東方生還記録 (エゾ末)
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平凡の終わり

 

 おれの名前は熊口生斗、高校2年生のピチピチ17歳だ。

 たとえ男だとしてもピチピチということは適応されるはずだとおれは思う。

 

 まあ、そんなことよりもまず、おれがこの人生で望んでいることを聞いてもらおう。……それは“平凡”だ。平凡ということは実に素晴らしいことだ。

 平凡に学校へ行き、そして就職、平凡な家庭を築き、なにも事件にもまきこまれず寿命で生涯を終える。これに対してつまらないやつとか、夢がないとでも思われるかもしれない。けれども結局は平凡が一番だとおれは思う。アイドルとか芸人などの不安定な所に就職するより公務員や一般企業に就職するほうが絶対に良いと思うんだ。

 

 けれどもおれだって一部の理想や非日常を過ごしてみたいと思ったりもする。さっきと言ってることと矛盾しているかもしれないが仕方がないことだ。だって17歳だし。今堅物みたいな話し方しているけど実際そんな真面目ちゃんキャラじゃないし。べ、別にカッコつけているわけじゃない!自分の理想について語るためのキャラ作りだ!……ごほん、話がずれた。おれだってたまには非日常を味わってみたいといのもなくはない。一番酷かったのは中学3年の時、受験勉強の休憩中に読んだ漫画に感化され、そのキャラの真似事ばかりをしていた。今ではそれもほとぼりが冷め、そんなことはしなくなったが、いまだにその名残で髪型はオールバックだ。それだけでもおれが中3のとき、どれだけ頭おかしかったのか分かるだろう。

 

 ……まあ、そういうことで別に平凡がいいからといって非凡が嫌というわけではない。

 しかし、だからといってずっと非凡がいいというわけではない。優先順位はあくまで平凡だ。

 そもそも非凡を望むというのは平凡を__________

 

 

「もういい加減現実逃避をやめんかい」

 

「……はい」

 

 

 はい、もう現実逃避はやめます。口調も元に戻します。

 これ以上もう”叶えられない理想“を語っても意味ないし。

 

 今おれに現実逃避するなと言ったのは神様らしい。

 見た目は60代半ばの老人。なんかいかにもって感じの杖を持っている。そしてなんでおれが現実逃避をしていたかというと…。死んだからです、はい。いやぁ、まさかちゃんとした橋だと思って安心して渡ってたら底が抜けて20メートル下の岩に頭をぶつけてお陀仏になるなんてな。アハハハ!…………笑い事ではないな。あまりにも整備不足過ぎるし、なんでその橋をおれの学校の教師は生徒に渡らせようと考えたのかちょっと小一時間ぐらい攻め立てたい気分だ。

 

 そこで終わったな、おれの人生……と思っていたらいつのまにか純和風な部屋にいて、そこに神様がいたっていうのが今までの流れ。

 いや、ほんと死んだとは思わなかったな。最初の方嘘だと思って抗議してたけどおれが死んだ世界での自分の死体を見た瞬間そんな気も失せたよね。代わりに現実逃避してたけど。

 

 

 

「まあ、君は運が悪かったけど、ワシに出会えたことに関しては世界一幸運と思ってもいいぞ。地球上で一人という確率を引き当てたというのじゃからな!」

 

「そ、そうなんですか?もしかしてこれまで彼女できなかったり週に2回は弁当を忘れたり初めてやることはだいたい失敗したりするのはこのときのために幸運を貯めてたからなんですね!」

 

「いや、それは君の努力次第だと思うんだが…」

 

「そ、そんな……」

 

 

 全部努力次第、か。皆そう言うけど楽じゃないんだよ、彼女作るの。

 はあ、彼女欲しかったなぁ。できればナイスバディなお姉さんとか……

 

 

「ま、それも今日限り!だって君は生まれ変わるのだから!!」

 

「それってまさか…………生き返らせてくれるんですか!?」

 

「んまあ、確かに生き返らせるが……それとはちょっと違う。君は転生するのじゃ!」

 

「転生!?」

 

 

 なんてこった……転生ってつまりラノベとかでよくあるやつだよな?異世界とかに行って、魔王を討伐してこい的な。

 確かにそれも楽しそうだけど……やっぱり元の世界で生き返りたいな。

 やだよおれ、魔王なんかと戦うのなんて。

 

 

「元の世界に返してください」

 

「いきなり転生することを拒否してきたな、そんな奴はじめてじゃ……しかしそれじゃあつまらん。せっかくの暇つぶ……転生なんだからもっと波乱万丈な人生の送れる世界に行かせてやる」

 

「いや、あんたがつまらないとかはどうでも……ていうか今なんか暇潰しって聞こえたような……」

 

「気のせいじゃ。とりあえず適当な場所に転生させるから。平凡な所になるかどうかは君の運次第じゃな。あ、それともし危険な所に転生した場合の予備としてなにか能力を授けよう。ご要望は?」

 

 

 ああ、おれの意見はガン無視ですか、そうですか。なんだこの神。

 ……いや、でも待てよ。今この神はおれになにか能力を授けると言ったよな。もしその能力がチートレベルの物だったら…………うん、その世界で快適ライフが待っているかもしれない。だってチートなら逆らうやつもいないだろうし、なにもしなくても強いわけだし。

 ……うんうん、それも悪くないかもしれない。よし、じゃあここはそこにいる老神にどでかいのを頼んでみようかな。この流れなら大抵のことは許容してくれそうだしな。

 

 

 

「まじですか!?それじゃあ、神さ……」

 

「っていっても君に決定権はないけどね。どうせ神になりたいとかチートじみたこというんだから」

 

 

 見破られてた!?

 

 

「能力については、それはワシが決めておく事にする____________さて、そろそろ時間じゃの。それでは君の幸運を祈るよ」

 

「え?!時間って____________うわあぁぁ!!?!」

 

 

 いきなりおれの足元に大穴が空いた。

 勿論、足元に空いたということはおれが踏みとどまる事は出来ないわけで。

 そのままおれは為す術もなく大穴に落ちていった。

 

 恐らく、これが転生というやつなのだろう。なんと物騒なんでしょうね。

 結局あの神はおれになにをしてほしかったんだ?理由がわから…………いや、さっきのあの神の失言からして暇潰しの可能性が高いな。

 たく、神の癖に人の命を弄ぶなよな。

 

 

 まあでも、また生きるチャンスを与えてもらったんだ。それに関しては感謝しなくちゃな。

 

 さて、これからおれの第2の人生。不安だが、行ってみるか!

 

 

 

 ……能力ぐらい教えてほしかったけど。



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1章 月にいく人々との交流
1話 不思議な初期装備


 

 目が覚めたら森の中にいた。しかも真夜中。正直少し怖い。ていうかなんで神はおれをこんなところにスポーンさせたんだ? 普通村とかの近くだろ。

 

 と、内心神に対して文句を言っていると頭に違和感があることに気づいた。

 なんだ? 頭に何かがついてるような……

 

 

「あれ、取れない。感触からして眼鏡っぽいけど………

 ってこれサングラスじゃないか。なんでかけてんだ」

 

 

 なんとかして取れない眼鏡っぽいなにかを動かして目の方へ掛けてみるとグラサンだということが判明。

 お、中々イカすグラサンじゃないか……ってそうじゃない!

 おそらくあの神が送ったものだろう。よくよくみれば服装も登山用の服だったのがドテラに黒のT シャツにかわっている。なぜにドテラ? 神の趣味? あ、でも暖かいな、これ。布団にくるまってるみたい。

 

 ふむ、中々神も嬉しいことをしてくれるじゃないか。グラサンにドテラ。格好的には全然合ってないが、どちらも気に入った。

 

 そうおもいながらおれはグラサンをいじってみる。

 すると、おれはとんでもないことに気づいた。

 

 

「え、え? グラサンが取れない!?」

 

 

 そう、何故かグラサンが耳の方にくっついていて、外そうにも外れないでいた。

 おいおい、何かの冗談か? 年中グラサンをつけるのなんて流石に御免だぞ……

 

 

「はあ……てかほんとに何処だよここ」

 

 

 こんな真夜中の森に放り出されてさ。神はおれにサバイバル生活をしろといってんのか?

 したことなんてないぞ。ずっと温室暮らしだったわけだし。

 それにサバイバルをさせるのなら何かしらの備品を用意してくれる筈だろ。グラサンとか服は用意してるんだから。

 そう推測したおれは辺りを見渡す。

 しかし周りに見えるのは木や木や木、もはや木しかない。サバイバル用品なんて見る影すらない。

 

 ……おい、これはどういうことだ。本気のサバイバル生活をしろってか? 備品から作れってことなのか?

 それは流石に酷すぎるだろ……

 

 あ、もしかしたらポケットとかにあるかもしれない。まあ、淡い期待だ。まずポケットの中に入っているものなんてたかが知れてる。

 まず、着てる分、なにかが入っているか肌に当たる感触でわかるはずだ。だけど、さっきからちょこちょこ動いているが、全然そんな感触はしない。

 つまりだ、おれのポケットの中にはサバイバル用品は入っていないということになる。

 でももしかしたら、なにかが入ってるかもしれない。そう淡い期待を残しつつ、おれは一応、ズボンのポケットに手を突っ込んでみる。

 すると___

 

 

 

「お、紙!」

 

 

 1枚の紙が入っていた。もしかしてサバイバルの基本とかが載ってる説明書か?

 

 

「……て、これ手紙か。なになに、宛名は……神?」

 

 

 神からの手紙? なんだ、能力についてとかか?あ、もしそれについてだったら嬉しい。この意味わからん場所から脱出出来る鍵になるかもしれないし。

 

 よし、それなら十分見る価値がある。

 夜中なので見えにくいが目を凝らしたら何となく見えるな____

 

 

『これを読んでいるということは無事転生に成功したようじゃな。転生ってするのは簡単だけど成功する確率って実はかなり低いから少々心配しておったんじゃ。確率で言うとざっと40%ぐらい。

 まあ、それはおいといて、実は君に言い忘れてたことがあるんじゃ。それはな……ワシが満足したら元の世界に戻してあげるということじゃ!事故前まで時を戻してな。

 あ、それと能力は君がゴキブリのようにしぶとく生きられるようなやつにしたから。

 PS.君のかけているグラサンは絶対にとれないし、壊れないから安心せい』

 

 

「うん。苛立ちと嬉しさが同時に込み上げてきた」

 

 

 割合で言うと怒り:嬉しさ=8:2で。

 なんだよ成功率40%て?!そんなの聞いてねーよ!

 なに、下手すりゃおれ消滅してたの? あのとき少なからずあんたに感謝してたのに!?

 ……まあ、成功したのなら良しとしよう。今度会ったら文句いってやるけど。

 あと元の世界に帰れることに関してはとても魅力的だ。

 だって一回死んだのにまたやり直せるんだぞ?今もそんな感じではあるけれど、この世界が平和だとは限らないからな。

 

 でもどうやったらあの神に満足させられるのだろうか。全く検討もつかない。

 あの神が口を滑らせてた通りなら単なる暇潰しだろうし。あの背徳的な神を楽しませるのは少し癪だな……

 それになにがグラサンは取れないから安心せいだ!寝るときとか邪魔だろうが!

 ん? そういう問題じゃない? いや、問題だ。おれは寝ることが大好きだからな。少しでも睡眠を妨害するものはないほうがいい。

 

 まあ、とにかくそれに関しては置いておこう。

 とりあえず能力だ、能力。なにがゴキブリだ。あの黒光りしたやつの能力て……いや、まてよ。まさかあのゴキブリがでてくる人気漫画みたいなのか!? おれの能力って!

 

 

「そういえばなんか力がみなぎっているような感じがする」

 

 

 ふむ、嫌なことばかりではないということか。さて、どんな能力か書かれていなかったことに不満はあるが、試すにはちょうどいいかもしれないな。こんな人影も糞もない森の中、おれがなにをしようと知られることはないんだからな。

 

 ということで真夜中だけど力試しを行うことにした。まずは木の目の前に立つ。よし、今の力のみなぎっているおれなら行ける気がする、そんな気がする! 前の人生じゃ木を思いっきり叩くという行為はただの馬鹿がするようなことだが、今のおれは一味も二味も違う。もしかしたら三味もちがうかもしれない。だって神に能力を授けてもらったんだからな。

 まずはその能力がパワー型かどうかを調べる。

 もしパワー型なら思いっきり木を叩いた場合、木は木っ端微塵になると思う。

 予想ではな。

 おれ的にはパワー型がいい。だってあまり深く考える必要もないから楽だろうし。

 

 よし、善は急げだ。さっそく試すか!!

 

 

 

「うおりゃぁ!!」

 

 

  バキッボキッ

 

 

 うん、嫌な音がした。まず木は……おお、折れはしていないがくっきりとめり込んだ後がある。予想を遥かに下回った。

 だけど前のおれだったらめり込む事すら叶わなかっただろう。ふむ、でもこれがパワー型の能力だったら泣きます、おれ。

 

 それと殴った右腕は………………見なかったことにしよう。決して自分の右の中指が青黒くなってなんかいない。うん。そうだな……

 

 

「痛っっ!? え、マジか!? 絶対これパワー型の能力じゃない! 痛い痛い痛い!!」

 

 

 ちょ、マジで痛い。なんだよこれ、強く叩きすぎてしまった! おそらく、変な木の出っ張りに中指が当たったから折れたんだ。

 くそ、殴るところをちゃんと確認して殴るんだった!

 

 

「うっぐ……!」

 

 

 くそ、この止めどない、無限にやって来るような痛みはなんだ……

 助けを呼ぼうにもこんな森の中、しかも真夜中に人がいる可能性なんて0に等しい。まず、この世界には人は存在するのか?

 もしそうなったら詰むんだが。本格的にサバイバル生活を送る羽目に……てか、この指の施術法すらしらないんだけど!

 お願いします! 神様仏様! だれかこの森に医療技術を持っているグラマーなお姉さんが来ますように!

 

 ……いや、無理か。神があんなだし……

 くっ、ほんとこの痛みをどう沈めれば……

 

 

「!!」

 

 

 そんな絶望の最中、草を踏む足音が此方に近づいてきているのが分かった。

 

 

「誰かいるの?」

 

「だ、誰だ?」

 

 

 まさか……ほんとに人が来た!?

 もしかしてあの神が気を利かせてくれたのか! ……いや、あの神はあり得ないな。たぶん仏様がおれを助けてくれたんだ。ありがとう、仏様。

 

 でも本当に運がいい。ここで人に会えるなんてな。

 後は今声を発した人に道案内をしてもらえれば……

 

 と、その声の主の方を振り返ってみた瞬間、おれは絶句した。

 

 …………うおい、なんだこの超絶美人は。髪は銀色の三つ編みで、容姿は整った骨格に透き通るような白い肌。まるでテレビ画面からそのまま出てきたかのようだ。

 服は、うん。赤青が趣味ですか?ナイスセンスしてますね。まあ、それを着こなせているこの美女はおれがこれまで見た女の人のなかで一番と言っても過言ではない。しかもグラマーときた。

 ほんと仏様、ありがとうございます。もう死んでもいいぐらい満足です。

 

 と、いきなり現れた美人さんにみとれていて忘れていたが今中指折れてるんだった。

 

 

「す、すいません。ここら辺に病院ってありませんか?」

 

 

 スっと右腕を背中に隠しながら美女に聞いてみる。こんな美女の前でカッコ悪い姿は見せられない。

 

 

「貴方怪我してるじゃない。ちょっと見せなさい。

 診てあげるわ」

 

「え?」

 

 

 まじか、なんで隠したのにわかるんだ、この人? 観察眼が凄いな。

 そう思っていると美女はおれの側まで来て、隠していた右手を取り、折れた中指を診始める。

 あ、この人の髪、良い匂い……

 

 

「大丈夫、これぐらいならここで治せるわ」

 

「あ、はい……」

 

 

 なんか信じられないがこの美人さんが言うと安心するな。ていうかこの人、美人な上に応急処置の仕方までできるのか? ……もはやパーフェクトだよ。パーフェクトレディだよこの人。

 

 

「……うっ」

 

 

 と、安心しきった状態でいると、中指をいきなり掴まれ、無理矢理まっすぐさせられた。かなり痛い。え、これ正規の治し方じゃなくない?

 そして、痛みに耐えていると、なにかわからない緑色のドロッとした液体を中指に塗られ、包帯に巻かれた。

 ちょっと適当過ぎない? と文句を言いそうになったが急に痛かった中指の痛みがすーっと軽くなってきた。

 

 

「え……これは?」

 

「まだ動かさない方がいいわ。痛覚は今塗った薬で消えてるけど骨はまだ完全にはくっついてはいないから」

 

 

 どんな塗り薬だよ、聞いたことないよそんな薬。

 後から酷い副作用が出るとか言われてもおかしくなさそうだな。

 まあ、でも処置を施してくれたのは事実だ。素直に礼を言おう。

 

 

「こんな赤の他人のために……ありがとうございます。

 あ、おれ熊口生斗っていいます」

 

「どういたしまして。私は八意××。永琳とも呼ばれているわ。」

 

 

永琳……良い名前だなぁ。いや、それよりも今永琳さん何て言ったんだ?

 

 

「え? 今なんて言いましたか?」

 

「……決まりね」

 

 

 そういうと永琳さんは無言でどこからか取り出したか分からないが弓を構えてきた。

 ___え? 決まりってなに? なんでいきなり弓を構えてきたの?

 

 

「な、なんですか?!」

 

「私の名前を聞き取れなかったでしょ? あれは私達の国の人々でしか言えない言葉。つまりそれを聞き取れなかった時点で貴方は余所者よ。それはまあ、最初から分かっていたけれどもね」

 

 

 え、えぇ……余所者だからって、えぇ……

 いきなり死んじゃうやつかこれ?

 この世界にきてまだ1時間も経ってないんだけど……



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2話 古代の未来都市

 

 ……空の奥の方が薄く明かりが出始めた頃、おれは先程会った永琳さんに弓を突きつけられていた。

 てこれってピンチなんじゃないか。

 まさか此処が永琳さんの国の領地の中だったとは……あ、でも領地があるということはこの辺りに町とかがあるということだ。

 ここでなんとか永琳を説得できればサバイバル生活をしなくて済むかもしれない。

 でもいきなり弓を向けてくる相手を説得できるのか? おれにそんな話術なんてないんだけど……

 それに今、平気そうにしてるけどかなりびびってる。脇汗が滝のように出てるよ……本当に滝のようにはでてないけどな。

 

 

「それじゃあ貴方に質問するけど、いいわね?」

 

 

 質問? ……もしかして永琳さん、最初からそのために矢を引いてるのか?

 確かに得体の知れない余所者を何もなしに問いても答えてもらえないかしらばっくれる可能性がある。

 おれはそんなことはしないんだけど……たぶん、用心深いんだろう、この人は。

 もし敵でもいつでも対処できるし、脅しの手段としても使える。まあ、妥当な判断であることは確かだよな。やられてる身としてはたまったもんじゃないけど。

 

 

「この様子だと拒否権はないんでしょ? まあ、拒否するつもりはありませんが。隠すことなんてないし」

 

 

 取り敢えず、永琳さんがおれにどんな質問をするのかが気になる。本当はおれがこの世界の事を聞きたいが、今はそんなこと聞ける状況じゃないしな。

 

 

「そう。じゃあ1つ目ね、なぜこんな森にいるの? しかもこんな時間に」

 

「それはおれが聞きたいですよ。いつの間にかここにいたんですから」

 

 

 これは事実。なんでこんなところにいるんだか……自分で初期位置を設定できるのなら絶対にこんな場所にはしない。あ、でも永琳さんに会えたことに関してはこの初期位置としては悪くなかったかも。

 

 

「へぇ……じゃあ2つ目、此処が元にかなり大きい光が発生したの。なにかしってる?」

 

「わかりません、さっき目覚めましたから」

 

 

 うん、嘘は言ってない。光がなぜ発生したかは大体予想つくけど、光が出たことは今知ったんだし。それにその光が発生する経緯まで尋ねられて正直に話したら鼻で笑われるか頭いってんじゃないか? みたいな顔されるだけだろう。

 

 

「こんなところに寝ていたの? よく食べられなかったわね」

 

「えっ?食べられるって?」

 

 

 食べられるって……おれが?

 

 

「あら、妖怪をしらないの? とことん不思議な人ね、あ、でも人間ではない可能性もあるかしら」

 

「妖怪?! ……ってに、人間ですよ! 貴女にはこの姿の何処が妖怪なんですか!? 顔か! 顔なのか?!」

 

 

 ていうか、妖怪て……この世界はそんなお伽噺に出てくるような奴が出てくんのか?

 目玉親父とか実際に存在するのか、少し見てみたい気もするな……いや、実際に出てこられても困るが。

 

 

「ほんとに知らないのね。妖怪にも人型がいるのよ。でも心配は要らないわ、貴方には妖力は感じられないもの。つまり人間ってことね」

 

「よ、よかった……妖力ってのがなんなのか知らないけど……じゃあなんで弓をまだこっちに向けてるんですか」

 

「だって貴方”普通じゃ無い“もの」

 

「な?! 失敬な、健全純粋ピチピチ17歳ですよ!」

 

「神の放つ光が急に発生した場所にいて、住所不明、なぜ此処にいたかすら分からない、サングラスに神力を感じる、そして服のセンスがない」

 

 

 くっ! この人、自分の服のセンスを棚に置いて人の服を馬鹿にするなんて……ていうかグラサンに神力があるのは十中八九あの神せいだろう。

 

 

「確かに考察してみるとおれかなり怪しいですね……

 あ、でも最後に関しては貴方に言われたくないです」

 

「あら、貴方もこの服の魅力がわからないのね。ま、そんなことはどうでも良いのよ。

 取り敢えず貴方を連行するわ。貴方がツクヨミ様に対して不満の持つ神の間者の可能性があるし」

 

「ツクヨミサマって人が誰なのか知りませんけど……まあ、別にやましいことがあるわけでもないしおとなしく連行されときます」

 

 ツクヨミサマ……どっかで聞いたことあるような名前だな……ま、いっか。

 

 

「話が早くて助かるわ。じゃあ」

 

 と永琳さんがおれの両手を縄で縛ってきた。

 ……もう、大胆なんだから。

 

 

「縛りプレイですか?」

 

「……」ドガッ

 

 

 無言で殴られた。痛い……冗談に決まってるじゃないですか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~30分後~

 

 

 永琳さんの国に着くまで、ここの世界について色々教えてもらった。

 妖怪のことや妖力、神力のこと、ちなみに人間は霊力を持っているらしい。おれも持っているのかと聞くとどうやら持っているとのこと。しかも結構な量あるらしかった。

 でもそのせいで、もし危険因子ではなかった場合訓練施設へ送ると言われた。

 くそう、帰る家がないなんて言わなければよかったな。

 まあ、確かに安心できる場所に住まわしてもらえるのは嬉しい。でも訓練かぁ、訓練やだなぁ……

 

 そんなことを思ってると物凄いでかい壁が見えてきた。……なんか某巨人駆逐マンガみたいな壁が見える。え? ここには巨人もいるの?! つーかデカ! こんなの始めて見た。当たり前っちゃあ当たり前だけど。

 こんなでかい壁、そうそうあるもんじゃない。

 

 

「この壁、でかいですね……」

 

「ふふふ、これぐらいで驚いてちゃあこの先持たないわよ」

 

「え? 中にはなにがあるんですか!?」

 

「それは見てからのお楽しみ」

 

 

 んー、かなり気になる。まあ、とりあえず入ってみるか。

 

 壁の中に入る途中、門番らしき奴に捕まったけど、永琳さんがいたのでなんとか難を逃れた。永琳さん……門番の人が見た瞬間、頭下げまくってたけどいったいどんな大物なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー、なんだこの未来都市すげー。

 ビルがすごい並んでる、前世のおれが住んでた所も都会だったけど、こんなの見たら月とスッポン並みにちがうぞ。なんだよあの光る球体、なんだよあの空中に浮いてる映像……未来都市かよ。

 

 

「ふふ、驚いたわね。目がすごい見開いてるわよ」

 

「これは流石、いや、凄すぎますよ。こんなの始めてみました。あの重力ガン無視の車とかどんな原理でできてんですか」

 

「教えてもいいけど、貴方じゃ理解できないわよ」

 

「いや、いいです。すごいけど内部構造までは知る気なんてないし」

 

 

 ほんと、凄いなこれは。目の見開きが止まらない。つーか永琳さんってほんと何者なんだ? 見る人全員頭下げたりしてる。

 

 

「永琳さんって、一体何者なんですか?」

 

「薬師よ」

 

「薬師ってこんなに偉いんですね……って、絶対他にもあるでしょ!」

 

「秘密よ。まあ、この国に住むことになったらいずれわかると思うわ」

 

 

 この国に住む、つまり訓練施設へ送られるってことか。普通な暮らしが出来たらそれで良いんだけどな。

 

 

「かなり気になりますね、あ、あと聞き忘れてたんですけどおれって何処に連行されてるんです?」

 

「ツクヨミ様のところよ。貴方が危険因子かどうかをあの方に判断してもらうわ」

 

「へえ、ツクヨミサマってそんなに偉いんですか?」

 

「ええ、あの方は神よ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 

 なんか神って聞いてもあまり良い感じはしないんだよなぁ……

 だって始めてみた神があれだったわけだし……

 でもおれってすごいな。たった1日にして神と二人も会うなんて。

 

 ……でも真偽を問われるのは別に嘘はないのになんか緊張するな。

 例えるなら別に悪いことしてないのにパトカーが通ると身構えてしまうような感じ。

 

 

 

 まあ、なんとかなるだろう。前世でもそうやって困難を乗り越えてきたんだ。



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3話 消え去れぬ穢れ

 

 未来都市みたいなところに入り、重力ガン無視の車に乗って1時間程経った。外はすっかり明るくなっており、辺りには人が賑わい始めている。

 うわー……すごい人いるな。ファンタジー感0だ。

 そしてさらに数分後、車は他の住居より一際デカイ屋敷で停車した。

 

 

「さっきまで車酔いしてたのにこの屋敷見たら酔いが吹っ飛びましたよ」

 

「酔ってたの? 道理でずっと遠くを眺めてたのね。てっきりこの国を観察してるのかと思ってたわ」

 

 国って言うよりどっかの都市かなんかだと思うんだけど……

 あ、でもよくよく思えば昔、日本は所々に小国を作って戦争してたって言うし、ここもそんな感じなのかな?昔どころではないけどな。

 

 

「それじゃあ中にはいるわよ」

 

「こんないかにも金持ちが住んでそうな家にはいるのは始めてですね、わくわく」

 

「可愛い女の子とかがそういうこと言うのはまだ分からないでもないけど貴方のような人がわくわくなんて擬音を言うとゾッとするわ」

 

「オラ、ワクワクすっぞ」

 

「なんだかわからないけどそれは言ってはいけない言葉よ」

 

「おれもそう思います」

 

 じゃあなんでいったんだって思っただろ?でもこれは定番かなにかでしなければならない状況だとおれは思ったんだ、後悔はしていない。

 

 そうどうでもいい雑談をしながら、奥へ入っていき、他とは違う豪華な装飾の施された襖の前まで来た。

 

 

「この先が、ツクヨミ様のいる神の間よ」

 

「ここが……」

 

 

 なんだか、ただちょっと豪華なだけの襖だというのに、かなり威圧感がある。これが本来の神の重圧ってやつか……

 

 そんなことを思っていると、永琳さんが躊躇う事なく、襖を開けて入る。

 それにつられておれもツクヨミサマの部屋へと足を踏み入れた。

 

 その部屋は殿様が居そうな所で、当然、襖の前よりも威圧感のある場所だった。

 その威圧感に圧倒され、おれは一度唾を呑み込んだ。

 

 そしてその部屋の奥にいたのは永琳さんがおれに会わせると言ったツクヨ、ミ……サ……

 

 ………………。

 

 

「ひ、非リア男子の敵がいる。」

 

「非リア? よくわからないけど失礼なことを言いますね。」

 

 其処にいたのは文句なしの美青年だった。なんだよあれ、金髪なのにそれが自然に見えるほどの容姿。男女関係なく10人中10人が振り向くぐらいのイケメンだ。なんか無性にあの顔を一発殴ってやりたくなってきた。

 こういう顔に恵まれた奴って良いよなぁ。なにもしなくても女からキャー素敵ー抱いてーとチヤホヤされるし、少々の努力だけで食っていける。

 ほんと羨ま……妬ましい。

 

 ……まあ、とりあえず今の失言に対して謝っておこう。この人、神らしいし。無礼だから殺す! って言われたらたまったもんじゃないからな。

 

 

 

「あ、すいません。心の中で思ってた事がつい漏れました」

 

「そ、そうかい。……ところで永琳、この人があの神光の正体ですか?」

 

「おそらく。

 あの辺りには妖怪の姿はありませんでしたし。いや、あったとしても彼の神光に恐れをなして逃げだした可能性もありますが」

 

 

 その後、永琳さんはこれまでの経緯を語った。そしてどうやら、偉いさんらしい永琳さんがあの森にいたのは、あの森特有の薬草を取りに行くついでにツクヨミサマに光についての調査を頼まれたかららしい。

 なんでお偉いさんの永琳さんが一人で真夜中の森を歩いてた疑問がちょっと解決した気がした。

 まだ疑問に残るのは、なんで女一人で来たかということだけど。それぐらい腕に自信があるのだろうか?

 

 

「なるほど、確かに変な人ですね。しかし、この人からは妖力も神力も感じられない、少々他の者より霊力が多いぐらいですか。」

 

「変な人ってなんですか……あ、そういえばまだ名前いってませんでしたね、おれは熊口生斗っていいます。以後お見知りおきを、ツクヨミサマ様。」

 

「ツクヨミサマ様?! 僕は月読命です! 様が1つ多いですよ!」

 

「あ、そうなんですか」

 

 

 なんか変な名前だと思ったらサマが余計だったのか。なんか腑に落ちたな。

 

 

「まあ、いいでしょう。……さて、大体の事情はわかりました。生斗君、君は神に弄ばれている可能性がありますね。しかもそのサングラスに付属されている神力を見る限りは私の知らない未知の神です。しかし邪神の類いのものではないので安心してください」

 

 

 おお、よくおれがあの神の暇潰しだってわかったな。

 流石は神って所か。

 

 

「サングラスだけでそんなことまでわかるんですか? すごいですね、ツクヨミ様って」

 

「まあ、神ですからね。取り敢えず君が僕達に害があるわけでは無いことがわかったことですし、この国にいることを認めましょう。永琳の話を聞く限りでは帰る家なんてないんでしょう?」

 

「え……いいんですか?」

 

「ええ……あ、この国での最低条件に満たしてませんでしたね、ちょっと来てください、生斗君」

 

「あ、はい」

 

 

 そう言って近づくと額に指を当てられた。うわ、ツクヨミ様の手、かなり冷たい。一瞬身震いしてしまった。

 と、そんなどうでもいい感想を頭の中で述べていると、ツクヨミ様の指が光りだし、10秒ほど経ったぐらいにその光は消えた。

ん、これってどういことなのか?なんかの儀式?

 

 

「むっ……!! これは……」

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、なんでもないです……」

 

 

 何だろう……一瞬ツクヨミ様の顔が険しくなった気がしたんだけど。

 

 

「……取り敢えず君の穢れを消しました。これで君もこの国で暮らせる資格を獲られましたね」

 

 

 穢れというのが何なのかわからないがこれでようやく此処に住めるってことだな。

 なんかさっきのツクヨミ様の反応が気になるけど。

 

 

「それじゃあ永琳、生斗君の編入手続きをお願いしますね」

 

「はい、ツクヨミ様」

 

「え? なんの編入手続きですか?」

 

「此処に来るときいったでしょ? 害がなければ訓練施設へ行かせるって。だから士官学校への編入手続きをしにいくの。霊力をこんなに持ってる人って珍しいし」

 

 

 そ、そういえば! ……完全に忘れていた……!!

 訓練やだなぁ……

 なんとか訓練施設にはいけないという口実を作ってやり過ごせないだろうか。

 

 

 

「霊力霊力って言ってますけど、おれ霊力なんて使ったことなんてないですよ?」

 

「あら? それを扱えるようにするために士官学校へいけばいいじゃない」

 

「いや、でも全く使ったことがないっていうのも問題ですね。……よし、特別に僕が少し後押ししましょう」

 

「え、なんですか? ……て、うわ!?!」

 

 

 ツクヨミ様がいきなりおれに向かってなんか光る玉を放ってきた。え、攻撃!? やばいやばい、神の攻撃なんて食らったら絶対死ぬ! 避けなければ!

 そう判断したおれは避けようとしたが一歩遅く、無惨にもおれの顔面に命中した。

 

 

   ポフッ

 

 

 …………。

 

 軟らかかったね、うん。焦ってた自分が恥ずかしい。

 光る玉はおれの顔面に当たるとポフっと音をして拡散し、消えていった。

 そして、その光る玉が消えると、おれのなにかが外れたような感覚に陥る。

 

 

「うわ!? なんか急に体中にオーラみたいなのがでてる!?」

 

「それが霊力よ、ツクヨミ様が今貴方の力が”使えない“という固定概念を壊したの」

 

「え? 神ってそんなこともできるんですか?」

 

 

 すげー! 神すげー! 流石だ! あの老神とは大違いだ! 今なら木をワンパンでへし折れる気がするぞ!

 

 

「いや、これは僕の能力ですね。まあ、これで不安要素は消えました。生斗君、これからは僕の矛となり、そして民の盾となって頑張ってください!」

 

「どうせおれには拒否権なんてないんですよね、わかります」

 

 

 さて、なかば無理矢理士官学校へおくられることになったけど此処にいられるなら文句は言えないな。それに今、おれのテンションは最高潮だ。

 

 今ならなんでもできる気がする!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________

 

 

 

「あれほどまでの穢れを見たことがなかった……あの生斗という名の人間、あれほどまでに生命が濃い人間を見るのは初めてです。僕の力を持ってしてもあの生命の穢れを消すことができなかった……」

 

 

 生斗本人の穢れを消すことができなかったので彼の周りの穢れだけを消すことで、周りの人間に穢れを撒き散らすということがないようにはしましたが。

 

 こんな現象、初めてです……もしやそれも私がまだ知らぬ神の仕業なのでしょうか……

 

 

「まあ、それもこれから考えるとしましょう。」

 

 

 もしも彼がこの国に害を及ぼす事があるのならば僕が消すのみです。

 そんなこと、なければ良いのですが……

 

 

「それにあのサングラス、穢れを祓うときに取ろうとしたのに、外れなかった」

 

 

僕の神力でも外せなかった未知の神の神力が付属されたサングラス。

つくづく興味が絶えませんね。今度、姉上に聞いてみましょうか。

 



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4話 暴走した匙加減

 

 

「編入試験は10日後らしいわ」

 

「試験とかあるんですか!?」

 

「当たり前よ、只で入れるとはおもわないことね」

 

 

 ツクヨミ様と別れてから士官学校のところまで行った後、永琳さんが編入について調べて来るまでにかかった時間はたったの15分。

 まさかツクヨミ様の家が士官学校の隣だったとは……しかし試験って何だよ。おれは試験と言うものは嫌いだ。だってほら、こう……試験って言うだけで手汗が酷くなるくらい緊張すんだよ。

 

 

「で、10日間の間貴方の住むところについてだけど」

 

「あ、そういえばそうですね。何処の公園で野宿すればいいんですか?」

 

「流石に私もそこまでは鬼畜ではないわ。

 編入までは私の家に来なさい。歓迎するわ」

 

「え? 永琳さんも野宿なんですか!?」

 

「そんなわけないでしょ。いい加減そのつまらない冗談を止めなさい」

 

「はい、すいませ…………ん、ちょっと待てよ。おれ、永琳さん家に泊まるんですか?! それって色々危ないんじゃ……」

 

 

 こんな美女と同じ屋根の下で暮らすなんて……おれの理性が持つか不安だぞ。

 

 

「ええ、いちいちホテルとかに泊まらせるのも面倒だし、まだ此処には慣れてないでしょう?

 丁度明日から2日間仕事が休みだから、案内してあげるわ」

 

「わ、悪いですよ。そんな迷惑かけられません」

 

 

 ただでさえ指を治してもらっている上に編入試験の手続きまでしてもらったんだ。これ以上、永琳さんに迷惑をかけるわけにはいかない。それにおれは犯罪者になりたくない。

 

 

「いえ、ここ最近実験や仕事とかでストレス溜まっていたし、貴方ならいい気分転換になると思って泊めることだからそんなに迷惑ではないわ」

 

 

 気分転換に男を家に泊める…………物凄く如何わしいな…………いや、永琳さんがそんな不純なことでストレス発散をするわけない!

 あ、でももし今おれが想像してしまったストレス発散法を本当にしているのなら、おれはいつでも大歓迎ですよ!

 まあ、冗談だけど。命の恩人とも呼べる人に欲情なんてするわけにはいかない。

 ん? 今誰かおれの事チキン野郎って言った?

 

 

「……わかりました。永琳さんがそういうのなら、お言葉に甘えます」

 

 

 そう、欲情なんてしないのなら、別に泊まっても良いじゃないか。

 うん、そうだそうだ。それぐらいの抑制ができないでどうするんだよ。

 

 ……よし、取り敢えず洗濯係を積極的に請け負うことにしよう。

 

 あ、でもやっぱり女性と一つ屋根の下で暮らすってかなり恥ずかしいな。これまで彼女いなかったおれにとってはかなりハードルが高いような気がする。

 ……まあ、気にしないようにしよう。相手は大人だしたぶん大丈夫だ……あ、鼻血が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 日が完全に消えた頃、おれは永琳さんの家でお世話になることになった。

 やはり、お偉いさんの永琳さんの家はとても大きかった。

 執事みたいな人とかもいるし、廊下なんて先が見えない。

 うん、これならおれ一人ぐらい泊めても問題ないだろうな。

 ……いや、がっかりなんてしてないよ? 洗濯係になれなかったからってがっかりなんかしていないからね!

 

 ___そして永琳さんと別れた後、執事に連れられおれが一時の間宿泊することとなる部屋まで案内された。

 その後、執事から申し付けなどの説明を受け、おれはその部屋に入った。

 うわ、ここも中々広い。学校の教室並みにあるぞ。

 

 でも、こんな広い部屋だと逆に落ち着かないな。

 そんなことを感じつつ、部屋の端にあるキングサイズのベッドに腰を掛ける。

 

 

「はあ、疲れた」

 

 

 そのまま、ベッドに仰向けの状態で倒れる。

 うお、このベッド柔らか! マシュマロみたいだ。マシュマロ触ったことないけど。

 

 

「……なんか今日だけでいろんな事があったな」

 

 

 そしてベッドの上で今日一日のことを考えてみる。

 まず、橋から落ちて死に、何故か神に転生させられ、馬鹿なことして右手の中指折り、永琳さんに会って、未来都市に連れられてまたもや神にあって訓練施設へ手続きしに行き、こんな豪邸に泊まる事になった。

 

___一日にどれだけイベントがつまってんだよ!

と、大声だしそうになったが他の人の迷惑を考え、心の中だけで留めておく。

 ほんとこれ、夢なんじゃないか? 話がぶっ飛びすぎてる。

 いや、夢なら指が折れた時点で気付く筈だ。実際にかなり痛かったし。

 あ、そういえば忘れてたけどおれの中指って今どうなってんだ?

 

 …………。

 

 え、もう治ってるんだけど……指を何度も開け閉めしても全然痛みがない。副作用とかで体になにか異常がでたりとかすらない。

 ……永琳さんってほんと何者なんだ?

 まあ、そんなことは後々本人に聞けば良いか。

 それに明日は永琳さんに色々なところを案内してもらう予定だからさっさと寝よう。ああ、あんな美人と買い物なんて、明日が楽しみで仕方がない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~朝~

 

 

 おれの寝坊のお陰で予定より30分近く遅れて、永琳さんと出掛ける事になった。

 遅れたのは仕方ない、今日が楽しみであまり寝れなかったんだから。

 

 ……ふむ、時間的には前の世界の日本と同じ感じか。

 今は……9時過ぎぐらいか。

 

 

「今日は何処にいくんですか? おれ的にはゆっくり出来るところがいいんですけど」

 

「うーん、そうねぇ。本当は綿月家のところにいって貴方に綿月大和総隊長を会わせようと思ったのだけれど」

 

「え、いやですよ。行きたくないです。断固として拒否します」

 

 

 何が楽しくて会いに行かなくちゃいけないんだ。総隊長ってあれだろ?軍でも上の方の人のことだろ?絶対怖い奴だ、おれの勘がそう、呟いてる。

 

 

「あら、意外な反応ね。貴方としては未来の上司なんだし、会っといたほうがいいんじゃないの?」

 

「いや、絶対ゆっくりできないじゃないですか! おれは平凡と布団を愛しているんです。めんどくさいことを自ら起こすことなんてしたくありません!!」

 

「……とんだ怠け者ね」

 

 

 怠け者で結構! 前に親から『お前の前世絶対ナマケモノ。これは確信をもっていえる』なんて言われるくらいおれは興味ないことはめんどくさがるんだ。自分でいってて悲しくなるけど!!

 

 

「じゃあ、図書館へ行きましょう。あそこは静かだし」

 

「あ、いいですねそこ。おれのためにあるようなもんですよ、図書館なんて」

 

「その理屈だと静かな場所全てが貴方のための場所になるわよ」

 

「冗談です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 おれは今、あの時図書館に行くことになった事を後悔している。

 この言葉だけで大体は理解してくれるだろう。

 

 

「八意、この子がツクヨミ様がいってた子か? 依姫と同じくらいだな」

 

 

 はい、何故か図書館に綿月なる総隊長さんがいたんですよ。畜生……

 

 

「コンニチハ、来週カラオ世話ニナリマス。熊口生斗トモウシマス」

 

「はははは! そんなに緊張せんでいい」

 

「明日、大和隊長の家を訪ねようと思ってたのだけれど、手間が省けたわね」

 

 

 あ、結局行くことかくていだったんですね。

 ていうかこの人でかくない? 軽く2メートルを越える巨体に服の上からでも分かるほどのごつごつとした筋肉。そして顔の彫りが凄い。まるでゴリラみたいだ。よし、これからこの人のことを心の中でゴリラと呼ぶことにしよう。

 

 

「生斗君っといったかね? 君には聞きたいことがあるんだが……」

 

「はあ、答えられる範囲ならいくらでも……」

 

 

 それから質問攻めされた。まあ、それくらいならまだ良かったんだけど……おれが予想だにしていなかった最悪の一言をこのゴリラは言い放った。

 

 

「どれ、どれぐらいの腕前か見てやろうではないか。外へでたまえ」

 

「ええ!!?」

 

「なに、これから訓練生となるから腕試し程度ぐらいだから。気楽にいこうじゃないか」

 

 

 このあと二時間くらいぶっ通しで組手をさせられた。腕前をみるだけじゃなかったのか?! 全然気楽に出来なかったし!

 

 

 とりあえず今日ゆっくりする予定は見事にぶち壊れたことは確かだと言うことだ。

 畜生……明日は絶対一日中寝て過ごしてやる!

 



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5話 一日の原動力

 

「そういえば熊口君、実は娘も今度の編入試験を受けるんだ。仲良くしてやってくれ」

 

 綿月隊長が別れ際に放った一言。あんなゴツい人の娘って……いかん、メスゴリラしか想像できない。

 

 まあ、そのことについては深くは考えないでおこう。

 もしかしたら親がゴツくても、娘は美少女って可能性もあるんだし。でもなんでその娘が今頃編入試験なんて受けるんだ? 入隊試験は結構前に終わったって聞いたんだけど……

 その疑問について、帰る途中に永琳さんに聞いてみると___

 

 

「ああ、あの子、入隊試験のこと忘れてずっと修行してたのよ」

 

 

 うん、メスゴリラの可能性がうんと羽上がった。修行で入隊試験すっぽかすて……考えられない。そんなことするぐらいなら寝てた方が百倍ましだ。

 

 

 

 

 と、そんな会話をしてからもう9日が経った。ついに明日は編入試験だ。

 永琳さんは仕事の合間を縫って、おれの霊力操作について教えてもらったりした。

 最初は試験なんてやる気なんてほぼ皆無だったんだけど永琳さんが___

 

 

「もし合格できなかったらこの国には必要ないと見なして追放されるから」

 

 

 と脅された。これは流石に焦った。

 まあ、そんな感じで9日をグータラしたり霊力操作の練習したり筆記の勉強したりグータラしたりしてた。

 はい、勿論グータラする度に永琳さんに叱られましたよ、そりゃあもうキツく。

 でも、グータラしている時間はおれにとって至福の時間でした。

 

 

 

 霊力操作については永琳さんいわく、かなり上手いらしい。

 そんな実感は微塵もないけど。競争相手とかいないわけだし。

 しかし褒められるのは確かに嬉しい。しかもあの永琳さんにだ。あまり長い間一緒にいたというわけではないが、永琳さんがどれぐらい凄いのかは十分に分かる。

 分厚い資料を流し読みぐらいの速さで読んで完璧に理解していたし、勉強で分からないことを聞いたら、その答えの解説だけでなく、それに類似した事まで事細やかに説明されたりした。

 これ以上言うと限りがないので、この辺にしておくが、兎に角おれが言いたいのは、永琳さんは本当にパーフェクトな人だということだ。

 そんな人から褒められたら普通の人ならどうする?

 勿論、照れる筈だ。

 だが、おれは少し違った。

 何故なら、おれは変な癖があったからだ。

 

 

「すごいんですか? え、まあ、おれぐらいになるとこれぐらい楽勝かな? なんちゃって!」

 

 

 と、褒められると調子に乗って、自画自賛してしまう癖があった。

 

 勿論の事、その場を凍りつかせたのは言うまでもない。

 

 ……うん、自分の癖の事、完全に忘れていた。自重せねば、いや、ほんと……

 

 

 

 

 さて、この9日間のことを振り返るのはこの辺にして、取り敢えず今日はもう寝よう。明日はついに試験日だからな。

 大丈夫、いつも通りしていればなんとかなる。永琳さんも合格()できると言ってくれたんだ。合格()できると。

 

『は』の部分を強調して言われていたが、永琳さんが言うなら間違いないだろう。 

 いつも通りにやればいけるんだ。よし、おれなら行ける!

 そう、自分に自己暗示しながら、おれは瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~次の日~

 

 

 うん、全然寝れなかった。

 鏡をさっきみたら目が充血してましたよ。

 くそう、やはり自己暗示しながら寝たから余計にプレッシャーがかかったのか……

 そして今はまだ太陽が顔を出していないのに試験会場まできてしまった。永琳さんからは意識が高いわねって言われて調子に乗ったけど、実際はただ寝れなかっただけです。

 

 

「腹減ったな……」

 

 

 そして朝飯を食べるのを忘れたのはかなり痛い。

 朝飯は1日の原動力っていうぐらい大事な物なのに……でもここから永琳さんの家に戻るのも面倒だし……

 うう、人の三大欲求の一つを忘れるくらい緊張していたなんて……これは重症だな。

 

 

「あの……」

 

「ん、はい?」

 

 

 永琳さんの家に戻ろうかどうかを迷っていると、後ろから誰かに話しかけられた。

 ん、誰だろうか。おれに話しかけてくる奴なんて……

 そう思いながら話しかけてきた人の方向を向いてみると、そこには見知らぬ美少女が不安げな表情をしながら此方を見ていた。

 え、誰だよこの子。おれの知り合いの中でこんな美少女なんていないぞ。

 髪はロングで頭に黄色いリボンをつけてあり、肌は化粧をしているかのように艶やかで、目は少し気強そうなつり目だが、逆に美しさに磨きがかかっている。

 なんか腰に結構デカイ木刀ぶらさげてるんだけど……まさか、余所者のおれを始末するための刺客か!

 

 

「間違ってたらすいません。貴方、熊口生斗さんですか? ……あと何故構えたんですか?」

 

「あ、はい。正真正銘の熊口生斗です。あと何故構えたのかは貴方が一番わかっている筈だ」

 

「何も分からないのですが……父上の言った通り変わった方ですね」

 

「え、父上?」

 

 

 いやいやまさか。なんか前にあのゴリラに娘がいるってのは聞いたけどまさかね。

 こんな美少女があのゴリゴリの娘なわけないだろ。きっと、執事の孫とかそんな感じな筈だ。あのゴリラ以外の知り合いとなるとあの年老いた執事ぐらいだし。

 

 

「あ、私まだ自己紹介してませんでしたね。

 私の名前は綿()()依姫。貴方が先日会った綿月大和隊長の娘です」

 

 

 ……綿、月?

 

 

「あの、ちょっとごめん。今名字をよく聞き取れなかったんだけど。あと父上って?」

 

「聞こえなかったのですか。すいません、私の声が小さかったばかりに……

 んーと、名字は綿月で、父上は熊口さんがこの前図書館で会った綿月大和という名前の人です」

 

 

 マジカヨ。本当にまじか。聞き間違いと思ったけどまじだった。

 父はゴリゴリ、娘は美少女って漫画の世界だけだと思ってた……どうやったらあのゴリラからこんな可憐な美少女が産まれるんだよ! 遺伝子詐偽だ!

 

 

「ああ、依姫さんね。綿月隊長から聞いてたよ。自慢の娘だって」

 

「え? 父上がそんなことを!? いつも何も褒めてくれないから不安だったんです……教えてくれてありがとうございます!」ガシッ!

 

「……え? いや、どういたしまして?」

 

 

 うわ、いきなり両手掴まれてお礼されたから少し仰け反ってしまった。

 ……ていうかあれだけでこんなに喜ぶとは。これまであまり親から褒められてなかったのか?

 それだったら褒めてやれよ、あのゴリラ……

 

 

「それにしても熊口さんって意識が高いんですね!まだ日も昇ってないのに試験会場にくるなんて!」

 

「依姫さんこそ来てるだろ」

 

「はは、実は眠れなかったんですよ。もし明日落ちたらどうしようって」

 

 

 うわ、おれと同じ理由じゃないか。もっとも、あっちはおれと違って目は充血してないが。

 

 

「依姫さんも緊張するんだ。実はおれも寝れなくてな。寝れなすぎて目が充血するくらい」

 

「え、元からではないんですか?」

 

「なわけないだろ!? 常時目が充血してるって恐怖でしかないぞ!」

 

「あ、すいません。目が赤いからそのサングラスで隠しているのかと思ってました」

 

「酷い!」

 

 

 中々心に刺さることをいってくれるじゃないか……

 

 

「疑問に思ってたんですが、父上が言うにはそのサングラスはとれないということでしたが……それって本当なんですか?」

 

「ん、グラサンのこと? ああ、とれないよ。おれも取ろうと思ってたんだけどくっついて取れないんだよ。無理矢理とろうとしたら頭ごと引っ張られて痛いし」

 

 

 いや、ほんとなんでだろうな。

 あ、そういえば永琳さんがなんかよくわからない液体で耳の表面を溶かして取ろうとしてきたときはほんと焦ったな。あのときは泣きかけた。

 

 

「不思議ですね……」

 

「おれはあんなゴツい人から依姫さんが生まれたことについてのほうが不思議だ。

 あとなんだその目は。どうやっても取れないぞ。だからその取りたそうな手を退けてくれ」

 

 

 

 

 まあ、そんな雑談をしているうちに人が集まってきた。

 空をよくみれば日も照り始めている。

 

 よし、ついに始まるのか。おれの今後の生活のかかった戦いが!!!

 

 そう思っていると、門の中から、受け付け用紙を持った試験官の人が出てきた。

 

 

「はーい、編入試験希望者の人は証明書と受験番号を見せてくださーい。」

 

 よし、証明書ももってる。受験番号は確か六桁で

 1243……1243………1243…………

 

   ………………。

 

 

 ……あれ?

 

 

「受験番号忘れたぁぁ!!!」

 

 

 このあと全力疾走して受験会場から永琳さんの家を往復してなんとか受験受付に間に合った。

 あと依姫さんと永琳さんに同じように呆れたような顔をされた。

 

 くそ、永琳さんの家に戻るのなら最初から戻って朝飯を食べておけばよかった!!

 



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6話 揺るがぬ遺伝子

 

 

 テスト前に全力疾走したおかげで、緊張がいい具合に取れた。まあ、その代わりに、服が汗で濡れて気持ち悪くなったが。ドテラもこういうときに保温機能を発揮するなよな……

 

 まあ、受付終了1分前だったが、無事間に合ったことには変わりない。本当にギリギリだったけど。

 

 

「よく間に合いましたね。てっきりもう諦めたかと思ってましたよ」

 

「ぜぇ、はぁはぁ、こ、このくらい……朝飯、前だ!」

 

 

 朝ご飯食べてないから本当に朝飯前だ!

 

 

「とりあえず席に着きましょう。もうすぐ筆記が始まりますよ」

 

「あ、あぁ」

 

 

 筆記については少し自信がある。なんてったって、永琳さんからテストの出題傾向の高い問題を選出してもらってそこを中心に勉強したからな! 今こそサボりたい気持ちを抑えて頑張った勉強の成果をみせてやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~3時間後~

 

 

 うん、やばい。テスト直前に全力疾走したせいなのか、それともただ単におれの記憶力が鶏以下なのか、勉強した半分は吹っ飛んでた。幸いにも語群問題だけだったから、勘で解いても当っている可能性があることだ。おれの勘に頼るしかないな。

 

 

 これはもう、実技で何とかするしかないじゃないか……

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 実技は午後からなので昼飯とる時間があるらしい。そしておれはそのことを忘れていた。

はは~ん、何故か永琳さんの家の玄関に不自然に置いてあった包み袋、あれ、さては弁当箱だったな?

 

 ___ああああ! 見事に昼飯忘れたよ!! 朝飯どころか昼飯すらありつけないなんてもう完全に詰んだよ! 永琳さんの家に戻ろうにも試験が終わるまで会場から出られないらしいし……

 

 もう最悪だ。腹減りすぎて力がでない。

 

 

「あれ? 熊口さん、弁当を持ってきていないんですか?」

 

「あ、依姫さん。そうだよ、見事に忘れたよ。力がでないことこの上ないよ」

 

「そうなんですか……」

 

 

 と、依姫が考えるように、持っていたバッグから弁当箱を取り出した。

 

 

「私ので良かったらあげましょうか?」

 

 

 そう言いながら弁当を差し出してくる依姫さん。

 うおい、まじか依姫さん!! なんて良い子なんだ!!

 良い意味で親の顔が見てみたい! ……見たことあるが。

 

 そう思いながらおれは差し出された弁当を受け取ろうとしたが、寸での所で受け取ろうとした手を止めた。

 

 ……ちょっと待てよ。もしここで依姫の弁当を貰ったら、依姫さんの昼飯はどうなるんだ? バッグの膨らみ具合からみて、おそらく依姫さんの食べる分の昼飯が無くなる。

 あの依姫のバッグのへこみ具合を見て、もう1つ弁当があるということはなさそうだし……

 

 ……本当は喉から手が出るほど欲しいが、これは受け取るべきではないな。

 

 

「……いや、それは依姫さんが食べた方がいい。おれのせいで依姫さんが試験に支障がでたら悪いし」

 

「そうですか……確かにそうかもしれませんね」

 

 

 うん、これでいいんだ。飯は食べられなかったが、これが正しい選択のはず。おれは間違ってない……

 はあ、腹減ったな……

 

 

「うーん…………あ! これはどうですか?」

 

 

 少し考えていた依姫さんがなにかを思い出したようにバッグの中をあさり、その中からカ〇リーメイトみたいな固形物の入ってそうな袋を取り出した。

 

 

「これはいつも私が非常時になったときに予備として常備している非常食です。それでも食べる機会が全然なかったんで、よかったら食べてください!」

 

 

 なっ…………!!!

 

 

「依姫さん……あんたって人は……!」

 

「え?! な、なんで泣いてるんですか?!」

 

 

 あれ? 何でだろう、目から涙がでてくる。

 ……そうか、わかったぞ。初めて女の子に優しくしてもらったことに感動しているんだ!

 永琳さんのは大人の人からの優しさだから種類が違う。

 ……とりあえずこれ以上見苦しい所を見せるわけにはいかないし、グラサン掛けるか。

 

 

「すまん、ちょっと感動してただけだ」

 

「そ、そうなんですか」

 

 

 このあと美味しく頂きました。依姫様、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~1時間後~

 

 

 ついに本命の実技試験が始まった。実技には能力やら霊力の使用を許可されているらしい。

 

 んーと。おれはB運動場だから依姫と別れるな。

 あ、ついでに依姫にさん付けはやめてほしいとの事なので呼び捨てになった。

 

 ……とりあえず霊力について復習をしておこう。

 永琳さんが言うには、霊力を体に纏ったりすると身体能力が著しく上がるらしい。それも局所的に集中した箇所は霊力の量によっては大岩すら砕く程の力を発揮するとも言っていた。

 本当かどうかは試したことないから知らないけど、それが本当なら人の域を越えてるな。

 まあ、霊力操作は9日間してきたから大体はできる。試すにはちょうどいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~~50メートル走~~

 

 

 さっそく足に霊力を集中させてみる。

 うお、なんか足がとてつもなく軽くなった!

 凄いな……これならいつも以上にタイムが縮むかもしれないぞ。

 

 他のやつらの平均を見てみると大体6秒後半くらい。やはり、兵士希望なだけあって皆速い。

 おれの前世での最高でも7秒前半だったから、もし霊力あっても速さが変わらなかったら、下位は免れないな……

 

 

「位置について、よーい」

 

「えーい!やるしかない!!」

 

 

 足がこれまでの中で最高潮に軽いんだ。たぶん速くなってるだろう。たぶん、うん、たぶんな!

 

 

 

「!!」パアァン!

 

「……!!」

 

 

 ドドドドドドッ!!!

 

 

「え、あれ? 速っ! え? なんだこれ!?」

 

 

 

 予想を遥かに越える速さでおれの足は回転しているぞ!?

 あ、やべっ、転ける! ……いや、後5メートルほどだ。そのまま突っ込めばなんとかつけるぞ!

 

 

「ごはぁ!?」

 

 

 おれは足の回転についていけず、そのままゴール地点まで盛大に転けた。

 いってぇ……なんだあのスピード……まるでおれの足じゃ無いようだったな。

 

 

「…………3秒05?!」

 

 

 と、自分の足の速さに驚いていると、ストップウォッチを持っていた人が、これでもかというぐらい、目を見開かせて、そう呟いた。

 ……はい? 3秒? そのストップウォッチ壊れてるんじゃないのか?

 

 

「すっ、すげー」ガヤガヤ

 

「3秒代なんてここ5年はでてないらしいぞ」ガヤガヤ

 

「ああいうやつが隊長とかになるんだな……」ガヤガヤ

 

「つーかなんでこけてんだよ。ダセぇー」ガヤガヤ

 

 

 

 なんか奥の方から色々言われてるが気にしないでおこう。気にしたらあの癖が出てきてしまう。

 

 

「予想以上だな……霊力ってすごい」

 

 

 

 

 

 それからは凄かった。握力検査では腕に霊力を集中させてやると握力計が測定不能になり、ボール投げではボールが運動場を飛び抜けてツクヨミ様の家まで飛んでいったり、反復横跳びでは100回を越えた。

 霊力の恩恵があまりなかったのは体力で、霊力を使いすぎたせいもあってか、自己ベストタイムを出すことは出来たが、他と比べるとあんまりという結果だった。

 あと柔軟系も駄目だったな。

 

 だとしても他の奴と比べればかなりの差があった。何でだろうか……他も霊力を使えないわけではないのに。

 ……霊力操作が関係しているのだろうか?永琳さんも上手いと言っていたし。

 そのことについて後日、永琳さんに聞いてみると__

 

 

「その通りよ。同じ霊力量であってもその扱いが出来るのと出来ないのとでは雲泥の差があるもの。

 分かりやすい例で言うのなら、同じ怪力をもつ者同士が戦うとしましょう。ただの殴り合いでは完全な互角、それでは決着がつかない。そうなった場合、どれで勝敗を決すると思う?武術?戦闘経験の差?……そう、どっちも正解よ。力が互角な場合、勝敗を決するのは、戦闘による技術、つまり知識が多い者が勝つの。

 だから今回、霊力操作を覚えた貴方は、何も教えられていない他の受験生より優位だったのよ。

 まあ、霊力操作以外にも、他のより霊力が少々多いのもあるでしょうけど」

 

 

 と、分かりやすい例まで出して教えてくれた。

 ほんと、教えてと1言ったら2~4は教えてくれるよな、永琳さん。勉強になります。

 

 

 

 

 

 ま、でもこれならまず落とされることはないだろう。試験結果が出るのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ~次の日~

 

 

「結果が届いたわよ」

 

「え、早くないですか? 昨日テストしたばかりですよ」

 

「編入試験受ける人は60人くらいだったから早く済んだんじゃない?」

 

 

 そ、そういうものなのだろうか……まあ、とりあえず封筒をもらって開けてみよう。

 

 お、なぜか2枚あるな。

 取り敢えず1枚目を見てみるか。

 

 

『結果

 

  熊口生斗 様 は合格判定基準に 達している

 

  ため  合格  とさせて いただきます。

 

  クラスは A クラス です。       

 

 

 

 ツクヨミ 様 からの コメント

 

 合格おめでとうございます。あと君が投げたボールが僕の盆栽を直撃したんですよね。覚えておいてください』

 

 

 あ、合格か。やった……………ツクヨミ様、誠に申し訳ありませんでした!!!

 

 

 

「よかったじゃない。Aクラスって士官学校の中でもトップクラスの所よ。あと貴方、なにやってるのよ……」

 

「え、そんなところいやですよ。普通のクラスがいいです。あとあれは不慮の事故です」

 

「上の決定だから無理ね、諦めなさい。もう1つの意味で」

 

「はあ、調子に乗らず霊力だしまくらなければよかった……」

 

 

 あのツクヨミ様を怒らせてしまうなんて……次あったら殺されるかもしれない。

 

 

 

 …………取り敢えず、もう1枚の方をみてみるか。

 

 

 

『 

   今編入試験 総合順位

 

  『筆記100』

  『実技200』

 

  1位  綿月 依姫  299

  2位  熊口 生斗  235 

  3位    ∥    214    

  4位    ∥    195     

 

                    』

 

 

 やはり、親も親なら子も子だな、うん。

 あ、でもおれも2位か。すげーな。

 

 …………全然喜ぶ気になれないけどな!

 



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7話 巫山戯た土下座の耐久説教

 

 

 編入試験を受かってから一日経った今日この頃。

 おれは依姫が編入前に一度どんなところ見てみたいと、永琳さん家まで来ておれを引っ張ってきた。なので今、おれと依姫は士官学校の敷地内にいる。

 ついでに依姫も同じAクラスらしい。まあ、エリートのクラスって言ってたし、依姫がAクラスに行くのは当然か。おれが行くことになったのは少し不思議だが。

 

 

「なあ依姫、なんでおれまで一緒にいかなくちゃいけないんだよ。眠むいんだよ、寝せてくれよ。家でごろごろさせてくれよ」

 

「熊口さんは気にならないんですか。ていうかもう12時です! 来週から私達も此処の訓練生ですよ、もっと兵として自覚を持ってください。それに彼処は八意様の家であって熊口さんの家ではありませんよ!?」

 

「本当のことを言うとちょっとは気になってはいる。でもあくまで優先順位はだらけることなんだ。それに永琳さん家ってなんか寛げるんだよ。なんというか、安心感がある」

 

「……はあ、八意様がおっしゃっていた通りの人でしたね……

 まあ、それでもついてきてもらいますけど」

 

「まあ、もう着いてしまったしな。おれは1歩も足を動かしてないのに」

 

「私が引きずって連れてきましたからね」

 

 

 

 永琳さんが言うにはおれが依姫にとっての初めての友達らしい。なぜこれまでいなかったのかというと、あのゴリラが関係しているらしかった。

 いつも修行やらなんやらさせらてたり、父親が総隊長ということで周りには同年代と同等の扱いをしてもらえなかったり、力を持つゆえか周りからの期待の眼差しを向けられたとかのせいで、それが重みとなって軽い鬱になり、一時の間地下に引きこもってずっと修行をしていたそうだ。

 その間での話し相手が姉か両親や永琳さんだけだったと聞いた。

 

 だからこんなに絡んでくるんだろう、依姫は。

 初めての友達て……結構責任重大だな。……と言っても、この世界じゃおれの同年代の最初の友達も依姫になるんだけどな。

 ……でも引き込もって修行ってちょっと私には理解できません。

 

 

「改めてみると凄いよな、どれだけ金かければこんなになるんだか」

 

「運動場がABCと3つあるらしいですからね」

 

「それにしては校舎はいたって普通だな」

 

「1年~4年生のクラスがそれぞれ5クラスあるから…………教室だけで20部屋。確かに普通ですね」

 

 

 と、パンフレットを見ながら依姫が答える。

 パンフレットってそんなことまで書いてんのか……

 

 

「なあ、一つ聞きたいんだけど。」

 

「なんですか?」

 

「あのA運動場の先にあるでかい建造物はなんだ?」

 

「んーと、あれは……体育館ですね」

 

「え、あのスタジアムが? 嘘だろ!?」

 

 

 あのスタジアム、軽く東京ドームより大きいぞ……

 

 

「いいえ、ここのパンフレットに書いてありますよ、ほら」

 

「……ほんとだ……あんなに大きくする必要性あるのか?」

 

「私に聞かれても……」

 

 

 それから一年Aクラスのところにいってみた。生憎丁度マラソンをしているようで、クラスには誰もいなかったが。会ってみたい気もしたがいないのなら仕方がないな。

 まあ、そのあとは適当に依姫とブラブラした。

 

 

「それじゃあ、帰りますか」

 

「あ、ちょっとまって。そういえばツクヨミ様に用があるんだった。着いてきてくれないか?」

 

「え? なにかあるんですか?」

 

「編入試験の時おれが投げたボールがツクヨミ様の家の盆栽に直撃したらしい」

 

「なにやってるんですか…………ああ、あれはそういうことだったんですね」

 

「ん、なにが?」

 

 

 なんだか嫌な予感……

 

 

「私が試験を受けたAコートってツクヨミ様の家から近いじゃないですか」

 

「ああ、そうだったな」

 

 

 近いもなにもA運動場とツクヨミ様の家は隣接していた筈だ。

 

 

「それで、私達が長距離走で走っている途中、急にパリーンって音がして、そのあとにツクヨミ様の絶叫が響いてきたんですよ」

 

「うお、まじか」

 

「それからは大変だったですよ。一時試験は中止になって試験官の人達が青い顔してツクヨミ様の家へ走っていきましたし」

 

「…………」

 

 

 ま、まじか……おれ、知らないうちに試験の妨害までしてたのかよ……

 

 

「どうしたんですか?」

 

「…………なあ依姫、おれの顔、今どうなってる?」

 

「……青い顔してますね。汗もすごいです」

 

 

だよなぁ。おれだって自身の今の顔色なんて鏡見なくてもわかる。

 

 

「やっっちまっったぁぁ!!!」

 

「ははは……自業自得ですね」

 

 

 

 このあと、ツクヨミ様の家にいくことを止め、永琳さんの家に全力疾走で帰ろうとしたが、依姫に羽交い締めをされてしまい、渋々行くことに。

 結局、重い足取りでツクヨミ様のお宅へ謝りに逝くことになってしまった。

 くそう、あのとき思い出さなければ家でのんびりできていたのに!! なんで面倒事をさっさと済ませた方がいいかなと浅はかな考えをしてしまったんだ!!!

 ……だが、もう過ぎてしまったことにはかわりない。腹を括るしかないな。

 

 

「あの……死人のような顔してますよ」

 

「ああ、心配ない。おれは大丈夫だ、綿月が心配することではない。」

 

「え?」

 

 

 皆は自分が死ぬっと思った出来事を体験したことがあるのだろうか。おれは少なくても三回ある。

 1つ目は橋から落ちたとき、あれは死ぬって思ってほんとに死んだことであったが。2つ目は永琳さんによくわからない液体を顔に塗られかけた時だ。

 

 

「く、熊口さん? え、どうしました? 急に固まって……」

 

 

 あの時は永琳さんに恐怖を感じた。あの液体、地面に1滴零れただけなのに1メートル近く地面を抉っていたし。そして3つ目、それが今回のことである。これはもう死ににいくようなものだ。今おれは処刑台へ向かう死刑囚のような気分でいる。

 まだ罪を犯しているわけでは……いや、ツクヨミ様の私物を壊しているんだ。それだけでも死に値するほどの___

 

 

「しっかりしてください!」

 

「ぶへっ!」

 

 

 思いっきり木刀で腹を叩かれた。物凄く痛い。

 どうやらまた現実逃避をしていたらしい。ありがとう依姫、止めてくれなかったら1日中フリーズしていただろう。

 

 

「すまん依姫、ちょっとばかし現実逃避していた」

 

「もう……ちゃんと誠意をもって謝ればツクヨミ様も許してくれますよ。あの方も鬼じゃないんですし」

 

 

 確かにあの温厚なツクヨミ様だ。手紙で敬語になっていなかったからかなりびびったが、依姫の言う通り誠意をもって謝れば許してもらえるかもしれない。

 

 

「そうだな…………よし、覚悟を決めた! 今から全力でツクヨミ様に謝ってくる!」

 

「その意気です!」

 

 

 覚悟を決めたときはその瞬間に行動に移した方がいい。何故なら、時間が経つにつれ、その覚悟は薄れていくからだ。ほら、勉強するぞ! って決めたけどその数分後に、やっぱいいやってなるのと一緒だ。

 

 自慢じゃないがおれは決心が鈍るのが早い。特に自分に関しては、だ。今回はツクヨミ様に関してだから、決心が鈍るのは遅いと思うが、延ばせば延ばすだけ確実に鈍っていく。

 いずれやらねばならないのなら今のうちにやっておくのが吉だ。

 

 そう考えたおれは早速、ツクヨミ様に謝るべく、長い廊下を全力疾走し、ツクヨミ様の部屋の前まで来た。

 

 

「ふん!」ドン!

 

「なっ!? 生斗く……」

 

 

 よし、ツクヨミ様発見!

 こういうのは勢いが大事だ!

 まずおれは豪華な襖を開ける。

 そしてそのあとツクヨミ様に有無を言わさずすかさず土下座。

 勿論、遠くでは意味がないので一気にツクヨミ様の前まで跳躍してそのまま土下座する。

 

 これぞ、ジャンピング土下座だ!!

 

 

「ツクヨミ様ぁぁ!!ほんっとうに申し訳ございませんでしたぁぁ!!」

 

 グシャベチャ

 

「ああああああああ!!!」

 

 

 ん? 着地した時なんか変な音が……それにこの手を地面についた時についた黒い液体は……

 

 

「ぐぐぐ……盆栽のみならず僕の書き物まで踏み潰しましたね……」

 

 

 あ、そういうことね。つまり今おれはツクヨミ様の書いた物の上にいると。そしてこの手についた黒い液体は墨汁と……

 

 ____終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 このあと四時間ガチ説教を受けて漸く許してもらいました。

 ふむ、周りをよく見ることも大切だということを学んだな。

 

 



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8話 出鼻を挫いた自己紹介

 

 

 はあ、遂にこのときが来てしまった……

 ん、何が来たのかって? 編入に決まってんだろちくしょう!

 昨日まで永琳さんの家でぐだってたのが夢のようだ。

 もう、永琳さん家で暮らすこともできなくなるのか。これからはむさ苦しい男達と共に青春もへったくれもない灰色の人生を送る羽目になるのか……いや、一応依姫もAクラスだ。灰色と断定するにはまだ早い。

 

 

 おれが入ることになった陸軍防衛士官学校は全寮制らしい。良く言えばいちいち学校までいく必要がないと言うこと、悪く言えば心を休ませられる場所がなくなるということだ。

 なぜ、心が休まらないかと言うと、抜き打ちで夜中に叩き起こされたりして荷物検査とかがあるらしいからだ。なんでそんなことするのかと永琳さんに聞くと、緊急の防衛任務とかに駆り出されるときがあって、そのときに準備していなかったら大変なことになるということだった。た、確かに正論だ。

 だけどおれはそれに関してはかなり不満である。おれがされるとむかくつランキングの堂々第2位に入るのは睡眠妨害だーー1位は内緒。

 まあ、そんなこと考えている間に士官学校にいく時間になってしまった。

 

 

「永琳さん。今日まで本当にお世話になりました」

 

「ほんと、お世話したわよ。他人の家であそこまで図々しく居座られるなんて思わなかったわ」

 

「うぐっ…………すいません」

 

「まあでも嫌ではなかったわ。いい気分転換になったし。また休みの日にでも来なさい、歓迎するわ。私がそのとき居るかどうかはわからないけど」

 

「ははは! 永琳さんが留守でもくつろぎますよ、おれ」

 

「貴方、ほんといい根性してるわね。まったく冗談に聞こえないのだけど」

 

「冗談じゃないですもん……と、まあ、時間もそろそろだし……行ってきます! 永琳さん!」

 

「はいはい、いってらっしゃい」

 

 

 このとき永琳さんが母親のように見えたのは秘密である、本当に。

 そんなこと口に出したら大変なことになる。

 前にお母さんみたいですねと言った時、毒薬飲まされそうになったからな……

 

 

 

 

 

 

 永琳さんと別れてから士官学校へ向かう途中、依姫と会った。そういえば永琳さん家に迎えにいくって、ツクヨミ様に説教されたあとに約束していたんだった。完全に忘れてた。

 まあ、ツクヨミ様の精神的に辛くなる説教を受けてなかば放心状態だったのだから仕方がない。

 

 

「ついに私達も訓練生ですね! はあ、緊張します!」

 

「依姫はそんなに緊張しなくていいんじゃないか? すぐ適応できるさ」

 

「む、何を根拠に言ってるんですか。フレンドリーさでいえば熊口さんの方がすぐ適応しそうじゃないですか」

 

「お、そうか? いや、そうかなぁ……やっぱりそうかぁ? おれってそんなにフレンドリーかなあ、それって褒め言葉? いやぁ、まいっちゃうなぁ~!」

 

「前言撤回します。フレンドリーではなくウザいです。」

 

 

 はい、すいません自重します。いやぁ、知らない人からスゲーとか褒められるとかなら結構我慢出来るんだけど友達とかに褒められるとつい完全に調子に乗ってしまうんです。しかし、それは止められませんね。性分だから。

 

 

 そんな他愛もない会話をしながら歩いて20分後、ついに士官学校の門前に着いた。

 

 

「ついに、着きましたね……あと一歩で士官学校校内です。ここは一緒に訓練生として初めての一歩を踏もうではありませ…………」

 

「めんどくさい」

 

 

 長々と依姫がなんか言ってたので、おれは足早に門を潜った。

 

 

「ああ!! 折角一緒に初めての校内に入ろうって言ったのに!」

 

「もう何回も入ってるだろ」

 

「訓練生としては初めてですよ!」

 

「そんな細かいことは気にすんな。そんなんじゃ男に嫌われるぞ」

 

「それって男と女逆なんじゃ……」

 

「そんな細かいことは気にすんな。そんなんじゃ男にき…………」

 

「繰り返さなくていいです!」

 

 

 取り敢えず一年校舎のAクラスに向かおう。こんな不毛なことを言い合っても意味はない。殆どおれのせいだけどな。

 いやぁ、依姫を弄るのは楽しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 まずAクラスについて語らせてもらおう。

 えーと、まずは……うん、男子の数が少なすぎる。クラス30人中5人しか男子がいない、おれを合わせても6人。

 おれの想像していたむさ苦しい男達じゃなかったのはいいが、ここって訓練生の中でも指折りの人達が集まるクラスなんだよな? 男子頑張れよ。

 

 あとおれのときと依姫のときの自己紹介したときの温度差が激しかった。 

 

 

 おれの場合____

 

「おれの名前は熊口生斗。チャームポイントはこのグラサン! 神すらも取ること諦めたこいつはその名の通り固く結ばれてるんだ! いわば一心同体!! まあ、そういうことだからよろしくな!」

 

 男子勢「おお、あいつおもしれーな」

 

 女子勢「え、何いってんだこいつ。きも」

 

 

 盛大にやらかした。特に女子の目。塵をみるかのような目をされて泣きかけた。ふざけなければ良かったと後悔してます。

 

 

 一方、依姫の場合は____

 

「私の名前は綿月依姫といいます。新参者ですが気軽に話しかけてくださると私としても嬉しいです」

 

 男子勢「え、あの有名な綿月大和隊長の娘?! 全然似てねー、遺伝子詐偽だ!!」

 

 女子勢「キャー!ステキー!サインしてー!」

 

 

 

 どうだこの温度差。おれとは雲泥の差だ。特に女子。

 あと男子勢、おれもそう思う。

 

 はあ、よく考えればなんだよあの自己紹介……おれ頭おかしいんじゃねーのか?

 なんだよグラサンと一心同体て……確かに事実ではあるけれど。実のところ言うと体と融合している訳ではないんだけどな。

 たぶんあの神の神力でくっついてるだけだ。

 まあ、そんなこといっても信じてくれるわけないか……

 

 

 いきなり調子に乗って出鼻をくじく結果となった自己紹介になったが、これからの行いで挽回するしかないな。

 男子勢の反応は悪いわけではなかったし。

 

 これまでの経験上、なんとかなったことなんてないがなんとかなるだろう、うん。そう考えてないとやってられない。

 

 



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9話 主人公候補

 

 

「おーい」

 

「ん、なんだ?」

 

 

 午前の授業がいきなり基礎体力作りということで長距離を走ることになり、絶賛死にかけている今日この頃。運動場を3周(約6㎞)の3セット(18㎞)を1時間で走らされたせいでおれの足はパンパンだ。明日はきっと筋肉痛になるに違いない。

 このあとの午後からは座学があるらしい。

 頭に入ってくる気がしないのはおれだけだろうか? だろうな。

 そんな絶望を噛み締めながら食堂へ向かっているとAクラスの男子と思われる二人組に話しかけられた。

 

 

「お前、熊口生斗だろ? 今日自己紹介で盛大にやらかしてた」

 

「ああ、そうだけど。あとそれに関しては触れないで。家にこもりたくなる」

 

「あ、ああ、わかった」

 

「で、なんの用だ? えーっと……」

 

「あ、まだ覚えられてなかったか。

 俺の名前は小野塚歩って言うんだ。よろしくな」

 

「ぼ、僕はトオルってい、言います」

 

 

 ほうほうこのお二方もイケメンではありませんか。妬ま……羨まし……やっぱ妬ましい。

 まず小野塚の方はいかにも体育会系の体つきで伸長が高い。190㎝はあるんじゃないか?そして整ったゴツい顔つきで髪は短髪の黒色あと凛々しい黒色の目をしている、なんか雰囲気からして兄貴っぽい。

 トオルの方は焦げ茶(黒:茶の割合で言うと8:2)でこちらはちょっと幼い感じの童顔で、目はパッチリ二重、身長はおれよりも少し低いくらいか…………ショタ好きの女子とかにかなりモテそうだな……

 それに比べておれときたら……一重、グラサン、細眉。

 外見を口だけで説明したらただの不良じゃねーか。

 

 

「ん? どうした? 小野塚の後ろなんかに隠れて」

 

 

 2人について考察をしていると、トオルがさっと小野塚の後ろに隠れた。 

 なっ……まさか生理的に無理的な奴か!?

 

 

「ああ、すまんな。こいつ人見知りが激しいんだよ。まあ、馴れれば大丈夫だと思うから仲良くしてやってくれ」

 

 

 お、おう、よかった。トオル、おれのことが本当に生理的に無理なやつだったら枕を濡らしてたな。もっとも、おれは寝るときに枕を使わんが。何だろうな、頭に異物が下にあると何故か寝心地が悪いんだよな。

 

 

「へえ、そういえば今名前しか言ってなかったけど、名字はなんていうんだ?」

 

「あ…………それは……」

 

 

 と、見るからに顔が青ざめるトオル。

 嫌なことでも思い出したのだろうか?

 

 うん、これは聞かない方がいいやつだな。おれは優しいからそんなに深追いはしないから安心してほしい。

 

 

「ま、まあ、取り敢えず仲良くしような。小野塚、トオル」

 

「ああ」

 

「よ、よろしく」

 

 

 

 

 

 

 その後、おれと小野塚とトオルは食堂に行き、昼飯を食べてることにした。

 その昼飯中、なんでおれに話しかけてきたのか2人に聞いてみた所、衝撃の事実が発覚した。

 

 

「なんで生斗は持久走のとき霊力を使わなかったんだ?」

 

「え? 皆使ってたのか?」

 

「ああ、お前以外全員霊力纏って身体強化させて走ってたぜ。まあでもずっと使ってられるほど操作はできないから、途中途中解いたりしてたけどな」

 

「生身でよく間に合ったね、ぼ、僕だったら途中でダウンするよ……」

 

「うおおぉ!! ミスったー!」

 

 

 最悪だ、あの時みんなやけに速いなぁと思ったんだよ! クラスでぶっちぎりの最下位だった理由がやっとわかった! ……ていうか先に教えてくれよ。

 

 

「……余計な体力を使ってしまった…………」

 

「ははは、どんまい」

 

「……ぷふっ……」

 

「小野塚! トオル! お前ら笑いやがったなこの野郎!罰としてお前らのデザートよこせ!」

 

「うわ、やめろ! このプリンは俺が最後の楽しみにしていたやつなんだ!」

 

「や、やめて!」

 

 

 はっはっはっはっ! おれを笑ったのが運の尽きだな!

 後ろの方で女子共が「サイテー」とか言ってるような気がするが気にするものか!

 

 

「あ、でもトオルは可哀想だから小野塚のだけで我慢するか」

 

「な、なんでだよ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 取り敢えず食事も済んだし、残りの休み時間をどう有意義に過ごせるかを考えよう。

 

 あ、そうだ。

 

 

「なあ、散歩しないか?」

 

「ああ、いいぞ。まだここの場所とか良くわかってないんだな。

 よし、散歩がてら案内でもしてやるか!」

 

 

 いや、ここら辺のことはこの前依姫と下見行ったときに覚えてるから良くわかってないことはないんだけどな。ただ、ゆっくり落ち着ける所が分かるならそこを案内してもらいたい。

 そう小野塚に聞いてみると____

 

 

「ん~……そうだなぁ。図書室とかはどうだ?」

 

「そこにはいい思い出がないので止めときます」

 

 

 ほんと……あの時はゴリラのせいで死ぬかと思った。飼育員の方もしっかりとゴリラを檻に閉じ込めておいてほしいもんだ。

 

 

 まあ、流石にここにはあのゴリラもいないだろうし大丈夫だろう。

 ここ、学校であるわけだし。

 

 ということで結局図書室にいくことになった。

 

 

 

 

 

「あれ? 生斗君。ここで会うとは奇遇だね。そういえば前もこういう場所で会ったような……もしや本が好きなのか?」

 

 

 おい、居やがったよこのゴリラ。

 そういえばさっきおれが言ってたことって完全なフラグだったじゃないか。ビンビンに立ててしまってたよ! そして速やかに回収しましたってか!

 

 綿月なる隊長さんはまた調べものをしにここへ来たらしい。前も図書館で調べものしに来たって言うけどいったい何を調べているのか聞いてみると___

 

 

「ちょっとした調べものさ」

 

 

 と、はぐらかされてしまった。

 そんなこといって、実はエロ本でも探してたんじゃないのか? ほら、学生の時、隠し持っていたエロ本を図書室の何処かに隠したとか。

 

 はたして、あのおじさんはどんなエロ本を隠していたのだろうか……ゴリラ大百科とか?

 

 

 まあ、別にいいか。

 ゴリラの好みなんて興味ないし。

 

 

 取り敢えず前のように突如訓練になることはなかったが今度会ったとき訓練してやると言われた。

 今後綿月隊長には会わないようにと祈るしかないな。

 まずは二度と図書館には近づかないようにしよう。

 

 

 

 

「生斗って綿月隊長と知り合いだったんだな……」

 

「僕なんてサインして貰ったよ」

 

「おれにとっては関わりたくない相手なんだけどな」

 

 

 まあ、もうこれから図書室、図書館は絶対行かなければいい、と思う。

 

 

  キーンコーン

 

 

 お、予備鈴がなったな。

 もうすぐ授業が始まる時間帯になったってことか。

 

 

「お、あと5分で授業が始まるな。少し刺激は強かったがいい暇潰しになっただろう」

 

「そうだな。んじゃ、教室行くか」

 

「だな」

 

 

 そういっておれと小野塚が教室に行こうとすると、急にトオルが____

 

 

「待って! あっちの方角のマーケットでハイジャックがあってる!! 相手は4人、女の子を人質にとってる!」

 

「は? どうした急に」

 

「なに! よし、わかった! 今すぐ向かう!!」

 

 

 とトオルが叫び、小野塚がその声に反応して一瞬にして姿を消した。

 

 そしてその消えた場所にはナイフが落ちてきた。

 

 えっ? 今何が起こった?

 

 

 状況が理解できないおれは、ただただ口をポカンと開けることしかできなかった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後で聞いた話によると、どうやら士官学校より少し離れた場所のマーケットを銃火器を持った少数グループが占拠していたそうだ。そしてさっき捕まってた、小野塚の奇襲のおかげで。

 なんでそんなことができたかと言うと能力が関係しているらしい。

 

 まあ、簡単に説明すると、

 トオルの『危険を察知する程度』の能力で犯罪があっていることを察知し、それを聞いた小野塚が『交換する程度』の能力で自分の犯人の一人のナイフを入れ換えて奇襲したらしい。

 ナイスコンビプレイじゃないか。

 おれの予想では今回の行動はこれで初めてではないな。妙に手慣れていたし。

 

 ていうかなんだよ、二人とも主人公みたいじゃないですか。何だよおれ、ただの脇役かよ……

 

 

 

 そういえば能力っておれにもあるらしいんだよな。……ほんとどんな能力なんだろ。出来ればかっこいいのがいいな。

 

 

 まあ、授業には遅れ、先生に大目玉を食らったのは言うまでもない。

 小野塚とトオルは勝手に事件に飛び込んでいったことに関してはかなり激怒されていた。

 そりゃそうだよな、下手すりゃ死んでたかもしれないんだし。

 

 ただ女子勢からはめっちゃもてはやされてた。おれはそれを見て血涙を流した。

 

 



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10話 兄と違う性悪妹

 

 

 編入から1ヶ月が経った。色々と大変だったけど今となってはいい思い出……と、余裕ぶってはいるが実のところを言うと全然余裕じゃない。

 

 

「明日から体力テストと能力テストと筆記があるからなぁー。しっかり体作っとけよ。あと勉強も忘れんなー」

 

 

 そう、テストである。やばいな、体力と筆記はなんとなしにできるけど能力テストて……いまだに開花してないよ。なんだよ神、能力付け忘れてんじゃないのか? あるんならいい加減開花しろや。

 

 

 能力者はこの国でも希少らしいが、Aクラスの皆の大半は何かしらの能力を持っているとのこと。持っていないのはおれと何人かの女子だけである。正直気まずい。だっていまだにおれ、女子からの評判悪いし。

 因みに何人かの女子の中に依姫は一応入っている。なぜかというと依姫は能力を持ってはいるけど、まだ使いこなせていないらしいからだ。

 それで一回家を半壊させたことがあるとか。……どんな化け物級の能力なんだ。おれもそんな能力ほしい。

 

 

「はあ……なあ小野塚。能力持っていない奴は何を受けるんだ?」

 

「ん? なんだ、生斗は能力を持ってないのか。俺の妹と同じだな」

 

「え、お前に妹がいるのか?」

 

 

 なんだかゴリゴリな予感……

 

 

「知らなかったのか? 出席簿に書いてあるだろ。

 小野塚影女って、それが俺の妹の名前だ」

 

「ほう、知らなかった」

 

「とりあえずさっきの質問についてだが……確か能力持っていない訓練生は霊力操作のテストっていってたぞ」

 

「おおそうか、あんがとよ」

 

 小野塚の妹か、あいつの妹ってだけでゴツいイメージしか沸かない。これが偏見だってことはわかってるんだけど……。まあ、そんなの会ってみないと分からないしな!

 取り敢えず明日の試験勉強をしよう。

 

 それから数分後、おれはベッドの上で熟睡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして次の日のテスト。筆記(三教科)に続き体力テストが終わって昼飯を挟んだあと、霊力操作の試験場へ向かっていた。

 

 んーと、小野塚が言うには、黒髪でサイドテール、あとつり目って言ってたよな。

 それで綿月体長と同じぐらいのマッチョだったら悪寒がとまらなくなるな。

 そして、ついに小野塚の言っていた特徴に全て合致する人物を見つけた。

 そいつは依姫と話しながら歩いており、おれの想像を遥かに越えている人物だった。

 

 

「ゴツくない……だと」

 

 

 そう、ゴツくなかったのだ。

 ……つーかここの国の人って美男美女が多すぎやしませんかね?

 はい、お察しの通りかなりの美少女でした。顔は人形のように小さく整っていて黒髪のサイドテール、目は小野塚(兄)に似た凛々しい目をしている。身長は結構小さい。小野塚(兄)に身長を全部取られたか。かわいそうに……

 

 

「ねえ、あんたが依姫の言ってた友達?」

 

「え? ああ、そうだけど」

 

 

 うおっと!? こっちからコンタクトをとるつもりはなかったのに相手から近づいてきたぞ。じろじろ見ているのがバレたか。女って自分に向けられる視線に敏感だって聞くし……つーか依姫はどこへ行ったんだ? いつの間にかいなくなってる……

 正直初めての人と話す話題なんて殆んどないぞ。男なら下心全開トークで盛り上がるんだが。

 

 

「ふーん、そういえばあの馬鹿とつるんでいたわね、アンタ」

 

「んーと、馬鹿と言うのは歩のことか?」

 

「それ以外に誰がいんのよ! それ以外にあんたと喋る奴なんていないでしょ、このぼっち!」

 

「はあ?」

 

 

 あ、おれこいつ嫌いだ。なんだよ、いきなり人をぼっち呼ばわりしおって。

 なに? おれがお前に何をしたって言うんだ。

 

 

 ……うーん、こういう奴にはお灸を据えたいな。この我儘なお姫様……いや、じゃじゃ馬は人をいきなり罵倒した。

 おそらく、これが初めてではない、と思う。

 どうせこれまでも今のように男子を不快にさせてきたんだろう。

 いや、でもまだ完全にそうと決まったわけじゃない。もう少し様子を見て___

 

 

「ていうかアンタなんなのその髪の毛とグラサン。正直全然似合ってないしキモい」

 

 

 あ、駄目だ。こいつは絶対にこれまで幾度となく人を不快にさせてきた極悪犯だ。

 グラサンとおれが似合わないわけないだろうが。

 

 

 

 おれはこれを宣戦布告と受け取ったからな。

 

 

 

「ほうほう、こんなおチビさんにはこの“大人”の魅力が分からないようだな」

 

「な、なんですって! 今私のことを子供扱いしたわね!! このキモグラサン!」

 

 

 よーし、こいつはやっぱり小さいことがコンプレックスなようだな。これからこれを重点的に責めてやる! 生斗さんを怒らせるとどれぐらい怖いか教えてやる。

 

 

「お子ちゃまは悪口のネーミングセンスも子供っぽいんですねぇ~…………なんだとコラこのドチビ、おれは馬鹿にされても構わんがこのグラサンを悪く言うのは聞き捨てならねぇぞ」

 

「はん! なにそれ意味わかんない。なにがグラサンの事を悪く言うなよ、所詮ただの紫外線から目を守るだけの代物でしょ!」

 

「便利だろうが! しかも紫外線カットだけじゃない! 目の形にコンプレックスを持っている人でもかっこよくできるし、日光によって目が開けづらいときでも使える!

 グラサンは目にとってとても優しく、心強い味方なんだよ!」

 

「は? なに急にグラサンについて力説してんのよ! キモ! あんたなんてグラサンと結婚してグラサンと子供でも作っとけば!」

 

「グラサンと結婚できるわけないだろうが! あ、でもグラサンが付喪神になって、それが女の子だったらできる…………痛!!?」

 

「きゃ!?」

 

 

 おふ、急に後ろから木刀で殴られた。

 凄く、凄く痛い……

 折角この女を(口喧嘩で)たたきのめしてやろうと思ってたのに。

 

 

「二人とも! なんで私がいない間に喧嘩してんですか! 熊口さんに至っては訳のわからないことを口走っているし!」

 

「だって依姫ぇ~、このグラサンがぁ~」

 

 

 なっ!? こいつ、泣きやがった…………

 え、なに……これっておれが悪いの? 殆どおれ、悪くないよな? ちびとか言ったけどそれ以外はグラサンのことしかいってないよな?

 

 

「……お、おれは謝らないぞ」

 

 

 これで謝ったら負けな気がする。

 もしかしたら嘘泣きかもしれないし。

 

 

「……熊口さん、まさかこの子の事『チビ』って言いましたか?」

 

「え? ……あ、ああ言ったぞ」

 

「この子、小さいという理由で昔、いじめられていたんですよ?」

 

「はい?」

 

 

 いじめられていた? こいつが? ……いや、この塵ならありえるか。性格ひん曲がってるし。

 

 でも悪いことをしたのかもしれない。過去の精神的な傷とはそう簡単には消せないものだ。……と、前にテレビで見た気がする。

 それを抉るような行為をおれは知らずのうちにしてしまっていたんだな…………

 

 

「うぅ……」ヒッグ…

 

「……」

 

 

 ……グラサンの事を馬鹿にされたことにはいまだに怒りが収まっていないが、ここは謝った方がいいだろう。

 

 

「すまなかった。過去を抉るようなことをして……」

 

 

 

 そういっておれは頭を下げた。

 

 

 すると___

 

 

 

     ボガッッ!!

 

 

「いだ!?」

 

 

 頭を下げた直後、後頭部に衝撃が走った。

 こ、この衝撃は……殴られたのか?

 

 

「はははー! これぐらいで泣くわけないじゃんこの阿呆!」

 

 

 そう言いながら廊下の奥へと走って逃げていく小野塚の妹、影女。

 

 

「……」ビキビキ←血管が浮き出る音

 

「熊口……さん?」

 

 

 

 

 

 ……おれ、あいつ、嫌いだわ……

 

 

 

 

 そのあと、本気で霊力操作のテストを頑張った。

 そしてなんと霊力操作のテストで依姫を抜かして一位になった。

 

 あのときの仕返しにとドヤ顔を影女にしてやるととても悔しそうな顔をしていた。

 

 はっはっはっ! ええ顔じゃええ顔じゃ!!

 

 おっと、いかんいかん。ブラック生斗君が出てしまったか。

 

 自重せねば。



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11話 付け上がった才能

 

 

 テストが終わってから数日経った。

 

 今日も今日とで教官のありがたいがとてつもなくつまらなく寝てしまいそうな授業を半ば聞き流しながら受けていた。

 

 そんな授業の終わり、おれは今日一番の衝撃的なことを教官の口から聞かされた。

 

 

「はい、今日の授業は終わりだー。

 あと明日は飛行訓練を行う。危険な訓練だからくれぐれもふざけたりしないように」

 

「やったね、生斗君! ついに僕達も空を飛べるんだよ!」

 

 

 え? 空って……あのおれ達の真上にあるあの壮大な大空のこと? ていうかどうやって空を飛ぶんだよ……意味わかんないよ、なんか機械とか装着して飛ぶのか?

 そんなのできるわけ…………いや、この国ならできそうな気がする。だって物理法則無視した車や、子供の誰もが一度は羨むレーザー銃だってあるんだ。そんなのあっても不思議じゃないな。

 まあ、そんなの明日になったらわかることだし別にいいか。

 

 

 それとさっき空飛べるんだよ!! と無邪気にはしゃいでおれに言ってきたのはトオルである。

 うん、最初の方はちょっと敬遠気味にされてたけど徐々におれと話してくれるようになって、今では感情を露にして話してくれる程までに仲良くなった。

 

 うん、ここまで長かった……完全に馴れてくれるまで1ヶ月半もかかったよ…………まあ、そんなの今となっては笑い話で済まされる程度の事だ。

 終わり良ければ全てよしだ。

 

 

「まあ、そうだな。空を自由に飛べるっていいよな。どこぞのネコ型ロボットにお願いしないと自由に飛べる気がしないけど」

 

「ネコ型ロボット? なにいってるんだ。あんな市販のどこにでも売っているような孤独な人のための精神ケア製品に頼んだところで空を自由に飛ばしてくれるわけないだろ」

 

 

 小野塚君。君はたぶん本当のロボットのケア製品のことを言っているんだと思う。でももしその言葉が故意的にいっているのだとするなら全国のドラ〇もんファンを敵に回すことになるぞ。ついでにおれもドラえ〇ん好きだから敵になる。

 

 

「まあ、確かにありえないな。取り敢えず今日の授業も終わった事だしのんびり日向ぼっこしながら駄弁ろう」

 

「……もう暗くなり始めてるんだが。ていうか生斗、お前の行動って、見かけによらず年寄りだよな」

 

 

 年寄りとは失礼な。まだまだピチピチ18歳ですよ。お、18歳といえば18禁コーナーの中に入れる年頃じゃないか。

 よし、今度の休日に学校抜けてレンタルビデオ店に行こう。場所なんて全く知らないが。

 

 

「今から夕食だよ。早く行こうよ」

 

「あー、今はまだ腹には余裕があるんだよな」

 

「それはお前が俺がトイレに行ってる隙に俺の昼飯勝手に半分食ったからだろ! お陰で俺は腹ペコだ!!」

 

「そんなの気にすんな」

 

「ならお前は日向ぼっこにでもいけばいい。代わりに夕飯は貰っとくぞ」

 

「ちょっ……」

 

「人の飯を勝手に食べることは気にしないんだろ? お前は落ちゆく夕日を眺めながらひもじい思いでもしとくんだな!」

 

「すいません、今度お詫びします」

 

「それでよし」

 

 

 くう、やっちまったな。これが墓穴を掘るということか……あ、あと小野塚の昼飯はトオルと一緒につまみ食いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~次の日~

 

 

 ついに疑問に思ってた飛行訓練の時間がやってきた。

 今、Aクラスの皆は、C運動場に来ている。勿論、体操服姿でだ。

 ふむ、この学校の体操服、全体的に黒いが、所々に蛍光色の線が通っていて、少しお洒落だ。

 

 

「これから飛行の仕方を教える。

 まずは、霊力を体全体に纏わせろ。そして、以前教えた『物を霊力で纏わせて操る』のと同じ要領で己を浮かせるんだ。自分を人間だと思うな。無機質の()と思うのがコツだ。」

 

 

 ほう、意外と単純なんだな。

 前の授業で確かに物(ボール)を浮かせる訓練があった。これは、霊力操作が上手くないと浮かばせることも難しい訓練らしかったが、永琳さんから驚かれるほど霊力操作に長けてるおれは、皆がボールに霊力を纏わせるのに悪戦苦闘している中、軽々とボールを浮かせ、挙句には教室全体に移動させまくって遊んだ。因みに霊力操作で操っているボールで影女に嫌がらせをしたら、先生に怒られた。

 

 他にも浮かばせたり、少しだけ移動させたりしているやつもいたが、ボールを移動させるときにそいつとボールの間に霊力の糸が繋がっていた。

 どうやら、その線でボールに霊力の供給をしているらしい。そうでもしないとすぐにボールが落ちてしまうとのこと。

 だけどおれはそんなことをしていない。だってもっと簡単な方法があったからだ。

 その方法はいたって簡単。元から霊力をボールにある程度纏わせておけば一定の間は浮かばせる事だ。

 この方法は移動させればさせるほどボールに纏わせた霊力は減っていくが、霊力糸を繋がらせて移動させるよりかは楽なはずだ。

 

 ま、今のは全部永琳さんから教えてもらった事なんだけどね。永琳さんの家にお世話になっていたときに、霊力操作が上手いからと、そこを重点的に教え込まれたのが、こういうときに役に立った。

 

 

 なんかずるをしているように見えるが、これはおれの努力の賜物だ。予習をしているのと同じことなのだ! ははは! あのときの優越感は計り知れなかったな!

 

 

 

 …………んとまあ、そういう訓練が以前にあったってことだ。

 んで、今回はその応用みたいな物だな。永琳さん、自分を浮かせるなんて教えてくれなかったからおれもこれに関しては予習なるものをしていない。

 

 しかも自分を浮かせるんだ。拳ぐらいの大きさのボールを浮かせるのとはわけが違う。

 これは相当訓練しないと出来そうにないぞ……

 

 

「まあ、今回は足が浮くぐらい出きれば上出来だ」

 

 

 ほら、教官もそう言ってる。やはり飛ぶというのはそう簡単にはできないようだ。

 

 まあ、霊力を身体に纏わせるぐらいはやっていたので、浮くぐらいは出来るだろうな。

 よし、皆ももう浮く練習を始めてるし、おれもやるか!

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 飛べました。しかも一発で。現在、おれは皆が苦戦している中、1メートル近く宙に浮いていた。

 

 

「なんだよ、飛ぶのってこんなに簡単なのか」

 

「お、おお!」

 

 

 教官が驚いたように感嘆の声をあげる。

 

 

「流石は霊力操作校内1位と言ったところか……」

 

「くそ! あんな奴なんかに負けてられない!」

 

 

 ははは! 影女の奴、むきになって何度もジャンプしてやがる。そんなんじゃいつまで経っても飛べないぞ。

 

 

「ほらほら、お前らも熊口訓練生に負けないように頑張れー」

 

「「「はっ!」」」

 

 

 はあ、なんて優越感。皆が必死で飛ぼうと頑張ってる中、おれはその名の通り空の上から高みの見物を決め込んでる。

 

 

「ふむ、もう少し飛べそうだな」

 

 

 まだ縦横無尽には動けそうにないが、上に上がるだけなら出来そうな気がする。

 

 よし、いっそのことこのこいつらが米粒サイズに見えるくらいまで飛んでみるか!

 

 そう考えたおれは身体に纏わせた霊力を増やして、上にいくように念じてみる。

 ボールを動かすときは『この方向に動け!』って念じればその通りに動く。

 今のおれでは人間ぐらいの大きさじゃ、念じたぐらいじゃ簡単には操作が出来ないので、取り敢えず一番簡単な上にいくように頑張る。

 上にいくだけなら今のおれでも念じれば出来るからな。

 

 

「あ、ちょっと待て熊口訓練生!」

 

 

 なんか教官が言っているようだが無視。どうせ勝手な事をするなとかそんなところだろう。

 

 

「ーー~!!」

 

 

 ほうほう、どんどん皆が小さくなっていく。

 人が塵のようだ! ……なんちゃって。

 そしておれはついに雲を掴めるほどの高さまで飛ぶことに成功した。

 

 

「うう、なんか寒いな……」

 

 

 雲のあるところまで来ると寒気が凄い。

 でもまあ、凍え死ぬ程ではないから良しとしよう。

 

 

 ……ほう、上空から見るとこの国の大きさが容易に分かるな。

 あの巨大な防御壁って、国全体を囲んでるんだな……

 それにしてもこの国の周りはなんかあれだな。森しかない。

 森、森、森。緑が豊かに広がってらっしゃる。

 

 

 中々いい景色だ。このまま日が暮れるまでここにいてもいいが、授業は午前中までなんだ。一時したら戻るとするか。

 

 

 と、その前にちょっと降りよう。ここはちょっと肌寒い。

 

 そう思い、おれは少しだけ高度を下げようとした。

 しかし、そこでおれは重大な事を思い出した。

 

 

「あれ、降り方わかんない」

 

 

 そう、()()()降り方がさっぱりといっていいほどわからなかった。

 念じれば確かに上に上がることは出来る。しかし、他の右左下は、全くといっていいほど操作できなかった。

 

 そのことを忘れておれはこんなところまで上がって来てしまった。

 

 

 とんだ馬鹿野郎だ……最初浮いたときに真っ先に確認してたのに、一瞬で忘れるなんて……

 

 いや、危険だが降りる方法は確かにある。

 自分に纏っている霊力を解除すればいいのだ。だが、そうすると重力により物凄いスピードで地面まで落ちることになる。

 それじゃあ地上にいる皆にスプラッタをお見せしてしまう。

 地面に着地する瞬間に霊力を纏って少し浮けば大丈夫かもしれないが、そんな高等技術おれが出来るとは到底思えない。

 

 

「どうしよう……」

 

 

 やっぱりあれか、調子に乗った罰ってことか? いや、罰にして重すぎるだろ。

 このままじゃ霊力が尽きてどのみち落ちることになる。

 今こそおれの才能が爆発して自由に空を飛べるようになればいいんだが……

 

 

 いや、ほんと、どうすればこの状況を脱せますかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この10分後、鬼の形相をした教官に救助された。

 

 勿論、そのあとこっぴどく叱られ、午後の座学で先生の問いを全てあてられるという罰を受けました。

 

 今後、調子に乗った行動は取らないようにしないとな……



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12話 脆い一矢

 

 

 士官学校に入ってから1年が経つ。

 そう、1年である。

 1年生は基本的に体力作りの基礎を叩き込まれる。

 1年のうちにしっかりと土台を作り、2~4年のときに崩れないようにするためだ。

 つまり体力面で言えば1年生が一番辛いのだ。

 その1年を乗りきったおれは言わば勝ち組と言っても過言ではない。

 だってさ、毎日限界まで身体を痛め付け、時には気絶し、時には泣いたりする者もいたんだぞ。

 リタイアする者も3名いた。そんな中、おれは頑張った方だとは思わないか?

 

 ん? サボってたりしてたんじゃないのかって?

 

 …………。

 

 

 ……するわけないだろ。おれを誰だと思ってるんだ。

 たまに寝坊したり具合が悪いと保健室に行ったとかしかないぞ。

 

 ま、というわけでおれは地獄の1年を乗りきった訳だ。これからは悠々と過ごさせてもらうか。

 頑張れ! 現在マラソンをしている1年生達!

 

 

 

 よし、それじゃあそろそろ教官の話を聞こうか。

 

 現在おれらAクラスは東京ドームより大きいスタジアムの中にいる。

 基本的にこのスタジアムは雨の日の実技や集会、後は特別授業でしか使われない。

 だけど今日は快晴、雨の降る気配なんて微塵もなかった。

 なのに珍しく使っている。

 それに加えて教官の隣にいるフードを被った大男。物凄い嫌な予感がする。

 お願いだ、あの大男が教官のボディガードでありますように!

 

 ……そんなおれの希望も教官の次の発言に、無惨に打ち砕かれたが。

 

 

「今日からお前らも2年生になることになる。なので今回は特別講師として綿月総隊長に来てもらった。お前らのこれまでの1年もの間どれだけ成長したのか見てもらうために無理いって来てもらったんだ。来てくださった綿月総隊長にみんな感謝するように」

 

 

 そう言うと、隣にいた大男は、フードを服ごと脱いで、顔(と上半身)を露にした。

 

 

「うむ、皆も知っていると思うが私は綿月大和だ。今回は君達の実力を直に見てどの部隊に配属したらいいか、この者は将来この国にとって重要な人物になりえるか等を判断する。存分に頑張ってくれたまえ」バサァ!

 

 

 

 

 おいぃぃ!! 教官無理言ってこさせなくてもいいよぉ!!!

 

 なんてこった。折角一年もの間会わないよう図書室には近づきすらしてなかったのに……

 このゴリゴリゴリラの恐怖を……あの時受けた二時間耐久の地獄を繰り返す羽目になるというのか……!

 

 ああ、思い出すだけで嫌な汗が止まらない。

 実力を見るにはこれが手っ取り早いとか言って、いきなり一対一のタイマン勝負仕掛けられて散々酷い目にあった。今ではあそこまでボコボコにはされないと思うけど……

 

 ていうか、もしかしてまたタイマンやるぞとかは言わないよな?

 いつものおれらの訓練の見学とか言わないよな?な?

 

 

「さて、いちいち訓練風景を見ていても本当の実力はわからん。

 なので今回は私と一対一で戦ってもらう。そっちの方が手っ取り早いしな!」

 

 

 あ、これフラグ回収したやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしておれたちAクラスの皆と教官 綿月総隊長との一対一のタイマン勝負が始まった。

 

 

「四番 小野塚歩です! よろしくお願いします!!」

 

「ん? ああ、君は去年立てこもり犯を捕まえた子か、期待しているぞ」

 

 

 タイマン勝負が始まって1分。このクラスでも上位にたつ小野塚(兄)と綿月隊長が戦うことになった。

 え? 前の1、2、3番はどうしたかって?確か全員秒殺されてたな。

 あまりの早業で忘れそうになった。

 

 

「うおお!!」

 

 

 小野塚が雄叫びをあげながら能力を発動。綿月隊長の腕に着けられていたリストバンドと自分を交換して急接近する。

 初見ならばまず相手は動揺して、初撃を受けてしまうはずだが____

 

 

「ぐはぁっ!?」

 

「ふむ、急に現れたからつい強めにやってしまったな。すまん」

 

「…………」

 

 

 綿月隊長には無意味。難なく対応し、小野塚の殴打を避け、お返しにと腹にめり込むほどの蹴りをかました。

 そして蹴りが命中した小野塚は5メートル付近の壁まで吹き飛ばされ、そのまま壁に寄りかかりながら泡を吹いて気絶している。

 

 …………死んでないよな?

 

 小野塚に続いて、次々とAクラスの皆がやられていく。

 トオルや影女も為す術なく地面に這いつくばり、スタジアムの一部がまるで地獄かのような光景を作っていた。

 

 

 

 そしてついに、編入組のおれと依姫以外のAクラスは全滅した。

 

 

「……熊口さん頑張ってください」

 

「あ、ああ」

 

 

 不安げにエールを送ってくれる依姫。

 いや、頑張るもなにも瞬殺されるイメージしかわかないんだけど……

 

 

「……31番、熊口生斗。よろしくお願いします」

 

「おお、ついに来たか! 熊口君! あれから1年経ったがどれくらい成長したかね?」

 

「ええ、もちろん。霊力操作に剣術とね。まあ、1年前のお返しに一矢報いますよ」

 

「むっ、言うじゃないか。これは楽しみだな!」

 

 

 そう、おれはこの1年、実は依姫から剣術を習っていた。

 なぜか剣術に関しては飲み込みが早いらしく、剣術はAクラスでは依姫の次いで2番目に上手い。

 そして全てやることは平均並みだったおれが見つけた特技の一つであった霊力操作の応用で霊力剣を生成。これを綿月隊長に向ける。

 

 一矢報いるか……おれの前の連中はゴリラに傷1つとして与えていない。

 与えるどころか攻撃を当てることすら出来ていないのだ。

 おれがそんな相手に一矢を報いることが出来るだろうか?

 この霊力剣、切れ味はまあまああるが、すぐに壊れるし……

 

 

「むっ! たった1年で霊力をここまで操れるのか! 期待通りだ」

 

 

 そう言って戦闘狂みたいに笑う綿月隊長。

 はあ、やりたくないしめんどくさい。でも手を抜いたら十中八九痛い目に遭う。

 なんか知らないけどこのゴリラに期待されてるみたいだし……

 応えることはできなさそうだが、一応やってみるか!

 

 

「いきます!」

 

「来い!」

 

 

 おれは勝負の開始を宣言すると綿月隊長に向かって肉薄する。

 その途中、おれは()()()()()のために、右手に持っていた霊力剣を綿月隊長に向かって投げつける。

 

 

「そんなひょろっちい速度で当たるか!」

 

「わー避けられたーどーしよー」

 

 

 と、完全な棒読みになったがバレていないだろうか。

 投げた直後におれはまた霊力剣を生成する。

 霊力剣の良いところはここにある。霊力が続く限りいくらでも生成できるのだ。脳のイメージが出来てなかったり本体であるおれが攻撃受けたりしたらすぐ消えるけど。

 

 そのまま綿月隊長の側まで来たところでおれは綿月隊長に斬りかかる。斬り方でいうなら袈裟斬りだ。

 決して下手くそではない剣筋。そう依姫から評価された。

 その袈裟斬りを綿月隊長は両腕に霊力を集中させて剣を掴む。

 掴む両手には血が滲む気配はない。霊力で防いでいるのだろう。

 そして顔がにやついてる。恐らく、おれが『そんな馬鹿な!?』っていう感じの驚愕の顔になっているからだろう。なんか腹立つな。

 そんな呑気な事を思っていると、綿月隊長は両腕で剣をそのまま身体を捻らせながら回し蹴りをしてきた。

 

 

「っつ!!」

 

 

 勿論、剣を握られたままのおれは綿月隊長が身体を捻らせると同時に浮いた。

 このままではやられる。

 そう考えたおれは相手の足が脇腹に当たる刹那、おれは霊力を脇腹に集中して防御しようとする。

 しかし綿月隊長の回し蹴りは予想を遥かに上回る威力でおれの霊力の壁を砕き、おれの脇腹にぶち当たった。

 

 

「んぐっ!?」

 

 

 回し蹴りを受けたおれは軽々しく吹き飛ばされた。

 うっ……痛い。骨は……ぎりぎり折れてないか……

 

 

「ふむ、こんなものか」

 

 

   ドサアァ……

 

 

 蹴られた地点から5メートル先ぐらいに落ち、衝撃で体内の空気が口から全て吐き出された感覚に陥る。

 あ、くそ……動けない。

 

 だが、おれが動く必要はもうない。

 

 

「それじゃあ次でラス…………!!」

 

 

    ザクッ

 

 

 

「う……なに?!」

 

 

 今日始めてみる綿月隊長の驚いた顔をみた。

 ふふ、さっきこのゴリラが笑っていた理由がわかった気がする。

 隙をついたときの相手の驚愕の表情。それを見るとついにやけてしまう。

 

 何故綿月隊長が驚いているのか。

 それは背中を斬られていたからだ___

 

 

 おれが最初に投げた霊力剣によって。

 

 

 仕組みはいたって簡単。投げつける時、霊力剣がすぐに消滅しないように霊力を多めに込め、ゴリラが油断しているところの背後を斬りつけるという作戦。

 見切られるかもと思ったが、案外いけたようだ。

 

 まあ、そういうことで____

 

 

「まさかここまで霊力の操作に長けているとは……」

 

「……いっ、一矢、報いましたよ」

 

 

 有言実行はできた。これ以上求めることはなにもない。

 だからもう手放してもいいよな? 意識を。

 

 もうおれ、眠たいんだ。

 

 

「お、おやすみなさい」

 

「「……?」」

 

 そしておれは、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「すごいですよね、熊口君。まさか投げた霊力剣を操作して父上が回し蹴りをした隙に斬りつけたんですから」

 

「依姫か。ふむ、それにしてもこりゃあ一本取られたな! 少しずるっぽかったが、油断した私が悪い! ここは素直に称賛するべきだな!」

 

「私もそう思います」

 

「んまあ、それはおいといて、だ。Aクラス最後となったが、早速始めるか?」

 

「はい! 32番綿月依姫! 行きます!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このあと、依姫とゴリラの戦いは白熱し、気絶から目覚めたやつらはおおいに盛り上がっていたらしいが、おれは気絶していたので見れなかった。

 

 なんか損した気分だな……



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13話 残念なネーミングセンス

 

 

 この世界に来てから2年が経つ。

 ゴリゴリゴリラ(綿月隊長)に一撃で負けたおれは、この1年の間にまた力をつけた。その代表的なのが霊力操作による強化だ。

 

 1つは霊力の消費を極限まで抑えて操作することに成功した。

 例えば霊力剣について言おう。霊力剣は手放すと操作するときにどんどん霊力が消えていくが、その消費を極限まで抑えることにより、長時間手を離して霊力の供給を断っても、霊力をあまり消費させないので霊力剣の質を落とさずに操作できる。

 と言っても、折れたり1時間ぐらい操作し続けると消滅する。

 質が落ちないのは大体30分ぐらいだろう。

 

 

 それに霊力操作は身体強化なども含まれる。

 2つ目は部位強化の速度を上げたことだ。

 部位強化とはその名の通り、一部分に霊力を集中して強化することだ。

 以前、あのゴリラに蹴られたとき咄嗟に脇腹に霊力を集中したが十分に集中させきれなかった。

 それに習っておれはいろんな部位に霊力を十分に集中させられるように普段はしないような努力をし、ついに防御しようとした時にはそこに100%の霊力で防御できるようになった。

 ……まあ、フェイントで他を攻撃されたり、他の部位の同時攻撃されたら、100%では防御できないが。

 

 

 後は霊力剣を生成する要領で霊力障壁を作ることが出来るようになったぐらいか。

 

 まあ、今のところはこんな感じに己を鍛えていっている。

 もっと強くならないとな。

 

 何故おれが力をつけようとしているのには理由がある。

 それは力がなければ平穏な暮らしなんか出来ないからだ。前世の世界でいうなら頭がよくないといけない。頭が良くなければ良い会社につけないしそうなれば生活も苦しくなってゆっくり暮らせなくなる。この世界……というよりここの士官学校では力が強い者ほど高い位の地位につける。

 

 だからおれは力をつけようとする。平穏な生活を送るためにな!

 

 

「ということで自主練しよう」

 

「「ええ?!」」

 

 

 小野塚とトオルに未知の生物を発見したみたいな顔された。

 な、何故にこのお二さん方はそんな顔をおれに見せつけてきたのかな?

 

 

「おい、今のは幻聴か? このサボりの常習犯から自主練しようなんて聞こえたんだが……」

 

「た、たぶん幻聴だよ! 自習レンタカーしようぜっていったんじゃない?」

 

「うおい、二人とも何いってんだ! 確かに訓練の日によく寝坊してるけどサボってはないぞ!

 あとトオル、お前に至っては何いってるのかわからん」

 

 

 なんだよ! こっちがやる気になったってのにその反応は!

 やる気なくすぞ? 折角やる気になった生斗さんがやる気なくしちゃうぞ?

 

 

「えーと、俺らは構わんが本当にするのか? 生斗お前すぐ弱音吐くだろ」

 

「いつお前がいつもやってるトレーニングするって言ったよ。霊力操作だよ霊力操作!!」

 

「え? でも生斗君、それは君が一番上手いじゃないか。教官ももう教えることはなにもないって言ってたし」

 

「そうなんだが……おれは長所をとことん伸ばしたい質なんでな」

 

 

 出来ないことを無理にやろうとせず、まずは自分が得意とするものを伸ばせってよく聞くことだろ? おれはそういうのを実践していくスタイルだ。……いや、別に苦手分野が面倒で楽なのにいこうとしているわけではないよ?

 

 

「ほうほう、しかしそれだとアドバイスできることがかなり少なくなってくるな……ていうかどんな特訓をするんだ?」

 

「ああ、この前霊弾を打つ訓練をやっただろ? あれを短時間で大量に生成することと、霊弾の種類を増やそうかと」

 

「霊弾を一気に放出する? そんなことしたら直ぐに霊力がつきるぞ。結局は俺がやってるトレーニングと同じぐらいかそれ以上にキツいぞ?」

 

「まあ、別に楽して強くなろうなんて甘えた考えはしてないさ。

 あと霊弾の種類に関してはなんとも……取り敢えず霊弾作るときに練り方変えたりしてみる」

 

「成る程な……まあ、ともかくホールを借りて自主練するか!」

 

 

 そう小野塚の掛け声をいったあとおれらはホールに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~男子寮地下ホール~

 

 

「じゃあまず霊力を大量に出す練習からだな。最初に5個ずつ霊弾をあの的にだして20セット、つまり100個出すことにしよう」

 

「わかった」「うん」

 

 

 100個か……おれ的には一気に50個ずつだしていきたいんだけど小野塚はたぶんおれらの霊力量を考えて言ったんだろう。

 それなら従わない理由なんてない。

 

 

 

 

 

 ~5分後~

 

 

 き、キツい! なのにあと半分もあるだと?! 霊力はまだあるけど出すときに体力がこんなに要るとは……正直なめてた!くそう!

 

 

 ~さらに5分後~

 

 

「はあ、はぁ、ぜぇぇ……」

 

「はあ、はぁ、やっと終わったね……」

 

「お、お前ら……あと5分休んだら、またこれを、やる、ぞ」

 

 ええええ??小野塚さん。スパルタ過ぎるよ……

 

 

 

 

 結局このあと4回もやった。霊力はまだギリギリ残ってるけど体力がもう底を突き抜けて地獄まで到達していた。

 いやだってさ、1回目で肩で息していたのに、2回目以降なんて何度妥協しそうになったことか……

 もうこれぐらいやったんだからもうやめてもいいんじゃないか? とか。

 

 

「これは、俺がいつも、やって、るトレーニングよりも、キツいな」

 

「僕もう霊力が無くなったよ……一歩も動けない」

 

「ま、まあ、次は技術、練習だし、大丈夫、か……」

 

 

 疲れているのはおれだけでは無いようだ。トオルに至っては仰向けの状態で倒れながら、滝のように汗をかいてる。

 

 

 

 取り敢えず20分ほど休憩することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~20分後~

 

 

「もうここを使用できる時間が少なくなってきたしさっさと始めようか」

 

「そうだな」

 

「僕も参加したいけど霊力がもうないから見とくよ」

 

 

 よし、風呂の時間まで残り1時間。この間に新しい霊弾を作ってやる!!

 

 

「……まずはいつも霊力を練っている方向と逆にやってみるか」

 

 

 

 

 

 

 ~30分後~

 

 

「うん、全然見つからないな」

 

「俺もだ」

 

 くぅ、どうしようか。

 全然良い考えが思い浮かばない。

 

 今回の発見と言えば霊弾を伸ばすとレーザーみたいになるということだけだ。

 でもこんなの誰だって出来るしな……

 

 

「う~む、なにかないのだろうか……水、無理。火、無理。土、無理。雷、無理。そもそも形質変化はともかく性質変化はもう能力の域だし無理か…………」

 

 

 霊弾の性質はなんだろうか。 

 霊力の塊を飛ばして相手にダメージを与える。

 このとき、霊力を練ると攻撃力が上がる。練るときは霊力を小さな粒子だと考えて練るのがコツとか。

 

 

 うーん……いっそのこと霊力を大量の粒子に変化させて撃ってみるか?

 

 やってみる価値はあるな。

 

 

「よし……」

 

「ん、生斗。なにか分かったのか?」

 

「いや、試してみたい事が出来てな」

 

 

 まずは粒子のイメージをして大量に小さな玉を作り出す。

 

「うわ、なんかうじゃうじゃしてるぞ?」

 

「よし、これに膜を張って」

 

 

 この大量の粒子を閉じ込めるための膜を優しく包むように張る。もし膜より硬くすると威力が落ちるかもしれないからな。

 

 そして膜で包んだ粒子弾を先にある的に向かって撃つ。

 

 その弾が的に着弾すると____

 

 

    パサアアアァァ……

 

 

 膜が割れ、粒子が霧散した。

 

 

 …………ん?

 

 

「うーん、なんかユニークだが威力がないな」

 

「ちょっと待てよ……」

 

 

 今の霧散、見覚えがある。

 

 ____そうだ、爆発の時、あんな感じに散っていた。少し散るのが遅かったが、あんな感じに爆発していた。

 

 

 活路が開けた気がする!

 

 

「ん?、またやんのか?」

 

「小野塚、少し黙っててくれ」

 

「お、おう」

 

 

 もう1度粒子を作る。先程より少なめだ。

 それをさっきより少し硬めに作った膜で囲み、粒子を暴れるように動き回らせる。

 粒子を中で暴れさせ、膜に当たるごとに乱反射するように……

 

 

「うおお、なんだその霊弾、なんかめっちゃぼこぼこしてるぞ?!」

 

「……できた」

 

 

 小野塚がぼこぼこしていると言っているのは、恐らく、粒子が膜にぶつかっているからだろう。

 

 よし、これを的に向かって撃ってみるか。もしこれで霊弾より威力が高ければ、まあ()()成功と言ったところか。

 

 そんな呑気な事を考えつつおれはぼこぼこ弾を的に向かって撃つ。

 

 そしてそれが的に着弾すると____

 

 

     ドガアアアァァァァァァン!!!

 

 

 

 大爆発が起こり、的は跡形もなく消し飛んだ。

 

 

「……あれ?」

 

 

 ____なにこの威力?

 なんで的が消し飛んでんだ? あれ、鉄製だぞ。これまで幾度となく霊弾を耐えてきた的がなんで鉄屑になってんだよ……

 

 それほどまでにこのぼこぼこ弾の威力は高いというのか?

 

 

「すごい……」

 

「な、なんだこれは?!」

 

「お、おれもこんなにすごいとは思わなかった……」

 

 

 どういう理屈であんな爆発が起きたのかは知らないが、これは嬉しい誤算だ。

 これは必殺技レベルの技だ!

 

 

「こりゃ必殺技になるな! やったじゃねーか!! お前の必殺技ができたんだぜ!」

 

「そうだね! これは必殺技に名前をつけないとね! なんて名前にするの?」

 

 

 あら2人とも、自分のことのように喜んでくれてるじゃない。

 ありがたい限りだ。

 仕方ない。二人の要望に答えて、おれがナイスな名前をつけてやろう!

 

 

「そうだなぁ……ダイナマイトアルティメットボンバーストライクインパクト。ていうのは?」

 

「「却下」」

 

「ええ?!」

 

「ほんと……生斗君のネーミングセンスを疑うよ」

 

「確かに」

 

「酷い!?」

 

 

 なんか全面否定されたんだが……

 

 ま、まあこれでおれにも必殺技ができたわけだ。これで能力を持ってる奴に少なからず対抗ができるぞ!

 

 

 

 因みに技名は『爆散霊弾』になった。……そのまんまじゃねーか。



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14話 自己犠牲の精神

 

 ついに士官学校卒業まで残り1年(正確には半年)となった。

 

 

 おれのいる士官学校の卒業試験はかなり難関らしく、月に1度ある試験の合格基準に達していないと一発で留年となるらしい。

 留年になるとAクラスの場合他のクラスへと移動になるので留年者はクラスにいないが…… 

 

 もう5度もその試験が行われている。

 なんとか修行の成果もあり、どれも合格基準に達しているが今回は少し危ない。

 

 何故なら今日、卒業試験一番の山である『野外試験』があるからだ。

 

 その試験は3~4人1組の8組で編成され、片道50㎞ある一本道を往復する試験だ。

 これは運が必要でもある。運が良ければ妖怪や野獣と出くわさずに終える事が出来るが運が悪ければ妖怪の群れに出くわす事もある。

 一応、一本道の回りには試験官が配備されているが、敢えて素通りさせるらしい。 

 それでもし訓練生が危なくなったら助けに入るが、もし助けに入った場合その訓練生は失格、つまり留年になる。

 しかし、例外もある。その例外とは『大妖怪』のことだ。

 大妖怪は中級妖怪よりも何10倍も強く、兵士が束になっても勝てない。

 この国で勝てるのはあのゴリラとツクヨミ様くらいらしい。

 この国の中には即死武具があるらしいが、それはまだ開発段階でまだまだ不安定要素が多く、暴発する可能性が高いとのこと。完成するのは100年後だとか。

 だから武装した兵士が陣形を組んで挑んだとしても、それを一瞬にして崩す力を大妖怪は持っているので、出会ったらすかさず逃げなければならない。

 まあ、出会ったらそこでおしまいだけどな。

 

 ……話を戻そう。

 その例外である大妖怪が出た場合、試験官はただちに本部に連絡、訓練生達を速やかに国内へと避難させ、厳戒体制をとる。

 

 それほどまでに大妖怪とは恐ろしい存在だということだ。

 

 まあ、遭遇する確率は5%にも満たないと言われているし、たぶん大丈夫だろう。

 

 

 

「んーと、あ、俺は生斗と同じ1班か」

 

「お、これは心強い」

 

 

 そして現在、Aクラスの皆は国を覆う壁の外へと出ていた。

 もうすぐ試験が始まる。

 班決めは試験当日に発表させ、今知ることができた。

 

 おれはついてるぞ。Aクラス総合成績2位の小野塚(兄)と一緒の班なんて!

 ん? おれのクラスの順位はなんだって?

 9位ですよ。なんだ、なんか文句あんのか? 霊力操作と剣術は1、2位を争う成績だが、どうしても筆記が足をひっぱって微妙な成績になってる。いやでもおれなんかが上位陣にいることは奇跡に近いことだ。そんな順位につけている自分をおれは誉め称えたい。

 

 

「じゃあ取り敢えずあと二人の所に行ってリーダーを決めないとな」

 

「いやいや、リーダーて。小野塚に決まってるだろ」

 

 

 

 とはいったもののもしかしたらあとの二人が小野塚を認めてない可能性もあるからと、一応聞きにいった。

 ああ、早く終わらせて永琳さんかツクヨミ様の家で寛ぎたいな……

 あ、言うのを忘れていたが、学校の休みは大抵永琳さんかツクヨミ様の家に行ってる。永琳さんは兎も角、何故ツクヨミ様の家に行ってるのか。理由は簡単、居心地が良いからだ。特にあの神聖な感じがいい。前までは威圧感があってリラックスなんて全くできないと思っていたが、いざ慣れれば威圧感なんてどうってことはない。

 たまにツクヨミ様からお叱りを受ける以外は居心地は最高な空間だ。

 

 

 ……と、今こんなこと考えている場合ではないな。試験に集中しなければ。

 

 

 

 

「よし、それじゃあこの試験の最終確認をするぞ。

 まず一本道の折り返し地点にある証明バッチを確保してもう一つのルートの一本道を通り、今ここにいる地点まで戻る。

 もし、途中で妖怪に遭遇した場合は各自速やかに排除、そして自分達では対処しきれない大妖怪が現れた場合は戦闘は避け、予め渡させた通信機で教官に連絡した後、直ちに撤退する事。_____これくらいだな」

 

 

 結局リーダーは小野塚がする事になった。まあ、妥当だろうな。

 今は試験の最終確認中だ。

 

 

「小野塚、もうすぐ教官の話が始まるぞ」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 おれらは1班なので一番最初に外に出ることになっている。

 1班30分ごとに出発するようになっているのでそうそう他の班と会うことはない。だからもし妖怪と出くわしても班員でなんとかするしかない。

 まあ、おれともう二人はともかく小野塚の能力を使えば仲間ぐらい簡単に呼べるんだけどな……

 

 

「それでは、試験を開始する前に、今回、試験の監督官であられる綿月総隊長からの激励を頂く」

 

 

 そう言って、即席で作られた壇上の上にゴリラが立つ。

 この試験は大変危険なため、この国でも屈指の実力者が見張りをする。

 前回は永琳さんが監督官をしたとか。

 

 なので、もし訓練生が大妖怪に出くわしても、少しの間時間を稼いでもらえれば助けに来てもらえるということだ。

 監督官は予め中間地点でスタンバってるらしいからな。

 

 

「んー、ごほん。私から言えることは1つだけだ。

 君達がこれまでの3年間、培ってきた技術を遺憾無く発揮し、ここまで戻ってくることを祈っている。それだけだ、以上!」

 

「「「はい!」」」」

 

 

 

 なんともまあ、ベタな事を言うもんだ。

 でも、あの化物ゴリラがバックでいてくれるならもし大妖怪に遭っても安心だ。

 心置きなく試験に集中できる。

 

 

「それでは、第1班、配置につけ!」

 

 

 そしてついに試験が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~30分後~

 

 

「妖怪って案外少ないんだな」

 

「油断は禁物だ、慎重に行こう」

 

 

 今のところ、妖怪を発見及び排除したのは2匹。

 どちらも虫のような妖怪だった。

 おれ自体実物の妖怪を見るのは初めてだったが、レプリカの妖怪やら映像で見てきたということで慣れていたので、問題なく倒していく。

 

 どうやらこの試験は意図的に試験官が妖怪を呼び寄せてくるようだ。この事は試験内容に記されていなかった。

 やはり楽にこの試験を突破はさせてくれないということだ。

 たまに妖怪を呼び寄せるための笛の音が聞こえてくる。

 恐らく、あの音でこの一本道に誘き出すように仕向けているのだろう。

 

 

「この調子なら楽勝ね!」

 

 

 と、班員の一人である女子が言う。

 だめだな、調子に乗り始めている。

 

 

「おいおい、フラグ立てるようなことを言うなよ……」

 

 

 もう一人の班員の男子が女子の発言を咎める。

 何故かこの班、男子率が多いんだよなぁ……

 はあ、女子と二人だけの班がよかった……数的に二人は無理だけどな。

 

 ……っていかんな。おれもこの試験を楽観視し始めている。

 そんな事を思っているとろくなことが起きないんだ。考えないようにしよう。

 

 

「よし、中間地点まであと半分だ!気を引き締めて行くぞ!」

 

 

 お、半分って事はもう25㎞も走ったのか。

 まあ、それもそうか。霊力で足を強化してから体力を持たせるような走り方でも十分に速い。

 それに体力自体も毎日走らされていたんだから嫌でもついてるし。

 

 

 

   ピイィィィ~

 

 

「またあの笛か。おい皆、妖怪の接近に注意しろ!」

 

 

 くそ、また試験官のやつが誘きだしてきたか。

 もし中級妖怪が現れたら手こずる可能性が高い。

 できれば雑魚妖怪が来てくれればいいが……

 

 

 

   ボキイイィィィィィィ!!!!

 

 

「きゃっ!」

 

「うわ!? なんだ?」

 

 

 笛が鳴った数秒後、木がへし折れたかのような轟音が辺りに鳴り響いた。

 

 

「何が起き____!」

 

 

 ……やばい、今とてつもなく嫌な悪寒がした。なんだ、何でだ。何のことか分からないのに手が震え、身体中から汗が出てくる。

 

 

「お前ら、走るのを一旦止めてくれ」

 

「え、なんだ生斗。何かあるのか?」

 

「い、嫌な予感がするんだ」

 

 

 来る。速くはないが歩いて此方に近づいてくる。おれの中にある危機察知センサーが大音量で危険を知らせ、逃げろと警報を鳴らしている。

 

 そんな警報なんか聞かなくても禍々しい何かが、おれ達に向かって歩いてきているのが分かる!

 

 

「おい小野塚、お前通信機持ってたよな。今すぐ本部に連絡してくれ」

 

「は?! 生斗お前、連絡してしまったら俺ら留年になるんだぞ!」

 

「いいから早くしろ! でないと手遅れになる!」

 

 

 そう言いながらおれは小野塚の腰に掛けてある通信機に手を伸ばす。

 しかし____

 

 

「駄目よ!私はこの試験、落ちるわけにはいかないの!」

 

 

 と、おれが取ろうとしていたのを察知した女子が、通信機を横取りする。なんだ、こいつら向かってくる禍々しい何かを察知できていないのか?

 

 

「おい、早くそれを渡せ」

 

「駄目っていってるでしょ! 落ちたらあんた、責任とってくれんの?」

 

「死人が出るよりかはましだ!」

 

 

 やばいやばい! 早く連絡しないと本当に手遅れになる!

 

 

「いいから早くそれを渡____」

 

 

 焦ったおれは無理矢理、女子の持つ通信機を奪い取ろうとした。

 

 取ろうとした。取ろうと。

 

 

 しかし、取ることは叶わなかった。

 目の前にいた女子の周りに、一瞬眩い光が通過した後、その場にいた筈の女子の姿が跡形もなくなっていたからだ。

 

 

「え?」

 

 

 え、え? 今、何が起こったんだ?

 状況が上手く読み取れずおれは辺りを見回してみる。

 すると、女子が立っていた位置から先が何かが通った跡があり、その先にある木々が大きく抉り取られていたことが目視できた。

 

 

「おっほ~、我ながら俺様の妖弾は威力が高いなぁ~」

 

 

 聞き覚えのない声が静まったこの空間に聞こえる。

 今の声でわかった。

 今この場から消えた女子は、跡形も残さず死んだ。

 

 

 …………悪寒の根元はあいつか。

 

 

「小野塚……」

 

「ああ、どうやら俺らは詰んだ状況にいるらしい。

 生斗、すまん。あのとき俺が躊躇わなければまだましな結果になるはずだったのに……」

 

「過ぎたことだ。それにどうせ追い付かれていたしな」

 

 

 そんな会話をしつつ、おれは声の主の方へ顔を向ける。

 そこには禍々しいオーラを隠しもせずに放つ大男が、片手で試験官らしき頭部を持った状態で立っていた。

 上半身裸でズボンは所々破けており、局部を隠しているので精一杯であった。つまりほぼ全裸。パンツ一丁と言っても過言ではない。

 しかし、胸板等に森林のように生える体毛によりほんとに裸か? 毛の服でもきてんじゃないのか? ていうぐらい毛がそこらじゅうに生えている。

 あと一番の特徴はやはり頭に生えている2本角。あれだけでこいつが人間じゃないということがわかる。

 肌の色もなんか赤いし、耳も尖っている。

 人型の妖怪は初めてみるな……

 

 

 

 さて、どうしようか。此方の通信手段は途絶えた。

 頼みの試験官も、現在アンパン○ンが新しい顔を交換されたあとの古い顔と同じになっている。

 ていうかあんまりあれは見るもんじゃない。精神的にきつい。

 

 

 

「くくく、なんか耳障りな音がするもんで来てみればなぁ~。

 たまには山を下りてみるもんだぜ!」 

 

 

 はいはい、つまりアンパン○ンの古い顔のせいなんですね、分かります。

 くそ、なんてタイミングの悪い!

 

 

 …………いや、でもまて。ここから本部か中間地点までどちらも25㎞、もし呼べたとしても結局時間がかかる。

 あ、最初から詰んでたんだな、おれら。

 あのオーラは間違いなく大妖怪に匹敵するものだろう。

 これまで妖怪なんて見たことなかったが、あのゴリラと同じような気迫を感じる。

 おれの予想は間違っていない、と思う。

 

 

「ここはもう、駄目元で逃げるしか……」

 

「うわああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 と、急に喚き声をあげながら男子が妖怪と反対の方向へと一目散に逃げていく。

 

 

「くっ……!」

 

 

 ずるをされたような感じだったが、おれも男子に続いて妖怪の方と反対に逃げようとした。

 

 

 

 ____が、それは瞬時に止められた。

 

 

 ……もし、おれらが逃げたら後の班の奴らはどうなる?

 

 おそらく……いや、十中八九巻き添えを食らう。

 

 おれらはどうせもう逃げられない。

 おれには特殊能力はないし、今一心不乱に逃げてる男子も口から火を吹くぐらいだ。

 辛うじて小野塚は逃げられる。

 

 ……小野塚の能力はほぼ瞬間移動だ。それを使えば……使えば…………あ、そうだ!

 

 

 

「小野塚、お前、中間地点にいる綿月隊長を呼んできてくれ」

 

「は? どうやって……って俺の能力でか。最近使って無かったから忘れかけてたな」

 

 

 小野塚の『交換する程度』の能力で射程距離ギリギリで転移し続ければ、すぐに着くことができるだろう。

 そして中間地点でスタンバってる綿月隊長に応援を要請すればすぐに駆けつけてくれるはず。

 あのゴリラの事だ。3~5分以内にはここまで来ることができるだろう。

 その3~5分の足止めさえ出来れば、おれらは助かる()()()()()()

 小野塚が応援要請するまでを考えるともう少しかかるか。

 

 いや、大妖怪相手に3~5分なんて時間を稼げるだろうか? もう一人の男子は戦意喪失、敵前逃亡をはかっている。

 それが悪いとは言わない。だって既に仲間が一人殺させてるもんな。

 

 でもだからこそ、これ以上被害を出すわけにはいかない。

 おれまで逃げたら、後に来るやつらにまで被害が出る。

 

 足の震えは止まらないが、やるしかないよな。

 

 

 

「おれがここであの化物を食い止めるから早く行け」

 

「はあ?! おまっ、なにいって……」

 

「お前にはわかるだろ。こうするしかないって」

 

 

 賢明な小野塚ならわかるはずだ。おれより成績優秀なんだから。

 

「あ!」

 

 

どうやら気づいたようだ。

 

 

「……お、おい、確かにそのやり方が一番被害が出ない。

 しかしお前が____」

 

 

「なあ、小僧ども。もうそろそろ動いてもいいか?」

 

 

 と、小野塚がなにか言いそうになっているところで、それを律儀にずっと待っていてくれた妖怪さんが苛立ちを押さえながら話しかけてきた。

 

 

「もう猶予はないぞ。早く行け」

 

「くっ……生斗、本当にすまない。どうか生き残ってくれ」

 

 

 そういって小野塚は姿を消した。

 小野塚の立っていた位置には先程まで無かった一本の小枝が落ちている。

 これと自分を交換したのか…

 

 

「あーあ、二人も逃げちまったか。んで、お前さんは逃げないのか?」

 

「……逃げられないんだよ。ていうか何故追わない? お前ぐらいの実力者なら今から追って殺すのも簡単だろ」

 

 

 実力者って言ってもまだ少ししか見れていないけどな。

 

 

「ん? そりゃあ俺様も腹が減っていたら逃げたやつらを追うさ」

 

「ふぅん。因みに先程まで何の食事を?」

 

「こいつの身体」

 

 

 と、右手に持っていた試験官の顔を見せてくる。

 ……気持ち悪っ! せめて全部食ってやれよ!

 

 

「俺様は少食だからなー。一匹食べたら満足しちまうんだ」

 

「へぇ、それでは森へおかえりいただけると私としては嬉しいです」

 

「おいおい、食後の運動はしないと駄目だろ?」

 

 

 

 あらそう? おれなんて飯食ったらそのまま布団でぐーたらなんだけど……

 ていうか戦うことは避けられそうにないな。完全に彼方はやる気モードに入ってる。

 

 

「んじゃ、それに付き合ってあげましょうかね。それじゃあ最後に。

 さっきの質問と同じだ。なんであの二人を逃がした? 食後の運動なら皆とやった方がいいんじゃないか?」

 

「ありゃあ駄目だ。敵前逃亡するやつなんて運動にすらならない。

 ま、でもお前をぶっ殺したら追いかけていたぶってやるがな!」

 

「ああ、そうですか。そりゃあ物騒なことで」

 

 

 どうやら後回しにしてくれるらしい。

 願ったり叶ったりだ。

 

 

「なあ、もう攻めてもいいか? さっきから動きたくてウズウズしてんだよ」

 

 

 そう言って妖怪は手に持っていた生首を茂みの方に放り投げる。

 

 

「おっと待たせてしまってたか。どうぞご自由に」

 

 

 軽口の時間稼ぎももう限界か。

 まあいい、これでも中々稼げた筈だ。

 でも怖いな、大妖怪がおれに向かって来るんだぞ。手のひらの汗も、足の震えも止まらない。

 

 ここでテンパっては駄目だ。これまで苦労して身に付けてきた技術が無駄になる。

 これまでの全てをぶつけるつもりで挑めばいいんだ。

 

 ……て、いつものおれじゃないな。

 いつも通りやりゃあいいんだ。

 相手を欺ければ及第点。それで勝てれば花丸百点だ!

 

 

「よっしゃあ、いくぜー!」

 

 

 と、準備運動で屈伸をしていた妖怪が言う。

 

 はあ、痛いのは嫌だが、おれがやるしかないんだ。

 我慢してやろう。

 あ、帰ったらあの逃げた男子に飯奢らせてやる。

 

 

 

「!!」

 

 

 そしてついに妖怪が此方に向かって攻撃を仕掛けてきた。

 妖怪は攻撃の射程距離におれが入るように肉薄してくる。

 想像しているのより遥かに速い!

 

 

「おらぁ!!!」 

 

「うぐっ……!」

 

 

 あっという間におれの間合いに入ってきた妖怪は攻撃してくる。

 それをギリギリで霊力障壁を使って防御。障壁は無惨に割れたが、威力を抑えることに成功し、腕で受け止めることができた。

 危ない……あいつの腕が一瞬消えたかと思ったぞ……

 

 

「ほう、今のを凌ぐか。ま、今のは軽いジャブ程度だがな!」

 

 

 そうか、だから速いのか。

 ジャブは威力を殺す代わりに物凄く速く、格闘技では最速の技って言われているらしいからな…………ってジャブで障壁ぶっ壊れてたんですけど? 威力馬鹿みたいに高いじゃないか。あんなの、1発でも食らったら、その部位吹き飛ぶだろうな。

 

 

「でもお前、いつまでも俺様の手を掴んでいて…………ちっ!」

 

 

     ドガアアアァァァン

 

 

「くそ、避けられたか」

 

 

 何か妖怪が言いかけていたがお構いなしに必殺技の爆散霊弾を撃ち込んだ。

 それを察知した妖怪は強引におれの手を振り払い、後ろに回避し、爆散霊弾の着弾を避ける。

 そのお陰で霊弾は地面に着弾し、爆発。地面にクレーターを作るだけに留まった。

 

 ……先手必勝だと思ったんだが。でも奴が避けたってことは、この技は有効だってことは分かったな。もう使わないが。

 あ、因みに爆散霊弾の生成は初期に比べてかなり早くできるようになっている。

 大体1秒で1つのペースぐらいか。だから接近戦にはあまり役に立たない。

 接近戦では0.~の世界だからな。そんなところで爆散霊弾なんて生成してたらぼこぼこにされる。

 それに近くで着弾するとおれにまで被害が出る。

 今回は大妖怪相手だからダメージ覚悟でやったというのに避けられるし、おれの近くで爆発したから爆風で飛んできた石が腕やら腹やらに当たって痛いし。

 今回は完全にやり損だ。相手に拘束を解かれつつ、おれにだけ爆風によるダメージを負った。

 

 あまり爆散霊弾を多発するのは避けた方がいいな。

 はっきりいって今生成できたのも妖怪が油断して隙を作ってくれたから出来たわけだし。

 

 

 

「中々面白いじゃねーか。食後の運動にはもってこいだな!」 

 

 

 ふむふむ、今のを見て怖じけつかないか。

 着弾した跡のクレーターは決して小さいものではないのに。

 

 

「ま、お前はもうその技を使えねぇ。いや、使う暇を与えねぇ」

 

 

 そんなの分かってる。おれだって使うのは避ける。

 それにもう、爆散霊弾の役目は完了したようなもんだ。

 今の爆音で近くにいる奴らに危険を知らせることも出来たからな。

 

 

「よっしゃ、気を取り直すぜ!」

 

 

 そう言ってまたもや此方に向かって突進してくる。

 

 おれはそれに反応し、霊力剣を生成。迎え撃つ構えをとる。

 

 

「ふんっ!」

 

「なに?!」

 

 

 おれとの距離が10メートルを切った辺りで、妖怪は地面を抉るように殴った。

 すると、その抉り飛ばされた地面は殴るられたことにより、瞬時に軟らかい土となり、飛ばされた先にいるおれに向かってくる。

 

 目潰しか!

 そう判断したおれは、土がかからないように霊力障壁を展開、土自体には攻撃力など皆無なのでぶつかった後、地面に落ちていく。

 

 

「え?」

 

 

 しかし土がぶつかってきたことによりほんの少しの間、前が見えなくなっていた。

 それを逃さなかった妖怪は、姿を眩まし、土が落ちきる頃には完全に見失ってしまった。

 

 

「(くっ、何処だ…………!?)」

 

 

 このとき、おれの経験が役に立った。

 小野塚の事の組手でよく瞬間移動で後ろに立たれ、不意を突かれていた。

 もしかしたらあの妖怪も……と。

 そう考えた瞬間、おれは横に転がるように避けた。

 

 その後1秒も経たないうちに、特大霊弾がおれの真横を横切った。

 

 これは、さっき女子を跡形もなく消した……

 

 

「ああくそ、あと少しだったのになぁ」

 

 

 

 よ、よかった……もし小野塚と組手の訓練をしていなかったらおれも消し炭になっていたかもしれない……

 

 勿論、今特大霊弾(妖怪だから妖弾か)を出したのは、おれの斜め後ろにいる妖怪だ。

 へらへらと笑いながら此方を見ている。

 

 

「まるで玩具をみているような目だな」

 

「ん、玩具じゃないのか?」

 

「お前がそう思っているのならおれは玩具でいい。ただ、取扱説明書を見ないと怪我するぞ」

 

 

 そう言いながら立ち上がる。くそ、転がったから砂が大量についてやがる。

 

 

「へぇ、そりゃ是非見てみたいもん……だな!」

 

 

 砂を落とす暇もなく、妖怪はおれの足めがけて蹴りを入れようとして来る。

 まずは機動力無くしに来たか。

 

 

「ほっ!」

 

 

 先程より遅かったお陰で跳躍することにより下段蹴りを回避。妖怪の蹴りはブオン! と音を鳴らしながら空を切った。

 おれは跳躍したまま飛び、妖怪との距離をあける。

 

 ふむ、やはり何度見ても凄まじいな。1度食らったらそれでゲームオーバーになりそうだ。とんだ無理ゲーかよ。

 

 

「へへ、折角攻撃のチャンスをやったってのにスルーかよ」

 

「は?」

 

 

「俺様がお前の足を蹴るとき、かなり隙があっただろ。それに速度も遅めてやった。

 なのにお前はそれをスルーした。この意味が分かるか?」

 

「? どういう意味だ」

 

「お前は二流だっていってんだよ。一流ってのは常に相手の隙を見て攻撃する。

 お前はただ避けることばかりを考え、俺様の隙を突こうという気がない。試してみて正解だったな」 

 

「んーとつまり、攻撃のチャンスをみすみす逃すようなやつは馬鹿で経験不足って言いたいのか?」

 

「そうだ」

 

 

 そうか……まあおれはこれまで自分のことを一流だなんて自惚れたことはないからいいんだけど。

 でも面と言われると来るものがあるよな。ちょっといらっとした。

 

 

「で、お前は何が言いたいんだ?」

 

「戦闘経験の不足している奴と戦ってもあまり楽しくないんだよなぁ。此方にダメージがないと戦ってるって気にならない」

 

「……つまり?」

 

「お前を今すぐ殺して、次の獲物を探しに行く」  

 

 

 へえ、つまりさっきとやることは変わらないって事ですね。

 いや、変わるか。さっきまで相手は追撃をしてこなかった。

 もしされていたらとっくにおれは死んでいたかもしれない。

 しかしこいつの言い草ならおそらく、次からは追撃も加えてくる。

 ……やばいな。

 

 

「……」シュン!

 

 

 改めて身を引き締めていると妖怪の姿がぶれ、そして消えた。

 

 くそ、あいつの移動速度が速すぎて目が追い付かない。

 

 

 

「んぐっ!?」

 

 

 霊力剣を前に構えていると、横腹に衝撃が走った。

 その瞬間おれは吹き飛ばされ、宙に浮く。あ、これゴリラと戦ったときと同じ感覚___

 

 

「死ね!」 

 

 

 その吹き飛ばされている最中、突如として現れた妖怪が、右腕をおれに向かって振り下ろそうとしていた。

 

 

「~~ー!!?」

 

 

     ドゴオォォォォン!

 

 

 

 そしてついに振り下ろされた拳はおれの鳩尾に綺麗に命中し、地面に叩きつけられる。

 自分でも驚くほどの声にならない悲鳴がおれの口から発せられた。

 

 

「ぐ……かはっ」

 

 

 一撃目はもろに食らった。が、痛みはしない。

 だが、二撃目はだめだ。咄嗟に霊力で防御してもあっさりと貫かれ、おれの鳩尾まで到達した。

 おそらく、おれの内蔵は今スクラップ状態だろう。

 身体の中にある空気が全て吐き出した感覚に陥る。

 

 

「あ……あ、……」

 

 

 声すらでない。横腹から暖かいものが溢れてくる。

 

 

 こりゃ駄目だ、死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 こんなにもあっさりなのか。

 これまで、強くなろうとする努力はしてきた。何度も霊力が枯渇するまで自主練した。体力だってきついのを耐えながら頑張ってつけてきた。

 

 その結果が、これだなんて……

 これまでの努力が、あの妖怪の食後の運動ごときの為に終わっていいのか。

 そんな筈ない。折角転生して、新しい人生をやり直すことができたのに、こんな終わり方なんて嫌だ……

 せめてあいつに……あのデカブツに一泡吹かせてやる!

 こんなところで、ただただ死を待って無駄死にするぐらいなら、少しでもこいつに傷を与えて、後に戦う奴らの負担を軽くしてやる!

 

 

「はぁ……ふぅ……は……」

 

「お、立ったのか? 結構全力で殴ったんだがなぁ」

 

 

 勿論効いた。効きすぎた。今だって呼吸がままならない。

 だが、受けた直後に比べれば多少はできる。

 

 受けた瞬間が異常だったのだ。今はどれも少し安定してきた。

 やはり100%の霊力で腹を防御したのは正解だったか。

 何故か今は、痛みはない。立ったときにみたが横腹から大量に出血している。

 もう、おれは長くないんだろう。

 そう思わせるのには十分な量の血が溢れていた。

 

 でも今はそれでいい。痛くないのなら、それを利用してやる。

 

 

「何故倒れない? その血の量、立つのがやっとだろう」

 

 

 返事はしない。できない。

 まだ正常に呼吸が出来ていないからだ。

 

 

「まあいい。その戦いによる信念、敬意に称する。

 次は楽に死ねるように一撃で終わらせてやるぜ」

 

 

 来い。おれは今、そっちに行けるまでの体力は残っていない。

 今有り余ってんのは、霊力と、お前に一泡吹かせてやるという意思だけだ。

 

 

「はあ……はひゅ……!」

 

 

 そしておれは今ある霊力の半分で霊力弾を生成した。

 

 

 

「ふっ、それがさっきの爆発する弾だったら恐ろしかったが、それ、ただの通常弾だろ? そんなの、何発受けようが痛くないぜ?」

 

 

 いいから早く来い。こっちは今にも意識が飛びそうなんだよ。

 

 

「くくく、雑魚だが面白い。このゲーム、乗ってやる。馬鹿正直に真っ正面から、そのみみっちい弾を全て避けてお前に止めを刺しにいってやるよ!」

 

 

 どうやら乗ってくれるらしい。避けてくれるなんてありがたい。

 そのまま突撃されてたらほんとに詰んでた。

 

 

 そしておれは先に弾幕を妖怪に向かって放つ。先に動かれたら予定がずれるからだ。

 

 

 ちょっと遅れて走り出した妖怪。

 そのスピードは凄まじく霊弾を一つ一つ避けながら確実に近づいてくる。

 身のこなし方が上手い。流石は大妖怪だ。

 

 

「は、は、……」

 

 

 やばい、霊弾を1個1個出していくごとに意識が遠退いていく感覚がする。

 いや、強く保て。最後にお見舞いしてやるんだろ。

 そう自分に言い聞かせ、意識を保つ。

 

 

「はあ、穴だらけだなぁ! こんなの目を瞑っても避けられるぜ!」

 

 

 なら目を瞑って避けろや。と、心の中でつっこむ。

 どうやらつっこむぐらいの気力は残ってくれているらしい。

 

 確かにおれの弾幕は穴だらけだ。 

 

 

「ほら、もうすぐついちまうぞ?」

 

 

 霊力も残り少なくなってきた。

 くそ、あんなに弾幕の練習したのにもう切れるのか。少し乱発しすぎたな。

 だが、もういい。あいつが乗ってくれているのは悪いが、回避不可の弾幕を張らせてもらおう。

 

 

「なに!」

 

 

 急に目の前に蟻一匹も通れない弾幕を張ったことに妖怪は驚いた。……が。

 

 

「反則だぞ!」バアァン!

 

 

 拳を一振りさせただけで、妖怪の周りの弾幕は消し飛ぶ。

 

 

「あーあ、興が冷めた。俺ぁルールを守らない奴が大っ嫌いなんだよ」

 

 

 怒らせてしまったか。まあ、無理もない。

 それに怒らせた方がこちらとしては都合がいい。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 そのまま霊弾が当たるのをお構いなしに突っ込んでくる妖怪。

 ああ、来るか。もうじきおれは死ぬのか。

 なんか2度目だからあまり恐怖とかはないな。

 まあ、今回は前のような無駄死にって訳じゃないしいいか。

 

 

 

 

 

 そしてついに、妖怪はおれの元まで来て________

 

 

 

「消えろ雑魚が!」

 

 

 蹴りをかましてきた。

 これを食らえば、おれは間違いなく死ぬ。

 

 

 

 ありがとうございます、これを待ってました。

 

 

「……!?」

 

 

 待っていた。相手がおれの側まで来てくれることに。そしてこいつが、周りを確認せずに攻撃しに来ることに。

 

 

 

 

 おれは、妖怪の足がおれの頭部に到達した瞬間、地面に生成しておいた大量の爆散霊弾を爆発させた。

 

 

 

 



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15話 過ぎたタイミング

 

 

 おれはこの世界にきてから1年に1回は必ず見る夢がある。その内容はというと、はっきり言ってなにもない。

 その夢を最初に見たのはこの世界に来て最初に寝た日だ。

 ただ真っ黒な空間に自分がいて、その真っ黒な空間の唯一の明かりとして蝋燭が3本ある、ただそれだけ。

 それ以上のことは何もなく、いつの間にか目が覚める。それが2年目にも同じように見た。

 変化があったのは3年目、蝋燭が1本増えて合計4本になっていた。

 そして4年目、この夢をつい先週にみた。でも蝋燭は増えることもなく4本のまま。

 なんでそんな意味のわからない夢の話をしているのかと言うと、今、絶賛その夢をみているからだ。

 

 なんで死んだのに夢なんか見てるんだろうね、不思議だ。

 そしてなぜか蝋燭の数が1本減って3本になってるし。……なんでだろうか。

 もしかしておれが死んだからか?

 ぼこぼこにやられて、最後は爆散霊弾で自爆だもん。

 逆に死んでいない方がおかしい。

 もしそれが理由で減ったのなら、後の3本はどう説明する?

 死んだら蝋燭が1本減るってことはもう3本消すには後3回死ななければいけなくなる。

 いや、人生そんなにあってたまるか。馬鹿か。

 もしそれならおれの命はと3個あることになるぞ。

 

 ……いや、でも確かにあの神が言ってたゴキブリみたいにしぶとく生きられる能力を与えたって言ってたのにも、なぜか死んだのに夢を見ているってのにも辻褄があう。

 いや、でもそれは流石に……そうなるとおれ、命複数持ってたって言う事になる。

 あ、もし今のおれの推理があっているのならまだおれは死んでいないことになるな。

 

 

『ご名答~、その通りじゃよー』

 

 

 むっ、この声はここの世界におれを送り込んだ張本人ではないですか。

 なんでおれの夢にでてきてんだよ……

 

 

『本当はいつでも会話とかは出来るんじゃがの。直接脳内に語りかけておる。

 でもこれ、中々脳に負担がかかるから多用は出来ないんじゃよ』

 

 

 聞いてもないことまで教えてくれるなんてご苦労様です。

 おれからは絶対に語りかけないけどね。

 

 

『まあ、わしも滅多には語りかけんから安心せい。

 あ、あとさっきの君の考察、大体はあっておるぞ。』

 

 

 ま、まじかよ。本当におれの命、複数あんのか……

 ……って事はあのとき、刺し違える覚悟はあんまり意味なかってことかなのか!?

 

 

『ぶっちゃけ、その通りじゃな。わしも見ておったが、君が一泡ふかせてやる! って死ぬ覚悟をしていたのを見て腹を抱えておったわ』

 

 

 おいこら神、人の覚悟を笑うもんじゃないよ。

 

 

『まあ、君の考察に着色するなら、蝋燭の増える条件じゃな』

 

 あ、そういえばなんですか? 増える条件って。

 

 

『それは5年に1度じゃな。あと上限は10』

 

 

 え、でも前に増えた時は3年目だったんですけど。

 

 

『それは前世の続きから始めたからの、3年目で君は何歳になった?』

 

 

 あ、20歳ですね、立派な成人男性だ。今は21歳だけど。

 

 

『そうじゃ。この世界にきて、サービスとして17年分の歳を取らせて転生させたからの』

 

 

 え、なんでそんなことを?

 

 

『なんじゃ? 前の身体のまま転生したかったのか? 首が逝ってるあの状態で』

 

 

 いや、まあありがたいんですけど……

 

 

『ま、歳を取らせたからと言って君の肉体が衰えるってことはないがの』

 

 

 そうなんですか?

 

 

『ああ、能力の恩恵での。それに寿命がないときた』

 

 

 そ、そんなオマケもついてたのか! めっちゃ良いじゃないですか! ……でもそれって戦闘向きじゃないですよね。

 

 

『まあ、確かにこの能力は普段の戦闘には使えんが、ある裏技があってな。それをするととてもない力を手にすることもできるのじゃ。君がいつも化物ゴリラと思っている綿月隊長とやらや、君を殺したあの鬼が束になっても倒せないような強さになることもできるんじゃよ』

 

 

 え、あの妖怪って鬼だったんですか……

 ……ってそれよりもそんなに強くなれるんですか!!おれの能力!

 

 

『使い方次第じゃがの』

 

 

 ほうほう、これは凄く良いことを聞いた。

 あ、そういえばおれってまだ生きてるんですよね?

 

 

『ん? ああ、もちろん』

 

 

 それじゃあこの夢から覚めたら生き返ってるってことですか?

 

 

『まあ、そういうことになるな。生き返る時、死ぬ前に負った傷とかは全部リセットされているから安心せい。あ、服もサービスで直しておくから』

 

 

 ありがとうございます。

 それじゃあ戻りますか。皆に心配させるわけにはいかないし。

 

 

『おおそうか……あ、ちょっと待ちなさい。生き返る前に今の状況を見ておいてやる』

 

 

 いや、もう戻るから良いですよ。ねえ、神?

 

 

『…………うわぁ……』

 

 

 え、なに神? なんで今小声で引くような声をあげたの?おれに不安を与えようとしてきているんですか?

 

 

『……早く戻ってあげなさい、それじゃあ』

 

 

 え、ちょっ、教えて……

 

 

 と、急に頭が朦朧としてきた。夢から覚めるのだろうか。

 ていうかなんで神、教えてくれないんだろうか……

 

 

『あ、そうそう。君の能力の名前は『生を増やす程度の能力』だから』

 

 

 え、そのままじゃね? ていうか今言うことかよ……

 

 そう愚痴を溢しながらおれは意識を覚醒させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ーーー

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 意識が覚醒すると薄暗い森の中にいた。

 んーと、確か死ぬ前一本道にいた気がするんだけど……

 もしかしてあのときの爆風でおれ、吹き飛ばされたのか?

 

 

「ぐすっ……うぅ……」

 

 

 そんな考察をしていると、あまり遠くない所で啜り泣く声が聞こえてきた。

 え、なに? いきなり幽霊とか出てくるのか? 来るなら来い、相手になってやる。

 取り敢えず出てきた瞬間爆散霊弾を顔面にぶっ放すか。

 

 そう思いつつ、ゆっくりと啜り泣く声のする方へと近づいてみる。

 すると_____

 

 

「熊口さん……なんで……」

 

 

 依姫さんがどでかいクレーター(と言っても半径5メートルぐらい)の真ん中で泣いていました。

 お、あまり一本道からは離れていなかったのか。

 

 それよりも依姫、なんで泣いているのだろうか……

 

 あ、よく見たらクレーターの端の方にゴリラと小野塚がいる。何故か二人とも暗そうな顔をしているな。

 ていうかゴリラの下になんか肉塊が転がってんだけど……まさかあの鬼ってことはないよな?

 

 

「依姫、悲しむのは分かるがもう戻ろう。」

 

「父上! 何故そう冷静でいられるのですか! 大切な仲間を失ったのですよ!」

 

「ああ、○○隊員、△△訓練生、そして熊口君は大切な仲間だ。特に熊口君は己を犠牲にしてまで、お前らを守り、戦い抜き、大妖怪に致命傷を与えた」

 

「それなら! ____」

 

 

「だからこそ、ここでくよくよしておく訳にはいかんのだ。もうすぐ夜が来る。夜は妖怪の時間。我々がここにいるとどんどん妖怪が群がってくる。そうなったらいくら私でもお前らを守りきれる自信がない。

 折角熊口君に救ってもらった命だ。それを無下にして、ここに残っておく方が、彼には報われないんじゃないのか?」

 

「それでも、父上がそんなに冷静でいられるのか理解できません……熊口さんは大事な仲間でもあり、親友でした。それなら、せめてここに残り、彼の亡骸、せめて遺品だけでも集めた方が、私は報われると思います」

 

 

 え、なに、なにが起こってんの? 急に親子喧嘩みたいのが勃発しだしたんだが……あと依姫、亡骸もなにもおれ、ここにいますよ? 亡骸ではなく生骸がここにありますよ?

 

 

「それは翌朝、捜索をする」

 

「その間に妖怪に持ち拐われたらどうするんですか!」

 

「依姫! 綿月隊長の言う通りだ! 一旦戻ろう、皆待ってる!」

 

「皆だって全員の帰還を望んでいる筈です! それが亡骸であろうとも!」

 

 

 ん、ちょっと待てよ。

 これってまさか、おれのことでもめているのか?

 おれの亡骸を捜索するかしないかで。

 それで賛成派が依姫で、反対派がゴリラと小野塚。

 

 依姫……そういえばおれのこと、親友って言ってくれてたな。

 依姫! おれもお前が一番の親友だ!

 

 

「もういいです! 父上も小野塚君も、そんなに薄情だとは思いませんでした! 私一人で探します!」

 

「依姫!!」

 

 

      パチンッ!

 

 

 うわぁ……ゴリラが依姫にビンタしたよ。

 

 

「父、上?」

 

「私だって、悲しいさ」

 

 

 そう言って叩かれた事に驚いて呆然としていた依姫にゴリラが抱き寄せた。

 

 

「だがな。私は依姫に、彼の死に姿を見せたくないんだ」

 

「え?」

 

「あのとき爆発、中間地点からでも轟音が鳴り響いてくるほどの大爆発だ。あれほどの爆発を間近で受けた熊口君の姿は、おそらく無惨なものだろう。もしかしたら亡骸すらないかもしれない」

 

 

 ありますよ、めっちゃぴんぴんしてるし亡骸でもないですけど。

 

 

「その姿を見て依姫が……私の娘が荒れる姿を見たくないのだ。

 私はこれまで、親友を失った者を腐るほど見てきた。中には立ち直る者もいたが、立ち直れず除隊した者もいた」

 

「……」

 

「熊口君は死んだ。だが、我々の中で熊口君を忘れない限り、彼は永遠に生き続けるのだ! 我々の心の中で!」

 

 

 うわ、何処かで聞いたことのあるような事言ってらっしゃる。

 ベタすぎるよ……

 

 

「しかし、死体を見てしまうと心の中の熊口君が死体となって見えてきてしまう。

 だからこそ、依姫には亡骸を見てほしくないのだ」

 

「……うぅ……はい、分かりました」

 

 

 そう言って依姫はゴリラの胸の中でしくしくと泣き始めた。

 よ、依姫、おれのために泣いてくれるのか……!

 おれ、生きてるんだけど……!!

 

 

「さあ、帰ろう」

 

「はい、父上……小野塚君、すいません、お見苦しい所を見せてしまって」

 

「いや、いいさ。依姫の言ってることも分かるしな」

 

 

 そして3人はゆっくりと帰路へと歩いていく。

 

 え、ちょ……この状況、物凄く出ずらいんだけど。

 折角喧嘩も終わってさあ帰ろう! って時に喧嘩の原因となったおれが登場してみろ。

 折角の立ち直って前を向いていこうぜ! って空気がぶち壊れるぞ。

 

 

「ちょっと待て。そういえばさっきから、あの茂みから気配がするんだが」

 

 

 と、歩く足を止めて、ゴリラがこちらの方に指差す。

 お、おい! お前から空気を壊しに行くつもりか!

 

 

「折角の空気をぶち壊しにするつもりかよ」

 

 

 小野塚がそう呟きながら、警戒をし始める。

 いや、おれも壊したくはないよ!

 

 

「さっさと倒して帰りましょう。今は一刻も早く、部屋に籠りたい気分ですし」

 

 

 依姫も腰にぶら下げていた真剣を抜き、此方に向けてくる。

 

 

 …………どうしよ。このまま潔く出てしまおうか?

 

 

 

「俺が今から、あの茂みにいるやつと交換しますんで、ここに奴が現れたら、一気に叩いてください」

 

「おう、任せておけ」

 

「はい」

 

 

 おいおい、なにやら物騒なことをいい始めてるぞあいつら。

 ……いや、待てよ。小野塚とおれが交換されるってことは、彼処におれが現れるってことだよな?

 それならそこで「やあ、こんにちは!」なんて気軽に話しかければあの二人も気づいてくれるんじゃ無いだろうか?

 あの化け物親子だ。攻撃を寸前で止める事ぐらい朝飯前だろう。

 

 

「それでは行きます!」

 

 

 そう言って小野塚は能力を発動させた。

 

 おれの視界が一瞬ぼやけ、新たに見え始めた瞬間、目の前には握りしめられた拳があった。

 

 

 あ、やべっ。

 

 

「あ!」

 

「べふっ!?」

 

 

 咄嗟に霊力を腕に集中して顔を守ったが、流石は綿月隊長。

 軽く茂みの方まで吹き飛ばされた。

 

 

「っいだ!!」

 

 

 そして木にぶつかって漸く止まることができた。

 ……いってぇ……おれの腕、今どうなってる?

 

 

「熊口君!」

 

 

 と、奥の方からゴリラの声が。

 流石に今ので気づいてくれたか。おそらく、綿月隊長も殴る瞬間におれだと気づいて、咄嗟に威力を弱めてくれたんだろう。

 でなければおれなんかが防御しきれる訳がない。

 

 

「熊口さん!」

 

 

 そして茂みから出てきたのはゴリラではなく依姫。

 木にもたれ掛かっているおれに抱きついてきた。

 お、おっふ依姫さん……胸、当たってます。

 

 

「よかった、無事で……」

 

 

 依姫、耳元で囁かないで。勘違いしてしまう。

 

 

「せ、生斗。お前……!」

 

 

 次に茂みから出てきたのは小野塚。こいつは泣き目になりながらおれを見て驚いている。

 おお小野塚、お前もおれのために泣いてくれるか。

 おれの亡骸を捜索するのに反対だったから薄情な奴かと思っていたが、違っていたようだ。

 

 

「よ、よう、さっきぶりだな」

 

「……!」

 

 

 取り敢えず話しかけてみると、小野塚が無言で抱きついてきた。

 お、おい小野塚さん……むさ苦しいから離れてくれ。

 抱きついてくるのは可憐な美少女だけで十分です。

 

 

「く、熊口君。何故生きているんだ?」

 

「おれが生きてちゃまずいんですか?」

 

「そんなわけないだろ!」

 

 

 そして最後に茂みから出てきた綿月なる隊長が、豪快に抱きついてきた。

 おいゴリラ! お前は本当に抱きついてくるな! やめてくれ!

 

 

「どうやって君が生きているかなんて今はどうでもいい!

 君がここに存在している、それだけで充分だ!」

 

 

 耳元で大声を出さないでくれ、綿月隊長。

 鼓膜が破けてしまう。

 

 

「いや、ほんとごめん。出るタイミングが分からなかった……」

 

 

 まあ、おれのことを思ってくれているのは確かだから嬉しい。

 おれって中々幸福者だなぁ。

 

 そう、美少女一人、むさ苦しい男二人の計三人に抱擁されながら思うのであった。

 

 



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薬師との一時

メタ発言注意。あと時系列が本編とは微妙に違います。


 

 

 今日は週に一度の休日である。

 毎日毎日国の周りの巡回や書類とかの整理やらしたりして疲れた。精神的にも、身体的にも。

 何故かたまに訓練やらなきゃいけないし

 ……もう働きたくない。1日中ぐーたらしたい。

 

 でもなにか癒しが、癒しがほしい…………

 

 

 

 ……あ、永琳さんの家行こう。

 

 

 

「ということで癒されに来ました」

 

「貴方……毎週来てない?」

 

「やだな、月に2回ですよ、もう2日の休みはツクヨミ様の家にいます」

 

「ほんと貴方、神をなんだと思ってるの?」

 

「人に希望を与えてくれる存在です!」

 

「……完全に的外れではないから反論しにくいわ」

 

 

 まあ、なんだかんだ言って永琳さんはおれをもてなしてくれる。

 ほんとええ母さんや…………

 と思った瞬間永琳さんに睨まれた。

 おっと、そういえば永琳さん、お母さん扱いされるの嫌だったな。

 声に出してないのになんで察知出来るんだ……

 取り敢えずしらばっくれよう。

 

 

「お母さんなんて思ってませんよ」

 

「……思ってるじゃない」

 

 

 はあ、と永琳さんが溜め息をした後、何事もなかったように客間まで案内してくれた。

 あれ? いつもなら危ない液体の入った注射器とかだして脅してくるのに……なんか悪いものでも食べたんじゃないのか?

 よし、後で聞いてみよう。

 

 

「とりあえず座って…………それじゃあ何話しましょうか?」

 

「そうですね……あ、この前依姫が能力の練習付き合ってる途中に、死にかけた話でもしましょうか?」

 

「死にかけったて……あの娘もお茶目なのねぇ」

 

「そのお茶目で死にかけましたよ、おれが」

 

「あら、貴方なの?」

 

 

 それからに2時間ぐらい雑談した。

 おれは訓練生のやつらのことを、永琳さんは薬の研究のことやこの国での出来事とかを話してくれた。

 いや、国で起きたこととか確かにわかるけど薬についての議論をおれにしても何もわからないんだけどな。

 

 

「そういえば永琳さん、今日、なんだか元気がありませんよ。何かあったんですか?」

 

「ああ、貴方にもわかるのね。

 これは重症かもしれないわ」

 

「いや、おれがわかったのは早期発見かもしれませんよ?軽症の可能性だってあります」

 

 

 そうに違いない! おれが永琳さんの微妙な変化に気づけないわけがない!

 

 

「はあ、まあいいわ。別に隠すことではないし、教えても」

 

「え、もう元気がない理由について検討がついてるんですか?」

 

「ええ。()()以外にここまで落ち込むことはそうはないわ」

 

 

 この国の賢人とまで呼ばれる程の人が頭を抱えるほどの悩み……一体どんなのだろうか。

 はは、もしかしたらこの国全体に関わる重大な事だったりしてな。

 

 

「はい、じゃあカモン! 愚痴なら聞くだけなら聞いてあげますよ!」

 

「そういうところに関してだけは貴方を拾って良かったと思うわ」

 

「だけ、は余計でしょうよ」

 

「余計じゃ無いわよ」

 

「余計です」

 

「……はあ、はいはい余計よ、余計。愚痴を聞いてくれる相手以外にもちゃんと役に立っている事はあるものね。自分のだした塵をちゃんと持って帰るとか」

 

「例えがちっちゃすぎる!? 他にも沢山あるでしょ!」

 

「ごめんなさい……私の頭脳ではこれ以上の事が思い浮かべられないわ」

 

「なに、国の頭脳と呼ばれる永琳さんがお手上げになるほどおれの良いところは見つからないの!? なら今から良いところをみせましょうか? 今洗濯カゴに入っている洗濯物(下着も含む)の洗濯とか!」

 

「それは本当にやめてちょうだい」

 

 

 いや、そこはしてみなさいよと言ってくださいよ。ほんとにしてたのに……

 

 

「それで話を戻しますが、今何に頭を抱えてるんですか?」

 

 

 取り敢えず話題を戻す。閑話はここまでだ。あ、でも閑話というならもっと駄弁ってても良いような……

 そういえば閑話休題の意味って前に調べてみたらどうでもいい会話(余談)を戻すという意味だったんだよな。『それはさておき』とか。今度ルビを使って閑話休題と書いて、それはさておき、と読むようにしようかな……てこれは流石にメタいな。以後、本編では使わないようにしよう。でもこれ、番外編だから許してね!

 

 

「はあ、また考えなくてもいいどうでもいいことを考えていたでしょう。しかも今、やってはいけないことをしたような気分だわ」

 

「え? よく分かりましたね(やってはいけないことって十中八九メタ発言のことだよな……ほんと、これからは使わないでおこう)」

 

「貴方の考えていることが丸わかりなのよ。ちゃんとした話をしているときも、あ、他のこと考えているなって分かるし」

 

「まじっすか」

 

 

 そ、それは新事実だ。まさかバレていたとは……あ! そういえば前に上司が話してるときにやたらと睨んできたのはそのせいか! 話を聞いていないのがバレバレだったのかよ……

 

 

「も、もういいじゃないですか、その話は。そろそろ永琳さんの苦難を聞きたいです」

 

「そうね。ちょっと水をさしてしまったわ」

 

 

 そうだそうだ。今のは永琳さんが曲げたんだからな、話題を。

 発端はおれのメタ発言なんだけどな!

 

 

「私が今、頭を抱えているのは大きく分けて2つよ」

 

「2つ、ですか。因みにその中におれは入ってますか?」

 

「生憎ね。道端に転がっている石に悩みを抱える人はそうはいないわ」

 

「ん? 今おれのこと凄い酷い例えしてませんか?」

 

「したわよ」

 

 もう、永琳さんったら。照れ隠しにいちいちおれをディすらないでくださいよ~。

 

 

「永琳さん、照れ隠「……まず一つ目の事なのだけれど」……あ、はい」

 

 

 あ、無理矢理話題の軌道を修正したな。

 まあ、確かにまた話がおかしな方向にいきかけたから仕方ないか。

 たぶん、そのまま話してたら宇宙の神秘について話してたんじゃないか? ……いや、流石にそこまではないか。

 

 

「蓬莱山家の令嬢、姫の教育係になったことね」

 

「え? あの姫さんとこの娘のですか? 凄いじゃないですか、ただでさえ顔を見せないあの蓬莱山家の娘の教育係なんて」

 

 

 蓬莱山家はこの国でも権力を持つ貴族だ。

 顔を見た人は殆どおらず、幹部クラスでやっと面識ができるらしい。

 娘が出来たとは噂で聞いてはいたがまさかその世話係を永琳さんがしていたとは……

 ていうか娘を見たってことは親の顔も見てるってことだよな?

 一体どんな顔なんだろう……隠そうとしているということは相当凄い不細工なんじゃないだろうか。

 

 

「今貴方が考えていることが大体分かったわ。

 安心しなさい。親子ともども大層な美人よ」

 

「ふ、ふぅん、そうなんですか」

 

 

 永琳さん凄い。よくおれが思ってたことを言い当てたな……

 

 

「それと、手をあげて喜ぶようなものじゃないのよ。教育係をするということは」

 

「なんでですか? 美幼女のお守りなんてご褒美以外何物でもありませんよ」

 

「それは貴方個人の考えであって、私には苦痛でしかないのよ。薬の研究が出来ないし、他の仕事も減らずにいつも通りだし、設計のこともあるし……」

 

「仕事減ってないんですか」

 

「基本家でもできることが大半だからということでね。でも仕事自体はそんなに問題ではないのよ。私のプライベートがないということが問題なの。これじゃあろくに薬の研究が出来やしない」

 

「プライベートで薬の研究て……他にすることとかないのかって言いたくなりますね」

 

 

 そういえば休みの日に永琳さんがどこかに出掛けるところとか1度も見たこともない。

 もしかして永琳さんは引きこもりの道に1歩足を踏み込んでいるんじゃ!?

 

 

「貴方今、失礼なこと考えたでしょ」

 

「考えましたよ」

 

「……ふーん」

 

 

 いや、ちょっ、その目やめてください。恐いです。

 ……くっ、さっきのお返しをしようとしただけなのに!

 

 

「まあ、その事は追求しないでおくわ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 ふう、永琳さんのおしおきはほんと酷いからな。しかもおれの場合、能力的に少し丈夫だから加減というものがないし。

 

 

「それじゃあ話を戻すけど……1つの問題としてプライベートがないのだけれど、一番の問題は姫にあるのよ」

 

「娘さんに問題が?」

 

 

 娘といっても生まれたのは5年前と聞いたんだが……そんな小娘になんの問題があるんだろうか。

 

 

「無理難題の、我儘を言われるのよ」

 

「あー、子供の言うことぐらい聞いてあげましょうよ」

 

「じゃあ貴方はこの世に存在しない物を取ってこいと言われて取ってこれる?」

 

「……そのお子さんはどんな無茶ぶりを要求しちゃってんですか」

 

「だから困ってるのよ」

 

「……どんまい!」

 

「なんかイラッと来たわ」

 

 

 いや、だってこれは他人事だし。おれがかけられるのなんて励ましの言葉だけだしなぁ……

 まあ、今のは自分でもうざいなぁとは思ったよ?

 

 

「はい! じゃあ二つ目いってみよう!」

 

「なんか……貴方に話したところでただ苛立ちが増すだけのような気がするわ」

 

「ふふふ、そんなことはありませんよ。現におれは楽しんでます」

 

「人の不幸で楽しむなんて悪趣味ね」

 

 

 いやいや、永琳さんと話すことが楽しいんですよ、おれは。

 

 

「はあ……それじゃあご要望通り二つ目を話すわ」

 

「お、来ました!」

 

 

 永琳さんほどの人物に頭を抱えさせる二つ目の要因。

 一体どんな災害なのだろうか。

 

 

「月移住計画についてよ」

 

 

 …………はい?

 

 

「え? 今、なんていいましたか?」

 

「だから月移住計画よ」

 

「いかん、永琳さんがついにおかしくなった」

 

「頭かち割るわよ、薬で」

 

「薬で頭かち割れるもんなんですか?!」

 

「薬の中に血を吸うと大きくなって成虫になる寄生虫をいれてそれを飲ませればいずれ頭やら身体中の中から出てくるわ」

 

「頭だけの問題じゃなかった?! ていうかかち割ってないじゃないですか!」

 

 

 いや、そんなことにつっこんでる場合じゃない。

 月移住計画? なんだそれ。聞いたことないぞ、おれ。

 いやでも永琳さんが嘘を言うのは考えがたいし……

 

 

「取り敢えず、今は信じることにします。

 ……で、月移住計画でなんで永琳さんが頭を抱える事態に陥ってるんですか?」

 

「月移住計画の要となるワープ型固定装置の設計を任されたからよ」

 

「ワープ?」

 

「簡単に言うと瞬間転移のことよ。それを使ってここから月へ飛んでいこうという考え」

 

「へ、へぇ」

 

 

 そんなSFみたいな事できんのかな……いや、永琳さんなら出来そう。

 しかしなんで上の人らは永琳さんに頼んだのだろうか。

 普通薬師に頼まないだろうに……

 

 

「我儘姫の教育係だけでなく国の一大プロジェクトの要の設計も任されるというダブルショッキング。普通の人ならノイローゼになりますね」

 

「私も軽めに鬱気味よ」

 

「んな馬鹿な。さっきから遠回しにおれを弄りまくってるじゃないですか。せめて疲れ気味程度ですよ」

 

「それは貴方が決めることではないと思うのだけれど」

 

 

 いやぁ、見る限りじゃ、ねぇ……

 

 

 それよりも月に移住するのか、この国の人達。移住する中におれも入ってるのかな? 入ってなかったら泣くな、おれ。

 ていうか月って酸素あるのか? いや、この国の事だ。そんな前提のこと処理済みの筈だ。心配する必要は無いだろう。

 

 

「ていうかそんなに忙しいならこんなことしてる暇ないんじゃ……」

 

「そうね、貴方が来るまでずっと転送装置の設計図作ってたんだけど。邪魔をされたのよねぇ、誰かさんに」

 

「まあ、息抜きにでもなるでしょう」

 

「それって自分で言うこと?」

 

「気にしない気にしない」

 

「まあ、息抜きになったのは事実だし……ってもうこんな時間じゃない。お昼ご飯食べていく?」

 

「流石永琳さん! 丁度お腹が空いてきていた所だったんですよ! さっすがそんなところに『年期』が入ってる~!」

 

「さて、重要器官に甚大な被害を与える寄生虫入りの薬は何処に仕舞っていたかしら?」

 

「ごめんなさい!」

 

 

 このあと薬入りでない昼飯を食べた。

 うん、とても美味しゅうございました。

 

 それよりもなんで永琳さんは年の話になるとこう、攻撃的になるんだろうか……なんか面白いからそこをイジってしまうではないか。

 まあ、殆どの確率で脅されたりして土下座する羽目になるけど。

 



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16話 20年後のカウントダウン

 

 

 あの事件から20年が経った。

 あのとき、Aクラスの皆はおれが死んだと思って門付近で殆どが泣いていた、正直嬉しかった。

おれのことで泣いてくれるくらいの存在だってわかったから。まあ、3分の1はもらい泣きだって言われたけどな……たぶん照れ隠しだろう、うん。きっとそうだ。因みに影女は泣いていたが、それはもう一人死んだ女子の方への涙だった。

 

 それで死んだと聞かされていたおれが門まで帰ってきたとき皆目を丸くしてたな。え、なんで生きてんの? って顔で。

 

 あとあの鬼は綿月親子で倒したらしい。

 といっても、おれの爆散霊弾によって致命傷を負わされていたから楽に倒すことが出来たとか。いやあ、自爆した甲斐があったってことだな。

 

 

 まあ、そんなことも全てが悪かったことではない。だって能力が判明したからな。

 

 

    『生を増やす程度』の能力。

 

 これは5年周期で命を増やすことができるとても便利な能力だ。

 今、ストック(命)は7つある。ん? 20年間に1度も死んでないのかって? あれから1度も死んでませんよ。そんな何度も死んでたまるか。

 

 まあ、そんなことより神が言ってた綿月隊長やあの鬼をも越える能力と言ってたが、それについてはもう検討はついてる。

 ただ使う気にはなれない。いや、むしろ使いたくない。なぜなら、それにはとてつもない代償があるとわかったからだ。

 おそらく、これを使うときは本当にピンチの時だけだろう。つまり最終兵器というやつだな。

 あまり使いたくはないが……

 

 

 

 

 それじゃあ、20年の間にどのようなことがあったか話そう。

 

 

 

 まずおれは部隊長になりました。わーすごーい。

 おれの下に沢山の部下がいるんだ。皆生意気だがつるんでて楽しい奴らだ。

 

 

 まあ部隊長になったことで国の南側を任されることにはなった。

 依姫は副総隊長となり、ゴリラの右腕となっている。

 あ、そういえば依姫の姉の豊姫さんは幹部だったよな。豊姫さんはいい人だ。

 よくおれらが警備をしている途中にお菓子の差し入れを貰ったりする。自分の仕事をサボって。おれもサボろうかな…………

 まあ、そんなことしたら部下に示しがつかないからしないけど。

 

 

 

 あと小野塚もおれと同じ部隊長となり、トオルは能力を活かして門の見張りを任されている。

 ついでに言うとトオルはあの影女と付き合ってるらしい。

 やめとけっていったけどトオルは聞く耳を持たず、こんなことまでいってきた。

 

 

「結構可愛いところもあるんだよ」

 

 

 そう言われたとき、おれはそんなわけあるか! って怒鳴ってしまい、初めてトオルと喧嘩した。

 

 

 それと驚きなのがこの国の皆、恐ろしく寿命が長いということだ。おれは能力で不老だから歳はとらないが、皆20年も経っているのに全然歳をとっていないかのように若々しい。

 それについては穢れとかいうものが関係しているらしく、月に行けば穢れを完全に取り払われ、もっと長く生きられるとのこと。

 

 

 さて、これからが本題だ。

 今言った月に行くというのは前々から予定されていたものだ。

 その『月移住計画』が、今年の終わりに実現するらしい。

 永琳さんが前に言ってた転送装置の設計図を元に色々な事が行われ、遂に去年、転送装置が完成して今年の末に、住民の移動を開始するのだそうだ。

 その転送装置はどでかい半円状の門の形をしたワープゲートで、その中を潜れば目的地の月まで行けるとの事だ。

 しかし、その転送装置は見た目に反してあまり同時に転送させることは出来ず、1度に転送出来るのは多くて十数人程度らしい。しかも、その時の装置の具合にもよっては同時に転送できる数が一桁まで減ったりと、未だ不安定要素があるのだとか。

 その不具合を払拭するために年末に大移住をすると決定したらしいが、その不具合を直すのは少し難しそうだな。

 今じゃ半ば諦め状態で、その日に同時転送できる数を測定する装置まで作られているぐらいだし。

 

 

 まあ、その不具合が起きなければ3日で大移住は完了するだろうってなところだ。

 因みにおれらは最後に転送される予定だ。もし転送中に妖怪が攻めてきたら大変だからな。

 そして全員の転送が完了した後、本部にある時限爆弾が作動し、この国の技術をまるごと抹消するって訳だ。

 そこまでする必要はないと思ったが、技術者側からしたら真似られるのはたまったもんじゃないらしい。

 

 

 そんなこんなで着々と月移住の計画が進められている。

 映像で何度か月の景色を見たことがあるが、とても美しく、月から見る地球は絶景だったな。

 それに月での生活がどんなものか気になるし、是非いってみたいな、というのがおれの考えだ。

 

 今は色々な建物を建築業の人達が月で建設中だから、移住の時になれば、おれ達が住めるぐらいには出来上がっているだろう。

 少し楽しみだ。

 

 

 

 ま、取り敢えず地上に居られる最後の8ヶ月間。名残惜しみながら過ごすとしましょうかね。

 

 

 



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17話 一時間耐久の地獄

 

 

 おれは今、訓練場にいる。

 士官学校のとは別の、正隊員専用の訓練場だ。この正隊員専用の訓練場は時間制で使える時間がきまっており、今はおれの隊がつかえることになっている。

 なので絶賛、部下達の訓練の指導をしている最中だ。

 

 

「よーし、あと5周だ。がんばれー」

 

「ちょっ、熊さん、きついっす! 乗らないでください!!」

 

 

 訓練の内容はというと、訓練場の周り50周マラソンをしている。

 おれは空を飛びながら部下たちが走っているのをついていくだけ。(今は部下に背負わせてるが)

 この上なく簡単だ。高みの見物決めてればいいんだからな。

 いやぁ、教官ってこんなに楽なんだなぁ。

 ……というのは冗談で。指導側も色々と面倒なんだ。資料やらなんやらをまとめたりして。

 指導側になってからは身体的というより精神的に疲れることの方が多くなった。

 だからこういう体を動かす機会にこそ、ストレス解消を行わないとな!

 

 

「これも訓練の一つだ、無駄口叩かず走れ。

 一番には褒美としておれが1日、ご主人様! ってご奉仕してやる」

 

「「「えぇぇーー」」」

 

「おいこら、冗談だから。

 だから露骨に皆ペース落とすんじゃない! あと御崎、お前は最後までおれを抱えて全力ダッシュだ」

 

「ええ! なんで俺が?」

 

「お? おれのドキドキワクワク剣術指導を受けたいのか?」

 

「全力で走らせてもらいます!」

 

 

 まあ、見た感じの通りの部隊だ。減らず口をよく言うし生意気だけどなぜか恨めないような奴らだ。

 ついでに今おれを抱えて全力ダッシュしているのは御崎茂。おれの部隊のエースだ。取り敢えずこいつはこの中でも一番真面目なやつなんだけど、おれに対してかなり生意気だからいつも皆よりきついメニューにしている。

 これに懲りたらもう生意気な態度は取るなって言ってるのに翌日にはケロってしてまたおれにちょっかいを出してくる。

 最近、おれの中では御崎がドMなんじゃないかと疑い始めている。

 

 まあ、今はそんなことどうでもいいか。

 今は訓練指導に集中しないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、皆無事走り終わったな。後は各自ストレッチをして終わるように」

 

「はあ、はあ……熊さん、俺らこれから飲みに行くんですけど、一緒にどうですか?」

 

 

 皆が水分補給をしたりストレッチをしている中、御崎がおれに話しかけてきた。

 お、こいつ元気だな。

 

 

「馬鹿言え、おれが行ったらお前らの分まで支払わなきゃいけないだろうが」

 

「ちぇっ、けちだなぁ」

 

 

 ほう、御崎よ、その見上げた根性は認めてやる。ご褒美としてアイアンクローを食らわしてやろう。

 

 

「あいだだだだだだ!? 冗談です! 冗談だから手を放してくださいぃぃ!!」

 

「これに懲りたら本人の前で悪態はつくな。」

 

 

 そう釘を刺して額をつかんでいた手を離す。

 

 

「し、死ぬかと思った……」

 

「話を戻すが……飲みに誘うって言うのは普通、上司であるおれがやる事なんだぞ」

 

「じゃ、じゃあ誘ってくださいよ! それなら文句はないよな! なあ、みんな!」

 

 

 おおお! と部下達が活気つく。お、こいつら元気だな。もう50周走らせてやろうか。

 

 

「それになあ、お前。一人ならともかく、この人数だぞ? おれの懐を考えろよ」

 

「なにいってんすか熊さん。あんた溜め込んでんでしょ? 知ってるんですよ! なんてったって熊さんがよく行く八意様から聞いたんですからね!」 

 

「な、なに!?」

 

 

 いつ話したんだ?! 永琳さんってこの国でも中枢にあたる人物だからそう簡単には会えない筈なのに! (おれはちょくちょく会ってるが)

 

 

「おい御崎、お前まさかそれを聞いておれを飲みに誘っているんじゃ無いだろうな?」

 

「え!? ……んな、んなわけないでしょ馬鹿だな~。俺はただ純粋に熊さんと酒を飲み交わしたいだけですって~」

 

 

 そう御崎が言うと部下達もうんうんと頷く。

 今の御崎の慌てぶりようは黒だな。

 そしてそれに便乗した他全員も黒。こいつら全員でおれの懐をスタイリッシュにしたいようだな。

 だが生憎、おれは基本カードだ。元々スタイリッシュだからそんなことされる必要はない。

 

 

「まあ、別に行ってやらん事もない」

 

「まじっすか!」

 

 

「お前らが奢ってくれるのならな」

 

「え″っ!?」

 

 

 くく、そっちがその気ならこっちにだって手段はあるんだ。

 ほら、純粋におれと酒を飲み交わしたいと言った手前、やっぱりいいです。とは言えないだろ。

 

 

「いや、ちょっ、それ、熊さん、気前無さすぎなんじゃじゃないっすか?」

 

「だってなぁ、別におれ、飲みに行く気なんてさらさら無かったのに御崎君がどうしてもって言うからなぁ」

 

 

 ふははは! どうだ! これでお前らの選択肢は二つに固定された!

 おれを誘うのを止めるか、おれを奢るか。

 勿論、こいつらのことだ。前者だろう。

 まあ、それでもおれは即家に帰れることだし、嫌なことなんて無いしな!

 なに、付き合いが悪いって?

 おれは元々そういうやつさ。

 

 

「……うぬぅ……わ、わかりましたよ! 俺らで熊さんの分奢ります!」

 

「なにっ!?」

 

「なんで熊さんが驚いてんすか」

 

 

 いやはや、まさかおれの予想が外れるとは……

 

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「いやいや、だから言ったでしょ。純粋に熊さんと飲みたいって」

 

「ふぅん」

 

 

 

 怪しい、実に怪しいぞ。なにか企んでるんじゃ無いだろうか?

 例えば飲むだけ飲んで、最後に『熊さんおなしゃす!』とかいって奢らせるとか……

 

 

「熊さん、疑ってますね、今。」

 

「この状況で疑わない方がおかしい」

 

 

 あんなあからさまに動揺されて疑わないやつは完全な阿呆だ。

 

 

「はあ、熊さん。俺らとの付き合いはその程度だったんすか? 何年間一緒にいると思ってんすか!」

 

「2年だが」

 

「2年も一緒でしょ! それなのに最初の歓迎会以外、1度も皆と飲みにいってないじゃないですか!」

 

「ん、まあ、確かにな」

 

 

 そういえばそうだっけ。いつも訓練終わったら適当に雑談して帰ってたか。

 ……ん、よくよく思うとおれ、付き合いかなり悪いぞ?

 

 

「だから今日こそ! 熊さんと飲みたいんです!!」

 

 

 御崎の発言に同意するかのように頷く部下達。

 

 

「お、お前ら……」

 

 

 こいつら、そんなことを思っていたのか……

 

 

 

 

 これは、上司としてやらなければならない事だな!

 

 

「はあ、仕方ないな。行ってやるか。勿論、おれの奢りでな」

 

「まじっすか!」

 

「ああ、お前の演説に免じてな」

 

「よっしゃああ!熊さんありしゃす!」

 

「「「「ありしゃす!」」」」

 

 

 ふふ、可愛い奴らめ。

 

 どうせ今の演説も上っ面だけのものだってことは分かっている。

 が、おれも思うところもあるしな。特に付き合いの悪さについて。

 だから今日は特別に騙されてやるか。

 言っておくが普段の熊さんはこんなにチョロくはないからね?

 

 

 

 

 

 このあと、部下達が調子に乗ってこれでもかと言うほど食べたため、おれがこれまで貯めていた貯金の殆どが無くなりました。食べ放題にしときゃ良かった……

 

 取り敢えず明日の訓練は国の周りを100周程度走らせることにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 今日は綿月家に招待された。ふむふむ、最近依姫が忙しかったから会ってなかったんだよな。

 ま、副総隊長なんて職についてるわけだからしかたないんだけどな。

 おれですら週1でしか休みがないんだし。

 

 

「よ、依姫。1ヶ月ぶり。」

 

「久しぶりです、熊口君」

 

 

 おれが綿月邸に着くと、門の前に依姫が立っていた。流石は依姫、わざわざ家の外で待つとは。

 

 

「あら、生斗さんじゃない」

 

 

 あら、豊姫さんじゃない。こんな広い屋敷の門の前で会うなんて偶然にしてはすごい確率だわ。

 豊姫さんとは士官学校から出たときに知り合った。

 まあ、依姫の紹介でな。

 豊姫さんはよくおれの隊の壁の上で警備しているときとかに差し入れをくれるからありがたい。

 おそらくおれの部下はおれよりも豊姫さんに慕っているぐらいだ。たまに部下達と飲みに行くみたいだし。

 完全におれより付き合い良いよな、この人。

 

 

「よ、豊姫さん。1()()ぶり」

 

「え……1日、ぶり?」

 

「あ、生斗さん!?」

 

「お姉様、今のはどういうことですか? まさか、また仕事をサボって熊口君の隊の邪魔をしようとしているのでは……」

 

「もう! 生斗さんが余計なこと言うから!」

 

 

 と、ピューという効果音がついてきそうな走りで屋敷の中へ逃げていく豊姫さん。

 あ、しまった。昨日豊姫さん、サボっておれんとこの部隊に来てたんだったな……

 

 

「あ、待ちなさい! 今日という今日は許しませんよ!!

 あと熊口君、教えてくださりありがとうございます。お姉様がご迷惑お掛けしました!」

 

「いやいや、豊姫さんにはいつもお世話になってるから迷惑じゃない」

 

 

 今の声が聞こえたかどうかは知らないが依姫も猛スピードで豊姫さんを追いかけていった。

 

 

 ……さて、綿月家の門前で置いてけぼりにされた訳だが……

 

 これは中に入るべきなのだろうか?

 いや、こんな広い屋敷に一人で入ったら迷子になりそうだ。

 それにまだ依姫にどんな用件で呼ばれたのか聞いてないしな。

 ここは待っとくしかないな。

 取り敢えず門番の人となんか議論でも展開でもしておくか____

 

 

 

 

 

 

 ~30分後~

 

 

「いや、おれ的にピンクだな。それにリボンは欠かせない」

 

「あー、確かにリボンはいいですね。しかし、それはあまりにも王道すぎやしませんかね? 黒にピンクリボンなんてどうでしょう」

 

「いや、それも王道じゃないか?

 いや、まあ王道だこらこそ良いところもあるけどな。おれのだとピュアっぽくて___」

 

「すいません熊口君! すっかり遅れてしまいました!」

 

 

 門番と議論を交わしていること30分。

 漸く依姫と首根っこ捕まれてしくしく泣いている豊姫さんが現れた。中々時間がかかったな。まあ、この無駄に広い屋敷の中じゃ見つけるのも一苦労だろうけど。

 

 

「ところで熊口君、今門番さんと何を話していたんですか?」

 

「ん? プレゼントボックスの色についてだけど」

 

 

 まあ、この話以外にもどんなグラサンが好みなのかとか話し合ったけどな。

 

 

「あ、そうですか」

 

 

 ん、なんだ? 依姫が急にほっと一息ついたけど。

 

 

「まあ、熊口さんがそんなこと口にするはずないですよね」

 

「どういうことだ?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 

 そう言われると気になるんだよなぁ……

 でもおれは紳士だからな。相手が嫌がることを無理に追求はしないのだ。

 

 

 

 

 

 

 それからおれ達は客間へいき、優雅にティータイムと洒落こむことになった。

 

 

「そういえばなんでおれってここに呼ばれたんだ?」

 

「あ、そうでしたそうでした。お姉様の一件で忘れかけるかけるところでした……」

 

「あら、ただ遊びに来たってわけでは無いのね」

 

 

 おれも最初はそう思ったけど、依姫がそんな理由で呼び出すのはかなり珍しいからな。なにかあると思った方が普通だ。

 

 

「実はツクヨミ様と八意様にクレームが私にきましてね。あまり用もないときに家に来んな、だそうですよ」

 

「それはできない。だってどっちもおれにとって第一の家だからな」

 

 

 第二が今おれが住んでる独身寮。

 

 

「と、言うと思うからって、ツクヨミ様と八意様が仰っていたのでちゃんと対策はとっています」

 

「あん? ……あ」ガシッ

 

 

 なに?! いつの間に後ろにメイドが!

 そして瞬く間に腕と足を縄で椅子に縛られ、四肢が動かせない状態になってしまった。

 

 

「ということで今からくすぐりを私が1時間します。

 その間に熊口君が参ったをしたら私の勝ち、1時間耐えきったら熊口君の勝ちで、金輪際私はツクヨミ様と永琳様の家に行くことに関して口出しはしません。しかし負ければ用事がないとき以外出入りをしないことを誓ってください」

 

「あ、私もやるー」

 

 

 くそ! 罠だったか! あのとき門番と話さずに帰ればよかった!

 ……しかし、もうその選択は出来ない。

 もし、この縄をほどいて逃げようものなら問答無用でしばかれる。豊姫さんの実力がどれほどまでなのかわからないが、あのゴリラの娘であり依姫の姉さんだ。強いに決まってる。

 そんな二人から逃げられる自信なんてない。

 どうする……これまでくすぐりなんてされたことないから、どれほど辛いのかがいまいちわからない。

 だが、もう腹を括るしかないようだ。

 だって二人の目が、獲物を狩る目をしているし、指もうねうねと捻って、くすぐりをする準備運動をしていていつでも準備万端な体勢に持っていっている。

 逃げることは不可能。ならば耐えるしかないということだ。

 

 

「……仕方ない。いいだろう、その勝負乗ってやる。その代わりおれが勝ったら絶対に邪魔するなよ!」

 

「わかってます」

 

 

 よし、言質はとった。後は耐えるだけだ。

 なーに、あのとき鬼から受けた痛みに比べたら微々たるものだ。

 そんなおれに耐えられないわけがない!

 

 

「さあこい!」

 

「いきます!」

 

「それじゃあ私は脇腹からせめるわ~」

 

 

 そんなところをせめたって効くわけがないだろ!はっはっはっは!

 ……あれ? え、かゆっ、え?

 

 

 

 

 

 

 ___10秒で参ったしました。綿月姉妹、中々のテクニシャンでした。

 

 



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18話 落ち行く夕日に酔いしれず

 

 

「よし、永琳さんの家行くか!」

 

 

 1週間前、綿月姉妹との戦いに敗れたおれはツクヨミ様と永琳さん家への出入り禁止を出された。

 が、そんなのお構いなしに今日行くことにした。

 

 

「着いた!」

 

 

 徒歩でおれの家から10分と丁度いい所に永琳さんの家がある。なので散歩がてらによることもしばしば。結構な確率で居ないけどな。

 

 

「えーいりーんさん! あっそびっましょ!」

 

 

 友達感覚で無駄にでかい扉を何度も叩いてみる。

 返事がない。ふむふむ、今日は居ないのか。ならば仕方ない、勝手に上がらせてもらうとするか!

 そう思い、システムロックの解除に勤しみ始める。

 

 

「お?」

 

 

 すると、ドアが勝手に開いた。

 あれ、まだ解除してないのに開くなんて、やっぱり永琳さんいたんじゃないか!

 

 

「やっぱり居たんじゃないです……ぶぐはっ!!?」

 

 

 玄関を覗いた瞬間、拳が扉の隙間から飛んできて、それにもろに顔面に食らった。うぐっ……痛い……

 

 

「貴方、用事以外はこないんじゃなかったの?」

 

「うぐぐっ、し、失礼な! ちゃんと用事があってきましたよ!」

 

 

 うっ、これはまずい、永琳さんの目に光がない! 完全に怒ってる! 怒られるようなことは……まあ、したけども。今もしているけども!

 

 

「へぇ、どんなのかしらねぇ。大体予想はついてるけど」

 

「ここで寛ぐという用事です!」

 

 永琳さんの目の光が一層暗くなって無言で携帯を取り出した。

 な、誰に電話する気だ?!

 

 

「あ、依姫? ええ、私だけど…………ええそう。性懲りもなく来たわ…………わかったわ。いまから来るのね、ん? どんな罰がいいかって? そうね、くすぐりなんてあまっちょろいものではなくもっとこう___え? いいわね、それでいきましょう。よし、これで決まりね。……それじゃ」カチャ

 

「あ、あの……今のって……」

 

「ええ、依姫よ。今から此方に来るって」

 

「おいとまさせていただきます!!」

 

 

 全力で逃げました。もうくすぐりなんて嫌だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「くそう! なんだよ永琳さんのケチ!! もういい、ツクヨミ様んとこに行ってやる!!!」

 

 

 ということでツクヨミ様の家へ来ました。なんだけど……

 

 

「あのー、門番。なんで門が完全に閉じられているんですか?」

 

「え? ああ、ツクヨミ様から直々に来られて、誰もいれるなと仰せつかったんですよ。

 あと、グラサン掛けている奴が現れたら追い払えと…………あ! グラサン掛けた奴!! 帰れ!」

 

「んぐぅ! もう此処まで情報がいってたか!」

 

 

 仕方ない、おれが密かにツクヨミ様の家に作っておいた隠し通路を通って意地でも中に入ってやる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、ここだな」

 

 

 ある抜け道へ行くべく、おれは士官学校の中のツクヨミ様の家に接している部分(A運動場)の柵の前に来ていた。

 

 

「んーと、ここら辺に穴が…………あった!」

 

 

 よしよし、訓練生時代に密かに掘っていた穴はまだ健在だな。

 後はここを通ればツクヨミ様の家の庭に着くぞ。

 

 

「よっと……ぶぱぱふぁ?!」

 

 

 しかし淡い期待も虚しく、降りたら水が溜まっていた。くそ、暗くてよく見えなかった!

 一瞬の出来事に理解が追い付かなかったおれは無様に水を大量に飲みこんでしまう。

 

 

「げほっ、けほっ……」

 

 

 何とか飛んで穴から抜け出すと_____

 

 

「生斗君、何故神の家の庭に穴なんて作ってるんですか?」

 

 

 ツクヨミ様がいました。

 ものすんごい怖い顔をして。

 あー、庭の端の方に掘ってたのにバレてたのか……

 

 

「…………あの、いや……はい、ごめんなさい。へへ」

 

「生斗君には少し神についてなんなのかきっちりと教えてあげないといけないようですね。

 その身にきっちりと刻み込んであげましょう!!」

 

 

 あ、これはアカンやつやわ。ツクヨミ様、本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~3時間後~

 

 

「はあ……」

 

 太陽が赤く染まり、山の中へ落ち始めている現在、おれは南側の壁の上で森を眺めている。

 なんかみんな冷たい。おれ、悲しい。

 

 

「ほんと、なんで依姫って私に厳しいのかしら」

 

「……豊姫さん、それは貴女が仕事をサボってるからです」

 

 因みにおれが来る前から豊姫さんはいた。

 無論、仕事をサボって。

 

 

「折角此処にきて生斗さん達に差し入れを持ってきたのに休みなんて……骨折り損のくたびれ儲けとはこの事ね」

 

「別に苦労なんてしてないじゃないですか。苦労から逃げるために此処へきてるんでしょ?」

 

「あら? 此処まで来るのも大変なのよ、人目につかないようにこっそりと来ているんだから」

 

「そういえば前々から思ったんですけどなんでいつも他の隊じゃなくおれの隊に来るんですか?」

 

「そんなの決まってるじゃない。サボりに来ても皆喜んで迎いいれてくれるからよ」

 

「まあ、確かに皆豊姫さんのこと慕ってますからねぇ」

 

 

 何故かおれよりもな。

 

 

「はあ……それに比べておれと来たら……部下達には奢らされ、友人には騙され、信頼している人に出入禁止食らうし」

 

「前の2つはともかく、最後は仕方ないんじゃないかしら?」

 

「……なんでですか?」

 

「貴方はあのお二方に依存し過ぎだからよ。逆にあの二人にあそこまでできる方が凄いのだけど」

 

 

 そう? ツクヨミ様も永琳さんも優しいけど……今日はかなり酷かったが。

 

 

「あのお二方も、生斗さんに自立してほしいのよ……」

 

「自立て……おれはあの2人の子供じゃないんだから」

 

「みたいなものでしょ?」

 

「……否定はしません」

 

 

 まあ、ツクヨミ様はともかく、永琳さんはこの世界でのお母さん的ポジションにいるけどな。

 

 

「ま、親離れできるいい機会だと思いなさいな。そしたら彼女とかも出来るかもしれないわよ?」

 

「余計なお世話です」

 

 

 彼女……んん、欲しいような、欲しくないような……やっぱり欲しい。

 

 

「さて、そんなことよりも……このお菓子、どうしようかしら」

 

「話題の切り替えが凄いですね」

 

「実際に今問題にすべき事は、この大量に余ったお菓子をどう処理すべきかよ」

 

「あ、そうですか」

 

 

 つまりおれの自立に関しての事は二の次って事か。

 

 

「ならもう、二人で食べちゃいませんか?」

 

「この量を?」

 

「全部とは言いません。保存できるものは残して、今食べなきゃいけないものを食べて、後のお菓子はうちの部隊のロッカーに放り込んでおきましょう」

 

「あ、いいわね。それなら次にロッカーに来た子達も喜ぶわ」

 

 

 どうやらおれの提案に乗ってくれるようだ。

 

 

「んじゃ、何処で食べます? ここだと少し寒い気がするんですが」

 

 

 壁の上だから当然だけどな。今も若干肌寒い。

 ドテラのお陰でおれはそんなではないが、豊姫さんは今薄着だ。下手したら風邪を引いてしまうかもしれない。

 

 

「いえ、ここで落ち行く夕日を見ながら菓子をかじるのも乙かもしれないから、ここで食べましょう」

 

 

 おお……豊姫さん、中々のロマンチストだったんですね……おれはそんなのより部屋でぐだりながら食べる方がいいと思うんだけど……

 うん、ロマンの欠片もないな、おれ。

 ここはぐっと我慢してここで付き合うとするか。

 

 

「はあ、わかりました。豊姫その提案にのりましょう。

 ……でも寒くないですか?」

 

「んー、少しね」

 

 

 そうか、だよなぁ……いくら怪物一家だとしても寒いものは寒いか。

 

 

「んじゃ、おれの着てください。温いですよ」

 

「あら、いいの?」

 

「いいですよ。こんなので良ければ」

 

 

 と言っておれはドテラを脱いで渡す。

 

 うぁ!? 思った以上に寒いぞ!

 

 

「それじゃあお言葉に甘えて……ありがとね」

 

「いいいえ、いえ、そそんな、ととうぜぜんの事をしたたまでですす」ブルブル

 

「……返しましょうか?」

 

「大丈夫です!」

 

 

 いかんいかん、折角のおれの紳士っぷりが台無しになるところだった。

 男なら我慢だ我慢!

