捻くれた少年と純粋な少女 (ローリング・ビートル)
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1話

「なあ……何で俺達まで秋葉原に来る必要があったんだ?」

「あははっ、材木座君は八幡が好きなんだよ」

「……冗談でもやめてくれ」

 

 そんな事言って『捻くれた少年と中二病なオタク』が始まったらどうしてくれる。タイトルだけ見たら、某猫さんが出てきそう。

 

「今からどこ行くの?」

「さあな、適当に時間潰そうとしただけだし」

 

 材木座に付き合って秋葉原まで来たはいいが、あいつは対戦ゲーム仲間とトーナメントを開始しやがったので、俺と戸塚は適当にブラブラする事にした。しかし、俺はラノベは読むが、それは千葉でもできるし、グッズを買ったりはしない。戸塚も二次元にそこまで興味はない。なので、すぐに手持ち無沙汰になってしまった。そんなわけで、賑やかな街並みから少し離れた場所を歩いている。

 ……とそこで、曲がり角から誰かが勢いよく飛び出してきた。

 

「ん~っ!?」

「なっ!?」

 

 突然曲がり角から現れたパンをくわえた女子が現れた。

 俺の反射神経では躱しきれず、正面からぶつかってしまう。

 

「っ!」

「きゃっ!」

 

 俺はその衝撃で尻餅をついてしまった。

 相手も同じように尻餅をついたが……

 

「ほっ!」

 

 口から落としかけたパンをキャッチした。

 

「よし、ナイスキャッチ!」

 

 自分で言いながら、立ち上がって、スカートについた埃をぱっと払う。つーか、パンを加えて走る女子って本当にいたのか。ツチノコとかネッシーみたいなもんだと思っていたが……。

 

「ごめんなさい!大丈夫ですか?」

 

 こちらがぼーっと考えている内に、手を差し出される。どうしようか迷ったが、無視するのも失礼かと思い、そっと握って、すぐに立ち上がる。そして、ひんやりとした感触を覚える前にさっと離した。

 

「悪い」

 

 何故か謝りながら、改めてその顔を見る。

 目はぱっちりと大きく快活そうで、鼻や唇はこれといった特徴はないが整っていて、まぎれもなく美少女の部類に入る。年は同じくらいだろうか。

 

「どうかしました?」

「あ、いや……何でもない」

 

 長く見つめすぎたのか、怪訝そうな目を向けられる。

 中学時代ならこの出会いに勝手に運命を感じていたのかもしれないが、今はそんな愚かな間違いは犯さない。

 

「あ~っ!」

 

 思考に割り込んでくるような、いきなりの大声に後退ると、目の前の少女は何かを恐れるかのように青ざめていた。

 

「そういえば遅刻ギリギリだったぁ!このままじゃ海未ちゃんに怒られちゃう!ごめんなさいっ、それじゃっ!」

 

 謎の美少女は待ち人がそんなに怖いのか、さっきよりもさらに速いスピードで駆けだしていった。TIME ALTER

DOUBLE ACCELと言わんばかりの速度だ。

 あっという間にその背中は視界から消え去り、幻を見たようなおかしな感覚を覚える。

 

「……どうした?」

 

 さっきから一言も発せずに立ち尽くしている戸塚に声をかける。心なしか嬉しそうだ。

 

「あ、いや……漫画とかドラマで見たような出会い方だなって……」

「は?」

「もしかしたら八幡の運命の出会いかもしれないね」

「……んなわけあるか」

 

 この時の戸塚の発言が現実のものになるとは思いもしなかった。




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2話


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 それでは今回もよろしくお願いします。


 

「何で今日に限って勝ち続けるんだよ……」

「あはは……」

「けぷこん、けぷこん。ふむ、我の秘められし力が解放されてだな……」

 あれからゲーセンに戻ったのだが、材木座が予想以上に健闘したせいで、かなり待たされた。時刻は既に午後5時を過ぎている。……本当に何やってんだろうな。あまりの付き合いの良さに自分が女だったら惚れてしまいそうだ。何なら戸塚が惚れてくれねえかなぁ。

「あ、八幡!」

「どした?」

 え、まさか本当に?

「実はお母さんに頼まれた買い物があるんだけど、付き合ってもらってもいい?」

「ああ、もちろん……」

 軽い落胆を抑えながら頷く。いや、まあわかっているんだけどね。

「おーい、我を忘れておらんかー……」

 

 10分程歩いて到着したのは、店舗と住居が一体となっている建物の前だ。いかにもな木造家屋が、見る者に親しみのある印象を与える。そして、次に目に入ったのは『穂むら』と書かれた大きな看板だ。

「……和菓子屋か」

「うん、ここのが美味しいって親戚に聞いたんだって」

 看板もそこそこ古く、昔ながらの和菓子屋といった落ち着いた雰囲気がある。それは都会にありながらものどかさを失っていなかった。

「では参ろう!」

 何故か先頭に立った材木座が、無駄に堂々と暑苦しく扉を開けた。罠でも仕掛けられてねえかな。

 ガラッと引き戸を開くと、中から元気な声が飛んでくる。

「いらっしゃいませ-!!……あー!あなたは!」

「は?」

 聞き覚えがあるような、ないような声に反応すると、そこにはさっきのパン女がいて、俺を指差していた。

 

「ごめ~ん。さっきは急いでたから……」

 いきなり奥に引っ込んだパン女は、お盆に饅頭を乗っけて、いそいそと持ってきた。快活そうな見た目と割烹着の絶妙なバランスは、まさに看板娘といったところか。……実在したんだな。

「いや、別に気にしなくていい。俺もぼーっとしてたし……」

「これ、ほむまんっていうの!ウチの名物だから試食していって!」

「お、おう……」

「ありがとう」

 こうも無邪気な笑顔で、ずいっと目の前に出されたら、断りようがない。戸塚と共に一つ受け取る。

 材木座は真っ先に入った割には、同年代の女子を見て、急にステルス性能を発揮した。まあ、あの風貌のせいで上手くはいってないが。

 ほむまんとやらを頬張ると、口の中に程よい甘さが広がる。コーヒーはとことん甘くする俺だが、この控え目な甘さはかなり気に入った。

「どう?どう?」

「うん、美味しいよ!」

 戸塚も同じ感想のようだ。

「うむ、気に入った!」

 いつの間にか食べていた材木座が胸を張り、偉そうに言う……少し距離をとって。

「あなたは?」

 ……その上目遣いであなたなんて言うの止めてもらえませんかねえ。世の男子達を死地に送り込みますよ。

 俺はあらぬ方向へ目をやり、その視線から逃れて言った。

「……美味い」

「よかったぁ♪」

 視界の端に映る満面の笑みに、鼓動がはやまった気がしたが、ただの気のせいだろう。

 口の中にはほんのりとした優しい甘さが残って、しばらくはそこに居座りそうだった。

 

 





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3話


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「よかった、よかったぁ~♪」

 そう言いながら、パン女は饅頭を頬張る。

 仕事中にいいのだろうか、というツッコミもどうでもよく、とても美味しそうに食べるその姿に、危うく見とれそうになった。隣にいる戸塚と、少し離れた場所にいる材木座も僅かに頬を赤く染めている。

「「「…………」」」

「あ、これは、その……味見だよ味見!」

 俺達の視線に気づいたパン女はあたふたしながら言い訳をした。間違いない。絶対にこいつは無意識に男を死地に送り込むタイプだ。

 そうしている内に、店の奥から女の人が現れ、その背後で仁王立ちになる。怒り顔だが綺麗な人だ。20代後半くらいだろうか。

「……ほ~の~かぁ~!」

 怒気を孕んだ声にパン女はビクッと跳ね上がり、恐る恐る振り返る。

「あ、お母さん……」

「あんたは何を堂々とつまみ食いしてんの!お客様の前で!」

 どうやら母親のようだ。

 パン女は震える手をわたわたさせ、必死に言い訳を頭の奥から搾り出しているようだ。由比ヶ浜も似たような動作をするので、こいつももしかしたらアホの子かもしれない。

「こ、これは味見だよ!」

「朝から合計7個は食べたでしょう!?」

「ごめんなさい~!」

 俺達に対して使った言い訳も全く効果がなく、パン女はがっつり叱られた。

「まったく……次やったらお小遣い3割カットだからね!」

「さ、3割……はい……」

 3割か……容赦ねえな。俺だったらストを起こして学校に行かないまである。

 一通り説教を終えると、母親の方が、大人の魅力が漂う穏やかな微笑みを向けてきた。

「ごめんなさいね。ゆっくり選んでいってね」

 そう言って照れ笑いをしながら、奥へ引っ込んでいった。

「ふう……あ、ごめんなさい。お恥ずかしいところを見せちゃったね……」

「いや、別に……」

「じゃあ、私はお仕事に戻るから!……っとと!」

 慌てて移動しようとしたせいで足がもつれ、俺の右腕に捕まってくる。腕をきゅっと握る感触と、淡い柑橘系の香りが漂ってきた。 

「ご、ごめ~ん……」

「あ、ああ……」

「……大丈夫?顔、赤いよ?」

 だからそうやって覗き込んでくるからだろうが。

 その探るような視線から逃れる為に無理矢理話を逸らす。

「バイトじゃなかったんだな……」

「うん、そうだよ。私、ここの娘なの!それと……」

 カウンターに戻って、ピンク色のパソコンを持ってきた。画面に目をやると、『lovelive!』というカラフルな文字が目に入り、何やらランキングみたいなものと、幾つかの動画が表示されているのがわかる。……仕事はいいのだろうかというツッコミはまた飲み込んだ。

「私、今スクールアイドルやってるの!μ'sっていうグループで活動してるんだ♪」

「スクールアイドル……」

 戸塚が耳慣れない単語を反芻しながら、画面を注意深くじっと見る。もしかして戸塚もアイドルやりたいのだろうか。なら俺が徹底的にプロデュースしてやるしかないか。やればできるって765プロも歌ってたしな。

「どうしたの八幡?」

「俺の事はプロデューサーって呼んでくれ」

「な、何の話?」

 いかん。妄想の世界に入り込んでしまった。

 材木座からもドン引きの目で見られながら、再び画面に目を戻す。

 そこにはプロと遜色ない、というには無理があるのかもしれないが、ちゃんとアイドルらしい衣装に身を包み、目の前にいる時とは全く違う雰囲気を身に纏った『スクールアイドル』がいた。

 

 





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4話

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「…………」

「八幡」

「…………」

「八幡ってば!」

「お、おう……どうした?」

 ベストプレイスにて音楽を聴いていたら、戸塚が隣にいる事さえ気がつかなかった。いかん、俺とした事が。こういう小さなすれ違いの積み重ねが愛想を尽かされる原因になるというのに……。

「またμ’sの曲聴いてたの?」

「……ああ、まあな」

 高坂に勧められてから、ネットに上げられているμ’sの楽曲にほんのちょっとだけハマってしまった俺は、空き時間にμ’sの楽曲を聴くようになった。もぎゅっとくる可愛い曲や、可能性を感じる曲など、やけに耳に残るものが多い。別に水着のPVが見たいとかではない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

「新曲、楽しみだね!」

「ああ、そろそろスクールアイドルのサイトに上げられるんじゃないか?」

 次の楽曲を聴きながら、おそらくもう会う可能性は殆どないスクールアイドルの少女の笑顔をぼんやりと思い出した。

 

「それで……何でお前の買い物に付き合わなきゃいけないんだよ……」

「ふむ、仕方あるまい!我は観賞用と保存用に二つ欲しいのだが、一人一つなのだ」

「…………」

「よ、よいではないかよいではないか!後でスタ丼奢ってやるから!な?」

 材木座は少しだけ素に戻っていた。はっきり言って、周りの視線が突き刺さって痛いので止めて欲しい。

「それにほむまんでも買いに行けばよかろう」

「……行かねーよ」

 この前笑顔を向けてくれたのも、店員としての接客と、スクールアイドルとしての宣伝の部分が多い。ここで、『あの子、俺に気があるんじゃね?』なんて勘違いするのは、コンビニの店員が手を添えただけで好きになるのと同レベルだ。もしくは中学時代の俺。

 なので、俺は穂むらには行かない。

 ……μ’sの楽曲は聴くけど。

 

「あ」

「……」

 いきなりの再会。

 駅の改札を通り抜けたところで、行き交う人並みの中に高坂を見つけた。向こうも俺の方を見て、立ち止まっている。

 俺はそのまま立ち去ろうと……

「ちょっと!何で無視するの!?」

 したが、肩を掴まれる。これは少し……いや、かなり意外だ。

「お、ああ、偶然だな。気づかなかった」

「うわぁ、今絶対に気づいてた癖に」

「ほら、あれだ……シャイなんだよ。それに覚えてると思わなかった」

 俺ぐらいになると、シャイすぎてシャイニーしてしまうまである。多分、使い方間違ってるけど。

「君みたいな目つき悪い人忘れないよ!」

「おい」

「あはは、ごめんごめん。そういえば、名前聞いてなかったね。私、高坂穂乃果!」

「……比企谷八幡だ」

 

「さあ、到着したぞ八幡よ!……あれ?」




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5話

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 活動報告の方も更新していますので、お時間あればどうぞ!

 それでは今回もよろしくお願いします。


「そっかぁ、友達とはぐれちゃったんだー」

「ああ、まあな」

 俺の話を聞いた高坂は、手で庇を作り、キョロキョロした後、手をポンと打った。

「じゃあ、探すの手伝ってあげよっか?」

「いや、いい。はぐれはしたが、別に探す程の奴じゃない」

 まあ、適当な時間に合流すればいいだろう。特典といっても、奴の家のタンスの肥やしになるだけだし。

「ダメだよ!友達は大事にしないと!」

「いや、あれは友達っつーか……」

「?」

「……ボッチ仲間、だな」

「……ボッチって何?」

 高坂はキョトンと小首をかしげる。どうやら本当にわかっていないようだ。

「独りぼっちのぼっちだよ……哀しい説明させんな」

「比企谷君、友達いないの?」

 ……ストレートすぎて返答に困る。

 だが、彼女はこちらの心情などお構いなしに、ガッと肩を掴んできた。

「比企谷君!大丈夫だよ!」

「な、何がだ?」

 てか、顔近い!顔近い!大事なことなので2回言いました!

 ついでに柑橘系の爽やかな香りが漂ってきて、鼻腔を優しく刺激した。

 もちろん彼女はこちらの心情などお構いなしだ。

「一緒にお話したり、一緒にオヤツ食べたり、一緒にご飯食べたり、一緒にパン食べたり、一緒に遊べればきっとお友達になれるよ!!!」

「……そ、そうか」

 半分以上食べてばっかじゃねーか。しかもパンは特別枠かよ。

「それに……」

「?」

「私達、もう友達でしょ?」

「…………」

 無邪気すぎる笑顔。

 純粋という成分のみで構成されたようなその笑顔でそんなことを言われると、思春期男子としては嬉しいような、悲しいような、何ともいえない気持ちになる。いや、別に何かを期待していたわけでもないし、中学時代なら好きになって告白してただろうな、なんてこれっぽっちも考えていない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

「比企谷君?」

 彼女の表情に不安の影が差す。

 不覚にもその事に慌ててしまった。

「あ、いや、その……そうじゃ、ないか」

「うん!ありがと!」

「じゃ、じゃあ、そろそろ……いいか?」

「何が?」

 正直、この人通りの中でいつまでもこの至近距離で会話するのは辛すぎる。たまに背後に冷たい視線が突き刺さる錯覚を覚えて落ち着かない。

 高坂もようやく気づいたようだ。

「あ、ご、ごめ~ん……」

「いや、いい……それじゃあな」

「あ、待って!」

 立ち去ろうとすると、また肩を掴まれる。

 振り向くと彼女は、笑顔でスマホをこちらの眼前に突き出してきた。

「私達、友達って言ったよね。連絡先交換、しよ?」




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6話


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「……連絡先?」

「そっ!連絡先だよ!」

「ああ……」

「あ、ごめん……いきなりすぎた?」

 この距離の詰め方は、世の男子達を積極的に送りにいくスタイルとしか思えないのですが、それは……。

 しかし、こいつ……どこかやりづらい。

 何というか……純粋すぎるのか、無防備すぎるのか……。

 言葉の裏側を読み取ろうと思っても、言動の奥底にあるものを覗こうと思っても、何もないのだ。

 勿論、俺には読心術の心得もないし、超能力も持っていない。しかし、他人からの悪意に関しては人一倍敏感なつもりだ。

 それでも、彼女からはそれらしいものが見えてこない。まだ出会って間もないから、なのだろうか?

「比企谷君?」

「……いや、何でもない」

 俺はこんがらがりそうな思考を振り払い、高坂に携帯を渡す。

 彼女はそれを見て、呆けた顔をしたが、すぐにその意味に気づいた。

「あ、なるほど!」

 俺から携帯を受け取り、テキパキと登録を済ませ、携帯が戻ってくる。

「ありがと♪」

「礼言われることでもないんだが……」

「そうかな?じゃあ、ほむまん買って行ってよ!」

「じゃあって……繋がりが全く見えないんだが……」

「いいからいいから♪お安くしときますよ~」

「んな勝手な事言ってると、自分の母ちゃんや妹に怒られるんじゃないのか?」

 俺の言葉に、高坂の顔が一瞬凍りついた。

「……あ、そうだ!私、この後友達と会う予定があるんだけど、まだもうちょっと時間があるんだ!比企谷君が暇なら付き合ってくれないかな?」

「誤魔化しやがった……」

「あはは……あ、でもお友達待ってるんだよね?」

「……いや、まあ……大丈夫だ。どうせ向こうも忘れてるだろうしな」

「そう……かなぁ?」

「ああ、つーか時間潰すだけなら、その辺の喫茶店で十分だろ」

「うん……じゃあ、行こっか!」

 

 喫茶店の中は休日の昼の割には空いていて、外の喧騒とは切り離された空間になっていた。

 適当な席に腰を下ろし、先程まで自分達がいた通りに目をやると、不思議な気持ちになるくらいだ。

 いや、それより不思議なのは、お互いに時間潰しの為とはいえ、この組み合わせで喫茶店にいることだろうか。

 まあ、当事者の片方はさっさと注文をチョコレートパフェに決めてしまったが……

「比企谷君は部活とかやってるの?」

「……一応、奉仕部だ」

「ほーし部?」

 多分、この言い方は奉仕の意味がわかっていないっぽい。

 とりあえず、雪ノ下の言葉を借りる事にする。

「ああ、あれだ。腹減った奴に、魚をやるんじゃなくて、魚の捕り方を教えるんだよ」

「へえ、釣りをするの?」

「…………」





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7話


 申し訳ないです。風邪をひいてしまい、更新が遅れました。

 それでは今回もよろしくお願いします。


「何だかよくわからないけど……楽しそうだね!」

「……お、おう、そうか」

 

 本当によくわかっていなさそうだ。つーか、このリアクション……どっかで見た覚えが……。もしかして、この子もアホの子なのだろうか。

 高校生にしては無邪気過ぎる瞳の輝きに気圧されていると、彼女が注文したチョコレートパフェと、俺が注文したチーズケーキが運ばれてきた。

 満面に笑みを貼り付けた彼女は、チョコレートソースがかかった生クリームをパクリと頬張る。

 

「う~ん、おいし~♪」

「…………」

 

 こちらもそのとろけるような笑顔につられ、チーズケーキを頬張る。うん、美味い。なんかもう、美味しすぎて、このまま材木座をほったらかして帰ってもいいくらいだ。

 

「じぃ~っ」

「?」

「じぃ~っ」

 

 高坂の視線がチーズケーキで固定されている。ここまで本音を隠す気がないと、いっそ清々しい。

 とはいえ、ここで一口食べる?なんてスマートに切り出せるほどのコミュニケーション能力は持ち合わせていない。悪いな、チーズケーキは今度自分で頼んでくれ。

 俺が視線に気づかないふりをして食べ進めていくと、ようやく諦めたのか、自分のパフェを……

 

「えへへっ、一口もーらいっ♪」

「っ!」

 

 彼女はいきなり、巧みなスプーン捌きで、俺のチーズケーキを削り、それを口に運んだ。

 

「ん~、美味しい♪」

「…………」

 

 別に怒っているわけではない。

 ただ……間接キスになるんじゃないか、なんていう単純明快な事実が気になるだけだ。あ、いや、別に意識してるとかじゃなくてですね?やはり年頃の女子として、その無防備は時として残酷になると言いますか……あなた絶対に男子を死地に送り込んだことありますよね?

 すると彼女は、自分のパフェを差し出してきた。

 

「はい!少し取っていいよ!」

「…………」

「どしたの?顔赤いよ?」

「いや、何でもない」

 

 俺はこの子の純粋さを少しだけ心配しながら、パフェの上にポツンと乗っかっているサクランボを取って、勢いよく口に含んだ。うん、これも美味い。そしてナイス判断、俺。これなら間接キスには……

 

「あ、あ、あ……」

「……どした」

「あ~~~~~~~~~~!!!!私のサクランボが~~~~~~~~~~!!!!」

 

 *******

 

「もう、信じらんない!サクランボだよ、サクランボ!」

「いや、嫌いなのかと……」

「最後まで取っといたの!」

「お、おう……悪い……」

 

 会計を済ませ、喫茶店を出てからも、高坂はまだご立腹のようだ。

 

「まあ、いきなりケーキ食べちゃったから仕方ないんだけどさ……あ、そうだ!」

 

 今度はいきなり笑顔になり、何やらチラシを差し出してくる。

 

「μ's、秋葉原ライブ?」

「そ!1週間後だから、良かったら観に来てね!あと穂むらもよろしく!」

「ああ……いつか、その内な」

「その内じゃなくて1週間後だよ!まあ、来れたらでいいんだけどね?」

「……時間は大丈夫なのか?」

「え?……あ~!!もう10分以上過ぎてる!また怒られちゃう!」

 

 時間を確認し、慌てた高坂は電光石火の如く走り出す。その背中が小さくなるのを見送っていると、彼女はぱっと振り返った。

 

「比企谷君!ありがとう、またね!!」

「……お、おう」

 

 弾けるような笑顔の残像を残し、彼女は人混みに消えていった。

 ……そろそろ材木座と合流するか。

 

 

 

 





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8話

 

「八幡、何聴いてるの?」

 

 今日も一人、ベストプレイスにて昼食を摂っていると、ぴょこっと可愛らしい擬音がつくような可愛らしさで戸塚が現れる。

 

「……μ'sの曲だ」

「ああ、僕も聴いてるよ!いい曲多いよね!」

「……意外とな」

「八幡は何が好きなの?」

「…………もぎゅlove」

「……意外だね」

 

 べ、別にあの曲の時、東條さんの胸元が気になるとかじゃないんだからねっ!いや、本当だよ?純粋に名曲と思っているだけだ。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「今度の日曜日に秋葉原でライブするらしいね。僕は部活で行けないけど、八幡は行くの?」

「俺も部活があるからな……」

「あはは……でも、八幡ってなんだかんだ言いながら行きそうだよね」

「……俺がそんな律儀な奴に見えるか?」

「ふふっ、どうだろうね」

 

 くすくす笑う戸塚の可愛い笑顔に見とれながら、俺は至福の昼食時間を過ごした。

 しかし、そんな意識の片隅には、やけに無邪気に笑う彼女の……少し、いやかなり苦手な瞳が輝いていて、そこから目を離せずにいた。

 

 *******

 

「……何故だ」

 

 日曜日。

 俺は秋葉原駅前にポツンと立ち、独りごちた。結局来ちゃうとか、俺にはツンデレの才能があるのかもしれない。

 この炎天下でも、秋葉原はいつものように人で溢れかえり、俺のHPをガリガリ削っていく。人よりパーソナルスペースを広めにしてある弊害がここでくるとは、やれやれだぜ。

 とはいえ、立ち止まっているわけにもいかない。

 俺はチラシを参考に、ライブが行われる場所までのんびり歩く。

 

「あれ?比企谷君?」

「…………」

 

 朝起きてからのことを思い出す。本来なら惰眠を貪っていればいいはずなのに、何故か外出の準備をしていた自分のらしくもない姿。

 

「ねえ、比企谷君」

「…………」

 

 うん、やっぱりあいつは苦手だ。

 

「比企谷君ってば!」

「っ!」

 

 突然背中を叩かれ、ビクッとする。あ、危ねえ。あと少し強ければ、公衆の面前でお婿に行けなくなるレベルの叫び声を上げるとこだったぞ。こんな所で専業主夫の夢を潰えさせるわけにはいかない。

 振り向くと、腰に手を当て、頬を膨らませた高坂が立っていた。

 

「もう、無視しないでよ!」

「……いや、気づいていなかっただけだ」

「あ、そうなんだ。ごめぇ~ん……」

「いや、いい。つーか、お前大丈夫なのか?今日、ライブなんだろ?」

「え?あはは……実は忘れ物しちゃって……」

「…………」

 

 本当に大丈夫か、こいつ。

 

「そ、それより比企谷君!ライブ観に来てくれたの!?」

「……あ、ああ、一応……」

「じゃあ、一緒に行こう!こっちこっち!」

「え?いや、おい……」

 

 いきなり手首を掴まれ、無理矢理走らされる。

 やっぱりこいつ……苦手だ。





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9話


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「……な、なあ、高坂」

「何!?」

「その……手は離してくれてもいいんだが……」

「え?あ!」

 

 高坂は急に立ち止まり、ぱっと手首から手を離す。本当に今気づいたと言わんばかりの反応だ。いや、これはそういう演技なのか……だとしたら、その手は桑名の焼き蛤です!ぐらいに気を引き締めなければならない。

 

「ごめ~ん、つい……」

 

 彼女は苦笑しながら頬をかき、何事もなかったように「こっちだよ!」と駆け出した。

 その背中を追う俺の手首には、細い指の温もりがはっきりと残っていた。

 

 *******

 

 3分もしない内に、目的地に辿り着いた。

 店の前には人だかりができていて、ライブの開始を今か今かと待ちわびている。

 高坂は見つからないよう、店の脇の細い路地に入り、俺もそれに続いた。

 

「着いた~!」

「……結構、人がいるんだな」

「あはは……まだ学校のクラスメートがほとんどだけどね」

「いや、それでもすごいんじゃねえの」

 

 仮に俺が路上ライブをしたところで、クラスメートは一人も来ない自信がある。いや、もしかしたら戸塚は天使だから来てくれるかも。そして、お情けで奉仕部の二人が。ただ、それを奉仕部の活動と言われたら、心に痛手を負っちゃうけど。

 

「ほ~の~か~?」

「ぎくっ!」

 

 怒気を孕んだ声に、高坂がビクンと跳ねる。

 声のした方を見ると、長い黒髪が特徴的なμ'sのメンバー……確か園田さんだったか……が、腕を組んで、高坂を睨んでいた。

 

「まさか、リーダーが集合時間に遅れてくるとは……一応、理由を聞きましょうか。まさか、寝坊ですか?」

「ね、寝坊じゃないよ!ちょっと忘れ物しただけだもん!」

「よりたるんでます!準備は前日のうちに済ませなさいといつも言っているでしょう!」

「うぅ……」

 

 うん、正論すぎて反論の余地がない。

 

「海未ちゃん、あまり怒らないであげて?」

「ことり……」

 

 店の中から出てきたのは、特徴的なサイドポニーが目立つ……南さんか。北だっけ?東だっけ?西だっけ?とボケるのは、サムいので止めておく。

 

「ほら、海未ちゃんも笑顔笑顔♪」

「もう……ことりは穂乃果には甘いんですから……ん?」

 

 園田さんの目が、高坂のすぐ後ろにいる俺に向く。

 

「穂乃果……後ろにいる方は貴方の知り合いですか?」

「あ、うん!千葉から来てくれた比企谷八幡君だよ!」

「……ど、どうも」

 

 噛まないよう、注意をしながら会釈する。挨拶に関しては雪ノ下から鍛えられている。あと毒舌に対する耐性とか。

 園田さんは意外そうに首を傾げた。

 

「千葉?穂乃果は千葉に知り合いがいたのですか?」

「知らなかった~」

「この前、知り合ったんだ!たまたまウチにお菓子買いに来てくれた時に」

「「…………」」

 

 園田さんと南さんが、俺と高坂を見比べている。これはあれか。査定のお時間か。

 なんて事を考えていたら、二人が俺に笑顔を向けてきた。

 

「穂乃果のお友達でしたか、私は園田海未です。穂乃果とは幼馴染みで、その……一応、μ'sのメンバーです」

「同じく幼馴染みの南ことりです。μ'sのメンバーで、衣装担当です。今日は来てくれてありがとう」

「……あ、ああ、どうも」

 

 お礼を言ってくる二人の美少女から、華やかな笑顔を向けられるという、かなり不慣れなイベントに戸惑いながら、再び会釈する。変な愛想笑いだけは浮かべないよう、唇を引き締めた。

 そこで、また扉が開いた。

 

「海未、穂乃果は来たかしら?」

「あ、絵里ちゃん!」

 

 中から出てきたのは、鮮やかな金髪と宝石のような碧眼が特徴の、絢瀬さんだったか……。

 

「まったくもう……また、ちこ……く……」

「絵里ちゃん?」

 

 何故か絢瀬さんの視線がこちらに向かって固定されている。あと心なしか頬が紅い気がした。

 

「ハラ……ショー……」





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10話


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「絵里ちゃん?どうしたの?」

「……はっ!い、いえ何もないのよ?何も!あはは……」

「そう?顔赤いよ?」

「それより良い天気ね。心が洗われるようだわ。ハラショーよ」

 

 絢瀬さんは、何故か少し離れた場所でラジオ体操を始めた。クールなイメージが先行していたが、実は元気キャラとかなのか?スマートに、でも可愛く進んじゃうのか。

 

「ほら、比企谷君。絵里ちゃん、とっても綺麗でしょ?」

「あ、ああ……」

「はぅあっ!」

 

 今度はピーンと身体を伸ばして、高く跳ね上がった。あんな動きラジオ体操にあったっけか?あと制服のスカートでそんなジャンプはしないほうがいい。視線のやり場に困るから。いや、見えてないよ?そもそも見てないし?

 

「絵里……どうしたのでしょう」

「うん……」

「じゃあ、比企谷君はステージ前で待ってて!絶対にいいライブにするから!」

「……ああ」

 

 高坂に頷くと、ラジオ体操を終えた絢瀬さんが正面に立った。鮮やかな碧眼に射竦められ、普段ならすぐに

 

「比企谷君」

「あ、はい……」

「自己紹介が遅れたわ。絢瀬絵里でしゅ……よろしく」

 

 今、この人噛みましたよ?しかし、それをツッコむことを許さないような優しすぎる微笑み。

 

「……どうも」

「よろしく」

 

 お互いに軽く会釈して終わりかと思いきや、絢瀬さんは、しっかり手を握られていた。しかも両手で。

 ひんやりした感触に右手を包み込まれ、言葉もまともに出せないくらいに緊張する。

 

「…………」

「絵里ちゃん!早く準備しようよ~!」

「チカっ!わ、わかったわ。それじゃ、またね」

 

 絢瀬さんは控え目に手を振り、中へ戻った。

 あっという間に取り残された俺は、ぽつんとその場に佇む。

 ……あれっ、これもう帰っていいんじゃね?

 すると、狙い澄ましたようなタイミングでドアが開き、ジト目の高坂がぴょこっと顔を出した。

 

「比企谷君!!帰っちゃダメだからね!!」

「お、おう……」

 

 いきなり出て来んなよ。びっくりするだろうが。

 つーか、思考回路読まれてんのかよ。

 

 *******

 

 ライブは大盛況の内に終わった。

 メンバー全員がメイド服姿という材木座が喜びそうな衣装な上、伝説のメイド・ミナリンスキーがメンバーということもあり、メイド喫茶の客もファンに引き込んでいた。もちろん、彼女達のパフォーマンスの魅力があってこそなんだろうが。

 見るもの見たし、特にやることもないので、帰ろうかと駅方面へてくてく歩いていると、背後から足音が近づいてきた。

 

「ひ、比企谷君、待ってよ~!」

「…………」

「無視!?」

「……いや、気づかなかっただけだ」

「嘘だ!今、体がピクッて反応してたもん!」

 

 余計なところで鋭いのね、この子は。

 振り返ると、メイド服姿のまま飛び出してきたらしい彼女は、全速力で走った事など、ものともせずに微笑んだ。

 

「も~、何も言わずに帰っちゃうんだもん!お礼くらい言わせてよ!」

「いや、別に……っ」

 

 さっきの絢瀬さんみたいに不意打ちのような握手。

 しかし、さっきと決定的に違うのは……

 

「……なあ」

「…………」

 

 自分から握手をしたはずの高坂は、握り合う二つの手を、不思議そうな目で見つめていた。その瞳を見ていると、何ともいえない気分になる。おい、何だよ。手汗すごっとか思われてんじゃねえかと、不安になっちゃうだろ。

 俺の視線に気づいたらしく、高坂がばっと手を離す。

 

「ご、ごめんごめん!」

「いや、大丈夫だが」

 

 え、何?マジで手汗凄かったとか?

 不安がこみ上げている俺に対し、高坂は平然と距離を詰めてきた。

 

「肩にゴミが……きゃっ!」

 

 躓いた高坂がこちらに転んできた。

 幸い真正面だったので、咄嗟の反応でも両肩を受け止めることができた。

 そして、彼女の額がこちらの胸にこつんと当たった際に、柑橘系の爽やかな香りが弾け、ふわふわと鼻腔をくすぐった。

 すぐに心拍数が上がり、緊張やら何やらが極限に達する。

 しかし、彼女はそうでもないのか、目をぱちくりさせていた。だから、そのリアクションやめてくれよ……汗臭いのかと思っちゃうだろうが……。

 

「おい、高坂……」

「あっ、ごめんごめん!大丈夫?」

「いや、こっちは……つーか、戻んなくていいのか?」

「あっ、そうだった!じゃあ、またね!」

 

 嵐のように過ぎ去った彼女の背中を見て、触れられた肩の熱が妙にこそばゆく感じる。気を緩めると、そこに甘やかな何かを探してしまいそうだった。

 やっぱり…………あいつは苦手だ。

 

 *******

 

「……手、おっきかったな」

 

 海未ちゃんやことりちゃんとは違い、たくましさがあり、少し固い。

 比企谷君に受け止められた時も、似たような感覚がした。

 お父さんに似てるけど、どこか違う。

 ……何だろう、この感じ。

 私はよくわからないまま、走って皆の元へ戻った。

 





 読んでくれた方々、ありがとうございます!


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11話

 感想・評価・お気に入り登録・誤字脱字報告ありがとうございます!

 それでは今回もよろしくお願いします。


「…………」

「お姉ちゃん、どうしたの?さっきからじぃっと掌見てるけど」

「え?そうかな……」

 

 雪穂に言われてはっと気づく。知らない内にまた見てたみたいだ。

 そんな私の様子を、雪穂はニヤニヤ笑っている。

 

「な、何?どうしたの?」

「いや、お姉ちゃんが珍しく乙女な表情をしてたから」

「む~、どういう意味~?」

 

 失礼だよ!私だって青春真っ盛りの女子高生なのに!

 すると雪穂は、悪戯っぽい笑顔のまま、こちらにすり寄ってきた。

 

「だってさ~、お姉ちゃんだよ?高校2年にもなって、浮いた話の一つもないんだよ?乙女な表情なんて、ほとんど見れないよ?」

「うっ……それは……」

 

 何も言い返せない……。

 確かにその通りなんだよね……。

 興味がないとかじゃなく、興味を持つタイミングがなかったと言いますか……。

 それに今はスクールアイドル活動が忙しいし。

 

「それで、手がどうかしたの?」

「うん……男の子と握手したんだけどね」

「はあ!?」

 

 雪穂が物凄く驚いた声を上げる。

 そして、私の肩をガクガク揺さぶってきた。

 

「う、嘘でしょ!?お姉ちゃんに彼氏!?男装した海未さんやことりさんじゃないよね!?」

「私ってどんなイメージなの?」

 

 少し見てみたいけど、そんなことはしないよ……。

 

「それに雪穂……今、彼氏って……」

「お父さん!?どうしたの、いきなり!試作品を3つも同時に食べて……!」

「「…………」」

 

 お父さん、そんなにお腹が空いてたのかなぁ?

 

「と、とりあえず……お姉ちゃんの部屋に行くよ」

「え、何で?」

「何でもいいから行くの!……お父さん、気をしっかり保ってね」

 

 雪穂は何故か小声でお父さんを励ましながら、私の手を引いた。

 

 *******

 

「なんだ~。最近知り合っただけの人か~。もう、驚かさないでよ!」

「雪穂が勝手に勘違いしたじゃん!」

 

 雪穂は比企谷君を私の彼氏だと勘違いしていたみたいだ。最近出会ったばかりなのに。

 しかし、雪穂は何故かうんうんと頷いている。

 

「でも意外だなぁ。お姉ちゃんが男の人ライブに誘うなんて」

「そうかなぁ」

「そうだよ。だってお姉ちゃん、中学時代のクラスメイトとか、連絡取ってなさそうだもん」

「あれ、そういえば連絡先知らない!」

「まあ、あんなに仲良し3人組でつるんでればね……海未さんが目を光らせていたのもあるけど」

「ん?何か言った?」

「いや、何も。それより、どんな人?」

「ん~……目つきがすっごく悪いの!」

「そ、そうなんだ……」

「あとは……結構冷たいんだよ!この前もお友達をほったらかして一人でどっか行こうとしてたし!」

「……へえ」

「でもね?ライブにはわざわざ千葉から来てくれたんだよ!」

「…………」

「あとは……甘い物が好きで、目つきが悪いんだよ!」

「目つき2回目だよ。どんだけ悪いの……」

「こーんな感じ!」

「うん、全然伝わんない……」

 

 その後、呆れた雪穂は自分の部屋に戻り、私はすぐに寝ようとした。

 でも、何故かしばらく寝つけなかった。




 読んでくれた方々、ありがとうございます!


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12話

 

「私ね、明日から合宿なんだ!」

「はあ……」

 

 金曜日の夜。普段なら明日からの休みに備え、のんびり読書でもして、英気を養うところだが、今は何故か高坂からの電話に付き合わされていた。

 電話越しに響いてくる声は異様に弾んでいて、こいつなら周りから元気を分けてもらわずとも、元気玉を放てるんじゃないかと思えてくる。

 

「比企谷君、元気ないね。どうしたの?」

「いや、お前がよすぎるんだよ。つーか、何でわざわざ俺に報告してきたんだ?」

「だって、ヒデコもフミコもミカも電話出ないんだもん」

「俺は代わりかよ。いや、いいんだけどさ……」

「そうだよ。代わりとかじゃないよ。ただ、比企谷君ならヒマかなって……」

「フォローするふりをして、さらにダメージを与えてくるな。ショックのあまり、うっかり寝落ちしそうだ」

「え~!もう少し話そうよ~!まだまだ寝かさないよ~」

「……だから、そういうのが誤解を、いや、こいつはこういう奴だった……」

「?」

「まあ、あれだ……合宿はどこ行くんだ?」

「海!」

「広すぎて特定できねえ。とりあえず脊髄反射で会話すんのやめろ」

「あはは、それほどでも~」

「ほめてない。この流れでそんな勘違いできるのは、お前か野原しんのすけくらいだ。合宿所とか使うのか?」

「真姫ちゃんの家が別荘持ってて、そこで合宿するんだ♪」

「別荘で合宿……リア充かよ。まあ、頑張れ。応援してる。お休み」

「応援雑っ!しかも明らかに会話を終わらせようとしてる!」

「ふああ……」

「そんな嘘っぽいあくびしないでよ!いいこと教えてあげるから~」

「?」

「私達、千葉の別荘に行くんだよ」

「はあ……」

「振り出しに戻った!」

「いや、リアクションに困っただけだ。ほら、千葉に来るって言われても、お前以外まともに話したことないし」

「そう言われればそうかも。ちなみに、比企谷君の一番好きなスクールアイドルは?」

「優木あんじゅ」

「…………え?」

「とμ's」

「……本当かなぁ?」

「本当だっての。つーか、明日早いんじゃないのか?」

「あ、そうだった!まだ準備ちっとも終わってない!比企谷君、付き合ってくれてありがと!おやすみ!」

「……忙しい奴だな」

 

 俺はしばらく通話の途切れたスマホを眺めていた。

 ……動画でも見るか。μ'sとA-RISEの。

 

 *******

 

「水着かぁ……これでいいよね。って何でこんなに悩んでるんだろう、私……」

 

 何故か頭の片隅には、彼の顔がちらついていた。

 ……ダイエット、しとこうかな。



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13話

「海だ~~~~~!!」

「私ならここにいますが?」

「違うよっ!海未ちゃんじゃなくて!」

「あ、ああ、そうですね……しかし、よかったのですか?穂乃果、朝食を抜いてきて」

「うん!だってダイエットしなきゃ!」

「PV撮影は今日するのですが……」

「あれ?」

「はあ……それにしても、一体どういう風の吹き回しですか?あの穂乃果がダイエットなんて……」

「ど、どういう意味?」

「だって、三食の食事と練習後のおやつを何よりの楽しみとしている穂乃果が……」

「ちょっと待ってよ海未ちゃん!それじゃあ私がただの食いしん坊みたいじゃん!私、女の子だよ!スクールアイドルだよ!胸だって海未ちゃんよりあるし!」

「穂乃果、その発言は許されませんよ」

「許されないにゃ」

「許されないにこ」

「まあまあ、皆。落ち着かな」

「そうよ。早く撮影始めるわよ」

「皆、仲良くしなきゃだめだよ!」

「「「くっ……」」」

「はあ……本当、世話が焼ける人達ね」

「あはは……」

「ところで穂乃果、今からなるべく可愛くセクシーなポーズをとるから、あなたの携帯のカメラで撮影してくれないかしら?」

「え?いいけど……何で?」

「そのまま比企谷君に送って欲しいのよ」

「何で!?」

「何でって云われても、夏は……少し大胆になっちゃうのよ」

「そっかぁ……ってわかんないよ!?」

「夏は……少し大胆になっちゃうチカ」

「語尾変えただけじゃん!絵里ちゃん、どうしちゃったの!?」

 

 *******

 

 PV撮影は何事もなく終わり、その出来栄えには皆笑顔を浮かべていた。うん、お腹出てなかったから大丈夫だよね。

 沢山の応援してくれてる人に……雪穂やヒデコやフミコやミカや、比企谷君達に見せても、大丈夫だよね……サイトにアップするのは明日だけど、もう一回確認しよっと。

 自分の映っている場面をチェックしていると、肩をぽんぽん叩かれた。

 

「穂乃果ちゃん。今から真姫ちゃんと一緒に買い物に行くけど、穂乃果ちゃんも一緒に行かへん?」

「え?あ……」

「そんなに確認しなくても、可愛く撮れてたから大丈夫。それに、少しくらい気晴らしした方がええよ。カードもそう言うとる」

 

 希ちゃんの穏やかな笑顔を見ていると、本当にそんな気がしてきた。

 

「うん、わかった!」

 

 *******

 

「え~と、これでいいかな?」

「穂乃果?何さり気なくお菓子入れてるのよ……」

「うっ……」

「穂乃果ちゃん?」

「わ、わかったよ~。戻してくるから!」

「まったく……さっきまでダイエットとか言ってたくせに」

「あはは……撮影が終わった~と思ったら緊張が解けちゃって」

 

 やっぱり二人共、しっかり自己管理してるんだなぁ。私も見習わないと……。

 お菓子は元の場所に戻すことにした。こういうのを清水の屋根から飛び降りる、あれ?崖かな?まあいっか。とりあえずそういうことだよね!うん!

 そっとお菓子を戻そうとすると、視界の端に見覚えのある人を発見した。

 慌てて顔を向けると……間違いない!

 

「比企谷く~ん!」

 

 彼は肩を跳ねさせ、慌ててこっちを振り向いた。



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14話

 

 いきなり名前を呼ばれ、誰かと思いながら振り向くと、そこには元気いっぱいに手を振る高坂がいた。

 とはいえ、大声で名前呼ばれるとか恥ずかしすぎるので、ここは他人のふりを……

 

「あっ!また無視しようとしてる!」

 

 俺の意図に気づいた高坂は、すぐに距離を詰めてきて、こちらの肩をがっしりと掴んだ。いや、速すぎるだろ!

 

「ちょっと!何で逃げるの!?」

「いや、ここスーパーだから。俺、買い物しに来ただけだから。大声で名前呼ばれると恥ずかしいから」

「比企谷君、こんにちは」

「いや、今さら小声で話されても……あと近ぇよ」

「もう……比企谷君はわがままだなあ。あとマイペースっていうか……」

「……どちらもお前には言われたくないんだが。何それ。新手の自己紹介?」

「むぅ!そんなことないもん!この前だってお母さんが買ってきたケーキ、妹の雪穂ときっちり半分に分けたもん!」

「それは当たり前な気が……で、実際は?」

「うっ……その……『はいはいこっちも欲しいんでしょ?』って言われて、分けてもらいました……私の方が多く食べちゃったかも……」

「……音声付きで脳内再生可能だわ。俺なら自分の分を全部、妹の小町に譲っても笑顔でいられる」

「比企谷君、妹さんに弱みを握られてるの?」

「何でスムーズにそんな発想になるんだよ。ほら、あれだ。ケーキを上げたら妹の笑顔が見れるだろ。そんで、数日後になると、体重が増えたことを悩む可愛い妹が見れるという得しかない作戦だよ」

「……へえ」

「おい、引くな。さり気なく距離を空けるな。お前が話しかけてきたんだろうが」

「あっ、そうだ。比企谷君にここで会えるなんて思ってなかったから。おうちがこの辺なの?」

「いや、全然」

「じゃあ、どうしてここに?」

 

 正直、それを聞かれると答えづらい。

 高坂から事前に千葉での合宿の話を聞いて、何の気なしに海沿いまで自転車を走らせたものの、合宿先とか知らないし、よくよく考えると、会っても特に言うことないなんて考えて、とりあえず買い物して帰るだけにしたとか……なんか恥ずかしい。だって男の子なんだもんっ!

 

「あ~、わかった~」

 

 高坂が悪戯っぽい目を向けてくる。何だ、この……ちょっとイラつく視線。

 

「私の水着姿が見たかったんでしょ?いやらしいんだ~「違う違う違う違う違う。本当に止めて?絶対に違うから。本当に違うから」

「そ、そこまで否定しなくても……」

「穂乃果ちゃん、どうしたん?」

「まだ買い物の途中でしょ?」

 

 高坂の背後からカートを押しながら現れたのは、μ'sのメンバー・東條希と西木野真姫だった。

 予期せぬ人物の立て続けの登場に、俺はただ口をポカンと開くことしかできなかった。



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15話

「あら?そっちの男の子は穂乃果ちゃんの知り合い?」

「うん、比企谷八幡君っていう変わった名前の男の子。μ'sの大ファンなんだよ!」

 

 大ファンってほどではないのだが……。

 突然の美女二人の登場に、思春期真っ盛りの男子らしく困惑していると、東條さんの方がこちらに一歩踏み込み、親しげな笑顔を見せた。

 

「ほな、挨拶しとかんとね♪もう、知ってるかもしれんけど、ウチは東條希。よろしく、比企谷君」

「……どうも」

「ほら、真姫ちゃんも♪」

「え?私は……」

「真姫ちゃんの曲のファンでもあるんよ。ほら、照れてないで」

「ちょっ、引っ張らないでよ!あ、えーっと、その……応援ありがと」

「ど、どうも……」

 

 東條さんにより、無理矢理俺の前に引きずり出された西木野真姫は、照れているのか、澄ましているのかわからないような仕草で……顔が赤いから照れているのか?いや、危うく勘違いしちゃうとこだったぜ。

 東條さんは、また一歩こちらに踏み込んできた。近い近い近い近い!

 

「可愛い反応やなぁ♪ちなみに、推しメンとかおるん?」

「お、推しメン?」

「君は……エリチとか好きそうやね」

「え?ああ、何というか……」

 

 絢瀬さんは確かに美人だが、はっきり推しメンと断言するには「チカ」あれ、何だ、今の?

 

「もしかして、ウチらの誰か?」

「う゛ぇえええ!?」

「希ちゃん!?」

 

 いきなり何言い出すんだ、この人は……。

 悪戯っぽい目を向けてくる東條さん。

 チラチラとこちらを窺う西木野真姫。

 じぃ~~っとこちらを穴が空くぐらい、ていうか点穴を見切るくらいに見つめてくる高坂。

 三者三葉、もとい三者三様の視線に晒され、俺は最適解をすぐに導き出した。

 

「A-RISEの優木あんじゅ」

「「「…………」」」

 

 この時の三人の固まった表情を、俺はしばらく忘れることが出来なかった。

 

 *******

 

 その日の夜。

 

「もしもし」

「あ、比企谷君!今日は偶然だったね!」

「……まあな。最後、怖かったけどな」

「あれは比企谷君が悪いよ!せっかくμ'sの大ファンって紹介したのに!」

「その大ファンってのが盛りすぎなんだよ。ちょっと楽曲聴いて、動画に高評価してるだけじゃねえか」

「大ファンじゃん!優木あんじゅさんが美人なのはわかるけど、せめてあの三人から選んでよ!」

「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ……」

「ポイズン♪……じゃないよ!また誤魔化そうとしてる~!」

「お前、ノリの良さだけは無駄に振りきってるよな……」

「い、いきなり褒められると……なんか照れちゃうな」

「乙女チックなリアクションしてるところ、申し訳ないが褒めてない」

「むぅ~~……あ、う、海未ちゃん?片付けを手伝いなさい?わ、わかったから!比企谷君、それじゃ!」

 

 突然かかってきた電話は突然途切れて、あとは耳が疼くくらいの静寂がやってくるだけだった。

 ……そういや、水着姿見てねえ。いや、別にいいんだけどね。



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16話

「ねえ、穂乃果ちゃん?」

「どうしたの、希ちゃん?」

 

 ストレッチをしていたら、希ちゃんが話しかけてきた。

 その表情には悪戯っぽさが滲んでいて、少し緊張する。も、もしかして……ワシワシしようとしてるのかな?

 警戒していると、希ちゃんは予想外の事を口にした。

 

「穂乃果ちゃんと比企谷君って、付き合ってるん?」

「え?違うけど……」

 

 なぁんだ、そんなことか~。

 別にそんなんじゃ……あれ?

 

「ど、どうしたの、いきなり?」

「ん~?何となく気になっただけ~」

 

 希ちゃんがニヤニヤ笑いながら、ストレッチを続ける。

 どうしたんだろう、一体?

 私と比企谷君が……。

 …………よくわかんないや。

 

「穂乃果、どうかしたのですか?」

「ねえ、海未ちゃん……あ、海未ちゃんもまだだったね。あはは、ごめんごめん」

「な、何なのですか一体?無性に苛立つ感覚がしたのですが」

「じゃあ、そろそろダンスレッスン始めよう!」

「あ、こら!待ちなさい、穂乃果!」

 

 私は何故かいつもよりがむしゃらに体を動かした。

 

 *******

 

「あ、もしもし比企谷君?」

「……悪い。今、ゲーム中だから後でな」

「え?……切れちゃった。比企谷君の薄情者~!」

 

 せっかく電話してあげたのに~!

 こっちが勝手にしてるだけだけど……。

 そこで、雪穂がひょっこり顔を見せた。

 

「お姉ちゃん、うるさいよ……」

「あっ、雪穂。ごめ~ん、うるさかった?」

「ここ最近多いよ?その……比企谷さんって人と話してる時とか特に……」

「それは比企谷君がおかしな事ばかり言うからだもん!」

「……そ、そうなんだ。まあ、いいけど……ふふっ」

 

 雪穂は何故か、希ちゃんみたいにニヤニヤしながら自分の部屋に戻っていった。

 ……どうしたんだろう。 

 

 *******

 

 昨日の希ちゃんや雪穂の表情を思い出しながら、窓の外を眺めていると、ヒデコとフミコとミカがやって来た。

 

「おっす、穂乃果!顔暗いよ?」

「具合悪いの?」

「お腹空いてるとか?」

「え?ち、違うけど……」

 

 お腹空いてるって……私が食いしん坊みたいじゃんか!

 そこでヒデコが、「ははぁ~ん」と意味ありげに笑った。ま、まさか……。

 

「もしかして……恋?」

「ああ~、もう恋はいいよ~!」

 

 やっぱり来た!!

 もう、皆どうしたの!?そんなに気にすることなの!?

 

「「「え?」」」

「?」

 

 あれ?3人共、何で固まってるの?

 何で震え出すの?

 

「こ、恋はいいよって……」

「穂乃果ったら……いつの間に……」

「うんざりするほど恋してたなんて……!」

「え?え?」

「「「その話、詳しく!!」」」

「ええ~!?」

 

 ものすごい表情で迫ってくる3人の誤解を解くのに、しばらく時間がかかっちゃった。

 うぅ……比企谷君のせいだ……。

 



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17話

「今日、比企谷君のせいで酷い目にあったんだからね!」

「言いがかりも甚だしい……」

 

 高坂から謎すぎる因縁をつけられているが、そもそもこういう電話もあり得ない誤解の元じゃないんですかね……。

 

「…………」

「どした?」

 

 急に声が聞こえなくなったので呼びかけてみると、「う~ん」と考え込むような声が聞こえてきた。え、何なの?まだ俺に関する問題があるの?

 

「比企谷君、何かあった?」

「はあ?」

 

 いきなりな質問に、何を言えばいいけわからなくなる。こいつは何を……いや、あるにはあったのかもしれない。

 先日、由比ヶ浜と交通事故の件やら何やらで、まあすれ違いみたいなことはあった。

 自分では既にリセットしたつもりでも、こうして指摘される辺り、まだ切り替えができていないのかもしれない。

 気がつけば会話に間が生まれていて、高坂はその間を肯定と受け取ったようだ。

 

「そっか、なんかごめんね?大変な時に……」

「いや、なんかあったって程でもなくてな……自分でも何と言っていいのか……まあ、あれだ。こうしてた方が気はまぎれる」

「ふーん、そっかあ。じゃあ、今日あった面白い話してあげる。実は今日、海未ちゃんがね……」

 

 高坂の話を聞きながら、俺は自分の選択がどうだったかを、再び自分に問いかけていた。

 

 *******

 

 大丈夫って言ってたけど、本当かなぁ?

 …………あ、そうだ!

 

 *******

 

 翌日……。

 

「到着!」

 

 私は千葉駅の構内を出て、見慣れない千葉の街をキョロキョロと眺めた。さてと、比企谷君の通う高校はどっちかな?

 今日は先生達の会議で普段より早く学校が終わったのと、比企谷君の部活があるのは確認してるから、学校の場所さえわかれば待ち伏せできるんだけど……。

 ……やっぱり電話……いや、でもここまで来て……。

 勢いに任せてやって来たので、どうしようかと考えていると、前を制服を来た女の子が歩いて行った。

 あの制服、もしかして……あ!

 じっと見ていたら、ポケットから手帳が落ちるのが見えた。

 私はそれをすぐに拾った。 

 

「あの、これ落としましたよ!」

「え?あ、ありがとうございます……」

 

 落とし主の女の子は、私と同い年くらいで、とても可愛かった。顔はもちろん、髪をお団子にしてるのとか……あと、胸がおっきい!

 でも、なんか元気なさそう……って今は別のこと考えてる場合じゃないよ!

 

「あの!」

「?」

「総武高校はどっちですか!?」

 

 *******

 

「っ!」

「どうかしたの、比企谷君。いきなり動かれると気味がわるいのだけれど」

「いや、今変な気配が……」

 



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18話

 下校時刻にはまだ早いが、誰も来る気配がないので、いつもより早く下校することになった。

 今日も来なかった由比ヶ浜の事が頭を掠めるが、きっとこれでいい。いいはずなのだ。

 考えながら歩いていると、前方、校門の辺りに少し人集りができている。

 何だ?チーバくんでも来てんのか?

 

「おい、見ろよ。あれ……」

「めっちゃ可愛い……」

「ねえねえ、あの子アイドルかな?」

「お前、声かけてみろよ」

「バカ、無理に決まってんだろ」

 

 男子を中心に、色めき立った空気になっている。話し声から察するに、アイドルみたいな美少女が校門前にいるようだ。誰かと待ち合わせだろうか?男子だったら爆発しろ。

 まあ、つまり……俺には関係ないということだ。

 何て考えながらも、とりあえず目を向けてみる。だって男の子なんだもん!…………っ!!?

 目を向けた瞬間、心臓が止まるかと思った。

 校門前に佇み、総武高校の生徒の視線を集めていたのは……なんとまさかの高坂穂乃果だった。

 周りから浴びせられる視線をものともせず、スマホで時間を確認しながら、時折溜息を吐いている。斜陽が赤く染める横顔は、普段とは違う儚げな雰囲気を醸しだし、胸がとくんと高鳴った。

 ……ってそんな場合じゃねえよ。

 何故かはわからないが、見つかったらまずい気がする。ボッチ生活により培われた俺の防衛本能がそう告げている。

 ここは、ステルスヒッキーで一刻も早い離脱を「あっ!比企谷君、やっと来た!!」だあああ!人前で大声で呼ぶな!それと、人を指さすんじゃありません!

