【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ (しとしと)
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第一話 生き永らえるもの

偽りの仮面ラスト、ヴライとオシュトルの死闘にて、ネコネが飛び出したところから。


 何故かそうしなければならないと感じた。

 ヴライに嬲られるオシュトルを見ていられなかったのだろう。ネコネは耐えきれず飛び出してしまう。

 それを止めるのではなく、オシュトル達がこちらに注意を向くようにするべきだと考えた。

 

「ヴライ!!」

「!?」

 

 自分の発した大声によってヴライの注意がこちらに向く。

 ほぼ同時に、ネコネによって形成された巨大な火の玉がヴライへと放たれるも、ヴライは炎弾をハエでも追い払うかの如く消し飛ばした。

 

「邪魔ヲスルカ、小娘ェ!」

 

 激昂するヴライ。

 怒りに呼応するかのように火の粉を散らし、その注意をネコネへと向けたときだった。

 

「オ主ガ余所見ヲスルトハナ……ヴライ!」

「ナニ……ッ!?」

 

 オシュトルの渾身の一撃がヴライの腹部を貫き、尚漏れた威力が青い光線を走らせ空を抉る。

 

「ガッ……!!」

「オ主ノ、負ケダ……ヴライ……! 我ガ妹ヲ……小娘ト蔑ミ、顧ミナカッタ……ソレガ、オ主ノ敗因ダ!」

 

 ヴライは自分が何をされたのか分からなかったのだろう。

 空洞化した腹部を隠すように手で抑え、自らの命が風前の灯であることを遅ればせながら理解する。

 しかし死なば諸共、ヴライは瀕死を感じさせない動作でその手を大きく振り上げ──

 

「──させないのです!!」

 

 オシュトルに振り下ろされる寸前、ネコネによる炎弾が再びヴライを襲う。

 その僅かな怯みを見逃すオシュトルではない。

 ヴライの顔面目掛けてオシュトルが殴打し、殴った手でそのままヴライの顔を掴み上げ、仰向けに地面へと叩きつけた。

 

「グウッ……!! 瀕死ト見セカケテ、マダ、コレ程ノ……ソレデコソ、我ガ宿敵オシュトル!!」

 

 ヴライには既に大穴が空いているにも関わらず、立ちあがり再び距離をとる。

 

「ドウセ生キ永ラエルコト叶ワヌナラ、最後マデ命ヲ燃ヤシ尽クスノモ悪クナイ……! グオオオオオオオオオッ!!」

 

 咆哮。

 周囲の地面が抉れるほどの叫びにも、オシュトルは動じることなくヴライの正面に構えた。

 お互いに最後の一撃だろう。しかし、明らかにヴライの様子がおかしい。穴の開いた腹部から、血ではなく塩のようなものが溢れだしてきている。

 

「最後ダ、オシュトルゥゥゥゥゥッ!!」

「ヴライィィッ!!」

 

 ヴライの命を燃やし尽くす最後の一撃、それはオシュトルに届くことはなかった。

 交差するようにオシュトルの打撃がヴライの胸を打つ。

 

「……スマヌ、ヴライ。オ主ト道連レニハナレヌ。某ニハ……未ダ、護ルベキモノガアルノデナ!」

 

 ヴライはオシュトルの叫びを聞くと、ひたすら豪胆な笑い声をあげ、やがてその身を崩れさせていった。

 

「ディネポクシリデ、マッテイルゾ! オシュトル……!!」

 

 その言葉を最後に、体は粉塵となり地面に降り積もる。

 ヴライが被っていた仮面(アクルカ)だけが、墓標のように落ちていた。

 

「兄さまぁ!」

「ネコネ……!」

 

 仮面の者(アクルトゥルカ)の姿から元の人の形へと戻ったオシュトルに、ネコネが涙を堪えて飛びついた。

 オシュトルは泣きそうなネコネの頭を撫でながら、諭すように言う。

 

「来てはならぬと言っただろう……」

「ごめんなさい、ごめんなさいなのです、兄さま……でも」

「どっちも無事に生きているんだ。いいっこなしだぜ、オシュトル。ネコネの一撃がなけりゃ、死んでいたかもしれないんだからな」

 

 残されたヴライの仮面を持ち、そうオシュトルに呼びかける。

 

「ああ……確かにそうであったな……ありがとう、ネコネ」

「いいのです……兄さまが生きてくれていただけで……」

 

 オシュトルは微笑むと、縋り付くネコネの頭を撫でる。

 ネコネは泣きはらした目を瞑り、その大きな掌を気持ちよさそうに享受していた。

 

「ところで、体は大丈夫なのか?」

「すまぬが、立っているだけで精一杯なのだ」

「何?」

「ハク、暫く後を、頼んでも良いか──」

「兄さま!? 兄様!!」

 

 オシュトルは、気絶してもネコネにはぐったりと寄りかからず、後ろにいた俺に体重を預けてきた。

 

「ハクさん! 兄さまは……!!」

「心配するな。寝ているだけだ」

 

 実際、息はしている。だが、確かに傷は深い。

 急ぎエンナカムイに連れていかなければならないだろう。

 

「ネコネ、歩きながらでいい、簡単な治癒術を頼む。自分が負ぶっていく」

 

 オシュトルを背負い、足場の悪い崖路を駆ける。

 しかし、普段の二倍の体重を伴っているからか、ふとした拍子に転びそうになった。

 

「は、ハクさん! 気をつけてくださいです!」

「悪い悪い、だがまあ、心配すんな。こいつの体ひとつ背負うくらいなら、軽いもんさ。急ぐぞ」

「心配しているのはハクさんじゃなくて兄さまなのです!」

「はは、そりゃそうだ──こいつの身代わりになれる漢はいないんだ。何としてでも、生きてもらうさ」

 

 本来、亡きものとなるはずだった命。

 しかし、オシュトルは生き永らえたのだ。

 

 

 紡がれなかった歴史が、動き始める。




再構成ものはいかにして原作コピーを免れるかが難しいところで。
でも書きたかった。原作は最高だったけれども、やっぱりハクにもオシュトルにも、そのままで幸せになってほしかったんや。
なので、拙いながらも頑張って書きます。


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第二話 影となるもの

うたわれゲームのストーリーは、一話完結型の連続ですよね。
あれが好きなので、この二次創作も場面転換多くして一話完結っぽくしてます。


「某の名はオシュトル、ヤマトの右近衛大将オシュトルである!!」

 

 自分は、傷だらけのオシュトルをエンナカムイまで運んだ後、オシュトルの影武者となって演説する必要に迫られた。

 なぜならば、オシュトルが瀕死の重傷を負い、ただただ逃げ帰ってきた。そんな印象を与えてしまうことは、勝ち目のない戦であると国民に見られてしまうのと同義だ。

 

 ネコネの治癒術とクオンの処置により、少なくとも峠は越えたであろうオシュトルの服と仮面を剥ぎ取り、オシュトルの恰好をした。

 突然オシュトルの恰好をした自分が身代わりを申し出たのだ。その驚きと困惑は、クオンだけではなかったが、説明をしている暇もない。

 ネコネがその意義を皆に説明している間、自分はオシュトルとして、見守るエンナカムイの民たちへと鼓舞したのだ。

 その効果は絶大で、エンナカムイの民は沸き立ち、鉄扇を振るう自分へと視線が注がれる。

 

 ――これで、土台から不安定な状態となることは避けられた。

 

 ほっと安心する手前、もう自分の仕事は終わりだと思っていた。

 そう、そこまでは良かったのだ。

 

 翌々日。

 

「失礼するです、兄さま」

「ああ、ネコネか……おはよう。自分に何か用か?」

「……」

「ん、んんっ! ネコネ、どうしたのだ?」

「……」

「……某に、何か用向きでも?」

「兄さまは自分、などとは言わないのです。注意してほしいのです」

「……オシュトルはまだ起きないのか?」

「はいです。それまでは、誰かが国を動かさなければならないのです。それを言ったのはハクさん自身なのです」

 

 そう、オシュトルは、未だ眠っていた。

 それは、この国の最重要機密として、この国の皇イラワジ――御前すら預かり知らぬことだ。

 考えたくもないがオシュトルがこのまま眠りから覚めない、もしくは死んでしまえば、このエンナカムイでアンジュを保護することが叶わなくなる。言うに言えない事情があるのだ。

 今クオンが秘薬を作るためにトゥスクルにて素材を集めているところだが、せめてアンジュが喋れるようになるまでは、オシュトルが頂点として機能しなければならない。攻め込まれた時、オシュトルなしではこの国の兵の士気は大きく減じてしまう。

 

「はあ……ままならぬな」

「私も手伝うですから、愚痴は言わないでほしいのです。そんなことでは兄さまに疑いの目を向けるものが出ますよ」

「わかっている。だがなあ……」

 

 ――さぼりたい。

 布団の中でもぞもぞと動く。

 

「さっさとやる気を出すのです! どれだけ口調を真似しても行動が伴わなければ意味がないのです!」

 

 布団を強引にめくられ、脛を蹴り上げられる。

 しぶしぶ帯を解き、寝間着から正装へと着替える。

 その傍らで、舌打ちしながらも、甲斐甲斐しく手伝ってくれるネコネ。

 

「どうぞ、兄さま」

「……ああ」

 

 手渡してくれた上着を羽織り、身支度を終わらせる。

 

「今日、これからの予定は?」

「はい、まずは――」

 

 先日のことだ。イラワジ――御前からこの国の政、采配、その全権を任されてしまった。あの場では、うんとしか言えなかったのでしょうがない。

 全てを任せられた故に、全ての物事に対して一丸となって望めはする。しかしその分、それを取り仕切る者の仕事量は異常な程の量になる。起きたら起きたで、オシュトルに恨まれそうだ。

 

 目的地に歩いているところ、昨日出会った子どもたちがいた。この前、子どもたちが遠巻きに手を振ってきたから、手を振り返してやると、随分喜んでいた。オシュトルはやっぱり子ども達にとって憧れなんだろうな。

 そういえば……その時ネコネは、兄さまも同じことをしただろうと言っていたな。何だかんだ、影武者らしくなってきたのだろうか。まあ、初回でネコネを騙せたくらいだからな。

 自分の思うオシュトルのままにやっていれば、意外と近づいていけるのかもな。

 ――よし、いっちょあの子ども達にかっこいいポーズでも決めて喜ばせてやるか。

 

「……もし兄さまを辱めるようなことをしたら……判ってるです?」

「あ、ああ、わかってるさ」

 

 なんか、背筋が……。

 結局、手を振るに留めておいたのだった。

 

 そして、夜。

 あらかたの仕事を終え、部屋に戻ってくるなり、体をどかりと床に投げ出す。

 

「……疲れた。自分がオシュトルとはな。判ってはいたが、前の時の遊びでなりすましたのとは訳が違うな」

 

 前言撤回だ。一日中他人に成りきるのがこれほど大変だとは。それもあの完璧超人オシュトルにだからな、疲れも一入だ。

 自分の肩を叩くと、思っていた以上に凝り固まっているのに気付く。

 

「もみもみ」

「お疲れ様です、肩をお揉みします」

 

 自然に寄り添い、自分の肩に手をやるサラァナに身を任せる。

 

「ああ……ウルゥルとサラァナか。頼んでいいか?」

 

 ヴライとの戦いと、その脱出に際し疲れ果てたのだろう。死んだように眠る二人のことは心配だった。しかし、この国についた翌日の夜には目覚め、しかも頬も血色良くなり、あの時の真っ青な顔色から随分良くなっていた。まさかオシュトルでないことをあれ程簡単に見抜かれるとは思わなかったが。

 

 ――まさか二人が魂の色で判断しているとはな。

 しかし、オシュトルが起きても、決してオシュトルの魂の色は教えないつもりだ。なぜ自分が茶色で、オシュトルが青空の青色なのだ。完全に負けているではないか。

 まあ、ウルゥルとサラァナは茶色が至高だと考えている様だが。

 

「こんなに硬くなってる」

「溜まりすぎです。わたし達でもっと気持ちよくなってください」

 

 湯を張った桶につけた足を、ウルゥルが揉んでくれると同時に、サラァナが肩を解してくれる。

 その心地よさに、思わず夢心地になる。

 

「かたい」

「ここもかなり……」

 

 相変わらず妙なことを言うが、何だかんだ二人の按摩は最高なのだ。思わずといった風に、吐息が漏れる。

 忙しい日々の中で、この二人のこの按摩が、自分の弱さを支えるようにして優しく染み入ってくる。

 

「お任せ」

「さあ、ごゆるりと」

「「どうか、わたし達で気持ちよくなってください」」

 

 これさえなければ、諸手を挙げて喜べるのだが。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 夜遅く、隣室の扉から細かな灯りが漏れていた。

 その扉を小さく叩き、確認する。

 

「ネコネ、入るぞ」

「ぁ……はいです」

 

 すっと扉を開き、中に入る。

 

「ネコネ、オシュトルの具合はどうだ」

「……まだ目覚めないのです」

「そうか……さて、どうしたもんか」

 

 ネコネも、心配そうにこちらを見やる。

 

「……いや、大丈夫だ」

 

 大丈夫ではないが、そう言わねばならなかった。

 目の前にネコネがいるのに、オシュトルが目覚めないのが悪いとも言えない。

 

 何よりも優先すべきは、皇女さんの存在なのだ。

 覇権を握りたい連中は我先にと皇女さんを奪いにくる。エンナカムイにいることはまだわからない筈だが、知られる前にこの国の護りを強固にしなければならない。しかしそれにはオシュトルの力がいる。

 

 そう、あくまで仮初の存在である自分には、当たり障りのないことしかできないのだ。

 ちなみに、既にオシュトルが倒れたこと、自分がオシュトルの影武者をしていることは、皇女さんに伝えてある。声が出せない分、物凄い驚き方をしたのを覚えている。

 そして、不安がらせてしまった。

 アンジュの喉を一刻も早く治し、帝都に帰還。自分こそが正当なる後継者であると宣言すれば、連中を黙らすことができる。しかし、クオンの心当たりのある秘薬というのが故郷トゥスクルにしかないとなれば、往復だけでも何週間とかかる。実現は難しいだろう。

 

「オシュトル……早く目覚めてくれよ。お前が起きないと、ネコネがあんまり笑ってくれないんだ」

「……ハクさんの前で、笑うことなんてないのです」

「ほらな」

 

 ネコネの表情が、少し和らぐ。

 

「ネコネもそろそろ寝たらどうだ。お前まで倒れて起きなくなったら敵わん」

「……はいです。もう少しだけしたら寝るのです、兄さま」

「……そうか、なら某も、もう少しいよう」

 

 自分ではなにをとってもオシュトルには及ばんだろうに。身代わりと称することすら耐え難いだろうに。それでも、オシュトルの後を頼むという言葉に従い、意を決して兄と呼んでくれるか。

 

「夜半に失礼いたします……入ってもよろしいでしょうか」

「エントゥアか、入ってくれ」

 

 声色でわかった。

 今までホノカさんの御側付きとしてついていただけでなく、オシュトルによる姫殿下暗殺事件――実際には何者かがエントゥアの入れたお茶に毒を仕込み、オシュトルが毒を盛ったことにされただけだが――に巻き込まれた人物だ。

 オシュトルが事件の犯人ではないことを知る唯一の証人でもあり、帝都に潜んでいるだろう裏から糸を引く者達にとっては、この上なく邪魔な存在だ。

 アンジュ幽閉から解放する際の手引きでは非常に助かった。他にも、都を脱した際に、ヴライがオシュトル達に迫っていることを知らせるため、ウマとともにこのエンナカムイまで来てくれた。まあ、結果的にその知らせはヴライを既に倒していたためか意味のないものとなってしまったが、こうしてオシュトルを看病してくれる存在として、今でも非常に大事な存在となっている。

 

「ネコネ様、ハク様。看病でしたら、私が代わりますので、お二人はそろそろお休みになられては……?」

「そうだな……ネコネ、ここはエントゥアに任せて……」

「嫌なのです……」

「……そうか。エントゥア、すまない。ここはネコネに任せてやってくれ」

「ですが……」

「自分はありがたく休ませてもらおう。エントゥア、一緒に来てくれ」

「は、はあ」

 

 そう言い、ネコネとオシュトルを残し、部屋を出る。

 廊下を暫く二人で歩き、振り返った。

 

「ネコネは、お主がオシュトルを亡きものにするのではないかと不安がっている」

「え……?」

「お主の目が、時折仇を見るような目であることがその一因だ」

「それは……」

 

 エントゥアの目が暗く澱む。

 

「ウズールッシャ討伐の際、オシュトルと何があった? 某は、お主を信用しても良いのか」

 

 エントゥアは暫く答えなかったが、やがて不信を解くためか、

 

「……オシュトル様は、私の父ゼグニを斬った男です。それは、間違いありません」

「そうか……」

 

 何かあるとは思っていたが、そういうことか。

 しかし、それならばなぜ――。

 

「しかし、もう仇だとは思っておりません。ホノカ様の愛した姫様を護るには、これから先オシュトル様がいなければならないことはよくわかっております。それに、父が死を賭して守ってくれた命を、軽々しく捨てるつもりはありません。あれは……仕方が、なかったのです」

「……そうか。なら、あの時食糧を落としていった甲斐があったな」

 

 ウズールッシャで、隠れていたエントゥアを見つけ、そのまま見逃したことを思い出す。

 エントゥアも思い出したのか、その表情が少しほころんだ。

 

「これからも、よろしく頼むな」

「ええ」

「大丈夫だ。ネコネなら、きっとわかってくれるさ」

「……はい」

 

 エントゥアに休むよういい渡し、オシュトルのいる部屋へと帰ると、変わらずネコネはそこにいた。

 

「……お話は、終わったのですか?」

「ああ、お前の心配するようなことはない。彼女は、もう大丈夫だ」

「……」

「だが、今日は、ネコネに看病を任せるとしようか。自分も付き合うよ」

「……ですか」

 

 その後は会話もなく、自分とネコネは、眠り続けるオシュトルを見ていたのだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「兄さま、入ってもよろしいです?」

「ああ、入るといい」

「失礼するです。頼まれていたものを持ってきたのです」

「ああ、台帳を持ってきてくれたのか」

 

 ネコネがこちらに目録を手渡し、それをぱらぱらとめくる。

 財政状況、食糧、兵、武具、その他様々な現状を必要としたため、集められるだけ台帳を集めてもらったが、現状の不足さに頭を抱えた。

 ここ、エンナカムイは確かに要害だ。だからこそ、兵も訓練をしっかりと積んでこなかったのだろう。兵糧も心もとない。

 

「オウギとキウルが、無事近衛衆を連れてきてくれれば良いのだが……」

 

 二人には、帝都を出る際に、オシュトルの近衛衆やその家族を連れてきてもらうようにしたのだが、こちらにつくのはまだ先の話になる。

 

「やっぱり、厳しいですか」

「そうだな……ここに記されている通りだとすれば、正直そうとしか言えん。確かに平和で豊かな国だが、戦はできない。奴なら、どうする……某だけでは、判断できぬ」

 

 これは、徴兵してでも数を増やすことを考えなければならない。数だけでも揃えねば、やがてくる大群に手も足も出ない。

 ――オシュトルが聞けば、反対するだろうがな。あいつは、正道以外の道を歩めない奴だから。

 

 だが、正攻法ではとても勝てない。

 皇女さんを守り切ることはできない。

 

 ――どうすんだよ、オシュトル。早く起きなきゃ、色々やっちまうぞ。

 

 誰が帝都から追ってくるかわからない今、一刻も早い方針決めを行う必要がある。

 

 さて、どうするか。思い至ったら吉日。仕事が片付いたら、早速ノスリのところにいこうと、準備する。

 

 そして夕刻、ノスリの部屋の前まで行き、声をかけた。

 

「ノスリ、少し良いか」

「む? ハクか」

 

 部屋を訪れたこちらの声に、ノスリが戸をあける。

 

「何か用か? もう日も暮れてしまったが」

「なに、忙しくてな。こんな時間にしか顔を出せないんだ」

 

 ノスリは自慢の弓を手入れしていた途中だったのだろう。再び弓を手にして、こちらに向き直る。

 

「ふむ。ハクがわざわざ顔を出すということは……酒だな? しょうがないな、手入れが終わってからだぞ」

「違う。ちなみに、今はオシュトルとしてここに来ている。誰が聞いているかわからんから、ハクと言うのはよせ」

「そ、そうだったな。すまん、ハ……ンンッ、オシュトル」

 

 今言いかけなかったか?

 

「しかし、見れば見る程、そっくりだな。予め聞かされていなければわからんほどだ」

「そうか? まあ、そんなことはいいんだ。今の内に聞いておかねばならんことがあってな」

「ふむ、大切な話か。酒はどうする?」

「いらん」

 

 どんだけ酒飲みたいんだよ、こいつ。

 

「そうか、残念だ。まあ、そんな所に立ってないで座ったらどうだ」

 

 言われるがまま、勧められた席に腰を下ろした。

 さて、どこから話すか……。

 

「まあ、今現在の状況は、ノスリもわかっているだろう」

「ああ、オシュトルが眠りから覚めず、お前が影武者となっていることはな」

「それだけじゃない。勢力としての状況だ。このままでは、たとえオシュトルが目覚めたとしても、帝都を取り返すことは難しい」

「ふむ……」

「それで……ノスリ達は、これからどうするつもりだ?」

「どうする、とは?」

「一応聞いておこうと思ってな。まあお前のことだから、皇女さんへの忠心は揺らがないんだろうが……この国で戦ってくれると考えてもいいのか?」

「何を言うかと思えば……ああ、勿論だとも! ヤマトの存亡がかかっているのだ。姫殿下の一大事に、仲間の危機に指をくわえて見ていることなどできん。それに、一度お前についていくと約束したのだ、今さらそれを反故にはせん!」

 

 それがいい女の証というものだ! と、大きい胸を大きく張るノスリ。色気を余り感じないのは、その所作が子どもっぽい故か。

 しかし、やはりというかなんというか。ノスリは残ってくれるみたいだな。

 

「そうか……やっぱりな。じゃあここからが本題だ」

「む?」

「オシュトルには自分から言う。今は何としてでも優秀な人材を引き留めなきゃいけないところだ。だから、それなりの条件をお前に提示できる」

「どういうことだ?」

 

 首を傾げ、わからんといった表情をするノスリ。

 

「つまり、御家再興の約束を条件に、こちらについたことにするんだ」

「――なッ!?」

 

 自身の驚きの表情をなんとか止めようと、湯呑に手を伸ばすが、それでも隠しきれない動揺をあらわにする。

 

「い、いい女はどんな仰天するようなことがあっても、決して動じないものだ……」

「それに、帝都を奪還し、皇女さんが凱旋した暁にゃ、八柱将も夢じゃない」

「んな――し、しかし、お前はオシュトルではなく、ハクだろう! そこまでの権限は……」

「いや、ある。今回は有事だ。ノスリを引き留める条件として提示したのがそれだとオシュトルに言えば、責任を取るのはお前じゃなく自分になる」

「ふむ?」

「それに、皇女さんのご帰還に助力したとなりゃ、それはこの上ない名誉だ。当然篤く遇される。そこで家の再興を望めば、誰も否とは言えん」

 

 ノスリの湯のみを持つ手が小刻みに震える。

 

「本当なのだろうな」

「勿論だ。自分の知略を疑うのか?」

「お前のは悪知恵というのだ……。だが、あいわかった! ならば――」

「待て待て。家の再興が絡むとなれば、お前だけの問題じゃない。オウギにも話した方がいい。答えは後ほど聞く」

「……いや、その話受けるぞ。オウギも家の再興を願っているのだ。それに、私がすることは何も変わらん。姫殿下がいる。オシュトルがいる。そして……お前がいる。ならば、それを支えるだけだ」

 

 湯呑からこぼれた茶が手元をびしゃびしゃにしてなければ、恰好がついたんだがな。

 

「そうか、ありがとう。ノスリ」

「では、酒でも飲むとするか!」

「いや、自分は明日も政務があります故……」

「お前はハクだろう! 堅いことを言うな!」

 

 なあなあと、そのまま酒宴が始まる。

 次の日にも酒が残って政務が滞り、ネコネに脛を蹴り上げられたのは言うまでもない。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 今日は、アトゥイの説得が目的だったが、肝心のアトゥイは――。

 

「くか~」

「アトゥイは……寝てるのか」

 

 長椅子の上で気持ちよさそうに眠りこけていた。

 その側で、クラリンもぷかぷか浮いている。

 

「アトゥイ、起きろ」

「……」

「うぅん……オシュトルはん? あ、そっか、今はおにーさんやったね」

「それは言わん約束だろ」

「あ~そうやったね。おはような~」

 

 目蓋をこすりながら、アトゥイがまだ眠そうな顔でこちらを見やる。

 

「何か用け?」

「とりあえず、涎のあとを拭け」

「あ、あやや」

 

 慌てて口元を拭うアトゥイ。

 

「そんなに寝てばっかで大丈夫か。暇なら外に出たらどうだ?」

「うんとな? 外にはもう行ってみたんよ。でも、ここって遊ぶところがぜんぜん無いんよ」

「そうか。まあ、確かにな」

「あ~あ、おにーさんがおれば、こんなに退屈しないですむのになぁ。一緒にお酒飲んだり、朝まで語り合ったりして楽しかったんやけど……あ~あ残念やぇ」

 

 ちらりとこちらに視線を移し、再びごろんと寝転んだ。

 

「あれは語り合ったんじゃなくて、ただお前の絡み酒の相手をして愚痴を聞いていただけなんだが? 毎度毎度介抱するこっちの身にもなってほしかったんだが?」

「あーあー聞こえないぇ!」

 

 アトゥイは耳に手をあて、首を振る。

 まあ、アトゥイも、自分とは仲がいい方だと思っていてくれているようだ。それがわかり、少し態度を軟化させた。

 

「……まあ、今の自分はオシュトルだからな。オシュトルが目覚めれば、相手してやるさ」

「ほんまけ!?」

「ああ」

「せやったら、オシュトルはんを起こしに行かんと!」

 

 そう言いつつ、手元の槍を握り込み立ちあがる。

 

「おいおいおい! どこ行くつもりだ!」

「オシュトルはんを起こしにいくんよ?」

「逆に永眠するような武装で行くんじゃない! オシュトルには今エントゥアがついてる。心配しなくていいから」

「心配じゃないえ。あのオシュトルはんがいつまでも眠っているわけないから、少し小突いて起こしてあげるんよ」

「お前みたいに小突かれないと起きない奴ばっかりじゃないんだ!」

 

 小突くまでいつまでも眠っていたアトゥイが言う台詞ではない。

 軽く揉み合いになる中、ここに来た目的を思い出す。そうだ、本題はそんなことではないのだ。

 

「話があるんだ。少し聞いてくれ!」

「? なにけ?」

 

 それでようやく大人しくなる。

 ったく馬鹿力発揮しやがって……。

 

「いや、アトゥイはこれからどうするつもりだ?」

「これから?」

「故郷に帰るのも一つの手だと言っているんだ。勿論、ここにいてくれるなら――」

「おにーさんは、ここに居てほしいんけ?」

「あ? ま、まあな」

 

 戦となれば、アトゥイは頼りになる。

 兵力の弱い今、アトゥイの力は喉から手が出るほどに欲しい。

 

 アトゥイはその返答ににんまりと笑みを返した。

 

「うひひ、ならしばらくここに置いてもらうぇ? 戦の時は手伝うから、遠慮なく言ってな~」

「一緒にこの国で戦ってくれるということか?」

「うひひ、勿論やぇ!」

「わかった。お前がそれでいいなら、あてにさせてもらう」

 

 そのまま退出しようとしたところで、自分の袖をアトゥイにあらん限りの力で引っ張られる。

 

「うぉあ!」

「どこ行くん? つきあってーな」

「いや、自分はこれから政務があります故……」

「都合のいい時だけオシュトルはんになるのはずっこいぇ! 少しくらいは付き合うぇ!」

 

 そう言い、手元の槍を再び握る。

 

「オシュトルを起こしにいかんでいいからな」

「ええ~、殺生な。オシュトルはんが起きんと、おにーさんと遊びにいけないぇ」

 

 ――殺生なのはお前だ。

 

 オシュトルのいる部屋に行かせまいとするアトゥイに付き合っていたら、その後の政務が滞り、ネコネにまたもや脛を蹴り上げられたのは言うまでもない。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 今日の目的はルルティエだ。

 

「夜分に恐れ入る」

「どなたですか?」

「ルルティエ、自分だ」

 

 室内に向け、声をかけると、その襖がひとりでに開く。

 目の前に、少し嬉しそうなルルティエの顔があった。

 

「ハク様。どうなされたんですか?」

「今はオシュトルだ」

「ぁ……そ、そうでしたね。オシュトル様」

「少し話したいことがあるんだ。中に入れてもらってもいいか?」

「勿論です! 今お茶をご用意しますね」

 

 ぱたぱたと奥へ引っ込んでいくルルティエ。

 その間に、今話すべきことを頭の中でまとめておく。

 

「どうぞ、オシュトル様」

「ありがとう、ルルティエ」

「いえ、そんな……お味はどうですか?」

「いつも通り、うまいよ」

「そ、そうですか」

 

 頬をぽっと染め、その視線がどんどんと下へ下がる。

 

「大事な話があるんだ、ルルティエ」

「だ、大事な……? こ、こんな時にですか?」

「こんな時だからこそ、だ」

 

 力強い声色で、ルルティエに迫る。

 オシュトルが倒れ、いまや自体は一刻を争う。今は信用できる味方を一人でも多く確保しておかねばならない。

 勿論、ルルティエは情の深い子だ。ついてきてくれるというのは疑いない。だが、だからこそ、国に逃げてほしいという思いもあった。これから戦禍が拡大すれば、ルルティエにはきっと辛い戦いとなる。

 

「ぁ……そういえば、こんな夜遅くに、今は二人っきり……そんな、ハク様が私を……でも、ハク様に限って……ああ、お父様、お母様、お姉様、お兄様、私は今夜――」

 

 何やらぶつぶつと呟き、何かを想像しているのかどんどんと顔が赤くなる。

 相変わらず男を擽る仕草をする。

 

「ルルティエ」

「は、はい?」

「こんな形になった以上、クジュウリの皇は心配していないか? もし、ルルティエがクジュウリに帰りたいというのなら、今をおいてない。これから戦禍が始まれば、国に帰ることもままならなくなる」

 

 そこで、ルルティエは何かしらの誤解に気付いたのか。それとも、そんなことを聞かれると思わなかったのだろうか。少し動揺しながらも、返答する。

 

「あ、あの、わたしだけ、この地を離れてもいいのでしょうか。そんなこと、できません」

「だが、ここは戦地になる。ルルティエは危険な目に合うかもしれない。だからこそ、逃げてほしいという思いもあるんだ」

 

 暫く黙っていたルルティエだったが、やがて決心したのだろう。

 表情を引き締めこちらの瞳を優し気な目で射抜いた。

 

「ハク様の、御側に、いたいです。駄目……でしょうか」

「自分の?」

「はい……きっと、私に逃げろと仰りながら、最後まで残って、知恵を振り絞っているハク様の……お手伝いをしたいです」

「……そうか、わかった。ありがとう、ルルティエ。だが、無理はしないでくれよ」

「はい」

 

 ルルティエが見せた笑顔は、やはりこの国に留まってくれて良かったと思えるものだった。

 ルルティエの笑顔は、皆の支えになる。ルルティエが思う自分は、随分いい男のようだ。それを裏切らないためにも、オシュトルが目覚めるまで、この国を守らなければと、改めて誓うのだった。

 

「ぁ、そうでした。美味しいお菓子があるんです。一緒に食べませんか?」

「ああ。少しくらいなら」

 

 しかし、そこはルルティエの癒し空間。

 案の定、少しどころか長居してしまい、明朝ネコネに脛を蹴り上げられて起きるのだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 文机に向かい、ネコネからの調書に目を通す。

 しかし、この調子だと確認だけで朝までかかる。

 というか、働けば働くほどやることが増えるってどういうことだよ。

 普通こういった雑用は配下の者に任せるものだと思うんだが。誰かいい人材はいないのか? オシュトルの配下で雑用担当といえばと思いを巡らし、自分だったことに気付いて思わず突っ伏した。

 

「はあ~だらだらしたい」

 

 ――その時だった。

 

「おや、これは珍しい。貴方の口からだらだらしたいなどという言葉が出るとは」

 

 不意に背後からの声が聞こえる。

 振り返れば、夕闇の中に、細い人影。

 

「お待たせしました、オシュトルさん。ただいま到着いたしました」

「オウギか、よくここの警備を抜けてきたな」

「そうですね。おかげさまで、この部屋を探し当てるのには少々骨が折れましたよ。オシュトルさん」

「いや、自分はハクだ」

 

 そう言って、仮面を外す。

 なるほどと得心がいった顔になる。

 

「それでここ以上に警戒が厳とされている部屋があったのですね。警護していたヤクトワルトさんに、ここで話をしろと言われましたよ」

「何だ、知っていたのか」

「ええ。それで姉上や他の皆さんもこちらに?」

「ああ、皆この屋敷にいる」

「あなたがハクさんだとすれば、後はクオンさんの姿が見当たらないようですが?」

「クオンは皇女さんの喉を治すための秘薬を探すため帰郷中だ」

 

 まあ、それよりもだ。

 

「オウギだけが戻っているということは……」

「ええ、今、キウルさんが追われています」

「案内できるか」

「はい」

「ウルゥル、サラァナ」

 

 背後に声をかけると、闇の中から音もなく二つの影が姿を現した。

 

「呼んだ?」

「サラァナ、まかりこしました」

「ウルゥル、サラァナ、急ぎ皆を集めてくれ。キウルを救出に行く」

 

 集まり次第、皆にキウルの状況を簡単に説明する。

 

「キウルが近衛衆とその家族や縁者を連れている。敵はヤマトの兵だ。エンナカムイに辿り着く前に追いつかれる状況だ。そこで、戦いに出る前に皆にももう一度問うておきたい」

 

 こちらの問いが何なのか、皆には見当がつかないのか。不思議そうな表情でこちらに視線が集まる。

 

「相手はヤマトの兵だ。如何な理由があろうと、彼らに刃を向けたとなれば、二心ありと謗られる。それに、この聖上暗殺から始まる問題は一筋縄じゃない。自分たちがいくら正しかろうと、それが聞き入れられると考えるのは余りに楽観的だ」

「「「「「……」」」」」

「だからこそ、問いたい。皇女さんのため、逆賊と謗られ、ヤマト全土を敵に回す覚悟があるのかと。もう後戻りはできない」

 

 その言葉に部屋はシンと静まった。

 

「そして最後に……自分は、本当のオシュトルではない。だが、皆は自分についてきてくれるのか?」

 

 その声があまりに不安げだったからなのか。暫くすると、皆の口から苦笑する声が漏れ始める。

 

「おにーさんは相変わらず変なところで堅いなあ。相手が強ければ強いほど燃え上がるのに、後戻り何て勿体ない。それに、ウチらは皆、最初からおにーさんについてきたんよ」

 

 アトゥイの言葉に便乗するように、ヤクトワルトらが続く。

 

「だな、降りるなら始めからこんなところまで来ないんじゃない? 旦那」

「うむ、相手が誰であろうと関係ない。正義は我にあるのだ! ハク!」

「ふふ、僕は姉上の志を手助けするまでです。それに、ハクさんといれば退屈せずに済みますので」

「シノノンはキウルをたすけるぞ!」

「「主様と共に、どこまでも」」

「ハク様の御側にいたいと約束しました! 私も行きます。大切な方々を誰一人として失うわけにはいきません。たとえ誰であろうと、戦って見せます!」

「そうか……そうとなれば、もう自分から何か言う必要はないな。オシュトルには勝手に軍を動かしたこと、後で怒られるとしよう。キウルを救出するぞ」

 

 オウギが地図を広げ、皆に指し示す。

 オウギの話では、渓谷に差し掛かったあたりでキウルと別れたそうだ。この辺りは道が険しく女子供を守りながらではなかなか前には進めない。おそらく谷を越えられずにいる状況だろう。

 

「自分とネコネ、ウルゥルとサラァナは直接キウルら近衛衆の救援に向かう。皆は二手にわかれ、それぞれ左右から側面に回り敵の包囲軍を各個撃破。その後は敵本隊の背後にて退路を断つ作戦でいこう――出撃るぞっ!」

「「「「「「応!!」」」」」」

 

 オシュトル。お前が起きるまでは、俺がオシュトルをやる。

 だが、所詮自分はお前の影だ。できることは多くない。だが、お前を守ってくれる者達を守るくらいはさせてもらうぞ。

 

 




クオンの出番あると思った方は申し訳ない。
原作と同じで暫くありません。


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第三話 並び立つもの

二人の白皇ネタバレ注意。
この辺までは似たような展開が多いので。


 敵の行軍に、エンナカムイからの援軍を警戒する動きがないことに疑問を差しはさみながらも、キウルの元へと急いでいると、傷だらけの兵たちがこちらに向かって逃げていた。それに女子供が連れられるように走っている。

 その中から、一人の兵が駆けだしてきた。

 

「オシュトル様!」

「キウルの姿が見えぬが、どうした!」

「はっ、キウル様たちは現在ヤマト兵と交戦中であります!」

「よし、諸君らはそのままエンナカムイへ赴け。隊を二つに分ける。第五部隊は彼らを先導せよ」

「はっ」

「キウル様はすぐ先です。矢も尽きかけております。どうかお急ぎを!」

「あいわかった! 第一から第四は某に続け!!」

 

 そして、暫く走ったのち、キウルの矢が尽き、斬られかけているところに遭遇する。

 

「ウルゥル、サラァナ!」

「「御心のままに」」

「これはおまけなのです!」

 

 ウルゥルとサラァナ、ネコネの法術が敵を刈り取り、キウルを寸でのところで助け出す。

 

「兄上っ!」

「待たせたなキウル。よくぞ皆を守り抜いた。下がれキウル。後は我らに任せるといい」

「いえ、私の怪我は大したものではありません。矢をいただければ、ともに戦えます」

 

 きらきらとした瞳で返事をするキウル。

 後で兄上でないと知ったら、どれだけ落胆するのだろうか。少し罪悪感が胸に燻ぶる。

 

「ぬふふふ」

「?」

「オシュトル! 今日という今日こそ、長年にわたる因縁にケリをつけてくれるでありますぞ!」

 

 誰かよくわからない人物が前に出てきた。

 でかい剣を携えているが、全く心当たりがなかった。

 

「因縁? 何のことだ」

「な、なぬっ!?」

「某の知る限り、お前とは接点などなかった筈だが……」

 

 そう言うと、相手の男は何やらオシュトルとの出会った時や、試合の話を持ちだしてきたが、オシュトルでないため全くわからない。

 ネコネに確認を取るが、ネコネからもふるふるふると首を振り、そんなこと知らないという意思を見せる。

 もしかすればオシュトルなら覚えているかもしれんが、今はオシュトルじゃないんでな。

 申し訳ないが、ここは挑発に使わせてもらおう。

 

「うぐががががががぁーっ! 貴公をこてんぱんにのして思い出させてやるわっ!」

「右近衛大将オシュトル、受けて立とう。キウルと、近衛衆が世話になった礼を返させてもらうぞ!」

 

 鉄扇を突きだし、号令する。

 

「某に続け、突貫!」

「「「おおおおおおっ!!」」」

 

 槍を持った兵たちの突撃を前に、先陣を切る。

 まずはキウルの位置を軍の後方に下がらせる必要がある。そのための突撃だ。

 

「奴は手負い! こちらも突貫であります!」

 

 と言いながらも、自らは突撃しない敵大将。

 瞬時に敵大将が先陣を切っていれば、士気に差は出なかったろうに。

 突撃の威力は、どれだけ注意を前に向かせるかで決まる。

 頬を矢が霞めるが、もはや勢いは止められぬ。鉄扇で、再び来る矢から身を護りながら、キウルの前へと出る。

 そのすぐ横を、兵が突貫していく。前線で槍と槍が交差する間、キウルと、ウルゥル、サラァナ、ネコネの援護が回り始めると、敵兵は削り取られていき、陣形が崩れていく。そこでようやく敵将は重い腰を上げるように自分と対峙したが、もはや遅い。

 

「近衛衆、左右より挟撃せよ!」

 

 近衛衆達が横合いから挟撃するように敵部隊を挟み込むと、前線の敵兵は為す術もなく崩壊した。

 

「こ、こんなにも呆気なく、ぜ、全滅……? オシュトルめは手負いだったはず、なのに何故!?」

「誰だ、オシュトル様は重傷だから楽勝とか言ったのは!?」

「ボコイナンテ様だよ! やってられるか!」

「あ……ま、待つであります!」

 

 残った兵も、こちらの士気の高さに恐れをなし、逃げ散っていく。ボコイナンテと呼ばれている男はその後を追うようにして逃げ帰っていった。

 

「追いますか?」

「いや、こちらには女子供もいる。負傷者の救護を優先する」

 

 ウルゥルとサラァナに皆を看てやるよう言う。

 その後、一人の兵がオシュトルの名を呼んだ。一瞬自分のことだとわからなかったが、目の前に迫る兵たちを見て、自分こそがオシュトルだったと態度を改める。

 

「我ら近衛衆一同、ここに罷り越しました!」

 

 近衛衆たちが集まり、膝をつくと深々と頭を垂れる。

 そうだ、自分はオシュトルだ。

 

「よく呼びかけに応じてくれた。姫殿下の為、某に力を貸して欲しい」

「「「はっ!! 我ら近衛衆、この命尽きるまで貴方と共に!!」」」

 

 これで、エンナカムイは大幅に増強される。オシュトルもこの結果なら不満はないだろう。しかし、オシュトルの配下がこの程度の人数というわけではないはずだ。恐らくは……。

 くそ、奴らを全滅させたかったところだが、しかし、包囲が間に合わなかったか。決着を早くつけすぎたな。

 そう思っていたところに、ノスリやヤクトワルトらの声が響く。

 

「やぁやぁ! 我こそは……あれ?」

「もう終わってるじゃない。やっぱあそこで足止めされたのがまずかったかねえ」

 

 仲間たちは、無事な姿を見せたキウルに各々声をかける。

 

「キウルさん、お疲れ様でした」

「オウギさん! しかし、一族郎党の全てを率いて来ることはできませんでした……」

 

 帝都を脱出できなかった者、途中で脱落したものも相当数になるのか。

 

「申し訳ありません。兄上……」

「いや、キウル、お前はよくやってくれた」

「ですが……」

 

 近衛衆の一人が進み出て、自分の言葉に同調するように、キウルを庇う。

 キウルのお蔭で、我らが生き抜くことができたと、各々が発言する。

 

「そうだ、キウル。顔を上げるのだ。そして胸を張れ。今はお前の無事が嬉しい。さあ帰ろうキウル。御前がお前の帰りを待っている」

 

 ま、これくらい言ってもいいだろう。オシュトルも、きっとそう思っているはずだ。

 一応嘘は言ってないしな。俺にとっても可愛い弟みたいなもんだ。

 皆がやれ勝利だ、凱旋だ、酒宴だと騒ぎ始める頃、キウルが耳打ちしてきた。

 

「あの……ところで兄上」

「どうした?」

「ハクさんの姿が見えませんが……それにクオンさんも」

「クオンは、姫殿下の喉を治すための秘薬を探しに行った。ハクについては……後々話すとしよう。エンナカムイにつけばな」

「は、はあ……」

 

 そう、自分の正体について話すことはできない。オシュトルを慕う者達ばかりがいる、ここではな。

 

 これまでの報告をしたいというキウルたっての願いもあり、アンジュのいる迎賓館へとそのまま足を運ぶ。

 そこで、アンジュが未だ回復の兆しもないことに気付いたキウル。イラワジや自分が言葉をかけることで、自分を責めることはやめたが、やはり心中穏やかではないようだ。

 これからの方針決めとして、権力の空白により、帝都では混乱しているということを前提に進めてきた。なればこそ、近衛衆を連れてきたキウルを褒めたのだが、帝都の情勢はこちらの思惑とは大きく外れていることをオウギが指摘する。

 

「キウル、ここには姫殿下も御前もおられる。帝都で今、何が起こっているのか教えてほしい」

「わ、分かりました。それでは……」

 

 姫殿下がいなくなったこと、門を開け放ち、駐留していた兵たちを帝都になだれ込ませたこと、この二つの策略の中、混乱に乗じて近衛衆達を連れてくるという作戦だった。しかし、突如ライコウは偽の姫殿下を擁立し、国民の前で宣言することで混乱を収めてしまったそうだ。

 

「そんな……でも……アンジュさまはここに……」

 

 予想外の展開に皆は動揺を隠せない。アンジュなどは唖然とし、ただ呻くだけであった。

 一方イラワジは何かを悟ったようにその身を深く椅子に沈めた。

 

「そうであるか……元より姫殿下を傀儡に仕立てようとしていたのだ。偽物を立てるくらい平気で行うであろうな」

「そして問題なのは、それを他の八柱将の方々が受け入れたということです」

「なるほど、連中の間で何らかの利害の一致があったと見るべきか。そして、その中心に立ち、仕切っているものがいるはずだ。偽の姫殿下を連れてきた、ライコウが怪しいな」

 

 帝が死ぬのを想定して予め用意していたのだろう。

 喋ることも動くこともできない皇女さんを担ぎあげたところで、世間は納得しない。それどころか、こちらを逆賊として潰しにかかるだろう。兵においても練度が違いすぎる。戦いになれば、こちらに勝ち目はない。

 

「……」

 

 何にせよ、皇女さんの喉が癒えないことには話にならない。クオンが帰ってきてくれれば、とそう思いを巡らせていた時、アンジュからの憂いを帯びた視線に気付く。

 自分はそっとアンジュの傍に膝をついた。

 

「どうかご安心を。某が姫殿下を騙る不届き者を成敗し、必ずや帝都を奪還して御覧に入れましょう」

 

 その言葉にアンジュは嬉しそうになるが、すぐさま不安げな表情となる。

 できるのか、お前に――?

 オシュトルではなく、ハクであることを知っている皇女さんの心配はわかる。

 しかし、やらねばならないのだ。

 

「任せとけ」

 

 震える皇女さんの手をそっと握り、皇女さんにだけ聞こえる声で囁く。

 すると震えが止まり、今度こそ、皇女さんは期待するような目でこちらを見たのだった。

 

「さて、あまり長く時間をお取りいただいては姫殿下の御体に差し障る。皆、下がるとしよう。皆には某から話がある。政務室まで来るように。ネコネ、後は頼む」

「わかりましたです」

 

 政務室へと皆を連れて入り、各々を所定の位置に座らせた。

 

「さて、状況は先ほど聞いた通りだ。しかしだ。これからの話をする前に……キウル」

「は、はい?」

「某は、オシュトルではない。自分は、ハクだ」

 

 そう言い、仮面を外す。

 その瞬間、目が見開かれ驚愕の表情が浮かぶ。

 

「は、ハ、ハ、ハクさん!? え、あ、兄上は」

「オシュトルは現在療養中だ。ヴライとの戦いで、瀕死の重傷を負って目が覚めないんだ。エントゥアが場所を知っているから、後で見舞いにでも行け」

 

 一度にたくさんの情報を詰め込まれたら、こういった状態になるのか。という見本のようなキウルの驚きぶりに、周囲がやれやれと溜息をつく。

 

「驚くのも無理はない。だが、必要なことだった。もしオシュトルに扮していなければ、自分のことを信じてくれる奴などいない。兵を連れてお前達を助けに行くことすら不可能だったろう」

「兄上は、ハクさん、だったんですね……」

「そうだ」

「じゃあ、あの褒めて頂いた言葉は……」

「自分としてはあの言葉は本心だ。オシュトルがどう思っているかは本人に聞け」

「そ、そうですよね。ごめんなさい」

「さて、正体ばらしは終わったところで、これからの話じゃない?」

「ああ、そうだな」

 

 姿勢を正し、皆に向き直る。

 

「これからの策だが、ただ敵を倒し、姫殿下を都へ……などという単純な話じゃない」

「……」

「ここに御座す姫殿下をヤマトの真の継承者と仰ぎ、なおかつ自分を姫殿下より全権を賜った将と認められる者だけが残ってもらいたい」

 

 誰も動かない。

 まさか、何か言われると思ったのだが。

 

「おいおい、自分はハクだぞ。何言ってんだの一言くらい……」

「何言ってるんだはハクさんの方ではないですか?」

「オシュトルの旦那がいない今、直轄の部下だった旦那が全権を持つのは当然じゃない?」

「そうだ。何を迷う必要がある。ハク、もっと自信を持て!」

 

 口々に、自らへの忠誠を誓う仲間達。しかし、何も喋らないキウルを見て、思わず問いかける。

 

「キウルはどうだ」

「……ハクさんは、いつも飄々として、何でもサボりたがる人でした」

「う……それは否定せんが」

「けど……そんなハクさんは、いつも最善の策を用いてきた人でもあります。そんな頼りになる人が、兄上のために全てを背負って戦おうとしてくれています。なら、ハクさん、あなたをもう一人の兄上として、従うまでです!」

「キウル……」

 

 ぱしんと鉄扇を自分の腿に打ち、気合を入れる。

 

「よし、ならば約束しよう! 某はヤマトに巣食う悪鬼を倒し、姫殿下を必ずや帝都へ御戻しするとな。オシュトルが目覚めるその時まで、自分が――」

「あの……!」

 

 そこに、ネコネの控えめな声が室内に響く。

 皆が扉へと振り返ると、ネコネとエントゥアの傍らにもう一人を連れてきていた。

 

「ハク……世話をかけたようだな……」

「……オシュトル!」

 

 せっかく格好いいところで締められたのに、とは思わなかった。

 

「ふふ、良いところを邪魔してすまぬな」

「いやいや、よく目覚めてくれた。もう少し遅けりゃ、自分はやりたくもない政務にどっぷりだったからな」

 

 オシュトルの仮面を外し、オシュトルに手渡す。

 オシュトルは、その仮面を額に当てると、皆に向き直った。

 

「……では、先ほどのハクの言葉を引き継ごう。某に、ついてきてくれるものはいるか? 勿論、このハクを介してで構わぬ。姫殿下のため、某に力を貸してほしい」

 

 誰も否とは言わなかった。

 

「ではこのオシュトルが約束しよう。姫殿下を帝都へと御戻しした暁には、皆の功に従い、望みの物を与えよう」

「望みの物だって?」

「そうだ、姫殿下も功のある者を厚く遇することを望んでおられる」

 

 各々の褒美の内容を聞き、それをオシュトルが受諾すると言ったやりとりを繰り返し、オシュトルを頭としてつき従うための契約をしたわけだ。

 だが、どれもこれも果たせる見込みのない約束は交わしていない。オシュトルが目覚めた今、もはやこの国は揺らがない。ならば、姫殿下の願いはきっと成就するだろう。

 

 そこで、オシュトルの視線が、自分の傍らにいる二人に移る。

 おい、やめろ。こいつらに尋ねたりなんかしたら――制止する間もなく、オシュトルが問いかける。

 

「ウルゥル殿とサラァナ殿は……」

「「私たちの希望は」」

「寵愛」

「私たちからではなく、主様から私たちを求めてくれるようにしてほしいです」

「ふ……それは某には難しいが、できることがあれば協力しよう」

「……不潔なのです」

 

 ネコネの真の兄さまが戻ってきたからか、自分に対する当たりが以前よりきついんですけど。

 

「さて、ハク」

「ん?」

「物思いに耽っているところ悪いが、其方にも聞かねばならぬ。いや、それどころか、これまでのことに対する褒美すら提示しなければならない。短い期間ではあるが、その仕事ぶりはネコネから聞き及んでいるのでな」

「自分か?」

 

 そういえばそうだった。ずっとオシュトル視点で物事を見てしまっていた。

 自分はもうオシュトルではない。ハクなのだ。ならば――

 

「そうだな……まあ、最近働きすぎたから、暫くの間はごろごろさせてほし――」

「それはできぬ」

「は?」

「お主には、これからも働いてもらう。いや、働いてもらわねばならぬ。だからこそ、褒美を聞いているのだ。全てが終わった暁には、望むままに褒章を与えよう。それこそ、どんなものでもな。なればこそ、某の采配師として、共に並び立ってはくれぬか」

 

 それは、他の者達とは一線を画すほどの熱意だった。

 他の者に対しては、意思を尊重することを言っていたが、自分に対してはない。絶対に逃さぬという強烈な勧誘。

 

「お、おいおいおい」

「この戦。某だけでは勝てぬ。某は、正道を歩まんとする者。某自身がそれを愚かであると理解していても、皆に正道以外の道を示すことができぬのだ」

「……」

 

 それは確かにそうなのかもしれない。

 オシュトルは、甘えを切り捨てることができないのだ。

 

「だがハク、其方ならば、某が示すことの出来ない道を示すことができる。某が正道を通るために……ハク、其方には邪道を示してもらいたいのだ」

「兄さま!?」

「……」

 

 それは、オシュトルが正しくあるために、自分には汚れろと言っていることに他ならない。

 その言葉に、思わず笑ってしまった。

 

「ははっ、そこまでか。そこまで自分を買っているのか?」

「ああ。其方しかおらぬ。そもそも、某がもし死んだ場合であっても、ハクならば後を任せられると思っていた」

「おいおい……」

「本当だ。ハク。だからこそ、あの時も問いかけた。某の後を継いでくれるかと」

「……」

「その想いは変わらぬ。継いでくれぬのなら、せめて某と並び立ってほしいのだ」

「……褒美は何でもいいんだな」

「某に叶えられることならば」

「わかった。酒はいいのを用意しておけよ」

「ふ、無論。最上級のモノを用意しておこう」

 

 さて、これからは動き出す時だ。

 帝都に巣食う黒幕共は、どう動くのか。

 いいだろう、オシュトル。自分に影でいろというなら、影として、お前と並び立とうじゃないか。

 覚悟しろよ黒幕共。怠け者が働き者に変わった時ほど怖いものはないぜ。

 

 




オシュトルが生きてると、それだけで戦力大幅で安定感ありますな。
ハクだけでも勝ったことから、このまま普通に戦っても楽勝な気がしますが、ハクが生きていることを知れば、そうはならんぞと来そうな人が黒幕にいますからな。
はらはらどきどきの展開ができたらいいですな。


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第四話 低俗なるもの

トリコリさん大好き。
攻略ヒロインにしたい。


 怠け者が働き者になる。まあ、そんな風に言ったが、そんなふうにすぐさま変わることは中々できないわけで。

 

 自分のノルマの仕事が終わり、いつも通り布団の上でごろごろしていたところ、オシュトルがある場所へと行こうと誘ってきた。

 渋っていたのだが、結局ネコネに脛を蹴り上げられ、オシュトルとネコネの実家へと足を運ぶことになった。

 ネコネの話では、この前二人で顔を合わせに行ったそうだが、オシュトルがそういった状態だったことは既にネコネ一人で話をしていたそうだ。

 

「なら、なんで自分が今回行かなきゃならんのだ」

「そういうな、ハク。必要なことなのだ」

「……」

 

 本当にそうなのだろうか。

 ネコネはネコネで脛を蹴り上げたくせに不服そうな顔でぶすっとしているし。

 やがて、古風な家屋敷に辿り着くと、玄関先で待っているよう言われる。

 

 オシュトルとネコネだけが中に入ると、やがて見知らぬ女性との話声が聞こえてくる。

 それからさらに暫くして、ようやく本題に入ったようだ。

 

「母上、紹介したい人物がございます」

「あら、誰かしら」

「このオシュトルが全幅の信頼を置いている者です」

「まあ……! それほどのお方なのね」

 

 ネコネの面白くなさそうな表情が見ずとも伝わってくる。

 しかし、それに反するように、オシュトルの母の声は喜色を帯びたものだった。

 

「ハク、入られよ」

「お、おう」

 

 その声を聞き、おずおずと襖を開けて中へと入る。

 そこには、泣き黒子のある美しい女性の姿があった。この人がオシュトルとネコネの……母、か。

 視線が合わないのを見て、目が不自由だという情報があったのを思い出した。

 

「ど、どうも、お初にお目にかかります。ハクと申します」

「これはご丁寧に。私の名はトリコリと申します。よろしくお願いしますね」

「このハクがいなければ、某の命はありませんでした」

「まあ……それでは、私からも礼を言わねばなりませんね、ありがとうハク様。息子の命を救ってくださって」

「いえいえ、そんなそんな……」

 

 なぜか、頬が熱くなる。

 何だろう、この感じ……。

 

 それからは、ネコネの入れてくれた茶を飲みながら、他愛のない話をし、和やかな空気が漂う。

 そして、色々と話している内に、やはり親子なんだなと気付くことがあった。

 

「どうした、ハク、某と母上の顔を見比べるようなことをして」

「いや、オシュトルが美形な理由がよくわかったと思ってな」

「あらあら、御上手ね」

「す、すいません。変なこと言ってしまって……。あ、そういえば、ネコネは父親似なのか?」

「今の話の流れでその質問はどういう意図なのです?」

 

 怒気を孕んだネコネの声。

 トリコリさんの目が不自由なのをいいことに、ネコネはげしげしと蹴ってくる。

 

「ちょ、け、蹴るなよ、ネコネ。聞いただけだろ」

「うるさいのです! ハクさんなんかこうなのです!」

「あらあら、仲良しなのね」

「っ!? こ、こんな人と、仲良くなんてないのです!」

「ふふっ、そう」

 

 ネコネは手をばたばたと振りながらトリコリに抗議するが、トリコリは楽しそうに笑うだけだった。

 しかし、こちらの様子を窺い口数少なかったオシュトルが、突然ぼそりと聞いてきたことで、空気が変わる。

 

「ずっと気になっていたのだが……年上がお主の好みなのか?」

「えっ!? そ、そそそそ、そんなわけない……こともないが! 流石に人妻に手を出したりしないぞ!」

「若い女子を侍らせながら、誰にも手を出さぬのはお主が真面目な男だからと評していたのだが……なるほど、そういうことか」

「あらあら、私もまだまだいけるのね……ふふふ」

 

 トリコリは顎に少し手をあて、薄く笑う。その仕草が、余りにも妖艶で、動揺した。

 

 ――すいません。本当は包容力のある女性大好きです。結婚してください!

 

 ホノカさん以来の求婚衝動に、かろうじて自分が踏みとどまれたのは、自分の態度を見て、ネコネが道端のンコを見るような目をしたからだった。

 

「……不潔なのです」

「ぅぐ……」

「これ以上ここにいれば、母上に手を出すやもしれぬな。早々にお暇することにいたします、母上」

「ふふふっ、あなたとネコネがここまで気軽に話せる相手ができて、少し安心したわ。ハク様、またいらしてね」

 

 その言葉に後ろ髪惹かれつつも、オシュトルの言葉通り、早々にお暇することにした。

 帰り道、オシュトルがネコネに聞こえぬようウコンの口調でこっそりと耳打ちしてきた。

 

「……そういえば、ネコネは母上の娘、やがて母上のような人物になるのは確実だ」

「……は? 突然なに言いだすんだ」

「好みなんだろう? 我が母上のようなお方が。アンちゃんよ、ネコネは将来有望だぞ」

「……何が言いたいんだ? お前……」

「流石に、母上を寝取られるわけにはいかねえだろう。考えてもみろ、自分の母親が親友に寝取られるなど悪夢以外にあるか」

「……勘弁してくれ」

 

 妹が取られるのは悪夢じゃないんかい。

 代わりにネコネ差しだすから母上だけはやめてくれって、どんだけ信用ないんだ。

 先程、全幅の信頼を置いているだなんだ言っていたのが、遠い昔のようだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 喉が渇いたので厨房に寄った時だった。

 ルルティエが、自分の作った料理を前にして溜息をついていたので、ついつい声をかけてしまった。

 

「どうしたんだ? ルルティエ」

「あ……ハクさま」

「何かあったのか」

「実は、その、アンジュさまのことなのですが……」

「皇女さん? 今は幾分快復しているはずだろ?」

 

 寝たきりだったのが、今じゃ俺に絡んでこれるくらいには元気が出たはずだ。

 見舞いに行くと、帰ろうとするたびに腕を掴まれるし。無言だから、こっちばっかり話すことになるんだよな。筆談は時間かかるし。

 

「確かに、以前と比べると随分よくなられています。でも……」

 

 ルルティエはそう言うと、近くの卓上に視線を移す。

 多少箸をつけた形跡はあるものの、その殆どが手つかずのままだ。こんなに綺麗に盛られているのから想定するに、自分達のものではない。

 

「これ、皇女さんのか」

「はい……先程お持ちしたのですけど、首をお振りになるばかりで食べたくないと……」

 

 皇女さんが辛い思いをしていたのはわかっているつもりだったが、そこまでか。

 自分の前じゃ、あまりそういう姿は見せないんだがなあ。

 

「アンジュさまのお気持ちはわかるのですが……」

「そうだな。このままだとクオンの帰還を待つ前に経過が悪化するな」

「あの、もしよろしければ、アンジュさまのお見舞いに行ってあげてもらえませんか?」

「オシュトルは? 皇女さんはオシュトルにべた惚れだし、あいつが飯を持って行けば全部食うだろ」

「オシュトル様は……ご政務に忙しそうなので……わざわざ頼むのも……」

「まあ、そりゃそうだよな」

「それに、ハクさんなら、アンジュさまの傷ついた心を癒してあげられると思います」

「そうか?」

「はい。ハクさんがお見舞いに来た後は、少し元気ですから……」

「ふーん……」

 

 まあ、それはそれとして、確かに、あまりオシュトルの手を煩わせるのも悪いな。今オシュトルが携わっている政務の量は、自分がオシュトルの影武者時代と同じものだ。いや、それよりも増えているくらいだろう。さらに仕事を増やすのは余りにも酷だ。

 

「わたしでは、アンジュさまをお慰めすることが出来ません……」

 

 寂しげな笑みを見せるルルティエ。

 ルルティエにこんな顔をさせる皇女さんに、少しばかり意地悪したくなった。

 

「……そんなことないさ。ま、いっちょ行ってくるよ。拗ねたガキンチョにはそれなりの対応があるっていうことさ」

 

 勿論、皇女さんの悩みもわかるっちゃわかるがな。住処を奪われ家族を奪われ、確かにもっとお見舞いに行っとけばよかったな。

 

「お食事は、すぐに作り直しますから。折角ですから、アンジュさまのお好きな料理、一杯入れちゃいます」

「ルルティエの心遣いも、きっと届いているさ」

「ありがとうございます。私には、このくらいしかできませんから」

「いやいや、すごいことさ。なあ、ルルティエが作っている間、これを食べていてもいいか?」

 

 そう言いながら、皇女さんが残した料理を指さす。

 

「え? でも、もう冷えていますし……」

「ルルティエの作ったもんなら冷えていてもうまいさ。あむ……ほら、うまい!」

「そ、そうですか……えへへ。じゃ、じゃあ、すぐに用意いたしますから、ちょっとだけ待っててくださいね!」

「ああ」

 

 嬉しそうな表情に変えることができて、少しほっとする。ルルティエには優しい笑顔が似合うからな。

 台所で、腕をまくり忙しそうに駆け回るルルティエを横目に、皇女さんが残した食事に舌鼓をうつのだった。

 

 

 冷えたご飯を食べ終わると、丁度料理が出来上がり、それを皇女さんのいる部屋まで運ぶ。

 部屋の前で、一応声をかけた。

 

「皇女さん? 少しいいか?」

「……」

「入るぞー。皇女さん、具合はどうだ?」

「……」

 

 アンジュは布団から半身を起こした状態で、入ってきた自分の姿に、少し顔を明るくするも、ふいと部屋の外へと目線を移す。

 なるほど、相当参ってるのね。

 

「皇女さん、ご飯だ。ルルティエが食べやすいモンばかり作ってくれたぞ」

 

 そういい、ルルティエの料理をアンジュの前に差しだす。

 

「……」

「皇女さんが辛い時期にあるのはわかるさ。だが、今皇女さんの体は弱ってるんだから、いっぱい食って早く元気になってくれ」

 

 しかし、アンジュは力なく首を横に振る。

 その表情には憂いの色だけが浮かんでいた。

 

「わかった。食べさせてほしいんだな? オシュトルじゃなくて悪いが、自分のあ~んでよければ食ってくれ」

「……」

 

 首を振る力が強くなる。

 なんだ、元気じゃないか。やはり、帝都での出来事に心を引きずられている心労が勝っているのだろう。

 

「皇女さ~ん?」

 

 膳を持って、アンジュの傍により、互いの視線を合わせようとするが、視線を外される。

 

「皇女さんは、元気な姿の方が似合ってるんだがな……わかった。皇女さんが食べないなら、自分が貰おう」

 

 こんなうまそうなものを捨てるなんてとんでもない。

 それに毒見もかねてるんだ、うん。食べないなら、もらうだけだ。

 

 汁物の蓋を開ける。

 その瞬間にふわりと舞い上がった香りが、心地よく鼻腔をくすぐり、アンジュの肩がびくりと動く。

 しかし、もはや皇女さんの動きを気にする余裕などない。

 冷たい料理でもあれだけ美味しかったのだ。アツアツならさらにうまいに決まっている。

 

「ごくっ……う、うまっ……」

 

 エンナカムイでとれる食材における選択肢の少なさは周知のところだ。それなのにここまでの深い味わいを出すとは、恐るべし。

 愛情が隠し味とはよく言ったものだ。もはや隠れることすらできないほどの愛情がここには詰まっているのだ。

 

「なんだ、この煮付け……塩加減が絶妙だな」

 

 ひょいひょいと料理に手を伸ばす。

 もはや皇女さんの様子など全く気にしていなかったその時。

 

 ――ぐううううう。

 

 可愛らしい音が響き、料理に伸びる手がぴたりと止まる。

 視線を上げると、顔を真っ赤にしてお腹を抑えているアンジュの姿があった。皇女さんの恨みがましい視線が、咀嚼している口元にぶつかる。

 その表情が妙に可愛かったので、少し意地悪したくなった。

 

「あれ? 皇女さん、いらないんじゃなかったっけ」

「!?」

「ざんねんだなぁ。こんなに上手い飯を食えないなんて……心配するな、残さず全部食べてやるから」

 

 先ほども食べたというのに、まだまだ入る気しかしなかった。

 それもこれもルルティエの飯がうますぎるのが悪い。

 

「あぅ」

「ん?」

「んう、んう!」

 

 なんか怒っているようだった。

 皇女さんは、自分から箸を取り上げようとするので、わかったわかったと押しとどめる。

 まあ、元気が出たようで何よりだ。幾許か恨まれているかもしれないが。

 

「しょうがねえなあ。食べさせてやろう、何がいい?」

「あぅぅぅ!」

 

 再び箸を取り上げようとする皇女さんを再び押しとどめる。

 

「まあまあ、元気な皇女さんが見れて嬉しいが、あんまり暴れるとしんどくなるぞ。食べさせてやるから、大人しくしとけ」

「……あぅ」

 

 納得したのかどうかよくわからないが、しぶしぶといった感じで、大人しくなる。

 頬に朱が指しているのを見て、やはり意地悪が過ぎたと反省する。

 ま、でもこの美味い飯が食えれば、すぐ元気になるさ。

 

「ほら、まずは煮付けな」

「……ぅ、う~……」

 

 暫くこちらの箸を見て何かに逡巡していたが、観念して口を開く。

 その様子に小さく苦笑を浮かべて、その口へと料理を運んだ。

 

「うまいか?」

「あう」

 

 美味そうで何よりだ。

 

「次はこっちか?」

「あうっ」

 

 親鳥と雛鳥のような関係を暫く続けていると、すぐに料理がなくなった。

 

 ――ちょっと自分が食べすぎたかもしれん。

 

 その考えに皇女さんも至ったのか、恨みがましい視線でこちらを見やる。

 全く、最初は食わねえって言ってたくせによ。いや、口で言ってはないが。

 

「あう」

「ま、これから食べられたくなけりゃ、さっさと食べることだ」

 

 アンジュの口元を拭い、布団に寝かせる。

 

「じゃ、自分はこれで……」

「はう」

 

 空になった膳を手に退出しようとするが、強く袖を引かれた。

 

「はう、はう」

「わかったわかった。皇女さんが寝るまでいるよ」

「……ぁう」

 

 納得したのか、安心した表情で、寝床に入る皇女さん。

 暫くすると、寝息が聞こえてきた。

 

「……」

 

 無言で出ようとすると、袖に違和感。

 

「……まだ握ってるよ」

 

 あれこれしたが、全く抜ける気配がない。

 皇女さんを起こすわけにもいかないので、とりあえず、この空になった膳をルルティエに見せるのは、暫く先になりそうだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オシュトルの相談役としての任が終わった後、暫く暇になる。

 エンナカムイには、娯楽や遊戯は少ない。それは、エンナカムイは遊べる場よりも、生活水準向上のための技術を求めたからだとオシュトルから聞いている。

 ノスリにこの前、賭博場が恋しいと言われ、改めて自分もそういった賭け事が好きなことを思い出した。正直オシュトルに扮していた時はそういった余裕がなかったからなのか、暇な身になるとそういった欲が出てくる。

 

「やっと出来たが、まあ、こんなものか」

 

 暇な時間にこつこつと作った道具を見て、思わず笑みがこぼれる。

 くいくいと袖を引かれたので、振り返ると、何かを期待するような二つの存在。

 

「主様?」

「賭け事ですか?」

「お前達とはやらんぞ。わざと負けて躰で払うだなんだと言うんだろ」

「見破られた?」

「さすがです、主様」

 

 手元には、様々な絵柄が描かれた札の数々、不備がないか確認していると、背後からそっと声をかけられる。

 

「ハク、なにをニヤニヤしているのだ? ん、これは?」

「おっ、ノスリか、丁度いい」

 

 手にした札を広げて見せると、ノスリは興味津々な様子で覗きこんできた。

 

「随分と華やかな札だな。歌留多……にしては札が小さいが」

「歌留多と似てはいるが、これは花札というやつだ。賭け事でよく用いられる遊びだな」

「……ほう?」

 

 賭け事と聞いた途端、ノスリは身を乗り出してくる。

 そこで、花札のルールを簡単に説明する。

 

「なるほど……それぞれの絵柄に意味があるのか……そして、役を作り、高い点をとれば形勢逆転も……うむ、面白そうではないか!」

「そうだろうそうだろう」

「よし、では早速!」

 

 札の法則や役を覚えた途端、懐から巾着袋を取り出し、床にどすんと落とした。

 

「おいおい、まさか賭ける気か?」

「当然だ。やはり、やるからには本気でやらねばな。何、精々今宵の飲み代を賭けるくらいだ」

「おっ、なら今夜はノスリの奢りで決まりだな」

「なにお~っ? ふん、吠え面をかくのも今の内だ、ハク。尋常に勝負!」

 

 こちらも巾着袋を側に起き、花札を意気揚々と切る。

 そして勝負が始まり、結果として自分のぼろ勝ちだった。

 

「く、くそ、なぜ勝てない」

「だから、高い点を狙いすぎだ。どんだけこいこい言いたいんだ?」

「ぬ、ぐぐぐう……次こそ……!」

「それも何度目だ。それにもう財布の中身は空じゃないか?」

「な――」

 

 財布をひっくり返しても、小銭の小気味よい音は響かない。

 今晩どころか、今月分巻き上げてしまった。

 

「んじゃ、ウルゥル、サラァナ、今夜はノスリの金で飲みにいくか。店の女将さん喜ぶぞ~」

「くそぉ~……」

「ほら、ノスリも行くぞ。暫く飲めないんだから今夜は飲んどけ飲んどけ」

「い、いいのか?」

「まあ、初心者に本気を出した引け目もあるしな。元々お前の金だし」

「くぅ~、いい女は敵の情けは受けんものだ! 情けは受けんが……ハクがどうしてもというならば、しょうがない! 付き合ってやろう!」

 

 どうしてもという訳ではないのだが、まあ、これ以上勝負を続けると服でも賭け始めそうな気がしたので、切り上げるタイミングとしては上々だろう。

 双子もお茶汲みなどしてくれていたものの、ずっとノスリの相手をしていたからか、不機嫌そうだしな。

 

「ハク、今日の分は残しておくのだぞ! 私の五光が必ず取り戻してやる!」

「ああ、はいはい」

 

 まあ、今の感じなら、暫くは飲み代が浮くだろうな。

 クオンがトゥスクルから帰ってきたらまた自分の財布が管理されるのは確実なので、それまでは、存分に稼がせてもらおう。

 しかし、その後、金の少ないノスリが賭けるものは、もっぱら自分の服と体になり、オウギに苦言を呈すことになったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 昼頃のことだった。

 いつもは忙しい筈のネコネが、自分の部屋の前の縁側にぽつんと座っているのを見て、思わず声をかけた。

 

「兄さまに、最近働きすぎだから休めと言われてしまったのです」

 

 まあ、オシュトルに自分が扮していた際も、中々に働いていたからなあ。

 

「それで、暇なわけか」

「暇ではないのです。兄さまから言われた通り、英気を養っているのです」

「だからといって、こんなとこにぽつんといる必要もないだろ。寝ちまうか、それとも……そうだ、キウルのところにでも行ってみたらどうだ?」

「キウル? キウルは確か……今は調練中なのです。どこかのぐうたらと違って、皆さん仕事があるですから、邪魔なんてできるわけないのです」

「うっ……」

「……ハクさんが仕事を肩代わりしてくれれば、兄さまと一緒に休めたのですが」

「うぐっ……」

 

 じとーっと、非難するような目で見られ、少したじろぐ。

 ネコネからあれこれ教えてもらったおかげで、政務を行おうと思えば行える。勿論俺でもできることは今でもしているが、確かに仕事量を比べればオシュトルの足元にも及ばないのだ。

 

「ま、まあ、わかったよ。また今度新しい仕事を引き受けるさ」

「……」

「そんな疑いの目で見ないでくれ」

「……はぁ、姉さまがいれば、ハクさんも働き者になってくれるのに……」

「そ、そうだ、ネコネ。オシュトルに変装していた時仕事や字を教えてくれた代わりに、自分も一つ教えてやろう」

「ハクさんに? ハクさんに教えてもらうことなんてあるですか?」

 

 やれやれ何を言ってるですかこの人は、とでも言いたいかのように鼻で笑うネコネ。

 ちょっとムカっときたが、話の調子がまずい方向へと行くよりはマシだ。それに、勉強のほうがごろごろするより好きなんだろうし、ネコネの興味ありそうなことで気を引くことにする。

 

「ああ、あるともさ。ネコネ、お前は確か、神代文字に興味を持っていたよな?」

「っ……そ、それが、なんなのです?」

 

 ――脈ありだな。

 耳がピクピク跳ね、尻尾がハタハタと揺れていることからもわかる。

 だが、さっきの仕返しをさせてもらおう。少し意地悪する。

 

「そうかー、興味ないか。クオンに無暗やたらに教えるなって言われてたし、やっぱりやめとこうかな」

「あ、姉さまは今はいないのです。それに、ハクさんがどうしても教えたいなら、しょうがないから教えさせてやってもいいのです」

「ほぉ? ま、でも今書くものないし、残念だな、また今度……」

「わ、私の部屋にあるのです」

 

 袖を掴みぐいぐいと部屋に連れていこうとするネコネ。

 なんだこの力。過去最高じゃないか?

 

「どうぞなのです」

「これに書けってか?」

 

 書くための筆と板を渡され、とりあえず、ひらがなの五十音表を書くことにする。

 

「あ、い、う、え、お……と」

「!? か、神代文字、なのです」

「この辺りは、ネコネなら見たことあるんじゃないか?」

「ま、まあそのくらいは当然なのです……で、でも、意味までは……」

「意味……というか、言葉の基礎となる文字だからな。まずは、こう言った文字を五十文字、発音だけ覚えるんだ」

「……」

 

 何だか、非常に珍しく驚いた表情をしている。

 それに対して突っ込みをいれることなく、そのまま、かきくけこ、と続きを書いた。

 

「五十文字、と言ったですか?」

「ああ」

「それで、五文字ずつなのです?」

「ああ。これが十列くらいある」

「……」

 

 何だか、きらきらした瞳をしている。

 こんな目をしているのは、オシュトルの傍にいるときくらいだ。

 

「……続きは?」

「は?」

「早く続きを書くのです」

「あ、ああ」

 

 板に向かってきらきらと目を輝かせながら、次は次はとせがんでくる。

 ネコネの興味を引き過ぎてしまったみたいだ。

 

「こ、これはあくまで勉強なのです!」

「ん?」

「姉さまがいない今、ハクさん以外にも神代文字を理解できるヒトが必要になるかもしれないのです!」

「しかし、この国では禁じられた知識だと聞いているが?」

「それならハクさんも共犯なのです。元はといえばハクさんが知っているのが悪いのです」

 

 なんだそりゃ……。

 そういえば、みだりに教えると、相手に危険が及ぶ可能性もあることを指摘されていたことを思い出したので、それも伝えるが、大丈夫だと言われてしまった。

 ネコネの知識欲を、随分と刺激してしまったようだ。

 

 まあ、いいか。

 とりあえず、禁忌の知識として外には絶対秘密、あのオシュトルにも秘密だという約束を取り付けたうえで、とりあえずひらがなだけは教えたのだった。

 

「この文字は?」

「な、に、ぬ……ね、ですか?」

「ふむ……すごいな、もう覚えたのか」

「ふふん、ハクさんとは違うのです」

「何だと? 自分だって……」

「姉さまに聞いているですよ。何でも変な字の覚え方をすると」

「それはクオンの教え方が悪いだけだ」

 

 ネコネも教えるのがうまいのか、自分はすぐに覚えられたから、やはり師によって違うのだ。

 

「自分の教え方が良かったんだろ?」

「そんなことないのです。ひらがなだけなら、もう文章だって読み取れるのです」

「ほう? なら解いてもらおうか。全部答えられたらご褒美をやろう」

「別に褒美とやらに興味はないですが、まあいいです。ハクさんにぎゃふんと言わせてみせるのです」

 

 悔しいので、三問ほど出すことにする。

 新しい板を引っ張り、さらさらと出題文を書く。

 一問目と二問目は難なく答えられるだろうが、三問目は答えられんだろう、くっくっく。

 

「ほら、どうだ?」

「一つ目は……わ、た、し、は、ね、こ、ね、で、す……なのです」

「……正解だ」

「ふふ、この程度造作もないのです」

 

 誇らしげにない胸を張り、次の問いに挑むネコネ。

 ま、この程度は解いてもらわんとな。

 

「二つ目は……ね、こね、は、お、か、し、に、めが、ない、なのです……なんなのです?これ」

「本当のことだろうが」

「そ、そんなことないのです!」

「まあまあ、三問目だ、ほら」

「むー……」

 

 ぷりぷりと怒りながら納得が言っていない様子だったが、とりあえず答えてしまおうと三問目を見るネコネ。

 

「えーと……わた、し……は、は、く、さ、ん、の、こ、と、が、す……っ!? ぅ、うなぁっっ!?」

「あっれぇ? わっかんないのかなあ? ネコネさんともあろう方が?」

「ぐ、ぐぐぐぐぐ……」

 

 真っ赤な顔でぷるぷると震え始めるネコネ。

 勿論、わからないわけがない、しかし、言葉に出してしまうには余りにもおかしな台詞。

 

「は、ハクさんは、ひ、卑怯なのです!」

「はあ? そんなこと書いてないぞ? 三問目は間違いかな」

「くっ……」

「しかし、答えられないとなると、ご褒美はナシだな。今日の朝もらったルルティエ特製菓子を贈呈しようと思っていたんだが……仕方がない、自分で食べるとするか」

「ぬ、ぐぐぐぐぐぐ……」

 

 殆ど半泣き状態で怒りをためるネコネ。

 ま、もう勘弁してやるかと声をかけようとした瞬間。

 誰かが襖を開いた瞬間と同じくして、ネコネが叫んだ。

 

「は、ハクさんが、好き、なのですっ!!」

 

 どうだ答えてやったぞとばかりに、ふんすっ、と鼻息荒く未だ真っ赤な顔で胸をはるネコネ。

 やはりお菓子に目がないじゃないか。

 

 しかし、それよりも――。

 

「本当なのか、ネコネ?」

「!? あ、あ、あああああああ兄さまっ!?」

 

 開いた襖の先には、なんとオシュトルがいた。

 ネコネの声にかき消されてしまったが、オシュトルはどうやらネコネにご用向きだったようだ。

 オシュトルはさして動揺も見せず、にやにやとネコネの告白を受け入れ、ネコネに問うていた。

 それよりも、ネコネの動揺した様子は半端なかった。

 

「ハクが好きというのは、本当なのか?」

「ち、違うのです! こ、こいつに言わされたのです!! こいつのせいなのです!!」

 

 そう言いながら、ネコネはガンガン自分の脛を蹴り上げてくる。

 遠慮ない攻撃に思わず呻く。

 

「そうであるか? しかし、そのような言葉を言わされる状況がよくわからぬ」

「うなっ……!? そ、それは……」

 

 そう、禁忌の知識を習得しようとしていたなど、口が裂けても言えまい。

 それに、自分とオシュトルにも秘密だと約束したしな。

 

「ち、ち、違うのです~っ!!」

 

 頭のなかでわけがわからなくなったのか、そう叫んでオシュトルの横を走り去るネコネ。

 後に残されたのは、ネコネの背を見送る自分とオシュトルだけだった。

 

「ふっ……あまり妹をいじめてくれるな、ハク」

「可愛い子はいじめたくなるだろ?」

 

 ちょっとやりすぎたかもしれない。

 まさかオシュトルが居合わせるとは。神がかった間の悪さだ。いや、この場合逆にいいのか?

 

「それについて否定はせぬが、良いのか? あれでは、暫く口を聞いてくれぬぞ」

「ま、ご機嫌取りはまた今度するさ」

「全く……ネコネに頼もうと思っていた分の仕事は、其方が手伝ってくれるのであろうな」

「まじか?」

「うむ、兄としては、可愛い妹をいじめてくれた礼もせんといかんからな」

 

 暇であることを証明し、既に色々やっている身としては、首を縦に振る以外なかった。

 

 ネコネに関しては、その後、暫く口をきいてくれなかったが、オシュトルの誤解を解いておいたことを告げ、お菓子を毎日運んでいたところ、機嫌を治した。

 やっぱりお菓子に目がないじゃないかと言いたくなったが、今度は脛が無事でいられるかどうか不安だったので、やめておいたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「また前みたいに恋を探してみたらどうだ?」

「え~?」

 

 アトゥイに暇だと部屋に連れ込まれ、酒盛りに暫く時間をとられ、おにーさんと酒盛りも飽きてきただなんだと、付き合ってやっているのにぐうたら文句を垂れられたので、そういった提案をしてみた。

 

「恋か~、恋なあ~……ちょっと前にいい男を捜してはみたけど、ウチの眼鏡にかなう男はどこにもいなかったしなぁ」

 

 まあ、確かに、勤勉な男だらけのこの国では、アトゥイの琴線に触れるような男は、なかなかいないかもしれないな。

 クラリンに視線を移すも、クラリンも肯定するかのようにぷるぷると震えるだけだった。

 

「そうやぇ!」

「またなんか良からぬことを思いついたのか?」

「むー、おにーさん、ひどいぇ!」

 

 そういい、ぽかぽかと殴ってくるアトゥイ。

 本人にとってはじゃれているだけかもしれないが、こっちとしてはめちゃくちゃ痛い。

 

「わ、悪かったって。何を思いついたんだ?」

「自分の恋が見つからないなら、他の人の恋路を応援してみるってのはどうけ? ウチは経験豊富やから必ず結ばれること間違いなしやぇ!」

「何が経験豊富だって? 毎度振られてヤケ酒に付き合った経験なら豊富だが」

「あーあー、おにーさん、うるさいぇ!」

 

 耳を塞ぎ、聞こえないとばかりに顔をそむける。

 そろそろからかうのはやめとこう。本気でやられそうだ。クラリンに先程殴られた個所を労わってもらいながら、思案する。

 

「それで、誰と誰をくっつける気だ?」

「うーん、おにーさんは誰がいいと思う?」

「……じゃあ、自分とトリコリさんはどうだ」

 

 それなら全然応援してくれていいぞ。

 あれから定期的に通っていることは、ネコネやオシュトルには秘密だ。

 

「トリコリさんって、オシュトルはんのお母さんけ? あーあ、おにーさんには見えてないんやね。恋の糸が。なんやすっごく可哀想な人やなぁ」

「うるさいぇ」

「あー、ウチの真似せんとってーな!」

 

 クラリンを盾にしながら、アトゥイの攻撃を受け流す。

 トリコリさんと恋の糸が繋がっている可能性が低いのは理解しているし、それを指摘されるのも余計なお世話だ。

 

「うーん、でもとりあえずルルやんとネコやんは除外って感じかなぁ」

「なんでだ?」

「ルルやんは……おにーさんが今ここにいなかったら良かったんやけど」

 

 どういうことだよ。

 

「ネコやんは、不毛な兄妹の恋やしなぁ……うーん、誰にしようかなぁ」

 

 すると、今までいなかった筈の双子が現れ、アトゥイに見せつけるように両腕にそれぞれしがみつかれた。

 

「応援希望」

「はい。私たちが、アトゥイ様のお助けを必要としています」

「う~ん、二人も恋心いうにはなんか違うなぁ」

「違わない」

「恋を認めてもらえずとも、いつでもご奉仕致します、主様」

 

 二人は残念そうな素振りを見せるが、腕にしがみつく事は諦めない。

 

「ノスリはんは……ダメやね。色気より食い気な感じや」

「お前みたいにどっちもあるよりいいんじゃないか?」

「あー、なんか二人の恋を応援したくなったぇ!」

 

 双子の捕まる力が強くなる。

 身の危険を感じたので謝ると、どうにか機嫌を治してくれた。

 

「あとはオウギはん……はよくわからんしなぁ。他には……そうや! キウやんがいたぇ!」

「キウルか」

「いつも思ってたんよ。ネコやんのことが好きやのに、一向にその気持ちを伝えようとしない。ここはウチが一肌脱いで、しっかり後押しするべきやぇ!」

「あ、ああ、そうかもな」

 

 こういう低俗な話だと元気になるんだよな。全く共感できん。

 口に出すとまた機嫌が悪くなるので言わないが。

 

「おにーさんもやるしかないぇ!」

「なんで!?」

「燃えてきたぇ!」

「話を聞けって!」

 

 そこで、いつものように間の悪いキウルが顔を出した。

 

「こちらにいましたか、ハクさん。外まで声が聞こえてましたよ」

「な、何だ、キウル、何か用か?」

 

 早く逃げんと取り返しがつかんぞ。

 

「兄上から兵糧についての報告書の件でお話があるとの事で、後で執務室まで来てほしいとの言伝を――」

「キウやん! いいところに!」

「わっ、アトゥイさん!? な、な、な、なんですか、いきなり……」

 

 突然アトゥイに抱き付かれ――逃げられぬように拘束され、キウルは目を白黒させている。

 掴まってしまったか、哀れキウル。

 

「キウやん、ネコやんのこと好きなんぇ?」

「は、はい!? 私が……ネコネ、さんを……す、すっ!?」

「どうなん?」

「ど、どうと言われましても……私が一方的に思っているだけですし……」

「好きなんよね? なのになんで告白しないん?」

「っで、ですが……と、とにかく、私は告白するにはまだ……早いと思いまして」

 

 それから暫くアトゥイの質問攻めと、キウルのもじもじとした応対が続き、アトゥイは隠すことのないイライラを体にまといはじめた。

 

「ウチはなぁ? そういうハッキリしないのは良くないなぁって思うんよ」

 

 自分がハッキリ言うと怒るけどな。口に出すとこっちに矛先が来るので言わないが。

 

「こういうの長引いてはいい結果にならないって……そう思わないけ?」

「そ、そう言われましても……」

「キウ、やん……?」

「ひ、ひぃっ!」

 

 アトゥイから放たれるおびただしい殺気が周囲の景色とキウルの顔を歪ませる。

 

「キウやんに足りないのは勇気やぇ。そうやって色々気にしすぎるからいけないんと思うぇ。ウチの経験では当たってみて第一歩を踏み出すのが恋の秘訣やぇ!」

「け、経験ですか」

 

 それで何度も失敗していることはキウルも知っているんだがな。

 

「じゃあ、早速いくぇ!」

「ま、待ってください。私は……」

「逃げたら……怒るぇ?」

 

 颯爽と出ていくアトゥイと、それに引きずられるようにして出ていくキウル。

 

「んじゃ、自分はオシュトルのところに……」

「は、ハクさぁん……」

「いや、自分、仕事しなきゃ」

「そんなぁ! ハクさんいつも仕事しないじゃないですか! こんな時だけ……!」

「労働意欲に目覚めたんだ。悪いな、キウル」

「ハクさぁあん!」

 

 懇願に満ちた表情を切り捨て、部屋から去る。

 すまん、キウル。自分も命が惜しいんだ。

 

「おにーさん、二人ちょっと借りるぇ!」

「ウルゥルとサラァナがいいなら構わんぞ」

「応援希望」

「アトゥイさんが私たちの恋を応援してくれるなら、手伝うこと吝かではありません」

「任せるぇ!」

 

 不穏な約束事が聞こえた気がしたが聞こえないふりをして、その場を去る。

 

 後で聞いた話だが、なぜかキウルはネコネではなくシノノンに告白したらしい。

 

「まさか、見に行った方が良かったと思うとは」

 

 どういう状況なのか気になりすぎる。

 アトゥイはこれで懲りたようで、双子たちがその後自分たちの恋を応援してくれないと嘆いていたのは置いておいても、顛末としてはまあいいほうだろうか。

 キウルにとっては、勿論たまったものではないが。

 

「きうる、シノノンはいいおよめさんになるぞ!」

「いやあ、妬けちまうじゃない!」

「そうだねー、シノノンちゃん……」

 

 道中、キウルの顔が死んでいるのを見たが、シノノンとヤクトワルトは楽しそうだしいいか、と今回の出来事を記憶の隅に追いやるのだった。

 

 

 



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第五話 認められるもの

紅白試合のシステムは楽しくて良かった。
ハク、オウギ、ルルティエあたりが敵に回ったら強すぎて地獄を見ますが。


「狩り?」

 

 ノスリは身を乗り出し、肯定した。

 

「そうだ。我らはもう少し力が付くものを食べるべきだとオシュトルに直談判したところ、ハクは暇だと聞いてな」

「それ、体よく押し付けただけじゃないか……」

 

 ノスリの言葉を補足するように、オウギが進み出る。

 

「つまり、ですね。今の情勢を鑑みるに、今後もこのエンナカムイの軍拡は続くでしょう?」

「まあ、そうだな。色々と提案はしているが、まずは軍拡が絶対条件だ」

「ですので、その先を見越して手を打っておくのも良いのでは、と言いたいのですよ、姉上は」

「ぬ? え、あ……ああ、その通りだ。うむ、それが言いかったのだ」

「つまり、食事の改善と、士気の向上やらなんやらの目的のために……肉を食わせろ、ということか」

 

 色々建前を言ったが、結局そういうことだろう。このエンナカムイでは肉は殆ど出回っていない。

 肉の味を知っている二人からすれば、確かに食べたいものなのだろう。建前ではあるが、一応理にかなってはいる。

 

「なっ、何を言っているのだ? 私は別にそんな……」

 

 動揺したノスリを遮るように、オウギが言葉を挟む。

 

「しかし、ネコネさんから、この国ではあまり肉は食べないと聞きまして、それならば、狩りをするのが良いのではという結論に至ったわけです」

「この国に落ち延びてからというもの、民の世話になるばかり。ノスリ旅団が長である、このノスリともあろう者が、受けた恩を返さないわけにはいくまい。ここは一つ自慢の弓をとり、民の食事に彩りを加える一助としよう、となってな」

「となってな、じゃない……なんで自分に声をかける。弓なんざ扱えんぞ」

 

 そう、そこなのである。

 行くなら勝手に行けばいいのだ。なぜ弓の扱えない自分に声をかけるのか。

 

「狩りは多い方が効率的だからな! それに、オシュトルたっての頼みもある」

「頼み?」

「オシュトルさんから、姉上にハクさんの弓の腕を見るよう仰せつかっているのですよ。必要なら、弓の扱い方を教えるように、と。オシュトルさんはどうやら弓が苦手なようですから」

「任せろハク! この私にかかれば、たとえ赤子であっても矢を放てるようにしてみせるぞ!」

 

 自分は赤子と同列か。

 

 あれよあれよという間に、連れまわされ、山の中へと引き摺り込まれた。

 

「うむ、絶好の狩り日和だ!」

「そうですね、姉上」

 

 とりあえず、集まったのは自分と、ノスリ、オウギを除けば、キウルとアトゥイだけだ。

 狩りに慣れているだろう面々の中、狩猟経験のない自分は何とも居づらい。

 

「主様?」

「弓矢などなくとも、主様を……」

「いや、いい! 二人は大人しくしていてくれればいいから」

 

 待ってましたと言わんばかりに主張する二人を押しとどめる。

 そんなやりとりをしていたところ、ノスリが流れるような動作で弓を構え、矢を番えて放っていた。

 その一連の動作は美しく、放たれた矢もまた美しい線を描いて木立の間を抜け、得物を射抜いた。

 

「ふむ、まあこんなものか」

 

 ノスリが射止めた得物を手にしているのを見て、皆は感嘆の声を挙げる。

 

「このまま勝たせてもらおう」

「勝ち?」

「姉上は普段狩りの時、いつも何かしらを賭けて競っているのですよ。その方が楽しみも増すと」

「獲物も沢山とれて効率よかろう?」

「ああ、やりますよね、そういうの」

 

 やらんでいい。

 自分が勝てないに決まっているじゃないか。

 

「ん~面白そうやね。何を賭けるん?」

「そうだな、とっておきの一本をどうだ。実はこの間、年代物の逸品をハクが手に入れていてな」

「おい! 自分からむしり取る気満々じゃないか、まさか、自分を呼んだのはそれ目当てか!?」

 

 吹けぬ口笛で誤魔化すノスリ。

 オシュトルからもらった酒をこんな形で失う訳にはいかんぞ。

 

「それでは、一番大きな得物を仕留められたものがハクさんの酒をいただくということで、どうです」

「ええなぁ、それ」

「ふ、異存はない! ノスリ旅団が長の実力、しかとその目に焼き付けてやろう!」

「そんなうまいこといかないぇ!」

 

 こちらの反発も聞かず、さっと散る面々。

 最近、自分の言葉を聞く奴が少なくなってきてないか。

 

「あの、もしかして私たちも参加するんですか?」

「自分に聞くな……」

「まあ、こちらはこちらで、のんびりやりましょう。あの調子なら、僕たちが丸坊主でよさそうです」

「自分は大損確定だ。オウギ、恨むからな」

 

 オウギは清々しいにこやかな表情で笑みを返すばかりだった。

 とりあえず、勝負にはならなくとも、どんけつは避けなくては。

 

 弓に弦を張り、矢を番える。

 狙いを定めて――

 

「……」

 

 当たらない。

 

「キウル、当たらん」

「……まあ、ハクさんですから」

「ハクさんですからね」

 

 オウギだけでなく、キウルまで冷たい返事。

 

「主様……」

「……お前達に頼ると後が怖いんだが、何か策はあるのか?」

 

 ノスリは弓の扱い方を教えてくれるといったのに、狩り勝負に精を出しているし。

 とりあえず、案があるらしいウルゥルとサラァナに任せてみる。

 

「呪法をかける」

「これで、弓矢などなくとも獲物を仕留められます」

 

 双子が何やらぶつぶつと呪文を唱え始め、かつキウルとオウギがそれなりに獲物を仕留めている中、どすんと大きな音が響き、思わず振り返る。

 そこには、身の丈はある大猪が事切れていた。

 

「まずは、一匹だ」

 

 その影から現れたノスリが、笑みを浮かべていた。

 

「うわー、この短時間でこんな獲物を……」

「流石は姉上」

 

 その弓の扱い方を教えてもらうはずだったんだが。

 すっかり忘れられているオシュトルの厳命だったが、こちらが弓に四苦八苦している姿を見て思い出したのか、ぷっと吹きだした。

 

「何だハク、その構え方は! 仕方のない奴だ。よし、私が教えてやろう。弓というのは教わるのが上達への道だぞ」

 

 ノスリはそう言うが早いか、こちらを抱きしめるように腕を回し、背後からこちらの両腕をとった。

 

「ぅお!?」

「まずは狙いのつけ方からだ」

 

 とりあえず、指導の際に胸が背中に当たっている。

 オウギの方をちらりと見るが、はしたないはずの姉上の姿にも、いつもの爽やかな笑顔を絶やさない。

 面白いものを見つけた、なんて思ってるんじゃないだろうな……。

 

「む? 構えに変な癖がつき始めているぞ?」

 

 そりゃ、そんなの押し付けられるとな、嫌でも反応してしまう。

 さっきから呪法をかけ続けてくれているウルゥルとサラァナの方なんて怖くて向けない。

 何だかさっきよりも呪法の濃度が増したような気さえする。

 

「うむ、後は今の教えを守って日々精進だな」

「……勉強になったよ」

 

 密着状態から離れ、何とか溜息をつく。

 ちらりとオウギに非難の視線を送ることも忘れない。ちゃんと情操教育しとけ。

 

 そこに、アトゥイが身の丈を優に超える巨大な鳥賊を以って現れた。近くに湖があるとはいえ、どう見ても淡水魚ではない。

 

「なんと、これほどの獲物とは……」

「今回は私の負けだな。いい女は、こころよく相手の勝利を祝うものだ」

「んふふ~、ありがとな~。これでおにーさんのお酒ゲットやぇ!」

 

 何だか自分を置いて勝手に盛り上がっている。

 負けるとしても、このまま獲物が一匹も取れないのは悔しい。

 

「主様」

「準備ができました」

「お? おお、頼んだ。で、どうなるんだ? 弓がうまく扱えるようになるとかか?」

「匂いを発している」

「主様から獣の好きそうな匂いを発するようにしました。これで獲物は逃げずに主様の元へと……」

 

 どどどどどど、っと四方から獣の足音とは思えぬほどの轟音が響く。

 

「おいおいおいおい、効きすぎじゃないか!?」

「張り切った」

「お二人が仲睦まじい姿を見せている間、ずっとかけていました」

 

 しかし、双子は自分の前に立つと、紋章を浮かび上がらせた。

 

「手伝う」

「匂いが取れるまで、暫くかかります。でも、これで主様が今日一番の活躍です」

「それは自分一人で倒せたらだろ!」

 

 周囲の者達も、これが危機であることを理解したようだった。全員が臨戦態勢に入る。

 

「や、やばくありませんか、これ?」

「あははははっ、腕がなるぇ!」

「ハク、先程教えた通りに放ってみろ! ほら、こうやってな!」

「流石は姉上、このような状況下でも全く動揺していませんね」

 

 とりあえず獲物は沢山とれたが、自分は大してとどめをさしていないので、結局秘蔵の酒は皆に持って行かれることとなった。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 晴れ渡る空の下、主立った連中が一堂に会している。

 

「「主様、皆さまをお呼びしました」」

「おう、ありがとう」

「ハク、こんな朝っぱらから皆を集めたりして、どうかしたのか?」

「まあ、待て、オシュトルがもう少しで来る。アトゥイ、やることないと暇してただろ? 今日はお前にとっても良い日になるぞ」

「ほんとけ? おにーさん信用できへんからなぁ」

 

 お前に言われたくない、と突っ込みをいれている時、オシュトルがネコネを連れて広場に現れた。

 

「すまない、遅れた。皆に集まってもらったのは他でもない。軍議だけではなく、鍛錬の場を設けようと思ったためだ。そこで、ハクからの提案を受け、より実践に近い形で鍛えられるよう、紅白試合を行うことに決めた」

 

 これから先、戦はより一層厳しくなる。兵だけでなく自分たちも強くなる必要があるということだった。

 オシュトルから相談され、それなら紅白試合がいいんじゃないかと提案して数日、早速実施することになるとは思わなかった。

 

「ふわぁ、死合いけ!? 死合いなのけ!?」

「いや、実戦形式ではあるが、あくまで稽古である。味方を殺しかねないような危険な技は使ってはならぬ」

「えぇ~……」

「しかし、某と死合いがしたいのであれば、某の体が回復し次第、場所を改めいつでも受けてたとう」

「ほんとけ!? さっすがオシュトルはんはわかってるなぁ!」

 

 まあ、あのミカヅチと毎度死合いしているあのオシュトルだ。アトゥイ程度なら勝てるとふんでいるのかもしれないし、万が一は起こらないとふんでいるのか。まあ、今は怪我の後遺症が酷いと聞いているから、回復は当分先だろうが。

 

「まあ、死合いはともかくとして……いいじゃない? 仲間同士だからって遠慮はなしって事かい」

「組み分けはどうするんですか?」

 

 キウルの質問に対し、ネコネがすっと二つの色の籤を持ってくる。

 

「籤を作ってあるのです。紐を引いて先が赤なら兄さま組、白ならハクさん組なのですよ」

「ちょっと待てえぇっ!」

「なんですか、ハクさん」

 

 思わず大声を挙げてしまったが、ネコネの冷ややかな反応でぐっとこらえるも、やはり聞かされていた内容と違うため抗議する。

 

「自分が参加するなんて聞いてないんだが!」

「何を言ってるですか。提案者はハクさんなのですから参加するのは当たり前なのです」

 

 ぐっ、それを言われると……。

 

「観念しろ、ハク。しかし、誰が誰と組むかは籤を引いてからのお楽しみか、中々に面白そうではないか」

「つまり、姉上と敵対することもあるわけですね」

「ぅぐ……」

「うひひ、誰と殺れるんかなぁ……ヤクやんと派手に斬り合うのもええけど、やっぱりオシュトルはんがええなぁ。おにーさん組じゃないとオシュトルはんとやれんから、つまらんぇ。海の神様、どうかオシュトルはんと殺り合えますように……」

 

 その意見に至っては全く応援したいところだが、その組み分けの仕方で、まだ不満があった。

 

「わかった。参加するのはいいが、せめてオシュトルと一緒にしろ! 自分が楽できないじゃないか」

「はっ、何を言ってるですか、このぐうたらは」

「某の怪我はまだ治っておらぬ。ハク殿と同じくらいの力しか出せぬよ」

「んなわけないだろ!」

 

 んなわけない。

 アトゥイと同じかそれ以上は確実に出せるはずだ。

 

「そうです、兄さまがハクさん程度なんてあるはずがないのです。でも、この場にいる中で一番弱いのはハクさんなのです。兄様がハクさんの力を心配しての組み分けなのですよ。それに……」

「今後ハクには、其方を中心とした組織を、一時的にではあるが作る機会を多く設けるつもりだ。伏兵、奇襲、その他にもいかなる用兵において、某が動けぬ際に将としての働きを期待している。そのため、ハク組としてわざわざ其方を頭に置き、紅白試合をすることとしたのだ。わかってくれ、ハク」

「……ぐっ、わかったよ」

「あーっ、ウチ、オシュトル組やぁ! はぁ、残念やなあ」

「すいません。やっぱり辞退してもいいですか?」

 

 オシュトルとアトゥイが敵に回るとか何事だよ。勝てる気しないぞ。

 

「まあまあ、旦那! 俺は旦那側だし、任せてほしいじゃない?」

 

 にこやかな笑顔とともに、白色の籤をひらひらと見せるヤクトワルト。

 

「おお、私はハク側か!」

「姉上とは敵同士ですね」

「なにっ」

「赤色……」

「……主様の敵となってしまいました。でも、これはこれで狙えます」

「何を狙うつもりだ!」

 

 そうして、皆が籤に思い思いの反応を見せていると、影でネコネが自分の白色の籤を見ながら、ルルティエの傍に寄っている光景を目にした。

 

「あ、私、ハクさまと別れてしまいました……」

「……ルルティエさま、あの、籤を」

「……ネコネ、不正はいかぬ。ルルティエ殿と籤を交換してはならぬぞ」

 

 その様子を目ざとく発見したオシュトルが、それを制した。

 

「ぐっ……で、ですが、私は兄さまと……」

「某は戦いにおいてもネコネが成長したという姿を見たいのだ。それでは、やる気は出ぬか?」

「! は、はい、任せてくださいなのです!」

 

 結果的に色々あったが、とりあえず組を分けるとこうなる。

 

 オシュトル組は、オシュトル、アトゥイ、ルルティエ、オウギ、ウルゥルとサラァナ。

 ハク組は、自分、ネコネ、ノスリ、キウル、ヤクトワルト。

 

 正直、さっきまでの反応を見るに、ネコネはオシュトルに対して使い物にならない可能性がある。まあ、向こうもウルゥルとサラァナがいるし、自分には攻撃してこないだろうと思うので、半々か。

 しかし、何より問題なのが――。

 

「前衛がヤクトワルトだけって……」

 

 今は組で別れて絶賛作戦会議中だ。

 

「ちょっとちょっと、旦那も前衛になってほしいじゃない」

「いや、ヤクトワルト。お前なら一人でもいけるはずだ」

「アトゥイの嬢ちゃんだけは何とかなっても、オウギやオシュトルの旦那も相手するのはちょっと厳しいじゃない」

「ま、そりゃそうだよな……」

 

 開始は半時後。正直、オシュトル、オウギ、ルルティエ、アトゥイが一列で突っ込んできただけで崩壊するこっちとしては、何とか策を弄さねば勝てない。

 しかし、逆に言えば、前衛さえ何とかなれば、こちらは後衛が多いのだから相手を一網打尽にできる可能性もある。

 しかし、一面見渡す限りの平野だ。一応柵は用意してあるが、こんなもの多少の時間は稼げてもその程度だ。

 

「いや、待てよ。数は互角なんだ……」

 

 思いついた、よく見知った相手だからこそ通じる悪魔の手段。

 

「ヤクトワルト、二人までなら、いけるか? 倒さなくていい。戦線は維持できるか?」

「人選にもよるねえ……オウギとアトゥイの嬢ちゃんだけなら、任せてほしいじゃない」

「よし、なら自分とネコネで組むぞ。ヤクトワルトはキウル、ノスリと組め」

「わかったじゃない」

「あいわかった」

「わかりました」

「……私が、ハクさんと組むです?」

「ああ。そして、ネコネ。お前が前衛だ」

 

 その言葉は、その場にいる全員を仰天させた。

 

 そして、半時が過ぎ、決戦の幕が切って落とされる。

 想定通り、オシュトル側は豊富な前衛を生かした突貫戦法を使ってきた。

 アトゥイ、オウギが先んじて突撃し、その後ろをルルティエとオシュトルが続く。ウルゥル、サラァナは全体のサポートといったところだろう。

 想定通りの布陣に対し、自分は作戦行動開始の合図を叫んだ。

 

「ウルゥル、サラァナ! 裏切ってくれたら一つ言うこと聞くぞ!」

「「!!」」

 

 ウルゥル、サラァナはすぐさま裏切り行動を取り、オシュトルに向かって呪法を放つ。

 

「むっ!」

 

 オシュトルはそれを意に介しもせず、刀の一閃でそれを振り払い、ウルゥル、サラァナと対峙した。

 

「おにーさん! 覚悟しいや!」

「うぉっ、くそ!」

 

 予想以上のスピードで突撃してきたアトゥイを何とかいなし、鋭く突き続けて怯ませる。

 そこに、ヤクトワルトが到着した。素早く位置を交替し、命じる。

 

「ヤクトワルト、キウル、ノスリ! アトゥイとオウギを頼んだぞ!」

「応さ!」

「はい!」

「任せろ!」

 

 作戦はこうだ。キウルはアトゥイだけを狙う。ノスリはオウギだけを狙う。そして、ヤクトワルトは二人を守りながら、隙を見せるまで戦線を維持する。こうすれば、前衛が少なくとも、後衛二人を守りながら有利な勝負に持ち込める。

 

「おっと、流石、姉上の矢は速いですね……」

「キウやんの矢もしつこいなあ」

「余所見は俺に失礼じゃない」

「ぐっ……! や、やるなあ、ヤクやん」

「恐るるべきは、初手から裏切りを扇動するハクさんの容赦のなさですね」

 

 どうやら、中々押している様子。

 では空いたルルティエは、先程裏切ってもらったウルゥル、サラァナに相手をしてもらう。

 そして自分とネコネは、一番の強敵であるオシュトルと対峙した。

 

「む……早速裏切られるとは……一応裏切ってはならぬと念を押しておいたのだが……」

「こうでもしないと正直勝てないからな」

「ハクさんらしい、卑怯で姑息な手なのです」

「ま、その分、あとでウルゥル、サラァナのいうこと聞かんとな」

 

 二人と約束事をするのはリスクが大きいが、確実に勝つにはこれしかなかった。

 裏切り無しとは聞いていないからな。

 

「そして、詰みの一手が、これだ」

 

 そう言って、ネコネをオシュトルの前へと歩かせる。

 

「兄さま、わたしの成長した姿、見てもらうです!」

「ほぅ……」

 

 これは時間稼ぎだ。ヤクトワルト組がオシュトル以外を倒してくれれば、この勝負は勝ちだ。それまで、オシュトルをとどめておけるのは、ネコネしかいない。

 

「成程、某にはネコネは殴れぬと見て、ネコネを前に出したのか……」

「おっ……?」

 

 オシュトルからの視線が、冷たいものへと変わる。

 成程、これがオシュトルの殺気か。

 

「ハク、其方には少々お灸を据えねばならぬらしい」

「そうかな。ネコネが戦えないと思っているなら、それこそお門違いだぜ、オシュトル。それなりの場数は踏んでるんだ」

 

 これは間違いない。それに、誰が自分は後衛をやると言った?

 

「さて……斬り合いは任せとけ、ネコネ。オシュトルに自分が斬られそうになったら、使ってくれ」

「わかっているのです!」

 

 作戦は、ピンチになったらネコネに二人とも吹っ飛ばしてもらう作戦である。

 自分はネコネの傍で戦い、ネコネは自分がピンチだと思えば、周囲全て風の呪法で吹き飛ばして、体勢を立て直す。

 そのためには、ネコネは前衛にて瞬時に発動可能な呪法を展開しておき、それを同じく前衛にて護る必要がある。

 

「む……なるほど……そういえば、其方と剣を交えたことはなかったな、ハク」

「まあな。だが、ネコネがいる分、まだ戦えるぜ」

「そうか……では、参る」

 

 先ほどの氷のような表情から一転、あたたかな表情へと変わるオシュトル。

 しかし、殺気というか剣から放たれる剣気のようなものは相変わらず凄まじかった。

 本当に勝てるのかね。これに。

 

 一撃目。

 

「うっ」

「どうしたハク! この程度受け止められぬようでは、某と並び立つこと叶わぬぞ」

 

 二撃目。

 

「うぐっ」

 

 三撃目、四撃目と鋭い剣戟が飛ぶ。本当に怪我をしているのか、これで。

 ネコネから離れすぎないようにしながら、剣戟を受け止め続ける。しかし、これでは時間稼ぎすらできない。

 

「ネコネ!」

「はいなのです!」

 

 ぶわっっと、広がる風の爆発。

 その場から全てを弾き飛ばす風は、オシュトルでさえも距離を取らざるをえないものだった。

 しかし、自分の体は、その場から動くことはなかった。

 吹っ飛ばされたオシュトルが、疑問の表情を浮かべる。

 その答えを見せつけるようにして、懐から札を取りだす。

 

「これだよ、オシュトル。風除けの札だ」

 

 ネコネ特製の風属性の呪法を軽減する札だ。

 これがあれば、オシュトルが吹っ飛ばされる風であっても、自分なら耐えることができる。

 

「さて、時間稼ぎはできたかな」

 

 そう思い、ちらとヤクトワルトの方へ目を向けると、ヤクトワルトが抑えきれなかったのか、アトゥイがこちらに向かって突撃してきた。

 

「おにーさん! 覚悟!」

「うおっ!? こっちくんな!」

 

 ネコネが再び呪文を唱え始めるも、発動にはまだ時間がかかる。

 キウルの援護射撃を弾きながらこちらに槍を突きだすアトゥイの相手をしなければならない。

 

「くっ!」

 

 アトゥイは、防御を犠牲にして攻撃に偏ったタイプだ。

 攻め手を相手に与えてしまえば、一気に突き崩される。

 

「はあっ!!」

「ぅん!?」

 

 鉄扇で槍の持ち手に向かって突き続ける。

 攻撃の間隔を空ければ、瞬時にカウンターが待っている。

 ネコネが風を発動してくれるまで、なんとか持たせねばならない。

 

「ネコネ! 頼む!」

「はいです!」

 

 目の前のアトゥイが弾き飛ばされ、何とか発動してくれたのだろう。これで当面の危機は去った。

 しかし、ネコネに振り返ろうとしたその時、ひやりと首筋に刀が当たっていた。

 

「ハク、切り札は敵に見せてはならぬよ」

 

 札だけに、ってか?

 オシュトルの手元を見ると、自分の体に張り付けた風除けの札に、オシュトル自身の手を当てていることがわかった。それで先ほどの風を回避したのだろう。

 

「……流石はオシュトル。いけるかと思ったんだがな」

「札の種明かしさえしていなければ、もう少し時間稼ぎができたであろうな」

「流石兄さまなのです」

「……ネコネ、お前どっちの味方だよ」

「おしゅのかちだな!」

 

 試合を観戦していたシノノンが、赤色の旗をあげたことで、皆は武器をしまい、わらわらと群がってきた。

 

「オシュトル組やから期待できへんなあ、って思ってたけど、おにーさんも素敵殺ったぇ……おにーさん、ずんずんとあんな激しく突いてくるんやもん……お腹の奥がキュンキュン熱くなって、天に昇るような快感が躰中を駆け巡ったぇ……おにーさんもいつの間にか強くなってたんやねぇ……」

「こっちに来てほしくなくて必死だっただけだ」

 

 あと妙なこと言うな。

 ルルティエが疑いの目を向けてきているじゃないか。

 

「主様の鉄扇がわたし達のお尻を平手打ち」

「その衝撃が痛みから快楽へと代わり、背筋を伝い脳天まで駆け巡る」

「「これぞ主様の愛、欲」」

 

 そっちも対抗するな。あと、自分のせいではあるが、お前らすぐに裏切っただろ。

 ネコネが道端のンコを見るような目を向けてきているじゃないか。

 

「しかし、思わず熱くなっていけないねぇ。つい本気になって、もう少しで収拾がつかなくなる所だったじゃない」

「アトゥイだけかと思ったら、お前らまではっちゃけるとはな」

「まあまあ、旦那もよく頑張ってたじゃない」

「お前らのせいで、生き残るために必死だっただけだ。いつ惨事になるか冷や冷やしたぞ……主に自分が」

「しかし、オシュトルの旦那は流石じゃない。怪我を微塵も感じさせない剣捌き」

「そのようなことはない。剣を交えることで、互いをより理解できる。某が剣をそう評するのは、此度が剣を交えた最初であるからというだけのこと。この経験は次の戦いに生きるだろう」

「いや、兄上のは本当に剣が見えませんでしたから……」

 

 いやいや、自分なんかオシュトルの刀が三本に見えたから。

 構えているだけで燕返しになるとか、佐々木小次郎も嫉妬するだろうなあ。

 

「皆さん、お茶が入りました。お弁当も用意してありますので御食事にしませんか?」

 

 ルルティエとエントゥアが持ってきてくれた食事の匂いに、一同がわらわらと、料理に群がる。

 

「そうだな。今回はここまで、後はのんびり休むとしよう」

「くえ、キウル、あ~んだ」

「え……ええと、シノノンちゃん?」

「あ~ん、だ。たたかうおとこをささえるのが、おんなのやくめだからな」

「あ~……うん……気持ちは嬉しいのだけど……」

「こっちを見たりして、どうかしたですか?」

「え? い、いえ……何でも……」

 

 キウルとシノノンとネコネのやり取りに、ヤクトワルトと二人して笑う。

 頑張れキウル。

 

「ところで、酒はないのか?」

「準備万端」

「主様より、秘蔵酒をお持ちしております」

「あ、それはっ!」

 

 隠していたものじゃないか! いつの間に!

 酒はないのかと聞いた手前、自ら無かったことにするのも……。そう考えている内に、わらわらと目ざとい連中が集まってくる。

 

「なんだハク。気がきくではないか!」

「見直したでぇ、おにーさん」

「流石はオシュトルの旦那が選んだ相棒じゃない」

「組長として敗北の責任はとるということですね」

「共に剣を交え、共に飲み、共に歌う。それも共に強くなるためには必要な事か。流石はハク、紅白試合の提案者だけに趣旨をよく理解している」

「そうなのですか、少し見直したのです」

「ああ、ネコネ、ハクにお酌をしてやれ。卑怯な手を用い、尚且つ敗北したとはいえ、ハクは今回立案者であることから、褒美まで用意していたのだから」

「あ、兄様がそういうのなら仕方ないのです。ダメダメのハクさんに、仕方がなく! お酌してあげるのですよ」

 

 開けられ、どんどん無くなっていく秘蔵酒。ああ、高かったのに……。

 

「では、どうぞなのです」

「あ、ああ」

 

 まあ、普段お酌などしてくれないネコネが素直にお酌してくれたことに免じて、今回はいいか。紅白試合で負けるたび酒を持ってかれちゃ困るけどな。

 

「ああ、ネコネ。キウルにもお酌してやれ、負けたとはいえ、あいつは活躍したからな」

「あ、はいなのです」

 

 キウルがいなければ、アトゥイの連撃には耐えられなかった。正直、惨事になっていたことだろう。

 ネコネに注いでもらい喜んでいるキウルがこちらに感謝している姿を見ながら、酒を喉に流し込む。

 

「っっかあ~……! うまい!」

 

 流石いい値段しただけある。

 そうしてネコネに入れてもらった酒に酔っていると、そろそろと、側に寄ってくるオシュトル。

 

「ハク、感謝する」

「何が?」

「平和ではない日々の中で、こうやって平和な時間があることは何物にも代えがたいのだ。ハクがいなければ、某にはこうした時間は作れなかった」

「……そうか?」

「そうだとも。たとえ某がウコンであったとしても……アンちゃんにしか、作れなかったものさ」

「……そうかい」

「それに……」

 

 と、オシュトルの目線が、皆にお酌を注ぎに行くネコネの姿を追う。

 

「ネコネが兄以外に信頼できるものを見つけていたこと、そしてそれをこの目で見ることができたことに、感謝している」

「ネコネが?」

「ああ。アンちゃんには全幅の信頼をおいているだろう」

「あん? ネコネが、自分に?」

 

 んなわけないだろう。

 気にいらないことがあれば脛を蹴ってくるし、今回の作戦だって納得してもらうまで大変だった。

 

「信じられねえか? まあ、そうだろうなぁ。俺も、この目で見るまでは信じなかったさ。ああ、兄離れっていうのは、こういうことなんだなぁ」

 

 しみじみと、ウコンの口調のまま涙ぐむ。

 

「ネコネは、俺には勿体無いくらい優秀な妹さ。だが、それがあいつの年相応さを奪っている……それこそ、キウルすら、ネコネに対して一定の理想を求めているだろう。最年少学士だって、周囲から求められる期待に応えようとしてのことだ。右近衛大将などなっちまったばかりに、ネコネには苦労をかけた。だが、アンちゃんは、ネコネをそのままの存在として見てくれている。価値を認めてくれている。だから、ネコネにとってアンちゃんの傍は居心地がいいんだろうなあ……」

「? よくわからんが、ネコネはネコネだろ?」

「くく……そうだな。だが、それを――まあ、いいさ。アンちゃんは、気難しいがとんでもなく可愛いうちの妹の理解者だってぇことだ。これからも、ネコネをよろしく頼むぜ」

 

 言っている意味がよくわからなかったが、オシュトルにとっては感動できることだったのだろう。

 オシュトルは、そこで話を変えるかのように、感慨深げに呟いた。

 

「ああ、しかし、こうしてまたアンちゃんと飲める日が来るとはなぁ」

「前は男の裸を見ながらだったなぁ」

 

 ボロギギリに船の上で追いまわされた後の月見酒のことや、自分を励ますため男連中が裸で盛り上がって酒盛りしていたことを思い出す。

 オシュトルは、ウコンの口調から、普段の口調へと戻り、盃を掲げた。それを真似て、こちらも盃を掲げた。

 

「今は情勢が読めぬ故、政務が忙しい。暫くは共に呑めぬが……時間ができれば、また飲みに誘ってもよいか?」

「勿論、良い酒を期待してるぜ」

「ああ、勿論だとも」

 

 そのままどんちゃん騒ぎになる広場の中で、二人酌を交わしたのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 その日の晩、夜遅く寝所に潜った時だった。

 いつものようにごそごそと隣に潜ってくる双子が、今日は二人して自分の顔を覗きこんだままだった。

 

「……? どうした?」

「主様」

「紅白試合の際の約束の件ですが……」

「う……覚えていたのか」

「もち」

「主様との約束、忘れるはずがありません」

 

 妖艶な微笑とともにそう告げる二人に、ある種の危機感を感じさせた。

 やっぱり、言うんじゃなかったか。

 正直勝てば官軍だったが、結局負けてしまったので、リスクだけが嵩んだ結果となった。

 

「ち、ちなみにいうことを聞くとは言ったが、何でもとは言ってないぞ」

 

 具体的には、エッチなものはダメだぞ。

 その言葉を聞き、殊更残念そうな表情になる二人。

 

「じゃあ添い寝」

「腕枕を所望します。具体的には、裸で――」

「裸じゃないならいいぞ」

 

 というか、いつも勝手に裸で潜り込んできているだろう。

 腕枕程度でよかった。

 

「無問題」

「少し残念ですが、腕枕さえしてもらえるなら……一歩前進できました」

 

 実に嬉しそうな二人。

 今までの添い寝と何が違うんだと、早速横になって腕を横に差しだす。

 

「では、好きにさせて頂きますね」

「至福」

 

 ごろんと、両脇に二人の頭がくる。

 そして二人は、頭に回った腕をそのままに、肘から先の腕を胸元に抱え込むような形にした。

 なんだ、これ。思ったより――密着度が尋常じゃないぞ。

 

 右を向く。

 

「ふふっ、主様。どうかなさいましたか?」

 

 左を向く。

 

「ムラムラする?」

 

 右を向く。

 

「主様、そんなに近くで見つめられると……」

 

 左を向く。

 

「ムラムラする」

 

 正面を向く。

 天井しか見えない。

 

 そうだ、天井見て寝よう。それがいい。

 しかし、今まで以上に、顔が近いんだな、腕枕って。殆ど唇が触れそうな距離だ。

 というか、正面は正面で二人の吐息が耳にかかって、ぞわぞわするぞ。

 

「最高……」

「幸せです……」

 

 これは、思った以上に、とんでもない約束をしてしまったかもしれない。

 しかも、二人は体に自分の体を押し付け、絡ませてきた。

 

「主様?」

「もう寝てしまいましたか?」

「……」

「狸寝入り」

「主様がその気なら、こちらにも考えがあります」

 

 ふーと息を吹きかけてきたり、何かを囁き始める二人。

 ぞくぞくとして躰が震えてしまい、たまらず声を出す。

 

「頼むから寝かせてくれ……」

「しかたない」

「主様がそういうのなら……」

 

 二人の体温を直に感じながらも、一生懸命目を瞑るが、その日はなかなか眠れなかった。

 裏切り作戦は、今度から使わないようにしようと誓ったのだった。

 

 




ウルゥルとサラァナの誘惑に負けないハクはすごい。
この二次創作では誘惑に負ける展開を書きたいけど、負けるとハクじゃない感じがする。
難しいですね。


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第六話 嘘をつくもの

エントゥアをどう活躍させるべきか……
ヤクトワルトへの刺客編まで、エントゥアは縁の下の力持ちになりそう。


 帝都に潜伏させていた草より知らせが届いたということで、皆の集まる朝議の席にて、オウギに事の顛末を喋らせた。

 

「報せには、帝都にて、アンジュを名乗る者が帝の名を継いだと」

「!?」

「内裏にて即位の儀が行われ、万民は言祝ぎをもって慶賀した――と記されています」

「……僭称したにしては早すぎる」

「知らせからすると、帝都の民にそのことが報されたのも、かなり急だったようで」

 

 行列行脚や直接民に言葉を賜るなどの祭典はなかったようだし、内々に最低限の儀式だけで即位を済ませ、本来あって然るべき帝都を挙げての行事は省かれた。そう見るべきか。アンジュは、得体の知れない相手に居場所を奪われたのが信じられないのか、茫然とした表情を浮かべている。

 

「クオンは間に合わなかったか……」

 

 敵が正式な段取りさえ踏んでいれば、クオンがトゥスクルより秘薬を持ち帰り、アンジュの喉を治して先に動くことができた可能性は高かった。

 しかし、真っ先に即位したということは、即ち自らが正統後継者アンジュであるとこちらより先に名乗りをあげたということ。こちらの皇女さんが後から本物だと言ったところで説得力にかける。

 

「情勢はこちらが不利。我らエンナカムイは姫殿下こそが真の後継者たると知ってはいるが、他国の間には動揺が広がるであろう」

 

 そうだ、せめて皇女さんの声が出れば、国内だけでもまとめることができる。

 しかし、皇女さんが力なく項垂れるのを見て、やはり今の皇女さんでは荷が重いと感じたのだろう。オシュトルは、こちらに問い掛けるような目を向け、実際に口に出した。

 

「ハク、何か今後の展開を考えてはいるか」

「自分か?」

 

 急に話を振られても、自分としては皇女さんに早く元気になってもらうことしか思い浮かばない。それか……。

 

「そうだな、クオンの帰りがやけに遅いのも気になるし、クオンと連絡をとる必要があると考えている」

 

 こんなことなら、クオンについていけばよかった。

 

 いや――オシュトルがいつ目覚めるともわからない状況で、大将不在は回避しなければならなかった。クオン一人に任せたことは仕方がなかった状況か。

 あの時クオンはそんなに時間はかからないと言っていた筈が、もはや一月以上。何かあったと見るのがいいだろう。

 

「トゥスクルを往復するだけなら、そんなに時間はかからない筈だが、少し遅いのが気にかかる。調査隊か何かを派遣するのがいいかもしれない。クオンが秘薬を持って帰ってきさえすれば、皇女さんの喉を治すこともできる。そうすれば、いくら偽だなんだと言われようが、本物はこちらにいるのだから、やりようはなんとでもなるはずだ」

「例えば?」

「まあ、周辺国に協力を打診するとかな。本物の皇女さんを見分けられる者を、片っ端からこちらに引き込んでしまえばいい。それか……」

「それか……なんだ」

「う~ん、あんまりやりたくはないが、今いる仲間の親縁に頼ることかな」

「なるほど、ルルティエ殿の親である八柱将オーゼン殿、アトゥイ殿の親である八柱将ソヤンケクル殿などを味方につけるか」

「勿論、そうした場合、この戦乱がエンナカムイのみならずルルティエ達の故郷まで広がることは確実だ。こうして帝を立てられちまった以上、なおさらな。だから、あんまりやりたくはない」

「しかし、そうも言っていられないのが現状か……」

 

 オシュトルの頭の中には、元々あったんだろう。

 だが、口に出せなかった。そりゃそうだ。善意でついてきてくれているであろう二人の親に頼るなど、オシュトルの口から出るわけがない。いや、出せない。

 なら、ここで貧乏くじというか、穢れ役を買って出るのは、自分の役目みたいなものだ。

 ネコネも、自分が言っていることが中々に酷いことなのを理解しているのか、その視線が厳しいものへと変わる。しかし、誰も否定しない、いやできない。

 なぜなら当の本人達が否定しないからだ。

 

 しかし、この提案にはもう一つ、自分にも言えない疑惑がある。果たして、オーゼンとソヤンケクルはライコウ側か否かという点だ。偽姫殿下の擁立は、八柱将ならば見抜けて当然のもの。しかし、それに従っている、もしくは見てみぬふりをしているならば、のこのこと敵に説得へ向かうことになる。

 もしオシュトルがこの提案を受け入れ、アトゥイとルルティエの二人に問い掛け、承諾してしまった場合、自分はまた一つ嫌われ者の発言をしなければならない。そう思うと、やはり、あまり提案すべきでなかったかもしれない。

 

 オシュトルが痺れを切らしたのか、二人に問い掛けようとしたその瞬間だった。

 

「兄上、このような話の途中に申し訳ないのですが、目通りを求めている者が」

「何者か」

「クオンさん」

「なに?」

「……からの紹介状を持っている行商人です」

 

 クオン本人ではなく、行商人か。

 しかし、先ほどまでクオンの帰還を考えていた自分達としては、その名前が出ることで少し色めきたつ。

 

「偽皇女についての協議は、午後改めて参集し行うものとする」

 

 考える時間も必要だしな。

 列席していたものの中で、やはりルルティエとアトゥイは明らかにほっとした様子を見せた。

 

「キウル、その行商人を謁見の間へ」

「承知しました」

「ハク、其方も某と共に来るのだ」

「わかった」

 

 ルルティエにアンジュを休ませるよう伝え、自分達はその行商人と顔を合わせた。

 その行商人は、自らのことをチキナロと称し、胡散臭い見た目と相まって、信用のできなさを醸し出していた。

 

「クオン殿の紹介とのことだが」

「ハイ、クオン様にはいつも御贔屓にしていただいておりますです。そのクオン様から皆さまがご所望の品を伺いまして、ハイ」

 

 チキナロは、懐から何やらよくわからない薬を出した。

 チキナロによると、どんな薬物に焼かれた喉でも、これを呑んでいればあら不思議、瞬く間に元通りになるものらしい。

 それが本当ならば、ぜひとも欲しい。本当ならば、だが。

 

「幾らになる」

「正直に申しますと、些か値が張りますです、ハイ」

「……払えぬな」

 

 横から男の算盤を眺めていたが、確かにそれは払える額ではなかった。暴利にもほどがある。戦支度すら可能な額を見て、オシュトルが諦めたのか、自分に視線を移した。そういえば、こういったハッタリ上等の値引き交渉は苦手だったな。値切りは任せろと言わんばかりに、算盤に手を伸ばし、珠を幾つか下げる。

 この国の経済事情はよくわかっているつもりだ。

 チキナロは横から突然出てきた自分に対して動揺もせずに、あっさりと珠を戻す。

 もう一度、今度は妥協のつもりで、先程より控えめに珠を下げてみるが、男はまたもや元に戻した。

 オシュトルはその光景を面白そうに眺めるばかりで、何も言わない。

 

「率直に申しまして、他ならぬクオン様のたってのお話だからこそお持ちした品。二度と手に入らぬとっておきの品なのです、ハイ」

 

 なるほど、そこまで言われてしまってはこちらも強くは出られない。

 とはいえ、これは必ず手に入れなければならない品だ。

 

「判った、そこまで言うならこの値で買うが……後払いだ」

「ふむ、融通することやぶさかではありませんが……して、担保は何を?」

「我が国の秘密だ」

 

 自分の答えを聞き、座にいる者たちが「はあ?」という顔をする。一体何の秘密なのか。チキナロも怪訝な表情かと思えば、面白そうな表情でこちらを見る。

 

「秘密、とは?」

「某の正体について」

「さて……その情報にいかほどの価値を?」

「商人なら目利きも確かな筈、値は其方がつけるのだな。だが、気を付けよ。他国の其方が、オシュトルという男の特徴をどの程度知っているのかを。返答次第では、其方とこれからの付き合いはあり得ぬ。戦支度は、別の商人を頼るとしよう」

 

 声色と口調をオシュトルに真似てそう告げる。

 

「……参りましたな」

 

 そうチキナロは呟き、オシュトルとこちらを相互に見やる。

 今、チキナロの頭の中で、今自分がオシュトルの影武者であるのか、それともオシュトルそのものなのか迷っている。

 エンナカムイにオシュトルの影武者あり。その秘密は、帝都には高く売れる情報になる。しかし、それが偽りの情報である可能性も否めない。つまり、迂闊に売れぬ情報。しかし、本当ならば、いち早くエンナカムイの命運を握る存在となれる。

 チキナロはトゥスクル出身でクオンと懇意の商人であると仮定すれば、立て札などでオシュトルの顔は知っていても、仮面の下の素顔までは知らないだろう。

 出てきた自分がただの無関係の人間であると断定してこの提案を受け入れなかった場合、見る目無しとして、これから戦支度等で莫大な稼ぎとなるであろう顧客を逃すことになる。

 しかし、チキナロは暫く苦悶の表情を浮かべていたが、何かに思い至ったのか、薄く笑う。

 

「払えぬ時というのは、既に国が崩壊している時ではありませんか? その情報がいかほどの価値となるか……」

「情報だけが不満ならば、某の首を持って行くがよい」

 

 簡単にやる気はないがな。

 しかし、その言葉に、座が騒然となり、オシュトルも、その表情を曇らせた。その顔を見て、チキナロは何かを悟ったようだった。

 

「……ふふふ、なるほど。随分と面白い方だと伺ってはおりましたが……あなたがハク様ですね?」

「……」

 

 一瞬どきりとする。

 なぜその名をと聞いては、こちらの負けを認めることとなる。

 暫く睨み合いのような沈黙が続いた後、チキナロは観念したかのように笑った。

 

「……いやはや、私の負けです。この品はお渡しします」

 

 オシュトルが、チキナロに真意を聞く。

 すると、チキナロの話では、実はクオンより賜った品であること。そして、オシュトルに、真っ先に渡すよう言われていたそうだ。

 

「これから末永くお付き合いするかもしれないので、どのような方々か知りたかっただけと言いますか、どうかご勘弁を、ハイ」

 

 抜け目のない奴だ。

 オシュトルが、薬を手にし、立ちあがる。

 

「まずは薬を試したい。しばし、そこで待たれよ」

「ハイです」

「ハク、チキナロ殿の相手をしていてくれ。エントゥア殿、姫殿下の元へ一緒に来てくれるか」

「はい、ただちに参ります」

 

 そうして二人が出て言った後、チキナロはこっそりと手紙を渡してきた。

 

「クオン様から、ハク様へ、と承っております、ハイ」

「クオンから? そういえば、なぜクオンは帰ってこないんだ?」

「それは私の口からはとてもとても……」

 

 手紙の中を見ろということか。

 チキナロはもう用はないとばかりに、持ってきた他の商品を、女性陣に売りつけ始めていた。

 そんな光景を横目に、手紙の内容を読む。

 

 そこには、クオンが諸事情によりこちらに帰れなくなったこと。無事ではあり心配しないでほしいこと。もう少しで抜け出せるから、待っていてほしいだのなんだのということが書いてあった。ちゃんと働いているかどうかなど聞いてくる文面は敢えて見ないでおいた。

 字の形も見覚えのある字でクオン本人だということはわかる。それに文頭の文字だけを読ませて暗号で助けを求めているわけでもない。諸事情が何かはわからないが、それをチキナロに聞いたところで応えてはくれないだろう。

 

 そうして暫く考えをまとめていると、オシュトルが帰ってきた。

 チキナロはそれに気づくと、声をかける。

 

「これはオシュトル様、姫殿下の御加減はいかかでしょう?」

「まだわからぬ。しばらくは様子を看ることになるだろう」

「左様ですか。では私めはこれにて一旦おいとまさせていただきます。クオン様には、確かに薬をお譲りした旨、お知らせしておきますです、ハイ」

 

 そこで、これだけは聞いておきたかったことを聞く。

 

「すまない、あんたとクオンはどういう関係なんだ? 書状には信頼できるものとだけ書かれていた」

「あー、その申し訳ございませんです、ハイ」

 

 どうやら、クオンから余計なことは喋るなと、きつく言われているようだった。

 心配ではあるが、男があまりに気の毒な表情を浮かべるのを見るに、クオンが危険な目に遭っているわけではないようだ。

 

「もうよいか? ハク」

「あ、ああ、すまん、オシュトル」

 

 オシュトルの手には、いつの間にか手に巻物を持っており、それをチキナロに手渡す。

 

「これは?」

「お前に用立ててほしいものをまとめさせたものだ」

「これはこれは……早速のご利用ありがとうございます!」

 

 そう言い、チキナロが退出する。

 その後ろ姿を見て、オシュトルが呟いた。

 

「どうも好きになれぬ。某の最も苦手な相手だ。ハクには、今後奴との交渉事についておいてもらいたい程に、な」

「ただ、商才が確かなのは事実です。利用する分には良いのではないかと」

「でも、男のヒトとはいえ、今の情勢の中をたった一人で行商するなんて、無謀なのです。多少の裏はあると見て当然かと。姉様の紹介状が偽装された可能性だってあるです。まあ、ハクさんの名前を知っているところから見て、その可能性は低いですが」

 

 一同が疑心暗鬼になっているところで、双子が捕えようかなどと物騒なことを言うので押しとどめた。

 何もなければ取り返しがつかないからな。

 

 しかし、クオン。お前が戻ってきてくれないと、やっぱり調子が出ないな。

 怠け者から働き者になるつもりだったが、ケツを蹴ってくれるのは今んとこネコネだけだしな。まあ、ケツというより、脛だが。

 

 

 ○  ○  ○  ○  ○

 

 

 この前のネコネとの神代文字授業にて、随分とネコネを怒らせてしまった。

 そのネコネの機嫌を治すためにつけた条件、それは大量の菓子と、オシュトルの誤解を解くこと、そしてこれからも神代文字を教えることだった。

 

「この前のようなことをしたら、わかってるです?」

「わかってるって、反省しているからそんな睨むな」

 

 ネコネの部屋で、う~と唸り声を上げるネコネの警戒を解くように、問題を書く。

 

「さ、どうだ?」

「き、きょ、う、は、あ、ふ、ろ、に、は、い、る……のです?」

「アフロに入るってなんだよ。お風呂だ、お風呂」

「う、うなあ~っ! 発音は全然違うのに、なんでこんなに似てるですか! 作った人は何を考えているですか! め、と、ぬ、ももっと形が違っていてもいいはずなのです! というか、ハクさんの字が汚すぎるのが悪いのです!」

 

 そんなこと言われてもな。確かこのひらがな自体が元々あった字を崩したもんだっけ。

 漢字ばかりの時代に女性が生み出したとか、そんな断片的なことしか思い出せない。漢字から教えなくちゃいけなくなるし、教えるって中々難しいな。

 

 そんな形で、日を跨ぎながら、何度か繰り返し、カタカナや簡単な表語文字を教えるまでに至ることができた。その御返しとして、ネコネからは用兵術と文字などを習っている。そういうことをしていると、自然二人が一緒の時間は多いわけで。

 オシュトルが自分たちが一緒にいるところを見て、やはり仲が良いではないか、と言うので、ネコネが怒ってしょうがない。

 誤解されたくないなら一緒にいるのをやめればいいのに、それでも自分との時間を必ず作って神代文字を習おうとする当たり、ネコネの知識欲はすごいのだろう。自分も好きなことに関してはとことん調べたし、そういうところは似ているかもな。

 

「解いたのです。呆けてないではやく採点するです」

「……もうか? やっぱり頭いいんだなあお前」

「ふふん、当然なのです」

 

 ハクさんとは違うのですよ、ハクさんとは。という呟きさえなければ素直に尊敬していたが、だが、やはり最年少学士なだけはある。まあ、文字列を書いた板は渡してあるし、話によるといつも持ち歩いて暇ができれば覚えているそうだから、覚えられるのは当然かもしれないが、その真剣さが好ましい。

 

「ま、自分の教え方が上手いのもあるけどな」

「ハクさんはただ文字を書いているだけではないのです?」

「……」

 

 痛いところをつかれた。

 

「これなら、ハクさんよりも神代文字に詳しくなれるのは時間の問題なのです」

 

 と胸を張る様子を見て、まあいいかと思い直す。

 

「お? 言っとくが、こんなもん6歳の時に覚えるようなもんばかりだぞ」

「え? なぜハクさんにそんなことがわかるのです?」

「……」

 

 またもや痛いところをつかれた。

 自分が大いなる父、オンヴィタイカヤンであることは、クオン以外には預かり知らぬところだからな。

 

「神代文字でそう書いてあったんだよ。一番優しい文字だってな」

「つまり、まだまだ難しい文字とかがあるのですか?」

「おう、あるぞ。まあ、字自体はすぐ覚えられても、単語や文法とかのほうが難しいかもな」

「任せてくださいなのです。私ならすぐに覚えられるのです」

「そうかい。なら、この程度の問題は解いてもらわないとな。ほら、一問間違い」

 

 そう言って、先ほどのネコネの解答を返す。

 

「な……どこが間違いなのですか?」

「カタカナとひらがなの混合が苦手みたいだな。ほら、ここだ」

「……意地悪な問題が悪いのです。学士試験にもこんなに性格の悪い問題は出ないのです」

「自分の性格が悪いみたいに言うな。どんな意地悪な問題だろうが、間違うってことは完璧に覚えてないってことだ」

 

 一理あると思ったのだろう。文句は鳴りを潜め、かわりに悔し気なうめき声が聞こえてきた。

 

「次の問題は満点を取るのです」

「はいはい」

 

 ネコネはそこでパッと表情を変えると、ひらがなとカタカナの書いた板をしまい、代わりに軍学書を取りだした。

 

「さて、次は私がハクさんの先生になるのです。用兵術の抜き打ち試験をするのです。前回完璧に覚えたと言ったハクさんのことなのです。たとえ抜き打ちでも間違うなんてことあるわけないです?」

「ま……まあな」

 

 くそ、仕返しのつもりか。

 

 しかし抜き打ち試験は満点を取り、ネコネの理不尽な蹴りが脛を襲ったのだった。

 




ネコネはハクトル相手だと、色々やっぱり無理してるんだよなあ。その分ハクへの恋心に気付くことにもなりましたが。
偽りの仮面時のハクやクオンとの関係が、一番年相応に気を許してたんだと思うと切ないですよね。


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第七話 覚悟を決めるもの

ハクは頼まれると断れない。
オンヴィタイカヤンだから、じゃなくて、人間性にも魅力があるんだよなあ。


 オシュトルより、エンナカムイの防衛策について話があるとネコネから言伝があり、ネコネとともに、オシュトルの執務室へと向かっていた。

 道すがら、ネコネに今回呼ばれた訳を説明される。

 

「エンナカムイは正面の城門こそ厚く高いですが、他は国を囲む山に頼った防備になっているのです」

「それは知っている。だから、その穴を埋めるための人員と物資を手に入れるという方向になってなかったか?」

「それが……エンナカムイの懐事情に問題が出てきたのです。それで、どこかに援助を求めることを提案する、と」

「……なるほど、その援助をどこに求めるか、ってことで相談か」

 

 執務室に到着し、横戸を開けると、オシュトルは相変わらず忙しなく手を動かしていた。

 

「来たか、ハク。大体のことはネコネから聞き及んでいると思う」

「ああ」

「あの商人に戦支度を頼んだ際に予想よりも少々足が出た。周囲の山に砦を作るどころか、崖に返しを設置することも難しい」

「んで、どこに支援を……か」

「そうだ」

 

 んー、と考えを巡らせている時だった。

 

「い、いけません、まだお休みになられていないと」

「もう大事ないのじゃ! いつまでも病人扱いするではない!」

 

 足音に続いて、賑やかなやりとりが聞こえてくる。

 すぐさま、外れんばかりに勢いよく横戸が開け放たれた。

 

「ハクはどこじゃ!!」

 

 エントゥアに、ノスリとルルティエを後ろに控え、ズカズカと部屋に入ってくる。

 そして、目ざとく逃げようとしていた自分と視線が合う。するとパッと顔を輝かせ、掴みかからんばかりの勢いで接近してきた。

 

「おお、ここにおったかハク! よくもこの前は余の夕餉を勝手に平らげよったな! お主に仕返しせんと気が納まらぬ! まずは菓子じゃ! 余の快気祝いの菓子を山ほど支度するのじゃ!」

「皇女さん、皇女さん」

「なんじゃハク! 余から逃げようとしても許さぬぞ!」

「あっちあっち」

 

 部屋の奥で、興味深そうにこちらを眺めるオシュトルを指さす。

 

「オ、オオオオオ、オシュト……っ!?」

 

 まあ、憧れの人の前でこんな姿を見せればな。

 我に返ったのか、顔を真っ赤にして、こちらをにらむ。自分のせいじゃないだろ。

 

「い、いるならいると、早くいうのじゃ!」

「申し上げる前に部屋に入られました故」

「う、ううぅぅ……そ、それもこれもハク、お主のせいじゃ!」

「えぇ……?」

 

 再び矛先がこちらに向かいそうなのを察してくれたのか、オシュトルは素早く話題を代える。

 

「姫殿下、元気になられたのは喜ばしいことでございます。しかし、病み上がりの身、快気祝いでしたら、ご所望の通りハクに作らせます故、どうかご自愛ください」

「そうか! 流石オシュトル、話がわかっておるの!」

 

 クオンの薬のおかげもあり、アンジュの容体は驚くほど早く快方に向かった。

 しかし――

 

「治るのが早すぎというか、前にも増して元気すぎるというか……」

「なんじゃ、ハク。お主は元気な余の方が好きだと申していたではないか。だからこうして元気な姿を見せに来たと言うのに」

 

 ちょっと、そんなこと言ったっけ。

 あ、なんかネコネが冷たい目をしているんだけども。私も性的対象なのですかと言わんばかりに警戒するのはやめてくれ。

 ルルティエ、そんな小さな子が好きなんですかという疑問の表情を浮かべないでくれ。

 オシュトルは面白そうな表情を崩さないし。

 

「私はわかるぞ、ハク!」

 

 うんうん、と同意しているノスリだけが救いだった。

 

「わ、わかった、皇女さんが元気なのは十分わかった。だが、折角帝都から助け出して、薬も効いたっていうのに、無理してまた体壊されてもかなわんだろ? それに、今オシュトルと大事な話をしているんだから……」

「大事な話……?」

 

 一瞬皇女さんは怪訝な表情になるが、何か垂涎の光景を思い浮かべたのか、だらしない表情で、うんうんと頷き始めた。

 

「そ、そういえばそっちも好きものであったな。でゅふふ、うむうむ、余はよく理解しているぞ。そ、それでは邪魔したのじゃ」

「ちょっと待て、何を誤解しているか知らんが、大事な話というのは軍拡の話だぞ」

「軍拡……そうじゃ、布告じゃ、布告をせねば! 余が、帝の真の後継者がここにおるという布告じゃ!」

 

 オシュトルと自分は視線を交差させ思案する。

 果たして、これをそのまま認めてよいものか、と。

 発言したのは、オシュトルが先だった。

 

「……では、姫殿下の御所望のとおりに致しまする」

「待ってくれ、オシュトル」

 

 オシュトルとして、皇女さんにいう訳にはいかないもんな。

 邪道を任された身としては、こういった役回りはお手の物だ。こういう不敬行為は自分によく似あう。

 

「皇女さん、既に皇女さんの偽物が帝として名乗りを上げている。これがどういうことかわかるか?」

「? しかし、そやつは偽物であろう?」

 

 やはり、わかってなかったか。

 

「ああ。だが、それで都の秩序が保たれているのもまた事実なんだ。兵力差を考えれば、今名乗りを上げたところで笑われるのがオチだ」

「な、なんじゃと……余が笑い者になるというのか!? そうなのか、オシュトル!!」

「……」

「そうだろ? オシュトル」

「……この一件の黒幕は姫殿下の偽物まで仕立てるような者。某を打ち取り、偽の姫殿下を擁立した逆賊を喧伝することなど造作もないことでしょう」

「……なぜ黙っていたのじゃ、オシュトル」

「姫殿下の願いを叶えることこそ、某の役目。たとえそれがどれほど困難で血に塗れた道だとしても、それを黙って被るのは某が役目なのです」

「オシュトル……」

 

 その言葉に何か感じ入るものがあったのか。

 アンジュは少し俯くが、反発するように詰め寄ってきた。

 

「しかし……ならどうすればいいというのじゃ、ハク! 余にずっとここにおれとでも言うのか!?」

「それでもいいんじゃないか」

 

 そうだ。皇女さんが安らかに生きていてくれているだけで、兄貴の想いとしては十分なはずだ。

 勿論、皇女さんがトップに立ってほしいという想いも聞いてはいるが、それで皇女さんが死んじまったら元も子もない。

 その言葉が意外だったのだろう。真意を量るようにアンジュが問い返す。

 

「名乗りを上げず、亡くなったようにでも見せかけりゃ、命を狙われることはない。勿論、身分を捨てる道を選ぶとしても、自分たちはついていくさ。いや、それどころか、自分としてはのんべんだらりの旅に出れるし、そっちの方がいいくらいさ」

「……」

「だが……あくまで真の皇女さんとして名乗りを上げるなら、オシュトルの言う通り、血に塗れた道になる。相手は帝位簒奪を狙う連中だ。道を譲ることなんてあるはずがない。ということは、容赦なしに叩き潰すしかない」

 

 現状の兵力を記した書簡を引っ張り出しながら、説明を続ける。

 

「それどころか、そん中には八柱将もいるだろうし、兵力は圧倒的。こっちにはオシュトルの近衛衆の生き残りに、初陣経験のない兵。まともな戦いにすらならん」

「そっ、それを何とかするのがハク、其方の役目ではないのか!」

「そんなに期待されても困るんだが……まあ、その努力はするが、今聞いているのは、皇女さんの覚悟の話だ。今帝都は平穏、つまり民だって進んで戦を望みはしないってことだ。最悪、民すら敵に回すことだってある」

 

 そこで、その場にいる全員の顔を見まわして、最後の問いを放つ。

 

「自分達に、戦って死ねと言えるか? それだけじゃない、敵兵だってヤマトの兵だ。皇女さんの選択によって沢山の命が失われる。その覚悟があるか、と聞いているんだ」

 

 誰も彼もが押し黙る。

 オシュトルは堅く目を閉じ、聖上の言葉を待つ。

 そう、決断ができるのは、運命を決められるのはアンジュただ一人だ。

 

「余は……」

 

 言いかけて、大きく首を振る。

 

「そ、そんなことを言われても、わからんのじゃ! 帝という地位そのものなど、どうでもよい……じゃが……余にはもう……何も残されておらぬ。今やこの身だけが、御父上の残してくれたものなのじゃ……それすら奪われるというのか。それだけはイヤじゃ……」

 

 震えるように言うアンジュの瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「御父上の、残してくれたものを取り戻したい……それは我儘なのか……?」

「ならば御命令を。某は姫殿下の御決断に従うまで。姫殿下の意思に、このオシュトルの身命をかけましょうぞ」

 

 オシュトルが、その場に跪き、恭しく頭を垂れる。

 

「オシュトル……」

「我が忠義、アンジュ様に捧げましょう」

「どこまでもアンジュ様と共に」

「ホノカ様に拾って頂いた命です。アンジュ様のために使うは当然のこと」

「……」

 

 ノスリ、ネコネ、ルルティエ、エントゥアもそれに続く。

 

「其方達……良いのか、本当に良いのか?」

 

 だが自分は、未だ立ったままだった。

 

「は、ハク……? 其方は……共に来てはくれぬのか?」

 

 不安そうな瞳でこちらを見るアンジュ。

 チイちゃんそっくりの顔、姿、チイちゃんの無邪気で元気な姿が、自分は好きだった。

 おじちゃんおじちゃんと、元気にまとわりついてくる、あの姿を――。

 

「……皇女さん、確かに自分は皇女さんが悲しんでいる姿より元気な方が好きだ。だが、血で血を洗う闘争の中で、本当に笑っていられるのか? 後悔はしないのか?」

「わからぬ……だが、余が笑顔を見せぬ時は……後悔する時は、其方らが死ぬときだけじゃ。戦って死ねなど、余は言わぬ。戦って生きよ、生きて生き抜き、余の傍に居続けよ! ハク!」

「……涙でぐしゃぐしゃのままじゃ恰好つかないぞ」

 

 袖で皇女さんの顔を拭う。

 目を瞑りわぷわぷ言いながらその行為を享受するアンジュ。

 自分は跪かずに、しかし兄貴と約束したことを思い出す。

 それは、タタリ(元オンヴィタイカヤン)を救うという旧人類の行く末と、アンジュという新人類の行く末だ。

 

「今は言えないが、皇女さんのことについて、ある約束をした人がいるんでね」

「約束……?」

「そうだ。皇女さんが帝になったら、ヤマトを今まで以上に良い国にする覚悟と自信はあるか?」

「……それは、わからんのじゃ。しかし……努力するのじゃ! 決して後ろは向かぬ!」

「そうかい……相応の覚悟があるってんなら、せいぜい、皇女さんの願いを叶えられるよう頑張らせてもらうよ」

「……良いのか、ハク? 本当に……?」

「ああ、だが、諦めるならさっさと諦めてくれよ。旅行先は早いうちに決めておくに限る」

「ふ、ふん! ヤマトを取り戻した後、余と一緒に各国を行脚するまで、ハクには旅などさせんのじゃ。つまり、旅がしたければ、余がヤマトに辿り着くまで、余の傍で支え続けるしかないのぉ!」

「はいはい」

 

 嬉しそうに、心底嬉しそうに頷く表情には、既に涙の後はなかった。

 

「オシュトル! 余は既に覚悟を示した! 余こそが帝が一子、そして後継者たる天子アンジュである! そう世の隅々にまで喧伝せよ! これは勅命じゃ!!」

「聖上の、御心のままに。ヤマトを取り戻すその日まで、何処までもお供致しましょうぞ」

 

 オシュトルは深く頭を下げる。

 ネコネが、ルルティエが、ノスリが、エントゥアが、そして自分が、アンジュへ頭を垂れた。

 この時、誰もが、状況はよくなるだろうと思っていた。

 

 しかし――アンジュ皇女、エンナカムイにありという布告をもってしても、偽皇女の疑いは晴れるどころか、わざわざこちらに偽物がいるという喧伝にしかならなかった。

 帝都では、偽皇女が剣を取り、疑うものは自らを斬れと大立ち回りしたそうだ。それにより、帝都内で偽皇女に歯向かうものはおらず、それどころか、忠誠を誓う者ばかりであるとのことだった。

 

 翌々日の秘密裏に行われた会議の中で、その報告を聞いたアンジュは、愕然としていた。

 

「なん……じゃ……それは……」

 

 予想していたこととは言え、アンジュの驚きは大きいものだったのだろう。思わず、アンジュの手の中にあった湯呑が砕け散る。

 丁度自分がアンジュの隣にいて、わざわざ自分の膝の上にアンジュは湯呑と手を乗せていたためか、熱湯が膝から太腿にかけて広がる。

 

「熱っ!? ちょ、な、何するんだ皇女さん!」

「お? おお、すまぬなハク。思わず握りつぶしてしもうた。仕方がないのぉ、余が直々に……」

「拭く」

「主様の濡れたところ、しっかりねっとりお拭きいたしますね」

 

 手拭を手に取ろうとしたアンジュを遮り、双子が嬉々として膝から太腿にかけてまさぐってくる。

 

「……不潔なのです」

 

 その光景をネコネが相変わらず冷たい瞳で見ていた。

 話が進まないと見たのか、オシュトルが冷静な口調で非難の視線を送ってくる。

 

「聖上」

「じゃ、じゃがハクが……」

「ハク、あまり話を遮るのは関心せぬな」

「す、すまん。悪かった、こっちは大丈夫だから続けてくれ」

 

 こちらを心配そうに見てきたが、ルルティエはアンジュの手の裏表を確認するが、傷も火傷もないようだった。こっちは大火傷だがな。

 というか湯呑を簡単に握りつぶすなんて何事だよ。

 

「は~、もう一人のお姫様け」

「やれやれ、偽物はウチの姫さまより威厳に満ち溢れてるじゃない」

 

 ヤクトワルトの言葉に反応しそうになるアンジュだったが、先ほどまでの醜態を思い出し口をつぐんだ。

 

「自分を斬れ……ですか。効果的だと思うのです。躊躇えば叛意ありとみなされるですし、そう言われて動ける者はいないですよ」

「……」

「聖上におかれましては、くれぐれも、そのような挑発に乗られぬよう」

「わかっておる。余も……余が天子アンジュなのじゃ。そのような挑発には……」

 

 しかし、そこでキウルが疑問に思ったのか、声を挙げた。

 

「ですが、そのように発したのにも関わらず、動きがないような……」

「当然だ、義は我らにあるのだからな。所詮はニセモノ、すぐに襤褸が出ると言うことだ」

「……案外そうやもしれぬ。ハクはどう考える」

「こちらの出方を待っているんじゃないか? 向こうの有利は動かないんだ。下手に動いて馬脚を現すのを避けているか、または敢えて動かず帝として威風堂々とした姿を、様子見決め込んでいる諸侯へ見せつけているんじゃないか?」

「ふふん、私の予想は当たっていたか。流石は私だ」

 

 むん、とノスリが胸をはって鼻を高くする。

 ヤクトワルトがそんなノスリを横目にオシュトルに問うた。

 

「それでどうする、オシュトルの旦那。一泡吹かせて見るのかい?」

「うむ……ハクを使う時が来たかもしれぬ」

 

 おいおい、何を言いだすんだ。

 

「今は力を蓄える時。それは間違いない。少しでも体勢を整えねば、いずれ来るであろう帝都からの討伐隊の相手ができぬ。しかし、打って出る程の兵力もない」

 

 前よりもマシとはいえ、倉はスカスカ、兵の練度はまだまだ、だもんな。

 

「故に、更なる勢力の拡大を謀るため、未だ沈黙の立場を取る国や豪族達を味方につける必要がある……ネコネ」

「ハイです。中でも一大勢力であるルルティエ様やアトゥイさんの祖国である、クジュウリとシャッホロなのですが――」

 

 ネコネの話によると、アトゥイの祖国、シャッホロは中立を宣言。ルルティエの祖国、クジュウリは立場を明言していないとはいえ、偽皇女に忠誠を誓う動きは見せなかったそうだ。そのため、どちらもこちら側についてくれる可能性は、十分に高い。

 祖国を敵に回す可能性がなくなったと、アトゥイとルルティエは安堵の溜息をもらす。

 

「それと、遠いため連携は取れないですが、ナコクはエンナカムイ支持を掲げているみたいなのです」

「気になるのはイズルハだが、ここはノスリ殿の故郷であったな」

「気になるとは、どういうことだ?」

「イズルハの氏族長である八柱将トキフサ様が、帝に歯向かうことは出来ないと声明を出したです」

 

 どちらにつくかは明言してないわけで、つまりは事実上の中立宣言。

 

 だが、偽皇女に疑いを持つ者、どちらにつくか思案している者が少なからずいるということでもある。

 皇女さんは、さっき人に熱湯ぶっかけたことも忘れ、不安なのか沈黙している。心配するなというように、頭を撫でた。

 

「大丈夫だ。自分は頼りないかもしれんが、こっちには天下のオシュトル様がついてる」

「そうです、私では頼りないかもしれませんが、兄上や皆さんがついております」

「そんなことないぞキウル、キウルといっしょにいるとあんしんできるからな、もっとじしんもて」

「えっ? う、うん、ありがとうシノノンちゃん」

「シノノン、自分には言ってくれないのか?」

「ふっ……ククク……旦那、すまねえ、シノノンはキウルにお熱なんじゃない」

「私はハクさんに期待していますよ。主に面白方面で」

 

 なんだその面白方面って。オウギのために面白いことなんてした覚えはないんだが。

 

「……うむ、そうであったな」

 

 一連のやり取りを見て自信を取り戻したのか、頭を撫でていた手をぺしりとはたかれる。

 馬鹿力だから凄い痛い。

 

「ハク、余を子ども扱いするでない! 余は心配などしておらぬ! ちょっと……そう、オヤツが何か気になっただけなのじゃ」

 

 おやつを気にしている方がよっぽど子どもっぽいんだが。

 

「……でしたら、少し早いですけど、オヤツの時間にしますね」

「ルルティエ、余も手伝うぞ! そうじゃ、ハク、其方も手伝うのじゃ、其方は菓子作りだけは天下一じゃからな!」

「だけ、は余計だ」

「……お菓子ですか」

「……」

「なぜこっちを見るです」

「いや、別に」

 

 オヤツと聞いて反応したネコネも子どもっぽいとか考えてませんよ。

 アンジュに連れていかれそうになる自分を見て、オシュトルが声を挙げた。

 

「聖上。申し訳ありませぬが、ハクには別件で頼みたいことがございます。少々お時間をいただきたく……」

「そうか……なら、ルルティエと二人で作るのじゃ。ハク、今度は一緒に作るのじゃぞ、約束じゃぞ!」

「ああ、はいはい」

「帝に対してなんじゃその態度は!」

 

 ぷりぷりと怒りながら出ていくアンジュを尻目に、オシュトルの前へと座る。

 

「で、聞いてもいいのか、自分を使うっていうのはどういうことか」

「うむ……ハクには、このエンナカムイより動けぬ某に代わり、某の影武者として諸侯を回ってもらいたい」

 

 その言葉は、執務室に残った面々を驚かせるには十分のものだった。

 

「度重なる交渉事を其方に任せてきたが、諸国を引きこめるか否かは、其方に分があると見ている」

「……そうか?」

「ルルティエ殿、アトゥイ殿、そしてノスリ殿……クジュウリ、シャッホロ、イズルハとの交渉事においては、核となるであろう方々だ。その際、彼女たちをいかに深く知っているかが肝となる。某は、未だ浅い付き合いの身、某よりも其方の方に分がある」

「別におにーさんとめちゃんこ仲いいってわけじゃないぇ?」

「そうだぞ、オシュトル。恋仲でもなし、何を言っているのだ」

 

 この場にルルティエがいなくて良かった。

 ルルティエからもこんな心無い台詞が出ていたらこの場で自害しているところだ。

 

「いや、深い仲である必要はない。どれだけ知っているかが肝なのだ」

「しかし、現八柱将とは、オシュトルの方が付き合いは深いんじゃないのか?」

「確かにそうであるが、右近衛大将としての付き合いしか持ち合わせておらぬ。顔を合わせるのは式典のみ。其方と関係性の深さではそう変わらぬ」

 

 いや自分なんか兄貴――帝に双子を賜った時に見たくらいで全く関係性がないんだが。

 一応シャッホロとはトゥスクル遠征の際世話になっているので関係はあるが、あくまでハクとしてだ。

 

「いや、ルルティエの件に関しては、クジュウリの皇オーゼンに頼まれたって言ってなかったけ?」

「あれは某の評判を聞いたオーゼン殿からルルティエ殿を預かってはくれぬかと申し込まれたもの。直接お会いしてのものではない」

 

 だからルルティエははじめ会った時、会う人全員にびくびくしてたのか。

 

「……影武者がばれる可能性は?」

「その点については心配ない。ネコネに其方を任せるつもりでいるからな」

「兄さま!?」

 

 自分はオシュトルの傍にいるのだと思っていたネコネから抗議の声があがる。

 しかし、オシュトルはネコネを抑えると、話を続けた。

 

「某の故郷であるこのエンナカムイで、暫くオシュトルを演じることができたのだ。早々に正体が露見することはまずない」

 

 それは、双子が傍にいて幻覚魔法を使っていてくれたのも大きいんだがな。

 

「それに、もし感付かれたとしても、聖上は本物であるのだから、無下にはできまい。それに、口八丁手八丁において、某はハクに全幅の信頼を置いているのでな」

 

 ちょっと待て。何か聞き捨てならないことを言った気がするぞ。

 

「聖上は本物って……皇女さん連れていくつもりか?」

「ああ」

「戦力を割くこともできないんだろ? つまり、大軍を率いての交渉ではなく秘密裏の少人数行動だろ? それに皇女さんを連れていくのか」

 

 かなり危険である。

 確かに、国内の関を今はこちらが抑えているとは言っても、防御力が高いのはこのエンナカムイ本陣だけであり、ヤマトの軍が押し寄せれば耐えきれる関ではない。

 だからこそ、戦力を割かずに交渉は秘密裏に行う、そこまではいい。

 しかし、その秘密裏においても、皇女さんを連れていくとなると一度の失敗がそのまま敗北になる。

 

「今、帝都は偽皇女を帝とした一つの組織にまとめ上げるため、緊張状態に陥っている。そして、聖上の布告にて、聖上はエンナカムイにいると宣言したのだ。この時期に聖上がエンナカムイにいないことなど誰も想像せぬよ」

「それに、絶対に失敗はさせぬ。失敗しハク殿が死んでしまうことがあれば、クオン殿に申し訳が立たぬ」

「なんでクオンがそこで出てくる」

 

 そう言うとオシュトルは心底不思議そうな顔をして答えた。

 

「なぜ、とは。クオン殿はハクの保護者と窺っているが」

「俺もそうだと聞いているじゃない」

「私も聞いたぞ」

「姉上に同じく」

「大きな子どもなのです」

「……く」

 

 思い出したくなかったが、そうだった。

 最近財布を自分で持ち歩けるようになったせいか、忘れていた。

 

「大丈夫です。私たちは主様の奴隷ですから」

「主様専用肉奴隷」

「それは庇っているつもりか?」

 

 ますます針の筵なんですけど。

 オシュトルがその場の空気を真剣なものに戻そうと咳ばらいをすると、話を続けた。

 

「しかし、相手はあのミカヅチの兄ライコウだ。ミカヅチから彼の評を幾度となく聞いてきたが、とかく読めても抵抗できぬ手を打つそうだ。故に密偵、草、刺客が国境に張っていることはまず間違いない。であれば、返り討ちにできるだけの戦力は投入するつもりだ」

「俺達の出番ってわけじゃない」

「任せろハク! 聖上は私が必ず御守りするぞ!」

「流石姉上、その見事な宣言大変天晴れです」

 

 少数戦力か。

 これまでも、これからも、この面子とやることは大して変わらないわけか。

 

「少数での行動はお手の物であろう、ハク」

「オシュトルの命令で溝攫いばっかりやってた気がするんだが……あんまり期待されても困るんだがなぁ」

「失敗はできぬ。今挙げている国全てを引きこんでようやく対立に値する兵力になるのだ。だからこそ、某ではなく其方と、聖上の威光に任せている」

「……色々建前を言っちゃあいるが、本音を話せよオシュトル。本当はオシュトルが自分で行った方がいいと思っているんだろ?」

 

 オシュトルは、自分の指摘に対し、少し驚きの表情を見せた後、ハクには隠せぬな、と嘆息した。

 

「クオン殿から、ハクに仕事をさせるにはのせた方が良いと聞いたのだが、中々うまくいかぬものだな」

「やっぱりな。懸念は……時間か」

「そうだ。今現在、我らは後手後手に回っている。先んじて手を打つには、オシュトルの権限を持つものが二人いる必要がある」

「オシュトルの権限を持つものが、二人?」

 

 ノスリは意味が分からないと思わず聞き返した。

 

「つまり、このエンナカムイで兵を動かすことのできるオシュトルと、他国と交渉のできるオシュトルだ。未だ聖上のみの力では、軍を動かすことも、他国との交渉事を行うことも、いささか不安である。であるならば、聖上に代わり、次なる権力を持つオシュトルが決定権を持つ必要がある」

「エンナカムイの皇子がいるじゃない」

「キウルはあくまで皇子であり皇ではないのだ。この場にいる権力者としては確かに某の次点ではあるが、いささか荷が勝ちすぎている」

「……」

「よしよし、キウル、だいじょうぶだ」

「あ、ありがとシノノンちゃん」

 

 落ち込んだキウルをシノノンが慰める。

 オシュトルはキウルを庇うように、真意を話した。

 

「すまぬなキウル。だが、他国の皇と接見するのだ、三番目の権力者では国として軽視していると先方は見るだろう。キウルの能力の話ではないのだ」

「つまり、軍を動かすにも、オシュトルさんでなければ兵は納得しない。国との交渉事もオシュトルさんでなければ相手の皇は納得しないということですね」

 

 オウギがまとめるかのようにノスリに伝えると、ノスリはようやく理解したようだった。

 

「ハクが軍を動かすのではだめなのか。同じ影武者なら、交渉事にオシュトルを向かわせたほうが良くないか」

「おいおい、勘弁してくれ。用兵なんざ全く知らんぞ」

 

 一応ネコネから何冊か渡され、ネコネに教えてもらいながら読んではいるけども。

 ネコネが補足するように付け足す。

 

「ハクさんに基本的な用兵術を教えてはいるですが……あくまで基本なのです」

「ということだ。用兵であれば、某には一日の長がある。しかし、こと交渉事に関しては、ハクの右に出る者はいない。これが一番適材適所であるのだ。頼まれてくれるな、ハク」

「……わかったよ。確かに、この要塞を守りながら、他国の支援を取り付けるには、それしかないな」

 

 自分が納得したのを見て、オシュトルはノスリの方へと向き直る。

 

「ノスリ殿、其方は元々イズルハのゲンホウ殿の娘だと聞き及んでいる」

「我が父上を知っていたのか?」

「今は八柱将の位をトキフサ殿に譲っているとはいえ、かつての八柱将であったお方だ。某が名を知らぬわけがあるまい。以前より話していたが、ノスリ殿、以前の配下のみならず、氏族に召集をかけることは可能か?」

「うむ、旅団の者に関しては任せろ。既に書状を送ったところだ。我らの結束は固い、近々必ず馳せ参じてくれるだろう! しかし――」

「氏族の招集に関しては、やはりトキフサ殿の影響が大きく、色好い返事をもらえるかどうかはわかりません。それに父上から姉上はまだ家督を譲ってもらっていないこともありますし……」

「全く、なぜ父上は……ぶつぶつ」

 

 そのまま不貞腐れるノスリを放置し、オウギが言葉を続ける。

 

「しかし、姉上の配下に関しては皆、オシュトルさんに口利きしてもらった恩があります。血気盛んな連中でもありますから、確実かと。まあオシュトルさんのことです、このような時を見越してのことでしょうが……」

「うむ……手をうっておいて良かった。配下に関して希望が持てるならば、十分助かる。他にも、某が心当たりのある者達へと書状を送り、既に色好い返事を貰っている。彼らとは半月ほどで、合流できるだろう」

 

 いつのまに。

 まあ、ウコン時代に貸しを作った奴は大勢いそうだしな。

 オシュトルにいくら提言しようとも、徴兵に関して首を縦に振らなかったことから、そういった者達に声をかけるのは、いわば仕方のないことだった。

 

「その者達がこのエンナカムイに到着し、軍備に余裕ができ次第、ハクは聖上とネコネ、ノスリ殿、ルルティエ殿、アトゥイ殿、そしてその護衛を連れて諸国の説得に回ってほしいのだ」

「わかったよ。ま、せいぜいオシュトルの顔を潰さないようにするさ」

「期待している。このエンナカムイの防衛に関しては任せてもらおう」

 

 そこで、会議はお開きとなった。もうできているであろうルルティエとアンジュ作のおやつを皆で食べに行こうと、ぞろぞろ執務室から出ていく。

 

 しかし、自分にはまだオシュトルに用があった。

 徴兵の件である。いくら何人かの関係者に声をかけたところで、兵力の無さは露呈している。

 強制的に兵役につかせるくらいのことをしなければ、志願兵だけではやっていけない。

 

「オシュトル、国を回るのはいいが、徴兵に関してはどうするつもりだ」

「……その話か……そうだな。ここには見知ったものも多い、戦いなどできぬであろう優しい者達ばかりだ。志願兵の中にも、そういった者ばかり。皆某のために、無理をしているのだ。更なる無理を強いるような選択はできぬ」

 

 ま、そうだろうな。

 お前はそういう切り捨てるなんてことができないやつだから。

 

「しかし、武具の仕立て、糧食の用意、やるべきことは山ほどある。槍働きができずとも、できる戦はあるのだ」

「ん?」

「だから、某も覚悟を決めた。其方のおかげだ、ハク」

 

 薄く笑い、書状を手渡してくるオシュトル。

 中を見れば、徴兵許可に関するものだった。

 

「早速今晩から徴兵の触れを出す。責任は某が取る。ハク、其方の責任は……」

「おう、同盟は任せておけ」

「まずどこに行くか、考えはあるか?」

「そうだな……まず行くとすれば、ルルティエの母国クジュウリだ」

 

 一番近いし。シャッホロやナコクは遠い。特にシャッホロを最初の同盟にすると帝都に危機感を与えすぎる。芽は短いうちにと摘まれる可能性もある。

 それに――

 

「ルルティエを溺愛しているオーゼン皇からすれば、ルルティエを通して願い出れば断りにくいだろう。ということは、どれだけの支援を取りつけられるかが勝負になる」

「徴兵するからには、不平不満が噴出せぬよう十分な俸禄と死亡者怪我人にも金を出すことになる。その分の金子だけでなく、戦争を維持するための物資、兵も借り受けてもらわねばならぬが……できるか」

「……それなら、大義と相応の見返り、勝算を示さなきゃな。ということは、何が何でも、初戦は勝ってほしい。小規模だろうが結構。勝てば、同盟できる。いや、してみせるぞ。同盟を組めれば、ヤマトの戦力も分散されるしな」

「クジュウリを防波堤にすると。それではオーゼン殿は黙ってはいまい」

「勿論、そんな魂胆を見せちまうと、ルルティエを人質にとったとみなされる可能性もあるな、そこはうまくやるさ」

 

 だが、まずは何かしらの武力を見せないと交渉すらできない可能性がある。互いの手の内を探り、かつ自国の利益になる道を選ぶのが、皇の、そしてオシュトルの立場だ。

 

「……ハク、覚えているか、其方に全てを託してもよいかと聞いたこと」

「ああ」

「やっぱりアンちゃんは、俺が認める以上の男であったようだ。どこまでも卑怯で、機転が利き……頼りになる。味方でよかったぜ」

「褒めてんのか、それ?」

「ああ、勿論だ」

「まあ、オシュトルも頼むぜ。自分が影武者としてクジュウリにいる間にオシュトルが戦に勝ってくれれば――」

「――クジュウリには、聖上とオシュトルなきエンナカムイにおいても勝利を収められる軍事力を示せる」

「任せたぜ、オシュトル」

「任せたぞ、ハク」

 

 これ以上後手に回らずに、先手を取るための作戦と日程調整を練ったのち、クジュウリには先触れの使者を出すことに決め、今度こそ、会議はお開きとなったのだった。

 

 

 




本編だと大分後の筈のクジュウリ編。
けどここではオシュトルが生きているので先にルルティエ編いきます。

タグにもある通り、ハーレムできたらいいなあ。
つまり、一番最初にハクを攻略するのはルルティエになるかも。


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第八話 交渉するもの

ルルティエがハクを攻略するための話が始まります。


 自分は、特注で作らせたオシュトルの仮面を被り、オシュトルのお古の服装を纏い、オシュトルと並ぶ。

 

「……こうしてみると、どっちがハクの旦那で、どっちがオシュトルの旦那なのか俺達でもわからなくなるじゃない」

「本当じゃな! 馬子にも衣装とはこのことじゃ!」

「それ褒め言葉じゃないぞ」

 

 エントゥアとともに、皆のお茶と菓子を運んできたネコネを見て、悪戯を思いつき開口一番声をかける。

 

「ネコネ、愛しているぞ」

「あ、ああああ兄様!? こ、こんな皆のいるところで何を言っているのですか!」

 

 エントゥアの、オシュトルにはそういう趣味があったのかという疑いの眼差しと、ネコネが顔を真っ赤にして動揺したのを見て、仮面を外す。

 

「自分はハクだ」

「……っ!!」

 

 ネコネのげしげしと遠慮のない蹴りが脛を襲う。

 

「相変わらず仲のよろしいことで」

「今のは旦那が悪いじゃない」

「うむ、乙女心を弄ぶのは関心しないな、ハク!」

「の、のぉハク? その姿で構わぬから、後で余にも……でゅふふ」

「ずるい」

「私たちにも言ってほしいです、主様」

 

 先ほどの愛してるのセリフが気にいったのか、三人程自分も自分もとせがんできた。

 

「……では、皆が集まったところで、協議を始める」

 

 オシュトルは場がわちゃわちゃしてきたのをさっと締めると皆に座るよう促した。

 

「以前協議したクジュウリとの交渉の件であるが、ルルティエ殿を通し、クジュウリからの返答が今朝方届いた。事前会合の場として国境に近い、この村を指定している」

 

 そう言い、中央にある巨大な地図を指さす。

 

 自分とクオンの最初の拠点でもある、あの村だ。そして、オシュトル――ウコンと出会った村。その場へと、クオンもオシュトルも行けないことが残念だが、仕方がない。

 

「各国が我らと朝廷を天秤にかけている今、クジュウリをこちらに引き込むことは朝廷側への大きな牽制であり、我らが大きく動くためには必要なこととなる」

 

 帝都に進軍する際、クジュウリはエンナカムイの後背をいつでもつける立地となっている。いわば味方でなければエンナカムイは戦力を防衛に割かなくてはならなくなる。

 

「そのため、この遠征には聖上もご同行願います」

「なぜじゃ?」

「戦果のない今、このオシュトルめだけでは諸侯は納得しないのです。聖上の御威光によってクジュウリを説得しなければなりませぬ」

「うむ、なるほど。このエンナカムイと……オシュトルと離れるのは心苦しいが、任せるのじゃ! 余の顔をオーゼンが見間違うはずがないしの!」

 

 そうであれば、いいんだがな。

 その懸念を、オシュトルもまた理解しているようだった。

 

「しかし、いくら聖上が本物であっても、ひとたび朝廷に負ければ本物は本物でなくなり、クジュウリもまた裏切者の末席を飾ることとなる。であれば、此度の遠征においてクジュウリはこちらの戦力を謀る目的がある筈」

「つまり、戦力を測るという名目で一戦あるかもしれないので、少数精鋭であるこの場にいる殆どは遠征に参加せざるをえないわけですね」

「ほぉ……腕がなるじゃない?」

「……」

 

 ルルティエが少し落ち込んだ表情を見せる。

 まあ、直接言いはしないが、裏切りの可能性もあると示唆されていい気分にはならないよな。

 

「しかし、これだけの精鋭を揃えてくれるのはいいんだが、エンナカムイの護りは良いのか? 主要な自分たちが遠征していることを草に知られれば、ライコウは確実に軍を送ってくるだろう」

「それに関しては、某に任せてもらおう。ハクは顔見知りであるだろうが、某の元配下が集ってくれたのでな、後で紹介しよう」

 

 ウコン時代の部下たちか。

 それに帝都での他の部下もいるんだろうな。

 

「彼らをエンナカムイの兵長にすれば、少なくともここでの防衛に関しては心配ない。未だ朝廷は混乱の時期にある。であれば動かせる軍も少数であるはずだ。たとえ多くとも、日数を耐え抜けば、クジュウリからの援軍も期待でき、十分に勝機はあると某は見ている」

「援軍を期待ってことは、確実に同盟締結は果たされると思ってくれているわけか」

「無論。信頼しているからこそ。それに、同盟締結の機は今を置いて他にない。このエンナカムイでただ座して待ったとしても、経済制裁による餓死か、大軍による蹂躙しかない。強くなるには同盟しかないのだ」

「旦那は責任重大じゃない」

「おいおい、自分ばっかりに責任押し付けるな。お前らも一緒に行くんだぞ」

 

 こう言う時に、自分ばっかり責任取らなきゃいけなくなるのは、形だけでも自分がリーダーとなってしまっているからかね。

 

「しかし、一国確実に味方へ引き込めれば、諸侯の動揺は広まり、いずれ雪崩をうってエンナカムイへと同盟の使者が駆け込むであろう」

「まあ、そこまでうまくいくかはともかく、希望が見えてくるな」

「しかし、エンナカムイにもオシュトルさんがいることで、クジュウリ側に影武者がばれてしまう可能性はありませんか?」

「その点についても心配はいらぬ。なぜならば……」

 

 オシュトルは仮面に手を当てて、ウコンという仮の姿へと変身しようとしたが、場にアンジュがいることに気付き思い留まる。

 そういえば、皇女さんはオシュトルがウコンであることを知らなかったな。オシュトルもその点に思い至ったのだろう。そして、ウコンの正体を知る者も、言わずとも何となく理解していた。

 オシュトルは堪えるように仮面からゆっくりと手を離すと、尤もらしく頷きながら説明する。

 

「……変装し、正体を隠すのでな。オシュトル不在の際には、御前に政務を任せることになる故、御前にもそう伝えてある。敵に攻められた際などの緊急時には、変装を解き、オシュトルとして采配を振るうこととなるが、それまでは政務も御前と共に行うから心配ない」

 

 ウコンになれないこと、随分ストレス溜めていたんだなあ。

 オシュトルは、ウコンとしての姿の方が、目指した父の姿に近いと思っているようだから。

 

「まあ、どちらにしても、オシュトル不在の空白期間を埋めるために、とりあえずさっさと交渉しに行ってさっさと帰らなきゃならんということだな」

「うむ、そういうことになる」

 

 協議はそこまでとなり、メンバーを確定した後、使節団の用意と相成った。

 

 そして、数日も立たずして、ウマに乗った使節団を率いてクジュウリへと出発する。

 メンバーは、まず使者代表としてルルティエ、アンジュ、そしてオシュトルの影武者をした自分、そのサポートとしてネコネ、またエンナカムイ代表としてキウル、までが確定だった。

 隣にはウルゥルとサラァナ、この二人は自分が行くなら必ず行くと言って聞かないので連れていく。ノスリは聖上のいるところには自分がいなければというので連れていく。オウギは姉上のいるところには自分がいなければというので連れていく。アトゥイは力を示すならぜひ自分がと言い、ヤクトワルトもまた軍よりも少数での戦いになれているためか連れていく。となるとシノノンもついてくる。

 クオンはいないが、結局、いつものメンバーだった。

 

「おお~ゆきたくさんだ。ゆきだるまつくれるぞ!」

「いいねぇ、ほらシノノン、ここに雪を集めるから丸めるじゃない」

「聖上、これが雪うさぎです」

「ほほ~、ノスリは手先が器用じゃの」

「勿体無きお言葉……聖上、これが雪ウォプタルです」

「流石姉上、手先の器用さでは右に出る者はいませんね」

 

 可能な限り素早く秘密裏に事を進める、となっていたが、何やら遠足気分のものが数名いた。

 まあ、偵察に出ているキウルを待っている間はいいか、とルルティエとともに時間を潰す。

 そこで、気になっていたことを問うた。

 

「そういえば、この前執務室に呼び出されていたが、何か言われたのか?」

「この前……あ、その、私にはクジュウリと誼を通ずるための使者となってほしいということと、オーゼン殿からお預かりしている身だから、一度里に帰ってほしいと、言われました」

 

 それで了承したからこそ、今回の遠征にこぎついたわけだ。

 

「なるほど。それで、ルルティエはどうするんだ?」

「な、何がでしょうか?」

「いや、一度里に帰るよう言われたけど、そのままクジュウリに居続けるのかってことだ」

「それは……確かにオーゼン殿に引き留められた際は戻ってもいいとは言われました」

「そうか……」

 

 やはりオシュトルとしては無理に引き留められんよな。

 今まで善意でついてきてくれたこともあって、ルルティエには強く出られんからな。

 

「あの……」

「ん?」

「ハクさまは……私に、その、どうしてほしいと思っているんでしょうか?」

「どうして……って、ルルティエの選択は尊重するさ。ただ……」

「ただ……?」

「ルルティエがいなくなったら、美味しいご飯が食べられなくなって、皆寂しがるだろうなあ」

 

 特に皇女さんとはルルティエのご飯と菓子を巡って取り合う仲だからな。

 

「まあ、でも選ぶのはルルティエ次第さ」

「そ、そうですか……」

 

 ルルティエはその言葉を聞き、思い悩む表情をするが、パッと表情を変えて微笑んだ。

 

「ありがとうございます、ハ……オシュトル様」

「なんでお礼を言うんだ、礼を言わないといけないのはこっちだ。こんな危険な旅に同行させちまって」

「いえ、自分で……選んだことですから」

 

 そう言うルルティエの表情は、相変わらずにこやかなままだった。

 

「ハクさん」

「ん? どうだった?」

 

 いつの間にか、道の先から先行し偵察していたキウルが戻ってきていた。

 

「この坂の先に集落が見えます。先方から指定された村だと思われますが、出迎えの者が……」

「そうか。まあ、じゃのんびり坂を上るとしますか……ああ、あとキウル」

「はい? なんですかハクさん」

「今の自分は?」

「す、すいません……兄上です、ね」

「オシュトルの威厳も何もないのはわかっているが、村についたら襤褸を出さんようにな」

「はい」

 

 キウルに一応注意しておき、坂を上る。

 登りきると、懐かしい風景がそこにはあった。

 

 自分が目覚めて初めてクオンと訪れた村。

 そして、オシュトルと出会った村。相も変わらず、だな。

 キウルを長のところへと挨拶させに行き、他の皆は村の外で待機する。敵か味方か判断できない者がぞろぞろとは入れんからな。

 それに、村が罠だとしたら袋の鼠だ。

 

 いつもまにかちょこんと隣に座っていたネコネに、これから先のためのことを伝える。

 

「ネコネ、ちゃんと兄さまと呼んでくれよ」

「任せてくださいなのです。ただ、それならちゃんと兄さまの口調でお願いするのです」

 

 そりゃそうだよな。

 本物のオシュトルと離されてなのか、ネコネ愛してるよ事件のせいなのか、今まで機嫌が悪かったが、一応仕事は仕事として果たすつもりでいるらしい。

 

 暫くして、遠くからキウルの呼び声が響いた。

 村長の元から帰ってくるには随分早い。見ると、キウルの後ろから兵の一団が列を成して駆けてくるのが見えた。

 ルルティエがその一団を見て顔を綻ばせ、普段のルルティエからは想像もつかない大きな声をあげた。

 

「お兄さまっ!!」

「息災だったか、ルルティエ!」

「お兄さまこそ、お元気でしたか?」

「ふふ、俺がそんな柔な男ではないことは知っているだろ? 俺はガウンジが踏んでも死なんわ」

 

 ガウンジってなんだろ。

 ボロギギリより怖いのかな。

 

 お兄さまったら、っと兄の胸に顔を押し付けるルルティエ。そこで自分たちの存在を思い出したのか、兄から離れた。

 何やらルルティエは目の前の男を紹介しようと懸命だが、恥ずかし気にもごもご言っていて何を言っているか聞き取れなかった。

 すると、兄と呼ばれる青年が自ら前へ進み出た。

 

「貴殿が噂に名高きエンナカムイのオシュトル殿か。この緊張下に僅かな手勢で、よくぞこのような地まで来られたオシュトル殿。道中、朝廷に見つかれば命は無いというのに……なんと豪胆な!」

 

 確かに見つからなかったのが奇跡だけどな。

 まあ、泳がせている可能性もなくはない。

 

「一度貴殿とは手合せをしたいと思っていた。クジュウリのヤシュマだ。我が妹、ルルティエが世話になった。感謝の言葉もない」

「いや、礼を言うは某の方、優しきルルティエ殿には幾度となく助けられた」

 

 自分の言葉にルルティエは顔を真っ赤にして俯く。

 オシュトルの言葉を借りてはいるが、本音なんだけどな。

 

「はっはっ、オシュトル殿のその言葉は何よりの土産だ」

 

 すると、ヤシュマは村の旅籠屋で話をしようと持ちかけてきた。

 それに頷き、よく見知ったあの旅籠屋へと皆を先導する。やがて、見覚えのある旅籠屋を見つけた。

 

 変わってないな。

 

 中に入ると、出迎えてくれた女将は相変わらず綺麗だった。

 不満とすれば、今自分は影武者なので、あのころの思い出話ができないくらいか。

 無理な仕事で筋肉痛が酷い思い出ばかりだが。

 

 一番奥の部屋へと招かれ、そこに一同座る。

 ちょこんと、当然のようにオシュトルの隣に座るルルティエを見て、ヤシュマは驚きを隠せなかったようだったが、何かを納得したのか、すぐさま話を始めた。

 

「そちらの事情はルルティエからの文で大凡理解している。俺個人の意見としてはヤマトの一大事、剣を振るうのに躊躇いはない。ましてルルティエが聖上の御側付だと言うではないか。我が妹の忠義には報いたい」

「それでは」

「だが……本来城へ直接案内するものを、こうした形で迎えていること……我らクジュウリの懸念をおわかりいただけるだろう」

「……我らの掲げる御旗が真の物であるか、か」

 

 ヤシュマはそれに頷きを返し、その場の空気が凍りつく。

 クジュウリの懸念は尤もだ。聖上が偽物なら話はできない。やはり皇女さんを連れてきておいて良かった。

 しかし、ルルティエは顔を真っ青にし、兄と呼び親しむものの言葉を受け止め切れていなかった。

 

「お兄様! それはどういうおつもりでおっしゃっているんですか? まさか……」

「ル、ルルティエ?」

 

 ルルティエの剣幕にヤシュマは目に見えて動揺していた。

 まあ、ルルティエが迫ってくることなんてめったにないしな。

 

「俺は貴殿の掲げる御旗は真の物であると信じている。だが、皆がそうとはいかぬ」

「では、皆が信ずるに値するものがあれば、良いと申されるわけか」

 

 頷くヤシュマを見て、自分も覚悟を決める。できれば、この切り札はこんな序盤で使いたくなかったが、仕方がない。

 

「聖上」

 

 自分が右に避けて跪くと、皆も左右に割れて跪いた。

 その先から、一人の少女が進み出る。

 

「久しいのう、ヤシュマ」

 

 そこにいたのは、このような場にはそぐわないただの小柄な娘だったが、その正体はアンジュである。

 ヤシュマはすぐさまその正体に気付くと、反射的に深く頭を垂れた。

 

「せ、聖上!!」

「さて、ヤシュマ。余が本物だとその寝ぼけ眼ではわからぬか?」

「い、いえっ! その声、その姿、いと高き血を引くお方に間違いございませんっ!」

 

 何卒ご容赦を、と平に平伏するその姿を見て、アンジュは満足したようだった。

 

「余が城へ赴こうぞ。そしてオーゼンに会って話をするのじゃ」

 

 オーゼンの腹が決まればクジュウリにて異を唱えるものはいない。何しろ、聖上を本物だと判断できる人物のなかで、一番の権力者だからな。

 

 しかし、ヤシュマはまだ納得していないのか、言葉を濁した。

 謀略など得意には見えないが、まだ何かがあるのか。

 

「どうした? 余の気が変わらんうちにさっさと城まで案内せんか」

「は、ははあっ!」

 

 返事は元気だが、表情は心なしか元気がない。

 少しばかりの休憩の後、馬車を先導するヤシュマの案内をもとに皆の乗った馬車は動いていたが、その間もずっとヤシュマはため息を吐いている。

 

 自分としてはヤシュマの態度に気を張っていたのだが、それをかき消すように皇女さんが甘えた様子ですり寄ってきた。

 

「のぉ、ハク。先ほどの余の啖呵、見事であったじゃろ? もっと褒めてもよいのじゃぞ」

「聖上、この場では」

「なんじゃ、ハク、影武者のくせに堅いことを言うでない」

「聖上」

 

 危うい会話を続ける皇女さんに冷や冷やものだったが、またもやヤシュマの溜息が聞こえてきて、どうやらヤシュマは何かに集中していて話を聞いていないようだった。

 しかし、その溜息の数に流石のアンジュも疑問を持ったようだ。

 

「ハク、ヤシュマはいったいどうしたのじゃ?」

「……聖上、この場ではオシュトルとお呼びください」

「そ、そうじゃったな。オシュトル。すまんすまん」

「ヤシュマ殿の態度は確かに怪しい。お覚悟が必要やもしれませぬ」

「な、なんじゃ、脅かすなハク」

「……聖上? 某のことは」

「お、脅かすな、オシュトル」

 

 何度言ってもオシュトルと呼んでくれないので、その仕返しとしてついつい脅かしてしまったが、実際あり得る話だ。

 ビビり倒している皇女さんに、言葉を繋げる。

 

「聖上、我らが切り開いた道のみが、聖上の通る道ではございませぬ。聖上は己の力で道を切り開かねばならない時が来る、そのための覚悟が必要なのです」

「己の力で切り開く……覚悟じゃと?」

「この場で最も生き延びねばならないのは、聖上です。であるならば、某らを置き去りにし、死体を踏み越えてでも生きねばなりませぬ。己自身の判断で、生き延びるための道を切り開かねばなりません。某らは、その聖上の道を荒らすものを、討ち果たすまでの存在に過ぎませぬ」

「……」

 

 少しきつい言い方だが、これからも皇女さんが闘うというなら、持ってもらいたい感覚だ。

 自分としては、早々に諦めて隠遁生活でも勿論構わないんだが、そうじゃないんなら、甘い覚悟で戦うと取り返しのつかない代償を払うことになる。

 アンジュはしばらくその言葉をかみしめていたが、すっと笑うと、こちらに向き直る。

 

「ふん、普段よくサボる奴の言葉とは思えぬ忠心ぶりじゃの」

「似た者同士故の忠言とお思いください」

「な、なんじゃとハク! 余がサボりだと言うのか!」

 

 それ以外のなんだってんだ。

 しかし、相変わらずオシュトルと呼ばないな皇女さんは。

 

「聖上、オシュトルとお呼びください」

「す、すまん、オ、オシュトル……」

「ふふ……あ、見えました。あれがクジュウリの城です」

 

 ルルティエは、自分と皇女さんのやりとりに笑顔を見せたあと、視線の先にあるものを指さした。

 そこには、遺跡を再利用して建てられたという、巨大な城だった。

 

「す、すごいのです……」

 

 旧時代、大いなる父の技術の結晶。興味がある奴には垂涎ものだろうな。

 皆は思い思いの表情で、門をくぐり、城内へと入った。

 そこでは給仕が忙しそうに駆け回り、こちらを見た兵がどこかに足早で去っていく。

 

「何やら慌ただしいじゃない」

「貴殿らが来ると聞き、人数分の部屋を用意してあるのだ」

「なるほど、お気遣い感謝致しまする」

「いやいや、当然のことだ。それよりも……はぁ」

 

 ヤシュマはまた溜息をつくと、謁見の間へと自分たちを通した。

 

「しばし、ここで待たれよ。父上を呼んで参る」

 

 ヤシュマが謁見の間を立ち去った後、皆は思い思いにぐるりと見回した。

 

「最悪、囲まれれば……その時は聖上を頼んだぞ。クジュウリ皇には某とオウギが。退路確保はヤクトワルトだ」

「わかりました」

「血路は開くじゃない」

「聖上」

「わ、わかっておる。余裕じゃ」

「……皇女さん」

 

 小声で囁き、皇女さんの隠しきれない手の震えを、手を重ねることで抑えた。

 皇女さんは少し驚いた顔でこちらの目を見つめ、少し頬を染めると、「大丈夫じゃ」と小声で返して手を振り払った。

 

 それぞれが己の役目を意識し、覚悟を決めた。

 

 しかし、そんな緊張の場に響くは、誰かが猛然とこちらに向かって走っている音。

 皇女さんを護るように周囲を囲み、固唾を飲んで扉を見つめていると、扉が乱暴に開け放たれた。

 

「ルルティエぇ~っ!!」

「お、お父さま……?」

 

 ルルティエから父と呼ばれた男はどさっと玉座に座り、その膝をばしばし叩いた。

 

「ほれ、ルルティエ、いっつも通り、おとんの御膝に座りんさい」

 

 いつも座っているのか。

 

「どしたん? ひょっとして太ったゆぅん? おとんはぽっちゃりしたルルティエも大好きじゃけぇ」

 

 太っても好きということに関しては同意だが。というかルルティエはやせ過ぎだ。

 しかし、ルルティエは困惑しているのか頬を真っ赤に染めて照れていた。

 

 そこに、ヤシュマが息を切らせて駆けつけてきた。

 興奮するオーゼンに何事か耳打ちする。そこで、ルルティエの後ろにいる唖然と見守る自分たちにようやく気付いたのか。慌てて居住まいを正し、こちらへ向き直った。

 

「よ、よう参られた、オシュトル殿」

「オーゼン殿も息災で何より」

 

 今の一連の流れがこちらを油断させる策なら、大したもんなのだが。

 

「ところで、ルルティエは姫殿下のお役に立っておりますかの?」

「無論です。聖上にも、某たちにとっても、ルルティエは心の支えとなっております」

「それは何より何より」

 

 顔を赤くして俯くルルティエ。

 まあ、自分はあまり面と向かって言わないので、オシュトルの姿を借りて普段言えないことを言わせてもらっている。

 恥ずかしいことを言っていることは自覚してるが、本当のことなのだ。

 

「オシュトル殿、此度の御用向きは文にて伺っております。そして、ヤシュマからはアンジュ様が来られたことも伺っております」

 

 オーゼンの言葉を受け、アンジュが、前に進み出る。

 

「久しいのぉ、オーゼン」

「おぉ……その眼差し、そのお声……その御姿、見間違うことなどありませぬ。ヤマトの民が戴くべき唯一無二のお方……」

 

 何とかなったか。

 同じように仲間内にも弛緩した空気が流れる。これで交渉がうまくいくだろうことは明白だった。

 

「オーゼン殿、ヤシュマ殿……某が掲げる御旗に偽りなしであることを納得いただけたところで、改めてお願いいたす。クジュウリにも聖上の御旗の下に集って頂きたい」

 

 しかし、二人は何がまずいことがあるのか、言葉を濁した。

 

「オーゼン! まさか余と知ってなお、納得ができぬと申すか!」

「ま、まさかっ! 我らもそのような不埒な真似はしたくはありませぬ。皆、姫殿下の御旗の元に集う覚悟にございます――た、ただ……」

 

 ヤシュマが尋常ならざる動揺を隠さず、その先を言わせぬとオーゼンに詰め寄った。

 それに言い訳を繰り返す形で、二人がやり取りをし始めた時、オーゼンがやって来た時のように、何かがすごい速度で走ってくる音が聞こえてくる。

 

 再び勢いよく開け放たれた扉から、ルルティエに向かって何かが飛びつく。

 すわ敵襲かと身構えるが、どうやらルルティエに飛びついたものの正体は――

 

「ああん、ルルちゃん、お帰りなさいぃ~!!」

「お、お姉さま!? だ、ダメですっ! こんなところで……」

「彼女は……「ルルティエの姉、シスでございます」

 

 問い掛けようとしたところ、女性は自ら名を名乗った。

 こちらの疑惑に、ヤシュマはシスという女性が姉であることを肯定したが、しかし困ったことになったと言わんばかりに頭を抱えた。

 一同が困惑した表情で見つめる中、シスはあくまでルルティエを離そうとしない。

 

「ん~……ほうほう、ふむふむ……安心したわ、ルルティエ、大事なところがちゃんと前より成長してる」

「そ、そんなこと言っちゃダメだからぁ……」

 

 自分の方をちらちらと伺いながら、嫌々と逃げるルルティエ。

 流石にこれ以上はまずいとオーゼン殿が諫めた。

 

「シス! 姫殿下の御前でなにしょぉるん!!」

「……妹との感動の再会を邪魔するようなら、父上でもその頭くびりますわよ」

 

 オーゼン殿も人のことを言えないが、この姉上も相当なもんだな。

 しかし、ここで思い至る。クジュウリ同盟の障害に。

 

 ヤシュマに確認するも、やはり事実であったようだ。ヤシュマが流れる汗を必死に拭いながら謝罪してきた。

 その間、ルルティエとシスの間で嫁にいったのではなかったのだの、チャモックの肝すら食えないあんな男ならココポと結婚したほうがマシだの、何か踏みつぶしただの、という不穏な話が漏れ聞こえていた。

 

「だからぁ……これからはずーっと、お姉ちゃんはルルティエと一緒だからねっ!」

「……お姉さまも一緒に来て下さるの?」

「そんなわけないじゃない。ルルティエはずーっとお姉ちゃんとこのお城で一緒でしょ?」

 

 ルルティエは姉の思わぬ言葉に動揺しながらも、言葉を返す。

 

「で、でも、わたしはアンジュさまの御側付きとしてずっと……」

「御側付き? まさか、まだあのことを言っていなかったのかしら、父上?」

 

 じろりとシスはオーゼンとヤシュマを見る。

 二人は震えあがり、何も言わない。

 

「ならば、私から伝えます。姫殿下、我が妹をルルティエを、私の……我らの元へとお返し頂けませんか?」

「な、なんじゃと!?」

 

 彼女の言い様は、皇女さんの意向に異を唱えたと受け止められかねない。そりゃ、オーゼンもヤシュマも止めに入りたいだろう。話の転がりようでは国の命運すら決まるのだから。

 皇女さんの威信としても勝手を許せば他国との交渉時にも影響する。下手すれば同盟結束自体が揺るぎかねない。

 

「お姉さま!」

「姉上、血迷ったか! ルルティエは聖上の御側付き、そんな誉を――」

「じゃあ、貴方はルルティエが過酷な戦に耐えられるとでも? 人には向き不向きがあるでしょう!」

「お姉さま! お兄さま! ルルティエはもう泣いてばかりいた昔のルルティエではありません。わたしはアンジュさまと、共に行きたいと思います……」

 

 ルルティエは、二人の間に割って入り、思いの丈を叫んだ。

 アンジュはその言葉に大きく頷く。ヤシュマも驚きを隠せないながらも、ルルティエの成長に涙腺を緩ませた。

 

「うむ、よう申した!」

「ううっ、ルルティエ、お前がそんな立派なことを言うようになったとは……」

「判る、おとんにも強ぉなったの判るけえの……」

 

 しかし、シスは納得しないようだった。

 冷ややかな表情で、ルルティエの言葉を信じていないという態度を隠さない。

 

「……これから、もっともっとたくさんの悲しいことが待っているのよ。親しい仲間が死んで、あなたは立っていられるの?」

 

 ルルティエは、そこで自分を不安げに見た。

 シスは脈ありとみて、さらに言葉を繋げる。

 

「上辺の雰囲気や勢いに流され、後で悔やんでもいいの?」

「いや、ルルティエ! 戦は誰にとっても怖いもの。しかし、その痛みや苦しみを乗り越えてこその誉れ! 命惜しさに引きこもるは生きた屍。真の生ではない! この兄も父も共に戦場に立つのだ、安心するがよい!」

 

 しかし、ルルティエは兄の訴えにも困ったような笑みを浮かべるのみ。何かの強い不安を感じているようだった。

 誰も何も言えぬ膠着状態の中、アンジュの声が響いた。

 

「双方の言い分はわかった。余もルルティエが大事じゃが、やはり一番大事なのは本人の気持ちであろう。ルルティエはどうしたいのじゃ?」

「わ、わたしは……」

 

 ルルティエは助けを求めるように、視線をこちらに向けた。

 ルルティエはシスの言う通り空気に流されてしまう。シスも皇女さんも、自分の考えを押し付けてきている状態では混乱してしまうだろう。

 

「聖上、それを聞くのは少なくとも今でなくとも良いのでは。こうも皆にみられながらでは、ルルティエの考えも纏まらぬかと。しばしの逗留を許していただけるのであれば、彼女自身が決める暇も作れるというもの」

「そ、そうじゃな」

「ヤシュマ殿の話では人数分の部屋を用意していただいているとか。忝いが、そこで暫しの休息を取らせてはもらえぬか。聖上も長旅で疲れている」

「そ、そうじゃな、今日のところは茶でも飲んでゆっくりしたいのじゃ」

「こ、これは姫殿下がおわすのにとんだご無礼をっ! ただいま部屋にご案内を……」

「うむ、しばし世話になろう」

 

 オーゼンは改めて居住まいを正すと、決意した表情で言った。

 

「姫殿下の元へ馳せ参じる事、今ここでお約束致します。しかし、ルルティエのことは……」

「うむ、勿論待つつもりじゃ。ルルティエ、それでよいな」

「え? あ……はい」

 

 結論が先延ばしにされたことにほっとするヤシュマと、何やらこちらをにらむシスが対象的だった。

 こちらが、ルルティエに対する兄や姉による心理的圧迫を牽制したのだ。ま、切り出した自分は恨まれるわな。それに、それをアンジュの言葉にしたことで、反論を許さない。ますます恨まれるわな。

 しかし、ルルティエの件は家の問題でもある。先延ばしにしたところで、迂闊には口を挟めない。自分としては勿論皇女さんの傍に残ってほしいが、さてどうするか。

 ルルティエ自身の真意を引き出し、それを後押しできればいいんだがな。

 

「オシュトル殿、申し訳ないが、落ち着いてからで良いので、話を聞いてはくれまいか?」

「もとより、いつでも構わぬ。ヤシュマ殿の都合の良い刻に訪ねてこられよ」

「忝い。では、後ほど部屋に伺わせていただこう」

 

 お互い気苦労が絶えないということか。

 皆が部屋へと案内される際、兄妹だからということでネコネと同室にされそうになったが、「兄さまと一緒になったら、何されるかわからないのです」という言葉で、女性組の部屋に行った。

 影武者だが、一応オシュトルなんだが。一緒の部屋にされても確かに困るが、クジュウリの者がいる前であんまり誤解を招くようなことを言わないで欲しいものだ。

 一人ぽつんと自室にて溜息をつきながら、ルルティエについて想いを巡らせたのだった。

 

 




ハクがオシュトルに扮しているということが、仲間にはわかっている場合のクジュウリ遠征。
本編との微妙な違いを楽しんでいただけるとありがたいです。


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第九話 想いに気付くもの

二話連続投稿です。
ハクは自己評価が低すぎるといつも思ってます。
その感じが出てると嬉しいです。


 ヤシュマから頼まれたことは、ルルティエの説得だった。

 聖上がルルティエの意思に託すと言った手前、こちらからは何も言えないと、部屋へ返した後暫くして、なんとシスまできた。

 シスから頼まれたことは、これまたルルティエの説得だった。

 ルルティエの情に任せたいと言い、何とか返したものの、恨みを買ったかもしれない。

 

「……ぅ、ままならぬ、か」

 

 シスが帰った後、少し酔いを醒まそうと夜風に辺りに行くが、足元がおぼつかない。

 ヤシュマにも、シスにも、説得の件を切り出す前と後に強引に飲まされたからだ。

 

「ハ……オシュトルさま?」

「る、ルルティエか。こんな夜半にどうなされた」

「いえ……わたしも眠れず、夜風に当たっていましたから……その、オシュトル様、もしかしてお姉さまかお兄さまに……?」

 

 こちらが酔っていることを見抜いたのだろう。

 苦笑しながら両方来たと言うと、やっぱりと謝罪してくる。

 

「いや、謝ることではない、皆ルルティエを想ってのこと。しかし、すまんが水を持ってきてはくれまいか」

「あ……はい。お水、ですね」

 

 罪滅ぼしといわんばかりに小走りで廊下を駆けていくルルティエを尻目に、部屋へと戻る。

 相変わらず、ルルティエは優しい。優しすぎる。

 

 ――自分は、ルルティエにどうしてほしいんだろうか。

 

 優しいルルティエがいなくなると、自分の癒しというか、逃げ場がなくなる。

 いや、逃げ場というわけでもないか。ルルティエといると落ち着くのだ。気負わなくてよくなる。甘えたくなる。

 

 ――いてほしいんだよな、やっぱり。

 

 それが皇女さんの傍であれ、自分の傍であれ、気軽に言葉を交わせる場所にいてほしい。

 

 ――自分も、我儘加減で言えばシスと変わらんな。

 

 だからこそ、シスの気持ちもわかってしまう。

 双方にとって利点のある提案、できないものか……。

 

「オシュトル様、お水、お持ちしました」

「あ、ああ、ありがとう。ルルティエ」

「いえ、お役に立てて何よりです」

 

 ルルティエから受け取った水を飲むと少し酔いが醒めたが、未だ考えがぐるぐるとしていてまとまらない。

 

「それに、お姉さまとお兄さまが争っているのは私が原因ですから……」

 

 そこで暫く何かを言い淀み、しかし決意した表情で声を出した。

 

「あ、あのっ、ハ――オシュトル様は……どうお考えなのでしょうか?」

 

 もう少しでハクと呼びかけてしまう気持ちはわかるが、ここは未だ同盟国ではない。それに影武者となれば今までの話は全て破談となる可能性もある。ルルティエもそれはよくわかっていたようだ。

 しかし、そんな問いをされるとは思っていなかった。

 

「もし、オシュトル様にとって、わたしが足手まといなら、わたしは……」

「ルルティエ」

 

 足手まといなんてことがあるはずがない。

 何しろ一番の足手まといは自分なのだから。

 

「聖上がルルティエの気持ちが一番だと言った手前、某からルルティエの気持ちを蔑ろにするようなことは言えぬ。故に、某もまたルルティエの気持ちを尊重したい」

「そ、う……ですか」

 

 少し気落ちした表情で返事をするルルティエ。

 

「だが、某の考えを述べてほしいというのがルルティエの気持ちであるならば、少しばかり答えよう。今のままでは、ルルティエが戦に耐えられるかどうか不安ではある」

「……っ」

 

 驚愕と悲哀の表情が混ざりあったもの。

 だが、言わねばならなかった。

 

「ルルティエは、優しい。だからこそ、流されやすい。周囲に意見を求めてしまう。それを真実だと思い込んでしまう。これから先の戦は辛く厳しいものになる。誰かが、死ぬ可能性もあるのだ」

「……ハクさまも、ですか?」

「ああ、そうだ。ハクも生き残るつもりではあるが、死ぬ可能性がないとはいえぬ。絶対などこの世にはない」

「……」

「故に、揺るぎない確固たる強い想いがいる。某は、ルルティエにそれを示してほしいのだ」

「……」

「ルルティエはなぜここまでやってきた? やってこれた?」

 

 沈黙がおりる。

 だが、何も言わない。ルルティエが答えを出すまで、何時間でも待つつもりだった。

 そして暫くの後、ルルティエは自分の心音を落ち着かせようと胸に手を当てながら、声を震わせながらつぶやいた。

 

「ハクさまが、いたからです」

「……っ!」

 

 衝撃。

 まさか、まさか、そんな理由で。

 今までついてきたのも、全て、そんな理由だったのか。

 自分がいるから、だなんて。

 

「ハクさまが護りたいものを、私も護りたい。ハクさまとともに、ずっと……」

 

 これまで何度も言うのを耐えてきた、そんな表情で、声で、思いの丈を告げるルルティエ。

 だがそれならば、聞かねばならない。

 

「……ならば、もしハクが死んだ時、其方の心はどうなる。」

「っ、それは……」

「耐えられるのか」

「わかり、ません……でも、死なせません。わたしは……もう護られるだけの存在にはなりません。わたしも護りたいんです。私の知らないところで、ハクさまが死んでしまわないように、大切な人を、失わないように……」

「そう……か……」

 

 顔を真っ赤にして、そう告げるルルティエ。

 もはや、こっちも誤魔化すことはできなかった。

 

「ならば、某から言うことは何もない。ルルティエがハクを、某たちを護ると誓うのならば、ハクは其方を命に代えても護ると誓うだろう。ハクは、武道に恵まれているわけではない。ハクだけの力でも、ルルティエだけの力でも、守れるものなど殆どないだろう。だが、共にお互いを護り合えば、きっと生き残ることができる。そう、してみせる」

「……はい」

「誓ってくれるか、ルルティエ」

「はい、誓い……ます。ハクさま……」

「……今はオシュトルだ」

「ふふっ……そうでした。でも、わたしが誓うのは、ハク様に……です」

 

 恥ずかしそうに頬を染め、しかし何処かうっとりとした表情でそう呟くルルティエ。

 しかし、その後、どちらともない気まずい沈黙が訪れた。涙目になりながら、ちらちらとこちらを窺うルルティエ。

 

「そ、それで、あの……」

「ん?」

「わたしの、想いは……その、届いたの、でしょうか」

「む……」

 

 そういう、ことだよな。

 明確な好意を感じた。仲間としてなのか、異性としてなのかはわからないが。

 

「……」

「……」

 

 またもや気まずい沈黙。

 その空気を払拭するように、少しだけ、ほんの少しだけ、ルルティエを抱きしめた。

 

「あっ……」

「ルルティエの気持ちは嬉しい……すまんが、今はこれで我慢してくれ」

「はい、ハクさま。今は……我慢します。それに、わたしはただ側にいられるだけで……幸せですから」

 

 胸の中にいるルルティエがこちらを見上げた後、顔が近かったからなのか慌てて胸に顔を埋めた。

 ルルティエの髪から香るふわりと香る柑橘系の匂いと、その反応に、思わず強く抱きしめた。その心地よい香りと体温に、先ほどまでの酒よりも強く酔ってしまったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「ほうね……姫殿下についていくゆぅん?」

「はい……そう決心しました」

「天晴れ、ルルティエよ! それでこそ我が一族の誉れ! 兄も国をまとめ次第、そちらへ向かおうぞ」

 

 オーゼンは自分の手をとり、痛いほど固く握りしめた。

 

「……ルルティエのこと、なにとぞ……なにとぞ……」

「オーゼン殿、ルルティエのことは心配めされるな。このオシュトルが必ずや守り通すと誓おう」

「おお……ありがたき……」

 

 涙ぐむように溢すオーゼンを誤魔化すように、ヤシュマは宴の用意をと声をあげた。

 しかし、宴を用意しようと慌ただしく動き出した城の者達のなかで、シスだけは茫然と立っていた。

 

「どうして行っちゃうの? お姉ちゃんのこと嫌いになったの?」

「違います、お姉さま。わたしは皆さんと一緒に行きたいだけなのです。こんなわたしでも、必要だと言ってくれた人がいます。わたしはその想いに応えたいんです……だから、お姉さま、わたしのことを応援してほしいのです!」

 

 ルルティエらしからぬ……いや、ルルティエがようやく覚悟を決めたというのか。

 ルルティエが普段思っていたことを真摯に吐露しているのだ。シスの胸にもきっと……。

 

「何も判ってない……行かせない、ルルティエを判ってない奴らの元になんて、行かせない!!」

 

 絶叫。

 ルルティエもその剣幕に押され、言葉を紡げずにいる。

 だからこそ、前に出た。

 

「貴殿こそ、ルルティエの今を知っているのか。ルルティエは、もはや護られるだけの存在ではありませぬ。某を、我らを、其方らを、その優しさという強さによって、護れる存在となったのだ。ルルティエを真に愛しているならば……その成長を、覚悟を、喜んでいただきたい」

 

 そして、昨夜誓ったんだ。

 

「ルルティエは……某には彼女が必要なのだ!」

「っ!!」

 

 ルルティエがいなくなったら、誰がご飯を作るんだ。

 肉食獣だらけの仲間の中の唯一の癒し要因だぞ。

 

「ルルティエを失うことなど考えられぬ。ルルティエもまた、某ら仲間を失うことは考えられぬと言ってくれた。だからこそ、某はルルティエを護ると誓おう。この命を以って!」

 

 ルルティエが頬を真っ赤にしているのが気になる。昨夜も話したはずだが、やはり皆の前で言われるとは思わなかったのだろうか。

 そのルルティエの反応を見て、何かに気付いたシスは、尋常でない殺気を出し始めた。

 

「あなたがルルティエを惑わしたの……っ!!」

 

 抜刀。

 手にしていた傘からすらりと美しい刀身が現れる。

 激しい怒りと絶望、まるで幽鬼のように立つシスの姿に、一同は驚きを隠せなかった。

 

「許さない……絶対に……!」

「わりゃなにしょんなら! オシュトル殿を殺す気か!?」

「ええい姉上、乱心したか!」

 

 ヤシュマもまた抜刀すると、後ろからシスに向かって首を跳ねようとする。

 

「待て!」

 

 ヤシュマは反射的に飛び退り、家族内での惨劇は何とか回避できたが、ヤシュマは抗議の声を挙げる。

 しかし、皇女さんが、オシュトルに任せよと遮ることで、ヤシュマの剣の切っ先は下を向いた。

 再び家族内での戦いにならぬよう、自らシスの元へと進み出る。

 

「シス殿……貴殿はルルティエを護ると申されたな。果たして、シス殿のようなか弱き女性にそのような大役が任せられましょうか?」

「なっ……なんですってっ! この私がか弱い!?」

 

 どう見ても弱そうには見えないがな。

 しかし、こっちにも男の意地がある。

 

「先にも申し上げたよう、ルルティエは某が身を以って守ろう。なれば、ルルティエを護るにどちらが相応しいとお思いか?」

「良いでしょう……そこまで言うなら、私とて手加減致しません」

「クジュウリ皇の膝元で剣を交える訳には参らぬ。まずは場を整えていただこう」

「承知しましたわ。付いてきなさい」

 

 言いはなったのち身を翻し、どこかへと案内される。

 心配そうな仲間たちの視線を背中に受けながらも、シスの背中を追った。

 

「あ、兄さま!? だ、大丈夫なのですか?」

「そうです、この諍いはわたしの弱さが招いたもの……オシュトルさまだけに任せる訳には……」

 

 そうだ、自分はオシュトルではなく、ハクだ。

 だからこそ、皆が心配してくれている。しかし、もはや逃げ場はない。

 

「……ルルティエ、某にも男の意地がある。ここは任せてもらおう……怪我の手当は、頼んだぞ」

「……っ」

 

 ルルティエは、自分の覚悟を止められぬと思ったのか、思い詰めた表情で押し黙る。

 しかし、ウルゥルサラァナの二人が、それぞれ自分の両腕を掴んだ。

 

「危険」

「主様、あの方は命を取るのを躊躇っていません」

「判っている。だが、引けぬのだ」

 

 引けない。

 そう、このクジュウリ交渉がうまくいくには、それしかない。危険を承知でエンナカムイに残るオシュトルのためにも、成功させなければならない。

 二人は自分の強い言葉に何も言わなくなる。しかし、掴んだ腕に何かを念じて、そして腕を離した。

 

「何かしたのか?」

「ただのおまじない」

「主様が死ねば、私たちも後を追うという誓いです」

 

 そう言って微笑む二人。

 これは絶対に負けられんな。

 

 ――オシュトル、お前の指導が自分の身になっているかどうかの賭けだ。頼むぜ。

 

「ここですわ……こうなってしまった以上、手加減はできませんので、覚悟してくださいまし!」

「――オシュトル、余の命令じゃ。絶対に死んではならぬぞ!」

「は、某にお任せください」

 

 震える手で送りだすアンジュ。

 雪の舞う中、右手には刀、左手には傘を模した鞘を手にしたシスと対峙する。

 

「奴のこと……何か手があるのじゃ。そうでなければ、こんな危険なことはせぬ。あやつは誰よりも怠け者じゃからの」

「……そうですね」

 

 そうだ、怠け者だ。

 だからこそ、最短ルートを行く。勝つ。心を落ち着けろ。

 オシュトルとの稽古を思い出せ。

 

 ――某が其方の武で唯一買っているのは、その極端な冷静さだ。

 ――冷静?