 

 

「あ、そういえばお酒も持ってたのよね。それを飲めば少しは温かくなるかも!」

 

「お酒?」

 

 

 なんで差し入れにお酒? とつっこみたくなったが、聞かないでおく。

 

 

「あれ~、こんなところにお酒のつまみがあるわね~?」

 

「あからさま過ぎる! 絶対にここで飲む気だったでしょ!」

 

「まあ、細かいことは気にしないの。結構高かったのよ、このお酒」

 

 

 はあ……今日が休日で良かった……もし今日あいつらがここにいたら、十中八九酒盛りしだすぞ。

 一応おれの上司の豊姫さんに頼まれてんだから断れないとか言い訳をして。

 そんなことになったら流石に豊姫さんを依姫につきだすけどな。

 

 

「ま、今日のところは目を瞑ります。次からはお酒とか持ってこないでくださいよ?」

 

「はいはい、分かってるわよ。はい、コップ。お酌してあげるわ」

 

 

 と、豊姫さんが大きな袋から酒瓶を3つほど出しながら、コップを差し出してくる。

 

 …………はあ。

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから二時間位二人でお菓子を食べたり酒とお菓子をつまみつつ、二人壁の上で色々な話で盛り上がっていた。

 

 

「それで? 実際のところ生斗さんって付き合ってる人とかいるの?」

 

「いませんよそんなの! なんでかねぇ、こんな良い男を放っておくなんて!」

 

「ははは、そのサングラスが威圧的で近寄りづらいんじゃないの?」

 

「このグラサンがあるからこそおれがあるんです! 考えても見てください! もしおれにグラサンを取ったら何が残ります?」

 

「生斗さん」

 

「か~! そうきたか~!」

 

 

 なんか自分でもわかるほど酔ってるな、おれ。

 

 

「まあ、私にフィアンセがいなかったら生斗さんと付き合っても良かったんだけどねぇ」

 

「愛のないお付き合いはごめんです!」

 

「あら、フラれちゃった」

 

 

 豊姫さんは美人だ。道を歩けば老若男女全員が振り向くほどな。

 おれが今、サシで飲んでいるだけでも奇跡に近いかもしれないくらいだ。

 そんな人から付き合ってもいいと言われれば舞い上がるのは不可避だろう。

 だが、豊姫さんにはフィアンセがいる。

 ここで喜んでもただただ虚しくなるので、喜びを無理矢理抑え込んで否定の意思を示す。

 はあ、なんでおれは彼女に恵まれないんだ……

 

 

「くそう、トオルなんだよトオル! なんでお前だけ彼女いんだよ! 小野塚とおれの3人で彼女作らない同盟結んだじゃん!」

 

「(なんだか愚痴っぽくなってきたわね。まあ、楽しいから良いけど)」

 

 

いかんいかん酒に任せて、友人の悪口を言いそうになった。

話題をかえなければ。

 

 

「それより豊姫さん、最近奴らの様子はどうなんです?」

 

「ん?」

 

「おれの部下の事ですよ。たまにあいつらと飲みに行ってくれてるんでしょ? なんかそこでおれの愚痴とか言ったりしてませんか?」

 

 

 この際だ。あいつらがおれの事を本当はどう思っているのか豊姫さんに聞いてみよう。酒の席だ。豊姫さんに甘えてつい本音を漏らしてしまうはず。

 

 

「ああ、あの子達の事ね。確かに生斗さんの事を『グラサン似合ってない』とか『訓練もうちょっと優しくしろー』とかは言ってたわね」

 

「ほう」

 

 

 こりぁよくある愚痴だな。

 愚痴の内容次第じゃお仕置きするつもりだったが、それぐらいなら許容範囲に入ってるから見逃してやろう。

 おれって器が広いな!

 

 

「あ、でも最後は皆、貴方の部下で良かったって言ってたわよ」

 

「……それは豊姫さんが穴埋めに言った事ですか? それとも本当の?」

 

「ふふ、どうかしらね」

 

 

 何故そこで言わないんだよ……気になるなぁ。

 

 

「お、豊姫さん、空じゃないですか。お酌しますよ」

 

「あ、ありがとねぇ」

 

 

 はあ、久しぶりにいい気分だ。たまにはこうして飲むのも良いかもしれないな。

 そう思いながらおれは豊姫さんのコップに酒を注ぐ。

 ついでに酒瓶を置いた手をそのまま菓子をつまみ、口に持っていき、頬張る。

 あー、久しぶりに甘味の菓子を食べた。

 たまには糖分を取らないとな。そこまで甘いもの好きではないが。

 

 

「豊姫さん、見てくださいよ。もうすぐ日の入りです」

 

「あら、ほんと。綺麗だわ」

 

 

 この美しさは前の世界とあまり変わらないんだなぁ。

 そういえば四季もちゃんとあるし。

 もしかしたらこの世界はおれが前にいた世界と類似しているのかもしれないな。

 

 

「…………お姉様、熊口君………何やってるんですか…………?」

 

 

 

 あ、やばい。今一番聞きたくない人の声が後ろの方から聞こえてきた。

 

 さっきまで酒で赤くなっていた顔が一気に青くなっていくのがわかる。豊姫さんの方を見ると全く同じ状況なのがわかった。

 くそう、なんでだよ……折角落ち行く夕日をみながら感動に酔いしれようとしていたのに!

 

 あれ、豊姫さんが目で訴えかけてきているぞ?

 なになに、指で合図を送るから両方向から逃げよう?

 よし、乗った! と、親指を立てて合意する。

 

 

「なに二人でこそこそしているんですか?」

 

 

 豊姫さんが人差し指、中指、薬指の3本の指を後ろに見えないように立てる。

 

 そして、薬指を閉じ、次に中指を閉じ、最後に______

 

 

 

 _______人差し指を閉じた。

 

 

 

 今だ!!

 

 

 

「逃がしませんよ!」

 

「ぐは!?」「きゃあ!?」

 

 

 おれと豊姫さんは両方向から同時に逃げようとしたが一瞬にして首根っこを捕まれた。

 

 

「お姉様、何故此処にいるんです? 仕事はどうしたんですか?

 あと熊口君、あのときの約束はどうしたんですか? もう、用事がないときはツクヨミ様と八意様の家には行かないんじゃなかったんですか?」

 

「「あ、あのー……」」

 

「……」

 

「「ごめんなさい。テヘッ!」」

 

 

 このあと3時間位説教されました。

 ん、待てよ。ツクヨミ様のと合わせると合計6時間ぐらい今日正座させられてるぞ?

 どうりで足が異常なほど痺れているわけか……



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19話 不穏の予兆

 

 

 月移住まで残り10日前になった頃、とある事件は起きた。

 

 

「トオルが重体?」

 

『ああ、昨日巡回中に妖怪の群れに襲われたらしい』

 

「なんでだ? トオルは危険を察知できるんじゃなかったんじゃなかったのか?」

 

『いや、トオルの能力だって万能じゃない。

 危険を察知できるのは異変が起きた場所の半径50メートルまでだからな。事前に察知できていればこんなことなかったんだが……』

 

「そうか……で、トオルは無事なのか?」

 

『ああ、今は八意様に治療してもらっている。

 しかしかなりの重症だから目覚めるのは月に着いた後らしいな。患者だからトオルは転送日を初日に転送されるだろうな』

 

「ああ、それはそうだろ」

 

 

 今の会話のとおりトオルが妖怪に襲われたらしい。その事を電話で小野塚に聞かされたとき肝が冷えた。

 死んでしまったのかと思ったけどどうやら重症で済んだから良かった。

 それに永琳さんに治療してもらってるのなら安心だ。あの人なら確実にトオルを治してくれる。

 兎に角、明日休みだから早速見舞いに行かないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 小野塚からの電話があった次の日。

 おれはトオルの見舞いに行くために病院へ来た。

 受付で書き物を済ませ、部屋番号を教えてもらい、トオルのいる病室まで行く。

 

 

「おーい、トオルー、見舞いに来た………ぞ……」

 

「げっ糞グラサン」

 

 

 最悪、糞(影女)が居やがった。そういえばこいつトオルと付き合ってたな……ほんと、トオルの趣味には理解が出来ない。

 

 

「まるでミイラみたいにぐるぐる巻きにされてるな」

 

「……そうね」

 

 いつもなら先程こいつが言い放った糞グラサンって言葉だけで喧嘩に発展していたが、今はそんなこと気はない。

 それもそうだろう、病室の中で、しかも怪我人のすぐ側で暴れでもしたら大変だしな。まず気分が乗らない。

 

 

「……う、うぅ…………」

 

「おっ、トオル!」

 

「奴等が…………来る……! ……皆逃げ……うぅ」

 

「トオルが目を覚ましたぞ!」

 

「いいや、それをずっと言ってるのよ。たぶん無意識のうちに言ってるのね……。それほど恐ろしかったのかしら」

 

 

 え、そうなのか!? と言いそうになったがどうにも引っ掛かることがあった。

 まずそれまで恐れていたことに関してだ。

 おれ達はこれまで何回もこの国から調査のために出ていた。その出た回数分以上に妖怪と遭遇していた。

 殆どは返り討ちにしたが何回か食われそうにもなったり、殺されそうになった事は両手では数えきれない数ある。

 その時は流石におれと小野塚もトオルと同じようにうなされていたが、その時のトオルは寝ているとき一度もこんな風にうなされていた記憶はない。

 なのに、今回はこんなにもうなされている。

 いや、一人で妖怪の群れに遭遇したんだ。何もなくてもうなされるのはわかるからなんとも言えないが……

 それともう一つ不可解な点がある。トオルが言った『皆逃げ……』の部分だ。トオルが妖怪に襲われたとき確か一人だったと聞いた。それで食われそうになったところに丁度他の見回りの班のやつが見つけて助けたらしい。

 それなのに何故皆逃げろなんて言っているのだろうか。

 まさかこれから起こることに関しての危険を皆に知らせようと無意識に言ってるのか……

 そのことを聞こうにも当の本人は意識不明の重体で聞けない。……まあ、全部おれの勝手な推測だけど……

 

 

 ___10分程、おれはトオルの部屋で過ごしてから出た。

 おれがあの影女と密室で10分もなにもせず過ごしたのはある意味奇跡かもしれないな。

 まあ、トオルがこんな状態なんだ。するはずもない。

 

 

「ま、取り敢えずトオルが無事でよかった。じゃあな」

 

「二度と会わない事を祈ってるわ」

 

「考えが合うなんて奇遇だな」

 

 

 おれの推測もどうせ杞憂で終わるだろう。

 考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 

 しかし、おれの考えていた推測が杞憂でなかった。

 それを知るのは月移住が始まって2日目のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 ーーー

 

 

『妖怪接近中! 妖怪接近中! 直ちに一般市民の方は転送装置の前に集合してください!』

 

 

 そう機械的な声のアナウンスが国中で流れ続ける。

 どうやら月移住2日目にして、妖怪の群れがこの国に向かって攻めてきているらしい。

 なんてタイミングだ。まるで計ったかのような気がしてならない。

 

 おれを含め、部隊長以上の人間は緊急会議に出席を命じられている。

 おれは現在その会議に向かっている途中だ。ちょっと急がなければ。

 

 

 

 

『さて、諸君。君らはこれから一般市民が安全に転送が終わるまで命を懸けてもらうことになる』

 

 

 

 モニター越しから淡々と話すなんか偉い人。

 1度見たことがあったがどんな人物かは忘れた。覚える必要もないと思っている。興味ないし。

 だってこいつ、おれらが今から命を張るって時に自分だけさっさと月に逃げた臆病者だからな。

 臆病者だと思っているのはおれだけではないらしく、隣にいる小野塚を含め、殆どの者が眉を寄せて上官の話を聞いている。

 

 

『綿月大和総隊長が戦場での指揮をとり、綿月依姫副総隊長が____』

 

 

「なあ、生斗。なんか妙だと思わないか?」

 

 

 偉い人が色々指示をしているなか、隣にいた小野塚が話しかけてきた。

 

 

「ああ、タイミングが悪すぎる。まるで此方が引っ越しをするのを分かってたみたいにな」

 

「いや、それもあるんだが……何故指揮をとっているのが副総監なんだ?」

 

「それになんの疑問が?」

 

「おおありだ。総監と副総監で派閥ってのがあってだな。

 それで今指揮をとっている副総監は過激派だ。一体何を考えているのよくかわからん。なにかよからぬ事を考えている可能性があると俺は踏んでいるんだが……」

 

 

『小野塚歩部隊長!!』

 

「は、はい!?」

 

『さっきから何度も呼んでおる。

 __小野塚歩部隊は市民の誘導を任せる。』

 

「は、はぁ!?」

 

『反論は受け付けん。頼んだぞ』

 

「……くっ」

 

 

 小野塚、あのなんか偉い人に目をつけられてるな。

 ていうかあいつ、副総監なんだな___過激派か。

 なんだか匂うぞ。もしかしたら小野塚は今回の妖怪のこの襲撃はあの副総監と関係していると思っているのだろうな。

 しかし今は正直、()()()()()()()()()()()

 今はこの状況を打破する事が先決だ。

 

 そしてこの危機を退けられるかもしれない可能性をおれは持っている。

 おれの能力があればな。

 

 

「あの、すいません」

 

『なにかね、熊口生斗部隊長』

 

「おれの部隊が出撃する順番、最後にしてもらえませんか?」

 

『何故だ?』

 

「理由は……言えません」

 

 

 言ったら絶対に反対される。

 

 

『話にならん。この状況に臆したか臆病者め。熊口生斗部隊は最初の出撃とする』

 

 

 いや臆病者て……そそらはあんただろ。自分のことを棚に置くのも大概にしてほしい。

 

 

「待ってくださいな」

 

 

 と、早々に諦めて次の手を考えているとゴリラが異議を唱えた。

 

 

「熊口部隊長の出撃を最後にしてやってくれませんかね?」

 

『……はあ、なんでかね? 綿月大和総隊長』

 

「この者がただ臆したからと言って出撃を最後にして欲しいといったわけではないと私は思うのです……だろう? 熊口君」

 

「え? まあ、そうですけど」

 

 

 あんたたちにしたら少しマイナスかもしれないことだけどな。

 

 

「本人もこう言っております。ここは1つ、彼の要望に答えてやってはくれませんか?」

 

『……』

 

 

 綿月隊長……なんていい人なんだ。これまで(20年)ゴリラなんて悪口言ってすいません。

 

 

『……ちっ、わかった。綿月大和総隊長に免じて熊口生斗部隊長の部隊を最後にする』

 

「ありがとうございます」

 

 

 ふう、ゴリラ……綿月隊長のお陰でなんとかなったな。

 

 

『それでは、各自戦闘準備を整えるように! 解散!』

 

「「「「「は!!」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「なあ、生斗。なんでお前、あのとき最後にしてくれって頼んだんだ?」 

 

「……ああ、ちょっとやりたいことがあってな」

 

「なんだ? やりたいことって」

 

 

 いや、このことは小野塚にも言わない方がいい。こいつからも止められる可能性が十分にある。

 

 

「……今はそんなことを話している場合じゃないだろ。

 あ、おれあっちだから」

 

「お、おう……あ、生斗!」

 

「なんだ?」

 

「なんか他人任せで悪いが……俺の分まで頑張ってくれ……!!」

 

「……小野塚はなにも悪くない。任せとけ」

 

 

 

 

 

 

 さて、これで覚悟は出来た。

 

 不謹慎だが、やっとこの国に()()()ができる。

 

 



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20話 過ぎた恩返し

 

 

「生斗君、僕に何か用ですか? まさかこの期に及んで僕の家でまたぐーたらしようと?」

 

「いやいや、そんなわけないじゃないですか」

 

 

 会議が終わり、部下たちのところへ行く前にツクヨミ様のところへと寄った。

 勿論、頼み事があるからだ。

 

 

「ちょっと頼みたいことがあるんです」

 

「…………なんですか?

 僕にあの妖怪の群れと戦えと? それをしたいのは山々なんですが、今殆どの力は月へ移動させているのでただの足手まといにしかなりませんよ?」

 

「いや、だから違いますよ! 神様に戦わせるなんてそんな無礼許されるわけないじゃないですか」

 

「……これまでの僕への行いを改めてからその事をいいなさい」

 

 

 確かにそうだけど!

 

 

「とにかく頼みたいことがあるんです!」

 

「はいはい、なんですか? 今僕に出来ることならなんでもしますよ」

 

「はい、それは_______です」

 

「!? ……それは、生斗君。正気ですか?」

 

「正気もなにもこの方が最も有効的な手段なんじゃないんですか?」

 

「しかし、それを出来るのは君次第です。それを実現できるだけの力を持っていない今ではそれを了承出来るわけありません」

 

「『今』はね。おれの能力を使えば大丈夫ですよ」

 

「確か『生を増やす程度』の能力でしたね。確かに便利な能力ではありますが戦闘には丸っきしなんじゃ…………まさか!」

 

「そう、そのまさかです。おれの命を皆に捧げます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 なんとかツクヨミ様に了承を得ることができた。後は御崎達だな。

 

 

「それでは、作戦の概要を説明する」

 

 

 御崎達の所へと行き、作戦の説明をする。

 

 まず第一陣として綿月隊長を含めた精鋭部隊が国から少し離れたところで迎撃、依姫を含めた第二陣はそれの取り零した妖怪らの排除。

 後の何陣かはその補助として部隊長の指示で出撃する。

 おれらはその最後の陣で出撃のため少しばかり時間が余る。

 と言っても30分程度だけどな。

 一般市民の転送の完了まで、旧式を入れても早くても三時間はかかるらしい。

 つまりおれらは最低でもその間、数えきれない数の妖怪さんらの相手をしなければならない。

 それに市民の転送が終え、おれら兵が転送装置まで行くのに足止めとしてどこの隊かがしなければならなくなる。

 つまり、この戦いで大勢の仲間が死ぬ。

 普通に考えたらな。

 

 

「説明は以上だ。なにか質問があるものはいるか?」

 

「あの……熊さん?」

 

「なんだ御崎?」

 

「なんで俺らにビールを渡してるんです?」

 

 

 そう、今、おれは説明しながら皆にビールの入ったジョッキを皆に配っていた。

 

 

「なに、前祝いだ。この戦い、一人も死なずに月へ行ったっていうな」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 

 そう御崎は言うと、そのまま黙って俯く。

 いつもの御崎ならここで変なボケをかまして場を和ませるんだけどなぁ……

 まあ、こんな状況だし仕方ないか。

 

 

「はいはい! 辛気くさいのは止めろ。皆いつもの元気はどうした?このビールはいつもケチケチ言ってる熊さんの奢りだぞ?」

 

「熊さん……そうっすよね。いつも通りにやればなんとかなるよな! これまであんなにきつい訓練を耐えてきたんだから! そうだよな、皆!」

 

「「「お、おう!」」」

 

 

 おう、こいつらチョロいな。ちょっと焚き付けただけでいつものテンションに戻りおった。

 

 

「それじゃあ乾杯しましょう!」

 

「おお、そうだな」

 

 

 よし、それじゃあ……

 

 

「乾杯!」

 

「「「「「かんぱーい!」」」」」

 

 

 そう言って皆ごくごくとビールを飲み干していく。

 

 

「そうだそうだ、皆飲め飲め!」

 

「あれ? 熊さんは飲まないんすか?」

 

「あん? いや、おれは良いわ。おれの分も飲むか?」

 

「ええ?まさか熊さん。俺らに焚き付けるだけ焚き付けて自分はまだビビってるんじゃないんすか?」

 

「ん、まあな」

 

 

 もうそろそろか。あれは即効性らしいからもう効き始めるだろうな。

 

 

「おーい! 皆~! 熊さん妖怪にビビってるってよ!」

 

「おいおい、恐れてるのは妖怪にではないぞ?」

 

「ん? なら何にビビってるんすか?」

 

 

「お前らが死ぬことが、今おれが恐れていることだ」

 

「え、熊さん、なん、て…………」ドサァ

 

「……」

 

 

 やっと効いたか。即効性の()()()。ビールの中に仕込ませてもらった。

 

 

「な、んで…………?」

 

「すまん、おれはお前らには死んでほしくはないんだ。

 それにな。

 お前らの十字架を背負って生きるなんて御免なんだわ」

 

「そん、な…………」ガクッ

 

 

 一応辺りを確認してみる。おれらがいつも使っているロッカーには屈強な男共がぐーすかと眠っている光景が瞳に映った。これが全員美少女だったら眼の保養になるんだけどなぁ……

 

 

 

「……やれやれ、本当に生斗君。神になんてことさせてるんですか。永琳の研究所から薬をくすねさせるなんて」

 

「ほんとすいません、ツクヨミ様。

 それと、こいつらのこと頼みます」

 

「わかりました…………生斗君。最後に君に聞きたいことがあります。」

 

「なんですか?」

 

「生斗君。君は……なぜそこまで僕達、いや、この国の民のためにそこまで命を懸けることができるのですか?」

 

「難しい質問ですね……」

 

 

 命を懸ける……はっきりいってしまえば、これが最善と思うからやるだけで、本当に命が懸かったときはそこまで…………いや、それじゃああの鬼のときのことに関して辻褄が合わないな。

 んー、どうしてだろう……やはり性分としか言いようがないな。

 仲間を助けたい。その為なら己を犠牲にしても構わない。

 うん、自分で言ってて恥ずかしいな。

 でもそれだと辻褄が合うんだよな……何故かそういうときだと、勝手に体が動くし。

 おれ、前世でそんな特性あったっけ?

 まあいいや。ツクヨミ様には考えていることをそのまま言えばいい。

 

 

「おれは、恩返しがしたいんですよ」

 

「恩返し……?」

 

「はい、恩返しです。

 おれが森でさ迷っている時、永琳さんが助けてくれました。

 もしあのとき、永琳さんが現れなかったらおれは為す術なく妖怪に食べられていたでしょう。

 おれが身寄りがないと知り、ツクヨミ様がこの国の在住を認めてくれました。得体の知れないおれなんかをね。

 こんなおれにこの国の皆は優しく接してくれました。

 ゴリ……綿月隊長、依姫、小野塚、トオル、豊姫さん、部下達。

 この国の人達に優しくしてもらった分、次はおれが返す番です」

 

 

 こんなところだろう。一応、これもおれの本心。

 なんか語っちゃったな。恥ずかし過ぎて今すぐ逃げ出したくなった。

 

 

「……僕達は、充分に返してもらってますよ」

 

「そう言って貰えるだけでありがたいです。でもそう思っているのなら出入り禁止なんかにしないでください」

 

「自立を促すためですよ」

 

「わー、豊姫さんの言っていた通りだー」

 

 

 取り敢えず軽口を叩いてちょっとしんみりした雰囲気を和ませてみる。

 

 

「ははは……それで、話を戻しますが」

 

「あ、はい」

 

 

 流石ツクヨミ様。一瞬にして場の空気を戻した!

 

 

「公的には、貴方のやろうとしていることには賛成です。命を代償にした力は絶大な物です。身体の負担を考えなければ凌ぐことも可能でしょう」

 

「でしょ?」

 

「しかし、私的には絶対に止めてほしいことです」

 

「……」

 

 

 そうか……だけどもう後戻りは出来ないんだよなぁ。

 部下達眠らせちゃったし。永琳さんの薬だから叩いても起きないだろう。

 

 

「もう後戻りは出来ないですよ」

 

「力の大半を月に移した今の僕でも、この者達を起こすのは容易いですよ」

 

「あ、ちょ、それはやめてください」

 

 

 ていうかツクヨミ様。何おれの考えていること読んでるんですか!?

 

 

「はあ……」

 

「まあツクヨミ様、今生の別れじゃないんだし」

 

「生斗君……君、しんがりも受け持つつもりですよね?」

 

「そうですけど」

 

「転送装置はしんがり以外の隊が転送されるとき、その最後の隊が数分後に時限爆弾の作動するように設定されます。もし時間を見誤れば君は月にいけないのですよ?」

 

「それも知ってます」

 

「それまでに君は戻れるという自信はあるんですか?」

 

 

 しかも戻るときに妖怪を転送装置の近づけないようにしなければならないと言う、面倒極まりない配役だ。

 いつものおれなら絶対に受け持たない。

 

 

「んー、そこは分かりませんが。何とかなるでしょう」

 

 

 実際、おれがやろうとしていることは不確定要素が多数に含まれている。

 ツクヨミ様いわく凌ぐことは可能だと言っていたが……

 

 

「まあ、今は一刻も争うことだし、おれはそろそろ行きます。もう第四陣ぐらいは出ていることでしょうし」

 

「っ…………そうですか。本当にやるつもりですか?」

 

「覚悟はもうできてます」

 

「……」

 

「んじゃ、ちょっくら行ってきます」

 

 

 時間が惜しい。早く行かなければ。

 そう思い、おれは走り出す。

 

 

「待ってください!」

 

「ん、なんですか?」

 

 

 ツクヨミ様……まだ止めるんですか?

 

 

「生斗君……君は、この国へ恩返しの為に命を代償にして戦うのですよね?」

 

「そうですけど……」

 

「その括りの中に、僕は入っていますか?」

 

 

 なんだ、ただの愚問か。 

 

 

「勿論、入ってますよ」

 

「そうですか……わかりました。すいません、引き止めてしまって」

 

「いいえ……それでは!」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 

 そう言っておれは妖怪達のいるところまで駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「生斗君、僕も覚悟を決めました」

 

 

 君が僕に恩返しをする義理なんてありません。だって僕は君に沢山のものをもらっているのですから。

 

 だからその恩を、返さなければですね。

 

 

「さて、生斗君に恩を返すため、この国の民を無事月に移住させるため__そして己の罪を償うため、僕も命を懸けるとしましょうか」

 

 



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21話 経験不足は自業自得

 

 

 ツクヨミ様と別れ、急いで第二陣のいる壁まで来たおれは、絶賛絶句していた。

 

 

「な、なんだこの量……綿月隊長はどうしているんだ!?」

 

 

 妖怪達の群勢が国の壁を壊そうとかなりの数が押し寄せていた。

 取り溢したじゃ言い訳にならないほどの数の妖怪がうちの隊員らと戦闘を行っているが、はっきりいって此方が明らかに劣勢だ。壁にもヒビが入り始めている。

 まだ空を飛んでる妖怪らは対処しきれてはいるが……

 

 

「依姫! 依姫は何処だ!」

 

 

 この状況で依姫はどうしているんだ? あいつのことだ、ここで呆気なくやられるということはまずないだろう。

 

 

「熊口部隊長!」

 

「お前は……◎○部隊長!」

 

 

 おれの呼ぶ声に反応したのは依姫ではなく、おれと同じ階級の部隊長だった。

 

 

「熊口部隊長、貴様の部隊は何処にいるのだ!」

 

「そんなことは後だ、依姫は何処だ?」

 

「そんなことだと___なに、綿月副総隊長を探しているのか。あの方は今、第一陣の様子を見にこの先にいるぞ。今はこの場の指揮は私に一任されている。そんなことよりお前____」

 

「ありがとよ!」

 

「なっ!? 待て熊口部隊長!!」

 

 

 マジかよ……あんな妖怪の群れの中、突っ込んで第一陣のいるところまで向かったって言うことかよ……

 まあ、空の方は大分空いてるからいけないこともないが。

 

 くそ、依姫までも彼方の方に行ったか。

 まあ、おれも最初から彼処まで行くつもりだったから問題はないか……いや、あるな。

 この二陣のところでこの量だ。もしかしたらもう第一陣は…………

 考えるのはよそう。あのゴリラと精鋭部隊だぞ、そんなまだ10分程度しか経っていないのにもう全滅なんてあり得るわけがない!

 

 そんな事を思いつつおれは空を飛び、妖怪の群れに突っ込む。

 

 

「ぎゃぎゃぎゃぁぁぁ!!」

 

 

 気色悪い奇声をあげながら襲いかかってくる百足型妖怪を霊力剣を生成して切り捨てながら持てる限りのフルスピードで空を滑空する。

 

 流石に多いな。今のおれの霊弾じゃ雑魚妖怪を撃墜させる程度の威力しか出せないし、中堅の妖怪はおれの霊弾を無視して攻撃を仕掛けてきやがる。

 

 

「死ねえぇぇ!」

 

「くっ!!」

 

「ぐぎゃぁぁ!?」

 

 

 突っ込んできた人型の妖怪の突進を体を捻らせながら避けつつ、その回転を利用しながら斬りつける。

 手応えはあった。今のは致命傷ものだな。人型を斬るとき気色悪い感触がするからな。斬るとき少し嫌悪感が生まれるから、たぶん斬れてる。

 そう自己完結しながらおれは見向きもせず霊弾をばらまきながら飛び続ける。

 

 

「まだか……」

 

 

 そんなに第一陣と第二陣との距離は空いてないはず。それに妖怪の数がどんどん増えてきている。

 もうすぐなはずだ。ていうかどれだけ妖怪いんだよ! 居すぎだろ! 軽くこの国の人口越えてるんだけど!

 

 

「「「「キイイィィィヤアアァァァア!!」」」」

 

「うるせぇ!!」

 

 

 次は団体で遅いかかってきたか。

 大勢でかかってきてもらった方が此方としてもありがたい。

 そう思いながらおれは()()に爆散霊弾を生成し、固まって襲ってきた妖怪共に着弾させる。

 

 するとそこにいた妖怪らの中心ぇ大爆発が起き、無惨に四肢が吹き飛び胴体は跡形も無くなる。

 我ながら恐ろしい威力だ。

 並の中堅妖怪でも一撃だな、これは。

 それを霊弾を作るのと同じぐらいすぐに生成出来るようになったおれ、最強だな! ははは!

 

 ……うっぷ、流石に妖怪共でも四肢がバラバラに吹き飛ぶ光景を見たら吐き気が……

 笑って誤魔化しは出来なかったようだ。

 

 

「……うわ、汚っ……ってゴリ……綿月隊長!」

 

 

おれの顔に何者かの肉片が飛んできたため、その方向を見てみると、綿月隊長が妖怪の顔面を蹴りで吹き飛ばしている姿が目に映った。

 

 いかんいかん、いつもの癖でゴリラって言いかけてしまった。

 ……ってそれどころじゃない!

 おれから少し離れた場所で綿月隊長がボロボロになりながらも戦っている。しかも一人で。

 精鋭部隊はどうしたんだ?

 

 

「綿月隊長!」

 

「誰だっ! ……熊口君か!」

 

 

 彼方も此方に気づいたようだ。

 器用にも妖怪の腹を殴り、吹き飛ばしながらこっちに近付いてくる。

 

 

「何故君がここに? それに用事は済んだのか」

 

「はい、おかげさまで……それより精鋭部隊と依姫は?」

 

「ああ、依姫なら後ろの方で戦ってくれている。

 精鋭部隊は…………」

 

 

 と、俯く綿月隊長。

 ……まじかよ、精鋭部隊全滅したのか。

 ていうか綿月隊長、俯きながら妖怪を屠って言ってるよ。

 そのせいで落ち込んでいるのかどうかよくわからないんだけど。

 まあ、おれとしてはあまり精鋭部隊とは関わった事がないからさこまで落ち込みはしないが。

 

 

「そうですか。いつの間にか抜かしていたんですね」

 

「それじゃあ私の質問に答えてくれ。何故君がここに_____」

 

「綿月隊長!」

 

「なんだ…………!!」

 

 

 綿月隊長がおれに問いかけようとした瞬間、地上の方からとてつもなくどす黒いオーラが伝わってきた。そのオーラは周りの者を絶望に叩き落とすには十分過ぎるほどの効力を持っており、霊力で多少耐性のあるおれですら息が詰まる感覚に陥る。

 

 この感覚は…………あのときの鬼と同じ! しかも一匹じゃない!

 

 

「漸く大将のおでましってところか」

 

 

 お、おいおい、綿月隊長、いくら大妖怪相手に互角以上に戦えると言っても、複数いる大妖怪相手には分が悪いんじゃないのか?

 

 

「熊口君、君は今から依姫の所に行って援護をしてくれ」

 

「まさか、一人でやるつもりですか?」

 

「私以外に止められる者がおらん。はっきりいってやりたくないが、やらねばならんのでな」

 

「まさか……」

 

「依姫を___私の娘を、頼むぞ」

 

 

 そう言って綿月隊長はどす黒いオーラが発せられている地上まで、雑魚妖怪を蹴散らしながら降りていく。

 

 馬鹿だろ……死ぬつもりでしょ、あの言い方。

 

 

「____ああもう! そういうのは全部おれが受け持ってやるって言おうとしたのに!」

 

 

 もういい、綿月隊長らを国の中まで避難させてから使おうとしたが、こんな異常事態、作戦通りにいかないのは当然だ。

 

 今、おれの()()()を使うしかない!

 

 

 

 切り札。と言えば聞こえは言いが、実際はただの自己犠牲だ。

 

 

 _____命を糧にする。

 

 

 漫画とかでよくある命を代償にして絶大な力を手にする諸刃の剣的な裏技。

 

 その命を捨てるような行為だが、おれは幸いにも今、7つの命がある。

 多少は無駄にしても大丈夫な身体にはなっている。

 ま、無駄ではないが。有効活用、といった方が適切か。

 

 まあ取り敢えず、7つの命のうち、5つの命を消費するように念じてみる。

 やり方はよくわからない。だが、おれの能力だからなのか不思議と出来るような気がする。

 

 

「…………!!」

 

 

 妖怪の攻撃を避けながら念じていると、一瞬だけ視界がブラックアウトし、年に一度みる蝋燭が5本、火が消えるのが確認できた。

 

 これは……成功したってことなのか?

 

 

「うぉ、ごふぉ!?」

 

「うわ、なんだこいつ、いきなり血を吐きやがったぞ!?」

 

 

 成功したと思った瞬間、全身にこれまで感じたことのないような痛みが走った。

 それに物凄い吐き気。吐いてみると、それは大量の血だとわかった。

 手足が痙攣し、空を飛ぶこともままならず、そのまま落下していく。

 

 や、やばい……こんな無防備な所を見せたら、妖怪達に…………

 

 

「あ、れ……?」

 

 

 襲われると思っていたが、その予想に反して妖怪達の動きは固まっていた。今のところ、襲われる様子はない。

 

 

「はぁ……うぐっ……あ、く……」

 

 

 痛みが収まらない。

 そうか、そうだった! こんなことに気づかないなんて……

 おれの身体が、命7つ分の力に耐えきられていない! 簡単に言えば許容重量が十キロ程度の器に一トンを重りを置くようなものだ。

 命を代償にすると絶大な力を手にいれることができる。

 しかし、その力を抑えられる程大きな器がおれにはない。

 小さい器にはその分の物しか支えることが出来ない。

 その容量を越えた物を無理矢理置こうとしたらどうなるか?

 当然、耐えきれずその器は壊れてしまう。

 

 今のおれがそんな状態だ。容量を越えた力を手にいれようとしたせいで、身体が壊れかけている。

 

 こういった場合の対処法はわからない。

 

 

「んぐあっ!?」

 

 

 地面に落ちたおれは変な声を出し、そのついでにまたも吐血する。

 痛い、痛い……こんな状態じゃ、戦うなんてままならな_____

 

 

「わ、たつき、隊長?」

 

 

 落ちた先は、あのどす黒い妖気を発していた所だったらしい。

 漏れだしている妖気を隠しもしない、4体の大妖怪が、ボロボロになった綿月隊長をサンドバッグのごとく殴り付けていた。

 

 

「ああ? なんだこいつ、死にかけじゃねぇか」

 

「ん、だがなんだその霊力の量は!?」

 

「死にかけとは運がいい。殺そうぜ!」

 

 

 そんなことを言っている大妖怪共。

 まさか、あんなやつらなんかに呆気なくやられたって言うのかよ、綿月隊長……

 

 

「うっ……ぐ!!」

 

 

 なんとかして立ち上がる。こんな状態になったのは、実験を怠ったのと自分の許容量についてよくわかっていなかったからだ。

 言うなれば自業自得。この立つのがやっとの状態で戦うしかない。

 全身を常に殴られているような感覚がし、肩も大量の重りを乗せられたように上がらない。

 足も殆ど上がらない。飛べるかどうかも定かではない。

 

 だが、やるしかない!

 

 

「父上! 熊口君!?」

 

 

 この声は……依姫?

 

 



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22話 母なる薬

 

 

「父上! 熊口君!?」

 

「より、ひめ?」

 

 

 痛む身体には鞭打って大妖怪に立ち向かおうとしていると、依姫が空から降りてきた。

 

 

「なんで熊口君がここに……しかもこんなに怪我を!」

 

「そ、んなことよりあっちだ……おれのは、自業自得、だからな」

 

 

 戸惑った表情でおれのところまでくる依姫。だが、今はおれを構ってる場合ではない。

 目の前に化物が4体もいるからな。

 

 

「何故、父上が……」

 

「おそらく、突っ込んだ、ときに、奇襲を、かけられたんだろう……」

 

 

 でなければあんな少しの間に綿月隊長がやられるわけがない。

 ていうかまだ生きてるよな? 

 

 

「依姫……」

 

「な、なんですか、熊口君?」

 

「鎮痛剤が何かを……痛みを、和らげるもの、を持っていないか?」

 

「あ! あります!」

 

 

 そう言って、太股のポケットから錠剤の薬を取り出した。

 

 

「八意様が私の能力が暴走したときにとくださったものです」

 

 

 依姫の能力……そういえばいまだに制御できずに暴走するとか言っていたな。

 

 その時にもらった薬か___ん? そういえば依姫がこの薬を永琳さんから貰ったとき、おれいたぞ。

 

 その時、この薬の効果を聞いた覚えがある。

 

 依姫の能力は『神霊の依代となる程度の能力』と言い、神をその身に宿らせ、使役するという恐ろしい能力だ。

 それにより神の力が強大過ぎて、自らの身を滅ぼしてしまうのを防ぐための薬だと。

 己の依代を底上げし、神の力を受け止めるようにすると。

 

 

 それって……おれにも使えるんじゃないだろうか?

 依代を器に例え、神の力を増えすぎた霊力と解釈すれば……

 これは使えるかもしれない。そうすればこの痛みを引くことができる上、この異常な霊力を操作することができる!

 

 

「あり、がとう……!」

 

 

 大妖怪らがおれの異常な霊力量に警戒しているうちに、依姫から薬を受け取る。

 これだと依姫の能力が使えなくなるが、それはいい。

 これが成功すればあとはおれが何とかするからな。

 ていうか永琳さんスゲーな。どうやったらそんな薬を作れるんだろうか。手取り足取り教えてほしい。

 

 

「……!!」ゴクッ!

 

 

 永琳さんの万能さに感心をしつつ、おれは依姫から渡された薬を飲み込んだ。

 

 

「おい、今あいつ、何か食べやがったぞ?」

 

「俺達を前にして呑気なものだな」

 

「やるか?」

 

「いや、もう少し様子をみよう」

 

 

 はぁ……はぁ……

 

 おお、少しずつだけど痛みが引いてきたぞ。どうやら、おれの解釈は当てはまっていたようだ。

 吐き気もないし、手足の痙攣も止まった。

 ガンガンと内側から叩いてくるような頭痛は引き、少しは正常に行動が出来るようになった。

 まだ身体中に違和感がありはするが、剣を振るうにはあまり問題ない程度には大丈夫だ。

 

 

「はぁ、はぁ……永琳さんって、ほんと凄いよな」

 

「熊口君、大丈夫ですか……?」

 

「ああ依姫の薬のお陰で、な。だいぶ楽になった」

 

「気を付けて下さい。この薬、効果は二時間程度ですので」

 

「そ、そうなのか?」

 

 

 いや、まあ大丈夫だろう。有り余る力(霊力)を今は薬の効果で拡張された器で抑えることが出来ている。

 なら、中身の力を二時間以内に消費し、薬の効果が切れても溢れないようにすればいい。

 

 つまり、これから霊力の無駄使いをしまくればいいって訳だ。

 いや、無駄使いは駄目だな。ちゃんと考えて使わなければ。

 

 

「よし、霊力剣を出せるまでは治ったか……」

 

 

 霊力剣を出せるということは脳がイメージを出来ている、つまり正常に作動しているという証拠だ。

 実際、身体にかかった負担による傷は癒えていない。

 普通に身体中は痛いし、内蔵も痛めていると思う。

 だが、さっきの痛みと比べれば耐えられないほどではない。

 これぐらい我慢しないと守れるものも守れなくなる。

 

 

「(さっきまで力士を5人ほど背中に乗っているんじゃないかというほど重かったが……今は自分に体重があるのか疑問に思うほど軽い)

 依姫、本当にありがとな」

 

「礼は後です。彼方が構えてきました」

 

 

 と、さっきから静かだった妖怪達を見てみる。

 確かに、今から襲うぞってな感じに構えをとってる。

 あの4匹の特徴を見てみると……

 四足歩行の牛みたいな奴が1匹。人型で頭に角が生えている奴が二匹。最後に後ろにいるフードで顔を隠した人型の妖怪。フード妖怪がおそらく気絶しているであろう綿月隊長を拘束している。

 

 

「大妖怪4体か……」

 

 

 なんだか……前に見た鬼で見慣れているからか、それとも絶大な力を手に入れたからかーーたぶん両方だろう。

 そんなに絶望的な状況でもないように見える。

 

 果たして、5生分の霊力で太刀打できるかな。試してみるには過剰過ぎる相手だ。

 

 

「行くぜ!」

 

「……!」

 

 

 そう言い放ち、ついに大妖怪らが行動に移した。牛妖怪が突進しつつ、後ろから角妖怪Aがついていく。

 角妖怪Bはフード妖怪と一緒に動かず、その場に留まっている。

 

 

「は、速い!?」

 

「依姫、人型の奴頼む」

 

「え、あ、はい!」

 

 

 依姫が相手の動きに驚いているが、おれは他の意味で驚いていた。

 何故なら、おれの目にはスローで動いてるかのように遅いからだ。前に戦った鬼の動きは全く見えなかったと言うのに、あの2匹の動きがとてつもなくゆっくり見えるのだ。

 依姫は速いと言っていたが、おれにしてみればふざけてるのか? と言いたくなるぐらい遅い。

 

 これってもしかしてブーストのお陰なのか?

 取り敢えず、ゆっくり向かってきている牛妖怪の前まで近づき、横顔を蹴ってみる。

 このときおれが動いているとき、奴らはおれが見えていないのか。見向きもしない。

 そしておれが牛妖怪を蹴り抜くと、そいつの顔面だけが吹き飛び、空の彼方へと飛んでいった。

 

 

「…………は?」

 

 

 ____ん?

 なんで顔が吹き飛んだんだろう。

 確かに吹き飛ばすつもりで蹴った。だが相手は大妖怪。おれの攻撃ぐらいでは精々動きを止める程度だろうと思っていた。

 しかしその予想は外れ、天高く牛妖怪の頭部は飛んでいった。

 

 

「え、あれ、熊口さん!? いつの間に……」

 

「牛乱!!」

 

 

 理解が追い付かない。

 あの依姫が速いと言っていた相手がゆっくりに見えた。そしておれの蹴りが超強くなった。という理解だけでは駄目だろうな。

 

 ……もしかして、おれが凄まじく速くなったのか?

 それなら凄いぞ。大妖怪相手がスローに見えるほど強化された目に、一撃で仕留められるほどの威力を持った足。なにより敵に認知すら及ばせぬ速さでの移動速度。

 

 なんかもう、敵なんかいないんじゃね? ってぐらい凄い。

 あんなに恐怖の対象であった大妖怪共がそこら辺の雑魚妖怪と何ら変わらないように見える。

 

 

「これならいけるかもな」

 

 

 そう思い、おれは後ろに下がろうとしている角妖怪Aまで飛んで接近する。

 

 

「な、速っ____」

 

 

 そして出しっ放しにしていた霊力剣を角妖怪Aに向かって斬りつける。

 するといつもなら斬ると気色の悪い感触がしていたのに、全然その感触がなく、プリンのように首と胴体を切断させてしまった。

 霊力剣も切れ味が凄くなってる……

 

 

 すっげーな、おれ。たった数秒の間に2体も大妖怪を仕留めてしまった。なに、熊さん無双来たか? 来てしまったのか?

 

 

「このぉぉ! 勝ったと思ったかマヌケがぁぁぁ!!!」

 

 

 と自画自賛していたら首の切り口から斬った筈の角妖怪Aの頭が飛び出てくる。

 ん、どうなってんだ、こいつ? てかきもっ!?

 

 

「……おらっ!」

 

「んがぁぁ!?」

 

 

 次の試しとして霊弾を5発ほど角妖怪Aに向けて撃ってみる。

 すると霊弾は見事全発命中し、当たった箇所は全て抉りとられたかのように消え去った。

 

 

「お、おぉ?! 再生が……に、肉がねぇとぅぁ」

 

 

 肉がねぇと? 再生が?

 まさか肉を使って部位を作っていたのか? そんなことありえるのかよ……いや、相手は大妖怪だ。何が起きようがおかしくない。

 それならあのとき斬った時、胴体とかの肉を使って頭部を作り出したことにも合点があうしな。

 斬り飛ばされた頭部、そこに転がってるし。

 なら一応、こいつの頭部は霊弾で消し飛ばしておこう。

 

 

「それにしても、霊弾もパワーアップしてたか」

 

 

 ……てことはつまり爆散霊弾も……あれは素の状態のおれでもかなりの威力を出せる技だ。

 もしこの状態で使ったら、本部に設置している核爆弾と同じくらいの威力が出るかもしれない。

 封印しておこう。仲間まで巻き込んでしまったら本末転倒だ。

 

 

「さて、どうする? おれとしちゃ、そこのゴ、綿月隊長を返してこのままこの国から去って貰えればありがたいんだが」

 

「ほう、なめられたものだな……」

 

 

 と、フード妖怪が若干低い声で返事をする。

 怒ってんのか?

 いや、まあそうだろうな。妖怪は基本的人間を下に見ている。特に大妖怪は人間を餌としか見ていない者も少なくないだろう。

 あの鬼もそうだったし。

 その餌に情けをかけられてるんだ。そりゃあ怒りもするだろう。

 

 

「が、その情け、ありがたく受け取るとしよう」

 

「そうだな」

 

「ん?」

 

 

 あれ? 怒こってるんじゃないのか?

 

 

「なに、狙い外れたと言わんばかりの顔だな」

 

「そりゃそうだろう。お前らで言う餌に情けをかけられてんだぞ?」

 

「くく、自らを餌と名乗るか。変な奴だ」

 

 

 フード妖怪は笑い、角妖怪Bは微妙な顔をしている。

 

 

「まあ、私らがお前の提案に乗るのは元々、今回の件で賛成ではないからだ」

 

「この国攻めをか?」

 

「ああ、主犯は今お前が殺した二人、牛乱と生蜴。私とそこにいる慧樹は反対派だった。だが、彼奴らより弱かったため、従わなければならなくてな」

 

「それをおれに信じろと?」

 

「無理に信じてもらわなくていい。」

 

 

 そうフード妖怪が言うと、自分より2倍は大きいであろう綿月隊長を軽々しく持ち上げ、此方に投げつけてきた。

 

 

「父上!」

 

 

 それを先程までずっと黙っていた依姫が受け取る。

 

 

「いいのか? 人質を解放して。今すぐお前らを殺すこともできるんだぞ?」

 

「くく、そうなったら私の目が濁ったと諦めるまでだ。」

 

「ふーん」 

 

 

 まあ、殺る気はないけど。相手が攻撃してこない限りな。

 

 

「それでは、枷が外れた私らはおいとまさせてもらうことにしよう」

 

「ああ、おれらも急がなきゃならないんでな。さっさとどっかに行ってくれ」

 

 

 今、おれが話している間にも妖怪の進行は止まってはいない。早く行かなければ。

 

 

「あ、最後に良いことを教えてやろう」

 

「……なんだよ」

 

 

 内心嫌気がさしつつ、フード妖怪にといてみる。

 

 

「あの二人が今回の国攻めを妖怪共に焚き付けたわけだが、その二人に吹き込んだのは△▽という名の者だ」

 

「なに! △▽だと!?」

 

 

 一瞬誰だそいつ? と思ったが、それに反応したのは依姫だった。

 

 

「依姫、何か知っているのか?」

 

「△▽は、副総監の秘書です。ここ最近失踪しているときいていましたが……まさか裏切り者だったとは」

 

「失踪? おい、フード妖怪、その△▽はどうなったんだ?」

 

「(フード妖怪? 私のことなのか?)あ、ああ、あの二人に吹き込むと共に食われていたよ」

 

 

 なるほど、証拠は残さないと。

 ……それにしても小野塚が犯人と睨んでいた副総監の秘書。

 これは小野塚が睨んでいた通りかもしれないな。

 

 

「おい、フード妖…………」

 

「悪いがそれ以上のことは知らない。さらばだ」

 

 

 そう言うとフード妖怪と角妖怪Bは霧となって消えていった。

 

 

「まさか、国の者に裏切り者が……」

 

「そんなことより戻った方がいい。今、後ろでは大変な事になってるぞ」

 

「そ、そうですね。一刻も早くこの事を伝えなければなりませんし。それに……」

 

「綿月隊長の治療もな」

 

「……はい」

 

 

 かなりのハプニングが起きたが、やっとおれの考えていた事が実行できる。

 後は戻って()を作るだけだ。

 

 

 そんな思いを心の奥底に留めておきながら、おれと依姫は国の方へと戻っていった。

 

 



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23話 安い挑発

 

 

 国へと戻る途中、依姫からこんなことを聞かれた。

 

 

「熊口君……その、何故そこまで強くなったのですか?」

 

「ん?」

 

 

 そういえば依姫に聞かれてなかったな。

 そうだよな……急に知り合いが意味わかんなくなるほど強くなったら疑問に思わないわけがない。

 

 

「依姫は知らない方がいい」

 

 

 が、教えない方がいいだろう。

 ていうか、依姫は知らない方がいい。

 だってこの力は、命を代償にして手に入れた力なんだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 ~依姫視点~

 

 

 私の親友、熊口生斗が大妖怪を一瞬のうちに2体も屠るほどの力を手に入れていた。

 意味がわからない。どうしてそこまでの力を手にいれたのか。

 そしてその力を使いこなしているのか……

 

 私も、神の力を借りなくても大妖怪1体なら互角に戦えるぐらいに力はつけていると自負している。

 しかし、彼は一瞬のうちに2体だ。

 言わずもなが、私より強くなっている。

 そんな中、私は少しの嫉妬と不安を抱えていた。

 

 もしかしたら、熊口君は禁忌の手段を使っているのかもしれない、と。

 

 彼はいつの間にか前線におり、血を何度も吐くほど重傷であった。

 それが私が永琳様に頂いた薬を飲むと、何事も無かったかのように治っていた。

 この症状は私のときもよくあったことだ。

 神降ろしが上手くいかず、神の力が私という依代の中で暴走したとき、よくあの八意様特製の薬を飲んでいた。その薬を飲むと神の暴走した力を抑え込むことが出来るからだ。

 

 

 熊口君は神降ろしは出来ない筈。なのに私と同じ症状が現れている。

 急に絶大な力を手に入れたということは確かだ。……まあ、見れば一目瞭然なのだけれど。

 しかし、その手段はどんなものなのだろうか。

 

 本人に聞いても笑ってはぐらかされるだけで教えてもらえない。

 

 

 今も私に父上を持たせたまま一人で弾幕を張り、妖怪らを蹴散らしている。

 

 

 何故か胸騒ぎがする。私でない、親友になにかが起こるような、そんな気が。

 

 

「なあ依姫、こんな時で悪い……」

 

「な、なんですか?」

 

「おれ、今すごくトイレ行きたいんだけど」

 

「……我慢してください」

 

 

 よくこんな状況で気の抜けたことを言うのですね……

 

 

「いや、ほんと、考えてみたら今日1度もトイレ行ってないんだよ」

 

「それがどうしたって言うんですか!」

 

「だからさ、少しあっち向いててくれないか?」

 

「ま、まさか空中でするつもりですか!?」

 

 

 こんなふざけたことを言いながらも着実に妖怪を屠っていく熊口君。

 ……そんなことよりも、なんでここでしようとしているのか不思議でならない。

 

 

「いや、だって地上は妖怪が多くて出来そうにないんだもん」

 

「だからって女である私の目の前でするなんて……」

 

 

 端からみたらただの変態だ。露出狂ともとれる。

 ま、まさか……!

 

 

「さ、流石に怒りますよ! いくら私を女として認識していないからって!」

 

「そんなわけないだろ?!」

 

 

 いや、だってそういうことでしょう。女性の前で用をたそうなんて、いくら無神経な熊口君でも考えるわけないじゃないですか!

 

 

「……はあ、もういいや。まどろっこしい事は止めよう」

 

 

 そう諦めたかのように首を振り、私の近くまで寄ってくる。なにがまどろっこしい事なのだろうか……

 

 

「なんですか?」

 

 

 すると、熊口君は自分の手を私の首元に持ってきた。え、ちょっ、本当になんですか!?

 

 

「いや、ちょっとな」

 

「え____」

 

   

 瞬間、私の首に衝撃が走った。

 

 

「あ……くま、ぐち……君?」

 

「すまん、後はおれに任せてくれ」

 

 

 みるみるうちに視界が薄れていき、意識が遠ざかっていくのが分かる。

 その最中、熊口君が『~~で会おう』と何か言っていたようだが、そんなことを考えている間もなく、私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ーーー

 

 

 ~壁の上~

 

 

「ふぅ」

 

 

 なんとか依姫を気絶させることが出来た。

 やっぱり小便するからあっち向いて作戦は失敗したな。

 あ、因みに今日トイレに行ってないのは本当です。 

 

 

「なっ、熊口部隊長! 担いでいるのはまさか……」

 

「ああ、綿月隊長と依姫だ。今すぐ二人を安全な所にやってくれ」

 

「あ、ああ、わかった!」

 

 

 今指揮を取っている◎○部隊長に綿月隊長と依姫を渡す。

 

 

「あ、後綿月隊長がおれに指揮を任せると言っていた。後はおれに任せてくれ」

 

「はあ!? な、何を言っている! そんな事綿月総隊長から一言も連絡が来てないぞ!」

 

 

 来るもなにもそんなこと一言も言ってないけどな。

 これはおれの嘘だ。

 

 

「ああ、綿月隊長が倒れる前に言ったからな。そんな余裕無かったんだろう。

 それともなにか? おれが嘘を言っているというのか?」

 

 

 嘘を言っているんですけどね。

 んー、でもこれで口論になったら面倒だな。今はただでさえ妖怪が入ってくる瀬戸際まで来ていて時間が無いのに……よし、もし口論になったら依姫と同じ手刀をお見舞いしてやろう。

 

 

「くっ……わかった、信じよう。だが、判断を見誤るなよ。1つの指令が部下の命を左右するのだからな!」

 

 

 あれ、あっさりと信じてくれたんですか。

 まあ、こんな緊急時、考えに耽っている場合ではないからな。賢明な判断だ。賢明な判断なのだけれど……おれから言わせてもらえばもう少し渋らないと駄目だと思うよ。

 ……て、なんか偉そうだな、おれ。立場的にはこいつと同じなのに。

 

 

「分かってるって。部下達を無駄死にさせるようなことはしない」

 

「……ふん。この通信機を使え。この戦場にいる兵士全員の耳に装着されている小型イヤホンに繋がっている。指示をするときに使ってくれ。あと、この通信機がバイブし始めたら本部からの連絡だから見逃さないように」

 

「わかった」

 

「それじゃあ私はこの二人を安全なところへと運ぶ。後は頼んだぞ、熊口部隊長」

 

「ああ、任せとけ」

 

 

 なんとか指揮権を取ることが出来たな。

 もしごねられたら気絶させるつもりだったが、それをする必要は無かったようだ。本音ではちょっと手刀したかった。

 

 

「さて」

 

 

 部隊長からもらったこの無駄にコンパクトな円盤の通信機。

 前に同じようなのを扱った覚えがある。

 確か横にあるボタンを押しながら喋るんだよな。

 

 

『あ~、あ~、聞こえますかぁ。

 今から◎○部隊長に代わって、おれこと、熊さんが指揮をとることになった。好きな食べ物はうどん。好きなものはグラサンだ。よろしくな』

 

 

 一応念のためにとマイクテストをしてみる。

 するとおれの近くで戦っていた兵士に___

 

 

「何をふざけているのですか!? 遊んでいる場合ではありませんよ!!」

 

 

 と、怒られたました。

 あ、すいません。

 だが、どうやらちゃんと聞こえているようだな。

 

 

『それではこれからの指示を行う』

 

 

 もうこの隊の数からしてほぼ全ての陣営はでている。

 増援は見込めない。

 そんな状況のなか、おれがとる指揮はどれが最善か。

 

 

 ・現状のまま戦わせる。違う。

 このままでは一時間と経たずに全滅する。

 

 ・部隊を再編成して立て直す。違う。

 再編成するのに時間がかかる。

 

 ・特攻させ、自爆覚悟で立ち向かわせる。

 これが一番駄目だ。

 昔の日本じゃないんだから。

 

 

 おれがとる指揮はその一番駄目な指揮の真反対の事。

 つまり______

 

 

『総員、直ちに壁内へ撤退せよ。』

 

 

「「「「えぇぇぇ!?」」」」

 

 

 おれが撤退を告げると、壁の上だけでなく地上からも同じような声が聞こえた。

 

 

「なんでですか! こんなところで撤退すれば妖怪達が押し寄せてくるじゃないで……」

 

「おっと危ない」

 

「うわっ!?」

 

 

 文句を言おうとしてきた兵士の後ろに蜘蛛型の妖怪が襲ってきていたので、霊弾をお見舞いする。

 

 

「あ、あぁ、ありがとう、ございます……」

 

「戦場で余所見はあんまりするもんじゃないぞ。

 んまあ、いきなりおかしな事をほざかれたら文句言いたくなるのはわかるけどな」

 

「……自覚はあるのですね」

 

 

 おれだって素っ頓狂なことを言っているのは分かっている。

 だが、今はこの指示が最善だとおれは思っている。

 

 

「あ、ああ!?」

 

「くそおぉぉ!」

 

 

 おれの指示を聞いてからの兵士らの反応は様々だ。

 ちゃんと指示に従って撤退する者。指示を無視して妖怪と戦う者。どうすれば良いかわからず辺りの様子を見て行動する者。

 殆どがおれの指示を無視して戦っている。まともに従っている奴らは殆どいない。

 まあ、全員がちゃんとおれの指示に従ってくれないと言うことは分かっている。

 ここにいる兵士は、皆この国で生まれ育った奴らだ。今のおれの指示だとこの国の人達が大勢死ぬと判断し、皆を守るために指示を無視して戦っているのだろう。

 おれは、無視して戦っている兵士を誇りに思う。自分の命を犠牲にしようともこの国の人間を守ろうとしているのだから。

 

 今、壁の上から地上で見える範囲でもこの戦場は地獄そのものと錯覚してしまうような修羅の場だとわかる。

 地上にいる蟲型の妖怪との戦闘に敗れ、補食されている者。

 これまでの戦闘により腕を欠損してなお、支給されたレーザー銃や、剣で妖怪と戦う者。仲間の亡骸を食われないように守りながら戦う者。

 

 皆、倒れゆく同志を悲しむ暇もなく戦っている。

 

 

 ……誰だよ、皆がこうして必死に頑張っているなか、マイクテストと表して好きな食べ物とか紹介した奴。

 ぶん殴ってやりたい。

 

 ということで取り敢えず自分の顔面を思いっきり殴っておく。するとパアァァン! となにかが破裂した音が鳴ったようなが気がしたが気にしないでおこう。

 

 

 これ以上、ここにいる兵士を死なせるわけにはいかない。

 こいつらにだって待っている家族がいるんだ。

 おれにはこの世界に血の繋がった家族はいない。家族みたいな存在の人はいるが……

 それにおれは複数の命を持っている。今は2つしかないが、この場で死んでも後一回は生き返ることができる。

 そしておれは今、ここにいる万を越える妖怪共を食い止める力がある、と思うーーこんな大群に試したことがないからわからないが……

 

 だが、おれの考えている作戦にここにいる兵士ははっきりいって邪魔でしかない。

 一刻も早く壁内に入ってもらわないと困るんだ。

 皆を守るために戦っていることに兵士を誇りには思うが、おれの指示に従ってほしい。

 

 

 だから一刻も早く壁内に入ってもらうよう説得する必要がある。

 この場合、口で説得するのは難しい。無駄に長引くだけで、耳を貸してもらえないことは目に見えている。

 相当に口が達者な奴なら説得出来るかもしれないが、おれはそんなこと出来ない。クソみたいなボケなら無限に出てくるんだが……

 

 そんなおれが、今戦っている奴らを説得する方法。

 

 ____それは、『実力をみせつけること』。

 

 

 力のない者についていく奴はいない。力とは腕っぷしの強さだけでなく知能の高さなど、沢山の種類がある。

 良い例だと綿月隊長と永琳さんだ。

 綿月隊長は圧倒的な力をもって相手を蹂躙する力を持っている。

 それに比べて永琳さんは部下らの個々の能力を最大限にまで発揮させ、確実に敵を倒す知能を持っている。

 

 

 この二人の共通点はなんなのか。

 それは単純だ。

 

 この人なら任せられる、という安心感がある事だ。

 

 今、この状況でおれはその安心をこの場にいる兵士らに与えられていない。

 それもそうだ。おれはあまり頭は良くないし、力だって素の状態だとこの国の平均の実力に毛が生えた程度しかない。

 

 そんな奴の命令に誰が耳を傾けるのか。

 普通は傾けない。いや、嫌でも上司命令で傾けざるを得ない時はあるだろうが……

 だが、今は命を懸けた戦いの真っ最中だ。

 戦争中に無能な上官が部下に殺されるって話を漫画で見たことがある。

 もしかしたらおれも後ろから刺されるかもしれないな。

 

 まあ、要するにおれが言いたいのは力を見せつけて、おれに従えって事だ。

 

 あ、この人なら大丈夫かもしれない! と、思わせられるような事をすればいい。

 

 5生も費やして手に入れた力だ。

 

 

 皆を納得させられるようなことが出来るかもしれない。

 やるならやろう。力を見せつけるということは敵への威嚇行為にもなる。

 一石二鳥というわけだ。

 

 

「…………!!!」

 

 

 そしておれは、部下達をしたがわせるため、抑えていた霊力を全解放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、ほぼ全ての音が止んだ。剣を振るう音も、足音も、息を吐く音さえもしなくなり、皆息をすることを忘れ、壁の上にいるおれを見上げていた。

 

 何故、皆がおれを見ているのかというと、それはこの、戦場を覆い尽くすほどの霊力の発生源がおれだからだろう。

 

 正直、当の本人であるおれですら驚いている。

 大妖怪を瞬殺出来るほどの力を手に入れ、調子に乗っていたのは確かだ。

 だが、ここまでとは思わなかった。この戦場は少なくても五キロぐらいの広さにまでは続いている。その範囲を余すことなくおれの霊力で満ちているんだ。

 流石5生を犠牲にした力というべきか……

 そりゃあの大妖怪共も秒殺出来る筈だ。あのときの鬼の妖力でさえ、ここまで多くは無かった。

 でもこれを見ると改めてあのときは無謀なことをしたなと実感する。

 この霊力の量、素のおれじゃ絶対に抑えきれない。もしあのとき依姫に薬を貰っていなかったら、おれの身体は耐えきれずにぐちゃぐちゃに破壊されていただろう。

 

 

「熊口、部隊長……?」

 

 

 おれの近くにいた兵士がおれの名を呼ぶ。

 その呼ぶ声は驚愕と怯えの混じった声で、恐る恐るといった感じだ。

 驚くのは分かるが、怯えられるのは予想外だな……

 

 

「熊口部隊長……アナタは、本物ですか?」

 

「はえ?」

 

 

 少し予想外の質問をされたため、変な声をあげてしまった。

 まじかよ……そこから怪しまれてんのか、おれ。

 

 

「そう思う根拠は?」

 

「ここまで圧倒的な力。これまで、見たことが無いからです」

 

「ふむ、そうか……」

 

 

 今もなお、この戦場では沈黙が続いている。人間だけでなく妖怪までもだ。

 そのような状況を作ったのはおれ。正確にはおれの霊力だ。

 確かに戦場を一瞬にして沈黙させるほどの霊力の持ち主なんておれも会ったことがない。

 この兵士が怪訝に思うのも無理はない。

 だが、おれは本物だと言える。何故なら、おれにしかない“特別な物″があるのだから。

 

 

「……ふっ、一般兵Aよ。お前はおれが熊口生斗という仮面を被った偽物だと言いたいのか?」

 

「い、いえ!? そ、そういうわけでは……」

 

「だが、安心しなさい。おれは本物だ。そう言いきれる根拠がある」

 

「……?」

 

「ほら見ろこのグラサンを! この黒光りした艶のあるこのグラサンを!! もっと近くで見るんだ! 分かるか、このグラサンはサーモントという種類でグラサンの中では定番中の定番だが、それだからこそ良いんだ! 基本的に人気で、掛けやすい。シンプルだからだ。だがシンプルだからこそいいんだ。シンプルイズベスト。みんないちいち凝ったティアドロップやらフォックス(グラサンの種類)やらが良いとか言うが、おれは絶対にサーモント派だ。お前もそう思うだろ?」

 

「え、え!? あ、はい?」

 

「だろ!」

 

 

 あ、ミスった。何話してんだ、おれ。グラサンが神力で外れないということを説明しようとしたら思いっきり趣旨からかけ離れて趣味の話になってしまっていた。

 くそ、グラサンの話題になるといつもアツくなってしまう!

 こんな戦況の中なにやってんだおれ!

 

 取り敢えずまた自分の顔面を思いっきり殴る。

 

 

「うわっ!?」

 

 

 またパアァァン! と何かが破裂したような音が出たが痛みはそんなに感じないので気にしない。

 近くにいた兵士が驚き、地上にいる兵士らと妖怪は少し引き気味な顔をしているがそのことも気にしない……いかん、そんな目で見られるとやっぱり落ち込む。

 

 

「ま、まあつまりおれが何を言いたいのかというと、このグラサンは_____」

 

「死ぃねえぇ!」

 

「えるせぇ、話してんだろ!」

 

「うぎゃっ!?」

 

 

 沈黙を貫いていた妖怪の一部が危機を察知したのか地上から飛んでおれに襲いかかってきた。

 勿論殺られるわけにはいかないので、飛んでくる妖怪共に霊弾をお見舞いして、二度と口を開けないようにする。

 

 

「うっ、くぅ……!」

 

 

 地上にいる妖怪らが悔しそうな声をあげ此方を睨めつけてくるが今のおれにそんな脅しは通用しない。

 こいつら妖怪だってやらなければならないことであることは知っている。妖怪は人の畏れを具現化した存在であり、人を糧に生きている。

 その人間が大量に他の場所へと移動されたら妖怪側からしたらたまったもんじゃない。だから今回のようにどっかのお偉いさんに月へ移住するという情報を聞き、それを阻止するために戦っているのだろう。

 

 妖怪は人間を下に見ている。しかし、妖怪は人間がいなければ生きていられない。

 

 妖怪だからといって全てが悪という訳ではない。心優しく、人を食べない妖怪だって沢山いる。

 実際5年か6年か前に森で遭難したとき、助けてくれた妖怪がいた。

 おれがさっき、あの大妖怪2匹を見逃したのもこれが起因している。

 妖怪にも一応恩がある。だが、おれの計画が動き出したら、もう容赦はしない。

 恩があるとはいえ、こちらにも守りたいものがある。

 

 だからこいつらの睨んでくる目も、負い目は感じるが受け流すことが出来ている……よな?

 

 

 

「さて、演出はこれまでだ」

 

 

 いい加減この空気も薄れて、妖怪達との交戦の続きが始まるだろう。

 それならそれが始まる前に此方が行動に移した方がいい。

 そう考えたおれは円盤型の通信機を指示を仰ぐべく、口の目の前にまでもっていった。

 

 

『先程のおれの指示を無視した諸君、聞いてくれ』

 

 

 

 ざわ、ざわ、と地上がざわめく様子が壁の上から見てもよくわかる。

 

 

『総員撤退、確かにそれだけだとただの敵前逃亡だ。だが、それだからこそ最善だとおれは確信している。この発言とおれの今溢れている霊力から答えを導きだしている奴は今すぐ撤退しろ』

 

 

 この言葉に皆がなにいってんだこいつ、と言った表情に変わる。

 だが、それは言葉を理解していない疑問ではなく、理解をしているからこその疑問であった。

 

 

「熊口部隊長!? ま、まさかこの数の妖怪を一人で相手にとろうとしているのですか!?!」

 

「んあ? そのつもりだけど」

 

「ふざけんなてめぇ!」

 

 

 今罵声を浴びせてきたのは兵士ではなく、壁の上にいた人狼だった。

 その罵声は静かになっていた戦場に瞬く間に響き渡り、妖怪共が額に青筋を立てながら罵声の嵐を浴びせてくる。

 

 

「お前ごときが俺達を一人で相手取る? 自惚れも大概にしとけよ! ただ少し霊力が多いだけで調子に乗りやがって……お前なんか俺達がかかれば5分もかからずに跡形も残さずに抹殺できるぞ!」

 

「調子に乗るな!」

 

「カス! ゴミ! 駄グラ!」

 

 

 そんな感じに罵声を浴びせられるおれ。

 おお、想定外の反応だな。

 それほど今の発言が妖怪らにとってプライドを傷つけられたんだろう。

 妖怪って変にプライドが高いからなぁ。ちょっと馬鹿にしただけで我を忘れて殺しにかかってくる_____

 

 ……いやまて、もしかしたらこれ、使えるかもしれないぞ!

 これを利用すれば、上手くいけば被害が出ずに撤退させられるかもしれない。

 

 あることを考えたおれは円盤型の通信機の表面を触り、拡声モードにする。

 実はこの通信機、表面はタブレット型になっており、操作して色々な種類に変えることが出来る万能通信機だ。

 最初見たときスマー○フォンの円形バージョンの超最新版かと思ったな。 

 動画もとれるし、そのとった映像を浮かび上がらせて立体的に見ることも出来るし。

 

 

 まあ、そんなどうでもいい話はそこら辺のゴミ捨て場に置いといて。

 

 早速今思い付いたことをやってみるか。

 

 

 

『ならかかってこいよ』

 

 

「「「「「「!!?」」」」」」

 

 

 

 おれが今やらかそうとしているのは、蜂の巣をつつくような行為だ。

 相手をキレさせて矛先をおれに向けさせる。

 あいつらはプライドが高い。挑発すれば、おれなんか簡単に倒せる! と言ってくる筈だ。そこへおれが条件をだしておれを狙わせる。おれを倒すと言った手前、踵を返すわけにもいかなくなるだろう。というかプライドが敵前逃亡を許さない筈だ。

 

 

『おれなんか簡単に捻り潰せるんだろ?』

 

「ああん? 塵がしゃしゃんなよ」

 

『その塵にすくんで今まで動けなかっただろ?』

 

「っく……!」

 

『そういえばさっき、どっかの妖怪が()()()()()()()5分もかからずに倒すことが出来るとか言ってたな』

 

「その通りだ!」

 

「5分どころか一瞬だぜ!!」

 

 

 そう2匹の妖怪が言うと他の妖怪らも同意するように頷く。

 ほう、言ったな。言っちゃったな? 言質はとったぞ。

 

 

『ふーん、ならこうしよう。お前ら全員でかかってこいよ。()()()()で相手してやる』

 

「熊口部隊長!?」

 

『あ、でもそれじゃあ一人なら他の奴らは邪魔になるよな』

 

「はあ? 何言ってやがんだ」

 

 

『おれが相手になってやるから他の人間は壁内に逃がしてくれないかといってんだよ』

 

 

 そう言うと、妖怪らが一瞬驚いたような顔をした後、馬鹿を見下すような笑いをあげ始めた。

 

 

「はははははは! つまりそういうことか。お前が俺達を挑発していたのは最初からそれが目的だったと?」

 

「とんだ茶番だ! 乗るこたあねぇ!」

 

「お前ごときにそんな時間を割いてやる暇はねぇんだよ!」

 

 

 うーむ、やはりおれは口下手だな。誘導がバレバレだったようだ。

 

 

「熊口部隊長……これについては私も妖怪共と同じ考えです。いくらなんでも無謀過ぎます」

 

 

 兵士もそれ言うか……いや、でももう後戻りは出来ないんだ。

 

 

『ん、なんだ? さっきお前らは皆でかかれば楽勝とか言っていたのにそれをしないのか? お前ら妖怪はそれでいいのかよ。絶賛今おれになめられてるぞ。

 口だけの腰抜け妖怪共ってな 』

 

 

「んなっ!?」

 

「こいつ!」

 

 

 これはもう挑発するだけして矛先を無理矢理おれに向けされるしかないな。口下手のおれでも挑発ぐらいならいくらでも言える。

 しかも今の挑発は中々効果的だったようだ。あいつらのプライドの奥深くを抉ったような気がする。

 よし、後一歩だ。後一歩でこいつらはおれに向かって来るはず。

 その間に兵士達を壁内に戻せば作戦を決行できる。

 

 そしておれは止めの一撃と言わんばかりの一言を発した。

 

 

 

『ていうかいい加減かかってこいよ。地上でわーきゃー言ってるだけじゃ女子供となんら変わらないし情けないぞ』

 

 

 

 その瞬間、地上、空中、全ての妖怪が奇声を発しながら、おれに襲いかかってきた。

 おお、恐。自分で吹っ掛けておいてなんだけどあいつらみてちょっと泣きそう。

 

 



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24話 無茶な捕獲作戦

 

 

 ~壁内(避難中)~

 

 

「なあ、お前、どう思う?」

 

「は? どう思うって、何が?」

 

「熊口部隊長の事だよ」

 

「ああ、あの群勢相手に喧嘩売った頭おかしい人か」

 

「頭ぶっとんでるよな。確かにあそこまでの力があったら調子に乗るのはわかるけど」

 

「逆にあれがなければ俺らは今、あの馬鹿みたいな指示には従わなかったけどな」

 

「そりゃそうだそうだ。俺らの目的は妖怪を壁内に入れないこと。敵の全滅が目的じゃない。今、()()がある以上、俺らが彼処にいる意味はほぼ皆無だし」

 

「なんか俺、熊口部隊長の事、見直したなぁ」

 

「なんでだ? 今回はああいう結果に運よく収まってるけど、普通ならあの指示は愚策中の愚策だぞ。いや、論外だ。俺は逆に見損なったね」

 

「そうか? だってあの人、俺らを逃がすために一人で戦ってるんだと思うぜ」

 

「そう思う根拠は?」

 

「前にあの人の部隊の一人と飲んだことがあんだよ。その時、ふと、話が上司の愚痴の溢し合いになったんだが、途中でそいつ、熊口部隊長の事、スンゲー褒めてたんだよ。部下思いのいい人だって」

 

「にわかに信じがたいな」

 

「でもそれがもし本当なら、さっき俺が言ったことに信憑性が出てくるだろ」

 

「う~ん、確かにな。だけど本当にいるのか? 皆のために自己犠牲を厭わないなんて」

 

 

「俺も信じ難いと思うけど……その仮定が正しければ、俺はあの人を尊敬するだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

『おーい、もうとっくに5分過ぎてるけどまだおれを倒せないんですかー? 熊さんまだまだぴんぴんしてるよー』

 

 

 妖怪らが血相をかえておれに向かって襲いかかり始めてから10分が経過した。

 もうそろそろ兵士達の避難も完了する頃だろう。

 余裕ぶってはいるが避けるのもろそろそろ限界に近い。

 だが、反撃するのはまだ早い。まずは壁内の避難の完了を確認して、相応しいステージを作ってからだ。

 

 

「おらぁ! くたばりやがれ!」

 

 

 妖怪らの妖弾の嵐がおれに向かって飛んで来る。

 目もだいぶ強化されてるからこれくらいの弾幕なら簡単に避けられるんだよなぁ。

 

 

「逃げてんじゃないぞ!」

 

 

 弾幕の死角から不意打ちで接近攻撃を仕掛けてくる。

 死角だから目視は出来ないが、隠しきれない殺気を感じるから避けるのも容易い。

 

 

『あー、まだか?』

 

 

 相手の攻撃を避けながら通信機で兵士達に壁内に入ったか質問をする。

 殆どの妖怪がおれに襲いかかってきてはいるが、全員という訳ではない。

 中には、おれの挑発に乗らず、避難している兵士を襲う妖怪がいる。

 

 おれの指示自体は、誰も異議を申し立てる返信をしてこなかったから、皆従って避難してくれてはくれているだろうがーーもし、異議を申し立てられていたらそいつの事はもう諦める。襲ってくる妖怪が現れれば戦うしかない。

 だから少しは遅れてしまっても仕方がないだろう。

 

 

 だが、こうしていられるのもそろそろ限界だ。

 先程も言ったが余裕そうに避けてはいるが、実際はかなり危ない。

 流石にこの数の妖怪に攻撃を避け続けるのは無理があるようです。

 因みに反撃せずに避けているのは、相手の怒りを煽るためだ。

 避けて避けて避けまくって、相手の怒りを有頂天にする。

 少しでも敵意を国の皆ではなく、おれに向けさせるためだ。

 これにより大量に集結した妖怪共に、()()を仕掛けて無力化させられれば、おれの作戦は大成功に終わる。

 だから早く避難を完了させてほしい。

 今はもう十分に挑発できた。これ以上は必要ない。

 

 

「うおっと!?」

 

 

 今は壁の上でなく、妖怪の群勢のど真ん中の空中にいる。

 つまり、四方八方から攻撃が来るということだ。

 前だけでなく、後ろ、横、下、上と神経をすり減らして避けなければならない。

 弾幕が止んだと思ったら大勢で殴りかかってくるし、いなしたらその後また弾幕の嵐が吹き荒れる。

 

 連携としては雑だが、かなりきつい。

 実際何発かはもろに受けている。まあ、余りある霊力をふんだんに使って防御していたから全然痛くはなかったけど。

 ただ隊服がボロボロになるから当たりたくはないんだよなぁ……

 避けるのを止めて全部受けに回ったら、確実に全裸になる。

 流石に全裸で戦うのは嫌だ。おそらくこの戦いの映像、何処かで録られているだろうし。

 

 

「くっ、ゴキブリみたいなやつらめ……」ボソッ

 

 

 思わず小言で悪態をついてしまう。

 こいつらがこの国を襲う必要があるのは分かるが、流石にこれはついてもいいだろう。すんごい罵倒をしてきながら攻撃してくるんだもん。おれだって堪忍袋はそんなに大きくはないんだ。数えきれない量の妖怪から罵倒されて機嫌が良いわけがない。これで機嫌が良かったらそいつは相当な変態だ。

 

 

「(あれ、そういえば……)」

 

 

 よくよく考えてみればなんであのフード妖怪と角妖怪Bはあんなに容易く退いたんだ?

 

 人間がいないと妖怪の存在を証明できるものは居なくなる。

 そうなると妖怪は消滅する筈だ。

 なのに何故……

 もしかして他に手があるのか?

 この国以外の人間は猿同然らしいけど、まさかそいつらを利用するのだろうか……

 まあ、今ここで考えている暇はない。

 今は避けるのに専念しなければ!

 

 ていうか早く壁内避難完了の報告してくれよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~10分後~

 

 

『熊口部隊長! 生存者の撤退完了しました!』

 

「遅い! 遅すぎるよ! お陰で服がボロボロになったんだぞ! ズボンも破けておれの生足がチラ見せ状態になってるぞ!? なに、男の生足なんて誰得なの!?」

 

『いや、あの、すいません……生存者の確認をしていたら遅れてしまって……』

 

 

 漸く完了の報告が来て、内心安堵したが同時に怒りが込み上げてきたため、つい報告の通信をしてきた女隊員に当たってしまった。

 

 

「いや、おれこそすまん。当たってしまった。報告御苦労さん」

 

『はいーー』プチッ

 

 

 よし、これで作戦が決行できる。

 さっきから()()、“あれ″、『あれ』と無駄に隠すような感じに言っていたが、やることは単純過ぎて、小学生でも思い付きそうな事だ。

 

 

 こいつらを霊力障壁の中に閉じ込める。

 これだけだ。

 妖怪共を一点(おれ)に集中させ、大方集まったところで巨大な正方形の障壁を作り出し、こいつらを閉じ込める。

 そのとき、おれも閉じ込められる事になるが、障壁の形を操るなんておれにとっては朝飯前だ。一人分通れる穴を開けてから出ればいい。

 

 というわけで______

 

 

「ついてこい!」

 

 

 おれは出来るだけ閉じ込められるよう、妖怪共の密集している所へ突撃する。

 

 

「あっ! 待ちやがれ!」

 

 

 案の定、おれの挑発によって堪忍袋を穴だらけにされた妖怪共はおれの後ろをついてくる。

 

 妖怪は人とは比べ物にならないくらい速いが、今のおれにとっては赤ちゃんと同じくらいのスピードで来ていると錯覚してしまうほど遅く見える。

 

 

「(よし、この辺か)」

 

 

 妖怪らの中心部まで来ると、そこはもう妖怪の海となっており、地面が全く見えなくなっていた。

 

 お、おお、やっぱ多いな。この数じゃいくら今のおれでも全員倒せるか分からない。

 

 

『ほら遅いぞ~。さっさとこいよ。おれを殺したいんだろ』

 

 

 と、通信機の拡声機能を使って挑発及び誘導をする。

 すると、一層おれの方へ向かってくる妖怪共の速さが増した。

 単純だなぁ……

 

 

「はははは! 馬鹿め! 自ら袋叩きにされに来やがった!」

 

「これでてめぇも終いだ!」

 

「……ふぅん」

 

 

 馬鹿なのはどっちかな? そう言ってられるのも今だけだぞ。

 

 

「んじゃ、お前らが目ん玉が飛び出るほど驚く事してやろうか?」

 

「あ? …………!?!」

 

 

 条件は揃った。(条件といってもただ妖怪共が沢山集まっている場所に行くだけ)

 

 

 

 別に前振りとかは面倒だったので一気におれは、ありったけの霊力を6つの四角の障壁に変え、妖怪共の周りを囲む。よし、第一段階は成功だ。

 地面の方の面は……なんとかなったな。妖怪共は急に浮き出てきた障壁に驚いて飛んだようだ。

 

 そしてこの障壁内にいる妖怪の量。

 凄いな……ざっと万は越えるぞ。

 

 

「(……よし、さっさとここからでるか)」

 

 

 妖怪共が霊力障壁に驚いて、こっちに意識が集中していない今のうちにでないと危ない。

 今はおれの霊力の半分はこの巨大障壁に使われている。

 つまり、今のおれの無双レベルは半減していると言うことだ。

 そんな中、この密室でこの量を相手にするのは分が悪い。

 ていうか負ける可能性が高い。それにこの障壁内にいる妖怪が全部というわけでもないしな。

 

 外には残党が残っている筈だ。

 おれ一人でこの防衛線を守ると間接的に豪語した手前、国の中に妖怪を侵入させるわけにはいかない。

 

 

「おいお前! 何をした!」

 

「げっ……」

 

 

 こっそりと出ようとして、障壁まで後数十メートルと差し掛かったところで、ある1匹の妖怪がおれに向かって怒鳴り散らしてきた。

 

 怒号は巨大な障壁内に響き渡り、全ての妖怪の耳へと届いていた。

 その瞬間、呆けていた妖怪共は、一斉におれの方へと目線を変え、睨めつけてきた。

 

 

「お前だろ、これやったの!」

 

「くそ! この光る壁、殴ってもびくともしねぇ!」

 

 

 やばい、急いで出なければ!

 

 

「……!!」

 

「あっ、こいつ逃げやがったぞ!」

 

「殺せ! こいつを殺せばきっと出られるぞ!」

 

 

 くっ、やっぱり力が落ちてる。

 四方八方からくる妖怪共がさっきよりも速く感じる。

 だが、逃げられない速さではない。

 これでもまだ素の状態よりだいぶましだ。

 素の状態なんて中妖怪ですら逃げるのにてこずるからな。

 

 

「邪魔だ!」

 

 

 前にいる妖怪には霊弾で無理矢理退かしてひたすら全力で障壁まで飛ぶ。

 後少し!

 

 

「捕まえたぞ!」

 

「くっ!? 放せ!」

 

 あと手を伸ばせば届く距離まで来たところでついに足を捕まれてしまう。

 それをすかさず逃さなかった妖怪さん方は次々とおれを壁から引き離そうと引っ張ってきた。

 

 

「(爆散霊弾を使うしかない……か!)」

 

 

 さっきまでは威力が凄過ぎると思って封じてきていた技だが、力が半減した今なら威力は幾分かましになっている筈だ。

 そう判断したおれは()()で爆散霊弾を生成し、足を掴んでいる妖怪ではなくその後ろの方にいる妖怪に着弾させる。勿論おれまで爆発に巻き込まれないようにするためだ。

 そのために少し後ろの方に着弾させたのだが……

 

 

「うわっぶ!?」

 

「「うぎゃあぁぁ!!?」」

 

 

 思っていた威力の10倍以上の破壊力を持っていた爆散霊弾は、いとも容易くおれまで爆発に巻き込んだ。……いや、正確には爆風か。

 

 

「いつつっ……」

 

 

 やっべぇ、足が少し巻き込まれた。左足(妖怪に捕まれていた足)の感覚が無くなってるぞ……左足は赤黒くなっており、皮膚が爛れているのが分かる。救いは神経が麻痺しているからなのか、痛みがしない事だな。

 これで痛みがしたら戦うどころではない。

 

 そして、先程までおれの後ろの方にいた妖怪らは跡形もなく吹き飛んでいた。

 ほんと、規格外の威力だな、爆散霊弾。

 でなければ少し当たっただけで足がこんなになる筈がない。

 

 

「と、とにかくでなければ……」

 

 

 左足なんて、痛くないのなら気にするだけ無駄だ。今飛んでるからあんまり足は関係ないしな。

 

 そしてやっとの事で障壁まできたおれは一人分通れるだけの穴を開け、そこを通って外に出る。

 後はその穴を塞げば完了。

 

 途中で妖怪が一緒に穴を出ようとしてきたが、霊弾を当てて中に吹き飛ばしておいた。

 

 

 

 

 よし、よし、よし!

 

 やった! 作戦成功だ!

 妖怪の群勢の大部分の戦力を削いでやったぞ!

 

 

 今でたばかりの巨大障壁を見てみる。

 するとそこには、淡く光る強固な壁の中に無数の妖怪共が壁を壊そうとしている光景が広がっていた。

 分厚い壁だからか、中から妖怪がなにかいっているようだが、それが何をいっているのかおれにすらわからない。まあ、どうせ罵詈雑言だろうから聞こえないのは寧ろありがたいんだけどな。

 

 

「さてさて」

 

 

 今では中から睨めつけてくる妖怪共の目が、逆に心地好い。

 おれってこんなに悪い性格してたっけ?

 まあいいや。

 そんなの、事の全てを済ませてから考えればいいこと。

 

 

 

『この壁の中に入り損ねた哀れな妖怪諸君』

 

 

 万能通信機でまた拡声をし、妖怪達に聞こえるように話す。

 ほんとこの通信機、凄いよな。さっきの爆発を受けてなお無傷というね。

 

 

『おれは今から、この国を守るために全力でお前らを殺しにかかると思うが__』

 

「…………くっ」

 

「なめやがって……」

 

 

 

『おれはなるべく、殺生というものはしたくない。今から十数える内に踵を返せば、見逃してやる』

 

 

 これは本意だ。そして、最後の慈悲。

 今、妖怪共の大半は障壁内にいる。そしてその障壁外にいる妖怪の数は障壁内に比べても半分以下だ。

 結構厳しい数だが、おれはやるつもりだ。

 

 

『10』

 

 

 慈悲が無慈悲に変わるカウントダウンをしながら、おれは国の壁の方までゆっくりと進んでいく。

 

 

『9』

 

 

「……ふざ……る……」

 

 

 おそらく、おれの慈悲は届かないだろう。

 

 妖怪はプライドの塊のような奴が殆どだ。あのフード妖怪が異端であって、普通は一蹴されて終わり。

 だから、無理なんだろうなぁ……

 

 

『8』

 

 

「くそっ!」

 

 

 いや、でももしかしたらあるかもしれない。だって今、敵であるおれが横を通ったのに、妖怪はくそ! 、と言うだけで何もしてこなかった。

 お、これはあるぞ? 全員は流石に無理だろうが、少しは退散してくれるんじゃないだろうか。

 

 

『7』

 

 

「おいおまえら! なに固まってやがんだ!」

 

 

 と、淡い期待をしていると、後ろの方からやけにうるさい大きな声が聞こえてきた。 

 

 

「お前らは悔しくないのかよ! こんな人間一人にしてやられて、それに情けまでかけられてやがる!」

 

「「「「!!?」」」」

 

 

『6』

 

 

「俺は悔しいぞ! 苦汁をなめさせられて尻尾を巻いて帰るのなんざ! それにこの戦争は俺たちにとって生存を懸けた戦いなんだぞ! ここで逃げたら遅かれ早かれ俺たちは消滅するんだ。

 なら、逃げるなんて選択肢、あるわけねーよな?」

 

「!! ……そうだ。これはそういう戦いだったんだ」

 

「なんで俺、あの人間の言葉を鵜呑みにしかけたんだろうか……」

 

 

 

 あー、これ。駄目な奴だな。2~3秒前の期待はガラスのように砕け散りました。

 それにあの演説をした妖怪、あいつ、大妖怪だな。力を隠しているようだが、おれには丸分かりだ。

 

 

 くそ、そういえば大妖怪があいつらだけというわけでは無かったな。

 

 うむ、超絶面倒だ。

 

 

『……んじゃ、それがお前らの答えでいいんだな?』

 

 

「当たり前だ! 粉微塵にしてやる!」

 

「貴様を殺して、あの光る壁の中にいる同士を救いだしてやる」

 

「あと人拐いもな!」

 

 

 お、そうか。確かにおれが死ねば霊力障壁は消滅する。

 てことはつまり、あいつらの標的は今、国の皆ではなく、おれになっているということになる。

 これは予想だにしていなかった嬉しい誤算だ。

 だっておれが死なない限り、標的は変わらないということであり、おれは死ななければいいだけのこと。

 ふむ、これならまだなんとか出来そうだ。

 

 

『それじゃあ妖怪共、前置きはいいからさっさとかかってこい』

 

 

 

 そのおれの声の数秒後、妖怪共は雄叫びを上げながらおれに襲いかかってきた。

 

 



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25話 思われる幸せ

 

 

 私はモニターの前で後悔していた。

 何故、移住初日に行ってしまったのだろうか。もし、1日でも遅らせていたらあの戦場での治療員としてでも役に立っていたというのに。

 幸いにも薬の材料はまだ届いていないので、薬自体は役に立ってはいるとおもうけれど……

 

 ここまで自分が無力なのかとを思い知らされる。

 今からあの国に行くために出口専用の転送装置を改造して出入口にしようにも時間がかかりすぎる。それに転送装置はまだ完全に解明されていない部分が多々ある。下手に弄れば、転送するときに五体満足でいられなくなる可能性もある。

 

 リスクが高過ぎる。

 まず、改造する段階で止められるだろうし、どう改造するかもまだどうするかは考えていない。それにもし改造が出来たとしても安全かどうか確かめるための実験をしなければならない。

 これだけでも現実的でないことが分かる。

 

 

 …………はあ、何故あのとき一方的な転送装置の開発で妥協をしてしまったのだろう。

 その妥協の結果がこれだ。私は今、久しく苦汁をなめさせられている。

 なにもできず、ただ逃げ惑うことしか出来なかった頃の自分を思い出す。

 

 今はもう、そんなことは無いだろうと高を括っていたけど、思わぬところであったわね。

 

 

 

 皆、あの国に残っている人間を守ろうと必死に戦っていた。

 並の人間が見れば発狂するか吐き気を催すグロテスクな映像であっても、私は決して目を背けることはない。

 これが私の判断ミスによる結果なのだ。私の考えが甘く、この状況を予測しきれていなかった結果なのだ。

 例え他の者が仕方ないと慰めてこようとも私は仕方ないで済ませるつもりはない。

 この目に、この映像を焼き付けて二度と繰り返さぬよう、戒めにする。

 いつでも、最悪な事態を想定して考えられるように。

 

 

「生斗……」

 

 

 これからの決意を固めていると、ふと20年前に森で出会った少年の名前を呼んでいた。

 

 熊口生斗。ある日突然名も無き神により降ろされた不思議な少年。性格は単純でお調子者。危機感に欠け、自らの命を軽んじている節がある。あとかなり図々しい。

 何故か私とツクヨミ様になつき、よく私の家に来ていた。

 最初は仕事の息抜きにと家に招いた事がキッカケで、私の家をさも我が家のように居着き、その図々しいしさに我慢の限界を越えた私は8か月前、出入り禁止を命じた。それでも何度も来ていたけれど……

 

 それも今思うと、あの生活も悪くなかったと思ってしまう。

 思えば、私にあそこまでなついたのは依姫以来だ。しかも依姫は私をちゃんと敬い、プライベートにまで関わってくることまではしなかった。

 しかし、彼はそんなことお構い無しに身分等知ったことかと言わんばかりにずかずかと私のプライベートまで入ってくる。

 

 

「本当に馬鹿なことしか考えないのだから……」

 

 

 そんな彼は今、一人で妖怪の群勢に負けずとも劣らない戦いをしている。

 生斗に向かっていく妖怪は次々と斬り捨てられ、遠くいる者は霊弾による外部破壊によって絶命し、地上には屍の山を作りあげていた。

 これだけでも屍山血河の戦争だということがわかる。

 

 素の状態での生斗では10分と持たずにやられているでしょう。しかし彼は今、とてつもない力を有している。

 その事については、彼があれだけの力を周りに見せつけた瞬間、どうやって手に入れたのかを理解することが出来た。

 

 命を力の糧とする、諸刃の剣。

 

 今の生斗は己を犠牲にしてまで、他人である私達を守ろうとしている。

 なるべく隊員の犠牲を払わず、尚且つ標的が自分にいくように。

 

 そんなこと、もし出来たとしてもやろうとする者などいるだろうか。

 確かに生斗は能力上、多少命を捨てても生きていられる体質だ。

 しかし命を力に変えるということは、それ相応の負担がかかる。

 依姫の神降ろしでさえ、かなりの負担がかかるのだ。命を削る行為はそれ以上にかかる。

 

 おそらく、彼は依姫からあの薬を貰い、服用している。

 でなければ痛みと力の暴走によりまともに動ける状態では無い筈だ。

 

 

『ふぎぃゃぁぁあ!?』

 

『ぶぐごっ!!』

 

 

 もし、私の調合したあの薬がなければあらゆる重要気管を傷つけられ、血液循環の過剰による血管の破裂などが引き起こる可能性が極めて高い。そんなことが起こっていれば、十中八九無駄死にで終わっていただろう。

 それほどまでに命を削るという行為は危険なのだ。

 

 そんなリスクを犯してまで私達を守ろうとしている。

 思えばあの卒業試験の時にあった事件でも今回と同じような行動をとっていた。

 

 なにが彼を突き動かすのだろうか。

 もしかしたら、普段の生活では決してみれない彼の真の姿なのかもしれない。

 性分、と言えばいいのかしら。

 根っこから善人だと言うわけではないだろうが、その根の芯の部分はきっとそうなのだろう。

 

 リスクを犯してまで仲間を守りたい。そのリスクを省みない覚悟をする決心の早さ。そこには躊躇いという文字はない。

 そこが彼の真の良いところであり、弱点なのかもしれないわね。

 

 私は彼のその『自己犠牲』の精神は好きではない。

 もっと自分を大切にするべきなのだ。でなければ、後悔することになる。彼だけでなく、その周りの者も。

 この事は今の状況でも言えることだ。

 彼に私達の国の負担を全て背負わせてしまった。それが彼が望んだことであっても、私達にとっては絶対にしてほしくなかったことだ。

 

 人は見知らぬ者に無関心だ。

 報道で誰かが死んだと聞かされても、身近な友人が骨折したと聞かされたとでは、後者の方が関心はいく。

 

 私もそれについては例外ではない。

 

 言っては悪いが、私は顔も知らない隊員よりも、生斗に生きていてほしい。

 それは決して口に出すことはないが、本心である。

 それほどまでに、彼は私の中での友人の位は高いのだ。

 顔も知らない一般兵とは価値として比べ物にならない。

 

 

 だからこそあのような行動はしてほしくない。

 

 もっと自分に甘えていいのに……貴方がそこまで頑張らなくても、なんとかなるのに。

 

 生斗の行動は国全体としては正しい。誉め称えるべき事だ。兵が民のために命を張るのは当たり前のことなのだから。

 

 私の今の考えがエゴであることは分かっている。

 生斗に助かって欲しいというのも、結局は私にとって不利益を及ぼすからだ。

 

 

 だから、彼があんな行動をとったことを責めることはしづらい。

 

 しかし、私は叱る。彼が()()に来たら全力で平手打ちをして、そして優しく抱擁をするのだ。

 

 命を粗末にしたことに咎め、無事に生還してくれた事を共に喜び合うのだ。

 

 

 そう、生斗がワープゲートを潜って来られれば、今の考えを実現させることが出来る。

 

 

『わっと危なっ!?』

 

『ちっ! さっさと死ね!』

 

 

「!?」ガタッ

 

 

 いけない、いきなり椅子から立とうとしたからバランスを崩してしまった。

 

 こんな恥ずかしい所、あまり人には見られたくないわね。

 幸いにも、今いるモニタールームには私しかいない(殆どの人が、外にある大型モニターに見入っている)ので見られることはなかったが。

 

 

「八意様が取り乱すなんて、珍しいですね……」

 

 

 ……見られていた。両手で顔を覆いたくなったわ。

 

 声のする方は確かこの部屋の入口の筈だ。自動ドアだから簡単には入られるけど、その開く音に気付かなかったなんてね……

 

 一体、私の失態を見た命知らずは何処の誰だろうか。

 そう思い、声源の主の方へと顔を向ける。

 

 

「……豊姫ね」

 

「!! ……八意様」

 

 

 ドアの入口に立っていたのは綿月大和総隊長の長女、綿月豊姫だった。

 この子とその妹、依姫には教育係としてたまに教授しているから関係的には親密だ。

 なので()()()をすることはしないでおくことにする。

 でも豊姫、何故私の顔を見て驚いているのかしら?

 

 

「少し、嫉妬してしまいます。生斗さんがそんなに八意様に思われているなんて……」

 

「何が言いたいの?」

 

「ご自分のお顔を見られれば分かると思いますよ」

 

「?」

 

 

 私の顔で何が分かるのかしら。

 豊姫が何を言いたいのかいまいちわからなかった私は、手で頬を擦ってみる。

 

 ん……何か冷たい感触が。これは……水? そしてその水が流れている発生源は___。

 

 ……ああ、そう言うことね。豊姫の言っていることを理解できたわ。

 

 

「この事は誰にも言わないでちょうだい。勿論、生斗にも」

 

「ええ、分かってます」

 

 

 ふう、まさかこんな姿まで見せてしまうとは……それほどまでに私も冷静ではないのかもしれない。

 

 

「それよりも豊姫、私に何か用かしら?」

 

「はい、八意様。実は____」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「『輝夜姫』が行方不明?」

 

 



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26話 拭われぬ罪

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 あれからどれぐらいの時間が経ったか。

 

 

「あああぁぁ!?」

 

 

 大半の妖怪らを障壁に閉じ込めてから、奴らの断末魔を何百、何千と聞いているような気がする。

 いや、実際聞いてるんだろうな。

 聞きすぎて耳にタコができた。

 奴らにはおれが悪魔のように見えているだろう。服も妖怪の返り血とおれの血によって気色の悪い色をしているし、匂いもかなりキツい。

 まあ、おれの鼻がおかしくなったのか、臭いとはあまり感じないが。

 

 

「ば、化物め……」 

 

 

 化物に化物と言われてはおれもおしまいだな。

 

 霊力については、実はというと何度も枯渇している。その度に巨大障壁から少しずつ霊力を回収して戦っていたが、それもそろそろ限界だ。

 これ以上、妖怪らを閉じ込めている障壁から霊力を取ると壊される恐れがある。

 今が奴らに壊されないギリギリのライン。後は今ある霊力で、まだまだいる妖怪さん方のお相手をしなければならない。

 

 薬のことに関してももう効果は切れてると思う。

 だが、おれの器には現状で溢れるほどの力はないので、身体に異常をきたしたりとかはしていない。

 まあ、巨大障壁を全部回収したらまた身動きとれなくなると思うが。

 

 

「はぁ、はぁ、くそっ……」

 

 

 一匹も壁内に入れないといいながら、実は既に結構な数が壁内に侵入している。

 あいつらでいうところの抜け駆けって奴だ。

 おれを殺すのを諦め、足早に人間を食ったり拐ったりしようとした奴が少なからずいたのだ。

 そいつらは当然優先的に倒したが、取り逃しが無かったわけではない。

 

 国の方を見れば、煙が上がっていたりと被害が出ていることは確かだ。

 一般人に接触される前に隊員が倒していればいいが……

 

 

「はぁ……ぐっ」

 

 

 自爆によって赤黒く変色し、感覚を失った左足から出てくる血が先程から尋常でないほど溢れてくる。

 やはり応急措置だけでは長期戦は難しかったか……

 

 流石にやばい。これ以上血が溢れたら出血多量で死ぬ。

 ただでさえさっきから血が少ないからか頭が回らないってのに。

 

 

『熊口部隊長! 一般人の転送が完了致しました!

 後は兵である私達を残すのみです!』

 

「そうか……!!」

 

 

 血に濡れてなお、機能を失っていなかった万能通信機から、待ち望んでいた報告がおれの胸ポケットから聞こえてきた。

 

 

『部隊をそちらへ派遣し、熊口部隊長の身柄を保護します。お疲れでしたでしょう。後少しですので頑張ってください!』

 

「保護?」

 

 

 保護、か。それは駄目だ。そんなことをしていたらまた遅くなる。一刻も早くここから脱出しなければならない。

 まだ壊されていないとはいえ、障壁が後どれぐらい持つのかなんてわからないのだから。

 

 

「保護はいい。それよりも早くお前らも月へ行け。そこにいる最後の奴はもう、自爆装置をセットしていて良いぞ」

 

『なっ!? そこまで無理をしなくても良いのですよ! もう部隊長は十分にご活躍なされました!』

 

「まだ終わっていないから言っている。もしここにきた部隊が妖怪共にやられでもしたらまた時間がかかってしまうだろ。

 これは命令だ。おれに構わず、月へ行け」

 

『うっ……本当にそれで宜しいのですか』

 

「勿論だ。いいからさっさと行け。自爆装置の設定、忘れるなよ」

 

『……わかりました。ご武運をーー』ピー

 

 

 よし、これで良い。後はおれが国の中心部にある転送装置に行けば全てが終わる。この傷だって永琳さんがいればなんとかなるだろう。

 

 

 後は潜るだけ。それでおれらの勝ちだ!

 

 

「悪いな。そういうことだから。おれ、行くわ」

 

「俺らが、そうさせると思うか?」

 

 

 全員には聞こえていなかっだろう。しかし、おれの近くにいた妖怪共はバッチリ聞いていたようで、おれを行かせまいと包囲網をつくる。

 

 

「……ちっ」

 

 

 参ったな。おれの今の霊力じゃこれを抜けるのは骨が折れそうだ。

 このままじゃ制限時間内に間に合わない可能性がある。

 

 どうしようか……このままじゃまずい展開になりそうだな。

 

 そう考えていると突如、国を囲む壁の方から閃光が走った。

 

 

「なに!?」

 

 

 その閃光は包囲網を作っていた妖怪らを瞬く間に包み込み、そしてゆっくりと霧散していった。

 すると妖怪らは目的を失ったかのように辺りをキョロキョロしだし___

 

 

「お、おい!? 急に辺りが真っ白になったぞ!」

 

「何も見えねぇ!」

 

「どうなってやがんだ!!」

 

 

 どうやら今の光は妖怪共の視覚をおかしくするものだったらしい。

 こんなこと、一体誰が……

 

 

「生斗君。君って人は本当に人を頼ろうとしないのですね」

 

「ツクヨミ様!?」

 

 

 妖怪共の包囲網を潜り抜けてきたのは、淡い光を身体に纏わせ、神々しい雰囲気をかもちだしていたツクヨミ様だった。

 

 

「何故僕がここに? という顔をしていますね。勿論、生斗君を救うためですよ」

 

「なっ! そんなことのためにツクヨミ様がこんなところに!?」

 

「そんなことって……これでも大変だったんですよ? 少しでもと月から自分の力を持ってきたのですから」

 

「な、なんでツクヨミ様がそんな真似を……貴方は神なんですよ? おれ達のトップであり、月を統べるお方だ。そんな尊い方がおれなんかのために力を使うなんてするべきじゃない」

 

「君も、僕の存在をやっと理解してきたようですね。

 しかし、この場は退けませんね」

 

「……なんでです?」

 

「友人の危機を救うのは、友人として当たり前の事でしょう?」

 

「!!」

 

 

 つ、ツクヨミ、様……

 

 

「で、でも……」

 

「それは生斗君もしてきたことでしょう。僕達のためにそこまで命を張ってくれている。そんなにまで頑張ってくれている友人に手を差し伸べないで、誰が友人と名乗れようものか。

 それに今は位なんて関係ないです。地球にある撮影用のカメラは今の閃光で全て破壊しました。これから行われることは、月にいる皆には分からない」

 

 

 ツクヨミ様……おれのこと、友人と思ってくれていたんですね。

 

 

「さあ、僕の言葉に甘えなさい」

 

「いいえ、甘えませ……」

 

「因みに、君が断れば、僕と君の友情に傷がつくことになりますが」

 

「うぐっ」 

 

 

 そ、それはずるいでしょ。

 

 

「さあ、早く行きなさい。この妖怪らの目が回復していないうちに」

 

「ツクヨミ様……本当に良いんですか」

 

「さっきから良いと言っているんです。そもそも僕も、力の一部はこの地球に残しておこうとしていたんです。ここは、君達人間に出会えた運命の場所なのだから。

 だから、こうして役に立てていることは逆に僕にとって喜ばしいことなんですよ」

 

 

  …………。

 

 

「ツクヨミ様、ありがとうございます」

 

「ふふ、礼なら後です。()()

 

「はい、ツクヨミ様」

 

 

 実際は納得していない。だが、ここはツクヨミ様に甘えることにしよう。

 あ、でもその前に。

 

 

「あのすいません。最後に厚い抱擁を交わしても良いですか?」

 

「いや、それは本当に止めてください」

 

「ほら、良いじゃないですか。これも友情の一つと捉えて」

 

「君の今の姿を見てから言いなさい!」

 

 

 あ、そういえば今血だらけだったな。感覚がおかしいのか完全に忘れていた。

 

 

「まったく、こんな戦場で少しはましになったのかと思っていましたが……元は全くと言っていいほど変わっていませんね」

 

「へへ、こんな状況だからこそ自分らしくなくちゃですからね」

 

 

 これは何気に大切なことだ。殺戮を繰り返せば普通の奴は気が狂う。それが人を食う化物であっても、だ。奴らだっておれ達と同じで話すし、食事もするし、家族だっている。

 はっきりいってほぼ人間と変わらない。種が違うだけであってな。

 

 そんな奴らを千を越える数を殺ってきているんだ。

 おれだって何度断末魔をあげる妖怪に許しをこいたことか。

 全てこの国のためにと、そう自分を言い聞かせてやっていなくちゃ、今頃罪の意識で戦闘不能になっていただろう。

 

 それでもおれの心は沈みきっていた。

 これが当然のことではあるんだけどな。どんなに大義名分を掲げていようと、おれのしていることは大量殺戮だ。

 どちらかと言うと、おれは少し異常なのかもしれないな。心が沈む程度で済んでいるんだから。人によっては反乱狂になってもおかしくないというのに。

 

 その沈みきった心を照らし出してくれたのが、今現れたツクヨミ様の存在だ。

 ツクヨミ様がおれのことを友人といってくれなかったら、未だにおれの心は海底の奥底に沈みきっていただろう。

 

 それでわかった。自分らしくなければと。

 心が沈んでいたって今の状況がなんとかなるわけではない。

 罪の意識に囚われていてはいつも通りの思考なんてできやしない。

 それらがなんだ。自分で決めた結果なのだ。自分が決めたことで鬱になっていては意味がない。自分で決めたことは責任を持つ、それを実行するには自分らしくするのが一番だ。

 自分らしくあれば鬱なんて吹き飛ばすことが出来る。

 

 これがこの戦いの中でおれが学んだことだ。

 それを気付けるきっかけを作ってくれたのはツクヨミ様のおかげだけどな。

 

 

「生斗、そろそろ」

 

「はい、ここでは一時のお別れとなりますが……」

 

「そうですね。まあでも、本体の僕は現在月にいますので、またそこで」

 

「楽しみにしています。それでは、また月で」

 

 

 ここにいるツクヨミ様は月にいるツクヨミ様の分身(わけみ)だ。先の話からすると、その分身のツクヨミ様はこの国に留まるつもりなのだろう。この地は国の人達とツクヨミ様が出会った思い出の場所だから。

 

 おれなんかのためだけにツクヨミ様が足止めを買ってでる訳がない。ついで程度だろう。

 

 分かっている。ツクヨミ様が本当に国の人達の事を愛していることに。

 

 だからそれを邪魔をするのは無粋だろう。ツクヨミ様はこの思い出の地を守るべく、これから戦うのだから。

 

 

 そう判断したおれは、最後にツクヨミ様の背後を見た後、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

「さて」

 

 

 生斗をワープゲートに行かせ、僕がここにいる妖怪の相手をすることができました。

 

 

 

    パキッパキッ

 

 

 ヒビの入った結界の中にいる有象無象の妖怪らの大量発生は、僕に落ち度がある。

 この数を相手にするのも、また自分のした事による代償と受け取ることにしましょう。

 

 

 妖怪とは、人間の想像を具現化した存在。その想像は喜であり、恨であり、怒であったりと、様々存在しており、それに生物の穢れが混ざりあい、妖怪が発生する。それは1つの例であり、他にも人が妖怪になったりと色々な方法で妖怪は発生するが、僕の今言った方法が一番妖怪は発生していると思います。

 

 

 何故その話を今しているのかと言うと、それはとても大事な事だからです。

 妖怪は人の想像と穢れによって生み出される。

 例えどんなに人が想像しても、人一人の穢れはそれぞれ大小があり、想像に比べればあまり多い方ではない。

 しかし、その多くなかった穢れを大量に出されるという異変が起きました。

 その異変を起こしたのは他でもない、僕自信なのです。

 

 僕が月から地球へと降り、そこにいた人々の事を愛してしまいました。

 そんな彼らの寿命はとても短く、僕にとっては瞬きをする程度の時間で、彼らの寿命は尽きていきました。

 それが嫌だった僕は、寿命という概念を出来るだけ無くすために穢れを彼らから取り払いました。

 

 それが今回の結果です。

 穢れを無くしたことにより、長い間生きられるようになり、沢山の子を生み、人口はこれでもかというほど増えました。

 その子らの穢れも僕は一人残さず取り払いました。

 

 その結果が今回の妖怪の大量発生の原因を作ってしまいました。

 

 増えすぎた人口の穢れを取り払ったせいで、妖怪を生む元を生成してしまっていたのです。

 

 

 人口が増えれば想像も増え、そして穢れも増える。

 

 その想像が妖怪を否定したものであれば、妖怪が増えることはないが、生まれながらに妖怪の存在を認知している彼らにとっては、それは無理な話でした。

 

 結果的には僕の行いは妖怪を増やすきっかけを作ってしまったのです。

 それでも、僕の力があればどうとでもなると高を括っていましたが……まさかこの状況で猛威を奮われるとは。

 

 

  バキッバキッ!!!

 

 

 だからこそ、この妖怪の群勢を相手にするのはこの僕です。

 己の甘い考えが生んだ罪。それを拭うのは、余所者であった友人、生斗の責務ではない。

 

 

   バキバキバキバキバキバキッ!!!!!!  

 

 

 ついに生斗の結界も破壊されました。

 この数を相手取るのは中々面倒そうだ。

 

 しかし、これは試練。ここで逃げれば、一生悔やむ羽目になる。

 

 

 やる。生斗が無事月へと行き、尚且つこの妖怪の群勢を時限爆弾で消し去れば、罪を償う事ができる。

 

 

「くそがあぁぁ!! あの糞カス! 見つけ出して八つ裂きにしてやる!」

 

「八つ裂きだけじゃ足りねぇ! 四肢を裂いて串刺しにしてやれ!」

 

 

 どうやら妖怪らは生斗にご立腹なようです。

 まあ、その怒りの矛を生斗にぶつけることは、もう叶わないのですがね。

 

 

 

「結界から出られて、解放された妖怪の皆さんに悲報です」

 

 

 僕の声は届いているのだろうか。いや、おそらく奴らの耳には届いていないでしょう。

 

 でも、まあいい。これから言うことは確定事項なのだから。聞いてようが聞いてなかろうが、関係ない。

 

 

 

 

 

 

 「ここにいる皆、一匹残らず抹殺します」

 

 

 そう言って僕は神力を解放した。

 

 



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27話 命の優先順位

1章最終回です。


 

 空は未だに闇に覆われていた。

 だが、先程までおれがいた戦場からは目を覆いたくなるほどの光が迸り、おれが暮らしていた国からは所々が火に覆われており、空よりも地上の方が照っている。

 

 空は闇で、後ろは光、前は火の海。

 うん、混沌の世界に投げ込まれたような気分だ。

 

 

 それにしてもこの国がこれほどまでに荒れ果てていたとは……

 

 おれが取り逃した妖怪の仕業にしては被害がでか過ぎる。

 まさかおれの知らないところでも妖怪が入り込んでいたのか?

 

 

『熊口部隊長! 大変です!』

 

 

 改めて国の惨状を見て軽く落ち込み気味になっていると、またもや兵からの連絡が来た。

 

 今の声の様子だと……いい知らせではないだろうな。

 

 

「なんだ?」

 

 

 万能通信機を胸ポケットから取りだし、応答する。

 

 

『ツクヨミ様が! ツクヨミ様が行方不明になられました!』

 

「あー……」

 

 

 ツクヨミ様……皆に内緒で行ったのか……いや、言ったら確実に止められるだろうな。おれだって神様が妖怪の群勢に飛び込むとか言い出したら必死で止める。

 この場合、正直なことを言うべきか、言わぬべきか……いや、言わない方がいいな。この国の人達はツクヨミ様を崇拝している。もし正直に言って私達も行きます! とか言い出したら面倒だしな。

 

 

「いや、大丈夫だ。さっきツクヨミ様と会って、先に月に行くと言っていたぞ」

 

『ほ、本当ですか!?』

 

「ああ、本当だ……それよりお前ら、まだ月に行っていないのか?」

 

 そう言うと、通信機越しからでもわかるほどの安堵の息を兵が吐いたのがわかった。

 

 

『あ、あの、それについてですが……実は蓬莱山家の令嬢が、未だにこの国にいるとの情報が先程入りまして……』

 

「なに?」

 

 

 蓬莱山家の令嬢……確か永琳さんが教育係をしていた我儘娘のことか。下の名前は知らないが、どうしてそんな子がまだこの国に……

 この国の有力者は月移住の初日に転送されたはずだ。ならば我儘娘もその例に漏れないはず。

 

 

「何故蓬莱山家の令嬢がまだこの国にいる?」

 

「それが……家出をしたそうで」

 

「は?」

 

 

 それから聞かされたのはこうだ。

 一昨日、蓬莱山家では月移住の準備の最終確認を行っており、その間、屋敷中のどこも鍵をかけていなかったという。

 それで箱入り娘であったらしいその令嬢が、月に移住することを知ってか知らずか、これを機にと家を飛び出したそうだ。

 結果、捜索はされたが昨日だけでは見つけることは出来ず、次の日に連れてきてくれと蓬莱山家の当主が言い残し、先に月へと行ったが、その数時間後に妖怪の群勢が攻めてきたことにより、それどころではなくなり、先程まで忘れ去られていたようだ。

 そしておれが妖怪達の相手をしているときにその連絡が来て、今まで捜索をしていたとのこと。

 

 

『先程、令嬢を見つけたとの連絡が来ましたが、もう少し時間がかかるとのことです』

 

「まじかよ……」

 

 

 てことはまだ転送装置の時限爆弾の時間はセットされていないということか。

 

 

『熊口部隊長は今どの辺りにいますか?』

 

「ああ、今さっき壁内に入ったからもう少しかかるぞ」

 

 

 全快の時は空を飛んで2分足らずで国の中心までいけたが、今は全快とは程遠い状態だ。霊力もほぼ素の状態と大差ない量だし、左足が駄目になってる。それに所々妖怪によって与えられた切り傷やらが地味に痛い。なにより血が出すぎている。

 

 この状態だと5分かかるかかからないかぐらいだろうな。

 結構危ない状態だ。

 ここで大妖怪にでも出くわしたら、もう死を覚悟するしかないな。

 

 

『わかりました。それでは___あっ』

 

 

 何か兵が言おうとしたが、何かに気をとられたようで、急に黙りこんでしまった。

 

 

「どうした?」

 

『ーーー、~ー!?』

 

 

 何事かと、おれが応答を求めた瞬間、通信機から声にならないような叫び声が通信機越しから聞こえ、その後応答もないままプツリと通信が途絶えた。

 

 …………どうなってんだ? まさか妖怪の襲撃を受けたのか?

 

 

「おい! 返事をしろ! 今何が起きたんだ?!」

 

 

 もし本当に妖怪に襲撃されていたとしたら大変だぞ。

 転送装置に妖怪が潜りでもしたら、月に妖怪を入れてしまうことになる。

 

 

『う、うおおぉぉぉ!!』ババババッ

 

 

 通信機から送られてくる発砲音。

 ……銃を撃ってるって事はやはり、転送装置の前で戦闘が行われているということか。

 

 これは急がないと本当にまずいぞ。これまでの苦労が報われなくなる。

 

 

『ガチャグキッ!! ……ピーーー』

 

 

 そして、ついに通信が途絶えてしまった。

 

 

「くっ!」

 

 

 これは、非常にまずい事態になった。

 

 そう判断したおれは、今出せる全速力で空を滑空する。くそ、せめて何が起きたかぐらい教えてくれよ!

 ああもう! 思っていたより速度がでない!

 

 

 

   ダッダッダッ

 

 

「あ?」

 

 

 あまり速く飛べないことに苛立ちを感じていると、地上の方から複数の足音が聞こえてきた。

 もしかしたら妖怪が地上で走り回っているかもしれないと思ったおれは臨戦態勢に入った状態で下を見てみる。

 すると____

 

 

「はぁ! はぁ!」

 

「うっ、うぅ」

 

「待ちやがれ! このくそアマが!」

 

 

 隊服を着た女兵士が小さな女の子を抱えながら妖怪から逃げている姿が目に映った。

 女兵士は子供を抱えているからか、あまり速くなく、今にも妖怪に捕まりそうな勢いだ。このまま放っておけば確実に捕まり、そして食われるだろう。

 

 

 …………時間がないが行くしかないだろ、これ。

 

 

 放って置くなんて選択肢、おれには出来ない。

 

 

 

「ふん!」

 

「ぐぎぃやぁ!?」

 

 

 そのまま飛行していては間に合わないと踏んだおれは、地球の重力に任せ、そのまま妖怪の目の前まで落ちていくことにした。

 

 その自由落下はかなり速く、瞬く間に妖怪の側まで来ることができた。

 そしておれはそのまま落ちる最中に生成した霊力剣を両手に持ち、妖怪の頭部から股下まで一気に斬りつけたーー着地したとき負傷した足が地面に変な当たり方をしたような気がするが痛くないので気にしないでおく。

 すると斬りつけられた妖怪は無惨に真っ二つに避け、その場で倒れ伏した。

 

 

「きゃ、きゃああ!?」

 

「あ、う……」

 

 

 その光景を見た女兵士は絶叫し、女の子はあまりの酷さに気を失っていた。

 

 

「大丈夫か?」

 

「い、いや! 来ないで!」

 

 

 その場で尻餅をついた女兵士に手を差し伸べると、女兵士はそれを拒絶。おれを殺人鬼を出くわした時のように涙を流しながら目を瞑って気絶した女の子を抱きしめる。

 

 な、なんでだ。折角時間を割いて助けたのに……

 

 あ、そういえば今のおれの姿…………妖怪とおれの血で服が赤黒かったり、緑っぽくなっていて、とてもグロテスクな状態だったな。

 これは確かに急に出てきたらビビる。

 

 

「おい、おれを殺人鬼だとか妖怪だと勘違いとかは止めてくれよ。おれは立派なこの国の住人だ。ほら、このグラサン、見覚えないか?」

 

「あ、いや……」

 

 

 声を掛けても女兵士はかなり怯えていて、こちらを見ようともしない。ずっと女の子を強く抱きしめながらうずくまっている。

 よく観察してみれば、女兵士の服もボロボロで穴もちらほら空いており、その隙間からは血が垂れている。

 おそらく、さっきまでその女の子を必死に守っていたのだろう。   

 その頑張っていたという証拠に、女の子には目立った傷は見当たらない。ていうかこの子、やけに豪華な着物を着てるな……

 

 ……ん、豪華な? 

 

 ……もしかしてこの子、さっき連絡を受けたときに聞いた蓬莱山の令嬢か?

 それなら、住人の避難が完了したと報告されていたのに、未だにこの地に一般人がいるのにも納得がいく。

 

 よし、今のおれの予想が当たっているかどうか確かめてやる。

 

 

「うぅ、なんで私がこんな目に……あの部隊長はなにやってるのよ……」ブツブツ

 

「おい、そこの女兵士。お前にはまだ役目があるんじゃないのか?」

 

「そもそもこの子が……え?」

 

「お前が今抱えている子、蓬莱山家の令嬢だろ? その子をお前が無事、ワープゲートに潜らせるのがお前の役目の筈だ。こんなところでうずくまっている場合じゃないだろ。」

 

「え、あ……はい」

 

 

 よし、ちゃんとおれの話を聞いてくれたな。

 ふう、一早く気付けてよかった。もし蓬莱山家の事が頭に入っていなかったら未だに話を聞いてもらえなかっただろうな。

 

 

「それじゃあ行くぞ。こんなところで立ち止まっている暇はない」

 

 

 この女兵士は動けない訳じゃない。それなら別に手伝う必要もないだろう。逆におれの方が歩くのを手伝って欲しいくらいだ。まあ、飛ぶから別にいいが。

 

 

「あ、あの、貴方は……?」

 

 

 おれが行こうとすると、後ろで女兵士がそう尋ねてきた。

 ふむ、こいつはおれの事を知らないのか。

 

 

「熊口生斗、永遠の18歳だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~転送装置付近(国中心部)~

 

 

 漸く目的地に到着したが、その場の光景は前に見たこの場所とかなり異なる光景に成り果てていた。

 

 兵士の殆どは地に伏せ、息絶えている。首が無い者、身体中が意味のわからない方向に折れ曲がっている者、顔の原型が分からないほど破損が酷い者、もはや人の形をしていない者。

 

 沢山の死体が転送装置の前にある広場に広がっていた。

 

 

「うえ、おげ、うっぷ……」

 

 

 それを見た女兵士は吐き気を訴え、顔を地面に伏せる。

 

 

「お前はここにいろ。おれがなんとかする」

 

 

 なんとかする。そう、まだこの悲劇は終わっていないのだ。

 広場に1つだけ、人影があったのだ。そいつはこの血が溢れまくっている所で血を一切浴びた様子もなく、凶器であろう指だけが血に濡れていた。

 

 人とは異なる尖った耳、髪は短髪で紫色、額には立派な一本角が生えている。体つきは綿月隊長とまではいかないがかなりゴツく、身長は二メートルを優に越している。

 

 おれはこいつを見たことがある。

 あのとき、妖怪共に逃げる猶予を与えたとき、妖怪共に演説をかまし、焚き付けた大妖怪、鬼だ。

 

 あれからあいつがいつくるかと危惧していたが、一向に現れなかったから忘れかけていた。

 まさかいつの間にか国の中に入っていたとは……

 

 

「よお、お前を待っていたぜ、殺人鬼」

 

「その言葉、ブーメラン」

 

 

 彼方は此方に気づいているようで、死体を蹴り飛ばしてきながら話しかけてくる。

 その死体を受け取って地面にそっと置き、おれは応答する。

 

 

「どうだ? 同士をこんなにされた気持ちは」

 

「なんだ、仕返しか?」

 

「そんな所だ。だが、期待外れも良いところだな。お前の反応、淡白すぎる。もっと激昂しろよ、泣き叫べよ、俺を恨めよ」

 

「そうしてほしいのか?」

 

「お前は、薄情な奴だな。俺よりよっぽど鬼だぜ」

 

 

 薄情? 何を言ってる。おれは今、滅茶苦茶頭にきてる。折角命を懸けて守った命を、こうも容易く奪われたんだ。

 数分前まで生きていた者達が、今はただの肉の塊と化しているんだ。

 この光景を見てなんとも思わない訳がない。

 このグロテスクな光景を見ても、女兵士のように吐き気など起きない。それよりも悲しみ、そして怒りが込み上げてくる。

 そう、今すぐにでもあいつにぶつけたくなるほどに。

 

 だが、一時の感情は大きな油断に繋がる。そんな隙を見せれば、この鬼は一瞬にしておれの命を奪い取っていくだろう。只でさえ手負いのおれしか戦える奴がいない、つまり超劣勢なんだ。そんな隙、見せられるわけがない。

 

 だから今は我慢をする。怒りを、悲しみを、今はまだ出さない、出せない。

 

 

「さて、ある奴からの情報だが」

 

 

 いつでも戦闘が行えるよう身構えていると鬼が口を開いた。

 

 

「このどでけぇ門。これで月に行けるらしいな」

 

「……」

 

 

 この鬼が転送装置の存在を知っていても驚かない。どうせあの副総監の奴がばらしてるんだろう。

 ったく、あの野郎はなんでこんなこと仕出かしたんだろうな(まだ副総監がやったと確定しているわけではないがたぶん犯人だろう)。

 

 

「この門壊したらお前、困るか?」

 

「その前にお前を殺すだろうな」

 

「つまりそれぐらい困るってことか」

 

 

 こいつの質問の意図はこれでもかというくらい分かりやすい。

 おそらくこいつは、転送装置をおれ達から奪う気だ。

 

 

「なあ、お前が質問したのならおれもしていいか?」

 

「答えると思うか?」

 

 

 だろうな。だが、これは聞いておかなければならない。

 

 

「この犯行は、お前一人でやったのか? それとも複数?」

 

「……!!」

 

 

 おれがそう質問すると、鬼は先程までの薄気味悪い笑みを止め、まるで鬼のような(実際鬼)形相でおれを睨み付けてきた。

 

 

「てめぇが俺の部下を皆殺しにしたんだろうが……!」

 

「ふぅん」

 

 

 わかった。それでか、こいつがこんな虐殺をしたのは。

 

 部下達の仇討ち。あいつが味わった苦しみをおれに味あわせるように。

 

 

 ……んまあ、今はそんなことに構っている場合ではない。

 こいつの発言が本当なら、こいつが一人でこの数を殺った事になる。

 つまり、まだ転送装置を妖怪は潜ってはいないということ。

 

 

「おーけー、わかった。それだけで十分だ」

 

「それじゃあ始めるか。俺とお前、どちらが生き残るか。俺の復讐はお前の死によって完遂する」

 

 

 復讐つってもお前が攻めてきたのが悪いと思うんだけどな。

 おれはただ返り討ちにしただけだ。

 

 

「何を始めるんだ……って、これは愚問か」

 

「そうだな。俺はもう待ちきれないぜ。お前の顔面を潰したくてウズウズしている」

 

 

 物騒な事を平然と口にするもんじゃないぞ。

 

 

「お前を……殺す!」

 

「……っ!」

 

 

 ついに始まったか。まあ、この事はあいつが待ち伏せしていた時点で予想はできていた。

 さて、この状況の場合おれはどうすればいいだろうか。

 逃げても無駄、鬼の足から逃げきれるほどおれは速くないし、もし逃げたとしても令嬢と女兵士を見殺しにしてしまう。

 普通に戦っても無理、万全な状態ですら大妖怪に勝てないおれが、手負いの状態で勝てるわけがない。

 いっその事一か八か転送装置を潜るか? いや、それは論外だ。あいつがついてきて月に妖怪が侵入してきてしまう。

 

 正攻法じゃまず鬼という障害物を退かす事は出来ない。

 

 

「おらぁ!」

 

 

 そんな考えをしていると、鬼が血にまみれた手刀でおれの首元を狙って横振りに振ってくる。

 あまりの速さに若干驚きつつ、なんとか後ろに跳んで手刀を避ける。

 しかし鬼はそれだけに留まらず、追撃の殴打をかましてきたので、あらかじめ背中(鬼の死角)に生成しておいた爆散霊弾を殴ってきた拳にぶつける。

 

 そして爆散霊弾が鬼の左拳に着弾すると、おれと鬼を巻き込んで大爆発が発生した。

 

 

 

「ぐぐっ……ひ、左腕が」

 

 

 着弾地であった鬼の左腕は丸焦げとなり、皮膚が炭と化してボロボロと落ちていく。

 だが、それ以外に鬼に目立った外傷はない。爆心地の側にいたおれは霊力障壁で守ったにも関わらず、かなりダメージを受けたというのに……といっても、もはやどれぐらいの痛みだったのかなんてアドレナリンが大量に出まくっているおれにはよくわからないけどな。

 でもまあ、おれの身体中からプスプスと煙が上がっているから焦げているのは確かだな。 

 

 

「ちっ……捨て身かよ」

 

 

 それは仕方ない事だろ。地上戦ではこの足じゃ避ける手段が限られているからな。

 それなら空中戦で戦えばいいだろうということになるが、空中戦はそれはそれで縦横無尽に動き回られると厄介だ。

 相手が中妖怪程度なら多少厄介でも空中戦に持ち込んだが、大妖怪相手だとまず無理だろう。超速度で殴られまくって終わりだ。

 

 だから、それよりもましな地上戦を選んだ。

 あいつも空中戦に持ち込むつもりは無いようだし。

 

 それにおれが地上戦に持ち込んだのには他に理由がある。

 

 

「それじゃあ次は反撃の隙を与えず、一撃で仕留めてやる。お前が死んだ後、障壁に阻まれていた奴らを侵入させてやる」

 

 

 その場で低い姿勢になる鬼に負けられない理由がまた1つ増えたな。

 

 さて、こいつは愚直にも突っ込んできてくれるようだ。

 足を痛めて、接近してもらわないと攻撃手段が殆ど無いおれにとっては喜ばしいことだ。

 

 いや、あいつも分かっててやっているんだろうな。本当は遠くからの遠距離攻撃の方が確実におれを殺せるってことは。

 だが、あえてあいつはそれをしない。

 自らの手でおれを抹殺したいのだろう。その手におれの鮮血がつかないと気が済まないのかもな。

 まあ、これからお前の手につくのはおれの血ではなく、お前の血になるけど。

 

 

「これで、最後だ!」

 

 

 鬼がおれとの距離が後数メートルとなったところで、指の方に妖力を込め、その妖力がブレードのような形に変形させた。

 

 ほう、これでおれを切り裂くつもりか。

 やっぱり速いな、大妖怪は。目で追うのがやっとだ。これはもう、使()()()()()()()()手遅れになる。

 

 

「……」

 

「んがっ!?!」

 

 

 そしておれは残り2つあった命うち1つを使い、霊力を底上げした。これが奥の手だ。

 

 その底上げした霊力の半分を左腕に込め、これからおれの首に向かってくるであろう首元の前にやり、鬼の手刀を防御し、残り半分の霊力を右腕に込め、鬼の鳩尾を思いっきり殴り付けた。

 殴られた鬼は盛大に吹き飛び、転送装置の横にあった壁に轟音をたてながら激突した。

 ふう、なんとか上手くいったな。

 殴り付けた反動か、腕に一気に霊力を集中させ過ぎたかで、おれの腕は鬼を殴り飛ばした瞬間に血飛沫を上げているが、まあ予想は出来ていた。

 

 これがおれの最初で最後の渾身の一撃だ。

 これであの鬼が死ななければおれの負け、大人しく死を受け入れよう。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 しかし吹き飛んだ鬼は倒れたまま沈黙を貫いている。

 よし、そのまま動くな。できれば永遠に。

 

 

「……」

 

 

 勝った。中々の代償を払う羽目になったが、それも時間が経てばいずれ元に戻る。

 そのためにも早く転送装置まで向かわなければ______

 

 

 

      ボトッ

 

 

 と、おれが動かぬ鬼から踵を返し女兵士と女の子がいる所へと向かおうとした時、何かが落ちる音がした。

 

 

 ん? 今、何が落ちた? おれの足元から聞こえてきたが……

 通信機は胸ポケットの中にある。

 それ以外には特になに持ってなかったんだが……

 

 なんとなくで気になったおれは、おれの足元に落ちたであろう“なにか″を見るために足元に目線をやる。

 

 

 そしておれはすぐに視線を元に戻した。

 

 

「(おい、まじか。あいつの手刀を防御したときか? あのとき、一生分の寿命の半分を込めたのに?)」

 

 

 信じられない。そう頭の中で考えたところで、真実が、地面に落ちている“モノ″が物語っている。

 

 

 

 

 地面に落ちていたのは、何処でも見かけられるような、筋肉質の、細いが少しゴツゴツとした腕。

 だが、その腕には見覚えがある。

 それもそのはず。生まれてこの方、肌身離れずあったものなのだから。

 

 そう、おれの足元に落ちていたのは、紛れもなくおれの左腕だ。

 

 おそらく奴の手刀を防御したとき、ギリギリで腕の皮一枚のところで防ぐことに成功し、踵を返したときに動いたせいでその皮も切れ、落ちたって所だろう。

 

 ……って、なんで自分の腕を切られたってのにおれはそんな考察をしているんだ? 普通あまりのショックと痛みに泣き叫ぶだろうに……もしかしたらおれの感覚が麻痺してるのかもな。身体的にも、精神的にも。

 現に腕から切断されたことよりも、切断された部分から出る血をどう止血しようかの方が問題視しているし。

 

 

「クク……ククククっ……」

 

 

 そんなおれを嘲笑うような声が奥の方から聞こえる。

 この声の方向はまさか……

 

 

「相討ちって……所か? いや、俺の方が……ごぶぼぉぉぉ!?」

 

 

 まだ生きてやがったのか……

 転送装置の方から聞こえてくるのは、血反吐を吐きながらもなお笑みを止めない鬼だった。

 

 

「はぁ……はぁ……ありがとよ、化物。お前のこの一撃のおかげで覚悟ができた」

 

「……なにが言いたい」

 

「そもそも、仲間が死んだっていうのに俺だけ生き残るって発想が違っていたんだ」

 

 

 いや、だから何が言いたいんだよ……

 

 

「俺はもうこの場から一歩も動けねぇ。情けねぇな、群れの王が壁にめり込んだ状態から動けねぇなんて」

 

 

 お前だったのか、あの群勢のボスって。

 

 

「このままじゃお前に殺されてしまうだけだ」

 

「……そうだな」

 

 

 本当はおれももうあいつに決定打を与えられるほど力は残ってないんだけどな。

 

 

「お前が死ななければ、あっちにいった同士が報われねぇ。ならば俺の命を賭してでもお前を殺すのが筋ってもんじゃないか?」

 

「いいや、まったく。死んでいった仲間のためにもなんとしてでも生きてやれよ」

 

「いんや、それは無理だ。もう覚悟を決めちまったからな」

 

 

 ……まさかこいつ。

 

 

「なんだかな。同士の仇っていうのに、お前と俺、なんだか似てんだよな」

 

「どこがだ?」

 

「お前、ここの連中のためにそこまでボロボロになりながらも戦っているだろ。こんなことしてもお前自身にはなんにもメリットはないってのに」

 

「そう決めつけるのは少し早計な判断なんじゃないか? もしかしたらおれが殺すことに快感を覚えているシリアルキラーかもしれないぞ」

 

「見え透いた嘘をつく。お前、俺の同士を殺るとき、楽しそうな顔なんて一度もしていなかったぞ。どちらかというと罪から逃れようと懇願するような顔だった」

 

「どんな顔だよ、それ……」

 

 

 罪、か。確かに感じているのかもな。

 

 

「さて、軽口はこのぐらいだ。いい加減、お前を殺したい」

 

「ふぅん、どうやってだ?」

 

 

 あいつは見たところ、動けるような状態じゃない。ーーそれはおれにも言えたことだが。

 そんな奴がおれにどうやって止めを刺そうというのか。

 

 いや、予想はついている。おれとしては絶対にしてほしくないこと。

 だが、おれとあいつが逆の立場だったら、絶対にしているであろうこと。

 もしあいつの言った、おれとあいつが似ているというのが当たっているのなら、おそらくやってくる。

 

 

 おそらくあいつは転送装置を壊す。

 

 

「これから俺は……己を核にして爆発する」

 

 

 

 

 ちょっと予想が外れたね……

 

 ___自爆か。

確かにここで自爆をすれば近くにある転送装置も無事では済まないし、その近くにいるおれも、そして瓦礫の隅で隠れているあの二人も当然巻き込まれる。

 そうなれば一貫の終わり。あいつの復讐は成功に終わる。

 

 それはさせない。やらせるわけにはいかない。なんとしてでも月に行くんだ。

 

 

「させると思うか?」

 

「やるさ、もう準備は出来てる」

 

「……まさか! このお喋りは自爆の準備の時間稼ぎだったっていうのか」

 

「気付くのがおせぇんだよ」

 

 

 なんてこった……ただの脳筋野郎と思っていたのに一杯食わされた。

 くそ、あわよくばそのままなにもしてこないでもらおうと思っていたおれが甘かった。

 

 どうすればいい? おそらく奴はおれが妙な動きをした瞬間、自爆するだろう。

 命を代償にした力は絶大だ。その事は身に染みて感じている。

 それを一度の、一瞬の爆発に使ってみろ。この辺りは更地と化すだろう。しかもその自爆による衝撃で、国の中心部にある時限爆弾(核爆弾)が誘発される可能性だってある。そんなことになれば助かる見込みはさらに絶望的になる。

 

 だが、奴の自爆を止める手だてをおれは持っていない。

 

 

「熊口さん!」

 

 

 と、どうすれば突破口を作ることが出来るか脳内の知識を総動員させて考えていると、女兵士がおれを呼ぶ声が聞こえてきた。

 お、あいつ、おれの事やっと分かったのか。

 

 ん? ていうか声がどんどん近づいてくるぞ。

 

 

「……っておい! こっちに来るな!?」

 

 

 振り返ってみると、そこには此方まで近づいてくる女兵士の姿があった。背中に女の子を乗せて。

 

 

「ほう、連れがいたのか。」

 

 

 そしてあいつは女兵士達の事気づいていなかったのかよ……

 

 

「熊口さん、今です! あいつが動けないうちにワープゲートまで行きましょう!」

 

「馬鹿か! おれらの話を聞いてなかったのかよ!?」

 

「え、っと、すいません。遠かったのでよく聞こえてなくて……」

 

 

 やばい、妙な動きをすればあいつが自爆を____

 そう危惧したおれは恐る恐る鬼の方へと顔を向ける。すると……

 

 

「いいぜ、そこの女二人はワープゲートに通してやっても」

 

「!?」

 

 

 予想外な返答が返ってきた。

 

 ま、まじかよ。情けをかけてくれるのか? 仲間の仇に?

 

 

「ほ、ほんとか? それなら__」

 

 

 いや、待て。本当にあいつがこいつらを見逃してくれるという確証はあるのか?

 あの鬼はおれを恨んでいる。本当は口も聞きたくないだろうに時間を稼ぐためだけにその相手と話したりもしている。

 

 もしかしたら、見逃してやるといいつつも、いざ転送装置に潜らせようとした瞬間に自爆するという可能性は十分にある。

 その方がよりおれに絶望感を味あわせることが出来るからな。

 上げて落とす。単純だが人の心を折るにはかなり有効的な手段だ。

 

 

「おい、お前」

 

「な、なんでしょうか?」

 

 

 とにかく、あいつの言うことは信用できない。ていうか信用してはいけないんだ。

 

 

「月に行ってさ。おれの友人に会ったら伝えておいてくれないか? 『少し遅れる』って」

 

「なっ!? それはどういう事ですか! まさかあの妖怪の言葉を信じるんじゃ……」

 

 

 こいつは本当に的はずれなことばかりを考えるな。

 まあ、そう考えられても仕方ない言い方だけど。あいつに感づかれ無いようにすることができて、おれの友人らに送るメッセージを送れる言い方だと、これぐらいしか思い付かない。

 

 

「いいから黙っておれの話を聞け」

 

「でも!」

 

「命令だ。黙れ」

 

「……ぐぅ」

 

 

 今女兵士に構っている暇はない。

 一刻も早くこの二人を月に行かせる。おれに出来るのはこれぐらいだ。

 二人がおれの所へと来てくれたのは幸運だった。来てくれたおかげで、なんとか全滅せずに済むのだから。

 

 まあ、もうおれが死ぬことは確定したんだけどな。この状況で助かる方法なんて、おれの足りない脳じゃこの二人しか助からない。

 

 

「この事件の発端は副総監の秘書だ。そして副総監が黒幕である可能性が高い。このことを月に行ったら報告してくれ」

 

「え?! 副総監がですか!?」

 

「しっ、声が大きい」

 

 

 今はあの鬼に刺激するようなことをしてはいけない。

 奴は今やいつ爆発してもおかしくない爆弾なんだから。

 

 

「ん、うぅ……」

 

 

 おっと、女兵士の大声で女の子が起きてしまったようだ。

 

 

 

「ひ、ひっ!?」

 

 

 そしておれを見てまた気を失いかけたようだ。

 まあ、起きたら目の前に片腕を失ったボロボロの成人男性がいたなんてトラウマものだろうな。

 

 

「丁度良かった。お嬢さん」

 

「うっ……」

 

「お、お嬢様……この方は味方です」

 

 

 丁度話しておきたいことがあったので女兵士におぶされている女の子に話しかけて見ると、やはりというべきか、顔を女兵士の背中に埋めて身を隠し、拒絶の意思表示をしてくる。

 

 ふむ、なんかちょっと心が傷ついたが先程までの出来事で元々ボロボロになってるから結構平気でいられるな。

 まあいい、このまま話しかけるとしよう。

 

 

「お嬢さん、家出したんだってな」

 

「……」

 

 

 女の子は身を隠したまま動じない。だが、構わず続ける。

 

 

「お父さんとお母さんに迷惑はあまりかけるもんじゃないぞ」

 

「……うるさい……」

 

 

 お、一応おれの話は聞いてたようだ。でも説教だと勘違いしたのか若干低い声で返答してきたな。

 まあ、おれはただ説教をしたいからこんな時間を割いてるわけじゃない。

 

 

「箱入り娘なんだってな。これまで外に出たことがないって本当か?」

 

「……」

 

「そりゃ嫌だろうな。おれだって家出するかもしれない」

 

「……!」

 

 

 自分のやったことに賛同してくれた事が嬉しかったのか、女の子は少しだけ顔を覗かせてきた。が、やはりおれの格好があまりにも酷いのかすぐにまた顔を隠してしまう。

 

 

「だけど、君の周りにだって頼れる人がいるじゃないか。ほら、いただろ? 教育係の永琳って人」

 

「……うん」

 

「あの人はちゃんとお嬢さんを見てくれてる。たまにおれ、あの人と会ってるけどその度にお嬢さんの話を聞くぞ」

 

 

 殆どが無茶ぶりな我儘による愚痴だったが。

 

 

「ストレス解消のための我儘ばかりをするのではなく、たまには他の我儘をいってみな。たぶん、永琳さんなら叶えてくれる」

 

「え?」

 

「外に出てみたいんだろ? それぐらいの我儘なら、永琳さんなら融通を効かせて出かけさせてもらえるってことだよ」

 

 

 これからこの子は月に行く。それなら少しでも永琳さんの負担を軽減させる。それがおれの目的だ。

 

 

「だから、これからは今回のような家出とかはするなよ?」

 

「……うん、わかった」

 

 

 アドバイスをもらった女の子は、少しだけ恐怖の眼差しを解き、おれに顔を見せぺこりと頭を下げる。

 ふむ、こんな純粋な子を見るとおれの傷ついた心が癒える感覚がする。事実、切羽詰まったこの状況にもかかわらず、おれは和やかな笑みを溢してしまっていた。

 

 

「それじゃあ、女兵士」

 

「(女兵士って私のこと?)は、はい」

 

 

 伝えることはもう伝えた。言い残すことは無いことはないが、あまりにも長くなりすぎるので無いにカウントする。

 

 

 

「これからお前らは、おれがあの鬼と話終えたらゆっくりと転送装置まで行け。おれの方は振り返るなよ。時間の無駄だからな。

 そして決してお嬢さんを離すな。何があってもな。」

 

「熊口さん、はどうなるんですか……?」

 

「さっきも言ったろ? 『少し遅れる』って。心配するな。後で必ず行く」

 

「ほ、本当ですね!! 熊口さんは私達の恩人なのですから、生きてもらわねば困ります!」

 

「いや、独断行動やら職権乱用やらで処刑されそうなんだけどな」

 

「そ、そんなことにはなりませんよ!」

 

「まあ、そんなことよりもだ。とにかく、今おれが言った通りのことをしろ。お前はそれを実行していれば良いんだ」

 

 

 そろそろあの鬼も待つのも限界みたいで、笑みを浮かべながらも目は此方を睨み付けていた。

 

 

「わかった。お前のお言葉に甘えて逃がさせてもらおう」

 

「おう、やっとか。返事がおせぇんだよ」

 

 

 あの鬼にも聞こえるような声量で先程の返事をすると、あいつは満面の笑みで応答した。

 

 ……あいつ、絶対になにか企んでるな。わかってたけど。

 

 

「よし、行け。絶対に令嬢を離すなよ」コソッ

 

「はい」コソッ

 

 

 そして遂に女兵士が転送装置へと歩きだした。

 

 

 これで奴が仕掛けてくれば、おれがそれを止める。その名の通り命を懸けて。

 

 

 一歩、また一歩と転送装置に近づいていく女の子を背負った女兵士。

 途中、女の子が不安げな顔でおれを見てきたが、おれは彼女の顔をみないようにし、無視を決め込む。隙を見せるわけにはいかないからな。

 

 

 そして女兵士と転送装置の距離が残り半分になったところで、あいつが口を開いた。

 

 

「なあ、そういえば俺ってこう言ったよな?」

 

「……なんだ?」

 

「ワープゲートに通してやってもいいってな。だけどよ、俺は別に()()()とは言ってないぜ?」

 

「まさか!」

 

「その通りだ。自分の無力さを悔いながら死ね、殺人鬼!」

 

 

 そう言って鬼は自爆しようとした。

 

 

 

 

 

 しかし、鬼はそれを途中で止められた。

 

 

 それは何故か。答えは簡単だ。

 

 鬼が自爆しようとした瞬間、おれがその場で倒れ、先程までいた筈の女二人の姿が消えていたからだ。

 

 

「お、お前……何をした?」

 

「……」

 

 

 返事はしない。いや、出来ない。今のおれに顎と舌を動かせなんて10トンのおもりを空中から顔で受け止めろといってるようなもんだ。

 

 

 

 あいつが途中で自爆することは分かっていた。

 だからおれも覚悟を決めた。

 

 最後のストック、最後の命、それを代償にあの二人を一気に転送装置の所まで吹き飛ばした。

 

 勿論、吹き飛ばしたときに衝撃を和らげさせるようにあの二人におれの霊力を纏わせた。

 

 

 おかげでなんとか成功し、あの二人は転送装置を潜ることが出来た。

 

 そしておれの命は尽きた。

 身体はもう一ミリも動きはしないし、視界は掠れ、頭もぼーっとしてきた。

 息が出来なくなり、若干苦しいような気もしたが、すぐにそれすらも忘れるかのように消えていく。

 

 

「くそっ! お前、なんだその顔は!! 勝ち誇ったような顔をしやがって!」

 

 

 なんだよあいつ、まだ自爆しないのかよ……

 ほぼ死体と変わらないおれを見て怒鳴りつけてくるなんて。

 

 

「くそ、くそ、くそ! どうせ俺を苛つかせるようにわざとそんな演技をみせてるんだろ! ああもういい! お前のその存在ごと抹消してやる!」

 

 

 良かった。自爆してくれるんだな。危うく予定がずれる所だった。

 

 

 

 

 

 ああ、もう駄目だ。意識を刈り取られていってる。

 

 

 トオルは大丈夫として、小野塚は無事に月へ行けただろうか?

 依姫と豊姫さん、あとゴリラも無事なのだろうか? 

 

 永琳さんは初日に行ってたから大丈夫だろう。

 

 

 ああ、また永琳さんやツクヨミ様の家でのんびりしたかったなぁ……

 

 

 まあいい。これはおれの望んだ結果だ。悔いはない。

 永琳さん、ツクヨミ様、綿月隊長、依姫、小野塚、トオル、豊姫、後部下達。

 

 これまでありがとう、前世より百倍以上楽しくて幸せな人生だった。

 

 

 

 

 

 

 そして、おれのぼやけた視界が光に覆われたとき、おれの命は完全に消滅した。

 

 

 

 



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転生再び

 

 

「ん、ここは……?」

 

 

 目が覚めると、見覚えのある純和風な部屋にいた。

 

 あれ……おれ、命を使い果たして死んだんじゃなかったっけ。

 それにおれの身体……さっきまでの瀕死の身体とは打って変わって五体満足で傷1つない。服装もあの血だらけの隊服ではなく、あの世界に行ったときに身に付けていたドテラ、黒T、ジーンズになっている。

 

 まさか……戻された、のか?

 

 

「お、起きたか」

 

「あっ、神」

 

 

 其処にいたのはこちらも見覚えのある顔と声、しわくちゃな顔で神様っぽい杖を持っていて、額と頭のとの境が分からないくらいハゲが進行している。

 

 

「今わしに対して失礼なこと考えていなかったか?」

 

「いや、全然…………ではないです」

 

「正直すぎるのも罪と言うことを自覚しなさい」

 

 

 どうせ嘘ついてもばれるんでしょうよ、神なんだし。

 

 

「ともかく、どうじゃ? 皆を救った気分は」

 

「はぁ……全然優れませんよ」

 

「まあ、最後の最後で死んだしのう」

 

「……」

 

 

 おれが死んだことはどうでもいい。皆が無事なのかが心配で気分は優れてないんだ。

 

 

「自分のことよりも仲間の心配か。つくづく変わった奴じゃ」

 

「仲間の安否を心配するのは当然のことでしょう?」

 

「普通人間は他者より己の身の方が可愛いものなのじゃよ」

 

「?」

 

「まあ、心配しなさんな。君の知り合いは全員無事じゃよ。皆君が月に来なかったことに悲しんでいたがの」

 

「……そうですか」

 

 

 そうか、皆無事だったのか……良かった。おれの死は無駄じゃなかったってことか。

 しかも皆、おれのことで悲しんでくれるなんて嬉しい限りだ。

 ……あれ? 前にも同じようなこと思ったような。

 

 

「んじゃ、この話は置いといて」

 

「おれとしてはまだ聞きたいことが山ほどあるんですが……」

 

 

 転送装置は壊れたのかとか、時限爆弾はどうなったとか……

 

 

「まあ待ちなさい。その事も追々話すから。」

 

「はあ……」

 

 

 さっきからナチュラルに心読まれてるんだけど。なにこの神、おれにプライバシーの権利はないってか。いっそこのことため口で話してやろうかな。

 

 そう心の中で愚痴っていると神がゴホンと咳を鳴らしながら睨みつけてくる。

 あ、ため口はするな、ですか。はい、わかりました。

 

 

「……ごほん。取り敢えず、おめでとうといっておこう。君は試験に合格した」

 

「は?」

 

 

 試験? 合格?

 

 

「本当に君が転生するに相応しい人間なのかをの」

 

「それってどういう……」

 

「わかっとるじゃろ。あの戦況の中、君がどういう行動を取るかによって、これからの君の処遇は決まっていたんじゃ」

 

 

 処遇って……まさかあれ、試されていたのか?

 

 

「そうじゃ。もしあのとき、尻尾を巻いて君が月に逃げていたら、即座にここに肉体を戻して地獄に叩き落としていた。が、君はそれをしなかった。それどころか己の命が尽きるというのに、躊躇わず人を救うために使った。

 満点じゃ。花丸をやってもいいほどにな」

 

「は、はぁ……そりゃどうも」

 

「ただ、自己犠牲が過ぎるのは看過できん。もう少し己を大切にしなさい。少しぐらいなら利己的に動いても誰も文句はいいやせん」

 

 

 結構利己的に動いてたと思うんだけどな。

 

 

「因みに、もし君があの世界に転生しなかった場合の運命を説明すると、2日目以降あの国に滞在していた殆どの者が死んでおった。君がいつも心の中でゴリラと罵っていた者も含め、君の知人のほぼ全てがな。依姫とやらはどちらにしろ無事だったようじゃが」

 

「ま、まじですか」

 

 

 おれ、中々凄いことしてたんだな……あのときは国の皆を助けたいと思う一心だったからそんなこと考えてなかった……

 

 

「しかも君の仮定していた事の殆どは的中しておる。途中わし、君が予知者に目覚めたのかと思ったぐらいじゃ」

 

「あれ、それってつまり……」

 

「君の仮定つまり、あの戦争の黒幕、女の子が令嬢であること、そして大妖怪の自爆によって核爆弾の誘爆。全てその通りじゃ。ただ1つ、ツクヨミ様がどうしてしんがりを買ってでたのかについてのは外れていたがの」

 

「いやでもそれ、ちょっと考えればわかることでしょ?」

 

「まあ、確かにそうじゃが……あの場でそう冷静に考えられるのは相当なことじゃよ」

 

「……なんか、やけにおれの事褒めますね。何か裏があるじゃないですか?」

 

「いやいや、別にやましいことはない。純粋に凄いと思って言っておるんじゃ。わしでも普通、君のような行動、とれないからな」

 

「ふぅん」

 

 

 ……まあ、神がおれの機嫌を窺うような事する必要なんてないしな。

 

 

「あ、ああ、そういえばあと1つ、疑問に思ったことがあるんじゃが」

 

「なんですか?」

 

「何故、女兵士に皆へ『少し遅れる』なんて言えと言ったのじゃ? あのとき既に君、死ぬ覚悟が出来ていたじゃろ」

 

「あー、あれですね。あれは皆を悲しませたくないからですね」

 

「ほう?」

 

「1度前に自爆して死んだことがあるでしょ? あのときの依姫達の顔をもう、してほしくなかったんですよ。それにほら、おれ、命が複数あるってあいつら知ってるでしょ。だからもし月に行けなかったとしても生きてる可能性があるって思わせられるじゃないですか」

 

「……そうか」

 

 

 後、女兵士が食い下がってきそうだからってのもあったけどな。

 

 

「だが、実際君は死んでるがな。もしその事が発覚した場合、もっと悲しませる事になることは忘れないように」

 

「はい、わかってます」

 

 

 まあ、そうだよなぁ。悪いことをしてしまったかもしれない。

 

 そういえばおれ、このあとどうなるんだろうか。そしてここに呼ばれたのもよくわからない。ただおれを褒めるためだけにここに来させたんじゃあるまいし。

 

 

「まあ、余談はこのへんにして……花丸100点の君に、選択肢をあげよう。実際これが本題じゃ」

 

「選択肢?」

 

「君が今、気になっていたことじゃ___

 またあの世界に転生するか、それとも君のいた元の世界に帰るか。そのまま死んで転生の輪に潜るか。

 この選択肢をな。本当はこれ、特例なんじゃぞ? この選択肢、君が死んでいなかったらのものだったんじゃから」

 

「え……」

 

 

 元の世界……っておれが17年間暮らしていたあの世界か?

 

 

「あれ、ちょっと待ってください。元の世界って事は、神は満足したってことなんですか?」

 

 

 前にそう手紙で書いてあった。戻してくれるってことはつまりそういう言うことなんじゃないだろうか。

 

 

「いや? ちっとも」

 

「はい?」

 

「言ったじゃろ、これは試験だって。君が試験に合格した時点でこの選択肢は元からする予定だったんじゃよ。嘘ついてすまんかったの」

 

「あ、そっすか」

 

 

 そうか、そうなのか……元の世界に帰るか、それとも今の世界でまた生き返るか。

 

 

 いや、これ。迷う必要なんてあるのだろうか?

 

 

「今いる世界にまた転生させてください」

 

 

 

 ____『少し遅れる』。

 

 

 本当はただの虚言だったが、それを事実にすることが出来るかもしれないんだ。

 その約束を守るためにも、おれはまたあの世界に行く。

 それにもう、元の世界よりこっちの方が長く生きてるしな。

 

 

「ほう、これはまた、予想通りの回答じゃの」

 

「そうでしょうね」

 

 

 神も分かりきっていたというような顔をして、にやりと口端を吊り上げた。

 

 

「……あいわかった! それではまた君をあの世界へと転生させよう! 次は今回のような特例はないから気を付けるんじゃぞ!」

 

「は、はい」

 

 

 そして神は満足そうな笑みをしながらおれをまた転生させてくれると宣言してくれた。

 よし、また永琳さんや皆と会えるぞ!

 

 

「よし、そうと決まったらペナルティを申し付けるとするかの!」

 

「はい?!」

 

 

 と、おれがあの世界に転生できることに喜んでいると神がそんな事を言ってきた。

 ぺ、ペナルティてなんで!?

 確かに罰則を与えられるような事はしたけど、さっきの雰囲気的にないでしょ、普通!

 

 

「勿論ペナルティはあるじゃろ。実際はもうそのままあの世に行くはずだった君の魂をまた呼び戻したんだから」

 

「くっ……」

 

 

 ……仕方ない。これは甘んじて受けるしかないな。折角救ってもらった命なんだ。少しぐらいの罰は受けるつもり___

 

 

「内容はというとな____能力の劣化じゃ!」

 

「却下で。他のをお願いします」

 

「君に拒否権なんぞない。甘んじて受けなさい」

 

 

 いや、だって能力の劣化て……これから生きていくなかでそれは中々キツい。せめてこれから何かしろとかのミッション的なやつが定石だろ。

 

 

「そんなもの、わしに通用するとは思わんことじゃ」

 

 

 また勝手に心を読んでんじゃないよ……

 

 

「では、劣化内容を説明しよう____」

 

 

 

 神の言った『生を増やす程度の能力』の劣化内容はこの3つだ。

 

 

 ・命の増える周期が5年から20年へ

 

 ・寿命ができる(60年)

 

 ・寿命がくると2日間仮死状態になる

 

 

 かなり劣化されました。せめてこの3つのうち1つにしてほしかった……

 

 

 

「神の鬼! あんたはあの八つ当たりしてきた鬼と同類だ!」

 

「なっ!? 神に向かってなんて口を叩いておる!! 無礼じゃぞ!」

 

「そういえばあんた、なんでおれの頭にグラサンをつけたんだよ! せめて取れるようにしろよ!」

 

「なぬぅ! 自分だってそのグラサン気に入っておるくせしてよく言いおるわ!」

 

「ぐっ、確かに……いやでも取れないのはおかしいだろ!」

 

 

 なんだかイラついたので神に対して文句をいうと、なんか口喧嘩に発展した。

 まあいい、これまでのこの神のしてきた理不尽に対する文句を全部吐いてやる!

 

 

 因みにこの口喧嘩は30分近く続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ーーー

 

 

「さて、能力の劣化も終わったことだし。もうそろそろ転生させるとするかの」

 

「……はい」

 

 

 

 結局口喧嘩は神が劣勢と感じ取ったのか、神の鉄槌(物理攻撃)を食らわしてきて無理矢理終わることになった。

 現在、おれの頭には大きなたんこぶができている。頭がかち割れたかと思った……

 流石は神といったところか。老けてたから舐めてかかっていた……

 ていうか何故かグラサンを取ってくれなかった。何故か、本当に何故か。

 

 

 

「あ、そういえば2つ言っておくことがある」

 

「なんですか?」

 

「今このまま転生させるとこれから物凄い間、人間のいない生活を強いられることになるから、ちょっと時代を弄らせてもらっといた」

 

「なんですかそれ!?」

 

 

 物凄い間ってのがどれくらいなのかはわからないが、人一生分以上あるってことは神の言い方的にわかる。

 

 

「それともう1つ、わしが転生させるのは地球であって月ではない。故に君が転生しても君の知る友人とは会えない可能性がある。それでもよいか?」

 

「ふっ、愚問ですね。なんとしてでも会いますから、その心配は要りませんよ」

 

「やけに自信ありげじゃの。なにか策でもあるのか?」

 

「いいえ? まったく」

 

「聞いたわしが馬鹿じゃった……」

 

 

 おれに月へ行くような技術なんて持ってるわけないじゃないか。

 持っていたとしても材料がないしな。

 

 

「それじゃあ、そろそろ転生させようかの」

 

「さっきとほぼ同じこと言いましたね」

 

「いいんじゃよ、そんな細かいことは気にするんじゃない」

 

 

 さて、転生させる場所は地球であって月でない。

 つまりまた一から始まるといっても過言ではない。

 でも、それでいい。

 

 あの世界にいれば、またあいつらに会えるかもしれないのだから。

 

 

 

「んじゃ、健闘を祈るよ」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

「……なんじゃ?」

 

「また転生するってことはまた生存率40%のハードルを越えなければならないということですよね?」

 

「そうじゃが」

 

「もしおれが残り60%に引っ掛かった場合、命1つでなんとかなりますか?」

 

「いんや、ならんよ。君の能力は魂を改造して作ったものでの。その魂から新しく肉体を構築しておるんじゃが、転生に失敗した場合、その魂すらも抹消されるからそのまま君という存在は消滅する」

 

「転生やめます。一生此処にいます、これからは宜しくお願いしますね」

 

「さっさと行けい」

 

「おわっ!?」

 

 

 すると前に転生したときと同様、おれの足下に穴が開いた。

 一瞬驚いたが、すぐに冷静になる。

 ふふ、今のおれは空を飛べるんだ。こんなもの飛べば落ちることは……

 

 

「ぶべっ!!?」

 

 

 と、宙に浮こうとした瞬間、おれの頭にタライが落ちてきた。

 只でさえたんこぶの出来ていた頭部に落ちてきたので、予想以上の激痛がおれを襲い、空を飛ぶことをやめてしまった。

 

 そのせいで、おれはそのまま穴に落ちていき、そしておれの意識はプツっとTVの電源が切られるように失った。

 

 

 

 

 

 

 

「これからもわしを楽しませておくれよ。彼のような人間は珍しいからのぅ」

 

 

 



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2章 洩矢の国との交流
一話 天津神の間者


 

 山の麓にあるとある湖。そこは私の神域であり、人々はまず立ち入ることのない神聖な場所。

 そんな私の心休まる領域にて、珍しいものを発見していた。

 

 

「男……?」

 

 

 湖の中心に仰向けに浮かんでいるのは、見る限り人間。しかし私の国の者とは明らかに格好が異なっている。

 

 

「気を失っているようだけど……」

 

 

 取り敢えず私の湖で遊泳されるのも目障りなので陸へと連れていく。

 ふむ、顔もここらの者ではないね。見た覚えが全くない。

 

 

「あれ、頭に変なの掛けて___!!」

 

 

 額辺りに何か黒い物体を掛けているようなので取ってみようとすると、あることに気が付いた。

 

 

 ____これ、神力がある。

 

 

 まさか、ここ最近国取りを行っている大和の間者なのでは……確かその国には天津神が支配していた筈、可能性は十分ある。

 

 

「……悪いけど」

 

 

 気を失っている人間の首元に鉄の輪を当てる。

 殺すべきか、殺さぬべきか。この人間、ただ気を失っているようで息も整っており目立った外傷もない。身体がふやけていないところを見ると、つい先程入水したのだろう。

 

 私の警戒網を突破してわざわざ神域である湖に入りにきた、というわけではないよね。

 それなら何故___挑発?

 いや、それだとこれはただの自殺行為でしかない。

 

 

「ここで考えていても仕方ない、か……ミシャグジ!」

 

「はっ!」

 

 

 取り敢えずこの人間を連行しよう。手足を縛って起きたときに情報を引き出せばいい。それから生死の是非を問うても遅くはないだろう。

 

 

「この人間を神社まで連れていって。勿論、拘束も忘れずに」

 

 

 私の統括下にいるミシャグジの一柱を呼び出し、彼に抱えて行ってもらう。

 

 

「さて、不法侵入の不届き者はどんな弁明をするのかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________

 

 

 ーーー

 

 

 転生に成功した……って事なのだろうか。息ができ、五感も確りと作動している。

 だがしかし、前回と同様転生場所は最悪な模様。

 何故なら今、おれは何処の屋敷か検討のつかない部屋で柱に縛られているからだ。

 服装は変わっていないようだが、何故か少し湿っぽくて気持ちが悪い。ていうか生乾き臭い。

 

 

「おーい、誰か居ませんかー?」

 

 

 何故自分が縛られているのか理解ができない。多少危険を覚悟してここの家主にでも呼び出さなければ。さっきからこの部屋、薄暗くて何か出てきそうで怖い。あ、いや別に幽霊が怖いとかではないから!

 

 

「おっ、やっと目覚めたね」

 

 

 おれの呼び声から少しして引き戸を開けて顔を見せてきたのは、まだ年端もいかないような幼女だった。顔だけしか見えてないが顔からして金髪の幼女、もし違っていたとしても変な子供っぽいカエルのような目のついた帽子を被ってるので幼女ポイントはかなり高い。

 よって、この子は幼女と言われても仕方がない!

 

 

「……なにいやらしい目で見てるの」

 

「滅相もない。おれに幼女趣味はありません」

 

「なんか侮辱された気分なんだけど……」

 

 

 そう言って薄暗い部屋に入ってくる幼女。ほら、やっぱり体つきも完全に幼女だった。

 髪は金髪のショートボブでもみあげの部分に赤い紐で結んでいる。服装はツクヨミ様と少し似ている青と白を基調とした壺装束を着ており、カエルの模様が映し出されている。

 

 

「まあいいか___それより、なんであんたが縛られているのか知りたい?」

 

「それは、まあ知りたい」

 

 

 今気づいたけどおれ、この紐切れるな。霊力剣を操作してちゃちゃっと切ればこの状況から抜け出せた。

 ……うん、さっき大声出さなくてもよかったな。

 

 

「それはあんたが一番知ってる筈だよ」

 

 

 此方まで近付いて何を言い出すのかと思えば、おれが一番この状況のことを理解していると言ってきた。

 いや、おそらくおれ、この場で一番今の状況を理解できていないと思うんだけど……

 

 

「すまん、おれ、今目覚めたばかりで前のこと覚えてないんだけど」

 

「あくまでしらを切るつもり? 私に気付かれずこの国に、ましては私の神域に入ってくるなんて故意以外の何物でもないよ」

 

「いや、別におれあんたに恋はしてないんだけど……」

 

「故意!」

 

 

 あ、違ってたの。ごめんなさいね。

 それにしても少しだが読めてきたぞ。

 

 私の神域、と先程この子は言った。もしかしたらこの子は神なのではないだろうか。雰囲気もどことなくツクヨミ様に似ているし、発せられるオーラも人や妖怪とは別の類いだ。

 

 

「なあ、もしかしてあんた、何かしらの神なのか?」

 

「白々しいよ。そう言っておけば間者ではないと思ってもらえるとでも思ったの?」

 

 

 間者って……おれは誰のスパイなんだよ。ていうかこの子、見た目によらず用心深いな。いや、神に形なんてどうとでもなると前にツクヨミ様から聞いたから、見かけよりかは年を取っているとは思うが……ん? 合法ロリ?

 

 

「もし神ならさ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「……何?」

 

「ツクヨミ、ていう神様知ってる? おれ、ツクヨミ様のこと探してるんだけど」

 

 

 同じ神様ならツクヨミ様のことを知っている筈だ。それからなんとか情報を引き出してツクヨミ様との連絡をとる方法を見つけ、月へ連れていってもらう。これほど完璧な作戦はないな!

 

 

「……ごめん、名前だけは知ってるけど天津神のことはよく知らないからわからない」

 

「えっ?」

 

「ただ月読見は確か遥か太古の昔に月へ行ったっきりそこへ移住した者達と暮らしているって事は知ってる……なんでその月読見を探してるの?」

 

「いや、うん……」

 

 

 遥か太古の昔ねぇ……あの老神が言っていた通りってことなのかな?

 

 

「な、なあ、遥か太古ってどれぐらいなんだ?」

 

「何故私が質問されなきゃいけないのかな……何千万年前じゃなかったっけ」

 

 

 うわー、あの出来事何千万年前なのかー。物凄く気の遠くなるような年数ですねー。

 ……あいつら生きてるよな? いや、月には穢れはなく寿命もないに等しいと聞いている。大丈夫だ。あいつらはきっと生きている。

 

 

「それで、はぐらかさないで理由を教えて。何故あんたは月読見のことを探しているのか」

 

「……」

 

 

 これは、正直にいうべきなのか。絶対に信じてくれなさそう。だって何千万年前のことを言ってみろ? 確実に嘘と思われる。

 

 

「理由は___あれだ。実はおれ、ある神から頼まれてるんだ。ツクヨミ様を探してくれって。ほら、おれが今頭に掛けてるやつ、神力が宿ってるだろう?」

 

「えっ? あ、まあうん、何かしらの神の加護がついてるね」

 

「その神から頼まれたんだ」

 

「いや、でも流石に月にいる神に寿命の短い人間を遣わせるのは___」

 

「その神のおかげでおれ、何かと丈夫で長生きできる身体なんだ。だから時間はたっぷりとある」

 

「そうなんだ……」

 

 

 んー、これだけでは流石にキツいか。彼方はずっと半信半疑のようだし。

 

 

「なら、なんで湖で気を失ってたの? しかもこそこそと」

 

「湖?」

 

「そう、あんたが湖の中心で浮かんでたから拾ってきたの」

 

 

 そうか……おれの服がなんか湿っぽいのはそのせいなのね。

 おいおいおい、お神さん。前も中々酷かったが、今回は特に酷くはないですか? 水上て。馬鹿なの? 出落ちさせる気なの? この子が助けてくれなかったおれ、溺れ死んでたかもしれないんだぞ。

 

 

「うっ、なんかあんた、怒ってる?」

 

「あ、すまん」

 

 

 いかんいかん、煮えたぎる怒りが顔に出てしまってたか。

 

 

「たぶんあんたが言ってたの。おれの雇い主の神の仕業だ。おれが寝ている間に湖に落としてったんだと思う。気を失っていたから仮定でしか言えないけど」

 

「ふーん……」

 

 

 そう言って踵を返す幼女。なんだ、もしかしてこの状態で放置するつもりなのか?

 いや、ちょっとそれはやめてほしい。腹も空いたし 腕や足に縛っている紐が少し強めに縛られているから感覚がしなくなってきている。

 別に逃げる気も襲いかかるつもりないから拘束を解いてほしい。

 

 

「あんた、今言った事の殆どが嘘だよね? 全てが嘘って訳ではないようだけど」

 

「……」

 

 

 幼女は首だけを動かし、此方をチラ見する体勢のまま疑問を唱える。

 

 

「私、こう見えても観察眼はある方なんだよね。人が嘘をついてるのかついてないのかなんてその人の眼を見れば判る」

 

「嘘、ね」

 

 

 確かにおれはこの子に対して嘘をついた。彼女の観察眼があるのは確かだ。

 

 

「でも、あんたは珍しい形の嘘をついてるね。大体はやましいことを隠そうとしたりひたすら知られたくないものを庇う嘘をつくのに」

 

 

 珍しいと言われても、おれが嘘をついたのはどうせ信じてもらえないだろうと思ったからだ。

 今この子の観察眼の凄さを実感することができ、本音を言ってもいいかもとは思った。

 しかしそれでも信じてもらえる気がしない。もしかしたらおれがただの妄想が過ぎた精神異常者と勘違いされるかもしれない。

 

 

「____ま、あんたが嘘をついてようがついてないようが、関係はない」

 

 

 そう言うと幼女の姿は一瞬ぼやけ、また姿を現したときにはおれの眼の前、というより顔を眼と鼻の先まで接近されていた。

 

 

「あんたが私の国に害を及ぼすか否か。今私が聞きたいのはその一点なんだから」

 

「……!」

 

「あんたは、私の国に害をなす間者か? さあ、答えろ」

 

 

 彼女の鋭い眼光がおれの目を真っ直ぐと見つめており、おれの真偽を確かめようとしている。

 この時初めて、蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かった気がする。

 

 間者か否か。そんなの、答えは決まっている。

 

 

「おれはあんたの国に害を及ぼす気なんて更々ないし、間者なんて柄でもないことをおれはしない。おれはただツクヨミ様を探す一介の旅人だ」

 

 

 旅人は余計だったか。いや、でもおれは旅には出るつもりでいる。月の皆の情報を集め、そしてその月へといく方法をみつけるために。

 

 

「……」

 

 

 が、幼女はおれの発言を聞いて無言になる。眼を逸らすこともなく、おれを見ている。それに負けじとおれも睨み付け、眼光を飛ばして対抗する。こんな幼女に凄まれて縮むような弱虫だと思うなよ!

 

 

「____それならよし!」

 

 

「えっ……?」

 

 

 と、幼女はそう言い放つと先程とは打って変わって和やかな表情になり、眼と鼻の先まで近づいていた顔を離した。

 

 

「あんたは嘘つきだけど、今のを聞く限りこの国に害を及ぼす存在ではないことは判った。ごめんね、荒っぽいことしちゃって」

 

「い、いや別にいいけど……おれが言うのもなんだけどそれだけで良いのか?」

 

「なに、あんたは拷問して欲しかったの?」

 

「それは確実にあり得ない」

 

 

 なんだか、ちょっと拍子抜けした。てっきりこのまま指の爪を1つずつ剥いでいくぐらいは覚悟していたーーいや、剥がれる前に逃げ出す気ではいたよ? 爪を剥がれるなんて見ているだけで痛々しい。

 完全に先程の雰囲気からして何か起きるような予感がしたんだけどな。まあ、おれとしては願ったり叶ったりで万々歳だけど。

 

 

「さて、あんたは害を及ぼす存在ではないと言ったものの、私とて自分の観察眼を過信しているわけではないからね。少しの間あんたを私の管理下に置かせてもらうよ」

 

「はあ、別にそれぐらいなら構わないけど……」

 

「ん、どうしたの?」

 

「名前、おれまだあんたの名前知らないから何て呼べばいいか定まってないんだよな」

 

 

 そう、さっきからおれはこの子のことを幼女幼女と言っていたが、流石に心の中であるとはいえ、お互いに幼女と連呼するのはあまりよろしくないと思う。

 

 

「あっ、本当にあんた、私の事知らなかったんだね。

 

 

 ___私は洩矢諏訪子。この辺りのミシャグジを統括する土着神だよ。あんたは?」

 

「熊口生斗、永遠の18歳です」

 

 

 土着神か……そういえばさっきの話で天津神だとかなんとか神を分類するようなことを言っていたが、それに何か関係のあることなのか? いや、まあ今はその事はいいか。取り敢えず____

 

 

「今後ともによろしくな、諏訪子」

 

「ん、よろしく、生斗」

 

 



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二話 スライム雑炊

※注意。今回は少し汚いです。



 

 

「諏訪子様正気ですか!」

 

「あの者を生かしておいては駄目です! 一刻も早く始末しておくべきです!」

 

 

 湖で見つけた青年、熊口生斗を生かしておくことにした私は、絶賛ミシャグジ達から猛反発を受けていた。

 

 その内容は今の発言通り、何故生斗を生かしたのかということ。

 

 

「これは決定だから。あんた達はあの人間に手出しをしてはいけないよ」

 

 

 無駄に長い縁側を渡り、その奥にある物置小屋に生斗は軟禁されており、私は今その小屋まで向かっている最中だ。

 

 

「しかし! いくら諏訪子様のご命令とはいえ、軽率過ぎます! もう少し奴に吐かさなければ___」

 

「ねえ、ミシャグジ。私が自分の目だけで彼を信じるに値する人間だと判断したとか思ってる?」

 

「えっ、そういう事なのでは……」

 

 

 はあ、私も甘く見られたものだ。あれだけで人を信じるなんてお人好しかただの馬鹿だけでしょ。

 

 

「生斗には、あの屋敷に住んでもらう」

 

「「!!」」

 

 

 昨日、私は彼の目、言動、挙動を見て安心に足る人物だと判断した。しかしそれは私の予想の範囲、確信に当たるものではない。そういうこともあり、昨日は一日彼にはあの小屋に過ごしてもらい、その間に()()()()()を用意した。

 その空き家で彼には過ごしてもらい、監視を行う。

 

 

「まさか、あの子を監視役に……?」

 

「そのつもりだけど」

 

 

 生斗に住まわせる空き家は、普通の家ではない。ある人物が住んでいる。

 私はその人間を信頼しており、尚且つ監視するには最適な人物である。

 その子に生斗の監視を頼み、本当に間者ではないのかを調べてもらう。

 

 

「危険なのではないでしょうか……」

 

「大丈夫、あの子は強い子だから」

 

 

 ミシャグジもあの子ならばと少し納得したように黙りこむ。

 

 

「諏訪子様、先程はとんだ無礼、誠に申し訳ありませんでした。諏訪子様が許さぬと仰るならば、我が命捧げる所存です」

 

「いいよ、堅苦しい。そんな血生臭いことされたらこっちが気分が悪いし」

 

 

 さて、そんな話をしていたら目的地の物置小屋に辿り着いたようだ。

 生斗は大人しくしているだろうか。密かにミシャグジに見張らさせておいたから逃げてはいないと思うけど。

 

 そう考えながら私は小屋の戸を開け、内部の空間を見てみる。

 するとそこには____

 

 

「し、死んでる!」

 

 

 青白い顔のまま倒れ伏す生斗と、私の神社の巫女が佇んでいる光景が私の目に映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ーーー

 

 

 ~10分程前~

 

 

「……うぅ」

 

 

 諏訪子という土着神と出会ってから一日、おれは未だに薄暗い部屋に閉じ込められていた。

 巻かれていた紐を解いてもらい、この部屋の中を自由に動き回ることが出来るが、そもそもこの部屋の中には殆ど物が置いておらず、暇潰しにもならない。

 諏訪子からここから外へは出るなと言われているから外にも出ることも出来ないし……

 いや、まあだらけるのは得意だし好きだよ? ただここ、日の全然照らされないせいかかなり寒い。保温機能の高いおれのドテラも、薄暗い部屋のせいで全然乾いてないから気持ち悪いし。

 

 

「あ~、暇だし寒いし腹減った」

 

 

 腹も中々限界に近付いてきた。昨日の夜中にちょっと握り飯と漬け物を食べさせてもらった程度で全然満たされず、先程からおれの腹から養分を寄越せと鳴りっ放しだ。

 

 

 なんとかこの空腹を紛らわせる方法は無いものか____饂飩、拉麺、蕎麦、素麺……

 

 

「ごくっ……」

 

 

 ああ、駄目だ。食べ物の事を考えないようにしようとしたら逆に好物が頭に浮かんでくる。……ん、好物が麺類ばかりだって? いや、そりぁ当たり前だろ。麺類あれば一生生きていけると自負しているほどおれは麺類が大好きだ。

 

 

「あのー、誰かいますか…………あっ」

 

 

 心の中でおれの好物を露見させていると、戸が開かれ、聞き覚えのない声が聞こえてきた。

 その声の主は恐る恐るといった感じで中に入り、おれの存在を認識する。

 うわぁ、美少女がなんか入ってきました。

 長い艶やかな黒髪を一ヵ所の三つ編みにされており、10代後半ぐらいか……髪型的にちょっと永琳さんに似ている。少し眠たそうな眼はナマケモノのようだが、そこが年不相応な可愛らしさをかもちだしている。

 服は……おそらく巫女装束だな。ということは諏訪子のとこの巫女ってところか?

 

 

「いたいた。確か熊口生斗さんでしたよね?」

 

「あ、ああ、そうだけど。君は?」

 

 

 その子の手には布で何かが隠された木製の茶碗が持たれており、それについて疑問に思っていると彼方からおれに話しかけてきた。

 やはり、おれの名前を知ってるあたり諏訪子と何かしらの関係があるのは確かだな。

 

 

「はい、私は洩矢神社の巫女をさせて頂いています、東風谷早恵です。貴方の事は諏訪子様から聞いております。確か変な人間を捕まえたと。それで本当に熊口さんは変な人なのかなって気になって来てしまいましたー」

 

「あ、うん。おれ普通の人だからたぶん君の期待には応えられないと思う」

 

 

 早恵ちゃんね、覚えました。それにしても変な人間見たさにこんな小屋に入ってくるなんて襲ってくださいって言ってるようなものだぞ。

 おれは紳士で心優しいからそんなことはしないけど。

 

 

「ん~、格好からして既に変ですけどねぇ」

 

「ま、まあ、ドテラにジーパンとかどっかの商売人っぽいから何とも言えないけど……」

 

 

 でもこの服のコンセプト、神が勝手に着させているだけだからな。訓練生に入ったあたりから全然着てなかったのに、またこれを着る羽目になるとは思いもしなかった。

 まあ、この服、1日経ったらいつの間にか解れとか汚れが勝手に消えるからちょっと重宝してたけどーーなのに水分は抜けにくいってどういう事だよ。

 

 

「じーぱん? 何かの暗号か何かですか?」

 

「知らないのか? このズボンの名前だよ」

 

「は、はあ、その衣服はずぼん、と言うんですか」

 

「えっ……」

 

 

 ま、まさか早恵ちゃん、服に無頓着な生活を送ってきていたのか?

 いや、それは流石に考え難い。この子は見る限り10代後半、いくらなんでもズボンの存在を知らないで生活する事は任○堂を知っててマリ○を知らないぐらいあり得ないことだ。

 そういえば諏訪子もおれの姿を珍しい物を見る目で見ていたような気がする。

 この部屋もおれが知っている木造住宅となんか違うような気がするし……そもそも最初にこの世界に来たとき、木造住宅なんてツクヨミ様の屋敷以外見たことがない。

 それに昨日食べさせてもらった握り飯もなんか色が茶色くて堅く、あまり美味しくなかった。

 あれから何千万年経ってると聞いたからもっと未来化が進んでいると思ったが、もしかしてあの国がおかしいだけで、これが普通ってことなのか?

 

 んー、なんか考えようとするだけどんどん謎が深まってくる。もうこの際考えるのは止めて見たものを真実として受け取るしかないな。

 

 

「あっ、そうでしたそうでした。私、熊口さんの為に雑炊作ったんですよ!」

 

「えっ、ほんとか!」

 

 

 何かを思い出したかのように早恵ちゃんが声をあげ、布の被った茶碗を見せつける。

 ああ、やっぱりそれ、料理なんだ。

 でも雑炊、雑炊かぁ……あの米がドロッとした感じ、あまり好きでは……____いや、なに贅沢言ってんだおれ。美少女の作ったものだぞ。それに今はかなりの空腹状態だ。ありがたく受け取らなければ。

 

 

「ありがとう、早恵ちゃん。おれ今、丁度腹がとてつもなく空いてたんだよ」

 

「そうでしょうね。私も熊口さんが何も食べてないと聞いて作ったのですから」

 

 

 お、おお! いかん! 神である諏訪子以上に早恵ちゃんが神々しく見える! 

 

 

「はい、これ。遠慮せずに食べてください!」

 

 

 そう言って覆われていた布を取り、雑炊をおれの前に露にする。

 これが、美少女の作った雑…………炊?

 

 

「あの……早恵ちゃんこれ、茶碗の中に緑色の粘っこそうな液体が入ってるんだけど」

 

「これが雑炊ですよ」

 

 

 えーっと、見る限りではスライムにしか見えないだけど……まさか、この世界ではこの食事が当たり前ってことなのか!? 

 

 

「へへぇ、結構頑張ったんですよ。私の料理の腕前はこの国の中でも天下一品でして、皆私の料理を食べて喜んでくれるんです。普段は秘密兵器としてあまり作れなかったんですけど」

 

「そ、そうなのか」

 

 

 こんな料理を作る人の腕が天下一品……もしかして見た目によらず美味しい、のか?

 

 いや、これ……おれの知ってる雑炊とかけ離れすぎて、もはや一種のいじめなんじゃないかと思ってしまう。

 でも目の前にいる早恵ちゃんの顔は何か裏のあるようなものではなく、純粋におれにこの雑炊(謎)を食べてもらいたいという期待に満ち溢れている。

 

 これは、食べなければいけないよな。

 たぶん、いや確実にこの料理はこの世界の常識の食べ物ではない。握り飯の時は普通だったのだから。

 しかし早恵ちゃんの表情、これを見てしまうと食べたくなくとも食べなければいけない、そう思ってしまう。

 

 くっ、見た目によらず旨いことに期待するしかないか……!! 早恵ちゃんは自分の料理の腕前は天下一品と豪語しているわけだし!

 

 

「早恵ちゃん、わざわざ作ってくれてありがとな」

 

「いいんですよ。私も久しぶりに料理できて楽しかったですし」

 

 

 このスライム食べたら、おれの胃どうなるかな……吐くのは流石に駄目だろう。作ってくれた早恵ちゃんに失礼だ。

 食べるなら食べる。感謝の意を込めて。

 

 

「はい、お箸と雑炊です」

 

 

 そう言って早恵ちゃんはおれに手渡す。

 

 

「……ごくっ」

 

 

 美味しいものを目の前にするとよく唾を飲むけども、今の別に意味でおれは唾を飲んだ。

 眼前にはどろどろのスライム。見た目だけでなく匂いも中々キツい。生魚を一週間放置したかのような臭いだ。

 

 

「(男を見せろ熊口生斗! 空腹は最高の調味料! この緑のスライムはあれだ、練り飴だ! そう見たらなんか少し美味しく……ってこれ雑炊! 甘味料絶対入ってない! 臭いし!)」

 

 

 頭の中で意味のわからない葛藤をしつつ、おれはついに箸を雑炊につけた。

 すると何かしらの膜が破け、ドロッとした緑の液体が流れ出てくる。……雑炊に膜ってあったっけ……?

 

 食え、食うんだ。一気にかきこんで胃に通せばなんとかなる。鼻で息をしなければ味もそんなにしないはず!

 

 

「……いただきます!」

 

 

 そしてついにおれは茶碗を口につけ、箸で雑炊を口内へとかきこんだ。

 

 

「……ごぶふっ!!!!?!」

 

 

 不味い! 見た目に適した不味さだ! なんだこれ、食べ物じゃない。死ぬ、ショック死する!

 

 あまりの味のインパクトにおれは悶え、今すぐに吐き出したい衝動に駆られる。

 汁っぽいものは一気に飲み込んだが、残りのスライムは歯や舌に絡み、その場に残ろうと奮闘しているせいで飲み込めない。駄目だ、歯はともかく舌に絡んでくるのは予想外だ。

 

 

「!!ーー~!?!」

 

 

 残りのスライムをどうにか押し込もうとおれは手を口の中に入れる。

 うわ、感触完全にスライムだろ、これ。これ飲み込んだらほんとどうなるんだろうな。

 

 

「くっ、熊口さん、大丈夫ですか!? 不味いのなら吐いてしまっても……」

 

「ふぁ、ふぁいほうふは……!(だ、大丈夫だ……!)」

 

 

 おれの容態の急変ぶりに焦りだし、泣き目になる早恵ちゃん。

 くそっ、これ吐いたら絶対に泣くやつだろ! 余計吐けなくなってしまった!

 何とかして飲み込むしかない!

 

 

「!!」

 

 

 そう決意したおれは指先に引っ付いたスライムを喉へと押し込んだ____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 真っ暗な空間に佇む10本の蝋燭。そのうちの1つの火が静かに消え去り、そのまま蝋燭も溶けていく。

 

 あれ、この光景、年に一度見る寿命確認の……

 

 えっ、蝋燭が消えたってことはもしかしておれ、死んだ? 

 

 まじか……いやでも9本あるぞ。まさかあの神が気を聞かせてくれたんじゃ……まあ、その事については置いておこう。

 

 この真っ暗な空間を見られる条件は確か2つ、年に一度寝ている時と、死んだ時だ。今回の場合はおそらく、この光景を見る直前を照らし合わせれば後者が妥当だろう。

 たぶんおれ、喉にあのスライム詰まらせて窒息死しました。

 よくよく考えたら唾液の含んだ舌に絡むぐらいねばねばしてるのに喉に引っ付かないわけないよね。

 無理矢理入れ込もうとしたおれが馬鹿だった。

 

 ……はあ、転生二回目で早速死ぬなんて幸先見えないんだけど。

 あ、でも教訓ができたな。嫌なものは嫌とはっきり言う。それが涙目で迫ってくる美少女であったとしてもだ。

 よし、そうと決まれば今後はコマンドを命を大事にに設定して今後穏やかな生活をしていこうと思います。

 

 取り敢えずおれの命はまだ9つある。さっさと目覚めてこの空間からおさらばしよう。この空間はほんとに蝋燭以外何もないからつまらないし精神的にも悪い。

 

 この空間から出る方法は単純だ。

 起きろ、と念じればいい。そうすれば勝手に意識が遠退いていき、目を覚ますことができる。

 

 

『……起きろ!』

 

 

 早速おれは今のを実践するため、起きろと念じてみた。

 

 するとみるみるうちに空間が歪んでいき、眼前の蝋燭が渦巻き状に回りながら溶けていく。

 

 

『この光景、いつ見ても気分悪くなるな……』

 

 

 そんな感想を抱きつつ、おれは意識を覚醒させた____

 

 

 

 



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三話 用心深い臆病者

 

 

 意識を覚醒させ、徐々に鮮明になる視界に映るのは涙を流す早恵ちゃんと驚きの表情に染められた諏訪子だった。

 

 

「あ、あれ、生斗……何で生きてんの? さっきまで脈も止まってたのに……」

 

 

 戸惑いながらも声をかけてくる諏訪子。それはそうだろうな、さっきまで死んでたんだもん。それが急に起き出したんだ。驚かない方がおかしい。

 

 

「うっうぅ、よかった……てっきり私が殺してしまったと……」

 

 

 あ、早恵ちゃん、おれが死んだことの涙ではなく殺してしまった罪の涙だったんですね。会って10分程度だから無理もないかもしれないけどちょっと悲しい。

 

 

「言っただろ。人並み以上に丈夫にできてるって」

 

 

 そう言っておれは起き上がり、服についた埃を払う。

 喉につまらしたとき転げ回ったから結構ついてるな。

 

 

「丈夫とはまた違うでしょ。窒息死してたんだよ? その様子だと喉に詰まってた雑炊は消えてるようだし……明らかに死んだ状態から息を吹き返し、中にあった異物を消し去るなんて人間業ではないよ」

 

 

 諏訪子の奴、昨日と同じような雰囲気をかもちだしてるな。もしここで下手な嘘をついたらただでは済まなそうだ。

 いや、でも馬鹿正直に能力の事を言ってしまっていいのだろうか。

 命が複数ある。それだけの理由で厄介事に巻き込まれたりするかもしれない。

 前もそれで永琳さんの危ない実験に付き合わされた事があるから少し用心深くなってしまう。

 でも諏訪子には下手な誤魔化しはきかないだろうし……

 

 

「だから言ったって。神から貰った力だって。ちょっと死ぬような目に遭ったってすぐに息を吹き返すことが出来るんだよ」

 

 

 ここは能力のことを明確には伏せることにする。面倒事を押し付けられるのは勘弁だ。

 

 

「……」

 

 

 おれの弁明にも疑いの目を止めない諏訪子。ほんっとこの子ったら疑い深いんだから。疑われる側からしたらたまったもんじゃないのに。疑われるような事はしたけども。

 

 

「諏訪子、確かにおれはまだお前に隠し事をしている」

 

「だろうね」

 

「でもこれだけは言える。この隠し事は決して諏訪子達に不利益は及ばさない。ていうか不利益になるのはおれだけだ」

 

 

 これは紛れもない事実。諏訪子達がおれが命が複数あることを知らなくても別に不利益を及ぼすなんて到底考えられない。

 

 

「……はあ。生斗、あんた。これで嘘だったら人を騙す天才としか言いようがないよ」

 

 

 おれの発言に一時の間を置いて、溜め息をして応答する諏訪子。

 その発言は信じると受け取っていいのか?

 

 

「嘘ではないからな」

 

 

 おれがそう言うと諏訪子は苦笑いをし、未だに泣いている早恵ちゃんのところへと行く。

 

 

「ほら早恵! いつまで泣いてんの! 結果的に生斗は生きてるんだしそんなに泣くことはないでしょ!」

 

「だって……だってぇ」

 

 

 そういえば完全に蚊帳の外に置かれていたが早恵ちゃんずっと泣いてるな。

 まあ、自分の料理でまさか人が死ぬとは思わなかっただろうし仕方ない部分はあると思う。

 

 

「早恵、あんたには______」

 

「えっ!?」

 

 

 諏訪子が早恵ちゃんの耳元で何かを呟いているようだが、おれは地獄耳ではないので聞き取ることができない。

 それにしても早恵ちゃん、諏訪子から何かを囁かれた瞬間、泣き止んで驚愕してるのは何故なんだろう。

 

 

「す、諏訪子様___熊口さんに__を任せるつもり__か!」

 

「いや、____あの子に___せる。でももしか____ない」

 

「そんな!?」

 

 

 こそこそ話をしているから話が途切れ途切れにしか聞こえない。

 なんだ、あの子って。妙に早恵ちゃんが取り乱しているのも気になる。

 

 

「とにかく、これは決定事項だよ。早恵、案内よろしく」

 

「……はい」

 

 

 一時の間二人のこそこそ話は続き、暇をもて余したおれは柱を爪で『美女と結婚したい』と刻んでいると、話は一段落したようで早恵ちゃんは諏訪子の発言に諦めたように肯定していた。

 

 

「話は終わったのか?」

 

「うん、ちょっとね____よし、それじゃあ生斗、この小屋から出ていいよ。今からあんたが住む家を早恵に案内させるから」

 

「えっ、家用意してくれたのか? 別にここでも良かったんだけど」

 

 

 いや、正確にはここは嫌なんだけどな。全然日の光が当たらないしじめじめしてる。

 

 

「ここじゃ住みづらいでしょ。もっと広いし日当たりの良い家用意したからそこで住みなよ」

 

 

 ふむ、ちょっと鎌かけてみたが正解だったな。

 諏訪子はおれに住まわせたい家があるようだ。

 だけど面倒だな。その事について深く聞こうとしてもはぐらかされる可能性が高いし、そもそも隠し事をしているおれが相手の隠し事を深く掘り下げる事はできない。

 ただ、普通に暮らすことが出来ないかもしれない可能性があることは確かだ。

 

 

「熊口さん、此方です。案内します」

 

 

 早恵ちゃんが少し暗めのトーンで誘導してくる。この子、感情の波が凄いよな。笑って泣いて落ち込んで、ある意味裏表のない性格と言えるか。

 

 まあいい、とにかく外に出られるんだ。今この世界の状況をやっと知ることが出きる。

 そう考えながら、おれは早恵ちゃんに従いつつ小屋の戸を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ーーー

 

 

「熊口さん、先程はすいませんでした」

 

 

 おれは自分の目を疑った。しかし何度目を擦ったり頬を引っ張ってみても目に映す光景は変わらなかったことで、信じたくなくとも信じなければいかなかった。

 今おれが歩く道はコンクリートで固められたものではなく、獣道を少し舗装した土道であり、その周りは見渡す限り田園が広がっている。

 

 

「いや、今回はおれの自業自得だから気にしなくていいよ。ただ早恵ちゃんのご飯は本当に最終兵器だからあまり人前に見せないようにした方がいい」

 

「はい……」

 

 

 何より驚きなのが、竪穴式住居や高床式倉庫など、おれの時代でもかなり昔の時代にある建物がちらほら見える。

 もしかしておれ、時代的に縄文時代か弥生時代にいるのでは……いや、竪穴式住居は江戸時代でも住む人はいたって歴史書でみたことがある、気がする。

 

 

「それで、おれが家ってのはどこなんだ?」

 

「もう少し先です」

 

 

 泣いたせいで腫れてしまった目を気にしながらおれの質疑に応答する早恵ちゃん。

 現在おれは諏訪子と別れて、我が家となる家に向かっている。

 

 

「もしかしておれの家ってあんな感じ?」

 

 

 と、おれは遠くにある竪穴式住居を指差す。竪穴式住居というものには興味があるが、出来れば諏訪子のとこの神社みたいな木造住宅に住みたい。そっちの方が慣れてるからな。

 

 

「いえ、木でできてますよ。うちの神社と比べたら劣りますけど中々大きい家です……あっ、彼処です」

 

「おっ、あれか」

 

 

 早恵ちゃんの指差す先には、おれのいた世界の時代でもありそうな一軒の木造住宅があった。

 

 

「はあ~、あんな良い所に住んでいいのか? あんなに立派となると、他に住んでた奴とかいた?」

 

 

 竪穴式が住居の主流であろうこの時代にこんな木造住宅があるなんて、誰かのお偉いさんが住んでいたと考えるのが普通だ。

 

 

「……」

 

 

 おれの質問に顔を一層暗くし、顔を伏せる早恵ちゃん。

 なんだ、おれ触れてはいけない質問でもしてしまったのか?

 

 

「あっ、いや答えたくないなら別に言わなくてもいいぞ」

 

「……」

 

 

 ついには立ち止まり、ぷるぷると震えだす。

 ああ、なんでだよ。泣かせるつもりなんて微塵もなかったのに。

 

 

「……昔、あの家にはある村長一家が住んでました」

 

 

 泣かせてしまったことにおれは焦っていると、早恵ちゃんが声を震わせながら話し出す。あれ、話してくれるのか。

 村長一家……だから他と違うのか。

 

 

「端から見ても幸せな家庭でした。私も何度か彼処にお泊まりさせてもらった事があったのですが、とても優しくて居心地の良い空間でした」

 

 

 あれ、なんかこの先の展開ちょっと読めてきた気がする。

 

 

「しかし3年前、村長とその妻が何者かによって殺害されました。残された一人娘は悲しみながらも一人強く生きてました」

 

 

 一人娘が、か。両親がいきなり死んだなんて、おれが考えている想像を遥かに越える絶望を味わってるだろうな。

 

 

「しかし、その子も親が殺された2ヶ月後、同一人物____妖怪の手によって殺害されました」

 

「はっ?」

 

 

 同一人物の……妖怪?

 

 

「熊口さん、その殺害現場が、あの家なんです」

 

「な、なんだよそれ。わざわざ村の中に入ってやったってのか」

 

「……はい」

 

 

 まじかよ。つまりはあの家、事故物件なのか? 何でそんなところにおれが……あ、いや別に幽霊が怖いとかではないよ?

 

 

「熊口さん、どうか……よろしくお願いします!」

 

 

 そう言って走って何処かへ去っていく早恵ちゃん。

 

 

「あっ、ちょっと待って!? 一人にしないで怖いから!!」

 

 

 本当にちょっと待って。今の口ぶり、絶対に出てくる感じの言い方だろ!?

 

 

「あ、あぁ、行ってしまった……」

 

 

 どうすんだよ。一人であの家に入れる気がしないんだけど……

 なんで早恵ちゃん、ここまで来てビビらせるようなことを言い捨てていったんだよ。言わなくてよかったよ、あれは言わなくていい方の事実だよ。

 

 

「くそっ! 今すぐ逃げ出したい!」

 

 

 でも流石にここで逃げたらただのビビりだし、諏訪子からなにされるか分からない。

 ここはプライドを捨てて来た道戻って諏訪子に家を変えてもらおうか……いや、それならいっそ爆散霊弾であの家を吹き飛ばしたら……いやいや、そんなことしたら誰に恨みを買うかわからない。それなら____

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな不毛な自問自答を日が暮れるまで家の前でしたおれは、もっと入るのが怖くなってその日は外で寝る事にした。

 おい、誰が臆病者だ! おれはあれだ、少し用心深いだけだ!

 

 



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四話 謎ありし怨霊

 

 遠い山々から太陽が顔を見せ始め、未だ薄暗い空を小鳥が鳴き声を発しながら滑空する。

 息が白く、あまりの寒さに四肢の先は感覚が麻痺してうまく動かすことが出来ない。

 乾燥した空気のおかげでドテラも乾き、本領発揮する機会に恵まれたというのに、上半身以外は凍結寸前だ。

 

 

「……」ガタガタガタガタガタ

 

 

 おれの歯が何度もぶつかる音が乾いた空間に谺する。

 音を起こす気なんて更々ない。身体の震えも止まらず、ドテラの中に少しでも寒さから避けるために身体を縮こませる。

 

 

  _______寒い。

 

 

 なんでおれ、外で寝ようとしたのだろう。

 何が幽霊だ。そんなもの幻想だ。実際にいるわけがないだろう、馬鹿馬鹿しい。

 何故そんな迷信を鵜呑みにしたのだろうか。少し考えれば分かることなのに。

 

 

「うっ、くぅ」

 

 

 なんとか立ち上がり、家の中に入ろうと重い足を動かす。

 元々家の目の前までは来ていたので、数歩程で玄関前までたどり着き、力加減もせずに戸を開いた。

 

 

「……!」ドンッ!

 

 

 中は廊下などなく、中心に囲炉裏がある広い部屋が一室あるのみ。

 なんだ、やはり幽霊なんていないじゃないか。ほんと、昨日のおれが馬鹿だったと言いようがないな。

 

 

「うわ、なんだこれ、ベッドか?」

 

 

 木で作られた膝辺りの高さのベンチが端の方にあり、そこには藁か何かでできた敷物と薄っぺらい掛け布団らしきものがある。

 まさかこんなもので寒い夜を過ごせとかそんな鬼畜いってるのではないだろうな。

 こんなのでは全然寒さを耐えられる気がしない。綿のつまったふかふかのお布団がいい!

 ……いや、この際少しでも寒さを軽減させられるのならそれでいい。

 眠いのに寒いせいで寝ることが出来ない地獄から早く解放されたいんだ。中は外よりかは幾分かはましだし、恐らく寝ることはできるだろう。

 

 その考えに及んだ時にはもうベッドの上に倒れ込んでいた。

 やはり固くて全然気持ち良くはないが、自然と眠れる気がしてきた。

 ああ、どんどん意識が遠退いていく。そう、それでいい。楽園がすぐそこまで見えてきて____

 

 

「あのー」

 

 

 と、あともう少しで寝られるというところで誰かから呼ばれるような声がした。

 

 

「おーい、聞こえますかー」

 

 

 もう目は霞がかっていて話しかけてくる人物の顔ははっきり見えない。目を開けば見えるだろうが、折角寝かけれた手前、開けてしまうと眠気も覚めてしまう可能性があるので開けるつもりは毛頭ない。

 

 

「私幽霊ですよー、貴方が怖がってた幽霊が目の前にいますよー」

 

 

 何か口走っているようだが、今のおれには雑音にしか聞こえない。頼むから何処かへいってくれ。雑音が入るとおれ、安眠できないんだよ。

 

 

「お~い、き・こ・え・ま・す・か~」

 

 

 ああ、もう! 雑音が煩くなってきた! おれに対して睡眠妨害とは良い度胸だな。一発懲らしめてやってもいいんだぞ。今は眠いから不問にしているが!

 

 

「なんで起きないんでしょうか……恐怖の対象が目の前にいるというのに」

 

 

 はあ……よし、次騒音鳴らされたら反撃しよう。眠りを邪魔する不届きものには罰を与えなければ。

 

 

「そういえば貴方、旅してるんですよね。諏訪子様から聞きました」

 

 

 おっ、声が小さくなった。さてはおれの殺気に恐れをなしてトーンを低めたな。このまま殺気放って追い払ってやろう。

 

 

「もしかしたらこの人に取り憑けばあいつに遭えるかも……」

 

 

 早く何処かにいってくれないかな。寝れないんだけど。もはやここまで来るとちょっと顔みたくなってきたぞ。

 

 

「取り憑いてもいいですかね?」

 

 

 あ、でも心なしか声が小さくなったおかげで眠気が再発してきた。流石はオールしたあとだ。少しの騒音なら寝るのに問題外になるとは。

 

 

「無言は肯定と受け取りますよ。貴方まだ、寝ていないのは分かってるんですから」

 

 

 それでもやはり寝る前に騒音の主を一目見ておきたいな。後で起きたときにとっちめてやる。

 そう思い、重い瞼をゆっくりと開けていくと、そこには____

 

 

「(あれ……)」

 

 

 誰もいなかった。

 何故だ……さっきまで気配はあったのに。いつの間にか気配も消えている。

 

 

「(まあいいか。寝よ)」

 

 

 考えるのも面倒になってきた。今は眠気に身を任せて意識を、手放せば、良い……ん……だ。

 そう考えている間におれの意識は刈り取られ、眠りについていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「……寝過ぎた」

 

 

 起きたときには既に辺りは闇に覆われ始め、戸の隙間から入る光は僅かしかなく、家の中はほぼ真っ暗な状態だ。

 

 しかし、おれは光を発生させる術を持っている。

 ただ霊弾を出せば良い。おれの霊弾は他の者より輝度が高く、1つだけでも1部屋程度なら十分に照らすことが出きる。

 

 

「あれ、これは……」

 

 

 部屋を照らすと、囲炉裏の前に何かしらで出来た握り飯が置かれていた。

 何故だ……入ったときは握り飯なんて無かったのに。

 

 

「うわ、なんか粒が丸い。もしかしてこれ、粟か?」

 

 

 粟は確か縄文時代から食べられていた植物だったはず。一度餅にして食べたことがあるから分かる。

 まあ、あるのならありがたく頂こう。腹減ってたし。

 

 

「美味いな……」

 

 

 確か粟は少し食べにくかった筈だ。それにおそらく冷たさ的に作られて結構経っているだろう。なのに口に入れ歯で噛み締めると普通の米のように柔らかく、程よく塩も効いてて何度も咀嚼したくなる。

 そして原形がなくなるまで噛み締めた後、喉を通して胃に持っていった後でもまた食べたい衝動に刈られ、二口目にかかる。

 なんだこのおにぎり、何個でも食べられるぞ!

 

 

「ごくっ……ご馳走さま」

 

 

 そして皿の上にあった握り飯を全て平らげると、おれはその場に倒れ込んだ。

 そういえば地味にこの部屋、温もりが感じられるな。囲炉裏も炭が残っているし……誰かこの家の中に入って来たのか? 

 

 

「ああ、また眠たくなってきた」

 

 

 食欲を満たすと次は睡眠欲がまた顔をだすとは。

 まあ夜だしやることないし、寝ても問題ないよな。

 そうと決まればおにぎりの置かれていた皿を洗ったらまた寝床につくか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「寝れない」

 

 

 先程日の出から夕暮れまで寝ていたからか、寝ようとしても中々寝付けないでいた。

 眠気はあるのに寝れないなんて、ここは地獄か。

 

 

「……」

 

 

 もう何度めかわからないほど寝返りをして、寝心地の良い体勢に入る。

 しかし何故だろう。さっき起きてからなんだか妙な感じがする。

 動くときに何かしらの違和感が……起きた当初は寝起きだからと思っていたが、それとはまた違う。何かしらが体内に蠢いているような……まさか、腹痛の前兆か?

 やっぱりあんな雑炊を食べたのが効いたか。

 どうしよう、この部屋トイレとかないし。まさか外でそのまま……?

 

 

『中々汚い事を考えてるんですね』

 

「!!? 誰だ!」

 

 

 この時代のおトイレ事情について考察していると、何処かから声がしてきた。

 ま、まさか本当に幽霊なんじゃ……

 

 

『そう、貴方が恐怖していた存在の幽霊です! そして探しても無駄ですよ。今私は貴方の“中”にいるのですから』

 

 

 あ、あぁ、そ、そういうことなのね。部屋を見渡してもいないわけだ。だから声が何か脳に響くような感じなんですね。わかりました。

 ……本当に幽霊いたのか。思った以上に話しかけてくるから少し驚きが薄まったのは良かったが、今おれの中にいるということで、まだ見ぬ幽霊の血に濡れた姿を想像してしまう。

 声からして女の子っぽいけど……まあ、幽霊の定石は女だしな。それだけで驚かなくなるということはない。

 

 

『私は翠と言います。熊口生斗さん、でしたよね? 確かある人を探す旅人と聞いていますが……実際のところどうなんですか? 本当は旅人名乗って放浪する穀潰しの無職なんじゃないんですか?』

 

 

 お、おい失礼だぞ。おれが穀潰し? おれほど世界に貢献している人間はいない! と自負している!

 

 

『何か世界に貢献した功績は?』

 

 

 あるけどない!

 

 

『つまり無いんですね。なんだ、ただの穀潰しじゃないですか』

 

 

 なんだこの幽霊、口悪いな。ていうかさっきからナチュラルに心読まれてるの嫌なんだけど。

 

 

『どうやら熊口さんの中にいる間は心が読めるようです。先程一回出てみたのですがその時は読めませんでしたし』

 

「ならさっさと出ろ! 何か違和感があるんだよ!」

 

 

 何だかおれの思っていた幽霊のイメージがどんどん崩れていく。なに、幽霊ってこんなによく喋るの? 恐怖心がジェット機並みの速さで去っていくんだけど。

 今なら血だらけの肌白女が出てきても驚く気がしないぐらい心が安定している。

 

 

『何か私、幽霊としての尊厳を無くしたような気がします』

 

 

 お前が喋りすぎるからだろ。

 

 

『お前ではありません。翠というちゃんとした名前があるんですよ』

 

 

 はいはい、翠ね。その翠さんとやらはいつになったらおれの中から出てくれるんでしょうかね。

 

 

『はぁ~、仕方ないですね。そんなに私の姿が見たいんですね。いいですよ、私の姿を見て無様に恐れ戦くがいいです』

 

 

 幽霊なんかにビビる訳がないだろ。このおれが幽霊ごときにビビる姿なんて想像できない___あれ、出来る?

 

 そんなことを考えているとおれの身体から白い靄が出始め、目の前でそれが集まっていく。

 

 

「……」

 

 

 演出が妙に凝っている。少しずつ靄の中心が人影のようなものが形成されていっている。

 この人影が幽霊の正体である可能性が高いな。

 

 どんな人物なのか。声からして女、おそらく早恵ちゃんが言っていたこの家で妖怪に惨殺された子だろう。

 そして何故かおれの名前と旅人ということも知っていた。

 これもおそらくだが、諏訪子が関係しているだろう。おれの素性を知ってるなんて諏訪子関連以外で考えにくいからな。

 

 

「ふっふっふっ」

 

 

 やっと人影から姿を目視できるまで見えるようになってきた。

 まだ顔の方はまだ靄が深くて輪郭程度しかわからないが、服装は完全に白装束であることは分かる。これも幽霊と言えば定石、貞○も同じような服装だったし。

 

 

「さあ、恐れ畏れ慴れ慄れ、心臓が止まるぐらい驚きなさい! これが恐怖の象徴、本物の幽霊です!」

 

 

 そしてついに靄が風に煽られ飛んでいき、正体を現す幽霊の翠。

 その姿は恐怖の象徴とは程遠く、幽霊のコスプレをした美少女だった。

 艶やかな黒髪のロングに白の三角頭巾を被っており、淡緑色の瞳には血走ったような充血した目と真反対に美しい。

 ……惜しい。これでお姉さんのような雰囲気で、尚且つ出るとこが出ていればドストライクだったのに。

 

 

 

「あー、うん、お疲れさま」

 

「お疲れさま!?」

 

 

 おれの発言に驚きを隠せていない様子の翠。

 考えていたであろう決め台詞をスルーされたことに驚いているのか、それともおれが全然怖がらなかったことに驚いているのか……たぶんどっちもだな。

 

 

「恐さの欠片もない。そんなに恐がらせたかったら血眼にしたり肌の血色をもう少し悪くしろ。そもそもそんな派手な登場で驚くわけないだろ」

 

「ぼろくそに言われてるじゃないですか私、なんですか、私に人を脅かす才能はないって言いたいんですか」

 

「うん」

 

 

 脅かす気0としか言いようがないでしょ。さっきの決め台詞なんてただただ痛かっただけだし。

 おれの言葉に翠は床に膝と手をつけて悔しがる。

 

 

「くっ、確かに私は驚かす才能はありませんよ、ええ。でもですね、貴方は私に恐れるのです」

 

「はあ?」

 

 

 何が恐れるんだよ。今のところ翠に対しての恐怖心なんて全くないんだけど。

 

 

「私は貴方に取り憑きました。これが何を意味しているのかわかりますか?」

 

「はあ……はっは?! 何取り憑いたって! 初耳なんだけど!!」

 

 

 取り憑いたってことはつまり……取り憑いたってこと!? なんだよそれ。おれ、いつの間に翠に取り憑かれた……ってそういえば絶賛さっきまでおれの中にこいつ入ってたからその間十分に取り憑かれる時間あった!

 なになに、おれ何されるの? 

 

 

「な、なあ、取り憑いたって、一体おれに何をするつもりなんだ?」

 

 

 おれは純粋に思った質問を翠にする。

 取り憑く事による効果は色々ある。寝付けない、肩が重くなる、精神に異常を来す等々、取り憑かれて良いことなんてほぼ皆無だ。

 翠は一体おれに対してどんな祟りを与えてくるんだ?