 高坂は、人波をかき分け、こちらまで一直線にやって来た。くっ、逃げ……「あっ、逃げちゃダメだよ!」無理か。

 

「何だよ、アイツが彼氏かよ」

「はあ……ボッチの癖に」

「ニフラム」

 

 おい。ボッチは否定しないが、誰だ呪文唱えた奴。昇天させようとすんな。

 

「遅いよ!待ちくたびれたよ!」

「知らん。待ち合わせなんてしてない」

「むぅ……それはそうだけど」

 

 ぷくーっと頬を膨らます高坂。

 周りの囃し立てるような好奇の視線。

 ……考えすぎかもしれないが、このままでは変な誤解をされそうだ。

 

「……とりあえず場所変えるぞ」

「あ、うん!」

 

 *******

 

 俺と高坂は駅前のサイゼリヤに移動し、窓際のテーブルに腰を下ろした。移動中は、どちらも口を開かなかった。

 気を抜いた放課後の急展開にどっと疲れたせいか、水を一気飲みし、溜息を吐く。高坂はというと、ニコニコと楽しげにメニューを眺めていた。

 

「♪~どれにしよっかな~♪」

「……何かあったのか?」

「ん?それは比企谷君でしょ?」

「…………」

 

 当たり前のような切り返し。

 キョトンと首を傾げる高坂の真っ直ぐな瞳に、心の中を見透かされている気がして、背中を汗が伝うのを感じた。



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19話

「ん?どうしたの?」

「いや、何つーか……お前、高坂か?」

「そうだよ。何で?」

「いや、高坂にしちゃ鋭いっつーか、なんか頭よさげに見える……」

 

 俺の言葉に、何故か高坂はニヤ~っと笑顔になった。多分、俺の言ったことを理解していない。

 

「あはは、それほどでも~……ってあれ?これ褒められてないっ!」

「…………」

 

 よかった。自分で気づいてくれて。

 高坂はぷくーっと頬を膨らまし、ジト目でこちらを睨みつけてくる。

 

「もうっ!からかわないの!」

「ああ、悪い……」

「それで、何かあったの?」

「……俺、何かあったように見えるのか?」

「うん。昨日の電話も元気なかったし。今も無理してるっぽい」

「ただ疲れてるだけかもしれないだろ」

「それならそれでいいじゃん。心配だけど、比企谷君に悪いことがなかったってことでしょ?」

「そりゃそうなんだけど……今日お前が来たのも無駄足になるぞ」

「無駄足じゃないよ。こうして比企谷君には会えたし。優しい人にも会えたし」

 

 その一点の曇りもない瞳に、あっけらかんとした物言いに、俺は目の前が晴れた気分になり、つい口元が緩みかけた。

 それを悟られぬよう、手で口元を隠しながら、会話を続けた。

 

「すげえ小さいことかもしれないし、呆れるようなことかもしれないぞ」

「やっぱり何かあったの?もし言いたくないならいいけど、そうじゃないなら、言った方が楽になることあるよ?」

「……ちょっと長くなるけど、いいか?」

「うん!」

 

 俺は高坂に、入学式の事故や由比ヶ浜とのすれ違いを、自分の頭の中を整理するように、なるべく丁寧に話した。

 彼女は、初めて見せる真面目くさった表情で、時折頷きながら、ただ俺の言葉に耳を傾けていた。

 そして、全て話し終えると、やわらかな微笑みを向けてきた。

 

「……話してくれてありがと。比企谷君も大変だったんだね」

「いや、大変とかじゃねえよ。さっきも言ったが、事故があろうがなかろうが、多分ボッチだったし」

「比企谷君はボッチじゃないよ!そりゃあ、目つき悪いし、すぐからかうし、捻くれてるけど……」

「あの、高坂さん?後半3つ要ります?」

「でも、いいところもあるよ!自信持って!」

「いいところの説明はなしかよ……てか、話変わってないか?」

「そう?それで……比企谷君はどうしたいの?」

「…………」

 

 自分が気づかぬ内に目を逸らしていた部分に、高坂の言葉で気づかされる。

 そんなことに気づかないまま、彼女はさらに言葉を紡いだ。

 

「比企谷君って、周りのこと考えてるんだなって思ったよ。でも同じくらい、比企谷君のこと考えてる人もいると思うな」

「…………そっか」

 

 何だか不思議な気分がした。

 それは、肩が軽くなったり、心の奥がむず痒くなったり……今までに感じたことのない気分だった。

 俺はしばらくの間ぎゅっと目を瞑り、彼女の方を見ないようにした。

 



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20話

 

 千葉にいる比企谷君に会いに行ってから、早くも3日が経った。悩みは解決したのかなぁ?ちょっとくらいメールで教えてくれてもいいのに!もう、比企谷君のバカ!

 そんな事を考えながらベッドに倒れ込むと、ケータイが震えだした。

 画面を見ると、彼の名前が表示されていた。

 

「もしもしっ!」

「っ!お、お前、いきなりどうした……」

「比企谷君が悪いんだよ!」

「何がだよ……」

「だってどうなってるのか全然教えてくれないし」

「ああ、まあ、何つーか……色々あったんだよ」

「色々って?」

「まあ、それはさておき……」

「誤魔化した!!」

「その……この前相談したやつ、解決した」

「え?」

「そ、相談のってくれてありがとな。助かった……」

「……ど、どういたしまして」

 

 意外なくらい素直な比企谷君に、つい言葉が詰まってしまう。な、何だろう、この感じ……ちょっとだけ、胸がきゅっと鳴ったような……。

 

「その、なんだ……今度、また……ほむまん買いに行く」

「う、うん。何ならパンを奢るとかでもいいんだよ?」

 

 今パンを食べたかったわけじゃないけど、とりあえず何か言っておかないと、とても落ち着いていられなかった。海未ちゃんからは、いつも落ち着きがないってよく言われるけど、そういうのとは違う感じ。

 

「別にパンくらいなら構わん。てっきり、期間限定のアホみたいに高いパフェとかお願いされると思ったが」

「え、そんな高いの奢ってくれるの?」

「奢らん。虫歯になるぞ」

「私の虫歯に絶対に心配してないよね!?自分のお小遣いの心配したよね!?ま、いいけど。比企谷君の問題が解決したなら」

「……お、おう」

 

 何故か比企谷君が慌てているような気がした。

 

「ん、どうかした?」

「いや、何でもない……」

「そう?あ、そうだ!今度、文化祭でライブやるから絶対に観に来てね!キラキラ輝くライブにするから!」

「そして輝く……」

「ウルトラソウル♪……って話変えないでよ!ライブ絶対に来てね!」

「…………わかった」

「今、行かない言い訳考えなかった?」

「んなわけ……あるか」

「あーひどい!希ちゃんに言いつけよっと!」

「何で東條さんなんだよ」

「だって比企谷君、胸大っきな女の子好きでしょ?」

「え、俺ってお前の中でそんなキャラになってんの?」

「うん。あとは絵里ちゃんとか、花陽ちゃんとか……」

「…………」

「あれ、違うの?」

「……否定はしないが、特に推しメンみたいなのは決まっていない。強いて言うなら、優木あんじゅとか」

「μ'sじゃないじゃん!比企谷君の浮気者!あれ?浮気、なのかな?もういいや、浮気者!」

「どっちなんだよ……ライブ、一応行く。まあ、こっそり応援しとく」

「普通に応援してよ」

「……気が向いたらな。じゃあ、もう切るわ」

「あ、うん。またね!」

「ああ」

 

 話し終えると、心の中が温かいような、散らかったような、不思議な気分になる。比企谷君って、本当によくわからないなぁ。

 一応って言ってたけど、来てくれるよね?

 ……ライブ、絶対に成功させなきゃ。

 

 

 

 



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21話

 

 それからライブ当日になるまで、高坂からは何の連絡もなかった。俺も材木座とゲーム部のいざこざに巻き込まれたりやらで、そんなにアイツの事を考えたりはしなかった。

 アイツの強がりなんて知る由もなかった。

 

 *******

 

 秋葉原駅の改札を通り抜け、外に出ると、雨は止む気配もなく、街をどんよりと暗く濡らしていた。どうやら天気はμ'sの味方をしなかったようだ。

 今朝、高坂からメールが来たのだが、やたら誤字だらけでひたすら読みづらかった。とりあえず屋上でライブをやるというのはわかったが……どんだけ焦ってたんだよ、あいつ……寝坊でもしたのか?

 その姿が容易に想像できることに苦笑しながら、俺は少しだけ歩くスピードを上げた。

 周りを沢山の人が歩いているのに、自分の足音が、水たまりをパシャパシャ蹴飛ばす音が、何故か大きく響いた。

 

 *******

 

 女子比率の高さに辟易しながら屋上に辿り着くと、傘を差した観客が今か今かと開演を待ちわびていた。雨でも結構な人数集まっているのは、そのままμ'sの注目度、期待度を表していた。

 そして開演……高坂が……μ'sのメンバーが登場したのだが……。

 高坂の奴……顔、赤くねえか?

 何だか様子がおかしい気がする……。

 歌もしっかり歌っているし、踊れてもいる。

 だが、何かがおかしい気がする。

 心にぴっとりと貼りついた違和感のようなものは中々離れてくれず、それでも俺は高坂のパフォーマンスを見ていた。いや、見とれていた。この時ばかりは素直に納得してしまった。

 やがて1曲目が終わり、ぱらぱらと雨音混じりの拍手が鳴り響いた……のだが……。

 

「……っ」

 

 高坂がいきなり倒れた。

 

「穂乃果!」

「穂乃果ちゃん!」

「お姉ちゃん!」

 

 

 何が起きたかわからないと問いかけるような一瞬の空白の後、ステージ上のメンバーや高坂の妹が彼女に駆け寄る。

 気がつけば自分の体も動いていた。

 

「ん?君は……」

 

 ステージに駆け寄った俺に、東條さんが真っ先に気づく。

 俺はその声に黙って頷き、高坂の顔に目をやる。

 彼女の顔は赤く火照り、息はかなり荒かった。

 明らかに体調が悪い。そして、付き合いの浅い俺にもその理由は明らかだった。

 この数日間……いや、もっと前から……彼女は無理をしていた。

 そして、それを彼女は無理とは思っていなかった。

 自分が欲しい結果を得るために必要なことだと思った。

 彼女は間違ってなどいない。

 ただ、現実は時に残酷だった。

 降りしきる雨は情熱の炎を濡らし続け、やがて消してしまった。

 俺はその様子をただ見守ることしかできなかった。

  



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22話

 

 翌日……。

 

「八幡、おはよう」

「……おう」

 

 戸塚の気遣わしげな声に、昨日のパフォーマンスの後の出来事が事実だったんだと、改めて思い知らされる。

 

「昨日、残念だったね……」

「ああ……」

「高坂さんは大丈夫なの?」

「……わからん」

 

 あの後、高坂を保健室に運ぶ手伝いはしたのだが、身内でもない俺は、その場に留まる理由がなかったので、そのまま帰宅したのだ。

 

「そっか……心配だね」

「……まあ、確かに、な」

 

 高坂の体調もそうだが、今朝になり、ラブライブのサイトからμ'sの名前が削除されたのも気になる。

 理由は想像がつくが、高坂は多分……自分を責めるんじゃないだろうか。

 ……俺が知った風な事考えても仕方ないんだが、それでも、この前の電話越しの彼女の声が……希望に満ちた響きが耳から離れなかった。

 

 *******

 

 そうこうしている内に放課後になる。

 らしくもない思考に陥った俺は、らしくもない行動に出た。

 

「由比ヶ浜」

「ん?ヒッキー、どしたの?」

「悪ぃ、今日は部活休むわ」

 

 *******

 

 目が覚める。

 熱もだいぶ引いて、だいぶ体が軽くなっていた。

 さっき海未ちゃん達がお見舞いに来てくれて……それで……。

 思い出すと、また涙が零れてくる。

 私のせいで……私の、せいで……。

 結局、私は私しか見えていなかったんだ……。

 そこで、一人の男の子の顔が浮かぶ。

 比企谷君にもかっこ悪いことを見せちゃったな……。

 

「ああ、もうっ!私のバカ!」

 

 自分で自分を叱りつけると、頭がクラッとした。あわわ……いけないいけない。

 ……汗かいたから体拭こ。

 

 *******

 

 夕陽も沈みかける頃、俺は穂むらの前に到着した。

 ……勢いで来てしまったが、女子の家に見舞いに行くなんて緊張しちゃう。だって男の子なんだもん。

 これで気味悪がられたりしたら、めちょっくなんだが……。

 

「あれ?確か文化祭で……」

 

 突然の声に振り向くと、この前見た高坂の妹らしき少女がそこにいた。

 

「……どうも」

 

 反射的に頭を下げると、その少女は何かピンと思いついたような表情になる。

 

「もしかして、お姉ちゃんのお見舞いですか!?」

「あ、ああ……まあ……」

 

 やはり高坂の妹だったようだ。ほっとしながら頷くと、彼女は丁寧に頭を下げた。

 

「私、高坂雪穂といいます。あの時はありがとうございました。お姉ちゃん、重かったんじゃないですか?」

「いや、まあ二人で運んだし……」

 

 高坂を運ぶ時は、体育教師の女性と二人がかりで運んだ。正直、肩に温もりやら柔らかさが、鼻に柑橘系の甘い香りが残っていて変な気分になるので、あまり思い出したくはない。

 考えていると、背中を押す感触がした。

 いつの間にか、高坂妹が背後に回り、背中を押していた。

 

「じゃ、会ってあげてください!お姉ちゃん、喜びますから!」

「え?あ、俺は……」

 

 *******

 

 なし崩し的に家に入れられると、高坂母が笑顔で出迎えてくれた。

 

「あらあら、お見舞い?じゃあ、早く会ってあげて。あの子、寂しがり屋だから」

「は、はあ……っ!?」

 

 な、何だ?今店の奥から、ものすごい殺気が……。

 

「どうかしましたか?」

「い、いや、何でも……」

「こっちです……って何でお母さんがついてくんの?」

「だって~、あの子に男の子のお見舞いが来るなんて初めてだもの♪あの子、どんな反応するか楽しみじゃない?」

「もう……確かにその通り」

 

 ……この二人、楽しんでないか?何を楽しんでるのかは気づかないふりをしておこう。

 先を歩き出した高坂母は、高坂の部屋と思われる部屋の前で立ち止まり、引き戸をサッと開いた。

 

「ほ~のか♪色っぽい話のまったくないアンタにお見舞いよ!」

「えっ?」

「あっ……」

「…………」

 

 そこにはベッドの上で背中を丸出しにした高坂がいた。

 

 



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23話

「もうっ、信じられない!ノックくらいしてよ!」

「「ごめんなさい……」」

「…………」

 

 顔を真っ赤にして怒る高坂に、申し訳なさそうに頭を下げる高坂母と高坂妹。俺は窓の外に目をやり、関係のないことばかり考えていた。だってそうでもしないと思い出しちゃうんだもん!

 

「比企谷君」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 突然名前を呼ばれ、背中がビクンと跳ね上がる。

 恐る恐る高坂の方を向くと、彼女はこちらにジト目を向けていた。その頬はまだ羞恥に赤く染まっている。

 そんな表情を見たら、さっきの白い背中が……いかん、考えるな。思い出すな。 

 

「…………見た?」

「悪い……」

 

 嘘を吐いても仕方ないので、素直に頭を下げる。

 彼女は頭を抱え、がっくりと俯いた。

 

「うぅ…………最近ちょっと食べ過ぎちゃってたから気にしてたのに……タイミング悪すぎるよ……いや別に見られたいとかじゃ……」

「穂乃果?」

「お姉ちゃん?」

 

 何やらブツブツ呟く高坂に、高坂母と高坂妹は首を傾げる。

 すると、彼女は何かを追い払うようにブンブン首を振った。

 

「と、とにかく!比企谷君と話すから!二人はもうあっち行って!」

「は~い……」

「じゃあ、比企谷君。あとはよろしくね」

 

 笑顔を残して部屋から出て行く二人の背を見送る。そして、視線を戻すと、自分が女子の部屋にいるという事実を改めて認識する。

 その現実味のなさを誤魔化すように、俺は彼女に声をかけた。

 

「とりあえず、寝とけよ。まだ治ってないんだろ」

「あ、うん。ありがと……」

 

 ベッドに横になった高坂は、視線をあちこちに落ちつきなく彷徨わせた後、弱々しい声を絞り出す。

 

「あの……本当にごめんね?せっかく千葉から観に来てくれたのに……」

「……気にすんな。まあ、何つーか、ライブ自体は良かったし……」

 

 こういう時、何と声をかければいいのかわからない。

 それは、俺自身がひたむきに頑張った事がないからだろうか……それでも……。

 柄にもないことを考えながら、彼女を見ていると、何故か布団で顔まで覆い、隠れてしまった。

 

「ど、どうした?」

「ごめん。今の顔、あまり見られたくなくて……」

「そっか」

 

 まあ、風邪ひいて怠い時の顔なんて、見られたくはないだろう。ましてや男子に。

 とはいえ、これならあまり緊張せずにすむ。

 俺は意を決して、布団の向こう側の彼女に声をかけた。

 

「……なあ、高坂。ちょっといいか?」

「な、何?」

「……その……お、俺……初めてお前の、μ'sのライブ見た時から、自然と次が観たいと思った……こういうの生まれて初めてでな……」

「うん……」

 

 慣れないことに、手足や唇が微かに震え、自分の体じゃないように思える。今さらながら、何で自分がこんなことを言おうと思ったか、不思議で仕方ない。

 それでも、一回深呼吸を挟んで、何とか言葉を紡いだ。

 

「……お前、本気ですげえなって……尊敬した」

「~~~~っ!!!」

 

 突然、布団がもごもご動き出し、奇妙な生物のようにゴロゴロ転がる。何か声らしきものも聞こえてくるが、単なる呻き声にしか聞こえない。

 

「……高坂?」

「……い」

「?」

「ずるいずるいずるい!比企谷君、ずるい!!」

「な、何がだ?」

 

 彼女は顔を半分だけ出し、こちらをジロリと見てくる。

 

「いっつも意地悪なことばかり言うくせに!からかうくせに!こんな時ばかりずるい!……ばか」

「お、おう……なんか、悪かった」

 

 突然の怒りにしどろもどろになりながら謝ると、高坂は申し訳なさそうに目を逸らした。

 

「……謝らないで。私が勝手に怒ってるだけだから」

「わかった」

 

 高坂はそっぽを向いた後、少し咳き込む。少し話しすぎたかもしれない。今日はもう帰ったほうがいいだろう。

 

「……じゃあ、そろそろ帰るわ」

「あ、あの……」

 

 高坂は上半身だけ起こし、やわらかな笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう……その、さっきの言葉、嬉しかった」

 

 初めて見せるその表情に、胸がざわざわと落ち着かない気分になる。

 今、俺は間違いなく、彼女の笑顔に見とれていた。

 

「また……観に来てくれる?」

「……気が向いたら」

「もうっ、そこは『絶対に行く……』って言うところじゃん!」

「い、今の……俺のモノマネ?」

「うん。そうだよ?似てたでしょ♪」

「いや、似てないから。てか、寝てろよ。ぶり返したらどうすんだ」

「は~い……比企谷君も気をつけて帰ってね」

「ああ」

 

 俺は高坂母に挨拶して、穂むらを後にした。

 その後、電車の中で自分の発言を思い返し、身悶えしそうになった。

 胸の中をざわつかせる何かを、この時の俺は気づいてもいなかった。

 

 *******

 

「雪穂……アンタから見て、どう?」

「う~ん……二人ともまだ好意とかそういうのに気づいてなさそう……まだそんな段階じゃないかも」

「…………」

「お父さん、露骨にほっとしないの」 

 

 *******

 

 こっそり窓から彼の背中を見送る。

 ここ最近見慣れた猫背気味の背中に、自分でもよくわからない笑みが零れた。

 

「ありがと、比企谷君……ふふっ」

 

 あれ?何だか胸の奥が熱くなってきた……早く寝よ。

 



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24話

 高坂に会いに行った翌日。朝になり、お礼のメールと今日から学校に行くという回復メールが来た。

 

『昨日はありがとう!今日から学校行きます!比企谷君もファイトだよ♪』

 

 メールから伝わってくる彼女の前向きなエネルギーに、危うく消化不良を起こしそうになりながら、俺は柄にもなく屈伸運動をして家を出た……そこまではよかったのだ。

 神様というのは悪戯好きなのか、ちょっとSっ気があるのか、悪い事を立て続けに引き起こしたりする。二度あった嫌な事に三度目を付け加えたり、泣きっ面に蜂を仕向けたりする。

 体調を崩し、ラブライブ出場を逃した高坂にも……。

 

 *******

 

 次の日の夜、晩飯を食べ終え、後片付けを済ませ、自室に戻ると同時に、狙い澄ましたかのようにスマホが震えだした。

 画面を見なくとも、誰からかは何となく予想がついた。まあ、そもそもの選択肢が少ないのだが……。

 スマホを手に取ると、予想通りの名前が表示されていた。

 

「……おう」

「あ……えと……ひ、比企谷く……ん」

 

 通話状態にすると、今度は予想外に暗く沈んだ声が微かに漏れてくる。

 俺は反射的に問いかけた。

 

「……体調崩したのか?」

「違う、よ」

「じゃあ、一体……」

「…………」

 

 風邪がぶり返したのかと思ったが、そうではないようだ。しかし、それで安堵できるような空気じゃなかった。

 どう聞いたものか、頭の中で言葉を探している内に、彼女の方から再び口を開いた。

 

「ご、ごめん!やっぱり何でもない!あはは、じゃあね!おやすみっ」

「は?」

 

 こちらが肩透かしを喰らうような言葉と共に、あっさりと通話は途切れた。

 ……何だったんだ、あいつ?つーか……

 

「……わかりやすい嘘吐くんじゃねえよ」

 

 ここでこちらから折り返しても、間違いなく徒労に終わるだろう。不思議な確信があった。

 どうしたものかとベッドに寝転がり、天井と睨めっこしている内に、結局そのまま眠りに落ちていった。

 

 *******

 

「私……何やってるんだろ……」

 

 ことりちゃんに酷いこと言って……皆を傷つけて……最低だ……その上、比企谷君なら優しい言葉をかけてくれるんじゃないかと期待していた。

 ……私のバカ、私のバカ……私の…………。

 

 *******

 

 次の日、由比ヶ浜に部活を休む旨を伝え、帰りのホームルームをすっぽかし、秋葉原へと向かった。電車の窓から見える風景は変わらないのに、やけにどんよりして見えた。

 夕焼けが赤く染める街並みは、そのもの悲しさは、誰かの心に重なって見えた。

 

 

 



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25話

「「あ……」」

 

 おい。いきなり出会っちゃったぞ。

 こういう時って、街中を探しまくって、夜になってから灯台もと暗し的な場所で見つかるもんだろ……いや、会えたからいいんだけどさ……ドラマチックな結果なんて期待してねえし。

 

「「…………」」

 

 どちらも何を言えばいいかわからず、気まずい沈黙が生まれる。 

 高坂はいつものように無駄に元気な挨拶をすることもなく、あちらこちらに視線をさまよわせ、それでも何とかぎこちない笑顔を作った。

 

「やっほー、比企谷君っ」

「……おう」

「あの、昨日はごめんね?眠くて、電話変な感じになっちゃった……あはは……」

「…………」

 

 ……お前、つまんないウソつくね。てか、挨拶すんの遅すぎだろ。俺もだけど。

 何かを取り繕うように、高坂が笑いながら次の言葉を紡ごうとすると、彼女の後方から声がかかる。

 

「穂乃果~、どしたの~?」

「あ、ヒデコ……」

 

 ヒデコと呼ばれた女子を含め、3人がこちらに駆け寄ってくる。3人共、高坂と同じ制服を着ていた。クラスメートだろうか。

 その内の一人、ポニーテールの穏やかそうな女子の視線がこちらを向いた。

 

「そっちの人は?」

「え?あ、えと……」

 

 ……何で慌てるんだよ。俺もうっかり変な関係かと思っちゃうだろ。

 高坂の反応を見た、ヒデコと呼ばれた女子と、小柄なおさげ髪の女子が、顔を見合わせニヤニヤ笑う。

 

「これはまさか……」

「アンタ~まさか彼氏じゃないでしょうね~」

「ち、違うよ!比企谷君はそんなんじゃないもん!」

「じゃあ何なのさ~?」

「え?比企谷君は……えっと……私の大ファンなんだよ!」

 

 お前……本当につまんないウソつくね……誰が大ファンだよ。応援はしているが……やだ、何これ。俺、ツンデレみたいじゃん!

 

「ねっ、比企谷君!」

「いや、違う。そんな事実はない」

「むぅ……比企谷君のバーカ!」

「バカって言ったたほうがバカなんだぞ」

「今、自分も言ったじゃん!比企谷君のイジワル!」

 

 何で俺達が言い争ってるんだよ……。

 すると、いつの間にか三人組の視線がこちらに集中していた。

 

「ん~、この制服、どこのだろう?」

「この辺じゃ見ないよね」

「あっ、比企谷君は千葉の総武高校に通ってるんだよ」

 

 ……高坂……このタイミングでそれを言うのはあまり賢くないぞ。

 案の定、3人の目が好奇心らしきもので、キラリと光る。

 

「ほうほう、穂乃果に会いにわざわざ千葉から♪」

「優しいわね~♪」

「これは……私達はお邪魔かもね♪」

 

 突然変わった空気に、高坂が疑問符を浮かべる。

 

「え?え?どしたの、3人共……」

「じゃあ、穂乃果。私達は用事を思い出したから。また明日ね~」

「明日、学校で話聞かせてね?」

「そこの彼も穂乃果の事よろしく~♪」

「ちょ、ちょっと~!」

 

 戸惑う高坂を置いてきぼりに、3人組はさっさと言ってしまった。

 

「「…………」」

 

 ぽつんと取り残されたが、そんな感覚はこの街の喧騒にすぐかき消されてしまう。

 そして、場の空気に急かされるように、先に口を開いたのは俺だった。

 

「……まあ、その……元気はありそうだな」

「う、うん……心配させてごめんね?」

「……いや、俺が勝手に来ただけだ。気にしなくていい」

「それでも……ありがと」

 

 高坂の頬がほんのり赤いのは、きっと夕陽のせいだろう。彼女はやたら髪をいじりながら、キョロキョロと辺りを見回した。

 そして、申し訳なさそうな笑みと共に、ぽそぽそと口を開いた。

 

「あの……比企谷君。よかったら、少しだけ……話さない?」

「……わかった」

 

 *******

 

 高坂の家の近くにある公園のベンチに腰かけると、彼女はぽつぽつと何があったかを話してくれた。

 南さんの留学、メンバーとのすれ違い、スクールアイドルを続けるモチベーションの低下。高坂の心は押し潰されていた。

 彼女の横顔は、以前見たスクールアイドルの高坂穂乃果ではなく、崩れ落ちそうな一人の女子高生だった。

 

「それでね……今日3人が気を遣って、遊びに誘ってくれたの」

「……そっか」

「あはは……私……ダメだよね……リーダーのくせに……」

 

 ここで「そんなことない」とか言えればよかったのかもしれない。

 だが、俺がそれを口にしても、薄っぺらい気がした。

 実際、俺はこいつと出会って2ヶ月程度だ。こいつの頑張りを最初から知っているわけでもない。南さんとの関係なんて、とても踏み込めるものでもない。

 それでも……心は言葉を探していた。

 

「高坂」

「何?」

「……その……俺はお前の気持ちはわからん。ケンカするような友達もいないしな」

「あはは……またそんなこと言って……」

 

 うん。やっぱり引かれてるな……もうこの自虐ネタは使わない……と思う。

 とにかく俺は言葉を継いだ。

 

「ま、まあ、とにかく……一つ気になった事がある」

「な、何?」

「お前…………もっと我が儘じゃなかったか?」

「…………え?」

 

 彼女は、何を言われたかわかっていないみたいに、呆けた顔で首を傾げる。

 

「いや、お前……有無を言わさずに俺をライブに呼び出したり、園田さんの話によると、話を聞かずに周りを振り回したり……結構我が儘だと思うんだが……」

「ちょ、ちょっと!」

 

 ようやく理解したのか、高坂は俺の言葉を断ちきるように割り込んできた。

 

「え、え、え~!?このタイミングでそれ言うの!?」

「……まあ、今お前見て気になったの、そこくらいだしな」

「ひどいよ!やっぱり比企谷君はイジワルだよ!」

 

 高坂はぷんすか頬を膨らませたが、すぐに吹き出し、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「……ふふっ……でも、ありがと♪なんかよくわかんないけど元気でたかも!それに……そっちのほうが私らしいかな。うん!」

「そっか……」

 

 ふと空を見上げると、すっかり陽は沈み、街には夜の帳が下りていた。そろそろ帰らないと、夕飯を作って待ってる小町に申し訳ない。

 

「じゃあ、俺はもう行くわ」

「えっ?あ、そっか、もう遅いもんね。心配かけて、本当にごめんね」

「いや、さっきも言ったが、勝手に来ただけだっての。しかも、何もしてねえし」

 

 実際、俺が来た意味など特になかった気もするが、それでいい。このまま気になって読書が手につかないのが嫌だから来ただけだし。

 それでも、胸につかえた何かがなくなっている事に気づき、安堵しながら駅へ向かおうとすると、高坂から声がかかる。

 

「あのっ……比企谷君、本当にありがとう!」

「……お、おう」

 

 いつもの調子を取り戻した彼女の元気さに気圧されていると、いきなり距離を詰められた。

 

「それと、もう一ついい?」

「?」

「あの、改めて…本当に比企谷君に聞きたいことがあって……」

「どした?」

 

 何を聞かれるのかと思い、身構えると、高坂は数秒目を伏してから口を開く。

 

「比企谷君が今一番好きなスクールアイドルって誰なの?」

 

 何だ、そんなことか。

 答えはもう決まっている。

 

「…………優木あんじゅ」

「も~!!比企谷君のイジワル!!」

 

 初志貫徹が俺のモットーである。

 



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26話

 翌日、ラブライブの公式サイトに、μ'sの新しい動画が上がった。

 三人で歌っていた歌を今度は九人で歌っている。そのことが、最初から応援していたわけじゃない俺にも、何故かじんときた。

 カメラに向け、最高の笑顔を見せる高坂の目には、最早何の曇りも見えなかった。

 

 *******

 

「もうっ!やっぱり比企谷君はイジワルだよ!」

「まだ言っているのですか?」

「あはは……」

 

 私は海未ちゃんとことりちゃんに、比企谷君の事を話していた。昨日まではライブの事で頭がいっぱいだったから忘れてたけど、あのタイミングで優木あんじゅさん推しって言われたのに、まだ何ともいえない気持ちになっていた。ああ、もう!何なんだろう、この感じ……。

 

「個人の好みに意見しても仕方ないでしょう。A-RISEに追いつくため、まだまだスクールアイドルとして精進しなければならないということです」

「でも比企谷君、絶対に優木あんじゅさんの胸見てるんだよ?私や海未ちゃんの胸じゃ、小っちゃいって思ってるんだよ?」

「なっ!?し、失礼な!私はまだ成長期なだけです!……じゃなくて、今はそんな話ではないでしょう!?」

「あはは……」

 

 またこうして三人で、お昼休みにのんびり話ができるのが嬉しい。もっとこの瞬間を大事にしなきゃ……。

 ほんわかした気分になっていると、ヒデコ・フミコ・ミカの三人が笑顔でこっちに近づいてきた。

 

「いや~、すっかり仲良しさんに戻ったね~」

「うん。やっぱりこっちの方がホッとするね」

「だね~……それはそうと……穂乃果~、よかったね」

「え?何?」

「ほら、え~と……あの、目つき悪い人……名前なんだっけ?」

「比企谷君?」

「そうそう!穂乃果って全然男っ気ないと思ってたのに、意外だったな~。少しは進展してるの?」

「え?進展?」

 

 何の話だろう?この前もこんなやりとりがあったような……。

 

「ほ、穂乃果!どういう事ですか!?比企谷君とはそのような関係だったのですか!?」

「そ、そうなの?穂乃果ちゃん……進展、してるの?」

 

 二人からぐいぐい詰め寄られて、何の話か思い出した。

 も、もう、違うって言ったのに!

 

「だ、だから!そんなのじゃないよ!比企谷君は私の大ファンなんだよ!」

 

 私の言葉に、海未ちゃんとことりちゃんはポカンとした表情を、残りの三人は苦笑いした。

 

「大ファンって……自分で言いますか……」

「あはは……自分で言っちゃったね……」

「こりゃあ、長い道のりだね……」

「うん。しばらくは黙って見守ろっか」

「あ、でもでも!お礼はキチンとしたほうがいいんじゃない!?」

「あっ、うん。そうだよね」

 

 比企谷君は別にいいって言ってたけど、わざわざ来てくれたんだもん。何かお礼したいなぁ……。

 海未ちゃんとことりちゃんも、笑顔でうんうんと頷いている。さらに、ヒデコが私の隣に座り、いたずらっぽい笑顔で囁いてきた。

 

「でも、あんまり過激なのはダメよ?なんたって穂乃果は清純なスクールアイドルなんだから」

「そ、そんなことしないよ!」

 

 想像もしてなかったよ!もう……でも、何かしたいな……うん!

 よしっ、じゃあさっそく今日の放課後に……

 

 *******

 

「……っくしっ!」

「わっ、びっくりしたぁ……ヒッキー、どしたの?風邪?」

「いや、なんか急に……」

「誰か噂してたりして」

「いや、噂されるほど知られてないし、記憶にも残ってないはずなんだが……」

「…………」

 

 

 

 



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27話

「う~ん……千葉に来たのはいいけど、手ぶらで行くのもなぁ」

 

 私はキョロキョロ辺りを見回し、何かお店はないか探してみる。今月、お小遣いピンチだしなぁ……雪穂、貸してくれないかなぁ……。

 

「あの……」

「ん?」

 

 背後から声が聞こえたので振り向くと、中学生くらいの可愛い女の子がいた。その子は心配そうな目でこちらを見ている。

 

「えっと……どうかしたの?」

「いえ、その……道に迷ってるみたいに見えたので……大丈夫ですか?」

「え?あっ、うん!大丈夫だよ、ありがとう♪あっ、早く比企谷君へのお礼を買わないと!下校時間になっちゃう!」

「……比企谷?」

 

 *******

 

 今日は依頼もなく、部室で読書をするだけの楽なお仕事でした。毎日こうならいいんだが……

 

「あっ、お兄ちゃん帰ってきた。おかえり~♪」

「比企谷君、おかえり~♪」

「おーう、ただいま」

 

 家に帰ると、いつものように小町と高坂の声が聞こえてきた。

 俺はリビングを少しだけ覗き、洗面所へ……って……

 

「は!?」

「お邪魔してまーす」

「…………お前、何でいんの?」

 

 リビングのソファーには、音ノ木坂の制服に身を包んだ高坂穂乃果が座っている。さっきまで小町と楽しく会話していたような空気の名残が、そこにはうっすら残っていた。

 あれ?もしかして部室で寝ちゃって、現在夢の中?頬をつねっても痛いままなんだが……。

 高坂はお茶をこくこく飲み、一息ついてから、こちらに駆け寄ってきた。

 

「いや~びっくりしたよ~。駅で偶然比企谷君の妹さんに会うなんて!」

「いや~私もびっくりですよ~。お兄ちゃんに会いに東京から来る人がいるなんて!しかもこんな可愛い人が!」

「か、可愛いって、そんな……小町ちゃんこそ可愛いよ!」

「いえいえ、穂乃果さんの方が……」

 

 なんか女子特有の面倒なノリになってきてない?一気に夢から覚めたわ。

 学校で通りすがりに耳にするだけならともかく、自宅でそんなノリに巻き込まれるのは御免なので、やんわりと遮ることにする。

 

「つーか、その……ほ、本当にどうした?」

 

 やだ、俺ってば緊張しちゃってる!人生で初めて女子が自宅に上がってるだけなのにね!ピュアにも程がある!これもう「純粋な少年と純粋な少女」でいいんじゃね?

 

「あっ、そうそう!今日は比企谷君に会いに来たんだ♪えっと……」

 

 高坂はそんな思春期男子の心情などお構いなしに、自分の鞄をがさごそと漁り、見慣れた黄色い缶を一本取り出した。

 

「はい、これ!この前のお礼だよ」

「マ、MAXコーヒー……」

「うん!比企谷君にお礼がしたくて、小町ちゃんに聞いてみたら、これが一番喜ぶって言ったから!」

「……そうか」

 

 一番ではない。嬉しいけど。

 

「つーか、お礼って?」

「えと……この前、千葉から来てくれたでしょ?」

「……いや、前も言ったが、あれは俺が勝手にやったことだから、礼なんか……」

「それでも!」

 

 急に真面目な顔になった高坂は俺の言葉を断ち切り、また一歩距離を詰めてきた。ふわりと柑橘系の香りが漂い、普段より近い距離で視線がぶつかり合う。

 その瞳は思っていたよりも、ずっと綺麗で……真っ直ぐで……心の奥まで見透かされそうな気がした。

 やがて、ゆっくりと薄紅色の唇が開く。

 

「それでも……嬉しかったよ……」

「……そっか」

 

 小さく頷くと、彼女は微笑み、再び缶を差し出してきた。

 そこで、さっきから胸が高鳴っていることに気がついた。

 

「はい、これ」

「ああ……」

 

 まだひんやりと冷たいMAXコーヒーは、掌の体温に馴染むまで時間がかかりそうな気がした。多分、これはあれですね。さっき鞄の中漁ってた時に、タオル等の私物が見えてしまったのと、そこにMAXコーヒーが入ってたという……うわ、何か背徳感みたいなのが……。

 そこで、高坂のポケットから折り曲げた紙が落ち、それを小町が拾い上げる。

 

「これは……」

「あっ、それ今度秋葉原で開催される花火大会のチラシだよ!」

「へ~~」

 

 小町が含みのある笑みでチラチラこっちを見てくるが、全力で知らないふりをしておく。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん、行こうよ♪」

「……いや、俺は……」

「穂乃果さんは誰かと行くんですか?」

「それが……皆用事があって……妹も友達と行くし……」

「じゃあ、三人で行きましょうよ!小町、あまり秋葉原詳しくないですし!」

「あっ、それいいかも♪案内してあげる!」

「い、いや、俺は……」

「お兄ちゃん、せっかくだから行こうよ~」

「いや、何がせっかくなんだよ……」

「そうだよ、比企谷君もおいでよ!お祭りだよ!花火だよ!」

「空に消えてった……」

「打ち上げ花火~♪……って、話逸らさないでよ!」

 

 いつの間にか、MAXコーヒーのひんやりした感触は、掌に馴染んでしまっていた。



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28話

「比企谷君って家ではどうなの?」

「大体、本読んでるか、ゲームしてるか、アニメ見てますよ」

「そっかぁ、じゃあ比企谷君……」

「いや、歌も踊りもやらないから」

「何でわかったの!?比企谷君って……エスパー?」

「……いや、お前の言いそうなことは予想つく。つーか、俺にスクールアイドルやらせてどうすんだよ」

「えっ、お兄ちゃん達……もうそんな以心伝心な関係に?」

「違う。こいつが単純なだけだ」

「違うよ!私、単純なんかじゃないもん!」

「…………」

「あ~!無視してごまかした~!」

 

 意気投合した小町と高坂が楽しく会話し、たまに俺が振られた話に参加するという、奉仕部のような時間になっていた。

 そして、穏やかな時間ほど流れるのは早く、携帯で時間を確認した高坂は驚きの表情を浮かべた。

 

「あっ、もうこんな時間!じゃあ、今日はいきなりごめんね。小町ちゃんも、絶対にライブ来てね!」

「はいっ、穂乃果さん。帰り気をつけてくださいね」

 

 高坂に、可愛らしい来客用の笑みを浮かべてから、小町はこちらを向いて、「んっ!んっ!」と外に向け、顎をしゃくってみせた。「送っていけ」という事らしい。確かにもう空も薄暗い。何より、最初からそのつもりではあった。べ、別に変な意味はないんだからね!やだ、何このツンデレの見本!今度は「ツンデレな少年と純粋な少女」にタイトル変更するまである。

 

「……じゃ、行くか」

「え?でも……」

「気にすんな。どうせ駅前の本屋に用事があるし」

「そっかぁ……ありがと♪じゃ、行こっ」

 

 高坂の笑みから目をそらし、俺は靴を履いた。

 

 *******

 

 私達は駅まで特に話題を決めるでもなく、思いつくままに言葉を交わした。

 

「それでね、海未ちゃんがテスト勉強1日中つきっきりで見てくれたんだよ!」

「……園田さんの苦労を垣間見た気がするんだが……まあ、あれだ。仲直りできてよかったな」

「うん♪……そういえば、比企谷君はお勉強得意なの?」

「あー、国語がそこそこ自信あるくらいだ」

「へぇ~……私、長い文章読むと眠くなるから羨ましいなぁ」

 

 慣れない街を、知り合って3ヶ月くらいの男の子と歩いている。そのことにいまいち現実感が湧かない。すぐ隣に比企谷君はいるのに。

 その横顔を見ると、相変わらず目つきは悪いけど、その瞳はどこか優しくて……

 

「……どした?」

「え?あっ、何でもないよっ」

 

 今、私……もうしばらくはこのまま歩いていたい、なんて考えたような……どうしたんだろ。

 

 *******

 

 駅は仕事帰りのサラリーマンやOL、大学生くらいの男女などが行き交い、この時間は殆ど家にいる俺が、普段見ることのない賑わいがあった。

 改札付近で、彼女は俺の正面に向き直った。

 

「送ってくれてありがとう」

「……気にしなくていい。さっきも言ったが……」

 

 俺の言葉に、彼女は呆れたような笑みを見せ、続きを遮った。

 

「はいはい。じゃあ、花火大会で会おうね!」

「俺が行くのは確定なのかよ……てか、早く行かないと乗り遅れるぞ」

「あっ、うん!またね!」

 

 手をひらひらと振った彼女は、さっと身を翻し、ふわりと甘い香りを残し、改札の向こう側へと去っていった。

 あっという間にその背中は見えなくなり、駅のアナウンスと同時に、俺も踵を返す。

 ……とりあえず、本屋でも寄っていくか。

 

 



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29話

「えっ!!お姉ちゃん、比企谷さんと夏祭り行くの!?」

「うん。どしたの?大声出して……」

 

 食後のまったりした時間。ぼんやりテレビを見ている雪穂に夏祭りの事を話したら、ものすごく驚かれた。こんなに驚かれたのは、スクールアイドルを始めた時以来かも。

 すると厨房から、ガタンッと大きな物音がした。

 

「あっ、ちょ、ちょっと、お父さん!いきなりお饅頭を一気食いしないで!」

「「…………」」

 

 お父さん、お腹空いてるのかな?さっき晩御飯食べたばっかりだけど……。

 雪穂は「あちゃ~」って言いたそうに額に手を当て、急にヒソヒソ声で話し始めた。

 

「な、何で急に?も、もしかして……比企谷さんに誘われたとか?デート?」

「違うよ。比企谷君って妹がいるの。小町ちゃんって言うんだけど、その子が行きたいんだって」

「……なるほど、そういう流れか……」

「?」

 

 雪穂は口元に手を当て、しばらく何か考えている。大人ぶっちゃって~。でも、雪穂のほうがしっかりしてるから、高校生の内に……いやいや、お姉ちゃんの尊厳を失わないようにしなきゃ!

 やがて雪穂は、こっちに顔を近づけ、真剣な目で見つめてきた。

 

「お姉ちゃん……当日は……」

 

 雪穂が小声で話す内容を聞きながら、私の頭の片隅には、さっきの言葉がひっかかっていた。

 デート……じゃないよね……三人だし。

 

 *******

 

 夏休みが始まり早くも一週間。毎年特に予定のない俺は、さっさと夏休みの課題を全て終わらせ、あとは予備校に通うだけの穏やかで楽な日々を過ごしていた。そう、高校二年となった今、こんな夏休みを過ごせる回数も残り僅かなのだ。

 だからこそ俺は、この数少ない夏休みを満喫しようと思う。例えどこかで花火大会があろうと、エアコンの効いた涼しい部屋でゲームを……

 

「お兄ちゃん、どしたの?」

「いや、そろそろ帰るか」

「はいはい。ゴミぃちゃん発揮しないでね。ていうか、今着いたばっかじゃん」

「いや、逃げるなら早く逃げたほうが次の作戦を立てやすいだろ」

「えーと、穂乃果さんは……」

 

 小町ちゃん。お兄ちゃんをシカトしないでね……傷ついちゃうから……。

 まあ、とりあえず……俺と小町は花火を見に、秋葉原へと足を踏み入れていた。

 確か高坂とは駅前で待ち合わせしていたはずだ。まあ、あいつの事だから、遅刻は想定の範囲内だ。

 すると、小町が何か発見したかのような、はっとした表情を見せた。

 

「あっ、いた!お~い!穂乃果さ~ん!」

 

 小町が手を振りながら呼びかけると、こちらに駆け寄ってくる高坂が見えた……のだが……

 

「ご、ごめ~ん……遅れちゃった」

「…………」

「いえいえ、私達も今来たところですし!それより、その浴衣可愛いですね~」

「えっ?そうかな……あはは、ありがと♪」

 

 予想外の彼女の姿に言葉を失ってしまった。

 なんと高坂は白い浴衣に身を包んでいた。その白い浴衣は青い水玉と金魚の模様があしらわれていて、夏らしい爽やかな雰囲気がある。さらに、祭りの空気も相まって、より一層華やかに見えた。

 そして、髪もアップにされていて、普段より露出した白い首筋が、やけに眩しく見えた。

 この時期なら、浴衣を着ることくらい想像がつきそうなものだが、まさかこのタイミングで着てくるとは……。

 自分でも知らない内にぼーっと見ていると、小町から肘でつつかれる。

 すぐにその意味はわかるのだが、上手く口が動かない。いや、ほら……夏休み始まってから人と話してないからね?会話能力がやや低下気味なんですよ……。

 それでも、何とか言葉を紡ぎ出す。

 

「……あー、その……何だ……いい感じだと、思う」

「「…………」」

 

 街の喧騒が遠くなった気がする。

 あれ?やっぱり褒め方間違えたか?

 なんて考えていると、やがてポカンとしていた二人の表情に笑みが灯った。

 小町は呆れ気味に……高坂は、頬を沈みかけの夕陽に赤く照らされながら、やわらかく微笑んだ。

 

「えへへ……比企谷君もありがと♪雪穂から無理矢理着させられて、似合ってるかどうか心配だったんだぁ」

「いや~、本当に可愛いですよ。私も着てくればよかったなぁ」

「止めとけ。あんま羽目外しすぎると母ちゃんに叱られるぞ」

「むむっ、確かに……」

「大丈夫だよ、小町ちゃん!お祭りは来年もあるから!さっ、行こう!」

「はいっ」

「……お、おう」

「ん?どしたの?」

「……いや、何でも」

 

 星が瞬き始めた空を見上げ、そこに意識を集中し、思考を切り替える。

 中学時代は、この甘やかな胸の高鳴りの扱い方もわからず、恥ずかしい真似ばかりしてきた。

 そう、だが今は簡単に扱える。

 …………きっと簡単なはずだ。

 



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30話

 祭りは想像以上に賑わっていた。

 人にぶつからないように歩くのがやっとの混雑で、夜にもかかわらず、むっとするような熱気がここら一帯を包み込んでいる。それでも大して不快そうな表情が見られないのは、祭りの空気の為せる業か。

 とはいえ俺はガリガリHP削られてるけどね?だってパーソナルスペース広めだもん!

 しかし、俺とは逆に、どんどんテンションを上げている奴が隣にいた。

 

「ん~♪やっぱり縁日の焼きそばは格別だね~♪」

「…………」

 

 さっき一瞬だけロマンチックな気分に浸りかけたが、こいつのテンションが現実に引き戻してくれた。危ない危ない。うっかり非モテ三原則を忘れるところだった。こいつの色気より食い気なところ、嫌いじゃない。

 

「比企谷君、どうしたの?欲しいの?一口上げよっか」

 

 高坂はたこ焼きをこちらに向けてくる。いや、つまようじでも間接キスとか意識しちゃうから。こいつ、本当にそういうの気にしないんだな……。

 

「はいっ」 

「いや、いらん……てかお前、さっきリンゴ飴食ってただろ」

「別腹だよ、別腹♪それに夏だから汗かくし」

「…………」

 

 何だ、変なフラグが立ってる気が……いや、気のせいだよな。まさか、そんなベタな展開が起こるわけが……。

 

「どうしたの?」

「……いや、次行くか。小町も離れて歩いてないでついてこいよ」

「大丈夫大丈夫♪さ、行こっ」

 

 小町はにぱっと笑って誤魔化した。まあ、こいつの考えてる事は察しはつく。

 すると、周りからヒソヒソとどんよりした声が聞こえてきた。

 

「おい、アイツ見ろよ……」

「あんな可愛い子を二人も連れてやがる……!」

「けっ、ボッチの癖に」

「メダパニ」

 

 どうやら呪詛の言葉を投げかけられているようだ。

 おい、何故俺がボッチだと知ってる。そんなにボッチで名を馳せた覚えはねえぞ。むしろクラスメートからも知られてないし。それと、こんな場所で混乱させる呪文かけんじゃねえよ。どうせならオクルーラで千葉まで送ってくれ。

 

「はいっ、お兄ちゃん♪」

 

 いつの間に買ったのか、小町が綿菓子を差し出してきた。いきなりどこかに行くなとさっきあれほど……

  

「ほら、早く!」

「……ああ、サンキュな」

 

 タダより上手い食べ物はないので、ありがたく頂くと、高坂が綿菓子を見て、目をキラキラ輝かせた。

 

「わぁ……この綿菓子、美味しそう♪」

「ですよね、可愛いですし♪」

 

 確かにピンクや水色やら入り交じっていてカラフルではあるが、可愛いというかはわからない。

 とりあえず齧ってみると、特に何の変哲もない綿菓子の味がした。甘さがふわふわ口の中に広がり、すぐに溶けていくのがいい。何よりタダで食べる物が一番美味い。

 

「どう?お兄ちゃん」

「あー、普通に美味い」

「何、そのつまらない感想……」

「いや、グルメリポーターじゃねえんだから……」

「スキあり!」

 

 小町と話している隙に、高坂が俺の綿菓子にパクついた。

 ほんの一瞬ではあるが、彼女の顔が物凄く接近し、頬にさらさらと茶色がかった髪の毛が当たる。そして……

 

「ん~、おいしい~♪」

「…………」

「あっ、ごめん。怒った?」

「い、いや、そうじゃなくて……何つーか、お前が齧ったとこ……」

「え?…………あ」

 

 俺の言葉にキョトンとしていた高坂が、何の事か気づき、ふにゃっとした笑顔を浮かべる。

 

「あはは……わ、私あんまそういうの気にしないから……あはは……ごめんねぇ」

「そ、そうか……ならいい」

 

 とにかく相手が気にしていないのだから、こちらも気にしないのが礼儀だろう。慌てない、慌てない。気にしない気にしない。ほ、本当に気にしてないよ?ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「ふむふむ……」

 

 何やら小町が分析するような眼差しを向けているが、もしかして、それを狙っての綿菓子だったのか?いや、さすがにそこまでは……。

 

「あっ、そろそろ花火始まるよ~!ほら、早く~!」

「は~い」

「……おう」

 

 その振り向きざまの無防備な笑顔は、出店のぼんやりした灯りに映え、その姿は人混みに埋もれる事がない。

 二人に呼ばれるまで、俺はその姿を見つめていた。

 

 *******

 

 いけないいけない。つい海未ちゃんや、ことりちゃんと一緒にいる時みたいになっちゃった……でも、やっぱり違うんだよね。

 少しだけ顔が熱くなった気がした。さっきより混んできたからかなぁ……。

 口の中には、まだしっとりと綿菓子の甘さが残っていた。

 

「……甘かったな」

 

 私は唇に掌を当て、しばらくそのままでいた。

 何でそうしたのか、自分にもわからなかった。

 

 

 



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31話

「わぁ……」

「きれい……あっ!あの花火、比企谷君っぽい!」

「どれだよ、どんなんだよ……えっ、本当にどれ?」

 

 花火は予定通りの時間に上がり始め、夏の夜空を鮮やかに彩っている。

 誰もがその一瞬の輝きに見とれ、そこに思い思いの感情を乗せ、記憶の奥底に焼き付けていた。

 普段は無邪気というか暢気というか、年より幼めというか、とにかくテンション高めの高坂も、すっかり花火に見とれている。儚げな表情に見えるのは、花火が優しく照らしているからか。

 すぐ隣には小町もいて、時折二人で何やら言葉を交わしていた。てか、この二人仲良くなるの早すぎじゃね?兄妹でこのコミュ力の差……まあ、今に始まったことじゃねえけど。

 

「た~まや~!」

 

 誰かのそんな声も聞こえてきた。

 

「「た~まや~!」」

 

 お前らもやるのかよ……。

 

「比企谷君は言わないの?」

「言わない」

「え~、言おうよ~」

 

 高坂が肩をポンポン叩いてくる。ああもう、そういうボディタッチは禁止って学校で習わなかったのかよ。生物の授業とかで。

 このままではメモリアルなときめきで花火に集中できないので、俺はとりあえず小さく口を開いた。

 

「…………たーまやー」

「暗いよ!比企谷君、暗すぎるよ!」

「その分、花火が明るいからいいだろ」

「えっ?あ……確かにそうかも」

 

 えっ?今ので納得しちゃうの?今、かなり適当に切り返したんだけど……。

 俺はその純粋すぎる横顔を、少し心配しながら、でも何故か変わらないで欲しいと自分勝手に願いながら、しばらくの間見ていた。

 

 *******

 

 花火大会が終了すると、一斉に帰宅し始めるので当たり前の事だが、行きよりもかなり混雑する。行きはよいよい、帰りは怖い。人混み怖い。

 そんな中、俺と小町と高坂は何とか離れずに歩くので精一杯だった。

 小町は手を団扇がわりにパタパタさせながら、どんよりと呟く。

 

「……ふぅ……あ、暑いねぇ」

「小町、大丈夫か?」

「大丈夫?」

 

 小町を気遣うタイミングが偶然にも重なり、そのことに驚いた小町がニヤニヤと笑う。

 

「だいじょぶだよ!それより、タイミングばっちりだね~♪」

「あははっ、そう?まあ、比企谷君は私の大ファンだからね♪」

「いや、何度も言うが大ファンって程じゃないんだけど……」

「むぅ、まだ言ってる……じゃあ、まだ優木あんじゅさんの「ああ」はやっ!何でそんなにリアクションが違うの!?」

「え?そりゃ、お前……は?あ、え、い、い、いや、べべ、別に?」

「テンパりだした!?」

「ああ……お兄ちゃん、この前A-RISEの水着のPV見てたもんね」

「いや、違うから。うっかり間違えてクリックしちゃって、履歴に残っちゃっただけだから」

「「じぃ~~~」」

 

 俺の馬鹿!何で履歴消し忘れちゃうの?そして、小町も何で見ちゃうの?教えちゃうの?まあ、何というか……ごちそうさまでした。

 高坂はぷいっと顔をそむけ、ぼそぼそ一人ごちる。

 

「まったく、もう!比企谷君はもう!……あっ」

 

 不注意のせいか、誰かと肩がぶつかった高坂が、俺の肩にもたれかかってきた。

 浴衣越しに彼女の体温が感じられ、ふわりと甘い香りが、鼻腔をくすぐる。

 さらに、肘の辺りに何やら柔らかい感触が押しつけられてきた。

 

「ご、ごめん!痛くない?」

「……あ、ああ、気にしなくていい。てか、そっちこそ……大丈夫か?」

「うん……比企谷君が丁度いい位置にいたから。ごめんね、ちょっと今動けないかも……」

「…………」

 

 ……俺の肩がお役に立てたみたいで。

 ただ、このままなのは非常にまずい。

 さっきから、肘の辺りが温か柔らかくてヤバい。

 こ、この状況を可及的速やかに打破する為には……

 

「……おい、小町。はぐれるぞ、ほら」

「えっ?……ああ、はい」

 

 俺は小町に手を差し出した。

 小町は「ええぇ……」というような表情を見せたが、すぐに手を握ってきた。その表情、傷つくからやめようね。年頃の反抗期の娘を持った父親の気持ちになっちゃうから。

 とにかく、これで解決とは言わないまでも、意識を左手に集中しておけば、右側の感触は忘れられる……多分。

 結局、人混みを抜けるまで、柔らかな感触が離れることはなかった。 

 

 *******

 

「送ってくれてありがとう。二人も帰り気をつけてね!」

「……おう」

「穂乃果さん!次のライブよろしくお願いしますね!あと兄も!」

「うんっ!ライブの連絡と、比企谷君のイジワルなとこ直せばいいんだよね!」

 

 高坂の返事に、小町は「そこじゃないんだよなぁ……」と言いたげな顔をする。ナイス高坂。しかし……

 

「おい、待て。俺はイジワルなんかじゃない。むしろ人から遠ざかり、誰にも危害を加えないし、嫌な思いさせないんだから、ノーベル平和賞もんの優しい奴だろ」

「お兄ちゃんお兄ちゃん。そういうとこだよ」

「うんうん。そういうとこ。でも……」

「?」

「たまに優しいところ、私好きだよ」

「っ……!」

 

 こ、こいつ……いや、間違いなく恋愛的なアレじゃないとはわかってはいるんだが……それでも心臓に悪い。中学時代の俺なら、翌日から彼氏面して、周囲からドン引きされてるところだ。

 

「どしたの?」

「……いや、何でもないでしゅ……」

「あははっ、何でいきなり敬語なの?しかも、噛んでるよ!」

「……うるせえよ、じゃあ帰るぞ、小町」

「はいはい♪」

 

 やけに上機嫌な小町が隣に並んだところで、高坂の声が響く。

 

「またね~!」

 

 俺は振り返り、軽く会釈だけしておいた。彼女の表情を見ないようにしながら。

 いや、正しくは見れなかっただけなのだが……。

 そのあと、電車の中でも、ベッドの上でも、しばらく頬の熱さが気になった。

 

 *******

 

 家に帰り、お風呂に入ってから、部屋のベッドに寝転がると、絵里ちゃんから電話がかかってきた。希ちゃんとにこちゃんと一緒に、三年生用の勉強合宿に参加しているらしいけど……私も来年は……はあぁ……。

 私は体を起こし、ケータイを耳に当てた。

 

「絵里ちゃん?どうかしたの?」

「いきなりごめんね、穂乃果。比企谷君達との花火大会はどうだった?」

「うん、楽しかったよ!……あれ?絵里ちゃんに言ったっけ?」

「何となくそんな気がしただけチカ」

「ん?絵里ちゃん?」

 

 あれ?今何かが違ったような……。

 絵里ちゃんは咳き込んで、何かぶつぶつ言ってる。なんだぁ、私の気のせいかー。

 

「それで……何かあった?」

「何かって?」

「例えば……ちょっと勢いあまって手を繋いじゃったりとか、うっかり間接キスしちゃったりとか、なんかもう胸がドキドキしたりとかキュンキュンしたりとか、やっぱり目がカッコいいなーとか「エリチ」はい」

 

 え、絵里ちゃん、どうしたのかな?すごい早口……。

 

「絵里ちゃん、大丈夫?」

「いえ、何でもないわ。じゃあ、帰ったらゆっくり話し合いましょう」

「え?あ、うん……」

 

 話し合うって……何を?ま、いっか。

 私はもう一度仰向けに寝転がった。

 そのまま目を閉じると、さっきまで夜空を照らしていた花火を思い出して、頬が緩み、胸が踊った。

 そういえば帰り際、うっかり転びかけて、比企谷君にしがみついちゃったな……なんかこう……背中、おっきかったな……。

 頬に手を触れると、お風呂から上がってしばらく経ったのに、まだ頬が熱かった。



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32話

 8月に入り、暑さも増し、なるべく家から出ないよう、細心の注意を払う毎日。てか、もうこんな暑いなら9月も夏休みでよくない?

