない綴は深刻に受け止めなかった。

 

 しかし実際はもっと悪辣だ。

 

「それがお兄様の全力を出せる場であるなら、私もそう思ったでしょう」

「……どういうことかな」

「お兄様が連盟日本支部で選抜戦を続けているのは知っていますよね。試合のジャッジに不正がないか確かめるために折木(おれき)有里(ゆうり)先生──私たちの担任の先生が随行してくださっているんです。ですが先生が言うにはお兄様の体調は尋常ではなかったようで、すんなり勝てちゃうのが不思議なくらいだったそうです」

「なるほど、そういうことか」

 

 そこまで言われれば被害者である綴は察される。

 確実に奴らの仕業だ。何をされているのかはわからないが、どうせロクでもない嫌がらせをしているに決まっていた。

 

「そんな状態でも、黒鉄君は絶対に戦いの場に上がってくる。たとえ()()()()()()()()()()

「……生徒会長もお兄様を殺してしまう可能性があったとしても全霊で打ち倒すと言っていました。だからこそ、お兄様を止めて欲しいと、家族である私が声をかければお兄様が思い留まるかもしれないと」

 

 話が見えてきたが、なんとも胸糞悪い話だ。

 

 一輝はレールの先が崖になっていると知っていても突っ走らなければならない立場にある。七星剣武祭に優勝しなければ騎士としての人生を歩めないという制約も助長している。

 一輝にとって逃げるという選択肢は初めからないようなものだ。

 

 しかもどっちに転ぼうが奴らにとっては同じ。

 死んでくれれば良し。負けるも良し。敵前逃亡なら悪評に箔が付く。騎士の権利を剥奪出来れば万々歳なのだから。

 吐き気がするほど見事な出来レースと言う他ない。

 

 親友の往く道が悪意によって歪められることにどうしようもない苛立ちを覚える。ようやく報いの兆しが見えてきたと思った矢先にこれである。

 もともと気分が悪かったのもあり見るからに不機嫌になる。

 

 その気持ちを分かち合う珠雫は沈痛な面持ちで語る。

 

「……私は、お兄様を止めたいと思っています。お兄様は十分すぎるほど頑張りました。これ以上お兄様に傷ついて欲しくないんです。それが奴らの思惑通りの結果だったとしても、お兄様の未来が潰えるのだけは我慢ならないんです」

 

 掛け時計の秒針がいくつか進んだ後に、珠雫はポツリと呟いた。

 

「だけど、そう思っているのに、お兄様を止めることを躊躇ってしまうんです。もしお兄様を止めたとしても、その先のお兄様を支えきれる自信がないんです。

 どれだけ親身になったとしても、私とお兄様は生き方が違いますから、情熱を失う苦しみを本当の意味で理解することは出来ないんです。

 お兄様の苦しみを肩代わりすることもできない人が止めろと言うのは、あまりにも無責任な気がして、私は……」

 

 母親としても、妹としても、友人としても、恋人としても、兄を愛してあげられる。

 

 けれど、同じ道を歩む騎士として兄に寄り添うことは出来ない。

 兄が費やしてきた情熱に相応しいモノを持ち合わせていない。夢を諦めた後でも兄が笑顔でいられるような何かを持っていない。

 

 一輝の幸せを切に願うからこそ、珠雫は兄を止める決心がつかなかった。

 本当にここで止めてしまっていいのか。止まったその先の人生を、兄は笑顔で生きていけるのだろうか。

 答えは否だ。きっと笑みを浮かべることは出来るだろうが、それは中身が空っぽな虚しい笑みだろう。

 

 そんな笑みを浮かべる兄を、珠雫は知っていた。

 実家にいたとき一輝は自分に微笑みかけてくれることはあっても、自分のために笑うことなんて一度もなかった。

 

 だからこの学園で兄と再会したときには驚いたものだ。兄が自分自身のために笑っていたのだから。

 同級生の女性を紹介しているというのにまるでヒーローを語るように誇らしげに話す彼の顔は今でも鮮明に思い出せる。

 

 その笑顔を取り上げることが、どうしてもできなかった。

 

 珠雫は悔し涙を忍んで頭を下げる。

 

「お願いです、お兄様に笑顔をくれた人。どうかお兄様に声をかけてやってくれませんか。止めるも勧めるもお任せします。どうか……」

 

 綴は眉間に皺を刻み口元に手を当てて黙りこくる。

 

 綴は考えていた。それは珠雫自身が言った方が良いのではないかと。

 仮に綴が一輝の背を押し一輝が帰らぬ人となったら、その時珠雫は納得できるだろうか。

 綴なら絶対納得しない。どうして自分で止めに行かなかったんだと死ぬほど後悔するだろう。

 

 赤の他人に判断を委ねるということは自分の責任を放り投げるということ。

 事の顛末がどうなっても知らないと目と耳を塞ぐことだ。

 

 珠雫もそれを承知で頼んでいるのだろうが、少し早計なように感じた。

 しかし彼女は聡い。十分に悩み、それでよいと決断してこの場にいるのではないか。

 

「後悔はしないかい」

「しません。お兄様にとってそれが最善だったのなら納得します」

 

 あくまでも自分より兄を優先するということか。

 少し間を置き、考えをまとめるように瞑目してから口を開く。

 

「……珠雫さんの言いたいことはわかった。そういうことならボクも力を貸そう」

「ありがとうございます」

「ただし、ボクがするのは声をかけることだけだ。止めることも勧めることもしない。彼の道は彼が決めることだ。それに口は出さない。それでもいいかな」

「構いません。言ノ葉さんの思うようにしてください」

 

 了解の頷きを見せる。

 そしてちらりと物憂げな眼差しを浮かべた。

 

「ごめんね。珠雫さんとしては止めて欲しいだろうに……」

「それは……多少はありますけど、私が言える立場じゃないですから。きっとお兄様もあなたの言葉の方が決心がつくでしょうし」

 

 自嘲気味に溢した最後の言葉は珠雫の隠れた本心を覗き見させた。

 その正体こそ掴めないが、放っておくと彼女に良くないものが溜まると直感した。

 先程から珠雫の目に弱々しい光がチラついているのも気になった。

 

 綴は珠雫の両手に手を重ねる。

 

「言ノ葉さん……?」

「気持ちはわからなくもないけど、黒鉄君は自分の道は自分で決める人だからボクが言っても珠雫さんが言っても変わらないさ」

「……そうでしょうか」

「そんな卑屈になることでもないでしょ。何か気になることでもあったの?」

 

 半ば確信を持って尋ねられたことにより、綴に内心を悟られたことに気づく。

 居心地悪そうに体を縮こませコップを覗くと、水面に映る自分の顔はグラグラと揺れていた。

 

 誰にも打ち明けなかった心を言うべきか、言わないべきか。

 普段なら言わずに済ませるはずが、この時だけは驚くほど簡単に口が軽くなった。

 

「少し不安なんです。ひょっとしたら私はお兄様にとって要らない存在なんじゃないのか、と」

「……え?」

「お兄様のために何かしてあげたいのに何もできない自分が悔しくて……。お兄様の役に立てない私なんて、いてもいなくても────」

 

 言い終わる前に綴が珠雫の頭をすこーんとはたき落した。

 あまりにアホなことを言っているので、つい手が出てしまった。

 

 僅かに呆然とする珠雫に、呆れた声音で言う。

 

「今初めてキミが黒鉄君の妹なんだなって思ったよ。変なところで変に考え込むよねキミら」

 

 我に返った珠雫が何か言う前に声を重ねる。

 

「キミ自身が納得してないのなら納得できるように自分を変えなきゃダメだろう。キミにしか出来ないことがあるはずだ」

 

 珠雫は自分に対する自信を失ってしまっていたのだ。

 兄を支えたいと公言している反面、実際は兄の心の大部分を支えているのは綴だ。

 

 ズルいと思った。自分がいない間に心の隙間に付け込んだように見えた。

 ぶっちゃけ一輝が初めて綴の名を出した時の顔を見て、殺意が湧くほど嫉妬した。

 

 だが認めるしかなかった。

 兄の心を支えるに相応しい人なんだと。

 もし兄の心が傷ついていなくとも同じような結果になっていたと。

 

 一輝をして『あの人の練習量には敵わない』と言わしめたほどの努力を積み重ねた女だ。

 一輝の戦っている土俵で全国の学生騎士を相手に勝利した女だ。

 周りが次々と見捨てていく中唯一見捨てずに手を差し伸ばした女だ。

 兄の尊敬の的になるのは当然のことだった。

 感謝こそすれ妬むのはお門違いなのだ。

 

 だから兄の心に対する嫉妬は封印した。

 けれど綴の心に対する嫉妬は封印できなかった。

 

 珠雫も他の人より遥かに努力してきたが、一輝のような修羅にはなれなかった。

 励む兄に相応しい妹になる覚悟はあるのに、心が付いて行けなかった。

 お兄様は特別なんだと、どこかで区切りをつけてしまっていたのだ。

 

 それをこの女は当然のようにこなしているのだ。それも兄の先を行く形で。

 なんでこの女に出来て自分にそれが出来ないのかと自分が許せなかった。

 

 その嫉妬を表に出さないのは綴に感謝している心は本当だからである。

 嫉妬の嵐は今にも封を食い破ろうとしているが女の矜持にかけてそれを抑えた。

 

 何か一輝の妹として胸の張れるものはないかと焦ったところでの刀華による惨敗だった。

 それが珠雫の自信を決定的に叩き壊した。嫉妬すら萎えさせるほどの衝撃だったのだ。

 

 萎えた反動は大きくある種の達観に浸っていた。

 珠雫の口を割った正体はこれだった。

 

 尤も、綴は珠雫の立場を奪っている実感を覚えていただけで珠雫の気持ちの表面程度しか察せていなかった。

 それだけ珠雫が上手く隠していたということだが、何にしても奇しくも核心を突く叱咤をした。

 

「もしそんな投げやりな気分で話を持ってきたんだったら考え直した方がいい。いくら黒鉄君を優先してもキミ自身の心がもたないよ」

「……私は……」

「まぁ、黒鉄君の不調を聞いて心配になったからキミの頼みが無くても行くことにしたけど、キミはどうするの?」

「そう、ですね……。もう少し考えてみます。夜分遅くに失礼しました」

 

 そう言い珠雫は静かに退室した。

 後味の悪い空気が残り堪らずため息を吐き出す。

 

 赤座が来てからというもの何もかもがメチャクチャになってしまった日常。

 その決着がつくのは明日。一輝の背に全てが委ねられた。

 

 深く自分を追い詰めていなければいいのだが、もし悩んでいたならそれを解消してやるのが自分に出来ることだろう。

 

 念のための準備としてクローゼットを開けたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話

 連日続く最悪の体調に苛まれながら支部を這いずるように出る。

 

 手足が棒のように重く本当に動いているのか実感がない。

 そのくせ身体中が冷たいということだけはわかる。

 咳をするたび胸に激痛が走るが、慣れたものだ。

 

 周りに座る人たちが奇異な目線を寄越しては侮蔑の色に変え目を逸らす。

 あの新聞は真実として受け入れられているらしい。

 

 僕は体力の回復に努める。

 

 電車内の電光掲示板が破軍学園前と映したところで時計に目を向ければ、選抜戦開始まで残るところ10分になっていた。

 駅に着くまで約5分。駅から学園まで多目に見積もって徒歩15分といったところか。

 遅刻は確定した。電子手帳は充電切れで沈黙したままだから学校に連絡を入れることもできない。

 だが30分の遅刻までは認められている。

 

 なら大丈夫だ。選抜戦に出られる。

 

 あとは体の問題。

 いけるのか。この半死半生の体で。

 

 自答する前に駅に到着してしまい、その答えを出さずに電車から転がり出る。

 

 そうだ。そんなことは後でいい。

 会場に到着しなければ話にならないのだから。

 学校に着くことに専念しろ。

 悩むのはそこからだ。

 

 なにかを考えていなければすぐにでも倒れてしまいそうで、益体もない思考を巡らせる。

 

 健全な精神は健全な肉体に宿ると言う。

 肉体がボロボロの今まともな精神が宿るはずがなかった。

 

 ゆえに騙す。

 

 ──あの広告を通り過ぎるまで頑張ろう。

 ──次は階段を降りきるまで頑張ろう。

 ──ここまで来れたなら改札口にも行けるだろう。

 

 必死に自分を騙し続け、眼前にぶら下がる人参を追う馬のように歩く。

 

 どうしてこんなに辛い思いをしなくちゃならないんだ。

 そんな邪念がふとした拍子に思考の間隙に滑り込んでくる。

 

 どうしてだろう。わからない。

 親の勝手な都合で人生を翻弄された結果なのか、それとも身の程をわきまえなかった僕に対する応報なのか。

 どうなのだろう。わからない。

 

 諦めちまえ。楽になるぞ。

 悪魔(じぶん)の声が脳に反響する。

 

 彼の言う通り、諦めれば楽になれるのだろう。

 ()()()()()()()()()のだから、さぞすっきりするに違いない。

 

 とても魅力的に思えた。

 今ここで膝を折ればすぐにでも手に入れられる安寧。

 なによりも甘美な誘惑だ。

 

 だが。それでも。

 一つの理想があった。

 心打たれた美しい生き方を知っていた。

 

 誰に恥じることのなく一本真っ直ぐ己を貫く人に、僕はなりたいんだ。

 

 駅を行き交う雑踏に掻き消されてしまいそうになりながら、それでも己の信念に従って体を運ぶ。

 憎たらしいほど澄み渡った空を睨みあげた、その時。

 

「キミならなれるさ」

 

 不意に肯定された。

 散々親から否定された生き方を、当然のように認められた。

 僕の耳から周囲の騒がしい雑音の一切が消え去り、僕の目はたった一つの姿を映し出す。

 

「待ってたよ。黒鉄君」

 

 憧れ、追い求め、上に見る理想がそこにいた。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「言ノ葉さん……?どうしてここに」

「新宮寺さんに聞いたら当日は送られてくるって聞いたから、なら()()()()()()()()って思っただけ。本当かもしれないから一人で来たけど、どうやら正解だったみたいだね」

 

 お見事としか言えない読みだ。

 そんな言ノ葉さんはいつもの制服ではなく軽やかな私服だった。日除けの帽子も被っている。

 その格好はどうしてだと聞くと、

 

「一応変装のつもり。ほら、外で一緒にいると視線がウザいでしょ?」

 

 と肩を竦めながら手に持っていたお茶を渡してきた。

 

「どうせろくに水も飲ませてくれなかったんだろ?買っておいたから飲みなよ」

 

 何から何までお見通しのようだ。

 

 少しずつ口に流すと乾いていた体の隅々に染み渡る。

 喉を通るたびに炎症が激痛を発するが、そんなものは気にならなかった。

 

「ありがとう。助かったよ」

「どういたしまして。時間も押してるしそろそろ行こうか」

 

 そう言って手を差し伸べてきた。

 その手を取れば何も言わずに肩を貸してくれるのだろう。

 だけど、

 

「ここまで来たんだから、一人で行けるさ」

 

 そう見栄を切って飲み終わった缶を置く。

 

 もう、その手に縋るのはやめた。

 僕に対するけじめだ。

 ここからは僕一人で歩く。

 歩けるようにならなきゃいけないんだ。

 

「そうだね。それがいい」

 

 少し嬉しそうに微笑むと、くるりと缶を持ち替えて近くのゴミ箱に投げ捨てた。

 

 改めて歩き出した言ノ葉さんの歩調はいつもより緩やかだ。

 ときおり時間を確認しているのを見ると、ギリギリ遅刻しない程度の速さで歩いているらしい。

 

 同じような速度で時間が過ぎていく。

 どちらも口を開かないから一秒が長く感じる。

 

 その間に先延ばしにした自問を思い出していた。

 

 このボロボロの体で、あの東堂さんに勝てるのか。

 普通に考えたら無理だろう。

 正直なところ僕自身も無理だと思っている。

 

 だけど、これはそういう話じゃなかった。

 勝つか負けるかはもっと先のこと。

 自分から逃げるか逃げないかの話だ。

 その先が崖になっていようと飛び込むと決めた。

 はたから見たら自殺志願者に見えても仕方ないだろう。

 

 たぶん珠雫あたりは止めに来るんじゃないか。

 ステラは……ちょっとわからない。どちらもあり得る気がする。

 

 言ノ葉さんはどう思っているのだろうか。

 

「僕のことを止めないのかい?」

 

 唐突な問いかけだったのに、言ノ葉さんはなんてことなく返した。

 

「止めないよ。キミがそう決めたならボクは背を押すだけだ。それに────」

 

 言うか言わないか躊躇ったのか言葉を濁す。

 が、僕に目線を戻すと確かな口調で続けた。

 

「ちょっと嬉しかった」

「え?」

「キミがここに着いたとき、死にそうな顔してるのに絶対に諦めないって目をしてたから。あぁ、ボクの親友はすごい奴なんだなって改めて思ったんだ」

 

 僕がすごい奴、か……。

 言ノ葉さんと初めて会って、戦って、負けたときにも同じことを言ってくれたんだっけ。

 

「キミはどんなに苦しくても立ち向かい続ける。誰もが諦めることをキミだけはやり遂げてみせる。そんな姿をもっと見たいと思ってるからキミのことを止めないのかもしれない」

 

 言い切った後顔を正面に直して帽子のつばをぐっと下げた。

 理想の人に手放しに褒められると少し……いや、かなり照れる。

 

「あんまりこういうことは言うもんじゃないな。何とも言えない空気が苦手だ」

 

 ぱたぱたと手で顔を煽ぎそんなことを嘯く。

 

「僕は嫌いじゃないよ。友達同士で褒め合うって普通のことじゃない?」

「そ、そうなの?そういうのって言わなくても大体伝わるでしょ」

「言わないと伝わらない時もあるし、口に出して欲しい時だってある。試合が始まる時とかサムズアップするだけで少し寂しいんだよ?」

「うっ……。まぁ、今度から気をつけるよ」

 

 やりづらそうに頬を掻いた。

 ふと目線を戻すと、破軍学園の校門が遠くに見えるところまで来ていた。

 

「時間は……10分前か。結構早く着いたね」

 

 駅舎から改札口に着くまでの気の遠さが嘘のようだ。

 死に体のくせにかなりのハイペースで歩いていたらしい。

 それを自覚していなかった上に疲れもさほど感じていないあたり、知らず知らずのうちに元気をもらっていたようだ。

 

「いけそうかい?」

 

 言ノ葉さんが問う。

 それを自問に変えて考える。この体でいけるのかと。

 今度は即答できる。勝てる、と。

 精神の方から体を変えるとは我ながら単純だ。

 

 そんな高揚感から、今まで言えなかったお願いをしてみた。

 

「言ノ葉さん。()()()って言ってくれないかな」

 

 目をしばたかせて凝視し、からかいと呆れ半々の苦笑を浮かべた。

 

「一人で行くんじゃなかったの?」

「それとこれは別。言ノ葉さんこそ、ついさっき言うようにするって言ったじゃないか」

「軽口叩けるくらい元気なら言わなくても良さそうだけど」

「頼むよ。他の誰でもない君の口から聞きたいんだ」

 

 僕の食い下がりぶりにさすがに参ったらしく「しょうがない奴だなキミは」と観念のため息をついて正面立って僕の肩を掴んだ。

 

()()()、黒鉄君。キミはボクの理想だ。キミのかっこいい姿をボクに見せてくれ」

 

 するりと首の後ろに腕を回し、そのまま抱きしめられた。

 だがそのことに驚くよりも言ノ葉さんの告白に我を忘れるほど驚愕していた。

 

 こんな人になりたいと思っていた人から同じように思われていたのだ。

 僕なんかが?という疑問が浮かぶ一方で、言われてみたら納得するところもあった。

 

 合宿所に向かう車の中で言ノ葉さんは僕が勝ち取った結果だと固辞した。

 恩を帰依されることを迷惑に思ってそう言ったのかと考えていた。

 が、もし立場が逆だったなら『言ノ葉さんなら僕がいなくとも勝ち取っていただろう』と考えて、僕は関係していないと言ったはずだ。

 

 彼女ならできると、言ノ葉さんの生き様を追い求めるからこそ断言できる。

 彼女がそう言ったように、僕もそう言うはずなんだ。

 

 それだけじゃない。

 僕が言ノ葉さんに勝てていないのは僕を上回るスピードで成長しているからだと思っていた。

 

 正しいが、正確ではなかった。

 

 敗北の数だけ新手を繰り出してもその悉くを上回ってみせた。

 編み出した僕自身もよく思いついたなと自賛した会心の手すらも。

 そこまで来るともはや技術の問題ではなかった。

 

 つまり、言ノ葉さんは僕という人間をどこまでも信じていたのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()と。

 

 彼女が頭の中に思い浮かべているのは無機物の的ではなく、僕。

 何百回と勝ち続けても一切油断せずに、いつか必ず自分を超してくると信じて僕自身すら把握していない『僕』を分析し続けているのだろう。

 

 ひとえに僕を尊敬しているから。追いつきたいと願って見続けているのだ。

 

 そう自覚してから次々と脳裏に浮かんでくる。

 

『キミはすごい奴だ。ボクよりずっとね』

『キミもそうなるために頑張ってるんだろう?』

『ステラさん、先に言っておきますけど、黒鉄君はボクと互角以上に戦える人ですよ』

『それはキミが今まで積み重ねてきたキミの思いの結晶だ』

『キミのかっこいい姿をボクに見せてくれ』

 

 いつ、どの時でも、彼女から向けられる目にはこちらが恥ずかしくなるほどの尊敬の念が浮かんでいた。

 

 カッと顔に血が上った。耳から血が噴き出るかと思う勢いだった。

 

 こんなに純粋な気持ちを貰っていたのにどうして今まで気付かなかったんだ。

 どうして僕は平気でいられたんだ。

 

 嬉しさやら恥ずかしさやらが噴火した。

 

 じっとなんかしていられない。

 何か猛烈に言いたくて、けれど上手く言葉が出てこない。

 

 少しでもこの気持ちを伝えたくて覆いかぶさるように抱きしめ返した。

 

「わわっ!?」

 

 言ノ葉さんの声を無視して顔を肩にうずめる。

 すると背に回す腕に力が強まった。

 何も言わない彼女に、ようやく口を開いた。

 

「……やっぱり僕みたいなバカには言葉にしないと伝わらないこともあるよ」

「そうなの?ボクには十分すぎるほど伝わってたけどね」

「今やっと伝わったよ」

「キミは本当にバカだなぁ」

 

 そうに違いない。

 

 僕は本当にバカだ。

 彼女のことを見ているつもりになって全然見ていなかった。

 

「とっくの前に誰かの思いに応えられるような人になれていたんだね、僕は……」

「当たり前だろう?難しく考えすぎなんだよ、キミは」

 

 コツンと頭突きしてくる。

 我に返って慌てて離すと「痛いくらい伝わったってことにしておくよ」と苦笑いした。

 そして電子手帳を開くと、ぎょっと目を見開いた。

 

「時間がやばいぞ。ボクの勇気を無駄にするつもり?」

「あぁ、すぐ行くよ」

 

 慌てて走り出そうとしたが言ノ葉さんは動く様子がなかったので立ち止まった。

 

 彼女は初戦以外の試合を観に来てくれていない。

 今でこそ結果がわかりきっているからだと知っているが、当時は興味がないからだと思っていて少し寂しい思いをしたものだ。

 

 本当にバカだな僕。

 けど銃以外興味ないと公言している彼女にも非があると思うんだ。

 

 ……というのはさておき、今回こそ来てくれると思っていた矢先だったのでショックだった。

 きょとんとしている言ノ葉さんに声を掛けようとしたら、

 

「……観に来てくれないの?」

 

 思ったより情けない声が出た。

 それを誤魔化すように顰めっ面を作ると吹き出された。

 

「そんな寂しそうな顔をしないでよ」

「うるさい!」

「ごめんごめん。珍しかったからつい。真面目に言うと、電話しないといけない人たちがいるんだ。ちゃんと間に合うようにするから先に行っててくれ」

 

 そう言って本当に電話をかけ始めてしまった。

 文句を言うに言えず、後ろ髪を引かれるがこうしている今にも時間が迫っている。

 

 清々しい日差しに照らされながら僕は走り出した。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 校門をくぐり抜け会場が見えてきた時、

 

「お兄様ぁぁぁぁっ!!」

 

 入り口から電子手帳を握りしめた珠雫がとんでもないスピードで駆け寄ってきた。

 声が届くのと同時に到着するや否や「失礼しますね」と有無を言わさず胸板の上に手を乗せた。

 

 するとサッと顔を青くして「こんな状態でどうして歩けて……」と呟き掌から淡い翠の燐光を放ち始めた。

 と思いきや、

 

「いけませんお兄様、時間がありませんので歩きながら……!チッ、私じゃ全快は無理か……!?」

 

 と、僕より急いでいるんじゃないかと思うほど慌てていた。

 ひとまず僕のことを待っていてくれたことはわかるので、僕の声が聞こえるように落ち着かせる。

 

「珠雫、一旦落ち着こう。珠雫。珠雫!」

「……ハッ!ご用ですかお兄様!」

 

 すぐ元に戻ったが、僕の顔を見た瞬間みるみるうちに涙が浮かぶ。

 

「うぅ……っ。ごめんなさいお兄様……私が至らぬばかりに……」

「本当にどうしたんだ!?」

 

 ボロボロと泣き出してしまうが、それが返って落ち着かせたのかしゃくりあげながらも喋り始めた。

 

「私はもうお兄様に傷ついて欲しくありません。辛い思いもして欲しくありません。だから本当はこの戦いにも出て欲しくありません。けれど止めてしまった後お兄様を支えられる資格も責任も私にはないです。送り出してあげたくてもお兄様の体を満足に治すこともできません。私が役立たずなばかりにお兄様を……!」

 

 堰を切ったように知られざる珠雫の内心が溢れだす。

 少しだけ気付いていた気持ちや全く知らなかった気持ち。

 珠雫が今まで隠していたものが出てしまっているのだろう。

 

「ごめんなさい……きちんと送り出すって決めてたのに、私は……」

「いい。いいんだ。役立たずなんかじゃない。珠雫は僕の大切な妹だ」

 

 優しく抱きしめてやり、言葉をかける。

 

「珠雫の気持ちに気付いてやれなかった僕も悪かった。ずっと一人で抱え込ませてごめん」

「そんな!お兄様のせいじゃ……」

「でも、珠雫のせいでもないさ。僕ってばバカだからさ、言ってもらえないと気付けないことが多いんだ。だからこれから何か思うことがあったら遠慮なく言ってほしい。絶対に相談に乗るから」

「……わかりました」

「ありがとう」

 

 髪を梳かすように撫でると下がっていた目尻が少し持ち上がる。

 

「それと、あんまり自分のことを卑下しないこと。珠雫ほど素敵な妹なんて他に知らないよ」

 

 目線を上げると会場の入り口前まで来ており、そこにはたくさんの生徒が並んで待っていた。

 友人が、級友が、弟子が、かつての対戦相手が。全員が僕のことを待っていた。

 だがそれは僕一人では絶対にありえない光景だった。

 

「珠雫が呼んでくれたんだろ?みんなのことを」

 

 こくんと小さく頷く。

 きっとたくさん頭を下げて来てもらったのだろう。

 精一杯のエールを送って僕を応援するために。

 

「こんな嬉しいことをしてくれる子が役立たずなはずがないじゃないか。そんな滅多なこと言っちゃダメだ」

「うぅぅ……!!」

 

 赤ん坊のようにしがみついてくる珠雫。

 どんなに賢くて気遣いのできる子でも、やっぱり手のかかる可愛い妹だ。

 だから甘やかすばかりではなく少し厳しいことも言うべきだろう。

 

「力不足を感じているならなりたい自分に変わろうとするんだ。嘆いていても現実は変わらない。珠雫にしか出来ないことがあるはずだ」

 

 すると泣き痕が散りばめられた顔でムスッと不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

「……あの女がいなくてもお兄様はそう言ったのでしょうね」

「え?何のこと?」

「いいえ、何でもありません。本当に瑣末なことですから。お兄様のお言葉通り、私で出来る限りのことをしてみます」

 

 殊勝な返事に隠れた仄暗い何かが気になったが、珠雫が何でもないと言ったのだから大したことじゃないんだろう。

 

 そこでずっと放ったらかしてしまっていた集まってくれた面々に頭を下げる。

 

「僕のためにわざわざ集まってもらいありがとうございます。本当に嬉しいです」

 

 一人一人にお礼を言える時間はない。

 その代わり目に感謝を込めてみんなを確認する。

 

 銀色の髪の妹。

 眼鏡をかけた可愛らしいクラスメイト。

 覚悟として左頬に切り傷を残したかつての弟子。

 休み時間に剣を教えていた生徒たち。

 僕を学園に迎え入れてくれた教師。

 七星剣武祭をかけて争ったかつての好敵手たち。

 

「みんなの期待に応えられるよう全力を尽くします。どうか応援よろしくお願いします!」

 

『がんばれーーーー!!』

『イッキくんファイトーーーー!!』

『もう一踏ん張りだ!根性見せろ!!』

 

 心強い声援に押されるように歩む。

 体はぼろ切れのような状態だけど、もう負けるかもなんて思うことはなくなった。

 

 ────勝てる。

 

 考えれば考えるほど不利な要素が目につくのに、この満たされた心があれば勝てると確信する。

 

「なーんだ。心配なんていらなかったみたいね」

 

 ふと廊下の中央に人影が現れた。

 尤も、影なんて暗いイメージと真反対の太陽のような存在感を放っているが。

 

「ステラ?選抜戦の真っ最中じゃ……」

 

 ふふんと鼻を鳴らしたステラはむんと胸を張った。

 

「残念だったわね。トリックよ。……てのは冗談で、ワンパンでぶっ飛ばして来たわ」

 

 そして掲げたのは破軍学園代表生を証明するメダルだった。

 

「ここで待ち構えてドンと励ますつもりだったんだけど、要らないお世話だったかしら」

「いや、嬉しいよ。ただビックリして上手くリアクション出来なかった」

 

 ステラの相手をした人も無敗でここまで勝ち進んで来ただろうに、まさか一発KOで夢を絶たれるとは運がなさすぎるんじゃないか。

 あながち他人事じゃないので笑えない。

 

 冗談めかした空気はそこまでに、自分のせいで要らぬ傷を負ってしまった彼女に謝ろうと思った矢先、ステラが手で先を制した。

 

「謝っちゃダメよ。悪いのはあの赤狸でイッキじゃないんだから」

「ステラ……」

「だから、勝って。アタシの好きな人は正しかったってことを世に知らしめるのよ!」

 

 そう言って道を譲った。

 歓声と野次の吹き荒れるリングが姿を現わす。

 全国が注目している舞台に出ると言うのに何の恐れもなかった。

 

「勝ってくるよ」

 

 平らな道を堂々と踏み出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話

 視える。

 いつか辿り着くのであろう未来の『僕』の姿が、視える。

 トチ狂った頭が見せる幻影ではなく、確かな根拠の基に映し出される未来だった。

 

 それが視えるようになったのは、言ノ葉さんに認められていたことを知り()()()()()()()()ときからだ。

 

 僕は人よりも劣っていると自覚して絶え間ない努力をし続けた。

 誰かに認められるような自分になりたいと、その一心で努力していた。

 

 ()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()

 

 だけど、今の僕こそが理想なんだと告白されて。あぁ、確かにそうかもしれないと妙にすんなりと納得できた。

 

 僕が一生を掛けてでも追いつきたいと思った人からその在り方が良いのだと認められたのだ。

 どれほど辛くとも()()()()()()人がそう認めたのなら、きっと僕も彼女と同じように生きてこれたんだと思えた。

 

 すとんと腑に落ちたら不意に見える世界が変わった。

 暗雲立ち込める山頂から一筋の光が差したかのような、そんな先見の明が視えるようになった。

 この光に向かっていけば必ず幸せになれると、誰に言われるわけでもなく確信した。

 

 言ノ葉さんにも同じものが視えているのだろうか。

 きっとそうに違いない。

 こんな気持ちを知ってしまったら()()()()()()()()()()だろうから。

 答えが視えているのだから当たり前だ。

 

 だけど、何も見えずにただ闇雲に修行していた今までが無駄なのかと言うと、決してそういうことではない。

 むしろ何も知らずに迷っていて良かったとすら思う。

 

 たくさんの遠回りをしたけれど、そのお陰でたくさんの出会いを得られた。

 

 僕を愛してくれる最愛の妹。

 僕の在り方が好きだと言ってくれた誇り高いルームメイト。

 僕の理想を体現した無二の親友。

 

 最短の道を歩いていたら絶対に出会えなかった彼女たち。

 彼女たちからは欠け替えのないものをたくさんもらった。

 それに助けられながら歩いたからこそ、僕はここに辿り着いたのだから。

 

 ────今度は僕の番だ。

 

 僕と出会えて良かったと思えるものを送りたい。

 もらったもの以上のものを彼女たちに送りたい。

 

 それが今の僕の願いであり、理想だから。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「────わかった。手配しておこう」

「どしたん?」

「ちょっとした頼み事をされてな。大したことじゃない」

 

 電話を仕舞った黒乃に対して「ふーん」とどうでも良さげな相槌を返した寧音。

 しかしその直後、優れた気配察知で事情を把握する。

 

「……あぁ、そゆこと。ずいぶん物騒な頼み事だぁね」

「ふっ。豚が走り込まなきゃ意味のないことさ。精々奴が潔い男だと願っておこう」

 

 黒乃は真っ黒な笑みでくつくつ笑う。

 めっちゃイラついてたもんなーと内心を察しながら後方の席を見遣れば、そこには勝ち馬に乗った気分で踏ん反り返っている赤服の中年がいた。

 

「ま、そのためには黒坊が勝たなきゃ話になんねーけどな」

「そうだな……。かなり消耗していると聞いたが、果たしてどこまでやれるものか……」

 

 険しい顔を作る黒乃におどけた老人の声がかかる。

 

「ひょっひょっ。まるで負けが前提の口ぶりじゃな」

「南郷先生!いらっしゃったのですか」

「うむ。弟子の成長を……と言うより黒鉄の者を観にな」

 

 《闘神》南郷寅次郎の登場。

 だが言われてみれば不思議なことではなかった。

 寅次郎にとって黒鉄は永遠のライバル。切っても切れない縁がある。

 己の弟子がライバルの倅と刃を交えると聞けば来ざるを得ない。

 

「して、黒鉄のは何処に?」

「それが諸事情により遅刻しておりまして……。もうすぐ到着すると聞きましたが」

 

 その時会場に設置されたスピーカーから甲高いノイズが走る。マイクが入った音だ。

 いよいよ開始が近づいたと知ると一層会場がどよめく。

 

「黒鉄一輝といったかの。黒鉄にその名を持つ者はおらんかったと思うが」

「家庭の事情により一族の中で迫害を受けていたそうでしたから、存在を隠していたのかもしれません」

「なるほどのう。『奴』無き黒鉄は見るに耐えん」

 

 それは一輝の身を案じた発言ではなく、かつてのライバルのような惹かれる存在がいないという意味の嘆きだった。

 正直なところ寅次郎は黒鉄一輝に期待していなかった。

 今回観戦しに来たのは惰性的なもので、黒鉄龍馬の面影を追う儀式のようなものだった。

 仮にも幾多とあった選抜戦を無敗で切り抜けた実績があるので、どれくらい刀華に食らいつけるか、くらいにしか見ていなかった。

 

 そこで、実況の紹介と共に青ゲートより一輝が姿を見せる。

 半死半生とは思えないほどしっかりした足取りでリングへ上がる一輝に会場が野次を飛ばす。

 誰もが遅まきながら登場した渦中の人についてあれこれと喋る中、逆に口を噤んだ者がいた。

 

「────ほう」

「南郷先生?」

 

 一輝の姿を認めた途端ピタリと会話を止めリングに視線を注いだ。

 先程までの好々爺の振る舞いを捨てた寅次郎の姿がそこにあった。

 

 その眼差しの変化に黒乃は気付く。

 物見遊山にやってきた老人から幾多の死闘を制した《闘神》へ。

 いつの間にか寧音も私語を慎み、口元を扇で隠し平坦な表情で静観していた。

 

 《魔人》という人としての頂点に至った二人。

 落第騎士に一体何を見たというのか。

 

「……奴から何か感じるのですか?」

 

 恐る恐る黒乃が尋ねた。

 自分にはわからない。

 黒乃の目には普段と同じように見える。

 

 逸らすことすら惜しいと言わんばかりに視線を釘付けにする寅次郎はその姿勢のまま答えた。

 