 

 

「そうですねぇ、夜中寝ている熊口さんの邪魔をしたり、毎日散歩するようにさせたりとか、ただ単に罵ったり」

 

「なあ、知ってるか? そういうのを嫌がらせっていうんだよ」

 

 

 なんだよそれ、想像してたのと違う。ただの嫌がらせだよ。ほんと何のために翠はおれに取り憑いたんだ。意味不明だ。

 

 

「まあ良いじゃないですか。熊口さん、美少女がつきっきりになるんですよ。役得じゃないですか」

 

「心が休まらないんだよ!」

 

 

 心も読まれる、嫌がらせをしてくる、一人になれない。これはかなりのストレスだぞ。

 

 

「お願いだ、取り憑くのをやめてくれ」

 

「駄目です。私だって目的があるから貴方に取り憑いたんですから」

 

「目的?」

 

「熊口さんには関係ないことです。詮索はしないでくださいね。したら呪いますから」

 

 

 なんだよそれ、つまりは己の目的のためにおれに取り憑いたってことだろ。

 なんて理不尽なんだ。おれに落ち度はないよな? ちょっと解せない感が半端じゃないんだけど。

 

 

「ま、とにかく宜しくお願いしますね、熊口さん。なるべく私の目的を達成させられるよう努力してください!」

 

 

 そう言って翠は親指をおれに立て、ウィンクしてくる。

 

 

 

 

 

 

 

  …………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊媒師ってこの世界にいるかな? 

 

 

 

 このあと、結局翠はおれから取り憑くことを止めてくれなかった。

 うん、一刻も早くお別れたい仲間が出来てしまった。

 

 



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五話 男の象徴

タイトルやらかした感があります……


 

 

 よくよく思えばこの世界には神やら妖怪やらが普通に存在している。

 そんなファンタジーな世界だというのに幽霊が存在しないなんて断定は出来ない筈なのだ。

 だというのにおれは浅はかな考えに身を委ね、幽霊屋敷で居眠りをした。

 その結果、おれは取り憑かれてしまいという馬鹿な結果を招いてしまった。

 自業自得と言えば確かにそうだろう。入る直前に早恵ちゃんからもいるかもしれないという予兆は聞かされていた訳だし。

 しかし流石にこんなに簡単に取り憑かれるなんて普通考えられるだろうか。

 

 

「熊口さ~ん、旅人って言ってましたけど一体何処から来たんですか? 是非これまでの冒険譚を聞かせてください」

 

 

 まあ、結局その考えも浅はかな考えなのだけれど。

 でも仕方ないじゃないか。おれだって人間だ。一番良い選択肢を当てられないときだって多々ある。

 そもそも何故何も知らない奴と行動を共にしなければならないんだ。勝手に取り憑くし、人のこと聞いてくるくせに自分の素性は言わないし。後者は確かに言いたくない過去だということは早恵ちゃんから聞いた話から察することが出来る。

 しかし相手の了承も得ずに取り憑くなんてちょっと無作法ではないだろうかーー取り憑きますよーといって取り憑く幽霊なんていないだろうけどな!

 

 

「聞いてるんですか? 外のこと教えてくださいよ」

 

「……翠、今夜中だということを理解して物を言え」 

 

 

 こんな夜中に人が寝ているにも関わらず話しかけてくるこの幽霊はやはり無作法だ。親が村長だかなんだか知らないが、もう少し礼儀というものを学んでほしい。

 

 

「なんですか、まさか私を脅してるんですか? ……あっ、まさか襲う気なんじゃ! やはり男は欲の獣です!!」

 

「おい、次騒いだら縄で縛って外に放り出すからな」

 

 

 おれは睡眠妨害されるのが大嫌いだ。これ以上睡眠の邪魔をされたら大きいと評判の熊さんの堪忍袋も限界値に達してしまう。

 

 

「よくただの人間なのに大口叩けますね。分かってるんですか。私は幽霊なんですよ。生きている人間とは計り知れない力を有する術を持っているんで____いたたたたたっ!!!? なんですかこの怪力は!?」

 

 

 生きている人間を下に見ているような発言に苛ついたおれは、ベッドから覗かせている翠の顔、正確には両方のこめかみに指をセットしてそのまま強く握りしめた。勿論、霊力で強化した手で。

 

 

「この感じ……霊力! ま、まさか熊口さんもこの力を操ることが……って痛い痛いごめんなさいやめてください~!」

 

「あまり調子に乗らないように」スッ

 

「は、はい……」

 

 

 翠が謝罪したので、仕方なくアイアンクローを解除する。

 余程痛かったのか翠はそのまま踞り、掴まれていたこめかみを優しく擦っている。

 

 

「まさか、熊口さんも霊力を操ることが出来るなんて……もしかして昔神職でしたか?」

 

「いや、全然。これは……修行して手に入れた力だ」

 

 

 修行……懐かしいな。訓練生のとき小野塚達とよくしたっけ。思い出す光景はどれも皆が頑張ってる中、部屋でゆったりとしてる姿ばかりだけど。

 

 

「自力でなんて凄いですね……」

 

「だろ? おれもこの霊力操作については頑張ったんだよな。ほら見てみ、こんなものも生成できる」

 

 

 そう言っておれは霊力剣を生成して翠に渡す。

 

 

「へぇ、霊力でこんなことも出来るんですね。勉強になります。それが熊口さんであることには少し不服ですが」

 

「何が不服だ。承服だろ……ていうかなにしてんだおれ、寝ようとしてるのに話題作りなんてしてしまうなんて」

 

「良いじゃないですか。そのまま朝まで話しましょうよ。私話すの好きですよ」

 

「おれは眠いんだよ」

 

 

 早く寝て明日に備えなければ。明日の予定はないが、もしかしたら何か仕事を頼まれるかもしれない。備えあれば憂いなしだ。

 それに普通に眠たいのも理由に入る。

 

 

「あっ、翠お前が取り憑くの止めてくれたら今日一日話し相手になってもいいぞ」

 

「ならいいです。お休みなさい」

 

 

 良いのかよ。引くところはちゃんと引いてくるんだな。呪い云々を盾にしてぐいぐい来ると思ったんだけど。

 

 

「それでは明日、おそらく諏訪子様の配下がくると思いますので早めに起きてくださいね」

 

「諏訪子の配下が来る? なんでお前がそんなこと知ってるんだ」

 

「秘密です。まあすぐに判ると思いますが」

 

 

 結局この後ちょっとした会話をしたのちに寝ることになった。

 翠は寝るときにおれの中へと入ってきたので妙な感覚が再発し、あまり熟睡できなかったけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 妙な感覚のせいであまり寝付けなかったおれは、早朝に気分転換にと外で水を汲みに行っていた。

 

 

「はあ……」

 

 

 水道がないってこんなに不便なんだな。水の補給方法が川か井戸しかないだなんて。

 ベッドは硬いし暖房器具もない、電気と水道も通ってなければトイレもボットン便所の劣化版みたいのでかなり臭うし……はあ、前の世界に戻りたい。

 

 ___って駄目だ駄目だ、弱音なんて吐いてどうする。

 何のためにおれはこの世界に留まったんだ。

 あいつらとの約束を守るため。それなのにこのぐらいの不便に耐えられないでどうする。こんなものちょっと生活が面倒になっただけのこと、簡単に適応してや___

 

 

『熊口さ~ん、なんでこんな朝早くから動いてんですか。見た目通りにだらけといてくださいよ。私眠いんです』

 

 

 おい、見た目通りとはどういう意味だ。そこのところ詳しく教えてもらおうか。

 

 

『そのままの意味です』

 

 

 よし、翠よ出てこい。お前の発言及びおれの決意の瞬間を邪魔した分の報いを受けさせてやる。

 

 

『嫌ですー、ずっと熊口さんの中で罵詈雑言言いますー』

 

 

 あ、そっちがその気なら心の中で自制していたありとあらゆる下ネタ解禁すんぞ。

 

 

『知ってますー。熊口さん隠せてると思ってるようですけど全部丸聞こえでしたからー。あんなことやこんなこと考えてるド変態だってこと取り憑いて一日目で理解してましたー』

 

 

 煩せぇ! 男は皆変態なんだよ! 分かったらその口閉じてくださいお願いします!!

 

 

『やっと身の丈を弁えましたか』

 

「(……後で出てきたら絶対とっちめてやる)」

 

『……聞こえてますよ』

 

「おっとすいませ……あっ」

 

 

 翠との会話(念話?)をしていたせいで視界が疎かとなり、それにより石に躓いて転んでしまった。

 

 

「いってぇ……」

 

『熊口さん、ドジですね』

 

 

 ……なんか翠と関わり始めてから良いことが全然ないんだけど。なに、この子もしかして疫病神なんじゃないの。

 ま、まあ水を入れる壺は割れてないようだから最悪な結果ではない。おみくじで言えば大凶よりましな凶ってところだな。

 

 

「大丈夫か……?」

 

 

 転けたときに腰を痛めたので腰を擦っていると、後ろから聞き慣れない男の声が聞こえてきた。

 んっ、男の声? それなら確実に初対面だ。未だにおれ、交流あったの女しかいないし。

 その疑問を解消するため、おれは後ろを振り向く。

 するとそこにいたのは____

 

 

「そ、存在モザイク……!」

 

 

 頭部が完全に男の象徴になっている全身真っ白の怪物が手を差し伸べていた。

 

 み、翠、こういうのが人を驚かせる姿だ。ちゃんと見習えよ。

 

 

『嫌です。流石にあれは無理です』

 

 

 その我儘のせいで人を脅かす事が出来ないんだ。この人を見ろ、生き地獄にも耐え抜いて人を脅かそうとしてたんだぞ。

 

 

『いや、別にこの方は人を驚かせようとしてこんな姿をしているわけではないと思いますよ……』

 

「何を呆けておる。早く捕まれ」

 

「あ、うん、ありがとな」

 

 

 血管の飛び出た腕に捕まるのに少々躊躇ったが、折角の相手の親切を足蹴にするわけにもいかないので、ありがたく捕まって引き上げてもらう。

 

 

「お主は確か熊口生斗であったな。何故こんなところに?」

 

「またおれの名前を……これだよこれ、水汲みに行ってる途中だよ」

 

 

 おれの名前を知っているということはつまり諏訪子と何かしら関係がある奴なのだろう。まあ、こんな化物染みた奴が普通に生活してるとは考えづらいしな。

 

 

「そうか、私も丁度お主に用があってここまで来ていたのだ」

 

「おれに用事?」

 

『あっ、この人が昨日私が言った諏訪子様の遣いの者です』

 

 

 そうか、こいつが……危なかったな。寝起きでこの姿見たら絶叫してたかもしれない。

 

 

「諏訪子様がお主をお呼びだ。至急神社へ向かってくれ。水汲みは私が引き受けよう」

 

 

 男の象徴はそう言うとおれから壺を受け取る。

 

 

「わかった……でも水汲みした後でもよくないか?」

 

「諏訪子様は急ぎの用だと言っていた。なるべく早く行った方がよかろう」

 

「ん、そうなのか?」

 

 

 おれに急ぎの用事……なんか嫌な予感しかしない。ただでさえ怪しい呼び出しに存在モザイクが言ってるんだ。怪しさは2倍どころか2乗はされてる。

 

 

「お主に拒否権はないのだぞ?」

 

「なんで疑ってるのわかった!?」

 

「顔に出ておったぞ。とてつもなく嫌そうな顔でな」

 

 

 そんなにおれ、顔に出てたのか……ポーカーフェイスを貫いてるつもりだったんだけど。

 

 

「じゃあお言葉に甘えて水汲みしてもらうけど、毒とか変なもの入れるなよ?」

 

「入れるか、戯けが」

 

 

 はあ……それじゃあ行くとするか。

 

 一体諏訪子の用事とは何なのか。もしかして妖怪退治とか? ははは、流石にそんなことはないか。まだおれは諏訪子達の前で力を見せたことはない。それなのに妖怪退治をさせるなんてただただ鬼畜だ。もしおれが普通の人間並みの力しかなかったら死ぬからな。

 だから妖怪退治はありえない。

 まあ、気楽に構えよう。力も見せてないから危険なことをさせられるということはないだろうし。

 たぶん、お食事しようとかそんなところだろう。

 

 なんかとてもフラグを立てた感が歪めないけど、見事へし折られますように!

 

 

『熊口さんの嫌な予想は的中するのであった』

 

 

 煩せぇ翠! 不吉なこというんじゃない!

 

 



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六話 親友の復讐

 

 

 無駄に広い湖が朝日を反射し、鱗のように白い輝きを放っている風景を堪能しながらおれは参道を歩いていた。

 

 

『この光景はいつみても神秘的ですねぇ。こんな身体になってから見るのは初めてですが』

 

 

 どうやら翠はこの絶景を何度か見たことがあるらしい。

 まあ、あの家の出身者ならこの地域の光景を見ていて別に不思議ではないが。

 

 

「階段、無駄に長いな……」

 

 

 頂上が殆ど見えないほど長い階段に面倒くさく感じていると、おれはあることに気付き、気分は一気に晴れやかになる。

 

 

『熊口さん……空、飛べるんですか?』

 

 

 おい翠、ネタバレするな。

 ……翠の言った通りおれは空を飛ぶことができる。

 だからこんな無駄に長い階段なんて屁でもない。

 

 

「……」

 

 

 身体中に霊力を纏わせ、浮けと念じるとおれの身体は静かに浮いていく。

 そのまま階段の頂上に向かって飛行を開始した。

 

 

「……楽だ」

 

 

 耳からは空を切る音と木々が風に揺れ、葉が擦れあう音が聞こえる。身体からは心地好い程度の風圧の感覚がして、視覚からは日陰に隠れた階段が木々の隙間から射す光により幻想的な風景を楽しむことができる。

 味覚以外の四感を気持ちの良い感覚に浸すことが出来る今のこの状況は、昨日あまり寝れなかったストレスを緩和してさせているような気がする。

 

 

『わー、本当に飛べたんですね。人間ではありえないことをやってのける熊口さんはやっぱり人外なんじゃ……』

 

 

 失礼なことを言うな。おれは自分の力を駆使して飛んでるんだ。やろうと思えば誰だって出来る。

 

 

『うわぁ、出来る人の嫌みともとれる発言頂きました。こんなことそう簡単に出来るわけないじゃないですか』

 

 

 霊力をパッと身体に纏わせて念じるだけだろ。

 

 

『そもそも霊力を操れる人間はそういないんです。確かに皆微力ながらに持っていますが……』

 

 

 それに気付いて努力したらたぶんいけると思う。おれがいけたんだから。

 

 

『あっ、確かに熊口さんが出来るならちょっと納得できました。今度試してみようと思います』

 

 

 うんうん、翠ちゃんはおれの謙遜を真に受けちゃったか。まあ、まだ小娘だから許してあげよう。おれ、大人だし。

 

 そんなことを考えている間に階段の頂上まで辿り着き、諏訪子のいる本殿の目の前に到着することが出来た。

 

 

「うわっ、生斗あんた、どういう来方してんの!? ちょっとびっくりしたじゃん」

 

「あっ、諏訪子。二日ぶり」

 

 

 神社の境内にいたのは蛙座りをした諏訪子だった。真下に本物の蛙がいるようだけど果たして今までなにをしていたんだろうな、諏訪子のやつ。

 

 

「まさか空まで飛べるなんて……まあいいや。

 ミシャグジを遣いにだして間もないのにこんなに早く来るなんてね。もしかして私に会いたかったとか?」

 

 

 あの男の象徴、ミシャグジって言うのか。

 

 

「それで、おれに用事ってなんだ? あっ、長くなるのなら中入らせてもらってもいい?」

 

「えっ、無視…………はあ、いいよ、中に入って。結構重要な話だから」

 

 

 へぇ、重要な用事なのね。ここに来て三日目のおれにここの重要な役割を任せる訳ではないだろうし……なんだろう、嫌な予感がする。

 ま、まあ、母屋の中で聞けばいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「さて、本題に入る前にこの国の感想はどう?」

 

「どう、て聞かれても殆ど家の中にいたから感想なんてないぞ」

 

 

 本殿の脇にある母屋に入り、客間らしき部屋で巫女から受け取ったお茶を啜りながら諏訪子の質問に答える。

 正確には一日野宿しましたがね。

 

 

「家の中って……ちょっとは新天地を散策しようとか考えないの?」

 

「生憎興味より睡眠欲の方が勝った」 

 

「なんかそれ悔しいんだけど」

 

 

 仕方ない、あんな寒い中防寒着もろくにせず一夜を過ごしたんだ。眠たくなるのは必然だろう。

 

 

「まあ、あんたが怠け者ってわかったよ」

 

「心外極まりない。居たくてずっと家の中にいたわけじゃないんだぞ。それにあの家で寝たせいで___あっ、そういえば諏訪子! お前知ってただろ!」

 

「知ってたって?」

 

「彼処に翠がいるってことだよ!」

 

「なっ! ……何であんたその名前を……!」

 

 

 おれが言及を求めると、諏訪子は翠という名に驚愕し、質問を質問で返してきた。

 何を驚いてるんだ。翠は諏訪子の差し金だろうに。

 

 

「あの家にいた幽霊の名前だ。彼処で寝たせいで絶賛今取り憑かれちゃったよ」

 

「は、はあ!? 生斗に取り憑いてんの!? そんなこと私命令してないよ!」

 

 

 な、何だか諏訪子の奴焦ってるな。何か予想外のことが起きたときのような慌てぶりだ。

 そこんとこどうなんだ、翠。

 

 

『そうですねぇ、確かに私と諏訪子様は裏で繋がってましたよ。おそらく諏訪子様は私の命令外での行動に驚いてるんだと思います』

 

 

 取り憑いたことか?

 

 

『はい』

 

 

 取り憑いたことは諏訪子とは関係ないってことか……そういえば翠、おれに取り憑いたのは目的のためって言っていた。諏訪子と関係していない辺り、その目的は個人的なものってことだろうか。

 

 

「翠、黙ってないで出てきな!」

 

 

 諏訪子が額に青筋を立てて怒鳴ると、おれの背中からにゅるっと翠が姿を現す。

 霧から出る方法以外にもこんな出方もあるのか……ちょっと楽しそうだな。

 

 

「翠、何を勝手な行動にでてるの? あんたは監視役で生斗と接触しないように言ったよね。何で接触どころか取り憑くなんてことになってんのさ」

 

 

 諏訪子は翠の存在を確認すると、怒鳴りたい衝動を抑えて低いトーンで翠の行動を咎める。

 それに対して翠は完全に姿を現し、その場に脚を曲げて頭を伏せた。

 

 

「申し訳ありません、諏訪子様。私の独断ながら遠目から監視だけではこの者の実態を掴むことは難しいかと思いまして、勝手な事ながら取り憑けばもしかしたらもっと深くこの者の事を知ることができ、尚且つ敵であった場合の始末もやり易いのではないかと考え、実行に移した次第です」

 

 

 翠のやつ、おれに取り憑いた理由が前と全然違うな。どちらが本命かフェイクなのかさっぱりわからない。おれも諏訪子程ではないが観察眼はある方なんどけど……まあ、こいつがどんな理由だろうとおれから取り憑くのを止める事はないだろうがな。

 

 

「……」

 

 

 翠の発言を無言で返す諏訪子。その目はおれの時と同様で疑いの色に染まっている。

 

 

「生斗、ちょっと来て。翠、あんたはそこにいな」

 

「えっ、おれ? ……あっと、引っ張るなって!」

 

 

 おれのドテラの袖を掴み、諏訪子はそのままおれを連れて客間を出ようとする。

 おれは引っ張られながら後ろを振り返ると、翠が顔を伏せたまま無表情を貫いている姿が目に映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 客間から出て二角ほど曲がった廊下で、諏訪子は漸く袖を離した。

 

 

「ねぇ、生斗、私のこと恨んでる?」

 

「何が?」

 

 

 おれに背中を向けたまま、先程とは真逆の静かな声音で話し出す。

 

 

「私のせいで取り憑かれた事や、監視を隠れて行わせた事を諸々で」

 

「ああ、その事か。別に諏訪子を恨んではないけど」

 

「……そう、ありがと」

 

 

 まず事前に諏訪子はおれを監視すると言っていたし、取り憑かれたのは諏訪子としても予想外な事だ。非があるのは翠の方だ。

 

 

「まさか翠が私に嘘をつくなんて……」

 

 

 ぽつりとおれにぎりぎり聞こえるぐらいの声で呟く諏訪子。

 嘘……? やっぱり監視が目的で取り憑いたというのは嘘なのか。

 

 

「生斗、おそらく翠は復讐のためにあんたに取り憑いてる」

 

「はっ?」

 

 

 復讐ってあの復讐のこと? 何で翠がそんな____あっ、そういえば翠のやつ、妖怪に殺されたって言ってたな。まさかその妖怪に……

 

 

「翠がそれ以外に取り憑く理由なんてない。あの子は人に迷惑をかけるようなことはしない子だから」

 

「あの、取り憑かれてからずっと迷惑かけられっぱなしなんですけど」

 

 

 人を事あるごとに罵ってくるし、睡眠妨害もしてくる。あと中に入られた時身体全体に違和感がでる。

 ……中々の害悪じゃないか。始末しても誰も咎めないのなら今からでも始末したいんだけど。

 

 

「翠は生斗が旅人だと知っていた。たぶんあんたを足として使うつもりだと思う」

 

「あいつ……おれを荷馬車扱いするつもりか」

 

 

 復讐相手に近付くためにおれを利用する腹積もり。中々やりおる。

 だがな翠。ここにはお前のことをよく知り、尚且つ霊媒師よりも頼もしい神様がいるんだ。これを盾にすればいくら翠といえ取り憑けなくなる筈だろう。

 ふふ、最初から諏訪子を頼れば良かったんだ。見た限りでも諏訪子は相当な実力者だし、きっとなんとかしてくれる。

 

 

「諏訪子、悪いけどおれは翠の復讐を手伝うつもりはない。なんとか諏訪子から翠に言ってくれないか?」

 

「うん、最初から___」

 

 

 諏訪子が何かを言おうとしたその時、

 

 

『諏訪子様~、早恵が参りましたよ~』

 

 

 と、何度か聞いた声が先程までいた部屋から響いてきた。

 

 

「まずい! 早恵が来るんだった!」

 

 

 早恵ちゃんの声が聞こえてくると同時に、諏訪子は慌てて駆け出した。

 

 

「あっ、ちょ、何がまずいんだよ!」

 

 

 何故慌てているのか聞くが、諏訪子の耳に入っていないようで、此方に見向きもしないで客間に向かって走っていった。

 これは、ついていった方がいいのか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 歩いて客間に戻ると、戸の目の前で諏訪子が立ち尽くしていた。呆けているというより安堵に満ちたような表情をしているあたり、大事に至った事ではないのだろう。

 

 

「ご__、ごめんね」

 

 

 ごめん? なんか今客間の方から謝罪を求める声が聞こえてきたぞ。

 その声はなんというか、泣きながら出しているような鼻声で、これもここ最近に聞いたことあるような声だった。

 今の声の主は……早恵ちゃんか? また泣いちゃってんのあの子。まったく仕方ない子だ。熊さんが慰めてあげないこともないよ。

 

 

「いい____全部あ__が悪いん__から」

 

 

 続いて聞こえてくるのはここ二日間脳内に鳴り響いてくる騒音。

 なんだ、中には翠と早恵ちゃんが一緒にいるのか。

 一体中で何があってるんだろう。ちょっと気になるな。

 

 

「あっ、生斗今入っちゃ___」

 

 

 小さな声で諏訪子が制止を呼び掛けるが、おれはそれをお構い無しに諏訪子を退ける。

 さてさて、中では泣いている早恵ちゃんと泣かせた本人であろう翠がいる。

 果たして翠は早恵ちゃんをどうやって泣かしたんだろうな。理由がどうであれ翠を責めまくって憂さ晴らししてやる。

 そんな悪事を思い浮かべながらおれは戸の隙間から中を覗き込んだ。

 

 

「うぅ、私がいながら翠ちゃんは……」

 

「全然大丈夫ですよ。だから泣き止んでください」

 

 

 戸の先に見えたのは、二人が包容しあい、翠が早恵ちゃんを慰めるように頭を撫でている光景だった。

 

 

 …………う~ん。

 

 

「おれ、百合はあまり好きではないん___あだっ!?」

 

 

 頭から突如として来る衝撃。おれはそれにより体勢を崩し、危うく戸を倒しかけてしまいそうになったが、組手により培った受け身を利用して横に倒れる。

 

 

「すわ、諏訪子何すんの!?」

 

「いや、なに言ってるのかは分からないけど、殴らなきゃいけない気がした」

 

 

 確かにあれを見ての感想としてはかなり不適切だったけど、殴ることはないと思う。うん、おれだったらオブラートにツッコんでた。

 

 

「はあ、それにしてもよかった」

 

「それにしても良くない。ほら、ここたん瘤出来てるよ。諏訪子おれに一言何か言うことない?」

 

「煩い空気読め黙って」

 

「酷い!」

 

 

 一言どころか三言罵られるとは……諏訪子め、目利き以外にも注意すべき点が増えたな。

 

 

「で、良かったってのはどういうことなんだ?」

 

 

 馬鹿なことはこのぐらいにして、諏訪子が安堵している理由を聞こう。

 

 

「あっ、やっぱり気になってたんだ」

 

「そりゃあな」

 

 

 おそらく客間の二人が関係しているだろうしな。何で早恵ちゃんが泣いて謝っているのかなんて付き合いの短いおれでも気になることだ。

 

 

「あの二人、親友だったんだよ。よくお互いの家にお泊まり会をしていたぐらいにね」

 

 

 まあ、見た限りではな。見た目的にも(少し早恵ちゃんの方が年上っぽいけど)近いし。

 よくお泊まり会か……なんか楽しそう。こんな娯楽もない夜にお二人は一体何をしていたんでしょうね。

 

 しかしそんなおれの下衆な考えは、次の諏訪子の発言により即座に取り払われた。

 

 

 

 

「そんなある日、翠の家に早恵が泊まった夜の事だよ____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ___早恵の目の前で、翠は殺されたんだ」

 

 

「……はっ?」

 

 



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七話 逃れられぬ運命

 

 

「目の前で、殺されたのか……?」

 

 

 諏訪子から衝撃の事実を知らされたおれは、一瞬何を言われたのか理解できなかった。目の前で親友が殺される……おれでいえば依姫や小野塚達が眼前で殺されるってことだ。

 そんなこと耐えられない。友人がやられるぐらいなら自分が身代わりになる。

 それ程に仲間を失うということは苦痛だ。助けられる命を助けられなかったら、今後の人生にしこりを残すことにもなる。

 しかしそれは助けられる場合、おれの場合は特殊だ。

 どうしても助けられないときもある。それをおそらく早恵ちゃんは味わっている。

 目の前で失ったはずの者が目の前に現れれば泣くのは当然だ。

 驚き、悲しさ、嬉しさ、悔しさ。

 色々な感情が溢れてくるだろう。

 おれも助けようとした仲間を鬼に殺されたから分かる。

 今おれもあのとき助けられなかった隊員が目の前に現れたら、泣いて土下座するだろう。たぶん泣いてる理由の九割は恐怖でだろうけど。

 

 

「あのときはまだ早恵は巫女見習いで妖怪相手には到底太刀打ちなんて出来なかった。それに……」 

 

「……それに?」

 

「相手は大妖怪だったのさ。国取りとして十数匹の妖怪を連れてそのまま私の国を攻めてきたんだ。翠の死を戦いの狼煙として」

 

 

 なんだよそれ。人の死を狼煙代わりにするなんてどこの屑だ。

 

 

「見せしめに翠の惨殺体を私の神社に捨て、住民は次々に蹂躙され、建物や畑も荒らされた」

 

「えっ、どこもそんな風には……」

 

 

 おれが見たこの国の風景は至って温な感じで、荒らされた形跡なんて微塵も見られなかった。

 

 

「それはもうその襲撃から三年経ってるからね。皆も早くあの地獄を忘れたいからと修繕作業は捗ってたよ」

 

「そ、それじゃあ妖怪の軍勢は誰が退けたんだよ」

 

「愚問だよ。そんなの私に決まってるじゃん。まだこの国には兵力が全然ない。私とミシャグジを中心に粗方妖怪共は始末した」

 

 

 やはり、神と言うべきなのか。大妖怪をも退ける程の実力者なんだな、諏訪子は。

 

 

「ただ、首謀者の大妖怪はどうしても始末することが出来なかった」

 

「……何でだ」

 

「奴は妙な術を使って私達の追跡を振り切ったのさ。七日間国の周辺で奴の捜索を行ったというのにどうしても見つからない。私が追い詰めた時は既に死にかけだった筈だというのに」

 

 

 余程悔しかったのか爪を噛みながら何処かを睨み付ける諏訪子。

 その諏訪子からは怨念らしき紺色のオーラが滲み出始めており、今にも誰かを呪い殺すかのような勢いだ。

 

 

「諏訪子、落ち着け」

 

「……ごめん、取り乱した」

 

 

 諏訪子も姿はこうでも苦労してるんだな。

 

 ……それにしても、この国を襲ったっていう妖怪。まだ生きてる事に驚きと苛つきがある。

 あの鬼でさえ仲間の事を大切にしていたというのに、諏訪子の言った大妖怪は仲間がどうなろうと自分が逃げられればいいというようなイメージがある。

 それに罪のない村長家族や住民を蹂躙し、恐怖に陥れている。

 

 最悪だ。ここまで胸糞が悪くなったのは初めてかもしれない。

 

 

「生斗」

 

「何だ」

 

「私が何故、この事を余所者であるあんたに言ったと思う」

 

 

 ……そういえば確かに何故余所者のおれにこんなこと教えたんだろうか。

 

 

「あんたが同情してくれたからだよ」

 

「同情……?」

 

「私の話を聞いて同情し、悲しんだり怒ったりしてくれた。声に出していなくても目や表情で判る。

 だから余計なことまで話しちゃったんだよ。ごめんね、嫌だったでしょ」

 

「……いや、おれの方こそ思い出したくないこと言わせてしまったみたいでごめんな」

 

 

 おれ、そんなに感情が表に出ていたのだろうか。自分だけでは全然分からないから少し恐い。

 人に感情を読み取られる程気味が悪いことはないーー絶賛翠に読み取られているけど。

 

 

「……よし、それじゃあこの話もこれぐらいにして入ろうか。いい加減あの状況を変えなきゃね」

 

 

 諏訪子がそう言うと、そのまま戸を開け、二人のいる客間へと入っていく。

 

 

「す、諏訪子様」

 

「う、うぅ」

 

「早恵、いい加減泣き止みな。翠のことはあんただけの責任じゃないんだから」

 

「でも……」

 

「もしその責任を感じているのなら、その後に行動で償えばいいじゃん。ただべそかいてるだけじゃ何も始まらないし周りにも迷惑だよ」

 

 

 ずがずがと入るなり、早恵ちゃんを論していく諏訪子。

 言っている事は確かにそうだけど、泣いてる相手にしたらさらに泣き喚く可能性があるから、おれだったらあんな言い方はしない。まあ、人によって慰め方は違うだろうけど。

 

 

「グスっ……な、ならどうすれば……?」

 

「手っ取り早いのは、やっぱり“妖怪退治”だよ」

 

「!!」

 

「ここ最近、この国の近くでの妖怪の目撃情報が後を絶たない。もしかしたらまたあの悲劇が起こるかもしれない」

 

「そ、それは駄目です!」

 

 

 ……ん、ちょっとまてよ。これってもしかして用事って___

 

 

「これからそこにいる生斗に森で妖怪の有無を調査させる。早恵はその調査についていって。見つけたら問答無用でやっちゃっていいから」

 

 

 …………。

 え、えぇ……ちょ、これ、ええぇ。

 調査って。それ、おれなんかの余所者にやらせることなのか? 

 

 

「諏訪子様、私は反対です。早恵ちゃんを危ない目に遭わせたくありません」

 

 

 反対したくとも、先程の話のせいでし難い状態になっていたおれは不本意ながらも口を紡いでいると、ずっと黙っていた翠が反対の意を唱えた。

 

 

「翠、あんたの言い分も分かるけど、今この国の中で妖怪と立ち合える人間は早恵しかいないんだよ。他の者を調査に迎わせるのはあまりにも危険なんだよ」

 

「わ、私が行きます」

 

「家の外から出られないあんたがどうやっていくの」

 

「うっ……」

 

 

 えっ……翠のやつ、家の外から出られないか……ああ、だからあの湖の風景見たとき久しぶりって言っていたのか。

 

 

「なあ、諏訪子。早恵ちゃんが行くのは分かったけど、なんでおれまで行く必要があるんだ?」

 

 

 諏訪子の言う限りでは、早恵ちゃんはこの国でも屈指の実力者なのだろう。諏訪子と違って全然強いとは感じないけど。

 

 

「あんた、霊力を操れるでしょ。隠そうとしているようだけど霊力の流れで丸わかりだよ」

 

「いや、か、隠しているわけではないんだけどね。ただだす必要がね? なかったわけよ」

 

 

 バレてた。密かに力を隠すために霊力を引っ込めようとしていたのが仇となったか。

 

 

「だからっておれまでも……」

 

「調査を任せられるのは早恵だけなんだよ。

 何、まさか女の子一人で妖怪のいる可能性のある森に放りたいの?」

 

 

 ああ、はいはい、つまり諏訪子さんはおれが逃げ出さないために早恵ちゃんを監視役として連れていかせたいんですね。貴女の魂胆が見えましたよ。

 

 

「いいのか? 男女二人が人目のない森に出向くんだぞ。おれがなにしでかすかわからないよ」

 

「……翠、ここ2日間で生斗はあんたを襲おうとしてきた?」

 

「いいえ、熊口さんは腰抜けの意気地無しですから襲う素振りすら見せてきませんでした。おそらく枯れてます」

 

 

 おい翠、枯れてるは流石に失礼じゃないか? さっきまでおれのこと変態って罵ってたくせに枯れてるっておれの精神状態どうなってんだよ。

 興奮しないのに如何わしいこと考えるって無駄しかない。

 例えるなら超弩級の不細工の___止めておこう。これ以上続けたらおれの株が確実に暴落する。

 

 

「だってさ。それにもし早恵に何かあれば生斗、あんたにはそれ相応の報いを受けさせるよ。逃げても無駄、地の果てまで追いかけて殺すから」

 

「……」

 

 

 ここで行かないことを頑なに主張したら腰抜けのレッテルを貼られ、尚且つ諏訪子の信用を失い、始末されるかもしれないーー力も隠していたことだし。

 そして早恵ちゃんが傷ついてもおれが罰(死刑)を受ける。

 

 ……なんだ、ただの強制鬼畜イベントか。

 

 

「おれに拒否権というものは……」

 

「……生斗なら引き受けてくれると信じてるよ」

 

 

 つまり行けと。はあ、行くしかないのか。この国の事も聞いてしまったことだし。

 まあ、退治ではなく調査だ。別に一戦交える訳じゃない。

 運よく妖怪と出会さなければ良い話だ。

 なに、近辺調査は隊員時代ではよくやっていたし、その時の回避の感を頼りにすれば大丈夫だろう。

 

 

「少し考えさせて」

 

 

 と言った数分後におれは早恵ちゃんと共に森の調査へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときの判断が、とてつもない後悔をするということを知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 

「ああああぁぁああ!!!?!?!」

 

 

 微風に草木は揺れ、川のせせらぎと小鳥の泣く声が聞こえてくる、そんな平穏な森に突如として男性の絶叫が響く。

 

 

「や、止めてくれ! 悪かった! 俺が悪かったから!」

 

 

 獣道の隅である者に許しを乞う男性。その姿からは自尊心の全てを捨て、相手にへりくだる無様な醜態を晒していた。

 

 

「貴方、自分がどんな悪いことをしたか理解しているの?」

 

「えっ……いや、それは……」

 

 

 相手の問い掛けに言葉が詰まる男性。

 それもその筈、彼の()()では自分が悪いことをした覚えがないのだから。

 

 

 

 

「それが理解できていない時点で、貴方は死に値するの」

 

 

 

 

 その数秒後、男性の絶叫と共に何かが裂ける不快音が森に鳴り響いた。

 

 

 

 

 



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八話 油断の刹那

 

 

「諏訪子様、何故私は行っては駄目なんですか? 熊口さんに取り憑いている今の私なら同行も可能だったと思うんですけど」

 

 

 生斗と早恵が調査へと向かった数分後、見送りから戻ってきた諏訪子に対して翠が疑問を投げ掛けた。

 

 

「何故って、そんなの聞きたいことがあるからさ。

 生斗のことと、あんたの事もね」

 

「私の事?」

 

 

 諏訪子の発言に翠は疑問符を浮かべ、首をかしげる。諏訪子は翠の身元だけでなく生い立ちも見てきている。隠し事などないに等しい筈だからだ。

 

 

「私は翠、あんたに生斗の調査を依頼した。ミシャグジを向かわせたのも、生斗をあの家から離し、あんたから情報を受け取るため。そうこの前決めていたよね?」

 

「はい」

 

「なのに指示もしていない事を勝手にやった」

 

「取り憑いたこと、ですか……?」

 

 

 翠の発言に諏訪子はこくりと頷き、より一層に眉間に皺を寄せた。

 

 

「取り憑くという事はつまり、相手に不利益をもたらすもの。

 私言ったよね? あんたを見逃す代わりに人には絶対迷惑をかけるなって。

 これは私との約束を破ったってことだよ」

 

「……」

 

 

 俯き、言葉がでないでいる翠を諏訪子はじっと見つめる。

 

 

「なに、私との約束より復讐ってこと?」

 

「……」

 

 

 翠は質問に対して黙ることしか出来ない。言ってしまえば何かが壊れる、そんな気がしたからだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 客間に現れる静寂の時間。じっと見つめる諏訪子の視線から逃れるように下を向き、口を紡ぐ翠。

 

 

 本当は数十秒の時間が、何分、何十分と過ぎたかのような感覚に陥る二人。

 

 そんな感覚によって早くも痺れを切らした諏訪子は、

 

 

「……私は、翠に復讐なんかしてほしくない」

 

「……!」

 

 

 ぽつりと、しかし翠には充分に聞こえる大きさで諏訪子は呟いた。

 

 

「……諏訪子様、私は___」

 

 

 諏訪子の発言に対して翠がなにかを言おうとした瞬間、勢いよく戸が開かれた。

 

 

「諏訪子様! あの家に翠がおりませんで…………翠!?」

 

 

 戸を開けた主は、今朝生斗と話したミシャグジであった。

 家にいるはずの翠が居なくなっていたことに驚愕して急いで戻って来たようである。

 

 

「翠、一旦この話は止めようか」

 

「えっ、あ……はい」

 

 

 翠の存在がここにあったことに驚き、尚且つ暗い雰囲気となっていたこの場に突如として登場してしまったミシャグジは戸惑い、何を聞けば良いのか、それとも黙っておけば良いのか判らない状況にいた。

 

 

「取り憑いたからにはそれなりの情報を引き出したんだろうね」

 

「と、取り憑いただと!? 翠! それは本当か!!」

 

「はい、諏訪子様の想像を越える収穫がありました」

 

「ふぅん」

 

 

 ミシャグジのことを無視し、二人は会話を進めていく。

 

 

「私は取り憑いて、熊口さんの心を読み取ることができるようになりました。中に直接取り憑いている場合のみですが」

 

「話を聞かんか! 私の目を見て答えろ!」

 

「……そう。それで生斗がどんな人物なのか、そして私達に害をなす者なのかわかった?」

 

 

 ミシャグジの叫びとも取れる怒号に二人は冷静に聞き逃していく。

 

 

「はい。完全に見た目通りの性格です。基本的に裏表のない、扱いやすい類いの人間だということがわかりました。しかし___」

 

「しかし、なに?」

 

「無視をするでない! 神に対して無礼だぞ!」

 

「たまに私の理解できない言語を使ったり、非現実的な妄想を思い出として考えたりしていて、少し危ない人物になるやもしれません」

 

「妄想……」

 

 

 諏訪子の頭にはある事が思い浮かばれていた。

 

 

「例えばどんな?」 

 

「ツクヨミという神の家でだらしのない生活をして楽しかったとか、月へ行った皆は今何をしているのかな、等です」

 

「!!」

 

 

 そしてその浮かばれていた事は、的を射ていた。

 

 諏訪子の脳内では、ツクヨミの事が想像されていた。そしてあの何千万年前に決行された月への大量移住。

 

 何故そんなことを聞かれたことに疑問を感じていたが、解決され、そしてあまりにも現実離れしていたことに諏訪子は驚愕する。

 

 

「(あり得ない……だって遥か昔の出来事だよ。そんな年月を人間が生きられるわけがない。いや、もしかして生斗は___)」

 

「翠ぃ! 恩を仇で返すとはこのことかぁ! 私は悲しいぞぉ!」

 

 

 知ろうとして、より疑問がより深まってしまった諏訪子は、その場に座り込み、頭を抱える。

 

 

「ああもう! まどろっこしい! 脅してでもあいつに直接真実を聞く!」

 

 

 翠の件と重なり、脳がパンク状態になった諏訪子は遂に策を放り投げ、力で解決することを決定する。

 

 

「諏訪子様、事が決まったのなら助けてください。ミシャグジ様が泣いて抱き付いてきます」

 

「私はこんな娘に育てた覚えはないぞおぉ!」

 

「貴方に育てられた覚えはありません。離れた後に谷底へ落ちてください」

 

 

 翠から無視され続けたミシャグジは傷心し、女性に抱きついて泣くという奇行に走っていた。

 

 

「ミシャグジ、少しは空気読みなよ。私こそあんたをそういうふうに育てた覚えはない、っよ!」

 

「あがっ!?」

 

 

 諏訪子から拳骨をくらい、床に転げ悶えるミシャグジ。少し可哀想である。

 

 

「翠、さっきの話はまた改めて聞くからね。逃げないように」

 

「はい、分かっています。そのときまでには……私も覚悟を決めますので」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 ~森~

 

 

 神社から出て数十分、おれと早恵ちゃんは森の中枢付近まで来ていた。

 

 

「なあ、早恵ちゃん」

 

「なんですか?」

 

 

 会話もほぼなく来たということもあり、微妙に気まずい雰囲気が出ていたが、ある疑問があったことを思い出したのでおれは口を開いた。

 

 

「なんで泣いていたんだ? あのときの早恵ちゃんの言い方だと翠がまだこの世にいることは知ってたんだろ?」

 

 

 おれが今住んでいる家を案内したとき、存在しているかのような言い方でおれに話していた。

 諏訪子も知っていることだし、早恵ちゃんが知っていない可能性は低いだろう。

 

 

「……ええ、知っていましたよ。会ってはいませんでしたが」

 

「会ってない?」

 

 

 見る限りでは二人は親友の筈だ。おれだったら死んだはずの友人とまた会えると分かれば飛んで会いに行くんだけど。

 

 

「……恐かったんです。あのとき、助けられなかった私を恨んでいるんじゃないかって……私だけ生き残ったことを憎んでいるんじゃないかって。いろんな感情が入り乱れて、あの家の中に足を踏み入れることができませんでした」

 

「あっ、そういうこと」

 

 

 素直にいっちゃうんだな、この子。もう少し焦らしてくると思ってたんだけど。

 

 

「でも杞憂だっただろ? 翠のやつ、全然早恵ちゃんのこと恨んでなかったみたいだし」

 

「……」

 

 

 おれの発言に対して黙りこむ早恵ちゃん。

 あれ、肯定しないのか。

 

 

「私を擦る手が震えてたんです、翠ちゃん」

 

「えっ?」

 

「たぶん、あのときのことを思い出したからです。翠ちゃんも恐かったんです……あのとき為す術なく命が尽きていくのが」

 

「……」

 

 

 為す術なく、か……

 

 

「でも翠ちゃんは強く生きています」

 

「死んでるけど」

 

「だから私も、いつまでもめそめそしているわけにもいかない。諏訪子様から言われた通り、妖怪退治をしまくって強くなり、大切なものを守れるような強い巫女にならなければなりません!」

 

 

 勝手に開き直ってるな、早恵ちゃん。おれが慰める必要は無かったのね。ここでアピールポイントでも稼いでおこうとしてたんだけど……え? 人が弱ってるところにつけこむなんて最低だって? 何、おれは別にこの子に手を出そうなんて考えていない。ちょっと知り合いに超絶美女のお姉さんがいないか聞くだけだ。

 

 

「そうか、頑張れよ。その意気ならたぶん一人でもそこらの妖怪を倒せるだろ。てことでおれ帰っていいかな?」

 

「はい! どうぞお構い無く!」

 

「えっ……」

 

 

 冗談で言ったのに真に受けられちゃったよ。え、なに、帰っても良いの? いや、流石に駄目だろう。早恵ちゃんが傷ついたらおれ打ち首になるし。

 

 

「どうしたんですか、帰らないんですか?」

 

「いや、今のは冗談だから。女の子一人でここを彷徨くのは危険だろ」

 

「そうですか。ちゃんと言ったことには責任を持ちましょうね」

 

 

 くっ、明らかに馬鹿っぽい早恵ちゃんに指摘されるとは……! なんだこの敗北感は。

 

 

「ここですね、目撃情報が多いという場所は」

 

 

 おれが敗北感を抱いていると、ふと早恵ちゃんは歩みを止めた。

 ここが妖怪がよく出る場所なのか。

 ただの獣道っぽいんだけど____

 

 

「ん、あれ、ここら辺微妙に花が咲いてないか?」

 

「あっ、言われてみれば綺麗な花が咲いてますね」

 

 

 何だろう……見たことあるようなないような。おれのいた世界とは微妙に違う花々が獣道の端にちらほら咲いている。

 そういえばこの世界に来て花を見るのは初めてかもしれない。

 

 

「この花、摘んで翠ちゃんにかけてあげたら喜ぶかもですね」

 

「そうか? そこら辺の雑草の方が喜ぶと思うけど」

 

 

 あいつが喜ぶ顔が目に浮かぶな……あれ、殴られてる。

 

 

「まあ、とにかく摘んでいきましょう。花冠作りたいから蔦とかも必要ですかね」

 

「作ったことないからわからない。というより今とっても何処に仕舞っておくんだ。身に付けてたら妖怪が来たときぐちゃぐちゃになるぞ」

 

 

 戦闘中、花の事を心配しながらなんて到底無理だ。相当な実力者なら出来るだろうが、見る限りでは早恵ちゃんはあまり強くない。弱小妖怪と張るぐらいだろうか。

 部隊長という管理職についていたからか、そういう目利きは出来るようになっている。まあ、本当の力量なんて目だけで計れるものではないんだけどな。

 

 

「分かりました。この花を摘むのは帰りにします」

 

 

 そう言って溜め息をする早恵ちゃん。

 いやいや、どうせ摘むんだから落ち込まなくても良いだろうに。

 

 

「貴女、この子達を摘むの?」

 

「「!!?」」

 

 

 不意に、何処からともなく女性の声が聞こえてきた。

 その声は透き通るように美しく、オルゴールを聴いているかのような静かな気持ちになる。

 今のは早恵ちゃん、ではないか。声が全然違う。早恵ちゃんは天真爛漫な少女的な高い声音だ。

 そもそも声はおれの後ろから聞こえた。主はおれの後ろにいる。

 

 

「この子達はまだ子供、大人になろうと必死に成長してる最中なの」

 

 

 後ろを振り返ると、そこには日傘をした妖艶な美女がいた。

 

 

「ぶふっ!」

 

 

 なんだあれは……! 駄目だ! これ、本気でやばいやつだ!

 緑のウェーブのかかった髪に怪しげだが美しい紅い瞳に白い肌。赤のチェックの服とスカートを身に纏い、純白の日傘を差している。

 佇まいは完全にお姉さん系、そして出るところは出ていて、でないところはでない、最高のプロポーション。

 めちゃくちゃタイプ___じゃない! おれがやばいと思ったのはそこじゃない!

 

 この妖艶の美女、圧倒的な力の持ち主だ。

 目視し、そして注視するまで全く気付かなかった。

 良かった……ある上半身の膨らんでいる部分を凝視していなければ気付かなかったかもしれない。

 しかし非常に不味い事態だ。

 あの大妖怪との距離はほんの数メートル。相手にとっては射程距離、つまりいつでもおれらを倒すことができる。

 

 

「誰ですか、貴女。この国の者ではないですよね」

 

「私が話している途中で折らないで頂戴」

 

 

 早恵ちゃん! 大妖怪を刺激するんじゃない!

 

 

「で、貴女。この子達を摘むの?」

 

「はい、勿論!」

 

 

 花の事をこの子達と呼び方が変なことに少しの違和感がある。

 思えば服装もこの時代には場違い過ぎるし……

 

 

「そう……それじゃあ殺すしかないわね」

 

「!!」

 

「えっ、きゃ!?」

 

 

 一瞬にして殺気と妖気が膨れ上がった事を見逃さなかったおれは、予め早恵ちゃんを包ませておいた霊力を操り、おれの方まで持っていく。

 先程早恵ちゃんのいた場所では日傘が空を切り、空ぶった先にあった木をへし折っていた。

 

 

「何ですかこれ!? 身体が勝手に動いて……まさか、私の中に眠る力が!」

 

「なわけないだろ。現実見ろ」

 

 

 それにしても、振り切った余波で木をへし折るとは……化け物ということは間違いないようだ。

 

 

「あら、避けれたの。させたのはそこの男のようだけど」

 

 

 彼方は既におれの仕業だと気付いている。

 何故あの大妖怪が攻撃を仕掛けてきたかは知らないが、どうせ食後の運動とか暇潰しとかろくでもない理由に決まっている。考えるだけ無駄だ。

 

 

「早恵ちゃん、一旦引こう。おれ達に分が悪すぎる」

 

「何が悪いんですか?」

 

 

 早恵ちゃんに撤退を提案するが、本人はお惚け顔で疑問符を浮かべた。

 いやいや、流石の早恵ちゃんでもあいつの妖力を感じられてない訳ではないだろう。

 

 

「見たらわかるだろ! あれは紛れもなく大妖怪だ! そこらの雑魚妖怪とは格が違うんだよ!」

 

「ええ、わかってますよ」

 

「なら早く逃げで……」

 

「翠ちゃんを殺したのは大妖怪です」

 

「はっ……?」

 

「今ここで逃げたら、前の無力な私と何ら変わらない気がするんです」

 

 

 何をいってるんだ。今はそういうことを言ってる場合ではないだろ。

 そこらにいる妖怪でさえ地力ではおれ達人間より上なんだ。それの10乗しても足りないぐらいの存在が目の前にいるんだ。

 真っ向から戦おうなんてイカれた奴の考えだ。正直理解できない……あっ、いや、確かにおれも大妖怪に何度か立ち向かったことありますけども!

 

 

「だから私は…………あっ! 熊口さん危な___」

 

 

 特大ブーメランをかまして少し恥ずかしい気持ちでいると、急に早恵ちゃんが叫んだ。

 

 

「えっ____」

 

 

 何事かとおれは早恵ちゃん方を振り返ろうとした。

 しかしその行為は阻まれた。

 

 ____一筋の光線によって。

 

 

「あっ、ちょ……」

 

 

 突如としてくるこれまでに経験したことのない衝撃。

 痛みは感じない、ただ急激に意識を刈られていく。

 それに手足の感覚もなくなっていってる。

 

 なんだ、この閃光。一瞬にして周りが光に包まれ……あれ、この感覚、何処かで感じたことあるような……確かおれが爆散霊弾で特攻したときと同じ感覚だ。

 

 

 ____てことはもしかして、死んだ?

 

 



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九話 気付かぬ点

 

 

「熊口、さん……?」

 

 

 眩ゆい一筋の光線が迸り、熊口さんを覆って尚光線は留まることを知らずに木々を飲み込んで行く。

 

 

「外したわね。貴女を狙ったつもりだったのだけれど」

 

 

 その言葉と共に極太の光線が徐々に縮まっていく。その光線の発生源は、目の前にいる大妖怪だった。光線が出されていたであろう日除けの先端からは煙が立っている。

 

 

「……っ!!」

 

 

 光線の通り路を確認すると、その行路は木々だけでなく地面までも抉られており、勿論横にいた熊口さんも消え去っていた。

 

 

「まあいいわ。貴女よりも面倒そうだったもの。運が良かったと捉えるべきかしら」

 

 

 また、護れなかった。

 力を手に入れた今なら、犠牲も出さずにやれると思っていた。

 大妖怪の目の前で他の考え事をしていた熊口さんも悪いと思うが、それは今となっては言い訳。結果、熊口さんは死んでしまった。

 

 

「うっ……ぐぅ」

 

 

 吐き気が込み上げてくる。あのときと同じだ。私は何も出来ず、翠ちゃんを失ってしまった。

 そして今回も、熊口さんを失ってしまった。

 付き合いは短いとはいえ、熊口さんは良い人だった。たぶん、あのとき勝手に身体が動いたのも熊口さんが助けてくれたのだと思う。

 

 

「なに、戦意喪失? そっちから宣戦布告してきたくせに情けない」

 

「宣戦、布告?」

 

「貴女がこの子達を殺すと言ったからよ。花妖怪である私としては看過できないこと、それも摘んでほしいと願う花なら別として、成長段階でまだつぼみの子達を摘むなんて頭がどうかしている」

 

 

 まさか、この妖怪……

 

 

「まさか、花を摘もうとした()()の理由で人を殺したんですか?!」

 

「……だけ?」

 

 

 より一層妖力を高めた花妖怪。もはや底が見えない、この化け物。

 

 

「いいわ、貴女はすぐには殺さない。四肢を一本ずつ消して身動きとれない状態から絶望を味あわせてあげる」

 

「挑むところです……私こそ、貴女を全力で叩き潰したくてうずうずしてるんです」

 

 

 熊口さんの仇として、そして妖怪の根絶やしの第一歩として、この花妖怪を叩いて見せる!

 

 

「貴女、人を苛つかせる天才ね」

 

「貴女は人ではない、ただの化け物です」

 

 

 私の発言に舌打ちで返すと、花妖怪は此方へ肉薄してくる。

 やはり速い、花妖怪がぶれて見える。

 

 

「……っ!」

 

 

 突っ込んで対応するのは得策ではないと考えた私は、袖の中に隠し持っていた諏訪子様特製の結界の御札を地面に貼り付ける。

 

 

「!?」

 

 

 突如として現れる淡い光を発した結界が私の周りを囲んでいく。

 それと同時に花妖怪の拳が結界に接触し、辺りに地割れのような轟音を鳴らした。

 

 

「なんて威力何ですか……」

 

 

 音からでも解る花妖怪の猛烈な殴打は、一撃で神の加護が付属した結界にヒビを入れる。

 

 

「殻に籠ってないで出てきなさい!」

 

 

 二度目の殴打、さらにヒビの範囲を広げていく。

 

 

「お望み通りでてやりますよ!」

 

「ちっ……!」

 

 

 三度目の殴打が放たれる刹那、私は地面に張っていた御札を剥がし、結界を解除させた。

 ぶつける筈であった結界が無くなったことにより、花妖怪は大きく空振り、体勢を崩す。

 私はその隙に花妖怪の脇腹に爆符を貼りつけ後退し、印を解除した。

 

 

「ぐっ、雑魚かと思ったけど中々やるわね」

 

「硬いですね。流石は大妖怪、御札の中で一番高威力な爆発する御札を受けてほぼ無傷とは」

 

 

 完全に隙をついた一撃。私のとっておきの御札を受けて尚花妖怪は悠然としており、脇腹から少し煙が立った程度で服すら吹き飛ばすことが出来ていない。

 私の爆符は服程度なら簡単に吹き飛ばすことができる。それなのに破けていないとなると___

 

 

「随分と余裕ですね。服を妖気で守ったんですか」

 

「そうね。破けると困るもの」

 

 

 大丈夫、爆符を含め、まだ御札は充分にある。

 大量の妖怪を退治するために多く用意していたことが功を奏した。

 

 

「中々面倒な道具を持っているようね」

 

「諏訪子様特製の御札です。これで貴女を退治します」

 

 

 そう私が言い放つと、花妖怪は溜め息をつき、手で顔を覆う。

 

 

「これだからね……」

 

「……何が言いたいんです?」

 

 

 何故花妖怪が呆れているのか。私は不本意ながらも質問すると、花妖怪は顔を覆う手の隙間からこちらを睨み付け、

 

 

「少し力を手に入れて調子に乗る輩が、相手を弁えずに挑んでくる。これがどれ程の苛立ちになるか貴女に理解できる?」

 

「……!」

 

 

 挑発ともとれる一言を言い放ってきた。

 ……つまり、私は調子に乗った弱者って言いたいのだろうか、あの妖怪は。

 

 

「……上等です。もっと貴女を苛つかせてあげます。そして、最上の苛立ちとして格下からの敗北を味あわせてあげましょう」

 

「……ほんと貴女、一挙一動がうざったいわ」

 

 

 舐められて上等、そこに生じる隙をついて勝利に結びつける。

 熊口さんの仇、そして妖怪撲滅の第一歩としてこの戦いに負けるわけにはいかない!

 

 

「!」

 

 

 先手として私は御札を五枚ほど花妖怪に投げつける。

 

 

「紙屑ごときで私に傷を与えられると思っているの?」

 

 

 日除けを広げ、己の身を隠す花妖怪。そのまま御札は日除けに一つも欠けることなく貼り付き、光りだす。

 

 

「……っつ!?」

 

 

 そして御札は全て爆発し、花妖怪の周りを砂埃で囲った。

 

 

「これでお仕舞いです!」

 

 

 砂埃で視界を失った花妖怪は混乱しているはず。何処から何が来るかわからない恐怖、それにより一瞬の硬直が生まれる。

 

 

 そこに全てを懸ける。

 

 

「そいやぁ!」

 

 

 勝機を見た私は攻撃用の御札を大量の砂煙の中へと投げつけた。

 

 砂煙の中から爆音と閃光が発生し、思わず顔を伏せる。

 爆発の影響で砂埃が此方にまで広がってきたせいで、私まで視界を失ってしまった……が、この威力ならあの妖怪とて致命傷は必至、慌てる必要はない。

 

 

「強者の余裕が仇となりましたね」

 

 

 此方に先手を簡単に打たせ、攻撃を回避ではなくあえて防御した。私の御札の付属効果があることを知ってだ。

 おそらくあの花妖怪は此方の攻撃を受けても平気だと高を括っていたのだろう。

 結果、私に勝機を与えてしまった。

 

 

「……」

 

 

 返事がない。もう息も絶えてしまったのだろうか。

 もしそうだとしても同情なんて欠片もない。

 

 

「熊口さん……」

 

 

 私は戦いを終え、改めて犠牲者となった熊口さんの死を悼む。

 まだ数日の付き合いだったが、とても良い人だった。何が良いかはわからないが、とにかく悪い人ではなかった。

 何故諏訪子様が調査に熊口さんを同行させたのかは分からない。

 大妖怪を背に考え事をするような素人だったというのに……

 

 

「あれっ……」

 

 

 そんなことを考えていると砂煙は地面へと落ち、視界には先程まで見ていた森が映った。

 私が放ったであろう御札の攻撃跡として花妖怪のいた場所を中心に土が抉れていた。我ながら中々の威力。

 しかし____

 

 

「姿が……ない___」

 

「余裕ぶっこいてるようだけど」

 

 

 突如として花妖怪の声が背後から聞こえ、私は硬直した。

 

 

「!! あがっ、!!?」

 

 

 背中にくる味わったことのない衝撃。私の身体は軽々しく宙に浮き、飛んだ先にあった木に腹部から激突する。

 

 

「いつから勝利を確信したのかしら」

 

「ぐっ、あう……」

 

 

 なんとか霊力で木にぶつかる衝撃は和らげた。

 相手も飛ばすことを目的だったようで背中もあまり痛みは感じない。

 

 ……やはり、やってはいなかった。

 私の御札に大妖怪を消し飛ばすほどの威力はない。だというのにあの地が抉れた場所に花妖怪はいなかった。

 それにより生まれる一瞬の硬直を狙われた。

 くっ、姿から見ても全然彼奴の服を少し焦がした程度で全然効いていない。あの火力でもあの花妖怪を傷付けるに及ばないなんて……

 

 

「ほんと貴女、見るだけで殺意が込み上げてくるわ」

 

 

 そう言って、道端にある花びらを拾う花妖怪。

 

 

「罪のないこの子の将来を潰すなんて」

 

「あ、貴女、だって、熊口さんの将来を……潰し、ました」

 

 

 私の発言に睨みで返す花妖怪。

 

 

「私が今ので止めをささなかった理由が貴女に解る?」

 

「……いいえ」

 

 

 解る筈がない。私の予想ではまだあの妖怪は私のことを舐めてかかっているという事だが、あの殺意からしておそらく違う。

 

 

「とっておきで吹き飛ばすためよ」

 

「貴女、私をなぶり殺すんじゃなかったんですか?」

 

 

 確か四肢を消し飛ばし、絶望を与えてから殺すとかなんとか。

 

 

「考えが変わったの。貴女の存在がもう目障りで仕方がない」

 

「自分の発言を容易く曲げるものではないですよ。ちゃんと責任を持ってください」

 

「ちっ……」

 

 

 花妖怪は額に青筋を浮かべ、無言で日除けを此方に向ける。

 

 

「さっさと消えなさい」

 

 

 その日除けからは先程とは感じられなかったどす黒い妖気ご詰まっており、そこから熊口さんを葬り去った閃光が放たれるのだと一目で理解できた。

 あんなもの、まともに受けるわけにはいかない。そう考えた私は咄嗟に避けるため横に移動しようとした。

 

 

「!!?」

 

 

 しかし、両足には蔦が絡まっており、身動きがとれなくなってしまっていた。

 いつの間にこんなものが____はっ!!

 

 

「さようなら」

 

 

 日除けから放たれる一戸建て程度なら飲み込んでしまうであろう光線。

 迫りくるそれは尋常ではない速さで此方に接近してくる。

 蔦を切っていてはあっという間に飲み込まれるのは必至、ここは迎撃するしかない!

 

 

「……!!」

 

 

 袖から三枚の御札を取りだし、縦一列に地面に貼り付ける。

 私が取り出したのは長方形に展開される結界符。その中の最奥に貼った御札は私の持つ防御符の中でも最高硬度の防御力を持つ。

 これでなんとか持ちこたえれば____

 

 

「熱っ!?」

 

 

 そんな考えを呆気なく打ち破るように、二つの結界は光線にぶつかるとともに音を立てて割れ、三つ目の結界に当たり火花をあげる。

 

 

「くぅっ!!」

 

 

 最高硬度の結界、だというのに数秒もしないうちにヒビが範囲が広がっていく。

 私は破壊されるのを防ぐべく、御札に霊力を込めつづけてさらに硬度を増してなんとか保てているが、最早いつ壊れてもおかしくないまでに結界はぼろぼろになっていた。

 

 

 

 

 

 

 ___何がいけなかったのだろうか。

 

 私が熊口さんの忠告を無視したから? 花を摘もうとしたから? 己の力を過信したから?

 

 いや、全部だろう。今の私ならひょっとしたら大妖怪にも勝てるのではないだろうか。諏訪子様の力を授かった御札があれば大丈夫だろう。

 そんな浅はかな考えが、今の結果に繋がっている。

 

 相手を倒すどころか、服を少し焦がした程度で傷一つつけられていない。

 

 絶望がもう目の前まで来ている。

 この閃光に飲み込まれたら、私は跡形もなく死ぬ。

 

 また私は無力のままで終るのか。前と何ら変わらない。変わるとすれば私も死ぬというところだけ。

 

 無力、絶望、失意、挫折、あらゆる感情が混ざり合う。

 

 私も翠ちゃんと同じように幽霊としてこの世に残ることができるのだろうか。

 諏訪子様やミシャグジ様はどう思うのだろうか。

 そんなことを考えていると自然に涙が溢れてくる。

 

 

「うぅ……」

 

 

 そして遂に、最後の砦であった結界が破れ、閃光が私を飲み込まんと押し寄せてくる。

 

 

「ごめんなさい……皆___」

 

 

 閃光に飲み込まれる刹那、私はそう呟き、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ___横から抱き抱えられるような感覚にも気付かずに。

 

 

 



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十話 不穏な停戦

こんなに更新も話も長くする予定はありませんでした、少し後悔してます。
10000文字越えてますがゆっくりと見ていてってください!


 

 地や木々を抉り、閃光が通った箇所

を全て吹き飛ばしたのを確認した後、妖怪は踵を返した。

 勿論、その通り道に早恵の姿はない。

 

 

「はあ……まだ苛々する」

 

 

 早恵の存在を消し去って尚、苛立ちが収まらないでいる花妖怪。

 額に青筋を残したまま花々の咲いた方へ歩き出す。

 

 

「この子達は無事ね」

 

 

 先の戦いにより花達の安否を危惧していた花妖怪は、ほぼ無傷に咲き誇る花々を見て胸を撫で下ろす。

 

 

「……」

 

 

 そして彼女はまた、身体を先程の向きに戻し、

 

 

「で、そこに隠れているのは誰かしら」

 

 

 早恵のいた横の茂みに向かってそう言い放った。

 その声源からは怒りは()()()混じっておらず、ただ純粋に誰なのかを不思議に感じている様子であった。

 

 

「あー、やっぱりばれてた?」

 

「!? ……へぇ」

 

 

 花妖怪の発言から数秒後、茂みからごそごそと出てきたのは、出会い頭に葬った筈の人間、熊口生斗であった。

 

 

「何故貴方が生きてるのかしら。手応えはあったから確実に捉えてたと思うのだけれど」

 

「うん、完全に決まってたよあれ。一回やられちゃったからちょっと気分落ち込んでる」

 

「やられた……?」

 

 

 生斗の妙な言い方に疑問符を浮かべる花妖怪。それもそのはず、彼女は生斗の能力を知らないのだから。

 

 ____『生を増やす程度の能力』。

 命を複数有することができ、それを使って膨大な力を得ることができる能力。

 この事を見破ることが出来るのは、目の前で殺るか、本人に直接聞くしかない。

 

 

「いや、それよりも……」

 

 

 花妖怪は生斗の隅々まで観察し、改めて自らの目を疑う。

 

 

「明らかにさっき遭ったときと霊気の量が違う……」

 

 

 十数メートル先にいる生斗に聞こえない程度で呟き、深紅の瞳を輝かせる花妖怪。

 大妖怪である彼女はその対象の人物を一目見ただけで大体の力量を測ることが出来る。

 そんな彼女から見て、今の生斗の霊力は前の2乗はあるのではないかと言うほど凄まじい霊力を有していた。

 実際、生斗を見つけられたのも隠しきれない霊力源が茂みから発生したから花妖怪は生斗を認知できたのだ。

 

 

「これは良い憂さ晴らしになりそうね」

 

「なんか今聞き捨てならない事言ったよね。聞こえてるよ、独り言のようだけどバッチリと熊さんの耳に届いてるよ!」

 

 

 花妖怪の発言に身構える生斗。尤も、戦闘ではなく逃げる体勢だが。

 

 

「ねえ、何で貴方が生きているのかは知らないけど____いいの?」

 

「いいの、って何が? それよりも憂さ晴らしについて詳しく教えて」

 

「貴方と同行していた女、今私に殺されたわよ」

 

 

 そう言って日傘を抉れた地面を軽く叩き微笑む。美女の微笑みであることは違いないのだが、生斗はそれを見て背筋が凍り付き、冷や汗が止まらなくなった。

 

 

「な、なに、仕方無いことなんじゃないかぁ。おれ戦うなって忠告したし? それを守らなかった早恵ちゃんが悪いわけで? 別にそれで大妖怪相手に仇を取ろうなんて馬鹿ではない私は考えないし?」

 

「ふぅん、とんだ屑ね」

 

 

 笑みを絶やさないまま毒を吐き、生斗の考えを切り捨てる花妖怪。

 その笑みはどの意味のものなのかは本人にしか解りえない。

 

 

「そんな屑には____」

 

 

 日傘を前に構え、脚に力を込める。

 なにが起こるのか、その大体の予想は生斗にも容易くできた。

 

 

「あっ、ちょっと待っ……」

 

「____お仕置きね!」

 

 

 生斗が制止を呼び掛けようとした瞬間___花妖怪はその場から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

 閃光に飲み込まれたおれは、元いた場所か遠く離れた草原で目を覚ました。

 目覚める前にあの蝋燭の光景を見たということで容易に自分がここまで吹き飛ばされ、息絶えたことを理解することができた。

 

 はあ、たった数日で命を3()()も減らしてしまうなんて……このペースだとおれ、一年以内に死んでしまうんじゃないだろうか。

 

 

「ちっ! 男なら避けずに受けなさい!」

 

 

 茂みに隠れてたのにあっさりと見つかるし。

 やっぱりまだ霊力のコントロールが全然できていないってことか。

 それにしても前の時と違ってあまり身体に異常は感じないな。

 器が拡張されたのか、はたまた5個使ったときの痛みが異常なだけだったか。

 まあ、前者だろう。おれは日々成長し続ける超人だからな! ……というのは冗談で、前に5個分の霊力を無理矢理身体に留めようとした影響か、ただ単に神が気を利かせたかのどっちかだろう。それ以外に思い当たる節がない。

 

 

「当てられないからってキレるのはよくない! もうちょっとクールにいこう! だからその日傘を振り回すの止めて! さっきから通り過ぎる度に風と音が凄いから!!」

 

 

 さて、そろそろ意識を此方に向けよう。

 瞬く間におれの目の前まで肉薄してきた美女が先程から日傘を振り回してくるのを避けるのにも限界が見えてきた。

 

 

「ならさっさと当たりなさ……ぐっ!?」

 

 

 現在、おれの目は大妖怪の動きを簡単に捉え、反応出来るほどに冴えている。

 だから気付く事もある。日傘を振るときにできる隙を。

 その事に気付いたおれは妖怪が上から日傘を振り下ろしてくるのを横に回避し、そのまま腹部へ霊力の纏った拳で殴り付けた。

 防御が薄くなっていた腹部に訪れる殴打の衝撃、妖怪の身体はふわりと宙に浮き、数メートル先に着地し、腹部を押さえて踞った。

 

 

「ふっ、ふふ、効いたわ。やはり勝負はこうでなくちゃ」

 

「美女を傷つけるのは気が引けるけど、そんなこと言ってられる余裕は無いんでね」

 

 

 相手は大妖怪、見た目がどれ程美人でどストライクであったとしても手を抜くなんて悠長なことする気はない。ていうか出来ない。

 

 

「慌てるふりをして隙を窺ってたなんて、屑な上に狡いわね」

 

「いやいや、ほんとに慌ててたんですけどね? おれへの悪口のレパートリー増やそうとするのやめてくれない!?」

 

 

 時間の経過で痛みが和らいだのか、妖怪は腹部を押さえながらも立ち上がる。

 

 

「追撃の好機を見逃すのなんて余裕ね。後で痛い目見るわよ」

 

「ただ単に演技で痛がってると思って警戒してただけなんだけどな」

 

 

 余裕げな表情で痛がられても何かあるのではないかと警戒してしまうもんだ。

 まあ、爆散霊弾の一つでも放っておいても良かったかもしれない。

 

 

「それじゃあ、続きをしましょうか」

 

「……あのときの段階で逃げてもよかったな」

 

 

 おれの発言を聞き流し、日傘の先から数えきれない程の妖弾を放ってきた。

 

 

「一度にあんなに出せんのか……」

 

 

 目を覆いたくなるような眩い弾幕に思わず感嘆する。

 さて、これはどう対処しようか。

 いくら目で追え、それに身体がついていけたとしても、身体を通す隙間のないものを避ける事は出来ない。

 ここでの対処法は____迎撃だ。

 

 

「さあ行け爆散霊弾よ! あの弾幕を蹴散らしてこい!」

 

 

 通常より三倍近い大きさに生成した爆散霊弾を向かい来る妖弾の嵐に向かって放つ。

 ただでさえブーストをかけている状態での爆散霊弾だ。それにサイズも大きくして破壊力も数段に上がっている。

 いくら大妖怪の弾幕といえど蹴散らすに至る筈だ!

 

 

「そんなもので…………!!」

 

「あっ、まっ!?」

 

 

 そして妖弾がLサイズ爆散霊弾と接触した瞬間、霊弾の膜が剥がれ____

 

 

 

 

 

 

 

 

 __大妖怪とおれを巻き込んだ大爆発が発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

 

「げほっ、げほっ……うえぇ、口の中に砂が……」

 

 

 爆心地から少し離れた所で、おれはなんとか立ち上がり、服についた埃をはらう。

 あー、うん、ブースト舐めてた。大爆発から耐えられたのもあるが、爆散霊弾の威力がここまで凄いことになるなんてな。

 そういえば前もブーストありきで爆散霊弾着弾させたときも脚を使い物にならなくしてたな。

 砂煙で視界が悪くなっていたとしても判る大爆発による被害。

 地は深く抉れ半径数十メートルのクレーターを作り出し、木々は爆風により薙ぎ倒され、空にはちょっとした茸雲が上がっている。

 

 

「よく無傷でいられたな……」

 

 

 爆発する瞬間、あまりのエネルギー量に危険を察知したおれはなんとか霊力を身に纏ったことにより、口や服の中に砂が入ったこと以外はほぼ無傷。改めて霊力操作の修行をしていて良かったと実感する。

 

 

「でもこれなら大妖怪でも___」

 

「何独り言を言ってるのかしら?」

 

「うおっ!!」

 

 

 大妖怪が爆発に巻き込まれて戦闘不能なのではと微かな希望を抱いた矢先、後ろから声がして思わず前に飛び退く。

 

 

「はい、今ので一回死んでたわよ。貴方」

 

「なっ……」

 

 

 どうしてだ、何故おれの位置が分かる。それに今明らかにおれを見逃した。

 

 

「ふふ、貴方が疑問に思ってる事まるわかりよ」

 

「なんで今、殺らなかったんだ?」

 

「そうね、確かに今の爆発で花達が吹き飛ばされてたら躊躇なく殺してたわ。運良くかどうかは解らないけど全員無事っだったもの。

 これが見逃した一つの要因」

 

 

 花が吹き飛ばされなかったから? なんだよこの美女、妖艶なお姉さん系かと思いきや花を思いやるメルヘンチックなギャップも持ち合わせてんのかよ。凄いな、これで落ちない男はいないだろ。

 

 

「一つの要因? 他にもあるってことなのか?」

 

「それは勿論___」

 

 

 そう言って畳んでいた日傘を広げ、身体の大半を隠す妖怪。

 辺りは砂煙も失せ、視界には青空と荒れた森が広がる。

 

 

「主菜はじっくりと味あわなくちゃね」

 

「へ、へぇ、おれは一気に食べるタイプだから分からないや」

 

 

 おれはお肉かお魚ってか!

 食うのか、それとも戦闘の意味でか。どっちにしても戦闘は避けられないだろうけど。

 

 

「なあ、なん…………あれ」

 

 

 何故戦わなければならないのか質問しようとしたおれは、日傘の違和感に気付く。

 はみ出していた筈の頭や脚が、見えない……?

 

 

「うわっと!!」

 

「よく避けたわね」

 

 

 何かしらの危険を察知したおれは元いた場所から横に飛び退く。

 

 

「どんだけ後ろとるの好きなんだよあんた!」

 

 

 今の回避行動は当たっていたようで、おれが元いた場所には大妖怪の拳が空を切っていた。

 くそっ! 警戒していたのにどうやって彼処から移動……ってなんで日傘は空中に浮いたままなんだ!?

 

 

「追撃は警戒しないと駄目よ!」

 

「そ、そういうことか!」

 

 

 数メートル先に空中に浮いていた日傘が吸い込まれるように妖怪の手に来る。そして日傘があった場所には細長い蔦が垂直に立っており、そこに日傘が引っかけられていたということが判る。

 もしかしてこの妖怪、植物を操れるのか? いやでもあいつ木とかがんがん薙ぎ倒してるし……

 

 そんなことを考えている間に妖怪はおれの目の前まで接近してきている。

 

 

「……!」

 

「くっ!」

 

 

 接近する勢いのまま開いた日傘で突きをしてくる妖怪。それをなんとか霊力剣を生成していなす……が、剣で日傘の石突を接触した瞬間、そこには力が入っていないような感覚がし、そのまま霊力剣を振り上げて日傘を頭上に飛ばしてしまう。

 

 今の手応え___あの妖怪は日傘を持っていなかった!

 

 おれの予想は正しく、眼前には妖力を込めた妖怪の拳がおれの腹部へと向かってきている光景が映った。

 

 

「く、食らうか!」

 

 

 予想通りであったことにより、少し反応を早めることがおれはなんとか身体を捻って妖怪の殴打を避ける。

 しかし避けられた妖怪は避けられたことを気にする様子もなく、おれからの攻撃を警戒して殴打の勢いを活かして前へと転がり、脚で地面を蹴って方向転換、間髪いれずにおれへと向かってくる。

 

 

 

「受けてばかりじゃ勝てないわよ」

 

 

 至近距離からの妖弾が次々におれに向かって放たれる。

 それに気を削いでいては向かってくる妖怪がまた行方を眩ましてくるか分からない。

 どちらにも気にかけつつ対処、なんて事はおれの頭では到底出来ない。

 おれの目は二つしかない。しかもそれを別々に見る芸当なんかもない。

 

 

「あんたの壇上に上る気はないからな!」

 

 

 このペースは不味い。妖弾の一つが顔すれすれで通り過ぎるのを見て、おれは一旦この場を切り抜けることを考える。

 この時に有効な手段は____煙幕だ!

 

 爆散霊弾の試作段階でおれは粉が霧散するような霊弾を作っていた。

 これを大きめに生成すれば煙幕として利用できるかもしれない! 試したこと無いけど!

 

 そしておれは一か八か煙幕弾を生成し、

 

 

「くっ、またあの爆弾?」

 

「ある意味な!」

 

 

 おれの真下に着弾させた____

 

 

 

 

 

 

    ポスンッ

 

 

 

 

「えっ____ぎゃふっ!?」

 

 

 

 が、煙幕弾は着弾すると共に粉上のものが地面に霧散しただけで、目を欺くことは到底出来ない代物だった。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 その光景に身構えた妖怪と、呆けてしまいそのまま諸に顔面に妖弾が当たり二重に泣きたくなるおれの間で沈黙の時間が訪れる。

 

 

「貴方……ふざけてるの?」

 

「……」

 

 

 一か八かに賭けたおれが馬鹿だった。

 なんとか妖弾の方は霊力で防御したからほぼダメージはないーー相手も牽制のつもりで放ったものだったからだろう。

 この程度の威力なら霊力剣で切り捨てても良かったな……

 

 

「さて、続きやるか」

 

「誤魔化そうとしたわね。ま、いいけど」

 

 

 試したことないものを実戦で使うのは駄目だな。おれなら出来るんじゃないかとか思い上がってた。

 

 

「……!」

 

 

 ということでおれは霊力剣を構えたまま、妖怪に肉薄した。

 おれの得意分野は接近戦、特に霊力剣ならではの特殊な剣術だ。

 今は相手は素手、リーチの差でおれの方が有利だ。

 

 

「やっと貴方もやる気になったわね!」

 

 

 彼方はおれがやっと攻める意思を見せてご満悦の様子。

 不適な笑みを浮かべつつ、身体を此方に向けたまま後方へ跳躍する。

 何故喜んでいるのに逃げるような真似を____と思ったが、その疑問は一瞬のうちに解決された。

 

 

「得物同士の方が熱いわよね」

 

「くっ、まじか!」

 

 

 妖怪が跳躍した先には、おれが飛ばして木に引っ掛かっていた日傘があった。

 それを畳んで、迫りくるおれに向かってまたもや傘を突き立てて跳躍してくる。

 どうやらこのまま突っ込んでくるようだ。

 

 

「……!」

 

 

 が、そんな直線上の攻撃をまともに受けるわけもなく、おれは野球球サイズの爆散霊弾を生成し、突っ込んでくる妖怪に向けて放つ。

 今のおれならこのサイズの爆散霊弾でも素の状態のサイズと同じくらいの破壊力を持っている筈、おれにまで被害がくることはない。

 

 そして放たれた爆散霊弾と日傘の石突部分が接触したとき、妖怪を巻き込んでの爆発が空中で発生する。

 よし、これで____

 

 

「やれると思った?」

 

「!?」

 

 

 と、突っ込んでくる勢いを落とすこともなく、おれに向かってくる妖怪。

 その姿は先程とは違い、服は所々破け、そこから見える白い肌からは血が吹き出し、身体全体からは焦げた臭いと共に煙が立っていたーー何故か日傘は無傷だけど……

 普通勢いを落としてでも防ごうとする筈だ。なのに落とす様子もなくあの怪我……まさか防御を捨てて突貫してきているのか!?

 

 油断と驚愕、そして妖怪の特攻による哀れみにより、判断が遅れてしまったおれは避ける猶予を逃し、目の前まで妖怪の日傘が迫っていた。

 

 

「ぐっ、うっ! ___っ、!?」

 

「おかえし」

 

 なんとか霊力剣で防ごうとしたが、あまりの衝撃におれは後方へ吹き飛ばされ、体勢を崩してしまう。

 

 そこへ間髪入れずに日傘でおれの腹部を叩き付ける。

 

 あまりの衝撃に口からは声にならない悲鳴がし、血を吐き出す。

 吐血……ということは今ので内臓に多大な傷を与えてしまったということ。

 こんなの何回もうけ続けられるわけ____

 

 

「ぐっ、ああ!」

 

 

 そんな考察をしたり痛みにもだえたりする余裕もなく、次々に日傘による攻撃が繰り出されてくる。

 先程のただ振り回してくるだけでなく、鳩尾や脛、頭部等、急所や動きを止められるような箇所を執拗に狙ってくるので、霊力剣でなんとかいなして避ける。

 

 日傘と霊力剣が交わると火花が散り、金属同士がぶつかりあうような音が響き渡る。

 

 

「いいわ! いいわよ!」

 

「何がだよ!」

 

「こんな楽しい戦いは初めてよ!」

 

 

 なんだ、ただの戦闘狂なのね。分かってました。

 何度も何度も攻撃を受け流され、隙をついて切り傷を増やされ続けているのにこれまで以上に笑みを深くする妖怪。

 そこまで笑うと折角の顔が台無しだ。

 

 

「こんなに血を流したのも初めて!」

 

「……!」

 

「そういえば地に伏せてしまったのも初めてね!」

 

 

 血が吹き出し、おれの服まで赤く染められていく。

 今の斬り(叩き)合いはおれの方が圧倒的に有利、そもそも相手の動きは力任せで叩きつけてくるから受け流しやすいし、隙が多い。腹部の痛みで集中力が少し欠けていても対処できる。

 これが続けばいずれは妖怪も出血多量で戦闘不能になる筈____

 

 

「だからもっと楽しませなさい!」

 

「なっ!?」

 

 

 と思った矢先、今まで以上に妖力のこもった一撃が来たことにより、霊力剣は受け流すとともに硝子が割れたような音を立てて折れてしまった。

 この妖怪は、ほんと速攻でおれのフラグを回収してくるな……

 

 ま、折れても大丈夫なのが霊力剣の魅力の一つなんだけどな。

 

 剣を折ったことに優越感に浸る妖怪は受け流すものは何もないと考え、おれの頭蓋骨をかち割らんと日傘を振り下ろした。

 

 

「なんてな!」

 

「うぐっ!?」

 

 

 大振りだが、至近距離過ぎて避けきれないのを分かっていたのだろう。妖怪は油断していた。

 

 だからなのか____おれが攻撃をいなし、()()()()()()()()で綺麗に右腕を斬り落とした。

 

 ぼとっ、と地面に日傘とともに妖怪の右腕が落ちる。

 

 

「終わりだ。早く止血しがべぶフッ!?」

 

 

 妖怪の利き手を無くしたことにより、勝利を確信したのだろう。おれは油断していた。

 

 だからなのか____妖怪の左拳がおれの顔面を吹き飛ばす瞬間を傍観してしまっていた。

 

 あれ、これってデジャヴ?

 

 

「まだよ、まだ、足りない」

 

 

 そう途切れ途切れに聞こえてくる声とともに、後悔しまくりながらおれは意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

 7個目の蝋燭の灯火が消え去るのを確認し、急いで意識を覚醒したおれは、辺りの光景を見て目を疑った。

 

 来たときは緑溢れる森が、クレーターのバーゲンセールにより荒れ果て、これが自分でやったことなのかと後悔と罪悪感が込み上げてくる。

 

 

「あの茂みは____無事か……」

 

「あら、やっぱり生きてたのね」

 

「!?」

 

 

 背後から聞き覚えのある声がする。聞いた瞬間に悪寒が走ったし、たぶんあいつだ。

 

 

「首から頭が生えてきたときは驚いたわよ。貴方……もしかして植物妖怪?」

 

「人間だよ……ちょっと特殊な___あれ?」

 

 

 いつでも逃げられるように構えながら、声のする方へ振り向くと、案の定見たくない美女が佇んでいた。

 何故か斬り落とした腕で日傘を持っている。

 えっ、なんでくっついてんの? 確かおれの機転を利かせた霊力剣を操作して斬りつける攻撃でスパッた筈なのに……

 

 

「ああ、これ? くっつけたのよ。綺麗に切れてたから簡単に接合できたわ」

 

「おれもだけどあんたも大概だな……」

 

 

 くっつけたら治るとか普通あり得ないだろ。切れ目すら見えないぐらい綺麗に治ってるし。

 

 

「で、なんであんたは止めをささずにここへ…………うわっ!?」

 

 

 何故殺した筈のおれを置いてここに残っていたのか。食べるのならともかく、そのような素振りも食われた形跡もない。

 その事について問おうとするが、おれの顔面めがけて飛んでくる妖弾によって遮られ、転がって避けなければならい羽目になった。

 

 

「決まってるじゃない___続きよ。何故貴方が生きているのかは二の次、早くさっきの続きを始めようじゃないの」

 

「ちょっ、それは勘弁してほしいんだけど!?」

 

 

 死んだことによりブーストはリセットされている。つまり素の状態だ。絶賛狂気の笑みを浮かべながら迫ってくる大妖怪相手に勝てるわけがない____

 

 

「おっ……!!」

 

 

 と、思いきや、迫りくる妖怪の姿がはっきりと目視出来ていることにおれは驚愕とともに一筋の希望が見えた。

 一瞬、妖怪の接近を捉えることが出来なかった。

 その時、なんとかして捉えようとしたおれは反射的に目に霊力を集中させていた。

 その結果、良好、迫りくる妖怪の姿は残像を見せることもなくはっきりとみることができている。

 霊力で身体強化できることは知っているが、まさか目まで霊力で水増し出来るなんて知らなかった。

 これは使える!

 

 

「はっ、ほっ!」

 

 

 おれの射程距離内に入ってきた妖怪はおれの首を刈ろうと恐ろしく速い手刀をしてくる。

 目を強化したことにより動きを見切ることは出来るようになったが、それについていく身体が今のおれにはない。

 ということで無難な空中に逃げることを選択、後方に地面を蹴って空中へ飛び、そのまま爆散霊弾を4つほど生成し、妖怪の足元に向けて放つ。

 妖怪は跳躍して脚に当たるのを避けたが、地面に着弾すると同時に妖怪を巻きこんだ大爆発が起きた。

 今のおれではあいつの攻撃を受け流すことも、ましては受け止めることも出来ない。

 当たれば致命傷。かすっても只では済まない。ただ避け、避け、避け続け、勝つかあいつを諦めさせればいい。

 それが今おれにできる最善の方法だ。

 

 

「さっきより弱くなったんじゃない?」

 

 

 砂煙を押し退け、全てを飲み込まんとする極太の閃光が空中にいるおれに向かって放たれる。

 流石に距離もあり、地上から急激に膨れ上がる妖力を察知出来たので避ける事は容易だったが、光線が撃ち終わる頃には砂煙は全て吹き飛んでしまった。

 ほんと、あんな出鱈目な光線よく連発出来るよな……

 あれ一発でおれの霊力全部使いきりそうなんだけど。

 

 

「はは、威勢良いけどあんたの脚、ちゃんと怪我してるだろ」

 

 

 そう、地上から此方へ日傘を構えている妖怪の両脚は己の血によって赤黒く染まり、地面にはぽとぽとと血が滴っていた。

 見るからに痛そう……よく立っていられるな。

 

 

「前の貴方のだったら脚なんて軽く吹き飛んでたわよ」

 

 

 こんな怪我屁でもないと言わんばかりの余裕な表情。確かにブーストかけたおれなら吹き飛ばせてたかもな。ミスって自分も飛ばしかねないけど。

 

 

「さて、空に逃げた臆病者をはたき落とさないとね」

 

 

 そう言って妖怪は地面に日傘を刺す。

 なんだ、何をする気だ? 降参するのか? それなら大歓迎、ていうか無事で済むならおれから降参したい。 

 

 

「そ、そんなのありかよ……」

 

 

 地面に刺された日傘を中心に蔦のような植物が無数に生えてきて、そのまま新幹線並みの速さでおれに向かってきた。

 

 

「速すぎだろこれ!!?」

 

 

 目を強化して直進してくる植物を避けたが、少し先へ行ったところでまたUターンしておれに向かって突撃してくる。

 こんなの、アニメとかでしか見たことないんだけど……絶対体験しないだろうなぁと思ってその時は見てたけど、まさか自分がその時点でフラグを立てていたなんて。おれって恋愛以外のフラグ建築士第一級取れるかもしれない。

 

 

「こんなものじゃないわよ!」

 

 

 単体のホーミング植物なら絡ませれば勝ちなんじゃないかと、心の隅で考えていたが、やはりはあの大妖怪。私の淡い期待を綺麗に粉々にしてくださる。

 二、三回ほど避けた後、一本にまとまっていた植物達は枝分かれし、元の細長い蔦となって別々の方向からおれに向かって突撃してくる。

 もうなに、こんなの避けられるわけないじゃん……人の脳はそんなに万能じゃないんだよ。

 

 

「なんて言い訳だよね!!」

 

 

 四方八方から次々くる植物を紙一重でかわし続け、どうしても避けられないときは霊力剣を生成して斬り捨てる。

 流石に無理無理言って動かなかったら死ぬだけだから必死に抵抗するしかない。これ以上死ぬのは御免だし。

 

 

「ちょこまかと蝿のようね!」

 

 

 蝿で結構、それで避けられるのなら蝿にでもなってやる。

 

 

「(くそっ、数が多すぎて手が足りない! 爆散霊弾で根元を断つか!)」

 

 

 ここから妖怪の位置は結構あり、百メートルは優に越えている。それにこの蔦の猛攻、果たしてそれを掻い潜って爆散霊弾を着弾させることが出来るのだろうか。

 絶対に根元に着く前に何かしらの妨害を受ける。当てるのは至難の業だ。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 だが、このまま避け続けてもじり貧なのは確かだ。徐々に蔦がおれを捉え始めていて、このままでは新幹線並みの速さの蔦がおれの身体を貫くのは時間の問題だ。

 

 

「出し惜しみなんて出来ないよな!」

 

 

 意を決したおれは爆散霊弾を生成、間髪入れずに妖怪に向かって放つ。

 が、数十メートルを過ぎた所で蔦に接触し、あえなく爆発をする。

 大丈夫、これは想定内だ。

 

 

「もう一丁!」

 

 

 爆発によりその箇所は蔦の包囲網は手薄となる。おれはその箇所に向かってまた爆散霊弾を放つ。

 これを繰り返していれば何れは___

 

 

「なっ、まじかよ!?」

 

 

 なんてことを考えていると脚に何か掴まれたかの違和感がし、確認してみると、一本の蔦がおれに絡まってきていた。

 

 

「……ふふ、捕まえた」

 

 

 まさか、単調に蔦を突っ込ませていたのはこれを狙って……!

 

 

「たまには自分の攻撃でも食らいなさい!」

 

「うわあぁっ!?」

 

 妖怪の発言とともに蔦に振り回され、そのままある方向へと放り投げられてしまった。

 その方向とは今しがたおれが放った爆散霊弾の位置であり、みるみるうちにおれと爆散霊弾との差が縮まっていく。

 な、なんて超スピードで投げ飛ばしてんだよあの蔦!?

 いや、このままではまずい。爆散霊弾をもろに食らってしまう。

 

 どうする、あまりの速さに身体が言うこと聞かないから方向をずらすことも出来ない。

 霊弾を出そうにも生成した瞬間その場に置き去りとなって役に立たない。

 

 もうこれ、霊力で耐えるしか手立てない気がする。

 ……あっ、いやまだある。少しでも爆散霊弾の威力を減らせば____

 

 

「さあ、貴方はこの状況をどう打破するかしら」

 

 

 妖怪が何かを呟いていたが、おれはそんなこと気にすることもなく、爆散霊弾の威力を減らす方法____つまり、おれに当たる前に爆発させるという選択を決行した。

 

 

「あががっ!!?」

 

 

 目の前を爆音と爆風により耳から血が吹き出し、身体中が焼けるような感覚に陥る。

 流石はおれの必技、直撃でないというのにここまで威力がでるなんてな。おかげで鼓膜が破れた。

 なのに勢いは相殺されず未だに超スピードで落下していく。

 ちょっと待て、この落下地点は____

 

 

「今のでどうなったかしら。あいつ」

 

 

 未だ爆煙に包まれており、おれを目視出来ないでいる筈だ。

 これは…………好機!!

 

 

「(あたれえぇ!!)」

 

「えっ!!? はっぐ!!」

 

 

 勢いを殺さず、高速の鈍器と化したおれは落下地点である妖怪へと突進する。

 妖怪は失敗した。おれを捕まえたとき爆散霊弾ではなく蔦でおれを串刺しにしていれば勝負は決まっていた筈。

 結果、その判断ミスがおれに反撃するチャンスを与えてしまった。

 爆煙から突如としてくるおれに驚愕した妖怪は反応が遅れ、あえなくおれと激突して近場の木まで吹き飛ぶ。

 

 

「あっ、がふっ……」

 

 

 血反吐を吐き、地面に伏し、身体が言うことを聞かない。身体の節々が悲鳴をあげ、集中を途切らせたら瞬時に意識をもっていかれるだろう。

 

 

「まさか、こうなるなんて……私も馬鹿ね」

 

 

 声は口の動きと雑音の高低差で途切れ途切れだがなんとか聞き取れる。

 

 

「一日でこんなに再生を繰り返す羽目になるなんて、流石に私の体力も限界よ」

 

 

 脚の怪我を塞いでいくとともに膝を地に着く妖怪。

 なんだ、再生は妖力でしてたのではなかったのか。

 体力は妖力、霊力と依存していない。霊力を使うには体力が必要で、体力がなければどれだけ強大な霊力を持っていたとしても扱うことが出来ない。

 だからおれが訓練生の時、霊力の訓練だけでなく体力作りの訓練もあったのだ。

 ブーストをかけてる時のおれは霊力だけでなく身体的にも力が増してるから心配はないが、この妖怪は強大な妖力をふんだんに使い、再生まで体力を費やした。

 これで疲労が溜まらないわけがない。

 先程からの余裕はただのやせ我慢だったんだろうな。

 

 現に今の突撃により妖怪は木にもたれ掛かったまま息を荒くしている。

 

 

「あ、あんたも……無敵って訳では、ないん、だな」

 

「ふふ、どうかしらね」

 

 

 今、あいつはチート日傘も持っていない丸腰だ。それに割りと満身創痍。狙うのなら今だ。

 

 

「……これぐらいじゃ私は殺れないわよ」

 

 

 霊弾を飛ばし妖怪に着弾させるが、全然効果はない。

 くそっ、ここで爆散霊弾を放てたら……今の突進のせいで上手く霊力を練ることが出来ない。

 先程から簡単そうに爆散霊弾を連発させていたが、実は結構複雑に出来てるから万全の状態でないと上手く生成出来ずに目の前で爆発する恐れがある。

 そんなことが起きれば一貫の終わりだ。やる気はない。

 

 

「もう、終わりにしないか……? おれの、敗けで、いいから」

 

「……」

 

 

 おれの発言を無視し、木から離れおれに向かってくる妖怪。その歩幅は短く、ゆっくりと息を切らせながら歩いてくる。

 相手はまだやる気だということなのか……もうおれの身体、動かないんだけど。

 おれ、また死ぬのか……? 今ここでブーストかけたらどうなるのだろうか。この傷は残ったままなことは確かだろうけど。

 

 

「……いいわ、停戦にしましょう。敗けは認めさせないけど」

 

 

 なんて事を考えていると、妖怪の口から『ていせん』の一言が聞き取れた。

 良かった、終わるのか……こんなデスマッチ、おれは元からやる気は無かったんだ。やっと解放される。

 

 

「変な邪魔が入ってくるし……最後に名前を教えてくれない?

 私はそうね……幽香、とでも名乗っておこうかしら」

 

「ゆ、うか?」

 

 

 鼓膜が破れてるから途中途中聞き取れない部分があるが、確かにこの妖怪は自分の名前を『幽香』と言っていた。

 もしかしておれの名前を聞いてるのか?

 

 

「おれは、熊口生斗だ。」

 

 

 おれがそう言うと幽香は「そう」、と一言言って日傘の元まで歩いていく。

 

 

「それじゃあ生斗、また会いましょう。次会うときは決着が着くまで殺りあいましょうね」

 

 

 そう言って何処かへ去っていく幽香。なんか物騒な事を言っていた気がするが、今はどうでもいい。

 

 

「おわっ、た~……」

 

 

 もう身体は動かないからはっきりいって詰んでたんだよな。

 なんだったんだ、ほんとあいつ。妖艶な美女で花好きの戦闘狂の大妖怪。前二つだけ切り取っていれば完璧なのに……

 

 

「はあ……はあ…………」

 

 

 徐々に幽香の妖気が去っていくのが感じられる。

 それを感じるとともに眠気がおれを襲う。

 緊張が切れたからだろうな。少しでも気を抜けば死んでしまうような戦いだったしーー実際気を抜いて死んだし。

 

 

「うぐっ……ごふっ!」

 

 

 仰向けになり、少しでも楽な姿勢になろうとするとまた吐血し、地面だけでなく顔まで赤く染めてしまう。

 爆散霊弾と幽香に激突したときの反動の二つだけでこの有り様。やっぱ脆いな、おれ。もっと霊力を増やす修行しないとな。

 

 

「く、熊口さん……?」

 

 

 おれの倒れ伏す少し先の茂みから眠気を引きずったような雑音が耳に届く。

 この霊力の質は……早恵ちゃんか。あんなに大爆発やら何やらの騒音が響いてたのに今起きたんだな。

 

 まあいいか。とりあえず無事で良かった。命1つブーストして助けた甲斐があったもんだ。

 

 女の子に運んでもらうのは少し恥ずかしいが、帰路は早恵ちゃんに任せておれは寝させてもらおう。

 だってもう、睡魔がすぐ目の前まで、きてるんだか、ら____

 

 

「早恵!! それにせ……生斗!?」

 

 

 そして早恵ちゃんの他にもう一人の近付いてくる足音にも気付かずに、おれの意識は深いまどろみの中へと消えていった。

 




少し補足。
生斗くんの頭は命が尽きるとともに消滅しました。
新しい命の蝋燭に移ると、前まであった身体は消滅されるようになっています。なので生えてくるように見えたと幽香が言っていましたが、正確には身体が入れ替わっている過程で生えてくるように見えただけです。因みにその過程でサングラスも勝手に付いてきます。


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十一話 夢と現実

 

 大妖怪が近辺に出没したということで、国中大騒ぎとなった。

国の端に警戒網が張られ、いつ襲ってくるのかと皆が恐怖を感じつつ今日も畑を耕している。

 

 二人が大妖怪と遭遇して三日。私は母屋で治療を受けた生斗をぼーっと眺めていた。彼は今も、目覚めることもなく静かな寝息を立てている。

 

 

「……」

 

 

 早恵に聞いた話によると、人を消し飛ばす閃光が自分を包まれたと思ったら茂みにいたと言っていた。

 おそらく、生斗が助けたのだろう。その状況で早恵がなんとか出来るとは思えない。

 

 

「……早恵の命の恩人を殺させるわけにはいかない」

 

 

 私は散々生斗の事を疑っていた。今回の件も生斗が私の巫女と二人きりの場合、そしてそこで妖怪と出くわした場合の行動を知るために画策したものであった。

 結果、生斗は重症、意識不明の状態で今も生死をさ迷っている。

 

 もっと安全に探れた筈だったのだ。生斗の心を読める翠を使えば彼の真意や操作されていないかなども測ることが出来た。

 それにもし、生斗を同行させていなかったら。早恵は死んでいたかもしれない…私の指示で。

 

 これはもう、生斗に頭をあげられなくなるかもしれない。

 生斗が起きたら感謝と謝罪を言おう。

 これまで疑って悪かったと。大妖怪を退けてくれて、早恵を救ってくれてありがとうと。

 

 それに生斗には聞きたいことがある。それをはっきりしないと私の心の中にできたしこりが取り払われる気がしない。

 

 

「あれ、諏訪子様、此方にいらしたんですか?」

 

 

 戸を開けて入ってきて、私の隣に腰かける早恵。

 その手には水の入った樽に布を携えており、これから生斗の身体を拭くのだと判る。

 

 

「早恵もよくやるよ。生斗の世話をするのは何もあんたがやらなくてもいいのに」

 

「いえいえ、これは私がしたいからしてるだけです。それに熊口さんは命の恩人ですし」

 

「あれ、知ってたの?」

 

 

 てっきり運よく避けられたのだと解釈してるじゃないのかと思ってたんだけど。

 

 

「私はあの時、二度死んでます。相手の奇襲と閃光、そのどちらもこの人に助けられました。これでなにもしないのは私の気が済みません」

 

「まあ、無理には止めないけど」

 

 

 そういえば奇襲を受けたとも聞いた。その時にも生斗に助けられたということなのだろうか。

 ……それなら尚更生斗に頭が上がらなくなりそうだよ。

 

 

「それにしても____」

 

 

 神として人間に頭をあげられないのは如何なものかと頭を悩ませていると、早恵が口を開く。

 

 

「翠ちゃんは熊口さんの中に入って何をしてるんでしょうかね?」

 

「う~ん、私もわからないかな」

 

 

 そういえば翠のやつ、二日前から生斗の中に取り憑いてから音沙汰ない。

 私は取り憑くことに反対したが、翠いわく「熊口さんを起こしに行く」とのことらしい。

 一体何をしてるのだろうか。生斗の意識を取り戻すと言っていたから渋々承知したけど……

 

 だが、なにもしないこの状態から意識が回復に繋がる可能性は低い。実際命を繋ぎ止められているだけでも奇跡に近いのだから。

 これについては翠を信じるしかない。

 意識を取り戻してもらえば、栄養接種を充分に摂らせることができる。

 

 

「そうですか___あっ、諏訪子様。熊口さんの耳を診てもらえますか? 私じゃ何がなんだかわからないので」

 

「分かった…………うん、順調に治ってきてる。ちょっと耳掃除は必要そうだけど」

 

「分かりました、やっておきます」

 

「いやいや、それはミシャグジにやらせるよ」

 

 

 まあ、取り敢えずこの事は翠に任せて私達は私達にできることをしよう。

 それが最善な筈。また大妖怪がでるかもしれないから警戒もしなきゃいけないからつきっきりに看病するわけにもいかないしね。

 

 

「ミシャグジー! ちょっと来て~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 見渡す限り青空広がる快晴に、大海のように壮大な草原。心地の好い微風が草を靡かせ、自然の音色を奏でる。

 そんな草原に一本の巨木が生え、その根元にはオアシスといえる小さな湖が出来ていた。

 湖の水を飲む為に、はたまた羽休めをするために、多種多様な動物が巨木の根元へと集まっていた。

 そんな動物の楽園に一人のグラサンをかけた男が____

 

 

「永琳さ~ん! 一緒にお茶しましょう!」

 

「抱きつこうとしないでちょうだい」

 

「あぶひっ!?」

 

 

 抱擁をかわされ、平手打ちをお見舞いされていた。

 その平手打ちを食らった人物とは、言わずもなが生斗である。

 

 

「やっぱり永琳さんは厳しいなぁ!」

 

「生斗、君は相変わらずですね」

 

「ツクヨミ様、自分を曲げないってことは大切なことなんですよ」

 

 

 紅く染まった頬を擦りながら我を貫く大切さを語る生斗。

 今の面では積極的に変えるべき所なのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「おっ、こんなところにうどんが!」

 

 

 地面から出てきたことを驚きもせずに、目の前に現れたうどんを嬉々として平らげ始める。

 

 

「うめぇ、うどんうめぇ」

 

「メェエェ」

 

 

 羊の鳴き声の如く感嘆すると、本当に羊が横で鳴き始めたため、謎の共鳴が静かな草原に響き渡った。

 

 

「ついて早々何訳のわからないもの見せてくれてんですか……」

 

「ん?」

 

 

 うどんを食べながら羊を撫でている後ろで、ある一人の少女の声が生斗の耳に入る。

 

 

「あれ、翠もここにいたのか。どうだ、一緒に草原でかけっこでもしないか?」

 

「走りません。ていうかなんて雑多な夢見てるんですか。もう少しちゃんとした夢見ましょうよ」

 

 

 翠の発言に首を傾げる生斗。

 

 

「夢? この空間がか?」

 

「はい、ここは熊口さんの妄想の世界です。私は貴方をここから連れ出すために態々ここまで来ました」

 

「夢の世界……妄想……」

 

 

 今のこの空間が自分の夢だと言われ、顎に手を置いて考えこむ生斗。これまでの矛盾点を考察するために頭を回転させる。

 そして理解する。こんなところに月に行ったツクヨミと永琳がいるわけがないこと、そもそもこんな場所に見覚えがないということを。

 

 

「(おう、かなりごちゃごちゃしてるな……あれ?)」

 

 

 小動物が自由気ままに遊び、小鳥の囀りが辺りに響き、ここにいる筈もない人物。

 それを改めて一望して生斗はあることを発見する。

 

 

「えっ、ちょっと待って。もしこれが夢でこの空間が妄想世界ならおれ、めちゃくちゃ純粋過ぎない?」

 

「壮大な夢を見られる程頭がよくないからじゃないんですか?」

 

 

 息をするように毒を吐く翠に対して若干眉間に皺を寄せつつ、生斗は改めてこの空間を見渡す。

 

 

「おれ、心綺麗なんだなぁ」

 

「早く行きましょう。私自身何日この空間を漂ったのか分からないんです。時間軸が現実と違ってたら結構危ないかもしれないんですよ?」

 

「例えば?」

 

 

 夢ということもあり、落胆を感じつつ生斗はここにいるデメリットを問う。

 生斗の中ではデメリットが非常事態でない場合、もう少しここに居座る魂胆が少々含まれている。

 

 

「栄養失調で死ぬ可能性がありますし、病にかかるかもしれないです。何より排泄の処理を他人に任せられるんですか?」

 

「……!! それは大変だ。前の二つもだけど最後のはほんと嫌なやつだ。おれの象徴さんが皆に露見されることになってしまう」

 

 

 焦るところが少しずれているいるが、ここに居座るデメリットが大変な事態になることを認知した生斗は焦り、一刻も早く起きなければと考えた。

 すると____

 

 

「うおっ!? なんだ!」

 

「ふぅ、やっとこの空間から出られますね」

 

 

 草原はみるみるうちに崩れ去り、真っ黒な空間へと変貌していき、その空間には生斗と翠を以外の全てが跡形もなくなってしまった。

 

 

「あ、ああ、永琳さんとツクヨミ様、うどんと羊ちゃんが……」

 

「妄想です」

 

 

 妄想世界があまりにも唐突に消え去ったことにより、先ほどまで創造していた登場人物を惜しむ生斗。

 

 

「それにしてもあの二人が熊口さんがいつも心の中で言っていた永琳さんとツクヨミ様なんですね」

 

「ああ、二人とも美男美女だろ?」

 

「あれも妄想なんじゃないんですか?」

 

「なわけないだろ! 実在する人物だ!」

 

 

 生斗の怒号を無視し、先程までの人を馬鹿にしたような顔と打って変わって翠は神妙な顔になる。

 そんな翠の急変に少し狼狽える生斗。

 

 

「な、なんだ急に神妙な顔になって」

 

「熊口さん、一度しか言わないのでしっかりと聞いてください」

 

 

 翠の雰囲気につられ、生斗も真面目な表情になる。

 一体、毒舌の翠からどんな言葉が放たれるのか。生斗の頭はそのことで頭が一杯になっていたーーその想像のどれもが毒舌になっているが。

 しかし、翠の言動はその想像とは真反対なものであった。

 

 

「早恵ちゃんを助けてもらい、本当に……本当にありがとうございました」

 

 

 そう言って深く頭を下げる翠。

 あまりの予想外の行動により、生斗は豆鉄砲を食らった鳩のような呆けた顔になるが、即座に何が起きたかを理解し、思わず顔がにやけた顔になる。

 

 

「えっ、え……今、なんて?」

 

「さっき言いましたよね。一度しか言わないと」

 

「お願い、もう一度言って。本当に? 本当に何ますって言った? 恥ずかしがらずに言ってごらん、ほら」

 

 

 翠の周りをぐるぐると回り、挑発するように発言の繰り返しを求める生斗。

 先程までの仕返しのつもりなのか、全く空気を読んでいない。

 

 

「え~っと確か『あ』からついてたような……あり? ありなんだっけ?」

 

「そ、そうですか。私の誠意を踏みにじりますか。そうですかそうですか。それなら此方にも手がありますよ」

 

 

 眉根をひくつかせ、拳に力を込める翠。

 直感で生斗は危険を察知する。

 

 

「な、何をそんな怒ってるんだ。ちょっとしたおふざけ……」

 

「ほんとは私の霊気で傷を緩和させてから意識を覚醒させようと思いましたがやめます。傷をそのままで起こさせます」

 

「はっ? ちょっとそれどういう意味だ?」

 

 

 生斗の疑問を無視し、翠は手を合わせて目を閉じる。

 

 

「それじゃあ熊口さん、おはようございます!」

 

「無視するな! ……ってうわ!?」

 

 

 突如として現れる閃光。暗闇を照らし、全てを呑み込まんと闇を吸い込む渦と化す。

 

 

「ねえなにこれ!? なんなのほんと! 教えて翠さ____」

 

 

 勿論例外なく生斗もその渦に為す術なく吸い込まれて行った。

 

 

 

 

「さて、役目は終えたし私もここから抜け出しますか」

 

 

 唯一渦に巻き込まれなかった翠は、渦が消えて暗闇に戻った世界を一望し、また歩みを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 光の渦に巻き込まれた筈のおれは今、混乱していた。

 

 

「おっ、起きたのか!」

 

 

 閃光に吸い込まれたと思ったら、目の前に男の象徴から膝枕をされていたのだ。

 

 

「おい、どうしたのだ。やはりまだ傷が痛むのか?」

 

 

 どんな罰ゲームなんだよこれ。なんで寝起きに、それも至近距離で野郎のイチ○ツ見なきゃいけないんだ。

 嫌がらせにも程があるだろ。なに、そんなにおれの事嫌いなの?

 

 

「……誰の仕業だ」

 

「は?」

 

「誰がお前にこれを指示したんだ」

 

「これとは……耳掃除の事か? これは諏訪子様からしろと命じられたが」

 

「よし、わかった。ちょっと仕返ししてくる」

 

「あっ! 待て!」

 

 

 諏訪子の奴、おれの寝起きを最悪にした報いを受けさせてやる。

 そう決意したおれは立ち上がろうと腕を動かそうとした、

 

 

「あいだぁぁっ!?」

 

 

 が、動かそうとした瞬間に身体全体に激痛が走り、上げかけた頭がイ○モツの膝に落ちる。

 

 

「まだお主の身体は回復しておらんのだ。というよりよく起きられたな。一生起きられない可能性だってありえたというのに」

 

「……まじか」

 

 

 そういえば身体中包帯に似た薄黄色い布で巻かれまくってるな……

 えっ、つまりはおれ、全然身体が治ってない重体で意識を覚醒させたということなの?

 ん~……あれ? なんでおれ、起きたんだっけ? 確か光に吸い込まれて____いや、なにか忘れている気がする。

 もっとなにか、光が現れた原因が……

 

 

「ん……わからん」

 

「何がだ?」

 

「いや、こっちの話」

 

 

 なんかもう考えるのだるくなってきた。身体が重体で動かないなら無理に動かす必要なんてないじゃないか。

 

 

「他の皆はどこ行ったかわかるか?」

 

「ああ、諏訪子様は国の見回りに。ここの住職の者の殆どもその付き添いでいない。いるのは私達ミシャグジぐらいだ」

 

「そうか……おれが意識を失って何日経った?」

 

「三日だな」

 

 

 三日……そんなに寝ていたのか。それにしては身体はベタついた感じはしないし、便意もしなければ服装もかわっている。

 ……三日となるともう手後れな気がしてくるな。

 

 

「じゃあおれ、もうちょっと寝るわ」

 

「寝るのか?」

 

「ああ、動けないんじゃ食べること以外何も出来ることないしな。あっ、それと膝枕止めて。精神的にキツいから」

 

「あ、ああ、わかった」

 

 

 起きたばかりで眠気は充分にある。寝ようと思えばいつでも寝られる状態だ。

 なに、諏訪子が戻ってきたら霊弾お見舞いしてやればいい話だ。気長に構えていればいい。

 あ、そういえばさっき起きる前の記憶、朧気だけどとても心地の好い夢を見ていた気がする。そう思うと夢の世界にいくのが楽しみになってきたなぁ。

 どんな感じだったっけな。確か羊を何かを食べながら____

 

 

「……」

 

「も、もう、寝たのか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ~次の日~

 

 

「熊口さん……」

 

 

 生斗はその後起きることはなく、翠が出てきたときにはまた深い眠りへと落ちていた。

 

 

「昨日起きたらしいんだけどね。翠がなんかやったの?」

 

 

 翠が生斗から出てきたときに丁度いた諏訪子が欠伸をしながらそう応える。

 

 

「しましたよ。わざわざこの駄目人間の夢の世界をさ迷ってやっと起こしたんです。なのに……」

 

「あ~、また戻っちゃった感じ?」

 

「……はい」

 

 

 翠の応答に苦笑いする諏訪子。

 二日かけて起こしたのをまた無に返された翠は後悔と怒りが混ざりあって微妙な表情になる。

 

 

「やはり傷を緩和して起こせばよかったかもですね……」

 

「ん、そんなことできるの?」

 

「えっ? あ、まあ出来ますよ。私は熊口さんに取り憑いてるので霊力を同期させることが出来るんです。今熊口さんは霊力が枯渇気味なんで私の霊力で自然治癒力を上げさせればだいぶよくなりますよ」

 

「なんでそれを早くしなかったの……」

 

「この人の体力が持つか不安があったからです。精神体の熊口さんを見つけたときに大丈夫だとわかったんですが」

 

 

 ーー自然治癒を速めればその分体力を使う。霊力が枯渇し、身体もぼろぼろだということで翠も気を使ったのだろう。

 そう諏訪子は考察し、これ以上の質疑を止める。

 

 

「なら霊力を分けてあげて。私の神力だと質が違うから逆に身体が壊れるかもしれないし」

 

「はあ……わかりました。取り敢えず傷を緩和させます。そのかわり諏訪子様、熊口さんが起きたら腕の関節を極めると思うので止めないでくださいね」

 

 

 これまでほぼ休みなしで動いた疲れにより感謝の意を忘れた翠は少しぎらついた目をしていた。

 その姿を初めて見た諏訪子は、なにかを察したのか、

 

 

「ま、まあ、折らない程度にね」

 

 

 止めることはしなかった。

 おそらく、生斗はまた死にかけるだろう。少し可哀想に思えてくる。

 

 

 



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十二話 交差する思い

 

 

 大妖怪が近辺で出たということで国中大騒ぎとなって数日、漸く事態が沈静化してきたこの頃に、とある来訪者が洩矢の国へと近づいていた。

 

 

「なっ、何故ここまで森が荒れ果てておるのだ……」

 

 

 その来訪者が、洩矢にまた新たなる嵐を呼び込もうとは、今の段階では国の者は誰一人として想像もしなかった___

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 二度寝から目覚めたおれは、目の前にいた翠から何故かいきなり十字を極められてしまった。

 突如として起きた出来事。おれが起きて五秒程度の時間差で翠が飛びかかってきて腕を極め始めたのだ。

 そんなのに反応できるはずもなく、為す術なく腕を極められたおれは一瞬で理解する。

 

 

「(あっ、これ、完全に極ってるやつだ)」

 

 

 完璧に極められた関節技を抜けられるのは圧倒的に力に差がある以外にはまず外すことはできない。極められた腕から感じる、女の腕力とは思えない凄まじい力でおれの関節を逆に曲げようとしてくる。

 これ、おれより力強くない? 折られないようにするので手一杯なんだけど……

 

「い゛た゛た゛た゛た゛た゛! やめて!? なんで起きて早々関節極められなきゃいけないの!? おれなんか悪いことでもした!!?」

 

 

 心の中では悠長に考えてはいるが、実際はほんとにキツい。さっきですら寝起きにイチ◯ツみせられたのにお次は右腕を折られるんですか。

 なに、おれの寝起きをそんなに深い極まりないものにしたいのかここの連中は!

 

 

「よっくもまあ二度寝しましたね! どれだけ私に手間をかけさせるんですか!」

 

「はあ!? 二度寝の何が悪いって言うんだよ!!」

 

「その二度寝から貴方三日も起きなかったんですよ!」

 

「三日!?」

 

「だから私が態々また起こしてあげたんです! 感謝しなさい!」

 

「関節極められながらじゃ感謝もしようがない!!」

 

 

 みしみしと嫌な音が腕から聞こえてくる。

 起こしたってただ揺らしたとかそんな程度のことだろ。それで関節技かけられるなんてこっちからしたらたまったもんじゃないぞ。

 

 

「さ、騒がしいと思ったら早速やっちゃってんの翠……」

 

「諏訪子! 助けてくれ!」

 

 

 戸が開かれ、恐る恐るといった感じに顔を覗かせてきた諏訪子に助けを求める。

 諏訪子には少々の恨みがあるが今はそんなことを言ってる場合じゃない。ほんとに腕を折られてしまう。

 

 

「ね、ねぇ、少しは労ろうよ。まだ生斗の傷は完治してないんだよ」

 

「大丈夫です! 少しの運動なら大丈夫な程度に治しましたから!」

 

「そういう問題じゃないだろ!?」

 

 

 そういえば抵抗してるときにあまり痛みが生じてないけど、これは翠が治してくれたってことなのか?

 

 

「本気で! 本気でこれ以上やったらわたくしの右腕が曲がってはいけない方向に曲がってしまいますから!

 翠様どうかお止めくださいお願いしますからぁ!」

 

「翠、流石にもう止めな、生斗は恩人だよ。自分の誠意を馬鹿にされたからってむきになり過ぎ」

 

「……っ」

 

 

 諏訪子の指示に不本意ながらもおれの腕を放す翠。

 うぅ、ギリギリだったな……折れてはいないが筋が無理矢理伸ばされて痛みが残っているけど。

 

 

「な、なんだ翠、おれお前に何か嫌なことでもしたのか? したのなら謝る」

 

「いいですよ、その事は謝らなくて。夢の中の事ですから。そもそも身に覚えのないことで謝られたところで納得出来ませんし」

 

「お、おう……」

 

 

 夢の中での事……駄目だ、光に吸い込まれたこと以外何も思い出せない。

 

 

「生斗、翠を許してあげて。ちょっと鬱憤がたまってるだけだから」

 

「折れなかったから別に大丈夫だよ。おれにも比があったようだし___それよりも諏訪子さん」

 

「なに?」

 

「おれに何か言うことあるよね?」

 

 

 一難去ったからこそ言える。ミシャグジに膝枕&耳掃除というやられている側からしたら罰ゲーム以外の何物でもないことをさせてきた。しかも寝起きだったから驚愕も含めて倍はショックが大きかった。

 何をそれぐらいでむきになるかと思われるかもしれない。

 

 だが考えてみろ。心地の良い目覚めに頭部が完全にイチ◯ツの形をした怪物に膝枕をされていたんだぞ。

 膝枕をされていたんだぞ。

 ひ ざ ま く ら をされていたんだぞ!! 永琳さんにもしてもらったことないのに!!!

 

 

「え? あっ、そうだよね。え~っと……ありがとう?」

 

「は?」

 

「え?」

 

「なんでありがとうなんだよ。他に言うことがあるでしょうが、ほら!」

 

「他にって……(まさか物を要求してるの?) よし、わかった、(これまでの謝罪も含めて)土地をあげる。それで手を打って」

 

 

 土地あげるってそんなに悪く思ってるのか?

 

 

「ならなんであんな陰湿なことしたんだよ!」

 

「(あんなこと? まさか疑ってたことの理由を……)仕方ないことだったんだ。この国を護るためにしたことなんだよ」

 

「この国のため!?」

 

 

 膝枕をさせることがこの国のため!?

 

 

「そうだよ、だから私はあんたを試した」

 

「他に方法あるだろ!?」

 

 

 なんで膝枕を試すんだよ! しかもミシャグジで! もっと適任者とかいたはずだ! ほら、そこの生意気な怨霊やお茶目な巫女とか!

 

 

「うん、生斗の言うとおりだよ。もっと他に方法があったんだ。それなのに……」

 

 

 そう言って顔を伏せる諏訪子。

 どんだけ膝枕させたことで後悔してるんだ。過剰すぎだろ……

 

 

「ほんとにごめん、生斗。あんなことはもうしないから」

 

「お、おう。やめてくれると助かる」

 

 

 深く頭を下げる諏訪子に、さっきまで声を大にして興奮していた自分が馬鹿らしく思えてくる。

 

 

「なんだか物凄い勘違いが偶然噛み合った気がします」

 

「翠、それはおれも思った」

 

 

 話が一段落したところで、おれはあることを思い出す。

 

 

「そういえばほんとに全然痛くなくなってるな……」

 

 

 今おれは胡座をかいている姿勢だ。二度寝する前は頭や腕を上げるだけでも激痛が走って身動きがとれなかったのに、今では関節を極められた右腕以外はほぼ通常時と変わらないぐらい違和感がない。

 

 

「それはもう、私の霊力は質が良いですから。治るのも早いに決まってます」

 

「ふぅん」

 

 

 翠の霊力がどう作用しておれを治したかは知らない。普通は他人の霊力を自分の体内に送ると大変なことになるからな。

 大体は体内の霊力が過剰な反応を起こすか変に混ざりあってで霊力の暴走が起きる。

 まあ、つまり身体の中で爆散霊弾が爆発するような感じだ。

 霊力の質が近かったりと運が良ければ回復に繋がるけど……まさか、

 

 

「なあ、もしかしておれの体内にお前の霊力流した?」

 

「はい」

 

「まじかよ!? 変に混ざりあったりして危なかったんじゃないのか!」

 

「あっ、大丈夫です。私が熊口さんに取り憑いたことによって熊口さんの霊力の質が私よりに変わりましたから。感謝してください」

 

「はっ!?」

 

 

 質が変わったって……つまり質が変わったってことなのか!?

 

 

「大丈夫なのかそれ! 何か身体に影響とかは……」

 

「それも問題ありません。私が取り憑いている限りでは大丈夫です」

 

「翠が取り憑くのをやめたら?」

 

「身体の保証は出来ません」

 

「全然大丈夫じゃなかった!?」

 

 

 てことはつまり翠が取り憑くのを止めたら繋がりが消えて霊力が暴走するかもしれないってことか?

 くそっ、解らない。突然霊力の質が変わった奴なんてこれまで見たことないし……

 

 

「まあ、つまりは熊口さんは黙って私の指示に従っていればいいってことですよ」

 

「諏訪子、今すぐこいつを成仏してくれ」

 

「翠……」

 

 

 ほら、流石に諏訪子も呆れ顔になってるぞ。

 ほんと、翠のやつ他人の迷惑を考えていない。

 

 

「あっ、そうだ! 生斗、お腹空いてない?」

 

「ん? いや、そういえば全然お腹が空いてないな」

 

 

 寝ている間どうやって栄養摂取してたのかわからないが、今は腹は満ち足りたかのようにいっぱいだ。

 

 

「これも翠がやったのか?」

 

「ふっ」

 

「その笑い方からしてほんとに翠がやったの?」

 

「そんなわけないじゃないですか。買い被りすぎです」

 

「ならなんで笑ったんだよ!?」

 

「なんとなくです」

 

「紛らわしい!」

 

 

 翠の仕業ではないということは誰がおれの腹を満たさせていたんだ。

 

 

「あっ、そういえば……」

 

「どうした諏訪子。思い当たるふしでもあんのか?」

 

「いつも日が暮れる頃にミシャグジ達が未知の物体を持ってこの部屋に続く廊下を歩いていっていたような……」

 

「えっ、なにそれ怖い」

 

 

 なになに、未知の物体ってなんなんですか。怖いんだけど。ミシャグジ達は集団でおれに何をしたって言うんだ。

 この事は後で詳しく問い詰めなきゃいけないな。

 

 

「ま、まあ身体に異常はないようだし大丈夫なんじゃない?」

 

「諏訪子、お前には分かるか? 寝てる間に男の象徴にかこまれながら未知の物体で何かされている恐ろしさを」

 

「想像しただけでも吐き気がするね」

 

 

 おっと、吐き気を催すほどとは。

 諏訪子とミシャグジとの間に何があるのかはわからないが、ミシャグジは諏訪子のことを様付けしていた。ということは諏訪子は格が上ということだ。

 だというのに配下に吐き気を催すのはどうかと思うんだけど。

 

 

「まあいいか、この事は後にしておこう」

 

「それもそうだね___じゃあ他に何かしてほしいこととかはない?」

 

「いや、特にないな。眠気と身体の違和感が若干残ってるけど」

 

「そう、それじゃあもう二日間はここで安静しているといいよ」

 

 

 お、優しいお言葉。此方としては願ったりな事だ。今の発言はつまり、二日間ここでだらけていても許されるってことだろ。

 

 

「それじゃあお言葉に甘えて一眠りしようかね」

 

「うん、それがいいと思うよ……と、その前に。

 翠、ちょっとお茶でも注いできてくれない?」

 

「は、はあ、わかりましたが、まだ話すつもりですか?」

 

「うん、生斗がまた寝る前に聞きたいことがあるからね」

 

「聞きたいこと?」

 

 

 諏訪子がおれに聞きたいこと……大体のことは話したと思うし、他に気にかからせるようなことはないと思うけど___あ、そういえばあったな。

 

 

「なんだ諏訪子。そんなに気になってたのか」

 

「理解したみたいだね」

 

「ああ、でもまさか諏訪子が興味を持ってくれるとは思わなかったな」

 

「それはね」

 

「ん~、でも諏訪子の場合これより伊達の方がいいと思うんだよな。無理に掛けると子供感が増すだけだし」

 

「……えっ?」

 

「といってもこの時代にこの素材なんてあるかな。鼈甲を使えばなんとかなるとおもうけどまずおれ鼈甲をどうやって入手するかも分からないし……」

 

「ちょっと待って。生斗何か勘違いしてない?」

 

「んっ? グラサンのことを気になってるんだろ?」

 

「的外れもいいとこだよ」

 

 

 あっ、違ってたんですね。

 やはり諏訪子もグラサンの良さを分かってないあまちゃんって事か。

 

 

「なら他に何があるんだ? 諏訪子が知りたがってる事ってのは」

 

「月読見と生斗の関係のことだよ」

 

「ツクヨミ様と、おれの?」

 

「あんた、よく心の中で月に行ったという連中との思い出していたそうじゃん」

 

「えっ、なんでそれを……おい翠、こっちを向け」

 

 

 まじかよ、翠のやつおれの心の中で考えていたこと諏訪子に言ってたのか……ちょっとまって、てことはあんなことやそんなことまで___

 

 

「お茶いついできますね」

 

「逃げるな、まて! お前まさか全部言ったんじゃないだろうな!」

 

 

 おれの制止の呼び掛けも聞かず部屋から逃げる翠。あいつ、後でたっぷりと問い詰めてやる。特にごく稀に考えている邪なことについて!

 

 

「翠のことは置いといて、私はどうも気にかかってね。遥か遠い昔の連中との思い出が何故生斗にあるのかが」

 

「あ~……」

 

 

 翠がどこまで諏訪子に話したかは知らない。大まかにか、それとも詳細まで話したか。

 それが定かでない以上、下手な嘘はかえって墓穴を掘る事になる。

 だけど、どうしたもんか。別に本当のことを言ってもいい。実際問題おれがそれを諏訪子がどう捉えるかだった。戯言だと嘲笑うか妄言だとあしらわれるかのどれかだろう。

 しかしそれも今はその可能性は低い。諏訪子はツクヨミ様のことやおれに月の記憶があることを知っている。

 

 

「……聞いて被害妄想が過ぎるキチガイとか思わないと約束してくれるのなら言ってもいいけど」

 

「大丈夫、そんな恩知らずなこと言わないよ」

 

「そうか」

 

 

 言ってもいいか。別に隠すこともないし、諏訪子も知りたがっている。

 いいよな、いっちゃっても。本当にあのときのことを話すぞ。

 

 

「はあ、仕方ない。聞かせてやろうじゃないか。このおれの英雄譚を!」

 

 

 それからおれはいつの間にか翠が戻ってきてきいることも気付かないほど、あのときの出来事を熱く語った_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ーーー

 

 

「そこでおれは虚しく爆発に巻き込まれて月にいけなくなった____で、神によって助けられてこの時代まで飛ばされたって訳」

 

「あまりにも話がぶっとんでますね。よく諏訪子様に対してそんな子供ような嘘をつけるのかが理解できません。あっ、脳が赤ん坊並みだから仕方ないですね」

 

 

 翠の発言を無視し、おれは諏訪子の反応をうかがう。

 おれの能力のことを伏せて話したからちょっと事実と違っている部分はあるが、大体は真実を話した。

 これを聞いて諏訪子はどうでるのか……

 そんなことを考えていると早速諏訪子は咳をして口を開いた。

 

 

「ちょっと聞いていい?」

 

「なんだ?」

 

「生斗は月に皆を行かせるために特攻したんだよね」

 

「ああ、嘘のようだけど本当のことだよ」

 

「結局結構な数やられちゃってるよね。防衛戦での後陣然り、大妖怪が壁内に侵入を許したり」

 

 

 うっ、中々痛いところをついてくる。

 確かに出陣を遅らせたり何十匹も取り逃して結局壁内の奴等にも苦労を掛けさせてしまっていたかもしれない。

 

 

「まあ、その戦況下の状況によるけどさ。一ついえるのはそのときの生斗の行動は組織的に見れば最悪な行為だよ」

 

「うっ……」

 

「それを英雄譚と言っちゃってるあたりちょっと痛いですよね」

 

「……」

 

 

 二人の言葉という名の右ストレートが諸に入った。後一撃食らえば間違いなく泣くな、おれ。

 そうか、あのときのおれの行動は最悪なのか……

 己を過信した末の行動であったことは確かだ。結果幾つもの痛い目に遭った。

 だけど尚おれはあのときの行動は正しいと言いたい。兵士としては駄目でも、大切な友人達を守ることが出来たのだから。

 たとえそれを否定されてもおれはそれを間違いだと思ったりなんかしない。

 自分の決めた行動を簡単に否定なんかするもんじゃないしな。

 

 

「__ただあんたがどれだけ仲間思いかってことがわかったよ。それにその行為は個人的にはよくやったって褒め称えたいぐらいだね」

 

「えっ?」

 

 

 心の中で自分の行為を肯定していると、先程とは打って変わった発言をする諏訪子。

 おれの行動を褒めてくれたってことに正直に嬉しいが、それよりも___

 

 

「ちょっとまって。そういえば諏訪子、おれの話信じたのか?」

 

「なに、今さっきまでの話は全部嘘ってことなの?」

 

「いや、ほんとだけど……」

 

 

 おれでさえ、自分で話しているうちにどれだけ現実味のない浮世離れな出来事だったなと改めて感じていた。

 本人でさえ鼻で笑いそうな事なのに諏訪子の目は全く疑いの色に染まっておらず、まるで本当に信じているかのような真っ直ぐな目で此方を見ていた。

 

 

「確かにあり得ないと一蹴できる内容だったよ。でもあんたの話す声や目からは嘘を言ってる感じが全くしなかった。」

 

「また……」

 

「それに___私は生斗、あんたを信じると決めたんだ。もしこれが嘘で、生斗が信じた私を嘲笑おうと、決して後悔しない」

 

「諏訪子様……なにか悪いものでも食べたのですか?」

 

 

 お、おう。諏訪子の奴、急にどうしたんだ? おれの事を信じるって。

 

 

「これまでの生斗を見て分かったんだよ。あんたは基本的に嘘をつかない、正直なやつだって。だから信じてみることにしたよ。それに生斗だっていつまでも疑われたら気持ち悪いでしょ」

 

「ま、まあそうだけど」

 

「確かにこの人は基本的に頭の中お花畑ですけど」

 

「なあ翠。そろそろお前の頭に拳骨くらわせてもいいか?」

 

 

 折角諏訪子が真面目に話してるのに鼻を折るんじゃないよ。

 

 

「ま、とりあえずさ。これからもよろしくってことで」

 

 

 そういって右手を此方に向ける諏訪子。

 諏訪子に認められようとして頑張ったことは一つとしてないが、ありがたく認められよう。

 神から信頼を得た人間って何気に凄くないか?

 えっ、なに、お前は人間じゃないって? ちょっとなに言ってるのか分からないがとりあえず表でて話そうか。

 

 

「ああ、改めてよろしくな。なるべく諏訪子の期待に応えられるよう努力する」

 

 

 そう言っておれは諏訪子の差し出された右手を軽く握り締め、上下に振る。

 

 

「ふふ、別に答えなくてもいいよ。私はただ生斗と腹割って話せる仲になりたいだけさ」

 

「それはもうちょっとお互いを知ってからだな」

 

「それもそうだね」

 

 

 言葉を交わし、お互い軽い緩やかな笑いが起きる。

 

 

「さて、無事疑いも晴れたし、晴れやかな気分で寝られるな」

 

「そういえば寝るっていってたね」

 

 

 何故諏訪子がああも過剰に疑いの目をかけていたのかは知らない。たぶんおれが水上に急に出現したビックリ人間だったからだろう。

 だから特に深くは追及するつもりはない。

 

 

「悪かったね、邪魔して。お茶はどうする?」

 

「別に飲まないから戻していいよ」

 

「折角私が注いであげたのに飲まないんですか」

 

「だからだ。毒仕込まれてるかもしれないだろ」

 

 

 心外です! とのたまう翠だが、そう思わせるような言動をしてきたから文句は言えまい。

 

 

「まあ、これ泥水みたいな変な味しますが」

 

「飲まなくてほんとに良かったよ」

 

 

 おれの勘は正しかったようだ。

 まずこの時代のお茶がおれが知ってるお茶とはまた違っている可能性もあったし。

 

 

「んじゃ私達はおいとまするよ。ほら翠、行くよ」

 

「はい」

 

 

 そう言って二人は立ち上がり、部屋から出ようと戸に手をかけようとする。

 が、その手が戸に触れる手前、風が此方まで来るほどの勢いで戸が開けられたことによって阻まれた。

 

 

「諏訪子様! ここにおられましたか!」

 

「どうしたのミシャグジ、そんなに慌てて」

 

 

 開けたのはイチ◯ツの化身ことミシャグジ。急に目の前に現れたら普通なら絶叫するだろうその姿に諏訪子は全く動じることなく慌てている様子のミシャグジに事情を聞く。

 

 

「“大和”の使者が来ました!」

 

「!!」

 

「大和の使者?」

 

 

 大和、大和……うん、あのゴリラ隊長しか頭に浮かばないな。

 流石に違うだろう。諏訪子の驚いている反応からして大和という名の存在を知ってる様子だし、それがゴリラのことなら教えてくれる筈だ、たぶん。

 

 

「くっ、よりにもよって大妖怪が現れた時期にくるなんて……」

 

「なあ、諏訪子。大和って何なんだ?」

 

「……そうだったね。ここ最近目覚めたから生斗は大和の連中のことなんて知らないよね」

 

 

 そう言うと諏訪子は一度長い瞬きをし、一呼吸おく。

 雰囲気からしてただ事ではない感じがする。使者って言ってたからてっきり何か書状のやり取りをしてるものかと思ってたけど。

 そんなただならぬ雰囲気に唾を飲んでいると、諏訪子は長い瞬きを終え、衝撃的な事を口から言い放った。

 

 

「“大和”は数多くの天津神が暮らし、その領土を拡大のため辺りを武力で吸収する軍事大国だよ」

 

「力で吸収する……おいそれって___!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、国取りの使者が来たってことはつまり。大和は洩矢の国を乗っ取る気らしいね」

 

 

 

 



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十三話 呆気ない国譲り

 

 

「……」

 

 

 軍事国家、大和。天津神。国取り。一つだけでも深く聞きたい事を一度に教えられたおれの頭は軽くショートする。

 天津神ってなんだ? ていうかそんなのが国取りしてるってどういうことだよ。神様は神様同士仲良くすればいいのに。

 

 

「じゃ、ちょっと使者の話聞いてくるから。生斗はここでゆっくりしてなよ」

 

「ああ、わかった」

 

 

 出来れば大和の民がどんな奴なのか拝みたいが、なにも無しについていくのは駄目だろう。

 国に関わる重大なことなのに余所者のおれがついてきて何かやらかしでもしたら目も当てられない。

 

 

「今は東風谷が対応していますのでお早く」

 

「わかった」

 

 

 そう言って諏訪子とミシャグジは早々に部屋から出ていく。

 

 

「お前は行かなくて良かったのか?」

 

「私ですか? 客の前にいきなり現れたら驚いて失禁する可能性があるので行きませんよ」

 

 

 失禁って……翠が急に出てきてもうわっ、なんだ? 程度しか驚かないぞ。

 

 

「さて……」

 

「あれっ、なんで立つんですか? 寝るっていってたのに」

 

「国取りの使者がどんな面なのか拝んでやろうと思ってな」

 

 

 あいつらの立ち会いに参加する気はない。奥から除く程度だ。

 ほら、やっぱりいくつになっても好奇心って湧くもんだろ?

 思いたったが即実行。諏訪子の後をつけるため、おれも部屋から飛び出す。

 

 

「おい、なんで翠までついてくるんだよ。二人だとバレるだろ」

 

 

 が、おれの後ろに金魚のフンの如くついてくる翠。なんだこいつ、おれに行ってほしくないってか、ツンデレってか!

 

 

「私も見に行きたいです。この国に害を及ぼす存在を拝んでやります」

 

「なら別の方向から行け。二人同じところにいたら物音とかが煩くなるだろ」

 

「ここから応接間までの道は一本しか無いんですよ。それに私が物音を立てるなんてへまするわけないじゃないですか」

 

 

 ていうかそもそもこそこそする必要があるのか疑問なところなんだが、用心に越したことはない。

 

 

「さっ、行きますよ。使者暗殺作戦決行です!」

 

「はい!? 何故にそんな物騒な話になった?!」

 

 

 殺害なんてしたらそれこそ戦争に発展するぞ。

 諏訪子だって戦争まで発展はさせたくないはず。今回の使者をどう対処し、切り抜けるかがこの国の命運を決めるといっても過言ではない。

 それにおれが大和の使者を見たいのにはもう一つ理由がある。

 それは___

 

 

「あっ、翠先に行くなよ!」

 

「しっ! 静かにしてください!」

 

 

 くっ、翠だって充分すぎるほど煩いくせに……

 そういえばおれ、この家の構造なんて全然知らないから、こんなちょっとした迷路を一人で行ったらさ迷う結果になりそうだ。

 静かにするのなら翠についていった方が確実に応接間に行けるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「あれっ、ここを曲がって……やっぱり違いますか」

 

「……」

 

 

 寝ていた部屋から出て十分、おれと翠は無駄にいりくんだ廊下をさ迷っていた。

 

 

「お前を信じたおれが馬鹿だった」

 

「し、仕方ないじゃないですか。私だってここに来たの数年ぶりなんですから」

 

 

 それでも数日間はこの屋敷にいたんだろ。その間に思い出しとけよ。

 と返そうとしたが、言ったところで聞きたくもない言い訳をされるだけと分かっていたので目だけで訴えかけておく。

 

 

「ミシャグジの一匹でも見つけられればいいんだけど」

 

「あっ、ミシャグジ様の数え方は柱ですよ。本人の前で匹だなんて数えたら怒られますからね」

 

「そりゃあ器が小さいこったな」

 

 

 苦笑いをする翠を横目に、おれはこれからどうするかを考える。

 どうする……一旦外に出てこの神社の関係者を探すか、戸越から一部屋ずつ聞き耳を立てていくか___

 

 

「ふざけるなっ!!」

 

 

 と、ここから然程遠くない部屋から怒号と共に爆発音が響き渡ってくる。

 誰だ、今の声。女っぽい声だったが諏訪子の声ではなかった。

 ミシャグジ達は総じて皆ドスの聞いたワイルドボイスだし……

 

 

「あの声は早恵ちゃんですね。行きましょう」

 

「あの声早恵ちゃんなの!?」

 

 

 中々の低い声だったぞ。あんな可愛らしい声音なのに……

 

 

「って、なんで翠、早恵ちゃんの声だってすぐわかったな」

 

「…………し、親友でしたから当然ですよ」

 

 

 あっ、こいつ、何回か早恵ちゃんを怒らせたことあるな。

 目がめちゃくちゃ泳いでる。

 

 

「ほら、そんなことより早く行きましょう!」

 

「お前、はぐらかすの下手だよな」

 

「なんのことですか?」

 

 

 ……まあ、いいか。こんなことより早恵ちゃんの怒りの原因が何なのか知りたい。

 

 確か爆発音はこの廊下の角を右に曲がった部屋辺りから聞こえてきてたよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 おれ達が爆発音のした部屋に辿り着き、そこで見た光景は、あまりにもツッコミどころが多過ぎて思わず呆けてしまうほど混沌としていた。

 

 

「だから言っておる! 我等の傘下に入ればお主らの神も消滅せずに済むのだぞ!」

 

「それでも衰退するのは目に見えている! そもそもあんたらなに偉そうに国を譲れだ、無礼にも程があるだろ!!」

 

 

 まずは部屋、爆発音がしたからもしやと思ったが、やはり爆発が起こった跡地のように床が焼き焦げている。

 しかしまだ火が消しきられておらず、イチ◯ツの化身達が慌てて消火活動を行ってはいるが、まだ消火までには時間がかかりそうだ。

 諏訪子はその火に飲まれた部屋の真ん中で顎に手を当て、考え込む形で固まっており、その姿からは正座した『考える人』と思わせるような静止っぷりだ。

 

 そしてこの火事の当人であろう早恵ちゃんは、使者であろう男と外に出てイチャイチャしてる。

 

 

「早恵ちゃんが私以外でデスマス口調じゃなくなっている!? これは相当怒ってますね」

 

 

 それにしても、ほんと驚いたな……いや、これまで敬語ばっかり使ってた子が声を大にして叫び散らしているなんて驚かない方が可笑しいか。

 それともう一つ驚いたのが神の信仰事情について早恵ちゃんが知っていたことだ。

 神の殆どは人の信仰を糧に存在する想像の具現化だと、ツクヨミ様から教わった。ツクヨミ様は元々から神とのことだが、神の半数以上はその場合で生まれるらしい。

 あれ、もしかして諏訪子の言っていた天津神やらなんやらってそれが関係しているのだろうか。

 ……とにかく、信仰が源とする神がそれを失えばどうなるか。

 答えは簡単、消滅する。早恵ちゃんはそれを分かっていたから怒っているのだろう。自分の信仰する神を殺せと言ってるようなもんだからな。

 傘下になれば信仰も大和の方に流れて諏訪子は衰弱する。そうなれば更に立場を失って信仰は薄れていく。

 おれはその負の連鎖を危惧していた。国譲りはそれほどハイリスクな事だ。

 まさかそこまで考えて怒っているとしたら、これからの早恵ちゃんの事を見直さないとな。これまでずっとアホな子かとおもってたし。

 

 

「それにしてもあの使者凄い美男子ですね」

 

「ああ、憎たらしいことにな。顔面ぶん殴ってやりたい」

 

「おい、そこの二人! 手が空いてるのなら消化を手伝ってくれ!」

 

「嫉妬ですか? 見苦しいですよ」

 

「うるせぇ、お前にモテない人間の気持ちがわかってたまるか」

 

「む、無視……だと!!」

 

 

 女友達は結構いるとはいえ、いまだにおれは彼女いない歴=年齢だ。

 ほんと、何がいけないんだか。こんないい男をほっとくなんて。

 

 

「さっさと帰れ! 此方は譲る気なんて更々ない!」

 

「いいのか!? 戦になるぞ!」

 

 

 早恵ちゃんは……うん、あれだな。理解した上で馬鹿なことをしちゃう中々質の悪い子ってことがわかったな。

 使者を襲うなんて宣戦布告しているようなものだ。

 もし戦争になるとしても準備期間というものがあるのとないのでは天と地ほどの差がある。力量差があるのなら尚更だ。

 相手は国攻めを得意とする戦闘集団。そんな連中に策無しで突っ込んだって無駄に墓場を増やすだけだ。

 

 

「止めた方がいいんじゃないか?」

 

「いや、何気に使者も早恵ちゃんの攻撃をすべて避けてますし、まだいいんじゃないですか? もう手をつけた時点で手遅れですし」

 

「まずは火を止めろぉ!

 諏訪子様もそこで考え込んでないで何とかしてくださいよ!」

 

 

 無数に放たれる御札を変な舞いで避けていく使者。背中に青銅の剣を背負ってるのによくあんな動きできるな。

 服装は弥生時代風の貫頭衣っぽいが、妙にヒラヒラしていて、回るごとに袖の無駄に長い部分が派手に舞っている。

 

 

「話の通じない小娘だ! そちらがその気なら此方にだって手があるのだぞ!」

 

「ふん、さっさと貴方の首を切り落として大和に送りつけてやる!」

 

 

 さらっと恐ろしいこと言うな……

 それじゃあこの国を襲った妖怪が翠にしたことと同じだぞ。

 それとも、無意識にそれが最も残酷なみせしめだと思い込んでしまったのか。

 

 

「流石に止めよう。このままじゃどちらも只では済まなそうだぞ」

 

「はあ、じゃあ私は早恵ちゃんを止めるので熊口さんは使者を」

 

「ああ、わか___熱っ!?」

 

 

 くっ、飛び火が太股にかかってきた。

 

 

「ほら! 私の言った通りにしておれば火傷などしなかったぞ! 罰があたったのだ罰が!!」

 

「あ~、ミシャグジさん、ごめんなさい。今隣にいたの気付いたわ」

 

 

 隣にいたミシャグジの存在を認識したおれはのけぞりそうになるのをなんとか我慢して冷静に対応する。

 こんな怪物が横にいたのに全然気付いて無かったなんて、それほど早恵ちゃんの豹変っぷりにショックを受けてたのか。

 

 

「熊口、貴様……」

 

 

 姿からしてあまり想像できないが、声からして何処か寂しげな様子のミシャグジ。ちょっと可哀想なことをしてしまったようだ。

 

 

「ごめんミシャグジ。これからはちゃんと構うからさ」

 

「……まずは私に敬意を持て」

 

「ぜ、善処します」

 

 

 敬意を、か。あまり敬語使うの苦手なんだよな。

 あっ! この人は! だったり職場の立場的に使わなければならない人には使ってたけど。

 因みに前者の代表格は永琳さんとツクヨミ様ね。

 

 

「ちょこまかと蝿のように舞うな!」

 

「貴様こそさっさと我が剣の錆にならんか!」

 

 

 あ~あ~目を離した間に本気の殺しあいに発展しちゃってる。使者は剣をとり、早恵ちゃんは無数の御札をそこらかしこにばらまいで御札の弾幕を形成している。

 あれはひょっとしなくても流れ弾で辺りにも被害が出るな。

 

 

「取り敢えず止めるぞ! あれ以上は危険だ!」

 

「はい!」

 

 

 翠と共に部屋から庭に出て、御札の弾幕の中を駆け抜ける。

 くっ、早恵ちゃんのやつ懐にどんだけ御札いれてんだよ!

 簡単に近付けな_____

 

 

「「「「「!!!!?!」」」」」

 

 

 弾幕を掻い潜り、少しずつ二人へと近づく最中、先程でた部屋からとてつもない力を感じたおれは、思わず足を止める。

 その愚な判断はおれだけでなく翠、使者や弾幕の根元の早恵ちゃんまでもがしていた。

 この境内を覆い尽くす圧倒的な神力の正体は少し考えれば想像がつく。

 

 

「早恵、いい加減止めな。私の国を滅ぼすつもり?」

 

「いえ! そんなつもりは……」

 

 

 ___やはり諏訪子か。背筋が凍る、まるで大蛇に身体を巻き付けられてるような不快な神力がまとわりつく。

 同じ神でもこうも神力の質が違うのか。ツクヨミ様のはこんな気色の悪い気は全くしなかった。

 恨みのこもったような、そんな人の負を現したような神力だ。

 

 

「大和の使者よ。うちの巫女が無礼を働いた。本当にすまない」

 

「全くです。洩矢の巫女は皆こうなのですか」

 

 

 抜いた剣を下ろし、鞘に納める。

 一瞬にして静まった空気の中、宙を浮き、早恵ちゃんの元へ向かう諏訪子。

 途中まで向かっていたおれと翠は、突然の状況を固唾を飲んで傍観していた。

 

 

「早恵、ほんとにごめん」

 

「えっ……」

 

 

 早恵ちゃんの元へと辿り着いた諏訪子は、何か話しているようだが、二人から少し離れた場所にいるので、全然聞きとることができない。

 何か話しているのは確かなんだ。もう少し近づいてみてみようか……

 と、思案しているうちに諏訪子は使者の方へと向き直り、

 

 

「大和の使者よ。国譲りの書状、しかと受け取った。

 こんな辺鄙な国でよければ是非差し出そう。」

 

「はっ?」

 

 

 とんでもないことを口走っていた。

 

 



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十四話 無謀な作戦

今回は短めです。


「諏訪子様正気ですか!?」

 

「我々はどうなるのです! 統括者である諏訪子様がいなくなったら我々はこれからどうすれば……」

 

「私がいなくなるわけではないでしょ」

 

「しかし! 衰退するのは必然です!」

 

 

 諏訪子の発言に猛抗議しているのは、消火活動を終えたミシャグジ達だった。

諏訪子の言い分を聞いて尚ミシャグジ達の抗議は鳴りやまず、少ししてキレた諏訪子が神力全開で脅して黙らせたが。

 

 

「ほう、そこの巫女とは違って話の解る御方ですね」

 

「なにを!」

 

 

 使者はその場で納得したように笑い、諏訪子に向かって歩いていく。

 

 

「私がこの国に来る道中の森、大戦があった後のように荒れ果てていた。折られた木々はまだ新しかったのをみても、我等が知らぬ間にこの国で大戦を終えたばかりなのだろう」

 

「それって熊口さんが……」

 

「そ、そんなに荒れ果ててたの?」

 

 

 大戦があった後のようにって……恐らく、というか絶対おれと幽香が戦った森のことを言ってるよな。

 そうかそうか。そんなに酷いことになっていたのか……後でちょっと見てこよう。

 

 

「戦を終えたばかりでこの国の者達も疲弊しきっている。そんな状態で我等が大和の国とは到底渡り合えない。

 それを見越した降伏なのでしょう、洩矢の神」

 

「多少違うけど、見立ては間違ってないよ」

 

 

 あ~、読めたぞ、諏訪子の魂胆。

 

 

「諏訪子、自分を犠牲にしてこの国の皆を護ろうって考えてるのか」

 

 

 自己犠牲の精神か。人のこと言えないが馬鹿なこと考えるよな。

 

 

 

「……私がいなくても、信仰の対象がいなくなるわけではないし、大和という強大な盾があればこの国も安泰でしょ。これが一番効率的に国の存続に繋げられることなんだよ」

 

「諏訪子様、生憎私は諏訪子様以外信仰するつもりはありません!」

 

 

 早恵ちゃんの叫びも首を横に振って拒絶し、近づいてくる使者の方を向く諏訪子。

 ……これまでは自分ばかりがしていたから気付かなかったけど、自己犠牲をされているのを見ていると、ただただ悲しい気持ちになる。

 月に行った皆も同じ気持ちだったのだろうか。

 

 

「この事は大和の尖兵である神奈子様に伝えておきます。それでは、私はこれで」

 

「待って。遠路はるばるここまで来たんだ。一日ぐらいここで休んでいったらどうだ。生斗、あんたの家大きいんだから一人ぐらい泊められるよね?」

 

「えっ? ああ、いいけど」

 

「ありがたき御言葉。実は少し疲れが溜まっておりましてな。甘えさせていただきます」

 

 

 なんかスムーズに話が進んでいくな。

 こうもあっさりなのか。こんなにも呆気なく国を明け渡されるものなのか。

 と、拍子抜けな状況を傍観していると、視界の端にいた筈の早恵ちゃんが居なくなっていることに気付いた。

 首を振って辺りを確認しても早恵ちゃんの存在を認識することはできない。

 あれ、早恵ちゃんの奴、一体どこへ___________

 

 

「……!」

 

 

 何か嫌な予感がする。これはよく戦闘中に相手を見失ったときと同じ感覚だ。

 おれの目線上にいないということは__

 

 

「上か!」

 

 

 そう上空を振り向くと、そこには使者に向かって物騒な御札を投げる瞬間の早恵ちゃんが映った。

 

 

「避けろ!」

 

 

 と言っても何事か理解していない使者。くそっ、そりゃ知らない奴にいきなり言われて反応してくれる奴の方が少ないか。

 

 

「なに言ってんの生斗、いきなり大声出して」

 

 

 諏訪子が声を出しているうちに早恵ちゃんから御札が放たれ___

 

 

「いいから! 二人ともそこから離れ……あれ?」

 

 

 早恵ちゃんから御札が放たれてない?

 おれが目視した時には投げる直前だったというのに。

 一向に起こらない状況に疑問を感じ、おれはもう一度空を見上げると、気絶した早恵ちゃんを抱える翠が降下していた。

 

 

「どうやら、戦を起こさざるを得ない状況にしようとしていたようですね」

 

 

 諏訪子の目の前で着地して、事情を説明する翠。

 あいつ、いつの間にあんな空までいって早恵ちゃんを気絶させたんだ……ってあいつ飛べたのか!? この前飛べないって言ってたのに!

 

 

「使者を殺そうとしたってこと?」

 

「そのようです」

 

「……はあ。常々すまない、この子はあんたが帰るまで牢に縛っておく」

 

「あ、ああ、そうしてくれるとありがたいです」

 

 

 ほんと物騒だな、早恵ちゃんも。それほど諏訪子のことを信仰しているってことなのか。

 その存在を少しでも助かる方法として、戦を起こそうとしたってところか。

 

 

「今日はもう生斗の家でゆっくりしていきな。

 あっ、そういえば生斗、あんた怪我大丈夫なの?」

 

「ん? あっ」

 

 

 しまった。ゆっくり休もう作戦が……

 

 

「大丈夫なら家まで案内してあげて。彼にはゆっくり休ませてあげたい」

 

「ああ、わかった。丁度おれもそこの美男子に聞きたいことがあったし」

 

 

 別に泊めることに抵抗はない。ただおれの家だともれなく毒舌の幽霊がついてくる。

 まあ、流石に客人に対して無礼は___ちょっと待って、余所者のおれの時でさえ凄い無礼を働かれまくったから大丈夫だとは言い切れないぞ。

 

 

「大丈夫だよな!」

 

「何がですか」

 

 

 翠の方を向いて確認をとるが、当の本人はなんのことだとおとぼけの様子。

翠さん惚けるの下手くそですね。

 

 

「とりあえず、あんたも疲れただろう。おれも疲れた。

 家まで案内するからついてこい」

 

「よろしく頼む」

 

「あっ、私も行くんで中に入れてください」

 

 

 そう言って翠はピョンと背中から入っていく。

 

 

「あれ、今の女子は何処へ……」

 

「気にしなくていいよ。ほら、疲れてんだからさっさといくぞ」

 

 

 使者の背中を叩き、先へと促す。

 はあ、何事もなければ今頃夢の国に行ってたのになぁ。

 やらなきゃいけないことができてしまったせいでまだ寝られなくなっちゃったな。

 

 

「あっ、諏訪子」

 

「なに?」

 

 

 言い忘れていたことがあった。

 

 

「おれも早恵ちゃんやミシャグジと同じ、お前に消えてもらったら困る。折角友達になれたばかりなんだからな」

 

「えっ」

 

 

 今はこれだけ言っておく。

 おれだってこのまま引き下がるつもりは毛頭ない。おれは早恵ちゃんとは違うやり方で解決法を導き出すつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「うわ、ちょっと埃被ってるじゃん。掃除してなかったのか?」

 

『仕方ないじゃないですか。私は敷地内しか移動できないんですよ。したくても出来なかったんです』

 

 

 我が家に帰ってきたはいいが、部屋中埃が被っていおり、空気も光の反射で埃が舞っているのが分かる程に汚れていた。

 

 

「ちょっとごめん、そこの置物にでも座っといて。掃除するから」

 

「お主の家ではないのか? 人が住んでるにしては埃被ってるようだが」

 

「ついこの前までおれ、瀕死で諏訪子んとこの家で看病してもらってたんだよ」

 

「なるほど、さてはあの森での先の戦で負った怪我だな? それにしては傷は何処にも見当たらないが」

 

「さっきの馬鹿幽霊のおかげさまでな」

 

『誰が馬鹿ですか変態邪陰湿野郎』

 

 

 おっと、三倍返しで悪口が帰って来た。

 ほんと減らず口だよな、翠って。今すぐその生意気なこめかみを強く握り締めたいところだ。

 

 

「なんと、あの方は幽霊だったのか」

 

「ああ、今も絶賛おれの脳内で毒吐いてる」

 

 

 さっさと成仏すればいいのに。

 あっ翠、雑巾って何処にあるっけ。

 

 

『そんなものありません、その小汚ない手で拭いてください』

 

 

 そしたらまた汚れるだろ。

 

 

『んー、それもそうですね。庭に雑巾がけがあります。そこから適当にとってください』

 

あるのなら最初から言いなさいよあんた。

 ……ていうか雑巾がけっていつぶりだろう。兵士時代は全自動でしてくれるお掃除ロボットがいたから全然やってないんだよな。

 

 

「私も手伝おう。見ているだけともつまらぬからな」

 

「いいよ、客人なんだから。ま、どうしてもってのなら玄関前の木の葉でも掃いてくれ」

 

「承知した」

 

 

 頷いてさっさと外へ出ていく使者。中々出来た子だな。

 そういえばなんであの使者はここを早々に出なかったのか。来て早々命を狙われたというのに。おれだったら疲れていてもそんな国で寝泊まりしようなんて考えない。さっさと安全なところへ逃げおおせる。まあ、人によるけどな。あいつがちょっと変わった奴と考えれば済む話だ。

 

 

 

『言い方的に掃除やらせる気満々じゃないですか』

 

 

 なに言ってんだ。少しでも手があった方が掃除が早く終わるってもんだろ。

 わかったならさっさとおれからでてお前も掃除手伝え。元はお前の家なんだから。

 

 

『元じゃありません。今も私の家です」

 

 

 そう言いながらおれの背中から出てくる翠。

 正直気持ち悪いから出るならこの前のように霧状になってから出てほしい。

 

 

「さっ、ぱっぱと終わらせて相手から情報を引き出しましょう」

 

「……おまえ、さらっとおれの心読んだな」

 

「いいじゃないですか、減るもんじゃないんですし______それよりも、熊口さんの考えた作戦、浅はかで成功の確率は殆どありませんよ」

 

「そんなのおれだってわかってる。でも___」

 

「やらないよりはましだ、ですよね。分かってます、だから仕方なく手伝ってあげるんですよ。感謝のあまり号泣してください」

 

 

 泣くことを強要されて泣く奴はそうはいない。

 ほんと、心を読まれるってやりにくいな。此方が思ってることを事前に知ってるからそれに適した返しをされてしまう。

 

 

「さっ、口ではなく身体を動かしてください。私は布団を干してきますから」

 

 

 とりあえず掃除を済まさなければ。埃被ったところで寝たくはない。

 まずは箒で埃を外に出して____

 

 

 こうしてちょっとした大掃除は、日が暮れる少し手前程まで続いた。

 因みに使者は超絶不器用だったみたいで、床拭きを手伝うといいながら床に水をばらまいたりしたおかげで余計に時間がかかってしまったのはまた別の話。

 

 

 




今頃言うもなんですが、
ほんとは元ネタの八坂刀売神という名にしても良かったのですが、話がややこしくなったりして分からなくなる可能性があったので、この物語の神々については元ネタとはかけ離れた感じとなっております。

あと、前作では翠は日光にあたると悶絶していたのですが、今作では家の敷地内に限り日光に当たっても大丈夫なように変更しております。


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十五話 毒舌裏の真意

 

「美味っ!? なんであんだけの食材でここまで美味くなるんだ?」

 

 

 掃除が終わり、囲炉裏の周りを囲んで夕飯の中、おれはあまりの美味さに声を大にして感嘆していた。

 

 

「うむっ、これは大和の国の中でも屈指の料理の腕を有している程だ」

 

「もっと誉めなさい。なにも出ませんがもっと私を称賛の言葉を浴びせなさい」

 

 

 翠が夕飯を担当したのだが、まさかの女子力を見せつけてくる。

 囲炉裏の火に炙られ、表面は顔をぼんやりと映すほど艶があり、香ばしい塩が焼けた匂いが食欲をそそる。表面のパリッとした食感とは相反するふんわりとした身が舌に絡み、口いっぱいに洗練された旨みが広がっていく。

 これほど食事で至福を感じたことはない。

 どうしてだ。どうしてただの小魚がこんな高級料亭のような出来になるんだ。

 見た限りでそんな特別なことはしていなかったというのに……

 

 

「ほら、粟も沢山ありますからどんどん食べちゃってください。」

 

 

 そう言って粟をよそう翠。

 翠の料理スキルははっきといって異常だ。これからはこいうに料理させよう。おれを利用しようとしてるんだからそれを盾にすれば流石の翠も首を縦に振りざるを得ないだろう。

 

 

「そういえば今の今まで御主らの名を聞いていなかったな。教えてくれないか? 私は道義だ」

 

 

 道義か。確かに一緒に掃除したりして結構時間が経ってるのに一度も自己紹介なんてしてなかった。

 この飯が終わったら色々と聞きたいことがあるし親睦を深める意味でも教えた方がいいよな。

 

 

「それもそうだな。おれは熊口生斗、永遠の十八歳であり純粋無垢を貫いてる者だ」

 

「翠です。あとそこの人本当は結構なおじさんですよ道義さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 夕飯で汚した皿を洗い、随分と暗くなった部屋の中を照らす囲炉裏を三人で囲んで寛いでいたときのこと。

 

 

「ふぅ、漸く一息つけたような気がするな」

 

「そういえばそうだな。この国に来て散々な目にしかあってなかったし」

 

 

 来て早々早恵ちゃんとのデスマッチに発展してたからな。気が休まるわけがない。

 

 

「なあ生斗、少し気になってたんだが御主は怪我人だったのか?」

 

「ん? ああ、諏訪子の言ってたこと気にしてたのか」

 

 

 確かに道義の前でおれの身体のこと大丈夫か聞いていたな。

 

 

「熊口さんは三日前から今朝まで意識不明でこの世とあの世の境をさ迷ってました」

 

「それは誠か!? まさか先の戦で……それにしては元気に見えるが」

 

「はは、まずは森のことから話さないとな」

 

 

 眠気はまだないし、暇潰し程度に話してやるか。

 それに此方が情報を提供すれば、彼方の情報を引き出しやすくなる。

 

 それからおれは道義にこれまでの経緯を話した。

 おれが余所者であること、大妖怪の幽香と遭遇し戦闘になったこと、あと早恵ちゃんは本当は優しい子だということ。最後に関してはほぼ翠が力説してくれたおかげでおれの言う手間が省けた。

 

 

「ふむ……生斗、御主よく大妖怪相手に生きられたな。あの荒れ果てた森からしてとても人間が生きられるような所には到底見えなかったが」

 

「うん、全部大妖怪が荒らしたんだよ。おれはただ避けてただけ」

 

「森の途中で大きな穴ありましたよね。あれ熊口さんのせいです」

 

 

 おい翠、さっきからお前おれの隠したいことことごとく言ってやがるな。

 おそらく全部おれの中にいたときに拾った情報だろう、それ以外に考えられない。これだから心読む奴は……

 

 

「なんと、生斗がやったと言うのか!? いかほどに、いかほどにあのような力を手にすることが出来るのだ!」

 

 

 身を乗り出して顔を近づけてくる道義。眼前をイケメンの顔に覆われ、荒い鼻息が頬に当たり背筋が震え上がる。顔が目の前に来たこともそうだが、何より野郎の鼻息を間近で感じるのが不快でならないんですよね。

 これが美少女ならばっちこいなのに……

 

 

「落ち着け」

 

「ぐふっ」

 

 

 とりあえず荒い鼻息から解放するべく、道義の顔を鷲掴みにして後ろに押して距離をとらせる。

 

 

「す、すまない。つい興奮してしまった」

 

「何処に興奮する要素があるだよ」

 

「それはするに決まっている。あんな戦争跡地のような光景を人間である生斗が作り出したのだろう。まだまだ我々人間でも強くなれると言うことだ。これで興奮しないなんてそれこそ人間ではない」

 

 

 つまりは自分の思っていた人の限界がまだ先にあることに喜んでいるって事なのか。

 生憎おれは特殊なケースだと思うんだけど。

 

 

「翠、お前はどう思う」

 

「さあ? 元人間である私は特に興奮はしませんが」

 

 

 翠は違うとなると……ただ道義が変態なだけか?

 

 

「こうなっては身体を動かさなければ気が済まない! 少し外に出てくる!」

 

「あっ、ちょっと待って!?」

 

「どうした。私は今すぐ素振りを始めたいのだが」

 

 隣に置いていた青銅の剣を取り、外へと向かっていく道義を何とか止める。今外に出られては情報収集がしづらくなる。

 せめて情報を引き出してから出ていってもらいたい。

 

 

「なあ、お前の言ってた神奈子様って誰なんだ?」

 

「なんと?! 神奈子様を知らないのか!?」

 

 

 神奈子を知らないことに驚愕する道義だが、他国の人間でも知っているぐらいの有名人なのだろうか。

 

 

「神奈子様は大和の神の一柱、ですよね」

 

 

 神奈子の言及をしたのは意外にも翠だった。

 やはりおれが知らないだけで有名人なのか……ん?

 

 

「ちょっと待てよ。道義、お前昼に神奈子様のこと尖兵って呼んでなかったか?」

 

 

 尖兵は確か隊の中でも先だって偵察や警戒をする部隊だったはず。神である神奈子が何故自らを危険に晒すような事を。

 

 

「それは……」

 

「国譲りに反抗して返り討ちにあったからでしょう」

 

「……」

 

「えへっ?」

 

 

 翠が又もや言及をしたが、あまりの衝撃な一言におれは思わずしゃくりの上げたような声が出る。

 

 

「結構有名ですよ。国譲りの際、悪神と勘違いして天照大神の子孫に楯突き、返り討ちにあったというのは」

 

「……」

 

 

 ……えっと、ちょっと話が見えてこない。

 

 

「……神奈子様はこの地を護りたかっただけなのだ」

 

 

 青銅の剣を強く握りしめ、みしみしと音を立てさせながら道義は話し出す。

 

 

「敗れた相手国の傘下に入り、贖罪のために身を削って国攻めを行っている。神奈子様は戦いが好きだからと、己は軍神だから大丈夫と言っていたが、戦ごとに身が傷付いていっているのを私は知っている」

 

 

 だから尖兵についていると……それに軍神か、確かにそれなら戦で力になるだろうな。

 

 

 

「だから洩矢の神が潔く国を譲ってくれると言われたときは誠に嬉しかったのだ。この国譲りを一柱で為したとなれば神奈子様もきっと赦される筈だからな。

 私はこれ以上、あの方が傷付いていくのを見たくはない」

 

 

 道義も道義で信仰している神がいるということか。

 こいつが強くなろうとしてるのもきっと神奈子を護りたいが為だろう。

 確かに同情は出来る。勘違いとはいえ、神奈子はただ国を護りたいがために戦っただけだし、ちゃんと償いもしている。

 このままおれが引き下がれば、道義の言うとおり神奈子も戦わずに済むかもしれない。

 

 

 だが、おれにだってこのまま引き下がるわけにはいかない。

 友人の危機をその場の流れで取り逃せば、絶対に後悔する。

 

 

「なあ、道義。さっきさ、お前に諏訪子が神奈子様に対しての書状を渡してたよな?」

 

「ああ、これのことか?」

 

 

 懐から諏訪子の書いた書状を取り出す道義。

 おい、まさかそれを懐に入れたまま素振りするつもりだったのか。

 

 

「実はおれに渡させるように諏訪子から頼まれてたんだ。使者に渡させるのもなんだからって言ってよ」

 

「ふむ、それなら何故私にその事を言わなかったのか。別に隠すような事ではあるまい」

 

「お前の事を安じたんだよ。もしその書状をお前が所有していた事がこの国の誰かに知られ、それを阻止しようとする輩が現れたら諏訪子としてはたまったもんじゃない。お前に言わなかったのも周りにミシャグジ達がいたからだ」

 

「ミシャグジ様……ああ、祟り神のことか。何故……」

 

「諏訪子がミシャグジ達を統括しているとはいえ、今回の決定に不満を持つものがいるかもしれない。その不穏分子を炙り出す意味でおれが密かに持っていくことになった。お前に報せなかった、いや、報せられなかったのも彼処でお前と諏訪子がこそこそ話していたらかんづかれる可能性があったからだ」

 

「なるほど、確かに私が不意に襲われでもしたら話が拗れる。密かに生斗が持っていくのも、不穏分子を炙り出すため。筋が通っているな」

 

「なんか道義を囮に使っているようですまないな」

 

「いや、いい。確かに今回の決定に不満を持つものは少なからずいるだろう。それで反乱でも起こされたら私達にも被害が出る。それを事前に排除するのは此方としてもありがたいことだ。

 いやはや、洩矢の神は凄いな。あんな少し間にここまで考えておられたとは」

 

 

 そう言って何度も頷く道義。その仕草からわざとやってる感じは一切なく、心底感心しているようだ。

 

 我ながら凄いな。ここまでも饒舌に嘘を吐けるなんて。

 そう、今言ったことはすべて嘘だ。諏訪子はおれに書状を持っていけなんて一言も言ってない。

 適当にパッと頭に浮かんだ事を口に出しただけ。道義を納得させられたのも偶然の産物に過ぎない。

 よく考えれば穴がちらほら見える言い分だが、道義を論すことができたのでよしとしよう。

 

 

「よし、この書状は生斗に預ける。大和の国への道筋がわからないのなら少し離れてついてくるといい」

 

「ああ、流石に一緒に歩いてたらバレバレだもんな」

 

 

 取り敢えずミシャグジには不穏分子扱いして悪いが、書状を手にすることが出来た。

 道義のサラッと溢した発言をもっと詳しく掘り下げる必要があるが、それはまた明日でも出来る事だ。

 ということは後は()()()を説得するだけ。

 それが一番の難関なんだろうけど。

 

 

「よし、それでは気を取り直して私は剣を振ってくる。御主らは先に寝ておいても良いぞ」

 

「ああ、わかった。布と水の入った樽は玄関前に置いてあるから、適当に使ってくれ」

 

「かたじけない」

 

 

 道義が家を出て程なくして玄関先から風を切る音が聞こえてくる。

 あの風の切る音は、まだ雑さが残っているがとても力強い。並の剣士では道義には勝つことはできないだろう。

 ま、おれなら余裕ですけどね?

 

 

「熊口さん、気持ち悪い顔しないでください」

 

「至って無表情なんだけど」

 

「だからそれが気持ち悪いって言ってるんです」

 

 

 拳骨食らわしてやりたい気持ちを必死で抑え、おれは早速外に出る準備をする。

 

 

「行くんですか」

 

「ああ、ちょっと夜の散歩行ってくる」

 

 

 何かを悟ったように翠は縁側の先、つまり庭の方を見つめる。

 

 

「夜は妖怪、或いは幽霊の時間です。私も行きます」

 

「なんだ逢引きか?」

 

「殴りますよ」

 

「上等だ。倍にして返してやる」

 

 

 これまでの罵倒の数だけ威力倍増だ。つまり全力でぶん殴る。

 会ってもう数え切れないほど罵詈雑言を聞かされたんだから当然だ。逆にこれまで手を出さなかったおれは相当気が長いはずだ。

 

 

「あの方を説得するには貴方だけでは無理だからです」

 

「あの方って誰だよ」

 

 

 しらばっくれるようにおれは疑問符を浮かべるが、翠は構わず___________

 

 

「実は熊口さんに言いたいことがあるんです」

 

「……なんだよ」

 

「熊口さん、いきすぎた善意はただのありがた迷惑っていうんですよ。諏訪子様も含めて」

 

 

 ありがた迷惑、か。確かに適切かもしれない。

 実際おれはこの問題に首を突っ込んで良いことなんて壊滅的にない。

 ハイリスクハイパーローリターン。触らぬ神に祟りなし。

 そんなおれにとってほぼ無意味な行為をするのは、諏訪子のあのときの言動が起因していた。

 

 

 

『私はあんたを信じるよ』

 

 

 

 おれを力強い眼差しで見つめて放ったその言葉には、真意が込められていた。

 ああいう諏訪子の性格の奴は人を信じることが難しい。

 何からも疑いから入り常に最悪な状況を考えて行動をする、いわゆる探偵気質。

 そんな彼女があって何日かのおれを、しかも超次元的な話を信じてくれた。

 これまでの証拠があったからかもしれないが、それをお構い無しに信じようとする気持ちが、諏訪子の目からは感じ取れた。

 

 そのときにおれは思ってしまったんだよ。

 

 __こいつはおれにとって大切な“友人“なんだなって。

 

 

 

「ありがた迷惑で結構。迷惑だろうがなんだろうがやってやる」

 

「害悪じゃないで___」

 

「それとな翠。友人の危機を救える可能性があるのに、それを放棄するなんて、友人失格なんじゃないのか」

 

「!!」

 

 

 おれの発言に驚愕の表情を見せる翠。

 しかしその表情はゆっくりと下に向けられ、垂れた前髪によって隠れる。

 

 

「……」

 

「おい、どうした?」

 

 

 何故俯いたのか。翠の事だから何かしら突っ込んで来ると思ってたんだが。

 

 

「諏訪子様のことを友人だなんて馴れ馴れしいことこの上ない。とてつもなく不愉快です」

 

 

 そんなことを考えていると、翠は俯きながら1,2メートル先のおれにギリギリ聞き取れるぐらいの声音でぼそぼそと呟きだした。

 

 

「そもそも私達が崇拝する神に敬語を使わない貴方に苛つきもありました。身の程を弁えないその姿勢が腹立たし過ぎる」

 

「うっ」

 

「周りを見れば全員敬語を使っていたでしょうに。あの使者ですら使ってましたよ。礼儀がなってない」

 

「お、おい、ちょっと」

 

 

 なんか目の前でいきなり悪口言われまくってんだけど!?

 

 

「熊口さんの心を読んで思いましたよ。あ、この人馬鹿だって。人に心読まれてるのに邪なことを平気で考えるし、頭の中は夢までお花畑でしたし」

 

 

 急にどうしたんだ。俯いたまま人を馬鹿にしまくるなんて。

 どこか声が震えてるようだし……もしかしてこれまでの鬱憤を晴らしてるのか。それはしたいのはむしろこっちだろ。おれの方が絶対溜まってる。五日間悪口を言っても足りないぐらいだ。

 くそっ、こうなったら此方も対抗して悪口言いまくってやる。

 

 

「翠のあほ___

 

「それで今、つくづく思いました。貴方は馬鹿は馬鹿でもどうしようもない、お人好しな大馬鹿だって」

 

 ___なっ!?」

 

 

 

 顔を上げた翠の目からは、幾つかの滴が頬を伝っていた。

 今言いかけた悪口を寸でのところで飲み込む(ちょっと遅れた)。

 なんで翠は泣いてるんだ。泣く要素なんて一つとして無かっただろ。えっ、なにおれが悪いの? ちょっとかっこつけて恥ずかしいこと言っちゃっただけなのに。

 えっ、えっ、どうしよう。こんな状況慣れてないからどうすれば良いかわからない。

 

 

「ななな泣きゅ崩しか?」

 

「……」

 

 

 舌を噛み、顔を赤くして横を向いてしまうおれ。動揺を全く隠せてない。

 いかんいかん、女の涙程度で動揺隠せないなんてお爺ちゃん並みに生きているおれとしては中々の醜態だ。

 格好の良い大人のように何事にも動じないようにせねば……っておれ大人じゃん。身体の成長は17歳から止まってるけど。

 

 

「お、お前、諏訪子のことちゃんと信仰してたんだな」

 

 

 自分の失態を隠すように話題を変える。先程、翠の発言の半分以上は諏訪子を軽んじていたおれに対しての怒りだった。つまりは翠も、早恵ちゃんと同じく諏訪子を信仰している一人だということ。

 そんな浅はかな考えのもと切り出した話を、いつもの翠ならここで無理矢理戻しておれの失態を嘲笑いに来るはずだが、

 

 

「……ちゃんとって何ですか。それに今熊口さん私に大馬鹿って言われましたよ。反撃しないんですか?」

 

 

 まさかのスルー。思わずほっと口から息が漏れる。

 

 

「そんなにおれが暴力的な奴に見えるか?」

 

「いえ、全然」

 

「そ、そうか」

 

 

 な、なんなんだろうか。いつもとなにか違う空気がこの家の中を覆っている。

 

 え~と、なんでこんな状況になったんだっけ。元々今から”あいつ”のとこに行こうって話になってたはずなのに……

 

 そのように考えている間にも、なにか気まずい時間が流れる。

 おれはどう話を切り出せば良いかわからず、胡座をかいたまま固まってしまっていた。

 

 

「諏訪子様は私の心の拠り所であり、母親のようでありました」

 

「……えっ」

 

 

 長いようで短い沈黙を破ったのは翠だった。

 頬に張り付いた滴を袖で拭いながら、翠は話を続ける。

 

 

「諏訪子様から聞いてるんですよね。私の死んだ理由」

 

「あ、ああ」

 

「親が妖怪によって奪われたことも」

 

「……ああ」

 

 

 その事は幽香に出くわす前の屋敷で諏訪子に聞かされた。

 正直痛ましかった。親を殺され、その仇敵の妖怪によって命を奪われる。

 耐え難い屈辱と恨みを持っているだろう。だからこいつは今ここに存在する。

 同情はする。同情はするがおれはそれを態度で見せることはしなかった。心を読まれていてもそれだけは絶対に。下手な同情はかえって翠を苦しめることになる。

 

 

「私が小さな時から諏訪子様は私達を見守ってくれました」

 

「……」

 

「湖で溺れたときも助けてくれたし、私の親が亡くなったときも一緒に泣いてくれたし、私の下らない話を笑って来てくれました」

 

 

 また一粒、翠の目からは涙が溢れる。

 

 

「私だけではありません。早恵ちゃんも、他の子供達も、大人の人達でさえ、諏訪子様から見守られながら生きている。

 諏訪子様はこの国の母なんです」

 

「母……」

 

「簡単に無くなっていい存在ではない。もし国譲りをしても諏訪子様の存在が無くならなかったとして、確実に今より信仰は減ります。信仰の薄い神は常人の目には映らなくなるんです。ミシャグジ様から聞きました」

 

 

 その事は知っている。おれもツクヨミ様から同じようなことを聞かされた。

 別に見えていないわけではない。信仰が減り、存在が否定されれば人の目に映っていたとしてもその場に落ちている石ころのように自然と同化して見えると。

 

 

「つまりあれか? 諏訪子を救うためにもおれに協力するっていいたいのか?」

 

「余所者である貴方に頼むのはとてつもなく癪ですが、そうするしかありません。危ない橋をこの国の方々には渡らせられません」

 

「おれなら渡っても構わないってか」

 

「自分から渡ろうとしてるじゃないですか」

 

 

 

 そうなんだろうけどさ。実際は自分がどれだけぼろぼろな橋を渡ろうとしているのかわからない。

 

 だが、底が抜けようが崖下まで落ちて()()()()()()()、這いつくばってでも向こう岸まで渡ってやろうという覚悟はある。

 何生か捨てる気持ちでいこう。

 

 

「まあ、もし熊口さんが危なくなったら力ぐらいは貸してあげますよ。それぐらいは礼儀です」

 

「お前に借りるぐらいなら自害する」

 

「言いましたね。その時はちゃんと潔く死んでくださいよ。男に二言はないですからね」

 

「おれは二言のある男だから」

 

 

 なんですかそれ、と微笑む翠を見て少しドキッとしたのは隠しておこう。

 さっさと意識の外に追いやらないと後で大変な目にあう。

 

 

「さ、無駄話もこのぐらいにしてそろそろ行かないと」

 

「無駄話、だったのか……?」

 

 

 涙を拭い、勢いよく翠は立ち上がる。

 その顔からは何かが吹っ切れたかのように清々しく、晴れやかな感じが伝わってきた。

 

 

「諏訪子様を護りましょう。熊口さんは友人のため、私は私達の神のために」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 もう引き下がれない。下がる気も毛頭ない。

 やるからには最善の限りをつくそう。

 

 そんな心がけを胸に、おれと翠は縁側から外へと踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、そういえばおれ、橋から落ちて呆気なく死んだ事あるな」

 

「不吉なこと言わないでくださいよ!?」

 

 



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十六話 運命の異物 ※挿絵あり

とてつもなく遅くなりました! 本当に申し訳ございません!


 

 月明かりに照らされた湖。

 漆黒に包まれたその水域は、全てを呑み込まんと大きく口を開けた化け物のようで、はたまた宇宙(そら)を映し出す巨大な鏡のようで___それは人の感性によって異なる印象を与えてくれる。

 夜の深まりを感じさせる静けさは、稀に来る葉のせせらぎにより遮られるが、それすらもこの常闇の世界の静けさを更に増幅させるだけに過ぎない。

 

 

「ここにいたのか」

 

 

 月明かりを頼りに長い時間探し歩いた。

 外へと出て始めて口に出した声は、思った以上に響き、辺りの静寂に亀裂を与えた。

 

 

「お主か。こんな時間に何用だ」

 

 

 おれが探していた人物___ミシャグジを漸く見つけることができた。

 今は三柱で湖を眺めていたようだ。

 

 

「実はな、ミシャグジ達に折り入って頼みたいことがあってきたんだ」

 

 

 ミシャグジ達にする頼み事。本当は自分でしなければならない事なのだが、確実に失敗するので事後報告という形で済ませる。

 

 

「我々に頼み事?」

 

「諏訪子を説得してほしいんだ」

 

「諏訪子様を説得? 何をいっておるのだ」

 

 

 それもそうか。まだこいつらに何も事情を話してない。それからおれはミシャグジらの疑問を解くべくこれからする予定の話をした。

 おれが大和の国へ行くこと。そこで神奈子を説得すること。そして、この行動は友人である諏訪子のための行動であること。

 

 一通り話を終えると、ミシャグジのうち一柱が口を開く。

 

 

「無理だな」

 

「身内の諏訪子様を説得させられないのに、敵国の尖兵を説得させられるわけがない」

 

「そもそも、彼方がお主に会う筋合いもない。身の程を弁えろ」

 

 

 当然だが、三柱ともに否定の意を見せた。

 まあそれもそうだろうな。翠もほぼ不可能だと言っていたぐらいだ。おれだって無理承知だって分かっている。

 だが、やらずの後悔よりやって後悔だ。勿論、後悔するつもりは微塵もない。

 

 

「確かに正当方おれが神相手に説得することは難しい。だが、相手の立場を利用すれば出来ないこともない」

 

「……それはどういう事だ」

 

「簡単だ。大和はこの国を下に見ている。上から目線で国を渡せと挑発ともとれる要求をしてくるぐらいにな。

 ___そんな相手に一杯食わされるような事態が起きたらどうなる?」

 

「面子が……」

 

「……潰れるな」

 

「そう、相手側の面子は丸潰れだ。それも敵は軍神ときた。逆鱗に触れられるかもしれない」

 

「それでは折角諏訪子様が身を呈して護ろうとしているこの国にも被害が及ぶではないか!」

 

 

 ミシャグジの言い分は正しい。やり方を間違えればこの国にも被害が及ぶほどの厄災が訪れる。

 

 

「“やり方“を違えれば、な」

 

「やり方……?」

 

「簡単に言えば一杯食わせる方法についてだ……いや、一杯食わせる、という表現は少し語弊があるな。正確には不相応な取引だな」

 

「取引だと」

 

「そう、取引。そのやり方さえ間違えなければ上手くいく可能性がある」

 

「それでも可能性がある程度なのか」

 

 

 可能性がある、としか言いようがない。こういう駆け引きに絶対なんてないのだから。

 

 

「取引とは、どんな要求をするつもりなのだ」

 

「要求か……」

 

 

 これを言ってしまって良いのだろうか。このことを言って、ミシャグジ達の反感を買ってしまったら元も子もない。

 だが、真実は伝えるべきだ。下手な嘘はすぐに見破られるだろうし、頼む側なのだから誠意を見せなければ。

 

 

 

「諏訪子と、大和の尖兵を一騎討ちさせる」

 

 

 

「「「!!?」」」

 

 

 おれの発言に驚愕している様子のミシャグジ達。顔が完全に男の象徴なので驚いているかどうかは定かではないが。

 

 

「これが一番の方法だ。負けてもやらない時と結果は同じ、勝てば儲け物だ。この国に危険は及ばないし、なにもしないで諏訪子の弱る未来をかえられるかもしれない」

 

「ふざけるな! 諏訪子様を危険に晒すような真似ができるか!」

 

「お主、まさかその企てが本当に我らに通るとでもおもっていたのか!!」

 

「身の程を知れ!」

 

 

 諏訪子が傷付くことに看過できないか。……はぁ。

 

 

「お前ら、それじゃあ諏訪子が弱って信仰されなくなってもいいのか?」

 

「信仰等諏訪子様ほどのお方なら幾らでも集められるわ!」

 

「言える根拠は? 呆気なく国を譲った神を信仰する意味は? 他の国の統制下に置かれたことによって信仰相手が移ったら? 本当に、絶対に、確実に、お前らは諏訪子が信仰されると信じているのか」

 

「絶対に……」

 

「ぐっ」

 

 

 信仰を失うということは神にとっては死活問題だ。信仰されなければ人々から忘れら去られ、いずれ、消滅する。

 

 

「腹を括れよ。なにも犠牲を伴わずにやろうなんてただの理想論に過ぎないんだぞ。現実はそんなに甘くない」

 

 

 諏訪子が傷付くのはおれだって辛い。代わってやりたいが、それでは駄目だ。これは国の問題、その国の(責任者)が最終的に収めなければ意味がないからだ。おれが命を使ってそれを成し遂げたところで、国の住民が納得しない。

 

 

「……諏訪子様が傷付くぐらいなら、戦を起こした方がましだ」

 

「そうだ。その事を承認することは決してない。そして、諏訪子様に害を及ぼすお主を見過ごすこともな」

 

 

 そう言ってミシャグジ達はおれを囲むように散らばり、戦闘体勢に入る。

 まずい、これは人選を間違えたか。神といえど諏訪子の心酔しているミシャグジ達に今のはご法度だったようだ。

 さて、どうするか。これは今も先も詰んでしまった。この危機を掻い潜っても、ミシャグジ以外に頼る手立てがない。

 

 

「悪く思うな。お主がこの国のことを思っての事だとは痛いほど分かる」

 

「少しの間牢に入ってもらうだけだ。大人しくしろ」

 

「身の程を弁えずでしゃばった罰だ。甘んじて受けよ」

 

 

 じりじりと距離を詰めてくる男根達。傍から見たら卑猥な恐怖映像として映るだろうな。

 と、悠長なこと考えている場合ではないか。

 翠から聞いた話ではミシャグジは祟り神という、畏怖されるが祀り次第では強力な守護神となる存在だ。

 そんな物騒な相手に此方に勝機があるとは思えない。

 くっ、なぜ簡単に間合いを取らせてしまったのだろうか。完全に油断していた。

 

 

「霊気を高めているのがバレバレだぞ」

 

「抵抗はしない方がいい。痛い目を見るだけだ」

 

 

 別に此方はやる気はない。ただ、向かってくるのなら歓迎するまでだ。

 

 ……なんて、ただ空へと避難するために身体を霊力で覆っていただけなんだけどな。

 

 しかし、密かに企んでいた脱出計画は、ミシャグジ達が飛び掛かろうとした瞬間に打ち砕かれた。

 

 

「あんた達、そこでなにやってんの」

 

 

 突然上がった声におれ含め全員が発声源へと振り向く。

 今の声は___

 

 

「諏訪子!? ……と翠か」

 

「諏訪子様!!」

 

「何故ここに!? 屋敷にてお休みになられていたのでは!」

 

 

 視線を向けた先には、茂みを割って来る諏訪子と翠がいた。

 翠の奴、境内に入るなり手分けしてミシャグジ探すって言って離れたのに、なんでよりにもよって諏訪子に捕まってんだよ……

 

 

「そんなことはいいんだよ。私はそこで何をやってるのか聞いてるの」

 

「それは……」

 

「こ、この者が諏訪子様に害を為そうしていたため、捕らえようとしていました。我々はそれを阻止するため___」

 

 

 諏訪子の登場により、明らかに動揺するミシャグジ達。見ていて少し無様に見えてにやけが止まらなくなる。

 

 

「大体の話は翠から聞いてる。それを踏まえても生斗を傷つける道理はないはずだよ」

 

「ど、道理なら! 道理ならあ___」

 

「後は私が話をする。ミシャグジは帰りな」

 

 

 しかし、おれのにやけ顔は瞬時に焦りに変わる。

 大体の話は……翠から聞いてる?

 

 おいおいおいおい、翠の野郎なんて余計なこと言っちゃってるんだ。

 道中に話した筈だ。この国を護るために自分が犠牲になろうとしている諏訪子に、その対象に被害が及ぶ可能性のあるおれの算段に乗るわけがないと。

 それを踏まえてミシャグジ探索のために手分けしたというのに……

 

 

「しかし!」

 

「二度同じことを言わせないで。私は帰れと言った筈だよ」

 

 

 有無を言わせぬその剣呑な雰囲気に、ミシャグジ達は後ずさりをする。

 またあのときと同じだ。早恵ちゃんと使者の道義が争っていたのを止めたあのどす黒い、胸を締め付けられるような神力。

 それは正しく、祟り神であり土着神であるミシャグジ達の頂点に君臨する神の姿であった。

 

 

「ぐぬぬっ」

 

「……わ、我が主の御言葉のままに」

 

 

 圧倒的な力の前に、ミシャグジ達は不本意ながらも茂みの中へと姿を消していく。

 ミシャグジも神であるはず。それを圧倒し、制する程の神力。

 これなら大和にも……

 

 

「生斗」

 

「な、なん___」

 

 

 諏訪子への返事をしようとしたその時、おれは腹部の衝撃とともに宙に浮いていた。

 瞬時に起きた出来事に、激痛も相俟って全く理解が追い付けなかったおれは、空を飛ぶことを忘れそのまま湖の中へと着水してしまう。

 

 

「うべぼば!!?」

 

 

 水に顔まで浸かったことにより息ができなくなり、ただでさえ腹部へ来た衝撃のせいで体内の酸素の大半を吐き出してしまっていたため、急激な酸素不足に陥る。

 早く息をしなければならないという使命感とともに危機感を覚えたおれはたまらず強引に自分を霊弾で吹き飛ばした。

 浮遊には一定の集中力が有する。呼吸困難な状況で、かつ激痛により正常な判断を欠いていたおれには自傷の他にこの危機を脱する手段を考えられなかった。

 

 

「がはっ」

 

 

 自分を吹き飛ばしたことによりなんとか陸に着地することに成功したが、あらゆる傷害による激痛が全身に走る。

 肩から着地したことによる打撲、おそらく殴られたであろう腹部の臓器圧迫、霊弾を受けた時に犠牲にした両腕の内出血。

 特に真ん中の怪我を筆頭に全身に痛みが蝕む。

 

 

「一発殴っただけで瀕死になりましたね。情けない」

 

 

 翠に心ない一言に憤りを感じつつも、おれは腹を押さえながら蹲ることしかできない。

 くっ、神の一撃を生身で受けたらそりゃこうなるだろ! 逆に内臓飛び出してないだけでもましな方だ!

 

 

「生斗、私に黙って危険な賭けに出ようとしてたのは本当?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ、ぐっ」

 

 

 黙ってではない、ミシャグジに後で知らせるつもりだった。と言い訳じみたことを口走ろうとしたが、脳が酸素を取り込もうとちょっとした過呼吸に陥ったおれは、返事を返すことなく呼吸をゆっくりとすることに努めるしかできなかった。

 

 

「そんなに強くしたつもりはないんだけど」

 

 

 馬鹿野郎! 強い弱いもない! 意識外からくる腹パンは誰に対しても効果覿面なんだよ! 殴るときはちゃんと言ってから殴れ! ……言われたら殴らせないけどな!!

 

 

「ちょ、ちょ、と待って、くれ」

 

 

 まずは呼吸を、その次に霊力操作で治癒能力を水増ししなければ。そうすれば幾分か楽になる。

 あの殴打は完全な不意を突かれた一撃だった。諏訪子的にはちょっと殴って怒りの気持ちを伝えようとしたようだが、当たりどころと威力がちょっとの域ではなかった。

 あれ、あれだよ、普通の人なら軽く失神してんじゃないの? ていうか殴られたとき霊力で身体纏ってなかったからおれもそこらにいる常人となんら変わらない状態だったんだけど。

 やはりおれの精神力と根性があるからこそ意識保っていられている節があるな。

 

 

「はぁ、はぁ……ふう」

 

 

 そんな下らない事を考えていると、漸く息が整い、身体の痛みを和らげることができてきた。

 だが寒い、寒気がする夜の湖にダイブしたのだ。当然と言えば当然だ。

 

 

「火、炊こうか?」

 

「そ、そうしてくれると、助かる」

 

 

 おれが凍えているのを察知したのか、先程の怒りをどこかに置いていったように不安げに話しかけてくる諏訪子。流石にやり過ぎたと反省しているようだ。

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 湖のさほど離れていない位置で焚き火をして数分、火の温もりが身体の芯まで暖めてくれる感覚に酔いしれていると、向かい側に座っていた諏訪子が話しかけてきた。

 

 

「さっきはごめん」

 

「いや、諏訪子が謝ることはないよ。元はおれが原因みたいなもんだしな」

 

 

 ぱちぱちと炎が枝木を焼く音が妙に辺りに響く。

 一時の沈黙。先程までの勢いとは打って変わって黙りこんだ諏訪子。さっきのことを引きずっているのだろう。

 ここはおれから話すべきだろう。どうせ先に伸ばしても結果は変わらない。

 そう決心したおれは、翠が燃え尽きた枝木の燃え屑を崩して遊んでいるのを横目に口を開いた。

 

 

 

「諏訪子がさっき言ってた質問……黙って危険な賭けに出ようとしていたのは事実だ」

 

「……」

 

 

 おれの応答にやはりという顔をする諏訪子。

 翠のやつ、おそらく全部諏訪子にちくっている可能性がある。

 何が目的でした行動なのかはわからない。ただ一つ確定したのは後で翠にアイアンクローを食らわせるってことだ。

 

 

「私が、それを良しとしないのは分かってるよね」

 

「ああ、黙ってたのは本当にごめん」

 

 

 黙る他なかった。このことを話して、諏訪子が了承するはずがない。

 大和と話がついて、後に引けない状況にしてから話すつもりだったのに、その後に殴られようが追放されようが受け入れるつもりだったというのに。

 

 

「熊口さん、流石にやろうとしている規模が大きすぎます。諏訪子様を騙そうとしたって無駄なのはわかっていたはずですよ」

 

「第一に私を大和の国の連中と戦わせようなんて、ミシャグジじゃなくても激怒されるよ」

 

「熊口さんは諏訪子様がどれだけ信仰されてるのか理解できてない馬鹿野郎ですもんね」

 

「大がつくほどのね」

 

 

 二人しておれの行いを咎めにかかってくる。その光景はさながら、子犬に群がるいじめっこ達の如く。

 唯一の救いは二人とも本気で首を絞めにかかってきていないところか。なんだか、こう、小馬鹿にしてくる中学生みたいなノリだ。

 あっ、一人は小学生だ___

 

 

「がっ!?」

 

「ごめん、手が滑った」

 

 

 諏訪子の被っていた帽子のツバが鼻に直撃し、思わず涙目になって両手で鼻をおさえる。

 確実に故意だ。前触れもなくヘンテコ帽子が超スピードで飛んでくるわけがない。

 ていうか思いっきり投げ終わったモーションで固まってるし。

 

 

「翠から聞いたとき、あんたに対するこの上ない怒りが込み上げてきたよ」

 

「……」

 

 

 鼻を押えたまま、言葉が見つからかいおれはただ押黙る他ない。

 

 

「なんで私に言わない。まず私に戦わせようとしているのになんで本人に報せないの。なに、仮にあんたの思惑が成功したとしても 、わけもわからないまま駆り出された私に何をしろって言うの。犬死にも良いところだよ」

 

「そ、それはミシャグジを通して___」

 

 

 ___報せるつもりだった。

 その発言を言い切る前に、諏訪子が一瞬にしておれの前まで来て、そのまま体重をかけて張り倒す形で跨がってくる。

 

 

「言い訳は聞きたくないよ」

 

 

 目と鼻の先まで近付いた距離で聞こえた声は、どこか悲しく、憂いを含んだ声音だった。

 

 

「どうして、あんたはこの国のためにそんな事をしようとしてるの?」

 

「えっ」

 

「私が怒ってるのは、私に黙っていたことだけじゃない。この国の皆に危険を及ぼす可能性があるからだよ_____とくに生斗、あんたのことをいってんの」

 

「おれ?」

 

「敵国に一人で乗り込んで一騎討ちしろなんて言ってみなよ。晒し首だけじゃ済まないかもしれないんだよ」

 

 

 そこをなんとかして話をすれば……できる、のか? いや、しなければ。

 

 

「なんで私が友人の無駄死にする確率の高い行動に承諾しなきゃいけないの。嫌だよ、絶対に嫌」

 

「それはおれの台詞なんだけど」

 

 

 諏訪子がまさかおれのために怒っていたとは思っても見なかった。

 正直嬉しい。短い付き合いとはいえ、本気で自分のことを心配してくれるまでに友好関係が築けていることがわかったから。

 だが、それで止まるわけにはいかない。

 

 

「他のために自分を犠牲にしようとしてるのはお前だって一緒だろ」

 

 

 開き直りにも近い形でおれも反論する。

 諏訪子が承諾してくれるまで歯向かってやる。

 

 

「国のために自分を犠牲にして誰が喜ぶんだよ。早恵ちゃんは戦を起こそうとして、翠は自分達が危険にさらされるかもしれないのにおれに協力し、ミシャグジは諏訪子が傷つくのを頑なに認めなかった。

 なあ、誰が喜ぶのか教えてくれよ。諏訪子様が犠牲になったおかげで助かったーありがとうございますーって言うやつが果たしているのか?」

 

「……」

 

 

「諏訪子、翠から聞いたぞ。お前はこの国の母親みたいなもんなんだろ?」

 

「……っ!」

 

「おれのことを心配する必要なんてない。お前はお前が護りたい者のために行動してくれよ」

 

「……生斗だって、護りたいよ」

 

「余計なお世話だし傲慢だ。諏訪子に護られるほど弱くはない」

 

「諏訪子様の軽い殴打で撃沈してましたが」

 

 

 翠、今は大事な話をしているから黙っててくれ。

 

 

「お願いだ。おれが大和の国へ交渉へ行くのを承諾してくれないか? 」

 

 

 これで駄目ならもう、無理だ。他の手を考えるしかない。

 その他の手も今の案より確実に劣るだろう。

 

 

「……なんでさ、なんでそこまでしてこの国を護ろうとするの?」

 

 

 すっかりと意気消沈した諏訪子は、顔を落としたままおれの襟首をただただ握り締める。

 

 

「何か勘違いしているようだけど、おれは別にこの国を護ろうなんて考えてないぞ」

 

「___えっ?」

 

 

 考えに食い違いが起きてるようだ。今おれが言った通り、別にこの国のために動くわけではない。

 

 

「おれがやる行動原理は一つ、諏訪子、お前を救いたいからだ」

 

「わ、私……?」

 

 

 落としていた顔を此方に向け、心底驚いたように目を見開く諏訪子。

 

 

「ついに熊口さんも諏訪子様を崇拝するってことらしいですよ」

 

「そうなの?」

 

「違う、そうじゃない。翠シャラップ」

 

 

 別に崇拝しているからではない。おれが諏訪子を救いたいのは___

 

 

「もうおれら、友達だろ? 理由なんてそれで充分だろ」

 

「……!」

 

 

 友達の諏訪子のなにか役に立ちたい、相手の意思を汲み取った最善の策はどうかって考えた結果、ピンと今回の策が思い浮かんだ。かなりアバウトに出来てはいるが、筋を通らせるように考えればなんとでもなる。

 

 

「ちょっと待ってよ! そ、そんなことで自分の命を危険に晒そうとしてるの!? たったそれだけのことで!」

 

「あっ、そうそう、もう一つ勘違いがあったな。おれはそもそも死ぬつもりなんて更々ない」

 

「えっ!?」

 

「死ぬつもりは、な。たとえ死ぬような事態になってもおれは大丈夫だ。翠、お前なら分かるだろ。おれの記憶読んでたんなら」

 

「ん~、まあ、はい。確かにそうですけど。熊口さんの事の殆どは諏訪子様に話してますから知ってますよ。勿論能力のことも」

 

「おいこら翠このやろう」

 

 

 おれのプライバシーの権利はないってか!

 

 

「だって、諏訪子様に隠し事なんて出来ませんよ。それに知られても困ることでもないし別にいいでしょう」

 

「それはおれが決めることであってお前が決めることじゃない!」

 

 

 おれの言い分を軽く受け流し、諏訪子の方に顔を向ける翠。

 確かに今は隠す意味はないかもしれない。だけどさ、そういうのはもうちょっと雰囲気作ってから言うべきものだろ。現におれは今、能力のことを話そうとしていた。

 それをな、ほんと……くぅ、台無しじゃないか。

 

 

「それにいい加減この不毛な言い合いを終わりにしたいですし。ね、諏訪子様」

 

「……」

 

「はあ? 何が不毛なことなんだよ。今は大事な話をしてるんだ」

 

 

 ___お前は黙っていろ。そう言おうとしたおれの口は、次の翠の発言によって封じられた。

 

 

「最初から決まっている事を延々と続けることの何が大事な事なんですか」

 

「……はあ?」

 

 

 最初から分かってる? なんだ、もしかして最初から無理だと分かっていたってことなのか。

 

 

「翠、別に私は延々と続けるつもりは無かったよ。不毛でもない。ただ、区切りをつけてくれたことには感謝するよ」

 

「おい、どういうことだよ」

 

「まあ、翠の言うとおり最初から決まっていたってことだよ」

 

 

 そう言っておれの上から退いて立ち上がる諏訪子。

 なんだよそれ、最初から決まっていたって……もしかして本当に断られるってことがか?

 それをしたくないからこそおれは諏訪子に黙っておく選択をしたというのに___

 

 

「それじゃあ生斗、よろしく頼むよ」

 

「…………えっ?」

 

 

 諏訪子のあまりにも先程との態度の温度の変化が起きた事より、今何を発せられた言葉が聞き取れなかった。

 今、なんて言ったんだ?

 

 

「大和の国との交渉、あんたに任せるよ。まあ、話す内容は翠に従ってもらうけど」

 

「任せてください。胡麻と同等程度の脳の大きさの熊口さんをきちんと先導しますから」

 

 

 ___あんたに任せる。お次ははっきりとおれの耳にそう聞こえた。

 

 おれが待望していた、そして困難だと半ば諦めていた言葉が、今聞かされたのだ。

 

 どうして、なぜ急に、今の今まで否定的だったと言うのに。それを翠の糾弾により覆す発言はどういうことなのだ。

 

 まさか、翠のやつが何か手回しをしたってことなのか?

 わからない。おれがミシャグジ達と戯れている間の出来事なんて知るわけがない。

 とりあえず後で問い詰める必要があるようだ。

 

 

「なんでいきなり意見を覆したんだよ。それにいいのか、この国の皆を危険に晒すことになるんだぞ」

 

「なにも危険を冒さずに良い結果を出そうなんて虫が良すぎるってさっきあんた言ってたでしょ」

 

「聞いてたのか……」

 

 

 その話は諏訪子がくる前に話していた筈だ。それを知っていると言うことはあの時点でこの湖周辺にいたか、偶然聞こえたのかのどちらかだ。

 

 

「その通りだよ。私だってこの座を譲りたくはなかった。でも最初は自分一人の犠牲で皆を救うにはああするしかなかったんだ。

 ___あんたが出てくるまでは」

 

「おれが動いた事で話が変わったってことか?」

 

「ぷふっ」

 

 

 おれの真剣な質疑に思わずといった感じに笑いを噴き出す翠。

 この野郎、馬鹿にしてんのか。

 

 

「あっと、すいません。随分と自分を立てた言い分だと思いまして」

 

「自分を立てた?」

 

「諏訪子様は元から大和の国の尖兵と戦う気だったんですよ。熊口さんが今持っている書状にもそう書かれているそうですよ」

 

「はあ!? なんだよそれ!」

 

 

 書状に書かれてるって……てことはおれがやろうとしてたことは無駄だってことなのか!?

 

 

「ただ、適任者がいなかった。大和へと赴き、もしものことがあっても生きて帰ってこられる人材が。一か八かで書状を出しては見たけど紙だけ寄越してもあっちが簡単に了承するわけもない。

 そんな時に生斗が申し出てくれるって翠から聞いて驚いたよ。

 まさか生斗と同じ考えだったなんてね」

 

「諏訪子は、そのときおれを行かせようなんて考えてなかったのか?」

 

「全然。この国の問題であって生斗とは関係ないし、こっちの勝手な都合でそんな重い負担を背負わせたくは無かった」

 

「でも、力や能力的にも熊口さんは適任でした。それが今回の申し出を了承した一番の理由です」

 

 

 誰一人として死なせたくない。

 大和へと赴き、生きて帰ってこられる人材。確かにおれは大妖怪を退けた実績もあるし、一度や二度の死傷を受けて死なないーーいや、実際は死ぬけど。

 行かせたくないとしても傲慢に考えていては埒があかない。それが今回の結論に至ったのだろう。

 

 なら、尚更疑問に思う事がある。

 

 

「ならなんで、さっきまでずっと否定的だったんだよ」

 

 

 そう、先程まで怒りを見せておれを糾弾していた。

 翠の指摘によっていきなり冷静になった辺りからずっと疑問だった。

 

 

「……あれは、本心だよ」

 

「本心……?」

 

「生斗、あんたの本心を知りたかった。だから私もあんたに本心を晒け出したの」

 

 

 おれの本心を知りたいから、か。

 ……翠に聞けば一発なんじゃないか?

 いや、そう言うことではないのか。本人の口から聞きたいってことなのだろう。

 

 

「それがまさか友達だからってだけで動いてたなんてね。素で驚いちゃったよ」

 

「そんなに驚くことか?」

 

「熊口さんの思考回路は少々あれなんで仕方ないんですよ。これでも本人は本気ですからね」

 

「あれってなんだよ。おれがちょっと頭おかしいやつみたいな言い方して。友達が困ってるのに手を差し伸べないで何が友達なんだよ」

 

「だ~か~ら~! 諏訪子様にそんな馴れ馴れしくしないでくださいって」

 

 

 馴れ馴れしくていいだろ。元々は諏訪子から友好を築きたいといってきたんだ。おれはそれに応えてるだけだ。

 

 

「いいんだよ翠。私は逆に嬉しいよ、これまでにそんな砕けた感じに話してくれる相手なんていなかったからさ」

 

「そんな無礼者はこの国にはいませんから」

 

 

 無礼者って。おれだって人を見て敬語を使うかどうか決めてから話してるぞ。

 あっ、これいったら二人から批判を受けそうだから口にはしないでおこうーーもしかしたら翠はそれを知ってて無礼者といってるのかもしれないが。

 

 

「んまあ、とりあえず大和の件はおれに任せてくれるってことでいいんだろ?」

 

「うん、翠の指示をちゃんと聞いてくれればね」

 

「先程諏訪子様から御指導を受けたので完璧です!」

 

 

 おれがミシャグジ達と戯れている間に交渉の算段も決められていたというのか。

 仕事が早くて何より……ほんとおれ、ミシャグジなんかに頼まなければよかった。

 

 

「さっ、生斗はもう寝な。明日からあの使者と山を幾つも越えなきゃいけないんだから」

 

「おれだけ? 諏訪子と翠はここに残るのか?」

 

「ちょっと打ち合わせをね。なに、私と翠は一日寝ないぐらいでへばらないから平気だよ」

 

 

 打ち合わせ……おそらく大和での行動や行き帰りの道中についてだろう。

 算段を決めたとはいえ、おれと翠が別れたのは一時間程度、翠が諏訪子のところへ行って事情を説明するのも含めたらあまり話せてはいないだろう。

 

 

「なんだ翠、完璧じゃないじゃないか」

 

「言葉の綾です。私の中では完璧ですもん」

 

「慢心は失敗を生むんだよ。しっかりと覚えてこい。分からないならおれも手伝うから」

 

「言われなくても分かってます。あと手伝わないで結構ですから。熊口さんはさっさと寝てください。まだ病み上がりで身体は鈍ってるんです。しっかり休んで明日に備えないと道中で倒れますよ」

 

 

 そういえばおれ、今日復帰したばかりだったな。あまりにも身体がいつも通り過ぎて忘れていた。

 ……ていうかそんな病み上がりな状態なのに諏訪子のやつ、おれをぶん殴って来たのか。

 

 

「んじゃあ、おれは帰って寝るか。そういえば道義のやつも家に誰も居なくて慌ててるだろうしな」

 

「あの使者に何も言わずに出ていってたの?」

 

「なんか素振りしだして言い出す機を逃しちゃってな」

 

「脳筋でしたね、あの人」

 

 

 今頃道義の奴は何をしているのだろうか。流石にもう丑三つ時に入るぐらいに夜は更けている。寝ている可能性の方が高いだろう。

 

 

「なら早くいってあげな。もしかしたら心配して外に出ているかもしれないよ」

 

「そうか? 諏訪子がそういうのなら行くけど」

 

 

 まだ話し足りないこともあるが、おれも眠気が出てきた。これ以上起きていたら明日に支障がでるかもしれない。いや、もう時間的にも支障をきたす域ではあるのだけど。

 

 

「よし、じゃあ帰るか。諏訪子と翠も無理はするなよ」

 

「あんたもね」

 

「お休みなさい」

 

 

 そう言葉を交わし、おれは湖を後にした。

 うぅ、まだ少し服が湿っぽくて寒いな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_______________________________

 

 

 

 焚き火の勢いも衰え、紅蓮色に染まっていた枝木も漆黒の色へと変貌している。

 

 

「友達だから、か」

 

 

 己の神域である湖を眺め、呟く諏訪子。

 何処か嬉しげな声質に翠は口を開く。

 

 

「諏訪子様、なににやけてるんですか」

 

「ん? 今私にやけてた?」

 

「はい、まるで自分の策が思い通りに事が運んで笑みをこらえるかのような表情ですよ」

 

 

 まさか、と諏訪子は思わず口を覆う。

 

 

「諏訪子様の演技力には頭が上がりませんよ。熊口さんと友達だなんて、そう思わせて行かせざるをえない状況にする算段だったのでしょう」

 

「はあ? 何いってんのさ。そんなわけないでしょ。確かに生斗が行ってくれるだろうとは思っていたよ。だからって偽って友達と語るわけがないじゃん」

 

 

 やっぱり、といった感じに溜め息を吐く翠。どうやら鎌をかけただけのようだ。

 

 

「私としてはあの人と諏訪子様が対等であることに不服なのですが」

 

「まあいいじゃん。これから生斗はこの国の救世主になるかもしれないんだよ?」

 

「それはそうですけど……」

 

 

 森に囲まれた湖に冷気の含んだ風が吹く。

 湖は波紋を作り出し、諏訪子の帽子もあやうく何処かに飛んでいきそうなところを慌てて鍔を掴んで安全を確保する。

 

 

「はあ、もういいです。諏訪子様が良いとおっしゃるのなら私はこれ以上何も言いません」

 

「あっ、結構簡単に折れるんだね。いつもは頑なに粘ってくるのに」

 

「私が何を言っても無駄でしょう。それに別にあの人の事が嫌いってわけでもないですし」

 

「へぇ」

 

 

 翠自身、生斗が大和の国へと使いにいってくれる事に感謝している。だから簡単に引いてきたーーそう諏訪子は推察し、この事に関して言及することをやめた。

 

 

「さーて、それじゃあ早速始めるよ。翠には朝までに憶えてもらわなきゃいけないことが山ほどあるんだから」

 

「大丈夫です。暗記は得意ですから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翠と諏訪子が打ち合わせに励む中、生斗が帰ってきても素振りをしていた道義と流れで夜が明けるまで剣の稽古をすることになったのはまた別の話。

 

 

「お願いだ! 寝かせてくれ!」

 

「何を弱音をは吐いておる! 自分で素振りなんて何万本やっても疲れないと言ったのだぞ! せめて私より長く素振りをしてみろ!」

 

「それ今じゃなくてよくない!?」

 




3ヶ月以上放置してすいませんでした!
次からはリハビリも含めて少し短めで書くと思います。

あ、それと修正前の生還録に掲載していた嗜好品さんから頂いた挿絵です。↓


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十七話 過剰なストレス

今回はなんかちょっとディスり回になってしまいました。
それが苦手な方は見ないことをおすすめします。


 

 

 ______空が青い。

 

 

 

 

 全てを照らさんとする丸い球体、その光の妨げとなる白い気体は見渡す限り見当たらない。

 

 

 

 額に一滴の汗が流れる。

 

 しかしその水滴も一分もすれば冷気により乾燥し、己の体温を下げる要因と化す。

 

 

 

 あれから何時間のこと歩いた……?