 ――激情に身を任せているようで、常に冷静な部分が其方を支配している。だからこそ、戦いの中で常に最善の手が生まれる。護りさえ極めれば、其方に勝つのは某でも難しくなるであろうな。

 ――おいおい、褒めても何も出んぞ。

 ――褒めてなどいない。今の其方は赤子に等しいのだからな。まずは避けよ、逃げよ。某から逃げ続けよ。

 

 まずは、逃げる、か。

 

「いきますわよ! はっ!!」

「っ……」

 

 鉄扇で受け止めてしまえば、腕力で負けているであろうこちらとしては押し負ける。

 ならば、避けるのが吉。

 避けられるとは思っていなかったのか、シスの剣戟は激しさを増す。しかし、普段見ているオシュトルの剣よりは単純で読みやすい。

 

「ちょこまかちょこまか――漢の意地はないの!?」

「シス殿、これはルルティエを護るに相応しき者を選ぶ戦い。心を怒りに惑わされては、護れる者も護れませぬ」

 

 怒りどころかビビりまくりだがな。

 首元を狙った容赦ない一撃を少し顔を逸らして避ける。

 こんな容赦のない攻撃ができるってことは、相手は冷静じゃない。怒り狂った獣の、表面だけ冷静に見えるだけだ。

 

「……今のは危なかったじゃない」

「どうしたのだ、あの程度の攻撃、あのオシュトル殿が……」

「あ、兄さまは今、ヴライ将軍との傷がまだ癒えていないのです」

「なんと!? それでは今すぐやめさせなければ……!」

「ならぬ! あ奴が任せろと言ったのじゃ……ならば、任せるのが余の役目。大丈夫じゃ、きっと、あの者なら……いつだって、そうだったのじゃ!」

「む、し、しかし……!」

 

 あっちはあっちで心配してくれているようだ。

 そりゃ当然か。しかし、こちとら紅白試合で何度オシュトルに打ち負かされてきたか。零勝二十数敗だぞ。もはやハク組=負け組みたいになってんだぞ。

 オシュトルが某と並び立つつもりならば腕っ節も鍛えねば、などと言って、二人で個人的にも何度も鍛錬を積まされた。

 オシュトルとの会話を思い出す。

 

 ――焦りは反応を鈍くし、攻撃が単調になる。相手が焦っているのならば、襤褸を出すまで、ゆっくり待てばいい。

 ――相手が焦ってない場合は?

 ――焦らせればよい。其方にはお手の物であろう。

 

「シス殿は、どうやら心が怒りに囚われている様子。そんなことでは、このオシュトルに傷は負わせられませぬ」

「な、なんですって!!?」

 

 怒りとともに鋭い太刀筋が繰り出されるが、オシュトルの剣技よりは遅く、単純だ。

 これならば――避けられる。

 

「っ!?」

「言った筈、某に傷はつけられぬと。だが、もし傷をつけたとしても、某は大して堪えはしませぬ」

「なら受けてみなさい!」

 

 不意をついた返し手の思わぬ一撃。

 腹部に傘が直撃し、数尺後退する。

 

「ハ――オシュトル!?」

 

 意識が飛びかけたのか、皇女さんの声が反響して聞こえる。

 

 ――痛。

 

 オシュトルたちに何度も殴られているおかげか、痛みを顔には出さない。脂汗も仮面の中でとどまってくれているようだ。体も震えていない。

 ルルティエは悲鳴を堪えてこちらを見ている。泣きだしそうな、優しい瞳。ルルティエも、必死に耐えている。

 

 ――そうだ、負けるわけには、いかないもんな。

 

 すっと体勢を立て直し、余裕をアピールする。

 

「か弱き女性の攻撃など……某に届き得たとしても、この程度である」

「――きさまぁあっ!」

 

 刀で渾身の一撃を放つシス。誰がどう見ても隙だらけだった。

 交差するように懐に飛び込み、鉄扇の持ち手の部分で腹部を強打する。

 

「――ぐっ!?」

「これで――仕舞である!」

「きゃうううんっ!?」

 

 シスの刀を鉄扇で跳ね飛ばし、鞘のままの脇差で放つ渾身の剣戟をシスに命中させる。

 シスは普段の様相からは考えられぬ可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をついた。

 

 ぎりぎり、勝ったか。

 吐瀉物がせりあがってくる感覚を何とか押しとどめながら、シスに近づいた。

 

「勝負、あったな」

「そんな……私が……私が……しかも、こんな手加減までされて……」

 

 明らかな敗北にシスは打ちひしがれ、唖然と地面にへたりこむ。

 思いっきりやったはずが、たいして応えていないシスにびびりながらも、そんなシスへと手を差し伸べた。

 

「シス殿、お手を。怪我の手当をせねば」

「そんな憐れみなど……心の内ではお笑いなんでしょう?」

 

 まあ、さっきまで散々に挑発したからな。そう思われても仕方ないか。

 オシュトルの株を下げるような発言だけは避けねば。

 自分は膝を折り、シスの腕を掴んだ。

 

「いや……決着を付けるためとは言え、シス殿を侮辱し挑発したこと、某の方こそ詫びねばならぬ。シス殿は、か弱くなどありませぬ。それどころかその強さ、並の男ではとても釣り合いが取れぬでしょう」

 

 実際、勝てたのは運が良かった。

 あくまでオシュトルと比べて弱いだけで、自分よりは全然強かった。

 

「今更、そんな世辞……私の一撃も効かなかったではありませんか」

「……では、お見せしましょう」

 

 皆には見えぬように、シスにだけ腹部をさらす。

 シスの瞳は大きく開き、この上ない驚きを示しているようだった。

 

「あれは、某の痩せ我慢に過ぎませぬ。あの一撃を受け、シス殿がおられるクジュウリが、聖上の御旗に集えばどんなに心強いと考えたか、お分かりいただけましたかな……シス殿にこれまでの無礼を許すと言って頂けるのなら、某は改めて共闘を申し出たい」

「オシュトル……様」

 

 頑なだったシスの躰が軽くなったので、強く手を握りしめて彼女を立ちあがらせた。

 そこに、ルルティエたちが駆け寄ってきた。

 

「お姉さま」

「ごめんなさい、ルルティエ……私は……」

「お姉さま。これまでお姉さまに護られ慈しまれたこと、とても感謝しています。今のわたしがあるのは、お姉さまがいたからこそ。あの泣き虫だったルルティエが、お姉さまの沢山の愛情で強くなったのだと、誇ってください……」

「そうだ、姉上。我らが信じず誰が信じる」

 

 シスは、涙を流し、言葉を受け止めていた。

 あと一押し、か。

 

「シス殿、重ねて申し上げたい。この命ある限り、某はルルティエを守り通すこと、しかと約束いたしましょうぞ」

 

 ルルティエが陶酔したようにこちらを見る。

 その視線に、シスは何かを納得したように諦め、微笑んだ。

 和やかな空気の中、もう一つ頼みごとをしておく。

 

「シス殿。これは某の個人的な願いではあるのだが、いつか、ルルティエと某の元へと来てはくれぬか」

「私が……?」

「そうだ。ルルティエへの愛、某にはしかと伝わった。そして、ルルティエが其方に向ける愛も。ルルティエは、某らだけでなく、其方ら家族も護りたいと思っている。某がシス殿と共にあれば、ルルティエだけでなく……ルルティエの護ろうとしているものも、護ることができる、そう確信した」

「はい……はい! 勿論です、必ずやルルティエと、あなた様の元へ……!」

 

 シスは頬を染め、自分の手を堅く握ってくる。この調子なら、オシュトルの株は下げずに済んだみたいだ。

 

「……兄さまが、いつの間にか女たらしの真似事をするようになったです」

 

 いやいや、ルルティエもシスやヤシュマが側にいた方が楽しいかと思って提案してるだけなんだが。

 自分にだけ聞こえるネコネの呟きに、怪我をして痛いはずの腹部よりも痛んだが、これで一件落着かと思い直す。

 

 オシュトルの株も上がり、同盟も締結できた。

 いや、しかしもし負けたら同盟締結どころじゃなかったな。

 本来の口八丁手八丁でなぜ解決しなかったんだろうか。なんで自分はあんなことをしたのだろうか。

 

 じくじくと痛む腹部を意識の外にやりながら、考えていたところ、ルルティエのひんやりとした手が、自分に触れた。

 

「ルルティエ?」

「……ありがとう、ございます。私のために、怒ってくれて……」

 

 ――そうか、自分は、怒っていたのか。

 

「いや……大したことではない」

「いえ、私にとっては、とっても……嬉しかったですから。揺るぎない、強い想いを、示してくれましたから……でも……もうしないでくださいね」

「あ、ああ約束する」

 

 ルルティエはその言葉を聞いて、ようやくいつもの優し気な笑みを見せたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 宴を用意してもらっている間、自分とネコネは、オーゼン殿、ヤシュマ殿と、今後の支援についての交渉をしているところであった。

 しかし、そこに血相を変えて息も絶え絶えの兵が飛び込んできた。

 

「ほ、報告します! 朝廷と思わしき軍勢が、エンナカムイへ向けて進軍を開始! 既に国境の関を突破されたのこと!」

「な……あ、兄さま!」

 

 想定より、早い。

 あと数日は、草からの連絡を受け事実解明に時間を使うと思っていたのだが、この状況で関を突破するだけの軍勢を動かせるもの。

 

「旗印は」

「敵軍の旗印は、デコポンポ軍のものとのこと!」

 

 脳裏に丸々と肥えた男の顔が浮かび上がる。

 納得だ、奴なら朝廷に確認もせずいそいそと発つのは目に見えている。皇女さんを手に入れようとしたのか、それとも空いたエンナカムイを自らのものにしようとしたのか。

 

「オシュトル殿、これはまずいのでは」

「父上! 今よりクジュウリの忠誠を見せるとき、急ぎこちらも大軍を!」

「ヤシュマ殿、待っていただきたい」

 

 それは、まだ早い。

 デコポンポ軍ということは、奴の独断である可能性も否定できない。

 つまり、後ろにライコウがいないのであれば、クジュウリの参戦はライコウへ進軍の口実を与えることになる。

 

「先ほどまでの交渉では、あくまで秘密裏に支援をしていただくという約束であり、大規模な派兵は入っておりませぬ」

 

 これから先、物資、派兵、金子の支援については約束を取り付けることができた。

 しかし、オシュトルから言われたのは、あくまで足りない兵の補充だ。

 勿論緊急時ではある。だが、あのオシュトルが任せろと言ったのだ。それに、今から大軍を用意したとしても、もはや間に合わない。

 

「今クジュウリとの同盟がなったことを示したとしても、既に関を突破しているのであれば……こちらが着くころには、デコポンポ軍がエンナカムイに到達しているであろう」

「では、どうするというのだ! オシュトル殿と姫殿下がこちらにいる今、エンナカムイは蛻の空の筈。兵だけで持ちこたえられるのか?」

「持ちこたえられる。某の信頼する漢に、かの守りを一任しているのでな。それよりも、戦に疲弊した後、朝廷にも口実を与え進軍させてしまう事の方が危うい」

 

 一度の進軍は耐えられても、二度めの進軍を耐える程の砦ではない。

 この混乱期において、クジュウリを味方につけてしまったことで、早々に潰そうという動き、もしくは朝廷と周辺国の結束を強めてしまう可能性もある。

 逆に、クジュウリが認めたことを受け、他国がこちらについてくれる可能性もある。

 つまり、賭けなのだった。

 

「とにかく、我らは直ぐにエンナカムイへと帰国する。クジュウリは、大軍ではなく、直ぐに動かせるだけの軍で構いませぬ。デコポンポ軍に追従する形でエンナカムイ進軍を行ってほしい」

「? 先程、兵を用意するなと……」

「それはエンナカムイの援軍としてであろう。デコポンポ軍の援軍として軍を動かしてほしいのだ」

「な、なにいうとるんじゃけ、オシュトル殿!? クジュウリにエンナカムイを攻めろいうんか!?」

 

 一見、無茶苦茶かもしれない。

 だが、それがクジュウリにとっても一番の策なのだ。

 

「情勢を見て、もし勝てそうならばクジュウリはそのままエンナカムイの援軍ということにして挟撃を図る。エンナカムイの勝利を確信した際に、正式に同盟関係を結んだことを全国に布告する。しかし、既に砦が落とされているのであれば、我らはエンナカムイを捨て、クジュウリへと亡命する。そのためのクジュウリ軍である」

 

 その言葉に、横にいたネコネだけでなく二人も絶句した。

 あのオシュトルが、祖国を捨てると言ったのだ。

 

「ハ……あ、兄さま!?」

「オシュトル殿!? 貴殿は自分が何を言っているのかを――」

「無論、判っている。しかし、やらねばならぬ。もしクジュウリが参戦し、両国どちらも負けてデコポンポに聖上を捕えられてしまえば、再起の機会はなくなる。しかし、クジュウリが朝廷の味方として残っていれば、朝廷はクジュウリに進軍する口実を失い、来るべき時を待ち再起を図ることができる」

「……そのために、エンナカムイを犠牲にしても良いと」

「無論、某はエンナカムイと共に朽ち果てる覚悟。デコポンポもこのオシュトルの首がなければ溜飲は下げぬであろう」

 

 それに、オシュトル(自分)の首があれば、民を悪戯に攻撃することもないだろう。

 

「な、なんと……」

「しかし、聖上にだけは生きてもらわねばなりませぬ。その際は、聖上の悲願、オーゼン殿に託しますぞ」

「……そこまで、考えとるちゅうんなら、オシュトル殿に任せるけぇの」

「改めて御礼申し上げる、オーゼン殿」

「オシュトル殿には少しばかりの護衛と足の速い馬車を用意しよう。我らは軍を急ぎ編成し、姉上と共に参る」

「忝い。護衛には軍服ではなく商人の服を着た者を頼み申す。我々より先行していただきたい。ネコネは皆を早急に集めてくれ。我らがエンナカムイへと帰国する」

「は、はいなのです!」

 

 急ぎエンナカムイへと向かうため、最後まで交渉の場で澄ました顔をしていた自分は、帰り道の馬車に乗り込む。

 クジュウリの者が誰も見ていないことを知ると――倒れ込んだ。

 

「だ、旦那!?」

「兄上!?」

「煩い……心配するな。とりあえず、早くエンナカムイに帰るぞ。クジュウリ軍が来るか帰るかの判断をしに行かなきゃな」

 

 とりあえずああは言ったが、あのオシュトルならデコポンポに遅れは取らない筈だ。自分の首を差しださねばならないような事態にはなっていないはず。しかし、何か胸騒ぎがする。

 

「ぐっ……」

 

 流石に痛い。この馬車の中で吐かなかっただけありがたいと思え。

 服をめくると、青痣どころか、赤黒く変色している腹部を見て、さらに気が遠くなる。そりゃシス殿も驚くわ。

 

「こいつは……随分じゃない」

「よく我慢していましたね。本当に効かなかったのかと思っていましたが」

「内臓がやられているかもしれないのです! 速く治療するのです!」

 

 ネコネが慌てて薬箱を取り出し、ルルティエがハクを治療する。

 クオンが商人を通して定期的に送ってくる薬を腹部に塗り込み、水と共に薬を流し込まれた。

 

「いやぁ~今回、旦那は漢を見せたじゃない?」

「まあ、避けることだけに関してはオシュトルさんに鍛えられたようですから。冷静でない彼女であれば勝つ見込みは十分にあったと思いますが」

「しかし、こんな怪我を負う羽目になるとはな……オシュトルには別途特別労働手当を請求するぞ、全く……」

「……兄さまの影武者としては疑問符が残る態度なのです」

「そう言うなネコネ。いい女は身命をもって闘った男は決して馬鹿にはしないものだ」

「そうだぞ、それにハクでなければルルティエを取り戻せなかったかもしれぬではないか。ようやったぞ、ハク。見直したのじゃ」

「でも、もし負けていたら、交渉がおじゃんになっていたところなのです。しかし、ハクさん、クジュウリに言ったことは何だったのです?」

「あれは……保険だ。十中八九、あのデコポンポが相手ならオシュトルが負けるとは思えん。一応の策として言っただけだ」

「で、でも……兄さまを犠牲にするなんて……」

「犠牲も……オシュトル本人じゃなく、影武者の自分でいいんだから心配するな」

「そ、そういうことを言っているのではないのです!」

「大丈夫だって。ただ先手を打ったはずが取り返しのつかない一手になってた……なんて起こらんようにしているだけだ。ネコネが心配するようなことは起こら――ぐ、おえ……っ」

 

 吐瀉物がこみあげてきて、それ以上喋れなくなる。

 今まで黙っていた双子が側にくる。

 

「駄目」

「主様、無理をなさらないでください。今手当をします」

「わ、わたしも!」

「ルルティエ様?」

「わたしも……ハクさまの手当をしたいのです!」

 

 ルルティエの手が、自分の脂汗だらけの額を優しく撫でた。そして、後頭部が柔らかいものに包まれる。

 

「すまん……ありがとう、ルルティエ、ウルゥル、サラァナ……自分は、少し寝る。なんかあったら、起こしてくれ――」

 

 何だか皆の声がぼやけて聞こえてきたが、それに答えることもできず、ルルティエの膝枕に頭を埋め、そのまま気絶したのだった。

 

 

 




本編ではルルティエがオシュトルではなくハクだということに気付いていなかったので、すれ違いがありました。
そのままハクだと気づいていたら、きっとプロポーズしてたと思うのですよ。


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第十話 引き継ぐもの

更新頻度そろそろ落ちます。
キリがいいところまで頑張ります。


「旦那! 旦那! 起きてくだせぇ!」

 

 べしべしと頬を叩かれる衝撃で、目が覚めた。

 

「ん……どうしたヤクトワルト……って、なぜ自分はココポの上に……」

「ホロロ?」

 

 気遣うようにこちらを見上げようとするココポ。

 腰の辺りをココポに縛りつけられ、少し痛い。ルルティエの声が横からする。

 

「あ……ハクさま、起きられましたか? ……何度もお声をかけたのですが、私の声は届かなくて……」

「強制的に起きてもらったじゃない。旦那、戦の匂いだ」

「……なるほど、もうエンナカムイか」

 

 随分急いだみたいだな。

 見上げると、太陽は登り切っており、眩しさに眼を細めた。

 

「先遣隊はどうした?」

「戻ってこなかったじゃない」

「なるほど、それで進路変更したわけか」

 

 周囲を見渡せば森の深くであることはわかった。

 

「どうやら街道に網を張られているようでしたので、キウルさんの案内に従い馬車を捨て山道に逃れました」

「ハクを誰が担ぐか考えていたらココポが名乗りを上げてな」

「ホロ~!」

「そうか、ありがとな」

 

 ココポの首筋をなでると、気持ちよさそうに体を振った。

 腹も腰も痛いが、まあ、仕方なかったのだろう。

 

「交戦は?」

「一度、六人と」

「全滅させたか?」

「勿論だ。我が弓から逃れる術はない!」

「そうか、流石だな。だが、急いだ方がいいな。誰か隠れていた可能性も高い……ココポ。もう大丈夫だ、降ろしてくれ」

「ホロ~」

 

 縄を解いてもらったが、嬉しそうにずんずん歩いて降ろしてくれる気配がない。

 

「旦那はそのまま休んでいてほしいじゃない。ただ、キウルによればもうエンナカムイは間近。判断は旦那にしてもらわなきゃならないじゃない」

「クジュウリの動きは?」

「馬車を捨てる前に来た使者の話では、間に合う行軍にするには最大でも二百が限度だそうです」

「すぐ動かせる騎兵でそれなら十分すぎる程だ……使者にはなんて返した?」

「構わない。エンナカムイ目前の街道で合流しよう、と」

「よし……シス殿とヤシュマ殿なら間に合わせてくれるだろう。さっさと情勢を確認して、戻らなきゃならない。急ごう」

「「「応!」」」

 

 そこで、ルルティエが徒歩であることに気付いた。

 もしかして、自分がココポに乗っているからルルティエは降りたのだろうか。

 

「ルルティエ」

「は、はい?」

「ありがとう、もう大丈夫だ。ココポが降ろしてくれないからあれなんだが、これから急ぐし、ルルティエもココポに乗ってくれ」

「え、で、でも……」

 

 なぜか逡巡するルルティエを後押しするかのように、ノスリがルルティエをココポの鞍へと押し上げた。

 

「の、ノスリさま?」

「縛りつけられていないハクだけではココポから転がり落ちてしまうかもしれないからな。ルルティエが支えるのが一番だ」

「流石姉上、自然な気遣いですね」

 

 しかし、負けじと双子が口を挟んだ。

 

「こっち」

「そちらでは不安定です。こちらの馬上も空いています。どうぞ私たちの間に」

「いやいや、三人も乗ったら馬が可哀想だろ」

 

 既に二人が乗っていて鞍は占領されているというのに、どこに自分が入れるスペースがあるんだ。

 

「そうじゃぞ。こんなところでハクに死なれてはかなわんからの。まあ、ルルティエがハクを乗せるのが嫌というのなら、余の馬上も空いておる。ハクよ――」

「で、では、ハクさま? しっかりとわたしに、その……掴まっていてください……!」

「あ、ああ。ありがとうルルティエ」

 

 皇女さんの言葉を遮ったルルティエ。

 ルルティエの言葉に押され、素直にルルティエの細い腰をそっと掴んだ。

 

「……っ」

「どうした、ルルティエ」

「い、いえ、その……何でも、ありません」

 

 何だろう。ルルティエが何か変わったような気がするが、どう変わったのか説明しづらい。

 他の皆も少し驚いているようで、しかし微笑ましい空気が漂っていた。

 

「ホロ~」

 

 大好きな二人が乗っているからなのか、ココポは大はしゃぎで進んでいく。

 

「むむ……」

「おにーさんとルルやん、いい感じやねぇ……」

「微笑ましいじゃない。報われてほしいねえ」

「侮れない」

「お茶汲みでの強敵が、今や夜の伴としても強敵となってしまいました」

 

 距離が離れても仲間の呟きが微かに聞き取れたが、ルルティエにも聞こえたのだろうか。髪からそっと覗いている獣耳がポワポワと照れを隠すように動いていた。

 

 山道を通り、目下崖の場所に出たところ、矢はとても届かないが、情勢だけなら視認できる場所に来ることができた。

 

「ハクさん、ここからなら、エンナカムイの現状を確認できます」

「おう。ネコネ、望遠鏡を」

「はいなのです」

 

 中を覗きこみ、戦場を映すと、そこには――。

 

「終わってる、のか?」

「え? どういうことですか、ハクさん」

「デコポンポが、オシュトルに拘束されているぞ」

 

 ノスリが望遠鏡すら使わずに、状況を皆に伝える。

 あらかたの兵は逃げ出したのか、周囲に敵兵の存在は確認できない。

 

「流石はオシュトルなのじゃ!」

「流石兄さまなのです」

「流石オシュトルさんですね」

「流石兄上」

 

 流石流石と皆から賞賛されるオシュトル。

 任せろ、ってこういうことかよ。籠城戦でここまで圧倒的な勝利ができるものなのか。

 

「……急ぎオシュトルと合流する。キウル、逃げた兵と鉢合わせないような道はあるか」

「は、はい!」

 

 崖から離れ、キウルの案内に従って、少し山道を下ってからオシュトルの元へと急ぐ。

 その際に、オウギにはクジュウリ軍の誘導を頼む。アトゥイもすでに戦闘がおわっているなら、とオウギについて行った。

 

「オシュトル!」

「兄さま!」

「聖上、よくぞご無事で……ネコネも、無事で何より」

「はいなのです」

「大義であった! 八柱将をここまで完膚なきまでに打ち砕くとは! 流石は余のオシュトルじゃ!」

「勿体無きお言葉。して聖上の様子からして、同盟は……」

「うむ、余をもってすれば何のことはない!」

 

 もはや影武者である必要はない。

 自分は既に仮面を取り、いつもの恰好へと戻っていた。

 

「勝ったのか?」

「ハクか。よくぞ同盟を締結し、無事に帰ってきた。物資に関してはいささか消費が激しい。しかし、人的被害が少ないのが幸いか」

「……流石だな」

「そうでもない。籠城戦で最も辛いのは兵糧攻めと波状攻撃だ。しかし、全軍絶えず突撃してくれたお蔭で短期決戦に持ち込めたのでな」

 

 周囲を見渡せば、崖や砦から落としたであろう岩や、火矢、油壺の破片などが散乱していた。人的被害を減らすために、文字通り使いまくったのだろう。

 

「それで、オシュトル。なぜこの男を生かしているんだ?」

「む……交渉にて利用価値があるかと思い、生かしている」

「交渉?」

「それは、マロが原因なのでおじゃる」

「マロ!」

 

 随分やつれたように見えるマロロが、オシュトルの影から進み出た。

 

「マロロ殿をこちらに引きこめないかと勧誘していたのだが、マロロ殿の家はデコポンポに頼っているのでな。マロロとしても安易にこちらに来れば家族がどうなるかわからぬのだ」

「それで、デコポンポを?」

 

 正直、皇女さんに盾突いたらどうなるかの見せしめとしてはこれ以上ないんだがな。

 

「どうだハク。マロロ家の因縁、解消できるか」

「まあ、向こうの出方次第だな。とりあえず生かしておくのはいいが、自分が世話するのは嫌だぞ」

「……そうだな」

 

 二人してデコポンポを見る。

 いつも口うるさいデコポンポは難く口をつぐみ、何かを待っているかのようだった。

 まあ、どんな企みがあろうが、オウギには既にクジュウリ軍の進軍許可を伝えてもらいに行っている。完全な詰みだ。

 

「とりあえず、牢に連れてくか」

「ま、待つにゃも!」

「あん?」

「交渉などあのライコウがするはずはないにゃも! それよりも、本物の姫殿下を抱えるオシュトルと、大軍勢を従える儂が組めば、この戦は勝ちにゃも! 勿論、そんな役立たずの采配師が欲しいなら、いくらでもくれてやるにゃも!」

「……おい」

 

 マロロが悲しそうな顔をしたのを見て、思わず鉄扇をデコポンポの首筋にあてた。

 

「我らが友を侮辱するということは、どういう扱いを受けるかわかったうえで言っているんだろうな?」

「にゃ、にゃぷ……」

 

 その様子を見て、デコポンポは怯え始めた。

 それを止めたのは、マロロだった。

 

「ハ、ハク殿! よいのでおじゃる!」

「マロ?」

「確かに、マロは崖からの挟撃に気付きながらも何もしなかったでおじゃる。オシュトル殿を前に、何の献策もしなかったのでおじゃる!」

「こいつが聞かなかっただけだろ。マロは采配師として類まれぬ才を持っている。自分が保証するさ」

「……ハク殿」

 

 マロロは、何かを決心したように、こちらに向き直る。

 

「オシュトル殿! やはり、マロは友を裏切れぬでおじゃる! デコポンポ様を生かし、何とか我が家族の件の交渉、御頼み申すでおじゃる!」

「任せよ、マロロ。ハクが何とかしてくれる」

「なんで自分だけなんだよ!」

 

 マロロは、ようやく笑顔を見せ、気持ち悪くすり寄ってくる。

 

「ううう、ハク殿~、ありがとうでおじゃる~!!」

「ちょ、気持ち悪いからやめてくれ」

「ハク殿~!? 先ほどまでの熱い言葉は何だったのでおじゃるか!」

 

 その時だった。

 

「おい、何かが来るじゃない?」

「本当ですね。クジュウリ軍でしょうか?」

「クジュウリ軍とは?」

「オウギに援軍を要請させたんだ。」

「それは重畳……しかし――クジュウリではないようだ」

 

 オシュトルの言葉に、一際大きい牢のような馬車を見るが、これは――。

 

「やっときたにゃもか! ボコイナンテ、遅すぎるにもほどがあるにゃもよ! にゃぷぷぷぷぷっ! おみゃあらは終わりにゃも! わしの切り札を見て震えあがるがよいにゃも!」

「切り札……?」

 

 巨大な檻から何かが蠢く気配がする。

 そう、ボロギギリと対峙したような、人外の気配。

 檻をボコイナンテが開き、中から青い鎧のような皮膚をもった化物が出てきた。

 

「グオオオオオォン!!」

「……ガウンジかよ。ちと、マズイぜ」

「知っているのか、ヤクトワルト?」

 

 ノスリや、ヤクトワルトが、その正体を見て、警戒心を強めた。

 どうやら、ウズールッシャ奥地に生息する獣であるらしい。しかし、とても狂暴らしく、とてもじゃないが捕まえられるような獣ではないらしい。

 

「成程、腐っても八柱将か。あれを捕えるとは」

「ま、兵が百ほどまるっと消えてしまったにゃもが、些細な問題にゃも。ヴライとの傷も癒えていない今なら、空腹のガウンジがオシュトル共を噛み殺してくれるにゃも! 形勢逆転にゃも!」

「おい、こいつをガウンジの目の前に放るのはどうだ」

「そうしてやりたいが、どうせ手懐けてあるのだろう。逃げる機会を与えるだけだ。やるぞ、ハク。クジュウリ軍が到着してしまえば、被害は大きくなる」

 

 腹が痛いが、やるしかないか。

 アトゥイも間の悪い奴だ。ここにいれば、いい戦力になったのだが。しかし、いないものに気を払う暇はない。今いる戦力で最大限やるだけだ。

 

「ネコネ、ルルティエ、ウルゥル、サラァナ、マロロは後方支援だ! 背だけは見せないように気を付けろよ!」

「はいなのです!」

「はい!」

「「御心のままに」」

「わかったでおじゃる!」

「ノスリ、キウル、奴の注意を引け!」

「了解だ!」

「わかりました!」

 

 二人はすぐさま左右に分かれ、ガウンジと対峙する。

 

「旦那、俺はどうすればいいじゃない?」

「オシュトルと自分とともに、後方支援役に目が行かないようにする役だ。掴まれたら御終いだ。庇い合うぞ」

「応さ!」

「オシュトルはとどめを任せたぞ」

「ふっ、ハクも采配師として板についてきたようだ。任されよ。聖上は急ぎ砦へ」

「わ、わかったのじゃ!」

 

 アンジュとそれを護るようにルルティエが付き従う。しかし、背を向けて砦へ走ったのを見たガウンジが、獲物と見て飛び掛かる。

 

「させぬ」

 

 それをオシュトルが目の前に立ち、アンジュへの視線を塞いだ。

 ガウンジは、オシュトルに何かを感じたのか、大きく怯む。

 

「今だ! 皇女さんから気を逸らさせろ!」

「応!」

「了解です!」

「わかったでおじゃる!」

 

 キウルとノスリの矢が雨あられのようにガウンジに降り注ぐが、堅い鱗に阻まれまるで受け付けない。

 しかし、アンジュへの道は、マロロの呪文である火柱によって遮ることができた。

 これで、皇女さんに注意が向くことはない。

 

「こっちを見るじゃない!」

 

 ヤクトワルトが矢の切れ目に剣を振り、鱗に護られていない部分を探すかのように切り刻む。

 しかし、薄い傷がつくだけで、ガウンジはヤクトワルトを張り飛ばした。

 

「ぐっ……やるじゃない」

「危ないでおじゃる!」

 

 マロロがヤクトワルトとガウンジの間に火の柱を生み出し、ガウンジを怯ませることで、追撃を回避する。

 

「綱渡りだな……」

「ハク、一瞬でいい。某を奴の意識から外してほしい」

「どういうことだ?」

「奴は今、某を最も警戒しているのか、常に意識を向けてきている」

「……意識を外させればいいんだな? 任せろ」

 

 オシュトルが、ガウンジに近づきながらも、自らの存在を主張しないよう背後へ回る。

 しかし、すぐには無理だ。少しばかり準備がいる。

 

「オシュトル! 少し準備する! 気を逸らしてくれ!」

「あいわかった!」

 

 ヤクトワルトとオシュトルが斬りかかり、他がそれをサポートする体制を見ながら、デコポンポの元へ急ぐ。

 

 餌と飼い主を認識する要素はなんだ。

 匂いか、姿か、それくらいだろう。つまり、デコポンポに自分の服を被せて、奴の目の前に放り出せば、ガウンジの目にはどう映るか。

 オシュトルのことだ。必殺の用意があるはず。酷い話だがデコポンポも生き残る確率はあるはずだ。

 

「おら! 餌だぞ!」

「にゃぷっ!?」

 

 捕食の瞬間こそ、最も隙を見せるときだ。デコポンポをガウンジの目前へと蹴り上げる。

 動物であれば、空腹時に武器を持たない獲物を見ればどうしても意識が向くだろう。

 

 そして、それは正解だった。

 ガウンジは、顔の隠れたデコポンポが主人だとは思わなかったのか。牙をむいて食い殺そうとする。

 しかし、オシュトルは、その意識の外れた瞬間を言わずとも理解し、ガウンジの背中を駆けあがっていた。

 デコポンポに牙が届く前に、オシュトルの刀がガウンジへと届く。

 

「はあッ!!」

 

 オシュトルの刀が、ガウンジの目元から顎へと串刺しになっていた。

 

 ――あの堅い鱗の隙間をぬったのか、なんつう神業だ。

 

「グ、グォオオオオッ!!」

 

 しかし、まだ息があるのか、上に乗ったオシュトルを振り落とそうと暴れ始めた。

 突き刺さった刀を軸に、何とか操ろうとするオシュトルだが、滅茶苦茶に頭を振り回されているからか、翻弄されている。

 

 そして、オシュトルはある危機を感じ取ったのだろう、振り回されながらも、叫んだ。

 

「――逃げよ、ネコネッ!!」

「はっ――!?」

 

 ネコネに猛然と突撃するガウンジ。制御しようともがくオシュトル。

 

 このままでは――。

 

 一番に動いたのは、自分だった。

 

「――ネコネっ!」

 

 恐怖に硬直しているネコネを抱え、ガウンジの眼前から避けようと飛ぶ。

 しかし――。

 

「ぐっ!?」

 

 足が掠った。

 たったそれだけなのに、跳ね上げられるようにして空中を舞う。

 ――ネコネだけは護らねば。

 

 流れる景色の中、ネコネの頭を抱えて、何とか背中から着地した。

 

「かはっ……」

 

 一瞬呼吸が止まる。間一髪だったが、命は無事だ。骨は何本か逝ってるだろうが……背骨だけはカンベンな。

 

「ハクさん!?」

「ハク!」

 

 ガウンジは、そのまま門へと突撃し、事切れたようだった。

 オシュトルは刀を抜き去ると、すぐさまこちらに駆けよってきた。

 

「無事か!?」

「わ、わたしは無事なのです、でも……」

「ハク、ハク!!」

「……だいじょうぶ、だ。揺らすな。折れた骨が痛い」

「痛みがあるなら大丈夫だ。背骨は無事なようだな」

「そりゃ、よかった……」

 

 ガウンジの攻撃が掠った足にも、気絶しかける程の痛みがあったが、何とか痛覚が生きているなら、神経は無事だ。

 

「ど、どうなったにゃも、布で何も見えんにゃも!」

「で、デコポンポ様!」

 

 混乱に乗じてデコポンポを助けようとしたのだろう、ボコイナンテは縄を斬ろうとしたが肉にぴっちり埋もれているため斬れず、そのためデコポンポを抱えようとしていた。

 

「ぐ……お、おも、いので、あります……!」

 

 そのままべちゃりと地に這いつくばり、逃走は敵わなかった。

 

「……二人を捕え、牢に入れよ。全く、いらぬ被害を出させてくれたな」

「ハク! 大丈夫か!」

「派手に吹っ飛ばされたじゃない!?」

「ハク殿~! 死んではならぬでおじゃる!」

 

 わらわらと、ネコネと自分の元へ集まる仲間達。

 

「普段、お前らに叩かれているおかげか、随分丈夫になったみたいだ……ぐっ」

「動いちゃだめ」

「主様、今治療いたします」

「わ、私もするのです」

 

 三人から治療術をかけられ、体から痛みが徐々に引いていく。

 オシュトルは無事であることを確認すると、叫んだ。

 

「凱旋せよ! 後に来るクジュウリ軍を受け入れる体勢を整える。……ハクには担架を用意せよ」

「ったく、今回一番の功労者がそんな姿で凱旋して大丈夫か?」

「ふ、其方は某の影であろう? 目立つのは好きではなかろう。心配するな。礼なら用意してある」

「特別労働手当分、弾んでくれよ……」

「無論だ。楽しみにしているがよい」

 

 既に歓声が聞こえる中、空を見上げる。

 割にあわないとは思わなかった。確かに、自分たちは護ったのだ。

 

「しかし、オシュトルは流石だな……」

 

 横目で、宴を想像して悦に入る仲間たちを見ながら、思案する。

 この勝利と同盟を以って、先手を取ることができたはず。しかし、だからこそ、奴らの次の手は容赦ない一手となる。

 二国を相手に、どこまでできるか。戦力の増強がいかにできるかにかかっているだろう。

 砦内で合流した皇女さんに労われる。

 

「さ、今宵は宴なのじゃ! ハクは、今日は大人しくしておれ!」

「えぇ……自分も酒が飲みたいんだが」

「こんな怪我で……できるわけないのです」

「そうじゃぞ。まあ、どうしてもというのなら、今回頑張ったハクにお酌をしに行っても良いが……」

「そ、それはわたしがするのです」

「……ネコネ?」

 

 その言葉が意外だったのか、アンジュが疑いの目を向けたときだった。

 敵兵接近の合図である鐘が鳴り響いた。それとともに、伝令兵が駆けてくる。

 

「何事か」

「オシュトル様! 新手の軍勢が……!」

「クジュウリのものか?」

「いえ、間違いなくヤマトの旗です。旗印は見えませんが、おそらく……」

「そうか……ミカヅチか。あの時の約束を、果たしにきたか。今一度兵を集めよ! 城門へ急ぐ!」

 

 ミカヅチだと。

 デコポンポが負けるのを見越していたのだろうか。それにしても、早すぎる。

 

「自分も連れていってくれ」

「ハク、そなたはもはや戦えぬ。ここで大人しくしているのだ」

「戦うつもりはない。見たいだけだ」

「……わかった、もし戦となれば、マロロと共に献策を頼んだぞ」

「おう」

「任せるでおじゃ」

 

 本当にミカヅチなのか、もしミカヅチがいることを差し引いても、軍を見たところ少数だった。

 これならば、やがて来るだろうクジュウリの軍と挟撃すれば勝てない戦ではない。

 

「我は左近衛大将ミカヅチ! オシュトル! オシュトルは居るかッ!!」

「なんじゃと、ミカヅチに相違ないのか?」

「間違いなくミカヅチ様です!」

「ミカヅチとは……サコンとはノッちゃん、サッちゃんと呼び合った仲だぞ。友の危機に駆けつけてくれたに違いない!」

 

 そんな仲だったのかよ。

 口々に、ミカヅチまで仲間になってくれたと喜ぶ仲間達。

 しかし、オシュトルの表情が優れない。何かを悟っている。あの表情をどこかで見たことがある。あれは――。

 

「迎えに行きましょう、兄上」

「待て。皆にはここで待機していてもらいたい」

「オシュトル……?」

「ハク、ネコネ……聖上を頼む」

「あ、兄さま!?」

 

 オシュトルは、誰の呼びかけにも答えず、一人城門の外へと向かう。

 城壁から、オシュトルとミカヅチの対峙を眺める。

 

「ウルゥル、サラァナ……二人の会話を、拾えるか?」

「できる」

「この距離だと主様だけにしか聞かせられませんが、よろしいですか?」

「それでいい」

 

 そう、見たことがある。

 ヴライとの決戦の折、見せたあの表情だ。

 自らの死を覚悟した、目、顔、声。不安が胸を燻ぶる。胸騒ぎの正体。

 

「待たせたな、ミカヅチ」

「……オシュトル」

 

 どうやら、二人の会話は聞こえるようだ。脳内に響いてくる。

 

「覚えているか、我らが帝より近衛の大将を賜りし日のことを……」

「覚えているとも。我らが帝は、民と、姫殿下の守護を御命じになった」

 

 ミカヅチは、何かを想うかのように、胸に手を当て、やがて言葉を投げかけた。

 

「そう、御隠れになった聖上の命により、俺は民を護る。そして姫殿下の守護は貴様だ。だからこそ言う。貴様らは、ここで静かに息を潜めて生きよ。声を上げぬのならば、死人も同じ。死人に帝都は攻められぬ。そうであれば、俺は剣を振るわずに済む」

「……それは、できぬ相談だ。某にも、成しえねばならぬことがある」

「そうか、ならば……」

 

 ミカヅチは剣を抜きはらい、その剣先を差し向ける。

 決闘前のような雰囲気に、一同は困惑する。そして、中でも皇女さんは――

 

「ハク、二人は何をしておるのじゃ!?」

「……戦うつもりだ」

「っ!」

「姫殿下っ!」

 

 皇女さんは飛び出し、隠し通路へと走る。

 そのまま、オシュトルの元へと走った。

 

「待つのじゃ、ミカヅチ!」

「姫殿下、お久しゅうございます」

 

 ミカヅチは、皇女さんの姿を見ると、頭を深く垂れて跪いた。

 

「どういうつもりじゃ、ミカヅチ! 貴様ほどの者があの玉座に座っておる偽物を見極められぬのか!」

「我らが家臣団で、あれが姫殿下に見えるという者はいませぬ」

「ならば、なぜ余に剣を……!」

「それが、御父上であらせられる帝の勅命。一つは娘を、そしてもう一つは、ヤマトの民を護れと、そう命じられたが故に。我が命は聖上に捧げしもの。たとえ聖上がお隠れになられても変わりませぬ。帝都を、民を護ることこそが、我が使命。民の血が流され得られるものに、いかほどの価値があろうか!」

「う、ぐ……」

 

 皇女さんは、それで黙ってしまった。

 自分のすることが、罪深いことだとよくわかっているんだろう。

 

「姫殿下には、幸いオシュトルがおります故。お隠れになった聖上の勅命の一つは、必ずや果たされます。しかし、姫殿下が兵を挙げ、帝都に攻め入るというのであれば、亡き聖上の命により伐たねばなりませぬ。ここで静かに余生をお送りなされ……なにとぞ……」

「ミカヅチ、其方……」

 

 泣きそうになりながらも、しかし、首を横に振った。

 

「いやじゃ……ヤマトの次なる帝は、余じゃ! このヤマトが余のせいで二つに割れたことはわかっておる。しかし、余が、父上の想いを継ぐのじゃ!」

「左様、ですか……そう、学ばれましたか。ならば、今更帝都に上がったところで、悪戯に混乱を招くことも判っておいでの筈」

「それでも、余が、余がアンジュなのじゃ! この名は……御父上からいただいた、たった一つだけ残された最後のもの。この名だけは、絶対に……渡さぬ」

 

 涙をこらえ、そう叫ぶ皇女さんの前に出るオシュトル。

 

「今の聖上の言葉を真にすることこそ、某の成すべきこと」

「なら、オシュトル、死合うぞ。立ち会え。ここで決着をつけようぞ」

 

 ミカヅチは、ここでオシュトルを人柱にすることで、皇女さんの心を折るつもりなのだ。

 ネコネを気にかけていたように、皇女さんにも気にかけてくれているのだ。譲れない想いを前に、不器用なことだ。

 

「聖上、お下がりを」

「オシュトル、死ぬな。命令じゃぞ!」

「御心のままに」

 

 オシュトルなら勝てる。

 そう信じることができるのは、相手がミカヅチでなければの話だ。双璧とうたわれたものたち。その武は、互角。

 ああは言っても、オシュトルは未だ手負い。圧倒的に不利だ。

 皇女さんが下がったと同時に、ミカヅチも控えていたミルージュを下がらせた。

 

「俺もお前も、ただの一兵卒だったあの頃は……こうして毎日のように剣の腕を競い合っていたよなァ……。気が付けば、お互いに近衛大将の地位にまで上り詰めていた」

「そうだ。結局、決着はつかなかった」

「その決着を、今ここで」

「……我らは天と地、光と影」

「常に対となって、この国を、そこに住まう民を護る――拝命の時の誓いか」

「皮肉なものだ」

「ああ、敵味方に分かれ、互いの護るべきものをかけて戦うなど、考えもしなかったな。だが、これで漸く決着をつけることができる」

 

 ミカヅチは、剣を構え直し、じりじりと間合いを詰める。

 オシュトルもまた、柄を握りしめ、お互いの必殺の間合いを測っている。

 

 その時だった。

 オシュトルが誰にも聞こえない小さな声を発していた。

 

 ――ハク、鎖の巫女によって、声が届いているのであれば、伝えたいことがある。

 ――某は死ぬ。しかし、仮面(アクルカ)の力を用いれば、ミカヅチをも倒すことができる。ミカヅチがいなくなれば、もはや帝都への道を遮る最大の敵はいなくなる。だから――。

 

「後は頼んだぜ、アンちゃん……」

 

 背中が語るとはこういうことか。

 確かに、聞こえたオシュトルの覚悟。

 やはり死ぬつもりなんだ、あいつは。そして、全てを任せるつもりなのだ。自分に。

 

「さァ! 貴様の覚悟、見せてもらおうぞ! オシュトルゥッ!!」

 

 剣戟。

 空気が破裂するような荒々しい速度で、二人の剣が交差する。

 周囲には風が吹き荒び、二人の姿は残像が見える程の域に達している。

 

「あれが、オシュトルの本気……」

「……しかし、既に押されているじゃない」

 

 見れば、オシュトルの服に、傷が付き始めていた。

 未だ血はなくとも、剣が届き始めたのだ。

 

「どうしたオシュトル! その程度かァッ!!」

「はぁッ!」

「ぐッ!?」

 

 ミカヅチの剣戟を触れていないかのような流麗さで受け流すと、そのまま突きを放つが、ミカヅチに間一髪で受け止められる。

 

「そうだ、オシュトル! これは死合いぞ! もっと殺気を出せ!」

「ミカヅチ……すまぬ」

「……?」

「親友として、共に死のうぞ」

「……ッ!?」

 

 がきぃんと、鈍い金属音を鳴らしながら、ミカヅチはオシュトルの剣を振り払い、後退する。

 

「オシュトル……貴様……」

「某は、負けられぬ。だが、後を託せる者がいる。なればこそ、ここで死ぬのだ。許せ、友よ」

「オシュトル……!」

 

 オシュトルは、仮面に手を当てると、何事かを呟き始める。

 まずい――。

 

「ウルゥル、サラァナ、オシュトルが仮面(アクルカ)の力を使えば、死ぬのか?」

「……」

「答えてくれ!」

「死ぬ」

「今の状態で、ミカヅチ様と仮面の者(アクルトゥルカ)の戦いをしてしまえば、根源の力を限界まで引き出さねば倒せません。恐らく……」

 

 ヴライの最期、体が塩となって崩れたのを覚えている。オシュトルもまた、そうなってしまうのか。

 どうすればいい。

 もう少しで、クジュウリの軍が来るはずだ。それまでできる時間稼ぎ。

 

 あるにはあるが、この動かぬ体では――。

 

 躰を動かそうとするたびに走る鋭い痛み。もうボロボロだ。

 

「……オシュトルを救う方法はあるのか?」

「……」

「頼む。教えてくれ」

「主様にも使える」

「元々は、大いなる父のため、主様のためのもの。仮面(アクルカ)を被れば、力を引き出し、二人を止めることができます」

 

 懐に仕舞っていた、ヴライの仮面(アクルカ)を思い出す。

 手で触れると、ひやりと冷たい感触がした。これを使えば、後戻りはできない、そんな危険性を感じた。

 

「代償は」

「同じ」

「使いすぎれば、身を滅ぼします」

「しかし、使わなければ、オシュトルが死ぬ……か」

 

 横目でネコネを見る。

 心配そうに唇を噛みながら、震える手で杖を握りしめている。

 このままでは、またもや二人の前に飛び込んでいきそうだ。ヴライとの戦いのように。

 ――それだけは、勘弁だった。

 

「ヴライの力を引き継げば、助けられるんだな……?」

「……」

 

 ウルゥル、サラァナは、沈黙を守る。

 やり方次第か。

 誰もこちらを見ていない。

 今しか、ない。

 

「ぐ……」

 

 骨が軋む。

 仮面(アクルカ)を被ると、何かが顔面に食い込んだ。

 体が、動く――。

 

「!? ハクさん――?」

「旦那ッ――!?」

 

 唖然と見送る仲間たちを尻目に、どんっ、と城壁から飛ぶ。

 

 ――間に合ってくれ。それを使わないでくれ、オシュトル。せっかく生き延びたのに、お前はすぐ死のうとする。自分なんかに、後を託すな。お前の代わりなんて、自分にできると思っているのか。あんな仕事量はもうごめんなんだよ。

 

「使うなッ、オシュトル!!」

 

 空中に飛び出た体が、冷たい風に反して熱く煮えたぎっていく。

 咆哮とともに根源の力を引き出し、黒炎の風を纏った体が、異形の姿へと変貌していく。

 

「オオオオオオオッ!!」

 

 オシュトルとミカヅチの間へと、黒々とした巨体となった自分が砂煙と黒炎を巻き上げながら降り立った。

 

「!? ぐっ――がはッ!?」

「ソコデ大人シクシテオケ、オシュトル!」

 

 衝撃で後方に吹っ飛ばされたオシュトルにそう告げ、ミカヅチと対峙する。

 

「――剛腕のヴライ、だと!?」

 

 決闘に水を差された者への怒りの感情よりも、ミカヅチは驚愕と戸惑いの方が大きかったようだ。

 

「何故貴様が――」

「オシュトルハ我ノ獲物。ココデ死ンデモラッテハ困ル」

 

 吹きあがる黒煙をものともせず、ミカヅチは対峙している。その蟀谷には力が籠り、邪魔をされたことを憤慨しているようだった。

 

「ふん。どういう経緯かは知らんが、相手になると思っているのか? たとえ貴様であっても、オシュトルとの死合いを邪魔した罪は重いぞ」

「ホザケ、ミカヅチ! 我ガ勝ツ!」

 

 黒炎を纏った右腕で、ミカヅチを襲う。

 ミカヅチは大剣で拳を受け止めるが、想定以上の力に受け止め切れずにミカヅチの体が後方に吹っ飛んだ。

 恐ろしいまでの力。これが仮面(アクルカ)の力か。

 

「ぐッ――腐っても、仮面の者(アクルトゥルカ)……剛腕のヴライ、か! なれば……仮面(アクルカ)には仮面(アクルカ)しかあるまい。我は鳴神也。仮面(アクルカ)よ。無窮なる力以て、我に雷刃を――」

「良イノカ、ミカヅチ。モウクジュウリノ騎兵ガ迫ッテイル。我トクジュウリ軍デ挟撃スレバ、ウヌラハ尽ク死ニ絶エル」

 

 ミカヅチは、ヴライがそんな冷静な言葉を吐くとは思わなかったのか、仮面から手を離した。

 

「ふん……刻限か。ヴライ、貴様随分と頭が回るようになったものだな」

「我トテ、ココデ決着ヲ付ケルコトハ望マヌ。我ラニハ、戦ウニ相応シイ決戦ノ場ガアルトハ思ワヌカ」

 

 ミカヅチは、一応クジュウリが攻めてきていることを知り得ていたのだろう。驚くほど素直に剣を引いた。

 

「……いくら俺でも、仮面の者(アクルトゥルカ)二人を相手には苦しいか。次は、戦場で逢おうぞ、オシュトル。そして、ヴライ。全軍、急ぎ撤収せよ。クジュウリ軍の足止め部隊にも引けと伝えろ」

「か、畏まりました!」

 

 ヴライの姿を見て驚いているのは、ミカヅチだけではない。

 敵兵も怯え切っていた。まさか、オシュトルとヴライが協力関係にあるとは、と。

 今回きりの嘘であるが、これで情報収集に少しは時間をかけるだろうし、その分、砦の補修と調練に時間をかけられる。

 

 後退していった朝廷軍をそのまま見送った後、オシュトルに振り返る。

 

「其方……ハクか」

「アア……」

「また……其方に救われたな」

「オ前ハ真ッ直グスギル。頼ムカラ、死ンデ自分ニ全部押シ付ケルノハ勘弁シテクレ。ネコネガ泣イテタゾ」

「……ああ、もう二度とこのようなことはせぬ」

 

 どうだかな。

 お前はどこまでいっても、笑って死ねる漢だから。

 

「トリアエズ、働キスギテ疲レタ……宴ニハ参加デキソウニナイカラ、酒ヲ、残シテオイテクレルか――」

「ハク……?」

 

 力が抜けていく感覚。

 巨体のまま背中から倒れ、そのまま視界が暗転した。

 

 

 




ヴライの仮面引き継いじゃいました。
このまま影武者作戦も良かったけど、こっちの方が面白いと思いまして。
ヴライがいなくてエントゥアが味方だからこそできる展開ですね。

オシュトルさんのデコポンポ攻略に関しては、少しずつハクの影響を受けて、自身の隙である甘えが無くなっていった結果だと思うんです。なので圧勝という展開に。
オシュトルの用兵術+オシュトルの武力+ハクの狡賢さ=最強。

ガウンジよりボロギギリが強いんじゃないかと思いますがどうなんですかね。
ボロギギリからは逃げるだけですけど、ガウンジとは戦いますし。ムネチカさんがガウンジ殴り殺してましたし。


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第十一話 サボりしもの

仮面つけてようが、だらだらしないとハクじゃない!



 帝都にある会議室で、ライコウは目の前の盤面を強く叩き激怒する。

 不可解なことが起こりすぎているのだ。

 

「どういうことだ、シチーリヤ」

「し、しかし……」

「報告は間違いではないのか。それが正しいとすると、クジュウリとエンナカムイに同時にオシュトルがいたことになるぞ。そして、ヴライだと? なぜ奴がオシュトルに協力する」

「……それは、わかりません。もしかすれば、ヴライ将軍でない可能性も……」

「それはわかっている。ヴライでない可能性の方が高い。しかし、仮面(アクルカ)の力を使い得る存在がいることに変わりはない。奴の持ち得る手駒を甘く見ていたか……!」

 

 デコポンポも生きて捕えられ、しかもガウンジまで失った。

 これでは、オシュトルがガウンジを用いてデコポンポに対し卑怯な手段で勝ち得たという噂を流布したとしても、効果は薄い。エンナカムイの惨劇として各国にエンナカムイへの経済制裁をすることもできず、一足先にクジュウリとの同盟まで結ばれた。

 

「ミカヅチを呼べ! とにかく、どちらが影武者であったか知る必要がある」

 

 通信兵を呼び、ミカヅチと交信する。

 

「どうした、兄者」

「貴様が見てきたこと全て話せ、あのエンナカムイで何を見てきた」

「草にて報告した通りだ。エンナカムイにいたオシュトルは本物。決闘中に砦から飛び出してきた者が仮面の力を使い、この俺に手傷を負わせた」

「つまり、その後から援軍に来た者が、オシュトルの影武者である可能性は」

「顔は見えていない……そして、仮面はオシュトルのものとは違う、ヴライの仮面であった。そして、仮面の力をも引き出すことができる、仮面に認められし者」

「つまり……そ奴はヴライだと? 俺の知る限り、ヴライは一度決めれば容易には言葉を曲げぬ。であれば、オシュトルと共闘などあり得ぬ」

 

 ライコウは苛立たしく、通信を切ると、地図上にある青色の駒の横に、新しく赤色と、白色の駒を置いた。

 

「もしヴライだとしても……いや、ヴライだからこそ、あのオシュトルの影となり、オーゼンから色好い返事をもらうことなどできようはずがない。優秀な誰か別の者がいると考えるのが普通だ……シチーリヤ、その男の情報を集めよ。一刻も早くだ」

「はっ」

 

 エンナカムイ包囲網は既に崩れかかっている。

 思っていたよりも随分早く、このヤマトは二つに割れた。

 未だこちらの忠誠を誓うものは多いものの、あのクジュウリが認めたということで裏切るものも出てくるであろう。

 であれば、見せしめがいる。そして、その見せしめを見てなお、帝都に逆らうというものは、まとめて叩き潰すのみ。

 

「予定を変え、ナコクの攻略準備を急ぐ。ミカヅチ、貴様が司令塔だ」

「承知」

 

 まさかこのライコウが先手を取られるとはな。

 オシュトル。貴様はこのライコウの対抗馬として十分すぎる実力を示した。であれば、こちらも本気で潰しに行く。精々耐え抜いて見せろ。

 そして、亡き帝を越え新たな時代を作るには、貴様と貴様の抱える姫殿下では不十分であることを決戦の場で示してやろう。

 

「……ライコウ様」

「何だ」

 

 シチーリヤがまだ何かあるのか、下がらない。

 苛立たし気に問い返すと、恐る恐るといったように、質問してくる。

 

「あの……デコポンポ軍はどういたしましょうか?」

「接収しろ。デコポンポ自体が死んでいようがいまいが、それは変わらぬ」

「しかし……エンナカムイよりデコポンポの引き渡しと、マロロという采配師の家族交換の提案がなされていますが……」

「無視しろ。接収に反対する者には、聖上の御言葉を疑うのかと言え。それに、今更デコポンポに義理堅い者もいまい。デコポンポを手元に置いておく事は毒になりこそすれ、薬にはならぬ。奴には牢獄でこれまでの人生を振り返らせておけ」

「了解、しました」

 

 シチーリヤを下がらせようとしたが、しかし盤上の赤と白の駒を見て、シチーリヤを呼び止める。

 

「待て、シチーリヤ。その交渉、誰が来る?」

「オシュトルと、その采配師一人の計二名であるとか」

「何? マロロではなく、か?」

「名前は書いていません」

「……」

 

 オシュトルの、采配師だと?

 マロロのことは俺も高く評価している。だからこそ、交渉には直接マロロが来ると踏んでいたが、オシュトルにマロロ以外の采配師だと?

 

「気が変わった。その交渉の場はどこを指定してきている?」

「エンナカムイ国境近くの関である、ルモイの関を指定しています」

 

 ルモイの関か。

 エンナカムイにとって交易路の中心と言ってもいい場所だ。

 もし奴らがエンナカムイより大軍を率いて各国行脚する場合、真っ先に攻略しようと考えていた場所だ。

 

「何時だ」

「それが……来月の下旬を指定しています」

「……何?」

 

 随分悠長なことだ。

 人質が有用であれば、情報を引き出すために時間をかけることはありうる。しかし、デコポンポにその価値がないことなど、奴らは知り得ている筈。

 早々に時期を決定し、こちらの準備が整う前に交渉の席につくのが定石だ。

 

「わからぬ。まるでわからぬ。機敏であるかと思えば、一転して悠長に構えている。奴らの狙いは何だ」

 

 一月以上先にしなければならぬ理由とは何だ――。

 盤上の駒をじっと見つめた後、ふとヴライを模した赤の駒を倒す。そして、残った白の駒を見つめる。

 

「……仮面(アクルカ)の力は、負担が大きい。それはミカヅチからも聞いている。であれば……」

 

 新たに現れた仮面の者(アクルトゥルカ)は……怪我を、している。もしくは、動けぬ状況に陥っている。

 しかし、仮面の力を使うことの出来る程の者が、果たして奴の配下に――。

 

「まさか……」

 

 そこで、かつて、帝より鎖の巫女を頂戴した男の顔が浮かぶ。ずっと不可解であった。なぜ仮面(アクルカ)を鎮めることのできる唯一の存在を、姫殿下を救ったとはいえ名も知れぬ男にくれてやったのか。

 帝が既にあの男の価値を認めていたとしたら――?

 仮面の力(アクルトゥルカ)に相応しき漢だと考えたが、既に四人に仮面を渡しているから、それに及ぶものをくれてやったのだとしたら――?

 

「シチーリヤ。デコポンポもマロロの家族もどうでもよいが、敵を知るため俺とミカヅチで交渉に参加する。しかし、返事は急くものではない。交渉の場は敵国内。こちらも万全の準備を整えてから返答する。デコポンポ軍の調練と、デコポンポを裏切った元お抱えの蟲使い共に新たなガウンジを調教させておけ」

「はっ」

 

 そして、件の交渉の場を有利に進めるため、もう一つ布石を打つ必要がある。

 今までじっと側に控えていたウォシスに声をかけた。

 

「ウォシス」

「はい?」

「貴様の出番だ。影を見極め……影を殺すか、捕えよ」

「方法はいかがなさいますか?」

「貴様の好きにしろ」

「……わかりました。影を務めている者に心当たりがあります。まずは、それとなく探らせましょう」

 

 ウォシスが闇に消え、会議室に静寂が訪れる。

 

「オシュトル。貴様の自慢の手足、まずは捥がせてもらうとしよう」

 

 帝都には、相も変わらず陰謀が渦巻いていた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 暗闇の中、自分は布団で四六時中ごろごろしていた。この一週間程、風呂トイレ以外はこの部屋から出ていないように思える。

 そんな時だった。

 

「ハクさん、いるですか?」

「ネコネか? どうした?」

「入りますです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 自分に体を密着させ、肩をもんでいたウルゥル、サラァナの二人を引き剥がし、ごろんと寝床に戻る。

 

「いいぞ、入ってくれ」

「それでは、お邪魔するです」

 

 ネコネはすっと入ってきた時、こちらの姿を見て沈痛な表情となり、すぐにその表情をぎこちない笑みに変えると、こちらに来る。

 

「御体はどうなのです? ハクさん」

「まだ、ちょっと動かないな」

「そ、そうなのです、か……」

 

 シスからやられた腹部の怪我に、ガウンジに足と背をやられ、オシュトルの代わりにミカヅチと戦うため、仮面の力まで使ったことで、体に大きな負担がかかった。

 力を引き出す代償なのか、仮面は自分の顔から剥がれなくなり、骨はあちこち軋み、筋肉は全身が内出血を起こしたかのように痣だらけだった。仮面の種類やそのものの適正によって「力」の発現に違いがあることは知っている。ヴライの仮面は、自らを治癒することなどせず、ただただ自らの体ごと破壊に振りきった性能をしているのだろうか。

 

 自分はその影響で永遠に寝たきりとなったのだ――というのは嘘で、実は驚くほどすぐに怪我も治り体は動き、正直走ることもできるのだが、さぼりたい一心で嘘をついたところ、皆が信じてしまった。

 風呂やトイレなどは双子が介抱している設定なのでバレる心配はないし、疑う以上に随分な満身創痍に見えたのだろう。まあ、何だかんだ体にガタがきたのは確かなので、少し休ませてもらおう程度に考えていたのだが。

 

「ごめんなさいなのです……兄さまの代わりに、こんな……」

「いや、気にするな。自分が勝手にやったことだ。ネコネのせいでも、オシュトルのせいでもないさ」

 

 どうやら、ネコネはかなりの罪悪感を持ってしまったようなのだ。

 勿論、オシュトルと、それを庇うであろうネコネのため、という理由は確かにある。あの時オシュトルのもとに走り、結果的に仮面(アクルカ)の力を使ったのは、ネコネが同じようにミカヅチの前に飛び出そうとしていたことが大きいだろう。

 しかし、仮面の力を使おうとしたのは自分なのだ。それに、実は治っていますと言わずに、嘘をついちゃったのも、自分なのだ。

 

 ネコネがこうして悲痛な表情で甲斐甲斐しく介抱し始め、周囲もそれを信じてしまったため、嘘でしたともいえない。それに、治ったと言えばまた仕事が舞い込んでくる。それは勘弁してほしかった。

 

「あの……何か、してほしいこととか、あるですか?」

「そうだな……トリコリさんのご飯が食べたい……」

「は、母さまをここに来させるつもりですか?」

「いやいや、こっちから……」

 

 そこでおかしいことに気付いた。

 そうだ。自分は寝た切りなんだからこっちからもあっちからも無理なんだった。

 

「いや、やっぱ、そうだよな。無理だよな……」

「しょ、しょうがないのです。代案があるのですよ」

「ん? 何だ?」

「最近、私は母さまから料理を習っているのです。ですから、母さまのご飯と私のご飯は一緒ということです。食べたいというなら、私がご飯を作るのです」

「はあ」

「では、作ってくるのです。少し待っててくださいです!」

 

 ふんすふんすと鼻息荒く、任せろのオーラを背に纏って部屋を出ていくネコネ。

 別に習っていようがいまいが、トリコリさんの料理=ネコネの料理ではないんだがなあ。

 

 ちなみに、ネコネの料理は、トリコリさんの料理には到底及ばないおいしさの筈だったが――。

 

「ハクさんは、今手が使えないですから、仕方がなく、仕方がなくなのですよ――ほら、あーん……なのです」

 

 顔を真っ赤にして箸で掴んだものを差しだすネコネ。

 甘んじて受け入れるが、改めてそれなりの危機感を感じ始めていた。

 

 ――怪我は嘘だと言ったら、二度と脛が使い物にならなくなるな。

 

「美味しいですか?」

「あ、ああ、まあな」

「ふふん。当然なのです。あ、お酒はダメなのですよ。わたしの美味しい料理で我慢するです」

 

 結局、ネコネにいつバレるかという緊張感で味が全然わからなかったのだった。

 

 ネコネが帰って暫くして、また誰かが戸を叩く。

 

「ハク、少しよいか?」

「ああ、構わないぞ」

 

 次の訪問者はオシュトルか。

 毎日毎日ご苦労なことだ。

 

「ハク、シス殿が某に接する際のことなのだが」

 

 ぎくりと、肩を震わせる。

 そういえばオシュトルの影武者の時、色々やってしまったからな。

 

「やはり気のせいではなく、随分と距離が近く感じるのだ。遠征にてシス殿に何を言ったのだ」

「……」

「何やらやたら腹部の怪我を心配される。もう治ったと言うと、めくって確かめようとしてくる。一体どういうことなのだ、ハク」

「……そういうことだ」

「ふむ。ネコネに聞けば一騎打ちまでしたと。大変勇ましく結構である。それができるよう鍛えたのだからな……しかし、遠征のたびに女性を連れて帰るようでは、これからも其方に交渉事を任せるのはいささか不安であるな」

「……すまん」

 

 オシュトルには言われたくないが、一応謝る。

 だってオシュトルに惚れている女性を数えたら、ヤマト一だろ。

 

「まあ、それはよい。誤解を解けばよいだけのこと。して、本題に入ろう――そろそろ、起きられてはいかがかな。ハク」

「な、何のことだ?」

「某の目は誤魔化せぬよ」

「……」

「仕事をしろとは言わぬ。我が母上がハクのことを随分心配している。顔を出してきてはいかがか」

「マジで? トリコリさん、自分のことを?」

「マジだ」

「……わかった、行くよ」

「……やはり、嘘だったのだな」

「あっ、オシュトル、お前――」

 

 どうやら鎌をかけられたようだった。

 オシュトルは口の端を歪め、薄く笑った。

 

「ふ、ハクの献策は読めぬが、普段の行動は読めるのでな」

「く、くそ~」

「まあ、暫く休養することは礼として提供するつもりであった。しかし、こういった嘘をつかれては、少々減給するのも吝かではない」

「勘弁してくれ、オシュトル。ネコネにばれたら今度こそ動けない状態になっちまう」

 

 あ~んまでしてくれたからな。減給よりもそっちが怖い。

 

「……ならば、聖上の面倒を見てはもらえぬか」

「皇女さんの? 面倒ならいつも見てるだろ」

 

 寝た切りだっつってんのに、遊べ遊べと部屋に特攻してくるのは皇女さんくらいのもんだ。

 

「うむ……実は、聖上が市井の民の暮らしを見てみたいというのだ」

「ま~た悪い癖が出たのか?」

 

 賭博場だの、走犬場だの、飯屋だの、皇女さんと色々見て回った記憶がよみがえる。

 しかし、話によると、この国の民が快く自分を受け入れてくれたことに感謝したいが、この国の民のことを何も知らないから、というのが理由らしい。

 

「どうせ、元気が有り余ってるんだろ。重いもんを持ちあげてはどうじゃどうじゃと最近元気さを主張してきて五月蠅いんだ。んで疲れたら勝手に横で寝るし」

「否定はせぬがな。しかし、志は立派である。ぜひとも協力してほしい」

「自分が? なんでオシュトルが対応しないんだ? その辺の家を覗いてくるだけだろ?」

「……聖上は帝の後継者であり、その存在は高潔なるものでなければならぬ。民も委縮してしまうであろうし、聖上の思いもよらぬ行動が悪影響をもたらすとも限らぬ。しかし、某では、聖上の御行為を止めることなど恐れ多く……」

「……自分はいつも止めているみたいな言い方だな」

「違うのか? 聖上にあれだけ物申せる者は、世界広しと言えどハクとクオン殿くらいであろう」

「……オシュトルって、皇女さん苦手なのか?」

「……」

 

 それは聞くなという顔をされる。

 まあ、亡き帝の形見だのなんやらかんやらで、強く言えないってのもあるのかもな。

 帝都在住時代、ウコンの時にアンジュを見て、思わず「げっ」って叫んでいたし。

 

「……わかった、任せろ。だが、嘘ついてたことは見逃してくれよ」

「無論、聖上の御機嫌を損ねることのない献策ができれば」

 

 そういった会話をオシュトルとした翌日。

 皇女さんはオシュトルから何か聞き及んだのか、嬉々として部屋に突撃してきた。

 

「ハク! なにやら余のために、市井の暮らしを体験させてくれるそうではないか! うむうむ。その忠誠心、褒めてつかわすぞ!」

「一応、まだ体が痛いんだが」

「ハク。そなたならば動けると信じておるぞ」

 

 まったく、すぐ調子に乗りおって。

 

「とりあえず、皇女さんがいても違和感のない家ってのは中々ないんでな。だが、一応見つけたぞ。信頼のおける者の家で、家の中に堂々と入ることができ、警備の者達がいても不自然ではない家――オシュトルの家だ」

「オシュトルの?」

「ああ、トリコリさんというオシュトルの母親がいるんだ。少し目が不自由しているから、皇女さんは……自分の姪で、新しくオシュトルに仕える前に、女官としての経験を積ませたい、という設定でお願いするのはどうだ」

「ハクの姪……」

 

 未練だな。

 思わず姪といってしまった。チイちゃんの顔をした皇女さんを見ると、どうしてもそういったことが思い浮かぶ。

 

「まあ、妹や娘でないだけマシか……乗ったのじゃ! オシュトルの御母堂なら、いずれ挨拶せねばと思っていたしの!」

 

 オシュトルに許可は取ってないが、まあ、こっちに任せたみたいだしいいだろ。

 

「よろしく頼むのじゃぞ――おじちゃん?」

「あ、ああ。任せろ」

 

 やはり、未練だな。

 ここまで心動くとは、思ってなかった。チイちゃんそっくりの子、兄貴の想いが今ならわかるな。

 

「じゃ、行くか」

「うむ、道案内よろしく頼むぞ。おじちゃん? あ、そうじゃ、足腰ガタガタのおじちゃんのために、余が担いでやるぞ? むっふっふ、どうじゃ、おじちゃん?」

「……」

 

 姪におんぶされるとかどんな罰ゲームだよ。

 おじちゃん呼びが気にいったのか、皇女さんはおじちゃんおじちゃん連呼し始め、姪設定は、やっぱ失敗だったかな、と後悔するのだった。

 

 昼時、そのままアンジュとともに、オシュトルの家に訪問する。

 アンジュを外で待たせておいて、戸を叩く。暫くしてトリコリさんが顔を出した。

 

「どうも、トリコリさん。ハクです」

「あら……ハクさん。お久しぶりね……最近あまり顔を見せないものだから、心配していました。さ、どうぞ中へいらっしゃって」

 

 案内されるがままに、中に入る。皇女さんには、未だ外で待機させている。

 居間で少しの雑談の後、居住まいを正し、本題を切り出した。

 

「実は、今日来たのは、個人的なお願いをしたくて来たんです」

「お願い? あら、何かしら。いつもお世話になっているハクさんなら、大抵のことは聞くけれど……」

「実は……自分の姪なんですが、オシュトルの女官として仕えることとしまして」

「あら! ハクさんに、姪が?」

「ええ、ただ、お恥ずかしい話なんですが、熱意はあれど、えらく不器用で……このままオシュトルに仕えさせるのもいかがなものかと考える次第で」

 

 横戸の向こうから唸り声が聞こえる。

 まだ出番ではないというのに、自分の言葉に何かひっかかったようだ。

 

「あらあら、息子に仕えて頂けるだけでもありがたい話ですのに……」

「いえいえ、やはり右近衛大将ともなると、傍には一流ばかり。縁で自分の姪を紹介しましたが、とんだじゃじゃ馬でして。このままでは恥をかかせてしまいます。そこで、迷惑なのは承知していますが、是非トリコリさんの家事手伝いを通し、経験を積ませたくて……」

「いずれ、家族ぐるみの付き合いになるハクさんからの頼みですもの。勿論、構いません」

「あ、ありがとうございます。このお礼は必ず……」

「お礼ならいいの。いつもハクさんからは美味しいお菓子を作ってもらったり、家事を手伝ったりしていただいているもの……そのお返しだと思って」

「いえ、それでは自分の気が済みません。また、何か入用でしたら、ぜひ自分をお呼びください」

「ふふ。ありがとう、ハクさん」

「では、呼びますね。入りなさい」

「は、はい!」

 

 横戸を力の限り開けて、ずんずん入ってくる皇女さん。

 緊張は伝わってくるが、それを補って余りある堂々さに少し呆れた。

 しかし、トリコリさんは気にした様子もなく、目の前に現れた少女に顔を向けた。

 

「……お名前はなんと言うのかしら?」

「は、はいぃっ!! その、新しくオシュトルの女官となったアンなのじゃ……よろしくお願いするぞ」

「アン、よろしくお願いします、だろ?」

「む……よ、よろしくお願いします」

「ふふ、こちらこそ、よろしくお願いします。息子に仕えて頂いてありがとう」

 

 挨拶が終わり、トリコリさんは早速といったように、皇女さんに掃除のやり方を教え始めた。

 掃除に既に悪銭苦闘する皇女さん。

 それを優しく教えるトリコリさん。ようやく掃除が終わり一息といったところで、まだ仕事があるとトリコリさんが言うと、皇女さんはえらく驚いた。

 

「何、これ以外にも仕事があるのか!? 市井の生活とはかような忙しさなのか……」

「すいません。姪は随分な箱入り娘で……」

 

 こうしてフォローいれても隠しきれないほど不自然だぞ、皇女さん。

 

「いいのよ。さ、アン。水を汲んできてくれるかしら。夕餉の準備を始めないと」

「夕餉? 日はまだ高いではないか」

「水を汲んで、食材を下ごしらえして、煮炊きすれば、出来上がる頃には夕刻だもの。それにアンはまだ慣れていないみたいだから、もっと時間がかかるんじゃないかしら……あ、もしかしたら、今日はご飯が食べられないかも?」

「そ、そんなぁ」

「ふふ、頑張って。ひと段落ついたら、美味しいおやつが待ってるから。ね、ハクさん」

 

 自分が作るのか。まあ、トリコリさんに頼まれたら断れないな。

 

「おお、おじちゃんのおやつか。それは楽しみじゃの! うむ、頑張るのじゃ!」

「いい子ね。私もハクさんのお菓子は久々だから、楽しみだわ」

「ま、任せてください」

 

 そうして、自分が台所でお菓子作りに励んでいる間、横では皇女さんとトリコリさんは夕餉の準備にかかっていた。するすると綺麗に皮むきをしたり、包丁で切ったりする行為を見ても熟練の技だとわかる。皇女さんは、それを感嘆の瞳で見ていた。

 

「おお、なんと見事な……御母堂は目が不自由ではなかったのか!?」

「既に手が覚えているから、見えなくてもわかるのよ。アンもこれくらいできるようにならないと、お嫁さんになるのは難しいかしら?」

「なっ、それは真か!?」

「そうねぇ、殿方を射止めるには胃袋を捕まえるのが一番なんだから」

「むぅ……」

 

 ちらりとこちらを見る皇女さん。

 

「なるほど……確かに、胃袋を掴まれておると弱くなるのぉ」

「ふふ、それでは逆ね。助言するとしたら、料理をするうえで大事なのは真心を込めること、丁寧に、丁寧に、ね」

 

 見よう見まねで、皇女さんはゆっくりと包丁を動かすと、トリコリさんは笑みを深めた。

 

「はじめてにしては筋が良いわね。息子のお嫁さんになってくれないかしら」

「息子!? そ、そそそそ、それは、お、オシュトルのことか!! い、いや、じゃが、しかし、その……」

「もしかしたら、他に誰か好きな方でもいるの? だったら、残念だわ」

「そ、それは……う、ううううぅ……そ、そんなことないのじゃ!」

 

 なぜこっちを睨む。

 しかし、民の生活を知りたいという言葉も、帝都にいた頃と全然意味が違うな。皇女さんも成長しているということで、自分もお菓子作りに精を出しますか。

 

「さて、水炊きする前に、少し休憩にしましょうか」

「菓子か!?」

「ええ」

「もうできてるぞ。アン、居間に持って行くのを手伝ってくれ」

「うむ。任せるのじゃ!」

 

 居間の食卓を囲み、作った菓子を頬張る。

 うん。ルルティエに敵わないまでも、良い出来だ。

 

「相変わらずハクさんのお菓子は美味しいわ」

「いやぁ、そんなそんな」

「いや、ハク! 菓子作りに関しては天下一じゃ!」

「お菓子だけかよ」

 

 そんなやりとりに、トリコリさんが笑う。

 和やかな空気のまま、菓子を食べ終わり、皇女さんが率先して皆の皿を片付けに行く。

 居間にトリコリさんと二人残ったところで、気になることを話した。

 

「どうでしたか、私の姪は」

「あなたの言う通り、熱意は十分ね。でも、不器用なんかじゃないわ、やり方を知らないだけ……ネコネと似た者同士ね」

「そうですか?」

「ええ」

「あ、そういえば、ネコネが料理を教えてもらっていると言っていましたね。ネコネにも誰か気になる人が?」

「ふふ、そうみたい……娘と久しぶりに家事ができて、私は嬉しいのだけど……オシュトルはああ見えて気が気でないみたいね」

 

 まあ、そりゃ大事な妹だもんな。

 どこの馬の骨に惚れているかわかったもんじゃないからな。

 

「ネコネは相手に気付いてもらえなくて随分悩んでいるみたい」

「そうなんですか?」

 

 まあ、オシュトルが妹の恋愛感情に気付いたらそれはそれで困ったことになるしなあ。

 叶わぬ恋というのは悲しいものね。

 

「ええ、あの子が傷つかないよう、しっかり見ていてあげてね。ハクさん」

「はい、勿論です」

「そういえば……もう少しでネコネが来る時間だわ。このくらいの時間から、いつも料理を一緒に作っているから……」

「な、なんですとっ!?」

 

 まずい。この前寝た切りを披露したばかりなのに、こんなに動いていたら怪しまれるぞ。

 それに、皇女さんがこんな形で家に来たことなんて知らないだろうし。

 

「母さま、ネコネが帰ったのです」

 

 外から、そう呼ぶ声がする。

 本当に来てしまった。

 

「あら、噂をすれば、ね。ハクさん、申し訳ないのだけれど、ネコネを出迎えてくれる」

「は、はあ。任せてください」

 

 トリコリさんにお願いされては断れない。

 オシュトルにもネコネにも許可を取ってないのに、こんなことをしているとばれたら、というかサボっていたことがばれたら……。

 

「よ、ようネコネ」

「……ハク、さん? え、なぜ家にハクさんがいるのです?」

「こ、これには深ーい訳があってな」

「……もう歩けるのですか?」

「あ、ああ、おかげさまでな。ネコネの料理が効いたのかもな、ははっ」

「そうですか。母さまもハクさんのことは心配してたですから、顔を見せに来ていただいたのです?」

「ああ、そんなとこだ」

 

 あれ、何だかネコネが優しいぞ。

 

「とにかく、中に入れてほしいのです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「?」

「じ、実はな……」

 

 そこで、オシュトルから頼まれ事をしたこと。皇女さんがいまアンという自分の姪としてトリコリさんの傍仕えとして働こうとしていることなど、説明する。

 

「……一つ疑問なのです」

「なんだ」

「兄さまはこのことを知っているのですか?」

「……事後報告だ」

「……」

 

 ネコネの右足が脛を蹴ろうとする動作をしたので、一瞬身構えたが、ネコネの足は空中で制止し、そのまま戻った。

 

 

「はあ、怪我人でなければ蹴るのですが……しょうがないのです」

「すまん」

「とにかく、終わったらすぐに報告してくださいです。それに、動けるようになったなら、わたしにも早く言ってほしかったのです」

「……」

「なんなのです?」

「何だか――優しくなったな」

「うなっ!?」

 

 ぼんと音が出るかのように、頬を染めるネコネ。

 

「わ、わたしだって怪我人に鞭打つなんてことはしないのです! それとも、脛を蹴り上げるのがハクさんにとってお望みなら、そうしてやるのです!?」

「わ、悪かったって! と、とりあえず、中に入ろう、な?」

「全く、誰のせいで、ここで足止めをくらったと思ってるですか。ほんとハクさんは自分勝手でダメダメな人なのです」

「悪かったって。だが、なんで今日はトリコリさんのところに?」

「夕餉のお手伝いなのです」

 

 それだけのために、結構歩くここまで来たのか。偉いなあ。

 とりあえず、中に入れると、皇女さんは驚いたが、ネコネがうまくフォローしてくれたおかげで、事なきをえた。

 

 トリコリ、ネコネ、アンの三人で夕餉の準備をするのを眺めながら、居間で寝転がる。

 やがて、美味しそうな匂いが漂ってきて、できたことを報せてくれた。

 

「「いただきます」」

「いただきますなのじゃ!」

「いただきますです」

 

 机に並ぶ色とりどりの食事に、美味しい美味しいと舌鼓を打ちながら、楽しい食事をした。

 

「ふふ、こうしてみると、娘がもう一人できたみたい……ね、ハクさん」

「え、ええ。そうですね」

「……」

 

 トリコリさん、なんでこっちに同意を求めたんだろうか。

 これじゃあまるで、夫婦みたいじゃないですか。

 

「いたッ――!?」

「あ、ごめんなさいなのです。ハクさんが変な顔をしていたので無意識に足が当たったのです」

 

 対面に座るネコネからが謝るが、どう考えても当たった程度じゃないぞ。というか変な顔してたってどういうことだよ。少し鼻の下が伸びただけだぞ。

 

「おぐッ――!?」

「あ、余も当ててしもうた。すまんの、おじちゃん?」

 

 右に座る皇女さんからも謝られるが、いくら机の下が狭いとは言っても、そんなに当たる訳ないだろ!

 二人とも正座だった筈だし!

 

「ふふ、相変わらず人気者ね、ハクさん」

「そ、そうですか?」

 

 とりあえず、それ以上足を蹴られないよう警戒しながら、食事したのだった。

 

 そして、夕闇も外を覆う頃になった時分。

 食事と、その方付けが終わると、いよいよ帰る準備をと思ったのだがアンジュは随分と渋った。

 しかし我儘をもう既に聞いている状態なので、帰ることをトリコリさんに伝え、強引に連れ帰ることにした。

 

「また、来てもよいかの御母堂」

「ええ、勿論。もう私にとって娘みたいなものだもの」

「……ありがとうなのじゃ! 明日も一緒に来るのじゃぞ、おじちゃん!」

「はいはい。では、トリコリさん。またご迷惑おかけするかもしれませんが……」

「いいのよ。一人で寂しく過ごすよりも、こうして来ていただけることが嬉しいわ。またいらしてね、ハクさん……アン」

 

 その日は泊まるというネコネにトリコリさんを任せると、二人で帰る。

 

「良い方じゃったな」

「そうだな」

「……市井の母とはああいうものなのかの」

「……そうだな」

 

 兄貴……父親しか、知らないんだもんな。

 そりゃ、離れたくなくなるか。

 

 皇女さんに同情したのもつかの間。案の定、一日だけという条件だった筈だが、後日、皇女さんは随分足繁く通い始めたようだ。

 

 オシュトルにも事後報告という形で言ったが、随分渋い顔をされた。

 トリコリさんは、最近体調がいいようだが、もしかすれば悪化するかもしれないとのことで、皇女さんをいつでも止められるようハクがついているならば、許可するとのことで了解を得た。

 

 つまり、皇女さんが行くときは必ず――。

 

「さあ、ハク! いや、おじちゃん! 今日も御母堂の元へ参ろうぞ!」

「そんな毎日毎日通ってたらトリコリさん疲れちまうだろ。今日はやめとけ」

「しかし、明日も来ていいと言ってくれたのじゃ!」

「……皇女さん。トリコリさんは、ネコネの前で一度倒れたこともあるそうだ。定期的に通うのは構わんが、もっと時期を開けた方がいい。それに、聖上としての仕事だってあるだろ?」

「……うぐ」

「トリコリさんが好きなのはわかっているが、あくまでこっちは向こうにとってお客様なんだ。余計に気を使わせちまうだろ?」

「……わかったのじゃ。では明日赴くとしようぞ!」

 

 全然わかってないだろ。

 とりあえず、その日は皇女さんの説得に時間をかけたのだった。

 

 




ハクトルの時はハクがライコウともミカヅチとも戦いましたよね。
でもこの作品では、武はオシュトルVSミカヅチで、知はハクVSライコウで行きたいですね。
でも、ヴライの仮面被ってるから、ハクもめちゃんこ強くなれそう。
本編最後らへんではミカヅチと勝てないまでもタイマン張れる実力になりますからね。
あと、ハクがオンヴィタイカヤンであることを知っているのは、クオンとウォシスだけだからこそ、ライコウの読みに隙が生まれる気がします。

現在、ここから先の展開を書き溜めて整合性を取ってから投稿しようとしていますので、申し訳ないですが、これまでのような更新頻度は期待しないでください。暫く空きます。


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第十二話 確かめるもの

シスとルルティエ回。
シスはこの作品ではどういう立ち位置がいいんでしょうね。
迷った末の話です。


 シスは戸惑っていた。

 クジュウリにてあれほどまでに熱烈な歓迎を受けたのに。

 喜び勇んで兵の尻を蹴り上げながらエンナカムイに急ぎ辿り着いたというのに。

 

 ――援軍感謝いたしまする。

 

 オシュトル様との会話はそれだけで終わった。

 オシュトル様は宴をご用意していますと、エンナカムイに私を引き入れたが、それだけだ。

 

 まるで初対面のような、一同盟国の兵士としての相対でしかなかった。だからこそ、それ以上踏み込めなかった。

 せっかく炙ったチャモックの肝も、ヤシュマや周囲の兵士に囲まれて、仮初の笑顔を見せるオシュトルを遠巻きに眺めるだけで、渡せなかった。

 あの言葉は嘘だったのだろうか。間違うことなく私に向けた愛の言葉だったはず。ともに、ルルティエを愛し合おう、というのであれば、もっと抱擁であるとか、今晩部屋に、とか、色々あったと思うのだ。

 

 まあ、そこまではいいとしよう。

 堅物として有名なオシュトル様のことだ。兵の前で誰かに懸想している様子は見せられないと思ったのだろう。

 

 しかし――ルルティエの態度が変だったのだ。

 宴の間も、そわそわと何かを気にしていたし。何かあるのかと聞いてもはぐらかされた。

 

 極めつけは、あれだけルルティエからオシュトル様に向けられていた陶酔した眼差しが鳴りを潜めていたこと。そして、その眼差しは――。

 

「――ルルティエ?」

 

 灯の少ない暗い部屋で、ルルティエは仮面をつけたまま眠る男をじっと見つめている。

 

「お姉さま? どうかなさいましたか?」

「その男は?」

「あ……ハクさまと言います。エンナカムイの防衛の際に、重傷を負ってしまって……私が治療を任されました」

「そう、なの」

 

 本当にそれだけなのだろうか。

 治療なら、眠っている男を見つめ続ける必要はあるのだろうか。そこまで危篤な状態には見えないが。

 

「……ルルティエ、ごはん食べましょう? 父上から送られてきた支援物資の中に、ルルティエの好物があったわ」

「は、はい。そうですね、お姉さま。では、ウルゥルさま、サラァナさま、後は任せてもいいでしょうか?」

「ばっちこい」

「任せてください。眠っている主様のお世話は得意ですから」

 

 部屋の隅で控えていた双子の少女に声をかけてルルティエは退出しようとする。

 が、双子の言葉に何かが引っ掛かったのか、ルルティエは元の位置に戻ると、とすんと腰を下ろした。

 

「お姉さま、やっぱり、食事はここで取りませんか?」

「え? 別に構わないけど」

「お姉さまのごはん、久しぶりだからすごく楽しみです」

「ふふ、任せて。じゃあ、作ってくるわね」

 

 そう言って退出し、厨房を借りて料理をする。

 料理をしながらも考えるのは、ルルティエがこだわりを見せるあの男のこと。

 

 料理を部屋へと運び、ルルティエと眠る男の顔を見ながら作ったご飯を食べる。

 ルルティエは美味しいと言ってくれたが、言葉数は少なく、やはり男を気にしているようだった。

 

 ――やはり確かめなければならない。

 

 その夜半、ルルティエが自室へ帰ったところを見たあと、自然な様子で、ハクと呼ばれる男の自室へと足を踏み入れた。

 

 死んだように眠る男。

 オシュトルとは似ても似つかない素朴な顔。そもそも、この仮面はなぜ付けたままなのだろうか。

 

「……あの二人は居ない、わね」

 

 双子の少女たちが主様と呼んでいた。

 いるかもしれないと警戒していたが、姿が見えないのでどこかに行っているのだろう。

 

 腹部を確かめようと、すっと男の上着に手を伸ばす――。

 

「――そこまで」

「主様になにか御用向きでしょうか?」

 

 突然だった。

 周囲を何度も確認したはず。しかし、その二人は突然現れ、私の首元に威圧感を与えている。

 

「呪法使い……ね」

「……だから?」

「クジュウリのシス殿とお見受けしますが、何の御用ですか? ……もし主様に危害を加えるおつもりなら――」

「そんなことはしません。ただ確かめたいことがあっただけです」

 

 二人の警戒を解くように手を挙げて降参の姿勢を取るが、双子の少女の声は堅いまま。

 

「信用ならない」

「あの時のこと、私たちはまだ許してはいません」

 

 あの時? この双子とは殆ど初対面。何か恨まれるようなことをしただろうか。

 いや、そういえば……クジュウリでオシュトルにつき従う二人の姿を見た覚えがある。あの時もこうして主様と呼んでいた気がする。

 

「……ここで見たことは、誰にも口外しない。私はただ、この男の正体を見たかったの……でも、あなたたちが許さないというなら帰ることにしましょう」

 

 そう言っても、双子は一瞬の気も抜かなかった。私が退出するまで、決して私から目を離さない。

 こっそり確かめるのは、あの双子がいる限り難しいようだ。

 あの男が動けるようになるまで、真相は明らかにできないだろう。

 

 もやもやとした感情を内に抱えるまま、その数日後。

 ハクという男は漸く外出できるようになり、ルルティエも何度かそれに付き添う形で一緒に外出しているようだった。

 

「――それでな、全然離してくれないんだ」

「ふふっ、そうですか。アンジュさまが……」

 

 偶然、縁側に二人が腰を下ろし、楽しそうに会話しているのを見て、思わず物陰に隠れた。

 暫く隠れて見ていたが、その様子は大変仲睦まじく、ルルティエが心を許していることがよくわかった。わかってしまった。

 

 しかし、ルルティエが少し暗い表情をすると、ハクという男は目に見えて動揺した。

 会話の内容を聞こうと少し近づく。

 

「……言おうか、ずっと迷っていました」

「な、何を?」

「ハクさまは、約束してくださいましたよね。無理はしないって……」

「いや、それは……」

「でも、ハクさまは、いつも誰かのために無理をします……だから、私には止められないことだと思いました」

「……ルルティエ」

 

 二人の間に暫く流れる沈黙を破ったのは、ルルティエだった。

 

「私は、ただ御側にいられるだけで、構いません。でも、ハクさまが一人で無理をして死んでしまったら、その願いすら叶わなくなります」

「……」

「だから……ハクさまが約束を破るたびに、ハクさまには罰を受けてもらうことにしました」

「ば、罰?」

 

 ルルティエから出るとは思えない不穏な言葉が出て、男は少し身構えた。

 

「はい……私を……だ、抱きしめてくださいますか?」

「はい?」

「今度は、ハクさまの時に……抱きしめてほしいって、お、思っていましたから」

 

 聞き取るのが困難なほどか細く震える声で、そう告げるルルティエ。

 ハクは無言で、ルルティエの背中に手を回した。

 

「こ、これで、いいか?」

「は、はい……ぁりがとう、ございます」

「こんなことが、罰……か。もっと我儘言っていいんだぞ?」

「いえ……私はもう十分、我儘を言っていますから」

 

 何なのだ、これは。

 これではまるで――。

 

 思わずよろめいた体を壁に打ち付け、そのままずるずるとしゃがみこんだ。

 

 動揺と混乱。そして見知らぬ男にルルティエを取られるという危機感に、久々の殺人衝動が芽生える。

 

「でも……」

 

 しかし、幸せそうなルルティエを前に飛び出すこともできなかった。ルルティエは自分の道を歩もうとしているのだと、あの日気づいたからだ。自分がそれを邪魔することだけはしまいと、心に誓ったからだ。

 

 だからある日、ルルティエを自室に呼び出しあの話を持ちだすことに決めた。

 

「お姉さま? 何かお話があると聞きましたが……」

「うん。ヤシュマが帰ったのは知っているわね?」

「はい、何でも国をまとめるために……と」

「なぜお姉ちゃんが、この国に残っているかは知ってる?」

「え……私が心配だから、ではないのですか?」

「そうじゃないわ。オシュトル様から言われた通り、ルルティエとオシュトル様を信じると決めたでしょう? 私がここに残っている訳は、父上からの提案よ」

「お父さまが?」

「ええ。私とあなたのどちらかが――オシュトル様に嫁ぐためにいるの」

「え――」

 

 ルルティエは、一瞬思考が停止したのか、可愛い口をぱくぱくと閉口させる。

 

 父オーゼンから命じられたこと、それはオシュトルの血を入れること。これから沢山の武功を挙げ、姫殿下の真の忠臣として永遠にヤマトを背負うであろう英雄。その嫁がクジュウリの者となれば、国もまた永遠の信用を勝ち取り、ヤマトの中枢を担うことができる。

 

 つまり、政略結婚。

 

 しかし、ルルティエと私の様子を見ていた父上は、あくまでも自由意志で婚姻を結べばいいと言った。オシュトルが相手として不服なら、聞かなくてもいいのだ。

 

「あ、あの、それは、私が、オシュトル様と、その……」

「そう、婚姻を結ぶのよ、ルルティエ」

「ぁ、ああ……そ、それはお父様からの命令なのですか?」

「いいえ。可愛いルルティエを政略結婚の道具にはしたくないでしょう。だから、あくまでもルルティエの意思に任せるそうよ。でも、もしあなたがしないと返答したならば、私がオシュトル様に嫁ぐつもり」

 

 この言葉に嘘はない。

 それどころか、英雄色を好む、優れた血を持つ子孫は沢山いて困ることはない。オーゼンは、どちらもオシュトルの嫁となっても良いと判断しているのだ。それどころか、たとえ二人同時に嫁ぐとしても認めるだろう。

 勿論私としても、あのオシュトル様であれば、不服はないどころか、望むべきことだった。しかし――。

 

「教えて、ルルティエ。あなたはどうしたいの?」

 

 ルルティエをあれほどまでに欲したオシュトルと、それに対するルルティエの反応は、誰がどう見ても愛し合う仲に見えた。

 そして、あの縁側で見たハクという男との抱擁も、同じく愛し合う仲に見えた。

 

 ルルティエが二股などするはずがない。

 であれば、出てくる答えは一つ。あれはオシュトルの影武者だった。そして、その影を担っていたのは、あのハクという男である、ということだ。

 

「お……お姉さま。答えは……待ってはくれませんか……?」

「ええ、勿論。急ぐことではないの」

「ぁ、ありがとう……ございます、お姉さま」

 

 明らかにほっとした表情を浮かべるルルティエに、しかし一応の釘はさしておく。

 

「でも、これから先沢山の縁談がオシュトル様には届くでしょう。まあ、オシュトル様のことだから戦乱が終わるまでは婚姻など結ばないでしょうけれど、婚約は早いうちにするかもしれない。待ち続けられる問いではないことは知っておいてね」

「……はい」

 

 悲痛な表情。

 誰か他に想い人がいることを明らかにしたようなものだ。本当にオシュトルに惚れているなら、婚姻を結ぶ後押しをしてもらえば少しは嬉しそうな顔をする。

 ルルティエは優しいから、他の女性に遠慮しているという可能性もなくはないが、それならば罪悪感こそあれ、根底には喜びが見える筈。

 

 その日はルルティエの自室で、一緒に二人で寝た。

 クジュウリで過ごした日々以来の、姉妹水入らずの寝床だったが、そこには若干の気まずさがあった。

 

 やはり、あの男はルルティエにとって――。

 

 疑いを深め、明け方に再びあの男の寝室へと足を運ぶ。

 そして、今度は部屋の前で姿を現した双子に、聞きたかったことを聞く。

 

「聞かせて。あの男がオシュトルなんでしょう……?」

「……」

「別に何か陰謀を企んでいるわけではないわ。私はただ、愛しい妹に良き道を示したいだけ」

 

 双子たちは私の表情に緊迫したものを感じたのか暫く悩んでいたが、二人が顔を合わせると目を瞑って真実を打ち明けた。

 

「……主様は影」

「オシュトル様に扮し、あなたと闘った方です」

「……やっぱり、そうなの」

 

 これは、誰にも明かせない。

 特にクジュウリに知られれば、同盟破棄にまで繋がりかねない事実。しかし、あのころの情勢を鑑みれば、確かに影武者でなければ危ういことこの上なかっただろう。影武者外交は然るべき手段だった。

 

「……ややこしいことを、してくれたものね」

 

 しかし、本心としてはそうだった。オシュトル様、いやそれ以上に人たらしの影武者を寄越すなんて。

 では、あの言葉も本心では無かったのだろうか。あくまで影として告げた偽りの言葉だったのか。

 

「そうであれば……許しはしないわ」

 

 翌日。

 調練場の外れ。大木で横になっている男に声をかけた。

 胡散臭げに見上げる男の目は私の存在に驚いたのか見開かれる。しかし、すぐさま表情を改めると、面倒くさそうに返事をした。

 

「自分になんか用か?」

「ルルティエについて話があるの」

「……ルルティエ?」

 

 ぴくりと肩が震え、男の興味を引けたみたいだ。

 

「ルルティエが、どうかしたのか?」

「聞きたければ、ついてきなさい」

 

 背中を向けて、調練場の広く開けたところまでずんずん歩く。

 有無を言わさずついてこさせたのがよかったのか、足取りは少し不安ながらも男はついてきていた。

 暫く歩き、十分広さが確保できていると感じたので、男の方へと振り返った。

 

「私と立ち合いなさい」

「なんだって?」

 

 男は、もう戦うのは嫌だと言わんばかりに、拒否の姿勢を見せた。

 

「自分はただの怠け者だぞ? 戦うことは苦手なんだ」

「……その仮面を被ることができる男に、武力がないとは言えないでしょう?」

「……どうしてもか? ルルティエについて話があると言うから付き合ったんだがな。自分は病み上がりだから勘弁願いたいところなんだが」

「確かめたいことがあるの。命を取る気はないわ」

 

 ハクはやれやれといった調子で、懐から鉄扇を取りだす。

 オシュトル様が私と対峙するときに構えた、あの武器だ。

 

「それは……」

「ん?」

「オシュトル様のものでは?」

「……ああ、これか? これはだな……クジュウリ遠征の時、オシュトルに持たせた御守りみたいなもんで、元々は自分のものだ」

 

 男は表情も変えずに嘘を言う。

 ここで追求しても、のらりくらりと躱されるだけだろう。

 

「そう……では始めましょうか」

 

 そう言って、傘を模した鞘から、刀を抜く。

 美しい刀身が、煌きを以って男の目に映る。

 

「おいおい、本気でやるつもりか?」

「大丈夫、当てても峰よ」

「……これ以上怪我するのは勘弁なんだが」

 

 ぼやきながらも、瞬時に合わさる剣と鉄扇。そういえば、あの時は武器同士が合わさることもなかった。

 

「っ……!」

 

 かち合った時に感じる予想以上の力に、思わず押し戻された。しかし、私以上に驚愕していたのが、目の前にいる男だ。

 あり得ないと言った風に目を見開く男に、思わず問いかけた。

 

「……どうかした?」

「いや、何でもない」

「なら、いきますわよ」

 

 繰り出す剣戟。

 男が本当に病み上がりの体ならば、ついて来られないはず。しかし、男は何のことはないというように、剣戟を受け止め続けている。

 

 その時、調練場で鍛錬していた他の将兵たちがわらわらと観戦し始めた。

 そして、その中の誰かが、ハクが戦っていることに気付き、声を荒げた。

 

「ハクさん!? 怪我をしていたんじゃ!?」

「キウルか~? ちょっと体が鈍っているから付き合ってもらってるだけだ。心配ない!」

「余所見をする余裕がありまして!?」

「ぐっ! そこはもう勘弁!」

 

 会話に気を取られた男に不意をうつ攻撃。

 しかし、男の腹部へと放った返し手の一撃を、見事なまでに鉄扇で受けきられた。

 暫くの硬直状態になるが、押し切れる様子はない。少し力を抜いて、相手の気を緩ませる。

 

「? どうした」

「ふっ」

「お?」

 

 鉄扇を傘で弾き、刀で、腹部にある布を斬り払う。

 そこには、未だ赤黒い打撲の痕があった。

 

「……酷い、人」

 

 ――やっぱり、あなたがオシュトル様だったのね。

 

 狙いは攻撃ではない。腹部の怪我を、見たかっただけだ。

 腹部の怪我、それだけは、変えられない。私がオシュトル様につけた――痕だから。

 

 素直に聞くことが怖かった。信じたくないことだった。

 

 まさか姉妹揃って――別の男に恋していたなんて。

 

「……興が冷めました。手合せはまた今度にしてくださいまし」

「あん?」

 

 冷徹な声色とは別に高ぶる感情を誤魔化すように、調練場を去ろうとする。

 横目に、キウルと呼ばれた子が心配だとばかりに男へ駆け寄っているのが見えた。

 

「ハクさん! 駄目ですよ無茶しちゃ!」

「ん? 自分も無茶するつもりはなかったんだが……シスは何か用だったみたいでな」

「あれ、ハクさん、お腹の布が……」

「ん? うわ、本当だ。変えの服今あったかな……」

 

 そんな呟きが背中に聞こえてきても、決して振り返ることはなかった。

 

 調練場から出た瞬間走る。兵たちが振り返っても気にせず、逃げるように走った。

 そのままココポのいる馬屋まで息を切らして走りきり、高ぶった感情を抑えるかのようにココポに縋り付いた。

 

「ホロ?」

「ココポ、元気だった?」

「ホロ~」

 

 クジュウリにいた時は慌ただしくて、ココポに顔を見せることもできなかった。

 

「あなたのルルティエね、別の男に恋していたみたい」

 

 ルルティエの恋を応援してあげたいけれど、もしオシュトル様ではなく、あのハクという男と式を挙げるなんてことになれば、影武者外交をしていたことが父上にバレてしまうだろう。ルルティエは嘘がつけない。どうしても態度に出てしまう。父上も私と同じように、眼の違いに気付く筈だ。

 

 そうなれば、同盟は維持したとしても綻びが生まれることは確実。既にクジュウリにとっても勝たねばならない戦である。余計な情報を与えれば、滅びを迎えるのはエンナカムイだけではない。

 それに、たとえ戦乱後にバレたとしても、影武者外交の痕跡は、未来の国交に遺恨を残してしまうだろう。

 そして最大の問題は、あの英雄オシュトルと何の繋がりも持てないこと。ルルティエというクジュウリの姫が、どこの馬の骨ともわからぬ奴とくっついてしまえば、オシュトルとの縁を結ぶ機会はなくなる。

 そして、私がその機会を得ようとしても、あのオシュトルが影であったのであれば、本物のオシュトル様にとって私はただの初対面で眼中にない状態になる。姫殿下がオシュトルに懸想しているという噂も聞くし、オシュトル争奪戦において勝てるものが見つからない。

 

「酷い、話ね」

 

 実に皮肉な話だ。

 父上がルルティエの中にある恋慕を見抜き、最愛の愛娘を震える手でオシュトル様の手に託したというのに。掴んだ手は影だったなんて。

 そうだ、私に差しだしたあの温かな手も、全部影、全部幻。

 

「酷い……人」

 

 でも、ルルティエはたとえバレたとしても、家族を捨てれば、大手を振って恋に生きられる。

 でも、わたしは?

 私の想いはどうすればいいの?

 

 ――シス殿。これは某の個人的な願いではあるのだが、いつか、ルルティエと某の元へと来てはくれぬか。

 ――私が……?

 ――そうだ。ルルティエへの愛、某にはしかと伝わった。そして、ルルティエが其方に向ける愛も。ルルティエは、某らだけでなく、其方ら家族も護りたいと思っている。某がシス殿と共にあれば、ルルティエだけでなく……ルルティエの護ろうとしているものも、護ることができる、そう確信した。

 

 あの言葉を信じたのに。あなたを、信じたのに。

 大好きなルルティエと、愛しい男と過ごす未来を膨らませていたというのに。

 自分を支える足元ががらがらと崩れていくような感覚が襲う。

 

「私に向けたあの言葉は、何だったのかしらね……」

 

 そう、本当はあの言葉の真偽が気になっているだけ。

 あの言葉は影としてなのか、それともあの男の本心なのか。

 

 ルルティエに対しての言葉は真実だろう。それはルルティエの態度を見ればわかる。

 でも、私は、私のことは本当に必要とされているのか。それがわからない。

 

 自分があの男にどう見られているのか、それが一番気になっているに過ぎない。

 

「でも、どうすればいいの……」

 

 項垂れる私に、ココポが心配そうに身を寄せてくれる。

 暖かい体温に浸り、暫く心を落ち着けると、自分らしくもない動揺をしていたことを知る。

 

「ありがと、ココポ……」

 

 でも、なにか方法があるのだろうか。

 ルルティエとあの男が婚姻を結ぶことを、クジュウリの皆が納得できる策が。

 

 ――いや、ある。たった一つ。

 

「私が、あの男をルルティエに相応しい漢に鍛えあげれば……?」

 

 そう、あのオシュトル様よりも武功を挙げさせ、聖上の覚えめでたい英雄となれば、ルルティエとの結婚を妨げる者はいないだろう。それまではルルティエとの交際は認めない。姉として、ルルティエを護る。それが結果的にハクとルルティエの護りたいものを護ることになる。

 

 ルルティエに家族を捨てて恋に生きなさいというのが、本来の姉としての言葉なのかもしれない。後押ししてあげるのが、いい姉の証拠なのだろう。

 けれど、影の言った、共に守ろうという言葉。

 ルルティエは優しい。だからこそ、家族と仲間を捨て自分だけが得することが一番苦痛に感じる筈だ。

 

「そう、そうよ。あの言葉が嘘だろうが、その場しのぎだろうが関係ない。あの約束を私自身が果たし、真実にすればいい」

「ホロ~?」

「そうよね、ココポ。相手がどうだとしても、私の方は確かに――あの人と約束したのだから」

 

 共にルルティエと大事な家族を守れるよう、そして私自身もまたその輪に入れるよう、必要とされるよう。

 

 私は、あの男の――に、なるのだ。

 

 不思議そうに首を傾げるココポの横で、妹を幸せにする使命に燃えていたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「――ヘークショイ!」

 

 誰かが自分の噂をしているのか、思わずくしゃみをしてしまった。

 隣にいたルルティエが、心配そうに顔を覗きこんできた。

 

「ハ、ハクさま、もしかしてお風邪を……」

「ん? いや、日が暮れて冷え込んできたんでな。この寒さだともう一枚着ていた方がいいな」

 

 ここエンナカムイは帝都よりも南ではあるが、土地柄冷えた温度が中々上がりにくいのか、随分寒い。

 最近部屋に籠り気味だったので、暫くぶりに感じる寒さに震えた。

 

「でしたら、そ、そ、その……」

「ん?」

「わ、わた、私の、その……私の、へ、部屋に、寄っていただけませんか……?」

 

 ルルティエは顔を真っ赤にしてか細い声で問うてくる。

 なんだそんなことか、というように返答した。

 

「ん、別に構わないが?」

「ほ、本当ですか! で、では……こ、こち、らに」

 

 ルルティエの顔がぱあっと明るくなったが、次第にぼそぼそと声が小さくなり、顔を赤らめ挙動不審に部屋へと案内される。

 その際に、自分の袖をつまんでそっとだが確かな力で引っ張られていたので、招かれるままルルティエの部屋へと入った。

 整理整頓されどこからか甘い匂いがする部屋の中で、ルルティエから両腕を挙げてほしいと言われた。

 

「こうか?」

「は、はい、では、そのまままで……」

「うおっ」

「あ、えと、ごめんなさい、い、痛かったですか?」

「い、いや、驚いただけだ」

 

 突然脇の下に手をいれられたら誰でも声をあげるだろう。

 

「す、すいません。今度は、痛くないように、しますね……」

「あ、ああ」

 

 別に、痛いわけではないんだが。

 少しこそばゆい。次第に遠慮なく背中から胸にルルティエの手が触れてくる。

 紐を当てたりしているが、これは何かの寸法を測っているのだろうか。

 

「んと……ぁ……お、おっきぃ……」

「そ、そうかな。クオンには小さい方だと言われたがな」

「いえ、そんなこと……すごく、おっきいです」

 

 照れくさいやらなんやらの和やかな空気の中、突然ばぁんと襖が開け放たれる。

 

「ひゃっ!? お、お姉さま!?」

「!? あ、あんたは」

 

 そこには、悪鬼の表情を浮かべるシスが立っていた。

 

「ハク様、でしたか? 私のいない間にルルティエの部屋に押し入るとはどういう了見で?」

「え、えぇ?」

 

 シスは、こちらのやっていることを見て、怒り心頭の様子のまま襖を閉めて中に入ってくる。

 改めて自分たちの姿を確認すると、何やら体と体がかなり密着しており、情事前に服を脱がせようとしているようにも見えるような見えないような、いかにもな空気を確かに感じる距離感だった。

 思わず二人して距離をとる。

 

「い、いや! ルルティエから誘われただけで……」

「ほう? こんな夜遅くに女の部屋にいるのですから、ルルティエが襲われていると思ったのですが」

「お、おそっ……」

 

 ぼんっと音がなると錯覚するほどに、顔を真っ赤にするルルティエ。

 こういうのは耐性ないんだったな。

 それに、あのクジュウリでの誓いもあり、お互いに少し気まずくなってしまった。

 

「いや! ルルティエにそんなことするわけないだろ!?」

「……そ、そうですよね。するわけ、ない……です、よね……」

 

 安心させるために言ったのだが、あれ。何だろうこの感じ。ばきっと何かを折った気がするのは気のせいだろうか。

 それにしても、シスの昼間の消沈ぶりとは思えない追求に、思わず狼狽する。

 

「では、何をなさるおつもりでしたの?」

「い、いや自分は……」

「お、お姉さま! これは、その、ハクさまに襦袢を縫わせていただこうかと、考えておりまして……」

「襦袢?」

「襦袢か。ありがたいな」

 

 寒い時期にそういったものがあれば、風邪をひくこともないだろう。

 嬉しい話だった。しかし、目の前のシスは、納得していないようだった。

 

「ふ~ん。ルルティエは、その男に襦袢を作ってあげるのね」

「は、はい。勿論、お姉さまにも作るつもりでした……」

「そ、そう」

 

 シスは、ルルティエの言葉に少し喜色が芽生えるが、すぐに表情を改めた。

 

「でも、もしそうだとしても、こんな夜更けに男を部屋に連れ込んだら駄目よ。男は狼なんだから、可愛いルルティエなんかすぐに食べられちゃうわ」

「た、食べられ……ハク様に……」

「いや、そんなことしな――「男は黙ってて」

「……」

 

 冤罪なんだがなあ。

 

「とにかく、ハク様? あなたはルルティエの部屋から早々に出ていってくださいまし。襦袢作りなら私とルルティエでやりますので」

「いや……何なら自分も手伝……う、ぞ」

 

 しかし、その言葉に再び警戒心をむき出しにしたシスが威嚇してきたので、声がどんどん小さくなってしまい、自分の言葉がルルティエに届くことはなかった。

 

 病み上がりということで仕事量が減り暇ではあるが、よく考えたら、自分はそこまで器用ではないし、足を引っ張る可能性もあるし、うん。二人に任せたほうがいいな。

 

「じゃ、じゃあ、任せるな。ルルティエの作る襦袢、楽しみにしてるよ」

「は、はい!」

 

 ルルティエの部屋を出るが、襖の奥から未だ警戒の念が感じられた。

 

 ま、オシュトルの影として、ルルティエにはあれこれ言ってしまったから、見知らぬ男がルルティエを狙っていると思われても仕方ないか。

 

 これ以上ここにいると命を狙われそうだと感じ、その日は足早に自室へと戻ることとしたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ハク様が出ていってしまった後、お姉さまと二人で話し合う。

 大切な時間を邪魔されてしまったことよりも、ハク様に嫌われないかということが心配で、思わず責めるような口調でお姉さまに詰め寄った。

 

「お姉さま! 私がハク様を呼んだのです。なぜあんな追い返すようなことを……」

「ルルティエ」

「え……?」

「教えて、ルルティエ。あなたが好きなのは、あのハクという者なのでしょう?」

 

 衝撃。

 そして混乱。

 

「どう、して……」

「お姉ちゃんの目は、誤魔化せないわ。ルルティエのことだもの。誰よりも、早く気づいてあげられる」

 

 騙すつもりはなかったが、逆の立場なら、どうしても騙されたと感じてしまうだろう。

 しかし、お姉さまの口調は諭す様に優しいままだった。

 

「でもね、ルルティエ。彼が英雄の影である限り、あなたの恋は成就しないわ。あなたはクジュウリの姫なのだから」

「……お姉、さま」

 

 その言葉に、自らの道を応援してくれないのだと悟り、悲しみが襲う。

 

 お姉さまは、私の恋を否定した。目線がどんどんと地に落ちていく。

 

「――だから、ルルティエの恋が成就するように、お姉ちゃんがあの男をルルティエに相応しい漢に鍛えてあげる」

「え……?」

 

 恋が成就するように?

 

 思わぬ言葉に、顔を挙げ、姉様の強い視線を真っ向から受け止めた。

 応援してくれるのだろうか。でも、誰を鍛えるというのだろうか。

 

 その問いを含んだ視線を受けたシスは、にこやかに微笑む。

 

「ハク様を、私たちの手で立派な英雄にするの。そうすれば、異を唱えるものはいないわ」

「そ、それはどういう……」

「あちこちに聞いてきたの、ハク様の評判をね。何でも肉奴隷を側に控えさせたりしている相当な女たらしみたいだけど、オシュトル様からの信望は厚い。姫殿下からも信頼されているそうだし、随分な有望株だそうね」

「え、え?」

 

 思考がついていかない。

 今、どういう話になっているのだろうか。

 

「……でも、わたしはハク様の御側にいられるだけで」

「ウソ」

「え……」

「控えめなルルティエのことだから、御側にいられるだけでいいなんて言ってはいるけど、本当は違うのでしょう? もっと抱きしめてほしいし、それ以上のことだって求めたいんでしょう?」

 

 反論しようとしたが、図星を突かれたように口は動いてはくれなかった。顔が熱く火照っていく。

 

 今までずっと控えめだったから、突然積極的になんてなれなかった。だからこそ、誰かに背中を押してほしかったのかもしれない。

 

「でも、今は我慢の時なのよ、ルルティエ。今あの男と関係を持つことはやめなさい」

「は、はい」

「お姉ちゃんに全部任せなさい。恋愛経験なら、私の方が結婚期間ある分知っているんだから」

 

 事に至る前に早々に離婚したとお聞きした気がするのですが――という言葉は呑み込んだ。

 

 任せて、と鼻息荒く張り切るお姉さまを見てまたもやお姉さまの悪い癖が出たのかもしれないと思う。

 しかし、お姉さまはあくまで私の恋を応援してくれるつもりのようだ。私の恋を唯一応援してくれる存在。そうだとしたら、それを無理に止めることはできなかった。

 

「ごめんなさい、ハクさま……」

 

 これから先、ハクさまに振りかかるであろう様々な出来事を思いながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。

 




正体バレはもっと先でもいいかと思いましたが、やはり何だかんだ気付くのは早いでしょうと考えて即バレ展開で。
それに、このままだとルルティエが真っ先にハクを攻略ゴールインしちゃってハーレムにならないので、シス姉さんに時間を稼いでもらいましょうという話。

正体バレがないからこそできる日常回、すれ違い回は、番外編とかでできたらいいなあ……。

あと、ルルティエの腐趣味がこの作品では全く出てこない正ヒロイン状態なので、そろそろ発揮してシスも腐趣味に引きずり込む日常回を考えています。(考えてるだけ)
そのことだけでなく、ほかにもシスを絡めた日常回案がありましたら、活動報告の方に希望をお願いします。(必ず反映できるとは言ってません)


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第十三話 暗躍するもの

エントゥア回。
レタルモシリ編。


 執務室で、オシュトル、オウギ、マロロ、そして自分の四人があることについて相談している。

 

「帝都から来る草の入り口を何とかせねばな」

「今のところ目星を付けた者に張り着いてはいますが、やはり商人に紛れて来るものまでは難しいですね」

 

 そう、このエンナカムイが帝都からの間者だらけということである。

 その理由としては、クジュウリの支援を受けられることとなっても、完全にクジュウリにおんぶに抱っこという訳にはいかない。であるならば、商人を招き、経済の活性化を目指すわけだが、それに紛れて草が入り込んでいる。

 しかし、ルモイの関を通して数多く来る商人ごと追い返してしまえば、経済の停滞を招いてしまう。クジュウリの支援が途切れた瞬間に、両国は干上がってしまうだろう。

 だからこそ、こちらも草と警備を増やし、警戒を強めているわけだが。

 

「ハク殿は何か考えはあるでおじゃるか?」

 

 マロロから振られて、少し考える。

 

「……手っ取り早いのは、定住住民は選ぶことと、外来商人区を作り、他国からの商人はそこから出られないようにするとかか。そうすれば、商人として紛れ込んでも、機密を自分で探りには来れないだろう」

 

 危険を冒して捕まる前に、まずは商人区で情報を集めようとするはずだ。

 

「そして、囮がいるかもな」

「囮、ですか?」

「草を引きつけられるような囮の情報をこちらから流すんだ」

「ふむ、なるほど」

 

 入り口が無理なら、出口を固めればいい。

 草が欲しい情報を手に入れようとする場所や、刺客が狙うであろう人物の情報をあえてこちらから流す。

 それに引っかかった草を刈り取っていくという寸法だ。

 

「ハクの案を採用する。まずは商人区を作り、その区の中で偽情報を流すこととしよう」

「流す情報はいかがなさいますか?」

「デコポンポの居場所とかかな。使者に対する反応からして、ライコウは交渉したくないんだろうから、暗殺しにくる可能性も否めない」

「そして、このオシュトルの場所、聖上の居場所だな」

「それは危険が過ぎるのでは?」

「いや、大事なものほど、逆に沢山の情報を流すことで、攪乱したほうがいいと思うでおじゃる。草にとって一番嫌なのは、情報の精査でおじゃる」

 

 オウギは得心がいったというように、頷く。

 

「まあ、そうですね。情報が少なければ行動に移せますが、多ければ多いほど精査に時間を取られますから」

「決まりだ。流す情報の内容については、ハクに考えてもらう」

「また自分か?」

「ふむ、草を刈り取る役を任せてもよいが……」

「わ、わかったよ。でも書簡で書いてばらまくなら、字は自分じゃないほうがいいぞ。自分の字は癖が強いから偽情報の判断になっちまう」

「ふむ、であれば、マロロと共に書いてもらうとしよう」

「ハ、ハク殿と一緒にお仕事ができるでおじゃるか!?」

「……そんなに喜ぶことか?」

「感無量でおじゃる! 帝都では近くにいながらも同じ仕事はできなかったでおじゃるから……」

 

 ぐいぐい引っ付こうとするマロロから離れ、そこでお開きとした。

 

 ライコウとの情報戦は序章、これから暗躍する者の全盛期となっていくのだろう。

 これからの仕事量に、ため息をついたのだった。

 

 しかし、情報を流し始めて数日。

 オウギから新たな問題が浮上したことを伝えられた。

 

「変な奴がいる?」

「ええ、明らかに」

 

 何でもウズールッシャの服装や言葉遣いをした者達が、何かを聞き回っているそうだ。

 考えられるのは、ウズールッシャに扮して罪をなすりつけるためか、それともヤマトによる征伐の報復か。グンドゥルア追討の際に、オシュトルが打ち取ったエントゥアの父ゼグニは慕われていたようだから、矛先をこちらに向けた可能性もある。

 

「何を聞いているんだ」

「ヤクトワルトを知っているか、と」

「……あいつの故郷だったな、そういえば。ヤクトワルトを呼んでくれ」

「お任せください」

「そうだ。あと、エントゥアを呼んでくれ」

「エントゥアさんですか? ああ、彼女もそういえばそうでしたね」

 

 エントゥアはウズールッシャ出身だ。何か有益な話が聞けるかもしれない。

 そして暫くして、オウギに連れられてヤクトワルトとエントゥアが自室に顔を出す。

 

「来たぜ、旦那」

「どうも、ハク様」

「ああ、ヤクトワルト、エントゥア。二人ともオウギから話は聞いているか?」

「道中に少しは聞いたじゃない。何でも俺を嗅ぎまわってる連中がいるとか」

「はい、それでウズールッシャ出身の私を呼んだとか」

「ああ、その話だ。オシュトルに話を通すべき案件かは自分の裁量の内だから、ここで止めることだってできるが、どうだ? 心当たりがあるなら話してくれるか」

「ん……ま、旦那になら恩もあるし話しても構わねえと思ってるじゃない。だが、俺に恨み言呟く連中なら山ほど心当たりがあるからねえ。どこのどいつか見せてくれなきゃ、何を話せばいいかすらわからないじゃない」

「そりゃそうか。オウギ、どういう特徴だった?」

「そうですね……」

 

 オウギは少し思案すると、草の特徴を挙げ始める。

 その特徴を聞くたび、ヤクトワルトの目が険しくなっていった。

 

「それなら……もし俺の心当たりが的中しているなら、シノノンも危険に晒しちまうかもしれないじゃない」

「そうか、なら早々に手を打たにゃならんな」

 

 それまでぐっと何かを堪えて黙っているエントゥアにも、話を聞いてみる。

 

「エントゥアは何か心当たりはあるか?」

 

 その時だった。

 キウルがシノノンを連れ、青ざめた表情で部屋に飛び込んできた。

 

「ヤクトワルトさんはいますか!?」

「おう、ここじゃない」

「ウズールッシャの何者かが、私に文を……」

 

 すると、キウルは荒れた呼吸を整えながらも、先程シノノンと自分に対して接触してきた草の話をした。

 何でも、文を取り次いでくれなければ、無辜の民を殺すと宣ったらしい。キウルはそれでも断ろうかどうか迷ったようだが、シノノンがキウルを止めたそうだ。シノノンがいる前で事を荒立てる訳にはいかなかったから、それが正しい。あの幼さでその判断ができるのは、将来有望というべきか。

 

「その男、オウギから聞いた風貌としては一致しているが……」

「一体、何者でしょう?」

「その文は?」

「こ、これです……」

 

 おずおずと、固く結ばれた文を、ヤクトワルトに手渡す。

 

「何て書いてあるヤクトワルト」

「……大丈夫だぜ旦那。遠い親戚だ」

「駄目だ。見せろ」

「旦那……」

 

 何でもないと笑うヤクトワルトに何か嫌なものを感じて、そのまま行かせるわけにはいかないと思った。

 

「悪いが、見せないならオシュトルに話を通して、お前の見張りを強化する。内々に解決したいなら、今見せるほうがいいぞ」

「……わかったぜ。ったく、旦那は相変わらずお節介じゃない」

 

 嘆息しながら渡された文。そこには、こう書かれていた。

 

 ――レタルモシリのヤムマキリ、エンナカムイ外れにある西の森で夜半待つ。我が弟ヤクトワルトよ、一人で来い。

 

「これは……」

「罠なのは、わかってるじゃない。だが、ケジメは……俺自身がつけたかった」

「……レタルモシリ、ウズールッシャによって併合された一部族ですね」

「――俺の故郷だ」

 

 エントゥアの解説の後続いたヤクトワルトの言葉に、皆が沈痛な表情となる。

 ヤクトワルトは、何のことはないと笑い飛ばした。

 

「ま、もう国は捨てて久しいから気にしないで欲しいじゃない。それに、どうせ俺を思ってきてくれた訳じゃない筈だぜ」

「そうか。どちらにしても、オシュトルに話を通したほうが……」

「オシュトルの旦那は忙しいようだから、あんまり迷惑かけたくないじゃない」

 

 まあ、今クジュウリ軍の編入でえらいことになってるからな。

 軍備管理も大変だ。まあ、本来自分の仕事だったところもあって、自分としてもオシュトルに申し訳ないんだが。

 

「そうか……なら、今いるこの人数で対処できそうか?」

「ま、旦那に、オウギ、キウルがいてくれるなら、楽勝じゃない。だが、エントゥアの嬢ちゃんは、控えてほしいじゃない」

「な、何故ですか? 私も戦えます!」

「エントゥア、わざわざ呼び出してすまないが、ヤクトワルトの条件だ。後で役割を言うから、それで我慢してくれ」

「……はい」

「よし、なら今夜決行する。自分たちは近くで隠れておくことにしよう。必要になったら呼んでくれ」

「応さ」

 

 オウギにそれとなく草を動かして貰いながら、日中に隠れられる場所を探して貰うことにする。

 

 そして、当日夜半。

 

「集まったな」

「ちょっと待つじゃない。旦那」

 

 自分、ヤクトワルト、オウギ、キウルの四人が集まった中、ヤクトワルトが茂みに何かしらの気配を感じたのだろう。刀を構えた。

 

「……そこの奴、出てきな」

「……」

 

 暫くして、逃げられないと諦めたのだろう。がさがさと物音がして、見知った女性が出てくる。

 その正体に、自分以外が大きな疑問符を頭に浮かべた。

 

「……旦那、なぜエントゥアがいるのか、教えてほしいじゃない」

「いや、あの後どうしてもって着いてきたがったから……もっと後ろからついてくるなら構わんって言った。もしかすれば、オシュトルを呼びに行く役が必要になるかもしれないからな」

「……旦那」

 

 ヤクトワルトは警戒をすっと解き、溜息をつきながらエントゥアを眺めた。

 エントゥアは強い眼差しをヤクトワルトに返す。

 

「邪魔はしません」

「もう邪魔だ」

「……私も、シノノンを護りたいのです」

「む……」

「駄目……ですか?」

「……シノノンはあんたに懐いてるからな。ただ、気づかれるのは困るじゃない」

「任せてください。ヤマトの追っ手から隠れ通したこともあります」

「……」

 

 ――いや、自分とヤクトワルトが、岩戸の隠れ場所にいるエントゥアを見つけてなかったっけ。

 

 そのことに一々突っ込みはしなかったが、後にエントゥアが二人の表情を見て気づいたのだろう。あっ、と小さい声とともに、頬を染めた。

 

「ま、いいじゃない。今度は見つからないように頼むぜ。旦那も正直簡単に見つかりそうだし、エントゥアのこと言えないじゃない」

「そうですね。僕たちがしっかりしませんと」

「了解です。ヤクトワルトさん」

「……」

 

 ま、確かにチイちゃんとのかくれんぼでは勝てた試しがないが、自分としても隠密業は長いんだから、もっと信用してくれてもいいだろうに。

 

 光が届きにくい森に入る前に、ヤクトワルトが振り返る。

 

「よし、この辺りからは一人で行く。音が聞こえなくなったら、旦那は俺の後を追ってほしいじゃない」

「任せろ」

「そっちは音を立てないように……任せたぜ、旦那」

 

 そう言った後、がさがさと、獣道を進んでいくヤクトワルト。

 暫くすれば、開けた場所に出る筈だ。

 

「エントゥアは、打ち合わせ通りに」

「はい、お任せください」

 

 男三人が先に入り、エントゥアがさらに後ろをついてくる。

 暫くして開けたところに入ると、ヤクトワルトとヤムマキリであろう男が二人して対峙していた。

 

「なんか、緊迫してないか?」

「それに……伏兵がいますね」

「ええ、二……四でしょうか」

「……なんでそんな感じられるんだよ」

「まあ、その数は少ないようですから」

「ですね。気配を探られてしまう時点で、大した者ではないはずです」

 

 なんでこっちを向いて言う。自分のことを言ってるのか?

 とりあえず、伏兵の存在に気付きながらも、二人の会話を聞き取れる位置まで移動する。ところどころ聞こえないが、これ以上は近づけないだろう。

 

「俺が兄者と呼ぶのは、長兄ムカルただ一人。ヤムマキリ、あんたを兄と呼ぶつもりはない」

 

 オウギによると、ヤクトワルトには兄のように慕っていた者が二人いたという。

 あのヤムマキリが、ヤクトワルトの二番目の兄。しかし家族話をするには、そこに流れる空気は変わらず緊迫したものだった。

 

「なぜ俺を呼び出した?」

「愚問だ。全ては我が祖国レタルモシリのためよ」

「そう言って、あんたは族長だった兄者から家臣団を離反させ、全ての実権を奪い殺したじゃない」

「……俺が直接手を下したわけではないのだがな」

「同じことだ。面目を保つためには死を選ぶしかないじゃない……シノノンも、あんたのせいで兄者が……父親が死んで、一人ぼっちになった。俺は祖国に愛想をつかして、シノノンを連れて出たんじゃない」

 

 何、ということは、シノノンはヤクトワルトの実娘ではなく、その長兄の娘だった、ということか。

 

「ふん、大局を見極められぬ者が悪いのだ。兄者に反してウズールッシャに恭順しなければ、我が祖国は滅んでいた。俺が救ったのだ」

「シノノンをさらい、俺をウズールッシャに売った。あんたはただの卑怯者じゃない」

「何のことか……俺は初耳だがな」

「抜かせ。そのウズールッシャも滅んだ。あんたのやったことは何の意味もない」

「……まあ、落ち延びたグンドゥルアは、屈辱と怒りのあまり憤死したと聞いた。もしかすれば、ヤマトの手の物にやられた可能性も否めぬが……馬鹿な男よ。ヤマトに牙を剥くとは」

 

 グンドゥルアが、死んだだって?

 背後から息を呑む気配がした。エントゥアの動揺は、当然のことだろう。亡き父が、命をもって逃がしたというのに。その意味が、薄れたのだから。

 

「だが、もはや他人事ではない。ウズールッシャが滅び、再び国の箍が外れた。ウズールッシャの後ろ盾に頼り国をまとめてきたのだからな。地方の豪族共は、我が地位を、族長の地位を耽々と狙っている。勿論、そのような輩は我が精兵で対処できる。俺の唯一の懸念は……お前たちの存在だ」

「なに?」

「ウズールッシャの属国となることを良しとせず、国を出たお前たちは我が国にとって独立の証。つまり、お前達を引きこんだ勢力が最も支持を集めることになる。だからこそ――」

 

 話が読めてきたぞ。

 つまり、長兄ムカルの娘であるシノノンを――

 

「先代族長の娘シノノンを、正統な後継者として立てようとは思わぬか。娘の後見にお前も来れば、祖国の安寧は確実なものとなる。こうなれば、邪魔な俺はすぐにでも隠居することとしよう」

「どこまでも身勝手な……兄を殺し、今度はその娘すら影で操ろうってのかい」

「お前がうまくやるなら、口も手も出さぬ。兵もただで貸してやる……信じられぬか?」

「わかってるさ……今は嘘じゃないんだろうってな。だが、状況は変わればあんたは平然と裏切る。そう言うやつには、ついていけないじゃない。ましてや、シノノンを巻き込むなんてもっての他」

「……そう答えると思ったわ。致し方あるまい……味方にならぬなら、他の豪族に利用されぬよう殺すしかない」

「相変わらずだねぇ。こんなことだろうと思ってたじゃない」

 

 ヤムマキリの背後から、武装した複数人の兵士が現れる。

 キウルの言う伏兵の数よりは多かったが、数えて六人。これならまだ勝てるか。

 

「ふん、そちらも備えをしてきたのだろう」

「勿論じゃない。あんたと違って、俺の仲間は信用できるからな。旦那! もう出てきてもいいじゃない」

 

 身を隠すことをやめ、自分を含めた三人はすぐさまヤクトワルトの元へと急ぐ。

 

「聞いていたかい、旦那?」

「ああ、シノノンを辛い目に遭わすわけにはいかないからな」

「シノノンちゃんには手を出させません!」

「非道を見逃すわけには参りませんからね」

「……すまねえ、結局こうなっちまったじゃない」

「ま、首を突っ込んだこっちもお互いさまだが……悪いと思ってるなら、ヤクトワルトの奢りで酒盛りといこうぜ」

「ふっ……それじゃあ、ちゃっちゃと片付けて、晩酌といくじゃない!」

 

 ヤクトワルトは、ヤムマキリの相手を。

 オウギとキウルはそれぞれ二人を相手にしている。自分も二人相手にしなければならないのかと思えば、ヤクトワルトが背中を預けてきた。

 

「旦那は俺と一緒じゃない」

「……助かる。いくぞ!」

「応さ!」

 

 ヤクトワルトは眼前の敵に切りかかると同時に、自分もヤクトワルトの背後を取ろうとするものと接敵する。

 

「お前の相手は自分だ!」

「――ぶゥッ!」

 

 ――毒霧か!?

 

 顔を鉄扇で隠し、息を止める。

 そして、すぐさま鉄扇で霧を吹き飛ばした。

 

 目の前には既に敵の姿はない。

 しかし、視界の端にゆらめく武器の影。

 

「おっと!!」

「チィ……ッ」

 

 聞こえる舌打ち。

 間一髪で剣を鉄扇で防げたようだ。

 鍔迫り合いが続くかに見えたが、相手の力は弱い。これなら押し勝てる。

 

「りゃぁッ!」

「ぐッ!?」

 

 剣を弾き飛ばし、そのまま空いたどてっ腹に膝蹴りを打ち込む。敵の体勢を崩せればいいという程度の威力だった筈だが、敵の体が面白いように吹っ飛んだ。悲鳴もなく、敵は地に臥して起き上がることもなかった。

 

「おお旦那、やるじゃない!」

「病み上がりとは思えません、ね!」

「あ、ああ……」

 

 シスと手合せした時にも感じた違和感が、自分の中で大きくなっている。

 

 ――なぜ非力なはずの自分にこんな力が。

 

 ぎしり、と顔に食い込んだ仮面が主張し、ウルゥルサラァナの言葉がよみがえる。

 そういえば、元々は、大いなる父用に開発されたものだ。身体能力のブーストも考えられない話ではない。実際、今の力は明らかに自分のものだけではないのだから。

 

「ハクさん!」

「っ……!?」

 

 そうだ、戦闘中だった。

 自分の背後から近づいてきていた敵にキウルの矢が放たれ、不意を打たれることはなかったが、気づくのがあと少し遅かったら危うかった。

 

「すまん、キウル、助かった!」

「……それはどうかな?」

「う……ッ、ヤムマキリ、か」

 

 首筋にあたる冷たい感触。安心した瞬間を狙われたか。

 

 周囲を見れば、オウギは既に二人敵を切り伏せており、キウルもまたオウギとの連携で二人射抜いている。ヤクトワルトは、ヤムマキリの執拗な追撃があったが一人切り伏せ、自分は一人倒した。

 ヤムマキリの部下六人全員を討ち果たしていたが、ヤムマキリだけは実力不足を悟り、人質をとるチャンスをずっと窺っていたのだろう。

 

「ヤクトワルト……お前は、こんな簡単に懐に潜り込まれるような弱い男の下についているのか」

「弱い? あんたのほうが弱いじゃない。そうやって人質に取ってから吠えること自体が、弱さの証明だ」

「ふん、何とでも言え。これで形勢逆転だ」

「ヤムマキリ……悪いが、自分の弱さを知っているお前が保険をかけるように、自分も弱いなりに保険をかけているんでな」

「何……?」

 

 ヤムマキリの疑いの眼差しが驚愕に見開かれる。

 ヤムマキリの人質をとったと油断したその瞬間を狙ったのだろう。エントゥアが短刀をヤムマキリの首元に当てていた。

 

「そっちの伏兵に対して、こっちの伏兵は二段構えだったってわけだ」

「なるほど、前にいる貴様らが必要以上に気を放っていたのは、女の気を隠すためか……してやられたわ」

「エントゥア、助かった」

 

 エントゥアという名前を聞き、更なる驚愕の表情を浮かべるヤムマキリ。

 

「な、に……エントゥア、だと」

「お久しぶりですね。ヤムマキリ殿」

 

 顔見知りだったのか。

 

「貴様……ゼグニの娘だな?」

「はい」

「……ふん、なるほどな。しかし解せぬ。なぜお前がここに?」

「……」

「ゼグニは良き漢だった。グンドゥルアなどの下に着くのが勿体無い程のな。しかし、そのゼグニはオシュトルに討たれたと聞く。なぜ、そのオシュトルの元にいる」

「……私は、オシュトル様の元にいるわけではありません。ホノカさまより拾って頂いた命、そして父と彼らに救って頂いた命を使うために、ここにいるのです」

 

 ヤムマキリは、そうかと興味なさげに呟くと、自分の首元から刀を引いた。

 

「武器を捨てなさい」

「……」

 

 武器を落としたのを見てからエントゥアは刀を引き、ヤクトワルトがすぐさまヤムマキリの身柄を抑える。地に押さえつけられたヤムマキリは、苦しそうに呻いた。

 

「さ、約束してもらおうか。ここで見逃す代わりに、ヤクトワルトとシノノンに二度と近づくな。他の豪族とやらにも、近づかせるな」

「……無理な相談だな」

「そうか、どうすれば無理じゃなくなる?」

「……ふん……先代族長の娘シノノンに、ウズールッシャ腹心千人長ゼグニの娘。狙われぬ方が可笑しい勢力だ。たとえ俺が豪族共を抑えたとてこの国を狙う者は多かろう」

「……」

「シノノンの身柄。そしてウズールッシャからの解放の印としてエントゥアの首があれば、瞬く間に族長の座に座れるだろう。であれば、存在するという情報を持ち帰っただけでも功績を認められるだろうな」

「……なら、殺すだけじゃない」

 

 持ち帰られて困る情報なら、それを手に入れたヤムマキリはここで殺すしかない。

 ヤクトワルトの思考は納得できるものだが、簡単に判断していいものではない。なぜなら、シノノンが危険に晒され続けるからだ。

 

「待て、ヤクトワルト」

「しかし、旦那……」

「待てと言ったぞ。ヤムマキリ、お前としてもここで死ぬのはレタルモシリのためにならんだろう。お互いにいい方法を考えないか」

「……ふん、俺に何の約束をさせる気だ」

 

 そう言われ、考える。

 とにかく、シノノンに危害が及ばないようにしなければならない。

 

「……逆に問いたい。お前はどこまでなら約束できる?」

「ヤクトワルトとシノノンに関しては、約束しても構わん。レタルモシリの戦乱が納まるまでは豪族共を抑えてやろう。だが、その女については約束できぬな。ウズールッシャに怨恨を抱える者は多い。元腹心の娘がいるとなれば、先走る者は必ず出てくる」

「……」

「だからこそ、約束をするのならば、エントゥアの首を寄越せ。エントゥアの首があれば反ウズールッシャを叫ぶ連中を味方に、レタルモシリ平定も早まるだろう」

「何だと……?」

 

 エントゥアが息を呑む。

 到底了承できない条件を提示するヤムマキリに、ヤクトワルトが激昂する。

 

「どこまで汚く生きれば気が済むじゃない……!」

「しかし、その女が生きている限りシノノンが安全になることはない。そ奴への怨恨を理由に襲われて、俺が約束を守れぬと勘違いされても困るのでな」

 

 シノノンの安全を考えれば、エントゥアが邪魔になる。エントゥアも、シノノンが大事なのだろう。だからこそ、エントゥアも青ざめた表情をしながら口を引き結んで聞いている。それに、納得してしまっている。

 判決を下すのは、自分か。

 

「悪いが、エントゥアを手放すわけにはいかんな」

「そうだ、ヤムマキリ。あんたと同じことをするつもりはないじゃない」

 

 ホノカさんを思い出す。

 エントゥアがいなければ、オシュトルを救うことはできなかった。ウズールッシャでの時のことについて、エントゥアが恩を感じているかは知らないが、こっちもオシュトルについての恩がある。

 

「ふん、だがその女はそうは思っておらぬようだぞ」

「……私が死ねば、シノノンは安全になるのですか?」

 

 震える唇で、そう告げるエントゥア。

 だめだ、動揺してしまっている。

 

「違う。惑わしているだけだ。ヤムマキリの頭の中にはレタルモシリしかない。そのためにはどんなものでも利用しようとしている。エントゥア、お前の命をもだ」

「しかし……シノノンについては、それが正しいとも思っているのでしょう?」

「な……」

 

 少し動揺した自分を見てエントゥアは諦観の表情を浮かべると、自らの首元に刀を押しあてた。

 

「――やめろッ!」

 

 咄嗟にエントゥアの刀を素手で握り、強引に奪い取る。

 刃を掴んだ自分の手から鮮血が溢れ出て、エントゥアが青ざめた。

 

「は、ハク様……!?」

「エントゥア、お前は、父に何て言われたんだ? 自分に聞かせてくれた、あの最後の言葉を思い出せ。奴の戯言は関係ない」

「そ、それは……女としての幸せを掴めと」

「はっ、貴様がゼグニの娘である時点で、それは敵わぬ――」

「黙っとけ」

 

 ヤムマキリを黙らせ、エントゥアに向き直る。

 

「自分が言うことじゃないかもしれんが、あんたは恩人なんだ。親友と、大切な姪みたいな存在を救いだすにはあんたがいたからできたことだ」

「……」

「それに、シノノンが必要とする存在にはエントゥアも入ってるんだぞ。なあ、ヤクトワルト」

「ああ、旦那の言葉に嘘はないじゃない」

「そうです。シノノンちゃんも、エントゥアさんと遊ぶのを楽しみにしていました!」

「目の前で仲間に死なれるほど後味の悪いものはありませんからね」

「しかし、私がいれば火種に……」

 

 まだ言うか。

 まあ、思い詰めてもしょうがないことが多すぎたからな。特に、グンドゥルアの犬死はゼグニの死様があるだけにやるせないものがあったんだろう。そこに、大事にしているシノノンを護るために不必要な存在だと言われれば、心も乱れて当然か。

 

「エンナカムイに来たばかりの頃、あんたは自分に言ったよな。父が死を賭して守ってくれた命を、軽々しく捨てるつもりはありません、って」

 

 懐かしい話だ。

 オシュトルが未だ昏睡状態であり、自分が影武者をしていた頃。

 ネコネがエントゥアに看病を完全に任せられるようになるまで、随分時間がかかった。しかし、エントゥアは信頼を勝ち取ってきたのだ。仲間としての、信頼を。

 

「だから、簡単に捨てないでくれ。もうあんたは部外者じゃない。オシュトルの元に集う仲間なんだ」

「生きていても……良いのですか?」

「応さ。シノノンの姉代わりになってくれると嬉しいじゃない」

 

 口々に肯定の言葉をエントゥアに返すと、エントゥアはほろほろと涙を流した。

 そして、ヤムマキリに向き直ると、強く言い放つ。

 

「ヤムマキリ殿、お約束していただきたいことがあります」

「何だ」

「私の首は渡せません」

「そうか。だが、貴様がここにいるとわかってしまえば、我らでなくとも貴様をつけ狙うものが現れよう。その点はどうする」

「構いません。シノノンに危害が及ぶくらいなら、私が受ける方がマシです。だから、こう伝えなさい。先代族長の娘シノノンとヤクトワルト、そして――」

 

 エントゥアは、自分の血に塗れた刀を拾うと、自らの髪を少しばかり切り裂いた。

 

「――この血と髪を以って、エントゥアはヤムマキリが殺したという証明にしなさい。必要ならば、ヤクトワルト様の髪は今渡します。シノノンの髪も後で届けさせましょう」

「ほォ……なるほど。諸侯が納得するかはわからぬが、考えぬ手でなかったわけではない……いいだろう。しかし、約束の条件を満たしていないのだ。俺の言葉を信じぬ者に関しては知らぬぞ」

「その時は、戦います。私の恩人をこれ以上傷つけるおつもりなら、容赦致しません。私は……私たちはここで生きていきます」

 

 その言葉に、もう迷いは見られなかった。

 レタルモシリ対策は多分自分の仕事になるんだろうなあ、と少し憂鬱になるが、必要なことだと覚悟を改めた。ここまで来たら、皆で大事なものを護るしかないのだ。

 

「は……女が吠えよるわ。その覚悟がどれほど続くか、見ものだな。ヤクトワルト、貴様に決闘を申し込もうと思っていたが、興が冷めたわ。併合の際に世話になったゼグニには恩もある。その娘に免じて、ここは引く」

「約束は守ってくれるんだろうな」

 

 ヤクトワルトはヤムマキリに問い掛けながら、自らの髪を一房切ったのち、自分の手から流れ出る血を染み込ませたものをヤムマキリに手渡した。

 

「レタルモシリの争乱が納まるまでは守ってやる」

「その言葉、長兄ムカルに誓えるか」

「誓いなど何の意味もないが、誓ってほしいならば誓おう」

「ああ、それでいいじゃない」

「……ヤクトワルトよ。レタルモシリ平定の暁には貴様らの判断が間違っていたことを確かめに来よう。その時まで……俺のように醜く生き延びるがいい」

 

 呪いを吐きながら、ヤムマキリは倒れた仲間たちを起こすと森の中へと消えていった。

 

「ああ……今度来たときは、遠慮なくぶった切ってやろうじゃない」

「さ、帰るか。これからはレタルモシリ対策も必要になってくるしな」

「あの……」

 

 自分で血の滴る手に包帯を巻きながら帰ろうとした時、ふと服に違和感を感じた。

 振り返ると、自分の袖をつまむエントゥアの姿があった。心なしか、頬が赤い。

 

「あの……止めてくださってありがとうございます」

「いや、まあ、気にしないでくれ」

「……はい。そして、ヤクトワルト様、ありがとうございます」

「いや、シノノンはあんたに懐いてるから、いなくなると悲しむじゃない」

「それでも、お二人に感謝をしなくてはなりません。本当なら、追い出した方がいいはずなのに……グンドゥルアが死んだと聞き、父の死の意味が揺らいでしまった。だから、私自身の命を何らかの形で活かさねばならないと思ってしまいました。しかし、父の死に意味があったと叫ぶために、私は私自身の人生を生きねばならなかったのですね」

 

 自分の袖を掴んだまま、項垂れるエントゥア。その目の端には、少しばかりの涙が浮かんでいた。

 

 重苦しい雰囲気が漂う中、周囲がなんかやたらとぱちぱち目配せしてきたり、顎をエントゥアに向かってくいくい動かしている。

 

 ――なんか言えってか?

 

 自分が泣かせたわけじゃないのに、自分が悪いみたいな雰囲気になったので、考えて言葉を探す。

 

「あ~、エントゥア? 女としての幸せを掴めって、言われたんだろ? ここにいるのは、過去に縛られたエントゥアじゃないし、自分たちもそうは思ってない。だから、今ここにいるのは、ただの女としてのエントゥアだ。だから、もっと好きに生きたらどうだ」

「好きに、生きる……そう、ですね。あなたがそうした方が良いと言うのなら……」

 

 再び顔を上げたエントゥアの瞳には、もう涙の痕はなかった。

 

「帰ったら私が治療します。ハク様」

「あ? ああ」

 

 優し気な笑みを見せてくれているが、握る力は強いまま。それどころかいつの間にか袖から腕にランクアップしていた。

 そんなに治療したいのかと考えたが、エントゥアの先走り行為で傷がついたわけだから、罪悪感を持って然るべきなのかもしれない。だが、気にしないでくれと言っても決して離さない。

 

 ――もしかして、このままずっと腕組みのような状態でいろと?

 

 困ったように振り返ると、オウギはやれやれまたですかといった表情。ヤクトワルトはにやにやと揶揄う表情。キウルは良かったですね~と安堵の表情を浮かべており、キウルの反応だけが、救いだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 深夜、物音がするので起き上がってみると、双子が一人の草を気絶させていたところだった。

 

「主様」

「殺しておりません。気絶させただけです」

「わかってる。警邏の者を呼ぶ」

 

 また部屋を変えなきゃいけないかもしれない。

 ここにはウルゥルサラァナという別次元に身を隠せる存在がいるので、他の部屋よりは警備の数が少ない。だとしても十分な警備を置いていたはず。しかし、こう何度も襲撃されているとなると、明日にも警備体制を見直した方がいいな。

 

 今のところ、自分に対しての襲撃のみだが、今日で三回目である。しかも、優秀な草なようで、絶対に口を割らないものばかりだ。しかし、なぜオシュトルや皇女さんの部屋ではなく、自分なのだろうか。

 殆どの草はここに辿り着くどころか、城の中にすら入られずに刈り取られるのが普通だ。多くの草は連携しているから、芋づる式に捕まることも多い。しかし、この草は連携もなく完全な独自行動をとっているように思えてならない。

 今日捕えたこいつも、きっと何も言わずに獄中死するだろう。拷問などはしていないのに、いつの間にか死んでいるのだ。まるで、何かの操り人形が糸を切られて事切れるように。何か末恐ろしいものを感じざるを得ない。

 

 警邏の者に声をかけ、草と見られる者を牢屋へ連れていくよう言う。

 部屋の中に再び静寂が訪れると、双子がすっと寄り添ってきた。

 

「ご褒美」

「労ってください。私たちは主様の体を欲しています」

「……刺客より危険を感じるのは気のせいか?」

「気のせい」

「主様の肉欲を発散できれば、ぐっすり眠れます。お互いに利点があると思いませんか?」

「大丈夫だ。直ぐ眠れるのが特技だから」

 

 そう言って、再び寝所に潜り込む。

 二人ももぞもぞと寝床に入ってきた。

 

「……また腕枕か?」

「はい、せめて主様の体温を感じさせてください」

「労いの言葉と行動」

「……わかった。ありがとう、助かったよ。ほら」

 

 そう言い、ごろんと仰向けになって腕を広げると、そそくさと双子は腕に頭を乗せた。

 これがいつものことになっているから怖いものだ。最近、シスにこの場面を見られて、やっぱり肉奴隷じゃないかと酷く怒られた。ルルティエも少しどころか氷のように冷たい目で、信じてたのにと呟き始める始末。

 本当はやめてほしいのだが、約束は約束だ。しょうがない、うん。

 

「至福」

「主様が墜ちるまであと一歩のところなのですが、今はこれで我慢しますね」

「いや、全然あと一歩とかじゃないから」

 

 眠いからか少し当たりが強いが、感謝はしているんだ。

 双子は自分の耳に吐息があたる寸前まで接近して、目を閉じた。

 

 暗躍する者は、これから更に増えていく。

 オシュトルが光なら、自分は影。影同士の食い合いは自分の担当だ。

 ヤクトワルトとエントゥアの件みたいに、表舞台に出ない苦労がこれから増えると思うと嫌になるが、表舞台で活躍してしまうことのほうが嫌だと気づいて、少し楽になる。

 

 そういえば、最近シスが自分の身の回りのことについてあれこれ言ってくる。

 口癖は、ルルティエに嫌われてもいいの、だ。ルルティエに嫌われるのは勘弁だということでシスのいうことを聞いてはいるが、シスの目的がよくわからない。オシュトルが言うには、自分を表舞台に出したいと思っているのでは、と言われた。なぜそんなお節介をするんだろうか。目立ちたくないさぼりたい。

 

 そうして思考の波に溺れていたのだが、ふと違和感に気付いた。

 

「……お前達、寝ないのか?」

「心配?」

「お気遣いなさらずとも大丈夫です、主様。主様の御顔を見ているだけです」

 

 実は眠っているように見えて、何だかんだ警戒してくれていたのか。

 明日も仕事は沢山ある。二人には昼間寝かせてやろうと、とりあえず自分は思考を中断し、さっさと眠りに落ちていくのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 暗い地下の簡素な牢獄、そこでは二人の男が複数の看守に見張られている。

 敵の草を収容する施設とは別に、秘密裏に作らせた牢屋だ。

 

「お……調子はどうだい。ハクの旦那」

「ま、ようやく歩けるようになったところだ」

 

 看守は信頼できるものとして、ウコン時代の部下達だ。

 挨拶を返し、鉄格子の中へと足を踏み入れる。

 

「……貴様にゃもか」

「オシュトルはどうしたのでありますか」

「オシュトルは忙しいから来ない」

 

 暫く会わないうちに、片方は変わらず仏頂面で、もう片方は面影があるも随分やせ細っている。しかしどちらも健康状態は前よりよさそうだ。

 

「しかし、随分痩せたなデコポンポ。やっぱりここの食事がいいみたいだな」

「……交渉の件はどうなったのにゃも」

「向こうは沈黙だ。使者を何度も送ってはいるが、その度に門前払いだとか。交渉の席につく気はないらしい」

 

 だとしても、交渉の可能性がある限り、刺客に襲われたり獄中死する可能性を減らすために監視の目は厳しいままだが。

 

「……」

「あんたの軍も接収された。つまり、見捨てられたわけだな」

「ライコウめ……許さんにゃも」

「……帰る方法があるっつったら、どうする?」

「どういうことにゃも」

「自分たちに協力してくれれば、大手を振って帝都に帰れるぞ」

「……協力するにゃも。こんな惨めな場所で終えるなど我慢ならんにゃも」

「デコポンポ様……」

「ボコイナンテもいいんだな?」

「う、うむ……」

 

 牢獄生活で随分参ってるみたいだな。

 さて、だとしても同意は得た。

 あとは、このポンコツをどう生かすかだな。ライコウが手放したくなる理由もわかる。ライコウにとっては、思わぬ動きをする奴は邪魔以外の何物でもないだろうから。

 

「だが、思わぬ動きをするからこそ、裏をかけると言うものだ」

 

 何としても、マロロの家族を取り戻す。

 来月下旬の交渉実現に向け、準備を進めるのだった。

 

 

 




シス回に引き続き、大分難産した回ですね。
原作に余り出てないキャラは、キャラが掴みにくくて困ります。どうしてもイメージで書いちゃうので。

まあでも、巷では関わった男が死ぬなんてひどいことを言われる薄幸エントゥアさんの魅力が出ていれば幸いです。


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第十四話 婚約するもの

シリアス回が二回続いたので、ギャグ回を入れたかった。


 オシュトルは迷っていた。

 あのクジュウリ締結以後、ライコウに対してこれといって先手を取れていないことに。草による情報収集合戦ではこちらが不利。特に、ハクへの奇襲を三度も許してしまっていることから、敵側の草の優秀さがよくわかる。このままではじりじりと大事な手足を捥がれかねない。

 先手を打てない原因は、ハクがヴライの仮面を外せなくなったことにより、オシュトルの影武者としての機能が失われたことである。二人のオシュトルという裏をかく策の消失はとてつもなく痛手であった。

 しかし、ヴライの仮面に頼らなければハクだけでなくオシュトルもまた危なかった。ハクがリスクを承知していながらも力を用いたことに関して、文句ないどころか賞賛すべきものである。

 

「だが、これより先ウコンとなることはもはやできぬ、か……」

 

 全く動かなければ、鎖の巫女による幻影の術でオシュトルの仮面に見えるよう変えられるそうだ。しかし、全く動かないという前提条件があるので利用できる場所は限定される。

 つまり、本陣にオシュトル扮したハクを置くことで、自らがウコンとして行動する作戦は使えなくなった。流石に全く動かないのは不自然すぎるからだ。

 ミカヅチには自分がウコンに扮していることは知られているので効果は薄くとも、その他の勢力には攪乱戦法として効果を期待できる。しかしそれができなくなった今、どうするのがよいのか。

 これから先も二人が交互に指揮権を譲渡する戦法を取るには、ハク自身が司令塔として機能する存在になるしかない。しかし、それが兵にどう伝わるのか。ただ某が信頼している者だと言っても、兵は着いて来ないだろう。

 普段ぐうたらな姿と、常に女性を侍らせている姿を皆に見せているハクのことだ。某の言葉だけでは、信頼されることはない。

 

「……キウル、ネコネを呼んでくれるか」

 

 側に控えていたキウルに告げると、キウルは返事と共にすぐさま行動に移った。

 

「許せ、ネコネ……」

 

 かねてよりの策を、今行うしかないだろう。

 王道を征く、とはかけ離れたものだ。某も、ハクに影響され始めている。

 

 しかし、別の意味では王道を征くかもしれぬな。素直になれぬ妹のため、背中を押すことは。何しろ、強敵はいくらでも周囲にいるからな。特に、クオン殿は自らが保護者としてハクの所有権を有している。それに、ルルティエ殿も秘めた思いを打ち明けたのか、ハクと急接近している。シス殿は某への接近は諦めたのか、今度はハクに対して甲斐甲斐しく世話を焼き始めている。エントゥア殿も、某にハクの好きなものなどを聞いてくる始末。

 クオン殿がおらず、シス殿によってルルティエ殿とハクの距離が離れている今こそ好機。だが、強力な後押しがなければネコネに春は来ないだろう。

 

「兄上、ネコネさんをお連れしました」

「ご苦労。キウルは調練に向かってくれ」

「了解です、兄上」

 

 これからする話は、キウルに聞かせられぬからな。

 横戸を開けて入ってきたネコネは、対面にある座に座り、こちらを見つめてくる。

 

「……どうしたのですか。兄さま」

「聞きたいことがあったのだ。ネコネは……ハクのことをどう思っている?」

「ど、どう……って、な、なぜそんなことを聞くです?」

 

 大事なことなのだ。と念を押し、何とかネコネから言葉を引き出す。

 

「……と、とりあえず、ぐうたらでダメダメな人なのです」

「しかし、ガウンジからネコネを守り通したのであろう。やるべき時はやる男だと某は思っている」

「そ、それはそうかもしれないですが……」

 

 嫌いではないのだろう。我が妹は某以外にはあまり心を許さぬ。それをあそこまでネコネの本音を引き出すことができるのだ。もしかすれば、某以上に。

 だから、強引乍ら本題に入ることとした。

 

「これから先、ハクに全権を委ねねばならぬ時がくると考えている」

「!? そ、それは――」

「ネコネが考えていることは杞憂だ。某は死ぬつもりはない。しかし、作戦行動の中で、某の全権を安心して任せられるのは、ハクだけなのだ」

「……でも、影武者となれない今、ハクさんについていく兵など誰もいないのです。兄さまに次ぐ権力か、武勇、功績を示さないと……」

「そうだ。しかし、功績に関しては、クジュウリとの同盟締結、帝都より聖上を救い出したこと。ヴライから某の命を救ったこと。他にも公開できぬもの、細かいものをあげれば多数の功績を挙げている」

「武勇に関してはどうなのです?」

「武勇に関しては既に示している。仮面の力を用いることができるのは大きい。それに、ネコネをガウンジから護った」

「そ、それを認めるのは甚だ不本意なのですが……権力については、どうするのです?」

「それも、示すことができる。このオシュトルの身内となることでな」

「……は?」

 

 ネコネは理解不能と言った表情をしたあと、思い至ったように声をあげた。

 

「あ、ああ! キウルのように義兄弟となる、ということです?」

「違う。それ以上だ」

 

 ネコネは何やら、悶々としはじめた。

 衆道やらなんやら不穏な単語がネコネの口から聞こえ始めたところで、言葉を発する。

 

「ハクには、このオシュトルの義弟となってもらう」

「で、ですから、キウルと同じなのでは……」

「全く違う。何故ならば――ネコネには、ハクの許嫁となってもらうからだ」

「――」

 

 その言葉の衝撃は、ネコネの表情を硬化させるに至るには十分のものであった。

 たっぷりと一分程固まったのち、ネコネの口が開いた。

 

「――うなあああああああっ!!?」

 

 ネコネの悲鳴が鼓膜の奥まで響き、部屋が震えた。

 ネコネの尻尾は逆立ち、かつてない警戒色を強めている。

 

「あ、あああああ兄さまっ!? ど、どどどどどういうことなのですか!?」

「政略結婚のようなことをさせる兄を軽蔑するだろうが、許してくれネコネ。もはや、こうする他ないのだ。あのライコウに後手で動くこと即ち悪手。何としてでも先に動けるようにせねばならぬ」

「そそ、それ、それは、わかっていますが……で、でも……ハクさんと……なんて、あ、ああああ、ありえないのです!」

「あくまで、形だけで構わぬ。戦争が終わったのち、許嫁を解消すればよい。しかし、この戦時中は、あくまでオシュトルの右腕として、オシュトルの身内にするだけの信用がある、という権力を与えねばならぬ」

 

 とりあえず、安心させるよう、そう言った。

 しかし、ネコネは真っ赤な顔をぶんぶんと振り、拒否を示した。

 

「あ、あんなぐうたらでダメダメで女たらしなひとと夫婦なんて――嘘でも、ご、ごめんなのです!! 夫婦になったとたん、ハクさんのことだからすぐ手を出してくるに決まってるです! 大切な妹が毒牙にかけられても、兄さまはそれでいいのですか!?」

「む……ハクは、あれだけ慕われている鎖の巫女にも、一定の距離を置く男だ。そのようなことはせぬと信頼している」

「わたしが信頼していないのです!!」

 

 とりあえず、今は何を言っても否定しかしないと考え話を打ち切った。

 

「とにかく、そこまでネコネが拒否するのであれば、この話は保留ということにしよう」

「当たり前なのです!」

「しかし、決心がついたら、いつでも言ってくれ。夫婦となれとは言っておらぬ。許嫁というだけだ」

「たとえそうだとしても……母さまもそんなの絶対認めないのです!」

「ふむ……では、某から母上に問うておこう。しかし、ネコネが駄目となると……ルルティエ殿に頼むこととするか、それともアトゥイ殿か」

「……もしかして、その二人にも、今のようなことを言うつもりですか?」

「ああ。ともかく、ハクは明確な血統を証明せねばならぬからな」

「……そ、そうなのですか」

 

 何か迷う表情。

 顔を真っ赤にしたり、真っ青にしたりと面白いが、とにかく一人で考えさせることが一番かもしれないと、声をかけた。

 

「今日の用件はそれだけだ、ネコネ。もうすぐ母上のところに顔を出す時間であろう。下がるといい」

「あ……はい、わかったのです。失礼……するのです」

 

 とぼとぼと、思い悩む表情のまま部屋を出ていくネコネを見て、笑みを浮かべる。

 

「脈はある、か。すまぬなクオン殿……ハクは、是非某の傍に置いておきたいのだ」

 

 エンナカムイにいないクオンを思い浮かべ、心の中で謝るオシュトルなのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「はあ? ネコネを自分の許嫁に、だと?」

 

 オシュトルから火急の用件だと言われて急いで執務室に来たところ、とんでもないことを言われた。

 ネコネの許嫁とか、脛がいくつあっても足りんぞ。それに、歳の差を考えろ歳の差を。

 

「オシュトル、お前……自分をとんでもないロリコンにするつもりか?」

「ろりこん、とは何だ」

「幼児愛者のことだよ」

「ふむ……しかし、ネコネぐらいの年頃から許嫁として認めることはある種当然でもある。それに我が父上と母上も歳の差婚であった。ハクの心配するようなことはないと思うが」

 

 確かに、この時代ならそれが当然みたいだが。しかし、自分もその対象に含まれるなんざ思ってもみなかった。

 

「自分が認めないと言っているんだ。というか、オシュトル、こんなやり方は正道でも何でもないぞ。邪道も邪道じゃないか」

「某もハクに影響され始めたのだな」

「いやいや、自分でもこんなこと考えないぞ!」

 

 政略結婚もいいところじゃないか。

 確かに、これから先オシュトルに一々判断を窺っていては手遅れになることも多々あるだろう。オシュトルと同じくらい案件を独自に判断できる権力者が必要だとも思っていた。しかし、やり方が強引すぎる。しかも、まさかその権力者が自分になるなんて嫌だぞ。表舞台に立ちたくないから影なんてやっているんだ。いくらオシュトルの頼みでも、それは聞けない。

 

「第一、ネコネは認めんだろうし、トリコリさんも何て言うか……」

「母上は相手がハクであるならば構わぬと言ってくださったが」

「トリコリさぁぁああん!!?」

 

 ――なに考えてんだ!

 驚きすぎて声が裏返ったわ!

 

「ハク、某が全幅の信頼を置いているという何よりの証明でもあるのだ」

「そ、そりゃ、わかってはいるが……キウルはどうなるんだ」

「ネコネとの婚姻を結ばずともキウルは某の義弟として、そしてエンナカムイ皇子としての権力を既に持っている。しかし、ライコウ相手に某の全権を委ねられるかとなると、キウルはまだ幼い」

「そ、そうか」

 

 キウルには聞かせられんな。

 まあ、確かに今の政務や軍事をいきなり任されてもキウルとしても困るか。だが、キウルの恋を応援していた手前、自分がネコネを寝取るようなことなんてできるわけがない。

 

「あくまで結婚(仮)だ。戦乱が終われば、破棄すればよい」

 

 それまで黙っていた双子が、こそっと耳打ちしてくる。

 

「心配ない」

「私たちは主様が誰と結婚しても、主様だけの肉奴隷ですから安心してください」

「それで何を安心しろと言うんだ」

 

 身の危険しか感じないぞ。

 

「ハク、必要なことなのだ。偽りで構わぬ」

「……わかったよ。ネコネが了承すれば、自分も認めてやるよ。だが、自分は説得しないぞ」

 

 ――ネコネが了承する訳ないからな。

 

「構わぬ。では、ネコネの了承を待つとしよう」

 

 そう、この時はこう思っていたんだ。あんだけ自分を嫌っているネコネのことだ。たとえ愛しき兄さまの頼みでも、自分と結婚(仮)なんてするわけがないと。

 

 そして翌日。

 

「ハクさんがいいというなら、いいのです」

「は?」

 

 執務室にて、オシュトルとネコネ、そして自分――姿を消してはいるが双子が側にいることは言うまでもない――が相対する中、婚約の話に関してそう呟いた。

 

「そうか。であれば、早速儀を執り行うと――」

「ちょちょちょ、ちょっと待て、ネコネ! オシュトル!」

「どうしたのです」

「何だ、ハク」

 

 二人は何を興奮しているのかという対応。

 

「何だ、どうしたじゃない。それでいいのか!?」

「無論、某から頼んだことであれば」

「ネコネは!?」

「本当は虫唾が走るほどに嫌ですが、兄さまたっての頼みなのです。それに襲ってきたら切り落としていいと言われたので、渋々了承したのです」

「どこを!?」

 

 おい、やっぱり身の危険しか感じないぞ。

 

「ふ、まあネコネも年頃の娘、間違いが起こらぬとは限らぬからな」

「間違いなんか起こるか! 自分はもっと凹凸がないと興奮しな――ぐっ!?」

 

 体が傾くほどの渾身の脛蹴りを受けて、それ以上言葉が続かない。

 

「凹凸ある」

「主様、私達では興奮しませんか?」

 

 双子がしな垂れかかってくるのを振り払いながら、ネコネにも抗議する。

 

「おいネコネ! いくらオシュトルの頼みでも、そうほいほい了承するもんじゃないだろ! こういうことは!」

「五月蠅いのです。ハクさんは私が納得すればいいと言ったのではないのですか?」

「ま、まあ、そうだが、しかしだな……キウルにも悪いし」

「キウル? なぜそこでキウルが出てくるのです?」

 

 心底不思議そうに首を傾けて疑問を向けるネコネを見て、キウルが気の毒になる。

 しかし、キウルの想いを知る自分としては――っていうかオシュトルも知っているだろ。よくこんなキウルを裏切るような真似できるな!

 その追求はネコネがいる手前できないので、とにかくネコネが断ってくれるよう誘導しようと言葉を尽くす。

 

「いや、それは……まあいい。しかし、ネコネ、お前自分の嫁として動けるのか? 許嫁が形だけとは言っても、疑われないように仲睦まじい姿を民や兵に見せなきゃなんないんだぞ」

「私の演技力を甘く見ないで欲しいのです。やれと言われれば……な、何だってやれるのです」

「自分に飯作ったり、一緒に寝たりすんだぞ?」

「そ、それぐらいできるのです!」

 

 厳密に言えばそんなことはないのだが、脅しを込めてそう言う。が、ネコネは頑なにできると言い張る。

 オシュトルはオシュトルでこちらをにやにやと眺めるだけで、助け舟を出す様子はない。

 

「オシュトル! 仮初とは言え、自分に甲斐甲斐しく奉仕するネコネなんか見たいか? 頼むから思い留まってくれって」

「ふむ。しかし相性は悪くないように見える。某もハクとネコネを信頼しているからこそ、このような提案をしている身。某からやめろとは言わぬよ」

「ぐ、ぐむむむむ」

 

 こうなるとオシュトルは何を言おうとも言葉を曲げない頑固さがある。ネコネも兄譲りに頑固だ。

 

「そんなに……嫌なのですか?」

「なに?」

「……そんなに、私と結婚するのが嫌なのですか。そんなに、嫌いですか」

「ネコネ?」

 

 下を向いて、ふるふると体を震わすネコネ。

 もしかして、泣いているのか?