彼奴(あやつ)、心に身を委ねておるわ」

「心に、ですか」

「異な事よな。彼奴は技より先に心が出来たようじゃ。倒錯した歪な成り立ちだが、なかなかどうして良い心構えをしておる」

 

 少し外れた返答をした寅次郎だが、もともと黒乃の問いに答えていたわけではなく、自分の所感を述べただけだった。

 眼中にあるのは()()()()()()()()()()少年のみ。

 弟子の成長や黒鉄の姓など塵芥に等しくなった。

 如何様に化けてくれるのか、ただそれのみに集中している。

 

「大穴じゃな。どんな男かと思えばとんだ異端児よ。これはもしかすると、もしかするかもしれんぞ」

 

 いよいよ答える気がないとわかった黒乃が寧音に「解説しろ」とせっつく。

 

「んだよ良いところなのに……」

 

 鬱陶しそうに顔を顰めたもののなげやりな口調で言った。

 

「心技体のうち一番成熟に時間がかかるのは心だ。こいつは技と体の発展に伴って成長していく部分だが、たまに()()()()()()せいで順序が逆転しちまう奴がいるんだよ。本来なら五里霧中の道を手探りで進んでようやく見つけ出せるはずのゴールがピカピカ光って見えちまうんだな。()()()()()()()()()()()()()()()。心が導くままにすればゴールできるってんなら委ねない手はないわな」

 

 さらりと述べられた恐るべき事実。

 

「ま、待て。それは……!?」

()()()()()()()()()()。ほぼ確実に魔人(うちら)の仲間入りだぁね」

「冗談だろ!?」

 

 そんな軽い調子で《魔人》が生まれるはずがない。

 そもそもつい一週間前まで『少し変わった学生』にすぎなかった一輝がこの短期間で激変したことが解せない。

 

 しかし寧音は、むしろなぜわからないのか不思議といった様子で黒乃に言った。

 

「狂うきっかけなんてそこらじゅうに転がってたろ。いつそうなろうが不思議じゃなかった」

「だったらとっくの昔にそうなっていただろう!なぜ今更狂うなんてことになる!?」

「さぁ?そこまでは知らんよ。けど、うちは逆だと思うけどね」

「逆?」

 

 広げていた扇を綺麗に閉じきり、その先を一輝に当てがう。

 

()()()()()()()()()()。その証拠に、黒坊の顔を見てみろよ」

 

 黒乃も一輝に視線を向ける。

 一輝は強い精神の持ち主だったが、ときおり道に迷った子供のような気弱さが感じられた少年だった。

 

 だが、今はどうだ。

 

 ネガティブな感情がすっかり消え失せており、瑞々しい活力に漲っていた。

 死に体で公開処刑を迎えるはずの少年のはずなのに、この場にいる誰よりも幸せそうに見えた。

 

 その顔を、どこかで見た覚えがあった。

 

「うちら以外の奴らが気付けねぇのもしゃーない。ありゃ()()()()を知らなきゃわかんねーもんだからな。だろ?くーちゃん」

「……あぁ」

 

 そうだ。()()()()()()()()()()()

 手探りで探し出した魔の扉を前にした時の苦悩を思い出す。

 選択を間違ったと思ったことは一度たりともない。

 が、その先が気にならないかと言えば嘘になる。

 

「そっから逃げた先輩として応援の一つでもしてやれよ」

 

 皮肉が効きすぎている嫌味に渋面を隠せない。

 寧音は黒乃がやって来るのを信じて疑っていなかった。

 こいつとならどこまでも行けると確信していた。

 

 だが、黒乃は止まった。

 自分以外の有象無象のために、自らの命と誇りを投げ捨てた。

 裏切られた怒りと哀しみは未だに根強く残っている。

 

 無意識のうちに歯を食いしばる。

 

「……ちくしょう。羨ましいなぁ……」

 

 痛々しく細められた目は一輝に注がれているが、彼だけを見ているわけではなかった。

 言葉端が滲んだその呟きは誰に向けられたものなのか、黒乃は容易に察した。

 だがその心からの嘆きを敢えて聞かなかったことにして、親友に尋ねた。

 

「……勝てるのか。黒鉄は」

 

 黒乃の見解では()()()()()無理。良くて相討ちと見ている。

 

 実力面では一輝にアドバンテージがあるが、騎士としての総合力は圧倒的に刀華が上。

 加えて一輝のクロスレンジは伝家の宝刀《雷切》の間合い。これを破るのは至難の業だ。

 かといって持久戦を狙えば雷撃による遠距離攻撃が待っている。

 

 ここまで大きな不利を背負っているのにダメ押しと言わんばかりにフィジカル面のハンデが重なっているわけだ。

 いくつもの逆境を乗り越えてきた一輝と言えど刀華戦は最も厳しいものになっているだろう。

 

 その考えには寧音は同意見だった。

 

「最短ルートを走れるっつっても、まだ出だしだ。今の黒坊には荷が勝ちすぎる。勇んで突っ込んだところで真っ二つに斬り捨てられるのがオチさね」

「ならどうすれば……!」

「だからこそジジイもうちも楽しんで見てるっつーわけ。()()()()()()()()()()()()()()()()バカの結末をな」

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 外野が登場した二人の姿に盛り上がる。

 その渦中、リングの上で刀華と向かい合った一輝が彼女に声をかける。

 

「東堂さん。僕はあなたに謝らなければなりません」

「私にですか」

「大事な選抜戦をこんな形でやらされることになってしまい申し訳ありませんでした」

 

 普通学園内に報道関係者が入ることは禁止されている。

 だがご覧の通り溢れんばかりのマスコミが会場にやって来ている。たかが一学生の選抜戦を晒し上げるためだけに。

 なんの関係もない刀華も同様に観衆の目に晒されるハメになっているのだ。

 

 刀華は緩やかに首を振った。

 

「気にしてません。どうせ試合が始まれば気にすることすら出来なくなりますから」

 

 瀕死の一輝を前にして刀華は油断していなかった。

 否。むしろ警戒していた。

 

 ()()()()()()()()全力で潰しにいかなくてはならない。

 理想に憧れたからという理由だけで『例外』に挑み続けていると聞いた時、たしかに直感した。

 黒鉄一輝という男はこんなところで終わるタマではないと。

 

「そして、私も貴方に謝らなくてはなりません」

 

 そう言って刀華は目を伏せた。

 

「私はずっと貴方が今日この場に来なければいいと思っていました。そう思って妹さんに棄権を促すようにとお願いすらしました。……ですが、そんなに散々偽善者ぶったことをしておきながら、私という騎士は、貴方を前にしてこの戦いが楽しみで仕方がない……!」

 

 口の端を吊り上げて裸眼を見開く。

 そこには心優しい生徒会長の姿はどこにもない。

 強敵を前にし血沸く凶暴な武人。

 敵を思う優しさだけではなく、敵を情け容赦なく血の海に沈める残忍さと凶暴さを兼ね備えた者こそ東堂刀華という女だった。

 

「失望しましたか?」

「……いいえ、安心しました。東堂さんならそう思ってくれているだろうと思ってましたから。僕を尊敬していると言ってくれたあなたなら。……だからこそ、僕も敬意をもって言わせてもらいます」

 

 人の良い笑みを浮かべながら、一輝は続けた。

 

()()()()()()()()()()()

「────」

「僕が『僕』になるために、あなたという強敵を倒します」

 

 傲岸な宣言。

 格下の存在からの宣戦布告に、刀華は──

 

「受けて立つ!不敗(さいきょう)の《雷切》で!!」

 

 大気に稲妻が迸り、その稲妻が刀華の手に収束し《鳴神》を形作った。

 誰にも破られたことのない切り札。それを乗り越えてみろ。

 そう言い返したのだ。

 

 一輝は堪え切れない喜びを顔に浮かべ、《陰鉄》を顕現させ切っ先を突きつけた。

 

「僕の()()を以って、あなたの不敗(さいきょう)を打ち破る……!」

 

 頂点を歩み続けてきた少女と底辺から這い上がってきた少年。

 七星剣武祭代表枠を賭け、最後の戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 開幕の合図の瞬間。

 一輝は刀華に向かって駆け出した。

 

 その身に一切の魔力を纏わずに。

 

 会場にいる全ての人間が信じられないモノを見たかのようにどよめいた。

 当然だ。死に体を走らせたところで隙しか生まない。何の勝機にも繋がりやしない。

 ある者は無謀な賭けに出たかと思い、ある者は愚策だと断じた。

 

 だが、その対峙者である刀華だけは違った。

 

(止められないッッ!!)

 

 何のカラクリも仕組まれていないただの突進を、刀華は我慢して受け止めなくてはならなかった。

 なぜなら────

 

『斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬斬斬斬斬斬斬────』

 

 《閃理眼》が読み取ってしまった。

 ()()()()()()()()()()()と。

 

 雷撃を放つためには刀を抜く必要がある。

 指揮刀のように標的に向かって振り払わなければ雷撃が飛ばないからだ。

 

 見えないわけじゃない。むしろはっきりと見える。

 それくらいの速度で突進してきているのに、刀を抜くという動作の隙に間合いを詰められ斬り捨てられる。

 大きく後ろに逃げてアウトレンジを取ろうにも、その踏み込みの隙に斬り捨てられる。

 

 黒鉄一輝という男が『例外』に挑戦しているとわかった瞬間、刀華の頭から搦め手を用いる考えは一瞬で吹き飛んだ。

 

(《雷切》でしか勝ち目がない!!他は全て死に繋がる!!)

 

 零。

 それは武の最果てにある理想論。

 いかなる状態からであろうと()()()()()()()武の結論。

 

 あの男はそれを成そうとしている。

 技術も遠く及ばず、身体すらままならない状態で、それを成そうとしているのだ。

 

 出来るのか?今この場で。

 その疑問を考える必要はない。

 

 出来ようが出来まいが関係はない。

 あの男がそうしようというのなら、こちらもそうしなければ絶対に勝てないのだから。

 

 スタンスを大きく広げ《鳴神》を納めた鞘に稲妻を送り込む。

 構えるは伝家の宝刀。

 放てばただ一人の例外もなく斬って落としてきた不敗の一撃。

 まだまだ完成には程遠いけれど、師匠の零に憧れて編み出したモノ。

 

 同じ零を目指す者として、《雷切》で正々堂々と戦う。

 

 一輝が一歩踏み込むまでの時間が途轍もなく長い。

 一秒を何十倍にも引き伸ばしたかのような体感時間が刀華を襲う。

 

 永遠にも似た地獄の中、刀華は一切の集中を切らずに待った。

 一輝がその足を間合いに踏み込むのを、ただひたすら待った。

 

 間合いより外であっても内であっても負けるゆえに。

 ピタリと線が重なった瞬間のみが自分に残された唯一の勝ち筋ゆえに。

 

 そして、靴が地面を踏んだ時。

 刀華は一人の男を殺す鋼の稲妻を撃ち放った。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 万全の僕では《雷切》を打ち破れなかっただろう。

 殺してしまう覚悟で放たれた《雷切》を見て、改めてそう思った。

 

 しかし、今なら。

 体がボロボロの今なら、《雷切》を破れる。

 

 限界に近いからこそ、この上ない最適解を最高の状態で叩き出せる。

 万全だと視えない道が、今なら視える。

 

 光り輝くプラズマの刃が制服を焦がしたと同時に全ての魔力を解き放つ。

 だが普通に垂れ流すわけではない。

 

 僕の魔力総量をバケツ一杯だとするならば、《一刀修羅》はバケツを一分間一定に傾け続ける技だ。

 血の滲むような努力をして一定を保てるようになったわけだが、今回はそれが無用だ。

 

 ただ何も考えずバケツをひっくり返してしまえばいい。

 あいにく魔力を吐き出すことは得意だ。なにせ、そうしようと思わなくても勝手に全部吐き出しちゃうほど魔力制御がなってないのだから。

 

 全ては零に注ぎ込むために。

 

 何千何万と強化倍率が上がるのを感じながら、それでも冷静に判断を下す。

 

 届かない。零には遠く及ばない。

 これでも無限に広がる小数の海を泳ぎきることはできない。

 零の海岸は水平線の向こうにある。

 

 当たり前だ。一生涯分の時間を費やしてようやく泳ぎきれるものをこの一瞬で泳ぎきろうと考える方がおかしい。

 魔力のブースト程度で何とかなるものなら誰も苦労はしない。

 

 でも、一生涯の時間に等しいものを僕は持っている。

 

 回り道をしてきたなかでかき集めてきた技術がある。

 自分で編み出した技術がある。

 習得するまでに費やした執念と経験がある。

 四百を超える敗北と進化がある。

 

 それらすべてをかき集めて注ぎ込めば、一回だけ、ギリギリ指が掛かる程度のものになる。

 すぐに荒波に飲まれて離れてしまうようなものでも、たった一回だけなら届く。

 

 注ぎ込め。

 今まで蓄積してきたすべてを。

 僕という人間を構成するすべてのものを。

 

 一体となり、混ざり、互いを爆発的に高め合い、魔力という燃料を得て無限まで飛んでいき、

 

 

 ────そして、零に至る。

 

 

 そこはあらゆるものが静止した世界だった。

 目の前の東堂さんも、刃に走るプラズマも、僕らを見つめる観衆も。

 鳥も。人も。空気も。音も。光も。何もかもが石像のように動かない世界だった。

 

 ここが、零の世界。

 

 念願の零の境地を垣間見た僕の胸に飛来したものは、納得だった。

 

 僕はずっと零がゴールだと思っていた。武の結論ゆえに、その先がないのだと思っていた。

 だからこそ、言ノ葉さんが零に至ってもなお撃ち続けるのは何故なのかと考えていた。

 

 ()()()()()()()

 

 ()()()が行く道を塞いでいて何があるのかまでは視えないが、この静止した世界の先に道があったのだ。

 言ノ葉さんはそこを目指していたのだ。

 

 納得して、少しだけ安心した。

 僕の理想とする人はまだまだ先にいるんだと。

 持てる限りのすべてを費やしてやって来たというのになお辿り着けない場所に彼女はいる。

 

 なんて。なんて、追いかけがいのある背中なんだろう。

 

 全然手が届きそうにない。自らの限界を使い切ってもその上をいってくれる。

 そんな存在が()()()の向こうから僕に振り向き、挑発するような得意顔でこう言ってくるのだ。

 

『こっちに来れるかい?』

 

 どうして君は僕が欲しいと思った言葉を聞かせてくれるのだろう。

 彼女からもらったものに相応しいものを僕は返せるだろうか。

 

 いや、返していこう。ちょっとずつでも返していって、そしてそれ以上のものをまたもらって。

 そんなやり取りを何万回も繰り返して、いつか返し切れるようにしよう。

 

「……あぁ。行けるよ。すぐに行くから、先に行っててくれ」

『待ってるよ。黒鉄君』

 

 笑みを残して歩みを再開した彼女が()の向こうへ消えたのと同時に、零の世界が徐々に動き出す。

 振り絞ったものが遂に尽きようとしているのだ。元よりこの世界の住民ではない僕が追い出されるのは道理だ。

 

 《雷切》が制服を焼き始め、稲妻が思い出したように走り出した。

 

 時間がない。

 挨拶していたら斬られました、なんて笑い話にもならない。

 名残惜しいが一旦お別れだ。

 

 視線を切って目の前の東堂さんに向かって大上段に剣を構える。

 

 この世界にやって来れたのは《雷切》という絶対強者を超えようとしたからに他ならない。

 すべてを絞り出さざるを得ない強敵だった。

 僕の進化を促すための逆境になってくれた東堂さんにあらん限りの感謝を込めて、

 

「────《第零秘剣・一刀不退》」

 

 ()()の袈裟斬りを刻んだ。

 直後、弾き出されるように零の世界が遠のいた。

 僕は再び海に放り出される。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 キィン、と。

 甲高い音が静まり返った会場に響いた。

 

 それは斬り落とされた《鳴神》の切っ先がリングの床を叩いた音だった。

 

 両者完全に振り切った姿勢のままその音を聞き、

 

「────お見事」

 

 敗北を受け入れた刀華が意識を失うと同時に床に倒れ伏した。

 綺麗に真っ二つに斬られた《鳴神》が主人に続き床に転がったのを見て、ようやく一輝は呼吸をした。

 瞬間、

 

「ガッッ!?!?」

 

 酸素を求めていたはずの肺が血を吐き出し、穴という穴から夥しい量の血が噴き出した。

 そして全身のいたるところの筋肉と骨が力任せに破壊され壮絶な音を奏でた。

 

「────ッッ!!」

 

 今まで味わったことのないほどの激痛。

 今自分は人間の形を保てているのか心配になるくらい体のあらゆる部位が泣き叫ぶ。

 すぐにでも声の限り絶叫してのたうち回りたい衝動に駆られるが、鉄の意志でそれを封じ込めた。

 

 これは無限の海を渡るために払った渡航料。

 本来なら許されないルートを強引に押し通った代償なのだ。

 その結果を受け入れると決めていたから痛みに叫ぶような真似はしない。

 

 気が遠くなりそうにながらも懸命に意識を留めていると、ふと己の右手から光の粉が舞い落ちているのに気づいた。

 腕を持ち上げようとしたら腱が断裂していて言うことを聞かなかったので、仕方なく目で追った。

 

 木っ端微塵に壊れたはずの手がそれでも握りしめていた《陰鉄》の刀身から光の鱗が剥がれ落ちていた。

 ポロポロと一枚ずつ剥がれていくそれが刀身の半ばまでくると、耐え切れなくなったように一斉に爆散した。

 

 光の鱗の下から現れたのは真っ黒な地肌だった。

 湖に浮かぶ月のような刃紋がなびいて日光を切り裂く。

 

 明らかに今までと違う様相を呈する己の霊装だが、不思議と驚くことはなかった。

 霊装とは己の魂の具現。ならば魂が変われば霊装の姿も変わるだろう。

 一輝はその変化を当然のこととして受け入れた。

 

「イッキーーーー!」

 

 まるで窓の外から聞こえる雨音のように遠くに聞こえるが、それでも確かに耳に届いた。

 ゲートの向こうから三人の人影が見える。

 

 一人はせっかくの可愛い顔をぐしゃぐしゃにしながら駆け寄ってくる妹。

 一人は首から提げた物とは別のメダルを片手に満面の笑みを浮かべるルームメイト。

 一人は知っていたとばかりにサムズアップしている親友。

 

 その誰もが誇らしげに一輝を迎えに来ていた。

 彼女たちの姿を見て、一輝は

 

(思いに応えられるのってこんなにも幸せなんだな)

 

 その幸福感に気を緩ませ、意識を落とした。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 《鳴神》の切っ先が宙を舞ったとき。

 

「やりよったな」

「あぁ。やっちまったな」

 

 魔人二人は雛の産声を静かに見届けた。

 

「綺麗な心を持っておるわ……。曇り一つない。真に生きるべき道を邁進すると覚悟したのじゃろうなぁ」

 

 あの男に良く似とる、と弛んだ皮膚で細くなった目で一輝を見つめた。

 語る言葉は少ない。これ以上何を言っても余分にしかならない。

 今胸に燻る興奮をむやみに減らしたくなかった。

 

 切っ先がリングを鳴らしたことにより息を吹き返した会場を見回し立ち上がった。

 

「さて、良いもんも観れたし帰るとするかのぅ。刀華は相手が悪かったとしか言えんが、この程度でへこむタマでもあるまいて。我が弟子に恥じぬ戦いだったと伝えといてもらえるかな、黒乃君?」

「……あ、はい。そう伝えます」

「なんじゃ。そんなに意外じゃったか?黒鉄のが勝つことが」

 

 呆然としていた黒乃をからかう寅次郎。

 その言葉を「恥ずかしながら……」と認めた。

 

「久しく忘れていました。ああいう戦いをしていた時期が、それを心から楽しんでいた時期が私にもあったのだなと」

 

 封印していた思い出が蘇る。

 自分の命すら惜しくないとすべてを賭けて戦ったあの日。

 もう二度と戻ってくることのない日々だ。

 

「……戻ってくる気になったのかよ」

「どうだろうな……。今は無理だが、遠い先でなら────」

 

 直後、一輝の勝ちを理解した観客たちが一斉に湧き上がった。

 完璧に塗り潰された黒乃の言葉だったが、

 

「……そーかよ」

 

 そっけなく答え、パッと扇を開いて顔半分を隠した。

 寧音は聞き返すことはしなかった。

 だが、その横で、

 

「ば、馬鹿なぁぁあ!こんな馬鹿げた話があるかァ!!アイツは半分死んでたんだぞ!!それなのに、こんなの、何かの間違いに決まってる!ああそうだ、間違いだ!手違いだ!こんな結果認めてたまるかァぁぁ!!」

 

 赤座だけは目の前で起こった事態を受け止められず、悲鳴を上げながら駆け出す。

 どてどてと走っていく丸い背中を見送った寧音は鼻で笑った。

 

「あーあ。挽肉になりに行きやがった。養豚場から出荷される豚を眺める気持ちってこんなんだったんだなぁ」

「何というか、憐れだな。あの先に何があるか何も知らずに走っていく様は」

 

 赤座の姿が見えなくなってその数秒後、黒乃の電話に着信が入った。

 ディスプレイに表示された名前を寧音に見せ二人は肩を竦めあった。

 

「私だ。……了解した。壁を破らん限りその部屋でいくら過ごそうがこちらの世界の一秒にも満たないことになる。好きにやれ」

 

 部屋を閉めるぞ、と伝えた直後に電話が途切れた。

 こちらの世界から隔離された空間には電波が届かない。

 しっかりと密閉した証拠だった。

 

「くーちゃんもエゲツないもん用意したねぇ」

「ふん。これでも足りないくらいだ。直接私の手を下してやりたい所だが、そこはあいつに任せるとしよう」

 

 それっきり二人は赤座の姿をすぐに忘れた。

 数秒後には見るも無惨な姿に変わり果てているであろうから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話

 昨年の七星剣武祭ベスト4・東堂刀華を撃ち破ったことにより晴れて代表生の座を獲得した黒鉄君は、その功績を称えられ新宮寺さんから代表生のリーダーに任命され、誉ある破軍の旗印を託された。

 式場は満場一致の喝采に包まれたことが示すように、もう黒鉄君を蔑む者は誰一人としていなくなった。

 胸を張って壇上に立つ黒鉄君の姿が、去年の惨状と見違えるようでとても誇らしく感じる。

 

 さて、代表選抜戦の興奮も冷めやらぬところですぐに夏休みに突入するわけなのだが、

 

「えっ、言ノ葉さん合宿来ないの?」

「うん。ちょっと迷ったんだけどね。今回はパスするよ」

 

 ボクの返答に「そっか……」と残念そうに声を沈めた黒鉄君。

 そう、息をつく暇もなく代表生の強化合宿が始まるのだ。

 代表生でないボクがなぜ行くか行かないかの話をしているのかというと、生徒会の方から特別コーチとして参加してくれないかと打診があったからだ。

 なんでも代表生の中にボクと同じ銃使いの子がいるらしく、その子の面倒を見てやってくれないかとのことだ。

 ボクとしては、本来ならば合宿に行ってしまいしばらく出来ないはずの黒鉄君との手合わせが出来るし、そのついでなら良いかなと思っているのだが、今年は遠慮しておいた。

 

「去年何だかんだ実家に帰らなかったから今年は顔を出そうと思ってたんだ」

 

 夏休みは合宿に行って、帰ってきても黒鉄君と訓練してたし、年末もずっと一緒にいたから帰る暇がなかった。

 まぁ、帰ろうと思えばいつでも帰れたんだけど、その時間がもったいなくてつい後回しにしてしまったのだ。

 あとこれは言わないが、例の新聞騒ぎで両親にすごい迷惑をかけた手前、様子を見ておきたい気持ちが強い。

 そんなわけで誘いは丁重にお断りしたのだった。

 

「本人がそう言ってるんですし放っておけばいいんです」

「珠雫、言い方キツイよ」

「あはは……」

 

 黒鉄君のフォローに面白くなさそうにする珠雫さんはジロリとボクを一瞥する。

 あの件以来、どうも珠雫さんの目の敵にされてる節がある。こういった黒鉄兄妹のやりとりは最近よく起こるようになった。

 自覚がないわけじゃない。人の頭を引っ叩いた上に偉そうに講釈垂れれば、そりゃ嫌われるわけで。

 

「お兄様もお兄様です。仮にこの人が合宿に参加しても相手になる人がいなくてお兄様専属コーチに落ち着くのが目に見えてます。それじゃいつもと変わらないじゃないですか。何のために合宿に行くんですか」

「ごもっともで……」

 

 とまぁ、こんな感じにボクへの当たりが強いことが多い。だけどこれはこれで良いことなんじゃないかなと思う。

 前までの珠雫さんはボクとどこか一線を引くような接し方をしていたから、こうして本心を見せているのは彼女の中で何かが吹っ切れた証拠なのかもしれない。

 少なくともあの時の卑屈な態度よりよっぽど前向きだ。

 

「あたしが言うのもアレだけど、ごめんなさいね綴ちゃん。合宿に行けないから気が立ってるのよ。許してあげて」

「気にしてないよ。いつもの珠雫さんと言えばそうだし」

 

 そう言うとアリスさんはひっそりと笑った。

 あまり取り沙汰にされていないが、こうしてひょっこりしているアリスさんも見事代表生入りを果たしている。つまり選抜戦を無敗で切り抜けた猛者ということだ。

 今年は一年生の代表生が多いということで結構話題になっている。まぁ、専ら黒鉄君とステラさんのことなんだけど。

 ちょっとアリスさんが不憫だけど本人は全然気にしてないみたいで、そもそも選抜戦に参加したのも成り行きらしく、「なれちゃったから」というめっちゃアバウトな理由で代表生の席を取ってたりする。

 本人によれば対戦カードの運が良かったらしいが、さすがに何十戦も行う選抜戦を運だけで切り抜けるのは無理がある。ちゃっかりしてるけど、この人の底は意外と深いんだなと思わされた。

 

「そうよ。アタシにはもっとキツイんだから。ツヅリさんも覚悟しておいた方がいいわよ」

「それは黒鉄君を狙ってるからじゃないかな……」

「ツヅリさんもそのクチじゃないの?」

「違うよ。そうだったらとっくに刺されてる」

「ふーん。まぁアレも慣れれば可愛いものよ。時々イラッてするケド」

 

 そんな注目の新星のステラさんは例の件が片付いて清々しているのか、晴れ晴れとした表情で過ごしている。ボクより周りの目が鬱陶しかっただろうから気持ちいいものだろう。

 逆に言えば、もう周りに憚ることなく黒鉄君に近づけるということで。

 

「皇女ともあろう方が陰口だなんて、良い趣味してますね?」

「ほら始まった。今日はどんな言葉が飛び出すのやら」

 

 今日も今日とて珠雫さんの口から毒が迸る。割とえげつないことも言ってるから、聞いてる身としてはよくまぁ本気の喧嘩に発展しないものだと感心させられる。

 二人のじゃれ合い? がいち段落つくと良い感じの時間になっており、明日の帰省の準備があるボクは席を立った。

 

「それじゃ、一足先に帰ろうかな。みんな合宿楽しんできなよ」

「私は行けませんけどね」

「珠雫の分も楽しんでくるわよ。じゃあね」

「ツヅリさんも元気でね!」

 

 それぞれの挨拶に手を振って応えると、すっと横から手が伸びてくる。

 

「帰ってきたらまた訓練やろうね」

「もちろん。楽しみにしてる」

 

 伸ばされた黒鉄君の手をパンと叩いて、その場を後にした。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 一年ぶりに見る玄関を前にして、その横手にある中庭に目をやる。

 背の低い芝生が生え揃う中、一部だけ不自然に禿げてしまっている場所がある。毎日踏まれて固まってしまったものだ。

 スーツケースの中から的を取り出してそこに立ち、頭の中にある光景と寸分違わず同じになるように設置した。

 

「学校も良いけど、やっぱりこっちの方がしっくりくるな」

 

 十数年間立ってきた場所は習慣を思い出させるのか、自然とボクに射撃欲を掻き立てる。

 

「ちょっと撃っていこうか」

 

 思い立てばすぐにいつも通り両手をぶら下げて両目を閉じる。踏みしめられ形がついてる地面と靴がぴったり噛み合い、気が頭の真ん中に集まる感覚を覚える。そしてゆっくり目を開けて、一気に腕を閃かせる。

 毎日やっていることなのに久しぶりな感覚があることが面白く、夢中になって繰り返していると、

 

「やっぱり帰ってたのか。おかえり、綴」

 

 後ろから声をかけられ、そちらに意識を戻すとスーツの父さんが玄関に立っていた。

 上を見るまでもなく暗くなっていて、結構な時間撃っていたことに気づく。

 

「ただいま。父さんもおかえり」

「ただいま」

 

 玄関に放りっぱなしだったボクのスーツケースをからころと引っ張ってきて縁側に座った父さんは、いつの間にか置いてあった盆の上の麦茶を差し出した。

 

「水分補給はしっかりね」

「ありがとう」

 

 だいぶ緩くなっている麦茶を飲みながら父さんを盗み見る。

 黒一色だった髪に白髪がちらりと交ざっていた。顔色は記憶にある通りだから疲れは取れているようだ。

 ひとまず安心していると、父さんから唐突に言葉を投げかけられる。

 

「綴、詩織さんに挨拶した?」

「……まだです」

「だろうねぇ。これに気づいてなさそうだったもんね」

 

 そう言って盆から一枚の裏紙をボクの前に晒した。暗くなる前に家に入りなさいという母さんの置き手紙だった。

 

「いつものことだから詩織さんも気にしてないでしょ。もう少しやってく?」

「いや、また後にするよ」

「そうかい。ご飯の用意も出来てるだろうし、学校の話聞かせてよ」

 

 そうして家に入り、母さんに呆れられながら着替えを済ませて食卓に着く。

 全員揃って頂きますを言ったところで母さんから話を切り出した。

 

「学校楽しい?」

「うん」

「授業サボってたりしない?」

「しないよ。ちゃんと出てる」

 

 それを聞いて母さんは安心したようにため息を一つついた。

 ボクが去年授業をサボっていたことは母さんたちも知っていることだ。自宅に成績通知表が送られるんだから当たり前だ。

 黒鉄君を排斥してた授業、つまり実技の授業は出席日数の不足で全部落第という悲惨な成績に母さんから速攻電話がかかってきたのをよく覚えてる。

 去年は特別待遇で単位を持ってたという話を母さんたちは知らなかったらしいのだが、それを踏まえて訳を話してもこっぴどく怒られたものだ。

 

「黒鉄一輝君、だっけ。彼ともあれから仲良くできてるのかい?」

「まぁね。いつも通りだよ」

 

 黒鉄君のことについても捏造報道の時に一悶着あった。

 彼と全く面識のない父さんたちにとって例の忌々しい新聞に載ってる情報が第一印象な訳で、父さんはすんなり理解してくれたけど、母さんにはそれはもうしつこく追及された。

 

「彼とすごく気が合うんだろう? 大事にしなよ」

「わかってるって」

「でも本当に良かったよ。あの時以来誰とも関わってなかったみたいだからね」

 

 たぶん銃を極めると言った時のことだ。

 その日から学校の友達と全然遊ばなくなったし、学校にいる間もだいたい頭の中で射撃の練習してたりで、友達らしい友達がいなかった気がする。

 ボクの興味あることと他のみんなが興味あることが悉くズレていたから会話がイマイチ弾まなかったし、それだったら射的してた方が良くない? って感じで過ごしてた。

 ……当時は全く気にしてなかったけど、今思うとボクってかなり浮いてたのかな……。今は普通だと思うし、なんだっていいだろう。

 

「そういえば今年は七星剣武祭に出ないんだね。何かあったの?」

「あれ、言ってなかったけ。ボク運営から出禁食らって出場出来ないの」

「え。初耳だけど。出禁って何やらかしたんだ……?」

「何もしてないよ。ボクの戦い方はテレビの見栄えが悪くなるからやめてほしいんだって」

「あー……。たぶんアレだろ? 綴の得意な早撃ち」

「そう。今年はステラさんも参戦するからって理由で出禁になった」

「酷い話だなぁ……。まぁ、親の僕が言うのはダメだと思うけど、確かにテレビで観ててもよくわからなかったからなぁ……」

「スタートの合図が出たら相手から血が吹き出て倒れるだけだったものね。母さんも何か凄いことしてるんだなぁって観てたわ」

 

 ボクの早撃ちを間近で見てきた両親ですらコレなのだから他の人たちは言わずもがな、か。全力出したら意味わかんないので出てこないでくださいって言われるの、ほんと悲しくなってくる。

 

「僕も残念だと思うけど、綴はもうすでに頂点に輝いてるんだし、国からも《魔人》として認められるほど凄い実力を持ってるんだから《七星剣王》くらい譲ってあげていいんじゃないかな」

「ちぇー。黒鉄君と決着つけるの楽しみにしてたのに」

「彼、そんなに強いの?」

「強いよ。ボクも能力使わないと勝てる確証がないくらい」

「へぇ。友達でもあってライバルでもあるのか。同い年で綴にそこまで言わせられる人はそうそういないでしょ。良い巡り合わせだね。西京さんと滝沢さんを思い出すよ」

「ん? 寧音? あと滝沢さんって?」

「あぁ、今は新宮寺さんなんだっけ。滝沢は旧名で、君のとこの理事長やってる方だよ」

 

 新宮寺さんって滝沢黒乃って名前だったんだ。何か新鮮。

 でも何で二人なんだ? KoK選手同士の知り合いだったって紹介だったはずなんだけど。

 

「二人は学生時代七星剣武祭で頂点を争っててね。東の滝沢西の西京なんて言われてたよ。当時二人に敵う選手がいなかったからその時の七星剣武祭は実質二人の雌雄を決するための舞台になってたんだ」

「学生時代からの付き合いだったんだ……。道理で仲が良いわけだ」

 

 だいたい寧音が仕事をすっぽかして新宮寺さんがイラつくって関係なんだけどね。

 あんなチャランポランと縁を切らないあたり、新宮寺さんも寧音に信頼を寄せてるのかもしれない。信用はしてないだろうけど。

 

「そりゃあ暴れまくってすごいことになってたけど、でもそういうのってお互いに実力が拮抗してたから出来たんじゃないかなって。 やっぱり何かを極めようとすると競争相手がいないとどうしても頭打ちになっちゃうものだと思うんだよ」

「……そうなの?」

「そうだと思うよ。だから君は本当に恵まれてる。君の全力を受け止められられる人が同じ世代で、しかも友達なんだからね」

 

 黒鉄君がいるからこそ極められる、かぁ。今のところボクが頭一つ越してるからイマイチ実感がないけど、いつか彼がボクと肩を並べられるようになったらわかるようになるのかな。

 

「まぁ、今年は出れなくても来年は出れるかもしれないんだから、あまり気を落とさないようにね」

「うん。そうする」

 

 口では返事したが、あんまし期待せずにしておこう。

 

 それからしばらく他愛ない世間話をしてその日を終えた。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 帰省から数日経ち、のんびりした休暇を満喫していたある日の夕方。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい。今日は少し早かったのね」

 

 玄関から聞こえる両親の話し声をバックに汗まみれの服を着替えたボクは廊下に出た。

 ボクも挨拶をしようと父さんの顔を見た、その時だった。

 

 父さんの耳や鼻や口から、ほんの微かな煌めきを放つ糸が伸びていた。

 その現象を過去に二度見たことがあった。

 

 なぜ、という言葉だけが浮かぶ思考の空隙を制したのは父の声だった。

 

「今回は本気で隠したのにショックだなぁ。顕微鏡くらいじゃないと見えないはずなんだけど、キミの眼はどうなってるの?」

「……え? あなた、何を……」

「母さん! すぐこっちに来て!」

 

 ボクの声も虚しく、父さんの腕が一瞬で母さんの首に巻きつき、悲鳴も出せないほどキツく締め上げた。

 

「動かないほうがいいよ。怪しい動きをすればキミの大事な人と二度と口がきけなくなるよ」

 

 父の声帯から出たとは思えないほど邪悪な気配を漂わせた口調がボクの神経を逆なでし、頭の奥を冷んやりとさせる。

 糸を断ち切ろうにも母さんの体が射線を遮っており、コイツの下衆さに思わず舌打ちした。

 

「……身内に手を出せばどうなるか、月影から聞かされてなかったのか? 平賀」

「そう怒らないでよぉ〜。ボクはただのメッセンジャーなんだからさぁ」

 

 急速に意識が冴えていくのを感じながら、父さんの体を操るクズを睨みつけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話