 そんなことを考えながら夏の夜の読書に勤しんでいると、珍しく……いや、最近はそうでもないが……スマホが震えだした。

 俺は、相手が誰か何となく予想がついたので、相手を確認することもなく、スマホを耳に押し当てた。

 

「もしもし、比企谷君っ、今大丈夫?」

「……ああ、どうかしたのか?」

「ふっふっふっ……聞きたい?」

「いや、別に。じゃあ俺そろそろ寝るわ。じゃあな」

「ちょっと寝ないでよ!聞いてよ!比企谷君のイジワル!」

「じゃあ、勿体ぶらずに早く言ってくれると助かる。まあ、その感じだと悪い話じゃなさそうだな」

「そうだよっ、実は……比企谷君!ライブだよ、ライブ!」

「いや、俺、プロデューサーじゃないんだけど……」

「プロデューサー?何の話?」

「いや、こっちの話だ。まあ、あれだ、よかったな……じゃあ、行けたら行くわ。用事もあるし」

「えっ!?比企谷君、用事あるの!?」

「当たり前だ。夏休みだから色々あんだよ。予備校とかゲームとか読書とか」

「予備校以外は用事じゃないじゃん!しかも夏休み関係ないし!」

「いや、だらだらゲームすんのも夏休みの特権だろ」

「むむむ……あっ、そういえば優木あんじゅさんも参加するイベントなんだよ」

「…………いつのイベントだ?一応、聞いておく」

「……こ、これはこれで……納得いかないような……ていうか、ごめん。嘘なんだ……」

「……悪い。そろそろ寝るわ」

「ご、ごめん!謝るからぁ!今度新曲やるから、やっぱり比企谷君には一番前で見て欲しいの!」

「…………」

「あれ、どうかしたの?」

「い、いや、何でもない。とりあえず戸塚にも声かけとくわ」

「ありがとう!でも、もう一人の友達は?えっと……そうだ、材木座君!」

「……誰だっけ?」

「忘れてる!?ほら、もう一つの名前が剣豪将軍の……」

「そんな恥ずかしい名前の奴は知らない」

「そんなこと言っちゃダメだよ!もう……ん?お、お母さん!?いつからそこにいたの!?雪穂まで!もう、あっち行ってよ!」

「…………」

「ふぅ……まったくもう!……ごめん、何の話だったっけ?」

「ライブの開催日を聞こうとしていたところだ」

「そうそう、忘れるところだった。今週の日曜日だよ。……あれ?何か忘れてるような……」

「いや、そんなことないぞ。もう大丈夫だ。それよか、明日も早いんじゃないのか?」

「あっ、うん、そうだね。じゃあ、おやすみ」

「……おう」

 

 あっさりと通話は途切れ、数秒後には耳が疼くような静寂がやってくる。

 スマホを枕元に置き、窓の外に目をやると、さっきより夜は深まって見えた。

 

「おやすみ……か」

 

 最近は割と聞き慣れた感があるが、改めて考えると不思議な感じだ……いや、今は考えるのはよそう。 

 俺は深呼吸をし、気持ちを切り替え、再び文字列を追い始めた。

 時計が日を跨いでも、眠りはやってこなかった。



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33話

「ええっ!!!!!??比企谷君が見に来てくれるの!?」

「う、うん……」

 

 比企谷君や小町ちゃんをライブに誘った話をしたら、絵里ちゃんが物凄い勢いで詰め寄ってきた。ど、どうしたのかなぁ……?

 

「くっ、こうしてはいられないわ……!ことり!私の衣装を三割増しセクシーにしてもらえないかしら「エリチ」はい」

「絵里ちゃんがなんかおかしいにゃ……」

「う、うん……目が、怖い……」

 

 絵里ちゃん…………とっても気合いが入ってるんだねっ、さすが生徒会長!私も見習わなきゃ!

 私はことりちゃんの肩を掴んで、はっきり告げた。

 

「じゃあ、ことりちゃん!皆の衣装をセクシー三割増しで!」

「ええ~!?」

「穂乃果、何を言っているのですか!?私は着ませんよ、そんなの!」

「ふんっ、私も着ないわよ!清純派だもの!」

「誰もにこちゃんには期待してないわ」

「なぁんでよっ!」

 

 結局、衣装はそのままでやることになった。

 

「ふふふ……ライブチカ。絶対に視線を釘付けにするチカ」

「え、絵里ちゃん?」

「エリチ……」

「まあ何にせよ、穂乃果……ハラショーよ」

「う、うん……ハラショー……かな?」

 

 ぐっと親指を立てる絵里ちゃんに、苦笑いで返すと、こうしている間も、ライブの日が近づいてきてるという実感が湧いた。絶対にいいものにしなきゃ!

 

「よ~し……皆っ、ファイトだよ!」

 

 *******

 

 ライブ当日、青空を白い雲がふわふわ泳ぎ、少しじめじめさした風が吹き抜ける。たまに雲が太陽にかかり、日差しを遮るので、昨日よりは過ごしやすそうだ。

 

「お兄ちゃん、戸塚さんにしか声かけなかったの?」

「他に声をかけられる奴がいなかったんだよ。てか、戸塚誘うのも結構緊張したんだが……人を誘うって難易度たけぇんだな……」

「……それ、なんか別の緊張なんじゃないの?」

 

 小町のジト目を無視し、行き交う人の流れをぼんやり眺めていると、見間違えるはずのない天使・戸塚の姿を発見した。

 

「八幡!」

「おう」

「あっ、戸塚さん!お久しぶりです~」

「うん。久しぶり、小町ちゃん」

「けぷこん、けぷこん」

 

 戸塚は急いで来たのか、額にはじんわり汗が滲んでいた。お、俺に会うために、そこまで……今日は我が人生最良の日なのか……。

 

「は、八幡?どうして泣いてるの?」

「ああ、気にしないでください。兄なんで」

「まあ、気にすんな。ぼっちあるあるだから」

 

 嘘だけど。

 

「けぷこん、けぷこん」

「じゃあ、そろそろ行くか」

「な、なあ、我のことガチで無視すんの止めてくんない?いや、本当に傷つくんだけど……」

「……幻じゃなかったのか」

 

 さっきから、ただの夏の幻だと思って無視していたのに……。

 

「あはは、本物の材木座君だよ。さっき偶然会ったから、声かけたんだ」

「……そっか、そりゃ運が悪かったな」

「照れるな八幡よ、スクールアイドルのライブで緊張してるかもしれんが、安心するがいい……我が来た」

「いや、むしろ不安しかないんだが……」

 

 こいつの痛々しい中二病のノリを、高坂以外のμ'sメンバーが受けとめてくれる可能性は極めて低い。恐らく「ダレカタスケテェ……」とかなるに違いない。極力他人のふりをしておこう。いや、今の時点で既に赤の他人だが……。

 

「あっ、お兄ちゃん!そろそろ電車来るよ!」

「ん?ああ、じゃ行くか」

 

 もう一度、青い空と白い雲を見上げ、そういえばμ'sの楽曲にも、夏を題材にした曲があったことを思い出す。

 すると、軽快なメロディーと、誰かの爽やかな笑顔が自然と浮かんできた。

 

 *******

 

 電車内では材木座も大人しく……まあ、コートが人目を引いていたが……とにかく、ぼんやりと流れる景色を眺め、時折三人の内の誰かと言葉を交わしていたら、割とすぐに着いた。

 

「さあ、皆の者。我に続くがいい!」

「いや、お前目的地知らねえだろ」

「確か駅から5分くらいの場所だったよね」

「お兄ちゃん、多分あの建物の近くじゃないの?」

 

 小町の指し示す方向を見ると、高坂のメールに書かれていた看板が見えた。この炎天下で歩かされずにすみそうなのはありがたい。

 とりあえず目的地向けて歩き始めると、右側から何かが勢いよくぶつかってきた。

 

「きゃっ!」

「っ!」

 

 突然の衝撃にこけそうになるが、何とか耐える。

 目を向けると、ぶつかってきたのは女子だと気づい……た……。

 

「ご、ごめんなさい、大丈夫?」

「……え?、あ、ああ、はい……」

 

 何やら声をかけられているが、口が上手く開かない。

 そこにいたのは……A-RISE のメンバー、優木あんじゅだった。

 

 *******

 

「あら、今胸騒ぎがしたわ……仕方ないわね。私が比企谷君達を迎えに「エリチ」はい」

「あははっ、でもそろそろだよね。今日のライブ、楽しませなきゃ♪」



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34話

 

 ジリジリと焼けつくような暑さを、少しの間だけ忘れてしまうような、そんな衝撃的な瞬間。ボッチとして訓練されていなければ、間違いなく惚れていただろう。

 しょうもない事を考えていると、割と近い距離から、ぱっちりとした二つの目が、心配そうにこちらを見上げてきた。

 そして、薄紅色の唇がそっと動いた。

 

「君、大丈夫?」

 

 その言葉に、はっと我に返り、何だか気恥ずかしい気分になる。

 

「あ、はい……あー、そ、そっちは……」

「こっちは全然平気よ。ごめんなさいね。急いでたから……」

「…………」

 

 二の句が継げず、視線をあちらこちらにさ迷わせてしまう。

 なんかこう、あれだ。芸能人を生で見た時のような感覚だ。まあ、この人もスクールアイドルの中ではかなり有名人で、雑誌に特集組まれたりしてるからかもしれんが。

 ふわふわした長い茶髪は、夏の風に揺れる度に甘い香りを飛ばし、鼻腔を優しくくすぐってくる。

 お嬢様風の雰囲気とは対照的に、白いTシャツに青いデニムというラフな出で立ちは、その起伏の激しいボディラインが強調されていて、うっかりすると、視線を吸い寄せられそうだった。

 兄の緊張した姿を見かねたのか、小町が背中をちょいちょいとつついてきた。

 

「ちょっとお兄ちゃん、いつまで見とれて……あっ、それって……」

 

 小町が何かに気づいたように、彼女の手元を指差す。

 目を向けると、その手には今日のイベントのパンフレットが握られていた。

 すると、小町が何かを企んでいるのか、急に人懐っこい笑顔になる。俺はその隙に、彼女と少し距離を空けた。

 

「そのイベント今から行くんですか?」

「ええ、そうよ。あなた達も?」

「はい、そうなんですよ♪お姉さん、A-RISEの優木あんじゅさんですよね?」

「あら、私の事知ってくれてるの?」

「はい~、A-RISEの曲大好きですよ!」

「ふふっ、ありがと。二人も喜ぶわ。あなたもスクールアイドル?」

「いえいえ、違います。」

「そう……あなたと、そこのあなたもスクールアイドルやったら人気でると思うのだけれど」

 

 急に視線を向けられた戸塚は、少し緊張気味に俯き、俺の時のようにやんわりと事実を告げた。

 

「えっと……僕、男の子です」

「ふふっ、面白いジョークね」

「いえ、冗談じゃ……」

「冗談じゃないですよ」

「あら……そうなの?ごめんなさい……あまりに可愛い顔してたから」

「だ、大丈夫ですよ……たまに間違えられるんで……」

「…………」

 

 いかん。うっかり戸塚のスクールアイドル姿を想像しちゃったじゃねえか。これは推すしかねえな。

 戸塚の可愛い姿を妄想している内に、二人はドンドン話を進めていた。あら、優木さんがこちらを見てらっしゃる。小町ちゃん。何を言ったのかしら?

 

「君、μ'sの高坂さんの知り合いなの?」

「え?ああ、まあ……」

 

 小町が何を話したかと思い、戦々恐々としていたが、どうやら杞憂だったようだ。

 すると彼女は妖艶な笑みを見せ、また距離を詰めてきた。

 ガラリと変わった空気に、緊張のせいか背中を汗が伝った。

 そして、さっきとは違い、艶かしく唇が動く。

 

「私の動画もたまに見てくれてるんだ?」

「…………」

 

 だから動画の再生履歴は消せとあれほど……。

 しばらく俺の顔を見ていた優木さんは、妖艶な笑みから爽やかな笑みに戻り、俺達を促した。

 

「ふふっ、あなた達もスクールアイドルのライブ観に行くんでしょ?じゃあ行きましょ。早くしないと、遅刻しちゃうわ」

「はいっ♪」

「楽しみだね、八幡!」

「あ、ああ……」

 

 この時の俺は、会場に行くまでの短い時間に、やたらからかわれるとは思ってもみなかった。

 ちなみに、材木座はメイドさんからティッシュを貰い、ホクホク顔で空を仰いでいた。

 

 *******

 

 ライブ開演の30分前。私は会場のエントランスで皆を待っていた。絵里ちゃんも一緒に待とうとしたけど、希ちゃんに止められていた。なんか「自重せなあかんよ」とか「そろそろ最新話やろ」とか言われていた。何の話かな?

 そこで、入り口の方から声が聞こえてきた。

 

「穂乃果さ~んっ!」

「あっ、小町ちゃん!戸塚君に材木座君も!」

「久しぶり、高坂さん。材木座君、何でそんなに挙動不審なの?」

「けぷこん、けぷこん。この建物内には特殊な結界が張られていてな」

「結界?」

「いや、真面目に考えなくていい。スクールアイドルが大勢いて、無駄に緊張してるだけだからな」

「あっ、比企谷……君?」

 

 比企谷君の声がしたので、そっちの方に目を向けると、隣にとっても美人な女の子がいた。あれ?この人、どこかで……

 

「初めまして、高坂穂乃果さん。A-RISEの優木あんじゅです」

「えっ……えええ~~~~!!?」

 

 ア、A-RISEの、ゆ、ゆ、優木あんじゅさん!?

 な、なな、何で比企谷君と!?知り合いだったの!?

 優木あんじゅさんは、私に微笑んでから比企谷君の方を向いた。

 

「へえ、君って本当にμ'sの高坂さんと知り合いだったんだぁ」

「いや、嘘つく理由もないでしょう……」

 

 比企谷君は優木あんじゅさんが顔を近づけると、そっぽを向いた。耳まで真っ赤になってる……ちょっと顔が疲れ気味だけど……。

 

「もしかして、君って結構モテるの?」

「……モテてるなら今頃渋谷でデートしてますよ」

「あははっ、照れちゃって可愛い♪」

「…………」

 

 優木あんじゅさんにからかわれ、八幡君は顔を赤くしている。やっぱり、憧れのスクールアイドルが近くにいるから緊張してるみたい。

 ……でも、ちょっと顔近いんじゃないかなぁ。いや、別にいいけど……。

 

「穂乃果、どうかしたのですか?」

「え?」

「ちょっと怖いというか……不機嫌そうな顔してるかも……」

「ええっ、ウソっ?」

 

 思わず顔をペタペタ触ってしまうけど、もちろん何もわからない。

 でも何だか海未ちゃんの言う通りな気がした。

 何で……いやいや、今はそれどころじゃないよっ。今からライブだもん!皆を笑顔にしなくちゃ!

 私は頭をぶんぶん振って、すぐに気持ちを切り替えた。

 



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35話

 ライブは大盛況のうちに終了した。

 μ'sのパフォーマンスは、素人目にもわかるくらいに迫力が増していた。隣にいる小町なんかは、すっかり目を奪われ、普段は見れないような熱いテンションで声援を送っていた。

 

「ありがとうございました!!」

 

 今日一番の盛り上がりを見せ、ステージから去っていく彼女の姿は、普段よりも輝いていて、少し遠く見えた。

 そのことに何ともいえない気持ちになりながらも、俺はできるだけ強く拍手を送った。汗で湿った音で何かを誤魔化すように。

 何より、彼女達を讃えるように。

 

 *******

 

 終演後、高坂に呼ばれたので控え室に行くと、μ'sのメンバーが勢揃いしていた。その隣には、先日の高坂の件で知り合った三人組がいる。何故こちらを見てニヤニヤ笑う。あと絢瀬さんがやたらウインクしてくる。うっかり俺の事好きなのかと思っちゃうだろ。

 そんな中、真っ先に口を開いたのは高坂だった。

 

「あっ、皆!今日は来てくれてありがとう♪」

「いえいえ、こちらこそ呼んでいただきありがとうございます♪とっても楽しかったですよ。ねっ、お兄ちゃん!」

「……おう」

「すっごく楽しかったよ!」

「ふむ、悪くはない」

 

 小町に続き、戸塚が可愛らしい笑顔で、材木座が小声で偉そうに感想を告げると、メンバーがほっとした表情を見せた。おい、材木座。

 やはりアイドルの時は雰囲気が違うからか、華やかで眩しすぎるからか、別に露出度が高い衣装を着ているわけじゃないのに、目のやり場に困ったように目を泳がせていると、いきなり目の前に碧い瞳が現れた。

 

「比企谷君、来てくれてありがとう!楽しんでくれた?私、どうだった?可愛かった?」

「っ……!」

 

 その正体は絢瀬さんだ……てか、近い近いいい匂い近い!何なのこの距離感?パーソナルスペースやらATフィールドやらが明らかに無視されている。

 

「エリチ」

「はい」

 

 東絛さんから名前を呼ばれると、あっさり距離をとる絢瀬さん。え、何?この二人主従関係でもあるの?マスターとサーヴァントの関係なの?令呪持ってるの?

 

「………」

「……どした?」

 

 今度は、いつの間にか高坂が近くにいて、じっとこちらを見ている。どことなく不機嫌そうなのは、ライブ疲れからくるものなのか、さっきは笑顔だった気がするんだが。

 彼女は俺の方から目を逸らし、独り言のように呟く。

 

「別に。何でもな~い」

 

 そう言って何でもないなかった奴はいない。

 

「ア、アンタ達、のんきに話してる場合じゃないでしょ。何でそんな平然としていられるのよ!?」

「あわわ……ぴゃああ……!」

 

 会話に割って入ってきた矢澤にこと小泉花陽の視線の先では、優木あんじゅが優雅に微笑んでいた。

 

「あっ、どうぞお構い無く」

「できるか!できるわけないでしょ!できませんよ!あの、ファンなんです!サインください!」

「わ、私も……大丈夫ですか?」

「ふふっ、もちろんオーケーよ♪応援ありがと。あなた達のライブ素敵だったわ」

「「ありがとうございます!!」」

「A-RISEのメンバーに褒められたにゃ……」

「まあ、この私がいるんだから当然だけど」

「真姫ちゃん、照れてる♪」

 

 そういや、矢澤さんと小泉花陽ちゃん二人はアイドル大好きとか高坂が言ってたような……目が完全にファンの目になってんな、これ。

 

「あの……」

 

 サインをゲットして夢見心地の二人を余所に、高坂がこっそり耳打ちしてくる。

 

「……二人は知り合いなの?」

「いや、さっきそこで知り合っただけだ……てか、知り合いじゃないのはお前もわかってるだろ……」

「あっ、そっか。そうだよね……うん。でも、よかったね、知り合いになれて」

「……い、いや、別に」

 

 よかったねと言いながらも、高坂の声はどこかとんがっている。もしかしたら、前回の優勝者に対して思うところもあるのかもしれない。てか、耳に吐息がかかりまくって、変な気分になりそうなんですけど!

 そこで、優木さんが「それじゃあ」と口を開いた。

 

「私はそろそろ行くわね。比企谷君達も、今度はA-RISEのライブを観に来てね」

 

 こちらが返事を返す間もなく、彼女は身を翻し、去っていった。ふわふわ揺れる茶色い髪が見えなくなったところで、再び高坂が口を開いた。

 

「比企谷君、A-RISEのライブ行くの?」

「いや、わからん。そもそもいつあるのか聞いてないし」

「そっか……あっ、今日は本当に来てくれてありがとう!嬉しかったよ!あはは……」

「お、おう……」

 

 らしくないと言える程の仲ではないが、それでもらしくないと思えるぎこちない笑い方。やはりどこかおかしい。こいつ、もしかして……

 

 *******

 

 何でだろう……ライブ観に来てもらえて嬉しいはずなのに……胸の辺りがモヤモヤする。こんなの…私らしくないな。

 

「……高坂」

「えっ、あ、なになに?」

 

 比企谷君が心配そうにこっちを見ている。いけないいけない。せっかくライブに来てもらったんだから、こんな顔させちゃいけないよね。

 彼は気遣うような視線のまま、いつものようにボソボソと呟いた。

 

「もしかして、腹減ってんのか?」 

「違うよっ、比企谷君のバーカ、バーカ!」

 

 やっぱり比企谷君はイジワルだよ!

 



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36話

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!小町はプールに行きたいのです!」

「……そっか」

「うわぁ……完全にスルーされちゃってるよ……さすがはゴミぃちゃん」

 

 小町ががっかりした表情で、ソファーにうつ伏せに寝そべりゲームをしている俺の背中に座る。おい、手元が狂っちゃうだろうが。可愛いから許してやるけど。

 そのままの態勢で小町は話を続けた。

 

「お兄ちゃん、プールだよプール。お兄ちゃんがプールに行く機会なんてないでしょ」

「さも俺がプールに行きたくてたまらないみたいな言い方するのは止めようね」

「でもでも、ビキニ着たギャルが見れるんだよ。目の保養だよ」

「お前はオッサンかよ……」

「ほら、チケットだって……」

「何でそんなもんが……てか友達誘えばいいだろうが。夏休みだし」

「残念ながら予定があわなかったのです。だーかーら、行こっ♪ねっ?」

「…………」

 

 俺は溜息を吐き、ゲームの攻略を急いだ。

 

 *******

 

 結局電車を乗り継ぎ、炎天下をうだりながらプールまでの道のりをとぼとぼ歩いている。まあ、可愛い妹の頼みだし?ゲームもキリのいいとこまで進んでたし?決して水着姿の女子が見たいとか、そんな男子中学生みたいな理由じゃない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 

「あれ、比企谷君?」

「……は?」

 

 声のした方を向くと、そこには……きょとんとした表情の高坂がいた……マジか。

 赤のタンクトップに黒いホットパンツと、いかにも夏らしい装いの彼女は、こちらに小走りで駆け寄ってきた。

 さっきの進行方向からして、どうやら目的地は同じみたいだ。

 さらに、隣にはあの三人組がいる。しかも、やけにニヤニヤしながら。

 

「あれ、比企谷君ー小町ちゃんー」

「わー、偶然だねー」

「こんなこともあるんだねー」

「穂乃果さん、ヒデコさん、フミコさん、ミカさん、偶然ですねー」

 

 おい、そこの四人。あからさますぎんだろ。演技下手か。てか、いつの間に繋がってたんだよ。 

 何も知らないであろう高坂は、相変わらずの無邪気な笑顔を見せた。

 

「この前のライブ以来だね!元気だった?」

「……まあ、普通だ」

「こんなところで穂乃果さんに会えるなんて!やっぱり外に出てみるもんだね、お兄ちゃん!」

「え~比企谷君、ずっと家の中に籠ってちゃダメだよ!たまには外に出て遊ばないと」

「お前は遊びすぎて園田さんに叱られてんだろ」

「うぐっ……そ、そんなことないもん!スクールアイドル活動してるもん!この前ライブやったじゃん!」

「とりあえず宿題はまだ手つけてないんだな」

「うぐぐっ……比企谷君のイジワルっ!捻くれ者っ!」

「はいはい、お二人さん。夫婦喧嘩はその辺で」

「違う」

「そうだよ!比企谷君はただの大ファンなんだから!」

 

 その訂正も違う気がする。てか、まだ言うか。

 そうこうしている内に、三人組with小町が話を進めていく。

 

「じゃあ、せっかくだし一緒に遊ぼっか」

「そうね、せっかくだし!」

「さんせー!」

 

 高坂もその輪に加わり、小町に抱きつく。 

 

「うんうん!人数多いほうが楽しいよね♪」

 

 あれあれ、あっという間に一緒に遊ぶ流れになっちゃいましたよ?ふっしぎー。

 ……まあ、これで俺の役目は終わったな。

 

「じゃあ、小町。俺は適当にその辺ブラブラしてるから、帰る時に連絡くれ」

「「「「「…………」」」」」

 

 10の瞳が鋭い視線で突き刺してくる。はっきり言って怖い。ポケモンが『にらみつける』で防御力下がる意味がわかっちゃったんだけど……こりゃ下がるわ。

 その場に縫いつけられたように動けずにいると、三人組に両腕を拘束され、背中を押される。

 

「お、おいっ……」

「あっ……」

「じゃ、行こっか」

「逃がさないよ?」

「レッツゴー!」

 

 気を強く持たないと、うっかり変な期待をしてしまいそうなシチュエーションに、背中の辺りに嫌な汗をかいてる気がする……てかこいつら、もう少しそういうの気にしてもらえませんかねえ

 

「おい、アイツ……あんな可愛い子達に……」

「神よ、奴に天罰を」

「またかよ、あのボッチ……」

「デス」

 

 なんかジロジロ見られてるんだが……てか、俺の事をボッチだと知ってる奴とはそろそろ決着をつけるべきだ。それと即死魔法やめろ。

 

「ほら比企谷君、はやく行くよ!自分で歩かなきゃ!」

「あ、ああ……」

 

 そして、何でお前はちょっと不機嫌になったんだよ……。

 

 *******

 

 ふぅ……やれやれだぜ。

 まさか裏で手を引いているとは。まあ、高坂があんな感じだから、何も起こりようがないんだが……。

 今俺達がいるプールは、去年開園したばかりで、東京と千葉の県境という事もあり、夏休みは連日大盛況だそうだ。

 家族連れやカップルや、友達同士でプールではしゃぐ姿。キラキラと陽射しが乱反射する水面を眺めていると、「お~い」と声が聞こえた。

 

「お待たせ~」

「…………」

 

 まずは小町が姿を見せた。少し前に買い物に付き合わされた時に購入していたやつだ。肌の露出は多めだが、それでも年相応の可愛らしさは少しも損なわれていない。さすがディア・マイ・シスター。すばらしくてナイスチョイス!

 

「おっ、やっぱ男の子は準備はやいね~」

「お待たせ~」

「わぁ♪やっぱ広いね~!」

 

 ヒフミトリオは……以下省略。

 

「ちょっとちょっとちょっと!」

「それはないんじゃない?」

「モブ扱いしないで!」

「んな事言われても……」

 

 そりゃあ、どこぞの爆殺卿みたいに「このモブ共が!」とか言ったりしないけどさ。

 三人組は……「お、お待たせ」「「「おい!!」」」

 三人組の水着の紹介に割り込むように、高坂がやけに静かなテンションで出てきた。

 水着は以前見たPVで着用していた物と同じだった。白と黒のボーダー柄で、所々にピンクのアクセントが入っている。こうして直に水着姿を見るのは初めてだが、画面越しに見るよりも細く見える。

 ただ問題は水着よりも……

 

「……えと……あの……」

 

 こいつの事だからてっきり「プールだ~!」とか少年漫画のノリではしゃぎだすかと思えば、やけにしおらしい。

 頬を朱に染め、胸の前で手を合わせ、もじもじするその姿は、あまり眺めていたら変な気分になりそうだった。

 

「「…………」」

 

 どちらも言葉に詰まり、視線をあちこちにさまよわせる。

 夏の陽射しは容赦なく照りつけ、彼女の頬に夏の火照りを加え、ぼんやり見ているだけで胸が高鳴った。

 周りの雑多な賑わいが、心地よいBGMのように思えてくる。

 先に口を開いたのは彼女だった。

「あれ?皆は?」

「…………は?…………あいつら」

 

 い、いつの間に……。

 いや、その辺りの意図はわかるんだが、非モテ三原則を遵守する俺は、その企みに乗っかるつもりはない。意地でも合流してやろう。

 

「……とりあえず、行くか」

「う、うん。そうだね。行こっか」

 

 目を合わせたり逸らしたりしながら、俺と高坂はどちらからともなく、遠慮がちに並んで歩きだした。

 

 

 



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37話

 数分前……。

 

 まさかここで比企谷君に会うなんて思わなかったなぁ。

 この前のライブ終わってから、電話とかしてなかったから、久しぶりに思えてくる。

 ……ライブ。

 何故か、あんじゅさんにデレデレしてる八幡君を思い出してしまった。

 ……顔赤くしてたなぁ。まったくもう……確かにあんじゅさんは美人だけど……あれ?何で私、イライラしてるんだろう。もう、何日も前の事なのに……。

 

「ほ~のかっ、早く着替えなよ」

「もしかして、比企谷君の前で水着姿になるの、恥ずかしい?」

「ち、違うよっ、PVで水着着てたから恥ずかしくないもんっ!」

 

 ぼーっと考えている内に、皆既に着替え終わっていた。

 ヒデコは白いビキニを、フミコはフリルのついた水色のビキニを、ミカは白いワンピースの水着を着ていた。

 小町ちゃんはもう外に行ったみたい。

 いけないいけない、私もはやく着替えなきゃ!

 慌てて着替えると、さっきヒデコが言ったことを思い出した。

 

「は、恥ずかしくなんて……ないよね?」

 

 私は自然と、自分の腰や太ももをペタペタ触り、意味のないチェックを繰り返した。

 

 *******

 

 そして今……

 

「……高坂?」

「わひゃいっ!」

「っ!びっくりしたぁ……お前、何て返事すんだよ……」

「あはは、ごめんね。ぼーっとしちゃってた……」

「そ、そうか……」

 

 比企谷君は視線を前に戻し、ポケットに手を突っ込み、猫背気味に歩き出す。もう少し背筋を伸ばせばいいのに……あっ、でも比企谷君って猫っぽいかも。あんまり触らせてくれない猫。目つきの悪さもちょうど……

 

「……どした?」

「え?」

 

 比企谷君がこっちを向いた。いつの間にか、横顔をずっと見ていた自分に気づき、慌てて口笛で誤魔化す。

 

「♪~」

「…………」

 

 き、気まずい……何か新しい話題を……あっ、そうだ!

 

「比企谷君は夏休みは部活ないの?」

「ああ」

「…………」

「…………」

 

 終わっちゃった……いや、まだまだだよ!

 私が必死に頭を働かせていると、比企谷君の方から口を開いた。

 

「……なあ、高坂」

「えっ、何?」

「もしかして、は……」

「お、お腹空いてるわけじゃないもんっ!」

 

 もうっ、私が食いしん坊みたいじゃん!……その通りかも。でも私、そんなイメージなのかなぁ?

 

「じゃあ、具合悪いのか?」

「違うよ。何かこう……あっ、そうだ!あれ乗らない?」

 

 私は、たまたま目についたウォータースライダーを指差した。人気があるのか、結構人が並んでいる。

 

「どうした、いきなり……」

「だって、皆どこ行ったかわからないし、でも探してばかりじゃ時間もったいないから、遊びながら探そうよ!」

「……わかった」

 

 勢いで言っちゃったけど、まあ大丈夫だよね。せっかくだし楽しまなきゃ、ね。皆がこのプールのどこかにいるのはわかってるんだし。

 私達はウォータースライダーに向け、ゆっくり歩き出した。

 さっきよりは自然にその横顔を見れた……気がする。

 

 *******

 

「「…………」」

 

 どうしよう……。

 ウォータースライダーの列に並んだのはいいけど、周りが……

 

「さ、才人……これ本当に面白いの?」

「いいからやってみろって、こっちの世界の事知りたいって言ったのお前だろ?大丈夫だって、俺がついてるから」

「うん、わかった。ありがと……」

 

「悠二、さっきからこっち見すぎ」

「い、いや、その……その水着、似合ってるよ」

「っ!うるさいうるさいうるさい!……バカ」

 

 カップル多すぎるよ!後ろの方には女の子の集団もいるけど……

 

「カップルばかりだねー」

「私達アウェーだねー」

「マジ引くわー」

 

 ……こ、これって、わ、私達もそういう風に見えるって事なのかなぁ?カ、カップルに?

 ううん、違うよね!私達はそんなんじゃないもんっ!

 

「ね、ねえ、比企谷君……」

「な、何だ?」

 

 比企谷君もそわそわして落ち着きがなかった。あれ?少し頬が赤い?

 その頬を見た私は、またその横顔を見る事ができなくなった。

 

 *******

 

 喋ったり黙ったりを繰り返していたら、いつの間にか自分達の番になっていた。

 2人乗りのボートがセットされていて、係員のお姉さんが手招きしている。

 

「はいっ、じゃあ彼女さんが前に乗りますか?」

「ち、違います!」

「違います……」

「え?」

「あ、そ、そうじゃなくて。私達は、えと……」

「ふふっ、初々しいですね。でも、ボートの上では程々に♪」

「「…………」」

 

 そ、そう見えるのかなぁ……いや、今はこっちを楽しもう!

 私が前に、比企谷君が後ろに座り、準備万端。あとは滑るだけ……だけど。

 

「「っ!」」

 

 比企谷君の膝が真横に来て、体がびくんと跳ねる。い、意外と近いどころじゃなくて、ほとんどくっついてるよね、これ……。

 

「「…………」」

 

 どっちも何も喋らない。喋ることができない。う、海未ちゃん達とならこんな事ないのに……当たり前だけど。

 さらに、首筋に比企谷君の息づかいを感じ、息がかかってるわけじゃないのに、なんかくすぐったい。

 

「じゃあ、行きますよ~」

 

 係員の人の声と共に、2人乗りのボートがコースを滑り出した。

 風を切り、水しぶきをあげて加速していくボートは、小刻みに揺れ、楽しくてつい声をあげてしまう。久しぶりに味わうジェットコースターみたいなスリルに、さっきまでの緊張が嘘みたいになくなっていた。

 体がくっついている事も、今はあまり気にならなかった。

 

「やっほ~~~~♪」

「……山じゃねえんだから」

「比企谷君も叫んでみたら~!」

「いや、遠慮しとく……」

「ふふっ、楽しい~♪」

 

 やがて、ボートは終着点まで行くと、一際大きな水しぶきが上がった。

 キラキラ光る水滴がとても綺麗で、つい見とれてしまった。私に作詞作曲の才能があれば、歌にできたかもしれない。

 

「あははっ!楽しかったね、比企谷く……きゃっ!」

「っ!」

 

 突然立ち上がった勢いでボートが揺れ、私はバランスを崩した。

 そのまま比企谷君の方に倒れ込んでしまう。

 その時、優しく受け止められるような感触がした。

 

「ご、ごめ~ん……」

「…………お、おう」

 

 いたた……気をつけないと……あ。

 ゆっくり顔を上げると、至近距離に比企谷君の顔があり、時間が止まったような気持ちになる。

 私は比企谷君に抱きついてしまっていた。

 



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38話

「「…………」」

 

 すぐ目の前に高坂の顔がある。

 ぱっちりとした目は驚きに見開かれ、薄紅色の唇は微かに震えていた。そして、そこから漏れる吐息が鼻先をくすぐり、胸が高鳴るのを感じる。

 さらに、彼女の体の柔らかな感触をあちこちに感じ、微動だにできずにいた。

 何よりさっきからなるべく見ないようにしていた高坂の顔が、こんなにも近くにあるという事実が胸の奥を甘く締めつけた。

 ……何で俺はさっきから、こいつの顔を見れなかったのか。

 多分俺は何かを恐れていたのだ。その何かとは……

 ぼんやりした視界の中、よく見ると高坂は目がとろんとしていて、今の状況が上手く呑み込めていない気がした。

 

「は~い、お二人さ~ん!いちゃつくのは構いませんが、次の方が滑れないのでプールから上がってくださ~い!」

「「っ!!」」

 

 係員の声に二人同時に体が跳ね上がり、慌ててプールから上がる。

 そしてすぐに早歩きでその場を後にした。

 

 *******

 

「「…………」」

 

 二人してベンチに腰かけ、黙って俯いている。別に落ち込んでいるわけじゃない。

 ……さて、どう声をかけたものか。

 いつもの自分なら、このまま黙って気まずさをやり過ごすなんてのは余裕だった。

 しかし、今は何か言わなければなんて柄にもないことを考えている。まあ、そもそもさっきみたいなハプニングに遭遇するのが人生で初だったからか。こんな偶然に俺は……いや、今はいい。

 俺はかぶりを振って、思考を断ち切る。

 

「なあ」「ねえ」

 

 こんな時に声をかけるタイミングが重なってしまう。

 

「ひ、比企谷君、どうぞ!」

「いや、悪い。何も考えてなかった。先に言ってくれ」

 

 こんな時までレディファーストしてしまう紳士な俺。情けなすぎる。

 高坂も何も考えてなかったのか、しばし考えてから、おずおずと口を開いた。 

 

「あの、比企谷君……さっきはごめんね?」

「お、おう……だだ、大丈夫だ……」

 

 うわ、めっちゃ声震えてんじゃん……全然大丈夫じゃない。自分が普段言っていることを思い出し、苦笑していると、高坂は何か思いついたように手をパンっと叩いた。

 

「比企谷君!お腹空かない?」

「そういやそんな気もしてくるな……」

 

 本当はそうでもないが、高坂の気遣いに全力で乗っかることにしよう。

 俺達は立ち上がり、ベンチを後にした。

 

 *******

 

「……お前、本当にパンが好きなんだな」

「うんっ、比企谷君も毎朝和食だったらこうなると思うよ♪」

 

 まだ人の少ない休憩コーナーで、美味しそうにホットドッグにかぶりつく高坂を見ていると、さっきまでの時間が止まったような緊張感が嘘のように思えてくる。まさかこいつの無邪気さに救われる日が来るとは……

 

「どうしたの、比企谷君?」

「……いや、口にケチャップついてるぞ」

「えっ、本当!?」

 

 自分の唇の左側を指差してやると、高坂はそこをペロリと舐めた。

 ほんのり赤い舌がやけに艶かしく見え、ドキリとしていると、高坂は視線をおとし、目を合わさないまま口を開いた。

 

「そ、そういえば比企谷君……」

「どした?」

 

 彼女はゆっくりと顔を上げ、こちらを窺うような視線を向けてきた。 

 

「……その……似合ってる?」

「……やっぱりほむまんの方が似合ってんな。和菓子屋の娘だからか」

「えっ……ち、違うよ!そっちじゃないよ!比企谷君のアホ!」

「……高坂に……アホって……言われた……」

「ど、どうしたの、比企谷君!?初めて見るリアクションだけど!私にアホって言われたのがそんなにショックなの!?なんかひどいよ!」

 

 高坂はブツブツ文句を言った後、自分の胸元に手を当て、自信なさげに呟く。

 

「その……この水着、似合ってる?」

「いや、それPVで着てただろ」

「そうなんだけど!よくわかんないけど恥ずかしくて……この前見られたからかな……」

「この前……」

「お、思い出さないでよっ、比企谷君のエッチ!」

「ちょっと待て。今のは俺は悪くない。てか、そんな大声で……」

 

 ぷいっと顔を背けた高坂に声をかけると、たまたま近くを通った家族連れから、クスクスと笑い声が漏れ聞こえてきた。「かわいー」とか「初々しいわね」とか、小さな女の子がキスがどうとか……プールにお魚さんはいませんよ。

 もちろん隣にいる高坂にも聞こえていて、その頬はさっきより紅く染まっていた。

 またさっきみたいな沈黙が訪れる前に、俺は何とか言葉を紡いだ。

 

「……その、まあ、あれだ……いいと思う」

「え?……あ、ありがとう」

「「…………」」

 

 それから、どちらも食べ終わるまで一言も喋らなかった。

 

 *******

 

 もう!比企谷君のせいだよっ。私達そんなんじゃないのに!

 でも……そっかぁ、似合ってるんだ……よかった。ふふっ♪

 

 

 

 



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39話

「本当にあの四人何処に行ったんだろうな……」

「そうだねぇ」

 

 意外と施設内は広く、探せど探せど四人は一向に見つからない。放送を使って呼び出すほどでもないのだが、とにかくこのまま二人だけというのはまずい……またさっきのような空気になったら、八幡倒れちゃう!

 

「あの、比企谷君」

「どした?」

「比企谷君って、誕生日いつなの?」

「8月8日」

「そっかぁ……ってもう終わってるじゃん!」

「……そういやそうだな」

「反応薄いよっ、自分の誕生日なのに……」

「…………」

 

 思い出してみると、朝母ちゃんから小遣いをもらったり、小町が冷蔵庫にケーキ入れてくれてたり、親父は……まあ、小遣いには親父からの分が含まれてるだろうし。あれ、俺結構リア充じゃね?っべーわ。

 高坂は何か閃いたように、パンっと手を叩いた。

 

「じゃあ、後で皆でお祝いしようよ!ハッピバースデートゥユ~♪」

「……や、やめてくれ」

 

 こんな公共の場で祝われたところで、俺の性格上マラソン大会で最下位の奴が大勢で無駄に熱い声援を送られた時のような複雑な気持ちにしかならないだろう。

 

「むぅ……比企谷君捻くれてるなぁ」

「むしろ当然の反応だろ。てか、お前はいつなんだよ」

「え?8月3日だよ」

「お前も終わってんじゃねえか……まあ、あれだ。こっちが祝ってないのに祝われるのもあれだから、気にしなくていい。あと……誕生日おめでとう」

「あ、うん、あ、ありがとう……比企谷君も、誕生日おめでとう」

「…………」

「…………ふふっ」

 

 高坂が吹き出し、それにつられ、こちらも微かな笑いが漏れる。何がおかしいのかはわからないが、ポツポツと胸の辺りに温かな何かが灯っていくのを感じた。

 高坂は無邪気で無防備な笑顔を見せた。

 

「じゃあ、今度一緒に誕生日祝わない?」

「……お前は祝ったんじゃないのか?」

「祝ってもらったよ♪でも、お互いに誕生日知らなかったってことで」

「……むちゃくちゃな理由なんだが……お前、俺からのプレゼントが欲しいのか?」

「うんっ♪……あっ、違うよ!比企谷君じゃなきゃダメとかじゃなくて……でも、プレゼント沢山貰いたいとかでもなくて……えと、その……」

 

 一人でわたわたしている高坂は、どこか子犬みたいに見える。猫派の俺でも微笑ましく思えるくらいだ。関係ないか。

 

「……まあ、その……時間が合えば、な」

 

 あまりそのままにしておくと、うっかり犬派に変わり、カマクラが構ってくれなくなりそうなので、思ったことをそのまま口にした。

 すると彼女は、ぱあっと笑顔になる。

 

「本当!?じゃあ……はいっ、約束♪」

 

 高坂は、白く細い小指をこちらに向けてくる。

 俺は小さく頷き、右手の小指の先端を、その小指の先端にくっつけた。

 

「トモダチ……って違うよ!そうじゃないよ!なんかちょっと違うし!」

「……ち、違うのか?」

 

 いや、知ってたけどね。だって照れくさいじゃん?

 とはいえ、高坂はジト目のまま、小指をこちらにしっかりと向けている。

 

「んっ、早く!」

「…………」

 

 俺は指が震えないように気をつけながら、そっと小指を絡める。

 ひんやりした感触が、温度が、優しく混ざり合い、ゆっくりと温もりに変わる。

 高坂は何故か不思議そうな顔をして、絡まった小指を見つめている。恥じらうとかそんな感じとも違う、本当に不思議なものを見つめる瞳だった。

 そして、その瞳を見ていると途端に落ち着かない気持ちになった。

 ……何だ、この胸騒ぎ……?

 

「な、なあ、そろそろ……」

「えっ?あ、うん。そうだね……」

 

 お互いに焦り気味だった割にはゆっくりと小指は離れる。

 高坂は右手を胸元に当てながら、やわらかく微笑んだ。

 

「じゃあ、約束したからね!嘘ついたら針千本刺されるんだからね!」

「飲ますじゃないのか?いや、どっちも嫌だけど……」

「じゃあ、約束守らなくちゃね!プレゼント楽しみだなぁ♪」

「いや、やっぱお前そっちが目的だろ」

「違うもん!比企谷君の誕生日祝いたいだけだもん!」

「そっか、じゃあ今度ほむまん5箱買うわ」

「それ自分が買って帰ってるだけじゃん!」

「いや、店の売上に貢献してる。お前の小遣いも上がるかもな」

「上がらないよっ、比企谷君のケチ!せっかくMAXコーヒー8本奢ってあげようと思ったのに!」

「お前も大概な気がするんだが……しかも8本って中途半端すぎるだろ」

「だって比企谷君、下の名前八幡っていうんでしょ?」

「数字の8が大好きなわけじゃねえよ……ん?おい、あれ……」

「あっ、おーい!ヒデコ!フミコ!ミカ!小町ちゃ~ん!」

 

 全員の名前を呼ぶ必要はない気がするが、それはさておき、名前を呼ばれた4人はしまったと言いたげな顔をしている。まあ、予想通りだ。

 そのまま俺達は合流し、残りの時間は、プールサイドではしゃぐ5人を横目にだらだらと過ごしていた。

 

 *******

 

「あ~楽しかったっ♪」

 

 高坂は大きく伸びをして、まだ湿っている髪を夏の風に泳がせる。

 その満足そうな表情を見ていると、たまにはこんな騒がしい休日があってもいいんじゃないかと思えてくるから不思議だ。ちなみにヒフミトリオは、スマホの画面を確認しながらキャッキャウフフと楽しげにしている。

 

「お兄ちゃんはどうだった?」

「まあ、お前が楽しかったんならそれでいい」

「またまたお兄ちゃんは捻デレちゃって~」

「捻デレちゃって~」

「…………」

 

 何故か高坂までもからかってくる。やめろ、ただでさえリアクションとりづらいんだから。

 何ともいえない感情を誤魔化すように前を向くと、突然高坂が耳元に唇を近づけてきた。 

 

「比企谷君。約束、忘れないでね」

「……あ、ああ」

 

 すぐに彼女は離れ、再び並んで歩き出す。

 夏の夕焼けが彼女の頬をほんのり照らし、まだしばらく夏が続くことを教えてくれていた。

 そして、一歩一歩駅へと向かう帰り道に響く足音は、この前より重なって聞こえた気がした。

 

 *******

 

「けーちゃん、楽しかった?」

「うんっ、また来たい♪」

「いいよ、また来ようね。ん?あれ……比企谷?」



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40話

 夏休み最終日。

 特にやることもなく、いや、あえて何もせずに過ごした。何もしないという贅沢。そうか、ボッチとはこんなにも優雅だったのか……。

 そんな優雅なひとときを邪魔するように携帯が震えだす。

 

「はい、もしもし」

「大変!大変だよ、比企谷君!」

「どした?あんま大変じゃなさそうだが……」

「何で決めつけるの?まだわかんないじゃん!」

「本当に大変なら俺のところに電話なんてしないだろ」

「確かにそうだけど!」

「そ、そうか……いや、言ったの俺だけど」

「とにかく聞いてよ!もう夏休みが最終日なんだよ!2ヶ月足りないんだよ!」

「……それは大変だな。話を聞こう」

「変わり身はやいよ!と、とにかく、夏休み最終日なんだよ!それで海未ちゃんに2ヶ月足りないって言ったら、怒られちゃった……」

「容易に想像できるな……正座させられて説教されてそうだ」

「違うもん!筋トレを倍に増やされただけだよ!」

「……より悲惨じゃねえか……つーか、何で俺に電話したんだ?お前の主張には全面的に同意なんだが……」

「だって小町ちゃんが言ってたよ?比企谷君が『2ヶ月足りないー』って言ってたって」

「え?今の俺の物真似?まったく似てないんだけど……」

「そうかなぁ、結構捻くれてた言い方になってた気がするんだけど」

「捻くれた言い方ってなんだよ……てかお前夏休みの課題終わったのか?」

「うん!今さっき終わったんだぁ♪」

「……まあ、宿題終わったんならいいんじゃねえの?お疲れさん」

「ありがと♪あっ、そういえば林間学校はどうだった?小町ちゃんは楽しかったって言ってたけど」

「…………ああ、まあ、ぼちぼちだ」

「ん?どうかしたの?」

「いや、それよか次のライブの予定は決まってんのか?」

「まだだよ。えっ、なになに?そんなに待ってくれてるの?」

「……何となく聞いてみただけだ。別にA-RISEとの共演がいつになるかが気になったわけじゃないし……」

「そこ目的でしょ!自分からばらしてるじゃん!もうっ」

「いや何つーか、あれだ……当日行けるかはわからんが、チケットぐらいは買う」

「ふ~ん、じゃあ当日行けるかわからないとか言わずに絶対来て欲しいなぁ」

「……善処する」

「ふふっ、ありがと♪やっぱり応援してくれる人がいるっていいなぁ。じゃあ、今度お礼に比企谷君を応援してあげるよ!」

「い、いや、遠慮しておきます……」

「何で敬語なの……?でも、決めた!私、比企谷君応援するよ!」

「何を応援するんだよ……」

「色々!」

「それなら戸塚とか材木座みたいな夢がある奴応援してやれよ……材木座は怪しいけど」

「うん、それはもちろんだよ!でも比企谷君も!」

「……そうか、あ、ありがとな。てか、もう遅いから寝るわ」

「あっ、うん。いきなりごめんね?」

「いや、大丈夫だ。じゃあな」

「うんっ、おやすみ!」

 

 通話が途切れると、嵐が過ぎ去ったかのような静寂が訪れる。

 ……なんかこの感じも慣れてきた気がする。良くも悪くも。

 ふと時計に目をやると、既に8月は終わり、9月が始まっていた。

 

 *******

 

 翌日になり、当たり前だが2学期は始まる。まだ夏の名残のような暑い陽射しに照らされながら、多くの学生はのろのろと学校までの道のりを辿る。

 もちろん俺もその中の一人だ。ボッチ通学なのはいつもと変わらないが。

 そんな風に思索に耽っているうちに、じわり汗を滲ませながら学校に到着する。

 そして、久しぶりに上履きに履き替えていると、背後に人の気配を感じた。

 振り向くと、川……何とかさんがそこにいて、こちらに鋭い視線をなげかけている。

 まったく反応しないのもあれなので、会釈だけしておく。別に、久々に見た川崎のヤンキーみたいな雰囲気にびびったわけではない。

 特に話題があるわけではないので、そのまま教室に向かおうとすると、「ねえ」と声をかけられた。

 もう一度振り向くと、さっきの鋭い雰囲気はどこへやら、何やらもじもじと恥じらう純情乙女みたいな表情をしている。

 

「アンタさ……この前……」

 

 いや、新学期なんだよそのテンション。うっかり何か始まっちゃうのかと思うだろ。高度なツンデレかよ……。

 

「……いや、ごめん。やっぱ何でもない」

「そ、そうか……」

 

 川崎はスタスタと足早に去っていった。

 ……何だったんだ、あいつ?

 まあ、何はともあれ新学期が始まった。

 

 *******

 

 よーしっ、今日から新学期!

 昨日は比企谷君と色々言ったけど、気持ちを切り替えて、ラブライブに向けて頑張ろっ♪

 しかし、予想外の出来事が……

 

「えっ?わ、私が生徒会長?」

「そう。お願いできるかしら」



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41話

 昼休み。新学期も変わらずベストプレイスにて昼食を摂っているのだが、今日は最後の一個を開けようとした段階で、思わぬ邪魔が入っていた。

 

「生徒会長?」

「そうなの!私、生徒会長になっちゃった!」

「そうか。じゃあな」

「はやっ、聞く気ゼロじゃん!」

「今、忙しいんだよ……」

「どうせ今日はいい天気だから、校舎の外の誰も来ないような場所でお昼ごはん食べてるんでしょ!?」

「…………」

「当たっちゃった♪」

「いや、まだ何も言ってないんだけど……」

「比企谷君が黙る時って図星の時でしょ?」

「えっ?何?何なの?お前、俺のファンなの?そういや、この前の応援がどうのこうの言ってたような……」

「ち、違うよ!そんなんじゃないよ!比企谷君が私の大ファンなだけだし!」

「それも違うがな。てか、お前が生徒会長か……まあ、あんまり園田さんや南さんが大変そうだな……」

「むむっ、ちょっとそれどういう意味?」

「どうせ二人も生徒会に入ったんだろ?お前のフォローのために」

「何でわかるの!?比企谷君、エスパー!?」

「いや、簡単に想像つくだけなんだが……」

「まあ、そうかも……でも、私だって生徒会長になるんだから、今からデキる女を目指すんだよ!」

「今の発言がどことなくアホっぽいんだが」

「アホじゃないよ!すぐにデキる女になるもん!というわけで比企谷君も生徒会長になってよ」

「……えっ?今、話繋がってた?イミワカンナイんだけど」

「急に真姫ちゃんの真似しないでよ。真姫ちゃんはもっとツンッとしてるよ!」

「お前、怒られるんじゃないか……」

「大丈夫!今、生徒会室に一人だから」

「……まあいい。とにかく俺はそういうの興味ねえし。何より票集められるほど人望ねえんだよ」

「むぅ……比企谷君、まだ諦めないで。ファイトだよ!」

「そっか、じゃあな」

「あーっ、逃げようとしてる!」

「いや、はやく飯食いたいんだけど……昼休み終わっちゃうだろ……」

「あっ、そうだ!私もパン食べなきゃ!それじゃ!」

 

 通話はいきなり途切れ、この時期にしては涼しい風が吹き抜ける。何だったんだ、あいつ……。

 まあいい、最後のパンを……おい、チャイム鳴ってんぞ。

 俺は急いでパンをかきこみ、やや遅刻気味に教室に戻った。

 

 *******

 

 放課後、特に依頼が来る気配もないので音楽を聴いていると、由比ヶ浜が肩をつついてきた。雪ノ下との間の微妙な空気を察して、何とか明るくしようとしている姿は健気で、同時に申し訳ない気持ちになる。

 

「ヒッキー、何聴いてるの?」

「音楽」

「返しが適当すぎる!もう……どんな音楽聴いてるのって言ってるの」

 

 由比ヶ浜はそう言いながら、俺の耳からイヤホンを抜き、自分の耳に差し込む。だから、そういうのを何でもないことのようにするのは止めてくれませんかね……うっかり勘違いで甘い雰囲気とかに浸っちゃいそうになるだろ。

 イヤホンから聴こえる曲を聴いた由比ヶ浜は、何かを思い出すように首を傾げ、すぐに口を開いた。

 

「あっ、この曲って彩ちゃんも聞いてたやつだ!えっと、何だっけ……石鹸みたいな名前の……」

「μ'sな」

「そうそう、μ's!何曲かネットで聴いたけど、曲もいいし、皆可愛いし!でも意外だね。ヒッキーもこういうの聴くんだ?」

「バッカ、お前……何ならオススメのアニソンをまとめたMDやろうか?」

「いらないいらない!絶対にいらないから!っていうか、MDって懐かしすぎる!」

「まあ、あれだ……色々あってはまったんだよ」

「へえ……ち、ちなみに……誰がタイプなの?」

「…………優木あんじゅ」

「μ'sのメンバーじゃなかった!ヒッキー、ああいう感じの人が好きなんだね……あはは」

 

 由比ヶ浜は渇いた笑いを溢す。おい。

 

「八幡よ……さっきから俺の事無視してない?さっきからいるんだけど」

 

 素の話し方に戻った材木座が、甘えるように袖を引っ張ってくる。言うまでもなく鬱陶しい。ええい、顔を寄せてくるな。雪ノ下も材木座に一瞥くれただけで、特に相手をしようとはしない。やばい。このままでは俺が材木座担当窓口係になっちゃう!

 

「離れろ、てか早く用件を言え。お前さっきから黙ってばっかだろうが」

 

 まあ、こいつからの用件など限られているのだが。キュアップラパパで迅速に処理できねえかな。

 材木座は、意気揚々と鞄から原稿を取り出した。

 

「新作が完成したから読んでもらおうと思ってな。芸術を司る9人の女神を題材とした……」

「ああ、それつまんね。てか、色々と聞き覚えがあるんだが……」

 

 結局、その日は下校時間になるまで、材木座の新作についての話を聞く羽目になり、奴が東條希と西木野真姫を推しているという知りたくもない事を知ってしまった。

 

 *******

 

 翌日……

 

「は?文化祭……実行委員?」

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 



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42話

「え~~~~~っ!?比企谷君が…………

 

  文 化 祭 実 行 委 員 に!?」

 

「絵里ちゃん、驚きすぎだよ!ロングホームルーム中に眠ってたら、勝手に決まっていたんだって」

 

 比企谷君が電話で面倒くさそうに言っていたのを思い出す。その時の表情も簡単に想像できてしまった。でも、何だかんだ言って、真面目にやるんだろうなぁ。

 

「比企谷君、ロングホームルーム中に眠っちゃうなんて。だらしないなあ……」

「穂乃果、貴方がそれを言うのですか?この前も……」

「そ、そうでした……」

「とにかく!これはもう行くしかないわね!!」

「えっ?どこに?」

「総武高校の文化祭に決まってるじゃない!さあ、行くわよ!」

「ちょっ、絵里ちゃん!文化祭はまだ先だよ!3週間後だよ!」

 

 何故か今から千葉に行こうとする絵里ちゃんを止める。あ、あれ?どんどん引きずられていく!力強すぎるよ!

 

「……何故絵里はあんなにテンションが高いのですか?」

「ウチはこっちのエリチも好きよ」

「ふ、二人も見てないで止めてよ!」

 

 でも、比企谷君が文化祭実行委員かぁ……どんな文化祭になるんだろ。

 ……それと絵里ちゃん……どうしちゃったんだろ。比企谷君の話になると、いつも何か違うというか……気のせい、だといいんだけど。あと何だろう、このモヤモヤ……みたいな変な感じ……これも気のせい、かな?

 結局この後、絵里ちゃんを宥めるのにしばらく時間がかかった。

 

 *******

 

「えっ?比企谷君、そんなに頑張ってるの?」

「はい。最近毎日帰りが遅くて……」

 

 比企谷君が文化祭実行委員になってから一週間、久しぶりに小町ちゃんに電話をかけてみたら、そんな話題が出てきた。

 

「そっかぁ、頑張ってるんだねー」

「ええ。だから穂乃果さんからも元気づけてあげてくださいよ~」

「元気づけるかあ……う~ん、私で大丈夫かなあ?」

「もっちろんですよ!お兄ちゃん、捻くれてるけど、そういうのは喜ぶはずですよ!!」

 

 電話越しに小町ちゃんの勢いが伝わってくる。お兄ちゃん思いなんだなぁ。本当にいい子だよ。

 そして、そこまで言われたら、何だかやる気になってきた。

 

「よしっ、わかったよ!じゃあ、私に任せて!」

「ありがとうございますっ♪じゃあ、暇な時でいいんでよろしくお願いします!」

 

 暇な時でいいって言ってたけど、こういうのは思い立ったが吉日、だよね!

 私は小町ちゃんとの電話を終えると、すぐに比企谷君に電話をかけた。

 比企谷君は割とすぐに出てくれた。

 

「……どした?」

「比企谷君っ、ファイトだよ!」

「は?お、おう……」

 

 あれ?ちょっと引いてる気がする……いきなりすぎたかな?いや、ちゃんと元気づけないと!スクールアイドルとして!