 

「泣かした」

「主様、いじめるのはそれぐらいにした方がいいのでは?」

 

 双子が耳元で責めてくる。思わず言葉を返した。

 

「な、お前ら……いや、自分はネコネのためを思ってだな……」

 

 あとキウル。

 

「なら、尚更」

「ネコネ様の決心を支えるのがいいのではないでしょうか?」

「しかし、クオンが何て言うか……」

 

 ロリコン死すべしとして頭を尻尾で締め上げられる未来しか見えない。

 締めあげられるだけならいいが、今度は本当にヘチマ頭にされるか、砕け散ったりんごみたいになる可能性だってある。

 

「気にしなくていい」

「この場にいない人のことは後で考えてもよろしいのでは?」

「ぐ、むう」

 

 というかなんでこんなに双子は婚約に肯定的なんだ。

 

 ネコネの顔を覗きこもうとしても、ふいと顔を逸らされる。

 オシュトルは事の成り行きに身を任せるといったように無言であったが、少なからず非難の視線を向けているように思う。

 

 針の筵状態に耐えきれず、思わず漏らした。

 

「わかった。ネコネが納得するなら、それでいいさ」

「よく言った。では早速、明日儀を執り行うとしよう。ネコネ、母上に伝言を頼む」

「はいなのです」

 

 オシュトルの言葉に、すっと顔を上げるネコネ。

 泣いているのかと思ったら、目元が赤くなってすらいない。随分けろりとしたものだ。

 

「ちょ、ちょっと、ネコネさん?」

「なんなのです?」

「あの、泣いていらっしゃるのかと……」

「なぜ泣く必要があるです? 母さまから、男は女の涙に弱いと聞いたのでやってみただけなのです」

「な……な……」

「ふふ、どうやらハクさんには、嘘泣きでも効果覿面だったようなのです」

 

 してやったりという顔で、部屋を出ていくネコネ。

 後に残るは、茫然とした表情をする自分と、笑いを堪えきれないといったオシュトルの二人。

 

「……ネコネは、自分が知らない間に随分逞しくなったな」

「ふ、某もそう感じていたところだ」

「いいのか。あんまりいい方向に成長しているとは言えんぞ」

「母上も、我が父上を落とすために随分苦労されたとか。その教訓をネコネが生かしているだけであろう」

「騙された」

「私たちも騙されて傷ついちゃいました。主様慰めてください」

 

 いや、絶対お前らは気づいていただろ。

 あと、ネコネに倣って嘘泣きするな。もう騙されんぞ。

 

「さて忙しくなるぞ、ハク。明日に備えて服を取りに行くといい」

「服?」

「其方の晴れ姿だ。いつもの恰好とはいくまい。某の影武者となる時に、世話になった呉服屋があるだろう。そこに預けてある。ついでに、明日の夕刻に執り行うことを伝えてくれ」

「……全部、想定の内だったってことか」

 

 いくらなんでも用意が良すぎる。

 まるで、うまくいくという確信があったと言わんばかりだ。

 

「ふむ。まあ、もしネコネが拒否してもハクと見合いたいという者は他にもいる。前もって用意しておいただけだ」

「どうかな……ったく、オシュトル、こういうのは今回限りにしてくれよ」

「無論。そのつもりだ」

 

 つもりだけじゃ困るんだがな。

 はあ、クオンに何て説明すればいいのやら。

 あれだけ帰ってきてほしいと思っていたのが、今ではクオンが帰ることに戦々恐々し始めてしまうのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 式当日。

 

 列席した者達の顔は千差万別だった。

 笑顔で馬鹿騒ぎしているのはノスリやアトゥイ、ヤクトワルト、マロロなどお祭り大好き勢だ。

 しかし一転して怖い顔をしているのは、ルルティエとシスとエントゥアに、皇女さん、そしてキウルだ。

 全員には、あくまでも戦争時期の間だけの結婚(仮)であることを事前――事前と言っても本当に儀を執り行う直前――にきちんと説明しているのだが、全然納得してくれていない。今挙げた面子で皇女さん以外は、ぶつぶつと呪いの言葉を吐き続けている。幸せになれる自信がない。特にキウルの落ち込みようは激しく、シノノンの慰めを黙って享受していた。

 そんな列席者がする反応の落差に笑っているのはオウギだ。他人事だと思いやがって。

 

 いつもの面子で細々とした式ではあるが、婚約なのだからこの程度で良い。

 しかし、主賓であるじぶんとネコネは、礼装をしっかりと身につける必要があるらしい。備え付けの部屋へと入り、自分の身支度をウルゥルとサラァナが担当し、袴のような服の着付けをする。まあ、しかし双子の手際がよく、すぐさま終わりそうだ。

 そんな様子をオシュトルはにやにやと眺めていた。

 

「ネコネも着替えているのか?」

「ああ。ネコネには母上が付いているのでな。向かいの部屋にいる。終わったらこちらに来る筈だ」

「そうかい……しかし、あと半月ちょっともすれば交渉が控えているっていうのに、婚約だなんて呑気なもんだな」

「ライコウからの返事は未だない。しかし、ハクに言われた通りの準備と下調べは進めているのだから、安心するといい」

「……まあ、お前のことだから、その辺りは心配していないが」

 

 相変わらず優秀なことで。

 なんで自分なんかをこんなに手放したがらないのかわからんくらいだ。

 

 多分、ネコネとの婚約は、オシュトルが自分を逃がさないための策略の一つなんだろう。例えば、クオンが今もし帰ってきてトゥスクルに来てほしいと言えば、自分はクオンについていくとオシュトルは思っている。オシュトルは親友で恩も沢山あるが、クオンにも命の恩人と言う返しきれない恩があり、また自分の面倒を見続けてくれたこともある。確かにエンナカムイ情勢が自分無しでも安定すると判断すれば、自分はクオンを選ぶだろう。

 しかし、ネコネを通してオシュトルとの繋がりが深ければ、クオンに断りを入れる理由の一つになる。戦乱が終わるまではハクは自らに付き合ってくれるはず、そう思ってのことだろう。

 

 ――ネコネには迷惑をかけるなあ。

 

 そう溜息をついていたところだった。

 部屋の戸が開いた音と、衝立の先からトリコリさんの声。

 

「こちらは終わりましたよ」

「母上、こちらも終わったところです」

「では、お互いお披露目といきましょうか」

 

 皆に見せる前の、舞台裏での着付けチェックだ。

 衝立の先からまずトリコリさんが出てきて、それに導かれるように、純白の花嫁衣装に身を包んだネコネが現れた。

 

 和装でありながらふわりと柔らかな装飾、小さい体であっても女性として美しく見せることを計算した見事な仕立てに、一瞬息を呑んだ。

 その衣装に包まれたネコネは、おずおずと恥ずかしそうに感想を聞いてくる。

 

「……ど、どうなのです?」

「あ? あ、ああ……かわ」

「かわ?」

 

 トリコリさんが、自分の言葉に反応する。

 

 ――そういえば、トリコリさんとこの前一緒に料理していた時、相手が精一杯御洒落していたら綺麗だとほめるのがいいって言われたな。

 

「綺麗……だと思うよ」

「……っ」

 

 ネコネは、顔を見られないように、ぐっと下を向いた。

 覗きこむと、少し涙目で物凄く顔を赤くしていた。それに気づいて、ネコネから押しのけられる。

 

「み、見るななのです! 変態!」

「おいおい、仮にも婚約する相手に変態はないだろ」

 

 叩いてくるが、その威力はいつもより軽い。ばしばしじゃなくてぺしぺしくらいだ。

 しかし、まあ、馬子にも衣裳だけあって、あのじゃじゃ馬娘をずいぶんきれいに仕立て上げたもんだ。流石トリコリさんだな。

 その同意をオシュトルにも求めようとしてオシュトルに振り返る。

 

「ネコネのこんな晴れ姿が見れて、俺は、ぐっ……!」

 

 ――マジ泣きじゃねえか。しかも、ちょっとウコン出てるぞ。

 

「そうね……こんなに早くに娘の晴れ姿が……嬉しいわ」

 

 目が見えないトリコリさんも、娘の体に手を触れながら想像しているのだろう。

 

 しかし、トリコリさん? オシュトルさん? これは嘘の婚約なんじゃなかったっけ。なんでそんなに感動しているんだ。

 もしかして自分の自意識過剰だったのか。自分を繋ぎ止めるためとかじゃなくて、トリコリ家の自己満足か?

 

「じゃ、皆さんにもお披露目といきましょうか。オシュトル、あなたは早く涙を拭きなさいね」

「あ、ああ母上。取り乱してすまぬ……」

「……もう、兄さまは大げさなのですよ」

 

 オシュトルの声色だけで泣いていることがわかるトリコリさんはやっぱり母親なんだなあ。しかし、この家族オーラの中に入っていきづらい。というか入ると帰って来られなくなりそうだ。

 助けを求めるようにウルゥルサラァナを見ようとするが、既に異空間へと姿を消しており、我関せず状態だった。

 

「さて、皆さんにお披露目といきましょう」

 

 右からオシュトル、自分、ネコネ、トリコリさんの並びで、皇女さんのいる式場へと入る。

 横戸を開ける警邏の者は、ウコン時代の配下達だ。にやにやと自分の顔を見ている。自分を知らない人にしてほしかったな……。

 開け放たれた戸から中へと入り、主賓様に用意されている座布団へとネコネと二人で歩き、それぞれ座った。その後ろに、オシュトルとトリコリさんが控えた。

 

「では、聖上。二人に祝いの言葉をお願い致しまする」

 

 しかし皇女さんはぷるぷると体を震わせ始め、そしてついに堪忍袋の緒が切れたかのように激昂した。

 

「こ、こんなもの、み、認める訳がなかろう! 絶対に認めんのじゃぁあっ!」

 

 どがしゃーんと、目の前の会席料理である八寸をぶちまける。

 料理が舞うかと思えば、まだ台だけで食べ物は後から来るのだろう。料理が犠牲にならなかったことに安心する。流石に婚約の儀で食べる飯をルルティエに作ってくれとはオシュトルも言えなかった様子であるが、ルルティエとエントゥアが毒見が必要になってしまいますからと言って、死んだ目で作ってくれた料理だそうだ。大事に食べなくては。

 

 しかし、ぶちまけてなお皇女さんの怒りは収まらないのか、ずんずんと自分の前まで突進してくる。

 

「おいハク! 貴様、こんな幼子と結婚するのが良いと申すのか!?」

「お待ちください。此度の件は……」

「黙っておれ、オシュトル! 余はハクに聞いておるのじゃ!」

 

 憧れのオシュトルが目の前にいるってのに、ここまで激昂するとは思わなかった。

 

 しかし、ここで自分が仮だと言ってしまえば、この式を聞いているであろう他国の草に自分の権力を示すことができなくなる。これはあくまでも、オシュトルに並ぶ権力者の誕生をアピールしなければならない場。であるならば――。

 

「どうじゃハク! 幼子が好きなのか!?」

「……そうだ」

「なに?」

「好きだから、婚約する」

「な……っ!?」

 

 驚きは、式場全体に広がった。

 いや驚きだけではない。全員の顔に見える失望と憤怒と悲鳴。

 おいそこエントゥア、シノノンを護るように立ち塞がるな、狙ってないから。

 おいキウル、やっぱりそうなんだ、ってなんだ。裏切ってないことは前もって伝えた筈だぞ。

 

 オウギとヤクトワルトだけは、口元と腹部を抑えて堪えきれないというように笑っている。わかっているなら助けてくれ。

 

 しかしその中で、皇女さんだけはふっと表情を緩めた。

 

「そうか……なら、余にもまだ――」

「は?」

「オシュトル! 此度の儀は取りやめるのじゃ!」

「……しかし」

「ならぬ! そのようなこと決して――」

「もしかしてと思っていたけれどその声……アンなのかしら?」

 

 ぎくりと肩を強張らせる皇女さん。

 そういえば、トリコリさんを呼ぶ時に誰も気づかなかったけど、皇女さん足繁く通ってたんだった。しかも身分を隠して。

 

「だ、誰のことかの」

「ほら、やっぱりアンでしょう? 叔父ちゃんを取られたくなくて、怒っているんでしょう?」

「……い、いや、それはじゃの、御母堂」

「大丈夫よ、アン。アンにもまだ機会はあるんだから」

「……本当か?」

「ええ、だから、今はお祝いしてあげて」

「……いや、し、しかし」

「どの道、アンには式を取りやめにする権限はないのでしょう?」

「む……ぐむむ」

 

 今、皇女さんの中で聖上として儀を取りやめにするか、これから先のトリコリさんとの生活を取るかで迷っているのだろう。

 唸り声で曲が作れるのではと思うほどに長く迷った後、皇女さんは言葉を絞り出す。

 

「お……おめでとうなのじゃ、おじちゃん」

「あ、ああ。ありがとう」

「では、料理を運ばせるとしようか……」

「うぉっほん、おほん!」

 

 なんだ、急に咳払いして。

 皇女さんは、喉に引っかかったような声色で、余は聖上である、と前置きをした。

 

「余、余は少し体調が悪くなったのじゃ。だから、儀は延期せよ」

「せ、聖上?」

「延期じゃ!」

 

 逃げた。

 残された面々は何が起こったのかよくわからない様子。

 もしかして、アンと聖上の二役を声色変えてやろうとしたのか?

 その割には声が全然変わってなかったので、トリコリさんには丸わかりのような気もするが。

 

「……どうする、ハク」

「ん?」

 

 オシュトルが困ったように聞いてくる。

 だが、自分としては本当に婚姻を結ばなくてほっとしたかもしれない。

 やはりキウル達に対する罪悪感が勝っていたからかな。皇女さんに感謝しなければ。

 

「儀は延期だとさ。これだけ用意してくれて申し訳ないが……とりあえず料理も勿体無いし、今日はオシュトル一家から部下を労う豪華な酒盛りってことにしようか!」

「おっ、旦那は話がわかるねえ! ったく、いつ酒が飲めるのかと待ち遠しかったじゃない!」

「そうですね。儀は延期だそうですし、とにかく今日は楽しみましょう。姉上」

「なるほど、そういう場であったか! ならば良し!」

「そういうことなら、今日はいっぱい飲むぇ!」

 

 誤魔化してくれたヤクトワルトとオウギには後で礼を言わんといかんな。アトゥイとノスリは多分呑みたいだけだろう。

 

「そうか……ならば、酒を持ってこさせよう。儀礼用の特上品だ」

「何っ、それはぜひとも飲まねばならんな!」

「そうですね、姉上。姉上には僕がお酌しましょう」

 

 お祭り好きな奴らが盛り上がり、料理と酒が運ばれてきてさらに盛り上がる。

 実際、目の前に並べられたものは見たこともないほど豪勢だった。オシュトルの奴め、随分前から計画してたな。

 

 ルルティエとシス、エントゥアは、宴会ならば料理の追加がいるだろうということで、先ほどまでの悪鬼のような表情から一転妙にうきうきした様子で部屋をたった。お腹すいてたのかな。

 

「お酌するのですよ。ハクさん」

「あ、ああ、ありがとう」

 

 ネコネが、自分の杯に酒を注いでくれる。

 

「こういう雰囲気も、悪くないのです」

「ん? そうだな。楽しいし、自分は静かよりもこっちのほうが好きだな」

「ハクさんたちといて……私もそうなったみたいなのです」

 

 何だろう。ネコネとの距離が随分近い気がする。

 帝都時代はウコンとその仲間達でやいのやいの飲んでいたら、口うるさく注意されたものだが。

 

 思考を誤魔化すように酒を一気に飲むと、横からトリコリさんが近寄ってきた。

 

「ハクさん、私からもお酌してあげるわね」

「あ、ああ、ありがとうございます」

「儀は延期になっちゃったけど、うちのネコネをよろしくね」

「ええ、まあ。はい」

 

 トリコリさんにはオシュトルが説明すると言っていたはずだが、果たしてどういう説明をしたんだろうか。怖くて聞けない。

 

「あの、トリコリさん」

「何かしら」

「アンのこと、嫌わないでやってくれますか」

「……」

 

 皇女さんには感謝しているが、ちと強引過ぎた。

 特にトリコリさんは楽しみにしていたようだから、アンを嫌いになってなければいいんだが。

 しかし、こちらの懸念と違って、トリコリさんは実に楽しそうにわらった。

 

「ふふ、いいのよ。今考えれば……やっぱり早すぎると思ったもの」

「母さま……」

「大丈夫よ、ネコネ。急がなくてもハクさんは逃げないって今日わかったもの。アンには感謝しなくちゃね」

 

 不安がるネコネを安心させるように告げるトリコリさん。

 

「それで、その……アンのこと、気づきましたか、やっぱり」

「何をかしら? アンじゃなくて、聖上の体調不良なら仕方ないものね。ふふっ、ふふふ、本当に、可愛らしい嫉妬だわ」

「そう、ですかね」

「私の娘二人から愛されて……ハクさんはこれから大変ね」

 

 最後の言葉は耳打ちで伝えられる。

 思わずその意味を窺おうとするが、トリコリさんにはくすくすと上機嫌に、笑ってごまかされた。

 

「あ、それそれそれそれそれ!」

「「よよいのよい! よい!」」

「ふふ、賑やかな宴会もいいものね」

 

 いつの間にかべろべろになって騒ぐ連中をトリコリさんと見ながら、酒と肴を楽しむ。

 横を見れば、オシュトルはオシュトルで、ネコネからお酌をされている。先ほどまでの計画を邪魔されたという渋い表情から、随分柔和な表情になって上機嫌みたいだ。

 

 ――まあ、これはこれでよかったのかもな。

 

 騒ぎが気になった皇女さんが戻ってきてからも、宴は変わらず盛り上がり続けたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「――ということらしく、ヴライの仮面をつけたハクという男は幼女趣味であり、オシュトルの妹君であるネコネと婚姻を結ぼうとしたところ、偽アンジュが激昂。周囲も同調し、儀はいったん取りやめになったということです」

「……シチーリヤ。報告は正確に、事実のみ行え」

「いえ、それが……草からの報告には、そう書いてありまして」

「……解任しろ。そんな馬鹿なことがありえるか」

 

 わけがわからぬ。

 オシュトルの狙いはわかる。もう一人己に代わる権力者を作ろうとして、血縁を利用したのだろう。

 しかし、なぜそれを姫殿下がぶち壊しにする。話が通っていないのか。それほどまでにオシュトルと姫殿下の間には意識の差があるのか。

 考えれば考える程、交渉を控えてのこの暴挙に苛立つ。何がしたいのかさっぱりわからぬ。

 

「あのライコウ様……交渉への返答はどういたしますか?」

「ふむ……そろそろ返事をしてやってもよいと思っていたが、もう少し遅らせる。どうやら、向こうの組織内部は混乱期にあるようだ。わざわざ結束を高める要素をくれてやらずともよい」

 

 草の報告を信じれば、だが。

 今のところ、情報合戦では負けていない。ウォシスからの報告でじわじわとだが警備体制もわかってきている。内部を完全に崩しきるには足りないが、その刻限は迫ってきている。

 そして、唯一の収穫が、ハクという男がヴライの仮面を被っているということ。他の草からの情報によれば、ハクという男は四六時中仮面を被っているらしい。しかし、これほどまでにあからさまであれば、裏を探ってくれというようなもの。ハクという男が仮面の力を使い得る存在であるかどうかは確信が持てない。

 

 しかし、ヴライはいないことがわかった。帝より賜れし仮面を手放すことなど、ヴライならばあり得ぬ。また、剛腕のヴライは帝都でその容赦のなさから敵味方より恐れられてきた。だがその仮面を担うものがヴライではなくただの男であれば、それだけでもこちらの兵の恐怖を拭うことができる。

 そして、唯一交渉への懸念であった、オシュトルとヴライの二人という最大戦力が来ることは、実現し得ないということ。二人を同時に相手取るのは最強の駒である我が弟ミカヅチを以ってしても不利だったが、そうでないのならばやりようはいくらでもある。

 

「このような珍事は今回限りにして欲しいものだ」

 

 オシュトル、貴様にはもっと俺を楽しませてくれる勢力になってもらわなければならぬ。

 帝からの解放を目指す我らか、帝の恩情に従う貴様らか、どちらかが選ばれる時は刻一刻と近づいているのだから。

 

 

 




やりたかったんや……
キウルから恨まれても、この展開をやりたかったんや……
まあ、皇女さんに阻止されたわけですけれども。

ネコネの想いにオシュトルとトリコリさんは気づいている。だから応援してあげたい。しかし、オシュトルはキウルの想いも知っている。
なので、あくまで結婚(仮)で、キウルに対しても、未だチャンスはあるよと発破をかけて、最終的にはネコネに選んでもらうつもりだったということで納得してもらえるとありがたいです。


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第十五話 奪い合うもの

 十五話めにしてついにクオン登場です。
 この話を書いていると、やっぱり原作のアンジュVSトゥスクル皇女は名シーンなんだなあと思う次第で。
 この二次創作では原作の魅力を伝えきれないなあと苦悩した回です。


 オシュトルによるネコネと自分の婚姻を結ぶことで自分を権力者に押し上げる策は、アンジュの機嫌が悪くなったことにより延期された。

 

 そのため、実質的には自分は権力者とはなれなかったのだが、儀を執り行おうとしたことで、兵達の間で自分が半ば神格化というか、オシュトルから信頼されていることはわかったようだ。

 

 ――まあ、幼女趣味だの、勇者だの、少し揶揄い混じりの言葉も聞こえてくるが。

 

 なので、急いで儀を執り行うこともないとして、儀はライコウとの交渉以後に行うことに決まった。この点については、皇女さんにも何とか納得してもらえたらしい。

 

 しかし重要なのは、ネコネとの婚姻を結ぶということは実質的には決まっているということだ。これを覆すことができるのは、オシュトルの気が変わるか、ネコネの気が変わるかしかない。

 なので、この二人の気を変えられるであろうキウルを呼び出すことに決めた。

 

「何ですか、ハクさん」

「……ちょっと口調が冷たいぞ、キウル」

「だって、ハクさんはネコネさんを……」

 

 むーと、口を尖らせて抗議するキウル。

 やめろよ。女に一瞬見間違えるほど美少年だから可愛いと思っちまうだろ。

 

「まあ聞け、キウル。ネコネと婚姻を結ぶのは、策としては非常に効果的だ。オシュトル的にはな」

「……それは、わかってますが」

「だが、自分は納得してない」

「……え? ハクさんも納得してのことじゃないんですか?」

「いや、半ば無理やりだな。嵌められたというべきか……まあ、とにかく、自分は権力者なんざなりたくないし、キウルにも悪いと思っていた。それに、ネコネとの婚姻も将来バツイチ確定になってしまう手前、悪いと思っている。だからキウル。お前――ネコネに告白しろ」

「え、ええ――ッ!?」

 

 キウルは、腕をあわあわと振り回し、誰が見ても動揺しているような様子だった。

 取られた盗られたという割には、こいつ悠長なんだよな。まあ、ネコネみたいな幼女が誰かに取られるとは思ってなかったんだろうが。

 

「し、しかし、ネコネさんは私なんかに」

「いいか、キウル。ネコネをバツイチから救ってやれるのは、お前だけなんだ。まあ、バツイチになった後にプロポーズするというなら構わんが……とにかく、皇女さんもオシュトルの説得に陥落しちまったし、今自分とネコネの婚姻を破棄させることが出来るとしたら、お前だけだ」

「え、えぇ?」

「お前だけが頼りなんだ。お前の告白で、ネコネを心変わりさせるんだ」

「う、ううあ、え……」

 

 キウルはパニックに陥ったのか、パクパクと開閉する口からは意味のある言葉は出てこない。

 そんなキウルの様子に構わず約束を取り付けた。

 

「いいか、キウル。自分がキウルとネコネが一緒に行動できる日を設定するからな。その日に告白する文言を考えておくんだぞ」

「は、はい……」

 

 ヤクトワルト的にはシノノンとキウルがくっついてほしいと思っているようだが。

 自分はどちらでもいいが、とりあえずネコネの幸せを思えば、自分なんかよりはしっかりとネコネを想ってくれている存在に気付くほうがいいはずだ。婚姻を結んじまうと、その期間何だかんだネコネは義理堅いだろうし、他の者と恋愛関係には発展しなくなるだろう。

 

「わ、わかりました。ハクさんがそう言うのなら……」

「よく言った。頼むぜキウル」

 

 キウルを裏切ってしまうような出来事だったが、これをきっかけにキウルの覚悟を決められたのなら、悪くない結果になったかもしれないな。

 

 とりあえず日時を決めて、さあいざ決行の準備をと思っていたら、オシュトルから緊急の招集があった。

 キウルとともに、謁見の間へと急ぐ。

 

 そこには――。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 トゥスクル皇女来訪。

 その隣には、かつてトゥスクルで戦ったあのクロウという男。そして、ベナウィという男がいた。どちらの男も歴戦の風格を漂わせており、皇女が本物であることを窺わせた。

 

「来たか、ハク」

「あ、ああ」

 

 言われるがまま、オシュトルの隣へと腰を下ろす。

 目の前のトゥスクル皇女は威厳に満ちており、これからの話が並大抵でないことがわかる。

 しかし、トゥスクル皇女は、自分の顔にある仮面を見て酷く動揺したようだ。頭巾によって顔が見えなくとも、びくりと体が震えていた。

 

「其方……なぜ仮面をつけておる」

「……?」

「答えよ」

「……つけたら、外せなくなっただけだ」

 

 嘘は言ってないよな。

 有無を言わさない凄みに思わず答えてしまったが、なぜそんなことを気にするのか。初対面の筈なんだが。

 

 皇女は何かしら心当たりがあるのか思考に耽り始めた。

 しかし、話が進まないと見て、隣のベナウィが諫めた。

 

「女皇。此度の御用向きを」

「あ、ああ。そうだなベナウィ。用向きとは他でもない。其方らへの支援を申し出たい」

「なんと……クオン殿より様々な支援をいただいてきましが、此度はトゥスクル国直々の支援とは」

「うむ……クオンからの要望でな。我が友らを窮地より救ってほしいと」

 

 窮地。

 まあ、クジュウリの支援を取りつけられたといっても、まだまだ苦しい状況には違いない。砦の補強など、外へ打って出るための用意はいくら人手があっても足りないほどだ。

 しかし、ここで簡単にトゥスクルの支援を受け取ってもよいものなのか。今までは、あくまでクオンという個人からの支援だった。しかし、大々的に国として支援するということは、不利益を生み出さないだろうか。

 例えば、トゥスクルが一度はヤマトが攻めた敵国だということだ。友好を結んだと言えば聞こえはいいが、それが信じられなければ敵国側に寝返るということに他ならないか。

 支援を受けるとしても、あくまで秘密裏にしなければならないだろう。

 

「まずは、其方らへの友好の証として、捕虜をお返ししよう」

「捕虜? まさか……」

 

 顔を隠した護衛に連れられて、一人の女性が歩いてくる。

 

「お久しぶりです、姫殿下」

「な、なんと……ムネチカではないか!」

 

 そこにいたのは、あのムネチカだった。

 思わず駆け寄り、抱擁を交わす皇女さんとムネチカ。

 

「ムネチカっ!! 無事であったなら、なぜもっと早く知らせなかった!」

「姫殿下……虜囚の身なれば、お伝えできず申し訳ありませぬ。またお会いできて光栄にございます」

 

 皆が思い思いの歓迎の言葉を投げかけ、ムネチカは顔を綻ばせた。オシュトルもまた心強い味方の参戦に、喜色を隠そうともしなかった。

 

「……ムネチカ殿、息災であった。御身は無事であるか」

「オシュトル殿。心配なさらずとも、小生は無事である。それどころか、捕虜の身でありながらも、生活に不備を感じたことはありませぬ」

「そりゃよかった。しかし、よく無事だったな。あの時、殿を務めたのを最後に消息がわからなかったから心配していたぞ」

「うむ、ハク殿もよくぞご無事で。小生によくしてくださった御仁から、今までの経緯は聞いている。ハク殿に、謝罪と感謝を」

 

 かつてトゥスクル遠征の際、殿を務め出てそのまま行方知れずであった彼女が、ついにヤマトへと戻ったのだ。やはり捕虜となっていたか。しかし、ムネチカに憔悴した様子はない。捕虜として拷問などの行為は受けていないことがよくわかる。つまり、トゥスクルの国としての度量も示してきたわけだ。

 既にムネチカ以外の捕虜たちも連れてきているという。ヤマトの精強な兵の帰参に場が盛り上がった。

 

「ともかく、よくぞ戻ってきてくれたのじゃ、ムネチカ」

「しかしながら、先の戦にて力及ばず虜囚となり、賜りました仮面を失いました。この咎、謹んでお受けする所存です」

「よい、ムネチカ。其方は余の傍におるだけで良い」

「……は、このムネチカ、八柱将の名にかけて……聖上を御守りいたします」

 

 まあ、仮面は流石に返さないか。

 それを追求して機嫌を損なわせるのもあれだし、言いはしないが。

 

「トゥスクル皇女に感謝をせねばな!」

「ムネチカ殿のこと、改めて御礼申し上げる。トゥスクル皇女」

「構わぬ。其方らの国との友好を深めるためだ」

 

 しかし、向こうの皇女さんは、随分気前がいいというか。ここまで気前がいいと、裏を疑いたくなる。

 例えば――ヤマトを二分させて疲弊させた後、トゥスクルがヤマトを攻め滅ぼす、とかな。

 

 オシュトルもその考えに至っているのだろう。だからこそ、即答を良しとしないでいる。

 

「しかし、ここまでしていただけるとなると、我が国に対する要求というのは莫大なものと思われますが」

「いや、要求はない。クオンが世話になった礼だと思ってくれればよい」

「ほお……」

 

 クオンはトゥスクル国に対してそこまでの影響力があるのか。

 国にこれだけの譲歩をさせるとは、どこかのお嬢様というのは本当だったんだな。

 

「しかし、これだけの支援。敵や周辺国より内情を疑われるも同然であります。ヤマトとしてもかつて侵攻した敵国に支援を受ければ、逆賊の謗りを受けることとなります」

「わかっている。秘密裏に支援すれば良いというのだろう。それで構わぬ」

 

 支援に関しては、既にクジュウリがいる。

 そのため、支援が必要ないと言いたいところだが、二国の国力を賄うためには、支援の量はあってしかるべしである。それに、ムネチカを帰還させる手前、断ることもできない。秘密裏であれば、構わない。そういう判断なんだろう。

 

 しかし、面白くないのはクジュウリ勢だ。

 自分たちの支援では足りないのかという不満と、これまで貢献してきたクジュウリの立場が弱くなるのでは、という危機感だ。

 ちらちらとシスの表情を見れば、案の定納得していない様子だった。

 

 しかし、オシュトルとトゥスクル皇女の間ではこれからの必要物資の話に発展し始めている。

 さて、どうしたものか。

 

 そう思っていると、トゥスクル皇女は思わずといった調子で疑問を投げかけてきた。

 

「一つ疑問がある。その席に、オシュトル殿、その妹君ネコネ殿、そこまではわかる。その男は何者であるか」

 

 自分のことか。

 確かに、聖上の前に並ぶ面々としてはなんでいるのかと思うだろうな。この国の皇イラワジですら、壁際にいるってのに。

 

「彼はハクという男で、某の身内でございまする」

「身内? どういう……ことだ?」

「? 先日、ハクは某の妹であるネコネの許嫁となりました。そのため、この末席に置かせていただいております」

 

 儀はまだやっておらぬぞー、と皇女さんが付け加えるも、トゥスクル皇女は驚愕に震え、周囲もその変化に気付いた。

 それまで和やかにこれからの支援物資について話をしていたトゥスクル皇女が、突然どす黒いオーラを醸し出したのだから。

 

「そこの者」

「は、はいですっ、わたし……です?」

「そなたは、婚姻に納得しているのか」

「え、えと、は、はいなのです」

「……そうか。オシュトル殿、我らから、忘れていた条件を一つ加えたい」

「ふむ? して、それは?」

「そこにいる者を、クオンの配下としてトゥスクルに連れていく」

「……自分のことか?」

「な……だ、ダメなのじゃ! ハクは余の忠臣! それをトゥスクルなどに渡すものか!!」

 

 おいおい、皇女さん。言葉は嬉しいが、お相手さんの機嫌を取らなくていいのか。

 めっちゃ怖いオーラ出しているぞ。

 

「オシュトル殿も、そう思われるのか」

「……他の者ではなりませぬか。ハクは作戦参謀としても、我が身内としてもなくてはならぬ存在。この戦乱を勝利に導くのはハクであると確信しております。どうか、ご再考をお願いいたす」

「つまり、呑めぬと」

「そうなります」

「……では、支援の話はナシだ」

 

 そう言って、退室しようとしたトゥスクル皇女を、オシュトルは慌てて引き止めた。

 支援の話が御破算になれば、ムネチカの身もまた虜囚へと戻るからだ。オシュトルとしては、はいそうですかと帰すわけにはいかないだろう。

 

「お待ちいただきたい。どうしても、ハクでなければならぬと?」

「ああ。譲れぬ」

「理由をお聞かせ願いたい」

「我が国では、其方らヤマトへ疑いを持っているものも多い。我はトゥスクルの皇女。民を担うものにしてトゥスクルそのものである。故に我はトゥスクルに振りかかる災いの芽を摘まねばならぬ。その為にならば、どのような手段も講じよう」

「それが、此度の支援と、ハクの身柄引き渡しということでありますか」

「ああ、そうだ。ヤマトに宣戦布告せよと申すものも多い。しかし、我とて悪戯に民を苦しめたいとは思わぬ。だからこそ、我は其方らが我らに仇なすものか、それを見極めにきた」

 

 ああなるほど、災いの芽とはつまり――

 

「……ヤマトが再びトゥスクルへ侵攻すると思っているのか」

「その通りである」

「な、待つのじゃ、ヤマトはもうトゥスクルに攻め入るような真似はせぬ!」

「某からもそう誓おう。其方らとは永遠の友好を築きたい」

「汝等は一度我が地を侵したのだから、そう考えていない者を納得させるには足りぬ。ヤマトが力を取り戻せば、再び我がトゥスクルに侵攻してくるであろう。特に、今帝都にいる勢力は確実にそれを狙う。であればこその其方らへの支援、そして其方らが絶対に裏切らぬ人質を見つけるために我は来たのだ」

 

 一体何で判断したのかはわからないが、とりあえず人質がなければ信用ならないと思われてしまったのか。その人質になぜ自分が選ばれるかはわからんが。

 しかし、確かに次にヤマトを支配する者にとって、一度失敗したというトゥスクル討伐は、支配者としての威信を示す格好の機会だ。しかも兄貴が半ば強引に求めた地。何かあるのではと考える者は多いだろう。特にライコウならば。

 

 オシュトルは少し悩む素振りを見せた後、こう提言した。

 

「……では、ハクをかけ決闘するのはいかがか」

「何……?」

「某らが負ければ、ハクをそちらの好きにしていただき、こちらへの支援の条件を呑んでいただきます」

「其方らが勝てば?」

「ハクは渡しませぬし、同じくこちらへの支援の条件を呑んでいただきます」

「ふむ……」

「無理を言っているのは承知しております。であれば、そちらが戦う相手を指定していただいても構いませぬ」

「ほう、我がトゥスクルの精鋭に勝てるつもりか」

「無論」

「ふ、後になって条件を付け足した我にも思うところはある。それならば面白い。受けてたとう」

 

 なんか勝手に話が進んでいるんだけども。

 

「異論はないな、ベナウィ、クロウ」

「御心のままに」

「この件に関しては姫さんが一任されているんだから、否やはないですぜ」

「ベナウィ、クロウ、誰と闘りたい?」

「では……私は彼と」

 

 そう言って、ベナウィはオシュトルへと目を向けた。

 

「どうですか? オシュトル殿」

「構いませぬ」

「ちょちょちょ、大将。そりゃないですぜ。俺も奴と戦いたいってのに」

「クロウ、あなたでは彼と勝負になりません。私がやります」

「へいへい……わかりやしたよ。なら、そこの旦那にしよう」

「俺かい?」

 

 ヤクトワルトを指さすクロウ。指名されたヤクトワルトは嬉しそうに顎を撫でた。

 

「あっちで見たときから、サシでやりたいと思っていたんでね……陽炎のヤクトワルト」

「ほォ、俺の名を知ってくれているとは、光栄じゃない。勿論受けて立つぜ」

「はあ~……あ~あ、残念やぇ」

 

 一連の流れを見て、アトゥイは誰かと戦えると思ったのだろう。酷く落胆していた。

 

「ではオシュトル殿、場は……」

「女皇、多数の者に顔を見られるわけにはいきません」

「……そうであったな、ではここで行うとしよう」

「承知いたした。では、ここで執り行うとしましょう」

 

 ばたばたと慌ただしく戦闘の準備が整えられていく。自分は部屋の隅にネコネと共に避難し、その光景をじっと見ていた。

 

「……なんか、自分が置いていかれているような気がするのは気のせいか?」

「……気のせいではないのです」

「だよな……なんでまた自分なんかを欲しがるかね……」

「人気」

「安心してください。どちらに行くとしても、私たちは主様についていきます」

 

 双子はぎゅっと両側からくっついてくる。

 すると、トゥスクル皇女がぐりんとこちらに顔を向けて反応し、明確な殺気の視線を向けてきた。

 

「な、なあ、なんか睨んでる気がするのは気のせいか?」

「……気のせいではないのです」

「嫉妬」

「女皇という立場ですから、男日照りが続いて、きっと機嫌が悪いのでは?」

 

 ぐいぐいと体を押し付け、トゥスクル皇女に流し眼を向ける双子。

 

「――てやる、かな」

 

 トゥスクル皇女は、何やら歯ぎしりしながら不穏な呟きをしていたが、気のせいだと思うことにしたのだった。

 

「では、始めますが……トゥスクル皇女。そちらは……」

「クロウ、任せたぞ」

「うぃッス! 任せてくだせえ!」

「なら、こっちは俺が行くじゃない」

 

 互いに前に出るクロウとヤクトワルト。

 トゥスクル遠征の際に見た、あの馬鹿でかい剣を携えたクロウに、細身の長刀を構えるヤクトワルト。

 明らかに剛の者。しかも、あの時は本気を出していないようにも見えた。

 しかしとて、ヤクトワルトも負けてはいない。あの時も対等に渡り合えていたのはヤクトワルトだけだ。

 

 しかし、いざ始まった勝負は、予想に反してヤクトワルトの防戦一方だった。ヤクトワルトとしても鋭い一撃を何度か返すが、尽くを受けるかさらに返される。やがてヤクトワルトの表情にも焦りが見え始めた。

 

「ちぇぁッ!!」

「でやァっ!!」

 

 豪快な一撃の応酬。

 既に金属音は刀と刀とは思えぬ重い響きを持っており、打ちあわされる度に二人の体は少し後退する。

 しかし、二人の刀がお互いの首元へと吸い込まれるようにして交差し、寸でのところでクロウの剣が到達するのが速かった。

 ヤクトワルトの剣も遅れて首に届くが、先に届いたことをわかっていたのだろう。潔く刀を引いた。

 

「やるじゃない……」

「悪いね。少し型は違うみたいだが、源流はエヴェンクルガの流派だろ? こちとら、その流派とは嫌っつうほど手合せしているんでね」

「そうかい……見様見真似なんだが、俺の剣がエヴェンクルガの剣に見えたのなら誇らしいじゃない」

 

 ヤクトワルトはふっと笑うと、刀を仕舞う。

 お互いに肩を叩き合い、友好を示した。

 

「今度は、命の奪り合いをしたいねぇ」

「おうよ、死合いならいつでも歓迎だぜ」

 

 にかりと笑う男に嘘はなく、まさに戦い続ける男の姿だった。

 ヤクトワルトも己の負けを納得したのか、すまねえ旦那と、自分に聞こえるよう呟きながら元の場所へと戻った。

 クロウも元の場所へと戻るかと思えば、なにかもめ事が起きているようだ。

 

「……クロウ様? 姫から安請け合いは禁止されていたのでは?」

「え、そ、そりゃあ……そうなんだが……秘密にしといてくれや」

「いいえ。きちんと報告させていただきますね。あなたも妻帯者なのですから、少しはご自愛くださいませ」

 

 顔を隠した女性が和やかな口調でそう話すと、みるみる内にクロウは背を縮こまらせて退散した。

 しかし、一転して、トゥスクル皇女はクロウを褒め称える。

 

「よくやったクロウ。次はベナウィ、其方が勝てば終わりだ」

「御意」

 

 身の丈以上の槍を構えたベナウィが、前に進み出る。

 ムネチカは彼と一度戦ったこともあるらしく、オシュトルに何事か耳打ちしていた。

 

 ――彼は力ある者との戦いを知っております。

 ――了解した。

 

 双子の読唇術なのか呪術なのかは知らないが、耳打ちの内容を伝えてくれる。

 それだけで何を了解したっていうんだ、オシュトルは。

 

 オシュトルは既に傷は完治しており、万全の調子だとこの前の紅白試合では言っていた。

 自分としても仮面の力で強化されている――秘密にしているが――のにも関わらず、オシュトルとの武力の差は開くばかりだ。

 つまり、ヤマト一、二を争う戦士であるオシュトルならば、あのベナウィという男にも勝てるだろう。しかし、ムネチカが忠告するほどの存在だ。それに、クオンも確かその名を口にしていた覚えがある。皇女の側で常に動じない姿を見ても、トゥスクルで一、二を争う戦士であることがわかる。

 

 つまり、この勝負こそ二国の頂上決戦なのだ。

 

 ベナウィは槍を静かに構え、オシュトルは鞘から刀を抜きさり、その鞘を足元に置いた。

 鞘という僅かな重みすら手放さなければならない相手なのか。

 

「では、始めまする」

「よろしくお願いします」

 

 互いにじりじりと間合いを詰めるが、槍である分ベナウィの方が間合いは広い。先手を取られるのは確実だろう。それに、刀で槍に勝つには三倍の技量がいるとかなんとか聞いたこともある。状況はオシュトルの不利かと思われた。

 しかし、槍の間合いに入っても、ベナウィは未だ動かない。

 

「……」

 

 オシュトルがじりじりと更に進む。しかし、未だ動く気配はない。

 既に槍の死地の中、オシュトルは何かを感じて、それまで進めていた足をぴたりと止めた。

 

「これ以上は、進めぬな」

「……」

 

 僅かに剣が届かぬ距離。しかし、槍は届く。なぜ膠着状態なのか。

 

「ハク殿」

「あ、ああ、ムネチカか」

「姫殿下とオシュトル殿を御救い下さったとか。感謝してもしきれませぬ」

「いや、今それはいいんだ。それよりも、なんであんなことになってるんだ?」

 

 オシュトルとベナウィの二人に向かって指を差すと、ムネチカが解説してくれた。

 

「む……ベナウィ殿は、オシュトル殿に槍を避けられると思っているのでしょう。そしてそれは正しく、一撃を避けて懐に入れる距離。つまり、あの状態はベナウィ殿にとっても死地となりうる間合い」

「……だからこそ、もっと深く、確実に当てられる距離まで近づいてもらおうとしていたってことか」

「その通り。オシュトル殿にとっても、先手を取れる距離はもう少し先にありますが、これ以上踏み込めば避けられぬと考えてのことでしょう」

「なるほどな……ってことは」

「暫くは、あの状態かと」

 

 達人同士だと、ああいった睨み合いだけで試合が終わることもあると聞いていたが、本当なんだなあ。

 

「そ、それで、兄さまは勝てるのですか?」

「それは、わかりませぬ。彼もまた修羅故に」

 

 隣のネコネが殊更不安そうになる。聞かせていい話ではなかったな。

 兄さまが危険になると飛び出す癖は治ってないんだ。また今回も飛び出さないか心配だな。

 

 皆が膠着状態を一喜一憂で眺めていた時、オシュトルが先に動いた。

 動いたといっても、前にではない。超高速で、後ろに下がったのだ。

 

「――っ」

 

 ベナウィは、引き摺られるようにして槍を放つ。動きに釣られたのだろう。

 その槍を、オシュトルは渾身の力でもって横殴りし、槍を弾く。反転、そのまま空を――天井を駆けるが如く飛び、オシュトルは大地を上にして刀を振り下ろす。

 

「は――ッ!!」

「っ――!」

 

 間一髪のところで、槍の持ち手で防がれる。

 さらに反転、オシュトルは追撃をしかけるかに見えたが、再び何か障壁があるかのように踏み込まなかった。

 

「……誘いにも乗りませんか。恐ろしい方ですね」

「驚きである。ミカヅチ以外にこれほどまでの武人がいたとは……」

 

 お互いに称えあう漢達。

 ちなみに、今の戦闘は自分には全く見えなかったので、ムネチカに解説してもらった。

 

 再び接敵するかと思えば、しかし、構えを解いたのはベナウィ。その表情には薄い笑みを浮かべていた。

 

「……私の負けにしましょう」

「ふむ……? まだ勝負はついておりませぬが」

「構いません。私の負けです」

 

 ベナウィが槍を仕舞うと、元の場所へと戻る。

 オシュトルもその様子を見てから鞘を拾い、刀を収めた。

 

「……大将がすんなり負けを認めるとは意外でしたね」

「……彼とは馬に乗った十全以上の力で戦わねば勝つのは難しいと判断しました。あれ以上やればお互いただでは済まなかったでしょう。それに、元々私は彼をトゥスクルに呼ぶことに賛成はしていませんので。後の選択は、女皇に託します」

 

 双子から伝えられる内容に、流石オシュトルと思うのと同時に、トゥスクルの底知れなさを感じる。使者が帝都に来たときも思ったが、トゥスクルって修羅の国なのかな。

 

「ふむ、一勝一敗、決着はどうなされるおつもりか。このままもう一勝負してもよろしいが」

「ならば、我は其方らの皇女と闘おう。その勝敗を以って決着とする」

「な、余……余と闘うというのか?」

 

 何と、トゥスクル皇女はアンジュを指名した。

 そりゃいくらなんでも……。

 心配だとばかりに止めようとするオシュトルを、アンジュは手で制した。

 

「わかったのじゃ! ハクとムネチカをかけた勝負、余がやらずに誰がやる! 受けて立とうではないか!」

「二言はないな」

 

 おいおいおい、まじでやるつもりか。

 止めるべきか悩んでいる内に、二人の皇女は立ちあがり、ずんずんと互いの距離を縮めていく。

 

「任せよ。我が勝てぬ試合ではない。戯れれば終わる話よ」

「な、なんじゃとぉ!?」

 

 おいおい、心理戦からやられてどうするんだ。

 挑発にひっかかりすぎだ。このままじゃ負けちまうぞ。

 

 トゥスクル行きとかマジ勘弁と、普段しない応援を皇女さんに向けて送る。

 

「あとは皇女さんが勝てるかどうかだ。頼むぜ!」

「うむ、任せよ!」

 

 一転して、元気よく返事をする皇女さんに、明らかにむっとするトゥスクル皇女。

 

 皇女さんは、あの兄貴がヤマトの帝後継者として指名した存在だ。普段の力自慢を見ても弱いわけはない。

 相手にもよるが、そこらの箱入り姫なら負ける要素はない筈だ。いくら相手がトゥスクルの皇女としても、天子には勝てない筈。

 

「……まずは、一発。其方に殴らせてもよい」

「な、なんじゃと……?」

「力の違いを思い知らせてやろう」

 

 ぶらりと腕から力を抜き、ほらほらと挑発するトゥスクル皇女。

 皇女さんは煽られて顔面が真っ赤だった。

 

「言いおったな……後悔するでないぞ」

「はようせい」

「な……っ、殴ると言ったら殴るからな! いいのだな!」

「口だけであれば、何とでも言える。はようせい」

 

 腕力にしても他の種とは比較にもならない力を持っている筈。それを受けきるなんてできるのか。しかし、向こうの陣営の様子を見ても、落ち着き払った様子で、止めようとすらしない。

 あの皇女はそれほどのものなのか。

 

「いくぞ……這いつくばってから後悔しても、遅いのじゃぞッ!」

 

 大きく振りかぶり、そのまま渾身の右ストレート。

 全く避ける素振りも見せないトゥスクル皇女の頬に、金属音のような音を響かせながらアンジュの拳がめり込んでいる。しかし、トゥスクル皇女は何事もなかったかのように、体勢を戻した。

 

「ふむ……何かしたか」

「ひっ……な、なぜ……」

「これでは戯れにもならぬ。この程度の力では、我ら自身がヤマトを攻め滅ぼし、後願の憂いを断った方が良かったかもしれぬ」

「な、なんじゃと!」

 

 おいおい。

 あんなまともに食らってんのに、少しのダメージもないとか嘘だろ。今のパンチ、自分なら体が吹っ飛んでいるくらいの力だぞ。

 横にいるムネチカも、驚愕に眼を見開いていた。帝都ではムネチカによって鍛えられていた筈だ。つまり、ムネチカもまた皇女さんの力を認めている。それゆえの驚愕だ。

 

「其方だけが特別だと思ったか。余は大神ウィツァルネミテアの天子なるぞ」

「な、なに……?」

 

 ドン、と響いた轟音とともに、皇女さんの体が吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

 恐ろしい威力の打撃だった。ふらふらと立ち上がる皇女さんに、オシュトルが駆け寄った。

 

「聖上!」

「な、ならぬ! 皆の者……手出し無用じゃ! これは、余の戦! 誰にも邪魔させぬ!」

「了解。オシュトルも手だしはするなよ」

「む……いや……し、しかし」

「聖上の言葉だぞ」

「……うむ」

 

 というか、間に入った瞬間死ぬから入りたくても入れないんだけども。

 しかし、大神ウィツァルネミテアの天子とは。ちらりと双子に問うような視線を向けると、軽く頷かれ、それが真実であることがわかった。

 

 トゥスクルで崇拝されている神様の、子どもねえ……。

 まあ、同じ天子じゃないと、仮面の者さえタダでは済まないと言われている力を持つ皇女さんのパンチをまともに受けきるなんてありえんからな。

 

「ぐっ、がはっ」

「どうした、その程度か」

 

 前代未聞の皇女同士の殴り合い。

 誰も止める者はいない。なぜなら、皇女さん自身が決めたことを、周囲が覆すわけにはいかないからだ。止めるには、皇女さん自身が諦めて折れるか、明確なルール違反がなければできない。

 

「弱い、弱いな。クオンたっての頼みであるからこそ、こうして支援をしに来たというのに、これでは其方らが勝つ見込みは無いかもしれぬ」

「くっ……度重なる侮辱、もう我慢ならん! 私が相手だ!」

「姉上、いけません」

「しかしだな!」

「ノスリ」

「何だハク!」

「いつかは皇女さん自身が戦わなきゃいけない時が来る。その時のためにも、ここで折れるならその程度さ」

「む……し、しかし……!」

「皇女さんが自らの意思で耐えているなら、それを見届けるのも臣下の務めだぞ」

 

 ノスリをオウギに抑えさせながら、二人の勝負を見る。いや、勝負にすらなっていない。だが、皇女さんは倒れるたびに立ちあがった。

 

 立ち上がる限り、自分は皇女さんの邪魔もできなければ、諦めろと言うこともできない。皇女さんはまさに今、自分のために戦ってくれているのだから。

 

「……なぜ立ちあがる。ハクは其方にとってそれほど重要な存在ではなかろう。ムネチカ殿の方が、其方にとって大事な存在の筈だ。ハクを諦めればムネチカと我らからの支援が手に入る。何が気にいらぬ」

「……余は、奪われたのじゃ」

「なに……?」

「家族を……温もりを、全てを簒奪された気持ち、其方にはわからんじゃろう……。余は、それを取り戻すために、戦っているのじゃ……」

「それが血塗られた道であってもか。民は其方の我儘に振り回されているだけだ。民は自らの生活さえ護られれば上が誰であろうと構わぬ。何かを切り捨てねば、何かを手にいれることはできぬ」

 

 皇女さんの目が不安げに揺れる。

 その隙に、トゥスクル皇女の渾身の打撃が腹部に入り、皇女さんは壁を突き破りながら外へと放り出された。

 

「聖上!」

「だい、じょうぶじゃ……!」

 

 ふらふらと立ち上がる皇女さんに、トゥスクル皇女はつかつかと歩み寄る。

 

「其方は矛盾しておる。温もりを取り戻すと言いながら、今あるものは手放さぬという。其方にとってどちらが大事なのだ。今あるものに満足しているのであれば、この片田舎で大人しくしておればよいだろう」

「矛盾など、しておらぬ……余にとって、どちらも護るべきものなのじゃ」

「何……?」

「ハクは……皆はもう余の家族なのじゃ! 絶対に、誰にも奪われてなるものか! 余がヤマトを取り戻す。そして余が家族を、民を護るのじゃ! それだけの力を今示さねばならぬ! 余が、余こそが天子アンジュなるぞ!」

 

 激昂。

 震える膝を支え乍ら立ちあがる皇女さんなど、初めて見る。皇女さんは、どこか人任せになっているのではないかと危惧していたが、それは全くの杞憂だったのだ。己の罪深い責任を自覚し、それでも自らが護る側として君臨する覚悟があったのだ。

 

「姫殿下――いや、聖上……」

 

 ムネチカが涙を堪えるようにして目元を拭うが、しかし今のアンジュの姿を目に焼き付けようと視線を外さない。

 帝都に居た頃より成長していたんだなあ。皇女さん。

 

「ふむ……では示してもらおう。其方の力を。既に体力の限界を迎えた其方に、我を倒せるとは思えぬが――っ!?」

 

 その瞬間、天より何かが降ってきた。

 爆音と土煙をあげ深々と突き刺さったそれは、まるで巨大な鉄塊であるかのような一本の黒剣。

 

「これは、カルラ姉さまの――!?」

「天からの剣……これは、きっと余の為の父上が剣……これがあれば――っぐぅ、はあああっ!」

 

 アンジュは深々と刺さったそれを渾身の力で抜きさり、棒立ちのトゥスクル皇女へと突撃する。

 

「示してやるのじゃ、余の力を! 下がれ! 田舎者!」

「くっ!」

 

 トゥスクル皇女も両腕で防御するが、とても受けきれずに後方へ吹っ飛ばされた。

 向かいの壁をぶち破りもうもうと土煙が上がる中、ダメージを負いながらもトゥスクル皇女が現れる。

 

「っ、ごほっ、なぜその剣が――」

「でやあああああッ!」

 

 皇女さんは、トゥスクル皇女がまだ立ちあがることに驚きもせず、とどめを刺そうと再びトゥスクル皇女に飛び掛かろうとするのを見て、オシュトルに目配せし、思わず間に入った。

 

「双方そこまで!」

「そこまでだ。皇女さん」

「な、邪魔をするな、ハク! オシュトル!」

「もういい。これ以上やると取り返しがつかなくなる」

 

 トゥスクル皇女は動揺しながらも反撃の手段を持っていた。それに武器を手にした以上、これ以上やってどちらかに大怪我されちゃ困る。トゥスクルを敵国にまでしちまうのはまずい。

 

「悪いな、トゥスクル皇女さんよ。うちの皇女さんは我儘で、何でも欲しがるんだ。だが、そんな皇女さんに、皆ついてきたし、これからもついて行くつもりだ。だから、双方痛み分けってことで勘弁してくれ」

「……支援の件はどうするつもりだ。ムネチカ殿は返さなくとも良いのか」

「トゥスクルには元々観光に行きたいと思っていたし、人質として自分が暫く行ってやるさ。だが、戦乱が終わるまではここにいる。だから、担保として代わりにこれを預けておく」

「それは……」

 

 懐から、かつて兄貴に貰った小箱を取りだす。

 ずっと考えていたが、対価となるようなものはこれくらいしかない。いや、してみせる。

 

「帝の紋章が入った印さ。これがあれば、このヤマトのどこにでも行けるし、入れる。まあ、今は情勢が安定していないから使いどころは限られるが」

「……それでは足りぬな」

「ああ。だからムネチカの返還のみで結構。支援は金輪際なしで構わない」

「ほう……それで勝てるとお思いか」

「ああ、今はクジュウリとの同盟もあるし大丈夫だろう。それに、あんたらにとっちゃ、どっちが勝とうがこの印の効力は変わらない。これがあれば容易にヤマトを攻め滅ぼせるからな」

 

 実際、草にでもこれを持たせて情報収集すれば、たとえ帝の印を変えたとしても一定の効力はあるだろう。ウズールッシャの遺跡の衛士に見せたときは効果覿面だった。

 まあ、今は帝がお隠れになったと言われているが、最後の任務だなんだと言えばいいだけだ。前時代帝の影響力が凄すぎるからこそ、多くの兵は未だにこの印の効力を知っている。

 

「……ふん、それを以って、ヤマトの侵攻論を唱える者らを抑えられれば良いが」

「それでも納得しないってんなら、今度は自分が相手だ。トゥスクルが攻めてこようが何しようが全力で相手してやる」

「……っ、勝てるとでも?」

「ああ。皇女さんの覚悟を、見せてもらったからな。本当はのんべんだらりと隠遁生活をしたかったんだが、自分もそろそろ皇女さんのために働き者になるとするさ」

 

 そういって、ぽんと皇女さんの頭に手を置いた。

 

「クオンにもそう伝えてくれ――もう自分の働き口は決まった、ってな」

 

 覗きこむようにしてそう告げると、皇女は顔を逸らした。

 何だ、顔を見られたくないのか?

 

「っ、そうか……わかった。ならば、持ってきた物資は置いていくこととしよう。ここを壊した詫びだ。そして、その印を以って、ムネチカ殿ら捕虜の返還も認めよう」

「なんと……寛大なる処置、感謝致す。トゥスクル皇女」

「其方……案外、いい奴じゃな」

「っ……帰るぞ、ベナウィ、クロウ」

「はっ」

「ウィッス」

 

 帰り際、トゥスクルの漢二人による視線が自分の目を射抜いた。

 面白そうなものを見る目。二人はふっと薄く笑うと、トゥスクル皇女へとついて行った。

 

「……ハク」

「ん?」

 

 いつの間にか、皇女さんはこちらの袖を引っ張り、自分を前かがみにさせてきた。その表情は不安を堪えるかのようで、酷く不安定だった。

 

「其方は、余の傍にいてくれるのか」

「ああ」

「余が、もし……もし諦めてしまっても」

「そん時はそん時考えればいい。根無し草のお尋ね者でもついていくさ。だが、やると言ったからにはそう簡単に諦めるなよ。皇女さん一人でやる必要はないんだ。オシュトルとか、優秀な奴は山ほどいるんだからな」

「そうか……では約束なのじゃ」

 

 そう言って、皇女さんはおずおずと小指を差しだしてくる。

 ああ、指切りげんまんしろってか。

 

「おう、何の約束だ?」

「余の傍におれ、余の……か、家族として」

「……ふ、まあ、もう皇女さんの叔父ちゃん役を請け負っちまったからな。いいよ」

「そうか……ありがとうなのじゃ――ハク」

 

 小指を絡め、健気に咲く向日葵のような笑顔を見せる。

 それは、かつて見た記憶の中と同じ、自分の心を温かくさせてくれるものだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 エンナカムイ郊外で、二人の女性が話をしている。

 片方はギリヤギナ、片方はエヴェンクルガの種族で、どちらも高い戦闘力を有した戦士だった。

 

「いいのか、あの剣は……」

「飾られているだけよりも、使われてこそ剣の本懐。主様の剣……あの子なら、きっと使いこなしてくれますわ。それにあの子にも恋敵がいるほうが、その分燃え上がるというもの」

「そう、か。しかし、クオンも随分な男に惚れたものだ」

「ふふ……私たちが言えることではないけれど。主様も最初は記憶喪失で、弱弱しかったそうだから。男は皆、護るべきものを得て強くなっていく」

「……聖上は某の前ではいつも強かったが」

「ふふ、弱みを見せられることこそ信頼の証。どうやらあなたは主様の信頼を得ていなかったようね」

「なッ……そ、そんなことはない! そ、そういえば、風呂場などでは聖上の弱った姿を見た覚えが――」

「はいはい。とりあえず、すごすご帰ってくる傷心の妹を慰めてやらないといけませんわね」

 

 一方は楽しそうに、一方は納得いかない素振りを見せ乍ら、森へと消えていった。

 




 アンジュは今ハクに対して恋心というよりは、仲のいい家族。安心できる存在としてハクを見ているという状態。
 クオンは、自分がいない間に勝手に生きていけているハクを見て、自分の存在意義に揺らぎを感じて焦っている。それが恋心と周囲は気づいているけど自覚はないといった状態ですね。
 二人とも、これが大きく恋に傾くには、まだまだ何かが必要だと思うのですよ。その何かを書いているところなので、更新はまた暫くお待ちください。


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第十六話 受け入れるもの

更新遅れて申し訳ない。
四月から忙しいため、これからも更新頻度は落ちる模様。

次回からライコウとの交渉に臨むため、最後の日常回を。
他は番外編とかで補完できたらいいな。


 ムネチカ凱旋。

 その報は瞬く間にエンナカムイを巡り、また同じくしてアンジュがトゥスクルの鼻持ちならない皇女を片田舎に送り返したと専らの評判だった。皇女同士のサシの勝負で勝ったことでムネチカを取り返したのだと、皇女さんを称える声も聞こえる。

 流れる噂は事実と異なるとはいえど、もうトゥスクルからの支援自体を受けないことに決めていたので、わざわざ否定することもないかとそのままにしておいている。

 

 まあ、一番いい形に終われたのは、多分クオンへの義理もあるんだろう。

 クオンの友であるからこそ、友好的な態度を示していた。最後の豹変は、友人として相応しいか否かこちらを試していたともとれる。

 

 まあとにもかくにも、噂については訂正の必要なし。そう結論付けた後、オシュトル、マロロと執務室で顔を突き合わせてこれからのことを話す。

 

「しかし、あのような形で終われたことはトゥスクル皇女、如いてはクオン殿によるところが大きい。何らかの返礼はせねばならぬ」

「ふむぅ、どんな思惑があるとしても、納得したからこそ帰ったと見るのが良いと思うでおじゃる」

「マロロの意見に賛成だな。一応金印と戦乱後の人質で話はついている。わざわざ関わる必要もないさ。向こうから異議ありと来るなら話は別だが」

「しかし……トゥスクルへ人質として赴くということ、ハクは納得しているのか」

「ああ、どのみち兄――個人的にもトゥスクルには用があるしな。クオンもいるし、幽閉されるなんてことはないなら、大歓迎だ」

 

 まあ、敵兵のムネチカの待遇が良いという話を聞いたからこその楽観的な推測ではあるが、クオンがトゥスクルの重鎮、もしくはそれに通ずる役職であることは皇女の態度を見ればわかる。それほどひどい扱いは受けない筈だ。

 兄貴、帝が託した思い、トゥスクルには何かがあると見ていいだろう。自分の目で確かめるしかない。

 

「しかし、ネコネはどうするのだ」

「ん? 戦乱が終われば婚約は解消だろ? それに、戦乱が終わってからもお前に扱き使われるつもりはないぞ。稼げるだけ稼いだら旅に出たい」

 

 あくまで戦乱が鎮まるまでの職だ。何を今更。

 自分の返答を聞いたオシュトルはそこで初めて苦虫を噛み潰したような顔をした。その表情のまま声を絞り出す。

 

「……ハクならばそう言うであろうことはわかっていたが……いや、このことについては今審議しても仕方がないであろうな。その話はまた後日するとしよう」

「じゃあ、後は……」

「うむ、ライコウとの交渉の件である」

「人払いは?」

「無論、してある。キウル、オウギ殿、ヤクトワルト殿に見張らせている。何分、相手の行動が読めぬのでな。今この場にいる三人のみで審議する。良いかマロロ」

「わかったでおじゃる。マロは構わぬでおじゃる」

 

 三人は万が一にでも草に話を聞かれぬよう、声を落とす。

 

「今朝方ライコウからの返事が来た。文には交渉の承諾と、日時の指定が書いてある」

「いつだ」

「丁度来週の明朝である」

「……いよいよでおじゃるか」

「うむ……そして、こちらがつけている草から、マロロの親族の居場所もわかっている。マロロのご家族は変わらずマロロの実家にて生活しているようだ。そしてどうやら交渉の場にもマロロの家族を連れてくるつもりはないらしい」

「ど、どういうことでおじゃるか」

「つまり、交渉はあくまでこちらの手を見るためのもので、デコポンポと直接交換の場にするつもりはないということだな」

「で、ではどうするのでおじゃ!」

「奪うしかないだろ」

「うむ……」

 

 オシュトルと前々から進めていた計画について話す。

 マロロはその全貌を知る内に驚愕に眼を見開き、やがて信頼の輝きを放っていく。

 

「なるほど……それであれば、あのライコウ殿の裏をかけるかもしれぬでおじゃ」

「しかし、ムネチカが凱旋したことは既にライコウにも伝わっている筈だ。前よりも警戒してくるだろう。だが、警戒してくるのは、あくまで交渉の場であり人物の方だ。もし交渉の場であるルモイの関にマロロの家族を連れてこないのならば良し、もし連れてきたとしても、その場で奪うことに変わりはない」

 

 まあ、どちらにしても、行きはよいよい帰りは怖い作戦であることは間違いない。

 それに、前もってマロロの家族がどこにいるか常に知っておかねばならない。ま、そのために、草を潜り込ませ入念な準備を繰り返してきたのだ。必ず成功させる。

 デコポンポの人質は朝廷にとって盾とはならないが、マロロの家族はこちらに対しての盾の機能を果たす可能性がある。これから勢力を広げるために大胆な行動を起こすには、いち早く取り戻す必要がある。

 

「すまぬでおじゃる……」

「? 何がだ?」

「マロの家族のため、ハク殿らに危険を強いてしまうことなど本来あってはならぬことでおじゃ……だから」

 

 めそめそ泣きだすマロロ。

 全く、照れくさいので余り言いたくないのだが。

 

「友達だろ、当然だ」

「マロロよ、気にしてはならぬ」

「う、ううっ、ハク殿~、オシュトル殿~! あ、ありがとうでおじゃる!!」

 

 一筋縄ではいかないだろう。机上の空論でもあり、作戦自体は臨機応変さにかける部分もある。だが、こいつらがいれば大丈夫、そう思わせてくれる仲間がいるのだ。きっと成功する。

 マロロが鼻水を撒き散らして迫ってくるのを避けながら、ライコウとの知恵比べに想いを馳せるのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「ハク殿」

 

 オシュトルとの日課でもある打ち合い稽古のため調練場に向かっていたところ、何者かに呼び止められたので振り返る。

 そこには、どこか焦りの表情を浮かべたムネチカがいた。

 

「ん? なんだ、ムネチカじゃないか、どうかしたのか?」

「急ぎのところすまないが、聖上の居場所を知らぬだろうか」

「皇女さん? 今日は見てないが」

 

 トリコリさんのところに行こう、といつもいつも早朝駆け込んでくる皇女さんにしては珍しく、今日は一度も見ていない。

 ムネチカが戻ったことで、皇女さんの教育係もとい御側付としての任にムネチカが再びついたため、少しはお転婆が治まるかと思えば、相変わらず皇女さんに振り回されているようだな。

 

「ハク殿のところにおられるかと思ったのだが……そうか。呼び止めてすまない」

「いや、別に構わんが……皇女さんまた無断で出歩いてるのか?」

「うむ……ハク殿も聖上にお会いした際にはお戻りするよう伝えてくれぬか」

「ああ、わかった」

 

 ムネチカが足早に廊下を歩いて行くのを見送ったあと、自分は調練場の方へと足を運ぶ。サボると明日倍の時間になるから行くしかないのだ。

 しかし最近はシスも自分と打ちあい稽古をしたがり、そのため筋肉痛と打撲痕が絶えない。そのため最近はシスに出会わないように、シスによる新兵調練の時間にオシュトルと打ちあうことにしている。しかし、少しの遅れがシスと調練場で出くわすことに繋がるため、さっさと行って終わらせなければならない。

 自然足早に調練場へと向かっていたのだが、遠目で見えてくる待ち合わせ場所にいる人物に気付き、嫌な予感が走った。

 黒々とした鉄塊を自慢げに振り回す、小柄な少女。

 

「……なにやってるんだ、皇女さん」

「おおハクではないか。見よ、この剣を! いくら振ろうとも刃こぼれ一つない代物なのじゃ。御父上が授けてくださったものに間違いなかろう!」

「……そう、か?」

 

 多分違うだろうなと思いもするが、兄貴のことだ。皇女さんの呼応に備えて何かしらの機能を天に与えていた可能性もある。しかし、いくらなんでもそこまでしないか、とその考えを振り払った。

 だが誰が投げ込んだか、考えれば考える程謎は深まるばかりだ。こんな鉄塊を誰にも気づかれることのない距離から正確に投げ込める存在などいるはずもない。

 

「ハク、聞いておるのか?」

「ん、悪い、なんだ?」

 

 思考の波から抜け出し、聞き流していた自分に対してぷりぷり怒る皇女さんの話を聞く。

 

「じゃからな、この剣があれば、どんな輩でも討ち滅ぼせるに違いないのじゃ。余裕の表情を見せていたトゥスクル皇女もこれで送り返したところじゃしな!」

「そうか? 自分が止めなければ皇女さんも危うかったがな」

「なんじゃと~?」

 

 機嫌よく話していたところに水を差されたのが気に喰わないのか、ぶおんと剣を振り自分の眼前につきつけてきた。

 

「そうじゃハク、丁度相手を探しておったところじゃ、そなたが余の相手をせい」

「自分が? 皇女さんのか?」

「そうじゃ。忠臣なら相手をせい。この剣ならば余は誰にも負けぬことを証明してやるのじゃ」

「おいおい、冗談じゃないぞ。そんな剣受けたら木っ端みじんになるわ!」

 

 本当に冗談じゃない。

 最近は手合せの回数も増え、鉄扇の消耗が激しい。これ以上無理に扱って壊してしまえばクオンから何て言われるかわかったもんじゃない。

 それに鉄扇だけで済めばいいが、絶対に体も同じようにばらばらになる。

 

「何をいう。最近オシュトルとの手合せでめきめきと武を伸ばしておると専らの評判じゃぞ。ハクの主人として余も誇らしいのじゃ!」

「どこでそんな評判があるんだ? 聞いたことないが」

「オウギとヤクトワルトが言っておったのじゃ」

「……あいつらの言うことを信用しないでくれ」

 

 したり顔で皇女さんに話す二人の像が目に浮かぶ。

 後で文句を言わないとな。

 

「まあよい。それも余が直々に確かめればわかること。構えるのじゃハク!」

「いや、もうすぐオシュトル来るし……」

「わかっとらんのぉ、だからやるんじゃろうが……っ!」

「うぉっ!?」

 

 突然上段から振り下ろされた剣を、寸でのところで避ける。

 剣は先ほどまで自分のいた場所を粉々に砕き、粉砕された土塊が砂塵となって舞う。

 

「あ、あぶねえ!」

「なんじゃ、避けられるではないか。オシュトルによい恰好を見せるためじゃ、協力せいハク!」

「ふむ、某に良いところをと……」

「なるほど。聖上は御自身の成長を見せるための相手をご所望でしたか。これは小生気づきませんでした」

「む、むむむむむむムネチカ!!? オシュトル!?」

 

 いつの間にか背後に立つ、ムネチカとオシュトル。

 多分、オシュトルの部屋じゃないかとムネチカが訪問して、オシュトルに皇女さんはここにいるんじゃないかと連れられて、一緒に来た、というところだろうか。

 

「さて、では聖上。お相手ならば小生が致しますので、存分に力を発揮してくださいますれば」

「お、怒っておるのかムネチカ」

「怒ってなどおりませぬ」

 

 そういうムネチカの眉間には力が籠っており、尋常ではない威圧感を放っていた。

 

「お、怒っておるではないか! ま、待つのじゃ、ムネチカ!」

「このムネチカ、これまで待てと言われて待った敵を見たことはありませぬ」

 

 悲鳴を上げながらムネチカの打撃を受ける皇女さん。

 暫くすると、助けよハク、助けよオシュトルとこちらに懇願し始めた。

 

「どうするオシュトル? 自分たちもやるか?」

「さて……」

 

 自分は耳を貸さずにその場から目を逸らしてオシュトルと稽古をしようかと提案したのだが、なんとオシュトルが裏切った。

 

「ムネチカ殿、そのくらいにしてはいかがか。聖上はお疲れの様子。聖上よりも、このハクの相手をしてはくれぬか」

「ふむ? オシュトル殿の頼みとあれば、否やはありませぬが」

「ちょ、ちょっと待て。自分は何も言ってないぞ」

 

 勝手に話を進めないでくれ。

 手加減できるオシュトルと違って、ムネチカはぼこぼこにしてきそうなんだが。

 

「ハクにもそろそろ某以外の武人との経験を積ませたいと考えていたところ。仮面の者であるハクが強くなれば、自然聖上を護る盾が増えることとなり、聖上はより安全な身となることは確実でしょう」

「そう! そうじゃ、それを言いたかったのじゃオシュトル! 流石はオシュトルじゃ!」

「ふむ、オシュトル殿の言も一理ある」

「――えええええ?」

 

 こっちに矛先を向けてきて、しかも前後を挟まれただと!?

 

「聞けば、ハク殿はその仮面を外せなくなったとか。その仮面を付ける者は即ちこのヤマトの守護を任されるということ。つまり仮面の者であるならば、聖上を御守りするだけの力を備えておかねばなりませぬ」

「ムネチカ程の武人が相手であれば、ハクも立派な武士となれるであろう」

「む……」

 

 オシュトル程の漢に褒められたからか、ムネチカの表情は若干の喜色を帯びたものとなる。

 

「……オシュトル殿にそうまで言われては、小生もやるしかありませぬ。覚悟していただきたい、ハク殿」

「な、なにぃ!? ちょっと待て! 乗せられているぞ、ムネチカ!」

「問答無用!!」

 

 大振りの拳が自らを捉えようと寸前に迫るのを見て、思わず鉄扇で受け止めた。鈍い激突音が響き、自分の体が僅かに後退する。

 

「……我が一撃を受け止めるか。ハク殿も戦士として立派に精進しておられる様子」

「……」

 

 やはり、おかしい。

 自分にこれほどまでの力がある筈がない。本来ならば、自分の体は易々と吹っ飛んでいた筈だ。

 それに、鉄扇が壊れぬように自然と体全体に力を分散させていた。

 

 ――強くなっている。

 

 こちらの力に合わせて実力を出してくるオシュトルとの稽古ではわからない感覚。足手まといであった自分から既に脱し始めていることに恐怖する。

 

 自分の両腕をじっと見つめると、ちらりと一瞬黒々とした巨大な腕に見えた。

 やはり、仮面の力は恐ろしい。この力を使いすぎれば――戦働きまで求められちまって休む暇がなくなっちまうぞ。

 

「では……この八柱将ムネチカが、ハク殿をさらに鍛えて進ぜよう」

「なに?」

 

 そんなことも知らないムネチカが、良心でもって再び構えを取る。

 

「ちょ、ちょっと待て! 今日はもう疲れたし、これ以上は……!」

「これまで待てと言われて待った敵を見たことはありませぬ」

 

 皇女さんに言った言葉を今度はこちらに向けて言うムネチカ。

 

 ――冗談じゃない。

 

 後ろに全速力で逃げようと振り返ったとき、見覚えのある女性が目に入った。

 

「あら? 楽しそうですわね、ハク様。私も参加してよろしいでしょう?」

「し、シス!?」

 

 そこに、丁度調練を終えたシスが来て、あら偶然とでも言う体で刀を構えてきた。

 その顔には楽しみというよりは、なにか鬱憤を晴らすためのような暗い笑みが浮かんでおり、恐怖に体が竦む。

 

「いや、御免被るぞ! これ以上相手が増えても捌ききれないって!」

「ほう、では小生一人であれば捌ききれると仰るか。ならば、参る!」

 

 おいおいおい! なんでここの女性陣はこう話を聞かない奴ばかりなんだ!

 二人の攻撃から逃げ回りながら、横目に騒ぎを聞きつけてきたノスリとアトゥイの姿が映る。

 

「おお? 皆で寄って集ってハクを攻撃して何をしているのだ?」

「ノスリ殿か、これはハクを鍛えるため四方八方を囲まれた際にどう脱出するか学ばせる調練である。ノスリ殿も参加されてはいかがか」

「なんと、そのような訓練法が……ならば良し、いい女として私も参戦しようではないか! 総大将の妹を娶るのであれば、それなりの武を収めておかねばならんしな!」

「あや~楽しそうやねぇ~。ウチも参加していい? というか、参加するぇ! おにーさん、ネコやんと婚約だの弛んでるみたいやからなぁ……ウチが鍛え直してあげるぇ!」

 

 ――自分は今日、死んだな。

 

 調練場を駆けまわりながらあらゆる攻撃から逃げるが、いつの間にか皇女さんも混ざって攻撃してくる始末。

 逃げきれずに情け無用の攻撃が四方八方から迫ってくる瞬間。自分にできた最後の抵抗が、せめて痛みを感じぬよう力を抜くことだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 自室にて、キウルを呼び出し二人して向き直る。

 

「よし、じゃあキウルによるネコネ奪還作戦を説明する」

「は、はははははい!」

 

 まさかアトゥイがキウルにやったキューピット作戦を自分も行うことになるとはな、と震え声で返事をするキウルを見ながら思う。

 

「そんなに緊張するな。恋愛は何事も意識してもらうところから始まるもんだ」

「……ハクさんには経験が?」

「ま、まあな」

 

 憧れの人は、兄貴に奪われちまったがな。

 幸せそうな顔を見たら、想いを告げることもできやしない。恋愛は、意識させる機会の数がものをいうのだ。そして、その機会の中でもより強く相手の印象に残るような出来事が必要だ。

 

「それで、どうすればいいんですか?」

「告白だ」

 

 兄貴より先に告白してれば成功したかと言われると自信はないが、キウルを勇気づけるために、その辺を伏せながら告白のメリットを伝える。

 

「こ、こここ、告白……ですか」

「ああ。アトゥイの言い分も間違っちゃいない。だが、告白できる機会っていうのは入念な準備をした後だとキウルは考えているわけだ」

「そ、そうですね……」

「自分としては、これまでの関わりが既に準備期間としては十分だと思うが、キウルがそう言うなら、今日の最後、ネコネと別れる前に告白するんだ。今日のネコネの仕事はオシュトルに頼んで自分が肩代わりしているから、今日一日ネコネは部屋で休んでいる筈。キウルもこの日の為に仕事を調整したんだろ?」

「は、はい! 今日は何もありません!」

「早速外出に誘って、ネコネと一日過ごせ。告白は最後の最後だ。告白ができるとキウルが思えるまで、ネコネと過ごし続けろ」

「……で、でも、告白、できるでしょうか」

「今日を逃せば告白できないと思って頑張れ。なあに、告白して振られても、ネコネを意識させるという点では大成功だ。ネコネはこれからキウルを意識せざるをえないし、やがてネコネ自身としても健気に自分を想うキウルを見て、キウルへの恋心が芽生える可能性も高くなるだろう。自分を好きだという相手を無下にはできないもんだ」

 

 少なくとも、自分との婚姻は不義理とみて破棄してくれる可能性が高い。

 しかし、これだけ提示しても、キウルの返事は生返事で表情は青いまま。でも、だけど、しかしですね、と反論してくるので、ここらでびしっと言っておかなければならないと、口調を強くする。

 ネコネとキウル(あと自分)のためだからな。

 

「キウル、ネコネは何も知らないんだ」

「え? ど、どういうことですか?」

「……例えば、キウルのことを好きだと公言するやつはいるか?」

 

 キウルは暫く考え込み、はっとした様子で一人の名前を挙げた。

 

「あ、し、シノノンちゃん、です」

「そうだな。それをなぜ知ってる?」

「えーと、言われたからです」

「つまり、言われなきゃ、シノノンがキウルのことを好きだってことに気付かなかったわけだ」

「は、はあ、まあ……シノノンちゃんは子どもだから好きを勘違いしているだけかと思いますが……」

「だとしても、だ。言わなきゃ、相手はわからないんだよ。たとえ、もしかしたら自分のことが好きなのかなと思うこともあるかもしれないが、あくまで可能性だ。事実じゃない」

 

 とにかく、キウルには好きだろうが嫌いだろうが少なからず意識してもらえる関係になってもらわなければ、婚約の儀は避けられないだろう。

 

「……確かに、そうですね」

「だから、ネコネは何も知らない。考えない。ただの可能性の一つだから、キウルが自分に対して抱いている感情はただの友情だろうと見ているわけだ。だが、違うんだろう?」

「……はい」

「なら、伝えろ。伝えなきゃ、一生相手は考えないし、キウルが苦しいだけだぞ」

「でも、それで関係が終わってしまったら……嫌いだと言われてしまったら」

 

 またうじうじと悩むキウル。

 傍から見てれば、ネコネがキウルのことは嫌いだとはとてもじゃないが思わない。ただただ無意識なだけだ。少し傾ければすぐにでも関係性は変わるだろうに。もっと自信をもってほしいんだがな。

 

「……じゃあ、もしシノノンが大人で、告白されたら何て答えるんだ」

「え、そ、それは……」

「ネコネがいるから、って断るか? 好きだと伝えたこともない相手なのにか?」

「……っ」

「シノノンの気持ちが大人になっても変わらなければ、いつか本当の告白が待っているぞ。その時までに、ネコネと恋仲になるか、ネコネをすっぱり諦めてなけりゃ、また苦しむことになるな」

「そう……ですね」

「だから、今なんだ。まあ……別にキウルは皇子だから二人とも娶る甲斐性を示せるっていうなら、自分は何も言わんが」

「そ、そんなこと、できるわけがないじゃないですか! 心労で倒れます!」

 

 こういう真面目で潔白なところはキウルのいいところだよな。目指す兄貴分がもっと真面目で潔白で眩しすぎるから自信を持てないだけで、キウルも十分好漢なんだが。

 

「でも、告白するにしても、なんて言えば……」

「お前はなんで好きになったんだ」

「え、そ、それは……」

「ずっと、ネコネを見てきたんだろう? それを全部言え。そしたら成功する。胸の内に秘めている今のままじゃ、何も変わらないぞ。ネコネはずっと可能性だけを抱えて、キウルの本心を知らないままだ」

「ハクさん……はい、わかりました……」

「頼むぞ。ネコネのためにも婚姻破棄はするべきなんだ。ネコネを救えるのはお前だけだ。お前にかかっている」

「……はい、頑張ります!」

 

 そこには、先ほどまでの怯えは鳴りを潜め、ついに決心したという面持ちだった。

 

 そして、早速キウルにネコネのところへ行かせて、自分は自室にて隠れていたウルゥルサラァナを呼び出す。

 

「じゃ、キウルの後を追うぞ。周囲から見えないようにできるか?」

「できる」

「大丈夫です、任せてください。主様が私たちを押し倒しても誰にも見えません」

「そんなことはしないから安心しろ」

 

 廊下を三人で歩きながら、キウルの後を追う。

 キウルの後を追うということは、必然的に肩代わりした筈のネコネの仕事をさぼることにもなるが、まあ、二人を眺めながらでもできる仕事だと思い直す。

 手元にあるのは、兵糧と記帳の計算程度の仕事だ。ずっと歩いているなんてことはないだろうから、二人がどこかに腰を下ろしたときにでもやればいい。

 

 唐突に先導する二人が振り向き、話しかけてきた。

 

「さっきの話」

「主様にお聞きしたいことが」

「? なんだ」

「私たちは普段から好意を示していますが、主様の態度が変わった覚えがないのですが」

「矛盾」

 

 そういえば、この双子も好意を示してはくるな。

 だが主と奴隷という特殊な立場だったり、言動が狂信的だと逆に信じられなくなるんだよな。

 しかし、正直に言う訳にもいかないだろう。

 

「そ、それはだな……」

「それは?」

「気になります」

「ま、まあ、ほんのちょっとずつ変わっているから、心配するな」

「……」

「……」

 

 二人の疑いの眼から逃れるように、キウルを目線で追う。

 どうやら、ネコネを誘うことができたみたいだ。随分調子がいいな。

 

「ずるい」

「気づいてもらえるまでご奉仕します。主様」

 

 こいつらの好意がどこから来ているのか、態度を変えるとそういう本心を引き出せぬままずるずるいってしまいそうで、そういうところが怖くて踏みとどまっているんだがなあ。

 やっぱり、恋愛って難しいなあ。無責任に煽っちまったが、頑張れキウル。告白の現場まで見られるほど暇じゃないので、途中で切り上げなきゃいけないが、自分の助けがなくとも、やればできる男だって信じているぞ。

 

 並んで歩くキウルとネコネ、そして手元の記帳を交互に眺めながら、心の中で応援するのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 緊張していた。

 いつもそうだ。ネコネさんを前にするといつも体が震える。

 嫌なところを見せたくなくて、結局自分自身が出せないまま終わってしまう。

 

「キウルとですか?」

「は、はい。ネコネさんさえよろしければ……」

「いいのですよ。丁度ハクさんが非常に珍しく仕事を肩代わりしてくれたので、暇になったところなのです」

「ほ、ほほほ本当ですか!」

 

 ま、まずはここまでは成功。

 

「それで、どこに行くのです?」

「え、えっと、ネコネさんが行きたいところとかありますか?」

「私の行きたいところですか? ……あ、それなら丁度墨を切らしていたのです」

「な、なら、裏通りの墨屋に行きましょうか」

「いいのですか?」

「は、はい。私も暇、ですから」

 

 二人並んで、エンナカムイの大通りを歩く。

 私たちの姿を見て、商人たちは頭を下げ、昔からの町の人達はにこやかに手を振ってくる。

 その応対に応え乍ら、ネコネさんの様子を窺うが、随分と機嫌がいいみたいだった。

 

「キウルとこうして歩くのは久々な感じがするのです」

「そ……そそ、そうですね」

「あの頃は、兄様もまだ右近衛大将の任についていなかったのです。三人でよくこの通りを歩いたのです」

「そう……でしたね」

 

 菓子や料理をほおばりながら、兄上に二人でついていった覚えがある。

 そういえば、最近は三人とも忙しく、こんなふうにしてエンナカムイを一緒に歩く時間も作れなかった。

 

「なんだか懐かしいのです」

「そ、そういえば、ネコネさんはこの通りにあった飴屋さんが好きでしたね。見つけたら食べましょうか」

「……そんなこともあったのです。でも、もう子どもじゃないですから、別にいらないのですよ」

「そうですか? あ、で、でもありましたよ! 飴屋さん!」

「わ、私はいらないのですよ」

 

 飴屋に駆け寄り、二つの飴を買う。

 ネコネが後ろで色々言っているが、多分ネコネさんのことだから欲しいのだろう。

 

「は、はい、どうぞ、ネコネさん」

「……まあ、買ってしまったものはしょうがないのです。あ、ありがとうなのです」

 

 舐める前までは文句を言っていたが、いざ口に入れると、顔を綻ばせる。

 兄上に対して素直になれないネコネさんに、こうして飴を買い与えて機嫌をとっていた兄上を思い出して、つい真似してしまったが、結果的に良かったのだろう。

 でも、少し怒らせてしまったかと恐る恐る聞いてみる。

 

「お、美味しいですね」

「……昔と変わらない味なのです」

 

 ってことは、美味しいってことなんだろう。

 安心して飴を頬張って歩きながら、墨屋へと足を運ぶ。

 

 飴に集中するネコネさんに、そういえばと気になっていたことを聞く。

 

「そういえば、なぜ墨が必要なんですか? 城に買い置きは沢山ありますけど……」

 

 そう、なぜネコネさんが買いにくる必要があるのだろうかという点である。

 よくよく考えれば、円滑な執務遂行のため、墨は定期的に供給されている。

 

「これは、個人的に使うものなのです」

「えっと……ネコネさんが個人的に、ですか?」

「私が、というよりは、ハクさん用なのです。ハクさんには城にある高い墨より、安い墨で十分ですから」

 

 ――ハクさん、用?

 なら、なおさらネコネさんが買いにくる必要はないような気もしたが、確かにハクさんは自分で買うような人じゃない。

 ハクさんのお金は酒かご飯か賭け事に消える人なので、ネコネさんが代わりに買ってあげているのだろう。

 

 ――やっぱり優しいなあ、ネコネさん。

 

「そういえば、ハクさん用の筆もぼろぼろだったのです。ついでに隣の筆屋にも寄っていいですか」

「え、ええ。いいですけど……どうしてハクさんの筆と墨を?」

「あ……それは、ハクさんに勉強を教えているですから。ハクさんは字が汚いので、持ちやすい子ども用の筆じゃないと書けないのです」

 

 くすくすと柔らかく笑いながらそう話すネコネさん。

 

「そうだったんですね。確かにハクさんの字はたまに読めないです」

「全く、姉様に字を教えてもらったくせにへたくそすぎるのです。ほんと、ダメダメな人です」

 

 実に楽しそうだった。

 そこには、言葉通りの意味の罵倒は込められてはいない。まるで、親し気な人を自慢するような声色だった。

 

 墨屋と筆屋での買い物を終わらせると、太陽が真上に来ていた。もう昼だ。

 

「キウル、ごはんはどうするですか? ルルティエ様のご飯を食べるならまた城に戻った方が……」

「実は、ハクさんから紹介してもらった美味しいご飯屋があるんですが」

「ハクさんの? 酒屋の間違いじゃないのです?」

「いえ、昼は定食屋だそうです。ど、どうでしょうか」

「そうですか。なら行ってみるのです」

 

 そういって、新しくできたらしい定食屋へと足を運ぶ。

 出迎えてくれた女将さんは、なんでも帝都より連れてきたオシュトル近衛兵衆の一人のお嫁さんだそうだ。そういえば、顔にも名前にも覚えがある。こちらの顔を見て、恩人ですからお代は結構ですと言われたのだが、兄上に顔向けできませんので、と丁重にお断りした。

 恐縮されながらも、奥にある完全個室部屋に案内され、席についた。

 

「キウルが助けた人のお店ですか」

「いえ、私だけではないですよ。兄上やハクさんがいなければ無事ではなかったですから」

「……キウルは謙遜できて偉いですね。ハクさんとは大違いなのです」

「え、ええ!? そ、そうですか!?」

 

 ネコネさんに褒められて、顔に血が巡った。

 あわあわと少し混乱しかけたが、運ばれてくる明らかに気合の入った料理の数々に助けられる。

 

「す、すごいのです」

「こ、これ本当に食べていいんですか?」

「はい。これが通常ですので、ご遠慮なさらず」

 

 多分、気をつかってくれているんだろうが、つき返すわけにもいかず、遠慮なく舌鼓をうつ。ルルティエさんやエントゥアさんの料理も絶品だが、やはり料理は十人十色、おかみさんの料理も大変おいしかった。

 ネコネさんも喜色を浮かべて口に次々と料理を運んでいる。

 

「ハクさんに感謝ですね」

「料理に関してだけ、あの人はしっかりしているです」

 

 二人で雑談しながら箸を進めていると、ネコネさんが一つの料理に視線を向けた。

 

「この料理を見て思いだしたのですが、最近私も料理を始めたのです」

「ね、ネコネさんの手料理ですか!?」

「? そうなのです。母さまに手伝ってもらって、ハクさんに試作を食べてもらいながら、なんとか美味しく作れるようになったのです。今度キウルにも食べさせてあげるですよ」

「ぜ、ぜひ食べたいです!」

 

 舞い上がるような気持ちだったが、ふと感じる違和感。

 ネコネさんの話には、必ずと言っていいほど、ハクさんが出てくる。

 最初に選んだ外出先もハクさんのためだし、手料理を最初に食べたのもハクさんだ。

 そんな違和感を抱きながらも、その時はネコネさんの手料理が食べられるという期待に胸を膨らませすぎて、深くは考えなかった。

 

「でも、ここほど美味しくはないのです。それでもいいのです?」

「も、勿論です! ネコネさんの料理が食べられるなんて嬉しいです!」

「そ、そうですか」

 

 少し頬を染めるネコネさん。

 今日は、一貫してとても雰囲気がいい。自分自身、だんだんと緊張が取れてきた。

 昔々の、まだネコネさんも兄上も、ここに住んでいた頃に戻ったかのようだった。ひとつだけ違うのは、私たちの話題にハクさんという存在が増えたことだろうか。

 

 料理を楽しみ、店を出た後も、エンナカムイをぶらぶらと歩く。

 何軒目かの店を出たとき、太陽が陰っていることに気付く。

 

「そろそろ帰りましょうか、ネコネさん」

「そうするのです。そろそろ、母様のところにも顔を出さないといけないですから」

 

 そして、二人で言葉数少なく一緒の道を帰る。しかし、驚くほど自分は落ち着いていた。勿論、そろそろ告白しなければならないと思ってはいたため心臓が早鐘のようになっていたが、それでも今日告白できると確信していたからだ。

 

 帰路の分かれ道。

 自分にとっても運命の分かれ道。

 

 ――告白するなら、今しかない。

 

「あの――」

「――そういえば、ハクさんは私の仕事終わらせてくれたのですかね」

「え? ええ、ハクさんのことですから、言ったからには終わらせてくれたと思いますよ」

「……心配なのです。もし終わってなかったら、手伝わなきゃいけないのです」

「え、でも、任せろとハクさん仰ったんですよね」

「そうですが……なんだか心配になってきたのです。何が普段休みを取らないネコネのためだ~、ですか。多分裏があるに決まっているです」

「そ、そんなことないと思いますけど」

 

 告白しようとした矢先に、ネコネさんがハクさんに愚痴り始めた。

 だが、心底心配している様子ではない。二人して無言だったからか、話題を探してくれたのだろうか。それとも――。

 

 ――聞いてみようかな。

 

 それは、ほんの僅かに頭の中に擡げた疑問。

 もしかして、と感じた違和感。

 

 ハクさんの言葉が蘇る。

 

 ――ネコネは何も知らないんだ。

 ――言わなきゃ、相手はわからないんだよ。たとえ、もしかしたら自分のことが好きなのかなと思うこともあるかもしれないが、あくまで可能性だ。事実じゃない。

 

 そういえば、ネコネさんが私の気持ちを知らないように、私もネコネさんのことを知らなかった。

 ただ、憧れていただけだった。

 だから、知りたかった。これが告白するための最後の準備だと思って、聞いた。

 

「……ネコネさんは、ハクさんのことをどう思っているんですか?」

「? 突然どうしたのですか?」

「いえ、ネコネさん、ハクさんへの当たりが強いから……」

「べ、別に嫌っているからではないです……でも、ぐうたらな人ですから、ついつい言ってしまうのです」

「そ、そうですか」

「まあ、私にとってダメ人間であることに変わりはないのです」

 

 ぴしゃりと言いきるネコネさん。

 ほっとしたのもつかの間、暫くもごもごと何か言い渋る様子を見せたあと、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「でも……」

「でも……?」

「……兄様が危険な時――私が危険な時だけは……少し、少しだけですが、頼りになるのです」

「ネコネ、さん……?」

 

 知って、しまった。わかってしまった。ネコネさんの、気持ちを。

 

 なぜなら、頬を染めて俯いた横顔が、あんまりにあんまりだったから。

 恋い焦がれて、内に秘め続けた自分の姿と重なってしまったから。

 

「……そう、ですか」

「あ、そ、そうなのです。陽ももうすぐ落ちそうなのです。今日は楽しかったです、キウル。もうそろそろ母さまのところに行かなくては心配されてしまうので、また、時間がある時に誘ってほしいのです」

「はい、ネコネさん。また、誘います。今度は――」

 

 ――友人として。

 

 分かれ道で別れの挨拶をして、別の道を歩く。

 

 考えてみれば、いくら兄上の頼みだからと言って、心底嫌っている相手と婚姻など結ばない。ネコネさんの中で、ハクさんの存在はいつの間にか大きくなっていたんだろう。

 

 打ち明けることなく恋が終わったことを受け入れた結果、重い足取りのまま自室に戻った。

 

 横戸を開けて入るとシノノンちゃんが人形を抱きかかえて座っていた。

 

「あれ、シノノンちゃん?」

「おかえりなさいだぞ、キウル。まったく、きょうはひまだときいてあそびにきたのに、こんなじかんにかえってくるなんて、とおちゃんうそついたな」

「あ……」

 

 ずっと、遊んでいた? 一人で?

 暇だって聞いて、それからずっと? 待っていてくれたの?

 

「よし、シノノンがまったぶん、キウルはこれからたくさんシノノンとすごすんだぞ」

「うん……いいよ。なにして遊ぼうか」

「そのまえに、いってないぞ」

「え?」

「おかえりなさいだぞ、キウル」

「あ……ただいま。シノノンちゃん」

「おふろにするか、ごはんにするか、それとも……」

「シノノンちゃん!? そんなのどこで覚えたの!?」

「げんきがでるおまじないだ。おとこはこれをきくとげんきになるんだぞ。だからげんきだせキウル」

「あ、ありがとう、シノノンちゃん。で、でも、それはやめようね?」

 

 シノノンちゃんなりの慰めの言葉だったのだろうが、随分悪影響を及ぼす言葉だ。ヤクトワルトさんに追求しないと。

 それに明日、ハクさんには失敗報告と恨み言を呟かないといけない。でも今日はそのことは忘れよう。

 

 きっと一人でいたら、苦しみで押しつぶされていただろうから。シノノンちゃんに感謝しなければ。

 夕刻まで待ってくれた、慰めてくれたシノノンちゃんが満足するまで、おままごとに付き合うことに決めたのだった。

 




キウル失恋回。少女漫画のような、秒速○○㎝のような、な話になっちゃいました。

訓練風景は活動報告でのコメントをアレンジさせていただきました。

次回はお待たせしたライコウとの交渉話。
原作とは大きく違う展開になるので不安ですが、頑張って書き溜めますのでよろしくお願いします。
キリが良くなるよう三回分くらい書き溜めてから投稿するつもりなんで、暫く空きます。

原作のムネチカ人形好き話とか、皇女さんのオシュトル座椅子とかは、番外編で書けたらいいですね。


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第十七話 騙し合うもの

ライコウさんの本気。


 エンナカムイ国境近く、ルモイの関。

 エンナカムイにとって交通の要所であるここには、常に多数の兵が配置されている筈だが、今日この日だけは防人どころか人影すらない。

 

「シチーリヤ、どうだ」

「はっ、ライコウ様。くまなく確認しましたが伏兵や罠などはありませんでした」

「オシュトルの姿は」

「関内の会議室にてお待ちです」

「護衛の数は」

「一人です。顔は隠されていて見えませんでしたが、存在は確認しています」

「ふむ……流石はオシュトル、律儀に約束を通す男よ。……ミカヅチ、我らも行くぞ」

「……」

「シチーリヤ、合図を出せ」

「はっ」

 

 返事すらせず周囲を警戒しているミカヅチを連れ、関内部へと足を踏み入れる。

 

 たとえ砦兵を皆殺しにしたとしても訪れぬ静寂の中、俺とミカヅチの足音だけが響く。

 何度か扉を開け、会議室と書かれた扉の前に立つ。

 

「……兄者、俺が先に」

「ああ」

 

 ミカヅチは武器をいつでも抜ける状態で気配を探りながら、取手に手をかける。その瞬間、扉の向こうから声がした。

 

「入られよ。某は貴公らを騙し討ちしに来たわけではない」

「……」

 

 了承を待つミカヅチの瞳に応え、扉を開けさせる。

 扉の開いた先には、帝都に居た頃と変わらぬ堂々とした佇まいのオシュトルがいた。その横には、頭巾で姿を隠した護衛が一人。

 

「久しいな、オシュトル」

「ああ久しいな、ライコウ殿。そしてミカヅチ」

「……」

 

 ミカヅチは答えない。

 俺が、此度ミカヅチに依頼した件は護衛のみ、それ以外の全ての行動は許さぬと、釘を刺したからだ。

 なぜなら、返事一つとっても不利益な言葉を漏らしかねない。オシュトルはまだしも、もしこの護衛が切れ者ならば、こちらの穴一つが決壊の要因になりかねない。

 俺に視線を向けるミカヅチを無視し、オシュトルの向かいに用意された席につく。

 すまぬな弟よ。俺は、俺の計画通りに事が進まぬ可能性を排除せねば気がすまないのだ。

 

「オシュトルよ。まさか俺の提案を呑むとは思わなかったぞ」

「ふむ、こちらとしても、互いに人質を抱えていてはやりにくい。こちらの捕虜をお返しする代わりに、我らが友の家族を渡してほしいというだけのこと。故に、ここで何か起こりうると考えなくともよい」

「……だとしても、まさかこの兵数の差で単身この場に身を置くとはな。流石の胆力といったところか」

 

 この交渉に臨むには、大きな危険要素が二つあった。

 一つは、ルモイの関という国境近くではあるが、敵国の要所を交渉場所として指定してきたこと。もし交渉中に大軍に攻め込まれでもすれば、こちらの主力は一気に瓦解する。

 そのため、関の周囲を囲む軍の数は、こちらは二千の軍に対し、エンナカムイには千の軍までしか認めぬこととした。

 この数であれば、相手に攻められたとしても十分に撤退を考えられる差である。また逆にこちらが攻めた場合でも、ルモイの関付近からの応援を待つ時間を稼げるであろう戦力差である。

 これならば、先に仕掛けて相手に損害を与えたとしても、後々周辺国からの信用を失墜させることとなり、それぞれに掲げる聖上の威信も地に落ちる。

 

 二つは、関に伏兵や罠がある可能性だ。

 そのため、交渉前には隅々までこちらの隠密に調べさせるという条件をつけた。これはつまり、敵の隠密は存在し得ないが、こちらの隠密や罠は許容するということに他ならない。これがどれだけ危険なことか、相手はよく知り得る存在の筈。

 たとえ交渉が上手くいったとしても、関の構造を知られるだけでも相手方にとってみれば痛手である。

 しかし、オシュトル自身の武と、護衛の力量を加味して判断したのか、この条件すら呑んで見せた。それならば、こちらにとって断る理由はない。

 

「貴様に賞賛を送ろう、オシュトル。貴様は、俺の知る中で最も誠実な男だ……愚かな程にな」

「そうか、では貴公もまた約束を守りに来たと」

「約束……? 甘いことを言うなオシュトル。俺は見極めに来ただけだ。クジュウリと同盟を結んだとしても片田舎の勢力に過ぎぬ貴様らが、交渉という枠の中でどれだけ渡り合える存在かを、な」

 

 ちらりと、オシュトルの後ろ、黒装で身を隠した男にも視線を送る。が、男に反応はない。

 

「そうか……しかしこちらとしては、あくまでも人質交換の交渉。こちらは既にデコポンポの引き渡し準備は済んでいる。貴公らもマロロの家族を用意していただかなければ交渉にすらならぬが……いかがなされるおつもりか」

「オシュトル……まさか、デコポンポとマロロの家族が釣り合うと踏んでこの交渉に臨んでいるのか? であれば見当違いというものだ」

「ほう?」

「勿論、自軍の中に貴様らの目的となる人物は用意してある。しかし、出番はもっと後にせねばなるまい。貴様らがあのデコポンポの価値を見出し、俺が引き渡してもよいと思わせるだけの材料を提示しなければ、我らは帰るだけだ」

「ふむ、こちらの提示する人質はたとえどのような力量であれ八柱将である。それに釣り合わぬと言われるか」

「釣り合うかどうかは俺が決めるということだ。デコポンポが今も昔も八柱将の面汚しであることは明白。囚われた時点で八柱将の位は聖上御自ら既に剥奪している。本来であれば、我らがヤマトの大軍を率いたものの敵に打撃を与えられぬまま囚われるなど割腹しても贖えきれぬ所業であると思わぬか。もはやデコポンポがこちらに舞い戻ったとしても、奴についていくものなど誰もいまいよ」

「……」

 

 オシュトルは一瞬悩む素振りを見せ、深く目を閉じた。

 そのまま、オシュトルの後ろにいる存在に問い掛けた。

 

「……と、いうことである。デコポンポよ、どうする?」

「? なに……」

 

 オシュトルの後ろにつき従う存在が、すっと頭巾を取り払った瞬間、思わず眼を見開く。

 そこには、痩せ細り、顔だけはかつての面影があるデコポンポがいた。

 

「デコポンポ、だと……?」

「人質がここに来てはならぬという理由にはなるまい。言ったであろう、某は人質の交渉に来たのだ」

「……貴様」

 

 想定外だ。

 なぜこのような場にデコポンポなどという毒にしかならぬ存在を連れてきているのか。

 いや、ミカヅチの武力があったとしても、俺自身に武力はない。そういった点では確かに自らの護衛は必要ない。その分オシュトル側には人員に余裕があるのだ。しかし、なぜデコポンポを。

 

「デコポンポの価値をそなたらに認めさせるには、某をもってしても難しい。であれば、本人にそのまま自らの価値を主張してもらおうと考えたに過ぎぬ」

「……正気か、オシュトル」

「無論。こちらには優秀な人材がいる故に、な。これから貴公らが話すことに、一切某は関知せぬ。デコポンポ自身の足掻きが、貴公の目に留まらぬというのであればそれもまた良し」

 

 そう言って、オシュトルは口を噤む。

 

「……貴様らしくないぞ、オシュトル。誰の入れ知恵だ」

「……」

「ハク、とかいう仮面の者か?」

「……」

 

 こちらの言葉にオシュトルは表情を変えることなく、ただ目と口を堅く閉じている。

 痩せたデコポンポが前に進み出たことで、否応なしにこの俺と豚を会話させる腹積もりらしい。

 

「引っ込んでいろ、デコポンポ。貴様のような豚と話す言語は持ち合わせていない」

「……おみゃあは金がほしいにゃも?」

「……なに?」

 

 あの独特の語尾と厭らしい声色はそのままに、デコポンポが言葉を発する。

 しかし、その内容はかつてのデコポンポからは考えられないほど、理詰めの話し方であった。

 

「聞けば、ライコウ。おみゃあ随分と金を掻き集めているのではないにゃも?」

「どこかの誰かが聖上に仇名す宣言をしたのだ。戦乱が起こるのならば金がいるのは当然のことだろう」

「そんなことはわかってるにゃも。おみゃあ、儂の元部下から信用されずに儂の隠し財産を聞き損ねているのではないにゃも?」

「……なぜそう思う?」

「この交渉を実現する前に、交換条件として一つ隠し場所をオシュトルに教えたにゃも。今おみゃあの軍に組み込まれている蟲使いの一人がその場所を知っているにゃもよ。もし真にライコウの部下になっているのであれば、当におみゃあの財の一部になっていたにゃも。だが、財は誰にも触れられることなくあったにゃも」

「……」

 

 デコポンポは使えぬ駒。それが俺の中での常識だった。

 なぜなら、俺の予測を超えた悪手を打つからだ。有能な敵よりも、無能な味方のほうが怖いとは良く言ったもの。デコポンポは味方としては一切信用できぬ存在だった。

 ただただ時間を浪費するだけの存在を、誰が重用するというのだ。

 

「儂は自らの財産を一度に失わぬよう、各地に分散させているにゃも。一つ教えはしたが、他の在り処は、オシュトルに吐かなかったにゃも。ライコウよ、もし貴公らの元へと戻った際には、それを教えてやってもいいにゃもよ」

「……見返りは何を求めるつもりだ」

「八柱将への復職以外ないにゃも」

「軍はどうする」

「そんなものは八柱将に戻れば儂の金子に心酔した者どもが後からついてくるにゃも」

 

 しかし今のデコポンポはどうだ。下らぬプライドを捨て、自らの一番の特技である金稼ぎの手法を武器に俺と交渉している。

 

「……それを信ずるに値する情報だと? オシュトルに全て話しているのではないか?」

「たとえ吐いていたとしても、オシュトルの国土は未だ狭いにゃも。おみゃあらにしか手の及ばぬ地域もあると考えられるのではないにゃも?」

「……ふむ、面白い」

 

 なるほど、確かにデコポンポが溜めに溜めた金子。その他金糸財宝等は裏切った部下を使っても一部しか手に入らなかった。

 金はいくらあっても困ることはない。特に、今俺が開発しているものは、兎角金を食う。デコポンポはその金の情報をもってして、自らの価値を認めさせようとしているわけか。豚にしては己の旨い部位をよく知っている。

 だが――俺はそもそもデコポンポの話になど露程も興味はない。

 

「時間潰しにしては面白い余興であった。そろそろ良かろう――」

 

 十分相手を知れた。時間稼ぎもこれくらいか。

 あのデコポンポをこうまで育てる手管。是非俺の手元に欲しい。

 相手の有能な手足を捥ぐため、数多の策を練った。俺が交渉にてマロロの家族を返す気はないことを秘密裏に流布しておけば、必ず奪いにくると踏んだ。オシュトルが最も信頼する者を寄越すと踏んだ。

 

「オシュトル。貴様の――いや貴様らの敗因は……奇を衒おうとしたこと、この場に最も信頼する男を連れてこなかったことだ」

 

 俺から発せられる不穏な雰囲気を感じたオシュトルが、目を薄く開き身構えた。

 

「何――?」

「今にわかる。俺が待ち望んだ音が今に鳴るぞ」

 

 ――カンカンカンカン!

 鳴り響く鐘音。その音こそ、俺の仕掛けた網に大魚がかかった瞬間を示すものであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 時は少し遡り、ライコウの斥侯部隊が砦内を探索中のことである。

 

「ウルゥル、サラァナ、目的の場所まで行けるか?」

「できる」

「主様と私達二人のみであれば、十分に可能です」

「帰りは?」

「温存すれば」

「マロロ様の父、祖父の二人程であれば、戻って来られない距離ではありません」

 

 交渉に関して、相手としても、敵陣ど真ん中に二人で来いってのは認められない。

 なら、互いに不正していないか軍を確認する行為が必要になる。そこに、隠密部隊が紛れ、マロロの家族の居場所を把握し、草との情報の整合性を取る。

 結果、軍の最後方、街道から森に少し入った場所に位置していることがわかった。

 

 正直、ここからはかなり歩く距離。考えていた中で一番嫌な立地ではないものの、もし見つかれば囲まれる場所であることには変わりない。地図とにらめっこしながら、かつて双子が無理をして倒れたことを思い出す。

 二人はいけるというが、宮廷内からあの人数であの距離しか動けなかった。途中で力尽きてしまえば、敵に囲まれることとなる。

 

「大丈夫」

「道さえ作れれば、いかなる場所でも行けます」

 

 双子は位相をずらし簡易的な道を作ることができる。そこを通れば、他の者に認識されることなく移動が可能である。

 かつては、この術で宮廷内を移動したこともある。双子にとって慣れ親しんだ道だからこそ、あの人数でもいけたが、今回この場所で道を作ったことは数える程しかない。一緒に下見をかねて何度か道を作ってみたとはいえ、ここまで長距離だと確率は五分五分だ。

 

「心配しているのは帰り道だ。帰りは帰りで探らなければいけないだろう」

「心配ない」

「できるだけ密着すれば、道を狭くできるので力を必要以上に使わなくてすみます」

「腕組み」

 

 尤もらしいことを言うが本当かね……。

 しかし、今はウルゥルサラァナの力が必要な時だ。二人の空元気を見るのはこれで何度目だろうか。そろそろ、二人の願いもしっかり聞いたほうがいいのかもしれないな。

 

「わかった。じゃあ頼んだぞ」

「アメノミカゲ、ヒノミカゲト、コモリマシテ……」

「理よ、我らが主の前に平伏し、道と成せ」

 

 暫くすると、かつて帝都にいた頃、幾度となく連れだされた際のもやが、周囲を包み始める。

 

「行ける」

「では、参りましょう。主様」

「ああ、マロロの家族を救いだす」

 

 交渉はオシュトルに任せ、デコポンポに好き放題喋らせることで時間稼ぎをしてもらう。色々武器になる話題は伝えてあるので、時間だけは稼いでくれるはずだ。

 その間に、ウルゥルサラァナの二人の術を用い、自分達三人で、マロロの家族を救いだす。そして、交渉の席にデコポンポを置いておくことで、無理やり交渉を成功させてしまおうという計画である。

 向こうが何と言おうと、対外的には交渉は行われたことにできる。なぜなら、人質はお互い無事なまま互いの手元に返却されているからである。

 

 だが、これはあくまで秘密裏に行わなければならない。交渉の要であるマロロ一家を相手方も刺客を警戒し警備は厳重である筈。そこをオウギやヤクトワルト等他の人員を誘導係りとして警備を手薄にした上で、鎖の巫女の能力という反則技で奪うわけである。

 誘導役なんざ出来るほど機敏でないので、必然的にこっちの役目になるが、必ずうまくやる。

 今のところ、鎖の巫女の能力を敵方が知っているとは思えない。兄貴とホノカさん、そしてあの体験をしたもの以外は知り得ない筈だし、大丈夫だろうとは思うが。

 

「もっと近くに」

「離れては危ないです」

 

 ぐいぐいと押し付けてくる二人の肉圧で歩きにくいが、兵の垣根を縫って奥へ奥へと歩いて行く。

 

 暫くすると、街道から少し逸れた見通しの良い森の広場に、一つの野営地がある。

 

「この中の、どれかか?」

「「はい」」

「誘導役の動きを待つ、暫く待機できるな?」

「「仰せのままに」」

 

 涼し気な顔をしているように見えて、少し脂汗がにじんでいる。

 相変わらず、無理をする奴らだ。しかし、今は甘えるしかない。

 

 暫くすると伝令兵が来て、ここの兵士の一人に耳打ちすると、警備の者達が慌ただしくどこかに駆けていった。

 

「誘導役は、うまいことやってくれたみたいだな」

 

 簡易家屋の入り口から中を覗きこみ、マロロの言う人相に当てはまる人物を探す。

 

 すると、マロロと同じような化粧をした老齢の男二人が、中央で静かに佇んでいた。

 

「こいつらか?」

「はい」

「聞き及んでいた人相とも一致します」

「よし、術を切る」

 

 布の壁で覆われた部屋内で、位相の位置を戻させ正体を現す。すると、目の前の二人は少し驚いたものの、極めて冷静に自分たちの存在を歓迎した。

 

「おお。なんとも、不思議な術を使いなさる」

「来て下さると思っていましたぞ。我こそはマロロの父。我が息子の助けであるな?」

「ああ、マロロの友人だ。話したいのは山々なんだが後でいいか。大人しくしていてくれたら、誰にも気づかれずにここから抜け出せる」

 

 すると、目の前の二人は一つ頷くと、口を引き結んだ。

 時間はない。さっさとここからオサラバだ。

 

「よし、帰るぞ。頼む、ウルゥル、サラァナ――」

「刺客が来ましたぞーッ! ここに賊がいますぞーッ!」

 

 双子が道を作ろうとしたその瞬間に、マロロの父と名乗った男は、あらんばかりの声で叫んだ。

 

「!? な、何を――」

「罠」

「主様、作った道が遮断されました。逃げてください」

 

 双子が顔色を変えぬまま、自分の前に立つ。

 ――こいつら、囮になるつもりか。

 

「だめだ! 遮断されたなら、もう一度作れ、時間稼ぎは自分がする」

 

 叫び続けるマロロの家族を殴って昏倒させ、二人に預ける。

 

「お前達で連れて帰れ。腐っても親だからな」

「主様」

「いけません。私たちも残ります」

 

 バタバタと外から響く足音。鳴らされる警鐘。

 すぐさま布の壁から槍が突き抜けてくる。

 

「時間がない! やれ!」

 

 槍を掴み、あらん限りの力で引き倒す。そして、布の壁が人の形に撓んだ部分を思いきり蹴り飛ばした。

 鎧を蹴り砕く感触が伝わり、敵兵の悲鳴が聞こえた。突き抜けた槍を両手に持ち、出口に陣取る。

 

「自分には仮面がある! いざとなれば仮面の力を使って逃げる。だから行け! 無事やり遂げたら、何でも言うこと聞いてやるから! 頼む!」

「それは」

「命令……ですか?」

 

 命令だけは、したくなかった。だが――。

 

「ああ、命令だ。自分がいない間は、オシュトルが主だ。助けになんて来なくていい。わかったな」

「「……御心の、ままに」」

 

 その言葉を聞き、出口から左手に槍を右手に鉄扇を構えて飛び出す。

 

 そこには、多数の兵が待ち構えている――だけであればよかった。まだ仮面の力を全て使わずとも逃げ出せたかもしれない。だが、そこには地獄が待っていた。

 

「「グオオオオオオッ」」

「おいおい……ここで出るか」

 

 奴は、トゥスクル遠征の際に一度見たことがある。帝が崩御したとの知らせを受け、急いでヤマトへと帰る道筋の時だ。

 一人倒れている兵士を見る。先程蹴り上げた兵士だろう。胴鎧が完全に砕けていて、絶命しているかもしれない。しかし、その体は、まるで糸を上から垂らした人形のように、むくりと起き上がり、顔面はまるで歪な仮面が肉体と離れられなくなったかのように曲がり、肉体は筋肉が避け、そこから黒々とした別の肉がはみ出てくる。

 

 もはや人の形をした者は一人もいない。異形の敵影が、大勢目の前を覆っていた。

 

「「グアアアアッ!!」」

「くそっ」

 

 あらん限りの力で襲ってくる異形の者達の攻撃をいなし乍ら、槍と鉄扇で肉を削いでいく。腕を斬り、足を跳ね飛ばし、首を落とし、頭を貫く。

 しかし、それでも異形の者達は倒れた傍から起き上がっていく。次第に敵の数と力、そして再生能力故の圧力に押されていく。

 

「……仮面の力は余り使いたくないんだが、この数相手じゃそうも言っていられないか」

 

 注意を引き、なんとか簡易家屋からは距離をとることができた。しかし、道を作るにはまだかかるかもしれない。四方八方を女性陣に囲まれた時よりは絶望感は低いし、仮面の力さえ使えば、何とかなるだろう。時間稼ぎして、仮面の力を使ってさっさと抜け出す。それが最善に思えた。

 後々国際問題になるだろうが、命には代えられん。たとえ奪ったとしても、人質交換さえ実質行えれば後はどうにでもなる。

 一番してはいけないのは、刺客として捕えられること。そうなってしまえば、証拠が残る。先に仕掛けたのはこちらとなり、信用は地に落ちるだろう。

 

 トゥスクルからの帰り道でも襲われたこいつらの不死身っぷりと強さには辟易しているんだ。ちゃっちゃと倒さないと囲まれてさらに逃げにくくなると判断し、仮面に手を当てる。

 

「仮面さんよ。もう一働きしてもらうぞ。根源の力を――ッ……!?」

 

 何かを感じた。背後に何かの気配を。

 ぐらりと世界が傾く。

 

「な――に……?」

「仮面の力は、解放する瞬間が最も危ないのですよ。まあ、もう意味のない忠告かもしれませんが……今は、ゆっくりとお休みなさい。あなたには、色々と聞きたいこともありますから、殺しはしません――」

 

 力を解放する瞬間、どんな武人であれ一瞬無防備になる。特に仮面の力であれば尚更だ。かつてのヴライがそうであったように。

 油断したのか、いや、はめられたのだ。仕組まれていた、全て。

 

 ――すまん、ウルゥル、サラァナ。

 もし自分の思念が聞こえているなら、聞いてくれ。

 無理はするな。もし無理したら、お前達の主をやめる……わかったな。

 大丈夫だ。ミカヅチもいるし、そこまで酷いことはされないだろう。

 もし誰も傷つくことなくまたお前達の元に戻れたら、その時は何でもしてやる。命令した分な。約束だ。

 だから、自棄になるなよ。自殺しようとしたときも、お前達が無茶していた時も、そういうことされると尋常じゃないくらいに汗が出るんだ。

 自分がいない間はオシュトルの言うことをよく聞いてくれ。んで、謝っておいてくれ。迷惑かける、ってな。

 

 ――主様!

 

 双子の声が脳内に響いたのを最後に、意識は闇の中に落ちていったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 警鐘の中、会議室に飛び込んでくるライコウの部下。

 

「ライコウ様!」

「シチーリヤ、報告せよ」

「はっ、マロロの父の協力により、攫おうとしていた賊を発見。仮面の者であるとのことです」

「捕えたか?」

「はっ、ウォシス様の手により、捕縛されました」

「よくやったと伝えておけ。帝都に帰るぞ。軍に帰還の命を出せ」

「了解いたしました。マロロの家族は、鎖の巫女により姿を消した模様ですが、いかがなさいますか?」

「放っておけ。道楽の金の為に友を売るような外道だ。これ以上駒として使ってやる必要もない。巫女の方はウォシスの言によれば餌を吊るせば後々引っかかる。急く必要はない」

「はっ」

 

 意味がわからない。

 何故見破られた。何故捕えられた。ライコウは、ここまで見越していたのか。

 

「ライコウ殿、こちらはデコポンポを無償で差しだしまする。何卒、その者の身柄は……」

 

 ライコウは嘲笑を自らの顔に張り付け、こちらを見た。

 

「オシュトル、俺は貴様よりも奴を評価している。この俺の裏を一度でもかいた男。是非俺の手足に欲しいと思ったのだ。俺にとって交渉事では倍以上の対価を得ることで初めて成るものだ。マロロもまた俺の手足として欲しい存在だったが、もういらぬ。既に十分な対価を得た故な」

「っ――ライコウ……ッ!」

「オシュトル、退け」

 

 刀を抜こうとしたオシュトルに、ミカヅチの剣が向く。

 

「今、この場で俺と闘えば、間違いなく死ぬ。いいのか?」

「愚弟よ、発言を許した覚えはないぞ」

 

 苛立たし気にミカヅチを咎めるライコウ、そこでオシュトルは隠密に囲まれていることを思い出す。

 

「交渉は決裂だ、オシュトル。貴様の部下の逸った行動のせいでな。何と言おうと、先に裏切ったのは貴様らだ。周辺国の信用も失墜するだろう」

「……」

「くくくく……足掻けオシュトル、大事な手足を奪われた末に見える貴様の意地。楽しみにしているぞ」

 

 逃走用の道は既に決めていた。

 机をミカヅチ側に蹴り上げ、床を刀で切り刻み、その下に前もって作っていた穴道を出現させる。もしここにマロロの家族を連れてきていれば、ここから奪う腹積もりだった道だ。

 

 宙に舞った机をミカヅチが斬り払う頃には、自らの姿を穴道の奥深くまで潜りこませ、追っ手がかかる前にと、自軍まで駆けた。

 自ら一人のみならば、何処へでも逃げおおせる。だからこそ、護る必要のないデコポンポを護衛役にしたともいえる。今頃デコポンポは捕えられている頃だろう。それでも奴にとっては構わぬ筈。奴は我らよりもかつての栄光を取り戻す道を選んだのだ。

 それよりも――

 

「――アンちゃん!」

 

 まさかのマロロの家族による裏切り。勿論仕組んだのはライコウだ。

 しかし、マロロは責任を感じるだろう。もしかすれば、このオシュトル以上に。

 

 ――甘かった。

 

 今から軍に戻り、ハクを取り戻すために軍を追撃させたとしても、敵方は倍。

 そして、ライコウの言によれば二千を帰還させるつもりのようだ。となれば、効果は薄くとも追撃し、その隙を縫って救い出すしかない。

 何としても今取り返さねば。帝都に連れていかれれば、取り戻すのはもはや絶望的だ。なればこそ、急ぎ手を打たねばならぬ。何か、この状況を打開する何かを。

 

 そう考えながら穴道から出たとき、待機させていた筈の軍はさらに混迷を極めていた。

 

「オシュトル様!」

「何があった!」

「ライコウ軍が先手を! 刺客を送った報復と叫んでいます! オシュトル様不在であったため、誘導役を担っていた者達が指揮を取り、二千の軍を抑えています! ルモイの関からはガウンジが現れ、ムネチカ様が相手を! いかがなさいますか!」

「……」

 

 追撃の混乱に乗じた救出作戦すら許さぬ気か。

 会議室で言ったあの言葉も、こちらの考えを上回るための偽りか。

 

「応援が到着するまでの時間は」

「一刻はかかります!」

 

 誠実という言葉が、これほど憎く感じたこともない。

 失敗を考え、後方に待機させた軍を近づけるよう命令しておけばよかった。街道を封鎖するよう、伏兵を忍ばせることもできた。いや、一つ疑われでもすれば、交渉は実現できなかったため、不穏な動きは見せられない。

 しかし、それでもハクの献策に甘え、不測の事態に備えて約束事を違える覚悟がなかった。それが今回の事態を引き起こしたのだろう。

 

 ――ハクは、それが己の大事な人であれば、絶対に切らぬ男なのだ。

 

 いや、己だけではない。ハクにとって大事な人間が大切にしているものさえ、易々と自らの命より天秤を重くする。

 飄々と逃げる仕草からはわからぬが、自らの命をしっかりと護っているように見えて、己より大事なものに必ず命を賭ける。

 

 ――それは、わかっていたはずだ。某も、ハクの自己犠牲に救われてきた筈だ。

 

 ハクに判断させるのではなく、某が天秤にかけねばならなかったのだ。どちらの存在が国にとって、某にとって、重いのか。某は、それを見極められなかった。

 もし失敗した時は、ハクの方が大事だと伝えなかった。だから奴は、己が命よりもマロロの家族と双子の命を優先したのだ。

 

「アンちゃん……」

 

 ミカヅチがいるならば、ハクへの拷問は許さない筈だ。

 今ここで総崩れになることだけは避けねばならぬ。救い出す機会は必ずある。ある筈だ。そう信じなければ、体が動かなかった。

 

「某が指揮を執る……援軍が到着するまでの間、関を死守する。ガウンジの動きを見よ。もしこちらの兵だけを襲うならば操兵を探すのだ。そうでないならば、ムネチカ殿に任せ逃げよ。無理に相手取る必要はない」

「はっ!」

 

 その後、戦闘は援軍が到着したことで勝利した。

 ガウンジと、その操兵も始末し、関を奪われることなく戦には勝った。

 しかし――エンナカムイとクジュウリ同盟軍の喪失は大きく、得たものはマロロの家族と、裏切りの汚名だけだった。

 




原作においてライコウとの知恵比べで勝利したことは、あの決戦だけですよね。
ライコウがヤマトの軍勢を率いて本気出すとトゥスクルも危うかったと言われるくらいなので、そういう絶望感が出てるといいですね。


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第十八話 心乱れるもの

オシュトルは英雄ではあるけれども、一生の友を失うかもしれない恐怖は他の人間と同じように感じるんだろうなあ。


「「オシュトル様、朝の支度をお手伝いいたします」」

「……ああ」

 

 あの日以来、鎖の巫女である二人はハクが与えた命令を果たし続けている。

 ハクの与えた命令――それは自分のいない間はオシュトルを主としろというものだ。

 

 彼女たちの主として過ごすうちに、彼女たちがハクへと抱いていた感情は正しく本物であったことが証明された。

 なぜならば、確かに甲斐甲斐しく手伝いはしてくれるが、必要以上に某へ接近することはなく、あくまで小間使いとしての存在だったからだ。某を決して主様と呼ぶことはなく、オシュトルという名前で呼ぶ。こちらがそうしてほしいと頼んだわけでもないのにだ。

 

 彼女達がいかなる契約をハクと結んでいたかは知ることはできない。しかし、こうして仮初の主として彼女たちを見ていれば、ハクへの感情は本物であったことがわかるのだ。

 それを、ハクへと今は伝えることはできない。

 なぜならばハクは――

 

「ハクは、生きているか?」

「微弱」

「僅かですが、感じ取れます」

「そうか……」

 

 朝廷側に捕えられ、いくら草に探らせてもハクの行方はわからなかった。

 あの地下深くの牢獄で死を待つのみであったことを思い出しながら、最悪の想像ばかりが頭を駆け巡る。

 しかし、こうして鎖の巫女は未だ真の主との生命線を繋いでいる。拷問されているかもしれないが、少なくとも今は生きている。それだけが、某にとっても、他の者達にとっても救いだった。

 

「すまぬな……逸る気持ちはわかる。しかし、今は確実にハクを救う方法を考える時なのだ。わかってくれ」

「「……」」

 

 双子たちは静かに目を瞑り、某の言葉にうなずいた。

 心の奥底では、いかに心配しているかがわかる。それでも焦る気持ちを抑えているのは、某の言葉ではなく、ハクの最後の言葉によるものだろう。

 

 ――無理はするな。

 

 そのハクの言葉があるからこそ、救出の策を必死に検討している。

 

 しかし、帝都へ押し入るには、未だ未交渉で中立派のイズルハが邪魔となる。使いの者を何度送っても、返事は未だ一度も帰ってこない。もしライコウに与している場合は、ハクを救うどころか我ら全てが危険に晒されることになる。

 

 隠密集団を編成するにしても、某の配下では帝都で顔が割れすぎている。

 優秀な草ですらオウギの話では帝都、特に宮廷内を自由自在に動けるものはいない。ライコウの側付に近づいた草は全て刈り取られた状態だ。

 そんな状態で無理に帝都周辺の草を捜索に充てれば、人質を増やすことに繋がりかねず、ハクの居場所を見つける足掛かりすら失うことになる。

 

 思考の波に溺れながら、聖上の間へと足を運ぶ。

 ハクを失ったと聞き、さらに直ぐには助けられぬとわかってから、聖上はみるみる元気を失った。ムネチカ殿が励ましたとしても、聖上は生返事ばかりとなった。

 

「聖上」

「……オシュトルか。どうしたのじゃ」

「聖上、御食事をどうか」

「いらぬ……食欲がないのじゃ」

「我が母上も顔を見せてくれぬこと心配しております。どうか」

「御母堂が……そうか。なら、そこに置いてほしいのじゃ。食欲が湧いたら、貰うのじゃ」

「は……」

 

 エントゥア殿より託された食事を傍に置き、聖上の間から戸を閉めて下がった。

 そこに声をかけてくるムネチカ殿。心配で待機していたようだ。

 

「どうであった、オシュトル殿」

 

 少し首を振り、難しい状況であることを無言で伝える。

 

「そうか……オシュトル殿の言であればと思ったが」

「すまぬ」

「いや、オシュトル殿の責任ではござらぬ。あとは小生が」

「うむ……任せた」

 

 あのムネチカ殿の言葉でさえ、今の聖上の心を取り戻すことができぬ。ムネチカ殿の手によって運ばれる食事も喉を通らぬままだ。

 

 聖上が帝都より救い出された直ぐ後、このエンナカムイで聖上は同じような摂食障害に陥っていた。それを食べられるようにしたのは、ハクだという。

 

 ――ハクよ。どう言葉をかけ、聖上の心を取り戻したのだ……。

 

 失ったものは大きい。

 そう感じるのは、某と鎖の巫女、そして聖上だけではない。

 

「オシュトル!」

「……ノスリ殿、それにオウギ殿か」

「一体いつまで手を拱いているつもりだ! ハクを助けに行くとなぜ言えぬ!!」

 

 殆ど糾弾のような口調に、押されかける。

 がんと視線をぶつけてくるノスリから、オウギの方へと視線を移すと、申し訳なさそうなオウギの表情があった。

 

 説得に失敗した、とでも言いたいのだろう。某も、もし逆の立場であったら憤慨していただろう。悪くは言えぬ。

 

「これ以上、某の失策により味方を危険に晒すわけにはいかぬ。鎖の巫女殿から伺ったハクの願い故に」

「ハクの願いとは何だ」

「無理はするな、である」

「ハクを助けに行くことが無理だというのか!」

「今は、そうである」

 

 ノスリは、某の強い断定口調に一瞬怯むも、納得がいかない様子で掴みかかってきた。

 

「……ッ! 懸念は何だ! 何が無理だというのだ!」

「目下のところ、イズルハのすぐ傍を安全に通れるか否かというのが一つ。そして帝都に辿り着くだけでなく、顔を見られても某の陣営であることを疑われぬ者でなければならないということが二つ。そして最後は、相手があのライコウであること。餌を吊るすとの言を交渉の席で聞いた。餌とは即ちハクのこと……相手方も万全の警備体制であることが窺える」

「あの双子の力はどうなのだ!」

「あれは、力を消耗しすぎると聞いた。宮廷内から力を使ってようやく半々の確率である。まずは帝都内を疑われることなく自由に歩ける人員でなければ、宮廷内に入ることすらできない」

「む……ぐ……それならば私が」

「姉上はオシュトル陣営として既に顔が知られています。難しいでしょうね」

「オウギ! お前までそんなことを――」

「姉上、オシュトルさんにも考えがあるのですよ。もし失敗して、私達が囚われれば、今度こそハクさんを救うことも、この戦乱を勝ち抜くこともできない。大局を見た故の采配なのです」

「……ッ、そうか」

 

 弟からの思わぬ反論に、ノスリは諦めたように背を向けた。

 そして、背中越しにぽつりとつぶやいた。

 

「オシュトル……私は大局など見えないし、この弓を捧げるのは聖上だと誓いはした。だが、たとえ危険でも……ハクはオシュトルと聖上を助ける道を迷うことなく選んだ。そのことを忘れたというならば――私一人でもハクを助けに行く覚悟だ」

 

 そう言葉を残し、ノスリは静かにもと来た道を歩いて行った。

 

「オシュトル殿、申し訳ありません」

「いや、構わぬ。言われても仕方のないことだ。某が、献策できぬのが悪いだけのこと。だが、ハクに助けられたことを忘れたことはない……そう伝えておいてくれ」

「了解しました。しかし、私が姉上を抑えておけるのもそう長くはありません。私も彼がいないと面白いことが少なくなりますから……何でも協力は惜しみませんよ。行けと言われれば皆が行くであろうこと、是非お知りおきを」

 

 そう言葉を残し、オウギは去った。

 

 その背を見送り、その足で調練場に赴く。

 

 いざとなれば全軍でイズルハごと帝都に攻めこみ、帝都より軍を誘き寄せた後、空いた帝都に潜入する策も用意した。

 その策が実現可能かどうか。それを見極めるために、キウルについてもらっている。

 しかし、某自身の目でも確かめないといけないだろう。

 

 朝早くから大軍の雄叫びにより調練場がびりびりと振動する中で、端に一人つまらなさそうに槍を弄るアトゥイ殿の姿があった。

 

「アトゥイ殿、いかがなされた」

「? あ~オシュトルはん。一人で槍振ってもつまらんから暇を持て余してたところなんよ。そやなあ、オシュトルはんが相手してくれるなら、ちょっとは楽しめるねんけど……」

「いや、某は忙しい。此度は遠慮させてもらおう。またいずれお相手する」

「いけずやなあ」

 

 そうして立ち去ろうとしたとき、ふとといった拍子でアトゥイ殿から言葉が漏れた。

 

「それで、おにーさんのことはいつ助けに行くん?」

「……」

「そろそろ助けに行かんと、生き汚いおにーさんでも死んじゃうぇ。もし助けに行く作戦練ってるんやったら、ウチも参加させてほしいぇ」

「うむ……決まり次第、通達しよう」

「ウチがおにーさん助けたら、おにーさん一生頭上がらへんやろうなあ……楽しみやぇ」

 

 そう言いながらも楽しそうな顔ではなく、少し真剣な表情でぶんぶんと槍を素振りし出すアトゥイ殿。

 アトゥイ殿なりに、ハクのことを心配しているようだ。

 

 アトゥイ殿と別れ、キウルの元へと急ぐ。

 

 キウルは某が近づくと全軍を止めるよう叫び、某の方を向いて直立した。

 

「兄上。どうされましたか」

「一度、某も直接見ようと思ったのだ。続けてくれ」

「はっ、全軍元の位置へ! 再開の声と共に再び調練を開始せよ!」

 

 キウルはよくやっている。

 キウルの調練のおかげで、砦の防衛と関の防衛を果たすことができた。

 しかし、来るべき侵攻を予想し取り急ぎ防衛戦術の方を強化する方向で舵を切ったためか、こちらから打って出るとなると話は変わる。

 

 そう、我が軍は未だ一度も攻めに回ったことはないのだ。

 攻めに回ったことのない軍が、イズルハの国境を侵せるものだろうか。

 

 キウルはよくやっている。

 寝ずに調練方法を考え、朝から晩まであらゆる兵を走らせている。

 しかし、兵がついて来られるかどうかは話が別だ。兵もまた失えば戻らぬ大切な存在である。ハクを取り戻したとしても兵に大損害が出れば、結局は戦乱において負けることとなる。

 

 またもや、某は天秤を持たされている。

 多数の犠牲を払ってでもハクを救いだすのか、それともハクを見捨てるのか。

 

 ライコウの言からすれば、ハクを手元に置いておきたいというように受け取れた。しかし、もしハクが反発すれば、ライコウは使えぬ駒を手元に置いておくことはしないだろう。ミカヅチも、それに意を唱えることはあるまい。ミカヅチもまた友であるが故に、ハクが敵に回れば危険であることを理解しているからだ。

 

 ――何という体たらく。

 

 某を英雄と持て囃すものがいるが、某自身は己の限界を知りすぎている。だからこそ、抜け道を探すことができぬ。正道しか、探すことができぬ。

 

「そこ! 右翼の形成が甘い! そんなことでは中央を突破されます!」

 

 キウルの指示に何とかついて行こうとする軍の動きを見て、この正道もまた不可能であると判断し、調練場を後にする。

 

 こんな時に、ハクがいてくれれば。

 抜け道を示してくれる、一番聞きたい存在が今はいない。

 

 調練場から離れた場所に、厳重な警戒のもと監視される牢の一つがある。一見迎賓用のようにも見え、身分の高い者達を捕えた際に用いる牢である。

 

 そこに赴くと、マロロは牢の中にいた。

 

「……家族よりも大事なものだったのでおじゃ」

「……」

「家族でもないのに、マロを大事にしてくれた存在が、あったのでおじゃ。マロは、それを優先するべきだったのではないかと、ずっと考えているのでおじゃる」

「そうかも、しれぬ」

 

 某も、そう思っていたからだ。

 人の心には、いつでも天秤が揺らめいている。どちらに重きを置くか選択し、一生の荷と業、そして罪を背負い続けるのだ。

 これは、某らの罪。優先すべきものを誤った報いであり、そして、あのライコウの力を侮った報い。

 

「マロロ、戻るのだ。やってほしい政務はまだある」

「……わかったでおじゃ」

 

 そう言い、牢に繋がれた二人の家族から離れ、牢の外へと赴くマロロ。

 

「……やっぱり、もうしばらくいるでおじゃる。オシュトル殿、先に行ってほしいでおじゃ」

「……了解した」

 

 そう言って、物言わぬ二人に言葉を投げかけるマロロ。

 息子の友を敵に売ったかと思えば、救出された時には二人は魂が抜けた存在へと化した。

 ハクを襲っていた者達が牢に繋がれた途端、糸が切れたように死んだ者達と同じだ。

 

 死にはしないものの、こうしてマロロが甲斐甲斐しく世話しなければ直ぐに事切れるであろうほど衰弱していた。

 こうなれば、敵方による裏切りの献策も証明することはできない。マロロの罪の意識だけが重なった形となった。

 

 牢の入り口から外へ出ると、丁度エントゥアが台に乗せた食事を持ってきたところだった。

 

「あ、オシュトル様。アンジュ様は食べてくださいましたか?」

「……すまぬ、後で食べるとしか答えられなかった」

「そうですか……いいんです。冷めても美味しいように作ってありますから」

「そう言ってもらえると助かる。しかし、随分沢山の食事だが……これは」

「ああ、これは、マロロ様とその家族にです。マロロさまはまだ食事をとっていらしてないので。中にまだいらっしゃいますか?」

「ああ。今会ってきたところだ」

「そうですか……では、これを持って行きますね」

「いつも出してくれているのか」

「はい、最近はルルティエ様が臥せってしまっていますから……ぁ、失言ですね。申し訳ありません」

「いや、そうであったか。負担が減るよう、某からも給仕係に言っておく」

「ありがとうございます。でも、これぐらいなら大丈夫です。では――」

 

 ふわりと香る食材の匂いを残しながら、エントゥアは牢へと入っていく。

 ルルティエが臥せっている。

 その言葉が胸の内に残り、政務室へと行くついでにルルティエ殿の部屋の前を通った。

 

 すると、戸を超えて聞こえるすすり泣く声と、それを慰めるシスの声がした。

 

「大丈夫よ、きっとオシュトル様が策を考えてくれるわ」

「はい……お姉さま」

 

 重くのしかかる重圧。

 皆が某に期待している。ハクを拠り所としていたものが、某に向けられ始めている。

 

 政務室に足を踏み入れると、ネコネがいつもの仕事を片付けている。

 平静を装っているように見えて、泣き腫らした目が真実を告げている。

 

 ――ハクへの恋は、やはり真であったか。

 

 ネコネの心の中でも、葛藤があるのだ。某と、ハクを天秤にかけること。

 

 ネコネは、某の姿を視界に収めると、居住まいを正した。

 

「……決めたか、ネコネ」

「……兄さまが行くことは、許さないのです」

「しかし……某がウコンとなり鎖の巫女と共に行くことが、一番成功確率が高い」

「ウコンに扮することなど、ライコウは御見通しに決まっているのです。ライコウが知らなくともミカヅチ様がそれを知っているのです。それに、兄さまがここを出ていけば、誰がここを守るというのです?」

「ムネチカ殿も戻ってきた。少なくともこのエンナカムイは護られる」

「その間にいくつの関を奪われるおつもりなのです。兄さまも判っている筈、総大将はここを出られないこと」

 

 そう、ネコネにも見透かされている。

 某がただ責任に押しつぶされそうになっているだけであること。皆に焦らぬよう伝えておき乍ら、自らが最も焦燥に駆られていること。

 

「そうで、あるな……しかし」

「しかしもでももないのです。ハクさんは、絶対に生き残るのです。ハクさんなら、表面上は相手の交渉に乗って、私達を裏切るくらいはしそうなのです」

「そうかもしれぬ、だが、そうでないかもしれぬ。ネコネ、其方のためにも――」

「兄さま――私は、大丈夫なのです。ハクさんは、そう簡単には死なないのです」

 

 目に隈を残しながらも気丈に振る舞う妹の姿を見て、某は決意する。

 

「そうで、あるな。ならば、最後の策である」

「最後?」

「クオン殿を通し、トゥスクルに協力を申し込む」

「! そ、それは――」

 

 一度追い返しておきながら、何と虫のいい話だろうか。

 しかし、あの修羅の国の者達であれば、隠密に長けた者も必ずいるはず。その当てを頼るしかない。たとえ、如何なる条件を提示されたとしてもだ。

 

 その想いを胸に、チキナロを通しクオン殿へ文を出す。

 チキナロによれば、渡すこと自体はすぐにできるとのことだ。

 だが、来られるかどうかはわからないとのこと。

 

 ハクとクオン殿が旅を始めたての頃から、彼ら二人を見てきた。

 無理にでもネコネと婚姻を結ばせねば、きっとハクはクオン殿に想いを告げてしまうと。

 二人とも無自覚ではあるが、お互いになくてはならない存在である。某にはそう見えた。

 

「――必ずクオン殿は来る」

 

 そして、文を出したその翌々日だった。

 

「オシュトルの旦那!」

「ヤクトワルト殿、何かあったか」

「姉御が、帰ってきたじゃない!」

「真か! 直ぐに謁見の間へと通してくれ」

「そ、それが……」

「もう、来ちゃったかな。オシュトル」

 

 ネコネがその姿を見て、感極まったようにクオン殿に飛びついた。

 幽閉されているかもしれないという話は何だったのか。偶然近くにいたのかどうかはわからないが、少なくとも希望が来たことには変わりない。後の始末は、全て某が片付ければよいだけのこと。

 

「あ、姉さま!」

「辛かったね、ネコネ。もう大丈夫。ハクは、私が連れ戻すから」

「クオン殿、息災である」

「うん。長らく離れていて、ごめんね。でもまさか、私がいない間にハクが捕まるとは思ってなかったかな」

「すまぬ……」

 

 これに関しては、某が謝る他ない。

 たとえ、想定外の裏切りによるものだとしても、某に責任がある。

 

「オシュトル、手紙は読んだけれど、あなたはトゥスクル皇女にハクは某にとって無くてはならない存在だって言った筈」

「ああ」

 

 某が返事をするとともに、クオン殿が拳を振りかぶる。

 甘んじてそれを受けた。しかし衝撃は待っても来ず、とん、と胸を突かれたに留まった。

 

「……ネコネに免じて、これで勘弁してあげるかな」

「……感謝する」

「私もその場にいなかったから言えることじゃないけれど、背中を預けた友であるならば、次は必ず守って。私からの、お願い」

「ああ、必ず」

「じゃあ、オシュトル……あとは私にお願いすればいいだけかな。ハクを助けて来てほしいって」

「ああ……すまぬ、クオン殿。ハクを……ハクを頼む」

 

 クオン殿、そして鎖の巫女、そしてクオン殿が依頼するというトゥスクルの者。某の部下として顔も割れておらず、知れているのは鎖の巫女の二人のみであれば、彼女たちは逐一姿を消しながら移動できる。

 

「ハクを助けるのは私の役目。トゥスクルにも秘密裏の協力であることを伝えたかな。了承はしてくれたけれど、勿論条件は後々付け足すみたい」

「構わぬ」

「そう……ならオシュトル、あなたはハクが戻ってくる場所を守っていて」

「無論。某にできることを、果たす」

 

 クオン殿は、某の言葉を聞くと、鎖の巫女を連れ部屋を出ていった。

 こんなにも無力感を味わったことはない。一人では、何事も成し得ることができない。ハクがいなければ、こんなにも心が乱れ考えが纏まらぬとは思いもしなかった。

 

 だが、クオン殿のおかげで、自らの役割を思い出せた。

 

 某は、正道を歩むもの。それでいいと、ハクに言われた。

 正道を歩むからこそ、ハクも抜け道を見つけやすいというもの。

 ハクが護ったものを護る。ハクが戻ってきても、変わらずそこにあるように。

 

「無事でいてくれ、ハク」

 

 だが、大切な存在が無事でいるよう祈るくらいは、許されてもいい筈だ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 イズルハ国境線近く。

 帝都への街道を歩きながら、二人に問うた。

 

「確認するけど、救出作戦の間は絶対に私の言うことを聞くんだよね?」

「愚問」

「たとえ貴女がウィツァルネミテアの天子だとしても、私たちは従います」

 

 その言葉の意味に気付いた瞬間飛び上がった。

 

「な、ななな、なんのことかな!!」

「白々しい」

「私達は魂を見て判断します。変装は意味がありません。あなたがトゥスクルの女皇であることは誰にも話していませんので、私達以外は知りませんが」

「……汚い」

「交渉術」

「主様は言っていました。弱みを握れば勝ちだと」

 

 まさか、見抜かれていたとは。

 私が、トゥスクル皇女であること。いや、ちょっと待った。なら、あの男日照りが何だという言葉は私だってわかったうえで言ったことに――。

 

 その点が気になりつつも、首を振って考えを打ち消す。

 仲違いして連携を崩すことはない。ハクを助けた後じっくり話し合えばいいことかな。

 

「はあ、元気ないのかなって心配していたのに……いらない心配だったかな」

 

 それに、わかってるのだ。

 この子たちも、ハクが心配なんだってことは。

 でも、やっぱりハクの保護者は……ハクは私がいないとダメかな。私がいないから、こんなことになっちゃったんだし。

 

「急ぐ」

「主様を救い出すために誰を連れていくのか、早くトゥスクルの方を紹介してください」

「ま、待って。今呼ぶから……」

「呼んだか、クオン」

 

 そこには、昔着ていたという外套を身にまとうオボロお父様の姿があった。

 呼んでないのに来たということは、ずっと近くで待っていたのか。

 

「もう行くのか」

「うん。彼女たちがいれば、ハクの居場所はわかる筈」

「確認だ、クオン。そいつとは本当に恋仲じゃないんだな?」

「だから、何度も言っているかな! ハクは私が拾ったから面倒を見てるだけだって!」

「……嘘だとわかれば、その場で殺す。約束だ」

「わ、わかってる」

 

 物騒な発言だけれど、隠密行動であればこの人以上の隠密はトゥスクルにはいない。現トゥスクル皇を連れていくのはベナウィから怒られるかもしれないけれど、背に腹は代えられない。

 確実に成功させなきゃ、ハクは助けられない。こちらも最大戦力でいく。オボロお父様は、隠密に長けていれば皇としてどう狙われるかがわかると言って、生まれた時から隠密としての顔を持ち続けた筋金入りの隠密衆だ。皇自身が、草として最も優秀なのだ。

 本当はこちらの姿を認識できなくなる呪術を持ったカミュお姉さまを呼ぶべきかとも思ったが、カミュお姉さまはトゥスクルにおり、トゥスクル宮廷に一度帰る時間も惜しかった。

 オボロお父様はヤマト行きの船にはいなかったのに、心配で見に来たと帰りの船にはいたので、いつもの親馬鹿がいい方向に働いた。

 もし戦闘になった際にはお父様は頼れるのだ。ベナウィやクロウと同列の武人なのだから。

 

 ――それに、トゥスクル皇と女皇直々に救われたって形で恩を売れば、ハクもトゥスクルに来やすくなるかな。

 

 その考えが表情に出ていたのか、双子がじっと卑怯なものを見る目でこちらを射抜く。

 しかし、互いに顔を合わせ、暫くすると納得したようにうなずいた。

 

「仕方がない」

「惜しいですが、主様の一番は譲ります。二番目は私達が」

「ちょ、何の話かな!?」

「二番手の方が長持ちする」

「初めてはお互い余裕がありませんから」

「だから、何の話かな!?」

 

 そんな恋愛感情的なものは持っていないかな!

 そんな話をしているからか、オボロお父様が少し剣呑な雰囲気を醸し出している。

 

「クオン……それに、もしその男が恋仲でないと確認しても、俺を使う条件はわかっているな。約束は――」

「あ、そうだお父様! 二人はどこにいるの!?」

 

 その話を遮るようにして、言葉を発する。

 いつもお父様につき従っているドリィとグラァも呼んである筈だが姿が見えないので、選ぶ話題としては良い筈だ。

 

「む……あの二人はベナウィからの別件で来ない。それに、救出するのが一人程度ならば、俺だけで十分だ」

「そう。じゃあ、この四人で潜入するかな」

「術」

「私達の術は宮廷内からしか使えません。そこまでは前使った道で行くのですか?」

「うん。カルラおかあ――お姉さまに許可は貰ってる。変わらず整備しているみたいだし、発見された跡もないみたい。私達がいた宿から行くのが確実かな」

 

 まずはヤマトの帝都内まで行くこと。帝都内に入ってしまいさえすれば、これが使える。

 そう考えながら、懐に仕舞った金印に触れた。ハクから預かっているものだ。

 まさかこれを使う日がこんなにも早く来るなんて思わなかったかな――でも、これのおかげで助ける確率が上がるのも確かだ。

 

 ――必ず助けに行くから待っててね、ハク。

 




囚われのヒロインであるハクを助けに行くクオン。
王道ですね。


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第十九話 救出するもの

オボロ防壁は頼りになる。


 帝都にある地下深い牢獄の中で、ハクはその男と対峙する。

 

「お前も捕まっちゃったか、デコポンポ」

「……なぜ儂がここで、お前はそっちで自由に動いているにゃも」

 

 檻を挟んだ鉄格子の隙間から、鎖に繋がれるデコポンポと目を合わす。

 

「……いやあ、ライコウに従わないと拷問して洗脳するって言うし、ウォシスはなんか耳舐めてくるし気持ち悪くてさ。裏切ることにしたんだ」

「儂が言うのも可笑しいにゃもが、何とも外道な漢にゃも」

「何とでも言え。生き残るのが一番だ……それにしても、なんでお前は金子の在り処を言わないんだ? もう我慢する必要もないだろうに」

「ボコイナンテがここにおらぬからにゃも」

 

 心底悲しそうにそう告げるデコポンポ。

 

「……まさか、お前」

「ボコイナンテが、暗号化した記帳を持っているにゃも……」

 

 なるほどな、自分だけでなくボコイナンテも助けようとしたのか。通りで自分たちにも金子の在り処を秘密にし続けたわけだ。

 しかし、不幸中の幸いだ。ボコイナンテが知っているなら、オシュトル達にもまだ勝機はあるかもしれないな。

 

「とりあえず、助ける機会があれば助けてやりたいが、自分も監視されている身でなあ。それに、このまま自分に助けが来なければ、ナコクを滅ぼしてライコウに忠誠を誓わないといけないんだよ」

「ナコクを、にゃもか?」

「ナコクは、今のところオシュトル側に忠誠を誓っているからな。見せしめがいる」

「……いつ発つにゃも」

「明後日にはミカヅチ軍を率いる。一月かけずに滅ぼせなければ、今度は自分が見せしめだ。ナコクの者達には悪いが、早々に滅ぼさせてもらう」

 

 そう、ライコウの采配師として、ナコクをどれだけ早く落とせるかを量られている。

 大事なもの以外は全て捨てる気でいないと、ここでは生き残れない。

 

「ってなわけで、ナコクの立地を見ながら策を練る必要がある。またな、デコポンポ」

 

 そうして牢から別れを告げ、監視員らしき三名の少年兵に連れられてライコウ、ミカヅチのいる会議室へと赴く。

 

「ライコウ様より命令だ。寄り道をせずに真っ直ぐ来いとのことだ」

「はいはい、行きますよ」

 

 しかし、こっちに来てみて改めてライコウの手管による情報収集能力と管理能力に驚いている。

 ライコウを舐めていたつもりはなかったが……ライコウが操る部下たちは、文字通りライコウの意のままに従う超効率的部隊だ。全ての情報が通信兵等により瞬時にライコウに集約し、すぐさま各々に命が下る。そして、ライコウの命令が生きている限り、ライコウ自身がそこにいなくとも、いるに値する脅威となる。

 ライコウを分断したつもりが、本当はこっちが分断されていたとはな。

 

 ――オシュトルは大丈夫だろうか。

 

 その情報だけは、誰からも聞くことができない。必要な情報とそうでない情報はしっかりと分けられ、自らへと降りてくるからだ。

 

 ――しかし、今度はこちらが囚われの身になるとは、立場が逆になっちまったなぁオシュトル。

 

 今必死で助ける策を練っている頃だろうか。

 オシュトルのことだ。見捨てる選択肢なんて奴の王道思考からはないんだろう。こんな時こそ思考を柔軟にして、あいつはあいつで上手くやって内部から破壊してくれる筈だ、とか期待してくれてもいいんだけどな。

 

 まあ、こんな監視だらけの場ではできることは少ないが。傍にいるのは少年兵といえども、実力は折り紙付きなのだろう。絶対に逃がしてはならない自分をたった三人で見る時点で、その信頼度が窺える。

 一応、隙を見てホノカさんの居場所を探ろうともしたが、あんまりすると怪しまれるので程ほどにしている結果、未だ居場所はつかめない。

 

 会議室の前にいるミカヅチに近づき、挨拶する。

 

「おう、ミカヅチ」

「……来たか。兄者は中だ、早く入れ」

「おう」

 

 ミカヅチと監視員三名を連れ、会議室へと入る。ミカヅチが色々嘆願してくれていなければ、今頃牢の中で生活していただろうから、感謝しないとな。

 

 巨大なヤマト地図が映し出された盤上を見つめるライコウの後ろ姿に、声をかけた。

 

「来たぞ、ライコウ」

「……俺の部下とは思えぬ対等な口聞きだな。ハクよ」

「何だ、様つけした方がよかったか?」

「別に構わぬ。俺が求めているのは従順な態度ではない。結果だけだ」

 

 そして、ミカヅチの視線を追うようにナコクの地理を事細かに示した地図を見る。

 

「貴様ならこの一つしかない橋をどう攻略する? 首都ナァラは橋の直ぐ傍にあり、三方が海に面しているため、強固な城壁で囲まれている」

「そうだな……自分ならまず騎馬部隊のみで橋をさっさと渡りきりそこに陣を敷くかな。後から大軍が寄せていけば、大した難もなく攻略できると思うが」

「ほう、しかし騎馬部隊に橋の防衛を行わせるのは酷ではないか?」

「別に防衛する必要はない。ミカヅチなら奇襲して砦門が閉じる前に攻略することもできるだろう。できなくてもこのデカい橋を敵さんが落とすこともないし、そのまま首都ナァラの周辺を付かず離れず波状攻撃で攻め込んでしまえばいいと思うが」

「攻略できれば良し、できなくても大軍が寄せる時間稼ぎになれば良しか」

「もしその際に朝廷の攻城兵器を嫌って橋の出入り口を塞がれても、大軍と先遣隊とで挟撃できる。ナコク側としては挟撃の危険を減らすために、先遣隊を討つことをまずは狙うだろうな。調練中に見た騎馬部隊なら、大軍到着までは引っ掻き回せる気がするが」

「……良いだろう」

 

 ライコウは笑みを浮かべ、書簡に何事かを書き示していく。

 

「犠牲を払ったとしても、結果的に最小限に抑える貴様の策。結果が見えているからこそできる献策か。兵站はこの程度あれば足りるな?」

 

 手渡された書簡には、貸し付ける兵の数、兵站、軍備など事細かに書かれていた。

 それをさらっと一読し、頷く。

 

「十分だ。先遣騎馬隊にはミカヅチを任命するがいいな?」

「構わぬ。我が愚弟ならば雷をかけるが如く城を落とすであろう」

 

 恐ろしい決定能力。

 正しく電撃作戦。否定もないということは、ミカヅチも同じような策を考えていたのだろうか。橋に並ばれれば、いくら大軍であっても一度に接敵する数が限られ、大軍の有利が取れないとみて、さっさと橋を渡りきるのが最善と見ただけなのだが。

 

 しかし、こうも早く決まってしまうと、ナコク行きへの日程が早まってしまうかもしれない。時間稼ぎ時間稼ぎ、と。

 

「……そうだ。ナコクにデコポンポを連れてってもいいか?」

「何? 意図はなんだ」

「知らない知らない言いながらも、近くまで来たら隠した場所思いだすかもしれないだろう?」

 

 暫くライコウは考えたものの、首を振って否定を示した。

 

「一つ従順なる部下に忠告してやろう……俺は軍を動かす上で、我が強いだけの兵は使わぬ。いや、使えぬといった方がよいか」

「ん? ミカヅチは我が強くないか?」

「しかし、俺の命令には必ず従う。いくら我が強くとも、我が愚弟は俺に作戦指揮を任せるのが最善であることを理解しているからだ」

「……なるほどな」

「デコポンポを態々使わなくともよい場面で使う。その失敗を味わったばかりではないのか、ハクよ」

「まあな。だが、自分の考えはちょっと違う。人間は手足のようには動かんもんだ。自由に動くと思っていても裏切られるもんだ。しかし、その自由こそが、予想以上のものを齎すこともある」

 

 嘲笑するライコウ。

 

「くくく……何を言うかと思えば、それが滅びだとしてもか」

「ああそうだ。ライコウ、あんたが見ている道の先には勝利が見えているんだろうな。だが、その道を歩いているのは一人だけだ……つまり、あんたが負けた時点で、全ては終わる」

「貴様達は違ったとでも言うのか?」

「どいつもこいつも歩く道はてんでばらばらだが、意志だけは同じだ。同じ勝利を求めて、幾人もの同志が数多の道を歩く。誰かが滅びようとも、誰かが勝利の道を歩いてくれる」

「……貴様の心は、未だオシュトルにあると言っているようなものだな」

「いやいや、旗印として些か許容が足りないんじゃないかと、部下として提言しているだけだ。その考えのままだと、いつか足元掬われるぞ」

 

 ライコウはこちらの真意を探ろうとはしたものの、暫くして諦めたように嘆息した。

 

「……ふん。調子の狂う男だ。良かろう、デコポンポを連れていくがいい。俺は最善の結果さえついてくるのであれば、手段は問わぬ」

「ああ、任せてくれ。御忠告に反しないように、改めてまた策を考えとくよ」

 

 そう言って、席を立つ。

 

 ミカヅチとともに会議室から出ると、ミカヅチが咎めるように話しかけてくる。

 

「余り兄者を楽しませるな」

「ん? どういう意味だ?」

「……」

 

 ミカヅチは口を噤み、そのまま踵を返すと会議室へと戻っていった。

 

「何だったんだろうな? なあ?」

「「「……」」」

 

 少年兵たちに聞くも、帰ってくるのは沈黙のみ。

 

 まあいいか。

 

 さて、デコポンポと自分が何とか逃げられる策を考えないとな。

 そう思い、監視員たちと与えられた自室へと戻ろうとしたときだった。

 

「「「ぅっ」」」

 

 三人の監視員である少年兵が同時に小さなうめき声と共に崩れ落ちた。

 闇夜の中には、誰もいない。

 

「おいおい……誰だ」

「……お前が、ハクだな? 妙な仮面をつけているが」

「……違うと言ったら?」

「……時間がない。早く言え」

「……確かに自分はハクだが、何か用か?」

 

 姿が見えぬまま、闇に声を投げかけるも返事は帰ってこない。

 しかし、耳元で怨嗟の籠った声がした。

 

「クオンは、貴様のせいで国に帰りたがらない」

「は?」

「死ね」

「うぐっ!?」

 

 腹部に大槌で殴られたかのような衝撃が走り、思わず倒れ込む。

 倒れこんだ自分を顔を隠した謎の男はひょいと抱え上げ、どこかへと走る。

 

「こんな、ひょろひょろの男に……ベナウィとクロウめ、何が女皇がお認めになった、だ」

 

 ぶつぶつ呟かれる恨み言を聞きながら、どこかへと運ばれていく。

 ある一室に運ばれ、どさりと乱雑に放られる。その瞬間、いなかった筈の存在がそこに現れた。

 

「っ、ハク!」

「「主様!」」

「!? ……クオン! ウルゥル、サラァナ!」

 

 そこには、久々に見たクオンの姿と、双子の姿があった。

 

「心配……したかな。ハク」

「……ああ。ったく来るのが遅いぞ」

「む、それが助けに来てあげた人への言葉かな!?」

「……すまん。助かった。これで命を救われるのは何度目だろうな」

「そんなことは気にしないでいいの。それよりも私のいないところで、無茶しないでほしいかな」

「ああ……そうだな」

「未経験」

「貞操がご無事で何よりです」

「……何を心配していたんだお前達は」

 

 わかっている。こいつらがずっと心配してくれていたのは、微弱な声をずっと届けてくれていたことからもわかる。

 夢の中で一体何度呼ばれただろうか。だからこそ、どんなことをしても生きねばならないと思ったのだ。

 

「……おい、感動の再会もそれくらいにしろ。一匹強いのが近づいてきているぞ」

 

 黒衣の外套に身を包んだ男がそう言う。

 誰だろうか。腹を殴られたこと謝られてないんだが。それどころか、未だにこっちに殺意を向けてきているんだが。というか、帝都でお会いしたことありましたっけ? どこかで聞いたことのある声だ。

 

「わかったかな。ウルゥル、サラァナお願い」

「はい」

「了解しました――ッ!?」

 

 道を再び作ろうとしたその刹那、落雷のような音を立て乍ら壁が吹っ飛び、一人の男が現れた。

 

「ミカヅチ――!」

「……やはり来たか、鎖の巫女よ。兄者の命により捕える」

 

 そう告げ、剣を構えるミカヅチ。剣先から放たれる電の柱が双子へと向けられた。

 

 ――まずい、今双子が攻撃されれば逃げられなくなる!

 

 身を挺してミカヅチの攻撃から双子を守ろうと前に出ると、それ以上に前に出る存在があった。

 

「――オボロ防壁!」

「ぬっ!」

 

 ミカヅチの電撃の刃を刀に吸わせるオボロ。びりびりと体に稲妻が走るも、平気な様子で刀を構えている。

 助太刀とばかりにこちらも鉄扇を構えようとしたが、視線で制される。

 

「フン……弱い癖によく飛び出す男だ。貴様を見ていると昔の俺を思い出して苛立つ。さっさとこいつを俺の前から連れて行け、クオン! 俺一人ならば抜け出すのは訳ない」

「ほォ……この俺から逃げられるとでも思っているのか」

「フン、舐めるなよ。この程度の窮地何度も凌いで来た。兄者にもう一度会うまで、俺は死ぬつもりはない」

「兄者……?」

「ッ、任せたかな!」

 

 煙玉を破裂させ、ハクと双子を連れて逃げる。

 身を隠せる場所まで逃げ込み、位相を擦らす道を開いてもらう。

 

 遠くから響く剣戟の音。

 何とか逃げ果せてくれればいいが。

 

「いいのか、クオン」

「彼なら、大丈夫かな」

 

 すると、遠くから閃光の光と濛々と上がる煙が見えた。

 

「ほらね。彼は百戦錬磨かな」

「ああ……」

 

 閃光から目を反らしながら、宮廷地下への道を歩く。慌ただしく行き交う兵たちの直ぐ傍を通りながら、かつて潜入した地下水道まで辿り着く。

 

「ここまで来れば、大丈夫か」

「まだかな。悪い予感がする」

 

 双子の力もギリギリだった。見れば唇は蒼白で、無理をしていたのがよくわかる。

 しかし、逃げきれたのだ。

 

 双子に術を解除させ、ここからは慎重に道を進むが、何かの存在は確認できない。

 何も起こらぬまま、あの旅籠屋へ通ずる扉に行きつき、あの懐かしい白楼閣の匂いが鼻腔を擽った。

 

「良かった。悪い予感は当たらなかったみたい」

「ああ、そうみたいだな」

 

 入り口の戸を開け、中へ入ると眩い光が地下になれた目を襲う。

 そしてそこには――

 

「クーちゃん! お帰りなさい!」

「あ、え? ふ、フミルィル!?」

 

 暗闇に目が慣れていたからだろうか。そこには後光が刺したように光輝く絶世の美女がいた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 デコポンポは、暗い牢の中で誰かの声を聞いた。

 その内の一人である中性的な声は酷く聞き覚えがあった。確か名前は――。

 

「申し訳ありません、ウォシス様。予想以上の手練れで、我らでは存在を掴むことすらできませんでした」

「シャスリカ、ラヴィエ、リヴェルニ、良いのです。貴方達はよくやりました。逆に捕えてしまった方が、私にとっては不都合なのです。計画に変更はありません」

「し、しかしウォシス様。なぜ、あんなにも簡単に逃がすよう命じたのですか? 逃がしてしまえばライコウ様がお怒りになるのでは」

「一人はミカヅチでも捕らえられぬ剛の者、私たちへの咎はありません。心配いりませんよ。それに、彼はライコウと、オシュトルが共倒れになるための鬼札です。こんなところで飼い殺しにしては、オシュトルが早々に表舞台から退場されてしまいます」

 

 ウォシスは三人の少年兵が未だ納得できていないことを理解し、懐からあるものを取りだした。

 

「しかし、どうやって……ぁ」

 

 ウォシスが掌に禍々しい小さな蟲を載せて見せると、少年兵たちは納得したかのようにうなずいた。

 意思はそのままに、従順な操り人形へと変えるための、禁忌の技である。

 

「これを、お使いになったのですね」

「しかし、これは邪気を放ちすぎています。鎖の巫女に見抜かれるのでは……」

「これは、ライコウより言われマロロを操り人にするために用いろうとしたもの、彼には使えません。ですから、彼に入れたものは鎖の巫女にも見つけられぬよう、随分と苦労したのですよ」

 

 掌の蟲を優しく握り、暗い笑みを浮かべるウォシス。

 

「改良どころか殆ど新たに作ることになり時間がかかりましたが、おかげで見つけても取りだせぬものを植えこむことができました。時が来るまでは、彼の体と魂に同化し、邪気一片すらない小さく無害な種です。しかし時が来れば徐々に孵化し――私にとって邪魔なもの全てを……憤怒の黒炎でもって滅ぼしてくれるでしょう」

「しかし、本当にうまくいくのでしょうか?」

「彼がヴライの仮面を被っていてくれたことが幸いとなりました……彼の魂――人格は、きっと良く馴染むことでしょう。心配ありませんよ」

 

 デコポンポはハクが逃げ果せたことも知ったが、同時にハクが未だ危険な状態であることを理解した。

 そして、不安になる。なぜ、ウォシスは儂の牢の近くでこんな話をしているのか。

 

 こつこつと、奥から足音が近づいてきて、デコポンポの牢の前にウォシスが立つ。

 

「今日は、デコポンポ殿」

「……わ、儂に何の用にゃも」

「実はこの粗野な蟲、三つ程ご用意していたのですが、マロロの御家族に二つ使ったはいいものの、一つ余ってしまったのです」

「……そ、それがどうしたにゃも」

「……ライコウはもうあなたに興味がない様子。でしたら、私があなたを使いましょう。使い捨てられる手駒は多ければ多いほど良いですからね……」

「や、やめるにゃも……や、やめ……!」

 

 ぎちぎちと鳴く蟲が、デコポンポの体を蝕んでいく。

 

 ――今まで八柱将として好き放題してきた報いが、これなのか。

 

 劈くような悲鳴すら届かぬ深い地下の牢獄の中で、デコポンポの意識は闇へと落ちた。

 




ライコウは操り人形としてではなく、自らの仲間としてハクを欲しいと感じた。だからこそ、本心ではオシュトルの元に戻った方が良いと考えているハクにミカヅチは忠告した。逃げられるものも逃げられなくなるぞ、と。
恐るべしハクの人たらし技よ。

そしてそんなの関係ねえとばかりに余計なことをするウォシス。

操り人形、仮面形態デコポンポ。

マイペースなフミルィル参戦。

そんな複雑な人間関係で構築されていく次話以降をお楽しみください。

ただ、今回は急いで挙げた話なので、この話は、後日加筆修正する可能性があります。
その際は、前書きにその旨を掲載しますね。


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第二十話 炎に目覚めるもの

お久しぶりです。
お待たせして申し訳ない。ナコク編スタートです。


 帝都会議室。

 ここにウォシスを呼び出したのは、訳がある。

 

「……ウォシス、何故奴を逃がした?」

「……それは、どういう意味でしょうか?」

 

 ウォシスは一瞬怪訝な様子を見せたが、すぐに元の薄い笑みへと表情を変える。

 

「俺が気づかぬ愚者と思ったか。貴様は鎖の巫女を捕えられると豪語し、あの三人をつけたのではなかったか?」

「しかし、ライコウ様。ミカヅチ様と渡り合え、しかもこの城内から単身逃げ切ることができる存在など予測できましょうか。もしいることがわかっていれば、私もそれなりの対策はしたつもりです」

「鎖の巫女を誘き出すという貴様の策。確かに認めはしたが、俺は結果を求める。ただ単に奪われただけなのか、それとも一矢報いたのか……どちらだ、ウォシス」

「……奪われました」

 

 表情も変えず、そう告げるウォシス。

 悪びれる様子もない。

 確かに俺も警戒し、独自にミカヅチをハクの監視につけていた。それでも奪われたのだ。これ以上の責任を追及することは難しい、それをこいつはわかっている。

 

「……失った采配師の代わりとしてナコクへ行け。我が愚弟は貸してやる。どのような手段でも構わぬ。橋を落とし、ハクと鎖の巫女を捕えよ」

「……は」

 

 ウォシスは静かに頷くが、その足は動かない。

 

「どうした、ウォシス」

「ライコウ様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何だ」

「なぜ彼にそれほどの執着を? オシュトルの部下、一介の武人に過ぎぬ彼を」

 

 答えるかどうか迷ったが、それを聞かねばウォシスの足が動かぬというのならば、聞かせても構わないだろう。

 

「奴が異質だからだ」

「異質……とは?」

「この世界で長年生きている者は、種族意識、身分階級、欲……この世界にある、形のない常識、柵に囚われている。しかし、奴にはそれがない」

「このヤマトの者ではないと?」

「いや、それどころか……まるで、突如この世界に現れたように――無頓着だ」

「……」

「実際、奴が帝より鎖の巫女を賜った時、奴の足跡を調べ上げた。が、必ずぷつりと途切れる。過去の判らぬ超越者。いや、浮浪者か、歌舞伎者……兎にも角にも、浮世人とはああいう者を言うのか、他とは違う視点を持っている。高みから見下ろす様な何かをな」

「しかし、それほどの他者と外れた存在、扱いきれるのですか?」

「俺を軽視しているようだな。ウォシス」

「……申し訳ありません。しかし、あなたの信条に反しているように思われるのですが」

 

 己が従順な駒となる者しか信用しない、ということを言っているのだろう。異質な存在は排除したいと考える筈と思ってのことか。

 

「奴は確かに異質だが……この世界をまるきり知らぬというわけでもない。軍策や基礎知識は俺の将としては及第点だ。たとえ敵の懐であれ、奴にとって最善の策を見抜いている」

 

 そして、これこそが、奴を逃がしたくない最大の理由。

 

「我々は物乞いではない。ただ与えられ子どものようにはしゃぐ時代は終わる。橋が必要なら自らの力で作りださねばならぬ……それこそが正しいヒトの在り方」

「……それは、承知しております」

「我らの時代に必要なものを見抜き、新たに作ることができるもの。これからの執政では、俺に従順な者だけでは成り立たぬ」

「……」

「俺と同じものが見える奴は必要ない、なぜなら俺だけで事足りるからだ」

 

 帝の手を離れたヤマトを、どう導いていくか。それは、俺だけでは決して良い方向へとは向かぬ。俺は戦乱を望みし、弱肉強食の将。俺だけでは為せぬこともあるということだ。

 

「俺には見えぬものを見つけ、触れられぬ、届かぬものを掴める人材……それを集めねばならぬ」

「……ではあなたにとって彼は必要な存在であると……?」

「そうだ。そして、ハクだけではない。あの橋を砕かねば、前帝の絶対的な権威は砕けぬ。新たな時代の到来に必要なことだ……必ず遂行せよ」

「……あなたがヤマトの民を覚醒させ、帝の揺り籠を奪うものとなるため必要なこと……ということですか。それでは、あなたの命令通り……行動致しましょう」

 

 満足そうに頷いた後、闇へと消えた。

 

 ハクよ。今しがたの自由を謳歌するがいい。次に捕えたとき、貴様は必ず我が参謀とする。取り急ぎ、貴様の逃げ道を塞ぐとしよう――イズルハを動かす時が来たということだ。

 それでもオシュトルに義理があり従わぬというなら、オシュトルを滅ぼしたのちに従わせよう。

 以前より帝に重用され、その後継を擁したオシュトルをねじ伏せた、その時こそ――我らは真の意味で帝の揺り籠から巣立つことができる。

 絶対的な存在から示されることのない国、その行く末をどうしていくのか。あの柔軟な発想を持つ男は是非とも手元に欲しい。

 

 そして次は、互いの思考を知り得たうえで、本当の決戦が待っている。

 

 待っていろ、ハク。

 再び完勝を以って貴様を屈服させてやろう。

 

「貴様にナコクが……あの橋が護れるか?」

 

 顎に手を当てると、自分でも気づかぬうちに、笑みを浮かべていた。奴自身の足掻きを、奴がどう対策してくるか楽しみだと感じているということか。

 

 盤面の地図にある白駒をナコクの位置に置き、倒す。

 

 今は、敵として対峙してやる。だが、もし俺が失望するような策をもう一度見せれば――

 

「――次はないぞ」

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 イズルハ国、現朝廷側宣言。

 その報は瞬く間にヤマトを駆け、潜伏して逃げる機会を窺っていた自分の耳へと届く。その時に、ライコウによって自らの逃げ道が塞がれたことに気付いた。

 

「仕方がない。ナコクへ行く」

「……それがいいかな」

 

 イズルハが明確に朝廷側と宣言したことで、金印を用いた脱出は不可能である。帝都では前帝の紋所の入った金印――クオンがトゥスクル皇女より借りてきたそうな――と鎖の巫女の力により脱出が成功した。が、此度のライコウの策により、イズルハを金印と鎖の巫女の力で強引に突破するには些か難しい。

 

 また、クオンからの情報によれば、エンナカムイの国力は著しく低くなったようである。裏切りの汚名による求心力の低下、そして皇女さんの体調不良も重なったことで、打って出ることも難しく、また周囲の国の誤解を解くこともままならない状態であるのが理由らしい。

 イズルハの敵対した今、国境付近での小競り合い等も予想される。警戒も厳としている筈だ。エンナカムイにいる仲間たちに自分の無事を知らせたいところだが、それは叶わないと思った方がいい。

 

 それならば、動乱の当初から朝廷に与せず、皇女さんを支持しているナコクへと入り、ナコク皇への交渉の元、船での移動が望まれる。まあ、船で移動するならば、シャッホロ――アトゥイの父を説得できるか否かにかかってしまうが。中立、不干渉宣言であるシャッホロであれば、敵対宣言してしまったイズルハと朝廷による国境線包囲を強引に通るよりは交渉次第で望みがある。

 勿論、自分を逃がさないための策略であることは理解している。これまでナコクは帝都を挟んだ反対側の国として、連絡を取ることもできなかった。ナコクもまた裏切る可能性を否定はできない。しかし、それならば自分にナコクを落とす算段を取らせたのもおかしな話だ。

 

 ナコクとの交渉には、オシュトルと周辺諸国の協力を得た後で、海路を使うことを提案していた手前、早すぎる来訪ではある。

 しかし、あわよくばナコクを同盟国として守り密なる関係を築くことができれば、これから朝廷はナコクとエンナカムイの両方に兵を割かねばならず、弱体化させられる。

 

 ――それに、旅の道連れが何故か一人増えたし、無理はせんほうがいいだろう。

 

「クーちゃんが行くというなら、私もいきますね」

「は、はあ……」

 

 あれから、フミルィルという女性は、クオンの傍を離れない。

 逆に、殴ってきた――自分を救いだした男は、未だ姿を見せない。クオンは逃げ切ったと確信している様子だったが、ならばなぜ姿を見せないのか。

 その理由としては――怪我を見せたくないんじゃないかな、とのことだが、怪我なら余計に薬師であるクオンの前に現れるべきである気がする。

 傍にいたフミルィルもまた――おじ様はクーちゃんに弱みは見せたくないのです、ということでクオンの言に追随する。

 まあ、他人には判らぬ矜持があるのだと納得することにした。

 

「一度このヤマトをクーちゃんと一緒に見て回りたかったんです~!」

「そ、そうだね、フミルィル」

 

 朗らかな笑顔で、そうクオンに話しかけるさまは、仲の良い姉妹のようだった。ただ、フミルィルという女性は、国ではクオンのお付きをしていたようだ。

 しかし、御側付というには気品というか、色気というか、色々ありすぎるのだった。

 クオンの話では、傾国の美女であるとかなんとか。そんな含みを孕んだ女性には見えなかったが――これまでの旅路でまさに実感しているところだった。

 

「あっ……」

「おっと、大丈夫か?」

 

 ――ふよん。

 突然バランスを崩したフミルィルを支えようと手を伸ばすと、ずっしりとした重みと豊満な感触が掌を支配する。

 

「い、いや、これは、何も疚しい気持ちでこうしたわけではなくてだな。こうやって何もないところで転びそうになるのは何度目やら、支えてあげないと怪我でもされたら困るということでな」

「あらあら、ありがとうございます。ハクさま」

「あ……す、すまん」

 

 掌の感触から逃れようと手を離そうとするのだが、フミルィルは気にした風もなく体重をかけたままである。ぐにぐにと余計に押し付けられる圧倒的な質量が、形を変えて襲ってくる。

 

「ハ~ク~? フミルィルに手を出したらダメっていったかな……!」

「あがががが」

 

 尻尾でぎりぎりと頭を締められるのも随分久々だが、流石に理不尽だろう、それは。

 

「英雄色を好む」

「伽の相手は多いほど、主様には相応しいことです」

 

 双子の抑揚のない呟きが漏れ聞こえてくる。

 

 ――お前達の中では自分はどれだけ節操がないんだ。

 

 そんな突っ込みを入れ乍ら、意識を闇に手放すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ナコクの首都ナァラと隣接しており、海に浮かぶ朝廷とナコクを結ぶ白磁の大橋。

 ここは、帝――つまり兄貴が一晩で作り上げたものらしい。

 

 ナコクとヤマトを繋ぐ橋。その昔、帝都の近くにありながら海で遠く隔てられていたが、海には禍日神がおり、船で渡ることができなかった。そのため、陸路を使い険しい山を越えなければならなかったという。

 そこで、遥か昔のナコク皇子は、シャッホロの助力を得て禍日神退治に赴き、見事退治したそうだ。

 当時の帝――つまり兄貴は、そのナコク皇への褒美として、この大橋を作ることを約束した。ナコクにとっては、帝都と直接行き来できる橋こそ、先代帝が祖先の願いに答えた証だということになる。

 

 しかし、一晩ってのは……多分面倒くさいから自分たちの技術を使ったんだろうな。まあ、裏がどうあれ、ナコクの者達にとって、この橋は命より大事なものなのなのだろう。

 

 そんな考えを回しながら、大橋にある検問を行商人に紛れて通過する。そしてナコクへと急ぐ傍ら、ある不穏な空気を感じ取った。

 

「わかる? ハク」

「ああ、戦の匂いだ」

 

 行商人が緩やかに馬車を引く速度に抗うように、馬に乗った兵たちが慌ただしい様子で帝都の方へと駆けている。

 

 橋は地図に線で刻まれるほど長い橋だ。ゆっくり歩けば一日は消費するくらいに時間はかかる。しかし訓練された馬ならば、すぐさま橋を渡りきることができるだろう。

 朝廷の調練を見ている身として、もし今朝方にも行軍開始であれば、自分たちがナコクの皇に挨拶する頃にはこの橋に陣取っているだけの練度はある。だが、こちらも急げば間に合わせられる筈。

 

「急いだ方がいいかな」

「ああ、そうだな」

 

 カルラさんから借り入れた馬車に鞭打ち、首都ナァラへと急いだ。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 橋を渡りきれば、正面には防衛向きの砦が覆っていた。しっかりとした攻城兵器でもなければこの砦は落としきれないだろう。

 しかし、巨大な城門は空け放たれ、来る商人達を受け入れていた。これでは防衛も何もあったものではない。

 とりあえず、入国許可受付の近くにいた身分の高そうな兵士を探し、声をかけた。

 

「ナコク皇への面会だと?」

「ああ、こう伝えてくれ。エンナカムイよりの使者だと」

「……何か証明になるものはあるかね?」

「先代帝の金印、これが証拠だ」

「!! 了解した。直ちにお伝えしよう」

 

 流石兄貴の金印、やはり効力はある。もはや遥か昔にいた爺さんの印籠みたいだ。

 問題としては、この金印を使った形跡を追われれば、ライコウに居場所を知られてしまうといったところだろうか。

 自分がナコクにいることを知られれば――いや、もう知られていると考えた方がいい。

 

 ――直ぐにでも追っ手が来る。

 つまり、早駆け部隊であるミカヅチが。そして、操るのは神速のライコウ。城門を直ちに閉め、戦の準備をしなければ太刀打ちできないだろう。

 

「お待たせした、皇が会われるそうだ」

「ありがとう、遠慮なく入らせてもらう。ああそうだ、これは忠告だが、朝廷軍が早々に攻めて来る筈だ。門はいつでも閉められるようにしておいてくれ」

「は、はあ」

 

 門兵にそう伝えるが、いまいち信用されていないようだ。やはり、皇に直接会って話をしなければ。

 クオン達を連れて入るため、馬車の中へと声をかける。すると、フミルィルが降りた瞬間に兵士達から溜息が漏れた。集まる熱い視線にフミルィルは全く気付いていない。

 

 ――傾国の美女、ねえ。

 

 確かに、これだけ魅了しちまうのも問題だな。

 

 そして集まる嫉妬の視線。これは、自分に向けられているようだ。

 理由としては多分、クオンにウルゥルサラァナに、フミルィルを脇に従えていることだろう。男は自分一人なのに、他は黙っていれば美女揃いだからな。

 

「ど、どうぞこちらへ。馬車は私どもの方で管理いたします」

「ああ、ありがとう」

 

 羨望と嫉妬の視線を浴びながら、城内を歩く。

 しかし、男性兵士の情熱的な視線だけはフミルィルが独占していた。

 

「やっぱり……完敗かな。ね、ウルゥル、サラァナ」

「私達は主様専用」

「主様さえ私達を見てくれれば構いません」

「そ、そう……」

「皆さん何のお話をしていらっしゃるんでしょうか?」

「……自分に聞くな」

 

 フミルィルも自分のことだとは露知らずなんだろうな。しかし、耳打ち話なら、もっと聞こえない音量で喋ってくれんもんかね。

 案内役が絶句しているじゃないか。

 

 緊張感も全くないまま、謁見の間まで通される。

 

 そこには、ナコク皇、そしてその横には、ナコクの大臣達が並んでいた。

 圧倒されることなく堂々と部屋の中心に赴くと、ナコクの錚々たる面々が、こちらの姿を見て驚きの声を挙げる。

 

「おお……その仮面は正しく」

 

 ざわざわと広がるどよめき。

 なんだなんだ、美女を侍らせているから注目されているのかと思ったら、この仮面だったのか。

 

 暫く開口の機会を窺っていたところ、一人の青年が前に進み出た。

 

「お初にお目にかかります。私はナコクの皇子イタクと申します。失礼を承知で伺いたい、貴殿がハク殿でありましょうか?」

「そ、そうだが……」

 

 まさか……とか、あの囚われの筈の、とか色々小さなざわめきが漏れ聞こえてくる。

 

「やはりそうでしたか! ご無事で何よりです。オシュトル殿から既に文にて伺っております。我らがナコクへようこそ!」

 

 その後、謁見の間よりさらに奥の会議室へと案内される。真に信頼できるものだけを集めたという面々の中、会議室にて知らされた顛末はこうだった。

 

 数日前に、エンナカムイの使者を名乗る者より文があったと。

 そしてその内容は、裏切りの汚名を着せられ、多数の血を流したルモイの惨劇、その真実が書いてあったと。

 ハクという、亡きヴライの仮面を引き継いだ仮面の者。エンナカムイの重鎮であり、聖上の信任を得ている漢が、ライコウによって虜囚の身へと落とされたこと。

 しかし、ハクは必ず脱出し、ナコクへと赴くこと。その際の、ハクの安否確認、扱い等の願い。そして、その対価としての聖上傘下への加入、ナコクで起こるであろう来るべき戦への派兵等が書いてあったそうな。

 

 流石オシュトルというべきか。自分が救出された際に、ライコウが取るであろう最悪の手を予想していたのか。

 

「しかし、わからないことがあります。ナコクで起こるであろう戦とは何なのか、です」

「……それは、朝廷軍が今にも戦争を仕掛けてくることだ」

 

 ざわざわと動揺が広がる会議室。

 

「これまで日和見であった朝廷軍が、我が国を?」

「しかし、朝廷の目的は? 我らに対して宣戦布告すらせず、戦を仕向ける程の理由はあるのか?」

「理由としては三つある……一つは、この国がエンナカムイを攻めるうえで挟撃の危険があるため、後ろを絶っておきたいということ」

 

 この理由に関しては、先方も予想しているだろう。それどころか、時期がくれば挟撃の作戦も考えてくれていた筈だ。ナコクが朝廷にとって目の上のたん瘤であることは間違いない。

 

「そして二つ目は、自分が逃げ出した先がナコクであることを知られていること」

「ハク殿は、我らナコクが必ず守ります。ご安心ください!」

「すまん、火種を持ちこんじまって。しかし、次が一番奴にとって大きい理由なのかもしれない」

「それは?」

「三つ目、ライコウの最大の思惑は、先代帝の庇護下から抜け出そうとすることにある」

「そ、それは、どういう……」

「先代帝がヤマトに残した遺産を捨てること、つまりあの橋の破壊を意味する」

 

 ざわめきが会議室を支配する。

 疑問を口にしたのはナコク宰相。

 

「なんと……それは真なのか?」

「あの橋は壊れぬ、それでも壊すというのか?」

「やると言えばライコウは必ずやる。あの橋こそが、ライコウにとっては帝の絶対的な力の証。甘やかされ、庇護されてきた証明であり、無力で無知なヒトの象徴とまで評した」

「な……ならば奴は、前帝の象徴を破壊した上で、ヤマトをどうする気なのだ?」

「ライコウによれば……ヤマトは、強国でありすぎたと。本来であれば、国は勝者が勝ち取るもの。ヤマトは帝の力によって、ずっと庇護されていただけだった。だからこそ、これからは誰かが勝ち取らねばならない。それが自分だと信じているんだろう」

「そのための、動乱というわけか……」

「この動乱で勝ち残るには、ナコクとエンナカムイが同盟を結び、帝都を挟撃されることは是が非でも回避したいだろう。しかし、ナコクにとってみれば、あれは命より大事な橋、ナコクとの交渉次第でどうにかなるものじゃない。であれば、無理にでも破壊する。ライコウは自らの野望のためなら、手段は選ばない。警戒しておくに越したことはない」

「ならば、尚更軍を動かさなければなりません、父上!」

 

 自分の言葉と、イタクの鶴の一声により、ナコク皇も首を縦に振らざるを得なかった。

 

「城門を閉じる。直ちに戦闘態勢に入れ」

 

 皇の言葉が謁見の間に響いたその瞬間。会議室の扉が空け放たれ、敵襲を知らせる兵が飛び込んできた。

 

「報告します! 朝廷軍と思わしき騎馬隊がこちらへ向かっているとのことです!」

「何だと!?」

 

 やはり来たか。

 

「数は!?」

「僅か三十騎程ですが……先頭には――」

「――ミカヅチか!」

 

 想定より遥かに早い。

 

「とにかく閉門だ!」

「そ、それが、朝廷軍の進軍によって怯えた商人たちが我先にと門へと殺到し、門が閉められず……!」

 

 おいおいおい、まじか。

 締めだすにしても、現場の判断で決められなかったってことか。

 

「何をしておる! 早々に門を閉めよ! とにかく門を閉めねば、さらに多数の犠牲が出る!」

「は、はッ!」

 

 会議室の扉が再び空け放たれ、兵が走っていく。その奥から、遠くから悲鳴や怒号が響いてくる。

 

 間に合うか――。

 

「ハク!? どこに行くの!?」

「外だ外!」

 

 門が閉まる様子を見ようと、自分も外に飛び出る。

 

 門を見通せる位置まで走ると、丁度城門を閉めようとしているところだった。商人たちが流れ込もうとする中でも、無慈悲に門が閉じていく。

 しかし、この速さであれば、未だ遠くにあるミカヅチ軍は入ってこられないだろう。まさかミカヅチといえども、戦に関係のない商人たちを蹴散らしてまで――そう考えていた矢先、青い閃光が周囲を照らした。

 

 ミカヅチより放たれたそれは、遥か遠方にある閉まりかけた門を穿つ。

 

「おいおい、嘘だろ――そこまでするのか……ミカヅチ」

 

 数多の悲鳴。焼焦げ倒れ伏す人の匂い。

 一直線に伸びた雷が、門に殺到する罪なき者共々、城門を破壊し尽くした。

 

 実感する。

 正しく、情け容赦のない戦が始まったのだと。

 

 文字通りの電撃作戦。ライコウの言葉に偽りなし。正しくミカヅチ一人で千騎に値する。

 

「主様」

「ここは危険です。南へ」

「いやいや、しかしだな」

 

 追っかけてきた双子が道を作り、早々に逃げようとするのを止める。

 ここで逃げると、オシュトルへの集信が揺らぐ。

 

 しかし、そんな考えをする間に、再びの爆音。

 

「接敵――ッ! ぐあああっ!」

「弓矢で迎撃――ぎゃああっ!」

 

 門を突破され、門内の兵士達――いや民間人もお構いなしにミカヅチ部隊はナコク兵を刈り取っていく。

 これ以上混乱を拡大されれば、後続部隊が到着し次第全滅する。

 

 ――使うか?

 

 頬を撫でるように、仮面に手を当てる。

 

 仮面は何をしても顔から剥がれず、骨に食い込んでいるということで、外されることはなかった。その代わり、力を解放しようとすればすぐに止められるよう監視者が常にいることになってしまったが。

 しかし、今は僥倖。仮面の力があれば、ミカヅチとも渡り合えるかもしれない。

 

「ハク! ナコク皇子から話があるって!」

「何?」

「ハク殿、其方はエンナカムイの重鎮と聞く。其方を南へと逃がす。こちらへ!」

「ちょ、ちょっと待て。ミカヅチを抑えられるのか?」

「ナコクを甘く見ないでいただきたい。それよりも、ハク殿をナコクで失えば、オシュトル殿と姫殿下に申し訳が立たぬ。護衛は付けられませんが……今ならばまだ間に合います故、即刻退避を!」

 

 これだけの混乱の中、自分たちを逃がすだと?

 いや、今は言葉に甘えたほうがいいのかもしれない。こんな城下で仮面の力を使えば、それこそ城は破壊し尽くされ、朝廷の後続部隊を対処できなくなる。

 

「……わかった。お言葉に甘えさせてもらう」

「この文を! 我が叔父ソヤンケクル殿に渡せば、船を出してくれることだろう」

「何、叔父だと?」

「はい。イタクの名を出せば、信用される筈。お急ぎください!」

 

 ソヤンケクルといえば、確かシャッホロの皇。アトゥイの父だ。

 

「ということは、アトゥイの従弟なのか、お前は」

「アトゥイさんを知っておられるのですか!?」

「知っているも何も、帝都時代からの仲間だ」

「そうか、アトゥイさんはエンナカムイにおられるのか……そして、ハク殿は重鎮……であれば」

 

 ぶつぶつと何かを悩み始めるイタク。

 しかし、再びの爆音に決心がついたようだ。

 

「……ハク殿、あなたに頼みたいことがあります」

「何だ? 伝言なら任せろ」

 

 その程度なら、戦働きよりは楽な仕事だ。

 

「アトゥイさんへの伝言は……あの約束を果たしに行くとだけ、お願いします」

「わかった、伝えよう」

 

 何の約束だか知らんが、アトゥイは約束をよく忘れる。少し心配になり詳しい内容を聞いておきたいが、生憎そんな時間はない。

 

「そしてもう一つ頼みごとがあります。宝玉……天ノ御柱によって、あの橋は保たれている。これを護っていただきたいのです」

 

 イタクの懐より差しだされたのは、この国の命といっても過言ではない宝だった。

 

「何だと? そんな重要機密を喋ってもいいのか?」

「はい、貴方自身と、アトゥイさんの名前を出したことで、信用できる方だと判断しました。これが朝廷の手に渡りさえしなければ、あの橋は破壊されることはない。この宝玉を、アトゥイさんに渡していただけますか?」

 

 後者の理由のほうが大きい気もするが。まあいいだろう。

 エンナカムイの名を出した時の対応と言い――普段ならもっと警戒してもらった方がいいんだが、今だけは救いだな。

 

「わかった、必ず渡そう」

「ハク! ミカヅチが私達を探している! 急いで!」

「裏門への道を案内します。こちらへ!」

 

 剣戟の音を背後に、城下を駆ける。

 

 裏門には馬が用意されており、それに飛び乗りながら振り向くと、イタクは剣を手に元の道を戻るところであった。

 

「イタク、お前は来ないのか!?」

「父が戦っております! ハク殿達だけで港まで行ってください! 御武運を!」

「……わかった。もしエンナカムイまでつけば、援軍を呼ぶ。それまで死ぬなよ!」

「忝い!」

 

 そして、イタクは姿を消す。

 これでよかったのか。いつもの自分なら逃げの一手を打つのに躊躇いはない。しかし、今は力がある。なのに、逃げるのか――。

 

 ――ェ。

 

 何だ、頭が重い。頭痛がする。冷静な考えが浮かばない。頭が煮えたぎる。一体何だ。

 

 ――カエ。

 

 何の声だ? 忘れたくとも忘れられぬ、聞き覚えのある声――。

 

「――ハク?」

 

 いつのまにかクオンが心配そうに覗きこんでいたようだ。

 

「いや、頭が少し痛んだだけだ。大丈夫、急ごう。場合によっては、シャッホロにも援軍を求められるかもしれない」

 

 叔父なら、見捨てることはしないだろう。

 だが、それまでにナコクが滅びてしまえば、話は変わる。見捨てる形で逃げているんだから、報復もあるかもしれない。

 いや、そんなことはないか。アトゥイの父だし……駄目だ、頭が回らない。何だ。どうしたんだ。冷静になれない。

 

「とにかく、行くぞ!」

 

 今はとにかく、ナコクが耐えてくれるのを祈るしかない。

 四人と三頭の馬で、港までの最短距離を駆け抜けようとした――。

 

「――ッ!? ハク!? どうしたの!?」

 

 まるで火傷のような熱さに、思わず頭を抑える。いや、違う。熱いのは頭じゃない、仮面だ。

 目の奥が煮えたぎる。痛い、熱い、痛い、熱い。何だ、何を伝えようと――。

 

 ――カエ。

 

 何だ、何の声なんだこれは。

 お前は――誰だ。伝えたいことがあるなら、もっとはっきり喋ってくれ!