 今年に入ってから……というより、選抜戦が始まってからというもの、やけに苛つかされることが多くなった。

 合宿所の噂を確かめに行った時に襲ってきた岩人形を契機に、あのクソ忌々しい新聞騒動が起こったり両親を傷つけられたり。

 このうちの大半が平賀玲泉のせいなんだが、ひとつある種の予感がよぎった。

 

「なんで父さんの居場所がわかった?」

「え、まず最初に聞くのがそんなことなの?」

「いいから答えろ」

 

 ふーん。まぁいいけど。といちいち人の神経を逆撫でする相槌を挟みながら父さん越しに平賀が答える。

 

「キミ、六次の隔たりって言葉を知ってる? だいたいそれで片が付くんだけどさ」

「知らないな」

「だろうねぇ。今の時代、一般人のプライベート情報なんて誰でも調べ尽くせるってのに、そんなナンセンスな質問してくるような人だもんね。キミ。そういう抜けてるヤツだから《魔人》なんて吹っ切れた存在になっちゃったのか、ただのバカなのか、親の顔が見てみたいもんだね」

 

 嘲りの言葉を吐きながら母さんの首を絞める左腕を更に上へ傾ける。母さんの顔がみるみるうちに蒼くなっていく。

 

「簡単に言っちゃえば『知り合いの知り合い』ってのを六回くらい繰り返せば世界の誰とでも関係が繋がるってこと。だから世間知らずのキミですら、知り合いを辿ればどっかの国の大統領とか総書記にも繋がるってことさ。まぁ、月影と繋がりがある時点で誰とでも繋がると思うけどね」

「……それがなんだって言うんだ」

「おいおい、鈍いヤツだなぁキミは。ボクの糸で適当な誰かを操っちゃえば、いずれかはキミの父さんの知り合いに辿り着くってだけの話だよ」

「そんなことはわかってる。問題はそれをするには途方も無い糸の長さが必要だろう。県を乗り越えるくらいじゃない。国ひとつ股にかけるくらいの長さ、オマエはそれをどうやって用意した」

 

 ボクの質問に、平賀は父さんの首をこてんと傾けさせた。

 

「どうやっても何も、ボクそれくらい簡単に出来るよ? 国ひとつなんてケチな単位じゃない。それこそ世界の隅々まで糸を張り巡らせられる」

 

 そう言うと空いている右手を掲げ、指の先端から網目模様に広げた糸を伸ばして見せた。

 

「そこらへんの国の重鎮たちを操っちゃえばあら不思議、世界中のあらゆる情報がボクに集まるって寸法。いわゆるwww(ワールド・ワイド・ウェブ)ってヤツさ。あー、キミにはネットって言った方がいいかな? 《蜘蛛の巣》って表現、これ以上ないくらい的確だよ」

 

 確か東堂先輩が言うには平賀のような《鋼線使い》は50mも伸ばせられれば一流と言われていたはずだ。岩人形を操っていた時点でそれを遥かに上回っているが、コイツの言い分だとアレも序の口だったと言うことか。

 さすがにここまでぶっ飛んだヤツがまともな伐刀者だと思えない。それはつまり……

 

「オマエも《魔人》だったのか」

「その通り」

「ならオマエは寧音の言うところの刺客ってヤツか」

「それは違うなぁ。ってか、人の話聞いてる? 最初に言ったじゃん。ボクはただのメッセンジャーだって」

「ボクを裏切った月影の言葉を素直に聞くと思ってるのか?」

「裏切ったのはボクなんだけどね」

「知るか。オマエをメンバーに選んだのは月影だ。それが原因でボクは被害に遭ってるんだ。責任は取ってもらう」

 

 すると平賀はキョトンと反応に間を空けた。

 

「コイツは驚いた。相手はこの国のトップなんだよ? 見境ないねぇ。ここまで真っ直ぐだなんて、素でびっくりしちゃった」

「御託はいい。どうせマスコミを裏から操っていたのもオマエと月影なんだろ。二人まとめて始末すれば話は済む」

「アハ アハっ。ついでに殺される総理カワイそー。まぁ、それはそれで面白いし自業自得だから放っておくけど!」

 

 何かごちゃごちゃ言ってるがどうでもいい。今ボクにとって重要なのは二度に渡って身内を傷つけた目の前のコイツをぶちのめすこと、ただそれ一つだ。

 それ以外は無視だ。その一点が決まれば、後は突き進むだけだ。

 

「おっと、顔が怖いことになってるけど……コレ、忘れてないかな?」

 

 そう言って母さんを盾にするように前面へ押し出す。相変わらず射線は開かず、抜け目のなさに苛つかされる。

 

「よく知ってるよぉ。キミは何があっても絶対にこの人たちを優先するんだろ? このお父さんを随分慕ってるみたいだもんねぇ。吐き気がするくらい幸せそうな記憶がお父さんから伝わるよ」

「チッ」

「素直に聞いてくれて助かるよ。一旦落ち着いたみたいだし、一応仕事はしておこうかな」

 

 オホンとわざとらしい咳を挟む。

 

「月影総理より伝言です。『只今より暁学園の活動を開始します。約束通り計画には不干渉でお願いします』だそうです」

「勝手に言っとけ」

「確かに伝えましたよ。……とまぁ、つまらないロールプレイはこれで終わり! 後はボクの時間だ」

 

 ニタァっと人の情があるとは思えないほど凶悪な角度で釣り上げられる口角。まるでこの世の全てを嘲るような、嫌悪感を掻き立てる笑顔だ。

 

「キミを一目見た時からずっと気になってたんだ。ボクと同じ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「誰がオマエなんかとつるむか」

「酷い言われ様だなぁ。でもしょうがないよね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『正しさ』とか『間違い』とか、そういう人の根底にある()()()()()()()()()。だからこんな狂った生き方が出来るんだよ」

 

 何を言ってるのかサッパリ理解出来ない。だが平賀は理解を求めていないらしく、一人で饒舌に語りかけてくる。

 

「ほんとに残念。キミの生まれた家庭があとほんのちょっぴりでも息苦しい環境だったなら、キミとボクは良い友達になれたはずなのに」

「……」

「一応ダメ元で聞いてみるけど、ボクと一緒に来る気はない? 銃だって人に撃ち放題だし、それを咎める人もいないよ! とっても楽しいよ。自分の好きなように生きるの!」

「ボクの好きな生き方を邪魔しているのがオマエだ」

「だよね。もう変わりっこないのは知ってたさ」

 

 はぁー……と本当に悔しそうに大きな息を吐いてみせる。だが次の瞬間、それが嘘のように冷めた目でボクを見る。

 

「じゃ、もういいや。今からコイツらをオモチャにして遊ぶことにするよ。キミの幸せ、全部ぶっ壊そう」

 

 すると打って変わってウキウキと無邪気な笑みを浮かべた。人の首を絞めているのにこの有様だ。確かに狂ったヤツだ。

 

「どうやって遊ぼうかなぁ……。お父さんの意識を保たせたままお母さんをその手でじわじわ嬲り殺させてあげようかなぁ? それとも逆がいい? でもそれはちょっと味気ないなぁ……。

 あっ、近所の娘さん全員を孕むまで強姦させて、孕ませたら子宮を殴り壊して次に行かせる。お母さんは裸でホームレスの溜まり場に行かせて飽きるまで楽しんでもらおうかなぁ!

 結構やらせてきたけど意外と評判なんだよ? みんな最後には知らない男に抱かれるのに興奮しちゃってボクが操らなくても猿みたいに盛るんだ!

 アハ アハ アハ。そうと決まればハブを用意しとかなきゃ。キミの弾はボクの糸を断ち切っちゃうからね。切られてもすぐ繋げられるようにしとかなきゃ」

 

 父さんの口から呪詛のように並びたてられる言葉に母さんの目から涙が溢れる。蒼褪めが深いのも息苦しいだけじゃないはずだ。

 それを見て、ボクの中の何かが音を立てる。爪で引っ掻いたような耳障りな音が頭の中で響く。

 今こうして母さんが苦しまされているのはボクのせいなんじゃないか。ボクがこのクズに目を付けられなければこんなことになっていなかったはずだ。

 その思いが頭の奥で渦を巻く。

 

「どう? キミが大事にしてるモノが圧倒的な力にボロボロに壊されてく気持ちは。自分の手じゃ届かないところから大切なモノを安物みたいに破壊される気持ちは! 目の前で何もかもが終わっちゃう気持ちはどう!?

 きっと苦しいんだろうね! 悲しいんだろうね! わかるよわかるよ! こんなにも幸せな家庭で育ってきたんだもんね。自分を理解してくれる親が使い物にならなくなっちゃうもんね。

 幸せいっぱいなキミから絞り出される絶望の蜜、ほんっとうに美味しいんだろうなぁ……! ボクと同じ人種が壊れちゃうときに抱く感情の渦、味わいたかったなぁ……!」

「……」

「でも残念。キミに糸を繋げられないからそれは出来ないや。あぁ、それが出来ればボクは死んだっていいのに。ねぇねぇ、キミで遊び終わった後自殺するって約束するからさ、ボクの操り人形になってくれないかな? ちょっと脳に繋げるだけで全然痛くないからさ!」

「……」

「アハ アハ。交渉決裂かぁ。まぁいいや。キミが壊れちゃって抵抗する気もなくなったときに繋げさせてもらうよ。リアルタイムよりはシケてるだろうけど、それでも十分気持ちいいものだろうからね」

 

 喋り尽くしたからか、一息ついて垂れていた涎を乱雑に拭き取った平賀。

 

「想像したら堪らなくなってきちゃった。お父さんとお母さんに何か言い残すことはあるかなぁ?」

 

 ここまで来て、ボクの心の中にあった引っ掛かりが砕け散った。吹っ切れたと言ってもいい。

 それだけはするべきじゃないと思っていたけど、もうどうでも良くなってしまった。

 

 ボクの大切な人を傷つけるヤツは────

 

「絶対に殺す」

「アハ アハ アハハハ。どうやって? ねぇ、どうやって殺すの? ボク本体がどこにいるかもわからないのにどうやって殺すの!?」

 

 向こうで手を打ってる気さえするほどのはしゃぎよう。だが、その態度ももはや気にならなくなった。

 

「オマエの家族は生きているか?」

「はぁ? 急に何? そんなオモチャ、とっくに遊び終わっちゃったよ。あ、でも姉さんが生きてたなぁ。スポーツ選手になって頑張ってた」

「名前は?」

「アイリスでググればすぐヒットするよ。なんで?」

「後で謝っておく」

 

 ボクの胸にある全部の殺意を込めて、腕を閃かせた。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 綴の能力は《貫徹》である。

 これによって銃弾はどんな障害物をも貫通し、標的に向かって突き進む。

 

 だがそれは能力の一側面に過ぎない。

 

《貫通》ではなく《貫徹》。意味はほぼ同義だがその本質は大きく異なる。

 前者はただ物体を貫くこと自体を指すが、後者は貫く意志を指す。

 

 目的を成し遂げようとする意志の強さ。それが綴の根底にある唯一無二の能力なのだ。

 

 つまり、綴が()()()()()()と強く願う限り、その銃弾は一切の干渉を無視し標的を撃つ。喩え『空間』であろうと『時間』であろうと『運命』であろうと、何が邪魔をしても確実に貫通する。

 

 だがこれは、本来ならば言ノ葉綴という個人が星に許された分相応の干渉力──総魔力量を遥かに上回る所業であり、その能力は理論値に過ぎず到底実現し得るはずのない、いわば机上の空論だったのだが、今の綴は《魔人》という星を巡る理の外側にいる存在である。

 ただ外側にいるだけなのではなく、星の運命に対して有利な立場にいるということなのだ。

 

 ゆえに、星は綴から発せられる強烈極まりない我儘(エゴ)を受け止めざるを得ず、綴の望むかくあるべき現象を実現する。

 

 すなわち。

 

「………………ん?」

 

《解放軍》の最高幹部《十二使徒(ナンバーズ)》の一人、《傀儡王》オル=ゴール。彼こそが平賀玲泉の本体である。

 日本から遠く離れた地にある《解放軍》のアジトにいた彼はほんの僅かな、されど致命的なほど不気味な気配に顔を上げた。

 その気配に気づけたのは、彼が糸を通してあらゆる死に臨む者の感情を啜り続け、その予兆を捉えてきた邪悪な経験に他ならない。

 

 オル=ゴールが察知した刹那、彼の首に大きな風穴が空き、その勢いに彼の体が乱雑に地面に叩きつけられた。

 猛烈な勢いを受け身することすら出来ず、人体から奏でられたとは思えない重い音が部屋を木霊する。

 そして思い出したかのように後頭部から喉にかけて赤い血が吹き出し始めオル=ゴールの皮膚を伝い、血溜まりを作る。

 

 一目見ればそれが死体であると思うような現場だったが、なんと彼は辛うじて生きていた。

 

 綴の放った銃弾は対象を確実に殺すべく、人の生死を定義する部位・脳の延髄に向けて発射されたのだが、顔を上げたことによって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の着弾角度がほんの僅かにずれ、即死を免れたのだ。

 死に対する親近感と、綴と同じく《魔人》であるがゆえに《貫徹》の運命力にちょっぴりだけ抵抗出来た賜物だった。

 

 だが脳の重大な部分を損傷したことに変わりなく、

 

「あ、が……あり、めして……?」

 

 呼吸や循環器はもちろんのこと、大脳と小脳の繋がりが断たれた今、五感や言語機能、自意識すら消失した。

 心臓は動いているが脳は死んでいる。ほとんど脳死の状態に陥ったのだ。

 そんな状態で能力など扱えようもなく、オル=ゴールの天才的な精密操作で維持されていた世界中のオモチャたちが一斉に事切れた。

 そのいずれも国の運営を支える重鎮たちで瞬く間に大混乱が巻き起こるのだが、その張本人は自分が糸を手放したという意識すらない。

 混乱を聞きつけた《十二使徒》が彼の元を駆けつけ、その脳死体を見つけたのだが、脳の損傷はIPSカプセルを以てしても治療が困難な障害だ。

 

 困り果てた《解放軍》だったが、《傀儡王》の損失は組織にとってあまりにも致命的であるため、何としても機能を回復させる必要があった。

 そこである一人の医者に白羽の矢が立つことになるのだが、それはもう少し先の話。

 

 ともあれ、こうして綴は一人の命をその手で摘んだのだった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

「アハ。マジで殺せると思ってるの? それとも、あてひ、ひねしめ、ゆの、ひ? …………────」

 

 言葉にならぬ声を漏らし、ぐりんと白目を剥いた父さんが()()()()()()()()倒れた。解放された母さんが地に手をつき、痣の浮かぶ喉を抑えて激しく咳き込む。

 

「母さん大丈夫?」

「え、えぇ……」

 

 ガクガクと震える母さんに駆け寄り、背中を摩りながら倒れてる父さんを見る。

 先ほどの様子ががらりと変わって脂汗まみれの苦面で気絶しているが、胸が上下に動いているからちゃんと無事のようだった。

 そして未だに糸が伸びているがやる気がなさそうに弛んでいる。それには人の意思らしいものがないのは明らかだった。

 

「あの、綴、詠詞さんはもう大丈夫……なのよね?」

 

 怯えた表情で父さんを見やる母さん。非伐刀者の母さんからしてみれば短い間だったとはいえ、父さんが急変して狂い出したようにしか見えなかっただろう。

 

「うん。もう平気。父さんを操ってたヤツは殺したから」

 

 自分で言った一言が、嫌に耳に張り付いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話

 平賀玲泉の本体であるオル=ゴールが魔弾に倒れたのは、暁学園が破軍学園を強襲する直前のことだった。

 サラが用意した暁学園のメンバーのコピー絵たちと平賀が突如、糸が切れたように崩れ落ちたのだ。

 

「おいおい。こいつぁどうなってんだァ? ふざけてる場合じゃねェんだぞこのポンコツがよ!!」

 

 倒れてからピクリともしない平賀だったモノをガシガシ踏みつけながら悪態をつくのは多々良だ。

 彼女は裏世界の中でも闇の深い場所、暗殺稼業を生業としている雇われ暗殺者であるため、乱雑な態度とは裏腹に、契約や計画の精度には極めて敏感だ。

 今回の強襲計画は『サラがメンバーのコピー絵を作り、平賀がそれを操る』という筋書きで始まるはずだった。それが本番の始まる前にずっこけた訳なのだから頭に来ないはずがない。

 

「 誰かこのバカの本体がどこにいンのか知ってる奴はいねぇのか!? あと二分で始まンだぞ!! おい天音!」

「そんな怒鳴らなくても聞こえてるよー」

「呑気なこと言ってんじゃねぇ! テメェが()()()()()()()()こういう計画になってんだろうがッ! つまりコレも対策済みってことなんだよなァ!?」

「ん〜……対策を打つっていうか、()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだけどなぁ」

「なってねェだろうが!!」

「ボクに言われても困るよ。だってボクは願ってるだけなんだからさ。まぁ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、始まれば勝手に帰ってくるんじゃない?」

「使えねェなオイ!」

 

 あまりにも無責任な態度に怒ることすらバカバカしくなり、分厚いフードの上からガシガシと頭を掻き毟る。

 

「じゃあテメェはどうなんだお嬢さんよ。確かこのゴミを紹介したのオタクんとこだよな」

 

 投げやりにやった目の先には人ひとり丸呑み出来てしまいそうなほどの巨体の黒獅子。

 野性味溢れる鋭い眼光を寄越すその顔の根元、首に跨る飼い主・凛奈が答えた。

 

「彼奴は我が父の威光により召喚された傀儡に過ぎん。我の与り知るところではない」

「お嬢様は『平賀はお父様が連れてきたから知らないよ!』と仰っています」

 

 なにかと仰々しい言い回しをする凛奈の翻訳を務めるのは彼女のメイド・シャルロット。彼女の首には刺々しいデザインの首輪が嵌められており、それは獅子にも嵌められている。

 風祭財閥という日本の二大財閥の片割れの財団があるのだが、風祭財閥は《解放軍》と密接な関係を結んでおり、その架け橋となっているのが凛奈の父だ。また彼は獏牙と個人的な付き合いを持っているため、日本と《解放軍》とのパイプ役でもあった。

《連盟》に所属する日本の首相が《解放軍》の手駒を持っている理由はこれなのだった。

 

 ……つまり、凛奈本人は交渉ごとには全く関わっておらず、計画に参加しているのも楽しそうだからという身勝手極まりない理由なので、平賀が何者かはおろか、暁計画の意義すらも知らない始末なのであった。

 

「役立たずしかいねェのかこのチーム!!」

「もしや傀儡師は逝ってしまったのかもしれん……円環の理に導かれてな……」

「お嬢様は『もしかしたら死んじゃってたりするんじゃない?』と仰っています」

「むしろ死んでてくれ。一番の敵は無能な味方だ」

 

 グシャリと平賀の頭を踏み砕いた多々良に、もう一人のキーパーソンであるサラが声をかける。

 

「どうするの。絵を自立させることも出来るけど」

「隠しておきたいカードだが計画がオジャンになるくらいならバラした方がいいか……? まぁ、所詮アタイらの仕事は雑魚狩りだ。()()()()()()()に注意しときゃどうとでもなるだろ。それにヤベェ奴はヤベェ奴がヤってくれる。そうだろ?」

 

 多々良の投げかけに、今まで関わっていなかった王馬が瞑目を開けた。

 

「《紅蓮の皇女》はオレがやる。後は好きにしろ」

 

 それだけ言うと再び目を閉じ黙った。

 どいつもこいつも協調性のきの字もねェなと内心愚痴る多々良。

 

「あー、あと裏切り者は殺すなよ。先生(センコー)から生かして連れてこいとのお達しだ。んで、ソイツを連れてく役がこの鉄屑だったんだが、誰かやってくんねェか?」

 

 帰ってきたのは無言の空気だった。

 魔力量だけ達者なヒョロヒョロな女男にお祭り気分のお嬢様、それにべったりくっつくライオンとメイド。

 あとは致命的に運動が出来ない絵描き屋と自己中極まるお侍さんである。

 自分でやるしかないのは自明だった。

 

「……アタイが相手するはずだったヤツ、誰かヤっといてくれよ」

 

 この個人が五つ集まっただけみたいな、まさしく烏合の衆を何だかんだまとめていた平賀って実は超有能だったんじゃないかと錯覚し始める多々良であった。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 暁学園が破軍学園を強襲した瞬間、破軍学園の代表生たちは合宿の帰りのバスにいた。そして暁学園の裏切り者・有栖院凪も。

 

 このまま代表生たちを破軍学園へ連れて行き、暁学園と衝突する直前の一瞬を突いて、代表生たちの背後を刺す。それが《解放軍》の暗殺者たる自らの役目。

 アリスは『影』を操る概念干渉系能力を持っており、己の霊装を敵の影に突き刺すことで対象の一切の身動きを封じる伐刀絶技(ノウブルアーツ)影縫い(シャドウバインド)》が極めて強力だ。

 一度極まれば勝負がつく。だからこそ、その一度を確実に極めなければならない。その一度のためにアリスは破軍学園に送り込まれ、代表生となり、彼らの背中を取れる位置を獲得した。

 

 だが、アリスは今、暗殺対象である彼らに自らの正体を晒し、頭を下げていた。全ては珠雫の幸せを奪わせないために。

 一度は絶望し諦めきった、誰かを愛し慈しむという幻の当たり前。それを無垢に信じ続ける珠雫がとても尊く感じたのだ。

 縦え慈愛や道徳、倫理といった美徳とされるモノが偽りだというのが真実だとしても、この気高い少女から奪い取りたくなかった。かつての自分は奪われた側だったのだから。

 

 突然の、それも飛びすぎた暴露に一同は強く困惑し、中には本物の殺人者を前に恐怖と拒絶を示す者もいた。

 しかし全てを曝け出し精一杯の誠意で頼み込んだことと、アリスの告白が彼の立場から考えても利敵行為以外の何物でもないことが重なり、何とか信憑性と信用を勝ち取ったアリスは、逆に暁学園陣営の背を刺すことを提案し受理されたのだった。

 

 ────それが全て敵に筒抜けであることなど知りもせず。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 完全なる不意打ちを決めるはずだったのに、

 

「何をトチ狂ったのか知らねェけど、プロの暗殺者が雇用主を裏切んじゃねェよ」

 

 自分の胸に生えた、禍々しく血がこびり付いたような模様のチェーンソーを呆然と見下ろすしかなかった。

 壊れたブリキ人形のようにぎこちなく首を後ろに回せば、今目の前にいる厚着をした女がもう一人そこに居た。

 姿形もなく、背後からの一撃を極められたアリスは何とか悟る。

 裏切りは知られていたのだ。知っていて、あたかも知らないかのように振る舞い、誘い出され、デコイにまんまと踊らされたのだ。

 

「そういうのはテメェだけじゃなく他の同業者の信用にも傷が付くの知ってンだろ。死んどけカスが」

 

 怒りと侮蔑が多分に混じった声音で吐き捨てられた言葉を、アリスは聞く余裕がなかった。

 わざと肉が引っかかるように仕向けられた無数のエッジがアリスの体の中で高速回転し、死の協奏曲を奏でながら引き抜かれた。

《幻想形態》であるため死ぬことはないが、実体ならば確実に死んでいるダメージであるため一瞬でアリスの意識を断ち切った。

 

「えっ!? お、同じ人間が二人!?」

「どうなってんだこれ!?」

 

 超常現象を前に激しく狼狽する生徒会たちを無視し、自分より遥かに体の大きいアリスを肩に担ぎ上げる多々良。

 

「さてと、さっさとズラか──」

 

 独り言は首筋に走った鋭い擦過音によって阻害された。

 

「っ! 防御系の能力者か!」

「──挨拶なしに斬りかかっていいのは暗殺者だけだぜ、《落第騎士》さんよォ!」

 

 重苦しいエンジンの音とともにチェーンソーが一輝の面前を掻っ切る。

 回避させたことで強引に間合いを空け、チェーンソーを魔力の粒へと消すと

 

「後は頼んだぜ!」

 

 言うや否や脱兎の如く駆け出した多々良。大の男を抱えながらの疾走とは思えないスピードは、多々良の人体への深い造詣と類稀なる身体能力を示唆していた。

 だがそれを黙って見過ごす一輝ではない。

 

「待てッ!」

 

 追い縋るために地を蹴るが、その進路上に去って行ったはずのもう一人の多々良がチェーンソーを振り下ろして割り込んだ。

 

「くっ……全く同じ霊装……どうなっているんだ!?」

「……」

 

 姿形は完全に一致しているが、目に見えて異なるのはその表情だ。去って行った多々良は不景気そうな仏頂面をしていたが、こっちの多々良は能面のような無表情。加えて口数の多さも如実だ。

 多々良は何らかの防御系の能力者であることは決定している。つまりこの分身のような能力は他の連中の仕業に違いなかった。

 

「待ちなさい! このアマ!!」

 

 そう言って鬼の形相を浮かべ多々良の後を追ったのは珠雫だった。自分を守るために身を呈したアリスを好き勝手に罵倒して傷つけた野郎をただにして置けるはずがない。

 眼前の多々良に注意を払いながらも走る妹の周辺を警戒するが、今度は誰一人として邪魔をすることなく素通りさせてしまった。

 改めて状況を確認すれば、今この場にいる破軍学園側の人間は暁学園より頭数が多いらしく、一対多のグループが複数ある。

 

 順当に考えれば頭数が足りず珠雫を止めるのに回せないとなるわけだが、それは正しくないだろう。

 敵はアリスの裏切りを前もって知っていたはずであり、加えてわざわざ合宿帰りを狙って襲ってきたのだから、この人数じゃ役割分担が利かないのは目に見えているはずだ。

 それを承知でこの人数で挑んできたということは過剰な自信の表れか────

 

「罠か……!」

 

 瞬時に整理した一輝は再び突進する。当然多々良は身構えるが、構わず高速の三連突きを放った。

 その鋒を多々良の瞳が追いかけ、三度火花が散った。カウンターのチェーンソーによる振り下ろしを素早く躱し振り出しに戻ったように思えたが、一輝にとってそれで十分だった。

 

 三度目の正直、詰め寄る一輝をじっと観察する多々良。あわやぶつかるかといったところで刀を僅かに持ち上げる動作を捉えた多々良は、その腕に込められた力と筋肉の動き方を一瞬で読み取り、膨大な訓練と実戦経験で培われた戦闘理論で攻撃の軌跡を先読みした。

 脳天から股下にかけた兜割。その斬撃の軌跡に沿って『反射』の概念を持った結界を体表に纏わせた。

 

 そして一輝の刀が多々良の予測線を綺麗に描き────インパクトの瞬間に掻き消えた。

 

「……ッ!!??」

「遅い!」

 

 幻へと消えた刀が突きという全く別の軌跡を描いて突撃し、いともたやすく左胸の心臓を貫いた。

 

「《第四秘剣・蜃気狼》。意識とは無関係で防御する自動(オート)ではなく、君の優れた動体視力がトリガーとなる手動(マニュアル)だと分かれば、あとはそれを掻い潜るだけのことだ」

「────」

「目視と予測の折衷が甘かったね。君は正しすぎる予測に頼りすぎだ」

 

《陰鉄》を抜き意識がブラックアウトした多々良を捨て去る。

 一輝はこともなげに言っているが、実際のところは多々良の折り合いは限りなく正しかった。ただ、《蜃気狼》を見破るには更に何千何万分の一という精度が求められていたというだけだ。

 無限に広がる小数を観察しては修正してきた綴の眼によって幾度となく見破られ、研磨された一輝の技の冴えはもはや達人ですら見切れるものではなくなっているのだ。

 

 辺りを見回すとすでに交戦が始まっており、あちらこちらから剣戟の音が鳴り響く。伐刀者(ブレイザー)を能力ごと複製出来る能力者。厄介極まりない相手だが、戦闘が始まってもそれらしい能力を使っているものはおらず、また誰かが複製されているわけでもないので、その能力者のことは一旦置いておく。

 それに基本複数で一人を相手にしている上に、そのメンバーは刀華をはじめとした生徒会役員や自分以外の代表生といった粒ぞろいだ。

 自分が今するべきは孤立している珠雫の応援だ。

 

「ステラ! ここは任せた!」

 

 唯一、一輝の兄・王馬とタイマンを張っているステラが、一輝に片腕を上げるだけで応えた。

 Aランク騎士同士の衝突にFランクの自分が介入する余地などありようがない。だからこそ、この場を任せられるのはステラしかいなかった。

 ステラの威勢を信じ一輝は珠雫を追いかけ戦線を離脱した。

 その一輝を見送ったステラは、自分の愛する男の面影が重なる敵を見据える。

 

「イッキも見過ごすのね。あれじゃ張った罠なんて無いようなものよ」

 

 これに答えるは《風の剣帝》。

 

「愚弟も愚妹も、ここに居られては邪魔だからな」

「あら。高飛車なヤツだと思ってたけど、案外用心深いのね」

「オレは奴らの生き死になどどうでもいいが、貴様が奴らを邪魔に感じていては困ると言ったのだ」

「……どういう意味かしら」

「今のような遠慮をしている貴様はオレと戦うに能わん。それはここにいる木っ端どもを巻き込むと危惧しているからだろう?」

 

 あまりに傲岸な物言いにステラの口角が引き攣る。

 

「随分舐めた口を叩いてくれるわね。アタシは誰にも遠慮していないし、アンタをぶっ潰したらお仲間さんもまとめて叩き返してやるわよ!」

 

 そう啖呵を切ると、王馬は心底下らなそうに大きな溜息を吐いた。

 

「まさか貴様、()()()()()()()()()()()()()()()()でこのオレに勝てると思っているのか? オレを見くびった上での挑発なら大した煽り上手だ。御託はいらん。さっさと本気を出せ」

「言われずとも出してやるわッ! 行くわよ、《風の剣帝》!!」

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 珠雫に追いついた一輝は、縦え罠に飛び込むことになっても大切な友達を助けに行くという決意を見せた珠雫を尊重し、あらゆるリスクを承知の上で妹の願いに付き合うことにした。

『反射』と魔力放出を巧みに操っているのか、とんでもないスピードで逃げ去った多々良を追うべく道すがらバイクを借りて都市部を抜け、山道を抜けたところにひっそりと存在した暁学園本校に乗り込んだ二人だったが、すぐにその足を止めざるを得なかった。

 

 なぜなら。

 

「立ち去りなさい、光を視る者よ。どうか私にその芽を摘ませないでください」

 

 武の最果て。遥かなる頂。無限の終点。

『世界最強』がそこにいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話

 20歳にも満たない一輝だが、一般人より濃度の高い人生を歩んできて、それ相応の経験と努力を重ねてきた自負があり、それ以上の負けず嫌いである。

 たとえ何百回と負け続けても「勝てない敵じゃない。修行を続ければ必ず勝てる敵だ」と考えるほど、一輝は勝利に食い下がる。

 

 だが、そんな彼でも、一目見た瞬間に「勝てない」と思い知らされるモノがあった。

 

()()()……()()……!?)

 

 少し先に立つ白いバトルドレスを身に纏う女性。両手に対の剣を下げ無造作に立ちはだかるその存在。

 それに一輝は心の底から畏怖をした。

 

()()()()()()()()()……! )

 

 彼我の実力差はもとより、勝機の道筋を往く一歩目すら視えない常闇。一輝の照魔鏡の如き観察眼を以ってしても一切見切ることの出来ない、闇に包まれた未来。

 自分の人生における最強の敵・綴を相手にした時ですらこんな経験をしたことはなかった。

 武の極地に達したあの人を超える人がいるのか。その事実が何よりも恐ろしかった。

 

「お兄様、大丈夫ですか?」

 

 一輝が立ち止まった事により珠雫が声をかけてくる。

 珠雫は気づかない。目の前の敵が何者かに。剣気はおろか闘気すら見せず、ただそこにいるだけなのだから。仮にそれらを放っていたとしても、敵との実力差がかけ離れ過ぎていて気づけなかっただろう。

 

「わからぬ者は敵に能わず。わかる者は我に挑まず」

 

 天使の囁きのような神秘さを持つ声で発せられたその言葉が全てを表していた。

 

「ですが一宿一飯の恩がある手前、賊を見過ごす訳にもいきません」

 

 純白の魔人は一歩を踏み出した。

 

「珠雫。走るんだ」

「えっ?」

 

 一足ずつ近づいてくる『死』から目を逸らせない一輝が鋭く叫ぶ。

 

「後ろを向かず、アリスを助けることだけを考えて走るんだ」

 

 否定を許さない声音と、今までに見たことがないほど強張った表情を見て、遅れて珠雫が気づく。

 眼前の敵は暁学園のメンバーなんかと比べ物にならない敵なのだと。そして、自分がここにいれば足手まといになるのだと。

 その事実が珠雫の心の疵を嫌らしくえぐるが、今自分がここにいる理由を押し付けて蓋をした。

 

「……お気をつけて」

 

 その言葉とともに暁学園本校舎へ踵を返す。その瞬間、背後の大気が二つの斬撃によって引き裂かれる音が大きく鳴り響く。珠雫は反射的に振り向こうとする顔を必死に前へ固め全力で駆けた。

 その背を見届けたエーデルワイスは鍔迫り合いを弾き、一輝を突き放す。

 

「この程度なら防げますか」

「何とか、ですがね」

 

《一刀修羅》により蒼い光を放つ左腕で冷や汗を拭う一輝。

 一分という厳しい時間制限のあるこの技を初見相手に初手で使う。通常であれば悪手そのものだが、このエーデルワイスだけは『例外』だ。

《一刀修羅》を使って初めて戦いが成立する。強化状態で臨むのが大前提なのだ。

 その甲斐あって、この状態であれば神速の斬撃を捉えることが出来た。

 

 だが、そのことが逆に一輝に強い不信感を抱かせる。

 先の通り、一輝にはエーデルワイスが次に何を繰り出してくるか、その一手すら読めずにいる。あまりにもかけ離れた力量差。それが一輝の眼をも曇らせる。

 しかし今の一撃はどうだ。確かに一輝を以ってしても防ぐので精一杯な斬撃だったが、それでも確信を持って防ぐことが出来るレベルだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 本来であれば防御すら許されず終わっていたはずの交錯。エーデルワイスの真意を読み取るきっかけすら与えられない一輝は伏して受け入れる他ない。

 

 再び迫るエーデルワイスが無音の踏み込みと共に両の腕を振るう。

 都合十。閃光の如き斬撃が完全なる静寂のもと襲いかかる。

 

「っく!」

 

 苦しい嘆息が漏れる。が、一輝は体に刻み込まれたノウハウに従い、無音の剛剣を次々と凌ぐ。

 一刀を弾くごとに大鐘を打ち鳴らすかのような金切り音が炸裂し、その度に一輝の体が左右後方へピンポン球のように弾かれる。

 そこを追撃するようにエーデルワイスの猛攻が襲う。

 

「ぅ、ぉおおおッ!!」

 

 雄叫びをあげ、洗練されすぎた暴力を捌く。反撃に出る隙など一片もありやしない。眼前に迫る一手一手をやり過ごすことに全神経を持っていかれる。

 その脳裏で一輝は努めて冷静に現状の危機を把握する。

 今はなんとか持ち堪えているが、一撃を凌げば次の一撃を受けざるを得なくなるという負の循環に閉じ込められているのだ。荒々しい剣戟の裏に超絶的な身体技術の裏付けがあるように、暴力的な乱打は緻密な計算により全ての攻撃が次の攻撃に繋がるセットアップになっている。

 

 このまま続ければすぐに粉砕される。判断するや否や、一輝はインパクトの瞬間に体ごと腕を引き、留めた衝撃を利用して後方へ大きく弾き飛ばされた。

 何とか剣戟の嵐から脱出出来た一輝だが、《陰鉄》を握る手に電磁波を流されたような渋い痺れが疼く。これは防御が拙かったことの証左。女性らしいしなやかで華奢な細腕から発せられているとは思えないほどの馬鹿力が、とんでもなく高次元な技術と共に叩きつけられているのだ。

 

 圧倒的差を見せつけられた一輝だったが、今度こそは怯えるような真似はしなかった。

 

「はぁあああっ!」

 

 世界最強の剣士に攻め込む決意と共に《第七秘剣・雷光》を発動。《一刀修羅》を使うことで初めて使用可能となるこの技は一輝の持ちうる技の中で最速を誇る剣技だ。

 名を体で表し、青い稲妻となってエーデルワイスに肉薄した一輝は渾身の袈裟斬りを放った。

《陰鉄》は不可視となり、()()()()()()()()()。その時初めてエーデルワイスの表情に僅かな動揺が走った。

 