 

 道義と朝まで素振りをして、軽く身体を拭いて諏訪子達と合流。腕に力が入らない状態で支給された荷物を背負い、そのまま道義と共に国を後にした。

 

 もちろんこの間に睡眠などない。明日に備えてしっかりと寝ていろ、と諏訪子から言われていたというのに。

 

 

 

『熊口さん顔が死んでいますよー。なんですか、このぐらいでバテちゃうんですか? えー、昨日の威勢は何だったんでしょうね。今から帰っておねんねでもしますか?』

 

 

 翠の煽りに殺意が沸く。

おれ一人でいいのに、こいつはおれの気づかぬ間にさも我が家のようにおれの中に入っていた。別についてこなくてもよかったのに。

 

 

「生斗、大丈夫なのか。死人のような顔をして」

 

 

 

 半分お前のせいだということ忘れるなよ道義この野郎。

 

 反論しようにも声に出すエネルギーが勿体無い。そもそも寝てないせいで頭が回らない。

 

 ただただ空腹と眠気による苛つきがおれの感情を支配している。

 

 

 

「そろそろ昼しよう。生斗も、徹夜で剣を振るったし疲れたであろう。山ももう二つ越えたし丁度いい」

 

 

「出来れば一つめ越えたときに休憩したかったんだけど……」

 

 

 

 

 

 ていうか道義のやつどうなってるんだ? 昨日は諏訪子の国についてすぐ早恵ちゃんと乱闘をして、おれの家ではほぼずっと剣を振っていた。

 

 なのに疲れている様子が一向に見受けられない。こいつのスタミナが単の化け物なのか、それともポーカーフェイスなのか。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。今は飯だ飯。これで少しでもエネルギー補給をしなければ____

 

 

 

 

「……なっ!?」

 

 

 

 

 荷物から取り出した笹の小包を開けると、そこには笹と同じ色をしたスライム状のなにかがおれの目に映った。

 

 

『早恵ちゃんがどうしても熊口さんに作りたいといったので。これで栄養をつけて使者の息の根を止めてください、だそうですよ』

 

 

 余計なお世話だよ! 大和に行く前に一回窒息死しとっけってかあの悪魔(早恵ちゃん)

 

 どうするんだよこれ……この前の雑炊(謎)の固まったver.だよ。

 

 この前注意したよね? なんでまたつくってくるんだ。学習しないのかあの子は!

 

 

『さあ、食べて楽になってください。一回亡くなれば疲れもとれるかもですよ』

 

 

 ふざけるな! 翠お前が食べろ! さっさと食べて成仏しろ!

 

 

「むっ、それはなんなのだ?」

 

「握り飯」

 

「嘘をつくな。そんな得体の知れない気色悪い塊が握り飯なわけあるか」

 

 

 ほら道義もこう言ってる。もうこれ食材の無駄使いとかの次元じゃないよ。

 

 逆にどうやったらこんなになるんだ。こんな古代に緑色のスライムを作り出すなんて一種の才能としか言いようがないぞ。

 

 ていうか米を握るだけでできる代物だろおにぎりって! なんなの、早恵ちゃんの手のひらに触れるとめちゃくちゃ臭いスライムができあがってしまうのか?

 

 

「……だが、なんだかそそられる匂いがするな」

 

「はっ? 」

 

 

 そそられる匂いって……そんなわけないだろ。この前だって生魚の腐った臭いが____うぷっ、更にキツイやつだ。一週間洗わずに履き続けた靴下のような臭いがする。

 

 

「お前、趣味悪いな」

 

「ああ、確かにそうかもしれない。こんな汚物を見て食べたいと思ってしまう自分がいるのだから」

 

「道義流石に落ち着け。一旦冷静になろう」

 

 

 

 

 

 流石に今の発言は聞き捨てならない。

 

 自ら汚物と明言しているにも関わらず食べたいなんて。道義は普段生ゴミでも食べてるんじゃないか? いや、それだとしてもだ____

 

 

「これ食べるぐらいなら、生ゴミ食べた方がましだ!!」

 

 

『このこと早恵ちゃん聞いたら泣きますよ』

 

 

 死ぬよりかは大分ましだろ。

 

 

「大丈夫だ。流石に塵より不味いという訳ではないだろう。なんならどうだ、私の握りと交換せんか?」

 

「おお、いいのか!?」

 

 

 道義の右手には普通の握り飯が入っているであろう笹包を握られており、おれの前に差し出されている。

 

 交換条件は誰もが食用だとは思わないであろう緑色のスライム。

 

 これ、悩む必要あるのか?

 

 

「……おい道義、自分の言ったことには責任もてよ。言ったからな、その握り飯とおれのこの汚物を交換していいって。おれは遠慮なくするぞ、いいのか」

 

 

『必死ですね、可哀想に』

 

 

 うるせぇ! お前にあのときの窒息した苦しみがわからないからそう言えるんだ!

 

 あの飲み込もうとしても突っかかり、吐き出そうとしてもベタついて上手く吐き出せず、気を失うまで地獄の苦しみを味わう。

 

 もはや拷問だ。拷問食品だよこれは。

 

 

「いいだろう。そら握り飯だ、受けとれ」

 

「ああ」

 

 

 遠慮なく差し出された握り飯の入った笹包を受け取り、代わりにスライムを道義に渡す。

 

 

「これが……くっ、なんとも言えぬ臭さ。本当にこれは食べられるのか?」

 

「一応忠告するが一気に全部飲み込もうとしたら窒息するから少量ずつ味わって食べるんだぞ。でなきゃ死ぬ」

 

「ごくっ……」

 

 

 ずるはなし、と言わんばかりの汚物だ。味を確かめず一気に食べようとすれば死、味を確かめても失神不可避、それも少量ずつなど拷問以外の何物でもない。

 

 こんなものを食べる気になるのだから道義は相当な変人だ。

 

 

『後でこのこと早恵ちゃんに言いますね』

 

 

 言ったら翠もこれ食べさせるからな。

 

 

『いえ、ちょっとそれは……』

 

 

「よし、では行くぞ!」

 

 

 決心したかのようにスライムの一部をつまみ、口の前まで持っていく。

 

 そもそも食べるのに決心するのも不思議な話だが、今回の場合はそうでもない。

 

 

「いけ道義! お前なら行ける! たぶん!」

 

 

 いつの間にか眠気による疲れも忘れ、道義vs早恵ちゃん特製握り飯との戦いに固唾を飲む。

 

 

 そしてついに、道義の口内へスライムが侵入し____

 

 

「…………!!!!?」

 

「大丈夫か! 吐け、今すぐ吐くんだ!」

 

 

 あまりの味の衝撃だからなのか、その場にしゃがみこみ、両手で口を覆う道義。

 

 ……まあ、予想はできてたけれども。そりゃ踞りたくなるよ。

 

 

「道義、食べ物を粗末にしたくない気持ちもわかる。だけどそれで死んでしまったら元も子もないんだ。もう楽になっていいんだ」

 

 踞って震える道義の背中をさすり、吐くよう促す。あれを食べただけでも勇者だよ、お前は。おれのときは作った本人がいて吐くにも吐けない状況だったから仕方のないことだけれども、今は劇物を作った張本人はここにいない。道の端にでも吐き出しておいても誰もわかりはしないだろうに。

 

 

「……」

 

 

 なのに吐き出す様子がない。

 

 見る限りでは窒息して苦しんではいない。もしかして、一摘まみとはいえ、あれを食べきったとでも言うのか……!

 

 そんなことを考えていると、ずっと震えていた道義の口から呻きのようなか細い声が聞こえてくる。

 

 

「うっ……う、……」

 

「どうした、苦しいの___」

 

「う……美味い!!」

 

「___はっ?」

 

 

『えっ?』

 

 

 美味い……? なんだか本来の感想とはかけ離れた発言を口にしたように聞こえたんだが。

 

 

「いやいや、いやいやいや、そんなわけないだろ。さてはあれか? ついでにおれにもどうだとか言って道連れにする気なんだろ? 魂胆が見え見えすぎだぞ」

 

「いや本当だ。こんな美味い物は初めて食べた。臭いに反してこの旨味、後味も癖っけが強いが濃いめが好きな私には丁度いい。本当に、どうやってこんな旨味を引き出しているのかが不思議でならない」

 

「確かにおれもただの握り飯がこんなになるのは不思議でならないけども」

 

 

『早恵ちゃんの料理が美味いなんて、舌ないんじゃないんじゃないですか?』

 

 

 先程までチクるとかほざいていた翠でさえ、こんな酷い言い草になるほど、道義の今言った発言は理解し難いものであった。

 

 この握り飯(失笑)が美味しいわけがない。

 

 あのときの雑炊ですら、絶望を感じさせるには充分過ぎるほどの不味さをかもちだしていたのだ。

 

 

「おれは信じないぞ。それが美味しくないという事実を身をもって知ってるんだからな」

 

 

 そう、おれはこのスライムを体感している。

 

 舌に絡み付く泥々な食感、嗅覚を麻痺らせる醜悪な生ゴミ以下の匂い。

 

 これだけでも充分に害悪なのに、喉に突っかかるあの不快感が相まって本当に最悪だ。

 

 道義が喉に突っかからなかったのは少量しか食べてないから無事だったようだが、その三倍程の量を喉に通らせようとすれば必ずおれの二の舞になる。

 

 

『熊口さんの心を読んで思いましたけど。あれは熊口さんが無理矢理かきこもうとしたからですよ。早恵ちゃんの料理はどんなにアレでもじっくり少しずつ食べるのが普通です。あんなの悪手中の悪手です』

 

 

 なっ!! 何故翠がそんなことを!?

 

 

『……経験者は語る、ですよ』

 

 

 ____!!! ……なるほど、そうか翠も……!

 

 初めて翠とわかり合えた気がする。

 

 

「そうだな、確かに独特で嫌いな者もいるかもしれない。ただ、私はこれを作ってくれた者に礼を言いたい。こんな美味なるものを私に教えてくれたことに」

 

 

 

 道義が礼を言おうとしてる相手が、昨日殺しにかかってきた巫女だとは考えもしてないんだろうな。

 

 

「と、とりあえずおれはお前からもらった握り飯をもらうからな。もうたべてるんだし返せとか言うなよ」

 

「勿論だ。逆にいいのか、私はもうこれを返す気はないぞ」

 

「食べるなり溝に捨てるなり好きにして」

 

 

 おれもいい加減胃の中に何か入れたい。ありがたく()()()()()()を頂くとしよう。

 

 

『あっ、そういえばそれ、諏訪子様がお作りになられてましたね。神が直々に握られた食物なんてそうそう食べられないんですから、味わって食べてくださいね』

 

 

 ほんとか! まさか諏訪子直々に握り飯を作ってたなんてな。

 

 これは期待が高まる。たかが握り飯でも神の手に触れた食物だ。何かしら効能があってもおかしくないだろう。たとえば、徹夜明けの疲れが吹き飛ぶとか!

 

 そんな期待を高めつつ、おれは笹を縛る紐を解いた。

 

 しかしそこには____

 

 

 

「なっ……!?」

 

「おっ、おう……」

 

 

 ___カミキリ虫やムカデのような虫等が、ところ狭しと詰まった握り飯があった。

 

 

「……」

 

「これは虫か、いや、これは私も食べたことがある。確か煮ると美味いぞ。私だけかもしれんが」

 

「す……」

 

「ん?」

 

「す……諏訪子もかよおおぉぉ!!!」

 

「うわっ!?」

 

 

 あそこの国料理下手なやつばかりじゃねぇか!!!

 

 

「いらないよこんなの!」

 

「いらないのか! なら私にくれたりは……」

 

「やるよほら!!」

 

「すまん! 恩に着る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その日はなにも食べず一日を過ごした。

 

 おそらく、早恵ちゃんと諏訪子は悪気は無かったのだと思う。おれも寝不足と空腹がなければ、もしかしたらその意を汲み取って食べていたかもしれない。

 

 ちゃんと思いを込めて一所懸命作ってくれたものなのだ。本当はおれが文句やら愚痴を溢していい代物ではない。

 

 

 

 

 たださ、本当に申し訳ないんだけど……一時の間あいつらの顔みたくない。

 

 

 

 



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十八話 無意味な見栄

 

 

 ______大和の国。

 

 周辺地域の国々を支配下に置き、なおも侵略を進める軍事国家だ。

 国の統一でもしたいのか、それともただの支配欲の強い神々が結託して遊んでいるだけの娯楽か。

 

 そんなものはおれとしては関係ない。

 その侵略の中で友人が傷つく事の方が重要だ。

 

 

「道義、ここって大和の国の中だよな」

 

「ああ、そうだ。もっとも、元はここも別の国であったのだが、神奈子様の素晴らしい軍配によりここも大和の支配下となっているのだがな」

 

 

 辺りには田園が広がっており、所々に家が建っている程度である。

 これでは諏訪子の国と何ら変わりない。

 

 

「そういえば神奈子様ってどこにいるんだ? やっぱり中心部とか?」

 

 

 神と拝められているのであれば中心部にいても可笑しくないのだが、話を聞くところ神奈子は大和の国の尖兵だ。戦に先立ち、偵察・警戒を行うのが尖兵の役割であり、諏訪子の国を狙っているのであれば中心部にいない可能性がある。

 そういうときのため、ていうかあとどれぐらい歩かされれば目的地に到着するのか聞きたい。

 もう歩き疲れたし。地べたで寝ると全然疲れがとれないんだよなぁ。

 

 

「もう少し歩いた先だ。明朝には着くだろう」

 

「まだ歩くのかよ……」

 

「そう言うな。それでも大和の国でも端の方に居られるのだ。中心部なんぞへ行こうものならもう一月はかかるのだぞ」

 

 

 ははは、酷い冗談だ。

 1ヶ月って……なぁ? 馬鹿なんじゃないか。足パンパンなるだろそれ、足パンに。

 ここの連中はそんなのを平気で歩いてのけたってのかよ。食料とかどうしてたんだろうな。

 

 

『1ヶ月ぐらいでへばるのは熊口さんと赤ん坊ぐらいです。まったく、出発初日のときにしても思いましたけど、熊口さんってほんとへたれで意気地無しですよね』

 

 

 ここの連中が体力馬鹿なだけだろ、それ。

 おれは脳筋じゃないからもっと効率的な移動の仕方を知ってるけどな。

 

『どんなです?』

 

 空を飛ぶ。

 

『一般回答的に論外』

 

 いいだろ、実際飛べるんだから。

 

 

「おい、生斗。話を聞いているのか」

 

「ん? ああすまん。翠が中で喚き散らしてたから聞こえなかったわ」

 

「そうか、女子というものは扱いづらい人種だからな。慎重にいなすのだぞ。さもなければ余計煩い」

 

「大丈夫、今は喚き散らして疲れたのか寝てるよ」

 

『わ、私は赤ん坊ですか!? 風評被害はやめてください!』

 

 

 うるせぇ、お前の声無駄に頭に響くんだよ。普通に話してるだけで騒音になることを自覚しておくんだな。

 

 

『熊口さん、本気で呪ってもいいですか?』

 

 

「先の話を戻るが、今日は少し早いが休むことにしよう。明日は夜明け前に出発だ」

 

 

 翠と話している最中に、今日はここで休むことが決定されていたようだ。

 

 

「ここの農民に一晩泊めてもらえるか話をつけてくる。生斗はこの辺りで休んでてくれ」

 

「わかった」

 

 

 久しぶりの雨風が防げる所で寝られるのか。それは本当に助かる。

 ここ最近ではずっと野宿だったからな。夜は寒いわ疲れはとれないわで散々な目に遭った。

 

 

 そんな辛い過去を振り返りつつ、おれは道義を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 ~翌朝~

 

 

 太陽が顔を見せ、小鳥がさえずり始めた頃、おれと道義は神奈子のいる拠点へと来ていた。

 

 

「何者____これはこれは。道義様ではありませぬか。長旅ご苦労様です」

 

「長旅というほどではない。して、神奈子様は?」

 

「屋敷にてご瞑想されておいでです」

 

 

 拠点となる村の出入口にいた門番と道義が話をつけたおかげで、すんなり中へと侵入することができた。

 ここも諏訪子の国内に点在していた村とさほど変わりがない。

 それでもその中に神が出向いているということは、ここは分屯地的な役割を担っているのかもしれないな。

 

 

「ここだけ大きいんだな」

 

「神の居わす場所だからな。それなりのものでなくてはなるまい」

 

 

 門番が屋敷といってはいたが、ここだけは高床式の大きな建物であった。

 ただ、他の高床式の建物と違うのは大きさ。3階建て程度にはある。

 

 

「神奈子様は瞑想中とのことだ。あの方が瞑想をしておられるときは如何なる理由があってもこの中へ入ってはならない」

 

 

 先程門番と話していた事か。如何なる理由があっても、か。ということはここでおれは足止めを食らうってことになるのかよ。

 

 

「気が散るからか?」

 

「眠っているのがバレるからだ」

 

「へ?」

 

 

 屋敷を前にして入れない。その理由が居眠りの邪魔になるからか……うん、叩き起こしたくなる衝動に駆られてきた。

 

 

「瞑想と言っていつも神奈子様は眠られる。このことは従者である我らの中では周知の事実であるのだが、何分神奈子様は体裁を重んじる御方でな。皆黙っておるのだ」

 

「へ、へぇ」

 

 

 て、体裁を護るために、ねぇ。神奈子の従者の皆さんはなんとお優しいことで。そんな見栄に付き合ってあげるなんて。

 

 

「瞑想何て言わずにただ休むって言えばいいのにな」

 

「そうもいかんのだ。神といえば鎮座して瞑想してる姿が様になっていると言っておられてな」

 

「そこにも体裁ってか」

 

「神らしく形だけでもと威厳を見せようとしておられるのだ。そんなことをしなくても我らは神奈子様を畏敬の念を持って崇拝しているというのに」

 

 

 形だけでも、か。確かに諏訪子は一見するとただの金髪幼女だしな。人間の形をしているのなら何かしら神らしい事をして下の者に威厳を見せたいのはわからないでもない。

 

 

『何言ってるんですか。諏訪子様は存在全てが神の威厳そのものなんです。熊口さんの目は腐敗しきっていて見極めることは出来ないでしょうがね』

 

 

 はいはい、諏訪子信徒は静かにしましょうね。

 

 

「はあ、まさかそんなことで足止め食らうなんてな」

 

「すまん。代わりと言ってはなんだが、ここの食事でもご馳走しよう」

 

「食当りしそうで嫌なんだけど」

 

 

 偏食家の1日の食事がどんなのかは少し気になるけど、それをおれの食生活まで持ち込んでくるのなら話は別だ。

 特に下手物好きの奴はな。

 

 

「大丈夫だ。ここの調理担当の者が皆の配食用としているものだから私の趣向にあわせたものではない」

 

「お前今さらっと自分が下手物好きって認めたよな」

 

 

 まあ飯が食えるのならありがたい。

 この旅の間非常食の干肉とかしか食えなかったからな。 いい加減ちゃんとしたものを腹に入れたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「道義くん。確か君は普通の料理がくるといったよね? ねぇなにこれ。粟にコオロギの足が沢山生えてるんだけど」

 

 

 先程道義が言っていたこととは相反し、台の上には大量の下手物料理が並んでいる。

 いや、まあ虫だって食べられないわけではないし? 実際食べたら意外といけるってこともあるかもしれない。

 

 

「これはどういうことだ」

 

「も、申し訳御座いません。先程戻られたと聞き及び、旅の労いに道義様の好物でもと思いまして……」

 

 

 逆におれは早恵ちゃんのあの劇物と下手物料理を同一視していたのかもしれない。

 見た目が悪いものは全て不味いと。

 そう、見た目が悪いだけで味はもしかしたら良いのかもしれない。ここの住人だって進んで不味いものを食べようとする者はそうはいないだろう。

 考えるな、感じろ。視覚ではない、味覚と嗅覚を研ぎ澄ませろ。

 これは食えないものではない、これは食えないものではない。これは! 食えないものでは! ない!

 

 

『うわ~、不味そう』

 

 

 うるせぇ! 折角食べれそうだったのに横槍入れるんじゃない!

 

 

「生斗、無理しなくても良いぞ。すぐに他のものを作らせる」

 

 

 食べる決意をしようとしたそのとき、道義からの助け船が来る。

 だが道義よ。それは泥船だ。乗ったが最後、水溶けて溺れるのは必然。

 何故なら、この食堂らしき部屋には大和の国の奴らが沢山いる。

 そんな中無事に飯を食わせてもらっているのもおれが洩矢の使者としてここへ来たからだ。そんなおれがこのご時世に食わず嫌いをするなんて洩矢の国の沽券に関わるかもしれない。

 ここは嫌がる素振りを見せず、かもこれがなんと美味なるものであるかのように振る舞わなければ。

 ……いや、この料理を美味そうに食べたらそれこそ沽券に関わる問題になるかもしれないが。

 

 

「道義、おれは食べるぞ」

 

「生斗……!」

 

 

 食べるしかないのだ。

 おれの前に並ぶミミズっぽい生物の炒め物や、コオロギみたいな昆虫の盛り合わせ。どの動物かわからない黄色い臓器。

 これまで口にしたことない料理がおれの前にある。見事なまでに下手物のオンパレードだ。ましだと思えるやつが一つもない。

 

 

「お、お主の口には合わぬかもしれないが、この蟋蟀の塩焼はどうか? カリっとした食感がくせになるやもしれん」

 

「お、おう」

 

 

 確かに、まんまコオロギの形をしてはいるが、ほのかに焦げ後と塩の香りがする。

 これなら、目を瞑っていればいけるかもしれない。

 

 

「あーあーあー、道義あんたまた趣味悪いもん食ってるね」

 

 

 焼きコオロギをつまみ、目前にて奮闘していると後ろから麗しい女性の声が聞こえてくる。

 

 

「あんたらも客人きてんのになんでこんなもんだしてんだい。うちの評判が下がったらどうすんのさ」

 

「ひ、ひぃぃ!? 申し訳御座いません!!」

 

 

 後ろから聞こえる料理人の怯えた声。

 いったい誰なのかと後ろを向いたその先には___

 

 

「えっ、え~。重くないの? それ」

 

 

 成人男性程の巨大な輪っかのしめ縄を背負った女性が、堂々と出入り口に佇んでいた。

 

 

 



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十九話 思い込みに油断

 

 無駄に大きなしめ縄を背負い堂々と腕組みをして佇むその女性には神力があった。

 一瞬、あまりのインパクトにタメ口になってしまったが、そのすぐ後に感じた圧倒的神力を目の当たりにし、自分の間違いに気付かされる。

 

 

「いんや、気にするほど重くはないよ」

 

 

 親切にもこの神はおれの質問に答えてくれる。だが周りの目は冷たい。己の信仰する神にいきなりタメ口を放ってしまったんだ。無理はない。

 

 

「んで、あんたかい。洩矢の国の使者ってのは」

 

「そういうあんたは誰なんだ。人間じゃないよな」

 

 

 神力、女、周りが土下座してるーー道義もいつの間にか。

 それらだけでもこの神が誰なのかは一目瞭然だ。

 

 

「あんたが神奈子様か?」

 

「あ……」

 

「無礼者め! こいつを引っ捕らえろ!」

 

 

 女性がなにかを言おうとする前に、部屋中に響き渡るほどの怒号が奥の方から聞こえる。

 

 

「この御方を何と心得る! 我らが御神、八坂神奈子様であるぞ! それを貴様、頭高く敬意も表さぬとは何事だ!!」

 

 

 無駄にこの部屋広いうえ、皆土下座しているから誰がいってるのか分からないな。

 ていうかこの光景なんか自分が偉くなったみたいで笑える。

 

 

「まさか食事中に現れるなんてね。一応礼儀作法の方は出来るんだけど、見事に出鼻を挫かれたね。急に現れるなんて反則だろ」

 

「まだ立て直す時間は……ないね」

 

 

 だが、偉くなった気分に浸れるのはここまでのようだ。おれを抑え込もうと槍やら鍬やらを持った筋肉隆々の男達が迫ってきている。

 

 

「止めてくれたりは……」

 

「止める理由がないね。自分のケツは自分で拭きな」

 

「女性がそんな下品なことを言うもんじゃありませんよ」

 

 

 神奈子さんも悪いお人だ。神奈子さんの鶴の一声で丸く収まるってのに。ま、この状況、態度でかい使者がいったいどんな奴なのかを測るにはもってこいだけどな。止める道理は確かにないだろう。

 

 

「生斗、これはここでいう社交辞令のようなものだ。相手が使者だろうがなんだろうが、相手になにかとケチつけてこういった洗礼を受けさせる。これの対応次第で神奈子様の謁見されるかが決まるぞ」

 

 

 跪いた道義がこそこそ声で俺に耳打ちする。

 いちゃもんもなにも己が信仰している神に対して失礼な態度とってしまっているおれからしたら妥当な対応だと思うんだよね。おれがいうのもなんだけど。

 ___それはまあさておき。

 この状況の対応次第、ねぇ。

 長物をもった複数人相手に此方は手ぶらで一人。普通なら簡単に捕まって追い出されてしまうだろうな。

 

 

『この場を霊力なしで乗り越えたら()()()()であんたの話を聞いてやってもいいよ。なんだか面白い予感がするんでね』

 

「!!」

 

 

 手っ取り早く土下座でその場を切り抜けようとした瞬間、テレパシーが脳内に響き渡る。

 これは……翠じゃない!

 

 

「(まさか!)」

 

 

 脳内に聞こえた声には聞き覚えがあった。つい先ほど会ったばかりの、凄まじい神力を纏った女性___八坂神奈子の声だ。

 おれは近付く男衆達を無視し、声の主を見る。そこには薄気味悪く微笑んだ神奈子の姿が目に映った。

 

 二人っきり、だと。

 先程から考える暇が無かったが、神奈子は妖艶な若妻感が凄い。服越しでもわかるあの胸の質量、紫髪のセミロングにしめ縄の冠、そこに可愛らしい紅葉と銀杏の装飾品。極めつけには何もかもを見透かすような深紅の瞳。

 そんな女性と二人きりの会談……! お兄さんドキドキが凄くて上手く話せる気がしないよ!!

 

 

『気持ち悪いです死んでください____ま、安心してください。そのときになったら私が話をします。とにかく熊口さんは目の前の状況を何とかしてください。負けたら熊口さんの性癖皆にばらします』

 

 

 う、うるせぇ! 性癖なんて誰しもが持ってるもんだろ! でもちょっとそれをされると社会的に生きていける自信がないので止めてください!

 

 

『なら早くやっつけてください』

 

 

「言われなくても分かってる」

 

 

 はぁ、会ってそんなに時間も経ってない女の子に性癖がバレるなんて。それだけでも精神的ショックは計り知れないんだからな。翠はちょっと男心を分かった方がいい。

 

 

 ていうか、結局戦わなきゃいけないんですね。ほんと、ここの連中は血の気が多くて困る。

 

 

「はあ!」

 

 

 まずは一人。おれの後ろから飛び付いてくる男性を転がって避ける。

 くっ、ドテラに汚れがついてしまった。

 

 

「馬鹿が!」

 

 

 転がった先にいた筋肉だるまの男はおれをおもいっきり蹴り飛ばすつもりのようだ。

 だが馬鹿なのはお前の方だ。

 

 

「んがっ!?」

 

 

 転がるといったが、正確には前転。何時でも立ち上がりは簡単だ。

 例えば地面が頭についていようが、一緒についていた手の力をバネに筋肉だるまの顎にドロップキックをかますのは、霊力を纏っていなくともおれにとっては容易でならない。

 

 

「こいつ!」

 

「囲め囲め!」

 

 

 お次には長物を持った四方向からの同時攻めか。後ろに目などついてないおれからしたらたまったもんじゃないな。

 だが、おれには脳が震えてままならない筋肉だるまがいる。

 

 

「うおらぁ!!」

 

「ぐぇおっ!?」

 

 ピヨッた筋肉だるまを背負い、前方にいたのっぽごと吹き飛ばす。

 ____残り三方向。

 

 

 後ろからくる槍の突きーー殺す気かよ。

 尻目をしていたおかげで軌道は読めた。

 

 

「なにっ!」

 

「もっと突きの練習をした方がいいぞ!」

 

 

 横に少し交わし、腹を軽く掠める程度に留めることに成功。そのまま突撃してくるゴリマッチョの槍を掴み、一気に引き寄せる。

 

 

「なにを__ぐっ……!」

 

「お前! 仲間を盾に!」

 

 

 引き寄せたゴリマッチョの襟を掴み力のまま思いっきり引き込み、左右から振り下ろされた棍棒の盾にする。

 

 

「!!」

 

「「ぐあぁっ!!?」」

 

 

 仲間を攻撃したことにより一瞬怯んだ右側の細マッチョにゴリマッチョをおれの体重ごと押し、三人一緒に倒れる。

 

 

「こいつ……!」

 

 

 三人の一番上にのし掛かったおれ。左側の美マッチョからすれば絶好のチャンスだろう。

 

 

「やれよ」

 

「うるせぇぇ!!」

 

 

 しかし先程のこともあってか、おれへ攻撃するのを躊躇う美マッチョ。

 戦闘において一瞬の迷いが命取りになるというのに。

 

 

「あがっ!?」

 

 

 おれの挑発に触発され大振りに棍棒を振り下ろそうとした美マッチョだが、その前におれの右足が美マッチョの金的に直撃するのが早かったようだ。

 

 

「うおおおおぉぉぉおおお!!!」

 

「分かる。痛いよなこれ。あっ、武器もらうよ」

 

 

 今美マッチョは想像を絶する痛みと戦っていることだろう。

 まあ、そんな事を気にしてる暇はおれにはないが。

 

 

「やっと手に入れた。これでもうちょっとは戦いやすくなる」

 

 

 やっぱり徒手よりこっちだな。徒手だと無駄に動かなきゃいけないし、長物の方が手っ取り早く相手を気絶させられる。

 

 

「神奈子様! こ、こいつ、阿呆面なのにとんでもなく強いです!!」

 

 

 阿呆面とはなんだ阿呆面とは! これでも前は小隊の隊長だったんだぞ!

 

 

「ふ~ん、中々やるねぇ。地力もそこそこ」

 

「神奈子様、抑えてください。貴女が動けば軍が動く」

 

「そうかい? それじゃああんたが相手しな____道義」

 

 

 ___ん、道義?

 

 

「私が、ですか?」

 

「徒手ならここの連中全員でやればなんとかなるだろうと思ったけどさ。あれみなよ、腰が座ってる。あれじゃ多分無理だろう。でも大和の国でも五本の指に入るほどの実力者であるあんたなら」

 

 

 へ、へぇ。道義さんって大和の国でも五本の指に入るぐらいお強いんですねぇ。

 ……ちょっと待てよ。こりゃ不味い事態だぞ。道義の剣筋は早恵ちゃんと戦っていたときにみたことがある。非常にわかりづらい動きと剣筋、戦ったらこの上なく厄介だろうなと危惧をしていた。それに加え道義は圧倒的な持久力の持ち主だ。普通に霊力で水増ししたおれよりもあるぐらいだ。霊力なしで挑めば長期戦は圧倒的に不利。早急にわかりづらい剣筋を潜り抜け道義を気絶に持ち込まなければならない。

 

 _____きついなんてもんじゃないぞ。神奈子さんおれと話す気ないだろ、絶対。

 

 

「……承知しました」

 

「あの使者と仲が良いようだけど、手加減したらあんた、大和の国に帰ってもらうから」

 

「弁えております」

 

「え、えーと……まじすか?」

 

 

 ほんとにやるの? ちょっと道義さん。何マッチョから棍棒受け取ってるんですか。今すぐそんな危ないものを置いて元の場所へお帰り。

 

 

『何一変して弱気になってんですか。さっきまでの威勢を見せてください』

 

 おれは強きに味方し弱きを挫くタイプだからな。

 

『ははは、熊口さんってほんと屑ですよね!』

 

 ははははは、翠ちゃんにだけは言われたくないなぁ!

 

 

「生斗、すまないが全力で行くぞ」

 

「道義様! こんな奴やっつけてやってください!」

 

「道義様だ! まさかこんな余興でお出ましになられるとは!!」

 

「神奈子様直々の指示らしいぞ」

 

 

 いつの間にか周りにはギャラリーがごった返している。さぞかし人気があるのだろう、道義は。まあ、顔もいいし強いしこの人気具合には納得がいく____

 

 ______が、おれはそんな奴にほど負けたくない。アニメとかと王道パターンでいうと、おれが敵役であっちがハーレム系主人公。敗けを知らないちょいと羨ましくて大分腹立たしい奴の鼻っ柱をへし折ってやりたい。

 

 まああれだ。ただ単にイケメンに嫉妬してるだけだ。

 

 

「……ふぅ、やるっきゃないんだな。神奈子さん、さっきの約束、忘れたなんて言わせないからな」

 

「ふふ、私は約束を破るのは大嫌いでね」

 

「? なんのことだ」

 

 

 道義は疑問符を浮かべているが、神奈子はおれの言った事を理解している様子だ。

 

 

「来いよ道義。さっさとこんな茶番終わらせようや」

 

 

 そう言って棍棒を道義に向ける。

 道義もまた、中段の構えでそれに応答する。

 

 

「生斗、恨むなよ」

 

「道義は恨まねーよ。恨む相手が違うからな」

 

 

 おれの返答を聞いた後、道義から油断が消えた。

 流石は五本の指に入る男。佇まいが様になってる。

 辺りはおれと道義の()()()()の様子に____

 

 

 ______ん、一騎討ち?

 

 

 

「んがっ!?!」

 

 

 

 後頭部から突如としてくる衝撃。

 

 不意に来たそれはあまりに強く、おれが意識を手放すには十分過ぎるものであった。

 

 



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二十話 捨てきれぬ誇り

 

 

「んがっ!?!」

 

 

 後頭部からの衝撃。完全に不意をつかれ、なす統べなく地面に倒れ伏す生斗。

 

 

「貴様!」

 

 

 道義の怒号が部屋内に響き渡る。

 それもそのはず。道義もまた生斗と同じで一騎討ちの意気で臨んでいたからだ。

 

 

「はあ、はあ、道義様。油断したのはこやつの落ち度です。この場の誰も、ましてや神奈子様もあなた様とこやつの一騎討ちをしろなどと申しておりませぬ」

 

 

 倒れ伏した生斗の後ろに立っていたのは、先程生斗に投げられたゴリマッチョであった。

 手には先程との槍とは違う棍棒をにぎられている。

 

 

「こやつは神奈子様を愚弄しました。我らが御神に舐めた態度をとった報いを受けさせなければ、ここの者達も納得しませぬ」

 

 

 そう言ってゴリマッチョは道義の前に出る。まるで彼自身が道義に対して何かしらの不満があるかのように。

 

 

「舐めた態度とはなんだ。敬語を使わず、頭が高いだけでか? 信仰の仕方や有無はその者の自由なのだ。それによってその神に害を及ばさないのであれば許容すべきではないのか」

 

 

 ゴリマッチョの言葉を受け、己の持論を持ち出す道義。それに対して周りは頷く者もいれば顔を険しくする者もおり、その状況からでもこの軍勢の中でも宗教の有り方で意見が割れていることが分かる。

 

 

「そうだとしても、国の中の規則は守るべきだ。仮にも信仰の自由を許容したとして、意図しないところでその神の逆鱗に触れたらどうするのです。その者だけでなく、国全体に被害が及ぶのですよ」

 

「確かにそれは分かる。それに関しては今後考えてゆかねばならん議題だ。

 だが国のためにとはいえ、その者をどうするつもりだ。いや、分かるぞ。惨たらしい拷問をした後に息の根を止め、見せしめに洩矢に送りつける腹積もりなのだろう」

 

「な、何故そんなことが分かるのです」

 

「私が気付いていないと思っているのか。聞いたぞ、この前捕虜にしていた______」

 

 

 生斗を放置した状態での口論が繰り広げられる。

 そしてその場にいた神奈子以外誰も気付いていない状況に、彼女は呆れを感じていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()という事実に。

 

 

「そ、それはあの捕虜には何の___」

 

「あんた達、いい加減その話をやめな。

 そんな事はね。時間があるときに、重役を集めて、慎重に決めていくことなんだよ。敵を背後に立ち話で話すようなことではない」

 

 

 呆れた神奈子は、ため息をしながら道義とゴリマッチョの口論に静止を命ずる。

 

 

「それにほら、あんたらが目を離している隙にあの男、動いてるよ」

 

 

 神奈子の言葉に皆は驚き、すかさず生斗に目を向けた。

 そしてそこには震えながらも立つ彼の姿があった。

 

 

「ふ、ふん、小鹿のように足が震えておるではないか」

 

「生斗……!」

 

 

 傍から見て満身創痍、生斗自身も棍棒を杖代わりにしなければ立てないほど、脳内の衝撃は激しかった。

 

 

「あっったま痛てぇ」

 

 

 左手で顔を何度もまさぐり、脳の回復を早めようとする。

 

 

「後ろからて……後ろからて。しかも後頭部! 普通に死ぬやつだろそれ」

 

 

 俯いたまま愚痴を吐く生斗。

 

 

「だけど、おれにも落ち度があるから何にも言えないな」

 

『油断した熊口さんが十割悪いです』

 

 

 顔だけを前へ向け、これから戦うべき敵陣を見やる。

 前にいるだけでも七、八人程度。後ろも同等程度と考えると十六人ほどこの部屋に敵がいる状況。

 頭へのダメージが残る生斗にとって酷な状況であることは明白であった。

 

 

「霊力使えりゃ、わけないんだけどさ」

 

 

 杖代わりにしていた棍棒を構え、戦闘態勢に入る。足は震え、油断すればすぐさま意識を手放す。

 

 

「来いよ、お前ら相手には丁度良いハンデだ。全員まとめてぶっ飛ばしてやる」

 

「なんだと?」

 

 

 だが、生斗は相手を挑発した。この弱った状況ならば油断から敵の手を緩めることも出来たはず。

 それをしなかったのは、生斗の意図によるものか、それともただ単に不意討ちに腹を立てていたのか。それを知るのは本人と取り憑いた悪霊のみである。

 

 

「馬鹿かあいつ」

 

「己の状況をまるで理解できていないようだな」

 

 

 格下の敵国に舐められたと感じた男衆は怒りを露にし、いかにも倒れそうな生斗の周りを囲んでいく。

 

 

「生斗無理をするな。私がこの場を収める。お主との勝負は傷が治ってからだ」

 

「道義、それはありがたい話だが、遠慮させてもらう。ちょっと約束があるんでね」

 

 

 そう言って生斗は、腕組みをしながら微笑む神奈子を睨む。

 

 

「約束? 約束とは___」

 

「うりぁぁ!!」

 

 

 道義の疑問は横から来た男の声にかきけされた。その輩は生斗を倒さんと肉薄していく。

 

 

「あいつに続け!」

 

 

 それにつられてか、先程まで棒立ちしていた連中も次々に生斗へと向かっていった。

 

 

「お、おい待て! 私の話がまだ終わって……!!」

 

 

 必死に呼び止めようとする道義。

 しかし男衆は止まる気配を見せない。それを瞬時に察知した道義はやむを得ないと棍棒を構えようとしたとき______

 

 

「あががっ!?」

 

「ぐふっ!!」

 

 ____二人の男が道義の前に吹き飛んできた。

 二人の男の通り道は波が引いたように割れ、吹き飛ばした本人が道義のの視界に映る。

 

 

「不思議だよな。長物を持ってると勝手に身体が動く」

 

「せ、生斗。まさかお主がやったのか……?」

 

 

 道義の質問に目で答える生斗。

 

 

「長年剣振ってると自然と相手が嫌な立ち回り方や急所がわかって、おれが脳で指示する前には身体がとっくにそれを実行に移してしまっている」

 

「何を言っている!」

 

「何故二人の大男が吹き飛んだのだ!?」

 

 

 周りが瞬時の出来事に状況を把握しきれていない中、道義はいち早く察知していた____

 

 普段の隙だらけで能天気な気配から、数多の死線を掻い潜った歴戦の剣豪の気配に変わっていたことに。

 

 

「こやつをみておりましたが、なにもしておりませんでしたぞ! 勝手に近付いた男二人が吹き飛んでいきました!」

 

「勝手に人が吹き飛ぶわけがなかろう!!」

 

「(周りは生斗が棒を振るったことすら認知できてない。常人には目視できないほどの剣筋とは……しかも弱っている今の状況で) これでわかっただろう。お主らでは生斗は手に負えん。退け」

 

「何を言ってるのですか、道義様。こやつは何もしておらぬのですぞ。それで退けと言われても納得できませぬ」

 

「だから____」

 

「良いじゃないか道義。やらせてやっても」

 

 

 止めようとする道義を制止させたのは、先程まで沈黙を貫いていた神奈子であった。

 

 

「ここにいるやつらは、給食担当の連中だけど、私らの兵であることは変わりない。それに対して洩矢の使者がどんな実力をみるのも悪くないんじゃないかい? あいつが私に失礼を働いたってのも一応本当だしね」

 

 

 神奈子の言い分に出掛けた言葉を飲み込む道義。

 

 神に無礼を働いた使者に対して、こちらもそれ相応に対応するのは当然。その際に()()生斗の実力を測ってしまっても故意はない。

 

 その意図を感じ取った道義は押し黙る他ない。

 

 

「(神奈子様は生斗の実力を知りたがっている。洩矢の民としてではなく、一個人としてだ。この人も本当に人が悪い)」

 

 

 そもそも神の一声は鶴以上だ。どんなにおかしなことであろうが、それに従わなければならない。それが安寧に生きるための必須事項である。特に神の加護を受けている国では、神に少しでも気に障るようなことをすれば即刻打ち首になるような国もあるという。

 

 

「(それにしても……)」

 

「ほんとにあの使者、弱ってるのかい? そんなもの微塵も見せない立ち回りしてるけど」

 

 

 四方八方からくる敵に対して、無駄のない動きで次々と倒していく生斗の姿をみて、神奈子の口端が吊れる。

 

 

「相手のあらゆる急所を寸分の狂いもなく突いているのです。殺傷能力の低い棍棒であれ、急所を突かれてはまず戦闘は不可能でしょう」

 

「ふーん、身体が勝手に動くってそういう意味かい。考えなくとも殴ればそこが急所に当たってるんだろうね」

 

 

 二人の見る先には、次々と倒れ伏していく屈強な男衆。

 十数人いたであろう男達が、残り四人と数を大幅に減らしていた。

 

 

「なんなんだこいつ! 頭を怪我しているのになんて動きをしているんだ!?」

 

「誰かこやつを止め____がぎゃっ??!」

 

 

 生斗は一言も話さず、息も切らさず、そして無表情であった。

 数の不利、ダメージの不利、戦力差の不利、あらゆる不利を乗り越えるため、生斗は極限まで戦うことに集中していた。

 

 

「があぁ!!?!」

 

 

 最後の一人の顎に棍棒が触れようとした瞬間、神奈子と道義はこの場の者が全滅したことを悟った。

 

 

「……全員、やられたか」

 

「やるねぇ、あの使者。まだ二分程度しか経ってないのにもう片付けちゃってるよ」

 

 

 食堂には十数名の倒れ伏す姿が散見されていた。

 或いは痛みに耐えようと呻き声をあげる者、或いは意識を手放し失禁する者、或いは脳が揺られ目の焦点があわない者。

 見れば誰もが一人の男に惨敗を喫したのだと考えられる有り様であった。

 

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 

 周りを一蹴した直後、生斗は酷い息切れを起こした。それもそのはず、十数人を倒す最中、生斗が呼吸を殆どしていないのだから。

 

 

「倒すことに集中しすぎて呼吸を忘れてたのかね」

 

「人間の生命活動をするうえで欠かせないものを忘れるほどの集中力だったというのか……」

 

 

 息切れを起こし、膝を地面につく生斗。しかしその目線の先には、神奈子と道義の二人を見据えていた。

 

 

「はあ! はあ! 来い_ごほっ! はあ、はあ!」

 

 

 誰が見るに満身創痍の生斗だが、道義の前に棍棒を構える。

 

 

「はあ、はあ……そう、だろう? 神奈子さん」

 

「そこまで鬼ではないんだけどね。ま、元はといえばあんたがまいた種だ。責任もって全部回収して見せな。そしたら話ぐらいいくらでも聞いてあげる」

 

 

 言質をとり、生斗は大きく深呼吸をする。

 そしてもう一度構え直し、臨戦態勢をとった。

 

 

「生斗、お主が神奈子様と何かしら約束をしているのかはわかった。

 だが、私はわざと負けるなどと甘ったれたことはせんぞ」

 

「どうぞ、ご自由に」

 

 

 先程まで戦いを止めようとしていた道義はその考えを完全に消した。

 何故なら、生斗から向けられた気によって全身が冷や汗をかいていたからだ。

 大和の国でも五本の指に入るほどの実力者である彼でさえ、生斗から溢れる闘気に恐怖しているのだ。

 そんな相手に手加減など出来る筈もない、ましてや戦いを止めさせようなどと論外にも等しい。

 

 

「いくぞ!」

 

 

 道義は恐怖を振り払うように生斗へ肉薄する。

 

 

「(何故だ、何故汗が止まらない。嫌な予感がする。生斗に近付くなと脳が訴えてきているというのか!)」

 

 

 その間、道義の心境は不安に駆られていた。

 だが、それにより戦闘の中で隙を見せるほど道義は甘くはない。

 

 

「!!」

 

「ふん!」

 

 

 攻撃可能範囲に入った瞬間、生斗は居合斬りを放った。

 しかし道義は高く跳躍し回避、生斗の頭上をくるりと回転し着地する。

 

 

「はっ!」

 

「うぐっ」

 

 背中合わせになってはいたが居合のモーションが解けきれていなかった生斗の方が圧倒的不利、道義は低い姿勢から生斗の両足を蹴り飛ばした。

 その衝撃に一瞬宙に浮く生斗。程無くして肩から地面に激突し、一瞬の激痛に顔を歪める生斗。

 その隙を狙い、道義は間髪いれずに棍棒を振り下ろしたが、風を切る音に反応した生斗は危機を察知し前へと転がり回避する。

 

 

「はあ、はあ……」

 

「よく避けたものだ__だが!」

 

 

 体勢を立て直し、またも生斗へと肉薄をしていく道義。先程よりもさらに速いその走りは、もはや人智を逸していた。

 だが、生斗はさらに速い敵をこれまでに巨万と見ている。人智を越えた速度など、生斗からすれば普通に走ってきているのと同義であった。

 

 

「はあ!」

 

「!!」

 

 

 道義が横斬り、生斗が斬り上げ、道義が袈裟斬り、生斗が横斬りをする。

 

 カンコンカンと棍棒同士がぶつかる音が辺りに鳴り響く。

 

 だが、その音は次第に速く、大きくなり、やがて砂嵐のような不快音と化す。

 

 辛うじて気を失わなかったものは己の未熟さを恥じていた。

 二人の間には木屑が舞い、棍棒がかきみだした空気は風となり辺りを滑り抜ける。

 

 

「(なんて剣撃だ! この私が防ぐので手一杯になるとは)」

 

 

 常人には互角に見えはするが、実際は圧倒的に生斗が押していた。手数の差ではない。道義の振ってくるであろう剣撃を予測し、それに対して有効な剣技を繰り出しているのだ。

 集中にて研ぎ澄まされた観察眼が、相手のほんの僅かな予備動作を見極めることを可能にし、次にどんな技が出るのかを大体把握できるため、生斗の予測はほぼ十割当たっていた。

 故に道義は後手に回る他ない。己の繰り出そうとした剣技の型を無理矢理にでも変えて防御に回らなければ、一撃で沈められると悟ったからだ。

 

 

「(壁がそこまできているだとっ!?)」

 

 

 生斗は道義よりも体力はない。身長も低い。腕っぷしも非力、そしてイケメンでもない。

 それでも尚生斗が押しているのは、圧倒的な場数、経験の差であった。

 

 

「はあ!!」

 

 

 経験の差は絶大であった。

 勝負を急いだ道義はなんとか突破口を開くべく、大振りで生斗の棍棒を弾いたのだが、それが間違いだということを道義本人は気付いていなかった____

 

 ____大振りこそが生斗の狙いであったのだ。

 

 

 

「!!?!」

 

 

 腹部に走る衝撃。

 道義は瞬時に己が蹴られた事を理解したが、その後の追撃のことまでは考えられる筈もなく、顔面に棍棒が直撃する。

 

 

「なに!?」

 

 

 しかし道義は倒れない。

 額から血を流しながらも道義は反撃をし、生斗の横腹を棍棒で叩きつける。

 半ば勝負が決まったと考えていた生斗は思わぬ反撃に驚愕し、横腹を押さえながら後方へ下がった。

 

 

「ま、まさか私が、手を抜かれるとは、な」

 

 

 頭を押さえ、襲いくる頭痛に耐えながら道義は己を卑下していた。

 

 

「有頂天になっていたようだ。大和の国でも、私の剣術に右に出る者はいなかった。それがこんな身近に、しかも手心を加えられるとは」

 

「手加減なんて全くしてないぞ」

 

「生斗が本気で殴っていれば私は気絶か、最悪死んでいた。反撃の猶予もなく」

 

 

 道義の言い分はもっともであった。実際のところ、生斗は道義を殴る際に少しではあるが手を抜いている。

 だが、生斗自身が無意識で力をセーブさせたため、そのことに気付いていない。

 本気で殴ったと思い込んでいるのだ。

 

 

「剣術では私に勝機はない。だが、この勝負には勝たせてもらう。こう見えても負けず嫌いなんでな」

 

「こんなところで発揮してんじゃないよ」

 

 

 お互い棍棒を構え、臨戦態勢に入る。

 いつ相手が動くか、又は己が動くか。切羽詰まるこの緊張の中、生斗は焦っていた。

 

 

「(やべぇ、集中が切れた)」

 

 

 集中により誤魔化していた疲労や傷が、今になって一気にのし掛かっていた。

 気を抜けば瞬時に気を失うところを、なんとか気力で持ちこたえている。

 

 そうまでしてでも倒れないのは、負けられない理由が生斗にはあるからだ。

 

 

「!!」

 

 

 前とは違い、生斗が棍棒を下に構えながら肉薄する。

 ただ真っ直ぐ先にいる敵を見据え、地を掛ける。

 だが大勢を相手に生身で相手をしてきたその身体は、動くことを拒み、走る速度が思うように上がらない。

 

 

「行くぞ!」

 

 

 道義も向かってくる生斗の方角へ地を掛ける。

 お互い肉薄しあうことにより瞬く間に射程距離圏内に突入した。

 

 

「おらぁ!」「はああ!」

 

 

 巨大な岩が落ちてきたかのような激突音。

 棍棒同士がめり込み、そのまま鍔迫り合いとなる。

 

 めきめき、めきめきと棍棒が悲鳴をあげる中、生斗は後ろへと引き鍔迫り合いの体勢を解く。

 その合間に道義は鍔迫り合いにより込めていた力を利用し一回転、その勢いのまま生斗を斬りつける。

 しかし攻撃を予測していた生斗は棍棒の刀身でそれを防御。

 

 

「なにっ! (まだくるか!?)」

 

 

 だが、回転斬りは一度では止まらない。

 二撃、三撃と続き、生斗の棍棒へダメージを蓄積させてゆく。

 

 止まらぬ回転に対して嫌気が差した生斗は、四撃目を横に受け流した。

 

 

「ふん!」

 

「うぐっ!?」

 

 

 横に受け流されたことに体勢を崩した道義だが、その勢いを殺すまいと、倒れる方向を変え、背中から生斗に突進。衝突した二人は共に宙を浮き、すぐさま地面に激突する。

 

 

「泥臭いねぇ。わたしゃこういうの大好きだよ」

 

「ほんと、貴女って戦闘好きなんですね。私、そういう人嫌いです」

 

 

 二人を少し離れたところから傍観している神奈子に、いつの間にか生斗に取り憑いた悪霊、翠が隣に立っていた。

 

 

「おやおや、誰かと思えばあの使者に取り憑いていた怨霊じゃないかい。意外と可愛らしい顔してるねぇ」

 

「知ってたんですか」

 

「人にはそれぞれ霊力の気質があってね。それに他の異物が入ってたらそりぁ気付くさね。それもあんたほど恨みをもった怨霊なら尚更。まあ、さっき道義と戦い始める前に出ていってたようだけど」

 

 

 隣に立たれていたことに驚きもせず、ましてや悪霊を傍にして臨戦態勢に入りもしない。そんな余裕な姿勢を見せる神奈子に対して若干の不満を抱きつつも、翠は二人の戦いの方に目を向ける。

 

 

「私が貴女を襲うとは思わないんですか? こんなに近くまで来てるんですよ」

 

「う~ん、殺気がないからね。普通の怨霊なら殺意ましまし、誰にでも呪い殺す勢いがあるんだけど、あんたにはそれがぜんっぜん感じられない。たったある人物を恨んでいて他は関係ないって感じだね」

 

「……大体当たりです」

 

 

 会って間もない相手に自分の存在意義を見破られ複雑な気持ちになる翠。

 そんな彼女を横目に神奈子は不敵に微笑んだ。

 

 

「ま、あんたのことも気になるけど今はあっちだね。

 あんたはどっちが勝つと思う?」

 

「どうでしょう? 戦闘面では確かに熊口さんが道義さんに勝ってますが、それ以外の殆どが負けていて満身創痍気味。正直負けそうで私も焦ってます」

 

「現状からの考察じゃなくてさ。女の勘ってやつでだよ」

 

「はい?」

 

「戦場じゃ現状を把握し、それに適した判断をとらなきゃいけないのは事実さ。どんなに適した判断をしようと、戦にどちらが勝つかなんて誰にもわからない。ひょっとすれば適した判断を裏手に取られるかもしれないし、相手が奥の手を持っているかもしれない。

 この戦いも一緒さね。あの使者が劣勢なのは事実だけど、それを覆すだけの何かを持っているのかもしれないじゃないか」

 

「はいはい、要は現状の観点から判断するんじゃつまらないから、ぱっとみて自分の直感で言ってみろって事ですよね」

 

「おっ、よく私の結論がそこにくることが分かったね」

 

 

 結論を言う前に答えを当てられたことに驚く神奈子。まさか前置きの段階で言い当てられるとは本人も思ってなかったのだろう。

 

 

「貴女は無駄に小難しい事を並べ立てますが、結局は自分にとって面白いかそうでないかで物事を判断してますよね。熊口さんに提案したのだって同じ理由でしょう?」

 

「……聞いてたのかい」

 

「ええ。ですが、それだけで私が貴女の性格を見破った訳ではありませんよ。これも全部諏訪子様の綿密な下調べのおかげです」

 

「洩矢の神がねぇ。攻め落とした国には口止めしておいたんだけど……どこで情報が漏れたんだか」

 

 

 情報が漏れていた事で納得をした神奈子に対して、翠は___

 

 

「毎度戦の度に民をおいて神同士の戦いにもっていくなんて。お人好しが過ぎるんじゃないんですか?」

 

「戦いが好きなだけさ」

 

 

 道義が以前発言した神奈子が疲弊しているという事実。

 にも関わらずこの付近にいる者達は怪我一つしていない万全な状態であった。

 その光景を見て翠は諏訪子の下調べが確かなものであるのだと確信していたのだ。

 

 

「さっ、話がずれたね。この話は後から存分に出来る。

 さっきの私の質問の回答を聞かせてもらおうか」

 

「女の勘でってやつですか。そうですね、勘でいうなら____あっ、熊口さんです」

 

「あっ?」

 

 

 答える前の何かに気付いたような声をだした翠に対して疑問を感じた神奈子は、彼女の見る目線の先へと顔を向けた。

 そこには____

 

 

「はあ、はあ、はあ」

 

「ほ、本当に凄いな、生斗」

 

 

 地に膝をつき、肩を押さえ痛みに耐える道義と、もはや返事する余裕すらないほど呼吸の乱れた生斗が立っていた。

 

 

「あんた、この状況見て決めたでしょ」

 

「まさか」

 

 

 神奈子と翠の話している間、道義の棍棒は折れていた。

 それにより発生したリーチの差を悉くつかれ、現在に至る。

 

 

「私の剣撃を当てられたのは先程の不意打ちのみ。それに対して私は……真剣での戦いでなら十回は軽く死んでいるな」

 

 

 小鹿のように足を震わせながらもなんとか立ち上がり、道義は再度折れた棍棒を構える。

 

 

「(まだやんのかよ!)はぁはぁはぁ」

 

 

 お互い、ダメージの蓄積や疲労により体力は優に限界を超えていた。

 それでも悲鳴をあげる身体を気力で動かし、二人は立ち合う。

 

 

「次で決まるね」

 

「二人とも今にも死にそうな顔してますね」

 

 

 息が整う間などない。

 

 二人はお互いの間合いへと肉薄していく。

 

 

「はああぁぁ!」

 

「あ"あ"あ"!!」

 

 

 ほぼ同時に右から左、左から右へと逆袈裟斬りを放った。

 剣筋が弧を描き、お互いの頭部へと向かっていく。

 

 _____その最中、道義は笑った。

 

 

「(生斗、剣術は完敗だ。勝てる余地はない)」

 

「!!?」

 

「(だがな! 私は負けず嫌いなんでね!!)うぐあぁ!!」

 

 

 道義の頭部へと到達する筈であった棍棒はある障害物に激突する。

 

 ______その正体とは、腕。

 

 道義は左腕を捨て、右手のみでの攻撃に転じていたのだ。

 

 真剣での戦いでは悪手中の悪手。己の剣の道を閉ざすことに等しい行為だ。

 だが、今持っているものは棍棒であり腕を切り落とす力はない。

 

 道義は大和の国の中でも屈指の剣士であった。そんな人物が悪手である腕での防御に賭けたということはつまり、剣士として敗けを認めたということ。

 

 しかし、剣士として敗けを認めてなお、道義はこの勝負に勝利したかったのだ。

 

 

「私の勝ちだ!」

 

 

 道義の棍棒が生斗を襲う。

 折れてはいても生斗と道義の間合いは()()()()()程に近い、十分に生斗の脳天に棍棒を叩きつけることは可能であった。

 

 

 ______近い。

 

 

 お互い至近距離であり、折れた棍棒でぎりぎり当てられる距離。

 迫りくる敗北。己の棍棒を防御にまわそうにも近すぎてできない。そもそもそんな隙すらもない。

 

 しかし、生斗は冷静であった。

 それもそのはず、彼はこの絶望を乗り越える突破口を知っていたからだ。

 

 

「(……道義、お前馬鹿だろ)」

 

 

 生斗の出した突破口とは______

 

 

 

 ______さらに接近する。

 

 

「なっ___んが!?」

 

 

 

 

 只でさえ、至近距離であった二人はほぼ密接状態となる。

 しかも生斗はただ接近しただけではない。接近と同時に道義の眉間に肘打ちをお見舞いしていた。

 

 

「(お前が最初から腕でガードする気ならなんで一瞬硬直した!)おぉぉ!!」

 

「ぐっ!!!!!」

 

 

 肘で眉間を打ち、後退したところで防御が甘くなった懐に蹴りをいれる。

 さらに後退し、前のめりになった道義。

 

 そして遂に______

 

 

「(もし硬直せず殴っていればお前は勝っていただろうよ!)!!」

 

「っっっ!!?」

 

 

 ____生斗の棍棒が道義の意識を刈り取った。

 

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 

 ゆっくりと膝から床に倒れていく道義。

 よもや頭から落ちそうになるところを生斗が襟を掴んで制止させる。

 

 

「はあ! はあ! はあ! ……結局お前は、はあ! はあ! 剣士の道を捨てられなかったってことだ」

 

 

 生斗はゆっくりと床に気絶した道義を置き、尻餅をつきながら仰向けに倒れた。

 

 

「確かに、防御に転じる前と防御した時に迷いがありましたね。それが決定的な隙を作ってしまったってことですね」

 

「まあまあ、これまで剣一本で生きてきたような奴さ。

 それをいきなり裏切ろうってんだから背徳感やらで作ってしまうのも無理ないよ」

 

「結局あの最後の立合いは太刀筋の速かった熊口さんが勝ってたってことですか」

 

「勝負に絶対なんかないよ」

 

 

 二人の戦いの終幕について語らいながら近付いてくる観戦者達。

 

 

「あれ?」

 

「……気絶してますね」

 

「寝てるんじゃない? あんなに激しい戦闘を繰り広げたんだ。疲れもどっときたはずさね」

 

「どっちも一緒ですよ」

 

 

 生斗の元にきた軍神と怨霊は、彼がいつの間にか寝ていたことに気付き、やれやれといった表情となる。

 

 

「それにしても……はあ」

 

 

 床に散らばった料理、呻き声やら嘔吐をする情けない男衆、壁や床に所々できた大きな穴、飛び散った血飛沫や汗。

 少し見渡せば言い訳できない状況が広がっていた。

 

 

「こりゃあ完敗だね」



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二十一話 完膚なき理屈

 

 

 ふと目が覚めると木造の天井が視界に映った。

 ここはどこだ、と重い身体を起こし周りを見渡す。

 

 

「誰かに、運ばれたのか……?」

 

 

 六畳一間の部屋の中心におれが寝ていた布団、壁は四方とも障子となっている。

 服装もいつものドテラから白装束に変わっており、頭や腕には包帯が巻かれていた。

 

 

「まさか、見られたのか……おれの裸体!」

 

『誰も興味ないから大丈夫ですよ』

 

「おれが大丈夫じゃないの!」

 

 

 確りとこの状況を把握している者がいることが解り、安堵する。

 

 

『は~あ、折角一息ついたって時に起きてくるんですから。この人は』

 

「ん、一息ついたって何の事だ?」

 

 

 一息ついた……というのはおれと道義の戦いのことだろうか。

 いや、それではおれが起きてきたという発言に差異が生じる。翠の言い方的にあいつ自身が何かをした後と考えるのが妥当だろう。

 

 

『神奈子様との対談したんです。そして見事、諏訪子様との一騎討ちまで持ち込むことができました」

 

「はあぁぁあ!!!?!?」

 

 

 それっておれがしようとしてた……え、えぇ。

 

「ちょっと待ってくれ。理解ができない」

 

『理解してください。熊口さんの役目はもう終わったんですよ』

 

 

 おれが寝ていた間にこいつが本来の目的を達成させていた、という認識で良いのだろうか。

 いや、まあ元々諏訪子から翠は交渉のレクチャーを受けていた訳だし、おれも交渉が滞ったら翠にも助け船を出してもらう気ではいた。

 ただ、まさかおれの仲介を経ずして一人で交渉を成立させられていたことに驚いている。

 

 

「よ、よく言いくるめられたな」

 

『言いくるめる? あの御方は何もかもお見通しでしたよ。その上で私達の口車に乗ってきたんです』

 

 

 神奈子が何もかも、ね。神だって全てが全知全能という訳でもないというのに。

 まあ、旅の道中に翠から聞いた諏訪子の情報収集力を知ってしまっては、神奈子も此方の状勢を把握していてもあり得ない話ではない。

 

 

「んで、あっちの要求は何だったんだ」

 

 

 お互いの利害が一致しているとはいえ、此方はお願いをしている立場だ。

 その分相手の要求を受けなければならない義務がある。

 余程の能天気か無欲論者でない限り乗らない手はないだろう。

 

 

『私と熊口さんの素性と能力です』

 

「はっ?」

 

 

 国間での要求がおれと翠の素性?

 一体何のメリットがあるというのか。ていうかおれにはプライバシーの権利はないのか。ことごとく翠に踏みにじられてる気がする。

 

 

「おれとお前の素性と能力を明かして何になるんだよ」

 

『さあ。私もよくわかっていません。条件として提示された三つのうち二つがそれでしたから』

 

 

 あの神の事だ。なにか考えがあるに違いない。能力は洩矢の国の戦力分析の参考として考えられるが、一個人としておれと翠の素性は国間の中で重要な事ではない筈だ。

 そもそもおれ、余所者だし。

 一体何を考えているのか……

 

 

「んっ、ていうか条件が三つのうち二つ? もしかしてもう一つあるのか」

 

『はい、一騎討ちが終わるまで私達は捕虜となります』

 

「捕虜、か」

 

 

 おれらを人質にしてなにがしたいんだろうかね。

 ……ま、まさかおれらを盾に諏訪子に本気を出させないようにしようとか!

 

 

『それは私も聞きましたよ。ただ、違うみたいでした。しかもその逆とも____』

 

「独り言は済んだかい。洩矢の英雄さん」

 

「神奈子……さん」

 

 

 確かに端から見たら完全に独り言だな。翠はおれの中から話してる訳だし。

 おれと翠が話していると、障子を開けて神奈子が不躾に入ってきた。

 そのままおれの隣で胡座をかく。

 

 

「敬語はいらないよ。なんだかあんたに言われると虫唾が走る__それで、身体の調子は?」

 

「酷いな! ……まあ、お言葉に甘える。

 絶好調だよ。あんたの部下に殴られた箇所の痛みが今も癒えない」

 

「はは、そりゃ悪かったね。ま、それぐらいの軽口が叩けるのなら大丈夫だね」

 

 

 神奈子は笑うと、すぐさま立ち上がり部屋を立ち去ろうとする。

 

 

「あ、ちょっと! 何か用があって来たんじゃないのか?」

 

「いや、ただの様子見さね。ここの連中は血気盛んでね。こうして私が直々に見回ってないとあんたの寝首を掻こうと狙ってくるんだよ。まあ、あんたの能力ならその心配もないけどね」

 

 

 そう言ってまた笑うと、神奈子はそのまま出ていった。

 ……あ、いきなり来たもんだからなんで条件がおれと翠の素性と能力なのか聞き忘れた。

 

 

『どうせ私と同じで濁されるだけですよ』

 

 

 煩い! お前と一緒にするな! おれなら絶対聞き出せるから任せとけ!

 

 

 ____この後、聞き出せなかった上におちょくられて泣き目にあったのはまた別のお話し。

 

 

 

 

 

 

  ーーー

 

 

 神奈子のいる屋敷の前では不満を募らせる人々で溢れていた。

 

 

「洩矢の祟り神と一騎討ちをなさるとは真にございますか!?」

 

「お考え直しください! 今こそ我等の力を見せつける時ですぞ!!」

 

 

 人々は口を揃えて考え直すようにと糾弾の声をあげるが、神奈子はその声に耳を傾けずに瞑想をしていた。

 

 

「神奈子様」

 

「ん?」

 

 

 これまで瞑想中に誰かが来ることもなかったため若干油断していた神奈子は、涎を袖で拭きつつ声の主を中へ誘導する。

 

 

「どうしたんだい? 私の瞑想中に来るなんて」

 

「民衆の不満が募っております。どうかお考えを改めてください!」

 

 

 中へと入ってきたのは道義であった。入ると共に土下座し、神奈子の考えを改め直すように願う。

 

 

「神奈子様のお考えに背くような行為、断じて許されることではありません。この後屋敷前にいる民衆を含め腹を切る覚悟はできております。しかし、神奈子様が危険に晒されることのは我々として最も忌避すべきことなのです」

 

「己の命と引き換えとなってもかい?」

 

「無論です」

 

 

 神奈子の鋭い眼光に物怖じせず、真っ直ぐと向けられた眼差しを向ける道義。それを見て神奈子は諦めたように溜め息をつく。

 

 

「あんたね。私がただあんたらを護るために戦っているだけだと思ってるのかい?」

 

「……まさか、戦闘がしたいだけだと申されたいのですか」

 

「いや(それもあるけど)、これは戦略だよ」

 

「はい?」

 

 

 戦略と言い放つ神奈子を、道義は糾弾の声をあげようとした。がしかし、そんな無礼を働くことは出来ないため、寸での所で思いとどまる。

 

 

「道義、あんたの言いたいこともわかるよ。

 だけど違うんだよ。私が言っている戦略というのは、洩矢の国のことじゃないのさ」

 

「も、洩矢の国との戦いのことではない、のですか?」

 

「私が危惧しているのは大和の国さね」

 

「!!?」

 

 

 神奈子の発言に驚く道義。

 神奈子が危険視していたのは我が軍の本拠地である大和の国であるというのだ。驚くのも無理な話である。

 

 

「一度私は大和の国に牙を剥いた。大神によりその行為を赦されたとして、他全柱が総意な訳がない。現に戦果を横取りにくる軍以外の増援もないし、食料とかの支援物資も全く来ていないだろう?

 確かに私が戦ってきたから、物資や人材もまだ余裕がある。けどそもそもその事は大和の国には秘密にしている。いきなり補給がきたりとかはなくとも何かしら調査がくるはずさね。

 誰かが私らへの補給を断って弱らせようとしてるんだよ」

 

「そんな……」

 

 

 これまで背中には巨大な味方がついていると思っていた者が、実は背後から狙われている事実を知らされ、道義は落胆する。

 

 

「そ、それは真なのですか」

 

「どいつかは知らないけど、大神の目を欺き、かつ補給路を断たせることが出来る奴ってことは相当な大物だろうね」

 

「ぐうぅ」

 

 

 道義は俯き、歯を食い縛る。まさか我が軍が窮地に立たされていたという事実に、どうしようもない絶望を感じていた。

 

 

「だから私は大神に提案をした。次に進軍する国を私らの軍のみで占領したら、その国の占有権を私にくれとね。少し渋られたけど、大和の国の目的はあくまでこの地の統一。おかげで納税を少々割り増しにするってことで了解を得えたよ」

 

「まさか、以前◯◯の国を攻め落としたときに宣言した『次の戦でそろそろ休もうかね』と申されていたのは、大和の国が味方ではないことを察知された上での発言だったのですか!?」

 

 

 以前神奈子の言い放った発言の真意を漸く理解した道義。そして改めて神奈子を畏敬に感じる。

 己が今の事に尽力を尽くしているなか、神奈子はその遥か先を見て行動を起こしていたことに。

 

 

「別に公言したわけでもないのに、よくそんなこと覚えてるね。」

 

「私はてっきり、前線を退くだけだとばかりに……まさか、そこまで先のことを考えておられたなんて露ほども知らず……」

 

「まあ、隠していたのは悪かったよ。ただどいつが間者なのかもわからない状況でむやみやたらに言いふらしたら、それこそ最悪の結果になりかねないからね。仕方ないことだったんだよ」

 

 

 どんな状況でも己の手札を的確に把握し、それを最大限まで引き出し、最良の結果に持っていく。

 それは簡単なようでとても難しい。

 しかし神奈子はそれを難なく持っていくことが出来ていた。

 

 

「しかし、それと神奈子様と洩矢の神が一騎討ちする理由にはならぬのでは」

 

「これから統治しようって国の戦力を削ってどうすんだい。私らが争ってお互い疲弊しているところに暗幕している奴等が攻めてきたら、これまでの事が全て水の泡になるよ」

 

「そ、それとこれとは……」

 

「別じゃない。ここであんたらに疲弊されたら、もし大和の国が攻めてきたら誰が国を護るんだい?

 それこそ、私一人の力じゃどうしようもない。そのときこそあんたらの力が必要なんだよ」

 

「しかし!」

 

 

 神奈子の説得も中々道義は引き下がらない。否、引き下がるわけにはいかないのだ。己の信仰する神が危険に晒される事実を見逃すような真似はできないからだ。

 それが本柱の意向に背く事となっても。

 

 

「洩矢の神は、私の目の前で言ったのです! 国を明け渡すと!」

 

「その証拠はどこにあるんだい? そもそも、洩矢の神は『タダ』で明け渡すと言ったのかい? 私が受け取った書状にはこう書いてあるよ。『()()()()()()()、こんな辺鄙な国でよければいくらでも差し出す』とね」

 

「なっ!?」

 

 

 あのとき、諏訪子からとっていた言質。しかし、そこには言葉が足りていなかった。

 道義は歯噛みする。洩矢の神の思わせ振りな発言に。最初から国を明け渡すつもりなど無かったことに。

 己がいくらこの事を糾弾しようと、相手に知らん顔されればそれで終わり。あのときいたのは己以外、敵国の者しかいなかったのだから。

 

 

「なんということだ。思わせ振りにも程があるではないか……!! 」

 

「あんたが洩矢の神に何を言われたかは知らないけど、相手から願ってもない申し出をしてきてくれたんだ。それに乗る手はないだろう」

 

 

 道義が落胆している姿を横目に、神奈子は話を続ける。

 

 

「それに道義、そんなに落胆することはないよ」

 

「な、何故ですか……?」

 

「そもそもがタダで貰ったとして、そこにいる民衆からそう易々と信仰を得られはしないよ」

 

 

 はっ! と道義は気付く。

 もし己の国で神奈子と変わって他の神が統治したとして、その神へ信仰出来るはずもない。

 

 

「だけどね、考えてもみなよ。相手は祟り神、民衆の畏れを信仰に変えてるような奴さ」

 

「……と、言うと?」

 

 

 

 そして次の神奈子の発言は、道義、いや、神奈子を信仰する軍勢の全てが納得のいく回答であった。

 

 

 

「私が洩矢の神を、完膚なきまでに叩き潰せば、自然と民衆は私を信仰するってことさね」



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二十二話 弁えぬ要領

 

 

 生斗が目を覚ましてから数日。洩矢の国へ又もや神奈子の軍勢から使者が送られていた。

 

 

「長旅お疲れさま。こんなに早く返事が来るなんてね」

 

「はい。神奈子様より、速達で洩矢の神へ報せろとの事でしたので、軍一に速い私めが使者を務めて参りました」

 

 

 その使者は、最初に来た道義とはまた違う者が来ていた。

 速達、という単語に若干の疑問を感じつつ、諏訪子は書状を読み上げていく。

 

 

「ほう、やっぱり乗ってきたか」

 

 

 そこには諏訪子との一騎討ちを了承したこと。その日時と場所の指定等が記されていた。

 

 

「(良くやった、二人とも!) そういえば、私の送った使者は何処にいるんだい?」

 

「それは、もう一つの書状に記されています」

 

 

 そう言って懐よりもう一つの書状を取り出す使者。

 何故態々翠と生斗の所在を? と諏訪子はさらなる疑問を抱きつつその書状を受け取った。

 そしてどのような内容かと見始めると、次第に諏訪子の目に光がなくなっていった。

 

 

「二人とも、もう___この世にはいない、だと?」

 

 

 そこには、二人がどのようにこの世から消え去ったか、細部にわたって記されていた。

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

「ねえ、神奈子さんや。なんでおれと翠を返さないのさ。人質とかいっても無駄だと思うよ。なんたっておれは余所者だからな。翠も幽霊。人質のひの字も効力を発揮しないよ」

 

「神の瞑想中にこうも図々しく居座ってくるやつがいるなんて初めてだよ。あと、その質問は何れ判ると何度も言ってる筈だよ」

 

 

 神奈子の瞑想中、おれは無駄に広い部屋を活用して、寝転び、暇なのでごろごろしながら話しかけていた。

 

 

「ため口で良いって言ってたじゃん。おれにそんなこと言ったらどこまでも無礼を働く自信がある」

 

「そうは言っても節度が……いや、あんたにはそんなものあってないようなものだろうね」

 

「そうそう、無礼で殺されかけたぐらいだからね。

 もういっそのことやりたいことやろうと思って」

 

「開き直りが凄いよあんた」

 

 

 やっぱりなんだか神の間というのは落ち着くもんだ。

 煩いやつはいなく静かだし、神聖な感じがこう、穢れを払うみたいで。ついでにそれで翠を浄化して欲しい。

 

 

『このぐらいじゃ私はピンピンしてますよ』

 

 

 ほんと、何れは本気で霊媒師を探さなければならないかもな。こいつの生命力? はゴキブリ以上にありそうだ。

 

 

「ま、取り敢えずさ。お礼を言っておこうと思ってな。

 諏訪子からの提案、受け入れてくれてありがとう」

 

「ふ、此方からもありがたい提案だったからね。受けない方が可笑しいよ」

 

「それにまさか反対していた民衆を一気に賛同させるなんてな。民衆は皆『祟り神退治』と騒いでるらしいぞ」

 

「あんたらからすればあまり聞こえは良くないだろうね」

 

 

 まあな、とだけ返しておれは木窓の方に目を向ける。

 まるで諏訪子が悪者で、それを成敗するみたいでなんか嫌だった。

 

 

『不本意ですが同じ気持ちです。諏訪子様ははっきりいって祟り神であって祟り神ではないんです』

 

 

「やっぱり、なんだか複雑そうな顔をしてるね。判るよ、あんたらの思ってること」

 

「なんで判るんだ?」

 

「あんたと怨霊の態度さ。明らかに畏敬の念からくる信仰じゃない。特に怨霊の方は洩矢の神を家族を愛するような信仰心があるからね。洩矢の神は私らの思う祟り神とは違うんだろう」

 

 

 神奈子の奴、ここまで判ってたのか。それほど判っていても、諏訪子を悪者にしないといけなかったのは、それほどの理由があってのことだろうな。特にそのことに関して文句は言うつもりはないけど。

 それにしても翠の件といい、本当に油断ならない相手だ。話し合いになったら諏訪子ですら不利かもしれない。

 

 

「まあ、おれは友達としか思ってないけどな!」

 

「あんたはそんな感じだろうと思ってたよ」

 

 

 おれじゃあ話し合いで情報をこれ以上引き出すことは無理そうだ。それならそれで、ここにいるのなら自分の立ち回りをしなければな。

 

 

「なあ、実は交渉成立ということでここで一杯やらないか? 良い酒を持ってきたんだ」

 

「お、良いのかい? 私は敵だってのに」

 

「大丈夫大丈夫、その敵の調理場からさっきささっと調達してきたからな。まあ神奈子が飲むならお供え物したってことでバレても大丈夫だろ?」

 

「はははは! それなら心配ないね! よしよし、久しぶりにパーっとやろうか」

 

 

 くくく、これで神奈子を酔わせて情報を引き出すって作戦さ。

 おれだって多少は飲めるんだ。神だろうが飲み比べじゃ負けないぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、呆気なく酔い潰れたおれは、翌日二日酔いの状態で調理場の人からお怒りを受けました。

 

 

『よく五、六杯で酔い潰れるのに神に勝てると思いましたね。阿呆としか言いようがありません』

 

 

 煩せぇ! 久しぶりに飲んだから要領忘れてただけだ!



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二十三話 敗けられぬ理由

 

 

 遂にこの日がきた。

 洩矢の神 諏訪子と、大和の国の尖兵 神奈子の決戦の地である平野へと国の代表同士が赴いていた。中には早恵ちゃんや道義、ミシャグジなんかの姿もある。

 

 

「なんでおれと翠だけ遠くからじゃないと見れないんだろうな」

 

 

『そりゃあ代表じゃないからですよ』

 

 

 おれと翠はそんな国間のやり取りを遠くの茂みから傍観しているだけ。

 普通の視力なら到底見ることのできない距離であるが、霊力で目を強化しているので諏訪子のキョロちゃん帽子まではっきりと見える。

 

 

「……なんだか、諏訪子のやつ様子がおかしくないか?」

 

 

 何故だろうか。諏訪子の顔が帽子で隠れて見ることはできないが、雰囲気はこれまでに感じたことのない不穏に包まれていた。

 

 

『あれは……周りにいる人が気の毒ですね。今にも死にそうな顔をしてます。おそらく諏訪子様の仕業だと思いますけど』

 

 

 周りには神奈子の軍勢どころか洩矢の衆まで今にも吐きそうな程気分が悪そうだ。

 翠の言ったとおり諏訪子の気配によるものだろう。人どころか周りの草木まで枯れ始めている。

 祟り神の臨戦態勢とは、周りの生物に多大な影響を与えているということなのだろう。

 

 

「それにしても様子がおかしいような……」

 

 

 大和の国へ圧力をかける意味合いならわかるが、自国の民にまで影響を与えているときた。

 それほどまでに今の諏訪子には余裕がないということなのだろうか。

 

 まあ、そんな事を今考察したところでどうしようもない。

 今はただ、諏訪子が勝つことを祈るだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 曇天に包まれた平野に一吹の風が通過する。

 枯れた草はなびくことを拒否し、地面に項垂れる。

 国間の代表がお互いを前に立ちはだかるが、一人として話すものがいない。

 それはそれぞれの頂点にあたる神同士でも例外ではなかった。

 

 

「____この闘いに私情を挟むつもりはなかったよ」

 

 

 お互いが話すこともなく数分後、洩矢の神__諏訪子が漸く静寂を切ってでた。

 

 

「お互いに悪くない交渉だと思ってたんだけど。

 何故私に対してあんな仕打ちをしたのか、別に説明を聞くつもりはないよ」

 

 

 そう言って指を鳴らし、屈伸をする諏訪子。

 

 

「もしかしたら私が祟り神だから敢えて怒りを買って悪者感を出させようとやったかもしれないだろうけどね」

 

 

 一通りの準備運動を済ませ、諏訪子は改めて神奈子の前へ向く。

 

 

「ただ、四肢の骨ギタギタに折られるくらいは覚悟してね」

 

 

 その発言に満面の笑みを溢す神奈子。

 背負ったしめ縄の位置を調整し、どこから取り出したのか、数メートルある御柱を片手で掲げる。

 

 

「さあ、早く始めようか。私はあんたと戦いたくてずっとウズウズしてたんだよ」

 

 

 そして神奈子は掲げていた御柱を地面へと突き刺す。

 その衝突は凄まじく、遠く離れた生斗にまで衝撃が伝わってくるほどであった。

 

 

「他の者は皆下がってな。巻き込まれても知らないよ」

 

 

 その言葉に両者の代表は腰が抜けかけたのを必死で押さえつつその場を去っていく。

 

 

「諏訪子様、必ずやあの賊どもをぼこぼこにしちゃってください」

 

「神奈子様、貴女様であれば心配する必要もないでしょうが、お一つ。

 必ずや洩矢の神を打ち払ってくださいまし」

 

 

 早恵と道義からそれぞれ激励を受け、二柱はそれぞれ戦闘体勢にはいる。

 

 

「あんたの言ったとおりだよ。祟り神のみに限らず、強さを得る上で最も手っ取り早いのが怨みさ。私の最後の国攻め、相手が半端な実力じゃやりきった感がないからね」

 

「そんな理由で他人の大切な者を奪うあんたの神経を心底憎いよ。安心しな、楽には殺さないから」

 

 

 諏訪子の周りからどす黒い神力が集まりだす。

その姿を傍観していた神奈子は、即座に己の犯した過ちに気付く。

 その神力は神奈子の回りにも纏わりつき、徐々に母体となる身体を蝕んでいっていたのだ。

 

 

「ちっ!」

 

 

 その場に留まってはいけないと神奈子は空へと浮遊する。

 しかし、時すでに遅く一度纏わりついた神力は蛇の形となり神奈子の身体中に巻き付いていく。

 

 

「中々厄介なものを……神力で吹き飛ばすことは出来そうにないね」

 

「一度巻き付いた蛇はあんたの身体を毒で犯し尽くすまで離れないよ」

 

 

 神奈子に続き諏訪子も空へ浮遊する。

 

 

「先手は取られてしまったようだね」

 

「まるであんたに後手があるような口ぶりだね。あんたの攻撃なんて一度として訪らさせないよ」

 

 

 次に諏訪子はある円形状の物体を神奈子に向けて投擲する。

 その物体は風切り音を立てながら山なりの軌道を描きながら神奈子は接近、それを寸でのところでかわす。

 

 

「!!」

 

 

 しかし神奈子の腕から出血が起こる。

 何故避けた筈の攻撃が当たったのか神奈子は検討がつかず、ただ出血を止めるように片腕で出血箇所を押さえる。

 

 

「なんだい、それ」

 

「鉄の輪さ。これであんたを切り刻む。次はそれぐらいじゃ済まないよ」

 

「ほう、そんな最新技術を洩矢は持っていたなんてね。

 鉄鉱石の加工なんてそう簡単じゃなかったろうに。だけど___」

 

 

 諏訪子の元へと戻ってきた鉄の輪には、神奈子の血とは別に、植物の蔓が巻き付いていた。

 

 

「ただで切られてやるほど、私の血は安くはないんでね。それに仕込まさせてもらったよ」

 

「根がついて錆びてる……これじゃあ使い物にはならないね」

 

 

 鉄の輪を難なく看破された諏訪子は、特に落ちぶれる様子もなく、次の戦略を練り始める。

 

 

「さて、私もそろそろ攻撃させてもらうよ」

 

 

 腕をふり、攻撃準備をする神奈子。先程切られていた腕の止血はとうに止まっていた。

 

 

「!!」

 

 

 そして、神奈子は御柱を諏訪子へ向け、砲台の要領で特大の霊弾を数発放った。

 

 

「こんな薄のろな攻撃じゃ私を捉えられ____!」

 

 

 常人からは十分に速いスピードの霊弾ではあったが、諏訪子にとっては欠伸が出るほど遅い。しかし、難なく避けたと思った矢先、通り過ぎた霊弾はまたもや諏訪子へ襲い掛かる。

 

 

「追尾弾とは小賢しい!」

 

 

 様々な角度からくる霊弾を諏訪子は片手で振り払う。

 

 

「すっげぇな。あんなでっかい霊弾を腕を一振りさせただけで消し飛ばしたよ」

 

 

『いや、追撃がきます』

 

 

 この舞台のお膳立てをした生斗と翠はお互いに二柱の闘いを固唾を飲んで見守る。

 この闘いの結果によって、洩矢の国の命運が決まるのだ。流石の生斗も、このときばかりは大人しく傍観している。

 

 

「がはっ!」

 

 

 深々と御柱が諏訪子の腹部へ突き刺さる。

 

 

「さてもう一発。あんたは耐えられるかな、っと危ない。御柱を投げ返してくるなんてあんたが初めてだよ」

 

「はあ、はあ、最初から振り払った隙を狙ってたとはね。してやられた」

 

 

 諏訪子は腹部を擦りつつ、己の周りに目を覆いたくなるほどの高密度弾幕を張る。

  己の圧倒的な神力量を見せつけつつ、防御と攻撃を同時に備えた弾幕攻撃にうってでる。

 

 

「ふふっ、一発一発が致命傷を負いかねない程の霊弾の弾幕。一介の土着神でその神力は相当なもんだよ。だけど、私に物量戦は悪手さね」

 

 

 神奈子も同程度の弾幕を張り応戦。

 弾幕同士が衝突し轟音が平野中に鳴り響く。

 

 撃ち漏れた霊弾が平野を抉り、大地はあまりの轟音に揺れ動き、衝撃波により草木は吹き飛ぶ。

 

 

「霊弾の威力は互角ってとこかい!」

 

「質が互角なら、量であんたに勝れば良いってことだよ!」

 

 

 否、質は諏訪子の方が勝っていた。

 知らぬ間に諏訪子の霊弾には怨みの念が込められていたからだ。

 霊弾同士がぶつかり合い霧散するとともに辺りには諏訪子の怨みの念の籠った神力が空を覆っており、毒に犯されつつある神奈子の身体を更に蝕んでいく。

 

 

「(くっ、思ったより毒の回りが速い。持久戦じゃ私が完全に不利だね)」

 

「(毒の回りが遅い! 普通ならもう動けなくなる筈なのに!)」

 

 

 お互い焦りを感じつつ、弾幕を張り続ける。

 

 

「諏訪子のやつ、焦ってるな。あれならじっくりいけば勝てそうなのに」

 

『そうもいってられないんですよ』

 

 

 じわじわと追い詰められている神奈子を見て一部の希望を抱く生斗だが、それは翠によって否定される。

 

 

「なんでだ?」

 

 

『諏訪子様と神奈子様の弾幕の質が同等程度であったことが問題でした。諏訪子様の弾幕は一発が致命傷を与えられる程力の込めた霊弾、つまり全力です。それを長時間維持することはいくら諏訪子様であっても厳しいんです。

 先手で毒を漏れていたのに短期決戦を挑んだのは普段の諏訪子様ならあり得ないんですけど……』

 

 

「もしかして、さっき諏訪子の様子がおかしかったのと関係しているのか?」

 

 

『……何故かは知りませんが諏訪子様は神奈子様に対して強い怨みの念を感じられました。もしかしたらそのせいで軽率な判断に走ってしまったのかもしれません』

 

 

 諏訪子が劣勢であることに爪を噛む翠。

 諏訪子の頭を冷やそうにもここからでは声も届かない。まず、闘いが終わるまでこの場を離れることを許されていないため、彼女が出来るのは、ただ諏訪子の勝利を願うことしかできなかった。

 

 

『そもそもが神奈子様は諏訪子様の全力を受け止めつつ、余力も残しています。それに比べて諏訪子様の神力は半分を切ってます。長期戦はお互いに避けたいところでしょう』

 

 

「神力の差では神奈子が、体力的には諏訪子が有利ってとこか。拮抗しているけど、精神的には神奈子が優勢だな。あんな状況でも笑ってる」

 

 

『戦闘狂だから仕方ないですよ。一度戦闘に入ればこの場で代表らを惨殺しても、彼女は構わず闘い続けるでしょうね』

 

 

 そうだろうか、と生斗は呟きつつ諏訪子と神奈子の闘いに目を向け直す。

 

 

「はああ!」

 

「ふん!!」

 

 

 御柱を鉄の輪で真っ二つにし、投擲された鉄の輪は神奈子の持つ蔓に絡まると瞬時に錆び果てる。

 合間に放たれる霊弾は宙を飛び交い、遂にはお互いに着弾し始めていた。

 

 

「こんなもんかい! 私はまだピンピンしてるよ!」

 

「ぐうぅ! まだまだぁ!!」

 

 

 血反吐を吐き散らし、服はボロボロ、破れた箇所から見える素肌は切り傷や痣でなんとも痛々しい。

 だが二柱は攻撃の手を緩めない。二柱のどちらかが倒れ伏すまで。

 

 

「いない! ____んぐっ!?!」

 

 

 そして遂に諏訪子は賭けにでた。霊弾を放つとともにその弾で己の身を隠し、神奈子のいる場所まで肉薄していたのだ。

 それに神奈子が気付くのは時すでに遅かった。

 背後へと潜り込んだ諏訪子に裸締めを極められてしまっていたのだ。

 

 

「身体は、毒に犯され、酸素供給も、断たれるなんて、可哀想に」

 

「ぐっ、うぅ!」

 

「はあ、はあ、だけどこの腕をほどくつもりは、ないよ。そのまま、眠りな。早く、眠れるよう、はあ、毒も強めてあげる」

 

 

 蛇の巻き付きが更に強まり、神奈子は苦悶の表情に染まる。が、このまま落ちるほど神奈子も甘くない。

 

 

「なっ!?」

 

「んむぅ!!!」

 

 

 ___己へ向けた追尾弾幕を一斉に放った。

 

 

 突如として起きる、二柱を巻き込んだ大爆発。

 辺りは煙にまみれ様子を窺うことができず、地上にいる皆はただ口を開けて空を見上げる。

 

 

「がはっ! はあ! くそ!」

 

「はあ、はあ、どうだい? 私の弾幕は。ちょっとは、効いてるといいけど」

 

 

 二柱は自由落下とともに地上へ着陸する。

 なんとか倒れることを避けるが、諏訪子は膝をつき呼吸を整えることが出来ずにおり、神奈子は腕組みをして余裕だと見せつけているが、出血量を見るに明らかに諏訪子よりも重症であった。

 

 

「やるじゃないか。私をここまで追い込んだのは大和の連中以来だよ」

 

「死に、損ないが! 少しは黙ってな!」

 

「余裕ないようだね。神力も底を尽きかけているようにも見える。これは好機と見ても良いよね?」

 

 

 神奈子は本当に苦痛を隠すのが上手かった。明らかに満身創痍な状態でも、全く弱味を見せず、あたかも万全な状態であるかのように諏訪子へ肉薄していく。

 そのポーカーフェイスは相手を焦らせ、判断を急かすことができる。特に後半戦であればあるほど、その効力は顕著に発揮する。

 

 

「!!!」

 

「近づかせるか!」

 

 

 近づかせまいと諏訪子は鉄の輪と弾幕を織り交ぜた攻撃で応戦する。

 しかし神奈子はいとも容易く鉄の輪を掴み錆び付くし、最小限の霊弾で諏訪子の弾幕と相殺せていく。

焦りからか力を込めた霊弾を放つことが出来なくなっていたのだ。

 

 

「力のない攻撃だね! 舐めてるのかい!!」

 

「ぐあっ!?」

 

 

 十分な距離まで近付くと神奈子は御柱をほぼ零距離で諏訪子に向かって投擲、そんな距離から避けることも出来ず顔面に御柱が直撃し、そのまま後方へと吹き飛ばされる。

 

只でさえ度重なるダメージを受けていた諏訪子には、気を失わせるには十分過ぎるほどのいりょくが、それにはあった。

 

 案の定地面に叩きつけられた後も、諏訪子は立ち上がる様子もない。

 

 

「はあ、はあ……」

 

神奈子も両腕を膝につき、臨戦態勢を解く。

 

 

 ____このまま決着か。

 その場で見ていた誰もがそう感じていた。

 だが、

 

 

「諏訪子様立ち上がってください! 諏訪子様が敗けたら、私達はこれから誰を信じて生きていけば!!」

 

「洩矢の民共! 黙っていろ! これは神聖な闘いなのだぞ!!」

 

 

 ミシャグジや早恵達は違っていた。

 諏訪子が倒れ伏してもなお、諦めるものなどいなかったのだ。

 

 

「(み、みんな……)」

 

「そうだ、諏訪子! 顔面に御柱ぶつけられたぐらいでべそかくなよ!」

 

「なんてこと言ってるんですか! 諏訪子様がそれぐらいで泣く訳じゃないですかこの馬鹿!」

 

「……!!?(えっ?)」

 

 

 薄れゆく意識の中、諏訪子は聞き覚えのある声に動揺が走っていた。

 その二人は以前、大和の国へ行って以降、帰ってこなかった者達。

 

 

「えっ!? 何で翠ちゃんと熊口さんがここに来てるんですか!?!」

 

「おい、貴様らはここへ来てはならぬと言ったでは……」

 

「そんなケチ臭いこというなよ。別におれが近付いてきたってこの闘いに介入なんてできっこないんだからさ」

 

「(翠と……生斗!)」

 

 

 二柱の闘いに我慢できず、近寄っていた生斗と翠の声が、諏訪子の耳に届いたのだ。

 

 

「うわっ!? 何故貴様の背中から女子が生えてきておるのだ!?」

 

「いや、それには深くはない事情がね」

 

「(二人が生きている! ほんとに二人が生きている!!)」

 

 

 薄れゆく意識を覚醒させ、足を震えさせながらも立ち上がる諏訪子。

 顔は血に染まり視界もぼやけていたが、二人の姿をその眼に映す。

 

 

「二人とも、良かった……!」

 

 

 うっすらと目頭に涙が溜まっていくが、それを押し隠すようにボロボロの袖で拭う。神たるもの、涙を民衆の前で晒すわけにはいかない。

 

 

「諏訪子! よく立ち上がった! そのまま神奈子へぶちかませ!!」

 

「この者を引っ捕らえろ! 静かにさせるのだ!」

 

 

 神奈子の軍の連中に拘束されながらも、諏訪子へ向けガッツポーズを見せる生斗。その姿を見て、諏訪子の拳に力が蘇り始める。

 

 

「(皆……敗けないよ、絶対に!)」

 

「来ちゃ駄目って言ったのにね___おっ」

 

 

 次第に神奈子へ巻き付いていた蛇の力が弱まり、遂にはほどけていった。それを境に神奈子は神力による自然治癒力を高め、傷口から毒抜きをさせていく。

 

 

「はあ、はあ、大和の尖兵、やって、くれるじゃないか。あんな、偽の書状を送り、つけてくるなんて」

 

「怨みを買うためとはいえ、済まなかった。祟り神は怨んでこそ本領を発揮すると思ってね。生斗達の能力を聞いてそれを元にして書状を送らせてもらったよ」

 

 

 そして毒の抜けきった身体の調子を確かめつつ、またも臨戦態勢へと入る神奈子。

 

 

「んで、まだやるかい? まさか怨みが薄れたからってあっさり降参なんて___」

 

「するわけ、ないでしょ! ! 」

 

「そうこなくっちゃ」

 

 

 怨みが薄れたことにより神奈子に毒を完治され、己は立つのがやっとの状態。しかし彼女に降参という選択肢は存在しなかった。

 

 信仰してくれる民がいるのに、己が諦めてどうするのかと。

 例え四肢をもがれようと、闘うことが一握りでもあるのであれば、それにしがみつく。

 彼女___諏訪子の意志は硬く揺るぎないものとなっていた。

 

 

「はあぁ!」

 

「敗けるかぁ!!」

 

 

 その後二柱の闘いは、二日に渡り衰えることなく続いたという。

 



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二十四話 敗北の末

 

 

 漆黒の闇へ差し込む、一筋の光。

 その光は次第に広がり、決戦の舞台である平野を照らしていく。

 ____夜が明けた。

 抉れた大地は霜で湿り、その中心には二つの影が姿を現す。

 

 

「私の、勝ちだ!!」

 

 

 勝利の雄叫びをあげたのは___神奈子であった。

 身体中には数えきれない裂傷と痣で埋め尽くされ、片眼は腫れ上がり、片脚は黒ずみとなり使い物にならなくなっても、神奈子は倒れることはなかったのだ。

 

 

「「「諏訪子(様)!!」」」

 

「「「神奈子様!!」」」

 

 

 お互いの陣営に身を抱えられ、厚い看護を受ける両者。

 特に諏訪子は神力を枯渇してもなお闘い続けた。その身体にくる負担は想像を絶するものとなっているであろう。

 

 

「ご……め、ん、みん……な。まけ……ちゃった……」

 

 

 乾いた唇から謝罪の声が漏れると同時に意識を手放す諏訪子。

 その小さな身体には神奈子と同じく無数の切り傷や痣に覆われ、両手は無惨にも折れていた。

 

 

「諏訪子、本当によく頑張った。敗けたのは悔しいが、お前は限界を越えて皆のために頑張ったんだ。誰も文句をつけられる筈がない」

 

「諏訪子様お休みください! 後の事はこのミシャグジにお任せください! 必ずや諏訪子様を救ってみせましょうぞ!!」

 

 

 洩矢の陣営が励ましの声をあげるのを見て、諏訪子は改めて己が敗けたことをを実感し、己自身の実力不足に涙する。

 

 

「神奈子様、長きに渡る戦闘、御苦労様で____神奈子様!!」

 

 

 神奈子の陣営では、彼女に向けて皆が労いの言葉をかけていた。しかし、彼女はその言葉を無視し諏訪子の陣営へと押し進む。

 

 

「何ようでしょうか、大和の尖兵。我が御神は今はこのとおり、話すこともままなりませぬ。話があるのならこのミシャグジめが承るが」

 

「いや、あんたには用はない」

 

「なっ!?」

 

 

 早恵に抱えられる諏訪子まで視線を合わせ、折れた腕を動かさないよう両手で手に取る。

 

 

「洩矢の神____いや、諏訪子。あんたは私にとって最高の好敵手だったよ、ありがとう」

 

「神奈子……様?」

 

「あんたらを悪いようには決してしないよ。だから安心して眠りな」

 

「神奈子様! いったい何をお考えですか!!?」

 

 

 神奈子の発言に代表達は道義を除いて口を揃えて何を言ってるのかと怒りの声をあげる。

 

 

「それでは話が違うではありませぬか!」

 

「祟り神を倒し、神奈子様の力を洩矢の連中に見せつけ信仰を得るのではなかったのではないですか!」

 

 

 だが、神奈子はその言葉に微動だにしない。ただ、立っていた。

 代表らの声を聞かないのは何故なのか。

 その異変に気付いたのは道義だった。

 

 

「神奈子様、私めの肩へお捕まりください」

 

 

 神奈子の肩を道義が持った瞬間、彼に全体重がのしかかる。

 

 彼女は気を失っていたのだ。諏訪子への礼をしたその直後、立ったままの状態で。

 

 

「か、神奈子様……」

 

「神奈子様も体力の限界であったのだ。今この場で問い詰めるのはあまりにも酷であろう。まずは十分な休養をとっていただくのだ。訳を聞くのはその後でも遅くはない」

 

 

 己の着ていた羽織を神奈子の肩に被せ、他の者に神奈子を託す道義。

 

 

「我らの御神もこの状態だ。今後の話はまた後日、お互いの御神の体力が回復してからさせてもらう。それでよいか」

 

「ああ、それで問題はない」

 

 

 道義の提案にミシャグジが応答する。

 その答えを聞いた道義は頷くと、そのまま代表らを連れてこの場を去っていった。

 

 

「さあ、早く諏訪子様を駕籠の中へ。まずは身体を暖めさせるのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 諏訪子が敗けた。

 闘いは拮抗していたが、最初の軽率な判断がやはりその後の闘いに響いてしまっていたのだ。

 

 

「ほんと、わからないよなぁ」

 

 

 実力差ははっきり言って神奈子の方が上だった。

 だが、その差を諏訪子の気力でなんとか補ってはいたが、その気力を神奈子も持っていた。

 

 

『これから、諏訪子様はどうなるんでしょうか』

 

 

 これから、か。

 まず国の信仰対象を大和の連中の方に持っていかれるだろうな。

 諏訪子の存在はその時点ではまだ無くならないけど、いずれ忘れられて消えるかもしれない。

 

 

『何か手はないのでしょうか……』

 

 

 ない、というわけではない。

 本に記しておけば良い。この国には諏訪子という偉大な神がいたって。そうすれば消えるまではならないかもしれない。

 

 

『力が衰えたところを潰されるかもしれないじゃないですか……』

 

 

 そうネガティブなことばかり考えるなよ。敗けてしまったものは仕方ない。その後の事をどうましな形に持っていくのかを考えていかなきゃいけないんだぞ。

 

 

「あの、熊口さん?」

 

 

 おれと翠が心の中で話していると、後ろから早恵ちゃんから声をかけられる。

 

 

「ん、なんだ早恵ちゃん」

 

「大和の国の人質にされていたと諏訪子様に聞いていましたが、大丈夫でしたか? 何か酷いことでもされたんじゃ……」

 

「いや、全然大丈夫だったよ。食事も三食ちゃんと出てたし、安全も一応保障されてた」

 

 

 神奈子以外の奴らからは敵対的な視線を向けられていたけどな。道義なんかからはあのときの勝負以降、遠くからずっとストーキングされてたし。寝首でも掻かれるんじゃないかと内心ビクビクしていたのは秘密にしておこう。

 

 

「それなら良いんですが……なんだか諏訪子様、一騎討ちを了承する書状が届いてから見るからに様子がおかしくなってしまって。何故かと聞いても熊口さん達が人質になったとしか仰ってくれなかったんです。もしかしたら酷いことでもされてるんじゃないかって私も心配だったんですよ」

 

「そうか……なんか心配かけてしまってたみたいでごめんな」

 

 

 書状がきてから諏訪子の様子がおかしくなった、か。

 だからあのとき闘う前から殺気が凄かったのか。

 ……もしかしなくても神奈子が何かしら絡んでるよな。

 

 

「ところで、翠ちゃんは?」

 

「ああ、諏訪子が敗けたことに落胆して項垂れてる」

 

 

 ほら翠、早恵ちゃんが心配してるぞ。出てやれよ。

 

 

『ちょっと今は話す気力がしません……大丈夫だよとだけ伝えといてください』

 

 

「駄目だ、翠の奴今は一人にしてほしいらしい。一応大丈夫だと言ってる」

 

「そうですか。元気でないにしろ無事なら良かったです」

 

 

 そんな話をしつつ、洩矢の国まで歩を進める。

 

 諏訪子の状態は深刻だ。現代の医学でも匙を投げられるレベルかもしれない。

 しかしそこは神、信仰さえあれば瞬く間に回復する。

 今は人が少ないから回復は芳しくないが、国まで帰ればおそらく全快まではないにしろ歩けるぐらいには回復するだろう。

 

 

「あと少しですぞ諏訪子様! もうしばらくの我慢を!」

 

 

 ミシャグジ達が重症の諏訪子を勇気づけつつ駕籠を運ぶ。

 ミシャグジの言うとおり洩矢の国を覆う森林まで来た。

 あと少しで着く____そう皆が思ったその時、茂みから突如として人影が飛び出してきた。

 

 

「すわこさま!」

 

 

 皆が身構える中、現れたのは年端もいかない子供であった。

 その子供に続き、ぞろぞろと子供達が茂みから出てくる。

 

 

「すわこさま!! どうしたのそのけが?!」

 

「しんじゃうのすわこさま?」

 

「ばーか、すわこさまがしぬわけないだろ!」

 

 

 子供達は諏訪子のいる駕籠へ駆け寄る。

 

 

「おい、まさかお前達子供だけで森へ入ってたのか?」

 

「うん! すわこさまをおどろかせようとおもって!」

 

「馬鹿! 子供だけで森に入っちゃ駄目ってあれほど言ったでしょ!」

 

 

 早恵ちゃんが子供達を咎めるが、そんなことをお構いなしに駕籠の中の諏訪子に心配の声をあげる。

 

 

「ほうたいだらけだけどだいじょうぶなの?」

 

「すわこさましなない? しんじゃやだよ!」

 

「ああ、国へ帰ったらすぐに元気になるさ」

 

 

 心配に駆られて泣く子や服を掴んで涙を堪える子、果ては諏訪子に抱きつく子までいた。

 

 

 ___諏訪子のやつ、こんなに愛されてるんだな。祟り神として失格だよ、ほんと。

 

 そう心で微笑みつつ、おれは抱きつく子供を引き剥がした。

 

 

「ほら、そんなに群がってたら帰れないだろ? 諏訪子がこんな姿のままじゃ嫌だろ?」

 

「うるさいカス! おれにふれんな!」

 

「ちょうしにのんな!」

 

 

 引き剥がされた男の子は地面に下ろされた直後、おれの脛を蹴り距離をとる。それにつられて他の子供達もその男の子の方へ駆け寄っていき、おれへ罵声を浴びせてきた。

 

 

「すわこさまはめちゃくちゃつよいんだ!」

 

「ぼくたちがしんぱいしなくてもきっとだいじょうぶさ」

 

「すわこさまをよびすてにするぶれいものなんかにいわれてたまるか!」

 

 

 そう言って子供達は洩矢の国の方角へ去っていった。

 ……なんだったんだよ、一体。まるで嵐のように去っていったな____それより、

 

 

「……なあ、おれってやっぱり無礼者、なのかな?」

 

「「「『勿論』」」」

 

 

『子供に無礼だと叱られるなんて熊口さんの頭、幼児以下ですよね』

 

 

「神を呼び捨てにするなど言語道断、普通なら即切腹ものだ」

 

「実は私もちょっと気になってたんです。熊口さんって結構生き急いでるなあって」

 

 

 子供だけに留まらず他の皆にもボロクソに言われる始末。正直泣きそう。

 ていうか翠、悪口言うときだけ復活するなよ! お前はずっと片隅で勝手に落ち込んどけ! 

 

 こうして袖を濡らしながら帰路を辿る羽目になったわけだが、諏訪子がこの国の民に愛されていることが充分にわかった。

 諏訪子は絶対に消滅させたりはしない。

 

 

 __________________

 

 

 重い瞼を開き、視界に映る天井の染みを、朧気な意識の中呆然と見やる。

 

 

「___私は、敗けたんだ……」

 

 

 自然と目の端から涙が溢れる。

 友人を危険な目に遭わせ、民衆の意思に反して独りで戦った結果がこれだ。

 合わせる顔が何処にあろうか。

 

 

「起きたか」

 

 

 合わせる顔がないというのに、起きた側から生斗が隣に座っていた。

 泣いているところを見られまいと生斗とは反対側に寝返り、そのまま袖で涙を拭く。

 

 

「敗けたのが余程悔しかったんだな」

 

 

 泣いてるところも見られていた。穴があったら光の速度で入りたい。

 

 

「まあ、神も泣くことだってあるか。おれだって歳をとってるからか、最近なんとも涙もろくって。あっ、そういうときにおれのかけてるこれ、グラサンって言うんだけどこれおすすめなんだけどさ。泣いてるときに隠してくれるのは勿論、お洒落にも使えて紫外線も絶ってくれる優れものときた」

 

 

 泣いてるの隠そうとしてるのわかってる癖に突いてくるし、生斗の頭に掛けてる何かの宣伝をしてきた。

 生斗は一体何しにきたの? 

 

 

「……無駄話はこのくらいにして。皆外で諏訪子のこと心配してるぞ。元気であることを見せに行ってやったらどうだ?」

 

「____えっ?」

 

「諏訪子お前起きるタイミング良すぎるんだよな。

 さっきまで諏訪子様は大丈夫か! ってわんさか民衆がこの部屋に押し入ってきてな。 今早恵ちゃん達が外に追い出したばっかりなんだよ。

 おれは賑やかなのは好きだけど人混みは嫌いだから、見舞いがてらここに避難してきたまけら丁度諏訪子が起きてきたって訳」

 

「……」

 

 

 心配、か。

 ……それは心配はするだろうね。この国の祭神が敗けたんだ。今後の国の命運がどのようになるのか、皆不安がるのも無理はない。

 

 

「何皮肉めいた顔してんだよ。立てないんなら肩貸すぞ。諏訪子はまず皆に無事であることを報告しなきゃいけないんだからな」

 

「……立てるよ。皆をまずは安心させないとね」

 

 

 大和にこの国が支配されたとしても私は消えない。まあ、力は衰えるだろうが大和の……いや、 あの尖兵がなんとかしてくれるだろう。あいつが私を消そうと動いたら話は別だけど。

 

 

「おっと」

 

「ほら、やっぱりまだおぼつかないじゃないか。肩貸す___いや、身長的におんぶしてやろうか?」

 

「……」

 

 

 

 

 

 ___________________

 

 

「諏訪子様! 御無事でしたか!」

 

「幾日と眠れぬ日が続いたことか……!!」

 

「すわこさまー!」

 

 

 何ということだ。

 この人数、この国のほぼ全ての民がこの境内に集結している。

 

 

「ほんとにごめん。私が敗けたばかりに皆を不安にさせてしまって……

 でも大丈夫、私が皆を危険な目には_____」

 

 

 私はこの国の今後について話す気でいた。

 しかし、そんな私の言葉は大勢の民衆の声によって遮られた。

 

 

「そんな事は関係ありませぬ! 諏訪子様まだ身体の傷は誠に大丈夫なのですか?!」

 

「私めの薬であれば幾らでもお供えしますゆえ!」

 

 

「我らは諏訪子様が無事であればそれで良いのです!!」

 

 

 誰が言い放ったかわからない。だが、皆はその言葉に頷き、私を心底心配した眼差しで見やる。

 ……私は馬鹿だった。皆てっきりこの国の行く末が心配であると思っていた。

 だが、それは違い、皆もっと単純な___私の安否を、本気で心配していたのだ。

 でなければこんなにも早く傷が癒える訳がない。

 

 

「皆……」

 

「涙拭けよ。おれの肩に擦り付けても良いから。神は人に弱みを見せてはいけないってツクヨミ様が言ってた」

 

 

 おんぶしてくれていた生斗が私に耳打ちする。

 おんぶされてる時点で神の弱み云々の話ではないと思うが、言葉に甘えて生斗の肩に顔を埋め、涙を拭く。

 

 

「諏訪子様、無事で何よりです。ですがまだ完治とは程遠い状態、御体に障ります故、どうかお戻りを」

 

「そうだな。皆も諏訪子の元気な姿を見せれたことだし、じきにこの渋滞も治るだろ」

 

 

 ミシャグジに促され、私を乗せた生斗が本殿へと戻っていく。

 ミシャグジは何故おぶっているのかと怪訝げな表情で此方を見ているが、生斗はなに知らん顔だ。

 

 

「皆!!!」

 

 

 本殿へ入る間際、私は民衆の方へ振り向き、裏返りそうな勢いで声をあげる。

 

 

「私消えないから! これから他の神がこの国を治めようとも、皆が私を想い続けてくれる限り、私は決して消えたりしない! 

 だから____

 

 ______私を忘れないで!!」

 

 

 これがただの我が儘で、口にしたところで良い効果など得られることはない。

 神が己の存在を維持するために、懇願されるはずの民に懇願する。

 それだけでも汚名を着せられても文句は言えない。

 だが、私は今した発言に後悔していない。

 

 私はただ、本心から思ったのだ。

 

 大好きな皆に私という存在を忘れられたくない、と。

 

 

「そんなの、当たり前でしょう!」

 

「我らは生涯、いや後世まで諏訪子様の存在を忘れはしませぬ!!」

 

 

 民衆の暖かい言葉に又もや涙腺が刺激され、またも醜態を晒しそうになる。

 その姿を生斗がにやけながら見ていたので頭突きして前を向かせた。

 

 

 私は存在し続けたい。

 こんなにも生に執着を持ったのは初めてかもしれない。

まだまだ皆と一緒にいたい。ならばしなければならないことがある。

 

 神奈子には悪いが、会談の前に色々と仕込ませてもらうよ。

 

 



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二十五話 友好な会談

 

 

 

 諏訪子と神奈子の戦いから十日が過ぎた。

 おれは諏訪子の看病と託つけて暇潰しをしていた。

 

 

「なあ諏訪子、翠の奴酒癖とんでもなく悪いの知ってたか? この前お隣さんから貰った酒呑んでたら翠が私も呑みたいって言うもんだから呑ませてみたんだけどさ。そしたらあいつ二、三杯ぐらい呑んだあたりからすっごい絡んできて、挙げ句には関節極められて危うく骨折られる所だった」

 

「ねえ生斗、毎日お見舞いに来てくれるのは良いんだけど、明日大和の尖兵がウチに来るんだよ。ちょっと明日に向けて集中したいから帰ってくれない?」

 

「緊張のしすぎは良くない。

 おれという存在が緊張を解すのであればおれはここにいる」

 

「生斗はただ此処に居たいだけでしょ。自分の家でぐーたらしてたら仕事押し付けられるからね」

 

「そそそそんなわけないだろ? お、おれは純粋に諏訪子を心配して来てるだけだ」

 

 

 心配とサボりの半々の理由で見舞いに来ていたことを、諏訪子はお見通しだったようだ。

 この国は貧困ではないが特に栄えているわけでもない。この国の民一人一人が確りと役割を持ちそれを為している。

 そんな中、余所者とはいえ長期滞在しているおれにも労働の魔の手が近付いていたのだ。

 何度か家に押し入られたこともあるが、どれも家に近付いている段階で察知して裏口から逃げることにより回避していたけど___

 

 

『ほんと、ろくに仕事をしない者を食わす飯は無いんですからね。その人が例え権力者とて例外ではないんです。ましては熊口さんなんかがサボれば、諏訪子様の盾がなければ即刻追放されるんですよ』

 

 

 んー、流石に畑仕事しないとだよな。

 いい加減この国の人達の嫌な目線されるのも疲れたし。

 

 

「はあ、また翠と話してるようだけど、私の話聞いてくれる?」

 

「おっ、なんだ? おれでよければなんでも聞くぞ」

 

「そのために来たんでしょ___私は、今回の会談で神奈子をたらしこめるよ」

 

「お、お?」

 

 

 諏訪子が神奈子をたらしこむ……? 

 あの神奈子を、か。おれの考えを二手三手読んで必ず自分の都合の良い結果に持っていくような神を、果たして上手く騙すことができるのだろうか。

 

 

「あ、ごめん。言い方が違ったね。別に神奈子を騙そうって訳じゃないよ。私の存在を薄めず神奈子を納得させられるかもしれない妙案を思い付いたってことさ」

 

「そうなのか? んー、でも神奈子を納得させるってのも中々難易度高いんじゃないか? それこそ少しでもあっちの不利益になるようなことじゃ神奈子どころかその民も納得しないと思うぞ」

 

「そう、そこなんだよ。難航したのは。でもね、この前の皆の本心を聞いて突破口が開けたんだよね」

 

 

 皆の本心…………ああ、諏訪子が民衆の前で泣いたあのときか。

 

 

『その思い出し方止めてもらえません? 諏訪子様の威厳が全く無くなってしまうじゃないですか』

 

 

 あってないようなもの、だと言おうものなら瞬時に翠に関節極められそうなので心の中で留めておくことにする。

 

 

『聞こえてるの分かってて言ってますよね。 首の骨を折ることはとりあえず確定したので覚悟しておいてください』

 

 

 あかん、関節どころの話ではなかった。悪霊に直接的に殺される。

 

 

「まあ聞いてよ。これ、普通はここの神職者以外は口外できないような内容だから人に言いふらしたりはしないでね」

 

 

 普通は口外できないようなことをおれにも教えてくれる。

 ということは、諏訪子の中でおれは『信用できる人物』として認識されているということになる。

 洩矢の国に来た当時とは雲泥の差過ぎて泣きそう。

 そうだな、信用されたからには熊さん頑張っちゃうぞ。

 

 

「任せとけ、おれの口物凄く口固いから。ほら、熊さんに打ち明けてみ? 」

 

 

『そう言う人って大抵口軽いですよね』

 

「凄く不安なんだけど。言うの止めようかな」

 

 

 んな馬鹿な!? 

 

 この後渋る諏訪子をなんとか説得して、神奈子との会談で話す概要を教えてもらった。

 

 

 ……なるほど、そう言う手口があったのか。

 確かに口外したら破綻してしまうようなものだ。

 だけど、それだと諏訪子は____

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 夜が明け、陽が天高く上り詰めた頃、神奈子の軍勢が洩矢の国へと足を踏み入れていた。

 

 

「これは、どういった了見か」

 

「諏訪子様のところへは行かせん!」

 

「ここを通りたくば我らを殺してから行け!!」

 

 洩矢の国の出入口、そこには桑等の農作業用の道具を持った農夫達が神奈子の軍勢の行く手を阻んでいた。

 

 

「我らを相手にするとは愚かな」

 

「剣の錆となるのは明らかだぞ」

 

 

 一触即発な雰囲気に包まれた状況の中、ため息をついた神奈子は駕籠から顔を出し、口を開く。

 

 

「この件は、洩矢の神の差し金か?」

 

「いや違う! これは我らの意思で此処にいる!」

 

「ほう」

 

 

 興味深く目を細めると神奈子は続けて農夫達に質疑をする。

 

 

「洩矢の神に逆らえば祟り殺されるから、怯えてこんな凶行にでているのだろう。案ずるな、私がそんなことさせはしない」

 

「そんな薄っぺらい信仰で我等は動いてなどおらぬ!!」

 

 

 農夫達はより一層怒りを露にする。

 そんな彼らの姿を見て神奈子は感心し、顎に手を当てる。

 

 

「それでは、何故こんな凶行にでたのだ。そこに待つのは死しかないのだぞ」

 

「慈悲深い諏訪子様の為とあらば、我らの命等幾らでも差し出す覚悟はある」

 

「(諏訪子はあんた達を護ろうとして一騎討ちを挑んできたっていうのにね……)そうか。それでは仕方ない、通してもらえないとならば強行手段に出ざるを得ない」

 

 駕籠から顔を出した先の近くにいた道義に神奈子は耳打ちする。

 

 

「殺すな。気絶させな」

 

「御意」

 

 

 農夫達の前に道義が立つ。

 その瞬間農夫達は実感する。彼らと道義との圧倒的な力量の差を。

 戦闘経験の浅い者達しかいないにも関わらず、その圧倒的威圧感の前に農夫達の足は震え、身体中から脂汗をかく。

 しかし、後退する者は皆無であった。

 確実にやってくる死を前に農夫達は一人として逃げ出す者はいなかったのだ。

 

 

「(それまでなのか、諏訪子の信仰は。少々甘く見ていたね)」

 

「うおおおお!!!!」

 

 

 農夫の一人が雄叫びをあげ、続けて他の者達も大声をあげる。

 

 その雄叫びが戦いの合図となった。

 農夫達が次々と道義に向かって特攻していく。

 

 道義もそれに応じて剣に手をかけようとした___が、その前に突如として両者の前に降り立つ巫女により遮られてしまう。

 

 

「皆さん、落ち着いてください。この大和の軍勢は何も戦争をしに来たわけではありません。それなのにこのような火種をたてるような行為、諏訪子様が悲しまれますよ」

 

 

 降り立ったのは早恵とその後輩巫女であった。

 農夫達を制し、この場を抑えるためにやって来たのだ。

 

 

「そんな!?」

 

「わ、我々はただ、諏訪子様の為に……」

 

「諏訪子様を想う気持ちは痛いほど分かります。しかし、むやみやたらに暴力で解決しようとしたとて愚策に過ぎません。ここは今回の会談を諏訪子様にお任せするしか我々にできることはないんですよ」

 

「くっ……!」

 

「我々は何もできんのか!」

 

 

 農夫達が農作業具を下ろし、落胆したように膝を地についていく。

 その姿をみて、早恵は申し訳ない気持ちになりながらも、神奈子の前へと歩を進める。

 

 

「我が国の者が無礼を払ってしまい、誠に申し訳御座いません。この埋め合わせはいずれ必ずやさせて頂きます故、何卒どうか今はご容赦頂けませんか」

 

「いいよ、そんなの。それに良いものが見れたしね。今回のは不問とするよ」

 

 

 神奈子は早恵の頭を上げさせ、優しい笑みを溢す。

 その笑みをみて早恵は若干頬を赤らめたが、それを払うように頭を横に振る。

 

 

「それでは、諏訪子様のいる神域まで案内をさせていただきます。着いてこられる方は私まで、待機される方はこの巫女までご同行願います」

 

 

 そう言って道義の前を通り、道案内を始める早恵。

 以前は目の敵にしていた間柄であったため、道義は気まずそうに目を背けるが、早恵は軽く会釈をし、

 

 

「以前はすいませんでした。あのときはつい頭に血が上っちゃって……」

 

 

 ___謝罪を述べた。

 道案内中の身であるため、決して大きな声量ではなかったが、道義が聞き取るには十分な大きさであった。

 

 

「……!? い、いや、いきなり国を譲れと言われたのだ。あれが当然の反応だ。御主が謝ることではない」

 

 

 思わぬ出来事に驚きつつ、道義は返答する。

 その姿をみて早恵は本当に申し訳ない表情をしつつ改めて頭を下げる。

 

 

「それでも殺そうとしたのは事実です。今度謝罪の意を込めて食事を振る舞わせてください。腕によりをかけて作りますので」

 

「……気にしなくてもいいというのに。まあ、食事を頂けるのであれば是非とも頂こう」

 

 

 仲直りができた___道義の心情は緩やかとなり、次にくる早恵の手料理に心踊った。

 

 

 しかし、道義はまだ知らない。早恵の手料理は生斗を窒息死させるほどの劇物であるということを____

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「長旅ご苦労様怪我の具合はどうだい?」

 

「おかげさまで、未だに腕の節々が痛いよ」

 

 

 諏訪子のいる神社の最奥にある座敷に、胡座をかいて話し始める二柱。以前は敵対する仲であったが、戦後はその蟠りもなく、実に友好的な会話が続いていく。

 回りには何名かの代表が頭を下げ待機をしているが、二柱はそのことを気にする様子はない。

 

 

「それじゃあ、お互いまだ療養の身であることだし、早速今後の話をしようじゃないか」

 

「それもそうだね___それで、国譲りの件だけど、私としてははっきりといってここの祭神になれる気がしない」

 

「……ほう」

 

 

 大和の代表らは目を見開き、驚愕する。しかし彼らは頭をあげる行為は許されておらず、ましては発言も控えさせられている。喉にでかかった言葉を飲み込む他ない彼らは歯噛みをする。

 

 

「まさかあんたからその言葉が出るとは思わなかったよ」

 

「それはね。私の思っていた以上にあんたに対する信仰が根強すぎなんだよ。まさかこれから祭神となろうとする相手に刃を突き立ててくるなんてね」

 

「それは悪かったね。農夫達が勝手な行動をとっちゃって。私もそこまでするとは想像つかなかったよ」

 

 

 言葉とは裏腹に悪びれる様子がない諏訪子。その様子を見て神奈子は諏訪子が嘘をついていることを察する。

 

 神奈子の察する通り、諏訪子は元々、農夫達があのような凶行に走ることを想定していた。

 だから早恵達が現場に到着するのが早く、大事に至ることもなかった。

 だが何故、農夫達が騒ぐことが分かっていて諏訪子は事前に手を打たなかったのか。神奈子はそれが疑問でならなかった。

 

 

「……諏訪子、あんたは私にあんな催し物を見せて何が言いたいんだい」

 

「流石は軍神、もうバレてしまったんだね。おっとこの件はほんとに悪かったと思ってるよ。でも私の口より、直接神奈子が見ておいたほうが納得すると思ってね。あえて止めなかったんだよ」

 

「納得? ……ああ、そういうことかい」

 

 

 諏訪子の発言により漸く納得する神奈子。

 

 

「今のこの国の現状を私に見させて、国譲りを諦めさせようとする魂胆かい?」

 

「半分正解。別に国譲りを反故にしようなんて思ってないよ。私はあんたに敗けたんだ、約束は守るよ」

 

「それじゃあなんでこんなまどろっこしい真似を?」

 

「提案するためさ。このまま神奈子が私の座を奪って祭神となっても信仰は得られず、お互い消滅の一途を辿る羽目になる。それを回避するための一手をね」

 

「(最初からこれが目当てだったてことかい。諏訪子も中々交渉術に長けているね)いいだろう、聞いてあげようじゃないの。諏訪子の言う改心の一手とやらを」

 

 

 生斗に話した提案を何の交渉材料もなく神奈子に話したところで、了承を得られる可能性は極めて低い。その可能性を限りなく十割まで持っていくための交渉術。ある意味賭けに出ている部分もあるが、諏訪子は見事提案を了承させやすい土台作りに成功したのだ。

 

 

「この国じゃ神奈子は祭神にはなれない。ならば、私がそのままここの祭神であり続ければ良い」

 

「……ほう」

 

 

 諏訪子の言い様に若干眉間に皺を寄せる神奈子。確かに今の話だと何の解決にもなっていないため、神奈子が納得する筈がない。それを重々承知していた諏訪子は続けて話す。

 

 

「ただ、そのままの私がこの座に居続けられるわけにはいかない。だから大和の国にいる適当な神と融合し、新たな神になる。まあ、表向きはそういうことにして、実際には融合なんかしないけどね。

 そうすれば大和に国譲りをした証明になる」

 

「偽装工作かい?」

 

「そう。

 それで神奈子は私の力で、この国の山の神として祀る。私の力でしたことであれば、ここの民にも信仰されるだろうし、神奈子の率いる軍勢がうちに来れば自然と信仰も集まるでしょ」

 

 

 神奈子は諏訪子の話を聞き、顎に手を当て目を瞑る。

 暫しの間沈黙が続いたが、神奈子がゆっくりと目を開け、沈黙は破られる。

 

 

「つまり要約すると、洩矢の神と大和の一柱が融合しこの国を統一、その力で私を山の神として祭神の一柱として祀らせる。それに加え私の軍勢がこの国で布教活動を行えば私へのさらなる信仰も見込める____そんなとこかい」

 

 

 神奈子はこの時、神社へ案内されたときのことを思い出していた。

 新たな神が来るというときに、洩矢の民衆は特に集まりもせず、その場に偶然居合わせた者は、農夫達のような凶行には走らなかったものの、だれもが拒絶の眼差しで神奈子の軍勢を見ていた。

 

 

「(その時私は確信した。私一人ではこの国の祭神にはなれないと。なんとかして諏訪子を取り込めないかと思案していたけど……これも悪くはない、かもね。それが分かってて私だけでなく諏訪子も都合の良い提案した。ったく、見た目のわりにとんだ策士だね)」

 

 

 諏訪子の誘導に上手く吊られていることを理解し、口の端を吊り上げる神奈子。

 現在大和の国からの刺客から身を護るため、下手な手をうち、この国に混乱を招くわけにはいかない。

 それを加味したうえでも諏訪子の提案は的を射ていた。

 もしかしたら、諏訪子は神奈子の今おかれている状況を知っていたからこそ、農夫達の暴走を無視する等のリスクを犯してきたのかもしれない。それで怒り、この国の民を根絶やしにするようなことがあれば結局は自滅の一途を辿ることは明確であったからだ。

 

 

「……はあ、これで私が拒否すれば、それこそここの連中と全面戦争しなきゃいけなくなりそうだね」

 

「そこまでは私がさせないけど……それじゃあ___」

 

 

 諏訪子は次の言葉を濁した。その先は己ではなく、相手側に言わせなければならない台詞であったからだ。

 

 その意図を察した神奈子は頷き、

 

 

「そうだね、私も諏訪子の案で行った方が都合が良さそうだ。我が軍勢、是非とも乗らせてもらおう」

 

 

 そう神奈子が発言すると、諏訪子は心の中でガッツポーズをした。

 神奈子からでる圧倒的プレッシャーにより、同じ神である諏訪子ですら内心、一言一句に唾を呑む勢いで話していたのだ。

 

 

「さあ、方針が決まったのならこんな堅苦しい会談なんてさっさと終わらせて、宴でもしようじゃないか。私はそもそも、そっちが本命できたんでね」

 

「本命が宴って……これだって一応大切なことなんだよ?」

 

「酒の席じゃないと言えないことだってあるだろ? 私は本音で話したいんだ。あっ、別に今のあんたのが嘘っぱち言ってるなんて微塵も思ってないからね」

 

「嘘っぱちなんて一言も言ってないから……ま、神奈子の言ってることも確かだね。私も神奈子に聞きたいことが沢山あるから、覚悟しておいて。特に翠と生斗の件でね」

 

「ああそうだ。あの生斗って男、中々面白い奴だから、私達と一緒の席で呑ませてもいいかい?」

 

「別にいいけど、生斗ってお酒呑めたっけ?」

 

「この前私と呑み比べしたとき五分と立たずに酔い潰れてたよ」

 

「駄目じゃん! 絶対私達の酒盛りについていけやしないよ!」

 

「なあに、生斗なら大丈夫さね。だって複数も命持ってるんだから、一回や二回大したことないって」

 

 

 神奈子と諏訪子の間で、自然と笑みが溢れる。

 二柱の中で親交が少しではあるが深まったようではあるが、内容はアルハラ以外の何物でもない。

 

 

「はあ、それじゃあ早速席とお酒を沢山用意させるよ。この国一大の大宴会をしてあげる」

 

「おお、賑やかなのは良いことだ。皆が笑って酒を呑み交わすのを見るのは、上に立つものとしてこの上ない喜びだからね」

 

 

 そう言って神奈子と諏訪子の二柱は若干痺れ始めていた足で立ち上がり、その場に居合わせていた代表達にそれぞれ宴会の準備の指示を出していく。

 

 

 

 

 

「___神奈子」

 

「ん、なんだい?」

 

 

 指示を出し終え、代表らが部屋を後にした部屋で、諏訪子の声が響く。

 

 

「今回の件、本当にありがとね。これから永い付き合いになると思うけど、よろしく」

 

「何を言ってんだい。私は元々あんたと共存できる道を模索していたとこなんだよ。それを今回の会談で話し合おうとしていたところで、あんたが至上の提案をしてくれた。礼を言うのは此方の方だよ」

 

 

 そう言って神奈子は、諏訪子の前に手を差し出す。

 神奈子が言っていたことは本心であることは、諏訪子にはわかった。

 以前にミシャグジから聞いた終戦後に神奈子が諏訪子に言い放った言葉を思い出す。

 

『あんたらを悪いようには決してしないよ』

 

 きっと、この事であったのだろう。

 そう納得し、諏訪子は差し出された手を握る。

 すると神奈子は満面の笑みでその手を握り返し___

 

 

「此方こそ、これからよろしく。お互い良い関係が続くよう祈るよ」

 

 

 ___この拍手が、交渉締結の瞬間となった。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 ~別室~

 

 

「ぶぇっくしょん!!!」

 

「うわっ!? 汚い!!」

 

「ぐっ、誰かに殺害予告された気がする」

 

「何言ってるんですか熊口さん。自意識過剰にも程がありますよ」



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二十六話 締まらない旅路

二章最終回です。


 

 

 神奈子達が洩矢の国に来て十年の年月が経とうとしていた。

 いや、『洩矢』はもう旧名か。

 諏訪子は大和の国の一柱と融合したという定で今も祭神として国に現存している。その兼ね合いもあってか、『洩矢神』から『守矢神』へと改名し、国も『守矢の国』となっていた。

 

 

「せいとせいと! わたしと腕相撲しよう!」

 

「おおいいぞ。生斗兄ちゃん強いから負けても泣くんじゃないぞ」

 

「せいとなんかに負けないもん!」

 

 

 神奈子も山の神として守矢の国へ受け入れらた。

 始めは攻め入ろうとした相手に民は中々心を開かなかったが、それも年に何度かある宴会での神奈子との対談や一緒に受け入れられた神奈子の軍勢らの布教活動により今では諏訪子と引きをとらない勢いで信仰が集まっている。

 

 

「おっ、おお?! 中々強いじゃないか。苗ちゃんは力強いなぁ」

 

「せいとが弱いんだよ! お母さんの方が何十倍も強かった! 」

 

 

 おれはというと、月の手掛かりを探す旅にも出ず、呑気に守矢の国に居座ってます。

 いや、ちゃんと神奈子とかにも聞いて情報収集とかしたよ? でも神奈子も全然分からないらしいし、大和の国にいる大神ならもしかしたら分かるかもしれないと言っていたが、一人間であるおれが謁見どころか、声すら届くことは許されないそうな。

 

 

「それじゃあ次はかなこ様に勝負してこよ!」

 

「転けないように気を付けてな」

 

「うん! また遊んでね!」

 

 

 神奈子ですら、毎回他の神経由で話をしていたみたいだし。

 神奈子の応援要請をしても結局めぼしい成果は得られず、今に至るわけで。

 別にここが結構居心地が良くている訳じゃないよ、ほんとだよ。

 畑仕事も霊力を纏ってやれば腰にはくるがそんなに苦ではないし、諏訪子や神奈子達と駄弁って一日を過ごしたり翠のご飯が予想以上に美味しかったり、ましては早恵ちゃんの娘である苗ちゃんが可愛くて仕方がなくてもな! 

 

 

「生斗、また顔面崩壊してるよ。ほんと苗にでれでれなんだから」

 

「諏訪子、何度だって言う。苗ちゃんは天使だ。可愛すぎる。苗ちゃんのためなら命を幾らでも捧げられる自信がある」

 

「なんで親でもないあんたが親馬鹿全開なんだい。私は生斗の将来が心配で仕方ないよ……折角嫁とらせようとしても断っちゃうし」

 

「いや、流石にな。いずれはこの国を出る予定だし、そもそも寿命が違いすぎる。先立たれるのが苦痛なのは諏訪子もわかるだろ。避けられる苦痛なら避けた方がいい」

 

 

 先程から何度か出ている『苗ちゃん』というのは、守矢神社の巫女である早恵ちゃんの娘である。

 そう、あの早恵ちゃんはもうこの十年間に娶っていたのだ。しかも相手というのがあの道義である。

 婚約の決め手となったのが「私のご飯をほんとに美味そうに食べてくれる」とのこと。

 そういえば道義は前にも早恵ちゃんの作った握り飯を美味い美味いと食べていた記憶があるし、お似合いかもしれない。あんな劇物を食べて体調崩さないのか心配になるが……特に苗ちゃん、間違えて喉につまらせなければ良いんだけど。

 

 

「……そういえばその事なんだけど、旅に出るのっていつにするの?」

 

「____んっ?」

 

 

 旅に出る日付……?

 

 

「 私らじゃ力になれなくて申し訳ないんだけどさ、ほら、月に行くための手立てを探す旅人だって前に言ってたじゃん」

 

 

 あー、そうだ。おれ、いつかは旅に出ようかとは考えていたが、その具体的に何処に行くかや日付を全くもって決めていなかった。

 

 

「私らは生斗が此処に居たいのなら幾らでも居てもらいたいけどさ。生斗自身のやるべきことがあるのなら、私らは止めないよ。そもそも止める権利がない」

 

「……ごめんな。変に気を使わせてしまってたとは」

 

「いや、気を使わせていたのは私らの方さ。生斗は気遣っていたんでしょ。前は少ししたら出るって言ってたのに大和の国がまた攻めてくるかもしれないと神奈子から聞いてから、急に残るとか言いだしてたしさ」

 

「そうだったな。そういえばあのとき、そういった理由で残ることにしたんだっけ」

 

 

 そうだ、神奈子がこの国に来た日にあった親睦を深めるための宴会で、そんなことを聞かされた覚えがある。

 それでおれは少しでも力になれればと此処に留まることを決めていたんだった。

 今じゃそのことも忘れて悠々と過ごしていた。

 

 

「大分遅くなっちゃったけど、私らのことは気にしなくてもいいよ。生斗は生斗のやらなきゃいけないことをして。こっちは私と神奈子が上手くやるからさ」

 

 

 諏訪子の表情からは、無理をしたような、ましては厄介者を追い払うような雰囲気は感じられず、ただ友人にはしたいことをしてほしいというような、そんな感じだった。

 

 諏訪子はおれが思ってたよりおれのことを考えていてくれていたんだな。

 

 月に行くという目的___永琳さん達との約束を果たすため、おれは旅にでなければならない。

 そのためにも、そろそろ本格的に旅先を考えていかなければならない。

 

 

「ありがとな諏訪子。まだ全然考えてないけど、旅の支度を進めていこうと思う」

 

「そんなに急がなくてもいいよ。私らだって寂しくなっちゃう訳だし」

 

「諏訪子は大丈夫だろ。蛙さえいればケロってしてそう」

 

「蛙と掛けた上に馬鹿にしたね。よし、あんたのぐらさんとやらを引っこ抜いてあげるよ」

 

「ふっ、諏訪子なんぞにこのおれのグラサンが取れるかな。おれとグラサンは一心同体、いわば運命共同体だ。おれのグラサンをとるということはつまり、おれの耳を引きちぎるということになる」

 

「つまりそういうことだよ」

 

「おっ!?!?」

 

 

 そう言ってじりじりと迫ってくる諏訪子。

 あかん、やばい、ちょっと待って____

 

 

「諏訪子さんや、やめて!? あっ、いっちゃいます! 生斗さんの両耳が今びきびきと嫌な音が、あ、あああ!! 」

 

 

 諏訪子を馬鹿にしてはいけない。良い教訓となりましたーー神を馬鹿にする自体が論外だけどな! 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 なんとか耳をもがれずに済んだおれは神奈子のいる母屋まで足を運んでいた。

 

 

「で、旅に出るからどの方角に行ったらいいか私に来たのかい」

 

「酒くさ! 神奈子お前昼間っから呑んでんのかよ」

 

「あんたも呑むかい?」

 

「是非とも一杯頂こう」

 

「あんたも大概じゃないかい。ほら酌してあげるよ____それで話は戻すけど、どの方角にいけば良いのかなんて決められないよ。私は方位神じゃないんだから」

 

「んっ、あんがと____そんなことはわかってる。ただ神奈子の直感を聞きたいだけだよ」

 

 

 前は威厳の塊のような神奈子も、今では民の農作業を肴に昼間っから酒を呑んでる酔っぱらいだ。元々瞑想と託つけて居眠りをしていたりと片鱗を見せたりもしていたが、ここ十年平穏な毎日を送っていたからか完全に平和ボケしてしまっている。

 

 

「そういうことなら西に行ってみな。今年の吉方位が西だからね」

 

「直感ではないんかい。おっ、この酒結構飲みやすいな」

 

「諏訪子が隠し持ってた一品だからね。ちょっくらくすねてきた」

 

「おい馬鹿この野郎。さては共犯にするために酒勧めてきたな」

 

 

 神奈子この駄神、いつの間にか崖っぷちにおれを引きずりこんできやがってた。

 なんとかして抜け出さないと不味いことになる。耳をもがれる程度じゃ済まない事態に陥ることはまず確定してしまう。

 だというのに、何故神奈子はこうも余裕そうなんだ。

 

 

「酒の出所も聞かずに呑むからさ。もし諏訪子にバレたら私は容赦なく生斗も巻き添えにするよ。なに、生斗も呑んだとなれば諏訪子もそんなには怒られないはずさね」

 

 

 あー、そういうことね。おれを巻き込めばそこまで怒られないと。

 神奈子にしては浅はかな考えだな。

 

 

「そのおれでさえちょっと馬鹿にしただけで耳もがれかけたんだけど」

 

「……ほんとに?」

 

 

 酒を呑もうとする手が止まり、火照っていた筈の顔が青冷める神奈子。

 おれは自分が言ったことの証明に赤くなった耳を神奈子に見せる。

 

 

「…………これは、第二次諏訪大戦が勃発するかもしれないね」

 

「いや、とりあえず謝っとけよ」

 

 

 その後あえなく諏訪子に見つかったが、なんとか拳骨一発で済んだそうな。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「やっと出るんですか。熊口さんがこの国を出るのを待ちわびましたよ」

 

「へいへい悪かったな、やっとおれもお前の顔を見なくて済むよ」

 

 

 日も暮れ、自分の家へ帰宅したおれは、既に翠により作られていた夕飯を頬張りながら、今日あった出来事を話していた。

 

 

「んっ? 何を言ってるんですか。私も勿論同行しますよ」

 

「はあ? 何言ってんだ。翠お前はここに残ってろよ。諏訪子や早恵ちゃんが心配するだろ」

 

 

 翠がおれの旅についてくる。

 ここ十年一緒に暮らしてきた仲ではあるが、これからの旅に同行させるとなると話は別だ。

 そもそもが目的が違う。

 おれは月へ行くという目的だが、翠は自分と親の仇を討つのが目的であったはずだ。確かに旅をしているという点では同じではあるが……

 

 

「諏訪子はお前が仇討ちすることは望んでないぞ」

 

「知っています。でも、諏訪子様は了承して下さりましたよ。もし熊口さんが良いと言うのであればついていって良いと」

 

「……諏訪子のやつ、いつの間にそんなことを。

 なら早恵ちゃんはどうするんだ、お前がいなくなったら寂しがるんじゃないか?」

 

「寂しいですけど、早恵ちゃんも分かってくれてます。だからこそ今日まで一日一日を大切に過ごしてきたんです」

 

 

 早恵ちゃんにも了承済みってか。

 それにしても、おれが翠と旅をする___か。

 復讐に加担することになるということだよな。

 相手は下衆で野蛮な大妖怪とはいえ、十年間衣食住を共にした相手にはあまりしてほしくない。

 

 

「それに熊口さん、一人じゃ諏訪子様も心配なさるでしょう。ちゃんとお目付け役としていてあげますので」

 

 

 とんでもなく上から目線で物を言ってきおるなこの怨霊。

 

 

「翠なんかの手を借りるなら蛙の手を借りる方がましだ。蛙ならいるだけで結構癒し効果があるんだぞ。たまにゲコッて鳴いて可愛いし」

 

「私も癒し効果あるじゃないですか。ほら、私の美貌を刮目してください」

 

「あっ、駄目だ。血管が浮き出てきた」

 

「なんで!?」

 

 

 いやまあ顔は確かに良いが、何分十年間見続けた顔だ。もはやどうとも思わなくなった。ていうか逆にこれまで言われ続けてきた毒舌が思い起こされて腹が立ってきた。

 

 

「とりあえず熊口さんに拒否権はありませんからね! 感謝してくださいね。毎日ご飯作ってくれる美少女がついてきてくれるんですから」

 

「ああもう好きにしろよ。でもおれはお前の復讐には関与しないからな! 

 あと翠、自分のことをあまり可愛い可愛いとか言わない方がいいぞ。いずれ敵を作るかもしれない」

 

 

 ほぼ押し切られた形となったが、翠がおれの旅に同行することとなった。

 まあ、一人旅で一番辛いのは孤独だからな。話し相手がいるだけでも心強いかもしれない。でも相手が翠じゃなぁ……

 

 

「何いやらしい目で見てるんですか」

 

「翠お前遂に目までおかしくなったか。この目はいやらしいではなくて、疎ましいが正しいんだぞ」

 

 

 なんやかんやで、一ヶ月後に旅に出ることが決まった。

 ほんとはもう少し遅くと考えていたが、妙に翠が急かすもんだから一ヶ月と中々に短い期間で出ることに。

 地図もなく、お互い目的がある手前一度旅に出たらそう簡単に帰ることは出来ない。

 下手すれば今生の別れかもしれないことは幾ら翠の脳でも分かるはずなのにな。

 

 だからまあ、残り限られた月日を、翠の言うように『一日一日を大事に過ごす』よう心掛けるとするかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 __________________

 

 

 

 ~一ヶ月後~

 

 

 なんともまあ日が経つのは早いことで、あっという間に別れの日が来てしまった。

 

 今は日の出前、まだ辺りが薄暗くひんやりとした冷気に包まれた守矢の国の出入り口に、おれらは別れの挨拶を交わしていた。

 

 

「あんたらがいなくなると、ほんと寂しくなるねぇ」

 

「神奈子ならお酒があれば大丈夫だろ。でもまあ、たまには寄るからさ。その時は大いに歓迎してくれ」

 

「……あんた、最近私のことただの酒好きの姉さんかなんかだと思ってないかい?」

 

「あれ、違ったっけ?」

 

 

 このっ、と軽い肘打ちをされたが、特に神奈子は怒っている様子もなく、ただの軽口であることを理解しているようだった。

 

 見送りには諏訪子と神奈子、後早恵ちゃん家族とこの国で比較的仲の良かったおっさん達だった。

 

 

「生斗、剣術の指南、結局最後まで受けてもらえなかったな」

 

「おれが教えられることなんてないって。場数を踏んでりゃおれなんてすぐ越えられるって」

 

 

 道義はこの国に来てからおれに遭う度剣術指南の稽古を依頼を受けていた。

 だが、おれはめんどくさいのとそもそも感覚でしか剣を振らないおれなんかが教えたところで変になるだけだと判断し丁寧にお断りしていた。

 

 

『途中から居留守使ったり他人のふりして無理矢理断ってましたよね。熊口さん、丁寧とはなんでしたっけ?』

 

 

 だ、だって仕方ないじゃん。しつこかったんだもん。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……早恵ちゃ____」

 

「おいぃ! 無視をするでない!!」

 

 

 ミシャグジさん。言うことあるならはっきり言ってくれ。十年経った今でも、あんたの姿は目に悪い。

 

 

「___達者でな。大和の件、反対はしたが礼を言う。結果論ではあるがお主のおかげで皆が助かった」

 

「それ、言うの大分遅くない?」

 

「貴様!」

 

「冗談冗談、ありがとな」

 

 

 プライドの塊であるミシャグジに礼を言われるとは、なんだか妙な気分ではあるな。

 

 

「熊口さん、どうかお元気で。この旅が無事成功なさるよう毎日諏訪子様に祈りますので」

 

「身重なんだから来なくても良かったのに___早恵ちゃんも身体には気を付けてな」

 

 

 早恵ちゃんのお腹には第二の命が育まれている。

 なのにこんな肌寒い中見送りにきてくれるとは。

 

 

『くっ、今この状況で外に出られないのが悔しいです。早恵ちゃんに宜しくとだけ伝えておいてください』

 

 

 それだけで良いのか? 

 

 

『一応昨日の段階で別れの挨拶は済ませてあるので』

 

 

「翠が宜しく伝えておいてくれだって」

 

「ありがとうございます。翠ちゃん、私と翠ちゃんは何年何十年、いや私が亡くなったとしてもいつまでも親友だよ」

 

 

『……!!!』

 

 

 んっ、翠お前泣いてる? 

 

 

『な、泣いてなんかいません! 勘違いしないでください! 幽霊は泣いたりしません!!』

 

 

「翠のやつ泣いて喜んでるぞ」

 

 

『やめてくださいお願いします!!』

 

 

 翠をからかうのもたまには良いもんだ。

 早恵ちゃんも目頭に大分涙が溜まっているようだが、決して泣かずに笑顔でいるのに。

 別れに涙はいらない、笑顔で見送るんだという意気込みが感じられる。

 

 

「ふあぁ……せいと、どこかに行っちゃうの?」

 

「苗ちゃん、これから生斗兄さん旅に出るからもう会えないんだよ。寂しいだろうけど我慢してくれ」

 

「うんわかった。生斗ばいばい!」

 

 

 あっ、駄目だ涙でそう。苗ちゃんあまりにも淡白すぎるんだけど……

 

 

「____生斗」

 

 

 なんとか泣かぬよう顔を空に向けていると、後ろから呼ぶ声が聞こえてくる。

 

 

「諏訪子か。随分と長い間世話になったな」

 

「礼を言うのは此方だよ。生斗なら未来永劫この国に居てほしいぐらいさ」

 

「なんて魅力的なことを言うんだ。良いのか、おれ本当にずっとここに居着いちゃうよ」

 

「目的があるのに何言ってんだい___まあ、私らは気長に待つからさ。辛くなったらいつでも帰っておいで。快く歓迎するよ」

 

「……ありがとう。そう言ってもらえるだけで大分楽になる。それにしても諏訪子お前、まるで母親のような事言ってくれるな」

 

「ふふ、諏訪子様はこの国の母親のような存在ですから」

 

 

 諏訪子の見た目で母親というワードに若干の違和感はあるが、その姿は十年間で十分なほど見てきた。

 赤子の出産には必ず立ち会い、悩みのある者にも親身になって相談にのり、この国に妖怪が侵入してこないよう細心の注意を払っていた。

 あのとき、諏訪子に対して国の皆が一丸となり擁護していたのにも納得できてしまうほどに。

 

 

「それじゃ、そろそろ行くわ。おれん家一応綺麗にしておいたから、誰でも好きに使ってくれ」

 

 

 グラサンを掛け、地面に置いていた荷物をからい皆に背を向ける。

 

 

「生斗!」

 

「んっ、なん___おっと!」

 

 

 皆に向けて手をふろうとしたとき、又もや諏訪子から呼び止められる。

 やけに声を荒げていたので何事かと振り向くとおれの胸に三枚のお札が飛んできた。

 

 

「それは御守りだよ。少しだけど私の呪いの力を使えるようになるから、もしどうしようもない敵が現れたら使って。きっと役に立つから」

 

「中々とんでもないもの渡してきたな」

 

 

 呪いの力って……あの神奈子ですら苦しめていたやつだよな。そんな恐ろしいものを渡してくるとは___だがありがたい。ここは妖怪が犇めく恐ろしい世界だ。奥の手が増えるだけでも大分生存率があがる。

 

 

「助かる。まあ有効活用させてもらうよ____それじゃあ今度こそ行くわ。皆元気でな」

 

「そっちこそ元気でね。そこら辺でくたばるんじゃないよ」

 

「そんなことにでもなったら私が呪い殺すからね」

 

 

 神奈子と諏訪子が揃いも揃って物騒なこと言ってくださる。

 もう少し気の利いたこと言ってくださいよ! 

 

 

「おう、無事に帰ってくるから楽しみにしておいてくれ。良い土産話一杯持ってくるからな」

 

 

 こうしておれと翠は、見えなくなるまで手を振り続けてくれた皆の見送り経て、遂に旅へと繰り出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「そういえば翠、途中から全然喋らなくなったよな」

 

 

『……別に良いじゃないですか。挨拶は昨日のうちに済ませてありますし、特に喋る必要もないでしょう』

 

 

 翠の声___なんか妙に鼻声だな。

 

 

「もしかしてあれからずっと泣いてたのか。おっ? まさかあの翠さんがここまで大泣きされるとは。やっぱり乙女なんですね、翠さんも!」

 

 

『はっ倒しますよ。それに熊口さんだって泣いてるじゃないですか。グラサン掛けてるからばれないとでも思ってましたか? 男が泣くなんて女々しいですよ』

 

「馬鹿野郎、男女差別してるんじゃないぞ。男が泣いたっていいだろうが!」

 

 

 まさかバレていたとは。流石に中にいる翠には見破られていたようだ。

 

 

『さっき煽ってきたとき泣くのが乙女らしいとかほざいてた人が何を言ってんですか!』

 

 

「まあまあ、怒っても何も始まらないぞ。ほら、飯も一杯持ってきたんだ。一旦一休みして飯でも食おうじゃないか」

 

 

『吹っ掛けてきた上に私が外に出られないことを知ってて言っていますよね。許しません、熊口さんが寝ている間に諏訪子様のお札で呪い殺します』

 

 

「あっ、それ洒落にならないから止めて。ごめんって。ちょっとからかっただけだから」

 

 

『許しませんと言いましたよね』

 

 

 ああ駄目だ。翠ちゃん怒っちゃってる。ほんと沸点低いんだから。

 まあ、とりあえず飯でも食うか。朝から何も食わずずっと歩いていたからな。

 

 そう思案したおれは、木陰で腰を下ろし、食料の入った荷物に手を掛ける。

 旅の身支度は諏訪子のとこの巫女達にやってもらった。

 ほんとはおれがやるのが一番なのだが、諏訪子が気を利かせてやると名乗り出てくれたので、めんどくさいのが嫌いなおれはお言葉に甘えてやってもらったのだ。

 おかげで旅に出るまで家の掃除ぐらいだけで済んだので大いに助かった。

 

 

「巫女達の作ったものだから絶対に美味いぞ。女の子に作ってもらっただけでも美味く感じられるしな!」

 

 

『熊口さん気持ち悪いです』

 

 

「うるせえ! 翠にはわからないと思うが、男は皆女の子の手料理が大好物なんだよ!!」

 

 

 そう翠に悪態をつきつつ、おれは食料の入った荷物を開封する。

 その瞬間____

 

 

「うわっ臭っ!!?!」

 

 

 とてつもない悪臭が辺りを包む。

 あまりにも唐突な激臭におれは鼻をつまみ直ぐ様食料の入った荷物を締める。

 な、なんだこれは、一ヶ月放置した生ゴミの臭いがするんだけど!! 

 

 

「ま、まさかこれ____早恵ちゃんあの野郎か!!」

 

 

 

 荷物の開け口の隙間からちらっと見える緑色のヘドロ。間違いなく早恵ちゃんの仕業だ。

 

 なんでまた早恵ちゃんが食料担当になってんだよ!! 

 ていうか普通旅に出るんだから乾物とか長持ちするやつでしょ! 

 なんで荷物一杯に産業廃棄物詰め込んでんだ! 

 

『折角作ってくれた早恵ちゃんに失礼ですよ…………まあ、呪い殺すのは勘弁します。御愁傷様です』

 

 

「おれの食料がああぁぁ!!」

 

 

 どうしよう、ほんとどうしよう。とんでもなく帰りたいぞこれ。

 

 

 これはまたハードな旅になりそうな予感しかないんだけど……。



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3章 妖怪の山との交流
1話 想定外で規格外


 

 

 燦々と照りつける太陽がこれほど憎らしいと思ったのはこれで何度めだろうか。

 

 辺りには光を遮る大気中の水滴は一切見当たらず、容赦なく地上に熱気とともに降り注ぐ。

 

 守矢の国を出て幾月か経過した今日。

 おれは極度の空腹と水分不足に悩まされていた。

 

 

「飯、もう何日食べてなかったっけ……」

 

 守矢の国から出るときは大分まだ肌寒かったのだが、今ではドテラを着ているだけで暑苦しいほどの温度だ。

 食料面でも何回か見掛けた村でお世話になったりして食い繋いできたが、ここ二週間近く歩き続けても村どころか民家すら見つけられていないため、このような状況に貧しているのだ。

 

 

『二日です。しかも食べたのはあまり美味しくなさそうな木の実でした』

 

 

「ああ、そうだった。それが当たって逆に体力消耗したんだっけな」

 

 

 そろそろ体力の限界が近い。

 ただ西へと進んではいたが、一向に吉となるような事が微塵もない。

 こんなに餓えに苦しむのなら最後に寄った村でもう少し働いて乾物をもらっておけば良かった。

 

 

「少し、休憩するか」

 

 

 駄目だ。頭が朦朧としている。目の前もなんか歪んで見えるし、少し寝ないとこれ以上歩けない。

 

 

『私が外に出られれば食料ぐらい取ってくるんですけどね』

 

 

 その食料が中々採れないから困ってんだよ。

 草とか食べれるやつと食べれないやつの違いとか分からないし、動物とかも全然出てきやしない。

 

 

『そりゃあ人の整地した道ばっかり歩いてたら遭いませんよ。動物は皆が縄張りがあるんですから、まずそこから探さないと____まあ、今の熊口さんに言っても無駄ですね。とりあえず休んでください』

 

 

 おう、そうする。

 重い身体をなんとか木陰まで持っていき、力なく尻餅をついたおれはそのまま目を瞑る。

 すると意識が泥のように溶けていき、みるみるうちに夢の世界へと誘われていった。

 

 

 __________________

 

 ーーー

 

 

「こんなところに人間?」

 

 

 人間の村へ赴く道すがら、私は道端で倒れる妙な格好をした人間を見つけてしまった。

 

 

「大分痩せ細ってるね。ここ数週間ろくなもの食べていないと見た」

 

 

 果て、どうしたものか。少し小腹も空いたし食べてしまうのも悪くない。

 だけど、う~ん。

 この人間、妙な気配がする。 これは____神力?

 頭に掛けている黒い物体からそんな力が発せられている。

 

 

「でも大分衰弱しているしなあ」

 

 

 あの()()()に出させるには役不足な気がする。

 だが、素材としては申し分のない。

 神具を持った人間、話題性としては十分。わざわざ人間の村へ行く必要もなくなる。

 

 

「仕方無いね。私が少しの間養ってあげようじゃないの」

 

 

 そう言って私は人間を肩に乗せ、帰路へ歩を進める。

 

 ___んっ、この人間。わりと筋肉あるな。やっぱり食ってやろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 __________________

 

 

 ーーー

 

 目が覚めると、見覚えのない天井が視界に映る。

 なんだこれ、以前にも同じことがあったような気がする。

 

 

「そして当然の如く縛られてるのね」

 

 

 とりあえず起きようとすると、両手足紐で縛られ、身動きがとれない状況となっていた。

 

 そうだ、前に守矢の国へ再転生した時と同じ状況だ、これ。

 ……ってことはつまり、これを仕出かしたのは____

 

 

「おっ、目が覚めたかい」

 

「やっぱり幼女かよ!」

 

「あん? 何て言ったんだい?」

 

 

 目の前にいたのは諏訪子ではなく、また違った幼女であった。

 おれの隣で様子を窺うように此方を覗き込んでいる。

 服装は袖を破ったかのような白のノースリーブに紫のロングスカート、装飾品として四肢に鎖が取り付けられており、先端には丸四角三角の分銅らしき物体が付いている。

 容姿は……まあうん。なんとも可愛らしい。

 栗色のロングヘアーに女性の平均身長の頭ひとつ分ほど低い背丈。

 そんな少し奇抜な服装以外は美幼女であることは確かなのだが、()()普通の人間にはない物があった。

 

 ___頭に身体とは不釣り合いなほど大きな二本角が生えている。

 

 これだけでも彼女が人間でないことは確かだ。

 

 そしてもう一つ、この幼女恐ろしい程の妖力を有している。

 

 なんでこんな大妖怪が接近し……てか人拐いされてるのに起こしてくれなかったんだよ、翠。

 

 

『やっと気がつきましたか。何度も起こそうとしたのに起きなかったんですよ』

 

 

「急に此方をじーっと見てなんだい。女性をまじまじと見るもんじゃないよ」

 

「ああすまない。だけどこの状況だとそうも言ってられないだろ。妖怪に捕まって両手足縛られてるんだから。まずどんな奴か観察しないと」

 

「なんだ、私が妖怪だって分かってたんだ。それこそ泣き叫ぶなり抵抗するなりするだろうに」

 

「この状況には耐性があるもんでね」

 

 

 前は妖怪ではなく神だったけど。

 そんなツッコミをしつつおれは縛られた縄をナイフ型に生成した霊力で切り落とす。

 

 

「ほう、そんな芸当が出来るんだ」

 

「驚いたか。おれを拘束したいなら関節でも外しとくんだったな。それじゃ、おれは用があるんで」

 

「待って待って待って、なんで何事もなかったかのように帰ろうとしてんだい。この私が逃がすとでも思ってんの」

 

 

 そうだよねー、そうじゃなきゃなんで誘拐したのか不明すぎますよねー。

 とりあえずとてつもなく嫌そうな顔をしつつ、おれは幼女の方へ振り向く。

 

 

「力づくであんたを押さえつけることも可能だけど、まずは飯にしないかい? ほら、あっちの部屋から良い匂いがするだろう。この私特製鍋の匂いだよ。あっ、人肉はないから安心しな」

 

「な、べ……?」

 

 

 鍋、だと____!!!

 そういえば確かに、さっきから隣の部屋からほのかに出汁のきいた食欲をそそる匂いが香ってくる。

 ここ数日ろくなものを食べていないおれの胃袋が早く早く食わせろと悲鳴を上げ始める。

 

 

「鍋、か……」グルウウウウウウグウウウ

 

「と、とんでもなくお腹空いてたようだね。食物があると分かった途端腹鳴りまくってるじゃないか」

 

「……肉はあるか」グルウウグウウグウウ

 

「一応鴨肉あるけど」

 

「幼女妖怪様。私め、この御恩二度と忘れません。己に出来る事があれば何なりと引き受ける所存で御座います」グウウウウウウルルル

 

「うわっ、何気持ち悪い!」

 

 

 なっ、何が気持ちが悪いだ!

 誠心誠意を込めて跪いて礼を述べただけだってのに。

 

 

『熊口さんに誠心誠意という概念があったんですね。十年来の驚きです』

 

 

 翠、心読めるくせに今まで気付かないとかそれこそ驚きを隠せないぞ。

 

 この幼女妖怪が何者であるかは今はどうでも良い。

 それよりもまず、食欲を満たさなければほんとに死んでしまう。

 

 そう言い聞かせたおれは、軽い足並みで鍋のある隣の部屋へと移動していった。

 

 ___後ろの妖怪が唾を啜る音に気付くこともなく。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「いやぁ、食った食った。こんなに美味い鍋は初めてかもしれない」

 

「ほんとよく食べたねぇ。予備で用意しておいた食材も全部平らげるんだもん」

 

 

 この世で一番美味いと豪語できる鍋をつつき終え、差し出された茶を啜りながら一息ついていた。

 

 翠も食べれば良かったのに、何で出てこなかったんだ? 

 

 

『ここで私が出ることによって不利になるかもしれないですから。あっ、大丈夫ですよ。私は食事を必要としませんから』

 

 

 不利になる? 何を言ってんだか。

 妖怪だからって警戒しすぎだ。食卓を皆で囲って飯を食べるのはまた美味なんだからな。

 

 

『さっきの鍋、全部熊口さんが食べてたくせに何言ってんですか』

 

 

 あ、あのときは気を使う余裕がなかったんだ。無我夢中で飯にありついてたからな。

 

 

「そういえば、あんたの名前を聞いてなかったな。何て言うんだ? ……あっ、因みにおれは熊口生斗、永遠の二十歳なのでそこのとこ宜しく」

 

「熊口生斗ね。いつまで覚えているかは分からないけど、記憶の片隅にでも置いておくよ」

 

「酷いな。少しは覚えてもらえたら嬉しいんだけど」

 

「ははは、善処はしとくよ___私は伊吹萃香っていうんだ。たぶんあんたの中で一生頭に残る名だよ」

 

 

 そう言い放ち、どこから取り出したのか瓢箪の中にある液体を口にする幼女。

 匂いからして大分きついタイプのお酒だろう。

 

 

「ほう、やけに自信ありげだな。おれこそ自慢じゃないが忘れっぽい性格でな。萃香って名前直ぐに忘れちゃうかもしれない」

 

「大丈夫大丈夫、あんたは絶対に忘れないよ。これまでで、そしてこれからも私ほどの妖怪……いや、()には出会わないだろうしね」

 

「はいはい、萃香さんは凄いですね。とてもお強そうな…………えっ、今何て言った」

 

 

 おれの聞き間違いだろうか。

 今この幼女、自分のことを()と言ったような気がしたが、流石にそれは空耳だろう。

 そういえば忘れていたがこの幼女、大妖怪と言っても差し支えない程の妖力を有している上、鬼特有の角が生えてはいるが、さ、流石に違うだろう。

 角のある妖怪なんて巨万といるし。

 

 

『鬼って言ってましたよ』

 

 

 でしょうね! 言いましたよねそりゃね! 

 

 鬼……鬼には良い思い出が一切ない。

 時に食後の運動で襲われ、時には逆恨みで仲間を大量虐殺された。

 人間と大差ない体躯とは思えないほどの怪力を有し、非常に好戦的。

 人智を遥かに越えた圧倒的な力を引っ提げて傍若無人に生きるのが鬼だ。

 

 

「さて、腹拵えも済んだことだし、早速本題に入ろうか」

 

 

 そう言い放ち、不適に笑う幼女……萃香。

 その笑みに悪寒が走ったおれはなんとか制止しようと試みる。

 

 

「ちょっと待て。それよりもおれは____」

 

「あんたを鬼対人の腕試しに参加させるのが、私の目的。人間が一人が自刃したらしくてね。その補充であんたを捕まえたってわけ」

 

「やりません鍋美味しかったですさよなら!!」

 

 

 萃香の口からとんでもないワードを聞き取った瞬間、おれは足に霊力を込め全速力で戸を破って家を出た。

 人の家のドアを破壊するということに若干後ろめたさは感じたが、今はそんな事を気にしている余裕はない。

 鬼との力試し? 馬鹿なのか、馬鹿なんだろうな。

 鬼と人なんて比べるべくもない、地力が違いすぎる。

 霊力を扱えるおれだって鬼との力比べで勝てる自信は微塵もないというのに。

 

 

『馬鹿は熊口さんです。折角油断してたんですから首でもはねていれば良かったのに』

 

 

 鬼をなめてたら命が幾つあっても足りないぞ翠。

 一発殴られただけで内蔵の大半が破裂した人間の気持ちが分かるか? 

 想像を絶する痛みだったんだぞーーその後アドレナリンやらのおかげでなんとか動けはしたが。

 

 

『あれ、妄想の中の話じゃなかったんですね。ほんとに今、熊口さんが焦っているのが…………あっ』

 

 

 あっ? 

 翠、あってなんだよ、あって。

 まるで見てはいけないものを見てしまったような____あっ。

 

 

「私に目をつけられた時点で、逃げるという選択肢はまずなくした方がいいよ」

 

「そうだ、ついでだし他の鬼達と力試しする前に、私が試してあげる」

 

「安心しな、死なない程度に加減してあげる」

 

「____まじかよ」

 

 

 戸を破り、少し走った先にいたのは、家の中に居た筈の萃香が()()にもなって前に立ちはだかっていた。

 

 ははは、逃げられるとは思っては居ませんでしたよ、それはね。

 なんとか他の妖怪と鉢合わせ、その混乱に乗じて逃げ出そうとしていたというのに。

 

 これは、もうほんと、なんというか…………とんでもない規格外な鬼がいらっしゃるようで。

 とりあえず命が確実に一つ以上無くなることは確定しましたね。



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2話 火事場の鬼力

 

 

 見渡す限り樹木に囲まれた森林で、おれは絶望に打ち拉がれていた。

 

 周りには鬼の萃香が数十人と姿を現し、おれの進路を塞いでいたのだ。

 

 

「死なない程度にて。鬼と人の力比べ大会とかいう理解不能な催し物出させるっていうのならせめて使える程度に収めてくれよ」

 

「使えるかどうかは私が判断するよ。使えなければそうだねぇ、生斗あんた美味しそうだし食べてしまうのも悪くないかも」

 

 

 又も物騒なことを言ってくれる萃香。

 死なない程度にとならば少し怪我しないよう安全に負けようとしたが……

 下手な負け方をしても地獄、逃げても地獄、全力で戦わなければ結局のところ待つのは確実な死。

 

 

「そりゃそうか。鬼は人食いもするんだっけか」

 

「別に食べなくても生きてけるんだけどね。ただ、美味そうな食材が目の前にいるのにわざわざ我慢する必要もないでしょ」

 

「おれ美味くないよ。筋が硬くて食えたもんじゃない筈だ」

 

「それはあんたの決めることじゃないでしょ。それに硬くて食えたもんじゃないのは、人間の顎が貧弱すぎるだけ。私達からすれば咬みごたえのあるものかもしれない」

 

 

 軽口を叩いているうちにおれは霊力剣を生成し、構えをとる。

 正直言って疲れはあまりとれていない。身体は未だに重く、万全な体力とは程遠い状態である。

 これは、おれよ能力を使わなければ、秒殺されるのは必至だ。

 

 

「むっ、その光る剣……何故だろうか。その剣をまともに受けるなと私の勘がいってる」

 

「其処らのなまくら刀よりかはよっぽど斬れるからな。用心しないとスパッと腕斬り落とすぞ」

 

 

 側面から叩かれたら簡単に折れるけどな! 

 それでも霊力を大量に込めればあの大妖怪である幽香の腕すらも斬ることが出来る代物であることは確かである。

 鬼が斬れるかは知らんが。

 とりあえず、臨戦態勢に入らせてもらいますか。

 

 

「へえ、結構霊力あったんだね。そこらの雑魚ではなかったんだ」

 

「褒めていただきありがとう。もっと褒めても良いんだよ」

 

「ま、だからといって私には遠く及ばないけどね」

 

 

 分裂体? が霞がかり、一ヶ所に纏まると先程よりも遥かに増した妖力を有した萃香が姿を現す。

 

 

「この辺に漂らせていた私を全て戻した。これが本来の私の力だよ」

 

「人を絶望させてそんなに楽しいか」

 

 

『熊口さん頑張ってください! 骨は拾いませんけど』

 

 

 ありがとよ翠。やられそうになったら無理矢理お前を引きずりだして盾にしてやるから準備しとけよ。

 

 とにかく、そろそろ能力を使っておいた方がいい。戦いが始まっては使う余裕もないだろうからな。

 

 そう考えたおれは、六つある命のうち一つ命の寿命___残り五十年の半分、二十五年分を代償とした。

 

 

「おお、まだ私ほどではないけど、さらに霊力が増した。これはやりがいがありそうだね 」

 

「勝てる気は全くしないが、一矢ぐらい報いてやるよ」

 

「ふふ、やってみな人間如きが。私の前で無様に地に伏させてやろう!」

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 面白い人間を拾ったもんだ。

 この霊力、これまで出会った人間の中で随一だ。どうせ私を倒せるだけの力はないだろうが、最近のつまらない日常に良い刺激を与えてくれるだろう。

 

 

「いくよ!」

 

 

 愚直にも私は人間___生斗に向かって肉薄する。

 下手な駆け引き等の必要ない。

 さあ生斗、どう対処する? 

 横へ回避するか? それとも正面から受け止めるか? 

 

 

「ふん!」

 

「んむ”っ!?」

 

 

 私と生斗との距離が人一人分となった瞬間、とてつもない悪寒が私の全身に走った。

 その異常により一瞬反応が遅れてしまった私は、あえなく生斗の振り下ろした剣が私の肩から胴にかけて通り過ぎていった。

 

 

「へ、へへぇ。意外と鋭い剣筋してんだね」

 

「ああ、鬼にもおれの剣が通って正直安心してる」

 

 

 即座に大きく後退し、改めて斬られた箇所を確認する。

 傷はそんなに深くはないが…………治りが遅い。これぐらいの傷であれば数秒あれば完治するというのに。

 

 ____あの霊力で出来た剣か。

 そもそも霊力は妖怪特効の力だ。普通の生物には効かぬ技も、妖怪には大打撃となりうる。

 あの剣はその霊力で出来ている、いわば妖怪にとって天敵といっても過言ではないだろう。

 傷が治らないわけではない。少しいつもより治りが遅いという程度だ。

 それよりも特筆すべきは斬れ味、鬼の肌は常人より何十倍も斬れにくい。青銅の剣や、最近出回り始めていた鉄の剣ですら私らの肌を傷をつけることはできなかった。

 だというのにあの剣は肌どころか私の肉すらも斬り裂いて見せたのだ。

 

 それにあの剣速____これは想像していた以上に楽しくなりそうだ。

 

 

「はははは! こりゃ面白い! ごめんね、生斗、正直あんたをなめくさってた!」

 

「ずっとなめくさっててもいいのよ」

 

 

 戦いの最中といえど、伊吹瓢の酒が進む。

 こんなに良い気持ちなのに、酒を呑むなという方が可笑しい。

 

 

「さあ、続きをしようじゃないか!」

 

「変に興奮してるな。おれは気分が落ちていく一方だってのに」

 

「なんでさ。強いやつ同士で戦おうって時に気分を損なうなんて勿体無いにも程があるよ」

 

「それは鬼の尺度!」

 

 

 まったくもう、ノリが悪いな。

 まあいい、私は私で楽しませてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 ーーー

 

 

 生斗が剣を構えると、萃香はニヤリと笑みを溢す。

 

 

「……!」

 

 

 そして無言のまま、又も萃香は直進的に生斗へ肉薄する。

 その速さは通った箇所に残像を残し、周りの樹木はあまりの衝撃により大きくしなるほどであった。

 常人にはまず目視することは叶わぬ速度ではあるが、眼を霊力で強化することによって生斗はなんとか目視することが出来る。

 

 しかし、見えるからといって身体がその動きについてこれるかどうかは話は別である。

 

 

「くっ!」

 

 

 身を捻り今いる場所から離れると、その元いた場所には既に萃香の拳が振り切られていた。

 少し間を置いて突風が巻き起こり、近場にいた生斗もろとも吹き飛ばしていく。

 

 

「(馬鹿力め! 普通殴った風圧だけで人が飛ぶかよ!?)」

 

 

 空中でくるっと一回転し体勢を立て直す生斗。

 だがその時にはもう萃香は目前にまで迫っていた。

 

 

「!!」

 

 

 袈裟斬りで応戦。しかし霊力剣が萃香の肩を掠める寸前、彼女自身が霞がかり、終いには霊力剣は標的を斬ること叶わず空のみを斬る結果となった。

 

 一瞬の出来事に僅かに硬直する生斗。

 しかし直ぐ様背後にくる気配を察知し、左手で生成した霊力剣を数発背後へと放つ。

 

 背後への気配は正しく、実体化した萃香が笑みを崩さぬまま霊力剣の側面を叩いて迎撃する。

 そこへ間髪入れず生斗は逆回転し、その回転を利用した渾身の踵落としを脳天に向けて炸裂させるが、既に霊力剣を対処し終えた萃香は難なく両手をクロスにして防御する。

 

 

「っっつぅ!?」

 

 

 遠心力を利用した踵落としは時として諸刃の剣だ。

 相手に避けられ、地面に叩きつけようものなら間違いなく骨にヒビ以上の怪我を負うこととなる。

 鬼の腕は地面とは比較にならぬほど硬い。

 霊力で強化していたとはいえ、痛みは甚大、思わず生斗も苦悶の表情を隠せず、もう片方の脚で萃香を蹴り飛ばしその場に着地する。

 

 

「(脚は……大丈夫だ、問題ない。あぶねぇ、霊力ブーストしてなかったら確実に折れてる自信があるぞ。てかあのタイミングで防ぐのかよ!)」

 

 

 改めて萃香の異様ぶりに嫌な汗をかく生斗。

 目の前の少女が、ただの可愛らしい幼女であったのが、今ではどの妖怪よりも恐ろしい化物へと変貌する。

 

 

「……これは、これまで遭ってきた鬼の中でも一番かもしれないな」

 

「ふっ、私をその辺の鬼と一緒にしないでくれよ。

 こんななりだけど、鬼の集落じゃ負け知らずの大姉貴なんだからね」

 

「姉、貴だと……!?」

 

「あっ、あんた絶対笑ったでしょ! 私を甘く見ると痛い目見るよ」

 

「絶賛今脚痛めてるんですが」

 

 

 ぷんぷんと怒る仕草はなんとも子供っぽいのだが、それで油断していては命取りとなる。

 生斗は一度深呼吸し、改めて霊力剣を構え戦闘体勢を取る。

 

 

「生斗、あんた強いよ。ここまで私が高揚したのは初めてかもしれない」

 

「そういえば一つ聞きたい事があるんだが。なんでそんなに人間と戦いたがるんだよ。殴りあいなら鬼同士でやった方が楽しいだろ」

 

「さあ、なんでだろうね。私も鬼になってからだけど、鬼同士じゃどうしても足りないんだよ。脆い人間だからこそ、弱々しい人間だからこそ、私らに立ち向かい一矢報いてくる人間が輝かしくて仕方がないんだよ」

 

 

 鬼の殆どは元は人間である。

 過去の何かしらの出来事で切っ掛けで鬼となり圧倒的な力を得る。

 だからこそ、昔に人間であったときの自分と比べて羨望があるのだろう。

 それについてなんとなく察した生斗は口を紡ぐ。

 

 

「無駄話が過ぎたね。いくよ」

 

 

 そしてまた戦闘が始まる。

 これで三度めとなる萃香の肉薄。だが次はただ直進してくるのではなく、数十体に分裂体を生成し四方八方から同時に生斗へと向かっていった。

 

 

「手数で勝負か…………すまないが、おれは別に剣術に特化した闘い方はしていない」

 

 

 そう自信満々に鼻息を荒らした生斗は背後に八つ程生成しておいた爆散霊弾をそれぞれくる方向へ放った。

 話の最中、生斗は抜け目なく準備を進めていたのだ。

 

 

「なにっ!!?」

 

「ははは! 驚いたか! 我が爆散霊弾の威力を!!」

 

 

 萃香の分裂体へと着弾した爆散霊弾は凄まじい爆発と共にそれぞれの分裂体をまとめて消し飛ばしていく。

 それにより霞が又も発生し、集結して出てきた萃香は多量の血を流し、身体からは煙が立っていた。

 

 いつもは直前に放ってしまい、巻き添えを食らっていた生斗だったのだが、今回は大分距離の空いた状態で放ったため無傷。その事に加え、もしかしたら分裂して攻撃を仕掛けてくるのではという予想が見事的中したことによりとてもご満悦な生斗。

 

 

「ぷはっ、まさかこんな切り札を持っていたなんてね。油断してたよ」

 

 

 口から煙を吐き出し、砂埃で汚れた服を叩いて落とす萃香。

 身体中に火傷痕等で血が多量に出ていたが、それも数秒のうちに止まり、今では傷も塞がり始めている。

 

 

「まあこれぐらいの傷なら直ぐに治るけど。そんな爆発する霊弾よりもあんたの持ってるその剣で斬られる方が治りにくいから厄介なんだよね」

 

「爆散霊弾よりも霊力剣の方が面倒と言われたの初めてなんだけど……」

 

 

 生斗はまさかの切り札があまり効果がなかったことに落胆する。

 

 

「(さあどうする。おれから攻めるか、それともまた受けで___いや!!)」

 

 

 なにかを思案した生斗は一度に大量の霊弾を生成する。

 今ある生斗の霊力の半分ほど生成された霊弾は大半が萃香へと向かっていき、少数が様々な箇所へまばらに飛んでいく。

 

 

「良い弾幕だね、だけどそれぐらいじゃ私は倒せないよ!」

 

 

 そう言い放つと萃香は掌から黒い渦のような物を生成する。

 するとみるみるうちに生斗の放った弾幕は引き寄せられていき、直線上に霊弾が並ぶ。

 

 

「ほら!」

 

 

 その直線上へとなった弾幕を、萃香の一筋の妖弾により消し飛ばされていく。

 その光景を目の当たりにした生斗は心の中ですら言葉を失っていた。

 

 

「これが能力の応用…………ってあれ、生斗は____あぶなっ!!」

 

「油断大敵という言葉知ってるか! 萃香のようなやつの事を言うんだぜ!」

 

 

 霊弾が消し飛ばされている最中、生斗は木々に身を隠し萃香の背後へ回り込んでいた。

 そこから不意討ちの袈裟斬りをしたが、直前のところで気配を察知した萃香に避けられる。

 だが、生斗もそのことは想定の範囲内であり、構わず二振り、三振りと霊力剣で追い詰めていく。

 

 

「(この間合いはおれの領域だ。この好機は逃してたまるか!)」

 

 

 先のように萃香に勢い付けられて来られたら反応が追い付かず後手に回る他ないため、ここに来て五分の状態の接近戦を逃すのは、霊力を半分溝に捨てるのと同義であった。

 

 

「ふん!」

 

「(効かねぇよ!)」

 

「ぐっ!」

 

 

 萃香が生斗を間合いから引き離すように正拳突きの風圧で吹き飛ばそうとしたが、その風圧を身を捻って回避する生斗、逆に正拳突きにより出来た隙をついて腹部を霊力剣で斬りつける。

 

 苦悶の表情を浮かべる萃香。

 だが痛みに悶える暇などない。

 低くしゃがみこみ、腕に取り付けた鎖で生斗の脚を絡めとろうとしたが、それを生斗は木々に跳躍することで回避、そのまま重力と共に萃香の脚へ霊力剣を突き刺す。

 

 

「調子に、乗るなぁ!」

 

 

 霞がかり、姿を隠す萃香。

 だが、これにも弱点があった。

 

 

「逃がすか!」

 

「なっ!? 何で____」

 

 

 霞には萃香の隠しきれない妖力がだだ漏れであったのだ。

 生斗はただ、霞が移動する場所へただ追跡したに過ぎない。

 

 

 萃香の口から血が吹き出す。

 霞がまた実体へと戻るタイミングを見計らい、萃香の腹部へ生斗は生成した霊力剣で突き刺したのだ。

その後生斗は大きく後退し、萃香の動きに警戒する。

 

 

「くくっ、ふふふ」

 

「はあ、はあ……」

 

 

 だが、尚も萃香は笑った。

 腹部へ突き刺さった霊力剣を見やる。

 脚に出来た風穴を見やる。

 切り裂かれた横腹を見やる。

 

 

 鬼として生きて、ここまで傷付いたことがあるだろうか。

 本気ではないとはいえ、この私が人間にここまで傷を負わせられた。

 

 

「ふふふ、合格だ。合格だよ生斗。痛いのに、こんなに痛いのに……なんでこんなに嬉しいんだろう、私」

 

 

 萃香は強い人間が好きだ。

 しかしこれまで己に傷一つ与えられる者は今日まで皆無であったのだ。

 それが今はどうだ。ここまで重度の傷を負った身体。回復もままならず、地面には多量の血溜まりが出来ている。

 

 

「試験は終わりだよ生斗」

 

「はあ、はあ……ほんとか。萃香____」

 

「だけど、やられてばかりじゃ気が済まないんでね。少しだけ本気でやらせて」

 

「____へっ?」

 

 

 これで終わりと内心喜んだのも束の間、萃香が本気宣言をしたことにより再度絶望の縁に立たされた気分になる生斗。

 

 

「眼を離さないでね、直ぐに終わっちゃうから」

 

 

 その小さな身体からは想像を逸する絶大な妖力が辺りを包み込み、生斗はあまりの力量差に息が詰まる。

 

 

「ふんっ!!!」

 

「!!?!」

 

 

 萃香がほぼノーモーションで地面を殴る。

 すると周りの平地が鈍い地鳴りとともに隆起していく。

 

 

「(ば、馬鹿げてる!? 馬鹿げてるだろその力!!)」

 

 

 勿論生斗のいた平地も例外なく地割れの被害により崩壊していく。

 

 ____まさに天変地異。

 

 それを萃香は拳一つで実現して見せたのだ。

 

 

「(飛ばなきゃ死ぬ!)」

 

 

 地割れにより避けた穴は底が見えぬほど深い。

 それに今尚隆起し続けている断層は鈍い振動により立つこともままならない状況。

 抜け出さなければいずれ地割れに巻き込まれて死ぬ。

 

 そう危惧した生斗は、なんとか巻き込まれぬよう空を飛ぼうとした____

 

 

 ____その時。

 

 

「さっきのお返しだよ」

 

 

 気付いたその時には既にでこぴんの構えをとった萃香が眼前にいた。

 

 

「……優しくしてね」

 

 

 全てを察した生斗は観念して額を差し出す。

 

 

 その瞬間、豪速球をミットでキャッチするような爽快な音とともに、生斗は遥か遠くへ吹き飛ばされたのだった。



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3話 蛇は出ないが鬼は出る

 

 風の強い日だった。

 日も落ち、人が皆寝静まる時間帯。

 戸が風に打たれ、何度も叩きつけられる音がしてなんとも煩い。

 

 

 ____眠れない。

 

 戸の鳴る音や隙間風が理由という訳ではない。

 その時は精神的に辛い事が立て続けで起き、眠ろうとしてもその度にその出来事が再起してしまうからだ。

 

 

 何故、自分にばかりこうも不幸を被らなければならないのか。

 ただ両親と仲良く生きていただけではないか。

 このままずっとこの生活が続けられれば良いのにと、願っていただけなのに。

 

 

 考えるだけでも胸が苦しくなり、目頭が熱くなるのを感じる。

 

 

 ……これで何度めか。

 何度区切りをつけようとしても、どうしても想像してしまう。

 もしあの時、自分が引き留めていれば。もしあの時___自分も一緒に行かなかったのだろうか。

 

 

 一度頭を冷やそう。

 このままでは夜が明けてしまう。

 そう考え、厚着をして戸を開けたその時____

 

 

「こんばんは。そして、さようなら」

 

 

()の意識は、ここで途切れた。

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 身体が重い。

 変な夢を見たからか気分は優れないが、身体は今までにないくらいすこぶる調子が良い気がする。

 久々に長い間寝たからだろうか。

 だというのに何故か重い。

 矛盾しているようだが、実際起きていることだから仕方がない。

 首は普通に動くので、見える範囲で辺りを見渡してみる。

 

 ここは…………洞窟? 

 薄暗いからよく分からないが奥の方が明るい光が照らされているし、風が反響音を鳴らしながらその光に向かっていっている。

 

 おれが寝ていた布団らしきものは獣の毛で出来ており、とても心地好い。

 この洞窟内の気温も少し肌寒いぐらいだからだろうか。ほら、寒い日に窓開けて炬燵で温もるととても気持ちいいのと似た感覚だ。

 

 まあ、そんなことは今はどうでも良い。とりあえず今は何故このような状況になっているのかについて、恐らく分かっているであろう怨霊に聞いてみるか。

 

 おーい、翠いるかー? 

 

 

 …………。

 

 

 まさか寝てるのか。

 翠がおれの中にいるときの妙な感覚はあるから、外に出ているということはないと思うが。

 ったく、折角宿主が起きたというのにこの駄目怨霊が。

 だが、ここで無理に起こすと後でとんでもない仕返しがくることは目に見えているので大人しくおれも眼を閉じることにする。

 

 ま、まだ身体も重いし無理に起きることもないか。

 まるで子供一人分乗っかってきているかのように重いからな。

 これは相当萃香のでこぴんが効いたのだろう。

 こんな不自然な重さは少し異常だけど。

 もしかしたらあまりの衝撃でおれの脳が馬鹿になってるかもしれないな。

 

 そうなって、くると、うん……まあいいいや。もう大分眠くなってきたし、次に起きたときに考えよう。

 

 

「ふあぁ……んあ? 生斗起きた?」

 

 

 そう言って毛布から顔を出す萃香。

 

 ……なんであんたこんなとこいんの。

 

 まさか萃香がおれを両手脚でがっちりとホールドして一緒に寝ているとは……どこのラブコメ主人公だよ。

 

 いや、ほんとはなんとなく分かってた。なんか腹辺りからすっごい酒臭い匂いが漂ってたし、なんか人の温もりもしてたし。

 くそ、悪い夢だと思ってもう一度寝ようとしたというのに最悪のタイミングで起きてきおった! 

 

 鬼がおれの胴体をがっちりとホールドしているということはつまり、いつでもおれの胴体の骨をへし折ることが出来るということだ。

 要は起きた段階で既に、おれはおれ自身を人質に取られていたってことだ。

 

 ん? 幼女に抱きつかれて羨ましいと思うやつは犯罪者予備軍だから注意しろよ。

 

 

「ああ、だけどまた眠くなったから寝る」

 

「そうかい、それじゃあ私ももう一眠りしようかね」

 

 

 再び顔を布団の中へ潜らせていく萃香。

 おい、まさかまたその状態で寝るつもりか____まあいいや。別に寝づらい訳ではないし。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

~翌日~

 

 

「よし、それじゃあ出発しよう! 鬼の集落へ!」

 

「お腹痛いんで欠席していいですか」

 

「馬鹿野郎! 漏らしてでもついてきな!」

 

「ならせめて頭から降りろよ。てか女の子がそんなはしたないこと言っちゃいけません」

 

 

 萃香を肩車し(させられ)、おれの頭の上から付き出された指の指す方角へと脚を踏み出す。

 

 

『やけになつかれてますね。私が知らない間に餌付けでもしましたか?』

 

 

 知らないよ、もう。なんか寝ているときしかり今しかり、妙にべたべたくっついてくるし。

 

 

「そういえばさ、あんたって翠に取り憑かれてたんだね。正直驚いたよ」

 

「……えっ、萃香お前、なんで翠の事を知ってるんだ?」

 

 

 おれの意識がある限りでは翠と萃香は接触していない筈だ。だというのに萃香が翠の存在を知っているということは、おれが気絶していた間に二人は接触していたということなのか。

 

 

『その通りです。ちゃんと食べられそうになった熊口さんを庇ってあげたんですからね! 私の脚を無様になめてもいいんですよ』

 

 

「ちょっとね。私が生斗の身体拭いてあげようとしたら突然飛び出してきてね。私がやるって聞かなかったんだよ」

 

 

 んーっと、翠さん? 萃香との証言が違うんですが。

 

 

『嘘です! 萃香さんは嘘をついてます』

 

 

「萃香、それは嘘じゃないよな?」

 

「鬼は嘘は大嫌いだよ。次そんな馬鹿なこといったら太股で首へし折るからね」

 

 

 萃香の声のトーンが一気に下がった。萃香は本当に嘘が嫌いであることがこれだけでも十分に分かる。

 

 ということですが翠さん。弁明はありますか? 

 

 

『く、熊口さんみたいな汚ならしい身体、萃香さんには目に毒なので仕方なく私が引き受けてあげたまでですからね』

 

 

 この前まで出ることを躊躇ってたのにな。

 なんでそんな事で出てしまったのか。ほんとは熊さんの肉体美を独り占めしたかったんだろう、え? 

 

『それはほんとにないので安心してください』

 

 

 あら、本気の拒否反応きてしまったか。

 なら何なんだろうな。なんで翠は危険を冒してまで萃香の前に立ったのだろうか。

 おれの二の舞になるかもしれないというのに。

 ……もしかしてデレか。

 いつもはおれに対してツンしかみせてなかったのを遂にデレたか翠お前! 

 

 

「ねぇねぇ生斗。一日看病してあげたんだからさ、一つ私の言うこと聞いてよ」

 

 

 翠を問い詰めようとしているところに、萃香が髪を引っ張って横槍を入れる。

 

 

「今まさに聞いて大人しく鬼の集落とやらに向かってるだろ」

 

「それとは別にだよ。向かってるのは生斗との勝負で私が勝ったからでしょ」

 

 

 いつから勝負になったんだよ……

 元々腕試しで勝手に始めてきたことだというのにこの鬼幼女め。

 大人しく鬼の集落へ向かっているのもどうせ逃げても捕まると観念しているからだ。

 なんとか上手く逃げられる方法を模索しないといけない。

 鬼の群れなんて考えただけでも末恐ろしい。

 

 

 

「そういえば萃香、一つ鬼に関して気になったことがあるんだが」

 

「ん? なになに。私で答えられる範囲でなら答えるよ」

 

「鬼って種類とかあんの?」

 

 

 これは純粋な疑問だ。

 前に対峙した鬼と比べ、萃香は邪気がまったくといっていいほど感じられない。

 これはただ単に萃香が普通で、あの鬼達が異端なだけかもしれないし、鬼の種類によって違うのかもしれない。

 

 

「一杯いろんなのがいるよ。私みたいに普通の人間のような身体をしてるのもいれば牛みたいなやつや肌が赤青だったり違うやつもいるし」

 

「おれが以前会った奴らは肌が赤鬼とかだったな。そいつらはなんか、凄い禍々しい雰囲気があったんだ」

 

「あー、そりゃ悪鬼の類いじゃないの? 人間達は悪さする鬼のことを総じて悪鬼って呼ぶんだけど、私らの中じゃ鬼になった瞬間から邪悪な妖力を持ったやつらの事を悪鬼と呼んでる。そういうやつらは大抵ろくなのがいないけどね。私らのように純粋な気持ちで人間にちょっかいを出すのではなく、ただ人間を、いや生物を殺すことに執着してるやつが多いね」

 

 

 そういうことか。確かにおれが初めて会った鬼は、食事後も進んでおれらを殺しにかかってきた。

 

 

 

「まあ、ちょっかいを出してる私らも人間からは悪鬼と呼ばれてるんだけどね」

 

「そりゃあ鬼のちょっかいは人間からすれば度を遥かに越えてるからな。どうせ腕相撲とかで人の腕へし折ったりとかしてるだろ」

 

「人間は脆いからなぁ」

 

 

 してたんだなこのロリ鬼め。

 ちょっかい出さないであげろよ、いずれそれが厄災になって帰ってきても知らないからな。

 

 

「でも安心しなよ。私らの集落にゃ悪鬼はいないからさ。皆酒好きで良いやつらだよ。きっと生斗のこと気に入ると思う」

 

「鬼に気に入られるのはちょっと命の危機に瀕しそうで怖いんだけど」

 

「大丈夫、大丈夫。ちょっと腕試しに付き合わされるぐらいだよ」

 

「その腕試しで昨日ぼこぼこにされたんですが」

 

「私の方が重症だったんだよ?」

 

「一日で跡形もなく完治する傷を重症とは言いません」

 

 

 悪鬼はいない、か。

 月へ行こうとしたとき、邪魔してきたあいつのような奴らがうようよいるものだと恐怖したが、そういうことなら少しだけ安心した。

 

 

『へいへい、熊さんびびってる~』

 

 

 下手な煽り入れてくるな! 

 鬼を怖がらない奴なんて心臓に毛が生えてる奴ぐらいなんだぞ。

 

 

『熊口さん、貴方の心臓本体が見えないくらい毛が生えまくってますよ』

 

 

 えっ、うそ。

 除毛とかできますか? 

 

 

『ごめんなさい、汚いので触りたくありません』

 

 

「翠いわく、おれの心臓にはジャングル並みに毛が生えてるらしい」

 

「だろうね。鬼と対面してこんな冷静でいられる奴なんて私は生まれてこの方見たことないよ」

 

「んな馬鹿な」

 

 

 そんなこんなで、おれと萃香は肩車の状態のまま鬼の集落とやらへ進んでいくのであった。

 

 なんだろうか、妖怪とこう普通にお喋りするのは、何気に初めてかもしれない。

 これまで殺し合いの直前の軽口ぐらいしかしたことなかったからな。

 

 さて、鬼の集落行くという判断は吉とでるか凶とでるか。

 蛇はでないが鬼は十中八九でるだろう。

 

 ま、最悪まだ命はあることだし、ブーストかけまくって逃げてしまえばいいか。




言及はしてませんでしたが、最初に萃香と会った空き屋は地割れにより倒壊してます。


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4話 意気がりもやし

 

 洞窟を出てから数時間後、おれと萃香は鬼の集落とやらの入り口へと来ていた。

 

 

「まさか数時間程度の場所にあるなんてな」

 

 

 そりゃこの辺に人の里が無いわけだ。

 鬼の集落の近くなんて恐ろしくて夜も眠れない。

 食料問題の原因が思わぬところで見つかったことに若干の怒りを感じてはいるが、そこへ何も知らずに近付いていたおれにも落ち度があるので心の中に留めておくことにする。

 ていうか元はといえば吉方位が全然吉じゃないことが悪い。

 

 

「思ったより普通の村なんだな」

 

「雑魚妖怪共がここにいた人の村を襲って根城にしてたからね。そいつら絞めて私らの住処にしたんだ」

 

 

 まあ、そんなことだろうとは思ったよ。

 わざわざ自分達で一から家を作るなんてめんどくさいことしないわな。

 

 

「うわ、ほんとに鬼がいる」

 

 

 ちらほらと人の形をした姿が見えるが、その誰もが頭に人ならざる角が生えており、中には身体が真っ青な奴もいる。

 

 

「おーい、皆! とんでもない逸材連れてきたよー!!」

 

 

 その小さな身体からは想像もつかないほどの声量で帰還を叫ぶ萃香。

 その声につられ、次々と家の中から鬼が出ておれらの周りを囲い始める。

 いったい何人いるんだ……十、十一___今来ている分だけでもざっと二十はいるぞ。

 何故か皆酒瓶持ってるのは何故だか知らないが。

 

 

「んっ、この声は……萃香か! おかえりー!」

 

「おお、活きの良い兄ちゃん連れてきたじゃねーか」

 

 

 一度にこんな量の鬼を見たことは勿論のことないおれは軽い立ち眩みに見舞われる。

 こんなに鬼いたら世界征服できてしまうんじゃないだろうか。

 

 

「それじゃ人間、お前らの家へ連れていくから大人しくついてこいよ。下手な抵抗はしない方がいいぜ」

 

 

 一本角の青鬼が奥の方を親指で指しながらおれに指示する。

 

 

「人数も揃ったことだし、早速今日の夜にでもやるか!」

 

「今夜は楽しくなりそうだ」

 

 

 鬼達がニヤニヤしながら話すのを聞き耳をたててみるが、やはり本当に萃香の言った通り腕試しという名のいじめがあることは確かなようだ。

 

 

「それじゃ生斗、また後でね。今日にでもあるみたいだから覚悟しといてよ。あんたなら絶対上手くいく筈だから」

 

「あ、ああ。とりあえず死なないことを目標に頑張ってみるわ」

 

 

 そんな軽く話した後、萃香はおれの肩から降りて何人かの鬼達と一緒に何処かへ行ってしまう。

 

 

「ほら、いくぞ」

 

「わかったわかった、そんな焦るなって。逃げようたって無駄なのはわかってんだから、大人しくついてくよ」

 

 

 知り合いがいなくなったことにより少し心細い気持ちに苛まれる。

 でもまあ、萃香とも一日二日の付き合いだ。

 寂しさもすぐに冷めるだろう。

 

 

『寂しくても十年来の付き合いのある私がいますからね。寂しいとは無縁でしょう、熊口さん。感謝のあまり泣き崩れても良いんですよ』

 

 

 たぶん、翠はいなくなってもそんなに寂しくないと思うの。

 反って清々するかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 おれは青鬼に連れられ、集落の奥にある一軒家に連れられていた。

 

 

「人間達はここで寝泊まりをする。今日の腕試しまでゆっくり休んでおくんだ」

 

「寝てもいい?」

 

「眠れるならな。それじゃ、俺は行くからな。くれぐれも喧嘩はすんなよ」

 

 

 青鬼の案内を終え、おれは家の戸を開ける。

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 部屋の中は昼だというのに少し暗く、なんだか湿っぽい。

 その中には何人かの気配がするが、誰もおれの声にに反応する者は誰一人としていない。ちょっと悲しくなるな。

 

 と、とりあえず咳払いをしつつ、このじめじめした空気を換気しないとな。

 そう考えたおれは、開けた戸をそのまま木の枝で固定し、暗い部屋をおれの霊弾で照らしてみる。

 

 

「おい、お前らなんてしけた面してんだ。だからこの家も湿っぽくなるんだぞ」

 

 

 鬼達に捕まったことにより、絶望した人間達が散見されていた。

 人数は十名ほど、そのうちの大半が絶望した表情でぶつぶつと何か呟いている。

 中には前に出されていたであろう食事が喉を通らず、目の前でただじっと眺めているものまでいた。

 

 

「皆目が死んでるな」

 

 

『それもそうでしょう。皆人拐いの被害に会った人達なんですから』

 

 

 でも道中で萃香が言ってただろ。各地で腕自慢の人間達を捕まえてきたって。

 だからこんな状況でもなんとか切り抜けてやるって気負いでいるものだと思ったが、案外皆メンタルの方はそうでもなかったようだ。

 

 

『皆熊口さんみたいな精神異常者じゃないんですから、これが普通の反応です』

 

 

「誰が目が死んでるって」

 

 

 そんな中、柱に寄りかかって胡座をかいて俯いていた一人の男が、おれの呟きに対して反応する。

 

 お、ほら、やっぱりおれが言ったような奴いたじゃないか。

 

 

「……確かにそうかもな。俺も村では一番の力自慢だった。その辺の妖怪ぐらいなら素手で殴り殺せる程のな。だがその誇りも一匹の鬼に打ち砕かれてしまった負け犬だ」

 

 

 頭をあげた男の顔はやつれ、目に隈ができていた。

 

 

「私には家族がいた。我が妻や娘達にもう会えないとなると悔やむに悔やみきれん……」

 

「俺には最愛の彼女だ。逢い引き中に襲われてしまった。森の中に一人で置いてきてしまったのが心配でならない」

 

 

 最初に発言した男につられるように、次々と後悔を口にする者が現れる。

 皆さん、自分以外に護るものがあるからこそ、絶望に打ち拉がれていたのか。

 

 おれには今自分以外に護るものはとくにない。

 

 

『だからそんなに楽観的なんですね。いるでしょうに、私というか弱い少女が』

 

 

 翠お前は護る必要ないだろ。地の力だけはおれより遥かに強いんだから。

 

 

「そうか。ならそれこそ勝たないとな」

 

「勝つ? あの鬼にか?」

 

「それこそ無謀だ……あの絶対的な力には誰も敵わない」

 

「萎縮しきっちゃ勝てるもんも勝てなくなるだろうが」

 

「若造が、威勢だけはいいようだが、現実を見ろ」

 

 

 そう言って柱に寄りかかっていた男がおれの前に立つ。

 身長は優に七尺を越えるその巨体は前に出るだけでおれの影を飲み込んでしまう。

 でかいな、村一番の力自慢は伊達では無いようだ。

 

 

「お前も鬼と戦った身だろ。なら分かるだろ、あいつらには勝つことは不可能だと」

 

「臆してるのか、村一番の力自慢が。それじゃお前の村の人達が報われないな」

 

「言わせておけば貴様!」

 

「おいやめろ、ここで体力消耗してどうする。そこの小僧も煽って何がしたいんだ」

 

 

 ……煽るか。

 別におれは喧嘩を吹っ掛けるために今のような発言をしたわけではない。

 ここにいる負け犬達の目を覚ましてやろうとしただけだ。

 

 

「お前らには護るべきものがあるんだろ。ならなんでここでじっとうじうじしてるんだ」

 

 

このままではこいつらは犬死にだ。

それではおれも目覚めが悪くなってしまう。

 

 

「確かに鬼達は強大だ。

だけどだからといってそんな下を向いたまま絶望したままじゃ勝てるもんも勝てないだろ。少しでも可能性があるのなら勝つ戦略でも練ろよ。

仮にもお前らは力自慢達なんだろう」

 

「!!!」

 

 

 とりあえず思ったことをそのまま負け犬達に向かって糾弾する。

 

 

「……そんなの頭ではとっくに分かってんだよ。でも、でも……」

 

「どうしても、あいつらの恐怖に負けてしまうんだよ。勝たなきゃ道はないというのに」

 

 

 それでもまだ立ち直れない。

 ……分かったぞ。こいつらが頭で分かっててもどうしようもないと宣う理由が。

 

 鬼に勝つというイメージが全く沸かないのだ。

 

 そういうことなら話は早い。

 

 

「分かったよ、そういうことならな」

 

 

 これ、言ってもし有言実行できなかったらとてつもなくダサい奴になるだろうな。

 だが、こいつらを再起させるには、これが一番だろう。

 

 

「必見! 熊口さんの鬼退治実践解説! を今日の力試しの時に見せてやる」

 

 

 自分で言ってて恥ずかしくなるが、こいつらを再起させなければ、また鬼に成す術なくやられるに違いない。

 その可能性を少しでも減らせるのなら、これぐらいのことやってのけてやる。

 

 あれ、熊口さんってとんでもなく優しい? 

 

 

『いや、イキリもやしです』

 

 

 オーケー翠、ウォーミングアップするから大人しく出てきなさい。



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5話 希望と絶望

 

 辺りは漆黒の闇に包まれ、月明かりによりなんとか物体の外形が見える程度である。

 

 夕暮れの日が落ちる頃、集落のど真ん中にある広場に、鬼によって作られたであろう四角形の土俵ができていた。

 其処へ群がり既に呑み始めた鬼に、集められた人間。

 

 いよいよ、鬼との腕試しが始まるようだ。

 

 

「さあ、始めよう。鬼の宴で最高の肴となる催し物、人間との腕試しを!」

 

 

 一際盛り上がる鬼達。

 それに比例して人間達は盛り下がっているので、温度差が灼熱と極寒並みに違う。

 

 

「この腕試しは、鬼と人間の一騎討ちだ。だが流石にそれでは公平ではない。なので俺らには土俵外にでたら負け、利き手の使用不可のハンデが設けられてる。それで人間が勝てば鬼に出来る範囲での願いを一つ叶える権利を得ることが出来るが、俺らが勝てば一生俺らの世話人だ」

 

 

 無駄に大きい声で、土俵の真ん中でルール説明をする上半身裸の一つ目の鬼。

 筋骨隆々の逞しい肉体が焚き火の光に照らされ、なんとも神々しい。

 

 

「まずは俺が相手だ。誰か勇敢な挑戦者はいないか。いない場合には俺が選んだ者が相手になるが」

 

 

 そのままルール説明をしていた一つ目の鬼が相手のようだ。

 特に順番があるわけではないのなら、先程皆に大口叩いた手前、おれから行かなければな。

 

 そう考え、おれは人間側サイドから一歩踏み出そうとした。

 

 

「待て」

 

 

 しかし、先程妻子の安否が心配だと危惧していたおじさんによって行く手を阻まれてしまった。

 

 

「君はまだ若い。それにあの鬼と体格差が違い過ぎる。今行ったとて無駄死にするだけだ。私が行こう」

 

「いや、でも……」

 

「はは、大丈夫さ。身体だけは頑丈に出来ているからね。君は体格差のあまりない鬼と戦ってくれ。その方が生存率も高くなるだろう。

 後、君の言っていたことは正しいよ。鬼には絶対に勝てないと思い込んでずっとうじうじしていた。だが、君の熱弁のおかげで目が覚めた。私は生きて帰らなければならない。ならばその夢見事を実現するための努力をしなければならないのだと」

 

 

 全員が全員ずっと負け犬のままであった訳ではないのか。

 少なくてもこのおじさんの目は今死んでいない。

 あの巨躯の鬼に対して物怖じせず、勝とうとする意思が見られる。

 

 

「勝つ見込みは?」

 

「わからない。だがやれるだけのことをやってみるさ」

 

「そうか……なら一つだけ。あいつらはおれらをえらくなめてかかってる。そこを突け」

 

「ああ、わかった」

 

 

 あんな目をされたら退かざるを得ない。

 あのおじさんの力がどれ程のものかは知らないが、体格はおれの倍はあるのではないかと錯覚してしまうほどの巨躯、つまりあの一つ目鬼並みに大きい。

 リーチ差を考えればおじさんの言う通りおれよりも適任かもしれない。

 

 

「最初の相手はお前か。どうする、人間側は武器の使用は自由だ。お前の望む武器を用意するが」

 

「すまないが、私は得物での戦いには不慣れでな。己の全てを預けられるのは、やはりこの拳しかない」

 

「いいね、その心意気。気に入った、お前が負けたら一生俺の付き人だ」

 

「そうなるくらいなら舌を噛みきって死んでやるさ」

 

 

 お互いが、土俵の上で向かい合う。

 空気が張り詰め、先程まで騒いでいた鬼達も固唾を飲んで沈黙を貫いていた。

 

 そんな緊迫感漂う状況の中、二人の間に颯爽と現れる萃香の姿が目に映る。

 萃香の右手には小石が握られており、今にも投げるかのような体勢で二人に話しかける。

 

 

「それじゃあ、この石が落ちきったときが戦いの合図だよ。お互い悔いの残らぬよう頑張ってね」

 

 

 そう言って萃香は小石を空高く放り投げた。

 その小石は闇に消え、常人の視力では見ることは叶わない。

 

 

 ___しかし、この静寂の中での小石の落ちる音は、誰の耳にも鮮明に聞こえた。

 

 

「んっ!!」

 

 

 その音にいち早く反応したのはおじさんだった。

 鬼に目掛け一目散に肉薄する。

 その速度は人間とは呼べぬほど速く、瞬く間に鬼の側に到達していた。

 

 

「おらぁっ!!」

 

 

 その速さに少し驚いた顔をした鬼だったが、やはりというべきか当然の如く左手による攻撃を仕掛ける。

 

 しかしその攻撃を読んでいたのか、難なくおじさんは右に逸れて避けることに成功。その後一瞬の隙をつき、おじさんは鬼の顔面に向かい、何かを投げつける。

 

 …………あれは、砂か! 

 いつの間におじさんは砂を拳の中に隠し持っていたのか。

 その砂により鬼の視界は一面砂嵐に見舞われる。

 

 

「はああぁ!!」

 

 

 目潰しにより鬼の動きが止まったのを見逃さなかったおじさんは渾身の正拳突きを鬼の腹部へ放った。

 

 ドゴンッ、と鈍い音とともに巨躯が宙に浮かぶ。

 

 なんだあのおじさん。めっちゃくちゃ強いじゃないか! 