 

 ――戦エ!!!

 

「――ッハク!? どこに行くの!?」

「「主様!?」」

 

 馬を反転させ、元来た道を駆け抜ける。

 風景は赤く濁り、まるで自分の体でないような感覚。焦燥感、そして――闘争心。

 

 ――ミカヅチ……奴と……戦い、ヲ……ッ!!

 

 誰かの声がはっきりと聞こえた瞬間から、己の心は己ではないものに支配されていた。

 紅蓮の炎が己を包む。

 

 

 

 炎ニ目覚メヨ……命燃ヤシ尽クスコトヲ覚エヨ……戦イヲ、求メヨ……我ハ――

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「愚かな朝敵どもは、このミカヅチが悉く討ち滅ぼしてくれよう! お前達ごときでは相手にもならん。悪足掻きをやめ、直ちに投降せよ!」

 

 目的を探す通りすがりに数多の首を跳ね、焼き焦がし、蹴散らす。背後をちらりと見れば、三十騎の半数が既にやられている。しかし、向こうもそれ以上に被害を負っている。

 引くなら今だが――。

 

 数多の敵を切り伏せ乍ら、ウォシスからの命を思い出す。

 

 ――あなたの役目は、ハク殿を取り戻すこと。そして、宝玉を手に入れてくることの二つです。

 ――俺一人でか?

 ――はい。それに二つといっても、うまくいけばハク殿を攫えば宝玉も手に入るかもしれません。

 ――なぜだ?

 ――そのように策を討つからです。まずは、哀れな商人たちをナコクへと大量に派遣し、それを追うように派兵します。商人が門に殺到すれば、閉門はままならぬでしょう。そのまま、あなたは城内の攪乱をすれば、ハク殿はさらに南へと逃げる筈。

 ――それで、宝玉は?

 ――間者に、進言させましょう。奪われる危険性を限りなく減らすため、ハク殿と共に南へ逃げるようにと。そうすれば、二兎を追う手間は省けます。

 ――承知した。死人を見繕え、早駆けができ、死んでもいい奴を。

 ――三十ほどで構いませんね?

 ――ああ、ナコク占領は後続部隊に任せる。奴は任せろ。

 

 目前を塞ぐ槍兵の塊を、雷撃でもって粉砕する。

 

「――これがヤマトに従わぬ者の末路だ!」

 

 ハクを追うならば、防御の厚い方へ行くしかない。つまり、少しでも騎が多いうちに無理にでも突破するしかない。

 

 ミカヅチの後を、一心不乱に追う部下たちの為にも、敵を切り伏せることより、雷撃で道を作ることを優先して城内を駆ける。

 しかし、犠牲を払いながらも到達した道は、ハクへの道ではなかった。もう一人の、この国が絶対に護らねばならない者への道。

 

「……久しいな、ミカヅチ殿」

「ナコク皇か、今は貴様に構っている暇はない」

「ほう、ミカヅチ殿にそう言われれば、老体に鞭打ち出陣した甲斐がありますな……どうやらこの国の皇以上の存在を追っている様子。であれば、命を賭して道を塞がねばなりますまい……」

「ふん、皇が命を捨てるか」

「我が国は、儂が死んでも皇子がおります故――ミカヅチ殿には儂の命と引き換えに散ってもらいまする」

「抜かしたな……!」

 

 真剣勝負するつもりは更々なかったが、ここまでの覚悟を示されれば、戦わずして逃げるのは武人失格であろう。

 

「左近衛大将ミカヅチ、参る――ッ!」

 

 一閃。

 騎馬を走らせながら、ナコク皇の大槍ごと薙ぎ払い、肩から胸にかけて傷を負わせる。ナコク皇は反応すらできなかったようだ。致命傷は避けられたものの、もはや動くことは叶わぬだろう。

 

「ぐ――っ、流石、ヤマトに双璧ありと言われた漢……儂の全盛期ですら、遠く及ばぬほどの力……か」

「皇子とやらに遺言はあるか」

「ふ、ミカヅチより討たれること……悔いはない」

 

 力を抜いて崩れ落ちるナコク皇に、とどめを刺そうと振りかぶると、殺気を感じ背中に剣を構えた。

 

 背後からの攻撃を、ぎぃんと金属音を響かせながら、弾く。強襲してきた男の正体は――

 

「――父上! 助太刀に参りました!」

「――イタク!? 何故来た! 其方も共に逃げよと言った筈!」

「この国の皇……父上を見捨てられるものですかッ! 私も戦います!」

 

 そう叫び、槍を構えるイタク。

 いい覇気だ。後十年もすればこのヤマトの十指に入るやも知れぬ才能を持っている。

 だが、目の前にいる男は、まだ青い。

 摘むのは武人として心苦しいが、致しかない。

 

 どの道、ナコクを滅ぼさねば、朝廷は常に挟撃の危険に晒される。であれば容赦はしない。たとえ、それが帝の愛した国であっても、俺は滅ぼさねばならない。それが、亡き帝の最後の願い。

 

「左近衛大将ミカヅチ、相手にとって不足なしッ! ナコク皇子がイタク、参るッ!」

 

 渾身の突き。俺がまだ兄貴と違う道を選ぼうと模索し、愚直な剣を振り続けていた頃と似ている。

 

 つまり――甘いということだ。

 

「ぐっ――!?」

 

 イタクの槍を半ばから切り落とし、空いた腹を蹴り上げる。

 宙に浮いたイタクは、もう逃げられない。

 

「イタクッ!?」

 

 ナコク皇が叫び庇おうとするも、もう誰も間に合わない。

 どの道、味方が敵兵士を抑えきれなくなる前に、決着をつけねばならない。

 

 ――ナコクは、今滅びる。この二人の死を以って。

 

 剣を構え、神速の雷撃でもって二人を焼き尽くそうと――。

 

「――ッ!?」

 

 嵐のような炎風、黒々とした炎の壁が、目前のイタクを覆い隠す。

 

「貴様は――!?」

「久しぶり……でもないな、ミカヅチ」

 

 そこには、闇が漏れだしたような黒炎を纏う、ハクの姿があった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「こ、この炎が……これが、仮面の者――オシュトル殿に真の忠臣とうたわれたものの力か!」

 

 イタクの驚愕の叫びも、己の心に届かない。

 

 ミカヅチか、さっさと逃げるに限るな――なんて、普段なら思うはずが、逃げようとしていた体が動かないのだから仕方がない。

 それどころか、逃げようとする心に反して、体は熱く、煮えたぎっていく。

 自分の足が、勝手にミカヅチの元へと動く。自然と鉄扇を構え、一歩一歩近づいていく。前に進むごとに、足に触れている土は炎へと塗り替わっていく。

 

「お前と闘うために、戻ってきたぞ」

 

 冷静な頭に反して、闘争を求める言葉を嬉々として選ぶ。

 

「いい度胸だ……貴様がこの俺に戦を挑むとはな。だが、貴様はナコク皇と皇子の二人が、命を賭して稼いだ時間を無駄にした」

「どうかな」

 

 挑発めいた言葉まで出る。

 何故だ、何故こんなにも自分らしくない言葉が出る。

 案の定、ミカヅチの額には青筋が見える。だが、安い挑発には乗らないのだろう。冷静に剣をこちらに向けて構えている。

 

「……貴様を兄者の元へと連れていく。後悔するな」

「できるものなら――なッ!!」

 

 鉄扇で周囲の黒炎を操り、騎乗のミカヅチに向けて放つ。

 ミカヅチは咄嗟に身を翻すが、間に合わないと悟ったのか馬を捨てて飛び上がる。

 

 龍のように駆け抜けた黒炎が、逃げきれなかった馬に直撃した結果、馬の姿が跡形もなく蒸発した。

 

 ――なんて威力だ。

 

「な、なんという威力……!」

 

 自分の心の声と、イタクの驚愕以上に、ミカヅチも想定外だったのだろう。

 困惑の表情で以って、自分と対峙した。

 

「この威力、ヴライと同等の――貴様、根源の力を引き出しているのか!? ならば――」

「解放させるかッ!!」

「――ぐッ!!」

 

 仮面に手を当てたミカヅチに対し、拳より炎弾を飛ばして阻止する。

 こんな民間人もまだ避難できていない場所で力を解放した姿になってしまえば、ナコクは崩壊する。ミカヅチにも解放を許すわけにはいかなかった。

 

 ミカヅチは、解放阻止の炎弾を弾き飛ばしながら、自分との距離を神速で縮め、その勢いのまま大剣を振り下ろしてくる。

 その剣を鉄扇で軽々と受け止め、振り払うように弾き返した。弾き返されたミカヅチは、大きく仰け反り、一尺ほど後退する。

 

「!? な、に――貴様、これほどの力をいつの間に……!」

「悪い、何か知らんが使えたんでな!」

 

 あり得ぬ力であることは己が一番理解している。あのオシュトルと同格のミカヅチの剣を軽々振り払うことなど、自分には出来よう筈がないのだ。

 この力がタダで使えるものだとは思っていない。この黒炎が自らの体から漏れ出るたびに、自らの破滅が近づいていることも、ひしひしと感じている。

 

 何が原因か、要因かもわからぬままに戦っている――いや違う、何かに戦わされているのだ。その何かは、勝手に自分の命を使って戦っているだけだ。これは、自分の力、自分の意思じゃない。

 

 ――さっきからずっと頭に響いている叫び声に、もう、自分の意思では逆らえない。

 

 しかし、ミカヅチと渡り合うためには、この力は利用しなければならない。その想いが、さらに己の頭を熱く煮えたぎらせる。

 

「――ぐっ、何とッ!」

「どうしたミカヅチッ! その程度か!」

「抜かせェッ!!」

 

 渾身の力で斬り合うたびに、黒炎と雷撃が周囲を飛び交う。

 ちりちりと互いの身を焼き焦がしながらも、己の心は快楽に支配されていた。斬り合うことがこんなにも楽しいなんて、初めてだ。

 

「――はははっ、ははははははっ!!」

「貴様――狂ったかッ!」

 

 未知数の力に酔い始めている。もっと、もっとだ。

 自分ではもう止められそうにない。何故なら、今の自分は――。

 

「むッ、これは――!?」

 

 黒炎が周囲を走り、自分とミカヅチだけを囲む炎の檻を作る。

 絶対に逃げられぬよう、飛び込めばすぐさま蒸発するであろう炎の壁。炎の檻の向こう側が見えないほどの分厚い炎が自分たちを包んでいる。

 唖然とその光景を見やるミカヅチに、言葉を投げかける。

 

「さて、互いに逃げられなくなったところで――本気の殺し合いをしようじゃないか……ミカヅチ」

 

 ミカヅチの仮面の奥の表情が歪む。

 

「――ふざけるな……貴様……貴様は一体……どうしたのだ? 確かに、俺は戦いを求めている。だが、お前はそうではなかったはずだ」

 

 ミカヅチに向けられた剣が震える。

 

「俺の知っている漢は……決してそんな狂気に満ちた顔は見せぬ……もしや、仮面に呑まれたか? 誰だ……今の貴様の名はッ! 名を名乗れッ!」

「何を寝ぼけているんだ? 自分……いヤ、我ハ――」

 

 その名を口にしようとしたその瞬間――炎の壁すら突き抜ける、凛とした叫び声が届いた。

 

「――ハクっ!!!!」

 

 一瞬それが何を示したものなのかわからなかった。

 しかし――。

 

 ――ハク?

 

 ――そうだ。

 ――自分は、ハクだ。自分はなんでミカヅチと殺し合おうとしているんだ?

 

 その疑問が自分の中で膨らむと、自らの周囲を巡っていた炎はたちまち消え去り、炎の壁も消失した。

 

 自分を呼び戻してくれた声は、聞き覚えのある声。そうだ、クオンだ。

 

「クオン……?」

「ハク!!」

 

 駆け寄るクオンの方を見ようとした瞬間、ミカヅチの稲妻ばりの斬撃が走る。

 

「――うぉっ!?」

 

 間一髪で避けたが、ミカヅチの次の行動は早かった。

 

「……引き時か」

 

 ミカヅチは、剣を振り上げると数多の雷の柱を生み突きたてる。すると、各々の雷の柱が共鳴するかのように稲妻の線が走り、前面に追っ手を防ぐ壁を作り出す。その壁を背に、元来た道を駆けていった。

 逃げた理由はわからなかったが、見ればミカヅチの部下はナコク兵によって全て殺されている。不利を悟ってのことだろうか。

 そして、橋の方に見えるは黒色の狼煙。

 

 ――まさか、後方部隊が来たのか。

 

 しかし、その予想が外れたことを、伝令の兵士によって伝えられる。

 

「ミカヅチは我らでは取り押さえられず、門外へと逃亡しました!」

「それは構わぬ。逃げに徹底した仮面の者を止めることなど、このような狭き城下では不可能である。それよりも、あの狼煙は何だ」

 

 ナコク皇が瀕死の状態においても、これからの策を考えるため兵士から情報を引き出そうとしていた。

 

「あれは、朝廷による撤退の合図です! 既に橋の中央部に差し掛かっていた大軍が引き返していきました!」

 

 ――引き返しただと? なぜだ。

 

「なぜ引き返す。今攻められれば、城門が空いたナコクなど簡単に落とせるだろうに」

 

 その疑問に答えるように、別の伝令兵が到着した。

 

「伝令! エンナカムイより援軍! 帝都に向けて大規模な進軍をしたそうです!」

「なんと……まるで知っていたかのような――いや、知っていたのか。それほどまでに彼を――」

 

 皇はちらとこちらを見る。しかし、すぐさま力尽きたのか倒れ伏した。

 

「ち、父上!?」

「騒ぐな、イタク。少し休む……だけだ」

「救護兵を呼べ! 今すぐに!」

「大丈夫かな。私がするから」

 

 クオンが前に進み出て、簡単な治療をすると、ナコク皇の顔も少し和らいだようだ。

 

「おお……忝いクオン殿」

「お礼はいいの、当然のことかな。うーん……確かに深い傷だけど、致命傷は避けてる。これなら……大丈夫かな」

「おお、そうか! 有難い!!」

 

 ナコク皇は何かを言いたげだったが、やがて目をゆっくりと閉じる。

 その様子を見たイタクは安心したのか、自分の前に進み出た。

 

「ハク殿、心より深くお礼申し上げる。貴公らがいなければ私達は……」

「いや、自分も何が何だかわからぬまま飛び出しちまった。そう頭を下げないでくれ」

「いや、貴公は我らの――いやナコクにとっても英雄だ、貴公を必ずエンナカムイへと送り届けよう」

「あ、ああ、ありがとう。そうしてくれると助かる」

 

 エンナカムイが本当に大軍を率いているなら、確かにナコクを攻略している場合ではない。しかし、エンナカムイ軍の無茶な行軍で死者が出ても困る。

 早々に自分が無事なことを伝えなければ。

 

「だが、ナコクの防衛は大丈夫なのか?」

「一度引き上げたのです。この好機を生かし早急に城門と部隊を復旧させます」

「そうか……ならこいつは返したほうがいいな。すまない、こんな大事なもん持って戦っちまって」

「いや、無事であればよいことです。それに、返す必要はありません。その宝を以って、エンナカムイとの永遠の友好を示しましょう。貴公が護ってくれれば安心だ」

 

 そんなに過度な期待をされても困るんだが。

 先ほどの炎を出そうとしても、自分だけでは少しも出る気がしない。

 

「いや……これは返す。ここにあるべきだ」

「……そうですか。いや、そうですね――確かにこれは、我らナコクが護るべきものだ」

「ああ。そんな大事なもんを自分が持っている間に奪われちまったら寝るに寝られないからな」

「はは、貴公は面白いことを言う。貴公ほどの戦ぶりであれば恐れるものなど――」

「!? ――あぐッ!?」

 

 イタクの言葉を最後まで聞いていられず、ガクリと膝から崩れ落ちる。

 

「!? い、いかがなされた!!」

「うぐ……あ、頭が割れ」

 

 仮面が己の頭を喰い破るかのような痛みが走っている。

 仮面を強引に剥がそうとするも、更なる痛みが全身を襲う。

 

「うぐ、ああああああッ!!」

「ハク!?」

 

 クオンが暴れる自分に治癒術をかける。

 治癒術をかけられたからか、少し痛みが和らぐ。しかし、痛いことに変わりはない。

 

「だ、大丈夫?」

「……まだ痛い」

「まさか、先ほどの力の反動なのですか?」

「そうみたいだ……あぐっ」

 

 フミルィルも心配そうに治癒術をかけてくれる。その様子を見て、双子は少し顔を顰めていた。何か気に入らないことでもあるのか、それとも自分の現象についてか。

 苦しむ自分に、イタクが声をかけてくれる。

 

「我が城内で一度休まれてはいかがか」

「そ、そうさせてくれ」

 

 クオンとフミルィルに肩を貸して貰いながら、イタクの案内を受ける。

 こんな時、双子が率先して介護してくれそうなもんだが、双子は離れてこちらを見ている。

 

 布団に寝転がされ、激痛に頭を抑えていると、双子が深刻な表情で近づいてきた。

 

「主様……お話があります」

「起きたら話す」

「今は、御眠りください。起きる頃には痛みは消えている筈です」

「私達で抑える」

 

 その言葉に返事も返せぬまま、とにかく双子の言葉を信じ、異国の地で眠りにつくのだった。

 

 

 




力の正体……一体、何腕のヴライなんだ……?

ここから物語が、さらに大きく軌道を変えていきます。
うたわれるもの~焼け野原ひろし~をお楽しみください。

ちなみに、ハクが脱出できたことは、オボロがエンナカムイに伝えてくれたらしいです。
オボロは、白楼閣でカルラより手当てを受けた交換条件に、嫌々ながらもそれを伝えにいったそうな。クオンの身が危険であるということもチラつかされたので、寝ずに走ったそうな。
実際の描写はまた今度ですが、裏で大活躍してましたよ、ということで。


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第二十一話 嘯くもの

短め。下ネタ多め。


 目が覚めると、そこはナコク宮廷内の一室だった。

 眠りに落ちる前はあれほどの激痛だったのが、今は鳴りを潜めている。

 その時、傍らで控える双子に気付いた。

 

「……お前達、ずっとここにいたのか?」

「「はい」」

「話がある、とか言っていたな」

「主様の用いた力について」

 

 発狂寸前まで行ったが、あの力のおかげでミカヅチと互角以上に渡り合うことができた。しかし、聞かなくともわかる。あの力の代償。覚悟が必要かもしれない。

 

「で、どういうことなんだ? 仮面の力の暴走か?」

「確定できない」

「恐らく、違うと思われます」

 

 自分で仮面が扱いきれずに、ああして扱いきれない力が漏れだしたのかと思ったが、双子はそれを否定した。

 ならば何だと聞くと、そこには驚きの答えがあった。

 

「……魂の色に、暗い朱色が混ざっている」

 

 ――魂の色、だと?

 ああ、そういえば、オシュトルの振りをしていた時、双子には魂の色で人を弁別しているからバレたことがあったな。

 確か、オシュトルは青で、自分は茶色だったな。

 

「捕らわれていた際に埋められたものである可能性が高いです」

「……そうか、最初に自分を見たときは気づかなかったのか? お前達ならそういう違和感に気付くもんだが」

「「……この咎、謹んで――」」

「あーあー! 悪かった、別に責めているわけじゃない! お前達でも見抜けないものを埋め込めるなんざ、どんな奴かと思ってな」

 

 特に、見慣れている自分の魂の色の変色なんて、すぐに気づきそうなもんだが。

 

「……心当たりはある」

「私達の存在をよく知る者……警戒していましたが、主様でなく、仮面に細工するとは思いませんでした」

「仮面に?」

 

 ふと、仮面に手を当てる。すると、掌に熱を感じた。いつもひんやりと己でないような冷たさがあったが、このような熱は今までなかったことだ。

 

「主様が、仮面の力を用いるのを発動機会とした」

「仮面に宿った魂が、主様の魂に流れ込んだと思われます」

「仮面に……宿った魂?」

「方法はわかりませんが、八柱将ヴライの片鱗を感じます」

「つまり、自分はヴライに成りかけているってことか?」

「……違う、あくまで片鱗」

「ヴライの欠片の中でも粗悪なもの……ただただ闘争への狂気が潜んでいると思われます。つまり――」

「行きつく先は……ヴライでもなく、自分自身でもない存在、か」

 

 なるほど。

 そりゃ、覚悟が必要だ。だが、事は前向きに考えよう。

 

「……とにかく、それが原因で自分の魂は変色し始めている」

「「はい」」

「変色させている原因を取り除くことは?」

「……取り除けない」

「既に主様の魂の色に深く同化してしまっています。これを無理に取り除けば、主様の魂が歪みます」

「具体的には……どうなる?」

 

 廃人となった自分の姿を思い浮かべながら、二人に問う。

 

「何がどう影響するかはわからない」

「一番影響しやすいのは、三大欲求です」

 

 なるほど、食欲と睡眠欲、そして――

 

「――性欲が歪めば、主様は常に腰を振ることになります」

「それなら無問題」

「問題大ありだろうが」

 

 一番問題あるわ。

 とにかく、かなりの影響があるということだ。

 

「しかし、お前達でも何とかできないとは……」

「……弱めることは可能」

「しかし、主様が強く心を保たなければ、すぐに朱色の魂が広がってしまいます」

「……強く心を保つ――ってのは具体的にどういうことをすればいいんだ?」

 

 双子は暫く考えていたが、お互いに目を合わした後にぼそりと呟く。

 

「他のことで発散」

「他のこと?」

「はい――戦いたいというムラムラを私達にぶつけてください」

「……ん? よくわからんが、つまり……お前達と闘えってことか?」

「そう」

「私達ならば、いくらでも突きあえます」

「しかし、怪我でもされたら困るし……流石に心が痛むんだが」

「大丈夫」

「痛いのは最初だけです」

「布団の上で戦う」

「恐らく一週間ほど続ければ主様の心を取り戻せる筈です」

「却下」

 

 ようやく真意が掴めたわ。

 というか、それなら魂を抜いても抜かなくても常に腰振っていることになるじゃないか。自分を性欲猿か何かだと思っているのか。

 

 真剣な話をしている時に何をふざけたことを――と考えたが、双子は常日頃からこれを真剣に言っていることを思い出す。

 しかし、認めるわけにはいかないので――諸々の女性たちが怖い――何か別の案を聞いてみた。

 

「他のやり方はないのか?」

「……主様らしいことをする」

「そうですね。特に、闘争は控えるべきかと」

「なるほど……それならできるか」

 

 シュボッと指先から炎を出す。

 出そうと思ったら、出てしまった。やはり、影響があるのだろう。

 

「その程度の炎であれば元々の仮面の能力でもあるため構いませんが、あまり強い力を使えば、再び魂が浸食されるでしょう」

「そうか……なら火は菓子作りにでも利用するか」

「その調子」

「流石主様です」

 

 火神持ちのヒトがいない時は、火打石でいちいち火を起こすの面倒くさかったんだよな。火加減は調節できるし、これで菓子作りも捗ると思って提案したんだが、中々いい判断だったみたいだ。

 

「できるだけ自分は前線に出ないことを進言するか……だが、オシュトルが納得するかな」

 

 どうしても戦わないといけない時が来る。それはわかる。

 

「戦わなければならない時以外は、しっぽりねっとりしてください」

「前者案推奨」

「だから却下だって」

「どうしても高ぶった時は言ってください」

「いつでもばっちこい」

 

 薄く笑みを浮かべる二人はどこまで本気かなんだかわからないが、双子の通常運転のおかげで少し心を取り戻せた気がする。

 早鐘のようになり響いていた心臓の音も、今では鳴りを潜めている。

 

 双子に感謝しないとな。

 

「「……それはそれとして」」

「ん?」

 

 二人は手慣れた動作でしゅるりと着物を脱ぐと、裸体のまま近づいてくる。

 余りの手際に唖然と眺めていたが、二人がやろうとしていることに気付く。否定が足りなかったかと慌てた。

 

「おい、ちょ、ちょっと待て! 却下だと言っただろ!」

「……約束」

「……何でも――と言われました」

 

 ――あ。

 

「……まさか……ルモイの関でのこと……だったり……するのか?」

「「そうです」」

 

 確かに、認めはした。

 あの時は一刻も早く二人を逃がさなければと思ったし、口から自然と出てしまっていた。

 だが――

 

「いや、しかしだな……」

「大丈夫」

「一週間とは言いません。出立の朝までで結構です」

「私達にお任せ」

「主様は天井の染みでも数えていれば終わります」

「ナコク賓客用の部屋だぞ、染みなんかあるわけないだろ!」

 

 いやいや、突っ込みどころはそこじゃない。

 こちらの胸に手を当てて迫るウルゥルとサラァナ。

 寝る前よりも確かに楽にはなったが、未だ体が重く動きに違和感のある今では、とてもじゃないが二人に抵抗できない。双子の連携技により、上半身と下半身の服をいともたやすく奪われる。

 

「ちょ、ちょっと待て……」

「お情けを……」

「私達にお願いします、主様……」

 

 耳元でそう艶っぽく呟かれ、ぞわぞわとしたものがはしり体が震えた。近づいてきた二つの唇に理性の箍が外れかけるが――

 

「ダメかな――ッ!!」

 

 クオンによる渾身の蹴りが炸裂した戸は、向かいの壁にぶち当たり吹っ飛びながら転がる。

 

「はあ、はあ、扉に封印術まで仕込むとは思わなかったかな!?」

「クーちゃん? 戸は蹴るものではありま――あらあら? 皆さんどうして裸で……あ、皆さんでお風呂ですか!? 私も入ります~!」

 

 これまたどういう構造なのか、片手の一動作でしゅるりと服を肌蹴るフミルィル。

 

「あわわわ! ちょ、フミルィル!? お風呂なんてここには――っていうか前を隠して!」

「クーちゃんも入らないんですか?」

「あっ、フミルィル、や、やめてーッ! み、見ちゃダメだから!」

 

 クオンの衣服が素っ裸のフミルィルによって脱がされる寸前、目の前を覆い隠される。ふわふわで少し堅い。

 

 これはまさか――尻尾か。

 

 それならばと、やがて来るであろう激痛に備えて、力を極限まで抜いた。

 案の情の浮遊感に、己の睡眠時間が長くなることを予知させた。

 

「――ッ!? お、おおきく、はっ!? き、きゃああッ!!?」

 

 そりゃそうだ。宙ぶらりんになれば、自然自分のが見えちまう。

 頭と股間に強烈な衝撃を加えられる。クオンのおかげで暫くは腰は使い物にならないだろう。そんな馬鹿なことを考えながら意識が落ちていくのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 橋を雷が走るかのような速度で駆けてきたミカヅチが、己の元まで辿り着くや否や、胸倉を掴みあげてくる。

 

「ウォシス――貴様、奴に何をした!?」

「何を――というのは? 問われている意味がわかりません」

「嘯くな!」

 

 どんと突き飛ばされ、服が乱れる。

 それを丁寧に整えながら、己に薄い笑みを貼りつける。

 

「どうやら、ハク殿の力が予想以上だった様子。己の力不足を私の咎にされては困りますね」

「何だと――?」

「元々彼の力だったのでは? 仮面の者としての力を開花させているということでしょう。ミカヅチ様以上に」

「貴様……ッ!」

「ミ、ミカヅチ様! 抑えてください!」

「! ミルージュか」

「ミカヅチ様、満身創痍ではないですか! 追求よりも先に手当を!」

「む……」

 

 己の矢傷や火傷等に気付いたのか、己の信頼する部下の言葉に自らを抑えたのかはわからないが、私への追求の視線は外れた。

 

「兎も角、ミカヅチ様が失敗したとなれば、私に咎はありませんね……電撃作戦によるナコク攻略を諦め、退却を命じたのは正解でした」

「ふざけるな、兄者がそう命じたのか!?」

「いいえ。しかし朝廷に向けてエンナカムイが進軍を開始したそうです。イズルハ八柱将トキフサは正式に朝廷の味方となりましたが、未だイズルハの全部族を手中に収めたわけではありません。彼らではオシュトル率いる大軍を抑えきれないでしょう。早々に戻る必要があるかと」

「通信兵はどこだ! 兄者に問え!」

「問わずともわかります。もう撤退を命じているのです。未だここにいるのは、あなたを救出するために編成した一部隊に過ぎません」

「貴様――」

「ですからミカヅチ様、手当を!」

「ちッ……兄者は貴様を許さんだろう。覚悟しておけ、ウォシス」

「……そうですか」

 

 救護兵とミルージュに連れられ、手当を受けるミカヅチ。

 許さない? 望むところである。

 

 可笑しさから、少し声が漏れる。

 怪訝な目で見る兵士から顔を逸らしながら、撤退の準備をする。

 

 ライコウに、私が裁けるとは思えない。

 私こそが、次なる超越者。私が、この世界を管理する。

 

「ライコウ、あなたでは、私は扱いきれませんよ」

 

 自らでもわかるほどの暗い笑みを浮かべ、帝都への道を歩くのだった。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都会議室。

 目の前の巨大な地図盤に広がる情勢は、こちらの不利な部分をありありと示していた。

 

「……来たかウォシス。貴様には聞きたいことが山ほどあるが……まず一つ。なぜあのままナコクを落とさなかった?」

「帝都へ向けて、エンナカムイとクジュウリの連合軍が動き出した……との報が入ったため引き返しました」

「その判断の優良を、この俺に確認したか? ウォシス」

「……いいえ」

「何故確認しなかった?」

「……あなたが言ったのではないのですか? これからは、自らで勝ち取る目を持った人材が必要だと。私は私にしか見えぬものを掴むために、この判断をしたまでです」

 

 呆れた物言いだった。正しく傲岸不遜。薄い笑みを貼りつけたまま悪びれもせず言い放つとは。

 

「……貴様に軍を任せたことは失敗であったな。橋も壊せず、ハクも手に入れられず……俺の命令を何一つ遂行できていない。八柱将が聞いて呆れる所業だ」

「……私を左遷しますか?」

「いや、貴様を表舞台に出そうとしたことがそもそもの間違い。貴様はこれまで通り暗躍部隊を管理しておけ」

 

 残念だが、いくら大軍を率いる将として無能であっても、草を扱う面に関して、ウォシスは未だ頼れる存在。草としての仕事を抱えてきたからこそ、早々に撤退を考えたウォシスの言も一理はある。

 しかし、それでも許すことはできなかった。

 

「この代償は高くつく、覚えておくのだな……ウォシス」

「は……しかし、ライコウ様」

 

 苛立たし気に相槌を返す。

 

「何だ」

「……私の撤退は間違ってはいないのでは? なぜなら、あなたの自慢の弟君であるミカヅチ様もまた、大怪我を負っていたでしょう?」

「……」

 

 その報告は、弟自身から聞いている。

 あの非力な筈のハクが、異常な力を発揮したと。ミカヅチの右腕は、ハクに弾かれた衝撃で上腕の筋肉がところどころ千切れて内出血を起こし、今でも満足に動かせぬそうだ。そして、全身にちらほらと見得る火傷痕。

 いくら普段愚弟と罵ってはいるものの、奴の強さは誰よりも知っている。その強さを一時的ながらも上回るとは。

 

「あの様子では、もし強引に攻め寄せても甚大な被害が出ていたでしょう。そして、朝廷はオシュトル率いるエンナカムイとクジュウリの連合軍には太刀打ちできなくなっていた――違いますか?」

「……貴様のような無能な将が率いていれば、あり得た未来かもしれぬな――もういい、下がれ」

 

 反論を許さずして下がらせる。

 ただただ不愉快であった。俺の真意を尽く曲解し、想定していた筋書きを歪ませる。

 

 一見従順な態度をとっているようにも見える、が。一体、何を企んでいる、ウォシス。

 

 いつか、最後にハクより聞いた言葉が思いだされる。

 

 ――そんなんじゃ、いつか足元掬われちまうぞ。

 

 警戒、しておいたほうがよいかもしれぬ。

 

「シチーリヤを呼べ。今後の対策を行う」

 

 これで、ナコクへの電撃作戦は失敗し、エンナカムイが得た以上の汚名を朝廷も負うことになる。汚名を背負ってでも、ナコクの橋は落とさなければならなかった。

 これで、我らは二方面作戦を取らざるを得なくなる。シャッホロもこのナコク襲撃を見て、エンナカムイ側につくであろう。海を支配しているシャッホロが敵に回ったとしても、橋さえ落とせれば勝機はあった。

 

「……蛮族どもを利用するのは腹立たしいが、そうも言ってられぬか」

 

 ――ウズールッシャを、利用せねばならぬかもしれぬ。

 

 下調べは済んでいる。ウズールッシャの火種がエンナカムイにあることも。

 ウズールッシャによる邪魔が入れば、二方面作戦であっても容易くなる。

 

 我らがヤマトを切り売りすることにも成りかねぬが、それは俺の交渉次第か。

 

「やはり、将が足りぬ。橋を落とせずとも、ハクさえ手に入れることができていれば……」

 

 しかし、無いもの強請りをしても始まらない。

 失敗を見て早々に頼るのも腹立たしいが、奴に任せてしまってもいいだろう。

 

 近くの通信兵を呼び、言伝を頼む。

 

「ウォシスに名誉挽回の機会を与えると言え」

「内容はいかがなさいますか?」

「……ウズールッシャに草を送り、俺と交渉ができるだけの者を探れ」

「はっ! お伝えします!」

 

 期待はしていないが、打てる手は全て打っておくのが良いだろう。

 ハクよ、無能な敵将に救われたようだが、此度の策はどう打ち破る? 願わくば、それが仮面に頼った力技でないことを祈ろう。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 深夜、ウォシスは自室にて静かに物書きをしていた。

 最近は余りよい題が思い浮かばず、筆が止まっては少し書いてを繰り返している。

 

 そんな折、三人組で行動させている部下の一人が、単身疑問を呈してきた。

 

「ウォシス様、なぜあのような反抗的な策を?」

「……シャスリカ。私はライコウに無能だと思われていた方が良いのです。余り表舞台に立つと、動きにくくなりますから」

「は、はあ。しかし、何時でも橋を落とせることくらいは報告しても良かったのでは?」

「それはまだ確定事項ではありません。確かに、あの奇襲は囮です。真の目的は、橋の宝玉がどこにあるかを探ること。そう考えれば、うまくいったと言えるでしょう。しかし、間者からの報告では在り処がわかったとだけしか聞いていません。確実に手に入れるには、もう一度隙が必要なようです」

「はあ……」

「そう心配いりませんよ。もし窮地に立ったとしても、私はライコウにその情報を与えればいいだけ。情報の価値とは、時によって大きく変動しうるのですよ。今与えてしまうと、功績を認められてしまいます。今はもう少し、自由に動ける時間が欲しいですからね」

「しかし、その時間をウォシス様はそんなものに……」

 

 ぴたりと筆が止まる。

 

「あなたには……きついお仕置きが必要なようですね、シャスリカ」

「あ、ああ、申し訳ありません! お許しを!」

「いいえ、許しません」

 

 震えるシャスリカを見て、ふと閃く。

 

 ――ああ、いい題が思いついた。

 次回の題は――失言による恥辱、小さな根っこを苛めてくださいご主人様――にしましょう。

 

 そう考えながらシャスリカの腰に手を伸ばしたとき、伝令が戸を叩く音。

 

「無粋ですね……何用ですか?」

「ライコウ様より伝令。ウズールッシャに直ちに草を送れとのことです! 詳細は紙面にて!」

「……了解致しました。そうお伝えください」

「はっ!」

 

 渡された紙面に目を走らせながら、感嘆する。

 

 ――なるほど、流石はライコウ。時間をかけずとも、あの手この手をよく思いつく。いや、選ばなかっただけで前もって想定していたのか。確かに、二面作戦においては効果的だ。味方を二方面に裂かなければならないなら、敵も複数に裂けばいいという考えか。

 

「そういえば、この間ウズールッシャの兵士を複数人改造しましたね、シャスリカ、彼らは生きていますか?」

「はい、5名ほど一応生きてはいますが、衰弱していると思われます」

「そうですか、食事を与え、蟲を植えこみなさい。走れるようになったら、ウズールッシャに放ちます」

「はっ!」

 

 さてさて、中々休ませてはくれないようだ。

 ウズールッシャに関してはこの程度の対応でいいだろう。

 

 それよりも、今はナコクだ。

 ナコクの橋を守ることができたと浮かれている彼らを絶望させる一手は、もうすぐ届く。彼らが喜び勇んで帝都に軍を差し向けたとき、己の誇りとする橋によって命を落とす。

 

「ふふ――その光景をこの目で見られないのは残念ですが……今はよしとしましょう」

 

 紙面を棚に仕舞い、震えるシャスリカを抱きしめ乍ら、暗い笑みを浮かべるのであった。

 

 

 




ウォシスの真意
ライコウの思惑
ミカヅチの困惑
双子のおねだり

で今回はお送りしました。


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第二十二話 帰還するもの

 3年も書けてなかったんですね。待っていてくれた人がいたら謝罪と感謝を。
 久々に書いたので、色々設定とか忘れているかもしれませんが……原作を見直しているとやはり自分の心に強く残る良い作品であることを再確認しましたね。
 自分の書きたい最後まで続けられるよう頑張ります。(ロストフラグ要素や設定は追加しません)


 時は少し遡る。

 

 エンナカムイにて、オシュトルは見覚えのない二人の武人と相対していた。

 童顔であり華奢な体格からは想像できない、歴戦の風格を醸し出す彼らを疑いながらもその話は信ずるに値するものであった。

 

 「御二方は……トゥスクルのドリィ殿とグラァ殿であったか」

 「はい」

 「以後お見知りおきを、オシュトル様」

 「其方らは、ハクが帝都を無事脱出したと、そう申すのだな?」

 「「はい」」

 

 クオン殿からの言伝では、成功如何に関わらず使者を送るということではあった。トゥスクル皇直筆の印もあり、信用に値するものではある。

 しかし、これまで幾度となく罠を敷いてきたライコウのこと。これが既に捕縛された後の罠とも捉えられる。もう少し情報を精査したかった。

 

 「これまで明言を避けていたイズルハの八柱将トキフサは、突如として朝廷側への忠誠を誓ったが……偶然であるか?」

 

 イズルハは以前より朝廷と繋がっていた。幾度となくエンナカムイとの交渉の席を蹴っていたことからも、それは可能性として挙げられていたことだ。

 そしてそれは目の前の武人も、そう考えているようだった。

 

 「……以前よりの隠し玉を使ったのではないでしょうか」

 「何故」

 「ハク様をエンナカムイ方面へ逃がさないためだと思われます」

 「ふむ……」

 

 明かすにしては突然すぎる。ライコウならば、もっと有効な場面で明かすこともできたはずだ。つまり、明かさざるを得ない状況に追い込まれたということ。もしくはそれすらも罠か。

 

 ――いや、こうして思考に溺れてしまうことこそがライコウの術中か。

 

 そもそも、ハクだけでなく救出部隊すら奪われていたのであれば、もはや打つ手はないのだ。

 それならば、今は希望の芽を摘まぬよう動くのが最善の手。イズルハを通れぬ最悪の事態を想定し、ナコクへ使者を向かわせておいて良かった。ハクであれば必ずナコクへ逃げ、ナコクで起こる戦乱に対処するであろう。

 

 「あいわかった。ネコネ、シャッホロを通じて改めてナコクへ使者を出す。アトゥイ殿を呼んでくれ」

 「はいです」

 

 傍に控えていたネコネに伝えた後、エントゥアへと声をかける。

 

 「……後、他の者には戦の用意をせよと伝えよ。ナコクでの戦を少しでも軽くするようイズルハに一当てする」

 「はっ」

 

 効果があるかはわからない。こちらの意図は御見通しであることも加味しても、何かせずにはいられなかった。

 それに、ナコクには予め開戦の可能性を示唆している。少しでも時間を稼いでくれればナコクからの撤退はなくともハクが逃げきる可能性も提示できるかもしれない。

 

 そう考え、我ながらナコクをまるで捨て石かの如く扱う考え方に自らの余裕の無さが窺えた。ライコウとは、それほどまでの相手なのだ。

 

 しかし、それでも――己の大事なものを、もう二度と迷いはしないと誓ったのだ。

 

 「ドリィ殿、グラァ殿、心より感謝申し上げる」

 「いえいえ」

 「こちらこそ、申し訳ありません」

 

 柔和ながらも少し困った笑みを浮かべる二人。謝罪の意味はわからなかったが、追求したところで濁されるのが関の山だろう。

 それよりも、ハクを取り戻せるか否かの瀬戸際だ。ライコウのこれからの策に考えを巡らせねばならないだろう。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ナコクから少し離れた街道で、ハクとイタクはナコク皇と別れの言葉を交わしていた。

 

 「本当に護衛は良いのか? イタクよ」

 「はい、復興に少しでも人手を割いてください」

 「其方がそういうのであれば……そうだな。わかった」

 

 エンナカムイから発せられたイズルハ開戦も、結果として小競り合い程度に収まったらしく、ナコクはいつ何時再び攻められるかわからない状態である。自分たちの護衛に人員を割くよりも後々の戦を考えたほうが良いだろう。

 

 今では草の入国を阻むために白磁の大橋はナコク軍により封鎖され、ナコクの国籍を持つ者以外は立ち入りを禁じられている。

 つまり、物流すらも完全に閉ざされているのだ。そんなナコクが頼るべきは――

 

 「シャッホロと同盟を結べるか否かは、其方にかかっているのだぞ」

 「はっ、わかっております」

 

 取るべき策は、シャッホロとの同盟しかない。同道する自分たちとしては、ナコクからの正式な同盟要請を託されたも同じである。今の不安定な情勢では、いかにシャッホロと同盟を結ぶことができるかにナコクの命運がかかっている。

 

 「それでは、行って参ります。父上」

 「うむ……ハク殿も、何卒我が息子を頼みまする」

 「ああ、わかった。皇さんもはやく怪我を治しなよ」

 「忝い」

 

 固く手を握られ、託された重みを感じる。

 こちらとしても、戦の火種を持ち込んだり、動けない数日間面倒を見てもらったりと多数の恩を受けている身だ。戦術的価値以上に、恩義としても叶えないわけにはいかないだろう。

 

 クオン、フミルィル、ウルゥルサラァナの面々に、ナコク皇子イタクを連れてシャッホロへと出発したのであった。

 

 その道中であった。

 相も変わらず馬上で身を寄せてくる双子に、クオンが苛ついた視線を向け始め、空気がぎすぎすと軋み始めた頃。

 その空気に耐えられなかったのか、イタクから話しかけてきた。

 

 「そういえばハク殿、貴殿の頭痛はあれからどうなりましたか?」

 「ん? 今はもうないな」

 

 仮面の力の代償によって、あれだけ痛かった頭痛や全身の倦怠感も暫く休んだことで治まった。

 頭はまだ少し痛むが、それは仮面の力というより双子から迫られた際に振るわれたクオンの尻尾攻撃によるものだろう。

 

 「それは良かった。ハク殿がいれば私としても心強い。父上は皇子である私一人でシャッホロへ赴くのを決して許しはしなかったでしょうから」

 「なんでだ?」

 「我らナコクがエンナカムイにおられる聖上派であることを示してから、朝廷の草の者が日に日に増えておりました。シャッホロとの同盟を組もうとしたナコクの重鎮が行方不明になるなど、我らの結束を阻む動きをしていたのです」

 「なるほど」

 「また、シャッホロが中立であるからこそ、これまで成せた平穏でもあるのです。海上を支配するというのは、朝廷側が十分警戒を要するものでありますから」

 

 確かにシャッホロとの同盟がなっていれば、朝廷は何を置いてもナコクを落としにかかるだろうからな。

 二方面作戦だけでなく海上を利用した支援物流まであるとなれば、流石の朝廷も苦しい。エンナカムイとの連携が取れないうちは、同盟を強固にし過ぎないようにしていたのか。

 

 「ハク殿の御力を間近で感じ、父上は私を託すことができると考えておられたのです」

 「あんまり買い被られても困るな。訳あってそんなに簡単に使える力じゃないんだ」

 

 先日、ウルゥルとサラァナから警告されたこと。それは、仮面の力を使い過ぎれば亡きヴライの魂と同化していってしまい、自らの精神が歪んでしまうことである。

 仮面の力を使うこと、または使おうとすることが鍵となり、精神を浸食していくのだそうだ。虜囚の身に何故そんなものを埋め込んだのかは知らないが、仮面の者の逃亡防止用の保険として、そういった技術が敵方にはあったんだろう。

 元々この力を使うことそのものが命を縮めることでもあるのに、自らの精神すら歪むなんて、使える気になりゃしない。この仮面はただの装飾品として装備しておこう。つけ外しできないけど。

 

 ただ一つ疑問が残るのは、ライコウはこのことを知っているのかということだ。それならば何故、逃亡自体を防止するものでなく、逃亡した後に発動する防止策を用いたのか。

 休んでいる間に色々考えたが、それだけがどうしてもわからない。

 

 「やはり、仮面の力には代償があるのですね……歴代ヤマトにおいても仮面の者となったヒトは数知れず、しかしその殆どが力に呑まれ絶えたと聞きます」

 「自分も力を使いすぎて塩の塊になんぞなりたくないからな。仮面の力はあくまで抑止力。あんまり自分のことは信用せずに危なくなったら逃げてくれ」

 「了解致しました。しかし、ハク殿はあれだけの力を御することを考えておられたのですね。まこと感服いたしました」

 

 あのミカヅチとの戦いを間近で見たイタクは、目をキラキラさせて自分の話を聞いている。

 そんな大層なことじゃないんだが。キウルがオシュトルを見るような目で見られると、何だか居心地が悪い。仮面の力なんて、自分の力じゃないし。

 

 「……」

 

 そこで、クオンが先程のぎすぎすした雰囲気から一転、不安げに思考を巡らせていることに気付く。

 この仮面をつけた経緯やその代償については、ウルゥルとサラァナから聞き及んでいるらしいが、その時の狼狽ぶりは中々だったようだ。トゥスクルにももしかしたら似たような力があり、その身の破滅についても知っているのかもしれない。

 まあ、向こうから話をしてこないので、わざわざこちらからも聞かないが。話したくなったら話すだろう。

 

 それよりもトゥスクルで長期間過ごしていて今頃帰ってきたことのほうが気になる。あのトゥスクル皇女に話をつけてくれたことから、今回の救出作戦立案から実施まで、何から何まで世話になりっぱなしだ。

 これじゃまるで本当に保護者だ。エンナカムイに帰って落ち着いたら、何か礼をしないといけないな。

 そう考えていると、クオンが思考の渦から戻ってきたのか、小声で話しかけてきた。

 

 「ハク」

 「ん? 何だクオン」

 「囲まれているかも」

 「……敵か?」

 「……わからない。敵意は……今は感じない」

 

 ぴりっとした空気に包まれる。イタクもまさかといった表情で周囲を見回そうとするので、小声で制する。今周囲を窺えば、囲まれていることに気付いたことを伝えるようなものだ。

 

 「突破できるか?」

 「4人はわかるけど、それ以上は掴めない。敵意すら漏らさずにここまで近づくなんてかなりの実力者かな……難しいかも」

 「……」

 

 イタクだけでも逃がせればいいか? いや、狙いは自分かもしれない。

 だが、囲んでいるということは、いずれ襲ってくるであろうことは想像に難くない。

 

 「――っ」

 

 思わず仮面に手を当てている自分に嫌気が刺す。あれだけ御高説を垂れながら……これが力に呑まれるってやつか。

 仮面は使わず、冷静に逃げの手段を考えねば。

 そう思考を巡らせた瞬間――矢が馬の足元に数本放たれ、足を止められた馬が大きく仰け反った。

 

 「なっ!!」

 

 咄嗟にウルゥルとサラァナを抱きかかえて落馬しないよう飛び降りる。しかしそれを合図ととったかのように、木々の連なる裂け目から何者かが飛び出してきた。

 

 「とったぇーーっ!!」

 「ぐっ!!」

 

 速度に対応しきれないと考え、ウルゥルとサラァナだけでも逃がすと突き離す。自分は為す術もなく背後から伸し掛かられ首をきゅっと絞められた。

 

 まずい、声を出せなくなる前に――

 

 「自分だけなら何とかなる! 皆逃げろ!」

 

 後ろから何かに締められながらも、そう叫ぶ。しかし、誰も逃げようとはしない。クオンも、ウルゥルとサラァナも、フミルィルも。逃げようとするどころか、どこか呆れたような表情で自分を見つめている。

 

 「なるほどね。二人から話には聞いていたけど、これはやっぱり私がついてないとダメかな」

 「クーちゃんの言う通りでしたね」

 

 そうにこやかに言うフミルィルに疑問符を浮かべる自分とイタク。

 ぞろぞろと複数の人影が木技の間から現れる。

 

 「……くく、相変わらず自分の価値がわかってない人じゃない?」

 「お前ばかり抱える必要はないのだぞ! 全く……」

 「まあまあ姉上、それがハクさんの良いところでもあるのですから」

 「ハクさん、無事だったんですね! 良かった……」

 

 そこには何と見知った面々、ヤクトワルト、ノスリ、オウギ、キウルの四人がいた。

 

 「お、お前等か! 何だこの歓待は……ん? ということは後ろのこいつは――」

 「うひひひ、おにーさんひさしぶりやなぁ。ウチがいなくて寂しかったぇ?」

 

 背後から首を絞める両腕はそのままに、左肩からぴょこんと顔を出して満面の笑みで返すアトゥイ。

 

 「いいから離れてくれ、重い」

 「えぇ~? 乙女に重いなんて、おにーさんの癖に生意気やぇ」

 

 余計にぐりぐりと色んなものを押し付けてきたり、首を締めにかかったりするアトゥイ。

 ばたばたともがいて脱出する傍ら、クオン達にも労いの声がかかった。

 

 「クオン、そしてウルゥルとサラァナもよく無事このぐうたらを救い出してくれた!」

 「主様のことですから」

 「当然」

 「ふっ、流石姐さん達じゃない」

 「どういたしましてかな。それにフミルィルやおと――た、頼りになる部下もいたし」

 「そうだったのですね。彼女がフミルィルさんですか?」

 「はい、はじめまして。フミルィルと申します」

 

 声をかけられたフミルィルは流麗な動きで一礼をする。ふわりと高貴な香りが舞ったような錯覚すら覚える見事な礼だった。

 

 「うわ……綺麗……」

 「ヒュ~、コイツはエライ別嬪さんじゃない」

 

 そんな仲間たちのやりとりを見ていると、囚われていた時間は僅かながら、何だか無性に懐かしかった。

 感傷的になっていたところ、後ろでどうすればよいか迷っているイタクに気付き、声をかけた。

 

 「騒がせたな……安心してくれ、皆自分の仲間だ」

 「そうだったのですね。ハク殿の御仲間で刺客ではなくて良かったです」

 「彼がナコク皇子イタク殿ですか。これはとんだご無礼を」

 「いえいえ、お初にお目にかかります」

 

 挨拶を交わす姿を見たアトゥイは、そこで初めてイタクを意識したのだろう。

 こっそりと耳元で囁くようにつぶやいた。

 

 「ふわぁ、ちょっと男前やねえ」

 「ん? またアトゥイの優男好きが出たのか」

 「そう思わないけ? 結構いい線いってると思うんよ」

 

 確かに、自分の仲間と比べてもかなりの好青年ではある。キウルに並ぶくらいかもしれんな。ちょっと薄幸そうなのも、アトゥイ的にはありなのかもしれん。

 聞こえていたのかどうかはわからないが、イタクは少しちらりとこちらを見て何かを言おうとしたようだが、すぐ口を噤んでしまった。

 とりあえず、このままここで止まっていても仕方がない。アトゥイを強引に引き剥がし、立ちあがった。

 

 「再会するにしてももっと穏やかなやり方があるだろう――というかなんで驚かすんだお前達は」

 「ふふ、我々も急に消えた貴方に腹を立てていたということです。このくらいは良いかと」

 「やめてくれよ。心臓に悪いから。というかクオンも気づいていたなら言ってくれ。なんで怖がらせるような真似を」

 「ま、直ぐに自己犠牲に走るハクにお灸を据えようと思ったからかな」

 

 自己犠牲、ね。そんなつもりはないんだがなあ。咄嗟に仮面の力を使える自分はいい囮になると考え、逆に自分を餌にされて他も捕まった方がその後の展開が悪いという判断なのだが。

 

 「もう少し先で皆がお待ちですぜ、旦那。ただいまの挨拶はその時にお願いするじゃない」

 「ネコネさんや、ルルティエさんとシスさん、エントゥアさん、シノノンちゃん、そして聖上も私達と同じく来ています」

 「おいおい、皇女さんもいんのか?」

 「はい、使者として来ています」

 「使者?」

 

 道すがら、キウルの話を要約するとこういうことだった。

 オシュトルは、ナコクでハク奪還のための戦乱が起こると予想。オシュトルとマロロ、それにムネチカ率いるエンナカムイの軍をトキフサ率いるイズルハ軍に一当てし、朝廷部隊の二分化を図った。

 そして、ナコクでの戦乱の方が苛烈になることもまた予測し、シャッホロとナコクへの使者兼派兵として皇女さんを含めた少数精鋭である彼らを編成。

 その精鋭の一人であるアトゥイは、シャッホロの皇ソヤンケクルと縁故であるが故に、皇女さんと共にシャッホロとナコクへの同盟取り付けを目的としてきたらしい。

であれば、一つ疑問が残る。

 

 「なら、なんでお前達はここにいるんだ? シャッホロとの同盟は済んだのか?」

 「鈍い奴だな、お前を助けに来たに決まっているだろう!」

 

 ノスリがむんと胸を張って答える。そうか、そうだったのか。

 助けることはあっても、助けられる側に回るのは初めてだな。オシュトルも、囚われの身から助け出された時、こんな気持ちだったのだろうか。

 

 「ハクさんがまだナコクにいると聞いて、街道を張っていたんです」

 「旦那と擦れ違わないよう街道を通ったが、中々治安が悪かった。十人は始末したじゃない」

 

 そうか、通りでイタクの話に反して街道は平穏そのものだったが、こいつらがやってくれていたのだな。

 

 「ありがとな、助かった」

 「お姫さまとどっちが助けに行くかでめっちゃ揉めてなー。結局とと様との同盟にはお姫さまは必須やってことでウチになったんぇ」

 「ま、この五人で助かったぜ。姫さんは頑として付いて来たがったが、守りながらは流石にしんどいじゃない」

 「皇女様、元気になったんだ? オシュトルから元気がないって聞いていたかな」

 「ええ、ハクさんが無事とわかった瞬間にね」

 「へえ……あんだけ啖呵切っていたのにね……」

 

 クオンのよくわからない呟きが耳に入り、思わず聞き返そうとしたとき、何やら思案顔で顎に手を当てているイタクが気になった。その視線はアトゥイの方へ。そういえば、アトゥイと従弟だって言っていたな。挨拶しないのか?

 しかし、黙りこくって馬を歩かせているイタクにその様子は無い。

まあ、色々あるんだろうと思い、特にその場では話しかけないことにした。それよりも、久々に会えた仲間達との会話が、楽しかったのだ。

 ああ帰って来られたんだなあと、しみじみ実感したのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ああ帰って来てしまったのだなあと、つくづく実感してしまった。

 

 皆が待っているというシャッホロのもつ重要拠点の内の一つに、自分とクオン、ウルゥルとサラァナ、フミルィル、イタク、そして途中合流した五人は無事辿り着くことができた。そこには、キウルから聞いていた女性陣が涙交じりの笑顔で出迎えてくれた。

 

 「ルルティエ! それにシスも」

 「ハクさま……おかえりなさい」

 「ルルティエと二人で勇気づけながら、貴方の帰りを待っていたのよ」

 「そうだったのか、すまない。心配かけたみたいだな」

 

 どうやら二人には随分心配かけたらしい。

 無理をするなとルルティエに言われていながらも、今回の件はかなり無理した格好である。つい謝罪が口を出てしまう。

 

 「いいんです。無事私のところに帰って来てくれたんですから……」

 「そうね、待っていた甲斐があったわ。ちょっと英雄らしい顔つきになったわね」

 

 そして二人涙ぐむ。

 シスはなんで自分を心配するのかわからんが、ルルティエ命のシスのことだ、心配性のルルティエがおろおろすることが無くなると思って嬉しいのかもしれないな。

 

 「エントゥアも来てくれたのか」

 「はい。よく帝都よりご無事で……」

 「ああ、クオンやウルゥル、サラァナがいなければ自分は逃げられなかっただろうな」

 「それほどでもあるかな」

 「主様からご褒美があるとのことですが、まだ戴けていません」

 「邪魔された」

 「その話はするなって!」

 

 特にクオンの前では! せっかく帰ってきたのに殺されちまう。

 

 「よくかえってきた、あねご、だんな」

 「うん、ただいま」

 「シノノン、元気していたか」

 「おう、ばっちしだ。だんながかえってきてから、みんなもあかるくなったぞ。よろこべ」

 「そうかい。そりゃよかった」

 

 シノノンも心配してくれていたようだな。しかも嬉しいことを言ってくれる。

そう、そこまでは和やかだったのだ。暗い表情で俯くネコネの姿を見るまでは。

 

 「? ネコネ?」

 「っ!」

 

 目が合うとびくっと顔を背ける。随分挙動不審な様子だ。

 

 「ただいま、ネコネ。心配かけたな」

 「……」

 

 俯いたままぼそぼそと何かを呟く。聞き返そうと口を開けたときには、ネコネは振り返って部屋を飛び出していってしまった。

 

 「? どうしたんだ? ネコネは」

 「……あーあ、ハクのせいかな」

 「おいおい、自分のせいなのか?」

 

 そう周囲を見回すと、何をいまさらといったように非難の目が向けられている。なんでだよ、さっぱりわからん。

 嫌な空気を払拭しようとして、そうだとフミルィルに目線がいく。そうだ、彼女を皆に紹介しないとな。

 

 「そ、そうだ、紹介したい人がいるんだ。自分を助け出してくれたクオンとウルゥルサラァナは勿論として、それに協力してくれたフミルィルだ」

 

 誤魔化すように突然紹介したにも関わらず、フミルィルはニコニコと自分の横に立ち自己紹介を始めた。

 

 「皆さま、お初にお目にかかります。私がトゥスクルより参りましたフミルィルと申します。ヤマトにいる間、クーちゃんがとてもお世話になったようで……」

 「いやいや、姐さんの方が皆の御世話役になっているじゃない」

 「そうだぞ、クオンは非常に頼りになる。クオンがいなかったから、ハクも攫われたのだろう。ハクは特にお世話されていたからな」

 

 おいおい余計なこと言うな、ノスリ。

 

 しかし、一度見たヤクトワルトやノスリは平然としているが、他の面子はフミルィルの美貌を見て一様に驚きを隠せないようだ。

 

 「ふわっ……き、きれいなひと」

 「る、ルルティエより可愛い存在なんてこの世にない筈なのに……」

 

 何だか女性陣は特にショックを受けているようだ。

 

 「お~……ねーちゃ、きれいなひとだな~」

 「そうですね。とても気品があって……」

 「しののんも、しょうらいあれくらいになるからあんしんしろ」

 「シノノンちゃん!?」

 

 こっちはこっちで浮気しないように釘をさされているな。

 

 「ハクさまのお世話係……そうだったんですね。でも、いい機会だったのかも。クーちゃんハクさまに会えなくてすっごく寂しそう「ん、ンンッ!」

 

 クオンが咳払いのような形でフミルィルの言葉を遮る。

 しかし、フミルィルは自分の言葉が遮られたことに気付いていないのか、言葉を続けた。

 

 「皆さんとも会えなくて寂しそうでしたから、ですから、とっても良くしてくれたお礼をしませんと。まずはハクさまに――あら」

 

 そう言って寄ってきたフミルィルが、突然バランスを崩し、こちらに倒れ掛かってくる。

 

 ――ふにょん。

 

 な、なんだこれは、この世に、こんな柔らかいものが。

 これまでの旅路で、不可抗力ではあるがもはや何度も握っている筈のものでも思わず動揺していると――

 

 「あ、ごめんなさい。ハクさま、すぐどきますね、あら? あららら?」

 

 体勢を戻そうとしたが、フミルィルの足が自分の足にもつれて、さらに体勢を崩してしまい――そのまま前に倒れ込んだ。フミルィルも一緒に。

 

 「うわ、す、すまん」

 「いえ、大丈夫ですよ。守っていただいてありがとうございます~」

 

 前のめりになった時に咄嗟に頭に手を回して守ったことを言っているのだろう。しかし、そのせいで体勢がおかしなことに――というかまるで押し倒しているかのような状況になる。

 

 「……」

 「……」

 「……」

 「……」

 

 そう、皆で温かい言葉をかけあった、そこまでは良かったのだ。

 

 「……私達は何を紹介させられているんでしょうか?」

 「……新しい女」

 「英雄色を好むとはいいますが……」

 「おにーさん、節操ないぇ」

 「ひ、人前ですることではないぞ! ハク!」

 「はぁ、やっぱりまたやったかな」

 

 各々死んだ目で呟く女性陣。

 やばい、早く離れないと死の香りが――

 

 「ハク! ハクはどこじゃ! 余のもとまでよくぞ無事に……帰って……?????」

 

 皇女さん、何もこんな時に来なくても。

 ソヤンケクルと二人同盟について話し合っていたという皇女さんが、これまた時機悪く部屋に飛び込んできた。

 最初は喜色満面であった顔も次第に疑問符が増え、最後にはあのトゥスクル皇女と相対した時に比肩する怒りの表情に変わっていった。

 

 「……ハク! 余に! 余にこれだけ心配をかけていたというに! お主は女と乳繰り合っていただけか!」

 「ま、待て皇女さん、これは誤解」

 「天誅ッ!」

 

 振り下ろされる怒りの鉄槌に、ああ、内の女性陣は話を聞かない奴らばかりだったと今更ながらに思う。

 

 「ふふっ、クーちゃん、とっても素敵なお仲間に恵まれたのですね――」

 

 そして、さっと立ちあがって傍観しているフミルィルを見て、傾国の美女という言葉の意味を改めて理解したのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 場所は変わり、一室内で同盟について話し合う機会を得ることができた。シャッホロ皇ソヤンケクルと、自分と皇女さん、そしてイタクの四人だ。

 アトゥイにも声をかけたが、使者である筈なのに難しい話はいやや~と拒否されたので、今頃どこかで槍でも振っているだろう。

 さあ話を始めようと腰を降ろすと、ソヤンケクルが心配そうに声をかけてきた。

 

 「ハク殿が戻ってきたと姫殿下が喜び勇んで駆けていったと思ったら……ハク殿、ナコクで一体何があったんだい?」

 

 顔は腫れ上がるほどにぼこぼこにされ、見るも無残な状態だが、仮面があるお蔭でその部分は護られた。仮面に感謝する日が来るとは思わなかったぜ。

 

 「帝都での虜囚の日々、そしてナコクでの戦はそれほどまでに厳しいものだったのだね。そのような身でナコク、ひいては皇子であるイタクを救ってくれたこと、まずは感謝する」

 

 何か勘違いをしておられるが、都合がいいのでそのままにしておく。

 どの道、まさか帰ってきた時にはほぼ無傷だったのに味方からやられましたとは口が裂けても言えないが。

 皇女さんはむっつり怒り顔のまま真実を話す気はないようだった。イタクもイタクで真実を知りながらも、伝えること憚ると思ったのか気まずそうに口を閉じていた。

 

 「いや……ナコクの件に関しては、自分に一因がある」

 「それはオシュトル殿からの文にても聞いている。ハク殿を追う形で行軍をする可能性があるとね」

 「それは事実だ」

 「しかし、だとしても此度の朝廷によるナコク侵攻は、まさに蛮行と呼ぶべきもの。ナコク側が再三の要請を断っていたとはいえ、宣言もなく、何の前触れもなく電撃侵攻する様をみれば、朝廷が前々から虎視眈々と狙っていたことは明白だ」

 「ふむ……確かに、ライコウは前よりナコク侵攻を計画していた」

 

 自分がいてもいなくても、もとよりナコク侵攻は計画されていたのだ。この場で言うとややこしいので言わないが、ライコウの元でナコク侵攻を任されていたのは自分だしな。献策もある程度している。まさか商人や民間人すらまとめてやれとまでは言ってないが。

 しかし――

 

 「それでも、自分がいなければもう少し猶予はあっただろう。宣戦布告も、自分の要因がなければあったかもしれないな。余計な犠牲も生まれなかっただろう」

 「……君は相変わらず不思議な方だな。うむ、やはり日和見はこれまでか――我々シャッホロは中立を捨て、聖上の側につく。総大将オシュトル殿の配下につこう」

 

 皇女さん、アトゥイが直々に嘆願に来たこと、ナコクへの暴挙、この二つが良い方向に作用したようだ。とんとん拍子で同盟を組むことができた。しかし、気になる。

 

 「それに、イタクは妹の皇子、私の甥でしてな。ナコクからの正式な依頼もある手前、流石に甥を見捨てるのは寝覚めが悪い」

 「伯父上……いや、ソヤンケクル殿、感謝致します!」

 「良いのだ、イタク。それよりも、今まで協力できなかった私を許してくれ」

 「そんな……民草を思えば当然のことです!」

 「そう言ってくれるか……成長したねイタク。ナコク皇は良き後継者を持ったようだ」

 「勿体無きお言葉です」

 「さて、同盟は成った。ハク殿、聖上による布告は何時にする。早ければ早いほど朝廷を動揺させられるだろう」

 

 さて、本当にそうだろうか。

 気になるのは、あのライコウだ。果たしてナコクが強大な勢力に成長するようなこと、ただ眺めているだろうか。

 

 「……まだ足りない」

 「ん? 何故じゃハク。シャッホロが現段階でナコクの支援を表明し、参戦する方がよいであろう。その一報を聞けば、敵は動揺し、味方は勢いづくのじゃ」

 「皇女さんの案も効力は認めるが……」

 「此度の件、隣国ナコクに対する暴虐の数々がシャッホロの立場を変えるきっかけとなった……というのだけでは足りないというのかね?」

 「ああ」

 「ナコクは古くから帝室を信奉する由緒正しい国だ。そんな国の支持を得られないというのはむしろ朝廷側の問題……異を唱える者を滅ぼす朝廷を相手にして明日は我が身かと思えば、大義はこちらにあると思うがね」

 「確かに中立を捨てナコクに与する大義としては充分だ。だが、シャッホロはあまりにナコクに近すぎる。シャッホロは混乱に乗じてナコクを併合するつもりだと、逆に朝廷に利用される恐れがある」

 「……今更乱世の梟雄となるつもりはないんだが」

 「追いつめられると、色々信じられなくなるもんさ。ライコウなら、それくらいの口八丁手八丁はやりそうだ。痛くない腹を探られ足の引っ張りあいをしてしまえば、今度こそナコクは手遅れになる」

 

 そして、ずっと頭にもたげていた疑問、ヤクトワルトが討ったという街道の刺客。朝廷の監視や草には、天眼通の法とやらの使い手もいると聞く。しかし、そうであれば双子が誰よりも早く気づく筈だが、双子はそういった監視は感じなかったという。

 もし、刺客が朝廷ではなくナコク陣営の者であるとしたら――イタクの話にもシャッホロ同盟を叫んだ重鎮が消されたとの話があった。シャッホロとナコクが手を組めばナコクはいずれシャッホロに併合される、そう考えている者もナコクにはいる可能性がある。

 

 「イタク、ナコクとシャッホロの同盟に反対する者は、ナコクの重鎮にいるのか?」

 「……確かに、戦時前において幾人かはいましたが、今は戦時中。皆も納得して私は遣わされたと思っていましたが」

 「戦時前の反対の理由は何だったんだ?」

 「……先程ハク殿がおっしゃられた通りです。ナコクとの併合、もしくは侵略を狙っていると」

 「それは心外だな」

 「シャッホロには、ヤマト八柱将がおられる。そのことはナコクにとって大きい力の差を感じていることでもあるのです」

 「ふむ、余はナコクの忠臣ぶりを認めておるぞ、お父上より橋を賜れたこと、それでは足りぬのか」

 「いえ、姫殿下の御言葉は感無量であります。しかし、帝都に陣中できる将無きナコクでは、それで納得できぬ者がいるのもまた事実なのです。ナコクは歴史だけの国、そう思われることへの恐怖があるのやもしれません」

 「八柱将か、肩書きだけで私には重い荷なんだがね」

 

 悲痛そうに顔を伏せて言うイタクと、やれやれと困った表情で言うソヤンケクルが対象的だった。持つ者と、持たざる者、その意識の差はどこかにやはりあるのだろう。亡き帝の影響力が大きいだけにな。

 しかし、国内にも不安要素があるのであれば、朝廷だけでなく味方の腹まで探らねばならないことになる。それは、この戦乱の状況下において最も忌避するべきものだ。

 

 「周辺国の疑念を招けば、ナコクもシャッホロも無事ではいられない、か」

 「ナコクとシャッホロを、併合せずとも強固な繋ぎありと証を立てられる一押しがあれば、安心して布告ができるんだが……」

 

 その時、イタクの表情に閃きがあったかのような変化があった。しかし、それを口に出してしまっても良いのか、迷っている様だ。

 

 「どうした? 何か思いついたのか?」

 「あ、い、いえ。しかしこれは……」

 「イタク、思いついたのであれば言ってみたまえ。今はどんな案でも欲しい」

 「このような形で言うことは憚られるのですが、私は幼少の頃アトゥイさんと許嫁の約束を致しました。その婚姻をもって、シャッホロとナコクを繋ぐ架け橋としては……と」

 

 アトゥイ、そうだったのか。

 そこでようやくアトゥイに会ってからイタクがどこかそわそわしている理由について気づけた。なるほど、イタクはずっと気づいていたわけだな。しかし、アトゥイのあの様子じゃ、許嫁の約束のこときっと覚えてないぞ。

 

 ソヤンケクルはその案を聞き、やられたとでもいうかのように、頭に手をやる。

 

 「そうか、そういえば我が妹と妻がそういった約束をしていたね……私に黙って勝手にだが」

 「勿論伯父上の危惧するところはわかります。私もアトゥイさんの気持ちを確かめた上で、と考えていたのです。私も政略結婚を迫るようなことはしたくはありません」

 

 気持ちいいくらいの好青年ぶりだ。やっぱり皇子なんだな。カッコいいとも言っていたし、こりゃアトゥイにもようやく春が来たかな。

 

 「聖上の支持を得たナコクがシャッホロに援軍を要請、シャッホロにおいては併合の意思は無く、その証としてシャッホロ皇女であるアトゥイを嫁がせる……悪くはないかもな」

 

 まあ、しかし悪く言えば人質だ。本人達にそのつもりがなくても。

 しかし、アトゥイがナコクにいる限り、シャッホロはこの乱世において手を出さないという証には十分だ。たとえアトゥイが内側からナコクを崩すつもりだなどと疑われることになるとしても、それは当分未来の話だ。

 

 「しかし、そんな政略結婚のような真似事、アトゥイに……」

 

 今まで冷静だったソヤンケクルがぶつぶつと苦虫を噛み潰したような表情で焦り始める。必死に他の案を探っているようだ。まあ、アトゥイ命のこの人ならそうなるよな。

だから、悩むための時間を作るためにも一つ提案する。

 

 「まあ、その案は保留にするか。婚姻はお互いの意思も大事だ。乱世であるからといって、人質のように思われるやり方は逆に利用される場合もある。別の案も検討した上で考えよう」

 

 ソヤンケクルが救世主を見るような目で自分に視線を送っている。そこまで感謝せんでも。逆にイタクは、動揺した素振りもなかった。

 

 「確かにその通りです。であれば、私からアトゥイさんに話をしてみます」

 「それがいい。またどうなったかは教えてくれ。二人が納得するなら、別にイタクの案でもいいんだ」

 「はい」

 「しかし、であればどうする。ミカヅチ殿の早駆けに対応できる程、時間に猶予はあるまい」

 「……そうだな。現時点では正式な布告はせず、シャッホロはあくまで秘密裏にナコクへ協力を惜しまない旨を伝えるべきだ」

 「そうですね。城の復興資材や緊急時の派兵など後ろ盾があるか分かっているだけでも、ナコクに余裕が生まれますから」

 「であれば、直ぐに文と資材を幾許か送らせよう。あくまで秘密裏にね」

 

 話すべきことは話した。時間は有限であるが、シャッホロが味方の意思を示してくれている、今回はそれだけで十分すぎる収穫だった。

 あとはライコウに利用されないよう情報工作する。そういった仕事は、影である自分の役目だ。アトゥイがこの案を蹴れば、また別の手を考えねばならない。

 

 「……オシュトル殿の文に、万事君に一任していると言った理由がわかったよ」

 「ん?」

 「新しき聖上の御旗に集うは、彼の右近衛大将オシュトル、そして君が……新たな双璧であるわけだな。かつてのヤマトとは違うが、面白い国になりそうだ」

 

 ソヤンケクルは得心が言ったという表情で、感慨深い様子で頷く。

 

 「いやいや、あんまり期待されても困るぞ」

 「何を言うハク殿、その仮面の力を使いこなす時点で、その実力は十二分に各国に知れ渡っている。そして、今回の救出劇からもわかるよう、オシュトル殿や姫殿下にとって君がいかに重臣であるかもね。姫殿下は君が戻ってくるまで――」

 

 異を唱えようとしたが、それよりも先に皇女さんが誤魔化すように口を挟んできた。

 

 「ハ、ハク! 此度の話は終わったのか?」

 「ああ、皇女さん。とりあえず今はまだ皇女さんの出番はない」

 「なら夕餉にするとしようかの、皆はもう食べておるぞ! 急ぐのじゃハク!」

 「ほいほい」

 

 そういえば、会議の途中からずっと自分に視線を送ってきていたな。何か言いたいなら勝手に言うだろうし、何も言わなかったが。

 会議前の不機嫌はどこへやら、笑顔で先導する皇女さんについて行く。

 そんな自分たちの背を面白そうな目で見るソヤンケクルの瞳が、妙に気にかかった。

 

 皇女さんに連れられて行った夕餉は、ソヤンケクルが用意したのだろう、自分の帰還もあり豪華な食事や酒に溢れていた。

 仲間との時間は楽しかったが、その場にもネコネの姿は見当たらない。

 心配になり探しに行こうかとも思ったが、クオンが様子を見に行くというので、自分も行った方がいいかと聞くと、まだ時間がかかるかも、と断られた。

 なら、クオン達に任せて自分はいいかと判断し、そのまま夕餉の時間を過ごしたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 厠を探して夜半渡り廊下を歩いていた頃、窓から見える夜闇の中に浮かぶ海の景色が美しく、つい立ち止まろうとした時だった。何者かの話声が聞こえた。

 悪いと思いながらも好奇心が抑えきれず、覗いてしまった。するとそこには、アトゥイとイタク、二人の姿があった。

 

 「約束を覚えておりませんか?」

 「約束?」

 「覚えておられないのも仕方ありませんね、幼少の頃ですから……伯父上から聞いてはおりませんか? 私があなたの許嫁であるということを」

 

 顎に手を当てて首を傾げていたアトゥイであったが、暫くして合点が言ったのか

 

 「あっ、イタクはんってもしかしてあの小さい男の子け?」

 「あの、というのが誰かはわかりませんが、多分その男の子です」

 「あやや、ごめんなぁ。ウチ、すっかり忘れてたぇ……」

 「いえ、何分幼い頃のことです、仕方がありませんよ。ですが私は、この時が来るのを一日千秋の思いで待っていました」

 

 そっと深く膝をつき、アトゥイの手をうやうやしく取る。

 

 「ふぇ?」

 「幼い頃より貴女を片時も忘れたことはありません、まさかこのような形で再会することになるとは」

 「は、はあ」

 

 これは珍しい。イタクの爽やかな笑顔に、アトゥイが困ったような微妙な表情でどぎまぎしているぞ。

 

 「ええと……」

 「少し貴女と昔話をしたくて、構いませんか?」

 「う、うん、ええけど……」

 「では、昔、貴女に――」

 

 これ以上は、邪魔しちゃ悪いな。こっそりとその場を後にする。

 しかし、イタクも優男に見えて中々いい口説き方をする。流石皇子だな。

 いつもなら積極的なアトゥイの反応も今までの感じに比べれば悪くはないし。これは、別の案を考える必要もないか?

 

 「――と思っていたんだがなあ」

 「? なにけ?」

 

 あれから数刻もしない内に、アトゥイは酒瓶をもって部屋に転がり込んできた。

 何だかよくわからない酔い方をしているようで、その飲むスピードも早い。

 

 「はあ~」

 「……なんだ、何か悩みでもあるのか」

 「ほぇ? やっぱりおにーさんには何でもわかるんやねぇ~」

 

 そんなあからさまに溜息つかれてりゃ、そりゃな。

 心当たりも無いでも無いし。

 

 「あのなぁ、ウチなぁ……イタクはんに告白されてしもうたぇ」

 「良かったじゃないか」

 「……」

 

 むー、と何か面白くなさそうな表情でこちらを見るアトゥイ。

 

 「で、何を悩んでいるんだ。イタクはいい漢だと思うがな」

 「そやねんけどなぁ、ううん、でも何かもやもや~っとしたのが、胸につっかえている感じがする」

 「もやもや、ねぇ」

 

 あんだけ恰好いいだの、恋がしたいだの言っていたのになあ。

 しかし、そのもやもやとやらを取り除かねば、イタクとの婚姻はならず、同盟の締結も遠のく可能性がある。自分が話を聞いてもやもやが取れるなら聞くべきとも考えた。

 

 「で、もやもやはどうやれば取れるんだ」

 「わかんないぇ」

 「ふむ、じゃあ、何でここに来たんだ」

 「おにーさんなら答えがわかるかと思ってきたけど――そうや、おにーさんに聞きたいことがあったんぇ」

 「何だ?」

 「……おにーさんは、ウチがいなくなったら寂しいぇ?」

 

 何だろう、その質問は。何と答えるのが正解なのか。

 アトゥイの瞳は潤み、頬は酒のせいか少し紅潮しているように見える。くりくりと瞳がこちらを窺うように動いていた。

 

 「……酒呑みの相手が一人減るだけだな」

 「あー、おにーさんほんま最低な男やぇ」

 

 唇を尖らせて言うアトゥイ。

 そして、生まれてくるもやもやを隠すかのように胸に手を当て、ぼそりと呟いた。

 

 「……ウチは、寂しかったんよ」

 「ん?」

 「ウチな、今まで戦で人が死ぬなんて当たり前やと思ってたんよ。でもな、いざおにーさんがいなくなるかも~って思ったらな? なんやもやもやしてたんよ」

 「……そうか、心配かけたみたいだな」

 「ほんまやぇ、ほんと、おにーさんは不細工仮面の癖して最低な男やぇ」

 「仮面が不細工なのは自分のせいじゃないぞ」

 

 うひひ、と朗らかに笑うアトゥイ。

 アトゥイの中で、自分はネコネやクオンと同じように仲間として大切な存在になっていたようだ。それを嬉しく思う自分がいた。

 

 「……でな、断ってもうたんよ」

 「は?」

 「というか、もやもやする~って言ったらな、イタクはんが途中で諦めたというか……」

 

 暫く二人で話しあった後だそうだ。やはり貴女の想う良き人には勝てない、私との約束はあくまでも子供の頃の話、私は身を引きましょう、とか言われたそうだ。

 なんだそれは。そんな簡単に身を引くほどのことがあったのだろうか。あれだけ一途な男だ、すぐ心変わりするような奴でもないだろう。それに、同盟の件もあったはず、それをわかっていながらも諦めたのか。

 しかし、本人らがそう決めたのであれば、自分には何も言えないな。

 

 「そうか……ま、それならそれでいいんじゃないか」

 「そう思うけ?」

 「ああ、振られたんだろう? なら、いつも通りヤケ酒に付き合うさ。酒飲んで愚痴っているアトゥイの方が、アトゥイらしい」

 「……うひひ、やっぱりおにーさんは、ウチのことよーわかってるなぁ」

 

 アトゥイはそう言いながら、自分と密着するほどの距離に座り直すと、窓から見える景色に目を向ける。

 

 「はあ、今日はほんとに月がきれいやぇ。おにーさんには、今日はとことんつきあってもらうぇ?」

 「おいおい、流石に手加減してくれ」

 

 二人で月を眺めながら、盃を傾ける。その動作は、先ほどまでのように早いものではなく、ゆっくりと今この時の時間を楽しむようなものであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 「……飲みすぎたなあ」

 

 アトゥイが満足して帰った後、気がかりだったネコネの部屋に行こうかとも思ったが、酒盛りが長引いて随分遅い時間になってしまった。もうネコネも寝てしまっているだろう。また明日にでも、会いに行くとしよう。

 

 そういえば、双子の姿が見えないな。アトゥイが部屋にいた時からずっとだ。珍しい。まあ、いい。とにかく頭が重い。早く寝てしまおう。

 

 「……」

 

 暫く眠れたのだろう、今何時だろうか。外は相変わらず暗いようだから、朝ではない。

 しかし何だ、酒のせいで頭が重いのは相変わらずだが、体も重い。やはり色々あって疲れていたのかもしれないな。

 

 しかし、妙に布団が重い、というか何だかいつもと違う甘い匂いもする。そう思って下を向くと、布団が妊婦のように膨らんでいた。

 

 「……またウルゥルサラァナか、重いからどいてくれない……か」

 「……すぅ……すぅ」

 

 布団の中には、なんとネコネがいた。

 自分の服を両手でしっかりと掴み、胸に覆いかぶさるようして眠っている。

 

 「……どういうことだよ」

 

 重いはずの頭が瞬時に覚醒し、冷や汗がだらだら出てくる。

 酒に酔って何かしでかしただろうか。何も記憶がないが。だが、その心配は杞憂であることがわかった。

 

 「……いかないで、欲しい、のです」

 

 寝言なのだろう、そう呟いて目元から一滴涙が零れた。

 悪い夢を見ているようだ。表情は苦悶そのもの。

 

 「……心配、かけていたんだな」

 

 多分、ネコネが自分から潜り込んできたのだ。

 

 自分なら大丈夫だと、そう思っていたのだ。一時的に捕まろうが、自分なら飄々と生き延びられると思われていると。

 オシュトルに期待され、面倒と思いながらも自分はそれが少し嬉しかったのだろう。つい、自分らしくない無理を、皆の前でしていたのかもしれない。いや、仲間から頼られることの心地よさを、誤解していたのかもな。自分のできる領分を越えて、色々やり過ぎた。

 

 じく、と仮面が食いこんでいる骨が痛む。

 仮面の力を得て、自分は戦えるようになったかもと慢心もあったかもしれない。戦働きは頼りになる仲間に任せて、自分は楽をさせてもらおう。心配かけない、ためにもな。

 

 「ハク……さん」

 「もう大丈夫だ、ネコネ」

 

 夢を少しでも良いものに。心配かけた分、少しでも癒えればよいとその頭を撫でた。

 すると、その想いは届いたのか表情が和らぎ、寝息も穏やかなものへと変わった。

 

 自分も安心して眠りにつき、そして翌朝目が覚めると、そこにネコネはいなかった。

だが、残された香りから夢ではないことがわかる。

 

 「主様、おはようございます。間違いは起こりましたか?」

 「昨日は譲った」

 

 昨晩はどこに行っていたのか。ネコネに気を使って、二人して様子を見ていたのだろうか。甲斐甲斐しく世話を焼こうとする二人を手で制しながら、いそいそと着替える。

 

 「……何のことかわからんな」

 

 ま、気づかないフリをしておくか。朝自分が起きる前に出ていったということは、ネコネも知られたくないんだろう。そう思い、とりあえず心配かけたことを謝ろうとネコネの姿を探すのだった。

 




 この3年で色々ありましたが、特に大きなイベントはロストフラグのゲームですね。時間もないしネコネも出ないしでやめてしまいましたが。

 ショックだったことは、ハク役の声優さんが亡くなってしまったことです。本当に好きな声優さんでした。台詞を書けば頭に浮かんでくる声でした。
 自分の書いた二次創作に、もし声をあててくれたら……とか、色々妄想していただけに、とても悲しかったです。
 ご冥福を心よりお祈りしております。


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第二十三話 同盟成るもの

 明朝、会議室にてイタクからの婚姻手段は無理という報告を受け、別の策を考えることとなった。

 まあ、自分は昨晩アトゥイから聞かされていたことでもあるので、前もっていくらか考えたが。皇女さん、ソヤンケクル、イタクが揃った後、自分の案を話すことにした。

 

「ハク殿、君の考えた新しい案とは?」

「皇女さんがここにいるからこそできる――新八柱将の設立だ」

「! なるほど……」

 

 ソヤンケクルが驚きとともに、納得の表情を見せたが、皇女さんとイタクはどういうことだと理解の外にある様子だった。

 

「現ヤマトは帝の決めた八柱将と近衛大将が互いの陣営に分かれて争っている。この歪な状態を解消することも含め、かの陣営の八柱将と近衛大将は裏切りの将とする――であれば、その空いた新しい枠が必要だ」

「八柱将ライコウ、ウォシス、トキフサ、デコポンポ、ヴライ、そして左近衛大将ミカヅチ……この六人の枠が空くね」

 

 改めて聞くと、八柱将ってほとんど朝廷側だよな。やはり油断ならない情勢であることを再確認する。

 

「その新八柱将の一人に、このイタクを推す」

「……なるほどなるほど、相変わらず末恐ろしいことを考える。朝廷にいる八柱将に正面から喧嘩を売る訳だね」

「ああ、そういうことだ」

「しかし、妙手だ。シャッホロ、ナコクにそれぞれ新たな八柱将がいる。それは戦乱において二つの国を聖上がお認めになったことに他ならず、併合などという手段は取り得ることはできない。忠義に篤いナコクにも納得できるものだ」

「わ、私が八柱将など……恐れ多い」

「何を言うのじゃイタク。そなたがミカヅチに勇敢に立ち向かったこと、ハクをこうして無事連れ立ってくれたこと、ハクより聞き及んでおる。その忠義に報いるのじゃから、これでは足りぬくらいなのじゃ」

「姫殿下……いえ、聖上、勿体無きお言葉であります」

「決まりだな。これで二心ありと謗られることもない。あくまで聖上に認められた対等の国としての同盟が立つ」

「私がアトゥイ殿を射止められなかったばかりに……ハク殿にはこのような献策までしていただきありがとうございます」

 

 まるで聖上に相対するかのような表情で、イタクは深々と頭を垂れる。

 そんな風に言われるとこそばゆいんだが。というか、アトゥイを射止められないのはイタクのせいではなく、アトゥイに問題があるだけだぞ。溺愛している父の前では言わんが。

 

「何を言うイタク、アトゥイはまだまだ父離れできない子どもだ。君でも落とすのは難しいさ」

 

 おいおい、おとーさんよ、嫁に行かないことあんま嬉々として言うなよ。それに一つ訂正させてもらえば、あの様子じゃ父離れしまくっているぞ。

 

 しかし一転、真面目な表情に戻ったソヤンケクルは、こちらに問い掛けてきた。

 

「しかし、他の新八柱将はどうするんだ? 特に左近衛大将は誰に任命する。新八柱将を擁立するなら、空白にしておくのはまずくないかい?」

「今はまだ空白でいい。あくまでその用意があることを示すだけだ。あんまりオシュトルに黙って勝手に決めすぎるのも良くないだろうしな」

「なるほどね……まあ、私がもしオシュトル殿なら、左近衛大将には――ハク殿、君を推すね」

「は?」

「左近衛大将に相応しき人物が他にいるとでも? あのミカヅチの侵攻を退けた仮面の者である君が。ヤマトの新たな双璧、並び立って指揮する姿が楽しみだよ」

 

 冗談じゃない、そんな肩書きを持てばどんな仕事が舞い込んでくるか。

 

「おいおいやめてくれよ。こんなぽっと出の自分より、今まで八柱将として支えてきた――」

「――私かい? 私はイタクと同列の八柱将でなければならないのでは?」

「む……確かにそうだが、まあ、その話は保留にしよう。とりあえず皇女さんの正式な布告は、ナコクへ赴き、イタクに八柱将の任を言い渡してから行うのが望ましいだろう」

「余はナコクへ赴けばよいのかの?」

「ああ、皇女さんとこの会議にいる者達、そして幾許かの兵でもって行軍する。勿論、疑われぬようナコクには予め意図を伝えておいた方がいいな」

「であれば、私から文と兵を準備しよう」

「文には聖上印も欲しいな。皇女さん頼めるか?」

「うむ、無論じゃ!」

 

 任せい、と言ったように胸を張る皇女さん。印を押すだけだが、えらく誇らしい。まあ皇女さんじゃないとできないことでもあるんだが。最初はどうかと思ったが、皇女さんがこちらに来てくれていて助かった。聖上御自らナコクへ赴くとなれば、ナコクに疑う余地はないだろう。

 

「さて、あとは――」

「同盟の証だね。それならばよいものがある。君達とは一蓮托生、運命を共にする固めの盃だ」

 

 そう言って扉の先にいたであろう部下に声をかけると、ぞろぞろと使いの者達が現れ、大きな瓶が運ばれてきた。蓋を開ければ、中から独特な甘い香りが漂い始めた。

 何でも、ハウラと呼ばれる地酒だそうだ。

 

「出来の良いのをさらに何十年も熟成させた、とっておきだよ」

「ほお、それは楽しみだ」

「さ、ハク殿、御仲間を呼んでくれ。ナコクへ文が届くには暫く時間がかかる。どう転んでも後悔の無いよう……宴を開こうじゃないか」

 

 宴か、それはあいつらも喜ぶだろう。

 一人二人呼びに行くのも束の間、案の定どこからか宴の匂いを嗅ぎつけた皆による盛大などんちゃん騒ぎが始まったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ネコネの姿を探していた。

 明朝、泊まっている部屋へ向かっても、どこかへ行っているようだとの言をもらい、宴の席でも結局会えなかった。クオンに話を聞いても曖昧に返され、私からは言いにくいから会いに行ってあげてとの言葉をもらった。

 なので、探しているのだが、これがまた見つからない。何人かに当てを聞いても、自分の背後を見て何かを察したのか、自分で探すべきとの言をもらってしまった。

 

「……ウルゥル、サラァナ」

「はい、何でしょうか」

「御用向き?」

「ネコネはどこにいるか、呪法で探してくれないか?」

 

 そう聞くと、双子は揃って目を閉じて拒否を示した。

 

「どうしても、と言われれば探すことは吝かではありませんが……」

「ご褒美」

「む……」

 

 最近はすぐこれだ。

 前回無理な要望を聞いたことによるご褒美がもらえてないことを、殊更に主張してくる。

 

「いや、クオンがいるし……」

「クオンさん、ですか。やはり……」

「決めねばならない」

「そのようです」

 

 双子は真剣な表情でお互いに頷き合う。

 

「何を決めるんだ?」

「主様の閨房八柱将です」

「最優先事項」

 

 同盟時に提案した新八柱将の話を聞いていたのだろうか。

 双子はふんふんと鼻息荒く――もない、あくまで当然といったかのような冷静な様子で提案してくる。その言葉の意味は、殊更に理解不能だが。

 

「……なんだそれは」

「まずは私達」

「主様の右近衛大将ウルゥルと」

「左近衛大将サラァナ」

「おいおい」

「そして各柱に、アンジュ様、クオンさん、ネコネさん、トリコリさん、ルルティエさん、シスさん、アトゥイさん、ノスリさん、マロロさん、エントゥアさん、シノノンさん、ムネチカ様、フミルィル……」

「八柱じゃ足りない」

「どうしましょう。これからのことを考え、八柱将改め、倍の十六将の方がいいかもしれません」

「名案」

「どこのどのへんが名案なんだよ!」

 

 体をまず八つに裂かれるわ。

 というか、いくつか入っちゃいけないお名前がありませんか、お二人さん。

 

「主様はこれからのことを考え、順番はしっかり決めておいたほうがよいと思われます」

「危険」

「お前達は自分の何を心配しているんだ」

「ただ、ちょっぴり私達への愛が重ければ大丈夫です」

「主様の双璧だから」

 

 だから何が大丈夫なんだよ。

 というか――

 

「そんなに女の名前が挙がるほど、たらしな事はしていないだろ」

「……」

「……」

 

 まじかよ、みたいな目で見るな。

 あくまで仲間としてだ。その気もないのに迫ったら失礼だろう。まあ、その気のある二人の誘いを袖にしまくっている自分としては何も言えないが。

 

「愛は平等に、時には重く注がなければどんなに美しい花でも枯れてしまいます。一度愛でたのであれば最後まで」

「甲斐性」

「とにかく……よくわからんが、ネコネは自分で見つけろって言うんだな」

 

 こく、とウルゥルサラァナは小さく首を動かして頷く。

 

「花に意識を向ければ、自ずとどこにあるかも、その美しさもわかるものです」

「灯台下暗し」

「ふむ」

 

 意識を向けるねえ、と思わずうなっていると、かさりと背後から物音がした。思わず振り返る。

 

「誰かいるのか?」

「っ!」

 

 しゅっ、と素早い残像を残して、柱の影に隠れた者が見えた。

 

「……誰だ?」

「ぅ……うな~っ」

「何だ動物か」

 

 そう思って双子を見ると、呆れたような視線で見られた。

 大丈夫だ、わかっているさ。神獣ヌコの鳴き真似したネコネだろ。何なら柱の影から尻尾見えているし。

 

「……」

 

 意識すれば見える、か。しかし、こう避けられていることがわかると、少し傷つくもんだな。

 

 ――いかん、ちょっとした悪戯心が芽生える。

 

「動物なら大丈夫か、二人とも行くぞ」

「はい」

 

 そう二人に声をかけながらも、自分はネコネが隠れた柱にずんずん近づいていく。

 そして、ネコネが出てくるのを待った。

 

 もう自分は行ったと思ったのだろう。恐る恐る、といったように、ネコネが柱から顔を出した瞬間、自分も柱から顔を出した。

 

「ぴッ!!?」

 

 その驚き様は大変面白いもので、全身が硬直したまま宙に飛び上がって驚いており、その尻尾もぴーんと天に向かって真っすぐ立っていた。

 あれだ、猫がいつの間にか背後に置いてあったきゅうりに驚く動画的な可愛さだ。

 

「くくっ、奇遇だな、ネコネ」

 

 余りにも驚いてくれるので、思わず笑ってしまう。その自分の様子を見て、さらに怒りが湧いたのか、目尻に涙を溜めて激怒するネコネ。

 

「お、お、お、脅かさないので欲しいのですっ!」

「すまんすまん」

「も、もう……ほんとに」

「……」

「……」

 

 あれ、終わりか? 脛は蹴らないんですか、ネコネさん。

 背後を見れば、双子は我関せずといったように距離を離している。別にこんな時に空気を読まんでも。

 

「……」

「……」

 

 わかっているさ。自分から言えばいいんだろう。

 

「……待たせたな、ネコネ」

「……え?」

「もう、無茶はしないさ。仮面の力も、自分には分不相応な力だったみたいだしな」

「……」

「暫くは、ネコネと一緒に裏方で働くさ。また、前みたいに勉強教えてくれるか?」

 

 こ、こんな感じの言葉が正解か? 確かめるように双子を見ると――おいやめろ、自分をそんなたらしみたいな目で見るな。

 

「……わ、わかったのです」

「え?」

「ハクさんは、すぐ捕まっちゃうくらいに弱くて駄目駄目ですからね、私がついてないと駄目なのです。兵法もまだまだ覚えてもらわないと兄様のお役には立てないのです」

「その通りだな」

「……神代文字だって、まだ途中なのです」

「そういやそうだな」

「だから――」

 

 ネコネの再び瞳が潤んできた。声も、少し涙声か。

 随分心配かけたようだ。ネコネには兄様のことや悪戯のことも含めて、そんなに好かれてないと思っていたんだが。ちゃんとした仲間になれていたんだな。

 

「もう、どこにもいかないさ」

「っ……わ、わかれば良いのですよ」

 

 ネコネはそう言いながらごしごしと目元を拭う。

 再び上げられた顔には、少しだがようやく元の可愛い微笑みが浮かんでいたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都会議室。

 ライコウは盤上をその手で操りながら、ウォシス、シチーリヤと共に今後の動きについて練っていた。

 

「シチーリヤ、イズルハはどうなった?」

「トキフサ様が応戦、しかし後退を迫られた模様です」

「ふむ、戦線の維持を誇るトキフサにおいても撤退を余儀なくされたか」

 

 ウォシスの撤退、ウォシスの言は、確かに間違ってはいなかったのかもしれぬ。

 しかし聞けば、エンナカムイの将にはオシュトル、ムネチカ、ヤシュマ、そしてそれらを指揮する采配師マロロがいたそうだ。オシュトルがいることによる戦意の高さと手堅い用兵術は勿論のこと、ムネチカの堅牢な前線意地戦法と、マロロの適切な戦線理解における采配が勝負を分けた。

 いくら数に勝り地の利があるとしても、凡夫であるトキフサのみでは荷が勝ちすぎた相手である。

 ナコクから急ぎ軍を引いていなければ、そのまま帝都に攻め込まれていた可能性も無くはない。帝都にて秘密裏に作らせている兵器も、未だ完成には程遠いこともある。

 はた、とウォシスを見れば、少し薄い笑みを堪えている。それが無性に気に障った。しかしとて信賞必罰、言わねばならないことはあるだろう。

 

「ウォシス、此度のナコク攻略に関する貴様の言、一理あったようだ。許せ」

「いえ、勿体無きお言葉です」

「しかし、俺に問うことを忘れてはならない。手足は、頭の指示無しに動かないものだ」

「承知いたしました」

 

 そして、かねてからの策について問う。

 

「そして……ウォシス、橋を落とせる手段が見つかったとの報告があったが、真実か」

「はい。帝都に残る資料からも、確実かと」

「実行は」

「今すぐにでも」

 

 これで懸念の一つは消え、実行の材料が増えたな。

 ウォシスの草の扱いについては、やはり一日の長がある。

 

「わかった。時機はまた追って伝える。下がるがいい」

「はい、ライコウ様」

 

 暫く盤面を眺め、やはり確認せねばなるまいと席を立つ。

 

「シチーリヤよ。我が愚弟を見舞いに行く。どこだ」

「ミカヅチ様ですか? 今は訓練場にいらっしゃる筈ですが……」

「そうか」

 

 ミカヅチは、ナコクより戻った際に深手を負ったという。しかも、ハクの手によって。

 ミカヅチから話を聞けば、仮面の力を十二分に使いこなし、その結果性格も好戦的なものへと変化したそうだ。ミカヅチより仮面の力を使う代償については聞いている。ミカヅチが今動けぬように、彼奴もまた少なくない代償を払っているはずだろう。

 

「調子はどうだ、我が弟よ」

「……兄者か」

 

 ミカヅチは訓練場で大剣を振ることもせず、ただ大振りに構えを取っていただけだった。満足に動けぬ奴なりの訓練法なのだろう。

 

「ナコクへの再びの侵略、できるか」

「……行けと言われれば、俺は行く」

「不調なのだな」

「……」

 

 一時期は剣も握れぬほどと聞いた。

 

「俺のこれは、油断の結果だ。ハクがまさか……」

「言い分は既に聞いた。次は勝てるか?」

「そう何度も使える力ではない、あれはな。であれば……俺が勝つ」

「それが再びの慢心でないことを祈ろう」

「……フン」

 

 衝撃。上段からのたった一振りで地盤が割れ、大量の砂塵が舞う。

 

「無論だ、兄者。俺はもう行ける」

「信じているぞ、我が弟よ。俺が真に信用して使える手駒は、そう多くないのだ」

「わかっている」

 

 奴等の同盟が刻一刻と迫っている。草の者からは同盟をより強固にするため、新たな柱を立てるつもりであるとか。中々に面白い手だ。かの国にいるハクの飄々とした表情が浮かび、思わず笑みが零れる。これではかねてより内乱を招くためにあった策動は効果が薄く使えまい。

 使える手とすれば、ウォシス配下の草が橋を制御する宝玉を手に入れること。そして、目の前のミカヅチによる全てを灰塵にする力のみ。

 

 開戦は近い。此度は、俺の勝ちとさせてもらおう――ハクよ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 自分たちは再びナコクへと戻っていた。

 此度の目的は、イタクへの八柱将任命と、シャッホロとの同盟である。

 

 ナコク首都ナァラ、ナコク皇とその重鎮達集まる場の中、皇女さんは凛とした立姿を見せていた。

 

「では、此度の朝廷軍を退けた名誉、そして余の忠臣ハクを守護した功において、ナコク皇子イタクを余の新たな八柱将に任命する」

「はっ! 聖上の拝命、しかと承知つかまつりましてございまする!」

 

 イタクは皇女さんに向かって深々と一礼し任命を受ける様を見せ、ナコク皇はその姿を誇らし気に眺めていた。

 

「次はシャッホロとナコクの同盟かの」

「ああ」

「では、双方前に出るのじゃ!」

 

 ナコク皇、そしてシャッホロ皇がそれぞれ皇女さんの前に出る。

 

「余の名の下、其方らは協力して敵軍を討ち果たすのじゃ! できるか、ナコク皇、そしてシャッホロの皇よ」

「我が命に変えましても」

「我ら聖上の名の下に」

「よき返事じゃ。では、ここに同盟は成った! 余は布告する! 聖上の名を騙る不届き者に天誅を。その力は、ナコクとシャッホロが余の名をもって示すのじゃ! 触れを出せ、余らの結束の証を!」

「はっ!!」

 

 随分、堂々とした姿が似合ってきたな。暫く前の少女らしい皇女さんとは大違いだ。

 と、思っていたのも束の間、皇女さんは式が終わった後にどたどたと勢いよくこちらに走ってくる。

 

「どうじゃったかの、ハク! 余の姿は!」

「助かったぜ。皇女さんじゃなけりゃ、できなかったことだ」

 

 そう伝えると、皇女さんはさらに喜色満面、照れたように笑う。

 

「でゅふふふふ、そうであろうそうであろう。余も其方ばかりに任せておれんからな。しかしハクよ、余への褒美は期待しておるぞ」

「ああ、わかっている。菓子でも持ってくさ」

「沢山じゃぞ? わかっておるな、沢山持ってくるのじゃぞ!」

「はいはい」

 

 威厳も何もあったものではないが、これもまた皇女さんらしい。

 さて、ライコウが手を拱いて見ているとも思わない。戦は近いだろう。さて、どうするか。

 献策の仕方について考えていると、イタクが真剣な表情で話しかけてきた。

 

「ハク殿、お話があります」

「ん? どうした」

「此度のナコク防衛における戦略、ハク殿には我が国の采配師に協力していただきたいのです」

「それは構わんが、いいのか?」

「はい、ハク殿がいれば心強い。そして願わくば――ナコク兵を主軸にして作戦を組んでいただきたいのです」

 

 なるほど、それを言いに来たのか。

 しかしとなると、同盟の意味が薄れてしまうが。

 

「……シャッホロとの同盟はどうするんだ?」

「シャッホロには船での援護や伏兵の処理をお願いします。朝廷と正面からぶつかるのは、我がナコク兵にどうか」

「……意図はわかる。皇女さんがいるからだよな」

「その通りです」

「しかし、皇女さんが八柱将にイタクを任命したんだ、それで十分じゃないか?」

「いえ、私だけではない、我が国としての強さを見せたいのです」

「……」

「我らだけで戦いたいのです。これは、聖上が御覧になる戦い、ナコクの民がいかに勇敢で、朝廷にも負けぬ強者であるかどうか御示ししたい。どうかハク殿、何卒ナコク軍を主力として扱ってください」

 

 無下にはできない願いではある。

 ナコク兵は確かに精強だが、相手はあのミカヅチ。犠牲は大きいだろう。しかし、それでも示しておきたいのだろう。

 

「わかった。献策の際に、考慮する」

「はい。そして、実際の戦となれば、ハク殿とその御仲間には、もしもの場合を考え宝玉を守っていただきたいのです」

「橋を制御するやつか」

「はい。安置所にて誰にも触れられぬ場所に隠しています。その道へと続く場所を、ハク殿の精鋭達に護っていただければ心強い」

「なるほどな。敵の狙いはこのナコクの陥落、そしてあの大橋だ。宝玉を守れば、橋は守られる」

「はい、御頼みできますか?」

「わかった、皆に伝えておく」

「ありがとうございます」

 

 では、自分にできることは後方支援だな。今回は、ナコクの力を借りて、戦働きなんてものは遠慮させてもらおう。

 ナコクの意地が通せるよう、そして自分が槍持つ必要の無いよう、せめて作戦だけでもいいものを考えないとな。

 

 しかし、作戦会議に入っても良い献策はできなかった。

 なぜならば、ナコクの参謀達の本気は半端でなく、ナコクの天然の要害を利用した籠城作戦には隙が無かったためである。

 前回は不意を打たれたものであったが、ここまで用意周到に作戦を立てていれば、たとえミカヅチであってもこの砦を落とすには容易ではない。

 自分の出番は無いようだと思っていたのだが――

 

「ハク殿からは何かありますか?」

「え? え、ええと、う~ん」

 

 突如意見を求められ、答えに窮する。

 どうしようかな。無いと言ってもいいが――そういえば、ネコネとの戦略本で見た項目があったな。

 

「話を聞いている限り、外からは容易には落とせないことがわかった。ただ、中から崩されるような場合は、あったりするのだろうか?」

「……確かに、ハク殿の言も考慮せねばなるまいな」

「そういえば、城には隠し通路があったはずだ。敵が掴んでいるやもしれぬ」

「おお、そういえばそうだ」

「では、ハク殿の御仲間や軍にそこを警護してもらえば」

「それがよい、それがよいぞ」

 

 話はまとまったようだ。自分の仕事が増えるという形で。

 

「ハク殿、申し訳ありませぬが、この城の設計図をお渡しします。この隠し通路と宝玉に至る道の調査をお願いします」

「自分たちで足りないと思えば、兵をいくらか回してもらうがいいか」

「あい分かり申した、都合をつけましょう」

 

 さて、ではあいつらを呼んで調査に入ろうかね。

 

 そして仲間を集め、設計図とにらめっこしながら地下を調査すると、ナコクの地下はまさに迷路そのものであった。

 天然の要害を利用した城というだけあり、地下にある大きな空洞を生かした排水路や自然経過でできた穴など複数個所ある。地図にも記されていない道がアトゥイやイタクからも示され、地図だけでは把握しきれていない道が多々あったのだ。これを護るとなると、戦力を分散せざるを得ない。

 

 その報告をかねて、ある人物に相談に伺った。

 

「――そして、この儂自身が宝玉を守るということですな」

「ああ、それが一番いいと思う。皇女さんの見ている前で、イタクが新八柱将としての功績を立てるためにも、皇はこっちに居た方がいいだろう」

 

 しかし、宝玉が安置してある部屋に繋がる道は一つだけ。その前には多々隠し通路があるが、そこは自分達で守ればいい。

 この国きっての武闘派である皇自身が最終防衛線として宝玉のある部屋を守り、そこに至る存在は自分たちが抑える。そういうことになった。

 

「ふむ、ハク殿がそう言われるのであれば、そうしよう」

「護衛は自分たちが務める。この部屋には決して立ち入らせはしないさ」

「分かり申した。しかし、儂だけでは荷が勝つな。信頼がおけ、武力に勝る宰相と大臣にも声をかけよう」

 

 籠城戦においては、イタク指揮のもとソヤンケクルが臨時の采配師として補助に立つ。そして現皇は、この国の最も大事な象徴を守る。それが、ナコクとの間で決めた采配であった。

 

 皇が宰相と大臣を呼んで先ほどの作戦行動について話をしている間に、自分は各伝令役に支持を飛ばす。

 

「各部隊の配置について、この通り伝達してくれ」

 

 地下地図と配置番号を振ったものを見ながら、各伝令に示していく。

 

「作戦行動は、隠し通路出口の警護だ。接敵した場合は伝令役を軸に周囲に知らせろ。応援が必要な場合に伝令役が負傷もしくは使えない場合は、残存している数字の大きい部隊が伝令役を担当し、残りは時間稼ぎだ」

「はっ」

「シャッホロ軍を隠し通路出口のある森に広く配置しておく、内部応援だけでは足りない場合は、戦太鼓を鳴らせば駆けつける手筈だ。各部隊必ず持っているようにしてくれ」

「了解しました」

「自分たちは、この地図にない場と、内部を警護する。確実にいるのはこの部屋だ。想定を大きく越えた事態があれば報告に来てくれ。以上、解散」

 

 伝令が内部残留部隊に各々伝えに行くのを見ながら、今度は自分たちの部隊へと目線を移した。

 さて、とクオン他数名の自分たちが誇る最大戦力を前に、今回の作戦行動を説明していく。所々の質問に答えを返しながら出た話の結論は、

 

「つまり、皇と宝玉がある部屋に繋がる、この場所を守るってことかな」

「そうだ」

 

 地図を指さしながら、隠し通路は無数にあるが宝玉のある部屋へ行くには、ここは必ず通らなければならない唯一の場所であることを説明する。この場所は多数の隠し通路の交差する場所でもありどこから敵が出てくるかわからないが、虱潰しに隠し通路を塞ぐよりは最大戦力でもって待ち構える方がよいだろう。

 

「場所の広さからいって、複数の敵が来たとしても接敵人数は抑えられそうですね」

「各出口や隠し通路には軍を配置しているし、そこを突破してきた猛者だけを自分たちは相手取る」

「腕がなるじゃない」

「うひひっ、おにーさんは決戦の場作りが上手やぇ」

「さ、あとは朝廷の動きだけだな」

 

 その思いを抱いたまさにその時、伝令が慌てて飛び込んできた。

 

「伝令! 朝廷軍の動きあり! イタク様より配置につけとのことであります!」

 

 来たか――ライコウ、そしてミカヅチ。

 宰相、大臣と話し込んでいた皇に駆け寄り、作戦開始の合図を求めた。

 

「ふむ、我が息子の面目躍如となることを祈るとしよう」

「大丈夫さ。ナコクがこれだけ一枚岩となっていればな」

「ありがとう、ハク殿。では儂は宝玉のある部屋で待機しておる」

「ああ、こっちも作戦行動を開始する。よし、いくぞお前ら」

 

 思い思いの返事が返ってきたあと、作戦行動を開始する。

 イタクにより城門は閉められ、徹底した籠城戦術が始まる。自分たちは心臓を喰い破られないように、中を守るだけだ。

 

 そして、宝玉へと繋がる場所に陣取った自分たちの前に現れたのは――

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 隠し通路の壁を爆音と共に消し飛ばし、濛々とした白煙の中に現れたのは、雷電を纏った一人の戦士だった。

 

「待ち伏せか。しかしここで会うとはな。やはり、俺と貴様は戦う運命にあるようだ」

「ミカヅチ……ッ!」

 

 ミカヅチについては、伝令により先駆け隊に姿を見せなかったとの報告があったが、まさかここの居ようとは。草の者に任せられぬと判断し、最大戦力を橋の破壊の為に用意したということか。それほどまでに宝玉の破壊はライコウにとって必須のことなのだ。

 

「久しいな、ハク。先日は世話になった――借りを返しに来たぞッ!」

 

 ミカヅチから閃光が迸り、目にも見えぬ速度の斬撃が振り下ろされた。皆で一斉に散るようにして避けるも、地に打ち付けられた衝撃は易々と床を破壊し、大量の砂塵が宙を舞った。

 

 ――仕方がない。

 

「皆、やるぞ!」

「応さ! 旦那を攫った借りを返すじゃない!」

「私達に任せてほしいかな!」

 

 ミカヅチを囲むようにして布陣する。

 キウルとノスリによる援護射撃に、アトゥイとヤクトワルト、そしてオウギによる前線維持、クオンやネコネによる支援が上手く嵌り、流石のミカヅチも待ち伏せによる不利を悟ったのであろう。

 しかし、それでも互角といっても遜色ない暴れ様であり、これだけのもののふを相手に継戦できるミカヅチはやはり剛の者であった。

 さらにとどめの一手をと自分が前に出ようとすると、ウルゥルサラァナに制される。ああ、わかっているさ。戦いは他の者に任せる、提案するだけだ。

 

「ミカヅチ、流石のお前でも自分達全員を相手取るのは不利だろう。引いたらどうだ」

「戯言を。しかし、やはり邪魔が入るのは興醒めよな。であればそろそろか……」

 

 再びの爆音。別の隠し通路より白煙を伴って現れたのは、異形としか表せぬ偉丈夫であった。

 

「にゃぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

 

 その声色に未知の恐怖と、旧知の間柄と再会したかのような、奇妙な違和感を感じ取る。

 顔は奇妙な仮面で判別不能、その体躯はヴライよりも大きく、ぎりぎり人間といってもよい形をしているが、所々の肉は裂け異常な匂いを発している。遡ってもこんな知り合いはいない。

 しかし、その声は、聞き覚えがあった。

 

「にゃぶ、ハク、にゃぶ、そちだ、にゃぶ、け逃げ果せるとは、にゃぶ、いかない、にゃぶ、よ」

「まさか――デコポンポ、なのか?」

 

 その疑問に答えたのは、奇妙な笑い声を上げ続ける異形ではなく、唾棄すべき物を見るかのようにしていたミカヅチであった。

 

「そうだ。貴様らに悟られぬよう、橋を渡らず共に長い時間をかけ大回りして来た。俺の経験する戦の中でも最も不快な進軍であったが、そのツケは貴様らに払ってもらうとするか」

「なぜだ……いくらデコポンポとはいえ、こんなことを」

「ハク、貴様が兄者を焚き付けたのだ。使えぬ手駒を使えるようにした……それだけだ。兄者も俺も、形振り構ってはいられぬ」

 

 デコポンポと命名されたそれは、ミカヅチと対していたオウギやヤクトワルトに突っ込みその巨躯から繰り出される重い殴打を浴びせている。

 

「ハクさん! こちらはお任せを!」

 

 オウギとヤクトワルトがデコポンポに瞬足の斬撃を振るうも、歪な金属音を響かせ弾かれた。

 

「おいおい、堅ェじゃない!」

「ふむ、肉に金属のようなものが混じっていますね。断つのは不可能でしょう。削ぎ落としていきましょう」

「応さ!」

 

 あの様子では二人に任せるのが得策か。そして、物理面で耐久性があるなら、呪法ならばどうだろうか。

 

「ウルゥル、サラァナ、そしてネコネ! ヤクトワルトとオウギの援護に回れ! クオンは支援役だ!」

「わかったのです!」

「わかったかな!」

「主様……」

 

 ウルゥルとサラァナだけが、自分の指令に対して不安げな顔をする。わかっている、無茶はしないさ。

 

「二人がさっさとあいつを倒してくれ。そしたらこっちに合流してくれ」

「御心のままに」

 

 ノスリとキウルの援護射撃を背に、未だミカヅチと打ちあうアトゥイに向かって走る。

 

「待たせたな、アトゥイ! 一緒にやるぞ!」

「ええんよ、おにーさんが来なくても。ウチ一人でも十分楽しんでるぇ! ええなぁ、ええなあミカヅチはん。ほんまええ漢やぇ!」

「ふん、シャッホロの姫か。なるほど死線は潜ってきたと見える――が」

「ッきゃん!」

 

 ミカヅチによる大振りの剣戟を受け止め切れず、アトゥイが吹っ飛ばされる。寸でのところでアトゥイの体を受け止めるも、あわや二人まとめて貫かれるようなミカヅチの追撃手は、ノスリによる阻止の矢がミカヅチを襲ったことで未然に終わった。

 

「アトゥイ、一人じゃ無理だ。自分と連携するぞ」

「……おにーさんが奪われてむしゃくしゃしてたのは、ウチも一緒け。ミカヅチはんに仕返しせんと気が済まないぇ! おにーさんにええとこ見せさせてーな!」

 

 普段オシュトルの強さを垣間見ているからこそのアトゥイの自信であろうが、ミカヅチの強さはオシュトルの強さとは違う。

 ミカヅチは強い。オシュトルと違い、容赦がない。普段は義と情を持ちながらも、いざ戦になれば徹底して義と情を捨てることができる。破壊的な武を示すことこそが最も犠牲の少ない道と信じて戦うミカヅチは、何より手強い。正しく奴は、オシュトルと双璧を成すものなのだ。

 

 アトゥイのぎらぎらとした殺意の目。心底この戦いに溺れた様子を見て、アトゥイの死期を感じた。何か言わねば、アトゥイの行動に紐を付けて制限することはできないだろう。仕方ない。

 

「……アトゥイの良いところはもう十分知っている。だが、そうやってヤケになって一人で突っ込むのはアトゥイの悪い癖だ」

「おにーさん……?」

 

 アトゥイにとって思わぬ言葉だったのだろう。不思議そうに振り返るアトゥイに、決意を以って伝える。

 

「お前の考えなど知るか。自分にもやらせろ、アトゥイ」

「……おにーさん、いつからそんな好戦的になったんぇ?」

「嬉しそうに言うな。酒飲み相手が減るのは、自分にとっても嫌だからな」

「うひひっ、素直じゃないぇ」

 

 大剣を肩掛けにして構えるミカヅチの眼前に向かい、鉄扇と槍を交差するように構える。

 ミカヅチは自分たちを見て、満足そうに笑った。

 

「さあ、死合え。貴様と再び会い見えるために、俺はここに来たのだ」

 

 ミカヅチの瞳が憤怒の色に染まったかのように光り、ぶれる。空間がねじ曲がったかのような速度で、自分の上半身を消し飛ばす斬撃が放たれた。

 

「くっ!」

「させないぇ!」

 

 アトゥイの突きが、ミカヅチの太刀筋にかち合い、鈍い金属音が響き渡る。危なかった、避けきれぬ速度で放たれたそれはアトゥイのおかげで寸でのところで回避できた。今度はこちらが支援する場面だ。

 

「……ほォ、やるな」

 

 アトゥイと示し合わせたわけでもなく、交互に攻撃を繰り出す。ミカヅチが剣を振るう前に懐に飛び込んで攻め続ける。そしてそこにまた絶妙の時機に矢が飛び、ミカヅチを防戦一方にさせていく。

 そして、足元に矢を受け、ミカヅチが思わずといったようによろめいた。

 

「――とったぇ!」

「ッ!」

 

 判断が早い。時間が緩やかにも感じられる速度の中、ミカヅチの口唇の端が歪む。

 やはり罠か。よろめいたフリで攻撃を誘ったのだ。悠々と構えアトゥイを迎撃せんと構えるミカヅチに、このままでは負けると直感し、思わず飛び込んだ。

 

「させるか!」

 

 ミカヅチではなく、ミカヅチの構える剣に向かって、鉄扇を叩き下ろすように振った。

 

「むッ!?」

 

 ほんの一瞬だけ、仮面の力を借りたその斬撃は、ミカヅチの罠を打ち破るに相応しいものだったのだろう。ミカヅチは構えを解き、大きく後ろに飛んでアトゥイの追撃を回避した。

 

「いいぞ、ハク。その力だ! 我ら仮面の者が死ぬるは、仮面の者がいる時だけだ。お前の限界を見せてみろッ!」

 

 ――タタカエ。

 

 ヴライの影が、頭にチラつき、酷い頭痛が襲う。

 

 ――タタカエ。ホノオヲマトエ。

 

 しかし、決めたのだ。

 

 すまんな、ミカヅチ。あまり力は使わないと約束した手前、お前の要望には応えられん。

 電撃を纏った剣戟を力任せに受け止めるのではなく、あくまで仲間たちとの連携を見越して避ける。

 きっと力任せに受け止めてしまえば、仮面の力に呑まれてしまうだろう。

 

「おにーさん! とってもいいぇ! ウチ、こんな楽しい戦い初めてやぇ!」

「ああ、そりゃよかったな!」

 

 だが、今は頼りになる仲間がいる。アトゥイがいれば、自分は支援だけでいい。こいつらは、早々やられたりはしないのだから。

 

「ハク、頭を下げろ!」

 

 ノスリとキウルの矢が迫る。ミカヅチが攻めても攻めても、ひらりひらりと避けては攻撃に転ずる自分を見て、ミカヅチの瞳にはやがて失望の色が浮き出ていた。

 

「フン、随分冷静に戦うのだな、ハクよ。あの時の覇気はどうした?」

「生憎、仲間がいる間は無理に使う必要もないんでね」

「そうか……」

 

 ちらり、とデコポンポを見やるミカヅチ。

 デコポンポは、耐久性と破壊力には自信があるものの、動きは緩慢であったようだ。既に再生能力も打ち止めのようで、防御行動すら少なくなっていっている。

 

「敗色濃厚か。まあいい、貴様が誘いにすら乗って来んのであれば、俺の役目はここまでだ。欲を言えば、あの時の貴様ともう少し剣を交えてみたかったがな」

「ミカヅチ? 何を――」

 

 一瞬のことであった。ミカヅチは背を向け、元の隠し通路へ駆けていった。

 

「逃げ……た?」

「どういうことだ、あの剛の者が……」

 

 キウルとノスリが唖然と呟く。

 

「追うけ?」

「いや、追撃よりも、今はとにかく状況確認が先だ」

 

 珍しく突出することもなくまずは意見を聞こうとしたアトゥイに驚きつつ、デコポンポに振り返る。するとどうだ、もはや動くこともなくただ奇妙な笑い声を上げ続ける肉塊がそこにはあった。

 

「ハクさん、いかがされますか?」

「助かるかどうかわからんが、一応拘束しよう。ウルゥルサラァナ、拘束呪法を頼む」

「わかった」

「御心のままに」

 

 文様が浮かんだ陣の中心で、未だ声を上げ続けているデコポンポも、やがて拘束呪法により徐々に見覚えのあるデコポンポの体へと収縮していった。とりあえず、一段落か。

 ミカヅチへの追撃命令を下すか判断に迷っている間に、宝玉のある部屋より、叫び声と物音が響いた。

 

「……嫌な予感がするじゃない」

「皇のいる部屋を確認したほうがいいかな」

 

 クオンの提案に皆が頷き、宝玉のある部屋へと急いだ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 部屋を勢いよく開け放つと、宝玉が安置されていた場所に宝玉は無かった。あったのは、血を流している皇と宰相。そして、宝玉と剣を手にし双眸より涙を流す大臣の姿だった。

 

「……ハク殿か」

「お前、内通者だったのか?」

 

 彼は献策時の頃より参加していた大臣だ。ナコクへの功績厚く、次期宰相とまで言われていた人物だったはずだ。

 しかし、現にこうして裏切りの現行犯を見てしまったからには、自分たちも武器を構えざるを得ない。宝玉を取り返す機会を窺いながらヤクトワルトやアトゥイに目配せし、じりじりと間合いを詰める。

 

「……許してください、ナコク皇。そしてナコクの無辜なる民よ。帝都に息子がいる私には逆らえぬのだ。ナコクの国も、橋も、皇も私の息子には代えがたいのだ」

「貴様……ナコクの誉れを、聖上のお心を裏切るかッ!」

 

 宰相は額から血を流しながらも、激昂した。

 皇は大臣の姿を見て二の句が継げない様子だ。

 

「……私は死ぬ、数多の業を抱えて……しかし、息子さえ、息子さえ無事であれば、私は……」

「止せ!」

 

 制止も空しく、大臣は宝玉を握りしめ天高く振り上げた。

 

「させねぇ!!」

 

 抜刀。

 大臣が今まさに宝玉を壊さんと腕を振り下ろした瞬間、ヤクトワルトが大股三歩はあるかという距離を一瞬で詰め、瞬速の居合でもって大臣の腕を跳ね飛ばした。

 高く跳ね上がる血飛沫と煌く宝玉が宙に舞い、あわや地面に激突という寸でのところで、アトゥイが滑り込んで宝玉を掴みとる。

 

「はぇ~、危なかったぇ……」

「助かった、ヤクトワルト、アトゥイ」

「ぐぅっ……!!」

 

 もぎ取られた腕からあふれ出る鮮血をもう一方の手で抑える大臣を、ヤクトワルトは拘束する。

 

「何か言うことはあるか」

「……私はただの時間稼ぎ。本当の恐ろしさはこれからです。貴公達は敵に回してはいけないものを相手取っている。あれほど残虐なことができる者など――」

 

 そう言って、事切れた。

 血を流しすぎたか。だが、治療すればまだ情報を引き出せる筈だ。

 

「クオン、皇達と大臣を治療してやってくれ」

「わかったかな」

「宝玉を守ったこと、そしてミカヅチの撤退をイタクに報告してくる。クオンとルルティエ、ネコネの治療班はここに残れ、護衛にヤクトワルトとオウギ、ノスリだ。それ以外はついてきてくれ!」

「わかったぇ!」

 

 そして、その命を下した後に響くはナコク兵の歓喜の声。どうやら、上の戦場も一区切りついたようだ。

 物見から立ちあがって見物する皇女さんと護衛のエントゥアを横目に、イタクのもとまで駆ける。

 

「イタク、宝玉は無事に守り通した! 戦況は!」

「おおハク殿、見てください! 我らの勝利です!! 第二派の追撃隊の準備ができ次第、さらなる追討を命じるつもりです。このまま帝都まで追撃できるほどの戦果ですよ!」

 

 イタクとソヤンケクルの話を聞けば、急に現れたミカヅチが撤退を叫びながら帝都に向けて駆けていったという。

 

 ――帝都まで撤退せよ! 武器は全て捨て置け! 脇目もふらず駆けよ!

 

 そう叫びながら、ミカヅチは撤退したそうだ。

 その言葉を聞いた朝廷軍とナコク軍の状況は、それはもう一方的なものとなった。

 籠城を止め、数多の騎馬兵を出撃させたナコクの兵により、橋半ばで武器も持たぬ朝廷軍は前回の仕返しを受けるかの如く討たれていったそうだ。

 

「あのミカヅチが、とは思ったけれどね……確かに籠城戦はこちらに分があったとは言え、早すぎる決断にも思う、罠の可能性も捨てきれない」

「しかしソヤンケクル殿、朝廷軍の動揺からしても演技ではありません。正しく敗走といえるものではないかと」

「ふむ……確かにね」

 

 ソヤンケクルは自分と同じように少し違和感を持っているようではあるが、それを言語化できない様子だった。

 

 背を向け我先に敗走している朝廷軍。その姿に――悪寒が止まらない。

 

 何かがおかしい、ソヤンケクルの言う通りだ。

 簡単に撤退し過ぎている。相手はあのミカヅチ、ライコウだぞ。

 

 何かを感じ、イタクの追撃命令を寸で抑えた。しかし、指令が無くとも兵たちの勢いは止まらない。撤退する軍に引き攣られるようにして我先に飛び出していく。

 そうだ、この千載一遇の好機を逃すはずはない。特に、忠義に篤く聖上御自ら戦を御覧になっていると思えば――命を捨て名誉を得る選択をしてしまうことは容易にあり得る。

 

「……イタク、橋の宝玉は確かにこれなんだな」

「はい。我らは幼き頃より拝謁している宝、間違えようもありません」

 

 それでも悪寒は消えず、こう問いかけた。

 

「イタク、お前が宝玉を手に取ったのは……いつだ?」

「? それは、ハク殿にこれを託そうとした時です。簡単に出し入れできる場所には安置できませんから……」

「じゃあ具体的に聞く――宝玉が本物かどうか確かめたのは、いつのことだ?」

 

 そう言いながら、イタクに宝玉を渡す。

 すると、イタクの表情がさっと青褪めた。

 

「――ッか」

「か?」

「軽い、のです。ハク殿に渡そうとした時、掴んだものよりも……」

 

 しまった――やられた。

 

 大臣の裏切りを防いだことで、もう策はないと油断した。違う、もっと前から策は巡らされていたのだ。自分たちが掴まされたのは、結果だけだ。

 

 そうだ、何を考えていたのだ、自分は。ライコウが真に欲しいのはナコクに勝利することでも、ナコクを手に入れることでも自分の存在でもない。ナコクの象徴を落としたという証だ。ただそれだけで良かったのだ。

 つまりライコウの軍が動くということこそ自体が、橋の宝玉を手に入れた、もしくは手に入れる目途が立ったからに他ならない。

 朝廷軍によるナコクへの侵入をさせず、宝玉さえ守ればよいと思っていた。違う、護るべき前より既に手に入れていたのだ。後は橋を効果的に落とす時機だけを定めれば良いと。

 

 もっとよく考えるべきだったのだ。あのライコウが落とすことができると断言した。つまり帝都には、橋に関する情報が多々あったのだろう。宝玉によって管理されていること、そしてその姿形も、破壊すれば良いことも知っていた。

 

 偽物を作りすり替えておく手段も、使えた訳だ。

 

「ッ撤退だ! 朝廷軍への追撃を止め、撤退させろ!」

 

 しかし、もう止まらない。

 

 ――衝撃。

 地が割れるかの如く視界が揺れる現象に、誰も彼もが大地に伏せた。

 

 敵は騎馬兵ばかり、駆ければ間に合うかもしれぬ。しかし、こちらは歩兵も混じっている。あの様子では、間に合わない。犠牲は避けられない。

 

「あ、ああ橋が……ッ民が……我らの兵達が、象徴が……なんと、惨いことを……ッ!!」

 

 イタクはただ呆然とその光景を眺めていた。自分も、崩れゆく橋をただただ見つめるしかない。

 今自分にできたことは、橋から落ちた者を船で救出することをソヤンケクルに要請しただけ。しかし、それもどこまで効力があるか。

 

 敗北したのだ。正しく、ナコクの象徴である兵と大橋の崩落をもって。

 

「……酷いものだ。敵味方関係なく橋を落としたようだね」

「ライコウも、形振り構ってはいられなくなったってことか」

 

 橋より命からがら逃げだした存在の中に、朝廷軍の者もあった。末端の隅々まで作戦を知らされていれば、このようなことにはならないだろう。

 

 誰も彼もが朝廷を退けたという勝利の凱旋もなく、ただ打ち拉がれている。この空気を払拭したいが、果たして自分が出たところで何か変わるわけでもない。

 ここはイタクから皆に話をしてもらおうと振り向くと、皇女さんがいつの間にか物見から離れ、イタクに話しかけていた。

 

「イタクよ、少しよいかの」

「せ、聖上!」

「少し皆に話がしたいのじゃ、皆の注目を集めてくれぬか」

「は、はっ! ただいま!」

 

 イタクは、悲痛な表情を浮かべるナコクの戦士達に激励を飛ばし注目を集めた後、皇女さんに出番を譲った。

 おいおい、何を言うつもりだ?

 

「皆の者、よくぞ戦ったのじゃ」

 

 静かではあるが凛と通る声が、兵たちの間を駆ける。

 その表情は誰も彼もが暗い色を宿していた。

 

「確かに、敵の卑怯な策謀により橋は落ち、多くの犠牲を払ったかもしれん。しかし、余らは勝ったのじゃ!」

 

 決意を持った表情で拳を握り、そして叫ぶ。

 

「憎き朝廷の逆賊にこの地を踏ませることもなく、果敢に追い払った。無辜の民を――余を守りきったのじゃ、間違うことなき勝利じゃ!」

 

 声が一つ一つ染み込んでいくかのように、あれだけ沈んでいた兵士達の目に光が宿っていく。

 

「此度の戦を見て、余の忠臣であることは明白! 白磁の大橋も、亡き父上に築かれたものであれば、天子である余にもきっと作ることができるのじゃ! いつかは判らぬ……しかし、其方らナコクと永遠の同盟を成した今こそ約束するのじゃ! 偉大なる父上に代わる者として、其方ら忠臣に報いる日が来ると!」

 

 そして、高く高く、まるで太陽に手を伸ばすかの如く、拳を振り上げた。

 

「顔を上げよ! 勝者の凱旋を見せよ! 余の愛しき戦士達よ!!」

「「「「おおおおおおおおおッ!!!!」」」」

 

 割れんばかりの咆哮。

 凄い、な。あれだけ敗戦濃厚の空気を、一瞬にして払ってしまった。

 

 兄貴の後継者――皇たるべき存在、か。

 

「聖上……!」

 

 イタクなどは、感動に打ち震え涙まで流している。

 傍に控えていたソヤンケクルは、皇女さんの姿を見て驚愕していた。

 

「あの幼き姫殿下が成長したとは思っていたが……我が聖上は、前帝に足る相応しい存在じゃないか。なあ、ハク殿」

「……そうだな」

 

 自分では、この場の空気は払拭できなかっただろう。本当に、頼りになるところを見せてくれた。

 

「ありがとうございます、聖上!」

「よい、イタク。それよりも余の采配で貴重な兵を多く失ったこと、真に憂いておる。戦後の処理は難しいであろうが、任せたのじゃ」

「はっ! 我が身命をもって行わせていただきます!」

 

 ぴょんぴょんと軽やかに高台から降り立った皇女さんは、満面の笑みでこちらに近づいてくる。とても先ほどまで壇上で話していた者と同一人物とは思えないな。

 

「どうじゃったかの、ハク。余の姿は!」

「助かったぜ。皇女さんじゃなけりゃ、できなかったことだ」

 

 そう伝えると、皇女さんはさらに喜色満面、照れたように笑う。

 

「……余も其方ばかりに任せておれんからな。しかしハクよ、今後の処理に関しては、其方も手伝うのじゃ」

「ああ、わかっているさ」

 

 とりあえず、戦後処理から今後の対策まで、ナコクでやることは多い。

 ライコウはある程度、帝時代の技術について理解し使い得る存在であることを知った。色々と対策を講じなければならないだろう。厄介な話である。

 

 しかし今は、この皇女さんが齎した勝利の凱旋に酔っているとしよう。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都執務室。

 ライコウはシチーリヤと共に、ミカヅチからの報告を受けていた。

 

「予定通り橋を落としたこと以上に、俺に報告したいこととは何だ、我が弟よ」

「……ハクを逃したのは、厄介だぞ。兄者」

「また強くなっていたか? お前でも手に負えぬ程に」

「いや、そうではない。だが、あのまま闘えば、より仮面の扱いを学んだだろう。兄者にとって俺が勝たなくとも時間さえ稼げれば良いとのことだった。であれば、勝ちに拘るより撤退を判断せざるを得まい」

「それが、戦果無しの理由か」

「獣の心に落ちれば、対処は容易い。しかし、あれは力を御そうとしている。実戦を重ねれば……ハクのことだ、己に負担をかけない形で、力の引き出し方を学ぶだろう。そうなれば、オシュトルに並ぶ仮面の者となる」

 

 ミカヅチは、過剰に見ることはない。

 つまり、ハクがオシュトルに並ぶ、それは事実なのであろう。武力において、ミカヅチ以上の判断力を持ったものはいないからだ。

 

「……」

「流石の俺でも、オシュトルとハク……二人同時は分が悪い」

「……お前は忘れているようだ」

「何をだ、兄者」

「この俺の知を」

 

 ミカヅチに振り返り、正面からミカヅチの目を見据える。

 

「大橋が落ちた今、来るべき決戦の地、そこでお前が二人を相手取ることはあり得ぬ。俺には見えている……宿敵オシュトルがお前と一騎打ちで戦う様を」

「……」

「そして、戦場を左右するは、俺とハクの指揮。戦場でも、一騎打ちでも、我らが勝つ。そして、その勝利をもってヒトの世は大きく転換する。武と数が物を言う時代は終わり、知と技が世の戦場を支配する時代が始まるのだ」

「……武が、終わる?」

「そうだ。未来の歴史学者は口を揃えてこう言うだろう――ヤマトで最もその武ありと……双璧とうたわれた二人の英雄が激突したこの一騎打ちこそが、武が本懐であった時代最後の決戦だと」

 

 ミカヅチは俺の言葉に感じ入るように目を瞑って聞いていた。

 その手が、震えている。恐怖で、否――最上級の歓喜で。

 

「ここまで言えば、我が愚弟も滾ってきたか?」

「……ああ」

「俺の知を信用しろ。お前はただ剣を振るえば良い。最後にはオシュトルとの決戦が待っている」

 

 未来の戦場に想いを馳せているかのように、黙って頷いた。

 嘘はない。俺には見えている。来るべき決戦の地、そして、ハクとオシュトルを打ち取る未来も。

 

「ハクよ。今度は圧勝などさせてくれるなよ。我らヒトの未来のため、永遠にうたわれる戦にしなければならないのだから」

 

 シチーリヤは、俺とミカヅチの言を黙って聞いていた。

 疑うことを知らぬ、ただただ、透き通るような純粋な目で。

 

 確かに俺は、未来が見えている。だが、細かい部分が時折曇ったように見えぬこともある。しかし、考えを巡らせれば、その曇りは晴れていく。

 しかし何故だろうか、シチーリヤの目を見ていると、何かが曇る。そのことが妙に気にかかった。

 

 深く考えに至る前に、草の者が闇夜より姿を現した。

 

「ライコウ様、ご報告があります」

「何だ」

「ナコクにて、偽の聖上がシャッホロとナコクの同盟を表明。その際に、新たな八柱将を擁立することも布告しています。そしてその新たな柱には、ナコク皇子イタクが任命されるとのことです」

「ふむ」

 

 考えなかった手ではない。

 こちらには任命できるだけの名のある将が少ない。故にしないだけだ。名のある将を抱えるオシュトル陣営にとって有効だろう。だが、現状いくら名ばかりの役職を作ったとて焼け石に水だな。その程度の挑発では、我が陣営は揺らがぬ。

 

「残存する八柱将に伝えよ。逆上する必要は無いとな。敵の戯言だ」

「はっ」

「……まだ何かあるのか」

「……ハクという者についても逐一報告せよとのことでしたので、不確定ながらも御耳にと」

「何だ」

「彼の仮面の者に新たな八柱将を擁立する動きがあります」

「? どういうことだ」

「女に節操がないと噂されるほど美女を連れていることが多いため、閨房八柱将なるものを作るそうです。将としてこれ以上女にだらしないという噂が増えると、求心力が低下することを懸念した政策であるとのことで」

「……」

 

 頭痛がする話だ。

 八柱将の名称など、旧時代の遺物でしかないが、流石にそれは冒涜が勝る。

 

 最大限の苛立ちを含め、情報の精選の必要性を滾々と説いたあと、草の者に下がらせた。

 傍に控えていたミカヅチに、呆れたように言う。

 

「お前が警戒するほどの漢、唯一の情報がこれとはな」

「……言うな、兄者」

 

 蟀谷を抑えて言うミカヅチは、毒気を抜かれたのだろう。先ほどの覇気も消え失せていたようだった。

 




 あれも書きたいこれも書きたい病が出ると、結局筆が進まず更新が途絶えてしまうことがわかりました。
 なので、これからもできるだけ丁寧な描写は少なく駆け足気味に要点まとめて進行しようかと思っています。
 (アトゥイは、本篇が可愛すぎる、完成度高過ぎストーリーのため、こっちのナコク編では魅力出しきれてないのが心残りではありますが。ハクが死んだことになってないから、ヒロイン度が上がらぬ……)
 そのことによって、描写不足や違和感等が出るかもしれません。読者が置いてけぼりになっていないか不安なので、またぜひ感想ください。

 年末年始は復帰したロストフラグのガチャ回すのとそのためのブラック労働に忙しいので、小説なんて書いてらんねえ! ヒャッハー! ガチャ最高(脳死)
 更新は三月までにできたらいいですね。ナコク編は一区切り、次回からはいよいよオシュトル達エンナカムイ残留組との合流と、イズルハ編です。気長にお待ちください。

 それでは、よいお年を。


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第二十四話 確かめ合うもの

今回、短めです。今までの振り返りみたいなものです。あとクオンのターン。


 ミカヅチ率いる朝廷軍とナコクの戦は苛烈を極めたものであった。

 圧勝に思えた戦は、敵の策である大橋の崩落とデコポンポ狂人化によって多数の兵の犠牲と混乱を招き、戦後処理に大きく遅れを齎した。またナコクとシャッホロの同盟を結べたは良いものの、来るべき朝廷との決戦に向けた戦線協定樹立については議論し切れぬまま、ナコクでの時は矢のように過ぎ去っていった。

 

 オシュトル陣営きっての知を任された自分としては、いくらか良い手土産を持ってエンナカムイに帰還したかったが――

 

「――これ以上はオシュトルがいないとな」

「……そうだね。来るべき戦は近づいているが、どう戦っていくかについてはオシュトル殿も交えなければ平行線だろう」

 

 ナコク城一室にて、自分と皇女さん、そしてナコク皇子イタク、シャッホロ皇ソヤンケクルが席を連ねる会議の中、そう結論付けた。

 ここで決まったことは、来るべき戦に貸し出せる兵の上限についてだ。ナコクの橋が落ちた手前朝廷はこれ以上ちょっかいをかけてくることはないだろうと予測し、戦後復興、ソヤンケクル率いるシャッホロの海運の護衛を除いた目算である。兵の数としては申し分ないが、気になることは他にある。

 

「これだけあれば、平地での決戦も望める……か?」

 

 ネコネにもっと軍法を学んでおくのだった。朝廷の軍事力と正面からぶつかって勝てるだけの数だろうか、いまいち自分にはわからない。

 

「うーん、そうだね……これだけの数を用意できるのであれば可能とは思うが、それを輸送する手段が限られる。いざ決戦となった際、どの程度まで無事に辿りつけるかは疑問だね」

 

 歴戦でもあるソヤンケクルがそう提言するならば、そうなのであろう。確かに、これだけの数を船で運ぶことを強いられている。ライコウは、橋を落としたことによってシャッホロの海運にも縛りをかけたのだ。やはり何としてでも守らなければならなかったが、今更悔やんでも仕方がない。

 

「しかし橋が落ちた今、もはやナコクが朝廷に脅かされることはありません。来るべき決戦に備え、少しずつ我が軍をエンナカムイに合流させるのが良いのではないのでしょうか?」

「……そうだな、イタクの言う通りだ。少しでも軍備を増強させておくのは悪くない」

「であれば、シャッホロは海運を指揮するとともに、彼らがエンナカムイで駐留できるよう武具や食料について支援させてもらおう」

 

 話はまとまった。この話を手土産に、エンナカムイに帰る。

 そして、現状を確認した上で、オシュトルに今後の方針を決めてもらわねばならないだろう。

 

 その決定より後日。

 ソヤンケクルの操舵する船に皇女さん率いるいつもの面々が乗り込み、生きてはいるがもはや動けない状態であるデコポンポを船の牢に繋いだ。

 

「また皆さんと共に戦えることを楽しみにしています! そしてアトゥイさん」

「? 何け、イタクはん」

「……お幸せに」

「っ……い、いややわぁ、お節介け、イタクはん」

「すいません。しかし、どうしても伝えたかったものですから……またお会いしましょう。では!」

 

 戦後処理に今暫く残らねばならないイタクを残し、ナコクを後にした。

 アトゥイとイタクが何か話していたようだが、双方吹っ切れたようで何よりだ。

 

 暫く海上を進むシャッホロ船であったが、どこからか酒が出てきて、陸の上でも海の上でも変わらずやいのやいのとどんちゃん騒ぎが大好きな連中による宴が始まった。考えたいこともあり、時機を見てその場をそっと離れ、船側でこっそりと酒を楽しむことにした。

 遠くで響く賑やかな騒ぎ声を肴にしながら、月の輝く水面を見つめて思う。

 

 ――自分も遠くまで来たなあ。

 

 オシュトルに言われるがまま協力し、クオンのいない間に随分よくわからない地位に立ってしまった。

 そういえば始めは、オシュトルの真似して影武者したことだったか。その後、仮面の力使って仮面が外れなくなったり、オシュトルとかネコネとか、ルルティエや双子を死なせまいと柄にもなく命を張ったりするし、ネコネとは婚姻結ばされそうになるし、ライコウに捕まって献策させられるし、ウォシスとかいう変な奴には耳舐められるし、仮面は暴走するし、ミカヅチにはよくわからん難癖つけられるし、ナコクの橋は落ちるし。

 

「……自分、よく生きているな」

 

 よくよく思えば、まさに波乱に満ちた人生であった。のんべんだらり、を愛する自分にとって一生分の忙しさではなかろうか。急に肩へ重石が乗ったかのように、疲労感がずんと増した気がした。

 

 オシュトルに会ったら一発ぶん殴ってやると覚悟を決めると、後ろからそっと声をかけられた。

 

「どうしたの? ハク」

「クオン……か」

「主役がいないぞー、って皆が探していたけど」

「今も、か?」

「ううん、もう次のお酒を楽しんでいたかな」

 

 思わずふっと笑みがこぼれた。あいつららしい。

 

「……」

 

 二人並んで静かな海を見つめる。会話は無いが、それが心地良い。そう思える相手は自分にとって貴重だ。クオンは、いつの間にか自分にとって最も安心できる存在になっていたんだろう。

 思えば最初はクオンとの二人旅だったな、それがウコンというかオシュトルと出会ったのが運の尽き、いつの間にかこんな大所帯だ。

 

「……なあ」

「ん?」

「助けてくれて、ありがとうな」

「……どうしたの? 改まって」

「いや、いつもクオンには助けられていると思って……な。最初に会った時もそうだったが、今回も、それに――」

 

 仮面が暴走した時、自分を呼び覚ました声は誰だったのか。確かめるまでもない、聞き慣れたクオンの声が、自分を正気に戻したのだ。

 

「……それに?」

「……その割には、余り礼をしていないように思ったからな」

「ふふ……ハクったらようやく気付いたの?」

「ああ、財布の紐を握られているから気づかなかった」

「それは仕方がないかな! ハクはすぐ使うから」

「宵越しの銭は持たない主義なんでね」

「それが心配の原因かな。まったくもう……」

 

 小気味良い会話を繰り返していると、何だか胸が詰まったような感じになる。疲れているからかもしれないし、酒のせいでもあるかもしれない。

 ぽつりと、自分らしくないことを言ってしまった。

 

「クオンがいない間……」

「え……?」

「何だかんだ寂しかったよ。クオンがいればな、って思うことも多かった」

「そ、それは、私も捕まっていたから……もにょもにょ」

 

 ぼそぼそと聞き取れない声で何かを述べるクオン。まあ、皇女さんの喉を治すための薬を取りに言ってくれていたり、トゥスクル皇女に目通りしてくれていたりと、色々やってくれていたからこそオシュトルも動けたのだ。そう思えばクオンの功績は大きい。責めるつもりは毛頭なかった。

 

「それに、寂しいのは、私も一緒かな……」

「……ん? 自分とか?」

「あ! あの、皆といれなくて、ってことかな!? 勘違いしないで!」

「ああ、そういうことか。そうだな、皆もクオンがいなくて寂しがっていたよ」

「……」

「……だから戻ってきてくれて、ありがとうな」

 

 そう言いながら、クオンの空いた杯に酒を注いだ。自分の杯にも注いで、相手に促すように持ちあげる。

 

「……乾杯」

 

 杯を傾けて口の中に流しこむ。寒い海の上でも、酒の力で体の芯から温まるような心地がした。

 

「……ふう、お礼も言えたし満足だ」

「え~? お礼は、言葉じゃなくて態度で示してほしいかな」

「? 例えば何がある」

 

 金だろうか。まあ、オシュトルから色々任されている手前、以前よりは余裕はあるが。それか、クオンもいかに暴力的とはいえ女性であるし、包み的なものだろうか。それか酒か、菓子か。食い物さえあげてれば喜ぶだろうか。

 そんな予想に反し、クオンの言葉はずっと未来の話だった。

 

「約束、してほしいかな。戦乱が終わったら……この海の先にあるトゥスクルの国に、もう一度来てほしい」

「ああ、行くよ」

 

 何だそんなことかと、答える。オシュトルは逃がさないように色々と手を回すだろうが、政情が一旦落ち着けば、自分などという余所者は長くいない方がいい。それに、兄貴が最後までトゥスクルに拘っている理由も探しにいかないといけないだろうからな。

 

「ほんと?」

「ああ、モロロ料理以外にもあるんだろ? 食べてみたい」

「勿論! 前に来た時食べたものより、もっと色んな美味しいものがあるかな」

「それは、確かめに行かないとな」

「約束ね。ハク」

 

 そう言うクオンの笑顔は、月の光に見初められたように眩しかった。

 永遠に美しい存在があるかと問われれば、正しく今の光景だと錯覚するほどに、クオンの瞳と髪が淡く煌き自分を魅了した。

 この世のものでないかのような、人の器に神を宿しているかのような、神々しい輝き。だが、それを感じたのも一瞬で、酒をごくりと飲んでぶはあと吐息する様を見れば、その感覚も霧散した。

 

「さ、まだまだお酒も残っているかな。エンナカムイに着いたら宴どころじゃないかもしれないし、沢山飲んでおかなくっちゃ」

「ああ……そうだな」

 

 暫く二人だけの酒飲みを再開するも、会話はない。しかし、杯が乾かぬようにお互いの杯に酒を注ぐ手は止まらなかった。

 さて、このままの速度で飲めばお代わりを宴の連中に物申さねばならないなあと考えていたところ、ふわりと酒以外の香りがした。

 匂いの元を辿れば、海の風向きが変わったせいか、クオンの方から何やら良い香りがしているようだ。これは、クオン自身の香りだろうか。

 

「匂いが……」

「え……な、なにかな? 匂い?」

「クオンから何か匂いがするな」

 

 そう言うと、何故かショックを受けたかのように顔を真っ赤にして固まるクオン。

 しかし、自分にとってこれは好きな香りだ。そう言えば、クオンはよく香水をつけることが多い。その香りだろうか。海風の香りと重なって自分の心に落ち着きを齎した。

 

「安心する……」

「え、は、ハク……?」

「……いい匂いだ」

「っ~~~!?」

 

 すんすんと、クオンの髪に鼻を近づけて香りを確かめる。自分が少し変態的な行動をしているかのように思ったが、酒も随分入った頭でそんなことを顧みることも無く。

 

「え、ちょ、ちょ、や、やめてっ! は、恥ずかしいかな!?」

「んぐっ!?」

 

 羞恥でわたわたと暴れるクオンに鼻をつままれ、一瞬呼吸ができなくなる。

 ああ、配慮が足りなかったかと身を引くも、クオンは涙目で抗議の声をあげている。

 

「すまん、いい匂いだったもんで」

「も、もう……香水を褒めてもらえるのは嬉しいけど、時と場合を考えてほしいかな!」

「ああ、今度から、気をつける……」

 

 そう言って身を離そうとするも、体に力が入らない。どさりとクオンに倒れ掛かってしまった。

 

「ちょ!? ちょっと、ハク!?」

「……すまん」

 

何だろう、なぜこんなに眠いのか。

今までのことをゆっくりと思い出したからか。それとも朝廷から逃亡する必要も無くなったからか。いや、クオンとの会話の中で安心したことで、今まで感じていなかった疲労感がどっと押し寄せてきたからだろうか。理由はわからないが、その全てでもある気がした。とにかく、眠いのだ。

 

「ハク?! ちょ、ちょっと、こ、こんなところで、わ、わたくし……か、覚悟が……!」

「すまん……寝る……」

「だ、だめ……え……? 寝る……?」

 

クオンの肩に自分の頬を預けながら、重い目蓋がゆっくりと閉じていく。やがて深い闇が目の前を覆った。

クオンは恥ずかしいのか自分を押しのけようとしていたが、やがて諦めたように自分の背に手を回すと、優しくとんとんと間隔よく叩き眠りを誘った。それに抗える筈もなく――

 

「……」

「ほんとに寝ちゃった……? もう……なんなのかな、もう! びっくりさせないでほしいかな……!」

「寝た」

「寝ちゃいましたね」

「うわきゃっ!? あああ貴女達どこから!?」

「介抱」

「私達にお任せください」

「わ、私にもたれかかっているんだから、私が介抱するかな! だから別にいい、というか何時から見て――」

 

眠りに落ちる前に、薄らとそんなやりとりが聞こえながらも意識を手放した。

 

 

 




 なんかライバルがいい雰囲気だから――という理由で、双子が呪法をかけたという可能性。あるかもしれません。


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第二十五話 凱旋するもの

久々の連続投稿です。


 エンナカムイ近郊にある港に着き、じわりと森林豊かな空気の懐かしさを感じる。

 しかしとて感傷に浸っているだけでなく、やるべきことはやらねばとオシュトルへ早馬を出した。自分たちが無事着いたことを報告させるためだ。

 

「それでは、私はここまでだね」

「ああ、また何かあれば連絡する」

「海運は任せてくれたまえ──ア~トゥイ! それじゃあパパはここでお別れだけど……!」

「ととさま、まだ行って無かったんけ?」

 

 ソヤンケクルは娘からの冷たい仕打ちに体を震わせながら、各々握手を交わし別れの挨拶を済ませると海へ戻っていく。幸多からんことを。

 

 さて、と見回した港には見るからに強固な防衛線が敷かれており、自分たちが無事に帰還することを待ち望んでいたのだろう。何としてでも朝廷に阻止されまいとの確固たる意志を感じた。まあ自分だけでなく皇女さんもいるし、この措置は当然ではあるが。

 

「お待ちしておりました。ハク殿」

「ああ」

「馬車を用意しておりますれば、皆様お乗りください」

「……後一つ運んでほしいものがあるが、いいか?」

「はい、わかっております」

「頼む。着いたら牢に繋いでくれ。よし……じゃあ皆馬車に乗るぞ」

 

 エンナカムイの軍兵だろうか。オシュトルの元で何度か戦ってきたことで、元々の戦争経験の無い兵であった彼らが今や歴戦の強者のような風格だ。いや、実際そうなのであろう。

 街道を警護されながら、暫く馬車の旅を満喫する。仲間は賭け事など始める様子で、それを皇女さんが興味深そうに眺めていた。

 

「そろそろですよ、ハク殿」

「おう、懐かしいなあ……」

 

 ついつい馬車から顔を出して進む先の光景を眺めてしまう。エンナカムイに滞在した期間は帝都とどっこいどっこいであろうが、安心感が違う。張りつめていた心も無くなり、ほっと胸を撫で下ろすことができた。

 

「お、エンナカムイの門が見えた」

「皆がハク殿の帰還をお待ちしておりますよ」

 

 懐かしいなあと感じながらも、帰ってきたのだと実感する。この気持ちは故郷に帰郷するような思いにも似ているか。自分の故郷ではないから、実質には違うが。

 しかし、帰ってきたんだなあ。感慨深くその事に浸っていると、馬車の先頭を歩いていた兵士が、太鼓を鳴らして大声を出し始めた。

 

「凱旋ッ! 凱旋ッ! 我らが英雄ハク殿の凱旋であるッ!」

「えっ……」

 

 ドンドンドンと戦太鼓の音が波紋を打ったように広がり、数多の太鼓兵が場を支配する。ちょっと待てと兵士に声をかけても、太鼓を鳴らすのに必死で聞いちゃいない。

 その音に合わせて、エンナカムイの門のあちこちから民や兵士から歓喜の叫び声が上がった。

 

「オシュトルの奴……」

「あらら、ハクも有名人になっちゃったかな」

「なんじゃ、ハク。エンナカムイでの扱いを知らぬと申すか」

「くくっ……誰も旦那に教えないんだから、そうなるじゃない」

 

 こういった表舞台に立たざるを得ないようなことはやめて欲しいんだが、と頭を抱える自分そっちのけで、仲間は楽しそうに太鼓と凱旋の音に耳を傾けている。

 仲間はこういった出迎えがあることをある程度予想していたようだ。しかし英雄って、なぜそんなことになるんだ。

 

「誰が英雄だって?」

「何だハク、もっと自信を持て! 良い英雄とはもっと堂々と胸を張るものだ」

「ハクさんがどう感じているかは知りませんが、エンナカムイの民は確かに貴方の勇姿を知っておられるということですよ」

「勇姿……?」

 

 オウギはそう言うが、エンナカムイでは日頃からごろごろ訓練場で寝ていたり、料亭を梯子したり、政務から逃げ回っている姿を目撃されたりと碌なことをしていない気がするが。

 

「いえいえ、仮面の者としての戦い、親友マロロ様の両親を救う戦い、それによって囚われの身となるも単身脱獄し、ミカヅチとの一騎打ち、ナコクでの戦すら勝利に収める。そして無事にエンナカムイまで戻ってきた──これを英雄の凱旋と言わず何と言うのですか?」

「おいおい、本当に思っているのか? 内情は踏んだり蹴ったりだぞ」

「ふふ、私がどう思おうと、そう感じるヒトは多いということです。たとえハクさん一人の力では無いとしても、ね」

 

 外を見れば、酒の席や訓練を共にしたヒト、文官、オシュトルの近衛兵など、見覚えのある人物もいた。誰もが喜色満面で、誰もが大声を張り上げ、誰もが大きく手を振っている。

 歓迎されているのだ。自分が、帰ってきたことに。

 こういうのは慣れていないから、思わず悪態をつきたくなる。仲間の中でただ一人憮然としているネコネを見つけたので、問い掛けてみた。

 

「……ネコネも不満だろう? 自分が英雄扱いなんて」

「そ、それは……勿論不満なのです、が。兄さまに相応しいヒトとして精進してもらえば結構なのです」

「それは大分難しい話だぞ……」

 

 そういうことであれば、こっそり帰りたかった。というか、自分は死んだことにして裏から色々やるほうがいいんじゃないだろうか。うん、それがいい。

 色々危なげな計画を立てている内に、門が開き中に招き入れられる。そこには、かつての友、自分にずっと会いたかったといったように立ち尽くす者がいた。

 

「は、は、ハク殿ぉおおおおおおお!!」

「うおおおっ!? マロロ!?」

 

 涙と鼻水を垂れ流しながら一目散に駆け、そのままとんでもない勢いで自分の腹部に体当たりをしてきた。

 

「ハ、ハク殿ぉお、すまぬ、すまぬでおじゃるうううぅううッ! よくぞ生きて帰ってきたのでおじゃるぅうう!」

「わかった、わかったから。離れてくれ」

「嫌でおじゃるぅうう! もう二度と離さないでおじゃるううう!」

「いや、離してくれって」

 

 マロロは自分の腹部に縋り付いて泣き続けている。周囲から痛々しい目で見られ始めているから、そろそろやめて欲しいんだが。

 後ろ手に門が閉まり、その混乱期にある広場を救うように前に出てきたのは八柱将であるムネチカであった。

 

「聖上、ご無事で何よりです」

「おお、ムネチカ。其方も大義であったのじゃ」

「勿体無きお言葉。ハク殿もよくぞ戻られた」

「ああ、何でも自分の為にトキフサと一戦交えてくれたそうだな。助かったよ」

「いえいえ、小生はオシュトル殿の献策に従うまで。小生への礼の分はオシュトル殿と、策をお許しになられた聖上にお願いしたい」

「おう、わかった」

 

 ムネチカの言葉を受けて褒められる用意をするように胸を張っている皇女さんと、未だ腹部に自分の体液をこすりつけるマロロを無視しながら、かつての仲間に会えたことへの喜びを感じていた。

 しかし、オシュトルの姿は未だ見えない。どこにいるのだろうか。色々言ってやりたいことは多々あるのだ。

 

「オシュトル殿は御前イラワジ殿の元においでです。こちらへ」

「ああ、そういうことか。よし、皆行くぞー」

「あら? あらあらまあまあ……」

「? おや……」

 

 昔馴染のように面々に馴染んでいたフミルィルであったが、ムネチカを見て何か感じ取ったのか。ムネチカの方に嬉しそうに駆け寄りその手をとった。

 

「お久しぶりです! ムネチカさま!」

「これは、フミルィル殿ではありませぬか」

 

 フミルィルの花のような笑顔に連れられ、ムネチカもまたその頬を緩ませた。何だ何だ、知り合いか。フミルィルはクオンについて行くためにトゥスクルから来た幼馴染だったはず、それが何故ムネチカと旧知であるのか。クオンに聞こうと視線を反らすと、クオンは何やらまずいものを見たような表情で何かを思案していた。

 

「クオン、二人は知り合いなのか?」

「え? あ、えっと、あのね……」

「小生がトゥスクルにて囚われていた際に、世話役を買って頂いたのがフミルィル殿なのです。あの時は世話になり申した」

「そうだったのか」

「はい。何の苦役も無く、それどころかフミルィル殿には良くして頂いた記憶しかありませぬ」

「いえいえ、私は何も。それよりもこうしてもう一度会えたのが嬉しいです~」

 

 握った手をぶんぶんと振り、その喜びを表している。

 ムネチカがこうやって女性と友達のように親しくしている姿は珍しい。皇女さんもそれには気づいたようで、すっと前に出た。

 

「ほう、トゥスクルで余の忠臣であるムネチカを世話しておったのか。それは礼が遅れてしまったのじゃ」

「いえいえ、私がしたくてやったのです。お友達ですから」

「友……そのように言って頂けると、小生も嬉しい」

 

 二人の美女が邂逅する様に凱旋の空気も去り、いつの間にか民草はどやどやと解散していた。あれ、これ無理に集まってもらっただけとか無いよね。というか、男性陣は自分よりもフミルィルに視線がいってないか。

 まあ、未だ英雄と目される人物の腹部に縋り付いて片時も離れないマロロや、和やかに話し始める将軍を思えば、それも当然か。

 

「しかし、二人の関係をクオンは知っていたのか?」

「え、えーあーそうかな」

「勿論です。だってクーちゃんは──もごもが」

「──ふ、フミルィル!」

 

 クオンが慌ててフミルィルの口を塞ぎ、何やら耳打ちし始めた。

 まあ、クオンもトゥスクル皇女に名前を知られるほどの存在だ。何かしら地位についていても間違いない。それでもオシュトル陣営についてくれているのだから、詮索はすまいか。

 

「それではこちらへ、ハク殿」

「ああ」

 

 やいのやいの盛り上がりながらも、エンナカムイの道を歩いて行く。未だ凱旋気分の民草もいるのか、無事を祝った言葉や、料亭に来てくださいと宣伝されたりしながらだったが、門前で受けたそれよりは控えめで、照れもそこまで無く手を振り返すことができた。

 それよりも今だ腹部に引っ付いたマロロが重い。何を言うでもなくずっとめそめそ泣いているので、触れるわけにもいかなそうだ。

 

 やがて御前と共にいるという謁見場の前まで辿り着く。ムネチカが声をかけて中から返事を受けた後、その扉を開いた。

 そこには、御前とオシュトルがいた。オシュトルは変わらず仮面を付けたままで、自分を見てにやりと不敵な笑みを浮かべている。どうだ、凱旋した気分は、と聞かれでもしそうな雰囲気だ。

 よし、一発殴ってやろう。殴れる実力はないと思うが。

 

「おう、オシュトル。戻ったぞ」

「ハクか……よくぞ戻った」

「ああ、こうして無事──お、おい?」

 

 つかつかとこちらに歩み寄ってきたかと思えば、突然オシュトルに抱きしめられる。思考が追いつかない。こいつはこんなことをする奴だっただろうか。

 おいおいマロロに引き続きお前もか、と軽口で茶かそうとするが、オシュトルの表情を見て言葉が引っ込んだ。

 

「よくぞ……戻った」

「……ああ」

 

 ──そんな泣きそうな面をするなよ。総大将オシュトルだろ、お前は。

 

 もっとどっしり構えていればいいものを。味方を切り捨ててきたことも一度や二度じゃないだろうに。

 騒がしい凱旋騒ぎもあって一発殴ってやろうかと思っていたが、考えが変わってしまった。随分、この真面目な奴を心配させていたようだから。

 

「あ、兄さまが、ハクさんと……」

「きゃ、きゃあ……ハク様が……」

「み、見ちゃダメよ、ルルティエ! 刺激が強過ぎるわ!」

「むほーッ……!? こ、これはたまらんのぉ!」

「ふむ、なるほど……小生ルルティエ殿の仰っていたこと深くわかり申した」

 

 女連中が何やら騒いでいるが、オシュトルは意を介さない。

 暫くそのままの姿勢であったが、オシュトルは自分からそっと体を離すと、そこには総大将オシュトルとしての顔があった。

 

「皆に随分心配をかけさせてくれたな、ハク」

「ああ、そうみたいだ」

「其方がいなければ成し得ない仕事が山のようにある。また手伝ってもらうぞ」

「ほどほどに頼むぜ。こちとら、ヤマトをぐるっと一周大冒険してきたんだからな」

「ふ……無論だ」

 

 和やかな空気が流れた。懐かしい旧友に会ったかのような心地よい再会。仕事は勘弁だが、できることはさせてもらおう。そう思わせてくれた。

 

「聖上も、ご無事で何より。ハクを連れ戻してくれたこと感謝致しまする」

「うむ、礼はよい。忠臣のために動くことは当然なのじゃ」

「クオン殿も、大任ご苦労であった。トゥスクルには感謝してもし切れぬ」

「ふふ、どういたしまして。まあトゥスクル皇女には私から言っておくかな」

「重ね重ね、感謝する」

 

 オシュトルが自分以外に礼を言い始めた後、輪に入ろうと御前イラワジがこちらへ歩いてきた。

 

「ご無事で何よりでした……聖上、そしてハク殿」

「御前も、御壮健で何よりだ」

「今夜、凱旋の宴を用意しております。我が民達も今日のために準備をしてくれていますので、そちらをお楽しみください」

 

 宴か、それはいい。

 ナコク戦以後、宴ばかりしているような気もするが、次なる戦いに備えてどんちゃん騒ぎは良いことだ。

 

 各自その場で解散し各々の部屋へと帰っていく。ずっと引っ付いていたマロロを強引に引き剥がし、自分もウルゥルとサラァナを連れ自室へと戻った。

 

「ふう……懐かしいなあ。ここも」

「お疲れ」

「按摩が必要であれば仰ってください。しっとりじっくりねっとりご奉仕致します」

「んん、今は間に合っているかな」

 

 荷物を下ろし、布団を敷いて寝転がる。

 さて宴まで時間があるし一睡するかと瞼を閉じると、めそめそとした泣き声が響いてきた。先程無理やり引き剥がしたはいいが、着いてきたのだろう。無視するわけにもいかないか。

 

「マロロか?」

「ぐしゅ、そ、そうでおじゃる……」

 

 泣きべそをかいているマロロを部屋に招き入れ、目の前に座らせる。

 マロロの両親を助けるために立てた作戦を利用され、ライコウに捕まった。そのことに不義理を感じているのだろう。そんなこと考えなくて良いのに。

 

「別に、そんなに謝ったり泣いたりする必要はないだろう。あれは自分の不手際だぞ」

「……そうではないのでおじゃる」

「? どういうことだ」

「マロは、大事にすべきものを見誤ったのでおじゃる。あの時、家族よりも、友を大事にすべきだったのでおじゃ……」

 

 それは、マロロの本音なのだろう。痛々しいまでの表情でそう言うマロロに否定の言葉は告げられなかった。

 

「だからこそ、マロはもう二度と間違わないと、決めたのでおじゃる……!」

「そうか……ちなみに、マロロの家族は?」

「ハク殿と鎖の巫女殿が救出してくれたおかげで、生きてはいるでおじゃ……しかし、廃人のように……」

 

 ──やはりか。

 文にてその詳細を省かれていたことからも、あまり良い結果ではないとは思っていた。

 デコポンポが異形に変えられたことといい、ライコウは自分を捕虜としていた間でも全ての手の内を見せていたわけではないことがわかる。ナコクの大臣を操った手腕から言っても、何か人心を掌握する術を用いていると言っていいだろう。マロロの家族も、それに巻き込まれたのだ。

 だとすれば、尚更マロロが罪悪感で蝕まれることはない。自分はこうして生きて戻ったのだから。

 

 そうぽつぽつと順序立てて話をすれば、マロロは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

「げに恐ろしきはライコウであるのでおじゃ……」

「そうだな。これからはそういった策を用いられていることも考慮しなければならない。だから頼んだぞ、マロロ」

「た、頼む、と、こんなマロを……いつものように頼むと──おじゃああああああああッ!」

 

 それ泣き声なのか。

 何かに感銘を受けたように再び絶叫し泣きだすマロロに手拭いを渡す。また服を汚されても敵わんし。

 暫く落ち着きなかったマロロであったが、宴で酒を注いでくれれば許すと言い、強引に部屋から出した。

 

「お疲れ」

「按摩でしたら、しっとりじっくりねっとりずっぽりご奉仕致します」

「間に合っているぞ」

 

 按摩でずっぽりって何だよと思いながら、纏わりつく双子を軽くあしらい再び布団に寝転がる。

 さて、自分の帰還も粗方の人物には報告できただろう。宴のために一睡でもするかと目を瞑った時に、ある人物の顔が頭に浮かんで思わず飛び起きた。

 

「──トリコリさんのところに行こう」

 

 そうだ、何をしていたんだ自分は。多分オシュトルやネコネに自分のことを聞き及んでいるだろう。心配で夜も眠れていないかもしれない。行こう。行かねば。

 強固な意思で布団を剥ぎ取り、身支度をする。マロロに汚された服のままでは行けないからな。

 

 そして急いでエンナカムイの道を行き、陽も傾いてきた頃にはトリコリさんの家の前に辿り着くことができた。

 少し緊張しながらも中の人物に声をかけようとしたところ、何者かの話声が聞こえてきた。

 

「そう、ハクさんが無事に……」

「はいなのです」

「良かった……貴方達の大事な人だもの。無事で本当に良かった……」

 

 どうやら、ネコネが一足先に報告へ来ていたようだ。生真面目なネコネらしい。

 まあいいかとそのまま手すりに手をかけて中へ入ろうとしたが、何やら会話がおかしい方向に傾いてきたので、思わず手を止めた。

 

「母さま、私はどうすればいいのですか……?」

「どう、とは?」

「……ハクさんは、英雄になってしまったのです」

「……」

「……兄さまの助けになってほしいと思う一方で、ハクさんにも死んで欲しくないと思ってしまうのです……英雄なんてなったら、ハクさんはまた……」

「……そうね」

 

 ネコネの声は、悲壮感に包まれている。それを聞くトリコリさんの声も、鏡のように悲し気に聞こえた。

 凱旋時、偉く憮然としているなと思ってはいたが、考えていたのはこれか。あのネコネが、随分心配性になったものだ。

 入るべきか迷っていたが、言いたいこともある。聞こえなかったフリをして、中へ入ることにした。

 

「トリコリさーん、ハクです!」

「あ、あら、ハクさん? ちょっと待ってくださいね……」

 

 自分が来ているとは思わなかったのだろう。少しわたわたと慌てた雰囲気の後、扉が開く。トリコリさんの姿は、かつての美貌そのままに満面の笑みで迎えてくれた。

 

「あらあら、ハクさん。よくぞご無事で」

「はい。心配かけたようで」

「ええ、でも帰って来てくれたのだもの……安心したわ」

「トリコリさん御一人で?」

「中にネコネもいるわ。どうぞいらして」

 

 そう言って居間に招かれると、ちょこんと座るネコネがいた。

 ネコネは急いで涙を拭ったような痕を目元に残しており、先程のような哀しげな声色ではなく、あくまでぶっきらぼうな言い方で自分を出迎えてくれる。

 

「……めんどくさがりのハクさんが、母さまのところには飛んで来るのですか」

「まあな」

「褒めてないのです」

「ふふ……まあ、ハクさんもおかけになって」

 

 三人で囲炉裏を囲む。

 無事に帰ったことや、裏でオシュトルが随分心配して取り乱していたことなど、話が盛り上がる。しかし、ネコネは少し憂鬱そうにしたり、話に入ったり、また俯いたりというのを繰り返した。

 そういえば、宴は夕刻からであるが、トリコリさんは出席するのだろうか。疑問に思い聞いてみる。

 

「宴はちょっと参加できないの、ごめんなさいね」

「そうでしたか」

「あまり夜更かしすると目に悪いから……」

 

 トリコリさんからの酌も楽しみだったんだが、そうであれば仕方がない。宴で何も食べられない分、何かご馳走したいな。そう思い何かできることはと考えていると、一つ思いついた。

 そうだ──

 

「──なら、久々に菓子でも作りますよ」

「あら、材料あったかしら……ネコネ、ハクさんのお手伝いしてくれる?」

「え、わ、わかったのです……」

 

 渋々といったネコネを連れて、台所に行く。

 ネコネが材料を色々と出してくれたおかげで、何とかなりそうだ。

 

「何を作るのです?」

「まあ、見ていな」

 

 砂糖や果実、その他諸々の素材を使って、動物の形に仕上げていく。いつもと違うのは小さすぎることだ。このまま火に入れれば間違いなく元の造形は台無しになるだろう。

 しかし、以前の自分とは違う。自分は火を操りしもの。仮面の力をちょっと使えば──この通りだ。

 

「す、すごいのです。一瞬で焼き菓子に……」

「どうだ、仮面の力は凄いだろう」

 

 火加減の調節がうまくいったようで、人差し指から出る炎で小さな動物型菓子が完成した。出来上がった動物の形を見て、ネコネは目を輝かせている。やはり子供だな。こういう童心に帰る菓子は良いものだ。

 うむ、やはり自分には戦いは向いていない。こういう細々したことや、三大欲求に根差した活動の方が得意だ。

 

「決めたぞ。自分はこの力を使って菓子職人になる」

 

 次の菓子をじりじりを炎で焦がし、形を整えながらそう言う。

 意外と悪くない未来なのではないだろうか。働きたい時だけ働き、金が貯まれば転々と旅をする。仮面の力を使ったとしても、自分の手に余る力を求めなければ体を蝕むことはないのだから、良い調理方法だ。台所が無くてもできる。

 自分としては半ば本気であったのだが、それを聞いたネコネの反応は違った。

 

「ぷっ……あはは、何なのですか、それ。英雄が聞いて呆れるのです」

「そうか? 戦乱が終われば英雄なんてお荷物さ。今から就職口探しとかないとな」

「英雄なら、そのまま重臣になるのが普通なのです。全て蹴って菓子職人なのですか?」

「当たり前だ。英雄だの重臣だのまっぴらごめんだ」

「……ハクさんらしいのです」

 

 手元を見ていたネコネが、少し儚げにそう言う。先ほどの会話をこっそり聞いていたこともあり、何か言わねばネコネはあの件を引き擦るだろう。それは本意ではなかった。

 

「……英雄なんて矢面に立っちまったが、自分は死にたくないからな。うまく影に隠れるさ」

「逃げる……ということなのです?」

「いいや、逃げるわけじゃない。自分の命も大事だから、影からこっそり守るだけだ。お前の兄さまや……勿論、ネコネも」

「わ、私も、ですか?」

「ああ。ネコネがいなくなったら自分も悲しいからな」

「……っ」

 

 何か恥ずかしいことを言っただろうか。ネコネは頬を赤く染めて、そっぽを向いてしまった。

 

「あらあら……ふふ」

 

 トリコリさんのところまで会話が聞こえていたのか。振り返れば艶っぽい表情で自分たちを眺めている。それはもう嬉しそうに笑みを湛えて。

 

「そういえば……ネコネは宴に出ないのか?」

「あ、母さまと一緒にいるです」

「そうか。ならネコネの分も作るか」

「……いいのですか?」

「勿論」

「……ハクさんは、母さまが傍にいる時だけは優しいのです」

「おいおい」

 

 とんでもない誤解を招く発言だが、思い返してみるとそんな気にもなるのであえて否定はしなかった。誤解はゆっくり解けばいい。

 ネコネの当たりはきついが、裏ではそんないじらしいことも思ってくれていたのだ。妹分として、最後まで面倒見ようじゃないか。

 

 出来上がった菓子を三人で楽しんでいると、陽も落ち暗くなってきた。そろそろ宴に行かねばならないか。一応主役だからな。

 トリコリさんとネコネに見送られながら、トリコリ家を後にしようとする。別れの際、トリコリさんに声をかけられた。

 

「ハクさん」

「はい?」

「……ありがとう」

 

 何へのお礼だろうか。菓子へのお礼なら先程聞いたが。

 隣を見れば、恥ずかしそうに母を制止するネコネの姿がいた。ああ、なるほど、そういうことか。あまり聞き返せばネコネの逆鱗に触れるかもしれないと、さらりと流した。

 

「いえいえ、また来ますよ。今度はアンも連れて」

「ええ、彼女も随分来てないから呼んでくれると嬉しいわ」

「それじゃあ、トリコリさん。あとネコネも」

「明日から仕事なのです。飲み過ぎてはダメなのですよ」

 

 ネコネのお小言には言葉は返さず、後ろ手に返事をしてトリコリ家を後にするのだった。

 

 それから自分が主役の宴が始まったんだが、宴の話は――また後日にでも。なぜなら、あまり記憶が無いからだ。

 つまり、ネコネの小言を無視して次の日に影響するくらい飲んだということだ。まあ英雄の凱旋なのだ。たまにはこんなのもいいだろう。

 後日エンナカムイに裸で縺れ合う男達の写し絵が流れたそうだが、それは自分には関係ないはずである。多分。

 




第一部が影武者編
第二部がクジュウリ編
第三部が軍備増強編
第四部が朝廷虜囚編
第五部がナコク編

――とすれば、随分書いたなあといった想いです。明確に分けているわけではありませんが。

あと何部続くんだろう……構想はありますが、文字にすれば倍ぐらいあるような……もしかして折り返し地点だったりするかもしれません。エタらないよう文字数削減して書いていきたいですね。
また、読者様より毎回感想をいただけていること、とても励みになっております。ありがとうございます。

次回からはイズルハ編です。


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第二十六話 痛みを伝えるもの

 エンナカムイ会議室にて、久しぶりにオシュトル、マロロ、そして自分とネコネによる現状確認と今後の展開を含めて会議が持たれていた。

 

「……ということでぇ、ナコクの情勢はぁ……えっと──」

「──ふん!」

 

 ネコネの強烈な殴打が自分の頬を張り、目の前がぐらぐらと揺れ動く。ようやく収まった頃には、幾分か覚醒していた。

 仕方がない、ネコネの小言を無視したツケだ。宴の席で酒を飲み過ぎたせいで、蟀谷はズキズキと痛み思考はぼんやりとしているが、やることはやらねば。

 

「──えっとだな、とにかく文でも伝えた通り、イタクを新八柱将に任命したこと、そしてナコクとシャッホロが同盟を結び、聖上の命があればすぐに軍を寄越すと約束できた。これが、その軍の数や物資の目録だ」

「ふむ……」

 

 オシュトルは目録については昨日既に目を通していたのだろう。ある疑問を呈した。

 

「数は申し分無い……移送船は何とする?」

「ソヤンケクルは造船を予定している──が、それでも一度は無理だと言っていたな」

「ふむ……であれば」

「徐々に軍を送ってもらうか?」

「彼らにとって慣れぬ土地だ。一定指揮できる存在を育成したい。それに……エンナカムイの兵だけでは関に常駐させる数も未だ心もとない。援軍があればあるだけ有難い情勢ではある」

「そうか、良かった。そう言うと思って、既に第一派はこっちに向かっている手筈だ。三日後くらいには着くんじゃないか」

 

 どちらにしても、ナコクとシャッホロの使者として第一波は受け入れるつもりであった。その後の第二派については要議論として空白にはしているが、移送できるだけの準備はしてくれている筈だ。

 

「……ふ、流石であるな」

「イタクの案だ。いい皇になるだろうな」

「第二派以降の兵数については軍備管理のキウル殿と相談の上、マロに任せてほしいのでおじゃ」

「おう、マロロに頼んだ」

「お、おじゃ……」

 

 やはりこの面子であれば、議題がすいすい進む。

 マロロは何分頼られると嬉しいようだ。しかし、一々感動したように涙目になって震えるのを何とかしてほしい。

 

「……そういえば、イタク殿を新八柱将にしたと言っていたな」

「ああ」

「他の任については、何か考えているか?」

「……特には」

「ふむ、何故か」

「いずれ名のある将を味方にできるかもしれない。その時に、任命枠が無かったら困るだろう」

「……なるほど」

 

 その答えを聞いて、オシュトルは何やら考え込む。八柱将についてはオシュトルに確認もせず色々やっちまったからな。元々帝都奪還後の話としていたこともある。何かまずったろうか。

 

「新八柱将の擁立……であれば、早速良い将がいる」

「誰だ?」

「今となれば、何としてでも味方にしたい。かつてイズルハの長だった漢だ。元八柱将ゲンホウ殿である」

「ゲンホウ……以前聞いたな」

「ノスリ殿とオウギ殿のお父上でおじゃる」

 

 マロロの言葉に、そういえばと思いだす。

 ノスリが昔の仲間に当てがあるし氏族の招集に当たって連絡してみると言っていた。その後多くの兵が集まったものの、ゲンホウ含め全ての氏族が首を縦に振ったわけではない、というところで話が終わっていた筈だ。

 しかし、今のイズルハ長、八柱将はトキフサである。ゲンホウを味方につける意味はあるのだろうか。

 

「ナコクに流れたハク殿を救うため、イズルハに一当てしたことはハク殿も知っているでおじゃ?」

「ああ」

「その時、八柱将トキフサは、未だ全軍を手中に収めていないことがわかったのでおじゃる」

 

 何でも、作戦立案事は将兵も少なくもっと苦戦するかと思っていた戦線が、いともたやすく突破できたそうだ。ムネチカ前線部隊による報告では、部隊によって明らかに戦意に差があり、トキフサの命令に従わない兵もいたそうだ。

 イズルハは数多の部族の集まりであるという。そのことから考えると、トキフサは未だ全部族をまとめあげるだけの力が無いと見られている。もしくは、イズルハの部族の中でも朝廷側に着くか、オシュトルに着くかで意見が割れていると見るのがよいだろうとのことだった。

 

「オウギ殿から少し話を聞いたが、トキフサとの因縁もありゲンホウ殿は国外追放という憂き目にあってはいるが、義篤い氏族の支援によりイズルハの奥地で隠居しているという。であれば、イズルハの旗印は二つに割れていることが予見される」

「ゲンホウを味方につければ、トキフサに反感持っている連中もこっちに来る可能性があるってことか」

 

 もしその部族たちをこちらの味方につけられれば、イズルハの内情把握と兵の獲得の二鳥、いや敵の攪乱を含めれば三鳥を手に入れられるという算段か。そのための一石が、引退したとは言えトキフサと対立しているであろうゲンホウというわけだな。

 

「だが、自分のためとはいえ、一度イズルハとは喧嘩しちまったんだろう? 堂々と交渉には行けないんじゃないか」

「そうだ」

「……まさか」

「堂々とは……な」

 

 なるほど、だから自分が帰って来てから動くことにしたのか。

 つまり、自分お得意のこっそり交渉術をまた頼む、ということなのだろう。しかし、危険も大きい。中立を保っていた筈のイズルハは、今や完全に朝廷側に属している。こっそり行くにもかなりの危険が付き纏うだろう。

 

「……ノスリやオウギと話をしてからだな。行くか決めるのは」

「無論だ。ハクが実行不可能と判断するのであれば、廃案も致しかない」

「しかし、そのゲンホウは確かオシュトルと知り合いなんだろう、直々に交渉した方が良くないか?」

「すまぬな……名は知っているが会ったことは無い。それに、こと交渉においては其方を置いて他に無いと考えている」

 

 にやりと、不敵な笑みを返すオシュトル。全幅の信頼を置いてくれるのは構わないが、自分にもできないことはあるぞ。

 まあしかし、今後の展開は決まった。ナコク、シャッホロとの連携を強めつつ軍備を増強し、その裏でイズルハのゲンホウとの交渉を行う。連れていく人選も考えないといけないな。

 

「それでは、今日の議題はここまでなのです」

「記録ご苦労だった、ネコネ」

「はいなのです」

「さ、飯にするかぁ……」

「ハク」

 

 ネコネやマロロ達と飯に行こうかと立ち上がりかけた時、オシュトルに呼び止められた。

 

「何だ?」

「……少し二人で話をしたい」

「ん? 別に構わんが」

「……でしたら、私達は先に行っているのです」

 

 ネコネとマロロが二人して部屋を出ていった後、オシュトルの前に座り面と向かう。

 声色からある程度の真剣さが窺える。ただの世間話ではなさそうだ。

 

「何だ、話って」

「……」

 

 オシュトルは少し考えこむように目を伏せた後、仮面を取って表情を見せる。そこには、決意を持った強い瞳が映っていた。

 

「其方を二度と失わぬと誓いながら、再び其方を危険に晒そうとしている……某の不甲斐なさを許してくれ」

「……おいおい、そんな殊勝な奴だったか?」

「ふ……そうだな」

 

 真剣な表情を幾分か和らげると、かつてのウコンに扮していた時のような柔和な笑みを見せた。

 

「どうしたんだ、オシュトルらしくないぞ。礼は弾むから行って来いくらい言ってほしいもんだ」

「……其方がいなくなると、悲しむ者が多い。其方のいないエンナカムイを見せてやりたい程にな」

「……そんなにか」

 

 自分がいない時のエンナカムイ。いまいち想像できないが、皆取り乱していたのだろうか。再会した時にはそういった雰囲気はあまりなかったように思うが。ぼこられたし。

 

「ああ、そうだとも。皆一様に落ち着きなく、今か今かと奪還を狙っていた。某を含めて……な」

「……そりゃ危ないことだな」

 

 あの時、クオンがいなければ奪還は叶わなかったろう。ミカヅチを抑えて逃げ果せるだけの手駒を持つクオン。トゥスクルの手が潜む白楼閣の協力、全てが揃わねばただの犬死であったろう。

 

「それだけ、皆が切羽詰まっていたということだ。其方一人欠けただけで……」

「……」

「ハク、其方は聡い。状況を見て瞬時に判断する力を持っているが、そのために自分すらも易々と天秤にかける」

「……そうか?」

「そうなのだ。だから、言っておきたい。アンちゃん、お前が一番大事なんだ」

 

 オシュトルから強く肩を掴まれる。感情が漏れてしまっているからなのか、いつの間にかウコンの口調になっていた。

 

「俺の不甲斐なさの為にアンちゃんに頼っちまっているが、それを忘れないでくれ。ゲンホウ殿との交渉よりも──いや、あらゆる作戦行動において、アンちゃんが無事帰ってくることの方が大事だ……それだけ言っておきたかった」

「……まあ、また捕まるなんて真似はしないさ。牢生活の辛さはお互い知っているだろ?」

「ああ、生きた心地がしねえからな──頼んだぜ、アンちゃん」

 

 握り拳を作り、どんと胸を強く叩かれる。

 肺から空気が押し出され、思わず咳こんで抗議した。

 

「いてえ」

「痛くしておるのだ。大事なネコネをあんな歳で未亡人にされては困るからな」

 

 なんだそりゃ、と返答しようと顔を上げた時には、既に仮面を付け不敵な笑みを浮かべるオシュトルに戻っていた。

 まあいいか。こう言っては何だが、一番取り乱していたのはオシュトルだったのかもしれない。逆の立場であれば、あの面子からやいのやいの常に言われることの辛さはわかるものだ。

 

「……苦労かけたな」

「ふ、お互い様である。本当に、よくぞ無事に戻ってきた」

 

 さ、話も終わったし飯でも行くかと立ち上がる。今から向かえばマロロ達と一緒に食べられるだろう。

 ノスリやオウギと話すのは、それからでいいかと考えるのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 食後、ノスリとオウギを自室に呼び出し、ゲンホウのことについて聞くことにした。

 ゲンホウの名を出すと、最初は渋々といったような表情であったノスリだが、イズルハの現状や自らの出自について話し始めた。

 

「元々、イズルハを治めていたのは我が一族で、トキフサはその後釜なのだ」

「何? それはつまり……ノスリはお姫様だったということか!?」

「そ、それはどういう意味だ、ハク!?」

 

 軽い冗談のつもりだったのだが、随分ノスリの怒りに触れてしまったらしい。両の手の握り拳でぐりぐりと蟀谷に激痛を与えられる。オウギはそんなやりとりに苦笑しながら説明を続けた。

 

「十年ほど前までは、ですが。複数の氏族を我が家が長となって纏め上げていたのです。それも今のようなバラバラの状態ではなく、一帯の氏族全てを纏め上げるほどに」

「痛て……それが、当時八柱将であるお前達の父ゲンホウだったということか」

「父上は強く逞しく義に厚く、帝の信も絶大で……正しく長の中の長だったのだ」

 

 自慢げに胸を張るノスリ。

 こいつはいつも何かあれば胸を張っているような気がするが、その張りようもいつもより二割増しになっている。娘にこうまで言われるのだから、間違いなく傑物なのだろう。

 

「姉上の憧れなんです。当時の父は」

「なるほど……アトゥイのところと違って、娘の前でも恰好良いみたいだな」

「ふふ、そうかもしれませんね」

 

 しかし、疑問が残る。

 ならば何故ゲンホウではなく、トキフサが八柱将に収まっているのか。

 

「む、それは……」

「昔、父と確執があった、ということは知っていますが、内情や人柄については……」

「そう、か」

 

 二人もよくは知らないのだろう。困ったように押し黙ってしまう。

 この暗雲に包まれている中、取るべき道は一つか。

 

「ノスリ、以前お前の家を再興する……という話をしたよな」

「ああ、お前が影武者をしていた頃だな」

「皇女さんが帝都へ帰還した暁には八柱将の位をやる、とも言ったよな」

「む……あれはハクの時に結んだものだ。オシュトルが復活した今、有耶無耶になったのではないのか?」

 

 確かに、あの約束を交わした時はそうだった。

 しかし、今やナコクの同盟を結ぶためだけでなく、オシュトル陣営の結束を強めるためにも新八柱将を擁立する方向で動いている。その柱の一人として、ゲンホウではなくノスリを推すことは、ゲンホウ他反トキフサの氏族を説得する上で大きな要因になるかもしれない。

 

「……まさか、姉上が新八柱将の一人になるのですか?」

「そのまさかだ。どの道御家再興が願いであれば、今の内に高い地位についておくことがいいだろう」

 

 それに、現在貢献度の高い重鎮の中でも、アトゥイやルルティエなどの王族と違って、ノスリだけ家柄が非常に低い。帝都奪還の際に褒章の話になれば、割を食うのは彼らだろう。

 

「なぜだ。オシュトルが褒章については便宜を図ると言っていたが……」

「これからはナコクやシャッホロ、数多の家柄を持つ者が配下につく。その中で下級氏族のままではいくら貢献度が高くとも特別扱いしにくいだろう」

「折角平定したのに、いらぬ火種を持つことになりますからね」

 

 理解の早いオウギが納得するように頷いた。

 勢力が大きくなれば利もある。しかし、その分柵も増えてしまうのだ。面倒な、と呟くノスリの言葉に賛成であるが、感情と理屈は分けて考えねばならない。

 

「……つまり、私が八柱将になるのか?」

「いや、今のままでは家柄の問題から難しい。イタクは皇子だったからすんなりいったが」

「姉上が家督を継げば、イズルハ元長の後継者で氏族長という名目が立ちますから、八柱将と成り得るということです」

「……とにかく、父上に家督を譲ってほしいと言えばよいのだな」

 

 ちんぷんかんぷんなのだろう。まあ、判らんでもない。政治の建前は誰にとっても複雑なものだ。

 

「そういうことだ。ノスリを新八柱将に任命することを条件にすれば、ゲンホウも嫌な顔はしないだろう」

「交渉内容は?」

「二つだ。ノスリが家督を継ぐこと、そして反トキフサを掲げる氏族を纏め上げる一助となってもらうこと」

 

 その条件を聞き、二人は納得してくれたのだろう。自信をもった笑みを堪えた。

 

「善は急げとも言うからな。父上に会うともなれば、早々に準備せねば」

「今は戦時中ですから、トキフサ殿の索敵に引っかからないよう道を探りましょう」

「頼めるか」

「ええ、お任せください」

 

 故郷ですから、と最後に付け足すオウギ。

 いつもと変わらぬ笑みではあるが、少し自信のあるようにも見える。任せておけば良い返事が期待できるだろう。私は文で現状を伝えるのだ、と意気込みながら出ていくノスリ達を見ながら、オシュトルへの報告書を認めるのであった。

 




三日間、連続更新でした。
コロナで在宅勤務の日もあるので、ある程度小説書く余裕ができましたね。

また少し空くかもしれません。気長にお待ちください。


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第二十七話 比較するもの

久々のオシュトル視点で一本。


 時は少し遡り、ハクがナコクより無事エンナカムイへと戻った日。

 某がハクの姿を久々に見た時のことだ。

 

「おう、オシュトル。戻ったぞ」

「ハクか……よくぞ戻った」

 

 ハクは、あの日以来変わらぬ笑みと表情で某の前に立っていた。

 何も知らぬのであろう。これまでハクのいなかったエンナカムイが如何に失望と焦燥と悲哀に満ちたものであったことを。某の雰囲気を察した母上からも休むよう言われるほど、某が憔悴仕切っていたことを。

 ハクは知らぬのであろう。知らぬままで良い。

 

「ああ、こうして無事──お、おい?」

 

 轡を並べ仲間と呼べる者がいなかったわけではない。

 親友と呼べる者がいなかったわけではない。

 しかし、己が死んでも後を託せると信じた者は、後にも先にもハクだけである。右近衛大将も人は人、己の大切な者は失ってからその大きさに気づく。

 生きていた。生きてここに戻ってきた。だからこそ、二度と失わぬと誓ったのだ。たとえ、己の命を天秤にかけたとしても。

 

「よくぞ……戻った」

「……ああ」

 

 そこで、自分がハクをつい抱擁していたことに気付く。

 周囲に人もいる。このままでは右近衛大将もただの人かと揶揄されるであろう。某はもはや総大将である。英雄然としなければ、求心力もそれに伴い低下する。これ以上感傷に浸ってはならぬか。

 

「皆に随分心配をかけさせてくれたな、ハク」

「ああ、そうみたいだ」

 

 オシュトルとしての仮面を被り、真意を隠す。

 伝えたいことはまだある。しかし、ハクのことだ、今暫くエンナカムイで休息を取るであろう。お小言についてはまたの機会にすることにした。

 

 その後、御前から宴の提案が成され形となった後、各自解散という形になった。

 ナコクよりこちらへ来る際にハクが用意した報告書もかなりの量がある。ハクの字は独特で読めぬ場合もあるため、確認は早々に済ませねばならぬ。

 解説をネコネに頼みたかったが、ネコネは母上のところに報告に行くという。であれば仕方ない、態々引き止める理由も無いだろう。

 

「オシュトル様、お茶をお持ちしました」

「おおエントゥア殿。帰還早々すまぬ……ふむ」

 

 執務室にてエントゥア殿の入れてくれた茶を飲みながら、報告書に目を通す。酒が入れば思考が鈍るため、できれば宴が始まるまでに終わらせておきたい。

 ライコウの手に落ちてから今までの報告が時系列となって書かれている。要点は纏められていて読みやすいが、一つ気になる点があった。しかし、その報告は後回しだと机の端に後で判別できるように置いておいた。