「ぐぅ……!」

 

 一輝の攻撃はいとも容易く弾かれたが、今の()()で頭の中の理論と体の中の経験が噛み合い、確かな手応えを覚えた。

 

「数度剣を交えただけで私の剣を盗みますか」

 

 エーデルワイスの驚愕を無視し一輝は食らいつく。

 視えないのならば視えるまで前へ進め。届かないならばよじ登れ。人より劣っている自分にはそれしか生きる道がなかったのだから。

 制限時間はもう半分を切った。その間にどれだけこの魔人から知恵を盗み己の糧に出来るか、それが勝負の分かれ目だ。

 0から100へのストップアンドゴー。連動する筋肉を全て同時に動かし、一切のロスをすることなく集約した力を剣に乗せる。

 エーデルワイスのアクション全てが無音であるのも、力のロスが完璧に削ぎ落とされているからであり、常に100%の速度と攻撃力で敵を切り刻む。

 盗んだ《比翼》の剣技を実践し、より練度を高め、この技に込められた発展性を暴き、より高次元へと昇華させる。

 まさしく快進撃。気高く飢える一輝はブレイクスルーとも言うべき指数関数的な速度で成長し続ける。

《一刀修羅》、《雷光》、《比翼》の剣技。混沌としたその全てを統合し、一輝は己の形に落とし込んだ新たな技を完成させた。最速を超える最速だ。

 

 だが。

 届かない。ここまでしても、まだ届かない。魔力、技術、剣技。己の持ちうる全てを吐き出してなお、エーデルワイスに剣技一つで猛攻をはたき落される。

 それは読みの差などではない。ただ純粋に、そして絶対的な彼我の熟練度の差がそこにはあった。

 技ひとつ取っても、この隔絶。その隔たりが重なり続ければ必然、誰の目から見てもわかる歪みが生まれる。

 

「ぁ」

 

 ズブリと、自らの土手っ腹に狂おしいほどの熱を持つ異物が差し込まれる。何度となく打ち合い、空気によって研磨されたことにより超高温を纏ったエーデルワイスの番いの剣が一本、深々と突き刺さったのだ。

 傷口から肉の焼ける悪臭と白煙が立ち上り、煮え繰り返る痛みへと変わる。

 

「終わりです」

 

 エーデルワイスが引き抜いたことにより支えを失った一輝は千鳥足で地を彷徨い、無様に座り込む。

 しかしなおその眼は爛々と輝き続け、一輝はエーデルワイスを見つめる。

 

「まだ……僕は……」

「いいえ。貴方は終わったのです」

 

 冷酷なまでに平穏な物言いでエーデルワイスに告げられる。その意味するところを理解したのは、立ち上がろうとした体が一切動かなかった時だ。

 体から立ち上っていた蒼の光は消え失せ、残っている魔力がもう底を尽いていたのだ。《一刀修羅》の制限時間である無情の一分。傷一つ付けるどころか汗ひとつかかせられない。それが一輝の敗北を知らしめた。

 

「その眼を持つだけはありますね。剣の腕もさることながら、特に迎撃が上手い」

 

 血を振り払ったエーデルワイスは霊装を消し、悠然と一輝を見下ろす。

 

「攻撃を捌き、次の一手に繋げる技術。それだけならば私にも迫るでしょう。一体誰から教わったのです?」

「親友に容赦のない人がいましてね……。常に馬鹿げた精度を求めてくるんで敵いませんよ」

 

 少しでもミスすれば即負かしにくるような相手を何百回もしてれば嫌でも上達するというもの。

 一瞬の瞬きすら許されない対戦経験がなければエーデルワイスの剣技を見切ることは出来なかっただろう。

 

「良い友を持ちましたね。大事にするのですよ」

「……僕を殺さないんですか」

 

 敵は『世界最強の剣士』にして『史上最悪の犯罪者』である《比翼》だ。

 

「最初は殺すつもりでしたが、気が変わりました」

「ならばなぜ最初の一手で終わらせなかったのですか。貴方ほどの剣士ならそれが出来たはずだ」

 

 こうして刃を交えた後ですら先が視えないのだ。人の人生全てを捧げて到達し得るであろう零を二回や三回跨いでも届かない世界にいるのかもしれない。

 そんな魔の覇者ならば、あらゆる所作を零に終えることすら可能にするだろう。それが出来ても、むしろ一輝は納得してしまうほどに、このエーデルワイスという魔人は桁違いの存在だった。

 

「それに貴女の剣技は()()使()()()()()()()()()()()()、ですよね」

「……」

 

 エーデルワイスは黙した。

 一輝の分析が正しければ、《比翼》の剣技は未熟者を相手にするための、いわば試験用(プロトタイプ)の剣技だ。

 なぜならこの剣技には()()()()()()()()()()()()しか使われていないからだ。

 もちろんマスターすれば零に至るという訳ではないが、少なくともその道の途中で必ず拾うことになる技術ばかりだ。

 零の一歩手前の技術。それを最高までに昇華して振るうのが今のエーデルワイスだ。全力はもとより、その一部すら出しているはずがなかった。

 

「賊に手加減をした理由、教えていただけますか?」

 

 確信を持って尋ねてくる一輝に、エーデルワイスは

 

「貴方の言い方には語弊がありますが、間違ってもいないところが曲者ですね」

 

 と、困ったように嘆息した。

 

「私は無駄な殺生を好みません。それが羽化を迎える蛹であれば尚のこと」

「……」

「貴方は手加減をされていると感じたでしょうが、それは正しくありません。貴方と()()()とでは()()()()()()()()()()()()()。これが比喩ではなく事実であると納得できない貴方であるからこそ、私は全力を出さないのではなく、出すべきではない」

 

 一輝は形而上的な発言に解せず眉を顰めるが、全くわからなかったわけではなかった。

《比翼》の剣技の不自然さが、今の発言に心当たりを探し当てたのだ。

 

「もしかして、()()()の先のことですか?」

 

 七星剣武祭代表生選抜戦で刀華と戦った時、ほんの僅か零の世界を覗いた一輝はそこで()()()と、その先を歩く綴を視た。

 その隔たりと、実際の綴との埋まらない差、そしてエーデルワイスの埒外の力量が彼女の言う生きる次元の違いというものに酷似しているように思えたのだ。

 

「そうです。それが視えたからこそ貴方は自らの辿るべき光が視えるのでしょう」

 

 そう言い、エーデルワイスは静かに続けた。

 

「ですから私は期待しているのです。その光が視えるまでに費やされてきた野望や渇望の強さ。そして大切な人のために死を恐れぬ高潔な魂。それがどのような実を結ぶのかを知りたい」

「だから僕を殺さない、と?」

「貴方がそれを望むなら構いませんが」

 

 慌てて首を横に振る。最初は珠雫を先に行かせ、エーデルワイスを足止めするために命を賭さなければならないと覚悟して挑んだが、それが捨てずに済む命だとわかった今変な意地を張る意味はない。

 だがそれはそれ、だ。

 

「こうしている今、アリスは捕らえられ、珠雫はヴァレンシュタインという人と戦っているんですよね。ならば僕は先に進まなければならない」

「その死に体で、ですか?」

「珠雫の望みに付き合うって約束しましたから」

 

 一輝は薄く笑い、体を這わせてエーデルワイスの隣を過ぎようとする。引き摺った跡には決して少なくない血が流れており、泥に塗れて這う姿は弱々しくあるが、それでも止めることを躊躇わせる力強い何かを感じさせた。

 

「……意志が強いというのも考えものですね」

 

 エーデルワイスはひっそりと息を吐き、一輝の前に再び立ちはだかる。

 

「恩義だけのものとはいえ、貴方を足止めするのは仕事です。ここを越えるようであれば命の保証はしません」

「そんなもの、珠雫たちはしていない」

 

 しかしここで意外な言葉が飛び出す。

 

「そうとも限りませんよ」

「……え?」

「校舎へ入っていった少女……シズクと言いましたか。あの娘は只者ではありません。ヴァレンシュタイン卿を相手取っても、少なくとも死ぬことはないでしょう」

「一体どういう意味ですか!?」

 

 エーデルワイスは初見の珠雫の姿を思い出す。彼女の体には()()()()()()()()が生じており、それが彼女自身で作ったとすると、末恐ろしいことをしでかしている可能性が高い。

 だがそんなことを魔術がからっきしであることが見え見えの一輝に言っても信じられないだろうから、何も言わずに済ませた。

 

「信じて待っていれば必ず帰ってくるということです」

 

 エーデルワイスの言葉に、やはり不信感を募らせる一輝は言葉を返す。

 

「ならばなぜ貴女は珠雫を追わなかったのですか? 仲間がやられるかもしれないんですよ」

「そこまで私がお節介をする義理はありません」

「……まるで暁学園とは無関係だと言う口振りですね」

「その通りですよ。私はこの企てのメンバーではありませんから」

 

 あっさり告げられた事実に一輝は目を丸くする。てっきり暁学園の教師陣だと思っていたからだ。

 

「言ったでしょう。暁学園には一宿一飯の恩があると。私はただの通りすがりなんですよ」

「そんな……」

「そしてその義理は果たしました。なのでこれ以上私が彼らに肩入れする理由もなければ、貴方を欺く理由もない。納得していただけましたか?」

 

 当惑する一輝を隅に、エーデルワイスはすっかり深くなった夜空を見上げた。不安そうにチラチラと瞬く星たちが世界を照らしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話

 七星剣武祭の舞台となる大阪にて。

 

「────ぁん?」

「どうした」

 

 ある魔人がその意志で運命を貫き通した時、《夜叉姫》西京寧音は顔を上げた。

 奇しくも《傀儡王》と全く同じリアクションを同時にした。綴に異変があったことに勘付いたためだ。

 

「クソが! 遂に来やがったのかよッ!」

「おい寧音! どうしたと聞いている!」

 

 共にいた黒乃の呼びかけを無視し、寧音はジェット機のような勢いで飛び去っていった。

 魔力放出と『重力』を操る能力を併用したジャンプは容易くアスファルト道路をグチャグチャに踏み砕き、突如起こった轟音と破壊の瞬間に道行く人たちが目をまん丸にしてその光景を見ていた。

 それをやった張本人はすでに遥か彼方へ行ってしまっているので、ひとまず謝罪を述べながら自身の能力で壊れた道路を修復した黒乃は溜息を吐いた。

 この手の奇行は今に始まったことではないが、今回は少し違うようであった。

 

「尋常な様子ではなかったな。アイツがあそこまで慌てること……綴か!」

 

 遂に来たと言っていたことから、()()()()()()()()()()()()()……恐らく魔人の襲撃に遭っているらしい。

 そうと分かれば自分も直ちに駆けつけようとするが、肝心の綴の居場所がわからない。

 少なくとも合宿には参加していなかったはずなので寮か自宅のいずれかだ。しかし仮に寮で襲われていた場合、破軍学園に常駐している警備員や教師陣の誰ががその異変に気付き、黒乃に連絡して来るはずだ。

 つまり綴は自宅にいる。

 

「チッ、私たちが側を離れるのを見計らったのか!」

 

 そして少し出遅れながら黒乃も走り始めた。

 

 黒乃の携帯に破軍が暁学園の手に落ちたという報せと世界が大混乱に陥っているという凶報が届くのは、この五分後であった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 わずか十分足らずで綴の自宅に到着した寧音が玄関のドアを蹴破り中に飛び込む。

 

「つづりん大丈夫か!?」

 

 そこには倒れた詠詞を介抱する綴と詩織がいた。騒々しい音とともに乱入してきた不審者が寧音だと分かると、綴はイラついたように顔を顰めた。

 

「人の家の玄関ぶっ壊したヤツが言うセリフじゃないだろ」

「んなもんくーちゃんに直させっから! それより敵は!?」

「もういないよ」

「いないって……倒したってのかい?」

「そう」

 

 綴がぶっきらぼうに返した。

 パッと見たところ傷ついているのは詠詞と詩織だけで、家の内部には血痕や破片など激しく争った痕跡はない。

 お得意の早撃ちで片付けたのだろうが、それならば倒された敵が近くにいないとおかしい。

 しかし周囲の気配を探っても見当たらないし、綴が両親の手当てをしていたということはこの場にはいないということだ。

 ひとまず出遅れたらしいとわかり、居心地悪い心境をごまかす。

 

「……状況を説明してくれ。二人の手当てはうちがやっから」

「出来るの? キミが?」

「怪我とは切っても切れない職業なんだぜ。プロなめんな」

 

 尤も、専ら怪我を負わせる側の人間なのだが。さすがに保険の授業を受けただけの学生に遅れを取るほどではない。

 

「私は大丈夫です。それよりも詠詞さんを……」

 

 青黒い痣に濡れタオルを当てる詩織に促され、気を失っている詠詞の手首に指を添えた。そして指先から波紋状に広がる魔力を周期的に発し始めた。

 

「おい、変なことしてるんじゃないだろうな」

「ただの検査さね。『重力』ってのは突き詰めれば『力』だから、そこんとこ上手く利用すれば健康診断の真似事も出来るんのよ。つづりんも高校生なんだから物理とかその辺の話はわかんだろ」

「高校じゃそこまで詳しく勉強しないよ」

「あっそ。これ時間かかっからその間に何があったか教えてくれ」

 

 綴は露骨に嫌そうにしたが、有無を言わさぬ寧音の表情に、「最初から話すと長くなるけど」と渋々話し始めた。

 

 暁学園のこと。その設立の理由から《連盟》の《魔人》として暁学園に関わらざるを得なかったこと。そこで顔を合わせた暁学園のメンバー・平賀玲泉に興味を持たれたこと。そいつが実は《鋼線使い》の《魔人》で、詠詞を操ってここに乗り込んできたこと。

 

 そして────

 

「殺した」

 

 最後の一言を吐き捨てた。そんな綴をじっと見つめる寧音。

 どこにいるかもわからない本体を、当てずっぽうにぶっ放した一発の銃弾で仕留めたと宣う綴。

 

「そいつは確かなんだな?」

「間違いないよ」

 

 空が青いことのように、論ずるまでもないと言い切った。

 その態度を見て寧音は()()()()()()()()()()と、あり得ないという疑念もろとも呑み込んだ。

 

 時空や運命をも貫き、対象を確実に撃ち抜く。《貫徹》の概念を宿す弾丸ならば、理屈の上では可能なのだろう。

 

 しかしそれがどれほど無茶苦茶な理屈であるか。

 

 まず第一に、明らかに綴の能力限界を超越している。

《貫徹》の弾丸はあらゆるものを貫くように見えて、実際は有限である。

 それは綴が無意識に()()()()()()()()()()()()()()()()と定義付けている《何か》だ。

『なぜ弾丸はリンゴを貫けるのですか?』という疑問をぶつけられた時、回答に窮する者はいないだろう。

 貫けて当たり前の物。貫くことが可能であろう物。そういった現実的な現象、いわば本人が弾丸で撃ち抜ける場面を想像できる現象に《貫徹》の概念は働く。

 本人が何一つ『こうすれば撃ち抜ける』という実感を持っていないのに、どうしてそれを『撃ち抜ける』と思えるだろうか。

 これの最たる例がまさしく話に上がった時空や運命といった、人智の及ばぬ形而上的な物だ。

『弾丸が時空を貫くなんて、リンゴを貫くのと同じように当たり前でしょ』と胸を張って答える人がいるのならば、その人は間違いなくファンダジーな絵本から飛び出てきた不思議ちゃんか、クスリをヤッちまってる人かのどちらかだ。

 あらゆる人間社会に生きていれば抱くはずのない迷信を、人間が息を吸って生きていることと同じレベルで確信しなければ出来ない芸当。

 時空や運命を《貫徹》で貫くというのはそういうことなのだ。

 

 第二に、世界の運命に対し強い主体性を持つという《魔人》の特性はそこまで便利に働くものではない。

 この特性が極まれば、少し殺気を飛ばしただけで相手の死を確定させることも出来るのは事実だ。しかしそれは彼我の間に『相対すれば死の結末は明らかである』と相互に確信するほどの隔絶した実力差がある、という極めて特殊な例に限る。加えて相手は世界の運命に縛られた者であれば抵抗の余地もないのは当然だ。

 先述の内容と被るところがあるが、やはり当人の自覚に大きく左右されるものなのだ。

 一方で今回の件はまるで違う。相手は綴と同じ、意を発するだけで行動に足る因果を結ぶ強制力を持つ《魔人》である。その上、わざわざ綴に接触しに来ていることから自らの脅威になり得ない、完全なる格下だと見ている相手だ。

 姿形はおろか声すらもわからない、どこかにいる誰かを『この一発がソイツの脳天にぶち込まれるのは疑いようのない事実だ』と無意識レベルで確信して、傷一つ付けられるはずがないと確信している《魔人》に一切の抵抗を許さず射殺する。

 もはや何を言ってるのかわからないほど荒唐無稽な過程を経ている。辻褄も何もあったものじゃない、我儘な子供が自分の思い通りにするために捻じ曲げたとしか思えない有様だ。

 

 これらの狂信を、今この場でやったと綴は言うのだ。同じ《魔人》であり何年かの付き合いがある寧音ですら妄言だと思うのだから、綴に喧嘩をふっかけた《魔人》もこんな事態想像だにしなかっただろう。

 

 それでも寧音が綴の言葉を信じたのは、初めて彼女を見たときに感じた危うさが発露したのだと直感したからだ。

 

「つづりん。初めて人を殺した気分はどうだ?」

 

 煽りとしか捉えようのない言い方で尋ねてきた寧音に、綴が容赦なく銃を顕現させ額に突き付けた。

 

「あまりボクをイラつかせるなよ。その軽口が最期の言葉になるぞ」

「こちとらマジで聞いてんだ。まぁ、答えはよぉくわかったよ。口が悪いのは育ちが悪いからでさぁ。勘弁しておくれよ」

 

 寧音はいつの間にか取り出した扇で銃口を払った。そして「これもマジな話なんだけどさ」と何の調子もなく言った。

 

「うちは気持ちよかったけどねぇ。初めて人を殺したとき」

「…………は?」

「自分の感情を、力を、誰に憚ることなく発散する爽快感。自分の力で目の前の不愉快な現実を叩き潰す痛快さ。正直癖になったよ。後悔なんて微塵も感じないくらいにな」

 

 絶句する綴と詩織を隅に寧音は話し続ける。

 

「さっきも言ったろ。育ちが悪かったって。あんたら幸せな家庭とは程遠い、とにかくヒデェ家庭だったよ。そんな抑制ばかりの日々が災いしたんか知らねぇけど、うちの性癖が歪んじまったのさ。ちと前までは性分だと思ってたけど、つづりんを見る感じどうもそうじゃねぇみたいだ」

 

 口に手を当てる詩織を一瞥した。

 

「気に食わねぇクソ親父をぶっ殺したらその一年後にお袋はうちに怯えて雲隠れ。何の枷もなくなったうちは好き放題に生きてこの有様さ。これで胸張って良い人生だって言えるんだからクズの極め付けさぁ」

 

 綴が唾を飲み下した喉に扇をピシリと突き立てた。

 

「今の話聞いてどう思ったよ」

「……キミみたいな人間には死んでもなりたくない」

「なら()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて思うんじゃねぇ。今は最低な気分になるだろうが、それも数が重なりゃ吹き飛んじまうくらい軽いもんになる。特にテメェの場合は鉄砲玉みてぇな素直さが厄介だ。あと数回ヤれば躊躇なんかしなくなるぜ」

「そんなこと────」

「テメェもそうなる。人は何にでも慣れる生き物なんだぜ。先輩の言うことは聞いとけ」

 

 寧音の言葉に言い返せない自分が堪らなく嫌になった。そのバツの悪さに綴が顔を背けるが、寧音は顎を掴んででも振り向かせた。

 

「家族を大切にするのは良いことだ。うちもお袋は好きだったからな。気持ちはすげぇわかる。だが金輪際、何があっても人殺しはすんな。うちみてぇな人間になりたくなけりゃあな」

 

 頭一つ下から見上げてくる童顔から滲み出てくる何かに、綴は初めて寧音の中に大人らしいものを見た気がした。

 ドス黒くて、吐き気を催すくらい邪悪な、普通に生きていたら知ることのなかった世のドン底。そこに頭まで浸かっているからこそ、何も知らずに足を突っ込もうとする自分を止めようとしている。

 寧音のことだから善意か気まぐれか計りかねるが、その言葉は真実であることは目を見ればわかる。

 

「もし殺したくなるくらいウザい奴が出てきたら半殺しにしてうちに引き渡せ。餅は餅屋ってな。テメェの代わりに存分に楽しませてもらっから」

 

 相変わらず一言余計だが、己の汚さを曝け出してまでも訴えてきた言葉は、今までの寧音への軽蔑の念を打ち払った。

 

「……わかったよ。今度からはそうする」

「うちに言っても仕方ねぇだろ。そいつはママさんに言いな」

 

 そう言って寧音は手を外して密かにため息をついた。

 

 綴の危うさとは、まさにこのことだった。

 一度そうと決めたら一生その道を突っ走る無鉄砲さ。霊装は魂を体現するとはよく言ったものだ。

 曲がるなんて器用なこともしないから、一度でも障害物にぶち当たるとRPGの壁に突っかかり続けるかの如く無視して走り続けるだろう。

 真っ直ぐにしか進めないのに先に進めない。そうなれば壁を無理やり壊すか自身が壊れるかの二択になり、結果は今回の件からするとおそらく前者になる。

 オル=ゴールが『人は殺さない』と『オル=ゴールを殺さないと両親を守れない』と『両親を守る』という相反する事象を突き付けた結果、エラーを吐き続けた末に導き出された答えは『両親を脅かす奴は人と見なさいので、殺しても構わない』だったのだから。今回は『両親を脅かす奴は半殺しにする』と決めさせたから良かったものの、もし突き抜けてしまっていたらどうなっていたことやら。

 

 壁がなくなるところまで突き抜けた先は、最初の善良な綴の見る影もなくなった魔性に堕ちているのは目に見えている。

 

 タチが悪いのは、仮に殺人を許容した場合、今回のように狂人でも思い至らないような思考を平然と選択して実行してしまうところにある。

 脳内で現実と全く変わらないクオリティでイメージトレーニングをしようなんて馬鹿げたことを考えて、本当に出来るようにしてしまうほどなのだ。

 

(うちとは違う道を進むとどうなるか見てみたいって気持ちもあるんだけど、こーゆーところが怖くて目を離せないってのが正直なところなんだよなぁ)

 

 両親には申し訳ないが綴は一歩踏み外せば一瞬で凶悪犯罪者になり得る側面を持っているので監視していないと何をしでかすかわかったものじゃない。

 だからこそ、今の『言ノ葉綴』に育て上げた両親を本気で尊敬しているし、死力を尽くして競い合えるライバルを持つ綴の環境を壊したくないとも思っている。

 

 自分の時にも、そんな便利な助っ人が居てくれたら────

 

「あぁもう……ッ! つづりんが絡むとすぐこうなる!! ダッセぇなぁ!!」

 

 ガシガシと力任せに頭を掻き毟る寧音を尻目に、詩織は綴に語りかけた。

 

「綴……。さっき言ってたことは、本当なのね?」

「……うん」

「そう……」

 

 非伐刀者である詩織には今日の出来事すべてが意味不明の非日常で、何がどうなっているのか何一つ理解していないし、頭の中が混乱していて言葉を出すだけでも一苦労するが、娘の言葉だけは根拠のない確信を持って理解できた。

 目の前にいない誰かが綴によって殺されたのだと。

 

 伐刀者に生まれたからには戦いは避けられない定めにあり、《連盟》の魔導騎士は脅迫犯罪者やテロリストといった絶対悪を滅ぼす責務がある。

 長く続けていればいずれは()()()()()()をしなければならない時も来るだろう。しかし実際にそれを経験する伐刀者は意外に多くない。ましてや成人すらしていない少年少女がそんな凶行に及ぶなど……。

 

 だが過ぎ去ってしまったことは仕方ない。今目の前にいるのは恐ろしい殺人者などではなく、傷ついた我が子だ。

 

「私たちを守ってくれてありがとう。苦しかったでしょうに……。あなたが私たちの娘であることを誇りに思うわ。詠詞さんもそう言うわ」

「母さん……」

「でも、撃つ時のあなた、今まで見たことないくらい怖い顔してた。あなたがあんな顔で練習していたらあの時絶対に許してなかった。この意味、わかるわね?」

「うん。もうしない」

「ならいいのよ。大丈夫、こっちにおいで」

 

 優しく抱き寄せられた綴は恐る恐る詩織の背に腕を回した。詩織が背をポンポンと撫でると、綴が堪え切れないように強く抱きしめた。

 

「父さんは操られてただけだから気にしないでね」

「わかってるわ。まだちょっと怖いけど……」

 

 そこで詠詞に視線が向いたところで「あー、仲良いとこ悪いんだけど」と寧音がげんなりした様子で言った。

 

「パパさんの体ざっと調べたけど大丈夫そーね。まぁ、うちそんなに器用じゃねぇから見落としあるかもしんねぇし、心配なら病院行きな。良いとこ紹介してやるよ」

「ありがとうございます……!」

 

 ひらひらと扇子を舞わせてみせた寧音は「さて」と綴に目を向けた。

 

「大体の話はわかった。ヤベェ案件が揃いも揃ってって感じだけど、まずつづりんの安全は確認できたからうちは今から破軍に行って暁学園とかいうヤツをぶっ叩いてくる。腐っても教師って肩書き持っちまってるからな」

「えっ、キミ破軍の教師だったの?」

「そこからかよ。始業式で紹介されてたろ」

「あんまり覚えてないけど、ひとまずキミはいなかったぞ」

「……言われてみりゃサボったような……」

 

 新宮寺さんも大変だなぁと何度目かもわからない同情を抱く綴に、「んなこたぁどうだっていいんだよ」と半ば強引に話を戻した。

 

「んで、つづりんも一緒に来るか? 首相だかに来んなって言われてるみてぇだけど」

「そんな約束知るか……って言いたいところだけど、今は父さんたちの側にいたいから後にするよ。そこにいるかもわからないしね」

「まぁいないと思うぜ。顔を出すのは暁学園が世間に知れ渡ってからだろうしな。あとわかってると思うけど、ウザい奴がいたら?」

「半殺し、でしょ。責任はボクの手で絶対に取らせてやるから寧音は先走らないでよ」

「頼まれてもしねぇよ。国の代表ヤろうと思う方がおかしいだろ」

 

 キミだからやりかねないって言ってるんだけど、と心の中で呟く。綴の中では相変わらず寧音の印象は変わらないのである。

 

「最後に、これが割と重大なことなんだけど、その平賀とか名乗ってた奴の正体に心当たりがある」

「!!」

「つづりんの話通りなら、そいつは《傀儡王》オル=ゴールって奴に違いねぇ」

「有名なの?」

「闇社会の一番深いところに根付いてるバケモンだ。噂によるとコイツに操られてる奴は十万単位で、そのほとんどが何かしらの組織の重鎮らしい」

「……確かにそんなこと言ってた気がする」

 

 怒りで頭が沸騰していたので話半分にしか聞いていなかったが、www(ワールドワイドウェブ)とか何とか言っていたのは記憶している。

 

「オル・ゴールに姉がいて、しかもあのアイリスだってのは初耳だが……そいつは後で確かめりゃいい。とにかく噂が本当なら、今頃世界中の重鎮たちがバタバタ倒れてるはずだ。マジで世界規模の混乱が起こっててもおかしくねぇ。今すぐにでも────」

 

 その時、ピピピっ! と寧音の懐から着信音が鳴り響いた。寧音は「言わんこっちゃねぇや」とぼやきながら電話をスピーカーにして繋いだ。

 

『寧音か!?』

「おう、くーちゃんの愛しの寧音さんだぜぃ」

『ふざけてる場合じゃない!! 今世界中の───!』

「重鎮たちが倒れてるって話だろ? もう知ってんよ。あと破軍が暁学園とやらに襲われてるのもな」

『お前どうしてそれを……。なら話は早いが、言ノ葉は無事だったのか?』

「だってよつづりん」

「え? あ、はい。何とか大丈夫です」

『そうか。安心した。監視役として恥じ入るばかりだが、今そちらに手を回す余裕がない。寧音、頼めるか?』

「そこらへんの話はこっちでまとまってるからだいじょーぶ。こっちが済み次第うちも向かうから精々急いでくれぃ」

『お前にしては随分と物分かりが良いな……いつもそのくらいブツッ!』

 

 寧音はひょんとした顔で終了ボタンを押して懐の中に仕舞い込んだ。綴から刺さるジト目を気にせず「そういうことで」と場を繋いだ。

 

「一応この辺り一帯に地雷仕掛けておくからチンピラくらいなら勝手に始末できるはずだ」

「おい! さらっと物騒なこと言うな!」

「その程度のトラップは二年前からそこらじゅうに張ってあるっての。住民が気付かねぇくらい静かにぶっ殺してくれる優れもんだから安心しな」

 

 そう言うと手のひらから真っ黒な蝶のようなものがワラワラと舞い上がり、玄関から飛び出していった。

 綴が詩織に目線で尋ねると、勢いよく首を横に振ってきたので、本当に住宅街に被害は出ないらしい。

 

「世界の裏側は大混乱に陥ってるだろうから十中八九魔人は来ねぇと思うけど、仮に来たら一分で駆けつけっから何とか持ちこたえてくれな」

「待って」

 

 下駄をたったかと鳴らして駆け足で言い去ろうとしていた寧音は鬱陶しそうに振り向いた。

 

「なんだよ」

「二年前からって言ってたよね。ボクの家を守ってくれてたの」

「……そんなこと言ったっけかな」

 

 いつもの軽口で口を滑らせたようなしなかったような。惚けた口調で嘯く。実際本気で惚けようとした。

 

 言ノ葉家への襲撃はかなりの頻度で行われており、寧音はその全てを粉砕しているのだが、綴に隠しているのはそれが『不特定多数の脅威を消すために、家族以外を人と見なさない』といったとんでもないトリガーになりかねないからだった。

 

 背中に嫌な汗が流れるのを感じる寧音の一方で、綴は真剣なまなざしを向ける。

 

「今回もすぐ飛んできてくれたし、たぶんボクの知らないところでたくさん動いてくれてたんだよね」

「たまたま手が空いてたから顔出しに来ただけだし、実際は出遅れてんだけどな」

「それでもいい。ボクはちょっと世間知らずなところがあるし、父さんと母さんは非伐刀者だからそういう事情に疎いから、寧音みたいなプロに気をかけてもらえるだけでも嬉しいよ」

 

 思考がヤバい方向にシフトしていないのはわかったので一安心する。

 が、今まで軽んじて接してきていた綴の態度が完全に改められていて、それはそれでやり辛さを覚える。

 別に大したことしてねぇんだけど、と内心で首を傾げながら

 

「お代は貰ってるからねぇ。その分の仕事はしねぇとな」

「お代?」

 

 振袖からすっと取り出したのは一枚のハガキだった。それを見た詩織はハッと息を呑んだ。

 

「毎度律儀に送ってこなくていいんだぜ。来なかったから放置しますなんて、さすがのうちもそんな薄情じゃないよ」

「い、いえ! そんなつもりは……!」

「冗談さね。文字を見りゃわかる。いつもありがとうよ。パパさんにもよろしく言っといてな」

 

 それだけ言うと今度こそ寧音は飛んで行ってしまった。

 

「母さん、今のどういうこと?」

「寧音さんは優しい方だということよ。ちょっと奇抜な人だけど、あなたのことを真剣に考えてくださってるわ。もう子供みたいな口を利かずに敬意を払って接しなさい」

「なるべくそうする」

 

 ちゃらんぽらんで頭がおかしくて失礼なヤツであることに変わりはないので敬意を払うことはないが、自分の先輩として信頼するべき人だと思えた。

 黒乃が何だかんだ最後に寧音に頼っているのはこういうところなのかもしれない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話

 薄暗い廃墟とも言える暁学園の校舎を馳ける珠雫は、煮え滾る怒りの片隅に、氷のように冷ややかな自分がいることを自覚していた。

 

 七星剣武祭という華やかな晴れ舞台を前に意味不明な襲撃を仕掛けてきた暁学園への怒り。大切な友達を傷付けられた怒り。またも兄の隣に立てなかった自分に対する怒り。それを『仕方ない』と受け入れてしまっている怒り。

 

 様々な要素が珠雫の神経を逆撫でする中、今自分は敵陣の最奥に一人で突入していて、その先に待ち構える賊の頭目と戦うことになる現実に臆す。耳朶に残っているある言葉を思い出す。

 

『キミ自身が納得してないのなら納得できるように自分を変えなきゃダメだろう』

 

 随分と簡単に言ってくれた言葉。それが出来れば苦労はしないと、何度も何度も悩んだ言葉。何かを変えようにも何を変えればいいのか分からない言葉。

 

 しかし、それを実現するために挑み続けているのが兄だ。ならば、その土俵に上がれてすらいない自分は、無茶苦茶でも、我武者羅でも、何かに挑まなければならないのだろう。

 

「追いついたわよ」

「あン?」

 

 地下の訓練場。埃を被った階段を下りた先に防寒着を着込んだ女・多々良と、彼女に担がれているアリスを認める。

 

「随分早ェ到着だな。アタイの足について来れる奴はそんなにいねェはずなんだが」

 

 どさりと、ダンボールを捨てるかのように意識のないアリスを傍らに降ろし「まぁ、どうでもいいけどな」と嘯いた。

 珠雫の目が鋭くなるのを余所に多々良は続ける。

 

「アタイの仕事はコイツをここに運ぶこと。後は破軍にとんぼ返りして雑魚どもを蹴散らす。これで良いんだよな? センコー」

「構わん」

 

 暗闇から投げかけられたと同時に、多々良の背後からふらりと黒い法衣を纏った壮年の男が現れた。

 

「面倒をかけたな。本来ならばオルレウス……いや、今は平賀といったか? 奴の仕事だったのだが」

「全くだぜ。本番直前で作戦変更とかマジでやめろよな。アンタもわかンだろ?」

「あぁ。奴に言い聞かせておく。行っていいぞ」

「あいよ」

 

 事務的に会話を済ませた多々良は男と入れ替わるように闇の奥へと姿を消した。獣のような野蛮な光を宿した目で地面に横たわるアリスを一瞥した後、珠雫に目をやった。

 

「小娘。なぜここまで追ってきた?」

「アリスを返しなさい」

「用件はコレか」

 

 そう言って、足元のアリスの体を足で乱雑にひっくり返した。

 

「貴様はコレの何だ?」

「大切なお姉さんよ。アリスから離れてさっさと失せなさい」

「威勢が良いな。しかし、そうか。貴様の言葉でようやく確信がいったぞ」

 

 ふっと薄い笑みを浮かべた。その笑みに色は無く、ただただ貼り付けられたハリボテのようだった。

 

「貴様は()()同じ過ちを繰り返したのだな。くだらん情なぞに絆され、ありもしない空想に縋った。この世界の真実を、何度も何度も教えてやったというのに、貴様は……ッ!!」

 

 徐々に口調が震え出し、突如男は激昂した。

 

「何故、何故! 何故だ! 何故、この私の期待を裏切ったッ!!」

「がっ! がふっ!」

 

 目をひん剥き、怒りに任せ無防備なアリスの体に足を振り下ろす。体がバウンドし、それをさらに叩きつける。何度も何度も繰り返される暴力が齎す激痛がアリスを覚醒させた。

 

「あなたは、ぐふっ! ヴァレン、シュタイン……!?」

「この私が他の何に見えるか!!」

 

 それでもなお続く狂乱に言葉を失った珠雫だが、大切な人をゴミのように扱われている現実にすぐさま「やめなさいッ!!」と怒鳴りつけた。

 その声に応じたのか、ヴァレンシュタインと呼ばれた男はドスンと足を叩きつけたきり止め、口元を震わせながら憤怒の眼差しを珠雫に突き刺す。

 

「貴様も貴様だ、小娘! この男を何も知らぬから戯けたことをぬかせるのだ!!」

 

 息を巻くヴァレンシュタインの剣幕を物ともせず……それどころか珠雫も怒りの形相を以て迎え撃つ。されどその口から流れるのは凍てついた声音だ。

 

「知ってるわ。アリスが何人もの人を殺してきた暗殺者だってことも、私たちを騙していたことも全て打ち明けてくれた」

「そこまで知っていて何故────!!」

「そんなこともわからないのね。だからこそ、情が空想だなんて言葉を吐けるのかしら。可哀想な人」

 