 

「ファイトだよ!」

「よくわからんが……まあ、とりあえず……ありがとな」

「えっと、元気でた?」

「……まあ、少しくらいは。てか、どうしたんだよ。いきなり」

「気にしない気にしない!とりあえず元気でたなら安心だよ♪これで私も安心して明日から合宿に行けるかな」

「合宿?」

「明日からね、真姫ちゃん家の別荘で合宿なの。新曲作りに集中しなきゃいけないから」

「そっか…………応援しとく」

「おおっ、比企谷君が捻デレた!」

「捻デレとか言うんじゃねえよ……まあ、うっかり電車寝過ごしたりすんなって事だ」

「えー!?応援ってそっちの!?そっちは大丈夫だよっ、私生徒会長だし」

「あんま関係ない気がするんだが……2学期に入ってからの寝坊の数は?」

「えーっと……3回、かな?」

「まだ2学期始まって……」

「比企谷君、ファイトだよ!」

「……おう、お前もな」

「うんっ、おやすみ!」

「ああ……じゃあな」

 

 スマホを枕元に置き、ベッドに寝転がる。ふぅ……うっかり寝坊の話なんてしちゃったよ。まったく、比企谷君は……。

 でも、小町ちゃんの言う通り……比企谷君、本当に疲れた声してたなぁ。きっと頑張ってるんだよね。私も頑張らないと。

 

 



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43話

 スローガン決めで周りの注目を浴びたり、仕事に嫌気がさしたりで、将来は何がなんでも専業主夫になってやると決意を新たにしたが、どうにか文化祭当日を迎えることができた。

 それと同時に、電話越しの高坂からの言葉を思い出す。

 ……思ったより元気づけられたな。まあ、あいつの有り余ったエネルギーの影響かもしれん……一応、今度礼を言っとこう。

 

「比企谷君、気味が悪いから一人でニヤニヤしないでもらえるかしら」

「…………」

 

 気がつくと、雪ノ下がこちらに冷たい視線を向けていた……思い出し笑いとか、本当に何考えてんだ、俺は。

 

 *******

 

「さっ、行くわよ。いい?私達は一応私服姿だけど、今日は遊びに来たんじゃなくて、他校の文化祭を参考にして、自分達の文化祭よりよいものに仕上げる為の視察に来たの。だからくれぐれも今日は音ノ木坂の生徒という自覚を持って……」

「エリチ、行くよ」

「はい」

「早くしないと全部回りきれないよ!はやくはやくっ」

 

 今日私は、絵里ちゃんと希ちゃんの3人で、総武高校の文化祭に遊びに来ていた。

 ここ最近は比企谷君に電話してないから、来るってことは小町ちゃんにしか言えていない。ていうか、秘密にしてある。比企谷君、驚くかなぁ?

 

「穂乃果、比企谷君のクラスは何組?」

「……そういえば知らないや。あはは」

「まあ、全部回ってれば会えると思うよ」

「そうね。赤い糸で繋がってれば必ず……」

「糸?」

 

 辺りを見回しても何もない。

 

「いや、例えやからね。穂乃果ちゃん……」

「あっ、あっちで焼きそば売ってるよ!早く行かなきゃ!並び始めてるよ!」

「そうね。実行委員なら外の見回りもしているかもしれないから、まずはこの辺りから楽しむわよ!」

「……今日は忙しい1日になりそうやね」

 

 *******

 

「あっ、お兄ちゃんいた!」

「……おう、小町。来てたのか」

 

 一瞬疲れすぎて、天使が見えたのかと思ったぜ。小町はとてとてと駆け寄ってきて、悪戯っぽい笑みを見せる。おや、これは何か企んでいますね。

 

「もう会ったの?」

「は?誰と……」

「ああ、まだ会ってないならいいや。じゃあ小町は雪乃さんや結衣さんに挨拶してくるから。お仕事頑張ってね~」

「……おう、気をつけてな」

 

 誰か俺の知り合いが来ているらしいが、まあ思い当たる節が少なすぎて、誰だかすぐに思い至る。ボッチはこういう時、検索が楽で助かる。

 どこにいるのかと何となく窓の外に目を向けると、背後から駆け寄ってくる音が聞こえた。

 振り向くと由比ヶ浜がそこにいた。どうやら小町とは入れ違いになったらしい。

 

「ヒッキー!お昼もう食べた?」

「いや、まだだけど……」

「そっか、じゃあハニトー買ったから分けてあげる!」

「え?あ、ああ……」

「あっ、いた!比企谷くーん!」

「……高坂」

 

 今度は高坂が焼きそばやら何やらを両手に駆け寄ってくる。やはり来ていたのは高坂だったか……そして……。

 

「比企谷くー……いえ、これは私のイメージが崩れるわね。比企谷君、久しぶりね。元気だった?文化祭実行委員の仕事お疲れ様。差し入れを持ってきたのだけど、一緒にどう?」

「…………」

 

 絢瀬さん登場。今、必死にクールキャラを取り繕った気がするんだが……。

 

「え?え?」

 

 突然登場した二人に、由比ヶ浜が驚きの声をあげる。そして、忙しなく視線を動かし、俺や高坂達を見比べた。

 ここはどちらとも知り合いの自分が紹介するべきかと口を開こうとすると、意外にも、高坂が何かを思い出したかのように、パンっと両手を合わせた。

 

「あっ!この前総武高校までの道を教えてくれた人だよね?ずっとお礼言いたかったんだぁ♪」

 

 それに対し、今度は由比ヶ浜が同じようなリアクションをする。

 

「えっ?あ、あの時の!」

「うんっ、あの時はありがとうございました!」

「いえ、そんな……あはは、どういたしまして」

「……お前ら、知り合いだったのか?」

「うんっ、少し前に総武高校に来たでしょ?でも道がわからなくて困ってた時に教えてくれたんだよ!」

 

 そういやそんなこと言ってたような……一方、由比ヶ浜は何故か驚愕を顔に滲ませていた。

 

「ヒッキーに知り合いがいたなんて……」

「いや、俺はどっかに幽閉されてたのかよ……」

 

 顔見知りくらいなら普通にいるわ。ただ俺も向こうも覚えてないだけで。

 

「ちょっと!私スルーされてない!?」

 

 *******

 

「そっかぁ、彩ちゃんや中二とも知り合いなんだね」

「中二?」

「材木座の別名だ。てか、どうしたんだ。いきなり」

「遊びに来たんだよっ、はいこれ!」

 

 高坂が出店の食べ物が入った袋を差し出してくる。

 

「お昼ご飯まだかなー、と思って」

「あ、ああ……ありがとう」

 

 すると、今度は由比ヶ浜が袋をこちらに見せつけるように掲げた。

 

「あたしもハニトー分けてあげる!」

「ありがとう……ってか、どうした?」

「何でもない!」

「比企谷君!わ、私からもこれ!」

 

 今度は絢瀬さんがクレープを差し出してきた。あと近い。

 

「ど、どうも……」

 

 何だ、この展開……。

 タダで食う飯は大好きだし、何よりありがたい気持ちはあるのだが、辺りから刺々しい視線を感じるのと、気恥ずかしさやら気まずさやらで逃げたい気分だ。

 

「おい、見ろよ。アイツ」

「ああ、スローガン決めの時の……」

 

 まあ、そういう声も聞こえてくるだろう。割とスローガン決めの時のやりとりが、校内に広まってるらしいし。

 

「チッ!ボッチのくせに羨ましいぜ!」

 

 いや、お前は出てこなくていい。

 慣れない状況に内心焦っていると、背後から肩をとんとんと叩かれる。

 振り向くと、またもや見覚えのある人物がいた。 

 

「比企谷く~ん!ウチも差し入れ持ってきたよ!」

「…………」

 

 今度は、どこからともなく現れた東條さんが、たこ焼きの入った袋を意味深な笑顔と共に差し出してくる。

 ……あんた、この状況を楽しんでんだろ。



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44話

「じゃあまたね、結衣ちゃん!」

「うんっ、穂乃果ちゃん達もスクールアイドル活動頑張ってね!」

 

 最初のぎこちなさはどこへやら、あっという間に打ち解けた二人。そういやこの二人、どことなく雰囲気が似ているかもしれない……アホっぽいところとか。

 

「比企谷君はどっちが好みなん?」

「……い、いや、さりげなく何聞いてんですか」

 

 つーか、いきなり耳元で囁くのやめてくれよ……思いきり息がかかって、変な気分になっちゃうだろうが……。

 

「そうよ、希。いきなり何言ってるのよ」

 

 絢瀬さんが、クールに東條さんを窘める。さすがは生徒会長。

 

「「どっちが」じゃなくて、「誰が」でしょ?その言い方だと私が入ってないみたいじゃない」

 

 やはりこの生徒会長の思考回路はどこかまちがっている。そう思わざるを得ない指摘に、俺はただ黙ることしかできなかった。

 まあ、少し気が紛れたから、よしとするか。

 

 *******

 

 私は比企谷君達と別れ、再び校内を回り始めた。

 今日は新しい友達もできたし、来てよかった!結衣ちゃん、いい人だなぁ♪ただ一つ気がかりなのは……

「もし、あの人が比企谷君と恋仲だったらどうしよう……」

「……希ちゃん?」

 

 勝手に色々付け加えている希ちゃんに、しらっとした目を向けると、何故か手をわしわしさせた。

 

「はぁ~、結衣ちゃんの豊かな胸にわしわししたかったな~」

「あはは……」

 

 その様子に、反射的に胸を隠してしまう……だってあれ、恐いんだもん……。

 

「穂乃果ちゃん、そんなに落ち込まんでええよ。まだ成長する余地はあるから」

「誰も落ち込んでなんかないよ!」

 

 た、確かに結衣ちゃんは大きかったけど!

 あれ、そういえば絵里ちゃんは?

 

「そうね。まあ、確かに大きかったわね……大丈夫。少し私の方が……自信を持つのよ、エリーチカ」

「「…………」」

 

 *******

 

 そろそろ文化祭も終わりに近づいた頃、実行委員の人達が、やけに慌ただしく動いていた。

 

「なんか急がしそうやねぇ」

「そうね。何かイベントでもあるのかしら」

「今から体育館でライブみたいやけど……」

「じゃあ、ライブ観て帰ろうよ!」

「そうね、せっかくだし」

「ウチもさんせー♪」

 

 そして、体育館に向かおうとすると、校舎に向かって誰かが走る姿が見えた。

 あれは……比企谷君?

 どうしたんだろう?

 この時、私は何を考えていたのかわからない。

 ただ、帰る前に声をかけたかっただけかもしれない。

 もしかしたら、嫌な予感がしてたのかもしれない 

 

「穂乃果?」

「どうかしたん?」

「ごめんっ、二人共先行ってて!」

 

 何かに引き寄せられるように、私は校舎へ向かい、走り始めていた。



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45話

「……どこ行ったんだろう?」

 

 キョロキョロ辺りを見回しても、比企谷君は見当たらない。どこに行ったのかなぁ、せっかく声をかけようと思ったのに。

 もう諦めて引き返そうかと思ったその時、誰かの話し声と走る足音が同時に聞こえてきた。

 

「どうやら屋上にいるみたいだ。誰かが上がっていくのを見たらしい。行こう!」

「うんっ」

「早くしないと……」

 

 誰かを探してるみたい。そういえば、比企谷君も焦っていたような……もしかしたら、同じ人を探してるのかな?

 だとしたら比企谷君に教えないと……そう思い、電話をかけてみるけど、出る気配がない。

 ……もしかしたら、もう見つけたのかな?

 私は足音を追いかけることにして、さっきよりスピードを上げた。

 

「……あ」

 

 すぐに3人組の背中が見えた。

 背の高い男の子と2人の女の子は、薄汚れた階段を駆け上がっていき、ドアを開けて、屋上へと出ていった。

 私もすぐにドアの前まで駆け上がり、ドアノブに手をかける。

 ……でも、この後どうしよっか?

 勢いだけでここまで来たけど……ていうか、目的が変わってるような……。

 ドアノブを握ったまま、どうしようかと悩んでいると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「結局お前は……」

 

 比企谷君……。

 扉に耳を近づけると、普段の比企谷君とは違う声のトーンで、相手の悪いところをひたすら並べていた。

 私はただただ耳を傾けることしかできなかった。

 ドクン、ドクン、と胸が高鳴る。

 やがて、何かが壁にぶつかる音がした。

 誰かが比企谷君を止めたみたい。大丈夫かな?

 考えている内に、すぐに誰かがドアを開けて出てきた。さっきの3人と、多分皆が探していた人だ。女の子だったんだ……。

 女の子は泣きじゃくっていて、慰められながら階段をゆっくり降りていった。

 誰もいなくなったタイミングで、何て声をかけようかと悩んでいると、また比企谷君の声が聞こえてきた。

 

「……ほら、簡単だろ?誰も傷つかない世界の完成だ」

「っ!」

 

 私は反射的に扉を開けていた。

 

 *******

 

 いきなり勢いよく扉が開き、ビクッとなってしまう。だ、誰だよ……びっくりするだろうが。

 出てきたのは、意外にも顔見知りだった。

 

「……高坂」

「う、うん……」

 

 高坂はばつの悪そうな顔をしながら、屋上のドアを閉める。その表情から察するに、多分さっきのやりとりを聞かれていたのか。

 

「「…………」」

 

 沈黙する二人の間を風が通りすぎていく。

 座り込む俺を見下ろす彼女の視線は、何かを探すような目つきだった。初めて見る表情に何だか切ない気持ちになってしまう。

 やがて、彼女は右手をこちらに差し出した。

 

「はい。立って」

「……悪い」

 

 俺は独り言のように謝りながら、その手をとった。

 彼女の温もりを右手に感じながら立ち上がると、彼女はきっぱりと告げた。

 

「私、見てるから」

「…………」

「比企谷君が、あの時私を見てくれたみたいに……見てるから」

「……そっか」

 

 そう告げた高坂の笑顔は優しい笑顔だった。

 彼女は決して甘やかすような言葉はかけない。

 しかし、突き放すでもない。

 そんな距離感が今は心地よかった。

 それに見ているというのなら、あまり情けない姿を晒すのも気が引ける。

 

「じゃあ、仕事に戻るわ」

「うんっ、いってらっしゃい!」

「いや、その……だから、手……」

 

 さっきから高坂の手はきつく繋がれたままだった。

 高坂もやっと気づいたのか、ほんのりと頬を赤く染め、じっと繋がれた手を見つめた。

 

「ひ、比企谷君から離してよ……」

「いや、そっちから思いきり握られてるんだが……」

「違うもん!私じゃなくて、比企谷君が離してくれないんだよ!」

 

 な、何だ、このくだらない言い争い……。

 でも、本当は心のどこかで思っているのかもしれない。

 俺は、この手を……。

 

「比企谷君っ、大丈夫!?」

「「っ!?」」

 

 慌てて互いに手を離す。

 とてつもない勢いで入ってきたのは絢瀬さんだ。今、風が巻き起こったような……。

 そして、なんか物凄い勢いで詰め寄ってくる。

 

「比企谷君、大丈夫!?文化祭実行委員の人達が色々話してたけど!私は……」

「はいはい、エリチ。どうどう」

「チカ」

「…………」

「え、絵里ちゃん?」

 

 緊張した空気が解れていくのを感じる。

 右手に微かな熱を残したまま。

 俺は三人に礼を言い、一緒に屋上をあとにした。

 

 *******

 

 屋上の一件で、名実共に学校一の嫌われ者になったらしい俺は、仕事の後始末を終えると、すぐに帰路についた。

 まあ、どうせすぐに忘れ去られるだろう。そんなもんだ。

 ぼんやり考えている内に、いつの間にか我が家の前に到着していた。もしかしたら、しばらくこんな日が続くのかもしれない。

 とりあえず冷蔵庫に冷やしてあるマッ缶を飲んで、今日1日の疲れを……

 

「おかえり、お兄ちゃ~ん!」

「おかえり、比企谷くーん!」

「おう、ただいま……はっ!?」

 

 何故か高坂がソファーに座り、お茶を飲んでいる。いつか見た光景そのままだった。

 

「お前……何でいんの?」

「え?え~と……何となく来ちゃった♪あははっ、本当は絵里ちゃん達も来たがってたけど、用事があって帰らなくちゃいけなくて……」「チカ」

「……そっか」

 

 とりあえず俺は自分の部屋に戻ることにした……が、小町に腕を引かれ、強引にソファーに座らされた。

 

「じゃ、私二階で受験勉強してるから、邪魔しないでね~!」

 

 そう言い残して、小町はぱたぱたと階段を上がっていく。二階には上がってくるなと遠回しに言われている気がするのは気のせいではないだろう。

 リビングに二人だけになり、急に静かな空気が立ち込める。

 普段、電話で話すことはあるのに、こんな時に言葉は出てこない。

 それでも何かを言わなければと、心の奥で何かが俺を急かしていた。

 

「「……あの」」

 

 まさかのタイミング。

 高坂は苦笑しながら、視線をあさっての方向に向ける。

 だが、沈黙は訪れなかった。

 

「お疲れ様」

「……おう」

「あはは、何でだろうね。電話で言えばいいのに、直接言いたくなっちゃって……」

「そ、そっか」

「ふふっ、優木あんじゅさんからの方が嬉しかった?」

「……別に。んなことねえよ」

「そっかぁ。よかった」

 

 高坂はいつもより穏やかな笑みを浮かべ、再びお茶に口をつける。

 その微笑みに、何故か頬が熱くなるのを感じたので、話題を変えることにした。

 

「まあ、その……次のライブは来週の日曜だっけ?」

「うんっ、そうだよ!絶対に観に来てね!」

「……今日わざわざ来てくれたから、俺も行かないと釣り合いが取れない」

「もうっ、素直じゃないなぁ!」

「いや、別に……」

「素直にしないと~……こうだっ!」

「っ!」

 

 高坂はいきなり距離を詰め、俺の脇腹をくすぐりだした。

 いきなり甘い香りが近づき、細い指の感触が脇腹を伝いだしたせいで、笑いやら何やらが零れる。

 

「ちょっ、お前……くくっ、い、いきなり何を……!」

「ふふん!素直にμ'sのライブが観たいって言うまではこうだもん!」

「や、やめ……っ!」

 

 くすぐり方が絶妙すぎて耐えきれなくなった俺は、バランスを崩し、ソファーから滑り落ちる。

 

「きゃっ!」

 

 それに引きずられるように、高坂も滑り落ち、俺に覆い被さってきた。

 背中が少し痛いが、それよりライブを控えた高坂に怪我がないかが気になった。

 

「……だ、大丈夫か?」

「う、うん。こっちこそごめ……ん」

 

 高坂の声が途切れる。

 こちらも何も言えなくなる。

 息をするのも躊躇うくらい近くに高坂の顔があり、その瞳は静かに揺れていた。

 リビングに射し込む斜陽が、赤く淡く彼女を照らし、彼女をいつもとは違う儚げな美しさに彩っている。

 のしかかってくる重さと、じんわり伝わってくる体温に、胸が急激に高鳴り出した。

 

「えと……その……」

「…………」

 

 俺は彼女の肩に手を置いた。

 彼女も同じように俺の肩に手を置いた。

 多分、お互いに体を離そうとしているのだろう。ただ、動けずにいるだけで……

 高坂の目は少しとろんとしていて、いまいち現実を呑み込めていない気がした。

 そして、薄紅色の唇は微かに震え、こちらの唇に熱い吐息をかけてくる。

 

「比企谷……く、ん」

「…………」

「二人共、大変大へっ!?」

「「っ!」」

 

 小町がいきなり入ってきて、驚きに体が跳ね上がるが、この体勢ではすぐに動けない。

 

「しっつれいしました~♪」

「こ、小町ちゃん、違うんだよ!」

「小町……っ」

 

 *******

 

「はぁ~、びっくりしたよ……小町の知らない間に二人が付き合っちゃってるのかと……」

「いや、違うから」

「そ、そうだよ!」

「てか、何か用があったんじゃないのか?」

「あっ、そうそう!これ!」

 

 小町が向けてきたスマホの画面を見ると、そこには東京、千葉間の電車が事故の為、運転見合わせになっているとのニュース記事が表示されていた。

 

「「……え?」」

 



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46話

「えっと……じゃあ、よろしくお願いします」

「どうぞどうぞ♪」

「…………」

 

 いまいち現実が呑み込めない。

 高坂がウチに泊まる、だと?

 いくら電車が運転見合せになったからって……なんか色々やばい気がするんですよ。何がやばいって、やばすぎてやばい。戸部並の語彙力になってる時点でやばいってばよ。

 ふと高坂に目をやると、あっちも同じタイミングでこちらを見たので、視線がぶつかる。

 

「「…………」」

 

 何か声をかけるにも、何も思いつかない。

 それどころか、屋上での手の温もりが鮮明に蘇り、気恥ずかしさすら覚える。

 高坂は、やや頬を染めながら、「いやー」とか「えーと」とかもにゅもにゅ口を動かしていた。

 

 その様子を見かねたのか、小町が手をパンっと叩き、割って入ってくる。 

 

「ほら、お兄ちゃん。何ぼっとしてんの?ほら、早く」

「えっ、何?俺もう寝たほうがいいの?」

「どうしてそうなるかな~、馬鹿なの?……穂乃果さんと一緒に買い物行ってきて。急なお泊まりで何も準備してないだろうから」

「あ、ああ。なるほど」

 

 さすが小町ちゃん、気が利く!そこにシビれる、憧れるゥ!!確かに、鞄には教科書やら女子特有のあれこれしか入ってないだろう。まあ、女子の鞄の中身事情は知らんけど。

 高坂も今さら気づいたのか、うんうんと頷いている。

 

「……じゃあ、行くか。金無いなら貸すけど」

「あっ、大丈夫大丈夫!お小遣い貰ったばかりだから」

「じゃあ小町は晩御飯作ってるから、いってらっしゃ~い♪」

 

 *******

 

「「…………」」

 

 もう日も暮れかけた空を見上げると、今日一日であれだけの出来事があったことが不思議に思えてくる。

 さらに、これから……

 

「あの、いきなりごめんね?比企谷君、疲れてるのに……」

「いや、別に……それよか、家に電話したか?」

「あっ、うん!お父さんには、海未ちゃんの家に泊まったことにしてくれるって」

「……そ、そうか」

「あと、お母さんと雪穂から「頑張れ!」って言われちゃった。別に東京と千葉ってそんなに離れてないのに」

「…………」

 

 それはそういう意味ではないような気が……じゃあ、どういう意味かって?まあ、考えるのは止めとこう。

 ぽつぽつと会話をしている内に、いつものスーパーが見えてきた。

 こいつと話していると、不思議と時間が経つのが早い。

 ……多分……本当に多分だが、いつの間にか、高坂と他愛のない話をする時間を居心地よく思ってるのかもしれない。

 

「どしたの?私の顔、何か付いてる?」

「……口元にソースが付いてる」

「えっ、嘘!?」

「いや、気のせいだった」

「もうっ、何なの!?」

「悪い。後でパン奢ってやるから」

「また食べ物で釣ろうとしてる~。子供じゃないんだから、そんなんじゃ騙されませんよ~だ」

「……そういや、秋葉原に美味いメロンパンの店がオープンしたって小町が言ってた」

「あっ、知ってる!今度海未ちゃん達と行くんだぁ♪」

「そっか。まあ、本当に美味かったら、今度そっちに行った時にでも……」

「…………」

 

 言い終える直前ではっとなる。自分の口から自然と出てきた言葉が信じられなかった。

 その驚きのせいか、彼女の目を黙って見ることしかできなくなる。自分が自分じゃないような、不思議な感覚が胸の奥を叩いていた。

 そんな緊張がピークを迎えた時、最初はきょとんとしていた高坂だが、やがていつもの笑顔を見せた。

 

「…………じゃあ、海未ちゃん達と行くのは、もうちょっと先でいいかな」

 

 高坂は俺より少し先を歩き、くるっと振り返った。

 

「楽しみにしてるからねっ」

 

 夕陽がほんのり赤く照らす笑顔は、穏やかに輝き、今日までの疲れやら何やらが、どうでもいいことのように思えてきた。

 油断していると、このまま見とれてしまいそうになる。

 だが、ずっと直視するには眩しすぎて、つい目を逸らしたまま返事してしまう。

 

「……ああ」

 

 何を誤魔化そうとしたのか、俺は首筋に手を当て、数秒瞑目し、すぐに彼女の隣に並んだ。

 



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47話

「わぁ~♪すごぉ~い!」

 

 高坂はテーブルに並べられた料理を見て、感嘆の声を漏らす。うぅむ、さすがは小町。このままずっと毎朝味噌汁を作ってもらいたい。もう妹さえいればいい。

 俺はいつもの席に座り、その隣に高坂が座る。

 

「小町ちゃん、料理上手なんだね。尊敬しちゃうなぁ」

「いえいえ、ただ慣れてるだけですので。穂乃果さんは料理とかしないんですか?」

「えっ!?…………あー、肉、じゃが?とか、その……練習中、かな?」

「「…………」」

 

 頬をかき、目を逸らす高坂。あー、これはできないやつですね。ヘタすりゃ石炭作るレベルかもしれん。キャラ的に。

 そこで、高坂と視線がぶつかる。

 彼女は、今度は目を伏せ、何やらボソボソ呟き、また顔を上げた。

 

「だ、大丈夫!カップラーメンなら百発百中で作れるよ!」

「むしろ作れない奴を聞いた事がないんだが……」

 

 てか何だよ、百発百中って。料理ってそんなギャンブルじみたもんじゃねえだろ。

 ……カ、カップラーメンは確実に作れるんだよな?そうだよな?

 

 *******

 

 食べ始めると、いつもより賑やかな食卓が妙に居心地よく感じられた。とはいえ、俺はあまり会話に参加せず、二人の会話をBGMに、いつもよりゆっくり咀嚼しているだけだが。

 

「この前の新曲最高でしたよ。学校でも口ずさんでる人増えてました」

「本当に!?ありがと~♪何なら今度のライブも比企谷君と一緒に観に来てよ」

 

 次のライブに俺が行くのは確定しているのか。まあ、文化祭も終わったから、気晴らしに行くのもいいかもしれんが。

 さて、醤油は……

 冷奴にかける醤油を取ろうと手を伸ばすと、醤油さしとは違う柔らかな感触に触れる。

 よく見ると、高坂の手だった。

 

「「…………」」

 

 何故か固まってしまう。

 高坂は高坂で、その手をきょとんとした表情で見ていた。まるで何が起こったかをまったく理解していないような……って……

 

「わ、悪いっ」

「えっ?あ、うん……」

 

 慌てて二人してバッと手を離す。

 ……何を固まっているんだか。

 誤魔化すように何もかけずに冷奴を頬張り、白米をかきこむ。大丈夫。素材のままでも美味いはず。

 そこで、今度は頬に何か触れた。

 

「……ご飯粒ついてるよ?」

 

 高坂が頬に付いていたらしいご飯粒を取り、自分の口に含む。

 

「っ……」

 

 立て続けにそんな小さなイベントが起きると、さすがに顔が赤くなるのはどうしようもなく、とにかく気恥ずかしい。

 さっきよりも、やや大人しめに食事を再開する高坂を、小町はニヤニヤ見つめていた。

 

「……新婚さんみたい」

「「っ!」」

 

 小町がトドメとばかりに呟いた一言で、頬の赤みが高坂にまで伝染する。

 高坂はあたふたしながら、口を開いた。

 

「し、し、新婚だなんて、えと……私、まだ、結婚できる年齢じゃ……」

「……おい、落ち着け。何つーか、反論するとこ間違えてるぞ」

「あっ、そだね!わ、私達そもそも……そ、そんなん、じゃ……」

「…………」

 

 だから何でそこで噛むんだよ。余計気まずくなるだろうが……まあ、ここで口も開けない自分は、もっとダメなんだろうけど。

 結局、晩飯の味はよくわからなくなってしまった。

 ……疲れてるせいだとは、どうしても思えなかった。 



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48話

 少し気まずい食事時間を終え、風呂に順番で入ることになった。高坂が風呂に入ると、俺は自室に篭り、ベッドに腰かけ、ひたすらゲームの世界に没頭していた。別に、うっかりリビングにいてラッキースケベに遭遇したらどうしようとか、いらん想像を振り払いたいとかじゃない。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 しばらくそうしていると、やや強めにドアがノックされた。

 

「お風呂いただきました~♪」

 

 高坂が、こちらが返事するより先に入ってくる。おい、女子が思春期男子の部屋にいきなり入ってくんな。

 そんなデリケートな事情も知らず、彼女は満足そうな笑みのまま、俺の隣に腰かけた。

 

「何してるの?」

「……勉強」

「絶対に違うじゃんっ、どうせゲームでしょ?」

「わかりきってる事を聞くな。そういや、明日は始発から通常通り運行するらしいぞ」

「そっか。よかったぁ」

 

 頷きながらも、高坂の視線はゲームの画面に集中している。ええい、近いいい匂い近い……あと肩くっついてるんだが。

 ふと隣を見ると、意外なくらいすぐ近くに高坂の顔がある。

 ぱっちりした無邪気な目はいつも通りだが、風呂上がりで火照った頬や、しっとり濡れた髪はいつもと違い、何だか色っぽく見えた。

 さらに、肩には温もりが触れ、鼓動が跳ね上がるのを感じる。この子、ここがベッドの上だと気づいているのかしらん。

 すると、いきなり彼女がこちらを向いた。

 

「「っ!」」

 

 至近距離で見つめ合う状態になり、彼女の吐息が口元にかかる。

 彼女も驚きに目を見開いていた。

 

「…………」

「えと……あの……」

 

 それは数秒の事だった。

 しかし、とてつもなく長く感じられ、うっかりするとこの何ともいえないふわふわした時間に、飲み込まれてしまいそうだった。

 俺はそうならないよう、そっと立ち上がり、携帯を充電し、あまり足音を立てないよう、ドアへ向かう。

 

「……ふ、風呂入ってくる」

「あ、うんっ、いってらっしゃい」

 

 本来ならこれで終わるはずだった。

 しかし、よりにもよって、このタイミングで足を滑らせてしまう。

 

「っ!」

「わわっ」

 

 まだベッドに座り、ぼーっとしていた高坂の方へ倒れるが、何とか腕で踏ん張る。ベッドのスプリングが一層強く軋む音がどこか遠く聞こえた。

 

「……わ、悪い。大丈夫か?」

「平気……だけ、ど」

 

 慌てて状況を確認すると、俺が高坂を押し倒しているような体勢になっていた。

 それに気づき、最初はポカンとしていたが、すぐにはっとなる。

 彼女の白く綺麗な鎖骨や、浅く上下する胸をなるべく見ないように、すぐ起き上がろうとすると、頬に何かが触れた。

 それが、彼女の手のひらだと気づき、微動だにできなくなる。

 

「「…………」」

 

 そのまま、視線を交錯させていると、意識に靄がかかったような気分になる。

 高坂は目を閉じ、体を強張らせていた。

 俺は……

 

 すると、その静寂を裂くように、ドアがノックされ、開かれた。

 

「「っ!」」

「お兄ちゃん、はやくお風呂…………あはは、しっつれいしました~♪」

 

 バタンとドアが閉められ、弛緩した空気が漂う。

 ただ、その余韻に浸る余裕など、あるはずもなかった。

 

「……ふ、風呂入ってくる」

「……あ、うん」

 

 俺は逃げ出すようにその場を後にした。

 

 *******

 

 ……ドキドキしてる。

 私、さっき何しようとしてたんだろ。

 こんなの初めてだよ…………比企谷君。

 

 *******

 

 まだ胸は高鳴り、どんなに顔をゆすいでも、落ち着くことはなかった。

 ていうか、この湯船にさっきまで……高坂が……。

 頭の中に浮かびかけたイメージを、かぶりを振って追い払う。

 落ち着け。相手はあの高坂だ。

 色気より食い気のスクールアイドル馬鹿だ……しかし……。

 ……今日は早く寝よう。寝れば落ち着くに違いない。

 

 その後、風呂から上がった俺は、疲れを理由にすぐにベッドに入った。

 疲れのせいで眠りがはやく訪れたのが救いだった。

 

 *******

 

 深夜2時頃……

 

「ん~~……トイレ……」

 

「……へや……あぁ……こっち」

 

 

 

 



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49話

 朝の光がカーテンの隙間から微かに射し込み、瞼を照らし、ゆっくりと目が覚めていく。あれから一度も起きることなく、どっぷりと夢の中にいたようだ。いや、夢すら見ていない。

 ……今、何時だ?

 携帯で時間を確かめようと、じわり目を開ける。

 すると、目の前に高坂の寝顔があった。

 ……………………は?

 もう一度目を瞑る。

 そして、また開く。

 そこには間違いなく高坂の寝顔がある。

 

「…………」

 

 口を開こうにも、驚きやら何やらで言葉が出てこない。

 昨日のように鼓動が高鳴っていくのを感じ、色々と思い出してしまった。

 な、何で、こいつ、俺のベッドの中に……。

 いや、こいつの事だから、夜中トイレに起きて、そのまま寝ぼけてこっちに来たとかいうラノベとかギャルゲー的なアレかもしれん……!

 とにかく抜け出さないと……。

 ゆっくりベッドから出ようとすると、いきなり高坂がガバッと動いた。

 

「っ!」

「ん~~~~」

 

 正面から抱きつかれ、さっきより顔が近くなる。こいつ、どんな寝相してんだよ!!

 目の前で艶やかな唇が、もにゅもにゅ動いて、ふわふわした言葉を吐息と共に紡ぐ。

 

「ん~~……ゆ~きほ~……もう……食べれな~い~……」

 

 おい。人がピンチの時にどんな夢見てんの?

 正直、鼻先に寝息がかかる度に、理性やら何やらがガリガリ削られていき、意識がとろんと何かに支配されそうになる。

 ……正直、この無防備すぎる寝顔を見ていたら……。

 なので、そっと視線を下に向けると、東條さんや絢瀬さんのように、豊満とまではいかないが、それでもはっきりと女性を意識させる谷間が控えめに覗いていた。

 俺はどこに視線をやればいいかわからず、ぎゅっと目を瞑る。マジでどうすんだ、これ……!

 すると、また昨夜のようにノックの後、数秒経ってからドアが開けられる。

 

「お兄ちゃん、穂乃果さんがいないんだけど……ほぁ!?」

「…………」

 

 とりあえず目を瞑ったまま、やり過ごすことにしよう……いや、本当にそれしか無理。てか、さっきから吐息が口元にかかり、本当にやばい。

 

「あわわ……こ、小町の知らない内に……ここまで!」

 

 小町が慌てふためいている。小町ちゃん、とりあえず今は部屋を出てくれませんかねえ……。

 

「んん……?」

 

 高坂のもごもごした声が聞こえてくる。おい、ま、まさか、このタイミングで?

 確認しようと目を開けると、高坂と目が合った。そりゃもうバッチリと。

 だが、彼女の目はまだ虚ろだ。まあ、それも長くはないだろうが。

 彼女は俺の瞳をぼーっと覗き込んできた。

 

「ん~~……………………ん!?」

 

 そして、急に目を見開かせる。これは、いよいよ本格的に目を覚ますところだろう。今回に関しては俺は悪くないはずだし、ポルターガイストで窓の外に飛ばされたりしないが、それでも緊張はする……しすぎて、冷静に現状を認識するしかできないまである。

 

「ぇえ……あ……」

「…………」

「……二人は大人になっちゃったんだね……小町、嬉しいよ」

 

 そう言って、小町は部屋を出て、ドアを閉めた。

 

「お、大人?ひ、ひ、比企谷君?え、ウソ、なんで?」

「…………そろそろ離して欲しいんだが」

「っ!」

 

 高坂は、慌てて俺から距離をとり、頭を抱え、自分の行動を思い返している。

 そして、俺が起き上がると、真っ赤な顔のまま、肩を揺さぶってきた。

 

「えっ!?大人って何なの!?どういう事なの!!?」

「……大人の階段昇る君はまだー」

「シンデレラさ~♪……って、誤魔化さないでよ!しかも他人事みたいに!」

 

 結局、この後高坂を納得させるのに、結構な時間がかかった。

 その間、高坂の寝顔が頭に焼き付いていて、何度も噛んでしまったのだが。

 …………今回ばかりは、自分の理性を褒めてやりたい。

 



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50話

「ご、ごめん!」

 

 高坂が慌てて部屋を出ていく。

 ドアが閉まり、静寂が訪れると、途端に心臓がバクバク鳴り出し、甘い残り香が鼻腔をくすぐりだした。

 高坂の無防備すぎる寝顔が……長い睫毛が……薄紅色の唇が……。

 もし自分が訓練されたボッチでなければどうなっていたかは、想像に難くない。

 俺は気持ちを落ち着けるべく、頭をかきながら、窓を開けた。

 

 *******

 

「うぅぅ、もう……こんな時まで寝ぼけるなんて……」

 

 わ、私……何で比企谷君のベッドに入って……しかも……。

 まだ手のひらには比企谷君の頬の感触と温かさが残っていた。

 私、何しようとしてたんだろ……すごくドキドキしてる。

 あの時、頭の中が真っ白になって、比企谷君しか見えていなかった。

 ……私……もしかして……。

 

 *******

 

 いつもより一時間ぐらい早く朝食を摂り、身支度を整え、高坂と一緒に駅まで向かう。誰から言われるでもなく、自然とそうしていた。

 休日の早朝ということもあり、いつもより人通りは少なく、不揃いの足音がよく聞こえる。

 朝食中も、バスの中も、駅までの幅の広い道でも、俺と高坂はあまり言葉を発しなかった。目も合わせなかった。

 理由は言うまでもなく、昨晩から今朝にかけてのアレやコレである。

 しかし、駅の構内に入り、彼女の横顔を盗み見ると、偶然目が合ってしまう。

 

「「…………」」

 

 どちらも目を逸らさないのか、逸らせないのか、そのまま立ち止まる。

 今は人目も気にならなかった。

 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

 

「「あの……」」

 

 狙いすましたかのように声が重なり、どちらも続きが言えなくなる。

 気まずい時の言葉の持ち合わせが少ない俺は、彼女に先に言ってもらうことにした。

 

「……悪い。先に言ってくれ」

「え?う、うん……その……」

 

 彼女はしばらく宙をぼんやり見てから、申し訳なさそうに笑う。

 

「あはは……思いつかないや」

「何だ、それ」

「自分だって何も思いついてなかったじゃん!」

「……よく気づいたな」

「気づくよ。比企谷君のそういう時わかるようになってきたもん」

「……そっか。まあ、あんま意味ないと思うんだが」

「そんなことないよ」

「?」

「私は……嬉しいかな」

「……そっか」

 

 何故……とは聞けなかった。

 そこまで鈍感なわけではない。ただ、そこに過剰な期待をするほど幼くもないわけだが。

 むず痒い気持ちになっていると、高坂が躊躇いがちに口を開いた。

 

「えっと……は、八幡君」

「……あ、ああ。どうしたんだよ、いきなり」

「き、聞かないでよ!別にいいじゃん!比企谷って名字じゃ分かりにくいでしょ?」

「全然そんなことはないと思うが……」

「あるよ!ウチの学校にも三人くらいいるかもしれないし!」

「いや、いないだろ。多分……まあ、別に……いいけど」

 

 そうこうしていると、構内にアナウンスが響く。

 それを合図に、俺達は会話を打ち切った。

 どちらからともなく頷き、彼女は改札に向かい、たったか歩き始める。

 俺はその背中に声をかけた。

 

「じゃあな…………あー、高坂」

「……八幡君のバーカ!そこは呼び方変えるところじゃん」

「いや、無茶言うな。あと声でけえよ」

「ふんっだ、八幡君の照れ屋さん!」

「いや、照れてるとかじゃないから……高坂」

「なぁに?」

「……帰り、気をつけてな。あと、約束……覚えといてくれ」

「…………うん。またね」

 

 控え目な笑みを見せた彼女は、改札を通り抜け、エスカレーターに乗り、少しだけこちらを振り返った。

 俺はしばらくその場に立ち尽くし、その背中を見つめていた。

 彼女が名前を呼んだ時の照れくさそうな表情が、少し躊躇うような声が、確かに甘く胸を締め付けていた。

 そんなふわふわした感情に浸っていると、彼女の姿はいつの間にか見えなくなっていた。

 …………帰るか。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 くるりと踵を返すと、背後から聞き覚えのある声がかけられる。

 振り返ると、そこにいたのはクラスメートの川……何とかさんだった。

 



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51話

 川……何とかさん……あ、川崎か。

 川崎は、何故か頬を赤く染めながら、つかつかと歩み寄り、距離を詰めてきた。彼女が足を踏み出す度に、トレードマークともいえるポニーテールが、やたら元気よく跳ね、存在感をアピールしている。

 その勢いにたじろぎながら、目を眇めると、彼女はさっきまでの勢いとは裏腹に、すごくオドオドしながら口を開いた。

 

「あ、あの……ちょっと、いい?」

「…………おう」

「アンタさ……さっきの子と知り合い?」

「いや、知り合いじゃなかったら、わざわざ駅で見送らないだろ」

「まあ、それはそうなんだけど……そういう事じゃなくて……」

「?」

 

 一体何が言いたいのだろうか。

 もうこちらから聞こうと口を開きかけると、それを遮るように彼女が声をあげた。

 

「あのっ!……あの子、μ'sの高坂さん、でしょ?」

「あ、ああ……」

「μ'sのライブってどうやったら生で観れるの!?」

 

 意外すぎる質問に、つい呆けた声で返事をしてしまう。

 川崎がスクールアイドルに興味があるのが意外すぎたのだろう。

 いや、もしかしたら……

 

「なあ、川崎。実はお前……スクールアイドル始めたいのか?」

「は?アンタ何言ってんの?バカじゃないの?」

「…………」

 

 怖っ!やっぱ川崎さん怖ぇよ……。

 とはいえ、普段の調子を取り戻したことに安堵しながら、話を進める。

 

「じゃあ、大志か?」

「違う。妹がμ's好きなの。それで……」

「……ああ、わかった。まあ、高坂に言ったら喜ぶと思うぞ」

「そ、そう?」

「それに、今度ライブやるって言ってたから……まあ、丁度いいんじゃないか?多分」

「……そうなんだ」

 

 川崎はこくりと頷いてから、何故かじぃっとこちらを見ている。

 

「……何だよ」

「いや、その……正直驚いた」

「何がだよ」

「アンタが……μ'sの子と付き合ってるなんて」

「は?」

「え?だって……付き合ってるんでしょ?」

「いや、付き合ってないんだけど……何それ、どこ情報?」

「……ふーん」

 

 川崎は自分から言ってきた割には、大して興味なさそうにそっぽを向いた。

 

「じゃ、じゃあ、アタシもう行くから」

「……おう」

 

 そそくさと立ち去る彼女とほぼ同時に俺も歩き始める。

 ……付き合ってるとか……本当にどこをどう見たんだか。

 俺は頬に手の甲を当て、顔が熱くなってないかを確認したが、よくわからずに、しばらくそのままで歩き続けた。

 

 *******

 

 うぅ……電車なのにまた顔赤くなってる、比企谷君のバカ、バカ!

 ダメだよ、これじゃあ!ライブに集中しなきゃ!

 



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52話

「新しいファン?」

「ああ、同じクラスの奴の妹なんだが……」

「本当に!?嬉しいなぁ♪」

「それで今度のライブ……」

「うん!よかったら来て欲しいなっ!」

「そっか。伝えとくわ……じゃあ、また今度」

「あっ、八幡君……」

「どした?」

「……むぅ……やっぱりこのタイミングじゃ無理かぁ」

「?」

「な、何でもないよっ。それじゃあ、またね」

 

 *******

 

 数日後、今日は待ちに待ったライブ当日!

 私達は、秋葉原のライブハウスの控え室で準備を終え、本番までの時間をそれぞれ過ごしていた。

 緊張はあるけど、それ以上にライブがしたくてたまらない。新曲を歌うの楽しみだなぁ♪それに……

 

「穂乃果ちゃん、楽しそうだね」

「あっ、花陽ちゃん!あったりまえだよ!!皆も来てくれるし」

「えっ?本当に!?比企谷君も来るの?」

「え、絵里ちゃんっ、近いよ!まだ誰の名前も言ってないよ!」

「エリチ、ステイ!」

「チカッ!……ってやめてよ、希!ポケモンやペットみたいじゃない!」

「はい、静かに。そろそろミーティング始めますよ」

「よしっ!」

 

 すると、コンコンとドアがノックされた。もしかして……

 

「どうぞ」

「失礼しま~す」

 

 海未ちゃんが返事をすると、小町ちゃんがゆっくりとドアを開けながら入ってきた。そして、その背後には……

 

「ほら、お兄ちゃん。何照れてんの。声ぐらいかけないと」

「いや、ちょっと……」

 

 小町ちゃんに引っ張り出され、少しクセのある髪の毛と猫背が目印の八幡が入ってきた。

 ……八幡君がいる。

 胸が高鳴り、体中からふつふつとやる気がみなぎっていくのを感じる。でも……

 

「こ、こんにちは……小町ちゃん……は、八幡君」

「…………おう」

 

 どうしよう……また顔が熱くなってきた。胸もドキドキするし……いや、ライブ前だから集中しないと!

 私はスクールアイドルとして鍛えた笑顔を向け、改めて挨拶した。

 

「今日は来てくれてありがとう!頑張るからよろしきゅ……」

『…………』

 

 噛んだ!噛んじゃったよ!

 すると、周りからクスクスと笑いが漏れた。

 

「ふふっ、穂乃果ちゃん。落ち着いて」

「焦りすぎにゃ~」

「焦らんでも誰も逃げんよ」

「穂乃果さん、可愛いですね~」

「そ、そ、それより穂乃果……今……今今、は、八幡君って……」

「も、もう!笑わないでよ~!」

 

 うぅ……恥ずかしい……。

 でも、緊張みたいなのはなくなったかも。あ、そうだ!

 

「そういえば、八幡君のクラスの……」

「ああ。……おい、何で隠れてんだよ」

「でも……」

「さーちゃん!」

「ほら、けーちゃんも言ってんだろ」

「う、うん……」

 

 あれ?女の人の声が聞こえたような……。

 首を傾げると、比企谷君の足元から、ひょっこりと小さな女の子が現れた。

 その子は(多分、けーちゃんっていうのかな?)満面の笑みを私達に向けてきた。

 

「あっ!みゅーずだ~」

 

 その可愛すぎる笑顔に皆の頬が緩む。か、可愛い!可愛すぎるよ!!

 

「あっ、けーちゃん!」

 

 そして、けーちゃんに続いて入ってきたのは……え?

 

「あっ、その……こんにちは」

 

 予想外だった。

 そういえばクラスメートって聞いただけで、それ以外の事は知らなかった。

 ……八幡君が言ってたクラスメートは、まさかの美人さんだった。

 

 

 



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53話

「穂乃果?どうしたのですか?」

「えっ?ううん、何でもないよ!」

 

 慌てて首を振っていると、けーちゃんがこっちにたったかと駆け寄ってきた。

 

「ほのかちゃんだ~!」

「わわっ……か、かわいい♪」

 

 かわいらしく脚に抱きつかれ、驚きよりも喜びが胸の中を満たしていく。

 お姉さんはその後ろで慌てていた。

 

「こ、こらっ、けーちゃん!ダメでしょ?」

「あはは、大丈夫大丈夫♪えっと……八幡君のクラスメートの人だよね?私、高坂穂乃果です。今日は来てくれてありがとう」

「えっと、川崎沙希、です。こちらこそ……ありがとう。ほら、けーちゃんも」

「かわさきけーかっ!」

「ふふっ、よろしく沙希ちゃん、けーちゃん♪」

 

 それから、沙希ちゃんとμ'sの皆がお互いに自己紹介をし合う。

 お姉さん、すごくいい人そう……妹想いなのが、その眼差しから伝わってくる。

 ……八幡君の彼女じゃないのはわかってるし、いい人そうなんだけど、胸がモヤモヤする。なんか、変だな……ううん、集中集中!

 私は気持ちを切り替え、脚に抱きついたままのけーちゃんの頭を撫でる。

 すると、けーちゃんは嬉しそうに目を細めてくれた。

 

「か、かわいい……!」

 

 さっきと同じ感想が口から零れた。周りからも同じ感想が聞こえてくる。

 はぁ……雪穂にもこんなにちっちゃくてかわいい頃があったなぁ。

 まあ、その頃は私もちっちゃかったんだけど。

 何となく昔の事を思い出していると、不意に八幡君と目が合う。

 八幡君は男子一人なのが気まずいのか、居心地悪そうに身を捩った後、しっかりと頷いてきた。

 私も頷き返し、自然と笑顔になる。

 ……しっかり観ててね。

 開演までもうすぐだ。 

 

 *******

 

 ライブは凄まじい盛り上がりを見せた。

 予想外すぎる音量と熱量に圧倒されたし、何ならうっかりノリノリでコール&レスポンスに参加してしまうところだった。まあ、実際には軽く揺れてただけなんだが。そして、他に気になった事といえば…………高坂がたまにこっちをじっと見てくる。あと絢瀬さんも。ぶっちゃけ変な緊張するからやめて欲しいんだが……。

 まあ、とにかくライブが終わり、小町の提案で、もう一度控え室に挨拶しに行くことになったのだが……

 

「じゃあ、俺は先に外で待っとくから、終わったら……」

「はいはい。いきなりヘタレてゴミぃちゃんにならないの。もしかしてステージでスクールアイドルやってる穂乃果さんが、可愛すぎて照れてるの?」

「てれてるのー?」

 

 小町と京華が可愛らしく小首を傾げながら聞いてくる。そして、そんな二人の様子を川崎が優しい瞳で見つめていた……いや、助けて欲しいんだが。

 ちなみに、ライブ中の川崎のテンションは意外と……いや、何も言うまい。

 

 *******

 

 小町に腕を引かれながら控え室まで行くと、ちょうど高坂が出てきた。まだカラフルな衣装のままで、でも表情はいつもの高坂だった。

 彼女はすぐにこちらに気づき、笑顔を向けてくる。

 

「あっ、皆!」

「っ!」

 

 駆け寄ってきた高坂に、何故か両手を握られ、ブンブンと勢いよく振られる。どうやらライブが終わったばかりで、ハイテンションのままのようだ。

 彼女の手は、じんわりと温かく、ライブの冷めきらない熱を改めて伝えてくれた。

 だがやっと気づいたのか、繋がれた手と手を見て、ピタッと固まる。

 

「あ…………っ!」

 

 すると、パッと手を離し、小町の方に向き直った。い、いや、そういうリアクションされると、こっちの手がめっちゃ汗ばんでるのかと思っちゃうだろ。

 高坂は気まずそうに笑いながら、ライブの熱気で上気した頬をかき、ぺこりと頭を下げた。

 

「今日はありがとうございます!またよかったら来てください!」

「う、うん……ほら、けーちゃん?」

「また来るね!」

 

 しかし、今日の川崎は別人のようなしおらしさだと思う。クラスの誰が見ても驚くぐらいには。その新鮮な表情と、小町と京華の可愛らしさを微笑ましい気持ちで見ていると、高坂が再び目を合わせてきた。

 

「あー、えと……八幡君、その……」

「?」

 

 高坂が口をもごもごさせ、俯く。

 その続きがわからないほど鈍感ではないが、上手く会話に広げてやれるほどのコミュ力もない。

 こちらも同じように口をもごもごさせていると、小町が「あー!」と声を上げた。

 

「私、受験生だから帰って勉強しなきゃ!沙希さん、けーちゃんも眠たそうにしてますよ!」

「え?あ、そ、そう?……じゃあ、比企谷、高坂さん。今日はありがとね」

「あ、ああ……」

「あ、うん!またね!」

「ばいばーい!!」

 

 見た感じまだ元気いっぱいの京華がぶんぶん手を振るのを、高坂と並んで、ポカンと見送る。

 三人の背中が見えなくなると、ふわっとした穏やかな沈黙が訪れた。

 まだライブの余韻のような、非現実的な空気に浸っていると、先に彼女が口を開いた。

 

「気を遣われちゃったのかな?」

「多分、な……」

 

 高坂は胸の辺りに手を当て、続きを言う前に僅かな間を置いた。

 

「あの……後で少し話さない?」

 

 その言葉は、普段とは違う響きで、頭の中でも何度も反響した。

 

「……わかった」

 

 俺は少しだけ噛みそうになりながら返事をする。

 その間、彼女の瞳にうっすら見える何かは、胸の奥をそっとつついた。

 

 



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54話

 一人きりになると、いきなり現実に引き戻され、やけにのっぺりとした静寂が訪れる。

 普段なら何てことのない時間が、寂しく感じられた。

 正直、この感覚には慣れない。

 一人に慣れすぎていたから。

 誰かに期待するのはやめたから。

 自分に向けられる感情の裏を読もうとするのが当たり前になっていたから。

 俺はかぶりを振って、深呼吸し、止まらない思考を打ち切る。少なくとも今考える事じゃない。

 

「八幡君」

 

 背後から声がかかり、振り向くと、制服姿の高坂が割と近くにいた。どうやら考えるのに夢中で全然気づかなかったようだ。

 目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。

 

「行こっか」

「ああ。てか、もういいのか?」

「うん。むしろ、ちゃんと見送るように言われちゃった」

「そっか……じゃあ、行くか」

「うんっ!」

 

 どちらからともなく俺達は歩き始めた。

 いつもより歩幅が揃っている気がした。

 

 *******

 

 秋葉原の街は当たり前のように混みあっていて、祭りのように人の声があちこち行き交っている。

 そんな中を、俺と高坂は並んで、ゆっくりと歩いた。

 

「えっ?八幡君の家、猫いたの!?」

「ああ、そういやお前が来てる間、母ちゃんの部屋に避難してたな」

「避難ってどういう意味?」

「いや、ほら……まあ、あれだよ」

「言い訳がテキトーすぎるよ!でも、今度行った時触らせてね?」

「カマクラの機嫌次第だかな」

「カマクラちゃんかぁ……」

 

 高坂はうっとりした表情でカマクラに思いを馳せている。お泊まりやら何やらの問題もあったので、この手の話は気まずくなるかもと思っていたのだが、高坂はいつもの調子に戻っていた。

 

「……ねえ、八幡君」

「?」

「私のこと、穂乃果って呼んで?」

「ああ…………は?」

 

 何の脈絡もない唐突すぎるお願いに、思わず高坂の方を見てしまう。

 しかし、彼女は前を向いたまま、てくてく足を進めていく。

 おいていかれないように、こちらも同じように歩き続けると、その頬がほんのり赤い事に気づく。

 それを前に怖じ気づくのは、何だかフェアじゃない気がした。

 俺は、ぼそぼそと口を動かし、彼女の名前を口にする。

 

「…………か」

「…………」

 

 彼女は前を向いたままだ。だが肩は動いたので、どうやら聞こえないといいたいらしい。

 ……覚悟を決めろってか。

 俺は雲一つない空を見上げてから首筋をかき、もう一度挑戦してみた。

 

「…………ほの「高坂さん、よね?」……」

「はい?……あ」

 

 突然割り込んできた声に振り向く。そこにいたのは……

 

「綺羅、ツバサさん……?」



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55話

 マジか……まさか、こんな所で遭遇するなんて……。

 目の前にいる少女こそ、全国ナンバーワンスクールアイドルグループ・A-RISEのリーダー、綺羅ツバサである。

 間近で見ると意外なくらい小柄な体躯からは、優雅なオーラが滲み出ていて、雪ノ下姉妹にも通じるような勝者の風格がある。

 彼女は穏やかな笑みのまま、俺に「ちょっとごめんね」と頭を下げ、ポカンとしている高坂に一歩歩み寄った。

 

「初めまして。A-RISEの綺羅ツバサです。μ'sの新曲聴かせてもらったわ。すごくよかった」

「あ、ありがとうございます!す、すごく嬉しいです!」

「確か、あんじゅとはもう会ってるのよね?」

「は、はいっ、この前……」

 

 二人で会話を始めたので、俺は少し離れたベンチに腰かける。大丈夫だとは思うが、俺の存在が彼女の株を下げてはならない。

 ここはなるべく……

 

「ところで……」

 

 いきなり彼女の視線がこちらを向き、俺は身を強張らせる。

 まさか、いらん誤解を……

 

「高坂さんってお兄さんがいたのね。あまり似ていないけど」

「え?」

「…………」

 

 なんか訳のわからない事を言い出したんだが……。

 一応高坂の顔を見てみるが、どう見ても兄妹には見えない。まあ、それを言ってしまえば、小町とも似ていない気もするが……天使すぎるし。

 とにかく、そのぐらいあり得ないことを綺羅ツバサは口にしていた。

 高坂は、はっと気づいたように首を振る。

 

「ち、違いますよ!兄妹じゃないですよ!」

「え?そうなの……でも、クラスメートじゃないんでしょう?音ノ木坂は女子校だし……」

「えっと……八幡君は、千葉にいる……その……友達と言いますか……」

 

 高坂は何故かあちこちに視線をさまよわせ、一文字ずつ確かめるように答えた。

 その照れたような横顔に落ち着かない気分になると、綺羅ツバサさんは、驚愕という言葉がぴったりの表情を浮かべた。

 

「何……ですって……」

 

 おい、どうした。誰も卍解したり、真の姿を見せたりしてねえぞ。

 

「あの……ツバサさん?」

「し、親族でもない、同じ学校でもない男子と堂々と街を出歩くなんて……」

「…………」

 

 彼女は耳まで真っ赤にして、頭を抱えている。

 何だ、このリアクション……初々しいとは違う何かを感じる。

 

「私なんてまだ……何がオーラがあって話しかけづらいよ……何が怖そうよ……何が俺なんかには無理よ……rd○÷△□×+……」

「「…………」」

 

 ツバサはこんらん……いや、こうふんしている!

 何だ、このドス黒いオーラ……level6どころか7に到達したんだろうか?

 俺達は、彼女が我に返るまで、ゆっくりと見守ることにした。

 



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56話

「取り乱してしまってごめんなさい……ちょっと過去がフラッシュバックして、発狂しかけただけだから……」

「そ、そうですか……」

「…………」

 

 何でだろう……。

 見た目も性格も何もかも違うはずなのに、この人から独神のオーラを感じる……どちらも容姿だけでいえば、かなり美人な部類に入るだけ余計に……。

 ようやく落ち着きを取り戻した綺羅さんは、高坂の肩に手を置いたが、そのどんよりとした瞳に、高坂は割と怖がっていた。

 

「ね、ねえ、一つだけ聞いていい?」

「……あ、はい。何ですか?」

「あなた達……つ、つ、付き合ってるの?」

「「…………」」

 

 ピタリと沈黙が訪れる。

 人波は変わらず流れていくのに、3人を取り巻く空気は確かに変わった……いや、何で固まってんだ、俺は。

 

「あの、俺らは別に……「はわわわわ……!」おい」

 

 そんなに慌てられると、こっちまで混乱しそうになるだろうが……。

 

「あの、俺らは全然そんなんじゃ……っ」

 

 足に重みを感じる。

 目を向けると、高坂に足を踏まれていた。

 

「あっ、ごめん!つい……」

 

 つい近づいて足踏んじゃうのかよ、お前は。器用すぎるだろ。

 すると、綺羅さんがこちらを指差した。

 

「あーっ!それ、この前漫画で見たやつに似てるシチュエーションじゃない!私、知ってるわよ!」

「は、はあ……」

 

 いや、んな事言われましても……何つーか……誰かもらってやってくれよぉ……。

 

「それで……高坂に何か用があったんじゃないんですか?」

 

 このままでは埒が明かないので話を強引に進めると、綺羅さんはこちらに背を向け、深呼吸をし、体を伸ばし、両頬を叩き、ゆっくりと振り返り、最初見せた優雅な笑みを再び向けてきた。

 

「そうね。高坂さん……今、μ'sはラブライブ予選に使う会場を探しているんでしょう?」

「あ、はいっ」

 

 突然のテンションの変化に戸惑いながら返事する高坂に、綺羅さんははっきり告げる。

 

「ウチの……UTXの屋上を使わない?」

「え?……い、いいんですか!?あっ、でも皆に聞かなきゃ……」

「返事は後日でいいわ。本当は明日直接訪ねようと思っていたから」

「そうなんですか!?あのっ、何で私達に……」

「ふふっ、そうねえ……」

 

 高坂の質問に、綺羅さんは笑みを深めた。そこにいたのは間違いなく、スクールアイドル・綺羅ツバサだった。

 

「曲を聴いている内にμ'sに興味が湧いたから、かしらね」

「……ありがとうございます!!」

 

 高坂が嬉しそうに頭を下げる。何故かその様子を見て、こっちまで笑みが零れそうになり、慌てて口元を隠した。

 綺羅さんは高坂に対して大きく頷いた後、何故か俺に向き直った。

 

「あなた……名前は?」

「……比企谷、八幡です」

「そう、比企谷君ね。少し聞きたい事があるのだけど……」

「は、はい」

 

 俺に……聞きたい事?