 議題にすべきものは何かと模索しながら読んでいた頃。床を蹴り上げる慌ただしい音が遠くから響き、どかんと大きな音を立てて扉が開かれた。

 

「ハク! ハクはどこじゃ!」

「……聖上」

「おお、オシュトル! ハクはどこじゃ! あやつ、旅疲れした余の肩を揉むと約束しておったのに、どこにもおらんのじゃ!」

「真に遺憾ながら某にも心当たりはありませぬ」

「エントゥアはどうじゃ?」

「私も存じておらず……申し訳ありません」

「ふむー……そうか」

 

 そういえば、聖上は以前某に対して殊更に接触を図る時期があったことを思い出す。しかし、喜ばしいかなエンナカムイに来てからというものそういったことがとんと無くなった。聖上も年頃の女子として分別を学んだかとムネチカ殿と安心に胸を撫で下ろしていれば、そういったわけでも無さそうだ。なぜならば、その満ち満ちた気概をハクへと向けてしまっているのだから。

 

「……どこかに隠れておるのではないか?」

「あ、アンジュ様……」

 

 そう言って執務室のあちこちを物色し始める聖上。

 ハクの身長では入れる筈もない壺の中まで覗きこむ姿を見て、先が思いやられた。エントゥア殿が必死に止めているが、意に返さず箪笥などをひっくり返している。

 しかし、こういった元気な姿もハクが存命しているからかと思えば、可愛いものであるとも考え直す。ハクのいない数カ月、あれ程失意の底にあった姿は見たことが無い。終ぞ某の言葉は届かず、ハクがナコクへ逃げ延びたことを聞いた時、漸く瞳に光が灯ったほどだ。

 

「……ん? これはなんじゃ?」

 

 そこで聖上の視線がふと、目を通している報告書に向かった。

 

「ハクからの報告書で御座います。宴前に目を通しておきたく……」

「ほう! ハクからの報告書とな……そ、それは余も見ておかねばならぬな。ナコクで余は大活躍だったのじゃ、きっと余に対する褒め言葉が並んでおるじゃろ!」

 

 そう言って、先程気になる点があるとして机の端に置いたある報告書を手に取った。

 

「聖上、その方は……」

 

 某の制止虚しく、聖上は目を皿のようにして報告書を眺めている。そしてやがて一点に瞳を集中させると、恐怖に包まれたような表情となって某を見た。

 

「お、オシュトル、これは……」

「後ほど、本人に確認したく存じます」

「……返答は、余にも聞かせよ」

「はっ」

 

 聖上は顔面を蒼白にさせたまま、執務室から出ていった。

 乱雑に置かれた報告書を再び机の端に寄せながら、聖上の表情を変化させる原因となった一文に再び目を止めた。

 

 ──ライコウの大義を理解、一定同調し部下となる。

 

 勿論、ハクは牢に繋がれれば逃げ出すこともできないと見て、演技でライコウの手下となったことは知っている。しかし、ライコウの思想に同調したことまでは知り得なかった。

 聖上にとって、ハクは忠臣である。それが、敵の大将とも言える思想に一度は理解し同調したのだ。自信の無い聖上にとっては不安に思うのも致し方あるまい。

 

「本意を聞くには、酒の力もいるかもしれぬ。宴の最中に聞くのが良いか……」

「何か、あったのですか?」

「む……エントゥア殿も御覧になるといい」

 

 そう言って、件の報告書をエントゥア殿に手渡す。エントゥア殿も眉間に皺を寄せ、何事か考えている様だ。

 あり得ぬことではあると思うが、聖上の頭の中では裏切りということも考えているだろう。そう思考してしまう線は消しておきたい。

 マロロの親族への術などもある。ハクが操られてしまうという最悪の事態も想定するならば、素面では誤魔化されることもあるかもしれぬ。やはり、宴の半ばで聞くのが良いか。

 

 そして陽が落ち始めた頃、報告書も全て読み終わる。エントゥア殿は料理の準備をすると一足先に向かっている。某も後を追うため、議題にすべき案件をまとめると宴の為の身支度をした。

 さて、宴の席に赴こうとルルティエ殿の部屋の前を通った時、何やら姦しい女子の声が聞こえてきた。

 

「……わかったかしら、ルルティエ。ハク様に沢山お酒を飲ませるの。そしてルルティエの部屋に連れ込むのよ」

「えええっ……!? ハ、ハクさまを……!」

「いい? ハク様はもうエンナカムイにおいて英雄として扱われているわ。今の内に既成事実を作っておかないと、後から来た貴族の娘に掻っ攫われる可能性だってある。それはルルティエだって嫌でしょう?」

「そ、それはそうですけど……!」

 

 何やら、宴において途轍もない計画の全貌を聞かされている気がする。

 ネコネを思えば止めた方が良いのかもしれぬが、以前よりハクを想っていたシス殿とルルティエ殿の二人だ。成就を邪魔するようなことは身内贔屓であり某には憚られる。

 某に聞かれているとなれば、二人も気まずいであろう。早々に立ち去らねば。

 

「お姉さま……」

「何?」

「お姉さまも、一緒に来てはいただけませんか?」

「!? そ、それは何だかとってもいけない感じがするわ、ルルティエ!」

「で、でも、私一人は、は、恥ずかしい……」

「……ふ、二人の方が恥ずかしいと思うのだけれど……まあ可愛いルルティエの頼みだもの、ハク様を部屋に連れ込むまでは手伝ってあげるわ」

「そ、その先は……?」

「優しくしてください、って言えばいいのよ。こういうのは」

「お姉さまもそう言ったのですか?」

「……今は私の話はいいの」

 

 少しばかり離れても聞こえる大きな声だ。迂闊すぎはしないだろうか。しかしとて、それも純粋に想うが故か。ふむ、しかしネコネの恋敵は多いな。

 そう思いながら通り過ぎようとアトゥイ殿の部屋の前へ足を運んだところだった。

 

「いいけ、クラりん? おにーさんに後ろから抱き付いてーきゅって絞めてほしいんよ」

「ぷ、ぷるぷるぷる」

「そしたらおにーさん気絶すると思うぇ。後はウチが介抱するって言って部屋に連れ込むけ、クラりんはその場を誤魔化してほしいんよ」

「ぷるぷるぷるぷる」

 

 ふむ、アトゥイ殿の計画が実行されれば、いつ気絶させられるか判ったものでは無いな。ハクへの質問は早々に済まさねばならぬであろう。しかし、クラりん殿はそんなにも高性能な仲間であったか。これはクラりん殿への対応を改めねばなるまい。

 

 アトゥイ殿の計画に些か戦慄しながらも、クオン殿の部屋がある廊下を歩いていると困惑した声が響き始めた。

 

「あ~も~、好きって言っていた香水でいいのかな……でも、いつも同じ匂いだと飽きられるし……こっちも自信作だし、こっちに……でも……あ~、もう!」

 

 クオン殿も悩み多き年頃なのであろう。しかし、先の二人の計画と比較すれば、幾分可愛い悩みであるとも言える。ネコネが姉さまと慕う理由もわかろうものだ。ハクを救出してくれた恩義もある。ここは宴においても少し支援するのが望ましいか。

 

「えっと、ハクは一撃で気絶するから大丈夫……私の手刀は誰にも見切られない筈。見切られるとしたらオシュトルだけど、オシュトルも宴の席だしお酒で反応は鈍くなるだろうし……」

 

 前言撤回である。最も肉体言語に近い求愛方法であった。

 もはや、誰に介入してもハクの無事は保障されまい。某にできることは傍観者となることだけだ。許せ、ネコネ。

 女性陣におけるハクへの愛情の深さを感じ取りながらも、宴の場へと早足で急いだ。

 

 城の中でも特に大きな広間で足を止める。宴の席は、と眺めていると丁度主賓の隣を用意されている。聖上の席も近くであるからして、本意を聞くにはよい立地である。

 しかし、宴も深くなれば席など関係無くなるほどに皆酔うであろう。女性陣による事件が起きる前に、ハクに話を聞かねばな。

 

 座して待つこと幾許か。陽も傾き薄夕闇が場を支配する中、ぞろぞろと何時もの面子が集ってきた。

 

「おう、オシュトル早いな」

「主賓を待たせてはならぬからな」

 

 友らしい軽口を叩きながら、料理が揃うのを待つ。ハクを思えば断頭台に立つような心持ちであるが、それは今言うまい。

 暖かい火と仲間に囲まれながら、某の一言で宴が始まった。

 民の皆が用意したという出し物や、エンナカムイの伝統芸能に心奪われながら、宴は盛り上がっていく。思えば、こうして宴を開くのも久々である。民も鬱憤が溜まっていたのだろう。城の外からも陽気な声が聞こえる程だ。

 

 暫く宴が続き、聖上から今か今かという視線に耐えかねて、ハクへ問いかけた。

 

「ハク」

「ん~? どうした~?」

 

 些か出来上がり過ぎたきらいもあるが、まあ良い。

 

「聞きたいことがあるのだ」

「何だ? 改まって~?」

「ライコウに捕らわれていた時、何を言われたのだ」

「? ああ、まあ確かに裏切りはしたもんな……」

「いや、ハクが裏切ったのは演技であることは知っている。だが、その演技が通ったことに、ライコウの底知れなさを感じるのだ」

「ま、そうだな。普通なら縛り首か、言うこと聞かせるなら拷問、洗脳、色々あるよな」

 

 ハクは酒を飲みながらする話でも無いと思ったのか、杯を置いて話始めた。

 

「ライコウの大義を聞いた。そして、それに自分は少なくとも同調はしたんだ。心の底からな」

「その大義とは」

「帝の揺り籠から巣立つことだ。ヤマトは、長いこと絶対的な存在である帝の膝元で安寧に暮らしすぎたんだ。雛であるヤマトの民を覚醒させなきゃいけない、と」

「む……」

 

 ライコウの言わんとしていること、それは某が余り考えたこともない話であった。生まれた頃より帝はいた。いや、生まれる以前より、父の代でも語りきれぬ程、帝は長く生きている。

 帝を中心に法が生まれ、帝を中心に我ら将がおり、民がいる。帝がいないことは、それ即ちヤマトの終焉である。それが、当然であった。帝が死すまでは。

 

「帝がいなくなったからこそ、自らで勝ち取る者が頂点に立たねばならない。そして、頂点に立ったとしても、また再び頂点を勝ち取る者が現れる──自ら考え生まれ変わり続けることこそが国の本来の形だとな」

「世襲ではならぬ、と?」

「……というよりも、民の意識の問題だな。帝から与えられていることが当然だった意識を変革する。帝から巣立たぬ雛のままでは、いずれ国は滅ぶ。だからこそ、ライコウは今のヤマトを壊して自分が勝ち取るつもりなんだ」

 

 ライコウの大義をよく理解しているからこそ言える台詞なのだろう。ハクの言葉は流暢であった。まるで心酔しているかの如く声色に少し不安を抱いたが、今も戦々恐々として聞き耳を立てているであろう聖上を思えば、聞かぬ訳にはいかなかった。

 

「……ハクは、どちらが良いと思ったのだ?」

「うーん……考え方はライコウに似ているかもしれない。だが、一つライコウと違う点がある」

 

 ハクは再び杯を取ると、並々と酒を注いでこう答えた。

 

「──自分は、皇女さんこそが勝ち取る者だと思っているってことだ」

「……ふ、そうか──聖上、ご安心めされたかな」

「うむ……ありがとうなのじゃ、オシュトル」

 

 思わず笑みが浮かぶ、ハクはやはりハクであった。

 かのような聡い者が、聖上こそが勝つという。聖上にとって何よりの言葉であろう。

 

「何だ、聞いていたのか?」

「うむうむ、余のことをよーわかっとるのじゃ、ハク!」

 

 聖上は太陽のような笑みで、酒を飲んでいるハクにお構い無く背中を叩いている。轟音のする打撃を喰らって酒が気管に入ったのだろう、咽るハクに同情しながらも考える。

 ここまで自らの大義を理解し、それでも我らを選んだハクのことだ。ライコウは、この男の真価を見極められなかったことを悔やんでいるに違いない。であれば、ライコウは必ず復讐の機会を狙っている。己こそが勝ち取る者だと認めさせるため、ライコウは完膚なきまでの勝利を求めるであろうことは想像に難くない。

 させぬ──某の全てを以って、ライコウに勝つ。そう決意したのだった。

 

「あ、あの、ハクさま……こちらのお酒は、ど、どうですか?」

「お! ルルティエがお酌してくれるのか?」

「は、はい……迷惑でしたか?」

「んなことないさ。嬉しいよ」

 

 む。まずい、考え事をしている内に、ルルティエ殿がハクにお酌をしようと近づいている。物陰を見やれば、頑張るのよルルティエと握り拳を作って影乍ら応援するシス殿が存在感を放っていた。一番手はまさかのルルティエ殿だったか。

 

「では、ど、どうぞ……」

「ほう、うまそうじゃな! 余が先に味見しておくのじゃ!」

「あっ……」

 

 ハクの杯に注いだ酒は宴に出ている酒とは種類が違ったようだ。それに興味を引かれたのだろう、聖上がハクの杯を奪い取って中身の酒を飲んでしまった。

 

「おいおい、皇女さん、ルルティエは自分に注いでくれたんだぞ」

「あ、あぁ、ハクさま用のが……!」

「ぷはぁ! う……うにゅ……?」

 

 暫く酒に違和感を得ていたように戸惑っていた聖上であったが──突然である、どさりと目を回して倒れる聖上。すわ何事かと騒ぎが大きくなるが、度数の高い酒を飲んで目を回したのであろう。真っ赤な顔で、ぐこーと乙女に似つかわしくない盛大な鼾をかいていることからも、危険性は無さそうだ。

 

「……酒豪の皇女さんが倒れるくらいの酒か、飲んだら明日に響きそうだな」

「そ、そうですね……ごめんなさい」

「いやいや、ルルティエの気持ちは嬉しいよ」

 

 すごすごと涙目でシス殿の元へ帰っていくルルティエ殿。シス殿は落ち込むルルティエ殿に、薬はまだあるわ、と言っているような気がするが、耳に入らなかったことにしておきたい。

 そして宴も酣、皆がベロベロに酔い始めた時には、ハクはマロロやヤクトワルト等と一緒に裸踊りを始めてしまった。女性陣からの熱い瞳を受け乍ら、出し物はどんどん穢されていく。この場にネコネや母上がいなくて良かった。

 しかし、某も記憶の残らぬほど飲めば良かったか。どうも楽しみきれぬ。今回は、色々見聞きせねばならないことや、ハクが戻ったことで緊張の糸が緩んだものを引き締めねばと臨んだ宴でもあった。

 今回、酔いは出遅れてしまったが、まあ良い。聞きたいことは聞け、ハクの弱みも握れた。裸踊りをしていたぞ、など言えば一定面倒な仕事も引き受けてくれよう。

 

「おー、とうちゃんたちのぶらぶらだぞ!」

「きゃああああ、こっちに見せないでほしいかな!」

 

 これも、ハクがいなければ見ることの出来ない光景か。そう思えば、汚い男の裸と、阿鼻叫喚となる女性陣の騒ぎも旨い酒の肴となるものだ。

 

「おーい、オシュトルもこっちこいよー! がははははっ」

「兄上ぇえ、助けてくださいーっ!」

 

 ハクは裸踊りをすることで自らの身を女性陣より守ったことなど気づいていないのであろうな。さて、某も記憶を失うほど参加するべきか否か。

 そういえば、と無言で控えているウルゥル殿とサラァナ殿に目線を移す。

 

「其方らは酒はいらぬのか?」

「介抱」

「主様が寝入ってしまった後は、私達の出番ですから」

 

 なるほど、今回の宴の勝者は彼女らかもしれぬ。

 彼女らは、ハクを失って最も憔悴し救出したい想いを我慢していた者達だ。ハクの生存を某達に伝え、その希望を保たせ続けたことからも、此度のハク救出においての立役者は彼女らである。このまま成り行きを見ているのが彼女らにとっても一番得なのであれば、某もこの宴の流れに乗るのが良いか。

 

「おおー……キウルの、まえよりちょっとおおきくなってるぞ?」

「シノノンちゃん!? やめてっ、見ないで~!」

 

 これ以上、巻き込まれたキウルを放ってはおけぬな。

 その後、羞恥に塗れるキウルを救うために飲んだ酒の後の記憶は、曖昧である。宴は楽しんでこそ、であるからこういったものもたまには悪くあるまい。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 時は戻り、ハクからオウギとノスリの二人と話し合いの結果、ゲンホウと会う方向に決めたことを伝えられる。

 ノスリは正式な文として、オウギは戦時中でもあるからして裏を疑った道を探るとのことであった。

 つまり、文への返答が来るまでは、ハク率いる精鋭部隊はエンナカムイに在留する。イズルハ遠征のための準備もそれからであるため、ハク達には暫くの暇が与えられることとなった。

 その暇において、休んでばかりでは腕が鈍ると、いつものように紅白試合をしようかと皆が集まった時であった。

 

「──新たな武器を使いたい、と?」

「ああ」

 

 ハクは以前より悩んでいたようで、がらがらと数多の武器を地に並べて見せた。

 

「どうも、このヴライの仮面を付けていると力加減が難しくてな。鉄扇が壊れそうに軋むことも多いんだ。その度にクオンに調整してもらっているが、いい加減気を使わなくていい頑丈な武器も併用したい」

「私は別にいいって言っているんだけれど、一応借り物だからってハクがね……」

「ふむ……」

 

 ヴライの仮面について、暴走を抑えるため余り力を使えない、という報告は受けている。しかし仮面の力の弊害というべきか、いつもの筋力に大きく加算があるというのだ。

 仮面の力を引き出したハクが言うには、腕相撲で勝てない相手は聖上くらいであるという。もしそれが本当であれば、単純な腕力では頭抜けている。これまで鉄扇を軸に戦っていたのも、ハクの異常な非力さ故であった。それが無くなった今、確かに新しい武器を用いるのはハク自身を守るためにも良いであろう。

 筋力を上手く生かすことのできる武器──ふむ。

 

「ハクの新しい武器か──弓はどうだ! 弓はいいぞ!」

「……ハクさんって、前に矢が当たらないって言っていましたよね」

「おいおい馬鹿にすんな。矢が当たらないんじゃない。向こうが矢を避けるんだよ」

「ははっ、何を言っているのだ! それを当てるのが腕の見せ所なのだぞ!」

「そうですね。ハクさんは弓が苦手なようですから、流石に厳しいかと」

 

 可哀想な者を見る目でハクを見るノスリ殿やキウル。

 しかし、確かに力任せで扱える武器でも無い。弓は難しいであろう。であれば──

 

「槍はどうやぇ? 突いてもいいし、ぶんぶん振り回してもいいんよ?」

「槍か……というか、アトゥイの使い方は合っているのか?」

「ん~わからんぇ。ぶんぶん振り回してたら相手が勝手に潰れるから、あんまり考えたことないなぁ」

「使い方を教わっている内に自分が消えそうだな。却下」

「あ~、おにーさん失礼やぇ!」

 

 槍の柄を使って後ろからハクの首を絞めあげるアトゥイ殿。白旗を上げるハクであるが、あれでは暫く解放されまい。

 しかし、槍は選択肢として良いのではないだろうか。一定の練度に達するには、槍は扱い易い。間合い管理も剣よりやり易いことや、横に並べば制圧力の高い武器である。故に軍備においても槍は重用されるのだ。ハクが使えるようになって損はない。

 暫く皆で地に並べられた武器を眺めていたが、ヤクトワルト殿が一つの武器を手に取りぽつりと提言した。

 

「これなんていいんじゃない?」

「ヤクトワルトが使っているやつか?」

「ん~、俺の大太刀は力加減を間違えば簡単に折れちまうじゃない。これは長巻つって、大太刀よりも柄が長く重い分折れ難い」

「ほ~」

「重量に任せた薙ぎ払いや打ち下ろしにも向いているじゃない。今の旦那には良い武器だと思うがね」

「ふむ……長巻か。それは良いかもしれぬ」

 

 長巻であれば、某も一定教えられる。

 槍も確かに優れてはいるが、護身を考えた間合いへ入らせぬ戦いについては、薙ぎ払うことのできる長巻に利があるか。

 ハクは攻撃型というよりは隙を突く防御型の方が向いていることもあり、長巻は性格に合うかもしれぬ。

 

「長巻……ってこれか」

「おお、なんじゃ、ハクが恰好良くなった気がするのじゃ!」

「お、そうかい? んじゃ、これにするかぁ」

 

 長巻は柄に鋼鉄を多く仕込む。かなりの重量がある筈だが、ハクは容易く素振りをし、肩に軽々と長巻を担ぐ。やはり、こと単純な腕力においてかなり成長しておるようだ。

 

「お待ちいただきたい。それは持ち手を狙われやすい武器と見る。ハク殿にはこれも必要ではないだろうか」

「手甲……か」

 

 ふむ、ムネチカ殿の言も一理ある。手の甲を守るためだけでなく、武器を落とされ徒手空拳となった際にも打撃にて一定戦えるものである。長巻は場所を取る武器だ。身一つで行動することも多いハクには、いざという時の護身にも成り得る手甲は良いであろう。

 

「ならば弓も持てば遠距離でも戦えるぞ、どうだハク!」

「そんなに持ったら移動だけで疲れちまうよ」

 

 結果、長巻と手甲、鉄扇の三つの武器を扱うことになった。

 

「……よし、じゃあ今日はこれでやるか」

「ふむ……新しい武器では加減も判らぬであろう。意図せず残せぬ傷をつけてしまうこともある。まずは某と手合せするのが良いだろう」

「あ~オシュトルはんずるいぇ~!」

「お、久々に旦那と大将の戦いが見られるのか、楽しみじゃない」

「なら、シノノンがしんぱんをするぞ」

「おいおい、審判なんぞしなくても自分の負けだぞ」

 

 そう愚痴りながらも、ハクはいつものように某の前に立つ。

 確かに、ハクは某に勝ったことは無い。しかし、飄々としている姿からは想像できぬが、ミカヅチとの一戦を越えて何か掴んだのであろう。武器を構える所作、眼前への意識の向け方、以前と比較して遥かに歴戦の戦士然と化しているのだ。油断すれば喰われると感じる程には、今のハクに脅威を感じている。

 

「それじゃあ、はじめだぞ!」

「よし、行くぞオシュトル! 駄目で元々ッ!」

「ほう……」

 

 シノノンの合図に合わせて地を蹴り飛び掛かるハク。

 確かに、以前より速度は上がっている。長巻による渾身の叩き降ろしを、体は動かさずに鞘でもって矛先を逸らし地面に激突させる。

 

「うっ」

「良い一撃である……が、後先も考えねばな」

「何の!」

 

 ハクは地面を掘った長巻を返し手で持ちあげると、斜めに薙ぎ払う。鞘で矛先を少し逸らしながら体を沈み込ませて躱し、長巻の届かぬ間合いまで下がった。

 

「流石兄上。ハクさんの斬撃を意図も容易く……」

「しかし、ハクさんも中々堂に入った振りですね。意外と合うのかもしれません」

「旦那~、長巻は突くのも強いじゃない!」

「応、判った!」

 

 ヤクトワルト殿の指示を受け、叩き降ろしと薙ぎ払いを少なめに突きを多く繰り出すハク。確かに、長巻による突きにおいては某の太刀では間合いは届かず一方的な戦いになる。ハクの突きも勢いを増し、某も回避に意識を向けざるを得ない。

 

「あ、兄さまが、分裂して見えるのです……」

「さ、流石はオシュトルかな……」

「ええなぁ、ええなぁ……おにーさん、後でウチともやろうなぁ!」

「それは勘弁、だッ!」

 

 上段中段では埒が明かぬと思ったのであろう。某の足運びをどうにかしようとしたのかもしれぬ。下段に大きく隙のある薙ぎ払い。跳躍して躱すも、それを待っていたかのようにハクの口の端が歪む。

 

「そおいッ!」

「む……」

 

 跳躍した無防備な瞬間を狙ったのであろう。空中に浮いた某に再び渾身の突きが迫る。

 しかし──

 

「──んなっ!?」

「ふむ……ハクよ、腕を上げたな」

 

 ハクの突きを横合いから鞘で弾き飛ばすと、その勢いのまま着地。流れるようにハクの喉元に刀の切っ先を添える。

 

「ッまだまだ!」

「むッ……!」

 

 戻せぬ長巻をそのままに、柄を傾け手甲で以って某の刀を弾く。今日身に付けたにしては、咄嗟の判断として最良である。しかし、一度踏み込んだ間合いを離す程では無い。

 そのまま二度三度と刀を振るい、ハクは柄と手甲での防戦一方となる。

 

「ぐっ……」

 

 そしてそのまま再び喉元に切っ先を向けるため更なる間合いを詰めようと一歩踏み切った瞬間であった。ハクは間合いを広げることを諦めたのだろう。こちらの一歩に合わせて瞬時に身を詰めることで鍔迫り合いの形となる。

 その対応に、思わず目を見開いた。

 

「ほう……!」

 

 鍔迫り合いは単純な力任せでは無い。しかし、押し返せぬ、引くこともできぬ。ハクがこれまで某に教わってきた重心移動を忠実に実践しているからだ。

 しかし、なるほど。これがハクの言う加減が効かぬというものの正体か。ハクは忠実に実践しているが、僅かにハクの上半身の筋力にズレが見られる。これが仮面の力の弊害という奴かもしれぬ。本人の思わぬところで力を発揮し過ぎるのであろう。であれば──

 

「──ふっ」

「うッ!? うおおおっ!」

 

 鍔迫り合いを終わらせる某の引きの動きにハクの体はついていかず、体勢を崩した。前傾になって倒れかけるハクの首元に再び刃を当てた。

 

「……こ、降参」

「オシュのかちだな!」

 

 シノノンが某を模した赤旗を勢いよく振り、決着はついたこととなった。

 わいわいと皆が集い、健闘が労われる。某も刀を鞘に納め、ハクが以前と比較して大きく成長したことを称えようと近づいた時だった。

 

「っ……」

 

 ハクは、戸惑っていた。いや、仮面を抑え何かを堪えるような表情をしていた。暫くそのままの姿勢であったが、やがていつもの柔和な表情を取り戻した。双子が心配そうに駆け寄るが、ハクは大丈夫だと二人を制している。

 

「くそ……流石はオシュトル、全然勝てる気がしないぞ」

「ふ、ハクも成長している。某も此度は少々本気を出した」

「それなぁ、いつも言うだろ、お前」

「そうであったか? しかし、いずれ某に勝つ日も近いであろう」

 

 半ば確信を以ってそう言う。

 今はハクの呼吸が読めているからこそ、こうして戦えている。他の戦士との経験を積み、数多の選択肢を増やしたハクを相手取るのは、某にも自信は無い。しかし、ハクには冗談に思われたのだろう、笑って誤魔化された。

 

「おいおい、そんな訳ないだろ?」

「ふむ、嘘は言わぬが……もし某に勝てば、ミカヅチとの決戦も譲りたい程だ」

「そ、それは勘弁だな。できればミカヅチとは二度と打ち合いたくない」

 

 しかしとて現段階で見ても、ハクはもはや立派な一角の武人である。そこらの兵に遅れを取ることは万に一つもないであろう。

 イズルハは戦時中ともあり、刺客その他諸々との戦闘は避け得ぬかもしれぬ。その際にこれだけ力を扱えるのであれば、多少の心配はあるまい。以前よりも、ずっと強くなっているのだから。

 

「さて、紅白試合の籤を引くじゃない」

「ハクさん組になりませんように……!」

「おいキウル、それはどういう意味だ~?」

 

 その後始まった紅白試合においても、ハクには先程打ち合った時のような覇気が無く、何かを気にしながら戦っているようであった。逐一何かを否定するような呟きも聞こえていた。その様子を、ウルゥル殿とサラァナ殿が心配そうに眺めていたことが、某の心残りである。この時に、気づいてさえいれば、と。

 

 ハクの抱える爆弾の大きさ、それについて某が詳しく知ることができたのは、もっと先の出来事であった。

 




ハクも英雄らしくなってきたところなので、女性陣が動き始めましたね。
部屋に連れ込んで一体何をするつもりなんでしょうか。気になります。


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第二十八話 焦燥するもの

イズルハ編。前編。
今回は切りのいいところまで、二話連続投稿です。


 イズルハのゲンホウとの交渉実行が決まったことにより、オウギを主軸とした調査が開始され幾数日が過ぎた頃。

 現イズルハ情勢について相談したいと、オウギとノスリからの呼び出しを受けた。ノスリの部屋にて話を聞くこと僅かながら、イズルハがかなりの混乱期にあることが窺えた。

 

「……内乱状態だと?」

「ええ。表向きには統一を示していますが、ほぼ確実かと」

「前回の戦によるオシュトル陣営の戦いに恐れを成したのであろう! 我らにつくべきだという幹部氏族も出てきているようなのだ」

「ほう、そりゃいい話じゃないか」

「ええ、しかしその多くは粛清の憂き目に合っているそうですが……」

「粛清だと? おいおい、崩壊寸前じゃないか」

 

 粛清という手段すら取らざるを得ないということは、それだけ余裕がないということでもある。

 これは良い機会かもしれない。逆に今を逃せばイズルハに燻ぶるオシュトル派閥の芽を摘んでしまうとも言える。一刻も早くゲンホウに会い、彼らをまとめあげることが必要だ。

 

「ゲンホウの居場所は判ったのか?」

「む、それが……実家は蛻の空だったようなのだ」

「トキフサの追っ手を撒くために各地を転々としているようで……ただ、裏が取れていない情報ではありますが、約束の期日にある場所を指定しているようです」

「珍しいな、オウギが裏を取れないとは」

「ええ、何分イズルハはかなりの混乱期にあるようで……しかし、旧知の部下からの有力筋でもあります。賭けになりますが……」

 

 時機を外せば、粛清が進みイズルハは安定期に入ってしまう。そうなれば、ゲンホウも無事ではいられまい。オウギとノスリの焦燥も理解できた。

 しかし──

 

「トキフサによる罠の可能性もあるってことか」

「……その通りです」

「私は行くぞ! 父上をこれ以上放置していては、いつか見つかってしまう!」

「待て待て……誰も行かないとは言ってないだろう?」

「ならば行くのか?」

「ああ。オシュトルに話を通してからだがな」

 

 ノスリは父が心配なのであろう。その焦りはわかるが、イズルハは敵地。ただ闇雲に突っ込んでいては袋の鼠だ。

 

「それに……国境付近は特に警戒が厳とされている可能性があるな」

「……何故だ?」

「ゲンホウが本当に謀反したいなら国を出る筈だ。未だに転々としているってことは、出ていけない事情があるんだろう」

「む……では、どうするのだ?」

「軍に陽動を頼もう。何、本当に戦争するわけじゃない。国境付近をウロウロするだけで、トキフサは焦って兵を出してくれる筈さ」

 

 オシュトルに作戦を立案し許可を得た後、人選を選ぶ。

 自分とノスリ、オウギは確定として、後は危険ではあるが交渉が円滑に進むよう皇女さんも必要だろう。であれば、護衛のムネチカ、御側付きのルルティエも来る。となれば、後の連中も勝手にぞろぞろついてくるだろう。

 出立は早ければ早いほどいい。ノスリは安心したのか先ほどの焦りの表情は消えている。しかし、今度は不安げな表情を浮かべ始めた。その不安の原因を知るのは、ゲンホウと直接会ってからになるのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 イズルハ国深く中心拠点となる居城にて、トキフサは焦燥していた。

 

「ええい、ゲンホウはまだ見つからんのか!?」

「申し訳ありません。居所を転々としているようで……」

「くっ、役立たずめが!」

 

 命令も満足に遂行できない部下に激昂し、飲んでいた茶を浴びせるように抛る。

 

「何だ、その目は……? 反抗する気力があるなら草の根分けてでも探しだせッ!」

「……はっ」

 

 茶に塗れた部下の顔からは、失望と反抗の意思が窺える。ここまでしてゲンホウを探すことには理由があるのだ。

 

「くそ、ライコウめ……全く無茶を言うものだ!」

 

 朝廷からの命令は一つ。イズルハの政情を盤石とすること。

 命令が下されたきっかけは、以前オシュトル陣営と戦い敗北したことにある。イズルハの氏族全てを統一できたわけではないことが浮き彫りになり、またそれをライコウに知られてしまった。ライコウの信用を取り戻すためにも、一刻も早くイズルハの氏族を纏め上げ、ライコウに報告する必要があったのだ。

 しかし──

 

「前帝の影響力は大きい……象徴であるナコクの橋を落とすような者に一体誰が協力するというのだ」

 

 そう、戦で負けるだけであればまだ立ち直らせることはできたかもしれぬ。しかし、ライコウによるナコクの大橋を落とすという大罪を聞けば、恐れ戦く氏族は多かった。また氏族の中には、朝廷にいる姫殿下こそが真であると信じていたものも一定数いた。しかしその者らは今回の件を受けて疑いの眼差しを向けることとなってしまったのだ。

 幹部の中ではオシュトル陣営に着くのが良いと堂々と提案する者も出る始末。

 

「しかし、オシュトルに与することは……もはやできぬ」

 

 そう、オシュトル陣営に着くことは叶わぬのだ。中立から一転、朝廷派としてオシュトルを阻んだというのに、再び寝返ることなどできぬ。たとえライコウを裏切ったとしても信用度は地に墜ち、次なる戦で死兵として使われるのが落ちであろう。

 それに、問題はまだある。

 

「ゲンホウ……またもや、我の邪魔を……!」

 

 反トキフサ陣営がある氏族を中心にまとまり始めたという報告を受けた。未だ正体は掴めておらぬが、それはゲンホウであると睨んでいる。かつて我自身が策を用いてゲンホウの八柱将という立場を奪った確執からも、我を恨んでいる筈だ。

 表向きは国外追放となった筈のゲンホウであるが、以前より身を潜めているとも報告を受けている。故にこうして部下に居所を探らせているのだが、ゲンホウの足取りは一向に掴めない。

 

 血相を変えた兵が執務室に飛び出してきたのは、そのような時であった。

 

「で、伝令! エンナカムイ、クジュウリ混合軍がイズルハ国境近くにて駐留しているとの情報が入りました! 御旗は総大将オシュトル、伴いは采配師マロロ将軍であります!」

「な、何だと!?」

 

 今戦えば、一体どれだけの犠牲を出すであろうか。いや、まず兵がどれほど集まるというのか。

 前帝からも信頼篤いオシュトル、ムネチカという右近衛大将と八柱将の進軍である。以前完膚なきまでに敗北した将兵達だ、もはや負け戦の想像は拭えまい。

 

「くそぉっ……国境を管理している兵を集めろ! 氏族に召集をかけ、出せるだけの兵を出させるのだ!」

 

 伝令を追い返し、ライコウに通信兵を介して連絡を取る。

 暫くして通信兵からの返信が齎されるが、そのあまりの内容に思わず激昂した。

 

「兵を出せぬとはどういうことだ! 御旗はオシュトル、それに賢将マロロだぞ!」

「はて、以前の侵攻においては万事我に任せよと、以前貴様はそう言わなかったか?」

「……あ、あの時とは事情が違う! ライコウ殿の命によりゲンホウを探すことに人員を割かれているのだ!」

「それは貴様の事情であろう。元はと言えば、氏族を纏め上げる力のない貴様の咎。失策に振り回されるこちらの身にもなってもらいたいものだ」

「ぐ、ぐぅッ……!」

 

 憤怒の表情も隠しきれぬ。利あればと思いライコウに味方したのだ。それが完全に裏目に出てしまった結果である。しかし、たとえ仮であるとしても朝廷よりの援軍が入ったという報をオシュトルが聞けば慎重になるであろう。そう伏して頼むも、ライコウの考えは変わらなかった。

 

「話によれば、既にオシュトルの軍は国境を侵攻中であると聞く。であれば帝都が取るべき道は一つ。イズルハを突破された後を考え、帝都国境線に陣を敷くことだ」

「な……い、イズルハを、我を捨てるというのか!?」

「そうは言っておらぬ。だが、たとえ今急拵えの援軍を出し我らが攻め入ったとしても、慣れぬイズルハの土地でオシュトル軍に敵うはずも無い。それは貴様自身が先の戦で証明したことではないか?」

「く、ぐっ……貴様が橋を落とすなど大罪を犯さなければ、我にも氏族を纏め上げることはできた! 偽の神輿を担ぎ、前帝に仇名す者に皆恐怖しておるわ!」

「……ふん、不敬とも取れる貴様の言であるが、まあ良い。貴様に我らの大義を理解できるとも思えぬ」

「ま、待てライコウ! ライコウ殿!!」

 

 そのまま通信を終わらせようとしたライコウを、引き止めにかかる。ここで何か得なければ、イズルハは──いや我は文字通りの終焉を迎えるであろう。

 必死の願いが届いたのか、ライコウは吐き捨てるように溜息をつくと、一つの情報を齎した。

 

「……百譲り、橋落としが悪行と誤解された故に貴様が氏族を纏められぬとしよう」

「む……?」

「であれば、一つ良い情報を与えてやろう。先程、草どもにゲンホウの隠れ里の位置と、流通の流れを探らせた。今までは里の者が秘かに出入りするだけで分からなかったが、此度の陽動に際して流れが変わった場がある」

「何! ゲンホウの!?」

 

 なぜ、ゲンホウの居所をライコウが探していたのかは知らぬが、それは渡りに船の情報であった。しかし、今は軍も迫っている、ゲンホウに割ける手駒はそう多くない。

 

「し、しかし今わかったところで軍は……」

「気づかぬか? 進軍ではなく、駐留。何故だ。奇襲ではないのか。戦う意志は無いのだろうか。であれば何故軍を集める。そうは考えぬか?」

「まさか──陽動っ、ゲンホウ……か!」

 

 敵の狙いは、イズルハの政情を利用した離反。そうであれば、陽動の軍の為に兵を集めるよりも、ゲンホウの捜索に充てたほうが良いのか。しかし、今咄嗟に動かせるだけの精兵は少ない。

 

「こちらからは、ゲンホウが居住していたと見られる場所の地図を渡そう。万が一侵攻であった場合に備え、我らはこれ以上動けぬ」

「し……しかし、現実に軍は駐留している! いくら陽動とは言え、兵を出さないわけにはいかぬ!」

「……貴様は一人では何もできぬ赤子か? それとも、次代を担う皇か? 全ては貴様の力と人徳次第……良い報告を期待している」

 

 そう一方的に通信を切ってしまった。何を叫べども、もはや向こうに声は届くまい。

 

「くっ、どうすれば……!」

 

 もし陽動で無いのなら、イズルハは今日滅ぶことになろう。だが、陽動にまんまと乗っかりゲンホウを取り逃がせば、それこそイズルハの政情は真っ二つに割れることとなる。進むも地獄、引いても地獄、か。

 傍にいる人員を見やる。共に戦に赴こうとしていたのだろう、軍団長が傍に控えていた。彼奴は以前の戦でも活躍していた。こいつでいいだろう。

 

「おい、貴様」

「はっ」

「貴様に総指揮を任せる。国境の軍は任せたぞ」

「は、は? 何ですと?」

「聞こえなかったのか!? お前が責任を以って軍と見合え! この八柱将の金印が目に入らないのか、命令だ!」

「と、トキフサ様はどうなさるので?」

「我はゲンホウを追う!」

 

 これは賭けになるだろう。

 軍団長によって軍を阻んでいる間に、我自身がゲンホウを粛清する。ゲンホウがいなくなりさえすれば氏族達も新たに担ぐべき長を失い、我という拠り所を求めるであろう。

 そう、どちらも阻まなければ、我にはもう後は無い。裏切りによって死ぬか、次なる戦で死ぬまでライコウの良い手駒として使われるだけだ。再起の道は無くなる。

 待っていろゲンホウ、もはや用済みと放逐していた貴様の首、今こそ奪い取ってやる。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オウギの案内に連れられ、約束の場所とされている地まで歩いてきた。

 途中、哨戒している兵達もいたが、国境近くに軍がいると伝令から聞いて慌ててどこかへ走り去っていった。

 そのため、未だ接敵せずにここまで来られたのは、実に御の字である。陽動作戦が上手くいったようで何よりだ。

 

「ここ、か……?」

「ええ、そのようですが……」

 

 オウギに思わず確認するほど、約束の地は寂れた集落であった。顔ぶれを見れば、適齢の男が少なく、女子供や高齢者が多いようであった。トキフサによって、男は兵として駆り出されているのかもしれない。

 集落の中でも大きく古ぼけた屋敷に辿り着くと、中から長い髭を蓄えた爺さんが出てきて、オウギとノスリを見るとぱっと顔を輝かせた。

 

「おお、ノスリ様、オウギ様、お久しぶりであります」

「おお、久しいな! 壮健で何よりだ!」

「お久しぶりです。お元気でしたか?」

「勿論で御座います。ささ、こちらへ」

 

 旧知の間柄なのだろう。そういって、屋敷の中に案内される。

 畳が湿気で腐ったような匂いもするが、手入れ自体はしているのだろう。中に入れば綺麗な状態を保っていた。

 居間にて皆で待つこと数瞬、先ほどの爺さんとは違う爺さんが人数分の茶を持って入ってきた。歩き疲れて喉が渇いていたところだ。罠である可能性もあるにはあるが、目の前の好好爺が人を騙すような者にも見えず、ありがたく頂戴した。

 

「これはどうもご丁寧に」

「……して、爺! 我が父上は何処か!」

「ゲンホウ様は、今暫く待っていてほしい……と仰られておりました」

「ふむ……こちらに向かっているということですか?」

「何分、追っ手から逃れるため転々とされている身……急ぎお会いしたいお気持ちはわかりますが、何卒お待ちくだされ」

 

 伏して頼む姿からも、以前より仕えていた忠臣なのだろう。そこまで言うのであれば、待つのは吝かでは無かった。しかし、聞いておかねばならぬこともある。

 

「……この辺りは安全なのか?」

「ええ、ここはトキフサ様より見捨てられた土地でもありますから……」

「奴に様などつける必要はないぞ、爺! 安全とは言っても父上が安全とは限らぬ。遅れているということは何かあったに違いない! 今こそ、我が弓で助けに行かねば」

「おいおい、すれ違いになったらどうするんだ。安全ってなら、暫く待とうぜ」

「む、しかしだな……」

 

 ノスリはそわそわとして落ち着きがない。心配するのはわかるが、擦れ違っては元も子もない。陽動には暫く引っかかってくれるだろうし、座して待つのが一番だ。

 しかし、ただ待っているだけなのは確かに落ち着かんかもな。

 

「そういえば……近くに川があったな」

「ええ、良い魚が沢山釣れますよ。この辺りの主要産業です」

「そりゃいい、ノスリ、自分と一緒に釣りでもしに行くか?」

「な、何を馬鹿なことを言っているのだ、ハク! 戦時中だぞ!」

「まあまあ、姉上。ここは安全だそうですから、波風立てないのが一番ですよ」

 

 オウギが激昂するノスリを抑えてくれる。そうかっかすると良い考えも浮かばないから、気分転換にと思って誘ったが、それならいいか。

 

「自分はちょっと行ってくる。各自里から出ない限り自由行動にしようか」

「ハク!」

 

 未だ怒り心頭のノスリから逃れるように屋敷を出ていく。

 

「さて……」

 

 周囲を見れば、狭い里だなというのが印象的だった。里の中で大声を出せば全員に聞こえそうなくらいだ。しかし、一見活気の無いように見えるが、誰も彼もが暗い表情はしていない。見捨てられた里、と評す割には信頼できる軸があるような気がする。それがもしかすれば、ゲンホウの存在なのかもしれない。

 里の端を流れる小川に辿り着き、前方の木々を見渡すも敵影は無し。ウルゥルとサラァナにも確認をとった。

 川の淵に腰を下ろし、ぼーっと周囲を眺める。

 

「……綺麗だねえ」

「嬉しい」

「主様から褒めて頂けるなんて……私達はここでも構いませんよ?」

「川のことだよ」

 

 しかし、イズルハってのはエンナカムイの自然豊かさとはまた違った風味があるな。森の中の栄養を吸い取った川のおかげか、肥え太った川魚はとても旨そうに見えた。

 足元を見れば、誰かここで釣りをしていたのだろう。使い終わった糸と針が一本落ちている。

 

 ──よし、釣るか。

 

 熊のように、鉄扇で魚を弾き飛ばして狩るのも考えたが、それではわびさびがない。こういう静かな場所では釣りを楽しみたいものだ。久しくやっていないし。それに戦う可能性だってあるんだ。無駄な体力を使うのも良くないだろう。

 長巻に糸を括りつけ、その辺りを歩いていた無辜の蟲を捕まえ針を刺す。外れないようにそろそろとゆっくり川底につけた。

 暫くうとうととするが、魚は一向にかからない。随分釣り慣れしているようだ。これは長丁場になるな、と本腰を入れていると見知らぬ男がふらりとやってきた。

 

「お、先客かい」

「……ん? どうも」

「こんなところで釣りなんざ、呑気なものだねぇ」

「焦っても仕方がないと思ってな。探しもんは勝手に出てくると相場は決まっている」

「ははっ、違いねぇ」

 

 オウギによく似た男前だ。同じ種族だろうか。髭を蓄え飄々とした雰囲気を感じさせるが、前線を退いてなお強者であるような老獪さも感じる。

 

 暫く二人して釣り糸を垂らす。無言であるが、敵意は感じない。であれば、警戒するのも馬鹿らしい。主要産業であるらしいから、地元民の釣り人だろう。年配みたいだしな。

 

「おっ……」

 

 食いついた感触を得て勢いよく長巻を跳ね上げる。しかし、目の前で跳ねる魚は随分小ぶりだった。

 残念、あの大きな魚の方が旨そうだったのに。大きくなれよ、と祈って小ぶりな魚を川に投げ入れた。

 

「……大物だな」

「ん? いや、小物だろう」

「魚の事じゃねえよ」

 

 目の前のオヤジはそう言って笑うと、こちらの瞳を真っ直ぐと射抜くように目を合わせた。

 

「あんた、ここいらの人じゃねえだろ」

「ああ」

「何でまたこんなところに?」

 

 知らないおっさんの知的好奇心に付き合う必要もあるまい。

 次なる獲物を求めて川に釣り糸を垂らしながら、適当に話を合わせることにした。

 

「ここは長閑でいいところだな、と思ってな。自分も将来はこういうところで隠居したい」

「お、あんたもそう思うかい。ここは前よりは棲みにくいが、中々土地が豊かでね、贅沢しなけりゃ悠々自適に暮らしていける」

「へえ……そりゃ願っても無いことだな。昼は釣りして、夜は酒、寝て起きたら遊戯して、また釣る、いいねえ」

「同感だ。あんたも根無し草かい?」

「いいや。だが、将来根無し草に就職希望だ。役職だの、柵だの、面倒ったらありゃしない」

「ほお、気が合うねえ」

 

 かかかっ、と笑う見知らぬ男。

 こんなところに住んでいるんだ。こいつも相当の根無し草なのだろう。幾分気心の知れた友になれそうだ。

 だが、男の疑問に全て答えられたわけではないようだ。重ねて質問を呈してきた。

 

「しかし、今のイズルハは政情不安だ。賊に狙われるかもしれねえ……こんなところで危ないとは思わないのか?」

「こんなところ、ったって……安全な里の中だし。まあ、自分が狙われる分にはいいだろ」

「ほう、囮だってのかい?」

 

 そんなつもりはないが、一人離れて川に佇む姿がそのように見えたのだろうか。それであれば恰好もついたが、勿論そんな訳はない。

 

「そんなつもりはない。まあでも、この里には戦えない奴らが多いように見えたんでな。人質取られるくらいなら自分が狙われた方が戦いやすいとは思う」

「……なるほど」

 

 それはその通りだった。こんな女子供ばかりのところで何かあるとも思えないが、人質に取られた時のやり辛さを思えば、向かってきてくれる方が助かる。

 そう思っていたのだが、次なる言葉で衝撃を齎した。

 

「噂以上の奴だな──あんたが、右近衛大将オシュトルの忠臣、ハクとかいう奴か」

「……敵か?」

「いいや、俺があんたらの探しているゲンホウだ」

「お前がゲンホウだったのか……」

「何だ、気づいてなかったのか?」

「オウギにえらく似ているな、とは思っていたが」

「ほう、なのに敢えて聞かなかったのかい」

 

 何だ、そうならそうと言ってくれよ。何の進展も無いから、ただの釣り人かと思ったわ。確かによく見れば、耳の形もエヴェンクルガ特有のものである。

 

「どれくらい成長しているかこっそり見ようかと思っていたが、随分面白え男の下についているもんだ」

「ノスリやオウギは別に部下じゃないぞ。ただの仲間だ」

「ほお、しかしあんたがあのオシュトルの影とうたわれるハク将軍だろ? 噂は聞いているぜ」

「はっ、なんだその噂は……ノスリ達が聞いたら笑うぞ」

 

 心外であった。

 影と呼ばれることに心当たりはあるが、それはオシュトルの裏で色々している等、あくまで便利に使える手駒だからだ。将軍なんて呼ばれる筋合いはない。そんなお給金は貰っていない。

 

「謙遜するなって、あいつ等はああ見えて人は選ぶ。それに、何が真実かってのは、会ってみりゃ一目瞭然ってことよ」

「……そうかい」

「戻るかい?」

「ああ、探しもんがそっちから歩いてきてくれたからな」

「ははっ、違いねえ」

 

 長巻から糸と針を外して背に担ぎ、元来た道を二人で歩く。それに遅れて双子がついてきた。

 

「しかし、俺を探しにこんな奥地までご苦労なこった」

「まあ、あんたがトキフサから逃げ回っているって話を聞いたんでな」

「……昔の誼だな。気の利く奴らが俺を逃がしてくれるのよ」

「捕まっても良かったのか?」

「いや、俺一人で済むならいいが、今のトキフサの野郎は特に余裕がねえ。信じるべきものすら信じられなくなれば、頭は終わりよ。疑わしき者すらも罰し始めるのを見ちまったからには、指を咥えて見ている訳にもいくめぇ」

 

 なるほど、オウギがゲンホウは身を隠すため隠れ里である実家を離れたというが、その理由もわかる。

 トキフサは文字通り容赦無く、血眼になってゲンホウを探しているのだろう。

 

「そりゃ災難だったな」

「おうさ、俺が反トキフサ連中を纏め上げているという嘘を信じて疑わねえのよ」

「……違うのか?」

「どうかな?」

 

 試す様な笑みでこちらを見るゲンホウ。なるほど、オウギの父親らしい。食えないところがそっくりだ。

 

「まあ、どっちでもいいさ。今回の件は、どの道あんたが鍵だ」

「ほう……まあ、言いたいことは何となく分かるがね」

「お、ってことは……ノスリに家督を譲ってくれるつもりなのか?」

「それとこれとは話が別だ。そういったことは、会ってから決めるに限る」

「そうか」

 

 しかし、家督の件であることはある程度予想していたのだろう。

 会ってから決める、か。ノスリが不安げな表情を浮かべていた理由もわかった気がする。この食わせ物を説得するだけの力が、ノスリにあるだろうか。そう思うと、幾分か自分も援護に回った方がいいかもしれない。

 ただ、今のところあまり良い印象は与えていないように思う。暇だから釣りしているところを見られただけだし。自分が援護に回っても、あまり良い結果が齎されないのであれば、皇女さんを頼る他ないかもしれないな。

 道すがらそんなことを思考しながら、自由行動をしていた仲間達に声をかけ、元来た道へと戻る。狭い里だ。自由行動とは言え、出歩ける場所は限られる。それでも数人見当たらなかったが、屋敷の前に辿り着いたときに居場所がわかった。

 

「やはり心配だ! 私は一人でも行くぞ!」

「待つのじゃ、ノスリ。父上に家督を譲ってもらうのであろう? 入れ違いになって其方がおらなんだら、話せることも話せぬのじゃ」

「せ、聖上……しかし」

「そうですね、姉上。行くにしても一度ハクさんに話をしてからに──おや?」

 

 屋敷の前では、心配で飛び出そうとするノスリと、それをまあまあと宥めるオウギ達がいた。しかし、自分がゲンホウを連れ立って帰ってきたことを知るや否や、驚きと共に小走りで近寄ってきた。

 

「父上! ご無事でしたか!」

「ああ、俺が何年隠遁生活をしてきたと思っている。刺客を躱すなんざ訳ないことだぜ」

「相変わらず、お元気そうでなによりです」

「そりゃあ、お互い様だな」

 

 遅れてオウギが労いの言葉をかける。

 どうやら本物のゲンホウだったみたいだな。掴みどころのない話し方をするためか、何か企んでいる腹積もりに一々見えてしまう。オウギの父であればそれも納得であるが。

 

「父上! 父上に折り入って話が──!」

「おいおい、ノスリ。立ち話する程無粋なことはあるまいよ。座敷に上がって話すのがいいだろ……って、何人連れてきているんだ」

 

 その場で話を切り出そうともしたノスリを抑え、そう提案するゲンホウ。

 しかし、後ろに控える人数を改めて確認し、座敷の広さと比較しているのだろう。ゲンホウからは呆れた声が出た。

 

「それに──」

「? なんじゃ?」

 

 ゲンホウはノスリの後ろにいた略装着の皇女さんを見ると、何かに気付いたような素振りを見せた。

 皇女さんと気づいたのだろうか。会ったのは時期的に赤ん坊くらいの筈だが。

 

「……まあいいさ。詰めりゃ入るだろ。ほれ、ついて来な」

 

 屋敷の持ち主でもあるのだろう。先程出てきた爺に軽く挨拶しながら、自分達を中に招き入れる。

 

「ここにゃ、礼儀を気にする奴はいねえ。適当に座んな」

 

 座敷にて上座に腰を下ろしたゲンホウを見て、皆も同じように適当に座る。

 再び茶を人数分用意してくれた爺に礼を言いながら面白そうに皆を眺めるゲンホウと対峙した。

 

「ゲンホウと申す。娘等が世話になっているようだな」

 

 座敷に集まった面々にそう自己紹介するゲンホウ。

 世話になっているというが、オウギやノスリには今まで随分助けられた。世辞ではないが、一応返しておく必要があるだろう。

 

「ああ、こちらも随分世話になっている」

「そっちのハク将軍とはさっき挨拶と雑談を済ませた。そちらさん方は?」

 

 今度はそちらの番であるというように促された。

 ハク将軍という耳慣れぬ言葉に違和感を抱いている者も少なくないようだ。にやにやと笑みを浮かべる者、首を傾げる者と二つに分かれた。自分自身が一番違和感を持っているよ。

 しかし、自己紹介であれば、と順に名と職を告げていく。やがてムネチカの番となったところで、ゲンホウが口を挟んだ。

 

「で、そっちの女将軍は最近、八柱将になったムネチカとやらかい?」

「若輩者である小生の事も御存知だったとは。真恐縮です」

 

 一同を眺めて、愉快そうに眼を細める。

 そして、未だ自己紹介をしていない皇女さんに目が止まった。

 

「八柱将のムネチカ……確か姫殿下の教育係を任されていたと聞く。あなた様はもしや……」

「うむ、余が天子アンジュなるぞ!」

「やはり……そうであらせられましたか」

 

 ただ座していたゲンホウはその確信を持った後、膝をついて臣下の礼を取った。それは、今までのガキ大将のような雰囲気より一転して、余裕のある有能な八柱将の片鱗をまざまざと見せつけていた。

 

「政情不安蔓延るイズルハの奥地まで……光栄であります」

「よい、余らも目的あってのことなのじゃ」

 

 全ての自己紹介が終わり、改めて座り直したゲンホウ。それを皮切りに、話を切り出そうと口を開こうとしたが、自分よりも早く声を出したものがいた。

 

「父上! 折り入って頼みが──」

「ああ、わかっている。要は自分に家督を譲れって言いに来たんだろう?」

「な、なぬ!?」

「切り出し方がまるでなっちゃいねえ。変わらねえなあ、お前は」

「う、うぐぅ……」

 

 今までの様子からも緊張で体を縮こまらせていたからな。ノスリは先手を取ろうと張り切ったのだろうが、ゲンホウに言い当てられ思わず言い淀む。

 家督の件はゲンホウが自分を見た時からそう感じていたようだから、かなり聡い。それにヤマトのあらゆる情報を手に入れている素振りも見せている。

 ノスリには荷が勝ちすぎたかもしれない。こういった腹芸は自分の領分だ、少し口を挟むことにする。

 

「家督の件、その通りだ。ヤマトの情勢、とりわけイズルハの政情不安はよく知っているだろう」

「んん? ああ、トキフサの野郎が随分と掻き乱してくれているな」

「聞くところによれば、以前の隠れ里も追われるほどだというじゃないか」

「まあ、確かにな。奴の追っ手のせいで、前の住まいを脱してきた。ここにいるのは、逃れた奴らよ」

「であれば、実家は……」

「持ち運べねえ描きかけの絵や、思い入れのある花壇もそのまま残しちまったし、いずれは取りに行きたいと思ってはいるがね」

 

 物憂げな表情を浮かべて実家の様子を心配するオウギ。しかし、実家を燃やされたなどという訳では無いようだ。無関係を装うための、ここはあくまで一時的な仮の故郷か。

 

「あんただって謂れのない中傷で逃げ回る生活にはうんざりだろう。ノスリに家督を譲り、反トキフサ連合を纏め、真の聖上を掲げるオシュトル陣営に帰参すれば安全は保障する」

「ふむ……」

「悪くない案だと思うがね」

 

 ゲンホウは幾分考える仕草をするが、溜息を一つつくとノスリをじろりと睨め付けた。

 

「……長になるなら、これくらい動じない男になれ。ノスリ」

「わ、私に男になれと申すのですか!」

「いや、そうじゃなくて……おい、オウギ、ちゃんとこいつの面倒は見てくれって頼んどいたろうが」

「ええ。ですから姉上はこのように立派な志に生きていますよ」

「……ああ、お前はそうだったな」

 

 ゲンホウは再び深々と溜息をつくと、ノスリを見やる。

 問題はそこではない、といった雰囲気だ。

 

「ノスリ、何故家督を継ぎたい。ハク将軍でなく、お前の口から聞かせろ」

「ここで正統である姫殿下に加勢すれば、家の再興も望めるからです!」

「……やっぱり、そんな下らないことを考えてやがったか」

「く、下らないですと?」

 

 ゲンホウの表情は厳しく、ノスリの動揺に頷きをもって返した。

 

「なあ、ハク将軍よ。俺はな、てめえのガキに御家だの氏族だのなんて重てえもんを背負わせるつもりはねえんだ」

「何故だ、父上! 私にはちゃんと、一族を背負って立つ覚悟がある!」

「覚悟なんて言葉を軽々しく使うんじゃねえ」

 

 その言葉は、重たい何かを纏っていた。

 ゲンホウが追放されたことに起因する、長の周囲に渦巻く陰謀悟った故の言葉なのであろうか。語気の荒さそのままに、ノスリへの言葉は続く。

 

「だいたい、一旗揚げると言って飛び出してから、何か成したのか?」

「ぐ……っ」

「自分のケツを拭けないモンが偉そうな口を利くんじゃねえ!」

 

 容赦無く叱責され、ノスリは返す言葉なく悔しそうに表情を顰めた。

 しかし、そんなノスリの様子と裏腹に、憤怒に燃える皇女さんの姿がそこにはあった。

 

「今の言葉、聞き捨てならぬぞ!」

「……姫殿下、恐れ多くも意見することお許しを。これは家族の問題なのです」

「いいや、余の問題だ。ノスリはな、余を救ってくれた恩人なのじゃ! ノスリがいなければ、余はここには居らぬ。この者達だけなのじゃ……余の側にいてくれたのは……!」

「……」

「そのノスリを貶めることは、余が許さん!」

「聖上……」

 

 ノスリは皇女さんの言葉を聞き、感動に打ち震えるようにして身を震わせた。

 一方、ゲンホウは聖上の言葉であれど、未だ納得はいっていないようだ。畳み掛けるなら、今だろうか。

 

「色々言ったが、皇女さん自らノスリの功績を認め、こんな辺鄙なところまで家督を譲ってもらうために来たんだ。それだけじゃ、長の資格に足りないのか?」

「娘は姫殿下の覚えめでたいってわけか」

「うむ! その通りであるぞ!」

 

 皇女さんの援護も相まって、ゲンホウの表情にも変化が訪れる。愉快そうに口を歪め、小さく笑った。

 

「ははっ、そうまで言われちゃあ、ノスリは確かに成したようだ。そこまで信頼を寄せられたら、裏切るわけにはいかねえか」

「では、ノスリの家督の件は」

「ああ、譲る」

 

 一同がほっとしたのも束の間。しかしゲンホウは苦々しい表情で一つ言葉を紡いだ。

 

「だが──御家再興、特に氏族を纏めあげるとなると、ちと問題がある」

「な、何故ですか父上!」

「……元々、イズルハは寄り合い所帯みたいな国だ。正面切って長の権威に逆らうなんざ、よっぽど知恵と人徳がない限り多勢に無勢だった」

「それが?」

「今のイズルハの情勢は知っているだろう。トキフサに従う氏族と、それでも反旗を翻す反トキフサの氏族、真っ二つに割れている」

 

 普段であれば表だって長に逆らう筈のない氏族達が、トキフサに反しなければならないほどの異常事態なのだ。そして、その反トキフサを掲げる者達の旗印は、目の前のゲンホウ。

 

「反トキフサの氏族は、父上を頼っているのでは?」

「ああ、だが……俺は御家断絶、国を放逐された身だ。何の後ろ盾も無い……だから、奴らには何もしてやれねえとしか返していない」

「そんな……」

「それに、今回の件も聖上につくのではなく、ただトキフサを排し俺を長に戻すという目的で動いている氏族も多い」

 

 つまり、トキフサとゲンホウが入れ替わるだけで、ライコウの配下であることに変化は無いってことか。

 寄り合い所帯であることの難しさである。そういった思惑を持つ氏族もまた独自に動き、更なる混乱を招いているのが現状か。そういったライコウ派の氏族すら巻き込んでこちらに引き込むだけの力、示せるのだろうか。

 

「しかし、今は聖上の信を──」

「それはノスリ、お前だけだ。イズルハの他の氏族は、トキフサの命令とはいえ一度は真の聖上に盾突いた者共だぞ」

 

 確かに、仕方のないことは言え、それは事実その通りである。

 自分が帝都より逃亡した際、ライコウは自分がエンナカムイ側に逃げることを知り、それを防ぐための策としてイズルハは中立から朝廷派閥に属することを宣言した。その後、オシュトル陣営がナコク侵攻と自分の奪還を防ぐためにイズルハと一度戦争をしてしまったのだ。

 一度は刃を交えたことで聖上の威光に傷をつけたこと、氏族の中では予想以上に重く受け止めているのかもしれない。

 

「し、しかし、それはトキフサの指示に従ったからでは?」

「だとしても、盾突いたことに変わりはねえ。故に奴らが恐れるのは、たとえ今から反トキフサを山車に聖上についたとしても死兵として使われるのが落ちではないか、という懸念だ」

「……そ、そのようなことある筈がありません!」

「それは、お前が決められることか? 軍の編成に口出しできるだけの権限があるのか?」

「……そ、それは」

 

 ノスリは言いよどむ。

 確かに、軍の決定権は今のノスリには無い。最終決定である皇女さんを除き、総大将オシュトル、采配師マロロ、軍備担当キウル、兵糧担当ネコネ、指揮系統の決定権を持つムネチカ以外に、軍の配備に口を出せるものはいない。

 

 であれば、ゲンホウの──いやイズルハ氏族達の懸念は最もであろう。これまでに味方にしてきたクジュウリ、ナコク、シャッホロの兵に比べ、イズルハの兵は元裏切り者。

 三国の者達からすれば、彼らより危険な任務を請け負うことに不公平さを感じるかもしれない。

 そうなれば、イズルハを取り込むことは火種と成り得る。たとえ皇女さんが篤く徴用すると言ったとしても、イズルハ以外の国が納得しないからだ。

 

「そ、それでも、トキフサに与するよりは良いと私は思います!」

「はあ……なら、お前が家督を継ぎ御家再興を果たしたとしよう。彼らを従えたお前は、常に決断に迫られる。聖上の命令と彼らの命を天秤に掛け、時には切り捨てる判断すら下し、氏族を纏め上げていかにゃならん。その覚悟があるのか?」

「切り捨てる、覚悟……」

「それに、だ。もし俺が聖上の覚えめでたく忠臣であれば、今声をかけてきている氏族は軒並み配下になっただろう。だが、そうじゃない。聖上の信をその身に受けているのはノスリ、お前だ。ひょっこり突然出てきた娘の言まで信じるって奴はどのくらいいると思う?」

「……」

「家の命運を分けることともなれば尚更だ。トキフサと共倒れが嫌でも、氏族を残す方法は他にもある。後継ぎというだけで小娘に従う程、連中はお人良しじゃねえ」

 

 難しい話だ。ノスリは完全に意気消沈している。無理もないだろう。思った以上にイズルハの内部は荒れている。

 これだけ荒れた氏族を纏めあげるだけの力と、取り込んだ後の保障が約束されなければ、たとえ今無理にノスリを長とし御家再興を果たしたとしても、後から綻びが生まれよう。

 しかし、だとしても議論を停滞させてしまえばイズルハはただの敵国として滅ぼされる。それは避けねばならなかった。

 

「……つまり、ノスリ自身が反トキフサの氏族を安心させるだけの功績を示せと?」

「ん……まあ、そういうこったな。それができれば、連中も自分達の扱いについて疑問は抱かねえだろう。何せ、聖上の覚えめでたい名将が長になってくれるんだからな」

 

 ノスリの功績か。皇女さんを救った、というのも確かにあるが、それだけではちと功績としては足りないように思う。

 ナコクで使えたイタクを新八柱将として任命することも、地位と功績あってのことだ。イズルハの氏族を纏めることができれば新八柱将に任命という手順を、疎かにはできない。

 であれば──

 

「案は三つある」

「……ほう?」

 

 自分の言葉に耳を傾ける気になったのだろう。ゲンホウは興味深そうに視線を合わせた。

 隣を見れば、ノスリもまた儚い希望を抱いているのか、不安げな表情で自分を見ていた。

 

「一つは……ノスリを新八柱将に任命することを担保とすること」

「……ふむ」

「今現在、ノスリに主立った功績は少ない。しかし、今後イズルハの氏族を纏めあげたという事実があれば、イズルハ皇として新八柱将に任命できる。そうすれば、一兵卒である今の扱いより余程信用度が上がる。今後軍にも意見できる立場になるだろう」

「……弱いな。今のノスリに氏族を纏めあげる力が無いと言っているようなもんだ。それに、イズルハは裏切り者の烙印を押されたままだ」

 

 駄目か、まあいい。それは自分も思っていたことだ。たとえ八柱将であっても、軍に意見できる範囲は限られる。氏族を真に安心させられるとは言えまい。

 

「二つは……あんたを新八柱将に任命することだ」

「俺をかい? そいつは光栄だが……ノスリの立場がないだろう?」

「そうだな。だが、イズルハの混乱を抑えるとするならば、ゲンホウが八柱将に帰参することは大きな意味をもつ」

「ふむ……」

「あんたなら氏族は問答無用でついてくるんだろう? あんたが八柱将であれば、たとえ扱いが悪くとも纏め上げることは容易だ」

「……確かにな。だが、俺ぁもう、そういった柵に飽き飽きしているんだよ。ノスリにここまで言う理由、ハク将軍、あんたならわかるだろう?」

「……ああ、そうだな」

 

 汚れ役はごめんだと、暗に言っているのだろう。八柱将になった後に、氏族を切り売りするような調整役、確かに自分も嫌になるだろう。

 それに、そういった政治の権謀術数に振り回されて、こんなところで世捨て人になったと思えば、元の地位に帰り咲きたいとは露程も思わないだろうな。

 ならば、最後の案だ。

 

「最後は──トキフサを討ち、ある計画をでっち上げること」

「……んん? 計画ってのは、どういうもんだ?」

「このイズルハ内乱を、前々よりノスリ含めゲンホウの氏族によって秘密裏に行われたことにする」

 

 自分以外の面子は頭に疑問符を浮かべている。

 まあ、そりゃそうだろう。今までの案で一番突拍子も無いことなのだから。ただゲンホウだけは、自分が言わんとすることが何か薄ら判ったようだ。

 

「……ほお」

「まず前提として、ライコウに恭順するトキフサが無理矢理氏族を纏めているということにする」

「まあ……八柱将である証の金印も使って従わせているだろうから、強ち間違っちゃねえがな」

「次に、トキフサより無理矢理従わされている氏族を解放するため、秘密裏にイズルハの氏族と連携し、朝廷の内部情報を横流しさせ、イズルハ内乱を起こしたことにする」

 

 ゲンホウのニヤケ面が深くなる。

 言わんとすることに手応えを感じながらも、言葉を続けた。

 

「そして、最後にノスリがトキフサを自ら討ち取り、強引に従わされていただけの聖上派氏族を解放する。これらが全て計画の上、ノスリ達の氏族を中心に前々より仕組んであったことを喧伝する」

「なっ、ハク、それは……!」

「まあ聞け。そうすれば、ノスリの氏族の活躍によってイズルハの氏族達は裏切り者ではなく──聖上の為に獅子身中の虫として活躍した者に変わる」

 

 計画の全貌を聞き、ゲンホウは暫く無表情であった。しかし、やがて堪えきれないといったように笑いだした。

 

「くっくっ……はーっ、はっはっはっ! こいつは面白い、全部トキフサのせいにしちまおうってのか!」

「そういうことだ」

「なるほどな……氏族達はトキフサに従っているフリで、朝廷の諜報活動をしていたことにすりゃ、確かに貢献度について文句は無い。元々聖上の部下として暗躍していたのだから、裏切りではないってことか」

「ああ、そうすれば、トキフサ含め朝廷に粛清の憂き目に合いながらも諜報活動を続けた功績を評価し、各氏族を軍としても篤く重用できる」

 

 かつて自分を陥れた存在だからだろうか、心の底から愉快そうに笑った。

 

「いやはや、ハク将軍の権謀術数……恐れ入ったね」

「どれにする?」

「無論、三つ目だ。だが……問題が二つある。一つは氏族に裏を通さにゃならねえことだ」

 

 確かにそうだ。他国を納得させるためにも、自分達だけでなく、氏族長の皆を集めて口裏を合わせる必要があるだろう。

 

「それはトキフサを討った後、ノスリの家督継承の儀の後に行うのがいいだろう。前もって話を通す役は、あんたに頼めばいい」

「ふ、扱き使ってくれるじゃねえか……だが、だとしても問題はまだある、もう一つは──」

「トキフサの居場所か」

「ああ、そうだ。トキフサを討つなら、それなりの軍備がいるだろうよ。逃げ上手な奴のことだ。その間に死ぬ他の氏族も多いだろう。それでも……やる価値があるか?」

 

 自分にでは無く、ノスリに問うように聞く。

 先程自分の案を聞いて戸惑いを見せたノスリだ。こういった腹芸が苦手なことも知っている。断ることもできたが、ノスリの答えは清廉としたものだった。

 

「……やります! それしか、道が無いというのなら! 私は──」

 

 そうノスリが力強く叫んだ瞬間であった。

 ノスリよりも遥かに大きく、野太く、怨嗟に塗れた声が里に響いた。

 

「──出て来い! ゲンホウ! 貴様がここにいるのはわかっているぞ!」

「……おいおいこの声は、トキフサか?」

 

 一同の表情に驚きをもって迎えられる。トキフサを討つと言った瞬間に、向こうからやってくるとは。何という好機か。

 

「くくっ……言っただろ? 探しもんは勝手に出てくると相場は決まっていると」

「! ははっ、違いねえ……!」

 

 袋の鼠だと言うトキフサ。それはこちらの台詞である。

 偶然ではあるが、ある意味必然でもあるのだろう。トキフサにとってもゲンホウを叩かなければいずれイズルハは壊れるのだから。

 これがイズルハを左右する、最後の決戦になるのだ。



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第二十九話 志あるもの

イズルハ編、二話連続投稿、後編です。


「──出て来い! ゲンホウ!!」

 

 未だ屋敷外から聞こえるトキフサの声に、皆で顔を見合せる。

 決戦といえども、里の中には非戦闘員も多い。どの程度の戦力差であるかはわからないが、彼らを守りながらこれだけの人数で勝てるだろうか。いや、今勝たねばイズルハの混乱を抑え、氏族を纏めあげることはできない。勝つしかないのだ。

 

 武装して屋敷から外に出ると、まず目に入ったのは里を取り囲む弓兵だった。陽動に割いたのであろう、数はそれほどでもないがトキフサに従う兵だ。それなりの練度は誇っているだろう。

 そして次に目に入るのは、怯えた里の民。震えるようにして地面に這いつくばっている者が数名いた。家に逃げ込めた者は良いが、弓の射程に入り動くなと命じられたのだろう。足の弱いものも多い、すぐには身を隠せなかった筈だ。

 

「トキフサ……」

「ゲンホウ! やはりここにいたか!」

 

 弓兵の誰よりも遠くに位置するトキフサは、身の丈程もある巨大な弓を構えていた。

 屋敷から出てきた自分達の中にゲンホウを見つけ、狂気に満ちた瞳で喜びの言葉を口にした。

 

「素晴らしい……これで、貴様を滅ぼせば、我はまた帰り咲く!」

「ふん……何年経っても、性根の方はまるで変わってないらしい」

「な、何だと!? 帝への献上品に不手際を打った貴様が、この我に意見しようというのか!」

 

 そんなことがあったのか。

 しかし、ゲンホウは呆れたように真実を告げた。

 

「トキフサ、俺が気づいて無いとでも思っているのか? あの日は妙な事故が多かった。落石、出火、賊まで湧いた。それでも何とか荷を城まで持ち帰って、一晩休んでさてこれから帝都だってとこで──お前が大事な遺物が壊れてるって言いだしたんだろう?」

「し、しかし、あの道中ならどこかで壊れていても不思議はなかった!」

「そいつは在り得ねえ。何故なら、俺が運んでいた荷は偽物だったからだ。万一のことを考えて、別の奴に運ばせていた。城に持ち込んだ時に傷がなかったのも確認している」

「ぐっ……!?」

「……つまり、献上品は城に運び込んでから壊された、と?」

「あの男……そこまで卑劣な真似を!」

 

 家名を貶められた真実を明かされ、ノスリとオウギが憤慨する。

 トキフサに従う兵たちにも同じように動揺が走った。彼らもゲンホウに従っていた時代もあったのだろう。イズルハの英雄がそんな裏工作によって立場を追われたとなれば、トキフサにこれまで通り仕えていて良いか迷うところだ。

 トキフサはまずい雰囲気を悟ったのだろう。かき消すように大声を出した。

 

「五月蠅い! 今となっては何とでも嘯けるわ!」

「そりゃお互い様だがな」

「違う! 貴様があの時、事実を言わなかったのが証拠だ!」

 

 確かに、何故言わなかったのだろうか。そうすれば、家名を貶めることも立場を追われることも無かったろうに。

 ゲンホウはさしたる動揺も見せず、諦観のような表情を浮かべて理由を述べた。

 

「トキフサ、俺は思っちまったのよ。この程度のことで追われるような地位なんて、何の意味もねえんじゃないかってな」

「し、しかし、父上……!」

「ノスリ、この程度の足の引っ張り合いは何処にでもある。それこそ身内の中にすらな。どいつもこいつも、手前の利益の為に平気で人を騙す。長になるってのは、こういう柵や権謀術数の中に身を置くってことだ」

 

 ノスリは父の言葉に戸惑いを見せる。

 毎度のように父上のような長になるのだと言っていたノスリのことだ。ノスリは今、悩んでいるのだろう。父からこうも長としての厳しさを伝えられ、父はその厳しさに折れたことを知り、なお長を目指すことの意味を。

 ノスリは俯き考え、しかしその答えを出すには今は時間が足りなかった。

 

「な、我が求め止まない地位を……意味が無いだと?」

「ああそうだ、トキフサ。だからお前にくれてやったんだぜ?」

 

 相も変わらず飄々と受け答えし、自らの執着する地位にまるで固執していないゲンホウの姿に、トキフサは怒り狂う。

 

「ッ……そうやって、いつも高みから我を見下ろす……その態度が気に喰わんのだ! 我に這い蹲れ! 羨め! 跪け! 命乞いをしろ!」

「……」

「確かにそうであった……貴様を追い落としこの地位に立ったとて、我に従う者などおらん! 八柱将になったとて、イズルハに我は必要とされていない。必要とされているのは、八柱将という地位だけ……」

「……トキフサ、もう諦めろ。そう考えている内は、お前さんに長は務まらねえ」

「き、貴様が生きている限り、我には誰もついて来ぬ……貴様が憎い……貴様さえいなければ……!」

 

 弓を構えたまま憤怒の表情でゲンホウに罵声を浴びせる。もはや長としての姿はそこには無い。ただ劣等感に塗れた小さな子供に見えた。

 

「聞いたのじゃ……トキフサ!」

「な、ひ、姫殿下……!」

「其方などもはや八柱将の資格はない! 大人しく余らに投降するのじゃ!」

 

 皇女さんが、今までの話を聞き憤慨したように前に出る。思わず出てしまったんだろうが、ここでトキフサの前に出るのは余り得策じゃない気がするぞ。

 案の定、トキフサは激昂していた様子は鳴りを潜め、皇女を捕えれば復権が可能と判断したのだろう。薄い笑みが浮かんだ。

 

「まさか、ここに姫殿下がおわすとは……何たる幸運! イズルハを再建することも容易いわ!」

「ほう、聞き捨てならぬ。姫殿下を害するというのであれば、小生が相手になろう」

「む、ムネチカ、だと……!? ゲンホウ、貴様、小娘を引きこみよったか!」

 

 しかし一転して恐怖に塗れるトキフサ。そうか、以前の戦でムネチカにこてんぱんにやられたそうだから、精神的外傷になっているのかもしれない。

 しかし、こちらは歴戦の兵ばかり、相手の伏兵含めても思ったより戦力差は少ないかもしれない。これであれば、トキフサを逃がさず討つことができるやもしれん。もはや会話は不毛か。

 

「ノスリ、わかっているな?」

「ああ……私がトキフサを、あの外道を討つ!」

 

 トキフサは、こちらが武器を構えて戦闘態勢に入ったことを理解したのだろう。

 邪悪な笑みを浮かべ、弓の矢先を非戦闘員である爺さんに向けた。

 

「貴様ら、武器を捨てろ!」

「何……?」

「人質が見えんのか!? そこで這いつくばっている老人の命が惜しければ、武器を捨てろ!」

「ど、どこまで外道に落ちれば気が済むのだ!」

 

 ノスリはトキフサの長としての態度に憤慨する。

 しかし、これだけの戦力を見せられれば、トキフサが自分可愛さに人質をとってしまうこともわかる。多分ゲンホウと少数の兵だけだと思って来ただろうからな。皇女さんだけでなく、まさかムネチカみたいな武闘派もついてきたとは思うまい。

 それでも、トキフサの戦略には大きな効果があった。己の武器に手を伸ばしていた者達は軒並みその手を止めたからだ。

 

「長である我は、勝たねばならんのだ! 勝てば良かろうなのだ! 貴様らが死に姫殿下を手に入れれば、イズルハは我の物。後はどうとでもなる!」

 

 トキフサの言は既に狂人の域である。しかし、狂人であるからこそ、ゲンホウも、ノスリも、動けない。村民を護るため、命を差しだす覚悟なのだろう。

 今ここで彼らを失えば、イズルハは滅びる。

 天秤はどちらに傾くか思考にそれほど時間はかからなかった。一歩前に出て、トキフサのゲンホウに向けられた視線を遮る──汚れ役を担うのは自分の役目か。

 

「──いいだろう、殺せ」

「な、何だと!? 村民がどうなっても良いと言うのか!」

「ああ……だが、その瞬間お前の人生は終わる。命も、名誉も、お前には何も残らない。お前の指が、お前自身を終わらせるんだ──それだけの覚悟があるなら、その矢を放ってみやがれ」

「ぬ……ぐっ……!」

「そうだ、トキフサ! 私はゲンホウが氏族ノスリ! 貴様のような外道に、私達は従わない! 今ここでお前を討つ!」

「くっ、ゲンホウの娘か! 貴様らの一族は、真忌々しい……ッ!」

 

 ノスリの口上を受け、トキフサは怒りに塗れながらも逡巡しているのだろう。

 異常な程に張りつめられた弦、震える矢先からも動揺が伝わってくる。選ぶ時間は与えない。

 

「どうした、トキフサ! お前にもなけなしの誇りがあるなら、自分を討ってみろ!」

「ぐ……我を……我を愚弄するなああッ!」

 

 その矢は、村民では無く自分へと向けられた。

 トキフサだけでなく、周囲の兵達も余りの命令に動揺している。今こそ好機か。

 

「散開! ノスリとオウギは自分に続け! 他は伏兵の排除と村民の護衛だ!」

「っあ、あいわかった!」

「ッ了解です!」

 

 自分に向かって矢を構えているトキフサに向かって体勢低く地面を駆ける。村民は未だ害されていない。トキフサの護衛といえども、真にトキフサに恭順している訳ではないのだろう。悪行の肩棒を担がされている彼らに同情はするが、情けはかけられん。

 

「っ! 我が一矢で死ねえいッ!」

 

 トキフサは慌てたように矢を放つが、集中力の途切れた矢は僅かに頬を掠めて地面に激突する。

 矢自体は大きく速いが、これでは普段よく見る正確無比と手数の多いノスリの矢の方が怖い。

 後背からノスリの射撃、オウギは大きく回って横合いから襲うつもりなのだろう。正面である自分はトキフサの護衛による無数の矢を受けるが、鉄扇と手甲で弾き飛ばす。その間に、ノスリの正確な射撃が敵の護衛を刈り取っていく。

 

「まだまだッ!」

 

 トキフサが第二第三と斉射する。体を掠める矢も増えてきた。このままでは──

 

「──がら空きですよ!」

「ぎゃああああッ!」

 

 オウギが間に合ったか。横合いから弓兵部隊を容易く刈り取っていく。

 トキフサは敵との間合が近づき、矢を番えるよりも後退した方が良いと判断したのだろう。

 

「くっ! 忌まわしきゲンホウの氏族共め!」

「トキフサ様! 退避を!」

 

 後退するトキフサを守るように前に進み出る二人の剣兵。進路を阻む彼らに向かって、長巻を手に取り進み様に渾身の薙ぎ払いを行う。

 

「ッ、そこを退け!」

「──ぎゃっ!?」

 

 オシュトルの時には感じなかった手応え。敵兵は避けることもなく、二人とも一振りで容易に吹き飛ばすことができた。

 

「な、何ッ!? き、貴様がオシュトルの影か! 貴様さえいなければ──!」

 

 慌てて矢を番えるトキフサであるが、もう遅い。

 後背よりノスリの矢がトキフサの膝を射抜いた。膝に矢を受けてしまっては、もはや立てまい。戦士としても引退である。

 

「ぐっ……!」

「投降しろ、トキフサ! イズルハの長はお前では成り立たん!」

「くそ……我も、ここまでか……!」

 

 諦めたように項垂れるトキフサ。

 オウギと視線を交わし、共に戦は終わったことを確認する。後は村民他に被害が出ていないかだが──

 そう思考しながら拘束しようと近づいた時だった。

 

「ぐっ──!?」

「ハクさん?」

 

 オウギが心配そうにこちらを見る。

 仮面が火のように熱い。まただ、これは──

 

 ──殺セ。敵ヲ屠レ。

 

 頭の中に声が響く。仮面の奥に眠るどす黒い憤怒の炎が、トキフサを殺せと叫ぶ。

 平常心、平常心──自分は、ハク。ぐうたらなだけの大いなる父。戦いは嫌いなのだ。自分の心を塗り替えないでくれ。

 そう心で念じる。その激情が治まり始めたその時だった。

 

「──しかし、ゲンホウ! 貴様だけはあああっ!」

 

 トキフサは自分の僅かな隙を見逃さなかった。降伏する振りを見せたのも束の間、村民を護衛するため背を見せていたゲンホウに向かって咄嗟に矢を放つ。

 巨大な矢ではない通常の矢を使った今までにない早撃ち、腐ってもエヴェンクルガ、こんな技を隠し持っていたとは。体勢も何もかも出鱈目に放たれようとしているが、しかし偶然であってもこの角度と軌道は──

 

「くっ──父上ぇッ!」

 

 ノスリは弓を構えるトキフサを射るのでは間に合わないと思ったのだろう。

 トキフサに照準を合わせていた矢先を、僅かに擦らした。

 

「むっ……!?」

 

 ゲンホウの足元に矢が刺さる。ゲンホウは確かめるようにその矢を見て、その瞳を大きく見開き驚愕した──矢の半ばから、別の矢が生えていたのだ。

 オウギによってトドメを差され血をまき散らしながらも、トキフサは矢が失速する様を眺めて、その現実を受け入れられず愕然としていた。

 

「がはっ……わ、我の……矢の軌道を、矢で逸らしたというのか……!?」

 

 何たる神業。

 ノスリは頭であれこれ考える者ではない。本能で分かったのだろう。既に構えたトキフサに矢を射ったとしても、止められない。では、その発射された後の矢を撃ち抜く。

 ノスリの技量は百発百中それができるわけではない、勿論偶然であるかもしれない。しかし、その偶然を引き寄せるだけの判断力、集中力、気概、それは長に相応しき能力であるとも言えた。

 

「く……忌まわしき、ゲンホウ……我は結局、何も成せ……」

 

 オウギの剣がトキフサから引き抜かれる。

 怨嗟の声をまき散らしていたトキフサであったが、どさりと自らの血だまりの中に沈んでいく瞳は、やがて色を失っていった。

 その中に、きらりと煌く金色の印。これが長の証というやつだろうか。オウギが丁寧にそれを回収して、後は未だ戦っている兵に喧伝するだけだ。

 

「兵は投降せよ! イズルハ皇トキフサ、ゲンホウが氏族ノスリが討ち取ったり!」

 

 狭い里だ。大声で叫べば未だ戦闘中の兵も武器を捨てるだろう。

 案の定、トキフサが討たれればもはや戦う理由も無いのであろう。潔く武器を下ろした。

 村民に被害は出ていないようだ。流石の兵も、トキフサの悪行にまでついていくつもりは無かったようだな。

 

 各々の兵を拘束し、それぞれ傷の手当をする。その途中、オシュトルの元へ陽動の軍を下げるよう伝令を出す。トキフサがいなくなったのに、これ以上被害を拡大するのは良くないからな。

 伝令が森の中へと消えていき、さて次はノスリとイズルハの件だと思考を切り替えたところ、誰かが自分を呼び止めた。

 

「ハク」

「ん? ノスリか、どうした?」

「相談があるのだ」

 

 ノスリは沈痛な表情で自分にそう言うと、川の近くまで連れ立った。

 二人、何も言わずとも川の淵に腰を下ろす。暫く沈黙が支配していたが、やがてノスリがぽつりと胸の内を明かした。

 

「……なあ、ハク。私は、長の資格があるのだろうか?」

「何故そう思うんだ?」

「……選ぶべき時に、私は迷ってしまった。いつもそうだ。お前のように冷徹な判断も下せぬ。日々こうした選択を迫られるのであれば、私は……」

 

 トキフサに人質を取られ動けなかったことを考えているのだろう。

 それで自信を無くしたか。いや、自信などそもそも持っていないのだ、ノスリは。不安で押しつぶされそうな中、それでも胸を張ってここまで来たのだ。安心させるのは、自分の役目か。

 

「……別に、それでいいんじゃないか?」

「何?」

「自分があそこでああ言えたのは、汚れ役は溝攫いしている頃から慣れているってだけの理由だ」

「しかし……それは長となる自分が!」

「はあ……」

 

 何か勘違いをしているようだ。頭は皆汚れ役を買って出ているとでも思っているのだろうか。

 今回は自分の言が上手く働き民草に被害は出なかったが、そうでない場合もある。その責任を全て負っていては頭ばっかり挿げ変わって何も変わらない。頭には頭のやるべきことがあるのだ。

 ノスリは、自分の魅力がいまいちわかっていないからこそ悩むのだろう。オウギがあれ程慕うのにも、ただ姉弟だからと勘違いしてそうだ。だからこそ、自分が教えてやらねば。

 

「……あのな、お前のために自分は汚れ役をやってもいい、って思える仲間がいるってのは、それは凄いことなんだぞ?」

「……どういうことだ?」

「自分は、ノスリの高潔さが好きだ」

「なあっ!? ハ、ハク、何を、好きって……」

「ああ、真っ直ぐで曲がったことが嫌いで、外道を許さず天誅を下す。はは、ある意味オシュトルに似ているかもな」

 

 あいつも正道を歩まんとする者。汚れ仕事は別にしなければ、オシュトルの名声が揺らぐ。だからこそ、自分みたいなのが必要なのだ。

 オシュトルに似ていると言われても余り実感が無いのだろう。ノスリは戸惑うように首を傾げた。

 

「む……私がオシュトルに?」

「ああ、そんな真っ直ぐで綺麗な奴だからこそ、部下は尽くしてやりたくなるんだ。お前が父ゲンホウに憧れた理由──人徳ってやつだ」

「人徳……」

「色々言われたみたいだが、長に一番必要なのは、そういったもんじゃないのかね……このままじゃまずいと、お前の為に何かしてやりたくなる。色々考えて動いてくれる奴がいる。トキフサの周りにそんなもんはない。だが、お前にはある」

「私には、ある……」

「ああ、それだけで資格は十分だと思うがね」

 

 ノスリは噛み締めるように胸に手を置き、自分の言葉を聞き入れる。

 暫くして決心がついたのだろう。顔を上げた時には、ノスリの表情から迷いは消えていた。

 

「……ありがとう、ハク。お前はいい漢だな」

「ほう、今頃気づいたのか? いい女であるノスリさんは」

 

 揶揄い混じりにノスリを見ると、その瞳は潤むように輝き、頬は木々から零れる夕日のように赤く染まっていた。

 

「はは、そうだな。今頃……だ」

「ん、どうし──」

「──な、ななな、なんでもない! さ、さて! 父上のところに行くか! ハク!」

 

 ノスリは吹けぬ口笛で強引に話を打ち切った後、幾分か緊張解れた様子でゲンホウのいる屋敷へと再び足を運んだ。

 未だ険しい表情を浮かべるゲンホウの前に、ノスリは座すと伏して頼んだ。

 

「父上、私は良き長となる! 家督を譲って欲しい!」

「……ノスリ、お前の思う良き長とは何だ?」

「今までは、ただ父上のように威風堂々とした長になりたいと……思っていました」

「ほお、俺のようにと言うがね……トキフサの野郎に途中で引き摺り下ろされた。そういう権謀術数にはどう立ち向かう?」

 

 ゲンホウの底意地の悪い質問に対しても、ノスリの瞳にはもはや動揺は無い。

 決意の籠った視線を真っ向からゲンホウにぶつけ、己の心を曝け出した。

 

「私は……引き摺り下ろされない! そのような企みには負けたりしない! トキフサのような卑劣な輩は許さない!」

「……今回みたいに、誰かが犠牲になる危険もある。それでもか?」

「犠牲など出さない! 仲間と共に──私が持つ力の限り、全て倒し、全て救う志を持つのです! それだけは父上とは違う! だから、私は父上のようにではない──父上以上の長になるのだ!」

「……ふふっ、それでこそ姉上」

 

 オウギがいつもの言葉を口にする。

 しかし、その言葉には、いつもの姉の姿に漸く戻ったという喜色が込められているように感じた。

 ゲンホウはそんな二人の様子を見て取り、額に手を当てて笑いだした。

 

「ふふふ……はーはっはっはっ!!」

「ち、父上?」

「オウギ! やはりこいつはアホウすぎて、お前でもままならんようだな」

「とんでもない。僕如きが姉上を御するなど」

「しかし、それこそ長の資質よ。確固たる自分──志を持っているか。聞くべき意見に耳を傾けるのは当然だが、周りの思惑で揺れるのは釣り竿と浮きだけで十分だ」

「父上……」

 

 ゲンホウはようやくノスリが氏族の長として、イズルハの皇として立つことを認めてくれたようだ。今は、ノスリが長として皆から認められたことが純粋に嬉しい。

 さて、トキフサは討った。後のごたごたや、これが計画上のことだと氏族をどう納得させていくかについてはこれから話し合って決めよう。

 ノスリが認められたことについて皆から祝いの言葉が送られ賑わっている中、ゲンホウから言葉をかけられた。

 

「ハク殿」

「ん?」

「ちょいと相談がある。三つ目の案について、な」

 

 それはこちらにとっても今まさに相談したいことであった。

 ゲンホウから、各氏族にトキフサの討ち死にとノスリへの家督継承について伝令を送ることが決められた後、各自自由行動となる。

 その間、ゲンホウと二人で今後のことを検討することとなった。

 ただ、伝令を出すと決まった筈のゲンホウが全く素振りも見せず、そのまま自分と話を始めようとしたので、つい疑問が口を出た。

 

「ん? 伝令はいつ出したんだ?」

「ノスリからあれこれ言われる前に出している。足の早い奴らは数日中には集まる筈さ」

 

 相も変わらず喰えない親父だ。ノスリにあれだけ意地悪しながら、継ぐことを確信していたようだ。

 

「……家督は譲る気だったんだな。あの話をする前から既に文を飛ばしていたってことは」

「勿論さ……ああも神業を見せられちゃ、な」

 

 神業、ノスリの矢落としのことか。エヴェンクルガの歴戦の戦士であるゲンホウですら難しい行為なのだろう。素直に感嘆していた。

 しかし──

 

「それだけか?」

「……ふ、いいや。俺も娘の志に惚れちまったってことだ。人徳だね」

「はは、父親譲りで何よりだ」

 

 和やかな空気はそこまで、一転して真剣なものに変わる。

 

「……トキフサは討たれた。もはや聖上につくしか氏族の道は残されてねえ」

「そうだな」

「であれば、後はどれだけノスリが聖上からの信望厚く、またイズルハの民を害さないか示すことが求められる」

「ああ、今のところノスリの功績は、トキフサを討ったことだな」

「しかし、それだけじゃイズルハの裏切りの汚名は消せねえ」

 

 その通りだ。イズルハの氏族を全て取り込むためには、三つ目の案を完遂する必要がある。そのためには、自分だけでなく、皇女さん、ノスリ、オウギ、ゲンホウ、そして各氏族の長に話を合わせねばならない。そのためには──

 

「だからこそ、あんた以下氏族の長達には一芝居打ってもらう必要がある。ノスリが聖上の忠臣となり、トキフサを討つことができたのは、ゲンホウやその他氏族の長を介してイズルハや朝廷の情報を流していたからだと。これまで裏切りの汚名と粛清の危険に身を晒しながらも、反トキフサを掲げゲンホウを支持していた氏族のおかげで、それは成せたと」

「ふむ……」

「そして、エンナカムイは喧伝する。イズルハが態と敵に回ってくれていたからこそ、朝廷の内部情報を得ることができた、裏切り者ではなく、獅子身中の虫であると」

「納得するかな?」

「あんた次第だ。ノスリのため、最後の権謀術数に駆けまわってはくれないか?」

「……いいぜ。だが、約束だ」

「ん?」

「……ノスリの奴を、頼んだぜ。ハク殿」

「あん? 自分がか?」

「ああ、ノスリの奴もそうだが……あんたの人徳も、底知れねえ。あんたの傍なら、ノスリは間違うことはねえだろう」

「おいおい、買い被り過ぎだ」

 

 それに、ノスリの面倒だ何だと言うが、戦乱が終われば自分はヤマトを夜逃げするつもりだぞ。面倒な役職に就きたくないからな。

 

「いいや。俺は人を見る目はある。そうだなあ……ノスリと一度、どうだ?」

「どう、とは?」

「ん……いや、これは初心娘に言わなゃならんことか。まあ、忘れてくんな」

「? ああ」

 

 何を一度か知らんが、喰えないオウギの父のことだ。何か企んでいるのだろう。

 

「まあ、これが終われば悠々自適の生活が待っていると思えば……悪かねえさ」

「頼んだぜ」

「おう、任せな」

 

 数日後、隠れ里を離れゲンホウの故郷へと足を運び、約束の日程まで打ち合わせを行う。

 ゲンホウが場所を変更した理由は、いくら内々の継承式とは言え、形はある程度必要だろうとのことからだ。ゲンホウの故郷の屋敷の方が、広く綺麗であり、儀の後の宴の準備にも入り易いからとの理由もある。

 

 そして、約束の日。多くの氏族長が集まる中、皇女さんとノスリ、ゲンホウによる家督継承とイズルハ皇認定の儀が始まった。

 

「ノスリよ。これより貴公がゲンホウ殿に成り代わり、聖上の臣として、また良き長として同胞を導いていくことを誓うか」

「誓おう! このノスリ、我が命をイズルハに、そしてヤマト帝アンジュ様に捧げん!」

「ならば、アンジュが名において命ずる。ノスリ、今日から其方がイズルハを背負うが良い」

「はぁーっ!」

 

 化粧をした皇女さんとノスリが堅苦しいやりとりを行う。これで、一つやるべきことは終わった。

 

「堅苦しい事はこれで仕舞いだ。今日は新たな長の門出。昼からは宴を行う、大いに飲んで喰ってくれ!」

 

 皆がゲンホウの言葉より宴の準備に取り掛かる中、今後の話を名目にと、自分と皇女さん、ノスリ、オウギ、ゲンホウ、そして各氏族長による密会が行われた。

 自らの扱いについて怯えているのだろう。ゲンホウがいくらか事前に話を通している筈であるが、やはり不安なものは不安か。一族郎党死兵と化せなんて言われたらどう裏切ろうか考えるだろうし、この案はやはり通しておいて良かった。

 氏族長であるノスリが一同を代表するようにして、話を始める。

 

「儀の後にこうして集まってくれたのは他でもない。我らの今後を左右することについて相談するためだ。では聖上、まずはお言葉を頂きたく……」

「うむ、余はこれまで忠臣として尽くしてきた氏族長ノスリの嘆願により、其方らを厚く重用することを約束するのじゃ。今後とも余のためにその忠義を果たすが良い」

 

 当たり障りのない皇女さんの言葉。ははー、と平伏する氏族長の中に疑問符を浮かべるものもいる。その中から一つ手が上がった。

 

「……遅ればせながら意見をお許しください、聖上」

「うむ、許す」

「はっ、我らは聖上に一度は刃を向けた者共であります。我らを厚く用していただくこと真歓喜の念に堪えませぬ。しかし他の国が我らを認めるとは思えぬのです……」

「ふむ、イズルハ氏族長皆々の懸念は最もであるのじゃ。故に、ハクより提案がある。ハク、話すのじゃ」

 

 そこからは、自分が喋った。

 イズルハ氏族は金印を実行力として無理にトキフサに従わされていたことにすること。

 しかしそのことを利用し、各氏族の長が秘密裏に連携を取り、以前よりエンナカムイに朝廷の情報を流していたことにすること。

 故に、裏切り者ではなく敵の中に身を置いた忠臣として扱うことができることを伝える。

 その案を聞いた氏族長達は、疑念と歓喜の綯交ぜになった表情をした。この案を受ければ、氏族は円満に迎え入れられるという歓喜。しかし、何故異なる事実を作ってまで我らを受け入れるのか、という疑念だ。

 その疑念が良い方向に解消できるように話すことにした。

 

「本来であれば、今後あんたらを死兵として扱うこともできた。しかし、聖上の忠臣ノスリが、イズルハの未来を案じ聖上に何度も嘆願したからこそ、こうして提案に至った」

「おお……」

「ノスリは故郷であるイズルハを憂い、イズルハを滅ぼしかねなかった外道トキフサを討った。また、かつての八柱将ゲンホウの後継者としてイズルハの全てを纏めあげる覚悟がある。そうだな? ノスリ」

「ああ、ハクの言う通りだ。其方らは同じヤマトを──イズルハを憂い戦ってきた仲間だ。このような擦れ違いで、其方らを死兵として扱うことはこのノスリが認めない! 未だ若輩者ではあるが……イズルハのため、ヤマトのため、そして我らの掲げる真の聖上のため、皆に私を長として認め、共に戦って欲しい!」

 

 威風堂々としたノスリの言に、皆の心が決まったようだ。

 氏族長達の顔に、もはや疑念は無い。それどころか、かつてのゲンホウを越える姿をその身に実感したのだろう、皆がノスリの前に平伏すると、口々に生涯仕えるべき長として認める言葉を紡ぐ。

 

 ──終わったな。

 

 イズルハの氏族達はノスリに大きな借りを作ることになった。たとえノスリの長としての資質に疑問を持つ者がいたとしても、支えることすれ裏切ることは無いだろう。それに、ノスリを自然見ていれば、彼女の本質的な才能に気付く者も多いはずだ。

 

 後はオシュトルと口裏を合わせ、他国に喧伝するだけだ。

 盛り上がる現場にもう用は無いと一足先に部屋を出ようとすると、ノスリが呼び止めるように声をかけた。

 

「ハク!」

「ん?」

「……ありがとう、な」

 

 そういえば、ノスリは儀のため化粧をしたままだったか。だからだろう、と胸の内に灯る思いを否定する。

 そうでなければ──ノスリの笑顔を見て思わず胸を高鳴らせてしまったなんてこと、ある筈ないだろうからな。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ゲンホウは迷っていた。

 ハクより提案された案を実行するため、多くの氏族に声をかけ聖上の味方とすることができた。しかし、未だトキフサに大きく寄っていた氏族からの返答はない。予想としては多分、疑心暗鬼に陥ってしまっているんだろう。これを残せば火種と成り得る。秘密裏に処理するか、それとも味方に引き込むか、悩んでいたのだ。

 ハクに相談するかとも思ったが、任された以上最後までけじめはつけなければならない。オウギとノスリを呼び出し、氏族として相談することにした。

 

「まだ迷っている者がいる?」

「ああ、こう懐の広いところを見せても、疑い癖のついた奴にはいまいち信用ならねえんだろう。話が旨すぎるからな」

「であれば、これを使うのはどうですか?」

 

 オウギが、トキフサの亡骸から奪った八柱将の金印を取りだす。後ろに帝が控えているぞという証拠だ。トキフサが長でいられたのも、こいつの力あってのことだ。

 しかし、トキフサが死に、多くの氏族に認められたノスリがいる今、こいつの扱いについては意見が割れていた。

 

「金印か……確かに、家督を継いだという書状に金印を押してばらまけば、疑心暗鬼に陥っている他の氏族も、遅くとも数日のうちに集まるだろう」

「そうですね。今はイズルハを纏めることこそが急務ですから、使えるものは使うのがよろしいかと」

「いや……これは使わず、聖上にお返しする」

「あ、姉上?」

 

 金印の力についていくら話をしても、ノスリは頑なに金印を使おうとしない。

 その理由は、実にノスリらしいものであった。

 

「トキフサ……父上を陥れ人質すら取る卑劣漢。あいつがこんなモノを後生大事に抱え込んでいるのを見て思ったのだ。こんなモノに大した価値などない!」

「こんなものって……あのなあ、帝から賜った金印だぞ、一応」

「帝の金印に価値無しですか。まあ確かに、所詮は金でできている、というだけの印象に過ぎませんが」

「所詮は印章。結局、過去の権威に縋って威張っているだけではないか。金印を使えば、残りの氏族は私に従ってくれるかもしれない──つまりそれは金印の持ち主であれば誰でも構わないということだ」

「……」

「長としての資格……それは金印などではない。ハクが示してくれたような、己の覚悟──志があることだ。私の志に惹かれれば、自然と他の氏族も私を頼る……そうなりたい!」

「そうですね……それでこそ姉上です」

「……ああ、ったく、頼りになる長だぜ」

 

 そう悪態をつくも、心は変化していた。残りの氏族を纏めることは困難を伴うだろう。あれだけ嫌だった権謀術数にも身を染めるであろう。しかし、そんな困難な道に少し楽しみが混じっているのだ。

 それはハクのおかげだろうか、それとも娘が成長したことを嬉しく思うからだろうか。

 かつてイズルハ一の将とうたわれた者として、俺は日々思考の渦に身を委ねる覚悟をすることにした。

 

 そして、それはそれとして──もう一つ迷いがあった。オウギもいるが、まあいい。ついでに大事な話をすることにした。

 

「なあ、ノスリよ」

「はい? なんでしょうか、父上」

「ハク将軍のことだが……聞いている噂には賛否あったが、ありゃ名将だな」

「父上がそこまで褒めるとは珍しい。だが、それがどうかしたというのですか?」

「何、俺はあの男が気に入った。あの男の血脈が、ってことなんだがな」

「血脈……」

「ふふ……なるほど」

 

 ノスリはちんぷんかんぷんなのだろう。

 オウギは逆に、何かに思い至ったようでその笑みが面白いものを見るような目になる。ったく、こいつがノスリに色々吹き込んでくれりゃ、俺から言う必要も無いんだがな。

 

「やれやれ、お前はまだまだ初心な生娘のままだな」

「なっ!? ききき生娘!? い、いや、私はっ!」

「お前みてえな生娘でも、あの男なら優しく導いてくれるだろう。奴の血が一族に入るってんなら、面白いことになりそうだ」

 

 オウギの笑みよりも殊更深く、にやりと笑う。

 考えただけでも面白い。あれだけの度胸、知恵、武道、そして何者にも縛られぬ心、それがノスリの高潔さと合わさりゃ、いったいどんな子が生まれるというのか。

 しかし、俺とオウギの理解とは裏腹に、ノスリは未だ頭に疑問符を浮かべていた。

 

「いや、父上が何を仰りたいのかイマイチ分かりませんが……」

「はあ、相変わらず鈍いな。つまり、ハク将軍と懇ろになれってこったよ」

「ね……ねねねね懇ろっ! つ、つまり、ハクの前で裸になれと……」

「おや? ハクさんから聞きましたが、既に姉上は彼の前で何度も裸を見せているのでは?」

「お、オウギ! そ、それは今言ってはならんっ!」

 

 ほう、そうだったのか。娘も娘でやることはやっていたか。であれば杞憂だったな。このままいけば、孫の顔は心配せずとも良さそうだ。

 しかしノスリは慌てたように真っ赤な表情で手を振り始めると、大きく自爆した。

 

「ち、ちちち違いますっ! ハクとは賭け事で裸になるだけで……あっ!」

「おいおい……」

 

 まあ、オウギが隠しきれない含み笑いをしていることからも、多分ハク将軍に相手にされてないんだろうな。これは前途多難かもしれん。

 

「ち、違います、父上! 決して氏族の長として恥ずべきような行為は……!」

「ああ、ったく。オウギ、ちゃんと恥じらいは教えとけ」

「そんな、姉上に僕から教えられることなどありませんよ」

「はあ……まあいい。裸になれる度胸があるなら、後は一緒に寝るだけだ」

「ね、寝る!?」

「……言っておくが、添い寝してるだけじゃ、子どもは作れんからな」

「そっそっそっそのぐらいわかっていますっ! 男と女が二人であれしてその結果ああなってそれで……っ!?」

 

 思考が爆発したのだろう。口はぱくぱくと意味の無い言葉を発し、顔は庭に実っている果実のように赤い。

 先ほどの儀ではあれほど逞しい姿を見せたというのに、恋愛にはここまで動揺するとは。オウギと二人、ノスリの狼狽ぶりに苦笑を見せる。

 

 ──やれやれ、こいつは色々と苦労しそうだ。

 

 氏族を仲間にするよりも、ハクをどう血族に入れるか、そちらの方がかなりの難題のような気がするのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都執務室にて、ライコウは伝令からの報告に冷静に対処した後、地図にあったトキフサを表した駒を手に取りさしたる同情もなく地へと抛った。

 

「トキフサは死んだか。哀れな男よ、己に将たる器も無く、それに気付くことなく大願を求めた結果がこれか」

「デコポンポ様もそうでしたが、なぜ、彼のような者が八柱将に?」

「……何、誰もが感じる事実だ。まあ、奴らも戦以外では少しは使い道もあったのでな。そういう、将として不出来な者達すらも受け入れるだけの器が、帝にはあったのだ。だからこそ──」

 

 我が大義の為、彼らのような愚物は排し、そして決着をつけねばならぬ。

 帝より重用された後継オシュトル、そして我が大義を理解しながらも帝の残した姫殿下についたハクをねじ伏せ、真の意味で帝の揺り籠から巣立つ。そのためには、どんな悪行にも手を染めよう。

 

「イズルハはどうなさいますか?」

「もはやオシュトル陣営につくことは明白だ。ゲンホウの娘を主軸とした軍隊が結成されるだろう。しかし、それで良い……古来より無能な味方は有能な敵を凌ぐとある。奴らがイズルハで時間を持て余していたおかげで、こちらも手筈が済んだ」

 

 闇夜から衛兵に連れられ一人の男が姿を現した。

 かつてこのヤマトに挑み、足を踏み入れることすらできなかった戦士であるが、今はここ帝都の奥深くに通されている。ヤマトの争乱のため利用されるとは、何とも皮肉なものだ。

 

「……俺を呼んだのは貴様か?」

「ああ、ヤムマキリ殿。お初にお目にかかるかな?」

「……そうだな。だが俺はお前を知っているぞ、ライコウ殿。元敵勢力の八柱将を知らぬわけがあるまい」

「光栄だ。さて、来てもらったのは他でもない──」

 

 ウズールッシャに燻ぶる火種。オシュトルの後背を叩くためにも、利用させてもらおう。

 

 

 




イズルハ編はここで一区切りです。
本編はイズルハ→ナコクの順番ですが、こっちはナコク編の後であるからこその違った展開になりました。力量不足でトキフサさんが超小悪党になってしまいましたが、原作を見る限り元からだったかもしれないと思いそのままにしています。ロスフラ要素はすいませんが入れられません。
賛否どちらもでも結構ですのでぜひ感想ください。

次回はウズールッシャ編に入ります。
原作であれば、四つの国を味方にしたオシュトル(ハク)は平原での決戦に臨みますが……この作品ではウズールッシャを絡めた暗躍が間に挟まれます。
お楽しみに。


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第三十話 傍観するもの

日常回。息抜きと次回以降の土台に。


 エントゥアの朝は早い。

 日も昇りきらぬ内から起床し身なりを整える。まだ底冷えのする廊下を静かに歩いて行く。

 イズルハ遠征にて色々役目を作ってしまったためか忙殺されているのでしょう、未だ大きな鼾の聞こえるハク様の寝室前を横切り、エンナカムイの居城食堂裏炊事場にて本日の朝食を作るお役目に赴いた。

 

「おはようございます、ルルティエ様」

「あっ……おはようございます、エントゥア様」

 

 炊事場の暖簾をくぐると、既に釜戸に火を入れたルルティエ様がいらっしゃいました。

 ルルティエ様はいつも朝が早い。ココポ様の世話も兼任されているので、もっと遅くに来ていただいても構わないのですが。

 

「お早いですね。ルルティエ様」

「エントゥア様こそ、いつも私の手伝いをしていただいてありがとうございます」

「いえいえ、私のお役目でもありますから」

 

 ルルティエ様の天使のような微笑みを受け、こちらも口元が綻ぶ。シス様では無いが、彼女が身分やんごとなき方であっても姿勢低く愛らしい姿を見れば、溺愛される理由もわかるというものですね。

 ルルティエ様が、話しながらもぐつぐつと汁物の出汁取りに時間をかけているので、自分は主食とおかずを幾つか担当することにした。無言で役割分担できるのも、彼女と長い間連携して食卓を管理してきたことからすれば当然でしょうか。

 二人でてきぱきと食事を準備しながら、重鎮達の料理が出来上がっていく。こうして私達二人で作っているのは、毒見が必要ないようにするため。未だ草による情報合戦は続いている。食事に毒を仕込まれないよう、こうして私達自身が料理を作っているのです。

 元ウズールッシャである自分を受け入れ、尚且つこうして食という命を握る役職に就けて頂いている信頼を、裏切る訳にはいかない。そのため、出来上がれば私達自身でまず味見することが習慣化されています。

 人数分が出来上がり、それぞれ栄養過多にならないよう調整しながら好みの味付けを加えていく。ハク様は夜の飲酒とつまみの量が多いため、朝は野菜多めと塩分少な目に作る。ネコネ様には甘みをつけておく、オシュトル様は逆に甘みの無いようにする。クオン様には──

 と、それぞれ名前の書いた札の前に置かれた盆の上にある食事に差異をつけていると、ルルティエ様がある盆の前で熱心に祈っていた。

 

「……」

「ルルティエ様? また、おまじないですか?」

「はい。こうした方が美味しいと褒めてもらえますので……」

「ふふ……ハク様は幸せ者ですね」

 

 手を胸元で握り合わせて、ハク様の分の食事に熱心に愛を込めるルルティエ様。こんないじらしい姿を見れば、ハク様も彼女の愛に応えようというのに、彼女はこの姿を見られるのは恥ずかしいらしい。女性の私から見ても、彼女の姿を見てときめかない男などいないと思うのですが。

 毎日毎日こうして愛を込める姿を見れば、ルルティエ様のハク様へ向ける想いの深さに気付く。故に、私自身も秘める想いについては、ルルティエ様の前では出さないようにしているのです。

 

 一通り食事の準備が終わると、既に朝日は昇り窓から光が差し込み始める。遅れて食堂にどやどやと重鎮達が匂いを嗅ぎつけて騒がしく入ってきた。

 

「おはよう、ルルティエ殿、エントゥア殿」

「おはようございますなのです」

「おはようございます、オシュトル様、ネコネ様」

 

 まずは、いつも朝の早い兄妹がご来場です。

 労いの言葉をかけながら、二人は自らの名前の書かれた盆を手に取り、食堂へと戻っていく。オシュトル様は、何かあれば執務室までお持ちすることも多い中、今日は食堂で食べるようだ。いつも忙しい兄と食事が一緒でネコネ様も嬉しそうだ。

 次にやってきたのは、ノスリ様とオウギ様だ。

 

「おはよう、ルルティエ、エントゥア」

「おはようございます。ルルティエさん、エントゥアさん。いつもありがとうございます」

「いえいえ、ノスリ様、オウギ様、おはようございます」

「おお! 今日も旨そうだな!」

 

 ノスリ様は少し目元に隈を残しながらも、料理を見て頬を緩ませる。

 いつもは食堂全体に響くほどの声量で入場するノスリ様であったが、今日は少し眠気が勝っているようだ。どうかしたのだろうか。

 

「ノスリ様? どうかなさいましたか? お元気が無いようですが……」

「む……? そうか、エントゥアにはわかってしまうか」

「姉上はイズルハの長となりましたからね。少し慣れない仕事が増えたのですよ」

 

 イズルハの長となったは良いが、軍備や氏族との裏取引、各国への伝令文書作成等、オウギ様も手伝っているようであるが、これまで手を出したことの無い仕事にてんやわんやであるそうだ。

 

「それに、父上からもう一つ大事なお役目を頂きましたからね」

「大事なお役目……?」

「ええ、ハクさんを──」

「お、オウギ! そっ、そそそそれは言ってはならんと言っただろう!?」

「ふふ、そういえばそうでしたね。すいません、姉上」

 

 わたわたと頬を真っ赤にさせてオウギ様の言を防ぐノスリ様。

 ノスリ様の動揺っぷりと、オウギ様の面白そうな表情、そしてハク、父上という名称から察するに、後継ぎ的なことでしょうか。御家再興を謳っていたわけであるし、そういった話もありそうです。

 であれば、またもやハク様を狙う女性が増えたことになりますね。ノスリ様はこれまでハク様とは飲み友達のような関係でしたから、今すぐにどうこうといったことは無いように思いますが──

 

「うぅ……父上はなぜあんなことを……」

「まあまあ、姉上。まずは二人きりでどこか出掛ければ良いのです」

「わかっている、わかっているが、しかし……うむ……オウギが変わってくれないか?」

「姉上……流石の僕でもそれは……」

 

 二人が話しながら盆を持って食堂に赴く。

 寝不足はどちらかというと、そちらの悩みの方が大きそうですね。オウギ様の助言は毒になるか薬になるかはわからないが、彼のことです。幾分か面白い出来事を引き起こそうとするきらいもある。

 ノスリ様の今後を思い、少し憂鬱になる。ノスリ様に幸多からんことを。

 

「おはよ~、あっ、ルルやん、今日は貝入りやぇ!?」

「おはようございます、アトゥイ様。はい。シャッホロからの物資にありましたので……」

「やったぇ! お酒飲んだ後はな? この貝があればすぐ元気になるんよ~!」

 

 アトゥイ様は昨日誰かと晩酌したのだろう。二日酔いのせいか頭を抱えるように入場してきたが、貝汁を見て目を輝かせる。

 

「へえ~そうなのですね」

「そうなんよ。クラりんも貝ごと食べられるから嬉しいけ?」

「ぷるぷるぷるぷる」

 

 ルルティエ様に貝の効能を幾許か語ったのち、一刻も早く食べたかったのだろう。盆をもってすぐに食堂へと向かった。

 その後来たのは、まるで親子のように連れ立つ三人、シノノン、キウル様、ヤクトワルト様だった。

 

「おはようだぞ!」

「おはようございます。ルルティエさん、エントゥアさん」

「おはようじゃない。ルルティエの姫さん、エントゥアの嬢ちゃん」

「おはようございます。キウル様、ヤクトワルト様、シノノンちゃん」

「ひめちゃと、おねえちゃはもうたべたのかー?」

「大丈夫よ、シノノン。まだ皆来ていないから、後でもらいます」

「はい、私達は味見もかねて少し戴いていますから。ありがとうシノノンちゃん」

 

 シノノンは私達の言葉を聞いて、まだきてないとはだめだなとぶつぶつ怒り始めた。

 皆の起きる時間もばらばらであるので、ある意味仕方がないことなのですが。

 

「後は誰が来てないんだい?」

「えーっと、アンジュ様、ムネチカ様、クオン様、フミルィル様、そしてハク様とウルゥル様とサラァナ様ですね」

「そうか……だんなとあねごがきてないのか。よし、シノノンがいっぱつかついれてやる」

「ま、まあまあ、シノノンちゃん」

 

 キウル様が仲介に入るも、シノノンは随分怒り心頭のようです。

 まあ確かに、シノノンのような幼子がこれだけ朝早くに起きて、彼らが遅いというのはいい訳のきかないことでもある気はしますが。多分、今来ていないのは寝ぼけ組でしょうし。

 

「ん? 食堂をちらっと見たが、シスの姉ちゃんと、マロロの坊ちゃんも来てないようじゃない?」

「あ、お二人は今日、朝の見回りと調練がありますので後々お届けに参ります」

「おおー、ならシノノンがもっていってやるぞ」

「ほんと? 助かるわ……シノノンが食べ終わったら、お願いしてもいいかしら?」

「おう、まかせとけ!」

 

 仕事を任され、シノノンの怒りは幾分治まったようですね。

 シノノンははやくたべるぞとやる気満々に盆を持って食堂へと足を運ぶ。それを微笑ましそうにヤクトワルト様とキウル様が後に続いた。

 

 そして暫くして、アンジュ様とクオン様が喧嘩しながら食堂に入ってきた。その後を続くのはムネチカ様とフミルィル様だ。

 

「……ったく、クオンが欠伸をして寝ぼけておるから廊下でぶつかるのじゃ!」

「あ、アンジュだって人のこと言えないかな! 目が線になったままふらふら歩いていたもの!」

「まあまあ、クーちゃん。クーちゃんが寝ぼけていたのは本当でしょう?」

「聖上も負けず劣らず御就寝なさっておいでで。布団から指を離させるのに如何程の時がかかったとお思いか」

「そ、それを言うでない!」

 

 ホノカ様の忘れ形見であるアンジュ様が微笑ましい喧嘩をしながら時を過ごすなど、帝都にいたあの頃を思えば考えられなかった。それを思えば可愛らしいものであるが、食堂全体に響く喧嘩を毎朝見せられればこちらも飽きるというもの。もはや喧嘩が一日の始まりのような気にもなる程です。

 

「おはよう、ルルティエ、エントゥア」

「おはようなのじゃ、二人とも。今日も良い香りであるの!」

「おはようございます~。ルルティエ様、エントゥア様」

「おはようございます。ルルティエ殿、エントゥア殿」

 

 口々に朝の挨拶を交わしながら、盆を取って食堂へ赴こうとすると、クオン様がアンジュ様の盆を見て何かに気付いたのでしょう。目を瞬かせた。

 

「……うわ、アンジュ、今日の朝食多くないかな?」

「む? 成長期じゃからの。ルルティエに頼んで今日から増やして貰ったのじゃ」

「……聖上が最近鍛錬から逃げるせいか、些か腹部がぽっこりと膨らみを帯びてきているように小生は思いますが」

「な、なんじゃと!? 余は太らん筈じゃのに……!」

「ぷぷ、成長期に胡坐をかいた結果かな」

「そういえば、クーちゃんも何だかお腹とお尻が大きくなったような……」

「ふ、フミルィル! それは今言わなくていいかな!」

 

 仲が良いのか悪いのか、女性らしい話をしながら姦しく会話をしながら出ていく四人であった。

 

 後はハク様だけだと思っていると、その姿を現した。二日酔いなのだろう、ウルゥル様とサラァナ様がハク様の両側より支えながら食堂に入場して来る。

 

「おはよう、ハク! 遅いかな!」

「あ? ああ、すまん。クオン……」

 

 クオン様も先程来たばかりである筈だが、少し得意気に挨拶している。一方ハク様はそんなことに疑問も抱けぬ程に辛いのでしょう。ふらふらと足取り悪く盆のある炊事場まで入ってきました。

 

「おはよう……ルルティエ、エントゥア」

「おはようございます、ハク様」

 

 天使のような笑みで迎えるルルティエ様であったが、ハク様を支える双子の得意気な視線を見るや否やバチバチと火花を散らすかのごとくにらめっこを始めた。

 これも毎朝のことです。これだけハク様を巡って争いが起きているというのに、一方のハク様は変わらず鈍感で。皆の想いにも、私の想いにも気づかぬままです。

 

「お~、今日も二人の飯は旨そうだなあ……」

「ありがとうございます」

「これはエントゥアが作ったのか?」

「え? ええ、はい」

 

 おかずの一品を見て、そう言われた。確かにそうだが、なぜわかったのだろうか。

 

「巻き方がエントゥアっぽい」

「巻き方……」

 

 何か違和感があるのだろうか。そんなことでどちらが作ったかわかるなんて。

 視線を感じてルルティエ様を見れば、嫉妬でしょうか。可愛くほっぺをぷくりと膨らませている。

 まずい、と思いつい弁明しようと口を開くも、何を弁明して良いかわからず二の句が告げない。

 

「る、ルルティエ様……」

「……で、多分、これがルルティエの作ったやつだろ?」

「え? は、はい! わかるのですか?」

「ああ、切り方がルルティエっぽい」

 

 一転、花のような笑顔を浮かべるルルティエ様。女の嫉妬は怖いとも言うが、ルルティエ様は先ほどのことはもう忘れたようだ。良かったです。

 そのような微笑ましい会話を繰り広げる中、盆を見つめて訝し気な表情で見つめるはウルゥル様とサラァナ様だ。

 

「箸が多い」

「ルルティエ様? 箸は三人で一つと言った筈ですが……」

「ちゃんと、人数分用意しました」

 

 双子の不満げな視線を真っ向から受け、少したじろぎながらもにこやかに強い視線を返すルルティエ様。それだけはならんと徹底抗戦の構えだ。

 以前言葉通りに用意したところ、ハク様に箸が一つしかないからとなんと食べさせ合いを始めたのだ。その時の食堂内に起きた羨望と憤怒の様相と言ったら──やめよう、余り思い出したくありません。

 

 会話に興じるハク様であったが、盆の残り数を見て何かに気付いたのだろう。申し訳なさそうな表情に変化した。

 

「あ、もしかして、自分が最後か?」

「はい」

「そうだったか。待たせてすまんな……二人も──」

「おはよう、ハク。今頃来たのか?」

「ん? ああ、オシュトルとネコネか。おはよう」

 

 食べ終わったのだろう。返却に来たオシュトル様とネコネ様と盆を取りに来たハク様が鉢合わせる。

 未だ少し青い顔をしたハク様を見て、ネコネ様は露骨に顔を顰めた。

 

「……うっ、酒臭いのです」

「なぁにぃ~? そんなことないだろ、ネコネ~」

「くさ! くさいのです! 寄らないでほしいのです!」

 

 ふざけてネコネ様に寄ろうとしたハク様の脛をげしげしと蹴り上げている。この光景にも慣れたものです。

 ハク様はハク様で、特に痛がる様子も無く蹴りを享受し、ルルティエ様との会話に興じ始める。

 

「ん? でもそういえば、このおかずは初めて見るな。旨そうだ」

「あ、こ、これはクジュウリからの品で私が作りました。いっぱい愛情込めていますから……ぜひ沢山食べてくださいね」

「おお、そりゃ楽しみだね」

「無視ですか? 無視なのですか? そんなハクさんにはこうなのです!」

「ネコネ、その辺りにしておけ。ハクもイズルハ関連等で忙しいのだ」

「忙しいなら、お酒飲みながら仕事をするのをやめたらいいのです」

「ふ、まあそう言うな。ハクから酒を取ったら何も残らん」

 

 オシュトル様が苦笑を漏らしながらネコネ様を止めに入ります。

 オシュトル様の言も中々に酷いものですが、二日酔いのハク様には届かなかった様子です。ルルティエ様との会話でにこにこ機嫌がよさそうですから。そういった姿を見るのも、ネコネ様的には面白くないのでしょうが、可愛い嫉妬だと気づくには鈍感なハク様では難しいでしょうね。

 

 ぞろぞろと食堂と政務へ赴く彼らを眺めながら、ようやく自分達の食事を取ります。

 少し時間が立って冷めていますが、もう一度温めなければならないほど冷えてはいません。

 二人並んで和やかに食事を取った後、簡単な洗い物等を済ませ今日の残りを計算する作業に入ります。

 

「では、これをお姉さまとマロロ様に」

「そうですね。シノノンにお願いしましょう」

 

 仕事で疲れているだろう。少し多めに盛った料理を新たに用意した。

 重いので、持ちやすい取手のある盆を奥から取りだす。これならシノノンでも運べるでしょう。キウル様もいるし、手伝ってくれる筈です。もう一つはヤクトワルト様に頼むのがいいでしょうか。

 

 後は、牢に入っている者達の料理だ。複数あるので、いくつか敷居のある持ち運びやすい籠を用意し、料理を順に置いていく。

 

「では、こちらは牢の方へ持って行きますね」

「いつもありがとうございます、エントゥア様。すいませんが、お願いします」

「いえいえ、それと……」

「はい?」

「先程、ハク様の、申し訳ありませんでした」

「あっ、そ、そんな……私こそごめんなさい。あんなことで嫉妬しちゃったりして……」

「いえいえ、ハク様は幸せ者ですね」

 

 ぱたぱたと手を振り、照れたようにして顔を伏せるルルティエ様。可愛い。

 こういった不和の種は、早いうちに摘んでおくのが良いのだ。私がハク様を想っていることなど、誰にも明かしてはならないのだから。

 

 皆が食事を済ませ盆を返却に来る中、エンナカムイ居城地下にある牢へと足を運ぶ。

 牢の入り口まで籠を持って行けば、オシュトル様の信頼おける部下である者が牢の前を見張っていた。無表情で立ち続けた彼であるが、私の顔を見た途端その表情を綻ばせた。

 

「おお、おはようございます。エントゥア様」

「おはようございます。寝ずの番、大変でしたね」

「いえいえ、エントゥア様にお会いできたのです。あと数日は頑張れますよ」

「ふふ、ありがとうございます。でも無理は駄目ですよ」

 

 顔見知りの守衛である。気のいいことを言うが、彼には妻もいる。揶揄われているのだ。

 しかし、そういった軽口があることは、このエンナカムイに私が受け入れられているようで悪くは無いのですが。

 

 牢の中に入れば、複数ある檻の中に囚われの身となっているのは、四人。

 二人は、マロロ様の家族である。聖上を裏切りライコウに協力したとして罪人の扱いを受けている。しかし、彼らはもはや生きる屍である。一度は罪状を取り消しマロロ様が共に暮らすのが良いかとなりはしたが、マロロ様自身がそれを否定したのだ。

 ハク様が囚われた件は家族と自分自身の罪と考え、彼らは罪人であるとの扱いを貫いている。家族に食事を与える役目も、自分で行っていました。

 今日も本来であればマロロ様が行っていた筈であるが、早朝勤務であれば仕方がない。昨日頼まれたこともあって、私が代わりに来たのです。二人への食事介助を済ませ、次は隣の牢に目を移す。

 

「エントゥア殿……」

「おはようございます。ボコイナンテさん」

 

 そこには、マロロの家族のように生ける屍と化したデコポンポと、憔悴したボコイナンテの姿があった。

 

「今日の朝食です」

「ありがとう、なのであります」

 

 食器を手に取り、じっくりと時間をかけて食事をするボコイナンテ。

 エンナカムイを攻めた頃より、あれからずっと囚われているのだ。ハク様の言では、デコポンポの隠し財産を知り得る存在であるから、ということで処刑されることもなく生かされている。

 以前は、牢の中で体を鍛えたりして出る気満々であったのだが、デコポンポが敵の手によりこのような姿に変えられたことを見た結果、意気消沈してしまったようなのだ。

 

「にゃぶにゃぶ……」

「……エントゥア殿、これは何の素材でありますか?」

「そちらはシャッホロから取り寄せた──」

 

 ボコイナンテにとって、人間との会話はもはや私だけである。

 デコポンポは死ぬことはない。何をしてもである。食事すらとらずに、ずっと生き続けているのだ。まさに生き地獄、それを間近に見せ続けられるボコイナンテにとっては、恐ろしい拷問であろう。

 何度か牢の外に出て日の光を浴びる活動もあるが、常日頃ずっとデコポンポと一緒では、正気も保てないことは明白である。

 だからか、思わず聞いた。

 

「……なぜ、折れないのですか?」

「金の在り処でありますか?」

「……はい」

「……誇りであります」

「誇り……」

「オシュトルにも、ライコウにも決して屈さぬという誇り……デコポンポ様と誓ったのであります」

「……そうですか」

 

 二人にそのような友情があったのか。

 であれば、私にできることは何だろうか。

 

「……食べたいものはありますか?」

「何ですと?」

「教えてくだされば、少しは都合しますよ」

 

 ボコイナンテは目元に少し涙を堪え、暫く無言でした。

 しかしぽつりと震える声で食名を口にした。ウズールッシャ出身であるからか、それが何の食べ物かはわからなかったが、覚えた。ルルティエ様達に一度聞いてみるのがいいでしょう。

 

「では、後日の食事を楽しみにしていてください」

「……ありがとう、なのであります」

 

 綺麗に平らげた食器を回収し、牢から出た。

 城内から外を見れば、食事の終わった面々が楽しそうに紅白試合をしている。

 

 いつもならあるハク様の姿が見えないが、多分酒が残っているため自室で二度寝しているのでしょう。

 ルルティエ様にはああ言ったが、私もハク様とはお話したいのです。二日酔いに効く料理でも作って持って行くのが良いでしょうか。

 そう考えて、ふっと笑う。随分、女らしくなったものだ。でも──

 

「いいなあ。皆、ハク様に想いを伝えられて……」

 

 私は、傍観するもの。

 だって、元ウズールッシャの女ですもの。だから、表舞台に立ってはならない。

 女としての幸せを掴めと父に言われ、ハク様に少しばかり想いを寄せはしたけれど──周囲の女性たちのなんと綺麗なことか。

 身元も既にあやふやな私を娶る理由は、もはや無い。それどころか、このヤマトの将として大成するであろうハク将軍の嫁に、私のような女が傍にいては権謀術数に利用されてしまう。

 つまり、私は自信が無いのだ。だから、輝けない。影から支えると言って、ただ傍観するのみ。でも、それで良い。それで──

 

 そのような想いを抱え、明日もお役目のため私は目を覚ます。

 決して届かぬと諦めながらも、愛を込めて料理を作る。

 

 この日々が変わったのは、この先に訪れたある事件がきっかけであった。

 

 




エントゥア視点の回でした。
感想やメッセージで何度かエントゥアのことを熱望してくれていた方々の期待に応えられたかはわかりませんが、私のエントゥアのイメージはこんな感じの優しい女性です。満足頂ければ幸いです。

終盤は原作もシリアス多めであるからして、この作品もそれに引っ張られそうですが、こうやって息抜きに日常回を挟んでいけたらと思います。日常回の割にはちょっと重たかったかもしれませんが。
日常回の方があれこれ考えず筆も進んで楽しいので、勘弁してやってください。


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第三十一話 誘引するもの

 今、自分が抱える仕事は多い。

 過去振り返ってここまで忙しい日々は、オシュトルの影武者をした頃くらいだろうか。

 自分の頭を悩ませていることは、大きく三つ。

 

 まず一つは、イズルハについて。

 イズルハの情勢についてはトキフサを討ったことで一段落ついたが、未だ解決していないことは多い。

 元々八柱将におけるトキフサへの信の薄かったこともあり、イズルハの各氏族の兵を自軍へ取り込むことと、それによる他国の理解にそれほど時間がかからなかった。各氏族長とゲンホウが連携を取ることにより、ノスリも新八柱将のひとり──氏族をまとめる長として認められてきている。

 しかし、問題はその後である。氏族らは聖上やノスリの信を得ることはできたが、敵であった負い目もあるのだろう、逆に狂信的に過ぎたというか。少しでも多く、と氏族長はトキフサに預けていたよりも多数の兵や物資を提供してくれた。しかし、その質に問題があったのである。

 トキフサから隠すように非戦闘員として過ごしていた兵だけでなく、トキフサの元であっても碌に調練されていない者が多かった。イズルハの中でも練度の高い兵を軸に調練するといっても、あくまでも氏族としてのまとまりの域を出ないため、彼らをまとめて自軍の連携に組み込むことは並大抵ではない。

 彼らを篤く重用すると宣言した手前、死兵としても閑職としても扱うことができないため、来る決戦に向けていかに調練するかは課題なのだった。

 

 二つは、周辺国の同調について。

 現在オシュトル陣営に与している大国として、クジュウリ、ナコク、シャッホロ、イズルハの四国が挙げられる。それに吊られ周辺に連なっていた小国も真の聖上がどちらか──というよりはどちらが勝つか判断したのか、数多の兵と土産諸々を持ってこちらにつく国が出てきた。今後も増えていくだろう。

 彼らの思惑は判る。小国であるが故に、どちらにつくか判断を誤ればその瞬間に滅びを迎えてしまう。故に、敵であったイズルハすらも飲みこんだ慈悲深いオシュトル陣営であれば悪い待遇にはならないことを期待してきたのだ。

 勝利した暁には今後の俸禄をどう約束していくか、またこれもまたイズルハ軍と同様に既存の軍にどう組み込んでいくか悩みどころであった。

 

 そして三つ目である最後は、ライコウとの決戦について。

 現在、ヤマトの情勢はほぼ二分されていることを鑑みると、次なる戦は決戦となるだろう予想は十分に立つ。ライコウの大義を思えば、悪戯に民を害する長々とした戦乱や帝都での決戦は好まない、次で雌雄を決する筈だ。

 であれば、帝都とイズルハ国を境とする広々としたオムチャッコ平原で両軍は相見えるであろう。本来であれば、平原での正面切っての戦闘は数に勝るこちらが有利である。

 しかし、相手はあのライコウ。帝都にて虜囚の身となった際、ライコウの恐ろしさは嫌と言うほど知っている。通信兵を巧みに使い、その神懸った情報処理能力と判断力で己の予想を現実のものとする。何より怖いのは、事前に想定していることの幅広さと対応力である。ライコウには、いかなる奇襲も奇策も事前に想定されて動いている場合がある。

 八柱将ウォシス、奴とは急に耳を舐められること以外に交流はほぼ無かったが、自分に腹心の護衛をつけたことも含め隠密隊を指揮していた筈だ。彼の隠密隊による情報収集もライコウの事前予想の要となっていることは想像に難くない。

 そして仮面の者ミカヅチ、戦闘力は抜きんでておりその強さは未だヤマトに轟いている。多少の数の不利など関係ない。正しく一騎当千、それどころか真なる仮面の力を解放させれば奴だけで万を越える兵力と換算できるだろう。

 

 つまりライコウに勝つこと、それは──数に勝る条件で、相手に策を知られず、その策が相手にとって予想外であり、虎の子の通信兵にすら満足に指示を出せぬ程に動揺させ、その僅かな隙を突ける程の速度でライコウを討つ──ことが必要になる。

 

 仮面の者がいれば、多少の無理はひっくり返すことができる。しかし、オシュトルはこれ以上力を使えば塩となるだろうし、自分も暴走機関車みたいなものだ。暴走して自軍を壊滅させることを考えれば使えない。

 となれば、ライコウの切り札であるミカヅチを仮面の力も使わせずに釘付けにするための作戦も考えねばならない。

 

 ──おいおい、無理難題だろ。

 

 このように、ミカヅチ率いるライコウに決戦で勝つには、数多の壁を越えなければならない。遥か高みにあるように感じられるが、勝たねば明日は無いのだ。

 

 こんなん、オシュトルがもしあの時死んでいて自分一人でやることになっていたら、確実に疲労で頭が爆発するぞ。日常の処理に忙殺され、ライコウの策に十分に頭を巡らせることもできないまま決戦を迎えることになっていただろう。

 優秀な副官であるマロロやムネチカ、ネコネ、キウル等が各役割を分担しているとはいえ、繁忙期過ぎる。

 オシュトルはヴライとの戦いだけでなく、ミカヅチとの戦いでも、自分に後を託そうとしやがるが全くとんでもない。ほんと生きていてよかった。

 

「ま、このくらいでいいか……」

 

 一通り、イズルハや小国の俸禄管理、軍備管理等の提案書をいくつか作成した後、肩を回してコリを解す。

 

「お疲れ」

「肩をお揉みしますね」

 

 机に面と向かっていると、双子が甲斐甲斐しく世話をしてくれる。

 無くなっていた茶もいつの間にか注がれており、素直に彼女たちに感謝した。

 

「ありがとよ」

「布団も用意してる」

「一段落したら、横になってください。全身を按摩致します」

 

 それはいい提案だ。

 普段なら閨に入ろうとする二人だが、今は純粋に疲労を心配してのことだろう。

 ライコウの策についてもう少し考えを巡らせたところで、休ませてもらおうかと思っていたところだった。

 

「ハク様? いらっしゃいますか?」

「ん? ああ、エントゥアか、入ってくれ」

 

 控えめな声量で襖の先から声をかけてきたのはエントゥアであった。促すと襖が開けられ、静かに部屋へと入ってくる。

 ただ、双子が自分にしな垂れかかり、後ろに布団が用意されているのを見て何を想ったのか。溜息をついて眉を潜めるも、やがて表情を元に戻して要件を伝えてくれた。

 

「チキナロ様がお見えになっていますが、どういたしますか?」

「チキナロが?」

「ええ、定期販売だと」

 

 それは良い機会だ。

 チキナロには確認したいこともあった。トゥスクルの商人である彼は、ヤマトには無いものを多く扱っている。事前に発注していたもの以外にも、戦に役立てそうなものがあれば発想の手助けになる筈だ。

 

「なら、行くか。エントゥアはそれを伝えに来てくれたのか?」

「ええ、皆さん何か買っておられますから、ハク様もどうかと思いまして」

 

 それは、ありがたい気遣いであった。

 そういえば、仲間の中で気の利く女性って少ないんだよな。エントゥアのこういうところをもっと見習ってほしいものだ。

 そうやってウルゥルサラァナを見やると警戒するように自分に纏わりつく双子。エントゥアの目が冷えていく。

 ウルゥルもサラァナも気遣いできる女性なのに、こういう時はあえて空気を乱すよな。そういうところが無くなればいいんだが。

 外に出る身支度をして、エントゥアとウルゥル、サラァナを連れてチキナロの元へ急ぐ。

 

「お、あそこか」

 

 遠くから姿を見れば、皆というには数が少ない。

 大方売ったからだろうかほくほく顔のチキナロと、一つの瓶を手に取り悩むノスリの二名だけがいた。

 

「むむむむ……」

「もう他の皆さまは買われましたよ。ノスリ様はどうなさいますか?」

「……こ、これ、これを、ひ、ひひ、ひとつ……くれッ!」

「まいど! ありがとうございます! ハイ!」

 

 チキナロは揉み手を殊更に激しくして歓喜の声を上げる。

 ノスリが懐から銭の入った袋を手に取るが、随分重そうだ。何だ、またえらく高価なものを買ったのか。帝都で騙されたこと忘れているんだな。

 元手も無く賭け事でまたすっからかんにするのも忍びない。詐欺被害に合わぬよう声をかけることにした。

 

「おいおい、オウギに相談した方がいいんじゃないか? 何買ったんだよ、ノスリ」

「ハ、ハク!? い、いや何でもない! 何でもないぞ! つ、釣りはいらぬ!」

 

 チキナロに金銭の入った袋を渡した後、何やら色のついた小瓶を手に逃げるように去るノスリ。

 えらく頬が赤かったが何だったのだろうか。まあ、ノスリも年頃の娘だから、秘密にしたいことはあるか。

 

「これはこれは、いつも御贔屓ありがとうございます。ハク様」

「ああ、ネコネに商業許可は取ったか?」

「……勿論でございますです、ハイ!」

 

 怪しいが、まあいいか。こいつの性根みたいなものだ。

 これまで軍備から食糧から何から何まで世話になっている。多少は目を瞑ることは吝かではない。

 

「まあ、丁度良かった。以前頼んだもん、用意できそうか?」

「もちろんであります、今回実はそれをお届けに参った次第です、ハイ」

「おお! そりゃ良かった」

「物資として沢山ご用意させていただいております」

「今はどこにある?」

「キウル様に既に代金と引き換えにお渡し済みです。今は食糧庫に運んでいるところかと」

 

 流石、商人として手が早い。

 海を挟んだトゥスクルとの復路を考えても、最優先で用意してくれたのだろう。いくらか値引きしようと思っていたが、キウルが既に代金を払ったと言う。チキナロの厚意も鑑みてここは定価でいいことにしようか。

 

「助かった、礼を言う」

「イエイエ、しかし物好きなものですね。ヤマトの人には好みが分かれると思わるのですが……」

「まあ……あんまり詮索するな」

「なるほど、ええわかりました、ハイ」

 

 何かに思い至ったのか、腰低く頷くチキナロ。

 

「今日は他に何か持ってきたのか?」

「ええ、勿論ですとも。粗方皆様方が買っていかれましたが……まだまだあります、ハイ」

 

 広げられる目録や実物を見ながら何か利用できないか考えながら手に取る。

 いくつか手に取った後、何やら見覚えのあるような護符を見つけた。

 

「これは?」

「トゥスクルの一大宗派オンカミヤムカイの皇女──ウルトリィ様が手ずから御作りになられた幸運の御守りです、ハイ」

「へえ、何か知らんがご利益ありそうだな」

「ない」

「主様にウィツアルネミテアの加護など当てになりません。購入しない方がよろしいかと」

 

 双子が急に口を出してくる。ここまで二人が拒否感を持つのも珍しいな。なら、止めとくかと思ったが、ついてきたエントゥアが目に入る。

 そうだ、ここらで少し返礼するのもありか。

 

「一つくれ」

「まいど、ありがとうございます!」

「主様?」

 

 忠言を無視したのを見て、悲しそうな表情になる二人。待て待て、そうじゃない。

 チキナロに金銭を渡して御守りを貰う。

 

「ほい、エントゥアにやる」

「え……?」

「今まで皆の為に色々裏から駆けまわってくれていたからな……そういえば礼をしてなかった。見合った幸運が生まれるように、持っとけ」

「あ……」

 

 戸惑うエントゥアの手に御守りを持たせる。

 双子の言では、自分には加護は無いらしいが、他の人やエントゥアにはあるだろう。トゥスクルでは一大勢力らしいし、その中でもウルトリィ様はやんごとなきお方のようだしな。

 そう思って渡したのだが、エントゥアは何やら口をぱくぱくと閉口させていた。二の句が継げないようだ。エントゥアももしかしたら宗派などあったかもしれない、であればいらぬ気遣いにも思ったので、聞いた。

 

「どうした? いらなかったか?」

「い、いえ……ありがとうございます。ハク様」

 

 ぎゅっと胸元で御守りを握り締めるエントゥア。

 浮かぶ笑みを見ても、純粋に喜んでくれたようだ。エントゥアは、愚痴も言わずによくこんな勢力についてきてくれているもんだ。もっと感謝しないとな。

 

「……」

 

 双子の視線が冷えていく。恐ろしい。

 勿論、お前達にも返しきれない恩はある。感謝しているさ。

 

「二人は何がいい? 今なら何でもあげるぞ」

 

 クオンも最近の頑張りを認めてお小遣い増やしてくれているからな。

 多少は高いもんでもいいと思っていたのだが、二人の答えは予想外であった。

 

「子種」

「今すぐ布団に参りましょう。主様」

「いや、そういうのじゃなく」

 

 ぐいぐいと両腕を二人して引っ張るが、力が尋常でない。珍しく少し怒っているようだ。

 まあ、目の前で他の女性に贈答していたら腹も立つか。

 

「すまん、チキナロ。また何か戦略物資になりそうなもんがあったら教えてくれー!」

「了解しました、次の販売では持ってこさせていただきますです! ハイ」

 

 にこやかに返すチキナロと、未だ呆然とするエントゥアを置いて、部屋に帰った。

 勿論、子種はやらなかったが、彼女たちの気の済むまで按摩を受けるのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ノスリは決意した。

 オウギを部屋に呼び、一つの瓶を間に挟んで重大な話をするかのごとく重々し気に対面する。

 

「……オウギ、良いな。お前が鍵なのだ」

「はい、姉上。ついに父上の策を実行するのですね」

「ああ……ここ、こういったことは、後になればなるほど不利だ。いい女として、やはり……さ、先駆けは重要だ」

「流石は姉上。その戦場に赴くが如く決意、真感服いたします」

 

 オウギの笑みは絶えない。

 姉の貞操の危機であるが、相手がハクであればとも思っているのかもしれない。オウギもまたハクのことは一目置いている、というよりも尊敬している相手といってもよい間柄である。

 オウギを幼き頃より見てきたことからも、ハクに対する忠臣ぶりは群を抜いていると思う。揶揄するような素振りも見せるが、それは真に心を許しているからとも言える。身内以外に心を許せる相手を見つけたことは、父上だけでなく私としても驚きであった。

 故にこうして協力的でもあるのだろうが、威厳のある姉としてこういったことを弟に頼るのは恥ずかしいことでもあった。しかし、私自身恋愛事に経験は無い。身内とはいえ頼る他ないのだ。

 

「オウギ、まずはお前が……」

「ええ、僕がハクさんを散歩に誘えばよろしいのですね」

 

 作戦はこうである。

 オウギとハクが裏の森で散歩している最中に大猪に襲われる。今の時期は猪も活発であるからして、追い回せば狙った場所に現れてくれるだろう。

 逃げ惑うハクとオウギの前に颯爽と現れ、矢を浴びせる私。見事大猪を討ち取り、ハクに惚れられるという顛末である。

 

「地図で言えば、ここだ。ここまでハクを連れてくるのだ」

「わかりました。姉上の為ですからね、必ず連れていきますよ」

 

 エヴェンクルガは武を尊ぶ存在である。つまり強い。強いものに惚れるのは世の常である。

 前回あれだけ頼りになるところを見せたハクである。私の頼れるところも見て惚れてもらうという作戦なのだ。

 そして、それの補助となるのが、チキナロから購入したこの瓶──香水である。

 

「これは?」

「昨日チキナロから買った、精神を高揚させる香水だそうだ……これを身につければ異性を誘惑しときめかせるというのだ。これを事前に振りかけておけば、ハクも私に惚れやすくなるだろう!」

「なるほど」

 

 きらきらした見慣れぬ内容物の入った瓶を手に取り、しげしげと眺めるオウギ。

 オウギは中身を少し指に垂らし、中身の成分を確かめるように舐めとる。表情を一瞬顰めるも、安心したように息をついた。

 

「毒では無いようですね……効果の程は確かなのですか?」

「む……わからん」

「そうですか、まあ……物は試しといいますからね」

 

 オウギの許可は得た。

 父上から教えられた必殺の台詞もある。後は決戦の時を待つだけである。

 

「よし……待っていろハク! 我が弓で必ず貴様を射止めてみせる!」

 

 ぐっと握り拳を作って立ちあがり、高らかに宣言するのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 提案書についてネコネからいくつか小言をもらい、その修正に当たっていたところだった。

 自分の部屋にオウギがついと入ってくると、ある提案をされた。

 

「あん? 裏の森の視察?」

「ええ、最近我が国の草も優秀ですから……必要ないかとも思いますが」

「なら、いいじゃないか」

 

 今は正直忙しい。ネコネ含め仕事の出来を監視する目も多いことから、余計な仕事は持ちたくないのが本音であった。

 

「以前よりは水際で抑えられていますが……ただ、朝廷の草の拠点が裏の森にあることも多く、定期的に見回っているのですよ」

「だとしても、自分じゃなくていいだろ」

「ふふ……まあ、ハクさんも籠りきりで体が鈍っているでしょう? 視察を理由に少し休んではどうですか?」

「……オウギ、お前いい奴だな」

 

 どうやらオウギの気遣いだったようだ。であれば、乗るのは吝かではない。

 

「まあ、姉上の仕事もいくつか肩代わりしていただいている手前、お礼といったところですね」

「そうか。まあ……お前がノスリの仕事をしてくれたら一番楽なんだが」

「まさか、僕に姉上の代わりができるなんて思っていませんよ」

 

 これだ。

 前は冗談で言っているのかと思っていたが、最近は真面目にそう考えているような気もしてきた。この状態のオウギにはいくら言っても暖簾に腕押し状態なので早々に諦める。

 

「じゃ、行くか」

 

 ま、たまには堂々とさぼるのもいいかと身支度を始めると、オウギの笑みは深くなる。

 何だ、と聞くもすまし顔に戻るオウギであった。何か企んでいるのかもしれないとも思ったが、オウギはいつも企んで面白がっているような素振りをするからな。あまり気にしないのが吉か。

 

 オウギと二人、並んでエンナカムイの裏の森まで歩く。

 そういえば、二人で並んで歩くのは久々かもしれない。あまり二人きりになったこともない相手だが、不思議と気まずいことはない。気の知れた友人のように和やかな無言のまま二人歩く。

 暫くエンナカムイ内の道を歩いていると、見覚えのある者達に声をかけられる。

 

「これはこれは、ハクさん! お散歩ですか?」

「ああ、女将さん。そんなとこだ」

「おっ、ハクさん! またウチに飲みに来てよ!」

「ああ、最近忙しくてな。また行くよ」

「あー! ハク兄ちゃんだ! おーい!」

「おー、元気してるか」

 

 道行くエンナカムイの民に言葉を返したり、手を振り返したりしながら歩く。

 暫くそうして歩いていると、オウギはいつもの笑みを浮かべたまま声をかけてきた。

 

「人気者ですね」

「ん? そうか?」

「ええ……人気度でいえば、もはやオシュトルさんと二分されているのではないですか?」

「おいおい、そりゃ無いだろ」

 

 英雄オシュトルが道を通れば、民の女性たちは皆瞳を輝かせるからな。爺さんが急に平伏したり、子ども達も強い憧れの視線を向けていたりするものだ。

 それに比べれば自分への態度のなんと気安いこと。

 

「自分なんか、近所のおっちゃんみたいな扱いだぞ」

「そんなことないでしょう。慕われているのですよ」

「そうかね」

「ええ」

 

 それなら気分もいいが。

 オシュトルにツケといてと言えばタダ飯が食えるし、行けばいつも歓待されるのでよく行くためか、エンナカムイの飲食店は代替網羅してある。故にこうして声をかけられているだけだと思うのだが。

 

「……そういえば、ノスリも金を惜しまない飲みっぷりが皆に人気だぞ?」

「姉上がですか?」

「ああ、自分に賭け事で勝った時は、さっきの女将さんの店で客の皆に奢るからな。客も女将さんもノスリが来れば大喜びさ」

 

 元を辿れば自分の金であるが、宵越しの金は持たずにここぞという場面で大盤振る舞いするノスリには好感が持てる。

 オウギは苦笑するように言葉を呈した。

 

「それは……ただの金蔓では」

「いやいや、それを除いても狩りの肉を提供しているしエンナカムイの店の連中はノスリに結構感謝してるぞ」

 

 定期的に狩りはしているようだし、ノスリが討つのはいつも大物。他国からの物資は兵糧に回されがちで食糧の少ない民にとっては英雄みたいなものだ。

 今やイズルハ皇、八柱将として名目が立ったノスリであるが、そういったところは変わらず民に慕われていると言っていいだろう。

 

「そうですか、姉上が……」

「ああ。弓兵部隊からも妙に人気があるし……弟として誇らしいんじゃないか?」

「え?」

「ずっと、皆に認められて欲しいと思ってたんだろ?」

「……そうですね。姉上は素晴らしいお人ですから」

 

 オウギはいつもより殊更に笑みを深くして、噛み締めるように返事をした。

 小さなノスリ旅団から随分遠くまで来た。これまでのことを思い出したりしているのかもしれない。

 

「であれば、なおさらハクさんには感謝ですね」

「ん?」

「僕達がここにいられるのは、ハクさんのお蔭でもありますから」

「ほー、そういうなら今度はお前に女将さんの店、奢ってもらおうかな」

「ええ、構いませんよ」

 

 お、そりゃいい。女将さんの店はエンナカムイでも旨くて高い方だからな。

 昔よりも物流が増したことで御品書きは十枚を達成したから、種類も豊富だし。楽しみだ。

 

 そうやって話しながらエンナカムイの門を抜け、かつて皆で狩りをした裏の森に足を踏み入れる。

 相変わらず木々は鬱蒼と茂っているが、前よりは整備されて街道のようなものもできている。前はほぼ獣道だったからな。

 

「ここか?」

「いえ……もう少し先ですね」

 

 周囲を見れば、確かに刺客が隠れられそうな場所は多い。

 崖上であることからも、望遠鏡等でここからエンナカムイを監視することもできるかもしれない。隠密隊としての職務はオウギに譲って久しいが、随分守ってくれていたようだ。

 

 まあ、定期的に見回っているという話であるし、あまり警戒せずとも安全だろうが。

 そう思っていた矢先であった。

 

「クケ────ッ!!」

 

 遠方より、人のものとは思えぬ盛大な叫び声が響いてきた。

 視界は木々に阻まれ、その正体はわからないが明らかにやばいものだとわかる。

 

「こ、この声は……エヴェンクルガ族の元にしか滅多に現れないという伝承の禍日神!?」

「な、何だと!?」

 

 そういえば、クオンから聞いたことがある。

 人に害を成す禍日神の中でも、エヴェンクルガ族の近辺に現れる特徴的な声をした怪物がいると。トゥスクルでしか現存してないと聞いていた筈が、遥か遠方であるエンナカムイに現れるなんて。

 

「どうする? 逃げるか?」

「ええ、しかし……被害を考えると」

「そ、そうだな……なら正体だけでも確認して撤退するか」

「それがいいでしょうね」

 

 逃げてもエンナカムイまで被害が及べば厄介なことになる。

 木々が盛大に倒れる音、そして奇妙な叫び声が響き渡る森の中で、音のする方へと二人して慎重に近づいていく。

 すると、その正体は意外な人物であった。

 

「おい、あれ……」

「姉上……ですね」

 

 ノスリは涙を流し絶叫しながら、数多の獣たちに追われていた。

 身の丈を越える大猪だけではない。腕ほどもあるくちばしを持つ大鷲、木を易々とへし折る大蛇、ボロギギリほどではないが大きな甲殻蟲など、この近辺の主とも言える生物が軒並みノスリの後をついて行く。

 尋常でない様子に思わず助けに入ることもできないまま、オウギと二人その光景を眺めた。

 

「……ハクさん」

「……ノスリのことは諦めよう」

「ハクさん!?」

 

 だって、勝てないだろう、あれは。

 何の誘引剤を使ったのかは知らないが、かつて皆で狩りにいった時よりも狂暴で獰猛な獣たちに見える。

 エンナカムイに急ぎ帰り、討伐隊を組むのが最も良い方法である。と冗談を言っている場合ではないとオウギは焦って声を出す。

 

「しかし姉上が……!」

「わかっているさ、助けに入るが……どうすりゃいいか」

 

 罠でも仕掛けるかと、どう助けるか思案に入っていたところだった。そこで、追われているノスリは隠れているこちらに気付いたのだろう。

 恐怖の表情を、安心したように満面の笑みに変え、自分達の元へ全速力で駆けてきた。

 

「ハク! オウギ! たす、助けてくれっ!」

「や、やめろ! こっちに来るな!」

 

 必死の制止もノスリには意味がなかった。

 思わず反転して森の中を駆ける。そうすると、獣に追われるノスリ、ノスリに追われる自分とオウギという形になるわけで。

 ノスリの脚力は味方の中でも群を抜く。次第に距離を詰められるが追いつかれれば死あるのみである。

 

「ハクさん、覚悟を決めましょう!」

「今は鉄扇しか持ってないぞ! どう戦うんだって!」

「三人で連携すれば勝てるぞ、ハク!」

「罠も無いのに勝てるか!」

 

 三人で言い合いをしながら、全速力で逃げ回る。もはや獣が諦めるまで走るしか方法は無い。

 仮面の力を使えば倒せるだろうが、こんなことで使うのも馬鹿馬鹿しい。そう思って走っているところだった。

 

 ぱっと木々の間が途切れた時、目の前には水深腰丈程の小さな川。

 オウギは軽やかに飛び越えることができたが、疲労の濃い自分とノスリは思わずその川に頭から飛び込んでしまう。

 まずい、こんな隙だらけのところを見せてしまったら──と水を吸った服の重みも気にせず川から急いで顔を上げると、獣たちは先ほどまでの獰猛さはどこへいったのか。

 暫くきょとんと周囲を見回した後、各々が元来た道を戻るように森の中へと消えていった。

 

「た、助かった……?」

「ええ、そう……みたいですね」

「よ、良かった……もう駄目かと」

 

 ノスリと顔を見合し、川の中でお互いの無事を喜んでつい抱きしめ合う。

 オウギは、おいおいと泣き崩れるノスリに苦笑しながら、その光景を見ていた。

 

「一応、被害の出ないように部隊を動かすよう伝えてきますね」

「ああ、頼んだ」

 

 オウギがすっと姿を消してエンナカムイの元へ急ぐ。後は任せておけば討伐隊を編成してくれるだろう。

 しかし、そもそもなぜノスリがここにいるのだろうか。未だ自分に抱き付いてえぐえぐと泣き続けるノスリに声をかけた。

 

「今回の狩りは随分無茶したようだな?」

「えぐ……む?」

「ん?」

「──な、なあっ!」

 

 急にどんと胸を叩かれ、再び川に後頭部から落ちる。

 互いに抱きしめ合っていたのに気付いて恥ずかしかったのだろうか、それにしてもいきなり突き飛ばすこと無いだろ。

 

「げほっ、何すんだ」

「す、すまん。顔が近くて思わず……」

 

 照れたように目線を背けながら手を差しだして自分を川から引き上げるノスリ。

 互いに服は水を吸いきっていて、べたりと肌に密着している。ノスリの豊満な姿もぴっちりと服が張り付いており、見てはならないものだと思わず目線を逸らした。

 

「で、どうしてこんなところにいるんだ?」

「む……そ、それはだな」

「それは?」

「か、狩りだ」

「ただの狩りがあんなことになるか。なんかいつもと違うことをしただろ」

「いつもと違う……」

 

 ノスリははっと懐にある何かを探った後、気まずそうな表情となる。

 追求するような口ぶりで聞く。

 

「……おい、なんか心当たりがあるのか?」

「……ひゅーひゅー」

 

 吹けない口笛を殊更に強調するノスリ。

 まあいい。こうして互いに無事だったんだ。これに懲りて同じ事は繰り返さんだろう。

 ちょっとした一休みのつもりが、多大な疲労感を齎した一日になってしまったな。

 

「まあいい、帰るぞ」

「ああ……ッ痛」

「? どうした」

 

 ノスリの痛がる足元を見れば、足首が少し腫れている。川に落ちた拍子にどこか捻ったみたいだ。

 

「すまん、捻ったみたいだ」

「……仕方がないな。ほら、負ぶってやるから」

「な、なに?」

 

 背を向けて、おんぶする形を取る。

 ノスリは戸惑っているが、いつまた獣が戻ってくるとも限らない。早々にお暇するにはこの方法しかないのだ。

 いくつか抗議していたノスリだったが、暫くすると渋々と言ったように背に乗った。どっかりとノスリらしい胸の感触が伝わるが、あまり意識すると失礼だ。ノスリも珍しく恥ずかしがっているので、あまり気にしないようにする。

 

「お、重くないか?」

「重い」

「おい! 失礼だぞ」

「はは、悪い悪い」

「ったく……」

 

 森の中をおんぶして歩く。

 重いとは言ったものの、実はそこまで重量は感じていない。女らしく軽いものだ。

 暫く無言であったが、ノスリが耐えきれないといったように言葉を漏らした。

 

「な、なあ……」

「ん?」

「お前は、私の事をどう思っているのだ?」

「何だそりゃ」

 

 どういう意図なのかはよくわからない。

 聞いてもノスリは黙っているので、真剣に聞いているのかもしれない。

 まあ、最近忙しくて二人話すことも仕事のことばかりだった。前みたいに飲んだり賭けたりするのが恋しいのは確かだ。その気持ちを伝えることにする。

 

「お互い忙しいとはいえ、最近付き合い悪いなと思っているな」

「な……そ、そんなことはない、ぞ?」

「そうか? 自分を見たら逃げるじゃないか」

「そ、それは、そうではないのだ。お前が嫌とかでは無くてでな……」

 

 焦ったように動くノスリ。あまり動かれると背負いにくいからやめてほしいのだが。

 とにかく、逃げていると考えていたのは誤解だったようだ。

 

「……まあ、何か悩んでいるってことか」

「そ、そういうことだ!」

「そうか……ま、何で悩んでいるか知らんが、焦らなくていいだろ」

「……焦っているように見えるか?」

「ああ」

 

 最近、何かにつけてせかせかしているような気はしていた。

 イズルハの件もあるだろうが、前のように堂々としているノスリの方が、こちらとしては安心するのだ。それは間違いなく本心だった。

 

「酒でも飲んで、どっしり構えているのがノスリらしいしな」

「そ、それは女らしくないだろう」

「何だ、女らしさで悩んでんのか?」

「む……何だとは何だ、これでもぶつぶつ……」

 

 女らしさか。それでいつもと違う香水をつけているのか。

 水で流されてもう薄い香りしかしないが、精一杯努力しているのだろう。

 

「お前はポンコツな時もあるが、十分いい女さ。自分が保証する」

「んな!? は、は、ハク、それは……」

「エンナカムイの女将さんも、ノスリが店に来たときは喜んでるしな」

「……」

 

 照れたように暴れるノスリだったが、二言目を聞くと一転押し黙ってしまう。

 

「ハク……お前は狡いぞ」

「ん? 何がだよ」

「そういうところだ……全く」

 

 そう言って、ノスリは自分の背中に体重を預けた。

 今までは照れて仰け反っていたから余計に負荷がかかっていたが、この体勢だとおんぶも楽だ。

 

「ま、あんまり気にすんな。ノスリの良いところは自分がよく知っているさ」

「何だ、私の良いところっていうのは」

「ん、まあ、後でオウギに聞きな」

 

 にやにやしながら答えてくれるだろうよ。先程オウギと二人で話したことをな。

 

 ノスリは何だそれはとぶつぶつ文句を言っていたが、自分は久々に素直なノスリと話せて気分が良かった。

 夕闇が支配する森の中で、ノスリに見えないよう微笑んでいたのだった。

 



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第三十二話 別つもの

 明朝、自分はオシュトルの執務室にてオムチャッコ平原決戦案について相談していたところだった。

 朝の静かな空気に似合わぬ大きな足音が響き、勢いよく襖が開け放たれた。

 

「──で、伝令! 兄上はいらっしゃいますか!?」

「どうした、キウル」

「ああ、兄上! ハクさんもいらしたのですね! 伝令です!」

 

 かなりの焦りの表情で駆けこんできたキウル。

 その伝令の内容に、驚きを隠すことができなかった。

 

「ウズールッシャからの、使者……だと?」

 

 ウズールッシャが何故今になってここに来る。

 以前、ヤクトワルトの兄であるヤムマキリが祖国レタルモシリ平定を目的として交渉に来たことがあったが、それは前回追い返したことで済んだ。以後、ヤムマキリは約束を守ったようでウズールッシャの兵はこちらに来ることは無かった筈だ。

 

「して、誰に面会を求めていると?」

「元ウズールッシャ千人長ゼグニの娘と会いたい……と」

「何? ウズールッシャのゼグニ……だと」

 

 ゼグニの娘──エントゥア、か。

 

 ここに来て、エントゥアが鍵となるとは。

 以前ヤムマキリを追い返した際は、自分とキウル、そしてヤクトワルト、オウギ、エントゥアがその場で立ち合っており、オシュトルには簡易的な事後報告しかしていない。謁見の間には自分も同席した方が良いだろう。

 エントゥア、それにウズールッシャに縁があるヤクトワルトを呼ぶようキウルに伝え、謁見の間に急いだ。

 

 道すがら、オシュトルは考え込むように自分に聞いてきた。

 

「ハク、何故今エントゥア殿が……」

「わからん、とりあえず聞いてみないとな」

 

 エントゥアが元ウズールッシャであることは皆知り得ていることではあるが、エントゥアがゼグニの娘であることは、自分の他にはオシュトル、オウギ、ヤクトワルト、キウルしか預かり知らぬことである。

 

 オシュトルが何故知っているのか。

 それは、かつてのウズールッシャ皇グンドゥルアを追討していたオシュトルは、道を阻んだ一人の戦士を討ったと言う。その戦士こそが、エントゥアの父ゼグニ。オシュトルによって一騎打ちのもと討ち死にしたとのことだ。

 ゼグニを討った後エントゥアとも一度刃を交えたことがあるらしく、その辺りのことは詳しくは聞いていない。

 ただ、父の仇でありながらも帝都で囚われの身となっていたオシュトルを救ったことや、現在聖上に仕えてくれていることに関して、エントゥアには深く礼を言ったとのことである。

 

「某を仇としていたエントゥア殿はもはやいない。今は皆にとって無くてはならぬ存在である。何とか穏便に済めば良いが……」

「そうだな……それも、向こう次第か」

 

 エントゥアは皆の雑用に動くことが多かった。

 お茶汲み始め、書類整理、伝令、捕虜管理等々多岐に渡る業務をこなしてくれていた。雑用係と言えば聞こえは悪いが、この戦乱において重鎮達を繋ぐ雑用係は信頼できない者に任せられることではない。

 そして、生命線である重鎮達の食事等をルルティエと共に任せていることからも、オシュトルがいかにエントゥアを信用し、重用しているかはわかる。

 かつての仇としての付き合いから、共に立つ仲間としての存在へと変わったこともあり、オシュトルが穏便に済ませたい気持ちはよくよく伝わってきた。

 

「ま、心配すんな、オシュトル。ウズールッシャは今のエンナカムイならそう大した相手じゃ無いだろ?」

「うむ……そうであるな」

 

 エントゥア、そしてシノノンはヤムマキリとの約束により死んだことになっている筈である。しかし、こうして使者として参り、名指しで指名したと言うことは、生きていることが漏れた、もしくはヤムマキリが約束を破ったと言えるだろう。

 であれば、下手に隠し立てすれば危害が及ぶ可能性もある。もしエントゥアを利用しようとしての来訪であるとすれば、以前よりも強国となったエンナカムイである今ならばヤムマキリの時のような対応をせずとも良いかもしれない。強硬に出たとしてもウズールッシャの刺客程度追い返せる。

 

 ──そう、決してエントゥアやシノノンを再び利用させることはさせない。

 

 謁見の間に到着すれば、既に御前イワラジが使者と相対していた。

 謁見の間に、オシュトル、皇女さん、その側付としてムネチカ、また参謀としてマロロ、ネコネ、キウルが揃い、ヤクトワルトが護衛と補助を名目に参加、最後にエントゥアが息を切らせて入廷してきた。

 

「す、すいません……」

「いや、エントゥア殿。急に呼び出したのはこちらである。まずはこちらへ」

 

 エントゥアは謁見の間に集う面子に目を丸くした後、ウズールッシャの使者達に目を向け表情をさらに驚愕に歪めた。

 

「おお、壮健で何よりです。エントゥア殿……!」

「……お久しぶりですね」

 

 やはり、知り合いだったのか。

 ウズールッシャからの使者は四人。その全てが歴戦の戦士然としており、また数多の戦いを潜り抜けてきたような傷痕があった。

 しかしとて刺客の可能性もある。エントゥアを自分の傍に置いて、オシュトルは話を始めた。

 

「まずは、使者殿。遠方より我がエンナカムイに来ていただいたところ申し訳ありませぬが──此度ここに来た理由をお聞かせ願いたい」

「は、我らはウズールッシャの民、その一部族の長であります」

 

 かつてヤムマキリが所属していたのはレタルモシリだったか。

 目の前の四人が口々に言う部族の名は聞いたことは無かったが、ヤクトワルトとエントゥアはピンと来たらしい。

 

「ウズールッシャの中でも、レタルモシリより大きい豪族共じゃない」

「そうなのか」

「……」

 

 解説してくれるヤクトワルトと、気まずそうに黙っているエントゥア。

 使者は構わず話を続けた。

 

「現在、ウズールッシャの情勢は知っておられますか?」

「いや、グンドゥルア亡き後、混乱期にあるという以外は知らぬ」

「……オシュトル殿が申す通り、正しくウズールッシャは混乱期にあります」

 

 それは変わっていないようだ。

 であれば、何故エントゥアと会いたいと言ったのだろうか。

 

「しかし、その混乱期において一つの部族を元に大きく纏まろうとする動きがあります」

「それは?」

「レタルモシリ長、ヤムマキリであります」

「……そういうことか」

 

 ヤクトワルトは苦々し気に言葉を吐き捨てた。

 ヤムマキリはヤクトワルトの兄だった人物であり、目的のためには手段を選ばない冷酷な奴だったと記憶している。

 ただ、彼によってウズールッシャが纏まることの何が悪いのだろう。

 

「まとまるのはいいことじゃないか? 長く混乱期にあれば民を悪戯に害するだけだろう」

「……それは、ヤマトの情勢にあっても同じことを言えますかな?」

 

 なるほど。

 この二分されたヤマトを、仲良くライコウと握手してまとめることができるか、ってことか。そう思えば確かに無茶な話だ。

 つまりは、ヤムマキリにまとめられるのが納得いかない、って連中がここに来たと言うことだな。

 

 であれば、彼らもエントゥアやヤクトワルトの名を利用しに来たのだろうか。もしそうなら早めに断っておかなければと思い、皇女さんを利用して先手を打つことにした。

 

「エントゥア、ヤクトワルトはもはや聖上の信篤い忠臣だ。そうだろ? 皇女さん」

「そうなのじゃ! エントゥアもヤクトワルトも余のためにこれまで多大な功績を残しておる。ウズールッシャのために動くことはできぬのじゃ」

「……この話は、私達ウズールッシャだけの問題ではないのです」

「? どういうことだ」

「ヤムマキリは、レタルモシリだけでなくウズールッシャを強引にまとめるため、現朝廷に与するライコウと手を結んだのです」

「!! おいおい、そりゃ……」

 

 大問題である。

 イズルハ侵攻の際、妙に上手く行き過ぎたきらいはあった。警戒していたライコウの邪魔が無かったのである。それは、この布石を打つためのものであったと今更ながらに気付いた。

 一同も、その事実に驚愕している。

 

「……手を結ぶ、とは具体的には如何様なことであるか?」

「ヤムマキリは、以前よりヤマト侵攻には反対の姿勢を取っていた者であります。故に、ウズールッシャはヤマトに永遠に侵攻しない協定を結びました。つまり──属国となることを誓ったのです」

「属国……」

「属国と言えばまだ聞こえは良いですが、実態はただの隷従であります。国力の差は歴然、対等な交渉すらできません」

 

 まあ、そりゃそうだろうな。

 以前の戦でこてんぱんにやられたウズールッシャである。対等な協定など結べるはずも無い。しかし、それではなぜ協定を結んだのだろうか。

 

「ヤムマキリは、今のこの混乱期さえどうにかなれば良いと思っているのです。ヤマトの武具と金子を用いてウズールッシャの国を強引に纏めたのち、協定など捨てればいいと浅慮しておるのです」

「ま、奴の考えそうなことじゃない」

 

 ライコウはそれを許すことはないだろう。

 行われるのは一方的な協定無視を口実にした侵攻。ウズールッシャは今度こそ滅ぶことになる。しかし、たとえ協定を守ったとしても永遠にウズールッシャの芽が出ることは無い。

 この目の前の使者達は、その崩壊を食い止めるために来たのだ。

 

「しかし、そのヤムマキリ殿、といったか。その程度のこと気づきそうなものであるが」

「オシュトルの旦那、ヤムマキリは長でありながらレタルモシリという小さな部族としての考えしかもっていないんじゃない。故に、国同士のやりとりが頭にない」

「その通りであります。流石、陽炎のヤクトワルト様でありますな」

「……」

 

 面白くなさそうに沈黙するヤクトワルト。

 シノノン人質を理由にウズールッシャ軍でいいように使われていた手前、褒められても皮肉にしか感じないのはわかる。

 

「そんで、その協定を結ぶことによってどういう懸念が生まれるんだ?」

「ヤムマキリはヤマトの後ろ盾を得て急ぎウズールッシャを纏めた後、オシュトル陣営の後背を討つ策を講じる御積りです」

「……そりゃ、まずいな」

 

 来るべき決戦はオムチャッコ平原。

 ウズールッシャから立地的にも近い。ライコウとの決戦だけでなく、ライコウの指示に従って動くウズールッシャからの草や奇襲に脅えながら戦うことは現実的ではない。何らかの策を弄するほかないだろう。

 また仕事が増えるなと肩を重くしていると、使者達は本題に入るように姿勢を正した。

 

「故に、ヤマトの正当なる後継者である聖上、その総大将であらせられるオシュトル殿に問います」

「む……」

「我らはヤムマキリの野望を打ち砕くよう動きます。双方に利があると見て、亡きゼグニ様の娘であらせられるエントゥア殿を──今暫く我らに御貸し願えませんでしょうか?」

 

 エントゥアが怯えるように身を竦ませる。

 やはり、これが彼らの本題であったか。オシュトルは苦言を呈するように聞いた。

 

「……その心は?」

「我らは大きな部族の長といえども、代替わりしたばかりの者達であります。我らが元長は力もありましたが……グンドゥルアの元で戦死、もしくはヤムマキリに討たれてしまいました。我らだけでは実行力はヤムマキリに遠く及びません」

「それと、何故エントゥア殿が結びつくのだ」

「千人長……それはウズールッシャにおける戦士の中の戦士として認められた者のみに与えられる、将官における最高階級なのです。かつてのゼグニ様は千人長の役職だけでなく、数多の豪族を纏め、慕われ、気性の激しいグンドゥルアに唯一意見でき、その元で多くの兵をその武で救って来た漢であります」

 

 エントゥアの父って、随分買われているんだな。

 まあ、オシュトルと斬り合いしたところを含め、やはり凄腕の戦士だったのだろう。

 しかし、エントゥアが何故それでついていくことになるのだ。聞こうとすると、先に口に出したのはヤクトワルトだった。

 

「……それは親父の話だろ? エントゥアの嬢ちゃんには関係ないんじゃない?」

「いえ、亡きゼグニ様の娘、それだけで旗印となって集う者は多いのです……ゼグニ様は真にウズールッシャを憂い動いていた漢でもありました。我らは藁にも縋る思いでここまで来たのです」

 

 見れば、服の端には血や焼け焦げた痕も見えた。

 もしや、ここまで来るのに少なくない犠牲を払ってきたのかもしれない。そう思えば、ただ返すのも忍びないが、エントゥアを差しだすことだけは避けねばならない。

 

「しかしだな……」

「ええい、まどろっこしい! エントゥア様! 我らはあなたに聞きたいのです!」

 

 使者の一番後ろに座していた者が動いた。代表して話していた者を押しのけ、猛然と立ちあがりそう言う。

 ウズールッシャ特有の装具のため口元は隠れているが、声質から血気盛んな若者のようだ。

 

「祖国のためなのです! 我らと共に来てはいただけませんか!」

「し、しかし……」

「まさか、ここに残るなどと言うまいな! 彼はゼグニ様を討った敵ではないですか!?」

「……っ」

 

 オシュトルが目を剥いて絶句する。

 それを何故知り得ているのかは知らないが、ゼグニは英雄だったことからも誰かが伝え聞いたのだろう。ウズールッシャ内では有名な話なのかもしれない。

 エントゥアは声を震わせながらも、オシュトルのことについてだけは否定した。

 

「……今はオシュトル様に怨恨などありません。今の私にあるのは生かされた恩義のみです」

「……っ、しかし、隷従されるウズールッシャの民を思えば! 民を奴隷として定期的に供給する案すら出ているのですぞ! 貴女が旗印となるべきなのです。どうかご再考を!」

「やめないか!」

 

 他の使者が強引に取り押さえ、申し訳ないと深々頭を下げる。

 ウズールッシャの情勢は思った以上に困難なようだな。であればできることは何だろうか。この場では決め辛い。

 場の混乱を収めるように、オシュトルが言葉を発した。

 

「ウズールッシャの使者達よ。何分、急な話である。遠方より態々御出で疲労もありますれば……客間を用意してある故、ゆっくり休んでいただきたい」

「し、しかし……」

「エントゥア殿にも考える時間が必要である。情勢を思えば死出の旅となることもある。返答はまた後日にしていただきたく存じまする」

 

 そうだな。それが一番いいだろう。時間があれば妙案も浮かぶはずだ。

 しかし、使者の顔色は芳しくなかった。

 

「我らも虐げられる弱き豪族達の願いを負ってここまで来ているのです。無理なら無理で、早急に帰らねばなりません。今夜までに決めて頂きたい」

「ふむ……了解した。キウル、客人の案内を頼む」

「はい、兄上」

 

 キウルの先行で、使者達はぞろぞろと謁見の間を後にしていく。その足取りは重い。

 彼らは一刻も早く祖国へ帰らなければならないと考える程には切迫しているのだろう。

 

 ──さて、どうするべきか。

 

 謁見の間には案内中のキウルを除いた面子が揃う。

 皇女さんは難しい表情で口を結び、ムネチカもまた眉を潜めて考えている。ネコネやマロロ、ヤクトワルトも黙って何事か思案している。エントゥアは、皆の態度を見て申し訳なさそうに体を縮こまらせていた。

 オシュトルが一同を眺めた後、苦々し気に問うた。

 

「どうするべきだ、ハク」

「そうだな……とりあえず、エントゥアを差しだすのは却下だ」

「当然なのです」

「しかし、どうするのでおじゃ?」

 

 憤然と肯定するネコネと、しかし使者にどう伝えるべきか迷うマロロに、先ほどまで考えていたことを伝えた。

 

「ウズールッシャの情勢を安定させるまではいかなくとも──ヤムマキリの邪魔さえ無くせればいいんだろ?」

「ふむ……確かにそうであるな」

「今さえ凌げればいいというのがハク殿の考えなのでおじゃ?」

「ああ、ライコウさえ倒せれば、協定自体がお陀仏になるだろ?」

「なるほど……なら、こちらも金子や兵を貸し与えるとかして、対抗するのがいいんじゃない?」

「しかし、その金と兵をどこから出すのです?」

「む? 無いのか?」

「聖上……小生が来る戦に向けて、軍備増強にこれだけ使いますと確認した筈ですが」

「も、勿論、ムネチカが言ったことは覚えておるぞ!」

 

 ヤクトワルトの案も悪くはないが、ムネチカとネコネの言う通り金と兵はいくらあっても困るものではない。ウズールッシャにどれだけ費やせるかは甚だ疑問であった。

 

「ネコネ、実際ウズールッシャに供出しようと思ったら……どうなんだ?」

「……現状は難しいのです。平原決戦に用いる策に必要な人員を整理したばかりですが、今でもぎりぎりなのです」

「それに彼らはヤマトの為に集った者達である……いくら某の命と言っても聞くまい」

「そうでおじゃるな……ウズールッシャの混乱を抑えるため彼の地で戦えと言っても兵が納得しないのでおじゃ」

 

 オシュトルとマロロ、ネコネの言は尤もである。であれば、他に支援する策が必要だが──何があるだろうか。

 

 皆が再びうーんと押し黙ってしまった空間の中で、一人手をあげたものがいた。

 皆の視線が集まる中、彼女は言葉を発した。

 

「──私が、ウズールッシャに行きます」

「……な」

 

 エントゥアは、決意の籠った瞳で皆を見回した。

 皆がエントゥアをどう行かさないようにするか考えている間、エントゥアはずっと自分が行くことを考えていたのか。

 

「それはならぬのじゃ! エントゥアが行っても解決はせん!」

「いいえ、アンジュ様。私の策を聞けば、皆が納得すると思います」

「……策とは?」

 

 エントゥアは、オシュトルの問いに暫く言葉を整理するように沈黙した後、ぽつりと一つの提案をした。

 

「その前にまず……私と共に連れていきたい方がいるのです」

「誰だ?」

「──ボコイナンテさんです」

 

 その言葉に皆が驚愕しながらも、エントゥアは梃子でも動かぬようにその案を強調した。

 他に案がないことからも一応は聞こうということになり、キウルが合流した後、衛士に拘束されたボコイナンテが謁見の間に連れて来られた。

 

「な、な、こ、こんなところに連れてきてどういうつもりでありますか!」

「大丈夫だ、エントゥアが呼んだんだよ」

「エントゥア殿が……?」

 

 処刑でもされるのかと思ったのだろう。

 しかし、ボコイナンテはエントゥアの名と姿を見て、その怯えを落ち着かせた。皆が揃う中、ボコイナンテを目前として聞きたいことがあると、エントゥアは告げた。

 

「……ボコイナンテさん、あなたはウズールッシャに縁があると前に話しましたね?」

「た、確かに……デコポンポ様はガウンジを捕えるためにもウズールッシャの豪族や商人共と秘密裏に仲良くしていたのであります」

「ほお……数は?」

「それほど多くは無いのであります。あくまで秘密裏であるからしてヤマト侵攻の際も遠慮なく戦ったのでありますが……」

 

 ボコイナンテ達がウズールッシャに縁があるとは初耳だった。

 しかし、今思い返せばエンナカムイ侵攻の際、ウズールッシャの奥地にしか生息しないというガウンジを調教していたことなど、確かに縁故のある素振りは見せていた。

 

「では、隠し財産は?」

「……多いのであります。ウズールッシャは未開の地も多く至る所に廃坑を作り隠しており……またデコポンポ様の息のかかった盗賊や密売人の資金ともなっているのであります」

「なるほどな……」

 

 デコポンポは戦以外の金稼ぎではやはり有能だったんだな。

 ライコウが帝都を探しても見つからないわけだ。

 

「私が旗印となり兵を集めること、そしてボコイナンテさんを連れてウズールッシャの隠し財産を使うこと……この二つが揃えばウズールッシャの混乱を収め、ヤムマキリの足止めができる筈です」

「しかし、エントゥア……あの使者達やボコイナンテが信用できるわけじゃないだろ?」

 

 危険な賭けである。

 まず、エントゥアが旗印となればヤムマキリは確実に討ちに来るだろう。あの使者達を信用しそれを防げるかというのが一つ。

 そしてボコイナンテはあくまで敵である。自分と話す時とは違い、エントゥアの言に素直に答えてはいるが、裏切る可能性もある。そう言ったのだが、憤慨したのは思わぬ人物であった。

 

「聞き捨てならないのであります」

「なに?」

「恩義のあるエントゥア殿を、裏切ることなどしないのであります」

「……ボコイナンテさん」

「エントゥア殿が来いと言うのならば、喜んで協力するのであります!」

 

 ボコイナンテは殊更に胸を張ってそう言う。

 騙そうとして言っているなら大したものであるが、ボコイナンテの瞳はエントゥアを見てキラキラと輝いている。

 そういえば、普段牢の管理はエントゥアに任せていたが、こんな恋路が生まれていたとは。

 しかし、だとしても成功率は俄然低い。それに、エントゥアを危険な場所に送ることを良しとすることはできなかった。

 

「しかし、エントゥア殿が危険である事は変わりが無い。たとえボコイナンテが恭順したとしても、ウズールッシャの旗印として常に命を狙われるであろう」

「そうなのです! エントゥアさんが行くことはないのです!」

「いえ、他の皆にはできない……私だけが成せること。であれば私が行くことが最善なのです」

 

 エントゥアはオシュトルやネコネの言に対しても、頑なに自らが行くことを誇示した。

 何故そこまでしていこうとするのだろうか。

 

「エントゥアがいなくなったら皆が困るだろ? 何故行こうとするんだ?」

「ハク様……もう私は、傍観する者ではいたくないのです」

 

 傍観する者、誰もエントゥアのことをそんな風に評したことは無い。

 しかし、エントゥア自身がそう自らの価値をそう考えているようであった。

 

「そんなことないだろ、エントゥアは皆の支えに──」

「いえ、私は隠れて見ているだけだったのです。女ということに甘え、戦うことから逃れているだけの弱き存在でした」

「……」

「ハク様。私もあなたのように、皆の役に立つ存在でありたい。皆に恩を返したいのです。ここで私が行くことで、それが成されるなら……」

 

 エントゥアは、いつか渡した御守りをぎゅっと握りしめそう言う。

 その姿に、思わず勢いで言ってしまった。

 

「……わかった。なら、自分も行こう」

「ハクさん!?」

 

 キウルから悲鳴のような制止が上がる。

 

「ハクさんがいなかったら、誰が策を実行するんですか? 僕一人では調練は無理です!」

「いやでも、さっさとウズールッシャをまとめて決戦までに戻って来れば……」

 

 苦し紛れの言い訳に苦言を呈したのはオシュトルであった。

 

「ハク、其方をウズールッシャに送ることはできぬ。ライコウとの決戦に間に合う道理も無かろう」

「兄さまの言う通りなのです。使者達の言ではかなりの混乱期にあることが窺えますから、ハクさんがいれば解決なんてことはあり得ないのです」

「ぐ……」

 

 それはその通りだが、このままじゃエントゥアとボコイナンテの二人で行っちまうぞ。

 

「エントゥア殿、まずは自分が行かなくてもいい方法を探るべきでおじゃる」

「しかし、マロロ様もこれが一番勝率の高い策であると感じているのでは?」

「……お、おじゃ」

 

 マロロはエントゥアの強い瞳にたじたじになる。

 まあ、実際エントゥアが行けばヤムマキリを抑えるだけの働きはしてくれるだろう。それでも、感情がエントゥアの策を否定した。

 

「エントゥア……お前は女としての幸せを掴むんじゃなかったのか?」

「これも、女としての務めなのです。あなたの……」

「なに……?」

「もし、私が帰ってくることができたら──私の想いに応えてくださいね」

「っ……」

 

 自分だけに伝わる声量で、エントゥアがそう悲しく微笑む。

 

 その表情に、もはや何も言うことはできなかった。

 エントゥアの、決意の重さを知ったからだろうか。エントゥアが今まで秘めたる想いを持っていたことを知ったからだろうか。

 止めねばならないと手をあげるも、それが一番ライコウに勝利する確率が上がることでもあるのだ。冷静な頭が、自分の手を下げさせた。

 

「だが、それでも……」

 

 二人で行くのは駄目だ、そう告げようとした時、一人の男が笑った。

 

「だっはっは! エントゥアの嬢ちゃんも中々肝が据わっているじゃない!」

「ヤクトワルト?」

「旦那、心配すんな……俺が、エントゥアの嬢ちゃんを護る」

 

 にやりと、ヤクトワルトは剣を携え不敵な笑みを浮かべた。

 それに反対したのはキウルだ。

 

「や、ヤクトワルトさん、シノノンちゃんは……!」

「今のシノノンに父ちゃんは必要ないじゃない。キウル、お前がいればな」

「そんな……」

「エントゥアの嬢ちゃんは、自分がやるべきだと度胸を見せた。キウル、お前にもやるべきことがある筈じゃない」

 

 キウルは唇を噛み締めていたが、やがて納得したのかその首を僅かに動かして頷いた。

 

「ヤクトワルト様……いいのですか?」

「ああ、そんな気心を見せられちゃ、俺も祖国の為に奮起しないといけないじゃない。それに、それが皆を勝たせる策にもなるんだからな」

「……ヤクトワルト、頼めるか?」

「兄さま!? エントゥアさんとヤクトワルトさんを行かせるのですか?」

「そうじゃ、オシュトル! 二人は余の忠臣じゃぞ!」

 

 オシュトルは二人の追求にも、冷静な頭で計算していたのだろう。理論立てて説明した。

 

「ライコウとの決戦……ライコウに我らの策を知られぬためにも、ウズールッシャによる隠密衆の増加、それに伴う後背を突かれる策の実行だけは避けねばならぬ」

「それは、わかっているのです……でも」

「今動ける人員は限られる。それに、ウズールッシャは遠い……決戦開始には間に合わぬだろう。であれば、決戦に不可欠な人員は使えぬ」

「エントゥア殿や、ヤクトワルト殿ならいいと言うのでおじゃるか?」

「エントゥア殿は兵糧と伝令担当、ヤクトワルトは遊撃隊担当と兵の調練に当たる筈であったが……皆で補えば不可能ではない」

 

 それは本来、自分が言うべき台詞だったのだ。

 本来、総大将としてそういう身内を切る言い方は避けねばならない。しかし、無言である自分を見て、オシュトルは代わりに言ってくれたのであろう。

 ムネチカは案を訂正するように言葉を発した。

 

「しかし、敵地である。二人というのは余りにも少ないのではないだろうか」

「ムネチカ殿の言も尤もであるが、逆を言えばこの二名以上に拠出すれば……」

「策の実行が不可能になる……ということか」

 

 ライコウに策を知られないためにも、あくまで重鎮達の中で秘密裏に進行していかねばならない。

 であれば、これ以上の欠員は逆に決戦そのものを左右させることになり本末転倒である。今出せる範囲の信頼できる人員であり、確実にヤムマキリの足止めを行える人物。

 それが目の前の二人であると、自分の思考は答えを出してしまっていた。

 

「エントゥア、ヤクトワルト……」

「旦那、心配しなくても、ライコウを討てばまた会えるじゃない」

 

 ライコウさえ討てば、また会える。

 そう思っても、胸の苦しみは消えなかった。それは、仲間を失う感覚に近いだろうか。

 かつて自分が囚われたと知り皆が動揺したという。その時、皆はこんな気持だったのだろうか、戦友を死地に送る気分というのは。

 

「必ず、無事でいてくれ」

「ああ、任せてほしいじゃない。なにせ……将来旦那の嫁になるかもしれない──」

「や、ヤクトワルト様……!」

 

 ヤクトワルトの言に焦って台詞の続きを止めるエントゥア。

 そう、だな。エントゥアの気持ちは嬉しい、しかし、自分に応えることができるだろうか。大いなる父でありこの世界の異物であることなど、数多の秘密を抱える自分が。

 せめて、別れるのであれば思い出を作りたかった。

 

「それしか、無いんだな。ならせめて別れの宴を──」

「ハク殿、名残惜しいのはわかるでおじゃるが……使者殿は答えを早々に待っておられるでおじゃ」

 

 確かにその通りだ。

 宴など開く時間すらない。であれば、この寂しい気持ちをどうすればいいのだろうか。皇女さんも同じ気持だったのだろう、悲し気に問いかけた。

 

「……別れの宴はできぬかの?」

「大々的にすれば、ライコウに探られるやも……かのウズールッシャをまとめる策の足枷とも成りえまする」

「そうか……余の力無く口惜しいが、必ず、必ず──生きて余の元に戻ってくるのじゃぞ!」

「応さ! そっちも、ライコウをさっさと討って欲しいじゃない」

「アンジュさま……ホノカ様に恩をお返しすることも含め、また帰ってきます」

 

 この瞬間、二人と別つことは決まった。

 

 せめて、この場にいなかった仲間たちを集め事情を説明することにした。

 謁見の間に続々と集まる仲間たちに、順を追って説明していく。オウギやシス、フミルィル、アトゥイは一定の理解を示してくれ、クオンやノスリは憤慨しながらも最終的には納得してくれた。

 しかし、シノノンとルルティエは未だ衝撃を受けており、中々彼らから離れられなかった。

 

「エントゥア様が、なぜ……」

「ルルティエ様、私は必ず帰ってきますから……」

「……はい……エントゥア様がいなければ、私……」

「……ええ」

「……とおちゃん、いっちゃうのか?」

「応、キウルと仲良くな。シノノン」

「……おねえちゃも、いっちゃうのか?」

「大丈夫よ、シノノン。あなたのお父さんと一緒に……必ず帰ってくるから」

「……おう、キウルと、まってるぞ」

 

 シノノンは、あまり泣かない子である。

 いつも朗らかな彼女であるが、流石に慕っていた姉のような存在と父のような存在を一度に失い、どう感情を表して言いかわからないといった風だ。

 

 皆に見送られ、エントゥア、ヤクトワルト、そしてボコイナンテが使者達と共にエンナカムイを後にする。

 ウズールッシャの使者達の表情は明るい。エントゥアの知古でもあるからしてライコウの罠ではないとはエントゥアの言だ。だがたとえ罠だったとしても、ヤクトワルトであればエントゥアだけでも逃がすことは可能だ。そのことも想定して、ヤクトワルトは自ら名を挙げてくれたんだろう。

 

 疑念は尽きないが、思考の波に呑まれ決戦を疎かにしては話にならない。

 

 エントゥアとヤクトワルトは自分のやるべきことだと悟り、一時的に別つこととなった。

 であれば、自分は。自分のやるべきことは。

 

 ──ライコウを討ち、帝都を取り戻す。

 

 それが、彼らとまた会える方法なのだから。

 彼らの姿が見えなくなるまで、その背を強く見守っていたのだった。

 

 




今回の話は原作よりもライコウの手駒の少なさ故に起こった展開でもあります。マロロがいればウズールッシャが居なくても奇襲強襲なんでもござれですからね。
自分がこの作品を作る上で当初より予定していた別れですので、エントゥア、ヤクトワルトが好きだった人はお許しを。
ボコイナンテ? ボコイナンテはまあ、うん。