 珠雫は平然と宣ったが、ヴァレンシュタインの疑問はアリスこそ強く感じていた。

 親しい友が血にまみれた人の皮を被った殺人鬼だったなんて、普通の人ならば到底受け入れがたい衝撃のはずだ。仮に受け入れられたとしても、その後の関係はいつも通りにいくはずもない。少なからず負の感情を抱くはずだ。

 にも関わらず、自分を見る珠雫の目には憐れみこそあれど、侮蔑などの負の色が一切ない。

 

 フラッシュバックする、かつて愛した妹たちから向けられる恐怖と絶望で彩られた濁った目。

 あの目が、あの目こそが、この世の真実。尊敬や愛など白い雪のようなもの。泥が混ざれば瞬く間に汚される儚く脆いもの。

 所詮現世(うつしよ)は偽りだらけの夢幻。何かに情を注ぐことなど虚しいだけのはずなのに、この少女は────

 

「アリスまで不思議そうにしちゃって。アリスが大事だからに決まってるでしょう?」

 

 アリスの正体を知る前と全く変わらない親しみを湛えた翠の瞳でアリスを見つめた。

 

「もしアリスを知らない時に人殺しだって知ってたらアリスを嫌っていたでしょう。でも私はアリスがお洒落で、かっこよくて、私の悩みを真剣に聞いてくれて、一緒に悩んでくれる人だって知ってるから。たとえ過去にどんなに酷いことをしていようとも、私はアリスを見捨てたりしないわ」

「下らん……! 人の醜さを知らぬ小娘が知ったような口を利くな!!」

「人の美しさを見ようとしない人には言われたくないわね。それに人の醜いところなんて目が腐るほど見てきたわ」

 

 黒鉄家の人間。権力の奴隷になった学園関係者。人を人と思わない処遇は、ともすれば殺しよりも残酷なことだ。兄にしてきた仕打ちは万死に値する。

 そして今もなお、大切な人を物のように扱う奴が目の前にいる。

 

「最後の通告よ。アリスを返しなさい」

「先から口が過ぎるな、小娘。強者こそがこの世界のルールだ。返して欲しくば奪え」

 

 ヴァレンシュタインは背筋が凍るほどの嗜虐的な笑みを浮かべると、右手に巨大な大剣を顕現させた。

 

「アリス、これが最後の教えだ。その目にしかと焼き付けておけ。『力』に抗えばどうなるか」

 

 その言葉にアリスは察した。珠雫を、自分の目の前で殺す気だ。ヴァレンシュタインを裏切った報いを知らしめるために。

 

「逃げて、珠雫……!」

 

 伊達にこの男を師と仰いでいない。アリスは知っているのだ。隻腕になりながらも《剣聖》と呼ばれるヴァレンシュタインの力。こと戦闘において、攻守ともに並ぶ者のない伐刀絶技(ノウブルアーツ)を。

 

「コイツの能力は『摩擦』よッ! 貴女の能力は無力────ガッ!?」

 

 ドスッと背から腹にかけて衝撃が走る。数瞬遅れて体内に異物と焼けるような激痛を感じた。

 

「黙って見ていろ。すぐ終わる」

 

 乱雑に大剣を引き抜き、血の滴る鋒を床に擦らせながら珠雫に歩み出す。

 咳き込むことすら許されず悶絶するアリスは、それでも珠雫に必死の願いを目で送り続ける。

 それを受けてなお、珠雫は屹然と言い放った。

 

「強者こそルール。全く同感ね。どれだけ言葉を尽くそうと、結局は『力』の前に屈するもの」

「それを知ってなお歯向かってくるとは救えん小娘だ」

「だから私は『力』を上回る何かを手に入れる。もうなりふり構うのはやめるわ」

 

 珠雫は眼前に迫る死に目もくれず、アリスにだけ注いだ。

 

「そういう訳だからアリス、今からすることを見ても私を嫌いにならないでよね」

 

 何を意味しているのかまるでわからないアリスは呆然と眺めることしかできない。

 ヴァレンシュタインは低く笑い、

 

「別れの挨拶は済ませたか? ならば終わりだ」

 

 間合い十メートルほどの位置で左手に持つ巨大な剣を肩に担ぐように構えた。

 その構えは、《隻腕の剣聖》を知らずとも必殺の構えであることを知らしめるのに十分なものがあった。

 そして、それを熟知しているアリスは絶望に吠えた。

 

「珠雫!! 逃げて────!!」

 

 果たして振るわれるは《山斬り(ベルクシュナイデン)》。剣の接触面に発生する『摩擦』を操作することによってあらゆる防御を紙のように斬り裂く断崖の剣。

 

 空気を断つ刹那、珠雫が己を庇うように腕を突き出した。

 

 何をしようとも無駄なこと。数多の敵を剪断してきた無双の伐刀絶技(ノウブルアーツ)が、か弱い少女を無残に引き裂く────

 

「────」

 

 ────それが、ヴァレンシュタインに許された最後の自由だった。

 

「……えっ?」

 

 珠雫の死を幻視していたアリスが呆気に取られたような嘆息を漏らした。珠雫が腕を伸ばした直後、剣を振りかぶったヴァレンシュタインが石像のようにピクリとも動かなくなったのだ。

 

「き、貴様……何をした……!?」

 

 突如一切の身動きが取れなくなったヴァレンシュタインは愕然と叫ぶ。

 己の能力を熟知している故の不条理。あらゆる物理接触を逸らす事の出来る能力は、かのオル=ゴールの魔力の糸をも防ぐ。

 しかし現実は体を支配されている。この不思議の技を為しているのは間違いなく眼前の小娘だ。

 

「『摩擦』の操作。攻めに転じれば神の剣に、守りに転じれば神の盾になるのでしょうね。普通に戦えば間違いなく殺されてたわ」

 

 世界が止まったかのような静けさの中で、珠雫だけは悠然と語り始めた。

 

「けれどその『摩擦』による防御には穴がある。それは体内。体内だけは生身そのもののはず。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうでしょう?」

「……ッ!」

 

 脇に添えるように停止しているヴァレンシュタインの剣をそっと退かし、ヴァレンシュタインの喉元に指を付ける。それは『摩擦』を操る能力をも解除させられていることを示していた。

 

「お生憎様。私は水を操る能力者。自分で生み出した水だけじゃなく、大気に含まれる水分も操れるのよ。直接触らずとも、間接的にね」

「バカな!! 呼吸で取り入れた水分だけで身体の自由を奪えるはずがない!!」

「えぇ。だからその水分を伝って貴方の体内の水分全てに私の魔力を巡らせたのよ。言ったでしょう? 間接的にも操れるって」

「だとしても、人体にどれほどの水分が含まれていることか! 血液から細胞外液……果ては細胞そのものまであるのだぞ!? それら全てを制御するなど……!!」

「お陰で時間がかかったわ。この術はとても大掛かりだから大変なのよ。口を動かすのに精一杯なくらいリソースを食われるの。だから舌先三寸で時間を稼いだってわけ。ダメよ、敵と悠長にお喋りしてちゃ」

 

 何とか術中から抜け出そうと苦心していたヴァレンシュタインの耳に突き刺さる、小馬鹿にするような笑い。

 ヴァレンシュタインの全てを掌握し制御下に置いている珠雫はその悪足掻きも感知している。つまり、今のヴァレンシュタインは既に珠雫の敵ではないということだ。

 

 思わず苦悶の声が漏れる。不覚を取ったのもそうだが、珠雫の術がいかに埒外なことか。

 珠雫は簡単に言うが、時間があれば出来るような単純な術ではないのだ。水の魔術の側面、人体に作用する治療術は、言ってしまえば破損した細胞を作り直して補填しているのだから、理論上はあらゆる人体の細胞も創造・制御できる道理。

 しかしそれは人智を超えた神業そのもの。iPSカプセルが最高峰の治療であるのが証明している。カプセルですら切断された四肢を繋ぐ程度のものだ。消失した肉体を復元するのは生半なことではない。ましてや細胞レベルで生命活動をコントロールするなど、そんな神業を為し得るのは《白衣の騎士》一人しかいないだろう。

 

 あまりに高等すぎる魔術に戦慄するヴァレンシュタインをクスクスと笑い、平伏するアリスの側にしゃがみこむ。

 

「治療するわ。急所は外してあるのね、安心した」

 

 信じられないという面持ちのアリスの頭を一撫でし、あっという間に刺し傷を治してしまう。その尋常ではない治療速度に眼を見張る。

 

「珠雫……」

「練習したのよ。ちょっと危ない方法だったけど」

 

 茶目っ気たっぷりにウィンクした珠雫は「さて」と手中に収めたヴァレンシュタインに向き直る。

 

「時にオジサン。今の医学は何を土台に発展してきたかご存知かしら?」

「……人体実験か?」

「その通り。医学は科学。科学はデータ。今の医学は過去の人たちの死屍累々の上に成り立っているのよ。特に戦争をしていた頃の発展は目覚しかったそうね。そのおかげでiPSカプセルが発明されたと言っても過言ではないくらい」

 

 淡々と紡がれる言葉にヴァレンシュタインはいよいよ青褪める。

 

「貴様まさか────!!」

「ここに都合の良いモルモットがあるんだもの。使わない手はないでしょう」

「正気か!? 人体実験など世界大戦が終わってから行われていないのだぞ!! 血も涙もないのか!?」

「あら、強さこそこの世のルールだなんてぬけぬけと言う人がそんな聞こえの良い話をするなんて思いもよらなかったわ」

 

 それにね、と自分の鳩尾辺りを指差す。

 

「貴方には見えないでしょうけど、ここに歪みが出来ちゃってるのよ。思いつきでするものじゃないわね」

「な、何を言っている……?」

「使えるものは何でも使うって決めたのよ」

 

 その言葉でようやく意味を悟った。この女は既に自分の体で繰り返し実験をしてるのだ。元に戻せないくらい、何度も。

 

「お兄様の力になるためなら血も涙も捨てるわ。もちろん人は選ぶけれど」

 

 思い出すのはあの日の恐怖と後悔。満身創痍の兄を送り出した時の無力感は今でも忘れない。兄が家を去ってしまった日にあれだけ後悔したのに、二度と繰り返さないと決めていたのに。泣いて、喚いて、惑うことしか出来なかった。

 

 もう、あんな無様は晒さない。()()()()()諭されたのだから。今までの自分を変えなきゃ。

 

「《青色輪廻》」

 

 言葉と共に、珠雫の全身から魔力の輝きが迸った。直後、ヴァレンシュタインの体が文字通り弾け飛んだ。掛かるものがなくなった服がその場に落ち、無数の粒子となって散り散りになるヴァレンシュタインだったものが、煙となって集まり像を成す。

 

「っ!? ────!?」

 

 現れたのは素っ裸のヴァレンシュタイン。本人は理解の範疇を超えた事態に言葉を失っている。

 否、もはや声を上げることすら許されない。今のヴァレンシュタインは珠雫のモルモットで、この空間は珠雫の手術室になっているのだから。

 

「やっぱり完全に元通りとはいかないわね。何度か繰り返して改善点を炙り出すしかないか……」

 

 事象を吟味する研究者のように呟きながら再び術を作動させる珠雫。その様子に、アリスは驚きに染まった表情で問う。

 

「うまく飲み込めないのだけど、ヴァレンシュタインを倒した……のよね?」

「無力化したという意味ならそうね。もうアリスを連れて行く奴はいないわ。大丈夫よ」

 

 片手間に実験し続ける珠雫に引き笑いを溢す。珠雫はそれをチラリと横目で見遣った。

 

「私がこういうことするの、引いた? 」

「……正直、引いたわね」

 

 嘘偽りなくアリスは答えた。可愛い顔をしながら命を弄ぶような真似をしている光景は、さしものアリスと言えど眉を顰めるところがある。

 

「でも、それはあなたの覚悟の表れだってわかってるから、怖がったりしないわ。ずっと悩んでたものね、あなた」

 

 口にこそ出してはいなかったが、時折見せる暗い表情で珠雫の苦悩を察していたアリスは、この横暴の真意を正確に理解していた。

 この子は本気で兄の力になりたくて、そして自分を助けたかっただけなのだ。その健気な想いを無下にするなど出来るはずもない。

 その言葉に珠雫はニコリと微笑んだ。

 

「私がアリスを見捨てないのは()()()()()()()()()

「え?」

「相手を知って、共感したり感動したりしてこの人が好きだと心から思えたら、何が何でも肩を持ちたくなるものなの。倫理とか道理なんて二の次よ」

 

 清々しいほどの不遜な物言いに、アリスは胸の内に蟠っていた恐れがすくような気持ちになる。その気高いあり方がどれほど尊いものなのか噛み締めながら。

 

「あたしの手、すっごく汚れてるけど、それでもいい?」

「とても綺麗な手よ。嫉妬しちゃうくらい」

 

 そっと手を重ねた珠雫は慈愛の光を湛えた瞳でアリスを見上げる。

 

「いつもアリスに助けてもらってるばかりだもの。私にも助けさせてほしいわ」

「……っ。ありがとう、珠雫……!」

 

 咽び泣くアリスの頭を抱き寄せ、優しく撫でる。こうして《隻腕の剣聖》と《深海の魔女》の戦いは終結した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話

 世界中の重鎮が糸が切れたように倒れてから四時間後。

 

『動くんじゃねぇ!! 許可なく一歩でも動きやがったらぶっ殺す!!』

『ひっ、ひいぃぃ! な、なんだコイツら!?』

 

 静謐な病院に突如として鳴り響く暴力の音叉。杖を突く者。車椅子を曳く者。腕を包帯で吊るしている者。彼ら全てが愕然と口々に叫び出す。

 しかし非常時に対し心得を持っていた受付の者は勘づかれる前にカウンターの下に設置されている非常ブザーを起動した。それは警察へ通報するものではない。彼らより迅速に動けて、強力で、頼りになる存在へのSOS信号なのである。

 

「一体何事?」

『わかりません!! 武装した連中がこの病院を占拠したそうで……!』

 

 薬師病院の中枢・院長室へ駆け込んできた看護師の言葉に目を細めたのは薬師キリコ。齢18にして世界一の医者として知られている伐刀者だ。

 ちょうどまさに外出する支度を整えた時に舞い込んできた凶報に、忌々しそうに顔を歪める。

 

「全く。あっちこっちから呼ばれてる今来なくてもいいじゃない。こういう時だからこそかしら」

 

 全世界で同時多発した謎の昏倒の報せと共に《特別招集》を受けていたのだ。

 前代未聞の恐慌を前に嫌な予感をひしひしと感じていたキリコは密かに天を呪う。そして、一度深く瞑目して頭の中を平静にした後に、報告に来た看護師に指示を飛ばす。

 

「貴方はそこのデスクの下に身を隠して奴らの目から逃れ、外部と連絡を取りなさい。私の携帯と常に通話状態にして状況を共有して頂戴」

『わかりました。院長は……?』

「私は接待してくるわ。奴らの用事は恐らく私だから。それよりも早く。直にここに来るわ」

 

 看護師が隠れたのとほぼ同時に院長室の扉が乱暴に開け放たれた。その奥には何人もの荒くれ者が犇めいていた。

 

『薬師キリコはいるか!!』

「それは私ですが……診察でしたら受付の方で行なってください」

『この病院は我々が乗っ取った! 患者たちも全て人質に取った! 下手な事は考えるなよ……!!』

「なんですって……!」

 

 面食らったように目を剥くキリコ。内心で背後のデスクに気取られないよう注意しながら、狼狽えた仮面を被り続ける。

 

「……わかったわ。言うことを聞く。あなたたちの用件は?」

『アンタに治してもらいたい奴がいる。ソイツさえ治してくれればここには用無しだ。すぐに退いてやる』

「案内して頂戴」

『その前に!! アンタの身を検めさせてもらおうか。電話でも隠し持たれてちゃあ困るからなぁ!!』

 

 その言葉にデスクに隠れる看護師の心臓が跳ね上がる。

 ここで見つかってしまうのは非常にまずい。キリコは今現状を知った体裁でいる。通話状態の携帯電話が見つかってしまえば病院ジャックを事前に察知していたことがバレてしまい、そのことを知らせた者がいることまで知られてしまうことになる。直接知らせに来た者がいると踏んでこの部屋を捜索する可能性が生じるし、気を荒だてて人質の患者を殺し始めるかもしれない。

 しかしキリコは、

 

「ご自由にどうぞ」

 

 声音は控えめに、されど後ろめたさは微塵も感じられない自信を秘めた返答をした。

 男は背後の部下に銃を構えるように指示し、下卑た笑みを浮かべながら顎をしゃくった。素直に両腕を上げると、男は容赦なくキリコの体をまさぐり始めた。

 

『ケッケッケ……ガキのくせに立派なもんを持ってるなぁ? えぇ? 持て余してんじゃねぇのか?』

「……」

 

 男の挑発に反応せず眉一つ動かさず受け入れるキリコ。その様子に面白くなさそうに鼻を鳴らした男は隈なくボディチェックした。

 

()()()()()()()()()。そのまま俺について来い。患者に引き合わせる』

 

 無言で頷いたキリコは男たちに挟まれながら退出した。

 魔術で()()()()()()()()()()()携帯電話に施した防水コーティングで通話が切れていないことを祈りながら、少しでも情報を引き出すためにリーダー格の男に話しかける。

 

「あなたたち何者? 見たところ日本人ではないようね」

『《解放軍》と言えばわかるか?』

「ついこの間もテロを起こしていた気がするけど」

『どこのテロのことかわからねぇな』

 

 道のりが長いのと、キリコの身に盗聴器がないと自身で確かめたからだろう、存外口答えをする男にキリコは一歩踏み込んだ質問を投げかける。

 

「そう。お仲間さんが怪我をしたのもそのせい?」

 

 男はジロリと睨んで頭を振った。

 

『違う。知らねぇ間に()()()()()()()

「殺されてた……?」

『脳に弾丸がぶち込まれたみてぇなデッケェ穴が空いてんだよ。俺らにはよくわからねぇが、たぶん脳死って奴だ』

「……なるほど」

 

 医療が発達してきた今日、大概の部位の治療を行うことが出来るようになったが、脳は未だにブラックボックスであり治療は極めて困難な部位だ。優秀な水使いの伐刀者を抱えた国立病院に担ぎ込んでも経過を見ることしか打つ手が無いだろう。

 しかし、《白衣の騎士》たるキリコならばあるいは。そんな彼らの思惑は正鵠を射ていた。

 

「あなたたちの言う脳死がどの段階にあるかはわからないけれど、運が良ければ治せるわね」

『そうか……! なら安心だ』

 

 胸をなで下ろす男を見て、コイツは組織の上層部に命じられて動いているだけの下っ端であることを確信する。腹の探り合いもあったものじゃない。これならば医師会の面々とやり合っている方がまだ緊張感を持てるというもの。

 しかし患者が人質に取られていることに変わりない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、何がきっかけで人質を見張っている者へ伝わるか不明な以上、しばらくは言いなりになる他なかった。

 

「生命維持装置は着けているのかしら?」

『あぁ。だがウチの先生が言うには二度目の《暗闇の波》が観測されたとかなんとか……』

「脳細胞が崩壊し始めている状態……観測したのはいつくらい?」

『四時間くらい前だ』

「……装置を着けているとは言え、かなり厳しい状態ね」

『ほ、本当に治せるんだろうな!? 治せなかったらすみませんじゃすまねぇぞ!!』

「もちろん最善は尽くす。たとえ犯罪者だとしても私の患者(クランケ)になった以上は全力で救うわ」

 

 それが人質に取られている患者たちの安全に繋がるのならば尚のことだ。その言葉に勇気付けられたように前を向いた男は、遂にその足を止めた。

 そこは薬師病院に数ある手術室の一つだった。扉は開かれており、中には大きな装置に収められた少年と、彼を囲む三名の勤務医、その後ろに銃器を構えた男たちがいた。

 医者たちはキリコの姿を見て青ざめていた表情を和らげた。どうやら生命維持装置の繋ぎを強要されていたらしかった。

 

「ご苦労様。もう休んでいいわよ」

『あ、ありがとうございます……!』

『おい! ふざけたことをぬかすな!! 万全の状態で臨め!!』

「素人が口を挟まないでくれるかしら。ここは手術室よ。この子を助けたいのならば私の言うことを聞きなさい」

 

 先ほどまでの雰囲気が一変したキリコに気勢を呑まれる男たちに目もくれず、術を施していた医者たちに魔力を解くよう指示した。彼らの魔力がキリコの手術の邪魔になるからだ。医者たちのバトンを受け取るようにすかさず己の魔術で少年の全身を掌握した。

 

(やはり脳細胞のほとんどが崩壊してしまっている……壊死(ネクローシス)を迎えた脳の治療は初めてだけど、やるしかないわね)

 

 キリコはそっと手を少年の頭に添え、一気に魔力を解き放った。

 

「《手術(オペレーション)》」

 

 強烈な閃光が迸り、やがて少年の頭部を円形に覆っていく。外部からでは何をしているかわからない《解放軍》の男たちは固唾を飲んで見守るしかないが、服の上からでも血の流れからリンパの流れも読み取れる医者たちは己の命が危険に晒されている状況を忘れてその施術に食い入る。

 死滅した脳細胞を抽出し、分子単位までバラバラに分解。かろうじて正常な脳組織を参照しつつ数十億から成る脳細胞を一から再構成する。

 無論、この術中は頭の中は文字通り空っぽなので、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これらを同時並行で行いながら正確無比の速攻の執刀を行う。キリコと同じ水使いの伐刀者だからこそわかるその神業。自分たちが生涯を費やしても辿り着けないであろう神域の境地である。

 

 一方で、手術しているキリコは目の前の症状に強い狐疑を抱いていた。丁度後頭部から喉仏にかけた部位が何度作り直しても死んでしまうのだ。

 

(まるで()()()()()()()()()()()()と言わんばかりね。この傷を付けた人は因果干渉系の能力者だったのかしら。運命付けられていると言っても過言じゃない)

 

 何種類ものアプローチを試みているものの、その悉くが失敗に終わってしまう。こんな症状は初めてなのでさすがのキリコも面食らう。

 

(もしそうであるならば物理的に治すのはお門違いになる。おそらく傷を付けた人の方にアプローチしなくちゃダメね)

 

 高速で演算し続ける脳内の片隅に会話する程度のリソースを確保して口を動かす。

 

「確か、知らない間にやられていたって言ってたわね。その犯人は見つかったの? または犯人の心当たりは?」

『え? いや、見つかってねぇよ。心当たりは……まぁ、腐るほどあるが、少なくとも現場にはいなかったはずだ』

「どうしてそれがわかるのかしら」

『俺らのアジトに侵入して誰にも気付かれずにソイツをぶっ殺して、また誰に気付かれずに逃げおおせるなんざ《比翼》くらいしかいねぇよ。その《比翼》は当時からずっと日本(こっち)にいたことが確認しているからあり得ねぇ。だからそういうことになる』

「遠距離からの狙撃とかは?」

『ソイツがぶっ倒れてたのは窓のねぇ地下の密室だ』

「まさしく密室殺人ね」

 

 そうなると、その犯人はますます因果干渉系の能力者である可能性が高まった。

 たまたま能力発動の条件に噛み合ってしまったのか、はたまたこの少年に強い怨みを持っていたか。

 そこまではわからないが、とにかくこの少年を死の状態で確定させる力を持っていることは間違いない。

 

 気になるのは死滅し続けている部位が司る機能のほとんどが『性格』や『思考』であることだ。それ以外の機能はほぼ復元出来たのだが、この部分だけは頑なに殺され続けている。これの意味するところは果たして……。

 この少年の『性格』や『思考』は、復元できた脳組織が本来想定しているはずの働きを担う部分であるため、全体像から逆算し実態を浮き彫りしたので、どういった思想の持ち主であるかは把握している。

 しかしそれをそのまま復元するとやはり死滅してしまう。なので、実験的に全く違う『性格』や『思考』を演算する脳組織を代替品として挿入すると────

 

壊死(ネクローシス)を起こさない……!)

 

 すんなりと一つの脳として構成出来てしまったのだ。だがこれにキリコは却って頭を悩まされることになる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 頭部に強いショックを受けた場合や、心的外傷(トラウマ)により性格に歪みが生じたケースは決して珍しくないケースだ。後者は過酷なリハビリが必要になるが回復の見込みはある一方で、前者はその限りではない。脳そのものにダメージが浸透してしまっているため回復は困難だ。

 だが命あることに変わりなく、性格が変わってしまった状態でも『治療完了』として受理されることがままあるのである。

 

 だが、今回はどうだ。元の性格を完全に復元出来るという前提があるのだ。その後に厄介な問題が付き纏うだけで、これを避けるために次善策を取るか否かは患者とその関係者の考え次第だ。

 本来ならばちゃんと場を整えた所でやるべきことなのだが、そうも言っていられない状況だ。キリコは極めて慎重に言葉を選びながら男たちに問う。

 

「落ち着いて聞いて欲しいのだけど、この子の治療はほぼほぼ完了したわ」

『ほ、本当か!』

「けれど一つ問題があるの。この子の『性格』や『思考』を司る部位を完全に復元することは厳しいわ。つまり治療後のこの子は、あなたたちの知るこの子とは別人になる可能性が極めて高いわ」

『何だって!? それってどれくらい違うもんなんだ……!?』

「正反対ね。この子の本来の性格に近しいものは全て弾かれてしまうから」

『マジかよ……』

「仮に違う性格で復元した場合にも問題がある。それは記憶や思想の齟齬と、霊装の性質が変化する恐れがあるということ。前者はこの子に多大な心的ストレスを与える可能性があって、本人にとって相当な負担になるわ。後者は魂の構成要素である『性格』や『思考』が変質したことによって、どんな影響があるか私にも予測はできない」

『それは困る!! ソイツを治してほしいのはソイツの霊装があってのことだ!! そこを完璧に戻してもらわねぇと意味がねぇ!!』

 

 その言葉にキリコは一瞬目を鋭くしたが、瞑することでそれを隠した。

 

「……なら、治療法は一つしかないわ。私がこの子の脳の代わりになる」

『それには何か問題はねぇのか?』

「二つあるわ。一つは私とペアリングしていないといけない関係上、この子は私の側から離れることが出来ない。今まで通りの自由な生活は不可能ということね。二つは万が一私に何かがあった時、この子も共倒れになること。そうなったら本当に救いようがなくなるわ」

『……霊装が変になっちまうよりかはマシか。わかった。それで頼む』

 

 キリコはある患者を診て以来、能カと判断の及ぶかぎり患者の利益になることを考え,危害を加えたり己の利益を目的で治療することはしないという信念を掲げ、これを全うし続けてきた。

 この治療が果たしてこの少年のためになるのか不安は尽きないが、必ずこの少年の利益になるようにしてみせる決意と共に《手術(オペレーション)》を終了した。

 

 その数秒後、少年はゆっくりと瞼を開け、上体を起こした。

 

『おぉ……!!』

『本当に生き返りやがった……!!』

『ウチの先生が匙を投げたってのに、たった十数分で……さすが《白衣の騎士》だな……!!』

 

《解放軍》の面々から喜びの声が上がる中、当の少年は呆然と己の手を見つめ続ける。

 

「……コレが、『死』、かぁ……」

 

 掠れた声で呟いた少年は、次第に体を震えさせ始めた。カタカタと踵が手術台を叩く音が徐々に大きくなっていき、顔面を蒼白にさせ、歯茎をガチガチと鳴らしながら身を縮めこませた。

 その尋常ならざる様子に次第と《解放軍》の声が萎んでいくが、本人はお構いなしだった。

 

「頭の中がグチャグチャになって、息の詰まるような真っ黒な暗闇の中で……!! 肺と喉がずっと空気を求めて口を開けてるのに虚しく空気を入れることが出来なかった……ッ!! 手足も筋肉も動かなくて、息もできなくて、叫んで、顔をかきむしって、泣き喚いても動かなかった……!!」

 

 吐き出されるように出てくる言葉の数々が少年の恐怖を物語る。目が目まぐるしく回り、細い指が髪をめちゃくちゃにかきむしり、息が不規則に繰り返される。

 キリコがマズイと判断するよりほんの僅か。すっと混乱が止まった少年は呆然と呟く。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 次の瞬間、凄まじい閃光が少年の体の内側から放たれた。真っ白に塗り潰される視界の中で、キリコは少年とのペアリングが完全に途絶えたことを感知した。

 視界が回復した時、既に少年の姿はどこにもなかった。消えた少年の体を探そうと病院内全域に魔力を走らせたキリコは愕然と天井を見上げた。その視線の先、虚空の彼方から少年の声が響き渡る。

 

『アハ アハ アハハハ。そうだよ、そうだよ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!』

 

 狂乱の叫びの中キリコは歯を噛みしめる。

 

「待ちなさい! まだ治療は終わってないわ!」

『いいや、終わったね! キミはボクの性格を直してこの世界に生きやすくしようとしてたみたいだけど、そういう『普通』の押し付けが一番嫌いなんだ!! お前たちの『普通』は普通じゃないんだよ!!』

「押し付けじゃないわ。あなたの納得のいく形に沿うものを見つけたいのよ!」

『そうだね。ボクの性格を変えずにあの地獄から救い出してくれたんだから、確かに押し付けじゃあなかった。訂正するよ』

 

 その言葉と共に《解放軍》の連中が一様にガクンと頭を垂れて不気味に停止した。彼らの穴という穴から無数の糸が張り巡らされているのを、キリコは把握した。

 

『だからキミがボクの『普通』に寄り添おうとしてくれたお礼として、ボクも一度だけキミたちの『普通』に寄り添ってあげる。約束通りキミたちには手を出さずに立ち去るよ。本当は全部メチャクチャにしてあげたいけど、キミたちの言う優しさってこんな感じなんだろう?』

「……惜しいわね。それは脅しと言うのよ」

『アハ アハハ。そっかぁ、ボクには違いがわからないや』

 

 可笑しそうに笑う少年は心底不思議に思う。この医者ならば自分に支配されることはない。糸を潜り込ませても、そこから逆に操り返すことすら出来るだろう。自分の安全は確保出来ているのにどうしてそれを選ばないのか。他人がどうなったってどうでもいいじゃないか。

 それがわからないからボクは迫害されるんだろうなと結論づけ、操り人形たちに仰々しいお辞儀をさせた。

 

『それじゃあ凄いお医者さん。また何処かで会ったらよろしくね』

「次に会った時はメンタル診断の時か、あなたを『普通』に作り替える時よ」

 

 今回は医者として名も知らぬ少年を救ったが、今は少年の事情を知りその悪性を認めた魔導騎士の立場にある。医者でありながら騎士でもあるのは中々難しい問題なのだ。

 

『うへぇ……。なら会わないようにしなきゃね』

 

 キリコならば本当にそれが出来てしまうと身をもってわかっているからこそ、少年は心底嫌そうに呟いた。

 

 こうして世界中で同時多発した昏倒事件は解決したのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話

 暁学園による破軍学園襲撃事件は、すぐに破壊し尽くされた破軍学園本校舎の映像と共に、全国に大ニュースとして報道された。

 この未曾有の蛮行を行った暁学園を名乗るテロリストに対し、七星剣武祭運営委員会はすぐさま暁学園のメンバーの学生騎士資格刻奪も視野に入れた強力な責任追及を開始。

 誰もが彼らは厳罰に処され、逮捕、拘禁を前提とした七星剣武祭の出場禁止令が出るものだと確信していた。

 だが、暁学園の理事長を名乗る人物の登場により、状況は一変する。

 暁学園理事長として名乗りをあげメディアに出てきた中年の男の名は、月影獏牙。

 現職の内閣総理大臣、すなわちこの日本という国の最高責任者だったのだ。

 彼は責任追及の場で、謝るわけでもなければ、申し訳なさそうにするわけでもなくあろうことか清々しい笑顔で語りだしたのだ。

 国立の暁学園による七星剣武祭制覇を以て、《国際魔導騎士連盟》に支配されている現在の伐刀者養育体制を終わらせ、日本の主権を取り戻す、と。

 その演説を機に事態の流れは誰もが想像もしない方向へと展開を始める。

 警察も、司法も、全てが暁学園の蛮行に対し一切のアクションを起こさず、それどころか『破軍学園襲撃事件はただの誤報。全ては合意の上での練習試合の中で発生した事故である』という主張が、さも真実であるようにまかり通り始めたのだった……。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

「本当にすみませんでした」

 

 破軍学園襲撃事件の顛末を語った新宮寺さんに対してボクは謝った。

 もう月影との不干渉契約を守るつもりは毛頭ないけど、暁学園が明るみに出た以上、ボクの関係性は話しておかないといけない。

 ボクが知っていたのは暁学園創設の経緯とメンバーだけだ。

 テロリスト集団がどうやって大会に参加出来るんだと疑問に思っていたが、あそこまで乱暴なやり方で来るとは思ってもみなかった。

 

 後になって思えば、メンバーが名目上所属していた七つの学園の中で唯一欠けていた破軍が怪しいに決まっていた。

 月影は言っていた。ボクが参加しなくとも遂行できるよう計画を整えていると。ならば破軍にも既に潜伏させていて、それをボクに知らせなかっただけだと気付くこともできたはずだ。

 

「思想に賛同しなかった以上、計画の内容を知らせないのは当然だ。お前が責任を感じる必要はない」

 

 新宮寺さんはそう言ってくれたものの、やはり犯罪予備軍の存在を黙っていたのはダメだった。

 なぜ黙っていたかといったことを始め、ボクが今回関わった全てを白状すると、新宮寺さんは忌々しそうに顔を顰めた。

 

「難しい問題だ」

 

 ふぅ、と紫煙を吐き出して、煙草を針山のように突き立っている灰柄たちの中に突っ込んだ。

 

「確かにお前は《魔人》という極めて特殊な立場にある人間だ。相応の責任が求められることもある。しかしそれ以前にお前は学生なんだ。社会を経験していない子供に判断を求めるべき領域ではなかったのは明白だ。それをフォローしてやるのが私たち大人の役目なのだからな。

 月影先生はそれを誤魔化し、出来そうだと演出したに過ぎん。やってることは詐欺師と同じだ。お前に咎はないだろう」

「ボクはどうすればよかったんですか……?」

「どうしようもなかっただろうな。メンバーが分かっていても計画の内容がわからなかった以上、こちらに出来ることは何もなかった。仮にわかっていても、今回の騒動のように政府の力を振るって封殺してきたはずだ」

「そう、ですか」

 

 ため息をこぼしながら新宮寺さんは新しい煙草をくわえた。

 

「だが、未だに信じられん。月影先生がこんなことをするなんて……」

「先ほどから月影を先生と言ってますが、顔見知りなんですか?」

「私が破軍に在籍していた頃の理事長だった。実際に面倒を見てもらっていた時期もある。とても理知的で常に先を見据えている人物だった」

「理知的ですか。家族を人質に取って従えようとするヤツが」

「政治家になってから変わってしまったのかもしれんな。もうコンタクトを取ってくることはないだろうが、なるべく関わらない方がいい」

「言われずともそうします」

 

 父さんと母さんを傷つけた報いを受けさせた後に、だが。

 

「ともかく、よく話してくれた。事件の全貌が明確になった」

「新宮寺さんはどう思いますか? 世界の均衡がどうのとかいう話は」

「私も世情に精通しているわけではないからあくまで一個人の感想として聞いて欲しいが、筋は通っていると思う。実際に戦争が起こった場合に連盟は戦略的に大きなハンデを負うことになる。負け戦と決め付けるには早計だと思うが、鞍替えを考えるには十分な理由だ。

 しかし現実としてそれが叶うのかと言われればかなり怪しい。実利に見合わないと言った方が正しい」

 

 一旦話を区切り、ボクの顔を見た。すぐに呆れた風にため息を吐いた。

 

「自分から話を振っておいて面倒臭そうな顔をするのはどうなんだ」

「その、良いか悪いかくらいしか興味なくて……」

「善し悪しの背景も知った上で自らの意志で判断するからこそ意味がある。仕方がなかったとは言え、月影先生の言葉を丸々鵜呑みにし、思考を放棄したのも今回の騒動の一端になっている。

そういった判断の仕方を学ぶには考える以外にない。これも良い機会だ。なるべく簡潔に話してやるから聞いておけ」

 

 ぐうの音も出ない正論だった。大人しく聞く態勢を取ると新宮寺さんは満足そうに頷いた。

 

「明らかに不利な立場にいる敵が仲間に入れて欲しいと頼んで来たらお前はどうする? 素直に仲間にするか?」

「敵なんですよね? 信用できないから断ります」

「ならばソイツが敵陣営のエース的な存在だったらどうだ? つまり敵の中で一番優秀な奴が申し出てきた場合は?」

「うーん……なら受け入れます。敵の戦力を削げるので」

「良い判断根拠だ。だが信用できないという点はどうするつもりだ?」

「条件を付けるとかで制限するとか……ですかね? どういう条件をつければ良いのかわからないですけど」

「そう。今回の日本の立場がまさしくそうなんだ。日本が同盟に鞍替えするとなると絶対的に立場が悪い。幾らでも足下を見られる。後がない日本はどんな条件でも呑まざるを得ない」

「……なるほど。それで見合わないと」

 

 沈痛な面持ちでの肯定に納得せざるを得なかった。

 

「ですが、ならどうして月影は鞍替えをしようとするんです? 素直に戦った方がまだマシなように思えます」

「恐らく地理的な問題だろうな。目と鼻の先に中国があり、そのバックにロシアとアメリカが控えている。言うまでもないが、全員《同盟》だ。対して《連盟》加盟国の殆どが日本の背後にある。つまり仮に戦争が起こった場合に最も戦火に晒されやすい場所にあるんだ。

その被害は尋常なものではない。実際、先の大戦で日本が無事でいられたのも《大英雄》黒鉄龍馬と南郷先生の尽力があってこそ。今回も同じように上手くいくと考えるのはあまりに楽観的だ……」

 

 聞いたところによると、寧音は一度、冗談抜きで日本列島に風穴を開けようとしたことがあるらしい。それが《魔人》という力であり、国が総力を上げて死守する戦力だ。

 そんな奴らが全力でぶつかり合う戦争の舞台に日本が選ばれたら……。ボクでも容易に想像がついてしまう。

 

「月影先生も苦渋の決断だったのだろうな。たとえ一方的な交渉になろうとも、日本という国が存続できるのであれば構わないと」

「よくわかったんですが、なら《連盟》はどうするんです? 日本に抜けられたらすごい困りますよね? なんで見過ごしてるんです?」

「すごい困るからこそ七星剣武祭という公の場で挫こうとしているとも見える。結局のところ日本は民主主義国家だからな。国民が反対すれば総理の月影先生も引き下がらざるを得ない。逆に言えば国民さえ頷いてくれればそれで良い訳だから今回の計画も脱《連盟》の気運を煽るためだけのものにしているのだろう」

 

 段々と難しい話になってきたな。

 そんなボクの機微を目敏く察した新宮寺さんは「ざっくりとだがこれで全てだ」と言い、新しい煙草を取り出した。

 

「お前が世情に興味がないのはよく分かっているが、いずれお前は厳しい選択を迫られる立場にある。後悔のないよう良く考えておけ。相談くらいならいつでも乗ってやる」

「ありがとうございます」

「私も同じような立場にあったからな。多少は力になれる」

 

 そう言う新宮寺さんの顔はなんだか浮かない色だった。憂いか遠慮か。判然としないものだったが、それも一瞬のことで普段の厳格な表情に戻った。

 

「そういえば黒鉄の所には行ったのか?」

「え? 黒鉄君?」

 

 なんの唐突もなく出された名前をおうむ返しすると、新宮寺さんはなんて事もなしに言う。

 

「入院の必要はないと聞いているが様子を見に行くくらいはしてやったらどうだ」

「ちょっと待ってください。黒鉄君が入院ってなんですか? 全然話が見えないのですが」

 

 すると怪訝そうに眉を顰めた。

 

「破軍襲撃の詳細を寧音から聞いていないのか」

「えぇ、まぁ」

「……確かにわざわざ伝える意味もないか」

 

 ひとりごちた新宮寺さんが厳かに告げる。

 

「黒鉄が《比翼》と戦ったんだ」

「《比翼》!?」

「なんだ、それは知っているのか。なら話が早いが、彼女に手酷くやられたらしい」

「……え」

 

 想定外の通告に頭が固まる。

 黒鉄君が……負けた? 