 真剣な眼差しに気圧されそうになるが、何とか足が震えないよう気をつけ、背筋を伸ばす。

 彼女は僅かな逡巡を見せてから、さっきより重たそうに口を開いた。

 

「私……そんなに近寄りがたい?」

「……………………はい」

 

 この後、高坂と二人で彼女を宥めるのに、めっちゃ時間がかかった。

 

 

 



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57話

 ようやく解放された俺達は、やや疲れ気味に駅までの道を歩いた。まさかあんなに質問攻めにされるとは思わなかった……。

 

「ツバサさんって……結構……お茶目、なんだね」

 

 高坂が珍しく慎重に言葉を選びながら、苦笑いする。お茶目……まあいい。それ以上言うまい。ああなったのは、正直すぎた俺にも原因はある。

 

「まあ、よかったんじゃねえの?お前、結構仲良く話してたし」

「そう、かな?八幡君のほうがずっとお喋りしてた気がするけど」

「いや、あれをお喋りとは言わんだろ」

 

 威圧感の消し方とか聞かれても、威圧感どころか存在感のない俺にはちっともわからない。性格良ければいいとか、そんなの嘘だと思いませんか?

 まあ、とにかく……本当に何だったんだ、あのテンション……。

 そうこうしている内に駅に到着し、どちらからともなく立ち止まる。

 それと同時に、まだ夏の名残りを感じさせる陽射しの強さに、改めて気づいた。

 

「……暑いね」

「ああ。今さらだが……てか、さっきの……」

「だ、大丈夫!また今度でいいから!」

「そっか」

「うんっ、じゃあまたね!今日はありがと!」

 

 ひらひら手を振ると、高坂は身を翻し、早歩きで来た道を戻り始めた。

 俺はその背中に……声をかけた。

 

「じゃあな…………穂乃果」

「っ!」

 

 聞こえなくても仕方ないくらいの声だった。

 しかし、彼女は立ち止まり、こちらを振り返った。

 その表情は、信じられないものを見ているようだった。いや、驚きすぎだろ。さっき言いかけてただろうが。

 

「えっと、今……」

「じゃあな、もう行くわ」

 

 何だか気恥ずかしくなり、こっそり逃げるように改札に向かうと、高坂が駆け寄ってきて、俺の真正面に立った。その頬はやけに紅く、目は少し泳いでいる。

 

「……な、何だ?」

「…………い」

「?」

「もう一回……言ってくれないかな?その……聞こえなかったから」

「…………」

 

 まあ、実際声が小さかったし、嘘ではないのかもしれない。

 俺は顔が徐々に火照っていくのを感じながら、もう一度口を開く。

 

「……じゃあな」

「えっ、そこだけ!?違うよっ!その後だよ~!」

「あー、記憶にございません」

「今時そんな言い訳誰も使わないよ!」

「いや、めっちゃ使うぞ。俺とか」

「八幡君のイジワルっ!もう知らないっ」

 

 高坂はそっぽを向きながら、ちらちらこっちを見てくる。

 ……今、一瞬だけ可愛いとか思いかけた気がしないでもない……。

 俺はかぶりを振ってから、彼女の横顔に声をかけた。

 

「……ほ、穂乃果」

 

 彼女は目を見開き、それからゆっくりと頷いた。

 

「……はいっ……えへへ」

 

 ただ呼び方が変わっただけなのに、彼女はにへらと笑い、今度は距離を詰めてくる。いつもの柑橘系の香りと共に、やわらかな笑顔に心を溶かされた気分になった。

 

「じゃあ、念のためにもう一回♪」

「いや、言わないから。大体念のためって何だよ……」

「念のためは念のためだよっ、さっ、今の感覚を忘れないうちに!ねっ?」

「だから言わないから……」

「え~~!?八幡君のケチ!」

 

 それはほんの些細な事だと思う。

 大抵の奴は、意識せずに自然とできている事だと思う。

 ただ、それでも自分の中では大きな一歩には違いなくて。

 俺と高さ……穂乃果の間では、確かに何かが変わり始めていた。

 そして、それを後押しするように、微かに秋めいてきた夕暮れの風が、二人を包み込んだ。



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58話

「♪~~」

「ど、どうしたの?お姉ちゃん……ずっと歌ってるけど」

「べっつに~♪」

「あらあら、なんか青春って感じね」

「♪~~」

「あれが、青春なの?」

「まあいつかアンタにもわかるわよ」

「う~ん、そうなのかなぁ?」

「穂乃果、かぁ……穂乃果、だって……」

「なんか自分の名前を連呼してるんだけど……本当に大丈夫?」

「…………」

 

 *******

 

「もしもし、八幡君どうしたの?そっちからかけてくるのって珍しいね」

「ああ……まあ、たまにはと思ったんだが、今大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよっ」

「そっか……あー……明日、応援してる。それじゃ」

「ちょ、ちょっと待って!なんかはやいよ!あとあっさりしすぎだよ!」

「いや、こういうのあまり得意じゃないんだが……変に緊張するし」

「えっと……」

「?」

「もう名前で呼んでくれないのかなぁって……」

「…………」

「ご、ごめん!せっかく応援してくれてるのにワガママだったよね!あはは……」

「いや……穂乃果が……その……それで、元気が出るっていうなら……」

「っ!……い、いきなり呼ばないでよ。びっくりするじゃん……」

「どっちなんだよ」

「ごめんごめん。つい……」

「そういや、結局UTXでやることになったらしいな」

「うんっ!あの後皆に話したら、すぐに決まったよ」

「あれからあの人には会ったのか?」

「ツバサさん?会ったよ。皆でUTXにお邪魔したんだぁ。すっごく広かったよ!」

「そうか。そりゃよかったな」

「ちなみに優木あんじゅさんにも会ったよ」

「はっ!?い、いやいや、別に?きょ、興味ねえし?とりあえず元気だったのか?」

「めっちゃ気にしてるじゃん!八幡君のこと、ちょっと気にしてたよ」

「おっふ」

「目の前にいないのに「おっふ」って言っちゃった!」

「ただの自然現象だから気にしなくていい」

「もうっ、μ'sのファンクラブ会員なのに……」

「いつ入ったんだよ……まあ、応援はしてるけど」

「ちなみに会員番号は8番だよ八幡君だし」

「そ、そうか……てか一桁かよ」

「何なら80000番でもいいよ」

「いや、いい。その前に会員が八万人もいないだろうが。てか、話変わってないか?」

「あっ、そうだった!」

「まあ、とにかく……応援してる」

「ありがと。頑張るから見ててね」

「……ああ。見てるから……いい結果が出るといいな」

「うんっ!……やっぱり優しい」

「どした?」

「ふふっ、じゃあもう寝るね。しっかり睡眠とらなくちゃ」

「……寝坊すんなよ」

「しないよ!た、多分……」

「…………」

「だ、大丈夫だよ!それじゃあね!」

「ああ。じゃあな」

 

 

 



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59話

 ライブ当日。会場であるUTX学園屋上は、ざわざわと賑わっていて、これから始まるライブへの期待が滲み出ていた。

 校舎に設置されている巨大モニターでも、二組のライブを生中継で放送するということもあり、モニター前には意外と人混みができていて、中々会場に入れなかった。

 座席に腰を下ろし、ほっと一息つくと、辺りをキョロキョロ見ていた戸塚が呟く。

 

「す、すごいね、八幡……この前よりも人が多いよ」

「あ、ああ……」

 

 隣に座っている小町も、同じように辺りを見回して、「はえー」とか「ほえー」とか感心している。

 

「うわぁ……こんなに人気なんだね。お兄ちゃん、色々と大変だけど頑張ってね」

「何がだよ……」

「けーちゃん、だいじょうぶ?」

「うんっ、へーきだよ!はやくみゅーずみたい!」

「お兄さん……な、なんか女子多くないですか?」

「落ち着け、お前既に顔赤いぞ」

 

 今回は、川崎姉弟も一緒にライブを観ることになった。大志ははやくも緊張気味なのが、思春期発揮しすぎてヤバい。 

 

「なあ、八幡……我の心配は?」

「あー、お疲れ」

 

 忘れていたが、ちゃっかり材木座も来ている。どっちでもいいけど……なんて思いながらも、女子比率が高すぎるので、ぶっちゃけ少し心強い。おい、マジか。材木座が心強いとか……。

 

「あっ、比企谷さんだ!」

「っ?」

 

 突然大きな声で呼ばれ、肩をびくつかせながら振り向くと、そこにいたのは高坂妹と高坂母だった。さらに……

 

「ほら、お父さん。この子がこの前ウチに来てくれた比企谷君よ」

「…………」

「ど、どうも……」

 

 腹の底から湧き上がる緊張感。な、何だ、この感じ……とにかく、怖い……目つきがやばいというか、何というか……人の事は言えないけど。

 

「ほら、お父さん。そんな目で見ないの。まったく……ごめんねえ、この人ったら、これまで浮いた話の一つもなかった娘に、初めての彼氏ができたんじゃないかと気が気じゃなくて……」

「は、はあ……」

 

 殺意の波動をビシビシ感じるのですが……。

 すると、その背後からも刺すような視線を感じた。

 目をやると、見覚えのある女子がそこにいた。確かあれは……絢瀬さんの妹だったような……。

 

「亜里沙、何でそんなに隠れてるの?」

「えっ!あ、その……えっと……」

「…………」

 

 高坂一家の陰から出てきた絢瀬妹と目が合う。

 すると、彼女は顔を真っ赤にして、ぴょんっと跳ね上がった。

 

「おっふ」

「亜里沙!?な、何そのリアクション!?」

「…………」

 

 どっかで見たことあるリアクションなんだが……まあいい。誰にでもそういう日はある。

 何だかんだ賑やかに過ごしている内に、開演まで刻一刻と時間は進んでいた。

 

 

 



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60話

 ライブはA-RISEのステージから始まった。

 μ'sの時もそうだったが、映像では何度も観たことがあっても、生で観ると迫力が全然違う。

 素人目に見ても洗練されているのがわかるパフォーマンスには、あっという間に会場全体が引き込まれた。

 

「すごい……」

 

 誰の口から漏れた言葉かはわからないが、それは会場全体の感想を代弁しているかのようだった。

 そしてパフォーマンスが終わった瞬間、会場内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

 

「「「ありがとうございました!!」」」

 

 深々と頭を下げる3人に、音ノ木坂の制服を着た女子生徒も惜しみない拍手を送っていた。

 

「八幡、凄かったね!」

「……ああ」

 

 俺はステージを去っていくA-RISEの背中を見ながら、次ステージに上がるμ'sの……彼女の事を考えていた。

 

 *******

 

「よ~し、せっかくあんなすごい人達と一緒のステージに立てるんだから、全力を出し切ろう!!1!」

「2!」

「3!」

「4!」

「5!」

「6!」

「7!」

「8!」

「9!」

「μ's!ミュージック……」

『スタート!!!』

 

 *******

 

 μ'sのメンバーがステージに立つと、こちらもA-RISEに負けないくらいの歓声が響いた。隣にいる小町も「穂乃果さ~ん!!」と力いっぱい叫んでいるし、高坂父に至っては、ペンライトを指の間に挟んでいて、今にもオタ芸を披露しそうだ。

 俺も拍手をしながらステージに集中すると、穂乃果と目が合った。

 特別ステージに近いわけではないし、普段なら気のせいと思うくらいだが、不思議な確信があった。

 彼女は……純粋な瞳で、力強く微笑んでいた。

 その真っ直ぐさに、胸が高鳴るのを感じる。

 やがて、曲が始まった。

 

 *******

 

 何故だかわからないが、寒くもないのに鳥肌がたっていた。

 μ'sのライブはこれまでに何度か生で観たことがある。

 その中でも、今回のライブはこれまでで最高だったと断言できた。

 専門的なことはわかりはしないが、俺はこのライブで、心が奮えるという経験に、人生で初めて出会った気がする。

 それほどまでに心を奪われていた。そして……

 

『ありがとうございました!!!』

 

 その言葉と共に、会場内がA-RISEに負けないくらいの拍手と歓声で沸き上がる。

 あまりの熱量にポカンとしながらステージを見ていると、さっきと同じように穂乃果と目が合う。

 つられるようにじっと目を凝らして見てみると、彼女の唇が動いているように見えた。

 

『ありがとう』

 

 こんな偶然に意味を付け足すのは馬鹿げていると思いながらも、俺は彼女と同じはずの言葉を口にした。

 

『ありがとう』

 

 そのやり取りに呼応するかのように、最高のメロディーの余韻が、胸の中にほんのりと温かな灯を点した。



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61話

 ライブ終了後、会場が混雑していたのと、場所がUTXということもあり、俺達はそのまま帰路に着いた。

 そして、帰宅してから色々やることを済ませ、もう寝ようかと思った頃に携帯が震え出した。

 相手が誰なのか、何となく予想をつけながら、そのまま画面を確かめもせずに携帯を耳に押し当てる。

 

「……はい」

「あっ、もしもし八幡君!こんばんは~!今大丈夫?」

「お、おう……てか、テンション高いな……」

「うんっ!すっごくテンション上がってるから、まだちっとも眠くならないんだぁ」

「そっか。まあ、今日はお疲れさん」

「えへへ、ありがと♪」

「結果はいつわかるんだ?」

「明後日。皆で放課後に部室で確認することになってるよ」

「すぐじゃねえか。その割にはあんま緊張してないんだな」

「うん、今はあんまり。思ったよりずっといいライブにできたからかな。でも、発表の日になると緊張しちゃうかも……」

「……そっか」

「ねえ、八幡君」

「?」

「……その……どう、だった?」

「何が?」

「今日のライブに決まってるじゃんっ!わかってて言ってる?」

「ああ、悪い。…………まあ、その……今までで一番よかった」

「……そっかぁ……じゃあ、よかった。てっきり、あんじゅさんばかり見てて、私達の時見てなかったらどうしようって思ったよ~」

「いや、さすがにそこまで失礼な真似はしない。それに……」

「それに?」

「本当によかった……何つーか、感動した」

「っ!……そ、そう?えと……八幡君、感動したの?」

「ああ……お前が2番の出だしで歌詞を間違えたとこ以外はな」

「も、もうっ!そんなところにはすぐ気づくんだから!八幡君のイジワル!」

 

 しばらく他愛のないやりとりをしていると、いつの間にか穂乃果の寝息が聞こえてきたので、「おやすみ」とだけ呟いて、通話を終えた。

 ちなみに、明後日にμ'sの予選突破を知った時は、さらにヤバいテンションだったとだけ付け加えておく。

 

 *******

 

 数日後、μ'sが予選を突破したので、穂乃果と約束していたメロンパンの店に行くことになった。まあ、財布の中身は心許ないが、メロンパンを奢るくらいなら何とかなるだろう。

 秋葉原駅を出ると、彼女の姿はすぐに見つかったのだが……

 

「あっ、来た!八幡く~ん!!」

「っ!?」

 

 ボッチとしてこれまでにメンタルを鍛えてきた俺が、普通に挨拶するよりも、驚きが先に出てしまった。 

 ……そう、いつもと雰囲気の違う服装の穂乃果が、こちらに向かって手を振っていた……綺羅ツバサさんと一緒に。



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62話

 さて、どうしたものか。

 予想外の人物がいて、こちらに手を振っている。

 これが中学時代なら両手に花と小躍りして喜んだかもしれない。何なら、俺はどちらを選べばいいんだ、とか身の程知らずの勘違いをするまである。

 しかし、今は違う。

 あの光景にはトラブルの匂いしかしない。

 てか何だよ、二人してめっちゃいい笑顔して……。

 周りから冷たい視線を向けられるのは俺なので、自重して欲しいんですが。

 

「ア、アイツ……あんな美少女二人から……」

「爆発しろ、爆発しろ、爆発しろ」

「何なんだよ、ボッチのくせに……仲間じゃなかったのかよ!」

 

 背筋に冷たいものを感じる……ちょっと待て。だから何でお前は俺がボッチだって知ってんだよ。しかも仲間と思ってたのかよ。しかもボッチ仲間とか……ボッチなのか友達いるのか……これもうわかんねえな……。

 溜め息を吐くと、いつの間にか穂乃果が目の前に立っていた。

 

「八幡君、どうかしたの?」

「いや、別に。それよか、何で綺羅さんが?」

 

 素直な疑問をぶつけると、穂乃果が答える前に綺羅さんが口を開いた。

 

「あら、せっかくのデートにお邪魔だったかしら」

「…………」

「えぇっ!?」

 

 からかうような声音に、穂乃果があたふたと慌て始める。

 

「そ、そんな、デ、デ、デートなんて……ちが「いや、全然そういうのじゃなくて」むむっ!」

 

 何故か足を踏まれる。いや、デートじゃないのは事実でろうが。

 

「あらあら、相変わらず仲は良いようね……いきなり見せつけてくれるわね」

 

 おい。この人、心の声を隠しきれてないんだが。

 すると、俺の視線に気づいたのか、綺羅さんは優雅な笑みを見せた。色々と手遅れだが。

 

「まあそんなに警戒しなくてもいいわ。さっきたまたま高坂さんに会って話してただけだから。三人一緒にメロンパンを食べたら大人しく退散するわ」

「そ、そうですか……」

 

 むしろ、そこまではついてくるのかよ。マジか。

 本当に何が目的なんだか……まさか……。

 

『あらあら。比企谷君ったら、高校二年にもなって女の子のエスコートすらできないなんて……お可愛いこと』

 

 とか馬鹿にする目的が……ってんなわけねえか。そもそも彼女は俺には1ミリの興味もないだろう。

 とにかく、よくわからないがあまり聞かないほうがいいだろう。この人はこの人で色々拗らせて純情な感情が空回りしてるっぽいし。

 

「よしっ、じゃあ行こっか!」

 

 穂乃果の言葉を合図に、俺達はゆっくり歩き出した。

 頬を撫でる風は少し秋めいていて、それがほんの少しだけ物哀しく感じられた。

 

 *******

 

 よしっ、これで『デート』がどんなものか研究できるわ!待っててね、あんじゅ!英玲奈!

 

 



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63話

 目的地のメロンパン専門店は、歩いて5分もかからなかった。

 白を基調とした清潔感のある外観からは、どこかリア充オーラが漂っていて、一人ならあまり近づくことはないだろう。テラス席とかあるし……いや、今はそれより……

 

「あの……ツバサさん?」

「何?高坂さん」

「えっと……何で離れて歩くんですか?」

「ああ、気にしないで。私いつもこんな感じなのよ」

「そ、そうですか……」

「…………」

 

 どんな感じなんだよ。

 溜め息を吐きながらドアを開けると、店内はそこまで混んでいなかったので、ひとまずほっとした。

 そのまま案内されたテーブルに、二人と向かい合う形で腰を下ろすと、通路を挟んで右側のテーブルからふわりといい匂いが漂ってきた。

 

「シャナ……食べ過ぎじゃない?」

「悠二、うるさい」

 

 ……何だ、あれ。メロンパンの山ができてるんだけど……大食いチャレンジでもしてるのか?

 

「う~ん……今日もパンが美味いっ!!」

「やっぱり美味しいわね」

「……もう来てた……だと……」

 

 それならそうと教えてくれてもいいんじゃないんですかねえ……まあ、いいけど。

 メロンパンを手に取り、一口齧ると、口の中にカリカリとモフモフの食感が混ざり合い、上品な甘味が広がっていく。

 ……これは確かに沢山食べたくなる気持ちはわかる。しないけど。

 

「じぃ~~~……」

「ツバサさん?」

「…………」

 

 綺羅さんが、自分で発する効果音そのままにじぃ~っとこちらを見ている。

 彼女のアレな様子に穂乃果が首を傾げると、何故か彼女も首を傾げた。

 

「おかしいわね……」

「何がですか?」

「デートの時は必ず一回は「あ~ん」って食べさせるって英玲奈が言ってたのだけど……」

「ええっ!?」

「…………」

 

 だからデートじゃないとあれほど……

 

「てか、それどこ情報なんですか?多分間違ってると思うんですが……」

「あら、疑ってるの?心配はいらないわよ。英玲奈の部屋には、甘々な少女漫画が三千冊以上あるんだから。だからあの子はあらゆるシチュエーションに最適な行動をいつでもどこでも引き出せるのよ」

「す、すごい……」

 

 すごい……のだろうか?どこのインデックスさんだよ。つーか、統堂さんの部屋って……

 

「なんか……意外ですね」

「ええ。初めて部屋に入った時は、私も驚いたわ」

「あんじゅさんの部屋はどんな感じなんですか?」

 

 穂乃果の言葉に、綺羅さんは考える素振りを見せた。

 そして、苦笑いしながら口を開く。

 

「それは……企業秘密よ」

「「…………」」

 

 予想外の返事に、穂乃果がどうしたものかと目で問いかけてくる。

 それに対し、俺はふるふると首を振っておいた。聞かれたくないことをわざわざ聞く必要はない。

 

「知らないほうがいいこともあるわよね、それに言ったら怒られそうだし」

「……どうかしたんですか?」

「いえ、何でもないわ」

「…………」

 

 その言い方からして何かはあるんだろうが、遠回しに聞くなと言われている気がした。

 そして、彼女は話題を変えるようにニコっと微笑む。

 

「それより、「あ~ん」しないの?今日はそれを見に来たといっても過言じゃないのだけど」

「いや、だからデートじゃ……「はいっ♪」っ、ん……」

 

 いきなり口に何かを突っ込まれ、目を見開く。

 それと同時に、唇にひんやりとした何かが触れた。

 目を見開くと、それが彼女の指だと気づいた。

 口に突っ込まれたのは間違いなくメロンパンだろう。

 

「…………」

 

 咀嚼しながら抗議の視線を向けると、彼女は頬を紅くして、そっぽを向いた。

 

「だ、だって仕方ないじゃん!ツバサさんが見たいって言うんだもん!この前もお世話になってるし……」

「…………」

 

 なら仕方ない……のだろうか。俺はμ'sのメンバーではないが、一応ファンクラブ会員みたいだし……。

 自分のより甘く感じたメロンパンを飲み込み、顔が熱くなったのを誤魔化すようにコーヒーに口を付けると、穂乃果は指でテーブルをトントン叩き、こちらに何やら言いたそうにしている。

 

「……どした?」

「え~と……八幡君のも食べてみたいなぁって」

「……いや、同じのだろ」

「ち、違うかもしれないよ?それに、さっき私のあげたから、これで……おあいこでしょ?」

「無理矢理口に突っ込まれただけなんだが……」

「……細かいことはいいの。八幡君の、ちょうだい?」

 

 彼女は早くしろと言わんばかりに、目を閉じ、控えめに口を開けた。

 もう観念するしかないと腹をくくった俺は、メロンパンをちぎり、彼女の口にそっと押し込む。

 微かな吐息が指を撫で、それに驚いた拍子に彼女の唇に指が触れた。

 その柔らかさに息が止まるような気分になりながら、そっと指を離し、またコーヒーに口を付け、今度は飲み干してしまう。

 盗み見るように穂乃果に視線を向けると、口元を両手で押さえ、目を伏せていた。

 

「……こっちの方が甘いかも」

「いや、同じ味だろ」

「……そうかなあ」

「そうだろ……多分」

「自分から薦めておいてなんだけど、そろそろいいかしら?」

「「っ!」」

 

 慌てて目を向けると綺羅さんは、窓の外を眺め、ぶつぶつと呪詛のような呟きを漏らしていた。

 

「私、忘れ去られてるんですけど……こ、これが砂糖吐くって感覚なのね……はぁ……」

「「…………」」

 

 この後、綺羅さんを宥めるのにしばらく時間がかかった。

 そして、右手の人差し指には、彼女の唇の感触がひりつくように残っていた。

 



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64話

 消化不良を起こしたらしい綺羅さんと別れ、二人だけで秋葉原の街をとぼとぼ歩く。さっきのアレやコレもあり、口数こそ少ないが、居心地の悪さはない。むしろ、この歩幅で歩くのにも最近慣れてきた自分がいて、不思議な居心地のよさがある。

 

「そろそろ帰るか」

「ええっ!?まだメロンパン食べただけだよ~、しかも考えてることとセリフが合ってないし……」

「いや、何をすりゃいいのか思いつかなくて。別に面倒くさいとかじゃない」

「口にするのが既に怪しいよ!どうせだから、その辺り見ていかない?……あっ、べ、別に八幡君と一緒にいたいとかじゃないんだからねっ!」

「……どこのテンプレツンデレだよ」

 

 テンプレすぎて一周回って感心して、ドキッとしてしまうじゃねえか……やはりシンプルイズザベスト。

 

「ツンデレとかじゃなくて、休日はいつも引きこもってるって小町ちゃんも心配してたよ?」

「ああ……色々あんだよ」

 

 俺としては、お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ!とばかりに、休日はだらだらして小町の手料理を食べるだけにしておきたいのだが……。

 

「全然色々じゃないじゃん!」

「だから地の文を読むなっての……」

「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってよっ。こっちこっち!」

「ちょっ……いきなり引っ張るなっての……」

 

 まあ、何だかんだこいつと過ごすうちに、少し自分から変わるのもいいんじゃないかと思えてきた。

 ……実際に変わってからじゃないと打ち明ける気にはならないが。

 

 *******

 

 穂乃果に強引に連れ込まれたのはゲームセンターだった。久々の騒がしい音に大して驚きもないのは、μ'sのライブのおかげだろうか。

 彼女は最初から狙いをつけていたのか、真っ直ぐ目的の筐体へと進んでいく。そこに待ち受けていたのは…… 

 

「よしっ、ダンス勝負だよ!準備はいい?」

「頑張れー」

「八幡君もやるの!ほら、早く!」

 

 まさかのダンスゲームである。

 この手のゲームは人目を憚りたい俺からしたら、絶対にやりたくないジャンルのゲームだが、既に穂乃果が俺の分もお金をいれているので、逃げることもできない。

 ……どうやらやるしかなさそうだ。とはいえ……

 

「っと……あれ?」

 

 全然タイミングが合わない。

 リズム感以前に慣れてない人に対しては、かなり優しくないゲームのようだ。

 そのままあっという間にゲームオーバーになってしまう。

 申し訳なさと恨みがましい気持ちで穂乃果を見ると、彼女はまだテンポよくステップを刻んでいた。

 

「ほっ……ほっ……」

 

 その横顔は生き生きとしていて、本当に楽しそうだ……けれど、ミニスカートでぴょんぴょん跳ねるのはやめてくれませんかねえ……。

 俺は周りから見られないよう、さりげなく彼女の後ろに移動し、首から下はなるべく見ないようにした……なるべくだよ?

 やがて曲が終わり、穂乃果はこちらにVサインをしてくる。

 

「へっへーん、どう?すごいでしょ♪」

「……ああ」

 

 無意識のうちに頷いてしまう。

 一番ずるいのは、自分の得意分野でゲーム対決をするちゃっかりさより、その無邪気な笑顔だと思った。

 

 

 



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65話

「あ~、すっきりした♪」

「そりゃあよかったな」

「何かやりたいゲームある?メロンパンのお礼に私があと一回出すよ!」

「やたらドヤ顔してんな。つってもやりたいゲーム……」

 

 いきなり言われてもパッと思いつかない。約束を果たしただけなのに、何か恩を返そうとされるのも違う気がするし、さすがに申し訳ない。

 

「なあ、俺は別に……」

「八幡君、か、隠れて!」

「っ!?」

 

 穂乃果が再び俺の腕を引き、近くにあったプリクラのカーテンの内側へと連れ込む。肘の辺りに柔らかな感触が当たり、急に緊張に似たおかしな感覚が、頭の中を埋め尽くした。

 

「お、お前、いきなり……」

「しっ!静かにして……」

 

 何がどうしたのかと考えながらカーテンの隙間を覗くと、そこには最近見慣れた三人組がいた。

 

「……今、何か感じたわ」

「エリチ、そんなスピリチュアルな特技あったん?」

「ま~た比企谷君関連じゃないの?彼が絡むと急におかしくなるみたいだし」

「おかしくないチカ」

「その語尾が既におかしいのよ!!まったく……いい?私達はスクールアイドルなのよ?恋愛にかまけてるヒマなんて一日たりとも……って聞きなさいよ!」

「エリチ、ゲームセンターの中で瞑想したらあかんよ」

 

 まさかの三年生組。別に見つかったからどうというわけでもないが、東條さんのキャラや、矢澤さんの真面目さや、絢瀬さんの謎テンションを考えると、大人しく隠れるのが賢明な気がした。

 

「まさか三人がここに来るなんて……あ」

 

 急に何かに気づいたような反応を見せた穂乃果が、お金を機械に入れ、作動させる。

 

「……何やってるんだ?」

「だって入ったからにはちゃんと写真撮らないと。怪しまれるじゃん!ほら……」

「?」

 

 もう一度カーテンの隙間を覗いてみると、μ's三年生組はいなくなっていて、今度は別の三人組がこちらに視線を向けていた。

 

「ねえ、あそこから怪しい気配がするわ」

「多分、中でいかがわしいことをしてるのよ!」

「マジひくわー」

 

 いや、おかしいだろ。

 何を疑われてるんだよ。何をひかれてるんだよ。

 まあ、とにかく一応撮っておいたほうがよさそうだ。色々釈然としないが……。

 穂乃果のほうは、いつの間にかフレーム選びまで終えていた。夜っぽい雰囲気と流れ星っぽい模様が特徴的な落ち着いたフレームである。

 

「……意外だな」

「何が?」

「いや、お前はこう……無駄に明るい感じが好きだと思ったんだが……」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、何で……」

「……八幡君と撮るならこっちの方がいいと思ったの」

「……そっか」

 

 その横顔からは彼女の思考は読めなかったが、つい何かを確認するようにじっと見てしまった。

 

「さっ、撮るよ!もうちょっとこっち来て!」

「あ、ああ……」

 

 一歩だけ彼女に近寄ると、いつもの柑橘系の香りに鼻腔をくすぐられる。何故この香りはこんなにも心をかき乱すのか。

 すると、カチリと音がする。

 

「えっ?もう撮ったの?」

「う、うん……ちょっと早かったかも」

「……撮り直すか?」

「ん~、八幡君がよければ、このままでいいかな?」

「……別にいいけど」

 

 *******

 

 写真を撮り終え、辺りを警戒しながら、カーテンの外へ出ると、穂乃果がクスッと吹き出した。

 

「あははっ、八幡君、変な顔してる~」

「は?いや、そっちも大概俯いてるだろうが……」

 

 プリントされた写真に目を通すと、俺も穂乃果も表情は強張っていた。目線もどこを見てるのかとツッコミたくなるくらいだ。だが……

 

「ふふっ……」

 

 穂乃果はやわらかく微笑んでいた。

 その微笑みと眼差しには普段見られない大人びた雰囲気があり、しばらく魅入ってしまっていた。

 

 

 

 



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66話

 陽も傾いていたので、今日はもう解散することにした。

 この時間帯になると風がだいぶ肌寒くなるあたり、もう季節はすっかり秋なんだろう。もうしばらくしたら修学旅行があるし、確かラブライブの地区大会決勝もそのぐらいの時期だったはずだ。

 ……観に行けるといいんだが。

 なんて柄にもないことを考えていると、穂乃果がぴょこんと俺の真正面に立った。

 

「八幡君、今日は付き合ってくれてありがとう」

「まあ、そもそも約束してたしな。別に礼を言われる事じゃない」

「でも、ありがとう……だよ」

「……そっか」

 

 自然と笑みが零れそうになり、視線を逸らす。再び風が頬を撫でてくれるのが、少しありがたかった。

 すると、穂乃果はこちらに一歩踏み込んできた。

 

「八幡君」

「……どうかしたか?」

 

 彼女と目を合わせると、その瞳にはさっきとは違う何かを秘めている気がした。

 そして、躊躇うように数秒目を伏せてから、また目を合わせ、そっと言葉を紡ぐ。

 

「私ね……変わりたいと思ってる……うーん、違うかな、変えたいと思ってる、かな?あはは、自分でも何て言えばいいかよくわからないんだけどね」

「……そうか」

 

 変わりたい……変えたい……。

 彼女が抱える思いの形は、俺とどこか似ていた。

 俺は黙って彼女の言葉の続きを待った。

 

「だから……見ててくれる?」

「……別に構わん。どうせ暇だし……それに……」

「それに?」

「……いや、何でもない」

「え~?何なの、教えてよ~!」

「あっ、電車来たわ」

「ここからじゃ絶対に間に合わないよね!?ごまかし方がテキトーすぎるよ!」

「まあ、あれだ……こっちにも色々あんだよ」

「ふ~ん、まあいいけど。八幡君がイジワルなのは知ってるし」

「……そりゃ話が早くて助かる。じゃあそろそろ行くわ」

「うん、またね!」

 

 俺は穂乃果に背を向けた。

 距離が離れていく間、背中に視線を感じたのはきっと気のせいではないのだろう。

 改札を通過してから何となく振り返ると、彼女はまだこっちを見ていた。

 俺が振り返ったのが予想外だったのか、肩を跳ねさせてから、また手をブンブン振ってくる。

 それに対し俺は小さく手を振り、階段を上がった。

 

 *******

 

 それから数日後……

 

「八幡く~ん……」

「どした?」

「つまんないよぉ~……」

「面白味のない人間で悪かったな」

「ち、違うよぉ!そういう意味じゃなくて!」

「ああ……まあ、確かに修学旅行先で台風ってのは運が悪かったな」

「ホントだよ~……はぁ……あっ、そういえば結衣ちゃんが言ってたよ。八幡君が失格になったって……」

「まだ人間失格の烙印を押されるほどじゃないと思うんだが……」

「だから違うよっ。体育祭で反則したんでしょ?」

「まあな」

「褒めてないよー、でも見たかったなぁ。八幡君の頑張ってるところ」

「いや、別に頑張っては……」

「ふふっ、八幡君はそういうの見せたがらないもんね」

「……そ、それより二年生不在のライブのほうは上手くいったのか?」

「うんっ、大成功だよ!凛ちゃんもドレス似合ってたし。あっ、そうそう……八幡君、今度私千葉に行くね」

「イベントでもあるのか?」

「うん。その……この前のイベントがきっかけで、μ'sの皆がドレスのモデルをやることになっちゃって……それで、撮影場所が千葉なんだよ」

「そっか。まあ、頑張れ」

「うん。だから八幡君も来てくれないかな?」

「……いや、ライブじゃないんだろ?俺が行っても……」

「それが……えっとね、実は…………」

「…………は?」



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67話

「悪いな……前日にいきなり頼んで……」

「ううん、全然!八幡が僕に頼み事してくれるなんて嬉しいよ!」

 

 穂乃果から誘われた……というか頼まれた用事に、俺は戸塚を誘っていくことにした。

 理由は、穂乃果から誰かもう一人男子を連れてきて欲しいと頼まれたのと、こういう場所に連れていける男子の知り合いが戸塚しかいなかったからである。さすがにコートを着た変質者を連れていくわけにはいかない。

 前日の電話にも関わらず、戸塚は二つ返事で了承してくれた。この様子だと、何ならウェディングドレスも着てくれるまである。

 

「ところで八幡、今日って何をやるのかな?」

「……俺もよくわからん。とにかく来てくれって言われて、あとは誤魔化されたからな」

「そうなんだ。……ふふっ」

「どした?」

 

 いきなり可愛らしく微笑まれ、ついドキッとしてしまう。

 戸塚は何故か嬉しそうに口を開いた。

 

「あ、ごめん。なんか八幡、変わったなって……」

「……かもな」

「否定しないんだね」

「いや、別に否定することでもない」

「そっか。あ、あれ……」

 

 撮影が行われる式場が見えてくると、先に到着していた穂乃果がこちらにブンブン手を振っていた。

 

「お~い、こっちこっち~!」

 

 いや、そんなに騒がなくてもわかるっての。

 見たところ彼女は制服姿だが、これから一体何が始まるのか……。

 ある程度距離が近くなると、穂乃果は自分から駆け寄ってきた。 

 

「おはよう、八幡君、戸塚君。今日は来てくれてありがと」

「ううん、全然平気だよ。むしろ僕がいきなり来てよかったの?」

「うんっ、男の子がもう一人欲しいって言ってたから」

「そういや、今日って何やるのかそろそろ教えて欲しいんだが……」

「あ、そうだね……じゃあとりあえず中に入って」

「「?」」

 

 何故か頬を染めた穂乃果に、俺達は首を傾げることしかできなかった。

 

 *******

 

「…………マジか」

「とってもお似合いですよ~♪」

 

 スタッフのお世辞か本気かもわからない言葉にうなずきながら、姿見に映る自分の姿をもう一度確認する。

 そこにいるのは、目の腐った新郎っぽい何か……ていうか俺だった。

 ……違和感しかねえ。

 髪もすっかりセットされ、ビシッとタキシードで決めているだけに、どんよりした目つきが余計に浮いている。

 とりあえず、今から何をするのかは理解した。

 どうやら、ウェディングドレスのモデルをするにあたり、一応新郎役がいたほうがいいというわけで、俺と戸塚がその大役を務める羽目になったわけだが……。

 鏡の中の自分とにらめっこしていると、コンコンとドアをノックされた。

 返事をすると、先に着替え終えた戸塚が可愛らしくひょっこり顔を出した。

 

「わあ、八幡かっこいいね!似合ってるよ!」

「……そ、そうか?」

 

 あ、もう今日はこれで満足だわー。帰っていい?いいわけないか。

 夢見心地になりながら戸塚の格好を見てみると、何故かウェディングドレスじゃなく、タキシードに着替えていた。何度目をこすっても、当たり前だが現実は変わらない。あれ?おかしいな……

 

「…………」

「は、八幡?」

「……いや、何でも……ない……」

「な、何で残念そうなの、八幡!?」



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68話

 戸塚とぽつぽつ会話しながら外の穏やかな風景を見ていると、ドア越しにスタッフさんから呼ばれたので、式場へと向かった。

 

「楽しみだね、八幡」

「あ、ああ……」

 

 ここだけ切り取れば俺と戸塚が結婚するように思えなくもない、のか……?いや、戸塚は男、戸塚は男、戸塚は男……。

 心の中で念じているうちに、ドラマなんかで見たことのある派手な装飾のドアの前に到着した。

 ……今さらだが、穂乃果はどんなドレスを着ているのだろうか?

 正直想像がつかない。

 いや、きっと似合うんだろうけど……。

 ……やべえ、なんか緊張してきたんだけど……。

 すると、戸塚が一歩前に踏み出した。

 

「あの……失礼します」

「っ!」

 

 まだ心の準備が整っていないうちに開けられ、緊張が背筋を走った……のだが……

 

「あ、八幡君」

「…………」

 

 俺は言葉を失っていた。

 

「ーーーーー」

「ーーーーー」

 

 周りの音も聞こえなくなっていた。

 

「八幡君?どうしたの?」

 

 隣に戸塚がいて、彼女の周りに他のメンバーがいるのはわかっている。しかし……。

 

「もうっ、八幡君ってば!」

「…………」

 

 俺は穂乃果のウェディングドレス姿に、完全に心を奪われていた。

 胸がドクン、ドクンとこれまでにない高鳴りで、心の奥底を揺さぶる。

 それほどまでに……

 

「八幡くーん、もしもーし」

「っ……あ、いや……」

 

 ようやく口が開いたが、まともに言葉を紡げそうもない。

 それだけでなく、頬が紅くなっているのが鏡を見ずともわかってしまい、つい顔を背けてしまう。てか、やばい。何がやばいのかわからないけどやばい。

 しかし、そんなこちらの気も知らずに、彼女はまた距離を詰めてくる。

 

「どうしたの?ちゃんと見てよ~!」

「あ、ああ……いい感じだ」

「だから見てってば~!」

「見てるっての……だから……」

「ウソだー!あっ……」

「っ!!」

 

 何かに躓いたのか、穂乃果がこちらに倒れ込んできたので、慌てて支えた。

 ふわふわした感触と、いつもとは違う香りがさらに頭の中を彼女の事で埋めつくし、最早微動だにできない。

 そんな中、彼女は顔を上げ、至近距離から上目遣いでこちらを覗き込んでくる。

 

「ごめ~ん……だ、大丈夫?」

「あ、ああ……その……そっちは?」

「大丈夫、だよ。それで、その……どう、かな?八幡君にはちゃんと見て欲しいんだけど……」

 

 真っ直ぐな問いかけ。

 彼女らしい飾り気のない言葉に、今となっては誤魔化して返す事などできるはずもなかった。

 俺は腹を決め、彼女の瞳をもう一度しっかりと見て、はっきり口を開く。

 

「…………綺麗だと思う」

「…………」

 

 何故か穂乃果はポカンとしていた。あれ?俺なんか言い間違えたのか……?

 不安が湧き始めた頃、急に穂乃果の顔が紅くなった。そりゃもう、効果音が出そうなほどに……。

 

「あわわわわ……え?あれ?えと……あの……」

「…………」

 

 正直こっちの方が恥ずかしい。そっちが言えって言ったんだろうが。

 穂乃果はやたらと目を泳がせていたが、やがてはっとしたように首を振り、にっこりと笑顔を浮かべた。

 

「あ、ありがとう……すごく嬉しい。えへへ……」

「……そっか」

 

 その笑顔に、心の奥の何かが溶けていく感覚がした。多分、いや、間違いなく俺は……

 

「あの~、お二人さん?そろそろ二人だけの世界から戻ってきてくれんかなあ?」

「「……はい」」



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69話

 色々あって緊張感やら何やらはあったものの、μ'sメンバーとの撮影は滞りなく進んだ。

 俺は二年生組と絢瀬さんと東條さんの五人とそれぞれツーショットで撮影し、残りのメンバーは戸塚と撮影を済ませ、あとはμ'sだけの撮影となる。

 その様子をぼんやり眺めていると、隣から視線を感じる。

 誰なのかは言うまでもなかった。

 

「戸塚、どうかしたか?」

「えっ?あ、ううん、あの……」

 

 戸塚は言いにくそうに口をもごもごさせていたが、やがて決意したように、ぐっと拳を握りしめ、真っ直ぐに俺を見た。

 

「八幡……頑張ってね」

「……ああ」

 

 何を、とは言えなかった。

 俺は頷き、『友達』からの励ましの言葉に心から感謝した。

 

 *******

 

 撮影が全て終わり、着替えを終え、しばらく外で待っていると、μ'sのメンバーが出てきた……のだが……

 

「あれ、高坂さんは?」

「今、スタッフの人と色々話してるんよ。それで先に行ってていいって……だから、比企谷君。待っといてもらえる?」

「え?ああ……はい……」

 

 何やら口調から胡散臭さを感じるが、特に断る理由もないので頷いておく。

 

「では比企谷君、今日はありがとうございました」

「楽しかったよ~」

「エリチ、本当にええの?」

「ええ。でも、しばらくは皆の期待する賢い可愛いエリーチカにはなれそうもないけど……」

「戸塚先輩も一緒に行くにゃ!」

「り、凛ちゃん、いきなり走ると危ないよっ。あ、きょ、今日はありがとうございました……」

「穂乃果がスクールアイドルだってこと忘れんじゃないわよ!」

「程々にね。それと今日はありがとうございました」

「じゃあ先に行ってるね、八幡。また後で」

「あ、ああ……」

 

 あっという間に皆がいなくなり、ポツンと式場の前で一人ぼっちになる。

 ふと空を見上げると、もうすっかり赤く染まっていて、何故かさっきの出来事を思い出していた。

 すると、いきなり視界が遮られる。

 

「だ~れだ!」

 

 目元を覆うひんやりした感触と、無駄に元気な声……てか考える必要はないな。

 

「さすがにバレバレだと思うんだが……」

「もうっ、八幡君ノリ悪い!さっきは世界一綺麗とか言ってたのに!」

「……いや、そこまで言ってないから」

 

 何でこの子はさりげなく付け足しちゃうの?

 振り向くと、ぷんすか頬を膨らませた穂乃果がいて、いつも通りの彼女にホッとしてしまった。

 

「ふぅ……この能天気さに心が落ち着く日が来るなんてな」

「なんか悪口言われてる!?さっきと反応違いすぎない!?」

 

 そうは言われても、実際落ち着くのだから仕方ない。

 俺はリラックスした気分で話を切り出した。

 

「……あー、穂乃果……」

「なぁに?」

「……今度、修学旅行があるんだが……その……」

「?」

「土産、買って渡しに行くから、何がいいか考えといてくれ」

「……うんっ、わかったよ♪今度連絡するね」

「ああ……じゃあ、行くか……」

「あっ、八幡君、ちょっと待って」

「どした?」

「えっとね……今日はありがとう!……とっても嬉しかったよ」

「…………そうか」

 

 俺達は自然と並んで歩き始める。早く行かないと皆待ちくたびれているだろう。そのうち気を遣ってもらった礼もしなければならない。

 不揃いな影は同じペースで進みながら、駅へと向かった。 



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70話

「ほ~のかっ!」

「わっ、びっくりしたぁ……な、なぁに?」

 

 お昼休み、席に座って、この前のドレス撮影を思い出していると、突然後ろからヒデコが驚かしてきた。ほ、本当にびっくりしたぁ……。

 

「いや~穂乃果が珍しく恋に悩む乙女みたいな表情してたからつい……」

「っ!」

 

 たまにヒデコは物凄く鋭い。そして、そこに助けられることもあれば、今みたいにギクリとさせられる時もあった。

 私はヒデコの方は見ずに、普段通りを意識しながら口を開いた。

 

「べ、別に?恋に悩んでなんかないんだからねっ」

「いや、私にツンデレしてもあんま意味ないと思うんだけど……」

「ツ、ツンデレじゃないよ!ツンデレっていうのは真姫ちゃんみたいな子の事だもん!」

「まあまあ、落ち着きなって。それより、何か悩みがあるならお姉さんさんに相談してみな?」

「そうそう」

「一人じゃないから」

 

 いつの間にかフミコとミカもいる。うぅ……これじゃ逃げれないよ。海未ちゃんとことりちゃんもいないし……あれ?そういえば……

 

「三人もまだ彼氏とかできたことないんじゃ……」

「「「っ!!」」」

 

 三人共肩をビクンと跳ねさせ、ピタッと固まる。あっ、も、もしかして……私、不味い事言っちゃった?

 内心ビクビクしながらヒデコを見ると、ヒデコはにっこりと笑顔を見せた。よかった、怒ってないぃ!?

 

「ほ~の~か~……」

「い、いふぁい、いふぁい、いふぁい!?」

「言ってはいけない事を言ってしまったわね」

「これはくすぐりの刑、かな?」

「~っ!?」

 

 *******

 

「それでさ、いつの間にか絵里ちゃんまで一緒にくすぐってるんだよ?もう大変だったんだから!」

「……そりゃ災難だったな」

「八幡君も声疲れてるね。久々に運動始めたからかな」

「だろうな。てか、お前いつもこんなのやってんのかよ」

「うんっ、だってラブライブ優勝目指してるもん。でも驚いたなぁ。八幡君からいきなりμ'sのトレーニングメニュー教えてって言われた時は……」

「……まあ、あれだ。ただの運動不足解消みたいなもんだ」

「そっか。じゃあ、一緒に頑張ろうね」

「いつまで続くかはわからんけどな」

「大丈夫。だって八幡君だもん」

「何、その謎の信頼……まあ、やれるだけやってはみるが」

「うんうん、それが大事だよ。そういえば、明日から修学旅行だよね。京都、私も行きたいなぁ」

「いや、この前沖縄行っただろ。てかお土産、どんな食い物がいいんだ?」

「むっ、その言い方だと私が食い意地張ってるみたいじゃん」

「違うのか?」

「むむっ……和菓子以外でお願いします!」

「わかった。まあ、なんか適当なの買っとくわ」

「あっ、でも……」

「?」

「でも、やっぱり八幡君が修学旅行楽しんで来てくれるのが一番嬉しい、かな」

「…………」

「も、もしかして、余計なお世話だった?」

「いや……ありがとな。まあ、善処する」

「……うんっ!」

「じゃあ、そろそろ寝るわ」

「うん、またね。おやすみ~」

「……ああ」

 

 

 

 



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71話

 修学旅行当日。穂乃果には言わなかったが、奉仕部には重大な依頼が舞い込んでいた。

 そう、それは戸部の告白の手伝いである。そして……。

 まあ、とにかく修学旅行を手放しで楽しめる立場ではないということだ。

 ……だが断る。

 いや、何を断るんだって話だが。第一断られるのは戸部だし。

 まあ、要するにあれだ。

 穂乃果にああ言われたからには、ちゃんとした土産話の一つや二つは持って帰りたいってことだ。

 俺は穂乃果との約束を守るべく、一人頭を悩ませた結果、たったひとつの冴えたやり方を思いついた。

 ……できればやりたくはないのだが。

 

「八幡、どうしたの?」

「……いや、何でもねえよ。それよか自由行動の日、どこ行くんだっけ」

「あはは、八幡ったら聞いてなかったの?僕達の班はね……」

 

 *******

 

 昼休み。

 生徒会の仕事をしながら、私は堪らなくなって、海未ちゃんに話しかけた。

 

「海未ちゃ~ん、京都行こ?」

「いきなり何を行っているのですか、そんなコンビニに行くみたいに……」

 

 海未ちゃんの当たり前な返事に、その隣にいたことりちゃんが「ふふっ」と笑う。

 

「きっと誰かさんに会いたいんだよ。ねっ?」

「はぁ……まったく穂乃果は……こうまで変わるとは……」

「ち、違うもん……」

 

 自分から言い出したことだけど、こう言われると恥ずかしくなってしまう。で、でも、京都に行ってみたいのは本当だよ?

 

「まあ仕方ないわね。海未とことりは別の世界線で……」

「エリチ、メタネタはあかんよ」

「はい」

「絵里ちゃん?」

 

 絵里ちゃんが何か難しいことを言いながら、私の机の前にプリントを並べた。

 

「これ……」

「新曲のダンスのフォーメーションよ。何通りか考えておいたから目を通しておいて。放課後皆で話し合いましょう」

「あ、うんっ。ありがと♪」

「助かります、絵里」

「さすが絵里ちゃん♪」

「久々に賢いエリチやね、本当に」

「久々じゃないチカいつも賢いチカ」

『…………』

「どうしたの、皆。さっ、昼休みも残り少ないんだから、早く片付けるわよ」

 

 絵里ちゃん……なんか変わったな。たまに変になるけど。私ももっと頑張らないと。

 ……八幡君、もう京都に着いたかな。楽しんでるかな。

 窓の外に目を向けると、空は雲一つなくて、京都にいるはずの八幡君の事も、あまり遠く感じなかった。

 

 *******

 

「ヒッキー、もうすぐ京都だよ!とべっちの依頼の事もあるけど楽しみだね」

「……ああ、まったくだ。ようやく着いたか」

「え?……なんかヒッキーらしくない。いつもはだるそうなのに。なんかあった?」

「いつも通りだよ。お、京都タワーだ。興奮してきたな」

「やっぱりいつも通りじゃない!」

 

 

 



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72話

「……やっぱりいいな、京都……戸部、おみくじは高い所に結ぶといいらしいぞ」

「えっ?……っし!海老名さん、それ貸してみ?」

「……うーん、ヒッキーがいつもより元気だ」

「あはは、きっと楽しみにしてたんだよ」

 

 由比ヶ浜と戸塚が背後で何やら話し込んでいるが、ちんたらしている暇はない。こちとらとにかく動くしかないのだ。

 すると、由比ヶ浜が袖をちょんちょんと引っ張ってきた。

 

「どした?」

「ヒッキー、本当に私に何か隠してない?」

「……何でそう思うんだ?」

「やっぱりいつもと違うもん。前向きすぎっていうか……」

「ちょっと何言ってるかわかんないんですけど」

「何がわかんないの?って違う違う!やっぱりヒッキーのテンションがおかしい!」

「……そう疑うもんじゃねえよ。まあ、あれだ。トラベラーズハイってやつだ。よくあるだろ」

「トラベラーズ?えーっと……そっかぁ、じゃあ仕方ないかぁ」

「……ああ、仕方ない」

 

 適当な横文字に騙されてくれるとは……由比ヶ浜がアホの子な事に初めて感謝したぞ……将来変な男に騙されないか心配だ。

 まあ、今は別の心配を抱えているのだが……。

 

 *******

 

 その日の夜……。

 

「ヒキタニ君、はいこれ」

「……おう、助かる」

「本当にいいの?」

「別に……これが一番手っ取り早いだけだ」

「そ、そうなんだ……でもね、ヒキタニ君」

「?」

「何なら思いきりハマってもいいんだよ!?ウェルカムトゥザニューワールド!」

「……用済みになったらすぐ返す」

 

 *******

 

「姫菜と何か話したのか?」

「お前には関係ねえよ。それよか、お前の望みは変わらないことでいいんだな?」

「ああ……できれば君には頼みたくなかったんだが……」

「……俺もやりたくなかったよ」

 

 *******

 

 楽しい時間ほど過ぎていくのは早く、あっという間に告白の時を迎えた。

 戸部はやたら緊張していて、それを誤魔化すように同じグループの奴らに話しかけていたが、色々と無駄にさせてしまうと思うと、少し申し訳ない気持ちになる。

 さて、俺も腹を括りますかね。

 ……何故かはわからないが、あいつが知ったらどんな顔をするだろうかなんて考えてしまった。

 

 *******

 

「……っくし!」

「穂乃果ちゃん?」

「あはは、ごめ~ん。誰か噂してるのかな?」

 

 *******

 

 告白の場所に選んだ竹林の小径は、妙な緊迫感に包まれていた。てか戸部、そわそわしすぎだろ。

 

「ヒッキー、何その紙袋?」

「ああ、何でもないから気にすんな。それよか来たぞ」

 

 予定時刻より少し早めだが、俺達とは反対側から海老名さんがやってきた。

 その瞳はどんより暗く、戸部を全く見ていない気がする。

 小径を挟んで向こう側にいる葉山もそれに気づいているのか、どこか冷めた表情をしている。

 戸部はそんなこと気づいていないのか、勇気を振り絞って彼女と真っ直ぐに向き合い、言葉を絞り出していた。

 

「あ、あの……俺……」

「…………」

 

 ……よし。

 一人首肯した俺は……紙袋を抱えながら飛び出した。

 

 



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73話

 俺は奉仕部の二人の反応もお構い無しに飛び出し、戸部の隣に立つ。大した距離じゃないのに何故か遠く感じてしまった。

 もちろん、何の事だかわからない戸部はただただ驚いていたが、すぐにはっとして口を開く。

 

「ヒ、ヒキタニ君!?な、なんで……」

「…………」

 

 俺は戸部の方は見ずに、ようやく手放せることに安堵しながら、海老名さんに向けて真っ白な紙袋を差し出した。

 

「海老名さん、これ返すわ……はやとべ本」

「えっ!?」

「あ、うん。わざわざありがと。で、どうだった?」

「ああ、まあまあだな」

「ええっ!?」

「そっかぁ、じゃあお礼に今度とべはち本とはやはち本書かせてくれる?」

「構わん」

「えええっ!!?」

 

 戸部はさっきからやたら驚いている……まあ、当たり前か。俺も驚いている。何故こんな方法を思いついたのか。一応言っておくが読んでいない。

 しかし、そんなことお構い無しに、海老名さんは何故かテンション高めに話を続ける。

 

「まだ自分の恋愛とかには今はまったく興味がわかないけど、同志ができて嬉しいよ!」

「そっか」

「ええええっ!!?」

 

 言うまでもないが嘘である。はやはちとかとべはちに協力するつもりはない。てか、やたら目がキラキラしてんだけど、この人演技だってこと忘れてない?忘れてないよね?

 内心焦りを感じていると、彼女は腐った笑みを浮かべながら溜め息を吐いた。

 

「ふぅぅ、すっきりした……じゃあ、私はもう戻るね」

 

 そう言って、海老名さんは踵を返し、あっという間にいなくなった。

 彼女の足音が聞こえなくなると、何ともいえない沈黙が訪れる。

 とりあえず戸部に目を向けると、奴は一歩後ずさった。

 

「……だってよ」

「えー……ヒキタニ君、このタイミングでそれはないわー……てかごめん。俺……好きな人いるから!」

 

 そう言ってから、戸部は逃げるように去っていった。あれ?今俺、戸部にフラれたの?

 かつてない屈辱感やら何やらにどんよりしていると、葉山が隣に並んできた。

 

「……すまない。君がそんなやり方しかできないのはわかってたのに」

「謝るんじゃねえよ」

 

 えっ……お前、この展開を予想してたの?普通に凄いんだけど……てかわかってるんなら顔赤らめてんじゃねえよ。

 そして、葉山グループが去った後、背後から二人分の足音が聞こえてきた。

 言うまでもなく、雪ノ下と由比ヶ浜である。どちらも機嫌がいいとは言い難い。そんな目で見ないで欲しいんだが。

 しばらく冷めた視線が絡み合ってから、沈黙を切り裂くように雪ノ下が口を開いた。

 

「……はやはち」

「…………」

 

 えっ、それだけ?てか何その無表情……怖いんだけど。

 続いて、由比ヶ浜が無表情のまま口を開く。

 

「……とべはち」

「…………」

 

 由比ヶ浜、お前もか。まあいいけど……どうせすぐに俺の嘘などばれるだろう。あとは奴らが勝手にやってくれればいい。こっちは問題が片づいてほっとしているのだから。

 ……さて、明日は土産選びに励みましょうかね。

 

 *******

 

「♪~~」

「お姉ちゃん、なんか機嫌いいね」

「そう?いつも通りだけど」

「あっ、そうか。明日比企谷さん、修学旅行から帰ってくるんだよね。でも、千葉だよ?お姉ちゃんの元に帰ってくるわけじゃないよ?」

「そ、そんなんじゃないもん!はやくお土産が欲しいだけだもん!」

「比企谷さんを待ちわびてるのは否定しないんだ?」

「ゆ、雪穂!あれ?お父さん、何でお饅頭一気食いしてるの?お父さん?」

 

 

  



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74話

 修学旅行から帰った翌日。俺は秋葉原を訪れていた。えっ、修学旅行最終日?何事もなく終わりましたが何か?