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第三十三話 寂寥あるもの

 エントゥア、ヤクトワルト、あとボコイナンテがウズールッシャに旅立ち、早くも皆の心には深い寂寥感が宿っていた。

 特にエントゥアやヤクトワルトと縁深いシノノンの落ち込みようは大きかった。涙くらい流せば良いものの、周囲の空気を察し、その落ち込みようを皆に見せまいと空元気する様を見て、余計に心を痛めた。

 

 キウルも忙しい合間を縫って何とか元気づけようと動いてくれているが、シノノンの落ち込みようは変わらなかった。

 

 そんな時である。

 自分との鍛錬を終えたオシュトルが早々に執務に戻る中、自分は怠けてゆっくり休憩していた頃だ。労い交じりにフミルィルから声をかけられた。

 

「──シノノンを元気づけたい?」

「はい……あれからやっぱり元気が無くて……私たちで慰めてあげなきゃいけないと思うんです」

「……まあ、確かにそうだな」

 

 実はキウルからも何度か提案はあったのだ。

 慰めに行きたいとは思っていたが、エントゥア、ヤクトワルトの抜けた穴は大きく、自分の忙しさもあって行けていなかった。

 それに、自分もシノノンに何をしてあげればいいか分からなかったからな。

 

「ハク様、一緒に行ってくれるんですか?」

「ああ、それはいいんだが……慰める方法とかは考えているのか?」

「はい! 名付けて、シーちゃんのお父さんとお母さん大作戦です~」

「? な、なんだそりゃ」

 

 何故か身の危険を覚える作戦名だ。

 しかし、フミルィルも精一杯考えたようで、その豊満すぎる胸を殊更に強調して熱弁した。

 

「シーちゃんの家族の代わりを、私達で務めればいいと思うのですが……」

「えーと……つまり」

「私がシーちゃんの母、そしてハク様が父として接するんです」

「自分がヤクトワルトの代わりか……」

 

 それはどうなのだろうか。

 シノノンは家族に飢えて寂しがっているというよりは、親しい人と今生の別れかもしれないことに怯えているような感覚だろうか。

 以前、ウズールッシャ侵攻の際、グンドゥルアはヤクトワルトを利用するためシノノンを虜囚の身としていた。その時には今よりも幼かったことやエントゥアが良くしてくれていた手前、寂しさ等はあまり感じなかったのかもしれない。

 しかし、今や成長したシノノンは齢に似合わぬ聡さを持った少女である。これが今生の別れとなる可能性を考慮している可能性もあるのだ。そんなシノノンにフミルィルの作戦がうまくいくのだろうか。

 

「まあ……いいか」

「あら、本当によろしいのですか?」

「他に案も無いし」

 

 そう、かといって他にシノノンを慰める方法も思いつかない。

 物は試し、やってみるのが良いだろう。

 

「なら、思い立ったが吉日といいます。今から行きましょう!」

「い、今からか……?」

「はい~!」

 

 オシュトルに剣の扱いについてこてんぱんに調教された後なのだ。

 欲を言えばもう少し休んでいたかったが、フミルィルの気概は抑えきれない様子である。フミルィルは座り込んでいる自分の手をとり、はやくはやくと急かす。

 その勢いに呑まれ、足早にシノノンの部屋へと急いだのだった。

 

「……シノノン?」

「お? だんなかー? どうした?」

 

 ヤクトワルトのいない今、シノノンはこうして部屋で一人過ごすことも多い。

 キウルと共にうろうろしていたり、ルルティエと料理を作ったりと暇を潰してはいるようだが、皆が忙しいときはこうして寂しそうに過ごしているのだ。ヤクトワルトがいなくても、せめてエントゥアがいればな。

 

「いや、シノノンと遊びに来たんだ」

「おお、そうなのかー!」

「こんにちは、シーちゃん」

「お、なんだ、ふうおねえちゃもいっしょか。まあはいれ!」

 

 諸手をあげて喜びを見せるシノノン。

 遊びに来たと言ったはいいものの、さてどう切り出すか。

 

「だんなとふうねえちゃは、なんのあそびをしにきたんだー?」

「おままごとです!」

「おままごとか、いいぞーおれはとくいだ」

 

 小さな胸を張って了承するシノノン。

 そういえば、暇とあればキウルと夫婦ごっこやっていたもんな。

 

「やくはどうするんだー?」

「えーっと……」

「私がお母さん、ハク様がお父さんですよ」

「ほう、だんながとうさまか……まあ、いいぞ。じゃあシノノンはむすめだなー」

 

 シノノンは少し納得のいっていない表情をするも、うんうん頷いておままごとの合図をした。

 シノノンに一度外に出るように言われ、ただいまの挨拶をすることになった。

 

「ただいまー! シノノン、とうちゃんが帰ってきたぞー」

「こら! とおさま、どこにいっていたんだ? うわきはだめだぞー!」

 

 シノノンから何故か、めっ、と指を差して怒られる。

 帰宅早々どういうことだよ。

 

「な、何だ、シノノン。どういうことだ?」

「かあさまはとうさまがかえってくるまで、おいしいごはんをつくってまってたんだぞ!」

「えぇ……?」

「大丈夫ですよ、私は気にしていませんから」

「かあさま……こんなにやさしいかあさまをほおっておいて、そとにおんなばかりつくって! かあさまがかわいそうだぞ!」

「は、はあ……すいません」

 

 思わず謝る自分。傍から見れば幼女に怒られる情けないおっさんだ。

 というか、シノノンの情操教育を担当した奴は一体どんな夫婦生活を教えているんだよ。ヤクトワルトのにやにやした顔を思い浮かべながらも、シノノンの設定に従う。

 

「かあさまも、こんなとうさますてたらいいんだぞ!」

「いえいえ、ハク様は素敵なところのいっぱいある旦那様ですから、シーちゃんの心配するようなことは無いんですよ」

「そうなのか?」

「はい!」

 

 フミルィルが抜群の手助けを見せ、何とか設定に修正が入り始める。

 このままやると、自分は針の筵だからな。ここはフミルィルに乗っておこう。

 

「そうだぞ、シノノン。自分達は愛し合っているからな」

「ええ、私達は仲のいい夫婦ですから、お母さんとお父さんにいっぱい甘えていいですからね」

 

 そう言ってフミルィルは手を大きく広げて抱きしめる体勢を取った。

 シノノンはわあと喜んでフミルィルに飛び込む。そして、その豊満な胸に顔を埋めたり小さな手で掴んだり揉み込んだりしている。その度にぐにぐにと大きく形を変えるフミルィルの──

 

「おお~、おっぱい、すごいぞ! ふうおねえちゃのはやっぱりでかいな?」

「ええ、シーちゃん。いっぱい触っていいですからね」

「……」

 

 何だろう。見てはいけないものを見ている気がするぞ。

 冷や冷やと背中に薄ら寒いものが伝ってくる。この光景は見られてはまずいと何かが直感を下している。

 

「だんな?」

「あ、な、何だ?」

「だんなはとうさまだろ? いっしょにするぞ」

「いっしょに?」

「そうだぞ、かあさまと、シノノンといっしょ!」

 

 フミルィルと目を合わせるも、いいですよと朗らかに笑う。

 そうか、フミルィルが納得しているならご相伴に与るか。

 

「シノノン、お前は可愛い娘だなー」

「とおさま……ほんとか?」

「ああ、シノノンやフミルィルがいれば、浮気何てせずにこうして帰ってくる方がいいってもんだ」

 

 自分の名誉のためにも浮気に関しては否定しておきながら、シノノンとフミルィルを包むように抱きしめる。

 シノノンがフミルィルに抱きしめられ、自分がシノノンごとフミルィルを抱きしめている感じだ。

 暫くシノノンはその行為に目蓋を閉じて考えていたが、やがてぽつりと駄目出しを下した。

 

「……だめだ、あいがたりないぞ」

「あ、愛が足りない?」

「そうだぞー。やっぱりとおさまはうわきをしているんだぞ!」

 

 しまった。忘れかけていた設定を自分の台詞で思いださせてしまったようだ。

 

「いやいや、そんなことないって」

「うそだな。かあさまへのあいをみせてくれないと、シノノンはふあんだ」

「……例えば、どうすれば愛を証明できるんだ?」

「まず……だんなとふうおねえちゃは、あいしあっているのか?」

「え……」

「えんぎでもほんきでやらなきゃ、とうさまとかあさまのような、めおととはいえないぞ!」

 

 急に厳しいな。

 おままごとってそこまで役作りをしなければならんのか。どうするべきかフミルィルの方を向くと、フミルィルは思いついたというように笑顔を向けた。

 

「愛の証明……もちろん、できますよ~」

「ほう、ならばそのあいをおれにみせてみろ」

「ええ、シーちゃん。見ていてくださいね……ちゅっ」

 

 フミルィルは自分の頬に軽く唇を寄せ、当てた。

 驚きに軽く目を見開く。おいおい、演技でそこまでするのか。

 

「……て、照れちゃいますね~」

「そ……そうだな」

 

 案の定、恥ずかしかったのだろう。フミルィルの頬は真っ赤に染まっていた。

 しかし、これだけしてもシノノンの判定は厳しいものだった。腕組みを解かずに言葉を発した。

 

「ほっぺにちゅうくらいだれでもするぞ」

「だ、誰でも? ……そうか?」

「おう、おれのとおさまとかあさまになるなら、もーっとあいしあってないとだめだぞ!」

「もっと……」

 

 もっととは一体どういったことをするのだろうか。

 フミルィルと顔を見合せて考えを巡らせている間に、フミルィルは何か思いついたらしい。ぱっと花のような笑顔で両手を合わせた。

 

「わかりました……これがお父さんと愛し合っている証拠ですよ~」

「──むぐっ!?」

 

 フミルィルは自分の頭を掴むと、その豊満過ぎて育ちすぎてなお育ち盛りである胸の谷間に突っ込んだ。

 一瞬呼吸ができなくなる圧迫感、そして弾力、そして何やら漂う高貴な香りに酔ってしまう。思わず離れようとするも、視界を塞がれている今どこを掴めば良いのかわからず手が彷徨う。

 

「ほら、こうやって旦那様をしっかり抱擁するのが愛し合っている証拠です~」

「おお~だんな、やくとくってやつだな」

「──っ!!」

 

 やばいやばい、こんなところ誰かに見られたら処刑ものだ。

 特に見られるとやばいのは──と一人の女性の顔と声が浮かんだところだった。

 

「ハ、ハ、ハ~ク~……!? し、シノノンが心配で来てみれば……こ、こここ、こぉんなところで、フミ、フミルィルとなぁにをやっているのかな……!」

 

 ──げ、幻聴だと言ってくれ。

 

 この世で最も見られたくない人の声だ。自分の頭の中にだけ響いているだけだと証明してくれ。

 

 フミルィルから解放され視界が明るくなると、そこにはしゅるしゅると蠢くクオンの尻尾。

 憤怒の表情のクオンを見て、避けられないものと知る。そういえば、この処刑方法も久々だな。

 

「ハク! フミルィルにだけは手を出したらダメって言ったかな!」

「あぎゃああッ! や、やめ……冤罪だあっ!」

 

 久々の尻尾攻撃は痛すぎる。

 いくら鍛えても頭は鍛えられないのだ。ヘチマになるくらいの握撃を受け、ただただ悲鳴をあげる。

 

「おごぉお……! っ、よせっ、よせーッ! 壊れる、頭壊れる!」

「ちょっと血抜きして冷静になろっか……!」

「クーちゃん、ハク様はシーちゃんを励まそうとしただけで……」

「へ、へえ……シノノンを励ますことと、フミルィルの胸に頭を突っ込むことは関係があるのかな……!」

「ええ、私達が愛し合っている証拠を見せるためです!」

 

 フミルィル、絶妙に言葉が足りない。

 尻尾の加減が動揺を示すように強弱する。このままでは仮面ごと頭が粉砕されるであろう。

 

「え、演技だ! 演技でシノノンを元気づけようと……おごおおっ!」

「へえ、演技でね……胸に頭を突っ込んだと」

 

 自分も絶妙に言葉が足りない。というか、話させてもらえない。

 痛みで全身がぴくぴくしてきた、まさか生きながらにして死後硬直が始まっているのか。

 

 そんなやりとりをずっと見ていたのだろう。シノノンは急に大きく笑いだした。

 

「あはははっ! やはりだんなのそばはおもしろいなー!」

「シノノン……?」

 

 そこで、シノノンの様子がおかしいことにクオンは気づいたようだ。

 シノノンは笑ってはいるが、心の底から楽しんではいない様子なのだ。

 

「もう、だいじょうぶだ。おれはつよいおんなだからな。みんながはげまそうとしてくれるのはうれしいが……」

 

 クオンはシノノンが無理して言葉を発している姿を見て、心配になったのだろう。

 尻尾の締め上げる力を緩め自分を放り投げた後、シノノンに駆け寄った。

 

「シノノン……無理しなくてもいいんだよ?」

「あねご、おれはむりなんてしてないぞ」

「シーちゃん、寂しかったら……泣いたっていいんです」

「……そんなこと、ないぞ。つよいおんなは、なかないからな」

 

 強がり続け、涙を堪えてそう言うシノノン。

 きっと、ヤクトワルトという憧れの父の姿を思い描いて、こうして無理をしているんだろうな。

 

 仕方がない。強い奴だってたまには泣いちまうことを証明しないといけないな。

 

「……うおーっ! エントゥア、ヤクトワルト行かないでくれ! 自分は寂しいぞーっ!」

「ハ、ハク!?」

「うおおおん、うおおおおん!」

 

 叫び、クオンに締め上げられた痛みのために出た涙を大量に溢れさせる。

 

「ちょ、ちょっとハク……!」

「ぐすっ、ぶしゅ、ぶえええ……!」

 

 傍目から見れば、気丈にも涙を堪えている幼女と、痛みでめそめそ泣くおっさんを二人の美女が軽蔑の眼差しで見つめている状況である。

 何だろう、違う意味で泣けてくるぜ。

 

「……ったく、だんなはなさけないな……それでもおとこか」

「はっ……強い男もたまには泣くんだよ。きっと、ヤクトワルトも自分と同じように寂しくて泣いているさ……ぐすっ」

 

 未だ続く頭の痛みによる涙と鼻水だらけの顔で、シノノンに微笑んだ。

 すると、シノノンは唇を噛み締めて震えた後──

 

「そ、そんなことない……だんなとちがってとおちゃんは、つよいおとこだからな……とおちゃん……う、うぅ……と、とおちゃん、ねえちゃ……うぅ……!」

「シノノン……大丈夫だよ、きっと会える」

「ええ、シーちゃんのお父さんはとっても強いですから、皆守って戻ってきてくれます」

「うぅ、あねご……ふうおねえちゃ……うわぁああん」

 

 クオンとフミルィルに抱きしめられ、シノノンは声をあげて泣き続けた。

 死んだわけではない。しかし、もう会えないかもしれないという恐怖はやはり耐えられるものではない。シノノンはしっかり者だが、心はそれでも年相応なのだ。

 しっかり泣けば、心もいくらか落ち着いてくるだろう。

 

 感情を爆発させるように泣き続けるシノノンを優しくあやしながら、三人で顔を見合せる。

 皆の表情にはシノノンの感情を引き出すことができた確かな安堵があった。これからも時々シノノンの様子を見ることは必要だろうが、暫くは想い詰めることもないだろう。

 

 ヤクトワルト、エントゥア、頼むから無茶はするな、シノノンのためにも生きて帰って来てくれよ。

 

 ──そういえば、自分がライコウに囚われた時も、皆はこんな気持ちだったのだろうか。

 

 暫くして、シノノンが泣き止み幾分落ち着いてきた頃。

 

「……だんな、あねご、ふうねえちゃ、ありがとう」

「いいってことよ。また泣きたくなったら一緒に泣いてやるさ」

「おう、だんな」

「シノノンちゃん、いるー?」

「お、おー! キウルか、はいれ!」

 

 話は終わり、皆も執務に戻ろうとした時、交代でキウルが部屋に入ってきた。

 シノノンはキウルが入ってくると慌てて涙の痕を拭い、笑った。

 

 ──なるほど、キウルにかっこ悪いところは見せないってか。

 

 ある程度弱みを見せた方が男はころっといくもんだが、シノノンは惚れた男の前では相変わらずいい女を続けるようだ。

 

 それじゃ、邪魔しても悪いな。早々にお暇することにする。

 

「あ、あれ? ハクさん達もいらっしゃったんですか?」

「じゃ、キウル、後は任せたぞ」

「え、え? は、はい!」

 

 クオン、フミルィル、自分は外に出て、後はキウルとシノノンの二人の時間を作ることにした。

 廊下を歩く道すがら、クオンが申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「ご、ごめんね、ハク……なんか勘違いしたみたいで」

「まあ、クオンのそういうところは昔からだからな。慣れてるさ」

「む……そ、それはそれでなんか納得いかないかな」

「なら攻撃する前に少しは話を聞いてくれ」

「だ、だってあんな光景……」

「まあ、とりあえず誤解だってことをわかってくれたらいいさ」

 

 クオンの言い分もわからなくないからな。

 自分も逆なら乳繰り合っていると思って瞬時に襖を閉めるところだ。

 そういえば、先程からフミルィルは黙って廊下を歩いている。どうしたのだろうと見やると、何やら熱っぽい瞳でこちらを見つめていた。

 

「? どうした、フミルィル」

「ハク様、今日はシーちゃんのこと、ありがとうございました~」

「ああ、まあ……フミルィルの案がうまくいって良かったよ」

「いえ……きっと、シーちゃんはハク様が一緒に──だから、これはお礼です」

 

 そう言うと、フミルィルは一歩こちらに踏み込んで、自分の頬にその唇を当てた。

 

「っ!?」

「ふふ……またシーちゃんのところで夫婦ごっこしましょうね」

 

 ふわりと香る高貴な匂いを残して、フミルィルは赤くなった頬を隠すように足早に走り去っていってしまった。

 残されたのは、フミルィルの唇に触れた頬を抑え唖然とする自分と──

 

「──ハ、ハ、ハ~ク~!?」

「ち、違うぞ!? や、やめ……あああああああッ!」

 

 これが、傾国の美女たる所以か。

 シノノンのことが落ち着いた余韻に浸る間もなく、恐怖と痛みによって記憶は上書きされていくのだった。

 

 



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第三十四話 郷愁あるもの

「どうした、ハク殿! それでは敵中突破など下の下であるぞ!」

「ぐ……!」

 

 自分は今、ムネチカと鍛錬を積んでいるところだった。

 以前はオシュトルとヤクトワルトに刀剣の扱い──長巻を用いた戦い方を教わっていたのだが、そのヤクトワルトはウズールッシャに旅立ってしまった。

 であれば、鍛錬が減って執務に時間をかけられると思っていた矢先、ムネチカが代替の鍛錬を提案してきたのだ。初めは有難迷惑であると断ろうかと思っていたが、ムネチカの熱心な嘆願とオシュトルの決定によりこうして二人鍛錬することになってしまった。

 

「ぐっ……!」

「ハク殿、小生を間合いに入らせぬようにしなければ!」

「そ、そんなこと言ったってな……!」

 

 猛然と打ち合うも、じりじりと後退を余儀なくされている。

 ムネチカは平民でありながらも、その武をもってして数多の功績を挙げ、八柱将を任命された者だ。それどころか、兄貴──帝から仮面を託された存在である。

 オシュトルと鍛錬を積んでいたと言っても、未だ実力は遠く及ばないのだ。それに、気迫が凄くてなんか怖い。思わずへっぴり腰になってしまうのも仕方がないのだ。

 

「うっ……」

「追いつめましたぞ、ハク殿。ここからどうなされるおつもりか」

 

 吐息がかかるほどに追いつめられ、ぎゃりぎゃりと金属音を響かせ押し合い状態になる。

 仮面の力を使おうとしなくても、今の自分の筋力は並より上。しかし、歴戦のムネチカも並より上どころか上の上なのだ。力の使い方も上手い。早々に切り抜けねばならない。

 

 仕方がない、オシュトルに習った技を使うか──

 

「──む!」

 

 ムネチカは自分の瞳と表情を見て、何らかの技をかけられると思ったのだろう。

 思わず、といった動きであった。ムネチカは警戒して後ろに下がるように力を抜いたのだ。

 

「──今だッ!」

「ッ! 見事!」

 

 ムネチカが引いた瞬間に合わせて、強引に力を込めて相手の体勢を崩す。

 しかし、体勢を崩したまでは良かったが、慣れぬ技を使ったせいだろう。自分も体勢を崩してしまった。

 

「ぬ、ぬおおッ!?」

「なっ……!?」

 

 どさりと二人縺れるようにして地面に倒れ込んでしまう。傍から見れば自分が押し倒したような形だ。

 その際に、ムネチカの包み込むような柔らかな感触を頬に感じ、血の気が引いて思わず飛び起きた。

 

「す、すまん!」

「ん、あっ……! い、いや……小生は大丈夫だ」

 

 急いで顔を上げようとしたせいだろう、左手が何を掴んでいるかも理解せずに体重をかけてしまう。

 ムネチカは気にしていないようだが、がっつり頬と左手で触れてしまった。事故とは言え、謝った方がいいだろうな。

 

「すまん……」

「い、いいのだ。訓練時にこういったことは付き物だ。そう意識された方が小生はやりにくい」

「そうか……あんたがそう言うなら、気にしないようにする」

「……ああ、そうしてくれ。し、しかし、ハク殿も随分成長したものだ。小生の体勢をこうも崩すとは」

 

 ムネチカは気丈にそう言うも、幾分頬を染めてがっつり掴まれた部位を抑えている。

 何だかんだムネチカも気にしているみたいだ。まあそりゃ、気分のいいもんではないよな。

 

「……この後、何か奢るぞ」

「ハク殿……小生は気にしなくても良いと言ったのだ」

「まあ、そうは言うがな。これからも訓練中にこういったことはあるかもしれないだろ? こっちも遠慮なく戦いたいのは本音だし、奢りはその罪滅ぼしみたいなもんだ」

「……小生は武骨な武人。女の身であることなどとうに忘れている、遠慮は無用だ」

 

 そうは言うがな。

 こっちも訓練に付き合っている手前、償いはいるだろう。相手が気分よく受け取ってくれるように言葉を考える。

 

「……まあ、自分が奢りたいだけだ。あんたみたいな美人に触っちまった役得ってやつだな」

「び……」

 

 ムネチカは動揺したように目を瞬かせる。

 暫く唇を噛んで固まっていると、こほんと咳をして誤魔化した。

 

「ハク殿、揶揄われるのはやめていただきたい」

「いやいや、前から思っていたことだ」

「……し、小生に、女を感じると申されるか」

「……そういう言い方をされると、なんか自分が助平野郎みたくなるからやめてくれ」

 

 ムネチカは戸惑うように目を反らし口元を隠していた。

 何だ、ムネチカのような美人であれば、こういった言葉は常受けているものだと思っていたが、案外そうでもないのだろうか。

 まあ、トキフサがムネチカに対して恐怖していたことから、武力の無い男は近づき難いのかもしれないな。

 

 その日は、その後再び訓練という空気にもならず、気まずさを解消するためにも二人で訓練場を離れた。

 

 奢るためという名目ではあるが、その辺のものを買うのも忍びない。故に何か物珍しいものは無いかと他国からの行商人も集まる商人区に足を運んだのだった。

 その際も、ムネチカは奢られることに対して殊更に遠慮していたが、頑固に誇示していると諦めてくれたのだろう。暫くすると一緒に商品を眺めるようになってくれた。

 

「お、これなんかどうだ?」

「いや……ハク殿の懐を思えば、少し高いのではないだろうか」

「まあ、クオンが財布握っているだけだからな。泣きつけばいくらか返してくれるさ」

「しかし……むっ……」

 

 提示されれば断ることを繰り返す遠慮がちなムネチカであったが、突然電撃が走ったように視線が一方を向く。

 何かあったのだろうかと、思わずムネチカの見る出店の一角に目をやる。すると、何やら女児向けの玩具屋があった。ムネチカのような大人の女性が興味を示すものとしては些か意外なものだ。

 

「ムネチカ?」

「……」

「おい? ムネチカ、聞いてるか?」

「むっ、な、何事か、ハク殿」

 

 何事はこっちの台詞だ。急に動かなくなるからびっくりするわ。

 しかし、そこまで興味の引かれるものがあったというのだろうか。ムネチカの視線は未だちらちらとそちらの方へ向いている。

 

「興味があるなら見てみるか?」

「い……いや、小生が興味を引かれているわけではなくて、な」

「……まあ、見るだけだ。行こうぜ」

 

 焦って否定するムネチカであるが、視線は出店から外れない。

 そんなに気になるなら行くかと足を運ぶことにする。出店の前に行くと、可愛い笑顔を浮かべる若い女性行商人だった。

 

「いらっしゃいませ! ご夫婦ですか? お子様用に揃っていますよ!」

「い、いや! 夫婦などではない」

「ああ、友人だ」

 

 動揺したように慌てて否定するムネチカ。

 まあ、違うことは違うが、そう勢い込んで否定せずとも良かろうに。開口一番にする、ただの商人の鉄板ネタだ。

 

「そうでしたか、失礼致しました! でしたら贈答用ですか?」

「まあ、そんなとこだ」

 

 行商人の毒の無い笑みと商人気質な話に相槌を打ちながら、商品を眺める。

 縫いぐるみ、というやつだな。シノノンとかが喜びそうだ。そういえば、ムネチカもシノノンのことを心配していたな。なるほど、シノノン用に一つ自分に買ってもらい、それを贈答しようとでも思ったのかもしれない。

 

「なるほど……優しい奴だな」

「む……? 何か申されたか、ハク殿」

 

 そう思ってムネチカを見た時には、目を皿のようにして商品を眺め夢中になって縫いぐるみを手に取り漁っていた。

 もしかして、ただの趣味か。しかし、武人としてのムネチカと、目の前の縫いぐるみを好むムネチカがあまり一致しないな。

 

「……何か、気に入ったのはあったか?」

「そ、そうだな……小生はこれなど、可愛らしく良いと思う」

 

 ムネチカが些か恥ずかしそうに、しかし大事に抱いている縫いぐるみを見る。

 大きさはシノノンより少し小さいくらいだろうか。布も糸も上等なものを使っており、綿も詰まって抱き心地がよさそうだ。

 安くはないかもしれないと値札を見れば、意外にそこまで高くはない。懐事情もこれなら安心だ。ムネチカにそれにするかと言って買うことにした。

 

「……本当に良いのか? ハク殿」

「ああ、明日も鍛錬頼んだぜ。決戦まで日が無いからな」

「……感謝する」

「いやいや、こっちが礼をする方さ」

 

 ムネチカも忙しい合間を縫って自分との鍛錬に時間を割いているのだ。礼はこちらの台詞でもある。

 まあ、本音は鍛錬したくないので、あまり血気盛んになられても困るが、これで幾分気まずさが消えるなら良い買い物である。

 ムネチカとは皇女さん対応で協力することもある手前、良き友人としていたかったのだ。

 

 その日、ムネチカは買った縫いぐるみを大事に抱えてその場を去った。

 道行く人が巨大な縫いぐるみを抱えるムネチカを見てぎょっとすることもあったが、まあ気持ちはわかる。彼らの反応的に、多分あれは贈答用で、自分用で買ったとは思わないだろうな。

 

 ──そんな日が、以前あった。

 

 それから、シノノンと共にムネチカの縫いぐるみだらけの自室にお邪魔し、あの時買った縫いぐるみも飾ってあったりして大事にしてくれていることがわかった。多くの縫いぐるみを自作し部屋に飾っているムネチカにとっては、あの縫いぐるみも自分用だったのだろう。

 予想と違いシノノン用では無かったが、ムネチカと一緒に縫いぐるみで遊ぶシノノンは、それはもう寂しさを感じさせないほどに楽しそうであった。

 ならばそれで良いことにする。元々、ムネチカに渡したものだしな。

 

 そして、以後ムネチカとの鍛錬も気まずさが無くなり、武器を遠慮なく打ち合う日々を続けていた頃であった。

 訓練が終わり木陰で二人休憩していた時、ムネチカから一つの相談事をされた。

 

「──皇女さんの元気が無い?」

「そうなのだ、ハク殿であれば……と」

 

 シノノンが落ち込んでいるのは知っていたが、皇女さんが元気無いのは知らなかったな。

 自分の前ではあまりそういう姿は見せなかったが。それどころか、トリコリさんのところに一緒に行く時も元気いっぱいである。

 

「内心ではやはりエントゥア殿やヤクトワルト殿との別れ、そして帝都への郷愁に沈んでおられるご様子なのだ」

「? 郷愁ってのは?」

 

 別れに関してはわかるが、郷愁ってのはどういうことなのだろうか。

 

「実は……時折、都の方を眺め溜息をつくことがあるのだ」

「そうか、まあ……決戦も近いしな」

 

 皇女さんなりに帝都奪還が近づいたことで、悩み考えているのだろう。

 旗印として成長してくれていることは感じているが、その分無理もさせているのかもしれんな。

 

「うむ、御側付きであるルルティエ殿の意見も伺ったが……」

「いい案が出なかったと」

「そうなのだ……」

 

 まあ、郷愁に関しては、結局帝都奪還することが一番の近道である。

 帝都由来のものをいくら差しだそうとも、誤魔化しにしかならんからな。

 

「ただ小生も諦めきれず、方々に相談したところ……何か拠り所があればということになったのだ」

「拠り所?」

「そう……今の聖上に必要な拠り所、親の愛情である」

 

 親の愛情ねえ。

 兄貴は死に、ホノカさんもどうなったかわからない。確かに、今の皇女さんに親はいないとも言える。

 ただ、自分を叔父ちゃんと揶揄ったり、トリコリさんとこに甘えに行ったりしているのだ、心配ないような気もするが──ムネチカの真剣に悩む姿を見てしまったら、少し協力した方がいいのかもしれないと思い直す。

 

 しかし、その親の愛情とやらをどう解決するつもりなのか。

 

「親の愛情ったって、ムネチカがどうにかできるもんなのか?」

「……実は、故にこうしてハク殿に相談させていただいたのだ」

「? どういうことだ」

「つまり……聖上の前では我ら二人が父と母──夫婦のようなものとなるのが良いかと」

「皇女さんの前で、ムネチカと、自分が?」

「うむ」

 

 妙案であろう、と些か自信ありげに言う。

 ムネチカもフミルィルと同じ思考の持ち主だったらしい。この年頃の女性は子どもが落ち込んだら親代わりになるのがいいと思ってしまうものなのだろうか。

 

「ハク殿は以前、シノノンを元気づけるためにフミルィル殿と夫婦の演技をしたとお聞きした。小生らも同じく、聖上の前で仮の夫婦となり安心させることで……かの笑みを取り戻すこともできるのではと思った次第」

「……そ、そういうことか」

 

 同じ思考ではなく、ただフミルィルに相談して聞いただけみたいだ。ただ、それで納得するあたり、同じ思考と言っても過言ではないのかもしれないが。

 まあ、確かにシノノンには一定効果はあり、少し元気になった。しかし皇女さんの精神年齢はシノノンより高い──いや、シノノンの方がしっかりしているな。皇女さんの方が幼いから効果はあるのか。

 

「協力してくれぬだろうか」

「まあ……他の案があるわけでもないし、いいが」

「おお、ハク殿……感謝する」

 

 何でも物は試しである。前回のフミルィルは傾国の美女であるからして起こった不幸な出来事だった。

 目の前のムネチカであれば、そうおかしなことにもなるまい。

 

 じゃ皇女さんの元に行くかと立ちあがろうとすると、ムネチカに呼び止められた。

 まだ何か提案があるらしい。

 

「して、聖上の前で演技をするにあたり……少し頼みがあるのだ」

「ん、何だ?」

「シノノンから、夫婦として甘えるには愛が無くては意味がない……そう言われたとフミルィル殿からお聞きした」

「……ああ、まあ。そういえばそんなこと言っていたな」

 

 あまり思い出したくない痛みの記憶も呼び覚まされるが、そんなことを言っていたような気もする。

 それがどうかしたのだろうか。

 

「いくら仮とはいえ、聖上も違和感のある夫婦では甘えきれぬだろう」

「……そうか?」

「小生はそう思う」

「……そ、そうか」

 

 力強くそう言われてしまえば、頷く他ない。

 訓練の時もそうだが、口調と眼光と威圧感が合わさってついつい押し切られてしまうんだよな。顔近づいて来るし。

 

 まあ、皇女さんを近くで最も見てきたのはムネチカでもあるのだ。そう言うならばそうなのだろうとあまり考えないようにする。

 

「それで、違和感を消すためにどうするんだ?」

「小生を──ムネちゃん、と呼んでくれぬだろうか」

「……は?」

「お、おかしいだろうか」

 

 おかしいだろ。

 ちゃん付けされるような人でもあるまいし。さんとか、様とか、女史とか呼ばれる地位じゃないのか。

 ムネチカが動揺しているように頬を染めながら提案している様子は珍しいものの、かといってすぐさま頷ける提案でも無い。

 

「夫婦であれば愛称で呼び合うものと聞いている。私は昔から……名前にちゃんと付けて呼ばれたことがなくてな……あ、憧れなのだ」

「憧れ……」

「む……や、やはりおかしいだろうか」

「いや、わかったよ」

 

 会話を続けて、これ以上理由を掘り出すとムネチカの弱みを引き出しかねない。

 こういう強い女性の弱みを長く握っていることは後々の復讐に繋がる──具体的には鍛錬等でしばかれる。早々に了承することにした。

 

「感謝する」

「じゃ、皇女さんのところに行く──」

「──も、もう一つあるのだが、申しても良いだろうか?」

「……ああ」

 

 何個あるんだよ。

 さっきから立ちあがろうとしたり座ったりで自分が忙しい。いつもは要点まとめて話すムネチカであるが、こういった願い事は不慣れなのだろう。改めて座り直す。

 

「ハク殿、そなたのことを──ハッくんと呼んでもいいだろうか」

「は、ハッくん……!?」

 

 何だその妙な愛称は。

 自分は今、腕組みをしながら目を瞑って苦虫を噛み潰したような表情になっていることであろう。

 しかし、これからもヤクトワルトの代わりに沢山訓練を共にする相手なのだ。この辺りで了承しておけば、訓練も少しは優しくなるかもしれない。

 ムネチカは無言の自分を見て提案を蹴られると思ったのだろうか、徐々にその表情が暗くなっていく。

 

「了承……致しかねるだろうか」

「……い、いいぞ」

「おお……! 感謝する、ハクど──いや、ハッくん」

「いいってことさ……ムネちゃん」

 

 ムネチカは自分の名を愛称で呼ばれ、先ほどの暗い表情から一転し目を瞑って感動に打ち震えている。

 

 何だろう。皇女さんを励ますことが主題だった筈だが、ただムネチカの夢を叶えているだけのような気がしてきた。

 ムネチカ程の美人であれば、将来の旦那などすぐに見つかりそうなものだが。あまり代替に自分を使わないでほしいものだ。

 

「じゃ、行くか」

「ああ、ハッくん」

「……」

 

 慣れない。

 些か寒気のする一生慣れない行為だろうが、ムネチカはお堅い見た目に反して縫いぐるみなど少女趣味的なところがあるのかもしれない。そう思えば、可愛いものだ──自分を巻き込むのは止めてほしいが。

 二人で訓練後故に乱れた身なりを整えた後、一緒に皇女さんの部屋へと歩く。中に皇女さんの気配を感じた後、声をかけて襖を開いた。

 

「皇女さん? いるか?」

「む……? おお、ハクか! 其方から余の元に来るなど珍しいの──なんじゃ、ムネチカも一緒か」

「失礼いたしまする」

 

 自分を見て向日葵のような笑顔を向けた皇女さんだったが、遅れて入ってきたムネチカに眉を寄せた。

 そんな態度を急変させるなよ、ムネチカ傷つくだろうが。と隣を見るも、気にした風は無い。

 まあ、普段からびしばし厳しくやっているようだから、こういった態度になるのは当然だと思っているのかもしれない。

 

「それで、二人揃ってどうしたのじゃ?」

「ああ、まあ……」

 

 どう切りだすか迷いながら、皇女さんの周囲を見回す。

 元気が無いと言われる割には、御菓子や読み散らかした書物が散乱しており、随分満喫しているようにも見えた。

 

「……えらい散らかってるな」

「なんじゃと? ハクも人の事は言えんであろうに」

「まあ……そうだが」

 

 応答も元気そのものだ。

 疑いの目を向け、どう話をすればいいかわからない自分を他所に、ムネチカは燦然と前に出て言葉を発した。

 

「聖上」

「ん?」

「小生、聖上の御心に気付かず、寂しい思いをさせておりました」

「ど、どうしたのじゃ? そんな改まって」

 

 困惑する皇女さんにさらに詰め寄り、ムネチカは変わらぬ真剣な表情で続ける。

 

「故なれば、このムネチカを母と……そして小生の隣に居られるハク殿──ハッくんを父と思い、甘えて頂いて構いませぬ」

「は? 母? ハッくん? 父? ちょ、ムネチカよ、何の冗談じゃ?」

 

 開いた口が塞がらないといったように、自分とムネチカを交互に眺め指さす皇女さん。

 

 ──まあ、気持ちはわかる。

 

 ムネチカの絶望的なまでの切り出し方と言葉の足りなさに、頭を抱えた。

 ムネチカは周囲の動揺をさして気にもせず、皇女さんの戸惑いを遠慮ととったのか、慈しむように言葉を重ねた。

 

「隠しめさるな。帝がお隠れになったこと、忠臣と別ったこと、さぞや寂しさを募らせたことかと。小生では力不足ではありますが……」

「ムネチカ、其方はさっきから何を──」

「しかし、我ら二人であれば、添い寝でも何でも、お申し付けくださればこのムネチカとハッくんが聖上の父母として相手を致しまする。そうでありましょう、ハッくん」

「……」

 

 気付いたのだが──皇女さんとムネチカの間には大きく違う空気が流れているように感じる。

 ムネチカの空回りだなと確信がしなくもなかったが、ムネチカと事前にあれだけ打ち合わせ、願いを聞いた手前、自分だけ早々に折れるわけにもいかなかった。

 

 ムネチカは未だ返答の無い自分に、不安そうに再び問うてきた。これは、自分も恥を忍んで夫婦ごっこをする覚悟を決めるか。

 

「そ、そうであるな?」

「……ああ、ムネちゃん」

「! うむ……さあ聖上、我ら夫婦に存分に甘えていただきたく思いまする」

 

 ムネちゃんと呼ばれ恭しく頷いた後、さあ、と大きく手を広げて愛を見せるムネチカ。

 一方、皇女さんはそんなムネチカと苦笑交じりの自分を交互に見やり、戸惑いで目をまんまると見開いていた。

 

「そ、其方とハクが、め、夫婦……?」

「そうなりましょうか」

「は……ハッくん? ムネちゃん? とは?」

「聖上が安心して甘えられる夫婦となるため、以前より愛称で呼ばせていただいておりまする」

 

 以前っていっても、ついさっきだけどな。

 皇女さんは殊更に驚き、動揺で体を硬直させながらも疑問を投げた。

 

「……い、いつからじゃ?」

「? いつからとは?」

「そ、其方らが夫婦となったのはいつなのじゃ!?」

「……本日、でありますが」

「ほ、本日、じゃと……? であれば、そ、其方らは余に婚姻報告をしにきたというのか!? ハク! ネコネの件はどうなったのじゃ!?」

 

 皇女さんが盛大に方向の違う勘違いをし始めている。

 これは流石に訂正しないと後が面倒である。

 

「いやいや、そうじゃなくてだな。ムネチカは皇女さんが心配で、自分達を親のように思ってくれってことで来たんだよ」

「……な、ならば、ハッくんやらムネちゃんというのは」

 

 ──それはムネチカの趣味だ。

 

 と、言いかけたが、それも皇女さんに心から安心してもらおうと思って考えたムネチカの案である。

 今思えば、この案を通してしまったことがこのややこしさを加速させている出来事であると後悔が尽きない。

 

「えーと、つまり、皇女さんの前でだけ仮の父母となると言っても、仲睦まじい様子じゃなかったら違和感があるだろ? だから、こうしようということになってだな……」

「な、なあんじゃそれは! そもそも、余は其方らの夫婦ごっこなど求めておらん!」

「そう……でありましたか」

 

 皇女さんの言を聞き、残念そうに肩を落とすムネチカ。

 であれば、結局皇女さんの落ち込みようは、どこから出てきた情報なのか。

 

「と、というか、演技でもハクと夫婦などそんなうらやまけしからん行為許すはずが……し、しかし余のもとで添い寝するという案なら多少は目を──」

「なあ、皇女さん」

「ん!? な、なんじゃ?」

「結局、ムネチカが言うように落ち込んでいるってのは本当なのか?」

「む……そ、そのことか」

 

 皇女さんは実に物憂げな表情をして、帝都を見やる。

 

「……帝都奪還がなれば、新作も読めるやも……とな」

「……」

 

 皇女さんの杞憂は帝都奪還ではなく、帝都で出回っている本のことだったらしい。

 ヤクトワルト達のことは勿論心配であるが、その武についてしっかり評価していることから余り心配はしていないそうだ。

 何だよ、それならそうと早くわかっていれば、こんな気疲れもしなかったろうに。

 

 文句を言おうとムネチカを見るが、皇女さんの憂鬱に同調したように頷いていた。

 何だ、これ結局自分の気苦労が意味なかっただけか。

 

「……そうなのじゃ、きっとこの痛みは──」

 

 皇女さんが最後に呟いた台詞は聞き取れなかった。

 違和感に振り向いた時にはそこには笑顔を浮かべる皇女さんの顔があった。なんだ、やっぱり元気だったようだ。

 

 ──そんなことがあった、数日後の訓練である。

 

「──では、行くぞ! ハッくん!」

「そ、それは止めてくれって言っただろ!」

「なれば、小生を打ち破ってから命ずるが良い!」

「そういう武家的な願いじゃなく!」

 

 妙な呼び名が気に行ったのか、二人きりの時や稽古の時はたまに思いだしたように呼んでくるので性質が悪い。

 何度か止めるよう言うもこうして守られていないのが現状である。

 

 訓練場に集まる皆々から笑い声を上げられながら、ムネチカと二人手甲を打ち合うのだった。

 




私こう見えても夫婦プレイには目が無くてね……。
初代うたわれるものでも、ハクオロさんとウルトリィの夫婦ごっこもだいすこです。フミルィルもきっと継承している筈!

しかし、前回の話に合わせて、ようやくフミルィルとムネチカの二人と絡むことができました。
長かったハク包囲網の構築も残りわずかです。後は男連中のフラグだ。(嘘)



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第三十五話 家族となるもの

決戦に向けた最後の日常回。
やっぱり、この人で締めないとね。原作では、ぼろぼろ泣いたシーン。超えらんねえ。


 夕刻である。オシュトルやマロロ、並びに数多の幹部を集め、軍議を行っていた。明日に向けた、最後の確認というやつだ。

 

 そう、明日である。

 十分な数の兵糧、そして兵が揃った。明日は決戦における策を集った各皇と確認し、任命式を行う手筈である。その後、ついに数多の軍を従え帝都に進軍するのだ。

 

 軍議が終わり、皆が明日の為に早々に夕食を食べ寝静まろう、といった頃であった。

 自分も部屋に帰り、さてどこで食べようか思案していると、襖越しに声をかけられた。

 

「ハク」

「ん? オシュトルか? どうした」

「母上のところに共に行かぬか?」

「トリコリさんのところに?」

「ああ、明日からは暫く会えぬ。ハクと共に夕食を取るのも良いかと思ってな」

 

 まあ、どこで食べるかは予定していなかったので、別にいいかと提案に乗ることにした。

 トリコリさんのところによく行くとはいえ、オシュトルと行くのは珍しいな。

 

「ああ、いいぞ」

「そうか、では歩こう」

 

 身支度をした後、二人、共にトリコリさんの家まで歩く。

 夕闇の中、民は既に家路についているため人通りは少なかったが、擦れ違えば皆挨拶をしてくれる。まあ、オシュトルが横にいる分、いつもよりかなり緊張しているようだったが。

 そして、擦れ違う人もいなくなり、真に二人きりとなった時、オシュトルはウコンの口調で切り出した。

 

「……なあ、アンちゃんよ」

「ん、どうした?」

「俺は、ミカヅチに勝てると思うか?」

 

 それは、決戦に向けて抱く、オシュトルの最も懸念することであったのだろう。

 

「そうだな……わからん」

「はっ、そうかい」

 

 嘘は言えんからな。

 というよりも、二人の実力が上過ぎて判断が付かないのだ。

 オシュトルは自分の言葉に自虐的な笑みを浮かべると、不安げに溜息をついた。

 

「策とは言え、俺がミカヅチと決闘するとはな……」

「……」

 

 そう、これまでの軍議で幾度となく相談し決まったこと。

 それは、仮面の力を使うミカヅチを引きつけるため、オシュトルはミカヅチとの決闘に臨むのである。

 

 もし決戦の場でミカヅチに仮面の力を解放させてしまえば、その余波は凄まじい。策の実行どころか、ヤマトの兵は巻き込まれただけで死に絶えるであろう。

 故に、オシュトルはミカヅチを遠くに引きつける策を用い、決戦が終わるその時まで戦う役目を担ったのである。危険な任であるが、正しくオシュトル以外にできるものではない。

 

「心配すんな。さっさとライコウを討って、戦わなくてもいいようにするからよ」

「はっ、ったく頼りになるアンちゃんだぜ」

「だから──」

「ん?」

「──死に急ぐなよ」

 

 死相の見えるオシュトルに、そう言う。

 この顔は、今までも何度も見た。決意の籠った表情である。

 

「……そうだな」

「時間さえ稼いでくれりゃ、こっちが何とかする。教えた口八丁手八丁だけにして、仮面の力を使ったりするなよ」

「ああ……わかっているさ」

 

 本当にわかっているのかね。

 もう一度念押ししようかと思い、口を開いたところだった。

 

 目の前にはもうトリコリさんの家の門構えが見えた。この言葉は帰り際に伝えることにする。

 警備の者に頭を下げてオシュトルと共に中に入り、家の中の者へと声をかけた。

 

「母上、オシュトルが帰りました」

 

 暫くすると、玄関の戸がトリコリさんの手によって開けられ、息子に見せる暖かな笑みで中に招き入れられた。

 

「オシュトル、お帰りなさい……あら? 誰かいらっしゃるのかしら」

「トリコリさん、自分もですが、いいですか?」

「ハクさん! ええ、勿論構いませんよ」

 

 居間に二人通され、腹の減る旨そうな香りが漂って来た。

 炊事場の方から慌てた声が聞こえてくる。

 

「は、母さま! お鍋の水が湧きだしてきたのです!」

「あ、あらあら、ちょっと待ってね……」

 

 ネコネが料理をしていたようだ。

 トリコリさんは足取りしっかりと炊事場の方へ向かっていく。むさい男連中に今できることは無いか。

 居間に座ってじっと待つことにした。

 同じく黙って座っているオシュトルに目線をやる。

 

「良かったのか? 家族団欒を邪魔して」

「ふ、ハクがいれば母上も喜ぶ」

「そんなら、いいが」

 

 料理があまりうまくいってないのだろう。炊事場から聞こえるネコネの動揺した声を楽しみながら、二人他愛ない話をして過ごす。

 暫くすると、ネコネとトリコリさんがほかほかと湯気の漂う料理を運んできた。その際に、自分の部屋以上に寛いでいる自分を見てネコネは眉を潜めた。

 

「ハ、ハクさん? 懲りずにまた来ていたのですか?」

「ああ。オシュトルの誘いでな。懲りずにお邪魔してるぞー」

 

 ネコネは些か驚いた表情を取りながら小言を言うも、後ろに閊えているトリコリさんを思って、慌てて机の上に料理を置いた。

 

「ふむ、美味そうであるな」

「ええ、ネコネが作ったのよ」

「母さまに助言をいただきながらなのです……」

 

 ネコネの料理か。以前一度食べたことがあるが、トリコリさんの味には遠く及ばなかった。

 目の前の一品一品は形もしっかりしているし、純粋に美味そうだ。

 

 皆でいただきますの挨拶をし、箸を進める。

 ほくほくの煮っ転がしや、塩分の効いた鳥出汁の味噌汁などを口に入れ咀嚼する。具材は不出来な形も多かったが──

 

「──う、うまい!」

「本当ですか?」

「ああ、本当だ。おいおい、ネコネ、お前料理上手くなったなあ……」

「ま、まあ、これだけ練習すれば当然なのです。それに、今日は、母さまの助言のおかげなのです」

 

 ネコネが何やらぶつぶつ照れくさげにつぶやいているが、気にせず目の前の料理に舌鼓をうつ。

 母の味というのだろうか、体に染みていくような旨みがある。しかし、ネコネもこのまま研鑽を積めば、エントゥア──いや、ルルティエが作る料理に匹敵するやもしれん。

 ルルティエは自分好みの味付けを知り尽くしているから、今のところ不動の一位であるが。エントゥアはよく酒のつまみを作って持ってきてくれるので不動の二位だ。とりあえず、大雑把な男の料理しか作らないクオンは既に越えているだろう。

 

「うむ、これであればルルティエ殿とも渡り合えるやもしれぬ」

「本当ですか、兄さま」

「ああ、よくやったな、ネコネ」

「えへへ……はいです」

 

 オシュトルに褒められ、露骨に嬉しそうにするネコネ。

 何だよ、全然自分と反応違うじゃないか。

 

 トリコリさんは、そんな皆の様子を微笑みながら見つめていた。目が悪くとも、楽し気な雰囲気を察しているのだろう。

 和やかなまま進む団欒の中、食事の早いオシュトルと自分が全ての品を平らげた頃だった。トリコリさんはぽつりと爆弾を落とした。

 

「そういえば……ハクさん、ネコネとの婚姻はどうなったのかしら?」

「な……母さま!」

「ふむ、あれは……有耶無耶になり、そのままかと」

「兄さまも答えないでくださいなのです! 有耶無耶のままでいいのです!」

「そうかしら……残念ね。ハクさん、どうかしら、もし戦乱が終わったら……ネコネを嫁に貰ってくれると嬉しいのだけれど……」

「みっ!? は、母さま!?」

 

 慌てたようにわたわたと悲鳴をあげるネコネを見ながら、冷静な頭がその危険性を指摘した。

 

 トリコリさん、それ、大丈夫な約束ですか。

 戦争に赴く前にそういう婚約的なことするって、もう死ぬ可能性爆上がりじゃないか。

 

 ネコネのためにもどう断ってやるのが正解だろうか。冗談で誤魔化すのがいいかと思って告げる。

 

「まあ……ネコネがルルティエより料理上手になったら考えますよ」

「んなっ!?」

 

 ぼんっと破裂するかのように頬が赤くなるネコネ。

 

 ──あ、これ冗談で済まないやつだ。

 

 案の定、怒り狂ったネコネは食事中にも関わらず机の下でげしげし自分に蹴りをくれ始めた。

 

「い、いてえって! ネコネ」

「あらあら、ネコネ。そのルルティエさんという方を越えられるよう、これからもお料理頑張らないといけないわね」

「は、はい──って! 違うのです、ハクさんも何偉そうに条件だ何だと……!」

「ふ、まあネコネ、ハクも冗談で言っておるのだ」

 

 かーっと火山噴火のように激昂するネコネを、どうどうとオシュトルが宥めている。

 まあ、ルルティエを越えるのは条件が厳しかったか。ネコネは妹分というか、歳の差がな──それにもう少し凹凸が無いとな。

 

「ふふ、ハクさんの気が変わったらネコネを娶ってあげてね」

「はあ……」

 

 自分の、というかネコネの気が変わらない限り、再婚は不可能な気もするが。

 ネコネは自分の生返事に顔を真っ赤にして怒ったり戸惑ったり、オシュトルはそれを見てにやにやと笑みを浮かべている。阿鼻叫喚であった。

 トリコリさんはそんな周囲の様子に苦笑しながらも、伝えたいことは別にあったのだろう。表情を正して言葉を紡いだ。

 

「そして、もし気が変わらないのだとしても……ハクさん、あなたはもう──私達の家族よ」

「……」

 

 家族、か。

 周囲を見れば、オシュトルはいつもの微笑のまま頷き、ネコネは少し頬を赤く染め視線を反らしているものの、僅かに頷いていた。

 

「ありがとう……ございます」

「ええ……オシュトル、ネコネ、ハクさん……私の自慢の息子達……きっと、帰って来て」

 

 トリコリさんに決戦があることは伝えていない筈だ。

 しかし、こうして三人が集まったことに何かを感じたのだろう。涙を堪えて言う言葉に先ほどまでの空気は霧散し、三者三様しっかと返答する。

 

 ──必ず、ここへ帰ってくる。

 

 トリコリさんにここまで言わせたのだ。帝都を奪還し、ただのハクとして再びここに来よう。そう決意させてくれたのだった。

 

 見送りに来ようとするトリコリさんとネコネを、オシュトルと話があるからと制し、食事の後片付けを終わらせた早々に別れを告げた。

 

 オシュトルと二人、夜風を浴びながら話をする。

 

「ハク、話とは何だ?」

「ああ……」

 

 オシュトルは、家族にすら弱みを見せない。さっきの団欒も無理に明るく振る舞っているように見えた。

 それでも、ぽつりと思わず出てしまった不安。オシュトルは、きっと自分にだけ明かしたのだろう。自分だけにしか、明かせないと思ったのだろう。

 

 であれば、自分に伝えられることは──

 

「──なあ、オシュトル」

「なんだ?」

「自分は、どっちが勝つかはわからん。けどな、この世で最も強い漢は──オシュトル、お前だと思っているぞ」

「……」

「自分がこんだけ負けたのは、後にも先にもお前だけだしな」

「……ふ、そういえば……結局一度も俺に勝ったことは無かったな」

「当たり前だ。自分が勝っていたら、ミカヅチとやり合うのは自分になってただろ」

「くく、違いない」

 

 一頻り二人で笑った後、オシュトルは感慨深げに溜息をついた。

 

「強い、か……」

 

 その表情は先ほどまでの暗いものではない。幾分血色が戻ったように思った。

 

「ありがとう、アンちゃん。覚悟ができたぜ」

「おいおい、死ぬ覚悟か?」

「……いーや、アンちゃんと共に──生き残る覚悟を、な」

「はっ、そりゃいい!」

 

 不敵な笑みを浮かべ、そう言うオシュトル。

 どうやら、不安を払拭することは成功したらしい。

 

「応、心配かけたな」

「……オシュトルが死んじまったら、戦乱後も忙しすぎて死んじまうからな。頼むから生き残ってくれよ」

「くく……まあ俺が生きていても、アンちゃんが忙しいのは変わんねえさ」

「おいおい、勘弁してくれ」

 

 互いににやりと笑った後、オシュトルはトリコリさんの家に泊まると言うので別れる。

 挨拶もせず別れたが気にしない。明日もこうしていつも通り会うのだから。

 

 もうオシュトルの表情に死相はない。きっと、生き残るであろう。自分もオシュトルも、そしてみんなも。

 

 既に闇夜に包まれ冷ややかな風が通る道の中を、熱の籠った心が体を火照らせる。

 

 ──この高揚感は何だろうな。

 

 自分は彼らとは違う存在である。つまりこの世界の余所者だ。

 どうしたって交わることはない。それは、長く一人苦しんでいた兄貴を見ていてもそう思っていた。

 

 ──あなたはもう私達の家族よ。

 

 しかし、トリコリさんは、オシュトルは、ネコネは、家族だと言ってくれた。

 

 ──生き残ろう。

 

 皆で生き残るためには、何だってする。そう思えた。

 

 さ、明日に備えて早く寝ようと思い自室に帰ると、もう一人この決戦に懸念を感じている人物に出会った。

 

「おー、ハク。なんじゃ遅かったがどこかへ行っとったのかの?」

「皇女さん……」

 

 また勝手に寝所を抜けだしてきたな。

 決戦前のこの日にムネチカに怒られても知らんぞ。

 

「ムネチカの許可は取ったのか?」

「うむ、ハクのところへ行くと言ったら、了承してくれたぞ」

「……まじかよ」

 

 ムネチカは一体どういうつもりだ。珍しい。

 

「ハクが護衛であれば心配ないと言っておったな」

「……そういうことか」

 

 つまり皇女さん、このままここに居座るつもりだな。

 自分は明日も仕事は多い。普段のんべんだらりの皇女さんと違って早く寝たいのだ。

 

「暇つぶしなら付き合わんぞ」

「ったく……聖上である余にそのような態度が取れるのはお主とクオンだけじゃぞ」

 

 やれやれと小馬鹿にするように笑う皇女さん。

 さっさと話を聞いて、早々に追いだそう。そう決めた。

 

「で、結局何しに来たんだ」

「む……まあ、話を、とな」

「?」

「……だめかの」

「いや、別に構わんが。で、何の話だ」

「……」

 

 すると、今度は気まずそうに視線を反らす。

 先ほどまでの元気な様子とは一転、何か憂いを見せるような表情である。

 

 ──ムネチカが言っていたことは、ある意味本当だったのかもな。

 

 よくわからん夫婦ごっこなどしてしまったが、皇女さんのこの様子に気付けたのはその一件があったからかもしれない。

 今日ここに来たということは、やはり──

 

「もしかして……決戦が怖いのか?」

「む……そう、なのかもしれぬ、な」

「かもしれない?」

「……わからんのじゃ。こうして、其方らを危険に晒してまで、得ることなのかと」

「……」

 

 それは確かに、今さら誰にも相談できないことではあるな。

 今更やっぱやーめたが通用する程、今の情勢はもう後戻りできないところまで来ているのだ。

 

「今更ながらに、余は震えておる……次の決戦は正しく死地。数多の者が余の為に死ぬ。余に近い其方らは死なずに済んでおるが、もし誰かが……オシュトルや、お主が死んでしまえば、そう考えると余は──」

 

 唇を噛んで震える皇女さん。ムネチカと一緒にいた時は照れてあのような返しをしたのかもしれない。

 皇女さんは、正しく聖上としての悩みを抱えていたんだな。兄貴の後継者として、相応しいじゃないか。

 

 ならば、聖上である皇女さんにしかできないことを、教えてやることにする。

 

「……皇女さんの仕事を教えてやろうか」

「? な、なんじゃ。余の、仕事……?」

「簡単だ。決戦の前に死ぬなって命じればいい」

「……」

「そうすれば、皆皇女さんのために生き残ろうと、必死になって戦うさ」

 

 特に心酔しているノスリとか、死なないために決死の覚悟で戦うなんて矛盾現象が起こるだろうな。

 ノスリみたいな奴はのせればのせるほど力を発揮する傾向がある。まあ、足元が疎かになることもあるが。

 皇女さんは暫く自分の言葉をかみしめるように理解した後、微笑んだ。

 

「……それが、余の仕事なのじゃな」

「おう、威厳たっぷりに、誰もが付き従う感じで頼む」

「ふふ……ハクは相変わらず無茶を言う……じゃが、そうじゃな」

 

 皇女さんは、それで吹っ切ることができたのだろう。

 感慨深げに頷くその瞳には、もう迷いは無かった。

 

「さ、話は終わったか? 明日に備えて早く寝たいんだ、自分は」

「なら、一緒に寝るのじゃ!」

「……はい?」

「添い寝じゃ添い寝! 先日に其方、ムネチカと一緒に添い寝すると約束したであろう?」

「いや、それはムネチカが勝手に……」

「ほれ! ハク叔父ちゃんには、余を暖めるという栄誉をくれてやるのじゃ」

「おいおい、暴君かな」

 

 まあ、いいか。

 皇女さんも年相応に甘えたい年頃なのかもしれないな。旅行行く前に楽しみで眠れない系のやつだ。ちょっと抱きしめて子守唄でも歌えば、さっさと寝てくれるだろう。

 一組の布団に飛び込み、捲ってほれほれと誘う皇女さんに従い、自分も皇女さんの横にすっぽり入った。

 

「お? おぉ……」

「どうした?」

 

 断られると思っていたのだろうか。

 自分も布団に入って寝ようとすると、殊更驚きに満ちた表情をされる。胸元にすっぽり収まる皇女さんは、蝋燭だけが灯る薄闇でもわかる程にみるみる頬を染めた。

 

「こ、これは、なんじゃ、少し照れるの……」

「……」

 

 今更照れるとかやめてくれよ。やりにくいじゃないか。

 

「……子守唄でも歌ってやろうか?」

「い、いらぬわ! 子ども扱いするでない……そ、そのまま抱いておれば良いのじゃ」

「そうかい」

 

 抱いているわけじゃないが、狭いので自然そういう体勢になるだけだ。

 借りてきた猫のように暫く無言で大人しくしている皇女さんを他所にうとうととしていると、皇女さんがおずおずと言葉を発した。

 

「な、なあ、ハク……其方は、この戦が終わればどうするつもりなのじゃ?」

「……んぁ? ああ、まあ、トゥスクルの皇女さんに人質として来いって言われているしな……」

「そういえば……あのいけすかない女とそのような約束をしたような」

「おいおい、忘れていたのか?」

「ふん。そんなもの破棄じゃ、破棄」

 

 憤慨する皇女さんの気持ちもわかるが、トゥスクルには恩も多い。国との約束であるし人質案を廃案は難しいだろうな。いくらクオンが間に入ろうとも無理に断れば新たな戦乱が起こっちまうよ。

 それに──

 

「それにの? 其方はずっと余の──」

「まあ、クオンとも約束したからな。人質関係なく、ヤマトが落ち着けば暫く向こうに行こうかと思っている」

 

 すると、胸元で視線を落としていた筈の皇女さんは、不安げにその瞳を自分へと向けた。

 

「……行ってしまうのか?」

「ん? いやいや、またヤマトにも帰ってくるさ」

「そうか……なら、その時は、余の──」

「皇女さんの?」

「……な、何でもないのじゃ! 気にするでない!」

 

 ぎゅっと目を瞑って眠ろうとする皇女さん。

 話は終わったのだろうか。

 

「……まあ、おやすみ。皇女さん」

 

 追求するか迷うが、トリコリさんのところで腹いっぱい食べた手前、自分も眠い。それに明日も早い。自分の胸の中で未だ反応の無い皇女さんを無理に起こすこともないだろう。子ども体温だからか布団も何だかぬくぬくと温まってきたし。

 

 ──そういえば、チィちゃんもこうして、自分の寝台にこっそり入ってきていたな。

 

 自分以外の温もりに連想したのか、おぼろげな記憶を思い出しながら、温度と静けさに負けてウトウトと寝入ってしまったのだった。

 

 




原作で泣いたシーン。
色々ありますが、トリコリさんとの決戦前の別れは涙が止まりませんでした。やはり原作は永遠の名作ですね。

この作品では、トリコリさんの傍にオシュトルもネコネもいる。そして、本当のハクもいる。
見たかった光景が一つ書けて、一段落ついた気持ちです。さあ、次はいよいよ決戦だ。


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第三十六話 任命するもの

 軍議中、オシュトル(ハク)が長として立っているのと、オシュトルが長として立っているのとでは緊張感が違うと思う今日この頃。


 エンナカムイには濃い戦の匂いが漂っている。

 物量の増加による馬車の行き来、兵装の違う数多の軍兵の行進、各国よりの使者が頻繁に門を潜るなど、来る決戦が近いことを民は感じているようだった。

 

 そしてある日のことである。

 殊更に驚きをもって迎えられたのは、各国の長とそれに並ぶ人物達。

 クジュウリ皇オーゼンと並び歩くヤシュマ他数多の兄妹達、イズルハ皇ノスリに連れられるゲンホウと各氏族長、海を隔ててナコク、シャッホロよりソヤンケクルとイタクが入国する。

 

 頂に立つ者としての貫禄を抱く彼らは、次々とエンナカムイの門を潜り、エンナカムイの城への道を歩く。道中遭遇したエンナカムイの民は平伏する頭を上げる暇すらない程に、迎えられた各国の長と付従う兵は長蛇の列であったという。

 民は理解した。正しく今日、決戦が始まるのだと。

 

「聖上、只今参上つかまつりました」

 

 そして、ここ謁見の間にて真の聖上を掲げ、オシュトル陣営に与する皇とその幹部が集結することとなった。

 

「うむ、遠路遥々よくぞ来たのじゃ、皇達よ」

 

 謁見の間の奥で堂々と座る聖上、オシュトルに対し、一同並んで頭を低くしている。

 正に壮観である。ただ一つ疑問があるとすれば──

 

「……なあ、オシュトル。やっぱり自分もあっち側に行きたいんだが」

「今更何を言うのだ、ハク。其方はこちらである」

 

 小声でオシュトルに抗議するも、苦笑交じりに否定される。

 そう、自分はまさに今、平伏する彼らを見やる聖上やオシュトルと共に並んで座っているのだ。

 他の幹部や、ムネチカ、この国の皇であるイラワジや皇子キウルですら壁側に座っているというのに、こんな場所耐えられない。

 

 オシュトルが表情を改め皆に一瞥した後、本日の題を説明した。

 

「皆、聖上の信、そして某の嘆願に従いよくぞこのエンナカムイまで参った。本日より、我らは共に帝都に向けて進軍、オムチャッコ平原にて陣を構える」

 

 その言を一同は緊張した面持ちで聞いている。

 そう、ついに決戦が始まるのである。勝利し生き残った方がヤマトを継ぐ者として立つのだ。

 

「ヤマト樹立の際に幾度となく決戦の場となったオムチャッコ平原、再びヤマトを巡って決戦の地となるとは……血沸き肉躍るとはまさにこのことだね」

「だが、オシュトル殿よ、俺達をここに集めた理由は何だ?」

 

 ソヤンケクルの微笑と、ゲンホウの疑問に答えるように、オシュトルは言葉を返した。

 

「うむ、ここに集ってもらったのは他でもない──ライコウに策を知られぬため、である。故に、部隊の長として其方らのみを集めたのだ。そうだな、ハク」

「ああ、ライコウの情報網は広い。少しでも盗み聞きされる可能性の少ない、安全な場所で軍議を行いたかった」

 

 そう、オムチャッコ平原で現地集合して軍議でも良かったのだが、ライコウは一の情報で十を知る。

 ライコウにとって、事前の陣の形や物資からもその作戦を読むことは容易い。この作戦は動揺と速度が重要である。事前に読まれることだけは避けたかった。

 

「なるほどね……ライコウとはそれほどの相手だと」

「ああ。ナコクで戦ったあんたならよく知っているだろう?」

「……確かに、警戒していて損は無いだろうね」

「軍議が終われば、我々は直ちに進軍する。マロロには本日より既に先遣部隊を任せ、街道の占拠と陣の構築に取り掛かっている手筈である」

 

 オシュトルの言う通り、マロロは既にオムチャッコ平原へと足を進めている。

 決戦において、全ての献策に関わり、全ての情報を統括した采配師である。ライコウと接敵したとしても持ちこたえられるだけの戦う力もあり、動向も探れる正しく有能な将である。

 オシュトルも自分も、今日の早朝足早く出ていくマロロに全てを任せられる程に信用していた。

 

「まあ、マロロに全て任せるのも忍びない。さっさと軍議を終わらせて、自分達も後に続こうと思う」

「そうだね、我らも現地の様子はしっかりと目に収めておきたい」

「うむ。ではその軍議を兼ねて、早速各々に役職を命じたい──聖上」

「わかったのじゃ。まず──」

 

 皇女さんが、書簡を開きながら一同に決戦における役職を任命していく。

 その役職については、以下である。

 

 先手──長、ムネチカ。副長、キウル。エンナカムイ軍指揮。

 右翼──長、オーゼン。副長、ヤシュマ。クジュウリ軍指揮。

 中軍──長、ノスリ、副長、ゲンホウ。イズルハ軍指揮。

 左翼──長、ソヤンケクル、副長、イタク。シャッホロ、ナコク混成軍指揮。

 遊撃──長、シス。四国混成軍指揮。

 後詰──長、イラワジ。副長、ネコネ。エンナカムイ混成軍、補給部隊指揮。

 隠密──長、オウギ。副長、オシュトル近衛衆、隠密衆混成軍指揮。

 

 そして、本陣には──

 

「そして、軍を統括指揮する本陣。副将兼、采配師はマロロ、そして総大将は──ハク、其方じゃ」

「な……!?」

 

 一同が驚愕に包まれる。

 ああ、自分でもよくわかっているさ。荷が勝ちすぎていることなんてな。

 当然のように各皇から疑問の声が上がる。

 

「な、なぜ、オシュトル殿ではなく、ハク殿が総大将なのですか?」

「それは、某から説明しよう。某は、此度の決戦……ある者との決着をつけねばならぬ」

「ある者……まさか」

「そう、同じ仮面の者──左近衛大将ミカヅチである」

 

 オシュトルとは、以前よりこのことについて度々協議してきた。

 何とかオシュトルを総大将として置けないか、自分じゃなく別の奴にできないか、何度も何度も思案したが──ミカヅチと誰が戦うのかという問いに、結局はこの答えに落ち着いてしまった。

 

「仮面の力は……強すぎるのだ。千の軍など容易く討ち滅ぼす。余波だけで死傷する者も出るであろう。であれば、某とミカヅチだけで、決戦の場から離れたところで決着をつける他ない」

「なるほどのお……」

「おいおい、ライコウと打ち合わせたわけでもないんだろう? オシュトル殿と同じ場にミカヅチが現れるか?」

「ゲンホウ殿の言は尤もである。故に、以前より立地を調べ検討は付けてある。某がそこにいれば、確実に阻止しにくるであろう場所に」

「……もし、それがうまくいけば」

「某とミカヅチは、互いの勝利を賭け一騎打ちをすることになるであろう」

「……双璧を成す君たちの戦いを見られないことは残念だが、そうであれば決戦の指揮など出来よう筈もないね」

 

 ソヤンケクルは納得したように言う。

 しかし、総大将が自分であることに納得できぬ者は未だいた。いつもの温厚な様子は鳴りを潜め、大柄な体をもって不審な目で自分を見た。

 

「オシュトル殿」

「オーゼン殿、何か」

「儂らは勿論聖上の御旗に集っとる……しかしの、オシュトル殿に指揮されるからこそ兵も信じて命をかけるっちゅうもんじゃ」

「……」

「オシュトル殿よりも、このハク殿の方が儂らを動かせるっちゅう証左、見せられるんかいの?」

 

 難しい話である。

 イズルハ、ナコク、シャッホロは、ハクとして交渉してきたことからも幾許か信頼度はある。しかし、クジュウリ遠征の際に彼らと相対したのは、オシュトルの影武者をしていた自分である。

 オーゼンの中では、未だにオシュトル本人が彼らと交渉したことになっているのだ。

 

 さてどうするかと頭を悩ませていると、オシュトルが泰然として言葉を発する。

 

「……証左なれば勿論ありまする。これまで数多の武功を立ててきたハク殿のこと、オーゼン殿であれば適正な評価を下しているのでは?」

「それは勿論じゃが、それは他国でのことじゃろうて。クジュウリではハク殿の名声は轟いておらんのが現状じゃけえの」

「……であれば、このことをお伝え致そう。オーゼン殿、クジュウリへと赴き、其方の信を勝ち取った存在、それは某ではなく、某の影となって動いていた……ハクなのです」

「おい、オシュトル!?」

 

 それ言っちまうのか。

 オーゼンがここで離反したら勝てるもんも勝てなくなるぞ。そう危惧してオーゼンを見ると、その反応は自分の予想とは違うものであった。

 

「……そうか、ようよう、言って下さいました。オシュトル殿」

「やはり、気づいておられましたか」

「ここ最近じゃがの。ルルティエの目がの……最初は違和感も無かったが……」

「そうであったか……オーゼン殿、本来であれば同盟を揺るがしかねない事実である。そなたを裏切るような真似、謝罪しても許されぬ行為であろう」

「いいんじゃ、オシュトル殿。シスからも事前に少しは聞いとっちゃ、あの情勢じゃ仕方なかろうて」

 

 そうだったのか。

 そう思って壁側に並ぶシスを見れば、気まずそうに視線を反らされた。シスも自分の演技に気づいていながら黙っていてくれたってことか。

 であれば、今明かしたことは良かったのかもしれない。ライコウに離反策として利用されることを回避したとも言える。

 

「オーゼン殿……重ね重ね感謝致しまする。もはやこの戦でオーゼン殿無く戦うことなど考えられぬ。何卒、我らと共に、そして某の影として動いていたハクを総大将として認め戦って頂きたい」

「うむ……ルルティエとシスが信用している漢じゃ。儂も信用するけえの」

「……オーゼン、騙していて、すまなかったな」

「いや、ええんじゃき、ハク殿。ルルティエを……シスを、何卒よろしく御頼み申す」

「……ああ」

 

 オーゼンは単なる自分への不信ではなく、己の中で何らかの決着をつけておきたいことだったのかもしれない。

 こうして、自分が総大将となることはここで認められ、自分を中心として軍議が進められることとなった。

 ただ、確認はしておかなければならないだろう。

 

「さて……慣れない総大将なんて任を負っちまったが……自分に対して他に異議を唱える者はあるか? 今なら受け付けるぞ」

「では、私から」

 

 毅然と手を挙げたのはソヤンケクルだ。

 しかし、文句を言おうという雰囲気ではない。にやりと不敵な笑みを浮かべているが、何を言うつもりだろうか。

 

「ナコクで言ったことを覚えているかい?」

「……いや」

「そうか、ではもう一度言おう。もし空白の左近衛大将に任ずるのは誰かとなれば、私は君を推す。君はオシュトル殿と並ぶ──新たな双璧だと言ったね」

「……ああ」

 

 そういえば、新八柱将樹立の際にそんなことを言われた気がする。

 冗談だと流していたが、今思えばソヤンケクルはこの光景をいくらか予想していたのだろうか。

 

「私だけでなく、オシュトル殿も自分に代わることができると認める唯一の男だ。仮面に選ばれし君を総大将として担ぐことなど訳ないさ」

 

 ソヤンケクルの言葉に続いたのはゲンホウとイタクだった。

 

「そうだな、イズルハの氏族達もハク殿にゃ頭が上がんねえ。いくらでも扱き使ってくんな」

「ナコク城もハク殿がいなければ落とされていたことでしょう。その手腕、存分に発揮していただければと思う所存です!」

 

 今、道は決まった。

 反対意見が多ければ多いほど、自分が総大将として動かなくていいと思っていたんだが、四国の皆が納得してしまったなら、もはや動く他ない。

 オシュトルを見れば、その光景をどこか遠い目で見つめていた。何故そんな顔をするのかと問いたかったが、今は軍議が先である。

 

「じゃあ、この決戦に限り、自分が総大将だ。これから戦場盤を見ながら現状と策を話すからよく聞いておいてくれ」

 

 謁見の間を軍議の場とするため、オムチャッコ平原を模した戦場盤と部隊を模した駒を用意させる。

 マロロのいない今、全ての策を説明できるのは自分の他にはオシュトルしかいない。オシュトルはオシュトルで自分に任せることが最善だと、ただ微笑を浮かべているだけだ。

 

 準備が終わって皆で囲み、さあどう切りだそうかと言葉を選んでいた時だった。

 

「なあ、ソヤンケクル。さっきも思ったが、血気盛んだった昔と比べて偉く畏まった口調だなあ」

「……君、あまり昔の話はここでしないでくれないかな。時の流れが私をこのように成長させたのだよ」

「はっ、今もそうやって相も変わらず突っかかってくるのは変わらんがね」

「君が言うな!」

 

 何だ、ソヤンケクルとゲンホウが喧嘩してるぞ。

 聞けば、旧知の仲であるという。アトゥイとノスリによれば昔からの喧嘩仲間だそうだが、流石に軍議中であるからしてオーゼンが語気を荒げた。

 

「わいら、聖上とオシュトル殿の御前じゃけえの、昔馴染の乳繰り合いはそれぐらいにしときよんなら!」

「す、すまない、オーゼン殿」

「そうやって直ぐ謝るのも歳の功ってやつだな」

「全く、君はガキ大将のままだな!」

 

 イワラジも懐かしい面々の喧嘩を見て微笑んでいる。何だろう、総大将の任、自信無くなってきたなあ。元からあるわけではないが。

 

 しかし、こういった光景はいつものことなのである。自分が頭として話し始めると、途端にこうして場がわちゃわちゃとし出すんだよなあ。

 自分の前だと気が抜けるのかね。

 

「おいおい、ゲンホウさんよ。もういいか?」

「ああ、すまねえハク殿。俺と並ぶ問題児が畏まってるもんだからよお、つい」

「彼は放っておいて、ハク殿、軍議を始めようか」

 

 ようやく本題に入る。

 皆が見守る中、地図と駒を指さししながら説明を始めた。

 

「まず、事前にわかっている兵力だが……こちらが僅かに勝っている。特に騎兵部隊は多く勝っているという状況だ」

「ふむ……それはどうしてなのですか?」

「こちらに賛同する国と、相手に賛同した国の兵力を換算した結果だな。後背を突かれないため帝都に駐留させなければいけない数も考えれば、兵力は大きく勝る、もしくは僅かに勝るといったところだ」

「なるほど……」

 

 実際に平原で相手の数を見てみないことには確信は持てないが、動かせる兵を考えればこちらの方が多いと言うのは共通の見解であった。

 

「また、シャッホロ海軍による川を使った奇襲によって、相手の兵糧や補給部隊も継続的に叩ける。であれば、それに対応する兵も広く配置しないといけない」

「ああ、海軍の本領発揮だ。期待していてくれ」

 

 この計算には、海運を握っていることも大きく関わっている。

 撤退戦も考えれば、帝都から平原に続く道にも兵を配備しておかなければ、シャッホロによって後背を突かれる可能性もあるのだ。ライコウが兵を割かずにいることは考えられなかった。

 

「故に……数は勝っている。であれば、まずは負けない戦をすることが肝要だ」

「……つまり、定石通り兵の損耗を抑える戦いをするってえことか」

 

 敵の出方がわからない以上、敵の戦略、陣形、練度、その他諸々の情報を得るために、緒戦は定石通り守りを固めることが大事だろう。

 

「最初は守りの堅い鶴翼の陣形を維持しながら、相手の策を知るところから始めたい。故に先手にも戦線維持を得意とするムネチカを起用している」

「相手の策とは?」

「向こうの陣形を見ないことにはわからないが……恐らく通信兵を用いた戦略を取るだろう」

 

 それは、自分が帝都に囚われていた時に見たライコウの手腕による確信であった。

 

「ナコクを攻める際だけでなく、この広いヤマトの情報を瞬時に得るため通信兵を多く使っている。その殆どを此度の決戦に用いたとすれば……」

「……しかし、通信は基本一対一、三名以上の複数処理は難しいのでは?」

「まあ、普通ならな」

 

 しかし、相手はライコウだ。思いもよらぬ通信兵の扱い方をしてくる可能性はある。警戒はしておいたほうがいいだろう。

 

 ただ、朝廷に囚われていた自分を助けるため、鎖の巫女の姿を見せたこともある。

 こちらが鎖の巫女の能力を扱っていることも向こうは十全に理解しているため、通信兵ありきの戦略ばかりを取ることはないかもしれない。

 

「その、通信兵とやらを使った戦略ってのは具体的にはどういう戦略なんだ?」

「怖いのは……用兵だな。通信兵を各部隊に置いていれば、有能な将は必要ない。言うことさえ聞いて動いていれば、全部隊にライコウが複数いるのと同義だ」

「そいつは……確かに怖い話だ」

 

 情報戦。ライコウの真髄である。

 この時代にありて情報の真なる価値を知り、数多の通信兵を育成してきた男なのだ。わかっていても、対策しようがない鉄壁の策である。しかし故に──

 

「それでは、その通信兵を万全に用いたライコウを打ち破る策はあるのかい?」

「ああ、ライコウの弱点──それは疲労だ」

「疲労?」

「ああ、通信兵を用いて兵を動かせる。それは利点でもあるが……裏を返せばライコウには己で判断できる名だたる将が少ないということでもある」

「どういうことじゃけぇ?」

「つまり、あんたらみたいな歴戦の将は、オシュトルに言わせれば戦場の空気を知って動く……勘ってやつだな。こっちが指示しなくても、ある程度最善策を実行してくれる」

「おいおい……オシュトル殿よ、あまり買い被られても困るんだがな」

「ふ……其方らは八柱将の中でもその名を轟かせてきた名将である。某は信じるに足ると思う次第である」

 

 ヤマトの双璧オシュトルにそう評され、悪い気はしないのだろう。

 将達は否定もせず、好戦的な笑みを浮かべていた。

 

「まあ、つまりだ。相手方の兵は何をするにしてもライコウのみに頼っているから、常に指示を出し続けないといけないライコウは時が経つに連れ疲労していくってことだ」

「……まあ、理に適ってはいますね」

 

 イタクが納得するように頷いた。

 

「ライコウにとって、戦場は駒の動かし合いだ。駒が勝手に動くことだけは許さない。それが、自分たちとライコウの違う点だ。そこを攻める」

「長期戦にするんだね」

「最初はな……それを可能とする十分な数の兵糧もある。ライコウが疲労を見せた時、怒涛の奇策で以ってライコウの動揺を誘う」

 

 この日の為に、できうることは全てしてきた。

 オシュトルが頭として立っている間、自分は影としてありとあらゆる面から情報を遮断し、皆と策を用意してきた。

 必ず、実現する。そして──

 

「そして、本作戦の要となる部隊は、各国から猛者を選りすぐった本陣だ。マロロ、ムネチカ、キウルが直々に調練した混成部隊。この決戦のためだけに用意した部隊だ」

 

 皆にこの部隊の本質を語る。

 そして、策の全てを話す。一つ明かす度に、皆の表情には驚愕と不安が混じる。

 その驚愕と不安を解消し、また次の策を明かす。最後まで語った時には、皆の表情には期待と焦燥が混じっていた。

 

「このヤマトの決戦に、聞いたことも無い奇妙な策──ライコウの驚く表情が楽しみだよ」

「ああ、早く戦いたいもんだねえ。うっかり口を滑らしちまう」

「おいおい、それは勘弁してくれ」

「しかし、中々の賭けですね……策士策に溺れるともあります」

「ああ、イタクの言うことも尤もだ。この策は一つ狂えばライコウに届かない。しかし、オシュトルやマロロ、皆で相談した結果、この策が生まれた。実現できない時は負ける時だ。何としてでも実行したい」

「はい……」

「策の実行、陣形の変更は戦太鼓の合図で行う。譜面を覚えてくれよ」

「合図が無いときは?」

「あんたらに任せるさ。皇女さんの勝利を願って動く……同じ仲間なんだからな」

 

 軍議は終わった。

 ついに進軍の時である。

 

 待っていろライコウ。決戦の時は今そこまで迫っている。

 

 




ライコウとの決戦で原作と大きく違う点。
オシュトルが生きていること、マロロが味方であること、ハクがヴライの仮面を被っていること、ウズールッシャが絡むことは大きな要素ですね。

他にも……
ハク側は、囚われた際に、通信兵の存在とライコウの大義を知っていること。
ライコウ側は、ハクと鎖の巫女の存在を知っていること。

故に、この決戦の形も決着も原作通りとはいきません。
原作を超えられることなど無いため、書いては違うな、を繰り返しました。
そんな無い頭を絞って書いた決戦は、また後日添削の後投稿いたします。

うたわれ原作のBGMとか流しながら読んでいただけたら幸いです。


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第三十七話 決戦なるもの 壱

部隊表載せときます。力量不足で描写意味わからん場合は参考にしていたただけると助かります。

本陣――総大将、ハク。采配師、マロロ。四国騎馬混成軍。
先手――長、ムネチカ。副長、キウル。エンナカムイ軍指揮。
右翼――長、オーゼン。副長、ヤシュマ。クジュウリ軍指揮。
中軍――長、ノスリ、副長、ゲンホウ。イズルハ軍指揮。
左翼――長、ソヤンケクル、副長、イタク。シャッホロ、ナコク混成軍指揮。
遊撃――長、シス。副長、クジュウリ幹部複数名。四国混成軍指揮。
後詰――長、イラワジ。副長、ネコネ。エンナカムイ混成軍、補給部隊指揮。
隠密――長、オウギ。副長、オシュトル近衛衆、隠密衆混成軍指揮。

    「先手」
「左翼」「中軍」「右翼」
「遊撃」「本陣」「遊撃」
    「後詰」



 オムチャッコ平原。

 そこでは、二つの大軍が雌雄を決するために対峙していた。

 

 互いに牽制しながらも陣の構築は滞り無く終わり、戦場に並ぶ兵は合図を待って身を正していた。

 

「ついに、決戦の時だ。これより、最後の軍議を行う」

 

 以前の任命式の面々にマロロを加え、最後の確認を行うこととなった。

 開口一番は、先手副将キウルである。

 

「先手、第一から第十、陣形構築完了しました」

「おお、報告ご苦労。他はどうだ」

「右翼、滞り無く完了しておるけえの」

「中軍も練度、展開速度共にいい調子だ。このままいけるぜ」

「左翼、完了している。ただ、陸は本領ではないから注意しておいてくれ」

「遊撃、展開完了致しましたわ。先手、右翼、左翼との連携もできましてよ」

「後詰も兵糧と補給経路、物資は確保済みであります。現在の量だけでも、三日は十分に戦えるかと」

「本陣も既に準備よし、だ。では敵勢力の確認をする」

 

 現在のライコウの布陣を見て、各々が判断した意見を集めていく。

 

「ここからでは判断しにくいが、歩兵は五分か、それ以上。騎馬もこちらが勝っていると思う」

「伏兵にどれだけ割いているかはわからないけれど、純粋な騎馬戦力の数は明らかにこちらが勝っていると思うかな」

 

 物見櫓から確認したノスリと、事前に丘から偵察していたクオンの言である。

 純粋な兵力は上。予定通り、まずは数の有利を取れたと思っていいだろう。

 

「オウギも裏を取ってくれている。ノスリと、偵察に行ったクオンの言を信用していいな?」

「はい、草からの情報でもクオンさんと同じ報告を受けています」

「懸念はウズールッシャの軍勢だが……今は確認できず、か」

「はい……何しろ平原に点在しているものだけでなく、周囲の丘や森も隠れられる場所は多々ありますからね……」

 

 陣の構築に時間を割かなければいけない手前、探索にまで時間を割くのは難しいか。

 エントゥアやヤクトワルトが何とか妨害してくれていると考えたいが──

 

「もし狙うとすれば補給線だ。後詰部隊は警戒しておいてくれ」

「はいなのです」

 

 自軍と敵軍の比較報告が終われば、後は策の確認である。

 戦太鼓の譜面を各々頭に入れながら、作戦行動の順序と変更になった場合のことを話す。

 最後にマロロが再確認を促すように説明した後、戦太鼓によるある譜面を指さした。

 

「ハク殿から聞き及んでおると思うでおじゃるが、実行の合図はこれでおじゃる。その時は、自軍が如何なる状況においても、遂行を命令したものと思ってほしいでおじゃる」

「了解した。ふふ、腕が鳴るね」

「ああ、イズルハもこの日の為に随分鍛えた。期待してくんな」

「まずは、前哨戦。先達の目もある。小生の武をお見せしよう」

 

 ムネチカが憤然とした様子で声を発する。

 ムネチカであれば、かつての八柱将である彼らに劣らぬ活躍をしてくれるだろう。

 

「ムネチカ殿、まずは鶴翼で様子を見るでおじゃ」

「あんたは作戦の肝だ。無理はするなよ、ムネチカ」

「ああ、この日のために騎馬の練度も上げている。撤退の場合は指示を頼み申す」

 

 さて、軍議は終わった。後は各々が兵の展開を済ませ、号令をかけるだけだ。

 後ろに控えるオシュトルに、声をかける。

 

「オシュトル」

「……」

 

 軍議の輪に入りながらも、目を瞑って黙祷している様を見れば、オシュトルだけは一段違う空気を放っていることがわかる。

 声をかけるも気づいた様子は無い。小さな椅子に一人腰を下ろし、鞘に入れたままの剣を地面に垂直につき両手で支えている。

 

「兄さま……」

「……オシュトル殿」

「何とも……抜き身の刀を当てられているような感覚になりますね」

 

 今のオシュトルはミカヅチとの決戦を控え、ぴりぴりとした圧を放ち続けていた。

 誰もがその姿を見て、正しくこのヤマトの双璧であることを実感した。剣鬼、今のオシュトルに敵う奴は──ミカヅチしかいないであろう。

 怯えたように身を竦めるイタク、マロロやネコネも心配そうに遠くから見つめている。

 

 近づけば斬られる、そのような感覚を得ながらもその肩を叩いて呼び覚ました。

 

「オシュトル」

「む……」

「そう気負うな」

 

 まあ、そうは言っても気負うだろう。

 オシュトルはどこまでいっても真面目な奴だから。だから、頼りになるんだがな。

 

「軍議は終わった。さ、皆が軍議終了の合図を待っているぞ」

「……ハク、総大将は其方である。合図は其方の仕事ではなかったか?」

「……やっぱり?」

「ふ……ハク、変わらぬな」

 

 そこでようやく肩の力が抜けたか。

 オシュトルは笑みを見せ、軍議に集まった面々に言葉を紡いだ。

 

「……皆の者、我らは同じ聖上を掲げし仲間である。某は、生き残るためにミカヅチと戦う。其方らも、勝利の為に戦うのではなく、生き残るために戦い、そして勝利するのだ」

「……兄さま」

「ええ、きっと勝ちます、オシュトル殿!」

「うむ、皆で生き残るのじゃ!」

 

 オシュトルの言葉に、皆は口々に賛同した。

 やはりオシュトルが言ってくれると場が締まるな。軍議を終えて皆が部隊に戻っていく中、オシュトルに小声で話しかける。

 

「ああ、そうだ……オシュトルに御守りをやろう」

「……これは」

「返しに来い」

「……ああ、必ず」

 

 鉄扇である。

 これが自分の命を何度も救って来た。クオンの言では昔使っていた人もこれには何度も助けられたそうなので、きっと役に立つだろう。又貸しになるのでクオンには内緒だが。

 オシュトルは鉄扇を大事そうに握りしめた後、心臓を護るかの如く胸元に仕舞う。そして、覚悟を決めた瞳を見せた。

 

「兄さま……」

「ネコネ、大丈夫だ。某は、必ず帰ってくる」

 

 不安そうなネコネの頭を撫で、オシュトルは背を見せた。

 オシュトルはこの後、平原に点在する木々を通りながら、僅かな奇襲部隊と共に平原傍にある丘へと進軍する。ライコウであれば、この動きを見てこちらの思惑にも気づくであろう。きっと、オシュトルと同じ場所にミカヅチは来る筈だ。

 

 オシュトルと並び、皇女さんを呼ぶ。

 これより三人で全軍の前に立ち、兵を奮起させる役目を担うのだ。

 

「よし、皇女さん。演説だ、皆が生き残るよう頼むぜ」

「……うむ、任せよ! 余の言で少しでも奮起させてみせるのじゃ!」

 

 各々緊張した面持ちながら、三人で全軍が見える位置まで移動する。

 この演説の後、ついに決戦は始まるのだ。

 

 全軍は期待するように見上げ、この決戦における御旗を希望の目で見つめていた。

 ウルゥル、サラァナに呪法の展開を頼み、自分達の声を遠方まで響くよう増大させる。

 

「今、我らは決戦の時を迎えた! 新たな時代、新たなヤマトを産み落とすための、決戦の時じゃ! 帝都奪還を果たす……これは余の我儘じゃ、じゃが民を想うこの心に偽りはない! 其方らの働きに報いる為に! ヤマトの民の為に! 今一度、力を貸して欲しいのじゃ!」

 

 皇女さんの凛とした声が響く度に、兵士の瞳には熱した心が宿っていく。

 

「余と共に生き残り、余と共にその勝利を見よ! 余の愛しき戦士達よ!」

 

 皇女さんの演説は、それはもう頼もしいものであった。

 兵は奮起し、吠え、兵が持つ武器は天高く掲げられた。さて、場を暖めてもらった後は自分の番である。

 

 ああ、嫌だ。しかし、やらねばならない。

 声を張り上げ、己の名を叫ぶ。

 

「我は、オシュトルに代わりこの戦場の総大将を任された、仮面の者ハクである!」

 

 兵達の間にざわざわと戸惑いだけでなく期待の声が上がる。

 

 ハク、この名は一応自軍の兵に轟いてはいる様だ。

 新たな仮面の者、ヴライの力を継ぎし者、エンナカムイを防衛した者、帝都より単身脱した者、ミカヅチを二度退けた者、ナコクを救った者、イズルハを纏めた者、これまで各国で立ててしまった様々な功績が、自分の声を兵の心に届かせる手助けとなった。

 

「敵は神速の用兵術を誇るライコウ! しかし、其方らもこれまで血の滲む調練に身を窶し、その練度を極限まで高めてきた! 其方らは一人一人がヤマトに誇る猛将──もはやライコウになど遅れは取らぬと断言しよう! 恐れず戦えッ! ヤマトの強者共よッ!」

 

 右手を振り上げ、ネコネとマロロに事前に考えてもらった言葉を、ムネチカとオシュトルによる鬼の反復練習で培った感情たっぷりに叫ぶ方法を忠実に実践する。

 日々の鍛錬のおかげで幾分か効果はあったか。にやにやとした旧知の仲間達の表情が気にかかるが、兵の気力は上がったようだ。

 ライコウの草に対して本陣はオシュトル無くとも盤石であると示すためにも、ミカヅチを釣りだすためにも、自分が演説することは必要なことだった。

 

 後は、オシュトルが開戦の狼煙をあげてくれれば、いよいよ決戦は始まる。

 

 そう思ってオシュトルを見れば、決起の咆哮をあげる兵の前で、暫くそれを感じ入るように目蓋を閉じていた。

 そして、一つ伝えたいことがあると前置きし、皆によく通る声で言葉を紡いだ。

 

「今、ここに時機は成った。これまで数多の戦に勝利し、ついにここまで来たのだ──」

 

 その声は低く、静かなものだったが、英雄オシュトルの言葉である。誰一人として聞き漏すまいと、その耳を傾けた。

 

「ここまで来て、一つ理解したことがある。某は──英雄ではない」

 

 自嘲ではない。その声色は自信を帯びた断言に等しいものであった。

 

「これまで勝利を齎してきたのは、某ではない。ここにいる聖上、ハク、数多の仲間達……そして、某を支え、その身命を以って武器を振るってきた其方らである」

 

 オシュトルの言葉、表情、放たれる圧、その全てが英雄足る存在であるというのに、なれど自らの力では無く皆のおかげであるという。

 まさに皆の求心を集めるオシュトルらしい言葉であった。

 

「某は英雄ではない! 英雄とは其方らのことである! これまで数多の勝利を齎した戦士たちよ! 其方らは今日、この決戦に勝利し! ヤマトの歴史に永劫刻まれる──英雄と、うたわれるもの達よッ!!」

 

 皇女さんの時よりも、自分の時よりも、はるかに興奮し喉が枯れる程の叫びを挙げる兵達。

 嬉しくないわけがない。このヤマトの誇る英雄が、自らよりも我らこそが英雄だと称えてくれたのだから。

 

 オシュトルの合図によって戦太鼓が鳴り響く。

 もはや兵に動揺は無い。重なるようにして兵の歓喜と焦燥と恐怖、他にも数多の感情が綯交ぜになった叫びが戦場に響き渡った。

 

「全軍! 前へ!!」

 

 オシュトルの姿を間近で見て思う。やっぱり──お前は恰好良いな。

 

 だから自分はお前に──

 

 脳裏に過った自分らしくない思考は、一瞬であった。

 兵の指揮を取るためにマロロと話を始めた頃には、自分の違和感は消え去っていた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 時は僅か遡り、エンナカムイの軍勢が陣を構築している頃。

 ライコウは予想通りの動きをする敵軍の様を見て笑みを浮かべていた。敵の軍議に草を入れる余裕は無かったが、聞かずともわかる。

 シチーリヤや通信兵から齎される情報。陣の展開、本陣の動き、御旗はオシュトルのものであるが──やはり、戦場を差配する総大将はオシュトルでは無い。

 

「総大将はハクか……やはりな」

「兄者……これは」

 

 わかっているぞ、ハク。お前の思惑など。

 

「オシュトルを総大将にできぬ理由など一つしかない──お前への挑戦だ。オシュトルが単身、お前を呼んでいる」

「……兄者の言う通りになったな」

「ああ、お前達だけで存分に戦い、決着をつけて来い。俺は──」

 

 ──ハク、お前との決着をつける。

 

 ミカヅチと二人、薄い笑みを浮かべる。

 

「さあ行け、横合いより仮面の力を使われても面倒だ。敵の号令が響く前に、部隊を纏めて進軍せよ」

 

 戦はまだ始まってはいない。しかし、ミカヅチを早々に派遣することを決める。予想であれば、開始と同時に敵本陣には既にオシュトルの姿はないであろう。オシュトルがいないことを隠すつもりも無い筈だ。

 ハク、お前の考えはこの俺と似ている。仮面の力でこの決戦を左右するなど無粋だと思っているのだろう。

 この高揚感、ヤマトの歴史に深く刻まれるであろう。この大戦は、永遠にうたわれるものとなる。

 

「さあ、開幕するとしようか……ハク! 今度は邪魔する者などいない! 思う存分楽しもうぞ!」

 

 戦場に重々しく鳴り響く戦太鼓によって、敵軍の先鋒が動きを見せる。

 感情に浸る間などない。与えることもない。我が神速の用兵術を見せてやろう。

 

「こちらも先手を出せ──さあ、我が速さについて来られるか? ハク……!」

 

 今、互いの号令を以って、オムチャッコ平原決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 緒戦である。

 騎馬部隊を中心とした先手であるムネチカの部隊が接敵、続いて右翼、左翼が接敵した。

 中軍は先手の補助、または右翼と左翼の崩れた部分を補うように展開している。

 

 暫くこちらが押しているも、徐々に敵軍の動きが機敏になり始め、先手、右翼、左翼が動揺したように陣形を乱し始めた。

 マロロが幾分予想していたかのように言葉を発した。

 

「……やはり、通信兵と部隊の練度は並外れているでおじゃるな」

「ああ、あれを寸断するのは苦労しそうだ」

「むむ……先手は中軍まで後退、中軍第三、右翼第一から第二は鶴翼の形を展開させて後退する先手を守るでおじゃ!」

 

 マロロの機敏な伝令が楽鼓衆に伝わり、戦太鼓が鳴らされる。

 しかし、その太鼓の音が届くころには、さらにライコウの機敏な用兵術が牙を剥いた。ムネチカも善戦してくれているが、ああも周囲から囲まれ右翼と分断されると厳しいか。

 事実確認をしようと、後ろに控えている双子に声をかけた。

 

「──どうだ、ウルゥル、サラァナ」

「……多い」

「気持ち悪い程に混線しています。暗号も複雑化してあり、時間によって指令形態も変えているようです」

「やはり、鎖の巫女を対策してきたか」

 

 自分を助けるために姿を見せたこと、通信兵の傍受にも明るいことがばれてしまったのだろう。

 ただ、双子にできることは傍受だけではないことをライコウは知らない。それが切り札となればいいが──

 

「策の傍受や、偽の情報を流すことは可能そうか?」

「時間」

「解析さえできれば、果たして見せます」

「ああ、頼りにしている」

 

 緒戦を経て、現在わかっているライコウの策。それはライコウの十八番である、通信兵を用いた神速の用兵術。

 通信兵を各部隊にそれぞれ配置し、ライコウと部隊の通信兵の情報を統括して指令を出す者──司令塔のような役目をする兵がいることがわかった。

 奴らを如何にして寸断するか、それが課題なのであった。

 

「こちらの動きを見て、長期戦だと感じているかな」

「ふむ……わからぬでおじゃるが、妙だとは思っているでおじゃ」

「なぜだ?」

「潰走を見せても追撃の手が緩く……警戒はしておるようでおじゃるからな」

「なるほど」

 

 マロロと話しながら、ライコウの末恐ろしさを感じる。

 流石はライコウ。こちらの思惑も透けて見えるか。これは動揺を誘うまで骨が折れそうだ。

 

「仕掛けてくるかな」

「マロがライコウであれば、長期戦を嫌うでおじゃる。故に──」

 

 そこに、本陣へと伝令が慌てたように駆け込んできた。

 

「で、伝令! 後詰部隊に襲撃あり! 敵兵ウズールッシャの兵装であります!」

「……やはり、来たか」

 

 伝令役はオウギの隠密部隊の者だな。警戒網に引っかかってくれたか。

 しかし、ヤムマキリが来たか──エントゥア、ヤクトワルトだけでは、奴を留めること叶わなかったというのだろうか。元々短い期間である、十二分に戦力をまとめてきたのは向こうも同じなのだ。

 

「本陣より援軍を出すでおじゃ! 後詰にだけは被害を出してはならんでおじゃる!」

 

 後詰には長期戦を可能とするための食糧、備蓄だけではない、数多の戦略物資が秘匿されている。その正体を暴かれるだけでもこちらにとっては厳しい。

 元々後詰部隊の戦力をネコネの元増強させていたとはいえ、マロロの指示通り助けに行く必要性はあるだろう。

 

「オウギが食い止めてくれている間が肝だ。本陣第五、第六はそれぞれ左右から出陣、第四は自分たちに続け! ネコネの部隊を助けに行くぞ!」

 

 想定していた動きでもある。迅速に対応するのが吉と、伝令を飛ばすのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ライコウ軍、本陣にて。

 

「ヤムマキリ殿より伝令、後詰部隊襲撃も、隠密護衛部隊の層と、敵本陣展開が早く一度目の襲撃は失敗とのこと」

「ふん……所詮愚物か」

 

 しかし、これで良い。

 被害を出せれば上々であったが、常に襲撃があるという恐怖だけでも与えられれば良い。それだけで自軍よりも多数の騎兵部隊を抱える敵本陣の動きを制限できる。

 

「本陣の騎兵部隊を割かせるよう、定期的に奇襲をかけさせろ」

「はっ」

 

 今回の襲撃失敗、敵の動きからも、後詰を狙われることは想定の内であったのだろう。

 そして、今の敵軍の動きでわかったことはそれだけではない。襲撃に備えて後詰への警戒度が高いことからも、敵が長期戦を狙っていることは明白であった。

 

「ハクよ……俺が疲労するまで待つつもりだな」

 

 指示統括、最終決定は己一つ。この広い盤面を注視し、指示を出し続ける労力は、確かに己に蓄積するものである。

 しかし、俺はこの決戦が終わるその時まで、ここを離れるつもりはない。故に、このような策を弄したのであろう。しかし──

 

「この俺の疲労と通信兵の解析が唯一の勝ち筋とはいえ……長期戦狙いとはな。ハクよ、貴様に消極的な策を取らせるつもりなど毛頭ない」

 

 長期戦を取ることによって、鎖の巫女がこちらの指示を傍受、解析し、戦場に生かすつもりなのだろう。

 しかし、こちらも複雑な暗号化と、それに伴う時間変更、短文指示という三つの対策を用意している。

 伝達する速度、指令が末端まで行き渡る時間は以前よりも遅くなりはしたが、敵の戦太鼓での指令などという前時代的な指令よりは圧倒的に早い。

 

 なれば、この通信兵の利を生かしたまま、解析する暇すら与えぬ。

 

「神速のライコウ、その手腕を見せてやろう」

 

 いつまでも後詰を護れるわけではない。我が波状攻撃に耐えられるかな。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オシュトルは平原の傍にある小高い丘から、目下戦場を眺めていた。

 ハクの軍はライコウの軍に翻弄され、分断され、それぞれの確固撃破を狙われている。各々の将の奮起によって少し戦線を押し戻すも、再び戦線を大きく戻される。戦場を支配するライコウの軍は、縦に大きく伸び、ライコウのいる本陣から遠く離れた場所で戦ってしまっている。

 

 戦況は誰が見ても芳しくはない。

 しかし、ハクもやられてばかりとはいかない筈、きっと形勢逆転の芽はあるであろう。

 

 ぴり、と静かな殺気が場に満ちる。

 

 ──来たか。

 

「ここからは戦場がよく見える……仮面の力を使えば、敵味方問わず大打撃を与えられる立地だ」

「……久しいな、ミカヅチ」

「久しいな、オシュトル」

 

 ミカヅチは、某の横に立つと同じように戦場を眺めた。

 互いに死地、しかし武器はいつでも抜ける状態を維持している。

 

「よくぞ、某の居場所を見抜いた」

「フン……もし貴様が来るとするならば、ここしかないと兄者に言われてな。相も変わらず頼りになるものよ」

 

 互いの表情を見ることも無い。

 しかし、同じヤマトを憂い、帝に忠を尽くしてきた友であるからこそわかる。

 

 きっと、笑っているのだ。

 この決戦を機に、某も昂っている。何とか己を諫めようとしたが、できなかった。

 死を覚悟した故に二度と決着をつけること叶わぬと諦めたこともある。しかし、今ここで、お互い十全の力を以って戦う機会が訪れたのだ。

 

「──闘ろうぞ、オシュトル」

 

 喜色を帯びたその声に、剣を持つ小指がぴくりと震え応える。

 

 その言葉だけで良い。

 もはや互いに問答は必要ない。

 

 ミカヅチが発した言葉を機に、己の神速の剣をミカヅチへと放った。

 

「ッ──」

 

 空気が破裂するほどの衝撃。

 剣を放ったのは全くの同時であった。某の剣に難なく打ち合うミカヅチの大剣、地は抉れ互いの体は大きく後退する。

 

 土煙が濛々と上がるその切れ目に、ミカヅチは某の顔を見て──その表情を歓喜に歪めた。

 

「──いいぞ、オシュトル! その目だ! 敵と定め! 屠る! それでこそ、生涯の好敵手! この俺がただ一人認めた──宿敵オシュトルッ!!」

「ミカヅチィッ!!」

 

 裂帛の咆哮と共に互いの剣が交差する。

 かつてない強敵、己が認める己を超え得る最強の友、数多の想いを胸に二人の剣は金属とは思えぬ音を響かせ、その火花を散らした。

 

 ──仮面は使うなよ。

 

 ハクの言葉が脳裏に過る。しかし、いざとなれば使わざるを得ないかもしれぬ。

 仮面の力を引き出すには隙ができる。その隙を与えぬままに剣を交える。それだけが、己が生き残る道なのだ。

 

 戦場はまだ半ばである。

 戦が終わるまで、ハクがライコウを討つまで、己は剣を振り続ける。母との約束を果たすため。ハクとの約束を果たすため。ネコネとの約束を果たすため。マロロとの──

 

「「──おおおおおおおッッ!!」」

 

 己に剣が掠め、血が走るたびに、仲間の表情と約束が思い浮かぶ──生き残る、そう誓った。

 そして仲間だけではない。目の前の友をも救うため、某は剣を振り続ける。

 

 一際大きい剣戟を交わし、ぎりぎりと互いの剣を以って相手に圧をかける。

 瞳が交差する距離。ミカヅチの瞳には某の姿が、某の瞳には己の狂喜に満ちた表情が映っていることを確認し、なおその笑みを深くする。

 

「──やるな、強敵よ」

「──ああ、其方もな」

 

 互角。

 これであれば、いくらでも剣を交えることができる。

 いや、違う──終わってなどくれるな。

 

 亡き父上の姿を夢想する。

 憧れ、その背に追いつくと誓った存在。

 

 ──父上、某は数多の仲間に支えられて生きておりまする。故にこそ、こうして頼り頼られ、父上のように戦うことができたのです。某の……俺の勇姿を、とくと御覧あれ! 

 

「はあああああッッ!」

「があああああッッ!」

 

 咆哮と共に打ち合う度、己の筋肉が悲鳴を上げる──否。歓喜の声に震えている。

 交錯する必死の剣がミカヅチの腿を掠る。小さな裂傷は互いに十を超えた。

 

 ハクが──仲間がいるからこそ、俺は今ここで戦える。

 終わってなどくれるな。一人ではない。俺だけではない──俺達の、決戦である。

 

「ミカヅチィイッッ!!」

「オシュトルゥッッ!!」

 

 双璧とうたわれる者達の決闘は、戦地から離れた──誰の目にも届かぬ小高い丘の上で始まった。

 

 その戦いは数多の戦場の中で最も苛烈を極め、互いの剣技に血風が舞う様は見惚れる程に美しいものであった。しかし、それが誰の目にも映らぬことを惜しむことはない。互いの瞳にのみ映っていればいいと、某もミカヅチも、きっと感じていたのだろう。

 

 ミカヅチとオシュトルの剣戟は、その後も延々と鳴り響き続けた。

 

 

 



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第三十八話 決戦なるもの 弐

 

 中盤戦が終わった。結果、相手の通信兵部隊にいいように動かされ、こちらの戦線は収縮、相手側の戦線は大きく伸びた状態であった。

 敗戦濃厚、そう評する者もいそうである。しかし、ここからだ。

 

 一度戻した数名の幹部たち、ソヤンケクル、ゲンホウ、ヤシュマ、シスを集め、簡易的な軍議を行う。

 用が無くとも、幹部のいる部隊を何度か本陣に帰らせ、副長や他の部隊で戦線を持たせる布石もある。このまま、あと何度か交替で幹部を呼び戻し、ライコウに悟られぬように本来の策の説明をする必要があった。

 

「──策を実行する」

「しかし、最初は長期戦ということだったのでは?」

「長期戦は嘘でおじゃる。そちらには長期戦を思わせる戦いをしてもらうつもりがあったのでおじゃる」

 

 マロロの策──敵を騙すにはまず味方から。

 ソヤンケクルは驚きに満ちた表情でそれを聞いていた。

 

「では、以前聞いた策と言うのは」

「それは変わらない。変わるのは実行の時機。ウズールッシャによる兵糧討ちを防いだことからも、ライコウは暫く長期戦となると勘違いする筈だ。そこを狙う」

「するってえと何かい。最初から狙いは短期決戦だったってことかい」

「ああ、でないと……戦が終わるまでミカヅチと決闘しているオシュトルがかわいそうだからな」

「確かに……しかし、ライコウに当初予定していた疲労はない。動揺させられるかな」

「ああ、賭けだ。だが、動揺させるのはライコウじゃない。ライコウの目となり耳となり足となる──通信兵とウマだよ」

「?」

 

 そう言って、後ろを振り返る。

 そこでは、戦場盤と通信内容を交互に見つめていた双子が、確信を持ったように頷いていた。

 

「ウルゥル、サラァナ、いけるな?」

「……いける」

「こちらを攪乱するための偽情報も多かったですが、末端の通信兵の情報を探れば、回避できました」

「よし」

 

 双子には後でめちゃくちゃ礼をしないといけない。

 戦場が始まってからずっと解析してくれていたのだ。それだけではない、時間がかかる解析をこの速度で、しかも吐きそうな表情で、ライコウの通信網とその用兵に注視し続けてくれたのだ。

 

「ウルゥルは物見、サラァナは自分とだ。いけるか?」

「いける」

「……任せてください」

「サラァナ……また会える」

「……ええ、ウルゥル、最後まで、主様と共に」

 

 その確認さえ済めば、後は幹部達に動きを説明するだけだ。

 連中の度肝を抜く。

 自分とマロロがライコウに勝るために考え準備し続けた、一世一代の大勝負──ライコウよ、とくと御覧あれ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ライコウの本陣、シチーリヤは戦場の優勢を眺めながらも冷静に情報を伝えた。

 

「通信兵より、敵右翼、第六撃破。第六分隊長を討ち取りました」

「良い戦果だ。そのまま囲んで第七も討ち取れ」

「はっ……敵左翼、第三撤退します」

「右翼第三騎兵で追撃しろ」

 

 命令は暗号を生かすためにも単調になりはするが、それで十分である。シチーリヤから絶えず撃破の報告が挙がっていく。

 奴らは俺が直々に調練したのだ。通信兵と騎兵の連携はヤマト一を誇る。

 

 動きの少ない味方本陣と後詰に騎兵を少なく配置する代わりに、右翼と左翼にはそれぞれ練度の高い騎兵部隊を多数配置している。

 たとえ敵騎兵が中央より突撃してきたとしても、練度の高い右翼と左翼であれば易々と挟撃し、相手の騎兵を打ち破れるのである。そして、右翼と左翼が中軍を交えて絶えず波状攻撃をかけることで、敵部隊の対応範囲を広くし、容易に敵部隊を刈り取っていく。

 

 ──これこそが、俺の誇る鉄壁の布陣。

 

 奴らは二手も三手も遅れる戦太鼓の指令と、我ら通信兵による迅速な騎馬部隊の時間差に翻弄され、押し切られる寸前の状態まで陥っていた。

 

「続いて中軍、ノスリ撤退。ゲンホウが代替として迎撃の陣を構えています」

「ほう、これで三度目か……」

 

 何を企んでいる、数の利を用いた長期戦を狙っているのはわかる。頭目を休ませるのは必要なことだ。しかし、こう頻繁に幹部を本陣に戻しては戦線の維持などできよう筈もない。

 それに、こちらの策に嵌っていると言えば聞こえがいいが──長期戦を臨むにしては些か深く守りすぎている。

 

「敵遊撃、広く展開、敵右翼と左翼の補助に回りました」

「ふむ……減った右翼と左翼を守りに行ったか。敵中軍に長がいないのであれば大きくは動けまい。抜かれぬよう、こちらも遊撃騎兵をそれぞれ前進させよ。また、中軍第三、第六よりそれぞれ騎兵を出せ、横合いから討つ」

「はっ」

 

 通信兵に暗号化した指令を伝達。

 既に何度も通信兵とやりとりし、本日の指令の手順と暗号はいくつか鎖の巫女にも見られてしまっているだろう。

 長期戦であれば、今日は情報収集に時間をかけ、停戦中の夜に暗号を解析する筈だ。しかし、明日には全ての指令の手順を変更する。解析は意味のないものになるだろう。

 それに、今解析しようとしたとしても、これだけの情報網と動きである。たとえ鎖の巫女が傍受できるといっても、これだけ混じり合った情報を捉えるのは難しいだろう。

 

 そう思案していたところだった。

 敵本陣の空を見上げれば、戦場に似つかわしくない、気の抜ける光景が目の前を覆った。

 

「敵右翼と敵遊撃が合流……えっ」

「何だ、あれは……?」

「つ、通信兵より! 敵後詰前方、敵本陣後背より謎の飛行体が飛来、対応を求めていますが」

「そんなものは見ればわかる。あれは──」

 

 敵本陣後背より次々と浮かぶ、無数の飛行体。あれはもしや──巨大な気球か。

 そういえばと思いだす。以前トゥスクル侵攻において、ムネチカから報告があった。何やら崖上の食糧庫を襲撃するために囮となる際、襲撃の要となる策があると。この目で見たことは無かったが、あれが、その正体か。

 

「え、えっと、飛行体にはそれぞれ褌丸と書かれており、物見からの報告では中に呪術師二名、弓兵が六名搭乗しているそうです。いかがなさいますか?」

「……褌丸だと? ふざけた名前だ」

 

 しかし、かような空に浮かべるための技術を用いる戦略物資など、草による報告には無かった。あれだけの数を隠し通せるものではない。もしや食糧物資として扱ったか、帳簿を誤魔化したとしか思えぬ規模である。

 

「布の表面に……薄い膜のようなものがあるとのことです。それによって飛行を可能にしているのかと……飛行体、接近! 徐々に我が軍へ近づいてきます!」

 

 平原の風は安定しないと言うのに、徐々にこちらへと向かってくる。風の呪法使いが搭乗しているな。

 それに、あの高度。人を乗せあそこまで上がるとは──そういえば、トゥスクルとの同盟も秘密裏に結んでいたのであったな。特殊な素材を用いたのやもしれぬ。

 しかし、あの飛行体をどうするべきか。

 

「矢を放て、爆符か火札を付けて放てれば尚良い。撃ち落とせ」

「はっ!」

 

 いくら特殊な素材を使っていようと、空を飛ぶからには軽量で脆い筈である。

 そう指令を下すも、戦場ではその指令に中々従えぬようであった。

 

「て、敵右翼、左翼、中軍が数多の飛行体と共に進軍! 矢を番える兵を狙って騎馬を突撃させています!」

「……なるほどな」

 

 気球によって、地の利を得た。いや、空の利を得たというべきか。

 この時代には無い新しい考えである。気球の位置は高い。移動式の櫓、攻城兵器を超える高さである。

 本来であれば、移動櫓は足元を攻略するのが常である。あのように宙に浮いた櫓とも言うべき気球は対応が困難ということか。

 

「接敵中の騎兵、歩兵は地上の騎馬の対応。接敵していない騎馬隊による騎射で火矢を使え」

 

 指令は下したが、単純な指令を逸脱している。末端まで指令が行き届くには時間がかかるだろう。

 それに、矢を構える姿勢一つとっても、あれほど上を向いて放つ経験など兵には皆無。太陽の光に当てられ目を焼くこともある。それに気球は絶えず移動している。風の呪法使いもいるのか、その移動も一定ではない。また、出鱈目に射って当たらねば、放った矢が味方を射抜くかもしれぬ。早々には討てぬか。

 いくら指令を出そうとも、兵が指令に戸惑いついてこられねば意味がない。気球の策はそこを突いたのだ。

 

「飛行体より爆符をつけた矢が放たれ、通信兵のいる櫓を落とされています! 地上には油瓶も投擲され、火矢を使えません!」

「ほお、こうも先手を取るとは……やるではないか、ハクよ。これが奴の切り札か」

「い、いかがなさいますか?」

 

 騎兵が近くづけば高く上がって逃げる気球もあり、対応に難儀している間に戦線は徐々に本陣へと近づいてきている。

 中盤戦で敵軍を追撃したためか伸びきった戦線も影響し、一度に対応できる兵が少ない。中盤戦までの戦線を一度に大きく戻された──いや、それどころか、少しこちらに入られたか。

 

「櫓からの狙撃を行え、地上部隊は今まで通り騎馬との交戦を行う」

「はっ!」

 

 こちらの櫓からであれば、高さはそう変わらぬ。近づかれれば櫓が破壊されるであろうが、気球の動きは騎馬よりは鈍い。遠方からであれば難なく討ち取れるであろう。

 

「敵左翼の飛行体、十……いえ、十三、消滅! 落ちます!」

「他愛ないな」

「敵右翼、気球、十五消滅! 味方櫓、被害十、他軽微損傷!」

 

 気球は未だ数多く飛んでいるが、この速度であれば落としきるのも時間の問題。空の利さえ無くせば、再びこちらに通信の利は戻ってくる。

 

 墜落していく気球を眺め、そう確信していたが、ハクの思惑は別のところにあったことに気付く──

 

「──シチーリヤ」

「は、はい」

「右翼と左翼を、直ちに中軍へ戻せ!」

 

 ライコウは己自身で広い戦場全てを見通せるわけではない。故に数多の通信兵に自分の目となるよう配置していた。

 しかし、地上の情報を伝達するための通信兵は櫓から気球に対処するため、上に気を取られてしまっていたのだ。空に意識を向けられてしまった。故に、地上における戦場の僅かな変化に気付けない。

 

「ハクめ、これは布石か……!」

 

 右翼と左翼は気球と共に進軍していたわけではない。鶴翼の翼が開くように、こちらの兵を徐々に中央から外側へと誘導していたのだ。

 兵達が気球を落とすことに意識を釣られ、ライコウの通信兵は足元の情報を伝達することを疎かにした。

 この僅かな隙を逃す奴らではない──

 

「──緊急! 本陣より中軍規模の騎馬部隊突出! 戦闘は先手ムネチカ、遅れてキウル、ノスリの部隊が続いています! さらにその後には采配師マロロ! そして、な!? そ、総大将ハクが騎馬で駆けています!」

「……やはり来るか、ハク!」

 

 それは、ほんの小さな中軍の穴。奴は、絶好の機会を見逃す男ではない。指令も、暗号を予定より複雑化していたために詳細な命令は下せない。故に──してやられた。

 敵中軍から長がいなくなったと見て、敵遊撃への対応に兵を割いた。故にこちらの中軍は手薄。そして──

 

「さあて、エヴェンクルガの戦いを見せてやりな! 野郎共!」

 

 敵中軍ゲンホウはこちらの中軍を誘いこむように中央へ突撃。そのまま包囲殲滅される様を装い、味方中軍を中からこじ開けるように真っ二つに裂いた。

 ゲンホウによってその僅かに空いた我が中軍の隙間を、敵本陣より出でた多数の騎馬が突破していく。あの規模──味方本陣には迎撃歩兵は多いが、騎馬隊は少ない。その速度のまま本陣に当てられてしまえば、一溜りもないだろう。

 ナコクを落とせなかった故の兵力差がここに来て影響したか。

 

「ら、ライコウ様! このままでは中軍を突破されます!」

 

 こちらの通信速度の上を行く、猛将たちの恐るべき勘の良さ。

 まるで全てを予想していたかのように美しい用兵術であった。しかし──

 

「指令は変わらぬ。右翼、左翼の騎兵を呼び戻せ、我が本陣と共に挟撃する」

 

 騎兵による挟撃さえ成せば、敵本陣の騎馬隊はただの犬死にである。

 

 指令通り味方右翼と左翼が挟撃に動こうとするが、その様を見て敵の右翼と左翼が動きを変える。

 

「させないよ! 我ら海の民を舐めてもらっては困る!」

「はい! この策だけは、実行させねばなりません!」

「応、兄弟達よ! わしらの見せ所じゃけんのォ!」

「ハク様! 見ていてくださいまし! あなた様のシスは、今まさに活躍しているのですわ!」

 

 挟撃を防ぐため、決死の覚悟で互いの右翼と左翼がぶつかり合う。これまで日和見を見ていた動きとは統率度が違う。

 

 だが、それでも迅速な用兵で包囲を突破した者も多い。これであれば横、後ろと囲み、本陣と挟撃できる。

 しかし、その思惑を防いだのは兵ではない、まして生物でも無かった。それは──

 

「──これぞ、火刑の真骨頂でおじゃる!」

 

 爆発、墜落して無用となった筈の気球が行く手を遮るように、その炎と風圧でもって進軍を防いだのである。それだけではない。騎馬隊を守るようにして生まれる、炎と黒煙の壁──

 

「騎兵、炎と爆発を怖がり停滞、落馬あり! 挟撃できません!」

「……」

 

 未だ落とされていない気球からは、矢の嵐。しかしそれは兵を狙ったものでは無かった。

 気球から放たれていたのは、櫓を破壊する術だけでは無かったということ──騎馬隊の道を作るために、火札を用いた矢を放っていたのだ。

 オムチャッコ平原は草原。油瓶もあったのだろう、燃え広がるのは容易い。しかし、草原の丈はそう高くはない。裏を返せばすぐに鎮火するだろう。

 

 マロロは、それを絶好の機会に起動したのだ。

 本陣にさえ、俺にさえ届けばいい。騎馬を隠す、炎と黒煙の壁を作る時間を、今この瞬間に賭けたのだ。

 

 戦場の至る所から響く爆発と、濛々とあがる炎と黒煙が敵の騎馬隊を隠す。

 火の直ぐ傍を走っているというのに、騎馬に炎や音を怖がる様子はない。事前に慣れさせていたな。

 しかも、部隊は火神の兵が多いらしく、走り去った後も炎が火柱のように沸き上がるその様は正しく──

 

「炎を纏う騎馬隊……か。中々絵になるではないか」

「ら、ライコウ様?」

「後詰第四から第七まで本陣に合流、長槍の部隊を前列に並べよ。突撃の勢いを殺す」

 

 一応、馬防策地帯を突破された場合の予備である。

 

「遊撃歩兵、本陣周囲展開歩兵軍、迎撃させろ」

「騎兵相手にですか!?」

「本陣展開の時間を稼ぐ」

 

 しかし、こちらの指令も空しく、迎撃しようと固まって陣を構築していた戦場に点在する歩兵の間を、空に目があるかの如く隙間を縫って突撃してきた。予め脆い部分がわかっているかのような動きである。

 この見事な用兵術、覚えがある。

 

「マロロか──戦う采配師、やはり俺の駒に欲しい漢であった」

 

 中軍を難なく突破した敵騎馬隊であったが、僅かな味方騎兵が敵の騎馬隊に寸で喰らいついた。

 

「右翼十一騎兵部隊、左翼八、同じく騎兵部隊、敵本陣騎馬隊と交戦……あッ! し、しかし──」

「……ふむ、分けたか」

 

 敵右翼、左翼から逃れ、さらに炎の隙間を縫って横合いより辿り着いた我が騎兵部隊もいた。

 しかし、敵本陣の騎兵部隊は恐ろしく流麗な動作で、部隊を敵騎兵の迎撃部隊とそのまま本陣へと突撃する部隊に分けたのだ。数を減らすことができたものの、その減少数は殆ど焼け石に水でその勢いを殺すことは叶わない。

 後ろに目があるかの如き、采配。これは、マロロだけに成し得ることなのか。

 

「敵騎馬隊、馬防柵地帯、入ります!」

 

 本陣に突撃させぬための、馬防柵地帯、そして配置する弓兵と槍兵。

 敵騎馬隊はそれらに行く手を阻まれる──筈だった。

 

「騎射斉射!」

 

 ムネチカの叫びと共に、ノスリ、キウルの正確な爆符矢により、先行く馬防柵を騎射によって尽く吹き飛ばし、破壊し、突破する。たとえ討ち漏らしがあったとしても、他の騎馬が騎射を射かけていく。

 あの部隊だけが、この戦場で最も練度の高い部隊である、そう確信する。

 

「弓兵で迎撃せよ」

「……全滅は避けられませんが」

「やれ。長槍部隊の展開はまだ終わってはいない。その身命で時間を稼ぐ」

 

 柵の無い弓兵など肉塊でしかないが、本陣を守るためにも時間を稼がねばならない。

 こうまでして戦場のど真ん中を易々と走り、通信兵の利を失わされては、犠牲は致しかない。

 

「弓兵斉射──な!? む、ムネチカの盾が発動、矢を弾かれています!」

「ほう……」

 

 八柱将ムネチカが騎馬部隊の先頭を引き受けたのは、このための布陣か。

 ムネチカに仮面が無くとも、細く長く後ろに伸びた騎馬隊程度であれば防げるということか──いや、取りこぼされた矢によって落馬する者もいる、弱体化はしているようで全てを防げているわけではないが、目的であった敵騎馬隊の勢いまでは殺せてはいない。

 本来であれば、正面だけでなく横合いからの矢も期待できるが、炎で寸断された今、難しいであろう。

 

「鉄柵を発動せよ」

「よろしいのですか? 自軍もまだ上にいますが……」

「ああ、構わぬ。どの道総大将はあの場にいる。足元を疎かにしたのは貴様らだと教えてやれ」

 

 ここで使わされるとは思っていなかったが──仕方あるまい。

 ハクが仮面の力を解放した場合を考えて用いた、地中の牢獄。

 

 平原に作った、鋭い鉄柵を用いた落とし穴である。落ちた後は呪術師で囲い、その力も奪う。

 ハクに仮面の力を解放されてしまえば、戦場は不利になる。故に用意した本陣手前の鬼札である。

 

 術式を起動、敵騎馬隊が自軍の兵と共にまとめて落ちる様を今か今かと見ていたその時──ハクは、騎馬隊は直前、自軍の右翼側へとその角度を変えた。

 

「!? な、何、だと……」

「伝令に混線……? これは──」

「ッ、鎖の……巫女……!!」

 

 数多の戦場において初めて感じる、憤怒、そして背筋を走る薄ら寒さ。忘れていたわけではない。

 

 奴らは、この一瞬の指令、それを、それだけを待っていたのだ。

 これまでの指令と違う、新たな暗号、言葉、ただ一つの、切り札。それを鎖の巫女が傍受し、ハクに伝達するためだけに、ここまでの策を要した。

 そして、その新たな指令によって何らかの罠があることを察し、その軌道を変えたということか。

 

「あり得ぬ! 傍受には集中力が要──あのような不安定な騎馬隊の上で成し得る技では──」

 

 ──戦場の空に違和感、そこで気づく。目を見開き、叫ぶ。

 

「──あれかッ!!」

 

 本陣に一際高く上がったまま微動だにしない──気球。

 鎖の巫女は二人、一人はあの空から俯瞰して戦場全体を見つめ、その指令を傍受、そして──

 

「──もう一人を、受信役として騎馬隊の中に潜り込ませていたということか!」

 

 これまでの敵騎馬隊の流麗な動きは、俺と同じく全て通信によって生まれた動きであったということだ。

 

 俺は戦場を広く見通すため数多の通信兵を扱う。故にそれらを統括する中継地点を設け、戦場に広く情報を伝達できる利を齎した。

 しかしその策を用いたことで、暗号や指令の複雑性と、緊急性の高い指令においても各々の伝達に僅かな時間差が生まれてしまう弱点があった。

 

 一転、ハクは中継を隔てぬ一対一でやりとりできる一部隊を作り、その簡易性による僅かな時間差、俺の弱点をついたのだ。つまり──

 

 俺が──俺が通信と用兵において、神速を誇るライコウであると知って、尚。

 

「──その通信と用兵の速さで、この俺に挑戦してきた……ッ!」

「ライコウ、様……?」

「やって、くれたな……ハクッ! 術式停止だ!」

「はっ!」

 

 憤怒のまま震える声で指令を下し、間一髪のところで味方だけが落とし穴に落ちることは避けられた。しかし、敵騎馬隊は再び本陣を狙って動いてきている。

 

「まだだ! まだ終わらぬ。急な左方展開によって時間は稼いだ──」

「右翼、左翼、本陣、敵本陣騎馬隊の包囲完了まで僅かです!」

「──勝ったッ!」

 

 敵騎馬隊の速度、そして我が軍の展開速度を比較し、勝利の構想が浮かぶ。やはり軌道を変えさせたのは敵騎馬隊にとってかなりの損失だったと言える。

 既に本陣長槍での迎撃部隊と弓兵部隊による展開は済んだ。本陣によって敵騎馬隊の勢いを殺した後、炎を避けて進軍した遊撃、左翼と右翼、後背より中軍が囲んで終わりだ。

 

 これならば──ハク、其方らは全て死に絶える。

 貴様の挑戦、後一歩、俺には届かなかったということだ──勝利を確信したその時であった。

 

「──? 何だ、あれは」

 

 ──平原の右側端より突如現れたウズールッシャの兵装。通信兵の誰もが気づかない。ヤムマキリ率いる味方であるウズールッシャの兵達は、突如数多の騎馬を以って我が軍の本陣に牙を剥いた。

 

「──狙うは敵将ライコウ! ウズールッシャの民を護るため、剣を取りなさいッ! 全軍、突撃ッ!!」

 

 まさか、その声、その旗色は──

 

 その声は、俺が以前より取るに足らぬ凡人と評し、未来のヤマトに必要ないと決めつけていた──英雄達の声であった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 策の実行が上手くいき、相手は気球──褌丸に幾分気を取られてくれたようだ。

 また、ゲンホウが阿吽の呼吸で中軍を割いてくれたおかげか、予定よりも早くその騎馬を進めることができた。

 

「総大将、お膳立てはしておいたぜ! ライコウの土手っ腹、喰い破ってやんな!」

 

 擦れ違いざまにゲンホウの檄が飛び振り返るも、ヤマトでも有数の速度を誇る騎馬がその姿を見失っていく。

 このまま本陣に突撃し、帝都に撤退させる間も無くライコウを討たねばならないのだ。

 

「主様! 余所見をしていては!」

「あ、ああ! サラァナ! すまん!」

「ハク殿! 敵右翼と左翼、遊撃が挟撃態勢に入ったでおじゃる!」

「っ、流石ライコウ。気付くのが想定より早い……! 速度を上げるぞ!」

「了承した! 小生の敵中突破、その眼にしかと刻むが良い!」

 

 奮起するムネチカと、周囲の情報を的確に伝えるマロロ。そして──

 

「主様! 褌丸第一より入線。ウルゥルより、火刑の手筈をと!」

 

 そう、これまで幾度となく一緒であったウルゥルとサラァナは、今初めて別行動をしているのだ。

 褌丸によって本陣上空に浮かび続け、物見櫓よりもさらに高い位置から、戦場の情報を俯瞰して見て伝え続けているのが、ウルゥル。そして、自分の乗る騎馬に共に跨りその腰に手を回しているのが、サラァナである。

 

 二人の負担は重い。

 ウルゥルが傍受、発信を担い、サラァナが受信を担う。ただでさえ二人の間に繋ぐ通信には集中が必要である。

 この不安定な突撃の最中にこの策を用いることは危険性がつきものであった。しかし、彼女たちはできると断言してくれたのだ。

 自分にできることは、目を瞑ってウルゥルと通信を繋ぎながら、振り落とされまいと自分をしっかと抱きしめるサラァナに、騎馬の不安定さを与えないことだけである。

 

「あいわかったでおじゃ! ハク殿!」

「応! 頼りにしてるぞ、マロロ!」

「おじゃ……ハク殿と共に戦えて、マロは、本当に嬉しいでおじゃる──見よッ! これぞ、火刑の真骨頂でおじゃる!」

 

 敵の左翼と右翼が本部隊を挟撃しようとしたところに、落とされた褌丸が大爆発を起こす。

 耳を麻痺させる爆発音と共に地面が抉れ、風圧で馬の軸がぶれる。爆発の衝撃でばらまかれた火札がさらに草原を燃やし尽くしていく。

 それによって、たとえ通信兵による命令があっても、騎馬の動きは確実に止まる。たとえ頭ではわかっていても、音、風、炎の三要素は慣れていなければ操れるものではない。ライコウ軍に名だたる有能な将がいれば話は別だが、ライコウはそういった者を多く持たない。故に、騎馬の足さえ止めれば策は成功だ。自分達はその僅かな隙に敵本陣まで駆け抜けるのみ。

 

「おほおおっ、上手くいったでおじゃるうう!」

「応! やったな、マロロ!」

 

 褌丸には乗組員がいる。

 火神の術師によって火力を調整し高度を上げ、風の術師がその位置を調整する。落とされた場合は、風の呪法で以って敵陣中央近くにできるだけ寄せ、火札をばらまき撤退することになっている。

 これまで戦の手法として無かった策でもあり、特殊な調練が必要だったが、うまくやってくれていたようだ。

 行く手を阻むように地に落ちた褌丸は次々と爆発し、敵陣の混乱を生み出していく。

 

「──よっしゃあ! いいぞ、褌丸!」

「ちょっと、ハク! その名はやめてって言ったかな! 今回は褌使ってないし!」

 

 後ろに続くクオンが文句を言うも、戦場の至る所から響く爆発音で聞こえない。

 前方を見れば、戦場の混乱を隠れ蓑にして、上手く落ちた乗組員が火札をばらまき、起動しながら撤退していく。

 

 しかし、褌丸の乗組員の中には、敵に討たれる前に軌道と目標を確保し、敵騎馬隊の元へ自ら墜ちていく策を取るものもいた。

 自分達の道を作るために、皆が、決死の覚悟で以って想定通りの動きを果たそうとしてくれているのだ。

 

 ソヤンケクル、オーゼンが右翼左翼をそれぞれ抑え、そしてその取りこぼしをイタクやシス、ヤシュマが突撃して抑えてくれている。

 

 もはや彼らと褌丸、そして草原に広がる炎で側面は気にする必要は無い。後背もゲンホウが持ちこたえてくれているだろう。

 自分達は前だけ見て進めばいい。そう前方を見やれば、キウルが焦ったように報告した。

 

「前方敵迎撃歩兵! 接敵まで十数秒!」

 

 中盤戦までの戦場によって、ライコウの戦線は伸びているとはいっても、敵迎撃歩兵の陣は中央の至る所に点在している。

 さて、あの突破は骨が折れるぞと思っていれば、サラァナが叫ぶ。

 

「ウルゥルより入線! 主様、前方北北東へ!」

「応! 全軍、右方展開! 手薄なところを喰い破るぞ!」

 

 どうやら、本陣上空より俯瞰で眺めているウルゥルが、陣の手薄な部分を教えてくれているようだ。

 

 命令を聞き、この日のために鍛えに鍛えたムネチカの馬術が流麗な方向転換を見せる。その後ろをついていくように、全軍が僅か右方へ流れていく。

 槍を構えて陣を構築していた兵の横を擦れ違いざまに薙ぎ払うように突撃していけば、こちらの被害少なく、相手の陣を突き抜けることができた。

 しかし、問題はまだある。オウギとクオンが側面の様子について報告してきた。

 

「敵右翼、騎兵部隊少数かな!」

「同じく敵左翼からも来ます! 後方で深く守っていた遊撃部隊でしょう! 火の境界を抜けてきます!」

「ハク殿! 隊を分けるでおじゃるッ!」

「応! 十三は敵右翼と交戦! 十四は敵左翼と交戦だ! 他は本陣に続け!」

 

 敵右翼、左翼から逃れ、さらに炎の隙間を縫って横合いより辿り着いた我が騎兵部隊、そのまま挟撃されれば足が止まる。この突撃は何より速度が命、ここで挟撃を許してはならなかった。

 指令を聞いて、本陣十三と、十四部隊は決死の形相で敵騎馬隊へと突撃し、壮絶な交戦が始まる。しかし、その戦を見ることすら、今の自分たちには時間が無い。

 敵は神速のライコウ。一度たりとも止まれないのだ。

 

 敵騎馬隊が襲ってくる度に自分の隊を切り分けしながら、再び前方、一際目のいいノスリが叫ぶ。

 

「前方、馬防柵あり!」

「了解でおじゃる! 爆符矢用意ッ!」

「狙える距離まで──三……二……一!」

「騎射斉射!」

 

 ノスリの正確な判断で斉射までの拍子を数えると、連携してムネチカの号令が響き、騎射を担当する兵達から爆符を巻いた矢が放たれた。

 敵の矢の届かぬ範囲より、正確無比な射撃とマロロの術式発動が連鎖し、前方の馬防柵は粉々、もしくは遠方に吹っ飛ばされる。

 しかし、衝撃だけでは死なぬ。弓兵はかなりの数残っていた。

 

「弓兵、残存!」

「ムネチカッ!」

「小生にお任せあれ!」

 

 敵陣から斉射される弓の瞬間に合わせ、ムネチカは正面を守る盾を発現させる。

 数多の射撃はばらばらと弾かれ、後ろに流れた。

 

「ぎゃッ!」

 

 後ろの方から取りこぼした矢が当たり悲鳴を上げる声があがる。

 

「大丈夫か!?」

「は、総大将! この程度大丈夫であります!」

 

 兵の一人は片腕をやられているものの、既に痛がる素振りもない。

 衝撃で落馬もしないとは、やはりこの部隊は最も練度が高く、そして猛者であると確信した。

 しかし、続く第二第三と放たれる矢が、ムネチカの仮面のない小さな盾では防ぎきれず、その額に矢を受け落馬していく者もいた。しかし、もはや振り返れない。勝利を信じて進むしかないのだ。

 

 そのまま弓兵と長槍の混合部隊を、正しく蹴散らしながら敵本陣へと進む。

 もう敵本陣中心部は目の前だ。このままこの規模の騎馬隊が突撃すれば、敵本陣の兵力では抑えられない。もし自分がライコウであれば、仕掛けるとすれば今──

 

「──ウルゥルからです! 主様、進路を左に!」

「全軍、左方展開!! 大回りに本陣を討つ!」

 

 一見前方には兵が控えているだけであるが、それさえ聞けば何か来るのはわかりきっていることだ。その正体はわからんが──ライコウ、お前がそのまま自分達を通すわけなんてないってことは、自分が一番よく知っている。

 

 ムネチカ、ノスリ、キウルが手本を見せるように左方へと転換し、それに習うように自分や部隊の者達が後をついていく。

 このために騎馬をどれだけ練習したか。ココポで慣れているとはいえ、落馬し過ぎて背中が痛い。

 

「ちっ! 敵本陣の長槍隊と弓兵の展開が早い!」

「敵右翼も戻ってきたでおじゃ!」

 

 この辺りからはもう炎も薄い。左方に逃れたばかりに、挟撃を狙った右翼と相対する可能性もある。

 

 そして何より──

 

「この速度では突破しきれぬ! 左方展開時に速度を殺されております故!」

 

 ムネチカの焦燥したような言葉に勝算を探す。

 あのまま突撃すれば、騎馬隊の速度を殺され、戻った敵右翼と挟撃される。そうなれば敗北は必定。

 

 ひゅん、と敵本陣からの第一斉射と呪法による迎撃が自分達を襲う。

 後ろからも悲鳴は断続的に聞こえる。ムネチカの盾を警戒して上向きに撃ってきてやがる。

 

 まずい、このままでは──

 

「──ハク?」

 

 ──仮面に触れる。唇を噛んで他の案を探すも、これ以外に勝利の道は無い。

 

 しかし、今ここで使えば──

 自分の後ろをついて騎馬を走らせるクオンに伝わるよう、その名を呼んだ。

 

「クオン、もし自分が自分でなくなったら──」

 

 そう、願いを伝えようとした時である。

 

 自分達の向かう本陣、その更に左方より、見慣れぬウズールッシャの兵装を持つ騎馬隊。

 ここにきて──奇襲部隊のヤムマキリが戻ってきたのか! 

 

 もはや絶望である。

 目の前には本陣、そしてやや左後背より敵右翼。さらに左前方にはウズールッシャの軍である。時が経てば、敵左翼も右後方より現れるであろう。

 

 ──詰みだ。

 

「根源の力よ──」

 

 決断は早かった。しかし、その決断を寸で留めることができたのは──遠方より響き聞こえる、聞き慣れた愛しき仲間の声。

 

「──狙うは敵将ライコウ! ウズールッシャの民を護るため、剣を取りなさい! 全軍、突撃ッ!!」

 

 まさか、その声、その旗色は──

 

「ハクの旦那ァ! 助太刀に参ったじゃない!!」

「うおおーッ! エントゥア殿のため突貫でありますゥウッ!」

 

 雪崩のように一丸となって騎馬で駆けるウズールッシャ軍。

 それは、ヤムマキリの勢力ではない。かつて別った彼ら──

 

「──エントゥアさんに、ヤクトワルトさん!? あとボコイナンテもいます!」

 

 目のいいキウルがいち早く報告してくれる。

 ああ、見なくたってわかっているさ。

 

「ったく、やってくれるぜ……! 全軍このまま突撃ッ! 本陣をぶち抜いてやれぇッ!!」

「うん! ライコウのところまで一直線かな!」

「うひひっ! 任せてや、おにーさん! ほんま最高の戦いやぇ!」

「姉上! 突出し過ぎないよう!」

「ああ、わかっている! 今こそ我が弓の振るい時!」

「再び、爆符矢を放ちます! マロロさん!」

「わかっているでおじゃ! マロの華麗な技を刻み付けるでおじゃる!」

 

 ウズールッシャ軍より横合いから急に殴りつけられた敵長槍部隊と弓兵部隊は容易く瓦解。

 盛り返すために敵通信兵が必死に伝令を叫ぶも、敵兵士達の耳には届いていない。たとえライコウが彼らを肉壁にしようとしても、彼らも恐怖は感じるのだ。数千規模の騎馬が列を成して襲ってくるなど、悪夢でしかない。

 正しく敗走といった呈そう表す敵本陣を、文字通り騎馬の勢いのままぶち抜き、小高い丘に建てられたライコウの本陣へとそのまま駆ける。

 たとえ死兵となっても指令通りに動く兵達もおり、正しく決死の防御によってこちらにも少なくない犠牲が出たが、もはや勢いは止まらない。

 

「──ライコウ!」

「……来たか、ハク!」

 

 ライコウの旗がはためく本陣、その中心部に、今まさに自分達は立った。

 

 サラァナ、ムネチカ、キウル、ノスリ、オウギ、クオン、マロロ、アトゥイが、ライコウとその護衛を取り囲む。

 そして、遅れてヤクトワルトとエントゥア、ボコイナンテが合流した。

 

「投降しろ! 勝負は決した!」

「ああ、よくぞ我が策を尽く破った。見事という他あるまい──しかし! 総大将であるお前が直々に来たこと。それだけは愚策と申す他ない!」

 

 体を巡る不可思議な感触、まさかこれは──

 

「互いの全てをかけて戦おうぞ! ハク!」

「ライコウ様は私が御守りします!」

 

 ライコウと、短剣を構えるシチーリヤ。

 その周囲を見れば、呪術師に囲まれている。この術の正体は奴らか。

 

 しかし、諸刃の剣でもあるのだろう。呪術師以外の兵は少ない。これであれば、猛者である彼らならば戦える。

 

「行くぞ! ライコウ!」

 

 慣れぬ重い体で兵と闘う。

 流石はライコウの護衛であり練度も髙かったが、指示に従うだけの奴らに──仲間との連携は誰にも崩せない。

 庇い庇われ、数多の剣と矢が駆け抜け、敵兵の死体を積み上げていく。

 

「雑兵に用は無い! ライコウッ!」

 

 幾許か能力を落とされたといえども、サラァナもいる。多少の妨害をしてくれているのだろう。他に比べて自らの体は軽い。

 であれば──

 

「ッ! ライコウ様!」

 

 敵兵を長巻で蹴散らしながら、ライコウの目の前に立つシチーリヤと相対する。

 気配の感じぬ一撃。思わず目を突かれかけたが、こちとら反射神経はオシュトルに随分鍛えられているんだ。

 

「はあッ!」

「うぐっ!?」

 

 目を突くために飛び込んだ姿勢となったシチーリヤの腹部を蹴り上げ、その切っ先を逸らす。

 体勢を崩すために蹴ったのだが、随分深く入ったようで、シチーリヤはそのまま蹲ってしまった。

 

「投降しろ、ライコウ!」

「……ふ、俺の……負け、か」

 

 長巻の切っ先を、ライコウの首筋へと当てる。

 ライコウは、もはや動かなかった。

 

「貴様との知略で俺が負けるとはな……」

「……」

「見事だ、ハクよ……殺せ」

 

 ライコウは、その刃を首に自ら差しだすように一歩進んだ。

 

 ──自分はなぜここに直接来たのか。

 

 自分は、ライコウにどうしても伝えたいことがあったのだ。

 

「いーや、ライコウ。お前は殺さない」

 

 ライコウの大義とは──ヤマトの民の解放と巣立ち。こいつは誰よりも、未来のヤマトとその民を案じていた。

 

 きっと、ライコウとミカヅチ以外にその大義を真に理解している者は少ないだろう。誰よりも帝を──兄貴を愛し、兄貴の忠臣だったからこそ、ライコウは世界に挑んだんだ。それが、囚われていた際にわかってしまった。

 そして、だからこそ、これからのヤマトに──

 

「──ライコウ、お前はこの国に必要だ。自分と来い」

 

 ライコウの目は、信じられぬ者を見るような目で、己を見つめていた。

 

 



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第三十九話 決戦なるもの 参

 ──負けたか。

 

 もはや撤退すらも不可能。

 勝てると踏んで戦ってしまった故であろう。

 

 帝都にて俺の切り札もあったが、それを使うことなく終わってしまった。

 

 ──これも、俺が最後に見せた差配故か。

 

 ウォシスには帝都防衛を任せている手前、新たな影の者が必要であった。

 しかし、混乱期にあるウズールッシャからの伏兵など誰が予想できようか。使い捨てることができると踏み、ヤムマキリなど蛮族を起用したのがそもそもの間違いであったのだ。

 

 ハクの持つ剣の切っ先が、俺の喉元をうつ。

 

 今更ながらに、ハクを帝都にて捕えていた頃の台詞を思い出す。

 

 ──人間は手足のようには動かんもんだ。自由に動くと思っていても裏切られるもんだ。しかし、その自由こそが、予想以上のものを齎すこともある。

 

 ウズールッシャによる奇襲。ハクの考える当初の策には無かった筈だ。

 でなければ、草からの報告に必ず上がる。本陣より一度の指令無くしてウズールッシャと連携を取ることなど不可能。

 恐らく、ヤムマキリがこちらへ来る際に、彼らも秘密裏に後を追ったと見える。そして、最も効果的な場で戦場に現れる機会を窺っていたのだろう。

 

 ──あんたが見ている道の先には勝利が見えているんだろうな。だが、その道を歩いているのは一人だけだ……つまり、あんたが負けた時点で、全ては終わる。

 

 ──貴様達は違ったとでも言うのか? 

 

 ──どいつもこいつも歩く道はてんでばらばらだが、意志だけは同じだ。同じ勝利を求めて、幾人もの同志が数多の道を歩く。誰かが滅びようとも、誰かが勝利の道を歩いてくれる。

 

 ハク達は、一枚岩では無かった。皆の勝利の為に、文字通り誰かが誰かのために動いてきたのだろう。

 負けるのは必然であったかもしれぬ。

 

 皮肉なものだ。帝がいなければ生きられぬ、指示がなければ何も動けぬ、そのような雛を巣立たせるために戦っていた筈であった。

 しかし、こうして通信兵の弱点を利用され、通信を用いた策を取れなくなった際にも、兵は自らで考えることは無かった。俺の指示を仰ぎ、ただ与えられるだけの──何たる矛盾か。

 

 だが、これでいい。

 俺がこうして戦乱を招いたお蔭で、ヤマトには──ハク、奴らのように自ら考え、巣立ち、一個の雄として自らが勝ち取る世界を作り上げることができた。

 

 帝──あの方は、ヒトの世を照らすのみならず、いつかきっとヒト自身が輝く世へ導くと、信じていた。

 

 その世界を、俺が今生より見ることはもはや叶わぬ。

 しかし、真なる姫殿下も、自ら学び成長していると言う。俺の大義を理解するハクであれば、このヤマトを悪いようにはしないであろう。

 

「ここまで、か……」

 

 ──俺は、俺の道を駆け抜けた。まごうことなき、己の意志で。

 

「見事だ、ハクよ……殺せ」

 

 ──我が生涯の好敵手、ハクに討たれるのであれば中々悪くはない幕切れだ。

 

 そう思って、刃に自らを貫かせようと一歩前に出た。しかし、その剣は自らを貫くことなく、鞘に納められる。

 

「いーや、ライコウ。お前は殺さない」

 

 その言葉に、目を剥いた。

 

「……俺に恥辱に塗れた余生を生きよと? 志を曲げてまで生きようとは思わぬ。死しても貴様らを睨み、咎となろう」

「……お前の大義は、敵に降れば終わるものなのか?」

「何だと?」

 

 ハクは挑発したようににやりと笑い、俺の手を取った。

 そして──

 

「──ライコウ、お前はこの国に必要だ。自分と来い」

「……俺は、貴様らの道に同乗はせん。それに……足掻いた先に何があるという?」

「自分達を見ろ。誰も彼も、自ら考えこうしてこの戦場に集った。ある意味、お前の大義の体現者だ」

「……」

「あに──帝から民が巣立ち、新たな聖上を元にこの国が盤石になるには時間がかかる。共に支えとなってくれよ」

 

 しかし、俺は、許されない罪も多く犯してきた。

 ウォシスに命じ、非道な扱いをした兵も多い。マロロの家族もその内の一人、いや二人である。

 

「……良いのか、マロロ。俺は仇だぞ」

「マロの家族は生きているでおじゃる。故に、ライコウ殿……お主も生きて償わねばならぬでおじゃる」

 

 マロロの表情は硬い。

 だからこそ、死んで償わせるつもりはないということか。

 

「……ふ、投降しよう」

 

 疲れた笑みを浮かべ、その言葉を口にした。

 

 俺は、謀反の張本人である。

 俺を取り込むこと、それはこのヤマトの混乱を伸ばす行為でもある。

 しかしそれでも、ハクは俺を生かすと決めた。その真贋は判らないが、なぜか胸には新たな感情が芽生え始めていた。

 

「俺を野放しにすれば、すぐにまたヤマトは二分されよう」

「はっ、させねえさ。帝都の時のお返しだ。今度は自分が見張っているからな」

 

 誰かにこうして己が力を求められたのは、いつ以来か。

 帝の顔が思い浮かぶ──このヤマトのために、その知を生かしてくれと、そう頼まれたのだ。

 

 ──償い、か。

 

 俺は、判断を誤った。

 決戦だけではない、ヴライの横槍も影響していたが、姫殿下が成長することを期待せずに、早々にヤマトに覇を唱えた。

 

 歩む道が違っただけで、夢見た未来は一緒だったのだ。

 故に──

 

「ふ……」

 

 口元が歪む。

 

 ──そうか、俺は嬉しかったのか。

 

 俺の大義を理解し、敵でありながら、なお俺が必要だと言われること。

 己の理解者がいること、そして求められることの歓喜。その感情を、久しく、忘れていた。

 

 決戦は終わり、兵は投降して武器を落としていく。

 もはや、抵抗する気力など無い。俺は、正しく知略でも──その器の大きさでも、この目の前の男に負けたのだ。

 

 敵兵の一人に我が身が拘束され、これから送るであろう捕虜としての生活を案じながら、しかし、こうして生きているのであれば聞きたいことが一つあった。

 どうしても理解できぬ、ハクの策。

 

「ハクよ」

「? 何だ?」

「何故、仮面の力を使わなかった? 俺がそれすらも対策すると読んでいたのか?」

 

 そう聞けば、ハクは戸惑うように表情を歪ませた。

 

「? なにいってんだ、ライコウ。使わなかったんじゃなく、使えなかったんだが」

「何……? なぜ仮面を使えぬ」

「何故って、そりゃ暴走するからだ。お前が細工したんじゃないのか?」

「……」

 

 ハクのこの様子。

 仮面の代償のことを話しているわけではなさそうだ。暴走する細工とは、何の話だ。

 

 なぜこのような擦れ違いが生まれる。

 前もってハクが仮面の力を使わないと知っていれば、俺の策も布陣も形を変えていた筈──まさか。

 

 我らの決戦の裏で動く、その正体の顔が──そこまで思考が辿り着いたその時であった。

 

「──ッ貴様だけは!」

 

 思いもよらぬ動きで、シチーリヤが目の前に飛び出し、その凶刃をハクへと向けた。

 その切っ先は──

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 シチーリヤの激昂、そして凶刃。それは自分を狙ったものであったが──

 

「──マロロ!?」

「ぐ、ぐふっ……」

 

 目の前に庇うようにして飛び出してきたマロロ、その腹部に深々と短刀が突き刺さる。

 ヤクトワルトがすぐさまシチーリヤを拘束し、二次被害は抑えられるも、その吐血は重症を確信させた。

 

「マロロ!」

「ハク! どいて! 治療する!」

 

 マロロを抱えて動揺する自分を突き飛ばし、クオンが急ぎ治療にかかる。

 ライコウがもはや敵味方関係ないと、自軍の治療兵も呼び、マロロを囲んで治療が始まった。

 

「マロロ! マロロ!」

「だ、大丈夫で、おじゃ……ぐふっ、ハク殿、ハク殿とこうして戦えて、マロは……」

「マロロ! 大丈夫だ、今手当している! 気をしっかり持て!」

「マロは、ハク殿を……友を……今度は、こうして、守れ……」

「喋るな、マロロ!」

 

 傷は深い。治療部隊総出で処置してはいるが、五分五分である。

 内臓を傷つけていれば、こうして喋るだけで致死率が上がってしまう。

 

「マロロ、お前は生きる。大丈夫だ。後で聞いてやる」

「……」

 

 強くそう願って自分と視線をぶつけるマロロ。

 やがてマロロはその意志を感じ取ってくれたのだろう。吐血で赤くなった頬を薄く歪ませると、事切れたように力を抜いた。

 

「マロロ? マロロ!」

「大丈夫……血の量が急激に減ったせい、眠ってるだけかな」

「止血は」

「もう済んだ、あとは体力次第……でもここじゃ、治療が限られる。担架を!」

「治療部隊、彼女に協力せよ。もはや戦は終わった」

「クオン!」

「大丈夫、ハク……きっと、助けるから! だから今はハク自身の仕事をして!」

 

 ライコウの言によって、クオンが率先して兵を呼び、ライコウ軍の後詰の治療部隊と連携して動き出した。頼りになる奴だ。

 マロロは生きる。そう確信しなければ。

 

 自分を庇って死ぬなんざ、やめてくれよ。そう思って足が止まるも、クオンの言葉に身を改めた。自分は自分にしかできないことをする必要がある。

 

 ライコウの旗は落ちた。故に、戦場も既に敵の動きはない。

 しかし、勝鬨を今か今かと待っているのだ。遠く自分達を心配する皇女さんを安心させるためにも、しなければならない。遠く戦い続ける友のためにも、しなければいけない。

 シチーリヤへの追求と制裁も後である。

 

 全軍が見える丘の上に急ぎ、こちらを一様に見上げる兵達の前で、その声を張り上げた。

 

「敵将ライコウ! 総大将ハクが討ち取ったりッ! 我らが戦士達よッ! 英雄とうたわれるもの達よッ! 勝鬨をあげよッッ!!!」

「「「「「オオオオオオオオオッ!!」」」」」

 

 戦場の至る所で、武器を掲げ、歓喜の声をあげる。

 自分の仕事は終わった。後は軍の接収と、帝都への凱旋である。そして──

 

「──オシュトルの元へ伝令だ、戦は終わったと。多分、気づいていると思うが──」

「了解です!」

 

 控えていた伝令兵に命じ、丘で未だ戦っているであろうオシュトルにミカヅチとの停戦を伝える。

 マロロも、オシュトルも、きっと生きている。そう信じよう。

 

 マロロが負傷したため急ぎ仲間を集め、軍の接収や、兵糧確認、その他諸々の仕事を各幹部に振り分けた。特に短期決戦であったため、生存した軍兵は多い。接収は困難を極めるだろうが、この面子の中であればオウギに任せれば悪いようにはしないだろう。

 

「オウギ、マロロの代わりに、サラァナとウルゥルの交信を利用しながら、本陣と合流してくれ。その後、ネコネと連携して軍の接収を開始する」

「了解です。ハクさんはどうしますか?」

「マロロやオシュトルが心配だが……クオンと伝令に任せる。自分はエントゥアと話してくる」

「わかりました。エントゥアさんや、ヤクトワルトさん、ウズールッシャ勢力はあちらにいますよ」

「助かる」

 

 サラァナを労いオウギに任せた後、オウギに示された場所へ行けば、かつて別れた仲間たちがいた。

 エントゥア、ヤクトワルト、そしておまけでボコイナンテである。三者三様、こちらを見て笑みを浮かべていたが、マロロの傷も気になるのだろう。少し心配そうに治療部隊の後を見守っていた。

 彼らのおかげで勝てたのである。礼は言える時に言わなければ。

 

「……お帰り、そして、ありがとうな。エントゥア」

「ええ、ハク様の窮地に間に合って、良かったです」

「それに、ヤクトワルトも」

「応、旦那の突撃に合わせられてよかったじゃない」

「あと、ボコイナンテ」

「なんか、雑でありますな!」

 

 三者三様、微笑む。

 彼らには聞いておかねばならないことは多々ある。

 

「マロロが心配だが、聞かせてくれ。なぜ、この決戦に来られたんだ?」

「ん、まあ、不甲斐ない話になっちまうが、いいかい?」

「そうなのか?」

「ええ、結果的に、私たちではヤムマキリを抑えることはできなかったのです」

 

 聞けば、ヤムマキリの勢力は今更エントゥアが何かしたところで盛り返せるものでは無かったという。

 軍兵も少なく、このままではヤムマキリを取り逃すだけでなく、オシュトル陣営の劣勢は確実であると。

 故に、エントゥアは一計を案じた。

 そも、ウズールッシャを纏める必要はない。ライコウさえ討てばヤムマキリの協力者もいなくなり、ウズールッシャには平穏が訪れるという考え方である。

 であれば、少ない協力者と、ボコイナンテによる多額の資金を元出に、ウズールッシャで燻ぶる金で動く傭兵部族や盗賊を味方とし、ヤムマキリの後を追い、この決戦に間に合うよう行軍したと言う。

 

「本来、ヤムマキリを抑える策だったはずだが、それができないとわかっちまったじゃない」

「決戦の場所は以前より知っていましたから……故に、こうして身を隠し、ここぞという場面で現れる策を取ったのです」

「なるほどな……エントゥアの機転が役に立った。本当にありがとう」

「はい……」

 

 嬉しそうに微笑むエントゥア。

 彼らがいなければ、自分達は負けていただろう。それどころか、仮面の力で暴走していたかもしれない。本当に助かった。

 

 では、次である。我が友マロロを傷つけた返礼をしなければ。

 

「ヤクトワルト、拘束したシチーリヤはどこだ?」

「キウルの率いる軍兵に任せた、今頃──お、ライコウと一緒にいるじゃない」

「何?」

 

 ヤクトワルトの視線を追って振り返れば、ライコウは後ろ手に拘束されながらもその眉を寄せ、伏して拘束されたシチーリヤを見下ろし糾弾していた。

 

「シチーリヤ、誰の命令だ?」

「な、何を仰られているか判りません」

「……お前は俺の命令には忠実だ。だが、俺の命令以上のことをしたことはない。誰だ」

「……」

「答えよ、シチーリヤ」

「……何を、私はライコウ様を思ってです! ライコウ様のために、あの者を……!」

「……まさか」

 

 ライコウはシチーリヤとの問答の中で、ふと気づいたように、遠方の丘へと視線を向けた。

 その表情は、余り見たことの無い、焦りにも似た表情であった。

 

「? どうした、ライコウ」

「我が弟が……オシュトルが狙われている」

「何? どういうことだ」

 

 ライコウが語った、暗部の正体──それを聞く前に、巨大な力の爆発と余波を感じ、血の気が引く。

 

「ミカヅチ──仮面の力を解放したのか!?」

 

 仮面の力を解放し、雷撃と神々しい光を発する姿を見て、戸惑う。

 何故だ。戦いはもう終わった筈──

 

「駄目だ、仮面は使うなッ! 戦いは終わった! 何故、まだ戦うんだ……オシュトルッ!」

 

 遠方にて届くはずも無いその問いに答えられるものは、ミカヅチと共にあの遠く丘に立っている筈の──もう一人の英雄だけであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 現ウズールッシャ頭目、ヤムマキリは恐怖していた。

 戦闘中にミルージュという者に作戦行動であると連れられ、ヤムマキリはウズールッシャの猛者を引き連れ小高い丘にある森の中に隠れていた。

 遠くより眺める様は、正しく英雄同士の戦である。

 

「な……んだ、あれは……!?」

 

 かつて猛将ゼグニを討ち取ったオシュトル、そしてウズールッシャの数多の軍勢をたった一振りで滅ぼしたミカヅチ、ヤマトの双璧を成す彼らが戦っていたのだ。

 

「祖先の言は、真であった……ヤマトになど、やはり立ち向かってはならぬ。あれほどの戦いができるものが、ウズールッシャに果たしていようか」

 

 音速に達するかと思わるほどの俊敏な剣捌き、振るう度に抉れる地の震え、それを幾度となく繰り返しながら、二人の剣捌きには如何程の疲労もない。

 まごうことなき死合である。であるのに、共に笑みを浮かべ、心より打ち合いを楽しんでいた。

 

「あれを、あの化物を我らが討つというのか……!?」

「はい、ライコウ様からの命令です」

「……」

 

 あり得ぬ指令である。

 しかし、通信兵を管理しているのはこのミルージュである。直接抗議をしたかったが、目の前のミルージュは冷静にその命を繰り返すばかりで話にならん。

 

「良いのですか? 今ここで裏切れば──」

「っ、わ、わかっておる」

 

 ライコウは、一度下した命を取り下げることはない。グンドゥルアとは違い、あくまで冷静に命令を下し、できなければ罰を下す。しかし、グンドゥルアと違う点、それは我らにできぬことは決して命令しないということ。

 命令すると言うことはこちらにそれができると思っているということなのだ。

 

「期待に応えられなければ、わかっていますね?」

「……ああ」

 

 人質、奴隷、裏切り、他にも数多の手段を取ってきた自分であるが、こうして同じ手段を取られてしまうことを想定できていなかった。

 ライコウの裏に隠れてはいるが、ウォシス──奴からは我らと同じ闇の匂いがするのだ。しかし、ヤマトに永遠に逆らわぬと数多の豪族達が人質に囚われていることも含め、ここで逆らえば我が故郷レタルモシリも滅ぶ。それだけは避けなければ。

 

「時機は……こちらに任せてもらえるな?」

「はい。討ち取れさえすれば、構いません」

「了承した」

 

 遙か遠くにいるというのに、ここまで重く響くような剣戟の音を聞きながら、その時機とやらが来るのを待つ。

 確かめるように後ろを見れば、ウズールッシャで猛者と呼ばれた彼らの手も、俺と同じく震えていた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 戦場から数多の咆哮、そして耳を劈く爆発音が聞こえる。

 

 ──ハクが策を実行することに決めたか。

 

 であれば、戦況も佳境である。

 こちらも長く打ち合っており、互いに疲労も傷もやや見られてきた。

 

「──この俺を前に、余所見をするか! オシュトルッ!」

「何のッ!」

 

 己の視線をミカヅチから離してはいないが、意識を戦場に向けたことに気付かれたのだろう。

 極限まで高められた集中力。そして、その集中力は、目の前の強敵を倒すためだけに使われているのだ。

 

「はあああッッ!」

「ふんッッ!」

 

 もはや幾千度打ち合ったとも思える剣戟の音を響かせ、衝撃に二人の距離が離れる。

 そして、ミカヅチはこちらに提案するように言葉を投げた。

 

「……オシュトルよ」

「……どうした、ミカヅチ」

「何故、仮面を使わぬ? 互いの剣だけでは、もはや決着はつかぬ……であれば」

 

 ミカヅチはそう言うと、己の仮面に手を添えて解放の呪いを述べようとする。

 

「させんッ!」

「ッ!? ヌウゥッ……!」

 

 即座に阻止するために、神速の突きを放つ。

 ミカヅチは難なく躱すも、その行いに戸惑いを感じているようであった。

 

「何故だッ!? オシュトルッ!」

「……代償だ、ミカヅチ」

「何……!?」

 

 仮面を使いすぎれば、その身を滅ぼす。

 代々男の仮面の者は短命。故に、一度使えば歯止めはもはや効かぬ。己が命を喰い潰すであろう。

 

「仮面を使えば、互いの命を易々と失う。ミカヅチよ……某は、このヤマトの行く末を、死して天上より見守るつもりはない」

「貴様らしくもない弱者の言葉であるな……臆したか、オシュトル」

「いいや……逆である。某を──」

 

 ──俺がこの世で一番強いと、信じてくれている者がいる。

 

 仮面の力を持つからではない。右近衛大将だからではない。

 俺が、俺がオシュトルだからこそ、俺が強いと、俺を認めてくれる友がいる。

 

 あの日のハクの顔と言葉が脳裏に過り、その握る刃に力が籠る。

 

 俺の強さを信じた者に、皆と誓った約束を破る恰好悪いところなど、誰が見せられよう──

 

 ──その無言の決意を、ミカヅチは悟ったのだろう。

 

「……」

 

 静かに、静かに──互いの呼吸が深く、そして鋭敏に、研ぎ澄まされていく。

 次なる一撃が、某の放つ最大奥義であること。それを以って、ミカヅチを討たんとすることを理解したのだ。

 

「右近衛大将、オシュトル──推して参る」

「左近衛大将、ミカヅチ──推して参る」

 

 互いの表情に、もはや笑みは無い。

 じりじりと、僅かに距離を縮めていく。

 

 某は剣を天高く掲げ、ミカヅチは剣を深く地に構え──互いの距離を詰めていく。

 

 ──我らは天と地、光と影。ヤマトの双璧、今、その決着がつく。

 

 陽光に煌く刃、陰に潜む大剣が、一つ、一つと歩みを進める。

 

 そして、互いの一振りが確実に死地となった場へと足を踏み入れる。

 まだだ。まだ、振らぬ。まだ──

 

「──ミカヅチィイイ!!」

「オシュトルゥゥッッ!!」

 

 一閃。

 交差するように互いの体が擦れ違い、甲高い金属音が波打つように遠方に響き渡る。

 

 某の剣は、上段よりミカヅチの体を縦に裂くもの。ミカヅチの剣戟は、下段より己の胴を寸断するもの。果たして──

 

「……」

 

 剣を振り下ろした体勢のまま、背で互いの存在を感じている。

 

 暫くの沈黙の後──

 

「──がはっ」

 

 ぼたぼたと、衝撃を殺しきれぬものが己の内臓を破壊したのだろう。血を吐いた。

 倒れそうになる体を、剣を支えに何とか踏みとどまらせる。激痛に身を震わせながらも後ろを見れば、ミカヅチは既に倒れ伏していた。

 

 ──勝ったか。 

 

「ありがとう、アンちゃんよ……俺は、またお前に──がはッ……!」

 

 吐血し、衝撃で揺れたままの体を何とか持たせながら、震える左手で懐からひび割れた鉄扇を取りだす。

 

 ──また、アンちゃんに助けられたな。

 

 貸し元のクオン殿からは激昂されるであろうが、こうして約束を守る為に使わせてもらったのだ。許してくれるであろう。

 ミカヅチの剣を受けて尚ひび割れ程度に収まる鉄扇。確かに、己の御守りとなってくれたようだ。

 

 さて、と戦場を見れば、ハクによる勝鬨があがっている。

 決戦は終わった。まごうことなき──俺達の勝利によって。

 

 吐血がついた口元を裾で拭いながらも、勝利に酔った笑みを浮かべた時であった。

 

「──ミカヅチが死にましたか」

「ッ!! 誰だ……?」

「ふふ……やはり、貴方は危険人物。ここでミカヅチと共に闇に消えてもらいましょう」

 

 突如現れそう告げるは、確かミルージュ、といったか。

 彼はミカヅチに仕えていた忠臣であったはず。なぜここに──いやそれよりも、かつて仕えていたミカヅチの死様を見ながら、まるで路傍の石を眺めるが如くその瞳は何だ。

 

「……決戦は終わった。なれど某を討つと?」

「はい」

「復讐に激昂するのであれば、わかる……何ゆえ、そのように冷静なのだ?」

「貴方が知ることではありません。貴方はさっさと死に、天上からヤマトを見守っていて下さいね」

「な、んだと……?」

 

 にこやかな笑みを浮かべるミルージュの後ろより現れる、ウズールッシャの兵達。

 そこには、ヤムマキリと呼ばれる存在もあった。あれがヤクトワルトの兄か。

 

「……どうしました? ヤムマキリ殿、やりなさい」

「し、しかし……」

「相手は手負いですよ。情けない」

 

 ウズールッシャの兵達は皆一様に震えている。剣はカタカタと切っ先がぶれ、弓を取る手は矢を番えることすらできていなかった。

 その震えは、某らの強さに対する怯えであろうか。しかし、某は手負いである。もはやこの数と戦う術はない。

 その震えの正体を話したのは、ヤムマキリであった。

 

「……舐めるな、ミルージュ」

「何ですって?」

「このような英雄を討っていいはずがなかろう……俺達にもウズールッシャの尊き戦士の血が流れている」

 

 憤慨したようにそう叫ぶヤムマキリ。

 某とミカヅチの戦いを見て、何かを感じたのだろう。その声はただ一人の戦士として、憧れに震えていた。

 

「……裏切るのですか?」

「ああ、もはや戦えぬ者を討てなどという命令には従えぬ。それに、敵の勝鬨は上がった。もはや戦は終わったのだ!」

「そうだ! ライコウは討たれた! 我らはウズールッシャに戻るぞ!」

 

 ヤムマキリの声に賛同するかのように、ウズールッシャの兵達より声が上がる。

 ミルージュは何事か悩んだ後に、冷たい言葉を発した。

 

「……そうですか」

 

 その瞬間である。

 ヤムマキリの胴体より、赤々とした剣先が生えた。

 

「っ!? ごはっ……き、貴様、ミルージュ……ッ!」

「我が主の命に従えない者は、消えなさい」

 

 どさり、とヤムマキリは血だまりを作って地面に横たわった。

 ミルージュが返り血を浴びるその様を見て、周囲のウズールッシャ兵は恐れ戦き後退したが、そこには──

 

「──新手、か……!?」

「ウズールッシャの怨恨に見せかけようと思いましたが、難しいものですね。さあ、やりなさい」

 

 さらに後背より、得体の知れぬ兵達がその姿を現した。

 ウズールッシャの猛者たちは抵抗する間も無く、仮面をつけた小柄な兵に容易く討たれていく。

 そして、それはこちらにも──

 

「ぐっ──!」

「へえ、まだ動けるんですね。やはり、あなたはミカヅチと同じ強者……! 徐々に囲んで討ちなさい!」

 

 敵兵はミルージュの指令通り徐々にこちらの周囲を囲んでくる。

 四方八方から挟撃されれば、深手の自分では動けぬ。仮面の力も、解放する時間すらない。

 

 ──まずい! 