 自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返すと、胸の内にもやっとした感覚が込み上げてきた。

 一連の響きがどうしようもない不快感を与える。自分でもよくわからない感情の発露だ。

 

「ほう。お前がそんな顔をするんだな」

「え?」

「何でもない。丁度黒鉄にも話があるから奴を呼ぶついでに行ってやればどうだ?」

「……そうします」

 

 笑みを噛み殺したような顔をしているのが不思議だが、それよりも一刻も早く彼の下に行きたい思いに駆られて理事長室を後にした。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 黒鉄君の自室に行ってみたがステラさんもいなかった。すぐ見つけられなかったことに多少の苛立ちを覚えながらも、次の当てを探りに踵を返した。

 自室にいないのならば此処だろう。その見当は当たっていた。

 人気がなく閑散とした校舎裏。いつもボクらが訓練に使っている場所に黒鉄君はいた。

 

「あれ、言ノ葉さん」

 

 一心不乱に剣を振るっていた黒鉄君がボクの気配に気付き、意外そうに目を見張った。

 びっしりと汗をかき荒い呼吸をする姿は普段の訓練中の彼と全く変わらず、それが何も隠すことがないですよと言っているようで無性に腹が立った。

 

「帰ってくるのはもう少し後……じゃなかったっけ……?」

 

 にじり寄ってくるボクの顔を見て、じりじりと言葉尻が萎んでいく。

 無言で眼前に立ち止まるとびくりと顔を引きつらせた。

 

「……なんか、怒ってる?」

「わかんない。けど良い気分じゃないのは確か」

「えぇ……」

「気持ちの整理したいから話に付き合ってよ」

「いいよ。丁度休憩しようと思ってたとこだし」

 

 黒鉄君は気を悪くすることもなく、ベンチに置いているタオルを取って腰掛けた。

 

「……ごめん。理不尽な物言いをしてるのはわかってるんだけど」

「何か理由があるんだろう?」

 

 さもありなんと一つ隣にずれた。そこにボクが座り、話の切り口を探す。

 

「さっき新宮寺さんから聞いたんだけどさ。《比翼》に負けたって話、本当?」

「本当だよ。言い訳の余地もないくらい完璧に負けた」

 

 黒鉄君はいっそ清々しいくらい簡単に認めた。しかしその表情は硬い。

 

「敵を前に怖いと思ったのは初めてだったな。こうしてる今でも嫌なイメージを拭えてない」

 

 いつもより早い時間から此処に来ていたのはそういう理由だったのか。

 黒鉄君は深く目を瞑って雑念を払うようにかぶりを振った。

 

「それがどうかしたの?」

「……それが嫌だったの」

「え?」

「キミが誰かに負けたっていうのがどうしようもないくらい嫌だ」

 

 新宮寺さんから聞いた時の印象を素直に口に出していくと、だんだんと謎の不快感に形が与えられていくようで、そのまま思いの丈を吐き出していく。

 

「ボクとキミは友達である以上にライバルでもあるんだよ? それに一番になるっていう同じ志を持って毎日僅差で競い合ってるのに。キミが負けたらボクも負けたみたいじゃん」

 

 ここまで言葉に出来ると不透明だった自分の気持ちの正体が分かった。

 

「ボクに負けるのはいいけど、ボク以外の人に負けるのは許せない」

 

 基本、ボクはボクが良ければそれ以外のことはそれでいいやと割り切って生きてきた。勿論家族や矜恃が傷付けられたら黙ってられないけど、我ながら独り善がりな性分だと思う。

 けれど、いつの間にか黒鉄君に関してはかなり敏感になってしまっていた。

 思えば出会って間もなく気を割いてたけど、黒鉄君の生き方とか考え方が好きだから応援したいという思いが強かった。他人事という認識が根底にあったのだ。

 

 それが今、明確に自分事だと捉えている自分がいる。

 黒鉄君が喜んでいるとボクも嬉しいし、傷ついていたら悲しく思う。家族や矜恃に向けている想いと同等のものを黒鉄君にも向けている訳だ。

 

 ボクが黒鉄君に求めているものは親友の関係で収まらなくなった。それ以上に、ボクと張り合える無二のライバルであって欲しい。

 だから黒鉄君が負けたと聞いた時、真っ先に悔しいと感じた。

 

 黒鉄君が目を瞬かせて僕の顔を見入る。それから気まずそうに頬を掻く。

 

「言い訳するわけじゃないんだけど、相手はあの《比翼》なんだよ? 言ノ葉さん誰だか知ってる?」

「世界で一番強い人らしいね」

「……それなのにダメなの?」

「ダメ。嫌だ」

「容赦ないね……」

 

 乾いた笑みを浮かべる黒鉄君。確かに無茶苦茶な言い分だけど、それでもボクは冗談で言ってるわけじゃない。

 

「ボクは銃使いで一番になる。そんなボクが認めた人なんだぞ、キミは。キミが勝てないのはボク一人じゃなきゃダメだ。それが出来るくらいの実力と意志がキミにはあるんだから」

「そこまで行っても言ノ葉さんには負けるのか」

「当然。ボクが一番だもん」

 

 不満そうに唇を尖らせたが、ふっと力の抜けた笑みを浮かべた。

 

「でも、そっか……。気にかけてくれたんだね、僕のこと」

「そりゃあね」

「じゃあさ、そこまで言うんだったら僕もお願いがあるんだ」

「なに?」

「零の技術を教えてよ。今度こそエーデルワイスさんに勝つためにさ」

 

 意外な内容だった。

 これまで何度となく黒鉄君と模擬戦をして訓練しあっていたけれど、それはあくまで競い合いであって、黒鉄君が綾辻先輩にしていた教導ではなかった。

 ボクはあくまで『当たらない的』が欲しいからという理由で模擬戦をしていたし、剣術なんてズブの素人なんだからそんなこと出来わけない。

 見稽古できる黒鉄君にとっては教導してもらっていたようなものだったのかもしれないが、何にせよお互いに何か教えを乞うことは一回もなかった。

 それは畑違いなものだと思っていたからかもしれないし、単に意地を張っていただけなのかもしれない。

 

 けれど、今こうして不可侵とも思えた領域に黒鉄君が足を踏み込んだ。

 その心境の変化はどこから来たのか。その答えは、耐えるように唇を引き締めて目を伏せる彼の顔にあった。

 

 黒鉄君だって《比翼》に負けたことが悔しかったに決まっているのだ。何でもない風な態度を装っているだけで、内心はボクと同じかそれ以上の遺恨を抱えているはずだった。

 だってボク以上の負けず嫌いな人なんだもん。

 自分のことで頭がいっぱいになっていたボクは、そんな当たり前のことに気づく事に遅れた。

 そう思うと畑違いがどうとか気にするのが一気に馬鹿らしく感じた。

 

「いいよ。ボクに出来ることなら」

 

 こうして約一年半の付き合いで初めて友人に物を教えることとなった。

 が、やはりと言うべきか、これが途轍もなく難しかった。

 要望の通り零の技術、つまりは早撃ちのやり方から始めたものの、いつか言った通りボクにとって足を使って歩くようなものなので感覚を言語化するのが不可能だった。

 もちろん早撃ちを体得するまでに考えて実践してきた理屈や科学はたくさんあるし、余さず全て理解しているからこそ今のボクがあるわけだけれど、それを100%正確に伝えられる言葉がない。

 なので必然的にこそあど言葉が多くなって、

 

「そこをこうしたらここがこうなるでしょ? そしたら腕だけで振ろうにも振れなくなるじゃん。だから腕を振ろうとすると勝手に体全体で動こうとするってこと」

「こう?」

「近いけど少し違うな。ちょっと体借りるよ。こことここは動かさないで、そっちは円を描くイメージで────」

 

 という感じの非常にふわっふわな説明を、解りにくいだろうなと思いつつもひたすら繰り返していた。

 黒鉄君も体の内側の動作を説明しようとするときの名状に尽くしがたい感覚を解ってくれているから根気強く付いてきてくれたけど、やっぱり上手に伝えることは出来なかった。

 

 教える立場の人間が一番四苦八苦するという奇妙な絵面は何時間にも渡り、終わりを知らせたのはボクの携帯端末のコールだった。

 

『まだ黒鉄が見つからんのか?』

「いえ、随分前から一緒にいますけど」

『ならばなぜさっさと連れ帰って来ないんだ?』

「え? 何の話です?」

『……言ノ葉お前、まさかとは思うが、私が黒鉄に話があるから見舞いついでに呼んで来いと言ったのを忘れているんじゃないだろうな?』

 

 通話越しにも伝わってくる凄まじい冷気が記憶の彼方になった新宮寺さんのお遣いを思い出させた。

 空を見上げると日が沈もうとしていた。新宮寺さんの所に行ったのは午前だったから相当な時間が経過しているらしかった。

 

『もしもし』

 

 ジュリジュリ、と今日何本目か分からない煙草が灰皿に押し付けられる音が聞こえる。

 なんでこういうことって実際に言葉にされるよりわかりやすいんだろうね。

 

「……すみません。すぐに向かわせます」

『そうしてくれ。あぁそれと、たった今お前にもしないといけない話を思い出してな。お前も私の所に来い』

「この後晩ご飯の支度があるので……」

『来い』

 

 今度は返事すら待たれずにぶち切られた。

 

 結局、七星剣武祭の初戦の相手が去年準優勝した諸星先輩に決まったことを告げられた黒鉄君の隣で、「なんで遣いの一つも覚えられないんだ」とか「要らないところだけ寧音に似るな」とか普段のストレスをまとめて吐き出されるボクなのであった。

 この人には魔人関連で普段から結構な迷惑を掛けているので、甘んじて受けた。

 

 新宮寺さんの口がいち段落付いたのを見計らって尋ねる。

 

「そういえば部屋にステラさんいなかったけど、彼女はどこに行ったの?」

 

 大概黒鉄君と一緒にいるはず……というかどちらか一人でいるのを見た事がないので、さっき黒鉄君が一人で訓練していたのはかなりレアな光景だったりする。

 何気ない世間話のつもりで振ったのだが、返ってきたのは重い沈黙だった。

 

「武者修行に出かけたよ」

 

 割れ物を扱うような慎重さで言葉を選んだらしい。凄く言いづらそうだった。

 何でそんな辛そうな雰囲気なのかわからなくて首を捻っていると、新宮寺さんが助け舟を出した。

 

「暁学園襲来の折、黒鉄と同様にヴァーミリオンもまた敵にやられたんだ」

「えっ、あのステラさんがですか? というか、あの破壊され尽くした校舎ってステラさんがやったものだったんじゃないんですか?」

 

 ニュースで大々的に取り上げられていた大火事の跡地みたいな有様だった破軍学園の校舎。メディアは『こてんぱんにやられた破軍!』みたいな感じで報道してたけれど、どう見てもステラさんが派手に暴れた跡にしか見えなかった。

 いつもの偏向報道かという認識だったのだが、二人の様子を見るに違うらしい。

 

「大体はそうなんだが、あれは抵抗の余波に過ぎない。Aランク同士の戦いにしては小さく収まった方だろう」

「ということは……」

「《風の剣帝》黒鉄王馬だ。寧音が助けに入らなければ命が危なかったそうだ」

 

 これにはビックリだ。

 あのステラさんを本当に倒せるなんて。しかも僅差とかではなく圧倒的な勝利だったらしいし、一体どうすればあの化物を叩きのめせるのか。

 

「絶対の自信を誇るパワーの勝負で力負け。その事実にヴァーミリオンは実際に受けた生傷より深く傷付いたようだ。寧音に頼み込みに行くと言って飛び出したきりだ」

「げ、なんでアイツのところに行くんだ……」

「ヴァーミリオンの知る限り一番強い騎士がヤツしかいなかったからだろう。まぁ、私もヤツがまともに物を教えられるとは思っていないんだが」

 

 寧音を非常勤講師に任命したのは新宮寺さんだったはずだが酷い言いようである。ボクも同感だけど。

「だが」と新しい煙草に火をつけながら続ける。

 

「少なくとも『闘い』のことに関しては世界で最も信じられるヤツだ。敵を打ちのめすこと、人を壊すことに関してはな」

 

 そう言って紫煙をたっぷり吸い込み、吐き出した。なんだかんだ言って一番良い選択肢だと思っているらしい。

 まぁ、ボクも寧音のアドバイスが役に立ったことあったからなぁ。それで良いのかもしれない。

 

「雑談はこれくらいにしよう。三日後に大阪行きのバスを手配する。それまでに支度は済ませておけ。特に言ノ葉、今度は忘れるなよ」

「忘れません。絶対」

「よろしい」

 

 もう説教はこりごりだからね。

 煙草臭い理事長室を後にした日暮が差し込む通路の途上で黒鉄君が声を掛けてきた。

 

「言ノ葉さんも来るの? 七星剣武祭」

「うん。会場の警備に駆り出されてね」

「へぇ……。じゃあ試合は見れない感じ?」

「キミの試合の時は空けてもらうよう頼むから大丈夫」

「そっか。なら良かった」

 

 満足そうに頷く。

 ボクとしても暁学園の動きは気になるから警備の話は結果的に役に立って良かったりする。

 

「そんな調子の良いこと言ってるけど、一回戦で敗退なんて終わり方はやめてよ?」

「わかってる。勝つよ。厳しい相手との対決は今に始まったことじゃないからね。でも残念だったな」

「なんで?」

 

 黒鉄君は口唇を歪め、自信とも苦笑とも取れる笑みを浮かべた。

 

「とっておきを使わないといけなさそうだからさ」

「へぇ」

「言ノ葉さん対策でもあるから、君を驚かせたかったんだ」

「それっていつもの訓練で使えないの?」

「使えない。というか意味がないんだ。本当に小手先の悪知恵みたいなものだから」

「むー。なんでボクに使わないんだよ」

「あはは。詳しくはお楽しみということで」

 

 雑談しているうちに寮に着き、エントランスの前に立つ。夕日がガラスに反射し緩やかに暗くなり始める。それに反応したかのように寮内の蛍光灯が点灯した。

 

「いよいよだね」

「そうだね。去年は憧れることしかできなかったのに」

「今じゃ期待の新星だもんねぇ」

 

 もう黒鉄君を見下すヤツは少ない。誰しもが認めざるを得ないところまで彼は登り詰めてきた。後はそれが頂点に届くものかどうか。

 けれどボクは確信している。黒鉄君ならそれが出来ると。

 

「七星剣王になれよ。黒鉄君」

 

 言葉はなく、黒鉄君が力強く頷いた。

 

 




寧音に似ている所→ガサツ、夢中になると他を忘れる(私の勝手な解釈)、あとガサツ(重要)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話

 とあるホテルの一室、暁学園襲来のニュースを垂れ流す小さなテレビラジオをケタケタと嘲笑う者が一人。

 

「いやぁ、めでたしめでたし。ボクがいなくても大丈夫そうで安心したよ。迷惑かけたね、王馬くん」

「オレは貴様らの事情など関知しない。月影に言え」

「それもそっか。めんどくさいからしないけど」

 

 王馬は胡乱げに瞑目していた眼差しを投げかける。

 

「くだらん話は要らん。用件を言え、平賀」

 

 グチャグチャに砕かれた面と襤褸雑巾のような有様の外套。幽衣の怒りによって破壊された『平賀玲泉』の機体がそこにいた。それを操るは肉体を霊装そのものに置換してみせたオル=ゴール。

 文字通り手足が無いので、代わりの機体を用意するのも面倒だからと壊れた機体を王馬の元へ遣わしたのだった。

 

「話を聞いてほしいなぁって思ってね」

「他をあたれ。なぜわざわざオレに言う」

「あーだこーだ口答えされるの面倒だからさ。黙って聞いてくれそうな人がキミしかいなかった」

 

 酷く投げやりで無責任な言葉に思わず呆れて溜息が出る。

 オル=ゴールとしては綴に生きていることがバレると今度こそ殺されると考えているので、綴と接触する可能性の高い計画のメンバー、とりわけ月影にバレるのは何としても避けなければならないのだが、自分と同じ『例外』と話をするという得難い機会を与えてくれた礼として、形だけ誰かに話を通しておこうと思ったのだ。

 つまり、物言わぬ壁に語りかけるのと大差ない、ただの自己満足の独り言を聞いてほしいだけなのだ。

 しかし人選は的確だ。幽衣は間違いなく激怒してままならないだろうし、サラと天音はそもそも取り付く島もない。

 お嬢様とメイドについては、単純に相手をするのが面倒そうなので論外だ。

 

 必然的に王馬しか残らないのだが、誰に対しても無関心故に取り立てて無碍にせず、主体的に月影に報告することもないと来た。実は一番理想に沿った相手だった。

 暁学園という超個性の闇鍋パーティをそれなりにまとめていたリーダーなだけあった。

 その見当通り心底鬱陶しそうにしながらも聞く態勢をとった王馬に告げる。

 

「ボク、諸事情で計画から抜けるから後は頑張ってねー。リーダーは多々良さんあたりがお勧めだよ?」

「それだけか? ならさっさと消えろ」

「ぶっきら棒だなぁ、まったく。まぁ、それはもののついででさ。本当はキミに用事があったんだよ」

「まだあるのか」

「親切なボクからチームメイトのよしみで忠告をしに来たのさ」

「……忠告だと?」

 

 上からの物言いに王馬の気が膨らむが、オル=ゴールは気に留めなかった。

 

「キミ、ステラちゃんとかいうお姫様に入れ込んでるみたいだけど、程々にしといた方が良いと思うよ」

「余計なお世話だ」

「まぁそう言わないでさ。彼女は生まれながらの《魔人》だろ? こういう手合いは突っつきすぎると何しでかすか分かったもんじゃないよ」

「見てきたような口振りだな」

「見てきたっていうか、今まさにそういうことになっててさぁ。ボクの糸が片っ端からぶっ壊され続けててもう大変なの」

 

 元の膨大な魔力量に加えて自身の肉体をも魔力源として扱えるオル=ゴールだが、今の彼のネットワークは以前の1%にまで縮小していた。

 その元凶は綴の《貫徹》。オル=ゴールという人格を持った人間を必ず殺すという意志を持った弾丸がオル=ゴールそのものとなった霊装の糸を破壊し続けているのだ。

 ほぼ全ての魔力リソースを糸の生成に回すことでようやく弾丸による破壊と糸の再生が拮抗している状態だ。少しでも緩めれば今度こそ問答無用で撃ち抜かれて死んでしまう。世界を丸々掌握できる規模の魔力量を用いてこの有様なのだから恐ろしい。

 

 自分含めてそうだが、《魔人》になるような人間は常軌を逸しているに決まっている。自分の尺度で測れる代物じゃない。

『普通』というものがわからない『例外』そのもののオル=ゴールが『例外』をも理解できないとは皮肉なものだった。

 

「キミの趣味に口を出すつもりはないけどさぁ。あんまりステラちゃんをイジメすぎると変なスイッチ入っちゃってぺちゃんこにされるよ」

 

 オル=ゴールは身をもってぺちゃんこにされ、恐怖のどん底に叩き落とされた。

 暁学園から身を引くのも綴に生きていることを知られたくないからだ。

 綴がオル=ゴールの生存を知った時、間違いなくとどめを刺しにくる。実際はそうはならないが、綴の周辺から糸を撤退させたオル=ゴールに彼女の変化を知る由もなく、綴に関するあらゆる事には近づかないと決めたのだった。

 

 どんな相手だろうと興味の赴くままにちょっかいを出していたのを、底がわかった相手にしか手を出さないようにすると決意させるほどの恐怖。

 新しい境地を見つけたことは嬉しいが、その対価が生きながらに死に続ける地獄を見るというのは割りに合わなすぎる。もう二度と味わいたくなかった。

 好奇心は猫をも殺すという諺が全てを言い表している。

 

 そんな実感の篭った忠告はオル=ゴールを知らない王馬が共感出来るはずもないが、

 

「本望だな」

 

 どちらにせよ本懐が変わらない王馬は一笑に付す。

 

「あの日以上の絶望を与えてくれるのならば、オレは喜んで逆鱗に触れよう。目醒める前に潰れるようであれば見込み違いだったに過ぎん」

「うわぁ……キミってもしかしてマゾ……? まぁ、好きにすればいいんじゃない? 忠告はしたからね」

 

 やっぱり『普通』って意味不明だなぁと的外れな感想を抱きながら壊れかけの傀儡から糸を引き抜いた。

 忌々しそうに視線を切り、瞑目する。その目蓋の裏に事件の終幕を浮かべながら。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 王馬とステラの戦いは、戦いにすらならなかった。

 相手は自分と同じAランク騎士。初手から全力で叩き潰すべきだと判断し、己が必殺の伐刀絶技《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサルティオ・サラマンドラ)》を撃ち放った。

 この一撃に対する応手で相手の力量を見極める心算のステラだったが、彼女の本気を前に王馬は、

 

「……失望したぞ、《紅蓮の皇女》」

 

 心底からの怒りを露わにし、自らの持つ最強の伐刀絶技(ノウブルアーツ)で豪炎を消しとばした。

 拮抗などなかった。魔力により剣の形に編み固められていた光熱は王馬が放った暴風に吹き飛ばされ、その後ろにいたステラを飲み込み、校舎ごと破壊し尽くした。

 圧倒的強者として名を馳せていたステラが一蹴されるというあまりの現実に敵味方問わず誰もが呆然としたが、王馬は忿怒の形相で平伏すステラに詰め寄った。

 

「世界最高の魔力量を持つ貴様の全力がこの程度だと? オレを侮辱するのも大概にしろ……!!」

 

 謂れのない怒りを向けられるよりも、無敵を誇った《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサルティオ・サラマンドラ)》を真正面から叩き潰されたことが精神に大きなダメージを与えた。

 ステラにはこの事態に対する経験がない。経験がなければ、対応も出来ない。

 暴風で綺麗になった道を悠然と歩いてくる王馬があまりに巨大に見える。完全なる上位者と認めさせられ、その荒ぶる怒気に晒されたステラは心胆を竦ませた。

 だが、ステラはそれで終われるほど矮小な存在ではなかった。

 

「この……ッ!!」

 

 ダメージにより手足は震え、怯えに身を蝕まれながらも、それらを恥だと断定し、恐怖を意地で塗り替えた。

 反撃の兆しを見た王馬は足を止め己の霊装《龍爪》を緩やかに構えた。

 そこに魔力放出で爆発的な加速を得たステラが突貫する。

 

「ハアアアアア!!」

 

 乾坤一擲。跳躍の一蹴りで背後にあった校舎の残骸を吹き飛ばし、その運動エネルギーを大剣にそのまま乗せる。

 並の伐刀絶技(ノウブルアーツ)なら歯も立たないパワー。何の小細工もない純然たる暴力。

 しかし。

 

()()

 

 眼前に《龍爪》を掲げる。

 二人の霊装が衝突し、もはや音ではなく衝撃と形容すべき戟音が物理的な質量を持って周囲一帯を殴りつける。

 

『うわああああぁぁぁ!!』

 

 Aランク騎士の異次元の戦いによって手を止めざるを得なかった両陣営は、魔力で身を守り身体を丸め、その場に辛うじて踏ん張るのが精々だった。

 それほどの衝撃の震源地である王馬は石造のように動かず、これを受け止め切った。

 苛酷極まる訓練の果てに進化した鋼鉄の筋肉のみで、真正面から堂々と。

 ギリギリと鍔迫り合いをするのはステラだけ。王馬の腕は震え一つせず押し潰す。

 鉄をも捻じ切る怪力がまるで通用しない。それがステラの心を乱暴にへし折っていく。

 

認識(せかい)が狭い」

「なん、の、ことよッ!!」

 

 悲鳴のような叫びと共に、至近距離からの火炎放射。全身から。《妃竜の罪剣(レーヴァテイン)》から。ステラを媒介としあらゆる軌道から王馬に炎を巻く。

 その有様は火葬そのものだ。一切の肉塊を焼却し灰塵と化す。仮に炎から身をかわせたとしても、炎熱により口を開くだけでも体内のあらゆる器官が焼け爛れるだろう。

 遠慮なんて欠片もない。相手の生き死になど今のステラに思慮できる余裕はなかった。

 

「虚弱な技だ」

 

 自身の周囲に竜巻を起こし、その風の刃でもって逆巻く炎の悉くを引き裂いた。

 当然、王馬の眼前にいるステラも例外ではない。

 

「キャアアっ!?」

 

 夥しい鮮血と共にステラの身体が宙を舞う。膨大な魔力から成る防御壁を容易く貫いた竜巻はそのまま天高く舞い上がり、内にある物質を切り刻む。

 台風に揉まれる凧のようにステラは弄ばれ、王馬が竜巻を解除したと同時に地面に叩き落とされた。

 

 呆気ない終幕だった。

 規模は破軍学園全土を巻き込むほどの凄まじさだが、その内容は一方的なもの。

 割り込めるはずがない。こんな異次元な戦い。輝かしい破軍の敷地はとうに消え、瓦礫という瓦礫が辺りを埋め尽くし、そこらじゅうから火の手が上がっている。

 誇張抜きで街単位を破壊し尽くしたのだ。それも、恐らく全力ではない出力で。

 その中心に立ち尽くす王馬はまさしく王者だった。

 誰もがその光景に圧倒され、動き出すことが出来なかった。

 

 ただ一人を除いては。

 

「《雷切》────!!」

 

 瞬きすら許されない刹那だった。

 王馬の真後ろから天にかけて一条の稲妻が迸る。五感を引き裂かんばかりの轟音と閃光が一帯を走り抜けた。

 この異次元な戦いに唯一ついて来れる刀華が息を潜め、一撃で決着が着く瞬間を狙っていたのだ。

 それが今。非の打ち所がない奇襲。

 

「トウカさん……」

 

 強化合宿で自分を打倒した存在の助太刀に思わず安堵の息が漏れる。

 これほど頼もしいことはない。自分が敵わなくとも、刀華なら。

 

 そんな淡い期待は、すぐに裏切られた。

 

「嘘……」

 

 奇襲を極めたはずの刀華が顔を真っ青に染めて茫然と呟く。わなわなと震える目線の先には、傷一つ付いていない王馬の堂々たる背中。

 自分の腕に跳ね返ってきた山を斬りつけたかのような感覚と合わせて、目の前のあり得ざる現実を理解する。

 

 一撃必殺を誇った《雷切》が無力にも敗れたのだと。

 

「大人しくしていれば良かったものを」

 

 ゆらりと幽鬼のように振り向いた王馬の瞳には底知れない呆れと侮蔑の色が浮かんでいた。

 刀華が隙を突けたのは当たり前の帰結だった。

 なぜなら、王馬ははなからステラ以外の存在など眼中になかったのだから。

 相手にならないのならばいてもいなくとも同じこと。

 刀華にとって隙だったとしても、王馬にとっては構う価値もない端した時に過ぎない。

 

 防御されたのならばまだわかる。そのぶん威力を殺され、本来の破壊力を発揮できなかったのだと言い訳出来る。

 だがこれはどうだ。

 この男は魔力の鎧すら纏わず生身で、無防備に必殺技を食らいながらも無傷で捨て置いたのだ。言い訳のしようがない。

 あまりの不条理。あまりの理不尽。

 その衝撃は百戦錬磨の刀華といえど、思考に空白の間隙が生まれるのも無理はなかった

 

「消えろ」

 

 一言と共に無造作な一振りを放った。

 それは王馬にとってはそうだったが、刀華にとってはそうではなかった。

 

《龍爪》の軌跡から迸った一陣の風の刃が、反応する暇すらなかった刀華の体を容赦なく突き破った。

 

「ガハッ!?」

 

 それだけに留まらず、風の勢いのまま刀華は遥か遠くまで突き飛ばされ、瓦礫に激突した。文字通り退場させられてしまった。

 格上だと信じていた刀華が赤子の手をひねるように始末された光景を見て、今度こそステラの心に絶望が満たされた。

 

 この男に敵うはずがない。心の底から認めた。認めざるを得なかった。

 

「貴様にはがっかりだ。《紅蓮の皇女》」

 

 遥か高みから吐き出された侮蔑にステラは平伏したままビクリと身を震わせた。

 怯えることしか出来なかった。一刀の元に身も心もズタズタに引き裂かれたのだ。ステラの自尊心はとっくに折れている。抵抗しようなどという反骨の意志は持ち得ない。

 何とかして体を翻し、ずるずると後ろに後ずさるステラの姿に益々怒りを募らせる王馬。

 

「自分より弱いとわかりきっている女に刃を向ける趣味はないが……、見捨てるにはあまりにも惜しい人材だ」

 

 ステラを眼下に収める王馬が無造作に彼女の首を鷲掴んだ。

 

「うぐっ!?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 そのまま足が地を離れるほど持ち上げた王馬の目を見て、ステラは混濁した意識の中でも鋭く悟る。

 今からこの男に徹底的に痛め付けられる。暴虐の限りを尽くし性根の底に恐怖と無力感を刻み付けるつもりだ。己の力ではどうしようもない敵意に晒され続け、何もかもが壊れるまで嬲るのだろう。

 その未来を確信させるものを王馬の瞳に見てしまった。

 なぜこの男に怒りを向けられているのか。なぜ自分はこんな目に遭っているのか。

 右も左も分からないステラは、ただ眼前に広がる絶望から逃れることに必死になるが、逃れようと渾身の魔力を込めて腕を掴んでも、ステラの尋常ならざる膂力を持ってすらびくともしない。

 最後の頼みの綱だった力業すらも敵わないと悟ったステラの目に漆黒の光が射した────その時。

 

「ソイツはご法度だろ、王馬ちゃん」

「!」

 

 音もなく王馬の体が遥か彼方まで吹き飛ばされた。一拍置いて凄まじい陣風がソニックブームと共に突き抜けた。

 からんと音を鳴らして着地したのは派手な和装をした女性。

 

「ネネ……先生……」

「おう。みんな大好き寧音さんだぜ。遅れて悪かったね」

 

 超音速で飛んできて王馬を蹴り飛ばしたのだ。遠くで何かに激突し砂塵を巻き上げたのを見て初めて事態を認識した。その程度のことに時間を要するほど追い詰められていた。

 恐怖から解き放たれた安堵との落差でそのまま意識を落としてしまったステラを抱きとめ、険しい表情で砂塵を見遣る寧音。

 

「《覚醒》のことを知ってるって感じだね。どこで知った」

「教える義理はない!!」

 

 一瞬の後に肉迫した王馬の野太刀を鉄扇で受け止めると、莫大な衝撃波が寧音の背後へ迸った。新幹線に撥ねられたかのような力量だ。

 ただの魔力放出による強化では説明がつかない膂力。それを見てとった寧音は、リトルリーグから姿を消し闇の道を歩んできた王馬の背景を読んだ。

 

「やれやれ。昔からやんちゃボーイだとは思ってたけどそこまで自分を追い込むかい。それとも、追い込ませる何かがあったとか」

「そうだ……! 今のオレならそれを跳ね除けられるはずだ! それに足る存在がその女のはずなんだ!!」

「だからって今のステラちゃんにそれを求めるのは時期尚早ってやつさね。力で追い込んでも大概の奴は潰れちまうもんだ」

「オレより優れた魔力を持つソイツが、オレ程度の力に屈するはずがあるかッ!!」

「今まさに潰れかかってただろうがよ」

 

 王馬から送り込まれる力をそのまま跳ね返し、両者の間に空間が生じる。

 連続して起こる面倒事に辟易し始めている寧音は苛立ちを隠さずに言う。

 

「いいかい王馬ちゃん。確かに命の危機やそれに類いする絶望感によって《覚醒》に近づくこともあるかもしれねぇ。王馬ちゃんがそうだったようにな。けどそいつは邪道も邪道、禁じ手なんだよ。誰もがそいつに向き合えるなんてわけねぇだろ。だから秘匿されてんだ」

「腑抜けた環境にいるからその女は腐り果てている。それがどれほど愚かしいことか、ぬるま湯に浸っている貴様ならわかるだろう!?」

「……わからなくもないがね。テメェの所感を他人に押し付けるのをやめろっつってんだよ」

 

《覚醒》は生半な研鑽や才覚で行き着ける領域ではない。あらゆる努力を惜しまず自分にできる研鑽の全てを尽くし、その果てに見えた可能性限界を前にしてもなお諦めずに進もうとする強烈な自己(エゴ)。それが大前提にある領域なのだ。

 王馬はそれがあったからこそ完膚なき絶望に立ち向かえたのだろうが、ステラがそうだとは限らない。魔力量の多寡が問題ではないのだから。王馬の言葉を借りるならば、ぬるま湯に浸っているからこそ、その衝撃に耐えられない可能性の方が高い。

 恐らく王馬はその前提が必要であることを知らない。その条件が自分の生き方そのものだから。

 しかも此度の蛮行は、ステラの事情を度外視してただ己の成長の足掛かりにするためだけに行っていたのだ。あまりの傍迷惑さにさすがの寧音も閉口してしまう。

 

「オレはあの絶望を超えられさえすれば何でもいい。その女が使い物にならないのならば貴様でも構わないぞ、《夜叉姫》」

「……良い加減お利口ぶるのは疲れてきたところなんだ」

 

 パチリと鉄扇を閉じるとともに空間に亀裂が入ったかのような緊張感が走る。

 あくまで自己中心的な王馬に、気の短い性分の寧音が抑えられるはずもなく。むしろよくぞここまで自重できたと自賛したい心持ちだ。

 言ノ葉綴という超弩級の爆弾の管理をしていたからかそこそこの堪忍力が養われたらしいが、それもここまで。

 クソガキ一人躾けるくらいなら文句言われねぇか、と頭の中がプッツンしたその刹那。

 

「おい! どうなってんだこりゃあよ!!」

 

 アリスをヴァレンシュタインに届けたあと、すぐこちらへ引き返してきた多々良が声を割った。場を任せていたのにいざ戻ってきたら呆然としている両陣営と、その彼らの視線の先で睨み合う王馬、そして大阪にいるはずの《夜叉姫》。

 完全に計画が破綻している現状に素っ頓狂な反応が漏れたのだ。

 

「マジでテメェらやる気ねぇだろ!? どうなってんだクソが!!」

 

 良くも悪くも場違いな多々良のお陰で緊迫した空気は白け、衝突は免れた。

《夜叉姫》という埒外が相手では分が悪すぎると判断した多々良が速やかに撤退を命じ、そうして破軍学園襲撃から端を発した騒動《前夜祭》は閉幕を迎えたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話

 小洒落た調度品が並ぶ品の良さそうなホテルの一室。

 

「ふむ。中々似合っているじゃないか」

「なんだか落ち着かないですね」

「初めての礼装なんてそんなものだ。何度か着ればすぐ慣れる」

 

 いつもの黒い男装で嘯く新宮寺さんに倣うように、ボクもまた同じような黒のスーツを着込んでいた。

 破軍学園から出たバスに揺られて数時間で到着した関係者用の宿舎に案内されたボクは、一応警備員という建前があるので新宮寺さんに手配してもらった礼装を試着していたのだった。

 複数用意してもらったけれど、どれも大人の真似をした子供感が拭えないので適当なものを選んでおいて、早速持ってきた射的の的をセッティングする。

 

「……本気だったのか」

「当たり前じゃないですか」

 

 暁学園の件があるとは言え、結局のところ七星剣武祭の大半にボクは関われないので、どうせ暇な時間が多くなる。暇潰し兼日課のための射的は欠かせないに決まってるじゃないか。

 

 新宮寺さんがこめかみに指を添えて嘆息した。

 

「動き回られるよりはマシか」

 

 ボクを手のかかるペットかのようにぼやく。

 まぁ、元々ここに来た理由は新宮寺さんの目の届く所に居るためだし、あながち間違ってないのかもしれない。

 ということで、もちろんボクと新宮寺さんは同室にあてがわれてるし、警備のシフトもつきっきりだ。

 

 今日は大会開催の二日前だが当然のようにシフトが入ってるので面倒くさいことこの上ない。何とかして隙間時間を作れないかとシフト表とイベント詳細を見比べっこしていると、懐かしい文字列を見つけた。

 

「立食パーティか……」

 

 七星剣武祭運営委員会が代表生を招待して開く催し物だ。

 大会当日に近づくにつれて会場周りの交通機関が混み合ってくるので、遅刻しないように選手は基本数日前に現地入りすることが推奨されている。

 なので七星剣武祭が始まるまでの英気養いだったり他校の選手との交流が目的で行われている。

 

 去年ボクも東堂先輩たちと一緒に参加したのを覚えてる。

 専ら《雷切》で有名な東堂さんに注目が集まるばかりで、無名の一年生だったボクは好奇な目で遠巻きに眺められただけだったけどね。

 

 ともかく、その立食パーティの時間にシフトが入っていなかった。

 

「なんだ、それに参加したいのか?」

「ダメですかね?」

「招かれているのは代表生だけだったはずだろう」

「ですよねぇ……」

 

 部外者立ち入り禁止。当然の話だった。

 せっかくの暇潰しが……と落胆していると、新宮寺さんが何となしに続けた。

 

「だが受付に話を通せば入れさせてくれるんじゃないか?」

「何でですか?」

「私が学生の時に参加した立食パーティでは先代の《七星剣王》が激励にいらしていた。彼はOBだったが、開催まで気力を持て余している選手たちの良い刺激になると運営は考えたのだろう。何十年も前の話だが、多少の融通は利かせてくれるはすだ」

「おぉ。それは良いですね」

「それに運営はお前に負い目もあるしな」

 

 付け足された言葉にハッとなる。

 そうじゃん。そもそもボクが代表生になれなかったの運営の身勝手のせいじゃん! なんでボクが遠慮しなくちゃいけないんだよ! 