 霊力なしであの力……あれで霊力なんて身に付けようものなら第二のゴリラ(綿月隊長)が誕生するのではないだろうか。

 

 

「目潰しとは小癪な。だが、いい。浅知恵だが俺を一杯食わせるなんて益々気に入ったぞ」

 

 

 だが、鬼の身体は外までは飛んでいかず、土俵際で着地する。

 

 

「まだだ!!」

 

 

 これで終わるとはおじさんも端から分かっていたのだろう。

 間髪入れずおじさんは鬼に向かいドロップキックをかます。

 

 

「効かんな」

 

「ぐあっ!?」

 

 

 全体重を乗せた飛び蹴り。

 その常人ならば軽く吹き飛ぶ威力を持つ技も鬼の前には無力。

 左手、いやその人差し指のみで受け止められてしまう。

 

 

「お前なら耐えられるかも、な!!」

 

「!!?!?」

 

 

 そのまま足の裏を掴み、ほぼ同じ体型のおじさんをまるで紐のように軽々しく振り回し、そして乱雑に放り投げた。

 

 おじさんは目にも止まらぬ早さで家屋の壁を突き破り、奥の方で漸くドスンと落ちる音が聞こえてきた。

 

 おいおい、死んでないよなあれ。

 

 

「おい、俺ん家に穴開けてんじゃねーよ」

 

「悪りぃ悪りぃ、今度直すから許してくれ」

 

 

 鬼達が何か雑談をしている隙におじさんの様子を見に行こう。辺りどころが分からなくてもあんなの普通に死ぬぞ。

 

 

「まだ、まだ……だ」

 

 

 おじさんの様子を見に行こうと、おれが家屋へと近づいていくと、奥からそんな声が絶え絶えで聞こえてくる。

 

 

「おい大丈夫か!」

 

「俺は、まだやれる……お、れは……」

 

「おい、おじさん脚が!」

 

 突き破られた壁から顔を覗くと、立とうにも足の骨が無惨にも折れ、這いずって出てこようとするおじさんの姿があった。

 頭からは血を流し、息も荒い。意識も今にも落ちかけているのを気合いだけでなんとか持ちこたえているのだろう。

 

 

「これはもう続行不可能だね。脚が折れて頭も打ってる」

 

「……萃香」

 

 

 家屋へと入りおじさんを介護していると、突き破られた壁から萃香が入ってくる。

 

 

「おい、なんであの鬼達は笑ってんだよ。人をこんな悲惨な目にあわせてんのに」

 

 

 家の外から聞こえる鬼達の笑い声。

 おじさんがここでもがき苦しんでいるというのに、その原因を作った奴らが何故あんなにも高笑いが出来るんだ。

 

 

「さあ、勝ったからじゃない? 生斗も勝ったら楽しいでしょ」

 

「こんな悲惨な目にあわせて、勝って喜ぶ奴は人間じゃない。それこそ鬼の所業だ」

 

「そりゃそうだもん。私らは鬼だよ。鬼と人間の価値観を一緒にしてたら、身が持たないと思うよ」

 

 

 そうか、分かった。

 鬼は欲に従順で、人の思いやる心ってものが欠如している。

 

 

「うっ、うぅ」

 

「おじさん止めろ、動くな」

 

 

 だから勝った負けたで一喜一憂し、負けた相手の事など気にも止めない。

 こんなにもおじさんは苦しんでいるというのに。

 

 

「それで、萃香がここに来た理由はなんだ」

 

「生斗だけが一人おじさんを安否を心配してたからちょっとね。それにしてほんとあんた変わってるね。他の人間は自分のことばかりでそこのおっさんのことは眼中にない感じだったよ」

 

「余裕がないんだろ。人は皆余裕がないと周りの視野が狭くなる」

 

「ということは生斗は余裕があるってことだよね」

 

「おれだって余裕がある訳じゃない。ただおじさんのことが心配なだけだ」

 

 

 おれは最悪死んだとしても生き返ることができる。

 その分の余裕はあるだろうけどな。

 

 

「萃香、悪いけどこのおじさんに手当てをしてあげてくれないか」

 

「わかった、私の分身にやらせておくよ。それで、お優しい生斗はこれからどうするの」

 

「……こんな馬鹿げた催し物。さっさと終わらせてやる」

 

 

 何が力試しだ。結局はただの一方的な苛めとなんら変わりないじゃないか。

 こんな馬鹿げたことは直ぐに終わらせる。

 例え命を使う結果となったとしてもだ。

 

 

 覚悟を決め、グラサンを前に持っていく。

 そっとおじさんを床に寝かせ、霊力剣を生成する。

 

 

「おじさん、ちょっくら行ってくる。さっさと終わらせてくるから、おじさんは安心して寝ててくれ」

 

「ま、まっ、てくれ。俺はまだ……」

 

「はい、怪我人は黙ってようね。この萃香様が手当てするんだから大人しくしてな」

 

 

 ありがとう、と一言萃香に礼だけ言い、おれは家屋を後にする。

 そのとき、萃香が満面の笑みで此方の様子を窺っていた事も気付かずに。

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「次の相手は誰だ! 誰かおらんのか?」

 

 

 おじさんを壊した本人が土俵の真ん中で腕組みをしながらそう叫ぶ。

 その声に対して人間達は萎縮し、誰も名乗りをあげる者は出ずにいた。

 

 

「出ないなら、俺が選ぶ____」

 

「おれだ。おれが相手になる」

 

 

 良かった。逆に皆が萎縮してくれたおかげで間に合うことができた。

 群がる鬼らを掻き分け、おれは一つ目鬼との勝負に名乗りをあげる。

 

 

『熊口さん、怒っていてはいつもの思考が出来ませんよ。深呼吸でもして冷静になってくださいね』

 

 

 珍しく翠が普通のアドバイスをくれる。

 こんなにも素直になるということは、翠も相当頭に来ているらしい。

 普段からこれぐらい素直なら文句ないというのに。

 

 

「おお、今度はチビが相手か。ま、怪我しないことを祈ってるんだな」

 

「言ってろ。お前は自分の首を今からでも守っておくんだな」

 

 

 霊力剣を中段に構え、戦闘体勢に入る。

 それに対して鬼も何かを感じ取ったのか、拳を握りしめ此方に向かって構えをとる。

 

 

「……なんだお前、霊力使えるのか。萃香も中々骨のありそうな奴連れてきたじゃねーか」

 

 

 おれの霊力は今、この前使った二十五年分の霊力量が水増しされてある。

 これまで、寿命ブースト使ったときは決まって死んでいたのでわからなかったが、どうやら他の寿命でブーストされた命は死ぬまで水増しされるらしい。

 なので霊力が枯渇してしまったとて、死ななければ体力回復とともに二十五年分の量分まで霊力が回復するという訳だ。

 

 これはメリットとデメリットがある。

 メリットはそのまま年単位の寿命の使用の場合常時その力が手に入るというところ。

 逆にデメリットは命を二個単位以上で使用すると身体が持たず死んでしまうところだ。

 以前五個の命を使ったとき身体がその霊力量に耐えきれず自滅しかけたことがあった。

 まだ二~四個の単位で使用したことはないが、一個でも大分きついのに、二個以上はまず身体が持たないだろう。

 

 つまり二個単位以上で使えば一個余計に命を使うことになるということになる。

 

 

「それじゃ、さっきと同じように小石が落ちたら開始ね」

 

 

 先程は萃香だったが、次は一本角の女の鬼が小石を投げる。

 無駄話もこれぐらいにするか。

 とりあえず言えるのは、今のおれは萃香と戦ったときのおれのまま戦えるということだ。

 

 

「それじゃあ、頑張りなよ。萃香はあんたに期待してるみたいだし、私もあんたに期待でもしとくよ」

 

 

 そう言って女の鬼は土俵から去っていく。

 

 期待なんてかけられなくても、おれは自分で出来る限りのことをするだけだ。

 

 そしてまたも、小石の落ちる音が会場に響き渡る。

 

 その音とともに突進してきたのは一つ目の鬼であった。

 

 

「萃香だけでなく勇儀にまで期待されるなんて、贅沢だな!!」

 

 

 ____速い。

 確かに速い。だが、霊力で強化した眼なら十分に対応できる。

 

 脚に霊力を集中させ、おれも鬼に向かい脚を踏み出す。

 

 

「おいあいつ、突っ込んでいくぞ」

 

「馬鹿かあいつ、自殺志願者か」

 

 

 鬼との距離が残り数メートルのところで、おれは脚に集中させていた霊力を一気に解き放ち、地面を抉りとるほどの踏み込みをして跳躍する。

 

 

「うおっ!」

 

 

 己の頭上を飛んでくるとは思いもしなかったのだろう。

 一つ目の鬼は飛んでくるおれに驚いたのか、突っ込んでくる脚を止めようとしていた。

 

 それが命取りだとも知らずに。

 

 

「ほら、お前の身体だ。こうして自分の身体を客観的に見るのは初めてだろう」

 

「は、は、はぁ!? なんだこれ!? 俺の身体??!」

 

 

 おれの片手には一つ目の鬼の首が握られており、絶賛元々一つになっていた身体と対面させている。

 

 

「どうせ切断面にくっつけたら元に戻るんだろ。ほら、取り行けよ」

 

 

 一つ目の鬼の首を土俵外へ放り投げると、鬼の身体は慌てて首を追いかけるように土俵外へと退いていく。

 

 

「お前、隙を作りすぎだ。おじさんとの戦いの時もそうだけど、少し想定外の事が起きると直ぐに無防備になる。だから簡単に首を斬られるんだぞ」

 

 

 それにしても驚いた。

 おれでも鬼の首を斬ることはできたのか。

 それもまあ、おじさんが戦ってくれたことによって一つ目の鬼の癖を見つけることができたからだけど。

 思ったよりも上手くいって内心ほっとしている。

 

 

「流石は生斗だ。雑魚鬼程度じゃ歯が立たないか」

 

「おい萃香、雑魚は言い過ぎじゃないだろ。俺だって山一つを更地にするぐらいはできるぞ」

 

「首をくっつけてからそれをほざきな____それよりも生斗、鬼に勝ったんだ。何か望みはあるかい」

 

 

 やはり、首を斬ったくらいじゃ死なないよな。

 鬼ってやつはほんと何やったら死ぬんだろ。

 

 それよりも望みか。

 そのことは失念していたな。

 ん~、望み。望みかぁ……一人だけ願いを叶えてもらうっていうのもな。

 

 そういえばほかの奴らはどうしているのだろうか。

 そう思い、人間サイドの方に目を向けると、皆怯えた表情のまま此方を傍観していた。

 

 どうやら鬼を倒すことを実演して見せたというのに、勝つイメージが沸いていないらしい。

 

 

「どうだった。これが鬼と遭遇したときの対処法だ」

 

「「「「できるか!!」」」」

 

 

 だよねぇ。おれもこれは無理だなと思ったよ。

 ていうかおれがしたことはおじさんとした事と殆ど同じで、前者はそれでも負けてしまっている。

 おれのやり方が他じゃ効果がないのはとうに立証されていたということだ。

 

 はあ……これじゃあおれ一人で鬼に願い事叶えてもらったところで、胸のもやもやは消えないじゃないか。

 

 それならば、叶えてもらう願いは一つ。

 

 

「おれら人間を元いた場所に還してくれ。それで終わりだ」

 

「無理だね」

 

「そこをなんとか」

 

「駄目だね」

 

「なんでだよ」

 

「まず前提として他の人間も対象としていることだね。私らは個人の願いを叶えるのであって皆の願いを叶えるわけではない。譲歩したとしても、生斗あんた一人を逃がすか、それとも他の人間を逃がすかのどちらかだよ。本当はこれも他の人間というのも一人に限定になるんだけど、生斗に免じて皆逃がしてあげる」

 

 

 萃香の表情に違和感を感じる。

 笑っているようだが、なんだか引きずっている。

 確かにおれの願いはデ◯デがまだ地球の神でない場合の神龍に皆を生き返らせてくれと言っているようなものか。

 だが、それを萃香の一言で、半分ねじ曲げて来る辺りに引っ掛かる部分がある。

 

 その事について少し考察しようとしたが、ある視線に悪寒の走ったおれの思考は停止する。

 

 

「(なんだ、この寒気のするような視線は……)」

 

 

 その視線の主を探すため、おれは辺りを見渡すと、主は直ぐに見つかった。

 

 ____その主とは、鬼すべて。

 

 回りを囲んでいた鬼達からまるで獲物を狩るような獣のような眼光で此方を見つめていたのだ。

 

 そして萃香のあの発言。

 その二つの根拠を元におれはある仮説を導きだした。

 

 

「萃香、お前、おれがどっちを選ぶのか最初から分かっててその選択肢を提示してきたな」

 

「さあ、なんのことやら」

 

 

 こいつら、おれと戦いたくて疼いてやがる。

 他の人間の事なんかどうでもいいからそんな選択肢を提示してきた。

 だから萃香もおれの性格を見抜いているからかどことなく自信ありげなところに少し癪に障る。

 

 それもそうか、同胞を倒す人間が目の前にいるんだ。

 これまで人間で鬼に勝つものなんて現れなかったのであれば、この態度も納得がいく。

 

 あー、なんか自分で言っててむず痒くなる。

 

 

「……わかったよ。それじゃあ他の人間達を元の場所へ還してやってくれ」

 

「あんたならそう選ぶと思ったよ」

 

 

 萃香が鬼の一人に指示し、人間達にこのことを伝達させている。

 それを聞かされた人間サイドの皆は、胸を撫で下ろし、喜びの声をあげる。中には腰が抜け尻餅をつくものまでいた。

 

 

「お前らがおれと戦いたがっているのはよく分かった。だが、次戦っておれが勝ったら、次こそおれも還してもらうからな」

 

「さて、次の相手がさっきのように行くかね。いくら生斗でも次は苦労すると思うよ」

 

 

 どうせすぐに連戦になるとは思ってたよ。

 だが、次を乗り越えたら終わりだ。

 先程のようにリサーチ無しでの戦いとなるから、確かに苦労するだろう。

 だが、負ける訳にはいかない。もし負けたら鬼に何されるか分かったもんじゃないからな。

 まあ、先程はダメージも皆無だしなんとかなるだろう。

 

 

 ___そんなポジティブ思考でいられたのはこの時までだったかな。

 

 

「萃香の言っていた通り、あんた強かったね。久し振りに身震いしたよ」

 

 

 そう称賛の声をあげつつ土俵へと上がってくる鬼。

 

 その瞬間、おれはゾッとするほどの嫌な予感と冷や汗が大量に吹き出してきた。

 

 土俵へと上がってきた鬼は、先程試合の合図となる小石を投げていた女の鬼であった。

 

 だがその時まではこれほどまでの()()()()()は発せられていなかった。

 

 これは、おれの人生詰んだかもしれない。

 

 

「私は星熊勇儀て言うんだ。これからあんたと戦う鬼の名前だよ」

 

 

 

 



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6話 三歩で確殺

 

 鬼と人間の腕試しが始まる数刻前、ある家屋で二体の鬼が酒を呑み交わしていた。

 

 

「思ったよりも早く帰ってきたね。もしかしてめんどくさいからってその辺にいた人間を適当に捕まえてきたってことはないよね」

 

「まさか。ちゃんと私と戦って見込んだ人間を連れてきたよ」

 

 

 一人は、生斗を鬼の集落へと誘った張本人__伊吹萃香。

 向かいの鬼の質問に対して、はっきりと否定の意を表す。

 

 

「あんたと? 馬鹿を言っちゃいけない。あんたなんかと戦っちゃ人間なんて五体満足じゃいられないでしょ」

 

「それがいるんだなぁ。道端で偶然見つけた人間が、実はとんでもない掘り出し物だったんだ」

 

 

 鼻息を荒くしながら応答し、捕まえた人間を自慢するように話を続ける萃香。

 

 

「まさかね、いくら私が本気を出していなかったとはいえ、顔や横腹は斬られ、左足には風穴を開けられ、終いには鳩尾に剣を突き刺された」

 

「……あんたもあんたで、それだけの攻撃を受けててよく平気でいられるね」

 

 

 萃香の発言に苦笑いする鬼。

 だが、鬼は直ぐ様それ以上の異常に驚愕する。

 

 

「あんたに怪我を負わせるのなんて、この鬼の集落でも限られてるというのに……その人間ってどんな奴なの?」

 

「面白い奴だよ。確か名前は熊口生斗って言ったかな。基本はのほほんとしているのに戦いにおいてはまるで別人のように頭の切れる奴だよ。特に生斗の剣技は少しでも先手を譲るとあっという間に切り裂かれてしまうほど手がつけられない」

 

「萃香、その生斗って奴のこと相当気に入ってるようだね」

 

「そりゃそうだよ。鬼なってこの方、人間に怪我を負わされたことなんてなかったんだもん。それにあの感じだと、生斗はまだ実力を隠しているようだったし。本当の力はきっと____」

 

 

 伊吹瓢の酒を一呑みし、生斗に関して話続ける中、鬼は机に肘を置き、萃香の話を微笑みながら聞き手に徹する。

 

 そんな時間が幾許か経過したとき、萃香の話が一区切りしたときを見計らって鬼が口を開く。

 

 

「是非とも、私もその熊口生斗とやらと戦いたいねぇ」

 

 

 人間としての限界を見定めていた鬼は萃香の話に半信半疑に聞いていた。

 だからこそ自身が戦い、見定めたい。

 そんな言葉が口から溢れる。

 

 

「出来るよ。腕試しじゃ確かあんたが二番手だったよね。それならたぶん、万全な状態で当たってくれると思うよ」

 

「そうかい? 一番手の鬼だって私らの中でも結構な実力者だったと思うんだけど」

 

「脳筋で戦闘技術のせの字も知らない奴じゃ生斗は倒せないよ」

 

「私らも大概脳筋だけどね」

 

 

 しかもこの場にいる鬼はその脳筋を極めた者と言っても過言ではないほどの怪力の持ち主であった。

 

 

「だから()()、あんたもいつも通りに行くと必ず痛い目に遭うよ」

 

「はは、まさか萃香に注意されるとはね。でもね、私は力だけであらゆる敵をねじ伏せてきた。それはこれまでも、そしてこれからも、それを曲げることはしないよ」

 

 

 その鬼____勇儀には信条があった。

 強き者としての、そして鬼としての。

 それをねじ曲げることはつまり、己の存在意義を、鬼としての誇りを捨てているのと同義である。

 例えそれが修羅の道だろうと、嬉々として乗り越える覚悟が、勇儀には出来ていた。

 

 

「はあ、そう言うと思ったよ。でもまあ、それはそれで面白そうだしいっか」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 眼前には、間違いなく大妖怪であろう鬼が立ちはだかっていた。

 

 服装は、この時代には全くと言って良いほどマッチしない白の体操服のような上着に、紫に赤の柄が入った半透明なスカートを履いている。少しここから遠くて見えないが、何か下に履いているのか、とても気になるが今はその気持ちは隅に追いやっておこう。

 容姿はもう金髪のロングヘアーに深紅の瞳、頭には真っ赤な一本角が生えている。

 会って間もないというのにこの鬼が姉御気質であるということが分かるくらいの雰囲気がこの鬼から伝わってくる。声の発し方がさらにもう姉御気質に拍車を掛けている。

 

 はっきり言ってお姉さん系の一つのジャンルとしてとてもありだと思います。

 

 だが、今はそんな悠長なことを考える余裕はない。

 おれは生きるために勝たなければならないのだ。

 いくら好みだとしても、そこは無慈悲に霊力剣で斬らせてもらう。

 

 斬る前にボコボコにされる未来しか見えないけど。

 

 

「なんで二番手からあんたのような鬼が出るんだよ」

 

「見ただけで相手の力量を弁えられるなんて、流石は萃香の見込んだ人間だね。

 後順番はくじ引きで決めた事でね。正直一番手以外はいつも出番がなかったから諦めてたけど、あんたのような奴が現れてくれて暇に潰されずに済んだよ」

 

「あんたほどの妖力と雰囲気があればどんな奴だって分かるよ。

 ならなんで二番手なんて数字引いてしまったんだ!!」

 

「そんなこと言われてもねぇ」

 

 

 萃香の場合、雰囲気が完全に子供のそれだったから油断してしまったが、この鬼……勇儀と言ったか。勇儀は粉う事なき大妖怪だ。姉御肌とは別に、近くにいるだけでも肌がピリピリするような威圧感がある。

 先程戦った鬼がまるで赤子かのような圧倒的力量さが肌身だけで感じることが出来るとは……

 

 

「さあ、かかってきな。石なんてわざわざ投げなくても、私からは動かないから必要ないよ」

 

 

 相手のやる気は満々、おれのやる気はどん底の淵。

 なんでおれ、こんな戦わなければならないんだろう。

 

 

『仕方ないですよ。運が悪かったんです。熊口さんならそれを受け止め、そして乗り越えられることができると私は信じてます。いや、乗り越えてもらわないと取り憑いてる私も消えちゃうのでなんとしてでも勝ってください。ほら、目突きですよ目突き』

 

 

 おい翠、前半良かったのになんで後半で台無しにしてんだ。

 汚いぞ翠、とんでもなく! まあおれも隙があれば積極的に狙っていくけども! 

 

 

『人を汚いというくせに自分は普通にやるってことは熊口さんもとてつもなく汚いってことですよね。心も身体も』

 

 

 身体は余計だ! 

 昨日どっかの怨霊に身体拭いてもらったみたいだからそんなに汚くはないはずだぞ。

 

 とりあえず少し腕の臭いを嗅いでみる。

 

 ……うん、無臭だ。

 

 

「……敵前で何やってんだい」

 

「匂いチェック」

 

「そ、そうかい」

 

 

『ほんと敵前でなにやってんですか!! 馬鹿なんですか貴方!』

 

 

 いいだろ別に。相手も自分から攻めないって言ってたし。

 

 

「だけど、流石に油断しすぎか」

 

 

 匂いチェックも終わり、改めて霊力剣を生成し霞の構えをとる。

 横振りではなく突きに特化した構えだ。

 まずは相手の急所を突いて動きを鈍らせる。

 それで隙ができれば御の字、とにかく斬りまくる。

 そして足の踏ん張りが効かなくなったところで霊弾か蹴りで土俵外へ吹っ飛ばす。

 

 熊さんの脳内戦闘では確実にどこかで失敗すると思うが、そこは臨機応変で対応していくしかない。

 

 

「怪我するけど恨むなよ。この剣は痛いからな!」

 

「人間が大した口振りだね。その威勢、まとめて私がねじ伏せてあげるよ!」

 

 

 

 

 _________________

 

 

 ーーー

 

 

 ……私は夢を見ているのだろうか。

 地面に叩きつけられた生斗と、喉元に霊力剣が突き刺さった勇儀。

 このような惨状はほんの一瞬のうちに行われていた。

 生斗が低い姿勢で勇儀に肉薄し、突きを繰り出したところを勇儀が合わせて奥襟を掴み力の限りに地面へ叩きつけたのだ。

 生斗はうつ伏せに倒れたまま動かず、土俵を越え私達のいる観客席近くまで大きなクレーターが出来上がっている。

 

 完璧に合わせていた。

 

 勇儀は元々奥襟ではなく顔面を掴もうとしていた。

 それを寸でのところで首を動かし避けてみせた生斗はやはり常人を越えた反射神経を持っていると言っても良い。

 だが疑問なのが何故勇儀の首に霊力剣が刺さっているのか。

 勿論勇儀は生斗の突きを避けていた。だというのに叩きつけ、顔をあげる頃にはもう霊力剣は勇儀に刺さっていたのだ。

 私からでは丁度叩きつける瞬間が死角になっていたため生斗の動きを見ることができなかった。

 

 

「ぐっ……」

 

「……喋れないだろ。適当に投げたんだけど、運よく当たってくれたな」

 

「!!?」

 

 

 なんと、あの攻撃を受けて尚、生斗は何事も無かったかのように立ち上がってきたのだ。

 あんな攻撃、原形を留めていられるだけでも凄いことだというのに、生斗は悠々と首を鳴らしながら起き上がってくるなんて……

 ましては投げられている最中に霊力剣を投げた? 最後の悪足掻きみたいなことをしてまさかの成功したってこと? そんな防御を捨てた行為なんてしてなんで無傷なの。私ですら致命傷になりかねないほどの威力は間違いなくあった筈なのに。

 

 

「な”んでう”ごげる”」

 

 

 首から霊力剣を抜き、治癒力を高めながらなんとか声を出す勇儀。

 

 

「何でだろうね。当たり所がよかったのか、骨も内蔵も皮膚もなんともないよ。あっ、精神的にはちょっと泣きたい気分だけど」

 

 

 当たり所が良いとかの話では済まないと思うんだけど。

 

 

「それじゃ、あんたが回復しきってないうちに攻めさせてもらうぞ。地形は変わったが、土俵の枠はぎりぎり残ってるだろ。さっさとあんたを場外敗けにして、おれは平穏な旅に戻らせてもらう!」

 

 

 そう言い放ち、先程よりも膨大な霊力を身に纏った生斗。

 やはり、私と戦った時はまだ本気ではなかったんだね。

 

 

「……ッ……!!!」

 

 

 一気に跳躍し、勇儀との距離を詰める生斗。

 それに勇儀がまた合わせ、肘打ちをお見舞いをする。

 それは生斗の顔面に命中したかに見えたが、身体を回転させ衝撃を受け流すことにより回避。

 そのまま霊力剣の柄頭で勇儀の脇腹を打つ。

 予想外の攻撃に苦悶の表情になる勇儀。

 だが怯まずに横振りに拳を振る。そこへ合わるように生斗はしゃがみこみ、霊弾を数発生成し勇儀の顔面に直撃させる。

 

 視界が霊弾の直撃により一瞬失い、硬直する。

 

 生斗はその隙に土俵外へ退き、()()()霊弾を生成し勇儀に向かって放つ。

 その時既に視界を取り戻した勇儀は難なく避けようとする____が、霊弾が横を通りすぎようとしたとき、勇儀を巻き込んだ大爆発が起きた。

 

 これは、私のときに使っていた爆発する霊弾だ。

 

 大丈夫、あれぐらいであれば勇儀はやられない。

 かなり痛いけど。

 

 

「(これで終わるなんて端から考えてねぇよ!)」

 

 

 砂煙の中突き進んでいく生斗。

 

 私の眼ならその砂煙の中であっても二人の動きを捉えることはできる。

 

 中では霊力剣を振るう生斗と、刃の側面を上手く叩き折る勇儀の姿が目に映った。

 

 だが、生斗の剣は瞬時に再生される。

 折れても構わず振ってくる剣に勇儀の手が追い付かなくなる。

 利き手が使えないとはいえ、人間である筈の生斗の手数が、鬼の勇儀より勝っているというのか。

 現実には生斗の霊力剣により着実に傷を負っていく勇儀の姿がある。

 

 そして砂煙が収まる頃には、肌が焼け焦げ切り傷だらけになった勇儀の姿が他の鬼達の前に現す。

 それにあわせて生斗も後ろへと退いて体勢を立て直す。

 

 

「おい、まじかよ。あの勇儀が……」

 

「強いぞ、あの人間!」

 

 

 思わず息を呑む鬼達。

 絶体絶命、このままでは回復を待つ前に生斗によって倒される。

 

 それでも尚、勇儀は笑っていた。

 

 

「ははは、やっぱり萃香の言ってた通り痛い目に遭ってしまったようだね」

 

「はあ、はあ……喉、治ったんだな」

 

 

 誰が見ても劣勢であることは明らかであった。

 

 ___だが、勇儀の力はこんなものではない。

 

 

「さあ、ここからが本番だよ。私はまだピンピンしている」

 

 

 おれだったらとっくに何回か死んでるぞ、と言わんばかりの呆れた表情になる生斗。

 呼吸を整え、再び構える。

 

 

「(何度も吹き飛ばす努力をした。だというのに一歩とて後退させることが出来なかった……ったく、()()の命を費やしたってのに)ほんと、お前らって化物だよ。どんなに傷を与えても勝てるイメージが全く沸かない」

 

「こんなに私を傷つけておいて、何を言ってるんだい」

 

「なっ!!!?」

 

 

 生斗に向かい、爆発跡地のような地面を抉り方をしながら肉薄をする勇儀。

 あまりの速さと一歩一歩の踏み込みにより発生する爆発のような音と砂埃に生斗の顔は驚愕の色に染められ、なんとか空を飛んで避けようと試みる。

 

 だが、一瞬の硬直が命取りとなり、足首を勇儀に捕まれてしまう。

 

 

「離せ!」

 

「あんたに離せるもんかね!!」

 

 

 勇儀の掴んだ腕を斬るが、それでも離れる様子はない。

 そのまま勇儀は最初に繰り出したのと同じ、生斗を力の限りで地面に叩きつける。

 

 本日二度めの地鳴りとともに生斗の口から声にならない嘆き声が聞こえてくる。

 

 先程とは違い、無傷で済んではいないらしい。

 だが、首を手の甲で防御し、確りと受け身をとっていたこともあってか、見た目ほど怪我を負っている様子もない。

 叩きつけ自体も、生斗が勇儀の腕に怪我を負わせていたことにより軽減されているのもあるかもしれない。

 

 その事を理解しているからか、勇儀は追撃にと生斗に向けて四股の要領で踏み潰さんと足踏みをする。

 構えが大きい故、負傷はしても身体は動かせた生斗は、その攻撃を転がることによって回避。

 その間に生成した数本の霊力剣を勇儀に向かって放つ。

 

 

「___っく!!」

 

「はあ! はあ! がはっ! 」

 

 

 数本のうち一本が勇儀の額を掠め出血。しかもその傷は割りと深かったのか、瞬く間に左目を血の膜で覆い、勇儀の視界の邪魔をする。その隙に生斗は立ち上がりすかさず霊力剣を構える。

 

 

「はあ!!」

 

 

 それでも勇儀の猛攻は止まらない。

 目にも止まらぬ殴打をなんとか受け流す生斗。

 

 

「(重すぎる! 威力が強すぎて流しきれない!!)」

 

 

 受け流すとは聞こえは良いものの、実際は霊力剣は折れ、受け流しきれない分の威力は腕に負担がかかっている状況である。

 避けようにも生斗の避ける方向へと瞬時に切り返し、追撃を加えてくるということを察知しているのだろう。

 だから危険を伴ってでも勇儀の体勢を崩す方向に持っていっているのだ。

 

 結局、生斗自体も受け流す際に威力を流しきれず体勢を崩しているわけだから、あまり効果的ではないけどね。

 

 

「ははは! 受けに回ってちゃ私には勝てないよ!!」

 

 

 殴り、蹴り、肘打ち、頭突き。

 あらゆる部位での攻撃を加え続ける勇儀に、生斗は防戦一方を強いられていた。

 

 恐らく、隙はあれど威力が異常過ぎて隙を突く体勢まで持っていく暇がないのだろう。

 苦虫を噛んだような表情で、痺れる腕をなんとか動かして受けに徹する。

 

 そしてついに、勇儀の拳が生斗の顔面を捉えた____かに見えた。

 

 顔をずらし、拳を滑らせる生斗。汗と勇儀の血により滑りやすくなっていたのか、特に負傷もなく生斗はそのまま差し出された腕を掴んだ状態で勇儀の懐へと飛び込む。

 

 

「はあ! はあ!! 歯ぁ食い縛れ!!」

 

 

 脚を軽く払い、片足が少し浮いたところに、生斗は勇儀を腰に乗せて背負い投げた。

 

 鬼達一同がおお! っと感嘆の声をあげるような見事な一本背負い。

 綺麗に決まったその技は、勇儀を仰向けの状態で地面へと叩きつける。

 そんななか生斗は霊力剣を生成し、掴んでいた腕とは逆の利き手を斬って落としてみせた。

 

 

「ぐっ!」

 

「はあ、はあ……」

 

 

 勇儀の腕を土俵外に蹴り飛ばし、再生不能にする。

 だが、そんなことどうでもいいと言わんばかりに勇儀は倒れた状態で足蹴りを生斗の顔面に向かって放つ。

 その攻撃をなんとか避け、生斗は又も距離をとる。

 

 

「痛いねぇ。綺麗に投げられた上に腕を斬られるなんてね。嬉しいのやら悔しいのやら」

 

「はぁ、はぁ(嬉しくは絶対ないだろ。腕斬られてんだぞ……)」

 

 

 まさか生斗がここまでやるとはね。

 大分息切れが激しいようだけど、ここまで生斗は地面に叩きつけられたこと以外ほぼ外傷はない。

 それに対して勇儀は身体中が剣による無数の傷によりぼろぼろである。

 他の爆発する霊弾についてはもうほぼ完治しているというのにこの傷つきよう……流石の勇儀でもそろそろ体力の限界が来てもおかしくないはず。

 

 

「楽しいよ。こんなに楽しい夜は萃香と殴りあった時以来だ。こんな気持ちの良い夜はいつまでも明けないでほしいもんだね」

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 

 ……ふっ、要らぬ心配だったようだね。

 勇儀に限って体力切れで負けるなんてことはあり得ない。

 斬られた腕もとっくに止血が済んで、今にも戦いたそうにうずうずしているし。

 

 

「そろそろ私のとっておきを見せてあげようじゃないか」

 

 

 そう勇儀の言う()()()()()

 それこそ必殺技と呼ぶにふさわしい代物であることは間違いない。

 

 

「(来てみろよ。どんな攻撃でも避けてやる。大技ほど空振った時隙が多いということを身をもって教えてやる)」

 

 

 生斗もやる気十分なようだ。

 深呼吸をし、構えをとると先程までの荒い呼吸とは打って変わってまるで呼吸を忘れたかのごとく静かにそこへ佇む。

 

 

「良い面構えになったじゃん。それこそやり甲斐があるってもんだよ。あっ、そうだ。萃香、周りの建物倒壊しないよう頼むよ」

 

「はいよ」

 

 

 勇儀がこれから繰り出すであろう技は、恐らくここら一帯を更地にする程の威力がある。

 私の能力で土俵外の衝撃を散らさなければ、此処にいる人間らは全滅、鬼の大多数も痛手を負うことになることは必至だ。

 

 私の了承を得てニヤリと笑うと、勇儀はない筈の拳に力を入れる。

 

 すると、勇儀からとてつもない量の妖力が溢れだし、相対していない私ですら冷や汗をかく。

 勇儀のやつ、いつまでも続けたいと言ってたくせに()()()つもりだね。

 でもまあ、ここまでしてやられてしまったら自分の本気を見せたくなる気持ちは分かるよ。

 

 

「『三歩必殺』」

 

 

 勇儀が一歩、生斗に向かい前進する。

 そう、たった一踏み、そんな動作一つで大地が歪み、大気が震える。

 鬼達はこれから何が行われるか察知したのか、酒瓶を片手に私の後ろへと退避していく。

 

 

「あんたらねぇ……」

 

「萃香すまない。あの攻撃の被害を最小限に収められる萃香の後ろが一番安全なんだ」

 

「おい人間達、お前らもこっちに来い。そんなとこいたら死んじまうぞ」

 

 

 揃いも揃って情けない。こんないたいけな少女の後ろに避難するなんて。

 少しは恥ずかしいとは思わないのかね。

 

 まあ、そのことについては今はどうでもいい。

 

 たった一歩踏み込んだだけでこの有り様、生斗も内心怖じ気づいてるのではないだろうか。

 

 

「(死んだわ)」

 

 

 駄目だ、全てを諦めた眼をしている。

 だけど、そんな悠長なことをしていたら間違いなく死ぬことになる。

 そんなことは生斗も分かっている筈だ。

 

 

「この技は種類があってね。ほんとは三連打で決めるんだけど、生斗にはとっておきの一撃で終わらせてあげる」

 

「終わる、つまり死ぬってことか」

 

「死ぬかどうかはあんた次第だよ。ただ、私は加減しない」

 

「泣いていいですか」

 

 

 ___二歩目。

 一歩目よりも大きな地響きとともに地形が変化していく。それに比例するかのように勇儀の利き腕に膨大な妖力が集められていった。

 

 こ、これはいくら私でも瞬時に散らすことは出来ないかもしれない。

 そうなってくると、私が()()を張らねば、大変なことになってしまう。

 

 

「さあ、覚悟しな。これで立っていられたのなら、あんたを元いた場所へ還してあげるよ」

 

「還す気がないことは十分伝わった。絶対に生き抜いてやる」

 

 

 そしてついに、勇儀は二歩目の脚で土を蹴り飛ばした。

 

 

 瞬時に勇儀は生斗の懐へと到達すると、

 

 

「三歩目____」

 

「!!!」

 

 

 ただ強く、ただありったけの力を溜めた左腕を生斗に向かって振り下ろした___

 

 

 ____が、その腕は生斗の手の平に生成されていた爆発する霊弾によって方向をずらされてしまった。

 

 生斗へ放たれる筈だったその攻撃は、生斗自身の左腕を犠牲にすることでほんの少しだけ方向がずれ、空振りになってしまったのだ。

 

 だが、それだけで終わらないのが、勇儀の『三歩必殺』の怖いところでもある。

 

 

「うぉ、うおあああ!!?」

 

 

 やはり、起きてしまったか。

 勇儀の放たれた『三歩必殺』の衝撃は甚大だ。

 その放たれた経路以外の周りですら、木々はなぎ倒され、建造物は吹き飛ぶ。

 生斗は唯一衝撃のこない勇儀の懐に潜り込んでいたのだが、突如としてくる上昇気流により垂直に吹き飛んでいった。

 

 何故そのような事態が起きてしまったのか。

 答えはすぐにわかった。

 私の能力では衝撃を散らす処理が間に合わず、土俵内で留められてしまった衝撃が上に向かっていったのだ。

 

 衝撃を散らす際に私の大部分を霧状にして衝撃が来ても決して場外に被害がでないようにしたが故の悲劇。

 

 予想外から来た衝撃に生斗は成す術なく天高く舞い上がっていった。

 

 

「えっ……」

 

 

 攻撃をした本人も何が何だかわかっていない様子。

 て言うか勇儀、生斗は天高く羽上がったのになんであんたは何事も無かったかのようにそこに立ってるんだい。

 

 

「勇儀、あんたの衝撃が強すぎて逆流したんだよ。ていうかそんな狭い空間で三歩必殺の衝撃を瞬時に分散させるのは無理があるよ。いくら私でもそこに留めるのが限界だった」

 

「そ、それは無理な事言ってしまったね。それにしても、まさかこんなことになるとは」

 

「そうだね、生斗の奴、未だに降りて…………あっ、もしかしてあの米粒みたいなのが生斗かな」

 

「派手に吹き飛んだね」

 

 

 さて、あの様子じゃ生斗はまず意識が飛んでいることだろう。

 仕方ないから私が拾いに行って助けてあげようかね。

 

 んー、この場合生斗は負けになるのかどうか怪しいところだろうけど……まあ、勇儀は利き手も使ってなければ土俵を出ているわけでもないし、生斗の負けでいっか。

 ていうかそうでないと生斗と離れ離れになってしまう。

 

 うん、生斗の負け。誰がなんというと生斗の負けだ。

 

 

「よし、それじゃあ私は生斗拾いに行くから。勇儀達はこの辺の整地お願いね」

 

「ああ、整地を終えてまたこの続きがしたいからね」

 

「流石にこれ以上やったら生斗が死ぬでしょ」

 

 

 もしかしたら今ので死んでるかもしれないから、内心ひやひやしているというのに。

 

 

 

 とりあえずまあ、生斗にはお疲れの意味を込めて上等なお酒でも振る舞ってあげようかね。

 



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7話 鬼の息吹

 

 

「容態はどう? 少しは動けるようになったかい?」

 

「そうだな。動けるようになったらおしめを変えられる事もなくなるだろうよ。わかるか、とんでもなく恥ずかしい上に泣きたくなる気持ちでいっぱいになるんだぞ」

 

 

 勇儀との腕試しから一週間が経った今日この頃、おれは現在萃香が住処にしている家の中でミイラごっこに興じていた。恐らく半年近くこのごっこに付き合わねばならない。

 

 

「それでも勇儀の三歩必殺を受けて全身複雑骨折で済んだのは幸運ととるべきだよ。普通なら痛みを感じる間もなく息絶える」

 

「それをおれは完全にかわしてたんだよ! 左手を犠牲にしてまで方向をずらした筈なのになんでか下から衝撃がくるなんておかしい! 絶対に誰か噛んでるだろ!!」

 

 

 めちゃくちゃ痛かったんだ。一生分の力を手にしたおれの爆散霊弾は米粒サイズですら通常時の頭一つ分の威力と大差がない。

 それを覚悟して勇儀の腕をずらすために左手の力とともに放ったんだ。

 それなのに下から……下からなんて! 勇儀自体は殴ること以外何の動作もしていなかったわけだから、急に下から衝撃がくるのは普通に考えておかしい。解せない、解せな過ぎる! 

 

 

「またそれかい? それだけ勇儀の力が強かったってだけだよ。負け惜しみほどみっともないものはないんだから、素直に怪我治すことに集中しな」

 

「見苦しいですよね」

 

 

 だって、だってさぁ。

 渾身の突きをかわされたと思いきや地面に叩きつけられて一回お陀仏して、その後絶対勝つと意気込んでまた一生使って水増ししたというのによく分からない負け方をしたんだぞ。それで負けを認めろと言われてもそう簡単に首を縦には振れないだろ。

 

 

「だめだこりゃ、拗ねてる」

 

「こういう時の熊口さんはちょっと褒めればすぐに機嫌がよくなるので、適当なこと言ってれば良いと思いますよ」

 

「そうかい……わー、生斗ってやっぱり強いよね。永遠と私達と戦いあおうよ。お酒も呑めるし悪くない筈だよ。こんな提案は本当に力を認めた人間にしかしない事だからね」

 

「嬉しいけど、戦うの好きじゃないからお断りします」

 

「我が儘ですよねー」

 

「ねー、折角人間にして強いのに」

 

 

 くっ、翠と萃香の奴さっさと部屋から出ていってくれないかな。

 喋ると傷が痛むから静かにしてほしいものだ。

 

 はあ、翠には下の世話をさせてしまうし、飯も一人で食えないから食べさせてもらわなければならない。

 一人で何も出来ないのはここまで不便なものなんだな。

 まあ、一日中寝ても怒られないしなにもしなくても飯がでてくる、こんな理想的な生活が出来ていることに少しの感動もある事も事実だ。

 それを悟られたら絶対今後の生活で面倒なことになるため、翠はおれが完治するまでおれの中を出禁にしているまでもある。

 

 こういう、人のありがたみを感じることが出来るのって、なんか良いよな。

 

 

「それじゃあご飯作ってくるから。そこで安静にしとくんだよ」

 

「動けないから安心してくれ」

 

 

 もうご飯時になったのか。

 基本は食っちゃ寝、人が来たらちょっと話す程度の繰り返しだから時間感覚が最近麻痺しかけている。

 

 

 それじゃ、折角だしご飯が出来るまで一眠りするかね。

 出来たら翠か萃香が持ってきて起こしてくれるだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「起きな。早くしないと折角の飯が冷めてしまうよ」

 

「……うあん?」

 

 

 時間感覚がわからない。

 少しだけ仮眠を摂るつもりが、いつの間にか熟睡してしまっていたようだ。

 さっきも寝たのにまたすぐに熟睡できるあたり、おれは本当に寝ることが大がつくほど好きらしい。

 

 

「あれ、ていうかあんたは確か……」

 

「ああ、元気してた?」

 

 

 飯を持って部屋に入ってきたのは、おれの骨を隅々まで折った張本人である勇儀であった。

 とっくに怪我は完治させており、腕も切れ目も分からないくらい綺麗に接合されている。

 

 

「全くと言って良いほど元気ではないな」

 

「そりゃ悪かったね。代わりに怪我が治るのを祈って一杯やらないかい?」

 

「馬鹿、怪我してるときに酒なんて呑んだら治りが遅くなるだろ」

 

 

 私なら治るのに、みたいな顔やめてくれ。

 鬼と人間とじゃ身体の出来が違う。

 

 それにしても、まさか勇儀がおれの前に現れるとは。

 今頃強い奴探しに暴れまわってるかと思ってた。

 流石の勇儀も怪我させた人の見舞いに来るぐらいの気概はあるらしい。

 

 

「ほら、飯持ってきたよ。私が食べさせてあげるから、口を開けな」

 

「ふぅふぅをしてくれ」

 

「ん?」

 

「その飯……お粥湯気が出てるだろ。そのまま口に入れたら絶対舌を火傷する。だから勇儀がふぅふぅして冷ましてくれ。いや、してくださいお願いします」

 

「そ、そういうことなら、私でよければするけど」

 

 

 おれの要望に了承し、勇儀はレンゲですくったお粥を口の前に持っていき息を吹きかけて熱を冷ましていく。

 

 そうして漸く湯気が出なくなったを見計らい、勇儀はおれの口にレンゲを持っていき、食べさせてくれた。

 

 ____うん、お姉さんからふぅふぅ&あーんをやってもらえて熊さん満足です。骨折して良かったと改めて感じることができました。

 

 

「何にやついてんだい。そんなにこのお粥が美味しいのなら私も少し貰うよ」

 

 

 そう言って、勇儀はおれが一度口に含んだレンゲを使い、躊躇いなくお粥を一口食べた。

 

 

「おっ、これほんとに美味しいね! あんたの連れが作ったって言っていたけど、あの幽霊もやるなぁ____あっ、悪かったね。ほら生斗口を開けな」

 

 

 そして次は、勇儀が口に含んだレンゲがまたおれの口に運ばれていく。

 所謂間接キス。

 姉御肌で巨乳の勇儀さんと。

 

 ____ふぅ。

 

 

「おれ、生きててよかった」

 

「そうだね。こんなうまい飯毎日食べられるんだから、あんたは幸せ者だよ」

 

 

 勇儀は何か勘違いしているようだが、好都合だ。

 このまま良い思いを噛み締めて生きよう。

 先程まで負けたのがどうとか、これから鬼の捕虜になってしまうのではないかという不安とかも、もうどうでもよくなった。

 

 おれは今お姉さんにふぅふぅしてもらい、そして間接キスをした。

 

 人生の勝利者とはこの事を言うんだな。

 

 

「ほらほら、まだまだ残ってるんだから食べな」

 

「そうだな……そういえば勇儀は何かおれに用があるのか。ただ謝りに来たっていうのなら飯食わせてもらっただけで満足だから気にしなくても良いぞ」

 

「それもあるけど。生斗、あんたの今後の処遇について話そうと思ってね」

 

 

 ああ、処遇ね。煮たら美味いよね。

 でもおれは焼く派だな。

 

 ……はあ、勝者の勇儀が来たのだからもしかしたらとは思ったが、やはりか。

 

 大人しく還してくれる訳ないよな。

 もし勇儀が還してくれるといっても他の鬼がそれを良しとしなさそうだ。

 あのとき鬼達のおれに対して見ていた眼で分かる。

 せめて、戦闘漬けの日々が続かないことを祈るしかない。

 

 

「言っておくけど、もしここに残れとか言われても、おれは戦わないぞ」

 

「なんでさ。折角強いのに、強い奴と戦うのは楽しいもんでしょ」

 

「あのな、おれとお前らとは考え方はまるっきり違うんだよ。自分は好きだから相手も好きだというのはただの押し付けなんだぞ」

 

「ならなんだい? なんで生斗は人間のままそこまで強くなったんだい。その若さでそこまで強いのは、最強を求めた表れじゃないの?」

 

 

 そうか。確かにおれは見た目は十代後半の若造だ。

 だからこそ、鬼達は勇儀の言う解釈をしていたのだ。

 最強を求める____そんな求道者的な考え、これまでしたこと無かったな。完全にお門違いだ。

 

 

「それは違う。おれが剣術やら霊力の修行をして力をつけたのは、強くなるためではなく、生き残るためだ。弱いままじゃ自分すら護れないから仕方なく強くなろうとしただけ。温室で暮らせていたのなら、おれは今も霊力も剣術も身に付けていなかっただろうな。それにおれはこれでも年齢は五十近くあるぞ」

 

「五十!! その見た目で!?」

 

 

 おれの経緯よりそっちに眼が行ったか。

 まあ、十代の若造が実際は五十近くのおっさんなんて言われたらおれでも驚く。

 

 

「ちょっと特殊な体質でな。神から恩恵を受けてな、一応不老なんだ」

 

 

 死んでも生き返るということは伏せておく。

 壊しても直ぐに直ると分かれば、鬼達が容赦しなくなるかもしれないからな。

 

 

「へぇ、そんな人間がいたんだね。珍しい……確かにそういえばその頭にかけてるやつに神力を感じるね。生斗が言ってる事は本当かもしれない」

 

「本当のこと言ってるんだから、変に怪しむんじゃないよ」

 

 

 変に突っ込まれるとぼろが出そうだから、早々にこの話を切りたい。

 

 

「そういえば、彼処にいた人間達はどうしたんだ。おれの前に戦ったおじさんは? ちゃんと元いた場所へ送り届けたか?」

 

「ああ、あんたの要求通り、それぞれの村へ送り届けたよ。あのおじさんは怪我を手当てして一昨日の朝方に私の仲間の荷車に乗ってここを出発した筈だよ」

 

 

 話題逸らしとして、人間達の安否を確認したんだけど、良い具合に上手くいった。

 

 そうか、おじさんも無事だったんだ。

 両脚が折れて頭も打ってたから心配してたんだ。

 ていうか、おれとおじさん入れ違いを起こしてしまってたのか。

 おれ自身起きたのは一昨日の夕方頃だから、おじさんはもう遠くにいってしまっている。

 

 

「そうだ、おじさんから伝言を受けてたんだった。『君を残してしまい本当に申し訳ない。せめて無事であるよう毎日祈るから、どうか生きてくれ』だそうだよ。あれ? ちょっと言ってたのと違ったかな……まあ、確か内容はこんな感じだったよ」

 

 

 おじさんとはもう一度、次はゆっくりと話をしたかった。

 若者を生かすため、自ら死地へと脚を踏み出し、己が瀕死の重体となっても決して諦めようとしなかった。

 そんな肝が据わった人はそうはいない。

 是非ともこれまでどんな生き方をしてたのとか語り合いたかったけど、入れ違いで会えなくなってしまったのなら仕方ない。

 おじさんを此処に戻すのも悪いし。

 

 

「……あっ」

 

「どうした、勇儀」

 

「話すのに夢中で、飯のこと忘れてしまってたね。すっかり冷えちゃってるよ」

 

「いいよいいよ。おれ元々猫舌だし、冷えてるぐらいが丁度いい」

 

「すまないね。今度茶菓子でも持ってくるよ。ほら食べな」

 

「ふぅふぅしてくれよ」

 

「何言ってんだい。もうこれ熱くないよ」

 

 

 いや、ふぅふぅは元々、冷やすと言うよりも勇儀が息を吹きかけることに意味があるんだ。

 ということを言ってしまえば間違いなく勇儀から汚物をみるような奴を目でみられそうなので、言わないでおく」

 

「本音がだだ漏れであることを自覚してないようだね」

 

 

 あっ、しまった。

 

 

「軽蔑なんてしないよ。ただ教えてくれよ。なんで私の息を吹きかけることに何の意味があるんだい?」

 

 

 勇儀のこの表情……ほんとに疑問に感じている表情だ。

 よ、よかった。察しのいい奴(どっかの怨霊とか)だったら一発で終わっているところだ。

 よし、ここは適当なことを言って誤魔化してやる! 

 

 

「う、うん。勇儀姉さんの力を貰おうとね! 知らないのか? 怪我してる人の食事の時にふぅふぅしてあげれば、怪我の治りが早くなるんだぜ!」

 

「そ、そうなんだ! 初めて知ったよその話! そりゃあ良い話を聞いた。これから毎日してあげるよ。それで早く治してまた私と戦おうじゃないか!」

 

「戦いません」

 

 

 信じたよこの鬼。純粋過ぎて熊さん少し心配になるんだけど。

 まあ、実際それで元気が出ているわけだし、嘘ではないしな! 

 

 

「えっ、食事に息吹きかけたら怪我の治り早くなるの!?」

 

「なわけないじゃないですか。熊口さんのでまかせですよ」

 

 

 

 この後、影で見ていた翠の暗躍により、屈強な男の鬼達のふぅふぅ地獄を受けることになったのはまた別のお話。



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8話 不穏な気配

※後書きにオマケあり


 

 

 なんだかんだで一ヶ月程過ぎた頃、おれは松葉杖を使って身動きが取れるまで回復していた。

 うん、寿命ブーストで一生分の力を手にしたままだからか、普通の人より大分治りが早くなってる。

 

 

「やっぱり皆のふぅふぅが効いたようだね」

 

「ああ、俺達もやった甲斐があったってもんだ」

 

 

 おれのいる部屋には連日鬼達が訪れていた。殆どが物珍しさと勇儀との戦闘による功績についての話だったが、その度にご飯を携え、わざわざ息を吹きかけて寄越してきたのだ。

 

 女の鬼は別に良いんだ、皆可愛いし。だけど野郎共の鬼はまじで止めて欲しかった。

 おれが変なことを勇儀に吹き込んでしまったのが原因でもあり、野郎共も善意でやってくれていたから断れなかったが、心の中では内心死にそうだった。

 

 

「なんだ、結構皆と仲良くやってるじゃないか」

 

 

 おれが散歩ついでに鬼の集落の地理把握に勤しんでいると、窓から顔を出した勇儀がおれに話しかける。

 頬を赤らめて、片手に盃を持っているあたり、酒盛りの真っ最中なようだ。

 

 

「おう勇儀! こいつが散歩したいって言うもんだから付き合ってやってんのよ!」

 

 

 と、おれの隣を歩いていた一匹の鬼が勇儀に回答する。

 

 

「そうかいそうかい。それは良い傾向だね。くれぐれも転けたりして怪我を悪化させないよう気を付けてね」

 

 

 そう言って勇儀は身体を家の中に戻し、中からまた笑い声が聞こえてくる。

 

 

「ついてこなくて良いぞ。転けたりなんてへまなんかおれはしない」

 

「怪我人は黙ってな。俺は再戦を挑むまでお前を介抱すると決めたんだ」

 

「余計なお世話だし、おれは再戦なんて受け付けないぞ。戦うの怖いし」

 

 

 一ヶ月前、おれが勇儀に言い渡された命令は、この鬼の群れに身を置くこと。期間は五十年、お互いの同意がない限り鬼の住処から勝手に出た場合鬼全員とそれぞれ一騎討ちをすることになっている。

 

 その中には鬼から勝負の申し出があった場合受けなければならないなんて一言もない。

 ルールを破らない限りは身の保証をしてくれると勇儀から言質を取ったんだ。

 わざわざ命の危険を犯すなんて馬鹿な事、おれがするわけがない。

 

 

「ていうかよく首斬った相手と一緒に散歩できるな」

 

 

 おれと一緒に散歩をしているのは、以前腕試しでおれが首を斬った鬼と、その友人の鬼の二人だ。

 おれが一人で散歩に出掛けようとしたときに出くわし、そのままおれの後をつけてきた。

 

 

「あ? そんな細かいこと気にするやつなんてここにゃいねーよ」

 

「全くもって細かくはないと思うんですけど……!」

 

 

 首を斬られるなんて一大事以外の何物でもないと思うのはこの集落の中でおれだけらしい。

 いかんな、このまま五十年もこいつらと一緒にいたらおれの感覚も絶対おかしくなる。

 

 

「……てか、ここの辺りはやっぱり大分荒れてしまってるな」

 

「これでも整地した方なんだぜ。それだけ勇儀が暴れたらヤバイかって事がわかるだろ?」

 

 

 この前、鬼との腕試しをした闘技場に来たのだが、回りはあまりの惨状に苦笑いしてしまう。

 土俵から客席近くまである二つの巨大なクレーターから地が割れ、周りの地面はでこぼこと人が歩くには向いていない地形となっている。

 他にも周りにある家は殆どが半壊していて今では誰も住んでいる様子もない。

 

 おれの意識があるときよりも酷くなってる気がするんだけど……

 

 

「お前が気絶した後ぐらいに遅れて軽い地震が起きたんだよ。勇儀が叩きつけた衝撃でな。それで周りの地形が少し歪んちまってよ。あと家は勇儀の三歩必殺の威力が強すぎて萃香が抑えきれなかった影響でこんなになってる」

 

「そ、そんな事があったのか……萃香が周りの被害がでないよう立ち回ってたんだな。それでこんだけ被害がでてるんだから、ほんとにおれ、全身複雑骨折で済んだのも運がよかったのかもしれないな」

 

「おう、直接当たってたら今頃お天道さん行きだったろうぜ」

 

 

 改めて感じたが、鬼ってほんとに化け物だよね。その気になれば世界征服出来るんじゃないだろうか。

 

 いや、まあもしそうだとしても流石に神には勝てないか。神奈子と諏訪子の戦いはこれよりも数十倍壮絶だった。

 

 

 ___さて、ここら辺は地形がでこぼこしすぎて今のおれでは歩くのに苦労しそうだし、Uターンして戻るとするか。

 

 

「なあ、疲れたから背負ってくれよ。もう帰って寝たい」

 

「甘えたことを言ってんな。ま、怪我人には優しくしろって勇儀から言われてるし、しょうがねぇからおぶってやるよ」

 

「いや、お前ではなく連れの女の鬼に……」

 

「甘えんな!!」

 

「いだだだっ!? 乱暴に背負うな馬鹿!!」

 

 

 

 

__________________

 

 

 ーーー

 

 

 熊口さんが散歩へ行き、家の中には私__超絶美少女の翠と、萃香さんの二人でのんびりお茶を啜っていた。

 

 

「生斗がいないと静かだねぇ」

 

 

 ごろんと寝転び、縁側から顔を出す萃香さん。

 

 

「そうですか? 私は静かなのは結構好きですよ」

 

「私はわちゃわちゃしてるのが好きなんだよ~」

 

 

 腕をぱたぱたと振り回す仕草は見た目通りの幼さを感じられるが、実際は私や熊口さんと同じ、いやもしかしたらそれ以上生きているかもしれない。

 なのにこの仕草……ああなんて可愛い。抱き締めてその滑らかな髪をわちゃわちゃしたい。

 

 

「……萃香さん、なでなでしても良いですか」

 

「ん~、駄目。なんか身の危険を感じる」

 

 

 くっ、どさくさに紛れて色々ぷにぷにしようとしたことを察せられてしまったようですね。

 

 私はこれまで、妖怪の全ては悪い者として捉えていました。

 人を殺し、泣かせ、奪い、そして食う。

 そこには人間味のない、それこそ本当の化け物ような人とは通じ合うような事は決してない存在だと思っていた。

 だが、萃香さんや他の鬼達と接してみて、その考えは一変した。

 共に笑い、分かり合える。ただ姿形や価値観が違うだけで、人間とは変わりないのだと。

 

 そもそも本当に悪い妖怪は雰囲気や妖力の質が違う。

 どす黒く、近くにいるだけで吐き気を催したくなる____あの屑のように。

 

 そんな鬼は、この集落には一人としていなかった。

 力加減や少し頭が足りないところが玉に瑕だが、皆気さくで良い人達だった。

 

 腕試しも、人との純粋が楽しみたいという好奇心と、鬼という種族の存在意義を人間に知らしめるためだという。

 

 鬼に限らず、殆どの妖怪は人間の恐怖と創造により作られたもの。

 存在を否定されれば力が弱まり、最悪消滅してしまう恐れがある。

 

 それを踏まえると、鬼達に腕試しを完全撤廃させるのは少々酷かもしれない。

 まあ、負けたら一生使用人にさせるのは流石に看過できませんが。

 

 

「萃香ー、いるー?」

 

 

 玄関から萃香さんの呼ぶ声が聞こえてくる。

 その声の主はとくに萃香さんの了承を得る事もなく、私達のいる居間へと上がってきた。

 

 

「あー、いたいた……ん? そこの人間は誰?」

 

 

 襖を開け入ってきたのは、桜色の頭髪をした少女であった。

 二本の小さい角が生えている辺り、鬼であることは間違いないのだけれど……

 

 

「あー、華扇? 帰ってきたんだ。そこの子は私の友人だよ。幽霊だから生気吸われないよう気を付けなよ」

 

「えっ、そうなの!?」

 

「幽霊なのは本当です。でも生気は吸わないので安心してください」

 

 

 生気は熊口さん以外は吸ってないので大丈夫です。

 あっ、これは熊口さんには内緒ですよ。

 

 

「それより萃香。あんたに頼まれてた調査終わったわよ」

 

「おっ! それでそれで、何処か良い物件あったかい?」

 

「ええ、ここから南東に行ったところに、中々良いのがね」

 

 

 良い物件?

 この桜髪の女性に対し、萃香さんがその物件とやらを探してもらっているということは分かった。

 物件を探しているという事は、萃香さんは何処かに引っ越しをするという事なのだろうか。

 

 

「何処かに引っ越しするんですか?」

 

「んっ? ああそうだよ。この前の腕試しで家が幾つか駄目になってしまってね。折角だし住処を変えようって話になったんだよ」

 

「それで私がその引っ越し先を探す羽目になったわけ。ほんと、強い奴等のいる場所を探せなんて面倒な条件までつけてきて苦労したんだから」

 

「ごめんごめん。でもどうせ奪うなら強い奴等と戦った方が楽しいじゃん?」

 

「私は元々乗り気じゃないんだからね。奪うなんてやり方がまず野蛮過ぎるのよ」

 

 

 まあまあ、と桜髪の女性を宥める萃香さん。

 中々桜髪の方は常識のある方であるようだ。

 

 

「それで、優良物件ってのは何処なんだい?」

 

 

 萃香さんがそう質問すると、先程まで怒り気味な態度をとっていた桜髪の女性は一変し、自信ありげな表情になる。

 

 そして次に話す彼女の発言が、またも熊口さんに面倒を増やすことになろうとは、今の誰もが予想がつきませんでした。

 

 

「ええ、ここから南東へ行ったところにある『妖怪の山』という、天狗が支配している山よ」

 

 

 

 

 

 

 

 




~オマケ~

屈強な男鬼1「なあ、食事にふぅふぅするだけじゃなく本人にふぅふぅすれば怪我の治りがもっと早くなるんじゃないか」

生斗「止めろ」

屈強な男鬼2「なるほど! それは名案だ!」

生斗「まじで止めて」

屈強な男鬼3「善は急げだ。早速生斗に向かって皆で息を吹きかけてやろうぜ!!」

屈強な男鬼1,2「「おう!!!」」

生斗「いや、ほんと、吐くから! 気持ち悪すぎて! だからやめ、あ、ああああああ!」


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9話 呑みに呑まれて

※萃香視点


 

 

 私達鬼が妖怪の山へと移住計画を立て始めてから二週間後、漸く生斗の怪我が完治した。

 

 

「さあぁ来おぃ! おれに腕ぇへし折られたいやつだけならびなぁ!」

 

 

 今は完治祝いで私の家で軽い宴会を催しているのだが、生斗が思ったよりお酒が弱く、二、三杯呑んだだけでこの様。誰彼構わず腕相撲を仕掛けては惨敗している。このままじゃ何れまた腕折れるのではないだろうか。

 

 

「ぐわあぁ!?」

 

「がはは! 生斗お前力弱いなぁ!」

 

 

 これで五敗目。いい加減落ち着くよう言っておいた方が良いのかもしれないが、これはこれで面白いので止めないでおく。

 

 

「いい加減にしなさい。治ったばかりの身体に負担をかけるものじゃありませんよ」

 

「いいじゃん華扇! ほら腕相撲しようぜ腕相撲!」

 

「一回頭を叩いた方が落ち着くのかしら」

 

「滅相もございません、そんなことされたら私の首が吹き飛んでしまいます」

 

 

 止めないで置いたのに、お節介やきの華扇が首根っこ掴んでその場から私の元まで生斗を引き連れてくる。

 

 

「あんたも止めなさいよ。鬼と人間じゃ地力がまるで違うのだから、純粋な力勝負を挑ませたら生斗が負けるに決まってるでしょ」

 

「これも交流の一環だよ。これから長い付き合いになるんだから、こうやってお互いを親密にするには良いと思うけどね」

 

「そうだぞ! おれはこの腕相撲によって皆と仲良くなれた、気がする!」

 

「酔っ払いは黙ってなさい」

 

 

 すっかり保護者になってしまっている華扇から生斗を受け取り、横に座らせる。

 

 

「あ~あ、手の甲から血が出てしまってるじゃないか」

 

「唾つけときゃ治るだろ。それよりも酒呑もうぜ酒!」

 

「これ以上呑んだらあんた明日地獄みるよ」

 

「もう手遅れでしょ。でもこれ以上呑ませたらほんとに危険だから呑ませないようにね。私はこれから彼処で馬鹿やってる奴ら抑えてくるから」

 

「いいんだよやらせてりゃ。宴ってのはこう騒がしいのが良いんじゃないか」

 

「限度ってものがあるでしょ。このままじゃあんたの家も潰れるわよ」

 

 

 そう言って奥で騒いでいる鬼達を止めにいく華扇。

 ほんと、世話焼きなんだから。

 

 

「なあ、萃香。華扇ってほんと良い奴だよなぁ。鬼の良心だよ良心。あんな常識人他にはいないぞ」

 

「私は?」

 

「鬼の幼女枠筆頭」

 

「……ん~と、それって褒めてる?」

 

「ああ、勿の論褒めてる」

 

 

 幼女という単語に少しの突っかかりがあるが、褒めているのなら素直に受け取っておこう。

 私は鬼の幼女枠筆頭! ___うん、これから敵と出くわしたらそう名乗ってみよう。

 

 

「そういえば、翠はどこ行ったんだ?」

 

「ああ、あんたと同じように酔って鬼に関節極めてるよ」

 

「あいつも大概馬鹿力だからなぁ。よくもまあ鬼相手に極められるもんだ。そろそろ止めなきゃほんとに折るぜあいつ」

 

「大丈夫じゃない? そろそろ____ほら、華扇が止めに入って……」

 

「……引き剥がせていないな」

 

「あんたの怨霊、どんな馬鹿力してんだい。鬼に力負けしないなんて相当でしょ」

 

 

 なんてことを話をしつつ、生斗に水を飲ませて介抱する。

 なんだろう、私自身こういうことあまりしてこなかったからか少し新鮮な気分だ。

 

 

「……悪いな、少し落ち着いてきた」

 

「気にしなさんな。久々だと要領忘れて呑み過ぎる奴は結構いるからね」

 

「いや、まあほぼ半強制的に呑まされたのが原因なんだけどね。特に勇儀に」

 

「変な賭け事始めるからだよ」

 

 

 確か色々やってたよね。双六やら丁半やら……殆ど生斗がぼろ負けして一気呑みしていた記憶がある。

 

 

「それにしても、ここの連中はほんと気の良い奴らばかりだよなぁ。前に遭遇した鬼の影響ってのもあるけど、鬼って奴は殺戮の限りを尽くすこの世の理不尽を敷き詰めたような奴らだと思ってた」

 

「なんだいそれ……それよりも生斗も気に入ってもらえたようで良かった。これから長い付き合いになるんだ、ここで擦れ違うようじゃこの先不安だからね」

 

「擦れ違うものなら絶対に血に目に遭うだろうな」

 

「誰が?」

 

「おれが」

 

 

 思ったけど、生斗って結構図太いところもあれば、自分の力を過小評価するところがある。

 これは一言言っておいた方がいいかもね。

 

 

「あんたは強いんだから、どんと構えてりゃ良いんだよ。喧嘩吹っ掛けられようものなら全員まとめてぶっ飛ばすって勢いで行かなきゃ」

 

「腕相撲で全敗して惨めに利き腕痛めているおれにそれを言うのか」

 

「あ、あんた結構気にしてたんだ。さっきまでけろっとしてたから気付かなかったよ」

 

 

 意外に自信があったんだろうね。

 それなのに完膚なきまでの惨敗を喫する。そりぁ卑屈になるのも頷ける。

 

 

「ほらほら、落ち込んでないでなんか食べな! 

 生斗は強い! この私が保証するから!」

 

 

 と、励ますように生斗に向けて拳を突きつける。

 ___だが、生斗はそんなことも気にせず、いつの間にか私の手から取った伊吹瓢の酒を呑んでいた。

 

 

「あー! あんた馬鹿じゃないの!?」

 

「うん、これ凄く度数高い。一口で目の前が朦朧としだした」

 

「元々朦朧としてたでしょ!」

 

 

 あ~あ~、服にまで酒を溢して勿体無い。

 これはもう二日酔いじゃ済まなくなるんじゃないかい? 

 とりあえず、生斗にまた水を飲ませ落ち着かせる。

 

 

「ほら、吐きそう? それなら茂みに行くよ」

 

「大丈夫大丈夫! まだまだおれは行ける……うっぷ」

 

「……行くよ」

 

 

 これは一度吐き出させた方が楽になるね。

 下手に動かすと一気にこの部屋が汚物まみれになりかねないから、庭にでて隅の方で吐かせよう。

 そう考えつつ、私が生斗を慎重に運ぼうとしたとき、私の前に勇儀が立ちはだかって来た。

 

 

「どうしたんだい? 今回の主役を連れ出そうとして」

 

「生斗の顔を見て」

 

「ん~、あー、今にもやばそうな面だね」

 

「ど、どこがやばそうな面だ。こんなスマートな面そういないぞ」

 

「生斗、あんたは黙ってて___勇儀が呑ませ過ぎるからだよ。丁度良いし茂みまで持ってくの手伝って」

 

「あいよ」

 

 

 生斗も大概酔うとなにしでかすか分からないから少し怖い。さっきもいつの間にか私の命よりも大切な伊吹瓢取ってたし。

 今度からは呑ませるのも少し自重するようにした方が良さそうだ。

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「……度々すまないな。これはおれが片しとくから、萃香達は宴会に戻ってくれ」

 

「生斗、あんたはこの後水を飲んでもう寝床につきな」

 

「わかった」

 

「それじゃ、私らは戻るよ」

 

 

 生斗も落ち着きを取り戻したことだし、その場で自分の吐いたものを片している生斗を横目に、私と勇儀は宴会の場へと戻る。

 

 

「そういえば萃香、私はあんたに用があって来たんだ」

 

「ん、なんだい?」

 

 

 私に用とは、わざわざ宴会の場で言うことでなければあんまり聞く気にはならないが、私と勇儀の仲だし、仕方なく聞くだけは聞いてやろう。

 

 

「さっき他の鬼らと呑んでたときにさ、とある話になってね。

 今度根城を乗っ取る予定の『妖怪の山』、何も言わずいきなり攻め込むのはあまりに卑怯じゃないかって」

 

「んっ、確かにそれは一理あるね」

 

 

 そうか、確かに()()()に攻める予定であった妖怪の山に対して、何も言わず攻めるのは公平でない。

 もし私達が攻め入るときに飯時や宴会が行われていたら、彼らの実力を遺憾なく発揮することなく私達に敗れるだろう。

 

 それじゃあ面白くない。

 相手の実力を引き出し、ぶつかり合い、そして叩き潰す。

 それこそ戦いの醍醐味というものだ。

 

 

「ならどうする? 妖怪の山を乗っ取りにいきますよ、って書状でも送る?」

 

「そう、それなんだよ。私達の案の中で一番それがまともだったからそうしようって決まったんだよ」

 

「こ、これがまともなんだ」

 

「没案としては代表一人が妖怪の山を攻めるってのとか天狗を一体捕まえて周知させるとかあったよ」

 

 

 んー、そりゃその二つは没暗になるね。

 一人だけ良い思いをするのは狡いし、わざわざ天狗を一人捕虜にするぐらいなら、ぱぱっと天狗の長に書状送って周知させた方が早いし確実だ。

 

 

「それでね。そこで問題がでたんだけど」

 

「なにが?」

 

「誰がその書状を送るのか」

 

 

 あー、そこか。

 ここにいる鬼達は皆戦闘狂だ。

 誰が行こうと絶対に抜け駆けするだろうーーたぶん、私も。

 最高級の主食をつまみ食いするような行為、我慢している皆が黙っておかないだろう。

 だからといって皆でいけばその場で乱闘が起こるのは目に見えてるし……

 

 

「これは、結構難儀な問題だね」

 

「そうなんだよ。結局私達だけじゃ解決しなかったから、萃香にも聞いとこうと思ってね」

 

「簡単な話、私達が戦うのを我慢できれば済む話なんだけど……」

 

「我慢出来るわけないよ、私達だもん。鬼の特性は鬼が一番分かってる」

 

 

 強い奴が目の前にいたら戦いたくなるのが鬼の性。

 しかも華扇が勧めてきた相手だ。絶対に我慢出来ない。

 

 

「あっ、そうだ。華扇に行かせたらどうなんだい? 華扇なら私らとはちょっと違うから我慢も容易でしょ!」

 

「さっきそのこと華扇に言ったら『何度私をパシるつもりよ』って突っ返された」

 

 

 頼みの綱である華扇も既に詰んでいたか……

 使用人の人間達も皆還しちゃってるし、これでは攻めこむことが出来ない。

 

 

「誰か自制できる奴が他にいれば良いんだけど」

 

「話は聞かせてもらったあぁ!」

 

「えっ、誰____生斗!?!」

 

 

 誰を飛脚役にするか勇儀と一緒に頭を抱えていると、先程まで庭の隅で片付けをしていた生斗が酒瓶を持った状態で現れた。後ろには数人の鬼を引き連れている。

 

 

「あんたさてはまた呑んだね! もう寝てなって言った筈だよ!」

 

「まあまあ、良いじゃないか。俺らが間違えてまた呑ませちまったんだ」

 

「あんたらねぇ……」

 

 

 何もう潰れている生斗に呑ませてんの。

 だが、それに断らず呑んだ生斗も悪いのであまりこいつらを責めることは出来ない。

 

 

「そんなことはどうでも良いんだ! 萃香と勇儀! お前らなんとか山の妖怪どもに攻めますよって書状送る人探してるんだって?」

 

「そうだけど……まさか、生斗が行ってくれるの?」

 

「その通り! おれは以前、翠のいた国との敵国に対して書状を送り届けた実績がある! 飛脚としては申し分ないとは思うけど」

 

「おお! そうなのか!」

 

「え~それほんとなの?」

 

「このおれに嘘という文字はない!」

 

 

 なんだろう、嫌な予感がする。

 だが確かにその実績は大きい。人間の国間での足軽を務めた事があるのならば、これほど頼もしいものはない。

 

 

「ねえ、翠ちょっと来て」

 

「ん~、何ですか~?」

 

 

 部屋の隅で酒瓶を抱えてうたた寝していた翠を起こし、私の方へ誘導する。

 

 

「生斗の言っていた国間で書状を送り届けたっていうのは本当なの?」

 

 

 念のため酔っている状態の生斗だけの証言では信用がならないので、翠にも一応聞いておく。

 

 

「本当ですよ~、その時も確か熊口さんがでしゃばって行ってたようなー?」

 

 

 どうやら生斗の言っていた事は本当のようだ。

 翠も結構酔ってはいるが、二人が口裏あわせる事もなく飛脚を務めていると言っている辺り本当のことなのだろう。

 

 

「翠ありがと。ちゃんと暖かくして寝なよ」

 

「は~い」

 

 

 それであれば生斗が妖怪の山へ書状を送り届けてくれるのは願ってもない申し出だ。

 ていうか適任がもうこの集落には生斗しかいない。

 でも、う~ん。生斗、絶対に酔った勢いで言ってるだけだよね。

 

 

「良いじゃないか。本人が行くって言うのなら行かせても」

 

 

 そんな私の悩みとは裏腹に勇儀はもう任せようという勢いでいる。

 

 

「でもねぇ」

 

「酒の勢いで馬鹿を言ったツケを自身が拭うだけさね。私達が変に悩むことじゃないよ」

 

「おう任せとけ! この熊さんがちゃちゃっと書状を送り届けてくるからよ! そしたらまた宴会開こうぜ!!」

 

「おっ、それ良いね。もし無事帰ってこれたら私の盃で酒を呑ませてあげるよ」

 

「今呑ませて」

 

「今呑んだらあんた死にそうだから駄目」

 

 

 ……それもそうか。勇儀の言う通り生斗は自分の意思で行くと言っているのだ。下手に私が止めるのも無粋だね。

 ほんとは素面の時に決めた方がいいんだろうけど、その時に生斗が了承してくれる保証はない。今のうちに決めておくべきだろう。

 

 

「よし、それなら生斗。この件はあんたに任せるよ。書状は私達の方で何とかするから、あんたはちゃちゃっと天狗の長にその書状を送り届けてきて」

 

 

 生斗程の実力があればたぶん無事に帰ってこられるでしょ。

 ていうか私に傷をつけることができる奴がそう簡単にやられるのも困る。

 

 

「よっしゃあ! 萃香からも了承を得られたぞ! 見たか! お前らよりおれが優秀ってこった!」

 

「くぅ! 萃香、こんな奴よりも俺が適任だ! 俺が行く!」

 

「いや、私が!」

 

「変に張り合うんじゃないよ。適任が生斗なだけだからね」

 

 

 ……なんで生斗が行くって急に言い出したのか分かった。誰が優秀か引き連れていた鬼達と張り合ってたようだね。

 それですんなり私が了承したからこんなでかい態度をとっているんだ。

 

 

 でもまあ、これが原因で生斗が面倒事に巻き込まれた事は間違いない。

 明日は二日酔いと面倒事の二段重ねで絶対に頭を抱えることだろう。

 

 よし、明日は翠と一緒に二日酔いに利く食事を用意して元気つかせてあげようかね! 

 

 そんなことを考えつつ、生斗を拳骨を食らわせて寝かし付ける私であった。

 

 あっ、この拳骨は呑むなと言ったのに呑んだ罰ね。



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10話 無知な侵入者

 

 

 おれはなんて事を言ったんだ。

 何故これ以上呑むなと萃香に言われていた筈なのに他の鬼に流されるまま呑み、挙げ句には妖怪の山という名前だけでも妖怪どもの巣窟であると分かる場所に単身書状を送り届ける役を請け負ってしまったのだろうか。

 

 おれは馬鹿か。残りの命は後四つしかないんだぞ。

 二十年に一生しか増えないというのに、このペースでは月の皆と会う前に逝ってしまう。

 

 だから、だからこそ今は命を大切にしなければいけないというのに……! 何故おれは! こんな役引き受けた!!

 

 

『流石は自業自得を極めし者です。素直に軽蔑します』

 

 

 翠お前も酔って鬼に関節極めてたろうが。

 他人様に迷惑かけてる時点でお前も同等だこの野郎。

 ていうかおれは迷惑どころか厄介事を引き受けている辺り翠よりも質は良いし! 

 

 

『はーい、私が悪いでーす。熊口さんが全て正しいのでさっさと妖怪の山で野垂れ死んでください』

 

 

 畜生、この怨霊八つ当たりに何も動じない! 

 こういう時に限ってすぐに折れるな! おれと口喧嘩して現実逃避させてくれ!! 

 

 

『嫌ですよめんどくさい。一緒についていってあげてるだけ感謝してくださいよ』

 

 

 そりゃそうだけども。

 一人で行くの心細いんだもん。

 女々しくたって良いじゃない、人間だもの。

 

 

「てことでよろしくね! お土産はあんたが無事に帰ってくることで大丈夫だから」

 

 

 萃香からそんな送別の言葉をもらってから丸一日、おれは天狗という種族が支配する妖怪の山へと赴いていた。

 

 あの宴会____確か三日前か。

 あれでおれが馬鹿を言ったせいでこんな役回りを担う羽目となってしまったが、ここまで来てはもう後戻りは出来ない。

 小包に入った書状を一刻も早く渡してこの山から脱出するのだ! 

 

 

「おい、そこの者止まれ」

 

 

 なんて事を考えながら入山した矢先にこれだよ。

 なんだこの山、警備が確りと行き渡っているじゃないか。

 おれの前に立ちはだかり、槍を構えてくるのは……犬? の妖怪。

 純白の獣の耳と尻尾があり、服装は白と黒を基調とした装束の格好をしている。

 

 

「あー、もしかしてあんたこの山の人?」

 

「そうだ。そしてここは我ら天狗の領域、勝手に踏み入ることは許さぬ。即刻立ち去るのだ」

 

「えっ、お前天狗なのか」

 

 

 天狗っていうとこう、前の世界じゃ山伏姿にピノキオみたいに鼻が長いイメージがあったんだが、実物は全然違うんだな。

 

 

「だからなんだと言うのだ。この場を退かぬと言うのならば食べてしまうぞ」

 

「いや、それは困るな。おれはここの長に話があるから通りたいし、食べられたくもない」

 

「ここの長……天魔様の事を言っているのか」

 

「天魔? うん、知らんけど天狗の頭領が天魔って人ならたぶんそれであってる」

 

「ふん、お前みたいな有象無象、天魔様が相手などされるものか。さっさとこの場から立ち去るのだ」

 

 

 んー、駄目か。

 それもそうか。アポもとらずにいきなり来て社長に会わせろなんて言って会わせてくれる奴なんていない。ましては相手が誰なのかも分からない状態で会わせられる訳もないだろう。

 

 

「おれは人間だが、ここから東にある鬼の集落の使いだ。鬼からこの書状を送り届けるように命じられている」

 

「鬼、だと……!!」

 

 

 おっ、やはり天狗の間でも鬼という種族がどれだけヤバイのか知っているようだ。

 先程まで馬鹿にしたような表情から、悪さが見つかった時の子犬のような表情に変わった。

 

 

「少し待て、上層部へ報告してくる。それ次第ではお前をこの山への進入を認める」

 

「おう、その辺でゆっくりしておくから」

 

 

 鬼効果は絶大なようだ。

 天狗ですら血相を変えて山の奥へと走っていった。

 上層部というが、天狗にも上下関係があるんだろうな。妖怪なのにきっちりと縦社会を叩き込んでいるなんて、なんか可哀想だな。鬼達を少しを見習ったらどうだ。あいつら皆馬鹿みたいに好き勝手生きて…………いや、やっぱり鬼は駄目だ。見習ってはいけない例日本代表だった。

 

 

『妖怪が皆あの集落の鬼みたいな性格だったらある意味平和なんじゃないですか』

 

 

 そんなことになったら、共存は出来るだろうがパワハラとアルハラの嵐で精神疾患者とアルコール中毒者を量産させることになるぞ。

 

 まあ、そんなことは万一にはあり得ないだろうから、考えるだけ無駄だ。

 おれはさっきの天狗が帰ってくるまで、そこの木陰で昼寝するから、天狗が来たら起こしてくれ。

 

 

『嫌です。熊口さんどうせ起きないんですもん』

 

 

 翠、いつも否定から入るのは良くないぞ。

 たまには私に任せてください! みたいに心強い返事をしてくれるとおれも優しくなると思う。

 

 

『私に任せてください! 天狗が来ても()()熊口さんの安眠を阻害するような真似はしません!』

 

 

 馬鹿馬鹿、阻害しろ阻害を。

 阻害してくださいよ翠さん。こういう時は熊さんも怒らないから。

 

 おーい、翠さーん。おーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 翠お前やりやがったな。

 

 

『起こしましたよ。でもやっぱり熊口さんは起きませんでした。結果がこれです』

 

 

「上の判断だ。お前を始末する」

 

 

 おれの回りを囲む同じ格好をした天狗達。

 皆がおれに対し武器を構えており、おれが少しでも変な動きをとろうものなら即座に刺し殺す勢いだ。

 

 

「なんでそれならおれが寝ている間に殺さなかった。その方が確実だったろうに」

 

「お前、相手の領地でよくもまあ昼寝をしていたものだ___寝ているふりをしていると警戒していただけだ。だが、それも杞憂だったようだな」

 

 

 ほんと、余裕ぶっこいて寝るなんて何処の大馬鹿野郎だろうね。

 

 ……数は五人か。

 おれが寝ているかどうかも見分けが出来ないような連中ならどうってことない。

 

 

『そう慢心していると足元すくわれますよ』

 

 

 たぶん大丈夫だろ。妖力も弱小妖怪並みだし。

 ま、とりあえず増援が来る前にささっと片付けとくか。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 天狗達との戦いはすぐに片が着いた。

 おれが霊弾を出せない一般人と勘違いしていたのか、霊弾を即座に放ったら思わぬ形で虚を突くこととなり難なく撃破、現在は空を飛んで山の頂上へと向かっている最中だ。

 

 偉い奴がいるのは決まって高いところにいるというのが定石、場所は分からないがなんか大きい建物があればそこに天魔とかいう奴はいるだろう。

 とにかくそれっぽい建物を手当たり次第に当たっていく。

 霊力も一生分の水増しが継続されているから節約とかの心配もいらないしな。

 

 

「止まれ!」

 

「ごめんなさい止まりません!」

 

「ぐあっ!?」

 

 

 何故だろうか。山の麓で天狗達を倒してそんなに時間は経過していない筈なのに、増援が次々とおれの行く手を阻んでくる。

 

 あまりにも対応が早すぎる。

 空を飛ぶ速度も結構飛ばしているし、ばれないように木々の合間を縫って進んでいるというのに、的確に敵がおれの元へと辿り着いてくる。

 誰かがおれの監視をして他の仲間へ伝達しているのか、そもそもその連絡手段はどうしているのか。

 ……とりあえず今分かるのはこの天狗という種族が、ただの烏合の衆ではないことは確かだ。

 

 

「こやつを止めろ!」

 

「皆でかかれ!!」

 

 

 それに奥へ行けば行くほど天狗達の服装も変わり強くなってきている。

 一生分のブーストされている今のおれでさえ捌くのにも一苦労だ。通常時であればこの段階でわりと根をあげているかもしれない。

 

 

『この山に入ってからずっとそこらじゅうから視線を感じますね』

 

 

 ああ、それにこの天狗達、他の妖怪達よりも段違いに素早い。

 霊力で眼を強化しても少しぼやけるほどだ。

 萃香ですらぼやけるということはなかった。つまり、天狗は素早さだけは萃香よりも優れている。

 まあ、素早いだけで攻撃自体は軽いし、反射神経やらも強化している今のおれならなんとか対応できるレベルだ。虚を突かれて死角に潜られたらどうしようもないが。

 だがこいつらも速さが自慢だからか皆猪のようにただ突っ込んでくるだけなので対応も容易い。

 皆こんななら楽なんだが……

 

 

「そこの侵入者、止まりなさい」

 

 

 ___っと、それもここまでのようだ。

 先程までの天狗達とは明らかに雰囲気の違う奴が現れた。

 

 ……なんだろうな。最近出くわす強敵は大抵女な気がする。

 黒髪のセミロングに深紅の紅い瞳、頭には赤い頭襟を被っており手には紅葉型の団扇を持っている。服装は先程まで相対していた天狗達とそう変わりないが柄に紅葉が入っていたりと少し変わっている。

 

 あれだな、紅い眼をした女の妖怪はほんと要注意だな、うん。

 

 

「先輩方も馬鹿ね。こんな人間に不覚をとられるなんて。普段は手加減ばかりしているから癖になってるのかしら」

 

「へえ、そうなんだ。あんたもその先輩方のように手加減してくれたら助かるんだが」

 

 

 さっきまで片してきた天狗達は手加減してたってことか。道理で簡単に深傷を負わせられた訳だ。

 

 

「いや、貴方に対してそんなことしたら先輩方の二の舞になるでしょ。だからしない」

 

「大丈夫だって。一回してみ? 案外けろっとやれるかもしれないぞ」

 

 

 いかん、話している余裕はないな。ここで立ち往生すればすぐに増援が来てしまう。

 

 

「なんか強行突破みたいになっちゃいるが、おれはただ書状を送り届けたいだけなんだ。それを邪魔しようってのなら容赦しないぞ」

 

「貴方は今私達の領域を犯してるの。その報いを受けさせるのは当然でしょ」

 

「ならもう帰るからこの書状を天魔って人に渡しといてくれよ」

 

「無理よ、私達天狗はとても用心深いの。その書状に何か仕込まれていたら届けた者が罰を受ける羽目になる」

 

 

 やはり直接届けないといけないのか。

 鬼の使者と知ってあの態度だったからなんとなく予想はついたが、話ができそうな奴でもこれだから他の誰に頼んでも無駄なのだろう。

 

 

「ああもういい、時間が勿体無い。

 本気でいってやるから手加減してかかってこいよ」

 

「ええ、お望み通り本気で相手してあげる」

 

 

 この天狗がどれ程の実力かは知らない。

 天狗の実力自体も今回が初めてと言うこともあり若干の不安はあるが、四の五の言っている暇はない。

 おれはいつも通り相手の隙を突くだけだ。それがどんなに速い相手であれ、今のおれならそれが出来る。

 

 来るならかかってこい。返り討ちにしてやる。

 

 

 

 ___そんなことを考えている間にはもう、無数の切り傷を負っていたことに、この時のおれは気付いていなかった。



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11話 傷だらけの吉兆

 

 

「はあ、はあ……」

 

 

 身体中に出来た切り傷から血が流れ落ちる。

 

 あの風、とんでもなく厄介だ。

 天狗の団扇を仰ぐことにより発生する突風、避けた筈なのにいつの間にか切り傷が増えている。

 傷は深くない、だが数が多いため多くの血を失いつつある状況だ。

 

 

「馬鹿みたいに突っ込んで来ないのね」

 

「変に焦るとそれこそ命取りになるんでな」

 

「でも貴方の場合は少し焦った方が良いんじゃない? 人間でその出血量はそう長くは持たないでしょ」

 

 

 あの天狗の言う通りおれは傷の治りが妖怪並みに速いわけではない。常人より少し毛が生えた程度だ。

 この傷だってまだ止まる気配もない。

 

 くっ、変に避けるべきではなかったな。

 あの団扇の突風は無色透明であるため視認しづらく、速度もあるからなんとも避けがたい。

 

 避けがたい風攻撃、ならばその風を此方まで近付けなければいい。

 まだ試してはいないが、おれの爆散霊弾の爆風で吹き飛ばす。

 

 

「(避けようのない広範囲での風斬りがちょっとした切り傷程度の負傷しか与えられていないのは誤算ね。普通の人間ならとっくにバラバラ死体の完成なんだけど)次はもっと痛いわよ」

 

「なんだ、本気じゃなかったのか」

 

「いいえ、一応さっきも本気よ。次はもっと深く斬りつけられるように工夫するだけ」

 

 

 深く斬りつける、か。

 当たったら痛いじゃ済まなそうだな。切断案件に入るかもしれない。

 それだと流石にまずいのでおれもいつもよりちょっと大きめの爆散霊弾を生成することにしよう。

 これで風を吹き飛ばせられれば良いんだが……

 

 

「そんな霊弾一つじゃ到底受け止められないわよ」

 

「その台詞は聞き飽きたよ」

 

 

 爆散霊弾の存在を知らない大体の奴はなめてかかって来てくれる。

 そうすれば必ず隙が出来る筈。爆散霊弾があの天狗の攻撃を受け止められれば勝機はある。

 

 

「せいぜい精進しなさい。止められるものならね」

 

 

 団扇を握り直し、遂に天狗は振り下ろした。

 周りの木々は葉を撒き散らしながら次々と薙ぎ倒されていき、みるみるうちにおれへと向かってくる。

 

 ____よし、この間合いだ。

 

 おれと天狗との中間辺りまできた風攻撃に向けて爆散霊弾を放つ。

 速度はあまりでていないが、木々を薙ぎ倒しながらくるほどの広範囲ならば着弾の心配は必要ないだろう。

 

 そんなおれの予想は適中し、爆散霊弾はとてつもない爆発とともに発生した砂煙がおれと天狗を巻き込んでいく。

 

「(よし、この爆風なら身体は斬れていない筈。

 この砂煙の中今頃あの天狗は面を食らっているころだろう。今はそこを突く!)」

 

「驚いた。そんな攻撃手段もあったのね」

 

「がはっ!?」

 

 

 砂煙の中突っ込もうとした矢先、おれの背後から天狗の声が聞こえてきた。

 身の危険を感じたおれはなんとか防御の体勢へと移行するが、その抵抗も虚しく天狗の風の全体攻撃により吹き飛ばされてしまう。

 

 

「言ったでしょ。工夫をすると」

 

 

 身体中から血が吹き出す。

 完全に読まれていた___あの天狗、あえておれの霊弾をなめるような発言をし、その隙を突こうとしたおれの隙を突いてきた。

 馬鹿かおれは。本気でいくと決めた相手が不自然に大きな霊弾を出したら警戒するに決まってるだろ。それをまんまと利用されてこの様、一刻も早く止血しないとほんとにまずい。

 戦闘において焦りは禁物と言っておきながらも無意識に焦っていた。

 それが敗因か____

 

 

『熊口さん、諦めるのが早いですよ。いつものようにもう少し食らいついてみたらどうです』

 

 

 うるせぇ、翠。めちゃくちゃ痛い上に血を失って意識が飛びそうなんだよ。

 

 

『神奈子様の陣地へ赴いたとき今以上に疲弊しても決して倒れなかったじゃないですか』

 

 

 あれは背負ってるものが違うんだよ。

 あれでおれが敗けていれば諏訪子に未来はなかったかもしれないだろ。

 

 

『そんな勘定で勝ち敗けを決めるんですね』

 

 

 ……何が言いたいんだよ。

 

 

『私達人間は弱いんです。身体能力か遥かに上の妖怪には到底敵う訳もない。でも熊口さんはその妖怪に勝てる数少ない人間なんです。そう易々と敗けを認めないでください』

 

 

 なんだよそれ、それはただ翠がおれに敗けてほしくないと言ってるだけじゃないか。

 

 

『そうです、敗けてほしくないんです。理由は熊口さんが絶対に調子に乗るので口が裂けても言いませんが』

 

 

 お前に褒められたところでおれは調子に乗らないぞ。吐き気がする。

 

 ……ただあれだ、眼が霞んで今にも意識が飛びそうだったけど、その吐き気のおかげで少しだけ眼が覚めた気がする。

 

 もう少しだけ頑張ってみるか。そもしもこれで敗けたらおれ、絶対に殺されるか出血死するし。

 

 

『やっと気づきましたか、それが分かったならさっさと倒してきてください。熊口さんが倒れたら私も困るんですから』

 

 

 結局勝たなければならないのは、神奈子供の時も今もそう変わらない。

 それを翠に気付かされたのは少し癪だが、ほんの少し、ミリ単位で感謝しておこう。

 

 

「くっ……はあ、はあ」

 

 

 吹き飛ばされながらも、なんとか顔を動かし天狗の位置を確認する。

 くっ、結構な速度で吹き飛ばされてるというのにもう近くまで来てる。

 この天狗は間違いなくこれまで遭遇してきた妖怪の中で最も速いな。

 先程までの天狗であれば少しブレが生じる程度で対処は容易だったが、この天狗は明らかに実体が見えない。なんとか着衣している服の色が分かる程度だ。

 

 

「はあ!!!」

 

「あら、まだ動けるの……うっ」

 

 

 このままではおれが体勢を立て直し、剣を振る前に追撃を受けてしまう。

 ならばと考え、おれは天狗の進路方向へ己の血を撒き散らした。

 

 効果は覿面。見事天狗の眼に命中し動きを止めることが出来た。

 今の隙に反撃を加えなければ敗ける。

 やはりというべきか、血を撒き散らしたとき思ったように身体が言うことを聞かなかったからだ。

 いつものような剣捌きは相手の懐に入らない限り難しい。

 そうなると残された手は____

 

 ____爆発だ。

 

 

 おれが今出来る瞬時に生成できる爆散霊弾は四個が限度。

 萃香や勇儀ならば耐えうるレベルだが、果たしてこの天狗にはどうか。

 これまでの妖怪であれば大抵は一撃必殺の技であることは確かであるが、勝てる保証はない。

 だが、やる前に勝つか敗けるか考えている暇はない。

 

 そう考えたおれは咄嗟に爆散霊弾を生成し、天狗に向けて放った。

 

 離れている時間は残されていない。だから今ある霊力で全身を防御する。そうしなければ確実に巻き込まれて自爆するからだ。

 

 だが、おれはこの時失念していることが二つあった。

 

 ____おれに一生分のブーストがあることと、相手の天狗がとてつもなく速いということに。

 

 

 

 

 

 山一帯に轟く爆発音、おれと天狗を巻き込んだ大爆発は空中に大きな爆煙を立ち上らせる。

 霊力で全身を防御していたにも関わらず吹き飛ばされ、前に出していた両腕は熱により皮膚が少し爛れる。

 逆にこの大爆発でこの程度で済んだのは幸いかもしれない。

 普通なら即死か、少なくとも身体の幾つかは欠損していても可笑しくない。

 吹き飛ばされた先の地面に尻が埋ることに目を瞑れば大成功といっても過言ではない。

 

 

「やってくれたわね……」

 

 

 訂正、大失敗。

 尻が埋まっているおれの前には片腕を負傷し、服が淫らに破けてしまった天狗が現れた。身体の所々から煙が出ており、彼女自身もわりとダメージを負っているという点は唯一もの救いだ。

 

 

「風を周りに巡らせて防御していたのにここまで負傷するなんて、少し見くびっていたわ」

 

「へ、へぇ、用意周到なんだな」

 

 

 おれが目潰しをして爆散霊弾を放つまであの天狗は団扇を振る動作をしていなかった。ていうかさせる暇を与えなかった。

 ということはつまり、始めからあいつは予測し、攻める前から風で防御していたのだ。

 おれが予想を越える行動をとるかもしれないということを視野に入れて。

 だからあの程度のダメージで事なきを得ている。

 ……この天狗、現代社会に行ったら絶対沢山の保険に入るだろ。

 

 

「ほっ!」

 

 

 埋まった尻を引き抜き、よろめきながらも立ち上がる。

 うん、幸いズボンは破れけてはいないようだ。

 

 

「血は大丈夫なの」

 

「ああなんだ、痛みはもう感じねぇよ」

 

「末期ね」

 

 

 血の吹き出す量は先程と比べたら大分収まってきてはいるが、それまでに出た量により頭は朦朧とし、身体中の力が上手く入らない。

 これは霊力剣も生成できるか危ういレベルだな。

 

 

「観念して首を差し出しなさい。今なら楽に逝けるわよ」

 

「すまないが、今もこれからも首を斬られる予定はないんでな。お前こそ、今ならそこを退けばそれ以上の怪我をしなくても済むぜ」

 

 

 よし、少し歪んではいるが霊力剣は生成できる。

 それを天狗に向けて構え、いつでも対応できるよう体勢となる。

 風攻撃対策用として背中に爆散霊弾も生成しておこう。

 相手も馬鹿みたいに風攻撃をしてくれば迎撃されるのは分かっている。そこからどう捻りを入れてくるか。

 

 

「馬鹿ね、自ら辛い死を選ぶなんて____切り刻まれて死になさい」

 

 

 そう言い放ち、団扇を二度振ることにより二つの小竜巻を発生させる天狗。

 周りに集まる木葉が次々と斬れ塵と化している辺り、当たればそれこそ命はないだろう。

 

 だが、この程度の規模なら爆散霊弾一つで十分だ。

 

 いや、違う____あの竜巻はブラフだ! 

 

 

「ちっ!」

 

「よくわかったわね」

 

 

 竜巻により発生源であった天狗の姿が霞んで見えなくなっていた。

 その利点をこの天狗が逃す筈もない。

 なんとか、その事に気付いたおれは既に真横まで来ていた天狗の攻撃をなんとか霊力剣で防御する。

 だが、咄嗟に体勢を変えたことにより脚の踏ん張りが効かなかったおれは膝を地面につけてしまう。

 

 

「(駄目だ、このままでは次の攻撃を避けられなくな___)」

 

「それじゃあ、さようなら」

 

 

 そしてまたも、天狗はおれに向けて団扇を振った。

 

 切り傷は大したことない。それよりも脅威であったのが風力、あまりの力におれは竜巻に向けて猛スピードで吹き飛んでいく。

 

 まずい、この竜巻に当たったら絶対に死ぬ。

 何か、対策を考えている____暇はない! 

 

 

「畜生! なんとか脚持ってくれよ!!」

 

 

 背中に待機させておいた爆散霊弾を足場にし、おれはそのまま爆散霊弾を起爆させた。

 

 足場といっても障壁を張っていたことで安定させ、爆発がこちらまで及ばないように配慮もした。

 ほぼ無意識下でした行動であったが結果は上々、物凄い重力はかかっているが、吹き飛ぶ方向を天狗へと向き直すことができた。

 

 

「なっ____!?」

 

 

 よくもまあここまで傷つかせてくれたものだ。

 この借りは今、返してやる。

 

 

「おらああ!!」

 

「くっ!」

 

 

 おれの決死の袈裟斬りを団扇で受け止める天狗。

 これも想像の範疇内、これで手を止めるわけにはいかない。

 

 片腕を負傷している状態で受け止めたということはつまり、それ以外の箇所はがら空きとということだ。

 

 

「うっ!?」

 

 

 すかさずおれは天狗の腹部を蹴り、鍔迫り合いの状態を解く。

 

 よし、効いている。

 このまま押し切れ! ここで押し切らなければ死ぬだけだ!! 

 

 

「!!」

 

 

 天狗も黙っておらず風起こしでおれの追撃を防ごうとするが、流石に何度も同じ手を受ける訳にはいかない。身体を捻り風の塊を避けつつ、おれは逆袈裟で天狗の胴体を斬りつける。

 

 

「なん、なのよ!」

 

 

 この程度でやられる玉ではない。そんな事は出血死寸前まで追い込まれているおれが一番分かっている。

 

 そして、おれらの頭上に妖弾を幾つも生成していることも分かっている。

 

 

「(抜け目のない奴め!)」

 

「んぐっ!?」

 

 

 妖弾が発射される直前におれは天狗の腹部に霊力剣で刺しつつその場を退避する。

 それから少し遅れておれらのいた場所から轟音とともに妖弾の嵐が吹き荒れる。

 妖怪と人間の耐久性の差でおれを始末するつもりだったんだろうな。

 

 考えが甘い。そんな事を考えている暇があるなら目の前にいるおれの剣撃に全神経を研ぎ澄まさせた方が合理的だ。

 

 妖弾着弾地点から離れた場所まで退避した段階で天狗がおれに向かい団扇を振ろうとしたが、それを肘で関節を打つことで防ぎ、もう片方の手を腹部に刺していた剣から離し、掌底を打ち身体を上に上げる。

 身体は思った以上に軽い。わりと簡単に体勢を上げることが出来た。

 その上がった状態を利用し、おれは脚を引っ掛け、天狗を押し倒した。

 

 

「はあ、はあ____少し眠ってもらうぞ」

 

 

 両脚で天狗の両手の付け根を抑え、馬乗りに乗った状態でおれは天狗の目の前に霊力剣を突き付ける。

 

 

「さあ、立場が逆だな。抵抗しなければ楽に気絶させてやるよ」

 

「優しいのね。この体勢なら首を斬って殺すことも出来るでしょう」

 

「言っただろ。おれは殺し合いに来たんじゃない。書状を渡しに来ただけだ」

 

 

 天狗も観念したのか、そっぽを向きつつ抵抗する様子もない。

 

 ……これは、勝ったと安心してもいいのだろうか。無我夢中で体術を使いマウントを取れたが、確かにこの状況で場を覆すのはほぼ不可能といってもいいだろう。

 

 

「だけど、貴方の敗けよ。どっちにせよ、私にここまで時間を割かれた時点でね」

 

「……何を言って____ああ、そういうことか」

 

 

 

 そうか、今まで必死で忘れていたな。

 

 ____おれは敵の巣窟の中にいるってこと。

 

 この場を覆す方法あったな……

 

 

『ご愁傷様です。せいぜい生き残れるよう頑張ってください』

 

 

 おれの今の状態でそれ言ってる? 

 ねぇ、これ無理だよね。翠お願い助けて。

 

 

『ごめんなさい、それしか言う言葉が見つかりません』

 

 

 そうだろうよ、そうだろうね。やっぱりそう言うよね!

 ……はあ、これはまた骨が折れそうだな。

 

 

 ___頭上には天狗とおぼしき妖怪の群れが、おれを包囲していた。

 この状況を生きて突破するというのは、ちょっと無理があるなぁ。

 

 そんな絶望の縁に落とされた気分の中、おれにとっては願ってもない申し出が頭上にいる天狗の声から発せられた。

 

 

「『熊口』という名の人間は貴様か! 貴様を我等が長であられる、天魔様が御呼びだ! 」

 

「えっ……」

 

 

 何故天狗らがおれの名を……? 

 

 いや、それはともかく、これは少し希望が見えてきたかもしれない。

 わざわざ天狗のトップがおれをご指名とは、此方としても好都合だ。それで話し合いが出来るのであれば手をあげて喜べる。

 後はこの傷をどうにかすれば____

 

 

「なあ天狗、この勝負やっぱりおれの勝ちかもな」

 

「……さっさと行って処刑されてきなさい」



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12話 何千万年前の敵は今日の友

 

 

 

 複数人の天狗らとともに、おれは今妖怪の山の山頂にある館の前まで来ていた。

 なお、この間おれは一歩として歩くことはなく、天狗達に紐で引き摺られながらここまで来ている。

 

 

「歩け!」

 

「おいおい、おれは怪我人だぞ。もう一歩も動けないんだよ」

 

 

 地面にそのまま引き摺られると大分擦り傷が痛いので霊力障壁を下に敷くことによりそれを回避、天狗達もスムーズにおれを引き摺ることができて一石二鳥だ。

 

 

『ほんと、だらしなさ過ぎじゃないですか。もう歩けるぐらいには回復したでしょ』

 

 

 馬鹿か、今だって瀕死の淵をさまよって…………あれ、普通に身体が動く。

 

 

『長に会うのにそんな無様な姿は如何なものかと思いまして、仕方ないから私が治癒を施してあげたんですよ。泣いて喜んでください』

 

 

 えっ、翠お前そんな事出来たの。そういえば斬れた箇所とかも傷が塞がってるし血を失って意識も朦朧としてたのになんかスッキリしてるし。

 ていうかこんな治癒出来るのなら戦闘中にやってくれよ。

 

 

『動き回れると出来ないんですよ。安静にしてもらえればそんな傷ぐらい十分あれば全快まで治せます』

 

 

 十年来の新発見だ。

 まさかただの脳内で毒を吐く迷惑幽霊としか思っていなかった翠が回復属性を持っていたなんて……

 

 

『それで、私になにか言うことがありますよね』

 

 

 くっ、なんか少し屈辱的だ。

 だが助けられたのも事実、ここは素直にならなければならないな。

 

 翠ありがとう。これからも危なくなったら頼む。

 

 

『嫌です。金輪際私に回復をさせないでくださいね。結構これ疲れるんですから』

 

 

 お前ならそう言ってくれると思ったよ畜生! 

 

 

「おい、着いたぞ。いい加減自分の脚で歩けよ」

 

「はいはい、分かりましたよ」

 

 

 天狗達の眼の色が変わった。

 そろそろ自分の脚で歩かないと天魔に会う前にお陀仏しそうだ。

 まあ、天魔の屋敷ももう目の前だし、歩くのをめんどくさがる事もないし。

 

 

 

「___ってあれ、お前らはついてこないのか」

 

 

 重い足取りでおれが歩きだしても他の天狗達は屋敷に向かう様子がない。

 

 

「我等はこの屋敷に入ることは許されておらぬ。お前は一人で天魔様の処へ参るのだ」

 

「いいのか。おれとあんたらの長を二人きりにして。もしおれが首を狙ってたらどうすんだ」

 

「お前など有象無象に天魔様が遅れをとるわけがなかろう。だが、忠告しておくがお前を縛っている縄を解かぬことだ。その縄は我等の妖力が込められている。解けばすぐに分かるからな」

 

「解いたらどうなんの」

 

「ふっ、想像に任せる」

 

 

 あっそう、命はないのね。

 まったく、面倒な真似をしてくれる。

 それにしても天魔という奴はおれと二人で話したいとはどういうことになのだろうか。それにこの山では一度も名乗っていないというのに、この天狗達はおれの名を知っていた。

 もしかして知り合いか? いや、おれに妖怪の知り合いなんて幽香以外に心当たりが無いんだけど……まさか幽香か!? 

 あいつは現在停戦中と一方的に打ち切られている状態で次会ったら続きをやる羽目になっている手前だ。おれの中で二度と会いたくない妖怪ランキング堂々の一位を飾っている彼女である場合、おれはまた死を覚悟しなければならない。

 はっきり言って実力は萃香と張るぐらいには強いからな。あんな化物相手するなんて命がいくつあっても足りはしない。

 

 

「何を止まっておる。さっさと行かんか」

 

「……帰ってもいい?」

 

「お前に決定権はない。行け」

 

 

 そうでしょうね。ここでおれに引き返すという手はない。

 只でさえ死にかけてまでここまで来たのに、戻るのはこれまでの行動が報われない。

 

 幽香がなんだ。

 会った瞬間書状を置いて速攻で逃げ帰ればいい。

 命あってこその今だ。それを無下にする戦闘狂達と相対するなんて頭がぶっ飛んだ奴ぐらいだろう。

 

 

『あれ、熊口さんの頭ってぶっ飛んでませんでした?』

 

 

 少なくとも翠よりかは正常だから安心してくれ。

 おれは回避不可能な戦い以外は避けてきているからね。

 

 

「ほら、さっさと行かんか!」

 

「せっかちだなぁ、言われなくても行くって」

 

 

 この後、口の聞き方がどうとか身の程を弁えていないとかで少し揉めたが、なんとか暴力沙汰にならずに屋敷に入ることが出来た。

 

 ……あれ、もしかして戦いを不可能な状況にしてるのって、おれのせい? 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 前にいた諏訪子の住む御殿と負けず劣らずの大きな屋敷に、縄で腕を縛られたままのおれは迷子になっていた。

 

 

「ここ広すぎやしませんかね。なんで案内図とかないの。こんな迷路に一人放り投げられたらそりゃ迷子になるでしょ!」

 

 

 いい大人になって迷子となるのは少し恥ずかしい気はするが、ここは配置関係を一切説明されなかったことで紛らわすことにする。

 

 ていうかほんとどこだよここ。さっきから同じ廊下をぐるぐる回ってる気しかしないだけど。

 もう全ての障子を蹴り破っていってやろうかな。

 

 

「天魔いますか?」

 

 

 これだけ歩いてもそれらしき処は見つからないため、苛立つ気持ちを抑えつつ静かに障子を開けていく。

 が、どこも同じような部屋で誰もいない。

 一体どうなってんだこれ。なんか術でも掛けられているんじゃないだろうか。

 

 

『……はあ、熊口さん。気付かないんですか?』

 

 

 なんだよ翠、頭に響くような溜め息してくれやがって。

 今おれ大分苛ついてるから黙っててくれ。

 

 

『そのまま黙ってたら日が暮れるまで探し続けるでしょう。答えを教えますので感謝してください』

 

 

 んっ、どういうことだ。

 翠はこの屋敷の構造の何か知ってるのか。

 

 

『いや、構造というか。後ろを見てみてくださいよ。そこに答えはあります』

 

 

「後ろ?」

 

 

 翠に促されるまま、おれは後ろの方へ向いてみる。

 するとそこには見覚えのない____

 

 

「ふふ、よく私が後ろから付いてきている事を見破ったものじゃ。流石は熊口といったところか」

 

「えっ、誰」

 

 

 年端もいかない一人の少女が、ひょっこりと廊下の角から顔を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「我が名は天魔! 名乗るのはこれが初めてだったよな? 

 久しいのう、こうして対面するのはこれで二度めじゃろうか」

 

 

 先程までいくら歩いても見付からなかったというのに、天魔と名乗る少女に案内されるとものの数分で長の玉座まで辿り着いた。

 周りには無駄にきらびやかな装飾が施されており、中々に居心地が悪い。

 ツクヨミ様の屋敷みたいにもっと慎ましくすればいいのに。

 

 

「いや、すまん、さっきも言ったが誰? 

 あんたに会った記憶が微塵もないんだけど」

 

 

 そして彼方はおれの事を知っているらしい。

 だがおれにこんな幼女の知り合いなんていない。

 ショートカットの黒髪に左目には眼帯をつけており、右目は薄紅色と少し白みがかっている。

 服装はというと豪華絢爛、金粉のようなものが散りばめられた赤と黒を基調とした着物を着ており、花魁を彷彿とさせるかのように肩を露出させている。

 

 

「むっ、わしを覚えておらんのか。わしはしかと覚えておるぞ。忘れる筈もない。このわしが唯一、情けを掛けられた相手だからな」

 

「そんなこと言われてもなぁ」

 

 

 情けをかけた、ていうか殺さずに見逃した妖怪は結構いるから、その中で探せと言われても少し無理な話である。

 

 

「……そうか、覚えておらぬか」

 

「なんかすまんな」

 

「無理もない、相当昔の話じゃからな。

 ____そう、今や月へと移住した人間らとの戦争での事だしの」

 

「えっ」

 

 

 えっ、えっ、この子今何て言った。

 ___いや、聞き間違えようもない。

 この幼女、月移住計画実行中に攻めてきた妖怪の軍勢の事を知っている。

 

 

「そうじゃ、熊口と会ったのはその時の戦いの真っ最中じゃったな。やけにゴツい図体の人間を仕留めた後に、とてつもない霊力を有した御主が現れた」

 

「____まさかお前、あの四人の大妖怪の生き残りか?」

 

 

 思い出した。

 おれはあの時、二人の妖怪を見逃している。

 一人はフード妖怪、そしてもう一人は角が生えていた妖怪。

 この幼女には角が生えていない。つまり必然的にフード妖怪であることが分かった。

 

 

「漸く思い出したか。ま、あの時は顔を隠しておったしの。分からないのも無理もなかったか」

 

「ちょっと待てよ。お前らが攻めてきたのはもう何千万年も前と聞いたぞ。そんな気の遠くなるような年数をお前は生きてきたというのか」

 

「お互い様じゃろ? 」

 

 

 おれは特殊な事情でそんな年数は飛ばしてきた。

 そんな頭がおかしくなる年数も生きていく自信もない。

 

 

「そんな永い時を生きてきたからか、いざ旧敵であっても嬉しいものでな。この山で熊口の霊力を感じ取った瞬間久方ぶりに胸が踊ったものじゃ」

 

「おれは特に何も感じてはないがな」

 

「悲しいのう……」

 

「ていうかあんたの部下に殺されかけたし」

 

「それはすまぬな。わしに通さず勝手に物事を進めてしまっていたみたいでの。ま、熊口ならば物足りないぐらいであったろう?」

 

「普通に死にかけたよ。あんたんとこの部下強すぎ。特に何て言うのかな、死んだ眼をしていた黒髪紅眼の女の子、あいつは別格にヤバかった」

 

「おっ、文の事かの? あの子はこの前鴉天狗になったばかりというのに、もうこの山で一、二位を争う実力者よ!」

 

 

 自慢気に鼻を高くあげ、息を荒くする天魔。

 その姿ははじめてのおつかいを終えて褒めて欲しそうにしている子供のそれと似ていた。

 

 

「それで、もう一人の角妖怪はどうしたんだよ。あいつはまだ生きてんのか」

 

 

 そうおれが聞くと、天魔の顔が少しだけ暗くなったのが分かった。

 なんだ、もしかしてもうあいつは……

 

 

「ああ、生きてはおる、恐らくな」

 

「なんだ、生きてたのか」

 

「だが、奴の精神はもう以前の頃とは違うなにかになっておる」

 

「……どういうことだ?」

 

 

 精神が違う? 

 以前の頃とはと言っても、その以前が何千万年も前の事だから、変わっても可笑しくない気がするがーーそもそも天魔自身も初めて出くわした時と口調違うし。

 だが、この天魔の口振りからして、何かが違うのだろう。

 

 

「いや、この話はよそう。折角の客じゃ、ゆっくりしていくといい。そうじゃ、この屋敷の一室を使うといい。幸い部屋は腐るほどあるでの」

 

「なんだ、言わないのか」

 

 

 いや、思い出したくないのかもしれない。

 かつての仲間が変わり絶縁状態になるということもままある話だ。

 変に詮索して天魔の機嫌を損ねさせるとろくなことにならないから、追及は止しておこう。

 

 

「して、月へ行けなかった熊口や。御主は何故我が山へ乗り込んできたのじゃ?」

 

「ああ、そうだったそうだった。肝心なことを忘れかけていたな」

 

 

 おれは天魔の質疑を答えるべく、ボロボロになったドテラの内ポケットから書状を取り出す。

 

 

「……あっ」

 

「切れとるの」

 

「あんたんとこの天狗のせいだからな。まあ、見たところまだギリギリ見える範囲だから許してくれ」

 

 

 そうだよな。あの天狗の攻撃を諸に受けていたんだ。

 内側に入れていたとはいえ、書状も無傷な筈がない。

 不幸中の幸いは真っ二つになってる程度で繋げば恐らく見えると思う。

 

 そんな事を考えながらおれが書状を渡そうとすると、天魔の目が鋭い目付きへと変わった。

 

 

「この書状はどいつからじゃ。この禍々しいまでの闘気を帯びた妖力____鬼か」

 

「よく分かったな」

 

 

 妖怪の書いた書物にはその妖怪の妖力が宿るという。

 それを瞬時を見破る辺り、流石は天狗の長を務めるまではある。

 

 

「おれは今、鬼の集落で鬼達と契約してる、いやさせられてな。五十年間鬼達と暮らすことになってる」

 

「ほう、させられているということは、抵抗はしたんじゃな」

 

「勿論、結果はご覧の通り。おれはこんな使いっぱしりをさせられている」

 

 

 ほんとはおれから志願してしまったという事は伏せておこう。なんか恥ずかしいし。

 

 

「それで、抵抗したときに鬼の一人が家を幾つかぶっ壊してしまってな。ついでだしこの山に引っ越そうっていうのが事の発端」

 

「なんと傍迷惑な事を考えるのじゃ。まっこと、鬼共の傍若無人ぶりは何時の時代になっても変わらぬものよ」

 

「そうだよなぁ。しかも強い奴がいるところに奇襲ではなく律儀に書状で知らせてくる辺り、さらに質が悪い」

 

「因みに何故熊口一人に行かせたのじゃ?」

 

「鬼達が行くとその場で暴れだす可能性が極めて高いらしいからだそうだ」

 

「……はあ」

 

 

 結局おれも暴れた感じになってしまってはいるけど、これは自己防衛だから仕方ないだろう。攻めてきたのは天狗達の方だ。

 

 

「この書状も大体そんな感じじゃ。わしらの山に攻め込むから万全の態勢で迎い討てとな……はあ」

 

 

 肩を落とし、幸運がどんどん逃げていくような重い溜め息を何度も吐く天魔。

 まあ、そうなるだろうな。

 余命宣告と等しいことを言われたのだ。一時期鬼の部下をしていた天魔なら、鬼がどれだけ恐ろしく、強いのかを知っている。

 その集団が我が家を荒らしに来ると公言してきた天魔の気持ちは痛いほど分かる。

 

 

「これは迎え討つしか、ないんじゃろうな……」

 

「大人しく降状するというのは」

 

「立場上そんなことはできぬ。我が子供達は頑固者ばかりでの、一度痛い目にあわねば絶対に迎え討つか、此方から攻める選択をする。それにそもそもが鬼共がそんなことを認める筈がなかろう」

 

「……そうだよな。

 軟弱者が! って言って無理矢理戦いに発展しているのが一瞬で想像できた」

 

 

 同じ大妖怪である天魔とはいえ、鬼を相手にするのには分が悪過ぎる。

 以前は敵対していたとはいえ、歓迎してくれた天魔には少し心苦しい事を伝えてしまった。

 だが、それが目的でおれはこの山に足を踏み入れたのだ。そういう理由がないとこんな禍々しい山入るわけがない。

 

 

「熊口、済まぬが此処でゆっくりしてもらうことは出来そうにもないようじゃ。早急に緊急会議を開かねばならぬ」

 

「ああ、そのようだな」

 

「___因みに、熊口はこの戦に参加するかの」

 

 

 天魔の怪訝と悲観を含んだ表情、天魔はおれにこの戦いには参加してほしくないらしい。

 それが昔の知り合いとしてか、戦力として鬼に加わってほしくないのか。

 まあ、おれはこんな面倒なこと首を突っ込みたくはないんでな。

 

 

「いや、おれは傍観者に徹する。鬼と天狗の戦におれの入る暇はなさそうだし、そもそも関わったら十中八九おれ死ぬから関わりたくない」

 

「……そうか、熊口がいればどちらかにつくかで戦況は大きく変わると思うんじゃがの」

 

「言っておくが、おれは今、月移住計画のときのような力はないぞ」

 

「謙遜を。わしはわかるぞ、御主から発せられる膨大な生命力を。力を隠しているのはお見通しじゃからな」

 

 

 本当に無いんだけどなぁ。

 天魔は恐らくおれの残り四つの命の事を言っているだろうけど、おれ自身この力を使うつもりは毛頭ない。これ以上はほんとに生き返ることが出来なくなるからな。おれの行動は常に命を大事にだ。

 

 

「まあいい、これは我等天狗と鬼共の抗争じゃ。熊口を巻き込む訳にはいかぬ」

 

「もしかして、引き抜こうとしてた?」

 

「戦力は幾らあっても足りない状況じゃからな」

 

「すまんが無理だぞ。おれはもう鬼と戦いたくない」

 

 

 おれは別にここの天狗らに思い入れがあるわけでもないし、鬼と契約している身だ。これを裏切れば後からなにされるか、考えるだけでも身の毛がよだつ。

 

 

「分かっておる____それじゃあ、次会うのは我等が鬼共を蹴散らして宴を開く時じゃな。その時は改めて歓迎しようぞ」

 

 

 天魔もそこまで本気になることもなく、気さくに冗談を言って笑いかける。

 それが真になることを、影ながら少しだけ応援しておくことにするよ。

 

 

「この屋敷の玄関に使いの者を用意させる。その者についていけばこの山から出られる」

 

「なんか悪いな。天魔らからしたらおれは疫病神みたいなもんだったのに」

 

「気にするでない。旧敵の誼みじゃ」

 

 

 それから数分間、天魔と少しの談笑をして、おれはこの屋敷から出ることにした。

 

 まさかこんなところで兵役時代の知り合いに会うことになるとは思わなかったな。

 昔は敵対していた間柄ではあったが、今度会ったら改めて酒を呑み交わしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

『熊口さん』

 

 

 妖怪の山から出て、鬼の集落の帰路を辿っていると、先程までずっと黙っていた翠が話しかけてきた。

 なんだよ翠、なんか天魔と会った辺りからずっと黙り込んでたが、もしかして天魔の妖力見てビビり倒してたんじゃないだろうな。

 

 

『ある意味、そうかもしれません』

 

 

 なんだ、やけにあっさりと認めるんだな。

 まさかあの翠さんが怖じ気づくなんて珍しい。

 煽り倒してやろうかしら。

 

 

『天魔さんの眼、眼帯をしている方です』

 

 

 天魔さんの眼帯? それがどうしたんだ。

 もしかしてあんなのが威圧的で怖いってのか。それならこの熊さんのグラサンの方がもっと威圧的で格好いいぞ。

 

 

『あの眼帯の中だけだったんですが____()()()()()()()()()()が』

 

「……はっ?」

 

 

 翠を殺したって____洩矢の国に攻め込んだあの下衆妖怪ってことか!!



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13話 逃がした代償

 

 

 現実とは時に非情だ。

 どんなに対策をし、万全な態勢を取っていたとしても、巨大な暴力の前には全てが無力。

 蟻を踏み潰す無邪気な子供のように、彼らの尊厳は完膚なきまでに粉々となった。

 

 

「ここまで一方的になるもんかね……」

 

 

 妖怪の山の至る所から悲鳴や鈍い音、時には爆発音等が飛び交い、麓には倒れ伏した天狗らの山が積み重なっていく。

 

 

「お、顔見知りがいると思えば、確か文って言ったよな?」

 

「な、なんで、私の名前を、知ってるのよ」

 

 

 勇儀に目を付けられ、真っ先にリタイアし、天狗の山の下の方にいた文を棒でつつきつつ話しかける。

 おっ、意識が戻ったのか。勇儀に顔パンされて気絶で済むなんて文も意外と頑丈なんだな。

 

 

「それよりも、助けて。下敷きになって辛いの……」

 

「ほらよ」

 

 

 文の手を引っ張り、天狗の山から引き摺り出す。

 だが、外に脱出することは出来たが、ダメージは残っているようで、まだ立つことが出来ていない様子。

 

 

「鬼がここまで強いのかって身に染みるほど実感出来ただろ」

 

「あんなの、反則よ……どんなに攻撃を与えても、何もなかったように、反撃してきて、実際与えた傷も瞬く間に、完治、するんだもの」

 

 

 それも嬉々として迫ってくるから、此方からしたら不安を掻き立てられる。

 本当にこの鬼に勝てるのか、と。一撃が必殺となる鬼の攻撃を避けながらそんな疑問を持ってしまったらもうアウト。その綻びを鬼は見逃さない。

 勇儀との戦闘を見ていて、文はそれが顕著に現れていたな。

 もっと慎重に戦っていたらもう少し善戦していたかもしれない。勝てはしないだろうけど。

 

 

「ほら、水飲んで寝てろ。下手に動くと傷に響くぞ」

 

 

 竹製の水筒を文の口に当てて水を注ぐ。

 だが、文は元々飲む気はなかったようで、ごふっ、と咳をして水を吐き出した。

 そのまま無言で睨み付ける文。

 

 

「も、もうお休み」

 

 

 文の目蓋を手のひらで閉じさせ、眠るように促す。

 だが、文は眠る気はなかったようで、閉じさせた目蓋を瞬時に開け、おれを睨み付ける。

 

 

「ああ、寒かったのか。おれのドテラを貸してやろう」

 

 

 ドテラを上から掛けてあげようとしたが、文は要らないらしくドテラを放り投げおれを睨み付ける。

 

 

 …………。

 

 

「おれの親切受け取れよ!?!」

 

「ありがた迷惑って知ってますか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

 夕暮れ___悲鳴が鳴り響いていた妖怪の山では今、一時の静寂が訪れていた。

 

 天狗は罠を張り、陣形を取り、奇襲も掛けていた。

 だが、その全てを悉く踏み潰し、鬼達は見事妖怪の山の乗っ取りを遂に成し遂げたのだ。

 

 今はボロボロになった天狗達を従え、宴の準備をさせている。

 

 

「いやぁ、楽しかった! こんなに騒げるとは思いもしなかったよ!」

 

「ああ、そうだね。どの相手も意外と歯応えがあった」

 

 

 萃香と勇儀が談笑しながら、おれのいる荷物置き場まで歩いてきていた。

 おれは鬼と天狗の戦闘中、特に参加することなく、ただ少し離れた鬼達の荷物置き場で傍観者に徹していたのだが、特にそれを咎めることもなく勇儀がおれに話しかける。

 

 

「あっ、生斗。こんな所にいたのかい。あんたが強いって言ってたあの文っていう天狗、ほんとに強くて火が点いちゃってさ。ちょっとやり過ぎちゃったよ」

 

「あっ……」

 

「……」

 

 

 おれの足元で仰向けで倒れている文に睨み付けられる。

 

 

「馬鹿、本人の前でそれ言うな!」

 

「ん? ___って、なんだ、文あんたこんなところで寝てたのかい」

 

「ひっ!」

 

 

 どうやら勇儀は文に苦手意識を植え付けてしまったらしい。

 負傷でまともに動けなくなっているのにも関わらず、転がっておれの後ろに隠れて怯えている。

 

 

「あんたねぇ、強いのにそんな臆病に振る舞ってんじゃないよ。ビシッと構えなビシッと!」

 

「は、はいすい、すいません!」

 

 

 ポーカーフェイスの文をここまで怯えさせる辺り、相当勇儀との戦いが怖かったようだ。

 うん、迂闊に文強いよって教えたおれ、絶対憎まれてるだろうなぁ。

 

『強い相手を鬼が放っておくわけがないじゃないですか。そんな事も分からないなんて、ひょっとして熊口さん、相当な間抜けなのでは……!』

 

 

 く、口が滑っただけだから。

 強い奴いたかい? って聞かれて特に何も考えず素直に答えてしまっただけだ。

 いや、ほんとだって。

 だから文さん、怯えながらも睨み付けるの止めてくれませんか。おれの良心が痛い痛いと叫んでるんです。

 

 

「生斗も留守番ご苦労さん。おかげで私達の荷物も無事で済んだよ」

 

「いや萃香、おれはただお前らの戦いを此処で観戦していただけだぞ」

 

「いるだけでも抑止力になるのさ。狡い奴は勝てないと分かったら嫌がらせに荷物を燃やしたりする輩もいるからね」

 

 

 萃香の労いの言葉をもらうが、おれは本当になにもしていない。強いて言えば文で遊んでたぐらいだ。

 定期的に鬼達が来て倒した天狗を置いていってたし。

 

 

「そういえばこの山の長だった……確か天魔って言ったっけ? あいつは別格に強かったよ。流石の私も倒すのに骨が折れたね。それにあいつ、この山に被害がでないよう私の攻撃全部受け止めてたし、あんまり勝った気がしなかったんだよね」

 

「おいおい、萃香の攻撃を受けきるなんて正気の沙汰じゃないだろ。天魔は生きてるのか?」

 

「うん、大分弱ってたけど、歩いて天狗達に指示するぐらいには動けてたよ」

 

 

 流石は大妖怪であり、幾千万と生きた最古の妖怪なだけはある。

 おれなんて一撃受けただけで天に召される自信があるぞ。

 

 とりあえず、宴会の時にでも様子を見に行くか。

 あいつには、()()の事も含めて、聞きたいことが幾つかあるからな。

 

 

『よろしくお願いします。妖力の気から天魔さんが洩矢の国を襲った妖怪と同一人物ではないことはわかりますが、その妖怪と接点がある筈、是が非でも情報を引き出してくださいね』

 

 

 ああ、別に翠のためとかではないが、諏訪子の国に消えない傷を与えた下衆の行動には腹を据えかねている。

 

 以前翠におれは関わらないと勢いで言ってしまったことがある。

 実際は大妖怪との戦いが避けられない道であるから、その時のおれの心境も分からないでもないが、ある親子を執拗に襲い、国を乗っ取ろうとした野郎だ。今後他の村でも同じような行為を繰り返していることは目に見えている。そんな奴を知ってしまったからには、見過ごすことはできない。

 ほんとはおれだって極力自分から戦いたい訳ではない___だが、身内に実害が起きてしまっている現状として、けじめはきっちりとつけねばならないだろう。

 

 それにいつまでも翠に居座られるのも厄介だしな。

 

 

「よし、んじゃおれも宴会の準備を手伝ってやるか。手負いの天狗達だけじゃ準備に手間取るだろ」

 

「それもそうだね。皆でやった方が早く酒が呑めるし!」

 

「もう既に呑んでる奴が言えることなのだろうか」

 

「これは準備運動さ。いきなり大量の酒が入ったら胃が驚いちゃうでしょ?」

 

「瓢箪の中の酒をがぶ飲みするぐらいじゃ胃は驚かないのね」

 

 

 おれからすれば一斗樽分の酒を一気したとしても鬼の胃は一切動じないと思うのよね。

 てか萃香達戦闘中でも呑んでたよな。何人かの天狗、鬼の嘔吐物食らって戦意喪失してたし。

 どんだけ酒好きなんだよ。もう少し待てよ、敵陣の中なんだからもっと自重しろよ! 

 

 それでも天狗を完封するあたり、ほんと鬼は妖怪の中でも別格なのが窺えるよ……

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「よお、天魔。身体は大丈夫か」

 

「……熊口か。見ての通りじゃ、これからのこの山の支配者に挨拶もできぬ」

 

 

 祝勝の宴会が催される最中、おれは天魔のいる屋敷へと訪れていた。

 この間、又も結構な時間迷ってしまったのはご愛嬌ということで。

 

 

「部下の命令中に倒れたって? 萃香の攻撃を諸に受け続けたのに無理をするからだ」

 

「それも天狗の長としての役目じゃ。根を上げることを子供らに見せられん」

 

 

 無駄に広い部屋の中央に、ぽつりと布団にくるまる天魔。

 余程敗けたことに応えているらしい。

 

 

「腹は減ってるか? 宴会場から幾つか持ってきたんだけど」

 

「……少し減ってるようじゃが」

 

「すまん、この屋敷回ってるとき摘まみ食いした」

 

 

 バレないようにちゃんと飾り付け直したのに、あっさりと見破られてしまった。

 流石は天狗の長……!! 

 

 

『明らかに皿の大きさに対して量が少な過ぎるでしょう。そんなの誰にだって分かりますよ』

 

 

 まあ、元々少し多めに持ってきていたからな。これじゃあ怪我人の天魔も食が通らないだろうとした配慮の結果だから。

 決して迷っている中小腹が空いて摘まみ過ぎた訳じゃないから、ほんとだよ。

 

 

「よいよい、今はわしも食が通らん。熊口が全部食べてくれ」

 

「おっ、いいのか。それじゃあ遠慮なく貰うぞ」

 

 

 最近マイブームが到来している乾物を口の水分でふやけさせるという遊びにハマっている。

 特に椎茸は良い具合に味が染みてきて美味いんだよな。

 

 

「うん、思ったよりも元気そうだな。てっきり全く身動き取れなくなるぐらい疲弊しているものだと思ってた」

 

「わしも伊達に長生きしておらんのでな。御主が此処に来た理由も大体分かる。

 ____この眼の事じゃろ」

 

「……何でそれを」

 

「此処に来てからの熊口の視線とそれに対する疑心感での」

 

 

 あれ、おれそんなに天魔の眼帯視ていただろうか。

 知らずのうちにということもある。

 おれの無意識の動作で何を考えているか読むあたり、天魔も諏訪子並の観察眼を持ち合わせているようだ。

 

 

「話しても良いが、理由を聞かせてくれぬか? わしもこの眼の事はあまり口外するのは嫌なんじゃ。単に気になった程度の事じゃ話したくはない」

 

 

 あまり口外させたくはない話か。

 ____それならば、おれよりも因縁のある奴に話させた方がいいな。

 

 

『……はい。私も天魔さんには挨拶をしたいと思ってましたし。折角なので私が話しますよ』

 

 

「これはおれだけの話じゃないんだ」

 

 

 そうおれが言うと、おれの背中辺りの違和感が消え、隣に淡い靄が浮き出てくる。

 そこから、実体化した翠が正座の状態で姿を現した。

 

 

「ほう___熊口、御主取り憑かれていることを知っておったのか」

 

「ああ、その眼の妖力の主がこの怨霊に用があってな。おかげでおれはそいつが死ぬまでこの怨霊に取り憑かれてるって訳」

 

「お初に御目にかかります。私、隣にいる熊口さんの“守護霊”を務めさせて頂いております、翠と申します」

 

「守護霊じゃないだろ。嘘をつくな嘘を!」

 

「嘘じゃないですぅ! 私だって熊口さんが寝ているとき悪い霊が取り憑かないよう頑張ってるんですよ!」

 

「そりゃお前のような毒舌怪力怨霊とシェアハウスなんて真っ平御免だろうよ」

 

「天魔さん、熊口さんというのはこういう人なんです。人の行った善行を認めようとしない屑人間なんです。どうかご容赦ください」

 

「何がご容赦!? 天魔がおれにご容赦するようなことなんてないだろ! 翠お前言葉使い間違ってるぞ阿呆!」

 

「熊口さんこそ間違ってますよ。阿呆というのは熊口さんのような人の事を言うんです」

 

「ははは、仲が良いようじゃの」

 

「「心外にも程がある(ります)」!」

 

 

 天魔は何をとち狂った事言い出すのやら。

 こんな脳みそ小学校低学年レベルの怨霊と一緒にされても困る。

 

「(熊口さんのような脳みそ粟粒以下と一緒にされても困ります)

 ___とりあえず、天魔さんの言う、理由をお聞かせします。先程のようなふざけた話では決してないので」

 

 

 おれとの口論を中断させ、翠は自分の身に起きた出来事を要点だけを丁寧に話していった。

 その話は何度聞いても凄惨な内容であり、思わず息を呑み、同時に怒りが込み上げてくる。

 

 だが、天魔はただただ、その話を悲しそうな表情で耳を傾けていた。

 

 

「____これが私と、洩矢の国での出来事となります」

 

「……そうか」

 

 

 翠の話を聞き終え、天魔は腕組みをして俯く。

 

 

()()()は、そんな事までやらかしておったのか」

 

 

 少しの沈黙の後、天魔はぽつりと呟き、俯いていた顔をおれらに向け、決心したように又も口を開いた。

そしてその内容は、一瞬おれの脳内では理解し難いものであった。

 

 

「この眼の傷はの。熊口、御主がわしとともに逃がした大妖怪___『屑屑(せつせつ)』に負わされた傷なんじゃ」

 

「おれが逃がした、もう一人の大妖怪?」



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14話 きっかけは後悔にあり

 

 

「この眼の傷はの。熊口、御主がわしとともに逃がした大妖怪___『屑屑』に負わされた傷なんじゃ」

 

「おれが逃がした、もう一人の大妖怪?」

 

 

 おれが逃したもう一人の大妖怪____あの角妖怪のことか! 

 どういうことだ。あいつと天魔は仲間だったんじゃないのか。仲違いかなにかでも起きたのだろうか。

 

 

「___わしと屑屑は、あの国から何人かの人間を捕虜にして存在を維持させていた」

 

「いつの間に捕まえていたんだ」

 

「あの国に攻めいる前に少しの」

 

 

 天魔は事の顛末を大分細かく教えてくれるようだ。

 ていうかいつの間にあの国の人間を連れ去ってたんだ。

 ……いや、そういえば月移住計画が発表されてから、しばしば失踪者が続出した事件がニュースで取り上げられていたな。

 もしかして、いやもしかしなくても天魔達の仕業だったということか。

 

 

「そんな生活を数年と過ごしたぐらいか、ある男が我々の前に現れたのじゃ」

 

 

 ある男とは……あの時ワープゲートに乗り遅れた者がいたのか。あの乱戦ならあり得なくもない事だから、別に驚くようなことではないな。

 その数年間をどう生きてたのかは気になるところではあるが。

 

 

「その人間はの。元々別で生きておったらしくてな。全然土汚れの一つもついておらず、無駄に着飾った服装をしておった。何処から来たのか聞いてもそいつは何も応えず、ただ薄ら笑いを浮かべていた。今でも思い出しただけでも気味が悪い」

 

「無駄に着飾った、ね。あの国の重鎮が乗り遅れたってのは考えにくいが」

 

 

 お偉いさんは皆初日に月へ移住をさせている。

 家出少女でもない限り、基本はあり得ない筈だ。

 それに服が一切汚れていなかったのも違和感がある。

 一体そいつは何処から来たのか。あの国の者ではない、のか? 

 

 

「そこで屑屑は奴を排除しようとしたのじゃ。我々からしても不気味じゃったからな。わしも同意して屑屑に奴を排除することを任せたのじゃ」

 

「……排除するのか」

 

「危険因子を村に置くこともできぬし、下手に断って逆恨みをされても面倒じゃったからの____屑屑は、敵の精神に干渉し、身体を乗っ取るのが得意な妖怪じゃった。その時も同じように奴の精神を犯すため、屑屑自身の核となる精神を乗り移らせていた」

 

「……その結果がどうなったんだ」

 

 

 何となく分かってきた。

 恐らく屑屑は____

 

 

「逆に奴の精神に核を乗っ取られ、屑屑の意識は二度と戻ることはなかった」

 

「屑屑って奴、馬鹿なのか」

 

「馬鹿なんじゃろうな。いつものように舐めてかかってまんまと力の全てを奪い取られてしまいおった」

 

 

 妖怪の精神を乗っ取る程の人間がこの世にいるのだろうか。

 どれだけの強靭な精神力を持っているんだ、そいつは。

 

 

「それでその屑屑自身の身体はどうなったんだよ」

 

「それはもう、数日の間に腐敗しおったよ。あの日は今のように蒸し暑い時期じゃったからの」

 

「そうか……」

 

 

 精神の抜けた肉体は文字通りもぬけの殻となり、生きる行為すら手放してしまったのだろうな。

 そんな危険を伴う精神干渉をしてしまったのは、屑屑にとって最大の過ちだろう。

 そしておれも、屑屑を生かしたせいで洩矢の国と翠は___

 

 

「そして屑屑の精神と力を手にした奴は、次に私を殺そうとした。私は必死に抵抗し、左眼を引き換えに奴を追い払うことに成功し、それ以降奴と会うことは一度もなかった」

 

「その左眼は治らないのか」

 

 

 妖怪ならばそれぐらいの傷すぐに治る筈だ。

 それでも尚傷が癒えていないのはまたなにか不思議な力でも働いているのだろうか。

 

 

「とてつもない怨みの念が込められた妖力であってな。幾らわしの妖力でもどうにもできんのじゃよ」

 

 

 大妖怪でも解けない怨みの妖力……本当に、そいつは何者なんだ? そもそも人間なのか? 

 妖怪に勝る精神力に、とてつもない怨みを持つ正体不明の男。

 謎が深まるばかりだ。どうしても誰なのか突き止めたいが、あの国では人が多すぎて誰なのかが特定ができない。

 

 

「…………」

 

 

 そう、おれが誰の犯行なのか思考を巡らせていると、ふと翠の様子が目に映った。

 

 そうだ、おれはまず、翠に謝らなければならないんだった。

 

 

「____翠「最初は」……んっ?」

 

「熊口さんが逃がしたせいで起きた事だと思って衝撃でした。同時になんで生かしたんだと怒りも込み上げてました」

 

 

 その事はぐうの音もでない。

 おれがしたことで結果翠を死なせる結果を作ってしまったのだから。殴り殺されても文句のつけようがない。

 この後、おれが何をされても罪を償うつもりだ。

 

 

「だけど、天魔さんの話を聞き終えて安心しました。

 熊口さん行ったことはほんのきっかけに過ぎない事だって分かりましたもん」

 

「翠?」

 

「一番悪いのは、屑屑さんの力を奪った塵屑陰湿犬の糞野郎が悪いんだって」

 

 

 翠の眼からは一粒の滴が流れる。

 それを事切りに、洪水の如く大量の涙が溢れだしていった。

 

 

「熊口さんは、悪くないです。どうせ熊口さんの事だから自分が全部悪いと勝手に考えてますよね。それで私に謝ったらそれこそ殴ります。ぼこぼこのタコ殴りで撲殺しますから」

 

「……」

 

 

 おれの中にいない筈なのになんでおれの心を読んだ。

 そしてなんで泣く。

 ……いや、因縁の相手の手掛かりを初めて掴んだのだ。これまで溜め込んでたものが溢れてしまったのだろう。

 

 ___翠はおれの事を許してくれるらしい。

 

 おれのせいではない。

 

 だが、きっかけを作ったのもまた事実だ。

 それなのに、今のような言い方をしたのは、翠がおれに罪の意識を持って欲しくないという意思の表れだと分かる。

 それならば、おれはその行為を無下にしてはいけない。

 

 おれは翠の意思を尊重する。

 

 だが、これだけは一つ言っておきたいことがある。

 

 

「……なあ翠」

 

「……なんですか」

 

「犬の糞野郎って、犬の糞に失礼だろ。あいつはただの下衆野郎だよ」

 

「___ふふ、それじゃあ下衆野郎さんに失礼ですよ」

 

「くく、確かにな」

 

「やっぱり二人、めっちゃ仲良いじゃろ」

 

「「反吐がでるから止めてくれ(ください)」」

 

 

 屑屑の事は分かった。

 その乗っ取った下衆野郎が誰なのかが気掛かりだが、次会ったとき、始末する寸前に聞いてやれば良いさ。

 どうせ、ろくな野郎じゃないし。そこに思考を巡らせるだけでも不快感が押し寄せてくる。

 

 

「なあ熊口、そのつまみやっぱりくれぬか? 

 話したらちと腹が空いての」

 

「おう、存分に食べ…………」

 

「……ないんじゃが」

 

「熊口さん、さては真剣な話をしている最中に食べてましたね」

 

 

 皿にはつまみの残りカスのみがあり、おれの胃袋は妙な満腹感があった。

 うん、これ味わう事もなく無意識に食べてるわ。

 

 

「人が話してるのにそっちは食べるなんて……」

 

「非常識じゃのう」

 

「そうですよね。人としてどうかしてますよ」

 

「熊口は年齢的にもはや人間じゃなかろう」

 

「おっ、それじゃあ妖怪ですね! 妖怪糸目爺なんかどうです?」

 

「そこまで言わなくても良いじゃない!?」

 

 

 仕方ないじゃない、おれもお腹空いていたんだもの。

 いつの間にかつまんでしまってたっておれのせいじゃない! おれのこの右手が悪いんだ! めっ! 、と左手で右手を叩いて叱って見せる。

 

 

「愚痴を言われるのが嫌ならさっさと食材を取りに行ってください」

 

「頼んでもよいか」

 

「分かったよ。てか愚痴を言われなくても行ってたからな。後で愚痴を言ったこと後悔させてやるからな」

 

「はて翠、わしはただ事実を言ったまでなんじゃが」

 

「私は悪意を持って悪口言いました」

 

「よし、翠こっちにおいで。熊さんがとっておきのアイアンクローしてあげる」

 

 

 このあとなんやかんやで時間を食ったが、天魔と翠を置いて宴会場へ食料確保に行くことになった。

 

 天魔のやつ、全然元気じゃねーか。これなら宴会も参加できたんじゃないだろうか。

 とりあえず、また天魔の屋敷で迷う事も含めて多めに食料を持っていってやろう。

 なーに、天狗の一人に天魔用の飯を用意してくれと言えばすぐに出来上がるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 鬼と天狗の宴会。

 おれは最初の方でしかここにはいなかったから分からなかったが、時間も大分過ぎた今も尚、どんちゃん騒ぎが収まる気配が一向に見えない。

 

 

「はい俺の勝ち!」

 

「も、もう勘弁してくれ」

 

 

 といっても、騒いでいるのは殆どが鬼の方だ。

 天狗達は傍目から見ても楽しんでいる様子はなく、嫌々付き合わされていると言った感じだ。

 ……もしかして天魔、この状況が分かってたから逃げたのか。

 なんて策士……いや狡い奴なんだ! 

 

 

「おっ、生斗~! 何処行ってたんだい? 探したんだよ」

 

「萃香か」

 

 

 辺りを見渡しながら食料を探していると、おれの肩の上に酒瓶を片手に持った萃香が乗っかかってきた。

 

 

「ちょっと天魔のとこへな。そして話したついでに食料調達を任されたからその任務遂行中であるわけで」

 

「へえ……そういえば生斗、天魔と知り合いだったんだっけ? 私もあいつとはそんなに話してないから、じっくりと話してみたいと思ってたんだよね。また天魔のとこ行くなら私も行っていい?」

 

「やめとけ。萃香が来たら天魔の身体に障るだろ」

 

「なんで?」

 

「近くにいるだけで酔いそうなぐらい酒臭いから」

 

「女性に対してそれ酷くない?!」

 

 

 いやだって、おれも肩車の密着状態になったときあまりのアルコール臭に一瞬ふらついたからな。

 どうせ萃香の事だから天狗が貯蔵している分の酒なんて既に飲み干してるだろうし。

 

 

「恐らく生斗が思っているであろう事が、大体あってるから何も言えないね」

 

「まあ、一旦水浴びして食料探し手伝ってくれるっていうのならついてきても良いけど」

 

「そんなこと言ってぇ、ほんとは私の水浴び姿見たいんでしょ? 正直に言ってごらん。大丈夫大丈夫、引かないからさ」

 

「萃香、自身の身体を改めて見るんだ。そして感じろ、私の身体に欲情する奴はとんでもない児童愛好家(変態)だけだって」

 

「ははは、生斗……ちょっと表、でようか」

 

 

 あっ、やってしまった。

 萃香の声がワントーン下がり、太股に挟まれたおれの首が締まっていくのを感じる。

 

 

「萃香様。私め、本当は萃香様の裸体が見とうございます。今のはほんの照れ隠しに過ぎないという事を、どうか御了承していただきたく存じます」

 

「それはそれでなんか嫌だから表でて」

 

「がああ!」

 

 

 首が! 首が折れる!? 

 翠助け___そうだいなかった! くそう、肝心な時に役立たずなんだからあいつはーー居たとしても助けてくれないだろうけど! 

 

 

「悪かった! 子供だって馬鹿にしたこと謝るから締めるの緩めてくれ!」

 

「あれ、ちょっと軽く力入れた程度なんだけど」

 

「鬼の力なめるな!」

 

 

 おれの必死の懇願が効いたのか、太股の力を緩めてくれた萃香。

 危ない、あと少しで本当に折れるところだった。

 ある一部の人間は幼女の太股に挟まれるのなんてご褒美だとか言いそうだが、されてるこっちは普通に辛いし喜びを感じる暇なんて一切ない。

 特に萃香の太股、力いれると鋼鉄のように硬____

 

 

「生斗、なんだか今無性に殴りたくなったけど、良い?」

 

「駄目です」

 

 

 いかん、萃香の奴ついにおれの心の中まで直感で読んでくるようになりおった。

 

 

「はあ、とりあえずさっきの事は水に流してあげる。それじゃあ私は身体にこびりついた酒の臭い落としてくるから、あんたは引き続き食料探ししといてね」

 

「酒の臭い、落ちるのか?」

 

「んー、どんなに身体を洗っても落ちたことないから分からないけど、たぶん大丈夫でしょ」

 

「駄目じゃねーか!」

 

 

 落ちたことないってどんだけ身体に酒染み付いてんだよ。

 

 

「あれか、萃香お前酒風呂でも入ってるんじゃないのか」

 

「そんなのがあったら是非とも入りたいねぇ。全部飲み干してしまいそう」

 

「萃香が言うと洒落になってないのが怖いよな」

 

「洒落で言ってないもん」

 

 

 だろうね。本心で言ってるだろうなと心の隅で思ってたおれがいるよ。

 

 

 

 この後、結局酒の臭いが取れなかった萃香と共に、天魔の屋敷へ戻った。

 まあ、その後の展開はご想像通り、萃香が我慢出来ずに酒盛りを始め、翠がそれに便乗、我慢ができなくなった天魔も酒を呑み始める始末となった。

 そしてついには酔った萃香と天魔が日中の戦いの再現VTRを開始したため、屋敷は倒壊寸前のボロ屋敷となってしまったとさ。

 天魔はきっと明日は後悔の海に打ち拉がれるだろう。

 

 うん、意図せぬところでおれがつまみの件で愚痴られたときに言っていた後悔することが実現してしまったな。

 

 おれ? おれは一向に反省はしてないよ。おれが止めても結局は萃香は来ていたと思うし。

 

 まあ、これ以上の不幸が天魔を襲わないよう切に願っとくよ。

 

 

「わ、わしの屋敷が…………!!」

 

「こういう細かいことは気にしないことだよ。私はそうやって生きてる!」

 

「住む家がないのは気にすることじゃろが!」



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15話 理想の友達

「文がおれの部下?」

 

「はい、天魔様直々の御命令なので、貴方に拒否権はありません」

 

 

 鬼による妖怪の山襲撃から数ヵ月が経過していた。

 その間に鬼達は天狗の技術者と共に新しく自分等の住む家を建て、天狗達もこれを気に新築し、今では山の一部はちょっとした集落が出来上がってしまっていた。

 因みにおれはというと、天狗の一人が使っていた家がこの件により空き家となったので、天魔の了承を経て住んでいる。

 

 いやぁ、技術者の技量もあるが、鬼と天狗に共同作業をさせたら一瞬で家って建つんだな。

 資材も鬼の力なら人の十倍近くの量を運べるし、天狗は風の力を使って木材加工を瞬く間に済ませていった。

 あと皆空飛べるから足場組立とかの作業も省いたりしてたし。

 人間だと物に頼らなければならない事を悉く自らの手でこなしているので、作業時間が大幅に短縮されているのも納得がいくところではあるな。

 

 

「ていうかなんだよお前、今頃になっておれに敬語って。気持ち悪っ! この前までめっちゃため口だっただろ。しかも無駄に上から目線で」

 

「上司に敬語を使うのは常識だと思うんですが」

 

「おれはお前の上司になった覚えはないんだが」

 

 

 天魔の奴もいつの間にそんな事を決め付けたんだが。

 おれに一言ぐらい相談しろよ。

 

 

 鬼と天狗は幾つかの契約があった。

 

 鬼は基本的に天狗社会の干渉はしないが、天狗は鬼の配下であること。

 定期的に宴を実施すること。

 そして天狗が鬼との上下関係を変える場合、一対一の拳のみの勝負で決めること。

 

 最後の一つは完全に鬼の圧倒的自信からくるものだろう。喧嘩ならば喜んで買いにいくような内容だ。

 おれが覚えている契約はこれぐらいで、他にも幾つかあった気がするが、ほんとどうでも良いようなことだった記憶があるので思い出す必要もないだろう。

 

 

「だから天魔様からの御命令なんですよ。貴方はそう思ってなくとも、私はこれから貴方の部下です。なんなりとお申し付けください」

 

「なんなりとって……」

 

 

 おれに部下、ね。

 何十年ぶりだろうか。御崎達以来だよな確か。

 確か最初におれが御崎達の上司になったときって何をしたっけ。

 無駄に血気盛んな奴等だったからなぁ。

 全員まとめて張っ倒して格の違いを見せつけたのは今では良い思い出だな。

 

 

「熊口さん、何にやけてるんですか。気持ち悪いですよ。なんですか、もしかして文さんをいやらしい目にあわせようと目論んでるんじゃ……」

 

「……」

 

「いや違うから。昔いたおれの部下達のことを思い耽ってただから。いやらしいことなんて微塵も考えてないからその軽蔑する目止めてくれます?」

 

 居間でお茶を啜っていた筈の翠がいつの間にか玄関まで来てやがった。

 てか文も何か言ってくれよ。そんな黙ってたらほんとにおれがそんな事を考えてたみたいになるじゃんか。

 

 

「ふん、やはり皆同じか……」ボソッ

 

「んっ? 文なんか言ったか」

 

「別になんでもないですよ」

 

「それよりも熊口さん、観念してくださいよ。ほんとはいやらしいことを考えてたんでしょ。正直にいったら文さんに三発殴らせるだけで済ませますよ」

 

「ああ! だからそんな事考えてないって! 怪しいならおれの中に入って確かめれば良いだろ!」

 

 

 全く面倒な事になった。

 後で天魔には説明をさせることは確定として、まずは文だな。

 こいつには前々から()()()()()()がある。

 

 

「とりあえずあがってくれ。翠、客間にお茶用意しといて」

 

「自分でやってくださいよ。私は熊口さんのパシりじゃないんです」

 

「今日は一杯だけ呑んでいいから。頼む」

 

「も~う、仕方ないですね! 今日だけですからね!」

 

 

 酒癖が悪いからと禁酒をさせていた甲斐もあってか、翠に茶出しをさせることに成功。

 まあ、一杯ぐらいならそんなに酷くはならないだろう。

 この前は一番呑んでた上に積極的に天魔の家を壊しにかかってたからな。

 

 

「……お邪魔します」

 

「おう、ゆっくりしていってくれ」

 

 

 

 

 

 

 __________________

 

 

 ーーー

 

 

「その辺に座ってくれ。正座とかしなくて良いぞ。胡座かけ胡座」

 

「お構い無く。私は正座が一番落ち着くので」

 

 

 以前は大天狗の住んでいた家ともあって、客間の時点で私の家の半分程の広さがあるわね。

 他の妖怪らの家とも離れ、個人で井戸も備わっている好立地にも関わらず空き家となり、それを天魔様は何を考えてか、私の目の前にいる人間ーー熊口生斗に明け渡した。

 

 確かに熊口生斗は鬼の関係者であり、私達天狗よりも立場が上になるということは分かる。

 だがよりにもよって好立地をこんな男に明け渡すのが私には納得がいかない。

 

 私は熊口生斗が嫌いだ。生理的というべきか、この男の一挙一動に腹が立つ。

 なるべく関わりを持たぬよう接触は控えていたというのに、事もあろうに天魔様が熊口生斗の部下となれと申し付けられ、絶望した。

 

 何故私が人間ごときの部下に……これでは、彼奴らに笑われてしまう。あの()()()()()()()()に。

 

 

「それで、単刀直入に聞くが」

 

「はい、なんでしょう」

 

 

 机に肘をつき、面倒くさそうに頭を掻く熊口生斗。

 

 

「お前、おれのことが嫌いだろ」

 

「……はい」

 

 

 やはり態度でバレていたか。

 特に隠そうとしていた訳でもないので、想定の範囲内だ。ただ、こんな真正面から言われたため、少し言葉が詰まってしまったが。

 

 

「そんな即答されたら熊さんの硝子の心が砕けるぞ…………それはともかく、文お前無理してんのが見え見えだ。別に無理させるつもりはねーよ。おれが後で天魔に言って部下になることを取り消させる」

 

「余計な事をしないでください。私の我儘で天魔様のお手を煩わせる訳にはいきません」

 

 

 熊口生斗が天魔様に話を通せば、私はこの男の部下となる任を解かれるだろう。

 しかしそんな事、一鴉天狗である私が天魔様のお手を煩わせでもすれば、天魔様に迷惑となるだけでなく他の上司らに反感を必ず買う。現に熊口生斗は天魔様に対する生意気な態度を取っているということで、大天狗らから嫌われているのだから。

 

 

「あー、そこだよ。おれがお前に言いたいのは」

 

「はっ?」

 

 

 私に言いたいこと? 

 

 

「天魔から文の事は幾つか話を聞いててな。鴉天狗となって日が浅いというのに、天狗の中でも五本の指に入るほどの実力を持っていて、上司として鼻が高いってな」

 

「……」

 

 

 天魔様がそんな事を……

 これまで、私は天魔様にお褒めの言葉を頂いたことがなかった。

 まさか、この男を通して天魔様の本心を聞けることになろうとは……

 

 

「だが、同時に自分一人で抱え込んでいるようで心配だとも言っていたな。

 ここからはおれの見解だけど___文お前、上司から虐められていただろ」

 

「……!」

 

「日が浅いのに実力を持っていて、自分で抱え込む癖がある。上層部の奴等からしたら恰好の的だろうよ」

 

 

 この男は、何を言っている。

 なんでこんな男に私のことを決めつけられなければいけないのだ。

 

 私が上司から虐めを?

 

 ____違う。

 

 私の力に嫉妬をした無能共が、勝手に陰湿なちょっかいを出してきているだけだ。

 

 そんな事、私は一向に気にしてなんかいない。

 

 

「その反応は、図星だな」

 

「貴方は、何が言いたいんですか……?」

 

「自分で抱え込むな、と言いたい」

 

「余計なお世話です。私は別に抱え込んだりなんかしていません」

 

 

 これ以上話したくない、この男から離れたい。

 私がこれまで抑え込んでいたものを、この男は踏みにじろうとしている。

 やめて、私はこれまでそうやって生きてきたのに。

 それを否定されたら私____

 

 

「子供じゃないんだからさ。一人で抱え込むなよ。一応まだおれお前の上司なんだからさ」

 

「話の途中ではありますが、今日は失礼します。また後日、此方に伺いますので」

 

「おい待て、勝手に止めるな。お前は相談というものを____」

 

 

 ____熊口生斗が私に何か言おうとした時、面白いくらいにあっさりと私の中でなんとか繋ぎ止めていた、ある糸がぷつりと切れる音がした。

 

 

「あんたなんかに!! 私の何が分かるの!!! 知ったような口きくな!!! 二度とその話を私の前でしないで!!!」

 

「……」

 

「あっ、文さ____」

 

 

 その後の記憶は定かではない。

 いつの間にか私は家を飛び出し、気付いた時には遠く離れた大木の木陰で、ただ涙を流していた。

 

 

 

 

 

 _________________

 

 

 ーーー

 

 

「派手に嫌われましたねぇ」

 

「……」

 

 

 お茶を持ってきた翠が、半ば放心したおれに止めの一撃を刺す。

 まさか、ここまで嫌われていたとは……

 

 

「おれ、何か悪いこと言ったか?」

 

「んー、全部じゃないですか? いきなり文さんの繊細なところを無作為に荒らしてましたよ」

 

「そ、そうなのか」

 

 

 いきなり虐めの話をしたのは間違いだったか。

 だが、文の反応を見る限り結構重症な気がする。

 

 ____これはまた一悶着あるな。

 文がおれの部下を任命されたのは恐らく今日。

 妖怪は基本人間を見下している。

 そんな人間の部下となったと分かれば、これまで文を虐めていた連中が黙っている筈がない。

 

 

「翠、文を探すぞ。もしかしたらまた……」

 

「そうですね。私も丁度その事を考えていました。熊口さんと同じ考えをしていたということに若干の不快感がありますが」

 

「そんなどうでもいいこと言ってないで入れ。外に出るぞ」

 

「間に合えばいいんですが」

 

「間に合わせるに決まってるだろ」

 

 

 ジャイアン共がどれだけ早く嗅ぎ付けてくるかによる。

 この予想が杞憂であってくれれば一番なんだが。

 とりあえず急いだ方がいいだろう。

 もしなにもなければ、さっきの事を一応謝ればいいことだしな。

 

 

「さあ! 糸目爺号発車!!」

 

「誰が糸目爺じゃこの野郎!」

 

 

 

 

 

 __________________

 

 

 ーーー

 

 

「おお? そこにいるのはさては、射命丸ではないか?」

 

「どうしたどうした、何故そんなところで泣いておる」

 

 

 ____最低だ。

 今、最も遇いたくない二人に見られてしまった。

 以前から私に突っ掛かってくる大天狗の中でも特に陰湿な行為を繰り返してくる部類の屑達だ。

 

 こいつら、絶対に人間の部下になったことを馬鹿にしに来たに違いない。

 その上こんな醜態を晒してしまった。

 こいつらからすればまたとない機会であろう。

 

 

「まさかあんなに気の強い射命丸が隅でしくしく泣いておったなんてな」

 

「聞いたぞ、お前人間なんぞの部下になったのであろう」

 

「天魔様はよく見ておられる。お前のような愚図は人間様の下につくのがお似合いだ」

 

「……」

 

 

 こんなもの、言わせておけばいい。

 嫉妬にまみれた愚痴等聞くに堪えない。

 

 そんなことは分かっている。

 だけど今日は、何故か大天狗達の言葉の一つ一つに何かしらの痛みを感じる。

 

 

「我等に抵抗するような愚かな真似をするからだ」

 

「他の者同様に身体を差し出せば良かったものを」

 

「そ、そんなの______」

 

 

 いつもと違い、大分調子が狂っていた私は思わず否定の言葉を発そうとした。

 しかしその行為は大天狗の平手打ちにより塞がれてしまった。

 

 

「はて、私は射命丸に発言権は与えたかな?」

 

「いいや与えておらぬぞ。身の程を弁えておらぬようだな」

 

「まるであの人間のようだな。射命丸もあやつの部下になって一日で毒されおったか!」

 

「……くっ」

 

 

 口の端から一筋の血が流れる。

 中々の力で私をぶったようね。

 

 なんで私がこんな目に遇わなきゃいけないのよ……

 

 

『よいではないか。別に関係を持ったからといって射命丸に不利益はなかろう』

 

『大天狗である我等に媚を売る機会であろう』

 

『なに、どうしても嫌とな』

 

『なんと愚かな……』

 

 

 これは、私がこいつらに初めて関係を迫られた時記憶____

 事あるごとに女天狗を食い漁る節操なしの大天狗二人組。

 それなりの地位にいるため、関係を迫られたら身を委ねるしかない道はない。

 

 だが、私はどうしても嫌だった。

 こんな屑共なんかに身を委ねるぐらいなら自刃をした方がましだと考えていたからだ。

 

 でも、なんかもう、どうでもよくなってきた。

 なんでそんな事のためにこんなに我慢しなければならない。

 そう考えてしまうとこれまで意地を通していたのが馬鹿馬鹿しくなってくる。

 

 大人しく身を委ねていれば、陰湿な虐めを受けることもない。

 

 なんでだろうか、こんなこと昨日まで考えもしなかったのに。

 ___ああ、あれか。熊口生斗が私を論そうとしたときに切れた糸か。

 なんかもう、どうでもよくなっちゃった。

 

 

「んっ? 射命丸の眼に光がなくなったぞ」

 

「漸く観念したか。最初からそうしていれば良いものを」

 

「そっちを持ってくれるか? こいつを私の屋敷まで連れていく」

 

「おう任せろ。女の子を運ぶのはおれ、めっちゃ得意なんだ」

 

 

 力なく倒れ込もうとした私の両肩を掴み、大天狗らは私を運び出そうとしている。

 わざわざ人目を気にするなんて、屑のわりに臆病なのね。

 …………あれ、今横から聞いたことがある声が___

 

 

「でも、連れていくのはおれの家だな。生憎お前の家はもうないんだよ。いやこれから無くなるって言った方が正しいか」

 

「 何を言って____誰だ貴様!」

 

「んっ、おれ? おれは熊口生斗さん。永遠の十八歳、随時彼女募集中だよ」

 

 

 私の左肩の支えていたのは、もう一人の大天狗ではなく、先程私の支えの糸を切った張本人ーー熊口生斗であった。

 

 

「私の連れはどうした!? 先程まで私の隣に……」

 

「ああ、そいつなら後ろで剣と尻が合体して昇天してるよ」

 

 

 私ともう一人の大天狗が後ろを振り向くと、熊口生斗の言った通り、尻に光る剣の刺さった大天狗が力なく横たわっていた。

 

 

「貴様あぁ、あっ?」

 

「敵前で余所見するなんて素人か」

 

 

 激昂した大天狗が熊口生斗に攻撃を仕掛けようとしたときには既に、彼は大天狗の首元に霊力剣を突き付けていた。

 

 

「なに人の部下に手を出そうとしてんだ」

 

「うっぐ__! 違う! 射命丸と同意の上での事だ! 貴様にとやかく言われる筋合いなど____うぐあああ?!!」

 

「そうか。嘘しか吐けないのならその口はいらないよな」

 

 

 大天狗が戯れ言を宣う前に、熊口生斗の剣が奴の頬を斬り裂いた。

 

 

「こっちは一部始終見てんだよ。お前らが文に平手打ちしてるところもバッチリな」

 

 

 私と話していた時と大分声質が違う。

 もしかして、彼は今怒っているの……? 何故? なんのために?

 

 

「おい萃香、お前も見ただろ」

 

「ああ、この眼でしかとね。こんな屑が天狗社会に紛れ込んでいたとはね。こいつら以外にもまだいそうだし、こいつらを見せしめにしようか」

 

 

 そして後ろには、いつの間にかいた鬼の萃香様が大天狗を紐で縛り上げていた。

 

 

「な、ないをふるふもりか!?」

 

「なーに、これから私達と楽しい殴り合いに参加してもらうだけさ。後、それが終わったら名誉の印として集会所の真ん中に吊るさせてもらうね」

 

「おい萃香、こいつも忘れてるぞ」

 

「あっ、そうだそうだ。生斗に掘られた天狗も共犯だったね」

 

「人聞きの悪い言い回し方するんじゃない」

 

 

 大天狗から解放され、私は力なく尻餅をつく。

 二人組を担いで萃香様はそのまま何処かへと去っていき、残されたのは私と熊口生斗の二人だけとなった。

 

 

「……なんで」

 

 

 何故止めた。

 

 私と関係ないはずなのに。

 

 なんで私を助けた。

 

 

「なんでって……」

 

 

 漸く諦められたのに。

 

 どうして。

 

 

「どうして、私の()を切った貴方が……」

 

「糸?」

 

 

 私の発言に疑問符を浮かべる。

 だが、それも時間と共に理解したのか、掌に拳をおいて成る程と呟く。

 

 

「お前のその今にも切れそうだった糸のことね。事実、おれがちょっと言っただけですぐに切れただろ」

 

「……」

 

 

 切れそうだった____

 私が繋ぎ止めていた糸が、そこまでも解れていたというのか。

 

 ……でも、確かにそうだ。

 これまで我慢してきたのに、部外者に少し言われただけで切れたりするなんて、元々もう限界だったのだろう。

 

 

「なあ知ってるか。お前の言うその()っていうのはな、結び直すことだってできるし、数を増やして切れにくくすることだって出来るんだぜ」

 

「糸を……増やす?」

 

 

 糸を増やすなんて、どうやったら出来るというのよ。

 

 糸とは、心を、精神を己の身体に繋ぎ止めるためのものだ。

 その心が荒めば荒むほど、その糸は解れ、やがては切れる。

 

 人には人の糸の強度は違えど、複数あるわけではない。

 その糸を増やすなんて、私は知らない。

 

 

「『友達になろう』。これだけで良いんだよ」

 

「友達に、なろう?」

 

 

 友達になろう? 

 それでどうやって増やそうというの? 

 

 分からない。私には、この男が言っていることが一向に理解が出来ない。

 

 

「文、お前はこれまで人との繋がりを持たず孤独に生きてきたんだろ。だから誰にも頼らず助けも必要としていなかった」

 

 

 なんでそんなこと貴方が分かるの。

 前にも言ったのに。

 知ったような口を聞くなと____

 

 

「糸を増やすのはな。人との繋がりだ。どんなに辛いことがあっても、信頼しあえる仲間がいれば、糸は決して切れない。だからお前はまず友達を作れ」

 

 

 友達なんていらない。

 私はこれまでそうして生きてきたのだ。そして、これからも。

 

 ____だから一度壊れかけたのではないか。

 

 私の意識の中で二つの意見がぶつかり合う。

 

 そんなことはない、これからだってやっていける。

 この男さえ、この男さえ邪魔していなければ今日だって!! 

 

 …………そんな事ないって、自分が一番知ってる癖に。

 

 

「といっても、これまでしてこなかったことをいきなりやれって言われても難しいよな____今回は特別に実践で見せてやるから、耳をかっぽじってよく聞いておけよ」

 

「……えっ」

 

 

 熊口生斗はそう言うと、尻餅をついた私の視線に合わせるようにしゃがみこみ、改めて私の名を呼んだ。

 

 

 

「射命丸文、おれの友達になってくれ」

 

 

 

 私と、友達に……? 

 な、何を、ふざけたことを言っている、の? 

 

 私と貴方は、部下と上司の関係で、それでいて妖怪と人間で____

 

 

 ____あれ、なんで私、泣いているのだろう。

 

 分からない、なんで勝手に眼から出てくるの。

 止まらない、見せたくない。こんな姿、この人の前で晒したくない。

 

 

「私、私……」

 

 

 友達なんて欲しくない。そんなもの邪魔でしかなく必要ないはずなのに。

 

 なんで、こんなにも嬉しいと感じる私がいるの? 

 

 

 ……分かった。私がこの人が嫌いな理由。

 

 いや、嫌いではない___羨ましかったのだ。

 上下関係という柵に囚われず、己の思う道に生きる彼が羨ましくて嫉妬していたのだ。

 

 

 私が、そんな彼と友達になれるのか。

 ずっと一人で抱え込んで、一度壊れかけた私なんかが、この人と友達に。

 

 私は、私はこの人と____

 

 

 

 

 

 

 ____友達に、なりたい、のかも。

 

 




捕捉:文さんは20年ほど理不尽な虐めを受けていました。


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16話 個人的な初任務

 

 小鳥の囀り、風に靡き草木の揺れる音、そしてまな板を包丁で打ち付ける心地好い音が鳴り響く中、緩やかな光がおれの顔を照らし、目覚めを促してくる。

 

 

「う……ん?」

 

 

 ____トントントン。

 

 

 囲炉裏のある居間からそんな音が聞こえてくる。

 

 誰かが、おれの家で料理でもしているのだろうか。

 翠はまだおれの中で寝ているから違うとして、一体誰が他人の家で家主の許可もなく料理を? 

 

 ……ていうか身体が重い。

 布団の中も歪な膨らみ方してるし、またあいつの仕業だろう。

 無視だ無視、気にするだけ無駄だ。ちょっと大きい湯タンポと思っていれば良い。

 

 

「まだ眠いし、寝るか」

 

 

 早朝に起きて二度寝するほど気持ちの良いものはない。

 敷き布団が藁で編んだ筵で、掛け布団が薄い布地で出来た衾ではなく、綿の詰まったふかふかの布団だったらもう何も言うことはないんだけどな。

 

 

「____出来ました、__~____ください」

 

 

 居間から途切れ途切れで声が聞こえてくる。

 その後から包丁を打ち付ける音が聞こえなくなった辺り、仕込みか料理自体が終わったってところか。

 

 誰なのか知りたい気持ちはあるが、優先順位は圧倒的に二度寝が上であり、不法侵入されようがおれに害がない限り無視する。

 

 危機感? あ~あれね、触ると気持ちいいよね、あれ。

 

 

「まだ寝てるんですか、もうお昼になりますよ」

 

「……何してんだお前」

 

 

 なんて馬鹿なことを考えていると、思春期真っ盛りの男の子の寝室にノックもなしに入ってくる不法侵入者こと射命丸文さん。

 服装はいつもと違い割烹着姿で、指には幾つかの包帯が巻かれていた。

 

 

「何って、食事を作ってあげてたんですよ。友達なら当たり前でしょ」

 

「通い妻かお前は!」

 

「つ、妻なんて早いですよ! まだ知り合ってそんなに経ってないのに! 」

 

「文、お前がやってるのは友達以上の関係の奴等がやってることだぞ。考えてみろ、付き合ってもないのに勝手に家に上がり込んで食事を作るなんて、普通の友達じゃまずしないだろ」

 

「ふっ、それは熊口さんの偏見です。何故なら私は付き合っても、ましては友達でもないのに毎日食事を作ってあげてたんですよ」

 

 

 いつの間にかおれの中から出て横になった状態でドヤ顔でそう宣う翠。

 何処にドヤ顔する必要がある。なんだその顔、妙に腹立つんだけど。なに、そんなに顔面殴られたいのか。

 

 

「翠お前は確かに友達じゃないよな。おれの身体を貸してあげてる対価で作らせてるんだもん。てか話がややこしくなるから出てくるんじゃない」

 

「私は料理は苦手だけど酒のつまみなら幾つか作れるよ。今度作ったげようか?」

 

「いつも思うがなんで萃香はいつもおれの腹に抱き付いて寝るんだ。角が邪魔で寝返りが出来ないんだけど」

 

「私は温もりを欲しているんだよ。それぐらいわかりな。

 あと、寝返りうてないのは私もだからお互い様さ」

 

「巻き添えだよねそれ」

 

「何言ってんだい。私はあんたに常に上を向いて生きてほしいのさ」

 

 

 なんで萃香までちゃっかり加わってくるんだ。

 二人とも寝ておけよ、只でさえ文がここに来て料理しているという事態でわりと頭一杯なのに。

 

 

「吃驚しました。まさか萃香様や翠さんもこの部屋で寝られていたのですね」

 

「そうだね。最近じゃ生斗が私の布団代わりにしてるよ」

 

「私は人の中で寝るのが一番心地好く眠れるので」

 

「二人とも、普通におれの睡眠の邪魔になるから他あたってくれないか」

 

 

 寄ってたかって人を布団代わりにしよって。

 

 

「一応多めに作っておいて正解でした。ほら皆さんも起きてください。お昼? にしますよ」

 

 

 まさか文の作った料理を食べられる日がくるとは。

 昨日までの文では考えられないことだよな。

 友達になろうと言ったのに返事もなしに去っていったってのに。

 これはもう、友達になることを了承したと受け取っていいのだろうか。

 なんか文の奴、友達の意味を履き違えているような気もするが。

 

 ま、そんな事はどうでもいいか。

 飯を作ってくれるのならありがたく頂くことにしよう。

 ……流石に毒とかは盛られてないよな? 

 

 

「何してるんですか? 早く布団から出て来てくださいよ」

 

「あ、ああわかった。すぐ行く」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「ごは、ん?」

 

「中々きついの来ましたね……」

 

 

 囲炉裏の鍋には、まるでジャ◯アンシチューを彷彿とさせる毒々しい液状の科学薬品が一杯に溜まっていた。

 なんだこれ、鼻が曲がりそうなぐらいの刺激臭がするんだけど。

 

 

「何を入れたらこんな色になるんだよ……」

 

「この辺りで採れた芋や植物、茸とかを入れたらこんなに……あっ、あと隠し味に蝉の脱け殻をいれました」

 

「なんで蝉の脱け殻!?」

 

「食感がパリッとしていいかなと」

 

 

 まんま◯ャイアンシチューじゃねーか! 

 茸とか植物もこれ、絶対食べてはいけないもの入れてるだろ。

 でなければこんな紫色の灰汁とかでないだろこれ。

 なんでこの世界の連中は産業廃棄物を量産する奴が多いんだ。料理の知識が壊滅的過ぎる。

 

 

「文、今度翠に料理を教えてもらえ。一時はそれがお前の仕事だ」

 

「そ、そんな! これだって料理ですよ!? ほら食べて____ぶはぁ!!」

 

「うわぁ!?!」

 

「ほら吐いた! 食べれたもんじゃないだろやっぱり!」

 

 

 心外とばかりに文は自分で作った劇物を口に含むが一瞬にして身体が拒否したのか、口に入れると同時に萃香に向かって吹き出す。

 

 

「臭っ!? ていうか眼が、眼が焼ける!?」

 

「萃香さん大丈夫ですか!」

 

 

 まさか鬼にも効く劇物を作るなんて。これ大量に生産させていれば鬼との戦いにも勝てていたのではないだろうか。

 だが、それを口にすれば文が泣きそうなので心の中だけに留めておく。

 

 

「はあ……私、今ある食材で何か作ってきます。この料理は熊口さんが全部平らげるとのことなので安心してください」

 

「おい待て翠。おれこんなところで死にたくないんだけど」

 

「く、口の中の不快感が凄いです……」

 

「私は顔についたのがずっとヒリヒリするんだけど。てか眼が痛くて開けられない」

 

「す、萃香様、本当に申し訳御座いません。これはなんと詫びれば……」

 

「謝らなくていいよ。だけど誓って。今後二度とこんな劇物を私の前には出さないでね」

 

「はい……」

 

 

 文は妖怪になる前はただの鴉であったことは天魔から聞いている。

 だからこのような料理下手というか、味に関して無関心なのも納得がいく。

 文自身、自分が作った料理を吐いてる辺り、これまでろくに料理せずに食べれそうなものをそのまま食べていたのかもしれない。

 

 まあでも、鴉の時の感覚が抜けきれていない点で言えば、早恵ちゃんよりかは救済の余地はあるからまだましな方だな。

 

 

「とりあえずこれ、吊るされてる大天狗達にお裾分けしてくる。腹も減ってるだろうし喜んで食べてくれるだろ」

 

「いいねそれ。私も一緒に行くよ」

 

「私としては彼奴らに私の手料理は食べさせたくないんですが……」

 

「(新手の拷問具だろ)」

 

「(毒薬の間違いでは)」

 

「(お酒呑みたい)」

 

 

 この場の誰もが文のこれを手()()とは思ってないだろうけど。

 それはこれから鍛えていけばいい。時間は無駄に沢山あるのだから。

 それに知性ならこの四人の中で最も高そうなのが文だ。すぐに料理も覚えられるだろう。

 

 

「そんなに作るのかからないんで早く戻ってきてくださいよ。食事出来ても帰ってこなかったら私一人で食べておきますからね」

 

「この鍋の中身をあいつらの胃の中に流し込みに行くだけだからそんなに時間もかからないだろ」

 

 

 この劇物をただ捨てるのはあまりにも勿体ない。鬼達にいたぶられたとはいえ、これまで被害に遭った沢山の天狗達がそれぐらいで報われるわけがない。だめ押しでこの劇物を食べさせてもやり過ぎというわけでないだろう。

 それに食べ物を粗末にしてはいけないからな! ーーおれから言わせればこれは人の食べられるものではないが。

 

 あっ、因みに昨日の大天狗を制裁したら、被害に遭った女天狗達から礼を受けたという事で改めてあいつらが腐っていることを知りました。

 

 あの大天狗共、気に入った女天狗を壊れる寸前まで酷使し、そして使い捨てる真性の屑だった。屑屑の身体を乗っ取った人間と張るレベルで虫酸が走る。

 

 

「んじゃ、ちょっと行ってくる。文は翠の作ってる姿ちゃんと見とくんだぞ」

 

「はい、この眼に焼き付けます」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「どうやったらこんなに美味しく……! こんなに美味しい食べ物初めて食べました」

 

「火加減、味付け、そして一番の焼き時を見極める経験。要するに考えて毎日料理を作ってればこれぐらい誰でも作れますよ」

 

「おれはこんなには作れないぞ」

 

「熊口さんは何も考えず感覚だけで作ってるからです。だから味にムラがある。ちょっとは考えて作れば上達……あっ、すいません。熊口さんに考える脳みそは備わってませんでしたね、失言でした」

 

「文の作った鍋の残りあるけど食べる? 熊さんが食べさせてあげるよ」

 

「なんでそれまだ持ってるんですか」

 

 

 そんな会話をしつつ、昼食を終えたおれらは、縁側でお茶を啜りつつゆったりと寛いでいた。

 

 

「いやぁ、それにしてもあの大天狗達の顔ったら思い出しただけでも笑いが出るよ」

 

「口に流し込まれた瞬間泡吹いて気絶したもんな」

 

「なんだか嬉しいのか悲しいのか複雑な気持ちです」

 

 

 周りにいた天狗達もドン引きしてたな。鬼達は皆大爆笑だったけど。

 これであの大天狗のような職権乱用をする奴がいなくなればいいんだが。

 まあ、鬼に見つかれば問答無用であの仕打ちを受けるということは嫌でも分かった筈だ。

 これでこれまでの腐った天狗社会も少しは変わるだろう。

 ほんと、天魔の奴、もしかしてわざとそうさせるようにおれを使ったんじゃないだろうな。

 トップとして天狗達の体制は把握しているのなら、今回の大天狗達の件も耳に入っている筈、それでもおれらに何も言ってこない辺りがそれの信憑性を高めている。

 

 面倒だが、後で天魔のとこ行って問い詰める しかないようだな。

 

 

「あの、生斗さん」

 

「どうした文、もしかしてこの鍋を使った大天狗抹殺計画でも思い付いたのか」

 

「何言ってるんですか。そんな意味不明なことではなく……謝りたくて」

 

「あっ? なんかおれ、文に悪いことされたか」

 

「昨日、私生斗さんに怒鳴ってしまいました。生斗さんは私のことを思って言ってくれたのに……それが無性に腹を立ててしまって。恐らく、正論を言われたことにだと思います」

 

 

 なんだ、そんなことで急に神妙な顔になったのか。

 逆に謝らなければならないのはおれの方なんだけどな。

 文のデリケートな部分を土足で踏み荒らしていたのだから。

 んー、おれ、そのこと完全に頭から抜けていたというのに、文はそのこと気にしてたんだな。

 どうしようか、この空気。

 なんか翠も知らぬ顔でお茶啜ってるし、萃香も肘ついて腹掻いてる。

 

 

 

「あー、気にするな。うん、気にしなくていい。それに怒るのも当然だ。おれだって自分が我慢して頑張っているところに他人から指摘されたら怒るしな」

 

「で、でも」

 

「はい、この話は終わり。ていうか文、仕事はどうした。料理研究と友達作り、期限は今週までだからな。末日に料理と友達発表行うから覚悟してろよ」

 

「そ、そんな!」

 

 

 今決めたことだが文も期限があった方がやる気を出してくれるだろう。

 はっきり言っていきなりこんなことを言われても、これまで関係を断ち切っていた文には大分無茶な話ではある。

 だからもし駄目でも怒りはしない。ただ単に先程までの話を切りたかっただけだし。

 

 

「友達を作るなんてどうすればいいのか……」

 

「前に実践して見せただろ。とりあえず話してみて、気が合いそうならあの言葉だ」

 

「私と友達になってください、ですか」

 

「そうだ。そう言ってりゃ大抵の奴は大丈夫だろ」

 

 

 相手だって余程自分のことを嫌いだとかの理由がない限りは断ることもないだろう。

 おれは恥ずかしいからいつもは自分から友達になってくれなんて言わないけどな。

 他人事だから良いんだよ、助言側はやらなくてもいいから気を楽にして答えることが出来る。

 んっ、何? その人の気持ちになって助言しろだって?

 大丈夫、 おれは出来なくても文なら出来ると信じてるから! たぶん! 

 

 

「別に天狗に限らなくてもいいぞ。鬼でもいいし、その辺にいる妖怪や人間でもいい」

 

「……はあ、前者は恐れ多くて出来そうもないので、この山に住む妖怪で探してみます」

 

「なんだよ~、皆気さくで仲間思いなのに~」

 

 

 萃香はそう言うが、あのときの鬼達からの一方的な蹂躙を受けた後に言われても流石に無理があるだろう。

 文も未だに勇儀の事が怖いようだし。

 

 

「まあ、とにかく友達を連れてきてくれればいいんだ。初めてのことで難しいだろうが、何をするにも経験が一番だし、やっておいて損はないだろ?」

 

「わ、わかりました。やってみます」

 

「それじゃあ行け! おれに文の友達を紹介するのだ!」

 

 

 そうおれが言うと、文は元気よくはい! と応えて縁側からそのまま飛び去っていく。

 因みに巨乳のお姉さん連れてきてくれたらご褒美に川魚十尾くれてやるからな! 

 部下を使って下衆なことを考えてなんかない。おれはただ巨乳のお姉さんに甘えたいという純粋無垢な気持ちがあるだけだ! 

 

 

「熊口さん、下衆なこと考えてますね」

 

「すっごい鼻の下伸びてるよ」

 

「ば、馬鹿! 決して下なことなんて考えてないから! 鼻の下が痒かったからちょっと伸ばしてただけだし!」

 

 

 あやよくばという気持ちですら察知されるこの肩身の狭さ。

 熊さんのライフはもうゼロに近いです……

 

 

「それにしても、まさかあんなに強い文が権力に屈してたなんてね。生斗にも敬語使ってたし」

 

「天狗社会も腕っぷしの強さだけが全てじゃないって事だろ。文も天魔には恩があるみたいだし、その恩を踏みにじるような事はしたくないんだろうさ。まあ、おれらには関係ないけど」

 

「天魔も面倒な組織作ったよね。私らのように酒呑んでどんちゃん騒ぎしてればいいのに」

 

「そうしないと組織が回らないからね。萃香達のようなのは珍しいから、ほんと。おれも以前人間の組織の幹部を務めていたことがあるから、天魔の考えも少しは分かる」

 

 

 おれも関係もないことで上司に頭を下げたりしてたっけ。

 永琳さんの紹介で入った手前、恩人である彼女に迷惑をかけまいと問題事は極力起こさないよう立ち回ってたな。

 

 今考えたらあの無能上司の顔面をぶん殴りたくなってきた。

 そういえばなんであの時おれが頭を下げなくちゃいけなかったのだろう。

 絶対腹いせだろ、おれが永琳さんやツクヨミ様と仲良くしているからって。

 

 ……はあ、過去の苛々を思い出したところで何も良いことなんてないから止めておこう。

 とりあえず月に帰ったらあの上司に一言文句を言うことは確定したなーー殴るのは流石にまずいし。

 

 

「次は怒ってますね」

 

「生斗あんた、考えてることが顔にですぎなんじゃない?」

 

「何を言ってる。おれはいつも仏頂面を貫いてる筈だぞ」

 

「喜怒哀楽を顔で表してる時点で仏頂面とはかけ離れてるよね」

 

「熊口さんの頭っていつも何かしらおかしいのでそっとしておきましょう。この人はこの人なりにそう思いこんでるんです」

 

「あ~、やっぱり? 頭の螺子何本かとれてるよね。でなきゃここまで変な性格している説明がつかない」

 

「ごめん、おれ顔にでてたわ。ちょっと見栄はって嘘ついたの謝るから想像以上に責め立てるの止めて」

 

「あれ、別に責めてる訳じゃないんだけどな」

 

 

 萃香はまあ、うん。思ったことをそのまま言っちゃう性格だから仕方ないね。

 本当に悪気があって言ったわけでないのだろう。

 

 

「私は悪気があって責めましたよ」

 

 

 翠、お前はいつもそうだ。

 人が嫌がる事を率先してやりやがる。勿論悪い意味で。

 今度食事に蝉の脱け殻まぶしたやつ入れてやる。

 

 

「金輪際熊口さんの料理には手を付けないので安心してください」

 

 

 おれの中に入ってもないのに心読むのほんとに止めてくれる? 

 それに何も安心しないし、逆におれに出される料理に同じことされてしまうんじゃないかと不安で仕方がないんだが。

 翠なら平気でしてきそうで恐ろしい。

 

 

「お前らと話してると気が持ちそうにないから、天魔のとこに癒されに行く」

 

「あっ、私も行くよ」

 

「私も天魔さんと話したいので行きます」

 

「二人とも、人の話聞いてた?」

 

 

 この後、どうしてもついてこようとする二人を押しきって、おれ一人で天魔のところへ行くことになった。

 萃香は以前の件で一時的に出禁を食らってることと、翠は単に腹立つからと言ってなんとかな。

 

 翠を筆頭として皆おれを虐めるからな。

 たまには安らぎがあっても良いと思うんだ。

 

 ていうかここの女性陣は黙っていれば皆大層な美人なのに、全てを性格で台無しにしてしまっているのが非常に残念だよ。

 もっとおしとやかに出来ないものだろうか____いや無理か! 今頃あいつらがおしとやかになっても気持ち悪いだけだしな! 

 

 そんなことを思ったせいなのか、夕飯時に無性に腹立つという理由で女性陣からそれぞれ拳骨を食らったことをここに記しておく。

 

 悪口って恐いね。二度と考えないようにしよ。たぶん無理だけど。



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17話 一度あることは二度ある

 天狗の長を務めている天魔は、いつも家に引きこもりがちである。

 天狗達を束ねるゆえ、そう何処へでも行けないのもあるが、本人が大がつくほどの家好きであるため、たまの休日ですら家を出ずじまいとなっている。

 

 

「だからそこにつけこんで悪さをする奴が現れるんだぞ!」

 

「藪から棒にどうしたんじゃ!? 」

 

「ずっと家に引きこもってるから、天狗達の近状を把握出来てないんだよ。どうせ大天狗の都合の良い報告だけで済ませてたんだろ」

 

「うぐっ、た、確かにわしも現場に顔を出すことは滅多にないが……」

 

 

 その被害者が文だ。

 天魔もその事を薄々気付いておれを差し向けたようだが、本来は気になったのなら直接天魔自身が文にコンタクトを取るべきなのだ。

 おれなんかの言葉よりも、天魔が言う方が絶対に効果的なのだから。

 

 

「今日はとことん天狗社会素より、天魔自身の意識改革をさせてやるからな」

 

「そ、そんな!」

 

 

 鬼と天狗との間に情勢の不干渉があるが、おれはそんなの関係ない。

 おれは鬼でもないし天狗でもない。

 おれは一個人として天魔に口出しさせてもらう。

 翠と萃香を無理矢理置いてきたのも、変な茶々を入れられて話が進まなくなるのを防ぐためだ。

 

 

「まずは引きこもることを止めろ。たまにでもいいから外に出て天狗達の様子を見に行ってやれ。それだけでも天狗達の意識は変わる筈だ。この前の文の件だって、天魔にも非があるんだからな。ていうかお前絶対薄々気付いてておれに差し向けただろ。分かってるんだからな。そもそも天魔は____」

 

 

 まさかおれが人に説教をする日がくるとは思わなかった。

 だが今回の件で正さねばならない事が幾つもあり、それを改善せねば文のような被害者がこれからも現れてしまう。

 その悪い種はいずれ天魔自身の身を滅ぼすことにもなりかねない。

 まだ大事には至ってない今ならば、改善の余地は残されている今ならば、おれは旧敵として天魔に説教という名のアドバイスをする。

 おれだって一度は小部隊の隊長を務めていたんだ。そこで学んだ知識を天魔に共有するぐらいはできる。

 

 

「天魔自身にも天狗達の体制を考えてるのは分かる。だが組織としてではなく個人をよく見ることだ。そして報告の幅を広げろ。一定の上層部にだけ報告をさせれば意見が偏る場合もあるからな。例えば何かやらかした奴と報告する奴が癒着していればねじ曲げた報告がされたりもする」

 

「ほう……」

 

 

 天魔もこれまで一人で天狗達を取り纏めてきたのに、ぽっと出のおれに説教をされるのは気分がよくないだろう。

 なのに、天魔は眉に皺を寄せることもなく、顎に手を乗せ興味深そうに聞いてくる。

 

 中々に珍しい反応だ。前におれが上司に少しこうしたらどうかと意見しただけで怒鳴られたというのに。

 

 器が違う、んだろうな。

 

 真の上に立つ者は下の者の意見を聞き、それが正しければ改善を図る気概がある。

 その点で言えば天魔は上に立つ資格を持った逸材なのだろう。

 

 

「____おれがここに来て改善をした方がいいと思った事だ」

 

「ちょっと待て、今頭で整理しておるのでな」

 

「ああ」

 

 

 この後おれが言った改善点を、天魔と二人で具体的な改善策を考えていたが、そんな重大なこと一日ではとても足りず、今後上層部も含めて会議を催す事になった。

 うん、言ったはいいがちょっと面倒なことに巻き込まれてしまった。

 おれから言い出した手前出席を断ることはできないので、おれその会議には参加になっている。

 まあ、仕方ないか。動かずして改革等出来よう筈もないしな。

 それにおれから言い始めた事だ。この件に関しては責任を持たなければならない。

 

 

「もうすぐ夕飯時じゃの。どうじゃ、詫びも兼ねてここで食べていかんか?」

 

「いや、飯時には帰ると行ってしまってるからな。悪いが今日は帰る」

 

「そうか……今回の件は色々と迷惑をかけてしまって悪かったの。それに驚きもした、まさかあの飄々とした熊口が組織の体制に異義を申し立ててきたことにの。それにその指摘が中々に的を射ているときた」

 

「前におれも組織に属してたからな。その時と天狗社会の良い点と悪い点を比較してみただけだよ」

 

「おかげで我ら天狗という種族が、また一つ格を上げることが出来る。より良い環境が整わねば成長など出来よう筈もないしの」

 

 

 天魔に物を言う天狗は恐らくいなかったのだろう。

 故に天魔は一人で組織を纏めあげる必要があった。

 個人のみでの体制はいずれ限界が来る。文の件はその限界を越えた先で起きた事に過ぎないのだ。

 だからこそ、これからはそんな絶対王政を廃止しなければならない。

 

 

「それじゃあ帰るわ。見送りお願いな」

 

「いい加減わしの家の構造を覚えたらどうじゃ? そう何度も迷うような物じゃあるまい」

 

 

 迷うんだよそれが。新築になってより一層天魔の家は迷路になってる気がする。

 

 

「まあよい、少しはわしも動かねばならんしな、ついていこう。ついでにわしも熊口の家で飯を食うても良いか?」

 

「んー、良いんじゃないか。翠の奴いつもちょっと多めに作ってるし」

 

「おおそうか! 常々翠の料理の評判は聞いておったのでな。これからの飯が楽しみじゃ」

 

「どこから翠の料理の評判が広まったんだよ……」

 

 

 噂が出るということは誰かが翠の料理を食べたということになる。

 あいつ一人だと家から出れない筈だ。

 いつの間におれ以外の奴に飯を作ってたのだろうか。

 文は今日食べたばかりでそれから天狗の長である天魔の耳まで届くのは早すぎるし……まあ、どうでもいいか。翠の奴が誰に手料理を振る舞おうがおれには関係ない。

 

 

「んっ、熊口お主、なんかムスッとしとらんか?」

 

「してない、断じて」

 

「いいやしておったぞ。さては嫉妬しとるんじゃろう!」

 

「する理由がない!」

 

 

 天魔の茶化しに付き合う必要はない。

 なんでおれが不機嫌にならなければいけないんだ。

 あ、あれだ、夕飯時で腹が空いてるから機嫌が悪いだけだ。

 決して翠が知らない奴に手料理を振る舞ったのに嫉妬しているわけでない。

 

 

「ほら、もう辺りも大分暗くなってきたし行こうぜ」

 

「分かっておる」

 

「あっ、たぶん萃香もおれん家いると思うから、絶対に酒は呑むなよ。呑んだら二人とも出禁だからな」

 

 

 以前二人が酒を交わして家を倒壊させた実績があるからな。

 おれん家を同じようにされては溜まったものじゃない。

 

 

「そうか萃香も来ておるのか。あやつの伊吹飄の酒は美味いんじゃがなぁ」

 

「それでも駄目、呑むなら外で呑めよ」

 

「月見酒か! それもまた一興じゃな!」

 

 

 酒呑む気満々じゃねーかこの老害。絶対この前起こした事全く反省してないだろ。

 なんとか飯の間までは両者に酒を呑ませるのを控えさせねば、冗談ではなくおれの家が壊されるぞ。

 

 

「絶対、家の中で呑むんじゃないぞ」

 

「三度言うでない。わしも前回しでかしたことは反省しておるでな」

 

「ほんとかぁ?」

 

 

 にわかに信じ難いが、天魔がそう言うのなら黙っておこう。

 流石に組織のトップである者が、過ちをそう何度も繰り返すようなことはしないだろうし。

 若干の不安はあるが、天魔を信じることにする。

 

 

「それなら早く行くぞ。あまり遅くなると翠が怒るからな」

 

「待っとれい、すぐ支度する」

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「お~、やっと生斗帰って来たんだね」

 

「熊口さん! 腕相撲しましょう腕相撲! 腕へし折ってあげますよ!」

 

「……なんでお前ら呑んでんだよ」

 

 

 なんか妙に嫌な予感がすると思ったら、もうこいつら出来上がってしまっている始末だったとは。

 

 

「むっ、もう呑んでおるのか」

 

「天魔? 家から一歩とたりともでやしないあんたが珍しい。家でも爆破されたのかい?」

 

「そう何度もわしの家を壊されてたまるか。翠の作る飯を頂こうと思ってな」

 

「生憎つまみしか作ってないんですよね、良かったら今から作りましょうか?」

 

「よいよい、翠も気持ちよく呑んでるところで仕事を増やされたくもないじゃろう。わしは少食じゃから、つまみだけでも十分満腹になる」

 

「おれはつまみぐらいじゃ足りないんだけど」

 

「熊口さんはその辺の雑草でも食べといてください」

 

「たんまりとお裾分けしてあげるから口開けな。石ころ一杯入れてやる」

 

「まあまあ、実は生斗が出掛けてからすぐに鴨を締めてたからさ、それで鴨鍋でもしようじゃないか」

 

 

 鴨鍋と言えば、初めておれと萃香が会った時に振る舞われた料理だ。

 あの時は極度の飢餓状態であったこともあるが、とても美味しかった記憶がある。

 ていうか肉自体この世界では大変に貴重で、そうそう食べられることないわけで。これからあの鍋が食べられるというだけでも涎が顎を伝うのを感じる。

 

 

「熊口さん汚いですよ~」

 

「煩い、おれは腹が減ってるんだ。涎の一つ垂れても仕方ないだろ。てかなんでお前ら酒呑んでんだ。この前禁酒させてただろ」

 

「昨日言ってたじゃないですか~、文さんのお茶出ししたらお酒呑んでも良いって」

 

「鬼に酒を呑むななんて、息をするなと同義、つまり死ねって言ってるようなもんだよ」

 

「そうじゃよな~、わしも同じじゃ! 好きなところで好きに呑む、だから酒は美味いんじゃ」

 

「お前それで家倒壊させてただろ……」

 

 

 そういえば翠にそんなことを言ったような……いや、待てよ。確かあれ、一杯だけって事だったよな。辺りの空き瓶を見る限り、絶対一升瓶以上呑んでるだろ。

 

 

「おい翠、お前」

 

「まだ一杯もお酒呑んでませんよ~。これは水です水。でなきゃこんなに呑めないですよ~」

 

「こんな酒臭くて濁った水があってたまるか」

 

 

 清酒でもあるまいしその言い訳には無理があるだろ。

 ていうかどこからこんなに酒を持ってきた。

 おれの家には前に住んでた天狗が置いていった一瓶程度しかなかった筈なのに……いや、どうせ萃香の仕業だろ。

 霞になって天狗達の貯蔵庫からかっさらってきたに違いない。

 

 

「待てよ、囲炉裏はここにあり、食事を摂るには室内でしか食べることができぬ。それじゃあ酒が呑めぬではないか!!」

 

「なんで? ここで呑めばいいじゃん」

 

「お前らそれでこの前やらかしただろ。家の中じゃ呑ませないぞ」

 

「え~ケチ!」

 

「玉の小さいやつじゃよな」

 

「人の楽しみを奪うなんて熊口さん最低!」

 

「お前ら人じゃないし、一度暴れられたらおれどころかこの山で止める事のできるやつなんていないからな」

 

 

 勇儀ならもしかしたらと思ったが、もしあいつが立ち会ったら対処すべき敵が四人になりそうだ。

 華扇ならちゃんと止めてくれそうだが……流石に三人相手じゃ部が悪いだろうな。

 やっぱりこいつらに暴れられたら止める術はないから呑ませるのは駄目だ。

 

 

「家の事なら大丈夫だって! 同じような失態を何度もおかす馬鹿はしでかさないから!」

 

「わしも一介の妖怪を統べる者として、そんなことは決してないことを約束する」

 

「熊口さん、信じるということを覚えましょ」

 

 

 こいつらどんだけおれん家で呑みたいんだよ。

 他の家行けよ、それなら存分に酒を楽しんでくれても良い。

 折角の優良物件だというのに……

 

 くっ、そんな物欲しげな眼で此方を見るんじゃない。

 おれは絶対、ぜっったいにここで呑むのを許さないからな。

 何故かは知らないけど皆がおれに向かってじりじりと近寄ってきたってそれは覆らない。

 

 あれ、なんでおれの両腕掴むの。ちょ、実力行使は駄目だよ。話し合いで決めよ、暴力は何も生まないから。ラブアンドピースだよほら、皆! 

 

 

「こうなったら勝負だよ。これで私達に勝ったらここで呑むのをやめたげる」

 

「どうぞお好きに呑んでください。心より歓迎します」

 

 

 しかし回り込まれるのが運命というもの。

 呑んでも良いと言ってるにも関わらず飯前の軽い準備運動も兼ねてと託つけて無理矢理勝負という名の鬼ごっこをすることになりました。

 

 勿論、散々追いかけ回された挙げ句鍋が出来上がったと同時に捕まりました。

 絶対萃香達のやつ、遊んでやがった。

 こっちは懸命に逃げていたというのに! 許せん! 

 

 

「やっぱり鍋をつつきながらの酒は最高だね」

 

「酒はどんなときに呑んでも美味いものじゃ」

 

「私今幸せで成仏しそうです」

 

 

 だが、三人のそんな幸せそうな顔を見て少し穏やかな気持ちになるおれがいる。

 

 おれもこいつらの以前の失態を過剰に意識し過ぎていたのかもしれないな。

 これぐらい和やかな感じで済むのであれば、今後も飲み会を開いても良いかもしれない。

 

 そんな感想を胸におれは三杯目にして夢の世界へと誘われていった。

 

 いつもなら呑めばテンションが上がるんだが、鬼ごっこで動き回ったおかげで睡魔が先にきたようだ。

 まあ別に寝てしまっても大丈夫だろう。

 三人も暴れないと約束してくれてたし、翠の言うとおり信じてみようじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、眼が覚めたときにはおれの家は無くなっていた。

 

 

「すまん、ちょっと四股を踏んだら壊れてしもうた。その前に熊口は救出したんじゃ、どうか許してくれんか」

 

「まあ大分古かったし仕方ないね! 今日の昼からでも新設作業に取り掛かるから安心しな!」

 

 

 酒の入ったやつの言うことは信じるな。

 そいつの言う大丈夫は決して大丈夫な訳がないのだから。

 

 とりあえずおれの中で三人にハウスブレイカーの異名を授けました。



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18話 朝日と河童と嬉しい誤算

 

 

「ふぅ」

 

 

 まだ夢見心地な意識の中、おれは珍しく縁側から日の出を拝んでいた。

 

 いつもなら昼前まで寝ているんだが、怠け過ぎの影響か妙に早く起きてしまった。

 

 

「いやぁ、綺麗ですね。空を見ていると、その壮大さに全ての嫌な感情が浄化されるようです」

 

「ならもう成仏してるだろお前」

 

「物の例えですよ」

 

 

 尤も、おれが熟睡しているところにこいつが腹を踏んで外に出ようとしたのが発端なんだが。

 

 だが、踏まれるのもたまには悪くないかもしれない。いや、そういう直接的な意味ではなくて。

 

 太陽は長い眠りから目を覚まし、星空広がる無限の宇宙をその圧倒的な光を持って飲み込み、地上の生物に己の存在を誇示している。

 その過程がなんとも幻想的で、おれ一人の生命が、なんとも小さいものかと見せつけられているようだ。

 

 家を壊された事を未だに根に持っていたのも、なんだか馬鹿らしくなってくる感覚さえある。

 

 

「だからもう機嫌を直してください。萃香さん達だって悪気があって壊したわけではないんですから」

 

「四股踏んで壊した本人が何をほざいてる」

 

「訂正します。許しましょうよ、私を」

 

 

 何さらっと萃香達のせいにしようとしてんだこの怨霊め。

 

 眩い光が妖怪の山を照らし、小鳥のさえずりが辺りに響き渡る。

 そんな光源を背に、飛んでくる一人の妖怪が眼に映りこんだ。

 

 

「えっ、生斗さんがこの時間帯に起きてるなんて珍しい。今日傘持ってきてないんですけど」

 

「文、今日は生憎の晴天だから雨が降る心配はしなくて良いぞ」

 

 

 そこまで珍しいわけでもないだろうに。

 まあ、この山に来てから日の出に起きた事はないが。

 それにしてもこんな朝早くに文が来るなんて、友達になった初日以来だな。

 なにか用でもあるのだろうか。

 

 

「今日は熊口さんが文さんに命じていた仕事の期日ですよ」

 

「あれ、そうだったっけか」

 

「忘れないでくださいよ。結構奮闘したんですからね」

 

 

 確か料理を人が食べられるまで上達させることと、友達を一人作ることだったよな。

 家の再建について色々手間取ってたからすっかり忘れていた。

 

 

「それで、その小包の中にいるのが友達か」

 

「ち、違いますよ! これは今日作る食材です!」

 

「なんだ、てっきり喋る友達は無理だから何かしらの小動物を拉致ってきたのかと」

 

「酷すぎますよ! 私だって意志疎通の図れる友達の一人や二人ぐらい簡単に作れます!」

 

「実際は?」

 

「……一人が限界でした」

 

 

 それでも一人は作れたんだ。

 そこには少しながら感心した。

 

 

「それで、その友達はどこにいるんだ?」

 

「後から来ますよ。なにやら発明品が出来上がりそうとのことなので」

 

「発明品? そいつは何かしらの発明家か何かなのか?」

 

「らしいですね。私も彼女に会うまでその種族が何をしてたかなんて知りませんでしたし」

 

 

 文の発言から、友達は女で天狗とはまた別の種族らしい。

 鬼は論外とか言ってたし、妖怪の山に住む天狗下の妖怪か何かだろう。

 

 

「とりあえず、立ち話もなんだし上がれよ。茶ぐらい翠が出すぞ」

 

「どうぞ上がってください。お茶は熊口さんが丹精込めて淹れて下さるそうですよ」

 

「お、お気を使わずに。私は生斗さんの部下なんですから、私がお茶淹れますよ」

 

「なんか悪いな。この怨霊が役立たずなばっかりに」

 

「すいません、熊口さんが愚図なばっかりに……」

 

「「……」」

 

 

 おれと翠が無言で頬を引っ張り合ってると、苦笑いをしながら文は縁側から家へと上がり、台所へと向かっていった。

 

 

「初めて会ったときと比べて大分丸くなりましたよね、文さん」

 

「まあ、変なセクハラ上司が成敗されたから吹っ切れたんじゃないか」

 

「それだけではないみたいですけど……」

 

 

 しがらみが消えて本来の自分を取り戻しつつあるのだろう。

 前の文がどんなだったのかは知らないが、今の彼女を見る限り、良い方向へ進んでいるのは確かだ。

 

 

「それよりもおれらも上がろうぜ。まだこの時期は冷え込んでるからな」

 

 

 大分寒さは引いたとはいえ、未だに吐く息は白い水蒸気となって辺りに溶け込む。

 

 

「私は寒さを感じないんですけどね。まあ、熊口さんがどうしてもというのであれば上がってあげますよ」

 

 

 しかし隣にいる翠の口からは白い水蒸気は発生しない。

 それどころか息をしているのかも怪しい。

 

 そう、翠はこの世のものではない。

 生命の理から外れ、怨みを晴らす為にこの世にしがみつく怨霊である。

 

 そんな事をふと考え、ほんの僅かながら胸が締め付けられるおれがいる。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「いや、よく考えるとほんとお前人間じゃないんだなって」

 

「何を今さら。排泄をしない、鼻もほじらないし汗もかかない。そんな欠点のない完璧美少女が普通の人間なわけないじゃないですか」

 

「性格が致命的なんだよなぁ」

 

 

 汗かかないわりにはよく泣くし、食事も必要ない筈なのに普通に食べてたりもする。

 翠自体少し謎な部分が結構あるが、別に気にする事でもないし言及することもないだろう。

 

 

「性格も良いんですからね!」

 

「そう自分で言ってる時点で駄目なんだよ。ほら、入るぞ」

 

 

 さっ、まずは文の料理がいかほどまでに上達したのか見ようじゃないか。

 おれの舌はどっかの怨霊のおかげで肥えてるからな。審査は厳しく行かせてもらう。

 とはいえ、食材に罪はない。早恵ちゃんのような化学物質でない限り、完食する所存だ。

 なあに、舌は肥えてるとはいえ、下手物料理もこの世界に来て大分慣れてきている。

 どんとこい! 部下の失敗は上司であるおれの責任でもあるからな! 

 

 

「覚悟した顔してますね。文さんの料理がそんなに失敗すると思ってるんですか?」

 

「そんなそんな、おれは文を信じてるぞ」

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「まだかなー、まだかなー?」

 

 

 机の上に顎を置き、足をバタバタさせる萃香。その行動はまるで年相応の少女の動きを彷彿とさせる。

 

 

「そういえば萃香、お前自分の家とかないのかよ」

 

「ないね。強いて言えばこの妖怪の山にある家全部が私の家さ」

 

「そのわりにはおれん家に入り浸ってるよな」

 

「だって居心地良いんだもん」

 

 

 その気持ちは分からないでもない。

 この家の立地は良いし、何もしなくても美味い料理を作ってくれる奴もいる。

 それに入り浸るのはおれもよくするしな。それで出禁を食らったこともある。おれはそんなことしないが。

 

 

「だからと言って酒は呑むんじゃないぞ。ここは飲酒禁止だからな」

 

「良いんじゃん、ここは私の家でもあるんだから」

 

「家主の言うことを聞かないやつは井戸に投げ込むからな。寝ている隙に」

 

「寝ている隙にってところが何とも狡いですよね」

 

 

 正面でやりあって勝てる相手じゃないからなお前らは。逆におれが山の外へ放り投げられてしまう。

 

 

「……おっ」

 

「良い匂い……」

 

 

 台所から出汁の効いた吸い物の良い匂いが漂ってくる。

 これはよく翠が作るときに嗅ぐ匂いだ。この匂いを嗅ぐと大人しかったおれの胃が今すぐ中身を入れろと暴れだす。

 

 

「流石は文さん、飲み込みが早いようですね」

 

 

 そういえば、翠が文に料理を教えてたんだな。おれが命じてたのにそんなことも忘れているとは。

 余程適当に決めてたんだな、おれ。

 

 

「美味そうな匂いだね。昨日から何も食べてなかったから、腹が鳴りっぱなしだよ」

 

「吸い物はお酒に合うんだよね。河童もそう思うだろ?」

 

「うんうん、合う合う。まあ一番は胡瓜の浅漬けだけど」

 

「それであればこれから漬けましょうか? 少し時間はかかりますが文さんが食後ぐらいにはできると思いますよ」

 

「いいよ、悪いし。そんなこともあろうかと持ってきたし」

 

「昨日から何も食ってないのならそれ食えばよかっただろ______ってあれ、なんか一人多くないか?」

 

 

 台を囲んでいたのは元々三人だったはず。

 そして今、ここにいるのはおれ、翠、萃香……と、青髪のツインテールの少女。

 

 

「んーと、あんた誰?」

 

「あっ、私かい?」

 

 

 その少女はなんというか、羞恥心という物があまりないらしい。

 上半身は胸元にさらしを巻いている程度でほぼ裸同然、下は流石に履いているようで、青色を基調とした作業ズボンを履いていたが、サイズが合ってないようですぐにでもずり落ちそうになっており、現段階で恥骨部分を大分露出させていた。

 頭に被っている青色の帽子もそうだが、この少女の姿はあまりこの世界じゃ見ないような格好だな。

 

 

「私はカワシロって言うんだ。この妖怪の山で昔から住んでる河童って種族の長さ。さっき玄関叩いたんだけど、誰も出なかったから勝手に上がらせてもらったよ」

 

「かっぱ……?」

 

 

 河童っていうのは、あれだよな。おれの世界では全身緑色で頭に皿が乗って亀の甲羅を背負ってる水生生物みたいなやつだよな? 