 

 ひゅんと背後より放たれる矢に反応できず、その背に矢を受けんとするところであった。

 

「があああああッ!」

 

 裂帛の気合いと共に、何者かがその矢を撃ち落とした。それは──

 

「ミルージュ……俺とオシュトルの決闘を穢すとはな……ッ!」

「──ミカヅチ!? 其方──ッ!」

 

 生きていた。

 しかし、その体は多量の血を流し、もはや瀕死である。

 ミカヅチに走る傷を見れば、ミカヅチは己の剣の手応えに違和感を得て、瞬時にその体を逸らしたのだろう。

 故に、己の剣は、僅かにミカヅチの命を奪わぬぎりぎりの場所を裂いていた。しかし、重症には違い無い。こうして立つのも辛い筈である。

 

「っ!? ま、まだ生きていらっしゃったんですね……ミカヅチ様」

「フン、言葉を改めたとて、もう遅い、ミルージュ……別の主がいるとは知らなかったな……お前を捕え、吐かせる」

「ッ! 二人とも討ちなさい! やれッ!!」

 

 重症の身を抱えながら、二人背中合わせとなって戦う。

 兵達の包囲は苛烈であったが、阿吽の呼吸で連携しその剣と矢を弾き、兵の死体を積み上げていく。

 戸惑いの声をあげるミルージュ。

 

「な、何を……手負いの二人を前に何をやっているのですか!」

 

 その叫びを受け、尚猛攻が続くも、我ら双璧が揃えば討てぬ敵などない。

 切られ、切り伏せ、互いの元に放たれた毒矢を折り、手負いとは思えぬ連携を見せ続ける。

 そして、互いの背を狙った敵を貫き倒し、我らの剣を重ねるように打ち鳴らした。

 

「オシュトル……」

「ミカヅチ……」

 

 呼吸を荒げながらも、互いの決意の瞳を見る。

 オシュトルに討たれるのであれば、ミカヅチに討たれるのであれば、友に討たれるのであれば、まだ納得がいった。

 しかし──貴様ら程度に、我らが約束を、友との約束を穢させはせぬ。

 

「な、なぜ……死なない……?」

 

 血まみれの死に体でありながら剣を握り続ける我らを見て、ミルージュは思わずといったようにその歩みを後ろへと下げた。

 瀕死で息も絶え絶えながら、我らの拝命の誓いを呟く。我らの始まり、我らの意地──

 

「──我らは……天と、地」

「──我らは……ッ、光と影……」

 

 ミカヅチが呼応するように、血を吐きながら呟く。

 

「常に、対となり……」

「この国を、護る者……」

「我ら双璧──」

「貴様ら程度に──」

「「──討てると思うなッ!!」」

 

 血風をまき散らしながら剣を振り上げ、瀕死とは思えぬ激昂を放つ。

 

 敵兵は我らの姿に臆したようにたじろぎその切先を揺らすも、ミルージュの命により諦める様子はない。包囲は徐々に狭まっている。

 我らの命もいつまで持つか──

 

「──時間を稼げ、オシュトル……俺が使う」

「っ……あいわかった!」

 

 ミカヅチの提案を受け──痛みに歯を食いしばりながらも、即座にミルージュへと飛び込んでいく。

 周囲の兵は、司令塔であるミルージュを守らねばと思ったのだろう。こちらへ追撃の手が走る。

 

「──決死の覚悟で来い! 闇の先兵共よ!!」

 

 一瞬、ミカヅチへの気が逸れた。

 その僅かな時さえ稼げれば、ミカヅチならば──我が友であれば必ず成す。

 

「仮面の力よッ! 根源の力よ! 俺に最後の力をオオオオオオオオオオッ!!」

 

 咆哮。

 遅れて数多の矢に貫かれながらも、ミカヅチは構わず仮面の力を解き放ち、周囲に閃光のような雷撃が走る。

 そして──

 

「──失敗、か。撤退しなさい! 我らの死体を回収せよ!」

 

 ミルージュの判断は早かった。

 仮面を使ったミカヅチには勝てぬ、そして某には追えぬと判断したのであろう。

 闇の手下たちは、数多の死体を抱え、その姿を丘の中の森へと消していった。

 

「オシュトル……敵ハ、ミルージュハ、何処ダ」

「ミカヅチ、其方の姿を見て……恐れ戦き逃げた」

「フ、ソウカ……ソレハ重畳……モハヤ、俺モ……限界デ、アッタ……」

 

 どさりと土煙をまき散らし、巨体のまま倒れ込んだミカヅチ。

 そして、某も限界であった。風圧に負けるようにミカヅチの横に倒れ伏し、互いに空を眺める。

 互いに切り傷、矢傷だらけであり、瀕死の状態である。しかし、生き残ることができたのだ。

 

「友よ……生き残るというのは、真……難しいものであったな」

「……アア……ダガ、悪クナイ」

「……そう、であるな」

「マタ、闘ロウゾ……オシュトル」

「ああ……勿論である」

「フン……負ケッパナシハ癪ダカラナ……」

 

 ミカヅチの体は話している途中に元の姿へともどり、二人空を眺めて味方を待つ。

 

「──約束だ、オシュトル……」

「ああ、約束だ、ミカヅチ……」

 

 ──天上よ。俺はまだ生きる。仲間と共に約束を果たし続ける。俺にしかできぬことを成すために。

 

「おーい! オシュトル! ミカヅチ! もう戦わなくていいんだぞー! 生きてるかー!!」

 

 気の抜けるような声が遠方より響き、もう一人の親愛なる友が近づいてきたことを知る。

 ミカヅチと二人苦笑しながら──後は任せたと、安心したようにその瞳を閉じるのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都、誰にも知られぬ奥深くにある部屋の中で、ウォシスは暗い笑みを浮かべていた。

 

「ウォシス様」

「おや、どうしましたか?」

「シチーリヤ、ミルージュ、両名実行失敗。彼らは皆生きています」

 

 平原での決着がつくと聞き、早々に指令を下したが──やはり付け焼刃の策、失敗してしまったか。

 

「そうですか……強制解放は失敗と」

「はい、何分、武装している状態であったためだと思われます……」

「……予想では帝都決戦までライコウは持つと思っていましたからね。早々に負けるとは……知を誇る彼にとって何とも情けないことです」

「いかがいたしますか?」

「仕方がありません……今は待ちましょう」

「お隠れになられるので?」

「ええ……彼の者が、自然と己が憤怒の炎に呑まれ、全てを焼き尽くしてくれるまで……私達は闇の中へ潜りましょう」

「了解しました。敵軍に捕えられたシチーリヤについて、いかがいたしますか?」

 

 殺されず未だ囚われているシチーリヤ、今の隠密衆の練度は高い、潜り込むのも一苦労であろう。

 

「殺すのも可哀想ですが……拷問に耐え続けるのも酷でしょうね。今私の存在が公になることは本意ではありません。機会があれば討ちなさい」

「はっ」

 

 少年兵が恭しく礼をすると、その姿を闇へと消す。

 ウォシスは、部屋にある重要なものだけを手に取り運べるよう纏めながら、その口元を薄く歪めた。

 

「ハク……今はデコイの中で踊りなさい。あなたが愛したデコイは、あなた自身の手で滅ぼされる」

 

 蝋燭の火が揺れるように消え、ウォシスの表情を消す。

 

「それが──父の寵愛を受けたあなたへの復讐です」

 

 やがて、窓から漏れる月の光に照らされた形相は、誰が見ても震えあがるであろう狂気をはらんだものであった。

 

 




 決戦編、いかがでしたでしょうか。
 軍略等自分の頭ではこれ以上の策を出せず拙作ではありますが、せめて己の持つ原作愛はたっぷり詰め込もうと頑張りました。これ以上は自分には無理です。
 とにもかくにも私が書きたかったものとして、原作にはないオシュトルvsミカヅチ戦と共闘、そして原作偽りの仮面で最も印象深い褌丸(アニメではカットされたけど)が出せて良かったです。

 出ていないキャラもいて口惜しいところですが、テンポを重視して省いた描写も多々あります。
 兵糧や治療で一般兵士と関わるルルティエや、フミルィル。後詰部隊を担う者としてウズールッシャ襲撃を防いだネコネ。オウギによる奇襲伏兵戦。勝手に一騎駆けし始めるアトゥイ。エントゥア達によるウズールッシャからの旅路。各皇による迎撃戦。

 ライコウに勝利する描写は、とても困難でした。原作を知れば知るほど、彼は本当に強く気高かった。
 故に、こうした原作とは違う決着、合戦の中身について違和感等もあるかもしれません。上記のように描写していない仲間の力も全て結集した結果、たった一人で戦うライコウに届き得たと思って頂ければ幸いです。あと、いらんことするウォシス。

 他にも語りたいことは多々ありますが、今は読者様の読んだ素直な感想を優先していただければと思います。
 読んでいただきありがとうございました。


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第四十話 取り戻すもの

味方となったライコウ。
感想やメッセージにて幾人か指摘していただいた方々の言う通り、これからのライコウは、ハクオロさんにとってのベナウィみたいなもんです。


 現朝廷の旗印であるライコウ、ミカヅチとの決戦は終わった。

 ライコウは、真なる聖上はオシュトル陣営にありと投降の意を示し捕虜となり、朝廷軍全ての武装を解除した。

 しかし、大軍同士のぶつかり合いが短期決戦で終わったためか、互いの軍の被害は軽微なれどもその規模により接収と管理は困難を極めた。また、その困難を助長した要因の一つとして、オシュトル陣営幹部達の重症が挙げられる。

 そのような課題を抱えながらも、オムチャッコ平原より僅かに歩みを進め、明日の昼には帝都に着くだろう場所にて陣を構え野営を行った。凱旋前最後の夜ともいえる時間を過ごしていた頃、クオンとネコネの管理する医務室に足を運んだ。

 

「オシュトルとマロロ、まだ目が覚めないのか?」

「はいなのです……」

「治療は終わっているんだけどね……」

 

 二人の傷は深い。

 マロロはシチーリヤによってつけられた腹部刺傷とそれに伴う貧血。オシュトルはもはや誰がどうつけたかすらわからぬ程の矢傷と裂傷、内臓破裂諸々の重症である。生きていることが奇跡と言えよう。

 皇女さんはぴんぴんして無傷ではあるが、決戦だけの仮初総大将である自分がそのまま帝都凱旋という訳にはいかない。故に、帝都に向けて直ちに凱旋するという行為は難しく、できれば帝都に着く頃には目覚めてほしいとの希望的観測を持ちながら、ゆっくりと帝都に歩みを進めている段階であった。

 

「ミカヅチに何があったか聞きたいが、こっちもこっちで重症だしな……」

 

 そう、あの場にいたもう一人の英雄ミカヅチは、仮面の力を解放した代償もあるのだろう。オシュトル以上の深手を負っており、こちらも深く眠っていた。

 皆生きているとはいえども、予断を許さない状況は続いているのだ。本来であれば、ゆっくり休養させるのが常であるが、確たる頭が不在のまま帝都を空け続けるのは得策ではない。

 また、ライコウからの言によれば、シチーリヤも未だ口を噤み真実を語らないこと、敵将ウォシスとの連絡を取れないとの報告を受け、皆の不安を増長させている。故に、進むしかないのだ。

 

 医務室にて護衛として佇んでいたヤクトワルトが、自分の言葉を継ぐように一人の男に声をかけた。

 

「ということは、だ。聞けるのはあんただけじゃない──ヤムマキリよ」

 

 医務室奥にて、簡易的に拘束されながらも治療されているウズールッシャ現頭目ヤムマキリの姿があった。

 

「ふん……ヤクトワルトよ。俺が喋ると思うか?」

「手当てされた貸しすら返せないっていうのか?」

「……」

「なあ、なぜあそこで倒れていたかくらいは喋ってくれないか?」

 

 そう、なぜかオシュトルとミカヅチの決戦の場に二人と共に倒れていたヤムマキリである。

 ヤクトワルトがヤムマキリの傷痕を見て、内臓反らしに死んだフリか、小手先の技だけは相変わらずうまいもんだと言うので治療してみれば、重症である彼らの中で最も目覚めるのが早かった。

 

 あの丘にいたウズールッシャ勢力は、ヤムマキリの他には全てが死んでいた。しかし、彼だけがこのように重症という身乍らも生き残ることができたのだ。

 本来であれば、ヤムマキリはオシュトルらを討とうとして返り討ちにされたのだと見ていたのだが、治療部隊よりオシュトルらの持つ武器では成し得ない小さな刺突であったという報告があった。

 つまり、彼ら以外にもあの場にいたことの証左となったため、こうして話を聞くために生かすこととなったのだ。

 

 しかし、ヤムマキリは真実を話すことを躊躇うように顔を歪めた。

 

「ヤクトワルトよ。貴様の憎悪に塗れた頭では、俺が何を言ったところで信じまい」

「ああ、だが喋るだけなら許してやるじゃない」

「喋れば俺を斬るだろう?」

「当然だ、次に会えば遠慮なくぶった切ると約束したからな」

 

 睨み合う両者、ヤクトワルトの気持ちもわからなくはないが、真実を知りたい手前こいつに聞くしかないのだ。

 

「まあまあ、ヤクトワルト、そう言うな」

「……すまねえ、旦那」

「いいんだ、ヤクトワルトの気持ちもわかる」

 

 ヤクトワルトを諫め乍ら、ヤムマキリの隣へと腰を下ろした。

 帝都への凱旋も近い。闇に蠢く兵の正体を知るためにも、ライコウから伏兵には警戒するよう言われたことも含め、このまま軍を明日進めていいか判断できる証拠を集めておきたかった。

 

「自分は信じるさ、何があったか教えてくれないか」

「……であれば、呼んでほしい男がいる」

「? 誰だ」

「ライコウだ」

 

 ヤムマキリの要望を聞き入れ、捕虜として扱っているライコウを医務室まで連れてくるよう伝令に言う。

 すると暫くすれば、ライコウは後ろ手に拘束されたまま、自分達の前へ姿を現した。

 

「どうした、ハクよ。俺に何用だ」

「あんたを呼んでくれって奴がいてな」

 

 ライコウは医務室の簡易寝台に横たわるミカヅチに一瞥をくれながら、奥でその身を起こすヤムマキリに気付いたようだった。その目を驚きからか僅かに開き、口元を歪めた。

 

「……ほう、ヤムマキリよ。貴様も生きていたか」

「貴様もな。敵将を生かしたままと聞いて驚きはしたが……」

「ふん、こやつが甘いだけのことよ。して、わざわざ俺を呼んだ要件とはなんだ」

 

 ライコウから甘いと冷たい視線を浴びながら、ヤムマキリに本題を話すように促す。すると、ヤムマキリが話す内容は驚きのものであった。

 

「俺は、奇襲作戦に当たっていた筈であったが、途中ミルージュから別の指令が降りたと伝令を受けた」

「……ほう」

「その反応……やはり、貴様では無かったようだな。俺が受けた貴様からの指令、オシュトルと、ミカヅチ、その両方を討てというものだ」

「……馬鹿な」

「俺はヤマトの事情に明るくはない。故に使える手駒だと思われたのだろうな」

「じゃあ、なぜお前は怪我をしたんだ?」

 

 聞きたいところはそこである。

 彼らを討とうとしたが返り討ちにされた、のであればわかる。しかし、ミルージュの死体はあの場には無かった。

 

「……討とうとした頃には、既に戦は終わっていた。故に拒否したのだ」

「拒否した結果は……?」

「この有様よ。それより先の記憶は無いが、他の者がやられていたことからも、さらなる伏兵がおったのだろう」

「なるほど……それをオシュトルとミカヅチが返り討ちにしたってことか」

「それが本当なら、裏で暗躍する奴がいるってことじゃない」

 

 ヤクトワルトの言うことは尤もである。

 ミルージュは、確かミカヅチのお付であった筈だ。それがミカヅチを討つよう指令を下したとなればおかしな話である。

 それに、シチーリヤはライコウが投降を示した後に襲ってきたこともある。ヤムマキリの言を信用すれば、ライコウ、ミカヅチの以前よりの補佐である彼らが裏切りの将であった可能性が出てきたのだ。彼らの腹心に忠誠深い部下を置けるだけの存在、そう多く候補はいないと思いたいが。

 

「まあ、俺の言うことを信じなくとも良い。いずれ目が覚めれば、その者共に聞けばよかろう」

「……」

 

 確かにその通りである。

 ヤムマキリがここで嘘をついたとしても、オシュトルとミカヅチの何れが目覚めれば自ずと真実は明かされるのである。

 ライコウが思案しながらも、冷静に言葉を継いだ。

 

「暗躍する将か。心当たりはある……シチーリヤが喋らぬ故確定ではないが……」

「本当か? ライコウ」

「俺は不確定な要素を口に出すことは好まぬ。故に聞くが……ハクよ、貴様がその仮面に細工を施されたと感じたのはいつのことだ?」

「それは……お前に囚われた後だな」

「……俺はそのような命は下してはいない。八柱将ウォシスには、貴様を逃がすなと命じただけだ」

「……そうだったのか」

「細工についての報告も上がってはいない。貴様に細工を施したのがウォシスであるのか、はたまた誰か名も知れぬ者であるかは……証拠がない故に確定はできんがな」

 

 どうりでおかしな話だとは思っていた。

 仮面への細工、逃亡させないために行うならばわかる。しかしこれは、逃亡させた後に発動するもの。その意味がわからなかったが、ライコウが命じたものではないという。では誰が、何の意味で──

 

「しかし、そう言われればウォシスの可能性が高いように思うが」

「ふむ……怪しい点を数えればキリがない。前帝の創造物や鎖の巫女への知識に明るく、数多の暗躍する兵を用いていた。今思えば、策など考えられぬヴライを補佐したのも、奴だったのかもしれぬ。しかし、それも根拠なき妄言とも言える」

「ま、警戒はした方がいいな……」

 

 警戒し過ぎて動けなくなるのでは本末転倒であるが、その名を知っていることが利となることもあるだろう。

 それよりも今最も懸念することは──

 

「──そもそも、帝都にこのまま凱旋してもいいのか?」

「……流石の奴でも、この規模の大軍を抑える術はない。籠城を選び、俺の作っていた兵器を使おうとも、残存するヤマトの精兵は少ない。貴様らの優位は揺らがぬ」

「しかし……ウォシスは投降すると言ったか?」

「ウォシスへ投降するよう伝令を送りはしたが返答も無い。であれば、何か策を弄しているか、今頃極刑を恐れて帝都より悠々と逃げ果せているかであろうな」

「あるいはその両方か……」

 

 しかし、今はウォシスに関してどうこう議論することはできないだろう。とりあえず、皇女さんの帰還を果たすためにも、このまま軍を進めるしかないのだ。

 かつて味方であったライコウすらも、ウォシスに対してはおぼろげな理解でしかない。とにかく帝都へ凱旋し、自分のこの仮面の扱いについては特に気を付けるべしといった結論に落ち着いた。

 

「よく話してくれた。ヤムマキリ」

「……ふん」

「……」

「どうした、ヤクトワルト。俺の行動が意外か?」

「……ああ、悪いがあんたらしくもない潔さだ」

「そうだろうな……俺も、そう思う」

 

 ヤムマキリは昏睡するオシュトルとミカヅチの方をまるで遥か遠方を見やるかのように視線を向け、諦めたように言葉を吐いた。

 ミルージュに連れられ、二人の戦いを見て、その二人を討つとなった際に、ヤムマキリの心の中にどう変化が生じたのかはわからない。しかし、その瞳にはかつての狂気はなく、ただただ深い憧憬の念が籠っているように感じた。

 

「そうだ、ライコウ殿……交渉に際し担保となった、我が祖国の人質だが」

「ああ、こやつらが帝都に凱旋すれば無用だ。帝都に着き次第、ハクがウズールッシャに送り返してくれよう」

「感謝する」

 

 え、何、それ自分の仕事なのか。

 ライコウも当然のように言ってるけど。と混乱しながらも、ヤムマキリは何か帰り支度のようなものを始めた。

 

「もう良いか? 俺に話せることは全て話した。後、俺にできることは、逃げたウズールッシャの軍兵を回収し祖国に戻ることだ。手当の代価として相当であると思うが」

 

 ヤムマキリは捕虜である。

 しかし、決戦が終わった途端、ウズールッシャの兵は雲の子を散らすように各地に逃げてしまった。野盗化されても嫌だなあと思っていたところ、ヤムマキリにそう提案されたのだ。ヤムマキリは、手段は別としても、何だかんだで祖国を一番に考えている。

 皆がヤマトの管理をしていく立場になることからも、ヤムマキリが彼らを纏めてウズールッシャに戻るようにしてくれるのは有難い話であった。

 

「ああ、そうだな。もう歩けるか?」

「俺の刀を返せ、杖代わりにする」

「わかった」

 

 あの傷である。今更刀を持ったとて誰かを斬れるほどではない。

 それに──

 

「旦那……」

「ああ、わかっているさ。後は、お前に任せる」

「……忝いじゃない」

 

 杖をついて歩くヤムマキリを連れ、ヤクトワルトは医務室から大太刀を携えて出ていく。

 その後ろ姿を心配そうにクオンとネコネが見つめていた。

 

「……いいの? 一人で行かせて」

「ああ。自分はヤクトワルトを信じてるからな」

「ハクさん……でも」

「クオンとネコネの心配は杞憂さ。任せとけば大丈夫だろう」

「……そっか」

 

 ヤクトワルトであれば、悪いようにはしないだろう。

 ヤムマキリとのけじめを、きちんとした形でつけてくれる筈だ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ヤクトワルトは、ヤムマキリと共に闇夜に包まれた陣の中を歩きながら、駐留地より暫く離れた森の中へと分け入っていく。

 

「……」

 

 互いに無言。

 ヤムマキリはその歩みはゆっくりながらも、どこに行くかは決めているのだろう。その足取りはしっかりとしていた。

 そして、暫くして不意にその足が止まった。

 

「ここで良いか……」

「……死に場所は決めたかい」

「ふ……そうだな。俺がこの草笛を吹けば、同族が近くまで迎えに来てくれよう」

 

 ぴっと生えている草を手に取り、口に当てる。遠方まで響く高音の草笛である。

 ヤクトワルトはその動作を咎めるように刀を構えた。

 

「……良いのか、俺を殺せば同族を導く者が不在になるぞ」

「あんたはオシュトルの旦那に返り討ちにされただけで、本当のことを言っているとは思えないんでね」

「ふん、そうか……」

「それに……あんたが同族を導けるとは思わないじゃない」

「そうだな……ヤクトワルト、貴様の言う通りだ」

「……?」

 

 ヤクトワルトは、ヤムマキリのその自信の無い口ぶりに戸惑い、柄に伸ばす手を止めた。

 すると、ヤムマキリは昔を思い出すかのように言葉を紡いだ。

 

「俺は、祖国レタルモシリを……救った男なのだと思っていた」

「……」

「グンドゥルアに従わねば滅ぼされる。だから従ったのだ。しかし──」

 

 ヤムマキリは目を閉じ、何かを夢想するかのように顔を上げた。

 

「あの英雄共を討てと、言われ……俺の剣は動かなかった……従わねば滅ぼされるとわかっていながら、動かなかったのだ」

「……心変わりでもしたってか」

「いいや、俺が気づいたのはそこではない。あそこで討てば、俺についてくるものなどおらぬであろうこと……求心無くして皇は務まらぬということだ」

 

 ヤムマキリはようやく得心がいったというように、ある言葉を紡いだ。

 

「敵に滅ぼされるも、頭目の愚心によって滅ぶも同じ──」

「ッ、その言葉は……!」

「済まなかったと、シノノンに伝えておいてくれ。長兄ムカルの言っていたことは正しかった……俺が間違っていたのだ」

「……ヤムマキリ」

「俺は、救国の英雄になりたかったのかもしれぬ……だが、真なる英雄として戦う奴らを間近で見て、己が器を見誤ったことを知った」

 

 ヤクトワルトは戸惑っていた。かつて、ヤムマキリがこのような表情を見せたことがあっただろうかと。

 そんなヤクトワルトの心情を知ってか知らずか、ヤムマキリは草笛を風に攫わせるように闇の中へと放った。

 

「殺せ、ヤクトワルト。散らばった我が民は、お前や、エントゥアが集めれば良い……俺は、皇にはなれぬ」

「……」

 

 ヤクトワルトはその言葉を感じ入るように目を瞑って受け入れた後──その刀を目にも見えぬ速度で撃ち放つ。

 ヤムマキリは、死を受け入れるように力を抜き、その眼を閉じていた。しかし、待てども自分の首が落ちることはない。訝し気に目を開けば、ヤクトワルトは一歩こちらへと近づき、風に舞う何かを手に取った。

 

「……む? これは」

 

 ヤクトワルトは一閃で草笛の草木を一つ刈り取り、ヤムマキリへ預けるように差しだしたのだ。

 ヤムマキリは、それをただただ戸惑うように受け取った。

 

「……エントゥアの嬢ちゃんは、もうウズールッシャには行かねえ」

「何……? どういう意味だ、ヤクトワルト」

「嬢ちゃんは、女としての幸せを掴む……ヤムマキリ、あんたが代わりにウズールッシャを纏めるがいいさ」

「……いいのか、ヤクトワルト。俺を斬る約束ではなかったのか」

「あんたは俺との約束を何度も破った。俺も一度くらいは……あんたとの約束を破ってもいいじゃない」

「……ふ」

 

 ヤムマキリは薄く笑みを浮かべると、渡された草笛をひゅいと鳴らす。

 暫くすると闇の中からウズールッシャの兵が何人か集い、その者共に囲まれながら、その身を深い闇へと消していった。

 

「良いのですか? ヤクトワルトさん」

 

 背後よりがさりとした物音と聞きなれた声が響く。警邏として巡回していたキウルだった。

 以前より見られていたのだろう。キウルの成長を感じながら薄く笑い、本音を語った。

 

「奴はシノノンに謝罪した。それだけで許されるものでもないが……まあ、もし嘘をついていたなら、今度こそ俺がとどめを刺してやるじゃない」

「……ええ、そうですね」

 

 別れの言葉も無かったが、ヤムマキリとは二度と会うことはないだろう。ヤクトワルトはそう確信していた。

 しかし、ヤクトワルトの心には哀愁は無く、ただただ亡きムカルの顔と声が浮かんでいた。

 

 ──兄貴が浮かばれねえと、思っていたが。

 

 ヤムマキリのしたことは、許されることではない。しかし、長兄ムカルの高潔さは、確かに我ら兄弟に残っていた。いや──取り戻すことができたのだ。

 

 それが、少し──嬉しかった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都凱旋。

 ヤマトの民は真なる聖上の帰還に歓喜した。

 

 結局オシュトル、マロロ、ミカヅチは目覚めぬまま帝都の門へと辿り着くことになったが、警戒していたウォシスは姿を見せなかった。それどころかウォシス他幹部は処刑を恐れて何処かへと逃げたのだろう。将無き兵達は我らを見てすぐさま正門を堂々と開き、歓迎の意を示したのだ。

 

 ライコウやヤムマキリとの話の中でウォシスが闇に蠢く者であると警戒していたが、杞憂であったとひとまず安堵した。

 

「余は真なるヤマトの後継者! 天子、アンジュなるぞ──」

 

 全ての民の前で皇女さんによる凱旋の演説が始まったことで、長き戦乱が終わったことを全ての民が実感した。皇女さんは一度失った帝都を、帝都の民の犠牲無くついに取り戻すに至ったのである。

 

「長かった……」

 

 ここまで紆余曲折ありながらも、ついに皇女さんの悲願を誰一人欠けることなく達成することができた。

 それは大変喜ばしい。喜ばしいのだが。

 

 オシュトル陣営最高権力者のオシュトル、補佐マロロが未だ目覚めない今、このヤマトの実質的な権限は一体誰が握っているかというと──

 

「──ハクよ、これが追加の案件である」

「……」

 

 どんと重苦しい音を響かせながら、堆く積まれている書簡の山に新たな山が追加されていく。

 この半日でカルデラのように真ん中の書簡を制覇し机の模様が見えてきたというのに、再び噴火した如く机周りの風景は書簡一色で埋められてしまった。

 殺す気かと言わんばかりに、仕事を持ってきたライコウを睨み付けた。

 

「ライコウ……」

「どうした、ハクよ。この程度の仕事に時間をかけていては、軍の再編もままならぬぞ」

 

 ライコウの言は尤もであるが、この仕事量は膨大すぎる。

 それもこれも、オシュトルやマロロというこの戦乱の最大功績者が目覚めるまで、皇女さんによる叙任式を行えないという事柄が影響しているのだ。

 叙任してそのまま目覚めなければ、政務に混乱が生じる。故に目覚めるまでは新たな権力者を生み出すこともできず、代替の者を立てるというのが皆の意見であった。

 

 しかし、半ば押し付けられた大量の仕事を自分一人でどうにかできるわけもなく、今帝都にいる権力者に分担する作業を行っているのだ。

 

「……軍の再編はムネチカとキウル、あとネコネに任せると言った筈だが」

「しかし、最終決定権は貴様だと伺っている。文句を言わずに早く手を動かすがいい」

「……なら、ライコウ。お前に任せる」

「いいのか、ハク。俺に軍の実権など任せればすぐに内戦が起こるぞ」

「……」

 

 ライコウは隷従の首輪を嵌めながらも、薄笑いを浮かべてそう言う。反論できず、思わず唇を噛んで無言を示した。

 

 ライコウは今や全権を奪われた捕虜である。しかし、知を誇るライコウに首輪など大した意味はない。聖上へ一度は盾突いた者への罰、周囲への示しみたいなものだ。

 故に、いざとなればライコウはその知を生かして存分に内部を引っ掻き回すこともできるだろう。武器を持たずにこれまで戦って来た漢なのだ。ライコウの知略を生かさず飼い殺しにするのも何だと、皇女さんよりお目付け役を任された自分がその任を放り出し、ライコウに全て任せることの危険性は大きい。

 たとえ今は皇女さんに忠誠を誓っているとはいえども、我らがヤマトに必要ないと判断すれば、ライコウであれば確実にそうするという未来はある程度予測できた。

 

 諦めの境地に達して心中悪態をつきながらも、目の前の書簡に取り組む。こんなもん適当に終わらせればいいんだ。

 

「おい。ここの印、間違っている。ヤマトの金子を溝に捨てる気か。それに、こっちは商業対策が不十分だ、やり直せ」

「な、何だと?」

 

 ライコウに提示されるがまま目を皿のようにして読めば、確かに印を押す場所を間違えたことでとんでもない給金措置を取ってしまうことになるものと、嘆願書の内容を理解しきれておらず頓珍漢な対策を示してしまっているものがあることに気付いた。

 

「くそ~……」

「……」

 

 押印行為なんて前時代的なもん、ぽんぽん押すだけでもこの量は苦痛である。それに提案や改案までするとなれば尚更腕が重い。

 心の中で愚痴りながら取り組んでいる間も、ライコウはひょいひょいと出来上がった筈の文面を一読し、問題ありと判断したものには赤印を入れて束ね始めた。

 

 ──適当にするのも、無理か。

 

 書簡を崩し束ねる音と訂正を求めるヤジだけが繰り返される執務室の中で、自分の意識が机の上だけにあるような感覚となる。疲労で周囲の感覚が薄れてきたのだ。

 仕事、したくねえなあ。逃げたいなあ。ずっと休日ならなあ。そうぼやきかけたところであった。

 

「茶だ、ハクよ」

 

 いつの間にか、ライコウが茶を持ってきた。

 外を見れば、いつの間にか夕闇が支配している。休憩しろということなのだろう。遠慮なく茶を受け取り、ずずずと飲みながらその味に違和感を覚える。

 

「……お前が入れたのか?」

「ふむ、口に合わなかったか」

「いや……」

 

 素直に言えば、うまい。

 ルルティエや双子が入れている時とは違う。

 あれは正確な作法と愛をたっぷり入れて味を向上させているもんだが、ライコウのこれは純粋に茶葉そのものが高級というか上等な気がする。

 

「高そうな茶だと思ってな」

「脳の思考には、こうした上等なものを取り入れることが必要だ。思考力が落ちてきたようなのでな、特殊な茶葉を調合した」

「ああ、なるほど、そういうことか」

 

 もっと仕事しろってことかい。

 逃亡を防止され、何日も執務室から出ることがないだけでなく、一日中胡坐をかかされ股関節が痛み、脳がずきずきと非難を発しているにも関わらず、まだ働けと。過労死するぞ。

 

「それにしても……」

「ん?」

「俺の茶をこうも信用して飲むとはな」

「……変なもんでもいれたのか?」

「……ふ」

 

 ライコウは何が面白いのか鼻で笑いながら、自分に警戒するよう伝えた。

 

「俺は敗軍の将……二度と聖上に盾突かぬとは誓ったが、毒でも入れるとは思わぬのか」

「入れたのか?」

「……いや」

「なら、大丈夫だ」

「……そういうところだ、全く」

 

 ライコウは馬鹿にするかの如くやれやれと首を振る。隷従の首輪がそれに連なるように音を鳴らした。

 しかし、諦めたように元の表情へと戻すと、再び書簡の山へと視線を向けた。

 

「さあ、ハクよ。これが終われば一段落だ」

「……」

「何だ? 不満か?」

「……せめて可愛い子が補佐ならやる気も違うんだが」

 

 執務室でこうも不愛想な男を眺め続けていても何も楽しくない。

 オシュトル達の政務を皆で分け合っている手前、自分の補佐をすることが多いネコネも今は別の仕事を担っている。ルルティエも忙しそうだし、ウルゥル、サラァナも以前の決戦の疲労が祟り寝入ってしまっていることが多い。癒しを求め、可愛い女の子の花のような笑顔に飢えていたのだった。

 しかし、ライコウは何を勘違いしたのか、その表情を訝し気に歪めた。

 

「……命令か?」

「いや、何のだよ!」

「ウォシスもそういったことは好き物であったな……貴様の趣味をとやかくは言わぬが、政務に滞りが出ては亡き帝に申し訳が立たぬ。まずは目の前のことを終わらすが良い」

 

 何か勘違いされたままだが、その勘違いを否定する体力すら、続く仕事漬け生活のためか残っていない。

 死んだ目をしながらも書簡の山を崩し、ふと一つの案件に思考が傾く。

 一つの書簡を手に取り、これは自分だけでは判断がつけられぬと思いライコウに聞いた。

 

「お前が作っていた大砲──じゃなく大筒の処理に関してだが……」

 

 そう、ライコウは帝都防衛を見据えた技術革新を行っていたのだ。

 作りだしたのは、火薬を用いた大砲。重すぎる、でかすぎるといった懸念点があったが故にオムチャッコ平原で利用はされなかったが、そもそも──本来の人類の歴史であれば、このような物を思いつくのはもっと先である。

 自分が先人知識として気球を用いたり、通信兵の穴をついたりしたが、それはあくまで大いなる父としての知識があるが故である。

 ライコウはヒトでありながら、正しく人類が長年かけて辿り着いた技術を一足飛びに考案し、その確立にまで至っていたのだ。正しく、ヤマトの傑物。

 あのまま平原での決戦で決着がつかず、各門に設置された大砲を使われていたと思うと心底ぞっとする。騎馬兵力の差を利用した短期決戦を挑んで本当に良かった。

 

 ライコウは大砲に関しては未練もあるのだろう。確認していた手を止め、こちらに視線を向けた。

 

「大筒がどうした」

「いや、このまま大量生産するつもりだったのか、それとも小型化するつもりだったのか聞きたくてな」

「……ほう」

 

 ライコウは自分の言葉に驚いたように眼を見開き、その口元を薄く歪めた。

 

「ハクよ、貴様あれが小型化できると気づくか」

「ん、い、いやまあ」

 

 大いなる父的には、気づいて当たり前なのだが。

 理解者がいたというように邪悪な笑みを浮かべるライコウであったが、それを知らないのだからその反応も当然か。

 

 ライコウの思惑はわかる。武を重んじる戦よりも、情報や技術に重きを置いていた奴のことだ。

 小銃が量産されれば、戦の形は正しく情報と技術と数の応酬へと変わり、仮面の者など一角の武人は必要なくなるからな。

 

「大量生産、質の追求、両方求める。まさか計画を止めるなどとは言うまいな」

「あ? ああ、勿論だ。そんな勿体ないことはしないぞ」

「ふん……であれば良い。貴様が聞きたいのは配分か」

「そうだな……戦乱は終わったから、大量生産よりも質を追及した方がいいかなと。武具を作る鍛冶屋や、技術屋もこっちの計画に回せそうだが、お前がどういう構想を練っていたか聞きたかっただけだ」

 

 あまり自分が判断をしすぎると、ヤマトの歴史に介入し過ぎる。あくまでこの時代のヒトの手によって、こうした技術革新は起こるべきであると思うのだ。

 特に、オシュトルが目覚めた後も大筒担当などと言われれば目も当てられん。仕事は教えて任せて増やさない。それが自分のような窓際族の鉄則である。

 

「ふ……そうだな、まずは質を追求しながら、できた物を順に配備していくのがいいだろう」

「じゃあ、その配分、頼んでいいか」

「ああ」

 

 書簡を渡し、自分の仕事を減らせたことに満足する。

 すると、ライコウがどさりと目の前に大量の書簡を置いた。

 

「明日までのものだ。大筒に関して練る代わりに、こちらを頼んだ」

「あの……ライコウさん、等価交換って知ってます?」

「ああ、俺の題の方がヤマトの未来に大きく利するのでな。雑務は任せる」

 

 ライコウはそう言うと、嬉々として大筒の資金配分についての書類を作成し始めた。

 茶を飲みながら新たに積まれた書簡を眺め──墓穴を掘ったな、と大きく後悔するのだった。

 

 




うたわれるもの斬2が7月末に出ますね。買います(当然)。
気になるのは追加シナリオがあるという話です。

後日談追加とかあればめちゃ嬉しいですが……追加シナリオの内容如何によっては自分の解釈が覆されるような新事実が出てくる可能性もあるんですよね。
まあ、それでもいいので、アクアプラス様には皆と再会するマシロ様のシナリオなど追加して欲しいとも思います。(渇望)

ただ、追加シナリオで明かされた設定によっては、この二次創作も違和感だけでなく設定破綻に見舞われる可能性もあります。追記修正できる場合はやりますが、そうでない場合も、あくまでifとして楽しんでいただけたら幸いです。


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第四十一話 叙任するもの

 帝都執務室、妙日。

 もはや何度目かわからぬ報告書を眺めながら、呟く。

 

「シチーリヤは喋らず、か……」

 

 帝都奥深く、オシュトルも囚われていた牢屋にシチーリヤは未だ囚われの身となっている。

 ライコウはシチーリヤと同じく虜囚としての立場でありながらも改めて皇女さんに忠誠を誓い、全ての情報を提供、またオシュトル以下幹部が空白の状況を憂い、ヤマトの執務等も担ってくれている。まあ、自分がライコウを監視するという名目を含んでのことではあるが。

 その執務の一つとして、ライコウが以前よりの部下であるシチーリヤの尋問を行っているが、シチーリヤは未だ喋らない。

 

「どう思う、ライコウ」

「シチーリヤは、あくまで関与を否定し、俺への忠誠故であると。ミルージュの件も知らぬと言う。今裁くことはできまい」

「そうか……」

 

 シチーリヤはそう言うが、行動としてはかなり怪しいものである。

 それにオウギ率いる隠密衆より連絡があったが、牢をうろつく見覚えのない衛兵がいたため声をかけたところ、すぐさま逃走を図ったらしい。彼の者がシチーリヤを狙った刺客であれば、関与を決定付ける証拠となったのだが、もはやそれも敵わない。

 シチーリヤのことは後回しにして、とりあえず今はヤマトの政情を盤石にするため奔走することが大事なのだった。

 

「まあいい。とりあえずオシュトルが目覚めるまではやることが多い。今日も頼んだぞ」

「ああ」

 

 机の周囲を見れば、出口を塞ぐかの如く堆く積みあげられ固められた書簡の山。

 エンナカムイで処理していた仕事量を遥かに超える職務に溜息をつきながらも向かっていると、急ぎ駆けてくる伝令兵の足音が近づいてきた。

 

「で、伝令! オシュトル様、マロロ様、ミカヅチ様の三名が目覚められました!」

「やっとか!」

 

 思わず歓喜の声が出る。

 その歓喜に含まれているのは友を心配したものでもあるが、漸く自分が仕事から解放されるという安堵も勿論含まれていた。

 ライコウに残りの職務を任せ、医務室へと足を運ぶ。すると、クオンが部屋の出口で自分を待ってくれていたようだ。状況を説明してくれる。

 

「あっ、ハク! マロロは、今朝には目覚めていたんだけどね、眠っていた期間も長いからちょっとぼんやりしていたかな。覚醒を待っていたらオシュトルとミカヅチの二人も目覚めて……」

「体調は? 話はできそうか?」

「今、お粥で胃を慣らしているところかな。まあ、三人ならすぐに良くなると思う」

 

 クオンからの言伝を得て、すぐさま医務室へと駆けこむ。

 すると、三人は寝台からそれぞれ上体を起こしながら、粥を口に含んでいる様子であった。

 

「オシュトル、マロ、ミカヅチ!」

「ハク殿! マロのことが心配で来てくれたでおじゃ!?」

「ふ……苦労をかけたな、ハク」

「ハクか。兄者を仲間にしたと聞いたぞ、やるではないか」

 

 三者三様との久々の会話。友との邂逅に各々の表情には笑みが見える。

 

 生きてくれていた。そして話もできる。よし、自分はもう逃げていいな。

 そんなことを考えながらも、粥をゆっくり口に含ませる彼らと話を続ける。

 

 まず現状のヤマトを伝え、叙任式が未だできず自分が仕事を抱えていることなどを話す。

 

「そうか、クオン殿やネコネから聞き及んでいたが、代理の総大将としてよく働いてくれた」

「ああ。もうこれ以上はこりごりだ」

「ハク殿のおかげで、帝都の政情も安定していると聞いているでおじゃ。後は叙任式を行い、より指令形態を統一させればハク殿も暫く休んでいいと思うでおじゃ」

「ああ、頼むぜ。ライコウも片っ端から仕事を持ってくるし、うとうとしてたら自分の作った茶で誤魔化そうとしてくるんだぞ」

「茶? 兄者が……ハクに?」

「? ああ、そうだが」

「……ふ、兄者手ずから茶を……そうか」

 

 何が可笑しいのかミカヅチがにやにやと笑みを浮かべている。

 兄弟にしかわからん何かがあるのだろう。

 

 そして、話はいつしか以前ミルージュに襲われた際の話になる。

 

「ヤムマキリは、ウズールッシャ以外の伏兵がいたと言っていたが、そうなのか?」

「ああ、背丈はミルージュと同等、しかし顔を隠していたため正体はわからぬ。小柄なれど、その肉体能力は仮面の者に僅かに劣る程度であった」

「連携も恐ろしく機敏、一度斬られた程度では悠々と立ちあがる耐久性を持つ者もいたな」

 

 そんなに強い相手のことだ。ミルージュも決闘後で手負いの双璧であれば討てると思ったんだろうな。

 

「数はどれくらいいたんだ?」

「某は……七は討ったな」

「俺は八だ」

「……いや、あれを入れれば某は九討ったか」

「そうだ、俺もあのことを入れれば……十は討ったな」

 

 双璧による意地の張り合いが始まる。

 いや、別に優劣なんてつけるつもりはないから。結局どれだけいたのかわかんないし。

 オシュトルがそこで思い出したように言及した。

 

「……そういえば、鉄扇はどうなったのだ」

「ああ、ヒビが入っていたからクオンに修理を頼んだ。ライコウから鍛冶屋も紹介されたし、もう綺麗に元通りさ」

 

 ほれ、と胸元から鉄扇を取りだす。

 それを見て、オシュトルは感慨深げに頷いた。

 

「そうか、良かった。ハク、其方の鉄扇がミカヅチの刃を防いだ。良き御守りであったぞ」

「ふん、それさえなければ俺が勝っていた」

「ふ……どうかな、ミカヅチよ」

 

 ばちばちと再び火花を散らす双璧。

 しかし、そこには以前のような命の取り合い前提のものは見えない。友としてじゃれているだけのようにも見えた。

 

「マロにも何か御守りを渡しておけば良かったな。自分の身代わりでこんなことになっちまって」

「ハク殿……いいのでおじゃ。マロはハク殿を守れただけで十分でおじゃ」

 

 マロはいつもの白化粧もしていなかったが、その表情は光に照らされたように明るい。

 何か憑き物が落ちたかのような様子であった。自分が人質に囚われた原因を作ったこと、やっぱり気にしていたようだ。

 

「うむ、ハクが討たれていれば、凱旋も空虚なものになっていただろう」

「そうでおじゃ。皆がこうして生き残ったからこそ、笑っていられるのでおじゃ」

「……そうだな」

 

 そこで、ミカヅチはシチーリヤの行動について考えこむように呻いた。

 

「ふむ……シチーリヤが、ハクをな……そうか」

「ミルージュとやっぱり関わり深いのか?」

「よくは知らん。だが、今回の件に関与はあると見ていいだろう」

 

 ライコウと同じ考察を述べるミカヅチ。

 やはり、ライコウと違いシチーリヤを出すわけにはいかないか。ライコウと自分たちとの決戦の裏に、何か闇に蠢く暗部がある。

 それがいつ明らかになるのかはわからないが、未だ戦乱は終わってないのかもしれない。

 

「ああ、そうだ。ミカヅチ、お前はこれからどうするんだ?」

「む? どうする、とは」

「一応敵だったろう。今の皇女さんに恭順するのか?」

「勿論だ。負けた以上今更乱世に戻すつもりもない。兄者も改めて忠誠を誓ったと聞く。それに……」

「それに?」

「貴様によって立派に成長した、今の姫殿下に仕えてみたく思う」

「……そうか」

 

 自分のおかげで成長したかはともかく、暗部と闘うことになるやもしれない今後を思えばミカヅチを味方にしておきたかった。無理矢理でもなく快く今の皇女さんについてくれるのなら尚更頼りになるだろう。

 しかし、ミカヅチによって戦死した者も多く、ナコクの面々もミカヅチとの戦は記憶に新しい。ライコウと同じく隷従の身として左近衛大将の任は降ろされるであろうが、それにもミカヅチは頷いてみせた。

 

「いいのか? オシュトルと双璧じゃなくて」

「ああ。役職などどうでもよい。このヤマトの民のため、亡き帝のため、愛しき姫殿下のために命を使えるのであれば、一兵卒でも、奴隷でも構わぬ。兄者と同じく使ってくれ」

 

 この志こそが、兄貴がミカヅチを左近衛大将として任命した理由なのだろう。

 相変わらず、気持ちのよい漢であった。

 

「それにだ、ハク」

「ん?」

「俺ですら超えられぬと思っていた兄者に、お前は勝ったのだ。聖上の傍が信用ならんというのであれば……兄者と同じくお前に仕えてみるのも悪くはないかもしれん」

「いや、まあ、マロロの献策もあったから自分だけの功績じゃないぞ」

「それでも、だ……それに、オシュトルだけでなく貴様とも、もう一度刃を交えてみたい。味方であれば気軽に手合せできるからな」

 

 にい、とネコネが見れば泣きだしそうな邪悪な笑みを浮かべるミカヅチ。

 それは、今の書簡地獄よりもお断りしたい案件であったが、オシュトルもマロロも止めてくれる様子は無さそうだ。

 

「おいおい、勘弁してくれ」

「ふ、ハクも日々成長している。某を超える日も近い」

「オシュトル、それずっと言ってるからな? お前らも日々強くなってるんだから鼬ごっこみたいなもんだ」

「マロはハク殿が勝つと思うでおじゃ!」

 

 マロ、それ援護になってないぞ。火に油を注いでいるだけだ。

 酒は無かったが、久々の友らが一同に介して話すことは存外楽しい。政務を一人ライコウに押し付けていたことも忘れ、穏やかな時間は過ぎ去っていく。

 彼らと長時間話したのち執務室に帰ってきたが、一人指示通り政務に励むライコウの表情は仏頂面で変わっていなかった。

 しかし、いつもより尚苦い茶を飲まされ、寝ようとしても眠れぬ程に脳が覚醒し、叙任式まで仕事漬けの夜を過ごすことになったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 叙任式当日。

 聖上と、ヤマト総大将である某の前で皆が平伏したのを確認したのち、聖上は開会を宣言する。

 

「皆の者、よくぞ集まってくれたのじゃ。これより、余を支えた忠臣達に新たな役職を命ずる!」

 

 この戦乱の勝利を齎し、貢献した国々を代表する幹部全員が、ここヤマト謁見の間にて一堂に会していた。

 その様は正しく壮観である。凱旋する日に某は目覚めていなかったが、仲間と共に生きてこの光景を見ることが出来たと、胸に深い想いが刻まれていく。

 

 重症のためハクを代理の総大将として仕事を任せていたが、ライコウとうまくこなしてくれていたようだ。

 こういった政権交代は最初の基盤作りこそが最も厄介である。その厄介な仕事について文句を言いながらも各代替幹部に仕事を分担し土台を作り上げたハクの能力は、やはり高い。

 報告書の字は汚いが、清書さえすればそのまま使える案も多岐に渡る。

 

 ──ハクをトゥスクルに渡すわけにはいかぬ。

 

 政情が落ち着けば、トゥスクルより使者が訪れ、ハクの人質の件について言及するだろう。

 そのために、今日の叙任式ではハクを逃がさぬ役職につけるつもりである。

 ヤマト総大将オシュトルの全力を以ってして、ヤマトのため、妹ネコネのために、ハクを逃がさぬ包囲網を作り上げる必要がある。

 

「まずは、シャッホロがソヤンケクル、前へ」

「はっ」

「其方は海運、ナコクとシャッホロの橋渡し、船での奇襲、決戦での左翼での活躍等数多の功績を残した。よって左近衛大将の任を命ずるのじゃ!」

 

 聖上より賜れた言葉に、おお、と帝都幹部一同より声があがる。

 ソヤンケクル殿は恐縮していたが、聖上と某からの熱望もあり、やがてその任を受け入れた。

 

 以下、このような役職の叙任となる。

 

 右近衛大将──イズルハより、ゲンホウ。

 左近衛大将──シャッホロより、ソヤンケクル。

 

 そして、八柱将。

 八柱将の長を務めるは、クジュウリよりオーゼン。

 八柱将の参謀、連絡役として──マロロ。

 聖上側付きとして──ムネチカ。

 シャッホロより──アトゥイ。

 イズルハより──ノスリ。

 エンナカムイより──キウル。

 ナコクより──イタク。

 クジュウリより──シス。

 

 ゲンホウは、隠居したいと幾分渋っていたものの、最後には了承してくれた。

 他の者もその任につくことに対して些か恐縮しながらも、快諾。

 

 そして──

 

「エンナカムイがイラワジ、前へ」

「はっ」

「うむ、味方のいない余を匿い、皆を支え続けてくれた……其方には本当に世話になったのじゃ。よって、其方を大老とする!」

 

 ざわめきが大きくなる。

 大老の役職は実権が無くとも、聖上の相談役である。その影響力は計り知れないものである。

 しかし、某を受け入れ、常に縁の下で動いてくれていたイラワジ殿には多大な恩がある。これでは軽いくらいだ。

 イラワジ殿は殊更に恐縮していたが、やがてその任を了承する。これで政情は盤石である。

 そして──

 

「謀反者、ライコウ、ミカヅチ、両名、前へ」

「「はっ」」

 

 隷従の首輪をはめられながらも、二人は言葉通り前へ進み出る。

 彼らがいくらヤマトを想い行動していたとしても、謀反の張本人であるのだ。伝えなければならないことはある。

 聖上は暫く言葉を選ぶように目を瞑っていたが、やがて決心したかのように口を開いた。

 

「ライコウ、ミカヅチ──其方らにまずは謝罪をしたい……すまなかったのじゃ」

「! ……っ、聖上」

「言わせてほしいのじゃ、オシュトル」

 

 聖上に頼んでいた台詞は、彼らの解任と新たな協力だけである。

 ヤマトの象徴たる聖上が、まさか謝罪するとは思っていなかったのだろう。二人も某と同じく、目を見開き驚いていた。

 

「其方らはヤマトを継ぐ余の不甲斐なさを感じ、その剣を余に向けたのじゃろう?」

「……」

「其方らの感じる通り、正しく余は何も知らぬ子どもであった……しかし、こうして再びこの場より其方らを見つめて思う。余は、変わらず不甲斐なきままであると。余は余の力でここまで来たのではない。今叙任した者の他にも……全ての者達が余の為に動いてくれたからこそ、余はこうしてここに座ることができたのじゃ」

「……姫殿下」

「ライコウ、そしてミカヅチよ。余は、尽くしてくれた皆に報いるためにも、不甲斐なき帝として立ち止まるつもりはない。故に、再び余の忠臣となってはくれぬか。そして、余がヤマトを統べる者として相応しくないと思えば、再びその剣を取れ」

「……!」

 

 その言葉に、再び起こるざわめきの連鎖。

 しかし、そんな周囲の様子に反し、某の口元には薄く笑みが浮かんでいた。

 配下の全てを受け入れ、配下に期待し、配下のために自らを成長させる。その決意を聖上は表明したのだ。

 亡き帝は完成した存在であったが、今の聖上はそうではない。しかし、それであるが故に停滞することなく、日々成長し続ける。その姿を間近で見たいと思わぬ者が、果たしているだろうか。

 

「ライコウ、ミカヅチ、どうじゃ、余に……再び仕えてくれるかの」

「……このライコウ、聖上に真なる忠誠を」

「同じくミカヅチ……一兵卒として心新たに聖上に仕えたく思いまする。何卒、謀反をお許しいただきたい」

 

 これまで叙任を受けた誰よりも、深々と頭を垂れるライコウ、そしてミカヅチ。

 自らが仕えるべき主であると、成長されたと、敵であった彼らが認めたのだ。これほど嬉しいこともない。聖上は、太陽のような笑みで二人を迎えた。

 

「うむ! 其方らはヤマトに必要不可欠な英傑である。役職は与えられぬが、余を、総大将オシュトルをもこれからも支えて欲しいのじゃ!」

「「はっ」」

 

 ヤマトを二分した戦乱は、今終わった。

 これからは、ヤマトをいかにより豊かにしていくかである。

 闇の先兵の件は気になるが、彼らですら手を出せぬ盤石な国を作る。

 

 そしてその盤石さを確実にするために行う、最後の叙任。それは──

 

「そして、最後に! 数多の国との同盟を齎し、ライコウとの決戦において献策、敵将を自ら討ち取ったこと、その他数多の功績を残し、代理の総大将すら務め上げてみせた……ハクよ! 其方に──大宮司の任を命ずる!」

「「「「おおおおおっ!!」」」」

 

 広がる動揺と歓喜、そして新たな歴史と権力者の誕生に一同が湧いた。

 数多の者が口々に祝辞の言葉を述べ、喝采するかの如く拍手が鳴り響いた。

 

 大宮司──それは亡き帝の傍に常に控えていた、ホノカ殿の役職である。ホノカ殿が行方不明であるからして、その席は空白となっていた。故に、ハクをその席へとつけることにしたのだ。

 

 しかし、その決定に皆が驚くのも無理はない。

 大宮司はヤマトにおける全ての祭事を司ると同時に、帝の御側付きとしてその補佐をする役職である。また非常時には聖上、総大将と同等以下の権限を持ち、そのどちらかが不在であれば軍務、政務、その他全ての決定権すら持つことができるのだ。

 元はただの平民でありながら、大老以上の、ヤマトに誇る最大級の権力者への大出世である。しかし、誰もハクの功績を見れば不満など持つ者は皆無。皆一様に認める声を述べていた。

 

 トゥスクルもこれだけの権力者を相手に、人質にせよとは言いにくいであろう。

 故に、人質の件に関しては相手の激昂も視野に入れながら、別の策を用いる必要もある。しかし、ハクを逃がすよりは余程良い。

 ハクは恨みがましい視線を某に送るであろうが、それも今や楽しみである。ハクが目の前に姿を現し苦言を呈す様を夢想し笑みを浮かべるも、ハクは未だ姿を現さない。

 

「? ハク、前へ」

「どうしたのじゃ? ハク! はよう余の前に姿を見せい! 大宮司じゃぞ、大宮司!」

 

 鳴り止まない拍手の中、一向にハクは皆の影に隠れ姿を見せない。

 どうしたのかと違和感を覚えた者によって拍手の音が収まっていくも、何分ここに集う人数は多い。ハクの姿がないと、皆が疑問符を浮かべ、ヴライの仮面を被った者を探し始めた。

 

「ハク! ハクはどこじゃ!」

「あの……すいません」

 

 そこで、オウギが申し訳なさそうに手を挙げ、皆の前に進み出てきた。

 

「? どうしたのじゃ、オウギ」

「ハクさんの部屋で、このような書置きが……」

「……オウギよ。今ここで正確に読め、許す」

「はい──えー……あとは自分より頭のいいライコウに任せます。探さないでくだたい──何分急いで書いたのでしょうね。走り書きで間違っている個所も見受けられます」

「……」

「な、なにを……ハクは何をしとるんじゃああああああッ!」

 

 再びライコウが剣を取る日は近いかもしれぬ。頭を抱えてライコウとミカヅチを見れば、彼らもまたこの光景に苦笑していた。

 

 叙任式の最後に見せた聖上の激昂は止まることを知らず、かつて見たことも無い程に取り乱したものだったと――ヤマトに新たな歴史が刻まれたのだった。

 

 



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第四十二話 意志を継ぐもの

 帝との会話は原作の核心でもあるため、この作品でも必ずやらねばならない展開でもあります。
 ヴライの仮面を被っていること、ハクそのままであることなどによって変化する、原作との微妙な違いを楽しんでいただけたら幸いです。


 叙任式当日の早朝であった。

 トゥスクルへの人質の件もあり、もし自分を役職につけるなら大将格や八柱将なんて忙しいところには絶対につけないでくれとオシュトルに厳命しておいたので、出席は幾分気が楽であるなあと思いながら身支度をしていた頃であった。

 

「主様」

「ん?」

 

 戦での疲労が取れ、再び甲斐甲斐しく世話をしてくれていたウルゥルとサラァナより、ある願いを聞くこととなる。

 

「──行きたいところがある? おいおい、式に出ないのは流石に……」

「無問題」

「書置きを残してあります。主様の字を真似ましたので、疑われることもないと思われます」

 

 いつの間に──というか、自分の汚い字を真似られるのかよ。

 それなら政務を肩代わりしてくれてもいいのに。まあ、普段より色々扱き使っている身からすればこれ以上負担を強いるのは申し訳なさが勝つか。

 まあ、それに、叙任式を欠席したとしても自分は大した役職に就くことも無いだろうし、後で謝れば出なくてもいいか。

 

「そんならいいが。今から行くのか?」

「待つ」

「もう少しお待ちください」

 

 なぜ待つのかわからなかったが、彼女たちが待っているのは時機ではなく、人であったようだ。

 暫くして襖の向こうより聞き覚えのある声が響いた。

 

「ハク? 叙任式に行くなら一緒に──あれ?」

「おお、クオンか。すまんな、何か用があるようで」

「用? これから叙任式かな。まさか……出席しないつもり?」

「貴女も呼ばれている」

「一緒にどうぞ。貴方にも来ていただくよう、言い付けられております」

「え? え?」

 

 クオンからのお小言を頂戴しようとしたが、ウルゥルとサラァナは彼女の手を取り、何事か呪いを呟き始める。するとうっすらと靄がかかったように世界が揺蕩い始め、位相のずれた世界が目の前に現れた。

 

「おい、まさか、行きたいところって……」

「足元注意」

「私達から離れないよう、お願いしますね」

「ちょ、ちょっと貴女達……」

「まあ、クオン。叙任式で自分達の番は余りない筈だ。ちょっとくらいはいいだろう」

 

 それに、今から彼女たちと別れようとすれば位相のずれた世界に置き去りにされる。

 永遠に彷徨い歩くことになるのであれば、今は彼女たちが行こうとする先へ、ついていくしかないだろう。

 それに、この感覚は──

 

「まさか、な……」

 

 頭に過った予想は、徐々に確信へと代わる。

 双子の行きたい場所、そして自分達を呼んでいるものの正体、それはかつて帝都に自らが囚われた際も探していた──ホノカさんの存在である。

 兄貴が死んだ後その姿を消し、ずっと行方が気になっていた。双子は、帝都を奪還したことで、安心して会わせることができると思ったのだろう。

 

「到着」

「主様、お疲れ様でした」

「ここは……」

 

 かつてミトと呼ばれた縮緬問屋の爺──兄貴がいつも出迎えてくれた場所へと辿り着く。

 足元が青々とした芝、緑あふれる桃源郷、クオンと共に周囲の風景を眺めてしばし待つ。すると──

 

「──お待ちしていました」

 

 赤い円卓の傍らより、まるでそこにずっといたかのようにすっと銀髪の女性が現れた。

 あの頃と変わらぬ、優しい笑みを浮かべている彼女を見て思う。無事だった、と喜色を帯びた声色でその名を呼んだ。

 

「ホノカさん……」

「お久しぶりですね。事情は娘達より聞いています」

「貴女は……?」

「クオン様も、このような場までよくおいで下さいました」

「えっ? いえ……えっと……」

「どうか、まずは御掛け下さい」

 

 そういって、円卓の椅子へと促される。

 聞きたいことは山ほどある。まずは座って話をしようということか。

 

「どうぞ」

「お茶をお持ちしました」

 

 双子が温かいお茶を用意してくれる。その茶を口に含みながら寝起き故の眠気を覚ました。

 この味も随分久々である。かつて研究者の一人としてよく飲んでいた緑茶は、己の舌に実に馴染んでいた。

 

「これって、緑茶……」

「ええ、トゥスクルでも馴染み深いでしょう?」

「ま、まあね」

「ああ、うまい……」

「ふふ、貴方がそうやって美味しそうに飲んでくれるのが一番ですね」

 

 大人っぽい落ち着いた笑みを浮かべているホノカさんに、思わず胸が高鳴る。

 

「いてっ」

「……」

 

 頬が熱くなっていることは自覚していたのだが、クオンはそれも気に入らないようである。鼻の下を伸ばすなと、円卓の下で相手に見えないよう自分の太腿に鋭い尻尾ががすがす襲い掛かってくる。

 クオンはうめき声をあげている自分に尚攻撃を続けながら、話題を変えた。

 

「あの、ここは何処なんですか?」

「帝都の地下深くにある庭園です」

「地下!? で、でも……」

 

 クオンが空を指さす。そこには無数の星空。

 そう、ここは地下でありながら、外を模倣した構造になっているのだ。

 

「ええ、貴女が想像している通りです」

「こんな大規模なものがまだ残っているなんて……ここは他の国の者が立ち入ってはならないんじゃ……」

「構いません。知ったところで、ここへ辿り着くことは適いませんから」

 

 双子の力と、ホノカさんの了承あってこの場へ辿り着くことができる。そして、大いなる父としての知識が無ければ不可能。それをクオンも悟ったのだろう。口を噤んだ。

 

「あの子……アンジュを支えて、よくぞこのヤマトを取り戻して下さいました。さぞ辛い思いをしたことでしょう」

「いや、まあ……自分だけの力じゃない。皇女さんも随分成長してくれたからな。オシュトルや……ここにいるクオンのお蔭もある」

「……っ、は、ハク」

「ふふ、そうですか……相変わらず、貴方はあの方が言う通り……」

 

 ホノカさんはそこで言葉を切り、傍らの双子へと目線を投げた。

 視線を追うと、双子は些か悲し気な様子で自分に問い掛ける。

 

「主様?」

「私達は、お役に立てていませんか?」

「あ、ああ、勿論お前達がいなかったら勝てなかったぞ」

「ふふふ、この子達もお役に立てたようで、何よりです。ご奉仕はきちんとしていますか?」

「完璧」

「おはようからおやすみの接吻まで」

「寵愛」

「お休みしてからは三人でくんずほぐれつです」

「いやいや、そこまでしたことないぞ!」

 

 ねつ造創作も甚だしい。クオンの機嫌が急激に傾きその瞳も恐ろしく燃え上がっているのが怖い。

 

「ふふっ、頑張っているようですね。安心しました」

 

 一転、華のような笑顔を浮かべるホノカさん。安心なのかよ。

 彼女たちの情操教育を担当しているホノカさんの手腕には期待できないと話題を変えた。クオン怖いし。

 

「それより、何があったのか聞かせてもらえないか?」

「それは……」

 

 兄貴の死んだ理由、そして帝亡き後、オシュトルが裏切りの将として扱われ、ヤマトが二分するまでに至った経緯。

 ホノカさんは言いよどむかのように表情を暗く変化させ、やがて衝撃の事実を口にした。

 

「私よりも、あの方から直接お聞きになった方が良いでしょう」

「ッ、まさか……」

「こちらへ、御目覚めになったようです」

 

 ホノカさんは自分の疑問に答えることなく立ちあがり、促すように指し示す道へと歩く。

 皆でその背を追い、偽りの地上である草木豊かな風景の中、違和感のある無機質な塔へと足を運んだ。

 

「確かここは……」

 

 以前、トゥスクル遠征の際に一度だけ訪れたことがある。兄貴に意志を継いでほしいと願われた、あの場所へと繋がっているのではないか。

 そしてその予想は、ホノカさんの言葉に応え、塔の入り口が開いたことで確信と変わる。このような扉は、兄貴にしか開くことができない筈。つまり──

 

 ──兄貴は、生きている? 

 

 足を踏み入れると明かりが灯り、かつての人類終焉の場である研究施設の一角がその姿を現す。

 クオンがその光景を見て、驚きを口にした。

 

「すごい……ここまで完全な形で……それどころか、まだ生きている。多分、こんなのオンカミヤムカイにだって……」

 

 大いなる父が残した遺跡は、劣化も風化も当たり前である。

 しかしここは、兄貴が当時のまま生かし続けた遺産──人類の歴史とその叡智そのものなのである。

 

 やがて急激な落下速度を以って地下深くまで移動する施設に辿り着く。

 体がふわりと浮き上がるような感覚にクオンがビビり散らし、揶揄う言葉を投げると三倍の仕返しが返ってきたので口を噤む。

 その様子をホノカさんが微笑まし気に見つめていた。

 

 そして、かつて兄貴に見せられた人類の終点、仄暗い室内のなかでその存在がおぼろげながら目に入る。

 

「ただいま戻りました、我が君」

「ああ……よく、来てくれた……」

 

 弱弱しくもわかる。もう聞くことができないと、たった一人になってしまったと思い、焦がれた家族の声──

 

「兄……貴……」

 

 明るくなった部屋の中央に佇むは、電球のような形状のカプセル、そして──死んだはずの兄貴、帝の姿であった。

 

「久しい……のう……」

 

 液体に満ちたカプセルの中で僅かに目を見開き、弱弱しく微笑む帝。その姿はあまりに痛々しいものであった。

 

「兄貴? 兄貴って……」

「生きて、いたのか……!」

「ふ……ほほ……お前がそんな顔をするとはなあ……珍しいモノを見させてもらった……この通り、何とか生き存えておる」

 

 まるで干物のような体。

 帝然としていた姿はもはや無い。ただ生き永らえるだけの、延命するだけの、老いた兄貴の姿がそこにはあった。

 

「苦労をかけたな……よくぞ、最後まで娘を護ってくれた……ありがとう」

「いや……自分だけじゃない。皆が生き残ったからこそ、成せたんだ。自分はあくまで余所もんさ、あいつらが、自らの力で成したんだよ」

「そうか……それでも、お前が皆を護ったのだ。このヤマトを担う者を……死ぬ定めにあった者を、お前が救ったのだ」

 

 そんな実感は無いんだがね。

 頼り頼られ、紆余曲折あり、幸運にも皆生き永らえただけだ。たった一人で戦っていれば、自分の心は折れていただろう。皆がいたからこそ、成せた。それは自分の感想として最も腑に落ちる言葉であった。

 

「そうかね。ま、もしそれでも自分が活躍したってんなら、その分、これからはしっかり休ませてもらうさ」

「ほ……相変わらず、お前は自己評価が低い……」

 

 そんなことよりもだ。

 その姿となった理由、それを知りたかった。

 

「何があったんだ? 兄貴」

「……」

 

 兄貴は苦悶の表情を浮かべ、どう言おうか悩んでいるようであった。

 やがて、その口を薄く開いた。

 

「なに、大したことではない……延命調整しているところを何者かに、襲われた……結界を解いていた為に……この様というわけだ……」

「襲われた……? 誰に……っ」

 

 ふと、頭の中の欠片が一つ一つ埋まっていくような感覚がした。

 兄貴に対する忠誠があれば、兄貴を襲うようなことはしない。であれば、ヴライでも、ましてやライコウでもない。以前より皆の中で暗躍するその名は──

 

「まさか──ウォシス?」

「っ……どうして、その名を……」

 

 兄貴は動揺したように声を震わせた。

 しかし──

 

「その反応……やはり、ウォシスなのか?」

「む……いや、わからぬ……突然のことで、記憶が混濁しておってな……暗殺者の手を逃れるため、予備の素体を晒し、瀕死の体を休めたのだ」

「そうか……」

「すまぬな、ウォシスであったかどうかも……今は他に何も覚えておらぬのだ……」

 

 兄貴が覚えてくれていれば、ウォシスが暗躍する存在で間違い無かったんだが、それであれば仕方がない。であっても、延命措置を施している最中の僅かな隙をつけるものとなれば、かなり近しいものに限られる。であれば、ウォシスは八柱将でもそのまとめ役、可能性は高い。

 ウォシスはどういう存在なのか改めて聞こうとすれば、兄貴はそれを遮るようにして口を開いた。

 

「とにかくだ、仮死状態となって意識を取り戻した頃には……全ては終わっておった」

「そうか……」

 

 そこで、自らの身の上話は終わったと思ったのだろう。兄貴はその瞳をクオンへと向けた。

 

「そこの方……」

「えっ、わ、私?」

「確か、クオン……殿ですな? 貴女のことも……色々と聞いております。こうして貴女を招いたのは……御礼と謝罪を述べたかったからじゃ」

「御礼と……謝罪?」

 

 戸惑うようにクオンは兄貴の言葉を繰り返す。

 

「うむ、まずは、礼を……貴女の助力無しでは、我が弟、そして娘は立ちあがれなんだ……」

「……」

「余は、知っておる。貴方が娘を励まし、支え……助けてくれたこと。ただ一人の親として、礼を言わせてほしい」

 

 クオンは、それを否定も肯定もせず、ただじっと聞いていた。

 兄貴は礼を言い終えると、深々と溜息をつき、その瞳を哀愁へと染めた。

 

「そして……謝罪を……祖国であるトゥスクルに侵攻したこと、貴女から大切な者を奪ってしまったことを……お詫びしたい」

「ッ……どうして、トゥスクルに侵攻したの? これだけ豊かな国であれば、戦なんて……」

「余の……人としての──大いなる父としての我儘じゃよ……」

「大いなる父……あなたが?」

「そう、余は其方達が大いなる父と呼びし者。全てを支配し、奢り、高ぶり、故に神の怒りに触れ……滅びた者達のたった一人の生き残りじゃ……」

 

 悲し気に、深く祖先を想うように、帝は語り始めた。

 

 ──遥か昔。

 神の裁きと、それによる人類の動揺から、この星全てに大災厄が訪れたこと。

 人類は尽く同士討ちし、生き残った者もその全てがタタリウンカミと化した。

 

 気付いた時には既に遅く。まともに人として生きていた者は、兄貴しか、いなかったこと。

 

 タタリと化した同胞を救うため、何とか人に戻せないかと研究を続け、足りないものを求め、邪魔になるものを排除した。

 故に、忠実なるものを使役、遺跡を占有し、国を攻め落とし、支配下においていった──それが、このヤマトという国の成り立ち。

 

 兄貴がたった一人で人類を取り戻そうと躍起になった結果が、この世界なのである。

 帝都地下深くに電子で管理する牢獄を作り、同胞達のなれの果て──多数のタタリを集めその研究を進めるも、研究は遅々として進まなかった。

 唯一得た答えは、安らかなる消滅のみ。しかしその手段も、今この世界に住む──ヒトの犠牲を強いることになる。

 

 そうして決断できぬまま歳を取った結果──自分と出会った。

 生き別れの弟、ハクである。

 

 クオンはその事実に驚き、声を震わせた。

 

「ハクが……帝の弟……」

「……皆には黙っておいてくれよ」

「こんなこと……皆に言っても信じないかな」

 

 まあ、そうだろうな。

 帝は絶対的な存在として君臨していたし、自分のようなぐうたらが同じ兄弟だと言われても困る。

 

「今のヤマトは、皇女さんが継ぐ。自分はあくまで余所者さ」

「ハク……」

「そうじゃ……戦乱は終わった……」

 

 そして、帝は再び話しだす。

 自分と出会ってからの、全てを。

 

 ──ハクという仮初の名をつけた自分が現れた。

 延命措置を繰り返す兄貴は、自分の命が長くないことを感じていた。

 鎖の巫女を与え、アンジュを導けるように関わりを持たせ、そして──

 

「この国はアンジュに……お前には、我らが人類の遺産を受け継いでもらいたい……それで、肩の荷が下りる……」

 

 トゥスクル遠征前に聞いた、兄貴のたった一つの願い。

 兄貴は、この世界の異物としてたった一人生き抜いてきた。絶望を無数に繰り返しながら、希望を持ち続けた兄貴の、最後の願い。その意志を継ぐのは、吝かでは無かった。

 しかし、クオンの疑問に全て答えられたわけではない。クオンは核心をつくように質問した。

 

「それで、何故トゥスクルを?」

「マスターキー……」

「えっ……」

「其方の国、トゥスクルで……マスターキーの反応があった」

 

 マスターキーとは何だろうか、兄貴はマスターキーのある機能について話し始めた。

 

 マスターキー。それは──全てを統べる鍵。

 それがあれば、遺跡となっている施設を起動させることも可能。同胞を救うことができる方法すら見つけられるかもしれないとのことだった。

 しかし──

 

「この老いさらばえた身では、もはや叶わぬ。だが、弟が……お前が継承してくれるのなら、いつかマスターキーが必要になるのだと……トゥスクルへの遠征を決めたのだ」

「……」

 

 クオンは納得したように頷くも、心はまだわだかまりを捨てきれぬようであった。

 

 しかし、自分もまだわからないことはある。

 自分の顔についたまま離れぬ、この仮面。一瞬で異形の姿へと己を変える、質量すらも無視した力の解放。力への根源とは──

 

「兄貴、仮面とは……何だ? いくら兄貴とはいえ、あんな技術はありえん」

「……其方は、真人計画という言葉に覚えはあるか」

 

 真人計画──兄貴が生涯をかけて追い求めていた研究である。

 人自身の耐性を向上し、衰退を食い止めるための人類の宿願。

 

「ならば……アイスマン計画は、知っているか?」

 

 アイスマン計画──確かそれは、真人計画から派生した計画。

 仮面も、そのアイスマン計画より生み出されたものであるという。

 兄貴の道とは違えども、人の衰えた肉体を強化してくれる希望だったという。

 

 そして兄貴は、ある判断を下した。

 兵不足に悩んでいた折、装着することにより安易な身体強化が可能な仮面に目をつけ、そのデータをもとに一つの仮面を作りだした。

 しかし、その仮面を作る上で元となるデータは欠損しており、その欠損を補うために兄貴の研究データで補完したという。

 出来上がったのは、新しい独自の仮面。安全性もあり、理論上では何ら問題ない筈のもの。だがそれは──失敗した。

 その仮面は強過ぎた。正気を失い、異形の姿へとその身を変え、災いを引き起こした。

 

「仮面の力は……偶然の産物だったということか……」

「うむ……暴走した者を止めねばならなかった。故に、やむなく……余は過ちを繰り返した」

「それが……四つの、仮面か」

 

 強過ぎる仮面に対抗するため、新たなる仮面──四つに力を分散させリミッターを掛けた──仮面の者を作りだしたのだ。

 オシュトル、ミカヅチ、ムネチカ、そして自分のヴライの仮面も、その一つなのだ。

 そして仮面の者達が戦い抜いた先にあったものは、自らの力に耐えられなくなり、最後には自壊する光景。

 

「皆……素晴らしい若者であったというのに……こんな愚かな私を父と慕ってくれた……彼らの命を、余がその手で奪った……」

「我が君……」

 

 涙も枯れ果てたと声を震わせる兄貴と、それを心配そうに見やるホノカさん。

 ずっと、ずっと兄貴の胸に燻ぶる後悔だったんだろう。だが、だからこそ、わからない。

 

「仮面を封印しないのは何故だ」

「……余を信じ、礎となった者達を無かったことになどできぬ……仮面は力の象徴ではない、二度と繰り返さぬための……余の愚かさの証なのだ」

 

 兄貴は、一体どれだけの苦しみと後悔を重ねてきたのだろう。

 孤独に耐え、生き延び、新たに孤独を迎えるその虚無を何度繰り返してきたのだろう。

 

「そうか……自分が眠っている間に、兄貴には随分苦労をかけたみたいだな。ただ、もう一つ聞きたいことがある」

「?」

 

 そう、今自分の被っているヴライの仮面、その爆弾について。

 

「自分は今、仮面に何らかの細工を施されている」

「細工……」

「ウルゥルやサラァナが言うには、亡きヴライの魂──そのさらに粗悪なもの、と言われた」

「ふむ……それは如何様な状態になるのだ」

「仮面を使おうとすれば……自分が抑えられなくなり、暴走する」

 

 兄貴はその台詞にはっとしたかのように驚き、目を見開くも、心当たりがないのだろう。

 悲し気に顔を伏せ、わからないといったように首を振った。

 つまり、この細工を施す技術は、兄貴の研究を独自に持ち出し、自らの為に活かしている者ということだ。そんな奴、心当たりがありそうなもんだが。

 

「本当に、心当たりが無いのか?」

「……わからぬ、余も調べておこう……余を襲った者がいるように、其方も気を付けるのじゃ……」

「ああ」

「しかし、何か対策のしようがあるかもしれん……弟よ、そちらの解析ドックに立ってほしい」

 

 兄貴の視線の先にある施設に促されるまま、その場で立つ。

 体に悪そうな緑の閃光が自らの顔を覆い、電子音声がその解析を進めていく。その様子をクオンが興味深く眺めていた。やがて解析が終わったのだろう、兄貴から声をかけられた。

 

「それで良い」

「もういいのか?」

「うむ……何故、余もこの仮面にはわからぬことが多い……安全であると結果が出ても、災厄を引き起こしたのだ」

「ま、そりゃそうだな」

「だが、お前がいない間に必ず調べておこう。このような身であるからして時間はかかるだろうが、それまで──」

「ああ、この仮面を使うようなことはしないさ」

 

 爆弾を抱えているんだ。使おうと思っても使えん。それに、戦乱は終わった。もう仮面に頼るような機会もないだろう。

 しかし、自分がいない間に──か。その瞳は何かに裏切られたかの如く弱弱しく、悲し気に映っていた。

 だが、これからは、もう兄貴は孤独ではない。自分や、皇女さんがいるんだ。後はゆっくり休んでもらおう。

 

「ま、何はともあれ、兄貴が生きていてくれて良かった。皇女さんにも兄貴が生きていることを伝えないとな」

「……それはならぬ」

「? なぜだ」

「儂は既に死んだ身……アンジュはそれを乗り越えてここまで来たのだ。帝に甘えは許されぬ、父亡きまま、アンジュは勇ましく立ちあがらねばならぬ」

「……」

 

 クオンもその身に何か思うところがあったのだろう。

 帝の言葉に反したいように口を開くも、その先が続かなかった。しかし、兄貴の声は愛しき娘に会えない寂しさで震えていて、つい元気づけるように言葉をかけてしまった。

 

「まあ……兄貴よ、マスターキーは自分が手に入れるさ」

「おお、行ってくれるというのか……!」

「ああ、元々トゥスクルには人質でお邪魔するつもりだったからな。兄貴が解析してくれている間にちょちょっと行ってくるさ。だから──」

 

 身内に元気がないと、それだけで周りは辛いんだ。

 あの時のような、頼りになる背中を見せてくれていた兄貴に、戻ってほしい。だからこそ、元気づけたかった。

 

「──元気、出してくれよ。まだ引き籠るには早いだろ? 自分も全部の遺産勝手に持っていけなんて言われちまうと困る。一緒に、また研究しようぜ」

「ほ、ほほ……そうであるな……よもやお前に引き籠るなと諭される日が来ようとはな」

「うっせえ。ま、それまで……兄貴は今までの分、ゆっくり休んでくれよ」

「ああ、そうだな……時間はたっぷりある……少々待つなど造作もないことよ……」

 

 話は終わった。

 兄貴の意志を継ぎ、兄貴がこの仮面について解析してくれている間に、マスターキーとやらを取ってくる。丁度トゥスクルに人質として行く件もある。渡りに船とはこのことだな。

 

「クオン、トゥスクルの案内、頼むぞ」

「そうだね、私が案内してあげる」

「人質だからな……あまり動き回るのが許されないとかであれば、クオンから女皇に頼んでくれると助かる」

「あ、そ、そうだね……勿論、トゥスクルの女皇は、か、寛大だから! きっと大丈夫だと思う!」

「卑怯」

「私達もご案内します、主様」

「な、ひ、卑怯ってどういう意味かな!」

 

 じっと非難の視線を浴びせるウルゥルサラァナにたじたじのクオン。

 何だ、珍しい光景──でもないか。双子が気安く揶揄う相手など限られる。相変わらず仲のいいことだ。まあ、人質でトゥスクルに行ったところで、双子は確実についてくるだろうから、四人でまた行動するか。

 そんな風に女子三人の姦しい様子を、ホノカさんも兄貴も嬉しそうに見つめていた。

 

「んじゃ、兄貴よ。吉報持ってまた来る」

「うむ……くれぐれも気をつけて、な」

「ああ、兄貴も暗殺者に狙われんようにな」

 

 兄貴にまた来るように伝え、ホノカさんに会釈した後、再び地上へと戻る。

 随分長い時間を過ごしてしまった。叙任式はもう終わっている頃だろう。自分が大した役職につかない筈とはいえ、堂々とさぼったことは怒られるかもな。

 

 そう思いながら帝都宮廷の道を歩いていれば、位相のずれた世界であっても何か騒ぎがあったかのように皆がてんやわんやしている様子が見えた。

 

 声は聞こえないが、ばたばたと慌てたように衛兵達が慌ただしく動き回っている。

 何事かとも思うが、聞いても向こうは気づかないだろう。

 

 そのまま見覚えのある自室へと辿り着き、周囲の靄が晴れていく。

 

「到着」

「お疲れ様でした、主様」

「じゃあ、ハク。私はトゥスクル遠征にハクが行けるよう、ちょっと動いてくるね」

「ああ、頼んだ」

 

 クオンと別れ、再び三人で自室に籠る。

 書簡の無い部屋ってこれほど快適なんだなあ。仕事から解放された気分に酔いながら、広い自室に寝そべるように横になる。茶でも飲もうかとウルゥルサラァナに声をかけようとした時であった。

 

「──皆の者! 草の根分けてでもハクを探しだすのじゃッ!! この際、死ななければ多少の暴力は厭わぬ! 何としてでもハクを見つけ出し、余の元まで連れて来るのじゃッ!!」

「「「はっ!!」」」

 

 え、何それ怖い。

 なんで、こんな大騒ぎになってんのよ。

 遠方より自室まで響く、皇女さんの勇猛果敢な怒声。そして兵達があっちにはいなかったとかこっちにらしきものがいたとか報告し合っている声が廊下より聞こえてくる。

 

「……ウルゥル、サラァナ」

「はい」

「なんでしょうか、主様」

「書置き……してくれたんだよな?」

「もち」

「主様の文字で、主様が書きそうな台詞を残しておきました」

 

 なら、この騒ぎようは何だと思うが、自分が書きそうなことか──もしかしてサボりたいとか、逃げますとか書いたんだろうか。

 であれば、この騒ぎも納得である。見つかれば血祭確定、騒ぎが落ち着くまではどこかに隠れる必要があるだろう。

 

「これなら、さっさとこっちからトゥスクルに出向けば良かった……」

 

 後悔は尽きないが、双子も長時間力を使って疲労している。再び位相にずれて逃げることは叶わないだろう。

 まさか兄貴の意志を継ごうとしたその矢先に、こんな出来事に見えるとは──と、自室で見つからないよう息を潜めて隠れることにしたのだった。

 




 次回、ハクの愛の逃避行が始まります。
 ヒロインの包囲網から逃れられるのか。それとも、捕まってしまうのか。ならば捕まえる者は誰なのか。
 シリアス続きであったからこその日常回、修羅場。色々楽しみにしていただければと思います。


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第四十三話 約束するもの 壱

この回のために、色々なラブコメを見て勉強しました。
場所をクリックすると、好きなヒロインのところへ行けます。


 

 帝都宮廷内、自室にて。

 自分は怒声が漏れ聞こえるたびにびくりと身を震わせながら、外の様子に意識を向けていた。

 

「──ええい、ハク様はまだ見つからんのか!」

「はっ、宮廷内にはいない様子であります!」

「捜索範囲を広げよ! 何としても今日中に聖上の元まで御連れするのだ!」

「はっ!」

 

 そも、なぜこのように隠れているのか。

 全ては、早朝に双子の誘いを受け、生き延びていたホノカさんや兄貴と会ったことに起因する。死んだと思っていた兄貴と再会したことは喜ばしいが、そのために叙任式をすっぽかした。帰ったら言い訳と謝罪をしないとなあと思っていたところ、自室に帰れば皇女さんが血眼になって自分を探しているという状況に遭遇したのである。

 皇女さんの怒りの度合いは知らないが、暴力も厭わないと発令されており、見つかれば碌なことにならないのは確定である。故にこうして隠れているのだが──と、外から再び誰かの気配がする。

 

 この声は、キウルとオウギ、それにヤクトワルトとシノノンか。

 

「──ハクさん、どこに行ったんでしょうね」

「さあ……僕の抱える隠密衆でも、一度ハクさんが逃げに回ったら、捉えるのは難しいでしょうね」

「へ? 何故ですか?」

「隠密衆の巡回体制に精通している彼のことですから、身を隠しながら逃亡できるところは知っているのでしょう」

「なるほどねぇ……まあでも、姉御や巫女の嬢ちゃん達も式にはいなかった。巫女の嬢ちゃんの力を使って逃げた可能性もあるじゃない」

「確かにそうですね」

「クオンさん、それにウルゥルさんやサラァナさんもどこに行ったんでしょうか……」

「旦那もここ最近働き詰めだったからねぇ……四人でトゥスクルに観光でも行っているんじゃない」

「おお、かんこうか。シノノンもいきたいぞ」

 

 四人の予想は的外れであるが、彼らがそう予想しているということは街道などを張っている頃だろうか。

 

「しかし、港はソヤンケクル様が抑えていますからね……」

「ああ、深夜まで仕事させていたってライコウの旦那は言うしなあ。案外、まだ帝都内にいると思うじゃない」

 

 帝都内どころか、宮廷内の自室に隠れているぞ。

 双子も我関せずと言ったように目を瞑って静かにしている。今朝兄貴と会うために行使した呪術、それによって失った体力を回復させているのだ。

 このまま誰かに見つからなければ、双子の力で白楼郭あたりまで術を使って移動し、匿ってもらうつもりだ。兄貴のところに行きたかったが、ホノカさんが術を受け入れない限りは道は作れないそうだからな。

 

「とりあえず、聖上の命通り動かないといけませんね」

「くっくっく……叙任して最初の指令がこれとはね。うちの姫さまらしいじゃない」

「だな!」

「ふふ、まあ……帝都が平和である証拠ですね」

 

 わいわいとこちらの危機感も知らずに呑気に喋る四人。

 やがて、四人の声や気配が自室前から消えると、ほっと息をついた。

 

 振り返り、未だ体力を回復させようと目を瞑る二人を見る。

 

「ウルゥル、サラァナ、どうだ?」

「まだ」

「術の行使にはまだかかります。白楼郭までは届かないかと」

「そうか……」

 

 双子の体力が戻るまでは、ここを動けない。

 それまでは、どうか見つかりませんように──しかし、その淡い期待は目の前の襖に小柄な少女の姿が映ったことで、露と消えた。

 

「……」

 

 息を潜めて何卒開けないでくれと念じるも──

 襖に貼られた薄紙越しに見える姿は、人がいないかどうか周囲を確認した後、すっと無遠慮に開いてその存在を現した。

 

「あ、やっぱりここにいたですか」

「ひいいいい……か、勘弁してくれ、ネコネ……!」

 

 したり顔で自分を見つけるネコネ。

 聡いネコネに見つかっては、もはや後はない。自分にできることは命乞いだけである。しかし、ネコネは自分の命乞いを聞いて仕方がないというように息を吐いた。

 

「はあ、全く……ハクさんは後先考えないからこうなるのですよ」

「……? ひ、人を呼ばないのか?」

 

 怯える自分に、ネコネはふるふると首を振り、襖を後ろ手に閉めた。

 黙っていてくれるのだろうか。ネコネはとことこと自分の傍に近づいて正座したかと思えば、首を傾げて聞いてくる。

 

「ハクさんだけなのです?」

「え? あ、いや……」

 

 ネコネの言におかしいなと思って振り返れば、既に双子の姿は無かった。

 

 ──術使えるじゃん! 

 

 ならばなぜ自分を置いていったのかはわからないが、ネコネに見つかっては駄目だと判断したのかもしれない。

 

「あ、ああ、まあ。自分だけだ」

「そうですか。ウルゥルさんや、サラァナさんもいるかと思ったのですが」

 

 さっきまでいたんだけどね。おかしいね。

 しかし、自分を報告しないなら、ネコネはなぜここに来たのだろうか。

 

「皇女さんにばらさないのか?」

「え? まあ……最近ハクさんが働き詰めだったことは知っているのです。聖上の気持ちもわからなくはないですが……ハクさんもたまには休んでいいと思うのです」

「ネコネ……お前いい奴だな」

「んなっ……ま、まあ、たまたまなのです。たまたま……そ、そういう気分になっただけなのです!」

 

 オシュトルやマロロがいない間、人生で一番仕事をしたと言っても過言ではない。

 自分の性格をよく知るネコネだからこそ、逃げても仕方ないとでも思ってくれたのかもしれない。

 働け働けとよく言ってたネコネがまさか自分を庇ってくれるなんてな。いつもなら逃げるところだが、今のネコネは大神様に見えるほど、後光が刺している気がした。

 

「ネコネが味方なら心強い。暫くここに隠れて、ほとぼりが冷めるのを待つことにするか」

「それがいいと思うのです。ここにハクさんが隠れているなんて、私以外に気付かないと思うですから」

「……そういえば、そうだな。なんで気づいたんだ?」

 

 そうだ、そもそも何故自分がここに隠れているとわかったのだろうか。自室なんて既にいるわけがないと思うのが普通だ。

 

「犯罪者は、罪を犯した場所に戻ってくるといいますから。ハクさんなら絶対戻ってくると思っていたのです」

「失礼な奴だな」

 

 えっへんと無い胸を張るネコネに抗議したい気持ちであったが、実際自室に籠っていたのだから弁解の余地なしである。

 叙任式をすっぽかした理由として兄貴のことを言う訳にもいかず、不満でも甘んじて犯罪者扱いを享受するしかない。

 というか、そうだ。叙任式だ。

 

「そもそも、なぜ皇女さんはあんなに怒っているんだ?」

「……知らなかったのですか?」

「ああ」

「ハクさんの功績を称えて、ハクさんを大宮司にしたのですよ」

「大宮司!?」

 

 確かに、オシュトルに厳命した通り将官でもなければ八柱将でもないが、ホノカさんがやっていた役職って、それめちゃ権力者じゃないか。

 

 ──オシュトルの奴め、自分をトゥスクルに逃さないために、一計を案じたな。

 

 親友の腹黒さが増していることに頭痛を覚えながら、聞き覚えのある囁き声が耳元から聞こえてくる。

 

「おめ」

「お母さまに代わり主様が職務についていただけるなど、私達も誇らしいです」

「ん!?」

「? どうしたのですか?」

 

 ネコネは気づかなかったようだが、双子は確実にまだここにいる。

 周囲を見回すも双子の姿は掻き消えたように薄れているが、ここにいるぞ。なんで姿を隠しているんだ、ウルゥル、サラァナ。自分も連れてってくれよ。

 理由のわからない双子の行為に考える間も無く、ネコネは事のあらましを話始めた。

 

「叙任式の最後、聖上よりハクさんに大宮司の任を賜ったと思えば、ハクさんは既に逃げおおせた後だったのです」

「あまり……考えたくない光景だな。自分がいないってどうしてわかったんだ?」

「? 書置きなのです。ハクさんが書いたのではないのですか?」

「……何て書いてた?」

「えーと……ライコウに任せる、探さないでと」

 

 家出かよ。

 確かに自分の書きそうな言葉ではあり、ウルゥルサラァナが自分に対してとても深い理解のもと書き置きしてくれたことはわかる。しかし、これでは火に油を注いだようなものだ。

 もしかして、ウルゥルもサラァナも最近の自分の態度が不満だったのだろうか。自分に対してここまで尽くしてくれた礼を、双子には未だ返せていない。ホノカさんと話したことからも、双子は自分の寵愛を待っているように思ったし、自分もはやくウルゥルサラァナの気持ちに応えないといけないのかもな。

 

「聖上はそれを聞いてからというもの、恥をかかされたと大層お怒りなのです。今出ていったら顔面がぼこぼこに腫れあがると思うのです」

「……」

 

 双子の件はいずれ考える。とりあえず、今はまず生き残ることが優先である。

 ナコクで帰還した後、皇女さんから天誅を賜った心の傷はまだ癒えない。とりあえず隠れて、時間が経ったら自首しよう。

 ネコネがいれば、もし衛兵が来たとしてもとりあえずは安全である。

 

「まあ、匿ってくれて助かるよ。ネコネ」

「い、いいのです。それに……」

「それに?」

 

 自分の問いかけに対し、ネコネは言おうかどうか迷っている様子であった。

 もじもじと照れたように指を絡め、視線を下げている。暫くして、埒があかんと改めてネコネに問うと、渋々といったように言葉を発した。

 

「何だ、どうしたんだ?」

「か……匿う代わりに、ハクさんには約束をして欲しいのです」

「約束?」

「はい……ヤマトが落ち着いたら、遺跡を一緒に見て回りたいのです」

「遺跡を?」

「はい……折角教えてもらった神代文字、全然活かせていないですから」

 

 視線を合わしたり、合わさなかったりと、ちらちらこちらを上目遣いして言うネコネ。

 

 そういえば、と思う。戦乱が佳境に入った辺りから、ネコネとは軍法学ばかりで神代文字の勉強はできていなかったな。

 それでも、平仮名と片仮名の文字列を記した画板は未だに大切に持っているらしく、暇があれば覚えたり文を作っていたりしたそうだ。

 確かにそれだけ頑張っているんだから、報われる機会もあっていいよな。ただ──

 

「──自分とネコネの二人で行きたいのか?」

「ふ、ふた……あ、姉様と一緒なのです! 二人っきりなんて、求めてないです!」

「ああ、そういうことか」

「……う、ぅ」

 

 こちらの反応に猫みたいに低く唸り始めたネコネ。

 その表情は随分照れているようで、唇を噛んで目も少し潤んでいる。何が不満なんだろうか。

 

「まあ、クオンとも行きたいなら、クオンにも聞いてみないとな」

「……あ、あの」

「ん?」

「あ、姉さまも忙しいですから……そ、そういう時は、仕方がないので二人でもいいのです」

 

 そっぽを向いて、そう言うネコネ。

 であれば、クオンに了承を取る必要も無い。

 

 ──遺跡巡り、か。

 

 まあ、でも神代文字か、そうだな。マスターキーを手に入れれば、兄貴の意志を継いで各遺跡を回ることもあるだろう。それにネコネを連れていくだけか。

 

「いいぞ。約束だ」

「……本当ですか?」

「ああ」

 

 一転、安心したように花のような笑顔を浮かべるネコネ。

 その笑みに、トリコリさんの姿が重なり、思わず──

 

「……」

「? どうしたのですか?」

「ん? い、いや……何でも無い」

 

 将来、トリコリさんみたいな美人になるだろうな。

 その言葉は、苦笑して誤魔化した。言えば部屋から蹴りだされそうだと思ったのかもしれない。それとも、ただの妹みたいな存在だと思っていたネコネに、トリコリさんの姿を重ねるなんて自分らしくないなと思ったのかもしれない。

 とりあえず、双子に多分ずっと見られているだろうことも思い出し、さてこれからどう過ごすかと思っていたところだった。

 

「話声がしましたが、誰かいらっしゃるのですか?」

 

 びくりと、ネコネと二人その体を震わせる。

 衛兵が無人の筈の部屋から声が聞こえてくるのに気付いたのだろう。襖越しに声をかけられた。

 

「あ、私です。ネコネなのです」

「おお、ネコネ様でしたか。ハク様はいらっしゃいましたか?」

「い、いえ……でも、何やら隠し扉のようなものを見つけたのです」

 

 ネコネの目線で意図を確認し、襖の奥へと身を隠す。

 すると、二人の衛兵はネコネの了承を得た後、自分の部屋へと入ってきた。

 

「なんと、ネコネ様、してそれはどこに?」

「ここに、隠し扉のようなものがあるです」

「ふむ……」

 

 ネコネが衛兵の視線を誤魔化すように、部屋の一角を指さす。

 あ、それは自分の酒を隠すために作った地下戸だぞ、なんでネコネが知っているんだ、と聞きたかったが、今は注意を反らしてくれている間に部屋から出るしかない。

 衛兵が背を向けている間に、物音無く襖から廊下へと躍り出る。

 

 双子を置いてきてしまったが、彼女たちだけなら隠れるのも容易い。とりあえず自分が見つかって皇女さんに血祭にあげらないようにこっそり動かねば。

 逃がしてくれたネコネには感謝しないとな。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 自室から離れて周囲をうろうろするも、廊下を堂々と歩いていればすぐに誰かに見つかってしまう。

 いくら宮廷内の捜索を諦め、帝都への捜索隊を派遣しているとはいっても、未だ衛兵の数は多い。さてどうするかと抜き足差し足で移動していると──突如後ろから誰かに口と腕を抑えられた。

 

「──うひひっ! おにーさん、みーっけ!」

「……あ、アトゥイ」

 

 すわ刺客かと思えば、アトゥイだったようだ。

 いつもの悪戯好きな表情で、自分の存在を誰かに呼びかける様子はない。

 アトゥイは心底楽しそうに笑みを浮かべると、耳元である提案をしてきた。

 

「おにーさん……今見つかったら八つ裂きにされると思うんよ」

「……み、見逃してくれ」

「だからぁ、ウチが匿ってあげるぇ?」

「お、本当か?」

「うん、こっちやぇ!」

 

 そう手を引かれ連れられたのは、アトゥイの部屋である。

 出迎えてくれたのはクラりん。自分との再会にいつも以上に震えている。

 

「ぷるぷるぷる」

「おお、クラりん、ご無沙汰だな」

 

 襖が閉まり、とりあえず安全圏に移動することができたと一息つく。

 アトゥイは、はあ、と大きなため息をついて乙女らしくない座り方でどすんと部屋に寝転んだ。

 

「助かったよ、アトゥイ」

「うひひっ、ええんよ、おにーさんにはその代わりに色々してもらうけ?」

「……な、何をだ」

 

 身の危険を感じる。

 寝転ぶアトゥイは悪戯娘の笑みでこちらを見ながら、ぽんぽんと自分の隣を掌で叩いて促す。

 

「……隣に寝ろと?」

「おにーさん、最近忙しいぇ。ウチが癒してあげるんよ」

「……なるほどな」

 

 アトゥイの悪戯ではなく、自分に対する気遣いだったようだ。

 そういえば、ここ最近アトゥイにもクラりんにも会っていなかった。

 忙しすぎて顔を合わす暇も無かったからな。アトゥイもそういった気遣いができる女になったんだなあ。

 

「んじゃ、遠慮なく」

 

 アトゥイのいる隣に、体一つ分開けて寝転び、暫く柔らかい畳の上でふうと大きく息をついた。

 すると、アトゥイはずりずりと摩擦音を立てながらこちらに近づき、大きな瞳で覗きこむように自分と目を合わせた。

 

「? なんだ」

「おにーさん、疲れてるやろ? ウチに按摩してほしいけ?」

「んー、そうだな……」

 

 アトゥイがそんな提案をしてくれるとは驚きである。

 仕事疲れもある、兄貴やクオンと話して少し疲れたこともある。ここは遠慮なく甘えるのがいいかもしれない。

 

「じゃあ、頼もうかな」

「うひひっ、任せてーな。実は、二人に教わったんよ」

 

 そう言って、自分がうつ伏せになる間も無く、自分の体に馬乗りになるアトゥイ。

 

「こ、この体勢でやるのか?」

「そうやぇ?」

 

 何を今更というように応えるアトゥイ。

 アトゥイの太腿ががっしり自分の腹部に絡まり、その体重を乗せて来る。そういえば、アトゥイにこのような行為をしてもらったことはない。本当に按摩を知っているのか不安だ。

 

「動いちゃ……ダメやぇ?」

 

 威圧するかのように真剣な表情で、自分の顔に自らの手を置くアトゥイ。

 腹部を締める太腿もがっちり固定され、自由に動くのは手くらいだ。アトゥイの口元が自分の口元にどんどん近づき──

 

「──ぐりぐり~」

「ッ……いたぁっ!?」

 

 色っぽい展開が来るのかと思えば、頬、眉、鼻筋、顎、リンパ節、耳裏、顔面に至るところに、アトゥイの強靭な指先が突っ込まれ、揉み込まれる。

 特に目蓋への刺激はとんでもなく、棒を目元に突っ込まれるかのように遠慮ない刺激が襲う。

 痛みに耐えられず、伸し掛かっていたアトゥイを押しのけるように飛び起きた。

 

「痛い痛い!!」

「きゃっ! あややぁ……気にいらんかったぇ?」

「いやいや、気にいるいらん以前に……痛い」

「うひひっ、おにーさん、それはな? 疲れが溜まってるってやつやぇ!」

「いやいや、お前のは物理的に痛い!」

 

 提案は嬉しいものであるが、ウルゥルサラァナの按摩を普段より受けている身としてはアトゥイの力加減の間違った指圧はただただ痛い。熊に抱きしめられて気持ちいいと思う者がいるだろうか、否。

 諦めずに取り組もうとするアトゥイを押しとどめながら、否定したり断れば尚更躍起になることを理解しているので、話題を変えることにした。

 

「指圧はもういいから。というか、アトゥイはなぜあそこにいたんだ? 自分を探しに行かなかったのか?」

「ううん、とりあえず一通りは見て回ったんよ。でもおにーさんのことやから、またふら~っと戻ってくるかなって思ってな?」

「……」

 

 ふらっと戻ってきたのは兄貴のところからだが、それも言えないので口を噤む。

 まあ、アトゥイの予想通り、あの辺りをぶらぶらしていたことは本当なので、自分に言えることは少ないのだが。

 

「それで、お前に見つかっちまったわけか」

「あ~、おにーさん、ウチに見つかって良かったんよ? 他の人ならバラバラやぇ」

「流石にそこまでは……」

 

 目を細めて言うアトゥイにそう否定しようとするも、時折聞こえてくる皇女さんの激昂に身を竦ませる。

 そうかもしれんね。

 

「まあ、もう指圧は満足だ。ここにいれば安全なんだろ?」

「そやなぁ……多分」

「そうか。じゃ、とりあえず疲れているのは本当だし、寝るか」

「添い寝して欲しいんけ?」

 

 ここでして欲しくないなんて言えば、またへそを曲げるかもしれない。かといって指圧を受けるのも嫌である。クオンとは違う意味で顔面が破裂する。

 

「ああ、まあ、そうだな」

「うひひっ、じゃあ、一緒に寝てあげるぇ。クラりんもおいでーな」

 

 クラりんを自分とアトゥイの間に入れ、三人で川の字になる。川といっても真ん中は小さいが。

 アトゥイは暫くくりくりとした瞳をこちらに向けて静かにしていたが、思いついたかのようにぽつりと呟いた。

 

「……そうやぇ」

「ん?」

「おにーさん、ヤマトが落ち着いたら、どうするん?」

「そうだな……まあ、トゥスクルをぶらぶらしたり、全国行脚するんじゃないか?」

「へぇ……なら、ウチと一緒に、船で色んなところに行くけ?」

「船でか?」

 

 まあ、トゥスクルに行くにも、他の国に行くにも、船は便利である。

 飛行船などに発展していない現在では、馬車か船が最も移動手段として速い。そりゃいい提案だと受け入れた。

 

「そうだな、ソヤンケクルに頼むか」

「ととさまに? ととさまに頼らんでも、大丈夫やぇ。ウチ専用の船を作るから、おにーさんはそれに乗ればいいんよ」

「アトゥイの船?」

「? いやけ?」

「いや……直ぐに沈没しそうだなと思って」

「あー! 失礼やぇ!」

 

 ぐりぐりと遠慮のない指圧が体を襲う。

 呼吸できないほどの圧力に思わずすまんすまんと謝ると、アトゥイは夢を語るかのようにその瞳を輝かせた。

 

「それでな? 船に乗って見る……海の神様が見せる景色……とっても綺麗なんよ?」

「ほお、アトゥイがそんな乙女趣味をね」

「……怒るぇ?」

「すいません」

 

 乙女趣味は元からだったな。

 しかし、その言葉は飲みこむ。殺人按摩をこれ以上受けると明日に響く。

 

 そんな自分の気持ちを知ってか知らずか、アトゥイは寝転ぶ自分に寄り添うように頬を寄せると、あることを聞いた。

 

「やからな……おにーさん」

「ん?」

「一緒に、見に行けたらなあって、思うんやけど……どうやぇ?」

「ん、そうだな……」

 

 海の神様が見せる景色か。この辺りだと、オーロラとかかな。地下生活の長い自分にとっては、見てみたい景色ではある。

 アトゥイは今までの様子はどうしたのか、少し緊張したような面持ちだった。故に安心させるよう、その提案に乗ることにした。

 

「ああ、いいぞ」

「ほんとけ?」

「ああ」

「うひひっ、なら、約束やぇ! おにーさん」

 

 にこにこと、毒の無い笑みを見せるアトゥイ。

 マスターキーを取れば、遺跡巡り。ネコネも二人っきりは嫌だと言うので、クオンとアトゥイも連れれば文句無いだろう。

 自分の中でそう結論つけ、話は終わったと大きく伸びをした。

 

「っふう~……寝転んでいたら眠くなったな。ああ、久々に昼寝がしたくなった」

「なら、今から一緒にするぇ?」

 

 そうだな、と相槌をうった後は話すことも無くなり、天井を見つめて静かな空気を楽しむ。執務に追われて最近は睡眠時間すらほぼ無かった。寝ようと思えばすぐに眠気が襲う。

 しかし、先に寝たのはアトゥイだったようだ。暫くすると、すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。

 

 さて、自分もこの安全な場所で寝ようと瞳を閉じた時であった。

 

「ううん……やっ」

「ごはっ!?」

 

 アトゥイのとんでもない寝返りにより、その鋭い蹴りが己の腹部を襲う。

 全く想定していなかった衝撃に自分の体は易々と吹っ飛び、廊下と部屋を隔てる襖に音を立ててぶつかった。

 後頭部を襲う痛みと、蹴られた腹部を抑え、思わず口から空気を漏らしながらも、立ちあがる。

 

「ご、ごほっ……な、なんちゅう、寝相だ……」

「すかー……うひひ、おにーさん……」

 

 アトゥイは寝入っているのか、気にした風も無い。

 こりゃ、アトゥイの隣に寝るのは命がいくつあっても足りんな。クラりんが衝撃を吸収する体を持っている理由がわかった。

 

「──向こうで音がしたぞ!」

「! ま、まずい……」

 

 襖にぶつかった物音を聞かれたのだろう。アトゥイの部屋に踏み込まれれば、自分の存在がばれる。

 アトゥイはもう寝入ってしまっていて使い物にならない。であれば──

 

「またな! クラりん!」

「ぷるぷるぷるぷる」

 

 アトゥイに抱きしめられているクラりんに別れの挨拶を告げると、応じるように震える。

 未だ寝ているアトゥイを尻目に、その襖を空け放ち、衛兵の目を盗んで目の前の庭園へと隠れた。

 

「この辺りですかね……ん? アトゥイ様?」

「ふむ……またアトゥイ様の寝相か。仮にも八柱将、シャッホロの姫だ。襖を閉めてやれ」

「はっ」

 

 衛兵が二人、アトゥイの存在を見て物音の正体に納得したのだろう。

 アトゥイの名誉が少し落ちたものの、自分の存在は露見しなかった。ありがとうアトゥイ。

 

 しかし、これからどうするか。音の確認をしようとしているのだろう。衛兵はまだアトゥイの部屋の近辺をうろうろしている。

 衛兵の二名巡回態勢は自分が考案したもの。一名襲われてももう一名が鐘を鳴らして周囲に呼びかける。この巡回制度を作ってからは鉄壁の草対策を誇るも、緊急時であるからして、その動向は不規則である。故に警戒の穴をつく道はある。

 衛兵から離れるようにして、自らの体を闇へと消すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 アトゥイの部屋より離れ、再び抜き足差し足でどこか隠れられるところは無いかと探していると、ある部屋が目に入った。

 

「あそこは……エントゥアの部屋か」

 

 賭けになるが、エントゥアであれば自分を突きだすようなことはしないだろう。

 であれば、匿ってもらうしかない。

 襖の傍により、中にいるであろう人物に声をかけた。

 

「……エントゥア?」

「きゃっ……は、ハク様?」

 

 恐る恐るであったが、エントゥアは中にいてくれたようだ。それに直ぐに自分に気付いてくれたようだし、エントゥアを呼んで良かった。

 エントゥアは少し驚いていたものの、事情を察して直ぐに中に引き入れてくれた。

 

「ハク様、どうぞ中へ」

「ああ、ありがとう、エントゥア」

 

 さっと襖が閉められ、ひとまずの無事を祝う。

 そういえば、エントゥアの部屋に入ったのは初めてである。女性らしい家具や香りにきょろきょろと辺りを見回しているとエントゥアが恥ずかしそうにその視線を塞いだ。

 

「あ、あの……そんなに見られると」

「ああ、そうだな。すまん」

 

 ホノカさんに言わせれば、デリカシーが無いというやつか。無遠慮だったな。

 促されるままに座布団に座り、エントゥアと対面する。

 そういえば、仕事続きでこうして相対するのも久々である。ウズールッシャ関連も改心したヤムマキリと人質返還で連絡が取れたことで落ち着いたことだし、エントゥアを慕うもの達もヤムマキリと交渉しながら纏めていくという話だ。エントゥアとヤクトワルトも肩の荷が降りただろう。

 

 しかし、エントゥアの部屋といえば、とある人物を思い出す。

 

「そういえば、ボコイナンテはどこにいるんだ?」

「あ、今はお使いに行って頂いています」

 

 普段、エントゥアの部屋の前で警護を務めあげているボコイナンテだ。

 ライコウやオシュトルには良くない感情を持っているが、エントゥアにはべた惚れである。牢にいるデコポンポ他数多の囚人の世話もしているという。変われば変わるもんだね。

 

「帰ってくるかな」

「まあ、帰って来ても部屋には入りませんから、大丈夫ですよ」

「そうか、なら安心だな」

 

 エントゥアが隠してくれても、ボコイナンテがそうとは限らんからな。

 特に最近は仇のような目で見られることもあるのだ。

 

 エントゥアはそこで何かに思い至ったように、立ちあがる。

 

「あ、すいませんお茶も出せず……少しお湯を取ってきますね」

「いや、ここにもう一人いると思われたら……」

「そ、そうですね」

 

 気遣いは嬉しいが、今は身を隠すことが最優先である。

 喉は乾いているが仕方がないのだ。すると、エントゥアは何を思ったのか、自分の傍にある湯呑を取った。

 

「あの……では、これを」

「? それはエントゥアのじゃないのか?」

「い、いえ、淹れたばかりですので……」

 

 その割には少し量が減っているように思うが。しかし歩き回り、逃げ回り、蹴られ、とんだめにあっていながら茶の一つも飲めていなかった。喉も乾いていたし、ありがたくいただくことにする。

 

「ああ、じゃあ、遠慮なく」

「あ……」

 

 自分が茶を飲んでいるところを、エントゥアは頬を染めてじっと見つめており、それだけでなく唇を噛んで頬に手を当てて、照れを隠すような仕草をしている。

 何だ、何か茶に入れていたんだろうか。気になるも、善意で自分のものを差しだしてくれたんだ。とりあえず礼は言わねば。

 

「ふう……ありがとう、生き返ったよ」

「は、はい……」

 

 それからは他愛ない話をする。

 エントゥアから余り話題が振られることはないが、エントゥアは相槌が上手いので、ついつい話しすぎるんだよな。

 しかし、話題の途切れ目に沈黙が降りた時、意外にもエントゥアからある話を振ってきた。

 

「あの……」

「ん?」

「ハク様に、私の気持ちに応えてほしいと言ったことを、覚えていますか?」

「……ああ、覚えている」

 

 決戦前、ウズールッシャの件で、別れる時の話である。

 こうして再び会った時、気持ちに応えてくださいと、確かそう言われた。しばしの沈黙が場を支配し、エントゥアが願いを込めるように話を始めた。

 

「ハク様は……忙しい身ですから、中々時間が取れないのもわかります」

「ん、ま、まあ、そうだな」

 

 まあ、代理がしんどかっただけで、大宮司はそんなに仕事はないと思うが、皇女さん関連で仕事は増えそうだよな。

 

「なので、無理は言いません。ただ……」

「ただ……?」

「ハク様が帰る場所で、あなたを待っていたいと思います」

「自分が、帰る場所……」

「はい……いけませんか?」

 

 帰る場所、か。

 自分は兄貴と同じこの世界の余所者である。少数派と言った方がいいだろうか。それでも、待ってくれると、そう言ってくれるんだな。自分の居場所を作ってくれる存在、か。

 

「いや……嬉しいよ」

「……良かった」

「エントゥアの作るつまみは美味いからな。旅に出ても、酒飲みに帰ってくるさ」

「はい……」

 

 心底嬉しそうに微笑むエントゥア。和やかで優しい雰囲気が場を支配し、何か良い雰囲気だなとそわそわし始めた頃であった。

 自分を探す張本人の、通りの良い声が響いた。

 

「エントゥア! エントゥアはいるかの?」

「あ、アンジュ様? ちょ、ちょっとお待ちを」

「む? 開けてはならんのか?」

「着替え中で、すいません。ただいま参ります」

「そうか、では少し待つのじゃ」

 

 エントゥアは機転を利かせ、時間稼ぎの嘘をつく。

 しかし、目の前には皇女さん。どうすればと思っていると、エントゥアが隠れてほしい場所に視線を向けたので、そちらに身を隠すことにする。

 エントゥアの部屋には物が少ない。故に隠れられるところといえば、布団くらいしかないわけで。

 

「……」

 

 エントゥアが少し恥ずかしそうに俯きながら、自分を隠すように布団を被せる。エントゥアの濃厚な匂いがする。香水でも振りかけているのだろうか。花の蜜のような甘い香りだが、あまり嗅ぐのも失礼だと息を止める。

 すると、暗闇の中で皇女さんとエントゥアの会話が聞こえてきた。

 

「それで、どうなされましたか? アンジュ様」

「実はの……もう昼時であろう? きっとハクも美味そうな匂いを漂わせれば寄ってくると思うのじゃ。それで、エントゥアに何か作って欲しくての……」

「わかりました。では、一緒に食堂に参りましょう」

「うむ! すまんの、エントゥア!」

 

 ぱたぱたと気配が消えていく。

 話し方といい、皇女さんの機嫌は最初の頃よりは少し収まったようだ。

 ただ、自分を探す方法が獣を引き寄せる方法と変わらんのが嫌な話だな。自分のことを何だと思ってんだ。

 

 ただ、皇女さんが食堂に赴くならば、ここは安全か。しかし、ここにエントゥアと皇女さんが共に帰って来ないという保障はない。

 皇女さんが食堂に行っている間に、どこか再び隠れられるところへ、と再び警戒の死角となる場を探し、廊下を進むのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 抜き足差し足で廊下の角に辿り着き、視線の先に衛兵がいないことを確認する。

 そして音を立てないよう瞬時に飛び出し廊下を急ぎ足で渡っていると、上空より何者かの声がした。

 

「──おおおっ!? ど、どけどけえっ!」

「……ん? ぐあっ!?」

「うわぶっ!?」

 

 奇妙な雄叫びが聞こえてきたかと思い振り返れば、目の前を覆う巨大な二つの塊が屋根から飛びこんでくる様子であった。

 巨大な二つの物体は顔面を柔らかく圧迫したのち、全身に衝撃が走る。そのまま押し倒されるように後頭部を地面に強打した。

 

「い、ってえぇえ!」

「全く、どけというに……うぁっ」

「誰だ……ノスリ?」

「ハク、なぜここに……」

 

 呻いてその柔らかな物体を押し付けてくる誰かを見れば、ノスリであった。

 ノスリもノスリでなぜ逃亡中の自分がここにいるのかと疑問符を浮かべていたが、自らが自分を押し倒している体勢に気がつき、身を護るようにして飛び退いた。

 

「ハ、ハク! お、女の体をべたべた触るのは感心しないぞ!」

「いやいや、触るとかの段階じゃないだろ」

 

 そっちから飛び込んできたんだろうが。

 捜索されていることも忘れてぎゃいぎゃい言い合いしていると、衛兵が気づいて近づいてくる気配がした。まずい──

 

「? ハク?」

「ノスリ、こっちだ!」

「んむっ!?」

 

 ノスリの口を抑え、腕を引き、衛兵の目を誤魔化せるように庭園の影に隠れる。

 先ほどまでは押し倒されているような態勢であったが、今度は逆だ。茂みの中に自らの体を隠すよう、埋めるように自分が押し倒しているような形である。

 そして、先程いた場所を見れば、既に衛兵が駆け寄り、自分達のいたところとその周囲を警戒している。

 

「おかしいな……こっちから声がしたんだが」

「まだ周囲にいるかもしれん……探すぞ」

「……」

 

 衛兵が立ち去るのをじっと待つ。

 そういえば、無理矢理連れてきてしまったとノスリを見れば、涙目でこちらを見ていた。

 

「んう……」

「しっ……」

 

 ノスリの口を手で抑え、腕を使えぬように拘束し、暴れられないようにその腰を自分の足で挟むように抑え込む。

 しかし、そこまでしてから自らの行動に違和感を覚えた。

 

 ──あれ、これ、犯罪じゃないか? 

 

 検非違使案件待ったなしの光景である。いや、今も追われているんだけれども。

 胸が零れるかの如く衣服は乱れ、ノスリは怒りなのか恥なのかわからないが、涙目でむうむう言葉にならない声を発してこちらに訴えかける。

 暴れるようなことはないが、拘束されて戸惑っているのだろう。その体は震えている。思わず弁解の言葉を口にした。

 

「い、いや、ノスリ、これはだな……」

「むお……」

「ッ……い、てぇ~……っ!」

 

 がりっと掌を噛まれ、その痛みに声が漏れそうになるのを、唇を噛んで耐える。

 今声を出せば衛兵に見つかって袋叩きである。叙任式欠席以上に、この姿を見られれば別の罪の元裁かれることになるだろう。

 

「た、たのむ、ノスリ……なんでも言うこと聞くから」

「む……」

 

 それで納得してくれたのか、ノスリは暴れようとしていた体の節々から力を抜く。

 しかし、衛兵は未だ傍に──

 

「──ん? 何かいい匂いがするな」

「昼時だ。大宮司様を探すのは食べてからにしよう」

「そうだな」

 

 衛兵が二人食堂の方へ歩いて行く。

 ありがとうエントゥア、皇女さん。飯の匂いに釣られるのは自分だけじゃなかったようだ。

 周囲からヒトの気配が消え、ノスリの拘束を緩める。すると、ノスリはたまった怒りを放つように飛び起きた。

 

「は、ハク! 貴様~っ!!」

「ま、待て、ノスリ! 話せばわかる!」

「わ、私の体を、い、厭らしく、舐め回すように弄ぶなど、い、いい、いい、いい漢の風上にも置けんぞ!」

 

 真っ赤な顔で声は震え、ノスリの手はもう弓を構えて矢先をこちらに向けるに至っている。

 怒りはごもっともだが、勘弁してほしいものだ。

 

「お、皇女さんに見つかったら何されるかわからんだろ!?」

「だからといって、わ、私の体を触って何が楽しいのだ!」

 

 意味のわからないやりとりを交わしながら、周囲に声がもれぬように、静かにしてくれと拝み倒すと、ノスリは徐々に怒りを収めてくれたようだった。

 

「ハク、自ら出頭するのだ。我らが聖上は情に厚い……真摯に謝ればきっと許してくれる!」

「いやいや、皇女さんは自分に対しては遠慮なくなるんだって」

 

 皇女さんの成長は嬉しいが、自分に対しては未だ年の離れた叔父ちゃんみたいな扱いだ。何をしても許されると思っている節がある。

 それに、あの巨大な愛刀持ち歩いてそうだし、あんなもんでばっさりいかれたら兄貴の願いを叶えられなくなる。

 

「はあ、全く……不甲斐ない」

「頼むよ、黙っていてくれるなら、何でも言うこと聞くからさ」

「ん? い、今……何でもと言ったか?」

 

 ぴくりと、ノスリが興味を引いたように肩を震わせる。

 

「ああ、何でもだ」

「む……何でも、そ、そうか……」

 

 ノスリはそう言われ、顎に手を当てて考え込むようにうろうろと周囲をめぐり始める。

 うーとかあーとか、今も口を塞がれているわけでもないのに、意味のない言葉が口から漏れている。暫くして決心したのか、決意の籠った視線が自分の目を射抜いた。

 

「で、であれば……!」

「おう」

「私と、こ……こ、ここ……こづ」

「ここ? こづ?」

「こづ……く──って父上の命令でも言えるかっ! ハク! 私と天下御免の武者修行に行くぞ!」

「む、武者修行?」

「ああ! 武はエヴェンクルガにありと、弓はノスリにありと知らしめてやるのだ!」

「ノスリあり、ねえ……」

 

 もうノスリの名声は、十分ヤマトに轟いているような気もするが。

 決戦で用いた騎馬隊でもその活躍は戦時録に刻まれている。数多の矢を用いて敵の防護を尽く打ち崩したと。

 実際、弓兵部隊よりかなり憧れの視線を受けているようだし、これ以上はいいと思うんだが。

 

「ちなみに、どこに行くんだ?」

「そ、それは決めていない!」

「決めてないのかよ」

「ま、まあ、何処でも構わぬ。お……お前がいるのならな」

 

 照れたようにそういうノスリ。

 そうか。自分がいればどこでもいいというなら、ネコネやクオン、アトゥイと一緒に遺跡巡りのついでで行くか。それであれば、何でも聞く約束としては軽いもんだ。

 

「まあ、いいぞ」

「本当か?」

「ああ」

「よし、約束だぞ!」

 

 ノスリは嬉しそうにそう言うと、大きく跳躍して屋根に飛び乗った。

 

「ハク! 今回は見逃すが、出頭するのが一番罪は軽いのだぞ!」

「ああ、わかってるよ。皇女さんの機嫌が良くなれば自分から行くさ」

 

 ノスリはその回答に満足気に頷いた後、その姿を消した。

 というか、なんで屋根の上で移動するんだよ。ぶつかってきた理由も聞けなかったが、今は再び身を隠すことが優先である。

 広い庭園を横切りながら、再び隠れられる場所を探すのであった。

 

 




今回は、ネコネ、アトゥイ、エントゥア、ノスリでお送りしました。
次は残りの面子の誰かでお送りします。


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第四十四話 約束するもの 弐

 宮廷内に併設される馬小屋。その一角に、自分は今足を運んでいた。

 ここは、彼らを世話する者以外は特に来る必要のない場所である。故に警護の手も薄い。そう思っていたのだが──

 

「お前に見つかっちまったか……」

「ホロ~!!」

 

 足を踏み入れたが最後、ということか。

 ココポもこの施設で世話をされていたのだろう。忙しくて中々会えなかったことも含めココポは拘束具を容易く剥ぎ取り、喜び勇んで自分の腹に乗っかって来てしまった。

 

「ホロ~!」

「わかった、わかった。わかったから、あんまり頭をつつかないでくれ」

 

 仰向けになってココポのじゃれあいを享受する。

 久々に会えてココポも嬉しいのだろう。自分の首元に嘴を突っ込み、髪をはむはむつまんでいる。

 一歩も動ける気がしない。ココポ自身がどいてくれない限り、このままでは毛が無くなってしまう。

 

 そんな危機感を抱き始めた頃であった。

 

「ココポ~? お昼だよ~」

「ホロ~!」

「あれ? また抜け出してる……ダメだよ、ココポ~」

「ホロ~……」

 

 聞き覚えのある声、両手一杯に食糧を抱えるルルティエが目の前に姿を現した。

 籠のせいで足元が見えないのだろう。ココポが抜け出していることもあって、ココポに押しつぶされている自分には気づいて無い様子だった。

 

「ちょっと、待っててね……はい、どうぞ」

「ホロ~!」

 

 ココポは差しだされた籠の中に嘴を突っ込み、遠慮なく平らげ始めた。

 ぽろぽろと食べかすが自分の顔の上に落ちる。ルルティエがそれを咎めるように下を向いた。

 

「もう、ココポ~。溢したらダメって、あれ……」

「よ、よう……ルルティエ」

「は、ハクさま!?」

 

 ココポの体の下から頭と肩だけ飛び出ている自分に気付いたのだろう。土埃と食べかすを纏った表情でルルティエに笑顔を向ける。

 すると、ルルティエが慌てたように飛びのいた。敬語を使わない素のルルティエが見られてちょっと嬉しいのだが、ルルティエ的には恥ずかしかったようだ。

 

「ご、ごめんなさい、ハクさま! こ、ココポ、ハクさまを離してあげて」

「ホロ~?」

 

 ココポは言われていることはわかっているのだろうが、てんで離れようとしない。

 ここが自分の居場所とでも言うように伸し掛かったままである。

 

「ハクさまがいるでしょう? ココポ、ダメっ、ねっ?」

「ホロ~」

 

 そこで漸く残念そうにその身を引いたココポ。

 ルルティエは食事用の籠を側に置き、自分に手を差し伸べた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、なんか懐かしいな」

 

 出会った頃もこんな感じだった。こうしてココポに伸し掛かられ、ルルティエに助けられた。

 ルルティエから差し伸べられた手を取り、土埃と食べかすを払いながら立ち上がったところだった。

 

「ホロ~!」

「きゃっ」

「ルルティエ!」

 

 ココポが自分たちに再び伸し掛かろうとしたので、ルルティエを支えるために抱きかかえた。

 すると──

 

「! ぁ……は、ハクさま」

「すまん、ルルティエ。大丈夫か? おい、ココポ。はしゃぐのもいいが、危ないぞ」

「ホロ~?」

 

 わからないと言ったように首を傾げるココポ。相変わらず賢いのか何も考えていないのかよくわからない鳥だ。

 ルルティエの服を汚さないようルルティエを抱きしめて自分が下敷きとなった結果、自分の体の上にルルティエが乗っているような体勢となる。その上からさらにココポが自分の足元に乗っかっているので、動きようにも動けない。

 

「ご、ごめんなさい!」

「なんでルルティエが謝るんだ? ココポが悪いぞ~」

「ホロ~?」

「恍けているな、こんにゃろうめ……」

「あ、あの……」

 

 未だ抱きしめられ、頬を真っ赤にしてぼそぼそと何事か呟くルルティエ。

 痛かっただろうかとその力を緩めた。

 

「どうした? 怪我でもしたか?」

「い、いえ……」

「ホロ~!」

「! も、もうココポったら」

 

 ルルティエはクオンの姉、アルルゥといったか──に森の母の素養があると言われたからな。

 動物であるココポが何を言っているのか何となくわかるんだろう。

 

「ココポは何て言ってるんだ?」

「え? え、そ、それは……あの」

「?」

「えっと……」

 

 言うか言わないか暫く悩んだあと、殊更に頬を染めて俯いてしまうルルティエ。

 自分の胸に顔を埋めるような形となり、ふわりと柑橘系の香りが鼻腔を擽った。

 

「……ルルティエ?」

 

 何度か聞くも、ルルティエはふるふると首を振り、消え入りそうな声でわかりませんと言うので、まあそんな時もあるだろうと話題を変える。

 

「とりあえず、ココポがどいてくれないとな」

「そ、そうですね……こ、ココポ、ダメ、めっ!」

「ホロ~……」

 

 怒られたココポからは、本当にいいの、と戸惑うように首をくりくり動かしている様子が続く。やがて諦めたのか、その身を再びどけてくれた。

 

「ふう……」

「ほ、ほら、ココポ、ご飯の時間ね」

「ホロ~」

 

 もう押し倒されないよう、ルルティエが籠を差しだす。するとココポが籠を嘴で受け取り地面に置いた後、一心不乱に食事をし始めた。その様子を見ながら、傍に腰掛ける。

 旨そうに食べ続けるココポを見て思う。

 

「そういえば、まだ朝も昼も食べてなかった……」

「え……では、私が御作りしましょうか?」

「いやいや、逃亡中だし、いいさ」

「あ……そういえば、アンジュ様がお探しでしたね」

 

 多少食べなくても大事ない。

 汚れを払いながら、ルルティエと二人並んでココポの様子を見つめる。

 

 和やかな空気の中、ついぽろりと口にした。

 

「そういえば、ルルティエやココポと初めて会った時から……思えば、遠くに来たなあ」

「そうですね……」

 

 クジュウリの外れでウコンと会った後、こんな可愛い存在がいるもんかと驚いたものだ。

 それに、クジュウリでの約束──

 

「ルルティエから無理をするなと言われながらも、随分無茶をしちまった」

「ふふ、でもこうして無事に平和な日々を過ごせるんです。それだけで……」

「そうか」

「はい……」

 

 ルルティエはそう言って薄く微笑む。

 健気だなあ。そういえば、自分が無茶をするたびに罰を与えるっていう話はまだあるんだろうか。

 

「なあ、ルルティエ」

「はい?」

「自分は柄にもなく随分無茶してきたが、罰はどうなったんだ?」

「あ……そ、そういえばそうでしたね」

 

 前は、抱きしめてほしい──という願いだったか。

 愛情表現豊かなオーゼンを父として持っているんだ。ルルティエもそういった体に触れるような愛情表現を求めがちなのかもしれないな。

 

「そ、そうですね……ハクさまは具体的にどれくらい無茶をしたんですか?」

「うーん……とりあえず、代理総大将は自分の中で二度とやりたくない無茶だな」

 

 ライコウを監視している筈が、こっちが監視されているような状況だった。

 自分は一つの機械として死んだ目で押印を繰り返す時間だった。二度とやりたくない。仕事したくない。

 

「ふふっ、ハクさま、とっても忙しそうでしたね」

「ああ、もうこりごりさ」

「なら……一つ、約束していただけませんか?」

「ん?」

 

 ルルティエの瞳は潤んだようにこちらを見つめていた。

 いつもなら、恥ずかしがり屋のルルティエとはあまり視線が合わない。しかし、その目はしっかりと自分を射抜いていて──

 

「い、一緒に、私と色々な国を回りませんか?」

「国を?」

「はい……私は、外の世界を何も知りませんでした。美味しいご飯も、楽しい祭りも、素敵な仲間も、好きな──」

 

 そこでルルティエははっと口を噤んで、言葉を遮った。

 疑問符を浮かべるも、ルルティエは慌てて言葉を続ける。

 

「い、いえ……その、なので、私はもっと知りたいと思いました。この世界の、知らないどこか……」

「一緒に、行けばいいのか?」

「はい……駄目、でしょうか?」

 

 ルルティエの箱入り娘加減はすごいからな。

 オーゼン以下シスやヤシュマが可愛い可愛いと育てた結果である。しかし、ルルティエはこれからも外の世界をもっと見たいという。それは、素晴らしい考えのように思えた。

 可愛い子には旅をさせよ。自分が同道してもいいのか迷うくらいの決意だ。

 

「いや、光栄だよ。自分なんかでいいのかってくらいだ」

「はい……ハクさまでないと……ハクさまが、いいんです」

「っ……そうなのか?」

「はい……ハク様が、私の世界を最初に広げてくれた人ですから……」

 

 自分がいいと、自分が世界を広げてくれたと言うルルティエ。

 自分としては、たまたまルルティエに最初に会って、たまたま同道しただけだ。

 だが、それでも、そう言ってくれるのはとても嬉しかった。

 

「そうか……」

「まだ見ていない世界が沢山ある……ハクさまと一緒に、それを見たいのです」

 

 旅は道連れ、世は情け。遺跡巡りの面子がまた増えたが、まあ皆慣れた間柄だしいいだろう。

 女性率が高すぎるのが迷いどころであるが、まあ自分もルルティエと一緒に過ごせるのは楽しいからな。

 

「ああ……約束だな」

「……はい!」

「ホロ~~~!!!」

 

 いつの間にか食べ終わっていたのだろう。

 ココポが両翼を斜め上に開き歓喜の雄叫びを上げた。丁度キリよく話終わったとはいえ、その声量は──

 

「こ、ココポ? ど、どうしたの?」

「ホロッ! ホロ~ッ! ホロッ!」

「何だこの奇妙な踊りは」

 

 羽を開いたり閉じたり、喜びの舞を踊るココポ。

 ルルティエもあまり見たことのない光景なのだろう。そんなに食べ物が旨かったのだろうか。

 

「──馬小屋が騒がしいぞ」

「誰かいるのか?」

 

 まずい、やはりココポの声量は衛兵の違和感を得るものだったか。

 

「すまん、ルルティエ! また今度!」

「え? あ、はい!」

 

 ルルティエに別れを告げ、見つからないよう裏口より早々に駆けるのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 宮廷内訓練場。

 戦乱以前はミカヅチやオシュトルがよく訓練していたという施設である。あまり広くはないが、武器を置いておく倉庫などがそこかしこにあり、隠れやすいと踏んだのである。

 

 倉庫の一つに身を潜め暫く隠れていると、人の気配がした。

 

「全く、ハク様を探している最中だというのに……」

 

 ぶつぶつ言っているのは誰だろうか。

 聞き覚えのある声だが、何分遠いからか誰かわからない。

 

 やがて自分が隠れていた無人の倉庫に足を踏み入れると、がちゃりと何かを置いた。

 

「はあ……さて、武具の配置は完了しましたわ……っと」

「……」

「? 誰!」

 

 ひゅんと傘刀を向けられる。

 隠れている筈だったが、自分の体重移動で少し音を出してしまったか。

 

「ま、待て、シス。自分だ」

「ハ、ハク様!?」

 

 驚き、その武器を仕舞うシスであったが、その表情には疑問が宿っていた。

 

「なぜこんなところに……」

「ま、まあ隠れられるところが無くてな」

「そ、そういうことですか……」

 

 疑問を解消したとはいえ、シスはそわそわして落ち着かない。目線もこちらに合わないし、どうしたのだろうか。

 

「そ、それじゃ、私はこれで……」

「待ってくれ、秘密にしてくれるのか?」

「え、ええ……大丈夫、ハク様がここにいることは言いません」

 

 そう言って足早に立ち去ろうとするシス。

 周囲に人の気配はない。丁度いい。以前より聞きたかったことをぶつけた。

 

「ちょっと待ってくれ、シス」

「? なにか」

「……お前、自分のことを避けてないか?」

「な、避けるなんて……」

「オーゼンに自分が影だって告げ口したこと、まだ気にしているのか?」

「……」

 

 シスは、気まずそうに視線を足元へと落とした。

 

 図星か。

 気にしなくていいと言ってるんだがなあ。それに、シスが言わねば、オーゼンは自分を信じることは無かっただろう。感謝しているくらいである。

 

「気にしなくていいんだぞ?」

「いえ、私が気にしているのは……」

「……気にしているのは?」

「……」

 

 再び口を噤むシス。

 そこで、そういえば自分がシスに対して謝っていないことを思い出す。

 ルルティエのためとは言え、シスにもあれこれ約束してしまったからな。あれがオシュトルじゃなく自分だったなんて思えば、そりゃ怒るか。

 

「シス」

「?」

「その……すまんかったな……騙していて」

 

 しかし、自分の謝罪に対して、シスは戸惑うように声を震わせた。

 

「……ハク様は、騙していたのですか?」

「ん?」

「たとえ影であっても、私とルルティエを想って言ったのでしょう?」

 

 確かに、その通りである。

 あれはオシュトルの口調を真似ていただけで、言葉としては本心である。

 かつてクジュウリでシスとの一騎打ちの際に言った言葉が頭に過る。

 

 ──この命ある限り、ルルティエを守り通すことを約束いたしましょうぞ。

 

 ──其方も共にあれば、ルルティエだけでなく、ルルティエの護りたいものも護ることができる。

 

 そう言って、ルルティエとシスを仲間に引き入れた。

 シスはその言葉を、未だ信じてくれているのだろうか。

 

「……まあ、そうだな。本心だ」

「なら、いいのですわ」

「だが……」

「どうしても! 私に許しを請いたいのであれば──」

 

 シスはそれまで恐縮していたような態度であったが──きっ、とあの時のように強き瞳を宿し己の前に立ち塞がった。

 

「──剣を取りなさい。ハク様」

「な……」

「あの時の言葉が嘘ではないと、再び私に勝って──証明してくださいまし」

 

 倉庫は狭くも広くもないが、剣を振り回すには少々手狭である。

 あの時と同じように、鉄扇を使うしかないだろう。

 

「どうしてもやるのか?」

「ええ」

「……そうか、まあ、それでシスの気が済むなら……いいぞ」

「では、行きますわよッ!!」

 

 シスの裂帛の気合いと、放たれる神速の突き。

 懐かしい部位だ。そういえば、そこに痕の残る傷をつけられた覚えがある。

 

 腹部に迫る切っ先を鉄扇で易々と弾き、シスの死地へと足を踏み入れる。

 

「ッ!?」

 

 シスが驚いたように身を竦ませるも、遅い。

 オシュトルや数多の猛者と戦い、自分も成長していた。シスも勿論強くなっているのだろうが、もはやその実力差は歴然であった。

 

「……」

「負け……ましたわね」

「ああ」

 

 首筋に鉄扇を当てられ、シスは諦めたように視線を落とした。

 そして、シスは愛おし気に自分の手を取り、微笑む──

 

「──私と共に、ルルティエを護って下さいますか?」

「……ああ、勿論だ」

「なら、私の──私達の愛を捧げますわ」

「あ、愛?」

「ええ、ルルティエを……皆を共に守る……そのための、愛を」

「……そうだな、約束だ」

「ええ、影としてではなく、あなたからその言葉を──約束を聞きたかった。それだけで、満足ですわ」

 

 シスは熱っぽく自分を見つめた後、踵を返して倉庫から出ていく。

 もう気まずさは無くなったのだろうか。頬を抑えてきゃあああと黄色い声を上げていたので、多分大丈夫だと思うが──

 

「──きゃっ、うふふっ、あははっ!! お姉ちゃんはやったわ、ルルティエ!」

 

 もしかして、自分の前では猫を被っていただけなのだろうか。

 遠くからでも聞こえる謎の台詞に末恐ろしいものを感じながら苦笑する。すると、外から聞こえるシス以外のヒトの声。

 

「シス様? 何かありましたか?」

「あ、え!? い、いえ、何でもありませんわよ」

「そうですか。そういえば調練用の武具は選んで頂けましたか?」

「ええ、あちらに……あっ」

 

 シスはそこでしまったと思ったのだろう。衛兵がシスの視線の先にある倉庫──つまり自分の倉庫に近づいてくるだろうことがわかった。

 

 ちらと見れば、倉庫の端に穴がある。

 屈めば通れそうだ。シスがわたわたと言葉を重ねて誤魔化してくれている間に、その場を後にするのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ばったりと、会ってしまった。

 訓練場より逃げる間に、なぜか一人行動していたある人物とすれ違う。

 

「頼む、ムネチカ。見逃してくれ」

「ならぬ」

 

 これまで出会った女性陣の中で一番頭の固い奴に会ってしまった。

 ムネチカは進路を妨害するように立ち塞がっている。このまま捕まれば皇女さんの元に連れていかれ、八つ裂き確定である。

 

「大宮司ともあろうものが、叙任式を欠席するなど言語道断である」

「いやいや、知らなかったんだ! それに、オシュトルにも言ったんだぞ。役職につけるなって!」

「なれば聖上に直接異を唱えるが筋! 何も言わず逃げるなどハク殿でも許されぬ愚行である」

 

 駄目だ、かなり怒っている。

 ムネチカの眉間もいつも以上に寄っていて、その怒りの大きさを示していた。

 

 まあ、皇女さんの教育係だし、そのへんは厳しいに決まっているよな。

 

「ちょっと、用事があって」

「叙任式よりも重いと?」

「ん、ま、まあ……そうね」

「……では、どこに行っていたというのだ」

 

 言えません。

 兄貴のところなんて言えたら、この問題は解決しているのだ。

 

「それは、い、言えん」

「ふむ……では聖上より判決を戴こう」

 

 そんなの、死刑確定じゃないか。

 

 待て待て、と連れていかれる前に冷静な頭が己を支配する。

 ムネチカの対応方法はこうではない。ムネチカはノスリと似ている。高潔な人間であるからして言葉や態度を重んじる。

 

 故に、許しを得るにはこちらも言葉と態度で示すしかない──

 

「──はあッ!」

「!?」

 

 ムネチカの眼前で天高く飛び上がり、膝から地面に接地して土下座を見舞う。

 大いなる父──世の頑張るお父さんの誇る最大級の謝罪体勢である。

 

「何でも言うことを聞く! 見逃してくれッ!」

「は、ハク殿……」

 

 ずきずきと痛む膝と額に顔を歪めながら、深々と頭を地面に擦りつける土下座を維持する。

 

「ハク殿……よもや大宮司ともあろう者がそのような」

「……」

「まずは顔を上げて頂きたい。そこまでするのであれば、何か小生に言えぬ理由があるのだろう」

 

 良かった。

 効いたよ。ありがとう、大いなる父の遺産よ。

 

 ムネチカは未だ蹲る自分を引き起こし、何事か聞くようにこちらに視線を合わせた。

 

「ハク殿がそこまでするとは……何があったのだ?」

「い、今は言えない」

「そうか……小生にも言えぬと?」

「ああ」

「ふむ……」

 

 ムネチカは考え込むように唸っていたが、やがて諦めたように溜息をついた。

 

「ハク殿のことである。またいらぬ騒ぎに巻き込まれたといったところであろうか」

「ああ、そんな感じだ」

 

 そんないつも騒いでいるみたいに言われても困るし、ムネチカ主体の騒ぎに巻き込まれたこともあるが、それを今は言わない。

 とりあえず逃げられそうな雰囲気である。

 

「では、聖上に小生から口聞き致そう。多くの兵を動かした手前、落とし所はつけねばならぬ」

「い、いや、それは……」

「ふむ、それもならぬと」

「そうだな、皇女さんの機嫌がもう少し治ってからがありがたい」

「そうか……」

 

 ムネチカも、今の皇女さんが冷静でないことはわかっているのだろう。

 再び眉間に皺をよせ、良い案を考えているところであった。

 

「ムネチカから、皇女さんの機嫌を取ってくれないか?」

「小生が?」

「ああ、そしたら、自分も出ていくよ」

「ふむ……」

「それとなく、それとなーく、自分にも用事があったのだろうって感じで」

「……心得た。そうまで頼まれれば致し方ない」

 

 ムネチカはそこで漸くほっと表情を緩めた。

 良かった。皇女さんに口聞きしてくれれば、自分が無事のまま戻ることもできるだろう。

 

「して……」

「ん?」

「小生の願いを、何でも叶えると申すか」

「えっ……」

 

 ああ、さっきの土下座に付属した言葉だったな。何でも言うことを聞くと、確かに言った。

 しかし、呆けた自分を見て恥ずかしさが勝ったのだろう。ムネチカは頬を染めて誤魔化すように咳払いし、手を振って否定した。

 

「……い、今のは聞かなかったことにしていただきたい」

「ま、まあ、言うだけ言ってみろよ。自分にできることなら、協力するさ」

「む……」

 

 こちらの願いを聞いてくれる手前、ムネチカの願いを聞くことはある意味等価交換でもある。

 まあ、誤解から始まった騒動なので、損な話でもあるのだが。信じてくれたムネチカのためにも聞かねばならないと思っていた。

 

「うむ……そうだな、実は……」

「ああ」

「小生……帝都の飲食処で、夫婦や恋人限定の席に入ってみたく思うのだ」

「……は、はあ」

 

 とんでもない斜め上の願いが飛んできたな。

 土下座による膝の痛みだけでなく蟀谷にも痛みが増したように思う程である。しかし、ムネチカも恥を忍んで頼んでいるのだろう。俯き気味に少し頬を染めている。とりあえず、話を続けてもらおうと相槌をうった。

 

「いや誤解めされるな。興味があるわけではなく、あくまで知見を広げたいが為のもので」

「はあ……」

「いずれ……いずれ、聖上がそのような年頃になるやもしれぬ。その際に、教育係として何も進言できぬ身では申し訳が立たぬ。故に……」

「わ、わかった。それ以上言うな。協力するさ」

 

 これ以上聞くと、とんでもない爆弾が爆発しそうである。

 普段口数少ない奴がべらべら言葉を重ね始めるのはまずい証拠である。

 ムネチカが通りにある店を眺めて溜息をついていたのは艶本が理由なだけじゃなかったんだな。

 

「おお……感謝する。ハク殿」

「それだけか?」

「む……実は、もう一つあるのだ」

 

 やはりか。

 ムネチカはあまり願い事をしたことがないのか、こういう時は個別に話をすることが多い。

 後からあれもこれもと言われるくらいならば、今全部聞いてしまうほうが自分にとってもいいだろう。

 

「聖上とともに、全国行脚をしたいのだ」

「へえ、ムネチカが……意外だな」

 

 あれだけ皇女さんがふらふらしていると怒って連れ戻していたのにな。

 

「うむ……聖上は、エンナカムイにて市井の者と触れ、その御心を民に向ける方法を学び成された」

「……ま、まあ、そうかな」

 

 トリコリさんは市井代表ではないし、迷惑かけっぱなしだったようにも思うが。

 まあ、ムネチカの話の腰を折るのも良くないと聞く。

 

「しかし、市井の民の心は常に揺れ動くもの。自ら足を運びその眼で確かめることも必要だと、小生は思う」

「……そうだな」

 

 兄貴もこっそりヤマトを巡っていたらしいからな。

 ミカヅチもその頃の帝に会ったから、永遠の忠誠を誓ったとか何とか聞いたことがある。

 皇女さんがそうやって世回りするのもいいかもしれない。

 

「その時には……ハク殿」

「ん?」

「其方も、小生らと共に来て欲しい」

「まあ……時間があればな」

「ふ、大宮司は祭事がある時以外はそこまで多忙ではない。ハク殿であれば、人に任せるのも巧い。そうであろう?」

「確かに、人に任せるのは得意だ」

 

 できそうな奴に教えるだけ教えた後、全部投げ出して逃げればいいからな。簡単だ。

 

「であれば」

「ああ、行くよ。皇女さんから目を離せば何するかわからんしな」

「ふ、それは重畳。楽しい旅になりそうである」

「……」

 

 ムネチカは和やかな笑みを浮かべて言う。しかしムネチカの台詞に、楽しいなんて言葉が出てくるとは珍しい。

 ムネチカも皇女さんや皆との関わりに触れ、堅物から変わってきているのだろう。

 

「約束である。ハク殿」

「ああ」

 

 自分の遺跡周りの面子がいつもの面子になるだけだが、旅には色々理由があっても楽しいもんだ。

 理由の無い旅も勿論好きだが、皆で目的を共有するのも悪くない。自分もムネチカの言う通り、旅路を夢想し楽しみに思えた。

 

 ムネチカが兵を撤収させた後、皇女さんの元へ報告に行くと言うので、それまでどこかに隠れることにする。

 進路を別ち、再び隠れられる場所を探すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ムネチカが皇女さんに口聞きしてくれている間に隠れられる部屋はないかと探していると、見覚えのない空室が目に入る。

 多分客将が入る部屋だろうと当たりをつけてこっそり入れば、そこはフミルィルの部屋であった。

 

「あら? ハク様?」

「す、すまん! フミルィル!」

「いえいえ、何か御用ですか?」

 

 フミルィルは突然現れた自分に大して驚いた様子も無く自分を受け入れた。

 髪を梳いていたところを邪魔したようだが、フミルィルはニコニコといつもの笑みを浮かべている。

 

「すまんな、今皇女さんから逃げていたところで」

「そういえば……アンジュ様、とーっても怒っていましたよ?」

「ああ、知ってる」

 

 全員からそう聞くからな。よっぽどなんだろう。

 

「うふふ、まあハク様、折角いらしてくれたんですから、どうぞお座りになってくださいね」

「ああ、ありがとう」

 

 偶然足を踏み入れただけだが、フミルィルは味方のようだ。

 であれば、警戒するのも馬鹿らしい。皇女さんの機嫌が直るまでは、ここに置いてもらおう。

 

 フミルィルが髪を整え終わった後、自分の傍に寄って腰を下ろした。

 この際である、聞きたかったことを聞くことにする。

 

「そうだ、自分は多分……これからトゥスクルに行くことになるんだが、フミルィルもそろそろ帰るのか?」

「ええ、クーちゃんが戻るなら、私も一緒に行くと思います」

「クオンが戻る?」

「ええ、ハク様がトゥスクルに行くなら、きっと一緒に行くでしょう?」

 

 まあ、その通りだろうな。

 クオンもマスターキーを一緒に探してくれる、人質の件は女皇に口聞きしてくれると言うので、一緒にトゥスクルに行くはずである。

 

 ただ、トゥスクルに行くにも一つ、懸念はある。

 

「ただ、人質として行くかどうかは悩んでいてな」

「人質……ハク様がですか?」

「ああ」

 

 以前女皇が来たときに交わした約束である。フミルィルはその時いなかったから知らないのも無理はない。

 当時の状況やトゥスクル女皇と交わした約束について簡単に解説する。

 

「そうですか、そんな約束を……」

「ああ、だが大宮司に任命された以上、難しいだろうと思ってな。フミルィルはクオンと一緒でトゥスクルの重鎮なんだろう?」

「うーん、そうですね……」

「クオンも嘆願してくれるだろうが、フミルィルからも口聞きして欲しいんだ」

「私から女皇に口聞きを?」

「ああ、人質のままだと何分動きにくい」

「そうですねー、クーちゃんに頼めば何とかなるかも?」

 

 フミルィルは、人差し指を口元に当て、首を傾げてそう言う。

 

「本当か?」

「ええ。クーちゃんから言ってもらうだけで、十分だと思いますよ」

 

 ニコニコと疑いの無い表情のフミルィル。

 クオンとはそれほどの重鎮だったんだな。それは心強い。

 

「良かった、皆と色々約束しちまったからな……人質なんで守れませんってなると困るところだった」

 

 半ば無理矢理交わした面子も多いが。

 折角約束したのにトゥスクルで人質なんで動けません、なんて言ったらそれこそ八つ裂きにされそうだ。

 

「ふふ、大事な人がいっぱいですね?」

「ん……まあ、そうだな」

「でも、人質案を蹴るなら、他に案が必要ですね」

 

 確かに、その通りである。

 一方的に無かったことにはできない。それに代わるだけの案をこちらから示さなければならないだろう。

 

「では、こうしましょう」

「ん?」

「トゥスクルには人質ではなく、親善大使として赴くんです」

「親善大使……」

 

 かつて、トゥスクルからアルルゥやカミュと呼ばれる者達がその名称で来たような覚えがある。

 なるほど、それで永遠の友好を誓おうってわけか。

 

「しかし、それだけで納得するかな」

「はい。なので──ハク様が私の素敵な人って紹介しちゃいます!」

「ん!?」

「うふふ、私とハク様が婚姻を結び、ヤマトとトゥスクルを繋ぐ架け橋になればいいと思いますが、どうでしょうか?」

 

 少し頬を染めて提案するフミルィル。恥ずかしいのだろうが、困っている自分のためにこんな提案をしてくれるとは。

 しかし、その案の有効性はわかる。ネコネとの政略結婚みたいなもんだ。国交維持のため、偽りの婚姻を用いてその繋がりを盤石とする。考えたな。しかし──

 

「じゃあ、早速クーちゃんに提案しないと!」

「いや、ちょっと待て──」

 

 策の有効性は認めるが、クオンにフミルィルと婚姻を結ぶなんて言えば、どんなお仕置きが待っているというのか。

 慌てて止めるため、立ち上がるフミルィルを押しとどめようと体を起こした時だった。

 

「──あら?」

「っ、フミルィル!」

 

 その毎回立ちあがろうとするとお約束のように倒れるのは何故なのか。

 しかし悲しいかな。鍛えられた反射神経によって咄嗟に自分の体は反応し、転んでも痛くないようにフミルィルの体を支え下敷きとなる。

 

「ふ、フミルィル……!」

「あん……」

 

 案の定、そんなつもりは無いのになぜか吸い寄せられるようにフミルィルの胸や尻に手が当たっており、フミルィルが感じ入るように妖艶な喘ぎを晒したその瞬間であった。

 襖の向こうから、能天気な聞き覚えのある声が響いた。

 

「フミルィル? おらんのか?」

「──ッ!?」

「あ、はい。アンジュ様でいらっしゃいますか?」

「おお、入ってもよいかの?」

「ええ、どうぞ、お入り下さい」

「んなっ! フミ──」

 

 がらり──と、フミルィルのどうぞに応えるように襖が音を立てて空け放たれ、大剣を携えた無邪気な笑顔を浮かべる皇女さんが顔を覗かせた。

 

「おお、すまんの──其方であれば双子の術を見破れるのでは……ない、か……と、思って……????」

 

 しかし、その瞳は自分とフミルィルの姿を捉え、頭の上に多数の疑問符を浮かべていた。そして──

 

「……」

 

 皇女さんの視線は、自分の顔、フミルィルの顔、自分の手、フミルィルの揉まれる胸、支えようとした手、その手が掴むフミルィルのお尻、交互に、交互に行き交い続け、その度に表情を憤怒へと彩っていく。

 

「違うんだ、皇女さん」

「……」

「話を聞いてくれ、皇女さん」

「……」

「……皇女、さん?」

「そ、其方は……余が、余がこれほど……!」

「お、皇女さん! 誤解だ! 聞いてくれ!」

「これほど心配して、必死になって探したというに……!! 余を見限ったと、不安に襲われたというに……ッ!!!」

 

 柄を掴む手はカタカタと振動し、大剣の切っ先はぷるぷると震え、皇女さんの表情には悪鬼が宿る。

 

「ハクッ! 大宮司になって一番にすることは、権力を盾に女人と乳繰り合うことかっ!?」

「い、いや、違っ! それは誤解……!」

「問答無用である! ハク、其方には権力を持つ者としての責務を教えてやるのじゃ! 先達よりお灸を据えねばならん!」

 

 皇女さんの大剣は天高く振り上げられ、頭上でぴたりと止まる。

 かつてない命の危機、駆け巡る兄貴の笑顔、皆との約束──

 

「ち、違うんだって……やめ……やめてくれ、皇女さん……その剣は駄目だ、振り下ろしちゃいけないやつだ」

「ハクよ! 覚悟せいッ!!」

「助け、たす──」

「──天、誅ッ!!」

 

 この日。ヤマトの歴史に新たな記録が残る。

 

 ──大宮司ハク。叙任式当日に聖上御自ら実刑に処す。

 

 ヤマトに名だたる後の歴史家は、叙任式直後である筈のこの不可解な出来事についてその原因がわからず頭を悩ませたという──

 




とらぶるもの~ダークネス~如何でしたでしょうか。

ここで、ラブコメ大増量とギャグとシリアス少々の日常回を入れられて満足です。
原作は帝都奪還後の日常回が少ないですからね。その分帝都での平和な日々を書けて良かった。

ただ、完全に独立した回というわけでもなく、物語的な意味で複線を入れたりしているので、重要な回ではあるのですが。
大事な約束ついでに、修羅場なフラグも立ってしまった感じですね。


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第四十五話 修羅場となるもの

 トゥスクル皇女来訪。

 皇女がここ帝都に来訪したのは、以前の叙任式にてクオン殿より私用があるため休暇を貰うとの言伝を頂いてから数日後のことである。

 

 帝都の民は、皇女以下使節団一同を、驚きを以って迎えた。

 

 ヤマトがかつて戦争を仕掛けたトゥスクル。結果は、帝の崩御と敗戦。

 前帝に忠義厚い者達は彼らを不幸の使者として呼ぶ者もいたが、アンジュ皇女殿下が帝都にご帰還された節にはトゥスクルの支援もあったと噂されたことで、影の立役者と感謝する動きもあるという。

 つまりは、帝都の民や宮廷内の者の中でもトゥスクルに対して意見が割れている中であったが、事情を知る聖上以下現将官にとっては、クオン殿を通じて友好の輩であることは事実であるとし、その来訪に喜びを以って迎えた。

 

 帝都の門より、かつてエンナカムイに来訪した時よりも遥かに多数の兵を伴い、多量の祝品を持参し、長蛇の列でアンジュ皇女殿下への祝辞に参ったという。

 

 謁見の間で、幹部一同がトゥスクル皇女の来訪を歓迎し、各々が席につく。

 

 皇女の横にはかつて刃を交えたこともあるベナウィ、そしてクロウが傍に連れ立っている。エンナカムイで来訪した時より変わらぬ面子であるが、相も変わらずその風貌佇まいから歴戦の猛者を感じさせた。

 壁側でライコウと共に並んで立っているミカヅチも、彼らの強さにいち早く気づいているのだろう。ピリピリとした威圧を発し続けている。

 

 さてまずは挨拶を、と聖上の方を向けば、皇女と以前殴り合いの喧嘩をした身であるからだろう、未だぶすっとしている。

 故に聖上に変わり、某が開口を務めた。

 

「遠路遥々御越し頂き、尚且つ皇女直々の来訪とは。我ら聖上以下一同心より歓迎致しまする。トゥスクルの皇女よ」

「うむ、其方らも無事帝都奪還を成し、真めでたい。まずは、祝辞を。そして祝品等々の目録はこちらである」

 

 キウルが皇女より恭しく目録を手に取り、確認作業のため場を後にする。

 

「我らがエンナカムイの地よりチキナロ氏を通じた定期的な支援、また其方の国の重鎮であるクオン殿、フミルィル殿を客将として御貸頂いた恩、感謝してもし切れませぬ……聖上」

「うむ、余からも感謝するのじゃ、トゥスクルの皇女よ」

「よい。我らも目的あってのことである」

 

 目的──やはり、あの時の約束を果たしにきたか。

 

 トゥスクルはこれ以上ヤマトから侵攻の対象として思われることは愉快ではない。

 故に友好の証として、ハクを人質に、という約束である。

 しかし、今やハクは大宮司である。その約束を守れることはない。故に、皇女の非難を貰わぬよう、人質に代わる策を用意した。そのために、半ば無理矢理ではあるが、ネコネに了承を得てもいる。

 

 ちらとネコネを見れば、落ち着きなく髪など弄っている。ふむ、やはりこの提案は恥ずかしいとは思っているのであろう。しかし、これしかないのだ、許してくれ、ネコネ。

 

「目的、エンナカムイに来訪して頂いた際に結んだ約束であろうか」

「うむ」

 

 トゥスクル皇女はやはり、覚えている。そして、その人質として連れていくのは誰なのかを。

 ちらりと、大宮司の席につくハクへとその視線を向けた。

 

「約束の件について話す前に、聞きたいことがある」

「ふむ?」

「そちらの……ハクと言ったな」

「トゥスクルの皇女よ。今のハクは余の御側付き──大宮司であるぞ」

「大宮司?」

 

 聖上は、皇女がハクを呼び捨てにしたことが気にいらないのだろう。ハクがただの客将ではなく、大宮司というヤマト有数の権力者となったことを伝えた。

 聞きなれない言葉を聞いたかのように皇女は首を傾げ、その言葉を反芻する。

 

「大宮司、なるほどね……まあよい。その大宮司ハク殿のことである」

「ハクが、何か?」

 

 トゥスクルの皇女はその指先を、ハクの足元へと向けた。

 

「──なぜ、足首に鎖を巻いている?」

 

 沈黙。

 その理由を話したのは、ハクに鎖を巻いた張本人である。

 

「うむ、本人たっての希望なのじゃ」

「……何故、鎖を巻くことを希望する?」

「うむ、足に重りをつけ鍛えるためと言っておったの」

「……何故、舌を出してぐったりしておるのだ?」

「うむ、仮にも大宮司、仕事疲れじゃの」

「……何故、顔が膨れ上がっておるのだ?」

「うむ……ちょっとやりすぎたとか、そういうことじゃないから安心するのじゃ」

「……」

「……」

 

 再びの沈黙。

 皇女はハクの呼吸を確かめるかのように、再び問い掛けた。

 

「ハク……いや、今は大宮司殿か、起きよ。我に視線を合わせよ」

「……」

「し、死んでる……?」

「いや、死んではいないのじゃ、ハク! 起きよ!」

「……」

「喉を痛めて喋れんだけじゃ、大丈夫じゃ」

「そ……そうか」

 

 そう、ハクは鎖の巫女殿が支えていなければ今にも崩れ落ちそうな恰好で座っている。

 数日前に起こった不幸な事件。聖上の気持ちもわからなくはないが、やりすぎである。

 

 此度のトゥスクル皇女との掛け合いは、ハクに頼ることはもはや叶わぬ。ハクより学んだ手練手管を実践するのは、某にしかできぬ。

 ちらとライコウを見るも、彼は彼で隷従の身であるからして意見を求めぬ限り口を開くことはない。ハクを逃がさぬようにするには、某が何とかするしかないのだ。

 話がまずい方向に行きかけているところを、某の言葉で遮る。

 

「トゥスクルの皇女よ。今のハクは大宮司の役職を聖上より賜っており、これは真動かぬ事実である」

「ふむ、しかし、約束は約束である。まさか反故にするつもりでは無かろうな」

 

 あくまで多数の者がいる場での会話である。故に、人質などと言う物騒な言葉は使えぬ。

 しかし、約束など撤回すると言えば、トゥスクル皇女の激怒は必至。遠慮なく人質を貰い受けると話が進むことになる。そうなれば、ヤマトとトゥスクルの力関係に疑問を持ち、聖上に対する不信感も芽生えてしまう。

 あくまで以前よりの約束という名目を使い、友好的に解決するための策を提案せねばならない。

 

「撤回などはしませぬ。ただ、以前の約束ではあくまで一代限りの一時的な友好関係しか築けませぬ」

「ふむ……」

「我らもトゥスクルとは永遠の友好を誓いたい。また同盟他商業でも交流を持ちたいと思っております」

 

 皇女も一理あると思ったのだろう。

 こちらの代案に聞く耳を持つように相槌をうった。

 

「なるほどな、それで良い案があると?」

「はい。よりトゥスクルとの友好を深め、またその同盟を永遠のものとするものであります」

「ふむ……して、その提案とは?」

 

 ちらとネコネに視線を送る。

 ネコネは小さく頷くと、某の前へと進み出た。皇女は不可解な物を見るかのように肩を震わせた。

 

「? ネコネ……まさか彼の者をトゥスクルへ?」

「否、そうではありませぬ」

「では……」

「我が妹ネコネと、ハク──その間でいずれ生まれる第一子を、トゥスクルにて育てていただきたく存じまする」

「──んな!?」

 

 トゥスクル皇女はこれまで発したことの無いような驚愕の声をあげる。

 大層驚いたのか、思わずといったように半歩下がった。

 

「い、如何された。トゥスクルの皇女」

「そ、そそそそ、そんなの駄目かな──あっ、だ、駄目に決まっているだろう!」

「ふむ……何故であるか」

「そ、そんなの……そちらのネコネ殿は些か年少に過ぎる。我らに子息が誕生するまで待てというのか!」

 

 皇女の言は確かに最もである。

 

 ──しかし、ここで否定されるのは想定内である。

 

 ハクの手口、まずは到底受け入れられない提案をぶつけ、徐々に提案の段階を低くしていき、最後には自らが元々したかった提案に落ち着けるという技である。ほぼ詐欺師の手口ではあるが、ハクを逃がさぬためには仕方がないことである。

 

「では、代案を──」

 

 さあ、では次の提案と口にしようとしたところ、そこに想定外の助け舟を出すかの如く手を挙げたのは、八柱将ムネチカ殿であった。

 

「ふむ、トゥスクルの皇女殿の言は尤も……であれば、小生は適齢期である。小生とハク殿の子息をトゥスクルへ送るのはどうであろうか。我が子が他国での見聞を広めるのも悪くはない」

「──んな!?」

 

 トゥスクル皇女の二度に渡っての驚き。

 しかし、その驚きの連鎖は止まらなかった。

 

「い、いやいや! 待ってほしい! 私も父上からの命がある! 私とハクの子息をだな──」

「ほんなら、ウチも手を挙げるぇ! おにーさんとの子どもをトゥスクルで育てて貰ったらえぇんやろ?」

「あ、あの、私も……」

「ルルティエ! 今ここで大きな声を出さないと負けちゃうわよ!」

「……わ、私は待っていますから」

 

 まさか、であった。

 今回の策を事前に話していたのは、未だぶすっとしている聖上と照れながらも了承してくれたネコネだけである。それが、某の意図を汲んでここまで波紋を広げるとは。いや、逆に彼の者達の欲望なのか。

 一刻も早くこの流れを止めねば取り返しがつかないことになる。

 

「おにーさんはウチと将来一緒に過ごす予定なんよ? ウチがするぇ!」

「いや、それならば私も将来武者修行を共にするとそのような約束を──」

「む、お待ちいただきたい。小生はハク殿と行脚を約束している。関係性で言えば小生の方が深い」

「あ、あの、私も……」

「ルルティエ、もっと大きな声で!」

「お主ら、無礼が過ぎるのじゃ! 見っとも無い言い合いはそれくらいで、少しは静かにせよ! それに、余はそのようなことを許した覚えはない!」

 

 どんな約束をしただの、どれだけ関係性が深いだのの言い合いになる中、聖上より喝が飛び一瞬沈黙が訪れる。その辺りで、皆が皆の言う約束についてあれ? という違和感を得て首を傾げた頃であった。

 

「あの……私からもよろしいでしょうか?」

 

 皆の注目を一手に集めたのは、フミルィル殿であった。

 彼女が何か声を発すれば、何をしていたとしても皆が一様に手を止めて見てしまう。それだけの存在感を放っているのだ、思わずその名を呼んだ。

 

「む、如何された。フミルィル殿」

「っ……フミルィル」

「トゥスクルの皇女様、ご無沙汰しております」

「あ、ああ、久しいな。フミルィル」

 

 客将であるからして、旧知の仲であるのだろう、

 まずは一礼して皇女に歩み出るフミルィル。

 

「実は、私からも提案があります」

「ほ、ほう? して、それは何だ?」

「はい、この度、私とハク様は婚姻を結ぶこととなりました」

「──んな!?」

 

 皇女は誰にでもわかるほど体の節々を震わせ動揺していた。

 

「な、なぜ……フミルィルと……!」

「その婚姻を以ってヤマト、トゥスクルの架け橋としては如何かと。どうでしょうか、皇女様」

 

 皇女も流石に自国の者からそんな案を出されるとは思っていなかったのだろう。その矛先をハクへと向けた。

 

「ちょっと、ハク!? これは一体どういうことかな──あっ、こ、これはどういうことであるかッ!! フミルィルは我が国の客将、それを……!」

「……」

「おい、起きろ!!」

 

 ハクの元まで近寄り、皇女より乾いた音が何度か響き糾弾されているハクであるが、その瞳は一向に動かぬ。

 隣のウルゥル殿とサラァナ殿が非難するように皇女を見た。

 

「見苦しい」

「女の嫉妬は可愛いものに収めておくのが良いと思われますが?」

「んなっ……あ、貴女達はいいの!?」

「イミフ」

「英雄色を好む。主様にこそ相応しいお言葉かと存じます」

「くっ……は、話にならぬ!」

 

 会話は小さく聞こえなかったが、双子と何やら話した後、皇女は憤慨したように再び元の場所へと戻ると、顔を隠していてもわかる殺人的な圧をこちらへ向けた。

 

「オシュトル殿、我は到底納得できぬ。フミルィルと婚姻を結ぼうが、誰と婚姻を結ぼうが、ヤマトとの友好を確たるものにはできぬ。トゥスクルで其方らの子息を育てる義理も無い」

「ふむ……であれば、もう一つ案がありまする」

「ほう? それは何だ、聞かせてみよ」

「はっ、それは──親善大使の交流、移民、区を指定し居住させること」

「む……」

 

 今までの案よりは、余程興味を引いたのだろう。

 皇女は沈黙を保った後、こちらへ疑問点を上げた。

 

「……親善大使は以前よりある。移民と区を指定した居住とは?」

「我がヤマトでは、トゥスクルとの同盟、そして交流を求めておりまする。しかし、海を隔てた交流では些かその内容も薄く成らざるを得ませぬ」

「ふむ……なるほどな。そのための移民ということか」

「その通りでありまする。また、ただの移民ではなく、互いの国に大使区を設け、大使だけでなく、将、民、商人、兵等々を居住させます」

 

 皇女は興味津々である。その頷きで以って、某に続きを促した。

 

「その区では、祭事、商業、食、兵、宗教、ありとあらゆる文化交流を行える場となります。異なる国を理解するための一助としたく……この案、どう思われるか」

「……悪くない。互いの区に設ける規模等々はそちらへの恩もあるのだ、こちらにも噛ませて貰えるかな」

「勿論であります。互いの国の往来、移民調整等々、文化交流に際しての問題点などを解決する者。それが──」

「──親善大使という訳か。よかろう……その一代目は、我が指定しても?」

 

 皇女の視線は、ハクの元へ。

 避けたかったことではあるが、仕方あるまい。

 

「……ハクでありましょうか?」

「ああ」

「ふむ……しかし、ハクは大宮司、余り一度に長く逗留はできませぬが……良いでありましょうか?」

「……まあ、それは良い。こちらの親善大使も指定させてもらえるのであればな」

「無論でありまする」

 

 一時的な派遣でも良いという。

 本来であれば、空白無く長期的に滞在するのがいいことになっている。ハクに代わる副大使も用意しておいた方が良いだろう。徐々にその者を二代目の親善大使にすれば問題は解決である。

 

「ふむ……であれば、良き提案であった。オシュトル殿」

「いえ、皇女の御深慮に感謝致しまする」

 

 結論は出た。

 この策により、トゥスクルとの交流は以前との比では無くなる。

 また、戦争など起こせば真っ先に被害を負うのは移民である。つまり、移民全てが人質のようなもの。友好を示す策としてこれ以上のものは無い。

 

「いやあ、大将……やっぱり奴は、あの方を思い出させますねぇ」

「女難だけを比べるものではありませんよ、クロウ」

「本当にそう思っていやすかい?」

「……トゥスクルにまた一つ警戒すべき相手が現れました」

「俺もそう思いやすぜ。大使としてこっちに来たときは、多少揉んでやりやしょうや」

「……そうですね」

「帰るぞ、ベナウィ、クロウ」

「はっ」

「ウィッス」

 

 トゥスクルの皇女、そして歴戦の戦士二名は踵を返して帰還していく。

 想定していたよりも難なく提案を受け入れてくれたことから、クオン殿からある程度話を通してくれていたのかもしれぬ。

 しかし、ハクが以前より話題としていた移民策を現実的な形にしたものであったが、結局ハク自身が一度トゥスクルに赴かねばならぬことになってしまったか。まあ、二度と帰って来ない人質ではないのだから、それでも良しとしよう。

 

 そう思いハクを見れば、まだ沈黙を保っている。

 聞いていたかどうかはわからないが、大宮司だけでなく大使としての仕事も抱えることになるのだ。恨み言は吐かれるであろう。

 とりあえず、円滑に交渉が済んだことについて、ハクの手練手管を真似させてもらったことも大きい。流石に足首の鎖は外してやってほしいと、聖上に提言することに決めたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 時は少し遡り、謁見の間にて一際場が騒然となり始めた頃であった。

 壁際にて首に隷従の輪を嵌められたミカヅチ、ライコウ二名の漢の背があった。

 

 子どもを産むだの、婚姻するだの、ハクが糾弾されるなど、二人はじっとその騒ぎを見つめていたが、やがてミカヅチが隣のライコウへと声をかけた。

 

「兄者よ」

「何だ、愚弟よ」

「後悔しているか?」

「ああ……こんな奴らに負けたのだと思うと、尚歯痒い」

「ふっ……まあ、兄者もいずれ慣れる」

「慣れるものか。このような珍事、続けば国が滅ぶ」

「問題無い。兄者が支えるのであろう?」

「フン……愚弟が知ったような口を」

 

 ちらと余所を見れば、現右近衛大将や左近衛大将、その他八柱将、ヤクトワルト、オウギなども、目の前の光景を遠方より見守るだけで、にやにやと笑みを浮かべていた。

 ライコウはその様を眉間に皺を寄せて言う。

 

「隷従の首輪さえなければ奴らを全員叩き出しているところだ」

「クックックッ……違いない」

 

 ミカヅチは喉を震わし笑いながらも、その様に驚いていた。

 ちらとライコウの姿を見てミカヅチは思う。表情は変わらないが、ライコウの機嫌はそれほど悪くは無い。知らぬ者が見れば誰もが不機嫌であると言うだろう。しかし、俺にはわかる。兄弟だけにはわかる、身内の変化だ。

 

 兄者と二人並び、ミカヅチは口元に穏やかな笑みを浮かべていたのだった。

 




この回、一回も主人公喋ってないですね。


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第四十六話 不安になるもの

 宮廷、皇女さんの自室にて、自分は眠れぬ夜を過ごしていた。

 

「……すぅすぅ」

「はぁ……ようやく寝たか」

 

 大宮司、それは聖上──皇女さんの御側付としても常に付従い、その職務の補佐をすること。

 

 以前よりも仕事量は大幅に減ったとはいえども、オシュトルだけでは判断しにくいこともある。ライコウがいらん仕事を持ってくるのは変わらない。特に大筒関連とか、技術革新系のものに関しては積極的に持ってくるので忙しいことには変わりない。

 

 その上で、今は皇女さんを朝昼晩子守りまでしているのだ。自室に帰ったのは叙任式以降一度も無い。

 

 なぜ自室に帰る間すら無いかというと、大宮司であるホノカさんが帝である兄貴に常に付従っていたことに起因する。

 そう、言葉通り──常に、である。その職務だけではない、食事、睡眠までも一緒に取っていたのだ。皇女さんは自分にもその慣例に倣って常に付従えというのが、大宮司としての最初の命となってしまった。

 叙任式をすっぽかし、また皇女さんの天誅を受けて未だ傷が治らない身としては、従う他ない。それに何故、その慣例に倣ってまで自分を拘束するのか、その理由を聞いてしまったからには、皇女さんの傍を離れようとは思えなかった。

 その理由とは──

 

「──不安だから、ってなあ」

 

 皇女さんより天誅を賜れた後、意識が目覚めるまで皇女さん自身が甲斐甲斐しく看病したらしい。その後目覚めると、皇女さんらしくもなく自分がいないことに極度の不安を感じたと言う。

 叙任式をすっぽかしたのは兄貴に会っていただけなのだが、その理由も話せない。言い訳もしない自分を見て、皇女さんにとってはもう自分を見限ったというか、自分が風に飛ばされたかの如くふわりと消えてしまうような感覚に陥ったそうである。

 

「今日は悪夢を見ていないのかね……」

「すぅすぅ……」

 

 今日の寝相は良さそうだ。

 最近皇女さんと一緒になって寝ることが多いからか、チィちゃんの夢やかつて研究者として過ごしていた自分をよく思い出す。引きこもりがちではあったが、孤独な時代ではない。頼れる兄貴も、焦がれたホノカさんも、自分について回るチィちゃんも、皆がいた時代。人が人らしく過ごしていた時代を思い出し、夢見はそう悪くは無かった。ただ──

 

 いつもの皇女さんはもう少し苦しそうな表情を浮かべていることが多い。その時は自分が塩となって消えて無くなる悪夢を見ることが多いらしく、内容に呼応して未だしっかりと抱きしめられている背中がばきぼきと悲鳴を上げることが多い。

 

「ん……」

 

 絶対に逃がさぬ、余の傍に居続けるのじゃ──と涙ながらに、そう言われてしまった。

 

「……だからといってなあ」

 

 足元を動かせば、じゃら、と重い感覚──ここまでせんでも。

 自分の言葉を信用することなく、こうした不安や嫉妬を形にされてしまっている。奴隷大宮司なんて不名誉な仇名が広まる前に何とかしてほしいが、聖上に物申せるのは自分以外にはムネチカくらいである。そのムネチカも叙任式をすっぽかしたこと自体を許した訳ではない。罰として暫く自分が職務から逃げないのであれば、と許容してしまっている。

 

 と、憂鬱に溜息などついていれば、皇女さんが一転苦悶の表情を浮かべ続けている。

 

「ハク……それは駄目じゃ……! その力を使っては……」

「……大丈夫さ、ここにいる」

 

 またか。今日は大丈夫かと思えば、そうでもなかったらしい。

 自分の消える悪夢を見て寝言を言っているのだろう。胸元で震える皇女さんを抱きしめ、頭を撫でる。

 すると、少し表情が和らぐ。安心して自分も眠れると目を閉じると、再び魘される皇女さんの声。

 

「むぅ……」

「ア゛ッ……!?」

 

 頭を撫でるくらいでは、満足いかないらしい。

 背に回された手がだんだん力を帯びて来る。兄貴よ、いくら自分の娘のクローンであるとしても力加減の調整を間違えてないか。

 

「こ、ここにいる。ここにいるぞ、皇女さん、アンジュ、アン……んぐォ……!」

「……ハク……叔父ちゃん……!」

「あづづ……チ、チィちゃん。叔父ちゃんはここだ、頼む、力を緩めてくれ」

「……」

 

 痛みに噴き出る汗を拭い、何度も耳元で囁き、頭を撫で、背を撫で、そこでようやく緩む。

 この繰り返しである。いかに不安といえども、ここまで取り乱す様子は今までにない。

 まあ、添い寝したことは以前決戦前の一度くらいであるので、昔からこのような癖はあったのかもしれないが。

 

 それにしたって、皇女さんはもう子どもではない。

 自分としては、皇女さんは姪みたいなもんなので気にしていないが、皇女さんにとって自分は何なのだろうか。兄貴がいない家族愛を向けているのか、それとも自分に危機が迫っている前触れなのか──

 

「んん……」

「おほッ゛……!!」

 

 ぎりぎりと締め付けられ呼吸が苦しい。

 眠れぬ夜はまだまだ続きそうである。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 トゥスクルの女皇が来訪したらしい。

 らしいと言うのは、自分は早朝寝ぼけていた皇女さんによる寝相の悪さと悪夢の二重の攻撃を受けたことで背骨が悲鳴を上げ、その後の記憶が無いのだ。

 

 後々オシュトルに聞けば、どうやら案の一つだった移民政策と大使区の策に興味を示してくれたらしく、良い落とし所に落ちつけられたらしい。

 まあ一悶着あったようで議事録は頑なに見せてくれなかったが、オシュトルが言うのであればそうなんだろう。

 

「しかし、鎖は無いとはいえ、安住の地が厠だけとはね……」

 

 歩くたびにじゃらじゃら鳴って嫌だったのだが、オシュトルが皇女さんへ嘆願してくれたおかげか、鎖は外して貰ったので身軽である。しかし、自由の身になったわけではない。

 相も変わらず御側付であることは変わりなく、一緒でないのは、ここ厠か風呂くらいである。

 まあ実は、皇女さんは風呂に関して一緒に入ろうとしたのだが、流石にそれはとムネチカが止めていた。小生にも経験が無いのですぞと言いながら迫る様子は、こっちも震える程に怖かったな。

 

「さて、どうするか……」

 

 怪我によって腹が緩いと厠に引きこもり、鎖の痕が痒いと長風呂するなど嘘をつき、こうしてできた皇女さんの監視から逃れる僅かな時間。自分の抱える爆弾のためにも、こうして考えたり誰かに会ったりするための時間は自分には必要であった。

 

「しかし、大宮司か……」

 

 自分としては大宮司なんて役職は褒美でも何でもないんだが、それを言えばまた皇女さんを不安にさせてしまうだろう。

 

「それだけじゃなく、親善大使までなあ……」

 

 自分の身分は人質扱いからは解放されたものの、大使区と移民政策による文化交流担当の親善大使をしなければならなくなったらしい。

 移民政策諸々が、戦争の足掛かり的な目的ではないことを証明し、相手を納得させなければならないため、自らトゥスクルに赴きこの政策の意義と具体的な形について向こうさんと話をつけなければならなくなった。

 

「……ま、渡りに船でもあるがな」

 

 トゥスクルの如何なる地に区を設けるか適した場所を探すという名目もある。そちらの件は、マスターキーを探すための口実に使えるため、その間色々見て動き回れそうである。

 

「ほんとは……クオン達とこっそり行きたかったんだがな」

 

 そう、自分としては、人質の件さえ解消すれば、こっそり行こうと考えていたのだ。

 その思惑が皇女さんに天誅を喰らって、背骨を曲げられ治療に費やしたことでズレてしまった。

 クオンと気軽に見て回りたかったが、向こうの女皇さんが熱烈に自分を指定したと言うならそれも難しいだろう。

 

 そして、その日程がずれたことによって、もう一つの懸念点が浮き彫りになった。それは──

 

「「──主様」」

 

 厠の戸の向こうから、ウルゥルとサラァナからの言伝が聞こえてきた。

 ここ、男子用なんだが、関係なく入ってくるのね。まあ、皇女さんに聞かれるわけにはいかんので、いいんだが。

 

「……どうだった?」

「調整不可」

「……一度外さなければ、初期化する術は無いそうです」

「そうか、やっぱりな……」

 

 仮面を外せない者には死刑宣告に等しい。半ば諦めていたとは言え、兄貴の口からそこまで言わせるとはな。

 影に蠢く何者かは、兄貴の対策すらもしていたと見える。

 

「そうか……なら、時間の問題か」

「……危険」

「私達の力を使えば……」

「犠牲は少ない方がいい。だろう?」

「「……御心のままに」」

 

 ──皇女さんよ、すまんな。

 皇女さんはきっと、このことを予見していたんだろう。

 以前より抱えていた懸念、それは現実のものとなる。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 早朝のことであった。

 大宮司ハクが双子の巫女を伴い再び逃げたという伝令が入った。

 

 その時の聖上は見たこともないような取り乱しようであったと、二度と会えぬかの如く悲痛な表情で叫び、伝令を走らせていたと後に語られたという。

 

 それからというもの再び捜索隊が組まれ、仲間の皆が再び帝都周辺へとハク探しに向かう中、某は総大将としての職務に一人追われていた。

 

 そしてマロロとある程度職務を兼任しながらも時間は過ぎ、既に夕刻である。

 

「未だ、ハクは見つからず……か」

 

 聖上の心情慮ればハクを捕え、付き出す必要があるだろう。しかし、ここ最近の拘束されようは異質でもあった。ハクが嫌になって逃げだしたのもわかる。

 

 しかし、ハクが逃走を図る原因を作ったのは某も同じである。無理やり大宮司に任命したこと、トゥスクルへの大使に任じたことなど、責任は大きい。

 故に、ハクは何もしなくても良いよう、大宮司の仕事をある程度振り分けられるよう文官を配置したり、使者として赴いた際には副大使にほぼ全て任せられるよう優秀な人材を育成したりと、ハクへの償いをしようとも考えていた。

 

 逃げさえしなければ、ほぼ休暇旅行であるからして気軽に行って欲しいと頼むつもりであったのだ。

 誰に捕まるかは予想できぬが、聖上より再びの天誅を賜った後はそのことを伝えれば良かろう。

 

「物見からの伝令であります。オシュトル様」

「如何した」

「聖廟頂上にて、ハク様らしき方がいるとのことです」

「ふむ……何故そのようなところに……」

 

 聖廟か──あそこは一般兵が易々と入れる場所ではない。

 帝都宮廷の上座にある巨大な建築物であり、國の祭事の中心となっている場である。普段ヒトの入らぬ無人の場ではあるが、総大将である自分ぐらいしか、気軽には入れぬ。

 ハクのことだ、逃げたフリをして警戒が薄れる時間帯まで隠れようとしたのかもしれぬ。その一時的な隠れ場所として適切であると考えたのだろう。

 

「あいわかった。某が行こう」

「はっ」

 

 先程考えていた、ハクは何もしなくとも良いという言葉を伝えれば、大人しく投降してくれるであろうか。他の者に見つかり、特に聖上に発見され騒ぎが大きくなる前に某で事を収めねばなるまい。

 

 最近とかく多くなった己の周囲をうろつく刺客に備え剣を腰に携えた後、執務室を出た。

 

「……ふむ?」

 

 そういえば、と思う。

 

 ──物見は何故聖廟にいることに気付いたのだろうか。

 

 あのような場所は巡回路ではない。

 その僅かな違和感を抱えながらも長い階段を一段一段と登り、この帝都で最も高い場所へと辿り着く。

 

 聖廟は見晴らし良くこの帝都の全てが見渡せる場所である。

 ざあざあと吹き抜ける風が頬を打ち、西日が目に痛いほどに場を照らしている中、確かにらしき後姿はそこにあった。

 

「また逃げたのか、ハク。聖上が大層お怒りである」

「……」

 

 登った先、ハクは聖廟端の崖から地上を見下ろすかの如く背を向けていた。

 声をかけるも、某の方に顔を向けることは無い。

 

「……ハク? どうしたのだ?」

 

 再び声をかけるも、返事は無い。

 そこで、違和感に気付いた。ハクの背には普段持ち歩かぬ長巻を携え、手元には手甲を身につけている。

 はて、調練の後にここへ赴いたのかと思い首を傾げるも、ハクから普段発せられることの無い覚えのない圧が、某の歩みを止めた。

 

「……ハク?」

「……」

 

 再三その名を呼んだ後、ハクは漸く気づいたのか、背を向けたまま某の名を呼んだ。

 

「その声、オシュトルか」

「……ハク?」

 

 違和感が、圧が、某に警鐘を鳴らしている。仕事が嫌で逃げた筈、何故、このように暗い声で、堂々とした態度であるのか。

 

「……ここに来たのが、お前でよかった」

「……? どういう、ことであるか」

 

 ハクは傾いた陽の方へと顔を僅かに傾ける。

 陽光に照らされたその表情は読めず、またヴライの仮面がその光に応えるかの如く煌き、某の視界を奪った。

 

「オシュトルよ。結局……自分は一度も、お前に勝てなかったな」

「? あ、ああ……」

 

 かつて幾度となく繰り返した調練の話をしているのだろう。

 初期と比べればハクはかなり強くなった。その度合いは高く、某でもヒヤリとすることも多い。しかし、某にも一日の長があり早々には負けられぬと本気を出す故に、未だ打ち合いで負けたことは無い。

 それを、何故今言うのか──

 

「お前は良いよなぁ……自分と違って、ヒトの輪の中で──偽りの仮面を被る必要も無い」

「? 偽り? 何を──」

「──オシュトルよ。お前と違って、自分はどこまでいっても余所者さ……どれだけ功績をあげようが、どれだけ愛を囁かれようが、孤独だ……今なら──の気持ちが痛いほどにわかる」

 

 ハクの心情の吐露なのだろうか。

 孤独──しかし、ハクの言は真違和感のあるものであった。常に周囲に人を寄せ、孤独とは無縁の筈のハクの心中がそれであるのか。それは、某にとって意外な話であった。

 

 誰からも惹かれ、愛され、憧れられるハクの孤独とは──

 

「孤独……何を言っているのだ、ハク。皆其方についてきたのであろう」

「……」

 

 本心からそう言うも、ハクの体は動かぬ。

 疲労からくる弱気であろうか、仕事をしたくないと言いながらも色々な責任を押し付けたのだ。裏切られたと感じたのかもしれぬ。

 

「仕事を与えすぎたことを非難しているのだな……すまぬ。其方の気持ちを考えてはいなかったことを謝罪しよう。実はその償いも兼ねて、其方に休暇を与えるつもりで動いていたのだ」

「……そういうことじゃないんだ、オシュトル。お前にはわからんさ」

「某には、わからぬ?」

 

 お前にはわからぬ──友として接してきた者を突き離すような言葉である。

 このような冷たい言葉を吐く男ではない。しかし友としての勘が、ハクは嘘などついていないと理解する。

 ハクは、本心で、言っているのだ。何故──

 

「誰にも自分の気持ちはわからんさ。もはや、自分にすらも……この仮面から生まれる声に身を任せれば、楽になる気がする程に……」

 

 消え入りそうな声で呟くハクに、尋常でないものを感じる。

 とてつもない焦燥感。ウコンとして、自分の素の声が叫びとなって口から漏れた。

 

「何を、何を不安になっている? アンちゃんは孤独なんかじゃねえ……一人なんてある筈ねえだろう。俺が、友が、皆が、アンちゃんに、アンちゃんだからこそ着いてきたんだろうが!」

「……そうだな、傍から見れば、そう見える」

「だろう? だからアンちゃんよ、色々押し付けちまったのは謝る……そんな悲しいこと言わねえで、また一緒に酒でも飲んで忘れようや……」

「酒か、酒はいいな……だがな、オシュトル、お前のその気持ちは、造られたもんだ」

「つく、られた……?」

 

 誰に、造られたというのか。

 この気持ちが真でないなんて、誰が──

 

「すまんな、オシュトルよ……仮面のせいで昂っているからだな、自分はそんな理不尽なことを言いたいわけじゃない……提案をしたかっただけだ」

「提案……?」

「ああ、自分はトゥスクルに行くだろう?」

「む……そう、であるな」

 

 親善大使として赴くと言う話である。

 某が頼んだこと、なぜそれを言葉にしてわざわざ伝えるのか。

 

「──その前に、決着をつけることにした」

「決着を……つける?」

 

 突如、ハクは長巻を鞘から抜き放ち、陽光に照らされた刃の切っ先を某へと──

 

「──な……ッ!」

「そう、決着だ。オシュトル。お前と……自分のどっちが強いのか」

 

 今日初めて見るハクの顔。そこには──どす黒く揺らぐ憤怒の炎が揺らめいていた。

 

「ああ……オシュトル、お前は恰好良いなァ……皆に、オ前自身が受け入れラレる……お前ガ、羨マシイ……オ前に、勝チタイ──!」

「あ、アンちゃん……?」

「剣を取れ、オシュトル。今、此処で、自分との……いや、我との決着ヲ……ッ!」

 

 ハクより不協和音のような声色が重々しく響く。

 ヴライの仮面から漏れだすかの如く炎が舞い地を這っていく。

 考えられるは、以前よりハクが抱えていたという爆弾である。しかし、あれは仮面の力を使わねば良い筈であった。何者かが、仮面を通じてハクを操っているのか。

 

「さア、オシュトル……殺シ合イだッ!!」

 

 狂気の様を見てその足が後退する。

 

「──ッ!?」

 

 そこで初めて背に熔けるような灼熱に気づき、思わず振り向く。

 

「な……んだ、これは……ッ!!」

 

 退路を見れば、夕闇の光すら塗りつぶす程の、濃い黒炎が聖廟を囲むように覆っていた。

 本当に、闘う気なのだ。殺し合うつもりなのだ。今、ここで──

 

「本当に……闘うつもりなのか?」

「ああ……我と、お前で……何方かが死ニ絶えるマデ……! 尽く灰と化スまで! その命燃ヤシ尽クそうぞッ!! オオオオシュトルゥゥッ!!!」

 

 周囲に風圧を巻き起こす程の咆哮、血煙のような紅黒い炎が辺りに吹き荒ぶ。

 

 向けられる瞳には黒々とした狂気の色、表情には燃え盛るような憤怒の色。

 

 ハクではない。ハクがこのような──

 

「わからない、何故だ、何故なんだ……アンちゃん!」

「──構えろッ! そのような様デは、一撃もモたズシテ死ヌルぞッ! オシュトルゥゥッ!!」

 

 ヴライの仮面から黒炎が漏れ、ハクの剣を、体を、禍々しく覆っていく。

 その発する声は、友に向けるものではない。悪鬼の如く形相に、某も思わず剣を抜いた。

 

 ハクは深々と長巻を背に隠すかの如く構え──

 

「──ハア゛ッッ!!」

 

 ハクの裂帛の気合いと共に、ドォンと巨大な爆発音がハクの足元より響く。

 

「なッ!!?」

 

 地面が破裂したかのように抉れ、その衝撃で宙に浮いたハクは雷光駆けるかの如く恐ろしい速度のまま某に迫り、肩に振り被った切っ先を一片の迷いなく振り下ろした。

 

「──ッ!?」

 

 何とかその一撃を受け止めるも、剣と剣が金属とは思えぬ音を発してかち合い、聖廟の地は抉れ、その炎は某の身を焼き、尚漏れた衝撃は己の筋肉を引き裂き、地を這い、帝都遠方に響いていく。

 

「がッ……ッ!!?」

 

 唖然とするほどの威力に呻きが漏れる。

 衝撃の余韻にがくがくと震える膝はその威力故かそれとも己の動揺か。

 

 仮面の力を解放しなければ発揮しえない力。

 間違いなく、殺す気である。疑いようもない、純粋な殺意の一撃。

 

 本気で、この俺を──

 

「ッやめてくれ! 何故だ──アンちゃんッ!!」

 

 ハクを巡る皆との時間。幸せな一時、それが束の間の平和だったと知る。

 終わった筈の戦乱、決戦は──未だ終わっていなかったのだ。

 

 かつて親友と誓った漢との、理由も知れぬ最後の戦いが始まったのである。

 

 

 




次回、ハクvsオシュトル戦。


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第四十七話 信ずるもの

 終わらぬ剣戟。

 軋む骨、裂ける肉体、毀れる切っ先──

 

「──ッやめてくれ! アンちゃんッ!!」

 

 何度叫ぼうとも、その言葉が届くことはない。

 

 ハクは正しく狂喜が踊っているかの如く、流麗な太刀捌きで己を追いつめる。

 某が教えたのだ。毎日毎日幾度となく打ち合い、高め続けてきた。その磨いた牙が、今某へと向けられているのだ。

 

「どうシた、オシュトル! その程度かッ!」

「ぐぅッ!」

 

 ──強い。

 

 純粋な技の数ではこちらが勝る、しかし、力も間合いも向こうが上。

 

 本気で戦わねば死ぬのは確実である。それだけの強さを誇っているのだ。

 

 しかし──

 

「ハク! 目を覚ませ!」

 

 目の前の者がハクそのものなのか、それとも操られているのか、それがわからぬ。

 故に、某も力を出せぬ。覚悟を決められぬ。

 

「──はあッ!」

 

 問答無用とばかりにハクによる神速の突きの連打、首を僅かに反らしながら躱す。

 それでも躱しきれぬ一つを刃で以って逸らし、即座に接近して相手の武器を奪おうと──

 

「──ふんっ!」

「ぬッ!?」

「その技は今まで何度も見たッ! 舐めてイルのか、オシュトル!!」

 

 がきりと逸らした筈の突きはそのまま某へ圧を駆けるかの如く振り抜かれる。

 躱しきれぬと判断し、思わず大きく飛び退いて後退する。

 

 ──勝っていると思っていた技量ですら、見抜かれ対策され始めている。

 

 ちらと後ろを見るも、退路を塞ぐ炎が消える気配は無い。

 水神である己の力を使い、多量の水をかけたところですぐさま蒸発するであろう。火神とは相性が良くないのだ。

 

「腑抜けたか、オシュトル……まるで打チ合わない。逃げルだけだ……」

「……お前は、俺の知るアンちゃんなのか?」

 

 残念気にやれやれと首を振るハクに問い掛ける。

 言葉が通じるのであればと一瞬希望が湧いたが、その感情はハクの次なる言葉で粉々に打ち砕かれた。

 

「……オシュトル、お前は今、自分が操ラレていると思っているんだろウ? それハ違うぞ」

「な……っ!」

 

 違うと、言うのか。

 友に向けた言葉も、殺意も、本物だと、認めるのか。

 その真実を認められず、叫ぶ。

 

「違う! アンちゃんはそんな奴じゃねえ……俺の相棒で、友で、どこまでも頼りになる……ッ!!」

「……」

「どうして、そんな冷めた面で俺を見るんだ、アンちゃん……暴走しているだけなんだろう? そうなんだろッ!」

 

 苦しい。友と誓った者から向けられる、この視線に耐えられない。

 ハクは以前より仮面が暴走すると警戒してきた。その暴走が、今の状態を引き起こしているのではないのか。

 そう誤魔化すように叫ぶも、ハクの敵意は露ほども減らなかった。

 

「仮面ガ暴走……」

「ああ、以前暴走する可能性があるって、そう言っていたじゃねえか! それが今の状態なんだろう?」

「そうダな。その通りだ」

 

 ハクは邪悪な笑みを浮かべると、己の真実を話した。

 それは──俺の心を少しも軽くはしない、それどころか絶望を助長する事実であった。

 

「仮面が暴走した結果。それは確かニそうだ。だが、これも我ノ──自分の気持ちなんだ」

「アンちゃんの、気持ち……?」

「コノ仮面に仕込まれた機能は……感情を大幅に増幅、乗算スルというもんだ」

「感情を増幅……」

「そう、元々の仮面でサエ、力と感情を増幅させて力を発揮する。この仮面はそレだけじゃアない……かつてのヴライがそうしたように、感情を爆発的に増幅サセ、それを力に変えてイル……!」

「……!」

「気づいたか、オシュトル……細工の正体は、新たナ何かを付与した訳じゃない──元々ある感情ヲ増幅させただけだ」

 

 これまで語った言葉も、態度も、全てハクが日頃より秘めていた内なる悪感情であったということなのか。

 

「冷静な頭がいくら否定しようとも、内に秘められた……自分でも気づかない小さな感情がつい表に出てくることが、これまで幾度となくあった。殺した方がいい時は殺せと、戦った方がいい時は戦えと心はどす黒く叫んでいた……そして皆と楽しく振る舞っていながら、心のどこかで思っていたんだ……愛を囁かれ、受け入れたい気持ちを抑え、そうではないと……造られた気持ちなのだと否定してきた。無意識にな」

「……」

「元から、自分の心の奥底に眠っていたんだよ。自分の狂気モ、孤独感も、お前への羨望も……ソシて、お前に勝ツ、その為なら──互いを殺シ尽くスことすら厭わないと!!」

 

 再び深々と剣を構えるハク。

 その瞳は狂気、そして何事か覚悟に彩られたようであった。

 

「自分が何をしようが、世界に自分が認められることは無い……たとえ認められようとも、自分自身が、それを疑ってしまう」

「……アンちゃん」

 

 そこで、ハクは首をふるふると振り、初めて悲し気な表情を見せた。

 泣きそうな、自らでも感情の奔流に耐えられないといったように見せた、友だけに見せる悲哀の色。

 

「自分を、止めてくれ……オシュトル。もう、こんな、感情に任せた醜い自分を晒したくはない……お前以外に、自分を止められる奴はいない……我を……自分を討て! 討って見せろ! 我が友オシュトル!!」

 

 心は少しも軽くならぬ。

 人であれば必ず持つであろう、心の奥底に秘めた絶望、憤怒、数多の受け入れられぬ感情の吐露。それを、止めねばならないことだけはわかった。

 ハクがたとえ本心であろうとも奥底に沈めていた筈の激情に苦しんでいる、そう感じたのだ。

 

「それが、我が友の願いというのならば……」

「ああ……それでこそ!」

 

 覚悟を決めた。

 俺が生きてきた理由、それはハクを止めてやるためだったのかもしれぬ。ハクが孤独に怯える理由はわからぬ。しかし、孤独に苛まれた友を救う手段は、ある。

 

 友の願いを聞き、それを支えてやることだ。

 剣を上段に構え、その覚悟を示す。

 

「総大将オシュトル……参る!!」

「……いいぞ、お前はやっぱり、そうでないとな……ッ!」

 

 ハクはその笑みを深く歪めると、片足を大きく上げ、叩きつけるように地へと振り下ろした。

 

「はああああッ!!!」

 

 耳を劈く破壊音を響かせ、力任せに地を掘るかの如く地面を削り、その衝撃で聖廟に多数造られる岩の塊。

 聖廟の材質は恐ろしく堅い物質であった筈、それを意図も容易く──その一つを、まるで投擲するかの如く刀で弾き飛ばしてきた。

 

「っ……!!」

 

 人ほどもある大きさの岩を剣では捌けぬと横へ跳躍して躱す。

 

「──はッ!!」

 

 ハクが、遠方より避けた筈の岩へと指を差す。

 すると──爆発音と風圧を伴い、宙にあった岩の塊が炎を纏って弾け飛んだ。

 

「うッ!? ぐあっ──!!」

 

 宙に躱してしまったことで散らばる破片は躱しきれぬ。腕で顔を覆い、その礫を身に受ける。

 そして、この技によって作られた死地に気付き身を凍らせる。

 

「せぇりゃああああッ!!」

「──くっ!?」

 

 気を逸らした瞬間を見逃す男ではない。

 一瞬で俺のいた場所へと刀を振り下ろし、辛うじて避け得るも再び肉薄するようにハクの剣筋が己の体を打つ。

 

 体勢を崩されてしまった。

 その隙を回復させまいと、ハクによる風をも切り裂く嵐のような乱舞が己を襲う。その目の前の対応に難儀していれば──

 

「!? がはっ──」

 

 警戒していなかった後ろ手より再びの爆発──炎弾による罠か。

 熱気と風圧によってさらに体勢を崩され、剣での防御すらままならない。防御を抜かれ、ぶしゅりと浅く裂かれた腿や腕から血が漏れる。

 

 ──強い。ヴライより、ミカヅチより。

 いや、これは、もはや──俺よりも、強い。

 

 左手の鉄扇で炎を操り、右手の長巻で炎を避けた隙を突くように追いつめる。

 まるでショウギの駒を一歩一歩進めるかの如く、刻一刻と王手をかけんと退路を減らしていく。

 

 普段の調練では見ることの無い、持ち得る全ての知技力を結集した姿──ハクの本気が、そこにはあった。

 

「ぐうッ……がっ……!」

 

 これほどの、これだけの力を以って尚、俺との調練では一度も、この力を使わなかった。

 

 何故、何故だ──

 

「──水くせえじゃねえか……アンちゃんよ」

 

 容赦無い追撃によって生まれる痛みに顔を歪めると共に、己の切ない感情を吐露する。

 

 友であるからこそ、そして誰よりも優しい奴だからこそ、こんな力を、ずっと隠し持っていたのだ。そして、俺に気をつかって本気を出すことは無かった。

 そんな隠し事は、他にもあるのだろう。昔からそうだった。

 

 友だからこそ、憎まれ口を叩きながらも、最後には黙ってついてきてくれる。

 友だからこそ、大事なことは何も言わず、黙って何でもこなしちまう。

 友だからこそ、誰にも何も言わず、黙って消えちまう。

 

「アンちゃんの孤独──その本当の意味はわからねえが、成程確かに、爆発しちまうのもわからなかねえ……」

 

 誰かが、アンちゃんの孤独をわかってやらなきゃならなかったんだ。

 誰かが、アンちゃんが無理していることに、気づいてやらなきゃならなかったんだ。

 

「アンちゃんよ、俺を友と言うなら、俺がやらなきゃな……」

 

 アンちゃんに一体どれだけ救われただろうか。アンちゃんが、どれだけ幸せな時間をくれただろうか。

 その恩を、今ここで返せるならば──アンちゃんの孤独を少しでも癒せるならば──今ここで俺が証明してやらなきゃいけねえんだ。

 

 ぎり、と握る柄に力が籠る。感情が、痛いほどに胸を打つ。

 

「アンちゃんよ……お前が誰だろうが関係ねえ……アンちゃんは気のいいただのアンちゃんさ……俺の友で、俺達の家族だ。アンちゃんは孤独じゃねえってことを、俺が証明してやる」

 

 その小さなつぶやきは、果たしてハクに聞こえているだろうか。

 劈く剣戟の音にかき消されているかもしれない。だが、それでもいい。これは、自分の決意なのだから。

 

「アンちゃんが、この世で一番強いと認めてくれた俺が……そのアンちゃんに負けるわけにはいかねえんだッ!」

「ホザケッ! オシュトル!」

「何しろ……この世で一番、俺を認めてくれている親友の言葉なんだッ!! 俺が守らねえで誰が守るってんだッ!!」

「!? ぐっ……」

 

 一方的に嬲られていた俺の思わぬ反撃に、ハクが大きく後退する。

 その瞳は相も変わらず黒い炎に塗り潰されている。しかし──

 

「──アンちゃんの言葉を、自分の誓いを、俺は裏切らねえ……!!」

 

 誓ったんだろう、オシュトル。アンちゃんを、二度と失わねえと。

 全て抱いて見せろ。大いなる意志も、定も関係ねえ。アンちゃんが認めてくれたのならば、俺はアンちゃんを止めるまで戦い続けられる。それを、孤独と悲しむアンちゃんに見せてやる。

 

「覚悟しろよ……アンちゃん……! アンちゃんを倒して、暴走を止めてやる……!」

「オシュトル……!!」

 

 ぴん、と空気が変わった音がする。

 ハクの優位は揺らがない筈であった。それは向こうも感じている。

 しかし、確かに何かが変わった。その違和感に見切りをつけられてしまえば、つけ入る隙は無くなる。

 

「はああああッ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、初めてこちらからハクへと挑む。

 

 何度も何度も打ち合った。

 互いの癖も、釣りの動きも、小手先の技も、全て見せ合ってきた。

 優劣をつけるは、見せたことの無い技をいくつ持っているか。相手を鍛えるための技ではなく、相手に勝つための、殺すための技。

 

「がはっ!!」

 

 ハクが血を吐く。

 警戒していない鞘での一撃がハクの腹部を襲う。

 俺がこんな姑息な手を使うのが意外だったのだろう、ハクの瞳は大きく見開いている。

 

「卑怯とは言うまいな。アンちゃんよ!」

「っ……ああ、勿論だ!!」

 

 互いに見える笑み。

 そして再びの膠着状態。相手を知りすぎているからこそ起こる、延々と続く斬り合い。

 

 どうだ、こんなにわかりあっているんだ。

 アンちゃんが誰であろうと、孤独なんかじゃねえ。

 

「オオオシュトルゥッ!!」

「アンちゃんよおッ!! 悪いが、この勝負、勝たせてもらうぜッ!!」

 

 ハクが誇る最も強い要素──それは、極端な冷静さ。

 その冷静さが、シスとの一騎打ちでも、決戦においても、いかなる時もその勝利を齎してきた。

 だが──

 

「今のアンちゃんは冷静じゃねえ! それなら、俺にだって勝てらあッ!!」

「ぐっ……!?」

 

 爆発する感情に翻弄されるハクなぞ、敵ではない。

 もっとも怖いのは、あくまで冷静なまま行動するハク──元のアンちゃんだ。

 

「消えろッ、ヴライの亡霊よ!!」

「がっ……!!?」

 

 水神の力を使い、口より鋭く射出した水を目潰しに用いる。ハクは一瞬目元を抑え、その一瞬だけ優勢は覆される。

 仮面の力さえ解放させない。この手で、俺が──

 

「──アンちゃんッ!!」

「──オシュトルッ!!」

 

 振り返るように交差した後、互いの剣を構え神速の突きを繰り出す。

 その切っ先が先に届いたのは──

 

「──ありがとう。オシュトル……」

「……」

 

 どさりと、血だまりを作ってハクが倒れていた。

 俺が、やったのだ。しかし、ハクの表情は晴れやかであった。

 ハクの孤独を、少しでも癒せたのならば──

 

「っ……」

 

 力の入らなくなった手元を見れば、赤黒い吐血の色。

 致命傷は避けた、しかしハクの出血が多い。

 

「アンちゃん……生きるも死ぬも……一緒だぜ。絶対に、死なせはしねぇ……」

 

 急ぎ治療へ──と痛む体を引き擦りハクを抱えようとした時だった。

 

「いやはや、感動する戦いでしたが……貴方が勝ちましたか……後継者候補ともあろうものが、情けない」

「!? 貴様は──」

 

 そこにいたのは、かつて影光と仇名された、元八柱将ウォシスの姿があった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 美しい筈の聖廟の地は避け、焼け焦げ、その戦闘がかつてないほどの規模であったことを実感させた。

 

 彼にとって最も信頼する少年兵三人を伴い、その様を見て薄く笑みを浮かべる。

 

「ふむ……殺す気は無かったのですが、彼は死んでしまいましたか」

「仮面は使いませんでしたね」

「そうですね……データを取りたかったところですが、仕方ありません……しかし仮面は有用です。回収しましょう」

 

 天眼通の者より、聖廟の中心部にて刺し違えるように交差した後、ハクが血溜まりを作り倒れたことを確認。その姿を彼の者達の前へ現した。

 

「いやはや、感動する戦いでしたが……貴方が勝ちましたか……後継者候補ともあろうものが、情けない」

「貴様は──!? ウォシス!」

 

 オシュトルは酷く驚いたように、私の名を叫ぶ。

 

 もはや、彼が死んでしまったのならばオシュトルにも既に用は無い。

 私の成したかった復讐の形とは違えども、私が直接手を下したわけでもない。不幸な事故であれば、我が父上も仕方がないと諦めるだろう。

 

「やりなさい」

「くっ……!」

 

 オシュトルが武器もなく瀕死の体でハクの前に進み出た時であった。

 その場にいる筈のない声が響く。

 

「──やはり、貴様が黒幕か、ウォシス」

「ッ! 貴方は……」

「何故、ここに……!」

 

 突如として響いた聞きなれた声──振り返れば、そこにいたのは、ライコウ、そしてミカヅチ、それに鎖の巫女であった。

 

「「「御下がり下さい、ウォシス様!」」」

 

 三人の少年兵が警戒するように前へと進み出る。

 

「お久しぶりですね、ライコウ、そしてミカヅチ……貴方達にも草をつけていた筈ですが?」

「取り巻く環境には警戒していたに決まっているだろう。幻術を用い、今頃居もしぬ部屋を見回っている頃であろうよ」

「そうですか……」

 

 優秀な草の一人であったが、そのような失態を犯すとは。

 まあいい。それよりも、彼をここに寄越すに至った経緯が気になった。

 

「なぜ……鎖の巫女と共に、ここへ?」

「ハクより以前相談を受けていたのだ。隠れる兵を釣りだす策を用いただけのこと」

「な……」

「なるほど……私を釣ったと。しかし大魚を釣るためとはいえ、餌が死んでしまえばそれも意味の無いものでは?」

 

 そう思いオシュトルを見るも、彼もまた驚愕していた。

 演技でできる反応ではない。故に釣られてしまったか。

 

「「主様」」

 

 そして鎖の巫女より簡易的な治癒術が二人へと振りかかり、血の気の失せたその頬に赤みが差したことで、未だ彼が生きていることを実感させた。

 あれほどの傷、そして力の解放。深手であることは疑いないが、と思えば、あれほどあった血溜まりは失せていた。巫女による幻術──揃いも揃って小賢しい。オシュトルも情けをかけるだけの余裕があったということか。

 

「……そう、彼はまだ生きて」

「動くな、ウォシス」

 

 瀕死の彼ら二人にとどめを刺そうとしたと思ったのだろう。ミカヅチがその大剣で以って己を引き止めた。

 害する気はないと、その傍から離れた。

 

 ライコウはいつもの如く武器も持たずに憤然としたまま己を見つめ、投降を呼びかけた。

 

「投降しろ、退路は無いぞ。ウォシス」

「あなたの案ですか、ライコウ?」

「ああ、そうだ。何の怨恨かは知らぬが、共倒れを狙う場面で闇の手の者が動くことは予想できた。まさか本人が見に来るとは思わなかったがな」

「……しかし、あれほどの戦い、演技では無かったでしょう?」

「そう見えたか? 貴様が出てくるほどのもの……確かに本気であったのであろうな」

 

 恍けるように言うライコウ。あり得ぬ策である。

 己を釣りだすためだけに、あれだけの戦いを、演技でもなく、本気で繰り広げたというのか。

 

 最も驚いているのは、オシュトルであった。動揺するようにライコウへ問う。

 

「ライコウ……其方」

「オシュトル、お前には後で説明しよう。全ては奴を釣りだすための策……」

「ほう……私をね……もしかすれば、死んでいたかもしれないというのに?」

「知も武も互角……それに、俺に勝った奴らだ。信ずるに値する。それに、ハクが仮面自体の性能を制御するものを新たに入れたそうだ。故に解放して共倒れもない」

「ふ……ふふふふ、なるほど、私の細工を見抜き、初期化できぬまでも、同じ手法を用いてデータを上書きしたといったところですか……」

 

 私の細工を見抜き、尚且つそんなことができるのは一人しかいない。

 マスターキー無しでは入れぬ場所でこそこそと隠れていた父上──前帝である。

 

 ハクの仮面に施した細工。それは感情を増幅させ、安定を乱すデータを追加で入れたもの。

 亡きヴライが度々力を解放し不安定な感情状態を維持していたデータを参考にした。

 そして、更に本人すら気づかぬ心の奥底に秘められた悪感情を只管に増大させる作用も狙っていた。故に決戦時も彼か、その大事な者を傷つけ殺すことでその憎悪を高めんとしたのだ。

 

 その細工はこれまで適当に組んだものとしては上手く発動したと思っていたのと、ハクは仮面を外せぬことや、初期化できぬよう元データから独自の方式を用いたが、仮面を解析し私も知らぬ別の対策を用いたといったところか。

 あの傷で、満足に動けもしない中よくもまあそこまでできたものだ。

 

 ──そんなに私の邪魔をしたいのですね、父上。

 

「予想では、もう少し後に暴発するかと思っていましたが、その予感が当たっていたようですね。父上からの横槍もあったならば、仕方がありません……父上は相も変わらず彼に夢中のようです」

「父上? 何を言っている」

「貴方にはわかりませんよ……まあ、いいでしょう。私が狙っていたのは彼の手で仲間が死ぬこと……彼が死んでしまうことは私も本意ではありませんでした。生きていたのは幸運と考えましょう」

「フン……歪んだ願いだ」

「己の器に相応しい願いを持っているだけですよ。無様にも負けた貴方と違ってね」

 

 ぴくり、とライコウの眉が動く。

 もっと激昂するかと思えば、ライコウはあくまで冷静に言葉を続けた。

 

「まあいい……牢で全てを吐いてもらうぞ、ウォシス」

「貴方は、相も変わらず偉そうに……死ぬかもしれない策を当然のように行い、駒のように他者を動かす……やはり貴方は殺しておくべきでしたね。しかし、その顔が驚愕に歪むのが楽しみですよ」

 

 聖廟の下より、騒ぎ声が近づいてくる。

 この闘争は遠方にまで響いていた。故に、ハクの仲間が戻ってきたのだろう。頃合いか──

 

 ただ、最後に聞きたかったことを聞いておこうと口を開いた。

 

「そうだ、ライコウ。何故、私だと予想をつけたのですか?」

「シチーリヤが喋ったのでな」

「そうですか、彼が喋りましたか……」

 

 忠に篤いと思っていたが、所詮はその程度だったか。

 

「口を滑らせたな、ウォシス。奴は喋らなかった」

「……」

 

 そうか、鎌をかけたという訳か。なるほど、相も変わらず小賢しい男だ。

 しかし、シチーリヤになどもはや興味も無い。露見したところで今更痛む腹でもないのだ。

 

「まあ、いい……一先ずは、私の予想を覆したことを褒めてあげましょう。ただ、私のやることは変わらない……計画を一つ進めるに過ぎません」

「貴様ァ! 逃げるかッ!?」

 

 背を見せた己に対し、ミカヅチが激昂した様に剣を構え、それに呼応するかの如く三人の少年兵が各々の武器を手に取る。

 ミカヅチの制止に思わず嘲笑を浮かべ、その行為を否定した。

 

「逃げる? ふふ、いいえ……見逃してあげるのですよ。復讐は別の形で行うことにします。私がこの世を支配する様を、何も知らない貴方達に見せてあげようとね」

「この世を……支配する?」

「「ウォシス様……」」

 

 未だハクを守るように立ち塞がるオシュトル。

 そして、警戒するように鎖の巫女は倒れるハクの傍へと寄り添っている。

 