 途端にムカムカしてきたが、もう過ぎた事だから仕方ない。

 

「話は私が通しておこう。私も用事があるからな」

「新宮寺さんも参加するんですか?」

「顔を出す程度だ。もしかしたら先生に会えるかもしれない」

「え……? 月影がいるんですか!?」

 

 聞き逃せない話だ。ヤツには大きな借りがある。このままなあなあに済まされてたまるものか。

 ボクの食いつきっぷりに察したのか、新宮寺さんが険しい顔になる。

 

「もう先生に関わるなと言っただろう」

「家族が被害に遭ってるんですよ。黙ってられる訳ないじゃないですか!」

「だが……」

「月影は約束を破った。その落とし前は必ず付けさせます。これは譲れません。それが終わればヤツに用はありません」

 

 頑として引かないボクに渋々ながらも「わかった」と了承してくれた。

 

「ただし暴力沙汰は起こすな。腐っても相手はこの国の長だ。どれだけお前に正当性があっても面倒が増えるだけだ。お前も話を拗らせたくないだろう」

「……」

 

 月影を前にした時気持ちを抑えられるか不明だったので了承はしなかった。

 新宮寺さんは大きな溜息を吐いた。

 

「私も同伴する。ブレーキはこちらで掛ける。それでいいな」

「……わかりました」

 

 不承不承頷いた。

 話がついたところでポケットから煙草を取り出し咥えようとして、思い出したように仕舞い直した。

 

「ここではおちおち煙草も吸えん。少し早いが仕事に出るぞ」

「はい」

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 退屈な見回りを淡々とこなし時が進むこと数時間。立食パーティが始まる午後六時になった。

 パーティはボクらが泊まっているホテルとは別の、代表選手たちの宿舎であるホテルの屋上にあるレセプションルームで行われる。

 エレベーターで最上階まで登ると、二人のボーイが自然な笑顔で出迎えた。

 

「破軍学園の新宮寺黒乃様ですね。お待ちしておりました」

「連れもいるのだがよろしいだろうか」

 

 そこでボーイが隣のボクに体ごと向き直り、驚いたように目を開いた。

 

「言ノ葉綴様でいらっしゃいますか」

「選手たちを激励したいそうだ。構わないか?」

「えぇ、はい。そういった方は多くいらっしゃいます。ではご案内致します」

 

 臙脂色のカーペットに従い、前方にある扉の隣の部屋に通された。去年はエレベーターから出てすぐの部屋だったので、恐らくこっちは関係者用の会場なのだろう。

 中を見ると予想通り、壮年の大人たちが仰々しく会釈をしながら挨拶を交わしていた。

 新たな入場者に視線をこちらに向けた彼らは、子供であるボクの姿を見て一様に騒めいた。

 

 その中で一人、静かにボクを見詰める男。

 

「月影……!」

 

 食いしばった口の中でこだました。ボクの声に反応したわけではないだろうが、そのタイミングで月影はボクたちの前に歩み出てきた。

 

「言ノ葉君。それに滝沢君。久しぶりだね」

「今は新宮寺です。先生」

 

 ボクが何かを言う前に、庇うように前に出て答えた新宮寺さん。

 月影は「あぁ、そうだった。すまない」と訂正した。

 それから月影はボクに顔を向けた。皺はさらに深く刻まれ、厳かに目を伏せた。

 

「君たちがここに来た理由は十分理解している。私もそれに応じる用意があるが、ここは邪魔が多い。場所を移させてもらえないか」

 

 新宮寺さんに判断を求めると、頷いて答えた。

 

「私も同席することが条件です」

「無論だ。新宮寺君にも話があるのでね。では移動しよう」

 

 逃げも隠れもせず、かといって開き直っているわけでもなく。ボクと新宮寺さんに対し非を感じ、ボクらの非難を受け止めようとしている。

 先程まで自分がいた集団に軽く手を上げ、先導する月影の心胆が読めない。

 コイツは平気な顔で人の家族を人質に取ったり、テロリストを使って生徒たちを襲わせるようなヤツだ。今こうしているのも演技で、何処かに誘い出そうとしているんじゃないのか。

 新宮寺さんも探っているのか、苦々しく顔を顰めている。

 

 歩いてすぐのところにあった無人の喫煙所に連れて来られると、月影はすぐに頭を深く下げた。

 

「まずは謝罪を。言ノ葉君、貴女のご家族に深刻な被害を及ぼしてしまい本当に申し訳ない」

「よくもぬけぬけと……! オマエが命令したんだろ!! あんなクズを使って、人質に取れと!!」

 

 文字通り人が変わってしまった父さん。首を締められ青褪める母さん。そして不快な言葉を喚き散らす平賀。

 脳裏に過るだけで怒りが煮え滾るようだ。喉の震えるがままに叫ぶと、月影は姿勢を正し、どこまでも真剣に応対する。

 

「それは断じて私の意志ではなかった。この計画は日本という国と国民を守るために行っている。その国民を傷つけることなどあり得ない。平賀玲泉には伝言を頼んだのみだった」

「そんな口先だけの話を信用できると思うのか!? テロリストを使ってクーデターを起こした人間の言葉を!」

「信じてもらおうとは思っていない。だが、理由がなんであれ、真実として私は貴女との約束を反故にしてしまった。全ての過失の責は私にある。如何なる処罰でも甘んじて受けるつもりだ」

「……ここで死ねと言われてもか?」

「おい!」

 

 新宮寺さんが咎めたが、それを止めたのは月影だった。

 

「そのつもりだ……と言いたいが、それは出来ない。私の首は使命を果たすために必要なもの。だからこれで勘弁願いたい」

 

 月影は左手をスーツの内ポケットに、もう片方を背後に回した。

 果たして抜き出されたのは、鈍い光沢を放つ黒のハンドガンと細長い消音器だった。

 素早く反応した新宮寺さんが二丁拳銃を顕現させ構えた。

 月影はゆっくりと首を横に振る。

 

「護身用に携帯してはいるが、恥ずかしながら初めて使うものでね。万が一がある。言ノ葉君を守ってくれたまえ。君なら造作もないだろう?」

「一体何を……」

 

 新宮寺さんの困惑を他所に、慣れない手付きで銃口に消音器を取り付けてセーフティロックを解除した。

 それからこちらに左手を差し出し、その手首に銃口を押し付けると────

 

 躊躇いなく引き金を引いた。

 

 プシュン、と空気が抜けたような音が三回と血肉が床を叩く音が喫煙所に染み渡る。

 中途半端に抉れたのか、根本からぶらんぶらんと垂れ下がる左手から夥しい量の血がボロボロと零れ落ち、月影の顔中に脂汗が吹き出る。

 月影が腕を抑え蹲ったのを見てようやく新宮寺さんが動いた。

 

「先生!!」

「止めなさい!」

 

 能力を発動しようとした新宮寺さんを鋭く叱責した。

 

「私の痛みや傷は……時間と金をかければ治せる……一時のものだ……。だが、言ノ葉君と、ご家族に刻んでしまった痛みと傷は……、そう簡単には、治らない」

 

 がたがたと歯を鳴らし荒い息を吐きながらも、その目は正しくボクを見る。

 

「だからこそ、私が示さなければならないのは、誠意なのだ。無法を良しとし、無法を為した者だからこそ……その心と、行動に、曇りがあってはならない……」

 

 気を呑まれた新宮寺さんが空気を食むように口を意味もなく動かす。

 血の気の失せた顔色で銃を床に置き、何とかして立ち上がった月影は改めて頭を下げた。

 

「言ノ葉君……。私は誓って、君と、君のご家族に、危害を加えるつもりはなかった……! この程度で許してもらおうなどとは思っていないが、そこだけは承知してもらいたい……!」

 

 そう言っている今でも抉れた左手首から湯水のように血が吹き出し、抑えている右手と床のカーペットを赤黒く染める。

 むせ返るくらいの鉄臭さが喫煙所を蔓延する中、ボクは遠のいていた自我を取り戻しつつあった。

 

 ボクとて月影の行動は予想外も予想外だった。

 目の前の衝撃的な光景の数々を何とか飲み込んで、今ようやく頭の中を整理できた。

 大の大人が、たかが子供一人のために自傷してまでも許しを請うことが出来るのか。

 国を指導する長として《魔人》という駒を失うのは左手を失うより苦しいことだ、という冷徹な計算で実行しているのか。

 

 疑うことは幾らでもできる。

 むしろ月影の言葉は信用してはいけないはずだ。月影の口車に乗せられたばかりに平賀に目を付けられたんだから。

 全てを一蹴するのは簡単だ。

 

 だが、月影のこの目は無視出来ない。

 鬼気迫るというか、気迫というか。上手く言葉に出来ないが、邪な考えや上部だけの気持ちを持つ者にはあり得ない、真に迫るものを感じる。

 一念に傾けて事を成そうとする強い意志。これを蔑ろにするのはボクの信念を蔑ろにするのと同じだ。

 

「……さっき言ったな。誠意が大事だと。ならばオマエのその誠意は誰に向けたものだ? ボクか? オマエ自身か?」

 

 血の気が失せ、意識が朦朧としてきたのかふらふらと覚束ない様子の月影は、それでもボクだけを見続けた。

 

「私自身に、だ。私は徹頭徹尾、この国と国民を守るために、動いてきた……。それを己のミスで、行いに背いてしまった……」

 

 深く悔いるように俯き、きつく目を閉ざす。

 

「ゆえに謝らなければならないのだ。今までの行いを嘘にしないために。二度とこのようなことを起こさないために……!」

 

 誠意は他人にではなく、自分に対するもの。

 自分の腕を撃ち抜いたのはハッタリや演出などではなく、自身に誤ちを刻み込むためだったということか。

 

「……わかりました。信じましょう。ボクの家族に手を出したのは平賀の独断で、月影総理の意志ではなかった。そういうことですね」

「ありがとう」

「礼を言うのは筋違いです。信じはしましたが、許しはしていないのですから」

 

 言ってしまえば、月影の言い分はただの自己満足。自分がそうしたいからそうしたと言っているのだ。

 今回の計画に対する誠意はわかった。管理責任についてもボクの裁量に任せると言質を取った。

 

 だが、肝心の罰の内容を決めかねていた。

 いつかの誰かにしたように、気が向くままに嬲ってやってもいいが、今の月影にそれをやってしまうと死んでしまう可能性が出てくる。

 恐らく新宮寺さんも止めに入るだろうし、何よりすでに死にかけの奴に体罰を下しても仕方ないだろう。

 かと言って詫びの言葉を気安く吐かれても許す気にならないし、信じる気にもなれない。

 

 今までは大義名分の下暴力が許されてきたが、それを取り上げられた途端に右往左往している。

 我ながら幼稚すぎる性格だ。

 黒鉄君のように心が広い人だったらどんなに楽だっただろう。

 振り上げた拳の振り下ろしどころを見失ったボクがするべきことは、無闇に拳を叩きつけるのではなく、理性的に収めることだろう。

 

 はぁ、とイラつきを隠さないため息を吐くと、新宮寺さんが目配せしてきた。

「暴力は振るいませんよ、新宮寺さん。もう一度約束してもらえればそれでいいです」

 

 一言一句、違えないようにゆっくりと言う。

 

「ボクの家族を巻き込まないでください。約束出来ますか?」

 

 月影を許してやる必要はない。同じことを繰り返さなければそれでいい。

 約束を誠意として与えて、それがぶれた時にこそ始末をつける。

 

「約束しよう」

 

 そう言い切って、最後までボクから逸れなかった顔が泥に沈むように下へ落ちた。

 見れば月影の足元にちょっとした血の池が出来ており、左腕から流れる血の勢いもだいぶ緩やかになっていた。

 息に至ってはしゃくり上げるような不自然な呼吸になっている。

 

「先生!」

 

 痺れを切らした新宮寺さんが今度こそ駆け寄り、時を操る能力を発動させた。

 テープを巻き戻してるみたいに、みるみるうちに部屋の中の景色が放射状に歪んでいき、気づけばこの部屋に入った時と全く変わらない光景に戻っていた。

 あれほど衰弱していた月影も元どおりに復活している。正常な左腕を確かめながら動かし、圧倒されたように首を振った。

 

「いつ見ても素晴らしいな」

「人体に対する能力の使用は控えるべきなのですが、緊急事態でしたのでご勘弁を」

「いやいや、お陰様で死の淵を覗かずに済んだよ。地獄がどんなところなのか知れなかったのは残念だったが」

「……それで、私にも話があるとか」

「あぁ、君にも謝らなければならない事がある。ステラ姫のことなのだが────」

 

 ボクはそれきりこの場を立ち去った。

 先ほどの緊迫した空気なんてはなからなかったかのような風景にいてもたってもいられなかった。

 

 全てが過ぎた今に思えば、月影はボクが問答無用でやって来なかったのを見て、最初に大袈裟な自傷してみせることでボクの勢いを殺して動揺させて、怒りのぶつけ先を意図的に無くしたんじゃないのか。

 以前であれば死に体だろうが構わず始末してやったところが、寧音に言いつけられた言葉が邪魔したせいでまともに頭がまわらなかった。

 つまり煙に巻かれた訳だ。

 月影の国と国民を救うという意志は紛れもない本物で、ボクたちに害意がなかったのも本音だった。ただヤツはここで死ぬ訳にはいかないから、真実だけで思い通りのシナリオに導いたんだ。

 

 なら、今戻ってやるか? 

 もう元通りでピンピンしてるんだ。月影はメンバーの管理不足でボクに被害を加えたという事実があって、その罰の裁量は委ねるという言質もある。

 

 あれから父さんはずっと気に病んでるし、母さんも分かってくれていてもやっぱり操られた父さんの影に怯えている。

 なのに月影はどうだ。ヤツ自身が言った。ヤツの痛みや傷は所詮は一過性のものなんだって。

 どうせまた新宮寺さんに治して貰えば済むと思っているに違いない。

 

 どこに躊躇う要素がある? 

 ────ある訳がない。

 

 一生このことを後悔し続けるくらい深く刻み込んでやる。

 出てきたばかりの喫煙所に翻り、ドアノブに手を掛けた。

 そんな時だった。

 

『撃つ時のあなた、今まで見たことないくらい怖い顔してた。あなたがあんな顔で練習していたらあの時絶対に許してなかった。この意味、わかるわね?』

 

 怖い思いをしたばかりだというのに、人殺しをしたボクのことを一番に心配してくれた母さんが唯一叱った言葉。

 本当に辛そうに、悲しそうにボクに言い聞かせてた。

 

 今のボクは、そんな顔をしているんじゃないか?

 

「……クソぉ……ッ!」

 

 確かに月影の管理不足は到底許せないものだし、ボクの怒りは正当なものだ。

 だけど、それ以上に、あの時に母さんたちを悲しませることはしないと心から誓った。

 今ボクが暴力に訴えてもボクの気が晴れるかもしれないだけで、母さんが知ったら悲しむだろう。

 

 結局胸糞悪い気分を抱えたまま来賓用の会場を抜けた。

 何をしようにもずっと復讐のことしか考えられず、それからすぐ電話をかけた。数コールでその人は出た。

 

『つづりん? どーした』

「月影をどうにかしたい」

『……よくわかんねぇけどなんかヤバイ感じだぁね。ちょっと待ってな。こっちの野暮用済ませるわ』

 

 直後電話から凄まじいノイズと女性の悲鳴が飛び出し、数秒後に『これでしばらく寝てんだろ』と呟きながら電話口に戻ってきた。

 

『んで、月影ってのは? 総理大臣のことかい?』

「そう」

『半殺しにすれば?』

「それをやったら母さんたちが悲しむ」

『あん? ……あー、あン時のか。それでうちね。大体把握したわ』

 

 話が早くて助かる。余計な言葉を喋ってたら感情が爆発してしまいそうだ。

 

「どうすればいい?」

『そうだなぁ。月影のことはうちに任せて、一旦何とかして気持ちを落ち着かせな』

「無理」

『じゃあ頭ン中で月影ぶっ殺してたら? 実際にヤッちまうのはダメだが、妄想する分には別にいいだろ』

「……わかった」

『それが済んだら一日くらい時間空けてまた電話しな。状況整理でグダってイラつきたくないだろ』

「……そうだね、ありがとう」

『他にイラつくことあったか?』

「ないよ」

『うい。んじゃまた明日』

 

 そう言って寧音は電話を切った。

 終始打てば響く調子で淡々と受け答えをしてくれたお陰で、暖簾に腕押しというのは変かもしれないが、感情をうまくすかせたような気がする。

 それでもふと思い返してしまい怒りが再燃しそうになるが、その度に寧音に言われた通り頭の中であの憎き男に銃弾を叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 しばらく繰り返しているうちに段々と下火になり頭の巡りが良くなってきたころ、エレベーターから出てきた黒鉄君とばったり出くわした。

 

「やあ黒鉄君。今からパーティに参加するの?」

「一回抜けて着替えてきたんだ」

「変な格好で行って笑われたの?」

「そんなんじゃないよ。服が破けちゃってね」

「あらら」

 

 着替えてきたと言う黒鉄君はピシッと締まった黒のスーツで、いつもの制服やスポーツウェアの時とは違う雰囲気だ。

 会社に勤めてますと言われても疑いはしないくらいには似合ってる。会社員にしてはガタイが良すぎるからそれはそれで疑われちゃうか? 

 物珍しい物を見て感心していると、それは黒鉄君も同じだったようで目を大きくしていた。

 

「理事長みたいだね。よく似合ってるよ」

「新宮寺さんが選んだやつだからね、これ」

「なるほど」

「警備中もこれ着てないといけないんだってさ。堅苦しいったらありゃしない」

「それは大変だね……着慣れないものってなんかそわそわするよね」

「ね」

 

 適当な雑談を交わしながら扉を開けると、待っていたと言わんばかりに代表生たちの視線が一点に集中した。

 

「おーようやく帰ってきたんか……って言ノ葉!?」

 

 その中でも一際強い存在感を放つ、バンダナをした偉丈夫がこっちがびっくりするくらい大袈裟に驚いた声音を上げた。

 

「ホンモンかいな!?」

「お久しぶりです。諸星先輩」

「今年は出禁やーいうて来ぃひんって聞いてたのに、しれっと代表生になっとったんかい!」

「いえ、ボクは警備員として駆り出されただけです」

「なんや、じゃあ出禁って話はホンマなんか」

「えぇ、まぁ」

「くぅーっ、東堂の奴もおらんし、ホンマ悔しいわ。ワイ今年が最後なんやで? 勝ち逃げはズルいやろ〜。今年マジで楽しみにしとったのになぁ」

 

 すごいグイグイきて圧倒されつつも何とか相槌を返す。

 この人とは……というか、去年の七星剣舞祭では他校との交流なんてしてなかったんだけどなぁ。

 証拠に諸星先輩以外の去年も参加していた人たちからは遠巻きに見られるばかりで、あまり歓迎はされてない感じだ。

 それもそのはず。ボクの戦い方は相手の出鼻を挫くどころかそのまま叩き潰すというものだ。彼らからすると満足に実力を発揮できずに瞬殺されるのだから面白いとは思わないだろう。ボクの出場禁止処分を喜んだ人も少なくないんじゃないか。

 

 にも関わらず、その最大の被害者と言える諸星先輩がこんなに良くしてくれるのは何故なんだ。

 そんな疑問など露知らず、諸星先輩は隣の黒鉄君に目線を移した。

 

「まぁ、代わりに《七星剣王》が見込んだっちゅうおもろい男が来よったからよしとするわ」

「恐縮です」

「楽しみにしとるで。ところで黒鉄、明日の晩飯もうどこで食うとか決まっとる?」

「特に考えてないですが、ホテルのレストランで済ませようと思います」

「アホ! せっかくはるばる大阪まで来たんやから、その土地の名物を食っとかんと!」

 

 ニィッと奥歯を覗かせ、弾むようなリズムでポンポンと話を進めていく諸星先輩。

 試合に入った時の彼しか知らなかったから、普段はこんなに陽気な人なのかと面食らう。

 小動物くらいなら睨んだだけで殺せそうな迫力があるのにすごい切り替えの良さだ。

 そう言えば東堂さんなんかも試合モードと普段の差が激しかったりするし、そういうのを使い分けてるのだろうか。ボクには縁の無いことだから不思議な所だ。

 

 二人の会話を右から左に聞き流していると唐突に水を向けられた。

 

「せや、言ノ葉も来いひん?」

「あ、すみません、何の話でしたっけ」

「明日の晩飯や。黒鉄と大阪で一番美味いお好み焼き食いに行くんや。言ノ葉もどや?」

「は? え、黒鉄君も?」

「なんや、コイツと一緒は嫌なんか? 随分仲良さそうやったけど」

「いやそうじゃなくてですね。明日って大会前日ですよね?」

「せやな」

「初戦は黒鉄君とですよね?」

「せやな」

「……えぇ……」

 

 刃を交える相手と前日の晩に一緒にご飯を食べるって……。

 なんか、色々気まずかったりしないのかな。お互い顔と名前は知ってるだろうけど一応初対面だろうし。

 それに変なものを仕込まれたり、試合が正当に決着しても八百長だなんだって野次られても文句言えないぞ。ただでさえ黒鉄君は世間的に不利な立場にいるんだから尚更だろう。マスコミの目敏さなめるなよ。

 

 そういうことわかってるんだろうな、と黒鉄君に目線で問うと、

 

「?」

 

 全くわかってなさそうな顔で返された。それどころかちょっと楽しみにしてる節すらある。

 

「おいおい……」

「細かいこと気にすんなや。んな汚いやり方でのし上がっていけるほどこのステージは低くないって知っとるやろ。純粋にこの男の人となりっちゅうもんに興味があるだけや」

「じゃあ何故ボクまで……?」

「そりゃ去年出来なかったからに決まっとるやん」

「……ちなみに、いつ誘おうと……?」

「決勝前日。ワイと戦う奴と食いに行くのが好きなんよ」

 

 嘘だろ……そんなの絶対行くわけないじゃん……。

 この強引さ、もしかして部屋とかに張り付かれたりしてたのだろうか。怖すぎる。部屋で射的してて良かったぁ……。

 

「まぁ、今年はフリーなんで行きましょうかね」

「やりぃ! 決まりやな! ほな明日の午後5時エントランスで集合や! 今度は逃さんでぇ!」

 

 勝ち逃げのことを言ってるのか、部屋に張り込んでいたことを言ってるのか。確かめる勇気はボクにはなかった。

 

 ちなみに、この話を新宮寺さんに持ち帰ると心底呆れられた。

 

「お前、何故私と共に大阪に来たのか忘れたのか?」

「……あ」

「まぁ、学生の思い出は学生の時にしか作れんものだ」

 

 結局、新宮寺さんが陰から同行することで丸く収まった。

 ほんといつもいつもご迷惑おかけします……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話

友人から綴の挿絵を貰いました!
心の底からありがとう友人!

【挿絵表示】




 パーティの翌日。つまり七星剣武祭開催の前日。

 ボクと黒鉄君は夕食に向かうべくホテルの入り口、噴水の前に来ていた。

 

「本当にずっとその格好でいるんだね」

「業務外だったら学生服でも良いんだけど、いちいち着替えるの手間なんだ」

 

 相変わらず黒い正装を着ているボクに目を見開く黒鉄君。

 当然のことながら約束の時間の直前まで警備の仕事が入っていたから服はそのままだ。正装もそうだけど、破軍の学生服も着るの結構面倒くさいのだ。

 そう言うと黒鉄君は控えめに窺ってきた。

 

「警備の仕事大変?」

「んー、ほぼ歩いて回ってるだけだから別に忙しくないよ。そのぶん退屈なだけ。あと暑いし」

「そっか。昨日からあまり浮かない顔してたから疲れてるのかなって思ってた」

 

 ドキリとするようなことを言ってきた。

 夏の日差しが気になるふりをして顔を隠す。

 

「まぁ、慣れないことが多くてさ」

「何かあったら言ってね。相談くらいなら乗れるから」

「大丈夫。ありがと」

 

 表情に出さないようにしてたけど、慣れないことをすればボロは出るものらしい。

 もう寧音に頼んだ以上ボクが悩んでもしょうがないだろと自分に言い聞かせる。

 

「おー。もう来とったんか」

 

 ちょうどホテルの入り口から出てきた諸星先輩が早足気味に駆け寄ってきた。

 

「楽しみだったもので」

「ワイも楽しみではよ来てしもうたわ。ほな早速行こか。早く着くに越したことあらへんやろ」

「そうですね」

 

 出発の合図に合わせてそそくさと歩き出すボクたち。

 先導する諸星先輩が気さくに話しかけてくる。

 

「昨日もその格好しとったけどそれ《沈黙》さんの趣味なんか?」

「仕事の関係で着替えるのが面倒だったので。あとその名で呼ぶのやめてください。切実に」

 

 マジで誰だこんなセンスの欠片もない二つ名付けやがったヤツは。

 聞いたところによるとこの手の通り名は観客が勝手に呼んでいるのが定着したものが使われるらしい。

 百歩譲って観客が勝手にそう呼ぶのは良いけど、報道するならせめて本人が公認してからにしろ。

 ボクが好んで名乗ってるみたいじゃないか。絶対許さないからな。

 うちなる怒りを感じたのか、顔を引き攣らせる諸星先輩。

 

「そんなに嫌なんか?」

「嫌です」

「ワイは似合っとると思うけどな」

「えぇ……」

 

 割と本気でショックだ……。客観的に見てそんなに根暗っぽいのかボク。

 

「相対しても真顔の無言やし、試合中も全く音出さんし、相手に有無を言わせんし。なるようになったって感じの通り名やで」

 

 ……言われてみればそうかも? でももっと他に言いようがあっただろう。クールビューティーとかさ。

 これはこれで気恥しいな。やっぱり二つ名とかいう文化やめようよ。

 

「まぁでも、こうして話してみると確かにピンと来ない名前かもしれへんな。案外普通に喋れるし、表情もコロコロ変わるしの。試合の時の印象が強すぎるんよ、言ノ葉は。正直ワイも昨日までは連れへん奴やと思うとったしな」

「それは間違ってないと思いますよ」

「あん? 連れないってとこか?」

「去年だったら断ってたと思います」

「ほぉ。そりゃ興味深い話やけど、続きは店ん中でしようや」

 

 軽い雑談をしているうちに目的の店に着いたらしい。入り口に『一番星』と書いた赤い暖簾を掛けた木造二階建ての店だ。

 外からでも良い匂いが漂ってきて無性に食欲をくすぐられる。

 黒鉄君が感慨深そうに店構えを眺める。

 

「ここが日本一美味しいお好み焼き屋さんですか」

「せや。まぁ見た目はオンボロやけど、そのぶん歴史のある店や。期待外れやったか?」

「いえ、むしろ安心しました。凄く高級そうなところに連れていかれると肩身が狭いというか」

「そういうとこも悪かないけど、この手の食いもんは老舗に限るで」

 

 暖簾をくぐり、やや立て付けの悪い引き戸を押し開けると、店内からガヤガヤと人や物の行き交う音が溢れ出てきた。

 夕食には少し早い時間のはずだが、かなりの賑わいだ。ほぼ全てのテーブル席が埋まってるし、日本一美味しいと言うだけあって結構待ちそうだな。

 そんな感想を見透かしたように諸星先輩があっけらかんと笑った。

 

「安心せぇ。ちゃんと席は予約してある。おーい小梅ー! 案内頼むわー!」

 

 喧騒渦巻く店内でもよく通る声に反応し一人の和服にエプロンを着けた少女が小走りで駆け寄ってきた。

 なぜか傍らにスケッチブックを持っていて、しかも店員というには幼すぎる見た目だ。名前で呼んでいたし、どういうことなんだ? 