 とりあえず、ちょうど日曜日だったので、さっさとお土産を渡そうと思い、穂むらを訪ねることにしたのだ。

 穂乃果は昼間から暇らしく、その流れで何故か勉強を見ることになったのが唯一の誤算だが……。

 店の扉を開けると、高坂母がつまみ食いをしていた。

 

「っ……あら~比企谷君、いらっしゃい」

「……ど、どうも」

 

 すぐに営業スマイルを作れるあたりは流石というべきか。でも口元にあんこ付いてますよ~。 

 

「穂乃果なら自分の部屋にいるから……大丈夫、今日は聞き耳たてたりしないわ」

「…………」

 

 それを言われたところでどうしろと……しかも、厨房の辺りからまたドス黒い気配が……。

 とりあえず気づかないふりをしておき、「お邪魔します」と呟きながら靴を脱ぐ。

 すると、今度は居間の方から声が聞こえてきた。

 

「こんにちはー比企谷さん」

「……おう」

 

 目を向けると、パーカーにトレーナーというラフな格好で柔軟体操をしている雪穂がいた。

 彼女はチラリとこちらを見てから、口を開く。

 

「お姉ちゃん、二階で漫画読んでダラダラしてると思うので、比企谷さんからも何か言ってやってくださいよ」

「い、一応、善処する……」

 

 わざわざテレビを見ながらストレッチとか……この美意識の高さ、二階で漫画を読んでいるであろう穂乃果に見習わせてやりたい。いや、待て。仮にもスクールアイドル全国一を狙うグループのリーダーだぞ?きっとダラダラしているように見せかけて、こっそりダンスの練習とか……。

 俺は穂乃果の部屋の扉をノックした。

 

「は~い、どうぞ~」

「俺だけど……」

「ええっ!?は、八幡君!?ちょ、ちょっと待っ、あ痛っ!!?」

 

 何やらでかい物音が……てか、何だ今のリアクション、俺が来る時間を間違えてるかのような……。

 とりあえずドアを開けてみる、とそこには……

 

「あっ……」

「…………」

 

 まず目に入ったのは床に派手にずっこけた穂乃果。

 続いて俺を驚愕させたのが、床に脱ぎ散らかされた制服、出しっぱなしの漫画、落書きだらけのノート等々……高坂妹の言葉以上にだらけていた。

 彼女は頬を赤くしながら、気まずそうに口を開く。

 

「は、八幡君……おはよう」

「お早くねえよ。もう昼なんだが……」

 

 俺の言葉に、穂乃果は「うぐっ」と声を詰まらせたが、すぐに呑気な笑顔を見せた。

 

「あはは、八幡君早すぎだよぉ。2時からって言ったじゃん」

「いや、お前からのメールには12時って書いてあるんだが……」

 

 再び彼女は「うぐっ」と声を詰まらせた。しかし、また呑気な笑顔を見せる。めげないな、こいつ。

 

「あはは、八幡君、修学旅行どうだった?」

「いや、その誤魔化し方無理あんだろ……せめて起き上がってから言えよ」

 

 仮に約束二時間前だとしてもだらけすぎだろ。俺と変われよ。

 ……しかし、何故だろうか。

 こいつの顔を見たら、ついほっとしてしまった。

 俺は笑いが漏れるのを堪えるように口元に手を当てた。

 すると、起き上がった彼女は子犬みたいに、たったかと駆け寄ってきた。

 

「八幡君、お土産はなぁにっ?」

「…………」

 

 こいつのあまりにいつも通りな様子もそれはそれで複雑なのだが……

 

「……とりあえず、部屋片づけるぞ」

「はい」



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75話

 散らかっているといっても、普段から(高坂母により)掃除されている部屋なので、片づけはすぐに終わった。漫画の順番がバラバラすぎるのは気になるが、そこに手をつけていたら日が暮れてしまうので、また今度にしておこう。

 テーブルの近くで胡座をかき、腰を落ち着けると、穂乃果も近くに腰を下ろしてきた。

 

「ふぅ……やっと片付いたぁ。八幡君手伝ってくれてありがとう」

「おう、これ……」

 

 約束どおりにお土産のクッキーの入った紙袋を差し出すと、穂乃果は少しの間目をぱちくりさせたが、すぐにぱあっと花が開いたような笑顔を見せ、紙袋を抱きしめた。

 

「やったー!ありがとっ、大事にするね!」

「いや、食い物だから。大事にしなくていいから家族皆でさっさと食ってくれ」

 

 俺の言葉に、彼女は何故か「えっ?」と言いたげな顔をして頷いた。こいつ、もしかして……

 

「お前、一人で食うつもりだったろ……」

「えっ?……そ、そんなことあるわけないじゃないですかー」

「何故敬語……しかも棒読みだし」

「ちぇっ……せっかく独占できると思ったのに~」

「五等分までなら余裕だろ……ほら」

 

 俺は彼女にもう一つのお土産を手渡した。

 

「え?これ……」

 

 彼女は不思議そうに見つめているのは、一つのお守りだ。

 

「一位守?」

「……丁度いいと思ったんだよ……全国優勝するんだろ?」

「八幡君……」

「まあ、その……人数分は買えなかったが」

 

 五等分どころか九等分になるのは申し訳ないが、彼女達なら大丈夫だろうという妙な確信があった。いや、それは言いすぎかもしれないが。

 穂乃果はしばらくお守りを見つめてから、そっと胸に抱きしめ、顔を綻ばせた。

 

「本当にありがとう……ふふっ、嬉しいなぁ~。やっぱり私、八幡君のこと、大好き!……え?」

「おう……………………ん?」

 

 今、こいつ……な、何て言った?え?え?

 穂乃果に目を向けると、自分で言った事に今気づいたのか、耳まで真っ赤にして、口元を押さえ、もにょもにょと何事か呟いている。

 

「ふぇ?え?わ、わ、私……今、あれ?え?」

「…………」

「えっ、ウソ?あれ?えぇ?」

「…………」

 

 穂乃果のよくわからない呟きをBGMに、外の世界とは隔離されたかのような不思議な時間が流れていく。

 別に穂乃果が言った事が理解できていないわけじゃない。聞こえなかったわけでもない。

 ただ……不意打ちすぎて、どう反応すればいいのかわからない。てか何だこれ、めっちゃドキドキしてんだけど……。

 彼女の様子からして、俺の聞き間違いということもないんだろう。

 だとしたら、彼女としっかり向き合う必要がある。

 彼女と同様に、心の奥底にある気持ちをさらけ出す必要がある。

 

「……穂乃果」

「は、はいぃっ!」

 

 俺は正座して彼女に向き直り、両頬を押さえ、ジタバタしている彼女に向け、噛みしめるようにゆっくり口を開いた。

 

「……ほ、穂乃果……俺からも、いいか?」

「……はい」

 

 ようやくピタリと動きを止めた彼女の瞳が、微かに揺れながら俺を捉えた。

 それだけで気持ちが高ぶり、普段は言えない言葉を紡いでいける気がした。

 

「……俺、も……お前の事が……好きなんだが」

 

 噛みながらも言いきると、彼女の目は見開かれ、それから優しく細められた。

 

「…………はい」

 

 彼女は頬に小さな雫を伝わせ、こくりと頷く。

 俺もそれに合わせて頷くと、胸の中を温かな何かが満たしていくのがはっきりとわかった。

 生まれた時から探していたような……そんな言い様のないものを見つけた。

 俺はもう一度確かめたくて、彼女の小さな手に自分の手を重ねる。

 

「……えっと……その……」

「八幡君…………あ」

 

 突然、襖の方を向いた穂乃果が何かに気づいたように声を発した……おい、まさか。

 穂乃果の視線をスローモーションで辿ると、そこにはおやつと飲み物を載せたお盆を抱えた高坂母と、顔を真っ赤にした高坂妹がいた。

 

 



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76話

「もうっ!だからノックしてって言ってるじゃん!」

「したわよ~。そしたら返事がないんだもん」

「そうだよ。ていうか、普通に考えてあんなシーンに遭遇するなんて思わないじゃん」

「ね~」

「ね~」

「むむむ……」

「…………」

 

 高坂一家(父を除く)が睨み合う中、俺は一人頭を抱えていた。

 …………めっちゃ恥ずかしい!!

 マジかよ、どこから見られてたんだ……恥ずかしすぎて聞けねえ!!

 

「二人共、どこから見てたの?」

「「大好きのところから」」

「ほぼ全部じゃん!」

「…………」

 

 聞いちゃったよ……てか、そこから見てたのかよ。むしろ、何故俺達は気づかなかったのか……。

 

「と、とにかく!二人共出てってよっ、八幡君も恥ずかしそうじゃん!」

「はいはい」

「お姉ちゃん、後で詳しく聞かせてねー」

「言わないよっ!」

 

 パタンと襖が閉じられ、再び二人きりになる。

 思ったほどの気まずさはなく、それ以上に胸の奥から何かが沸き上がってくる高揚感とか、頬が緩みそうになるのを抑えるので精一杯だった。

 穂乃果はしばらく襖の方を向いていたが、やがてこちらに向き直り、上目遣いで見つめてきた。

 

「えっと……その、いきなりごめんね?」

「いや、謝らなくていい。何つーか……本気で嬉しかったし……」

「そっか……ふふっ、私も嬉しかったよ……ありがとう」

 

 その言葉に、再び手を重ね、お互いの存在を確かめ合う。

 これまでと接触とは違い、お互いがお互いの気持ちを知っているので、そこに焦りや迷いはない。ただ、今はこうしていたいていう真っ直ぐな想いだけだ。

 

「八幡君……」

 

 彼女が手を握り返し、その手の感触がさらに強く伝わってくる。

 そして、そのままそっと口を開いた。

 

「えっと……もう一回言って欲しいな」

「……何を?」

「……イジワル」

 

 俺の返事に、彼女はぷくっと頬を膨らませ、ジトっと見つめてきた。さすがに誤魔化すことはできないらしい。

 もう一度言うために、深呼吸してから気持ちを整えた。やばい。わかりきっていたことかもしれないが、穂乃果が可愛い……あれ?こいつ、こんなに可愛かったか?可愛すぎてキラやばな上に何て言うかやばい。

 

「…………だ」

「聞こえないよ~」

 

 穂乃果はさらに顔を近づけ、目を潤ませている。いや、お前も大概イジワルじゃねえか。

 俺は穂乃果の手に込める力を強め、今度こそはと口を開いた。

 

「……俺は……お前の事が、好きなんだけど……」

 

 何とか言い終えると、彼女は返事を俺の耳に直接吹き込んできた。

 

「うん、私も大好きっ♪」

「っ!!……ちょっとは加減しろっての」

「や~だっ。ようやく言えたんだもん。あ~、緊張してたからお腹空いちゃった。八幡君もおやつ食べよ?」

「あ、ああ……」

 

 いきなりいつも通りな台詞を吐く穂乃果に、ふらりと肩の力が抜けていくが、まあこれがこいつらしいところなんだろう。

 とりあえず……今日俺達は両想いだということを知った。

 

「食い終わったら勉強するぞ」

「えっ……」



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77話

 勉強を終え、そろそろお暇しようとすると、穂乃果が駅までついて行くと言い出したので、駅まで一緒に行くことになった。

 陽はだいぶ傾いていて、夏に比べるとかなり昼が短くなった気がする。

 

「……穂乃果、もうこの辺りで……」

「えっ、何で?」

 

 穂乃果は急に捨てられた子犬みたいな目でこちらを見上げてくる。

 ああ、もう!そんな目で見られたら言いづらくなるだろうが……。

 

「いや、その、暗くなるから……」

「……あっ、もしかして心配してくれてるの?」

「わかってる事をいちいち聞くな」

 

 彼女から目を逸らすと、その隙をつくように、右腕にしがみついてきた。

 柔らかな感触に腕を挟まれ、瞬時に頭の中が沸騰したように熱くなる。

 

「お、おい……!」

「ふふっ、じゃあしばらくこのまま……ね?」

 

 そう言われては仕方ない。

 俺はつい抱きしめてしまいたくなる衝動を抑えながら、彼女にされるがままになる。

 火照った頬を風が撫でていくのが気持ちよくて、目を細めると、穂乃果はしがみついたまま話しかけてきた。

 

「ねえ、八幡君」

「?」

「明日も八幡君の声が聞きたいな」

「……まあ、時間あれば電話する」

「ふふっ、八幡君らしいね。あっ、そうだ!ハロウィンライブやることになったから見に来てくれる?」

「ああ、多分大丈夫だ」

「来てくれなかったらイタズラしてお菓子奪っちゃうからね!」

「ただの強盗じゃねえか……てか、菓子ばっか食ってると太るぞ」

「大丈夫大丈夫!私太らない体質かもだから!」

「…………」

 

 本当に大丈夫だよね?これ、フラグじゃないよね?

 一応穂乃果の腰の辺りをチラ見してから、自分に言い聞かせるように頷いて、その肩に手を置いた。

 

「……ドーナツはゼロカロリーじゃないからな」

「し、知ってるよ!もうっ、雰囲気大事にしようよ!」

 

 *******

 

「じゃあ、そろそろ行くわ」

「あっ、うん……ばいばい!」

 

 穂乃果が一瞬しょぼんとした表情を見せたものの、すぐにぶんぶん手を振る。その幼い子供のような動作に頬を緩めながら、俺もそっと手を振り返し、彼女に背を向けた。

 柄にもなく何度も何度も振り返りながら。

 

 *******

 

 その日の夜、俺はふわふわした気分のままベッドに寝転がっていた。

 改めて考えると不思議な気分だ。

 4月頃の自分に教えてみたところで、きっと信じなかっただろう。

 そのぐらい奇跡的な現実。

 ……あれ?てかこれ、本当に現実だよな?夢オチとかじゃないよな?起きたら病院のベッドとかじゃないよな?

 つい確かめたくて携帯を手に取るが、すんでのところで思いとどまる。いや、さすがにそれはみっともない気が……。

 すると、静寂を裂くように携帯が震えだした。おい、もしかして……。

 画面を確認すると、予想した通りの名前が表示されていて、つい吹き出してしまう。

 どうやら同じ考え……なのか?まあいい。

 もしそうなら、これは間違いなく現実だと教えるべく、俺は携帯を耳に押し当てた。

 

 

 



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78話

 穂乃果と付き合い始めてから一週間。色んな事が変わり始めていた。

 

「48……49……50……!」

「お兄ちゃん、どしたの?突然筋トレなんて始めて……」

「……まあ、色々な」

 

 別に筋肉は裏切らないとか思ってるわけではないし、高木さんにからかわれたわけではない。雪ノ下さんからは罵倒されているが、それも関係ない。

 色んな事を少しずつ変えていく。それだけの話だ。

 

「ふ~ん、そういえばお兄ちゃん……」

「?」

「何か小町に言い忘れてることない?」

 

 小町は腰に手を当て、ぷんすか怒った表情を見せた。はて、何かやらかしましたっけ?とりあえず思いつくのは……

 

「……冷蔵庫の中のプリン食ったのは悪かった」

「いや、そうじゃなくて……って、あれお兄ちゃんだったの!?」

 

 どうやら藪蛇だったようだ。仕方ない、ここは……

 

「いーち、にー……」

「筋トレの続きをして誤魔化さないの!ちゃんと後で買ってきてよね。飲み物付きで」

「お、おう……」

 

 この子、さりげなく飲み物まで要求してきましたよ?まあ、可愛いから許すけど。せっかくだから、今流行りの抹茶サイダーを買ってきてやろう。喜んでくれるといいなぁ♪

 

「それで、言い忘れた事ってなんだっけ?」

 

 俺の言葉に、小町は「むむむ……」と顔をしかめたが、すぐに諦めたように溜め息を吐き、そっと俺の隣に腰を下ろし、遠慮がちに口を開いた。

 

「……お兄ちゃん、穂乃果さんと付き合い始めたんでしょ?」

「……あ、ああ……まあ、そうだけど」

 

 すぐに小町の不機嫌の理由に思い至り、筋トレをやめ、しっかり向き合う体勢になる。

 

「悪い……まあ、その……言い忘れてた」

「もうっ、小町はお兄ちゃんの妹だから、真っ先におめでとうって言わせてよね!」

「あ、ああ……ありがとな」

 

 優しすぎる言葉に、思わずじんときてしまう。俺は気恥ずかしさのあまり、再び筋トレを始めてしまった。うわ、何これ……滅茶苦茶嬉しいけど、滅茶苦茶恥ずかしい……!

 小町はそんな俺の様子を見て、ケラケラ笑った。

 

「あははっ、何やってんの?……おめでと、お兄ちゃん」

「……ああ」

 

 俺にはその時の小町がいつもより少しだけ大人びて見えた。

 そのことに切なさを覚えながらも、自分が変わることは周りの人間も変わることだと、今さらながら気がついた。

 翌日、また大きな変化が訪れることは、この時知る由もないのだが……。

 

 *******

 

「♪~~」

「穂乃果ちゃん、今日も絶好調だったね」

「うんっ、でもいっぱい動いたらお腹空いちゃった……お昼結構食べたのに」

「幸せなのは良いことですが、幸せ太りはやめてくださいね?貴方はμ'sのリーダーなのですから」

「わ、わかってるよ~……あれ、電話?ちょっとごめんね。……もしもし、八幡君♪えっ、どうしたの?……うん、うん」

「比企谷君に何かあったのかな?」

「何やら不穏な空気が……」

「え……え~~~!?は、は、八幡君が……!!?」



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79話

 数時間前……。

 奉仕部は休むこともなく、かといって忙しくもなく、通常どおりに活動していた。ちなみに奉仕部内の空気は微妙に重い。まだ修学旅行でのあれこれが蟠っているからである。まあ、仕方ない。これでもクラス内よりはマシだ。クラスの方では……いや、今はいい。

 とりあえず、今日もこんな空気のまま終わるのかと思っていたら、依頼が一つ舞い込んできた。

 内容は、一色いろはという女子生徒が生徒会長になるのを円満に阻止する、というものである。正直、前回のややこしい依頼に比べれば、だいぶ精神的負担は少なそうだが、それでも一色が無傷で回避となると……。

 ふとそこで一つの案が浮かんだ。

 

「ヒッキー、何か案があるの?変なのじゃないよね?」

「まさか、またくだらない作戦を思いついたんじゃないでしょうね」

「おい、お前ら俺を何だと思ってるの?この前のは演技だっての。それより……」

 

 この時の俺は何を考えていたのだろうか。

 

「……な、なあ、その……」

 

 何故かあいつの顔が真っ先に頭に浮かんだ。

 

「ヒッキー?」

「比企谷君?」

 

 ああ、そうか……。

 

「それなら……」

 

 俺はきっと……。

 

「……俺が生徒会長、立候補してもいいか?」

 

 あいつの隣に胸を張って立っていたいだけなんだろう。

 

「比企谷……」

 

 さすがに驚いたのか、平塚先生が目を丸くしてこちらを見ている。よく見ると、部室内にいる全員がそうしていた。まあ、それもそうだろう。

 次に何を言おうかと考えていると、意外なことに城廻先輩が笑顔でうんうんと頷いた。

 

「私はいいと思うなぁ。比企谷君が真面目な子なのは文化祭と体育祭でわかってるし。あとはしっかりした人がサポートに付いてくれれば安心だよ~」

 

 城廻先輩はそう言いながら、雪ノ下と由比ヶ浜に視線を向けた。それに対し、俺が立候補したいと言い出したことへの驚きからか、ずっと黙っていた二人はようやく口を開いた。

 

「……どのような形で協力するかは今後話し合って決めようと思います」

「う、うんっ、そうだね!ヒッキー、応援するよ!」

「……そ、そうか……ありがとな」

 

 二人のやわらかな笑顔は久しぶりに見た気がする。それは秋の夕陽のように、心を優しく穏やかにさせてくれた。

 俺は二人に頷き、もう一度自分の中で決意を新たにした。

 

 *******

 

 その日の夜、俺は穂乃果に電話をかけ直した。彼女の下校中に電話をかけたせいで、いらぬ混乱を招いてしまったからだ。

 自分自身ようやく昂った気持ちが落ち着いたこともあり、今度はスムーズに話すことができた。

 

「まあ……そういうわけだ」

「なぁんだ、そういうことか~。帰ってる途中にいきなり電話してきたからびっくりしたよ……」

「いや、悪い。真っ先に言いたくてな」

「ふふっ、ならオーケーだよ。でも八幡君が生徒会長かぁ……成長したなぁ」

「お前はオカンかよ。しかもまだ確定じゃないし……」

「大丈夫!八幡君なら大丈夫だよ!」

「……随分自信満々だな」

「だって……私の……か、か、彼氏だもん」

「そ、そうか……てか、自分で言って恥ずかしがるなっての」

「あはは……八幡君」

「?」

「大好き♪」

「っ……いや、い、いきなりなんだよ……」

「……八幡君はどう?」

「え?あ、いや、その……きだけど」

「聞こえないよ~?」

「……だから、俺も……好きだけど?」

「何で疑問形なのっ?迷わず言ってくれていいのに!」

「迷わずにー……」

「SAY YES~♪って誤魔化した!?八幡君のバーカバーカ!」

 

 こういうところは変わらないのが俺達らしいのかもしれない。

 ふと窓の外を見ると、満天の星空がいつもより煌めいて見え、自分と彼女の距離を近く感じてしまった。

 それは、二人が交わす言葉の数だけ近づいてる気がした。 



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80話

 数日後、廊下の掲示板に新しい生徒会のメンバーの名前が貼り出されていた。そして、そこには……

 

 生徒会長 比企谷八幡

 

 ……やはり自分で何度確認しても、未だに現実とは思えない。

 生徒会長に立候補すると宣言したあの日から、雪ノ下と由比ヶ浜は本当によく協力してくれた。

 あの二人のおかげで、すぐに推薦人も集まり、応援演説もしてくれたので、選挙に勝つことができた。

 ……よし、間違いなく現実だ。近くにいる男女が「生徒会長のヒキタニって人知ってる?」「知らな~い」とか言ってるし。おい。

 

「ヒキタニく~ん、チィッス!」

 

 背後からチャラい声でチャラい挨拶をされるが無視すると、肩を掴まれた。

 

「ちょっ、ヒキタニくん無視とかヒドくね!?」

 

 振り向けばチャラい奴がいた。

 

「何か用か?」

 

 てか、お前がデカイ声でヒキタニくんとか呼ぶと、本当にヒキタニだと思われちゃうだろうが。

 戸部は何事もなかったかのように俺の隣に並び、ニカッとチャラい笑みを見せた。

 

「いや、いきなりヒキタニくんが生徒会長になるなんて、朝っぱらから驚きでしょー!」

「……かもな」

 

 一応昨日には発表されていたはずなんだが……まあいい。どうせ戸部だし。

 

「そういや、ヒキタニくん。修学旅行の時、サンキュー」

「ああ…………は?」

 

 俺は後退り、もう一度戸部を見る。今こいつ……何て言った?

 

「おい。今さらだが、あれは……」

「いやわかってるから!そうじゃなくて~!ヒキタニくん、あん時……」

「別にお前の為にやったわけじゃない。だからこの話はここで終わりだ」

「まあまあ、そう言わずにさ。俺らもうマブダチじゃん?」

「いや、違うだろ」

「即答とかヒドくね!?まあ、感謝してるのは本当だからさ。ヒキタニくんも俺に頼みがあるなら、どんどん言ってみ?」

「じゃあ、一ついいか?」

「おーう」

「俺の名前はヒキタニじゃなくてヒキガヤだ。それを直すところから始めようか」

「……お、おう」

 

 この日以来、戸部がちょくちょく話しかけてくるようになった。まあ、別にどっちでもいいんだけど。

 

 *******

 

 昼休み。ヒデコ達とお弁当を食べていると、ヒデコがニヤニヤしながら私の肩をたたく。何だろう?なんか企んでいるような……

 

「ねえ、穂乃果。アンタ比企谷君とはどこまでいったの?」

「ど、どこまで?」

 

 特にまだデートはできていないからどこにも行ってないんだけどなあ…………でも、中々時間が……。

 考えていると、フミコとミカも話に入ってきた。

 

「ダメだよ。そんな言い方じゃ」

「穂乃果にはハッキリ聞かないと」

「?」

 

 ハッキリ?何を?え?

 何でか知らないけど、ちょっと真面目っぽい空気が漂いだす。

 よくわからない私の顔を見て、ヒデコはやれやれと首を振った。

 

「そっかぁ……じゃあ、穂乃果……」

「?」

 

 ヒデコは少し頬を紅くしている。な、なになに?何なの?

 そのままヒデコは、ゆっくり緊張ぎみに口を開いた。

 

「ぶっちゃけ……キス、したの?」

「…………え?」

 

 …………キス? 



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81話

 あの後、私は顔が真っ赤になり、自分でもよくわからない事になっていた。何か叫んだような……そして止められたような……あぁもう……ヒデコがいきなりあんな事言うから。

 私と……八幡君が……キ、キ、キ……。

 

「キスがどうかしたの?」

「わわっ、絵里ちゃん!?えっ?わ、私、何か言ってた!?」

 

 いきなり声をかけてきた絵里ちゃんは、やけに大人びた笑顔を見せ、ふるふる首を振った。

 

「わかるわよ。さっきから唇ばかり気にしてるもの」

「うぅ……そ、そう、かなぁ」

「それで……したの?」

「……え?」

 

 絵里ちゃんは私の両肩を掴み、じっと見つめてくる。め、目が血走ってて怖いよ……。

 

「エリチ」

「はい」

 

 希ちゃんが声をかけると、絵里ちゃんは私から離れた。さすがは希ちゃん!スピリチュアルだね!関係あるかはわからないけど!

 すると、希ちゃんは私にもピンっとデコピンをしてきた。

 

「あうっ」

「穂乃果ちゃんも今日は心ここにあらずって感じやね」

「……ご、ごめん」

 

 確かにそうだった。

 私は自分の頬をパンっと叩き、気合いを入れ直す。そうだよね。もうすぐハロウィンライブもあるんだから、しっかりしないと!

 

「ほ、穂乃果!?」

「穂乃果ちゃん、痛くない!?」

「大丈夫!よしっ、皆ごめん!もう一回合わせよ?」

「まあまあ、別に焦らなくてもええんよ。初めて恋人ができたんやし、気持ちが浮わつくのは仕方ないと思うから」

 

 希ちゃんは優しい笑顔で頭を撫でてくれる。あぁ、やっぱり年上なんだなぁ。

 

「うぅぅ……希ちゃん、こんな時どうすればいいのかなぁ?」

「……え?」

「そ、その……こういうのって希ちゃんが一番詳しそうだし……」

「…………」

 

 花陽ちゃんと凛ちゃん、そして真姫ちゃんもうんうんと頷いた。

 

「そう、だよね。お姉さんって感じだし」

「スタイルもいいにゃ!」

「まあ、この中だったら一番モテるかも」

「…………あはは」

 

 希ちゃんは恥ずかしそうに笑いながら何故か周りをキョロキョロ見る。いつの間にか、海未ちゃんとことりちゃんも、希ちゃんのアドバイスを待っていた。

 

「え、えーと……」

「あれ?希って確か……」

「ええ。希も間違いなく彼氏いない歴=……」

「にこっち、エリチ」

「「はい」」

 

 にこちゃんと絵里ちゃんがビシッと真っ直ぐに立つ。二人も希ちゃんのアドバイスを聞こうとしているのがわかった。

 

「ふぅ……穂乃果ちゃん?」

「う、うん……」

 

 希ちゃんは真面目な表情で私を見据え、ゆっくり話し始めた。

 

「穂乃果ちゃんは、自分に素直になればええんよ」

「う、うん……」

「……………………それだけ」

「それだけっ!?」

 

 あまりに短いアドバイスに私が驚くと、希ちゃんはからかうような笑顔をつくった。

 

「二人には二人の付き合い方がある。だから、二人がお互いにもっと踏み込みたいと思った時でええんよ」

「私達には……私達の……」

「逃げたわね」

「ええ、逃げたわね」

「にこっち?エリチ?」

「「はい」」

 

 私達がもっと踏み込みたくなったら……か。

 ……あ、そうだ!いいこと思いついた!でも、今はそれより……

 

「よぉしっ!皆、練習再開だよ!」



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82話

 俺が生徒会に入り、奉仕部を辞めたわけだが、奉仕部のメンバーとよく顔を合わせる。その理由は……

 

「あっ、ヒッキー。やっはろー」

「こんにちは」

「……おう。今日も来てたのか」

「せんぱーい、遅いですよー」

「いや、お前らが早すぎるだけだろ……」

 

 誤解される前に言っておくが、別に奉仕部メンバーが生徒会に入ったわけではない。ちょくちょく顔を出して、色々手伝ってくれているだけだ。

 さらに、奉仕部には新しいメンバーが加入した。一人は一色で、もう一人は……

 

「…………」

「何だよ……相模」

「別に……」

 

 そう、もう一人の新メンバーとは、あの相模である。もう一度言う。あの相模である。

 大事なことでもないのに二回言ってしまったが、驚いたのは確かだ。WANDSのボーカルが代わった時くらいの驚きだろうか。

 生徒会の他のメンバーも、色々と濃い助っ人達に何ともいえない表情を見せていた。言いたい事があれば言っていいんだよ!

 そんな中、副会長が俺の肩をこっそり叩き、話しかけてきた。

 

「会長……そろそろ平塚先生から頼まれたイベントの会議始めようか」

「……そうだな」

 

 とりあえず……こんな感じで、新生徒会は賑やかなスタートを迎えていた。

 そんな感慨に耽っていると、ポケットで携帯が震え出す。多分……いや、間違いなく穂乃果だろう。

 確認してみると、やはりあいつからだった。さて、用件は……

 

『明後日デートしよ♪』

 

「…………」

「比企谷君、いきなりにやけるのは止めなさい」 

 

 *******

 

 というわけで俺は今、小町コーデの服に身を包み、秋葉原の駅前にいる。

 あいつとは何度か出かけたことがあるので忘れそうになるが、これはれっきとした初デートである。てか、これって俺から誘うべきだったのでは……いや、今考えるのはよそう。

 

「八幡く~ん!」

 

 聞き慣れた声に顔を上げると、普段とは少し雰囲気の違う穂乃果が見えた。彼女は寝坊したのだろうか、少し慌てた表情で息を弾ませている。

 

「はぁ、はぁ、よしっ、ギリギリセーわわっ!」

「っ!」

 

 到着するなりこけそうになる彼女を慌てて支える。

 すると、思いきり抱きしめる形になり、甘い香りが弾け、鼻腔をくすぐった。

 

「だ、大丈夫か?」

「うん、平気……ありがと」

「…………」

「…………」

 

 自然とそのまま見つめ合う。正直、周りに人がいなければ、勢いでもっと強く抱きしめていたかもしれない。

 やがて、腕に甘い体温や柔らかさが馴染んだ頃に、彼女の方から口を開いた。

 

「えと……じゃあ行こっか」

「……ああ」

 

 穂乃果が腕の中から離れ、歩き出してからも、しばらくその体温は腕に絡みついていた。



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83話

「チッ、またかよ……ボッチのくせに」

 

 いや、いきなりお前の台詞からかよ。ふざけんな。てか本当に誰なのか、いい加減に決着をつけたいところだが、今日はデート中だから、見逃してやるとしよう。 

 

「そういや、行き先は秘密って言ってたけど、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「うんっ、でもその前に……」

 

 穂乃果はこちらに手を差し出し、照れくさそうに笑った。

 

「手……繋ご?」

「あ、ああ、わかった……」

 

 俺は彼女の手を握り、慌てて歩幅を調節する。いかん。このままじゃリードしてもらいっぱなしになりそうだ。これまで誰かと何処かへ行く時に全て他人任せにしてきたツケがこんな場面で回ってくるとは……あっ、よく考えたら誰かと出かけた経験がそんなにありませんでした。てへっ!

 どうやら今日は流れに身を任せろということだろうか。じゃあ……

 

「……今日は任せた」

「いきなり今日を丸投げされた!?まあ、いいけど……今日は任せてよ!」

 

 穂乃果はどんと胸を張った。決して大きくはないものの、形のいい……

 

「ど、どこ見てるの!八幡君、やらしい!」

「……いや、ち、違……」

 

 何か言い訳を考えていると、穂乃果はこちらへのジト目を和らげ、ギリギリ聞き取れるくらいの声で囁いた。

 

「……私以外、そういう目で見たらダメなんだからね?」

「…………」

 

 唐突な甘い言葉に、耳が蕩けてしまいそうな気分になる。あれ?ほ、本当に蕩けてないよな……てか、何だこれ、可愛すぎやしませんかね?

 穂乃果も、自分で言って恥ずかしくなったのか、目的地まではしばらく無言になってしまった。

 

 *******

 

「つ、着いたよ!」

 

 ようやく恥ずかしさやら何やらが薄れてきたところで、目的地に到着した。

 その建物は、パッと見は洒落た洋風の、いかにもリア充という雰囲気の店だが、それより……

 

『カップルで挑戦!スイートマウンテンケーキ!!』

 

 店の扉にでかでかと貼られたチラシに目がいってしまう。

 

「おい、これ……」

「さ、入った入った♪」

 

 店内はそこそこ賑わっていて、少し女子の割合が高いが、デート中だからか、いつものような変な緊張感みたいなのも感じることはない。

 店員に案内された席に座ると、穂乃果がすぐに目的の商品を注文した。

 

「スイートマウンテンケーキ一つお願いしま~す」

「はい、かしこまりました!」

 

 マジか。本当に頼みやがった……。

 店員さんが去ってから、俺は穂乃果に声をかけた。

 

「……大丈夫なのか?」

「えっ、何が?」

「いや、ほら……お前、スクールアイドルなんだし。体重とか……」

「体重……ああ、大丈夫!昨日たくさん動いたから♪」

「そ、そうか……ならいいが……」

 

 別にフラグじゃないよな?いや、今時こんな珍しいフラグがあるわけが……。

 色々危ない気はしたが、ケーキを待ちわびる彼女の幸せそうな笑顔を見ていると、俺は何も言えなくなってしまった。

 



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84話

「お待たせしました~!」

「わぁ~~♪」

「……マジか」

 

 出てきたケーキは、間違いなく俺一人では食べきれない大きさだった。

 こいつ、デートとは言ったものの、これを食べてみたかっただけじゃなかろうか……まあ幸せそうだからいいけど。

 穂乃果はフォークでケーキを取り、そのまま口に頬張……らずに、こちらに向けてきた。

 

「は、はい、えと……あーん」

「…………」

 

 ハチマンはこんらんしている!

 えっ、これって……アレですよね?食べろってことですよね?

 こちらに向けられたケーキをじっと眺めていると、穂乃果はさらにそれを近づけてきた。

 

「ほら、は、早く食べないと、私が食べちゃうんだから!」

「あ、ああ……」

 

 あまり考えても仕方ないので、とりあえずケーキを口に含んでみる。

 すると、想像していたのより濃厚な甘さが口の中に広がった。それがケーキそのものの甘さなのかを疑ってしまうくらいに。

 

「どう?美味しい?」

「……まさか、お前が最初の一口を譲るとは思わなかった」

「そこ!?しかも味の感想じゃない!まったく、八幡君は素直じゃないんだから……」

 

 そう言いながら、穂乃果もケーキを食べ始める。いや、さすがにいきなりは恥ずかしいと言いますか……。

 俺は切り分けたケーキを食べながら、彼女の紅く染まった頬を眺めていた。

 

 *******

 

 一時間後、何とかケーキを食べきり、俺達は店を後にした。

 

「ふぅ、お腹いっぱいになっちゃった!」

「あ、ああ、てかこれ……晩飯は入りそうもないな」

「そうかなぁ?白米は別腹って花陽ちゃんが言ってたから大丈夫だよ、きっと!」

「いや、初耳なんだが……」

 

 穂乃果以外にも変なフラグ立ててる奴がいるとは……μ's、大丈夫か?いやいや、信じよう。きっとこれはただの成長期。二人は運動しまくってるから大丈夫!

 かぶりを振って不安を追い払うと、穂乃果がチラチラこっちを見ているのに気づいた。

 俺はすぐにその意味に気づいた。

 

「……ほら」

 

 緊張気味に手を差し出すと、彼女はにっこり笑みを浮かべた。

 

「うんっ♪」

 

 再び繋がれた手のひらの感触は、さっきより馴染んでいた。

 

 *******

 

 そのまま穂乃果に言うとおりにしばらく歩くと、公園に到着した。中央に池があるかなり広い公園で、ジョギングをしたり、シートを広げて弁当を摘まんだり、遊具で遊んだり、色んな人がそれぞれの休日を過ごしていた。

 

「へえ、こんな場所あったんだな」

「うんっ、たまにここで皆一緒にジョギングするんだよ♪」

「えっ?今からジョギングすんの?」

「あはは、しないよ。ほら、こっちこっち」

 

 穂乃果は空いたベンチに座り、笑顔で手招きした。ゆっくり話をしたいとか、そういうことだろうか。

 すると、彼女は自分の膝をポンポン叩いた……は?

 

「えっと……や、休んでいいよ?」

 

 *******

 

「あれは……高坂さんと比企谷君?な、何を……」

 



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85話

「……じゃ、じゃあ、行くぞ」

「うん……いいよ」

 

 俺は体を横たえ、そっと穂乃果の太ももに頭を乗せる。ちなみに、彼女は今日ミニスカートを着用しているので、後頭部には、柔肌の感触が直に触れて、とにかく緊張してしまう。

 ……いや、こんなの眠れるわけねえだろ。

 

「ふふっ……」          「あわわ……」

「…………」

 

 ひんやりした手にさらさらと髪を撫でられ、どこか懐かしい気分がふつふつと沸き上がる。あれ?何だこれ……

 

「子守唄歌ってあげよっか?」

「いや、それはいい。てか、お前のほうが疲れてると思うんだが……」

「私がしたいだけだからいいの。それで……どう、かな?」

「……まあ、その……いい感じだけど」

「そっかぁ、よかった」    

     「よ、よくないわよ!」

 

 何やら騒がしい声も聞こえてくるが、それも気にならないくらいの至福に包まれていた。ずっとこのままでいたいなんて、阿呆なことを考えてしまうくらいに。

 やがて俺は穏やかな眠りの世界に落ちていった。

 

     「な、何?これから何が起こるというの!?」

 

 *******

 

「…………?」

 

 うっすら目を開けると、自分がいつの間にか眠っていたことに気づく。あれ?どのくらい眠って……!?

 危うく変な声を上げそうになる。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 なんと目の前には穂乃果の顔があり、すやすやと穏やかな寝息をたてていた。

 ……お前の方が熟睡してるのかよ。まあ、いいけど。

 ただ、この状況は少し……いや、かなりやばい。

 温かな吐息がこちらの唇をくすぐり、どうしても彼女の唇を意識せざるを得ない状況になってしまっている。あと少しで、角度はあれだが唇同士が触れ合ってしまいそうなのだ。   「す、するの?しちゃうの?」

 本来なら自分が動けばいいだけだが、もう艶やかな唇に目を奪われてしまい、動くことなどできなかった。

 

「すぅ……すぅ……んぁ?……ん?」

「…………」

 

 どうやらお目覚めのようだ。

 穂乃果は目をぱちくりさせ、自分が起きたことを確認している。その様子が可愛くて、そのまま見ていることにした。

 

「えっと、お、落ち着きなさい、ツバサ。これは覗きなんて品のない行為ではなく、曲作りの参考の為よ!」

 

 ……今、どっかから聞き覚えのある声がしたような?いや、気のせいか。

 やがて、本格的に意識が覚醒した穂乃果と、バッチリ目が合う。

 その頬は、あっという間に紅くなった。

 

「あわわわわ……ご、ごめん!」

「っ!い、いや、いい……」

 

 俺達はすぐに顔を離した。

 正直に言うと、少し惜しい気もしたが、ここで初めてというのはやはり違う……てか、何考えてんだ、俺は。

 携帯で時間を確認すると、どうやら眠っていたのは30分くらいらしい。昼寝には丁度いい長さだ。

 ……こ、これが膝枕か。

 

「穂乃果……ありがとな」

「うん、どういたしまして。またやってあげるね♪」

「……そっか……次は俺がやってもいいけど」

「あっ、それいいかも」

 

 どちらもまだ寝ぼけた笑顔を見せ合いながら、ゆっくり立ち上がり……

 

「いや、何もせんのかい!!」

「「っ!?」」

 

 突然の大声に、二人して肩が跳ね上がる。

 何事かと辺りを見渡すと、近くの茂みから謎の人影が現れた。

 その人影は、最初逃げるべきかどうか悩んでいたが、やがて優雅な雰囲気を振り撒きながら、何事もなかったかのように俺達の方を向く。

 

「あ、あら、偶然ね。高坂さん、比企谷君」

「「…………」」

 

 そう、謎の人影の正体は、A-RISEのリーダー・綺羅ツバサだった。

 ……髪に葉っぱついてんぞ。



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86話

「いい天気ね、二人はデートでもしてたのかしら?」

「「…………」」

 

 いや、次の話に飛んだからってリセットできねえよ。髪に葉っぱ付いたまんまだし。何より、一体いつからいたのだろうか?

 穂乃果に目を向けると、顔を真っ赤にして、あうあうと取り乱していた。多分、憧れのスクールアイドルに膝枕を見られたからだろう。

 ……なら今は俺が話すしかないか。

 

「あの……いつからいたんですか?」

「公園に入った時から……いえ、たまたま通りかかったのよ」

「…………」

 

 いや、自分で全部言っちゃってるじゃん。この人、意外とポンコツか。

 ついついしらっとした目を向けると、綺羅さんは気まずそうな表情で口を開いた。

 

「えーと、ほら、あれよ。何となく公園に来てみたらあなた達がいて、高坂さんが比企谷君を膝枕して、それから高坂さん自身も眠っちゃって、比企谷君の××が崩壊寸前になって……」

「…………」

 

 穂乃果がジト目を向けてくる。ちょっと待て。俺は無罪だ。いや、あながち的外れではないかもしれんが、それより今一番の疑問は……

 

「……いきなり変な事言わんでくださいよ。つーか、何で茂みから見てたんですか?」

 

 俺の言葉に、綺羅さんはピタッと固まった……これ、絶対に疚しいことあるやつだ。俺知ってる。

 すると、彼女はこほんと咳払いをしてから、手遅れだと思うがシリアスな雰囲気を身に纏い、クールに話し始めた。

 

「ほら、ラブライブの地区予選の決勝に向けて曲作りをしないといけないじゃない?それで曲の題材を探していたら、偶然あなた達の……イチャイチャに遭遇したのよ。それでつい……」

「……そうですか」

「なるほど!そうだったんですね!」

 

 立ち直った穂乃果はあっさり信じてしまっているが、多分ウソだろう。何というか……表情から声色、何から何まで胡散臭い。間違いなくただの好奇心だろうが、別にそこをつついたところで誰も得はしない。むしろ残念な空気にしかならないので黙っておこう。

 そんな俺の優しさには気づかずに、綺羅さんは優雅な微笑みを俺達に向けた。

 

「ふふっ、とても勉強になったわ。それじゃあ私はもう行くから、ゆっくりデートを楽しんでね。それと高坂さん」

「は、はい!」

「ラブライブ地区予選もそうだけど、今度のハロウィンライブ、楽しみにしてるわ」

「はいっ、頑張ります!!」

 

 穂乃果の瞳はキラキラ輝いていて、そこには純粋な尊敬の念が籠められていた。マジか。この子が将来悪い大人に騙されないようにしっかり見守らなくちゃ!

 結局、何事もなかったように(本人はそう思っている)綺羅ツバサは、完璧な立ち振舞いで俺達の前から去っていった……髪の毛に葉っぱをつけたまま。

 

 *******

 

「はぁ……まったく、とんでもないものを見てしまったわ」

 

「……頼めばキスシーンとか見せてくれるかしら?」



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87話

「あぁ~よく寝たから体が軽いっ♪」

「そうだな。続きは帰ってから寝れば……」

「八幡君?」

「いえ、冗談です」

「まったくもう~、はいっ」

 

 穂乃果は頬を膨らませながら、手を差し出してきた。

 俺はそれをほんの少し慣れた気分で握りしめた。

 

 *******

 

「そういや、次はどこに行くんだ?」

「ん~……わかんないっ」

「そうか」

「あれ?てっきりツッコミが入るかと思ったのに」

「まあ、あれだ。全部お前に決めてもらってるから、文句を言うつもりはないし、それに……」

「?」

「…………なんつーか……こ、こうして、お前と一緒にいれればいい」

「えっ……八幡君、珍しいね。なんかあった?大丈夫?」

「いや、真っ先にそのリアクションかよ……」

「あはは、だって意外すぎるんだもん!八幡君がそんなに素直なんて」

「ま、まあ、そこは否定しない」

「……だからこんなに嬉しいのかも」

「そっか。なら、よかった」

 

 *******

 

 しばらく話しながら歩いたり、目についた店に入ったり、CDショップで互いに好きな曲を教え合ったりしていると、あっという間に時間は過ぎた。

 そして、陽も傾き始めた頃、俺は穂乃果を家まで送り届けた。

 

「……じゃあ、また今度」

「う、うん、送ってくれてありがとう、またね」

「…………」

「…………」

 

 どちらかが背を向ければいいだけなのだが、動けずにそのまま立ち竦む。

 ……まさかデートの別れ際が、こんな名残惜しい気分になるとは……考えたこともなかった。

 正直にいえば、まだ一緒にいたい。

 だが、ここは俺から……

 

「あれ?お姉ちゃん達、何してるの?」

「わわっ、びっくりしたぁ……」

 

 突然現れた……といっても家から出てきただけだが……高坂妹が不思議そうに自分の姉と俺を交互に見ている。

 

「あっ、比企谷さん、こんにちは」

「……こんにちは」

「ゆ、雪穂、あの、こ、これはその……何と言いますか……」

「ん?あぁ、そういうこと…………ええっ!?」

 

 姉の挙動不審な様子を見ただけで何かを察したのか、高坂妹は慌てて姉の肩を掴み、揺らしまくった。

 

「お、お姉ちゃん、マジ!?マジなの!?」

「な、何が~!?」

「とぼけないで!比企谷さんと付き合い始めたんでしょ!?」

「そ、そうだけど!大声出さないでよ、お父さんに聞こえちゃうっ」

「はあ……今日デートだったのか、どうりで心ここにあらずなわけだ」

「?」

「お姉ちゃんは昨日デートの事で頭いっぱいだったから忘れてるだろうけど、今日からお父さんとお母さんは旅行だよ」

「……え~~!?ウソ!?」

「ウソじゃないよ。だから今日は自分で晩ごは……あ、そうだ」

 

 何かを思い出したように携帯を取り出した高坂妹は、一旦家の中へと戻った。

 

「……どうかしたのか?」

「さ、さあ……」

 

 数分経ってから出てきた高坂妹は、ちょっと大きめの鞄を持っていた。

 

「雪穂?それ……」

「お姉ちゃん、私、亜里沙から呼ばれちゃって、今から行ってくるね。多分お泊まりするから」

「ええ!?ゆ、雪穂っ」

「いいから、いいから。私の事は気にしないでいいから」

「…………」

 

 自分から電話していた気がするが、気のせいだろうか?

 すると雪穂は、俺に悪戯っぽい笑顔を向けた。

 

「それじゃあ、ごゆっくり♪」

「え?あ、ああ……」

 

 高坂妹は軽やかな足取りで、あっという間にいなくなってしまった。

 ……おい、これってまさか……。

 状況を理解した上で穂乃果に目を向けると、彼女は頬を紅くして、上目遣いで見つめてきた。

 

「……あの……とりあえず、上がってかない?」



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88話

 突然お泊まりイベントが発生したわけだが、もちろんそんな準備はできていないので、晩御飯の食材と一緒に色々と買いに行くことにした。

 

「八幡君、晩御飯何食べたい?」

「……いかにも料理できる風な言い方だが……大丈夫か?」

「できるよ!私、高校生だし、和菓子屋の娘だし!」

「どれも料理ができることとの因果関係が見出だせねえよ」

「大丈夫大丈夫!アイデアなら沢山あるから♪」

「やめろ。不安にさせるような事言うな」

 

 あからさまな失敗フラグがたてられるのを何とか阻止しながら、カレーの材料をカゴに入れていく。これなら多分大丈夫だろ。

 

「はい、これも!」

「はいはい……てか、これお菓子じゃねえか。昼にケーキ食っただろ」

「甘いものは別腹なんだよ?」

「そ、そうか……」

 

 別腹ならいいかー。別に変なフラグたってないし?何ならこのままいくら食べても太らないキャラを確立して欲しい。

 自分に言い聞かせるように頷くと、穂乃果が体をぴったりくっつけてきた。

 

「……歩きにくいんですが」

「いいじゃん、少しくらい。それに……」

「?」

 

 言い淀む彼女に首を傾げると、俯いたままポツリと声が漏れた。

 

「……なんか新婚さんみたい」

「っ……あ、ああ」

 

 いきなりそういうこと言われると、幸福度がカンストして、頭おかしくなりそうだから、心の準備をさせて欲しいんだが……無理か。

 

「ええっと……そこのジャガイモ取って。……あなた♪」

「…………」

 

 ……まあ、こういうのも悪くない……いや、むしろいい。すごくいい。

 

「チッ、ボッチのクセにもうすっかり新婚気分かよ。てか、何でここにいるんだよ」

 

 それはこっちのセリフなんだが。

 

 *******

 

 無事に買い物も終わり、家に帰り、調理を始めると、どちらも覚束ない手つきではあったけど、何とかカレーを作り終えた。大丈夫。オリジナルな味付けなんかはしていない。

 

「ふぅ……実は私、料理の才能あるのかも」

「……じゃあ、食うか」

「あ~!無視したぁ!」

 

 いや、だって中途半端に自信を与えたら、後々面倒なことになりそうだし……。

 

「あぁ、大丈夫才能ある才能ある。自信持っていいぞ」

「なんかテキトーすぎるよ~!」

 

 穂乃果の戯れ言を聞き流しながら、とりあえずカレーを一口食べてみた。

 

「あっ……美味い」

「じゃあ私も食べよっと♪……ん~、美味しい!」

 

 とりあえず初めての共同作業は上手くいったようだ。

 何故かじんときていると、穂乃果がこちらに手を伸ばしてきた。

 

「御飯粒ついてるよ?」

 

 彼女は米粒を一つ俺に見せてから、それをパクっと口に含む。

 そしてドヤ顔を見せた。

 

「ふふん、まだまだお子様だね~」

「…………」

 

 俺は彼女の頬についた米粒を取り、口に含む。

 

「ふふん、まだまだお子様だねー」

「…………」

 

 その後、カレーを食べ終えるまで、どちらも頬を紅くしたまま無言になった。 

 

 



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89話

 風呂上がりにぼんやりとテレビを見ていると、何だか不思議な感じがした。原因は高坂父のパジャマを着ていることだけではないだろう。

 今、穂乃果は風呂で鼻唄を口ずさんでいる。

 ……自分の彼女がひとつ屋根の下で風呂入ってるってなんか変な気分なんだが。

 似たようなシチュエーションは自分の家で経験したが、あの時と今では関係が違う。俺達自体が変わったわけではないが、それでも何かは変わっている。

 ……まあ要するに……自分の彼女が裸で近くにいると思うと落ち着かねえ!!だって男の子だもん!!

 

「ふぅ~さっぱりしたぁ♪」

「っ!」

 

 悶々としている内に、どうやら穂乃果が上がってきたようだ。

 Tシャツに短パン姿の彼女は、姿を見せるなり俺を見て首を傾げた。

 

「ん?どしたの、顔赤いよ?」

「……あ、ああ、まだのぼせてるみたいだ」

 

 二度目の風呂上がりの姿はやはり新鮮で、どこか艶かしく見える。

 彼女はこちらの心を無自覚にかき乱しながら、俺の隣にすとんと腰を下ろした。

 

「ねっ、今から何しよっか?」

「いや、今からなんて寝るくらいしか……」

「やだっ♪」

「っ!」

 

 穂乃果が横からいきなり抱きついてくる。それと同時に、ふわりとシャンプーの香りが漂い、火照った体温が絡み、一瞬で頭の中が彼女でいっぱいになった。

 

「お、おい……!」

「えいっ♪えいっ♪」

 

 穂乃果は甘える子供のようにぎゅうぎゅう抱きついてくる。ただでさえ肌と肌がいつもより触れ合っているのに、背中では柔らかな感触が潰れているのがわかり、理性がガリガリ削られていく。

 や、やばい……。

 

「八幡君、何か言ってよ~……あ」

「…………」

 

 突然の静寂に耳が疼く。

 俺は穂乃果を思いきり抱きしめていた。

 何の前触れもない抱擁に驚いたのか、穂乃果の吐息が強めに耳にかかる。

 

「は、八幡君?」

「……悪い。だが一つ言っておくぞ」

「うん……」

「俺は、その……お、お前の事が……好きすぎるから……いきなりぐいぐい来られると……我慢できなくなるんだが……」

「…………でも」

「?」

「私は……八幡君にこうされるの、とっても好きだなぁ。幸せに包まれてるって感じがする」

「……そっか」

 

 その言葉に応じるように、彼女を抱きしめる腕に、そっと力を込める。離さないように、壊さないように。

 ふにゃっとした彼女の体は、自分の体へと溶けていきそうなくらいに柔らかく馴染んでいた。

 

「…………ん」

 

 そして、不意打ちのように、頬に彼女の唇が触れる。

 頭がぼんやりしていて、驚きはあまりなかったが、それでも胸のときめきは加速していく。

 彼女の顔を見ると、頬どころか耳まで真っ赤になり、さっきよりも吐息が湿っていた。

 

「もう少し……このままでいよっか」

「…………ああ」

 

 夜の静寂が眠りを運んでくるまで、二人はそのままでいた。



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90話

「…………ん?」

 

 瞼を朝焼けに照らされ、じわりと目を開けると、長い夢から覚めたような感覚と共に一日の始まりを迎える。

 きょろきょろと室内を見回すと、昨夜と変わらない高坂家の居間だった。

 昨日あったことが嘘みたいな雰囲気に、何だか違和感を覚える。

 あの後は……しばらくしてどちらも照れくさくなって、寝ることにしたんだっけ?もちろん別々の部屋で寝ることにしました。比企谷八幡は清く正しい男女交際を心がけています。

 昨夜の事を思い出しながらぼんやりしていると、階段を降りてくる音と共に、穂乃果が姿を見せた。

 

「おはよ~八幡くぅ~ん……」

「……おう、まだだいぶ眠そうだな」

 

 返事をすると、彼女は瞼をこすりながら、にへらと笑った。

 

「えへへ~なんか早く八幡君の顔見たくなっちゃって」

「そっか……てか、朝っぱらから恥ずかしくなること言うのは止めてね」

 

 まだまだ寝ぼけ眼の彼女を畳の上に座らせてから、俺は台所に向かった。

 

「どうしたの~?」

「朝飯作るんだよ。お前今日練習だろ」

「えっ?あっ、大丈夫大丈夫!自分でやるから!」

「いや、何でそこではっきり目が覚めるんだよ……それに、昨日ので家事レベル中学2年くらいに上がったから大丈夫だよ」

「カレー作っただけで!?早すぎない!?」

「案外今年いっぱい頑張れば小町くらいになるんじゃないだろうか……」

「自信ありすぎるよ!それ私の胸が希ちゃんぐらいおっきくなるくらいあり得ないよ!」

「いや、いきなり何言ってんの?」

 

 そんなこと言われたら胸に目がいくだろうが。つまり、今俺が穂乃果の胸元を見るのは俺のせいじゃない。

 

「……むむっ、目つきが怪しい」

「いや、断じて違う。もしそうだったとしても俺のせいじゃない」

「朝っぱらから貴方達は何を話しているのですか?」

「あはは……とっても仲良しさんだね」

「「…………」」

 

 振り返ると、いつの間にか上がり込んでいた園田さんと南さんが、呆れ顔と苦笑いでこちらを見ていた。

 

 *******

 

 朝食を摂り、身支度を整えると、園田さんからのお説教が待っていた。互いに正座で向かい合うと、彼女は淡々と言葉を紡いだ。

 

「まったく……交際は結構ですが、もう少し高校生らしい慎みを持ってください。そもそも胸の大きさなど……まあ、穂乃果が希のようになるのはあまり想像できませんね」

「あはは、それ海未ちゃんだって同じじゃん。ていうか、海未ちゃん私より小さ……」

「穂乃果?」

「げっ……」

「海未ちゃん!?」

「おい……」

 

 どうやら穂乃果は笑顔で地雷を踏み抜いてしまったらしい。

 園田さんは笑顔のまま、ただし威圧感のような何かを放ちながら、話を続けた。

 

「そうですね。その通りです。では、より成長できるよう、さらに鍛錬を積まねばなりませんね、今から……」

 

 園田さんはゆらりと体を起こし、穂乃果に一歩一歩近づいていく。

 

「う、海未ちゃん?ちょっと待って!八幡君、助けてよぉ……」

「……じゃあ、そろそろ行くわ。まあ、その……応援しとく」

「あ~!逃げようとしてる~!八幡君も一緒に鍛錬しようよ~!」

「いや、何でだよ……」

 

 昨日はロマンチックな空気に浸ったかと思えば今朝はこれだから、本当にこいつは忙しない。だが、こんなところも居心地よく思えてしまうくらいには惚れてるから仕方ない。

 こうして、恋人になってから初めてのお泊まりは幕を閉じた。

 

「大丈夫、二人共まだ成長期やから」

「アンタ、いつからいたんですか……」

 

 



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91話

 とある休日。俺は電車に揺られながら、いつもの景色を眺めていた。最早すっかり見慣れてしまったので大して面白味はないのだが、それでも秋葉原の街が近づくにつれ、自然と胸が高鳴ってしまう。

 

「ふむ、八幡よ。我のもう一つの居場所が近づいてきておる」

 

 そういやあいつ……ちゃんと起きれたのだろうか。

 

「ヒッキー!ほら、あれスカイツリーだよ!めっちゃ高くない!?」

 

 彼女の顔を思い浮かべると、同時にあの夜触れた温もりが鮮明に甦り、心が奮える。

 

「由比ヶ浜さん。あれはスカイツリーじゃなくて東京タワーよ」

 

 ……いや、落ち着け。今日はライブ当日だから、恋人としては応援に集中を……

 

「さーちゃん、みて!あのたてものすっごいおーきいよ!」

「け、けーちゃん!静かにしなきゃダメでしょ?」

 

 ……どうしてこうなったのだろうか。こんな大所帯で移動とか俺らしく……

 

「八幡、どうかしたの?元気なさそうだね」

「いや、全然平気」

 

 今元気出た!たまには団体行動大事だよね!!

 まあとにかく、今日はもう紹介の必要すらないこのメンバーと共に秋葉原へ向かっている。どうやら穂乃果が何人かに連絡して、それが広がったようだ。俺よりこのメンバーとコミュニケーション取れてるんじゃなかろうか……。

 俺が一人でうんうん頷いていると、小町が肩をつついてきた。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃん。安心していいよ。ちゃんと穂乃果さんと二人きりになる時間は作るから」

「……いや、別に……てか、ライブ終わった後にそんな時間あるのかよ」

「穂乃果さん、大丈夫って言ってたよ?お兄ちゃんが聞いてこないって不満そうにしてた」

「……いい景色だな」

「誤魔化さないの。まったくもう、まだ照れが残ってるなんて……」

「ほっとけ」

 

 いや、これでも結構考えた末での選択肢なんだよ?あとお兄ちゃん、結構踏み込ん……ではないかもしれないけど、前よりは積極的になったんだよ?