 この少女が河童? いや、まあ天狗でも同じような例があるということだろう。

 大分イメージが崩れてしまっているが、この世界ではこの少女の姿こそが河童としての正しい姿なのだろうな。

 

 

「そ、それで、その河童の長とやらがなんでうちに来たんだ」

 

「あれ、文の奴言ってなかったんだ。確かあんた……生斗って言ったっけ? に友達紹介したいから来てくれと言われたから来たんだよ」

 

「あっ、カワシロが文の友達なのか」

 

 

 そういえば後から来るとか言ってたな。

 玄関まで来てたなんて気づかなかった。だからと言って勝手に入ってくるのも如何なものかと思うが、この中には勝手に布団の中にまで入ってくる不届者もいるので眼を瞑ることにする。

 

 

「にへへ、まさか文の上司が人間なんてね。そうだ、相撲でも取るかい? 」

 

「やだよ、おれが敗けたら尻子玉取るんだろ」

 

「おっ、よく知ってるね」

 

「何逃げてんだか。ようは勝ちゃ良いんだよ。生斗ならいけるって」

 

「ああもう面倒だから萃香は黙っておいてくれ、ハウス!」

 

 

 萃香は勝負事になると自分の事以外でも無理矢理やらせようとする節がある。理由は単純、面白いから。

 そんなのに付き合ってられるか、おれの命が何個あっても足りやしない。

 

 

「そういえば、文の奴が発明家とかなんとかいってたが、カワシロはなに作ってるんだ?」

 

「色々だよ。大体はその時に思い付いた物が多いんだけど、今作ってるのは自動揚水機だね」

 

 

 自動揚水機? 水車とかの事をいってるのだろうか。

 そういえばまだこの世界で水車は見たことない。

 そうなると今カワシロが考えているのは大分画期的なのではないだろうか。

 

 

「あれか? 大きい歯車みたいのを川の流れとかで動かす的なやつか?」

 

「いや、圧力を用いて井戸の水を揚げるんだよ」

 

「おい待て、時代がおかしすぎるぞそれ」

 

 

 圧力を使って揚水するやり方は、おれが元いた世界で主流のやり方だ。

 それをこんな古墳時代と飛鳥時代の間ぐらいの文明でその発想になるのは流石に可笑しい。

 先見の明が臨海突破してる。

 

 

「それが結構良い感じなんだよね。私ら河童は元々水を操れる種族でね、その要領を機械的に用いれば結構現実味があるんだよ。皆は不可能だって匙投げてるけど」

 

「そりゃ材料からないだろうしな……」

 

 

 最近漸く製鉄技術が確立され始めたというのに、そこで水道用の配管やらそれを圧力で送り届けるポンプその他諸々、前の世界でざっくりと仕組みだけなら分かっているおれですら現実的でないことは明らかだ。

 

 

「ま、頑張れ。今は難しくてもいずれは出来ると思うよ。おれが保証する」

 

 

 それが何百、何千年かかるだろうが、いずれはこの世界でもその揚水方法は確立されるだろう。もしかしたらもっと早く使える日が来るかもしれない。

 とりあえず、おれもそんなに機械関係に詳しいわけではないから、この話は一端お開きにしておこう。

 この部屋にいる他の連中は揃いも揃って興味なさそうに欠伸してるし。

 

 

「まあ見てな、いつかは完成させてみせるよ。他にもやりたいことあるから間間になると思うけど」

 

「ほんと発明好きなのな。正直おれが当初想像していた河童とは大分かけ離れて軽く衝撃的だけどな」

 

「一体どんな想像してたんだい?」

 

「口が嘴がついていて全身緑色で水生生物みたいなの」

 

「あんたは私らを何だと思ってたの? それただの身体を緑で着色した変質者だよ」

 

「あと、胡瓜が好き」

 

「それだけは合ってる。胡瓜美味いよね、永遠に食べていられる」

 

 

 変なところは前の世界と同じだからなぁ。

 ああ、あれか。この世界では有名どころの妖怪は人間化して現れてる感じかな。鬼とか天狗もそうだし。

 名前のよく分からない妖怪とかはわりと奇形型のが多いけどな。

 

 

「そういえばそろそろ出来上がる頃ですね。私ちょっとお皿運び手伝ってきます」

 

「皿落とさないようにね~」

 

「はい、気を付けます!」

 

「手とか怪我しないようにな」

 

「熊口さんじゃあるまいしそんなヘマしませんよ」

 

 

 なんか萃香の時と比べて辛辣じゃない? 

 

 

「生斗、一つ賭けをしないかい? 文の料理が美味いか不味いかの」

 

 

 萃香からそんな賭け事の申し出が来る。

 ほう、不味いか美味いか、か。まさか萃香から仕掛けてくるのは少し驚いたな。萃香はそういうの嫌いなのかと思ってた。

 

 

「見返りは?」

 

「賭けに勝った方が、敗けた相手の料理の一品を上げるか貰うことが出来る」

 

「乗った」

 

 

 不味ければ上げれば良いし、美味ければ貰えばいい。

 意外と利に叶った賭けだ、ただ不味いか美味いかの判断するより、此方の方が断然楽しい。正直な話、萃香の事だからおれが賭け事に勝ったら萃香と戦う権利(義務)を押し付けてくると思ってた。

 

 

「そうだな、おれは____」

 

 

 以前のド底辺であった料理スキルの状態からまだ一週間も経ってない。

 

 現実的に考えておれが選ぶのは、()()()()しかない。

 

 

 

 ーーー

 

 

「どうぞ、御召し上がりください」

 

 

 緊張した面持ちで、食事を促す文。

 卓上には何ら変わらない朝飯が並び、焼き魚や吸い物の匂いが食欲をそそる。

 たった数日でここまで見た目もよく匂いまで食べられそうなものに出来たな。

 前は見た目も匂いも味も全てが駄目だったというのに。

 

 

「……いただきます」

 

 

 おれがそう言い放つが、おれ以外に箸をつけようとする者はいなかった。

 やはり、まだ皆警戒しているのだろう。

 見た目に反してとんでもない味付けだったというケースも十分にあり得るのだから。

 

 

「え~! これ文が作ったの!? 意外だなぁ、文は料理全然出来ないもんだと思ってた!」

 

 

 そんな緊迫した食卓に、一筋の光が差す。

 ____そう、文が初めて自分から作った友達、カワシロだ。

 彼女はまだ、以前に文が作った料理を知らない。

 

 

「今すぐ食べたいけど、確かこれ文の料理の試験って言ってたよね。私が最初に食べるのはまずいよね」

 

「ここは言い出しっぺであり、審査官である熊口さんが最初に食べるべきでしょう」

 

 

 その一筋の希望はおれをスルーし、翠がとどめに何処かへ蹴飛ばしていった。

 畜生! あわよくばカワシロの反応を見て食べようと思っていたのに! 

 

 

「ささ、冷めないうちに食べなよ、私らもお腹空いてるんだからさ。ねっ、審査官」

 

「くうぅ」

 

 

 行くしかない。大丈夫だ、見た目も匂いも申し分ない。これで不味いなんて早々ない筈だ。

 せめて味かない程度であれば食べられる。

 

 大丈夫、大丈夫。そう心の中で自分に言い聞かせつつ、震える手付きで大根の和え物に箸をつける。

 

 

「いくぞ、おれはいくぞ!」

 

 

 各々が喉を鳴らし、おれが挟んだ和え物を見守る。

 

 そしてついに、おれは覚悟を決め和え物を口に含み、咀嚼した。

 

 

「……」シャキシャキ

 

「「「「……」」」」

 

 

 静寂に包まれたこの空間で、おれが咀嚼する音だけが周りに響き渡る。

 一通り噛み終えたおれはそれを喉へ通し、胃袋の中へと収めていった。

 

 

「か、感想は……?」

 

「……」ゴトッ

 

「えっ」

 

 

 文が感想を聞いた。

 しかしおれはその質疑をあえて口で答えず、行動で示すことにした。

 

 

「私の、敗けみたいだね」

 

 

 萃香の小鉢がゆっくりとおれの卓へと運ばれる。

 おれと萃香が賭けていた内容を覚えているだろうか。

 

 賭けの勝者は、不味ければ一品を敗者に渡し、美味ければ一品を敗者から取る事ができる。

 

 不味いと賭け、それで勝てば一品食べずに済む。

 美味いと賭け、それで勝てば一品多く食べる事ができる。

 

 おれが萃香の和え物をとったということはつまり、そういうことだ。

 

 

「おれは文を信じていたぞ」

 

「じゃんけんで負けたから仕方なく美味いで賭けてたでしょうに」

 

「えっ、えっ、まさか美味いか不味いかの賭けをしていたんですか? それに、じゃんけんで敗けて仕方なくって……」

 

「そ、そんなことはどうでもいいんだ。文、この和え物梅肉使ってるだろ。しゃきしゃきの大根と絡み合ってめちゃくちゃ美味いぞこれ。それに大根の葉で彩りを入れてるのも改めて見るとすごい見栄えが良い。まさかこんな短期間でここまで成長するとは思わなかったぞ」

 

「そうですか? ほんとに美味しいですか?」

 

「ああ! ほら、皆も食べよう!」

 

「やったー! いただきまーす!」

 

 

 翠の失言で裏事情が文に勘づかれそうになったが、なんとかこの和え物を褒めちぎる事で難を逃れる事に成功した。

 

 結局和え物以外の料理も高水準の出来で、とても美味しかったのは驚きだったな。

 今回作ったのはどれも何度も練習したからとの事だったが、こんな短期間でこの出来なら一年をまともに料理の勉強をすれば店を出せるレベルまで行くのかもしれない。

 

 

 何はともあれ、文は己の任務を全うしたんだ。

 

 おれもそろそろ、自分のやれること、いや()()()()()をしなければならないな。



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19話 満了・節目

次回3章最終回です。


 

 妖怪の山では驚きの連続だ。

 事あるごとに騒動が起き、その度に沢山の建造物が破壊される。

 だが天狗達の高い建築技術と鬼の余りある運動能力により次の日には何もなかったように再建されてもいる。

 

 そんな騒動に何度か巻き込まれ、何度も命の危機に見回れたりしたが、なんとかまだ息をしております。

 

 文の友達作りと料理実習からもうすぐ五十年経つ。

 五十年とはつまり、おれと鬼との契約満了日も近付いてきているということだ。

 

 ここの連中とは随分と仲良くやったが、そろそろそんな一時も終わりにしなければならない。

 おれと翠にはそれぞれ目的がある。

 その目的を達成するために、踏み出さなければならない。

 

 

「今更だけど、なんで生斗って歳取ってないの?」

 

「そりゃあ、おれだからな」

 

「まあ、生斗だもんねぇ」

 

 

 と言いつつも、この五十年間何もしなかったわけではない。

 天狗の情報収集力を買い、おれは天魔に依頼して妖怪の山周辺の町村に妖怪発生状況や月に関する情報を手に入れていた。

 天魔も、おれが天狗社会の相談役として何度か世話を受けていたこともあり、快くその依頼を了承、滞る事なく情報を集めることができた。

 結局どちらも有力な情報を手にすることはできなかったが。

 

 

「おいおい、それで信じるなよな」

 

「じゃあなんで? 人間の寿命はとっくに過ぎてるはずでしょ。私は元々、それが分かってあんたと契約したんだ」

 

「一生鬼と共にいろって事か……黙ってて悪かったと思うよ。ただこの事を言ったら命の危険がとんでもないことになりそうで恐くてな」

 

 

 _____妖怪の山の連中と一緒にいるのも後数日程度か。

 別に期日が来ても、妖怪の山に留まることは出来るだろう。

 だが、そこを区切りをつけないと、いつまでも此処にいそうになる。

 月の皆に再会しなくても良いかもと思ってしまうおれがいる。一緒にいた期間は月の皆より倍は妖怪の山の連中の方が長いしな。

 だが、おれは約束しているんだ。必ず月に行くと。

 その約束を果たすため、おれは行かなければならない。

 

 

「おれが生きてるのは、おれ自身の能力によるものでな____」

 

「『生を増やす程度』の能力?」

 

「そう、神の恩恵でおれが不老なのは知ってたよな? 前に勇儀と話してたときに確か盗み聞きしてたし」

 

「あ、うん」

 

「それもこの能力の特典みたいなもんだよ。おれは複数の命を持つことができる」

 

 

 満期が近付いている。

 それを把握していた鬼達は連日期日を延ばせやら永住しろと詰め寄ってくる。

 そして今日は鬼の中でも大御所である萃香と勇儀がおれの家へと赴いていた。

 

 

「それなら何回でも生死を分けた勝負ができるじゃん!」

 

「そういうことになるからこれまで黙ってたんだよ」

 

 

 居間で三人、少し重たい雰囲気を漂わせている中に、先程まで黙っていた勇儀が口を開く。

 

 

「なんでだい? 一緒に酒を呑み交わしたり、一緒に馬鹿やって笑いあったのは、囚われの身だから仕方なく付き合っていたってことなの?」

 

「違うに決まってるだろ。その逆だ、おれだって住めるのならずっと此処に居たい」

 

「ならどうして?」

 

「……お前らは約束をして、それを自分の都合で破ってしまうことになった場合どう思う?」

 

「あり得ないね。約束を破ることは鬼としての意地が許さない」

 

 

 そうだろうな。鬼は嘘を嫌う。

 純粋過ぎて人の言葉を簡単に信じ込んでしまうような種族だ。

 約束を破るということはつまり、嘘をついたことと同義、それを鬼である勇儀達が看過する訳がない。

 そんなおれの質問の意図に察した二人は、少し諦めたような、複雑な顔となる。

 

 

「……何となくわかったよ。待たせている相手がいるんだね」

 

「でも一体どんな奴なんだい。年数的に、普通の人間じゃないんでしょ?」

 

 

 そう萃香からの質問に、おれは人差し指で天井を指し、

 

 

「月の皆さ。酒の席で何度か言ったろ?」

 

「ま、まさか」

 

「ただの絵空事とばかり思ってたよ。でも、生斗の顔を見る限りじゃ本当みたいだね」

 

 

 これまでは信じられてなかったと。

 

 

「あいつらと約束してるんだよ、必ず行くって。此処にいつまでもいるとその約束を放棄してしまいそうになる。おれが満期を迎えてこの山に出るのも、節目を作らないといつまでもずるずる引き延ばしそうだからだ」

 

 

 さっきも同じようなことを言ったーー正確には思っていたが、大事なことだから改めて言おう。

 鬼である萃香達なら理解してくれる筈。

 

 

「……はあ。それじゃあ引き止めようとした私らが悪者みたいじゃないか」

 

「いや、その気持ちは正直嬉しかったよ。引き止めてくれるってことは、おれともっと一緒に居たいってことだろ?」

 

「それもそうだけどさ」

 

 

 自分で言っておいてむず痒くなる。

 だが、鬼達にとっておれは呑み仲間であるぐらいで、利益をもたらすようなことはしてこなかった。

 ということは純粋に、おれを『友人』として見てくれている証拠でもある。

 

 

「____仕方無いね、今回は引き下がるよ」

 

「その代わり、私らとも約束しな。たまにでいいから、この山に戻っておいで。いつでも歓迎するよ」

 

「願ってもない申し出だな。お言葉に甘えて、週一で帰るわ」

 

「言ったね! 鬼は嘘は嫌いだよ!」

 

「ごめん、冗談だ。でもほんとにたまには戻るよ。その時はまた皆でどんちゃん騒ぎしようぜ」

 

「ふふっ、二、三杯で潰れる奴がよく言うよ」

 

「それはお前らが呑む酒の度数が高いだけだから! ほんとならもうちょっと呑めるぞ、たぶん! そもそもお前ら毎回______」

 

 

 その後他愛のない話に華を咲かせつつ、酒盛りしてその日を過ごした。

 比較的穏便に鬼達に旅へ出ることの許可を得られたのではないだろうか。

 変にこじらせると勝負して鬼が勝ったら延長とかの流れにもなりかねないから内心ひやひやしていたのは秘密という事で。

 

 後は天狗サイドだな。

 別に天狗の組織に属しているわけではないから、鬼達よりは楽だろう。

 明日、天魔のところへ挨拶に行かないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「駄目じゃ。この山から出ることは許さん」

 

 

 鬼との契約満期であることと、おれに目的があってこの山から出ること、そして鬼からもその了承を得られた事を説明した後、数分おいて天魔から放たれたその発言に、おれは呆気にとられていた。

 

 

「熊口、御主は己の立場をまるで分かっておらん。

 熊口は今や天狗社会の相談役であり、文の上司であるのじゃぞ。これを見て他の天狗から見ても関係者ではないとは誰も首を縦にはふらぬじゃろう」

 

「う”っ」

 

「そして天狗の掟として、この山の脱走者にはそれ相応の報いを受けるというものがある。熊口が今出てしまえば、その掟に抵触させようと暗躍する輩が必ずや現れるじゃろうな」

 

 

 それは、確かにいるだろうな。

 天狗の全員が、おれを認めてくれている訳ではない。

 人間だから、態度がムカつくから、天魔と馴れ馴れしく話しているから。

 様々な理由から何名かの大天狗から嫌われているのは自覚している。

 おれが知らない中にもおれのことが嫌いな天狗はまだまだいるかもしれない。

 だが、天狗社会に変に首を突っ込んだのも事実ーー文の上司になったのは完全に天魔の独断だが。

 天魔が危惧する事態になることは避けられないのかもしれない。

 

 

「と、言うのは職務上の建前じゃ」

 

「ん?」

 

「本音はわしも萃香達と一緒じゃよ。友人として熊口には此処に居て欲しいが、約束を破らせるわけにはいかん」

 

 

 天魔も立場的に贔屓する訳にはいかないのは分かっている。

 その上で本音を漏らしてくれている辺り、本当は天狗達の都合で此処に縛らせたくはないのだろう。

 

 

「そうじゃ! そういえば最近宴会を開いておらんかったの。()()()()()()()にでも開くとするかの。あっ、この集会には熊口は来なくて良いぞ。熊口は酒が弱いからの!」

 

「……! そうだな。天狗達の呑むペースに合わせてたら、命が幾つあっても足りないしな」

 

 

 口から直接出ても良いなんて事は、天魔の役柄上口が裂けても言うことは出来ない。

 だからあえて宴会の話を持ち出してきたわけだ。

 

『宴会が催している間に出ろ』

 

 

 天魔はそうおれに言っているのだ。

 正直この発言だけではおれの安全は保証されてはいない。

 一度この山を出てしまえば天狗からしたらおれは裏切り者であり、粛清の対象となる。

 だが、今回は天魔の事を信じることにしよう。

 多少の追っ手に振り回される可能性はあるが、天魔が上手く立ち回ってくれる事に信じるしかない。そうでなければ、おれはいつまでもこの山に囚われの身となってしまう。

 不干渉の決まりはあるが、最悪鬼の力で何とかしてもらおう。

 一回出て永久追放は萃香や文達と会えなくなってしまうかや流石に辛いし。

 

 

「今度帰ったら良い土産話持ってくるよ」

 

「はて、何の話をしておるのかの?」

 

 

 おっと、この話は天魔の前でしてはいけなかったな。

 だが、口元が微かに笑っている辺り、楽しみにしていてくれるようだ。

 

 

 さて、鬼と天狗の了承は得られたようだーー正確には得られてはいないが。

 

 ____後は()()()だな。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「え~! 生斗あんた達来月この山から出ていくの!?」

 

「静かに! てか食べてる最中に大声出すな、粟がこっちにまで飛んできただろ!」

 

 

 最近では当然の権利のごとく我が家の食卓に顔を見せるカワシロが、粟を撒き散らしながら驚いた顔でおれと翠を交互に見る。

 

 

「それにこれは機密事項なんだからな。他の天狗にバレたら一大事になるんだぞ」

 

「すいません、こればっかりは行かないといけないんです」

 

「他の天狗にはって、私は良いんですか?」

 

 

 箸で和え物を挟んだまま質問をぶつけてくる文。

 文も最近おれに対して遠慮というものが無くなってきている。

 

 

「何言ってるんだ、天狗である前にお前はおれの友人だからな。黙って出るのは筋が通らないだろ。勿論、天魔にもこの話はしてるし、間接的にだが了承は得ている」

 

「……そうですか」

 

 

 そう呟くと、漸く和え物を口に運ぶ。

 

 

「月の件と、天魔様の旧友の件で、ですよね」

 

「____なんで分かった?」

 

「それ以外で生斗さんと翠さんが出る理由が見当たらなかったので。お二人が私達の事を本当は嫌っていたのなら話は別ですが」

 

「そんなことは絶対にないから安心してくれ」

 

 

 やけにあっさりとしてるな、文の奴。鬼達ですら信じてくれなかった月の件まで理解してくれていたとは。

 この中で一番説得が難しいのは文だとばかり思ってたんだけどな。てっきり天狗の掟とかを盾に脅してくると思ってたんだが……

 

 ____いや、これは違うな。

 

 

「たまには戻ってくる。だからそう不貞腐れるなって」

 

「不貞腐れてません」

 

「不貞腐れてますね」

 

「不貞腐れてるよね」

 

 

 やはり、他の人が見ても不貞腐れてるよな。目を合わせてくれないし、ちょっとだが眉間に皺が寄っている。

 

 

「文、ほんとに勝手ですまん。上司であるおれが抜ければ、文に負担を掛けてしまうだろう」

 

「……」

 

「だから、力不足になるかもしれないが、今のうちにやっておきたい仕事があればなんでもおれに言ってくれ。おれが出来る範疇であれば喜んで仕事するぞ」

 

「えっ、それじゃあ土下座の状態で私の足舐めてください」

 

「お前には言ってない」

 

 

 ていうか翠、お前の足透けてるだろ。

 それにおれは仕事に関係する事で言ってるのであって、全ての事柄のなんでもとは言ってないからな。

 

 

「……それじゃあ、この後私の家まで来て下さい。申し訳ないんですが、翠さんは留守番してもらえると助かります。そこでとても大事な仕事の内容を説明しますので」

 

「お、おう。わかった」

 

 

 大分軽い気持ちで仕事すると言ってしまったが、ちょっと安請け合いしてしまったかもしれない。

 人には言えない任務、つまり極秘事項だから翠を置いてくるように指示しているのだろう。

 おれを通さず、天魔本人から請けている仕事が幾つもあるらしいしーーていうかおれのポストは完全にあってないようなものだけどな。

 

 

「あー、これは邪魔しない方が良いみたいだね。モブ河童は翠ちゃんの食事を食べ終わったら大人しく帰るとするよ」

 

「私もお皿洗いがあるので、丁度良かったです。たっぷりと労働の汗をかいてきてください」

 

 

 極秘と聞いてか、他の二人はそそくさと距離をとる。

 

 

「言っておくが、何ヵ月もかかるようなのは無理だぞ」

 

「大丈夫です_____一日あれば済みますから」

 

 

 一日で済む極秘任務、ね。

 謎は深まるばかりではあるが、何でもすると言った手前、無理難題でない限りは引き受けねばならない。

 

 そう頭の中で覚悟を決めつつ、食事を続けることにした。

 その時何故か翠が複雑そうな顔をしていたのには少し気になったが、どうせ自分の願いが即却下されたことに対して不服に思ってるだけだろうと決めつけておくことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「生斗さん」

 

 

 薄暗い部屋の中、蝋燭の光により二人を朧気に照らす。

 何故態々文の家に呼ばれたのかはさておき、ほんとにこいつの家何にもないな。

 必要最低限の棚と机だけ、それ以外は押入にでも仕舞っているのかは知らないが見当たらない。

 別にそれが悪いとは言わないが、些か物足りなさを感じてしまうのはおれの感覚が可笑しいだけだろうか。

 

 

「何だよ、変に改まって」

 

 

 畳の上で正座し、胡座をかいているおれを見つめる文。

 ここまで畏まられると、此方まで気を使わなければという気になってしまう。

 さあ、来るなら来い。どんな仕事だろうと、おれの命が減るようなことがない限り尽くしてやろうじゃないか。

 

 

「これまで、本当にありがとうございました。熊口さんがいなければ、私は腐っていたと思います」

 

「へあっ?」

 

 

 どんな仕事が来るのかと身構えていると、文の口から予想外の発言が飛び出したため、思わず変な声が出てしまった。

 

 

「友人が出来たのも、料理が上達したのも、全て生斗さんのおかげです」

 

「待て待て待て、待て。ここに呼び出したのは仕事の事じゃないのか?」

 

 

 身体中がむず痒くなる文の感謝の言葉に照れを隠すように頭を掻く。

 

 

「はっきり言っておきます。生斗さんに恩はあれど、借りを作った覚えは全くありません。特別な任務も全て真っ赤な嘘です」

 

「お、おう。そうなのか」

 

 

 そんな面と言われましても、中々に反応に困るな。

 おそらく、文が自分の家に呼んだのも、他の人がいると恥ずかしいと思ってのことだろうーーおれだって感謝を面と向かって言うのは恥ずかしくてそう言えるようなものではない。

 ……それにしても、借りを作った覚えはないと来たか。

 でもなあ、天魔に与えられた仕事の殆どを文に任せていたのも事実、このまま何もしないというのは何か違う気がする。

 

 

「……でも、どうしても何かされたいのでしたら」

 

 

 そんなおれの心情を読み取ってか、文は間を置いて妥協案を掲示しようと口を開いた。

 そしてその妥協案は、

 

 

「私の頭を撫でてください」

 

 

 それはそれで恥ずかしく、要求を飲みづらい内容であった。

 そんな思わぬ要求に答えを決めあぐねているというのに、文はお構い無しにと頭襟を取り、頭を差し出してくる。

 

 

「そ、そんなのでいいのか?」

 

「それだけで、私は報われますから」

 

「……分かった」

 

 

 恐る恐る、おれは文の頭へ手を伸ばしていき、そしてそっと髪を撫でた。

 蝋燭の灯火により艶やかに照らされた文の髪は、想像以上にしなやかで細く、とてもさらさらで何時までも触っていられるほど心地の好さであった。

 

 おれの髪とは大違い過ぎやしないか。普段どうやって髪を洗っているのか是非ともご教授願いたい。

 

 

「……」

 

「おぉ」

 

 

 何度も、何度も、おれは文の髪を撫でた。

 心地好いからというのもあるが、それだけであれば自重して三回ほどで止めにする。

 

 おれは、感謝しているのだ。

 五十年という年月はとても永い。この世界では平均寿命を軽く越えるレベルの永さである。

 そんな永い時を、おれの部下として立派に頑張ってきてくれたのだ。

 

 そんな有能な文に慣れきったおれは、羞恥心もあり、あまりこれまで言葉以外でこうやって褒めてやれなかった。

 だからこの時ぐらい、存分に褒めさせてほしい。

 

 

「うっ……」

 

「おいおい、やれって言ったのは文の方なんだから泣くなよ……」

 

 

 撫で過ぎたからだろうか、文は俯いたまま手の甲で眼を擦っていた。

 

 

「やはり、永遠でなくとも、別れというのは辛いものですね。これまで当たり前のように一緒にいた人が、いなくなってしまうんですから」

 

 

 別れを告げるものと、別れを告げられるもの。

 辛いのは圧倒的に後者だ。

 そんな辛い思いをさてでも、出なければいけない理由がある。

 それを理解しているからこそ、萃香や勇儀、文も止めるようなことはしてこないのだ。

 

 これはもう、約束守れなかったと諦めてノコノコと帰ったら、十中八九殴り殺されるだろうし、そもそも顔向けすらできないなーー端から諦める気は毛頭ないが。

 

 おれがこの世界に残ったのも、月の皆にもう一度会うためなのだから。

 

 

「もう……大丈夫ですよ」

 

「おう」

 

 

 文の頭部から手を退けると、文はゆっくりと頭を上げ、もう一度頭を下げ、礼を述べる。

 

 

「私の我が儘を聞いてくださり、ありがとうございました」

 

「いや、良いんだ。こういうのだったらこれからも遠慮なく言ってくれ。喜んで頭撫でてやる。いや撫でさせてください」

 

「何故敬語なんですか。それに一緒にいられるのももう数日程度しかないでしょう」

 

「そ、それもそうか」

 

 

 文の髪の感触が未だにおれの掌に残っている。

 あの感触は自分の髪では決して味わえない、ていうか触った手、微かに良い匂いがする。

 

 

「……私、頭臭かったですか?」

 

「癖になる匂いだ」

 

「!?」

 

 

 あっ、これセクハラ発言になりそうだな。

 いかんいかん、一旦掌の匂いを嗅ぐのは控えよう。

 

 

「それじゃあ、おれは帰るぞ。そろそろ家の手伝いしないと、翠の雷が落ちるからな」

 

「そ、そうですね。引き留めてしまってすいませんでした」

 

 

 これ以上ここに居ても文に迷惑だしな。何時もならもう床につく時間だし、蝋燭がもったいない。

 積もる話があるのなら、また明日でも遅くはないのだから。明日の昼頃にでも、ゆっくり話せば良い。

 

 

「それじゃ、また明日な」

 

「はい、お休みなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ、折角勇気を出して()()招いたのに……」




~オマケ~

生斗宅

「くんくん」

「なんだよ翠、急に匂いなんて嗅いで。そんなにおれが恋しかったのか」

「そんなこと微塵もありませんが____うん、熊口さんは枯れてますね」

「はあ? 枯れてるって何がだよ」

「熊口さんの存在がです」


このあとめちゃくちゃ喧嘩した。



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20話 またの宴で

 

 

 妖怪の山にある鬼の集落にて、天狗禁制の会合が行われていた。

 朝日が登っているにも関わらずその会合の会場となる部屋は薄暗く、真中に円形上に置かれた蝋燭で、なんとかお互いの行方を把握していた。

 

 

「遂に明日だね」

 

 

 ある鬼がそう呟く。

 その鬼の言う明日とは、百々のつまり妖怪の山に住まう全妖怪を巻き込んだ大宴会の事である。

 

 

「ああ、月日というものは余りにも早いものだね」

 

「明日の宴は過去最高のものにしようじゃないか」

 

 

 不敵に笑う鬼達。

 その姿を見れば、誰もがこの者らが陸でもない事は明確なのであるが、周到にも視線避けをしているため、この姿を目視する者はいない。

 

 

「そういえば、俺まだ生斗の野郎に再戦させてもらってないんだよな」

 

「あっ、実は俺も」

 

「あいつ絶対戦ってくれないよな」

 

 

 そんな中、鬼の一人が生斗に向けて不満をぶつけると、次々と生斗に向けて不満の声が上がり出す。

 

 

「もうあいつもいなくなってしまうし、最後にもう一回頼みに行ってみようぜ」

 

「そうだな。最悪殴り合いでなくても、何かしらで勝負がしたい」

 

「追いかけっこぐらいならしてくれそうだよな」

 

「おっ、それいいな! 生斗の奴結構すばしっこいから面白くなるぞ!」

 

 

 おお! と、鬼の皆が感心の声を上げ、早速とばかりに薄暗い部屋からぞろぞろと出ていく。

 その姿を止めるでもなく、三人の鬼は呆れたように其々の持つ酒を喉へと通す。

 

 

「まったく、ウチの奴等はなんでこうも脱線したがるんだか」

 

「仕方ないんじゃないの? 私だって出来るのならまた生斗とやりあいたいし」

 

「あら、意外ね。萃香の事だから真っ先に出ていくと思ってたんだけど」

 

「あんな量の鬼に私まで混ざっちゃったら、流石の生斗でも過労死するでしょ」

 

「はは、萃香も成長したもんだ! こっそり行こうとした私の方が子供だったようだね!」

 

「私は今も昔も思考回路は変わってないよ。生斗が私に気を使わせるぐらいの存在ってだけさね」

 

 

 これまた意外とばかりに萃香を見やる二人。

 これまで、誰に対しても気を使わなかった彼女が気を使う相手。

 萃香にとって生斗がどれだけの存在であるのかという事を鑑みた二人は顔を合わせ、同時に笑いが込み上げ、遂には吹き出してしまった。

 

 

「なに笑ってんの」

 

「にひひひ! いやぁ、萃香に気に入られるなんて、生斗もとんだ災難だなぁと思ってね」

 

「ぷぷっ、そういえば貴女、よく生斗の寝床に潜り込んでたわね。その角じゃお互い寝づらいでしょうに」

 

「馬鹿にしてるようだけど、結構寝心地良いんだよ、あれ。心臓の鼓動が良い睡眠効果を生むんだよ」

 

「そういう意味で言ったんじゃないわよ」

 

 

 納得いかないような表情を浮かべる萃香であったが、そんな彼女を置いて二人の鬼は話を戻し始める。

 

 

「それで、()()は順調なの?」

 

「ああ、もうド派手なのが()()()よ。誰にも気付かれないように練習するの意外に大変だったけどね」

 

「私は意識を散らせるから、大っぴらに練習できてたけどね」

 

「そう、なら明日は問題なく行けるわけね」

 

 

 一人は桃色の髪を弄りながら、一人は両指を鳴らしながら、そして萃香は伊吹瓢の酒を口に含めながら。

 其々の鬼が明日の宴に思いを馳せる。

 

 

「本当は、私は()()()については乗り気ではないけれど」

 

「折角の宴だ、『送別祝い』だけじゃ物足りないだろう?」

 

「____とにかく、明日の宴は生涯心に残るものになることは確かだね」

 

 

 因みにこの後、萃香らを含めた鬼達と生斗の人類初の鬼ごっこが催されたのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 ーーー

 

 

 ______玄武の沢。

 

 妖怪の山の麓にある、岩壁に囲まれたこの地には、透き通るように綺麗な河が流れている。

 綺麗な河には綺麗な魚が釣れるーーそう読んだおれは、旅路に出る二日前であるにも関わらず、釣りを嗜んでいた。

 

 

「おっ、釣れた。今日は調子が良いな」

 

「私が知る限りじゃ一匹目だね」

 

「何言ってんだ、もう一匹釣れただろ、カワシロが」

 

「服に引っ掛かっただけだから!」

 

 

 昼一から始めて、やっと一匹。もうそろそろ日が暮れそうになってきた。

 釣りの途中で現れたカワシロと無駄話に花を咲かせて時間を忘れていたが、この時間で一匹は流石に少ないかもしれない。

 

 

「ていうかここ本当は釣り禁止だからね。この河は私らの住処なんだから」

 

「ならなんで今の今までやらせてくれてたんだよ」

 

「そりゃあ、明後日生斗はいなくなっちゃうんだから、今日ぐらいはと思って好きにさせてたんだよ。親切心ってやつさ。まっ、結果は身の殆どない小魚一匹だけだったけど」

 

 

 それは言わないでくれ。

 朝に十匹は余裕で釣ってくると翠に豪語した事を思い出して恥ずかしくなる。

 

 

「もういい、この小魚も河に還す。これじゃあ腹の足しにもならないし、恐らくだけどこの魚は成長しきってない幼魚だろうしな」

 

「そうなの? 折角の成果なのに少し勿体ない気がするけど」

 

 

 そもそも食べ物にはそこまで困ってはいない。

 鬼の捕虜みたいな立ち位置だからか、ある程度の支給は鬼達から受けているーー7:3の割合で生産と略奪だが。

 略奪は鬼の存在意義として必要らしいので、おれ以外の捕虜を作るのと必要以上は盗らないことを条件に強くは止めていない。勿論、この時決闘で勝つことが条件だったため、死にかけたのは言うまでもない。

 

 ……と、そんな裏話はともかく、今回の釣りはいわば娯楽だ。

 それなのに、まだ幼いこの小魚をとったところで、この河の生態系を乱すだけだ。

 

 そう判断したおれは、小魚を籠から出してリリースする。

 

 

「それじゃ、おれは帰るけど。どうせカワシロも飯食べに来るだろ?」

 

「あたぼうよ! _____あっ、そうだ。先行っててよ。私も後で生斗の家行くからさ」

 

「ん、何かあるのか?」

 

「うん、ちょっと生斗に渡したいものがあってね」

 

「胡瓜か?」

 

「ま、それは夕飯を食べてからのお楽しみという事で」

 

 

 渡したいもの、ね。

 カワシロから渡されたものなんて、これまで胡瓜しか思い付かないんだよな。

 食事の足しに使ってと胡瓜、頼み事を聞いてくれたからそのお礼として胡瓜、珍しい形をしたのが採れたからと胡瓜、盟友だからと胡瓜、私が好きだから胡瓜と、後半よく分からない理由だが、事あるごとに胡瓜を渡されていた。

 

 今回もいつもと同様に胡瓜を渡されるんだろうなという気でいよう。

 

 

「夕飯時までには来いよ。遅れたら夕飯抜きだからな」

 

「い、一瞬で戻って参ります!」

 

 

 

 ーーー

 

 

「それで、翠はどうだったんだ? 挨拶回りは」

 

「はい、親しい方は全員回りました。流石は文さんです」

 

 

 食卓を囲む中、おれは翠の今日起きた出来事を聞いていた。

 翠自身、おれとは別に挨拶回りをしたいとの事だったので、文に言って連れていって貰っていたのだーー効率的に考えて一緒に行った方が無駄がないとは思うが、同性同士積もる話もあるのだろう。

 

 けれども、文一人に任せてしまったのは軽率だったかもしれない。大分文自身くたびれてしまっている。

 

 

「……萃香にも頼めばよかったな」

 

「良いんです……私が、行きたいと申し出たのですから。それに翠さんも庇ってくれましたし」

 

 

 天魔達の処はともかく、 鬼の居住区は文には大分荷が重かっただろう。

 文自身中々の実力者だから、鬼達に勝負を挑まれるだろうし。

 

 

「文さん今日は本当にありがとうございました。おかげさまで、明後日の旅路に後悔することなく出ることが出来ます」

 

「此方こそ、これまでありがとうございました。でも、一つだけ本音を言うと、翠さんの食事が今後食べれなくなるのが残念でなりません」

 

「一番残念なのは私だね。私の原動力は翠のご飯で出来てたんだ」

 

「カワシロ、その理屈だとおれらが来るまで廃人だったことになるぞ」

 

 

 やはり、翠の料理は大好評であったようだ。

 そういえばこの五十年間、絶対誰か食べに来てたしな。料亭でも開かせてれば、結構儲かってたのではないだろうか。

 

 

「大丈夫ですよ。文さんの料理だって今じゃとても美味しくなってるんですから」

 

「そ、そうですか? 」

 

 

 翠の称賛の声に文は紅くなり、指をもじもじしだす。

 そんな文の初々しい反応に、微笑ましい気持ちになる。

 ほんと、初めて出くわした時とは雲泥の差だ。

 

 

「ていうか、いい加減食わないと冷めるぞ」

 

「ふっ、話に夢中で食事を忘れるなんて二流のやることだよ。この私はすでに完食しているのだ」

 

 

 得意気に語るカワシロだが、お前ただ単に話が盛り上がる前に飯全部かきこんでたろ。早食い対決じゃないんだから、もっと味わって食べれば良いものを……

 

 

「私達も食べましょうか」

 

「そうですね。あっ、熊口さんお魚要らないなら貰いますね」

 

「おい待て翠、これはおれが楽しみにとっておいたメインディッシュだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 夕食を終え、何時もならばお茶を飲んで一息したら文達は帰る。

 だが、今回は少し違い、皆もがこれから起きる事柄に興味を示し、この居間を離れようとはしなかった。

 そう、カワシロの持ってきている打刀程の大きさがある細長い包みの正体が何なのかという興味に。

 

 

「ふふ、やっぱり皆気になるようだね」

 

「それがあれか? おれに渡すって言ってたやつか」

 

「ご名答! 良い頭持ってんじゃん」

 

 

 いや、渡すものがあると言われて、いつもは持ってこないものを持ってこられたら普通そう考えるだろう。

 

 

「まさかとは思うが、胡瓜じゃないよな?」

 

「ち、違うよ!? なんで逆にこの長さで胡瓜と考えるのさ!」

 

「いや、それこそでっかい胡瓜とかで記念に渡してきそうなところあるだろ」

 

 

 前に助平な胡瓜が取れたとかで見せびらかしにきた前科があるし。

 ……とりあえず、おれの心配は杞憂であったようだ。

 胡瓜渡されても明日の朝食の足しで終わるだけだしな。

 

 

「____それ、河童だけでなく、天狗の妖気がありますね」

 

「ふふふふ、よくぞ見抜いてくれた射命丸氏。この一品、我が河童の技術員だけでなく天狗の鍛治屋の力を借りて()()()()()だからね!」

 

「業物?」

 

 

 河童と天狗が共同作業をして作ったという点も然り、鍛冶屋という点も然り、何か製鉄でもしたのだろうか……ていうか、細長いもので製鉄となると、大分限られてくるよな。

 おれの予想では______

 

 

「はいよ、これを生斗に授けよう!」

 

「これは……」

 

 

 カワシロから受け取ったそれには、重量感があり、動かした際に鳴ったカチャッという音におれは確信する。

 

 _____これは刀だ。

 

 

 包みから露になる、丁寧に紫色の紐で縛られた柄がなんとも美しい。

 その後見えるのはシンプルな四角形の鍔、そして刀身を収めた漆黒色の鞘。

 

 

「生斗がいつも使ってた霊力剣を模して作ってみたんだ。どう? 結構重いし、()()()()があるけど、切れ味は抜群だよ」

 

 

 思わず鯉口に手を掛け、刀身を露にする。

 まるで鏡のように写す白銀の刀身が、おれの心を撃ち抜く。

 

 なんという美しい……!! 

 これまで、霊力剣は腐るほど握ってきた。

 だがそれは、ただ単におれが日本刀に憧れているからという理由であったから使ってきたのだ。

 

 もし戦うのならば、剣がいい。

 そんな理想は、男に産まれたからには誰もが思ったことはあるだろう。

 そんな夢を捨てきれなかったおれは、この世界に来てまず霊力で剣を生成することに固執した。

 そして剣術を学び研磨してきた。

 

 それが幸いし、霊力剣ならば一瞬で生成することができ、接近戦ならば並大抵の妖怪になら勝てるほどにまでに成長する事ができた。

 

 これも全て、格好いいからという、子供じみた理想があったからこそ。

 その夢が今、おれの目の前にある。

 

 本物の日本刀。おれの霊力剣を模倣したなんてとんでもない、おれの霊力剣こそが、この日本刀を模した物なのだ。

 

 

「この剣はね。実は私らの力が少しだけだけど込められてるんだよね。ほんと、偶然なんだけど」

 

「それだけ気持ちを込めて作られたのでしょう。

 製作者の気持ちが込められたものには命が宿るともいいますし」

 

 

 蝋燭の光を何乗にもして輝きを放つ刀身、刃先に触れようものならば持ち主だろうと骨身を裂かんとするその無慈悲さに惚れ惚れする。

 この猛犬(剣)をどう手懐けるか、それはおれの技量に掛かっている。

 くぅ! こんなの狡い! 何時までも見惚れてしまいそうだ。

 

 

「よし、お前の名は今日から剣助だ!」

 

「この人、全く人の話を聞いてませんよ」

 

「なに、そんなにその剣を貰えたのが嬉しかったの?」

 

「当たり前だ! 天下のカワシロ様! 剣助を授からせていただき、誠に感謝の極みでございます!」

 

 

 カワシロ達は知らずのうちにおれの求めていた日本刀を作り上げてしまった。

 それがどれだけの嬉しい誤算であるのか、今はそんなこと言い表せないほど、とにかく嬉しいということだ。

 

 

「でも使用には気を付けてね。さっきも言ったけど、その剣には欠陥があるんだ」

 

「欠陥なんて使い手の力量次第でどうにでもなる。つまりこの刀に欠点はない、以上だ」

 

 

 おれがいつも生成している霊力剣であっても、脆いという欠陥があるが使い方次第では刃こぼれさせずに受ける事もできる。

 

 

「まあ聞いてよ。この剣ーー私らの力が込もっているから妖剣になるのかな。試用した結果、振ると力を吸いとられる事が確認されたんだよね」

 

 

 力を吸いとられる……ということは霊力、妖怪で言うところの妖力を吸いとられるのか。

 それがどれくらいの量にもよるが、おれも霊力量には少し自信がある。

 実際霊力の多さを買われて訓練学校にぶちこまれた実績があるぐらいだしな。

 

 

「一丁振ってみるか!」

 

「おお、試し斬りしてみる?」

 

 

 力を吸いとられるのがどれだけの量なのか確認する必要があるし、剣助の切れ味も知っておきたい。

 

 

「私がやったときは、床が湯豆腐のようにスパッと斬れたね」

 

「なんで床斬ってんだよ」

 

「長物はてんで素人だからしょうがないね」

 

「要はすかぶった拍子に地面に落としたと」

 

「ご明察!」

 

 

 指をパンっと鳴らして格好つけているがカワシロよ。明察された内容がダサすぎるぞ。

 

 

「ちょっと暗いけど外に出るか」

 

「私は帰りますね。気にはなるんですけど、この後明日の宴会の準備をしておかないといけないので」

 

 

 なんだ、文は見ていかないのか。

 折角の剣助のお披露目だっていうのに。

 でもまあ、仕方がないことではあるか。明後日行われるのは妖怪の山の住人が対象の大宴会、用意周到な天狗達は一昨日辺りから用意を始めている。

 

 

「おれも後で手伝いにいくから、大天狗の奴らに言っておいてくれよ」

 

「いや、大丈夫ですよ。あの人達熊口さんのこと嫌ってますし」

 

「だから行ってからかってやるんだよ」

 

「されはとても痛快ですが、作業が滞るのだ止めてくださいね。それでは、また明日」

 

 

 くすっと微笑み、文は縁側から闇夜へと去っていく。

 明日、か。明日でこいつらともお別れなんだよな。

 次が何時になるかは分からない。

 だが、永遠にする気は一切ない。

 だからこそ、おれは特段別れの言葉は言わない。

 あいつらが変に言おうとしてきたら止めてやるつもりでもいるぐらいにな。

 

 

「よっしゃ、善は急げだ! カワシロよ、このおれの剣捌きをとくと見ておくんだな!」

 

「まるで子供みたいにはしゃぎますね。百歳近くのお爺さんが」

 

 うるせぇ、没前込みで八十近いお婆さんめ。

 いつになっても探求心というものがないと廃人になるぞ。

 こんなに永く生きているのなら尚更だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「成る程、これなら大妖怪も簡単に一刀両断出来るな」

 

「うん、こんなに地面に亀裂が出来るなんて思いもしなかった。流石、熊口生斗様の剣捌きは一味違いますわ」

 

「止めてくれ、泣きたくなるから」

 

 

 剣助は深々と地面に刺さり、落ちた際に刃先に触れた地面はプリンのように裂けており、その軌道の延長にある大木まで真っ二つにしていた。

 

 この刀は、とてつもないほどに切れ味が凄い。

 刃先に触れていない箇所すらも斬ってしまう程の代物。並大抵の剣士では扱うことも出来ないーー勿論、おれも含めて。

 

 剣助は、えげつない量の霊力を吸いとってくる。

 一度だけ、おれが素振りをしようと振りかぶった瞬間、通常時のおれから半分以上の霊力を吸いとられ、思わず力が抜けたおれは剣助を手放してしまい、カワシロと同じ結果になってしまったというのがこれまでの経緯。

 カワシロに剣捌きを披露すると豪語した手前、この結果はとてつもなく顔を伏せたくなるほど恥ずかしい。

 

 

「これは秘密兵器だな。()()()()()()()()()()()時だけに使うことにしよう」

 

「それが良いかもね。普段から使うには効率が悪すぎるし」

 

 

 剣助を引き抜き、汚れた面を布で拭くと、輝きを取り戻した刀身がおれを映す。

 

 ……はあ~~、なんて惚れ惚れする輝きを放つんだ剣助は。

 頬擦りしてやりたいぐらい愛らしいなお前は。

 

 

「またこの人見惚れてますよ」

 

「んっ、私を見て? やだなぁ、私を見たってなにも出やしないよ」

 

「恐らく、カワシロさんではないと思いますが……」

 

 

 結局この日、就寝するときまでずっと剣助に見惚れてました。

 勿論、布団には剣助を潜らせて寝ました。これが初夜というものなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

 

 遂に出発する日が訪れた。

 つい昨日リアル鬼ごっこしたおかげで、全身筋肉痛だが、旅に出る前のウォーミングアップと捉えれば、案外悪くなかったかもしれない。

 

 

『まさか、天魔さんに頼まれるなんて思いもしませんでしたね』

 

「ああ、そうだな」

 

 

 一応、日が出ている間に、おれと翠は天狗達に情報が漏洩しない程度に知り合いに会いに行っていたーー萃香達は性懲りもなく戦おうといってきたが丁寧にお断りしました。

 そんな中天魔が、

 

 

『屑屑の件、他人頼みで申し訳ないが、宜しく頼む』

 

 

 と、唇を噛み締めながらおれらに頼み事をしてきたのだ。

 

 屑屑____元々は天魔の仲間であり、大妖怪であるあいつは、ある人間に魂を乗っ取られてしまっている。

 

 そいつをおれらは倒そうとしている。

 本当は友人である天魔本人が、その人間ーー屑屑に終止符を打ちたかった筈だ。

 

 だが、天魔は天狗を束ねる長であるため、私情でこの場を離れるわけにはいかない。

 

 ならばおれらは、天魔の苦渋も背負ってその人間に立ち向かうのみ。

 そいつさえ倒せば、天魔に掛かった呪いも解ける筈だしな。

 

 

「それにしても、こんなところまで聞こえるなんて、相当騒ぎ立ててるようだな」

 

 

 この調子なら、鬼達のアルハラにより硝戒天狗達の見張りも手薄になっている筈だ。

 

 

『もうすぐ麓ですよ』

 

 

 現在、おれはもう必要最低限の荷造りを終え、五十年間お世話になった家から出発していた。

 

 思えば、彼処は団欒の場として毎日誰かしら来ていたな。

 萃香や文、カワシロを始め、勇儀もたまに来ており、その度に飯を集りに来るか酒盛りをしていた。あの家、飲酒禁止にしていたのに。

 おかげで十回は建て直しました。

 

 

 思えば、鬼や天狗達、他にも色んな妖怪と交流を深められた気がする。

 

 以前までのおれは、妖怪=敵としか見ていなかった。

 だが、実際は姿形、目的は違えど、それ以外は人間と一緒だ。

 

 妖怪にも良い奴、悪い奴がいるし、話が通じる奴と通じない奴がいる。

 そこに人間との差はない。

 

 おれ自身、本当に萃香達の事を依姫達と同様の友人として見ている。

 

 酒を交わし、共に笑い、同じ釜の飯を食べる。

 そんな生活を何十年間も続けてきたのだ。

 思い入れが無いわけがない。

 

 

 本当に楽しかった。

 心の底からそう言える。

 

 

 何時になるかは分からないが、たまには帰って土産話を肴にまた酒を呑み交わしたいな。

 

 想像するだけでも笑みがこぼれる。

 

 

「生斗~」

 

 

 後少しで山を出るという中、遠くからおれの名を呼ぶ、萃香の声がおれの耳へと届く。

 

 

 

「はあ!?」

 

 

 

 何用かと振り返ると、空一面に広がる特大の花火が上がっていた。

 _____いや、あれは火薬ではなく……

 

 

 

「弾幕か!」

 

 

 振り返るまで気付かなかったのは花火が拡散する際に起きる破裂音がなかったからだ。

 

 

『わぁ、綺麗……』

 

 

 色とりどりの弾幕が入り乱れ、漆黒の空一面に、まるで四季折々の花々が咲き乱れているかのような、幻想的な景色を見事に作り上げられている。

 

 

「なんとか間に合ったようだね」

 

「萃香。凄いな、これは」

 

「私達から、あんたへの門出祝いだよ」

 

「おれの?」

 

 

 ふわふわとおれの傍までくるチビ萃香。

 普段よりも小さいということは、この萃香以外にも何体か分身させているということか。

 

 

「友人の旅の門出に、どうせならド派手なのが良いと思ってね。どう? 気に入ってくれた? 因みにこれは私の案だからね」

 

 

 餓死寸前のところを萃香に拾われ、鬼達と戦わされ、なんやかんやでこの山へと移り住み、五十年の年月を過ごしてきた。

 

 

 改めてみた弾幕の花火には、何故だかこれまで過ごしてきた皆の笑いあった顔が浮かび、感慨深い気持ちとなった。

 

 

 

「ありがとな。萃香、何度も言ったとは思うけど____また帰ってくるから、それまで元気でいろよ」

 

「私達の心配より、自分の心配をしな! あと、帰ってきたら次は生斗と翠を含めた大宴会をするから覚悟してなよ!」

 

 

 

 お互いの拳を小突き合い、萃香はにっこりと笑った。

 

 その姿を見て、おれは軽く手を振って改めて山の外へと足を踏み出す。

 

 

 

 目的の途中でも、月に行った後だとしても、必ず帰ってくるから。

 

 

 ____その時はまた、皆で酒を交わそうな。

 

 

 

 

「あー、それと」

 

「んっ、なんだ?」

 

 

 水を指すように、まるで思い出したように萃香が口を開く。

 まだ言い残す事でもあるのだろうかと、おれは疑問符を浮かべながら再度振り向くと、萃香は先程とは打って変わって、悪人のようなニヤリ顔で口を押さえていた。

 

 

「もうそろそろ天狗達が血相を変えて生斗を追いかけてくると思うから、全力で逃げなよ」

 

「……はい?」

 

 

 天狗が、此処に来る? 

 それは何の冗談だろうか。これまで天魔と文以外の天狗にはバレないよう立ち回ってきたんだぞ。

 もしかして何処かで情報が漏洩してしまっていたのか? 

 

 

「いやぁ、鬼達がさ。聞こえもしないのに生斗にじゃあな~って言ってるみたいでさ。その発言に察した天狗達が血眼になって生斗を探してるみたいだよ」

 

「萃香お前ら図ったな!!?」

 

 

 萃香が会場の現状を知っているのは、分身体が情報を報せていたからだろう。

 

 鬼達には勿論、口止めをしていた。

 絶対におれがこの山を出ることを言うなと。

 

 そう、『山に出ることを言うな』とおれは言ってしまっていたのだ。

 

 

「約束は破っていないよ。私らはただあんたに別れの挨拶をしただけなんだから」

 

 

 その行為が、如何に危険かを萃香達が理解していない筈がない。

 そして萃香の仕草と口ぶりからして、それがわざと行われていることは明らかであった。

 

 

「見つけたぞ! 彼処だ!!」

 

 

 遠くからだが、そんな怒号のような声がおれの元まで聞こえてくる。

 

 そうか、分かったぞ。

 何故鬼達が最後の最後でおれを裏切ったのかを! 

 

 

「おれを出しに使いやがったな」

 

「さあ、何のことだか?」

 

 

 第二次天狗大戦を勃発させる気だ。この戦闘狂どもは。

 

 

「さあ、なんでか天狗達が生斗を追いかけてるようだから、仕方なーくこの萃香様が足止めしてあげようじゃないか」

 

「なーにが仕方なくだこのロリ鬼め。結局お前らは何時まで経っても変わらないよな」

 

 

 指を鳴らし、準備運動を始める萃香。

 戦うき満々の彼女は、腕をほぐしながらおれの呆れたと言わんばかりの発言に笑ってこう答えた。

 

 

「私らはいつまでも変わらないよ。だから、安心して帰ってきな」

 

 

 萃香がそう言い放った瞬間、森の影より複数の天狗達が飛び出してきた。

 

 

 変わらず、我を通すというほど難しいものはない。

 時が立てば環境が変わり心境も変わる。

 それでも萃香は何の躊躇いもなく、真っ直ぐな眼をしてそう言って見せた。

 

 我を通し、自由気ままに生きることができるのも、鬼であるゆえの傲慢さがあるからだろうな。

 

 

 だが、待ってもらっている身からすれば、これほど嬉しいものはない。

 

 

「さあ行きな!」

 

「______ああ! またな!」

 

 

 萃香が変わらないのであれば、おれも傲慢に我を通そうじゃないか。

 

 それが待ってもらう側の礼儀だ。

 

 そしておれは、萃香の激励を胸に、振り返ることなくその場を走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 山の麓にはまだ天狗の手は行き渡っていないようだった。

 ていうか、先程から天狗の断末魔が至るところで聞こえてくる辺り、鬼の対処でおれまで手を回せていない感じだ。

 

 鬼達も中々策士な所もあるもんだ。

 おれを出しに使って天狗との紛争のきっかけを作り出すとは。

 

 内容は定かではないが、鬼と天狗の規定のグレーゾーンを上手く使って、おれの拘束期間が過ぎたから外に出すと大義名分を作っているのだろう。

 

 鬼と天狗はお互いの社会情勢に不干渉ではあるが、おれはどちらの社会にも溶け込んでいたため、いわゆるグレーゾーンに位置している。

 鬼は鬼の約束事を尊重しおれを外に出すと言い、天狗は天狗の規定を元におれをこの山から出さないと言う。

 そこへ出た食い違いにより発生した混乱に乗じて、予め事態を想定していた鬼達が喧嘩を吹っ掛けてきているって所か。

 

 

 ______ガサッ

 

 

「!!」

 

 

 現在起きている第二次天狗大戦について思料していると、近くの茂みから出てくる人影が眼に映ったため、慌てて身構える。

 

 

「生斗さん、私です」

 

 

 慌てていたからか、構えが少し内股になってしまったがどうやら杞憂で済んだようだ。

 

 

「文、か? 宴会はどうしたんだ」

 

「勇儀さん達が暴れているのに乗じて抜け出してきました」

 

 

 おれの前に現れたのは、五十年間おれの部下を勤めてきてくれた文であった。

 

 

「まだ追っ手はきてないようですね」

 

「足止めが強すぎるからな。もはやここで寝ても余裕で逃げ切れそうだよ」

 

「油断は禁物です。数だけで言えば鬼よりも圧倒的に天狗の方が多いんですから、漏れた天狗に寝首を掻かれますよ」

 

「その時は宜しく頼む」

 

「お断りです。ていうか本当に寝ようとしないでください」

 

 

 なんだよ、おれは夜行性じゃないからもう眠いんだよ……という冗談はさておき。

 

 

「それで、何の用だ? 別れの挨拶は昼間済ませたと思ったんだけど」

 

「それは、ですね……」

 

 

 なんだろうか。文にしては珍しく口ごもってるな。いつもはずけずけと物を言ってくるのに。

 

 

「そ、そうです! 生斗さんを風で飛ばそうと思いまして!」

 

「風で飛ばす?」

 

「そうです! 私の風を操る能力で、生斗さんをこの山から遠く離れた地に飛ばすんです!」

 

「それ、おれ身は持つのか……」

 

「私をなめないでください。生斗さんの周りを風で包んで衝撃を和らげます」

 

 

 そうか、それなら態々自分の足で逃げることなく楽できる。

 流石は文だな、ちゃんと上司のことを考えて行動してくれる。

 

 

「といっても、文の上司でいられるのもこれが最後だけどな」

 

「……!」

 

 

 これからおれは天狗間でお尋ね者となる。

 そんな男が文の上司でいられるわけもない。

 

 

「だ、大丈夫ですよ。私は、これまで生斗さんの事を心から自分の上司だとは思ったことはありませんから」

 

 

 ____えっ、泣いていいですか? 

 そんなフォローするような表情で言われてもそれ、全くフォローしてないよね? おれの心抉り散らかしてるよね? 

 

 

「だって私にとって生斗さんは、初めて出来た友達ですから」

 

 

 ____えっ、泣いていいですか? 

 さっきとは別の意味で心を抉りとられたのですが。

 急にそんな真剣な眼差しで見ないでくれ、眩しくて直視できない。

 

 

「でも、ほんとは…………」

 

「……ど、どうした?」

 

 

 そして遂には俯いてしまう文。

 こう感情豊かになったのも、前の文を知ってる身からしたら、とても喜ばしい事だ。

 だが、文が何故俯いてしまったのだろう。

 おれの反応が気持ち悪かったからか? 

 

 

「_____いえ、なんでもないです」

 

「大丈夫か?」

 

「はい、ちょっと感慨深い気持ちになっちゃって」

 

「そ、そうか」

 

 

 文達とも随分と長い時を共に過ごしてきた。

 その時の記憶が蘇って懐かしく感じていたんだろうな。

 

 

「それじゃあ、追っ手が来る前に飛ばしますね」

 

「おう、優しく飛ばしてね」

 

「思いっきり飛ばすので、気を引き締めたくださいね!」

 

「話聞いてる?」

 

 

 そんな話をしている最中にも、文は自らが持つ葉団扇を仰ぐ。

 すると元からそよ風のような優しい風がおれを包んでいき、自然と地面から足が離れ、浮いていく。

 

 

「なんか楽しいな、これ」

 

「こんなことも出来るんですよ」

 

「あぶばばばばば!?」

 

 

 急に逆さになったと思ったら、高速で何十回転もしたおれは、ただでさえ三半規管はあまり強くないこともあり一瞬で空中酔いによる吐き気が催しそうになる。

 

 

「ば、馬鹿野郎! うっぷ……」

 

「ふふ、そんなに怒らないでくださいよ。部下のちょっとしたお茶目じゃないですか」

 

 

 そのお茶目で空中におれのキラキラが飛び散るところだったぞ。

 まあいい、それよりも_____

 

 

()()()、文」

 

「ええ、()()。無能な上司がいなくなったので、気楽に待ってますよ」

 

「はは、文。そんなにおれの事気に入ったのなら帰ったときまた文の上司になるよう天魔に掛け合ってやるよ。何、遠慮すんなって」

 

 

 文は優しく微笑み、左眼を軽く擦る。

 

 こんな軽口も、また帰れば幾らでも出来るさ。

 

 

「そうだ、上司として最後の命令をして良いか?」

 

「……はい、なんでしょう」

 

 

 風の勢いが増し、今にも吹き飛びそうになるときに言うのもなんだが、最後ぐらい上司らしいところを見せないとな。

 

 

「できる範囲で自由に生きろよ」

 

 

 天狗社会にいる以上、完全な自由を享受する事はできないだろう。

 だが、前の文みたいに自分を縛り過ぎないように自由でいてほしい。

 

 文はもう、一人ではないのだから。

 

 そんなおれの意図を汲み取ったのか、文はこれまでにない元気な声で、

 

 

 

「_____はい! 」

 

 

 

 そう返事をし、勢いよく葉団扇を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

 

「それで良かったの、文?」

 

 

 茂みから私達を覗いていた友人、カワシロが顔を出して私に問いかける。

 

 

「いいのよ、焦らなくても。私達には無限に近い時間があるのだから」

 

 

 生斗さん達は、今頃見知らぬ土地へ着陸し、また果てしない旅を再開させていることだろう。

 私はそれを応援することしか出来ない。

 

 ……私の気持ちも、彼が旅を終えるまで留めておかないと、迷惑をかけてしまう。

 

 

「どうだか。私には諦めているように見えるけどね」

 

「何が言いたいの?」

 

「いんや? 別にー」

 

 

 眼を逸らし、ひょっとこ顔になるカワシロ。

 妙に腹が立つからその顔を直ちに止めてほしい。

 

 

「それよりも、そろそろ鬼達との抗争に加わった方がいいんじゃない? 組織的にも、一人だけなにもしてなかったら怪しまれるよ」

 

「……そうね」

 

 

 この抗争も一日経てば丸く収まり、またいつもの日常が帰ってくる。

 

 けれども、いつも当たり前のように存在した人達が、明日にはもういない。

 

 覚悟はしていたが、やはり辛いものがある。

 

 

「ははーん、文って意外と泣き虫なんだね」

 

「その喧嘩、幾らで買える?」

 

「プライスレス、私の喧嘩は金じゃ買えないよ」

 

 

 なら売るんじゃないわよ、と言い返したい衝動に刈られたが、言ったところで何もならないと判断した私は、沈みきった感情を変えるべく空を見上げる_____

 

 

 ______べきではなかった。

 

 

 

「やっと気付いたかい。突風が起きたと思って来てみれば、何辛気臭い顔してんだが」

 

「ゆ、勇儀さん!?」

 

 

 黄金に輝く三日月を背後に、盃に入った酒で一杯している山の四天王である勇儀の姿が、私の眼に映し出されていた。

 

 

「あんたらの表情を見るに、生斗はもう行ってしまったようだね」

 

「はい……」

 

 

 勇儀さんの質疑に答えると、彼女は何も言わず腰に携えていた瓢箪から酒を盃に移し、又も飲み干していく。

 

 

「ぷはあ~_____それじゃあ、準備万端って事だね」

 

「えっ、何、準備万端って何? 文、今あんたあの鬼の言っていた意味分かる?」

 

「二人同時にかかってきな!」

 

「なんで私も!?」

 

 

 騒がしいカワシロの事はこの際放っておいて、勇儀さんが言わんとしていることは、今の私にも、いや今だからこそ分かる。

 

 相手が勇儀さんだからこそ務められる。彼女になら遠慮なく()()を晴らすことができる。

 

 

 そう、勇儀さんは気を利かせて胸を貸してくれるようだ。

 勿論、他にも理由はあるだろうが、この際前者のお言葉に甘えさせてもらおう。

 

 

「私非戦闘員なんだけど!?」

 

「勇儀さん、ありがとうございます」

 

「お礼を言われる筋合いはないよ。私は私で、全力で行かせてもらうだけだからね」

 

 

 幾ら素早さで勝ったとしも、鬼との圧倒的な力量差を埋められるわけではない。

 勝つことは絶望的、だから安心して全力を出せる。

 

 

 天狗は己の実力を隠したがる習性がある_____

 

 _____が、それがどうした。

 

 今はもう、誰でも良いから本気をぶつけ合いたい気分なのだ。

 

 

「こんなこと、生まれてこの方、初めてかもしれません」

 

「私は生まれてこの方、いつも全力で臨んでるよ」

 

「私は生まれてこの方、初めて死の危険を感じているよ」

 

 

 その生き方には尊敬する。

 我が道を進むことがどれだけ大変かは、組織で潰れかけていた私には痛いほど分かる。

 

 

「と、そんな事はいいんだよ。無駄口を叩いて時間を稼ぎたいわけじゃないんだろ?」

 

「ええ、今すぐにでも始めたいです」

 

「私帰っても良いですか?」

 

「駄目だね」

 

「ひゅい!?」

 

 

 周りに風を纏わせ、いつでも戦闘へ移行できる体勢をとる。

 

 このばか騒ぎは、生斗さんの門出を祝うためと萃香さんは言っていた。

 

 ならば、興じてあげようではないか。

 

 闇夜とは思えぬほどの光彩を放つこの山で、誰よりも大きな、遥か遠くへ行った生斗さんをも魅了するド派手な弾幕をお見せしよう。

 

 

 

 

 

「さあ、天地を揺らす我が怪力乱心_____あんたの身一つで退けられるかな!」

 

「手加減しないので、本気でかかってきなさい!」

 

「河童の同志達、私の骨をどうか拾ってください!」

 

 

 

 

 

 

 

 この日、妖怪の山で起きた抗争の中で、最も白熱した勇儀さんとの弾幕勝負は、途中から乱入してきた鬼と天狗達によって被害が拡大し、山の麓にあった森林が焼け野原になったことを此処に記しておく。

 

 

 因みに、生斗さんは飛ばされた衝撃で気絶していたから弾幕を見ることができず、挙げ句には飛ばされた先が肥溜めだったと文句を言われたのは、再会して間もなく開催された宴会の席でのことであった。

 

 



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3.5章 因縁の相手との戦闘
貴方の役目ではない


 

 当たり前の日常なんて、瞬く間に変わっていくのが常だ。

 

()()()()だと感じているもの、平凡だと思っていたものが、本当は非凡の集合体であるのだ。

 

 後悔なんて誰もがしたくはないだろう。

 しかしどんなに用意をしていたとしても、後悔というものは必ずついてくる。

 

 

 ____そして気付くのはいつも、大切な()を無くしてからなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 

 妖怪の山を抜け出してもう、何年が経過したのだろうか。

 おれと翠は村や都を点々としながら旅を続けていた。

 

 

「お腹空いたなぁ」

 

 

『この前に会った仙人みたいに霞でも食べれば良いんじゃないですか?』

 

 

 

 望んでもないのに日射しは容赦なくおれの皮膚を焼き、出したくもない汗が延々と滲み出てくる。

 山道で珍しく人によって舗装された道が出来ていたから、村が近くにあるのかと思い歩き続けていたが、一向に村に着く様子はない。

 

 

「あー、前に滞在していた時に偶然会ったあの仙人か。確か都にいる権力者に道教を布教するとか言ってたな」

 

『執拗に熊口さんを誘ってましたよね。仙人の素質があるとか』

 

 

 

 確か人間にしては珍しい青髪に天女のような姿をしてたよな。

 仙人といったら頭皮が死滅したよれよれのお爺さんを想像していたけど、ここでもおれの思い描いていた固定観念を打ち崩された。

 

 

「興味なかったからな。それに欲を捨ててまで生きようとも思わなかったし」

 

 

 そもそもおれ、仙人にならなくても能力上安静にしていれば不死身だし。

 

 

「そういえば翠、次の村に着いて滞在の許可が得られたらおれの()()使って良いぞ」

 

 

『おっ、熊口さんから言ってくるなんて珍しいですね。それじゃあお言葉に甘えて使わせてもらいますね』

 

 

「おれが言わなくても勝手に使ってくるからだろ……あれ、急にされたらおれの意識が飛ぶんだからな」

 

 

 

 身体を使わせる、というのは勿論いやらしい意味ではなく、翠におれの身体の占有権を渡し、外でも行動出来るようにさせることだ。

 

 翠は自分では外、というより家の敷地より外に出ることが出来ない。

 何故そのような面倒な縛りがあるのかは不明だが、そんな事もあり放っておくとどんどん翠の機嫌が悪くなってしまう。

 なので定期的にこうやって身体を貸さないと、癇癪を起こされて厄介なので定期的に仕方なく、本当に仕方なーく貸してあげているのだ。

 

 よくよく考え……なくてもめんどくさい奴だよな、この怨霊。

 

 

『全て筒抜けな上で言っている辺り熊口さん、さては自殺志願者なのでは……?』

 

「おれの本心はお前が一番知ってるだろうに、何今更言ってんだか」

 

 

 年がら年中心の声を読まれるおれの身にもなってほしい。

 それで少しでも邪な考えでもしてみろ、この怨霊は容赦なく弄り倒してきおるからな。

 

 これもうおれじゃなきゃ精神やられてるレベルじゃないだろうか。

 

 

「そう考えるとおれって凄いな」

 

 

『はいはい、熊口さんは凄いですよ。でも頭の螺子が幾つか吹っ飛んでいるということを自覚してくださいね』

 

 

「何を言うか。おれのような聖人君子の頭の螺子が外れているわけないだろう」

 

 

『そう自分で言ってる辺りが、もう既に謙虚という螺子が外れています』

 

 

 その言葉、そっくりそのまま翠に返したい。

 こいつ、たまに自分の事を美少女とか容姿端麗とか宣ってたよな。

 ……おい、誰だ似た者同士と言った奴は。熊さん怒るから名乗り出なさい。

 

 

 

『それよりも、もうすぐみたいですよ』

 

 

「何がだ?」

 

 

『村ですよ。この山を越えた先に複数の生気を感じます』

 

 

 

 漸く着く目処がたったか。

 それにしても随分と長く舗装されてるよな、この山道。

 まるで巨大な獣でも引き摺ったような粗さはあるが、この道を見つけた時点で道は続いていたからな。

 誰か余程の物好きが舗装したのか、それともこれから行く村にはそれだけの価値があるか____まあ、考えたところで仕方ないか。

 実際に村に行って確かめてみればいいさ。

 

 

『熊口さん、ちょっと待ってください。少し嫌な予感がします』

 

 

「嫌な予感?」

 

 

『いや、根拠はないんですが、何故か胸がざわつくんです』

 

 

「勘ってやつか」

 

 

 おれは特に何も感じないけどな。

 だが、翠の勘は無下にしていいほど命中率が低いわけではない。

 前に野宿をする準備をしていたときも同じような事を言って実際に野獣の襲撃を受けた事がある。

 

 一応だが、何時でも逃げられるよう靴紐を結んでおくか。

 

 結構あるんだよな、排他的な村が。

 村に入ろうとする輩を容赦なく武器を使って追い払ってくる。

 余所者をそう易々入れたくないのは分かるので、その時は諦めてその村を後にするが、気分的には優れなくなるよな。

 折角見つけた村なのに、武器を構えて出ていけと怒号の声をあげられる。

 気分がよくなるわけがない。

 

 最近ではその村で困っていることの解決や農作業等を手伝うことを条件に出すことによって、滞在させてもらえる確率をあげることは出来たが。

 

 それでも悪徳な村はあるんだよな。妖怪が出て困ってるので退治してくれと条件として出されたので退治したら、その瞬間から村人の態度が一変して村から追い出された事もあった。

 

 

『大丈夫です。その村にまた災いが起こるよう呪いましたから』

 

 

「お前、いつの間にそんなことしてたのか」

 

 

 本当は止めるべきなんだろうが、そう考えるとあのときの鬱憤が一気に晴れやかになったので、したくはないが翠に感謝しよう。

 

 

 さあ、無駄話はこの変にしておいて、早くこの山を越えないとな。

 急がないと日が暮れてしまう。

 

 

 

『気を付けてくださいね。熊口さん、貴方の命は()()()()()んですから』

 

「そんなの分かってるよ」

 

 

 結構気軽に命を消費させているおれを戒めさせてるんだろうな、翠は。

 確かにストックは残り少ないが、もう少しすればまた一つ増えるから大丈夫だろう。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『何が大丈夫ですか。見ている此方の身にもなってくださいよ』

 

 

「なんだ、珍しく心配してくれてるのか? 遂にデレたかこの怨霊め」

 

 

『熊口さんが完全に死んでしまったら私も成仏してしまうからですよ。勘違いしないでください』

 

 

 はいはい、今更取り繕っても無駄だって。

 やー、熊さん困っちゃうな~。

 

 

『村に掛けたのと同じ呪いかけてもいいですか?』

 

 

「馬鹿野郎、そんな事したらおれが死んでしまうので止めてください」

 

 

 

 

 いつもこのように翠と無駄話をしながら旅をするのが意外に心地好い一時だと感じるのは、おれがマゾだからなのだろうか。

 

 傍から見たら独り言を延々と話しているやばい奴だけど。

 

 こんな日がいつまでも続くのではないかと、この時まで考えていた自分がいた。

 

 そんな甘い考えが通用する世の中ではないと分かっていたのに。

 

 結局その考えは、目的地である村へ着くと同時に崩れ去る事になるのだが、この時のおれは知る由もない。

 

 

 

 

 

 ______知りたくもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

「貴様を捜していたよ。この村を根城にして本当に良かった」

 

「……」

 

 

どうやら、相当な事が起きてしまったらしい。

 

村の入口には誰一人としていなかった。

おれが大声で村内に呼び掛けても誰一人として反応する者がいない。

人の気配はあるのに、と不思議に思ったおれが村内に足を踏み入れたとき、()が突如として門付近にあった藁の山から現れ、瞬く間におれの左腕を持っていったのだ。

 

 

 この妖力……いや霊力か? 以前とは比較にならない程どす黒いオーラがあるが、前に感じたことがある。

 

 

『……こいつです。こいつで間違いありません』

 

「ほんとかよ……」

 

 

 欠損部の出血を抑えるために霊力を集中させ止血を試みる。

 この処置により幾分かはマシにはなったが、それでも血が止まる気配はない。

 

 ……いや、そんなことはどうでも良い。

 目の前にいる奴の姿は、人間とは到底思えないほど鍛えぬかれており、身長は優に二メートルは越え、身体も薄赤色に染まっている。

 これが人間と妖怪の力が融合した姿か____

 

 

「貴様のせいで、私はこのように姿を代え、この穢れた大地に留まらなければならなくなった」

 

「何を、言っている」

 

「ふむ、知らないのも無理はあるまい。前の私とは外見も違えば声帯も違う」

 

 

 こいつはおれの事を知っている? 

 何故だ、融合した屑屑の記憶を覗いたからなのか。

 それだとしても、いきなり左腕をもぎ取られるいわれはない。

 

 

「私の名は……と言っても、貴様のような鳥頭では覚えていないだろう_____

 

 ____月移住計画実行時に貴様が歯向かった“副総監”と名乗れば分かるだろう」

 

 

 副、総監_____

 

 忘れもしない。あの時、妖怪達が都に攻めるよう画策し、実行させた人物。

 己の歪んだ選民思想のとためならば大量虐殺も厭わない真正の屑。

 

 

 ____ああ、全てが合点がいった。

 だからこそ、煮えたぎっていた怒りが更に膨張していく。

 

 

「完全に逆恨みじゃねぇか」

 

 

 妖怪大戦でおれは犯人が副総監であることを依姫に話している。

 こいつの言い掛かり的に、恐らく事の顛末はこうだろう。

 月移住後、おれの証言の元調査が行われ、副総監が画策していたことが判明し、月から追放された。

 そして偶然にも出くわした屑屑の精神を乗っ取り、大妖怪の力を持って密告したおれに逆恨みし、今日まで村を荒らしておれを捜し回っていたってところか。

 

 

 …………反吐が出る。

 そのせいで幾多の人間が犠牲になった。生きることを懸命に享受しようとした人達の未来を踏みにじり、こいつは逆恨みを果たそうとしている。

 

 罪悪感は勿論ある。もしおれがあの時、依姫に密告しなければ、皆______翠は、犠牲にならずに済んだというのに。

 

 ならば、だからこそ、おれが決着をつけなければならない。

 己で蒔いた種ならば、責任を持って摘むのがおれの責任なのだ。

 

 

「んぐっ!!?」

 

 

 

 やらなければ、おれが、おれ、が…………

 そんな意思とは裏腹に、おれの脚は膝から崩れ落ち、立つこともままならない状況に陥ってしまう。

 

 

 

「やっと効いてきたか。常人ならば卒倒する筈なのだが」

 

「っっ!!」

 

 

 怒りにより誤魔化されていたからか、ついぞ動くまで自身の体調の変化に気付けていなかったようだ。

 

 ……腕をもがれた際に毒を盛られたか。

 この屑野郎、戦い慣れている。

 その技術を身に付けるまでに、一体どれ程の人間を犠牲にしてきたのか。

 

 

「何故貴様が睨む、熊口部隊長。睨むのはこの私の筈だ。我が計画を挫いた分際で小癪だぞ」

 

 

 お前こそ何をほざいている。

 おれの方こそ、睨む権利がある。

 護ろうとした者を奪い、大切な者達の人生を無茶苦茶にした。

 恨む相手が同一人物だったという事実以外、こいつに存在価値はない。

 今すぐにでもこの世から葬り去りたい。

 

 なのに、身体が言うことを聞いてくれないのは何故なんだ。

 

 ゆっくりと近付いてくる副総監。

 相手から接近してくれるまたとない機会である筈なのに、霊力剣すらまともに生成することができない。

 意識も朦朧としてきた。目や口から、恐らくは血であろう液体が止めどなく流れ出てくる。

 

 

 

「そう簡単には死なさんぞ。死なない程度にいたぶってやる。そうだな、手始めに目玉でもくり抜くか。そしてお次は全身の皮を剥いで火炙りにしてやろう。

 朧気な意識の中、己がこの私に歯向かったことを後悔しながら死ぬのだぞ」

 

 

 周りに視線を感じる。それも周りに点々と建つ家からだ。

 恐らくはこの村の住人。

 ここにいる奴らも、この屑の被害者だ。見放すわけにはいかない。

 

 

「ぐあぁああ!」

 

 

 力を振り絞り、血反吐を吐きながらなんとか立ち上がる。

 

 

「精神力だけは立派なものだ。そうでなければ殺し甲斐がない」

 

 

 この状態でどうすれば切り抜けられる? 

 命を使えば毒を消すことはできるのか? 

 いっそのこと一度死んでみるか? 

 

 勝つにはどうすれば良い。

 こいつを前に逃げるという選択肢はおれにはない。

 逃げればここに残る住人が酷い目に逢うかもしれない。

 やるしかないんだ。おれがやらなければ、これまで犠牲になった人達、そしておれ自身のけじめをつけることができない。

 

 

『____熊口さん、少しお借りします』

 

 

 …………翠、お前何を言って______

 

 

 そうおれが翠に質疑を投げ掛ける前に、おれの意識は突如として途切れてしまった。

 

 

 

 

 

「その役目は貴方ではありませんよ。熊口さん」



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嫌いな訳がない

 

 

「あんな状態で、勝てるわけないじゃないですか」

 

 

 辺りが暗闇に包まれる中、私は熊口さんの身体を操り、あの妖怪がいた村から少し離れた納屋まで逃げ延びていた。

 

 

「何が皆に報いるためですか。自分を一体何様だと思ってるんです。自惚れるのも大概にしてくださいよ」

 

 

 魘されながら眠っている熊口さんに、血だらけとなった顔を拭いながら悪態をつく。

 

 

 

「貴方が自分で勘違いしていた役目は、私の役目です。熊口さんは指を咥えて寝ていれば良いんです」

 

 

 熊口さんの全身に回りつつある()()の進行を止めることには成功し、止血も済ませる事ができた。

 後はこの人の生命力に賭ける他ありません。

 

 

「……一人で、抱え込もうとしないでくださいよ」

 

 

 痛みに悶えるような唸る寝息を立てる彼の髪をそっと撫でる。

 

 こんなにも突然、別れが来るなんて思っても見なかった。

 

 

 

 この人は、あの屑を見つける為だけの通行手段と考えている私がいた。

 

 妖怪の山で生活していたとき、こんな生活が一生続けば良いのにと考える私がいた。

 

 あの屑を早く見つけたいと思う反面、ずっと見つからなければ良いと考えてしまう私がいた。

 

 

 _____復讐なんかより、この人とずっと一緒にいたいと思う自分がいる。

 

 

 それは叶わぬ夢だというのに、そんな空想を何度も、何度も考えてしまう。

 それが嫌で、私はこれまで彼に辛辣な態度をとっていた。

 

 

「……」

 

 

 けれども、見つけてしまったからには、後戻り等出来ない。

 こんなにも呆気ない別れとなることなんて想像もしていなかったが、この状況で悠長に熊口さんの回復を待つわけにはいかない。

 先程は運よく逃げられたが、すぐにでも追っ手が来る筈だ。

 

 

 妖怪の山を出てからどれぐらいの年月が経ったのだろうか。

 何度か熊口さんの寿命が来て仮死状態になったこともあった。

 兎に角、両の手では到底数えきれないほどの年月は経っている。

 そんなに年月が経っているのなら、熊口さんの命は上限に達しても可笑しくない筈なのだが、熊口さんはお人好しだから、人のために平気で命を使っていたおかげで四つしかない。

 

 常々己の命をもっと大事にしろと言ってきた。

 けれども、熊口さんはおれの自己満足だからいいんだよと笑いながら一蹴してくる。

 

 そんな彼の姿が格好良くもあり、嫌いでもあった。

 

 

「……そろそろ、行かないと」

 

 

 何十、いや百年以上見てきた熊口さんの顔。

 お世辞にもイケメンとは言えないのに、今ではとても恋しく思ってしまう私がいる。

 

 

 

 

 

 

 ______もう、終わらせよう。

 

()()としての、私の物語に終止符を打つときがきたのだ。

 

 

 食事や睡眠をする必要もなく、汗や糞尿等の排泄物も出ない。

 なのに涙は止めどなく溢れでてくる。

 

 汗と成分は同じ。

 だが、この永い時を経て理解したことがある。

 

 幽霊であっても、人間のように感情の昂りがある。

 生前の最後に私は涙を流していた。その時の名残が今の私にあるから涙が出るのだろう。

 

 

 ならば、その涙を枯らしてしまおう。

 別れに涙なんて必要ない。

 

 最後に彼に別れを告げるときには、笑って逝けるように。

 

 

 

「──! ~~!?」

 

 

「~ー!!」

 

 

 納屋の外から複数人の怒号が響いてくる。

 

 どうやら、あの屑は自分で捜さず村人に熊口さんの捜索をさせているようだ。

 慌てぶりからみて、人質をとられたか実際に何人か殺されたのだろう。

 その予想は熊口さんの身体を乗っ取ったときには既にできていた。

 だからこそ熊口さんは退くという選択肢を放棄した。

 

 でも私は違う。

 私が判断するに、あの時熊口さんが戦えば確実に共倒れになっていた。

 ただでさえ残り少ない命をこんなことで落としてほしくはない。

 そこには明確に命の優先順位があり、私はこの村の住人よりも熊口さんの命を選んだ。

 

 でもそれが、被害を最小限に済ませる最善の手だとも思っている。

 熊口さんの命があの時点で果てれば、私自身もこの世にいることができなくなり、最悪の事態を招きかねなかったからだ。

 

 

「ここが怪しいぞ!」

 

 

 ____時間がきたようだ。

 

 もしかしたら、()()姿()ではもう会うこともないかもしれない彼を再度見やる。

 

 そうだ、聞いていないだろうが、最後に言わなければならないことがある。

 

 

「熊口さん、______しましょうね」

 

 

 ___そう言い放つと同時に、納屋の戸が開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 夕暮れをとうに越え、辺りが闇へと覆われる森の奥地。

 そこへはある一人の村人と、大妖怪の力と精神を乗っ取った副総監が共に歩いていた。

 

 

「本当にこの道であっているのか。もしこの私を遠ざけるのが目的ならば、また犠牲者が増えることになるぞ」

 

「……はい、重々承知しております。

 もう暫く歩きましたら、奴のいる納屋へと到着しますゆえ、もう少しの辛抱でございます」

 

 

 一本の松明が二人の位置を把握する唯一の手段であるほどの漆黒。

 副総監は元々夜行性である妖怪の眼を持っているため、月明かりさえあれば昼間と変わらぬほど冴えて視ることが出来るのだが、この村人は違う。

 普通の人間であり、瞳孔も他と変わりない。

 だというのに、迷う素振りもなく一直線に目的地へと向かうその村人の姿に副総監は不審に感じつつも、歯向かったところでこの村人にどうにかする力はないと判断し、言われるがままについていく。

 

 

「この辺り、ですかね」

 

「何がだ。貴様の言った納屋とやらはまだ見えんぞ」

 

 

 怪訝気に思っている最中、村人が言い放った発言に疑問をぶつける。

 

 

「(何かが怪しい____!)」

 

 

 副総監は村人から距離をとり、臨戦態勢へと移行しようとする____が、村人から放たれた()()が高速で己へと向かっていくのに気付き、身を捻ってなんとか避ける事に成功する。

 

 

「舐めてかかってこないんですね。そっちの方が早く済んだのに」

 

「……!? 何者だ貴様!!」

 

 

 先程まで、全くと言っていいほど感じられなかった憎悪の念が、副総監に向かって放たれる。

 

 

「(こいつは、あの村にいた人間ではない……!!)」

 

 

 姿形は以前村を襲ったときにいた人間と同じであった。

 だが、中身は全くの別人。

 己と同じく、この人間の意思を乗っ取ったのではないかと、副総監は思料する。

 

 

「避けても結局詰みですよ。()()()()()()()()()()()()()()

 

「なんだとっ!!?」

 

 

 放られた何かは、一枚の御札であった。

 

 その一枚が地面へと貼り付き、村人と副総監を囲んだ六角形の紋様が浮かび上がり、木々の高さまで伸びていく。

 

 

「(……これは、仕込んでいたな)」

 

 

「これで中から外への干渉は出来なくなりました。

 逆に外からなら中に干渉することは可能ですが」

 

「何を言っている。貴様、霊術等で私に勝てるとでも思っているのか」

 

 

 二人を囲んだ結界。

 その硬さを確認するように、副総監は何度か光の壁を小突いてみる。

 

 

「ふむ、これは自力では不可能だな、拳が壊れる。術者を殺めなければ解けそうにないな」

 

「何をそんなに余裕ぶってるんです。貴方は今から私と一緒に地獄へ墜ちるのに」

 

「ふむ、確かにこの私に働いた無礼は重罪だ。貴様は確かに地獄へ墜ちるだろう。そう、貴様だけだ。私はこの地に君臨し続ける」

 

「貴方は頭が弱いようですね。君臨ではなく、地べたに這いつくばっているの間違いでしょう。荷車に轢かれた蟇のように」

 

 

 村人の背中からぬらりと出てくるのは、生気を失った一人の少女。

 少女が抜き出た後、村人は力なく倒れ伏し寝息を立て始める。

 

 

「この姿、見覚えありますか」

 

 

 目の前で起きた異様な現状に眼を丸くしていた副総監だが、持ち前の脳の回転を活かし直ぐ様事態を把握する。

 

 

「なるほど、貴様がそこの人間を操っていたのだな。

 何故そんな面倒なことを。やろうと思えば村の中でもやれていただろうに」

 

「今質問をしているのは私なんですが。人の話を聞かないと周りから言われたことありませんでしたか?」

 

 

 副総監が言い放った面倒なこと。

 村に被害がでないよう森の奥地に態々赴かせ、結界を貼って逃がさないようにする。

 それ以外にも翠にはこの手順を踏む必要があった。

 

 _____翠は家でしか、正確には他人の敷地内でしか行動ができないこと。

 

 これまでもそれが理由で生斗とともに旅をしてきた。

 だからこそ人間を拉致し、その者の霊力で結界を貼る必要があったのだ。

 結界の中はいわばその術者の敷地内であり、結界内であれば翠の行動が制限されることもない。

 

 

「生憎、たかが一人の小娘の事など一々覚えていない」

 

「……!」

 

「推察するに、以前この私によって葬られた人間だな? 判らん。この私の手で死ぬことができたというのに、何故光栄と思い潔くあの世へ行けかぬのだ」

 

 

 一言一言に、それが本心から言っていることを理解し、翠の眼に光彩が失われていく。

 

 

 ______判ってはいたが、こんな奴に私は……こんな奴に洩矢の皆は……

 

 

 

「今からでも遅くはない。今すぐにこの結界を解き、地獄へ堕ちるのだ。さすれば、この度の無礼を許してやらんこともない」

 

「……大丈夫です」

 

 

 もう、こいつと話すことはない。

 話すだけ無駄だ。話の通じる相手ではない。

 元々話だけで済ませるつもりもなかったし、この方がかえって罪悪感無くやれる。

 

 翠の思考の中で、副総監を理解することを放棄した。

 

 

「さあ早く、この結界を______」

 

 

 

 

 

 

  ______「黙れ」_______

 

 

 

 

 

 瞬間、副総監は腹部の陥没とともに結界際まで吹き飛ばされる。

 理解の外からの規格外の衝撃に、副総監は肺に溜まった空気の全てを吐き出す感覚に見舞われる。

 

 

「き、貴様!!」

 

 

 そんな状態でも反撃の姿勢をとる副総監。

 もう目前まで肉薄していた翠に、生斗の左腕を抉り取った鋭い爪で襲い掛かる。

 

 

「なっ!?」

 

「……」

 

 

 巨木のようや腕が翠に向かって振り下ろされる。

 しかし、その攻撃は彼女の姿が霞のように淡く消えたことにより空を切り、地面に叩き付けられた衝撃により小規模の地震を発生させる。

 

 

「ぐあっ!!」

 

 

 側頭部へ鋭い衝撃が走る。

 姿を現した翠の蹴りが、見事副総監の頭部へ直撃したのだ。

 

 脳が揺れ、正常な判断を欠かれた副総監を前に、翠は追撃にともう三発、霊弾を顎にお見舞いした。

 

 

「っつ……!」

 

「調子に、乗るな!!」

 

 

 だが黙って受けられるほど副総監は甘くない。

 畳み掛けようとした翠の腕を掴み、まるで鞭でも扱うかの如く地面に叩きつけようとする。

 

 

「……小癪な!」

 

 

 それを先程と同様に姿を霞のように消えたことによってかわされる。

 

 

「(可笑しい……あれだけ叩き込んだのに、ダメージの蓄積が感じられない)」

 

 

 腹部が陥没するほどの殴打、人体の急所となる側頭部への蹴り、脳機能を停止しかねないゼロ距離からの霊弾。

 

 どれも並の妖怪ならば致命傷足りうる攻撃を受けきって尚、副総監はよろけることもなく平然とその場に立っている。

 

 

「耐久だけは一丁前ですね。私からすれば、沢山痛め付けられるので好都合です」

 

 

 

翠の挑発に副総監は聞き耳を持たず、先程蹴りを入れられた首を鳴らしながら、ある確信をしていた。

 

「ふむ、軽いな。この程度の力でこの私に歯向かうとは_____その無謀な挑戦に免じて、この私の能力を教えてやろうではないか」

 

「……何を」

 

「どうせ貴様では対処できぬことだ。教えたところで、何の支障もきたすことはない。さあ、この私の能力を聞いて絶望するが良い」

 

 

 能力を敵に向かって公表するというのは、とてもではないが馬鹿のすることだ。

 

 余程己の能力に自信があるのか、それとも翠を敵とすら見ていないのか。

 

 ____恐らく両者。

 そのことを理解した翠は、眉間に皺を寄せる。

 

 

「私が神より授かったのは『受けた力を蓄積・流す程度の能力』。私が受けた如何なる攻撃を蓄積し、相手に流すことが出来るのだよ。つまり、貴様がこの私に攻撃すればするほど、何れは己に返ってくるのだ」

 

「……!!」

 

 

 翠はこの時、外見では平静を保ってはいたが、内心では戦慄していた。

 

 翠は痛みは感じるが怪我を負うことはない。

 だが、攻撃を受ける度この世へ留まる力が弱まっていく。

 

 あの異常な頑丈さを誇る肉体に、一体どれ程の攻撃を与えれば倒すことが出来るのだろうか。

 そしてもし、倒しきる前に蓄積された力を返されたら_____

 

 幾らこれまで攻撃を受けないよう立ち回ってきた翠と言えど、この世に留まれる自信がない。

 

 

「熊口部隊長と同じく逃げ出すか。尤も、先のようにいかぬと思うが」

 

 

 翠に逃げるという選択肢はない。

 この結界を出てしまえば、自分は動けなくなってしまうことを理解しているから。

 自らの退路を断ち、この場にいる。

 

 

「逃げる? それはお門違いも良いとこですよ」

 

 

 髪を紐で結び、半身の構えをとる翠。

 

 

「貴方の身体が蓄積しきれない程痛め付ければ良いんでしょう。簡単明快翠ちゃん名推理ですね」

 

「ほざけ、この私に歯向かったことを心の底から後悔して往ね!」

 

 

 そう言い交わした後、目に留まらぬ攻防が再開された。

 

 

 

 

 



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万年の蓄積

 

 _____なんだ……身体が思うように動かない。

 

 

 

 ……ここは何処だ。

 

 おれはさっきまであの屑野郎と……

 

 

『熊口さん、______しましょうね』

 

 

 この声は……翠か? 

 

 翠、そうだ翠だ。あいつが話始めたときに急に意識が飛んだんだ。

 

 ここは何処だ、翠お前はおれに何をしたんだ。

 

 

『……』

 

 

 答えろ! 村の皆は、あの屑は今どうなっているんだ! 

 

 

 

「翠!!」

 

 

 咄嗟に起き上がると、そこには見慣れない物置小屋のような部屋が眼に映る。

 

 

「ここは……」

 

 

 左腕はないが、止血はされており、欠損箇所は綺麗に包帯が巻かれていた。

 

 翠は____あいつがいるときの妙な感覚がない。

 あいつ一人で外を出歩ける筈がない。

 きっと側にいる筈____

 

 

「こいつは……」

 

 

 玄関口には、鍬を持ったまま倒れている村人がいた。

 呼吸音がしている辺り、死んではいないようだ。

 ……まさかあいつ!! 

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 ある最悪の予想が脳裏を過ったおれは、急いで立ち上がろうとする。

 しかし、それは口から出た大量の血により阻まれてしまう。

 

 いや、予想ではない。確信だ。

 あいつは一人で、あの屑を倒そうとしている。

 

 

「ふぅ、ふぅ! がはっ!」

 

 

 お前は被害者だ。

 これ以上自分を傷つけようとするなよ。

 なんでおれに任せてくれない。

 

 ……事の発端は、おれにあるというのに。

 

 あの時お前は、おれは悪くないと言ってくれた。

 

 でも結局、おれが関わっていた。あの屑はおれへの復讐のために見境なく国や村を荒らして回った。

 

 なんでこんな応急処置までしてくれたんだ。

 本当は、おれの事も憎い筈だろ……

 

 

『熊口さん、______しましょうね』

 

 

「!!?」

 

 

 朧気な意識の中、翠がおれに言ったであろう別れの言葉。

 

 その発言を、恨んでいる相手にするであろうか。

 ……おれは、酷い勘違いをしているのではないか。

 

 こんなところで、悔んでいる暇はあるのか_____いや、ある筈がない。

 

 

 まだ遅くない筈だ。

 翠がそう早くやられる訳がない。

 

 ならば、急いでおれも駆けつけなければ。

 翠がおれの事を恨んでいるかなんて、あの屑を倒してから聞いても遅くはない。

 

 それにあの発言が本当なら、翠は_____

 

 

「う"っ……」

 

 

 とりあえず、この身体では、すぐに駆け付けるのは無理そうだな。

 

 

 一度リセットするか。

 

 

 

 ____さあ、褌引き締めるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ______________________

 

 

 

「ここまで食らいついてきたのは貴様が初めてだ」

 

「くっ……」

 

 

 額に青筋を浮かべ、拳を握り締める副総監に、先程よりも若干存在が薄くなりつつ翠。

 

 

「(少し掠れただけでこの威力……直撃すれば一溜まりもないですね)」

 

「(ちょこまかと小賢しい奴め。これでは奴に蓄積ダメージを流せん……こうなれば____)!!」

 

 

 お互いが思考する中、先に行動を起こしたのは副総監であった。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 その踏み込みは大地を震わせ、その巨躯から放たれる体当たりは全てを吹き飛ばす。

 

 眼と鼻の先……寸でのタイミングで翠はかわすが、体当たりの風圧により態勢を崩してしまう。

 

 

「(速い……!)」

 

 

 初撃は元々布石でしかない。

 その証拠に初めから外すのを前提としか思えないほどの早さで切り返し、翠に向かって再度突撃しており、既に人一人分の距離まで肉薄していた。

 

 

「足元ががら空きですよ」

 

「ちっ!」

 

 

 

 目前まで迫ってきていた副総監に、何も驚く様子もなく翠は崩された体勢を利用し、地面についた左腕を軸に肉薄してきていた副総監の脛を蹴り抜く。

 

 

 

「……怨霊であるというのに、物理で攻めてくるのだな」

 

「意外に多いですよ。首を絞めたりなぶり殺したりする怨霊は」

 

 

 副総監は気付いていない。

 翠が攻撃と同時に呪いをかけているという事実に。

 だが、その効果も大妖怪の力と副総監自身の強靭な肉体により効果をほぼ無効化されてしまっているため、本人は呪いをかけられていないと思い違いをしているのだ。

 

 

 

「(これまで熊口さんで練習してきた精神汚染や状態異常も効果なしですか。まあ、想定内です)」

 

 

 

 呪いを解き、自身の霊力へと変換させていく翠。

 

 その間に副総監は立ち上がり、再度身構える。

 

 

「何をぼーっとしている。背中を見せていたのだぞ、好機ではなかったのか」

 

「あっ、すいません。あまりにも無様に転けたので、罠だと思ってました」

 

「……貴様は、余程の命知らずのようだな。ただで済むと思うなよ」

 

「もうとっくの昔に死んでるので、自分の命の尊さなんてとうに忘れてしまってますよ」

 

 

 翠の減らず口に、青筋を浮かべる副総監。

 元々が短気である彼には、素で毒舌を吐く彼女の言葉だけで、堪忍袋の緒を切れてしまったようだ。

 

 

「面白い。貴様には、熊口部隊長に与える予定であった()()()()()の半分をくれてやろうではないか」

 

「どうせこれまでの攻撃に毛が生えた程度の代物でしょう。半分なんてせこい真似せず、全部私に当ててみたらどうです?」

 

 

 言っていろ______と、副総監は呟くと同時に、周りに円形に配置した弾幕を繰り出す。

 

 

 

「一つ一つが我が怨念を敷き詰めている。当たれば熊口部隊長と同じ目に遭うぞ」

 

 

 生斗が戦闘不能にまで追い込まれた毒の正体は、副総監の呪いによるものであった。

 その正体を知っていた翠だからこそ、生斗の全身を犯しつつあった呪いの進行を止めることが出来たのだ。

 怨霊にとって呪いは専門分野であり、解く方法も熟知している。

 しかし、そんな彼女でさえ生斗の呪いを解くまでには至れなかった。

 それほどまでに副総監の呪いは強力であるため、これから襲い掛かる弾幕の全てを避けなければならない。

 

 

 

「(怨霊に呪いですか。良い皮肉ですね)」

 

 

 密度の高い弾幕であれ、そこには隙がある。

 針に糸を通す以上の繊細な機動力が必要とするが、そんな心配など、翠は何ら感じていなかった。

 

 あるのは、副総監に渾身の一撃を叩き込む意思のみ。

 

 

「逝けぇ!!」

 

 

 副総監の号令とともに放たれていく呪いを含んだどす黒い弾幕が放たれていく。

 

 

「!」

 

 

 一歩判断を誤れば直撃し、瞬く間に次々と着弾させてしまう恐れがある高密度の弾幕を、神経をすり減らしながら前進していく翠。

 

 目前には闇に紛れながら高速で飛び交う弾幕、常人どころか生斗が眼を霊力で強化しても避けるのが困難である代物であるのだが、幽霊である翠の視覚は人間の頃とは似て否になるものであり、副総監と同じく闇夜でも的確に弾幕を捉えることができる。

 

 

「何故当たらぬのだ!?」

 

 

 闇夜に紛れ高速で飛び交う漆黒の霊弾。シューティングゲームで言えば鬼畜難易度といっても過言ではなく、これまでにこの弾幕を攻略された記憶の無い副総監は、思わぬ事態に焦りを見せる。

 

 

「まさか、これがとっておきなんてことはないですよね」

 

「!! ……安心しろ、これはただの前座に過ぎんわ!」

 

 

 より一層に弾幕の密度と速度を上げ、迎撃に当たる副総監。

 それに対して最小限の動きと霊弾で退けていく翠。

 

 時には緩急をつけ、時にはブラフの弾幕を、極めつけには不可避の弾幕を加えているにも関わらず、彼女を止めるには至らない。

 

 

「(弾幕の弱点は力が分散すること。不可避であれ、一点に焦点を当て攻撃を加えれば、自ずと活路は見えてくるものです)」

 

「くぅ!!」

 

 

 遂に翠の霊弾が副総監に着弾し始める。

 

 

「(重い……!!)糞がっ!」

 

 

 何重もの分厚い弾幕を掻い潜り、正確無比の霊弾が副総監に襲い掛かる。

 

 肘、鳩尾、左太腿、脇腹__________一発一発が殺意の込められており、当たる度に副総監は後退りし、弾幕が乱れ隙が生まれる。

 

 

「!!」

 

 

 そして遂に、翠が待ち望んでいた好機が訪れた。

 

 

「があああ!」

 

 

 副総監の顔面に、霊弾が直撃したのだ。

 彼の視界が一瞬、衝撃と共に失われるこの瞬間、翠にとってまたとない好機、乱れた弾幕をすり抜け距離を詰める。

 

 

「こんにちは、屑野郎」

 

 

 目頭を押える副総監の前へと肉薄に成功する翠。

 まだ完全に戻らぬ視界をなんとか稼働させ、彼女の朧げな姿を認識した副総監は、

 

 

「くくっ、貴様はこの私に近付きたくて弾幕を掻い潜っていたのか。それなら幾らでがばふ!!?」

 

「もう、喋らなくてもいいですよ。疲れるでしょう」

 

 

 裏拳で副総監の顎を打つ翠。

 間髪入れずに肘で鳩尾を貫き、あまりの激痛に退いた副総監の側頭部に回し蹴りをお見舞いする。

 

 

「ごひゅっ!?」

 

 

 左によろめく副総監を助長するが如く、喉輪で押えながら力任せに頭から地面に叩きつける。

 後頭部の衝撃と喉を押さえつけられることにより呼吸困難に陥った副総監の口から人から発声しえないような奇声が上げられる。

 

 

「これで終わりです。せいぜい………………!!?」

 

 

 渾身の右拳で、副総監の頭部を潰そうとした翠は、ある異常事態に気付く。

 

 副総監の右腕が、先程までとは比較にならないほど黒く変色し、膨張していたのだ。

 

 

「(まずい!)」

 

 

 翠自身、これまで経験したことのない悪寒が走り、副総監の背中を蹴って距離を取る。 

 

 

「はあああ!!」

 

 

 ただがむしゃらに、振り下ろされた副総監の右腕が地面へと深く突き刺さる。

 その瞬間、副総監を中心に地面が盛り上がっていき、そこから生まれた亀裂から真空波が結界内に放たれていく。

 

 

「あぐっ!?」

 

「ま"だごの"でい"どでずむ"どおぼう"な"よ"!!」

 

 

 突如として現れた無数の真空波が、回避の遅れた翠に襲い掛かる。

 

 

「……!」

 

「ふんっ!!!」

 

 

 姿を消すことによりなんとか回避する翠。

 彼女が何度か見せたそれは、己の存在を一時的にこの世とあの世の境に送る危険な技であり、一度に多量の霊力を消費してしまう危険な技。

 

 しかし_____

 

 

 

「うぐっ!?」

 

「ごの"私に"同じ手な"ど温い"わ"!」

 

 

 そんな危険な技であっても、既に喉の修復を終えつつある副総監に見切られてしまっていたのだ。

 先程のお返しにと言わんばかりに、掴まれた喉元を強く押さえられ、翠は苦悶の表情を浮かべる。

 

 

「咄嗟に出る既見の回避技など、読むに容易い」

 

「ぐっ!」

 

 

 

 翠の力は、鬼に匹敵する。

 そんな彼女が、喉元を締めてくる腕を両手で握り締め、顔面に蹴りを入れても尚、副総監は揺るぐ気配はなかった。

 

 

「はがっ!?!」

 

「締める手を強めるだけで薄くなっていきおる。これは良い余興だ」

 

 

 消えて回避しようにも、今しがた使った反動で使用する事が出来ない。無理に使用すれば、それこそ二度とこの世へは戻れなくなる。

 

 

「あああ!!」

 

「良いぞ、もっと喚くのだ。これから更に叫びたくなるよう『これ』を見せてやろう」

 

「!!」

 

 

 足掻き悶える姿を見て、恍惚とした表情をする副総監。

 先程見せた右腕が再度筋肉の膨張を生じ始め、既に人差し指の第一関節のみで優に成人の頭程の大きさがあるほどであった。

 

 

「先程宣言したであろう。()()()()()の半分____________私が生涯受けてきたダメージの蓄積を与えてやるとな」

 

「うぐぅっ!!」

 

 

 

 副総監の言い放っていた『とっておき』とは、呪い付きの弾幕ではなかった。

 副総監が受けてきたダメージの蓄積を、何千、何万年と蓄積させてきた恨みの力を、翠一人の身体で受け止める。

 そんな事が可能か否かどうかは、彼女自身が一番よく分かっていた。

 

 

「さあ、暴れろ。さもなくば軽く消滅する……?」

 

 

 遂に追い詰めた相手を痛ぶろうと、締める力を強める副総監。

 そんな彼だが、ある不可解な点に気付き、その表情に濁りが生じる。

 

 

「何故足掻きを止める。本当に逝くぞ」

 

「ぐぅっ!」

 

「苦しみのあまり足掻く気力さえ無くなったか_____いや、貴様の眼は死んでいない」

 

 

 喉元を抑えられているため、話すこともままならない翠であったが、両腕を駆使しなんとか指一本ほどの隙間を開け、

 

 

「さっきも、言いましたが、半分なんて、せこい、真似してないで、溜めてる全てを、だしなさいよ。でないと、後悔、しますよ」

 

「何を馬鹿なことを言っておる。後悔するのは、喧嘩を売る相手を間違えた貴様の方だぞ」

 

 

 開けた隙間を直ぐ様抑えられ苦悶の表情を見せる翠。怪我はなくとも痛みは人間と同様に感じるため、窒息することはないが、終わることのない苦しみが襲い掛かる。

 

 だというのに、彼女は苦しみながらも笑みを見せる。

 

 

「煽りなど受けんぞ。先程決めていた通り、とっておき_____これまでこの私が生涯受けてきたダメージの半分をくれてやる」

 

 

 副総監の右腕の筋肉が膨張を始め、それに比例して血管は浮き、肌の色が青黒く変色する。

 

 

「この腕に触れたとき、貴様は終わるだろう。何か言い残すことはないか」

 

「うっ……」

 

 

 喉元を掴んだ腕に力を込め、最後の発言すらも許さない。

 

 

「ぐふふっ、言い残すことはないようだな。ならば____さようならだ」

 

 

 膨張した右腕を構え、翠の頭部へ狙いを定める。

 

 そして副総監の右腕は、有無を言わさぬまま無情にも振り下ろされた_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つ言い忘れていました。受けるのは私ではありませんよ」

 

 

 _____かに見えた副総監の右腕は、翠ではなく制御を失った自身の左腕へと直撃していた。



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輪廻転生を捻じ曲げてでも

 振り下ろされた右腕は、翠ではなく制御を失った副総監の左腕へと直撃していた。

 

 骨が何重にも折れる音と肉が弾ける音が二人の鼓膜に響き渡る。

 

 

「はあうぁぁあ!!!?!?」

 

 

 状況も判らぬまま翠を掴んでいた腕のみならず、半身までもが弾け飛んだ衝撃と激痛が走り、辺りに転げ回る副総監。

 

 そんな無様な姿を晒す彼に対して、翠はお構い無しにと顔面を蹴り飛ばす。

 

 

「やはり理解しあえることはないですね。苦しんでいる人を見て、例えそれが恨むべき者であっても到底笑える気分にはならない」

 

「がほっ!!」

 

 

 顔面を蹴られ、軽い脳震盪を起こす副総監に霊弾を躊躇いなく放つ。

 

 

「どうでした? 私の名演技。見事に騙されて阿呆面かましてましたよね」

 

「はあ、はあ!」

 

「貴方の馬鹿力なんて大したことないんですよ。骨を折って左腕を身代わりにするなんて朝飯前なんですから」

 

 

 鬼にも引けを取らない怪力を持った翠の渾身の力は、遥かに副総監の想像を凌駕していた。

 全ては能力を引き出させるため、彼女は非力だという演技をしていたのだ。

 

 

「な、何故だ!? 何故幽霊である貴様がここまでの力を!」

 

「話す気力は残ってるんですね。偉い偉い」

 

「がはあ!!?」

 

 

 回復力は流石は大妖怪の力を持っているというだけはあり、吹き飛んだ身体が少しずつ修復していく___________が、再度霊弾で吹き飛ばされる。

 

 

「偉い貴方には褒美に教えてあげますね。私は複数の命を持つ熊口さんに何十、何百年と取り憑いてたんです」

 

「な、何!? く、熊口部隊長にか!」

 

 

 翠と生斗との関係性に初めて明かされたことにより驚きを隠せない副総監。

 彼にとって、翠は己が数多の人間を殺めてきた人間がタイミング悪く霊として出てきただけだと割り切っていた。

 それがまさかの、忌むべき生斗との関係があったのだとを明かされたことによりこれまでの顛末に合点がいくことを理解する。

 

 

「そうか、あの時熊口部隊長が逃げ出したのも、貴様があやつ、んぶ!?!」

 

「しーっ。まだ、私が話してるんですよ?」

 

 

 拳程の大きさがある岩を副総監の口には積める翠。

 どうやら彼女は、これ以上この男の声を聞きたくないのだろう。

 嫌悪感を露にしたまま彼を抑えつけ、話を続ける。

 

 

「生命力が他とは段違いにある熊口さんは、生気を吸う幽霊にとってとても有り難い栄養源でもあります。それに加え彼は旅に出ており、怪異にもよく出くわし、一時期は妖怪の住まう山に在住していた事もありました」

 

「ふーっ、ふーっ」

 

「そんな方々と常日頃から接してきました。私の霊体である特質上なのか、吸うつもりがなくともその方々の力を吸ってしまっていたんです。

 いわば今この状況まで持ってこられたのは、貴方を捜し、葬るまでに関わってきた方々のお陰でもあるんです」

 

 

 あらゆる者と関わり、僅かながら生気を吸ってきたからこそ、大妖怪を圧倒するまでの力を手に入れたーー元々吸わなくても鬼と張る程度の力を有していたが。

 

 

「さて、貴方を無力化することに成功しました。後はこの御札を貼れば晴れて私の復讐は終わりを告げます」

 

「!! ふーっ! ふーっ!?」

 

 

 抑えつけた状態で、懐から一枚の御札を取り出す翠。

 その御札から放たれる禍々しいオーラを感じ取った副総監は更に焦りを見せ、口に入れられていた岩を噛み砕いてしまう。

 

 

「これ、熊口さんからくすねてきた諏訪子様の御札です」

 

「!!!! や、止めろ! それをこの私に貼るな!!」

 

「もう、手遅れですよ」

 

 

 翠が取り出したのは、以前諏訪子が別れ際に、生斗へ渡した御札であった。

 その御札には、神の怨念が詰まっており、一介の妖怪であればまず耐えることもできず消滅する代物。

 大妖怪並みの力を得れど、己の技で自爆し、立つこともままならぬほど弱っている今の副総監も例外ではない。

 

 

「お願いだ、私がした行為には反省している! そうだ! 財宝を渡そうではないか! これまで私がかき集めた金品の全てを貴様に渡す! だから_____」

 

 

 副総監が我が命欲しさに必死の命乞いをする。

 その姿は、過去に登り詰めたであろう地位、そして威厳を微塵にも感じさせない、哀れな一介の妖怪であった。

 

 だが、そんな彼を見て翠の手が止まる。

 

 命乞いが効いたのかと、希望を見出だした副総監は翠へと顔を向けたのだが、彼女の表情を見て絶望の淵へと叩き落とされる。

 

 

「被害者は、加害者の反省は求めてないんですよ。欲しいのは加害者の断罪のみです」

 

 

 にっこりと、優しい微笑みを見せる翠。

 その瞬間、全てを悟った副総監は______

 

 

「こんのぉ小娘があああああぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!」

 

 

 大地を揺るがすほどの副総監の怒号が響き渡る。

 

 悪の断末魔というものは、どれも酷いものが多い。

 特にこの男の断末魔と来たら、聞くに耐えるものではない。

 

 

 本当に、この男____副総監の断末魔であればなの話だが。

 

 

 

「なっ!!?」

 

 

 

 逸早く異変に察知した翠は、思わず副総監から距離を取った。

 

 叫び声とともに、訪れた副総監の身体の変化。

 先程、能力を発動させたときに起きた肉体の膨張が全身で現れているのだ。

 

 

「(大きさも先程の倍以上はある。これは……)」

 

 

 全身が青黒く変色し、身体は以前より三倍程巨大化する。

 再生はまだ間に合っていないのか、半身はまだ削れたままであるのは、翠にとって唯一の救いなのかもしれない。

 

 

「ぐあああああ!!!」

 

 

 悲鳴ともとれる咆哮を上げる副総監。

 地に這いつくばり、四足歩行で動く様はまさに原始的____だからこそ、翠の危険信号が大音量で逃げろと報せてくる。

 

 

「あが、ぐあ、ぎ」

 

「自らの能力を暴走させた……」

 

 

 諏訪子の御札を構え、立ち向かう覚悟をする。

 

 _____副総監を自爆に追いやった演技を見せた翠。

 あの時実は、敢えて演技をしたのではなく、()()()()()()()()()()()()

 

 そう、翠に残された霊力はもう、雀の涙程しか残されてはいない。

 

 理由は様々ではあるが、一番はやはり『戦闘経験』の少なさ。

 戦えばその分消えるリスクが高まるため、極力戦闘を避けていたツケが今に来て猛威を振るっていたのだ。

 これまで生斗の戦いを見ていたが、見るのとやるのとでは勝手が違う上、一度の失敗が死に直結する緊張感。

 そんな状況で練習なしの一発本番、幾ら冷静さを保っていたとしても、ペース配分を見誤ってしまうのは、もはや必然であった。

 

 だからこそ、一度勘づかれれば終わりの大演技を打ってみせた。

 その博打に勝ち、終わりを確信した途端に起きた異常事態(エラー)。

 

 残された手立ては諏訪子の御札三枚と、霊弾十数発分の霊力のみ。

 

 

「がぐお、が!」

 

 

 身体中から皮膚と同じ青黒い、まるで獣のような毛が生える。

 四足歩行___正確には左腕が欠けているため三足歩行であるが、そんな姿も相俟い、巨大な狼と言わんばかりの姿となり、眼球も充血し、血涙を流す。

 

 

「そんな醜い獣の姿になってでも、貴方は死にたくないんですね。これまで数え切れない人の命を殺めておいて」

 

 

 月の民や洩矢の国を襲撃し、天魔の左眼を奪い、村々を荒らし、沢山の命を弄ぶように奪ってきた。

 それだけの悪行を犯して尚、この人間は生き永らえようともがいている。

 その姿を見て翠は、己でも抑えきれぬほどの憤りを感じていた。

 

 

「貴方のせいで、皆死んだ。あんたのせいで

 母上や父上は死んだ。お前のような屑のせいで、私や熊口さんは大迷惑してるんです」

 

「ぎぎぃ、ぐゃば」

 

 

 幽霊から流れる筈のない涙が、ほろりと翠の頬を伝う。

 しかし、副総監は一歩ずつ、着実に翠へと接近する。

 

 翠は判っていたのだ。

 この状態では、副総監に勝つことができないことを。

 

 副総監から溢れでる、先程までとは比較にならないほどの妖力。

 まるで神奈子と対峙した諏訪子の時のようなどす黒い力が彼から発せられており、周辺の草木は養分を吸いとられたように朽ちる。

 

 

「ふっ、こんな獣に愚痴を言っても仕方無いですよね」

 

 

 頬を伝う水分を拭き、改めて身構える翠。

 

 

「熊口さんなら、こんな状況でも諦めませんよね。大丈夫です、ちゃんと勝って貴方の元へ戻りますから」

 

 

 生斗はこれまで、あらゆる大妖怪に対して一矢を報いてきた。

 掠ればそれだけで重症になりかねないほどの強敵に対して、彼は口では無理だ無理だと言いつつも決して諦めなかった。

 

 だから翠も諦めない。

 誰よりも彼を見てきたからこそ、誰よりも彼の心を聞いていたからこそ、彼女には不屈の心が宿っていたのだ。

 

 

「が、がが……がああああ!!」

 

「……!」

 

 

 お互いの射程距離へと副総監が踏み入れた瞬間、その時は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 肉眼では捉えることが出来ぬほどの速度を有した副総監に対して、全身を低く構え、前方へ諏訪子の御札を掲げる翠。

 

 ____そこへ現れるのは無数の白蛇。

 其々が行く手を阻まんと副総監の全身へ絡み付き、動きを封じる。

 

 副総監の動きを封じられた千載一遇の好機。

 畳み掛けるように懐へ潜り込む翠であったが、ある異変に気付いたのは、副総監の脇腹を殴打する瞬間であった。

 

 絡み付いた筈の蛇達が、血反吐を吐いて消滅していったのだ。

 

 そんな異変に気付きつつも時既に遅く、全霊力を込めた拳が脇腹に触れる____瞬間、骨が砕ける音とともに、翠自身が背後の結界に衝突した。

 

 

「がはっ!?」

 

「くぎゃあああああ!!」

 

 

 激痛に悶え、悲鳴を上げる副総監に、突如として理解の外からの攻撃を受け、その場で膝をつく翠。

 

 

「(今、私は何をされた!? いや、それよりも_____)」

 

 

 己の眼に映る身体が淡く霞がかり、地面が透けて見えている。

 この現状が何を意味しているのかは、翠自身が誰よりも理解していた。

 

 

「ぎぎぎ、ぎゃお」

 

「負傷は、与えられてるみたいですね」

 

 

 身体は痛みに震え、副総監の口から血が止めどなく垂れ流さる。

 だが、それ以上に重症であったのは翠であった。

 

 

「(身体が、動かない……)」

 

 

 身体が数十倍の重力が働いているかの如く、身動きの制限を余儀なくされていた。

 

 先程放った殴打により、霊力を枯渇させた代償であるのは間違いないのだが、それとは別にもう一つの原因が降りかかっていた事を翠は把握していた。

 

 

「あの一瞬で呪いですか……」

 

 

 生斗を戦闘不能に追いやった毒牙が翠にも犯されていたのだ。

 

 幽霊は生物ではないため毒は効かない。だが、呪いは万物に有効な手段であるため、翠にも生物と同様に呪い()が回りだす。

 

 

「(先程までは殴っても呪いは掛からなかった。恐らくはあの形態になったからでしょうね)」

 

 

 呪いとは本来、神や悪霊等の力を借りて間接的に掛けられるものだが、副総監は己の怨みの念を力に変え、敵対する相手を直接的に呪い殺すことが出来る。

 以前に、天狗の長である天魔が左眼を呪いにより失明したのも、この毒(呪い)が原因であり、副総監が死なない限り生涯治ることはない。

 

 しかし、そんな事は微々たる要因に過ぎない。呪いに精通している翠にとって、取り除くことはできなくとも進行を止めることは可能である。

 

 

「……」

 

「ぐぐぐぅ」

 

 

 翠の出来うる術を用いてもこの化物に通用していない。

 あろうとことか自身が動けなくなる始末。

 

 

「ふふっ」

 

 

 自身の醜態に思わず失笑する翠。

 

 霊力が尽き、毒に犯され、身体は言うことを聞かない。

 絶体絶命と言っても過言ではない状況であるのは明らかだ。

 傍から見れば誰もが諦めの笑いだと感じるであろう。

 だが_____

 

 

「なんだよ、一人で出来るからおれを置いていったんじゃないのか」

 

「一人で出来ますよ。後少しで仕留められるんです。だから熊口さんの霊力分けてください」

 

 

 翠が笑ったのは、『彼』を目視したから。

 結界の中へ躊躇いなく入り、そして完全に癒えている彼の姿に対しての、呆れと安堵の笑みであった。

 

 

 

「馬鹿か。その様子じゃ後一発でも受けたらお前が消えるだろうが」

 

「じゃあ生気も」

 

「嫌だ。お前は大人しくそこで見てろよ」

 

 

 再生した左手で剣助を抜き、副総監に向かって構える。

 

 

「熊口さん」

 

「なんだ」

 

「不服ですけど、お願いします。どうにも、私では力不足だったようです」

 

 

 口では軽く言ってはいるが、表情はなんとも悔しげに歯噛みしていた。

 生斗自身、彼女がどれだけ副総監に対して怨み、復讐の達成を祈願していたのかを知っている。

 だからこそ、彼女のこの言葉によって更に生斗は身を引き締め、己の両頬を平手打ちする。

 

 

 

「任せとけ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________________________

 

 

 

 

 薄暗い森の中でも、翠の貼った結界は淡い光を発しており、敵の姿をやんわりとだが照らしてくれる。

 

 

「あれが副総監か? 最初見たときよりも大分ゴツくなっているけど」

 

 

 まるでゾンビ化した獣だな。

 半身が吹き飛んで、もう半身の胸から肋骨が突き破られており、口から血を垂れ流しながらふらふらと四足歩行で近付いてきている。

 

 

「手負いだからと油断しないでくださいね。恐らく、攻撃をそのまま跳ね返って来る上、触れるだけで毒に犯されますよ」

 

「はっ? なんだよそれ」

 

「あの屑の能力です。姿が変わっているのも、能力を暴発させた成れの果てだと思われます」

 

 

 なっ、なんて出鱈目な能力なんだ。

 ダメージ反射ーー攻撃自体は見る限りでは効くようだが。だけでも厄介なのに、触れるだけで毒になって、形態変化も可能である。

 これ、絶対複数の能力持ってるよね。狡いだろそれ、チート疑惑浮上してるぞ。

 

 

「それをあそこまで瀕死にさせているお前も大概だけどな」

 

「今の私にとって、それは褒め言葉ではないですよ」

 

「大丈夫、そもそも褒めて言ったつもりはない」

 

 

 さて、そろそろ話をしている暇は無くなりそうだ。

 もう側まで狼擬きが接近している。 

 

 

「翠、おれの中に入っておけ。流れ弾が当たりでもしたら目も当てられないからな」

 

「私に触れないでください。折角解呪された呪いにまた掛かってしまいますよ」

 

「呪い? おれなんか呪いに掛かってたのか」

 

 

 呪いというものにあまり詳しくないおれは、翠の発言に首をかしげ、後ろにいる翠の方へ振り向く。

 

 

「毒のような性質の_____熊口さん!!」

 

 

 何かを目視した翠が声を荒げ、おれの名を呼ぶ。

 

 分かっている。油断して隙を見せた訳じゃない。

 

 軽く十尺を越える巨大な影がおれを覆う。

 

 いつものおれなら、反応出来るか怪しい程の速度。

 だが、今のおれなら的確に捉えることが出来る。

 

 

「ぐおああああああぉああああああぉああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 お前なんて、幽香や萃香と比べたらその辺の雑魚と変わりないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石はカワシロ特製と言ったところか」

 

 

 やはり、カワシロがくれた剣助の切れ味は凄まじいな。

 

 

 いとも容易く屑を一刀両断できた。

 

 

 副総監はおれと翠を二体に分身して通り過ぎ、障壁に激突し、間もなく断面部から地面へ崩れ落ちていく。

 

 

「力を跳ね返してくるのなら、跳ね返される前に絶命させれば良い。極論だけど」

 

 

 改めて見ると副総監の奴、完全に人間をやめた姿をしているな。

 前の姿も大概だが、まだ人間の形状は保っていた。

 

 

「……こんなにあっさりやられると、横取りされた感が凄いんですが」

 

「戦闘は刹那の間に決まるもんだぞ。あれでおれが反応が遅れていたり、屑の攻撃が掠りでもしたら結果は逆だったろうよ」

 

 

 おっと、死体をそのまま放置したら疫病にかかりそうだし、熱処理しておくか。

 

 そう判断したおれは、頭サイズの爆散霊弾を生成し、其々の身体に放って爆散させていく。

 

 

「この威力、やはり命を使ったんですね。しかも腕が治っているということは…………」

 

「ああ、一回自刃したよ。おかげでおれの命は今の分だけだ」

 

 

 そもそも剣助を扱うには命一つ分の霊力水増しがないと到底扱える代物ではない。

 

 でもそんな事はどうでも良い。

 今おれが危惧しているのは_____

 

 

「翠、早くおれの中に入ってくれ。今日ぐらいは特別におれの生気を吸わしてやるから」

 

「……」

 

 

 奴も死んで呪いも解けた筈だ。

 なら今翠がおれに触れても何も問題はない。

 

 絶賛霞がかっている翠を見ていると、なんでか不安になってしまう。

 そのまま消えていなくなってしまうのではないかという、そんな不安が。

 

 

「……確かに、呪いは消えたようですね」

 

「何話し始めてるんだ。熊さんの気が変わらないうちにさっさと入ることをおすすめするけど」

 

「あの屑も呆気なく消えて無くなりましたね」

 

「おい」

 

「ここまで、短いようで大分長い旅路でした」

 

「おい!!」

 

 

 翠の肩を掴み、早く入れと促す。

 だが、翠はゆっくりと横に首を振り、滅多に見せない笑顔をおれに見せた。

 

 

 その瞬間、全てを察してしまった。

 これまで、考えないようにしていた事を、妖怪の軍勢が押し寄せてくるより何倍も恐ろしい現実を今、受け止めなければならないのだと。

 

 

「熊口さん、これまでありがとうございました」

 

「なんだよ。復讐が達成できたら、それで終わりなのかよ」

 

 

 分かっている。翠がそんなに薄情な奴ではないことなんて。

 副総監を倒すことを繋ぎに、なんとかこの世に留まれていたってことも。

 その繋ぎが無くなった今、この世に留まる力が、翠にはもうないってことも、全部分かっている。

 なのに何故、思ってもないことを言ってしまうんだ。

 こんなことを言った所で、翠が困るだけ_____

 

 

「ほんとに馬鹿ですよねぇ。熊口さんは」

 

 

 そう言いながらも、くすっと笑ってくれる翠。

 

 _____そうだ、翠は、誰よりも、もしかしたらおれよりもおれの事を知っている真の理解者であることを忘れていた。

 

 最初は心を読まれることに嫌悪していた自分がいた。

 何時如何なる時にも、頭の中からその響く声が喧しくてならなかった。

 自分勝手で毒舌で自己評価が高いことに腹が立った。

 

 だけどそんな悪い所を踏まえても、おれは_____

 

 

 

「お前と、まだ旅がしたいんだよ……」

 

 

 おれは翠の肩を掴んだまま、顔を伏せる。

 その一言を皮切りに前がぼやけてきたからだ。

 

 

「熊口さん、私……後悔はしていないんです」

 

「……」

 

「勿論、本当は私の手で終わらせたかったのもあるんですけどね! でも、これで良かったんです。これで心置きなく、成仏出来ます」

 

「……」

 

 

 地面にぽたぽたと浸たる音が、翠の声よりも大きく聞こえてしまう。

 もう分かっているのに、現実逃避をしているということは理解している筈なのに、どうしても受け止めきれないおれがいるからだろう。

 

 

「でも、心残りはありますよ。諏訪子様や妖怪の山の皆さんに最後にまた会いたいし、海にもまた行ってみたいです」

 

 

 海……ああ、そういえば翠の奴、以前行った時に眼を輝かせてたな。無理矢理おれの身体を乗っ取って泳がされたのはまだ記憶に新しい。

 

 

「熊口さん、顔をあげてください」

 

「嫌だ」

 

「ほんと、いつまで経っても子供ですね。これまで沢山出会いと別れは繰り返してきたでしょうに。私とのお別れは、その中の一つに過ぎませんよ」

 

「違う。お前との別れは、これまでしてきた別れとは訳が違う」

 

「……」

 

 

 これまで、親しい者との永遠の別れは何度か経験してきた事はある。

 だが、明確にこれが最後だと確信しての別れは初めてだ。

 その中でも、自分が別格なのは、翠自身が一番知っている筈だ。

 

 

「_____それじゃあ、約束しましょうよ」

 

「……約束?」

 

「そう、約束です」

 

 

 今更、約束なんてして何になるんだ。

 これからいなくなる翠と約束した所で______

 

 

「何百年、何千年とかかるかもしれません」

 

「何千……まさか」

 

 

 _____そうか。翠が言わんとしていることが、なんとなく分かった。

 でもよ、それはいくらなんでも無謀過ぎなんじゃないだろうか…… 

 

 

 だけど、可能性は0じゃない。

 

 

 そんな何兆分の一の可能性であれ、翠、お前になら賭けられる。

 

 

 

「そのまさかです。

 

 もし生まれ変わった私が、熊口……生斗さんに出会うことが出来たのなら______」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度は、永遠に貴方の隣を歩かせてください」

 

 

 

 

 

 

 この時おれは初めて、現実を受け止めることが出来た。

 今まで地面を濡らしていただけの顔を上げ、真っ直ぐな眼で翠を見ることが出来た。

 

 

「ふっ……地面を濡らしてたのおれだけじゃなかったのかよ」

 

「生斗さん程じゃないです」

 

 

 そして眼の前に映る光景に思わず失笑する。

 眼前には、おれ以上の大粒の涙を流している翠が一生懸命笑顔を作っていたのだ。

 

 

「それで、答えはどうなんですか」

 

「答える必要もない、分かりきった質問をするよな」

 

「貴方の口から聞きたいんです」

 

 

 

 答えてしまえば、翠は満足して逝くだろう。

 まだ話していたい。

 だけど、それでは決心が揺らいでしまう。

 

 良いじゃないか。幽霊としての翠とは永遠の別れとなるが、生まれ変わった翠に会えば良いのだから。

 いや、会って見せる。

 輪廻転生の輪をねじ曲げてでも、必ず。

 

 

 

()()()、翠。仕方ないから、またお前に会うまで、独り身でいてやるよ」

 

 

 おれの回答を聞いて、翠は先程までの作った笑顔から満面の笑みへと変え、

 

 

「生斗さんは、私のような物好き以外貰われることなんてないんですから、安心して逝けますよ」

 

 

 そう言い放った後、翠の姿がぼんやりと透けて消えていく。

 

 

 ありがとう、翠。

 

 暫しの別れでも、もう寂しくはない。

 

 笑って見送るのが、おれの役目だ。

 

 

「あの世で一人だからって泣くなよ! もしも泣きそうな時はこの愛しの熊さんの顔を思い浮かべるんだぞ!」

 

「その時は______」

 

 

 おれが檄を飛ばすと、翠は肩に置かれていたおれの腕を退け、そのまま抱き締めてきた。

 

 体温はない筈なのに、何故かほんのりと暖かい。

 

 

「生斗さんの泣き面を思い出して、笑ってやります」

 

 

 なんか違う気がするが、お前が笑ってくれるなら、それで良いよ。

 

 

 

 

 それじゃあな、翠。

 

 また会う日まで、おれは探し続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 _____そして翠は、安心したように安らかな表情のまま淡い光とともに旅立っていった。



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4章 隙間妖怪と輝夜姫との交流
①話 雨上がりの吉日


 

 清々しい、とは程遠いほどに湿きった天気。

 梅雨時であることもあり、ここ数日は天からの恵みが止めどなくおれのいる山道に降り続ける。

 

 自家製の蓑笠も、そろそろ乾かしたいんだが。

 

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 

 何時になったら止むもんかね、この雨。

 地が緩んで歩き辛いし、じめじめして気分も暗くなる。

 それに視界も悪くなっているからか、人里が全然見つけられていないので、備蓄がそろそろ底をつきそうだ。

 猪あたりでも狩ろうかと思ったりもするが、こう雨が続くと気分がな……

 

 

「はっ、はっ……きゃっ!?」

 

「んっ?」

 

 

 蓑笠で少し聴覚が悪くなってはいるが、今確かに女性の悲鳴が聴こえたような……あれか、おれが最近人と話してなさ過ぎて遂に幻聴でも聴こえ始めた感じか? 

 

 

「はあ、はあ、くっ」

 

「随分と逃げ回ってくれたな、この餓鬼が」

 

「お前は生きてちゃいけねぇ存在なんだよ。今のうちに始末させてもらうぜ。恨むんならお前がそんな『能力』を持ってしまった運命を恨むんだな」

 

 

 いや、幻聴ではないな。おれの幻聴にむさい男共の声は聴こえないようにできてる。

 よくよく見たら、おれの進路方向の奥で樹木にもたれかかった少女が、大柄の男共に囲われてる。

 

 

「な、なんでよ! さっきまで仲間って……」

 

「事情が変わったんだよ。お前みたいな危険因子がのさばってたら危ねえからよ」

 

「まだ芽の状態のお前なら俺らでも踏みにじれるって寸法よ」

 

「な、何よ! それってつまり、私が大人になったら勝てないと公言している弱者じゃな______ゔっ」

 

「言葉がなってねぇな糞餓鬼。死ぬ前に教育してやってもいいんだぞ」

 

「一緒に大人にしてやろうか? まわして身も心もぐちゃぐちゃにしてやろうぜ」

 

 

 腹部を思いっきり蹴られ、前のめりに倒れる少女。

 その少女の頭を踏みつけ、ぐりぐりと地面に押し付け、両手を拘束しだす男共。

 

 

 おいおいおいおい、これって犯行現場を目撃してしまってる感じか? 

 どうする、ほっとく? 見た感じ、こいつ等全員人間じゃないっぽいし、放っておいても問題なさそうだが……

 

 これを見過ごして、果たして()()()に顔向け出来るのだろうか。

 

 もしあいつがこの場にいたら、見過ごすおれをぶん殴りそうだな。

 

 

「はあ、仕方無いな」

 

「おい、なんだ貴様」

 

「ぎゃははは、運がなかったなお前、妖怪である俺らに見つかるなんて。なあに心配するな、こいつをまわすのをたんまりと見せつけてから、四肢を引き裂いて食ってやる」

 

 

 どうせ、気付くには遅い距離までは近付いてしまってたんだ。

 選択は元よりなかったしな。

 それなら、人助けをして気持ち良く眠れればそれでいいや。

 

 

「そこの嬢ちゃん。お前は悪い妖怪か?」

 

「えっ、わ、私?」

 

「お前以外嬢ちゃんなんていないだろ。まあ、この中に玉無しがいたら別だけどな」

 

「何言ってんだこいつは? 急に死が決まってとち狂ったか」

 

 

 深く被っていた蓑笠を上へ上げ、改めて前を見る。

 おれの身長が百七十ちょいだから……うん、みーんな二百は優に超えてるね。

 これはやりがいがありそうだ。

 

 

「わ、私は悪くない! それに、私は嬢ちゃんでもお前でもない____________紫よ! 何でもいいから助けなさいよ!」

 

「おう、自己紹介をしてくれるなんて偉いな、紫さんや。だが、人に頼むときはもう少し言い方ってもんがあるぞ」

 

「なに悠長に話してんだお前は!!」

 

「なめてんじゃねーぞ糞が!!」

 

「うわっ、危ね」

 

 

 手が早いなこいつ等。

 そんなんじゃ女に嫌われるぞ……てまあ、少女に対してこの対応じゃ、もう手遅れか。

 

 

「紫が自己紹介してくれたなら、おれも言わないと失礼だよな____________おれは熊口生斗って言うんだ。永遠の齢十八だから、そこんとこよろしく」

 

「今から死ぬ奴の名前なんて知るかよボケがぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________________________________

 

 

ーーー

 

 

「痛ったぁ、ほんと最近ツいてないな。まさかとどめを刺そうとした瞬間に滑って転けるなんてな」

 

「……」

 

 

 戦闘中だろうとお構い無しに降り続ける雨が、視界を悪くし、地上も滑りやすくなっていたこともあって予想よりも手こずってしまった。

 

 今は近くに廃小屋があったので、そこで少女と自身の応急処置をしている。

 

 

「腹は大丈夫か? ちょっと見せてみろ。あっ、別に邪なこと思って言ってるんじゃないぞ。蹴られた箇所次第じゃ内蔵とか肋を折られてるかもしれないからな」

 

「……大丈夫よ、今はもう、痛くない。それに私、妖怪だから」

 

「ああそうかい、なら身体拭け。そのままじゃ風引くぞ。知ってるからな、妖怪といえど風邪は引くらしいぜ」

 

 

 自家製バッグから布を取り出し、紫に投げ渡す。

 勿論、妖怪が風引くという情報は真っ赤な嘘だ。少なくとも妖怪の山の連中は年中無休でピンピンしてた。

 

 

「怖く、ないの?」

 

「なにが?」

 

「わ、私の事が怖くないの? 妖怪なんだよ?」

 

 

 ああ、そのことか。あまりにもおどおどしてたから、普通の少女だと見間違えてたよ。いや、妖怪だとは一目で分かったけど。

 この時代の人間ではまず見ない、軽くウェーブのかかった金髪ロングの時点で察しがつく。

 茶色だったり青色だったり、妖怪の髪の色は結構派手で分かりやすい。

 

 

「ああ、すまん。お前よりも怖ーい妖怪には、これまでに数え切れないほど見てきたし倒してきたからな。今更紫を見て怖いなんて思えんさ」

 

「馬鹿、にしてるでしょ!」

 

 

 なんだよ、怯えたり怒りだしたり忙しいやつだな。

 おれはただ怖くないよ、て伝えたいだけなんだけどな。

 それを素直に言えって? 素直じゃないのがおれの性分なんだからしょうがないじゃない。

 

 

「それで、紫はなんであんな大男達から追いかけられてたんだ?」

 

「んぐっ……!」

 

 

 先程、紫はあの男共の事を仲間だとか言っていた。

 恐らく、これまで何らかの理由で行動を共にしていたのだろう。

 それがある理由で仲違いを起こした。

 

 

「どうせ貴方も、理由を聞いたら襲ってくるわよ」

 

「能力のことか?」

 

「うっ、何故その事を……」

 

「いや、大声で男達が話してたからな。流石に予想がつくだろ」

 

 

 それにこの少女から発せられる妖気。

 そこらの妖怪とは比較にならないほどの気配を感じる。

 これ程の妖力の持ち主なら、あの男共も軽く一蹴出来たと思うんだが。

 

 

「別にどんな能力か分かったところで、殺したりなんかしねーよ。紫がおれを殺しにかかってこない限りはな」

 

「そ、そんなこと……しないわよ」

 

 

 荷物から干し肉を取り出し、霊力で生成したナイフで半分にし、紫に渡す。

 

 

「いらない」

 

「折角拾ってやった命なんだ。食わなきゃお前は餓死して、おれの助け損になってしまうだろ。安心しろ、毒は入ってないから」

 

 

 干し肉を齧り、毒がないことを証明してみるが、一向に紫は食べる気配がない。

 さっきからずっと俯いたまま、何かを考え込んでいる様子だ。

 まあ、一日断食したぐらいじゃ死にはしないか。

 

 

「まあ、深く詮索はしないけど。もう夜も近いし、おれはもう少ししたら寝るぞ。んで、明日になったらここを去るから、後は紫の自由にすればいいさ」

 

 

 咀嚼しながら、おれは藁を敷いて簡易布団を作り、そのまま寝そべる。

 はあ、じめじめするのほんと嫌だな。サラサラなお布団が恋しい。

 

 

「あ、貴方は、危機感というのはないのね」

 

「あっ?」

 

「だって、妖怪の私を背にして無防備を晒しているもの」

 

 

 そういやそうか。

 うっかりしていたな、紫の言うとおり危機感を欠けていたかもしれない。

 

 

「んじゃ、紫はおれを襲うのか?」

 

「お、襲うわけないじゃない。命の、恩人なんだから」

 

 

 ボロボロの布切れのような服を掴みながら、そう述べる紫。

 そんなに強く掴むと破れてしまうのではないだろうか。

 

 

「なら大丈夫だな。紫も早く寝ろよ」

 

「えっ、え? そんなので信用できるの?」

 

「なんだよ、お前は信用してほしいのかほしくないのかどっちなんだ」

 

「いや、そういう問題じゃなくて……そんな簡単に私を信用してくれる、理由があるの?」

 

 

 理由? そんな事態々聞くなんて意外と疑り深いんだな。

 

 

「理由は別に大したことはないぞ。

 紫はこれまでに良くしてもらった妖怪達に雰囲気が似てるから、その借りを返してるだけってところかな」

 

「良くしてもらった妖怪……? そんな妖怪いるわけ無いじゃない。妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を畏れる。それが摂理なんじゃないの」

 

 

 紫の言うのも一理ある。

 妖怪は人間の畏れの具現化であり、その畏れという存在意義がなければ力は弱まり、最悪消えてしまう。

 そんな中、妖怪と人間が仲良くするだなんて、普通なら考えられないだろうな。

 

 

「世の中は広いってこった。それに紫だって、人間であるおれに助けられて、少なからず恩義は感じてるだろ?」

 

「それは、そうだけど……で、でも______」

 

「まあ、紫にも何れ分かる日が来るさ」

 

 

 いきなり分かれと言っても、頭の硬そうな紫にはまだ理解してもらえないだろう。

 それなら、別に無理に説こうとする必要はない。どうせ今日限りの関係だしな。

 

 

「んじゃ、おれは歯磨きしたら寝るから、紫もさっさと寝ろよ。夜行性なら無理にとは言わないけど」

 

「……寝る」

 

 

 歯ブラシもお手製、といっても馬の毛とかではなく、柳の小枝を使った歯木という代物だが。

 旅を始めてから、色んな村や都に行っては必要必需品を自分で作れるよう精進してきた甲斐があったってもんだ。

 今ならこの歯木も、材料があればものの数分で作れる自信がある。

 

 これまでの苦労をしみじみと感じながら、歯を磨くため一旦小屋から出る。

 

 

「雨、全然止まないな」

 

 

 夜で周りはよく見えないが、音でどれだけの雨量が降っているのかは分かる。

 これはまた、明日は泥だらけの旅になりそうだな。

 いい加減、一度腰を下ろせる場所を見つけたいもんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「すぅ……すぅ……」

 

 

 歯磨きを終え戸を開くと、小屋の端の方で縮こまった状態で寝息を立てる紫の姿が目に映る。

 こんな短時間で熟睡しているところを見ると、今日は相当疲れていたようだな。

 

 

「不用心なのはお互い様だな」

 

 

 こんな美少女、普通の男なら襲ってるところだぞ。

 おれは聖人だから襲いませんがね。合意のない夜這いはNG案件です。

 

 ……と、馬鹿な事を考えてしまったが、

 

 

「この格好じゃ、ほんとに風邪引くぞ」

 

 

 ドテラを紫に被せると、心なしか少しだけ紫の表情が緩やかになった気がする。

 まあ、梅雨時だからか、少しまだ肌寒いからな。

 おれはまあ、寝辛いが蓑があるから寒さは大丈夫だろう。

 

 んじゃ、おれもさっさと寝るとしようかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________________________________________

 

 

 小屋の隙間から差す日差しは、昨日の雨とは打って変わって晴天を報せる合図となる。

 おれは久々の晴れに歓喜し、早々に身支度を整え、小屋を後にした。

 

 

 そう、したのだが____________

 

 

 

「なんでついてくるんだよ」

 

「わ、私の勝手でしょ」

 

 

 昨日助けた紫さんが、何故かずっと後をつけてくるんです。

 助けてください、美少女にストーカーされてます。

 

 

「そ、そもそも、助けたらそのままなんて酷いじゃない。一度手、を出したのなら、最後まで責任持ってよ」

 

「はあ……おれにそんな事する義理はないだろ」

 

 

 おどおどしている割にかなり図々しいな紫のやつ。どっかの怨霊みたいだ。

 

 

「だとしても、無理矢理でもついていくから」

 

「うーん……」

 

 

 今の紫に身の拠り所がないのは、なんとなく分かる。

 だから無理にでもついてこようとしているんだろう。

 一人だとまた昨日のように襲われてしまうから。

 

 紫程の妖力の持ち主なら一人でも……

 

 

 ____________いや、それは違うかもしれない。

 

 

 

「紫、お前何歳だ」

 

「何歳……かはわからない。ただ、目覚めたのは四日程前よ」

 

「よ、四日前?!」

 

 

 四日前て、ほぼ幼児じゃねーか。

 それでも言葉は使える辺り、人間から妖怪に転生したパターンっぽいな。本当はどうかは知らないが、四日程度で普通に会話が成り立つほど話せるのは流石におかしい。それこそ、超弩級の天才かでないと不可能だ。

 

 それじゃあ力の使い方も何も知ってるわけないよな。

 いや、それよりも紫程の妖力の持ち主が、無理に使おうとして暴走させでもすれば、それこそ沢山の人間や妖怪が死ぬ事になりかねない。

 

 

「こ、これはとんでもない奴を助けてしまったかもしれない……」ボソッ

 

 

 そんな紫を放っておけないし、放っておくわけにもいかない。

 この世界を生き抜く術がなければ、紫は野垂れ死ぬか、周りを巻き込む大惨事を巻き込みかねない。

 

 

「……分かった、ついてこいよ。その代わり、おれの指示は必ず言うことを聞くこと。それだけは約束しろよな」

 

「……!! わ、分かった!」

 

 

 まさか、百五十年ぶりにまた誰かと旅を共にすることになるとは、思いもしなかったな。

 

 ま、一人で黙々と旅するより、誰かと一緒の方が、幾分かはましになるし、ポジティブに考えていこうではないか。

 

 

 

 

 あれ、これ浮気にならないよな? 

 だ、大丈夫だ。おれに邪な気持ちはないし、保護という名の大義名分がある!



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②話 思い出の花

今回短めです。


 何日が経過しただろうか。

 私は、ある人間と共に果てのない旅を続けていた。

 

 

「なあ知ってるか。鼻くそって、空気中の汚れと鼻内の粘膜が鼻水となり、それが乾燥したものなんだぜ」

 

 

 聞いてもいない、下品な知識をなんの突拍子もなく言う彼は、私に命令することもなく、休憩の合間等に力の使い方や生きる術を教えてくれた。

 

 行く宛もなく、生きる術の持たなかった私は、それに縋った。

 

 彼は私を詮索するようなこともせず、まるで私にとって都合の良い人物を演じているかのようで、少し気味が悪くなったりもした。

 

 ただ、なんとなくだけれども、彼が善意で私を保護してくれているのは分かる。

 

 お人好し、といえばいいのだろうか。

 以前に彼は、私の力が暴走したら困るからと保護した理由を語ってくれた。

 それは恐らく、自分ではなく赤の他人や私の事を指している。

 

 これまで出会った人間や妖怪は保身に走り、私を始末しようとしてきたというのに。 

 

 

「せ、生斗。紐が切れた」

 

「んっ? おうおう、待ってな。すぐ替えを用意するから」

 

 

 髪留めの紐が切れ、纏めていた髪が笠からはみ出てくる。

 

 私の髪色は、他とは違うため異端がられる傾向があるとのことで、いつも髪を纏めた上で笠を被らされている。

 そうでもしないと、人間の里の前で追い返されてしまうからだとか。

 

 

「これでよし」

 

「あ、ありがとう……」

 

 

 文句の一つも言わずに纏め直してくれる彼も、私の能力の事を知ったら、襲ってくるのだろうか。

 

 前に行動を共にしていた妖怪達も、人間から命からがら逃げてきたところを助けてもらった。なのに私の能力を知った途端急変し襲ってきた。

 

 信用はできない。

 私にこの、()()()()()()が付き纏う限り、誰かを信用しようなんて、考えるべきではないのだろう。

 

 

「話を聞くには、もうすぐ村に着くそうだから頑張れよ。そこで二日ほど滞在してもらえるよう掛け合ってみるから」

 

 

 彼は旅人兼便利屋として村を転々としていた。

 手先は器用な方ではないらしいが、家具作りや土器も作れるぐらいには工芸に長けている。

 本人いわく、全て経験から体に染み込ませるまで練習した成果とのこと。

 見た目的にまだ十代後半だというのに。この人間も苦労をしてきたということなのだろうか。

 

 

「ほら、話してる間に見えてきたぞ。笠被り直せよ」

 

「う、うん」

 

 

 私は、これからどうすればいいのだろう。

 このままこの人間にずっとついていくわけにはいかない。

 妖怪と人間とでは寿命に圧倒的な差がある。

 この人間がいなくなったら、私は何を目的に生きていけばいいのだろう。

 そもそも一人で生きられるのだろうか。

 

 先の事を考えれば考えるほど、気分が沈んでいく。

 

 

「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ」

 

 

 彼の声を聞いて我に返る。

 そんな先の事を計画もなしに悲観して何になるのだ。

 馬鹿な事を考えるのではなく、今を必死に生きる事が大切だ。

 そう自分の中で言い聞かせ、私は首をぶるぶると横に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ________________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「蒲公英畑の妖怪?」

 

 

 とある農村についたおれと紫は、滞在許可を得る為、村長のいる屋敷へと来ていた。

 

 

「そうだ。特段儂らに被害があるわけではないのだが、夜な夜な性別の判別のつかん悲鳴が聞こえてくるらしい。そのせいでここの連中は蒲公英畑のに近付こうとしないのでな。その原因を調べてくれないか? さすれば、暫くの間村の滞在と空き家を貸してやる」

 

「は、はあ」

 

 

 この村の前村長が趣味で植えていたという蒲公英畑。

 今の時期だと、黄金の畑と言われるまでに壮観な景色を拝めるとのことだが、村長の言ったような奇怪な事象により人が寄り付かなくなっているらしい。

 

 悲鳴ねぇ。

 妖怪か、殺人犯か、愉快犯か。

 どちらにせよ、そう簡単にこの村の滞在はさせてもらえないようだ。

 まあ、便利屋を名乗ってしまってるんだ。そう簡単に出来ませんとは言えないよな。

 

 

「分かりました。早速今晩調査に向かいましょう」

 

「おお、やってくれるか」

 

「ですが、少しばかし妹に飯を与えてはくれませんか。ここ最近、歩きっぱなしでろくにありつけていないのです」

 

「そうか、それでは早速用意させよう。御主も腹を空かせているであろう。飯を食わねば戦はできないからな、御主の分も用意させよう」

 

 

 だが、この村の村長は人が出来ている。

 普通の村は、余所者に無償で食事を出してくれたりはしない。

 それが依頼を受けた後であれ、まだ何もしていない者に食わせる飯などない。

 あっ、因みに紫は妹に設定にしている。兄弟で旅をしているという設定は、結構老人達に受けがいいんだよな。

 

 

「ありがとうございます。ほら、紫も」

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

 

 それにしても、蒲公英畑とはまた洒落たもんがあるんだな。

 前の世界でも画像でしか見たことがないし、調べるついでに観光と決め込むのも良いかもしれない。

 

 とりあえずまずは腹拵えだ。

 紫を連れてこの方、ろくなもの食べさせてあげられてなかったし、これを機に人間の食事を覚えさせられるだろう。

 おれとともに行動する以前も、大したもの食べてなさそうだしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「人間の食事はどうだったか」

 

「……美味しかった」

 

 

 食事が終わる頃には辺りは夕暮れを迎え、おれと紫は休む場もまだ設けられてもいない為、一足早く蒲公英畑へと向かっていた。

 

 紫には悪いが、おれ自身味付けが微塵もされておらず、焼き加減もいい加減でお世辞にも美味いとは言えなかったな。

 まだ何もしてない者にはこれぐらいが限度なのか、はたまた味付けの概念があの村にはないのかは定かではないが。

 

 

「今度、都についたらもっと美味いもの食べさせてやるよ」

 

 

 都へ行くなら物売りでもしようか。自作の日用品を出店でもして売れば金が入る。

 どの世界でも、日用品の便利グッズは需要があるのだ。

 結構孫の手なんかは人気があるんだよな。

 

 そうだ、手に入れた金で紫に新しい服を買ってやろう。

 解れは直してはいるが、未だにボロボロの布切れを着せているのが現状だ。流石にそれだと目立ってしまうのでドテラを貸してあげているが、そろそろちゃんと服装を用意させたいしな。仕立て屋なんかに行けば紫に似合うのがあるだろう。

 

 

「……うん」

 

 

 と、都についたらの紫コーディネートに花を咲かせていると、遂に辺りは暗闇に覆われていく。

 だからと言っても月明かりがあるから、おれでもある程度の視界は確保できている。

 

 

「生斗、一つ聞いてもいい?」

 

「んっ、なんだ?」

 

「なんで生斗は、私にそこまでしてくれるの? た、確かに責任もてとは言ったけど、ここまでしてくれるなんて、思ってなくて……」

 

 

 急に何を言い出すかと思えば、そんな事か。

 いや、そうだよな。紫からすればそう疑問に思っても仕方ないか。

 

 

「この世界の連中がどうなのかは知らないけど、まだ右も左も分からない子供を放っておけないだろ。それが保護する余裕があるなら尚更な」

 

 

 食事面はともかく、一人ぐらいなら外敵から護ることなら出来る。それに紫には言わないが、長年一人旅をしていると、人肌恋しくなるもんだからな。

 

「心配すんな。お前が自立するまで面倒見るから」

 

「わ、私は妖怪なんだよ? 人を襲うかも、しれないのに……?」

 

「まあ、普通なら妖怪を匿ってるのがバレたら、おれも危ないかもな」

 

 

 追い払われるどころが、打首になる可能性のが遥かに高い。まあ、その前に速攻で逃げ果せるが。

 

 

「でも紫、おれの考えはな。人間も妖怪も同じなんだよ。どっちにも良い奴と悪い奴がいて、お互い悪い奴が目立って見えて忌み嫌ってる。おれは妖怪でも良い奴をいっぱい知ってる」

 

 

 妖怪は人間とは比較にならないほど力も強いし、異端の術を使う。

 だが、人間の負の想像が生み出した化生だとしても、結局は人間が生み出した者。

 生まれ持った性により、人は襲えど話せば分かる奴もいる。

 

 

「だから紫、お前は良い奴でいてくれよ。そして、人間の良い所を見つけてくれ。おれが紫に望むのはそれだけだよ」

 

 

 紫は何れ大妖怪となる。

 その時、人に災いを降り注ぐ存在となるのなら、おれは紫を斬らないといけない。それが、育てる上でのおれの責任だ。

 

 

「____________心配しないでよ。生斗の手を汚すような事には、させないから」

 

 

 紫はおれの発言の意味を理解していたようだ。

 この子は、本当に頭が回る。おれの教えた事は全て一度聞いただけでその倍以上を経験値として蓄えられるような子だ。

 立派に自立してくれる日も、そう遠くはないだろう。

 

 

「因みに、良い奴に私は入るのかしら」

 

「「!?」」

 

 

 突如として、上空から聞こえた声に、おれと紫は驚愕し、一斉に上を見上げる。

 するとそこには、樹木の分け目に腰を掛けた、緑髪の女性が不敵に微笑みながら此方を見下ろしていた。

 

 その瞳には見覚えがある。

 いや、顔も服装も、その日傘にも見覚えがある。

 

 

「幽香、か……?」




正確には、
②話 思い出の花(妖怪)ですね。


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③話 花妖怪とお茶会

 

「幽香、か……?」

 

 

 忘れもしない。その真紅の瞳に、何を考えているのかもわからないその不敵な笑顔、話しかけられまで一切気付かないほど静かな、それでいて圧倒的な妖気。

 

 

「あら、覚えてくれていたのね。熊口生斗」

 

「此方こそ覚えてくれて嬉し……くはないな。今からでも忘れてくれて構わないぞ」

 

「ふふ、それにしてもまた別の女の子を連れてるなんて、結構たらしなのね、貴方」

 

「そうだけどそうじゃないんだよな」

 

 

 これが単純なデートならどれほど良かっただろうか。

 前回は護衛で、今回は子育てで連れてるからな。

 

 

「そして、その子……」

 

「!!」ビクッ

 

 

 幽香の視線がおれから紫に換わると、紫は怯えながら、おれの背後に身を潜める。

 そりゃあんな眼光で見られたら怖いよな、おれも隠してはいるが内心絶望に苛まれつつある。

 

 さて、どうするか。

 相手は戦闘狂、いつ昔の続きをしましょうと言ってくるかわからない。

 逃げようにもおれ一人でもだいぶ厳しいのに、紫を連れてとなるとまず無理だろう。

 

 紫だけでも逃がせるか。

 いや、幽香はどんな原理かは知らないが植物を操っていた。

 それを使われでもしたら足止め出来る自信がない。

 

 

「ふーん……貴女、名前は何て言うの?」

 

「わ、私?」

 

「そうよ。そこの可愛らしいお嬢さん」

 

 

 木から飛び降り、おれらの眼前にふわりと着地する幽香。

 急に距離を詰められた事に比例して、幽香の死角で剣助の鯉口に手を掛ける。

 

 

「……紫。貴女は、幽香よね。生斗が言うにはだけど」

 

 

 だが、幽香は攻めてくる様子もなく、紫に興味を持ったようだ。

 妖力は出さないよう教えてたはずだが、やはり大妖怪には見抜かれてしまっているということなのだろうか。

 

 

「そう、紫というのね。人間、ではないわよね」

 

「あまりいじめないでやってくれよ。まだ紫は妖怪になって間もないんだ」

 

 

 顔を近付け、紫を深く観察しようとする幽香の前に手を置いて制止させる。

 

 

「まあ良いわ。昔の誼みってことでここは一つ、お茶でも如何かしら」

 

「お茶?」

 

「この地から海を超えた国で頂いた茶葉があるの。きっと二人とも気に入ると思うわ」

 

 

 お茶、か。随分と久しぶりな単語を聞く。

 そんな趣向品、口にしたのは月移住計画実行前日だった気がする。

 今思うととてつもない贅沢をしていたんだな。

 それよりも幽香、さらっと海を渡ってるって言ったな。まあ、最後に会ったのが二百年以上前のことだし、別に不思議なことではないが……

 

 

「安心なさい、別に襲ったりはしないわよ。今日は別にそんな気分ではないし」

 

「気分次第では襲ってるんだな」

 

「それはそうよ。妖怪は気まぐれなのよ」

 

 

 それは妖怪ではなく、幽香の性分なんじゃないのか。

 

 

「それで、どうするの?」

 

 

 幽香から敵意を感じない。

 それを紫も感じ取っているのか、先程まで掴まれていた服に力を感じない。一時は服が千切れてしまうんじゃないかってぐらい勢いよく掴んでたからな。

 幽香の場合、気配を消すのが上手いから敵意を感じなくても要注意なのだが、ここで断れば間違いなく機嫌を損ねてしまうだろう。

 それなら、下手に断らないほうが得策かもしれない。

 

 

「分かったよ。丁度喉も乾いてたし、幽香に聞きたいこともあるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「人間である貴方が私達のように長生きしていることに関しては、特に驚いてないわ。だって貴方、首を吹き飛ばされても生きてたもの」

 

「あー、そういえばそんな事もあったな」

 

 

 幽香に連れられるまま、おれらは目的地であった蒲公英畑の前にてお茶会に興じていた。

 月明かりに映る黄色の大地。趣味で作ったと言ってた手前、そんなに規模はないだろうと思っていたが、想像以上に広大で少しばかし驚いている。

 

 

「そ、それはもう人間ではないんじゃないの?」

 

「何を失礼な事を言ってるんだ紫は。おれは至って健全な人間だよ。妖気も纏ってないだろ」

 

 

 話を聞くと幽香は、ありとあらゆる土地、というより花のある場所を転々と旅をしているらしいーーこの蒲公英畑もその旅の途中で寄ったらおれらと出くわしたとのこと。

 今振る舞われている茶葉や容器もそこで手に入れたらしいが、どうにも懐かしい味がする。

 味はおれのいた世界で言うと紅茶、容器は完全に西洋風の洒落たティーポットセットだ。

 

 

「それに長生きって……これまで詮索してこなかったけど、生斗って何歳なの?」

 

「馬鹿、永遠の十八歳だって初めて会ったときに言っただろ」

 

「少なくとも、私と初めて会ったのは二百年以上前ね」

 

 

 駄目だ、紫があり得ないものを見るような目でおれを見てる。

 なにちゃっかり裏情報を暴露してくれてんだ幽香め。

 そういうデリケートな情報は伏せるのがマナーって知らないのか。

 

 

「や、やっぱり、人間にしては人間離れしてると思った。価値観も人間の思考とズレてるもの」

 

「紫さんや。人間、いや生物の価値観は生命の数だけあるんだよ。勝手な決め付けはするもんじゃない」 

 

 

 でもまあ、普通の人の一般的な思考と少しズレてるのは自覚している。

 これはもう、生まれたときからの性分だし、直せそうにないし直す気もないが。

 

 普通は妖怪と仲良くしようなんて、誰も考えないだろうし。それよりも怨恨の方が多いんじゃないか。

 

 

「首を吹き飛ばした妖怪とお茶を飲み交わす時点で、大分頭はおかしいとは思うけどね」

 

「幽香、お前は紫の肩を持つんじゃない。間違った知識を紫に植え付けてしまうだろ」

 

「あら、私は客観的に物を申してるつもりよ」

 

「幽香の言ってることは私も尤もだと思うけど」

 

 

 ふふ、と紅茶を啜る幽香に、怪訝げな表情でおれを見つめる紫。

 

 

「年齢に関してもだけど、首を飛ばされても生きてて、妖怪を忌み嫌ってない。なのに妖気は一切ない。生斗は本当に何者なの……?」

 

「別に、紫が思ってるほど複雑なもんじゃないぞ」

 

 

 ただ、神に生き返る特典を与えられて転生したと言っても通じないだろう。

 なら、伝わる範囲で話せばいい。

 

 

「人間も妖怪と同じで、能力者ってのは稀にいるだろ? おれはその中の一人で、普通の人間よりちょっと丈夫で長寿なだけだよ」

 

「長寿って、それ人間の理を逸脱してるんじゃない?」

 

「仙人とか魔法使いとか、どちらかというとその部類になるかもな。考え方によっては、おれもお前らと同じ妖怪になる」

 

 

 寿命や力、姿形等、妖怪と人間とを区別する定義は幾らでもある。

 何百年経っても身体的に成長しないおれは、傍から見れば妖怪と言われても文句は言えないだろう。

 だが、おれの力の気質は完全に人間のものだ。人間と妖怪とで、力の気質は大きく異なる。

 

 霊力は怪奇を祓う力を持つ。いわば妖怪特効のようなものだ。

 対して妖力は、妖怪にとっての力の源であり、人に畏れられれば畏れられるだけ増幅するーー種族にもよるが。

 

 要はおれが考える人間と妖怪の区別は、力の気質って事だ。

 相手の力の気質を見れば、幾ら緑髪でナイスボディーなお姉さん系や金髪生意気美幼女だろうが騙されることなく妖怪だと分かる。

 

 ……自信満々に語ってはいるが、化け狐に一度だけ妖力を霊力に見えるよう化けられて痛い目に遭った事があるのは内緒だからな! 

 

 

 

「妖怪に対しても、前に言ったと思うが以前良くしてもらった妖怪達がいたんだよ。それ以来別に妖怪だろうが人間だろうが、何も変わらないんじゃないかと思ってな」

 

 

 遥か昔、山ができる程殺害した奴がどの口で言ってるのかだけどな。

 あれは国の皆を護る為と割り切ってはいるが、今でもたまに脳裏に蘇って自責の念に駆られる。

 

 

「それってもしかして、わ____________」

 

「少なくとも、幽香は違うから安心しろ」 

 

 

 急に襲ってきた挙げ句、実際に二回殺されたのに「あ〜、あんな美女に何度もやられて気持ちいい、こりゃ妖怪と人間の区別なんてどうでもいいわ」なんてならないだろ普通。常識を弁えてほしい……んっ? お前も非常識だろって? 馬鹿め、神の間でポテチ食べたりタメ口だったりしてはいるが熊さんは至って常識人だからね。常識人と打ったらもしかして熊口生斗? ってでるくらいだから。熊さん嘘つかない。

 

 

 

「……まだ、私なんて言ってないわよ」

 

「『わ』まで出かけてたぞ『わ』まで」

 

 

 おれが意地悪気味に問い詰めると、幽香はプイッと余所見し、小さくだが頬を膨らめさせた。

 

 ……いや、あんた。そのギャップはいかん。いつもは妖艶で何を考えているのか分からないミステリアスなキャラなのに、そんな子供らしい一面を見せ付けられてしまっては、本気でときめいてしまうではないか。

 殺される、誰とは言わないが何処かの怨霊に殺されてしまう! 

 

 

「それで、紫はどうしたいの。熊口生斗の話を聞いて貴女はどう思った?」

 

 

 明らかに話題逸しの発言だが、幽香の言うように紫がどうしたいのか少し気になる。いつ暴走するか餓死するか分からない存在である紫が、心変わりしておれから離れたいと言われると困るしな。

 

 

「私は……分からない。でも」

 

「でも?」

 

「生斗は大分ずれてるけど優しい妖怪だって分かったから、少し安心した」

 

「人間な!」

 

 

 紫の回答を聞くと、幽香は紅茶を口にし、

 

 

「ふふ、なら熊口生斗に一緒に旅をし、色んな経験をなさい。そして強くなるの。精神的にも、妖怪としての力も。それでね、貴女が誰にも負けないと自負できるぐらい強くなったら____________是非私と手合わせして頂戴ね」

 

 

 微笑みながらとてつもなく物騒なこと言い出したぞこのサディスト。

 

 

「最後の所絶対要らないだろ戦闘狂」

 

「あら、今回私が貴方達を見逃す条件よ。これが駄目なら今から私と素敵で魅力的なリアルファイトが始まるけど」

 

「紫、応援してるぞ。頑張れ!」

 

「お、大人として恥ずかしくないの!?」

 

「おれは永遠の十代だ」

 

 

 紫も将来大妖怪となるだろうし、多分大丈夫だろう。

 おれはもう、幽香と戦いたくない。

 

 

「私が戦ってきた人間の中ではまだ貴方が一番よ。妖怪も含めたら十番目ぐらいだけど。あの土地にいるヴァンパイアという種族はとても強くて楽しかったわ」

 

「もしかして幽香、花探しの旅じゃなくて強者を求める旅なんじゃないの?」

 

「そして紫、貴女の潜在的能力は、これまで誰よりも高いと見たわ。自信を持ちなさい」

 

「う、うん」

 

 

 おれの事はスルーなんですね、はい。

 自分のためとはいえ、あの幽香が他人を激励するなんて、なんだか意外だ。

 まあ、最初に会ったときは早恵ちゃんが若葉を毟って怒ってたから、幽香の本来の姿は意外と温厚なのかもしれない。戦闘狂だけど。

 

 

「後、花は大事にしてあげてね。無下に踏みにじったり子供たちを無理に引き抜いたら駄目よ。そして摘む時は感謝するの。でないとこの蒲公英畑を荒らそうとした奴らみたいに粉微塵にするから」

 

 

 やはり花妖怪ということもあって、花を愛してるんだな。

 

 

「そんな事を言われなくても、こんな綺麗な花達を無下にする訳ないじゃない」

 

「ふふっ、約束よ」

 

「いい話だなぁ」

 

 

 と鼻を擦りながら二人を傍観していたが、本来の目的を完全に忘れていたおれ達は、幽香と別れた次の日に見事村から追い出されてしまったのは言うまでもない。

 

 

「ねぇ、生斗。喉乾いたー。あと歩くの疲れたからおんぶしてよ」

 

 

 そして紫がこの日以降、更に生意気になりました。



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④話 奔放な旅路

 幽香とのお茶会から数年が経過した今日この頃、紫はすくすくと育っていき、おれとほぼ同い年程の見た目まで成長していた。

 

 

「もう妹って言っても通用しそうにないな」

 

「何を言っているの?」

 

 

 見た目は確かに十代なんだが、胸と雰囲気がもうね。

 軽く十代のそれではないよね。成熟してる。

 まさかあの紫がここまで成長するとは思わなかったな。

 

 

「馬鹿なことを言ってないで、今晩のおかずは見つけてきたの?」

 

「おう、今日はご馳走だぞ。なんと小魚二匹だ」

 

「あら、生斗にしては頑張ったじゃない」

 

 

 おれが釣り下手なのは紫も知っており、この短時間で釣れたことに喜んでくれているようだ。うん、九割は嫌味だってわかってますよ、勿論。実際は釣れてないし。あまりにも釣れないから熊が魚を取る容量でなんとかニ匹捕まえられたんだけどね。釣りってほんと難しい。いつまで経っても慣れる気がしない。なのにたまーに大物が釣れることがある。だからやめられないんだよね、釣りって。

 

 

「まあいいわ。私が採ってきた山菜と茸もあるし、山菜汁と串焼きにでもしましょうか」

 

 

 おれが小魚と奮闘している間に、紫は頼んでおいた薪集めだけでなく山菜や茸も集め、さらに火まで炊いてくれていた。

 食材集めは任せとけと啖呵を切っていた手前、物凄く肩身が狭いです。

 食材を集めてくれていたのはありがたいんだけど、熊さんをもう少し信用してください。してたら今日の夕飯二口サイズの小魚2匹だけだったけど。

 

 

「山菜を切るから、生斗は魚の下処理をお願いね」

 

「はいよ」

 

 

 まずは臭み取りからだな。魚はちゃんと下処理をしないと臭みが出て不味くなる。

 

 ____________最近では、こういう風に紫に主導権を握られる事が増えている気がする。

 そろそろ自立してもいい頃なのかもしれない。長いようで短いような、嬉しいようで少し寂しいような、そんな親の気持ちがこの歳で初めて分かった気がするな。

 

 

「なあ紫、お前やりたいことは決まったか?」

 

「……」

 

 

 これから長い人生ーー妖生をどう生きるのか。何も目的も持たずに放浪をするのも悪くはないが、どうせなら目標を立て、それに向かって生きた方が彩りがある。

 おれと別れたその後、何を目標に生きるのか、おれは以前に紫に問いたことがあった。

 それから数ヶ月、頭の回転も早く、決断力もおれより良い紫なら、もうやりたい事の一つや二つ、見つけられている筈だ。

 

 

「……正直、この数年間、言われるまで生斗から自立した後なんて考えてなかったわ」

 

 

 だろうな。おれが聞いたとき、驚いた後にずっと考え込んで結局答えられてなかったし。

 

 

「生斗と都に行って人間達と交流をしたり、時には気の良い妖怪達とお酒を飲み交わしたりもした。あの時の私では到底、考えもしなかった経験をさせてもらったわ」

 

 

 都に行ったとき______紫に旅装束と着物を買ってあげた時か。懐かしい、確か都の屋台で飯を食べていたら、客やら店員から可愛いってべた褒めされて照れてたよな。おれが言われてると勘違いで照れてしまって恥ずかしい思いをしたから鮮明に覚えてる。

 

 

「目標については、実はもう考えているの。ただ、その未来像がどうしても浮かばないの」

 

「未来像が?」

 

 

 一体紫はどんな目標を立てたんだ? 

 ヴィジョンを見据えている辺り、わりと本気で考えての事なのだろうが。

 

 

「下処理済んだ?」

 

「あっ、すまん、すぐにやる」

 

「こっちはもう煮詰めてるから、早めに済ませてね」

 

 

 話をしている間に、紫は淡々と食事の準備を進めていた。

 いかん、話に夢中で手が止まってしまっていた。

 

 

「まあ、生斗には内緒だけど」

 

「あいだ?!」

 

 

 下処理に戻ろうと小型包丁を手にとった瞬間、紫から思いもよらぬ発言が耳に飛び込んできたため、指を軽く切ってしまった。

 

 

「大丈夫?」

 

「ああ、平気だ。てか、なんで内緒なんだよ」

 

 

 これまで見守ってきたのに、内緒だなんてあまりにも酷だ。

 意地悪極まりない、おれは紫をそんな意地悪するような子に育てた覚えはありませんよ。

 

 

「生斗には、一番に見せてあっ! と驚かせたいからね」

 

 

 そう年相応の笑顔を見せる紫。

 何この子、天使? 妖怪の皮をかぶった天使でしょ。おれには紫の背中に純白の翼が見える。

 

 

「とりあえずは幽香と同じように、海を渡ろうと思うわ。そこで知見を深め、目標をより明確に、そして確実に実現させてみせるわ」

 

「海を渡るね……伝手はあるのか?」

 

 

 幽香は季節風に乗って放浪したというが、紫はどうなのだろう。

 空を飛ぶ技術はもう教えてあるので、問題はないだろうが、肝心の行き先を決めてないと、大分苦労してしまう。

 

 

「勿論、そこまで無計画ではないわよ。以前都で読んだ書物に記された国へ行くつもり。地図はもう頭に入ってるわ」

 

 

 都に限らず、書物があるところには積極的に顔を出し、時には書庫に忍び込んでまで読み漁り、知識を蓄えてきた紫。知識量で言えばもうおれよりも確実に多いだろう。

 おれなんて、読んだ本なんて九割がた頭から抜けていくからな。

 

 

「煮立ってるぞ。そろそろ味噌入れるか」

 

「未醤ね」

 

「いいんだよ、どっちでも」

 

 

 今の時代、味噌が高級貴族の嗜みで食されているこの味噌も、作り方を紫が覚えてくれたおかげで野宿暮らしのおれらでも食卓に並べることができる。

 

 それにしても……海を渡る、か。そういえば一度も渡った事がないな。

 船はすぐ沈没すると聞くし、そもそも言語が通じないだろうから、大分敬遠してるんだよな。紫なら数日あればその土地の言語はマスターしそうだが。頭は至って普通の、どちらかと言うと悪いおれの頭じゃ、数十年はかかるかもしれない。

 

 それに月に行く手掛かりは、この世界で初めに降り立ったこの土地にあるのではないかと、根拠はないが、確かな確信がある。

 

 

「でも、今の話はもう少し先の話ね」

 

「なんでだ?」

 

「もう少しだけ、この旅を続けさせてほしいの」

 

 

 その言葉の真意が、この先の不安をまだ拭いきれていないからなのか、実はまだ明確な目標がないのか。これに関しては紫以外は知りようもない。

 

 まあ、おれが男前で頼りになって優しいから別れたくないのだろう。

 あっ、ここツッコミどころではないからね! 

 

 

「紫がまだこうしていたいのなら、気が済むまで一緒にいればいいさ。お互い、時間は腐るほど持て余してるからな」

 

「そう______それなら後百年は一緒にいてもらおうかしら」

 

「それは流石に甘え過ぎだ馬鹿」

 

 

 紫ならもう一人で十分にやっていける程成長しているから心配ないだろう。

 模擬戦で何度か一本取られるくらいに体術も強くなっているし、妖力の扱いも下手に暴走しないよう制御の仕方も伝授している。

 妖力と霊力とで、若干の差異はあれど、教える分にはそう苦労することでもなかった。

 今思うと、久しぶりに訓練生時代の復習もできておれ自身も良い特訓にもなったし、逆に紫から教わる部分も沢山あり、意外にウィンウィンな関係を築けていたな。

 

 

「ほら、焼けたぞ。飯にしようぜ」

 

「そうね、今装うから少し待ってちょうだい」

 

 

 そんなに急ぐことはない。

 ただ、いつまでもこの旅を続けさせる訳にもいかない。

 紫には紫の妖生があるのだから。

 それにおれのような途方のない旅のお供をいつまでも付き添わせるのは良くないだろうしな。

 

 

「身、少ないわね……」

 

「ほ、骨詰まらせるなよ」

 

 

 次は釣り竿じゃなくて手掴みで捕まえよう。

 そう心に強く誓うおれであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「竹から産まれた人間?」

 

 

 とある山の定食屋。

 そこは民宿も営んでおり、久々に寝床につくことができた早朝の事であった。

 

 

「そうさ。なんでもこのあの山を越えた集落に住む造が竹から女子を見つけたって話さ」

 

 

 給仕のお婆さんが、世間話にとおれと紫に話しかけてきた内容が、なんとも奇々怪々なもので信じ難い。

 

 

「それは果たして人間なのかしらね」

 

 

 紫が箸を止め、怪訝げにお婆さんに問い掛ける。

 

 

「さあ、もしかしたら物怪の類かもしれんね。瞬く間に成長しているとも聞くでな」

 

 

 どこかで聞いたことがあるな。竹から産まれたという御伽話があったような……うーん、思い出せん。前世での記憶だろうが、ここ最近ボケてきたのか、前世の記憶も大分朧気になってきたんだよな。親兄弟の顔ですらもうぼんやりとしか思い出せない。

 

 

「まあ、人を襲わないのなら別にいいんじゃないの」

 

 

 興味ありげな紫を傍目に漬物を頬張り、茶を啜って一息つく。

 

 

「なんだ、行きたいのか」

 

「生斗は気にならないの? 一体どんな人間なのか普通興味が沸くでしょ」

 

 

 若者特有の好奇心というやつか、こういった気になるものが出来ると確かめないと気が済まないんだよな。

 

 

「いや、おれも若者だから興味あるよ」

 

「若者だからは要らないでしょ。ていうか生斗、貴方若くな____________」

 

「いや、『若者』だから興味あるよ」

 

「爺でしょ」

 

「あら、何言ってんだい。お兄さんも十分若いじゃないか」

 

「えへへ、ありがとうございます。奥さんもとってもお若いですよ。よく別嬪さんだって口説かれません?」

 

「あらやだ〜、褒めても何も出ないわよ!」

 

「ははは」

 

 

 付き合ってられないと食事を再開する紫。

 こうやって見知らぬ他者とのコミュニケーションを取るというのも、旅の醍醐味の一つなんだから、もっと楽しまないと。

 

 

「それじゃあ見に行くか。奥さん、あの山を超えた集落に居るって言ってましたよね?」

 

「そうさ、噂を聞く限りじゃね」

 

「えっ、寄ってくれるの?」

 

「どうせ行く宛もないしな。物資補給もしたいし、ついでにその竹から産まれた女の子ってのも拝見するがいいさ」

 

 

 おれも若いから興味あるしな。 

 もしかしたらその人間が月に行く鍵を持っているかもしれないし。

 こういった怪異には危険を侵さない程度に関わるようにしてきた。今回もその中の一つとして考えればいいだろう。

 

 

「ありがとうね、生斗」

 

「今度都行ったら飯奢りな」

 

「……ありがとうね、生斗」

 

「おれではなく紫が奢るんだからな!?」

 

 

 くそ、復唱で会話をゴリ押すという高等技術を早くもパクられてしまった。紫、恐るべし! 

 

 

 

 いつも通り駄目で元々の、もとより紫の好奇心を満たすため旅の経路を決めたのであったが、この決断がお互いに転機が訪れる事を、この時のおれと紫はまだ知る由もなかった。

 



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⑤話 犯人であり半人

 

 

「ここがお婆さんが言っていた集落か」

 

 

 竹から産まれた人間。

 その真意を確かめるべく、噂の根源である集落へと来ていた。

 とまあ、集落と評されているが、殆どが田圃で、民家なんて見える限りじゃニ、三件ぐらいだ。その中に保護者の家があるのだろうか。

 

 

「取り敢えず情報収集しましょ。良いところにあの家に人の気配があるし」

 

「そうだな。折角だし紫が尋ねてみたらどうだ」

 

「なんで私が……」

 

「これも経験だよ。生きてる上では誰かに頼るとき上手く話せないと何かと不便だろ? これから一人で旅していくのなら尚更だ」

 

 

 人間同士の交渉の時はいつもおれがしてきた。交渉術はその都度教えてきたが、実践はまだだ。今回はただ尋ねるだけだし、そんなに難しいことではないし丁度いいだろう。

 

 

「分かったわよ。私の交渉技術を見て顎外さないでよ」

 

「ははは、そんな事になったら紫を乗せて這って目的地まで連れてってやるよ」

 

「言ったわね。二言は許さないわよ」

 

 

 そう豪語すると、紫は妖術を使い髪の色を黒く変化させてゆく。

 紫曰く、目の錯覚を利用したトリックのようなもので、実際に黒く染まっている訳ではないのだそう。

 

 

「生斗は此処にいて。私一人で済ませてくるわ」

 

「妖術で操ったり脅すのは禁止だからな」

 

「分かってるわよ。正々堂々生斗の顎を外してやるわ」

 

「精々頑張りな、どうせ無理だろうけど」

 

 

 自慢じゃないが生まれてこの方顎を外したことがない。うん、ほんとに自慢じゃない。

 驚いたことでは勿論、戦闘や笑い過ぎ等のあらゆる要因で顎を外すリスクは常につきまとうが、本当に外したことはないんだよなぁ。

 

 やる気満々な紫には悪いが、こればかりは無駄な足掻きだ。

 

 もし外すとするならば、この周りの土地を全て渡すから紫を養子に欲しいとか素頓狂な事を言われない限りはまずありえないだろう。

 

 まっ、つまり不可能ってことだな! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「おっかぁ、あれなにー?」

 

「こら、見ては駄目よ。関わっても駄目!」

 

「ち、ちがうよ〜。お馬さんごっこしてるだけだよ!」

 

 

 田園を抜け、再び山中へと足を踏み入れている道すがら、親子に今の状況を目撃されてしまい、絶望に苛まれています。

 

 

「意外と良い気分ね」

 

 

 もしかしたら紫にドS特性を与えてしまったかもしれない。

 

 いやほんと、なんでこうもフラグを回収したがるのかな。

 まさか土地の占有権どころか紫を奉らせてくれとか言い出されるなんてな。流石の熊さんの口も限界突破して開きますわ。

 紫を奉って何するんだよ、新宗教でも始める気だったのか? 

 

 

「ほら、もうすぐよ。急ぐ急ぐ」

 

「こらっ、尻を叩くな!」

 

 

 一応竹人間の住処を聞き出すことに成功し、紫を奉らせるのは丁寧にお断りする事ができた。

 だから今こんな状況になっているわけなんですけどね。

 畜生! こうなったら目的地まで猛スピードでとばしてやる! 

 

 

「振り落とされるなよ紫!」

 

「ほんと、馬みたいね」

 

「ヒヒーン!」

 

 

 おれは今馬だ。

 そう、なりきるのだ。中国の拳法にあるように。

 さすれば馬の如き速さを手に入れる事ができる…………多分!! 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「ぶるるぅ」

 

「お疲れ様」

 

 

 竹林を抜けた山頂に、目的地である竹人間の住処があった。

 なんとか紫の尻から開放されたおれは服についた汚れをはたいていると_________

 

 

「どうやら、一足遅かったようね」

 

 

 既に家に上がり込み、中を物色した紫がやはりといった感じで顎に手を当てていた。

 

 

「いないのか?」

 

「ええ、先程聞き出した老夫婦が言ってたのよ。最近この家に小綺麗な服装をした人間が出入りしていたとね。竹から産まれた子を拾ってから何故か羽振りも良くなっていたようだし……もしかしたら、都に移住する手筈をしていたのかも」

 

「そうか? 見た感じこの家も古いようだし、都に移住する金があるようには見えないが」

 

 

 竹人間を拾ってから羽振りが良くなった、ね。

 それに小綺麗な服を着た人間の出入り。紫の言う考察も的外れでは無いような気がする。

 

 

「それよりも、まだ出たばかりなのか、囲炉裏に少し温もりがあるわ。お昼を食べてから出発したのでしょうね」

 

 

 現場の状況を逸早く察知し、痕跡を元に行動を予測する。

 言うだけなら簡単なようだが、実際にやってみると意外に難しい。

 それをほんの短時間ーーおれが服をはたいている合間にし終えるのだから、紫は探偵にも向いてるだろう。

 

 

「まだ追いかけるか?」

 

「勿論。乗りかかった船よ。最後まで渡りきりましょう」

 

 

 やるなら最後までやるのは良い事だ。

 正味もう怠くなってきているが、おれから言い出したことだし、紫の言う通りやりきろうではないか。

 

 

「ほら、そうと決まったら」

 

「なんだよ」

 

「馬」

 

「もうやらねーよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________________________________________

 

 

 

 あれ、私______何をしていたのだろう。

 

 ここは…………どこ? 

 

 

「貴様は餌だ。我が復讐を成就させる為のな」

 

 

 父上は? 母上はどこ? 貴方は何者なの? 

 

 声に出そうにも、猿轡をされている為、低い唸り声しか発することができない。

 

 

「案ずるな。無為な殺生などせぬ。それでは奴と同じだ」

 

 

 だが、彼は私の心情を察してか、綻んだ髪を結び直しながらそう応える。

 

 ___________そんな彼の周りには、純白の白玉が漂っていた。

 

 

「直に日が暮れる。暫し休むのだ。何、悪いようにはせん」

 

 

 

 

 

 

 

_____________________________________________________

 

 

 

「なんかあの駕籠、不法投棄されてないか?」

 

「ついでに人間も不法投棄されているわね」

 

 

 竹人間の元住処から足跡を頼りに進んでいたが、山道から少し外れた傾斜に切り刻まれた駕籠と、周りには五、六人程の人間が倒れ伏していた。

 

 

「命に別状は……ないようだな。跡的にこれは刀での犯行だな」

 

 

 ご丁寧に皆峰打ちしてやがる。

 中には用心棒として雇われたであろう歴戦っぽい傭兵もいるというのに。

 複数人を相手に峰打ちで一撃。それ程までに実力差がある明らかな証拠だ。

 

 

「そ、そこの者!」

 

「おっ、意識がある人いたんだ」

 

 

 風貌は既に齢八十を越えている程老いているが、この中では一番タフなようだ。いや、老人だから手加減されたと考えるのが妥当か。

 

 

「頼みまする! 姫を、姫をどうかお救いください!」

 

 

 無い筋肉をフル稼働させ、這いずりながらなんとかおれの袖を掴むお爺さん。

 おれは彼に無理をさせまいと、仰向けにして楽な態勢を取らせる。

 

 

「誰にやられた。それにその駕籠、何処かの貴族でも攫われたのか」

 

「わしの、娘です!」

 

 

 娘ねぇ。そういえば竹から産まれたって子も確か女の子とか言ってたよな。

 それに追跡していた足跡もここで途切れている。

 見れば倒れているどの人間も身振りの良い格好しているし、これはどうやら___________

 

 

「……相当面倒なことになってるぞ、これ」

 

 

 当初は興味本位でちらっと見るだけだと思って始めた事なのに……タイミングが噛み合わなすぎやしないか。

 

 

「どうするの? これ以上は私の我儘を通すわけにはいかない。判断は生斗に任せるわ」

 

 

 紫ももう察しているらしい。

 おれらの探し人は絶賛攫われの身に置かれている。

 

 

「微かにだが霊気が残留している______」

 

 

 気質は妖気と似ているが、これは紛れもなく霊気だ。

 

 以前に同じような気質の怨霊と旅をしていたから分かる。

 

 

「黄昏時ね。現実の境が曖昧になるこの時間帯でこの霊気______人間や妖怪というよりも」

 

「幽霊の仕業かもしれないな」

 

 

 残留霊気を見るにそこまで遠くは行っていない。紫とおれでならすぐに見つけ出す事が出来る筈だ。

 

 

「やるのね」

 

「言ったのは紫だろ。乗りかかった船を途中で投げ出したくないって。それにこんな状態になってまで娘を心配する親御さんを放っておいたら夢枕に出てきそうだからな」

 

「ああ、ありがたや! ありがたや!」

 

 

 偽善と罵る輩もいるかもしれない。実際におれは自分に救えそうな者しか救わないし救えない。

 己の実力に見合わないものは見捨ててきた。

 

 それにおれは別に慈善活動で人助けをしてる訳ではないしな。

 

 

「んじゃ、取引しようか。もしお爺さんらの娘さんを取り返してきたら、都で美味い飯食わせてくれよ。鯛の煮付けなんかいいな。あっ、勿論この胡散臭い美女にもな」

 

「胡散臭いは余計よ」

 

 

 目線をお爺さんに合わせ、取引を待ち掛ける。

 それぐらいの見返りを求めなければ割に合わない。

 久々に海鮮料理でも食べたいものだ。

 

 

「その程度の事ならば幾らでも叶えます! だから早く姫を!」

 

「待てって。まずは皆の手当を……」

 

「そんなもの儂がしますから!」

 

 

 時を一刻も争うという感じに、切羽詰まってるなお爺さん。そりゃそうか、娘が攫われてるもんな。

 

 

「なら此処で安静にしてくれよ。おれらが戻る前に盗賊なんかに襲われないよう傭兵から起こして置いたほうが……」

 

「いいから早く!」

 

「はいはい、分かったよ」

 

 

 よし、それじゃあ行くか。さっさと竹人間を取り戻して鯛パーティだ。

 

 

「紫、一応だがお爺さん達を介護してやってくれ。このまま放置していくのは流石にまずいだろうからな」

 

「ええ、そうね。生斗は一人で大丈夫なの?」

 

「なーに、死ぬ事はないさ。危なくなったら速攻で帰ってくるから。それでも追ってきたらその時は数の暴力でゴリ押そうぜ」

 

「ふふっ、それが最善策なのは間違いないわね」

 

 

 ほんとは一気に二人掛かりで犯人をボコボコにした方が楽なんだけどな。

 でもまあ、依頼主が先に逝ってしまったら骨折り損になってしまうし仕方ないか。

 

 

「んじゃ、さっさと行って取り戻してくるわ」

 

「心配はいらないと思うけど、一応気をつけてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________________________________________

 

 

 これは、慢心という言葉が適切過ぎて花丸満点をあげてしまう程の失態を犯してしまったようだ。

 

 

「中々良い太刀筋をしておる。だが、もう見切った」

 

 

 肩から腰にかけて袈裟懸けに一筋の真紅の液体が滲み出る。

 斬られたのは何百年振りだろうか。

 真剣で切り傷を与えられたのは確か、依姫と模擬戦をしたとき以来か。

 

 そしておれの眼前にいる人間____________いや、()()()()は間違いなく、あの時の依姫よりも強い。

 



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⑥話 見覚えがある再会

 

 熊の住処であったであろう洞穴に、真紅の雫が滴る音が響き渡る。

 

 

「痛ってぇな。だけど、身が引き締まった」

 

 

 住処の主は洞穴の前で蝿の餌となっていた。

 首を落とされていたが、切り口の具合から苦しまずに死ねた事が、熊にとっての不幸中の幸いであったろう。

 

 

「斬り合いってのは生と死の駆け引きだって事を思い出した」

 

 

 傷口は浅い。これなら放っておいても直に血も止まる。

 

 

「なんでお前のような剣豪が誘拐をするような下衆の真似をしている?」

 

「これから斬る相手に話す義理などない」

 

 

 相手は珍しく、おれの剣助と同じ打刀。脇構えの状態で躙りよってくる。

 

 

「娘は何処だ」

 

「ふん、お喋りな奴だ。そんなに知りたくば私に一太刀浴びせてみよ。さすれば教えてやろう」

 

 

 背格好からして、歳は二十を超えているな。

 だが髪は一本残らず白髪______いや、どちらかというと白銀だ。

 服装は緑を基調とした旅装束であり、腰には打刀と脇差の二刀が掛けられている。

 顔は所謂強面風だが、ごつごつしている訳ではなくスリムに整っており、その勇ましさと華麗さを兼ね備えた容姿は男のおれでも少し惚れてしまいそうになる。一体これまでその顔でどれだけの女子が手玉に取られてきたのだろう。

 考えただけでもむかっ腹が立ってきた。

 

 そして何よりも気になるのが、あの剣士の周りを漂う白玉の霊体。気質はあの剣士と全く同じであり、生きた人間と死んでいる幽霊の気質をハイブリットしたようなものとなっている。

 恐らく人間______だが、半分は違う。どういう原理でそうなったかは知らんが、あの剣士は半人半霊と言ったところになるだろう。

 

 まあ、ざっと外見と霊力の気質を目の当たりにしての考察と疑問だが、はっきりと言って疑問に関してはどうでもいい。

 こいつがなんで半人半霊なのかとか、なんで竹人間を攫ったのかなんて、勝ってから吐かせればいいんだ。ここで悩みでもしてたら、戦いに支障が出る。

 

 それにあの剣士は恐らく、おれがこれまでに遭ったどの剣士よりも強い。悩む暇なんて微塵もない。

 

 

「分かった。それじゃあ、そのいかした面をさらにいかしてやるよ」

 

「ぬっ、それはどういう____________ぐっ!」

 

 

 背後に生成させておいた霊弾を剣士に向け放つ。

 相手が会話に集中させたことにより、攻撃又は防御に転じるまでの隙を作り出すことができた。

 思惑通り剣士は防御に転じるのがコンマ数秒遅れ、顔面間近で受けることとなり、ただの霊弾が視界を遮る遮蔽物となってくれた。

 

 ここまでは上々____________おれはその隙に剣士の間合いを詰め、剣士の死角から霊力剣で斬り上げる。

 

 

「ふっ!」

 

 

 斬撃は惜しくも剣士の瞼を軽く斬る程度で収まる。

 だが、おれはこれだけで終わる程甘ったれた考えは持ち合わせていない。

 

 剣士は今、急激なフラッシュライトを間近で受けたように眼が眩んでいる。

 おれの霊弾は光彩を放つ。そんな霊弾を意識の外から突如眼の前まで急接近させてしまったのだ。一分ほどは眼がチカチカして碌におれの姿を認知することも出来ないだろう。

 

 そんな絶好の好機、逃す手はない。

 

 

「(……って、そんなに上手くはいかないか)」

 

 

 けれども、視覚の有利が通じるのは二流まで。

 結局、一流とも呼べる剣士は、相手が出す音や風の動き、気配を感じる事で視覚を持ち得なくても立合う事ができる。

 現におれが放つ斬撃は悉く剣士により弾き返されている。

 

 剣術の熟達度で言えば、紛う事無くこの剣士がおれの一枚上をいっているのは間違いないだろう。

 

 だからおれは何でも使う。

 視界が無いのなら、それを利用する手を使えばいい。 

 

 

「なっ!?」

 

 

 剣の動きは分かっても、おれが霊力剣を持っていない事は予想外だろう。

 防御の構えを取っていた剣士の虚をつくおれの素振りは、思ったよりも効果があったらしく、次の手を警戒した剣士はバックステップの要領で距離を取ろうとする。

 

 ____________かかった。

 

 

「(巣にしては大きいが、所詮は洞穴。距離感覚を見間違えば簡単に壁に当る!)はっ!」

 

 

 視界の有利を取った二手。

 完全に勝利を確信した。

 ここから負ける術は無いと高を括ったおれであったが、一つ、唯一つ見落としていた事があった。

 

 

「っ!!?」

 

 

 渾身の突きを剣士に向けて放ち、視覚では完全に剣士の脇腹を貫いていた。

 ……だが、刺した感覚が無い。 

 

 瞬間、おれは全身が凍りついたように震え上がった。

 

 刺した筈の剣士の姿がぼやけ、途中から見当たらなくなっていた白玉の霊体が、おれの霊力剣に絡み付いていたのだ。

 

 

「貰った!!」

 

 

 凍りついたような感覚なのに、全身からはぶわっと汗が噴き出してくる。

 ____________背後から気配。恐らく、この霊体の本体である剣士。

 

 振り向く間に斬られる。突き終わりを狙われた。防御に回れない。片腕で受けられるか。相手は剣術の達人。腕ごと一刀両断される。前へ転がれない。霊弾を飛ばす。斬られる。捨て身で斬りかかる。死ぬ。グラサンで受ける。降参する。間に合わない。殺られる。

 

 

 思考が纏まらない。どう動けば最適解を出す事ができる。

 考えろ、考えろ! どうすればこの状況を__________! 

 

「ぐっうぉおお!」

 

 

 頭の中で思考を巡らせてる間に、おれの身体は最適解を導き出していた。

 

 最近鍛錬をサボって衰え気味の膂力をフル活用して、絡みついた霊体ごと、霊力剣を肩に担いだ。

 

 

「ち"っ!」

 

 

 剣筋には己の霊体、感触的に当たり判定はある。

 剣士は唐竹のモーションを崩し、横薙ぎに切り換える。

 その隙さえ貰えれば、おれも構え直すことが出来る。

 先程まで維持していた霊力剣を解除し、受けの構えを取るとともに新たに霊力剣を生成する。

 

 霊力剣越しからくる渾身の横薙ぎの衝撃。

 おれは真っ向から受けず、その衝撃を利用して後ろへ退いた。

 

 

「御主、名はなんという」

 

「なんだ、おれに興味でも持ってくれたか。生憎おれにそんな趣味はないんだけど」

 

「御主の立ち回り、何十、いや何百と場数を踏んでなければ出来ぬものだ。初めてだ、死を覚悟せねばならぬと感じたのは」

 

「あっそ。なんともまあ温い世界で生きてたもんだ」

 

 

 これまでしてきいた旅は常に死と隣合わせだ。野獣や盗賊、夜には妖怪、果てには食糧難で数日食べれなくて死にかけたりもした。

 

 とっくに死の覚悟はできてんだよ、こっちは。

 あっ、死んでも生き返るだろ、ってツッコミは無しね。

 幾ら生き返るとはいえ、死ぬっていうのはとてつもなく不快で苦しくて気分が最悪になるから。

 

 

「名を名乗るなら自分からって義務教育で習わなかったか?」

 

「ぎむきょういく?」

 

「ああもういいよ___________おれは熊口生斗。お前は?」

 

「熊口、生斗か。うむ、覚えたぞ____________

 

 

 

 

 

 ______私の名は魂魄妖忌。帝を忌む半人半霊だ」

 

 

 あっ、やっぱり半人半霊っていう種族みたいなもんなんだね。初めて見るなぁ。

 

 

「ていうか狡いだろそれ。なんだよ帝を忌むって少し格好つけやがって。おれ別にそこまで聞いてなかったじゃん」

 

 

 帝って言えば確かこの地を統べる王様的な人の事だよな。

 そんな尊い人を憎むって。この地の全国民を敵に回すと言ってるのと同義だぞ、それ。

 もしかして竹人間を攫ったのはそれが目的で……? 

 

 

「まあいいや、妖忌。なんで帝さんを憎んでるのかは知らないが、今は闘いに集中しようぜ。でないと簡単にとぶぞ」

 

「無論だ。悪いが容赦はせぬぞ」

 

 

 妖忌は重心を低くし、居合の構えを取る。

 

 ____________次で決める気だ。

 

 距離はある、だからこそ不自然。あいつならおれとの距離を一瞬で詰められるのではないか。

 後手に回ってくれるのなら此方はやりようが幾らでもある。それは妖忌も先程の攻防で見に染みている筈。

 ならば先手を取ってくると考えるのが妥当だ。

 

 この距離からの攻撃、つまり____________

 

 

「真空波はもう効かないぞ」

 

 

 おれが不意をつかれ、胴体に受けた技。

 斬撃を飛ばす事はおれも出来なくはないが、常人の皮膚を斬るぐらいしか出来ないため、威嚇ぐらいにしか使えない。

 

 

「その考えでは、御主の半身を無くすぞ」

 

 

 つまり、真空波ではないと。

 

 さて、こういうどの攻撃がくるか分からない状況の時、どう行動を取ればいいのか。

 

 答えは簡単。

 

 そんなもん、炙り出しちまえ。

 

 

「おらあ!!」

 

 

 十数発の弾幕を展開し、妖忌を追い詰める。

 爆散霊弾は洞穴の崩壊を招く要因となるかもしれないので封印しているが、こんな狭い洞穴なら十数発でもかなりの密度となる。

 

 

 カチャッ

 

 

 妖忌が鯉口に手を掛ける音が聞こえてくる。

 

 ____________来る。

 

 

「!!! ぐっ!?」

 

 

 瞬間、風斬り音と共に妖忌はおれの背後へと通り過ぎていた。

 

 

「……また浅い。まさか、見えていたのか」

 

 

 眼を霊力で強化していなければぼやけて何も見えやしなかった。

 なんとか回避することができたが、左肩を斬られてしまった。

 まだ腕は動く。だが無理に動かせば後遺症となるだろう。

 

 

「久々にあんなに速いの見たな。瞬間速度なら文を超えてるんじゃないか」

 

 

 スピード自慢な文をこれまで見てきたからこそ、なんとか反応できた。目を幾ら強化しても動けなければ意味がないからな。

 

 

「何を言ってるのか分からないが、左腕は封じたぞ。御主の勝ち筋は絶望的に見えるが」

 

「勝手に決めつけるなよ。腕の一本や二本使えなくたって、知恵を振り絞れば闘える」

 

 

 先程の技は、人間離れした脚力と抜刀の速さを利用した剣技だろう。おれの弾幕ごと見事に斬りやがった。

 その技を身につけるまで幾年を費やしたのか。

 今のおれでは斬り合っても弾き返され、その勢いのまま斬られる。

 

 

「……こいよ」

 

 

 おれの姿を見て、驚愕の表情に染まる妖忌。

 

 それもそうだろう。おれは今、打ち負かされたばかりの居合の型で相対しているのだから。

 

 

「____________遺言はあるか」

 

 

 意図を汲み間違えた発言をしているが、別におれは諦めの境地に至った訳ではない。

 

 勝算のない勝負はしない。

 この型を選んだのは、今この状況で一番、勝率のあると判断したからだ。

 

 

「行くぞ」

 

 

 鯉口に手を掛ける音が聞こえてくる。

 先程と同じ動作。

 

 そして奴は、一度だけ地面を踏みしめ____________突っ込んでくる!! 

 

 

「「!!!!」」

 

 

 霊力で眼を強化し、来るであろう剣撃に合わせ、おれも抜刀する。

 勝機は、妖忌の刀とおれの『剣助』が迫り合いになること。

 

「(当たれ!)」

 

 

 それは緩やかに、静止した世界でおれと妖忌の二人だけが、スローモーションにお互いが抜刀し合う姿が眼に映る。

 妖忌の刀の軌道はさっきので確認済み。

 だからといって避けられるような代物ではない。ならば避けるよりもモーションかつリスクが少なく、最速で放つことができる居合いで迎え撃つ。

 

 そして妖忌の剣撃は予想通りの軌道を描いていき、おれが放った『剣助』と激突した。

 

 

 

 河童と天狗が共同して作られたこの刀は、使用者の力を糧とする。

 

 それから放たれる剣撃は____________

 

 

「ぐはあっ!?!」

 

 

 ____________防御不能の一撃となる。

 

 

 剣助と迫り合った妖忌の刀は無惨にも折れ、そのまま妖忌の身体を切り裂いた。

 

 

「はあ、はあ……骨まで斬ったが内臓は傷つけていない。早く止血しろ」

 

 

 やはり、一振りだけでもかなりの霊力を持っていかれた。

 常用は現実的ではないな。

 

 

「ぐふっ……何故だ。何故殺らなかった」

 

 

 傷口を抑え、苦痛の顔を浮かべながら、おれに対して疑問を問う妖忌。

 

 

「お前、盗賊の癖に情けをかけてただろ。襲った連中が皆生きていたのが何よりの証拠だ」

 

「……」

 

「お前は根っからの屑じゃない」

 

 

 だから生かした。なんて格好いい事は言えない。殺るつもりで実際には斬ろうとしたのだから。

 

 

「その程度では示しがつかぬ。一度命を賭して挑んだ闘いだ。敗けたのに生き残るのはもののふとして恥でしかない」

 

 

 もののふとはまた馬鹿な思想を持った奴だ。

 

 

「そのもののふとやらが盗賊まがいの事をしてるのは恥じゃないのか」

 

「うぐっ」

 

「それより止血しろ。布は貸してやる」

 

 

 懐に入れておいた応急用の布を妖忌に投げ渡す。

 

 

「死ぬ事がケジメって、おれには理解できない思想だな。しようとも思わない。おれの前で二度とその事を口にするなよ」

 

「御主は良くても私には……」

 

「それにその傷はわざとじゃない。本気で斬ったつもりだ。それでもお前が生きてたのは偶然の産物だよ」

 

 

 いや、偶然ではないな。

 妖忌は刀が折れるとともに身体を捩り、脇腹を斬られる程度で済ませている。

 だからといって、重症であるのは間違いないのだから、これ以上やっても勝負は見えている。

 

 

「んじゃな。二度とこんなことするなよ」

 

「お、おい! 何処へ行く!」

 

「この奥。どうせこの先に娘はいるんだろ」

 

 

 先程は何処にいるのか妖忌に聞いたが、よくよく観察すれば奥に微弱だが霊力を感じる。

 おれがこの洞穴を襲撃する事を予知していなかっただろうし、隠す暇もなかったんじゃないだろうか。

 

 

「帝に復讐するのかは知らんが、目的はあるんならここで死ぬのは本望じゃないだろ」

 

 

 そう言っておれは構わず脚を洞穴の奥へと運んでいく。

 その歩数が十歩を超えた辺りで、背後から立ち上がる音が聞こえてくる。

 

 

「待て、まだ終わってないぞ」

 

 

 振り向くとそこには、身体を震わせながら刀を突きつける妖忌の姿が眼に映った。

 そんなに死にたいのか、こいつ……

 

 

「はぁ……____________!!」

 

 

 呆れたおれは深呼吸し、脚に今ある全ての霊力を込め、妖忌の懐まで一気に距離を詰め___________

 

 

「ぐうぅっ!」

 

 

 立つのが精一杯の妖忌を洞穴の外まで蹴り飛ばした。あいつが万全な状態であったら、おれの脚は独立していただろうな。

 

 

「死ぬならおれのいないところで勝手に野垂れ死んでくれ」

 

 

 妖忌は強かった。

 純粋な剣術で言えば間違いなくおれの上位互換。だが戦闘経験の差でおれがぎりぎり上回ることが出来た。ていうか最後は実力というよりも刀の性能の差だったけど。

 

 次また戦うことになれば、次は立場は逆かもしれないな。

 ああ、怖い怖い。もうちょっと優しく接して上げればよかったかな。いやでもあいつイケメンだし……

 

 

「おれも少し止血してから行くか」

 

 

 肩と胴体からは割と洒落にならない量の血が今になって出始めている。

 怪我しているのに無理に身体を動かしたツケだろうな。

 

 

「あれ、あれ、あれ?」

 

 

 止血用の布がないぞ。あれ、確かドテラの内ポケットに一巻あった筈なんだけど……

 

 

「あっ」

 

 

 そういえば妖忌の奴に渡してしまっていた。どうしよう、おれも洞穴から出て妖忌から布を取り返そうかな……いや、あんな格好つけて後で返してってのもな……

 

 仕方無い。服を破って止血だけでも済まそう。

 後は紫達のところまで戻れば今よりマシな処置ができる。

 

 取り敢えず、竹人間だけでも無事に連れ戻すとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洞穴の奥には、藁が敷き詰められ、そこには縄で縛られた少女が一人、身を埋めながら眠りについていた。

 

 そしておれは、霊弾により照らされた彼女を見て言葉を失った。

 どう梳けばそこまで出るのか分からないほど艶やかな髪が、鏡のようにおれの姿を映す。

 透き通るような白い肌、全ての顔のパーツの最適解を敷き詰めたかのような整った容姿。

 まさに人間の黄金比を体現したような存在だ。

 

 だが、その存在を前にして見惚れたから言葉を失った訳ではない。

 

 

 

 

 ____________おれはこの少女を見た事がある。

 

 

 

「……んっ」  

 

 

 どうやら、眼を覚ましたようだ。

 いかんいかん、とにかく今は救助が最優先だ。

 

 

「______お、起きたか。あんたのお爺さんから依頼を受けて助けに来た。今縄を解いてやるからな」

 

「んー!?!」

 

 

 猿轡越しから少女は絶叫し、そのままぐったりとしてまた藁へ身体を埋める。

 なんでか知らないが、おれを見て気絶したらしい。なんともまあ失礼な子なのだろう。親の顔が見てみたい。

 

 

 おれのどこに気絶する要素が…………あっ。

 

 今おれの姿、血塗れの蛮族みたいな格好になってるの忘れてた。

 

 



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⑦話 なよ竹のお姫様

 身体が重い。

 少女を背負っているからというのもあるが、何よりも血を流し過ぎた。

 何がすぐに治るだ。結構な重症じゃねーか。

 服を破いて止血を試みても、動いたら結局滲んで地面を紅く染め上げていく。

 

 

「はあ、はあ、ぐっ、はあ」

 

 

 妖忌の奴は、おれが少女を連れて出てくる時には居なくなっていた。

 あの状態でよく動けたもんだと思ったが、よくよく思えばあいつは半分人間じゃないし、普通の人間の定義に当てはめるものではないのだろう。

 

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 

 息づかいが荒い。

 少女を背負っているからというわけではない。ただ単に、疲れた。

 先程までは強敵相手に興奮していたからか、特に気にしていなかったが、今になってその興奮も解け、どっと疲れが襲いかかってきている……おそらくだが、剣助を使った代償もある。霊力だけでなく体力までも奪われてるのかもしれない。

 

 こんなに長かったっけ。

 来るときはそうかからなかった気がするが、今は体感でも数時間歩いたかのような感覚だ。

 

 

「危なくなったら、逃げてくるんじゃなかったの」

 

「姫!」

 

 

 下を向いて歩いていたから、彼方からの接近に気付かなかった。

 いつの間にか、おれの側まで来ていたんだな。

 

 

「危なくなかったから、逃げなかったんだよ」

 

「嘘を言いなさんな。ほら、手当をするから仰向けになりなさい」

 

 

 紫に少女を渡し、言う通り横になる。

 

 

「ああ、なんと感謝を言えば……」

 

「少し黙っててくれる。絶賛私の連れが生死の境を彷徨ってるの」

 

 

 応急救護の術を以前に教えた事があるが、紫は独学である程度の医療技術を身につけている。傷口を縫うのは朝飯前だ。

 

 

「痛く、しないでね」

 

「それは無理なお願いね。ほら、布でも噛んで我慢なさい」

 

 

 でもまあしかし、この世界にはまだ麻酔の技術はない訳で。

 治すとはつまり、それ相応の痛みが____________

 

 

「あああ! 痛っ! ちょ、いっった!!」

 

「なによ、ただ傷口を拭いただけじゃない。これからもっと痛い事するんだから覚悟しなさいよ」

 

 

 あっ、駄目。これ想像以上にきつっ、あっ、ああ、ああああ! 