 不自然な現象に戸惑っていると、小梅と呼ばれた少女は営業スマイルと共にスケッチブックをめくり『いらっしゃいませ♪』と書かれた丸っこい文字を見せてきた。

 

「えっ。筆談?」

 

 自分の口ではなく筆談で挨拶してくる店員なんて初めてだ。このビジュアルと相まってそういうキャラを作っているのだろうか。

 びっくりし過ぎて目をまん丸に見開くボクらを見て、諸星先輩が「驚いたやろー」と悪戯げに口角を吊り上げた。

 

「この店の看板娘ってやっちゃ。まぁ、コレはキャラ作りじゃなくてほんまに口がきかれへんから堪忍な」

「そ、そうなんですか。やけに詳しいですね」

「ワイの妹やからなコイツ」

「へ? じゃあここでバイトを?」

「バイトっちゅうか家の手伝いや。ここワイの実家やねん」

 

 あぁ、それで自信満々に日本一美味しいと豪語してた訳か。驚くのやら呆れるのやら。黒鉄君も苦笑いを浮かべている。

 それを楽しそうにカラカラと笑う諸星先輩。

 

「なはは。そーゆーリアクションが見たかったんや。ま、日本一っちゅうのはほんまやから楽しみにしたってや」

『ではお席のほうご案内します〜』

 

 ぺらりとスケッチブックをめくりメッセージを表示した妹さんに付いていきながら店内を見回す。

 

「近くにたくさん似たお店があったのにこれだけ繁盛してるって凄いですね」

「日本一やからな。にしてもこりゃ混みすぎやけど。去年はこんなにおらんかったからなぁ。念のために小遣い天引きしてもろたのは正解やったわ」

「天引き?」

「そ。これだけの量をお袋と小梅だけで捌くのは厳しいってのはわかるやろ? せやからワイも店回すの手伝った方がええんやけど、せっかくのメンツやったしどんなに混んでても手伝わへんでーってお袋に無理言ったんよ。そしたらしょっ引くどころかシフト倍にしてきよった」

「そうですか。ならそのぶん楽しまなきゃ損ですね」

「お、ええこと言うやん自分」

『こちらのテーブル席にどうぞ♪』

 

 案内された席に着き、渡されたメニューを眺めると、ソースお好み焼きといった定番のものからナポリタンもんじゃという聞いたこともないものまで、粉物の品揃えが豊富だ。家族で何回かお好み焼き屋さんに行ったことがあるけど、ここまで多くなかった気がする。

 さすが本場だーとワクワクしながら適当に注文を済ませると、承ったはずの妹さんがその場を動かずジッとボクを見つめているのに気づく。

 注文の確認をしたいのかな? と思っていると、

 

「言ノ葉さん、ですよね」

 

 煤けた瓶のようなガラガラで掻き消されそうなくらい小さな声だったけれど、確かに妹さんの口からボクの名前が呼ばれた。

 口がきけないと聞いていた手前不意を突かれ呆けるボクに妹さんはペコリと小さく頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

 それだけ言うと逃げるように店の奥へ行ってしまった。

 何から何までどういうこっちゃと諸星先輩に目を向けると仕方なそうに頭をかいていた。

 

「あのアホ、まだ喉使うなって先生に言われとんのに勝手なことしよって……」

「治してる最中だったんですね」

「四年くらいずっと使えんかったんやけど、ちょっと前に声出せるようになっての」

「……なんでボクお礼言われたんです?」

「声出せんかったのは精神的な問題だったんよ。ワイと自分の試合の後にこっちで色々あっての。アイツん中で吹っ切れたもんがあったんやろ」

「はぁ」

「意味わからへんと思うけど、言ノ葉をきっかけに小梅も()()()良い方向に変われたんや。深く考えんで受け取ってやってくれ」

「それならまぁ、そうしますけど」

 

 釈然としないが諸星先輩側にも事情があるのだろう。ひとまず納得しておくと、場を変えるためかパンと拍子を打った諸星先輩が身を乗り出す。

 

「んで、さっきの続きや。なんで今年は誘いに乗ろうっちゅう気になっんや?」

「考え方が変わったからです」

 

 さてどこから話したものか、とお冷の入ったコップを弄りながら頭を巡らす。

 

「ボクが興味あるのは銃の扱いの上達だけです。上達するために試行錯誤する毎日で、とにかく自分一人で何とかしようと思ってました」

「じゃあ師匠みたいな人はおらんかったんか?」

「はい。というか、気づいたら周りより上手くなってたので教えられる人も参考になる人もいなかったんです」

 

 本当に細かいことを言うなら小さい頃に行っていた射撃場の人たちに教えてもらったことはあったが、それも銃の持ち方くらいで、射撃の腕は数をこなしているうちに超えたのですっかり顔を出さなくなってしまったのだ。

 そこそこ距離があったのと、そこだと霊装が使えなかったから貸し出された銃じゃないといけなかったっていうのも大きな理由だったけどね。

 手の形に合わないし重量も段違いだしで結構モヤモヤしてたっけなぁ。しばらく感覚が残っちゃうせいで勘が鈍るんだよね。あれ以来自分の銃以外は触らないようにしてる。

 思い返してたら懐かしくなってきた。今度帰省するタイミングがあったら寄ってみようかな。

 

「そんな訳でしばらく撃ち込んでいたんですが、中学校を卒業したくらいで伸び悩んじゃいまして」

「は? 中学校で? ほんならそんくらいには去年くらいの実力があったっちゅうんか?」

「たぶんそうだと思います」

「……おっそろしいの」

 

 大きく顔を引き攣らせて呻くように溢した。

 黒鉄君曰く零という一つの極地。至上だと思っていた場所が実は道半ばだったとわかったと同時にボクは指標を見失った。

 光はぼんやりとしか視えなくて、先に道があるのはわかるけど道筋がまるでわからない感じ。

 練習していれば視えてくるものもあるだろうと変わらず射的していたが、一向に風向きが良くならない時期だった。

 

「どうやったら先に進めるかなぁと困ってたときにある人に出会ったんです」

 

 諸星先輩はボクの隣に黒鉄君に目をやった。察しが良いな。

 

「ボクと似ているようで正反対の人でした。脇目も振らず真っ直ぐ進むボクと手当たり次第掻き集める彼。戦う土俵は違うけれど、確かにボクに匹敵する強さを持っていました。その人の考え方や価値観に触れていく内に、今のボクに足りないのはその無境な貪欲さなのかなと思うようになったんです」

「それがどう関係するんや」

「人間関係です。ボクは銃に関わらないことだと思って適当に済ませていましたが、彼は熱中していること以外にも興味を持ってたくさんの人との関わりを大事にしていました。自分の考えが及ばない範囲は他人を見て学べるので一人で試行錯誤するより断然視野が広くなります。その広がった視野の中にボクが探している答えがあるかもしれない。なのでボクならスルーしていたことでも彼が興味を示したことであれば、ひとまず寄り道している訳です」

「なるほどのぉ。んで、その答えは見つかったんか?」

「ちょっとだけ視えてきた気がします」

 

 黒鉄君からは本当に多くのことを学ばせてもらっている。

 その中でも最も感じ入ったのは、やはり東堂先輩との選抜戦だろう。

 試合内容もそうだったが、あれほど酷い状態でも破軍学園に辿り着いたことこそが偉業だと思う。

 精神が持ち堪える限り、肉体もまた耐える。Mind over Matter(マインドオーバーマター)というのだろうか。物理や道理を超えて何かを実現する力。その真価を思い知らされた。

 

「さよか。歴代最強の《七星剣王》なだけあって色々考えとるんやなぁ。勉強なるで」

 

 諸星先輩が興味深そうに呟いたところで注文が届いたらしい。妹さんが小さい手ながらも慣れた手つきでテーブルに料理を並べていく。

 思ってたよりサイズが大きい。これ食べ切れるかな? 残しちゃったら黒鉄君に食べてもらうか。

 ……なんて心配は杞憂で、今まで食べたお好み焼きの中で一番かもと思えるくらい美味しいもので、一枚丸々平らげられた。

 黒鉄君なんかおかわりして二枚食べちゃったし、あんまり味に頓着しないボクも目が覚めた思いだしで、もしかして本当に日本一美味しいお好み焼き屋さんなのかもしれないな。

 割と真面目に感心している間にも明日対決する男子二人も、普段どんなトレーニングをやっているかとか《比翼》と戦ったという噂は本当なのかとか、ボクには難しい戦闘論理についてだったり話が盛り上がっていた。

 長く話し込んでいたが話の目処が見えてきたのだろう、お開きの流れで、

 

「お手洗い借りてもいいですか?」

「そこの角曲がったとこにあるで」

「ありがとうございます」

 

 と、黒鉄君が席を離れた。そのタイミングで諸星先輩がボクに話を振った。

 

「ワイの期待以上におもろい男やな、黒鉄は。言ノ葉が惚れ込むだけあるわ」

「いえ、ボクと黒鉄君はそういう関係じゃ」

「わかっとるわかっとる。浮ついた話とか全っ然興味なさそうやもんな自分。そうじゃなくて騎士としての話や」

「あぁ……それならその通りですね。黒鉄君のことは本当に尊敬しています。だから彼にはずっとボクに付いてきて欲しいし、ボクは彼の先に在り続けたい」

「お前にそこまで言わせるならアイツも嬉しいやろなぁ」

 

 諸星先輩はニッと口角を吊り上げた。人の良い笑みに見えるのに、何故か獰猛さやほろ苦さといった様々な受け取り方が出来る不思議な笑みだ。

 

「ワイも技に生きる身や。どれほどの心血を注ぎ、どれほどの鍛錬を重ねてその境地に至ったのか。お前のこれまでの修羅を思えば感服する他ない」

「それは、ありがとうございます……?」

 

 藪から棒な賛辞に戸惑う。それでも諸星先輩は続ける。

 

「黒鉄がおらん今やから言えることやねんけど、ぶっちゃけ《七星剣王》の座に興味無いんよ。お前のおらん七星剣武祭で優勝して得る称号なんぞ、なんの価値もないからのぉ。勿論それで手ぇ抜いたりせぇへんし全力で優勝を目指すつもりやけど、ワイの一番の目標はお前や、言ノ葉」

「ボク、ですか」

「せや。去年ワイは真に目指すべき場所を見た。人生全部懸けても良いと思える場所や。今からでも手合わせ願いたいくらいなんやけど、今のワイじゃお前の本気のほの字も出せへんし、そんだけ隔絶しとったら学べるもんも髙が知れとる。せやから言ノ葉、いつかお前が本気を出すに相応しい所に行けたら、その時にもう一度手合わせしてもらえんか?」

 

 そう言って膝に手を突き深く頭を下げた。

 たぶん、ボクを呼んだのはこの話をしたかったからなんだろう。

 自分の負けを噛み締め、矜恃を投げ捨てながらも決して揺らがない闘志が燃え盛っている。

 ……これだけ真っ直ぐに挑まれたのは黒鉄君以来だ。

 ボクの早撃ちを見た人の誰もが戦意を喪失し、敵うはずがないと勝手に見切りをつけていった。

 頑張っていればいつか辿り着けるのに、その道のりを恐れて諦めてしまう。

 それが悪いことだとは言わない。全員が全員最後まで頑張れる訳ではないだろうし、そもそもその人がそれに全力をかけても良いと思える価値を見出せないのであれば頑張ることなんて出来ないだろう。

 けれど、その価値を見出して、全てをかけると覚悟出来る人ならば。

 

「その時は是非よろしくお願いします。ボクも先輩に失望されないだけの場所に進んで待っています」

「おおきにやで。首洗って待っとき」

 

 ボクの挑発めいた発破に牙を剥いて答えて見せた。

 去年、ボクは圧倒してしまったために出場選手全員の力量を測ることが出来なかった。だから今年の七星剣武祭で黒鉄君が苦戦するのはステラさんや暁学園のメンバーくらいかと思っていたが、ここに新たな候補が出てきた。

 諸星先輩とて伊達に決勝戦まで勝ち残っていない。並々ならぬ実力を持っていたはずだ。そして今年ボクが再び参戦してくることを想定してこの一年入念に牙を研いでいたはず。

 初戦からの災難は黒鉄君の運の無さによるものか。今のやり取りを知らずに暢気な顔で帰ってきた黒鉄君に密かに苦笑を溢した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話

 諸星小梅にとって兄の敗北は想像の埒外だった。

 

 自分のつまらない我が儘のせいで悲惨な事故に遭ってしまい、選手生命を絶たれてしまった兄。

 四年という途方もない地獄のリハビリを乗り越え以前の力を取り戻した兄。

 常人ならばとうに逃げ出す茨の道を死に物狂いで這い往く姿をそばでずっと見ていた小梅は理解していた。

 全ては自分のためなのだと。

 雄大は一言も、それどころか仕草にすら出さなかったが、戦う兄の背をずっと見てきた小梅には何となくわかってしまえた。

 だからこそ、その死に物狂いの努力が七星剣舞祭で実を結ぶことを信じてやまなかった。

 報われるのは当然だと。これでダメならば努力という行為に意味はないと思うほどの量と質を積み重ねていたのだから。

 

 なのに、兄が輝かしく勝利する姿は夢幻へと消えた。

 言ノ葉綴という未曽有の『例外』によってあっさりと幻想は打ち砕かれた。

 

 戦いに関しては素人なので詳しい事情を推し量ることはできないが、ただ客観的に見たままを言えば、開始地点から数発発砲され、兄は何をすることも許されずに撃ち倒された。

 文字通りの瞬く間。小梅はその光景をただ茫然と眺めていた。

 

 我を取り戻したのは医療ポッドから出てきた兄の顔を見た時だった。

 雄大は小梅を認めると不格好な笑みを浮かべた。

 

『すまん。負けてもうた』

 

 胸が張り裂けそうだと初めて表現した人は実に的確な感性を持っていたんだろうな。

 そんな場違いな思いが過るほどあっけらかんと言い放たれた言葉に、把握しきれないほどのたくさんの感情に胸中を掻きむしられた。

 激情のままに叫べたらどんなに良かったことか。うんともすんとも言わない役立たずな喉をこれほど呪ったのは後にも先にもこれだけだった。

 雄大は、やはりあけすけな調子で言った。

 

『まさか同世代で零の領域に達しとるヤツがおるとは思わんかったわ。反則にもほどがあるやろ。アホちゃうかアイツ』

 

 その軽口の裏に隠された凄絶な悔しさを思うと、そんなものを味わうために兄はあの地獄を潜り抜けたんじゃないと叫びたくなった。

 それと同時にこうも思うのだ。もし兄が事故に遭わず、四年間を無駄にせずに済んでいたら。

 リトルで無双で鳴らしていた兄ならば今より更に遥か高みに到達していたはずだ。

 あの《沈黙》に敵うくらい強くなっていたんじゃないか。

 滂沱の涙を流すことしかできない小梅に、雄大は頭を掻きながらしゃがんで目線の高さを合わせた。

 

『今回負けたのは純粋に相手が悪かったからや。言ノ葉は……そうやな、今のワイが数十年修行してようやく届くかってとこにおるバケモンやねん。たかが数年嵩増ししても無理なもんは無理っちゅうこっちゃ』

 

 それでも、それなら、なおさらこんな仕打ちはあんまりじゃないか。よりにもよって何故この年の七星剣舞祭に参加してくるんだ。せめてあと一年遅れるだけでよかったのに、何故兄の晴れ舞台を台無しにするのか。

 だが、それを自分が言うのか。元はと言えば全ての原因は自分にあるというのに。

 小梅の内心を読み取ったように雄大は言葉を放った。

 

『のう、小梅。ワイは言ノ葉と()れたんは運が良かったと思うとる。()()()()()()()()()()を得た。それに比べれば優勝を逃すくらいは安いもんや』

 

 それが強がりでないことは直感できた。

 兄の表情は晴れ晴れとしていたから。かつて活躍していた頃に戻ったかのように、無邪気な笑みを浮かべていた。

 

『あの場所を見て思い出したんや。ワイがどれだけ戦いの世界を愛していたか。強い騎士として在ること。未熟な自分を鍛えて成長すること。それらをお前と分かち合う喜びをな。

 おかげで人生を賭けたい思える目標を見つけられた。それに気づくには過去のあらゆる経験が必要やった。だから今のワイがおる。今の目標が見える』

 

 兄の生き甲斐を奪った挙句に勝手に言葉を無くし、その上心配までさせている。

 罪の意識を拭い去れずにいる小梅は罪悪感から雄大の視線から逃げるように顔を伏せた。

 雄大はその頭をぐしぐしと掻き回した。

 

『ワイはワイのやりたいことをやる。それは今も昔も変わらん。だからお前もお前のやりたいことをやれ』

 

 そう言って雄大は部屋を後にした。

 一番冷静ではいられないはずで、誰よりも慰めの言葉を求めているはずの人から手向けられる言葉にただ当惑する。

 

 雄大の真意を悟るのはもう少し後のことであった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「やぁ。ギリギリ間に合ったよ」

「言ノ葉さん。お疲れ様」

 

 警備の仕事から一時的に解放された綴は連絡を取り、客席通路のフェンスに寄りかかって先ほどまでの試合を観戦していた一輝たちの姿を見つけて駆け寄る。

 一輝の隣にいるアリスも「お疲れ様」と声をかけたが、珠雫は面白くなさそうに口をヘの字に曲げた。

 

「……お疲れ様です」

「ありがとう」

 

 アリスが困った笑みを浮かべても窘めない辺り、取ってつけた感じでも一応言ってくれるだけマシな方だろう。

 相変わらず嫌われちゃってるなと思いながらも放っておいている綴にも問題はあるが。

 

 さておき、一つ前のブロックの試合が全て終わり、リングの整備をしている待機時間である今、最も緊張しているであろう一輝の様子は昨日見た感じと全く同じだ。

 

 優勝しなければ卒業できないという制約のある一輝にとって七星剣武祭は他の代表生とは違う意味合いを持つ場だ。

 三年生になるまで何回かリトライ出来るものの、決して楽観視出来ない状況。

 その上初戦から前大会の準優勝者とマッチングしているのだから感じる重圧は半端ではないはずなのだが、一輝の表情は今から戦いに赴く人のそれとは思えないほど穏やかだ。

 

 選抜戦を乗り切った辺りから精神的な危うさがすっかり無くなった。

 どこか浮ついていたものがしっかり腰を据えたようだ。

 それを確かめるように一輝の肩に手を置く綴。

 

「いよいよだね。いけそうかい?」

「うん。良いコンディションだ」

「そっか。でも不思議な気分だね。去年はキミが見送る立場だったのに今年はボクがそうなるなんてさ」

「リングの上で会えなかったのは残念だよ」

「ほぉ? そしたら優勝は諦めてもらうことになっちゃうよ?」

「さて、それはどうかな」

 

 一輝の嘯きがただのハッタリではないということは綴も何となく感じ取っていた。

 暁学園の襲撃において、一輝は世界最強と名高い《比翼》と剣を交えたことによって、彼のステージは飛躍的に向上した。

 生と死の狭間に立たされた一輝は活路を見出すべく己の学習能力の底を引っぺがし、乾いた砂のように波濤の技術を吸収し、本来ならば何年もの時間をかけて体得するはずだった技術を文字通り体に叩き込まれたのだ。

 今に思えばあの戦闘は《比翼》なりの、魔の道を往こうとする若輩への激励だったのかもしれない。

 

 綴と一輝の間に横たわっていた隔絶はおおよそ埋まりつつあるのを、零の技術を教えた時に綴は悟った。

 それはおそらく一輝もそうだろう。

 手の届かなかった場所がもう目前まで来ているのだ。

 

「ふふ。なら見せてもらおうかな。キミの力を」

 

 一輝の返しに是非は出さなかった。

 綴はまごうことなき《七星剣王》で、これから一輝が挑むのはその座だ。

 そこに至って初めて綴と対等な立場になれる。綴に挑戦することができる。

 

『会場の皆様にお知らせします。リングの整備が終了しましたので、これよりCブロックの一回戦を開始します。Cブロックの選手の皆様は控え室にお集まりください』

 

 すり鉢構造の湾岸ドーム。

 人工芝の中心に設置された円形リングの整備が完了したことを知らせるアナウンスだ。

 一輝はCブロックの一組目なので、あまり悠長はしていられない。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「頑張ってね。一輝」

「御武運をお祈りしています。お兄様」

 

 言葉少なめにエールを送る二人に頷き返し、綴を見遣る。

 そういえばそんな約束したなとその目線の意図に気づき、

 

「頑張れよ。キミなら出来るさ」

 

 ペンペン背を叩いて送り出した。一輝も満足そうに駆け出していった。

 その背を見送った後、アリスがこっそりと耳打ちした。

 

「ちゃんと言うようにしたのね」

「言われないと気付けないんだってさ。しょうがないヤツだよ」

「そうかしら? 貴女も一輝に言って欲しいって言われるまで気付かなかったのよね?」

「……」

 

 アリスの指摘に綴はきょとんとした後、じわじわと顔を苦くさせ、頭に手を当てた。

 まさしく盲点だったと言わんばかりの態度だ。言われるまで全く自覚がなかったらしい。

 そんな様子がおかしくてつい吹き出すアリス。

 

「あはは。良いじゃない。似た者同士ってことよ、貴女たち」

「……そういうことにしておくよ」

 

 苦し紛れのぼやきにアリスは笑みを深めるだけで追及はしなかった。

 

「それはそうと、《七星剣王》はこのカードをどう見てるの? やっぱり一輝が勝つと思う?」

「そりゃそうだよ。勝ってくれないとボクが困るし」

「?」

 

 なぜ困るのかはよくわからないが、贔屓目に見ているということだろうと納得した。

 

「でも、諸星先輩に限って言えば容易に勝てる相手じゃなさそうだよね」

「どうして?」

「ボクが知っている中で先輩は唯一武術に偏った戦い方をしている人だ。元から黒鉄君と似た土俵で戦っている人だから、黒鉄君の剣術に対抗できるのは彼くらいだと思ってる」

「《暴喰(タイガーバイト)》だったかしら。伐刀絶技(ノウブルアーツ)を掻き消す能力で、魔術を無効化して近接戦を仕掛けるってスタイルだそうね」

「正直ボクは専門外だから先輩の実力とかは全然わからないけど、準優勝してるくらいなんだし、黒鉄君に比肩する腕を持ってても不思議じゃない」

「確か去年はあの《雷切》に勝ってたはずよ。そんな相手と一回戦から当たるなんてついてないわね」

 

 伊達に運Fを掲げていないわけだ。

 黒鉄君らしいと呆れの笑みを零す綴は、一輝が苦戦するであろう()()()()()()()を内心にしまった。

 

『それでは皆様、長らくお待たせ致しました! これより選手の入場です!』

 

 実況のそのアナウンスにより、会場が一気に熱を帯びる。

 特にその盛り上がりはこれまでの試合よりも若干以上に大きい。

 それも当然だろう。この試合の立役者たちの肩書きは双方共に観客が注目するに相応しいものなのだから。

 

『まずは赤ゲートより姿を見せたのは、前大会序列二位! 武曲学園・三年生の諸星雄大選手です!』

 

 その紹介とともに諸星がゲートより姿を現す。

 180センチを超えるその細身の体躯。額にバンダナを巻いた、どこか野性味を帯びた相貌。

 そして眼前の敵を食い千切ってやろうという気概を見せる鋭い眼光。

 まさに序列二位の名に恥じぬ偉丈夫だった。

 

『その天才的な槍術と、全ての伐刀者(ブレイザー)の天敵と言える魔術を無効化する能力で何者をも寄せ付けなかった西の雄! 去年の雪辱を果たすことは出来ずとも、ならば他全てを喰らってしまえと舞い戻ってきた不屈の男! 《浪速の星》諸星雄大だぁッ!』

 

 実況の紹介が終わるや否や、歓声で会場が激震した。

『星ィィィ!』『頑張ってくれェ!』とあちらこちらから観客たちが大声を張り上げる。

 ここは大阪。

 故に諸星にとってこの地はホームグラウンドなのだ。こういった応援になることも致し方ないことだろう。

 

『続きまして、この少年の顔をご存じの方は多いでしょう! 七星剣武祭史上初のFランク出場者。しかしそのランクに惑わされることなかれ! 

 校内選抜戦では去年諸星雄大を苦しめた《雷切》東堂刀華を一撃の下に降し、非公式の試合ではAランク騎士ステラ・ヴァーミリオンまでも打ち破り、歴代最強の七星剣王と名高い《沈黙》言ノ葉綴にすら食らいついたという異端の実力者! 

 今大会注目度ナンバーワンのダークホース! 破軍学園一年・黒鉄一輝選手が全国のリングに今、上がりましたァァッ!』

 

 一輝の登場に対して、雄大の時ほどではないが大きな歓声が上がる。

 皆期待しているのだ。

 Fランクながらこの日本一を争う舞台に登ってきた異端の実力者が、どれだけこの大会に波乱を起こしてくれるのかを。

 そんな会場の熱狂を眺め、綴は息を呑む。

 誰にも見向きされず、不当な扱いを受けていた騎士は、今や誰からも認められる実力者としてリングに立っているのだから。

 入学して以来ずっと一輝を見てきた身としては感慨深い光景だった。

 

 リング中央で睨み合う二人は同時に霊装を顕現させ、対峙した。

 こうして舞台は整い、役者は揃った。

 

『では! これより七星剣舞祭Cブロック第一回戦! 諸星雄大選手 対 黒鉄一輝選手の試合を開始いたします! 

 ────LET'S GO AHEAD!!』

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 開始の合図が鳴り響いたその瞬間、一輝は己の霊装《陰鉄》をしまった。

 

『おおっとぉ!? いきなり武器をしまったぞ!? 一体何をしているんだ黒鉄選手!! 試合放棄かァ!?』

 

 実況が素っ頓狂な驚きの声をあげ、会場にもまたどよめきが満ちた。

 そんな様子を他所に、一輝はあろうことか徒手空拳のまま身構え、蹴り足をべったりと地面に着けた。これではダッシュも出来まい。

 およそまともに戦う体勢でない一輝に、次第に観衆からブーイングの野次が飛び出し始める。

 

『ふざけんなー!!』

『真面目にやれ真面目に!』

『星ーッ! 舐められてんぞーッ!』

 

 初手から大胆な行動に出る一輝の意図を理解できない珠雫たちも困惑した表情で見遣る。

 

「お兄様、どうしたのかしら」

「何か狙いがあるのは間違いないだろうけれど、あたしにも想像出来ないわ。綴さんは?」

 

 水を向けられた綴は考え込んでいたのかすぐには反応しなかったが、少しすると解したように苦笑いを浮かべた。

 

「とっておきってそういうことか。確かに普段の訓練じゃ意味ないなこりゃ」

「一人で納得してないで説明してください」

 

 自分が気づかなかったことに綴が気づいたのが気に食わないのか、むすっと不機嫌そうに横突きした珠雫。

 

「霊装をしまったのは破壊されないためだよ。ボク対策でもあるって言ってたから間違いない」

「どうして霊装が破壊されるなんて考えてるの?」

「諸星先輩の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は魔術を消滅させるもの。それはつまりそこに存在する魔力を消滅させているということ。ならば魔力で出来ている霊装も消せる道理だ」

 

 綴の推測に驚愕で眼を見張る二人。それが本当ならば勝負すら成り立たないほどとんでもないことだ。

 霊装は伐刀者(ブレイザー)の魂そのもの。破損すれば痛烈な精神ダメージとなり所有者の意識を容易く断ち切る。

 頼れる武器のはずが、最悪の弱点に変貌してしまうのだ。

 

「でも待って。そんな力があるんだったら去年から使っていたんじゃないのかしら? 出し惜しみしてたってこと?」

「去年はなかったと思うよ。もし本当にその力を身につけたんだとすると、たぶんボク対策をしたんだ」

「どういうこと?」

「ボクの《貫徹》の概念が乗った弾丸と諸星先輩の《暴喰(タイガーバイト)》がぶつかった時、どっちが勝つと思う?」

 

 アリスは口をつぐんだ。簡単に答えられる問いではないからだ。

 綴の《貫徹》は本人がそう思う限りあらゆる障害を無視することができる一方で、雄大の《暴喰(タイガーバイト)》は魔力そのものを消滅させるのだから、綴の能力を上回るかのように思える。

 だがそれは《貫徹》にも言えること。《暴喰(タイガーバイト)》すら跳ね除けられるポテンシャルを秘めている。

 まさしく矛盾だ。

 

「ボクもどうなるかはやってみないとわからない。諸星先輩もそう思ったに違いないさ。だから限界まで能力の出力を上げて、勝率を少しでも上げようとしたんだろう。今年もボクが参加することを前提に準備していたはずだからね」

「なるほど……」

「そして霊装を破壊するという戦法は元々ボクがしているものでもある。ボクという前例がある以上、黒鉄君がこの考えに行き着くのは割と当たり前だったかもね」

 

 綴の推測は完璧に的を得ていた。そしてその考えを見抜いたのはもう一人いた。

 

「なんや黒鉄! やる前からお手上げって言いたいんか!? この腰抜けが! 昨日の恩、忘れたとは言わせへんぞ!」

 

 観客と共にトラッシュトークを浴びせる雄大その人も、一輝の奇天烈なアクションの真意を悟っていた。

 言葉で、態度で、雰囲気で。ありとあらゆる要素を利用し、あたかも無礼な行いに憤る騎士として、一輝に霊装を取り出させようと仕向ける。気付いていることに気付かせないよう巧妙に。

 

 しかし一輝は一切耳を貸さず、実にノロノロとした摺足で前へ進む。

 雄大のハッタリを看破していたが、たとえ引っかかったとしても《陰鉄》を抜くことは決して無かっただろう。

 

 なぜなら《暴喰(タイガーバイト)》は()()であるからだ。

 もし仮に《暴喰(タイガーバイト)》に『迷彩』を掛けられていたとすると、一輝にそれを確実に見破る手段がない。

 魔術に関してはど素人よりも酷い有様のため、他の伐刀者(ブレイザー)ならば容易く感知出来るレベルのお粗末な『迷彩』であったとしても、一輝には感知出来ないかもしれない。

 

 そもそも、《暴喰(タイガーバイト)》がそこまで昇華していない可能性すらある。

 だが、している可能性も十分にある。

 

 分からない以上、下手を打つべきではない。一輝はどこまでも徹底することを決めていた。

 

 一輝の決意が固いことを認めると、雄大は怒りの仮面を被るその下で、冷静に策が成功したことを確かめる。

 技の一つを封じられたように見えるが、一輝はその代償に得物を手放すという甚大な被害を呑み込んだ。

 戦う前から大きなアドバンテージを得ている。必殺技が使えないというだけで十分にお釣りがくる成果だ。

 

「チッ。丸腰やからて手ェ抜くと思うなよ!」

 

 乱暴な毒突きと打って変わり、雄大は静かに槍の霊装《虎王》の矛先を寝かせ、身体を斜に構えた。

 瞬間、湾岸ドームにいた全ての人間の背筋に戦慄が走り、皮膚が泡立った。

 先程までの喧騒はどこへやら、実況ですら一瞬のうちに静まり返った。

 

 構えと同時に雄大が周囲一帯に撒き散らした威圧感。360°あらゆる方角にいる人間が等しく、下げられた《虎王》の矛先に心臓を狙われている感覚に陥る。

《八方睨み》。雄大の極限まで高められた集中力から放たれる尋常ならざる気迫だ。

 

 それを真っ向から浴びせられる一輝にかかるプレッシャーは誰よりも重い。

 

(踏み込む隙が全く見当たらない。元々威圧目的の技なんかじゃない。この手の迎撃を飽きるくらい繰り返して自然と醸し出されるようになったんだ。でなければこの完成度はあり得ない)

 

 威圧するのではなく、勝手に威圧を感じてくれている。雄大の感覚はそんな程度なんだろう。

 だからこそ恐ろしい。これほど熟練された間合い管理能力を持つ槍士の懐に素手で掻い潜り、一撃を加えなければならない困難さ。

 

 しかし一輝に選べる手札が限られている以上、やるしかないのだ。

 自分の距離。剣の間合い。そこに勝負を持ち込んで、斬る。

 結局のところ、いつも通りの戦いなのだから。

 

 意を決した一輝は穂先を正眼に捉えたまま、のそりのそりと間を詰め続ける。

 測るように。示し合わせたように。時間をかけて進み、歩を止めたのは、雄大の間合いその境界線上。

 

「「────」」

 

 束の間、場が膠着。

 腹の探り合い。相手がどう出るか、どのように応じるか。初動を掴もうと互いに牽制した故の静止。

 もとより槍とは長いリーチにより直線上に立つ敵に無類の強さを誇る武器である。

 視線を結んでいる熟練の槍使い相手に正面突破は無謀にすぎる。ましてや素手はいわんや。

 

 直後、一輝が手の先をわずかに雄大の間合いの内へ入れ、

 

「シッ!」

 

 鋭い息遣いと共に雄大の腕が幾度か瞬いた。

 一輝も然り。

 三次元空間において直線を描く軌道の穂先を横から押し退けることで刺突を逸らし、掻い潜る。

 一拍子に三度の連るべ突き。それを都合三回。圧倒的な速度と密度の刺槍のさ乱れ。

 紐解けば一つ一つはただの突き。されど槍の戻りの隙を削ぎ落し、こうも俊敏に重ねられれば壁さながら。

 

 この磨き上げられた槍術《三連星》こそが雄大の最大の武器。過去一人、綴という『例外』を除いて誰一人として侵犯を許さなかった絶対の間合いである。

 

 だが一輝は間髪入れず前進。飛来する矛先を緻密極まる微動で受け流し、雄大の前でひたすら立ちはだかる。

 幾ら突けども一輝は根を下ろした大樹の如く下がらず、横にも逃げず、ただ愚直にまっすぐ進む。

 

(この野郎ッ! 当たり前みたいな顔で何してくれとんねん!!)

 

 穂先を素手で払うと簡単にやってくれるが、やっていることは走っている新幹線に手を付けることと同じことだ。

 それ以上の速度で迫りくるものを、何の魔力も纏っていない素手で、あげく無傷で受け流す。要求される技術はもはや人間業ではない。

 

 これくらいは出来ないとやってられない土俵で戦い続けているのだろう。

 だからこそ素手で挑むなんて決断ができるとも言えるか。

 全くふざけた力量の男だ。

 

 同時に、一輝の狙いも看破した。

 縦にも横にもぶれず、正中線を正面に維持することで攻める側の攻撃の軌道を著しく制限し、否応なしに同じモーションを繰り返させ、それを処理し続ける。

 払うために必要な力、角度、速度。その全てを事細かに解析し、防御のモーションを短縮することで間合いを詰め続ける。

 すなわち、丁寧なゴリ押しだ。

 

 しかし言うは易し行うは難しとはこのことで、常に最短最速で最善手を打ち続けなければならない状況下にある一輝が絶対的に不利な立場にいるのは変わりなく、幾星霜の攻防を全て勝ち切った末にようやく一度きりの勝機を掴めるといった割に合わなすぎる戦略だ。

 その証拠に雄大のクロスレンジは破られたことがない。それだけ現実味のない空論であるということだ。

 

(……と言われとった《雷切》を打ち破ったんやからなコイツ。まぁ成るべくして成った対峙っちゅうとこか)

 

 それしか手がないから仕方ないのかもしれないが、それにしてもその胆力と自信は桁違いだ。

 なるほど綴が一輝に期待を寄せるのも分かろうというものだ。

 

(上等や……! やれるもんならやってみぃ!!)

 

 一輝の『お前の間合いは本当に不可侵なのか?』という挑戦に、雄大が受けて立った。

 獰猛に牙を剥き、腕を閃かせる。

 一輝も一歩踏み込み仕掛けた。

 

(一つ!)

 

 一撃目。眉間を穿ちに奔った一閃は右へ、

 

(二つ!)

 

 心臓を穿ちに迫る二撃目は左へステップし、一輝はこれを華麗に躱す。

 

(次が最後!)

 

 《三連星》の弱点、それはあくまでも素早いだけの三連打に過ぎないということだ。

 綴の早撃ちのように完璧な零でない以上、一輝にとって十分に対応できるもの。

 今までの応酬で雄大の《三連星》を繙きつつあった一輝はより深く踏み込んだ。

 そして、狙いをつけた三つ目は見切った通りの軌道を沿って────

 

(いや、遅────!?)

 

 ギアが一つ落ちたような、そんな感覚に陥る一輝。

 完璧に一定の速度で放たれていた三連打の一つが急に速度を落として襲ってきたのだ。

 そこは流石と言う他ないが、一輝はすんでのところで手で打ち払い、軌道をずらして二の腕を掠らせるに留めた。

 

 しかしその明らかな隙を見逃す雄大ではなかった。

 

「ッ!」

 

 ()()の息遣いと共に放たれた《三連星》の一撃目が()()()

 気づいた時には左手の甲が突かれていた。それが偽らざる感覚だった。

 

 刺突の速度がこれまでの比にならないほど跳ね上がった。

 直前の一刺と通常時の《三連星》とのアップダウンが激しすぎて一輝の目を曇らせたのだ。

 続く二刺三刺もバラバラの速度差で繰り出され、調子を完全に突き崩された。

 

 速度を変幻自在に操りながらも攻めの間隔は一定。一輝の一挙一手一足全てに絡みつかせる槍捌き。攻めっ気を気取らせない不動の心。

 それが駆け引きの幅を広く、底を深くさせている。

 おそらく雄大にここまで引き出させたのは一輝が初めてなのだろうが、雄大は当然に対応してみせた。

 

 不覚を悟った一輝の対応は迅速だった。今の今までの強気な姿勢から一転、わき目もふらず逃げ出した。

 

 間合いに深く踏み込んだために、その分余計に逃げなければならない一輝。

 向かってくるならともかく、逃げる相手になら遠慮することのない雄大は最大速度で攻め立てる。

 

「そう逃げんと付き合えやァ!!」

「っ、ぅぉおおお!!」

 

 その速さたるや、《三連星》と全く別の技と見紛うほど。

 消えたように錯覚したのは、なにも混乱したからというだけではなかった。

 《比翼》の体技で対抗する一輝をして追いつくのがやっとかという速度だ。

 

 四年という巨大なブランクを抱えた雄大が今の地位と実力を取り戻すために費やした執念。

 再起不能といわれた致命的な故障を血反吐を吐きながらリハビリで克服した不屈の精神。

 

 諸星雄大。

 この男、こと槍を刺き出し、引き戻すという単調な刺突に関してだけならば、一輝よりも零に近づいている。

 

『な、何て速度の応酬だァァァ!! 実況を挟む隙すらありませんでしたァァッ!!』

 

 逃げ出す代償に支払った手傷で血みどろになった一輝を悠然と見下ろす雄大。

 そこでようやく静まり返っていた会場が沸き立つ。

 

「やはりそうだったか……」

「綴ちゃん?」

 

 綴が懸念していたもう一つの理由。それも的中していたのだ。

 

「諸星先輩がボク対策をしていたということは当然早撃ちへの対策もしていたはず。それが今の三連打だ。あれならば、確かにボクに対抗出来るかもしれない」

「嘘でしょ……!?」

 

 去年の七星剣舞祭が運営の黒歴史と揶揄されている諸悪の根源。

 それを打ち破れる可能性を持っていると本人に認めさせた雄大に、アリスが驚愕と畏怖の念を向ける。

 

「今の時点では《暴喰(タイガーバイト)》との併せ技で一、二発防ぐのが精々だけどね」

 

 それを雄大も重々承知していたからこそ、昨日頭を下げていつか来る再戦を頼んだのだろう。

 

「この一年に限らず、諸星先輩が人生で一番振るってきた技があの突きだったんだ。元々近しいところまで詰めていたんだろうけど、ボクの早撃ちを見て、自分に応用したって感じかな」

 

 一輝とて、雄大が指を咥えて一年を過ごしたとは思っていなかったが、流石にこのレベルまで登り詰めていたのは予想外だった。

 それだけ零の道は厳しく、険しく、長い。だが雄大はこの道を踏破すると覚悟した。

 ()()()()()()()()()"()()"()()()()()、ただひたすらに槍を振り続けた。

 肉に、骨に、血に。気が遠くなるほど繰り返した過去の積み重ねの果て。

 

「《無双三段》ってな。ワイが導き出した"答え"っちゅうこっちゃ」

 

 恥じ入るばかりの未熟さだが、それでもなお今の七星剣舞祭を勝ち抜くに十分な強さを秘める絶技だ。

 

 その背を見て、いつしか小梅の心は氷解した。

 兄は生き甲斐を失ってなんかいなかった。夢に没頭しながら、それを供にしてほしいという兄の一途な願い。

 それに応えたい。それが小梅のやりたいことだったのだから。

 

「今度はワイが挑戦する番や。お前の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》、試させてもらうで」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。