 とはいえ、それを口に出すのは恥ずかしいので、俺は窓の外に目を向けたまま、彼女の笑顔を頭の中に思い浮かべた。

 

 *******

 

「よしっ!皆、気合いいれていくよっ!」

「穂乃果ちゃん、気合い入ってるにゃ♪」

「ふふっ、ええ顔しとるやん」

「そ、そうかなあ?えへへ」

 

 やっぱり見てくれる人がいるっていいなあ……よし、今日も全力を出しきろう……ん?

 私は腰回りに違和感を感じる。あれ?何だろう、これ……ことりちゃん、サイズ間違えたかな?

 ……いや、気のせいだよね!緊張してるだけかも。

 私はもう一度気合いを入れ、ライブ前最後の準備に取りかかった。



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92話

 ハロウィンということもあり、街中はリア充な空気、もとい賑やかで楽しい空気に満ち溢れていた……ていうか、人が溢れすぎて歩きづらいしもう帰りたいんだが。

 すると、そんな暗澹たる空気を取り払うように、戸塚が楽しそうな笑顔を向けてきた。

 

「すごいね、八幡。皆コスプレしてるよ?」

「ああ。てか、お前らも用意してたんだな」

「当たり前じゃん、ハロウィンだよ?ねっ、ゆきのん♪」

「私は別にしなくてもよかったのだけれど……」

 

 そして、総武高校の面々も何故かコスプレ衣装にいつの間にか着替えている。マジか。

 由比ヶ浜は小悪魔、雪ノ下は雪女、小町は化け猫。そして戸塚は魔法使いなど、林間学校で見覚えのある格好をしているが、それ以外の面子は材木座以外はやけに新鮮に見えた。

 

「はーちゃん、こすぷれしないのー?」

「ああ。この目つきだけで十分なんだ」

「けーちゃん。はぐれないように手つなごうね」

 

 京華は天使のような格好で天使のような笑顔を振り撒き、最早天使である。そして、それに従う従者の如く、川崎が世話を焼いていた。ちなみに彼女はコスプレはしていないものの、京華に付けられたのか、派手な髪飾りやらアクセサリーやらをガチャガチャ付けられていて、実質コスプレ状態である。

 まあ、そんな感じで既に祭りは始まっていた。

 

「八幡よ!どうして我の服装には触れんのだ!?」

「いや、だって……」

 

 さすがに「どうでもいい」とは言わなかったが、正直どうでもいい。ただ言えるのは、鎧みたいなのが歩く度にガシャンガシャンうるさい。

 すると、由比ヶ浜が「あっ」と声をあげた。

 

「ヒッキー、あれμ'sじゃない?」

「?」

 

 由比ヶ浜の指差す方向を見てみると、確かに見覚えのあるほのまげがピョコピョコ揺れていた。

 どうやらパレードの方にも参加しているらしい。彼女達は通行人に笑顔を振り撒きながら、パレードを精一杯盛り上げていた。

 

「あっ、みゅーずだー♪」

「穂乃果ちゃーん、やっはろー!!」

 

 えっ、その挨拶そういう使い方もできんの?

 「やっはろー」の新しい使い方を知り、自分が使うことはないだろうと決意を新たにしていると、人混みの隙間からも、ようやくその表情が確認できた。

 そして、徐々に近づいてくるのを眺めていると、当たり前のように穂乃果と目が合う。

 俺は控えめに手を振っただけだが、それに対し彼女は……投げキッスをかましてきた。

 

「っ!」

 

 あいつ……よくこんな公の場で……。

 頬が火照るのを感じながら、だんだん離れていくその背中を眺めていると、今度は別の視線を感じた。

 …………綺羅さん。顔を真っ赤にしながら、俺と穂乃果を交互に見ないでください。

 

 *******

 

 ライブが始まると、さっきのほんわかした雰囲気を脱ぎ捨て、スクールアイドルとして華やかなパフォーマンスを披露した。

 心地よい音の波や曲の世界観、彼女達の歌声とダンスに、通行人は心を奪われてしまっていた。

 

「わぁ、皆凄かったね~八幡!」

「……ああ」

 

 本当に……凄い。しかし……。

 何だ、この違和感?

 ライブ中、ずっと穂乃果から謎の違和感を感じたのだが……それが何なのかはわからないまま、ライブはあっという間に終わってしまった。

 ………ま、いっか。

 多分、俺の気のせいだろう。

 こうして、ハロウィンイベントは幕を閉じた。

 

 *******

 

 その頃、高坂家では……

 

「まったく、お姉ちゃんったらこんなに散らかして……ん?これって…………あわわわわ!!!」

 

 



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93話

「助けてよ、八幡くぅ~ん!!!」

「……どうした?」

 

 ハロウィンライブが終わった日の夜、いきなり電話をかけてきたかと思えば、まさかのSOS。しかし、いくら「助けてよ、ドラえも~ん!」みたいなSOSを出されても、こちとら四次元ポケットは持っていない。

 まあ、それでも自分の彼女だ。最善は尽くそう。

 

「……なんかあったのか?」

「太っちゃった!」

「…………」

 

 俺にはどうにもできなさそうだ。

 

「そうか。そういや今日のパレードの衣装なんだが……」

「スルーしないでよっ。ピンチなんだよ~」

「ピンチはほーら……」

「チャ~ンスだと~♪……って話を逸らしてる場合じゃないよ!本当にピンチなんだよ~」

 

 電話越しに泣きついてくる穂乃果の声を聞きながら、俺は彼女に感じていた違和感について、ようやくそれが何なのかがわかった。

 そう。彼女は少し太……ふくよかになっていたのだ。

 

「……そうか。なるほどな」

「何一人で納得してるの!?とにかく助けてよ~!」

「……いや、ダイエットするしかないだろ」

「ううぅ……そうだよね。八幡君、明日から一緒に頑張ろうね」

「おい、さりげなく巻き込むな。こちとら最近運動始めてから体重減ったんだよ」

「ウソっ!?八幡君の裏切り者~!!」

 

 むしろお前があれだけのトレーニングをこなしていながら、体重が増加することのほうが不思議なんだが。

 ……いや、待て。

 よくよく思い返してみると、あちこちにフラグは立っていた気がする。あの日食べたアレとか、この前食べたアレとか……確かに食ってる時は心底可愛かったけれど、本当に止めておいたほうがよかったのかもしれない。

 だとすれば、俺にも責任はあるだろう。

 

「ふぅ……でも仕方ないよね。私の体だし。私自身がやらなくちゃ……」

「……穂乃果」

「ん?なぁに?」

「……一緒に運動するか」

「えっ……」

 

 穂乃果は驚いたような声を漏らした。

 

「まあ、あれだ。俺にも責任がないわけじゃ……「ちょっ、ちょっと待って!一緒に運動って、その……私達にはまだ早いんじゃないかな!?あはは……」おい」

 

 まあ、この子ったらいつの間にかこんな耳年増になっちゃって!そんなんじゃタイトル変わっちゃうでしょ!

 俺は一瞬だけあんなことやこんなことを想像してから、話を続けた。

 

「まあ、その……俺もできる範囲でお前に合わせて運動は増やすし、今度の休み……そっちに行くから一緒にジョギングでもするか」

「…………」

「穂乃果、どうかしたか?」

「ありがとうっ、八幡君!!」

「っ!」

 

 びっくりしたぁ……。

 

「やっぱり八幡君は優しいね!大好き!」

「そ、そうか……」

 

 いきなりそう言われると、ものすごい照れるからやめて欲しいんだが……まあ、悪くないですね、これは。

 こそばゆい気持ちになっていると、穂乃果が躊躇いがちに話しかけてきた。

 

「でも、本当に大丈夫?最近忙しいのに……」

「別に構わん。少し運動量が増えるだけだし。それに、今のメニューも慣れてきたから、そろそろ増やそうと思ってたところだしな」

「八幡君……」

 

 正直、強がりである。だが、それを悟られぬように平静を装った。

 上手くいっただろうかと、彼女の様子を窺っていると、すぐに元気な声が届いた。

 

「私、頑張るね!!」

 

 こうして、二人三脚(?)のダイエットが始まった。

 

 



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94話

 翌日から、俺と穂乃果はそれぞれトレーニングの量を増やし、互いに励まし合いながら何とか週末を迎えた。

 彼女の家まで行くと、既に家の前でスタンバイしていた。

 

「あっ、八幡君おはよう!じゃ、さっそく走ろっか♪」

「待て。せめて着替えさせろ。てかどんだけ気合い入ってんだよ」

「当ったり前じゃん!だって八幡君が一緒に走ってくれるんだもん!気合い十分だよ!」

「お、おう……」

 

 こっちは特別気合いが入ってるわけではないのだが、まあ本人がやる気ならそれでいいや。

 

「じゃあ、とりあえず着替えたいんだけど……」

「うんっ、私の部屋使っていいよ!あっ、変な所触っちゃダメだからね!」

「変な所ってなんだよ……」

 

 どうやら俺の彼女の部屋には変な所があるらしい……いや、どういう意味かは何となくわかってるんだけどね?

 

 *******

 

 急いで着替えて外に出ると、穂乃果はその場で足踏みしていた。

 

「八幡君、遅い~」

「いや、結構早かったろ。てかどの辺走るんだ?」

「ふっふっふ~、安心していいよ。昨日お風呂でしっかり考えてきたからね!」

「そ、そうか……」

 

 せめて自分の足で確認して欲しかったのだが、まあいい。別に迷子になるわけでもないし。多少距離が長いのも臨むところだ。

 

「よしっ、八幡君。ファイトだよ!」

「……ああ」

 

 穂乃果に気合いを入れられ、俺はいつもより気持ち強めに足を踏み出した。

 

 *******

 

「はぁ……はぁ……八幡君、ここ、どこ?」

「……はぁ……はぁ……わからん」

 

 かなり遠くまで来たことはわかる。てか、どこだこの公園?広さはこの前二人で行った公園と同じくらいか……。

 

「は、八幡君、そろそろ、休まない?」

「あ、ああ……」

 

 ここがどこかわからなくとも、帰るなら来た道を戻ればいいだけなので、一旦休むとしよう。

 近くにあるベンチに並んで腰を下ろすと、だいぶ汗をかいてるのに気がついた。これは休日の発汗量の最高記録じゃなかろうか。

 

「はい、これ!」

「おう……ありがとう」

 

 気づかぬ内に飲み物を買いに行っていたらしい。俺は礼を言いながらスポーツドリンクの蓋を開け、冷え冷えの液体を口に含む。

 心地よい感触に心身休まっていると、穂乃果が俺の前に立ち、自分の体をぺたぺた触り始めた。

 

「むむっ、ちょっと痩せたかも」

「はえぇよ。あめぇよ。気のせいだろ」

 

 どんだけ自分の脂肪燃焼率に自信あるんだ、こいつは。そんなんならダイエットなぞ必要なかろうに。まあ、このプラス思考はこいつの良い所だろうけど。

 

「ねえ、八幡君」

「どした?」

 

 急に声のトーンを落とした彼女は、不安そうにこちらを向き、手をもじもじさせた。

 

「私、そんなに太った?」

「…………」

 

 ああ。そういうことか。

 正直、俺からすれば特に変わったようには見えない。とはいえ、それを言ったところで気休めにしかならないのだろうが。何と言うべきか……とりあえず今度は胸元や腰回りを……「八幡君のエッチ!」「お、おう……」決していやらしい意図はなかった。ハチマン、ウソ、ツカナイ。

 帰り道、何故か穂乃果から少し距離を取られた。 



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95話

 家に戻り、順番にシャワーを浴びてからは、ひとまず休憩の時間となった。期待していた方々には悪いが、ラッキースケベなんて起きてないし、き、期待なんて……していない。

 

「八幡く~ん。アイス食べた~い」

「…………」

「はっ!ち、違うよ!そんなんじゃないよ?ア、アイス食べたいとかイミワカンナイっ」

「……大丈夫か。キャラぶれてるぞ」

 

 少しくらいなら構わないと思うが、本人が頑張っていることだし、ここはぐっと堪える。無事ダイエットが成功したらパフェくらいは奢ってやろう。

 

「スピリチュアル、スピリチュアル、スピリチュアル、スピリチュアル………」

「…………」

 

 ……無事にダイエット……成功するよね?

 

 *******

 

「八幡君、休みの日にわざわざごめんねぇ?この子ったらすっかり幸せ太りしちゃって」

「そ、そんなに太ってないもん!体重がほんのちょっと増えただけだもんっ!」

「いや、それ同じ意味だから。お姉ちゃん、ファーストライブの衣装入らなかったんでしょ?まったくもう……そんなアイドル聞いたことないよ」

「うっ……」

 

 穂乃果はぎくっとしてから、控えめに味噌汁を啜った。まあ仕方ない。どれも事実だし。それより……

 

「…………」

 

 高坂父の視線が遠慮なしに突き刺さり、どうにも落ち着かない……ていうか怖い。もしかして、俺を饅頭の具にしようとしているのだろうか。いや、まさかね……。

 現在、俺は高坂家で昼食をご馳走になっていた。秋穂さんの手料理は美味しいのだが、高坂父のオーラがバシバシ飛んできて、ゆっくり味わう余裕がない。

 

「ほらお父さん。そんな顔しないの。八幡君が困ってるじゃない」

「そうだよ。将来お姉ちゃんと結婚したら、ほむらの跡取りになるかもしれないんだし」

「けっ、けっ、けっ、結婚!?」

 

 穂乃果が顔を紅くしながら声をあげる。ちなみに、俺も間違いなく顔を紅くしているだろう。しかし、結婚……俺達が今後どうなるかはわからないし、結婚なんて先の話すぎて現実味はないが、それでも妄想はしてしまう。

 

「結婚……えへへ……なんか照れるなぁ。ねっ、八幡君♪」

「……これ美味しいですね」

「あ~、誤魔化した~……って八幡君、顔真っ赤だよ?」

「い、いや、それお前もだから……てか、そこツッコむの本当にやめて?」

 

 恥ずかしいだけじゃなく、命に関わりそうだから、って……あれ?

 こっそりと高坂父を窺うと、何やら無表情で固まっている。瞬き一つしない。さらに、ひたすら渋い……もしかしてこれって……。

 

「お父さん?もしも~し。お父さん?あれ?お母さんっ、お父さんが固まったまま動かないよ!」

「ああ、娘のウェディングドレス姿想像して気絶してるだけだから気にしなくていいわよ」

 

 いいのかよ。ほっとくのかよ。

 とりあえず……まだきちんと認めてもらうには時間がかかりそうだった。



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96話

「はっ……はっ……」

「はっ……はっ……」

 

 私はダイエット仲間の花陽ちゃんと、街中でランニングしていた(花陽ちゃんは遠慮してるけど大事なダイエット仲間だよ!)。

 海未ちゃんのトレーニングメニューはハードすぎて挫けそうだけど、周りの温かな支えもあり、何とかこなしていた。

 ……ランニング中にいつも通りすぎる定食屋には、今度八幡君と来よう。

 

「ほ、穂乃果ちゃん……っ」

「どうしたの?花陽ちゃん……はっ……はっ……」

「た、楽しそうだね……はぁ……はぁ……」

「そ、そうかなぁ?……えへへ」

「?」

「よ~しっ!ラストスパートだよ!花陽ちゃんっ!」

「えっ?まっ、待って~~!はぁ……はぁ……」

 

 *******

 

 二週間後。俺は穂乃果から、ダイエット成功の報告を受けた。

 

「そっか……お疲れさん」

「うんっ、八幡君も協力してくれてありがとっ」

「……どういたしまして。てか、生徒会の仕事のほうはもう大丈夫なのか?」

「う、うんっ、今度からは気をつけます……」

 

 ダイエットも佳境に差し掛かったところで、生徒会のほうでもトラブルが起こったらしく、そっちの仕事にも精をだした結果、ダイエットの成功にも繋がったらしい。

 

「……お前、すげえな」

「え?」

 

 ふいに自分の口から零れた呟きに、彼女は不思議そうな反応を見せる。

 

「どした?」

「えっ……なんか意外かなって……八幡君が素直に褒めてくれるのが」

「いや、最近はそうでもない気がするんだが……」

「そうかもだけどっ、でも今のはなんか違ったっていうか……うん、八幡君素直になったね♪」

「そ、そりゃどうも……てか、何?今、俺褒められてんの?」

「うん。褒め返したの」

「何だそりゃ」

「あっ、そうだ。八幡君に言っておかなきゃ!」

「?」

「今度、ランニング中に見つけた定食屋に行こうよ!もう私、ずっと我慢してたんだから!」

「あ、ああ……別にいいけど、お前……」

「あぁ、楽しみだなぁ♪あと八幡君からパフェ奢ってもらえるのも楽しみ♪」

「……それ、お前に言ったっけ?」

 

 確かモノローグで語っただけな気がするんだが、僕のきのせいでしょうか?何より……

 

「そうやって油断してると、また後悔する羽目になるぞ。今回で身に染みたろ」

「でも、その時はまた八幡君も一緒にダイエットしてくれるんだよね?」

「……アホか。でもまあ、その定食屋は何となく興味ある」

「ふふっ、絶対に行こうね。あとお父さんもまた会いたいって言ってたよ」

「えっ?何で?」

 

 何か好感度上がるイベントあったっけ?思い当たる節がなさすぎて怖い。

 

「そ、そうか……まあ、いつか、そのうちな……」

「あっ、それと八幡君……」

「?」

 

 急に彼女の声色がどこか変わった気がして、つい身構えてしまう。

 すると、彼女は意外すぎる単語を口にした。

 

「……キスって興味ある?」

「……………………は?」

 

 



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97話

 数時間前……。

 

「ラブソング?」

 

 希ちゃんの提案に皆が首を傾げる。

 そっかぁ……確かにμ'sってラブソングはあんまりないかも。

 考えていると、凛ちゃんが不思議そうに口を開いた。

 

「でも、何でμ'sってラブソングが少ないのかなぁ?」

 

 凛ちゃんも私と同じ事考えてたみたい。

 皆してしばらく悩んでから、自然とあるメンバーに視線が集中する。

 

「な、何ですかっ?皆して……」

『じぃ~~~~~~~っ』

 

 皆からの視線に、海未ちゃんが一歩、二歩と後ずさる。

 すると、いきなりこっちを指差してきた。

 

「そ、そんな目で見られても困ります!それに、恋愛に関してなら穂乃果に聞けばいいでしょう!?恋人がいるのですから!」

「あっ……」

 

 今度は皆の視線が私に集まった。

 

「ほ、穂乃果!アンタ実際どこまで進んでんのよ!?」

「ど、どこまでって?」

「もうさすがにキスくらいはしたん?」

「し、してないよ!まだ付き合い始めたばかりだし、デートだってそんなに……」

「でもこの前比企谷君は泊まっていったのよね?」

「寝たのは別の部屋だもん!」

「へ、へえ、まだまだね」

「何で上から目線なの!?」

「手はいつも繋ぐのかにゃ~!」

「なんか話変わってない!?」

「二人きりの時は何て呼びあってるのかな?」

「別にいつも通りだよ~!」

「穂乃果ちゃぁん……知らないうちに大人になっちゃったんだね」

「なってないよ!?何言ってるの!?」

「穂乃果!あ、貴方……私達の知らないうちに……し、したのですね!?」

「あ~、もう!皆落ち着いて~!!」

 

 *******

 

「……はあ、なるほどね」

「うん。そうなんだ……それで……八幡君は興味あるのかなって……」

「……そりゃあ、ある……けど」

「そ、そっか……」

 

 考えるより先に口が勝手に動いていた。まあ実際のところ、興味ないわけがあるかという話だ。付き合い始めてから、いや、付き合い始める少し前くらいには、勢いだけでいきそうな感覚がなかったわけではない。あの時の衝動は、今も一緒にいる時によく顔を出す。

 そんな事を考えていると、彼女の薄紅色の唇と、たまにペロリと見せるほんのり紅い舌が脳裏に浮かんで、鼓動が高鳴っていくのを感じた。

 

「…………」

「えっと……八幡君?」

「……あ、ああ、悪い。今、変なこと考えてた」

「正直すぎるよ!もう少し遠回しに言おうよ!」

「いや、そっちがいきなり変なこと言い出すからだろ」

「むぅ……そうなんだけどさ。やっぱり希ちゃんの言う通りだよ」

「?」

 

 あの人……一体何を吹き込んだのだろうか。

 沈黙で続きを促すと、穂乃果はもごもごと口を開いた。

 

「は、八幡君は狼だから気をつけろって……」

「…………」

 

 それはボッチと一匹狼をかけているのでしょうか……いや、否定はできないんだけどね?

 ていうか、これ以上この話を続けていたら、次に直接会った時に滅茶苦茶気まずくなる気がする。

 

「……まあ、あんま気にすんなよ。まだ、その……付き合い始めたばかりなんだし」

「……うん、そうだよねっ!いきなりごめんね?」

「いや、大丈夫だ」

「うん。ありがと。じゃあ、また明日。おやすみ」

 

 通話を終えると、何だか顔が火照っている。いきなり変なことを言ってきた彼女のせいなのは明白だった。

 ……やべえ。しばらく眠れそうにないんだけど。

 

 *******

 

 通話を終えると、顔が真っ赤になっているのに気づいた。私、かなり恥ずかしいこと言ってたなぁ……。

 自分で自分の唇をなぞってみると、そこは微かに熱を持っていた。何だろう、この感覚?

 

「いつかは……するのかなぁ?」

 

 その日は、布団に潜り込んでもしばらく寝つけなかった。



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98話

 

 次の日、皆で新曲のアイデアを出したり、色々話し合ったりしながらも、頭の片隅にはずっとキスの事が居座っていた。さっき皆で恋愛映画を見た時も、キスシーンばかりに目がいってしまい、どんな内容だったかがあまり思い出せない。

 うぅ……私、どうしちゃったのかなぁ?このままじゃ八幡君に変な子だって思われちゃう……はっ!もしかしたら、キスくらいで動揺するお子様って思われてるのかも!?

 

『キスくらいで動揺しすぎだろ……ったく、お可愛いことだな』

 

 そうだよ!絶対にそう思われてるよ!なんかキャラ違うけど!

 

「穂乃果ちゃん、どうしたのかなぁ?」

「さっきから一人ではしゃいでるにゃぁ」

「……今はそっとしておきましょう」

「そうやね。ウチらのせいでもあるし……」

 

 *******

 

「ヒッキー?どうしたん?」

「さっきからずっとこんな調子なんですよ~。話しかけても上の空っていうか~」

「…………ああ、悪い。おはよう」

「何で朝の挨拶っ?もう放課後だよ!?」

 

 とりあえず会議を始めながらも、中々集中できずにいた。

 理由は言うまでもなく、したことのないキスシーンがやたらと頭の中に浮かんできて、他の事など手につかないからだ。

 やばい。何がやばいかはわからんがやばい。

 もしかしたら……俺は彼女から、キスくらいで動揺するお子様とか思われているのかもしれない。

 

『八幡君って、高校生にもなってキスくらいで慌てるんだぁ……お可愛いんだね♪』

 

 うわぁ……そんな風に思われてたら、うっかり死んでしまいそうだ……なんかキャラ違うけど。

 

「ヒッキー、今度は一人ではしゃいでるよ」

「うわぁ……」

「ウ、ウチ、何があったか聞いてこよっか?」

「止めておきなさい、相模さん。今アレに近づくべきではないわ」

 

 ……このまま集中力を欠いては、周りに迷惑をかけてしまう。

 ……なら俺がやるべき事は……。

 

 *******

 

「ふぅ……皆、今日はごめんね?」

「大丈夫ですよ。曲作り自体は順調に進んでいるのですから」

「衣装のイメージもかなり固まってきたんだぁ♪穂乃果ちゃんのおかげで♪」

「そ、そうなんだ……あはは」

 

 い、一体どんな衣装になるのかな?ことりちゃんなら大丈夫だけど……。

 

「まあ、せっかく恋人ができたのだもの。少しは浮わついた気持ちにもなるわよ」

「絵里ちゃん……」

 

 優しく頭を撫でてくれる絵里ちゃんの手は温かかった。

 

「あっ、でも……比企谷君が穂乃果にキスするのが恥ずかしいなら、私で練習してくれても構わないから」

「絵里ちゃん?」

 

 タチの悪い冗談を言う絵里ちゃんの笑顔は無駄に温かかった。まったくもう……。

 そこで、ポケットの中のケータイが震えだした。何だろ?ヒデコかな?

 確認すると……なんと八幡君からだった。

 周りに気づかれないようにドキドキしながらメールを開くと、そこに書かれていたのは、ただ一言。

 

「今から行く」

 

 



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99話

 活動報告にも書きましたが、pixivで活動されている平成トマト開発部さんが、『捻くれた少年と強がりな少女』のイラストを書いてくれました。『捻くれた少年と恥ずかしがり屋の少女』のイラストと一緒に、是非御覧になってください。


「お姉ちゃん、どしたの?」

「え?何が?」

「いや、いつもなら帰ってくるなり「お母さん、お腹空いた~!」って言うのに、今日は真っ先にシャワー浴びて、お母さんのメイク道具まで黙って引っ張りだして……」

「こ、これくらいは当たり前なんだよ!だってスクールアイドルだもん!」

「つい最近まで慌ててダイエットしてたのに?」

「う、うるさいなぁ!今忙しいからあっち行ってて!」

「はいはい」

 

 私は準備を急ぎながら、こっちに向かっている八幡君を思い浮かべ、そんな自分に対し、「変わったなぁ」という素直な感想を改めて抱いた。

 まさか、自分が好きな男の子のために、こんなにドタバタする日が来るなんて……。

 

「じゃあ、比企谷さんとのデート頑張ってね~」

「ゆ、雪穂!」

 

 *******

 

 勢いだけで秋葉原まで来てしまうとは……って、別に初めてでもないか。

 とにかく今は顔が見たい。

 最初は早歩きだったのが、自然と走り出していた。

 今はもう見慣れた景色を通り過ぎる度に、その笑顔が近づいている感覚がして、何だかさらに足が軽くなった。

 

「はっ……はっ……」

 

 神社の前を通過し、あとはそこの角を曲がれば……。

 

「わわっ!」

「っ!」

 

 角を曲がると同時に、急に穂乃果があらわれ、危うくぶつかりそうになる。

 

「は、八幡君……?」

「穂乃果……」

 

 どちらも立ち止まり、そのまま視線を絡み合う。何だか夢の中にいるような気分になっていた。性格とかは真逆なのに、こいつとは本当に変なところで気が合う。

 俺は小さく笑いながら、彼女に話しかけた。

 

「……なんか今日、雰囲気違うな」

 

 俺の言葉に、彼女は頬を染め、俯きながら口を開いた。

 

「え?そ、そうかな」

「ああ、なんか、その……いい感じだと思う」

「……ありがと。は、八幡君こそ、なんか雰囲気違うね」

「久々に制服で会ってるからじゃないのか?」

「ううん。そういうんじゃなくて……今日の八幡君、上手く言えないんだけど、なんかドキドキする……」

「…………」

 

 いきなりそんな事を言われると、こっちも緊張するんだが……。

 しかし、こういう時はどんな順序で、どんな心構えで行動すればいいのかはわからない。

 ……やはり、その場の空気とか勢いとかだろうか。

 俺は彼女の両肩に、そっと掌を置いてみた。

 

「…………」

「八幡君……」

 

 それだけで俺が何を求めているのか察した彼女は、ぎゅっと目を瞑り、顔をこちらに向けた。

 その薄紅色の唇や、長い睫毛に見とれながら、俺は少しずつ顔を……

 

「ママ~!あのカップル、キスしようとしてる~!」

「「っ!!」」

「こらっ!邪魔しちゃだめでしょ!」

 

 すたこら去っていく親子の背中を眺めながら、俺達は気まずそうに顔をそむけた。

 そういやここ……ただの路上だったな。

 

 *******

 

 その後、色々と場所を変えようとするものの、何故か邪魔が入った。

 

「見て!公園でファーストキスなんてベタなことしようとしてるカップルがいるわ!」

「ベタすぎるわ!」

「マジひくわー」

 

「あ、あら、高坂さんに比企谷君。ライブ前なのに随分余裕ね……べ、別に?二人がどこまで進んでいるのかなんて、気になってなんかないんだから……」

 

「チカァ!」

 

 *******

 

「な、なんか今日は賑やかだね……」

「ああ……てか、お前といるといつも賑やかだ」

「何それ、私がノーテンキみたいじゃんっ」

「……違うのか?」

「……違わないかも」

「…………」

「……ふふっ」

 

 どちらからともなく笑い合うと、頭の中がすっきりする。

 そうだ。こいつとはいつもこんな感じだった。こんな風に自然と笑顔が溢れる関係でいられるから……。

 冬の気配を運ぶような、ひんやりした優しい風が、二人の間をすり抜け、火照りを冷ましてくれるのを感じながら、俺達はゆっくりと並んで歩き始めた。

 

「ふふっ、じゃあ戻ろっか。ウチで晩御飯食べてくよね?」

「……ああ」

「それと、八幡君……」

「?」

「……スは……また、今度ね?」

 

 彼女はそう言って、俺の頬にやわらかな温もりを押しつけた。

 

 *******

 

 数日後……。

 

「……はい。は?何で俺の番号知って……ああ。え?当日、朝から雪?……わかった」



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100話

「そっか。曲のほうは完成したのか」

「うんっ!……皆で一生懸命作った最高の曲だから……楽しみにしててね」

「……ああ」

「それと……大好き♪」

「あ、ああ……俺も……好き、だから……」

 

 まだこういうのが照れくさいあたり、長年染み込んだものは中々抜けないのだと痛感する。比企谷君はコミュ症です……とまではいかないにしても、とにかく照れくさい。

 

「あーあ、でも残念だなぁ。雪じゃなかったら八幡君も観に来れたのに」

「……まあ、あれだ。応援してることに変わりはないから、その……せっかくの舞台だから、楽しんでこいよ」

「うん。ありがと」

 

 そして、通話を終えると、俺はさっさと明日の準備をして、いつもより早めに眠りについた。

 

 *******

 

 ラブライブ最終予選当日。

 私達2年生組は、生徒会としての仕事、学校説明会を終えてから会場に向かうことになっていたんだけど……。

 

「「「…………」」」

 

 なんと朝から降り続けた雪は、昼にはさらに勢いを増し、10メートル先もロクに見えないくらいになっていた。

 

「こ、これは……」

「私達……大丈夫かなぁ?」

「だ、大丈夫だよっ、行こう!」

 

 正直、不安だけれど行くしかない!皆が待ってるんだもん!

 気合いを入れ直し、何とか校門を出ると、目の前には予想外の光景が広がっていた。

 

「穂乃果~!早く行きな~!」

「海未ちゃん、ことりちゃんも頑張ってね!」

「私達が道は作っといたから!」

 

 雪が綺麗にかき分けられた道は、何だかいつもより輝いて見え、それだけで目がうるっときた。

 

「ヒデコ……フミコ……ミカ……みんな……」

「……ありがとうございます」

「行ってくるね!」

 

 私達は一歩一歩しっかりと踏みしめながら、会場までの道のりを急いだ。

 

 *******

 

「よしっ、無事出発したね」

「うん。サプライズにも気づくといいな」

「あはは、彼めっちゃ頑張ってたもんね」

 

 *******

 

 会場へ行く途中、音ノ木坂の皆が立っていて、私達のために近道を教えてくれたり、応援の言葉をかけてくれた。

 そして、会場が見えてきた辺りで、見覚えのある背中を見つけた……あ、あれ、八幡君?ってそんなわけないよね。私ったら本番前なのに……。

 すると、その人がこちらに顔を向け……あれっ、八幡君!?って、ばかばか!今は真っ直ぐに会場に行かなきゃ!妄想してる場合じゃないよ!

 私はさらに走るスピードを上げた。

 

「穂乃果、どうかしたのですか?」

「……ううん、何でもないっ。行こう!」

「あはは、穂乃果ちゃん……」

  

 こんな所で八幡君の幻を見るなんて……私ったら、どんだけ八幡君が好きなんだろう……大好きだけど。

 だから八幡君、しっかり見ててね!!

 

 *******

 

「……あいつ、目が合ったのに気づかなかったな……まあ、頑張れよ」

 

 らしくない言葉を呟きながら、俺は彼女達の背中が見えなくなるまで見送り続けた。



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101話

 ライブが始まると、凍てつくような寒さも吹き飛ぶような熱量たっぷりのパフォーマンスに、会場は沸き上がっている。

 俺も自然といつもより強めに手を叩きながら、曲の世界にすっかり引き込まれていた。

 はらはら舞い落ちる雪のカケラも、神様からの演出のように思えてくるくらいに素敵なパフォーマンス。

 この光景は間違いなく一生忘れることはないだろう。

 何故かそう思えた。

 

 *******

 

「あっははは!比企谷君、まさか気づいてもらえないなんて……!」

「ふふっ、やっぱ事前に言っといたほうがよかったかな~。仕方ないから私達が慰めてあげようか」

「だからしゅんとしないで、ね?話聞くよ」

「…………」

 

 ライブ後、ヒフミトリオから何故か囲まれてしまい、温かい言葉をぶつけられていた。まあ、彼女達から雪かきの話を聞いてなかったら、ここにいなかった可能性もあるので、その辺は感謝しているが。

 一応、感謝の言葉を送り、騒がしい会話に耳を傾けていると、聞き慣れた声が耳に届いた。

 目を向けると、彼女は……穂乃果は、勢いよく友人に抱きついていた。

 

 

「ヒデコ~フミコ~ミカ~、皆ほんとにありがと~~!!」

「お~、よしよし。よく頑張った!」

「最高だったよ!」

「私、泣いちゃったよ~」

 

 四人は、ひしと抱き合い、感動を分かち合っている。

 その姿が微笑ましくて、つい頬が緩んでいると、彼女がこちらを振り向いた。

 

「え……」

「……おう」

 

 彼女はピタリと固まり、その目は信じられないものを見たかのように見開かれていた。

 

「……おい、どうかしたか?」

「…………」

「ほ、穂乃果?」

「気のせいじゃなかった!?」

「…………」

 

 第一声がそれかよ。

 その驚きの声につられるように、ヒフミトリオの笑い声が、冬空の下にこだました。

 

 *******

 

 しばらくして、俺と穂乃果は夜の道をμ'sの他のメンバーや、音ノ木坂の生徒の集団に混じりながら、並んで歩いていた。

 

「もう、びっくりするじゃん。来るなら来るって言ってよ~」

「いや、黙ってたほうがサプライズになるって言われたからな」

「ふふっ、でも何となく八幡君らしいかも」

「……そうか?」

「うんっ♪」

 

 よくわからないまま頷き、ざくざく雪を踏みしめていると、もうすぐそこに駅が見えていた。

 

「じゃあ、俺ここまでだから……今日はお疲れさん」

「あっ、うん……えいっ!」

「っ!」

 

 がばっと抱きついてきた穂乃果に危うくこけそうになるが、何とか踏みとどまる。

 それは数秒のことで、彼女はすぐに離れた。

 

「お、おい……周りに人が……」

「大丈夫。誰も気づいてなかったから。ふふっ、一瞬で充電完了しちゃった。本当はもっとくっついていたかったけど……」

「……そこはお互い様なんだがな」

「でしょ?」

 

 二人して笑い合い、夜空を見上げる。

 寒ささえ忘れるような甘い感触に、とろけるような気分になりながらも、今は振り払うように、俺は駅に向かい、足を向けた。

 

「じゃあ、またな。今日は最高だった」

「……うん」

「…………」

「…………」

 

 見つめ合ったまま、何故か動けなく……いや、動きたくなくなる。はあ……今周りに人がいなけりゃあ……いや、焦らないって決めたしな……今日はいいもの見れたし。いや、しかし……

 

「八幡君?」

「……穂乃果」

「あれっ?比企谷君帰るの?」

「今日はありがとねー」

「ていうか、今イチャイチャしてた?」

「ほ、穂乃果っ、公衆の面前で何を……!」

「ふふっ、なんか幸せそう」

「あわわわ……穂乃果ちゃん、大人……」

「凛達は気にしなくていいにゃ~」

「お幸せに」

「穂乃果ぁ……アンタ、アイドルとしての自覚が……!」

「エリチ……どうどう」

「チカチカひ~か~る~お~そ~ら~の~ほ~し~よ~」

「あらら、お姉ちゃんってば……」

「ウチのお姉ちゃんはテンションがおかしくなってるよ……」

「ほらほらお父さんったら、泣かないの」

「もうっ、いい雰囲気だったのに!」

「…………」

 

 3日後、彼女達は試合の結果を公式サイトで確認した。

 その結果は……

 

 

 



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102話

 ラブライブ最終予選から数日後……。

 

「八幡く~ん!」

「……おう」

 

 穂乃果が小走りで駆け寄ってきて……こける。

 俺は慌てて受け止め、その華奢な身体を支えた。

 

「あはは……ごめぇ~ん……」

「ったく、気をつけろっての」

「実は抱きつかれて嬉しかったくせに~」

「アホか……それより……」

 

 まあ、否定しきれないのは事実なのだが。実際彼女からふわりと漂う甘い香りが、今一番心に安らぎを与えてくれるのは間違いないわけで……。

 俺は照れ隠しに、今日もしっかりセットされたほのまげをいじりながら、彼女に言うべき言葉を改めて口にした。

 

「……決勝進出おめでとう」

「うんっ、ありがと!」

「それと……きょ、今日の服……似合ってる」

「ヴぇえええ!?」

「おいっ、いきなりキャラ変すんな。何がおかしいんだよ……」

「だ、だって……八幡君が自然に着てる服を褒めてくれるなんて……!」

「いや、前も褒めただろうが。何なら髪型だって褒めるっての」

「えっ?」

「あー、今日も……」

「…………」

「……いいな。その……ほのまげ」

「全然褒められた気がしないよっ!」

「そうか?」

「そうだよっ」

「と、とりあえず、そろそろ行くか」

「あっ、また誤魔化した!待ってよ~!」

 

 彼女は思いきり左腕にしがみついてきた。その際、柔らかな感触が押しつけられ、落ち着かない気分になる。だって男の子なんだもん!

 すると、彼女は頬を赤らめながら、またにこりと笑った。

 

「今日はこうでしょ?」

「……あ、ああ」

 

 日に日に見慣れていくはずのこの笑顔も、反則さは相変わらずで、抗うことなどできるはずもなかった。

 

 *******

 

「わ~、クリスマスにデスティニーランドに来るの初めてだよ~!あっ、パンさん!」

「お前、パンさん好きだったのか」

「うんっ、お母さんも好きだよ」

 

 雪ノ下、意外なところに同士はいたぞ……。

 というわけで、俺と穂乃果はクリスマスのデスティニーランドに行くという中々のチャレンジを行っている。いや、チャレンジは俺にとっては、だが。

 ちなみに、家デートの案はあっさり廃案となりました。

 

「わぁ、イルミネーションもクリスマスっぽくなってるよ♪」

「……おぉ」

 

 穂乃果の声につられ、辺りを見回すと、思わず感嘆の声が漏れた。

 色とりどりのまばゆい灯りが、幻想的な世界観を演出し、誰もがそれに見とれている。生まれて初めて見るクリスマスの光景が、そこにはあった。

 歩きながらその光景の一部に加わると、隣を歩く彼女の瞳は、より一層輝いた。

 

「綺麗……」

「ああ……」

 

 俺は途中から、その横顔しか見ていなかった。

 それはあまりにも綺麗すぎて……。

 油断していたら、呼吸するのも忘れてしまいそうなくらい、胸の奥を締めつけた。



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103話

 彼女と遊園地デート。

 あまりにもリア充なイベントすぎて、青春ポイントが限界突破しそうだが……正直舐めてました。

 

「八幡君、次はあれ乗ろーよ!!」

「あ、ああ……」

 

 いかん……こいつのハイテンションっぷりを甘く見ていた。初っぱなからジェットコースター、フリーフォール、ジェットコースターとかやばすぎだろ。三半規管強すぎだろ。

 とりあえず、さりげなく落ち着いた乗り物の方へ誘導しようとすると、彼女は俺の顔を覗き込んできた。

 

「八幡君、大丈夫?」

「え?あ、ああ。まあ、あれだ。序盤から少し飛ばしすぎただけだ」

「あはは、ごめんね? 久々のデートだから、つい……」

「気にすんなよ……はしゃいでるのはこっちも一緒だし……」

「え?今、何て……」

「よし、次は……甘い物食べに行くか」

「あっ、八幡君!ふふっ、やっぱり疲れてるじゃん!」

「バッカ、お前……腹が減ってたら戦はできないんだよ」

「あははっ、じゃあそういうことにして、何か食べよっか♪」

 

 そう言って彼女は俺の手を握りしめ、すたすた歩き出した。

 

 *******

 

 結局、そろそろお昼時ということもあり、昼飯にしようという話になった。

 少しの時間並ぶ羽目になったが、穂乃果と話していると、あっという間に自分達の順番になった。

 注文した品を待っている間、何となく思ったことを聞いてみた。

 

「そういや、何でここがよかったんだ?」

 

 俺の質問に、彼女は恥ずかしそうに目を伏せ、髪を指先で弄び始めた。

 そして、ぽそぽそと静かに口を開く。

 

「う~ん……夢だったから、かな?」

「……夢?」

「えっと、中学の頃にクラスの皆でクリスマスにはどこでデートしたいかって話してて……その時は何となく遊園地って言ったんだけど、八幡君と付き合い始めてから、行きたいって気持ちが強くなっちゃって……」

 

 黙ってこくりと頷くと、彼女はぐっとサムズアップしてみせた。

 

「だから私の中学時代からの夢!」

「なんか随分テキトーな夢だな……」

「ふふっ、でもいいの!そういうわけで私の夢を叶えてくれた八幡君には……はい♪」

 

 彼女は運ばれてきたハンバーグをさっと切り分け、その一つをフォークで突き刺してから、こちらに向けてきた。

 

「……いや、普通に恥ずかしいんだけど」

「は、早く食べてよ!私だって恥ずかしいんだから……」

「…………」

 

 確かにと思い、ハンバーグにかぶりつく。

 だが、周りに人がいることや、何人かがチラチラこっちを見ていることや、とりあえず幸せな気持ちやらで、ぶっちゃけ味はあまりわからなかった。

 

 *******

 

 昼食を終えてからは、またアトラクション巡りをしつつ、買い物したり、パレードを見たりなど、あっという間に時間は過ぎていった。

 そして、最後に観覧車に乗ることにした。

 

「わぁ……八幡君の家、あっちの方かな?」

「いや、逆だ逆。お前、泊まったことあんだろうが」

「あはは……また泊まりに、行きたいなぁ」

「……い、いやらしい事考えてるんじゃないだろうな?」

「違うよっ、ていうかそれ女子のセリフじゃん!私のセリフじゃん!まったくもう……ふふっ」

 

 冗談を言い合ったりしている内に、次第に頂上が近づいてくる。

 

「…………」

「…………」

 

 どちらも自然と黙り、互いの息遣いがやけに大きく聞こえ始めた。

 そして、それを合図に、彼女は俺の隣に移動して、手をそっと握りしめてきた。

 やわらかな温もりを通して、彼女が何を俺に求めているのかがわかった。

 

「……いいのか?」

「聞かないでよ。八幡君のバーカ」

「わ、悪い……」

 

 そんな言葉のやりとりの間も、ゴンドラは上昇していく。それと同時に、どくん……どくん……と胸が高鳴っていった。

 

「穂乃果……」

「…………」

 

 彼女はこちらに顔を向け、ゆっくり目を閉じる。

 それだけで俺の目線は、彼女の薄紅色の唇に集中した。

 外に目をやると、雪がはらはら舞い降りてきて、何だか夢の中にいるみたいだった。

 見下ろす街並みも、何だかこれまでと違う。

 彼女の肩に手を置くと、少し強張ったが、すぐに力が抜けていくのを感じた。

 外の景色は止まることなく流れていく。

 二つの影はゆっくり近づいていく。

 溶け合うようにそれが重なった時……ゴンドラは頂上に達していた。

 

「……ねえ、八幡君」

「……どした?」

「もう一周、しない?」

「…………ああ」

 

 



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104話

 ゴンドラから降りると、冷たい風が頬を撫で、夜の遊園地を吹き抜けていった。

 その冷たさが火照りを冷ましていくのを感じていると、まず穂乃果が口を開いた。

 

「……キス、しちゃったね」

「…………」

 

 俺は何も言わなかった。いや……言えなかった。

 まだ彼女の唇の感触が脳裏に焼き付いて、他の事など考えられなかった。

 何だか本当に世界が変わってしまったかのような感覚。

 ただ間違いないのは……

 

「八幡君……行こっか?」

「……ああ」

 

 さっきよりずっと……彼女が好きになった。

 繋いだ手はこれまでより固く結ばれ、歩く歩幅はこれまでより近い。

 出会ってからの時間は決して長くはないけれど、それでも二人で過ごした時間はそれなりに積み重なっていた。

 帰り道、俺達はその事をもう一度確かめ合った。

 

 *******

 

 少し時間が流れて、世間は元旦を迎えていた。

 普段なら炬燵にミカンのコンボでだらだら過ごしてしまいがちな日だが、今日は穂むらでμ'sのメンバーが応援感謝の餅を配るというイベントがあるので、真っ昼間から電車に揺られ、秋葉原に到着していた。そして、今日は一人じゃない。

 

「元旦からお兄ちゃんが出かけるなんて、何だか雪が降りそうだよね」

「……いや、今の時期なら雪は普通に降るだろ」

「あはは、でも本当に僕も行っていいのかな?」

「ああ、当たり前だ。何ならアポ無しでウチに遊びに来てくれてもいいぐらいだ」

「は、八幡よ……我を忘れておらんか?」

「…………おう」

 

 いや、本当にお前いつからいたんだよ……。

 材木座から文句を言われながら歩いていると、穂むら周辺に人だかりが見えてきた。

 

「穂乃果さ~~ん!!」

 

 小町が大声で呼びかけると、何人かがこちらを振り向き、その中から穂乃果が飛び出してきた。

 

「小町ちゃ~~ん!!」

「こんにち殺法!」

「こんにち殺法返し!」

「…………」

 

 えっ……何、今のやりとり?イミワカンナイ……。

 首を傾げていると、戸塚は楽しそうにうんうんと頷いていた。戸塚にはわかるのだろうか……今度試してみよっと。

 ちなみに、材木座は何故か俺の背後に立っていた。多分、大勢の女子に気圧されたからだろう。まあ、気持ちはわかる。

 

「は、八幡君……」

 

 さっきまで小町と女子トークをしていたはずの穂乃果は、俺の前に立って、上目遣いでもじもじしていた。

 

「……お、おう」

 

 その仕草につられるように、こちらも照れくさくなってしまう。元旦からこんなの反則可愛いすぎるだろ……。

 クリスマスデート以来、これまでと同様に毎日連絡はしているのだが、やはりこうして顔を合わせると思い出してしまう。

 俺は、噛まないように気をつけながら、ひとまず新年の挨拶をした。

 

「……明けましておめでとう」

「うんっ、明けましておめでとう!今年もよろしくね。それと……」

 

 彼女は背伸びして、そっと耳打ちしてきた。

 

「来年は一緒に年越ししようね」

「……来年、受験なんだけど」

「むぅ……八幡君、素直じゃないなぁ」

「いや、素直じゃないとかじゃ……まあ、善処する」

「ふふっ、楽しみだね」

「気、早すぎだろ……それに、一緒にいたほうが受験勉強さぼらないか監視できるからな」

「え~!八幡君まで海未ちゃんみたいなこと言わないでよ~!」

「ほらほら、いつまでも二人だけの世界作ってたらあかんよ~」

「ヒューヒュー♪」

「見せつけてくれちゃって~」

「私達がいること忘れてない~?」

「ちっ、元旦早々……ボッチだったくせに」

 

 ……正月からお前が出てくんのかよ。

 

 *******

 

 しばらく餅の味を堪能したり、ヒフミトリオに絡まれたり、東條さんにからかわれたりしていると、店の中から出てきた穂乃果が手招きしてきた。

 

「八幡君!ちょっと追加のお餅運ぶの手伝ってくれない?」

「わかった」

 

 店の中に入ると、カウンターには誰もおらず、穂乃果の姿はそこになかった。さっき入っていったばかりだが……。

 

「……穂乃果?」

 

 すると、横から何か飛び出す音、視界を埋め尽くす何かが同時にやってきた……だが、それを不安に思うことはなかった。

 

「っ…………」

「ん…………」

 

 そう、彼女が唇を重ねてきたのだと気づいたから。

 甘やかな感触が絡み合い、さっきまで外の気温が嘘みたいに体が火照る。

 頭の中が真っ白になり、どちらも息が苦しくなるまで、じっくり口づけあった。

 

「はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……」

 

 息苦しさすらも心地よく感じていると、彼女は顔を上げ、紅潮した頬を見せつけるように優しく微笑んだ。

  

「ふふっ、今年初めての……キス、だよ?」

「……ああ」

 

 二人して、そんな事実に笑い合い、確かな幸せを感じる。

 そうこうしているうちに、外から俺達を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「……戻るか」

「うんっ」

 

 彼女と出会ってから初めて迎える元旦は、とても賑やかで、やけに甘かった。

 

 *******

 

「あ、あの子達……びっくりしちゃったじゃない」

「お姉ちゃん……もう少し周りを確認してよ、もう……」



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105話

 新年が始まり、そろそろ学校も始まろうかという頃、俺は彼女からの電話の内容に驚いていた。

 

「……活動を、終える……か」

「……うん。皆で決めたよ」

「そっか……」

「うんっ、だから……最後まで応援よろしく!」

「い、いきなり叫ぶなっての……まあ、言われなくても応援するが……」

「ふふっ、ありがと♪」

「まあ、とにかく……残りのライブ、一回も見逃せねえな」

「そうだよ~。だから、ぜっったいに観に来てね!」

「へいへい」

 

 何だかんだで一年近く聴き続けたμ'sが活動を終えるというのは寂しいものがあるが、彼女達が悩んで出した結論なら、俺が言うことなど何もない。

 後で沢山μ'sの楽曲を聴こうと考えていると、穂乃果が「あの……」と話を切り出した。

 

「どした?」

「話は変わるんだけど、この前……ウチで今年初めてキスしたでしょ?」

「あ、ああ……いきなり何だよ?」

「実はあの時……お母さんと雪穂に見られてたみたい……」

「…………マジか」

「マジだよ」

 

 恥ずかしいというだけじゃ言い表せない感情が、腹の底から湧き上がってくる。彼女の母親と妹にキスを見られるとか……俺だったらしばらく顔を合わせられんかもしれん。

 

「あ~もう、恥ずかしかったんだよ!すっごいからかわれたし!」

「いきなり襲いかかってくるからだろ」

「お、襲う!?人聞きの悪いこと言わないでよ!八幡君のエッチ!」

「悪い悪い……てか、その……」

「あっ、お父さんには見られてないから大丈夫だよ」

「そ、そうか……」

 

 彼女の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。よかった……まあ、見られてたら無事に千葉に帰って来れてないかもしれないんだけどね。

 窓の外に目を向けると、今晩は星空がやけに綺麗な事に気づく。彼女のいる街からも見えているのだろうか。

 柄にもない思考に頭をかきながら、つい気になって聞いてしまう。

 

「……なあ、穂乃果」

「なぁに?」

「そっち、星空見えてるか?」

「星空?……あっ、本当だ!すっごく綺麗……」

「…………」

「…………」

 

 どうやら向こうも見えていたらしい。俺達は少しの間、お互いの息遣いをBGMに、冬の星空を眺め続けた。

 そして、流れ星が一瞬通りすぎてから、今度は彼女から口を開く。

 

「ねえ、八幡君……」

「どした?」

「今度は八幡君の話、聞かせて?」

「…………」

 

 正直、俺には彼女ほどバラエティーに富んだエピソードはない。ぶっちゃけ、彼女と会ったり、電話したりする以外は、勉強・運動・バイト・読書くらいだ。

 だが、彼女が望むなら詳しく話してやろうと思い、大げさな前ふりも、気取った装飾もない日常話を始めた。

 そうして、冬休み最後の冬は更けていった。

 

 



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106話

「バレンタインデー?」

「うん、バレンタインデー。穂乃果ちゃんはどうするのかなって」

 

 ことりちゃんからの質問に首をかしげると、すぐにその意味に気づいた。

 

「八幡君からは「ラブライブに向けての練習で忙しいだろうから、別にいい」って言われちゃったからなぁ……」

「そっかぁ」

「何だか想像できますね」

 

 海未ちゃんも、うんうん頷きながら隣に腰を下ろしてきた。

 ちなみに、バレンタインデーの話を八幡君としたのは、昨日の夜だ。何となく想像していた通りだった。あの時の声……優しかったなぁ。

 

「穂乃果ちゃ~ん?」

「これは……昨晩の会話を思い出してる顔ですね……」

 

 *******

 

「八幡君、今度のバレンタインデーなんだけど……」

「ああ、別にいい」

「はやっ!?はやいよ、八幡君!確かに手作りは心配かもしれないけど!」

「いや、それは心配だが、そうじゃねえよ」

「そっか……あれ?今なんかちょっとひどかったような……」

「ま、まあ、その……もうすぐラブライブ決勝だからな。あまり負担はかけさせたくないっつーかな……」

「八幡君……」

「それよか、最近そっちはどうなんだ?」

「ふふっ、今日は海未ちゃんがね~……」

 

 *******

 

「穂乃果!」

「わっ、びっくりしたぁ……」

「びっくりしたのはこっちです!海未ちゃんがね~の続きはなんですか?言いなさい!」

「人の頭の中見ないでよ~!海未ちゃんのエスパー!」

「いいから言いなさい!」

「二人共~、そろそろ休憩終わりだよ~!」

 

 私は、再び練習に向かいながら、八幡君に心の中でお礼を言った。

 

 *******

 

 それからしばらくして、練習から家に帰ると、お母さんがニヤニヤしていた。

 

「な、なあに、お母さん……こわいよ?」

「こわいとは何よ、失礼ね。せっかくアンタへのプレゼント預かってるのに」

「プレゼント?」

 

 誰からだろう?私の誕生日はまだ先なんだけど……。

 

「愛しのカレからよ」

「そっかぁ、八幡君からかぁ……って、えええええ!?」

 

 は、八幡君から!?

 

「送られてきたのっ!?」

「えっ、ちょっと前に直接来たわよ。これアンタにって……」

 

 今から走れば間に合うかなっ?

 そう考えたところで、ポケットの中でケータイが震えだした。

 こんな時に誰から……八幡君!?

 八幡君がメールをくれたようだ。

 慌てて開くと、そこには一言だけ書かれていた。

 

『手紙見ろ』

 

 手紙?

 一旦自分の部屋に戻り、プレゼントのラッピングを開け、中を確認すると、そこにはお菓子の入った箱と可愛らしい封筒があった。

 そっと手紙を確認すると、そこにも一言だけ……

 

『無理しすぎないで頑張れ』

 

 その言葉を読むと、自然と笑みが零れた。

 八幡君が何度も書き直した姿が、何故か自然と頭に浮かび、温かい気持ちになった。

 

「……ありがと……大好き」

 

 しばらく私は、自分の胸の高鳴りと共に、何度もその手紙を読み返した。

 

 

 




 平成トマト開発部さんが書いてくれた『捻くれた少年と強がりな少女』のイラスト、ブックマークが100突破しました!
 素敵なイラストですので、気になった方はガンガン見てください!


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107話

「幕張!?」

 

 俺は驚きと共に、その単語を口にした。決して昔の漫画の話をしているわけではない。

 そんな俺のリアクションに満足したのか、俺を呼び出した平塚先生は鷹揚に頷いた。

 

「ああ。私も細かい事情はよくわからんが、今のラブライブの動員力に最も見合う会場が幕張の会場だったらしい」

「はあ……まあ、人気でてますからね」

 

 実際、μ'sの動画再生数もかなり跳ね上がっていて、ファンも増え続けていた。

 それに、廊下を歩いていると、時々スクールアイドルの話をしている生徒と遭遇することもある。

 しかし、穂乃果が……μ'sがそんな大勢の前でライブか……。

 嬉しくもあり、彼女が遠くに行ってしまうかのような寂しさが……って、今はそれより……

 

「あの、俺は何で呼び出されたんですか?」

 

 まさか「君の彼女が幕張でライブをするぞ。おめでとう」と言うためじゃないだろう。まあ、何となく予想はできているが……。

 その後の平塚先生からの話は、実際俺の予想通りだった。

 

 *******

 

「ラブライブ会場でボランティア~!?」

 

 真っ先に嫌そうな声を上げたのは一色。まあ、気持ちはわからんでもない。俺もμ'sが出ていなかったら、謹んでお断りしていただろう。

 

「ヒッキー、よかったね」

 

 色々と事情を知ってる由比ヶ浜が、こっそり耳打ちしてくる。

 ……確かにそのとおりすぎて言い返せなかった。

 

「比企谷君、他に連絡事項はないかしら?」

 

 雪ノ下から促され、ひとまず会議を終えることにした。

 

「じゃあ、ボランティアに関しては、生徒会と奉仕部は基本参加だが、どうしても無理な奴は言ってくれ。それと、募集のプリントは今日中に作っとくから……」

 

 口を動かしながらも頭の片隅では、彼女の最高の晴れ舞台に陰ながら参加できる喜びが溢れていた。

 

 *******

 

「えっ?八幡君、スタッフになったの!?」

「ああ。まあ、スタッフっつっても無給のボランティアだけどな」

「あはは、八幡君らしいお言葉……でも、そっかぁ。八幡君とμ'sの最後のステージを作れるんだね」

「……そういう事になるな」

「ふふっ、さらにやる気湧いてきちゃった♪」

「あんま気張りすぎて、ケガすんなよ」

「うんっ、八幡君もね」

「お、おう……」

「どうかしたの?」

「いや、なんかこういう体育会系みたいなノリは初めてなんでな……」

「…………がんばろうね!!」

「おい。何だ、その色々言いたいことあるけど、とりあえず黙っておこうみたいな間は」

「ファイトだよ!」

「あ、ああ。ありがとう……まあ、明日から他のボランティア集めなきゃいけないんだけどな」

「ふふっ、八幡君の腕の見せ所だね」

「……………………任せとけ」

「だいぶ溜めたね」

 

 実際中々人が集まらなくて困ったのだが、それは明日からの話。

 



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108話

 ラブライブ決勝前日。俺は幕張の会場で、総武高校のメンバーと共にボランティア活動に勤しんでいた。

 ボランティア募集の張り紙をしてから、最初の三日間は無反応だったから、かなり心配していたが、最終的には二桁いったから、とりあえずほっとした。

 ただ、そのメンツが些か見慣れた顔だというのが……

 

「比企谷、どうかしたのか?ぼーっとして……」

「この表情は」

「てか、ヒキオって生徒会長だったの?」

「比企谷君が生徒会長とかマジっべーわー」

 

 おい。生徒会長知らねえとか、総武高校どんだけだよ。いや、もしかして俺が悪いのか?