 

 

 

 この後、無事あまりの痛さに気絶しました。

 疲れもあったし、痛みを感じることもないしこれで良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_______________________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

 ここまで傷付いた生斗を見たのは初めてだ。

 彼はこれまで、妖力の扱い方を教えてくれる師匠のような存在であった。

 そんじゃそこらの人間や妖怪では、彼の戦闘技術を活かした闘いを前にしてはまず太刀打ちできない。

 そんな彼をここまで傷付けた人物。恐らく私が介入する余地などなかっただろう。

 それを分かっていたから、生斗は端から戻るという選択肢を放棄していたのかもしれない。

 

 まだまだ、私では力不足であるということを実感する。

 能力もまだ全然使いこなせていないし、妖力の使いこなし方も全然生斗から盗めていない。

 

 

「お嬢さん、武士殿を背負っていては疲れるであろう。彼には恩がある。ボロボロではあるが駕籠に乗せてやろう」

 

「結構よ。私の手に届く所に置いておきたいの」

 

 

 ならばせめて、今私にできる事をする。

 もしまた先程戦った奴みたいな強敵が現れたときに、生斗だけでも救えるように。

 今こんな所で死なれては困る。まだ何も彼に恩返しが出来ていないもの。

 

 

「ごふっ!」

 

 

 肩に生斗の吐いた血反吐がつく。

 布で彼の口を拭き、ずれた位置を修正するために彼を背負い直した。

 思ったより怪我の度合いが酷くなりつつある。

 彼が眼を醒ませば、後は霊力を用いて自然治癒力を高めれば傷口は多少ましになる筈なのだけれど……

 なるべく急がねば縫ったとはいえ傷口から感染症を引き起こす可能性もある。

 

 

「貴方達の向かっている都の位置を教えてくれる」

 

「……? 何故だ」

 

 

 後は安全な場所で横にし、傷口を清潔に保てさせれば良い。

 医療用器具が充実していれば、あの場で留まっても良かったのだが、不幸にも布どころか糸すら若干足りなかった。

 やはり都まで行き、十分な処置を施す必要がある。

 だが、都までまだ時間が掛かる。こんなにちんたら歩いていたら夜が明けてしまう。

 

 

「先に貴方の屋敷に行かせて。私なら貴方達よりも早く彼の救護が出来る」

 

「お嬢さんがか? 武士殿を背負っている状態では直ぐに動けなくなるぞ」

 

「私は生まれた時からずっと旅を続けてきたの。その辺の女子と一緒にしないで頂戴。彼の生死が掛かってるの。お願いだから教えて」

 

「う、うむ。すまない、そこまで言うのであればこの地図をお嬢さんに託そう。ここにわしの署名がある。門番に見せれば屋敷に入れるであろう」

 

 

 地図を受け取り、老人に軽く会釈をして私は今持てる限りの速さで大地を掛ける。

 

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 

 走っているだけでは、数刻かかるだろう。

 急いでいるのに、そんな時間を費やしている時間はない。

 

 やはり、私の能力を使うしかない。

 

 寝ているとはいえ、生斗の前で己の能力を晒すという事はしたくなかった。

 私の能力を知って彼の態度が変わるのが怖かったから。

 親代わりともいえる存在に、刃を向けられるのが、どうしても耐えられないから。

 もしそんな事が本当に起きたのなら、私は死を受け入れかねない。

 

 生斗がそんな人間でないことは分かっているのに。

 仲間に裏切られた幼少の記憶が、私の脳裏にこびり付いて離れない。

 

 

「……大丈夫、死なせないから」

 

 

 私の背中に、生暖かい液体が滴り始める。

 もう、私の服まで侵食する程出血しているのね。

 

 過去がどうであれ、ここで生斗を助けない理由等ない。

 周りはもう人目は無い。大分あの一行から距離を取ることができたみたいだ。

 

 

「____________開いて」

 

 

 私がそう告げると、ゆっくりと空間に裂け目が開き始める。

 子供が一人入る程の大きさまできたときに、裂け目の開きが止まる。

 今の私ではここまでが限界ね。

 ぎりぎりだけれど、なんとか生斗を先に入れれば大丈夫そうね。

 

 

「早く起きて美味しい物食べましょ」

 

 

 もしこの件で生斗に私の能力が知られてしまおうがしまいが、いずれ素直に全てを話そう。

 これは彼に対して私の義務だ。

 結果がどうあれ、別れは必ず訪れるのだから。

 今なら、不安はあるが生斗を信じられる。

 だってこんな美少女である私を手を出さないんだもの。いや、それは単に生斗が枯れているだけか。

 

 少し生斗の顔が強張ったような気がするが、私はお構いなしに境目へと彼を放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_______________________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

 眼を開いた先にあったのは、緑に溢れた自然ではなく、加工された木材が張り巡らされている木造の天井であった。

 

 どうやら、あのお爺さん等の目的地である屋敷に運ばれていたらしい。

 新品の畳の香りがする。

 おれが今いる部屋には今のところ誰もいないようだ。障子から差す光を見る限り、まる一日寝ていたわけではなさそうだが。

 

 

「流石は紫だな」

 

 

 痛みはまだあるが傷口は綺麗に縫合されており、上から包帯が巻かれている。微かに包帯から薬草の匂いがすることから、以前紫が独自で作っていた塗り薬を塗ってくれたらしいーー因みに効果は不明、多分実験台にされてる。

 今のご時世、消毒という概念を持っているのは、紫とおれぐらいだろうな。

 

 

「あんたは…………」

 

 

 布団から抜け出す気は更々無く、折角ならと腕枕をして寛ごうとすると、見計らったかのように向かいの障子が開く。

 

 

「あら、お起きになられたのですね」

 

 

 そこには、桶を持ったあの時の竹少女がいた。

 恐らくはおれの包帯の換えと傷口の洗浄に来たのだろう。

 

 

「なんでお嬢さんが看病してるんだ」

 

 

 この子はお爺さんから姫と可愛がられており、屋敷まで作らせるほどだ。そんな過保護に近い扱いを受けている彼女が身元の分からないおれの看病なんて、許すはずがないと思うんだが。

 

 

「父上には内緒です。自ら紫に申し出て、傷の手当をさせて頂いております。助けてくださった貴方様に失礼を働いてしまったので……」

 

「失礼? なんかしたっけ」

 

「貴方様を洞窟で見たとき、気を失ってしまったでしょう」

 

「あー、あれか。いや、目醒めて急に血塗れの蛮族みたいな格好した奴が目の前にいたらそりゃ当然の反応だろ。別にお嬢さんが気にする事じゃない」

 

「それでも、です。上半身だけで良いので、身体を起こして頂けますか?」

 

 

 美少女の更に上位互換のような存在に身体のケアをしてもらうのは、正直恥ずかしくて顔を直視出来ないな。

 それでも傷口の処理はきちんとしておかないと後々酷い目に遭うのは明確、ここは素直に指示に従おう。

 

 

「包帯、外しますね」

 

「お手柔らかに頼みます」

 

 

 ほんとは一人でも出来るが、折角やってくれると言うんだ。お言葉に甘えて楽をさせてもらおうか。

 お嬢さんが包帯を慣れた動作で巻き取っていき、みるみるうちにおれの裸体がお嬢さんの前に露呈していく。

 なんだろう。なんだかいけない事をしているみたいでむず痒い。

 

 

「大分傷口も塞がってきていますね。紫ももう少ししたら抜糸出来るとも言っていました」

 

「そういえば紫はどうしたんだ?」

 

 

 目醒めてからそう時間は経っていないが、連れがいないのは気になる。

 ないとは思うが、あいつが妖怪とバレたりとか面倒な事になってなければいいんだが。

 

 

「紫は今父上と話されてますよ。意外と話が噛み合うみたいで」

 

「へぇ、紫の奴上手く打ち解けられてるのか」

 

 

 特に何かあった訳ではないのは安心した。

 そういえばこの子も紫の事を呼び捨てにしている辺り、紫のコミュニケーション能力はおれよりも高いのかもしれない。

 

 

「御名前……」

 

「んっ?」

 

「貴方様の御名前を、お聞かせ願いますでしょうか?」

 

 

 腕を拭く手を止め、おれに視線を送るその眼はまるで万物を引き込み、魅了し惑わしてしまう程美しく、そして危険だ。

 直視し続けてはいけない。

 そう判断したおれはまるで照れ隠しのように顔を明後日の方向へ向け、頭を掻いた。

 

 

「生斗。紫からもう聞いてると思うが、おれは熊口生斗って言うんだ」

 

「熊口……生斗、殿___________」

 

 

 そうおれが応えると、彼女は少し疑問気な表情をしたが、すぐに元の表情へと戻る。

 今、何かを隠したような____________

 

 

「ふふっ、素敵な御名前ですね。実は私もついこの前、秋田様より名を授かったんです」

 

「どんな名前なんだ?」

 

 

 おれの身体を拭く手を止め、改めて正座をする。

 その状態のまま軽くお辞儀し、彼女はまたしてもおれの記憶に覚えのある事を言い放った。

 

 

 

「申し遅れてしまい、大変申し訳ございません_____________

 

 

 

 

 

 

 _______________私め、なよ竹の輝夜と申します」



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⑧話 幼稚な交渉

 

「この度は、我が姫の危機を救っていただき、感謝を幾らして足りませぬ。わしらに出来る事ならば何なりとお申し付け下さい」

 

 

 どうやら、気絶してから二日も経っていたらしい。 

 まだおれはふかふかの布団にいる訳だが、おれが起きたことを聞きつけた輝夜姫のお爺さんが、態々見舞いに出向いてくれている。

 

 

「そんなに畏まらないでください。おれはただ美味いものが食べたいからと、そこにいる紫の探求欲求を満たすために行動しただけなので」

 

「生斗、そんな馬鹿正直に言うものではないわよ。そこはこう、困ってる人を助けるのは当然ですってぐらいは建前でも言っておかないと」

 

「弱ってたお爺さん相手に交渉を持ち出してた時点でそれは流石に無理あるだろ」

 

 

 弱みを盾に相手を揺するって、完全にヤクザの手口だからな。

 それを振りかざした時点で偽善ぶったって相手には何にも響きやしない。

 

 

「頭を上げてください。要はおれらが好きでやった事ですから」

 

「……かたじけない」

 

 

 顔を上げ、改めて対面するお爺さんとすぐ斜め後ろにいるお婆さん。

 以前輝夜姫を攫われていたときと比べ、明らかに二人とも心底安心したように顔が緩んでいる。

 

 

「姫はわしらにとって命よりも大切な天からの授かりものなのです。熊口殿にはそれ相応の礼をさせて頂きたい」

 

「それじゃあ当初の予定通り、この都でも評判の良い料理を____________」

 

「その程度では到底釣り合いませぬ!」

 

「え、えぇ……」

 

 

 おれはそれで良いって言ってるのに。

 なんでこのお爺さんは拒否しちゃうの。そんなんじゃ人生損してしまうぞ。

 

 

「わしらの命よりも大切な姫を身を呈してお守り下さった熊口殿には、是非とも姫の用心棒をお任せしたいのです」

 

「え、えぇ……」

 

 

 二重でえ、えぇ……を繰り返してしまうことになるとは。

 いや、それってお爺さんの願望であっておれの願望とはまた違うよね? 

 

 

「熊口殿は職に付かず流浪の旅を続けておられると紫殿から聞き及んでおります」

 

「おい紫お前」

 

「……」プイッ

 

「こっち向け年齢詐欺」

 

「お互い様でしょ」

 

「姫の用心棒を引き受けて下さるのであれば、職に付くことができますぞ。勿論、この屋敷で衣食住保証し、見合った給金も用意致します。その金で毎日この都でも五本の指に入る料亭で食事することも可能でしょう」

 

 

 紫の奴、おれが寝ている間に好き勝手あることない事このお爺さんに吹き込んでいるようだ。

 

 

「いいじゃない。ここ最近禄な飯にもありつけてない上、ずっと歩きっ放しだったんだし。たまには腰を下ろしたって誰も咎めないでしょ。別に急いでる旅でもないんだし」

 

「まさか紫、お爺さんに職に付かせるよう誘導したのお前じゃないよな?」

 

「そんなわけないでしょ。幾らここに出てきたご飯が美味しかったのと大きいお屋敷に住めるからって生斗を売るわけないじゃない」

 

「完全に売ってる奴の台詞だということを理解してます?」

 

 

 なんてこった、紫の奴目先の娯楽に眩んで育ての親であるおれを売ってしまうとは……誰を見て育ったのやら。

 

 それが本当ならお爺さんがおれを雇おうとしていることにも合点がいく。

 職につけて衣食住事足る上に高い給料もくれる。

 聞く分にはどう考えても優良物件。断る理由が見当たらない。癪だが、紫の言う通り急ぎの旅ではないしな。

 

 

「……お爺さん。何かおれに隠してます?」

 

「ぐっ、な、何の事やら。わしらはただ熊口殿に良かれと思っての提案をさせてもらっているのですぞ」

 

 

 顔に出やすいな。

 あまりにも事が運び過ぎていると思った。

 いくら娘の危機を救ったとはいえ、偶然出くわした見知らぬ人間に、自らの命よりも大切な娘を側に置いておくのには少し違和感があったからな。

 もしかしたらおれの知らない所で、また紫に悪知恵でも仕込まれてるかもしれない。

 

 

「顔に出過ぎよ。それに別に隠すことでもないでしょ。正直に言ったら?」

 

「ゆ、紫殿がそう言われるのでしたら……」

 

 

 ほーらやっぱり。どうせ紫が一枚噛んでると思った。

 知識人の紫が農民出のお爺さんと話が意外にも合って毎日のように話してるって輝夜姫から聞いていた時から、絶対何か企んでるだろうなと思ってたんだ。

 

 

「あの剣士を退ける熊口殿の力量を見込んでの事です。次の満月となる日に、尊いご身分である貴公子達が催す宴に招待を受けているのですが……」

 

「なんだか嫌な予感がするんだけど」

 

 

 少し考えなくとも何か厄介事に巻き込もうとしてるよね。

 嫌だよおれ、そんなのに巻き込まれるぐらいならほんとに飯食うだけでおさらばしたいんだけど。

 

 

「余興にて各々が推薦する力自慢を戦わせるという催し物があるのです。是非とも熊口殿に参加して頂きたい」

 

「あー、絶対に断ります」

 

 

 何が楽しくて自ら殴り合いに参加しなければならないんだ。

 これまで必要最低限な戦闘以外は避けて生きてきたおれにとって、余興如きのために身を削る事があまりにも馬鹿馬鹿しくてやる気は微塵もない。

 別に戦闘狂である訳でもなければ、力を誇示したい訳でもないし。

 

 

「熊口殿ならば必ずや勝ち抜く事が出来ます!」

 

「おれはほんとにやりませんよ。利益に対する不利益がでか過ぎる」

 

「勝つまでも参加するだけでもいいのです。欲を言えば勝って貰うのが理想なのですが……」

 

「それなら別におれでなくてもいいでしょ。出るだけならそこら辺に浮浪者にでも金を積んで頼めばいい」

 

「ある程度の実力者でないと駄目なのです。相手はあの貴族が選出する刺客達、そんな相手に素人を出そうものなら笑い者どころか爪弾きにされてしまう。ある程度の実力者なんて、都に来たばかりで農民出のワシらでは伝手がないのです」

 

 

 無駄に豪華な服装をしていたから忘れていたが、お爺さん達もここに来て数日しか経ってないんだったな。それならこの人の言い分も分からなくはない。

 

 ……ある程度の実力者ね。

 それならおれ以外でも適任がいるじゃないか。

 

 

「紫、丁度いい腕試しが出来る機会が出来たじゃないか」

 

「私を出そうたって無駄よ。それは最初に出た案で、最初に省かれた案でもあるの」

 

「な、なんでだ?」

 

「それは____________」

 

「参加資格が武術者であり、そして女禁制となっているのです」

 

「はあ?」

 

 

 女は問答無用で参加出来ないって。

 男女差別にも程があるんじゃないのか。女性の武術者なんてこの世界でも探せば幾らでもいるだろ。催し物なんだからそんな変なルールなんて作るなよ。

 

 

「生斗の言いたい事は分かるわ。だけど、貴族側からしたら、余興で女性が痛めつけられる姿を催しとして出すわけにはいかないって所なんじゃない」

 

「力量で劣る女性は、そうなる確率が高くなる。余興としての配慮とすれば、文句は言えますまい。最も、尊いご身分である貴公子相手に文句を言えるのはそういないのですが」

 

「ん〜む」

 

 

 確かにその配慮を考えると言えるものも言えなくなる。この時代じゃまだ男尊女卑、男は力仕事で女は家庭を守るのが当たり前だという風潮が浸透しきっている。

 逆に女性を出してボコボコにされでもしたら、主催者側が叩かれる可能性だってある。

 

 

「だから熊口殿しかいないのです!」

 

「いや、おれはやらないですけどね」

 

「強く、勇ましく、そして格好のいい熊口殿が出てくだされば、きっと人気になる事は間違いないのです!」 

 

「強く、勇ましく、そして超絶美系でモッテモテ……だって?」

 

「そ、そうです! そこで優勝でもすれば都中の貴族の娘達の耳に入り、恋文が後を断たないこと間違いない筈」

 

 

 駄目だ。これは絶対に罠だ、そうに決まっている。

 こんなおだてて褒める典型的な罠におれを引っかけようとするなんてあまりにも浅はか過ぎる。おれを舐めてるのか? 何百年と生きるをおれをおだてただけで話に乗るわけがないだろう______

 

 

「そ、そうかぁ? いやいや、そんなことないってぇ〜」

 

「(効果覿面ね……発案したのは私だけど、こうも簡単に引っ掛かるのは、正直連れとして恥ずかしいわ)」

 

 

 あー、うん。あんまり面と向かって褒められたことないから、耐性がないんですわ。

 頭で分かってても調子に乗ってしまいます。

 

 

「わしの見込みでは、あの剣士を倒した熊口殿程の実力があれば優勝は他愛もないでしょう。その程度の事で名誉も美味い飯も職も住処も手に入る。受ける以外の選択肢があるでしょうか」

 

「……無いな? よくよく考えたら断る理由なさ過ぎますわ!」

 

「おお! 受けてくださるか!」

 

 

 名誉は別にいらないが無いよりはあった方が融通がきく。

 美味い飯も屋根のある場所で寝るのも大分久しい。

 それを提供してくれるお爺さんの頼み事を断る理由なんて無いだろう。

 

 

「(いつもの生斗なら絶対に受けない。それも踏まえて後ニ手程交渉手段を用意していたのに……)完全に調子に乗っちゃってるわね」ボソッ

 

 

 なんか紫がボソリと呟いたような気がするが、まあどうせちょろいとか言ってるだけだろうから無視しておこう。

 

 

「んじゃ、勇ましい熊さんは傷を癒やすのに専念して、次の満月の日までに身体を作っておきますか」

 

「流石は熊口殿! 考え方がまさしく強者のそれですな!」

 

「ま、実際強者ですし? それぐらい当たり前ですわ!」

 

 

 チョロインと呼んでくれ。なんかもう、どうとでもなれって気分だ。

 絶対後でやめておけば良かったと後悔するんだろうなぁ。

 でもまあ、実際どうにかはなるだろう。寝たきりで鈍りきった身体を元に戻せば、そんじゃそこらの温室育ちに負けやしない。

 

 

「あっ、そうだ。そういえばお爺さんに聞きたいことがあるんでした」

 

 

「んっ、なんですかな?」

 

 

 戦いによる心配よりも、覚醒めてからずっと気になってる事があったんだった。

 お爺さん達が来てくれたのなら、ついでに聞いておいた方が、今後のおれとしての立ち回りも分かる。

 その疑問とは____________

 

 

「貴方達は、輝夜姫をどうするつもりなんですか?」





チョロイン……?


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⑨話 殊更の衝突

 

 縁側から足を出し、涼みながら剣助を手入れをしている今日この頃、西瓜が食べたいこの季節に冷水で喉を潤し、紫と輝夜姫が年相応にはしゃぎながら庭園を掛ける姿を眺める。

 

 

「今日も君の姿は光り輝いてるね。世界で二番目に愛してる」

 

 

 刀身に接吻をかわし、おれの後ろを通りかかった女中さんに軽く引かれたような気がするが、それはもう剣助が美し過ぎるのがいけないのだから、別におれのせいじゃない。

 

 傷に関しては、過度な運動を避ければいつもと変わらない生活を送れるまでには回復している。

 昨日から都の観光ついでにランニングをやり始めたところだ。

 

 

「にしても、こんな暑いのによく外で遊べるな」

 

 

 やはり子供は盛んな時期だからなのか。太陽の日射しが気力を削いでいるというのに、元気よく遊び回っている。

 二人ともそんなに年は変わらないというし、気が合うこともあるのだろうが、それでもあんなにはしゃげる程今のおれには元気がない。

 

 見た目だけで言えば完全に大学のお姉さんと中学生の妹なんだけどね。

 二人とも大層な美人さんなので、とても絵になる。

 カメラマンとかいたらフィルムが切れるまでシャッター押しまくるんじゃないか。

 

 

「熊口様も蹴鞠をやりませんか?」

 

 

 そんな二人をぼーっと眺めていると、此方に気付いた輝夜姫が気に掛けて鞠を持ってくる。

 えっ、おれ今やりたそうな顔してたのか? 

 

 

「いや、暑いから遠慮しとく。お前らも暑さで倒れないよう水分を取ったりして気を付けろよ」

 

「お心遣い感謝します。これでも私、山育ち故このぐらいの暑さならへっちゃらなんです」

 

「そうか……ていうか、前にも言ったがおれに敬語なんか使わなくていいって。山育ちならそれこそ敬語とは無縁の生活を送ってたんだろ」

 

 

 よく山育ちでここまで言葉遣いがなってるのかは不思議でならないが、上下関係でいえば雇われの身であるおれが下なのだから輝夜姫が態々敬語を使う必要性はないだろう。

 

 

「おれはあんたの用心棒を任された。つまりそうそう離れることはないんだ。そんな相手にずっと言葉遣いに気を付けてたら息が詰まるだろ」

 

「そ、そうですか……」

 

「輝夜ー、何時までそこにいるつもりなの?」

 

 

 遠くから紫が呼ぶ声が聞こえてくる。

 あっと、少し引き止め過ぎたか。

 

 

「ごめんな、引き止めてしまったようで。ということで、これからはおれにはタメ口で話してくれよ」

 

「わかりまし……わ、分かった。それじゃあ私、もう行くから混ざりたくなったらいつでも言ってね」

 

 

 半ば強引になったが、これも輝夜姫の為だ。

 翠のように素でですます口調だったり、大人同士のマナーなら兎も角、輝夜姫の場合明らかに無理している上にまだ子供だ。

 そんな相手と話してたらおれまで気を遣ってしまう。

 それに、若いうちに自分を抑え過ぎると、将来捻くれた性格になるってもんだ。

 

 

「でもまあ、良い子ではあるんだよな……」

 

 

 お爺さん達が己の命よりも大切にしている理由が分かった気がする。

 

 以前に同じような子に会った記憶があるようでないような気がするが、少なくともこんなに出来た性格ではない事は覚えている。

 

 

「刀の手入れですかな」

 

 

 そんな事に思い耽っていると、後ろからお爺さんに話し掛けられる。

 振り向くと猛暑にも関わらず無駄に目立つ、かつ厚着をしたお爺さんが眼に映る。顔中の汗が吹き出している辺り、相当無理して厚着をしているに違いない。

 

 

「ええ、別にこの刀は手入れの必要はないんですが、した方がこの子も喜びますんで」

 

「この子……?」

 

「剣助の事です。刀に限らず、物には魂が宿ると言われています。他者には分からなくとも、おれには剣助の声が聞こえるんです」

 

「そ、そうなのですか」

 

 

 ほら、剣助も手入れされて喜んでいるのか、今すぐ誰かを斬りたいって息巻いてる。

 

 

「ダレカキリタイヨー」

 

「……」

 

「……冗談ですって。そんな気狂いを見るような眼で見ないでください。熊さん傷ついちゃう」

 

 

 ブラックジョークは今も昔も需要は殆どないな。

 大体引かれるか危険因子として刀を構えられる。

 

 

「ごほん……それは兎も角熊口殿。身体の調子はどうですかな?」

 

「問題なさそうです。次の満月までには身体も仕上げられます」

 

「おお! それは良かった。怪我が治らぬうちに催し物に出させる訳にはいきませぬからな。それを聞いて安心しました」

 

 

 後々から気付いた事だが、お爺さんは優勝することに固執している。

 何故なら、この上ない宣伝になるから。

 おれが優勝すれば、少なからずその雇い主であるお爺さんに皆が注目される。

 

 以前お爺さんに輝夜姫をどうするつもりなのか聞いたことがある。その時にお爺さんは__________

 

『輝夜姫を尊いご身分である貴族に嫁がせる。それがこのご時世女性にとっての幸せなのです』

 

 と輝夜姫の意思をガン無視した回答をしていた。

 あの子もあの子で父上の幸せは私の幸せですとか言っていたし、なんだかすれ違いを起こしているように思えるが、他人の家族の事情に首を突っ込むと何かと面倒事になりかねないので放っておくことにした。

 明らかに嫌がるようなら、家族間で話し合うよう取繕う手助けぐらいはするつもりだけど。

 

 ___________話を戻すが、お爺さんが目立てば、自ずとその娘である輝夜姫にも眼が行く。

 輝夜姫の名付け親である御室戸斎部の秋田という氏族が、輝夜姫を見てあまりの美しさに腰を抜かしたという噂は、少なからず都に広まっている。

 そこへおれが貴族達の余興で優勝すれば、その雇い主の娘の噂が尊いご身分である貴族達の耳にも届き、この上ない宣伝効果を見込める。

 

 

「ほら、これでも飲んで涼んでは?」

 

「ありがたい。丁度喉が乾いていたところなんです」

 

 

 そんな企てに気付いたのは、調子に乗って了承してしまって程なくしてだ。そんなすぐに分かることを、最近忘れかけていたおれの悪い癖によって気付けなかった。気付いていればもっと此方の条件を良くするように交渉できたというのにーーまあ、そもそも煽てられなければ受ける気もなかったが。

 

 ていうか特に考えず冷水の入った竹筒を渡したが、意図せずしてお爺さんと間接キスしてしまった。

 別に特別に嫌というわけではないが、どちらかというと少し嫌だな。

 あまりにも暑そうだから考えよりも先に口が出てしまった。

 

 

「この竹筒は熊口殿が作られたのですかな?」

 

「ええ、不格好ですが、旅の必需品の大抵は作れますよ」 

 

「何を謙遜しておられる。竹細工に関してはわしも精通しておりますが、この竹筒は露店で売られたものと遜色ない程丁寧に作られていますぞ」

 

 

 まあ、元々都で売られたものを見様見真似で作った物だからな。

 壊れては作るの繰り返しをしていくうちに、店のレベルまで作れるようになったって所か。

 

 

「熊口殿はまだまだお若いというのに、武術に長け、物作りの才もある。流浪にしておくにはあまりにも勿体ない人材ですな」

 

「はは、よく言われます」

 

 

 若いってのは特に言われる。

 これでもお爺さんの何十倍も生きてるんですよね。

 だが、そんな事を暴露した所で煙に巻かれるか物怪扱いされるかのどちらかなので、ここはお得意の愛想笑いとそこはかとない返答でこの場を乗り切る事にする。

 

 

「それでは、わしはこれで失礼します。後で女中に冷やし物でも持ってこさせますので」

 

「お気になさらずに。おれももう少ししたら屋敷を出て散策でもしようと思ってますので」

 

 

 お爺さんから手付け金としてもらった分があるから、それで甘い物でも食べに行こうかしら。

 あっ、これ紫には内緒だから。あいつには後で土産でも買ってけば良いだろう。たまには一人で街歩きをしたいんでな。

 

 おっと、何かを察したのか、遠くで紫が此方を訝しげに見てらっしゃる。

 ここは口笛でも吹いて誤魔化すのが吉とみた。

 

 

「ひゅっ、ふっぷす〜」

 

「……? 放屁の物真似ですかな?」

 

 

 違うんですお爺さん。私の口笛が下手過ぎてピューと出ないだけなんです……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「やっぱり賑わってるな」

 

 

 川沿いを中心に建ち並ぶ屋台を茶化しながら練り歩くというのも、案外乙なのかもしれない。

 ランニングで何度か通った時から、この地区には眼を付けていたんだ。

 飯処や甘味処が全然無かったのは少し残念だが、路肩で茣蓙を敷いて露店を開いている物を見るだけでも結構楽しめたりする。

 

 川の両端に植えられている柳も、地盤を固くし川の流れを弱めるためにと実用的理由で植えられている。

 人々の知恵により自然に出来上がっていく街並みは、それこそ歴史の教科書で見るような和風で趣のある風景がおれの前に広がっている。

 数日ぐらいならこの周りを散策するだけでも飽きることはないだろうな。

 といっても、もう日が暮れ始めているから帰るけど。出たのが昼過ぎだったからなぁ。

 

 最後に土産でも買って帰るか。でないと紫が拗ねるし。

 

 

「何がいいかな……」

 

 

 んー、干物とかでいいか。

 食べてよし、残った骨を出汁を取るのにも良しの捨てるところがない家庭の味方が喜ばれないわけがない。ふふ、紫が手を上げて喜ぶのが眼に浮かぶ。

 

 

「おじさん、その鯵っぽい干物ちょうだい」

 

「はいよ!」

 

 

 少し魚臭いが、これもご愛嬌という事で。

 これでおれが一人で出掛けた事を咎められることも無いだろう。

 

 

「うわっと」ドサッ

 

「きゃっ」

 

 

 店主から干物を受け取り、さあ帰ろうと振り返った瞬間、後ろを通りかかろうとしたであろう通行人と不意にぶつかってしまった。

 やっばい、これ何処かのお偉いさんとかだったら打首もんだぞ。

 

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 

 責任のない流浪の旅をしていた頃なら、もし相手を怒らせて命を狙われたとしても、お詫びだけして都を早々に出て逃げれば何も問題はないのだが、今は雇われの身。おれが不祥事を起こせばお爺さん達にも被害が及んでしまう可能性がある。

 

 

「うっ、う……」

 

 

 おれが倒してしまったのは、どうやら女の子らしい。

 見た目は小学生高学年ほどで、他と比べて少しだけ綺麗な着物を着ており、髪も農民らと比べて艶があるのを見る限り、ある程度の身分は保証されているのだろう。

 

 そしておれが手を差し伸べているにも関わらず脚を抑えている辺り、どうやらぶつかった際に脚を捻らせたかもしれない。

 

 これは貴族に限らず不味いことをしてしまったようだ。

 

 

「脚を見せてくれ。状態を確認する」

 

「うっ」

 

 

 倒れた少女の脚を痛まないように確認してみると、腫れはそれ程酷くないのが分かった。

 よかった、どうやら軽く捻った程度で済んでいるみたいだ。

 これなら水辺で脚を冷やして安静にしていればすぐに治る。

 

 

「ぶつかってしまってごめんな。親御さんは何処にいる? 」

 

「……」

 

 

 そう言っておれの手を払いのけ、捻った脚を庇いながら立ち上がる少女は、そのまま振り向きませず去っていこうとする。

 

 

「お、おい。その脚で無理に動かしたら悪化するぞ」

 

「……大丈夫だから」

 

 

 脚を引き摺り、土に汚れた服を整えようともせず、よろよろと歩くその姿に、どこか生気を感じさせないような、少し不気味さがある。

 まるで何かに絶望しているような、そんな気が。

 

 

「大丈夫な訳ないだろ。怪我させたのはおれなんだから、怪我の手当ぐらいさせてくれ」

 

「……余計なお世話だから。ついてこないで」

 

「余計な事ではないんじゃないか?」

 

 

 お世話っていうか、しでかしてしまった以上、それを精算しなければ気が済まない。

 面倒くさがりとはいえ、それぐらいの常識はおれでも持っている。

 

 

「止まれって______うおっ」

 

 

 肩を掴み、その場を離れようとする少女を引き止める。

 するとしつこいと言わんばかりに彼女は溜息をし、此方を振り返ったのだが、その時の彼女の顔を改めて見て、おれは思わず驚愕の声を漏らしてしまった。

 

 

「何。どうせあんたも私の眼が異常とかのたまうんでしょ」

 

 

 おれが驚いたのはまさしく、少女の言う眼の事でであった。

 そう、人間では珍しい紅眼を見て、これまでの苦い思い出が脳裏に過ったから。

 

 妖怪で紅眼の者は総じて喧嘩っぱやくて、そして強い。そんな奴らに振り回されたからこそ、少女の眼を見て少し身構えたのだ。

 

 だが、おれが驚いたのはそこだけではない。

 

 

「……眼元が腫れてるぞ。もしかして泣いてたのか」

 

「__________!! 泣いてないから! もう放っておいてよ!」

 

 

 瞼を何度も擦って腫れ、頬も大分紅くなっている。

 それを隠そうとすぐに顔を伏せ、捻った脚を無理矢理動かしてまたその場に倒れてしまう。

 

 

「取り敢えず、応急処置だけでもさせてくれ。後はあんたの好きにしていいから」

 

「……馬鹿じゃないの」

 

 

 意外に口悪いなこの子。

 だが、倒れた少女に対して差し伸べた手を握り返してくれた辺り、手当を受けてくれる気にはなったらしい。

 

 

「それじゃあ水辺までおんぶするから背中に乗ってくれ」

 

「嫌だ」

 

「強情だなぁ。ほら、遠慮しなくていいぞ」

 

「嫌だ!」

 

 

 中々に嫌われてしまっているようだ。

 そりゃ気付かなかったとはいえ、突き飛ばして脚を捻らせてしまったんだ。

 今回は流石におれが悪いし、大人しく手当だけでもさせてもらおうか。

 

 

 

 

 まさかこの紅眼の少女が、意外な人物の娘であった事を、この時のおれはまだ知らない。



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⑩話 見積もられた約束

 

 

「これで良し。後はあまり動かさないよう安静にしておくことだな」

 

 

 川から水を汲み上げ、患部を冷やした後に布で圧迫したはいいが、この子はこの状態で一人で家に帰られるのだろうか。

 今は夕暮れ、直に闇夜が訪れる。

 早めに家に帰さないと親御さんも心配するだろう。

 

 

「ウチは何処だ。ここで放っておくのもなんだ、送るぞ」

 

「ほんとあんた、お節介焼きだよね」

 

「日暮れに怪我させて、まともに動けない子供を放っておくことを無責任って言うんだ。別にお節介焼きって訳じゃない」

 

 

 依然として不機嫌な表情をする少女。

 瞼の腫れも大分癒え、本来の可愛らしい顔を窺えるようになってたのに、そんな強張ってたら台無しだぞ。

 

 

「あんたの家に泊めてよ」

 

「はっ?」

 

「怪我をさせた責任を取るんでしょ。一日ぐらい泊めてよ」

 

「あのなぁ……」

 

 

 急に何言ってんだこの子。

 まだ年端もいってないのに大分ませてるな。会って一時間ちょっとの男の家に泊めてほしいなんて普通頼むかね。

 

 

「家出か?」

 

「……」

 

「なら悪いことは言わん。素直に謝って帰ったほうがいいぞ。こういうのは時間が経てば経つほど言いづらくなるんだからな」

 

 

 家出少女ってところか。

 それなら泣いてた事に関しても合点がいく。

 さしずめ、親とつまらない事で喧嘩して家を飛び出して来たってところだろう。

 

 

「……彼処に私の居場所なんてない」

 

「そう思ってるのは案外お前だけかもしれないだろ。親御さんは心配してると思うぞ」

 

「だって、誰も追いかけてくれなかったもん」

 

「え"っ」

 

「屋敷を飛び出したとき、父上は兎も角、母上すら追い掛けてくれなかった。使いの者を出そうともしてくれてない」

 

「い、忙しかったからじゃないか? きっと今は探しに来てくれてる__________」

 

「忌み子だっていつも母上に言われ続けた。父上からは言葉を交わした事すらない。どうせいなくなって清々してるんでしょうね」

 

「あ、ああ……」

 

「ねえ、これでほんとに心配してくれてると思う? 私に居場所なんてあると思う?」

 

 

 どうやら、マジモンの可哀想な子と絡んでしまったようだ。

 普段から精神的に追い詰められていて、愛を確かめるために家出したのに、追いかけてくれさえしなかった。

 

 

「……」

 

 

 そんな親がいるのか。

 何を思ってこの子を産んだんだ。

 我が子に対して、なんで忌み子とほざける。

 望まぬ出産だから? この子の眼が紅眼だから? 

 

 そんなのが言い訳になるか。

 

 子供は大人を、特に身近にいる親を見て育つ。

 だからこそ親は責任を持たないといけないというのに、何をそんな自己中心的な発言が言えるのか、この子の親の精神状態が理解できない。

 

 

「……今日だけだぞ」

 

「ありがとう……って、なんでそんな怒った顔をしてるの? あんたが最初に絡んできたことでしょ。今更逆キレされても困るん____________」

 

「明日、お前の親御さんに会わせてくれ。少し話がしたい」

 

「つ、告げ口する気?」

 

「いや、違う。ちょっと大人の話をするだけだ」

 

 

 本当は、他人の家に口出しはしない方がいい。

 実際身近にも、輝夜姫の家も少し偏った価値観があるのを黙認している。

 だが、この子の場合は明らかにおかしい。

 誰かが正さなければ、この子の環境はいつまでも変わらない。

 なーに、少しだけこの子の親にちょっと喝を入れるだけだから何も心配はいらない。

 この子の親がいくらお偉い身分だろうと、流浪にのおれには関係ない。指名手配されようともどうせ十年ぐらい経てば廃れるし大丈夫だろう。

 

 

「それじゃ、ほらおんぶ」

 

「だから嫌だって」

 

「その脚で無理するなって、ほらほら」

 

「子供扱いするな!」

 

 

 子供扱いって。子供だろうに何を見栄張ってるんだか。

 まあ、この子に自分で歩く意思があるのなら、腰にくるが肩を貸す程度で済ませておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 __________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「なに私に内緒で都を散策した挙げ句、見ず知らずの少女をお持ち帰りしてきたのに怒ってるのよ」

 

「別に怒ってないし、その言い方だと勘違いされるかもしれないから止めなさい」

 

 

 屋敷へと帰ると、門前で待ち構えていた紫が、呆れたような顔をしながらおれを咎める。

 

 お持ち帰りといえばお持ち帰りなんだが、ただ単純に保護という形で預かってるだけだから。

 

 

「いや、あんたさっきから怒ってるよ」

 

 

 少女までそんなことを言う。

 そんなにおれ顔に出てるのか。鏡がないからなんとも言えない。

 

 

「お爺さんはまだ起きてるか? 一応断りを入れておかないといけないからな」

 

 

 もう太陽も沈み、辺りには月明かりはあるものの殆どが影に覆われている。

 この時間帯はもうお爺さん達は寝る準備を始めているから、若干怪しいところがある。

 

 

「いや、まだ起きてたわよ。さっきも私を心配して見にきてくれたし」

 

「そうか。それじゃあ早めに行かないとな」

 

 

 今は少女も大人しくおぶられてるし、そんなにお爺さんの部屋まで時間はかからないだろう。

 

 

「因みに、なんで紫は態々門前で待ってたんだ?」

 

「そんなの、お土産のために決まってるでしょ」

 

「だと思った。ほら、土産」

 

「えっ……」

 

 

 ずっと手に持っておくの結構辛かったが、紫の喜ぶ顔が見れておれは満足です。

 あれ、してない? いやいや、何だこれみたいな顔してるが、ほんとは喜んでるんだろ、熊さん知ってるよ。

 

 取り敢えず土産を受け取って嬉しさのあまり固まっている紫は置いておいて、少女を連れてお爺さんのいる部屋へと急ごう。

 

 

「(若い女性へのお土産に干物って……この人、女心微塵も理解していないな)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「いんやまあ、家出ですか。あまり感心しかねますな」

 

「そう言わずに。この子にも深い事情があるのです。一日だけでも泊めてあげられませんか」

 

 

 やはりというべきか、腕を組んで渋るお爺さん。

 日も落ち、蝋燭の火が頼りとなるこの四畳半の部屋で、少女とともに頭を下げる。

 

 

「泊めるだけならば一向に構わないのですが……」

 

 

 部屋ならば幾らでもあると、呟いた後にお爺さんは顔を下に向ける。

 

 

「お嬢さん、名前はなんと言ったかな」

 

「……」

 

 

 まずは身元を知ろうと、少女に問いかける。

 あー、そういえば忘れていたが、おれもまだこの子の名前聞いてなかったな。

 

 

「……妹紅。車持皇子の娘だ」

 

「車持皇子殿ですと!?」

 

 

 車持皇子? 誰だそれ。

 やけにお爺さんは驚いているが、名前を出されたところでここらのお偉いさんの事に関して微塵も興味のないおれは疑問符しか浮かばない。

 

 

「だ、誰ですかね、その餅ついてそうな方」

 

「無礼ですぞ! 天皇から直々に藤原の姓を賜った鎌足氏の次男、藤原不比等殿のことです!」

 

「お、おう、そうなんですか」

 

 

 そう言われてもピンとこないんだよなぁ。

 だが、天皇から名前を貰ったって事は相当高いご身分であることは間違いないようだ。

 

 

「今回熊口殿が出られる催し物の主催者の御一人でもあります」

 

 

 まじですか。宣伝する予定のご身分の人達の娘を連れてきてしまったって事か。

 なんたる偶然か、それとも神がかり的な運命なのか。

 

 

「くまぐち……」

 

「あっ、そういえばおれも名乗って無かったな。

 熊口生斗、今を生きるピチピチの十八歳です」

 

「……あんた、そんな並の身体であの催し物に出るんだ」

 

「並とは失礼な。脱いだら結構凄いんだぞ。かぐ___________ごほん」

 

「かぐ?」

 

 

 そういえば輝夜姫がおれの身体を洗ってくれたのはお爺さんに内緒だったな。

 思わず口が滑ってそれに関しての冗談を言うところだった。

 

 

「多分死ぬと思うよ。私が見る限りじゃ、皆あんたより横にも縦にも大きさが違う」

 

「分かってないな妹紅さんや。闘いってのは何も体重や身長だけで決まるものじゃないんだぞ」

 

「そしてその誰もが都で名の知れた猛者達。豪腕の______に、首狩の______なんかも出る。あんたのような田舎者が立ち入る余地なんてないよ」

 

「く、熊口殿……」

 

 

 妹紅の言葉を聞き、お爺さんが弱々しくおれを呼ぶ。

 明らかに弱気になってるじゃないか。なんでおれではなくお爺さんが自信なくなってるんだ。

 

 

「お爺さん、こういう時は堂々と構えていてくださいよ。お前ならいけるって背中を押してください」

 

「そ、そうですな! 熊口殿なら行けます! 」

 

「根性論で済む話じゃないよ」

 

「く、熊口殿ぉ……」

 

 

 そんなに情けなく名前を呼ばれると、おれまで不安になってくるじゃないか。

 前は散々熊口殿ならば余裕で優勝できますとか豪語してたというのに。

 

 

「まあ、なんとかなるだろ。妹紅も悪戯にお爺さんを困らせるなよ」

 

「わ、私はただ事実を言ったまでだし」

 

 

 泊めてもらう相手を不安がらせてどうするんだ。

 

 それにしても、どうするかなぁ。

 明日、妹紅を家に送り届けた後、その親に説教でも垂れてやろうと思ってたんだが、まさかお爺さん達がコネを狙っている相手だったとは。

 先程まで軽く頭に血が登っていたから忘れていたが、今のおれは雇われの身。そんなおれが相手が誰であれ不祥事を起こす訳にはいかなかった。

 

 ……そういえば、気になることがあった。

 

 

「そういえば妹紅、やけに今回の催し物の出場者の事に詳しいようだが、もしかして人が戦いを見るの好きなのか」

 

「そりゃ好きだよ。殺し合いを見るのは嫌だけどね。強者同士が勝利を掴むために必死に頑張る姿が、私には輝いて見えるんだ。それにどちらが勝つかわからない戦いは手に汗握るでしょ?」

 

「……そうか」

 

 

 急に眼を輝かせはじめたな。先程までずっとムスッとしていたというのに。

 

 ならば都合がいい。

 おれでは妹紅の家庭環境にとやかく言える立場ではない。

 だが、妹紅を楽しませる事ならできる。

 

 

「なら、おれが妹紅が興奮しすぎて鼻血を出すような戦いをしてやるよ」

 

「無理だって。あんたじゃ手も足もでないに決まってる」

 

 

 他人のいざこざに関わると禄な事は無い。

 だが、一度その人が哀れに感じると口出ししそうになるのは、おれの悪い癖なのかもしれない。

 ほんと、良い癖の一つや二つあってもいいんじゃないか。

 

 結局は妹紅本人で解決していくしかないのなら、それを支える糧になれるよう、おれも努力しよう。

 ほんと、馬鹿な事してるなとつくづく自分でも身に沁みて感じてるよ。

 

 

「それじゃあ、約束してくれよ」

 

「……約束?」

 

「名前。おれは生斗って言うんだ。もしおれが優勝したら、これからはあんたではなく生斗って呼んでくれ」

 

「そんなこと……?」 

 

 

 まずは名前を覚えてもらわないとな。

 さっきも一応名乗ったが、覚えてもらえなさそうだったから、改めて言わせてもらおう。

 

 

「さあ、妹紅殿はお腹は空いておられますかな。夜更けも近い事ですし、軽食になりますがすぐに用意させますぞ」

 

「あ、ありがとう」

 

 

 妹紅から了承を得ると、お爺さんはニッコリと微笑み、女中を呼ぶ為に部屋を出る。

 

 

「悪い事言わない。棄権するか早めに負けた方がいいって」

 

「心配してくれるのか? 意外に優しいんだな」

 

「一方的な虐待は見たくないだけ」

 

 

 大分妹紅からは低く見積もられるようだ。

 怪我をさせた相手を心配するなんて、余程おれが弱者に見えるらしい。

 

 

「まあ見とけって。優勝できるかは分からないけど、それなりの試合はしてやるよ」

 

 

 そう言って妹紅の頭をポンポンと叩く。

 おれの返答に不服そうな顔つきになる妹紅であったが、答え合わせの時期は近い。

 その不服そうな顔が満面の笑みになるよう頑張るさ。

 

 子供、元より人というのは、暗い顔をするより明るい顔をしてた方が幸福なのだから。

 

 

 



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⑪話 砕かれる理想

 輝夜姫の住まう屋敷より更に一際大きい庭園に集められた汎ゆる分野において名を轟かせてきた猛者達。

 貴族の道楽の為、されども己の名誉の格を上げる為でもあるこの催し物において、お遊びできている者は皆無であった。

 

 

「主は誰が勝つと思われますかな」

 

「それは勿論、隻腕の______に決まっておる」

 

「いやいや、______なんかも捨てがたいぞ」

 

 

 ただで見るだけではない。

 誰が優勝するかを賭けるのも貴族の嗜みとして平然と行われている。

 皆はそれぞれが思う最強の人間に賭けの対象としてチップしていく。

 勿論、無名な者は掛率が上がり、知名度の高いものほど倍率が下がる仕組みとなっている。

 

 

「して成金の造よ。御主はどやつに賭けるのかな」

 

 

 貴族の中でも、出元が不明の大金にて成り上がった新参者である造が、ある貴族の一声により注目が集まる。

 

 

「この私め如きが皆々様の会話に割り込む等、滅相もございませぬ」

 

「構わん、申せ」

 

「……私め自身が選んだ代表者でございます」

 

 

 そう造が言い放つと、わっと貴族達が笑い出す。その意味を理解していない造は疑問符を浮かべる。

 

 

「……? 己が最強だと思う者を選出するのでしょう。その者に賭けるのは普通なのでは」

 

「分からぬか造よ。そう易易と誰にも負けぬような人間等そうはおらぬ。それぞれに得手不得手があり、優勝候補であっても勝つ事は容易ではないのだ。それを今出ている組み合わせ表を見て誰が勝つのか頭で予想し、一番確率の高い者に賭ける。それが賭けの醍醐味というものよ」

 

「それに御主が選んだ若造。明らかに出場者の中でも浮いて軟弱ではないか。あれではあの若造が可哀想だ」

 

「ぬっ……」

 

 

 明らかな嘲笑、そして侮辱。

 貴族らから馬鹿にされた造は少し顔を引きつる。

 

 

「あれで最強とは、造よ。御主の目利きは大したものよ」

 

「違いない!」

 

 

 立場上、そうは言い返せない造は密かに拳に力を込める。

 元は農民出の造が宴に呼ばれた時点で、覚悟をしていた事であったが、己だけでなく巻き込んだ生斗まで侮辱された事が、造には苦痛でならなかった。

 

 

「(爺さん、言いたい放題言われてるな)」

 

 

 貴族らが集まっている部屋から少し離れた縁側の柱に寄りかかって事の顛末を聞いていた妹紅は、造を哀れみながら溜め息をつく。

 

 とうに生斗達は妹紅を藤原家へと帰し、それから既に十の日が過ぎていたーー妹紅を送り届ける際、門前で妹紅の母親のあまりにも淡白な対応に生斗だけでなく同行していた紫までもが怒りを覚えたのは言うまでもない。

 

 

「(それも仕方ないね。なんてったってあいつの相手が今回の催し物でも屈指の巨躯を持つ遠謀なんだ。初戦でお爺さん共々晒し物にするつもりなんだろう)」

 

 

 ___________遠謀。

 その体躯は軽く八尺を超えた渡来人。行く手を無くした所をとある貴族に拾われ、今日まで用心棒として活躍してきた。

 その人類最大とも言えるその巨躯から放たれる攻撃はどれも必殺級、直撃すれば如何なる者でも昏倒は不可避である。

 

 

「オ、オマ、オマエガ、オレノ相手カ」

 

「なんで片言なんだ?」

 

 

 そんな遠謀が、木陰で阿呆面をかましていた生斗へとコンタクトを図っていた。

 彼のぎこちない言葉に疑問符を浮かべる生斗であったが、彼の眼をすぐにその意味を理解する。

 

 

「(青眼……西洋人か。よくもまあ、このご時世に生き残って来られたもんだ)」

 

 

 生斗が珍しがる通り、西洋人がこの地で生きられるのはそれ程珍しい事であった。

 このご時世、異国の者______特に西洋人に対して差別的であり、身体的な理由から物怪扱いされる事も屡々あった。

 まあ、そもそも、その巨躯を見て化け物と見られない方が可笑しいのだが。

 

 

「そのプリン頭活かすね。雇い主にでも染められたのかい」

 

「プ、プリン……?」

 

 

 髪染めが半端な事を遠回しに指摘した生斗であったが、聞き慣れない単語が出たことにより首を傾げる遠謀。

 

 

「ソ、ソンナ事ハドウデモ、イ、インダ」

 

「あっそう」

 

「オマエ、キ棄権シロ。ムダナ殺生ハシタクナイ」

 

「殺生?」

 

「オオレノ攻撃ハ、スベテヲ砕ク。オ、オマエデハ一発叩イタダケデ死ヌダロウ」

 

 

 拳を握り締め、前に突出す。

 その拳は生斗の顔面よりも大きく、傷だらけであった。

 ただそれだけでも、幾多の戦いをその拳で制してきたのだと分かるほどに、壮大な傷が彼の拳には刻まれていた。

 

 

「お前、苦労してきたんだな」

 

「ナ、何故労ウ? オレハタダ______」

 

「この傷なんて相当痛かったんじゃないか。よく後遺症に残さず済んだな」

 

「イ、イヤ、ソコハ実ハタマニ少シ痛ムンダ……」

 

「そりゃもしかしたら神経傷つけたりしてるかもな。あんまり無理するなよ」

 

「ソソレハ無理ダ。マスターニハ恩義ガアル」

 

「そうか……」

 

 

 遠望はこの時、少なからず困惑していた。

 これまで対敵してきたどの者とも違った、少し異質______いや、平和ボケした雰囲気を持つ生斗に、彼は怪訝気な感情とともに、安心感を感じてしまっていたからであった。

 

 これまで彼に対して心配する者など居なかった。

 皆は彼を恐怖の眼差しをし、力を求めてくるばかりで己の事等考えられもしなかった。

 

 海難に巻き込まれ漂流し、以前までの家族との暖かい思い出のみを胸にこれまで生きていた彼にとって、この地に来て初めて、地元民の無償の優しさに触れた瞬間でもあったのだ。

 

 尤も、生斗はただ何も考えず思った事を口に出していただけであるのだが。

 

 

「おれ、熊口生斗って言うんだ。悪いけど、棄権するつもりはないぞ」

 

「……オレハ、エ、遠謀ト呼バレテイル」

 

 

 本当は、彼には故郷に戻る事があれば別の名がある。

 だが、この地において、とある貴族と主従関係を結んだ際、その名を捨てる事を命ぜられていた。

 故に彼は遠謀と新たに与えられた名を使う。

 

 

「……ウラ、恨ムナヨ」

 

「他人の心配より、自分の心配しとけ」

 

「ソノ言葉、オ、オマエニハ言ワレタクナイ」

 

 

 軽い冗談が通じた事で、お互い微笑み合う二人。

 生斗が手を遠謀の前に置いたのを見て、彼は照れくさい様子で頭を掻きながら反対の手で握手する。

 

 ____________その瞬間、遠謀はとある事実に打ち震えた。

 

 

「ナッ……!」

 

 

 相対的に華奢に見えた生斗の手が、まるで人の皮膚ではないような、別種のような硬さと感触を有していたのだ。

 

 

「コ、コノ手ハ一体……?」

 

「手? ……ああ、これか」

 

 

 すぐに握手していた手を引っ込め、臨戦態勢に入る遠謀。

 得体の知れぬ物を仕込んでいるのかと脳裏に過った彼は、全身から汗が吹き出す。

 

 

「この手綺麗っぽいだろ? 再生力高めたりして無理矢理治癒させた賜物って言ったら良いんだろうか。そのせいで手の平の皮が異様に分厚くなった上に肌質がここだけおかしくなってんだよな。まあ、剣を持つ分には滑り止めになって持ちやすいからいいんだけど」

 

「ソードソルジャー、ナノカ?」

 

「そうそう、ソードソルジャーよ私」

 

 

 生斗は剣術を嗜んでいる。

 その上で豆だこ等で手の平はよくボロボロとなっていた。特に生き返る度身体の異常はリセットされるため、彼の手の平は頻繁に血だらけとなっていた。

 その度に霊力で再生力を高め、皮膚を無理矢理再生させては剣を振る毎日を続けた結果、今のような気色の悪い感触の皮の分厚い手の平が完成していたのだ。

 

 霊力云々は兎も角、その手の平が鍛錬により自然と身についたものだと理解した遠謀は、思わず唾を飲み込む。

 

 

「遠謀、お前の拳がこれまでの生き様を語るように、おれはこの手の平で語らせてもらう。油断するなよ」

 

 

 遠謀の眼の前に己の手の平を見せつけ、そう豪語する生斗。

 

 

「ア、アア……オレハモウ、オマエニ油断ハシナイ」

 

 

 先程の緩い雰囲気から、殺伐とした空気へと変わる。

 

 相手に対して棄権を勧める遠謀は、傲慢ではあったが優しい男であった。

 このまま緩い雰囲気のまま戦えば恐らく彼は全力を出す事は出来ないだろう。

 

 それを知ってか知らずか、生斗は彼に褌を締め直させた。

 

 それでも生斗は、やる気に満ちた遠謀の顔を見て微笑む。

 

 それは余裕からくるものからなのか、それとも彼を気に入った故の事だからなのか。

 それを知るのは当の本人である生斗のみであった。

 

 

 

 

 

 

___________________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「もうすぐ始まるようね」

 

「わ、私も来てよかったの紫? 父上からは嫁に嫁ぐまで屋敷の者以外と顔を合わせるなと言われてるんだけど」

 

「大丈夫よ。この羽織には視線除けの術を施してるから」

 

「何それ凄い。紫ってば天才過ぎでしょ。これなら大手を振って散歩できるじゃない」

 

「そう、私は天才だからもっと褒めなさい」

 

 

 

 庭園を一望出来る屋敷の屋根の上で、催し物の行く末を見守る私と輝夜。

 勿論輝夜の親には内緒で連れてきている。今頃屋敷では大騒ぎしているかもしれないわね。

 それもこれも輝夜が行きたいと駄々をこね始めたのが行けないのだから、私は別に悪くないわ。

 一応お爺さん達を納得させる言い訳は考えているけれど、連れ出さない方が良いのは当然、この子の場合、隠れ蓑をしていたとしても目立つ可能性が極めて高いため、油断が出来ないのよね。

 

 

「あの人なんか強そうじゃない?」

 

「あれは駄目ね。見掛け倒しの木偶の棒よ。でも……」

 

「でも?」

 

「こう遠目で見ると、あの中で一番弱そうなの、どう見ても生斗なのよね」

 

「そ、それ、紫が言っちゃうの……」

 

 

 生斗はいつも、戦闘に入るまで気が抜けてるように見えるから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど。

 あの状態の生斗の実力を見破るのは中々に至難の業だわ。

 

 

「あっ、紫見て。あの人、なんだか他の人達と雰囲気か違わない? 私が見るに、あの人が優勝最有力候補ね」

 

「あれは______」

 

 

 蓑笠を深く被っているため、顔を拝める事はできないが、確かに独特の雰囲気をかもちだしている。

 身長は高いが、周りと比べると生斗の次に低く、腰には今回の催し物指定の木刀を携えている辺り、剣術を用いる事は確かなようだ。まあ今時素手で戦う人間の方が少ないのだけれど。

 

 いや、それよりも気になる事がある。

 

 

「第一試合からいきなり私が目利きした蓑笠牛蒡侍なのね」

 

「語呂が良いわね、それ」

 

「でしょう? 私ってば名前付けの才能があるかもしれないわ」

 

「主に不名誉な方のね」

 

 

 何よー、と怒る輝夜を横目に、私は蓑笠侍を観察する。

 

 やはり、見覚えはない。

 だが、気配は感じた事がある。

 もしかしたら顔を見たら思い出すかもしれないが、それもこう離れては対戦相手に委ねる他ない。

 一体、この歯に挟まったようなこの不快感は何なのかしら……って駄目ね。例え方がいつの間にか生斗と同じように下品になっている。気を付けなければ。

 

 

「___________えっ……」

 

 

 そう、心に戒めていた時であった。

 ただ一瞬、瞼を閉じるのと同じ位の単位で、眼を離している間に、蓑笠侍の対戦相手は地に伏していた。

 

 

「流石牛蒡! そのくらいやってもらわないと逆に困るわ!」

 

「輝夜……貴女見えていたの?」

 

「も、勿論! こう、ガーッとやってこうしてこう! とやって相手を昏倒させてたわ」

 

「……見えてなかったでしょ」

 

「ゆ、紫こそ見えなかったんじゃないの?」

 

「不覚にも余所見をしてしまっていたわ」

 

 

 相手は両手に木製の盾を持った大柄の男。背格好的に以前は野盗を生業としていたのだろう。

 見るからに防御面に厚い相手を瞬殺___________これは一波乱起きそうね。

 

 

「あっ、気付いた」

 

「え?」

 

 

 塀際の木陰で試合を見ていた生斗が漸く私達が来ていることに気が付いたようだ。

 隠密の術を掛けてるのに気付くなんて、私が美しすぎたのが裏目に出てしまったようね。

 

 驚いた様子で此方を見ている生斗であったが、一度溜め息を吐き、静かにしておくようにと口の前に人差し指を置く。

 言ってももう遅いと判断し、取り敢えず静かに見ておくようにという生斗なりの妥協案なのだろう。

 それについては、元よりそのつもりでいるから安心しなさいな。

 

 

「なんて素敵なのでしょう……」

 

「……? 誰の事を言っているの?」

 

「熊口様の事よ。あれ程素敵な方が他に誰がいるのよ」

 

 

 私の耳が可笑しくなってしまったのだろうか。

 輝夜が今、生斗の事を素敵だとトンチンカンな事を言い放ったように聞こえたのだけれど。

 

 

「熊口様は見ず知らずの私を身を呈して護って下さった上に、それを盾にすることもない。何より、誰に対しても気を使える度量がある。これ程素敵な方はこれまでに会ったことがないわ」

 

「素敵、ねぇ」

 

 

 これまで、生斗と一緒に旅をしてきたから分かる。

 輝夜が思っている程、彼は出来た人間ではないと。

 身を呈すというのは結果論であり、端から瀕死に陥るまで戦うつもりなどなかった。

 助けた事を盾にしないのも調子に乗って盾にできない状況を自分で作ってしまったからーー本当はそれを盾にする気満々だったのよね。

 

 ただ一つ、当たっているとしたら皆に気を使う度量があるという事。

 

 私が彼に拾ってもらえたのも、他の人妖に迷惑を掛けない為かつ、妖怪となって日の浅い私を保護するため。

 喋り相手が欲しかったからだと彼は言っていたが、明らかに不合理であるのには間違いない。

 輝夜にタメ口で話すように促したのも、妹紅の生活環境に怒りを顕にしていたのも、彼は全て自分の為と宣うが、その理屈だとほぼ全ての人間が利己主義者に分類される事になる。

 

 生斗は自分の為と言いながら、不合理で自分にマイナスになるようなことを平気でする男だ。

 

 だからこそ、救われる人がいる。

 そして私もその一人。

 

 そう考えると、生斗は確かに人によっては素敵な人になるのかもしれないわね。

 普段が抜けてるからいつも忘れそうになってしまうわ。

 

 

「でも、それを生斗には言わないでよね。絶対あの人、調子に乗るから」

 

「言えるわけないじゃない! 恥ずかしい!」

 

 

 輝夜がやけに生斗の前で猫被ってる理由が分かったわ。

 なんだか、家族同然に育ってきた私からすると少し複雑な気持ちになるわね。

 

 

「熊口様と旅が出来たら、きっと楽しいんだろうなぁ」

 

『見ろよ紫、この芋虫が今日の主菜だ。なんと蟋蟀もあるぞ!』

 

「ねえねえ紫、熊口様はやっぱり旅の途中でも頼もしかった?」

 

『すまん……昨日食った茸がどうやら当たったよう_____げ○○○▲○!?』

 

 

 輝夜が抱く理想と、私が目の当たりにした現実が交互に繰り返されることにより、より複雑な気分になる。

 

 

「も、もうこの話は止めて試合に集中しましょ。ほら、次の対戦も見応えありそうよ」

 

「えー、教えてよー」

 

 

 はぐらかすように試合に集中するよう促したが、輝夜はまだ話足りない様子。

 もう思い出したくない旅の記憶を呼び起こさせないで頂戴……

 

 

 

 

 そして順調に催し物は進んでいき、遂に一回戦最終試合となる生斗の番が回ってくることとなった。

 

 

 



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⑫話 意図せぬ光明

今回短めです。


 休んでいた塀際の樹木には雀の巣があった。

 子雀がお腹を空かせ鳴くのを宥めるように、親雀が口に含んだ餌を与える。

 それでも足りぬと鳴き続ける子雀を見て、困った親雀はまた餌を取りに飛び立っていく。

 

 以前、遊園地で今は亡き母親にアイスクリームを何度もねだって困らせていたのを思い出し、感慨深い気持ちになる。

 

 大人は我慢しなければならない事が多々ある。だからこそ、それまでの過程で子供も我慢というものを覚えていかなければならないのだが、なにも子供の時からずっと我慢をしなければならない訳がないのだ。

 子供は何時の時代も、親に甘えたいもの。

 

 おれの偏見ではあるが、現に一人、甘えられず家出した少女を知っている。

 

 

「ソ、ソンナ棒切レデオレノ身体ニ傷ナンテツケラレナイゾ」

 

 

 そういえばあの時、アイスは買ってもらったけど、食べ過ぎで腹壊して遊園地全然満喫できなかったんだよな。今では良い思い出だ。

 

 __________妹紅はそんな家族との思い出はあるのだろうか。

 いや、あの母親の反応からして絶対にないだろう。

 思い出といえば侮蔑な発言と嫌悪感にまみれた視線。

 それを耐えて耐えて、それでも耐えきれなくて家出したのに、帰ってもおかえりの一つもない。

 

 ……あまりにも彼女が不憫でならない。

 

 

「安心しろよ。その棒切れでお前は昏倒するんだ」

 

「フン、イイッテロ」 

 

 

 おれでは妹紅の家庭環境を変えることはできない。

 ならば、好きだという格闘観戦で楽しませればいい。

 ついでに、車持皇子とやらの代表者をボコボコにして赤っ恥をかかせてやる。

 そのために、これまで鈍りきった身体を鍛え直してきた。

 

 

「構えて」

 

 

 主審がおれと遠謀の間に立ち、手を前に置く。

 改めて遠謀と顔を見合わせると分かるあまりにも差がある身長差。

 まるで小学校低学年対百キロ超級の柔道家の試合のようだ。

 傍から見れば明らかに勝ち目のない戦い。

 屋敷の中からも貴族達のクスクスと笑う声が此方まで聞こえてくる。

 フィジカルの差だけで勝敗を判断する奴は三流って義務教育で習わなかったのだろうか。

 

 主審が前に置いていた手を震わせている。

 

 ____________来る。

 

 

「始めぇぇええ!!」

 

「オラアアア!!!」

 

 

 主審の開始の合図と同時に、遠謀が巨体を活かした体当たりを仕掛けてくる。

 あの巨体に見合った金剛力士像のように引き締まった筋肉であれば、ただの木刀では傷もつけられまいと判断したのだろう。

 はたまた短期決戦で早々にケリをつけたいのか。

 

 ……どちらにせよ、それを油断と言うんだよ。

 

 

「脚ががら空きだぞ」

 

「ンナッ!?」

 

 

 上半身は、分厚い上腕二頭筋により護られ、頭部も急所となる箇所は肩に護られており、木刀では突破不可能。

 だが肝心となる脚は何からも護られていない。

 身長差があるとはいえ、無防備の相手の脚に思いっきり足払いをすれば、その巨体もバランスを失い倒れることは必至だ。

 

 案の定体勢を崩し、貴族達のいる縁側まで転げ回った遠謀は、逆さの状態でそのまま柱へと衝突し漸く止まる。

 

 

「脚痛った……」

 

 

 霊力を込めて蹴ったのにも関わらず、おれの脚がジンジンと痛みを訴えている。

 

 だが、あいつの機動力は奪う事が出来た。

 

 

「ングッ……!」

 

「お前の左脚の関節を外した。もう今のような特攻はできないぞ」

 

 

 本当は折るつもりで関節を蹴ったが、差し込みが甘かったせいで外す事しか出来なかった。それでもまあ、この戦いにおいては充分に及第点だろう。

 

 

「コ、コンナモノ、怪我ノウチニハイラナイ!」

 

 

 本当は痛くて悶絶したいだろうに。

 右脚を庇いながらも立ち上がり、前屈みに構える遠謀。

 どうやらおれを捕まえれば勝てると判断したのだろう。

 実際、遠謀の腕力を持ってすれば、おれが幾ら霊力で身体強化しても、そうは解けないだろう。

 ていうかこいつ、無意識に霊力を使いこなしてるし。

 

 強者にはよくある現象だ。

 人ながらに人智を超えた力を有してる者は大抵、霊力を知らずに無意識に操っているケースが殆どだ。

 遠遠謀もそれの例に漏れず、攻撃箇所であった肩付近には自然と霊力が多く込められていた。

 

 つまり、少しでも油断すればこっちがもっていかれる。

 

 

「それじゃあお前からは攻めてこれないだろ」

 

 

 間合いを測るため、遠謀の周りをうろついてみる。

 よし、ここだな。

 

 

「顎を叩いて決める。しっかり防御固めとけよ」

 

 

 周りの貴族がざわめきだす。

 何故決め技を露呈させるのか。阿呆なのかと。

 ___________そんなの決まっているだろう。

 遠謀含め、この場にいる者全てを錯乱させるため、敢えて教えたのだ。

 その錯乱は自ずと効果を発揮する。

 

 

「決メサセル、モノカ!」

 

 

 前屈みの姿勢から上半身を護る、ボクシングの基本のような姿勢へと変える。

 

 こう、言葉だけでも此方の()()()姿勢を変えさせたり出来るもんだな。おれの拙い話術じゃ、単純な奴じゃないとそう引っ掛かりそうにもないけど。

 ……でもまあ、顎を打って決めるつもりなのは本当なんだが。

 

 

「……!!」

 

 

 

 木刀を低く構えた状態のまま遠謀に向かって肉薄する。

 あちらの脚が駄目になってるのだから、此方から向かわねば埒が明かないのは勿論の事、遠謀の今の構えは下からの攻撃に甘い。

 受けよりも攻めの方が優位を取れると判断したからだ。

 

 間合いに入ってもあちらからの攻撃は来ない。

 一発様子を見るという判断なのだろう。

 それならば此方にも手がある。

 

 

「グゥッ!!」

 

 

 遠謀の横腹に一太刀、スパァンと心地の良い音ともに打たれた箇所が腫れ上がる。

 こりゃ痛い。受けるのがおれだったら転げ回るだろうな。

 そんな激痛の中でも尚、護りの姿勢を解かない遠謀。

 賢明だな。

 その脚では碌な拳撃はできない。地に脚つかない手打ちでの攻撃がおれに通じないという事を、この短い戦いの中で遠謀は学んでいるようだ。

 

 下手にでれば先程の二の舞になる。

 

 だが遠謀、その構え、いつまでも通じるのはグローブをつけた拳だけだぞ。

 

 

「!!!」

 

「ガァァア!!?」

 

 

 その分厚い腕で顔をガードしていたとしても、骨の構造上隙間は必ず開いてしまう。

 そして互いの間合いまで接近した状態で袋叩き状態。構えを変え、腕の隙間から喉元に突きするには絶好のチャンスだろう。

 

 喉元に深く刺さった木刀。

 腕越しから遠謀の吐き出された大量の唾がおれの顔面に付着する。

 これで防御が甘く____________

 

 

「なっ____________」

 

 

 脚絡み、だと。

 

 突いた木刀を引き、次の剣撃へと移行しようと脚を動かそうとしたとき、外れていた左脚をおれの右脚へと絡めていたのだ。

 

 この体勢はまさか…………!! 

 

 下を向いてしまっていた顔を前へと戻すと、そこには既に、右腕を深く構えた遠謀の姿が眼に映る。

 最初から、脚を絡めるために突きを誘って__________

 

 

「オラアアア!!!」

 

 

 体重をおれの脚へとかけることにより全体重の乗った右拳がおれの顔面に向かって飛んでくる。

 直撃すれば頭は軽く吹き飛ぶだろう。飛ばなくても首の骨は確実に折れる。

 

 まさか、罠をかけたつもりが、張られていたとは……

 

 これは一回死ぬことは覚悟しなければならない。

 おれの命は今五つ。少し痛手だが受け入れる他あるまい。

 

 そう覚悟を決め、眼を瞑ると、ある一筋の光が差し込んでくる。

 

 ______ボクシングの構え。唾。滑る……!!!!!

 

 

 

「逝った!」

 

 

 貴族の誰かが、ガッツポーズでもかましそうな歓喜の声を上げた。

 遠謀の右拳がおれの頬を捉え、そのまま打ち抜いていく。

 誰もがおれの顔が吹き飛ぶのを予想したであろう。

 

 しかし、その振り抜かれたにも関わらず、骨が折れる音はおろか、ズルッといったような期待外れな音が庭園に響き渡る。

 

 

「ス、スリッピング、アウェー……」

 

「ナンデ____________ガブッ!?」

 

 

 ____________スリッピングアウェー。

 相手の攻撃にあわせ、顔を背けることにより受け流すボクシングの技術。

 

 遠謀のボクシングの構えと、顔が()()()()()()()()()()事で思い出したその回避方法は、勿論実戦で使ったことは一度もない。

 おれの顔は先程、遠謀の吐き出された唾により滑りやすくなっていた。そのおかげで威力が分散し、この回避方法の成功率を上げてくれたのだ。

 ただ、やはりいきなり大成功というわけにもいかず、首に少し鈍い痛みを感じる辺り、軽い鞭打ち状態になったかもしれない。

 

 

「あの遠謀が、やられた……?」

 

 

 予想外の感触に呆けた遠謀の顎に、斬り上げで脳震盪を起こしておいた。恐らく、顎も割れてる。

 相手が態々隙を見せてくれているのに、打たないのは失礼に当たるだろうーーあっ、今の皮肉ね。

 

 

「しょ、勝負あり……」

 

 

 主審も呆気に取られながらも、弱々しく勝敗の合図を出す。

 はっきり言って、おれも危なかった。完全にイキり散らしていた。脳筋相手はこれまで巨万と相手をしてきて、今回のような虚を突かれるようなこともなかった。

 油断はしていないつもりでも、これまでの経験則から力量に合わせた戦い方をしてしまっていたのだ。これを油断していないと誰が言えようか。

 結果がこの始末。無傷で済ませるつもりが首を痛める結果となった。

 

 ……この催し物、思ったより一筋縄ではいかないかもしれないな。

 

 でもまあ、取り敢えず一勝。後三回勝てば優勝だ。

 首の痛みは待機時間中にできるだけ処置して戦う分に気にならないようにするしかない。

 

 

「御主、油断したな」

 

「ああ、完全にな……って誰だあんた」

 

 

 戦いを終え、待機所へと戻る最中、柳に寄りかかった蓑笠を被った男に呼び止められる。

 

 

「覚えておらぬか。私だ」

 

 

 蓑笠を上へとずらし、顔を晒す男。

 

 

「お前は……!」

 

 

 その顔は、あまりにも腹の立つ、この催し物で最も遭いたくない顔であった。

 



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⑬話 異端な常識者

 

 

 ____________遠謀が敗けた。

 

 

 優勝候補であるあの巨漢の遠謀が、成人にも満たないような若造に敗けたという事実が、貴族達のいる部屋にてどよめき立っていた。

 

 

「何ということだ! 私は遠謀を信じて賭けていたのだぞ。それがまさか一回戦で、しかもあんな若造に……!!」

 

 

 そんな落胆の声が飛び交う中、一部の貴族達は感嘆の声を漏らしていた。

 

 

「あの体格差で実質三発で遠謀を倒してみせた。あまりにも信じ難いが、あれはどう見てもまぐれではない」

 

「うむ。少々造めの目利きを侮り過ぎていたようだ。にしてもあれだけの逸材、何処から見つけてきたのやら」

 

「まあ、兎にも角にも……」

 

 

 戦いはごく数十秒での出来事であったが、その短時間の中でも、貴族達の中でも見る目は多種多様であった。

 ある者は嫌悪し、ある者は警戒し、ある者は興味を持った。

 完全にノーマークであった二人目のダークホースの登場。少なからず貴族達の間では興奮鳴り止まぬものとなりつつあるのは間違いない。

 

 

「この催し物。これまでとは、比較にならぬ程楽しめそうですな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ________________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「きゃー! 熊口様かっこいい〜!」

 

「しーっ! 静かにしなさい!」

 

 

 輝夜の黄色い声援を送るのをやめさせ、改めて息をつく。

 ほんと、この子はお忍びで来ているという自覚はあるのかしら。

 

 そんな事よりも今の戦い、首が吹き飛んだかと思って内心ヒヤヒヤしたわ。

 幾ら人よりも丈夫とはいえ、あんなの諸に受けたら一溜りもないでしょうに。

 あの尋常な程汗をかいている辺り、一か八かの賭けに出たのは間違いないーーこの時の私は、あの液体が汗ではなく大量の唾であることを知らない。

 

 

「ほらほら、見て紫。ブン! はっ!」

 

「だからやめなさいって」

 

 

 興奮鳴り止まない輝夜が、先程の戦いを真似して顔を振り回しながら両腕を振っている。

 おかげでその長く艷やかな髪が私の眼に直撃した。新手の眼潰しかしら。

 

 

「紫は嬉しくないの? 折角生斗が勝ったのに」

 

「別に。生斗が勝つ事は知っていたもの」

 

「何よー、その正妻みたいな落ち着きようは」

 

「それだけ、彼が強い事を知っているからよ」

 

 

 このご時世、一人旅をするのはあまりにも危険で、現実的なものではない。

 野盗や獣、果ては妖怪まで、汎ゆる危険を己のみの力でなんとかする他ないのだ。

 生斗はそんな生活を何十、何百年と続け、日々生きるために戦闘技術を磨いてきた。

 そこまでして何故旅を続けるのか。何度か彼に聞いたことがある。

 

 月に行く方法と、死に別れた者ともう一度会う為と彼は言った。

 

 その、生斗の回答を聞いたとき、私は______

 

『どちらも現実的じゃない。あまりにも狂気じみている』

 

 ______と、旅の目的を全面から否定した。

 

 

 その時の生斗の苦笑いは、今でも覚えている。

 まるでそんな事は分かりきってるように。

 数分程経過した後、彼は少しだけ悲しい面持ちとなり、ただこう呟いた。

 

 

『約束しちまったからなぁ』

 

 

 その日は結局、それ以上会話を交わすことはなかった。

 

 結局、非現実的な目的の為に彼は旅を続けている。

 今回、輝夜の屋敷に留まろうと提案したのも、そんな過酷な旅を止めさせるため。

 生斗は輝夜が婚約を結ぶまで留まるつもりのようだが、そこをなんとか呼び止めて生涯用心棒として留まらせるつもりだ。

 身内の身元が分かっていた方が、私も()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「何ぼーっとしてるのよ。次の試合始まるわよ」

 

「! ……あら、ごめんなさい」

 

 

 駄目ね。少しのきっかけが出来ると、すぐに思い耽る癖がある。

 また改善すべき点が増えたわね。

 

 

「ちょっと生斗の所へ行ってくるわ。恐らく首を痛めてるだろうし」

 

「えっ、私も行きたい!」

 

「輝夜はここで静かにしてなさい。貴女はあまりにも目立ち過ぎる」

 

「む〜っ」

 

 視線除けの羽織を着ているとはいえ、他者と接近すればする程発見される危険性が高まってしまう。

 私であれば羽織に加え、もっと巧妙な隠密の術を心得ているため、見られる可能性は極めて低い。

 

 

「良いわね、絶対に此処を動かない事。約束できる?」

 

「それってフリ?」

 

「自分の貞操が大事ではないのならいいんじゃない」

 

「え”っ」

 

「貴女程の容姿の持ち主がその辺りを不用意に彷徨いてたら、人攫いにあって酷い目に遭わされるのは一目瞭然よ」

 

「そ、それは紫だって同じでしょ」

 

 

 私を襲う、ねぇ。

 確かに私も容姿端麗で性格も良いし襲われない方がおかしいのも確かね。

 

 

「そんな度胸のある人間がいたら、是非とも見てみたいわ」

 

 

 妖怪である私を襲おうと考える命知らずがいれば、是非とも見てみたい。

 まあ、妖力は隠しているから、可能性は無くはないのだけれど。

 襲ってきた相手を下僕にするのも面白いかもしれないわね。

 

 

「それじゃあ私は行くから、そこで大人しくしてて頂戴ね」

 

「はーい、早く戻って来てね。でないと輝夜ちゃん泣いちゃうから」

 

 

 ほんと、生斗といる時との態度が天と地ほど違うわねこの子。

 あの御淑やかさは何処へ放り投げているのやら。

 

 

「これ。持っておきなさい」

 

「んっ? 何これ……笛?」

 

「すぐに戻っては来るけど、万が一の事態になったら吹いて。そしたら私がすぐにでも駆けつけるから」

 

「あーもう、心配性なんだから紫は。そんなに心配なら連れてってよね」

 

「私と輝夜にもう少し実力があれば連れていけたのだけれど……それに備えあれば憂いなしよ。これで貴女が行方不明にでもなられたらお爺さん達に合わせる顔がないもの」

 

 

 無断で連れてきている手前、少なくとも無事に輝夜を帰さなければならない。

 視線除けの羽織を着て、普段は誰も通らないし視線もいかない屋根の上にいれば此方から何かしらの行動を起こさない限りまず見つかることは無いだろう。

 少しでも生斗の勝率を上げさせるため、首の痛みを最小限まで和らげさせる必要がある。貴族の宴の余興程度のもので、ちゃんとした薬師が配備されているとも思えないし。

 

 ここで生斗を万全な状態にすることにより、結果的にはこの行動が輝夜の為にもなる。

 

 

「それにしてもこの笛、大分不格好ね。紫の手作り?」

 

「いいえ、これは生斗が私にくれたものよ」

 

 

 私の身を案じて、旅を一緒に始めて間もない頃に作ってくれた代物。

 彼も初めて作ったという事で、大分不格好だし音も甲高いとは程遠い微妙な音が鳴る。

 結局今日まで、私がこの笛を使う事はなかったが、首に掛けることを習慣にしていた事もあり、思わぬ所で役に立つ日が来た。

 

 

「私の宝物が一つ増えたわ」

 

「あげたわけじゃないわよ」

 

「大切にするね!」

 

「あげたわけじゃないわよ!」

 

 

 結局なんやかんやあって笛をあげることになってしまった。

 あの顔で泣き顔になるのは卑怯でしょ……酷い喝上げをされた気分だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 

「せ___________」

 

「んで、なんで誘拐犯がここにいるんだ」

 

 

 待機所で胡座をかき、首に濡れ布を当てていた生斗を発見した私は、他の者に気付かれないよう此方の木陰へと呼ぼうとしたが、その前に彼が突如発せられた声により掻き消される。

 

 

「それよりも、どうだった私の剣術は」

 

「どうもこうも、一撃で終わらせられたら打ち込みが早いなとしか感想はでねーよ」

 

 

 生斗が声をかけた人物は、丁度二回戦を終えて待機所へと戻ってきた蓑笠侍であった。

 どうやら二人は知り合いらしい。それに先程の生斗の発言……何か引っかかるわね。

 

 

「帝を倒そうとしてる逆賊が、こんな貴族達の催し物に出ていいのかよ。折角見逃したのに、これじゃあ見つかったらすぐ役所にぶち込まれるぞ」

 

「私の後ろには藤原家がいる。そう易易と捕まることはなかろう」

 

「げっ、お前もしかして車持皇子の代表者なのか」

 

「そうだが? 武者修行という名目で、不等人殿の用心棒を務めている。まあ、就いたのは御主に斬られてからだから、日は浅いがな」

 

 

 この蓑笠侍が藤原家の代表である事は対戦表にかいてあったのに。

 その表には代表者の名前もあったはず。確か___________妖忌と、そう書かれていた。

 

 

「てか、大分致命傷を与えた状態だったのに、よくその地位まで持っていけたな」

 

「致命傷とは。あの程度の傷、二日ほど安静にしていればすぐに治る」

 

「骨切れてたよね?」

 

 

 先程からの二人の口振りから、大体の事は把握した。

 恐らくこの蓑笠侍______妖忌は以前、輝夜を誘拐した犯人なのだろう。

 私の知る限り、ここ最近で生斗が斬った人型は一人だけ、それにその者を逃したとも言っていた。

 誘拐犯である可能性は十二分にある。

 

 

「この度はすまなかった。あの時は私も気が触れていたのだ」

 

「おれに謝られてもな……お前程の実力者が気を触れるなんて、触れさせた相手は余程命を持て余してるらしいな」

 

「……」

 

 

 生斗の返答に、腕を組んで押黙る妖忌。

 何か深い訳でもあるという事なのか、少しして眉間を揉み出す。

 

 

「気が触れた理由ってのに、帝さんが絡んでるんだろ」

 

「何故それを……!」

 

「帝忌むべし! とか初対面で暴露させてただろ。少し考えれば分かる」

 

 

 帝といえばこの地の政治や祭祀を統べる、人間の絶対的権力者であった筈。

 そのような人物を忌むということは、この地にいるほぼ全ての人間を敵に回すというのと同義。

 よく生斗も、そんな危険因子を見逃したわね。

 

 

「私は、元は帝の近衛兵の長を努めていたのだ」

 

「近衛兵……」

 

 

 __________近衛兵。

 君主直属の警護を担う兵士達の事ね。

 その長を務めていたということは、実力自体は帝にも認められていたのね。

 

 

「帝の警護の傍ら、身籠った妻と慎ましく暮らしていた。ややこの為にと貯蓄する為に贅沢も然程する事もなかった……」

 

「つ、妻いたんだ。いやまあ、そりゃいるよね」

 

 

 変な所に驚く生斗だが、このご時世、妻を娶らないほうが世間的におかしいという事を、この人は知らないのかしら。

 

 

「なのにだ! 事もあろうに、帝は身重の妻を……!!」

 

「……______したのか」

 

「……ああ。私が屋敷に戻った時には、既に事後であった。結局それが原因で流産し、精神を病んでしまった妻は首を吊って私を置いて逝ってしまった」

 

 

 妖忌が握り締めていた拳が、ミシミシと音を立て、隙間からは血が滲みでてきている。

 背中しか見えないため、彼の顔を確認できないが、生斗が息を飲みこんで緊張している辺り、修羅とも呼べる形相になっているに違いない。

 

 

「それで帝が私に何と言ったと思う。

『私が態々出向いたというのに貴様が居らぬのが悪い。それにこの私に抱かれるのは、この地の女として名誉であり幸福なことであるぞ』

 だそうだ。挙げ句には妻が首を吊った事に気分を害したと宣い、夫である私を内裏から永久追放したのだ」

 

 

 帝には妻や愛人が複数人存在する。

 それは帝に限った話ではなく、貴族ではよくある話である。

 そして女性も、地位ある者に抱かれるという事は名誉でもある。その者にはそれだけの価値があるという証明になるから。

 そんな名誉ある事を、無下にされて激怒するのは当たり前といえば当たり前の話ではある。

 

 ___________ただそれは、社会的な権力者の立場を考えた場合の話。

 

 

「……腐ってるな」

 

 

 両手を絡め下げた額に当てた状態で、生斗はポツリと、そう呟いた。

 それが誰に向けてなのかは定かではない。帝に対してなのか、それともこの狂った常識に対してなのか。

 ただ一つ言えるのは、彼の霊力から沸々と静かに煮えたぎる霊力が溢れ出しているのを見る限り、完全にキレてるのは確かなようね。

 

 地位や名誉に興味がないからこそ、純粋に妖忌の話に同情し、怒る事ができる。

 そういう所、私は結構好きよ。

 

 

「同情等いらぬ。それに私は帝を殺めるつもりは毛頭ない」

 

「えっ、そうなのか?」

 

「あの方が居なければ回らぬ世もある。それに私が打ち首にならなかったのも、あの者なりの慈悲だったのだろう」

 

 

 妖忌自身、客観視するぐらいの理性は残っていたようね。己が如何に愚かな事を成そうとしているのか、普通ならば考えられもしない事をしようとしているのかを。

 

 

「ただ、目に物を見せてやりたい。あの帝が、苦渋を味わう姿を見せてやらねば、妻も死んでも死にきれぬ」

 

「だから輝夜姫を誘拐して、利用しようとしたのか」

 

「ああ……だがあの時は私もどうかしていた。今はもうあんな事をする気は毛頭ない。言い方は悪いが、今は正攻法で藤原家を利用し、再度帝へ近付く方法を模索するつもりだ」

 

「そうか……」

 

 

 生斗が悲しそうに返答をする。

 妖忌がどれだけ我慢をし、苦渋を味わわせる程度の妥協まで己を律しているのを感じ取ったからであろう。

 でなければ、自身の掌が血で滲むほど握り締めるはずが無いのだから。

 このご時世、妖忌やその奥方、そして生斗の考えは異端と唱える者が殆どだ。

 生斗が地位や名誉に興味が無いのも、そんな意見の食い違いがあるからなのかもしれない。悪く言えば社会不適合者、良く言えば正義感が無駄に強い浮浪者ってところかしら。

 

 

「ほら、生斗。もうすぐ御主の番だぞ」

 

「ああ」

 

 

 結局、生斗を治療できず、妖忌の話を聞き入ってしまった。

 ゆっくりと立ち上がり、妖忌の肩に手を置く生斗。

 

 

「おれはお前のやろうとしている事を止めるつもりはない。奥さんの仇、取ってやってくれ。あっ、だからってこの催し物の優勝は譲る気は無いけどな」

 

「……ああ! 望むところだ!」

 

 

 そう言って貴族達のいる縁側へと歩を進めていく。

 それを見送る妖忌は、自然と腰に携えた木刀に手を添え、力を込めていた。

 

 はあ、仕方ないわね。次の試合までの隙間を見つけて、なんとか生斗と接触を図るしかないようね。

 一旦輝夜の所へ戻って様子を見に行かないと__________

 

 

「して、そこの娘。先程から如何程にそこへ居るのだ」

 

 

 輝夜の元へ戻ろうと、立ち上がろうとした時、私の首には真剣が添えられていた。

 そこに居たのは、待機所にいる筈の、そして持っている筈のない真剣を構えている妖忌であった。

 

 

「時の次第によっては、娘____________斬るぞ」

 

 

 まさか、私の存在が彼に気付かれていたとは。これは少し予想外の展開ね。

 はてさて、これはどうしたものか。ただ、下手な回答をすれば、瞬時に首が飛ぶのは確かなようね。



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閑話 怨霊との一時

※この回はオリキャラ回となります。東方キャラは最後の所でちょっとしかでませんのでご注意ください。


 

 

「熊口さん。熊口さん起きてください」

 

「ん〜、後八時間だけ……」

 

「ご飯もうできてるんですから。早く起きないと顔面蹴飛ばしますからね」

 

 

 まだお日様が山から顔を出し始めた早朝に、雀のように甲高い声が耳に響いてくる。

 確かに起こしてとは言ったけれども、いざ起こされるとなんかこう、イラっときてしまうよね。

 自分がやってって言ったのに不思議だね。

 

 

「今日は念願の海へ遊びに行くんですから! 早く支度しないと日が暮れてしまいますよ!」

 

「念願なのはおれではなく翠の方だし、暮れるどころかまだ明け始めたばかりだろ……」

 

「つべこべ言ってないで早く起きてくださいよ。私はこの日が来るのを楽しみで寝れなかったんですから」

 

「寝なくても大丈夫だろ」

 

「はい、それではですね。今日は海へ行く予定を変更して減らず口である熊口さんの頭で蹴鞠をしたいと思います」

 

「申し訳ございませんでした!」

 

 

 既に蹴る体勢へと移行していた彼女を見て、即座に土下座をする事により危機を回避する。

 こいつはやるといったらやる女だ。まあ、流石におれも口答えが過ぎたし、ここは一先ず引いておいた方が吉であろう。

 

 

「……はあ。ほら、早く居間に行きますよ。ご飯が冷めちゃいます」

 

「分かったよ。布団畳んでからそっちに向かうから、少しだけ待っててくれ」

 

 

 やれやれといった感じに手を振って寝室から出て行く彼女の背中を見送り、おれは布団の温もりを惜しみつつ、渋々畳んでいく。

 

 ったく、まだ少し肌寒いこの時期に海なんて、()はなんでそんなに海が見たいんだろうか。

 面倒だが、早く用を済ませて機嫌でも取っといてやるか。機嫌良いとその日の料理が少しだけ豪華になるしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「んっ、今日は朝からやけに豪華だな」

 

「ちょっと張り切って作り過ぎちゃいました」

 

 

 そんなに海に行くのが楽しみなのか。

 朝からこんなに上機嫌な翠も中々に珍しい。

 

 妖怪の山を離れて数年。

 ずっと内陸部ばかりを旅していたからか、これまであまり海を見る機会には恵まれなかったのだが、今回滞在することになった村が漁業が盛んに行われており、海も近くにあると聞いて翠が豹変、次の日にでも見に行こうと駄々をこねられたのが昨日の話。結局押し切られて行くことになったため、少し憂鬱気味なんだよな。

 おれはこれまで、海にはあまり行きたくなかったから敢えて避けていた。

 何故かと聞かれると何とも言えないのだが、なんかこう、自分の手には及ぶ事のできない不安感を掻き立てられるから、と言えばいいのか。とにかくなんか海を見ていると不安になる。

 

 

「楽しみですね、熊口さん」

 

「楽しみではないのは翠、お前が一番分かってるだろ」

 

 

 鼻歌混じりに食事を進める翠を横目に、おれも溜め息を混じえながら食事を進める。

 

 

「知ってますか。溜め息は吐く息と一緒に幸福も出ていってしまうんですからね。溜め息を出したくても、ぐっと我慢をするんです。そうしたらきっと幸福もついてきてくれますよ」 

 

「どこの幸福論者? 生憎公演代は持ち合わせてないんだよね」

 

「はあ……これだから熊口さんは駄目なんです。人の助言くらい素直に聞いたらどうです?」

 

「あの、思いっきり翠さんも溜め息ついてるんですが……」

 

「私は良いんです。私自身が幸福の具現化のような存在ですから」

 

「その存在が溜め息なんてするんじゃないよ」

 

 

 そもそも不幸を振りまく存在である怨霊が何を宣ってるんだか。

 ていうか翠の奴、絶対狙って溜め息しただろ。このツッコミされたがりめ。

 

 

「海というのは初めて見るので本当に楽しみです。湖や河川よりも、そして私達の立つ地上よりも何倍も広大だと諏訪子様から教えてもらいました」

 

 

 箸を置き、両手を絡ませて眼を輝かせる翠。

 まるでこれから夢の国へ誘われる子供のように。

 あの邪気の塊である翠もこんな無邪気な瞳をするんだな。

 

 

「あっ、今絶対失礼な事思ってましたよね」

 

「おれはいつも翠に対しては失礼な事しか思ってないよ」

 

「そうでした。熊口さんは極度のツンデレさんでしたね」

 

「えっ、それお前が言うのか?」

 

「いやいや、私にツン要素なんてないですし、デレ至っては論外ですよ」

 

「デレはともかくツンはめっちゃあるし、なんならそのツンが刺々し過ぎて毎回大怪我してるんだが」

 

 

 私のメンタルはもうズタボロでございます。

 

 

「まあ、熊口さんは小心者で臆病な腰抜けかつ○貞なので、私の何気ない発言でも傷ついてしまうのは仕方ありませんね。その件は謝りますよ」

 

「童○は関係ないだろ!?」

 

 

 ていうか小心者でも臆病でも腰抜けでもないからな! ……たぶん。

 

 

 食事を進めながら、下らない話をするいつも通りの日常。

 我ながら毎回よく話題が尽きないなとは思う。大体がお互いを罵り合ってるのは如何なものかと思うが。

 

 

「あっ、この茎のおひたし美味いな」

 

「わかります? いつもとちょっと味付けを変えてみたんですよ。流石は向上心を常に忘れない翠ちゃん。又も料理の腕を上げてしまいましたか」

 

「おれ好みの味に偏ってきてるだけじゃないのか?」

 

「別に熊口さんを意識して作ってるわけじゃ無いんですから。勘違いが甚だしいですよ」

 

 

 嘘付け。最近おひたしの味が代わり映えしなくて飽きたなっておれが心の中で思ってたから、今回味付けを変えてきたんだろうに。

 

 

「まあ、おれとしちゃ美味いもの出してくれるだけありがたいけどな」

 

「そうですよ。熊口さんは毎日ご飯を作ってあげている私にもっと感謝するべきなんです」

 

「あー、はいはい。ミドリチャンイツモアリガトネー」

 

「なんで片言!?」

 

 

 ほら、こういうのって面と向かって言うのなんか照れ臭いだろ。

 翠には悪いが、これが今のおれにとって最大限の褒め言葉だ。

 

 

「……後でほんとに感謝しているのかは中に入って確認するとして、ちゃちゃっと早く食べ終えて下さいね。私はもう食べ終わりましたから、空いた皿を洗ってきます」

 

「はいよ」

 

 

 そう言って居間を出て行く翠。

 もう食べたって、小皿に盛った程度の量しか食べてないのに…… 

 

 幽霊は食事や睡眠等の人間として必要不可欠な生命活動を取る必要がない。無くても怨念や遺恨があれば存在する上で問題がないから。

 だが、そんな一見無意味な行動も取ろうと思えば取れる。お腹が空いたと思えばお腹が空くし、眠たいと思えば眠たくなる。そういうものだと翠から聞いたことがある。

 今回翠が少量で済ませたのは恐らく、食べる事よりも海に行くことが優先順位が高かったからだろう。

 

 だけどなぁ……

 卓上には結構な料理がずらりと並べられている。これを一人で食べきるのは中々に骨が折れる。久々に贅沢な悩みを抱える事になるとはな。

 さてさて、ここ最近少量しか食べてこなかったから、胃は大分小さくなっている。

 食べきるのは至難の業。

 だが、熊口生斗の辞書に食べ残しという文字はない! ーー食べられるものに限るけど! 

 

 

「これ美味っ。これも______んっ、これ鯵の開きか! 海の魚を食べるのなんて何十年ぶりだ?」

 

 

 村からの頼まれ事を片付けた御礼として頂いた物の中には海の魚が幾つか含まれていた。

 その魚の一匹である鯵は既に干物の状態であった。

 それを恐らくはただ焼いただけなのだろうが、焼き加減や味付けの量があまりにも絶妙で、おれの遠い過去に食べた鯵の開きを遥かに凌ぐ美味しさを誇っていた。

 ほんと、度々思うが翠の料理スキルはどうかしている。少ない調味料でどれだけおれの肥えた舌を唸らせてくるんだ。

 これでちゃんとした台所に、充分な調味料を用意したらどれ程の料理が出てくるのだろう。

 それを想像するだけでも涎が垂れてくる。

 

 

「……こりゃいけるな」

 

 

 卓上いっぱいに並べられた料理に軽く尻込みしたが、どれも絶品なのでなんとかいけそうだ。ていうか、箸が止まらない。

 

 ほんと、生きてたら良いお嫁さんになってたかもな、翠のやつ……いや、あの性格じゃ無理か! 誰も娶ってくれないだろ。

 

 

「何か言いましたー?」

 

「な、何も言ってないよ翠さん」

 

 

 何かを察したのか、襖から睨みつけた表情で覗く翠。

 あ、危なかった。

 心の中でも悪口を言えばすぐに翠のやつ察してくるからな。

 目の前で考えようものなら最悪右ストレートがおれの顔面にめり込む事になる。

 

 

「ほら、変な事考えてないでさっさと食べちゃって下さい。その間に出掛ける準備済ませておきますから」   

 

 

 やはり気付かれていたようだ。

 いつもなら問い詰められるところだが、それよりも海に行きたいという欲求が勝っているからか、敢え無く引き下がり、支度をしに奥の廊下へと去っていく。

 

 ……はあ、どんだけ海行きたいんだよ翠のやつ。

 

 

「仕方ない。もう少し味わって食べたかったが、かきこませてもらうか」

 

 

 勿体ないが、これ以上ちんたら時間を食っていたら翠に後々愚痴られそうだしな。 

 

 因みに今のはご飯と時間を掛けました。

 

 えっ、寒くて凍死しそう? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 季節で言うところの春であるこの肌寒い時期に、おれと翠は浜辺へと訪れていた。

 

 

『はあぁあ……!』

 

 

 おれの視界を通して初めての海を拝んだ翠は、なんとも女の子らしい声で感嘆する。

 

 

『凄い、凄いです熊口さん! なんて広大なんでしょう! これ全部が塩水だなんて信じられませんよ!』 

 

 

 ざー……ざー……と、緩やかで心が休まるような海鳴りが耳に響いてくる。

 その単調で定期的に訪れる音を聴きながら、おれは乾いた砂の上へ腰を下ろす。

 

 まだ夏に入ってすらいない上、まだ太陽も登り始めたばかりという事もあり、乾いた砂浜ですらひんやりとしている。

 

 

「それでも、綺麗だな」

 

 

 そんなマイナスな点を差し引いても、眼の前に映る大海原はとても幻想的かつ魅力的な景色であった。

 朝日に照らされた無限にも続くと錯覚する程広大な塩水が、波打つ度に光が乱反射するその様があまりにも神々しく、己の邪気が全て洗い流されるような感覚に陥る。

 駄目だ、おれの語彙力ではこれぐらいが限界だ。

 

 

『熊口さん、実はお願いがあるんです』

 

 

「なんだ?」

 

 

『身体を少しだけ貸してもらえませんか?』

 

 

「あー、嫌だ」

 

 

『お願いします! ほんの少しだけ、身体に障るような事は決してしませんから! ただちょっと海というものを人肌で感じたいだけなんです』

 

 

 そういえば翠自身、痛覚がないから暑さや寒さも感じないんだったな。

 今の状態でもし外に出れたとしても、ただ風が当たったかどうかと波の感触しか知る事ができない。

 だが、おれの身体を乗っ取れば痛覚のみならず全ての感覚を翠の精神が支配することになる為、この浜辺の肌寒さを感じる事ができる。

 

 

「乗っ取ったとしても寒いだけだぞ」

 

 

『それでもいいんです。ただ、思い出に残しておきたいんです。この眼で見た海の全てを』

 

 

 死後に思い出を作るなんて、おかしな話だとは思う。

 それでも翠の、この光景を記憶に留めておきたいと思う気持ちは、分からないでもない。

 

 __________生前から憧れていた場所に、漸く来ることができたのだから。

 

 

「……少しだけだぞ。後は結界を張るなりして自分の霊体で満喫してくれ」

 

 

 本心は未だに貸したくないという気持ちはあるが、翠が本心から頼んでいるという事を、おれの内側から伝わってくるのが分かる。これを無下にする程、おれも非情ではない。

 ほんと、翠ほど読める訳ではないが、こう長くおれの中にいられると翠が本気かそうじゃないかぐらい分かってしまう。

 

 

『ありがとうございます! 今度特別に添い寝してあげますね』

 

「それって罰ゲー__________」

 

 

 瞬間、おれが握っていた身体の主導権を失った。

 前と視界は変わらないが、動かそうにも身体は微塵も言う事を聞いてくれず、そのまま尻餅をついたまま脱力していく。

 

 

『うわ、こんな感じなのか』

 

 

「…………はっ! もう乗っ取ったんでした!」

 

 

 当の本人がおれを乗っ取った事を認知してないなんて世話ないな。

 翠が急に飛び起き、おれの両腕をまじまじと見つめる。

 

 

「(凄い……やっぱり良い筋肉してるなぁ)」

 

 

 これは……翠の心の声? 

 まさかおれが翠と入れ替わったことにって、これまでと立場が逆になったのか。

 

 

『あー、翠さんや。そう見惚れられると恥ずかしいんだけど』

 

 

「はっ!? そんな訳ないじゃないですか! 自惚れるのも大概にしてください! (まさか心を読まれてるんじゃ……!?)」

 

 

『そのまさかだよ。良かったな翠。熊さんに思ってる事全部筒抜けになったぞ』

 

 

「そ、そんな! これじゃあもうお嫁に行けないじゃないですか……」

 

 

 死んでるのに嫁云々なんて翠には無縁の話だろ。

 

 

『そんな事より、やりたい事があるんだろ。早く済ませて身体返せよ』

 

 

「わ、分かりました」

 

 

 おれがそう指摘すると翠は気を取り直し、改めて視線を海の方角へと向ける。

 

 

「……」

 

 

 そして両手を広げ、全身で通り過ぎてゆく潮風を感じながら瞼を閉じた。

 

 

 __________気持ち良い。久々の感覚。潮の香り。こんなに肌寒かったんだ。波打つ音。今海に飛び込んだら熊口さんどう思うかな。まあ、それぐらいなら許してくれるか。

 

 

 口を開かずとも、自然と翠の思っている事が脳に直接入り込んでくる。

 久々に味わう感覚と海を直接感じることの出来る事に対しての感動が大半を占めているな。

 そんな翠の幸福の感情がおれにも流れ込み、此方まで相応の幸福感を享受してしまう。

 

 これならば、たまには翠に身体を貸すのも悪くないかもしれないな。

 おれは今、身体を貸す前の感動を遥かに超える幸福感で満たせれている。

 

 なんか最後の方聞き捨てならないような事を考えていた気がするが、何もしなければ言及はしないでおこう。

 

 

『だから翠さん? なんで脱ぎ始めているのかな』

 

 

「濡れると後が大変かなって」

 

 

 あっ、駄目だこの人。完全に海に飛び込む気満々だ。

 

 

『ばっか野郎! こんな寒さの中海なんかに入ったら心臓に負担が掛かって最悪失神するんだからな!』

 

 

「大丈夫ですよ。熊口さんの心臓は毛が生えまくって頑丈ですから! あと私は野郎ではないです!」

 

 

『それフォローになってない!?』

 

 

 何一つとして大丈夫じゃない! 心臓に毛なんて比喩なだけで実際に生えてるわけ無いだろうがい! 

 

 

「それじゃあ行ってきます! 後は任せましたよ熊口さん! 多分私が気絶すれば熊口さんがまたこの身体の所有権を握れますから!」

 

 

『失神する気満々じゃねーか! あっ、ちょ、パンツ一丁でおま、ま、待ってお願い、お願いだから飛び込まな__________翠さああぁん!!?!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「うぅ、寒い……」

 

「想像以上でしたね。海ってあんなに冷たかったんですね」

 

 

 いつの間にか翠が用意していた木の枝を使い、浜辺で焚き火をして身体を暖めている現在、おれはのドテラを顔まで埋め、完全な保温態勢を取っていた。

 

 

「焚き火用の道具持ってたってことは、最初から飛び込む気だったんだろ」

 

「へへ、折角海に来たのに、飛び込まないなんて来た意味なくなっちゃうじゃないですか」

 

 

 四方には結界が張られており、屋内でしか行動出来ない筈の翠が隣で腰掛けている。

 やるならやると前以て教えてほしいもんだ。どうせ反対されるからギリギリまで言わなかったんだろうが。

 

 

「はあ〜、すっごく寒い思いをしましたけど、満足できました」

 

「おれは現在進行形で寒い思いをしてるんだけど」

 

 

 焚き火とドテラのおかげで幾分かはましになったが、まだ末端は冷たく小さい震えが止まらない。

 

 

「ありがとうございます熊口さん。迷惑をかけましたが、おかげで夢が一つ叶えられました」

 

「……ちっちゃい夢だな」

 

「ええ、でも生前の夢としては真っ当ですよ。夢は叶えられないから夢なんですから」

 

 

 生前、ね。

 諏訪子に頼めばそれくらい叶えてくれそうな気もするが______とも思ったが、翠達のような諏訪子に心酔しきってる奴らが、私的な願いを叶えてもらおうなんておこがましい事考えそうもないな。

 確かに一人の力だけで海へと赴くとなると、少し現実的ではない気がする。

 

 

「……」

 

「ぷふっ」

 

「……? おれの顔に何かついてるのか」

 

 

 翠がドテラに埋めたおれの顔を覗きながら微笑んでくる。

 人の顔を見て笑い出すなんて、なんて失礼な怨霊なんだこの子。

 

 

「安心してくださいよ。このぐらいじゃ貴方の側から消えませんから、私」

 

「な、何言ってんだお前」

 

 

 __________やはり、翠はお見通しだった訳だ。おれか海に行きたくなかった本当の理由。

 おれ自身、別に海を()()不安になる事はない。

 本当は海に()()()不安になるから。

 さらに細かく言うと特定の人物と来ると、だな。

 

 

「あれ〜、顔が赤くなってる〜。もしかして照れてるんですか? 良かったですね、私のおかげで体温が上がりましたね」

 

「顔埋めてるのにどうやって赤くなったか分かんだよ」

 

「見なくても分かりますよ。伊達に何十年も熊口さんの心の内を見てませんから」

 

「おれ程プライベートを侵害されてる奴はいないだろうな」

 

 

 ほんと、心を読まれるのはいつになっても慣れやしないな。それでもやってこられてるのが不思議なくらいだ。

 

 

「熊口さん」

 

「……なんだよ」

 

「また、来ましょうね」

 

 

 頭をおれの肩に乗せ、そのまま体重をおれに預けてくる翠。

 ほんと、こいつ我儘極まりないな。

 おれが今こんな状態になったのは誰のせいだと思ってるんだ。

 

 

 

「次は夏にな」

 

 

 

 でもまあ、海に行きたくなかった理由が解消された今、特に断る理由はないしな。

 仕方ないから、また今度一緒に行ってやるとするか。

 

 

 

「ふふっ、そう言ってくれると思ってました」

 

 

 

 この時、翠の顔を見ることは出来なかったが、とても嬉しそうに呟いていたのは憶えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 _______________________________________________

 

 

 ーーー

 

 

「どうしたの? ぼーっとして」

 

「んあっ?」

 

 

 今も昔も、変わらない美しい大海原。燦々と光に照らされ、以前と変わらず青い地上に宝石が散りばめられてるかのような光景を目に映し出す。

 

 

「すまん、昔の事をつい思い出してな」

 

 

 久々に海に来たもんだから、三桁の年月も前の記憶を懐かしんでしまった。

 呆れた表情で此方の様子を窺う紫も、待ちくたびれているようだ。

 

 

「ほんと、年寄りは事ある度に思い耽るから困るわ」

 

「お前も何れ分かる日が来るさ__________って誰が年寄りじゃこのロリ妖怪が!」

 

「年寄りに年寄りって言って何が悪いのよ」

 

「おれは永遠の十八歳だ!」

 

「それはあまりにも無理があるんじゃない?」

 

 

 ほんと、誰を見てそんな減らず口を叩く様になったんだか。育ての親の顔が見てみたいよ。

 

 

 __________さあ、過去を振り返るのもこの辺にして、今の物語を進めるとするか。おれは過去ではなく現在を生きているのだから。

 

 あっ、今おれ格好いい事言った。

 

 

「当たり前の事を言っているだけよ」

 

「自然におれの心読むのやめてくれません?」

 

 

 なんで紫までおれの心読んでんだよ!? 

 



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⑭話 危険な話好き

 

「娘、何故貴様は我らを嗅ぎ回っていた。まさか帝の間者ではあるまいな」

 

 

 ______悪い夢でも見ているのかしら。

 私を拘束している人物と、眼前で話しかけてくる人物が明らかに瓜二つであり、服装も同じ。二卵性双生児なら顔がほぼ同一になるのは分かるけれど、服まで同じなのはどうかと思うわ。

 

 

「いいえ、私は帝の間者ではないし、貴方の敵ではないわよ」

 

「ならば何故私と熊口の話を盗み聞いていた______いやそれよりも、この話を聞いた時点で、貴様を生かしておくわけにはいかん」

 

「……」

 

 

 生かしておけないわよねぇ。帝に楯突くなんて、普通ならば軽くても打首獄門だもの。

 そんな話を聞かれた見知らぬ相手を、はいじゃあねで帰すような愚行を冒す程馬鹿ではないようね。

 

 

「ふふっ、貴方は私を殺さないわ。殺す理由がないもの」

 

 

 いきなり生斗の関係者だと言っても、そう簡単に信じてもらえはしないでしょう。結局、口先だけの説得なんて高が知れている。

 

 

「何故そう言い切れる」

 

「私は貴方の話を盗み聞くために木陰に隠れていた訳ではないからよ。用があるのは貴方と話していた熊口生斗の方」

 

 

 それならば、わざと興味のでる話を持ち出して時間稼ぎをする。

 生斗が来てくれればこの件はいとも容易く解決されるのだから。

 

 

「熊口の回りを嗅ぎまわっているのか?」

 

「いや、嗅ぎまわっているわけではないわよ。彼は今首を痛めているでしょう。貴方と話している時も、濡れた布を首に押し当てていたから分かるでしょ」

 

「ああ、確かに冷やしいていたな」

 

「その怪我を和らげさせるために来たのよ。生斗は私の旅のお供だからね」

 

 

 私がそう告げても、やはり妖忌は難しい顔をするばかりで刀を下ろす気配はない。

 現在の所、私が何と言おうと生斗の関係者である事を証明できるものはない。

 結局は本人が来て、私が妖忌に対して無害である事を証明してもらわない限り、私に向けられた刃が下ろされない。

 こうなる事を予想して、もっと生斗にこの人と戦った時でしか知り得ない情報を聞き出しておくんだったわ。

 

 

「私は生斗の試合を観戦に来ただけのしがない旅人よ。貴方が誰に復讐をしようと、知ったことではないわ」

 

「口先では何とでも言える。貴様が役人に告げ口しないと言える確証はあるのか」

 

「あら、口先だけとは失礼ね。話で解決できるものは巨万とあるのよ」

 

「では、この状況を話だけで解決できるのか」

 

「断言できるわ。この場を一歩も動かずとも収められる」

 

 

 まさか強気に答えられると予想していなかったからなのか、隙を見せるほどではないが二人は同時に狼狽する。

 反応も全く同じだなんて、益々気味悪いわね。まるで鏡を見ているかのよう……

 

 と、彼らに対して細やかな疑問を抱いたのだが、それよりも先に答え合わせをする時間が来たようだ。

 

 

「まあ、解決するのは私ではないのだけれど」

 

「それはどういう意味だ?」

 

 

 私の発言に質問で返す妖忌。

 だがもう、私がその質問に回答する必要はもうない。

 答えはもう、彼の背後にあるのだから。

 そして妖忌も、それを察知したのか、腰に携えていた木刀を背後にいる答え____________生斗へと突き付ける。

 

 

「あー、さっきから何してんの」

 

「く、熊口!」

 

「遅いわよ。あと少しで私の首が飛ぶところだったわ」

 

 

 早々に手を上げ、敵意はないと表明する生斗。その姿を見て妖忌も突き付けていた木刀を下ろす。

 目立った外傷が見当たらない辺り、二回戦は滞りなく勝ち進んだようね。

 

 

「とりあえず紫も開放してやってくれ。その子はおれの連れなんだ」

 

「むっ、だがこやつは我等の話を聞いていたのだぞ」

 

「その子がまだ童子の時から育ててきたんだ。妖忌の秘密を利用しようかどうかなんて、顔を見ればすぐに分かる」

 

「わ、私ってそんなに顔に出るのかしら」

 

 

 自分では分からなかったが、考えている事が顔に出ていたなんて……何故そんな大事な事を生斗はこれまで黙っていたのだろうか。それではもし駆け引きの際に不利になってしまうじゃない。

 早急に癖を直すか顔を隠す小道具を用意するかの処置を施す必要があるわね。

 

 

「育ての親であったのか……身丈的に歳はそう変わらないように見えるが、熊口の剣術を鑑みるに見た目と実の年齢には差異があるのは分かる」

 

「まあおれ、よく童顔って言われるし若く見られるのは仕方ないよね」

 

「童顔ではないし、そう言われてるところ一度も聞いたことないわよ」

 

 

 息を吐くように嘘ついたわねこの人。これでは妖忌に信じてもらえなくなるわよ、まったく。

 

 

「___熊口と娘が知人である事は承知した。この場は一旦刃を退こう。だが、後日場を設けて詳細を聞かせてもらおう。まだ私はこの娘を信用してはいない」

 

 

 妖忌としても、催し物の最中に騒ぎ立てるのは代表者として都合が悪い。

 その上で、理解者である生斗からの発言であれば、確証のない話だとしても刀を収める事は容易に予測出来ていた。

 つまり、生斗が来た時点で私の命の保証は確保されているという事ね。

 

 

「胡散臭さが滲み出ているからな。妖忌が警戒するのも分かる」

 

「誰かさんの教育の賜物ね」

 

 

 漸く私の首に突きつけられていた刀を鞘へと納め、壁に寄りかかって腕組みする妖忌二号。

 取り敢えずこの場は切り抜ける事ができたわね。

 

 

「それにしても、ほんとお前の霊体って化けるの上手いな。洞窟での時は薄暗かったから騙されたと思っていたけど、明るい場所で見るとより一層見分けがつかないぞ」

 

「私の半身なのだから当たり前であろう」

 

 

 霊体、半身……? 

 私に刃を突きつけていたこの妖忌二号は兄弟ではなかったというの? 

 そんな私の疑問を余所に生斗と話していた方の妖忌が私達を背に会場へと足を踏み出していく。

 

 

「熊口が終わったということは、もう私の順番が回ってきたのだろう」

 

「あ、そうそう。元々お前を呼ぶために来たんだった」

 

 

 そういえば妖忌は第一試合からだから生斗の試合が終わればすぐ出番が来るのだったわね。

 軽く手を振ってそのまま、半身? とやらを置いてこの場を後にする妖忌。

 取り残された半身は、気にすることもなく眼を瞑って腕組みをした姿勢を続けている。

 

 

「……んで、なんで紫がここに居るんだ。大人しく輝夜姫と見てろってジェスチャーしただろ」

 

「あら、間抜けかまして首を痛めた貴方の治療に来たというのに酷い言われ様ね」

 

「それでお前も間抜けかましたら本末転倒だろ」

 

「くっ、それは今後の反省点として善処するわ」

 

 

 図星をつかれ、目線を逸らす私を気にすることもなく、生斗は小走りに近付いてきて私の首にそっと指を押し当てる。

 

 

「……はあ、怪我はしていないようだな」

 

「刀を突き付けられるぐらいじゃ、私の肌は傷つけられないし、つけられたとしてもすぐ治るわよ」

 

「そういう問題じゃないんだよ」

 

 

 安堵の息か、それとも呆れの溜息か。

 彼の吐いた息について少し気になるところではあるが、そんな事よりもまずしなければならない事を思い出し、少し強めに生斗の手を振り払う。

 

 

「それよりも、妖忌の試合が終わればすぐに生斗の試合でしょ。パパっと塗り薬だけ塗ってあげるからあっち行きましょ」

 

「あっ……ああ」

 

 

 何故かしょんぼりとした生斗とともに、幹の目立たない位置へと回り、私に背中を預ける生斗。

 塗りやすいようにと彼の計らいからか、霊力を纏っていない無防備になった首。

 そこへ唐からの渡来人から交渉して手に入れた薬草を調合して作った塗り薬を優しく塗布していく。

 霊力を纏ってない人間の首は、面白いくらい簡単に折れてしまうのだから。

 

 

「それで、勝てるの」

 

 

 この勝てるかどうかの疑問は、次の対戦者に向けられたものでは無い。

 その次、私ですら息を呑むほどの覇気を纒った剣豪__________妖忌である。

 以前は武器の差と地形を利用してなんとか勝つことが出来たと生斗は言っていた。

 今回はそのどちらもないと言っても過言ではない。

 武器は指定の木刀のみ、地形も無駄に広大で平らな庭園。使えるものといえば一面に敷かれた砂利石ぐらいのもの。

 純粋な戦闘技術を要求されるこの催し物において、果たして生斗は以前と同じような結果を望めるのであろうか。

 

 

「今のままじゃまず無理だろうな」

 

「でも、勝算はあるんでしょ」

 

 

 無謀な戦いはするなと、生斗から教えられた生存知識。

 当の本人がその教えを背くような事はしないだろう。

 生斗が戦いを続けるという事は、何かしらの勝算があってのこと。

 剣術に疎い私ですら分かる妖忌との力量差を前に、彼はどのような戦法を用いるのだろうか。

 

 毒を盛る、同情を誘う、八百長、不意打ち、棄権に追いやる__________

 

 あら、意外に出来る事あるじゃない。

 私が携帯している薬は少し調合を変えるだけで毒に変えることができるし、首を痛めてる事を全面的に押し出して同情を誘うこともできる。八百長も弱みを握っている今なら尚の事上手くいくでしょう。完全に信用を失う事になるけれど。

 他の案もやりようは幾らでもある。試合外でもやれる事は巨万とあるという事に気付き、かつその具体的な方法を瞬時に考えつく私はやはり天才なのかもしれない。

 

 

「裏で動くなら私に任せても良いのよ。高く付くけど」

 

「お前に任せると人としての一線を超えそうだから止めとく」

 

「勝ちには貪欲にならなくちゃね」

 

「非人道的な事をするのは認めるんだな!」 

 

 

 あまり声に出して言えるような事ではないわね。

 けれども、戦う上でそんな綺麗事を並べているようじゃ何れ痛い目を見る事になる。時には非情になる事も大事なのよ。

 

 

「実際、普通の相手なら紫が考えてそうなやり方でも良いと考えてる。戦いが楽になるのならそれに越した事はないし、別に戦いに美学を持ってる訳でもないしな」

 

「なら何故?」

 

「あいつ……妖忌には、なんか卑怯な手は使いたくないんだよ」

 

 

 妖忌には、と一人に限定している辺り、生斗としても彼を特別視している訳ね。

 特別視……要は好敵手として妖忌を見ているって事よね。

 戦闘において生存を第一に考える生斗にしては、大分感情を持ち出している方だ。

 死の危険性が低いからこそ出来た余裕からなのか、単に剣術使いとしての意地からか。

 もしかしたら本人ですら、その真意に気付いていないのかもしれない。

 

 

「とんでもなく非効率ではあるんだが、勝つ算段はもう出来ている」

 

「へえ、それは卑怯な手ではないのよね」

 

「人によっては卑怯と宣うかもしれない。でもまあ、そう思うのはおれだけかもな。種を知った奴は皆馬鹿だと呆れるだろ、たぶん」

 

「何それ、かなり気になるんだけど」

 

 

 そう勿体ぶられるとどうしても聞きたくなってしまうわね。

 他者から反則と見られず、今の戦力差を埋める方法とやらを。

 

 そんな私の様子に気付いてか、生斗は続けて口を開く。

 

 

「落ち着いたら紫にも話すよ。そういえばまだ言ってなかったもんな」

 

「何のこと?」

 

「おれの能力についてのこと」

 

 

 あれ、生斗って能力とかそういう概念があったの? 

 まあ人間にしては長生きなのも特殊といえば特殊だけれども。

 能力もそれに関係しているのかしらね。いや、関係していない方がおかしいか。

 

 

「ま、楽しみにしておくわ。私と輝夜は屋根の上で高みの見物を決め込んでるから、その勝つ算段とやらを披露してみなさいな」

 

 

 塗り薬の上に包帯を巻き終え、ポンと生斗の肩を叩いて治療を終えたことを伝える。

 

 

「なんかスースーするな。まるで湿布貼ってるみたいだ」

 

「シップ?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

 施術箇所に手を当て、軽く首を回し状態を確認する生斗。

 生斗はよく独自に呼称している物や事象を口に漏らすことがあるのよね。

 言及しても全然教えてくれないし。

 

 

「うん、これなら問題なく戦える。態々ありがとな」

 

「それじゃあ今度都の観光連れてってね。前に一人で観光してるんだから案内ぐらいできるわよね?」

 

「んー、美味い干物屋なら知ってるけど」

 

「干物はもういいわ」

 

 

 自分から進んで治療に来ておいて見返りを要求するのは些か図々しいとは思うが、そんな事気にする間柄でもないし別に良いか。

 そもそも、生斗に遠慮なんてする必要がないわね、する価値がない。したところで気持ち悪がられるだけだし。

 

 

「それじゃ、私は戻るわよ。そろそろ行かないとお姫様がへそを曲げてしまうわ」

 

「もう曲げてるんじゃないか?」

 

「その時は生斗が可愛いって言ってたと伝えればすぐに機嫌を取り戻すでしょ」

 

「なんでおれなんだよ。まあ、可愛いっていうのは事実だけど……いや、可愛いより少し綺麗の方が勝ってるか?」

 

 

 こういう所で鈍感だからこれまで独り身なんじゃないの____________と、声に出してしまえば流石に拳骨が飛んできそうなので心の内に留めておく。

 

 

「そろそろ妖忌の試合も終わりそうね」

 

「あいつにしては時間が掛かってるみたいだな」

 

「それぐらいの敵が対戦相手だということよ。生斗もくれぐれも油断しないように」

 

 

 注意を促し、小さく手を振りながら不機嫌になっているであろう輝夜の元へと足を踏み出す。

 

 

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 

「まだ何かあるの?」

 

「一つ疑問に思ったんだけど……」

 

 

 しかしその足は生斗によって阻まれてしまう。

 私に疑問なんて、言い出したら霧がないんじゃないの。

 

 

「途中からしか聞いてないから詳細は知らんが、なんで妖忌と話している時、態々長引かせるような話し方をしてたんだ。紫なら早々に刀を引かせる事ぐらいは出来たんじゃないか」

 

 

 引いた、のかしらね。あの状況、あの疑り深い妖忌のような相手だと、一人で刀を引かせるとなるとちょっとした博打を打つことになるでしょう。

 私はあくまで安全策を取ったまで。

 ___________でもまあ、確かに必要最小限の会話で生斗を待つ方向に持っていけたのは事実ね。

 

 なのに、長話をする事を選んだ。その理由は私が一番理解している。

 

 

「そんなの、私が話好きだからに決まってるじゃない」

 

 

 なんだそりゃ、といった顔付きで呆れる生斗。

 口は災の元と言われてるぐらいだし、そういう意味では危険を伴っていたのかもしれないわね。

 でも、さっさと話を済ませてしまうのなんてつまらないじゃない? 

 

 

「それじゃ、検討を祈ってるわ」

 

「ああ、泥舟に乗ったつもりで安心して見といてくれ」

 

「それ、安心する要素ある?」

 

 

 また馬鹿な事を言って……他人の事はあまり言えないけれども。

 

 

 一悶着起きてしまったけれども、一先ず目的の治療は達成出来た。

 後は生斗が優勝してくれるだけ。

 妖忌に勝てるかどうかは彼に一任するとして、そのやり方には興味を唆るものがある。

 

 これまで謎であった生斗の能力を知る事ができるのだから。

 

 取り敢えずまあ、輝夜を宥めながら観戦さてもらうとしましょうかね。



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⑮話 意地の張り合い

 輝夜が待つ屋根上へと戻る紫。

 すぐ戻ると言った手前、予想以上に時間が掛かってしまった為、足取りも普段より重く感じている彼女は、遠目から大人しく観戦している輝夜を確認し安堵の息をつく。

 彼女が不安に駆られていたのも無理はない。拗ねて何処かに行かれでもすれば紫自身の責任に問われてしまうからだ。

 

 

「ごめんなさいね。ちょっといざこざに巻き込まれて遅くなってしまったわ」

 

「……別にいいわよ」

 

 

 輝夜の素っ気ない態度に、最初は拗ねているのだと思った紫であったが、彼女の憂いに満ちた表情を見て考えを改める。

 

 

「どうしたの。辛気臭い顔して」

 

「分かる……?」

 

 

 自身の微妙な変化に即座に気付いてもらえた事に、少しではあるが元気を取り戻す輝夜。

 

 

「紫、私が____________いえ、やっぱりなんでもないわ」

 

「何よ、言いたい事があるのならさっさと吐いてしまった方が良いわよ。言っておきたい事というのは大抵、時期を逃すとどんどん言い辛くなるものなんだから」

 

「いや、何でもないの。ほんとに大した事じゃないから」

 

 

 それであのような哀愁に満ちた表情になるものか、と心の中で呟く紫。

 

 

「あっそう」

 

 

 それでも本人が話す気が無いのなら、下手に言及する必要もないだろうと呆気なく引き下がる。

 

 

「……ありだとね」

 

 

 輝夜は紫の、必要以上に言及してこない、本人の意志を尊重した応対に感謝を述べる。

 

 

「礼は別に要らないわよ」

 

「今回の催し物も含めてもね。紫が私の我儘を聞いてくれなかったら来ることさえ叶わなかった」

 

「私が好きでやった事よ。輝夜が気にすることじゃないわ」

 

 

 本当は駄々をこねられたから仕方なく受けた事柄であるが、面と向かって礼を述べられたためつい見栄を張ってしまう。

 __________まだまだ私も甘い。そう己に戒める紫。

 そんな彼女の心中を察してか、輝夜は話題を変える。

 

 

「ねえ、こんなお伽噺って知ってる? とある国の貴族の娘が迷子になるお話なんだけど」

 

「……? いえ、聞いたことがないわ」

 

 

 紫が知らないのも同然。

 彼女の言うお伽噺とは、この時代の者にとって知る由もない内容なのだから。

 

 

「昔々、あらゆる文明が栄えた国がありました。それが故に古くから居着いていた土地では不都合があることが確認された為、その地に見切りをつけ新天地へと移住する事となったのです」

 

「文明が栄えた結果集団移住することになったって。中々にぶっ飛んだ設定ね」

 

「その地には穢れがあったの。それが移住するに至った不都合の原因ね」

 

「穢れ?」

 

「生物は生きる為に殺生を行うでしょう。その生きようとする行為自体が穢れに当たり、死ぬ事も穢れとなる。穢れとはつまり、永遠を奪う概念。とある国の人達はその穢れが浄化された土地を求めて集団移住を計画し、そして実行した」

 

「……なんだか、現実味のない話ね。その穢れを取り除くという事はつまり、人としての生命活動を止める事。呼吸をしないのと同義みたいなものよ」

 

 

 穢れの定義について疑問を抱く紫。

 生きる為に他の生物を糧とする。その行為を放棄しようというのならば、それはもう人どころか生物ですらない。

 

 

「まあ、この話をすると大分長くなってしまうから、穢れについての疑問は取り敢えず置いといて」

 

「少なくとも、この場で説明しきれるようなものではないわね」

 

「__________その国の人達は移住の為、方舟を造ったの。そして位の高い貴族を筆頭に新天地へと赴いていった」

 

「本当にお伽噺みたいね」

 

「そんなゴタゴタしている際にね、貴族の娘が家出をしたの。その子は生粋の箱入り娘で、外界の事なんて知る由もなかったが故の愚行。勿論その貴族の従者達は血相を変えてその娘を探したわ」

 

 

 どこか懐かしみを含んだその瞳には、微かに姿を現しつつある月へと向けられていた。

 

 

「結局従者達は彼女を見つけ出すことは叶わなかった。そしてさらに不運なことに、移住作業で手薄になった国へ他国が攻めてきたの」

 

「これはまた急展開ね」

 

「国の中には地位の低い者や半数以下の兵力しか残されていなかった。敵の軍勢はその倍以上、高精度の兵器の殆どは貴族の護衛である高官らが軒並み持ち出されていた為、満足のいく戦いもできない。そんな圧倒的な劣勢の中、ある一人の兵士が立ち上がった」

 

「兵士?」

 

「そう、たった一人の兵士に何ができるのかって話なんだけど、それが盲点だった。彼は実力を隠していたのか、まるで鬼神の如き活躍を見せていった」

 

 

 話がどれも現実味のない飛躍しすぎたものである為、思わず鼻で笑ってしまう紫。

 そんな彼女の姿を見て輝夜も苦笑いする。

 

 

「民を逃し、兵士を逃し、視界には見渡す限り敵しかいない状況で、彼は孤軍奮闘した」

 

「たった一人で殿を務めたというの? あまりにも無謀すぎない?」

 

「完璧とまではいかなくても、その兵士一人のおかげで大多数の命は救われたって話よ。中には討ち漏らした敵に殺された者もいたようだけど」

 

「ふーん……」

 

「疲弊しながらも皆が逃げるまで時間を稼いだ彼は、後は自分が国を脱出すれば終わりだと考えていた。けれども、それが叶う事はついぞなかったの」

 

「えっ、何で__________」

 

「国を出る間際、彼は家出した貴族の娘を見つけたの」

 

 

 まるで悔しがるように拳を握り締める輝夜。

 何故そのような行動を起こしたのかは、今の紫には検討もつかず、ただ疑問符を浮かべることしかできなかった。

 

 

「その娘を逃がす為に、彼はまた追手の殿を務めることになり、そして犠牲になった。一人なら恐らく逃げられていた筈なのに」

 

「……」

 

「それだけじゃない。彼は皆を救う為に動いただけなのに、上層部は彼を隊の指揮権を乱用し、戦場を混乱に陥らせたと宣い、反逆罪として罰そうとする始末! あいつ等は己の保身と厄介者を抑え込みたいだけの無能でしかないのよ。それが嫌で__________」

 

「輝夜、静かに。私達は一応お忍びで来ているのよ」

 

 

 段々と感情を荒げ始める輝夜を抑制する紫。

 輝夜自身、紫に咎められて初めて感情が昂ぶっている事を自覚し、宥める為に何度か深呼吸をして落ち着かせる。

 

 

「ごめんなさい、感情移入が過ぎてしまったわ」

 

「他人の不幸に憤りを感じられるのは悪いことではないわ。必ずしも良いって訳でもないけれどもね」

 

「……」

 

 

 蝉が鳴き、遠くを見渡せば陽炎が姿を表す程の暑さの中、珍しく心地の良いそよ風が二人の間を通り過ぎていく。

 

 

「ねえ、紫」

 

「なに?」

 

 

 微風により揺らいだ笠を抑えながら、紫の名を呼ぶ輝夜。

 

 

「我儘、もう一つだけお願いしてもいい?」

 

 

 彼女がその次に言い放った()()は、紫にとって、いや常人ならば誰もが耳を疑うような不可思議な内容であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「まさか、この二人が勝ち残るとは思わなんだ。のう、車持皇子殿」

 

 

 縁側に腰を掛けた貴族の一人が、盃に注がれた酒を呑みながらそう呟く。

 そんな彼の横で同じく腰を掛けていた今宴会の主催者である貴公子__________藤原不比等が袖で口を隠しながら微笑む。

 

 

「妖忌が勝ち進むのは当然であろう。この私が選んだ実力者ぞ。それよりも対戦相手が陰の実力者であった方が驚きだ」

 

「車持皇子殿も大概ではあるが______造め、どうやってあの剣士を探し出したのだ。あの剣士を利用すればより高い地位へ登ることも容易いだろうに」

 

 

 彼らの見やるその先にある庭園の中央に、催し物で勝ち残った二人が既に相対していた。

 蓑笠を深く被った剣士__________妖忌の佇まいには一切の隙がなく、現に並の剣士であればどう攻め手を駆使しようとも彼に傷の一つもつける事は叶わない。

 相対する相手方___________生斗はいつも頭に掛けていたサングラスを眼まで下ろし、格好とはあまりにも不釣り合いな姿から、不気味な雰囲気をかもちだしている。

 

 一見すればまるで勝ち目のない戦い。

 だが、これまでの三戦。どれも明らかに格上と評された敵を圧倒してきた彼を見てきた貴族達は、微かながらに期待の眼差しを向け始める。

 

 

「大穴同士の戦い。お互い陰の実力者であるため実力の程は前までの三戦でしか測ることができないというのに、どれも圧勝に近い戦いぶりでそれも明らかになっておらぬ」

 

「この戦いでその実力とやらを測れるやも知れませぬな」

 

「実に楽しみだ」

 

 

 大穴同士の戦いということもあり、賭事で敗けた者も少なくない。

 しかし、そんな事どうでもいいと言わんばかりに、これから行われる彼ら二人の戦いに、誰もが固唾を飲んで待ちわびている。

 

 

「洞穴での借り、返させてもらうぞ」

 

「借りを作った覚えはないぞ。まあ、どうしてもってのなら今度菓子折りでも送ってくれるとありがたい」

 

「……そういう借りではない」

 

 

 緊張感のない生斗の返しに、困り果てる妖忌。

 冗談は相変わらず通じないのがこの男である事を再認識した生斗は霞の構えを取る。

 

 霊弾は出せない。出せば物の怪の類とみなされる危険性があるからだ。

 純粋な剣術、あるいは体術での戦いを強いられているこの状況の中、生斗はある一つの結論へと至っていた。

 

 

「!!?」

 

「な、なんだ。急に寒気が……」

 

 

 以前、紫が言っていたようにやりようは幾らでもあった。

 今、生斗が下した判断は明らかに不合理で正当性に欠けるものだと、彼を知る者は答えるであろう。

 それは本人も重々承知の上でもある。

 それでも、彼は全力で戦う事に執着した。

 

 何故ならば、妖忌に()()は敗けたくないという、泥臭く年に似合わない理由があったから。

 

 只でさえ、死にやすい生き方をしている彼にとって、貴重な五つの命のうち一つを犠牲にして己の力へと換えていく。

 

 

「それが、御主の本気ということか」

 

 

 構えは以前と同じく脇構え。

 妖忌にとっての基礎的な型なのだろう。

 その場と気分により型を変える生斗とは相容れないものがある。

 

 

「どうだ、びびったか」

 

「まさか」

 

 

 言葉とは裏腹に一切の油断を棄てる生斗。

 その眼を見ずとも、いつもの様な腑抜けた眼付きが獲物を見る狩人の眼へと変わっているのが分かる。

 

 

「___________燃える」

 

 

 妖忌の呟きを皮切りに、寸刻の静寂が訪れる。

 先程まで騒がしかった貴族達ですら、彼等の行く末をただ見守るだけの傍観者と化す。

 

 

 二人の間に立つ主審の額に、大量の汗が吹きだす。

 それは二人が放つ緊迫した空気に圧せられているものであり、これから起こる事柄に対しての好奇心からくるものでもある。

 

 手を振り下ろせば、闘いが始まる。

 この催し物において、圧勝を重ねた者同士の決闘。

 汗だけでなく、全身が鳥肌が立つ主審は、微かに笑みを溢す。

 

 結局は皆、強き者同士の戦いに興味をそそられるものなのだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 二人は構えたまま、静止する。

 まるでこの場だけ時が止まったかのように。

 

 

 主審が大きく息を吸う。

 

 貴族や、催し物で敗れていった者達__________そして、これから戦う二人にとって待ちわびた瞬間が遂に訪れた。

 

 

「始めぇぇぇええええ!!!」

 

 

 

 主審の怒号にも似た開始の合図とともに、二人の木刀は既に激突していた。

 

 遅れてやってくる鈍い衝突音。

 さらに遅れてやってくる衝撃波。

 

 主審の被っていた烏帽子は遠くへと吹き飛び、自身は尻餅をついて腰を抜かす。

 

 主審の烏帽子と同じく、妖忌の蓑笠も吹き飛んだせいで、視界が明るみに照らされ、妖忌は眼を細める。

 

 

「はっ!!」

 

 

 先に仕掛けたのは生斗。

 鍔迫り合いになる前に、木刀を滑らせるとともに更に一歩深く踏み込み妖忌の懐へと潜り込む。

 懐まで入ってしまえば剣術の間合いではない。

 その状態を利用して生斗は、踏み込んだ脚を軸に回転し、遠心力を加えた肘打ちを妖忌の心臓目掛けて放つ____________が、潜り込められた時の対処を妖忌がしていないはずもなく、回転の途中で生斗の背中を肩で押すことにより軸をずらし、肘打ちは虚しく空を切る。

 

 軸を崩され、攻撃を外したことにより転びかける生斗。

 誰もが妖忌が一転攻勢に出るものだと期待を寄せた。

 

 だが攻めない。

 生斗が数度脚をふらつかせつつも、距離を取りつつ態勢を立て直すまで妖忌は構えを取り直すのみに留まる。

 

 

「誘っていたな」

 

「ありゃ、そう見えた?」

 

 

 傍から見れば攻撃をすかされ、無様にふらついている様に見えていたのが、相対する当事者の見解は違う。

 ふらつく()()をしながらも、追撃をしてこようものならいつでも反撃を取れるような足取りであった事を、妖忌は誰よりも早く察知していたのだ。 

 現に生斗は彼から死角になるよう木刀に力を込めていた。

 手打ちでの反撃となる剣戟は腰の入った剣戟より遥かに劣る。

 それでも命を代償にした力はその差をも埋める事が出来る。

 木刀であれ、その者の力量によって棒切れになれば刃物を凌ぐ凶器にもなる。

 無意識に急所を狙い、かつ命を代償に力を得た今の生斗の木刀は、幾ら手打ちだとしても致命傷となるのは必至だ。

 それは半人半霊である妖忌でさえ例外ではない。

 

 

「くっ……」

 

「……!!」

 

 

 少しでも判断を誤れば、即座に決着が着くことを刃を交えた際に再認識し、一筋の汗が妖忌の頬を伝う。

 

 だがしかし、奥手になっていては勝ち得るものも逃げていく。

 そう判断した妖忌は意を決し、生斗に向け肉薄する。

 それに合わせ、生斗は改めて踵で削っていた砂利を蹴り飛ばしたが、妖忌は一切の砂利を避けることなく突き進んだ。

 予想外の行動に一瞬の動揺を見せた生斗は、妖忌の攻撃範囲内まで接近を許してしまう。

 

 流れを完全に妖忌に握られた。

 逆袈裟から始まる剣戟に、剣術で劣る生斗は防戦一方を強いられる。

 

 武術とは、豪の者と対等に戦う為の技術である。

 妖忌は今まさに、それを体現させていた。

 

 生斗がこれまで、豪の者を退けてきたのは、まさに剣術と、それを使いこなす経験があったからだ。

 

 剣術は磨けば磨くほど練度を増す。

 あらゆる流派がある事も然り、剣術といってもその中身は深く、どれが最強なのか等つけようもない。結局は技の練度が高い者がその時々の最強の流派なるからだ。

 

 生斗自身、流派はなくとも、基礎の剣術の練度は既に達人の域に達してはいる。

 だが、彼の剣術の才能はそれまであり、結局は凡人に毛が生えた才能しか彼には恵まれていなかった。

 本物の天才と相対した時、純粋な斬り合いでは勝つ事はできない。

 

 それを逸早く察していたからこそ、生斗は剣術にばかり頼るような戦いをしてこなかった。今自分にできることを実践し、剣術を補う戦い方を学んできた。

 

 生斗にとって剣術は戦いの中の一つの手段に過ぎない。

 

 そう言い聞かせて剣術の稽古をする事も無くなっていった。

 

 

「くぅっ!!」

 

 

 諦めが故の怠惰。

 結局は修行をしなければ、上達する訳もない。

 己の限界を悟ったと言えど、それは本人の尺度でしかない。

 常人より遥かに余る時間を有している生斗なら或いは、その限界を超えられていたのかもしれないというのに。

 

 命を代償にして、妖忌を凌駕する程の霊力を有したというのに、蓋を開ければ防戦一方を強いられる始末。

 

 

「(道義も、同じ気持ちだったんだろうな……)」

 

 

 遥か昔、剣を交えた大和の勇士を思い出す生斗。

 以前、彼は生斗とに剣術では勝てないと諦めをつけ、捨て身の攻撃を仕掛けてきたーー結局は剣士としての誇りを捨てきれず躊躇したところを突かれ、生斗に敗北を喫するのだが。

 

 

「後手は悪手だぞ熊口!!」

 

 

 四方八方から繰り出される剣戟をなんとか往なす生斗であるが、妖忌の振り戻りがあまりにも速いため、身体強化した生斗でさえ隙をつくことができない。

 無理に攻撃に転じれば返り討ちに遭う。

 

 だから待つしかない。

()()へ当たる瞬間を__________

 

 

「______っ!?」

 

 

 生斗の頬を木刀が掠める。

 それはつまり、捌きれず打ち損じ始めたということ。

 頬から垂れる血を拭き取る暇もなく、次々とくる剣戟に先程よりも押され始める。

 

 

「おお! これは決まったか!」

 

「ま、まだです! 熊口殿は諦めておりませぬぞ!」

 

 

 

 皆が妖忌の勝利を確信しつつある状況の中、貴族の中で唯一人、雇い主である造だけが声を出して生斗を応援する。

 

 だがその応援も虚しく、徐々に身体へ木刀が当たるようになっていく。

 

 

「(隙が……ない!)」

 

 

 攻撃に転じろうとすれば即座に致命傷を受ける。

 霊力を纏っているとはいえ、生身で受けられるほど甘い剣戟でないことは、木刀を通じて身に沁みている。

 

 四肢に当たればその箇所は使い物にならないだろう。

 頭部へ当たれば二度と眼を覚ますことはないだろう。

 胴体へ当たれば肋骨は砕け、内臓は破裂するだろう。

 

 判断を誤ればこの事がほぼ同時に訪れる事となる。

 

 妖忌の体力が切れるまで耐え続けるか______否、妖忌はここまで生斗を追い詰めても尚、息を切らしている様子はない。守りに徹している生斗は息を荒げ始めているというのに。

 

 

 相手のペースへと持っていかれればそのまま押し切られてしまうという事は、初めて邂逅した時には既に危惧していた。

 だというのにペースを握られてしまったのは、少なからず生斗自身の中で驕りがあったからだ。

 そう、命を代償にして得られる驚異的な力があればなんとかなるのではないかという驕りが。

 

 実際は代償により得た力を持っていたとしても、妖忌の剣術を退ける事は叶わず、現状として敗北を待つばかりの道化と化している。

 

 

「!!?」

 

「!」

 

 

 その道化にも、一矢を報いる術は持ち合わせていた。

 ファーストコンタクトで衝撃波をもたらす程の打ち合いにより、木刀の接触箇所には窪みが出来ていた。

 それに加え、幾度となく繰り出された剣戟。

 幾ら守るのが精一杯な状態でも、何度も剣を合わせられれば、いつかは窪み同士が重なる時が来るのは、ある意味必然であった。

 

 その時が来るのを待っていた生斗と、予知していなかった妖忌。

 

 その認知の差は勝敗を分ける。

 

 木刀を引こうとするも、突っかかりにより一瞬ではあるが硬直する妖忌。

 そのほんの僅かな隙を待っていた生斗は木刀を手から離し、又も妖忌の懐へと潜り込み、諸手刈りを見事に決め、すかさず妖忌胴体の上へとのし掛かる。

 

 

「ぐっ……」

 

「はぁ、はぁ……知ってるか、これ。マウントポジションって言うんだぜ」

 

 

 木刀は妖忌の手に握られている。

 生斗の木刀も妖忌の木刀に交差して挟まっているため、生斗は今素手の状態である。

 だが、その利き手も生斗の片手で封じられてしまっているため、動かすこともできない。

 

 

「ぐふっ!?」

 

 

 深く振りかぶれば拘束を解かれる可能性がある。

 腕同士で拘束をしているため、前傾姿勢となっており、そんな状態での殴打など高が知れている。

 

 なので生斗は、妖忌の顔面に向かって頭突きを繰り出した。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 鈍く低い音からやがて、妖忌の尾骨が折れると共に何かが潰れるような不快な音が庭園に響き渡る。

 

 吹き出す鮮血。

 生斗の額からは返り血により紅く染まり、垂れてくる紅い液体は顔面を覆っていく。

 

 それでも、生斗は頭突きを続行した。

 

 何故なら、妖忌の眼がまだ死んでいなかったから。

 まるで自身が敗ける事など微塵も考えていないかのような真っ直ぐな眼で、生斗を睨み付けていたのだ。

 

 

「ふんっ!!」

 

「(眼突きか!)___________なっ……」

 

 

 なんとか防御へ回そうとしていた片腕を遂に、生斗が頭を振り下ろすと同時に振り上げる。

 

 親指を立てていたことから、片眼を潰しに来たのかと判断した生斗は、寸でのところで顔を逸し回避する。

 

 

 ____________が、妖忌が狙っていたのは端から眼ではない。

 顔を逸したはいいが、生斗はそれ以上自身の頭部を動かす事ができなくなっていた。

 原因は他でもない、避けたはずの妖忌の指先には生斗の()が握られていたからだ。

 

 掴まれた耳はその状態から斜め下へ力を加えられ、千切れないよう加えられた力の方向へと生斗も移動してしまう。

 

 その行動が悪手である事を思い知るのは、次の瞬間であった。

 

 

「あっ!?」

 

 

 力の方向へと傾いたため、少しだけ腰を浮かした生斗は、己が愚かな事をしたのだと漸く理解する。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 拘束が緩まった隙きを妖忌が逃す筈がなく、生斗の耳を更に斜め下へ引っ張りながら腰を突き上げ、見事生斗を跳ね除けることに成功する。

 

 

「ふーっ、ふーっ」

 

「……少し裂けたか」

 

 

 拘束を解かれると同時に離された耳を確認すると、ニ割ほど耳が千切れかけている事が判明する。

 跳ね飛ばされた際、妖忌は耳を千切る勢いで捻ったが、その捻る方へ受け身を取り、掴まれた耳を振り払った為、欠損にまで至ることはなかったが。

 

 

「よく、解き方、知っていたな」

 

 

 そう言いつつ、距離を取る生斗。

 否、妖忌は解き方など知り由もない。

 そもそも懐へと潜り込み、押し倒してくる者など、彼の生涯で一度たりともなかったからだ。

 だというのに解くことができたのは、それはもう妖忌自身の戦闘センスが尋常ではないからとしか言いようがないだろう。

 

 

「やはり、熊口よ。お主は……強いな」

 

 

 片眼の瞼は赤黒く腫れ上がり、視界を遮る。

 脳へのダメージも相当で、平衡感覚は狂い考えも覚束ない。

 腕に力が入らない。脚の震えを抑えることさえ出来ない。

 気を抜けば瞬く間に意識を手放してしまう。

 一度手放せば、もしかしたら二度と戻る事は叶わないかもしれない。

 

 

 血だらけになりながら、何の考えも纏まらなくとも、妖忌は挟まった木刀を抜き取り、生斗の元へと投げ渡し、戦いの意思を見せる。

 

 

「なんで、返してくるんだよ」

 

「本気で、打ち合いたいんだ」

 

 

 瀕死の攻撃を受けても尚、剣術に拘る妖忌。

 脳が上手く機能しなくとも、身体がどう戦うかを覚えている。

 

 ___________()()で打ち合いたい。

 

 妖忌はそう言い放った。

 それはまるで、先程までの生斗の剣戟が本気でなかったような口ぶりであった。

 

 そして生斗も、妖忌のその言葉の意味を理解する。

 

 

「(本気で、か。確かにさっきまで、お前に対して弱腰で挑んでいたかもしれない)」

 

 

 剣術では妖忌には勝てない。そう頭から決め付け、いざ打ち合いとなってもやられてしまう事ばかり考え、逃げに徹していた。

 それは勝つ為の戦術としては特段間違っているわけではない。

 己と相手の力量を見極め、下手に相手の土俵へ持ち込ませないようにするのは至って普通の思考だ。

 妖忌もそういう戦い方をする相手をこれまで幾度となく見てきた。そしてその度に実力で己の土俵へと持ち込み、勝利してきた。

 

 だが、生斗は違った。

 生斗とは、ただ純粋に立ち合いたかった。そもそも今の妖忌に、裏を含む言葉を考える程脳は回復していない。

 

 何故なら、一目惚れしたから。

 始めて剣を合わせたその時から、妖忌は生斗の剣術に、まるで初い乙女のように、恋い焦がれていたのだ。

 

 何度も抱きしめようとした。

 なのにするりするりと腕から抜けていく。

 

 それも戦術の一つだと我慢をしていたが、脳にダメージを負ったことにより思考力を低下させたからか、遂に本音が漏れ、行動に移してしまう。

 傍から見れば木刀を返す行為はデメリットしかない。

 だが、彼にとってこの行為は、ある意味求愛行動でもあるのだ。

 

 

「……来い」

 

 

 相手の土俵へ立つことはない。

 木刀でまともに打ち合うという事は、現状として有利な状況をひっくり返される可能性が極めて高い。

 早々に剣の間合いの内側へ潜り込むか、使えない状況へ持ち込むことを優先的に考えれば、恐らく勝てるだろう。

 

 

「……無意識だろうけど、それ完全に挑発してるからな」

 

 

 そんな事は生斗も分かりきっている。

 それでも彼は、同じ土俵へと脚を踏み入れた。

 

 驕りでもなんでもない。ただ生斗も、妖忌と同じ考えであったまでの事。だから妖忌を好敵手として見ていた。

 

 自制していた枷を解き放ち、ただ無心に剣を交わわせたい。

 そこに、勝利への拘りやしがらみなどない。

 

 後で確実に後悔し反省する事になるだろうが、今はもうそんな事はどうでもいい。

 

 アドレナリンが溢れ、お互いの思考力が低下している状況の中、己を突き動かすのはやはり、純粋な欲求に従う事であろう。

 

 

 

「妖忌いいぃ!!!」

 

「熊ああぁぁぁぁあ!!!!」

 

 

 

 お互いがお互いの名を叫び、ほぼ同時に肉薄する。

 距離は四丈、両者の間合いはおおよそ半径七尺。

 一秒も満たずに間合いに辿り着く。

 

 誰もが二人の剣戟に釘付けの中、振られた木刀は____________

 

 

「「!!!」」

 

 

 この戦いが始まった時の再来と言わんばかりの衝撃が庭園中を轟かせる。

 だが、これから起こる事柄は先程までのリピートとはならない。

 

 間髪入れず眼にも止まらぬ剣戟の嵐が二人の間で繰り広げられる。

 貴族達は、彼等の間で何が起きているのかを把握する事ができない。

 何故なら、止めどなく来る風圧でまともに前を見ること出来ない、かつ常人では目視することのできぬ程の速さで打ち合いをしているから。

 

 

 袈裟斬り、唐竹、斬り上げ、横薙、突き等の基礎的な振りは勿論、その技術を応用した剣技を惜しげもなく二人は繰り出し、それを尽く相殺させていく。

 流派によっては奥義に足り得るような代物。

 それを初見で見破る事はほぼ不可能に近い。だが、この場にいるのは達人の域を達した、或いは超えた存在の戦い。

 初見殺しをいとも容易く攻略し、攻撃に転じ合う。

 

 先程まで逃げ腰であった生斗も、極限の緊張と本気で打ち合う覚悟をした事により、長らく眠らせていた剣士としての意識が覚醒。以前に大和の兵士等との戦いで見せた極度の集中状態______所謂ゾーンの状態へと突入する事でまるで互角の戦いを繰り広げる。

 

 

「お、おお、おおおお!」

 

「なな、なんと凄まじい……!!」

 

 

 貴族からの歓声も、二人の耳には届かない。

 聴こえるのは二人だけの空間で織りなされる木刀の二重奏のみ。

 

 重なり合う度に軋み、ボロボロとなっていく木刀。

 霊力で補強しているため、なんとか折れずに済んでいる。

 

 

 いつまでも続けていたい。

 

 

 合わせているつもりはない。

 なのに自然と気持ちの良い打ち合いとなる。例えるならばテニスの本気のラリーを延々と続けている感覚に類似している。

 

 隙等ない。

 数分前の生斗は攻撃に転じることはできなかった。

 だが、集中状態であり、攻撃に転じる前にやられてしまうという恐怖を捨て去っている今の生斗ならば、妖忌の攻撃を往なしながら攻撃に転じる事は容易い。

 

 敗ける気等毛頭ない。

 肉体は悲鳴をあげ、腕からは鮮血が噴き出してくる。

 お互いがお互いの必殺級の剣技を繰り出し、往なし続けているのだ。限界はもう、とうに超えている。

 

 それでも打ち続ける。

 どちらかが倒れ伏すまで、己の勝利を確信するまで彼等の世界は終わらない。

 

 

「ああああ!!!」

 

「ぐうっ!!!!」

 

 

 そして遂に、長らく停滞していた均衡が崩れる瞬間が訪れた。

 

 妖忌の放った横薙、その軌道から避ける為にバックステップを踏もうとした生斗は、何度も踏み込まれていた事により抉られていた砂利に脚を取られてしまう。

 

 バランスを崩し、僅かに動きが鈍まる生斗。

 その時点で、勝敗は決した。

 

 

 スパアアアァァァン

 

 

 庭園から一際大きな、鞭で叩いたような高い音が響き渡る。

 

 腹斜筋からまるで斧で切られたような激痛。

 口からは吐血、脚の力を失い、膝から崩れ落ちる。

 

 

「あ……あがっ……」

 

 

 膝をついたまま、あまりの激痛に動く事ができない生斗。

 その姿を見て、妖忌はゆっくりと八相の構えを取る。

 

 

 勝敗は決した。

 最高の相手との戦いに勝利した妖忌は、動けなくなった生斗に止めを刺そうとする。

 それが本気で戦った者への敬意でもある。

 勿論殺す訳ではない。真剣であれば苦痛を長引かせないよう息の根を止めるのだが、この戦いは模擬戦の様なもの。気絶させる為の止めだ。

 

 

「……見事であった」

 

 

 振り下ろされた木刀。

 俯き、痛みに悶える生斗の意識を今にも刈取ろうとする。

 

 誰もが生斗の敗けを確信する。

 それは生斗自身にも言える事だ。

 

 先程まで、気力で動かしていた身体ももう動かない。

 腕すらも上がらない。まるで金縛りにでもあったかのように。

 

 

「(すまない、お爺さん)」

 

 

 一種の諦めの域に達した生斗は、やがて眼を閉じる。

 木刀がもう眼と鼻の先までに接近する。

 全てを諦めかけた、その時____________

 

 

「生斗、敗けないで!」

 

 

 誰かの叫びにも似た声が、生斗の耳に届く。

 その声の主は輝夜や造でも、ましてや紫でもない。

 以前、名前を呼んでほしいと約束をした、妹紅の声であった。

 

 

「なっ!」

 

 

 その声に呼応してなのか、それとも無意識なのか。

 生斗の身体は振り下ろされた木刀を躱していた。

 もう動かない筈の身体は既に、交わすと同時に型の姿勢へと移行していた。

 もう動かせない筈の腕は既に、自然と木刀に力を込めていた。

 

 

()()での勝敗は、妖忌が横薙を決めた時点で決していた。

 だが、催し物自体の勝敗はまだ、決してなどいない。

 

 

 あまりにも自然で滑らかな体勢移動に、妖忌は反応を遅らせてしまう。

 そして生斗が斬り上げを繰り出す時まで、遂には振り戻しが間に合う事は叶わず、防御もまともに取れずに顎へ木刀が直撃する。

 

 

「がふっ!!?」

 

 

 衝撃で空中に浮く妖忌。

 そのまま後方へと受け身も取れぬまま地面に叩きつけられる。

 そして生斗も、全てを出し尽くしたかのように、前方へ倒れ伏す。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 しばしば沈黙が庭園を支配する。どちらかが起き上がれば、勝敗が決する。そう誰もが感じ、固唾を飲んで見守っていたからだ。

 

 だが、どちらも立ち上がる気配はない。

 

 

「こ、これは……」

 

 

 離れていた主審が、二人の元へと駆け付ける。

 そして理解する。

 この二人が既に、気絶しているという事実を。

 

 

「両者とも戦闘再開不能により、引き分けとする!」

 

 

 そして遂に、長いようで短い、濃密な決勝戦に終止符が打たれた。



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⑯話 古代のツンデレ

 

 

 ぼーっと霞がかった意識の中、遠くから人々の忙しく騒ぐ声が聞こえてくる。

 瞼が自然と僅かに開き、微かながら蝋燭の灯火が映り込む。

 

 身体は動く……が、とてつもなく痛い。

 無理して動こうとすれば、また気を失うことになりそうだ。

 

 

「あっ!」

 

「? ……妹紅、か」

 

 

 痛む首を少しずらし、今した声の主の方を見てみる。

 するとそこには、隣で看病をしてくれていたのであろう妹紅が、心配した表情で此方を見ていた。

 

 起きたらそこにはロリ美少女がいた______って、どこかのハーレム系主人公を彷彿とさせる展開だな。

 だがまあ、幼女に対して欲情してしまうような変態ではないので、変な気を起こす気は一切ないが。ていうか起こす気力もない。

 

 

「よかったぁ。もう起きないかと思ったよ」

 

「こう見えて、頑丈なんでな」

 

「頑丈に見える格好じゃないけど」

 

 

 感触的に、恐らく包帯が全身に施されてるね。

 まるでミイラ状態だ。

 これで頑丈なんて言われても確かに説得力はないだろう。

 でも、妖忌の横凪を受けて生きてるのって結構凄いことなんだよ? 普通なら痛みも感じず息絶えるぐらいの代物なのだから。

 

 

「外の騒がしさから察するに、ここは藤原邸で、気を失ってそんなに経っていないとみた」

 

「うん、ここが藤原邸っていうのは正解だよ。でももう一つは残念。生斗が気を失って丸一日経ってるよ」

 

「一日!? ならなんでまだ外は騒がしいんだ? 騒がしさ的に宴会は続いてるんだろ」

 

「そのまんまの意味ってこと」

 

「え、えぇ……」

 

 

 つまり、日を跨いでもどんちゃん騒ぎに耽っていたと。

 従者の人達はさぞかし大変な思いをしてることだろうな。

 

 

「妹紅は行かなくてよかったのか?」

 

「私なんかが行くほど身の程を弁えてないよ」

 

「そ、そんな事はないと思うんだが……」

 

 

 宴会なんだから皆そこまで気に留めないんじゃないだろうか。一日中呑んだくれてるのなら尚の事、幼女の一人や二人紛れていたとしても問題ないだろう。

 いや、酒の場で幼女は少しまずいか。

 

 

「それよりも、ここにいるって事は看病してくれてたんだよな。ありがとな」

 

「い、行き場がなかったからここに来ただけ。看病といってもただ見てただけだし。礼を言われる謂れはないよ」

 

「分かっちゃいないな妹紅は。目覚めた時に身近な人がいてくれるってのは、それほど安心するものはないんだぞ」

 

「そういうものなんだ……」

 

 

 おれが言うのは少し気持ち悪いかもしれないが、経験談なのだから仕方ない。

 目覚めても誰もいないっていうのは、なんだか孤独を感じてしまうものさ。怪我で寝込んでいたときなんかは特にな。

 

 

「それで、おれの試合。どうだった?」

 

 

 まあ、おれの名前を呼んでくれていた時点で結果は分かったも同然なんだけど。

 

 

「あ、あう……」

 

 

 おれの質問に可愛くたじろぐ妹紅。

 この前までツンツンしていた子がたじたじになるとついニヤついてしまうのは、おれだけではない筈だ。

 

 

「な、なに笑ってんの!」

 

「そうかそうか。優勝もしてないおれの名前を呼んだってことは、やっぱり感動しちゃった? 鼻血いっぱい出た?」

 

「してないし出てない! 名前を呼んだのは……そ、その、あいつじゃなんか呼びづらいからやめただけ!」

 

「典型的なツンデレじゃないか!」

 

「つんでれ……?」

 

 

 ここまで典型的なツンデレは久しぶりに見た。

 なんだ、もしやとは思っていたが、こうも明らかなのを見せられたら、おじさんに新たな扉が開いてしまうかもしれない。

 

 

「と、とにかく! 今度からは仕方なくだけど、名前で呼んであげる。ていうかそんなに声出して大丈夫なの?」

 

「ああ、喋る分はな。身体はこの通り____________っつう。少し動かすだけでも激痛が走りますわ」

 

「なら安静にしてなよ。恐らくだけど、あと二日は宴会続くから」

 

「皆身体壊さない?」

 

 

 現段階で二日目に突入しているというのに、もう二日も宴会をし続けるなんて、大体の人潰れるか身体壊すだろ。流石に主催者以外は入れ替わったりしてるよな? 

 

 

「皆これぐらいなら大丈夫だよ。酷い時は一ヶ月続く時もあるんだから」

 

「なんかもう、ある意味狂ってるよね。一ヶ月も宴会して何が楽しいんだか」

 

「色々あるんだよ。その行事を祝う意味で盛大にする為とか、宴の場の雰囲気に乗じて御上に媚び売ったり、新たな政治目的に利用したりとか」

 

「……わりと汚いとこまで知ってんだな」

 

「しょっちゅうこの屋敷で宴会してるからね。嫌でも分かってくるよ」

 

 

 妹紅はまだ子供だ。

 年端のいかないそんな子が、大人の生々しい政略の一環を否が応でも目に付く環境に、少なからず同情の念が湧く。

 おれが妹紅と同じぐらいの歳の時は、大人の事情など考えたこともなく、同年代の友人と当時の流行りであった遊びに興じていた。

 環境も身分も、境遇の何もかもが違うため、一緒にするのは間違ってはいるのだろうが、今の妹紅は、大人になった時に子供の頃の記憶で心から良かったとは言えないのではないか。

 

 

「……なあ、妹紅」

 

「なに?」

 

「おれの試合、面白かったか?」

 

「お、もしろい?」

 

 

 おれの質問にキョトンとなる妹紅。

 少しの間呆けた顔をした後、妹紅は頬を紅く染めながらもじもじと下を向く。

 

 

「……うん」

 

「____________そうか」

 

 

 なんだか、妹紅を見ていると放って置けなくなってしまう。

 これまでは、そんな事なかったような気がするが。

 もしかしたら、紫を拾ってからかもしれないな。なんだか最近、恵まれない子供を見つけると自分が出来る事ならしてやりたいと思ってしまうおれがいる。

 何れ孤児院でも建ててしまうんじゃないだろうか……

 

 

「今度、またウチに来いよ。看てくれたお礼もしたいし、同年代ぐらいの奴等がいるから気が合うんじゃないか? 」

 

「えっ……」

 

 

 実際、大人びてはいるが紫も年齢的には妹紅と大差はない。

 輝夜姫に会わせるのは少しお爺さんに渋られるかもしれないが、同性だし大丈夫だろう。

 折角知り合いに同年代がいるんだ。こんな大人に囲まれて生活してきた者同士、何かと積もる話もあるだろうしな。

 

 

「……行きたくない」

 

「あん? なんでだ?」

 

 

 あれ、断られるとは予想だにしてなかった。

 んー、でもまあ、確かに生娘を家に誘うのは流石にまずかったか? 

 別にやましい気持ちがあって言ったわけじゃないが、他者によって捉え方は違うからな。少し軽率な事を口走ったかもしれない。

 

 

「だって……あの屋敷にいると、甘えてしまうから」

 

「はあ?」

 

 

 甘えてしまうから、て。

 いや、分かるけれども。

 どれだけこれまで妹紅が我慢してきたのも、短い付き合いであれ痛い程分かる。

 母に疎まれ、父の愛情を受けれず、汚い大人達に囲まれた空間で我儘も言えずただ耐えてきた。

 

 

「あのな。子供が我慢をしなければならない道理なんてないぞ」

 

 

 我慢をする事を日常と化し、甘える事による欲求を抑えてきたことも分かる。

 だとしても、大人でさえ妹紅のような環境に身を置けば何れ壊れてしまう。

 子供大人以前に、人間は孤独に耐え続けられるようにできていないのだから。

 

 

「……でも、私」

 

「おれが思うに、妹紅は要領が悪いな」

 

「要領?」

 

「息抜きするのがな」

 

 

 いつまでも張り詰めるのは心にも身体にも悪いに決まっている。

 実家で息抜きできないのなら、別の場所で息抜きすれば良いのだ。

 

 

「これまで息抜きする場所も相手もいなかったから仕方なかったかもしれないが、折角そのタイミングを作れるんだ。それを利用する手はないだろう」

 

「……」

 

「後は気持ちの切り替えだよ。気を張る場所と、抜く場所を弁える。子供の妹紅には少し難しいかもしれないが、それも経験しながら身につけりゃいいんだ」

 

「こ、子供じゃないし! 気持ちの切り替えぐらい私にだって出来る!」

 

「よし、なら今度ウチに来れるな」

 

「えっ」

 

「気持ちの切り替えが出来るんだろ? なら妹紅がウチに来たってなんの問題もないじゃないか。それに甘えてしまうって言ってたしな。なに、熊さんの胸で良ければ飛び込んできてもいいぞ」

 

「誰が飛び込むか! この阿呆!!」

 

「あぶっ!?」

 

 

 両手を広げて迎え入れる準備を済ませていたら、妹紅さんに平手打ちされました。

 妖忌の斬撃並みに痛いです。

 

 怒った妹紅は障子を不躾に開け、おれのいる部屋から去っていく。

 

 

「子供なんだから遠慮なんかしなくてもいいのに……」

 

「子供じゃない!」

 

「うおっ」

 

 

 出ていったと思ったらただ障子の裏に回っただけか。

 

 

「今度、行ってあげるから高級茶菓子を用意していてくれよな!」

 

 

 そう言って今度こそドタドタと走り去っていく妹紅。

 あの様子なら、前に怪我させてしまった脚はもう完全に治ったようだな。

 

 あっ、そういえば妖忌はどうなったのか聞くの忘れていた。

 紫達ならもう帰ってるだろうから心配はいらないが、妖忌はおれが気を失う前に意識を断っていた筈だーーそれを確認してからおれも気を失ったのだから。

 顎に思いっきり叩き込んでしまったからな。そのまま意識を取り戻す事が無くなる可能性だってある。

 半人半霊である妖忌なら恐らく大丈夫だと思うが、一応安否だけでも確認しておきたい。

 ……でもまあ、どうせすぐに()()が来るだろうし、その時に聞けばそれでいいか。

 

 

「身体いってぇ……」

 

 

 動けない事もないが、やはり超絶痛い。

 動かそうとする度に突き抜けるような鋭い痛みが走ってくる。

 だが、身体を酷使し、妖忌の剣撃を受けてこの程度の代償で済んだのなら儲けものと考えたほうが良いだろうな。

 もう少し寝て身体の回復を待つのも一つの手だが、この怪我の具合は一日や二日で完治するようなものではない。雇い主よりも位の高い人の館でこれ以上治療で長居するのは申し訳が立たない上、雇い主であるお爺さんに迷惑を被る事態になりかねない。

 身体が動くのならば、多少は無理をしてでもこの屋敷を出るべきだ。この怪我なら無理に宴会に参加する必要もないだろうし。

 

 霊力により身体強化を図り、自然治癒力を高める。そのおかげか、はたまたプラシーボ効果かは知らないが、少しだけ痛みが和らいだ気がする。

 

 

「ん〜、これは屋敷に戻ったらまた寝たきり老人の生活に巻き戻りだな!」

 

「なに嬉しそうに言ってるの。気持ち悪いわよ」

 

「おっ、そろそろ現れる頃だと思っていた」

 

 

 なんとか立ち上がり、震える脚に鞭を打ちながら部屋を出ると、その角で待ち構えていたであろう紫がおれの独り言を盗み聞きしていた。

 気持ち悪いとはなんだ。おれはただ一日中ゴロゴロしていいという明るい未来に胸を躍らせていただけだというのに。

 

 

「肩貸すわよ」

 

「ああ、ありがとな」

 

 

 紫の肩に手を回し、体重の幾らかを預ける。

 拾った時はまだおれの腰ぐらいの身長しか無かったのに、たった数年で肩を組めるまで成長した紫の姿を見て、改めて時が経つのは早いものだと実感する。

 

 

「あら、傷でも痛むの?」

 

「それもあるけど、なんだかな……」

 

 

 不意に涙腺が緩むのも年のせいだろう。

 嬉しいようで悲しいような__________会ったときから今まで生意気極まりない紫だが、そんな奴でも情は当然湧く。

 普段は生意気でも、物を教え、それができるようになった時なんかは本当に嬉しそうに笑うんだ。

 最近では色々余計な知識をつけて小賢しくはなったが、今でもたまに見せる紫の笑顔は昔を想起させ、おれの心を穏やかにさせてくれる。

 

 それに、最近では紫に助けられてばかりだ。この前の怪我の治療然り、今然り。

 昔はおれがいないと何も出来なかったのに__________

 

 

「あっ! これが親孝行というやつか!」

 

「そんなに大声出せるのなら肩貸す必要はないわね」

 

「いるいる! いります! あいたたたっ!」

 

 

 思わず興奮して声を張り上げてしまったが、おかげで痛めていた横腹に激痛が走るわ紫がおれの腕を外すわで散々な目に遭ってしまった。

 

 

「っもう、怪我人なんだから大声出さないでよね」

 

「け、怪我人って分かってるなら腕離さないで」

 

 

 ずり落ちて、膝から倒れたおれを引き上げ、腰に手を回してくる紫。

 今度はしっかりと支えてくれるようだ。

 

 

「貴族らに挨拶は要らないわよね」

 

「ああ。自分で言うのも何だが、目立ち過ぎてしまった。今宴会場に顔でも出せば必ず面倒な事になる」

 

「そう言うと思った。後で先に帰ったとお爺さんに伝えておくわ。生斗はどうせ他の貴族に興味はないんでしょ」

 

「興味がないって訳じゃないが、鞍替えする気はないからな」

 

 

 位の高い連中からの勧誘を断って目を付けられるのも面倒だし。誘われる前にコソッと帰るのが得策だ。

 まあ、後で文で来たりすればこの行為はあんまり意味をなさないがーーいや、あるな。貴族の連中のウザ絡みに付き合わないで済む。

 何が楽しくて上から目線の年寄り達と呑まなきゃいけないんだ。誰よりも年を取っているであろうおれが言うのもなんだけどさ! 

 

 

「それを見越して実はもう門の外に荷馬車を用意してるの。揺れると思うけど、我慢してよね」

 

「うっ、なんで荷馬車なんだよ」

 

「しょうがないでしょ。私達の金銭じゃこれが限界なの。先に帰るのも言ってしまえば此方側の我儘。お爺さんにお金をせびるのもおこがましいでしょう」

 

「それはそうなんだが……」

 

 

 荷馬車って結構揺れるんだよな。

 薬と霊力による身体強化により幾分かは傷の痛みを抑えてはいるが、恒常的に訪れる振動に身体がどれだけ持ってくれるかどうか。

 いやまあ、我慢すれば大丈夫なんだが、痛いのはなあ……

 

 

「ほら、止まってないで歩く!」

 

「あただだ!? 怪我人をもう少し労って!」

 

 

 畜生、これもまた屋敷でゴロゴロするための試練と考えるほかあるまい。

 人目にさえつかなければ空飛んで帰れるんだけどなぁ。

 

 

「あと、荷馬車の中に輝夜もいるから、話し相手頼むわよ」

 

「ええ? なんで輝夜がいるんだよ。あの子はもう屋敷に戻ってなきゃ駄目だろ」

 

「一度戻ったわよ。荷馬車を用意する時にまたついてきたの。あの子が神妙な顔付きでお願いしてきたもんだから断れなくてね。分かるでしょ?」

 

「可愛いは正義を遺憾なく全力で発揮してるな」

 

 

 あの顔でお願いされたらついつい了承してしまうのは分かる。

 だが、バレたときに損をするのはおれらなんだから、そこは心を鬼にしなければならないというのに紫は……。

 でもまあ、やってしまったのは仕方ない。おれだって輝夜姫にお願いされたら断れる自信はないし。

 

 

「(本当は、屋敷外で生斗と二人で話せる状況を作ってほしいって話だけど。生斗にそこまで話す必要はないわよね)」

 

「今度からは輝夜姫の我儘はあんまり聞いてやるなよ。今はそんなにでも、どんどん過度な要求をされていくんだからな」

 

「分かってるわよ。私も輝夜には、これで最後と念を押しているわ」

 

「それならいいんだが」

 

 

 よし、紫にも注意を促したことだし、全身の痛みに耐えながら輝夜姫と雑談と決め込むとしましょうかね。

 

 

 ____________それに、おれも輝夜姫には()()()()()()()ことがある。

 

 

「あっ、そういえばおれと戦った相手、妖忌はどうなった?」

 

「ああ、あの人なら対戦後一時間ほどして起きてそのまま行方を眩ませたわよ。なんか『修行が足りない』とか言ってたらしいわ」

 

 

「まじかよ……」

 

 

 ほんと、妖忌って奴はタフだよな。

 次遭った時にはもう実力差を大分つけられてるかもしれない。

 

 

 



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⑰話 蛇足の旅路

 

 

「ほら、着いたわよ」

 

 

 紫の肩を借りてなんとか屋敷を抜け出したおれ達は、門から少しだけ離れた位置にある荷馬車の前まで来ていた。

 

 

「私は少しお爺さんに用があるから先に帰っておいて」

 

「足はあるのか?」

 

「幾らでも」

 

「……くれぐれも都で噂にならないようにしろよ」

 

 

 空を飛んだりしてもしバレたりしたら面倒なことになるからな。

 普通の人間で空飛ぶ奴なんて、この都の住人からすれば普通ではないのだから。

 いや、一般的には、だからね。別に飛ぶ人間は妖怪だってわけじゃないから。その定義だとおれまで妖怪になってしまう。

 空飛ぶ奴ぐらい、世界中探せば幾らでもいるだろう。

 

 

「それじゃ、お姫様との密談でも楽しんでらっしゃい」

 

「話せるだけの体力がおれに残っていればだけどな」

 

 

 輝夜姫には悪いが同乗中に気を失うかもしれない。

 屋敷から出るまでの短い距離ですら激痛で何度も意識が飛びそうになったのに、ある程度は舗装されているとはいえ少しの凹凸で大袈裟に揺れる荷馬車の中は今のおれには拷問以外の何物でもない。

 

 

「じゃあね」

 

「ああ」

 

 

 そう言い交わすと、紫は薄暗くも賑やかな談笑鳴り止まない会場へと戻っていく。

 辺りはもう闇夜に包まれ、肉眼では目の前にある物以外は見ることができない。霊弾を出せば大分見えるようになるが、別に目の前さえ見えていれば大丈夫だし、必要性はないな。

 

 そう思いながらおれは荷馬車の中へと入るため、足掛けを用いて上がろうとする___________が、途中で立上りがある事に気付かず引っ掛かり、中にある藁へと意図せずしてダイブしてしまう。

 うん、霊弾で足元照らしてたほうが良かったね。下手すら頭打って命一つ無駄にするところだった。

 

 

「だ、大丈夫ですか! 熊口様!」

 

「……大丈夫、とは言い辛いな。はっきり言ってもう身体が動かない」

 

 

 中には既に乗っていた輝夜姫が、ダイナミック乗車を決めたおれを心配かけてくれる。下が藁で敷き詰められていたから、案外なんともない。

 だが、仰向けに一番楽な体勢へと移したところで身体を動かす気力がなくなってしまったのも事実。輝夜姫には悪いが、寝ながら話をさせてもらうことにしよう。

 

 

「悪いが、この体勢でいさせてくれ。この前の戦いで身体がボロボロなんだ」

 

「大丈夫ですか? よろしければ手当てを……」

 

「いらないよ。この場で痛みを消せるほどの軽傷ではないからな」

 

「申し訳ございません……私が無理を言ったばかりに、お疲れの熊口様に気を使わせるなんて」

 

 

 そう言って、落ち込んだように俯く輝夜姫。

 おれの今の状態を見て、紫について来たことでおれに迷惑を掛けたと思っているのだろう。今の輝夜姫の口ぶりからして。

 

 

「うんや、別に構わないけどな。輝夜姫がいてもいなくてもこの屋敷からはすぐに出るつもりだったし。荷馬車で一人黙々としているより、誰かと話している方が気が紛れる」

 

「そう言って頂けると……助かります」

 

「あと、敬語はやめろって。おれは子供が無理して敬語使ってるのを見ると申し訳なく感じてしまうんだ」

 

「そういうものなんですか?」

 

「んだんだ」

 

「そうなんですか……」

 

 

 なんか無理させているようで背中がむず痒くなる。

 おれは身上だろうが子供だろうが、変に気を使うような関係は真っ平御免だ。

 

 

「その理屈であれば、私は貴方に敬語を使っても何も問題はありませんね。私はもう子供ではありませんから」

 

「あー……」

 

 

 紫も前はよく強がりでそう突っかかってきてたな。

 一人で出来るって言って結局失敗して、おれの手間が増えたのも今では良い思い出だ。

 懐かしい……ほんの数年前の話である筈なのに、もう遥か昔のように感じる。あの時のような可愛らしい紫はもう帰ってこないのだ。今はもう、あまりにも独り立ちし過ぎている。

 

 

「ハッタリではありませんよ」

 

「……ん?」

 

 

 おれが強がりだと思っている事を察知してか、輝夜姫は静かな声音で否定する。

 

 強がりではない。

 一見するとそれすらも強がりに見えるのだが、輝夜姫の今の態度が妙に引っかかる。

 

 

「……」

 

 

 強がって怒っているわけでもなく、それが真実であるかのような、神妙な顔付き。

 彼女が真剣な態度を取ってるのに、それをあしらう様な態度を取っては失礼だろう。

 

 輝夜姫にはおかしなな点が三つある。

 一つは出生が竹からということ、二つは成長速度、そして三つ目は輝夜姫が現れてから急にお爺さん達が黄金を大量に手に入れたこと。

 妖気は感じられないが、明らかに普通の人間ではない。

 

 もしかしたら、輝夜姫が否定している事と、何かしら関係しているのかもしれない。

 ならば問う他あるまい。

 元々、彼女に聞くつもりであったが、あちらから話題を持ってきてくれたのなら話は早い。

 

 

「輝夜姫、なら聞かせてもらうが____________ほんとは何者なんだ。あんたの言い分じゃ、見た目相応の歳じゃないんだろ」

 

 

 おれの質問すると、ゆっくりと眼を瞑り、頭を下げる輝夜姫。

 一瞬、黙秘をするのかと考えたが、様子が違う。

 何か大切な事を言う前の覚悟を決めているような……

 

 

「熊口様は、『八意永琳』を、御存知でしょうか」

 

「……はっ?」

 

 

 おれが考えていた予想の返答と、あまりにもかけ離れた返答が輝夜姫の口から飛び出してきた。

 あまりにも予想外で、それでいてあまりにも懐かしい。

 恩人であり、半ば母親のような存在である忘れるはずの無い名前。

 

 

「なんで、輝夜姫がその名を知っているんだ……?」

 

「やはり、覚えてはいませんか」

 

 

 なにが、言っている意味がいまいちわからない。

 止めどなく溢れてくる質疑の波がおれの脳内で渦を巻いている。

 何を、何で、輝夜姫が月の民の名を、正体は、関係性は、月の皆は。

 何から聞けばいいのか纏める事が出来ず、言葉に詰まる。

 そんなおれの状況を察してか、輝夜姫は憂いに満ちた表情で、おれの求めていた回答の一端を示してくれた。

 

 

「私の本当の性は蓬莱山。月の民であり、八意永琳は私の従者です」

 

 

 月の民……月の民……月の民! 

 

 

「おぉ、おっ、おおぉ!」

 

 

 遂に、何百年と旅をして遂に! 月へ行ったあいつらの関係者に巡り会うことが出来た! 

 何という偶然なんだ。

 これも紫が輝夜姫を一目見たいと言ってくれたからだ。おれが一人旅していたら興味を示すこともなく絶対にスルーしていた。何たる幸運、僥倖! 神様仏様ツクヨミ様! これを運命以外の何と呼べるというのか! 

 

 

「永琳さんは! ツクヨミ様や他の皆は元気してるのか! 体調悪くしたりとかしてないか? 腹下したりとか! いや、皆どうせ元気してんだろ! 寿命も穢れのない土地だから無限に近い年月生きられるって言ってたしな!! 月の住心地はどんな感じか? またこの地上のときみたいに未来都市みたいに空飛ぶ車とか走ってんのかな? そうそう、そういえばおれがワープゲートへ吹き飛ばした令嬢と女兵士は? 結構な速度で吹き飛ばしたからなぁ。変なとこに頭ぶつけてなければいいんだけど……って輝夜姫に聞いても仕方ないか。それよりも永琳さんだ永琳さん。あの人今でも性懲りもなく薬とか作ってんのかな。昔から休みの日もず〜っと研究ばかりしていたからなぁ。気を利かせておれが何度家に通ってあげたことか……それなのに永琳さんと来たら、何故だかおれを出禁にしたからね。あまりにも酷くない!? それに何故かついでの如くツクヨミ様にも____________」

 

 

 先程まで全身に走っていた痛みが吹き飛んだかのように、おれは無我夢中で月に行った皆の事を話していた。

 最初は質問していた筈なのに、話題はいつしか昔の思い出話へ。

 月の皆の事を知っている人物、話の分かる人間がいる事により興奮を抑えきれないおれは支離滅裂に言葉を輝夜姫に投げ掛けてしまう。

 

 

「____________ごほん。すまん、取り乱した」

 

 

 一頻り話し終えたおれは、漸く落ち着きを取り戻し、輝夜姫に謝罪する。

 落ち着かねば、本当に聞きたい事も聞けやしない。

 

 

「ふふっ、やはり熊口様は本物であられたのですね」

 

「本物?」

 

「私の英雄、熊口部隊長。貴方が先程心配なされていた令嬢とは、私の事なんですよ」

 

「ええっ!? ま、マジなのかそれ?」

 

「はい。あの愚かな家出娘です。ほら、永琳が仕えていた貴族の名は聞いたことがありますでしょう」

 

「た、確か……蓬莱山……あああ!」

 

 

 そういえば輝夜姫、本当の性は蓬莱山と先程言っていた。それに聞き流していたが永琳さんが従者とも。

 

 

「ああ、そうか。何処かで会ったことがあるように感じていたのは、あの時の令嬢が輝夜姫だったからなのか」

 

「やっと、思い出してくださいましたか」

 

「に、に、にしてはあまりにも成長してなくないか? 月に行って穢れを無くしても、一応寿命はあるんだろう?」

 

 

 あの時、あまりにも昔のことだから、顔はもう殆ど覚えていないが、背格好は今と然程変わりない。

 諏訪子からの情報いわく、月へ行ったのはもう万年の年月が過ぎているという事から、今の輝夜姫の背格好には違和感が生まれる。

 というか、お爺さんが竹から輝夜姫を拾い出したときは手のひらサイズしかなかったといい、それから数年の間で今の状態まで成長したらしい。

 月にいるときはもう姿形殆ど変わらなくて、この地上に降りたから急成長したのか? それともまた別の何かか。

 

 

「私専用の身体が縮む薬を永琳に作ってもらったんです。今は元の姿に戻っていってます。後三、四年ぐらいでしょうか? 私の()()が満了するぐらいで元の別嬪さんに戻りますよ」

 

「あー、うん……輝夜姫は今も充分を突き抜けるぐらいには美人だよ」

 

「えっ」

 

 

 そうか、まあ永琳さんが関わっているのなら、不可能な話ではないよな。

 輝夜姫が自分専用と言っている辺り、何かとんでもない副作用が隠されているのかもしれないが。そうなってくると、輝夜姫の身にも危険がーーって、令嬢の身に危険が及ぶようなことを永琳さんがするわけ無いか。

 

 

「そ、そんな。わわ私の今の姿なんて年端もいかない鼻垂れた童同然ですので! 紫の方が余程……」

 

「なあ輝夜姫。今あんたが言った刑期ってなんだ。この地上に降りてきた事と何か関係があったりとかするんだろ」

 

「えっ、あ、は、はい……」

 

 

 態々穢れがある地上に降りてくるなんて、何か用事がない限り来るとは思えない。

 となると降ろされた? 副総監と同じように拭いきれない罪を犯して月を追放されたのだろうか。

 いや、お爺さん達に大金が舞い込んで来たのも十中八九月の連中が関与しているだろう。

 咎人だというのに、輝夜姫に衣食住に関しては何一つ不自由のない生活を送らせている。副総監との対応の差は雲泥の差だ。

 罪の重さの違いか、はたまた違う刑罰なのか。

 

 

「私はある罪を犯し、月から一時的に追放されたんです」

 

「……やっぱり」

 

 

 輝夜姫が何かしらをやらかしたのは刑期がどうとかと発言した時点で分かっていた。

 おれが知りたいのは“どんな罪を犯した”かだ。

 

 

「森羅万象全ての生命の理を脱し、否定する禁薬______蓬莱の薬を服用した罪です」

 

「蓬莱の、薬?」

 

「つまり、不老不死になる薬です」

 

「え、えぇ……ええええ!!?!」

 

 

 一瞬、何のことかと疑問符を浮かべたが、発言の最中にことの重大さを理解したおれは変な音調で驚きの声を上げてしまう。

 

 不老不死の薬なんて、どこでそんなおれの能力の完全上位互換のような薬があるというんだ。

 幾らでも命使い放題なんて、そんなのチー……いや、違う。不老不死ということはつまり__________

 

 

「その薬は私と永琳の力により作り出された代物。

 それを使用した者はその名の通り不老不死となり永劫の生を享受し続けなければなりません」

 

「つまり、生き続けなければならない」

 

「……はい。焼かれようが頸を刎ねられようが精神的に病もうが、一度死に値する負傷をしても瞬く間に蘇生し、負傷前の正常な身体に戻ってしまう。

 そこに眼を付けられるのは流石です。熊口様」

 

「おれも、似た能力だからな」

 

「悠久の刻を生きる者であれば、不老不死という概念の本当の恐ろしさをまず考えない。目先の利益に眩み、過ちを犯してまうものです」 

 

「輝夜姫は違うのか」

 

 

 不老不死の恐ろしさを知っているのであれば、普通はまずその薬を飲むなんて事はしないだろう。

 それでも飲む必要があった。だから輝夜姫は前置きにこんな話を持ち出した。

 

 

「あの時の私は退屈、だったのでしょうね」

 

「た、退屈?」

 

 

 想像より遥かに安直な回答。

 退屈、退屈、退屈……月にいる事に飽き飽きしていたという事なのだろうか。

 

 

「何億年という歳月が、波も大して立たずに過ぎていく。現状を維持する時給自足の術を得てからはずっとそうでした」

 

「でも、娯楽の類はあったんだろ。おれがいた時は普通にテレビゲームとかあっただろ」

 

 

 テレビゲームだけとは言わず、賭け事の類以外はおれが前いた世界と同じぐらいには娯楽に溢れていた筈だ。

 それすらもやり尽くして飽きてしまったということなのだろうか。それだとこの地上に来てもそんなに変わらないと思うが。

 

 そんな疑問を抱いていると、輝夜姫はゆっくりと首を横に振り、苦虫を噛んだかのような表情をする。

 

 

「月の民として相応しくないとされるものは徹底的に廃止されてしまいました。特に電気機器系の類は壊滅でした。月の娯楽のレベルは、今やこの地上と張るかそれ以下ですよ」

 

「な、何だよそれ」

 

 

 娯楽もなく、何億年と変わらない日常を過ごしてきたのか……そんなの精神がおかしくな____________とちょっと待てよ。

 

 

「今、輝夜姫。何億年って言った?」

 

「えっ? はい、言いましたが」

 

「あのー、一つ聞きたいんだけど、月に行ったのって何年前だっけ」

 

「覚えていらっしゃらないのですか? 正確には私も覚えてはいませんが、ざっと五億年前ですよ。私達以外の人類がまだ人の形ですらない時代ですね」

 

 

 ごごご、五億年前て。

 諏訪子の奴桁を間違えてたのか。というか桁が一つ違いだとしても、恐ろしくとんでもない時代におれはいたんだなーーそりゃ神も再転生させるとき時代を変えるわけだわ。そのまま転生させられたら、おれは人間をやめてる自信しかない。

 

 

「______っはあ……五億年、ねぇ」

 

 

 ていうか、聞きたいことが本当に湯水の如く次々に溢れ出てくる。

 こんなの、一日のこんな荷馬車にいる間では到底話しきれるものではない。

 

 

「輝夜姫、話を整理したいから話はまた二人になれる時でもいいか。幸い、お互い時間はあるんだ。二人だけになれる時間なら幾らでもあるだろ」

 

「そう……ですね。頭が混乱していては話し続けても情報を処理出来ずに聞き流してしまいますし」

 

 

 話自体はそんなに多くもないし理解できる。だが、それがどれも衝撃的過ぎて脳が疲れ切ってしまった。例えるならば高カロリー高タンパクな料理を食べて胃が受け付けなくなる感じだ。

 

 

「取り敢えず、この話は一旦お開きにしましょう。ただ最後に、私が態々この荷馬車を紫に用意させた目的をお伝えせねばなりません」

 

「……なんだ? 輝夜姫が月の民であることじゃないのか」

 

「それはこれからお伝えする内容の前提条件に過ぎません。そしてその内容は今、熊口様が本当は最も知りたがっている事でしょう」

 

「ぜん、定条件?」

 

 

 月の民であることが前提条件。そしておれがまだ輝夜姫に聞いていない本当に知りたがっている事……そんなのなんかあったっけ。

 

 

「……月へと行く方法、ですよね。熊口様が知りたがっているのは」

 

「あっ、あ〜」

 

 

 何のことかと疑問符を浮かべていたおれを見て、呆れ気味に輝夜姫が答えを教えてくれる。

 そ、そうだった。そもそもおれがこれまで何百年も旅してきたのは月へと行く方法を探すためだったな。

 月の民の一人と会って興奮していたからか、旅の目的すら頭から抜けてしまっていた。

 

 

「しかし、それを知ったところでなんの意味も為しませんよ」

 

「はっ?」

 

 

 知ったところで無駄? 

 おい、それってどういうことなんだ。輝夜姫が今言った発言は、おれのこれまでの旅路を否定しているのと同義だぞ。

 そんな事立場が上だからって言って良いものと悪いものがあるんじゃないか。

 流石の熊さんも今ので堪忍袋パンパンだよ。ちょっと触れられただけでも破裂するぐらいにはな。

 

 ……ここは心を落ち着かせるために一度深呼吸をせねば。感情に任せて物を言うのは半人前の典型的な過ちだ。ここはクールに落ち着かせるのが立派な____________

 

 

 

「熊口様は」

 

 

 

 そう息を吸おうとした瞬間、輝夜姫が間髪入れずに言い放った発言により、おれは今行おうとしていた全ての行為を頭から抜け落ちてしまった。

 

 

 

「月の民から拒絶されているのですから」



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⑱話 悩みあれば飛び込むが易し

大変申し訳ありません。
月日が立つのは早いもので、約一年もの間失踪してしまっていました……
今回は少し短めのリハビリ回となっております。
これからまたちょくちょく執筆ペースを上げていこうと思います。


 

 輝夜姫との密談から一週間は経とうとしている今日この頃。

 いつの夜も顔を覗かせる月を眺めながら、おれは深い溜め息をつく……すまん、いつの夜は嘘だ。曇ってる日は普通に見えない。

 

 いつになくやる気というものが起きない。

 怪我は順調に回復の兆しを見せているというのに、精神面ではここの所泥水でも浴びたかのような不快感が支配する。

 おじさんに怪我が完治するまでの休暇とその間の不便のない生活を頂いているため、普通ならばこれでもかと飽きられる程だらけるというのに、どうしてもそんな気にならない。

 横になり、眼を瞑るとどうしても考え込んでしまう。

 もう彼奴等とは会うことができない現実に。

 

 

「最近ずっとあの調子なのよね」

 

「熊口様……」

 

 

 結局あの後、輝夜姫と話すことが出来ていない。

 月の皆から拒絶されている事を知ったショックと、これまで忘れていた怪我の痛みのツケがどっと襲いかかり、気を失ってしまったからだ。

 

 あの荷馬車の中には結界が施されていた。

 恐らく、外部からの盗聴を防ぐ類のものだ。最初は紫の仕業だと思っていたが、拒絶したおれへの情報漏洩を隠す為の輝夜姫の配慮だったのだろう。

 

 そこまで配慮をしなければならないというのに、何の準備もしていない庭とかでまた月関連の話を持ち掛けてみろ。刑期執行中の輝夜姫にこの上なく迷惑を被らせることになる。

 

 本当は今すぐにでも問い詰めたい。

 なんでおれが月の民から拒絶されているのかを。

 

 

「………………」

 

 

 いや、なんとなく想像はできている。

 考える時間は旅をする合間に腐るほどあった。もしかしたらで考えていた最悪の想定の一つが月の民からの拒絶。

 

 おれは部外者で、兵規違反者。ツクヨミ様を殿に使い、大見栄切った癖に沢山の隊員を死に追いやった。結果はどうであれ、少しでも間違えれば大量の妖怪を月へ侵入を許してしまうところであった。

 

 月へ帰れたとしても、ただで済むとは思ってない。

 上層部はおれを咎人として何かしらの罰を、それこそ月から追放するかもしれないとも考えていた。

 

 

「上手く行かないよなぁ」

 

 

 けれども、彼奴等の顔をまた一目でも見たい。

 その一心で普段は面倒くさがりなおれが、何百年も旅を続けてこれたんだ。

 

 最早顔は朧気で、皆の顔を正確に思い出すことは出来ない。

 でもあの時の思い出は今でも鮮明に覚えている。

 あと、永琳さんがナイスバディなのも、スリーサイズを寸分違わず言えるぐらいにははっきり覚えている。

 

 

「ああいうのって、熊口様はよくあるの?」

 

「んー、たまにね。でもまあ、誰だってあるでしょう。気分が落ち込む事なんて」

 

 

 一度だけでもいい。

 また皆の元気な姿を見たい。

 たとえ、その皆から拒絶されよう……されよ……う。

 

 

「はああぁあ…………」

 

 

 ずっとこれの繰り返し。

 何度立ち直ろうとしても、拒絶されているという事実が頭を過り、覚悟をしかねてしまう。

 ため息も今日だけでもう軽く十を超えている。

 

 

「なにため息なんか吐いてんのよ。らしくもない」

 

「……紫、と輝夜姫か。もう遅いぞ、夜更しは美容に大敵って知らないのか」

 

「それは此方の台詞。怪我人なんだから早く寝なさいよ」

 

「熊口様、身体をお休めにならないと怪我の治りが遅くなられますよ」

 

「いいんだよ。治りが遅まればその分だけサボれる」

 

「それを雇い主の前で言うんじゃないの。ほら、行った行った」

 

「わっ、押すなって」

 

 

 寝るったって眠れないから夜風にあたってるってのに。寝床に戻ってもまた同じ事を繰り返す羽目になる。

 

 

「それとも何、一人じゃ眠れないなら昔みたいに私を抱きしめて寝る?」

 

「え"っ!!?」

 

「おい、それこそこっちの台詞だろ。怯えておれの寝床に入ってきたから宥める為に仕方なくやってたんだからな」

 

 

 今はもう起きていないが、昔はよく発作的に昔の記憶が蘇って魘されていた紫を宥めていたもんだ。

 

 

「あれー、そうだったかしら?」

 

「く、熊口様! 今のは真ですか! よよよ邪な感情は持ち合わせていた訳ではないのですね!?」

 

「なな、なんだよ。急に詰め寄ってきて。生憎おれに女児愛好家の性癖は持ち合わせてないぞ」

 

「あの時は熱い夜だったわ」

 

「!!?!」

 

「さては紫お前、勘違いを起こすような言い回しをわざと言ってるな」

 

 

 さしづめ輝夜姫の反応を面白がっているってところだろう。

 熱い夜って物理的な意味だからね。今と同じような夏場だったから寝苦しかったのは今でもよく覚えている。

 それで変な誤解をされたら困るのはおれらだってこと紫は理解しているのだろうか。

 

 

「無駄話はいいから、お前らは早く寝ろよ。おれももう少し夜風に当たったら寝るから」

 

「はあ……分かったわよ。でもこれ以上辛気臭い顔を私達に見せないでよね。此方まで気分悪くなるわ」

 

「熊口様も早くお休みになってくださいね」

 

「はいよ。気にかけてくれてありがとな」

 

 

 相変わらず紫は口悪いが、一応二人共おれの事を心配してくれているようだ。

 そんな二人を見送りつつ、おれは亭の手摺から腰を上げた。

 

 気分は未だに沈んではいる。けれども、二人が話しかけてくれたことで幾分かはましになった。

 

 そうふと軽くなった肩を掠めるように、気持ちの良い夜風が通り過ぎていく。

 先程まではずっと生温かったというのに、どういう風の吹き回しなのだろうか。

 

 

「ちょっと飛んでくるか」

 

 

 たまには何も考えずに飛んで気分転換するってのも良いかもしれないな。

 いやぁ、久しぶりに飛ぶからやり方どうだったっけな。

 確か身体の周りに放出した霊力を纏わせて……よし。久しぶりでも身体が覚えてくれていたみたいだ。これならすぐにでも飛び立つことができる。

 

 

「いざ、出発! _______あれ?」

 

 

 その場で軽く浮けたこともあり、慢心したおれは勢いよく亭を飛び立とうとした。

 が、おれはこの時忘れていた。

 命を消費した力___霊力は己が死なない限り継続する事を。

 幾ら消費しようと死にさえしなければ霊力は元の上限ではなく強化した状態までいずれは回復する。

 まあ、つまりだ。

 そのことを忘れていつもの要領で飛ぼうとしたら勢い余って飛び出し、慌ててしまったせいで制御を失って池に特攻してしまったわけです。

 

 

「……何やっているの」

 

「く、熊口様!?」

 

「……」

 

 

 先程別れた二人が、ダイナミック着水により出た衝撃音に気になって戻ってきたようだ。

 結構な勢いで顔から着水したため、かなりヒリヒリする。馬鹿でかいゴムで叩かれたかのようだ。

 

 

「でもまあ、ある意味頭は冷えたな」

 

 

 たまには水に飛び込んで何も考えずぷかぷか浮くってのも良いかもしれない。空飛べない人にはおすすめするよ。

 

 

「早く! 早くこの縄にお捕まりになってください!」

 

「輝夜、こんなの放っておいてさっさと寝ましょ」

 

 

 



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⑲話 言葉の綾

前回の更新から一年以上ぶりです(本当に申し訳ございませんでした(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠))。
失踪と言っても過言ではない期間更新が途絶えていましたが、これからまたちょくちょく更新予定です。
相変わらず亀更新となりますが、宜しくお願い致します。



 

 

「七……八…………」

 

 

 ___型の見直し。

 

 妖忌との戦いで浮き彫りとなった課題の一つだ。

 今のおれでは、十戦やって一回勝てれば御の字のレベルではあるが、何故か運良く二回とも引き分けという形で済んでいる。

 霊力と地理をフルに使っての素、剣術のみで活用した一生分の力。

 一生分の力を霊力込みで使えればまだおれに分があるのだろうが、それでは駄目だ。

 彼奴は一戦目の時よりも更に強くなっていた。

 悠長に構えていたら、ただでさえ指先で少し触れられるぐらいの差が、今度こそ二度と届かなくなる。

 

 

「九……七十……一…………二」

 

 

 型を元に敵の動きを予測し、どう捌くかをイメージする。

 イメージを広げ、人間の可動域を越えた動きにも対応する型を前の型からの変動のうちに決め、実行する。

 下手すればただただ変な形で木刀を構え、力が入らず相手の剣戟を受け止めることができなくなる。

 これまでの経験則をフル活用し、七十二までの幾通りの不規則な剣戟に対応を可能とした___________が。

 

 

「っつぅぅ……七十二が限界か」

 

 

 おれ自身が生成した霊力剣が、おれの横腹を軽く掠める。

 

 

「…………はあ、はあ、はあ……はぁ」

 

 

 流石に自身で霊力剣で不規則に動かしながらの型の練習は身体だけでなく脳にもくる。

 型の練習が終わるとともにおれは尻餅をつき、これまでに疎かにしていた息を整え始める。

 

 

「もう夕方か」

 

 

 おれは怪我のリハビリという体で都からそう遠くない杉林で修行に勤しんでいた。

 先程までは木々から差し込んでいた陽気が、今では赤く染まり、夜の訪れを示していた。

 

 

『熊口様は……月の民から拒絶されているのですから』

 

「……」

 

 

 修行中は忘れられていたのに、一息ついた瞬間にこれか。

 もうあれから一月は経つというのに、どうしても輝夜姫のあの一言が頭から離れない。一時期は吹っ切ろうとしても、粘りつくように脳にへばり付いてくる。

 輝夜姫に急かして真相を聞くこともできない。おれが焦って事を起こせば、輝夜姫の身にも被害が及びかねないからだ。

 真相を知るのは輝夜姫のタイミング、来たるべき時期が来るのを待つしかない。

 だからこそ落ち着かない。

 じっとしていると自然と貧乏揺すりが出てきてしまうぐらいには。

 

 

「おうおうアンチャン。独りでいるなんて不用心だなぁ」

 

 

 修行の合間、月のことについて思い耽っていると、後ろからそんな声が聞こえてくる。

 ___追い剥ぎか。

 よくもまあ、ご親切に口上してくれるとはね。確実性を取るならまず頭に一発入れてからすればいいものを。

 取り敢えずまあ、良い憂さ晴らしだ。

 気配からして後ろに二人、辺りの木の陰に五人。

 だいぶ身体の調子も戻ってきたところだ。先程の修行の成果、実戦で試させてもらおう。

 

 

「取り敢えず身ぐるみ全部剥がせてもらおうか」

 

「……こんな汗だくの服が欲しいのか」

 

「服が目的じゃねぇよ。お前の()()が目的なんだぜ」

 

「___はあ?」

 

「脚がガクガクになっても、ヒィヒィ喚いてもやめねぇからな」

 

「久し振りの玩具が手に入るぜ」

 

「え、えぇ」

 

 

 いかん、思わず尻を両手で覆ってしまった。

 おいおいまじかよ。そういうのって普通年若い女子にすることだろう。

 正直普通に殺されるよりも嫌かもしれない。

 あれか? 森の中を護衛もつけずに女子一人が出歩く事なんて滅多にいないから、男に走ってしまったパターンか? 

 駄目だ、寒気が止まらん。

 

 

「ごめんな。おれ、そんな趣味はないんだ」

 

「げへへ、おめぇの趣味なんか関係ねぇぜ」

 

「使い潰してやんよ」

 

 

 もしかしたら労働での意味を履き違えているだけかもしれないと淡い期待をしていたが、今の問答の限りガチモンのようだ。

 数百年生きてきて初めての出来事で流石の熊さんも驚きを隠せません。

 おれの鍛錬する姿があまりにも魅力的過ぎてやばいフェロモンを撒き散らしてたのがいけないのかもしれないな。

 

 

「……丁度良いか。おれも大分溜まってきて気持ち悪くなってきたところだし、発散させてもらおうか」

 

「まっ、まさかテメェも!?」

 

「あ、いや、違う……」

 

 

 しまった。今の言い回しだと此奴等と同じ目的に聞こえてしまう。

 おれが言いたいのは一生分の霊力が溜まりつつあって、生活に支障をきたしてきたから放出するって意味だから。

 だからその、尻を守るような素振りはやめてくれ。

 

 意外と体力使うし、霊力放出は加減が難しいから身体強化に全振りするか。恐らく物足りないだろうが。

 加減を間違えて多量の霊力を放出すると目立つうえ、最悪おれらがいるこの山自体が吹き飛びかねない。

 この状態ならば霊弾一つで常人ならば軽く頭が吹き飛ぶレベルに威力が底上げされるのだ。

 _____何故そんなことが分かるのかって? 

 ……そりゃあな、生きてりゃ色々あるもんさ。

 

 

「んじゃ、さっさと処理して都に帰るとするか」

 

 

 そしてこれも色々の一つ。

 此奴等も生きるので必死___かは分からないが、追い剥ぎーー山賊は元は農奴等の生まれつき社会的弱者である者が主だ。

 その社会での重税に耐えかねた者や犯罪を犯して追放された者。

 中には可哀想な奴はいるが、おれを標的にしたことが運の尽きだな。

 

 おれは善人ではない。

 

 自身の命を脅かすのであれば誰であろうと容赦しないし、此奴等は色々と終わっている。

 他者に危害を加えることに愉悦を感じるような奴を生かしておく道理はない。

 

 

「最後の情けで痛くしないでやるから、掛かってきな」

 

「やっぱりお前もそうなんじゃないか!」

 

「なんだよ、仲間じゃねぇか」

 

「……ち、違う」

 

 

 あっ、駄目だ。言い方的にまた勘違いされてる。

 おれはただやむを得ない理由で追い剥ぎやってる奴もいるだろうからまとめてスパッと終わらせるつもりだったのに、なんか汚くなってしまった。

 やめろ! おれの発言に対して汚した解釈するな! 

 

 

 結局、なんだかんだで戦意が削がれたので二度と山賊しないよう叩きのめす程度で済ませてしまった。

 あいつら、ボコボコにされたあとも皆尻だけは守ってやがった……!! 

 

 ま、まああれだけ懲らしめてれば少しは改心するんじゃないだろうか。

 次もし出くわしたときに改心してなかったらそれこそあいつらの運の尽きってことで。

 

 

「結局、全然霊力発散できなかったな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「どうか! どうかかぐや姫を一目見せてはくれませぬか!」

 

「嫁入り前でありますゆえ、ご容赦くださいまし!」

 

 

 屋敷の門前には、ありとあらゆる階級の貴族で溢れかえり、我ぞ我ぞと私宛に拙い恋文や見窄らしい贈り物やらと、私の気を引こうと躍起になっている。

 

 

「流石貴公子の開いた催し物。宣伝効果抜群だわ」

 

 

 屋敷の出入り口からさほど遠くない一室。

 隣で優雅に茶を啜る紫を横目に、私はやる必要もない琴の習い事に興じていた。

 

 

「顔を見たこともない相手によくやるわよね〜」

 

「御室戸秋田って氏族のお墨付きだからじゃない?」

 

 

 御室戸秋田___一応私の名付け親であり、面識もある。

 月の連中の工作だかなんだか知らないけれど、私の本名と同じ名をつけてくるなんて、最初に聞いたときは吹き出しそうになったわ。

 

 いや、そんなことより____

 

 

「ねぇ、熊口様はいつ帰ってくるのよ〜。熊口様成分が足りなくて今には餓死しそう」

 

 

 何の因果か、これまで探し求めてきた御方が地球に降ろされてまもなく再会できた。

 幾度も幾度も幾度も幾度も、彼に逢いたいと願っていた。

 衛星探知を用いて六万三千五百七十二年と三ヶ月探しても見付けることができなかった。月の技術の結晶である最先端の衛生探知機を用いても、だ。

 結局は捜査は打ち切られ、以降は私がくすねた霊力探知機で個人的に行方を追っていたが、成果は得られなかった。

 だが、彼と再会したときに解った事がある。

 霊力の質が変わっていたのだ。

 誰かから干渉を受けたからか、とにかく普通ではありえない事だ。相性によっては霊力を分け与えたりすることは可能だが、他人の霊力の質が変わるほどなんて、それこそ一極分の確率で相性が合わなければ己の身体を蝕む事態になりかねない。

 きっと止むを得ない事情があったのだろう。

 古代都市の爆発に巻き込まれた際とかに異常変化が起きたりしたのかもしれない。

 

 結果、その事もあって私が月に降りるまで見つけることができなかったのだ。

 けれども、霊力の質が変わっても尚、彼と再会した際は一目で熊口様であることを理解することができた。

 あまりにも唐突過ぎたせいで、想いが溢れて奇声を上げて気絶してしまった程だ。

 ほんと、熊口様の知り合いから半ば強引に手に入れた写真を集めたプロマイドを毎日眺めていた甲斐があったわ。

 

 

「門前にあれだけ見てくれだけは良い男達が揃っ てるのに、贅沢ね」

 

「どこがよ。あんなの、熊口様のグラサンにも遠く及ばないわ」

 

「それは相当なほど低いわね」

 

 

 何故最先端の衛星探知機が見つけられなかったのか未だに不明だが、今はそんなことはどうでもいい。

 今はもう、熊口様が御側にいるという事実だけでもう胸が一杯よ。

 

 

「ずっと気になってたけど、なんで輝夜はそんなに生斗の事好いてるのよ。一度命を助けられたからにしては異常じゃない? あまり貴女の前で言うべきではないのかもしれないけれど、傍から見てもそんなに魅力的な人には見えないのだけれど」

 

「二度よ」

 

「えっ?」

 

「私は二度熊口様に命を救われたの。いや、救われたという点で言えばもう数え切れないわ」

 

「……どういうこと?」

 

 

 膨大な刻の中、娯楽の少ない息の詰まるような環境の中、永琳からたまに聞かされる昔話が楽しくて仕様がなかった。

 なんて愉快な人なんだろう。なんて格好いいんだろう。なんて優しい人なんだろう。

 

 そう想いを馳せている一時は、時間を忘れられた。

 だから他者から見れば地獄とも取れる捜索も一人で続けられた。途中から地上の民の生活を見るのも楽しくてついでみたいになってしまったけれど。

 

 あまりにも永い悠久の中、私はある意味彼を利用してきたのだ。

 理想を高めすぎたりしていた点はあるが、それでも今の熊口様は私にとって____

 

 

「ま、この話はいいでしょ。ってことで琴はおしまーい!」

 

「あっ、こら! まだ終わらせないわよ」

 

「紫ばっかりまったりしてて狡い! 紫膝枕して!」

 

「あーもう……」

 

 

 紫も甘えさせてくれるし、熊口様はいるし、お爺さん達も優しいしで、今が最高の環境であることは間違いない。

 あーあ、こんな日がいつまでも続けばいいのに。

 

 

「輝夜姫! こんなにも殿方から恋文や贈り物が来ておりますぞ! って何を寝転がられておられるのですか!」

 

 

 と、寝転がりながらな欠伸をしているところに、大量の塵を抱えたお爺さんが障子を開けて入ってきた。

 これから休もうって時に間が悪いこと。

 

 

「……父上。申し訳ありません……少々目眩がしておりまして、紫に無理を言ってお暇を頂いておりました」

 

 

 丁度今とっている体勢は、回復体位に似ているため、言いくるめられればあたかも本当に体調が悪いように見せられる。

 

 

「ややっ、そうだったのですかな。紫殿、姫は大丈夫なのでしょうか」

 

「……」

 

 

 ジト目で私の顔を見る紫。

 お願い合わせて! と言わんばかりにウィンクを連発する私。

 紫は更に眉間に皺を寄せはしたが、一度小さなため息をついて____

 

 

「目眩は恐らく稽古のやり過ぎでしょう。少し休憩させればすぐに良くなるわよ」

 

 

 と、意図を汲み取って援護をくれる紫。

 やっぱり持つべきは友ね。なんだかんだ言って紫は助け舟を出してくれる。

 

 

「そ、そうでしたか! それなら安心しました。今日はもうお休みになられてください。話は通しておきます故」

 

 

 そう告げると大量の塵を抱えたまま、この部屋を後にするお爺さん。

 

 

「やったわね! 紫!」

 

「貸し八つ目ね」

 

「げっ、そんなにあったかしら」

 

「これでも大分譲歩した方よ」

 

 

 今日の稽古が全部無くなった事に歓喜する束の間、紫の貸し量の多さに項垂れる。

 一日に何回か頼み事しちゃってるし、紫の言う通りかなり譲歩をしてもらっての八つ目なのだろう。今の他にも稽古の教官を紫に代わってもらったり、熊口様特製の笛貰ったり……そういえば密談の件もある。

 果たして、紫に借りを返すことはできるのか不安になってきたわ。

 

 

 



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⑳話 境界の的外れ

「はいやあああ!!」

 

 

 今日も今日とて上がる奇声に飽き飽きしながら、迫りくる剣戟を受ける昼下り。

 霊気を感じる特訓と視覚を頼らない戦いを想定しての特訓を兼ねるため、おれは目隠しをした状態で相対す。

 

 

「ぐぎゃぱ!?」

 

 

 流石に相手側からしたら舐められているにしても大概な話なんだが、ここは催し物での戦いで軽く負傷して休ませているということで話を済ませている。

 まあ、それで戦うって時点でかなり大概だが。

 

 

「くっ、くそう……」

 

 

 くそうと言いたいのはおれの方だよ……

 

 催し物の一件以降、お爺さんの屋敷には輝夜姫への恋文だけでなく、おれ宛の果たし状が後を絶たなくなっていた。

 何故恋文ではなく果し状なんだ。

 どんだけ都の連中は血気盛んなんだか。

 

 

「ふうぅ」

 

 

 血気盛んな若人を一人に現実を見せつけたおれは、一礼してその場を後にする。

 あれは数刻は彼処に蹲る事だろう。

 やられた相手に介抱されれば彼奴の立つ瀬もなくなるので、ここは予め頼んでおいた女中に一任しておく。

 

 

「頼みました」

 

「畏まりました」

 

 

 はあ……これで本日五戦目。眼に頼らない戦いは何度かしたことはあるが、やはり緊張感が違うな。

 木刀での戦闘とは言え、普通に人を殺せる威力は出せる。おれならば、やろうと思えば両断することも可能だろう。

 それに一応お爺さんとこの用心棒として雇われている手前、下手に負ければ抑止力としての機能がなくなってしまう。

 

 

「お疲れ様でした」

 

「おわっ、輝夜姫」

 

 

 縁側から屋敷へと入り、そのまま湯浴みでもしようかと廊下を歩いているところに、後ろから輝夜姫から声をかけられた。

 

 

「近くにまだ余所者いるんだから、あまりほっつき回らないほうがいいぞ」

 

「大丈夫でしょう。あの方、既に気を失われていましたもの」

 

「み、見てたのか」

 

「一人目からずっと観戦させていだきました」

 

 

 障子からこっそり見ていたのだろうが、女中やお爺さん以外に見ていたなんて全然気付かなかった。

 もしかしてまた紫の奴が一枚噛んでるのか。

 

 

「……熊口様、御顔を此方へ」

 

「んっ? なんか顔についてるのか」

 

「はい。首元に羽虫がついておりますので、動かないで下さいね」

 

 

 そう言いながらおれの首元へと手を伸ばす輝夜姫。

 なんだか姫様に無視を触らせてしまうのも気は引けるが、既に伸ばされた手を突っぱねるのも申し訳ないので、大人しくしておく。

 

 

「あ"っ」

 

「おっ」

 

 

 双方が近付く最中、ふと輝夜姫と目が合う。

 すると輝夜姫は伸ばしかけた腕を止め、そのまま石のように静止してしまう。

 ほんの数秒……いや、数瞬での出来事ではあるのだが、絶世の美少女を間近で目を合わせてしまった事に多少たじろいでしまいそうになったおれは苦し紛れに目を逸らそうとした____

 

 

「だ、大丈夫か輝夜姫!?」

 

 

 ____が、眼前の輝夜姫の鼻から一筋の血が流れたことにより逸らすことができなかった。

 

 

「すすすすすいません! 御目汚しをしてしまいまままました!!!?!」

 

「あー! こらこら着物で鼻を拭いたら勿体ないだろ! この布使ってくれ」

 

「そそそんなに近付かれないで下さいまし! ふぇ、ふぇりょもんが!!」

 

「ふぇりょもん? 何言ってんだ。取り敢えずはい。これで血を_____」

 

「ああああこ、ここ、これ熊口様の匂いがします! んむっ!」

 

「何故食べた!?」

 

 

 予想外の出来事の連続で脳がパニックを起こしそうだ。

 鼻血を出した瞬間取り乱したし、おれのハンカチを食べる奇行に走りだす。

 うわっ、なんかさっきよりも鼻血の勢いも増したし大丈夫かこれ?! 

 

 

「大変よ! 輝夜が生斗成分の過剰摂取によりパニックを起こしているわ!」

 

 

 独りでどうしたものかとドギマギしているところに、颯爽と襖を開けて登場してくる紫。流石紫、困ったときに助けてくれるのはいつもお前だ。

 

 

「ゆ、紫! 良いところに来たって……おれ成分ってなに?!」

 

「ひゃんかちおいひい(ハンカチ美味しい)」

 

「咀嚼しない! あっ、出しなさい! 飲み込んでは駄目! 変な病気が感染るわよ!」

 

「んー!」

 

「その言い方だとおれが何かしらの病源菌を抱えてることになるんだが!」

 

 

 いかん、紫が来たことにより更にカオスになってきてる。

 ていうか輝夜姫、不意に鼻血を出して動揺したにしろ、パニクり過ぎなのではないだろうか。

 なんでおれのハンカチを食べた。うつ伏せになった状態で、紫が吐き出させようと背中を叩いてるのに首を振って拒否してるし。

 

 

「か、輝夜姫? 早く吐き出さないと消化不良起こすぞ」

 

「カヒュッ」

 

「生斗はあっち行ってて! これ以上喋ったら輝夜が出血死するから!」

 

「え、えぇ……」

 

 

 おれが何をしたって言うんだ……

 と、取り敢えずはこの場にいたら駄目であることは判ったので離れるとするか。

 

 輝夜姫はあれなのだろうか。鼻血を出すと変人になるスイッチでもあるってことなのだろうか。

 確かに、ある事がトリガーで性格が激変する奴はいる。輝夜姫の場合は鼻血がトリガー……ってところか。

 まあ、落ち着いたら改めて聞けばいいか。

 折角超絶美少女なのに勿体ない_____

 

 

「あと生斗」

 

 

 この場を離れようと、頭を掻きながら歩を進めようとすると紫がおれを呼び止める。

 なんだ、やっぱりおれの介抱が必要になったか。

 

 

「後で私の部屋に来て。話して置きたいことがあるの」

 

「んっ? 急に……」

 

 

 神妙な面持ちでそう言い放つ紫に、疑問を抱いたおれは反射的に質疑を吐き出そうとする。が、紫は直ぐ様輝夜姫の介抱へ意識を戻したため、心の内に留めておくことにするか。

 後で部屋に来いって事だし、今後の立ち回り方について話し合いたいとかそんなもんだろう。

 

 そう考えに至ったおれは、少し冷めてきた汗を流しに行くべく、湯浴みへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「お〜い、来たぞー」

 

「遅かったわね。待ちくたびれたわ」

 

 

 おれの呼びかけを襖を開けて応答する紫。

 少しばかり湯浴みに時間が掛かってしまった。

 だが、紫は特段怒りを見せる様子もなく、部屋へと招いてくれた。

 

 

「輝夜姫はどうだった。少しは落ち着いたか」

 

 

 既に用意されていた座布団に腰を下ろしながら、先程の輝夜姫の様子を尋ねてみる。

 すると紫はやれやれといった様子で、

 

 

「うつ伏せになった状態でぶつぶつと自責を呟いてたわ」

 

 

 と肩を竦めた。

 そうか。一旦は正気を取り戻してくれたようだ。

 

 

「吐き出した布は洗って返すそうよ」

 

「いや、流石にそれは捨ててくれ」

 

「そう。輝夜も喜ぶわ」

 

「えっ、なんで?」

 

 

 おれの質疑に怪訝気な表情となる紫。

 今おれなんか変なことを言ったか?

 さっきから輝夜姫の行動と言い、紫の言動と言い、何かしらおれに原因がある節がある気がする。

 折角だし、そのことについても言及してみるか。

 

 

「なあ、もしかして____」

 

「まあいいわ。この話は置いておきましょう」

 

「お、おう」

 

 

 しかしながら、紫にぶった切られてしまった。

 どうやらおれを部屋へと招き入れたのは、これが本題ではないらしい。

 

 

「今日、貴方を呼んだのは今後の方針についてよ」

 

「やっぱりそうか」

 

 

 ん〜っ。どうしたものか。

 おれも当初はほぼ固めていた予定があったが、今はそれも有耶無耶になっている。

 正直、どうしたものかと四苦八苦しているところだ。

 

 

「私は、輝夜が婚約したらこの家を出るわ」

 

 

 おれも当初はそう考えていた。

 だが、状況が変わった。輝夜姫は月の住人であり、今は罰として地球にいるがいずれはそれも解け、月へと還るだろう。

 出来ればそれに付いて行きたいが、付いて行けないのかもしれない。

 ほんと、どうしたものか。結局は輝夜姫の回答待ちっていうのが本音だ。

 そのことについて、紫にどう説明すればいいのやら_____ちょっと待てよ。おれの聞き違いか? 

 

 

「"私は"……?」

 

「そうよ。生斗はこの屋敷に残るの」

 

「それってまさか、自立するってことか」

 

「そのつもりだけれど」

 

「………………………………う"っ」

 

「泣いてるの?」

 

 

 いかん、急に涙腺に来た。

 そうか、遂に紫も独り立ちする日が来たか。

 短いようで意外と長い時を一緒に過ごしてきた身からすると感慨深いな。だけど少しの寂しさもある。

 なんだか凄く不思議な感覚だ。

 

 

「すまん、続けてくれ」

 

「え、ええ……それでね。生斗に見てもらいたいものがあるの」

 

「見てもらいたいもの?」

 

 

 紫はそう言うと目を瞑り、深呼吸をして息を整える。

 なんだいきなり畏まって。

 まるで重大な秘密を暴露するみたいに。おれと紫の仲だろうにそう大したものではないだろうに。

 

 

「_____開いて」

 

「なんだ、これ」

 

 

 片手を広げ、紫が何かを呟くと、指先の空間が歪み、裂けていく。

 決して大きい裂け目ではない。だが、その裂け目の先は暗く、所々照らしているのは無数の眼球であった。

 

 

「私は、論理的な境界を操る事ができるの」

 

 

 ありました。紫さん私に隠していることガッツリありました。

 おれと紫の仲って思った手前、なんか滅茶苦茶恥ずかしいんだが。

 いや、それよりも____

 

 

「論理的な境界?」

 

「境界とは万物にある切っても切り離せない概念。地上と海の境も、生物の存在の境も。物理的には出来ないけど、概念として成立すれば操る事ができるわ」

 

「例えば?」

 

「この空間の裂け目。物理的に割っているわけでないの。現と幻の境界を弄って出してるの。今は曖昧にしているから裂け目として出ているけど、やろうと思えばここら一体の現実は存在が幻想となり、周りからは認知されなくなる……と思う。これ自体はまだ試したことがないからなんとも言えないけれど」

 

「は、はへぇ」

 

 

 思わず変な声が出てしまった。

 紫の能力バケモン過ぎじゃないか。

 こんなドチート、おれがいなくてもどうとでもなったんじゃないか。

 いや、それだと妖怪となって四日目にして誰も信じられなくなってたかもしれないし、やっぱりおれ必要だな! うん、ある意味世界救った立役者かもしれない、おれ。

 

 そうか、紫はそんな業の深い能力を持って妖怪となってしまったんだな。

 そりゃあ今の今までおれにすら秘密にしていた訳だ。

 

 能力を話して襲われた前例がある紫は、賢いからこそ慎重になっていた。

 おれが能力を知れば危険因子として殺しに掛かってくるのではないかと。

 それが怖くて今日まで話せなかったのだ。

 

 でも、今、この時に紫はおれを信じて打ち明けてくれた。能力の話を。

 何の変哲もないこんな昼下がりに。

 しかも割りと急に。

 

 勇気を振り絞って、賢明な彼女がリスクを顧みず話してくれたというのに、それを無下にする事が出来るだろうか。

 

 否、おれはそこまで畜生ではない。

 

 生死すらも操ることができるであろう紫に若干の恐怖を感じたのは事実である。

 だが、そんなことよりも紫はおれにとって家族同然の存在だ。刃を向けようだなんて粉微塵としてない。

 

 

「紫、おれは_____あっ」

 

「……」

 

 

 おれが発言しようとすると、紫が少しだけビクリと身体を揺らす。

 やはり、おれの考えは当たっていたようだ。

 いや、それよりも今、紫を元気付けようとしたが、あるとんでもない事実を発見してしまった。

 

 これを確かめずして次の話題には移れない。

 

 

「その境界、もしかしてだけど……収納とかできたりする?」

 

「へっ?」

 



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㉑話 相も変わらず

「その境界、もしかしてだけど……収納とかできたりする?」

 

「へっ?」

 

 

 自身の能力を明かし、生斗の反応を窺っていた矢先、予想の範囲外からくる質問に私は素頓狂な声を上げる。

 

 

「可能だけど……」

 

「おい〜〜!! それならもっと早く教えてくれよ! 旅もっと楽できてたじゃん!」

 

 

 頭を掻きむしり、悔しそうに苦言を溢す生斗。

 

 えっ、そんなこと……ていうかその程度? 

 

 

 私は怖かった。

 彼は理由があらば殺生に一切の躊躇がない。先程まで軽口を叩いていた者の首でさえ切り落とすことだってある。

 生殺の線引はあるが、私の能力は自身でも持て余すほど強大であるため、超えている可能性が非常に高い。

 だけれど、私はそんな事よりも_____

 生斗から向けられるかもしれない嫌悪の視線に、これまで一度としてされなかった侮蔑の表情をされることが堪らなく怖かった。

 

 されども、明かさずにはいられなかった。

 命を救ってくれ、ある程度独り立ち出来るまで育ててくれた恩人に、隠し事をしたままで別れるのは、違う。

 生斗にそう教えられたからではない。

 私のこれまで培われてきた偏見が異議を唱えているのだ。

 

 だから話した。

 何もきっかけもないこの昼下がりに。

 だからこそ話した。

 何時までも時期を窺っていれば良いというものではない。それこそ話す機会を失う恐れがあるから_____いや、言い訳はやめよう。この時期が一番言い易い環境であったからだ。もし生斗が事を荒立てようとしたとしても、柵のある今の状況であれば、すぐに行動を起こすこともない。そう無意識のうちに判断し、気付けば実行していた。

 

 

「それだけ、なの?」

 

 

 正直、生斗が悩んだような素振りをしていた時、自身でも分かるほど心臓の鼓動が速くなっていた。

 額には雫が滴り、唇は小さく震えた。

 いっそのこと、彼の応答を待たずしてこの場から消えてなくなってしまいたいとさえ思えるまで身体は強張っていた。

 

 

「それだけって、おまっ、結構重いんだぞ荷物!」

 

「そ、そういうのではないのよ。私が怖くないの?」

 

 

 私の能力は、使用を誤れば天変地異を起こす可能性すらある劇物。この都でさえも災害を齎すことも容易にできる。

 それは生斗も理解できた筈。なのに何故こうも平然としてられるのだろうか。

 私が生斗の立場であれば、このような態度は決して取らない。否、取れない。

 どうしても今までのような態度は取れず、ふとした時には身構えてしまうだろう。

 

 いつもと変わらぬ態度に、一縷の安堵よりも不安が勝る。

 

 

「んっ? ……ああ、あれか? おれがお前に警戒心を抱かなかった無いことを不思議に思ってる感じか?」

 

「そう。下手すればこの都ですら崩壊させかねない能力なのよ。いつもの生斗なら______」

 

 

 私が生斗に対し、らしくないと発言しようとした瞬間、彼は言葉を遮るように左手を私の前に置き、静止させた。

 

 

「紫は無闇矢鱈に人や妖怪を殺したいと思うか?」

 

「お、襲う訳ないじゃない。私自身を襲って来ない限りは____」

 

 

 私はふと、己が反射的に発した言葉に引っ掛かりを憶えた。

 今の発言、何処かで聞いた事があるような……

 

 

「なら大丈夫だな。紫、お前ならそう遠からず能力も使いこなせるだろ」

 

 

 そして生斗の、あまりにも楽観的な発言により、私は以前の記憶を想起した。

 

 

『んじゃ、紫はおれを襲うのか?』

 

『お、襲うわけないじゃない。命の、恩人なんだから』

 

『なら大丈夫だな。紫も早く寝ろよ』

 

『えっ、え? そんなので信用できるの?』

 

 

 私の妖生の分岐点とも取れる、生斗との邂逅。

 その際に言い放った彼の台詞が、私の記憶の片隅から呼び起こされる。

 

 ____そうだ。生斗はそういう人なんだった。

 

 どこまでもお人好しで、面倒くさがり。嘘が下手でお調子者。

 

 己が安全だと認識した相手には、初日だとしても平気で背を向ける彼が、私に嫌悪感を抱くことなど、ましてや刃を向けることなどある訳がなかったのだ。

 

 これまでの私の不安が、ただただ杞憂でしかなかった。

 

 

 こんな簡単な事、何故今まで解らなかったのだろう。

 

 

「……ふふっ、あははは!」

 

「うおっ、急にどうした」

 

 

 不思議と笑いとともに右目から涙が込み上げてくる。

 

 

「ははは! ぷふっ、ご、御免なさいね。なんだかこれまで考えていたことが馬鹿みたいでね」

 

「考えてたって。もしかしてそれってお前が能力明かしておれが殺しにかかるんじゃないかって事か? おれがそんなことするわけ無いだろ」

 

「そうそう! そうよね! はあ〜スッキリした!」

 

 

 やはり生斗も私が恐れていたことを把握していたようね。

 もしかしたら、収納云々も生斗なりの気遣いだったのかも。

 

 

「それじゃあ、これでお互い秘密も無くなったことだし。ここらで一丁握手でもしとくか?」

 

「なんでよ。今更恥ずかしい」

 

「今更、ではないだろ。そもそも握手っていうのはお互いを信頼するっていう意思表示なんだからな。現に紫はおれを疑ってた」

 

 

 意地悪な表情で私を詰める生斗。

 本来握手とは敵意がないことを示す意思表示であるため、生斗の持論もあながち間違いではないのが悔しいところだ。これじゃあ断りづらいじゃない。

 

 

「まあ、そうね? そんなにしたいのならしてあげなくもないわよ」

 

「素直じゃないな紫は。まだ反抗期か?」

 

「まだって何よ」

 

 

 私がこれまで生斗に反抗的であったことがある? 確かに最近はたまに鬱陶しいと思うことはあったけれど……

 そんな私をやれやれといった風に見つめる生斗。しかし彼の腕は既に私の前へと置かれていた。

 

 

「ほら」

 

「……」

 

 

 差し出された右手を見やる。

 

 傷だらけで、私よりも一回り大きい。

 幾許の戦いにより異質な皮へと変形したその掌には、これまで何度も救われてきた。

 

 ____次は私が生斗に孝行する番だ。

 

 そう決意した私は差し出された右手を強く握り締めた。

 すると生斗は仄かに笑い、

 

 

「改めて、これからも宜しくな」

 

 

 と、強く握り返してくれた。

 強くとも痛いとは感じない程度の強さに、安心感を憶える。

 ほんと、この人は……

 

 

「ふふっ、私を助けてくれた事、誇りに思える日がきっと来るわよ。ねっ、_______

 

 

 

 

 

 

 

 ______お父さん?」

 

 

 

 瞬間、生斗の涙腺が崩壊したのは言う迄も無い。

 

 ……なんだか、そう何度も泣かれるとちょっと此方まで恥ずかしくなるわね。

 



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㉒話 意外な来訪者

 

 

 優雅に空を飛び交い、幾度もの鳥影がおれを通過していく。

 

 時は夕暮れ。

 己の最後を告げるが如く、紅く染めゆる陽光が縁側にまで射し込んでくる。

 

 漸く訪れた閑静なひと時だ。

 昼下がりまで姫へ求婚をせがむ貴族らへの対応と、果たし状の処理であっという間にもうこの時間だ。

 

 身体はもう疲労困憊でこれから何をしようとする気すら起きない。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 何処へ行くかも不明な鳥達を呆然と眺めながら、おれはため息をつく。

 

 

「_____お父さん、か」

 

「やめてちょうだい」

 

 

 奥の部屋で編み物をしている紫が光の速度でおれの発言を戒めてくる。

 なんなら「おと」の段階から此方に振り向いて来たからなこの子。

 

 

「そんなに恥ずかしがることじゃないだろ。おれはお前の"お父さん"なんだから」

 

「次その弄りをするのなら、貴方の頭に鏡餅ができるわ」

 

 

 汚物を見るような眼で訴えかけてくる紫を尻目に、おれは沈黙という形で返答する。

 これ以上の発言は生命に関わりそうだ。

 

 にしてもお父さん。お父さん……か。

 これまで言われたことがなかった言葉だ。

 確かにおれは紫の保護者的立ち位置として果てのない旅路に同行させていた。

 紫自身がそう感じていても可笑しくはないし、おれ自身紫の成長に対して、一個人としてではなく、家族的な感情で喜んでいた節がある。

 

 そうだよな、紫からしてみればおれは父親みたいなもんなんだ。

 これまでの旅の目的が水泡に帰したとはいえ、紫にとっては無駄ではないし、おれだって無駄だとは思っていない。でなければこれまで出会ってきた奴らに失礼だ。

 

 

 いつまでもうじうじしちゃいられないよな。

 割り切るしかないというのはずっと思っていたが、今回の一件で踏ん切りがついた。

 

 

 _____おれは諦めない。

 

 月の連中が幾らおれのことを嫌ってたって、一目でもいいから顔を拝んでやる。

 あいつらはもうおれが生きてることを認知しているだろうが、おれがした一方的な約束は傍迷惑でしかないが、そんなこと知ったことではない。

 これまで無礼を働きまくってきた身だ。今更人の顔を窺って諦めるのはおれがおれではなくなる。

 

 

「紫、おれの背中を見てろよ」

 

「……はあ、もう充分に見たわよ」

 

 

 ありゃ、てっきり拳が飛んでくると思っていたが、意外にも大人な対応をされてしまった。

 輝夜姫と過ごしているうちにまた成長を促してしまったようだな。紫、恐ろしい娘……!! 

 

 

「熊口殿、ここにいらっしゃったか。おっ、紫殿まで」

 

「……お爺さん、どうしましたか?」

 

 

 おれを探していたであろうお爺さんが襖を開け、呼びかけてくる。

 お爺さんが来たってことは、また厄介事でも舞い込んできたのだろうか。相当なことでない限り、大人な紫に任せる所存だぞ、今のおれは。

 

 

「実は熊口殿に客人がいらしましてな」

 

「こんな時間に?」

 

 

 おいおい、また立会しろとかそんなんじゃないだろうな。

 もう今日だけで二十人も相手したってのに、いい加減にしてほしいもんだ。てか、ここ最近二桁台返り討ちにしてるというのに、なんで日に増して果たし状が届いてるんだ。なんだ、みんなマゾなのか。

 それならもう果たし状なんて格好つけないで素直に木刀で痛めつけてくださいって頭を垂れに来てほしい。多分絶対拒否するけど。

 

 

「……久しぶり」

 

「妹紅か!!」

 

「あら、この間の」

 

 

 お爺さんの後ろからヒョコっと現れたのは、何時ぞやの藤原家の娘、妹紅であった。

 まさか本当に遊びに来てくれるなんて、思ってもみなかった。

 

 

「熊、久しぶりだな」

 

「え、ええ、よ、妖忌ぃ?」

 

 

 まさかのまさかの、妹紅だけでなく妖忌までお爺さんの後ろから登場してくる。

 何だ何だ、妹紅だけでなく妖忌まで来るということは絶対に何かあるだろ。

 

 

「二人ともお久しぶりね。元気してた?」

 

「うん、最近は少し快適だよ」

 

「熊の連れか。催し物の時は済まなかったな」

 

「ええ、あの時は恐怖のあまり涙袋が決壊しそうだったわ」

 

「くくく、嘘を付け。あの状況を楽しんでいたであろう」

 

 

 紫さんはこの状況に早くも適応して軽口まで叩いている。

 明らかにこの状況はおかしい。確かに以前、おれは妹紅に遊びに来いと誘った。

 だが、それに藤原家の不比等さんだっけ? の用心棒である妖忌が態々妾の子である妹紅と行動を共にしているのに不気味でならない。絶対に何か裏がある。

 

 

「妖忌、恐らくお前は妹紅の護衛として来てるんだろうが_____誰から命令された」

 

「会って早々不躾だな。無論、不比等殿だ」

 

 

 やはり、か。

 難儀なもんだな、政ってのは。

 使えるのなら妾の子だって使う。

 ___まあいい。ここは取り敢えず歓迎しておくか。

 

 

「(やはり、生斗も気付いたようね)先ずはお茶でも出しましょうか。その辺りにでも座って寛いでおいて」

 

「いやいや、お茶は女中にでも持ってこさせます。それでは、ごゆっくり」

 

 

 そう言い放つとお爺さんは襖を閉め、この場を去っていく。

 

 

「まあまあ、こんな時間に来たってことはあれか? 飯でも集りに来たか」

 

 

 さてさて、お客さんなら座布団を用意しないとな。

 ということで重い腰を上げ、端にあった座布団を二枚取り出し、それぞれ適当な位置に配置する。

 

 

「んなわけないって言いたいところだけど、生憎ご飯はまだなんだよね」

 

 

 妹紅がお腹をさすりながら座布団に正座する。

 なんかいつもの態度と違うな。いつもはもう少し棘っ気があった気がするんだが。

 

 

「それじゃあ厨房に……」

 

「大丈夫だ。先程翁殿に言伝てある。あと、今日は泊まるので悪しからず」

 

「えっ、泊まるのか」

 

「用心棒がいるとはいえ、生娘を夜に出歩かせる訳にはいかないでしょう」

 

 

 まあそうか。とは言うものの、夜を出歩かせるのが危険なら何故こんな夕暮れ時に来たのだろうか。

 

 

「あのさ、生斗。聞いてくれる?」

 

「おっ、なんだ?」

 

「実はさ、この前父上と初めて話したんだ!」

 

「……そうか。良かったな」

 

 

 薄々判っていた。妖忌がここにいる時点で。

 

 

「それでさそれでさ! すっごい優しくしてくれるし、母上も機嫌が良くてさ。やっぱりこの前の催し物が大好評だったからかな?」

 

「まあ、それが大きいだろうな」

 

「それじゃあ感謝だね。二人共ありがと!」

 

「お、おう……」

 

「私は納得してないがな」

 

 

 妹紅の笑顔が辛い。

 父の優しさが、母の機嫌がいいのが、偽りのものであるということを知られたくない。

 

 _____妹紅は今、政の道具とされている。

 

 果たし状にて一騎打ちでおれを倒し、名声を手に入れようとする輩と同じように、藤原不比等はおれを取り込む事で更なる地位の向上を図ろうとしているのだ。

 

 ……流石に力を見せ過ぎてしまったか。

 こういう政の、ましては人間のドロドロとした権力争いが嫌でこれまでお偉いさんとの関わりのない旅を続けてきたというのに。

 

 おれは己の地位に甘んじてふんぞり返っている連中が嫌いだ。

 その背景として副総監の存在が大きいと思う。

 

 大衆の事を考えず、己の欲と保身にしか眼のない奴を見てるとぶん殴りたくなる。

 

 権力がないと何もできないし、力がないと権力は持てない。

 

 それは判っている。だが、これまで蔑ろにしていた妹紅に掌返しをしている様が、なんともまあ、気持ちが悪い。

 

 

「今日はさ、生斗のことを教えてよ。なんでそんなにまで強くなったのとか、紫と会った経緯とか!」

 

 

 それを知ってか知らずか、満面の笑みを見せる妹紅。

 今までの態度がまるで嘘かのように年相応の姿を見て、これが妹紅自身の本来の姿なのだと分かる。

 

 

「ふっ、いいぞ。このおれの英雄譚を聞きたいとは妹紅お主、見る目があるな。今夜は寝れるとは思わないことだな!」

 

 

 でも、妹紅が今の状況を幸せと感じているのであれば、それを壊してしまうようなことは出来ない。

 折角明るくなったんだ。傘をさすような真似はしたくない。

 

 

「この前は妖忌だけ自分語りをして気持ちよくなってたからな。妹紅のご要望とあらば幾らでもしてやろう」

 

「気持ちよくなってなどおらんぞ」

 

「えっ、妖忌もなにかあるの? 折角だし聞かせてよ」

 

「あまり聞かない方がいいわよ。取り敢えず生斗の頓痴気話でも聞きましょ」

 

「!?」

 

 

 藤原の不比等さんのとこの駒となる気はないが、おれが有力であり妹紅と関わりがあるという事実がある限り、彼女の扱いが悪くなることはないだろう。

 

 予想だにしない状況であったが、見方を変えれば儲け話だ。

 下手に崩すようなことをしないのが吉であろう。

 

 そうと決まれば、皆大好き自己満自分語りだ! 

 どこから話してやろうか。

 いかに自分が十八歳であるかのように話さないとな! 

 

 

「あれはおれが十二歳の時か。洩矢という______」

 

 

 それからは嘘と真を半々ぐらいに混ぜ、何世紀にも渡る内容を六年間に凝縮して語り尽くしました。

 

 勿論、途中で辻褄が合わなさすぎて嘘だとバレました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 〜生斗の部屋前〜

 

 

「(きぃ! 誰よあの二人! 私を差し置いて楽しそうに団欒して!!)」

 

「姫様、もう夜更けでございます。そろそろ寝床につかねば……」

 

「煩いわね! 今日はもうここで寝るから布団持ってきて」

 

「ろ、廊下ででございますか?!」

 

「何よ。なんか文句でもあるの?」

 

「めめめ、滅相もございません! 直ぐお持ちいたします!」

 

 

 いけない。女中に少し八つ当たりをしてしまったわ。

 しかし、あの二人は本当に誰? ___いや、一人は見覚えがある。

 確か催し物で熊口様と決勝で相対した妖忌とかいう奴だったわ。

 見る限りじゃ、あの小娘の用心棒として来ている感じね。

 熊口様に用事できているということを小耳に挟んだので盗み……聞き耳を立てていたのだけれど、なんとも親しげに話して!! 

 

 まさかあの小娘、熊口様を狙っているんじゃ!? 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ______駄目、絶対に許さない。



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㉓話 見え透いた目論見

 

 

 

「熊よ。折角の泊まりだ。私と手合わせせぬか」

 

「何が折角だ。こっちは日中手合わせしまくってクタクタだってのに、妖忌まで相手してられっか」

 

 

 今宵は、満月。

 地上は闇に覆われているのにも関わらず、夜空に己の存在感を誇示するかのように光り輝く衛星。

 

 それを肴に月見酒を決め込んでいる最中であったが、妖忌が酔いに呑まれてとち狂った提案をしてくる。

 

「それにしても済まなかったな。書状も出さずに此処へ来たのは流石に無礼であった」

 

「いんや、別に。どうせ妹紅や妖忌の判断で来たわけじゃないんだろ」

 

 

 紫と妹紅は既に床についた。

 今客間にいるのはおれと妖忌のみ。実際こいつとは腰を据えて話がしたかった所だったし、丁度良い機会だ。

 

 

「察しはついているようだな」

 

「露骨過ぎるし気に食わないんだよ」

 

「そう言ってくれるな。今は私の主でもあるのだから」

 

 

 誰とは言わないが、これまで蔑ろにしていた娘を使って懐柔してくるのなんて、怒りを通り越して哀れに感じるくらいだ。

 おれにとって第一印象でもう信用ならないのに、今更鞍替えなんてするつもりはない。

 今の立場を利用はするが。

 

 

「不比等殿は、熊と輝夜姫、どちらも手中に収めようとしておられる。近々他の貴公子とともに面談の予定も立てられているそうだ」

 

「中々に強欲で傲慢だな。ある意味尊敬するよ」

 

 

 お猪口に残った濁酒を一気飲みし、また注ぐ。

 このご時世、それぐらいの向上心があった方が逆にいいのかもしれないのか? 興味はないけど。

 

 

「んっ、ていうか輝夜姫? あん人、うちの姫まで狙ってんの?」

 

「ああ、そうだ。都中噂になるほどの絶世の美女として名を轟かせている。不比等殿が狙われるのも不思議ではない」

 

「ん〜、まじか……そういえば妖忌も輝夜姫が途轍もない美人だからって誘拐したんだったな。良かったな、お爺さんに顔が割れてなくて」

 

「あれは本当に申し訳ないことをした。あの時の私は頭に周りが見えていなかった。冷ましてくれたのは熊、お前のおかげだ」

 

「それほどでもあるから、明日なんか奢ってくれ」

 

 

 妖忌も中々に大した奴だ。

 自身が襲った相手の屋敷に赴いてくるなんて、上司の命令といえど尻込みするものだが、食住ともにせがんてたんだからな。

 

 

「にしても輝夜姫まで狙ってるとは。個人的に言えば藤原さんとこに嫁いでほしくないってのはあるが、お爺さん達的には願ってもない物件だしな……」

 

「待遇はそれなりに良いぞ」

 

「それはお前だからだろ。妹紅はかなり冷遇されてたぞ」

 

「だが、衣食住は賄えられていた。妾の子を母と共に屋敷に留めさせていたのは、不比等殿なりの情けだと私は思うのだが」

 

「だからといってこれまで無視をするのは違うだろ。あいつがやっていることは生殺しでしか無いんだぞ」

 

 

 頼る相手が近くにいるのに突き放されている。

 縋りたい、甘えたいのに相手にされない。

 そんな状態で屋敷に置かれたって妹紅からしたら嫌に決まってる。

 それならいっその事突き放して養育費だけでも払ってくれた方がマシだ。

 

 

「……私の時もそうだが、熊は真に変わっておるな」

 

 

 月を眺めながら、感慨深くつまみを頬張る妖忌。

 

 

「普通ならば衣食住が確保され、危険に晒されない屋敷に置いてもらえているだけで愛されていると思うだろう。だが、熊は妹紅殿と同じ視点で物事を考えている」

 

「……何が言いたいんだ」

 

「私の時もそうだ。私にしか理解出来ないと思っていた感情も、熊は同情してくれた。熊は人の目線に立って物事を考えられる人間だ」

 

「それは、褒めてるのか?」

 

「称揚以外の何がある」

 

 

 褒められた。何故か。

 そうかそうか。おれは今、褒められたのか。

 そうかそうかそうか。そうだよな、おれ、褒められて当然の人間だよな。

 ほ〜う? さては妖忌、見る目があるな? 

 

 

「そうだよな! まあおれ? 人の目線に立って考えられるっていうか? 癖になってんだ、人の思考読むの……って感じだからさ。おれからしたら褒められるほどでもない感じ的な?」

 

「だが、気を付けろよ。人によっては嫌がられるからな。後なんだその喜び方は。巫山戯ているのか」

 

 

 ……ごほん。悪い癖が出た。

 褒められたらすぐに調子に乗る癖はいつになっても直せる兆しがないな。

 だって嬉しいじゃん。褒められるの。

 

 

「分かってるよ。おれだって少しウザいとは思ってる」

 

 

 相手の気持を勝手に自分の尺度で考えるのもおれの癖だ。

 でも、相手の事を考えるのは別に悪いことではないだろう。おれ自身、この癖は大切にしたいとさえ思ってる。

 

 

「熊口様は何も間違っていませんよ」

 

「!! 誰だ!」

 

「輝夜姫!」

 

 

 後ろの襖から突如として発せられる声におれと妖忌はお互いに身構えた_____が、先に見えた声の主はこの屋敷のお姫様、輝夜姫であった。

 

 

「輝夜姫、婚前に殿方に顔を見られたら不味いんじゃないか。ていうかもう夜更けだから寝なさい」

 

「彼なら大丈夫でしょう。ねっ、誘拐犯さん?」

 

「ぬぐっ、気付いておったか」

 

 

 ほんと、このお姫様は気配を消すのが上手いようで。おれどころか妖忌ですら声を発せられるまで存在を気付けないとは。

 

 

「私にお酌をさせて下さい。御二人の武勇伝、是非ともお聞かせ下さいな」

 

「駄目だ。お爺さんに見られたら即刻打首もんだぞ」

 

「それも折り込み済みです。廊下には人除けとして夜勤の女中を配置しております」

 

「女中さんが可愛そうでしょうが」

 

 

 それでも引かない輝夜姫の目線に、おれはたじろいでしまう。

 くっ、なんて眼力! そのなんでも許してしまいそうな眼におれは絶対に屈しないぞ! 

 

 

「妖忌もなんか言ってやれ」

 

「私に止められる立場ではない。彼女には贖罪せねばならん」

 

「それだけで十分ですよ。私は別に攫われたことに関して恐怖心等の心的外傷は負っていませんので。それどころか感謝_____」

 

「んっ?」

 

「ごほん、兎に角気にしていませんので、これ以上誘拐の件は気になさらなくても結構ですよ」

 

「それは……ありがたい。正直嫁にあわせる顔がないと自己嫌悪に陥っていたのだ」

 

 

 いかん、妖忌懐柔された。

 

 

「ささっ、熊口様。空になっておりますよ」

 

 

 そしていつの間にか隣に来て、いつの間にか用意していた徳利からおれのお猪口に酒を注ぎ出す輝夜姫。

 いつの間にかが過ぎるって。

 

 

「輝夜姫、こんなおっさん二人の話なんて聞いてたってつまらないだけだぞ」

 

「ふふっ、それを決めるのは私ですよ? ほらほら、私は気にせず話されて下さい」

 

「良いではないか。美女に御酌されながら月見酒なんてこの上ない贅沢だぞ、熊」

 

「お前は亡き嫁さんに往復ビンタされろ」

 

 

 それに明日は妹紅達を連れて都外の草原まで散策の予定が入ってるんだ。

 あんまり深酒して明日に支障をきたしたら怖いぞ。紫なんて平気で二日酔いの頭をひっぱたいて来るからな。

 

 ……まあいいや。輝夜姫も眠たくなったら勝手に帰るだろ。

 

 

「そういえば妖忌、お前いつからおれの事熊って呼ぶようになったんだっけ」

 

「んっ? ああ、御前試合の時に御主の名を叫んだときからだな。熊口っていうのが言い難かったんで省略したのだが、意外に呼びやすくてな。そのまま呼ばせて貰っている」

 

「呼びやすい、か。じゃあおれも呼びやすくしたいから、今度からお前のこと妖ちゃんって呼ぶな」

 

「ちゃんは止めてくれ。というか逆に文字数増えて呼びにくいだろう」

 

「呼びにくい……確かに熊口様は私のことをいつも輝夜姫と呼びにくそうにしておりますよね」

 

「そりゃ姫なんだから仕方ないだろう」

 

「それならそれなら! 愛称でかぐたんって呼んでください! 」

 

「なんかそれ、オタサーの姫みたいな名前だな。あっ、だから姫か」

 

「はて、オタサーとは?」

 

「あー、ある分野に熱中してる人の事だよ」

 

「ということは私と熊は剣術オタサーだな」

 

「ごめん。説明足りてなかった。オタはオタクで、サーはサークルのことで_____」

 

 

 それから数刻だったか。

 輝夜姫が来てからやけに酒のペースが上がった気がするが、何を何処まで話をしていたのか忘れるぐらいには飲んだ。

 うん、これは絶対明日に響くやつだわこれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「ふわぁ」

 

 

 重い瞼を擦りながら厠へと向かう私は、年頃の乙女とは思えない大きな欠伸をしてしまう。

 

 

「厠、どこだっけ」

 

 

 寝る前に一度行ったが、流石に他人の屋敷となると勝手が違うため少しだけ迷ってしまう。

 困った、結構限界が近いんだけど……

 

 

「……(誰……?)」

 

 

 厠を探していると、奥の廊下から静かで上品さを感じさせるような足音が響いてくる。

 女中さん辺りだろうか。

 

 

「!!」

 

 

 しかしながら私の見当とは違い、月明かりに照らされ、姿を現したのはまるで現実からはかけ離れた逸物であった。

 

 

「貴女は、熊口様に会いに来られた方、ですよね」

 

 

 まるで生気を感じさせない透き通った肌に、作り物かの如く整った容姿。漆黒の髪には月明かりにより神々しく照らされ、まるで漆黒の海景色のよう。

 思わず同性である私ですら生唾を飲んでしまう。

 

 

「緊張なされないで下さい。私はただ一言だけ。貴女にお伝えしたいことがあって来たのですから」

 

「私に……言いたいこと?」

 

 

 突如として現れたこの女性は、恐らく父上が言っていた新しい嫁へと迎え入れようとしている人なのだろう。

 最近都中で噂になっているなよ竹の輝夜姫。

 あまりの美貌に名付け親が腰を抜かしたという話もある。

 最初はただの噂に尾ひれがついただけだろうと思っていたが、実物を見てしまうとその噂が事実であると確信できる。

 

 そんな彼女が私に用? もしかしてこの人も父上のこと_____

 

 

「熊口様に二度と近付かないでくれる? 」

 

 

 しかし、私のそんな淡い期待は、彼女が耳元で囁いた発言により崩れさった。

 

 

「……なんで?」

 

 

 言葉が詰まりながらも、喉から絞り出すように私は疑問の声を上げる。

 先程までの丁寧口調から一変。冷たい口調と視線に面食らってしまい、少しだけ萎縮してしまった。

 

 

「邪魔だからに決まってるでしょ。熊口様は今、大切な時期なの。貴女だって分かってるんでしょ。彼の足枷になってるんじゃないかって」

 

「い、い……」

 

 

 生斗に近付くなって。

 なんだよそれ。

 初対面でいきなり、こんな夜中に、他に人がいないのを見計らって。

 

 

「い、嫌な奴!!」

 

「はあ?」

 

 

 指を指し、この女に悪態をつく。

 こいつだって私にいきなり不躾な態度を取ったのだ。私にだってこれぐらいは許される筈だ。

 

 

「誰がお前なんかの言う通りにしてやるか! 顔洗って出直せ!」

 

「なっ、私はお互いの事を思って____」

 

「何がお互いのことを思ってだ。お前はただ、生斗と親しくしている私に嫉妬してるだけだろ! もっともらしい理屈を持ち出してくるな!」

 

 

 そもそも、私の人生に踏み込んできたのは生斗の方だ。あいつにとって大切な時期なのかどうかは知らないけど、この屋敷に来ることだってあいつから提案されたことだし、外野からとやかく言われる筋合いはない。

 

 

「_____そう」

 

 

 あー、そう考えると更にすっごい腹立ってきた。

 自分のためなのに誰かのためとか言ってくる奴なんて巨万の見てきた。

 この女も同じ香りがする。

 父上が狙ってるとはいえ、こういう奴は娶らないほうがいいでしょ。絶対絞り尽くされるだけだ。

 

 

「それじゃ、漏れそうだし行くから。二度と私の前に顔出さないでね」

 

「こちらの台詞よ」

 

 

 そっぽを向き、私はわざと音を立てながらその場を後にする。

 後ろは見ないようにした。なんか私を見るあの女の眼が少し怖そうだったから。

 

 

 _____まさかあんな奴と、これからの永い人生で、最も付き合いのある関係になるとは、この時の私は知る由もなかった。

 ほんと、最初から碌でもない出会いだったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊口様は、ああいうタイプが好み……なの?」



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㉔話 動き出す歯車

 

 

「それでは皆々様の仰られます、幻の宝物を私の目の前へお持ち下さいませ。見事一番に真物を御持ちになられた殿方の元へ嫁がせて頂きます」

 

「な、なんと!」

 

 

 襖の向こうでは、輝夜姫を娶ろうとする五人の貴公子とやらが面会にと屋敷まで赴いていた。

 面会と言っても、輝夜姫を直接見ることはできず、本人は几帳の裏におり声のみの対面となっている。

 尊い御身分である貴公子さん等がそれで納得しかねると駄々を捏ね始めるのではと一縷の不安があったが、輝夜姫の透き通るような声質と上品かつ繊細な琴を披露したことにより、貴公子達は生唾を呑んで現状を甘んじていた。

 

 

「車持皇子殿は蓬莱の玉の枝を」

 

 

 それからは皆が皆輝夜姫の事をべた褒め。その美声に花畑が広がっただとか、同じ時を生きる身として光栄に思うだとか。

 そして誰かがこの世に存在し難い幻の宝物を輝夜姫に例えたことで、皆が其々の知識をひけらかすかのように幻の宝物を口々にしていった。

 

 

「___そして最後に、大伴大納言殿は龍の首の珠を」

 

 

 んで、今が貴公子さん等が輝夜姫にカウンターパンチを食らってるところ。

 皆さんの狼狽した声が襖の先にいるおれにまで聞こえてくる。

 

 

「か、輝夜姫。今のは物の例えであって……」

 

「あら、例えであれ幻の宝物と同等であると仰られた私がこの場に居るのですよ。皆様の理屈であれば、五つの宝物も必ずやこの地の何処かにある筈で御座いますわ」

 

「ぐぬぬっ」

 

 

 自身で言い放った手前、下手に突っかかれば面子に関わる。ここに来て貴公子等が集まってきた事が裏目にでるとは。

 ていうか、そもそもなんでこの人達まとめて来たんだ? その場で決めてもらって選ばれなかった奴らに優位性を持ちたかったからとかか? 

 お偉いさんの考えはよく分からないな。

 

 

「良いではないですか。宝を手に入れて麗しき輝夜姫まで娶れる。内容も単純明快、早い者勝ちというわけだ」

 

「(あっ)」

 

 

 そんな中、是の声を上げたのは藤原の不比等さん。

 

 

「むむっ、確かに別に幻の秘宝を見つければこの地での地位も更に上げることも見込める……吾輩も乗ったぞ」

 

 

 これは、藤原さんやらかしたな。

 ここで下手に否定をせずに肯定の意を見せる。それにより輝夜姫の評価の向上とともに自身の寛大さを他の者達に見せつけようとしたのだろうが、それは彼女にとって思う壺だ。

 今輝夜姫が言い放った宝なんて、おれが旅していた中で見たことも聞いたこともないぞ。

 恐らくこの地を一番長く旅しているおれですら皆目見当もつかない宝を意外に歳のいってる貴公子さん等が見つけられるとは思えない。

 

 多少の面子は潰れても、ここは妥協案を提示するべきだったんじゃないか。

 いや、もしかしたら最初からこの流れを読んでいたから、輝夜姫はこうも無理難題を吹っかけたのかもしれないな。

 ある意味、こういう地位に固執し自尊心の高い奴等は扱いやすいのかもしれない。

 

 

「そうと決まれば善は急げだ。我は行くぞ。今のこの一時が惜しいのでな」

 

「輝夜姫、必ずやこの石造皇子が幸せにしてみせますぞ」

 

 

 おれが考察に頭を巡らせている間に、どうやら面談は終わりを迎えたらしい。

 

 ……これは、この人達も駄目っぽいな。

 

 ゾロゾロと出口へと歩を進めていく貴公子達。

 輝夜姫達のいる部屋からすぐ出た廊下にいるおれや各々の従者達が顔を伏せ、貴公子達の行く手の隅へ膝をついている。

 

 

「行くぞ」

 

「はっ」

 

 

 ある者は主の合図に、ある者は無言の主の後ろに、其々がこの場を去っていく。

 

 そして最後に残ったのはおれとその向かいにいる妖忌。

 まだ藤原不比等は出ていないのか。

 

 

「熊口生斗と言ったな」

 

「! はっ」

 

 

 漸く部屋から出てきた藤原不比等は、まさかの目の前へと止まっておれの名を呼んできた。

 ____あの件か。

 

 

「我が屋敷にはいつ来るのだ。使者は前に送った筈だが」

 

「……前にも返事はした筈ですが」

 

 

 二日酔いのまま妹紅達と都外へ散策をした数日後、藤原不比等より使者がおれのところへ来ていた。

 内容は分かりきっていた藤原家への鞍替え。交換条件として金貨と妹紅の従者となることであございましたった。

 そして返答についても勿論の事、お断りした。

 あまりにも腹が立って少しだけ使者に当たってしまったぐらいだ。

 別に金目当てで用心棒をしている訳でもないし、交換条件として妹紅を出してきているところも気に食わない。

 気に入っているんだろう? 仕えさせてやるからこっちに来いよと煽ってきてるようにおれには聞こえたからだ。

 あっちにはそんな気はないんだろうが、妹紅を出せば食いつくだろうと言う浅い考えが滲み出てるんだよな。

 

 

「まあ良い。貴様如きに決定権を与えてやった我にも非がある。どうせ輝夜姫が手に入れば自ずと貴様も手駒となるのだからな」

 

「……藤原不比等殿の御心遣い、痛み申し上げます」

 

 

 くっそ〜〜、思いっきり顔面ぶん殴りてえ! 

 早く宝探しの旅にでも出てくれ。そして二度と戻ってくんな! 

 

 

「ふん……行くぞ、妖忌」

 

「はっ」

 

 

 取り敢えずおれのストレスを与えるためだけに態々立ち止まったことは分かった。

 

 _____はあ、これだから政に関わるのは嫌なんだ。

 今日はもうさっさと湯浴みして寝よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「熊口様、今日もお疲れ様です」

 

「なんか最近さも当然のようにおれの晩酌に入ってくるな」

 

 

 寝る前に一杯とストレスを解消しているところに、いつものように気配を消した輝夜姫が隣で酌をする体勢で待ち構えていた。

 毎回毎回心の中でビビり散らかしてるから止めてほしいんだが。

 

 

「それで、輝夜姫はなんで婚約を断ったんだ?」

 

「あら、人聞きの悪い。私は別に断ったわけではありませんよ」

 

「そういう事にしたいんなら別に構わないけど。前にお爺さん達の幸せが私の幸せですとか言ってたのに、それに反するような対応をしていてちょっと気になってな」

 

 

 自身を犠牲にした幸せの形に、疑念を抱いていた。でも最近の輝夜姫の態度はそれとは違い、何としても婚約すまいといった印象がある。

 

 

「熊口様は、なんでもお分かりなのですね」

 

「……? なんでもは分からないぞ」

 

「思い直したんです。私の素性は熊口様もお分かりでしょう」

 

「……」

 

 

 それは、この場で言っても良いのだろうか。

 月関連の話は結界内でないとお互い拙いんじゃなかったのか。

 

 

「ふふ、やっぱり」

 

「ま、まさか!」

 

 

 お、おれを試したのか。

 これでおれが話してたらどうなってたんだ? 

 今日の件から思っていたが、つくづく食えないな、輝夜姫は。

 

 

「大丈夫ですよ。熊口様と私の背中に御札を貼り付けております。月の連中から盗聴はされません」

 

「っ!! てことは!」

 

「はい。なんでも質問して頂いて構いませんよ」

 

 

 思ってもみない好機。

 そうか、最近よく輝夜姫がおれの晩酌に顔を出していたのは、違和感を無くすため。アリバイ作りが目的だったか。

 下手にいきなりおれと輝夜姫が接触すれば警戒される恐れがあるし、結界まで貼れば尚更。だから本人達だけに通ずる御札をお互いに貼って二人だけの不可侵の領域を作り出した。

 これなら怪しまれずに密談を成立させることも出来る。

 会話の盗聴に関する対応をどうしているかまでは皆まで聞く必要もないだろう。ここまでしてくれてるんだ。そんな初歩的な問題はとうに解決してくれてるだろう。

 

 輝夜姫には感謝しかない。

 おれの知識欲のためだけに、ここまでしてくれたんだ。

 だけど、だけどな。

 

 

「……本当にすまん」

 

「はい?」

 

「ここまでの土台作りをしてくれて本当に助かる。だけど、紫も同席させてもいいか?」

 

「……それは、何故ですか?」

 

 

 呆気にとられたような、怪訝げな面持ちとなる輝夜姫。

 それもそうだよな。折角ここまでお膳立てして、待ったがかかれば質問の一つもしたくなる。

 

 

「今後の旅の方向性に関わってくるし、紫も知っていた方が何かとメリットがあるだろ」

 

「……確かにそうですが」

 

「それに___」

 

「?」

 

「あいつには隠し事はしないと決めたんだ。家族だからな」

 

 

 ちょっとこれは小っ恥ずかしいな。

 スラリと言葉に出てしまったが、後から羞恥心が押し寄せてきた。

 

 

「……紫が羨ましいです」

 

「茶化すのは禁止だぞ。おれの茹でダコ姿を見ることになるからな」

 

「(えっ、普通に見たいんだけど)冗談ですよ」

 

 

 恥ずかしさを隠すようにおれは酌に残った酒を飲み干す。

 最初から意識して家族と認識していればそんなに恥ずかしがることでもないんだが、改めて意識しだしたのは最近だから、まだまだ口にすること自体羞恥心が出てしまう。

 ほんと、この歳になって家族って言葉で顔を赤くするなんて思春期男児かおれは。いや、永遠の十八だから当たり前か。

 

 

「____それはさておき、話は分かりました。それでは後日三人が集まった時に改めて話しましょう」

 

「すまん、ありがとな」

 

「いいえ、確かに熊口様の言う通りでした。紫だけ仲間外れは良くありませんでしたね。これからの()()()()()()()()()()()()のですから」

 

 

 今後の運命に、か。

 

 そうだよな。

 月に行く人がいればこの地に残る人もいる。

 旅立つ者。残された者。皆が其々に干渉し、誰かの行動には関わった者に影響を与える。

 

 紫との別れもそう遠くないだろう。

 その前に、きっちり整理しておく必要がある。

 

 安心してあいつが旅立てるように。

 運命に大きく関わるのならば、少しでも良い方向へ持っていくのが、育ての親であるおれの役目なのだから。

 

 

「あっ、でもなんでおれが月の連中から嫌われてるのかだけ今教えてくれない?」

 

 

 見当はついてるが、月の民である輝夜姫の口から聞きたい。

 一時寝付けない時期が続いたぐらいだからな。それぐらいフライングしたって問題ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「ちょっと待って。少し考えさせて」

 

 

 眉間に皺を寄せ、私は鼻根を摘む。

 

 場所は輝夜の稽古部屋。

 彼女の習い事の監視をしていたら様子見と表して生斗が部屋に乱入。口裏を合わせていたが如く輝夜が部屋に予め配置されていたであろう結界を発動させた。

 御札の紋印から察するに外部からの認識を阻害する類のものね。

 突如として起こった事柄に困惑していたのも束の間、矢継ぎ早に生斗達から月や彼等の関連性を聞かされた。

 

 所々間を置いてはもらったが、流石に突拍子もなさ過ぎて頭の混乱が収まらず、私は顔を伏せる。

 

 

「月のこと、生斗の世迷い言じゃなかったの?」

 

「何度も本当だって言ってただろ」

 

「酒の席を盛り上げるだけの作り話とばかりずっと思ってたわ」

 

 

 勿論生斗から聞かされた月の話は覚えている。

 だから私はこうして頭を悩ませている。その前情報がなかったら二人が何かしらの精神疾患に陥ったのだと断定していた。

 

 

「ねえ輝夜。貴女が結界術を扱えたのにも驚きだけど、月の民で不老不死で咎人で貴族泣かせ_____流石に盛り過ぎじゃない?」

 

「あっ、それおれも思った」

 

「ふふっ、私に関して言えばこれぐらいは普通の範疇です」

 

「不老不死が普通であってたまるもんですか」

 

 

 ただの酒の肴としての狂言と認識していたものが、第三者が現れ、巫山戯た様子もなく真剣に、そして淡々とこれまでの経緯を知らされる。その姿、その立ち振舞いが、それを真実であると知らしめるかのように。

 

 そしてこれまでに感じていた違和感にも辻褄が合い過ぎる。

 竹から産まれ、翁の下に突如として大量の黄金が舞い込み、やったこともない筈の習い事も最初から全て熟達の域に達していた。

 

 _____何より、浮世離れしたその美貌。この地の者ではない何かと言われれば誰もが納得するであろうその姿が、安直に真実であると認めさせようと猛威を振るう。

 

 

「……これでドッキリだったら、二人共境界行きだから」

 

「うわっ、ほんとに信じた」

 

「っっ良い度胸ね!!!」

 

「じょ、冗談だって!! さっき言ったこと全部本当だから! だからその手離してお願いします!」

 

「わわわ! 紫やめてあげて!」

 

 つまらない嘘をついた生斗の頭を境界に無理矢理捩じ込もうとしたが、慌てた輝夜に止められてしまった。

 頭まで入った状態で境界閉じてやるところだったのに。

 

 

「く、熊口様。流石に今のはお戯れが過ぎるかと」

 

「ごめんごめん。疑り深い紫が輝夜姫の言葉であっさり信じようとして面白くてな」

 

「うぐっ」

 

 

 バレてた。

 流石は生斗、何も考えてないようで変な所で頭が回る。

 

 

「わ、私は最初から生斗以外の証人いればすぐに納得したわよ」

 

「嘘つけ。輝夜姫じゃなかったら信じる前にしつこいぐらい質問攻めしてただろ」

 

「……まだあれの事根に持ってたのね」

 

 

 酒の席で初めて聞かされた月の話に、私は散々生斗に対して質問した挙げ句、酔っておかしくなっただけと切り捨てた前科がある。

 

 

「まあ、それは置いといて____これで話は進めるな。なっ? 輝夜姫」

 

「___はい」

 

 

 胡座の態勢を変え、改めて話を戻す生斗。

 それに呼応するかのように輝夜は心を落ち着かせるように胸に手を当てる。

 

 

「これから一年後、私は刑期を終え、月から使者が参ります」

 

「一年後……早いわね」

 

 

 不老不死が月の民にとって重罪と言われている割にはあまりにも追放期間が短い。それとも、"穢れ"とやらで汚染されてるこの地上に追放される事自体が、月の民にとって途轍もない苦痛を与える罰だということなのだろうか。それじゃあ_____

 

 

「しかし、私は月へ帰るつもりは毛頭ありません」

 

「「!!」」

 

「使者の中には、私の従者であり、熊口様の恩人でもある永琳が同乗しております。その永琳とともに月の民を裏切り、地上に留まります」

 

「おいおい、まじかよ」

 

 

 月に還らない……それはつまり____

 

 

「この地が、気に入ってくれたのね」

 

「うん!」

 

 

 屈託のない笑みを見せる輝夜に、此方まで頬が緩んでしまう。

 

 

「むか〜しからこの地球を観察してて憧れてたのよね! 

 全てが楽しい事ばかりではない。時には残酷で、時には醜い。月の民が忌み嫌う穢れの渦巻くこの地だからこそ、一際輝く人々の繋がり。異端だって構わない。

 私はこの地が好き。それは熊口様や紫達と触れ合う中でより一層強固なものへとなったわ」

 

「____そうか」

 

 

 嬉しい感情と辛い感情を併せたかのような難しい表情。

 なんで生斗はそんな複雑な表情を……

 

 

「永琳さんはこのことを知っているのか? 迎えに来ていきなりここに残るって言い出したら永琳さんも困るだろ」

 

「そこは大丈夫です。この地へと降り立つ前に永琳とは打ち合わせ済みです」

 

「流石、抜け目ないな」

 

「それで? 裏切ることを私達に話したってことは、手伝ってほしいんでしょ。策があるなら勿体ぶらずいいなさいよ」

 

「請けてくれるの? 正直紫には散々迷惑をかけたから、頼むつもりはなかったんだけど」

 

「今更でしょ。貸しはこれで二十になるけれど」

 

「か、返せる気がしない……! ____ でも、ありがと。紫がいればとても心強いわ」

 

 

 私としても、姉気分を味わえて少しだけ感謝してるわ。

 実際は何十回りも彼女の方が歳上だったけれどね。

 折角相手も自身の事を曝け出してくれたのだ。

 そして生斗にとっても()()()()()を迫られるはず。

 それを我関せずを通すのは流石に()()()()どうかしてるわ。

 

 

「おれも手伝うよ。どんな形だろうと、月の奴らとの接触が図れるんだ。これを逃す気はない」

 

「熊口様!! 熊口様がいれば百人力ですわ!」

 

 

 なんか、私の時より大分興奮してない? ちょっと癪に障るんだけど。

 

 

「お世辞はよしてくれ、顔面崩壊するから。とりあえず策を教えてくれ。もうそんなに結界を維持出来ないだろ」

 

「策と言っても、然程複雑なものではありませんよ。それよりも、月の民が来た時の順序を先にしておいた方が解り易いと思います」

 

「そうね、手順が分かってた方が他の対策の案も出てくるだろうし」

 

 

 私の相槌に頷く輝夜。一呼吸おいて彼女は手順の説明を始める。

 

 

「月の民は方舟という名の転移装置に乗って私を迎えに来ます。そして否が応でも天の羽衣を私へ纏わせ、月への帰還の儀式を施そうとしてくるんです。それだけは避けねばなりません」

 

「……? その天の羽衣を纏ったらどうなるんだ?」

 

「天の羽衣を纏えば最後、私はこの地の記憶を無くし、その上一時的に抵抗力を奪われてしまいます」

 

「行動のできないお荷物が一つ出来上がるわけね」

 

「言い方! …………ごほん、そして永琳に私がこの地に残るという合図はこのときにあります」

 

「このとき?」

 

「私が天の羽衣を纏わされるとき、両手をそれぞれ反対の裾に入れていれば帰還。裾から手を出し、合掌していたら残地。そう打ち合わせています」

 

「「分かりづら!!」」

 

「それぐらいでないと勘付かれてしまうんです。この結界でさえ、結界術の長けた者が見れば直ぐ様見つかってしまうような代物。一部の監視員を買収したうえで工作をし、その上で最新の注意を払いながら結界を張ってなんとかこの状況を作り出しているのが現状なんです。なるべく不審な動きとならないような仕草でなければ()()()()()騙せません」

 

 

 あの御方なんていちいち勿体ぶるわね。

 どうせ私じゃ分からない人なんだし、サラッと言ってくれればいいのに。

 

 

「それは、誰なんだ」

 

 

 けれども、生斗からしたら気が気でないのも事実。その使者が永琳という者以外の知り合いの可能性だってあるのだから。

 輝夜、もしかしてちょっと楽しんでる? 

 

 

「綿月大和です」

 

「綿月、大和……隊長?」

 

 

 その名は先程聞いた憶えがある。

 確か、月移住前までの_____

 

 

 

「はい。月保安管理局の現防衛総監であり、本件の使者筆頭です」

 

 



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㉕話 貴女の故郷

 

 

「いやぁ、まさか綿月隊長が迎えに来るなんてな。こりゃ輝夜姫逃がすの骨が折れるぜ」

 

「そんなに強いの? その人」

 

 

 輝夜姫との密談を終え、未だ結界が残る対屋にておれと紫は呑気に茶を啜っていた。

 輝夜姫は策の話を一通り話し終えた辺りで、次の稽古の時間が来てしまい、そのままこの部屋を後にしたため不在だ。

 

 

「今のおれが全力を出しても勝てる見込みは万に一つとしてないな。拳一振りで山を吹き飛ばすバケモンだぞ。真向で勝てる生物はこの地上にはいないんじゃないか」

 

「流石に誇張が過ぎない?」

 

「これでも控えめに言ったほうだから」

 

 

 懐かしい。

 妖怪が大量発生したとかで、訓練学校を卒隊して間もない頃、何故か入れられた綿月隊長率いる遠征隊の時のことだ。

 被害状況が多発していた山地へ到着したときには、そこはもう妖怪の砦と化していたため、本軍は司令指示の元、その山を"削除"した。

 執行者は綿月隊長唯一人。

 おれらは被害の及ばない場所で待機して傍観していただけだった。

 まるで隕石が真横に激突したんじゃないかと錯覚するほどの暴風と轟音とともに、山は妖怪の砦諸共消し飛んでいたのだ。

 

 それを為したのは綿月隊長の拳であり、そして何の変哲もない正拳突きだった。

 

 もう存在がチート。

 妖怪大戦時、不意打ちとはいえよく妖怪達は綿月隊長を戦闘不能にしたもんだよ。

 

 

「それよりも、さっきさらっと輝夜姫の前で境界の力を見せてたけど、良かったのか?」

 

「ああ、あれ? 生斗に教える前から輝夜姫には教えてたわよ。どうせこの能力の有用性とか分からないと思ってね。まあ今回の件で完全に把握されていたことが分かったわ。時間を巻き戻せるのなら二ヶ月前に戻りたい」

 

「ええ!!」

 

 

 そ、そんな濫りに教えていいんもんじゃないって理解していたくせに。ていうかおれと紫の、あのやり取りは一体……

 

 

「この浮気者!」

 

「なにがよ」

 

 

 おれよりも先に輝夜姫に教えるなんて、なんか敗北感が凄いんだが。やはり容姿か。容姿は全てを解決するのか! 

 

 

「そんな下らない劣等感は置いといて、生斗は大丈夫なの? 知り合いと対立することになるけれど」

 

「置いとかれると悲しいんだが____その件は特に気にしてないぞ。おれはおれの仕事をするまでだ」

 

「驚いた。仕事と言っても、別に請け負う必要性は皆無なのに」

 

「大丈夫大丈夫。綿月隊長なら笑って許してくれる」

 

 

 音の葉もない自信を見せ付けるおれを横目に、紫は一息つくようにお茶を啜る。

 

 ……流石にこれは無理があったか。

 下手なことで誤魔化すんじゃなく、やはり最初から本題に入るべきだな。

 そう決意にし、此処に紫を留めておいた理由を話そうと口を開いた瞬間_____

 

 

「それが原因で月にいけなくなっても?」

 

「!! 分かってたのか」

 

 

 ____おれの発言を予知したが如く、それに対する質疑をおれに問いかけてきた。

 

 そう、おれは月に行く。

 それを言うために紫を稽古部屋に留めていたのだ。

 これからのおれの動向を、紫には話しておかなければならない。

 今の彼女にはそれが必要だ。

 おれが寝てる間に輝夜姫の屋敷に留めさせることに暗躍していたぐらいだからな。安心させないと。

 

 

「散々私に月へ行くんだ〜って豪語していたからね。折角の好機に、生斗が乗らないわけ無いでしょ」

 

「そう、だよな」

 

 

 紫は何でもお見通しのようだ。

 だけれども、一つだけ見落としているところがある。

 

 

「おれ、月の皆から嫌われてるみたいなんだ」

 

 

 先日、輝夜姫へ問いた嫌われている理由。

 

 それは"情報操作"であった。

 

 月移住時への独断行動。殿隊の全滅。ツクヨミ様の分身体の消滅。

 それら一切の罪をおれは負っていた。

 その罪は紛れもない事実だし、罰を受ける覚悟もある。

 おれの友人達やツクヨミ様は弁護をしてくれていたみたいだが、被害者の遺族の気持ちや兵規違反、そして何より______怒りの矛先を誰かに集中させるため、白羽の矢がおれと副総監に立ったのだ。

 

 主犯格と戦犯。それは月の民の溜飲を下げるには格好の餌であったのだ。

 

 まさか副総監並みに嫌われてるとは思わなかったけれども、そのように仕組んだのは上層部の連中だそうだ。

 副総監派閥の連中が、副総監失脚に伴い弱体化する前に、道連れにとおれの大戦での行動を戦犯として大々的に広めたとのこと。

 最後の最後まであの屑はおれの足を引っ張ってくる。

 その後に幾ら友人達やツクヨミ様が訂正しようと、一度ついてしまった悪印象は拭えない。そして何より、兵規違反をしたこともまた事実。そんな犯罪者を月のトップであるツクヨミ様が擁護してしまえば、示しがつかない上、あの御方の信仰に影響が出てしまう。

 下手な擁護は火に油を注ぐだけだ。結局、今日に至るまでおれに対する月の民の評価は然程変わっていないそうだ。

 五億年経った今でも当時の戦争の当事者達も生きてるらしいし、風化してないのも頷ける。

 

 

「でも、行くんでしょ」

 

「___ああ」

 

 

 嫌われてるしおれは犯罪者。

 月へ行っても追い返されるかもしれないし、酷い拷問を受けるかもしれない。

 なんならおれ一人で月に行く手段もない。

 

 それがどうした。 

 

 

「綿月隊長をボコして脅してでも月へ行ってやるつもりだよ」

 

 

 嫌われてるのならそれで結構。

 

 おれは自分で勝手にした約束を果たすのみ。

 

 どこまでもエゴチックではあるが、もしかしたら、その約束が果たされるのを待ってる友人達がいるかもしれない。

 

 そんな奴らの為、そして自分自身のため。おれの元気な姿を月の皆に見せつけてやる。

 

 

「なら作戦は決まったわね」

 

「だな」

 

 

 輝夜姫から提案された作戦に、おれと紫とでもう一捻り加える。

 そしてその案は既に出来上がっているし、紫も察しはついているようだ。

 

 

 ―

 ──

 ──―

 

 

「んじゃ、当日よろしくな。そろそろ結界の効力も切れることだし、この事は他言無用で頼む」

 

「どうかしら。もしかしたら輝夜にうっかり話しちゃうかも」

 

「まじで頼むぞ。お前本当に輝夜姫に甘いんだから」

 

「ふふっ、冗談よ。流石の私もそれぐらいの分別はつけるわ」

 

 

 後は準備だな。

 それも単純明快だし、おれの努力次第。

 さてさて、一年でどれぐらい持っていけるか。妖忌の時と同様年甲斐もなく武者震いが止まらない辺り、意外にも萃香達の影響を受けているのかもしれない。

 おかしいな、昔はもっと面倒くさがりだった気がするんだが……

 

 

「それよりもいいの? 生斗、あなたもうすぐ果たし合いの時間じゃなかったかしら」

 

「おえっ、もうそんな時間か」

 

 

 最近漸く減り始めた果たし状。

 修行の一環とお爺さん達の面子を上げるために全部受けてきたが、マンネリ化してきていて有用性が感じられなくなっていた。

 だって皆馬鹿正直にしかも真正面から斬り掛かってくるんだもん。野盗や妖怪のようにあるもん全部使ってきてくれた方がまだやり甲斐がある。

 

 

「面倒だけどちょっくら行ってくる。紫はまだ此処にいるのか?」

 

「いや、輝夜への貢物の中に唐から伝わってきた文書があってね。これから部屋に戻って解読するつもりよ」

 

「……それ勝手に貰っていいやつなのか?」

 

「ちゃんと話は通してあるわよ。あの子いわく全部塵同然らしいけれど」

 

 

 そりゃまあ、月の技術からすればこの地の文明レベルは猿以下だろうけれども。塵は流石に送った相手が可哀想だろ……

 

 

「んまあ、頑張れ。外国の言葉はよく分からん」

 

「生斗も人探しの旅をしているのなら、外国を目指してみても良いんじゃない?」

 

「行けたら行く」

 

「それ、行かない常套句でしょ」

 

 

 唐然り、遠謀の故郷然り、おれが未だ見ぬ世界が広がっているのは分かる。

 この数百年伊達に旅をしていないから分かるが、この地はおれのいた世界の日本の土地柄に酷似している。

 なんなら昔の日本のパラレルワールドである可能性が高い。

 ていうか唐って思いっきり中国の昔の王朝名だし。

 

 いっそのこと世界に飛び出してもいいのではないかと考えた時期もあった。

 

 でも違うんだよ。

 

 おれは、あいつと出会った"この地"で、再会したいんだ。

 

 あいつがこの地に舞い戻った時に、おかえりと言えるように。

 

 

「ほら、こんな無駄話してないでさっさと片付けてきなさい」

 

「へいへい。終ったら肩揉んでくれな」

 

 

 取り敢えず、今日は右半身を使わない縛りで戦ってみるか。それでどれだけやれるか試す良い機会かもしれない。

 

 対戦相手に対し、失礼極まりない思考をしながら、おれは稽古部屋を後にする。

 

 

 後一年。おれにとってあっという間の出来事ではあるが、それをどれだけ濃密な一年にするか。

 

 それにはやはり、"あいつ"の存在が必要不可欠だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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㉖話 二度と訪れぬ好機

「脇が甘いぞ。あー、そこ。手振になってる。それじゃあ簡単にはたき落とされる」

 

 

 藤原邸にて、おれは現在、近衛兵達の剣術指導に精を出していた。

 

 

「いいか。相手の力をいなす時のコツは力の流れに逆らわないこと。相手の力の流れに合わせて横から少しだけ押してずらすような感覚だ」

 

 

 何故おれがこの前鞍替えを断った藤原邸にいるのか。

 それは勿論、交換条件としておれから提示したからだ。

 書状にておれは確かに断りの達を出したが、貴族階級の藤原不比等の申し出を無下にしては後が怖い。

 おれだけでなくお爺さん達まで被害が及ぶ恐れもあったこともあり、おれは藤原家の兵隊に対して半年間、定期的に剣術指南をする事を条件として鞍替えの件を帳消しにした。

 

 

「熊、御主見かけによらず教えるのが上手だな」

 

 

 本来であれば後ろで近衛兵と一緒に乱取りをしている妖忌が指南を務めるべきであったんだが、なんか途轍もなく教え方が下手で、一向に兵力の強靭性を上げれていなかったというのも、おれの提案通った要因として大きかったのかもしれない。

 意外にも、妖忌は感覚派ってことがこれで分かったの面白いな。

 

 

「あん? 熊さんは教え上手で名が通ってるんだ。百人仕込みの熊殺しって名は妖忌も一度は聞いた事あるだろう」

 

「ないが」

 

「そりゃそうだろな。おれが今考えたんだから」

 

「「(なんだこいつ)」」

 

 

 それでも嫌味を言われるんだからな。

 一方的な申し出を断る権利は当然おれにある筈だし、その上で折角有り余る時間を削ってまで兵隊蟻の強化を手伝ってあげるっていうのにあの態度。おれが自由の身なら一発喝を入れてるところだ。

 

 

「はい、一旦乱取り止め」

 

「はあ、はあ、はあ」

 

「いっだぁ」

 

 

 今の乱取りを終え、最中にもしていた各々の改善点を改めて指導していく。

 正直戦いの最中で指導しても頭にはそう入ってこない。同時並列思考は普通の人間には難しいし、なんならおれも苦手だ。

 

 

「ここは左腕を畳んで受けた方が力が入る。鍔迫り合いになったとき脇が甘いと簡単に力負けするぞ」

 

 

 同時に思考ができないのであれば、複数パターンのうち幾つかを自分の身体に染み付くまで繰り返す。そうすれば極限まで思考する力を抑え、他に考えるリソースが出来るってわけだ。

 時間はかかるがこれが一番万人に効果が出る。後はその万人がそれを続けられるかどうかだ。

 

 

「___以上。それじゃあそれぞれの改善となる動作反復を千回行うこと。このとき注意だが、ただ言われたから何も考えずやるのはただの作業で効果半減だからな。己で思考し、その動作でどういった対応が可能か複数の選択肢を持つようにすれば効果倍増って事を肝に銘じておくように」

 

「せっ、千回ですと……」

 

「……承知、した」

 

「か、身体が動かん」

 

 

 何だこいつ等。たかが乱取り5分50セットしただけでバテ過ぎだろ。

 あっ、因みにおれは普通に動いたら死ぬレベルなので霊力で身体強化して体力を極限まで使わない動きで乗り切りました。

 

 

「熊、私はこれじゃあ足りないぞ。手合わせ頼む」

 

「望むところだ」

 

 

 短期間で実力を向上させるにうってつけなのは、自身より少し上の存在と戦うこと。

 妖忌はそれにこの上なく合致している。

 おれが態々そんな役回りを申し出たのも七割これが目的だ。

 正直妖忌なら藤原邸に侵入することもなく練習相手になってくれるだろうが、此方の方が何かと都合がいい。残りの三割も相手に技術を教える中で自身の動きの見直しを図ることもできるし、これまでのおれの頭では考えに至らなかった新しい型の発見の一助になるかもしれない。

 指導者の立場でありながら妖忌と手合わせできるこの環境は、今のおれにとってとても有意義な環境であったのだ。

 

 

「──、〜」

 

「ー!! 〜〜ー!」

 

 

 妖忌との乱取りの最中、正門付近で何やら言い合いしている声が耳に届いてくる。

 なんだ、泣く子も黙る藤原邸の門前で大声で話をしているのは。

 

 

「あいで!?」

 

「何余所見をしている! 集中せんか!」

 

「す、すまん」

 

 

 集中を途切らせてしまったおれの頭を木刀で小突いてくる妖忌。いかんいかん、相手は妖忌。本気で相手しないと大怪我必至の相手だ。あんなことで集中を切らしている場合じゃない。

 

 

「行くぞ!」

 

「今日こそボコしてやるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「ごほっ、ごぼっ! は"ぁ、は"ぁ、……こ、これで、今日の、くっ訓練は、これまでだ。お疲れ、様……」

 

 

 おれ含め皆が満身創痍の状態で今日の訓練の終わりを告げる。

 

 

「ほら熊。水だ」

 

「妖忌、ほんとお前、体力お化け、だな」

 

 

 竹の水筒を受取り、半分ほどを頭にぶっかけ、残った水で喉を潤す。

 暑い、服が汗でベタついて気持ち悪い。

 妖忌の奴、おれ以上に動いてた癖にもう息を整えてやがる。若いってほんと得だよなぁ! おれの身体年齢17歳固定だけど! 

 

 

「これで五十六勝三十二敗だな」

 

 

 そして今日も今日とで妖忌に負け越してしまった。

 このままでは勝率に差が開くばかり。おれも成長している筈なんだが、妖忌もそれと同じかそれ以上の速度で成長しているから、全然追いつけない。此方は指導者ブーストまでかけてんのに。

 

 

「今に見てろよ。一年後泣きべそかいてるお前の姿が目に浮かぶぜ」

 

「ははは! 今は御主がかいてるがな!」

 

「泣いてないわい!」

 

 

 焦りは禁物だ。

 数百年実戦を積んでも劇的に成長するなんてことはなかった。

 今は考えうる限り最大効率で事に及んでいる最中。焦って周りを曇らせては成長出来るものも出来なくなる。

 

 

「___そういえばさっき、門前で何か言い合いをしているように見えたけど、あれは何だったんだ?」

 

 

 ここは正門からそう遠くない庭園であり、人の往来は勿論、ある程度の話し声も耳に入ってくる。

 あれが何度も来るようであれば、場所を変えてもらうことも検討に入れてもらわないと。

 

 

「ああ、あれは最近良く出入りしている造形師のことだな。詳しくは私も知らないが、金銭関係で少々揉めているらしい」

 

「金銭トラブルでか?」

 

 

 藤原さん、もしかして借金とかしてるのか? それとも守銭奴か。

 にしても金銭トラブルを起こしてるなんて意外だな。

 貴族さん等は皆札束で民を殴ってるイメージがあったが。

 

 

「それはどうでもいいだろう。熊、まさかこれで終わりだとは言うまい」

 

「さっき終わりって言ったんだけど_____まあいいか。息も整ってきたし、もう五戦くらいは付き合ってやるよ。勝ち星少ない方が飯奢りな」

 

「いいのか、馳走になるぞ」

 

「ああ! 熊さんのこと本気で怒らせちゃったね!!」

 

 

 絶対に勝つ! 公平じゃないと思って抑えていた一生分の霊力使ってボッコボコのフルボッコにしてやる! 

 フィジカルの恐ろしさで妖忌を屈服させてやる。

 

 

「ぶひゃあぁ!?」

 

 

 そうでした。妖忌さんにフィジカルゴリ押しは効かないんでした。

 催し物で学んだ筈なのに何やってんだおれは。

 

 結局この後なんやかんやあって十五戦ほどやってお互い疲労で力尽きたので引き分けにした。いや、引き分けということにさせた。勝敗のことは聞かないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「儂の手掛けた逸品『蓬莱の玉の枝』!! 払えぬのならば直ちに返してくださいまし!!!」

 

「なっ!?」

 

 

 三ヶ月前、同じ声色をしていた造形師らしい人物が、輝夜姫の屋敷の庭園にて慟哭にも似た叫びで藤原不比等へ訴えかける。

 

 

「車持皇子……これは、どういうことですか」

 

「ち、違う! ちゃんと下の者に金を渡すように……まさか! ______」

 

「そういう事を聞いているのではありません」

 

 

 几帳の先にいる輝夜姫に問い詰められ、質問の意図を取り違える藤原さん。

 五人の貴公子の中で、最も早く指定された宝物を見つけたということで馳せ参じたのも束の間、未払いに腹を立てた造形師に嵌められたようだ。

 あの口振りからして、部下にも制作費をネコババされたみたいだし、とことん運に見放されたな。そもそも贋物作らせるなって話だが。

 

 

「不比等殿、一護衛の身に余る発言ではあるが、諦めた方がいい。貴殿は最初から私とともに蓬来山を巡る旅に出るべきであったのだ」

 

「黙れ! そんな時間に充てるほどこの我に暇はないのだ」

 

「『そんな』、時間ですか」

 

「!!」

 

 

 おっ、失言のオンパレード。

 妖忌の奴も貴族相手によく発言できるな。

 

 

「私は片手間で済まされるような方を付き添い果たすつもりは御座いません。どうかお引き取りを」

 

「あ、あぁ」

 

「(ありゃりゃ)」

 

 

 好きでもないし、嫌いよりな人物だし、ざまあみろとも思っているが、あんな哀れな顔を見たら少し同情してしまう。

 まあ、幻の宝物を探すなんて現実的でないし、本物と見紛う程の贋物を作るというのも、自身の身の上で鑑みれば妥当な判断だったのかもしれない。

 

 

「わ、我は諦めませぬぞ。今回は不覚悟をお見せしてしまったが、次こそは我の本気を見せましょうぞ」

 

「……」

 

 

 凄い。これで完全に終わったというのに、次を見てるなんて。流石は貪欲、ここまで行くと尊敬の域だ。いや、嫌味でなく本当に。

 

 

「ふふ、()()本気でお願いしますね」

 

「!! ____妖忌、行くぞ」

 

 

 やったな。

 輝夜姫、これは藤原さんを完墜ちさせた。

 不義を働いたのに、あんな優しく包みこまれるような言葉で返されたら、幾ら貴族で嫁を何人と娶ろうと耐えられるものではない。

 これなら、この後妖忌や妹紅が八つ当たりされることも、ましてやおれの剣術指南を降ろされることはないだろう。

 だってまだ可能性を残されていると信じているのだから。

 

 

「やるわね、輝夜。もうあの貴族から幾らでも吸い尽くせるんじゃない」

 

「ああ、あれは相当男を弄んできたと見た」

 

 

 輝夜姫達のいる部屋の隣部屋で聞き耳を立てていたおれと紫がそんな感想を述べる。

 

 

「ささ、用は済んだし戻りましょ。霊力操作、もう少しでコツを掴めそうなの」

 

「へいへい」

 

 

 五人の貴公子達との面談から月日も経った。藤原不比等を皮切りに、これからは続々と来るかもしれない。

 輝夜姫がこれからどう対処していくのか、少し楽しみだな。

 

 



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㉗話 知らぬが仏

 

 

 今日も今日とで剣術指南。

 と、言う訳にもいかず、今は夜勤で屋敷を巡回をしている最中だ。

 定期的に藤原さんとこに修行に行ってる穴埋めとしてやっていることだが、何分やることがない。けれどもサボって素振りでもしている間に侵入でもされたら溜まったもんでもないので、仕方なく巡回という名のランニングを続けている。

 

 

「はっはっはっ」

 

 

 まあ、正直霊力探知である程度侵入者ぐらいは見つけられるんだが、無駄に広い屋敷一帯の全てを把握とまではいかない。

 なので動いている最中でも霊力探知の練度を落とさないようにする修行も兼ねて巡回をしているところだ。

 

 今の所は順調。

 この状態で侵入できるやつはそんなにいないんじゃないか。

 

 

「はっはっ…………まじか」

 

 

 と思った矢先、正門から少し離れた塀の上辺りで一人分の霊力が探知された。

 門番は何やってんだ。あっさり塀を登られてるじゃないか。

 また輝夜姫の求婚者か? それともお爺さんの財産目当ての盗人か。

 それはどうでもいいが、侵入されたからには対処しないと。

 

 

「おいそこ、勝手に塀を登ったら……」

 

「!!」

 

 

 侵入者はまだ塀の上から降りておらず様子を窺っているようなので、急いで現場についたおれは言葉を詰まらせた。

 何故かというと、その侵入者がまさかの知り合いだったからだ。

 

 

「妹紅、お前何してるんだ」

 

「せ、生斗……」

 

 

 塀にぶら下がったまま降りれなくなった妹紅。

 恐らく予想より高くて降りるのが怖くなったんだろう。

 こういうのって上った時は気付かないもんだよな。

 

 

「わ、理由は後で話すから、助けて」

 

「……」

 

 

 妹紅も何か事情があってこんな事をしているんだろう。

 そんなことはある程度付き合いのある人間なら誰でも気付くことだろう。

 でもだな。不法侵入は不法侵入。立派な犯罪行為だ。子供だからって容易に許すわけにもいかない。

 

 

「え、えっ、なに?」

 

「妹紅、悪い子はお仕置きだ」

 

「え"っ"」

 

 

 苦渋の決断ではあるが、おれは心を鬼にして無防備となっていた妹紅の脇腹を擽り倒した。

 

 

「!! っひゃふっ! ひゃっは、や、やめて!」

 

「馬鹿。そんなすぐ止めたらお仕置きにならないだろ」

 

「お、お仕置き、にひっ、もげげ、限度が、あるってば!」

 

「ほらほら、大声出すと門番に見つかるぞ」

 

 

「んんっ!」

 

 

 涙を浮かべながらも紅い眼で必死に訴えかけてくる妹紅だが、あと二十秒は決して止めないぞ。

 

 

「(落ちる! 落ちる!!)んん〜っ!」

 

「あと十五秒」

 

 

 正直妹紅がぶら下がってる高さはそんなに大した事ない。

 ぶら下がってる妹紅のつま先から考えてもせいぜい二メートルぐらいだ。

 落ちたとしても頭から着地しない限り大事に至ることはないだろう。

 

 

「五、四、三」

 

「も、もう」

 

「二、一」

 

「むり!」

 

「零____よっと。よく頑張ったな」

 

 

 ギリギリで時間制限内を耐えきって落ちてきた妹紅をキャッチし、ゆっくりと玉砂利の上に置く。

 

 

「はあ、はあ、はあ……へ、変態!」

 

「変態って、お前なぁ。妹紅お前は事情があってこの屋敷に侵入してきたんだろう。そんな中で口で説教したって響かないのは分かりきってんだよ。だからといって知り合いを役所に突き出したり痛みで教育するのはおれの性に合わない。そうなったらもう、擽りしかないだろ」

 

「他にも選択肢あったでしょ!」

 

「そんなに大声だしたら門番起きるぞ」

 

「うっ」

 

 結構大声だしてるのに一向に門番が確認に来ない辺り、確定で寝てるな。二人いた筈なのに何やってるんだが。

 

 

「まあ取り敢えず事情聞いてやるから、そこでちょっと待ってろよ。ちょっと寝てる門番ぶん殴って外の見回りさせてくるから」

 

「知り合いを痛みで教育するのは性に合わないんじゃないの」

 

「成人は別だ」

 

 

「ええ……」

 

 

 さっきまでサボってたんだ。多少おれの巡回を任せても問題ないだろう。

 少し面倒だが、この可愛い侵入者の言い分を聞いてやるとするか。もし下らない事情だったら、今度の剣術指南に参加させよう。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「で。なんで私の部屋なわけ。眠いのだけれど」

 

「不法侵入とはいえこんな夜更けに男の部屋に女の子を連れ込むわけにはいかないだろ。今度また干し魚買ってやるから許してくれ、な?」

 

「要らない」

 

 

 優雅に睡眠を取っていた紫の部屋へと妹紅を招き入れ、座布団に座らせる。

 さて、まずは何から話すかね。

 

 

「妹紅貴女、こんな夜更けに独りでここまで来たの」

 

 

 おれが投げかけるより先に、紫が妹紅に質疑を飛ばす。

 それ、おれが言いたかったことなんだけど。

 

 

「……うん。日中は屋敷の者に止められたから」

 

「夜は危険極まりないからもうやめろ。今日は偶然大丈夫だったようだけど、試し斬りにと女子供を標的に辻斬りする輩や人攫いが出回ってるんだぞ」

 

「生斗の言う通り。非力な貴女では格好の餌食でしかないわ」

 

「……」

 

 

 あー、いかんいかん。

 説教はもうするつもりはなかったが、つい流れで言ってしまった。油断するとすぐ説教臭くなるのは歳の取り過ぎた弊害かもしれない。これじゃあ妹紅は擽られ損だ。

 

 

「……はあ、それで。なんで妹紅はこんな暴挙に出たんだ? 紫だって妹紅が考えなしにこんな事をするなんて思ってないだろ」

 

「ええ、まあ」

 

「……」

 

 

 さっきの説教が響いたのか、俯いたまま押し黙る妹紅。

 その姿は年相応で、普段の背伸びした姿はどこにもない。

 

 

「……あの女に、文句を言いたくて」

 

「あの女……?」

 

「輝夜のことね」

 

 

 おれよりも早く紫が事態を把握し、輝夜姫の名を出す。

 

 

「変な期待を持たせたから、父様が可怪しくなった」

 

「可怪しく? ちょくちょく行ってるが、そんな様子は見られなかったけど」

 

 

 変な期待とは、輝夜姫が藤原不比等に対して、次回作に乞うご期待と打ち切り漫画でよくある煽り文のような返しをされたことを言っているのだろう。

 それが藤原不比等を可怪しくした? 

 また良からぬことでも画策しているのだろうか。

 

 

「公務以外で人が話しかけても上の空だし、貢物らしき工芸品が屋敷中に散乱するしでめちゃくちゃだよ!」

 

「「あ〜」」

 

 

 駄目だ。完全に骨抜きにされてるじゃないか。

 おれが話す時は特に変とは思っていなかったが、あれは公務中だったからか。あまり屋敷をウロウロしていた訳では無いが、確かに変な置物とか廊下に置かれてたな。

 

 

「だからはっきり言ってやれって文句言いに来たんだ! あの性悪女に!」

 

「だからと言ってな。脈無しと断言されたらそれこそ藤原さん荒れると思うんだが」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 

 それにしても妹紅、相変わらず輝夜姫のこと嫌ってるな。

 半年ちょっと前に行った草原散策に何故か付いて来た輝夜姫と妹紅が大喧嘩して大変だった。おれも二日酔いで何回か吐いてたし。あの時は本当に紫と妖忌には申し訳ないことをした。

 

 

「最初は荒れるだろうけど、何れは元に戻る。濁した今の状態ではいつまでも粘ついた悪循環が続く。と言いたいのよね」

 

「そ、そうそれ!」

 

 

 紫が言いたいことを代弁し、少し晴れやかな顔をする妹紅。

 それで済むのなら正直そうした方が良いとおれも思う。だが_____

 

 

「……駄目だ。それでも輝夜姫に会わせるわけにはいかない」

 

 

 しかし、そう単純な話ではない。

 

 

「輝夜姫は嫁入り前で、本来家中の者以外は見通りすることは出来ない」

 

「顔は見なくても、話だけなら!」

 

「それに妹紅は侵入者だ。お爺さんの許可はまず下りないし、おれの独断で会わせるのは以ての外。つまり不可能だ」

 

「うぐっ……」

 

 

 淡々と、妹紅の無理難題の要求を拒否する理由を説明する。

 これ以上は不要だ。妹紅が知る必要はない。

 

 

「……」

 

 

 可哀想だが、諦めてくれ。

 妹紅の要求が通るとは思わないが、万が一がある。会わせるわけにはいかない。

 

 

「生斗の、分からず屋」

 

 

 少し、ただ少し、瞳に涙を浮かべながらそう呟く妹紅。

 その後間もなく立ち上がり、トボトボと紫の部屋を後にする。

 

 

「……はあ、紫。すまんが藤原邸まで頼む」

 

「起こされた上に送りまで私にさせるなんてね」

 

「仕方ないだろ。今おれが付き添っても逆効果だ」

 

「ほんと、もう少し言い方があったでしょうに。今度干し魚以外でご馳走して頂戴ね」

 

「りょーかい」

 

 

 やれやれと立ち上がり、部屋を出ようとする紫。

 

 

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 

「何よ」

 

 

 しかし、おれは制止の声を上げる。

 

 

()()()()は言うなよ」

 

「………………分かってるわよ」

 

 

 大人の事情は妹紅は分からなくていい。

 あいつは知らぬまま今の状況に甘んじてほしいんだ。

 

 

「それじゃ、今度こそ行くわね」

 

「頼む」

 

 

 は〜あ。眠いけど、また巡回に戻るとするか。

 考えるの疲れたし基礎体力作りの続きでもしようかね。

 



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㉘話 無駄の功名

 

「お帰り下さいませ」

 

「そ、そんなぁ」

 

 

 貴公子の最後の一人が撃沈した昼下がり。

 家臣に労われながらこの場を去っていく貴公子を横目にお爺さんは深い溜め息をつく。

 

 

「姫、これはあまりにも酷ではありませぬか」

 

「申し訳御座いません。父様」

 

 

 お爺さんの苦言も耳蛸と言わんばかりに、輝夜姫は間髪入れず頭を下げる。

 輝夜姫のために、老い先短い人生を奮い立たせ、元の生活を捨て上京。輝夜姫のために、貴族らの宴会に赴き、慣れぬ場で彼女を宣伝。

 それで漸く手に入れた尊い御身分との縁談を踏み潰されたのだ。お爺さんからすれば溜まったものではないだろうな。

 

 

「儂は、姫にとって最良と想い、ここまでやってきました……しかし、姫にとっての幸せはこれではないのではと感じているのです。姫、貴女の幸せとは一体何なのですが? 儂と妻は、姫の意思を尊重したい」

 

「……」

 

「(えっ、まじか)」

 

 

 お爺さん、てっきりあんたは輝夜姫を婚約させることが絶対の幸せと信じて疑わないものだと思っていたのに、考えを変えるなんて。

 流石に五人の貴公子をばっさり斬ったのが相当響いたのかもしれない。

 

 

「『現在』、で御座います」

 

「現在……なのですか」

 

「父様と母様がいて、親しくして頂ける方々いる。それが私にとってこの上ない至福なので御座います」

 

 

 _____現状維持。

 これまでのお爺さんの行動を否定する一言に、お爺さんは怒るでもなく驚愕の表情となる。そして何かを察したのか、やらかしたと言わんばかりに両手で顔を覆った。

 

 

「儂はなんてことを……次なる幸せを求めるばかりに今あるこの環境を疎かにしてしまっていた」

 

「父様……」

 

「姫、本当にすまなかった。儂が間違っておりました。これ以降の縁談は全てお断りします」

 

「父様……!」

 

 

 お爺さんも輝夜姫の幸福を理解した上で、これまでの後悔の念を溢す。

 遂に輝夜姫とお爺さんが分かり合える日が来たか。この時代じゃ女性にとっての幸福はお爺さんの考え方が一般的なのだろう。

 だが、それは万人にとってというわけではない。お爺さんはまずは、彼女と相談し合うべきだったんだ。

 

 

「熊口殿」

 

「はい、なんでしょう」

 

 

 お爺さんが急遽、客室の間の端で待機していたおれに話しかけてくる。

 恐らく、あの事だろう。

 

 

「熊口殿もありがとうございました。儂らのために面倒な果たし状を受けてくださっていたのでしょう。だが、もう大丈夫です」

 

「……もう果たし合いをする必要はないと」

 

「その通りでございます。熊口殿にはこれまで我々の宣伝の為に御尽力して下さった。これには感謝してもしきれません。だが、もう儂らには地位も名誉も必要なくなった。もう無理に受けて頂く必要も無いのです」

 

「___そうですか」

 

 

 正味、おれにとって果たし合いによる輝夜姫の売名は二の次だったんだよな。

 でも、もうやる必要ないと言われたらからには引き下がる他ない。敷地を使用させてもらってる立場だし。

 それにもう期日まで残り2ヶ月を切った。

 もう果たし合い程度で得られる経験値も雀の涙程度しかないし、頃合いだったのかもしれない。

 

 

「承知しました。庭園を毎度汚してしまって心苦しかったので丁度良かったです」

 

「かたじけない」

 

 

 さて、懸念点であった貴公子の件も解決し、着々と作戦決行への準備も整ってきた。

 もう果たし状も来なくなるのは若干の寂しさはあるが、それを上回る鬱陶しさがあったのである意味清々したな。

 

 お爺さんももう縁談は持ち込まないと言っていたし、輝夜姫も期日まである程度はゆっくりできるんじゃないか。

 貴公子達の対応に疲れていたようだし。

 好意を向けられて悪い気はしないが、此方がその気でない時、それを相手が傷付かないように往なすのには結構な労力がかかるからな。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「輝夜姫、そなたが此れ迄全ての縁談を断ってきたのは、この私に娶られたかったためであろう」

 

「……」

 

 

 おれの考えは思いっきりフラグだったようだ。

 まさか最後の貴公子との破談が成立した後、噂を聞きつけた帝が態々此方の屋敷まで赴いてくるとは。

 縁談を断ると言っていたお爺さんも、流石のこの地を統べる王を前にしては、太刀打ちは出来なかった。

 

 

「帝……!!」

 

「妖忌落ち着け」

 

 

 帝が来るということで、警備は厳重。

 帝の近衛兵だけでなく、この都でも屈指の実力者が屋敷の周りの警備にあたっている。

 それに便乗して蓑笠を深く被った妖忌がこの屋敷を訪れた時は肝を冷やした。だって妖忌、帝の事恨んでるし。

 今は妖忌を宥める意味合いも込めて、二人で庭園を見張っている。

 

 

「ほれ、近うよれ。そなたの顔をよく見せておくれ」

 

「止めてくださいまし」

 

 

 庭園からも聞こえてくる帝と輝夜姫の会話に、妖忌は歯噛みする。

 嫁さん、帝の女癖の悪さで亡くなったようなもんだもんな。こうして他の女性をはべらせている様子に苛立っているのだろう。

 

 

「_____なんと美しい。輝夜姫、私の屋敷に来い。この世の贅沢を味あわせてやろう」

 

 

 うわっ、帝じゃなきゃまず出ない発言だ。

 いいなぁ、おれも一度は言ってみたい。

 

 

「私はこの生活に満足しています」

 

「それはそなたが今以上の贅沢を知らぬからだ。可哀想に……貧相な暮らしを強いられていたのだな」

 

「……」

 

「私の屋敷ではそのような不便はさせぬ。そなたの望む全てを与えよう」

 

 

 周りに人がいるのに、恥ずかしげもなくそう発言出来る辺り、帝にとっての常套句なのだろうか。それとも、周りの人間を"人"として認識していないか。

 

 

「___葉月の望月の日に、私に迎えが来ます」

 

「迎えとな? 此処がそなたの主家ではないのか」

 

「!!」

 

 

 おい、輝夜姫それは口外していいのか。

 だってその日は_____

 

 

「私は造に拾われましたが、産まれは別にあるのです」

 

「差し支えなければ、聞いても宜しいか」

 

「_____月の都。私の主家は月にあります」

 

「なんと!」

 

 

 そう、月だ。

 あれだけ細心の注意を払っていたのにも関わらずなんで今になって口外したんだ。

 

 

「私は月からこの地へ降り立ち、今があります。しかしながら、先程仰いました、葉月の月が満ち足りた日に、使者が私を迎えに参るのです」

 

「ほう。だからこの私に手を引けと?」

 

 

 影響力で言えば都どころか全土に渡るこの地の統治者にそんな事を言って輝夜姫は何を企んでいるんだ? 

 帝の言う通り、単に諦めさせる為_____いや、そうか。

 

 

「滅相も御座いません。私はこの地を愛しております。しかし、月の使者は強力な者ばかり、私程度の力では月に還らざるをえないでしょう」

 

「……続けろ」

 

 

 なんて奴だ。

 帝への求婚を逆手に取るなんて。

 相手が相手ならそのまま家臣諸共打首になる可能性だってあるんだぞ。

 

 

「ですので、この地を統べる帝である貴方様のお力添えをお願いしたいのです」

 

「ほう、私の力を欲するというのだ」

 

 

 輝夜姫、帝を巻き込みやがった。

 

 大胆不敵にも程があるだろう。思いついたって普通は実行しようだなんて考えない。失敗した際のリスクがあり過ぎるからだ。

 

 

「くははっ! 良かろう。葉月の望月に我が兵を配備させる。輝夜姫、我が兵が月の使者を退けた暁には、我が嫁となるのだ」

 

「はい。その時は謹んで、お受け致します」

 

 

「(通っちゃったよ……)」

 

 

 なんでなんだ。なんでこうも輝夜姫の望む通りに事が運ぶんだ。やっぱり顔なのか。障子越しだから分からないが、恐らく帝は輝夜姫の素顔を見ている。

 だから見た瞬間に気に入り、求婚していた。

 

 ある意味助かったが、輝夜姫の思惑を理解した瞬間どことは言わないが縮み上がったぞ。

 おれは兎も角輝夜姫やお爺さん、あと良くしてくれた家臣達まで処刑される恐れがあったし、月へ行く手段を失いかけたんだからな。

 こういう博打は事前に教えてほしかったものだ。知ったところで何か出来たとかはないが、少なくとも心臓への負担は軽くなるはずだ。

 

 

「……くくっ」

 

「よ、妖忌。どうした?」

 

 

 完全に隣りにいる事を忘れてしまっていたが、おれは妖忌の見張りも兼ねて此処にいたんだ。悠長に肝を冷やしている場合ではなかった。

 

 

「くくくっ、阿呆過ぎるだろう。恋は盲目とはよく言ったものだ」

 

 

 笑いを堪えるように、妖忌が顔を手で覆っている。

 なんで笑っているんだ……? 

 

 

「月から迎えに来る等と、御伽噺ではないんだぞ」

 

「…………………………おう、そうだな!」

 

 

 うん、そうだよな。普通の感性であれば突拍子もなさ過ぎるよな。事実を知っているおれは兎も角、すんなり受け入れてる帝は異常でしかない。

 

 

「くくっ、分かってるぞ熊。御主達、期日までに帝から逃げる準備を整え、夜逃げするつもりだろう。任せろ、帝の兵どもは私が足止めしてやる」

 

「えっ、えっ」

 

「今から帝の悔しむ顔が眼に浮かぶ。まんまと月に逃したと思い違えた奴の顔がな……!」

 

 

 完全に勘違いしてらっしゃる。妖忌さん。

 いや、まあ正直、来てくれるのなら百の兵より妖忌の方が頼りになるし良いんだが。綿月隊長に数の力は通じないし。

 

 

「楽しみだな!」

 

 

 取り敢えず妖忌を乗せるだけ乗せとこう。

 うん、それが良い。輝夜姫の帝巻き込み作戦は失敗に終わるかもしれないが、代わりに妖忌が一緒に戦ってくれるかもしれないし、無駄ではなかったのかもしれない。

 ついでに妖忌の復習も達成されるし、一石二鳥だし、最高だな。

 

 

「おれらで皆ボコろうぜ!」

 

「ああ!!」

 

 

 ごめんな、妖忌。帝の兵を一緒にボコす代わり、バケモンの戦闘にも参加させるから覚悟してな。ほんと、ごめんな。




※補足
 帝は端から輝夜姫の言葉を信じていません。


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㉙話 いつまで経っても

 

 月の使者が来るまで後一日。

 最後の仕上げにおれは藤原邸の庭園にて、妖忌との三本勝負に興じていた。

 

 

「はあ、はあ……やっと勝ち越せたな」

 

「くっ、だが総戦績は私の方が上だぞ」

 

 

 二対一でなんとかおれが勝利を収めることが出来た。最後の調整で勝ち越せたのはでかい。

 これは運気がおれに回ってきているということだ。

 

 

「今日はこのぐらいにしようぜ」

 

「勝ち逃げするつもりか? 勿論再挑戦だ」

 

「馬鹿、やる前に言ってただろ。明日は大切な日だから再戦なしだって」

 

「ぐぬぅ」

 

 

 総戦績で言えば四百八十二勝五百十敗八分。丁度千戦やっておれの負け越しだ。

 思えば随分と妖忌と打ち合った。お互いの手の内が分かって尚、それを逆手にどれだけ相手を出し抜けるかを常に思考し、創意工夫を持って挑むことが出来た。

 正直に言って妖忌との打ち合いは野盗との実戦の十倍は効果がある。

 それを千戦もやってのけたのだ。今のおれは一年前と比較して、比べ物にならないほど成長した……と思う。

 

 

「……ん?」

 

 

 勝利の余韻と、自身の成長に内心喜んでいると、屋敷の方から視線があることに気が付いた。

 

 

「(妹紅か)」

 

 

 ニヶ月前に喧嘩まがいのことをしてしまって以来、全くと言って良いほど口を聞いてくれなくなったんだよな。

 おれから話し掛けても逃げてくし。

 

 

「おーい、妹紅」

 

「!!」ダッ

 

 

 ほら、逃げていった。

 おれから無理に話そうとしてもあれではどうしようもない。

 本当は最後にじっくりと話したかったんだが、あっちが望んでいないことを無理矢理するわけにもいかないしな。

 

 

「なあ、妖忌」

 

「なんだ」

 

「明日の月の使者が来る件、恐らくおれはそのまま輝夜姫の屋敷から去る」

 

「去るも何も、夜逃げだろう」

 

「あー、まあそうだな。それで頼みがあるんだけど」

 

「頼み事とな?」

 

「妹紅の事、気にかけてやってくれないか」

 

 

 おれと輝夜姫の後ろ盾が無くなれば、妹紅はまた独りになる。だから、同じ屋敷にいて信頼の出来る妖忌に頼むしかない。

 

 

「ふん、心配はいらん。私と妹紅殿は『友人』だからな」

 

「えっ、お前らいつの間にそんな関係になってたの」

 

「前に熊達と行った散策以降でな。熊が心配していることも把握しているし、私なりに考えもある」

 

「そうか。それなら……良かった」

 

 

 最後の不安要素がこれで消えた。

 おれがいなくなって妹紅は大丈夫なのか。それがずっと引っかかっていた。

 自分から突っ掛かっていったのに、自身の都合で勝手に突き放してしまうことに、後ろめたさもあった。

 本当に、妖忌が藤原邸に居てよかった。

 いや、おれが脇腹切ったからこうなった訳だし、実質おれのおかげでもあるのか? 

 

 

「あっ、あと妖忌。帝の兵達にはおれが合図するまで攻撃するなよ」

 

 

 やる必要もない。

 どうせ月の使者達に蹂躙されるだろうし。

 まあ、月の中では殺しなんて穢れの権化みたいな行為は御法度らしいので、殺されることはまず無いだろう。

 

 

「分かってるさ。バレずに皆峰打ちすれば良いのだろう?」

 

「分かってない分かってない。全然わかってないよそれ」

 

 

 えっ、そんな認識で分かってるって言われたら、さっきの妹紅の件での分かってるもちょっと不安になってくるんだけど。おれの思惑、ちゃんと妖忌さん理解してますよね? 

 

 

「夜逃げにあたって帝の兵以外にも第三勢力がいるってこと。詳しくはややこしいから言わないけど、恐らくその勢力と帝の兵達は争うだろうから、それに乗じようって感じだ」

 

「ふむ、そういうことだったのか。私はてっきり下手に帝の兵に手を出して妹紅殿の側にいられなくなることを危惧していたのかと思っていた」

 

「あっ、そこはちゃんと理解してたのね」

 

 

 それでバレずに峰打ちって発想になったのか。

 言葉足らずで少し申し訳なくなったな。

 

 

「……なあ、熊。これだけ譲歩したのだから、私の我儘も聞いてくれないか」

 

「そうだな。おれに出来ることなら言ってくれ。飯か? 丁度この前美味い飯屋を見つけ_____」

 

「もう一回、三本勝負だ!」

 

「___てさ?」

 

「さあ! 木刀を構えろ熊!」

 

「え〜〜……え〜」

 

 

 切り良く千戦やったから良いじゃん。

 しかも総戦績では妖忌が勝ち越してるんだし。

 このバトルジャンキー野郎め。

 

 でも、これから色々やってもらうのも事実。

 これぐらいの我儘を、聞いてやらないのはあまりにも器が小さいというもの。

 

 

「……はあぁぁ〜、しょうがないなぁ! 負けず嫌いの妖忌君の鼻っ柱を折ってやるとしますかねぇ!」

 

 

 この後、見事三本全部取られたことは言うまでもない。

 ちょ、これ明日の本番がすっごく不安になってきたんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「今日の飯、なんか豪華じゃないか?」

 

「お婆さんが自ら縒を掛けて作られたそうよ」

 

「そりゃそうか。明日月に還るかもしれない日だし。おっ、この切り干し大根ご飯に合うな」

 

 

 _____夕飯時。

 いつもと変わらぬ食卓を囲んで、おれと紫は軽い雑談を交わしながら食膳を口に運んでいく。

 

 

「んで、海に渡るって言ってたけど、何か当てはあるのか」

 

「特には。私なら船を利用せずとも海を渡れるし、そんなに気にしてないわ」

 

「そうか」

 

 

 鯛の煮付けを頬張りずつ相槌する。

 ほんのりと甘みがあってこれも中々にいける。

 

 

「紫、お前まだ自分のやりたい事に対して明確な未来が見えてないだろ」

 

「……なんでそんな事が生斗に分かるのよ」

 

「あったりまえだろ。普段のお前なら海に渡った後にどう行動するのか、二手三手先を考えて物事に当たっている筈だし、それを自慢気に話してくるだろ」

 

 

 図星だったからか、口元隠し咳払いをする紫。

 お前がおれの太腿ぐらいの高さの頃から見てきてるんだ。

 おれに心配させまいと隠そうとしていたようだが丸分かりにも程がある。

 

 

「ほんと、貴方には隠し通せないわね」

 

「この地が安全とは言わないが、何も計画性も無しに海を渡るのは止めておけ」

 

 

 海の向こうは未知だ。

 幽香は無事戻ってこれたみたいだが、紫が帰ってこられる保証はない。

 

 

「それなら、どうしたら良いと思う? 生斗なら、これからの未来、私に役立つ行動を取るにはどうすべきなのか」

 

「うっ、意地悪な質問してきたな」

 

「ふふっ、否定だけでは子は納得しないってことよ」

 

 

 紫の今後為になる選択、か。

 

 ______一つある。けれども、それは下手すれば海を渡るよりも危険かもしれない。だが、()()があれば、なんとかなるかもしれない。

 

 

「_____妖怪の山」

 

「妖怪の、山?」

 

「おれが妖怪に対する認識を大きく変えた場所だ」

 

 

 鬼や天狗、河童等多くの妖怪が住まう山地。

 紫はおれといる間は主に人間と関わってきた。ここで妖怪との生活の違いや認識の違いを学ぶには良い場所かもしれない。

 

 

「そこは主に鬼と天狗が支配してる山で、結構外部には厳しい場所なんだよな」

 

「それ、私が行っても追い返されるだけじゃない?」

 

「大丈夫大丈夫。おれそこで五十年過ごしてきたから。大体のやつはおれの顔見知り」

 

「五十年も妖怪と暮らしてたの?」

 

「そりゃまあ、色々と深くない事情があってな……」

 

 

 勇儀にボコボコにやられたからってことは今言う必要はないか。

 

 

「ああ、あとこれ」

 

「えっ……それって」

 

 

 おれが肌身離さず携えていた剣助。

 それを紫の前に置く。

 

 

「妖怪の山に行く時これを見せれば、おれの関係者だって分かるだろ。仕方ないから次会うときまで貸しといてやる」

 

「大切なものでしょ。借りてもいいの?」

 

「大切だよ! 毎日欠かさず手入れをして布団の中で一緒に寝るぐらいにわな!」

 

 

 どんな時でもおれは剣助を腰に携え、あらゆる窮地を救ってくれた相棒。

 妖剣だからか霊力を吸えば刃毀れは直るし、手入れをしたところで切れ味が変わる訳でもない。でもおれは数百年間欠かさず手入れをしている。

 だって聞こえるんだ。手入れされてる時の剣助の気持ちよさげな『声』が。

 

 

「それなら態々渡さなくても……」

 

「いいんだ。どうせ次の行き先には邪魔になりかねない。それなら有効活用してくれる紫の元にいた方が剣助も喜ぶ」

 

「生斗が良いのなら、有り難くいただくけど」

 

「ちゃんと毎日手入れするんだぞ! 後で手入れ道具一式渡すから!」

 

 

 受け取られていく剣助の姿を惜しみながらも、おれは眼頭をぐっと抑える。

 すまない剣助。月から帰ってきたらすぐに返してもらうからな……!! 

 

 

「まあそんな事よりも」

 

「ああ!!」

 

 

 おれの相棒を無作法に境界の割れ目へと放り投げる紫。

 馬鹿紫馬鹿! 妖剣だからってもっと慎重に扱ってくれお願いだから! 

 

 

「妖怪の山。確かに面白そうね。行ってみる価値はあるかも」

 

「……あー、天狗は兎に角鬼は血気盛んな奴らが多いからもし戦闘になった時はちゃんと条件つけて戦えよ。そしたら連戦も多対戦も避けられる」

 

「天狗はどうなの?」

 

「話を聞いてくれずに多対戦を仕掛けてくるし、普通に皆強い」

 

「……行くの止めようかしら」

 

 

 これだけ聞けばそうだよな。普通に危険な山だ。

 でも大妖怪の素質を持った紫ならきっと大丈夫なはず。

 

 

「多分それも大丈夫。天狗何人かボコったら絶対鬼が出てくるから。そしたら天狗達は手出ししてこなくなる」

 

「どうして?」

 

「天狗は鬼を恐れてるんだよ。むか〜しに一方的な蹂躙を受けたからな。一応互いの不可侵を築いてるけど、そんなものはお飾りで彼奴等屁理屈こねて結局好き勝手暴れるんだよ」

 

「そんな彼等なら天狗を倒す実力者が現れれば必ず乗ってくると」

 

「そういうこと。どうせ警備を手伝ってやるとか言い出して一騎打ち仕掛けてくる。黄金一粒掛けたっていい」

 

「ある意味圧倒的信頼ってことね」

 

 

 妖怪との交流を得れば紫としても良い経験になる。それに紫の能力を知って怖気づく輩はそんなにいない。既に圧倒的な暴力を経験してる奴等ばかりだからな。

 

 

「射命丸って天狗と、萃香って鬼によろしく言っておいてくれ。勿論、他の奴らにも同様によろしく。是非ともおれの武勇伝を聞かせてやってくれ」

 

「まだ行くことが確定しているわけではないのだけれど……でも了解よ。私自身に自信を持てる日が来たら、その時は寄らせてもらうわ」

 

「すぐにその日は来るさ。なんてったって紫は天才で秀才だからな」

 

「そんな常識では喜ばなくてよ」

 

 

 と言いながらも口元が緩んでいる紫。

 

 ______スゥ。

 

 

 ほんっっっと可愛いなこいつ!! 

 

 

「ご飯、冷めてるわよ」

 

「あっ」

 

 

 そういえば今食事中だったな。

 折角豪勢な食卓なのに勿体ない事をしてしまった。話し始めは湯気の立っていたお吸い物は見る影もなく、米に至っては軽く硬くなってきている。

 

 

「まっ、この先の人生……妖生? を決めるのはお前自身だ。幸い時間は幾らでもある。ゆっくりと決めてくといいさ」

 

「そうさせてもらうわ。今生の別れってわけでもないし」

 

 

 あっさりとした態度で最後の一口を食べ終え、箸を置く紫。

 

 

「けれども、生斗にはこれまで返し切れないほどの恩がある」

 

「んっ、急にどうした」

 

 

 食膳を横に退け、両手を床につける。

 

 

「本当に___本当にお世話になりました」

 

「お、おいおい」

 

 

 そして紫は、おれの前で深々と頭を下げた。

 突如として起きた現象に脳が追いつかない。

 そんな畏まる仲でもないのに、急にどうしたんだ紫は。ちょ、こういうの身内で慣れてないから、頭上げてほしいんだが。

 

 

「なーんて」

 

「んえっ?」

 

「驚いたでしょ」

 

 

 困惑しているおれを誂うように、紫はゆっくりと身体を起こす。

 こ、こいつ……! 

 

 

「でも感謝してるのは本当よ。それこそ仕切れないくらいに」

 

「んなもん良いんだよ。幾らでも甘えてくれれば。なんなら抱き締めてやろうか。ほらほら」

 

「子供扱いは止めてちょうだい」

 

「おれにとっては、紫はいつまで経っても子供だよ」

 

「次会った時覚悟してなさい」

 

 

 鋭い眼つきで睨めつけてくる紫だが、何にも怖くない。

 事実なもんは事実だから仕方ない。いつまで経っても、おれにとって可愛い娘だよ。

 

 

「それじゃあ、私はお盆返してくるから」

 

「ああ、おれも食べ終えたら紫の部屋行く。今日は妖怪の山について色々話してやるから、寝れると思うなよ」

 

「……はあ、流石に生斗は寝なさいよ。明日は生斗にとっても大事な日なんでしょう」

 

 

 それはそうだが、妖怪の山について理解を深めてほしいんだよおれは。

 こういう事になるんならもっと前から話しておけばよかったな。

 

 

「でも、楽しみにしてる。一時は会えなくなるだろうし、お互い満足するまで語り合いましょうか」

 

「おー、ノリが分かってるな紫ちゃんや。おじさん張り切っちゃうぞ〜!」

 

「次ちゃん付けしたら境界行きだから」

 

「はい、申し訳ございませんでした」

 

 

 まさかお辞儀を受けた数分後に土下座をする羽目になるとは思わなかった。

 おじさんネタはネタでも気持ち悪がられてお父さん悲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 因みに紫に貸した剣助は、妖怪の山を出発する前日に貰った代物だったので、殆ど憶えてる妖怪はいなかったようで、おれの関係者である証拠にはならなかったそうです。

 

 勿論、それによりかなり苦労したと再会した紫に聞かされた時は全力で謝りました。それはもう全力に。

 

 

 うん、完全に忘れてたわ。

 



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輝夜姫の内懐

「……私、何やってるんだろう」

 

 

 縁側にて、自らの行動に省みながら小望月を見上げる。

 

 場所は熊口様の御部屋。

 自作されたであろう旅道具の品々が綺麗に整頓されている。

 

 _____その中に、男物の規格品はない。

 

 

 同規格のものが三つ程ある辺り、私と紫、そして永琳の三名を意識して制作されたのだろう。

 

 分かっていた。

 このような結果になることぐらい。

 

 恐らくあの人よりもあの人の事を想ってきた。

 

 だから、本当は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『あの時はおれも甘ちゃんだったのは分かるよ。でも出禁はないよな! 出禁は!』

 

『ちょっと、飲み過ぎよ』

 

『でもその時豊姫さんって人がさぁ____』

 

 

 熊口様のお怪我が完治されて間もない頃、紫と晩酌をされていた時の事。

 盗み聞きをするつもりではなかったが、ふと耳に飛び込んできた二人の会話。

 

 

『(月の事を、話している……?)』

 

 

 数億年も昔の事であるというのに、未だに鮮明に当時の事を憶え、嬉々として語る熊口様。

 

 

 本当であれば、帝へ打ち明けたタイミングで熊口様へも月の関係者であることを伝えるつもりであった。

 私ほどの美貌があれば帝は必ず接触を図ってくる事は明確だったし、そのお眼鏡に留まるまでの時間稼ぎもした。

 月の使者が迎えに来る直前に熊口様に打ち明け、良心に訴えていれば、もしかしたらお供して頂くことはできたかもしれない。

 

 

 _____でも、それでも、あの時の楽しそうな熊口様の姿を見てしまったからには、引き下がるしかないじゃない。

 

 

「はあ……」

 

 

 清酒を口へ含み、味わう間もなく喉へと流していく。

 

 

 月へ行けば、熊口様は必ず不幸になる。

 

 

 軽ければ数千年の幽閉か即追放。

 重ければ末梢。

 

 熊口様には伝えていなかったが、彼の支持者は一定数存在する。

 

 それこそ、今回使者団へ異例の追従する防衛総監____綿月大和もその一人。

 あの総監であれば、月の権力者の反対を押し切ってでも熊口様を連れ帰るだろう。

 

 けれども、熊口様には問題が二つある。

 

 それは罪と穢れ。

 

 罪は言わずもがな、穢れに関してはどう仕様もない。

 

 熊口様の能力は自身の生命を生み出す能力。

 私達月人や仙人等のような条件を満たして得た長寿ではない、世の理を超えた代物。

 その生命力は凄まじい。

 最早生命の塊である妖精のそれを優に越える。

 何も対策されてなければ月の都は凍結せざるを得ないでしょう。

 

 

「まだ、帰ってこられないのかしら……」

 

 

 月読命様ですら除ききれず、周りに漏れ出さないよう術式を施していた程だ。

 しかしその手も月の地では不可能であることは本神から聞き及んでいる。

 そして、今ならば()()()()()()()()()()と。

 

 

 私には、それが不安でならない。

 月読命様を疑うわけではないが、熊口様にとってそれは、大切な何かを失うような気がするのだ。

 

 

「……」

 

 

 だとしても、熊口様は月に行くことを止められない。

 

 彼にとっての『約束』は、ある意味命より重い。

 

『後で必ず行く』って、言いましたもんね。

 

 私がその言葉が成される日をどれだけ待ち望んでいたように、月にいる熊口様の友人達も彼の帰還を待ち望んでいる。

 

 それがもし最悪な結果になろうとも、熊口様にとっての約束が果たされるのでしたら、私はそれを全力で応援するのみ。

 

 

「あ〜、話し過ぎた_____うぇ? なんで輝夜姫がこんなところにいるんだ」

 

「熊口様」

 

 

 喉を押さえながら襖を開け、自室へと入ってこられる熊口様。

 私が勝手に部屋に上がり込んできていたにも関わらず、さしも驚かれる様子もなく布団を敷き始める。

 

 

「すまんな、ちょっと今日は紫と話し込んでて晩酌には付き合えなかった。話があるんなら明日聞くから、今日は部屋に戻りな」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 

 そのまま敷布団の上で横になりだす。

 余程眠かったのでしょうね。確かに今は丑三つ時を超えている。

 恐らくこれは昼間で起きてこられないでしょう。

 

 

「では」

 

「ではじゃないが」

 

 

 熊口様が何故か布団に入り込もうとする私の頭を抑えてくる。

 

 

「部屋に帰れ」

 

「癒やしてくださいまし〜」

 

 

 幾ら力を入れてもびくともしない。流石は殿方様の膂力。

 お互い霊力を使用していないとはいえ、ここまで力の差を見せつけられるなんて_____

 

 

「もしかして、誘ってらっしゃいますか」

 

「どこをどう見てそうなるんじゃ。いいからもう寝ろ」

 

 

 額に軽くデコピンされてしまった。

 うぅ、痛い。

 

 

「お願いです。後生ですから」

 

「後生ないだろ」

 

 

 中々引き下がってくれない。

 私だって引き下がったのだから、熊口様も一つぐらい譲歩してほしい。

 

 

「温もりがほしいんです」

 

「お爺さんとお婆さんのところ行けば、幾らでも温もれるだろ。もう眠いから遊ぶのはまた今度な」

 

 

 熊口様が譲歩してくれないのは正直分かっていた。

 社会的立場然り、男女の貞操然り。彼から了承が出ることはないでしょう。

 

 

「分かりました。明日早く起きてくださいね」

 

「ああ、善処する。それじゃ、お休み」

 

 

 そう言って、程なくして小さい寝息が立ち始める。

 余程睡魔が襲ってきていたのでしょうね。

 私が帰ることを確認する間もなく眠られてしまうなんて。

 

 

「本当に、申し訳御座いません」

 

 

 熊口様の布団へ入り込み、腕を抱きしめる。

 

 

「最後に、温もりをください」

 

 

 

 次に会えるのはいつになるだろう。

 十年、百年、数千年? 

 それでも私なら待てる。

 

 

 でも少しだけ、それまで貴方をいつでも思い出せるように。

 

 

 私に手の感触を教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 __

 ____

 ______

 

 

 

 次の日の朝。

 私の寝相で顔面にけたぐりを受けた熊口様にこっぴどく叱られました。

 

 ふふ、これで一億年は待っていられる。

 

 



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㉚話 信じるが故

 

 一眼レフカメラがあれば是非とも一枚収めたいと思える程の満月が、暗闇に包まれた都を優しい光で照らしている。

 

 

「輝夜姫、天使様の元へ連行させてもらいますぞ」

 

「な、何を言うか!」

 

 

 虫のさざめきですら心地好い音色に聞こえるこの場で、なにやら物騒な事が起きているようだ。

 

 

「ええい造! これは天子様の御命令であるぞ! 

 そこを退け!」

 

 

 輝夜姫のいる几帳の前で、帝の兵とお爺さんが言い争いをしており、今にも手が出んとする状況。

 やっぱりそう来たか。あまりにも帝の聞き分けが良いと思えば_____

 

 

「退くわけにはいかないだろ。不等な連行なんて聞けるか」

 

 

 用心棒であるおれがこれをただ傍観する訳にもいかず、几帳剥がそうとする兵の一人の腕を掴む。

 

 

「うっ、熊口……!」

 

 

 おっ、帝の兵隊さんもおれの名前が知れ渡っていたのか。

 あまり有用性を感じていなかった果たし合いをしていた甲斐があったかもしれない。

 

 

「これは天子様……帝の御命令なのだ。決して不等な連行ではない!」

 

「だからなにがどうして連行するんだよ。5W1Hを知らないのかお前らは」

 

「ごーだゔゅりゅー?」

 

 

 帝の兵の腕を退かし、仁王立ちの構えでおれは几帳越しに輝夜姫の前に立つ。

 

 

「何を言ってるか知らんが、天子様はこうおっしゃられたのだ。"望月が頂点に達し、月の使者が現れぬ場合、輝夜姫を天子を前に虚言を申した不届き者として連行せよ"と。もう月は既に頂点に達しているうえ、此処に御達しもある。これがどうして、不等であると言えるのか」

 

 

 月がもう大分高くまで来ているのは分かっている。

 だからおれも内心焦っていた。

 

 輝夜姫は本当の事を言っているのか。

 もしかして月の使者が来るというのは嘘で、別のなにか考えがあるのか。

 

 そういった疑問がおれの脳裏を過って止まない。

 

 だからといっておれが此処を退く理由にはならない。

 

 

「だからなんだ。まだ月の使者が来ないと決まったわけじゃないだろ。もうちょっと我慢っていうのを知らないのか。女にモテないぞ」

 

「なっ、なっ!」

 

「熊口殿……!」

 

 

 

「き、貴様ぁ! 侮辱しよってからに!」

 

「この御達しがある限り、我々への抵抗はそのまま帝への反逆とみなされるのだぞ!」

 

 

 次々と抜刀していく帝の兵隊さん達。

 よくもまあこんな烏合の衆で……勝てると思っているのか_____天下の妖忌さんに。

 

 

「行くか? 熊」

 

「なんだ貴様! 何処から現れた!」

 

 

 塀を飛び越え、おれの前へ着地してきたのは、蓑笠を深く被った妖忌さん。

 ピンチの時に現れてくれるし、その現れ方もスマートだし、これこそ女性にモテる立ち振る舞い方ってもんだ。

 

 

「勉強になったか、非モテ男児諸君」

 

「さっきから何をほざいているんだ!」

 

「く、熊? ど、どうするんだ。もしかして出てこない方が良かったのか?」

 

 

 突如として現れた謎の剣士に皆が動揺する中、おれは確かに聞いた。

 

 

「来ます」

 

 

 先程まで沈黙を貫いていた輝夜姫の、待ち望んだ一言が。

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊口くん!! 迎えに来たぞおぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 先程まで喧騒にも似た言い争いで庭園を埋め尽くしていたのもつかの間。

 

 今では誰一人として言葉を発することもなく、ただ空を見上げている。

 

 

 

 シャン シャン シャン

 

 

 一定の間隔で鳴り響く鈴の音。

 まるで天の方舟の如く、黄金の装飾を施された船が緩やかに、しかし確実に輝夜姫の屋敷へと接近している。

 水押が掻き分けるは天の川。

 船底の周りにのみ、煌びやかな輝きが波のように打ち、そして淡く散りゆく。

 

 

「綿月、隊長」

 

 

 

 数十里もの距離があるにも関わらず、生斗の名を雄叫びにも似た呼声が、庭園中に谺する。

 

 

「煩い。鼓膜が破れそうになったわ」

 

「!!!」

 

 

 常人であれば、まだ誰が乗っているかすら判断できぬ距離。

 しかしながら、生斗の眼には確かに映っていた。

 

 

 ____彼の身請け人であった、八意永琳の姿が。

 

 

「あ、あっ」

 

 

 言葉が喉に遮られ、視界が次第に高波に溺れゆく。

 

 この日をどれだけ待ち望んだことか。

 

 生斗にとって約七百年ぶりの再会。

 月の民に自身の安否を報せるため。

 不可能だと割り切っていた筈の一方的な約束を果たすため。

 

 ただ歩き続けてきた。

 

 その終着点が今、眼前にある。

 

 

「きゅ、弓兵! 構え!」

 

 

 そんな感傷に浸る間もなく、帝の近衛兵の怒号が響き渡る。

 

 

「あれが月の使者とやらか。誠に現れたのは驚いたが、なんてことはない。撃ち落としてやる」

 

「おい熊。これはどういう状況なんだ」

 

 

 弓兵は火矢を構え、方舟を燃やし尽くさんと画策する。

 帝の近衛兵というだけあって肝が座っており、尋常ならざる光景を眼にしたとて、臆する様子など微塵も感じられない。

 

 

「……」

 

 

 火矢を向けられても尚、方舟が止まる様子を見せない。

 

 

「原始的だな。あんなものでこの舟が落とせるものか」

 

 

 月の使者の一人がそう呟く。

 それに呼応したように綿月隊長が号令を掛ける。

 

「自動反撃機構を発動しろ」

 

「しかしこの機体では旧式となりますが……」

 

「構わん。音速を越える攻撃が可能な者など、熊口君を除いてあの中にはいない」

 

「はっ!」

 

 

 綿月隊長の指示から程なくして、方舟全体を淡い光で包みこまれる。

 

 

「即着型催眠弾装填用意。相手からの行射次第発砲を許可する」

 

「指揮をしているところ悪いのだけれど、月の使者のリーダーは私よ。勝手に仕切らないでもらえるかしら」

 

 

 月の使者のリーダーを差し置き、部下に次々と指示を出していく綿月隊長を永琳が戒める。

 しかし、綿月隊長は悪怯れる様子もなくはにかんで笑った。

 

 

「はっはっはっ! 永琳! すまなかったな! お前の仕事を減らしてやろうと意気込んでたんだ。許してくれ。折角の主人と熊口君との再会だからな。此方のことは私に任せて寛いでいてくれ」

 

「余計なお世話ね」

 

「相変わらず手厳しいなぁ!」

 

 

 二人の雑談。

 色褪せていた声色が蘇っていく。

 

 十中八九、この近衛兵達は全滅する。

 そんな事はどうでもいい。

 

 今の生斗には、帝の兵への危機を報せるよりもただ、遠い昔に親しんだ者達の、追憶と言う名のキャンバスに、色を与えていく事の方が重要であったのだ。

 

 

「熊! 熊! 確りしろ!」

 

 

 呆然と立ち尽くす生斗の肩を揺らし、正気に戻さんと声を掛け続ける妖忌。

 

 

「……」

 

 

 その様子を、輝夜は悲しげに見つめている。

 彼女の眼には今、確信めいた不安が蠢いていたのだ。

 

 

「____妖忌」

 

 

 周りが慌ただしく月の使者に対し反応を示している中、ポツリと生斗が妖忌の名を呟く。

 

 

「おっ! 漸く正気に戻ったか!」

 

「避けろ」

 

 

 瞬間、近衛兵の一人が火弓を放った。

 

 それを皮切りに次々と火矢が方舟に向かって行射されていく。

 しかしその矢は、方舟を囲う淡い光に包みこまれると同時に霧散していった。

 

 

「ぐあぁ!」

 

「うぎっ」

 

「あがぃあ!」

 

 

 突如として倒れ伏していく近衛兵___だけではなく、屋敷にいた女中等の使用人、ましてやこの地に降りて輝夜姫の育ての親であった老夫婦まで事切れたかのように地面に伏していった。

 

 

「これは……」

 

 

 その場に立ち残っていたのは、対象ではなかった輝夜と生斗、そして二の腕に違和感を覚えた瞬間に薄い肉とともに麻酔弾を削ぎ取った妖忌のただ三人だけであった。

 

 

「……刺さるまで気付かなかった。これで皆倒れてしまったのか」

 

「こんな代物が……月の技術力は底無しか」

 

 

 事の数瞬で起きた惨劇を考察する二人を横目に、輝夜はゆっくりと几帳を除け、姿を露にする。

 

 

「お爺さん、お婆さん。御免なさい。そして有難う御座いました」

 

 

 倒れ伏す二人の前へ屈み込み、何処からか持ち出したのか、硬く封のされた壺を二人の前に置く。

 

 

「近くで見れば見るほどに……本当に生きていたんだな、熊口君」

 

「綿月隊長こそ、御健体で何よりです」

 

 

 既に方舟は輝夜の屋敷の眼前まで迫っていた。

 そして遂に果たす念願の再会に、生斗は思わず袖で眼を拭った。

 

 

「熊、まさか知り合いなのか」

 

「……ああ。遠い昔の、おれの上司だ」

 

 

 感慨深い気持ちを抑えつつ、生斗は震えた声でそう答える。

 だが、そんな痩せ我慢も次の一声で決壊する。

 

 

「生斗、久し振り」

 

「永琳さん!」

 

 

 抑えていた感情が吹き出すように、自身でも分かるほど童心に還ったかのような意気揚々とした声色。

 これまで大人として立ち回ってきた生斗が唯一、童の一面を見せる相手。

 転生後、永琳に保護され、月移住まで面倒を見てくれた恩人。

 そんな彼女の胸元へ飛び込みたいという気持ちで頭は支配されていた。

 

 

「永琳さん、おれ_____」

 

 

 全ての事柄を無視し、これまでの出来事を語りだそうとする生斗。

 

 

「なっ、いつの間に……!?」

 

 

 妖忌の驚愕の声が漏れる。

 

 

「えっ、ちょ」

 

 

 それもそのはず。先程まで船首にいた筈の白銀の女性が、生斗の身体を縛るように抱擁していたのだから。

 

 

 

「生斗、また会いましょう」

 

「何を、言って……うっ」

 

 

 自らが望んでいた抱擁が、数秒で叶ってしまったことにより、生斗はほんの数秒だけ、思考が固まる。

 

 そして、それを狙っていたかのように、永琳は生斗の首元へ注射を施していた。

 

 

「あがっ……はっ!」

 

「っ!!」

 

「妖忌さん待って!」

 

 

 注射器内の謎の物質を注射され、悶え苦しみだす生斗。

 それに呼応するように妖忌が永琳に向かって抜刀するが、寸でのところで輝夜が永琳の前に立ちはだかる。

 

 

「何故止める!」

 

「大丈夫、大丈夫だから……今は、どうか動かないでください」

 

「くっ___熊、大丈夫か!」

 

 

 永琳を仕留め損なった事を考える事もなく、地面に蹲り、唸り声を上げる生斗を介抱を優先する妖忌。

 その姿を見つつ、先の出来事を静観していた綿月隊長が口を開く。 

 

 

「何故だ永琳。熊口君に抵抗の意思はなかっただろう。態々無力化する必要性はなかった筈だが」

 

「何を言っているの。彼は立派な犯罪者。神妙にお縄についてくれる保障はないでしょう」

 

「熊口君を疑っているのか!!」

 

 

 綿月隊長の怒号が庭園中に響き渡る。

 まるで自分の事を貶されたかのように、他人の為に怒る綿月隊長と、正論を放つ永琳の対比に若干の動揺を見せながらも、月の使者達は綿月隊長を制止させる。

 

 

「司令、兵どもが起きてしまいます」

 

「……すまん。取り乱した。取り敢えず永琳、熊口君を連れて一旦舟へ戻れ。月還りの儀を行う」

 

「ええ、言われなくても」

 

 

 介抱する妖忌の手を退かし、生斗を抱えて飛び立っていく永琳。

 戻る最中、綿月隊長に軽く睨め付けられるも、彼女は釈然とした態度を示している。

 

 

「さあ、輝夜姫。船首へ来てくれ」

 

 

 月の使者の一人から羽衣を受取りながら、輝夜に此方へ来るよう促す。

 

 

「妖忌さん」

 

「……ああ、分かっている」

 

 

 妖忌の心情は芳しくない。

 約千戦を戦い抜き、親友とも呼べる生斗の知られざる関係性。

 輝夜の夜逃げの手伝いではなく、本当に月の使者が現れたことを今の今まで隠されていたこと。

 自身がそのいざこざに巻き込まれていたという事実。

 眼前にいる強敵に指を咥えて見ていなければならないという今の状況。

 

 そして、不意を突かれたとはいえ、親友が為す術なく倒された怒り。

 

 

「彼奴は、こんなものではない」

 

 

 誰にも聞こえないような声量でそう呟く。

 今の彼には、帝への復讐などという陳腐な考えは消え去っていた。

 

 今はただ、純粋に。

 親友の名誉挽回の為、自身が何をすべきかに思考を巡らせる。

 

 

「今、参ります」

 

 

 妖忌が思考を巡らせている最中でも、場面は常に映り変わる。

 

 さも当然の如く空を飛び、船首の上に降り立つ輝夜姫。

 その姿を見て、綿月隊長は安堵の息を漏らす。彼にとって、無事にこの任務を完了させることこそ最重要事項。月の中でも有権者の御息女に、娘の友人である生斗の回収。

 これは任務だけでなく個人的な___私情を挟んだ介入であった。

 

 

「蓬莱山輝夜、君は刑期を無事に終え、月への帰還が赦された。よく頑張ったな」

 

 

 元々は現場仕事の定期的な監察___基より、事務仕事で鈍らせ気味であった身体を動かす為の口実で始めた業務であったが、輝夜との邂逅にて発覚した生斗の生存。

 六万年もの間、月の技術を結集した衛星探知に探知されていなかった上、捜査が打ち切られた後も、綿月家で個人的に捜索を続けていた。

 

 しかし、副総監一派の策略による印象操作や情報改ざん、最たるは衛生探知機内の生斗の生体情報の末梢であった。バックアップはおろか、探知のきっかけとなる記録はほぼ全て燃やされ、残ったのは生斗の友人であった者達の個人的な写真と、月移住時に映った戦犯行為の一部始終データのみ。

 副総監が追放された怒りは相当で、衰退の一途を辿る前に副総監一派はありとあらゆる手を使って暫定死亡者であった生斗を徹底的に死体蹴りを行ったのだ。

 

 その勢いは凄まじく、司令となった綿月大和でさえ抑えられない代物であった。

 

 

「(長い道のりだった)」

 

 

 だが、その印象操作も今は変わりつつある。

 遡ること一年前。

 生斗が発見された事により、これまで戦犯行為とされた彼の行動の見直し運動が行われたのだ。

 生斗が行動を起こしたことによる実際の被害状況と、行動を起こさなかった場合の被害状況の分析。

 これまで無視されていた遺族の声。

 副総監一派による印象操作の発覚。

 

 数億年前から根付いた悪印象は簡単には拭えない。

 だが、確実に少しずつ、生斗への悪印象は薄れつつあったのだ。

 

 

「帰ろう。皆で」

 

 

 輝夜がその発言を受けた後、ゆっくりとお辞儀する。

 

 _____後は天の羽衣を輝夜に纏わせれば終わり。

 

 綿月隊長の頭は、既に月へ帰った後のことで胸を膨らませていた。

 

 

「その羽衣は、受け取れません」

 

 

 そんな綿月隊長の心情を裏切るように、輝夜は力強い発言で、月への帰還を拒否した。

 

 

 輝夜の両手は、既に合掌の姿勢を取っていた。

 

 

「なっ_____!!!」

 

 

 

 _____瞬間、方舟全体に異常を報せる警告音が盛大に鳴り響いた。

 

 




次話、4章最終回です。


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㉛話 潮盈珠と潮乾珠

 

 突如として鳴り響く警告音。

 輝夜の拒絶。

 

 その二つがほぼ同時に起きたことにより、綿月隊長は軽く動転する。

 

 

「な、何が起こっている!」

 

「司令! 舟の指揮系統システムがダウン! 予備バッテリーも緊急帰還装置用を除いて全てショートしました!」

 

「原因は!」

 

「不明です! 何故このような_____」

 

「どうした! 他は!」

 

 

 操縦席より受けていた報告が途絶える。

 周りに声をかけるも返答がない。

 綿月隊長は不本意ながらも輝夜から眼を離し、後ろへ振り向く。

 

 そこには、月の使者全てが倒れ伏し、背中には無数の矢が突き刺さっていた。

 

 

「永琳、 お前……!!」

 

「振り向くのが遅いんじゃない」

 

 

 その中心には既に全ての矢を打ち終えた永琳が涼し気に立っている。

 状況を理解した綿月隊長は歯噛みする。

 

 主人がこの地に残ると判断したのだ。

 従者がその意思を尊重しないわけがない。

 それが月の民を裏切る結果となっても、永琳には輝夜を不老不死にしてしまった罪悪感があるうえ、彼女達は数億年もの間互いを支え合ってきた仲。

 それを加味し、綿月隊長は輝夜からの拒絶を受けた時点で行動に移さなければならなかった。

 

 永琳という、月の頭脳と呼ばれ、戦闘においても屈指の実力者である彼女への対処を。

 

 

「それよりも、私ばかり見てていいの?」

 

「何を馬鹿な___」

 

 

 瞬時に綿月隊長は理解する。

 永琳への対処は必須事項ではあるが、他の月の使者が倒された時点で既に、優先順位は入れ替わっていたことを。

 

 

「畜生!」

 

 

 背後への警戒を怠らずに輝夜へまた振り返ると、そこには紫の境界が閉じる瞬間であった。

 

 綿月隊長は監視の間に紫の存在、そして能力も認知していた。

 だが、その紫が輝夜の協力者となることまでは把握していなかった。

 何故なら、彼女らが監視下でそのような発言を一度としてしていなかったのだから。

 

 

「(まさか熊口君も……? だがなら何故永琳は_____)」

 

 

 一筋の不安が綿月隊長の脳裏に過る。

 しかし、考えている時間は彼には残されていない。

 

 

「……してやられたな」

 

 

 背後から音速で放たれた四本の矢を難なく掴み取り、追撃で来た漆黒の霊弾へ投擲し、その全てを薙ぎ払う。

 

 

「もう二度と、不浄の地へ立ち入ることができなくなるんだぞ。それでもいいのか、輝夜姫!」

 

「もとより、覚悟はできております」

 

 

 綿月隊長の眼光は、妖忌のいる地上へと向けられる。

 そこには既に、妖忌とは別に紫と輝夜、そして永琳が立っていた。

 

 

「(なんて圧迫感……一瞬近付いただけで気色の悪い汗が止まらない)」

 

 

 紫の全身から汗が吹き出す。

 呼吸は細かく乱れ、心臓の鼓動は耳を塞ぎたくなるほど暴れている。

 

 

「……そうか」

 

 

 そんな内心穏やかでない紫を余所目に、綿月隊長は寂しそうに頷く。

 しかし、彼の任務は輝夜を月へ連れて帰ること。二つ返事で見逃すわけにもいかない。

 

 

「蓬莱山輝夜、並びに従者八意✕✕。以上二名を拘束及び連行し、審問へかける」

 

 

 綿月隊長の両側から拳大の黒い球体が二つ浮かび上がる。

 

 

「潮盈珠と潮乾珠。それで私を捕えることができるかしら」

 

「ああ、勿論そのつもりだが」

 

 

 球体の名とその仕様を永琳は理解していた。

 それを知って尚、彼女は看破出来る自信があった。

 それは驕りでもなんでもなく、ただの事実。

 今の永琳に、油断という文字は存在しない。

 

 

「あと30分ってところかしら」

 

「……?」

 

「月へ帰ることが出来る緊急帰還装置。そのバッテリー残量が無くなる時間よ」

 

「_____この!!」

 

 

 綿月隊長が勢いよく方舟から飛び出し、輝夜達へ肉薄する。

 しかし、その侵攻に立ちはだかったのは、妖忌であった。

 

 

「もう我慢ならん!! 貴様は私の獲物だ!!」

 

 

 輝夜から待てを強制させられていた反動か、永琳と綿月隊長との一幕によってか、遂に我慢の限界を迎えた妖忌。

 

 先程まで悩みを抱えていた彼の考えは既に固まっていた。

 

 己が盛大に活躍すれば、自ずと親友の名誉が挽回されると。

 

 

「妖忌さん!」

 

「輝夜姫! それにその白銀の御婦人! ここは私が引き受ける! 事情は知らんがこの者に追われているのだろう! 早くこの場を去れ!」

 

「この! 退かんか!!」

 

 

 綿月隊長の侵攻も、妖忌の凄まじい剣戟により阻まれる。

 

 

「……流石ね」

 

 

 妖忌の情報も当然月の関係者は把握している。

 それは勿論、綿月隊長だけでなく永琳でさえも。そして彼が、生斗と約千戦もの間互いを高めあった剛の者であることも理解している。

 

 彼ならば、三十分もの間綿月隊長を拘束できるかもしれない。或いは、万が一があるのかもしれない。

 そう思わされるほど、妖忌の剣戟は凄まじかった。

 

 

「輝夜、それに永琳? って言ったかしら。この境界に入りなさい。ここから遠く離れた地へ繋いだわ。正直、私も知らない場所だけれど、今の貴女達には都合が良いでしょ」

 

「……紫、ありがとう」

 

 

 自身ですら知らない地。

 未知の土地へ二人を飛ばすには理由がある。

 だが、それを説明している暇も、する必要のある人物は此処にはいない。

 

 

「余計なお世話___と、言いたいところだけれど、感謝するわ。今は()()()()()()を一瞬でも振り払える隙が欲しかった」

 

「なんだか、理由は分からないけれど、少し腹が立つわ。どうしてかしら」

 

「奇遇ね、私もよ」

 

 

 二人が何を考えてか睨み合う様子を見て、輝夜が慌てて間に入る。

 

 

「い、今はそんな睨み合いをしている暇はないでしょ! ほら、永琳入って!」

 

 

 紫が展開が展開した境界に、永琳は押し込まれていく。

 その最中、永琳は方舟へと眼を向けていた。

 

 

「(生斗、頑張って)」

 

 

 その視線は、未だに方舟の上でもがき苦しんでいる生斗へと向けられていた。

 

 

「さて、後は貴女よ」

 

「……うん」

 

 

 永琳を境界へと押し込み、残りは輝夜のみとなった。

 

 

「御免なさい。熊口様をあんな目に遭わせちゃって」

 

「いいのよ。あれにはちゃんと理由があってのことなんでしょう。それより、最後に生斗と話せなくて良かったの?」

 

「ううん、いいの。熊口様成分は充分にチャージしたから、少なくとも一億年は待てるわ」

 

「……? それはどういうこと」

 

「内緒!」

 

 

 はぐらかすように、輝夜は悪戯な笑みを浮かべながら口を前に人差し指を立てる。

 

 

「いい加減に、しろ!!」

 

「ははは! どうなってるんだその身体は! 全然傷がつかん!」

 

 

 綿月隊長と妖忌の戦闘の余波が、遂に輝夜達のいる場所まで来つつある。

 

 

「時間ね」

 

「そうみたい。本当はもっと話したかったけど」

 

 

 輝夜が境界に片脚を踏み込ませる。

 

 

「またね、紫。幸い、私達には時間が無限にある。また会った時は、月の話いっぱいしてあげるから」

 

「ふふ、楽しみにしてる」

 

「輝夜姫!!」

 

 

 防御を捨て、妖忌からの剣戟を受けながら綿月隊長は操る黒い球体をの1つを発動させる。

 

 

 

 

 

 ______瞬間、黒い球体からは自身と妖忌を巻き込んだ、洪水を思わせるほどの海水が輝夜と紫の元へ降り注がれる。

 

 

「くそっ!!」

 

 

 しかしその甲斐虚しく、境界は輝夜を飲み込んだ後、即座に閉じられた。

 

 押し寄せる高波。

 それを背に感傷に浸る紫。

 

 

 

 彼女は今、初めての友人との別れを経験したのだ。

 

 

「……ありがとう妖忌。おかげでお別れが言えたわ」

 

 

 

 そしてその感傷も直ぐ様切り換え、高波へと振り返り、綿月隊長へ宣戦布告の口上した。

 

 

 

「荒ぶる海の神よ。僭越ながら穢れた大地に住まう愚者共がお相手致しますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「はあ、はあ、ごふっ!」

 

 

 無から発生した海水が都の一角を覆い尽くす。

 それに巻き込まれた紫と妖忌は、都の外の雑木林まで流され、樹木に捕まって事なきを経ていた。

 

 

「被害は甚大だが___何、死人はださんさ」

 

「はあ、はあ……何が、起こったのだ」

 

 

 その海水も、二人の前に綿月隊長が現れるとともに消失する。

 

 

「彼処で暴れれば確実に死人が出るのでな。場所を変えさせてもらった」

 

「……どうも、ご親切に。感謝するわ」

 

 

 ずぶ濡れとなっていた衣服でさえ乾燥し、残されたのは洪水によってなぎ倒されていった木々や建造物の残骸。これで死人を出していないと言われても信じ難い光景が広がっている。

 

 

「紫君、と言ったかな。君の能力を使ってくれないか」

 

「なんでよ」 

 

 

 綿月隊長の発言が何の意図としているのか、紫は理解していたが、時間を稼ぐために敢えて質問する。

 

 

「隠しても無駄だろうから応えるが、君の能力の残影を辿って輝夜姫達を追うためだ。それを解析するにはもう少し情報がほしい」

 

「それなら、尚更見せるわけにはいかないわね」

 

「結構。使わざるを得ない状況を作り出すのみだ」

 

 

 あと一回。あと一回でも能力を発動させれば、解析が完了し、正確な転移場所を突き止める事ができる。

 

 それだけの能力を、綿月隊長は有している。

 

 それを肌で感じていた紫は、境界を使って行方を眩ませる手段を放棄した。

 

 

「(輝夜と一緒に入って逃げてれば良かったわね)」

 

 

 結果論であって当時の判断で言えばそれが正しいとは到底言えなかっただろう。

 何故なら、あの現状の判断材料ではあまりにも情報が足りないからだ。

 

 ___もしかしたら発信機があってすぐに居場所を発見されるかもしれない。

 ___もしかしたら一発で能力の残影を見切られてしまうかもしれない。

 ___もしかしたら生斗が地上に残されたままにされてしまうかもしれない。

 

 様々な可能性を加味し、紫は現場に残る判断をした。

 

 

「はああ!!!」

 

「また君か!」

 

 

 綿月隊長が紫へ肉薄しようとする刹那、妖忌が斬り掛かり制止させる。

 

 

「貴様の相手は私と言っただろう!」

 

 

 至近距離での攻防。

 妖忌の剣戟を霊力で強化した腕で往なす綿月隊長。

 あまりの距離の近さに、二つの球体での能力を発動させられず、強制的に肉体強化のみでの戦闘を強いられる。

 

 

「(ここまでか! この剣士の実力は!)」

 

 

 あまりの剣戟の激しさに、後手を強いられる。

 幾ら圧倒的な霊力量と防御力を誇る綿月隊長であっても、急所を斬られれば致命傷となる恐れがあったからだ。

 

 

「凄まじいな! なら、これならどうだ!」

 

「なっ、二人だと!?」

 

 

 防御に徹していた綿月隊長の横腹を、無警戒であった半身が人間化したもう一人の妖忌によって斬られる。

 

 

「はははは! やっぱり鋼のように硬い!」

 

 

 だが、その急襲も虚しく、衣服を裂き肉体に内出血を起こす程度に留まる。

 しかし、妖忌は笑っていた。

 真剣での戦い。催し物の時に味わった、生斗との極上な一時を彷彿とさせる戦いが今、ここにあったからだ。

 

 

「させないわよ」

 

「ぐっ!」

 

 

 綿月隊長がこの場を切り抜けるために、霊弾を放とうとするが、それを尽く紫に撃ち落とされる。

 

 

「やるな!」

 

「貴様もな!!」

 

 

 妖忌二人の剣戟を片手ずつで対応するも、少しずつ傷が増えていく綿月隊長。

 

 

「(どうするか、この状況)」

 

 

 少しでも妖忌へ集中を高めれば、即座に紫の妖弾が着弾する。

 

 

「(見事にとられた連携。まるで熟練の部隊と相対しているようだ)」

 

 

 そんな感想を抱きながらも、未だに余裕を見せる綿月隊長。

 先程までの時間のなかった状況とは違い、今は三十分という、彼にとって十分すぎる時間が残されている。

 冷静に分析し、事に当る余裕が生まれていた。

 

 

 

 ガキンッ

 

 

 

「!!」

 

 

 妖忌の一人に、重厚な霊力障壁が展開される。

 

 弾かれる刀身とともに後退する妖忌。

 

 それを見逃さじと、黒い球体____潮盈珠と潮乾珠が反応する。

 

 

「ごぼふっ!?」

 

 

 妖忌の一人を飲み込んだ円錐状の水流が発現。

 

 

「まずは一人」

 

「(脱出させられない!)」

 

 

 もう一人の妖忌が脱出を試みるが、表面は激流により阻まれ、身動きすらままならない状態となる。

 次第に中の妖忌は形を保つことができなくなり、霊体の姿へ戻ってしまった。

 

 

「紫殿! あの水流には捕まるな! 捕まれば身動きすら取れなくなって無力化される!」

 

「ええ、そのようね」

 

 

 綿月隊長の操る、潮盈珠と潮乾珠。

 

 潮盈珠は、無から海水を無限に発生させる能力。

 潮乾珠は、潮盈珠で発生させた海水を操ることができる能力。

 

 大規模な洪水を巻き起こしたにも関わらず、死者を出してないと発言したのには、これに起因している。

 

 綿月隊長がその気になれば、この場にいる全員を無力化するどころか、世界を崩壊させる程の力を有していた。

 

 

「(でも、近付かれたら発動できない)」

 

 

 そんな能力を持ってしても、弱点は存在する。

 その一つを、紫は見切っていた。

 

 

「妖忌! 間髪入れずに斬り続けて!」

 

「っ!!」

 

 

 二つの球体の弱点の一つ。

 それは近接戦により能力を発動させる暇を与えないこと。

 

 

「(輝夜を逃がすまでの間、あの人が能力を使わなかったのは、何か特別な理由があったわけではない。単に使えなかったからでしょ)」

 

 

 能力を発動させるには集中力がいる。

 常に身体全体を動かし続けている間は発動ができないのだ。

 

 

「(輝夜を逃がす時に発動できたのは、彼が妖忌からの攻撃を一身に受けるという捨て身の選択肢を取ったから。その捨て身も、妖忌相手に何度も取れる選択肢ではないでしょう)!!」

 

 

 妖弾の質と量を上げ、半霊分の穴を埋める紫。

 その物量は半霊分の穴を優に埋め、捌ききれない妖弾が所々綿月隊長に直撃する。

 

 

「一人欠けて尚隙は見せないか!」

 

「貴様もそろそろ見せたらどうだ!」

 

 

 妖弾が着弾時に発する爆発音と、金属同士がぶつかり合うような甲高い音響が雑木林に鳴り響き続ける。

 

 着実にダメージは蓄積しつつあるが、圧倒的に決定打に欠けている。

 だが、それでいい。

 大妖怪並の妖力量を有する紫に、乱取りを数時間に渡って行っても疲れを見せない体力怪物の妖忌。

 この均衡を保てれば、綿月隊長は時間切れで紫陣営の勝利。

 

 圧倒的な実力差から訪れた勝機。

 それを手放せじと二人は懸命に各々の役割を全うする。

 

 

「!!」

 

「二度同じ手を食うか!」

 

「がはは! やるな!!」

 

 

 先と同じく、瞬時で出せる範囲で最高硬度を誇る霊力障壁を展開するも、起こりを察知した妖忌はそれに難なく対応。障壁ごと斬り捨て、そのままの勢いで綿月隊長に狂刃が襲い掛かる。

 

 

「(なんだ、この気分の高揚は!)!」

 

 

 次に綿月隊長は全身から高密度弾幕を繰り出す。

 一発一発の殺傷力は凄まじく、常人であれば被弾した箇所がそのまま抉り取られるほどの威力。

 

 

「物量では負けなくてよ」

 

 

 だがしかし、その質は紫も持ち合わせていた。

 妖忌は剣戟を行うがまま自身に向かう霊弾を斬り捨て、紫に対して向かい来る霊弾は、出力を上げて全力で撃ち落とされていく。無論、綿月隊長に隙を作らせないために、紫はさらに倍以上の弾幕を生成し事にあたっている。

 

 

「(基礎スペックなら大妖怪と遜色ない。これであの能力をフル活用されたら更に厄介だったな)」

 

 

 第二の手も難なく看破され、思わず笑みが溢れる綿月隊長。

 徐々に均衡が崩れ、妖弾は幾度もまともに食らい、両腕は赤く腫れ上がっていく。

 

 

 ____久しく忘れていた戦いによる高揚感。

 

 

 他者との闘争、奪い合い。死に繋がりうる行為。

 それは正しく穢れである。

 

 

「(穢土に降りて、私も毒されたか)……」

 

 

 浄土へ移り住み、限りなく穢れを削ぎ落とし得た長寿。

 その今までを否定するかのように、綿月隊長の胸の奥に仕舞い込んでいた闘争心が、目醒めつつあった。

 

 

「だが、それで良い!」

 

 

 _____今は甘んじて穢れに染まろう。

 

 

 そして今、綿月隊長の"タガ"が外れた。

 

 

「_____獲った」

 

 

 刹那の油断。

 それを見逃す妖忌ではなかった。

 

 綿月隊長の腹部に深々と刺さった刀身。

 

 妖忌は確信していた。

 刀を引き抜くことで、この闘いの幕が降りることを。

 

 

「……なにっ!?」

 

 

 しかし、いつまで経っても刀が引き抜かれることはなかった。いや、正確には()()()()()()()()

 

 

「隙ありだ」

 

「ぐっ!!!」

 

 

 綿月隊長の、熊のような掌での平手打ちが妖忌に襲い掛かる。

 それをなんとか腕で防御するも、敢え無く木々を薙ぎ倒しながら遠い彼方へ吹き飛ばされてしまう。

 

 

「あと、一人だ」

 

「くっ!」

 

 

 刀身を抜き、即座に霊力による自然治癒力を高め止血させる。

 数千にも及ぶ剣戟に、数百もの弾幕を食らって尚、両腕を除き大した傷が残っている様子もなく、既に自然治癒により回復しつつあった。

 

 

「ほんと、私達以上に化物ね」

 

「がはは、月の皆からもよく言われる」

 

 

 この状況、傍から見なくとも詰みである。

 勝利条件の大前提であった潮盈珠と潮乾珠の封殺。それには妖忌が必要不可欠であった。

 一対一で、近接戦に若干の不安のある紫には荷が重すぎる状況。ただでさえ絶望的な状況に加え、今の紫の最大出力の妖弾を幾度も受けても尚、自然治癒力が勝る始末。

 

 

「能力を使って逃げろ。紫君を態々追うような真似はせん」

 

 

 敵からの逃亡の提案。

 何も護るものがなければ、聞き入れていたかもしれない。

 けれども紫は、その選択肢を勘定に入れるような妖怪には育っていない。

 

 

「悪いけれど、聞き入れられない提案ね」

 

 

 澄まし顔でそう告げる紫を見て、満面の笑みを溢す綿月隊長。

 

 

「そうか、それは……残念だ!」

 

 

 潮盈珠と潮乾珠が光り出すと共に、綿月隊長は音速を超える速さで紫に対し肉薄していく。

 

 通常、人間の質量での音速を超える速さで動けば、空気抵抗により高熱を発し、五体バラバラに裂け、焦げ落ちる。風を操るものでない限りは到底出すことは叶わぬ代物。

 

 そのような常識を通じないのが、綿月大和という存在であった。

 

 

「う"っ!!」

 

 

 龍の形状をした水流とともに襲い掛かる綿月隊長に対し、無数の弾幕と御札により対抗する。

 更には結界により自身を保護し、水流にも対抗出来るよう二重の構えを取る。

 

 

 だがその全ては、綿月隊長が起こした衝撃波により虚しく消し飛んでしまった。

 

 

「がっはぁ……!!」

 

 

 綿月隊長のラリアットが、紫に直撃する。

 

 これまでに経験したことのない衝撃。

 直撃する刹那、なんとか首を保護するように腕を畳み、全妖力を込めて防御に徹した。

 

 にも関わらず血反吐を吐き、遠く離れた大木にめり込むまでに吹き飛ばされた。

 

 

「がはっ、ごほ!!」

 

「何故だ。境界を使用すれば避けれただろう」

 

「ごほっ、ごほっ!!」

 

 

 綿月隊長には理解出来なかった。

 生斗に育てられたとはいえ、紫はたかが妖怪。

 いざとなれば保身に走り、能力を露顕させると。

 

 だから全力で放った。

 

 なのにだ。

 紫は能力を使わず、防御に徹した。これまでの戦闘からそれが悪手であり、致命傷足り得る威力であると知りながら。

 

 

「……どうやら私は、君を過小評価していたらしい。本当にすまなかった」

 

「ぐっ、ぐふっ、ふう、ふう」

 

 

 睨め付ける紫に、綿月隊長は謝罪する。

 妖怪は悪であり、どこまでいっても相容れぬ存在だと切り捨てていた。

 だが、自らの死を覚悟して尚、友を護るために身を挺するその姿。

 

 綿月隊長は感動していた。

 また一つ、己の認識に新しい発見があったことに。

 

 

「紫君、お願いだ。能力を使ってくれ。出来るのならば君を退治したくない」

 

「は"あ"、は"あ"……」

 

 

 

 大木から落ち、地面に這いつくばりながらも、紫は土を握り締め、なんとか立とうと震える脚に鞭を打つ。

 

 喉は潰れ、妖術が解かれ金髪を晒し、口からはおぞましい量の血が滴り落ちる。

 

 眼前には、最強の月の使者。周りには水流が今にも襲いかからんと待機している。

 

 _____抵抗を直ちに止め、能力を晒したうえで回復に徹するべきだ。

 

 頭ではそのような弱音が、反響するように幾度も流れてくる。

 

 

「(でも、そんな事をしたら)ごほっ、ごほっ」

 

 

 時間はまだ十分程しか経っていない。

 けれども、綿月隊長という化物相手によくやった方である。

 これだけの時間を稼げれば、輝夜達は境界先から遠く離れてくれているだろう。

 

 だから、もう頑張る必要はない。

 

 

「ぞれ"じゃ、がぐや"に"、がお"むげでき"な"い"」

 

 

 それでも、紫は友を裏切らなかった。

 

 潰れた喉をなんとか動かし、綿月隊長の提案を拒絶する。

 

 

「……すまない。君の覚悟を侮辱してしまったようだ」

 

 

 掌で眼を覆い、自身の失態に心底嫌気が指す綿月隊長。

 

 

「済まないが、私は君を退治しなければならない」

 

 

 しかしその自己嫌悪も、ものの数秒で済まし、公務に戻る綿月隊長。

 月の民からすれば、妖怪は殺生とは別の"駆除"に過ぎない。多少穢れは発生するが、必要な駆除とあればそれは良しとされてきた。 

 

 

「犯行補助に殺害未遂。そこまでした妖怪をみすみす見逃せば私が罰せられてしまう。能力を教えてくれれば、退治の優先順位が下がって幾らでも理由をつけられたんだが」

 

 

 自身の殺害予告にも紫は動じず、今も抵抗の意思をみせんと、睨み続ける。

 どんな状況であろうと、彼女に友人を裏切る選択肢などない。

 

 

 

「では、さらばだ。紫君」

 

 

 

 天高く上がった水流が、紫を襲い掛からんと急降下する。

 

 まるで宇宙から降り注ぐ滝流星。

 紫まで辿り着くまで残り数秒。

 

 綿月隊長もせめて苦しませまいと、ありったけの密度で仕留めにかかっている。

 

 

 紫が今、万全だったとしても到底迎え撃つ事のできないほどの密度。

 

 

 

 

 

 

 _____しかし、その滝流星は、流れ星の如く放たれた『爆散霊弾』と共に霧散していった。

 

 

「……これは____ぐっ!?」

 

 

 綿月隊長の身体に、無数の霊力剣が突き刺さる。

 

 爆散霊弾に霊力剣。

 

 その二つは、()が最も得意とする武器である。

 

 

「紫、すまん。来るのが遅くなった」

 

「ぜ、い"ど!」

 

 

 紫を護るように、綿月隊長の前に立ちはだかるは、先程まで永琳の注射により悶え苦しんでいた熊口生斗本人であった。

 

 

「どうしてだ、熊口君。君は確か永琳の注射で無力化していた筈。それに何故私に攻撃を……」

 

 

 霊力剣を引き抜きながら、今起きた疑問をぶつける綿月隊長。

 

 

「そんな事はどうでもいいんですよ」

 

 

 そんな彼の質問を、生斗は不躾に回答する。

 

 月の使者である綿月隊長に対し、先程とは打って変わって、今の生斗は敵対心を隠していない。

 

 それは、何故か。

 

 答えは余りにも単純明快______

 

 

「此処から先は戦争ですよ、綿月隊長」

 

 

 

 _____紫を手に掛けようとした綿月隊長に対し、本気でキレていたからだ。

 

 

 




すいません、想像以上に妖忌と紫が強くて粘っちゃったので、二話に別けます。なので次話が正真正銘4章最終話です。


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㉜話 一つ目の約束

 

 

「綿月隊長が妖怪を退治しなければならない理由は分かってます。そして、それが月の民として当然の認識であることも」

 

 

 霊力剣を両手に二本、背後には十本の霊力剣を生成させながら、おれは綿月隊長へと歩を進めていく。

 

 

「歩を進めるを止めろ、熊口君。これ以上は戻れなくなるぞ」

 

「もう手遅れですよ」

 

 

 綿月隊長に反抗することが何を意味しているのかなんて、想像は容易い。

 だが、おれはそもそもが犯罪者。月に行ったとて、碌な対応がされることがないことも分かっている。

 

 

「紫、頑張ったな。お前を育てた身として誇らしいよ」

 

 

 元々、楽して月に行こうとは思っていない。

 綿月隊長をボコボコにしてでも行く予定だった。

 その予定通りに動くまで。

 

 

「後はおれに任せてゆっくり休んでくれ」

 

「ぜ……い"……」

 

 

 どんな理由があれ、それが例え此方に非があったとしても、紫をこんなにまでした綿月隊長を到底許すことはできない。

 

 

「君と紫君の関係性は知っている。だが、分かってくれ。私の立場で犯行を示した妖怪を見過ごすわけには___」

 

 

 綿月隊長の言い分は分かってる。分かってるんだ。

 でもよ。それを割り切って許せたら_____それはもう親失格なんだよ。

 

 

「おらあぁ!!」

 

「ぐおおっ!?」

 

 

 綿月隊長に向け、跳躍したおれはそのまま飛び膝蹴りを繰り出した。

 腕で防御する綿月隊長。しかし勢いを殺しきれずに、遥か彼方へ吹き飛んでいく。

 

 

「(この力は!!)まさかくま_____」

 

「!!」

 

 

 そのまま楽に吹き飛ばせ続けるのも勿体ない。

 おれは吹き飛ばされていく軌道へ先回りし、飛んできた綿月隊長を空へと蹴り上げる。

 

 

「ぐああ!!」

 

 

 天高く上がった綿月隊長に向け、おれは後ろに待機させていた霊力剣並びに、爆散霊弾を五発放つ。

 

 

 

 空中で巻き起こる大爆発に、木々は根本から吹き飛ばされ、残った草木は爆炎により焦土と化す。

 

 

 周りに被害を与えないようにするために空中で爆発させたのに、相変わらず凄い威力を出すな。

 

 _____流石は()()()()の力だ。

 

 

「はあ! はあ! はあ!」

 

 

 流石は世界を滅ぼす力を持つと言われる潮盈珠と潮乾珠。

 

 爆心地にいた綿月隊長の周りには水蒸気を大量に発生させつつも、湧き続ける水流により守られていた。

 幸いにも先に発射した霊力剣は命中していたが、その後の爆散霊弾は大量の水流を発生させて防ぎ切ったってとこか。

 

 やっぱり、()()()()()()()()()一筋縄じゃいかないな。

 

 

「……分かった。これはいわば善意と善意の押し付け合い。だから戦争と比喩したのか」

 

 

 綿月隊長もどうやら状況を理解してくれたらしい。

 その方がありがたい。

 幾ら綿月隊長が善意でおれを説得しようとも、貴方が輝夜姫を追いかけようとする限り、そして紫を手に掛けようとする限り、おれが引き下がることは決してない。

 

 

「私は君を気絶させてでも連れ帰る。無論、輝夜姫と永琳も連れてな」

 

「おれ()()なら幾らでも歓迎しますよ」

 

 

 水流を解除し、おれの前に降り立つ綿月隊長。

 やはり、いつ立ち合ってもこの人の圧倒的な威圧感には慣れない。本人は至って仲間想いの気の良いおじさんなんだけど。

 

 

「熊口君。戦う前に一つ断っておくことがある」

 

「なんですか」

 

「どこまでも優しい君は、私にすら遠慮するかもしれないから、一応な」

 

 

 余程余裕があるらしい。

 おれが心配する心配をしてくれるなんて、大分舐められてるな。今のおれに、あの綿月隊長相手に手加減する余裕なんてあるものか。

 

 

「これは仮死の腕輪だ。どんなに致命傷を受けても、仮死状態で絶命することはない。私達月の民は皆これを装備している」

 

「……だからなんですか」

 

「存分に打ち込んできたまえ。お互いの信念のぶつかり合いだ。遺憾無く、全力で、それでいて純粋に、命一杯やり合おうじゃないか」

 

 

 こんな状況にもかかわらず、笑みを溢す綿月隊長。

 ……結局この人も戦闘狂か。

 どうしておれはいつも戦闘狂共とばかりエンカウントしてしまうのか甚だ疑問だが、こればかりは仕方ない。

 

 おれにはおれの、為すべきことを為すために自ら戦場へ身を投じているのだから。

 

 

「後悔しても知りませんよ。自分でも今の力を上手く制御できる気がしない」

 

「望むところだ!」

 

 

 命三つ。

 元々催し物の際に使用した一つに加え、更に二つ消費した今の状態。

 違和感が凄いが、意外にもなんとか耐えられる。

 これなら、戦闘中に限界が来ることもないだろう。

 

 おれに残された命は残り二つのみ。

()()()すれば月に行く際に丁度良いぐらいの穢れとなるだろう。

 

 後はこの化物_____綿月隊長を倒すのみ。

 

 勝てるビジョンは沸かないが負ける気も毛頭ない。

 

 ビジョンが沸かないのなら、無心で戦え。

 

 勝機ってものは思考と工夫の末掴み取るものだが、時には気まぐれに此方へ来たりもする。

 

 それを全力で掴み取る。

 

 それまで、是が非でも倒れてたまるものか。

 

 

「かかってこい、熊口部隊長。全霊を持って迎え撃つ!」

 

「あの時のような、一矢だけじゃ終わらせませんよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 境界を超え、四半刻という須臾のようで永遠にも感じる運命の時間が始まる。

 転移場所からは既に遠く離れているが、それでも尚私と永琳は綿月隊長からの追手から逃れるべく歩き続ける。

 

 

「永琳、そろそろ教えてくれても良いんじゃない」

 

「姫、今は口よりも脚を動かしてください」

 

「話しながらでも脚は動かせるわ」

 

 

 永琳が私達の周囲にジャミングを施しているため、月からの監視の目は届いてはいない。しかし、下手に騒ぎ立てたり霊力を使用すればその限りではない。

 

 私が気になっていたのは二つ。

 熊口様に施した施術と、大人しく境界を潜った理由。

 

 

「……はあ」

 

 

 何か喉まで出かかっていたようだけれど、下手にここで拒否し続けても時間の無駄だと判断した永琳は深い溜め息をつく。

 流石は永琳。私が自身の危険を省みず駄々を捏ね始める事をよく理解している。だけど、主人の眼前で溜め息をつくのは従者としてどうかと思うの。

 

 

「生斗には、私の持つ()()()()を与えました」

 

「あっ、思い出した。前に実験で玉兎に使用していた志那都比古の御力を利用した薬物よね」

 

「そう。副作用として短時間の意識の混濁に、激しい頭痛が引き起こるけれど、それのみ。それで必要な情報をインプット出来るのだから破格の代物でしょう」

 

 

 でも、神の力を借りなければならない。

 それが最大の難所だけれど、それさえ目を瞑れば永琳の言う通り破格の代物なのだろう。

 

 

「そんな貴重な薬を、私が合図する前に生斗に使ったってことはやっぱり」

 

「ええ。()()()()()()()()()()()()ですもの。敵対しようがしまいが、この機を彼は見逃さない。私はそれの補助をしたまでです」

 

 

 永琳も分かっていたのね。

 熊口様が月へ行こうとしていたこと。

 

 

「本当は射すつもりはなかったんですよ。でも姫、余りにも帰りたくなさそうにしてたから……」

 

「えっ、私ってそんなに顔に出てたの」

 

「長年の仲ですので。それでいて彼も彼で覚悟を決めた雰囲気を出していたでしょう。あれ、最初から綿月司令と戦う算段だったでしょう」

 

「あ、足止めするって熊口様が言っても聞かなかったからだからね! 私だって本当はあんな危ない目には遭わせたくはなかったんだから」

 

 

 実際、作戦会議の時に私は何度も反対した。

 少なくとも永琳と共闘すべきだと。

 それでも彼は譲らなかった。大丈夫だと。

 私と永琳に手が及ばないように。そして、月への帰還を拒絶する私達に気を遣わせないために。

 

 

「分かってます。だから施術したんです。少しでも綿月司令と渡り合えるように」

 

 

 あの短い時間の中で全てを理解し、その上で行動に移していた、ということよね。

 流石は月の頭脳というべきか。状況判断能力もずば抜けている。

 

 

「永琳はほんと、なんでもお見通しなのね」

 

「ええ。二人の事は誰よりも理解しているつもりですから」

 

 

 淡々と、恥ずかしげもなく森林の獣道とも呼び難い悪路を進みながら話す永琳。

 熊口様は兎も角、私ですら見抜かれていたなんて……嬉しいような、恥ずかしいような。

 

 

「(あと15分ってとこね。正直、ここまで時間を稼いでくれていれば、後は私と永琳でもなんとかなりそうだわ)」

 

 

 熊口様達の助力は嬉しい誤算であっただけで、元より私と永琳であの場を制圧するつもりであった。

 それだけの力を今の私達は有している。

 それでも彼等の助力を拒なかったのは、私の我儘でしかない。

 

 紫には野心がある。もしその手が月に及ぶのなら、彼女は月へ行くかもしれない。しかしそれは自殺と同義ともとれる行為。そうなる前に知ってほしかったのだ。月へは手を出さないほうが良いと。

 

 そして熊口様には、早くこの地に帰ってきてほしかったから。

 月の使者と戦闘を交えれば、回復しつつある印象をまた悪くしてしまうことだろう。それを私のどす黒い感情が願っていた。月へ行ってしまえば、もしかしたら帰られない状況が出てくるかもしれない。それでも熊口様に帰る意志があれば、きっとこの地へ帰ってこられる。

 その一端でもいいから、彼にはこの地へ帰る理由を作りたかった。勿論私の存在が帰る理由であればそれが一番だったのだけれど。

 

 私では熊口様の一番にはなれない。

 女の勘ってものなのかな。彼には常に誰かを待つ影があった。

 ……いや、そもそもが推しの一番になろうなんて余りにも烏滸がましい感情か。

 もしかしたら、私が余計なことをしなくとも、熊口様は帰ってきてくれるかもしれない。

 でも、可能性は多いほうが良いじゃない。

 

 

「姫、御手を」

 

「うん、ありがと」

 

 

 険しい急斜。

 先に登った永琳が私に手を差し伸べる。

 彼女の手を握り、もう片手で地を押しながら登り切る。

 

 

「手を汚すなんて、この地に来た初めの頃以来ね」

 

「これから一杯汚れるからね。文句は言わないでくださいよ」

 

「私が決めてたことなんだから、文句なんて自身の覚悟を侮辱するような行為、言うわけ無いでしょ」

 

「ふふ、どうだか」

 

 

 手についた土を払い、また歩を進めていく。

 これから先は私にとっても初めての世界。正直ワクワクが止まらない。

 折角の自由なのだ。今は兎も角、今あるこの状況を楽しむことにしようかしら。

 

 

「月の追手を払えたら、まずはお宝探しにいきましょうよ。ねっ、永琳!」

 

「また突拍子もなくそんな事を言って。何かアテはあるんですか?」

 

「ん〜、先ずは貴公子達の言っていた物から行ってみるのもいいかも。蓬莱の珠の枝とか」

 

「姫の名の由来となった山に生えた樹木の枝のことですね。勿論、場所は把握していますよ」

 

「それじゃあつまらないからヒントだけ出してよね」

 

 

 もしかしたら旅の途中で紫とまた出会えるかもしれない。

 それにまだ知らない面白い色んな人達とも。

 

 

 そんな楽しみに胸を膨らませつつ、永琳とこれからの話をしながら悪路を進んでいく。

 

 

 都で過ごしてきた日々。その中で関わってきた人々。其々が別の方向へこれからの人生を歩んでいく。一期一会とはよく言ったものよね。

 

 今はただ私の人生を夢中に歩みましょう。

 

 

 いずれまた、その一期に交わるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「やるな、熊口君……!!」

 

「はあ、はあ! 余裕、ですね!」

 

 

 満月が監視する夜空の元、宙に浮いた状態で綿月隊長の拳と生斗の霊力剣が三度衝突する。

 

 潮盈珠と潮乾珠により発生した数十にも及ぶ水柱。それら全てを間髪入れじと生斗に向かって放たれる。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 それを難なく爆散霊弾にて対処。

 二人のいる場所に届くことなく水柱は霧散する。

 

 しかし、それで終わる程綿月隊長の攻撃は甘くない。

 潮乾珠が再度反応し、霧散した筈の海水が再度集結。水球となって先よりも勢いを増して生斗に襲い掛かる。

 

 

「!」

 

 

 その水球も、今の生斗が生成した霊力障壁を前にしては崩壊していくしかない。

 

 

「まだまだぁ!」

 

 

 水球の再構築。

 生斗を囲むように海水が障壁沿いに展開されていく。

 

 

「(圧縮か)」

 

 

 障壁を囲んだ水球が徐々に面積を狭めるように圧縮されていき、障壁にヒビが入る。

 

 

「(このままじゃ潰れる)!」

 

「この程度じゃ終わらんぞ!」

 

 

 綿月隊長が障壁の前まで肉薄し、重厚な障壁を硝子の如く割り捨てる。

 

 

「(馬鹿力が!)!!」

 

 

 支えをなくなった障壁は瓦解し、海水が勢いのまま生斗の眼前まで迫りくる。

 

 だが、生斗は打開策を既に講じていた。

 

 

「ぬっ!?」

 

 

 自身に膜を張るように霊力を纏い、綿月隊長まで特攻を決行。

 水球の膜を見事破り、綿月隊長の鳩尾へ深く霊力剣が突き刺さる。

 

 だが、深追いはしない。

 生斗はあえて追撃せず、綿月隊長の胸を蹴って距離を取る。

 

 

「ぐふっ! が、がははは、よく分かったな熊口君」

 

「丸分かりですよ。急所に受けて焦りましたか」

 

 

 遅れて綿月隊長の両腕が、生斗を掴みかからんと空を切っていた。

 捕まればその時点で戦いは終わっていただろう。

 それを逸早く察知した生斗も化物であるが、それよりも人間の急所を諸に突かれているにも関わらずそれを意に介さない綿月隊長に、思わず対戦相手である生斗も溜め息を吐く。

 

 

「とことん人間辞めてますね」

 

「君がそれを言うか」

 

 

 霊力剣を引き抜き、筋肉を膨張させ傷口を塞ぐ。

 

 まだまだ戦いは終わらない。

 

 そう言わんとするように、綿月隊長は手を前に出し、ファイテングポーズを取る。

 

 

「熊口君。君に一つ問いておきたい事がある」

 

「なんですか。時間稼ぎなら大歓迎ですよ」

 

「なあに一つだけだ」

 

 

 一呼吸置くかのように発せられた綿月隊長からの質疑。

 それは彼がずっと抱え続けてきた疑念である。

 その疑念とは既に結論付けられた内容であり、今更掘り返す必要性は皆無な代物。

 

 だとしても、本人の口から聞かねばならない。いいや、言わせたいのだ。

 

 

 

「君が月移住時にしたあの独断行動。あれは私が不甲斐なく倒れ伏したから、仕方なく起こした行動なのだろう」

 

「……」

 

 

 幾らその場の情報により暫定できる内容とはいえ、生斗本人の意思とは限らない。実際生斗ならやりかねない。だがしかし、それを肯定してしまえば彼は犯罪者として成立してしまう。

 

 綿月隊長は一縷の望みを掛けて、自身に責任の一端があるとして生斗に答えてほしかったのだろう。

 

 

「……そんな話ですか。月の人達も、状況判断だけでも簡単に分かるような内容でしょうに」

 

「君の口から聞きたいんだ」

 

 

 言い辛そうに頭を掻く生斗。

 生斗も綿月隊長の質問の意図を理解していた。

 質問の仕方からしても、綿月隊長は生斗の罪を少しでも軽くしてくれるよう計らっている。

 

 そんな彼に甘えるのも良いだろう。

 

 けれども、生斗が取った判断は_____

 

 

「綿月隊長は関係ありませんよ。おれはおれの意思で、皆を救うにはこれが最善だと思ったから動いたんです。誰かの尻拭いのために動いたわけではありません」

 

「……そうか」

 

 

 _____自らの罪を甘んじて受ける。

 

 本心をありのままに吐露し、助け舟を自ら引き離す生斗。

 そんな彼の姿に、綿月隊長は悲しみながらも、胸の奥から熱いものが芽生えていた。

 

 

「本当に、君って奴は『漢』だな」

 

「この期に及んで助け舟を出そうとする『漢』には言われたくありませんよ」

 

「がははは! それじゃあこれは、『漢』と『漢』のぶつかり合いってことだな!」

 

「むさ苦しいんでやめてもらえますか」

 

 

 再び、二人だけの戦争が始まる。

 

 

 

 肉薄した生斗の剣戟に、腕を強化して受ける綿月隊長。

 妖忌程の圧はない。しかし、一つ一つの剣技には本命ですら次の手への布石に使われる。頭で考えれば考えるほど術中に嵌まるそれは、脳筋に見えて頭を使って戦う綿月隊長にとっては、手数で押されるよりも圧倒的に相性が悪かった。

 

 

「っツ!!!」

 

 

 袈裟斬りを繰り出そうとする生斗に対し、起こりを読んだ綿月隊長は腕橈骨筋で受けようとするも、直前に霊力剣が消失。来るはずだった衝撃がいつまでも来ない事に瞬きよりも短い隙が生まれ、気付けば生斗の剣戟は一文字斬りへと変化していた。

 最小限の動きで腕を畳み防御しようと試みるが、剣戟を放ったはずの生斗の左手には又しても霊力剣は消失しており、完全に虚を突かれた綿月隊長は為す術なく既に右手に生成されていた霊力剣により左鎖骨を斬られてしまう。

 

 

「(何が本命で何が布石なのかが分からん!)はあ!!」

 

「うぐっ!!」

 

 

 鎖骨を斬られれば普通左肩から先はまともに動かすことが出来なくなる_____筈なのだが、綿月隊長はお構いなく左手で生斗を平手打ち、遠くへ吹き飛ばす。

 

 何度も言う。綿月隊長に、常識は通じない。

 

 直ぐ様吹き飛ばされた状態から立て直し、生斗は綿月隊長へ肉薄する。

 

 

「(ここだ!)!」

 

 

 潮乾珠が反応し、地面に浸透していた海水が次々と槍の形状として生斗に襲い掛かる。

 

 

「食らいませんよ!」

 

 

 生斗は永琳から潮盈珠と潮乾珠の弱点を知らされていた。

 その弱点は三つ。

 一つは紫達が実行していた接近戦での使用制限。二つ目が、潮盈珠で発生させた海水しか操れないこと。

 そして最後、二つの珠は発動時に淡く光り、その際にコンマ一秒のみ、間隔が空く。

 

 以上三点の弱点から、生斗は初めから地面に浸透していた海水に注意を払い、発動のタイミングを見計らっていた。

 

 

「やはり凌ぐか!」

 

 

 低空飛行へと行動を移し、木々の隙間を縫いながら追尾性能を有した水槍の猛攻を凌いでいく。

 水槍の威力は勿論の事木々をいともたやすく貫通する程であり、盾としては到底扱えない。

 

 けれども隠れ蓑にはなる。

 

 生斗は薙ぎ倒されていく木々により発生した土煙と共に霊力を最小限にまで抑え、雑木林の中へ潜む。

 

 

「(泥濘るませた海水を使ったツケが出たな)」

 

 

 平手打ちの際に地面へと叩きつけていれば、地面に浸透させていた海水を使って生斗を拘束できていたであろう。

 これは完全に綿月隊長の失策。

 追尾性能を有した水槍も、綿月隊長自身が操っているものであるため、本人が知覚出来なければその意味を持たない。

 

 

「(隙を見て爆散霊弾を叩き込む!)」

 

 

 生斗の勝機は、最大火力である爆散霊弾による綿月隊長の無力化。

 自身でさえ受ければただでは済まない代物でも、仮死の腕輪を填めている綿月隊長であれば死ぬことはない。そもそもそんなものが無くとも、綿月隊長ならばまず大丈夫であろう。

 

 _____だから百発叩き込む。

 

 大妖怪ですら消し炭になるレベルの圧倒的火力で応戦する。

 

 

 既に仕込みは出来ている。

 

 木々を使い避けながら生斗は、ダミーとして霊弾を各地に最遅速度でばら撒いていた。

 

 その霊弾は分裂を繰り返し、数を増やしていく事により、霊弾の発生箇所の特定を防ぐ役割も担っている。

 

 

「(物量で攻めてこい。綿月隊長ならそれができる筈だ)」

 

 

 生斗は綿月隊長が潮盈珠を使用し、大波による圧倒的物量によるゴリ押しを狙っていた。

 

 その際により発生する視界の隔絶。

 そこを突く。

 

 

「随分とかくれんぼが好きなようだな」

 

 

 予想通り、潮盈珠を発動させた綿月隊長の頭上には、約23k㎡ある都を覆い尽くすのではないかと錯覚する程の巨大な水球が作り出される。

 月を喰らいし水球からは、淡い光が乱反射し雑木林に降り注ぐ。それに生斗が生成した霊弾の光により、一つの小さな宇宙が広がっているかの如き、ある種の神秘的な光景が広がっていた。

 

 

「見え見えだ。熊口君」

 

 

 生斗の思惑_____水球による物量によるゴリ押し。

 それを見抜いていた綿月隊長は、既に策を講じていた。

 

 

「がっ!?」

 

 

 水球から降り注ぐは、先にも見せた無数の水槍。

 その一本一本が、霊力探知に引っかかった生斗の霊力を貫いていく。

 

 次々と消滅していく霊弾。

 あらゆる障害物を塵と化す悪魔の雨。

 

 その魔の手は生斗にも届いていた。

 最小霊弾と同じだけ霊力を抑えていた生斗の右肩を水槍は貫いていたのだ。

 

 

「……ふぅ……ふぅ……」

 

 

 水槍が肩を貫き、激痛が生斗を襲い掛かる。

 今にも悶え、叫び声をあげたい気持ちをぐっと堪える。

 

 

 そんな中、遠くでは至る所で爆発が巻き起こり始めていた。

 

 

「爆散霊弾か」

 

 

 生斗が予備案として待機させていた爆散霊弾に水槍が貫いていたのだ。

 

 水球がそのまま落ちてきた場合と綿月隊長が降りてきた時の案_____誘爆による連鎖爆撃。

 

 水球が落ちてきた時には、爆発による水球の崩壊させる際にも使えた有用案であったのだが、綿月隊長の絨毯攻撃によりその案も水泡に帰する。

 

 

「(これは……)」

 

 

 そして生斗は、漸く己の失態に気が付く。

 綿月隊長に自身の策を看破された時点で、反撃に出るべきであったのだ。それを既に破綻した策、潜伏による奇襲を無意識に縋っていた。

 潜伏したことによって齎されたのは、視線切りとして利用価値のあった森林の破壊のみ。

 

 

「くそっ!!」

 

 

 自身に憤慨しながらも、生斗は己を中心に広範囲障壁を展開。

 一時的に槍の雨の猛攻を凌ぐ。

 そう、一時的にでしかない。

 

 

「そこか!」

 

 

 霊力を使用したことにより、綿月隊長に探知され、水槍の密度を障壁へと向ける。

 

 忽ち障壁は崩れ、水槍が生斗へと襲い掛かる_____が、充分に距離は取れている。

 

 

「はぁ、はぁ……真っ向勝負と行きましょうか、綿月隊長」

 

 

 広範囲に障壁を展開したのは、爆散霊弾の被爆範囲から逃れる為であり、水槍を凌ぎ切るつもりなど毛頭なかった。

 

 本命は、爆散霊弾による正面突破。

 

 これまで、自身すら巻き込むほどの被害範囲とで多用してこなかった生斗の必殺技。

 霊力の塊が強い衝撃を受けると爆発に似た現象が起きる事を利用し、霊力を粒子化させ、それを膜を張って撃つという単純に見えて扱いが非常に困難な技である。

 

 膜の硬さ、霊力の質、粒子の量。

 この条件下で初めて高火力の爆発が起きる。

 これが一つでも欠ければ、ただ霊力が霧散するだけの代物となるのだ。

 

 強者は、生成技術難易度が結界術以上に高い爆散霊弾は効率が悪く、霊弾を撃っていた方が手っ取り早いため、試す者はほぼ皆無。

 弱者ではまず霊力を一つ粒子化させる事さえままならないだろう。

 

 故に、生斗しか扱えない。

 霊力操作に長け、怨霊に取り憑かれて変化して尚質の良い霊力。そして長年扱ってきた事による粒子の生成技術の向上。

 今の生斗であれば霊力剣と同じく息をするように粒子を発生させられるだろう。 

 

 

「まじか熊口君!」

 

 

 生斗だからこそ出来る芸当_____爆散霊弾の連続同時発動。

 無限に発生し続ける槍の雨を、少しずつではあるが押し始める。

 

 

「ぐうっ!」

 

 

 先にも言及したが、爆散霊弾は超高等技術。

 息をするように発生させられたとしても、同時に、しかも連続で生成するのは、命を使用したとしても脳への負担が大きい。

 

 綿月隊長との戦闘の中で生斗が生成した爆散霊弾はざっと四十六発。それは不発に終わったものもあれば攻撃を凌ぐ為に使われたものもある。

 

 既に、生斗がこれまでの人生で一日で使用した最大数を更新していた。

 

 鼻からは血が止め処無く垂れ落ち、視界は徐々に霞んでいく。

 

 

「はああ!」

 

 

 爆散霊弾によるゴリ押し。

 これは他に手の打ちようが無かった場合の最終手段であった。

 絨毯攻撃を受けた際、他に手はあったのかもしれない。

 しかし、生斗は最終手段を切った。

 

 近付けば一撃必殺の通常攻撃に、遠ざかれば無限に湧き出る海水。

 何れにせよ、どちらかで相手を上回り、致命傷を追わせる必要がある。そのあまりにも高すぎる牙城は生半可な攻撃ではびくともしないだろう。

 

 だから今、勝負を決めに行った。

 予備バッテリーが帰還装置の電力量を下回るまで残り七分の猶予を残しているが、端から時間切れを視野に入れていない。

 

 _____勝ちたい。

 妖忌との戦闘を経て、一層強くなった感情。

 生斗が訓練生時代から、強さの象徴であった綿月隊長。

 人格者であり、曲がった事が大嫌いな正義漢。

 

 そんな彼に、これまで抱くことさえ馬鹿馬鹿しいと切り捨てていた感情が、生斗の心が、身体が、そう強く唸っていたのだ。

 

 

「押しっ、返っ、せん!?」

 

 

 

 

 

 遠く離れた都からも大音量で鳴り響き続ける爆撃音と水飛沫。

 月とは別の光源が、都にいる住民の眼を細めさせる。

 

 

「な、何が、起こっているのだ」

 

 

 都の一角では洪水による被害の対処で慌ただしい状況でもあるにも関わらず、塩水の雨が降り注ぎ、常に鳴り続ける轟音、地鳴り等が同時多発しており、住人達はただ立ち尽くすことしか出来ずにいた。

 

 

「天変地異じゃ。これはこの都が崩壊する前兆なんじゃ」

 

「儂らは一人残らず死ぬってことなのか!」

 

 

 ある者は憤慨し、ある者は泣き崩れ、そしてある者は祈った。

 まるで神々の怒りを鎮めんとするように。

 

 

 

「が、がはは! はははは!」

 

 

 しかし、当の本人は笑っていた。

 

 圧倒的物量を持ってしても、押され続けるこの状況に。

 

 綿月隊長は、ただただ今の状況を楽しんでいた。

 

 

「来い熊口君! 君の本気を見せてくれ!!!」

 

 

 遂に、生斗の爆散霊弾が、水源を保っていた水球まで届き、次々と着弾していく。

 

 

「はあ! はあ! 行けっ!!」

 

 

 水球は弾け、洪水が地上へと襲い掛かる。

 

 だが、生斗は爆散霊弾を生成し続ける。

 綿月隊長を倒す為、はたまた先の彼の発言に応える為。

 

 いつものような妥協はしない。

 

 全力で叩き潰す。

 

 その覚悟が、生斗にはあった。

 

 

「(これが_____)っぅ!!?!」

 

 

 そして遂に、生斗の牙が綿月隊長の喉元に届く。

 

 

 襲い掛かる洪水すらも跳ね除け、一つの爆散霊弾が綿月隊長に着弾。

 その後なだれ込むように、一つ、また一つと着弾していく。

 

 

「はっ! はっ! がっ!」

 

 

 幾度となく綿月隊長のいる場所から巻き起こる大爆発。

 質量比としてC-4爆弾を遥かに凌ぐ威力の弾丸が、綿月隊長に襲い掛かる。

 

 

「(___熊口君)」

 

 

 そんな猛撃を受ける中で、綿月隊長は走馬灯のように昔を思い出していた。

 

 

「(私が君と初めて遭った時、一目で分かっていたよ)」

 

 

 遥か遠い記憶。

 生斗が永琳に連れられた図書館で邂逅した時の事。

 それは生斗だけでなく、綿月隊長にとっても衝撃的な出来事であった。それは_____

 

 

「(君は必ず、私を越えられると!)がはっ!!」

 

 

 _____自身を越える存在を肌身で感じられたからであろう。

 悔しくもあり、嬉しくもある感情。

 

 

 

「はあああああ!!!」

 

 

 そして遂に、綿月隊長の潮盈珠と潮乾珠は崩れ落ち、洪水として襲い掛かっていた海水が消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ___

 _____

 _______

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ、ごほっ、ごほっ……」

 

 

 膝から崩れ落ち、眼と鼻から血を垂らしながら肩で息をする生斗。

 眼前に見える地面は歪み、平衡感覚すらままならない状況。

 

 満身創痍という言葉がこれ程までに似合う"二人"はそうはいない。

 

 

「まじで、どうなってんだよ!」

 

 

 生斗の正面には、黒焦げとなった綿月隊長が立っていた。

 勿論、頭はパンチパーマとなっている。

 

 

「ごふっ」

 

 

 人間よりも遥かに耐久力のある大妖怪ですら塵も残らないレベルの多重爆撃。

 その数二十六発。

 

 

「はぁ、はぁ……ギャグ漫画の世界の住人ですか、あんた」

 

「ごふっ、ああ、自分でも驚いているところだ」

 

 

 内側から頭蓋をかち割られるように錯覚する程の頭痛と、今は地面の上にいるのか横にいるのかすら判断が覚束ないほどの平衡感覚。

 そんな状態でも、生斗はなんとか立ち上がる。

 

 

「(霊力剣……すら出せないか)」

 

「(身体の言う事が思うように聞かん。私の身体も限界が近いか)」

 

 

 己の今の状態が、全快時とは程遠いことを再認識する両者。

 爆心地でまま見られるような荒れた大地の上、覚束ない脚を震わせながら、互いが相手を打ち倒す為に歩み始める。

 

 _____最後の戦いが始まる。

 

 

「あああ!!」

 

「行くぞ!」

 

 

 力を振り絞り、綿月隊長は生斗に向かって肉薄する。

 なんの捻りもない右ストレート。

 全快時であればそんな安直な攻撃はしなかったであろう。

 勢いも速度も足り得ない攻撃を、生斗は軽くしゃがみ回避。そのまま膝のバネを利用して放ったアッパーが綿月隊長の顎に直撃する。

 

 後ろに仰け反る綿月隊長。

 しかし、それだけで倒れてくれるほど甘くはない。

 そのまま勢いをつけて放たれた頭突きによって、生斗の左鎖骨を粉砕する。

 

 右肩は水槍が貫通したことにより潰され、左鎖骨は粉砕。

 実質、生斗の両腕は封じられた。

 

 

「まだ!」

 

 

 頭突きが繰り出された直後に、生斗は回し蹴りにより綿月隊長のこめかみに大打撃を与える。

 

 

 

 _____ふわふわする。

 

 

「(意識が落ちそうなのに)」

 

 

 今にも手放しそうになる意識の中、まるで自身が空中に浮いているかのような感覚。

 それは平衡感覚が狂ってしまっているためか、それとも、意識と無意識の狭間へと迷い込んだためか。

 

 恐らくは両者。

 そうでなければ、今の状態で戦う事など、ましては反撃することなど到底不可能であったからだ。

 

 

「がははは!」

 

 

 こめかみに強い衝撃を受け、軽い脳震盪を起こしても尚、綿月隊長は笑った。

 彼にとって、気にかけていた部下の成長に、全てを引っ括めて嬉しさが勝っていた表れなのだろう。

 

 

「おらああ!」

 

 

 ふらついた状態での裏拳。

 それを生斗は左脚を畳んで防御するが、あまりの衝撃に十数メートル先まで吹き飛ばされてしまう。

 

 何度かバウンドを挟んだ後、生斗は体勢を整え、前傾姿勢で綿月隊長へ向かう。

 

 間髪入れずに攻めたてる綿月隊長。

 顔面に向かって繰り出される膝蹴りに、生斗はスリッピングアウェーの要領で受け流す。

 

 躱されても意に介さず、振り返り様に鉄槌打ちを繰り出すも、またしても躱され地面を陥没させる。

 前傾姿勢との戦闘の不慣れによってもたらされた大振り。

 地面を陥没させたことにより、一瞬の隙を生斗は見逃さなかった。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 綿月隊長の顎に、二度目の衝撃が走る。

 

 生斗の頭突きが、綿月隊長の脳への揺らしを延長させていた。

 

 しかし、その代償はあまりにも高く_____

 

 

「はっ、あ」

 

 

 生斗自身にも、絶大なダメージを負わせていた。

 ただでさえ脳に、対し度重なる負荷をかけていた上の頭突き。

 意識下であればまずしなかったであろう選択肢も、無意識との狭間にて半ば身体の赴くままに戦っていた生斗にとって、自身へのダメージよりも綿月隊長へのダメージを優先させていたのだ。

 

 

「……熊口君、楽しいな」

 

「なにが、ですか」

 

 

 頭突きを受け、尻餅を付く綿月隊長に、共に四つん這いに倒れる生斗。

 お互い、立った状態を保てない程疲弊している証拠である。

 

 そんな中でも、お互い立つこともままならぬまま、頭突きし合う。

 

 

「がっ!?」

 

「うぅ!?」

 

 

 最早二人の眼前にいる者が誰かすら、判断出来ていない。

 けれども、二人は戦いを止めない。

 

 二人に何がそう突き動かすかなんて無粋な質疑は時として冒涜となる。

 

 _____ただ、勝ちたいから。

 

 任務の為、上に立つ者としての使命、家族の為、咎人を逃がす為。

 それぞれの思惑の下始まった戦闘であったにも関わらず、今二人の原動力となっているのは、眼の前に立ちはだかる強者に勝つ事。ただその一点に尽きている。

 

 

「はぐっ!」

 

「うあっ!!」

 

 

 綿月隊長の腕に噛み付き、それを軸にして膝蹴りを脇腹に繰り出す生斗。

 負けじと綿月隊長は生斗の蹴られた脚を掴み、地面へ叩き落とす。

 

 

「ぐっ!!」

 

 

 二度目の叩き落としをしようとする綿月隊長に対し、後頭部へもう片脚で膝蹴りを繰り出しため、敢え無く手を離してしまう。

 前方に投げ飛ばされる生斗。

 禄に受け身を取ることなく飛ばされるままに転がる。

 

 

「は"あ"、は"あ"」

 

「ぐっ、くぅ」

 

 

 幾度も脳へダメージを負う綿月隊長。常人ならばとうに脳震盪や脳挫傷等で卒倒しているだろう。

 にも関わらず、綿月隊長は首を鳴らし、戦いの意志を見せる。

 

 

 あまりにも泥臭く、そして美しい。

 先程まで頂上戦争を繰り広げていた者達が、己の体裁を投げ捨ててまで勝ちに行こうとするその執念に対し、誰が指を差して笑えようか。

 

 

「これで、最後だな」

 

「は"あ"、は"あ"」

 

 

 次に与える一撃が、お互い最後の力となろう。

 そう予見した綿月隊長がそう言い放つ。

 

 生斗は返答しない。いや、返答するまでもなかった。

 何故なら、彼もまたその事を理解していたからだ。

 

 

「ふんっ!!」

 

 

 拙い足取りで肉薄してくる綿月隊長。

 笑う脚に鞭を打ち、立ち上がる生斗。 

 

 

「来い"!!」

 

 

 己を鼓舞するように咆哮し、迎え撃つ体勢を取る。

 

 

 残り数歩まで接近する両者。

 

 

「「____!!」」

 

 

 そして遂に、決着の時が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ___

 _____

 _______

 

 

「……」

 

 

 月へ帰還する為、輝夜姫の屋敷へ歩を進めていたのは_____綿月隊長であった。

 

 腕には気絶した生斗をしっかりと抱えており、二人揃って方舟の前へと辿り着く。

 

 

「残り一分。ギリギリだったな」

 

 

 方舟のセキュリティルームにて、帰還装置を作動させる綿月隊長。

 その傍ら、仮眠ベッドへ寝かせている生斗を見やる。

 

 

「熊口君、もうすぐ皆に会えるぞ」

 

 

 綿月隊長は自身に対して生斗が刃を向けた事を恨むでもなく、これから起きる事柄を呟く。

 

 彼にとって、生斗は恨む対象ではなく、どこまでいっても仲間であり、月の民を救った英雄であったのだ。

 

 

「大丈夫だ。私と月読命様がなんとかする______だから、帰ろう」

 

 

 帰還装置の起動準備が完了し、方舟本体が動き出す。

 

 

 輝夜、妖忌、妹紅、これまで関わった人達、そして紫。

 

 誰にも別れの挨拶を言えていない。

 

 

 中には今生の別れとなるやもしれない。

 永琳にお礼すら言えていない。

 

 そんな悔む事さえ、今の生斗には叶わない。

 

 

 宇宙へ飛びゆく天の方舟。

 

 鈴の音と共に天の川を渡るそれは、無情にも美しく、都に住まう者達の眼を釘付けにする。

 

 

 

 そんな中でも、一際特別な感情で見やる者がいた。

 

 その人物とは_____

 

 

「……せ"い"と"」

 

 

 _____"ある決意をした"紫であった。

 

 

 



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5章 これまで出逢った人(神)妖との交流
壱話 妹紅の行く末 上


 

 独りでいることが普通だと思っていた。

 

 ふと、堪らなく恐ろしくて、寒くて、暗い気持ちになる。

 

 しかしそれは稀に起こる発作のようなもの。

 それさえ我慢すれば今の生活を保証されていた。

 

 父上は偉い人で、屋敷にいる皆は父上に対していつも媚びへつらっていた。

 母上はそんな父上が大好きで、それに亀裂を入れるきっかけとなってしまった私の事が嫌いだった。

 

 父上には近づくことさえ出来ないし、母上からはよくお仕置きと言う体で暴力を受けていた。

 屋敷にいる父上の家臣も、私が妾の子だからか関わるまいと避けられている。

 

 これが私の日常。

 いなくなってもどうでもいい存在。

 死にたくはないけど生きたくもない。

 何処かへ逃げたくても、逃げた先でどうなるかなんて、子供の私にだって容易に想像できる。

 

 そして極めつけには、人間とかけ離れた存在であることを誇示するかのような深い朱に染まった瞳。

 私は産まれた時から、忌み子としての烙印を背負って生きなければならなかった。

 

 正直、辛い。

 

 暴力は身体が痛いし、怒られたり無視されると心が痛い。

 

 八方塞がりな人生。

 食い扶持があるだけマシだと自分を言い聞かせても、二つの痛みが常に付き纏ってきて、幾度となく涙で寝床を濡らしてきた。

 

 

 ___そんなある日。私に転機が訪れた。

 

 正門付近で、父上と母上が揃う機会が訪れたのだ。

 私は自身の浅はかな頭で考えた。

 もし私がこの場から逃げ出せば、少なくともどちらかは追ってきてくれるのではないかと。

 

 実の両親であればもしかしたらと。私達親子を屋敷に留める慈悲を見せている父上ならば、追いかけてくれるのではないかと。

 

 

 一縷の望みを持って、私は門を飛び出した。

 

 

 しかしその望みも、門を出たと同時に零れ落ちてしまった。

 

 

 門を閉められたのだ。

 

 閉められる前に隙間から見えたのは、母上の汚物を見るような視線に、私の行動に関心を見せず、別の方向を向いて家臣と話している父上の姿。

 

 

 

 帰る家を失った。

 

 私はどうしたら良い。

 

 自分の無鉄砲さに嫌気が差す。

 自ら追い出されるきっかけを作ってしまった。

 

 脳の処理が追いつかない。私はこれからどうすれば良いのだろう。

 

 分からない。私の浅い知識じゃ、どうすることもできない。

 

 

 私は頭の整理がつかぬうちに、門番から追い払われるままに屋敷を後にしていた。

 

 

 

 どうすれば……

 

 どうすれば…………

 

 

 どう、すれば………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 _

 __

 ___

 

 

 

「何がいいかな……」

 

 

 まるで廃人のようにふらふらと都を徘徊している最中、商人のような格好に、頭に変な黒い代物を身に付けた男の姿が目に入る。

 

 いつの間に私は商人達が屯する市場まで来ていたのか。

 

 初めて来た。そもそも滅多に屋敷から出てないから当然といえば当然なのだが。

 

 

「ん〜〜、これなら紫の奴も許してくれそうだな」

 

 

 それにしても妙に腹の立つ顔をしているなこの男。なんというか、悩みがなんにも無さそうな平和ボケした顔面。

 

 干物屋の前で吟味しているから悩みが無いわけではないだろうが、所詮はその程度の悩み。私の今の状況と比べるまでもない。

 

 

「……」

 

 

 この時の私は、何を思ったのか無性に彼に対して八つ当たりをしたくなっていた。

 そんな事をした所で、自身の気分が晴れない上、相手によっては非道い目に遭う恐れだってあるというのに。

 

 つい数刻前に後悔した自身の計画性のなさに拍車を掛けるように、私は同じ過ちを繰り返した。

 

 

「っ!!」

 

「うわっと」

 

「きゃっ!!?」

 

 

 彼に対し、押し倒すように体当たりをした私は、まるで大岩に衝突したような衝撃に思わず転けてしまう。

 

 

「(痛っ!)」

 

 

 本当に情けない。

 

 私は何をやっているのだろう。自身の失態を省みず、見ず知らずの男に八つ当たりをした上、勝手に転ける始末。

 藤原家の血を汚していた理由がよく分かった。

 良くも悪くも、結局私は母と同じなのだ。

 私が自身の失態で家を追い出された事に対して人に八つ当たりしたように、母は自身の失態で無闇に子を孕み、その子供に暴力を振るった。

 

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 

 この場をすぐさま逃げ出したくとも、転けた際に脚を捻ってしまった。

 

 何をしても上手くいかない。

 自分の存在が人を不幸にしてしまう。

 

 

「うっ、う……」

 

 

 泣きたくないのに視界が次第に霞んでいく。

 泣いてやるもんか。泣いたって何も変わらない事は知っている。

 そんなただただ恥を晒す行為、これ以上してなるものか。

 

 

「〜──くれ。状態をー〜〜」

 

 

 ぶつかった相手が何かを言っているようだが、今すぐこの場から立ち去りたい一心で話半ばしか入ってこない。

 

 

「ぶつかってしまってごめんな。親御さんは何処にいる?」

 

 

 それでも、彼のこの発言は自然と耳に入ってきた。

 思い違いをしている。この衝突は私から仕掛けた事であって彼が謝る必要はないし、父上と母上からは勘当されたばかりだ。

 彼の問いに答えることはできない。

 

 それよりも、彼が勘違いしてくれているのなら好都合。早くこの場から離れて_____

 

 

「っ!」

 

「お、おい。その脚で無理に動かしたら悪化するぞ」

 

「……大丈夫だから」

 

 

 脚の付け根に痺れるような痛みが走る。

 軽く捻っただけと甘く見ていたが、想像以上に痛い。

 でも、このぐらいの痛みであれば耐えられる。 

 

 

「大丈夫な訳ないだろ。怪我させたのはおれなんだから、怪我の手当ぐらいさせてくれ」

 

「……余計なお世話だから。ついてこないで」

 

「余計な事ではないんじゃないか?」

 

 

 この場から一刻も早く立ち去りたいのに、中々解放させてくれない。

 しつこい。

 他人であるはずなのに、なんでこの人は私に構うのか。

 これがお節介焼きというものなのだろう。生まれて初めての経験ではあるが、今の私はただ、この場から離れたい。お願いだから構わないでほしい。

 

 

「止まれって___うおっ」

 

 

 肩を掴まれた私は溜め息を吐き、一言物申そうと振り返る。

 すると男の人は私の顔を見て驚愕の表情を浮かべる。

 そうだ……眼。忌わしいこの瞳に、彼は驚いているのだ。

 どうせすぐに嫌悪の表情へと変わる。もう何度も経験してきた。

 

 

「何。どうせあんたも私の眼が異常とかのたまうんでしょ」

 

 

 相手から拒絶される前に、自らを非難する。

 これで分かった筈。彼の薄っぺらい優しさなど、異端者を前にしては無力なのだ。

 これで私に構うこともないだろう。

 

 

「……眼元が腫れてるぞ。もしかして泣いてたのか」 

 

「__________!! 泣いてないから! もう放っておいてよ!」

 

 

 泣いてる? ……私が? 

 我慢していた筈なのに。なんで……

 

 

「あっ」

 

 

 自身が無意識的に犯していた失態に動揺し、捻った脚に力を込めてしまったせいでまた転んでしまう。

 今日は本当に厄日だ。

 この一日だけで一生分の恥をかいた。

 

 

「取り敢えず、応急処置だけでもさせてくれ。後はあんたの好きにしていいから」

 

 

 それでも尚、手を差し伸べる。

 

 この人は一体何なんだ。

 ぶつかった相手を心配し、私の眼を見ても紅い瞳よりも先に、眼元の泣き跡の方を注視する。

 こんな小娘、無視してさっさと立ち去っていればそれで済む話しというのに。

 

 

「……馬鹿じゃないの」

 

 

 この人はきっと、息苦しい生き方をしているのだろう。

 自ら厄介事に首を突っ込むようなお人好し。

 ……ある意味、今の私にとっては丁度良いのかもしれない。

 相手の弱みに付け込むようで気が引けるが、今の私には手段を選べるような立場にない。今は相手の好意に甘えるべきだ。

 

 そう判断した私は、手を差し伸べる男の人の手を取り、なんとか立ち上がる。

 

 

「それじゃあ水辺までおんぶするから背中に乗ってくれ」

 

「嫌だ」

 

 

 甘えるとはいえ、そこまでの恥は捨てられない。

 もう私も十一の歳月を生きている。

 おんぶだなんて他者から見られたらなんて反応されるか。

 

 

「強情だなぁ。ほら、遠慮しなくていいぞ」

 

「嫌だ!」

 

 

 結局、思った以上に上手く歩けなかったため、川辺までおんぶされた。

 本当に、恥ずかしすぎて死にたくなった。

 

 

 

 

 

 ______

 

 

 これが私と熊口生斗との邂逅。

 決して良い出会いではなかったと、今となっても思う。

 

 それでも彼は、私の事をいつも気にかけてくれていた。

 

 それに気付く事が出来たのは、もう一つの転機となったある()()を、私自らが起こしてしまった時であった。

 



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