 ……とまあ、葉山グループが参加してくれた。

 ちなみに海老名さんは、向こうではしゃいでいる他校の男子を見て、満足そうに頷いていた。相変わらずブレねえな……。一応、大岡と大和もいる。

 他には……

 

「は、八幡よ。これだけいるなら我は……」

「いや、待て。ここまで来て逃げるな」

 

 材木座は早くも逃げ出そうとしていた。いや、まあ他に人が集まらないからって言って、半ば強引にメンバーに加わってもらったのだが、そこに葉山グループだから、寝耳に水だろう。

 だが全体で見ると、ボランティアは想定していたより集まらなかったらしいので、今は材木座の手も借りたい状況である。

 ここは何とかせねば……

 

「……μ'sのメンバーもよろしくお願いしますって言ってたぞ」

「…………」

 

 材木座の体がピタリと止まる。これはこれでわかりやすすぎだろ……。

 一応、もう一声かけておくか。

 

「……園田さんや西木野もボランティアがいてくれて助かるとか言ってたような……」

「…………」

 

 材木座はゆっくりと振り返り、コートをバサッとはためかせた。鬱陶しい。

 

「八幡よ!さあ、我に任務を与えるがいい!はっはっは!!」

「お、おう……」

 

 きっと、こいつの頭の中では後で二人に優しく労ってもらえる妄想が展開しているのだろう……うん、とりあえず労働力確保。

 すると、会場入り口の方がざわめきだした。あれは……

 

「おぉ……あれがスクールアイドルか」

「可愛い……」

「俺、来てよかったわ……」

「見ろよ。金髪の美女がいるぜ」

「ふむ、悪くない」

「す、すげえ……」

「でけえ……」

 

 男子が目に見えて盛り上がりだした。しかも、何人か目つきがやばい奴がいると思ったら、ウチの学校のじゃねえか。材木座、上から目線で頷くな。大岡、大和、東絛さんの胸ばっか見んな。

 そして、そんなざわめきの中……俺は特に探すでもなく、彼女の姿を見つけた。

 穂乃果は、制服の上にコートを羽織り、園田さん達と話しながら歩いてきた。まあ、さすがにここでいきなり俺の名前を大声で呼んだりはしないだろう。

 しかし、彼女は常に俺の予想の斜め前をいく。 

 

「あっ、八幡くーん!!!」

「っ!!」

 

 あいつ……こんな所で!

 俺の下の名前を知ってる奴は少ないので、視線がこちらに集まることはないのだが……。

 すると、穂乃果は近くにいた園田さんに口を塞がれ、数秒間叱られていた。

 その様子を眺めていると、解放された彼女はもう一度大きな声を上げる。

 

「は、8万人くらい入りそうだよね~、この会場!!」

「…………」

 

 まあ、実際はその10分の1ぐらいだけどな。

 この後、穂乃果はもう一度園田さんに叱られていた。

 

 



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109話

 主催者側からの話とスクールアイドル達からの感謝の言葉をいただいてから、すぐにボランティアの作業が始まった。

 作業の内容は、椅子を並べたり、数人で重い物を運んだりと、単純作業が多く、無心になれるのが丁度いい。

 

「あれっ?比企谷?」

 

 ……言ったそばから声をかけてくるとは。

 作業を止め、目を向けると、意外な人物がそこに立っていた。

 

「折……本……」

 

 まさか中学時代に同じクラスだった奴と……しかも告白した奴とこんな所で遭遇するとは……。

 それに、俺を覚えているのも予想外だった。

 何となく気まずい気分になっていると、彼女は目をぱちくりさせなが俺を見て、何故か首を傾げた。

 

「……どうかしたか?」

「え?あっ、比企谷、なんか雰囲気変わってない?」

「いや、特に変わってない……と思う」

「ていうか、比企谷ってこういうの参加するキャラだっけ?」

「……生徒会は強制参加だったんだよ」

「生徒会入ってんの!?え?役職は?」

「……生徒会長」

 

 生徒会長という単語に、折本はピクッと反応した。まあ、中学時代を覚えているなら、そのリアクションは当然だろう。

 彼女はそのまま数秒間考え込んでから……笑った。

 

「あはははっ、比企谷が生徒会長とか!ウケる♪」

「いや、ウケねえから……てか、そっちは作業戻らなくていいのか?」

「あっ、そうだった!じゃあ、今日は一緒に頑張ろーね!」

「お、おう……」

 

 折本は、すぐに海浜高校の生徒の中に混じっていった。

 ……変わった、か。

 正直、自分ではわかりづらい部分ではある。

 だが、4月から今日までの日々を辿れば、間違いなく変わったと思う。どう変わったかは口にするのは難しいが。

 

「ヒッキー、何ぼーっとしてるの?はやくはやく!」

「ああ、悪い。今行く」

 

 ……まあ、今は気にする必要もないことか。

 

 *******

 

「よ~し、頑張らなきゃ!」

「ふふっ、穂乃果。気合いを入れるのはいいですが、本番は明日ですよ?」

「そうよ。今からそんなんじゃ、明日には疲れきってるわよ。そうなったら、このスーパーアイドルにこにーが最初から最後までセンターをやるだけだから別にいいけど」

「それはちょっと……にゃ」

「なぁんですって~!」

「い、いふぁい、いふぁいにゃ~……」

 

 リハーサル前の控え室は意外とリラックスした空気で、何だかほっとした。八幡君達も来てくれてるし、何だか温かい気分だなぁ……。

 でも、やっぱり……

 

「ふふっ、穂乃果ちゃん。本当は声かけたいんやない?」

「べ、別にっ、そんなことないもん!」

 

 い、今はガマンしないと! 

 すると、絵里ちゃんが何故かドヤ顔で胸を張った。

 

「そうよ。たまには私が比企谷君をねぎらってくるから」

「エリチ」

「はい」

 

 いつものやりとりだった。え、絵里ちゃん、冗談……だよね?

 やきもきしていると、今度はことりちゃんが肩をつついてきた。

 

「穂乃果ちゃん、こっそり声をかけるくらいならいいとおもうよ?」

「ことりちゃん……」

 

 ことりちゃんが悪戯っぽく笑い、肩をたたいてくる。いつもとは違う親友の笑顔に背中を押され、私はそっと控え室を出た。

 

 *******

 

 作業がだいぶ片づいたところで、ようやく休憩に入れた。てか、何だこの忙しさ。一足早い社畜の修行か。

 肩を揉みながら通路を歩いていると、正面から練習着の女子が……穂乃果が歩いてきた。

 つい声をかけそうになるが、何とか気持ちを抑える。今は我慢しておかないと……。

 会釈だけして通り過ぎようとすると、彼女は急に密着してきて、小さな声で語りかけてきた。

 

「がんばれ」

「あ、ああ……っ」

 

 その言葉の後に、頬に柔らかな感触が触れる。

 そして、甘い香りだけ残し、彼女はあっという間に走り去っていった。

 

「…………」

 

 こりゃあ、1秒たりとも手抜きできそうもないな。

 休憩もそこそこに、俺は後半の仕事に戻った。



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110話

 翌日、ラブライブ決勝大会の開幕が着々と迫っていた。

 ボランティアスタッフは、朝から観客の入場をサポートしたり、座席の案内をしたりと、開演ギリギリまで仕事がある。

 ……一応ライブは観られると聞いたのだが。だ、大丈夫ですよね?

 不安を感じながら、列が乱れぬように見ていると、その中の見知った人と目が合った。

 

「あら?比企谷君じゃない」

「ほんとだー」

「こんにちは~♪」

「…………」

「どうも」

 

 高坂一家with絢瀬さんの妹の登場である。四人ともペンライトをしっかり装備していて、応援する準備は万全のようだ。高坂父はペンライト持ちすぎな気もするが……オタ芸でも披露してくれるのだろうか。それはそれで見てみたい。

 

「頑張ってるわね」

「まあ、仕事なんで……」

「おおっ、なんか比企谷さんらしくない!」

「おい。いや、まあ間違ってないんだけど……」

 

 高坂妹の失礼な台詞に納得していると、反対側からやたら視線を感じる。

 

「…………」

「……どした?」

 

 絢瀬さんの妹は、何だかしっとりと湿り気のある視線をこちらに向けていた。そ、そんな風に見られると緊張するというか……同じクラスの男子がこんな目で見られたら勘違いするから絶対にやめようね!

 数秒間、彼女はそうしていたが、ようやく目線を逸らした。

 

「ご、ごめんなさい……」

「ああ、だ、大丈夫だ……」

 

 何だったのか……姉妹だからか、絢瀬さんと雰囲気やら目やらオーラやらが前より似てきた気はするんだが……。

 言葉に上手く言い表せない末恐ろしさを感じていると、今度は右肩にゴツゴツした手が乗っかってくる。

 

「頑張れよ」

「あっ、はい……」

 

 高坂父は、その短い一言を残し、あっという間にスタスタ歩いていった。

 ……もしかして、照れていたのだろうか。

 その背中を見て、高坂母は楽しそうにクスクス笑っている。

 

「ふふっ、あの人ったらシャイなんだから。じゃあ比企谷君、また後でね」

「ええ、わかりました」

 

 気がつけば、会場周りの人だかりはかなり減っていた。こちらの作業も一旦終えたという事だろう。

 ふと空を見上げると、久しぶりに雲一つない青空だった。

 ……そろそろ始まりか。

 

 *******

 

「よ~し、皆!今この時を全力で楽しもう!!」

「1!」

「2!」

「3!」

「4!」

「5!」

「6!」

「7!」

「8!」

「9!」

「μ's!ミュージック~……」

「「「「「「「「「スタート!!!」」」」」」」」」

 

 *******

 

 ボランティア用に確保されたスタンド席からライブを観ていると、彼女達の出番が近づくにつれ、掌を汗が湿らせた。

 

「八幡、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫だ」

 

 戸塚に声をかけられ、はっとした気分になる。俺がここまで緊張してどうすんだ。ステージに上がるわけじゃねえのに。

 数秒瞑目し、呼吸を整えてステージにもう一度目をやると、雪ノ下がこちらを見ているのに気づいた。

 

「……何だ?」

「別に。珍しい表情だと思ったただけよ」

「どんな表情だよ……」

「少なくとも、初めて奉仕部に来た時のあなただったら、人前でその表情はしなかったと思うわ」

「そ、そっか」

「きっと彼女はあなたにいい影響を与えたのね」

「……ああ」

 

 結局俺はどんな表情をしているのかと疑問に思っていると、雪ノ下は「だから……」と言葉を継ぎ足した。

 

「きっとあなたも彼女にいい影響を与えてるはずよ。もっと安心してればいいんじゃないかしら」

「…………」

 

 不器用な励まし方に小さく頷くと、会場内の照明が暗転した。どうやら始まるようだ。

 紹介のアナウンスも周りの歓声も、何故かあまり響かない。

 そんな静寂に耳が疼いていると、ステージにライトが辺り、彼女達の姿が見える。

 まるで夢の中にいるかのような煌びやかなイントロから、彼女達のステージは幕を開けた。

 全身全霊のダンスと高らかに響く歌声から、これまでの想いの積み重なりが、最初から見ていたわけではない俺にも伝わってきた。

 

「すごい……」

 

 誰かの声が、微かに耳朶を撫でる。

 実際、瞬きするのも惜しいくらい、彼女達は輝いていた。

 俺は、何故か涙がでそうな気分になりながら、その輝きに心を奪われていた。

 しかし、そんな時間にはすぐに終わりがやってくる。

 

『ありがとうございました!』

 

 その言葉に会場は惜しみない拍手を送り、彼女達の一瞬の輝きを讃える。

 俺も慌てて拍手を送り、笑顔で手を振る穂乃果の姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 



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111話

『μ's』

 

 全てのスクールアイドルのパフォーマンスの後、派手な演出と共に、その名前がスクリーンに表示された。

 そして、一瞬の沈黙の後に、割れんばかりの歓声が会場を満たす。

 

「ヒッキー、すごいよ!穂乃果ちゃん達、一位だよ!全国優勝だよ!!」

「あ、ああ……」

 

 由比ヶ浜に背中をバシバシ叩かれながら、俺は拍手を送り続けた。まさか本当に優勝するとは……。パフォーマンス後の観客の反応からして、もしかしたらと思っていたが……。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃんっ!お義姉ちゃん、すごいね♪」

「あ、ああ……」

 

 小町も首にしがみついてきて、喜びを分かち合ってくる。さりげなく呼び方がお義姉ちゃんになってるのはこの際置いとこう。

 

「八幡っ、皆すごいね」

「……ああ。本当に」

「はっはっは!よくやった!誉めてやろう!」

「材木座うるさい。つーか、いたのかよ……」

 

 こうして最高の歌の余韻を、俺はしみじみと味わっていた。

 ……おめでとう、穂乃果。

 

 *******

 

 数日後……

 

「八幡く~ん!」

「……おう」

 

 穂むらの前まで行くと、掃き掃除をしていた穂乃果が手を振ってくる。今日も元気がいいのはいいけど、集めた葉っぱが風に流されてるぞ。

 

「わわっ、もう……」

「箒もう一本あるか?」

「はいっ、これ♪」

 

 すぐに出してくるあたり、俺が手伝うのは決定していたのか、まあ別にいいけど。

 落ち葉をせっせと掃き集めながら、ひとまず彼女に話を振ってみた。

 

「そっちはもう落ち着いたのか?」

「うん。昨日でスクールアイドル雑誌からのインタビューも終わり。なんかライブの時より緊張しちゃった」

 

 笑いながら語る穂乃果は、どこか満たされた表情をしていた。

 あのライブの後、すぐにボランティアの仕事に戻ったので、直接話をするタイミングがなかった。そして、それからもスクールアイドル雑誌からの写真撮影やインタビューやらで、中々会えずにいた。

 ようやく……といっても2、3日しか待っていないが。

 まあ、特に何も変わりないみたいなので、安心した。

 

「八幡君、どうしたの?……も、もしかして、私に会えなくて寂しかったとか?」

「……優勝おめでとう。あとお疲れさん」

「無視した!?……でも、ありがと!」

「一応一区切りついたな」

「そうなんだけどね~、明日からまた忙しいんだぁ……」

「まだなんかあるのか?」

「うん。卒業式が……私、生徒会長だから」

「この支配からの……」

「卒業♪……って、話逸らさないでよ!ていうか、八幡君も生徒会長だから、準備があるんじゃないの?」

「ああ。俺はスピーチの原稿は二月の内に終わらせたからな。あとはこれを機械的に読み上げるだけだ」

「き、機械的に読むんだ……なんか想像できちゃうな」

「想像できちゃうのかよ……よし。これで掃除終わり」

「手伝ってくれてありがと。すぐお茶入れるねっ。その後どっか行こうよ!」

「ああ、そうだな」

 

 いくら原稿だけ書き上がっていても、明日から俺も卒業式の準備で忙しくなる。しかし、それさえ終われば後は春休みだ。受験勉強もあるが、その合間に何度かはゆっくり会う機会もあるだろう。

 この時はそう思っていた。

 しかし、卒業式当日……。

 

「は?……ニューヨークでライブ?」

 

 

 



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112話

「……というわけなの」

「そ、そうか……」

 

 かなり省略された気がするが、とにかくそういう事だ。

 スクールアイドルの素晴らしさを世界中に発信するために、μ'sはニューヨークでライブをする事になった。

 ……本当にどこまで行くんだ、こいつら。次はドームライブでもやるんじゃなかろうか。

 

「八幡君!ニューヨークですよ!ニューヨーク!」

「落ち着け。口調が変わってる。あと俺はプロデューサーじゃない」

「ニューヨークってどんな所なの!?」

「行った事ないからありきたりな説明しかできんから、とりあえずググれ。てか、本当にすげえな」

「あはは……なんかよく実感湧かないや。海外行った事ないし……」

「それで、いつから行くんだ?」

「えっと……3日後だよ」

「そっか。まあ、あれだ……知らない場所を一人でうろちょろすんなよ」

「はぁ……」

「どした?」

「えっとね?……いつか八幡君と二人っきりでニューヨークに行けたらなぁって……」

「……まあ、いつかな。30年後くらいに」

「長いっ!!それずっと先の話じゃん!あっ、でも……それって、ずっと一緒にいようって意味だよね。も、もうっ、八幡君ったら~」

「……おーい。戻ってこーい」

 

 にへらと笑っている彼女の姿が簡単に想像できてしまい、ついこちらも頬が緩んでしまう…………可愛すぎかよ。

 

「あっ、ごめんごめん。やっぱり八幡君もニューヨークに行けたらいいのになぁ。よしっ……当たれーーーーーーーーーーーーー!!!!」

「っ!!……び、びっくりしたぁ……」

 

 心臓止まるかと思ったぞ。どこのキラ・ヤマトだよ……。

 

「うんっ!これでオーケー♪」

「何がだよ……フリーダムがストライクしちゃったのか?」

「ちょっと何言ってるのかわかんないんですけど……」

「何がわかんねえんだよ……って今のは俺もよくわからんかった。それで、何で叫んだんだ?気が触れたのか?」

「違うよ!八幡君が商店街のくじ引きでニューヨーク旅行が当たりますようにってお願いしたんだよ」

「…………」

「あははっ、とりあえず言ってみたかっただけだよ。あ~すっきりしたぁ~」

 

 俺は、電話越しに聞こえる「お姉ちゃん、うるさい!」とか「アンタ何やってんの!」等の文句に苦笑しながら、そんな彼女の無邪気さに頬を緩めた……それでこの話は終わりだと思ってた。

 

 *******

 

 翌日、小町の買い物に付き合わされた帰りに、母ちゃんがもらってきた福引きの券を消化するべく、商店街へと足を運んでいた。まさか、本当に福引きをする事になるとは……。

 とはいえ、そんな大した景品など期待していないので、さっさと終わらせようと、俺はガラポンをテキトーに回した。

 そして、数秒経って出てきたのは金色の玉だ。いきなりかよ。あと何回だっけ?

 もう一度回そうとすると、けたたましいベルの音と、拍手の音が高らかに鳴り響いた。

 

「大当たり~~!!!」

「?」

 

 何事かと首を傾げると、小町が抱きついてきた。

 

「お、お、お兄ちゃん!すごいよ!ニューヨークだよ!奇跡だよ!」

「……はぁ?」

 

 俺はその時、現実を正しく理解するのに、しばらくの時間を要した。

 こうして、比企谷家のニューヨーク旅行が決定した。

 あいつ……前世でどれだけの徳を積んだんだよ。奇跡すぎるだろうが。いや、これは俺の運も含まれているのだろうか……まあ、どっちでも結果は変わらないんだけど。

 とりあえず……連絡しとくか。



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113話

「サプライズが大事なんだよ、お兄ちゃん!」

 

 穂乃果に電話をかけようとすると、小町から阻止された。

 

「いや、いらんだろ。サプライズとか」

「ふふん。甘いよ、お兄ちゃん。それだけじゃないんだよ」

「?」

「穂乃果さん達はライブをしに行くわけでしょ?だから、最初はライブだけに集中してもらって、終わった直後にイチャイチャしまくるほうが良いと小町は思うのですよ~」

「……確かに」

 

 凄まじい奇跡を目の当たりにして、少し浮かれすぎていたかもしれない。小町に指摘されるとは……一生の不覚!

 

「お兄ちゃ~ん。ものすごく失礼な事考えてない?」

「いや、それより……はやく準備しなきゃな。買い物行くぞ」

「あっ、ちょっと待ってお兄ちゃ~ん!」

 

 *******

 

 出発当日。

 空港内で俺と小町は変装をしていた。とはいえ、帽子を被り、伊達眼鏡をかけているだけだが。

 そして、μ'sのメンバーは割と近くで談笑していた。見たところ、園田さん以外はリラックスしているようだ。

 穂乃果はやたらと元気よく、「ファイトだよ!」と皆を元気づけている。いつも通りか。

 

「お兄ちゃん、ちょっとガン見しすぎだよ!見つかったらどうすんの!」

「べ、別にそんなんじゃねえから。ほら、俺らも手続き済ませるぞ」

 

 とりあえず、見た目は誤魔化せているようなので、飛行機の中でも大丈夫だろう。

 

 *******

 

「あの、あれって……」

「うん……」

「比企谷君ですよね」

「比企谷君だよね」

「比企谷さんですね……」

「比企谷さんにゃあ」

「比企谷さんね」

「比企谷ね」

「比企谷君やね」

「比企谷君……そんな……あなたには穂乃果が……「エリチ」はい」

「どうやら気づいていないのは穂乃果だけのようですね。しかし、変装をしているという事は……」

「黙ってたほうがよさそうだね」

「ええ」

「どうしたのみんな?はやく行こうよ~!」

 

 *******

 

 搭乗して自分の席に座ったはいいが、どうにも気分が落ち着かない。

 その理由とは言うまでもなく……

 

「ねえねえ海未ちゃん、機内食ってどんなのが出るのかな?」

「落ち着きなさいっ、まだ離陸すらしてないじゃないですか」

「あはは……何だかお腹空いちゃって」

 

 真後ろの席にいるとか……偶然もここまでくると、誰かが仕組んでるんじゃないかと疑わしくなる。

 まあ、親父と母ちゃんはここぞとばかりに熟睡モードだし、こうして黙っているかぎりバレはしないだろうけど。

 すると、そこで予想外の質問をする方がいた。

 

「ねえ、穂乃果ちゃん。もしニューヨークで比企谷君に会ったらどうする?」

「えっ?」

「っ!?」

 

 東條さんか……いきなり何て質問してんだよ。変装がバレてると思うじゃねえか(バレてます)。

 

「えっとぉ……って、会うわけないじゃん!比企谷君は今頃落花生囓りながらゲームして、昼にはパン食べて「今日もパンが美味い」って言ってるよ!八幡君だし!」

 

 後半お前じゃねえか。一回もそんな台詞吐いたことねえよ。

 そこで彼女は、「でも……」と話を続けた。

 

「もし会えたら……幸せだなぁ。ふふっ」

「…………」

 

 その言葉に、やわらかな声音に、俺はマスクの下で口元が緩むのを堪えきれなかった。



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114話

「お兄ちゃん!着いたよ!アメリカだよ、アメリカ!」

「おお……」

 

 思わず声が漏れてしまう。まだ空港を出たばかりだが、それでも今自分が見ている景色は、日本のそれとは明らかに違った。その事がこれから起こる何かへの期待と不安を微かに膨らませていた。

 

「ほら、アンタ達さっさと行くわよー」

 

 母ちゃんから呼ばれ、タクシーに乗り込む。小町調べによると、なんとホテルは一緒らしい。もうここまで来たら何も言うまい。

 まあ、とりあえず今からホテルに向かうわけだが、ここに来て穂乃果が何かやらかすことはないだろう。

 例えば、目的地の名前を間違えてメンバーに伝えたりとか……。

 

 *******

 

「海未さん達、無事にたどり着いてよかったね」

「あ、ああ……本当に」

 

 まさか本当にいきなりやらかすとは思わなかった。そして、妄想が現実になるとは思わなかった。

 ホテル内に「今日という今日は許しません!」という怒号が響いた時は、さすがにこっちも焦った。もう仲直りしたみたいだけど。

 

「とりあえず解決したみたいだし、今日はゆっくり家族の時間を過ごそっか」

「……だな」

 

 普段なら絶対に家族四人で出かけたりはしないが、海外にいるせいか、妙に気持ちが開放的になってるのかもしれない。一人で出歩いたら迷子になっちゃうし!

 まあ、たまには荷物持ちでもして、親孝行でもしようと、俺は三人に続いてのろのろと部屋を出た。

 

 *******

 

 ニューヨーク……すごいところだなぁ。こんなところでライブができるなんて……。

 私は携帯のカメラに、また一つ風景を収めた。日本に帰ったら、八幡君にたくさんニューヨークの事を話すために。

 

「まだ気づいてないみたいやね」

「あの変装で気づかないというのもそれはそれで鈍いですね」

「あはは……きっとライブに集中してるんだよ。きっと」

「あっ!あっちのスイーツ美味しそう!行くよ、花陽ちゃん!」

「は、はいっ!」

「あっ、こら!穂乃果!花陽!ニューヨークに来てまでダイエットをするつもりですか!待ちなさい!」

「大丈夫だよ~。ちょっとくらいなら」

「かよちん、ストップにゃ!」

「ひ、一つだけ……」

 

 *******

 

「ふぅ……」

 

 ベンチに座り、ようやく足を休ませる。あっち行ったり、こっち行ったり、あれ食べたり、これ買ったりで、初日からやたら飛ばしてるが、皆元気すぎだろ。トラベラーズハイここに極まれりだ。

 多分ここでは会わないだろうと、眼鏡と帽子を外す。しかし、案外気づかれないもので、すぐ隣を通った時に気づかれなかった時は、少し寂しかったんだが……。

 すると、隣から何故か視線を感じたので目を向ける。

 そこには、いつの間にか銀髪の少女がいて、じっとこちらを見ていた。

 

 

 

 



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115話

「…………」

「…………」

 

 これは……さすがに自意識過剰とか気のせいじゃないよな。

 隣に座った同い年くらいの銀髪女子は、俺と目が合ってもそのままじぃ~っとこちらを見つめていた。

 

「あ、あの……?」

「…………」

 

 呼びかけてみても返事はない。宝石のような青い瞳が、ただ俺を見ているだけだ。透きとおるような白い肌は作り物めいていて、人形だといわれたら信じてしまいそうだ美少女だった。

 やがて、その薄紅色の唇が綻び、そうじゃないという確信が得られる。

 

「プリヴェート……素敵な、目ですね」

「……え?あ、どうも……」

 

 プリヴェート?確かロシア語だったか……でも、日本語も普通に話せるようだ。いや、それより……。

 素敵な……目……だと?

 死んだ魚のような目と評判の俺の目だが、まさかそんな評価をされる日が来るとは……いや、これ危険なやつかもしれん。

 念のため周囲を見回してみたが、特に人影は見当たらない。ドッキリとかではないようだ。まあ、俺にドッキリを仕掛ける意味もないんだが……。

 じゃあ、あれか。とりあえずおだてて、何か変なものを買わせようとしているのか……。

 とりあえず怖いので、この場を離れよう。

 

「じゃあ、俺そろそろ行くんで」

 

 そそくさと立ち去ろうとすると、袖をぎゅっと掴まれた。

 

「パダジディーチェ……えっと……名前だけでも教えてください」

「な、名前?」

 

 何故?という疑問が沸いたが、その声音からは穏やかな優しさが滲み出ていて、自然と警戒心が和らいでいく。多分変な壺とかは売りつけてこない気がした。

 そして、彼女の瞳が不安そうに揺れていることに気づく。

 ……まあ、名前くらいなら……目的はわからんけど。

 

「比企谷は……「みんな~、こっちこっち~!」っ!?」

 

 耳に馴染んだ声に振り返ると、穂乃果がこちらに小走りで向かってくるのが見えた。

 

「……えっ?」

「っ!」

 

 慌ててベンチの下に隠れる。い、今、目合ったよな?合ったよな?

 

「どうかしましたか?」

 

 銀髪さんがベンチの下を覗き込んでくる。

 とりあえず、ジェスチャーで「こっち見んな」と合図を送ると、何事もなかったかのように座り直した。そこには居座るのかよ。

 

「あれ?今……」

「穂乃果、どうかしたのですか?」

「えっ?ううん、何でもないよ!ほらっ、あそこで写真撮ろうよ!」

「ふふっ、比企谷君でもいたん?」

「い、いるわけないじゃん!あ~びっくりした……」

 

 声がだんだん遠ざかっていく。

 ベンチの下から出ると、銀髪さんが首をかしげていた。まあ気持ちはわかる。

 

「お知り合い……ですか?」

「……あ、ああ」

「そう……ですか」

 

 穂乃果の行った方向をじーっと見つめる銀髪さん。どうしたというのだろうか。

 すると、再び足音がこちらに向かうのが聞こえてきた。

 

「アナスタシアさん」

 

 おそらく銀髪さんの名前だろうか、振り向くとそこにはスーツ姿の大柄な男がいた。

 

「っ!」

 

 やましい事など一つもないのに、思わず身構えてしまう。てか、目つき怖い……え?もしかして、銀髪さんって危ないお仕事の……

 

「プロデューサー。もう用事はいいんですか?」

「ええ。お待たせして申し訳ありません」

「……プロデューサー?」

 

 予想外の単語を思わずリピートしてしまう。

 おそらく呆けた顔をしているであろう、俺の顔を見ながら、彼女は俺に控えめな笑顔を向けた。

 

「ダフストレーチ、比企谷さん。今度新曲が出ますので、よかったら聴いてください」

「……新曲?」

「ダー。私、日本でアイドルやってます」

「…………」

 

 目の前にいるのはプロのアイドルだった。

 超展開すぎて、正直思考がまだ追いつききっていない。

 

「アナスタシアさん。そろそろ……」

「ダー。それじゃあ……」

 

 彼女はウィンクした後、照れ気味に投げキッスをして、こちらに背を向けた……耳まで真っ赤にするならやらなきゃいいのに……。

 しかし、プロのアイドルか……穂乃果に会った時に教えてやろう。

 一人頷いたところで、小町達がこっちに来るのが見えた。

 

「お兄ちゃ~ん、お待たせ~」

「おお、かなり待ったぞ」

「ま~た、そういう事言う……ん?お兄ちゃん、ちょっと顔赤いよ?」

 

 小町の指摘に、つい頬を触ってしまう。しかし、ほんのり温かいだけで、赤いかどうかは勿論わからない。

 

「……気のせいだろ」

「も~、海外来て金髪美人に見とれるとか、お父さんじゃないんだから……穂乃果さんに言いつけるよ?」

「バッカお前、違うっての。ほら、行くぞ」

 

 親父何やってんだよ……。

 母ちゃんにジト目で睨まれてる親父を見ながら、俺はもう一度自分の頬の温度を確かめた。

 

 *******

 

「ふぅ……もう私ったら、八幡君がニューヨークにいるわけないのに……会いたいな」 



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116話

 次の日も、家族であっちこっち観て回り、あとは明日のライブを待つのみだった……のだが。

 

「……はぐれた?」

「はい……」

 

 夕食を終えてホテルに戻ってきたところで、園田さんから声をかけられた。話しかけてきた時の切羽詰まった様子で、俺がニューヨークにいる事がバレてたのは気にもならなかった。

 どうやら地下鉄で電車を乗り間違えたらしい……どうやったらそんな事になるんだよ……。

 もう夜だし、早めに探さないとやばい。

 

「……行ってくる」

「ちょっ、アンタどこ探す気?」

「お兄ちゃん、ここニューヨークだよ!」

「…………」

 

 ……確かに。

 しかし、黙って待っているというのも無理な話だ。こうしている間にも、穂乃果が異国の地で心細い思いをしているのだ。

 

「わかる範囲で探してくる」

 

 それだけ言い残し、背後からの声も無視して、全速力でホテルを飛び出した。

 親父の「……俺も手伝う」という声が微かに聞こえたのも気にならなかった。

 

 *******

 

 偶然が生んだ不思議な出会い。

 その人の歌声は、懐かしい雰囲気を漂わせながら、心地よいメロディーにのって、夜のニューヨークの片隅に響いていた。

 初めてなのに聞き覚えのあるような感覚。

 ……何でこんな気持ちになるんだろう。

 切なく胸をしめつける歌をいつまでも聴いていたいと思った。

 その人は今、私の隣を歩いている。

 

「どうしたの?ぼーっとして」

「えっ、あ、何でもないです!」

「ふふっ、もしかして彼氏のことでも考えてた?」

「ち、違いますよ!……たしかに迷子になった時は、八幡君が迎えに来てくれないかなぁ、とか考えましたけど……」

「あははっ、図星かなぁ?顔、赤いよ」

 

 自分の頬に触れながら、あり得ない光景を思い浮かべる。あぁ、もう……皆に心配かけてるからそんな場合じゃないのに!

 そんな私を見ながら、お姉さんは笑顔を見せた。

 

「ふふっ、そういう気持ちは大事にしなきゃね……せっかく出会えたんだから」

「……はい」

 

 お姉さんの何かを思い出すような口ぶりに、私は自然と頷いていた。

 

「ほら、迎えに来てくれたみたいだし」

「え?…………あ」

 

 私は言葉を失った。

 目の前にいるはずのない人がいたから。

 汗だくになって、息を切らせている八幡君がいたから。

 

 *******

 

 よかった……。

 とぼとぼと夜の街を歩く彼女の姿を発見した時、腹の底からせり上がってくるような焦燥感が和らいでいくのを感じた。

 

「……穂乃果」

 

 名前を口にしながら距離を縮めると、彼女はまだ俺がここにいるのが信じられないような目をしていた。まあ、無理もないだろう。ここニューヨークだし。

 彼女は数秒口をぱくぱくさせてから、ようやく口を開いた。

 

「八幡君、だよね?」

「ああ……」

「本当に?」

「本当だっての」

 

 彼女の華奢な体をそっと抱きしめる。ニューヨークでも、その柑橘系の甘い香りは、優しく鼻腔をくすぐってくる。

 

「……八幡君!!!」

 

 ようやく確信を得たらしい彼女が、きつく抱きしめ返し、胸元に顔を埋めた。

 

「怖かったよぉ……!帰れなかったらどうしようって……」

「……もう大丈夫だから」

 

 実際ここはホテルからそんなに離れていない。穂乃果がここまて来ていた事が意外だった。

 すると、彼女は何かを思い出したかのように「あっ」と声を発した。

 

「実はここまでお姉さんに連れてきてもらったんだ!ってあれ?」

 

 誰かに連れてきてもらったと言っているが、俺が見つけた時は既に一人だったのでよくわからない。随分親切な人もいたもんだ。しかも、名前も告げずに去るとか……。

 心の中でお礼を言うと、穂乃果は不思議そうに首をかしげた。

 

「どこ行ったんだろ?さっきまでそこにいたのに……」

「いや、お前一人で歩いてなかったか?」

「違うよぉっ、さっきまで本当に一緒だったもん!あっ、これ返さなきゃ……」

 

 そう言いながら、穂乃果は黒く細いバッグを胸元まで持ち上げた。

 

「何が入ってるんだ?」

「マイクスタンドだよ。一人でライブしてたから」

「そっか。鞄に名前は?」

「え~と……書いてないや。日本の人みたいだし、日本で会えるかな?」

「可能性は限りなく低いが……まあ、日本から来てるなら、なくはないな」

「そう、だよね……ふふっ、また会えるといいなぁ」

 

 こうして、何とか俺達は無事にホテルへと戻ることができた。

 そして、穂乃果は園田さんに、俺は母ちゃんにかなり叱られた。

 ちなみに、親父は外でやたらと金髪女性に声をかけられていたところを母ちゃんに見られ、小一時間説教されていた。

 ……おい親父、アメリカ来てからやけにモテるじゃねえか。どうなってんだ。

 

 *******

 

「でも、本当に驚いたよ~。来たなら言ってくれればよかったのに」

「いや、ほら……ライブが終わるまでは集中したほうがいいかと、ね……」

「あはは、ありがと♪ニューヨークでも一緒にいられるなんて嬉しいなっ」

「そりゃどうも……」

「あれっ?じゃあ、公園で見かけたのも八幡君だったの?」

「っ!」

 

 やましい事など一つもありはしないのに、何故かギクッとしてしまった。ナニソレ、イミワカンナイ。

 

「あ、ああ、そうだけど……」

「……確か、銀髪の綺麗な女の子と話してたよね?」

「え?あ、はい……」

「……すっごくデレデレしてたよね?」

「いや、それは……」

 

 落ち着け、俺。デレデレなんかして……いなかった、よね?

 ちなみに、穂乃果は今すっごい笑顔だ。そりゃもう怖いぐらいに。てか怖い。

 ここはとりあえず話を逸らさねば……。

 

「そ、そういや、明日朝早いんじゃねえの?そろそろ寝たほうがいいだろ……」

「ゆっくり寝るためにはモヤモヤはなくさないといけないよね♪」

 

 そう言いながら、穂乃果は親指でくいっと自分の部屋を指し示す。あらやだ、穂乃果さんったら男らしー……とにかく一から説明するか。

 俺は黙って頷き、穂乃果の部屋の中へと連れていかれた。

 

 

 

 



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117話

「そっかぁ、疑ってごめんね?」

「いや、いい」

 

 何とか身の潔白は証明できた。まあ、穂乃果も本気で疑っていたわけではないのだが……。

 俺の話を聞いた彼女は、やたら瞳をキラキラさせ、公園で出会ったアイドルに思いを馳せていた。

 

「はぁ、綺麗な子だったなぁ……でも、ニューヨークの公園で見かけた美少女が実はプロのアイドルだったなんてすごいね!」

「まあ、あれだ。真実はいつだって稀有なものなのですって言うからな」

 

 時計に目をやると、もう10時を過ぎていた。寝るには早い時間だが、明日ライブがあることを考えたら、もうお暇したほうがいいだろう。

 

「じゃあ、俺はもう戻るわ」

「あっ、ちょっと待って!」

「……どした?」

「今、にこちゃんからメールが来たんだけど……」

「?」

 

 穂乃果に差し出された携帯の画面を確認すると、『今ババ抜きが盛り上がってるから、あと一時間くらいイチャついててもいいわよ』と書かれていた。

 何かの間違いかと思い、もう一度文章を確認してみる。おい、マジか。いいのか?いいのか?

 

「は、八幡君、なんかちょっと顔こわい……」

「……いや、気のせいだろ。それよかもうしばらく話でもするか」

 

 気持ちを落ち着かせ、もう一度ソファーに腰を下ろす。せめて紳士ではいたいよね。

 一旦窓の外に目を向けると、やはりここはニューヨークだった。当たり前だけど。

 そして、もう一度目を向けると、穂乃果は何故かうつむき、何事かブツブツ呟いていた。

 

「…………」

「……どした?もしかして眠いのか、っ……」

 

 突然抱きついてきた穂乃果に唇を塞がれる。柔らかな感触が一瞬で脳内を埋めつくし、俺はそれにつられるように、彼女をさっきより強く抱きしめた。

 甘やかな空気に包まれた気がして、まさに天にも昇るような気分だ。

 唇が離れると、彼女は上目遣いで視線を絡めてきた。

 

「……八幡君、好き」

「あ、ああ……」

「何でかな。急に言いたくなっちゃった」

「……まあ、その……俺もたまにある」

「ふふっ、気が合うね。……えっと、八幡君……今から私、とってもすごいこと言うよ?」

「?」

 

 ……すごいこと、だと?

 期待と不安が渦巻くような言葉を吐き出した穂乃果は、今度は耳元で囁いてきた。

 何故か、ニューヨークの地を初めて踏んだ時より心はざわついていた。

 

 *******

 

「…………」

 

 まさか、こんな急展開が待ち受けていようとは……。

 俺は泡風呂に体を沈めながら、ぼんやりと綺麗な天井を見つめていた。

 

『今日探しに来てくれたお礼に……一緒にお風呂、どうかな?』

 

 まさか穂乃果の口からあんな提案が出てくるとは思わなかった。海外の空気が開放的な気分にさせているのだろうか。いや、ていうか……冷静に分析してる場合じゃないっ!!!穂乃果、本気で裸で来るのか?いや、水着くらいはさすがに……。

 

「お、お待たせ……」

「…………」

 

 穂乃果がカーテンを開き、その姿を見せる。

 その細い体にはバスタオルがしっかり巻かれており、安心したような、がっかりしたような……。

 

「な、何か言ってよ……」

「ああ……やっぱり風呂とトイレが一緒って落ち着かないよな……」

「そ、そっちっ?も、もっと別の事ないの!?」

 

 穂乃果は「もう……」と頬を膨らませてから、タオルを取り、泡の中にゆっくり体を沈め……俺に寄りかかってきた。

 

「……あの、穂乃果さん?」

 

 彼女の体の感触が直に伝わり、頭の中は沸騰しそうなくらいに熱くなっていた。

 これまでで一番接触して、密着して、このまま一つになってしまいそうな感覚に、さっきまでのあたふたやドタバタ、ニューヨークにいるという事実さえも遠く感じた。

 

「ほんとはね……」

 

 穂乃果がぽつりと話し始めたので、そっと抱きしめ、耳を澄ませた。

 

「私、ヤキモチ妬いてたんだ……」

「……何にだ?」

「えっと、公園の……」

「いや、あれは……」

「うん、わかってる。自分でも驚いてるよ。私ってこんなに八幡君が好きなんだって。だから……」

「?」

 

 穂乃果はこちらを見ないまま、さらに体を押しつけてきた。

 そして、甘い囁きを紡いだ。

 

「八幡君が私の事好きって気持ち、強く感じさせて」

「……ああ」

 

 脳がとろけるような甘く熱い空気の中、俺は彼女を抱きしめ、その首筋にそっと口づけた。

 

「ふふっ、なんかくすぐったいよ~」

「……その、笑顔になるならいいんじゃねえの?」

 

 穂乃果がこちらを向き、ほんわかした笑顔を見せた。やはり可愛いと思いながら、鼻についた泡を親指で拭ってやると、今度は優しくやわらかく口づけてきた。

 

「…………ん」

「…………」

 

 やがて、どちらも抱きしめ合い、激しく舌を絡めていく。どろりとざらついた感触が心地よく、呼吸すら忘れてしまいそうだった。

 しかし、そんな瞬間も終わりが来る。

 

「はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……」

 

 荒い呼吸が混ざり合い、さらなる熱を生んでいく。もこもこの泡がぽつぽつ消えるのが、何だか切なく思えた。

 それにつられるように、まだ呼吸が整わないうちに唇を重ねる。

 合間に言葉を重ねる。

 

「ねぇ……八幡君……大好き」

「……ああ、俺もだ」

 

 *******

 

「今日はありがと。……じゃあ、おやすみ」

「……ああ、明日のライブ楽しみにしてる」

 

 そろそろ時間なので、自分の部屋に戻ることにした。

 穂乃果の顔はまだ火照りを残していて、まださっきの余韻が見られた。

 

「八幡君」

「?」

「また、ここに来ようね。次は二人っきりで」

「ああ……絶対に」

 

 どちらからともなく小指を差出し、指きりを交わす。

 遠い未来が近くにあったような、そんな気持ちが一晩中胸の中をくすぐり、眠れないままにいつの間にか朝を迎えていた。 



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118話

 眠れないまま朝を迎えはしたが、不思議と眠気をひきずることなくライブを楽しむことができた。

 艶やかな着物風の衣装で舞う彼女達の姿を一瞬でも逃すまいと、脳裏に焼き付けるように見ながら、これが最後だという切ない気持ちと向き合っていた。

 そう、この時はこれが最後だと思っていた。

 

 *******

 

「はぁ~、ようやく着いた~!我が家のベッドが恋しいよ~!」

「……まあ、たしかに」

 

 空港のゲートをくぐり、伸びをする小町に同意する。ライブを観終わってから、少しずつ千葉の事が気になりだすあたり、俺の千葉愛はやはり相当なものなんだろう。

 

「結衣さんとこにカーくんも迎えに行かないと」

「ああ、そういや……」

 

 ニューヨークまで連れていけないカマクラは、由比ヶ浜の家に預かってもらっていたのだが、大丈夫だったのだろうか。まあ間違いなく追いかけ回されただろう。サブレの奴、カマクラの事大好きだったし。案外滅茶苦茶仲良くなってるかもしれんし。

 

「ん?お兄ちゃん、何あれ」

 

 小町が指差す方向に目を向けると、人だかりができていた。ハリウッドスターでも来日しているのだろうか。

 

「案外穂乃果さん達もサイン貰おうとしてるかもね~」

「……かもな」

 

 μ'sのメンバーは、この後学校に寄らなければならないので、早足で降りていったのだが、まあもしかしたらいるかもしれない。

 そんな事を考えながら人だかりに目をやると、意外な光景がそこにあった。

 

「穂乃果ちゃん!いつも元気もらってます!」

「ことりちゃん、可愛い!」

「園田海未さん、やっぱり美人だよね!」

「花陽ちゃんの歌声大好きです!」

「凛ちゃんのウェディングドレス姿最高でした!」

「真姫ちゃんの作る歌に元気もらってます!」

「にこにーマジ天使!」

「希ちゃんのスタイルに憧れてます!」

「エリーチカにチッカチカにされました!」

 

「……どういう事、あれ?」

「…………」

 

 小町の質問に対する答えを、俺は持っていなかった。

 しかし、すぐにそれは見つかった。

 俺達のすぐ隣にある巨大なスクリーンで、彼女達のライブ映像が流されていた。

 ……おい、マジかよ。

 穂乃果の方に目を向けると、笑顔を浮かべ、手を振ってきた。

 ……いや、だから少しは周りの目を気にしろっての。

 

「そういや親父と母ちゃんは?」

「並んでるよ」

「……は?」

 

 サイン待ちの列に目を向けると、親父は東條さんの列に、母ちゃんは絢瀬さんの列に並んでいた。ニューヨークでもらっとけよ。

 

 *******

 

「はぁ……もう、大変だったよ~」

「……お疲れさん。まだそっちは落ち着かないのか?」

「うん……今日も3回くらい一緒に写真撮ったよ。お店にも結構来てたし。あっ、お小遣いアップの交渉しなきゃ!」

「お、おう……何つーかお前、たくましいな……」

「だって、応援してくれるのは嬉しいもん。……期待に応えられないのは残念だけど……」

「……そっか」

「ねえ、八幡君。私……私達、どうすればいいのかなあ?」

「……わからん」

「即答!?ちょっとくらい考えてよ~!」

「まあ、その辺に関しちゃ俺はあくまで関係者じゃなくファンだからな。仮に俺の意見が反映されたとしても、それは他のファンにとってフェアじゃない」

「八幡君……真面目になったね」

「バッカ、お前。俺はいつだって真面目だろうが」

「…………」

「え?何でそこで黙るの?不安になるからやめてくんない?」

「……昨日、ニューヨークで助けてくれたお姉さんにまた会えたんだ……」

「スルーかよ……って、ニューヨークのお姉さんに会えたのか?お前、ホントすげえな……マイクスタンドは返せたのか?」

「それが……お姉さん、途中で帰っちゃって……話したい事もあったのに」

「そっか……まあ、また会えるんじゃねえの?」

「うん。そんな気がする……よしっ!!あっ、ごめん。びっくりした?」

「もう慣れたからいい……どした?」

「今から皆に会ってくる!八幡君と話してたら、頭の中がすっきりした!いつもありがと♪」

「……どういたしまして。気をつけてな」

「うんっ、じゃあ行ってきます!」

 

 *******

 

 数日後……。

 

「いや~、やっぱり男手がいるとこういう時助かるわ~」

「……そうか」

「じゃあ、次はこのお米お願いできる?花陽ちゃん考案のお米スムージー、かなり売れちゃって」

「へいへい」

「比企谷君。私、ソフトクリームね」

「はいはい……っておい。まだ休憩には早いんだが……」

「バレたかー」

 

 現在、俺は清々しい晴天の秋葉原でスムージーやソフトクリームを売っている。

 バイトとかではなく、完全なボランティアだ。休日出勤のボランティアとか……帰りたい。

 

「はいはい。帰りたいって顔しないのー」

「愛しの穂乃果のためにがんばって」

「ファイト~」

「お、おう……」

 

 そう。あの後、μ'sは全国のスクールアイドルを巻き込んだライブを開催することになった。さらに、その前日に何故か出店までやることになり、俺はその手伝いをさせられている。しかも、結構忙しい。

 まあ、ボランティア自体は構わんのだが、この男女比率は何とかならないのだろうか。しかも穂乃果は用があり、どっか行ったし……。

 

「おー、まさか秋葉原で君を見かけるとはな」

「いらっしゃいま……って、先生?」

 

 聞き覚えのある声だと思ったら、先日総武高校を離れた平塚先生がそこにいた。なんでここに先生が!?

 

「ど、どうしているんですか?」

「たまたまだよ。なんか賑やかにやってるから立ち寄ってみたら、まさか君が働いているとはな。感心感心」

「先生はやっぱり一人ですか?」

「やっぱりとはどういう意味だ。久々に一発食らうか?」

「いえ、冗談です……」

 

 どうやらボンキュッボンはまだ誰のものでもないようだった。はやく誰かもらってやってくれよぉ……。

 

「ふむ、そうか。スクールアイドルのイベントか。何なら私も一緒に歌って踊ってやろうか」

「……先生も相変わらず冗談が上手いですね」

「そう真顔で返されるとこちらも辛いんだが、まあいい。では、しっかり励みたまえ。じゃあまたな」

「あ、はい……」

 

 平塚先生は、いつものようにカッコよく去っていった……と思いきや、誰かに話しかけられている。あれは……確か南さんの母親だったか。知り合いなのか?

 ……今は気にしても仕方ないので、俺は再び作業に戻った。

 

 *******

 

「八幡君が来てくれて助かったぁ~」

「そりゃどうも……」

 

 今度は、スクールアイドル達の大量の衣装を、穂乃果達とライブ会場近くのUTXの体育館まで運ぶ手伝いだ。むしろ自分がやっていいのかとさえ思えてくる。

 

「てかどの部屋に運べばいいんだ?部屋多すぎてわからないんだけど……」

「えっと、部室に置いていいって言われたんだけど、場所忘れちゃって……皆どこ行ったんだろ」

「はあ……じゃあ、片っ端から開けてくか」

「うんっ、じゃあまずはここから!」

 

 穂乃果が前向きな笑顔で、勢いよくドアノブに手をかけた。

 

『あ……』

 

 扉を開くと同時に声が重なる。

 そこには……少しアダルティなスクールアイドル達がいた。

 ええと……端から平塚先生、穂乃果母、園田母、南母、小泉母、星空母、矢澤母……何人か当てずっぽうだが、多分当たっているだろう。どうしてこうなってる。

 

「「…………」」

 

 気まずい沈黙。

 平塚先生だけは、「何も言うな」と言いたげな視線をこちらに向け、穂乃果はスクールアイドル衣装の自分の母親に、冷めた視線を向けていた。

 そして、そのまま大したリアクションもできずに、俺達は黙って扉を閉めた。

 

「なあ、今の……」

「八幡君、忘れて」

「でも……」

「忘れて」

 

 穂乃果にしては冷たい雰囲気だが、まあ仕方ない。

 俺だって自分の母ちゃんがスクールアイドルの格好してたら、1ヶ月くらい口をきかない自信がある。

 だがさっき見たものは……ぶっちゃけアリかナシかでいえば……かなりアリでした。

 



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119話

 ライブ当日。

 秋葉原の街はスクールアイドル一色に染まっていた。誇張表現でもなんでもない。衣装に身を包んだスクールアイドルが、街道を埋めつくし、歌い踊っている。

 念のため言っておくが、ママライブwith独神は出ていない……残念ながら。

 辺りのスピーカーからは、喜びに満ちた音楽が流れ、ただの通行人も自然と体を揺らしていた。

 

「八幡、よかったね。またライブが見れて」

「……ああ」

 

 戸塚に言われ、しんみりと頷く。

 本当は3月のラブライブ決勝大会で最後のはずだった。それが、ニューヨークでライブが見れて、彼女と出会った秋葉原でまたライブが見れて……。

 長い祭りの中にいるような気分だった。

 そして、それはこれからも続いていくのだろう。

 俺は彼女を同じような気持ちにさせることができるのだろうか。

 少し自信はないが、彼女の隣にいたいという気持ちだけは確かだった。

 

 *******

 

「お疲れ」

 

 ライブ後の記念写真撮影も終わり、やっと一息ついたところで、俺は穂乃果に声をかけた。

 彼女は振り返り、にぱぁっと晴れやかな笑みを見せてくれた。 

 

「楽しかったなぁ♪」

 

 夕焼けがほんのり照らす頬を、汗が一筋伝い、白い首筋へと流れていく。

 その事を特に気にするでもなく、風に舞う髪をかき分けた彼女に、自然と胸が高鳴った。

 世界中で一番綺麗だと素直に思えた。

 

「どうかしたの?」

「いや、何でも……」

「そっかぁ」

「あ、悪い。やっぱあるわ」

「だと思った。なぁに?」

「初めて秋葉原に来た時、お前と出会えてよかった……色々思い返してみても、結局はそこに行き着く」

 

 俺の言葉に彼女は目を丸くしてから、頬を染め、そっぽを向いた。

 

「い、いきなり言わないでよ、照れるじゃん。八幡君のバーカ。それに……」

 

 彼女はそっと手を重ねてきた。まだそこには、さっきのライブの余韻が確かに残っているのがわかる。

 重ねてきた手と手を見ながら、彼女は笑顔で言葉を続けた。

 

「まだまだこれからだよ?これからもっと沢山色んなものに出会うんだから。のんびり思い出してるヒマはないよ」

「確かに、そうだな」

「よしっ、時間だし、そろそろ行くよ!」

「は?今から?どこに……」

「え?東京ドームだけど」

「野球でも観に行くのか?」

「違うよぉ!ライブするんだよ、今から」

「誰が?」

「μ'sが」

「どこで」

「東京ドームで」

「…………」

「…………」

「……聞いてないんだけど」

「言ってないからだよ♪」

「……マジかよ」

 

 自然と口元が緩んでくる。

 まったく……こいつといると、本当に飽きない。

 あっけらかんとすごい事を言った彼女は、俺の手を引き、ゆっくりと歩きだす。

 その笑顔をこれからも見ていようと、受け止めていようと思った。

 

「八幡君はどの席で観るの?」

「……特等席で」

 

 

 




 次回、最終話です!


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120話

 奇跡のようなライブから数日後……。

 

「八幡く~ん!」

「……おう」

 

 俺と穂乃果は、終わりが近い春休みを満喫しようということで、千葉駅で待ち合わせていた。

 彼女は何が不満なのか、頬を膨らませ、抗議の視線を向けてきた。

 

「どした?」

「むぅ……八幡君、相変わらずテンション低い。もっとこう……笑顔で両手を広げるとか……」

「俺がそれをやってるのを想像してみろ……」

「…………今日もいい天気だね!じゃ、行こっか♪」

「…………」

 

 ノーコメントになるぐらい似合ってないのかよ……まあ全面的に同意だけど。

 俺達は手を繋ぎ、同じ歩幅で歩きだした。

 

 *******

 

 食事したり、あちこち見て回ったりしているうちに、あっという間に日は暮れ、俺達は家までの帰り道をゆっくり歩いていた。

 今日は、いつかみたいに親父と母ちゃんは出張で、小町は友達の家に泊まりに行っている。

 晩飯を二人で何とかしなければならないのが不安ではあるが、まあ何とかなるだろう。

 

「なあ、晩飯何か食いたいもんあるか?」

「あっ、その前にちょっと公園寄ってかない?」

「……いいけど、どうかしたのか?」

「いいからいいから♪」

 

 *******

 

 近所の公園は日も暮れかかっているからか、すっかり人気はなくなっていた。

 伸びた影がじゃれあうのを眺めながら公園に入り、ブランコの近くまで行くと、穂乃果は俺に向き直った。

 

「八幡君」

「?」

「キスして」

「…………」

 

 ここまではっきり言われたのは初めてだったので、ついつい目を見開いてしまうが、何とか平常心を装う。いかんいかん……。

 穂乃果はいつの間にか目を閉じ、薄紅色の可愛らしい唇をこっちに向けていた。この子ったら、どうしていきなり積極的に……いや、まあ、嬉しいんだけどね?

 彼女の華奢の肩に手を置き、そっと唇を……。

 重ねることができなかった。

 何故か視界をカラフルな何かで遮られていた。何だ、これ……箱?

 

「ふふっ、引っかかった♪」

 

 彼女はウィンクしながら、先程のカラフルな箱をこちらに向かって差し出してきた。

 

「これ……今日、なんかあったか?」

「バレンタインデーのチョコ、だよ」

 

 その屈託のない笑みに、よくわからないまま頷いてしまう。

 

「……あ、ああ」

「ふふっ、色々落ち着いたら何かあげたいなって思ってたんだぁ。だって……」

 

 穂乃果は少し照れくさそうに目を伏せ、言葉を紡いだ。

 

「だって……大好きな八幡君と迎えた初めてのバレンタインデーだったから」

「…………」

 

 彼女からチョコを受け取ると同時に、強く抱きしめる。

 弾ける甘い香りを、思いきり吸い込んでから、俺は彼女と目を合わせた。

 その瞳はどこまでも澄んでいて、少し濡れていた。

 

「……ありがとな。すごく嬉しい」

「ふふっ、手作りだからまだヘタだけど……味は大丈夫!……なはずだから」

「覚悟はしてるから心配すんな」

「あ~!ひどい事言った~!」

「てかすまん。俺、何も用意してなかったんだけど……」

「あはは、気にしないで。私があげたかっただけだから」

「いや、しかし……」

「じゃあ、八幡君には美味しい晩御飯を作ってもらおっかな?」

 

 イタズラっぽいその表情に、こちらも笑みが零れる。

 

「任せろ。中学一年レベルにアップした料理の腕前を見せてやる」

「うわ、心配だなぁ……でもちょっとだけ楽しみかも」

「じゃあ……もう行くか」

「うんっ!」

 

 *******

 

 俺が作ったカレーの味は……まあ、置いておこう。穂乃果も「お、おいしい、よ?」と言ってくれたし。

 食事の後片付けまで終えた俺達は、今はベッドに並んで腰かけ、穂乃果の手作りチョコを頂こうとしている。

 丁寧にラッピングをほどくと、中からは星形や鳥形など、様々な形のチョコレートが出てきた。

 果たして、味のほうは大丈夫なのだろうか……。

 

「……た、食べるぞ」

「そんなに覚悟しなくていいの。さっ、食べて食べて」

「…………」

 

 星形を一つ口に含むと、控えめな甘さが広がり、頭の中が、ふわふわした幸せで満たされていく。

 

「……美味い」

「そうっ?よかった~」

 

 ほっとした表情の穂乃果は、自分も一つつまむ。

 

「う~ん、八幡君ならもう少し甘いほうがよかったかも」

「……味見しなかったのか?」

「あっ、でもでも……」

 

 誤魔化すように彼女はもう一つ口に含み……唇を重ねてきた。

 絡み合う艶かしい感触が、思考をあっという間に奪っていく。

 

「んっ……んく……」

「っ…………」

 

 彼女の舌を伝い、どろりとチョコレートが流れ込んでくる。

 どんな魔法がかかったのかは知らないが、チョコレートは確かにさっきより甘かった。

 そして、甘く蕩けていく幸せの中、彼女の存在だけがはっきりと輪郭を保っていた。

 彼女はとろんとした笑みを浮かべ、そっと唇を動かした。

 

「こうすれば……甘くなるかな?」

「……少し甘すぎるくらいなんだが」

「ふふっ……ねえ、八幡君」

「どした?」

 

 もう一度浅く唇を重ねてから、彼女は言葉をつづけた。

 

「……ずっと一緒にいようね」

「……ああ」

「明日は何しよっか?」

「とりあえず……明日決めればいいんじゃね?」

「じゃあ、今度は八幡君からキスして」

 

 今日もまた心に幸せが灯っていく。

 もちろん毎日幸せばかりじゃないことはわかっているんだけども。

 その瞳の小さな輝きは、これから二人が歩く道をどこまでも照らしているかのように思えた。

 

 

 



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