 鎖の巫女、ここ暫くちょくちょく姿を消して草を撒いていたのもこのための布石だったか。その様を憎々し気に見ながら、伝言を頼んだ。

 

「ああ、鎖の巫女よ。彼が目覚めたら、伝えておいてください……トゥスクルで待っていると……早く来なければ、マスターキーは私が頂いていきます、とね」

「何……?」

 

 ライコウは訝しげにその聞きなれぬ単語に眉を潜めていた。

 ライコウではわかるはずもない。私の気持ちも、計画も、孤独も、全て知ることができるのは──

 

「ハク、貴方にもっと深い孤独を与えてあげましょう……私以上の、私よりも遥かに、絶望し、涙する……その姿が楽しみです」

「待てッ!!」

「デコイ風情が、動くな……ッ!」

「む!? ぐっ……」

 

 剣を振り被るミカヅチに対してそう告げれば、ミカヅチは石となるかの如くその場に留まった。

 ミカヅチだけではない、その場に居合わせる者全てがその身を竦ませた。

 

「な、何だ、これは……ッ!!」

「む……う、動かぬ……!」

「興醒めですね……これでわかったでしょう? 見逃してあげるという意味が」

「く、何故だ、動けッ!!! 貴様、何をしたッ!」

 

 ミカヅチが必死に剣を振り下ろそうとしても、その腕はぴくりとも動かない。

 その様を驚愕したように己の腕を見つめている。

 

「ここで貴方達を殺し尽くしても何も面白くはありません。私の孤独も怒りも、癒されることは無い……やはり、私と同じ存在である──ハク、貴方でないとね……さようなら、何も知らぬデコイ達よ。精々一時の満足感に浸っているがいい」

 

 動けぬライコウ、ミカヅチ、オシュトル、鎖の巫女を尻目に、悠々と聖廟を後にする。

 

 言霊による拘束──この力は、大いなる父としての力。

 父上、帝の後継者たる大いなる父である証明。

 

 これが在る故に、獣耳の生えたデコイに負けることなど万に一つも無い。デコイである彼らは、遺伝子に組み込まれている。大いなる父に従えと、愛せと、捧げよと。

 故に、誰からも心から従われることはない。愛されることもない。捧げられることもない。

 

 全ては命令によって、遺伝子によってそう造られているだけ──ハク、貴方ならわかるでしょう。

 貴方と私は同じ。しかし、大いなる父の遺産を継ぐのは貴方ではなく、私である。

 

 ──トゥスクルで、いずれまた会いましょう。

 

 未だ倒れ伏すハクへと目線をやり、その姿を闇へと消すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ウォシスが去った後、某は気力が尽きたのだろう。その後の記憶がない。

 

 次に目覚めたのは、帝都医務室であった。

 

 痛む腹部に顔を顰め乍ら、乾燥した瞳がその風景をおぼろげながら映し出す。

 

「──あ、アンジュ、いくらハクがぐうたらで女たらしでもここまでする必要はないかな!」

「ち、違うのじゃ、クオン! 今回は余ではないのじゃ! それに、オシュトルまでぼこぼこにする必要はないじゃろうが!」

 

 何やら騒ぎ声がする。

 そして痛みがぶり返し、起きようとした体は再び昏倒し、意識が遠くなる。

 

 そして再び微睡みの中、目を覚ますと、そこには先ほどまでの騒ぎは無く、シノノンの顔。

 

「お? オシュがめをさましたぞ!」

「む……シノノンか」

 

 痛む傷を抑え乍ら、身を起こす。

 そこには、シノノンの他には、聖上、ネコネ、クオン殿、ライコウ、ミカヅチ、鎖の巫女様、ヤクトワルト達がいた。

 

「兄さま!」

「おお、目覚めたか、オシュトル!」

「ネコネ……聖上……」

「良かった……一体、聖廟で何があったのじゃ……! ライコウもミカヅチも、ウルゥルもサラァナも、判らぬと……其方らが目覚めるまで待てというのじゃ!」

「あれほどの戦場跡、俺でも見たことがないじゃない」

 

 聖上とヤクトワルトの言に、仮面の力に呑まれたハクと決闘したこと、そしてウォシスが刺客として我らに迫り、ライコウがそれに対応するかのように突然現れたことを思い出す。

 

 冷や汗が噴き出るかのように、焦燥した声をあげた。

 

「! そうだ、アンちゃん──聖上、ハクは、どうなったのでありましょうか?」

「其方と同じく大怪我を負っておった。未だ目覚めぬが……」

 

 ちらと、聖上の視線を追えば、そこには未だ眠り続けるハクの姿。

 良かった、この手で命を奪わずに済んだのだ。

 

「ハクには腹部に浅い刺突傷があったかな。内臓は上手く避けていたし、応急処置があったからもう少ししたら目覚めると思うけど……」

「そうか、良かった……忝い、クオン殿」

「それで、一体何があったのじゃ? 最初にお主らを見つけたライコウ達も刺客を見たがわからぬと言っておった……」

 

 刺客とはウォシスのことであろうか。ライコウを見れば、意味深な視線を受ける。

 

「其方らから、まだ話していないのか?」

「ああ、俺も確定できぬことは話せぬ。まずは擦り合わせねばな」

「……」

 

 その言葉に、自分達だけで話したいという意図を感じ取った。

 ハクが暴走したなど言えば、聖上の心情に影響を与えるであろうことは想像に難くない。

 

「……聖上、ライコウ達と話した後、まとめて報告したく存じます。某も、全貌を掴んでいる訳では無い故……何卒」

「む……わ、わかったのじゃ」

 

 某の嘆願を、聖上は泣きそうな顔をしながらも素直に受け入れ、ネコネ、クオン、シノノン、ヤクトワルトを連れ外へと出ていった。

 

 医務室には、某、ライコウ、ミカヅチ、鎖の巫女、そして未だ眠り続けるハクのみが残った。

 聞きたかったことを、皆に問う。

 

「ライコウ、ミカヅチ、そして鎖の巫女様よ、一体、どういうことなのだ。何故、ハクと戦うこととなった。何故ウォシスは現れた」

「それは俺から話そう。オシュトル」

 

 ライコウは壁に背をつけたまま、滔々と語り始めた。

 

「どこから話すか、そうだな──」

 

 まず、先日のことである。

 

 ハクはある危惧を以ってライコウへと相談していたという。それは──

 

「以前より──黒幕の存在、そして、その黒幕に自分が利用されるのではないかという恐れを、ハクは抱いていた」

「利用される?」

「ああ、仮面の暴走だ」

 

 ハクは、己の仮面への細工に、裏で暗躍する何かが絡んでいると以前より考えていた。

 そして、その仮面が近々暴走することに気付いたという。

 

「そう、以前より戦乱の影において、我らの……特に仮面の者の同士討ちを狙う者。ハクは、黒幕を放置したままトゥスクルに赴けば、自らのいない帝都で誰かに危険が及ぶかもしれぬと考えた」

「む……確かに、そうであるな」

「最近、その手の草が周囲に増えていることは報告していただろう。特に、幹部勢の周囲は多く、またシチーリヤを狙う手の者もいた」

 

 ミカヅチとの一騎打ちの際現れた、闇の先兵達。

 確かに、彼らは強い。ハクが赴くとなれば仲間も多数それに続いて動くことは予想できる。手薄となった帝都を狙う黒幕がいないとも限らない。

 

「そして、それだけではない。ハクはトゥスクル女皇の希望により、大使として彼の国へと行くことが決まっていた身でもある。もしトゥスクルに赴き、そこで仮面の暴走が起これば……」

「……国際問題は必至であるな」

「国際問題で済めば良いがな……確実に新たな戦乱が幕を開ける」

 

 恐ろしいほどの禍根を残すであろう。

 トゥスクルにてあのような力が暴走し、もし相手の重鎮達や民を巻き込んだとあっては──仮面の者を送り死兵として扱ったとして朝廷の威信すら揺らぐ。

 そして始まるのは新たな戦乱──ヤマトだけではない、海を隔て尚終わりのない怨嗟への道。

 

 その光景を夢想し、背筋が冷えた。

 

「もしそれを狙われているのであれば、我らの傍で蠢く者の危険性は高い……故に何らかの策を用いて、黒幕を何としてでも炙り出さねばならなかった。ここまではわかるな?」

「ああ」

「俺であれば、感情や危険性を別にして効率的な策を取ることができると言われ……一つの策を出した」

「……それが此度の暴走だと?」

「そうだ。ハクが仮面の力を暴走させ、そしてそれをオシュトルが討つ……以前より我らの同士討ちを狙っていた者達である。現ヤマト総大将と大宮司の戦程、魅力的な餌はあるまい」

「む……」

 

 しかし、ウォシスが言っていた通り、どちらも死んでいた可能性は高い。総大将と大宮司の死など帝都が再び混乱を齎す。

 それどころか、ハクの戦闘力は某の想像を遥かに超えていた。某が敗北し、そのままハクの炎が帝都全てを覆い尽くしていたかもしれぬのだ。

 

「しかし、危険すぎる策である……上手く同士討ちなどできる可能性は低かった。どちらかのみ死ぬる可能性もあっただろう」

 

 同士討ちを狙うには危険すぎる、事前に相談はあって然るべきものだ。

 その疑問に答えたのは、ライコウであった。

 

「それは無い筈であった」

「? 何故だ」

「ハクは仮面の力を制御していたからだ。あれは──演技だ」

「な……ッ! 待て、ハクは……演技であったと?」

 

 あの戦いがハクの演技であったというのか。

 それはあり得ぬ。今までに見せたことのない確かな殺意と、悲哀を持っていたのだ。

 

「ああ、演技……のつもりであった。しかし、ここからは俺もあまり原理はわからぬ。鎖の巫女が詳しく話してくれよう」

「仮面の暴走」

「その原理についてお話します」

 

 鎖の巫女はぽつぽつと語り始める。

 

 仮面の細工は、ハクが戦っている最中も言っていた通り、感情を暴走させる機能であったそうだ。

 そして、ハクが失踪した時のことである。

 

 仮面について詳しい者によって、仮面の機構に新たな機能を追加したという。

 

「仮面の細工は、発動すればするほど強化されます。以前細工された暴走機能は、主様が力を求める度にその感情を乱し、抑えられない規模となっていました」

「初期化できない」

「仮面を外さなければ元に戻すことは不可能──であれば、力を求めれば求める程、逆に力や感情を抑制する機能を新たに組み込みました」

「それは如何様によって……」

「これ」

「照射することで、仮面に新たな機能を有すことができます」

 

 皇女様が取り出したるは、見慣れぬ小さな装置。

 細かな部品が集うそれは、まるで前帝が用いる底知れぬ技術の一端であるように見えた。

 

「こっそり」

「主様がそこへ赴けば、事が露見する恐れもありました」

 

 なるほど、草を警戒し、こうした小型な物を用いて仮面を制御したのか。

 しかし、このような物を用意できる人物など限られる。まさか──

 

「──そのようなことが、可能な人物がいると?」

「いる」

「誰かはお話できませんが、私達は知っています」

 

 これ以上聞いても、話をできないというのであれば、彼女たちからその名を言うことはないだろう。

 であれば、他に聞くことがある。

 

 仮面を制御しうる手段を手に入れたハクは、安心してこの策を用いたのだろう。

 しかし──

 

「ハクは、自らを孤独と嘆いていた……あれも演技であったと?」

「それは想定外」

「試用では上手くいった筈でしたが……主様はわざと仮面の力を解放しようと精神を長く昂らせた結果、予想よりも暴走する作用が強過ぎたため、余りこの機能が上手く作用していませんでした」

「心の奥底の影が噴き出た」

「故に、主様の普段と違う言動があったのは、冷静な思考と暴走を交互に繰り返していたからだと思われます」

「何故、それがわかるのだ」

「思念でやりとり」

「私達は、黒幕が釣れたことを思念で報告する役目を担っていました。また、万が一の事故が起こらぬよう、暴走に囚われぬよう、常に思念を送り続け、オシュトル様へ剣が届きそうになる度に暴走を抑え、抑制の呪いをかけたのです」

 

 なるほど、いざ某と戦ってみれば、仮面の抑制効果は想定していたよりも不十分であったということ。

 しかし、ハクは某を殺してしまわぬよう鎖の巫女を頼り、暴走と冷静な思考を繰り返しながら、尚且つ某と戦っていたのか。

 

 そういえばと思う。

 暴走したように狂気に取りつかれたと思えば、時折自分を討つよう諭す様な声をかけ、更には追撃の手を緩めて問答までしていた。

 それだけではない、最後の瞬間に明確な隙を作ったのも、ハクの冷静な思考がそうさせたといったところか。

 

 その底知れなさに、ぞくりとしたものが背筋を過り、しかし納得した。

 俺とだけではなく、自らの荒ぶる心とも戦い続けていた。巫女様によって力の行使を邪魔されながらも、刺客に疑われぬために尚あれだけの力を発揮していたのだ。

 

「……しかし、仮面を制御し得る手段を用いていたのであれば、このような危険な策を取る必要も無かったのでは?」

 

 そう、仮面の力を制御できるのであれば、先ほどのトゥスクルで暴走如何の話は何だったのか。その疑問を呈する。

 ライコウは、その疑問を即座に否定した。

 

「それは違う」

「? どういうことだ」

「ウォシス……奴はこの戦乱が治る遥か以前より……俺がハクを囚えていた頃よりこの布石を打っていた者だぞ? もし、仮面の暴走が無いと知られれば……どうなっていたと思う?」

「……他の者へと咎が及ぶ、か」

 

 ハクは、自分以外へ咎が及ぶことを最も嫌う。

 

 自分へ施した細工には必ず理由があると見て、黒幕を引き擦り出し、その正体と目的を知る好機、今を逃せばまた闇へと逃がしてしまう。

 そうなれば、終わりなき警戒と仲間への咎が繰り返されてしまうと考えたのだ。

 

 後願の憂いを断つには、仮面を制御し得る手段を得た今しかなかったということか。

 

「そうだ。ハクが俺に出した条件。それは、最も犠牲が少なく、己が暴走したとしても止め切れるように保険をかけておくこと。故に、仲間の全てで抑え込む策は使えぬ……仮面の力は凄まじい、余波で誰に被害が及ぶかわからぬ。ハクはそれを最も懸念していた」

「ふむ……」

「そして、予想に反し……今回のように暴走が勝ち、己の奥底に秘められた悪感情を仲間へと無遠慮に吐いてしまうことも、奴は恐れていた」

 

 孤独、殺意、悲哀、ハクに似つかわしくない感情を間近で見せられ、確かに己は動揺した。

 他の者に見られたくない気持ちも、わからないでもない。しかし──

 

「ライコウよ、それで何故某を選んだのだ? 某であれば、ハクを止められると判断したのか?」

「ああ……お前だけだ」

「む……?」

 

 ライコウは、まるで羨望するかの如き瞳で己を見つめた。

 

「お前だけは、全力でぶつかっても自分に勝てると。もし抑制が上手くいかずに仮面の暴走によって感情が乱れても……己すら知らぬ悪感情を曝け出すこととなり、どんなに口汚く罵ろうとも……諦めず自分を止めてくれると、奴はそう信じていた」

「……」

「他の誰にもできぬ……お前ならば、これまで幾度となく繰り返された調練でハクの全てを知るお前ならば、誰にも被害を及ぼさぬまま、止めてくれると……そう信じていた」

 

 ライコウは目蓋を閉じ、ハクがそう奴に告げたその時を思いだしているかのようだった。

 ミカヅチは僅かに笑みを浮かべ、腕を組んで続きを話した。

 

「兄者が出した本来の策であれば、俺が相手をする筈だった……総大将であるお前と違い隷従の身であり、武もある」

「む……」

「だが、ハクの全てに対応できる訳ではないこと。我らの争いでは黒幕が出てくるか怪しいこと。故に俺は鎖の巫女によって姿を隠し、現れる黒幕に対応することとなった……怪しげな術を用いられ、不甲斐なく逃がしてしまったがな」

「そういうことか……」

「そして、餌として使えぬ俺に代わる者がいると、ハクは兄者に提言した。その者こそ──」

「──某、か……アンちゃんが、俺を選んだ……」

 

 その事実に、胸の内が震える。

 握る拳は、痛いほどに力が籠る。未だ眠る、ハクの顔を見て思う。

 

 俺を──信じてくれていたのだ。

 心の底から、命を賭けても良いと。そして、俺の命すら勝手に賭けても、俺ならば許してくれると。

 

 仮面によって、ハクの本心を曝け出し、尚力が暴走しても、友である俺であれば受け入れ止めてくれると──そう、信じてくれていた。

 

 そのことを嬉しく思う一方で、それ故に未だ納得できないことはある。

 

「……だが、事前に相談はあって然るべきであろう。もし某がハクを討っていれば……かつてない後悔に見舞われた筈だ」

「ふむ……そうだな。だが、時間が無かったのと、互いに遠慮していれば演技が露見した可能性もある。それに事前に相談していれば草に気付かれる恐れもあった。総大将である貴様には特に多くの草が張り付いていただろう?」

「む……そう、ではあるが、しかし……」

「聖上の傍付としてハクが拘束されていたこともあり、普段のお前達の接触が少なかったことが、疑念無くウォシスを引き出す一因ともなったのだ」

 

 聖上に天誅を賜ったことも無駄ではなかったということか。

 

「まさか、某に伝令を齎した者も?」

「あれこそ、大魚が餌に食い付いた瞬間を知らせる者よ」

「そうか……」

 

 闇を釣るため立てられた計画。ライコウの言うことは仕方がないことなのであろうが、しかし納得できない。

 もしかすれば、ハクをこの手で殺していたかもしれないのだから。

 

「しかし、オシュトル。お前の言う通り……奴は恐ろしい漢だ」

「?」

「考えてもみろ、俺も元は敵将。それに総大将と大宮司を争わせ黒幕を引き擦り出す案など、再び政権の転覆を狙っているとしか思えぬ策だ」

「……」

 

 確かに、その通りである。

 共倒れを狙っているのがライコウであれば、ヤマトの覇権は再び揺れることとなる。

 

「しかし、奴は俺を信じた……あり得ぬ事だ……それどころか、奴はこう言った」

「何と……言ったのだ?」

「今回の戦いで力を抑えた自分によってオシュトルが死ぬことはない。しかし、自分が死ぬ可能性はある……もし運悪く死ねば、この策を皆に伝えることなくただ仮面が暴走したことにして、全て闇の中へと葬り去れと。そして、皆と共にオシュトルや聖上、マロロを代わりに支えてくれとまで言われた」

「……」

「そのような愚か者、裏切る気にもなれぬ」

「くく……」

 

 ライコウの憤然とした言葉に、ミカヅチが苦笑する。

 

「そうまで言われれば、俺も兄者も全力で協力する他あるまい」

「そうだな、相も変わらず恐ろしい漢よ……」

 

 ハクの自己評価の低さと、自己犠牲が、また形となって出てきてしまったということか。

 

 しかし、ハクは一方で信じてくれてもいたのだろう。俺であれば、ハクを殺そうとなどは考えないと。いつも理論的なハクが、この策を支持した最も大きな理由が──

 

「──俺を、信じた」

 

 理論とはかけ離れた、仲間への信頼を軸に、危険度は高くとも全てを纏めて解決する策を実行したのだ。

 ライコウの言う通り、底知れない。そんなアンちゃんだからこそ、皆はついてきた。

 文句等言いたいことは色々とあるが、もし起きれば、開口一番に言ってやる──アンちゃんは、孤独などでは無いと。

 

 最後に、黒幕であるウォシスが逃げたことについて話を聞くことにする。

 

「それで、ウォシスは逃げた後どうなったのだ? その後の記憶が無いのだ」

「お前も聞いていただろう……ウォシス、奴は聞きなれぬ物を探し求めていた。マスタキー……とやらを求め、トゥスクルで待つと」

「そうだ、マスタ……キー」

 

 そうだ、そのような聞きなれぬ言葉を発していた。

 マスタキー、発音のしにくい言葉である。

 しかし、黒幕がわざわざそれを狙っていると伝えたのだ。それを与えてしまえば、何かしら良くないことが起こることは予測できる。

 

「しかし、それの意味もわからぬ。鎖の巫女の話ではあと少し調整すれば仮面が暴走する心配は無い。故に、ハクが目覚めた後、トゥスクルの件については相談するのが良いだろう」

「ああ、そうであるな……」

 

 全ては、ハクが目覚めた後──血の気の少し失せたまま眠るハクの表情を見て思う。

 

 孤独だと、そう嘆いていた。

 あれは、きっと抑制作用を越えて暴走したが故の、奥底に秘められていたもの──ずっと仲間に隠していた本心だったのだろう。

 

 しかし、アンちゃんは、それでも俺を、皆を信じてくれていた。

 それは、孤独とは無縁の感情である。そのような想いも、持ってくれていたのだ。

 

 ──最近お互い忙しかったからな。また、気軽に酒でも飲もうや、アンちゃんよ。

 

 眠るハクに心の中で告げ、後は部屋の前で今か今かと待っている聖上にどう報告するか頭を悩ませたのだった。

 

 




原作で、ハクトルはウォシスに対して「お前は皆と出会わなかった某」だと言っていましたね。
一見似ていないように見えるハクとウォシスですが、大いなる父としてその心根というか、孤独感とかは一緒だったんだろうなあと思います。

また、この話はハッピーエンド等々後のフラグのために、仮面の暴走と黒幕の正体には決着をつけておきたかったが故の話でもあります。ハラハラした方がいたらすいません。

次回は、ハク視点での話、オシュトルの小言、兄貴にウォシスの真実を話してもらうの3本です。


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第四十八話 愛するもの

 兄貴は何かを隠している。

 何を隠しているかはわからないが、自分にも言えない何かがある。

 

 何故そんなことに思い至ったかと言えば、皇女さんの天誅による怪我で動けず何もしない時間があったからかもしれない。

 

 そして、動けるようになってからの話であるが、ウルゥルとサラァナより、兄貴が仮面の初期化は難しいこと、しかし対策はできるとの言伝を貰った。

 話によれば、元となるデータは何も弄らず、膨大な情報量の中に僅かに狂わせる細工を含ませたに過ぎないので、見つけるのと対策を講じるのには時間がかかったようだ。

 

 初めは初期化できないことに絶望していたが、皇女さんがぶん殴ってくれたおかげで、トゥスクル行きが伸び、そのおかげで兄貴の解析と対策が間に合った。

 怪我の功名といったところか。

 

「本当は、初期化が一番安全策なんだがな……」

 

 仮面を外せないために、初期化は無理。となれば、自らの死は常に付き纏う。

 

 ライコウと繰り返し相談した策を実行するには、どうしても安全性だけが最後まで解決しなかった。

 抑制作用を付与する装置は、試用では上手くいっている。しかし、実際に戦えばどうなるか、未知数なのだ。

 演技が露見しないためにオシュトルに事前に相談仕切れないことも引っかかる。

 

 兄貴からあくまでも簡易的な対策であり、過信は禁物との言伝も貰っている。

 

 しかし──

 

 兄貴を襲ったかもしれない奴を、自分がトゥスクルに行っている間に野放しにしても良いものか。

 仮面の知識にも深く、帝である兄貴に近づき不意を打てる人物など限られる。

 

 しかし、兄貴がその名を言うことは無い。

 だからこそ──

 

「──犠牲は少ない方がいい」

 

 時間差で爆発する爆弾を抱えながら、帝都を空けること。トゥスクルに赴くことは恐ろしいことである。

 やはり、仮面を制御できる手段を得た今こそ、黒幕を炙り出すしかない。猶予は無いのだ。

 

 大筒や軍編関連等で定期的に来訪するライコウと、最後の打ち合わせを行う。

 

「……いいのだな?」

「ああ、オシュトルと、お前の策を信じる」

「……一度駒を動かせば、もはや止められぬ。わかっているな?」

「勿論だ。聖廟で……待つ」

 

 聖廟で仮面の力を解放し、オシュトルと一騎打ちする。そして、黒幕を炙り出す。

 ライコウは少し考える素振りをすると、その言葉を口にした。

 

「……なぜ、そう信じることができる?」

「ん?」

「どう駒が動くかもわからぬ……策が成就するかもわからぬ……それに己の命を賭けられる理由は何だ」

「……そうだな」

 

 難しいことを聞くものだ。

 友を信じるのに、理論的なことを持ちだして話をする必要があるのだろうか。

 しかし、ライコウは心底わからぬといったように聞いている。自分なりの答えくらいは言う必要があるだろう。

 

「……オシュトルやお前だからだな」

「何?」

「オシュトルなら、何とかしてくれるだろう。お前の策なら、何とかなるだろう。そんな気がするからだ」

「……答えになっていない気がするが」

「はは、そうだな……だが、最後に賭けるのは、そういう……言葉にできない何かじゃないのかね」

 

 ライコウは今まで考えたこともないように目を瞑って己の言葉を反芻しているようだった。

 そして再び目を開き、薄く笑った。

 

「俺は……不確定な要素も、勘も信じぬ……が、故に負けたとも言える……神頼みを信じる気は無いが、お前達なら信じてみてもいい」

「そりゃ、光栄だな」

「ああ、お前が死んでも、必ず後を継いでやろう」

「……縁起悪いこと言うなよ」

「縁起など俺は信じぬ」

「はは、そいつは頼りになる信条だ」

 

 そして、次の日の早朝。自分は再び皇女さんの元を失踪する。

 

 普段誰も入ることの無い聖廟より、眼下の帝都を眺めながら己の心の奥底を見つめる。

 

 自分に秘められた、自分でも気づき得なかった、寂しさ──

 兄貴、ホノカさん、チィちゃん、起きれば、世界は変わっていた。人は代わり、文化は代わり、自分だけが、まるでぽつんと世界に置き去りにされたかのように。

 

 しかし、と。

 夕闇の光に目を細め、想う──

 

 クオンが、手を引っ張って新しい世界を見せてくれた。

 オシュトルが、自分を友と認めてくれた。

 ネコネが、自分の脛を照れながら蹴ってきた。

 ウルゥルとサラァナが、自分を主と慕ってくれた。

 キウルが、自分を新たな兄貴として認めてくれた。

 ルルティエが、自分へ癒しをくれた。

 シスが、自分に愛を約束してくれた。

 マロロが、自分を友として頼ってくれた。

 アトゥイが、自分の飲み仲間となってくれた。

 ノスリが、自分の元気と活力をくれた。

 オウギが、自分の悪友となってくれた。

 ヤクトワルトが、自分に恩義を感じて従ってくれた。

 シノノンが、自分と気軽に遊び、慕ってくれた。

 ムネチカが、自分の前では天然ぶりを如何無く発揮した。

 フミルィルが、自分への天誅を増やす一因となった。

 エントゥアが、自分をいつまでも待つと言ってくれた。

 トリコリさんが、自分を家族であると認めてくれた。

 皇女さんが、自分を叔父ちゃんと慕ってくれた。

 

 それは、ほんの一瞬過った想いの筈だった。

 

 皆と、共に生きたい。皆と同じ──

 

「──天眼通の術、隠形にて起動。主様を見ています」

 

 大魚がかかったことを報せる伝令とほぼ同時に、背後よりオシュトルの声がする。

 

 自分の記憶は、そこで途切れた。

 仮面の力を解放しようと思わず精神を高め過ぎてしまった、己の暗部と願いを直接見過ぎてしまった。

 

 繰り返される暴走と冷静な思考。

 風景にもやがかかったかのように、いつの間にかオシュトルへ罵詈雑言を並べ、オシュトルに技を繰り出し、動揺したオシュトルの傷は増えていく。

 何とか止めようと、自分の唇を噛んで痛みを与え、己の激情を抑える。

 

「「主様!」」

 

 頭に直接響くウルゥルとサラァナの声がなければ、とっくに精神を壊していただろう。

 やはり、仮面は未知数。兄貴の施した抑制効果を超えて暴走してしまっている。

 

 オシュトルならば、自分に勝てる。

 ウルゥルとサラァナならば、自分の精神を保たせてくれる。

 ライコウとミカヅチならば、黒幕を引き擦りだしてくれる。

 

 自分にできるのは、もはや信頼だけである。

 

 そして、何度もオシュトルと剣を交え、血を吐き、炎を散らす中で、ある感覚が己の暴走を止めた。

 

 ──痛。

 

 刺し違うように、オシュトルの剣が腹を貫いている。

 それを見て、思わず綻ぶ口元。

 

「──ありがとう、オシュトル」

 

 オシュトルの肩を抱き、耳元で囁く。

 地から見上げるは眩しいほどの西日に照らされた悲し気なオシュトルの顔、そして視界の奥に見える闇に蠢く黒幕の姿。

 

 やっぱり、お前は、自分が信じた通りの漢だった。

 後は、自分が寝ていても勝手にやってくれるだろう。頼んだぜ──ライコウ、ミカヅチ。

 

 そこで、意識が無くなり──見慣れぬ医務室で目を覚ました。

 

「ここは……」

「「主様」」

「起きたか、アンちゃんよ」

 

 そこにいたのは、傍に座って自分を見つめるウルゥルサラァナと、同じように寝台に横になったオシュトルであった。

 

「オシュト……いてて」

「傷が開く」

「主様、まだ横になっていてください」

 

 傍に控えていたウルゥルとサラァナが、起き上がろうとした自分を再び横に寝かした。

 抵抗せずにそのまま横になり、そこで漸く実感したかのように深い息をついた。

 

「……生きてたか」

 

 策は何とか成就したようだ。

 確かめるように双子を見れば、目線を合わせて頷いてくれた。

 

「黒幕は、ウォシスだったか」

「はい」

「逃がしてしまいましたが……」

「それは、いいさ。後は兄──ま、まあ確認するだけだ」

 

 そういえば、オシュトルがいるんだったと、兄貴のことが漏れそうになるのを堪えた。

 そして、オシュトルに相談無しで色々やってしまった手前、多分怒っているだろうと謝罪する。

 

「ライコウから色々聞いているだろうが……オシュトルも、突然悪かったな」

「ああ、アンちゃん。こういうことは先に言ってくれなきゃ困るぜ」

 

 オシュトルより小言を貰うことはある程度想像していたが、やはりオシュトルの目には非難の色が混じっている。

 自分達以外に誰もいないこともあるだろうが、口調がウコンになっているのも感情が高ぶっているからだろう。

 

「すまん、怒ったか?」

「ああ……アンちゃんが、孤独で嘆いていたなんて知らなかった」

「こど……なに?」

「覚えてねえのか? 孤独だ、寂しいだ、色々言ってたぜ」

 

 確かめるようにウルゥルとサラァナを見る。

 双子は恭しく頷いた。

 

 孤独──か。おぼろげであるが、そんな理不尽なことをオシュトルに言ってしまったらしい。

 

「そうか……そんなことをな」

「ああ」

「悪かったな、オシュトル」

「全くだ。水くせえじゃねえか、アンちゃんよ……俺が保証する。アンちゃんは孤独なんかじゃねえ」

「……」

 

 オシュトルが憤慨しているのは、事前に相談していないことじゃなく、自分が言った諸々の言葉についてらしい。

 オシュトルは寝転ぶ自分へ諭す様に声をかけた。

 

「アンちゃんは──ネコネと婚姻を結んで俺の身内になるんだろ?」

「……は?」

「ネコネがアンちゃんの息子娘を何人も産めば、幸せ大家族だ。そうなりゃ、アンちゃんも孤独だ何だとはもう言わねえよな?」

 

 オシュトルは何に納得したのか知らんが腕を組んでうんうん勝手に頷いている。

 なぜそうなったのかわからないので双子にも視線を送れば、同じようにうんうん頷いていた。

 

「素敵な計画」

「私達も十人ずつ主様の後継ぎを出産する予定なので、大大家族ですね」

 

 かの有名なハンかよ。どんだけ自分のぐうたら遺伝子残すつもりなんだ。

 それに、そんなに沢山産んだら母体が無事じゃ済まないだろうが──って突っ込みどころもおかしい。突っ込むところはそこじゃない。

 痛む腹を抑えて声を荒げる。

 

「いやいや、どういうことだよ!」

「皆まで言うな。アンちゃんの心は、俺がしっかと理解したぜ……アンちゃんが寂しくねえように、傷が治ったらまずは宴だ! そして、ネコネとの婚姻をやり直そう!」

「お手伝いする」

「私達との婚姻も開いていただけると嬉しいです」

「ああ、勿論だぜ。鎖の巫女様の想いにもそろそろ応えてやんねえとな! アンちゃんよ!」

 

 嬉々として親指を立てて言うオシュトル。

 その笑みから覗く歯は白く煌き、怒りの感情の方がマシだったのではと思うほど、良くない方向へ舵を切ったことを理解させた。

 

「いやいや! ネコネに了承も取らんと何を……」

「ネコネなら大丈夫だ。後数年もすれば母上のような美人になるぞ」

「おい! 兄貴がそういうこと言っていいのか!?」

 

 そのわちゃわちゃとした場の空気を変えたのは、突然医務室に入ってきて、唖然としたように見舞い品の入った籠を落とすマロロであった。

 

「は、ハク殿!」

「お? よう、マロ……」

「し、心配したでおじゃるぅううう!」

「んぎゃああっ」

 

 マロの涙交じりの遠慮ない抱擁に己の体が悲鳴を上げる。

 

「ハク殿とオシュトル殿が刺客に襲われ戦ったと聞いて、マロは、マロは……!」

「何? 刺客と戦った?」

「? そう聞いたでおじゃるが……違うのでおじゃるか?」

 

 マロは鼻水だらけの顔でそう聞く。

 確認するようにオシュトルを見れば、不敵な笑み。なるほど、自分がそういった策をとったことを秘密にしてくれているわけだ。

 

「ま、まあ、そうね」

「あれほどの戦いを繰り広げたのでおじゃ。傷に負担の無いよう安静にしておくでおじゃ!」

 

 抱きしめられて痛いんだけれども。

 まあ、事前に皆に相談もなく心配をかけたのは本当なので、大人しくその痛みは享受する。

 

 皆の為だけでなく、兄貴の為にも動かねばならなかったのだ。

 皆に確認を取って策を拒否でもされ露見すれば、黒幕にどう害されるか。故に相談できる者は限られた。

 孤独だ何だと知られたくない胸の想いを知られて、オシュトルのように暴走されても困るしな。

 

「まあ、マロロ。アンちゃんは療養中だ。それくらいにして、後は宴で騒ごうや」

「そ、そうでおじゃるな! 何分立ち上げに忙しく大々的な宴すら開けておらんかったでおじゃるよ」

「ああ、そこでネコネとの婚姻も行う。マロロよ、滞り無く順調に進んでいるな?」

「勿論でおじゃ!」

 

 その話終わってなかったのかよ。

 どうせネコネか皇女さん辺りが否定しておじゃんになるだろう。そんなことよりも、宴を開くのであれば口を出したいこともある。

 

「なあ、婚姻は置いといて、酒は頼むぜ。大宮司って祭事担当なんだろう? 酒と料理は滅多に出ないものにしてくれよ」

「ふふ、ハク殿であればそう言うと思って、既にヤマトの職人に口聞きしているでおじゃるよ」

「おっ、そいつは楽しみだねえ」

 

 エンナカムイの時と違って、今回はライコウやミカヅチなども参加するだろう。

 今ここにはいないが、此度の策はあいつらにも世話になったことは確実なので、美味い酒で親睦を深めるのは必要なことだろう。

 個人的にも、ライコウが酔っているところは見てみたいし。

 

 そんなことを考えていれば、騒ぎを聞きつけた仲間たちが医務室に入ってきた。

 キウルやヤクトワルト、シノノンが、自分の姿を見て驚いたように目を見開き入って来る。定期的に仲間たちでここを見回っていたのだろう。

 

「ハクさん!」

「おっ、旦那が目を覚ましたじゃない!」

「みんなしんぱいしていたぞ、だんな」

「ああ、心配かけたな」

 

 そして、どこから聞きつけてきたのやら、遅れてクオンや、ネコネ、アトゥイ、ノスリ、オウギ、フミルィルや、ムネチカ、皇女さんなどがどやどやと入ってきた。

 

「傷はもう大丈夫?」

「良かったのです……」

「流石おにーさん、ちょっとやそっとじゃ死なないぇ」

「ハク! こういう時は私に声をかけて頼れ! 皆が心配していたのだぞ!」

「まあまあ、姉上。ハクさんもこうして無事な訳ですから」

「クーちゃんとっても心配して──あ、あら? 私の口を抑えようとしてどうしたのですか、クーちゃん?」

「ふむ、約束を反故にされたのかと小生は疑っていたが、杞憂であったようで何よりである。余り一人で無理めされるな、ハク殿」

「そうじゃ、ハク! 余の傍を離れたのは刺客と闘うためであったとはの! じゃが、ムネチカの言う通り無理をしてはいかんぞ!」

 

 狭い寝台の周囲を囲み、皆が卓球台で様々な角度から好き勝手に玉を打ちまくるかの如く、各々喋りたいことを喋り始める。

 そして、その騒ぎは美味そうな匂いによって更に拡大する。

 

「あっ……ハク様!?」

「ハクさま……! 起きられたのですね!」

「良かった……」

 

 シス、ルルティエ、エントゥアが、オシュトルやウルゥルサラァナ用に医務食を持ってきていた。

 自分が目を覚まし、わいわい仲間に囲まれている様子を見て、涙を堪えるかの如く笑顔を浮かべてくれた。

 

「あ、あの、これ……御粥です」

「おお、美味そうだな」

 

 多分、自分用は作っていなかったのだろう。

 だが、ルルティエは機転を利かせ、ウルゥルとサラァナ用の物を小皿に分けるようにして自分に差しだしてくれた。

 

「美味そうじゃの……」

「ふーふー」

「はい、あーんです。主様」

 

 はしたなく極大の腹の音を響かせる皇女さんと、すかさず自らの手柄のように匙で掬って自分に差し出すウルゥルとサラァナ。

 それに待ったをかけたのはクオンだった。

 

「あ、わ、私がやるかな! ハクは今治療中だし、そういうの私も得意だし!」

「要らない」

「私達がこの手のことを最も得意としています」

「待て、余がやってやるのじゃ。聖上より手ずから食べさせてもらう栄誉などあるまい!」

「ふむ、こういったことは小生もやってみたく存じまする」

「あ、なら私もしたいです~」

 

 ルルティエ達が作ったというのに、誰が食べさせるかで揉め始める女性陣。

 別に食べさせてもらわんでも自分で食べられるんだが、と助けを求めるようにシノノン含めた男性陣を見るが、そこにはにやにやと面白がる笑み。

 

「まったく、だんなはだらしがないな」

「旦那だからなあ」

「ハクさんですからね」

「ええ、ハクさんですから」

 

 謎の信頼を寄せられ、再び針の筵となる。

 女性陣を見れば、一触即発の危機。もはや木製小皿が砕けるかの如く力が入り、自分は視界にすら入ってない段階である。

 

 随分眠っていたようで、腹も減っている。早く食べたいのだが──

 

「……」

 

 と、オシュトルやマロロを見れば、皆に囲まれる自分を見て和やかな笑みを浮かべていた。

 その笑みの理由は何となくわかる。自分でも気恥ずかしい。

 

 ──皆と共に生きたい。

 

 その想いが仮面の思わぬ暴走を引き起こした。

 だが、その想いがあるから、こうして再び生きて皆と会えた。そんな気がする。

 

 そして、そんな世界を齎してくれたのは、ここにいるオシュトル。助けられたなと、心の中で礼を言う。

 皆に囲まれ、そんな感傷に浸っていた時だった。

 

「「「あっ……!」」」

「──あづゥ!!!」

 

 案の定、己を挟んで奪い合われる箸と小皿は皆の間で宙を舞い、己の傷を増やす一因となった。が、皆に秘密で色々やったのだ。

 これくらいは享受しようと、ヴライの炎みたく熱い出来立て料理で目蓋を焼いたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 宴は明日行われるらしい。

 

 大宮司であるからして自分も一枚噛んだ方がいいんだろうが、怪我を理由にマロロが肩代わりしてくれている。

 なので、少し動ける身となった自分としては、諸々今のうちに確認しておきたいことはある。

 

「──主様」

「お母様より、許可を頂きました」

「ああ」

 

 ホノカさんが、兄貴への道を開いてくれたようだ。

 あの後、オシュトル、ライコウやミカヅチと話も済ませ、黒幕ウォシスに対する懸念は大体浮き彫りになった。

 

 兄貴は何かを隠している。皆の為にも、兄貴の為にも、それを聞かねばならないのだ。

 ウルゥルサラァナ、そしてホノカさんに連れられ、再び聖廟地下深くの研究施設へ足を運んだ。

 

「兄貴……」

「おお、ハク……随分無茶をしたと聞いた……」

「まあな」

 

 変わらず液体の満ちたカプセルの中に漂い、弱弱しく微笑む兄貴。

 こんな状態で、仮面の細工への対策すら行ってくれたのだ。感謝しなくては。

 

「感情を昂らせすぎると少し暴走が勝っちまうから、抑制作用はもう少し多い方がいいかもな」

「そうか……増やす分には問題ない。直ぐに対処しよう」

 

 仮面の調整用に再び緑の閃光を顔に浴びた後である。

 さて、と本題に入った。

 

「黒幕は……ウォシスだった」

「……」

 

 その名を聞いても、さしたる動揺はない。

 だからこそ、確信してしまった。

 

「兄貴よ。あんたはいつも自分のことをこう評していたな……」

「?」

「妙に勘の鋭いところがあるくせに、都合の悪いことは見なかったことにしようとする──」

 

 かつて自分の記憶を呼び覚ますきっかけとなった台詞。

 兄貴はハッとした顔で己を見つめ、諦めたように溜息をついた。

 

「──お前に、そう諭されるとはな……」

「兄貴?」

「確かに、気づいていた……それだけは、言うまいと……その結果、お前に傷を増やすことを許してしまった余を、許してくれ」

「……やっぱり、兄弟だな」

「そうだな……唯一の家族に隠し事などできまいて……それを、忘れていたよ」

「ああ。観念して兄貴が知っていること、全部教えてくれよ」

 

 兄貴は、良いのですかというホノカさんの確認するような瞳を見つめ、僅かに頷く。

 

「ハクよ……どこまで、気づいておる?」

「ライコウから聞いた話じゃ、ウォシスのことについて分かった点が四つある」

「……して、それは?」

「一つは自分の暴走によって仲間が死ぬことを目的としていたらしい。二つ目は、マスターキーの存在を知っていること。三つ目は、動くなと命じればデコイは動けなくなること。そして、最後に、自分にしか同じような孤独は判らないと言っていたこと」

「……そうか」

「他にも、仮面の知識にも長けている。デコイを見下すような発言……」

「もう良い……」

 

 兄貴は悲し気な瞳で自分の言葉を遮り、首を振って眉を寄せた。

 しかし、待っていても兄貴の口から真実は出てこない。どう言うべきか、迷っているような感じであった。

 

「……」

 

 だからこそ、核心を突かねばならなかった。

 

「……皇女さんが、チィちゃん。ホノカさんが、義姉さん。ウォシスは──自分を模したのか?」

「……」

 

 重苦しい、沈黙。

 肯定かと思ったが、しかし、後に訪れたのは穏やかな否定。

 

「……違う」

「違う? じゃあ……」

「余は、この世界に自らの血族を新しく齎そうと思った時には……既に歳を取り過ぎた。故に、自然に子宝に恵まれることは無かった」

「……」

「余は、孤独に耐えられなかった……自分の生きた証を、誰に継がせることも無く……誰にも残せぬことが……故に、余の遺伝子を元にある存在を作った、それが──」

「ウォシス……兄貴の、クローン……」

 

 衝撃。薄々感じてはいた。しかし、それでも己の思考をがんと殴られたような衝撃があったのも事実である。

 大いなる父は、既に自分と兄貴の二人だけ。なのに、ライコウ達に聞けばウォシスの言葉と態度はさも選ばれた人間であるかの如く振る舞っていたそうだ。だからこその違和感。

 

 自らがクローンであると知っていれば、そのような態度を取ることは無い。つまり──

 

「──言ってないんだな……ウォシスに」

「ああ……たとえクローンであっても、我が子のように愛していた。ホノカと共に……親子として愛を育んできたのだ」

「……」

 

 であれば、ウォシスの態度は何故なのだろうか。

 愛を育んできたといっても、ウォシスには過度な復讐の意志が芽生えていた。その疑問を呈する。

 

「自分を目の敵にするのは?」

「それは……」

「?」

「ウォシスには、人類の過去、その全てを教えてきた。余の後を継ぐため、大いなる父の遺産を継ぐため……しかし」

「っ……成程、自分が現れたってことか」

 

 そりゃ、遺産を継ぐ気満々だったのに、急に知らん兄ちゃんが横取りしようとしたら切れるよな。

 

「いや、それもあるが……最も大きな理由はそうではない」

 

 兄貴は、ホノカさんの方へ手を伸ばすように、カプセルに手を添えた。

 ホノカさんも、それに呼応するかの如くカプセル越しに手を重ねる。

 

「……心の底から、愛していたのだ……本当の、息子のように……」

「……我が君」

「だからこそ、優しい性根を持つあの子を、遺産を継ぐためだけに生かすことに何の意味があろうかと……余は、余の生きてきた意味を、息子に勝手に背負わせようとしただけなのだと……そう、己を戒めたのだ」

「なるほどな……」

 

 勝手にクローン作って、勝手に遺産を継げと言って、それは今まで軽蔑してきた人類の負の側面そのものである。

 兄貴は、命を作ってしまった後で、その虚しさに気づいちまったんだろうなあ。

 

「ウォシスが歪んだのは、お前が悪いわけではない……全ては余の言葉足らずが原因……だが、あの子が自分の本当の子でないなど、そのようなことを告げられる親がいるものか」

「……」

 

 ホノカさんが悲しそうに、しかし自らでは兄貴を慰めることはできないと思ったのか、その顔を伏せた。

 

「軽蔑してくれ。命を弄び、尚責任も取れぬ愚かな親だと……そう罵ってくれて構わん」

 

 そんな兄貴の弱弱しい言葉を受け、自分は兄貴を元気づけるように否定する。

 そして、ある意味安心したと、笑みを浮かべて本心を告げる。

 

「そんなことしないさ……兄貴は相変わらず、優しい奴だったと安心しただけだ」

「……ハク」

 

 涙を堪えるように、兄貴は目を瞑る。

 ホノカさんも、自分の言葉に安心したのだろう。こちらに向けて、にこりと穏やかな笑みを浮かべた。

 

 義姉さんも、きっと兄貴のそんなところに惚れたんだろうなあと思う。

 兄貴は、いつまでたっても愛に深く、眩しい存在だった。

 

「ウォシスが息子……つまり、兄貴と、ホノカさんが夫婦ってことか?」

「あ、ああ……そういう、ことにしておった」

「そいつは、お似合いだな」

「あ、あら……まあ……」

 

 カプセル越しに瞳を交わして照れる夫婦。

 兄貴との仲を揶揄うとああやって頬に手を当てて照れていた。本当に、義姉さんそっくりだ。

 

「ただ、ウォシスはただの八柱将だっただろう。今はどういう扱いなんだ?」

「余の後を継ぐ必要はないと……ハクに継がせると言って、戸籍も新たなものを用意した」

 

 その辺が、言葉足らずの弊害から来る誤解なんだろうな。

 

「そうか……まあ、わかった。ウォシスがああやってマスターキーや遺産を継ぐのに躍起になっているのは、あいつが兄貴の──父の願いを叶えようとしている優しい奴だったってことだな」

「……む」

 

 戸惑うように兄貴は口を噤む。

 わかっているさ。優しいからといって、デコイにあのような態度を取ることは許されない。兄貴が後悔した筈の、命を弄ぶ行為を手段にしてしまっているのだ。誰かが止めなければならない。

 それは、兄貴の願いに最も反することなのだから。

 

「お優しい兄貴に代わって、そいつは間違っているぞってぶん殴ってきてやる。自分はウォシスの叔父になるんだろ?」

「ま、まあ、そういうことになるかの……」

「なら、嫌われ教育係は叔父ちゃんに任せとけ」

「ヒロシ……」

「いや、誰だよ」

 

 ここでヒロシネタを入れなくていいから。

 兄貴は愛情深いのに、なんで弟の元の名前を度忘れするんだ。ウォシスよりも愛が薄いのか。

 

「ふふ……ありがとうございます、ハク様」

「ああ、兄貴のところに連れてきて、じっくり話をしろって突き出してやる」

「しかし……余はウォシスに」

 

 クローンであることを告げられないんだろう。それはわかる。

 だが、もっと大事な、伝えなければならないことは他にあるのだ。

 

「別に、クローンであることを言えって言っている訳じゃないさ。愛しているんだろう?」

「……そう、じゃな」

「なら、そいつを言えばいい。ホノカさんと一緒にな」

 

 兄貴は、ちらと困ったようにホノカさんを見る。

 ホノカさんは、兄貴に対して優しく微笑を返していた。

 

 兄貴は暫く迷った末に、やがて口を開いた。

 懺悔するかのような声色で、ホノカさんに問う。

 

「……余は思うよ、余の大罪を……そうあるべきと、それしかないと作った存在が、その通り動き、生きてしまうことが」

「……我が君」

「余は、ウォシスに愛を語る資格があるのか? ホノカよ……」

「……たとえ、造られていたのだとしても……私の愛する気持ちは変わりません。たった一つの……大切な、私の本当の気持ちなのですから」

「ホノカ……」

「我が君……」

「……」

 

 なんか──急にいちゃいちゃしだして気まずいんだけれども。

 ウルゥルとサラァナも参考にするかの如くじっとその問答を見つめているし。無言で見つめ合う二人を前に手を挙げる。

 

「あの……いちゃいちゃするなら、自分達が帰ってからにしてくれるか?」

「お、おお、すまん……ヒロシ」

「だから誰だよ!」

「ふふ……」

 

 くすくすと笑うホノカさんと穏やかな笑みを見せる兄貴の姿を見て、懐かしいような、そうでないような、昔のような間柄に戻って、嬉しい。

 本物の義姉さんではないとしても、確かにホノカさんはそこに生きて、確かにそこに愛はあるのだ。

 

 ただ、ウォシスを捕えるに当たって聞いておかねばならないことはまだある。

 

「ああ、そうだ、ウォシスの言霊にはどう対処したらいい?」

「言霊は大いなる父特有のもの……お前には効かぬ。逆を言えば、お前の言葉ならば皆を動かすこともできる」

「言霊を上書きしろってことか」

「うむ……そういうことだ」

「まあ、命令するのは好きじゃないが……仕方ないな。了解した」

 

 聞きたいことは聞け、これからやるべきことも決まった。

 ウォシスに先んじられないよう、後はトゥスクルに赴いてマスターキーを手に入れるだけだ。

 

 そう思って帰ろうとした意志を感じ取ったのだろう。

 ホノカさんが最後に自分に伝えたいことがあると言ったように自分の名を呼んだ。

 

「ハク様……」

「ん?」

「大いなる意志が、貴方を待っています」

「? すまん、それは……どういう意味だ?」

「何故かはわかりませんが……本来の運命から大きく逸れています。しかし……その揺り返しが来ないとも限りません。十分にお気をつけて」

 

 大いなる意志についてはよく知らんが、とりあえず気をつけてということか。

 

「……まあ、わかった。ホノカさんもあんまり兄貴といちゃいちゃし過ぎてウォシスに怒られんよう気を付けてな」

「あ、ふふ……そ、そうですね……」

「ハク、気をつけるのじゃ……必ず、ここへ戻ってこい」

「ああ、任せとけ」

 

 背にかけられる言葉に後ろ手で返事をしながら、ウルゥルサラァナと共にその場を後にしたのだった。

 

 その帰り道のことである。

 付従うようにウルゥルとサラァナが、羨ましそうにぼそりと呟いた。

 

「成就」

「お母様の愛が、ようやく主上へと届き得たのですね」

「ん……?」

 

 危険な術を行使している道中の為、元々自分に体を寄せていた二人であるが、さらに腕を抱くようすっと身を寄せてきた。

 

「どうした?」

「「……」」

 

 無言で肩に頬を寄せる二人。

 何だか、歩きにくい。

 

「お疲れ」

「着きました、主様」

 

 靄のかかった廊下を抜ければ、そこは、元の医務室ではなく久々の宮廷内の自室であった。

 

「あれ? ここに来たのか」

「「主様」」

「ん?」

 

 そこで、ウルゥルとサラァナは二人潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。

 その今までにない得も知れぬ様子に、思わずどきりと胸を高鳴らせた。

 

「ど、どうした?」

「知ってほしい」

「主様に、私達がなぜ永遠の忠誠を向けるのかを」

 

 そういえば、二人が自分につき従う理由を深く聞いたことは無かった。

 兄貴がそうあるべしと作ったからだと思っていたが、そうではないのだろうか。

 

「ん、まあ……いいが」

 

 別に他に急ぐ用もない。

 

 畳にどかりと腰を下ろし、二人にも促す。

 ちょこんと目の前に正座し、ウルゥルとサラァナは交互に話し始めた。

 

「私達は……お母様を継ぐもの」

「片方は次代の為の新たな子を産み、もう片方は大宮司の記憶と意思を継承し、新たな大宮司として主上を支える役目を担います」

「記憶の継承……?」

 

 まさか、記憶の転写と人格融合か。

 兄貴のあの後悔の色は、その辺りも含まれているのだろう。わざわざ戻って非難するつもりもないが、随分と孤独に耐えかねて色々やってしまったらしい。

 

「永遠に終わらない」

「主様が見つかるまで、輪廻となって永い永い時を紡いできました」

「待て、片方がってことは……ホノカさんは」

「叔母」

「私達を産んでくれた母は幼い頃に亡くなりました」

 

 そういうことだったのか。

 鎖の巫女は大きな力に対する対抗策としての種族であることは聞いていた。

 それを繋ぐために、兄貴の傍でずっとそれを繰り返してきた種族ということなのか。

 

「続く筈だった」

「私達のどちらかが、お母様と融合し、どちらかが次代を育む、その筈でした」

「主様が現れた」

「主様こそが、巡り合ったこの方こそが、私達の我が君なのだと」

「……それは、お前達の意志なのか?」

 

 絶対服従、機械的にとまではいかなくとも、自分の言うことに逆らったことは無い。

 そうあるべしと、正しく兄貴が作ったのではないのか。

 

「主上は、主様を後継者に選んだ」

「そして、これからは主様に仕えるように仰いました」

「……そうか」

 

 やはり、兄貴の言葉が彼女たちを縛っている。

 そう感じたのだが、それを否定するように双子は首を振った。

 

「お母様は自らのことのように祝福してくれました。主様と結ばれますようにと」

「私達の為」

「とても嬉しそうに、彼は私達を永劫の輪廻の檻から解放出来るお方だと、そう語ってくださいました」

 

 兄貴だけでなく、ホノカさんもそう語る。

 双子の意志はますます無いように思ったのだが、二人はそんなことが言いたい訳ではなかったようだ。

 熱っぽい声で、自らの想いを語った。

 

「出会った時、わかった」

「私達は、主様の為だけに産まれてきたのだと」

「何?」

 

 あの外套を被って自分の周りをちょろちょろしていた頃のことだろうか。

 

「胸が締め付けられた」

「胸が高鳴り、顔が火照りました。主様と会うごとに、その想いは深く深く募っていきました」

「うたわれるもの」

「この方こそが──と」

「必然」

「たとえ、主上やお母様の言葉が無くとも、私達はいつか主様の元に馳せ参じたことでしょう」

「……」

 

 兄貴の孤独、愛、歴史、その全てを継いで来た者。

 その終わりが、彼女達。つまり──

 

「──自由になった、ってことか」

「そうとも言う」

「私達は、何に縛られている訳でもありません。主上やお母様の言葉はあくまできっかけに過ぎません」

「主様だから」

「ただ主様にお仕えしたく、御側に置いていただいているだけなのです」

「……そうか」

 

 どうして自分なんかに尽くしてくれるのかわからなかったが、そういうことだったのか。

 縛られていたのは、過去の彼女たち。

 自分はその楔から解き放った存在なんだと、そう思ってくれていたんだな。

 

 だが、そうであるならば、自分からも伝えたいことはある。

 

「……ありがとうな」

「「?」」

 

 礼を言われる意味が分からなかったのだろう。

 ウルゥルとサラァナはきょとんとしたように首を傾げた。

 

「もう自由の身なのに……自分なんぞに仕えてくれて、ありがとうな」

「「……主様」」

 

 二人には、随分と無茶をさせてきた。

 彼女たちがいなければ、自分も、仲間もとうに死んでいただろう。

 

 もはや自由の身でありながら、そこまで献身的に誰かへ尽くすことができるだろうか。

 もし自分ならば、全て放り出してその辺の草原で寝っ転がって惰眠を貪るところだ。

 

 そう思えば、自分は何も彼女たちに返せていない気がした。

 愛しく感じた相手にその礼を伝える方法は、言葉だけではない。

 

 故に──初めて自分から彼女達を抱きしめた。

 

「「……」」

「ははっ、お前達でも照れることがあるんだな」

 

 珍しいものを見ることができた気がする。

 この二人が戸惑うように、揃って薄く頬を染めて俯く姿など、今まで見たことが無かった。

 

「……不意打ち」

「主様はお人が悪いです……まさか、主様からそんな」

 

 消え入りそうな声で呟く二人の肩を更に包み込むように抱き、傍に寄せる。

 

「あんがとよ……今まで二人がいてくれたおかげで、自分も嬉しかったよ」

「「……」」

 

 なすがままである二人の髪から覗く耳元は赤く染まり、唇を噛んで体を震わせている。

 喜んでくれたようだ。

 

 襖から覗く外の光を見ればもう薄暗い。

 飯時ではあるが、今は身を縮こまらせて固くなった二人への礼を尽くそうと、ぎゅっと二人の体を強く抱きしめたのだった。

 




この作品は、R15です。


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第四十九話 祝宴を張るもの

帝都では最後の日常回です。


 これは、兄貴のところに話を聞きに行く、少し前の話である。

 

 オシュトルによって腹部を穿たれた傷が癒えていないためか、寝台に横になる日々か続いていた。

 自分にとっては久々にゆっくりできる時間で満喫していたのだが、一足早く治療の終わったオシュトルよりあるものを渡された。

 

「……縁談?」

「ああ、ヤマトの歴史上初の男性大宮司となった其方には、その権力に肖ろうと数多の諸侯より縁談の話が来ている」

 

 そう言って、女性の諸々について何事か書かれた物をどっさりと傍に置かれた。

 次々と周囲に広げられるその量は、以前ライコウが持ってきた仕事量に匹敵するほどである。

 

 試しに一つ手にとって見てみると、帝都どこどこの大商家の娘で、器量良しだの、美人だの、女性の絵姿が書かれている。他と比べるよう手に取れば、どうやらその年齢層も幅広く、トリコリさんより年上のものからネコネ以下の年齢まである。

 締めには、興味を引きましたら是非にと家名と本人の名と返送先が書かれている。

 

 間違いなく、縁談用のものである。

 

「いやいや……本当に自分のか? オシュトルのもんじゃないのか?」

 

 浮かんだのは、そのような疑問である。

 鎖の巫を側に置く大宮司と噂されていても、実際にその権力がオシュトル達に並ぶわけではない。あくまで祭事や、非常時のみの権限なのである。

 オシュトルはその点総大将であるし、自分よりも遥かにモテると思って聞いたのだが、オシュトルからは苦笑交じりの否定であった。

 

「いや、某は右近衛大将の頃よりこうしたものについては断ってきた。故に、堅物扱いされて某にはもはや届かぬ」

「そういうことか……」

 

 ネコネも嫌がりそうだしな、そういうの。

 憧れを抱く女性は数あれ、オシュトルはその対応には難儀していたんだろうなあ。

 

「其方は平民より取り立てられた新進気鋭の出世頭。家柄の低い者にとっては肖ろうと寄り着いてくるのだ」

「勘弁してくれ……」

「ふ、怪我で動けぬ間は暇であろう。見るだけでもと渡されたのだ。気にいらなければ其方から断りの文を送るといい」

 

 なんで自分なんかにとも思って他の権力者を思い浮かべると、そういえば皇女さん配下には女性八柱将が多い。そっちは男の縁談がひっきりなしに来ているんだろうな。

 ただ、それを除いたとしても、他の大将や八柱将もオーゼン、ソヤンケクル、ゲンホウなど妻帯者というか既に親となって久しい面子ばかりだ。

 若い独身男は、イタク、マロロ、キウルくらいだな。成程、その面子に比べれば帝都で一番発言力があるのは自分だと勘違いしたのかもしれない。

 

「断りの文たって……この量だぞ?」

「以前の某は、この辞謝の文を考える時間が最も苦痛であったな……」

「ちなみに……オシュトルはどれくらいかかったんだ?」

「ふむ、縁談の類は受け取らぬと触れを出してからは緩やかとなったが……毎週数通を返し……年はかかったか。同性愛者であると誤解が広まってからが本番であるぞ」

「……」

 

 悪夢のような話だ。

 放置していれば、どれくらいの量になるかわからん。オシュトルのように早々に縁談の類を受け取らないよう布告を出さねば。

 

「してくれるなって布告するか……」

「ふむ……しかし、先方も其方が身を固めるまで粘着する輩は多い。全て無くなる訳ではないことは知っておいてくれ」

「……そうか」

「ハクよ。それが嫌ならば身を固めることだ。例えば──」

「だから、オシュトル。ネコネとの婚姻なんぞ、ネコネが了承しないだろうって言ってるんだ」

 

 これである。

 オシュトルはすぐにこうしてネコネと自分を身内にしようとしてくる。

 この縁談話も、その外堀を埋めるためのような気さえしてきた。トリコリさんの話があるとは言っても、最終的に大事なのはネコネの気持ちである。

 

「どうして、そうネコネと自分をくっつけたがるんだ」

「……それは、野暮ってもんだぜ、アンちゃんよ」

「……野暮?」

 

 オシュトルが助けを求めるように双子に視線を送るも、ウルゥルとサラァナは興味深そうに先ほどの縁談の書いたものへ手を伸ばしていた。

 

「「主様」」

「ん?」

「好み」

「これなど、如何ですか?」

 

 二人から差し出された物を見れば、地方武家の一人娘で、未亡人。戦乱で旦那を無くし、一人寂しく過ごしていたところを、ハク将軍に声をかけられ奮起する一因になった諸々が書かれている。

 絵姿を見れば、確かにぼんやりと覚えのある輪郭、そして雰囲気はこう艶っぽいというか、哀愁を漂わせている感じが、何とも、守ってあげないと感を漂わせており──

 

「──ハク?」

「ち、違うぞ! これはだな……」

 

 思わずじっと見てしまった自分を揶揄するようにオシュトルが声をかけてきた。

 思わず焦ってその絵姿を遠くに放り、再び横になった。

 

「とりあえずだ! ネコネが自分と婚姻を結びたいと言うなら話は別だが、そうじゃないんだろう?」

「ん……まあ、な」

「なら、ネコネの為にも、自分と婚姻なんてやめた方がいい」

 

 多分、自分が仮面で暴走した結果、孤独に怯えているという単語を聞いて、色々気を回してくれているんだろう。

 孤独って言うのは、あくまでも自分が大いなる父として皆と一緒の存在でないことに寂しさを感じていただけなのだ。

 

「……ハクは、あくまでもネコネの為を考えていると?」

「ああ、勿論だ。それに、オシュトルや、皆がいる。それだけで……自分には十分さ」

「そうか……」

「ま、ネコネにはもっと相応しい奴がいるよ」

 

 話は終わったと、再び目を瞑る。

 多分、オシュトルの次に見舞いに来るのは皇女さんである。こうして体力を養っておかないと、治る傷も治らない。

 宴が終われば、次の日にはトゥスクルに旅立つのだ。英気はできるだけ養っておかなければ。

 

 後にウルゥルとサラァナは、あの時のオシュトルは悪戯を思いついたかのような笑みを浮かべていたという。

 そんなこと、目を瞑っている自分には気づけもしなかったのだった。

 

 

 ○○○○○○

 

 

 兄貴のところで話を聞いた翌日。

 つまり、宴の日、当日早朝である。

 

 オシュトルより、大宮司である自分はそれなりの衣服を身に纏うことを命じられた。

 まあ、祭事担当でありながらほぼすべてのことを準備してくれたのだ。文句は言えない。

 

「主様」

「お顔を拭きますね」

「ああ……」

 

 昨日夕方頃に、ウルゥルとサラァナの二人へ礼を尽くしてからは、その返礼とでも言うかのように張り切って身の周りの世話をし始めた。

 これが自由である筈の彼女達がやりたいことらしいので、余り文句は言えないが。

 

「主様」

「袖を通しますね」

「ああ……」

 

 未だ寝ぼけ眼の自分としては、こうして二人がいつも以上に張り切り、いつも以上に身の回りの世話を甲斐甲斐しくしてくれるのは有難いと思う一方、誰かに見られれば何となく嫌な出来事が起こりそうな危惧も感じていた。

 

 それに、今宵の宴は幹部勢力が久々に揃う。

 それだけでなく、帝都有数の商家や武家等々、権力者の顔合わせも兼ねている宴である。

 

 帝都の政情が安定した証であることと、トゥスクルに和平の使者として赴く自分を労うための宴でもある。

 つまり、主役だ。あまりどたばたした様はお見せできないのだが、と思いながら目を擦っていると、襖の外から声がする。

 

「ハク? 準備できた?」

「あ、クオンか。ちょっと待ってくれ」

 

 身支度を整え、迎えに来たクオンと共に外へ出る。

 すると、クオンは笑顔で迎えてくれた後に、訝し気にウルゥルとサラァナを見た。

 

「……?」

「何か」

「どうかされましたか? クオンさん」

「何だか……雰囲気が変わった?」

 

 そうかな、と思ってウルゥルとサラァナの二人を見るも、特に変わった様子は無い。

 

「……そうか?」

「うん、いつもなら、ハクにもっとべったりしている筈……」

 

 そうだったろうか。

 確かに、思い返せばクオンと一緒の時は、クオンを挑発するかのように腕を組んできたり首に腕を回したりしてきた時があった気がする。

 

「イミフ」

「仰る意味がわかりません。私達は何も変わっていませんが?」

「む……な、なら! 私がハクの隣を歩くけど、いいのかな?」

 

 言っていて恥ずかしくなったのだろうか、クオンは赤くなった頬を誤魔化すように、横に並んで自分の腕を取った。

 

「お、おい……」

「どうかな? ここまでされたら、流石に──」

 

 そう言って二人を見れば、ふっと口元に勝利の笑みを浮かべていた。

 

「どうぞどうぞ」

「もう私達はその程度では満足できない体にされてしまいましたから」

「ど、どういうことかな、それぇ!?」

「ぐぇえっ!?」

 

 クオンによる糾弾の矛先が、自動的に自分の首元へ向く。

 早速大宮司としての服装に皺が寄るが、こっちが締め上げられても答えられるものではない。

 

「何をしたの!? っ……ま、まさか……我慢できずに!? ついに!?」

「お、おいっ! な、何もしてな……って! かはっ」

 

 浮いてる浮いてる。

 ふるえる爪先で何とか体重を支えるも、首への圧力が半端ない。弁明できる状態じゃない。

 

「抱かれた」

「震える私達の体を優しく抱き寄せ、耳元で愛を囁かれました」

「んな──っ!!?」

 

 喋れない自分に代わってクオンの火に油を注ぐ二人。

 言っていることは間違ってないが、言い方というもんがあるだろうが。

 

「ハ、ハ、ハ、ハク!? ほ、ほんとなの!?」

「ちが……こはっ、かはっ……!」

「もち」

「今も思いだせば体が火照ってしまいます。強く掴まれたところが痛む程に──」

 

 自分は完全に浮いた。

 体重が首に一極集中し、かくんと己の意識は闇へと消えたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 宴の始まる数刻前である。

 

「……ハク、その服にどれだけの租が込められているか知っているか?」

「……すまん」

「……ごめんなさい」

 

 クオンによって、見るも無残なよれよれ襟を何とかして戻しながら、オシュトルの小言に謝罪する。

 

 それもこれもウルゥルとサラァナの言葉を間に受けたクオンのせいである。非難するように隣を見た。

 

「だから、話を聞けって……」

「だって、あんな紛らわしい言い方されたら誰だって……」

「今宵は宴ではあるが、礼節あるヤマトの祭事。夜まで待てば無礼講が待っておるのだ。それまでは……ハク、大宮司らしい働きを頼んだぞ」

「ああ、すまんな、オシュトル」

「良いのだ、急に頼んだ某も悪い」

 

 オシュトルは、本来、無礼講である気軽な宴をするつもりだったのだ。

 しかし、帝都奪還後も権力者たちの顔合わせの場が無いことに憤りを覚えた者は多く、どうせ行うならばとこの祭事が後から入ってきた形である。

 

 結果、今宵の宴には、儀礼的な昼の部と、身内でわいわいやる夜の部がある。

 

 昼の顔合わせは適当に済ませ、美食で腹を満たし、夜に仲間と共に美酒で酔って遠慮なく暴れる。

 全ての要望に応えた素晴らしい宴の形式なのである。それを、仮にも大宮司である自分が壊すわけにもいくまい。大人しくしておこう。

 

「これを読めばいいのか?」

「ああ、祭事において、挨拶は大宮司が務める」

「わかった」

 

 偉そうに読むだけならば簡単である。

 

 そして、幹部連中や権力者共が集まる中で、聖上と自分の言葉が響く。

 あれより刺客の数もとんと減り快適となった場の中で、昼の宴は何事もなく着々と進んでいった。

 

「おお、大宮司ハク様、私めは……」

「ああ、どうも……」

「ハク様、以前ご紹介したかと思いますが……」

「あ、ああ、はい、その節は……」

 

 こうして、食べる暇も無くひっきりなしに挨拶さえ無ければ良かったんだが。

 商家だ武家だ、娘を連れて頭を垂れに来るのに最初はにこやかに対応していたが、徐々に辟易し始める。

 

「以前、縁談の話をお持ちしたかと思いますが……」

「ああ、いや、心に決めた人がいるもんで……」

 

 嘘である。

 しかし、断るには一番傷つけないというか逆恨みの少ない理由なので重宝しているのだ。

 

「そうでありましたか……いかがでしょうか、第二、いや第三夫人でも……」

「「……」」

「い、いえ、何でもありません」

 

 先方さんは、心に決めた人がいると言われて尚食い下がろうとしたが、傍らの鎖の巫女である二人に目線がいく。

 彼女たちは相変わらず隣に寄り添っているので、納得したようにその場を去っていった。

 

 双子による防御が上手いこと機能しながらも長く感じた昼の宴は終わり、主立った面々は場を離れていく。

 オシュトルと共にぺこぺこ何度も頭を下げながら、ヤマトの影の重鎮達である彼らをその背が消えていくまで見送った後である。

 

「ハク、ご苦労であったな。先に夜の宴を始めておいてくれ」

「いいのか?」

「ああ、某は後から合流する。まあ、もう始まっているであろうがな……」

 

 オシュトルと別れ、高い大宮司の服を着たままでは酒も飲めないと自室に一度戻り着替える。

 

 その後、夕闇の中足早く再び宴の場へと顔を出せば、残るは勝手知ったる身内達。

 

「何だ、もう始まってるじゃないか」

 

 まあ、自室に帰った時間も含め、待っていられなかったのだろう。

 オシュトルの言う通り、戦乱を支えた幹部連中に、ライコウ、ミカヅチが加わった夜の宴は既に始まっていたようだ。

 

 誰が今から始めようとも言わず各々が乾杯の音頭を取り、既に出来上がっている者もいる。

 わいわいと残った料理と酒を遠慮なく食べ乍ら、ルルティエやエントゥア達が考案したらしい新しいつまみに舌鼓を打っていた。

 

「懐かしいねえ、八柱将の頃はこうして雁首揃えて飲んだこともあらぁな」

「そうだね……まあ、君はすぐに酒で勝負を吹っ掛けるから顰蹙者だったがね」

「はっはっはっ、そういや、そうじゃけえのお! ソヤンケクル殿の方が酒は強いちゅうこと、随分悔しがっとったのお」

 

 ゲンホウ、ソヤンケクル、オーゼンの飲みっぷりのいいおっさん連中が真っ先に出来上がり始めている。

 混ぜてもらおうかと近づくと不穏な言葉。

 

「へっ……なら、ソヤンケクル、それにオーゼンの旦那よぉ。将の面子を賭けて勝負してみるかい?」

「いいのかな? また負けてもしらないが」

「ええのぉ! 儂も久々に今日は倒れるまで呑んでやるっちゅうの」

「お父様、そんなこと言ってまた足がつりますわよ。ねえ、ムネチカ様」

「そうだ、何ならあんたもいい飲みっぷりしそうだなあ。ムネチカさんよ」

「いや、小生は……」

 

 あれは助けられんな。

 明日はトゥスクル遠征もある。あまり飲み過ぎるとネコネに何を言われるかわからんのだ。

 怖い先輩と酒豪のシスに囲まれて酒を勧められるムネチカに合掌しながら、他の場を見る。

 

「イタクよ、俺が憎いのではないのか」

「……忘れられないことではあります。しかし、怨恨を抱え前に進めないことだけは避けねばなりません」

「……」

「お二人がこれからヤマトの為に尽くすというのであれば……私はそれに負けぬよう、それ以上に尽くせるよう、精進あるのみです」

「……イタクよ。あの時、お前をこの手で討たずに済んだこと、嬉しく思う」

「……ありがとうございます。ミカヅチ様」

「様など付けずとも良い。ミカヅチと呼べ」

「俺のことも、ライコウで構わぬ」

「そんな、かのお二人にそのような……」

 

 あっちはあっちで心配してたが、イタクの爽やか優男が発揮されたようだ。

 怨恨諸々あるだろうが、イタクが皇であればナコクの未来は心配無用だろう。イタクとライコウ、ミカヅチは盃を交わすように酒を飲み交わしていた。

 あのしんみりした場に混ざってどんちゃん騒ぎに変えるのもいいな、と入るかどうか逡巡していた頃である。

 

「おお、旦那ぁ! 先にもらってるじゃない」

 

 遠くからヤクトワルトの声が響き、思わず振り向く。

 

「だんなー、このおにく、うまいぞー」

「ふふ、シノノンも沢山食べていいですよ」

「シーちゃん、こっちも美味しそうですよ?」

「おお、それもたべるぞ! キウルもいっしょにくえ!」

「うん……ハぁクさん! 僕も今日は飲みます!」

「キウルさん、余り無理はなさらない方が……」

「おじゃ……おじゃ……」

 

 そこには、既に頬が赤くなっているヤクトワルトやオウギ、酒は飲まずに食べ物に目を向けるシノノンとエントゥア、フミルィル。後は、少し気分の悪そうながらも精一杯飲んでいるキウル、そして自分の業務を肩代わりしてくれた疲れが悪い方に出たのだろう、既に酔い潰れたマロロがいた。

 

 これは仲間の中でも最も気軽に飲める面子だ。

 ライコウ達が酔う様子も見たかったので誘おうとそちらを見れば、彼らの元に向かう先客の姿があった。

 

「イタク、君も勝負に加わり給え」

「えっ、伯父上、何を……」

「飲み慣れた酒で勝負を挑むなど、やはりイズルハの者は性根が悪い」

「ハッ、戦略的と言ってもらいたいもんだね」

「丁度いいのお、そこのミカヅチ殿とライコウ殿も一緒に飲み比べしよんと?」

「いや……余り酒は」

「いいではないか兄者。俺達は構わんぞ」

 

 戸惑うイタク、ライコウをミカヅチその他が強引に地獄へ引き入れてしまった。

 だが、あっちはあっちでライコウが酔い潰れちまう姿が見れそうだ。無理に止めることもあるまい。

 そこで、ゲンホウが自分に気付いたように声をかけた。

 

「おお、ハク殿戻ったのか! あんたもイズルハ特注の酒、飲んでくかい?」

「いや、ムネチカが酔い潰れたら交代するよ」

「な……ハク殿、小生を生贄にすると申すか」

 

 既に何盃か飲まされたのだろう。少し目が据わって頬に赤みがあるムネチカより逃げるようにしてその場を後にする。

 

 すると、待ってましたというように、何者かが自分の腕を取った。

 

「ん?」

「うひひっ、おにーさん? ウチが注いであげるぇ?」

「快気祝いだ! ハク、私も注いでやろう!」

 

 いつもの飲み仲間のアトゥイやノスリ達が自分の両脇を抱えこむように連行する。

 その先には、クオンと皇女さん、ウルゥルとサラァナやルルティエの姿があった。

 

「ハク! もう、ハクが来るまでに酔わせて色々聞こうと思ってたのに」

「おお、ハク! 待っておったぞ! こ奴ら、お主が戻ってこんと呑まぬと言って、頑として動かんのじゃ」

「主様」

「お酌致しますね」

 

 ウルゥルとサラァナに絡んで飲ませようとしていたクオンと皇女さんである。

 既に二人は頬に赤みが刺しているが、双子には一切の酒気は無い。多分、主より先に呑むわけにはいかんとか考えていたんだろうな。

 

「さあ、ハクも来たのだ! 聖上の帝都奪還を祝って! 乾杯!」

「「「かんぱーい!」」」

 

 多分、もう何度目かもわからないくらいの乾杯回数なんだろう。

 ノスリもアトゥイもその呼気や頬の赤みから既に浴びるように酒を飲んでいることは十分わかる。

 

 飲んでないのは──ルルティエくらいか。

 この面子の中で優しく微笑み、皆に料理を取り分けていた。流れるような動作で、自分にも一つと取り皿を差しだしてくれた。

 

「あ、あの、自信作なんです。ハクさま、どうぞ」

「ああ、ありがとう。ルルティエ」

 

 双子に酌をしてもらい、ルルティエの自分好みのつまみを食べる。

 間違いなく至福の時である。

 

「ああ、うまい……」

 

 これまでの疲労が癒えていくようである。

 療養中で酒を断っていたのもあるのだろう。いつも以上に美味しく感じてしまった。

 若干強めの酒ではあるが、飲めばじんと熱いものが体の節々に染み渡る。そして、塩分の濃いつまみを選び舌と腹を満たしながら思う。たまらん。

 

 昼は全然食べたり飲んだりできなかった分、ここでしっかり幸福感を補給しておこうと再び目の前のつまみに手を伸ばそうとした時だった。

 

「ハク! これも美味いぞ! イズルハ特製の鹿肉だ」

「むぐっ」

「おにーさん、こっちはシャッホロの烏賊焼きやぇ!」

「おぐっ」

「あ、あの、こっちはクジュウリの鳥焼で……」

「おふっ」

「ハク? これはトゥスクルからのモロロを使った料理でね──」

「んぐぅ……!」

 

 手に取る間もなく、次々に女性陣から直接詰め込まれる食べ物に呼吸がつらくなる。

 誤魔化すように酒を双子から貰って喉を通すが、違和感。

 

「お、おい。そんな一度に喰えんって……!」

「まあまあまあ」

「ほれ、もう一献どうだ!」

 

 あれ、おかしいな。

 最初はもっとゆっくり飲む筈だったのに、なぜこんな矢継ぎ早に料理と酒を詰め込まれにゃならんのだ。

 それに、女性陣の雛鳥に与えるような動作も止まる様子はない。それどころか、互いの視線が交差し、何だか居心地の悪い状況が自分を支配し始める。

 

「ほれ、ハク。余に酒を注ぐのを許すのじゃ!」

「あ、ああ」

 

 もはや休憩する時間は、皇女さんに注ぐ時間くらいである。

 そして再び──

 

「ほら、ハク。あーん」

「ちょ、待ってくれ……むぐっ」

 

 クオンから促されるまま、口を開いて食べる。

 しかし、こう何度も間隔なく喉奥に突っ込まれれば味もわからん。

 

 クオンに非難の目線を送るが、しかしクオンの視線は双子の方へ。

 すまし顔のウルゥルとサラァナを見た後、確かめるように各々へ視線を送った。

 

「……ねっ?」

「……なるほどなぁ、確かに、怪しいぇ」

「む……? そうだろうか、余り違いがわからんが……」

「そうやぇ! いつもなら二人ももっと対抗心燃やすはずなんよ!」

「そんな……ハクさまとお二人が……」

「ん? なんじゃ、何の話じゃ?」

 

 何故か衝撃を受けているアトゥイとルルティエ。わからんのはノスリと皇女さんと──自分くらいか。

 

「何だ、クオン。何の話をしているんだ?」

「え!? い、いや、これはね、ハク」

「ウルやんとサラやんが雰囲気違うなあって話をしてたんよ」

「……そうか?」

 

 いつものようにお酌をしてくれる二人である。

 まあ、違和感といえば、その引っ付き度というか、自分との距離が少しいつもより遠いくらいか。

 ん、待て。この話の流れ、どっかでというか、今朝も──

 

「ハク、ちょっと二人に近寄ってみて」

「何故」

「いいから」

「まあ……いいが」

 

 既に十分近い気もするが、後が怖いのでクオンの言う通り動くことにする。

 座ったままではあるが、二人のいる方へずりずりと後退し、手が触れあうような距離へと腰を落ち着ける。

 

「「……」」

 

 女性陣に浮かぶは、驚きの表情であった。

 

「二人が──照れてる!」

「そんな、まさか……」

「おお! そんな顔もできるのじゃな!」

「何だと!?」

 

 各々が言うことを確認するように二人の顔を見るも、そのような照れた様子は無い。

 先日抱きしめた時のような照れ顔は貴重である。再び見られるのであれば、と期待したのだが。

 

「照れてない」

「どうかなさいましたか? 主様」

「あれ? いや……おい、照れてないじゃないか」

 

 情操教育のなっていない双子に羞恥心が芽生えたのであればこれから先、あまりべたべたしなくなって対外的な目を気にしなくて済むと思っていたのだが、違ったようだと抗議の視線を向ける。

 しかし、自称女の勘が鋭いらしいクオンとアトゥイ、それに余り嘘をつかないルルティエは照れていたと主張を変えなかった。

 

「一瞬やったぇ」

「うん、一瞬俯いた」

「そう、ですね……一瞬だけ」

「照れてない」

「主様から求められることは私達にとって至上の喜びです」

「いや、でも照れて……」

「いつでもバッチコイ」

「照れていた訳ではありません。主様に求められれば自動的に体が火照るよう、主様から躾られているのです」

「おい! 人聞きの悪いこと言うな!」

 

 いくら照れ顔を自分以外に見られて調子が狂うといっても、主と慕っている者を犠牲にするなよ。

 

「あんなぁ、それを照れるっていうんやないけ?」

「言わない」

「照れている訳ではありません。発情しているだけです」

「そ、それは、もっと悪いかな!」

 

 彼女達のやりとりには口を挟まず、詰め込まれた食事を胃袋に落とすために多めに酒を飲む。

 

 しかし、と思う。ウルゥルとサラァナも女友達と喧嘩みたいなこともできるんだな、と。

 自分以外にも心を許せる相手がいる。それが、何だか嬉しく思い、先ほどの抗議も悪い感情を含んだものでは無かった。

 

 とりあえず、自分に矛先がいきそうな話はこれ以上するべきではない。

 クオンのことである。早朝ウルゥルとサラァナが言ったことをまだ気にしていて、こうして皆で鎌をかけ根掘り葉掘り聞き出そうとしているのだろう。

 

 強引に、別の話題へと話を変えた。

 

「そんなことより、ネコネはどこに行ったんだ?」

「ネコネ? あれ、そういえばいつの間にかいなくなってたかな」

「そうじゃな、オシュトルのところに行くと言っておった気もするのじゃ」

「オシュトルのところに?」

 

 嫌な予感がする。

 何かはわからないが、何かが起こる、そんな気がする。

 

 そして、その時は訪れた。

 

 おおおおっ、という男臭い歓声が先程の飲み比べ連中の元より聞こえた。

 何だ、誰かが豪胆な飲みっぷりでも発揮したのかと見やれば、そこには──

 

「おお、オシュトル殿の妹君が随分綺麗な服を着てまあ、別嬪だね」

「この帯もかなりの値打ちものだね。オシュトル殿の見立てかい?」

「うむ、本日の為に用意したのだ」

「あら~、ネコネ様とっても綺麗……」

「……」

 

 そこには、いつも通りの笑みを浮かべるオシュトルと、昼の宴の時よりも遥かに綺麗な服を身に纏うネコネの姿があった。

 皆が口々にその姿を褒めそやし、酒を掲げ、口笛を吹いてネコネを囲んでいる。

 

 なぜそんな姿を見せたかは知らんが、絶好の機会だぞとキウルを見れば、既に酒で酔い潰れ倒れ伏している姿を確認。相変わらず間の悪い奴である。

 

 皆から褒められ、照れたように顔を俯かせるネコネは、そのまま皆に囲まれながらこちらへとゆっくり歩いてくる。

 以前、エンナカムイで婚約の時に着たものだろうか。いや、その時より装飾は控えめであるが、身につける少ない装飾品でなお高貴な雰囲気を醸し出していた。自分の着ていた儀礼用大宮司の服と同じくらい高そうである。

 

「わぁ、ネコネ、可愛い!」

「うむ! 余の御用達だけはあるのお」

「聖上、その節は大変お世話になり申した」

「こんな秀麗な着物を頂き、ありがとうなのです。姫殿下」

「いいのじゃ! ネコネの働きはこのようなものでは返せぬ。これからもよろしく頼むのじゃ!」

 

 駆け寄るクオンの言葉に照れ乍ら、皇女さんに礼を言うオシュトルとネコネ。

 どうやら、皇女さんが一枚噛んでいたらしい。ネコネはその働きぶりからももっと役職を与えても良かったが、年齢が年齢だったからな。故にこうして服を賜ることにしたのだろう。

 

 そして、ネコネとオシュトルは自分の目の前で止まる。

 

「ハク、待たせたな」

「? あ、ああ」

「……」

 

 自信ありげな顔で佇むオシュトルと、殊更に頬を赤くして裾をぎゅっと掴んでいるネコネが、自分の何かを待っている。

 

「?」

「ハクよ、何かかける言葉があるだろう」

「あ、ああ、かわ──」

 

 可愛いと発言しようとして、トリコリさんの顔が思い浮かぶ。

 そういえば、御洒落している時は可愛いではなく綺麗がいいと聞いた。

 

「──綺麗だと思うよ」

「っ……」

 

 あれ、このやりとり、どこかで──

 その既視感が確信に変わろうとした思考は、オシュトルの大声でかき消された。

 

「皆の者! 今宵は真めでたい日である。帝都を奪還し、聖上と共に平和の礎を築き、遠くトゥスクルとの和平も成った!」

 

 こじんまりした集まりである。

 オシュトルの声はよく響き、ぱちぱちと皆がオシュトルの言葉に返すように酒交じりの歓声と拍手が返される。

 

「そして! この祝賀の宴を締めくくるに相応しい、特にめでたき縁を皆の者にお聞かせしよう!」

「……」

 

 オシュトルが皆の注目を集めた後、ぐっと唇を噛み締めているネコネに皆の視線が向かう。

 縁とは何の話だろうという疑問と、何かが変わる瞬間が迫っていることに、背筋がぞくりとする。

 

「さあ、ネコネ」

「みっ……!」

 

 オシュトルに優しく背を押され、ネコネはぐるぐるとした瞳でこちらを見た。

 視線が合うと、再び顔に血液を集め、猫のような唸り声を上げて自分への警戒度を上げ始める。

 

「う、うなぁ……!」

「ほら、ネコネ。大丈夫だ」

 

 オシュトルがネコネの背を支え、何事か耳元で囁く。すると、ネコネは覚悟を決めたようだ。

 呆けたままの自分へと、前に進み出た。

 

「け……」

「け?」

「け……け、け──結婚してあげても、いいのですよ!」

「……はい?」

 

 時が止まった。

 一拍置き、周囲の爆発的な歓声と拍手が場を支配した。

 

「ネコネ殿、第一夫人おめでとう!」

「いやぁ、新たな御家の誕生ってやつだねぇ!」

「総大将の妹君とありゃ、一番手は譲らざるをえんからのぉ」

 

 おっさん連中が自分のことのように笑みを浮かべ、自分とネコネをでかい拍手で祝福し始める。

 

「いやあ、おめでたいねえ。幸せになってほしいじゃない」

「おー、だんなとおじょうがけっこんか。おめでとうだぞ!」

「ふむ……以前の報告通り、やはりそっちの趣味であったか」

「まあ、そういうな兄者。あれはハクからというよりは……」

 

 いや、はいって返事をした訳じゃなくて、聞き返しただけなんだが。

 という抗議の声はもはや皆の酒が入って泡の詰まった耳には届かない。あのライコウも赤い頬で拍手など慣れない行為をし始めた。いや、あれはわかって嫌がらせしている可能性もあるが。

 

「ちょ、ちょっとま──」

「あ! で、でも浮気は絶対ダメなのです!」

「……へ? いや」

「へ、変態でダメダメのハクさんでも、その、今は駄目なのです、流石に、私も小さいですから」

「あの……ネコネさん?」

「私が、大きくなるまで我慢して、浮気せずにいられたら、その……結婚してあげてもいいのです!」

「……」

 

 もはや絶句である。

 ネコネにここまで言わせて、ここで結婚しませんなどと言えば、恥をかかされたと血祭確定である。

 自分は明日から大事な脛を失ってトゥスクルに永住することとなるだろう。

 

「ネコネが求めれば応える。言質は取った筈だぞ、ハクよ」

「なっ……」

 

 オシュトルは、これを計画していたのだろう。

 あの縁談の類も多分布石である。ネコネにあることないこと吹き込み、こうして皆の前で告白させる機会を作ったのだろう。

 周囲の雰囲気は最高潮である。そして、目の前のネコネも、何か覚悟を決めたように──

 

「どうなのですか? 私は、言ってやったのですよ」

「ね、ネコネ……」

「ハクさんが、浮気をせずに、私だけにするなら……私はいいのです」

「……」

「……んっ」

 

 ネコネは、目を瞑って何かを求める。

 その頬はこれまでと同様赤く染まっており、身長差を埋めるかの如く顎を上げている。そして、つき出すような唇はぷるぷると震えていた。

 

 ──死。

 

 死期を悟るというのはこういうことを言うのだろう。

 未だ喝采を送るのは、男連中とシノノンの声のみ。女性陣はすっと静かな様子で自分を見つめている。

 

 背中が、寒い。指先が震える。

 酒で温かくなった筈の体は、かつて経験した中で最も寒い状態に陥っている。雪の濃いクジュウリにて裸で過ごすよりも寒いと断言できるだろう。

 

 もはや、振り返ることすらできない。

 背中に感じる、どうするんだという視線と、目の前のネコネの接吻待ちの様子を比べ、どっちを選んでも自分の死期が近いことを悟ってしまった。

 この状況で助けてくれそうなマロロは──駄目だ、涎を垂らして幸せそうに寝てしまっている。

 

「ね、ネコネ──」

「ま、待つのじゃオシュトル! 余はこんなこと聞いてはおらぬぞ!」

 

 皇女さんの待った、がかかる。

 良かった。かつて婚約する時もこうして邪魔することに貢献してくれたのだ。いけいけぶち壊せと皇女さんを心から応援していると、オシュトルの厳しい声。

 

「しかし、聖上。これは、ネコネの純粋な気持ちなのです」

「んなっ……し、しかし!」

「かつての政略結婚ではありませぬ。全てはネコネの純粋な想い故……ただの兄として背中を押しているだけなのです。何卒、お許しを」

「……」

 

 オシュトルの言葉に唖然とする皇女さん。

 ネコネも接吻を求める姿勢を続けるのが恥ずかしかったのだろう。今は不安そうに皇女さんと自分を見つめている。

 

「ハクよ、ネコネの気持ちに応えてはくれぬか?」

 

 そうだそうだと、おっさん共から余計な野次が飛ぶ。

 ネコネへの、気持ち──か。

 

 かつてない真剣なオシュトルと、ネコネの恥ずかしそうな視線に、自分の思い出を振り返ろうと──

 

「──ネコやんが結婚するなら、ウチもお嫁さんに立候補するぇ!」

「な、ちょっと待て! 私も御家の後継ぎを産まねばならんのだ、私も立候補するぞ!」

「あ、あの、私もハクさまのお、およめ、さんに……」

「ルルティエ、もっと大きな声で!」

「ふむ、なればここは小生も……」

「うふふっ、なら、私も立候補しちゃいますね!」

「……私も、いえ……や、やっぱり何でもありません」

 

 思考の波を著しく乱す意味の分からない立候補が乱立する。

 唖然としているのは皇女さんだけではない、クオンもである。そしてそれを対岸の火事のように遠くで眺めるウルゥルとサラァナ。

 クオンが皆を制止しようと声をかけた時であった。

 

「ちょ、ちょっと皆……」

「だ、駄目じゃ! ハクは、余と、婚姻を結ぶのじゃからなッ!」

「んなっ!?」

「なぜ其方を大宮司にしたと思っておる! 余の傍に置くためぞ! ハクを他の者にはやらぬ! 余と結婚するのじゃ!」

 

 ここで更なる爆弾発言にざわめきが広がる。

 

 なにせ、腐っても聖上である。

 聖上が己の世継ぎの相手を指定するなど、ヤマトが揺れる程のとんでも発言なのである。このような場で成り行き任せに言っていい話ではない。

 

 早速、お断りの返答をする。

 

「いや、皇女さんは、ちょっと……」

「うむ。そうであろうそうであろう……ってなんでじゃ! 何故ネコネで悩んで余には神速で断るんじゃ!」

「いや、皇女さんは姪みたいなもんだし……」

「なああっ!? 本当の叔父ちゃんでは無いのじゃから、関係ないじゃろうが! 体形と歳を言っておるのなら余とネコネはそんなに変わらぬぞ!」

 

 いや、本当に姪みたいなもんなんだって。

 そう言いたいが、兄貴諸々関連を明かすことになるために、言えない。

 

 それに、皇女さんの自分と婚姻云々は多分、叔父ちゃんを取られたくないだけのただの我儘なのである。きちんと断っておかないと、後が怖い。

 

「なら、誰じゃ! 余を蹴って、誰を選ぶんじゃ!!」

「誰を選ぶったって……」

 

 周囲を見れば、興味津々に自分に目を向ける女性陣と、それを面白そうに酒の肴にしている男性陣。

 なぜ、こんなにも好意を向けられるのか。それは多分、一番付き合いが長いのも関係しているのだろう。そして、何故それに自分は応えられないのか、一番の要因は──

 

「いやいや、皆も縁談を断る理由で切羽詰まっているからって、自分と結婚するとか気軽に言わんでくれ」

「「「「え……?」」」」

 

 ──皆の気持ちは嬉しい。だが、だからこそ、応えられない。

 

 その場の勢いや悪ノリもあるだろうが──多分、本当に自分のどこかを好きになってくれたんだろう。

 

 しかし、ウォシスの件がまだ解決していないこともある。自分を好きだと公言するようなヒトがいれば、ウォシスにどう利用されるか判ったものではない。

 たとえクローンであっても、ウォシスは大いなる父そのもの。ウォシスに戦闘力が無くとも、その言霊でいくらでも強い奴に己への忠誠を強制できる。

 

 あくまでも自分に矛先が来なければ、いらぬ犠牲が増えるだけである。

 ウォシスや兄貴の件を解決するまでは、彼女達に応えることなど、夢のまた夢であるということだ。

 

 戸惑う女性陣に恍けたように言葉を続ける。

 

「え、縁談って?」

「違うのか? 地位の上がった皆のところにもひっきりなしに男からの縁談が来ているんだろう? 自分も色っぽい未亡人女性やら包容力のある大人の女性諸々から求婚されているし、そっちを断るためとはいえ、体の良い偽装結婚なんて協力せんぞ」

「「「「……」」」」

 

 とりあえず、自分が悪者になっておこうと、そう言った。

 酒も随分入っている冷静な思考ではない彼女達である。一発くらいは殴られる覚悟だったのだが、予想以上に女性陣の目が燃えていく。

 

 ──そうか、皆はそんなに自分のことを好きになってくれていたんだな。

 

 それを嬉しく思う。

 

 昼の宴と夜の宴は終わった。

 これから始まるであろう血の宴を想い、悲しい笑みを浮かべて己の体を彼女達に任せたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 一方、男連中の様子と言えば、血の宴が開催されている横で相も変わらず酒を楽しんでいた。

 

「いやあ、ハク殿は前途多難だねえ」

「ああ、漢の真意を教えてあげるのも野暮ってものだからね」

「可愛い嫉妬を受け止めるも旦那の役目じゃけえの。ハク殿は踏ん張りどころじゃて」

「くくっ、旦那も、嬢ちゃん達も、揃いも揃って照れ屋で不器用じゃない」

「まあ、鈍感なところも姉上の魅力ですからね」

 

 男臭い連中に混じり、黙々と酒を飲んでいたライコウが、なるほどと得心がいったように頷いている。

 

「どうした、兄者」

「何、長年疑問であったハクとネコネの婚約が上手くいかなかった原因がわかったのでな」

「そうか。これも喰え、美味いぞ」

「ああ、貰おう。しかし……あの時は信じられず奴を解任したが……あの者が言っていたことは、正しかったということか……」

 

 ライコウは、酒が少し入り赤くなった頬を隠すようにしながら、目を瞑って何事かを考えていた。

 

 オシュトルは、そんなめでたい男連中の宴と、阿鼻叫喚となった宴を見比べながら、ネコネの隣へと腰を下ろす。

 そして、少し悲し気にもそもそと料理を摘むネコネに謝罪した。

 

「すまなかったな、ネコネ」

「いいのですよ、兄さま」

 

 ネコネはそう言うが、ハクも決してネコネのことを嫌っている訳ではない筈である。それどころか好いているとまでオシュトルは思っていた。

 こうしてハクを応えざるを得ない状況に追いつめれば襤褸が出るかと思ったが、またハク特有の空気というか、周囲の横やりもあって有耶無耶にされてしまった。

 ハクの縁談が纏まりそうだとネコネに嘘をつき、焦燥感を与えた手前、己の不甲斐なさも感じていたのだ。

 

「それでも、無理に時機を指定した某に非がある」

「いいえ、兄さま。そんなこと無いのです。私の想いは……きちんと伝えられたのですから。それに……あえて誤魔化してくれたのですよ」

「? そうなのか?」

「はいなのです。ハクさんのことですから……全てが解決するまでは、誤魔化しておこうって魂胆なのです」

「む……」

 

 確かにありえる話であると、オシュトルは顎に手を当てて考えた。

 

 未だウォシスは捕えられていない。ハクは、あのライコウよりも奴を危険視している様子であった。そして、ウォシスの矛先が自分に向いていると確信しているようなのだ。

 ハクはそれが解決するまでは、皆の気持ちに応える訳にはいかないと思っているのかもしれない。

 

「本当に……不器用な人なのです」

「ふ、それが真であれば……そうであるな」

 

 ネコネの瞳には、ハクへの想いが翳った様子はない。ネコネは、随分ハクを信じているようだ。

 恋愛はよくわからぬが、ネコネが正しき人物を見定め、その者の全てを受け入れる覚悟があることが知れた。今宵は、それで満足することにしよう。

 

「……美味い」

 

 ネコネに注いでもらった酒にゆっくりと口をつけ、感想と共に深く息を吐く。

 オシュトルは、未だ怒りの収まらぬ女性陣にぼこぼこにされるハクを酒の肴に、その盃が空になるまで呑み続けたのだった。

 




後は、唯一気持ちを明かしていないクオンだけですね。
次回よりトゥスクル編、つまりは最終章です。ここまで長かった。

斬2発売までには完結させたいですね。(するとは言っていない)
気長にお待ちください。


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第五十話 気まずいもの

 

 ──気まずいなあ。

 

 ソヤンケクル操船による、トゥスクルへの航路。

 そしてトゥスクル港から都への道中を体現する感想は、それに尽きた。

 

「「「「「「……」」」」」」

 

 その気まずさがどこから来るのかというと、馬車に乗り合わせたその面子に原因があるのである。

 

 砂利道で揺れる馬車の中、周囲に並ぶ面々を見れば、結婚してあげてもいいですよと言ったネコネの他、酒に酔っていたとはいえ自分の嫁に立候補したり、色々好意を漏らしたりした女性陣がいた。

 具体的に名前を挙げると、ウルゥルとサラァナは当然として、クオン、ネコネ、皇女さん、ムネチカ、アトゥイ、ノスリ、ルルティエ、シス、フミルィル、エントゥアの面々が黙ってじっとこちらを無言で見つめてくるのである。

 

「……」

 

 宴で彼女達の好意に応えることなく恍けた結果、その場しのぎにはなった。

 その後も、酒と暴力の結果宴のことはあまり覚えていないとは言ったのだが、彼女達が納得する訳も無く。こうして自分を中心に互いに牽制し合っているのである。

 

「久しぶりにお姉さま達に会えると思うと嬉しいですね。ねっ、クーちゃん」

「そ、そうだね、フミルィル……」

 

 まあ、フミルィルみたいにニコニコしてクオンと話す者もいるが。しかし、自分に誰かが積極的に話しかけてくることは無い。

 

 ──胃に穴が開きそうだ。

 

 胃痛に冷や汗を垂らしながら、違う馬車に乗った面子を羨ましく思い、そちらを見やる。

 その視線に応えるかのように、呑気でお気楽な声が聞こえてきた。

 

「おー、かわがきれいだぞ」

「シノノンちゃん、あんまり乗り上げると危ないよ」

「前に来たときも思ったが、街道の側も自然豊かというか森が濃いところじゃない」

「そうですね。イズルハにも似たような森は多いですが、ここは更に入り組んでいるようですから」

「ふむ……某は初めてトゥスクルに赴いたが、成程確かにこれはデコポンポでは難儀したであろうな」

「兄者であっても難しいと言わしめたからな。ヤマトとの立地の違いはやはり大きい」

 

 いいなあ。向こうに行きたい。

 向こうの馬車の面々は、シノノン、キウル、ヤクトワルト、オウギ、オシュトル、ミカヅチが搭乗しているのである。

 つまり、自分以外の男性陣とシノノンは全員あっちである。それ以外の女性陣は全員こっちである。

 

 もし時を戻せるのであれば、トゥスクルで用意された馬車に自分が真っ先に乗ったことを阻止したい。

 自分が最初に乗ったことを確認した後、後続に続いた者によって何故かこういう配置になってしまったのだ。

 

「……」

 

 視線を感じ、ちらとネコネを見れば、目が合うと思ってなかったのだろう。慌てて視線を足元に戻した。

 ネコネは彼女達の中で最も好意を発した手前、こうして目を合わすと照れるように視線を反らされるのだ。

 そして──

 

「……やっぱり、覚えてるんやないけ?」

「い、いや、何のことかわからんな」

 

 酒に酔ったアトゥイに顔を殴られたために宴の記憶が無い設定が嘘であると見抜かれないよう、アトゥイの疑惑の視線を躱しながら必死に弁護する。

 

 ──ああ、気まずいなあ。

 

 トゥスクルへの友好を示すためにもオシュトルや皇女さんが着いてくることはわかる。

 案内の為にクオンやウルゥルとサラァナがいるのもわかる。故郷だからフミルィルがいるのもわかる。

 しかし、他の皆は何故こんなにも自然についてくるのか。

 

 ──マロロ、お前に会いたいよ。

 

 帝都が蛻の空になることを恐れ、今はマロロが代替の総大将を務めてくれている。補佐はゲンホウとソヤンケクル、そしてライコウであるからして、ウォシスがトゥスクルに狙いを定めている間は大丈夫だろう。

 ライコウ自慢の通信兵達もそっくりそのまま残しているので、いざという時の外敵にも備えられる。

 

 しかし、マロロがいればまたこの雰囲気も違ったんだがなあ。

 

 その気まずさは、トゥスクルからの迎えの使者が来たことによって、少し霧散する。

 しかし、それまではこの無言の空間で一人肝を冷やしていたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 トゥスクルの都まであと少しという関所でのことである。

 都から迎えの者が来るというので、一度馬車から降りて待つこととなった。緊張のためか固まった背を伸ばし待っていると、何者かに肩を叩かれ振り返る。

 そこには──

 

「──ハクちゃん! 久しぶり!」

「おひさ」

「あんたらは確か……以前使節団として来た、アルルゥとカミュ……だったか?」

 

 アルルゥは森の母であり、トゥスクルの重鎮。カミュはトゥスクル筆頭呪術師という肩書きを持っている。

 二人ともかなりの美人であり、カミュなどは特にその仲間の誰よりも豊満な胸が特徴的である。そして、二人ともクオンの姉を自称している存在であった。

 

「あんたらが都からの使者なのか?」

「そだよー。名前まで覚えてくれて光栄だね」

「ん、正解者限定品」

 

 もそっ、とムックルと呼ばれた白虎の背に乗るアルルゥよりハチの子を渡される。

 帝都への使節団の時に会った時から、残念美人度は変わってないようだ。

 

「? ん、食べる」

 

 手に取らない自分を見て、尚ねっとりとしたものをぐいぐい差しだされ、どこにこんな隠し持ってたんだよとツッコもうとした瞬間、背筋をぞくりとした感覚が襲った。

 

「また、女……」

 

 彼女達には会っている面々も多い筈である。特にネコネやルルティエ、アトゥイ、ノスリはクオンの身の上話も彼女達から聞いている思い出もある。

 多分、彼女達を知らない誰かが呟いたのだろう。誰だったのかはわからないが、聞こえてきたからには誤解を解かねばなるまい。

 

「い、いやいや、彼女達は自分になんて興味ないぞ!」

「あははっ、相変わらずおじ様みたい!」

「ん……エルンガー」

 

 わたわたと慌て、冷ややかな目をする女性陣に必死に弁解する自分を見て何を思ったのか。

 都よりの使者は懐かしい光景を見たかのように笑みを浮かべていた。

 

 そして、衛兵と何事か話していたクオンとフミルィルが二人の姿を見て合流する。

 フミルィルは笑顔を浮かべて駆け寄って来たが、クオンはそれに反して気まずいのか伏せ目がちに近づいて来た。

 

「まあ、カミュお姉さま。アルルゥお姉さま。ただいま戻りました」

「わあっ、フーちゃん! お帰りなさい」

「クーもお帰り」

「う、うん」

 

 トゥスクルの懐かしい面々が旧知の挨拶を交わし始めたが、カミュとアルルゥの二人はクオンに対して苦言を呈するように眉を顰めた。

 

「クーちゃん? とーっても心配したんだからね」

「ご、ごめんなさい……お、怒ってる?」

「オボロとの約束を破って、ハクちゃんのところに行くーって抜け出したこと?」

「……か、カミュ姉様、それは」

 

 慌ててカミュの口を塞ごうとするクオン。

 それに少し怒りの様子を示したのはアルルゥであった。

 

「オボロボロだった。クーには皆からたっぷりお仕置き」

「……ひ!?」

 

 合掌。

 クオンはその言葉と同時に尻を抑えている。成程、折檻は過酷なのね。

 しかし、クオンは自分を帝都から救いだす為に、危険な渦中に飛び込んでくれたようなものである。一応弁解してやらねば。

 

「まあ、待ってくれ。クオンは自分を助けるために抜け出してくれたんだ。どんな約束だったかは知らないが、クオンがいなければこっちとしては死んでいたかもしれないし、自分に免じて仕置きは無しにしてやってくれ」

「は、ハク……!」

 

 クオンがこれまでにない程の感謝を示し、こちらを見る。

 そんな自分達の様子に、アルルゥとカミュの二人は首を傾げて考えるように顔を見合せた。

 

「ん~……どうする? アルちゃん」

「ん。じゃあ、代わりにお前が受ける」

「うわぁ、アルちゃん、それ名案!」

 

 どうやら矛先がこっちに向くことが決まったようだ。

 仕置きと聞いてクオンが尻を抑えていたあれから察するに、お尻ぺんぺんか。

 

「……やっぱり、クオンにも悪いところがあるよな。うん」

「ちょっと、ハク!?」

 

 裏切らないでと抗議の声を上げるクオンに、心の中で謝罪する。

 

 すまんな、クオン。

 自分より年下に見える美女にケツを叩かれるなんて、涙が出る程情けないんでな。

 

「まあ、それでもね。クーちゃんが危険な目に自分から飛び込んでいったのは事実だから」

「クーだけの命じゃない」

「……ごめんなさい」

「ふふっ、わかってくれたらいいの!」

「でも、痛くなければ覚えない」

 

 アルルゥがその掌で素振りを始める。風を切る様からして、かなりの威力がありそうだ。

 クオンが涙目でこちらを見るも、しかし庇えない。自分は叩かれることが御褒美の人種じゃないんだ。

 

「アルルゥ様、カミュ様、お久しぶりなのです」

「うん、皆もおひさ~!」

 

 帝都で一度クオンを通じて顔見知りとなったネコネ他懐かしの面々が和やかに会話をしていると、遅れてオシュトルや皇女さんが合流してきた。

 オシュトル達が遅れて来たのは、馬車に乗って休憩していた皇女さんとムネチカを、使者の姿に気付いたオシュトルが迎えに行っていたのだろう。

 

「これは、トゥスクルの使者殿……カミュ殿とアルルゥ殿と申したか」

「はい。新たなヤマトの帝様、そして総大将オシュトル様。そして皆様方、ようこそトゥスクルへ。この国を代表して、歓迎いたします」

「ん、歓迎する」

「うむ、クオンがあれほど自慢する国じゃ。トゥスクルの良きところを知られればと思っておる」

「ええ、以前は大使の一人として貴国に歓待を受けた身。勿論、案内役としてトゥスクルでおもてなしさせていただきますね」

「御厚意、痛み入る」

 

 自分やクオンと話していた時とは違い、オシュトルや皇女さんにはキリっと外行きの対応を返すカミュ。

 そんなこともできるんだなと感心していると、こちらに振り返ってにひっと悪戯な笑みを浮かべている。成程、素は相変わらずそっちなのね。

 

「それでは、皇都までご案内させていただきます」

「ああ、お願いする」

 

 オシュトルの返答を皮切りに、次は別の馬車に乗り込むこととなった。

 今度は同じ過ちを繰り返すまいと、自分は最後に乗ることにする。じっと皆が乗る様子を離れて眺めていると、アルルゥとカミュが傍に寄ってきた。

 

「ねえねえ、ハクちゃん。君、大宮司になって親善大使にもなったって聞いたよ?」

「あ、ああ。まあ、そうね、いつの間にかね」

「クーのため?」

 

 アルルゥが、首を傾げて聞いてくる。

 何故クオンが出てくるのだろうか。

 

「クオンの? いや……そんなことはないが」

「なんだ~、てっきりクーちゃんに釣り合うよう頑張ったのかと」

「ん、残念」

「ちょ、ちょっと姉様達! 余計なこと言わないで欲しいかな!」

 

 馬車に乗ろうとしていたクオンは嫌な予感が走ったのだろう。折檻を受けることが決まって未だ涙目ながら、馬車の影から弱弱しく抗議の声を上げている。

 

「にししっ、隠すことないのにね~」

「ん」

 

 クオンの言葉に対して特に意に介した様子も無く、姉さまと呼ばれた二人は顔を見合せて笑顔を浮かべていたのだった。

 

 そして、馬車に揺られながら都までの道中である。

 自分は最後に乗るという策が功を成し、何とか女性陣に囲まれる事態は避けられた。

 

 故に以前のような気まずさは消えたが、今度は別の気まずさが場を支配し始める。

 

「ねえねえ、クーちゃんとはどこまでいったの?」

「ふんふん」

「いや、その……」

 

 このように、カミュとアルルゥに根掘り葉掘りクオンとの関係性や進展について聞かれるのである。

 以前の帝都でのやりとりを思い出すも、今の自分から応えられることは少ない。

 

「う~……っ」

 

 あることないこと応えれば、先ほどよりも遥かに恥辱と殺意の籠った視線を送るクオンによって、自分の頭は粉々に砕け散ることは予想がつくからな。

 

「いや、特に何も……」

「ええー? あれだけ一緒にいたのに?」

「甲斐性なし」

 

 うるさい。

 猛獣に手を出したら死ぬ世界なんだ、こちとら。

 

「カミュち~」

「うん、アルちゃん。この人、おじさまより朴念仁かも」

 

 二人の言葉に、クオンが殊更に顔を赤くしていたのが、怒りなのか恥なのか、その時はわからなかったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 馬車から降り、トゥスクル皇都の街並みを皆で見物していた時であった。

 急にクオンが実家に挨拶すると言って皆と別れ、それに追従する形でフミルィルもクオンについて行ってしまった。

 故に、クオンとフミルィルを抜いた面子と使者でゆっくりと都の観光をしながら、トゥスクルの宮廷内へと足を運ぶこととなった。

 まあ、クオンがトゥスクルの中でもやんごとなき方であろうことは皆も察していたので、隠したいことがあるのだろうと特に気にせず見送ったのだが。

 

 ──そろそろ話してくれてもいいと思うんだがな。

 

 自分が帝の弟で、大いなる父であることをクオンだけが知っていることもある。

 他には話せなくても、自分には話してほしい。クオンと秘密の共有をしたかったという想いもあったのだ。

 

 まあ、女の過去や隠し事をほじくる趣味は無いので、話したくなれば話すだろうと半ば諦めながら謁見の間へと足を進めていた。

 

 そして、城の中で最も高いところにある謁見の間へと到着し、各々が皇の登場を待って座していた頃である。

 かつて皇女の伴を務めていたクロウがどすどすと遠慮なく入って来たかと思うと、部屋の外まで聞こえるであろう声でその名を呼んだ。

 

「トゥスクル皇、並びに皇女の御出座であるッ!」

 

 一同の前に現れるは、トゥスクル皇、そしてヤマトに何度も足を運んでくれた皇女の姿。そしてその護衛というかのように、そこにはベナウィの姿もあった。

 

「よく来た、ヤマトよりの客人よ」

 

 初めて会うトゥスクル皇が、髭を蓄えた口元を綻ばせながら挨拶を述べた。

 

 挨拶を返す前に、違和感。

 

 あれ、トゥスクル皇──あの髭のおっさん見覚えあるんだが、と記憶を探るもどうも思いだせない。

 

 しかしあのおっさんの声を聞いていると妙に腹が痛む。どっかで一緒に酒飲んだり、腹を殴られたりしたのだろうか。

 そんなこちらの疑惑の視線も厭わず、皇の機嫌は良さそうである。それどころか、隣の皇女を見て極大の笑顔を浮かべていた。

 

 皇女はそんな皇の様子に辟易したように溜息をついた後、こちらへ向けて挨拶をした。

 

「遠路遥々、よくぞ我がトゥスクルへ来た」

「うむ。其方やトゥスクルには随分世話になったからの。今度はこっちから来てやったのじゃ」

 

 尊大な態度に尊大に返す皇女さん。

 皇女さんの皮肉交じりの挨拶には大した反応を見せず、冷静に今回来た要件を訪ねられた。

 

「して……親善大使だけでなく、帝や総大将自ら来訪したのだ、それなりの理由があろう。此度の御用向きとは?」

 

 皇女の疑問に応えたのは総大将オシュトルである。

 

「は、トゥスクルへの感謝、そして和平を……」

「前置きは良い……他にあるのだろう?」

 

 皇女は前口上的なことについてはいらぬと判断したのだろう。

 こっちも一番伝えたい用件が別にあった手前、とんとん拍子に話が進むのは有難い。

 

「……トゥスクルに、危機が迫っていることをお伝えに」

「ふむ? その危機とは」

「は……かつてヤマトで八柱将をしていた、聖上を裏切りし者──その名はウォシスと言います」

「ウォシス……その者がどうかしたのか」

「ウォシスは、先のヤマト戦乱の最中逃げ果せ、未だ我らの和平を阻もうと影で何かを目論んでおります」

「何か、とは?」

「一つ判っておりますのは……彼の者がマスターキーなるものを狙っているということです」

 

 マスターキー、その単語を出した瞬間である。

 

 ぴん──と、その場にいたトゥスクルの面々全員の雰囲気が変わった。あのにこにこ笑みを浮かべていたカミュやアルルゥでさえである。

 ある者は眉を寄せ、ある者は警戒するようにその瞳を薄くし、ある者は苦い笑みを浮かべる。

 

「ほう……マスターキー、とやらを、な」

「はっ、してそのマスターキーは、かのトゥスクルにあると……ウォシスは公言しておりました」

「それを、狙っていると?」

「はい。故に、聖上と共に某自らこうして警告を……またウォシスも元はと言えばヤマトの将、トゥスクルへ危害を及ぼす前に、いざという時の兵力として参った次第であります」

 

 オシュトルと自分の一騎討ちは皆の中では無かったことになっている。

 代わりに皆の中で共通しているのは、自分とオシュトルを襲った黒幕はウォシスであったこと。そして、トゥスクルでマスターキーを狙っているということである。

 

 マスターキーの名をオシュトルに出させるかどうかは迷ったが、クオンでも場所を知らない遺物である。もしどこかに保管されているのであれば、トゥスクル皇や皇女に聞くのは一番の近道とも言える。

 勿論、自分としてはたとえトゥスクルにとって大切なものであっても、クオンと協力して譲渡してもらうか、それが叶わなければウォシスのせいにしてこっそり持ち去るつもりではあるのだが。

 

「ベナウィ……ウルトリィに伝令だ」

「はい」

 

 皇女の隣に座る皇が重苦しく呟く。

 すると、皇の言伝を受けたベナウィは、謁見の間の傍に居た兵に何事か囁き、その後伝令に走る兵の背を見送っていた。

 

 彼らの反応を見れば、マスターキーと呼ばれる物に何らかの心当たり、もしくは情報を知っている事は理解できた。保管場所の手がかりを入手できるかとも思ったが、それを自分たちに明かすつもりは無さそうだ。

 後はクオンと協力して場所を探るしかないだろうな。

 

 皇女が黙りこくる皇に代わって言葉を続けた。

 

「わかった。態々それを伝えに来てくれたことに礼を言おう。しかし、その方の警戒はこちらに任せよ。態々遠方より来たのだ。客人としてゆっくりしていくが良い」

「は……ただ、ウォシスは妙な呪術を用います。言霊──言葉によって他者を縛る力を持っておるのです」

「そのようなもの、我には効かぬ」

 

 おいおい、いくらウォシスがクローンとはいっても、大いなる父とそう変わりはない。デコイに対して絶対的な言霊を効かないと公言するとは。

 まあ、ウルゥルとサラァナによれば天子らしいので、そのような言霊に反する力を持っているのかもしれない。

 

 オシュトルは自身の体が動かない経験をしただけに、皇女の言葉に疑問を持ったのだろう。

 重ねるように言葉を返した。

 

「しかし、某も彼の者の言霊に……」

「諄い。其方らに戦力としての働きは期待しておらぬ、たとえ其方らが討ち損ねた将であっても、一度トゥスクルに足を踏み入れたのであれば……そこからは我らの領域である」

「は……では、もし御用とあれば、遠慮なくお申し付けください。我らも、トゥスクルとの和平に禍根を残したくはないのです」

「勿論だ、この件で其方らを責めるつもりはない」

「何と……皇女のご配慮、真痛み入ります」

「よい。何かあれば連絡はしよう。移民政策の件が固まるまでは……この地でゆっくりと疲れを癒すが良い」

「重ね重ね、トゥスクル皇女に感謝の意を」

「うむ。夕刻には簡素ではあるが宴も用意してある、それまでは各々の部屋で待機めされよ」

 

 謁見はそれで終わった。

 カミュとアルルゥによって、使者のためと用意された各部屋へ案内されることとなった。

 

 自分も馬車に揺られて腰が痛い。

 クオンが戻ってきた後、マスターキーをどう手に入れるかについて相談するまで時間もあるだろう。さっさと部屋に行って寝転がるかと立ち上がると、皇女より呼び止められた。

 

「待て、ハ──大宮司ハク殿」

「ん?」

「其方は親善大使であろう。其方と話したいことがある。残れ」

 

 オシュトルや皇女さんに目配せし、軽く頷き合う。

 一応、移民政策関連に関しては自分も頭に叩き込んでいるので、任せてくれるのであろう。

 

「ああ、わかった」

 

 各々がカミュやアルルゥに連れられて謁見の間を出ていく。

 残るのは自分と、じとーっとした視線で皇女を見つめるウルゥルとサラァナである。

 

「「……」」

「そ、其方達も先に行け」

 

 皇女からそう指示されても警戒しているのか、ウルゥルとサラァナだけは梃子でも動かなかったので何とか説得して背中を押す。

 

「な、頼むよ。後から行くから」

「「……御心のままに」」

 

 皆が出ていったのを確認した後、自分はその場に座り直した。

 残されたのは、自分と、トゥスクル皇女、トゥスクル皇、ベナウィ、クロウである。

 

「……」

 

 ぽつんと一人残され、何だか気まずい。

 先ほどまでにこにこしていたトゥスクル皇も、何だか怖い視線を向けてきている。

 

 ──何だろう、この嫁の実家へ挨拶に行くような気分は。

 

 いや、行ったことはないんだが、何だかそんな感じがする。

 そういえば、道中水も余り飲んでない。喉と舌が渇いた感じがしながらも無言の空間に一石を投じた。

 

「あの……話……とは?」

「そうだな……まず──」

「──待て、まずは俺から聞きたいことがある」

 

 皇女の言葉を遮り、トゥスクル皇が立ちあがる。

 

「お、お父様」

「見定める機会をもらう……そう約束した筈だぞ」

「……」

 

 二言三言彼らがやりとりした後、皇女は諦めたように項垂れた。

 トゥスクル皇はそんな皇女の様子を気にするまでもなく、正座する自分の傍へ近づいて来ると、眼光鋭く腕を組んだまま目の前へと腰を下ろした。

 

「貴様、ただの平民から大宮司になったと聞いたぞ」

「ええ……まあ、はい」

「何故だ」

「えっ」

「何故、偉くなったんだ」

「……」

 

 一体、何を試されているのだろうか。

 しかし、間違ったことを言えば即座に首が飛ぶような殺意が眼光から発せられている。

 

 大宮司になったのは成り行きではあるが、その通り正直に応えると殴られそうである。耳聞こえのいい返答をすることにした。

 

「まあ……仲間の為、だな」

「ほう、仲間……それは、惚れた女でもいたということか?」

「??」

 

 どういうことだ。

 何故、惚れた女がいたら大宮司になるのだ。

 

「いや、違う」

「……そうか。では質問を変えよう。貴様のところに、クオンという美しい娘がいるだろう」

「? ああ」

「その娘について、どう思っている?」

「どう、って……」

 

 何故、クオンのことをこの目の前のおっさんが気にするのか。

 それがわからないが、とりあえず答えないと強引に口を割かれそうな雰囲気である。

 

「──恩人だ」

「ほう? それだけか?」

「それだけ、とは?」

「クオンはこの世で最も美しい女だ……貴様も男なら、好きとか、愛しているとかあるだろう」

「……」

 

 クオンを、そのような気持ちで語れるのか。

 それはわからないが、とりあえず目の前のこのおっさんにとって、クオンという存在はかなり大きい存在であるようだ。世界で最も美しいとか言っているし。

 

 目の前のおっさんはクオンとかなり歳は離れていそうだが、クオンとそんなに似てないから実の父でも無さそうだ。しかし、恋人とか許嫁のような間柄でも無さそうである。何となくだが、クオンのことを純粋に心配しているようにも思えた。

 多分、クオンがやんごとなき身分でもあるからして、自分のような平民上がりの人間が周囲をうろついているのが気に喰わないのだろう。クオンに不利益を齎す変な蟲だと払おうとしているのかもしれない。

 

 であれば──自分にできることは、正直に話すことだけだ。

 

「わからん」

「何?」

「自分にとってクオンは……何度も命を救われた恩人でもあり、自分に広い世界を見せてくれた恩人でもある」

「……」

「クオンがいたからこそ、ここまで来られた。あんたが自分の何を試しているのかは知らんし、クオンが好きかどうかも自分にはわからん、が──クオンには、今まで貰った恩を返そうと思っている。まあ、返しきれるものでもないが……クオンと、自分が納得できるまで返す。それだけは嘘偽り無い」

 

 多分、クオンはこのおっさんが気にかけるほどの重鎮なんだろうな。

 折檻されると怯えていたし、ここまで言えばクオンの罪状も軽くなるだろう。

 

 そう思って言ったが、目の前のおっさんは自分への判定をどちらに傾けるか悩んでいるようだった。

 

「……」

 

 目の前のおっさんと睨み合うように無言の時間が訪れる。ぎすぎすした気まずい雰囲気が部屋に満ちて暫く経ってからだった。

 

 トゥスクル皇の肩にぽんとクロウが手を置き、その空気を霧散させた。

 

「いいねぇ……ここまで侠気見せられても、納得は難しいですかい?」

「ちっ……五月蠅いぞ、クロウ」

 

 舌打ちしながら、皇は肩に乗せられた手を払うように立ちあがる。

 

「……ふん」

 

 不機嫌そうにこちらを一瞥した後、謁見の間を大股で出ていってしまった。

 それに追従するかのように、ベナウィとクロウも出ていってしまう。

 

 ──結局、何の質問だったんだよ。

 

 その疑問に答えられそうなのは、目の前に一人残った皇女のみ。

 

「……」

 

 しかし、その皇女も、何だか顔を伏せて黙っているようであった。

 顔を隠しているのでその表情はわからないが、何やら肩もぷるぷると震わせており、小声でもう明かせないとか何とかぶつぶつ文句を言っていた。

 

 とりあえず、自分も早く部屋に行って休みたい。

 話が一向に進まないので、声をかけることにする。

 

「あの……」

「ひゃ、ひゃい!? な、なにか!」

「……いや、結局、何の話をするんだ?」

「あ、ああ……そ、そうだな。うむ……」

 

 皇女はふーと息を吐いて呼気を落ち着けると、きっと視線をぶつけるような様子でこちらを向いた。

 

「ぐ、具体的に、クオンにどう恩を返すつもりなのだ?」

 

 お前もクオン信者かよ。

 トゥスクル勢力にとってどんだけクオン人気なんだ。そして何故自分はこうも目の敵にされているのだ。

 

「いや、具体的には考えてないが」

「そ、そうか……まあ、例えばで良い」

「……」

 

 例えばと言われ、うーんと考え込む。

 

 クオンが好きなのは酒、飯、旅行か。自分も酒も飯も旅行も好きである。

 提案するならば──

 

「まだ見たことないところが沢山あるからな。大宮司になったからか給金も多い。酒に、飯に、宿にと、ぱーっと金子を使って、クオンと一緒に、見て回れたらいいなとは思っている」

「ほ、ほう?」

 

 皇女は喜色を帯びた声でその先を促す。

 間違いでは無かったようなので、自分なりの提案を続けた。

 

「以前の自分は土竜みたいな地下生活だったからな。この美しい世界を見て回りたい。それに、クオンも連れていけたらなあとは思っていた」

「よ、良いのではないか。クオンも喜ぶ」

「そうか?」

「ああ、二人きりで行くのだろう?」

「いや、仲間と皆でだが──」

 

 ぴり──と、恐ろしいほどの殺気が場を支配する。

 クオンと二人きりなどクオン信者の彼女であれば警戒して嫌がるかと思い、安心させるために言ったのだが。一体、何が気に喰わなかったのだろうか。

 

「仲間の皆と、か、そうかそうか……」

 

 絶対的な捕食者を前にしたかのような緊張感が己を襲う。

 先ほどの皇から発せられていた眼光の比ではない圧である。舌が渇き、思わず唾を呑み込んだ。

 

「……な、何か?」

「仲間の皆よりも、うむ……二人きりが良いだろう。そうだ、それがいい」

「えっ……」

「じきにクオンも城に帰って来よう。まずは、クオンに二人でどこか行かないかと誘え。そして想いの丈を伝えるのだ、良いな」

「は、はい……」

 

 有無を言わさぬとはこういうことを言うのだろう。

 思わず首をぶんぶんと縦に振っていた。断ればきっと自分の頭が砕け散ると一瞬夢想してしまったこともある。

 

「良い返事だ。では……此度の話は以上とする」

 

 そして、皇女はもはや話は終わったというように立ちあがり、謁見の間を後にした。

 自分は、ぽつんと一人取り残される。

 

 ──あの、自分の部屋はどこですか。

 

 その疑問は、一人謁見の間に残された自分にはわかる筈も無いのであった。

 

 




トゥスクル皇女からアドバイスされたので、次回はクオンとデートします。
ウォシスはもうちょっと待っててね。


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第五十一話 繋がるもの

クオンとのデート回。


 謁見の間に取り残された後、廊下を歩く衛兵に自分の部屋を訪ね、不審に思われながらも案内されて暫くである。

 トゥスクル皇女は、じきクオンが帰ってくると言っていたのでウルゥルとサラァナと共に部屋で何をするでもなく待っていると、別の騒がしい来客があった。

 

「なんでよりにもよってここに来るんだよ」

「え~、なんか面白そうなものが見れそうだと思って」

「ん」

 

 カミュとアルルゥが皆の案内を終えて暇なのか、自分が横になるよりも先に自分の布団を広げて本など読み始めている。

 二人を探す衛兵の声が廊下より響く。

 

「カミュ様とアルルゥ様はいらっしゃったか?」

「いえ、それが……」

「全く、また悪い癖が出たか……」

 

 悪戯が成功したかのような笑みを二人揃って浮かべているので、きっと日常的にこの二人は逃走を図っているのだろう。

 しーと口元に指を当てる二人であるが、ここは自分の憩いの場である。廊下に出て教えてやろうか迷ったが、二人には聞きたかったこともあるし黙ることにした。

 

「あ、そうだ。さっきオボロが泣き崩れてたけど、ハクちゃん何か言ったの?」

「オボロ?」

 

 思いついたというように聞いてきたカミュであるが、オボロという名が誰なのか判らず首を傾げた。

 

「えーっと、トゥスクル皇だよ」

「ああ、あのおっさんか……」

 

 皆がいなくなった後、謁見の間でのことだろう。何を言ったと言われても、クオンのことについて聞かれただけである。

 あの問答で泣き崩れる理由がわからん。どっちかと言えばこっちの方が泣きたいくらい雰囲気が悪かったのだ。

 

「クオンのことだが」

「クーの?」

「ああ」

「何て言ったの?」

「いや、クオンは恩人だって言っただけだ」

「それだけ?」

「ああ。その恩をクオンに返したいとか何とか、言ったな」

「……なるほど~、それでツンツンするところが無くて泣いてたんだねぇ」

 

 ふむふむとカミュが面白そうに呟く。

 

「結局あのおっさんにとってクオンは何なんだ?」

「教えてあげたいけど、私の口からは……ねー、アルちゃん」

「ねー、カミュちー」

 

 顔を見合せて笑う二人に、情報源として当てにならないと感じる。

 そしてアルルゥを見やれば、話よりも興味のあるものに惹かれたようで、客人用に置いてあった菓子類に手を付け始めている。

 

「もふもふもふもふ」

「あ、アルちゃん、それ私も食べる」

「ん」

「あの……もう帰ってくれんか」

 

 やりたい放題しすぎである。

 一応自分はヤマトの客人である。いくらトゥスクルが彼らの国であるとしても客人の前でする態度ではない。やはり先ほどの衛兵に突き出すべきだったかと今更ながらに後悔し始めた。

 

「え~でも将来義理の弟になるかもだし! ハクちゃんもここでお姉ちゃんに可愛げのあるところ見せとかないと!」

「お前も私達を姉さまと慕う」

「姉さま? あんたら、そんな歳──」

 

 どちらかと言えば妹だろうと年齢について言及しようとしたが、そういえば、デコイは長寿種。

 少女のように若い容姿であるが、もしかしたら自分より年上の可能性もあるのだ。

 

「あ、なんか失礼なこと考えてる顔してる」

「い、いや、そんなことはないぞ」

「弟は初めて」

「あ、確かにアルちゃんの言う通りだね! フーちゃんとか義妹はいるけど、弟って無かったよね!」

 

 自分を置いて盛り上がる二人。

 クオンがこの二人を苦手とする理由が何となくわかる。会話が好き勝手にころころ転がり、話の主導権を常に握られてしまうのだ。

 ウルゥルとサラァナは、オンカミヤリューであるカミュを苦手としているのか口を開かずじっとしているし。

 

 まあ、自分の安寧の部屋を荒らすだけ荒らしてくれたのだ。

 多少はこっちから質問をさせてもらおうと、先ほどの謁見の際に見せたある反応について聞いた。

 

「カミュさんアルルゥさんよ、菓子はもう全部食べていいから……今度はこっちから質問してもいいか?」

「? ハクちゃんから? 個人的なこと以外ならいいよ!」

「女の秘密」

 

 ダメー、とお道化た様に互いの体を守る仕草をする二人。

 

「いやいや、あんたらの個人的な隠し事には興味ないから」

「ふむふむ、じゃあ何?」

「あんたらは、マスターキーと呼ばれる物が何なのか知っているのか?」

「……」

 

 カミュとアルルゥは一瞬言ってもいいかどうか迷う素振りを見せた後、二人して頷き合ってその答えを誤魔化した。

 

「うーん、私達からは言えないかなあ」

「そうか」

 

 何か知っているという言葉ではあるが、言うつもりはない。つまり、トゥスクルにとって秘匿すべきことなのだろう。

 クオンに会ってマスターキーの所在を探る必要があるな、と考えていたが、でもとカミュは言葉を続けた。

 

「お姉さまなら判断できるかも」

「お姉さま?」

「オンカミヤムカイ賢大僧正」

 

 アルルゥが補完するようにその役職を言う。

 沈黙を守っていたウルゥルとサラァナが警戒するように呟いた。

 

「ウィツァルネミテアの総本山」

「かの眷属達の宗教国家、その頂点に立つ者ですね」

「そうなのか」

 

 トゥスクルにおける一大宗教の頂点。

 カミュのお姉さまとやらは、とんでもないお偉いさんみたいだ。ん、しかし、ということは──

 

「お姉さまはウルトリィって言って──」

「何? ってことは……あんた、オンカミヤムカイの姫様なのか」

「そうだよー、えへへ、驚いた?」

 

 そりゃ衛兵が探すわけである。

 とんでもないお偉いさんだ。全然感じないが。

 

 衛兵に密告するか迷っているとその心根が透けて見えたのだろう。自分の口元に指を当てて阻止した。

 

「あ、密告したりしたら駄目だよ。もしバラしたら……」

「布団が蜂蜜まみれになる」

 

 何だよその子どもっぽい復讐の仕方は。

 とりあえず、バラすバラさないを話していても仕方がない。マスターキーについて再び問う。

 

「その、ウルトリィってヒトなら知っていると?」

「うん。多分、近日中にここに使いが来ると思うよ。オボロが伝令を出したし」

「そうか……」

 

 であれば、そのウルトリィ、もしくは使いの者が来たときに、色々聞くのがいいのかもしれない。

 マスターキーについては、ウォシスを阻むだけではなく、兄貴の為に自分が手に入れる必要もあるのだ。ただ、そんな総本山にもし保管されているのであれば、手に入れるのは困難そうだ。

 

 そこはクオンと相談だなと、待ち人を待とうとふと音のする方へ視線を向けた。

 そこには、既に目の前の菓子を平らげ、奥から新たな菓子を取りだすアルルゥの姿であった。

 

「もふもふもふ」

「あ~、お茶が欲しくなってきたね」

「ん、弟のお前が出す」

「あの……やっぱり、帰ってくれんか」

 

 客人なら茶を出すのはあんたらの役目だろうが。

 聞きたいことも聞き終わったし、この独特の空気感から逃れたいがクオンが来るまではここを離れられない。

 誰か助け舟に来んかなと悩んでいると、目的の人物が襖の前に現れた。

 

「ハク? この部屋にいるって聞いたんだけど……」

「ああ、クオンか。入ってくれ」

「よかった、やっぱりここ……だ、った……?」

 

 クオンは襖を開き自分の顔を見て喜色を浮かべるも、布団に寝転んで菓子を食べ散らかす二人の存在に気付き、その表情を歪めた。

 

「な、な、何で姉さま達がここに……!」

「お帰りークーちゃん。ふっふっふ、お早い御着替えでしたな」

「カミュちー、言ったらだめ。クーは義弟になったハクに会いたかっただけ」

「あ、そうだね。野暮なこと言ってごめんね、クーちゃん」

「ち、違うから! というか、ハクが義弟ってどういうことかな!」

「どうって……」

 

 ねえ、と言ったように二人が顔を見合せる。

 だってクーちゃんは、と言い切る前に、クオンは嫌な予感がしたのだろう。真っ赤になった表情で慌てて二人の口を塞ごうと飛び込んできた。

 

「わ、わーわーわー!!」

「あははっ、照れ屋さんなんだから」

「クーは分かり易い」

「そうだね、なのに弟のハクちゃんと来たら……」

 

 じとーっとカミュとアルルゥより不躾な目線を送られる。

 何かはわからんが、かなり馬鹿にされているようである。

 

 ただ、このわちゃわちゃ感から早く逃れたかったのと、皇女から言われたクオンを誘えと言う言葉が頭に過ったため、これ以上荒らされる前にクオンに声をかけることにした。

 

「とりあえず、待ってたぞ。クオン」

「あ、うん……ごめんね、待たせて」

「いいんだ。とりあえず、夕刻の宴まで時間があるし……その辺の案内をしてくれると嬉しいんだが……」

「えっ? で、でも……」

「駄目か? できればクオンと──二人で行きたい」

 

 マスターキーについて話したいこともある。

 カミュとアルルゥが一緒だとそれこそ落ち着かないので、それとなく二人でというのを強調して誘ったその時である。

 

 きゃあああと黄色い悲鳴を上げて、アルルゥとカミュが互いの手を握って盛り上がった。

 

「二人だって! ハクちゃんとクーちゃんで逢引だ!」

「ふんふん」

「ち、違うから! ハクも、皆のいる前でそんな……というか、そもそも何で姉さま達がここにいるの!」

「えー? なんか面白そうな予感がしたから」

「朴念仁の観察」

 

 クオンは二人の言葉に頭を抱えてよろよろと座り込んでしまう。

 何事か計画していた予定がお釈迦になったような反応である。助け舟となってくれるかと思ったが、矛先がクオンに向いただけで場は未だ二人の主導権。

 

 少し強引に行かねば、皇女の指示通りクオンと二人きりになるのは難しいか。

 

「クオン、とりあえず行こう」

「えっ、あ、ちょ、ちょっと、ハク!?」

「あーっ! 手繋いでる!」

「ふんふん」

 

 ウルゥルとサラァナには悪いが、ここは強引にクオンの手を引っ張って外に出ることにする。

 いつまでも付き合っていると一向に動けなさそうだし、夕方の宴まで彼らに翻弄されるのも癪である。

 

 そうして、クオンの手を取って城の廊下を二人で走る。

 擦れ違う衛兵たちには不審な顔をされるも、後ろに追従するクオンの姿を見て警戒を解いてくれた。

 顔認証で警戒が緩むくらいだ。トゥスクル宮廷の中でもクオンはかなりの重鎮なのだろう。

 

「おや……?」

「おっと……へえ、若い奴さん方がお盛んなことで」

 

 城の入り口辺りまで差し掛かった時、通りがけにベナウィとクロウとすれ違ったが、何やら二人して薄く笑みを浮かべた程度で特に引き止められることも無かった。

 

「思わず羨んじまいやすねえ。ねっ、大将」

「おや? 貴方もカムチャタールとああいったことをしていたではないですか」

「あ、あれはあっちが強引に……勘弁してくださいよ、大将」

 

 何やらこっちを話題に何事か話をしているが、好都合だとそのままクオンと共に門まで突き進む。

 

「追っ手は無しか……」

 

 城下への門まで辿り着き、後ろを振り向くも誰かが追ってくる様子も無い。安心して繋いでいた手を離し、二人して息を整えた。

 

「はあ、はあ……もう、どうしたの、ハク……こんな強引に」

 

 クオンが自分の歩幅で走れなかったため思ったよりも呼吸を乱したのだろう、息を切らして抗議してくる。

 

「すまんな。とりあえず、小腹も減ったし出掛けたくてな」

「それにしたって……も~、姉さま達だけじゃなく、ベナウィとクロウにも絶対後で揶揄われるかな……」

 

 自分の菓子は粗方カミュとアルルゥに持ってかれたからな。

 トゥスクル皇女に色々言われたのもあるが、クオンとは二人で過ごした記憶が久しく無い。いい機会だとも思っていたのだ。

 

 先の展開を思って照れたように頭を抱えているクオンに近づき、声をかける。

 

「──ほら、トゥスクルを案内してくれるんだろう?」

「う、うん……」

 

 呼気の落ち着いたクオンに再び手を差し出す。

 すると、クオンは最初その手を取ろうか迷うように照れたり戸惑ったりしていたが、やがてゆっくりと自分の手を握った。

 

「そんで、どこに行く?」

「えっと……どこでもいい?」

「ああ、自分にはわからんからな」

「じゃ、じゃあ、帰ったら絶対に顔を出すところがあるんだけど……まず、そこに行こっ!」

 

 もう思考は切り替えたのだろう。クオンはさっきとは逆に、声も弾む様子で自分の手を引き何処かへと足を踏み出す。

 どこに行くかはわからんが、道中笑顔のままクオンに連れられ、あっちは何々、こっちはどれどれ、心底楽しげに案内してくれた。

 

「でね、このお店の御菓子がとっても美味しくて!」

「へえ……なら買おうかね」

「おや? クー様ではありませんか。ん、そちらの方は……」

 

 店の者にもクオンはクー様と呼ばれ慕われているようである。

 

 ただ、そんな慕われているクオンと手を繋いだ自分がいるのが不思議なのだろう。店の爺さんは自分の顔をじろじろと不審な顔で見て来た。

 

「あ、えと……彼はハクで、私のこ、友人かな!」

「そうでございましたか……クー様のご友人で在らせられましたら、お代は結構ですよ」

「そんな訳にはいかんだろ。ほら」

 

 大宮司となって以前より給金も多いのだ。

 出すもんはしっかり出すとクオンと二人分購入し、棒に刺さった飴のような菓子をクオンに手渡す。

 

「あ、ありがとう……」

「おう。たまにはな」

 

 クオンはその流れるような奢りの動作に戸惑っていたが、静々と受け取ってくれた。

 まあ、あんまり自分がこういうことはしたこと無かったからな。

 

「ふふ……ハクがいつもこうなら、もっと恰好良いのにね!」

「それは無理だ。誰かさんに財布を握られていたせいで貧乏性なんでな」

 

 賭場や走犬場ですった後、ひもじい想いを何度してきたか。

 そんなやりとりを見て何か感じ入るところがあったのだろう。店の主人がぽつりと呟いた。

 

「おお……クー様にもついに良き人が……」

 

 目の前の爺さんはまるで自分のことのように喜んでいたが、クオンはその言葉が恥ずかしかったのだろう。

 

「つ、次! 次、行こっ!」

 

 クオンは店の爺さんに礼を言うと、再び強引に自分の手を引っ張って店の前から遠ざかってしまう。

 

 お釣り、もらってないんだがなあ。

 気前がいい時はいいが、そういったところは気になるくらいには貧乏性なのだ。

 かなり多めに払ってしまったと店を振り返るくらいには気にはなるものの、頬を染めたまま己の手を引きずんずん進むクオンに戻ろうとも言えない。

 

 貧乏性と同じくらい諦め癖もあるので、まあいいかとクオンの後をついて行ったのだった。

 

 そして、街の中から逸れ、辿り着いたのは──

 

「──寺子屋?」

「うん、お昼ご飯はさっき食べたみたいだから、遊びに来ただけなんだけど」

 

 庭を元気に走り回る子供達が十数人。和気藹々とした雰囲気はどこかエンナカムイの子ども達を想起させた。

 

 クオンの話によればここは元々孤児院だったそうだ。

 それが教育を受ける場へと徐々に代わり、親のいない子だけでなく、親が居ても通学可能となったそうだ。クオンやフミルィルもかつてはここに通っていたそうである。

 

 故に──

 

「あ、クーさまだ!」

「クーさま! あそびにきてくれたの?」

 

 はしゃいだように駆け寄る子ども達。

 クオンはそれを慈愛の笑みで迎えていた。

 

「うん。それに、今日は新しい遊び相手も連れてきたかな!」

「え、もしかして、この変な仮面をつけたおじさん?」

 

 変な仮面は余計だ。

 ヴライの仮面は未だ外れないので、子ども達から興味深そうにじろじろ遠慮ない視線に晒される。

 

「ね、ハク。皆と遊んであげて」

 

 小さな子どもは嫌いではない。それどころか好きである。変な意味でなくてな。

 チィちゃんと遊んでいた手前、こうした子どもの心を掴む技は多いのだ。

 

「仕方がないな。よし坊主共、自分のびっくりどっきり技を見せてやろう」

 

 自分に興味を持って近づいて来た者に、手始めに己の手技を見せつける。

 

「ほれ、親指が取れちゃった」

「うぎゃー! 呪術でおじさんの指が!」

「クーさま、治療してあげて!」

 

 大いなる父界隈では視線誘導や錯覚を利用した有名な手品であるが、予想以上に半狂乱となった子ども達にクオンが笑う。

 

「あははっ、ほら、ハク手を出して。はい、治療」

「ああ~治っていくぅ……ほら、大丈夫だ」

「うわ、本当だ、クーさますげえ!」

「おじさん、クーさまにありがとうって言わないと!」

 

 はやくはやくと急かされクオンを見る。ふふん、と言ったように胸を張るクオン。

 おかしい、自分が手品で脚光を浴びる筈であったのにクオンに注目が行ってしまったようだ。

 

「あのね、治して貰ったらお礼を言わないとなんだよ!」

「わかったわかった、ありがとう。クオン」

「いいよ! ハクの指すぐ取れちゃうもんね」

「そんな訳ないだろう……うわ! また取れた!」

「ぎゃあああ」

 

 爆笑して地に転がる子ども達を見て、思わず笑みが浮かぶ。

 トゥスクルは戦乱を繰り返していたと聞く。きっと、その戦乱の最中で生まれた施設なのだろう。しかし、今ここの子ども達には一様に笑顔が灯っている。

 クオンは、平和の象徴であるここを大事にしているんだなあと感慨深かった。

 

「ねえねえ、おじちゃん、ハクって言うの?」

「? ああ」

 

 先程クオンが自分のことをハクと言ったからだろう。

 耳聡い子どもが質問して来た。

 

「ねえねえ、誰に名前をつけてもらったの? お母さん?」

「……いや、クオンに名付けてもらった」

 

 自分の保護者を自称しているから、母ちゃんみたいなものなんだろうがな。

 

「クーさまに?」

「ああ」

「じゃあ、私と一緒だね! 私もくーさまに名前つけてもらったの!」

 

 人形を抱えた女の子がにっこりと微笑む。

 親を亡くした子なのだろう。それでも、クオンやここにいる他の子を軸に日々を生きている。

 クオンも女の子の姿を見て、いつもとは違う慈愛の笑みを浮かべている。その横顔に一瞬──

 

「ん? どうしたの、ハク」

「あ、ああ、いや……何でも無いさ。よし、じゃあ次のどっきりびっくり技だ」

 

 その後も、袖に物を隠す手品を披露し、どこに隠した出せと子ども達によって遠慮ない殴打が己の背中や腹部を襲う。

 

 他にもいくつか披露したが、手品には飽きた者達もいたので、男の子に相撲を教え、足で書いた砂の円の中で取っ組み合いをする。

 

「ひがーしーハクの山! ハッケヨイのこった? こんな感じでいいの?」

「ああ、そんな感じだ。よしお前らやるぞ! どすこい!」

 

 行司役にはクオンにお願いをした。

 まあ、自分の時代には歴史のみ残っていた行事でもあるので、自分もあやふやなルールで遊んではいた。しかし、後半はそのルールすら無用の複数人対自分でとても疲れる。

 

 次には女の子も参加できる水鉄砲で水をかけあう遊びをした。

 そして諸々飽きては次の遊びを繰り返すうちに、辺りが夕闇に包まれ、寺子屋の子ども達が帰る時間になった頃、自分達もその場を離れることにしたのだ。

 

「また来てね! クーさま、ハクおじちゃん!」

「ああ」

 

 子どもはすぐ覚えるがすぐ忘れる。

 クオンのように何度も足を運ばんと直ぐに忘れられるだろう。トゥスクルにいる間は、何度か通うのもいいかもしれないな。

 

「しかし、自分のことを誰もお兄さんと呼ばんな」

「あははっ、仮面のせいじゃないかな」

「くそー……こんなに外したい気持ちになったのは初めてだぞ」

 

 仮面のせいで自分の年齢が高めに見られるなら、兄貴のところで仮面を外すための研究をするのもいいかもしれない。

 二人並んで城への帰り道を歩く中、クオンは夕日の中でぐーっと背伸びをし、こちらに微笑んだ。

 

「は~、楽しかったね」

「自分は疲れたよ」

「あんなに遊んでたのに、子供は嫌いなの?」

「そんなことないぞ、ただ体力の違いがね……」

「あはは、おじさんみたいなこと言ってる」

 

 うるさい。

 チイちゃんもそうだが、幼い心を持った者は何故か自分に対して遠慮が無くなるのだ。

 自分は絶対に怒らないと思っているような節もある。

 

 だからあいつらも調子に乗るんだろうなと、子どもっぽい表情を浮かべるアルルゥとカミュの顔も浮かんできた。

 クオンが懐かしむように、離れた寺子屋へ振り向く。

 

「さっきの場所も、ウルお母さまが開いた場所なんだよ。私達にとって凄く大事な場所……」

「へえ、そうなのか。ん、ウルお母さま……」

 

 先程聞いた名と似通っている点があるので、聞いた。

 

「もしかして、ウルトリィってヒトか?」

「うん、そうだよ。何で名前を知っているの?」

 

 クオンの疑問の表情に応えられるよう、クオンを待っている間カミュ達と話した内容を伝えた。

 

「そっか、カミュ姉さまが……」

「ああ、マスターキーについて知っているとも言ってたな」

「確かに、ウルお母さまなら何か言ってくれるかも……」

「クオンから他の誰かに聞いても答えてくれないのか?」

「うん……それは私達からは教えられない、って」

 

 そうか。

 あれだけクオン信者の集まりであっても教えられないのであれば、ウルトリィを待つ他無さそうである。

 しかし、クオンには何か心当たりがあるのか不敵な笑みを浮かべた。

 

「でも、隠されているかもしれない怪しい場所は知っているかな!」

「本当か?」

「うん、城まで戻らないといけないけど……行ってみる?」

 

 城まで戻るのか。

 そういえば、宴が夕刻だと言っていたことを思い出す。早く行かなければ間に合わないだろう。

 

「おいおい、宴はどうするんだ?」

「皆が宴に出ている間だったら、こっそり行けるかな」

「……なるほど」

 

 しかし、突然自分が宴に出ないとなると捜索隊が組まれるだろう。

 無断で式関連を抜け出すと痛い目に合うのは叙任式で経験済みである。

 

「しかし、誰にも何も言わず……」

「大丈夫かな。多分、マスターキーを探すことになると思っていたから……時間になっても戻らなかったら始めておいてって置手紙で伝えてあるし」

「そうなのか?」

「うん」

 

 用意のいいことである。

 まるで、自分とどこか出掛けることが決まっていたようでもあるが、クオンもそのつもりで来訪したのかもしれない。であれば都合がいい。

 

「なら、行くか」

「うん!」

 

 城に戻ってカミュやアルルゥに見つかっても面倒だと思っていた頃である。宴も始まっている時間であるが、クオンと相談して見つからないようこっそり行くことにした。

 

 そして、城下の正倉院と呼ばれる場所へ二人して警戒網を潜りながら忍び込む。

 

「暗いな……」

「ハク、離れないでね」

「ああ」

 

 火も無いため手探りで壁を伝いながら、闇の中はぐれないよう手を繋いで進んでいく。

 

「本当にここなのか?」

「うん……私だけなら、ここまでだったんだけど……」

 

 成程、大いなる父である自分が一緒であれば何か見つかるかもと思って来たのだろう。

 

 そして、闇の中、違和感のある形の壁に手を添えた時である。自分の存在に呼応してぼんやりと光る扉がその先の通路を現した。

 

「……行こっ、ハク!」

「おいおい、気を付けて進まんと……って」

 

 興味津々の様子で自分の手を強引に引っ張ってその先の通路へと足を運ぶ。

 しかし、ただの空き部屋だったようだ。

 

「む~」

 

 探求心が擽られたのだろう。熱心にクオンがあちこちを捜索していると、壁ががらりと崩れて思わぬ通路が生まれた。

 明らかに狭い道であるし、警戒して引き返そうと言ったのだが、クオンは歴史的発見だとはしゃいでぐんぐん先へ進む。

 

 嫌な予感がするも手を離して逸れる訳にもいかない。

 そうしてクオンに連れられるままどこを通ったかもわからぬうちに奥へ奥へと進んでいくと、道なき道を無理に通ったせいであろうか。

 

「うわっ……おいおい、崩れたぞ」

「え……あ、明かりが……」

 

 きっと先程狭い場所を通った時の衝撃で地盤が崩れたのだろう。

 周囲に明かりも無い。施設の一角に二人閉じ込められてしまったかもしれない。

 

「ど、どうしよう……」

「とりあえず、ばたばたしても仕方が無いな。歩きっぱなしで疲れた。マスターキーも無さそうだし、座って考えよう」

 

 一瞬見えた部屋の構造的に、袋小路である。これ以上何かして地盤を崩すのも危険だ。マスターキーもこんな危険なところに置くことはないだろう。

 不審に思った者によって助けが来るまではここで過ごすしかないと、暗闇の中二人肩を寄せて座り、壁に背を預ける。

 少しはしゃいでいた自覚はあるのだろう。クオンが申し訳なさそうに謝って来た。

 

「ご、ごめんね。ハク、巻きこんじゃって」

「慣れてる」

「えーっ、そんなことないかな!」

 

 そんなことある。

 クオンはこういう考古学的なものを見つけると直ぐにはしゃぐのだ。まあ、だからこそ兄貴ですら長年見つけられなかった自分が見つかったともいうのだが。

 

 多分遺跡をいじくりまわして冬眠装置の中に入った自分を解放したとかそんなとこだろう。

 

「自分を見つけた時も、こうやって後先考えずに遺跡探索していた結果なんだろ?」

「う……! そ、そんなことは、ないと、おもう、けど」

「やっぱりか」

「あっ……」

 

 もにょもにょと痛いところを突かれたというように黙るクオン。

 鎌をかけたつもりだったが、やはりクオンが自分の第一発見者であったようだ。クオンの顔には悪戯がばれてしまった子どものような表情が浮かんでいる。

 

 クオンは自分の保護者だなんだと大人のフリをする割には、やはり心はまだまだ未熟な少女でもあるのだ。

 トゥスクルの皆に黙ってあちこちを冒険しているくらいだ。こういう展開はある程度仕方ない。

 

「……」

 

 繋いだ手の体温と呼吸だけが互いを感じられる闇の中で、クオンは気になることがあるのと前置きして一つ質問して来た。

 

「ねえ……ハク」

「ん?」

「私が、ハクを遺跡で見つけたこと……後悔、してる?」

「? 何故そう思うんだ」

「だって……偶然とは言え、眠っていたハクを一方的に、私が起こしちゃったから……」

 

 クオンの表情は見えないが、声色からクオンがその後悔をずっと背負っていることがわかった。

 

 以前、自分をどこで見つけたのか誤魔化していたが、その後悔故に黙っていたことなのかもしれない。

 それとも、自分を見つけたことについて言及したから、ついでの良い機会だと思ったのかもしれない。

 

 ただ今は、クオンの独白を黙って聞かねばならないことはわかった。

 

「本当はね。ずっと、大いなる父と呼ばれる、うたわれるものに……会ってみたかったの、話してみたかった、聞いてみたかった……この人が目を覚ませば、私の知りたいことを教えてくれるんだって、勝手にハクを──」

「……」

「だけど、ハクは衰弱していて、目を覚まさなかった。それで、私はすぐに外に運んで看病したの」

 

 そういえばと思い出す。

 天幕の中、何も覚えてない自分が、赤子のようにクオンの姿を見た記憶。

 

 自分がハクとして生きる最初の出来事──真っ新な自分が、クオンに見惚れた。あの時の記憶は、今でも鮮明に瞼に映っていた。

 

「そうだったのか……」

「うん。失われた歴史の生き証人が目の前にいるって、嬉しかった。ときめいた……でも」

「でも?」

「ハクが目覚めて、私は後悔したの。あの時のハクは弱弱しくて、とても一人で生きていくことが出来そうになかったから。何より、この人は独りぼっちだって……私が独りぼっちにさせたんだって、気付いちゃったから……だから」

 

 クオンの声は、己の一番の暗部、自分に対する懺悔を表していたように思えた。

 独りぼっち──孤独、兄貴も抱えてきたこの想いは、仮面の暴走によって引き出されたように今も自分の中にある。だが、それ以上に──

 

「──楽しかったよ」

「え?」

「クオンが傍にいてくれたおかげで、色んな仲間ができた。親友もできたし、自分を好いてくれる奴もできた。生き別れの兄にも会えたし、孤独とは無縁の生活さ」

 

 毎日毎日誰かが自分と共に過ごす時間をくれる。

 研究と寝転がるばかりの土竜生活をしていた頃の静かな生活に比べればわちゃわちゃ煩くてたまらんが、もうあの時のような生活には戻れない程、毎日が楽しいんだ。

 

「それに……クオンが見つけてくれたからこそ、いつも支えて助けてくれたからこそ、今がある」

「……」

「だから──ありがとう」

 

 いくら闇に目が慣れても、互いの表情は未だ見えない。

 しかし、自分の言葉が真実であることは、クオンに伝わったようだ。

 

「うん……そう、思ってくれたんだ」

「ああ、だから小遣い上げてくれ」

「ふふ……もう大宮司だから、いらないかな」

 

 闇の中、自分の肩に誰かの頬が乗る感覚がする。

 手指は腕を抱くように繋ぎ直され、寄り添い、互いの距離が大きく近づいたことを理解した。

 

「……」

 

 体の片側より感じる互いの熱に心を奪われながら、心地よい沈黙の時を過ごす。

 ぽつり、と無言になった二人の空間に投じられたのは、気になるといったクオンの声だった。

 

「そうだ……ハクは何度も自分を助けてくれたから、その恩返しがしたいって言ってたよね」

「ああ。クオンには随分助けられたと思ってるよ」

「もし……私が危ない目にあったら、ハクは助けに来てくれる?」

「当たり前だろう」

「あ、当たり前、なんだ」

 

 即答した自分の声色に驚いたようなクオンの声が耳元に届く。

 暗闇で表情は見えないが、こちらを向く疑問の視線は感じていた。安心させるように理由を伝えた。

 

「ああ、勿論。クオンは自分にとって──大事な人だからな」

「え……? は、ハク、それって」

「ん? ちょっと待て──」

 

 クオンの動揺の声が響く前に、先程クオンが言った言葉が気にかかった。

 

「──その恩返し云々を何故クオンが知っているんだ?」

「……あ」

 

 クオンはしまったという声を上げる。

 感謝云々の話はしているが、恩返し云々の言葉はあの謁見の間にいた者しか知らないことである。

 

「え、えっと……その、あの……お、お父様に聞いて、あっ」

「お父様? ああ、そういうことか……」

 

 察した。

 嘘をつこうとしたのだろうが、謁見の間においてお父様と呼ばれそうな面子はあのオボロだけである。皇女もオボロのことをお父様と呼んでいた。

 彼はクオンのことについてやたら執着していたのはクオンが娘、もしくは娘に近い扱いしているからだったということか。

 クオンを誘えといった皇女、そして置手紙の件など、妙に用意がいいと思っていたんだ。

 

「水臭いぞ」

「え……?」

「トゥスクルの皇女なんだろう? 自分も帝の弟のこと隠して貰っているし、お互い様だ」

「……うぅ、そうです。隠していて、ごめんね」

「しかし、皇女が家出ねえ……」

「言わないでー!」

 

 クオンはぐいぐいと腕を引っ張って体を揺さぶるが、感想は感想である。

 そりゃお仕置きされるわけだ。

 

「まあ、皆には秘密にしとくよ」

「うん、特にアンジュには……」

「ああ、そりゃそうだな」

 

 殴り合いの喧嘩してたしな。

 今思えば、クオンにとって自分を取られるとでも思っていたのかもしれない。そんなことないのにな。

 

「まあ、秘密だ」

「うん、秘密ね」

 

 クオンが皇女であるからといって、別に態度が変わる訳でもない。

 大いなる父だからといってクオンの態度が変わらんように、こっちも特に変わらん。クオンはクオンだからな。

 

「ねえねえ、この際だし聞いてもいいかな。大いなる父ってどんな歴史を持ってたの?」

「歴史と言われてもな……」

「じゃあじゃあ、ご飯は何を食べていたのかな」

 

 先程よりぐいぐい密着して聞いてくるクオン。

 まあ、クオンと二人過ごすのは楽しい。助けに来るまで暇なこともある。クオンの質問に適当に相槌をうつように大いなる父としての単語や知識を披露していると──

 

「──パスワード受理、起動します」

「えっ!? 何々!?」

 

 じゃらりと鎖の外れる音、そしてぶうぅんと何かの起動音がした。もしかして、自分の言葉の何かに反応したのだろうか。

 そして、起動音と共に何かの機械が光り、その周囲をぼんやりと照らす。

 

 部屋の隅に隠れるように配置されていた、それは──

 

「──こいつ……アベルカムルか?」

「アベルカムル? アヴ=カムゥじゃなくて?」

 

 人型の機械。

 妙な鎧を着ているがアベル重工製の作業用機械アベルカムルで間違いない。大いなる父が外で住めなくなった際に、外での活動を保証するために作られた傑作機である。

 

「操縦できるの?」

「いや、免許がな……」

 

 指令を待つように目の前のアベルカムルは立ちあがってしまったが、動かしたくても動かせない。

 せめて外部操作盤があればと探してみれば、足元に転がる装置に目が行った。

 

「お、これがあれば、もしかすると……」

 

 光る操作盤を手に取り、それっぽいマークのボタンを押す。

 すると──

 

「──うおっ!」

 

 アベルカムルは腕を振りかぶる動作をすると、どごおぉんと壮大な音を響かせ目の前の壁をぶち抜いた。

 

「凄い凄い! ハク操縦できてる! 私にも貸して!」

「ちょ、駄目だって、地盤が……」

 

 聞いちゃいない。

 クオンは新しい玩具を与えられた子どものようにはしゃぎ、アベルカムルを駆って壁や天井をぶち抜き始める。

 

「し、死ぬ! クオンやめてくれ!」

「ど、どうすれば止まるの!?」

「操作盤を渡せって!」

 

 とりあえず、そのしゃっしゃ指で押しまくるのさえやめてくれれば止まるのだ。

 嫌がるクオンから強引に取り上げ、アベルカムルの動きを止める。とりあえず地盤の崩壊に巻き込まれる危険性は無くなった。

 

「あれ、ハク……光が……」

「お、ほんとだ。もしかして、地上の光か?」

「かもしれない……ね、行ってみよ!」

 

 クオンに手を引かれ、アベルカムルによってできた空洞を通る。

 すると、何処かの森の中、満点の星空が自分達を出迎えた。

 

「良かった、出られたな……」

「うん……」

 

 出た場所は、城の見える小高い丘である。

 そう遠く離れた場所に出たわけではないようだ。マスターキーは見つからなかったが、無事出られたことをとりあえず喜ぼう。

 

「……クオン、かえ──」

 

 帰るか、と言おうと思ったが、クオンの顔を見て思わずどきりとする。

 ずっと、闇の中で見えなかった表情が、今は月の光に照らされて見える。頬は少し赤く染まり、全てを魅了する微笑をこちらへと向けていた。

 

「もうちょっと……駄目かな」

「……」

 

 宴も無く、自分の腹には城下で買った菓子とつまみくらいしか残ってない。

 つまり、腹が減っているのだ。しかし──

 

「──腹も減ってるんだ。ちょっとだけだぞ」

「……うん!」

 

 少女らしい可憐な笑みを浮かべ、自分の手を強く握られる。

 二人野原に寝転がり、夜空を見上げて他愛ない話を交わすのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 時は少し遡る。

 トゥスクル皇都執務室にて、夕闇が外を支配し始めそろそろ宴だという頃に、双子のドリィとグラァよりオボロにある伝令を齎した。

 

「──な、何!? あの男とクオンが二人仲良く手を繋いで城下を駆け抜けたに飽き足らず、夕方の宴にも戻ってこないまま朝帰りだと!?」

「若様、若様」

「まだ朝にはなっていませんよ」

「この時間に帰って来ないならばそういうことだろう! あの男、クオンに恩だ何だと誤魔化しておいてやはり俺の可愛い娘を手籠めに……!!」

 

 オボロは右手に握り拳を作って憤然したまま、執務中にクオンが淹れてくれた茶に手をつける。

 クオンの淹れてくれた茶なのだ、多少冷めていようが関係ない。急須に残っていた分も残すまいと一息に流し込む。

 

 喉を潤し、男の毒牙にかかるであろうクオンの身を案じ身支度を始めた頃であった。

 

「俺はクオンを探しに行くぞ! 検非違使も動かせ! 宴は中止……」

 

 そこまで言って、急に白目を剥く様にどさりとオボロが倒れ、大きな寝息を立て始める。

 

「あーあ、やっぱり底に薬を入れられていましたね……」

「若様、若様! 駄目だ、お布団を用意しないと」

 

 ドリィとグラァは顔を見合せて微笑む。

 

「大切な時間みたいですね」

「僕たちに書置きにもありましたからね、お父様をお願いと」

「僕は……オシュトル様に言伝に行きますね。トゥスクル皇と皇女、ヤマトの大宮司様は別件でいませんが宴を楽しんでくださいと」

「じゃあ、僕は若様の様子を」

 

 手慣れた様子で二人の仕事を分担する。

 その表情には、かつての主上とユズハ様に合わせる際にも、こんな時があったなあと懐かしむ様子が浮かんでいた。

 

 




 流石メインヒロインと言われるくらいの描写ができているといいのですが。
 ウィツアルネミテアが付け入る隙となったとは言え、原作クオンの「気丈ながらも脆い少女感」はやっぱり素晴らしいキャラ付けだなあと、書いていて思いました。


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第五十二話 鍵となるもの

 ここからは最終回直前まで怒涛のシリアス続きです。
 ラブコメ好きな人はごめんね。


 最後の方まで書き溜めてあり、六十話で完結となります。

 誤字脱字や話の流れ等を見直しながら、本日より毎日一話、調子が良ければ二話ずつ投稿する予定です。
 最後まで御付き合いいただけたら幸いです。


 クオンと二人でマスターキーを探して以来手がかりも無く、大使としての仕事をこなしたり、皆とトゥスクル観光に赴いたりするなど、トゥスクルでの束の間の平和が過ぎていく。

 

 まあ、オボロから人を殺せそうな視線と威嚇を擦れ違う度に頂戴したり、カミュやアルルゥから弟だと奴隷のようにこき使われたり、フミルィルを支えようとしたら胸を触ってしまいクオンの逆鱗に触れたり、ベナウィやクロウに武を見たいと扱かれたりと平和な時間ばかりでは無かったが、オシュトル他友人達と楽しい日々を送れていた。

 

 クオンやフミルィルと店や観光地を巡ったり、敵地だからか少し機嫌の悪いウルゥルとサラァナにご機嫌取りのため食事に連れて行ったり、皆で寺子屋へ足を運んで遊んだりと、宮廷だけでなく皇都周辺の地理も大体知ることができ、トゥスクルの居心地の良さも感じていたのだ。

 

 そんな折である。

 ついに、ウルトリィと呼ばれる女性がオンカミヤムカイよりの使者として、ここトゥスクル皇都へと姿を見せたことを聞く。

 

「ウルお母さまが来たみたい」

「ついにか……」

 

 マスターキーについて詳しく知る唯一の人物。

 今はトゥスクル皇との略式を済ませている頃だそうだ。

 

 相手はオンカミヤムカイの賢大僧正(オルヤンクル)

 お偉いさんであるため、自分もすぐに謁見できるとは思わないが、クオンはトゥスクル皇女である。クオンから言ってもらえれば、自分と話す機会は必ず来る筈だ。

 クオンやウルゥルサラァナと四人自室にて気長に過ごしていると、何と言伝も無く然したる時間を待つことも無く、ウルトリィからこちらへと足を運んでくれた。

 

「お初にお目にかかります、ハク様」

「えっと、もしかして……カミュのお姉さまの──」

「──はい、ウルトリィと申します」

 

 カミュのような羽を持っているが、色は純白。

 そして、カミュ以上の高貴な雰囲気を纏った超美人さんがそこにはいた。

 

 少し見惚れてしまったからだろうか、警戒するように前に進み出るウルゥルとサラァナ、そして腿を尻尾で攻撃してくるクオンを何とか宥めながら話を進めた。

 

「そっちから来てくれるとは……クオンが既に言ってくれたのか?」

「う、ううん。ウルお母さまにはまだ何も……」

「ハク様は……鍵をお探しであるそうですね」

 

 どきりと緊張が走る。

 目の前には慈愛の笑みを浮かべたままのウルトリィがいたが、やはり鍵──マスターキーはかの国にとってとても大事なものだったのかもしれない。

 ウルゥルとサラァナはこれまでにない焦りの表情で声を出した。

 

「下がって」

「主様、ここは私達にお任せください」

「ま、待て。ウルトリィさんはまだ何も言ってないだろう」

「……」

 

 一触即発といったウルゥルとサラァナを自分が強引に後ろへと引き戻し、ウルトリィと対面する。

 

「すまん、どうやらオンカミヤムカイのヒトとは相性が悪いみたいでな。気に障ったなら謝る」

「いえ、どうかお気になさらずに。大宮司ハク様」

 

 ウルトリィの表情は変わらない。

 相変わらず全てを包み込むような優しい笑みを浮かべている。

 

「自分の名前を知ってたのか」

「はい。存じております。貴方が偉大なる御方……我らが大いなる父(オンヴィタイカヤン)であることも」

「っ!」

 

 それは、クオンやウルゥルサラァナ以外には預かり知らぬことである。

 喋ったのかとクオンを見るも、そこには戸惑いの色。どうやら彼女もまた己を見抜く御業を持っている様だ。

 であれば、ここに来た本当の理由。それすらも、知っているのかもしれない。

 

「……鍵の在り処を、教えてくれるってことか?」

「ええ。そして、我らが主と、大いなる父の真実を……貴方にお伝えしなければなりません」

「鍵と、真実……」

 

 人類の顛末について、兄貴から全てを聞いたわけではない。

 目の前のヒトはそれを知っている。しかし、それを聞けばもう後戻りはできない。そのような予感がした。

 だが、ウォシスの件もある。目の前の女性より話を聞かねばならんだろう。

 

 その決意の意志を汲み取ったのだろうか、しかしとウルトリィは残念そうに首を振った。

 

「しかし、ここでは語る術を持ち合わせてはおりません」

「何? じゃあ……」

「真理の扉を開きたくば……どうか、我がオンカミヤムカイへお越しください」

「鍵は、そこに行かんと手に入らんってことか?」

「……その通りです」

 

 ウルトリィの嘘偽りないという澄んだ瞳。

 しかし、そこには悲しげな色も映っており、来る未来への不安を彩っていた。

 

「……そうか、じゃあ行くか」

「本当に……よろしいのですか? 鍵を手にし、真実を知る覚悟があると」

「……」

 

 ウルトリィは問いかけるように言う。

 道はここで別たれると、去りゆく者に声をかけるようなそんな雰囲気を感じた。

 戸惑うように黙ったままのクオンを見て、闇に蠢くウォシスの顔が浮かび、覚悟を決めた。

 

「ああ、知りたいね。自分のためにだけじゃなく……皆の平穏の為にな」

「……そうですか。貴方であれば……いえ、今の貴方だからこそ……」

 

 ウルトリィは目線を下にやり、やがて決心したように己の瞳を射抜いた。

 

 その会話を皮切りに、オンカミヤムカイへの出立は翌朝となることが決まった。

 

 本来は自分とクオン、ウルゥルとサラァナの面子だけで行こうとしていたのだが、オンカミヤムカイへの使者という名目で、オシュトル他皇女さんらも後からついてくることとなった。

 

 オンカミヤムカイは本来不可侵領域らしい。トゥスクルの皇族すら無断で入ることは不可能。ウルトリィの温情あればこそ、今回の遠征が叶ったと言える。

 

 ウォシスもまたマスターキーを狙っていることも含め、戦力多めに行くことは悪いことではない。自分達だけでなく皆で行けることは大きな利点と成り得る。

 ただ、ウルトリィの言によれば、オンカミヤムカイの更なる深淵、ある場所からは自分達しか入ることを許されないとの事であったが。

 

 そして、馬車での旅も数日を経て。

 オンカミヤムカイを他国から護っているという術を阻害するという深い深い森の中について、クオンが怪談話をするかの如く皆に説明しネコネ他幼心を持った者が怖がったり、仲の良いウルトリィとフミルィルの母子のようなやりとりを皆で見てほっこりする中、オンカミヤムカイへと辿り着いた。

 

 大社に参拝する信者達が軒を連ねる中、大神を敵視するウルゥルとサラァナに迂闊なことを言わんように釘を刺す。

 とてつもない人の数、そして行列である。あの参拝客の行列に行儀よくウォシスが待っているとも思えんが、どこかに潜んでいる可能性もある。警戒はしておいた方がいいだろう。

 

 オンカミヤムカイの更なる深淵。鍵と真実を知るためにも、オシュトルと別れの挨拶を済ます。

 

「じゃあ、オシュトルよ。行ってくる」

「ああ、ハクも気をつけてな」

「そっちこそ。ウォシスを見つけても、自分がいない間は交戦無しだ。位置だけ特定して、あんまり無理すんなよ」

「わかっている」

 

 ウルトリィから聞かされたマスターキーの在り処について、先日オシュトルには事前に相談している。

 そして、オンカミヤムカイの聖地にてウォシスが来るかどうか監視してもらう役目を担ってもらった。この近くの宿を取って、ここの特使として周囲の観光ついでに警戒網を広げてもらうつもりである。

 

 さて、とクオン、ウルゥルとサラァナ、フミルィル、ウルトリィの面々で深淵へと足を運ぼうとした時である。

 自分たちと着いてくる筈であったフミルィルは、皇女の側で付従うムネチカにある物を手渡すために前へ進み出た。

 

「ムネチカさま」

「? フミルィル殿……小生に何か?」

「貴方様に、これを……」

「これは、小生の仮面(アクルカ)ではありませぬか」

「ええ……もし何かあった時には、これで皆さまの盾をお願いしますね」

「……よろしいのか?」

「ええ、クーちゃんの……あ、トゥスクル皇の許可は取っていますから」

「……忝い」

 

 もはやヤマトがトゥスクルに刃を向ける事はない。

 故に、ムネチカにも仮面を返して貰うようクオンに相談していたのだ。ウォシスがどのような戦力を持ってくるかはわからない。故に、この措置は必要であった。

 ムネチカは何よりも大事そうにその仮面を懐に仕舞う。

 

「ハク様」

「あ、ああウルトリィさん。今行く」

 

 仲間との一時の別れも早々に、ウルトリィから声をかけられたのでクオンやフミルィル、ウルゥルとサラァナと共にオンカミヤムカイの聖地へと足を踏み入れる。

 あれだけあった行列も、クオンやウルトリィの存在を見て自分たちに恭しく礼をして道を開けてくれた。

 

 その先も大社と呼ばれるだけの建造物の大きさに、おおと背を反らして見上げながら、入り口と思わしき奥へ奥へと歩いている途中であった。

 

 すっと、空気の変わる感覚。ウルゥルとサラァナも怯えたようにびくりと身を震わせた。

 

 ──っ。

 

 何かが、いる。

 いや、自分を呼んでいると言った方がいいだろうか。

 酷い頭痛に頭を抑えて立ち止まる中、しかし戻る訳にもいかないなあと思っていたところ、ウルトリィから声をかけられた。

 

「もし具合が悪いのでしたら、暫く休んでいかれますか?」

「いや……大丈夫だ。この前、躓いたフミルィルを助けただけなのに、クオンに頭を破裂させられそうになってからずっと痛くてな」

「ちょ、ちょっとハク! ウルお母さまの前で……」

「あら、そうでしたか。ふふ……」

「そうでした。あの時のクーちゃんなぜかとっても怒ってましたね」

「む、だって……!」

 

 クオンから抗議の尻尾が腿を襲うが、周囲の目は上手く誤魔化せたようだ。

 しかし、ウルトリィは何かに気付いているかのような目線を送ってくる。彼女も、この声を知っているのだろうか。この先の──何かに。

 

「えらく……静かな場所だな」

 

 外の喧噪とは打って変わって、足音が響くほどの静寂が場を支配している。

 正しく聖地と呼ばれるような、厳かな、浄化されたような気配を感じる。

 

「どうぞ、こちらへ……この先に、貴方をお招きした御方がいます」

「招いた?」

「はい」

 

 鍵について知るためにこちらから足を踏み入れたのではなく、この邂逅は予定されていたということか。

 ホノカさんが別れ際に言った、大いなる意志──自分は、何かに巻き込まれ始めているのかもしれない。

 

「──行こう」

 

 ウルトリィからこれ以上の話を聞けることはない。待っているなら行って話を聞けばいいだけのことだ。

 ウルトリィから案内されるままに、大いなる父の施設を利用した機械壁の奥、祭壇の向こうに更なる隠し通路があり、皆でそこを進んでいく。

 そして、目の前には見覚えのある巨大な扉。手をかざせば、大いなる父である自分だけにその資格があったのだろう。大扉は静かに開き、その先の道を薄明りでもって指示した。

 

「どうか、貴方の求める答えがありますよう……」

 

 ウルトリィの呟きを背に浮け、自分達は進んでいく。

 根源を通して仮面から聞こえる呼び声も強くなっている。

 

 そして、目の前に広がる光景は──

 

「大いなる父の墓場、か……」

 

 どの遺跡とも違う規模、そして数多の民が住んでいたであろう住居の数々。

 兄貴のいる聖廟は本来の機能そのままではあるが、ここまでの規模ではない。遥か昔に滅びた巨大な施設が、そのままの形で残っているのだ。

 

 ということは──

 

「っ、タタリ……」

 

 柱の影からこちらを窺う赤い軟体生物。大いなる父の成れの果て。

 倒さねば進めないかと思い己の武器を手に取るも、それを諫めたのはウルトリィであった。

 

「ここは聖域。彼らが襲いかかってくることはありません」

 

 その言葉が真か不安になっていると、そこに響くはウルゥルとサラァナの唄声であった。

 大いなる父を癒す彼女達の声は、タタリに届き得たのだろう。タタリはその姿を闇へと消していった。

 

「優しい歌ですね……あの方達の安らぎが伝わってきました」

「なぜ、逃げたんだ?」

「浄化されている」

「この場所は浄められているため、タタリも荒ぶることなく大人しいようです」

「彼女達の仰る通りです。ここであの方達が襲ってくることはありません。どうかご安心を」

 

 浄化されている。

 確かに、ここには澄んだ空気が漂っている感じがする。遺跡で彼らを見た時のような重苦しい感じはしなかった。

 

 しかし、ウルトリィの後をついてある場所へと足を踏み入れてからは、一転重苦しい雰囲気が己を襲う。

 それは、双子も感じているのだろう。息苦しそうに眉を顰めていた。

 

「ここが……目的地です」

 

 最も深い聖域が、最も浄化された場所ではないということか。

 遥か大きな力を強引に封じたかのような、禍々しい何かがそこには満ち満ちていた。

 

 地下とは思えない広い空間。

 そこには、天から光の柱が落ちてきたかの如く、巨大な円形の窪みが穿たれていた。

 

「あちらを」

「あそこに、主様が求める物があります」

 

 目を細めて見やるは、窪みに合わせた石の門が連なる参道。その中心部に位置する小さな社が見えた。

 あそこに、自分を呼ぶ声の主が──

 

 そう足を前に踏み出そうとした時である。クオンが唖然と呟いた。

 

「ここって、封印痕……? まさか……」

「? お、おい、クオン!」

 

 制止も空しく、クオンは穴の底へと駆け下りていく。

 それを追おうとすると、ウルトリィに頭の中にだけ響く声で呼び止められた。

 

「ハク様、この先に貴方が求める物があるでしょう。ですが、この先へ進めば……全ての希望が打ち砕かれることになるやもしれません。それでも、貴方は前へ進むおつもりですか?」

 

 全ての希望が、打ち砕かれる──? 

 

 ホノカさんが別れ際に言った、大いなる意志が自分を待っているとの言葉とウルトリィの言葉が繋がる。

 この先にあるのは、絶望なのかもしれない。それでも──

 

「ああ、知りたいね。色々と約束をしている手前、聞かねばならんことが多々ある。知らぬは仏見ぬが神……自分は人だ。知らないままに生きるよりは、知って絶望し、尚足掻く道を選ぶ」

「……そうですか。それは、差し出がましいことを……だからこそ、貴方は……」

 

 ウルトリィはそこで言葉を切り、その目を瞑る。

 着いてくる気はないということか。では、クオンの後を追うだけだ。

 

「どうか、貴方様に祝福があらんことを……」

 

 ウルトリィに見送られ、クオンの後をウルゥルとサラァナ、フミルィルと共に追う。

 

「……」

「クオン、勝手に……ん?」

 

 ようやく追いついた先のクオンは、小さな社の前で立ち尽くしていた。

 そして、周囲の雰囲気の違いを理解する。先ほどの禍々しい気が無くなり、またもや浄化された場所で社の中の存在に意識を向けた。

 

 すると、そこには、清楚な装束を身に纏ったスレンダー美人。改め、可憐な女性がいた。

 

「ようこそ、いらっしゃいました」

「あんたは?」

「お初にお目にかかります。ハク様。私はここの管理を任されている者、エルルゥと申します」

「エルルゥさま……どうして……」

「あ……ぁ……」

「? クオン……」

 

 問答も少なく、クオンは目の前の女性にふらふらと近づいていく。

 

「大きく、なりましたね。クオン……」

「母さまっ!」

 

 クオンは泣き叫ぶかのように、エルルゥと呼ばれる女性に抱き付く。

 クオンの涙など、見たことが無い。それだけの衝撃だったのだろう。

 

「どうして……母さま、急に、いなくなって……」

「ごめんね。本当に心配をかけちゃって……」

 

 彼女達のやりとりを聞けば、クオンとは何らかの理由で幼い頃に別れたのだろう。

 クオンは彼女を目指して自らも薬師となったことを語り、エルルゥはそれを便りで聞いていたことを語った。

 

「クオンだけ、内緒にされて……!」

 

 その悲痛な子どもの叫びはエルルゥには答えられないのであろう。

 ただ目元に涙を浮かべて謝罪を繰り返していた。

 

「ほんとうに……ごめんね」

「母さまぁ……」

 

 誰にも口を挟めない母子のやりとりをじっと見つめながら、どれくらいの時間がかかったろうか。

 

「ふふ……もう大丈夫?」

「うん……」

 

 クオンの涙が止まるも、未だただ愛しきものを抱きしめて離さないと抱擁を続けていた。

 

「大丈夫……もういなくなったりしないから」

「でも……」

「大丈夫だから。今は、私のお役目を果たさせて……ね?」

「うん……」

「どうぞ、お入りください。あの方が、この社の主がお待ちです」

 

 つまり、全てを知る者は彼女ではない。

 この先にいる人物。それは──

 

「──お連れしました」

「ご苦労であった」

 

 エルルゥに案内された板張りの広い部屋。

 部屋の奥には帳が降ろされ、うっすらとした人影があった。

 

「よく来た──うたわれるものよ」

「!」

 

 人影はある。

 しかし、そこに何かがあるという気配が感じられない。まるで別世界から声が響くような感覚。

 

「あんたは……一体」

「それに応える前に……ハクよ。大いなる父と呼ばれし者達に、安らぎを与える術を求めて来たのだろう?」

 

 己の心を読むかの如く声。兄貴の顔がチラつく。

 聖廟地下に多数蠢くタタリ。大いなる父のなれの果て。兄貴は彼らを救いたいと願っていた。そのために、ただの人には重すぎる孤独を背負って来たのだ。

 

 兄貴の意志を継ぐ。マスターキーを手に入れる。そして、同胞を解放する。

 故に自分は──

 

「──ああ、その通りだ。よく分かったな」

「……其方の苦しみ、理解は出来る」

「なら」

「だが、それだけなのだ。その願いは幻……この世にそれを叶えられる者は存在しない。彼らをあの煉獄より解放することはできぬ。絶対にできぬからこそ、永久に迷いし者なのだ」

「な……」

 

 なぜそんなことが目の前の奴にわかるのか。思わぬ言葉に唖然と口を開く。

 兄貴がこれまで足掻いてきた全てを否定されたかのような言に感情が昂り、思わず言い返した。

 

「しかし、マスターキーがあれば……」

「其方に鍵を与え、太古の異物を全て暴いたところで、絶望はより深まるだけであろう。こちらとしても、其方に苦しみを与える事を望まない。意味の無いことにはする価値が無い……そうは思わないか、ハクよ」

「……」

 

 ウルトリィが言っていた全ての希望が打ち砕かれるとはこのことか。

 だが、兄貴は自らの全てをかけて、足掻いてきた。自分はまだ何も足掻いていない。足掻いてない内から答えを出すなど、みっともないことが出来よう筈も無かった。

 

「──何であんたにそんなことがわかるんだ?」

「む……」

「今は方法がわからんでも、この先もずっとわからんままとは限らんだろう。たとえどんだけ年月がかかろうが、研究してりゃいつかはタタリを解放する手段も見つかる可能性はある」

「……」

「自分はしょうもないことについては諦め癖のついた人間だが、兄貴の願いがかかってるんでな……そういう大事な約束を交わしながら、何もしない内から諦める事はしない主義だ」

 

 生き残るために、足掻き続けた。

 たとえ結末がどうであれ、それでこそ人間ってもんだ。

 

「兄貴や自分みたいな奴もいる。自分が生きている限り、足掻き続けるさ」

「……やはり、汝は他の者とは違う。だからこそ、我は汝をここに呼んだ」

「何だ、説教でもしてくれるのか?」

 

 皮肉に返したが、目の前の人物は臆した様子も無く言葉を続けた。

 

「知を……其方も知らぬ、ニンゲンの真実を」

 

 真実──ウルトリィが言っていたことか。

 

 そして、目の前の者は滔々と語り始めた。

 

 ──遥か古の時代。この地上に繁栄を誇った種族がいた。

 神にも届くかと思われたその叡智に驕り、神の如き振る舞いを行い、神の如く数多の創造物を造った。

 

 その創造物は道具に限らず、生き物さえ作り始めた。

 品種改良の植物、遺伝子操作された家畜、そして手足となって働く奴隷、亜人種(デコイ)を作り出したという。

 

 故に、彼らはこう呼ばれる──大いなる父と。

 

 しかし、自然の摂理を捻じ曲げた行いが毒素を生み出し、利便性と引き換えに住処を失っていった。

 快適な環境に慣れ切った体は、その毒には耐えることができなかった。

 

 故に、その毒に耐えうるために己の体を強化する計画──真人計画が始まったのだ。

 しかし、この世界に必要ないと言われているかの如く研究は進まず、人は緩やかに衰退していった。

 

「そして、運命の日──彼らは、ついにある者を呼び覚ました。自らの願いをかなえてくれる存在を。それが──」

 

 その答えを知るかのように、クオンがその名を呼んだ。

 

「大神……ウィツァルネミテア。願いを聞くことを喜びとし、望めばその全てを叶えてくれるという神──でも、その願いの大きさに見合った代償が必ず伴う。伝承にはそう記されているかな」

「故にその存在は、あるところでは神として祀られ、あるところでは禍として忌み恐れられた」

「人の願いを叶える代わりに、その魂を奪う……文献にはそう記されていたかな」

「おいおい、そんなおとぎ話のような存在が現実にいるのか?」

「だが、真実だ」

 

 自分の疑問に、ただ答え合わせをするかの如く冷静に返される。

 

「故に、大いなる父は願った。彼らは……追いつめられていたのだ」

「そして、ウィツァルネミテアはその願いを叶えた。強い躰を、老いることのない不死の肉体を。無論代償は払った……取り返しのつかない代償を」

「それが──タタリ化なのか?」

「そうだ。姿と、知性を犠牲にしたのだ」

 

 赤く蠢くタタリの姿を思い浮かべる。

 元の姿にも戻れず、死ぬこともできず、未来永劫地の底を這いまわり続ける者達を。

 

 フミルィルは戸惑うように言葉を返した。

 

「本当なのですか?」

「本当」

「私達が知る事実と変わりません」

「……私達は、知らないうちに何度も大いなる父に遭っていたんですね」

 

 フミルィルは、ウルゥルとサラァナより齎された事実に悲痛な表情を浮かべていた。

 

 しかし、はい残念と立ち止まっている訳にはいかないだろう。他にも策はあるかもしれない。例えば──

 

「ウィツァルネミテアにもう一度願っても駄目なのか?」

「不死の躰を手に入れたいという願いの代償がタタリ化──全てを元に戻す代償は……いったい何を求められるか」

 

 己の願い以上に恐ろしい代償を求められる存在だ。

 碌なことにはならんだろうな。

 

「随分、悪意のある願いの叶え方をする神様なんだな」

「それに……たとえ願おうとしても、今は封じられて、深い眠りについているから」

 

 クオンが自らの胸を抑え、そう言う。

 その姿に違和感を覚えたが、なるほどであれば神様を頼るなんてことはしない方がよさそうである。

 

「まあ、ライコウの信条でもないが──自分も神様に頼るようなことはしないさ。神話や伝承には必ず元となる現実の事象がある。研究を続けて解明できれば、いずれ元に戻す方法も判るかもしれんだろう」

「……」

 

 自分の意思は変わらない。

 マスターキーを手に入れ、ウォシスの野望を砕き、兄貴の意志を継ぐ。

 神には頼らず、あくまでも自らの、人としての力で以って彼らを解放するのだ。

 

 その答えを悟ったのだろう。エルルゥと呼ばれる女性は片隅にあった祭壇に静かに歩み寄る。

 

「……良いのか」

「ええ」

「では、全てを任せよう」

「ありがとうございます」

 

 エルルゥは深々と声の主に頭を下げると、祭壇にある何かを手に取った。

 

「こいつは……」

「貴方には、必要なモノなのでしょう?」

 

 金属製の輪のような形。

 鍵というには些か珍しい形であるが、大いなる父の遺産であるとなれば話は別である。これこそ、正しくマスターキーそのものであると感じた。

 

 クオンはそれが鍵だとは思っていなかったのだろう。驚いたようにエルルゥに問うた。

 

「母さま、それは……大切な人との思い出が沢山詰まっているって……」

「いいのですよ、クオン。思い出は常にこの胸にあります。それに、これは預かり物……この方にお渡しするために、私達は代々受け継いできたのです」

 

 エルルゥはそう微笑んで、自分にそのマスターキーを手渡そうと──

 

「──これはこれは、皆さん御揃いで」

「!? お前は──」

 

 思わぬ声に振り返れば、そこにいたのは全ての黒幕、ウォシスであった。

 

 

 



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第五十三話 戦嵐が吹くもの

「──これはこれは、皆さん御揃いで」

「!? お前は──ウォシス!」

 

 振り返れば、そこにいたのは全ての黒幕、ウォシス。そしてそれに連れられた四人の少年兵であった。

 

 ウルトリィはどうしたのかと思ってみれば、ウルトリィもまた彼を案内するかの如く傍に居た。

 人質にされている様子もない。ウルトリィの意志でここへ連れてきたということか。

 

「ウルトリィさんよ……何故ウォシスをここに連れてきたんだ?」

「……彼は、ハク様と同じく鍵を受け継ぐ資格を持つ御方です」

「っ!」

 

 そうか。

 たとえウォシスがクローンであっても遺伝子は兄貴と同じ。ウルトリィにとってウォシスは大いなる父そのもの。故に逆らえないということか。

 

「ウォシス、よくここがわかったな……オシュトル達が外を警戒していただろう」

「大いなる父にとって、デコイの警戒など意味のないこと。貴方達が道案内してくれたおかげですんなりとここまで来れましたよ。まあ、衛兵の何人かを止めてきたので、違和感を得た貴方の仲間達はもう暫くすればここに来るでしょう……危害は加えていませんので、安心してください」

「なに……?」

 

 そうか、ここに来たことで、ウォシスもまた手がかりを得て通り易い道を作ってしまったということか。

 ここに来るかもしれないことはある程度予想していた。それに対するために仲間を連れてきたこともある。

 

 しかし、自分の仲間がもう暫くすればここに来ることがわかっていながら、焦るまでもなくこちらに安心しろとまで言わせる、その余裕は何だ。

 それに、他にも気になるのは以前の和装とは違う襟のついた洋装である。

 

「前見た時とは違うな。えらく洒落た服を着て……何だ、マスターキーを手に入れるには正装が必要だったのか?」

 

 ウォシスの時代先取りファッションに皮肉を込めて言うも、ウォシスは眉を多少顰めた程度で意に介した様子もない。

 

「ふふ……相も変わらず飄々と……貴方と話すつもりはありません。オンカミヤムカイの主よ……マスターキーを受け取りに参りました」

「鍵は、欲する者に須く与えられる物ではない。その資格ある者のみが持つことを許される。汝にその資格はあるか?」

「勿論、あります」

「して、それは?」

「私も彼と同じ──大いなる父なのですよ」

「まさか、そんな……!?」

 

 クオンが驚きに満ちた瞳で自分を見る。

 確かに、間違ってはいない。だが、間違っている。

 

 ウォシスが帝のクローンであることは、兄貴とホノカさん、そして自分と、ウルゥルサラァナしかあずかり知らぬことなのだ。

 それを今言うべきか迷う。

 

 兄貴の愛深き悲しみに満ちた顔。

 自分から言うべきなのか、それともウォシスを強引に捕らえて兄貴から言わせるべきなのか、それを迷っていた。

 

「ハク、貴方は帝から聞いているのでしょう? 私のことを」

「……ああ、帝の……その、息子だってな」

「ふふ、その通りです。ならば、私にもその鍵を得る資格がある。いえ、私にこそ相応しい。なぜならば、私は貴方以上に知っているからです。先ほど彼が語った神話、その真実を──」

「神話の、真実?」

「ええ、真人計画、そしてアイスマン計画をね」

 

 帳の奥の人物の重苦しい沈黙。

 先ほどまでの空気が一変されたことがわかった。

 

「どこから話しましょうか、そうですね──」

 

 ウォシスが語る真実。

 それは大いなる父の繁栄の裏側。

 

 手に入らなかった寿命。不完全な種であるからこそ滅びる。完全ではないから滅びる。故に完全な種となるための計画が始まったという歴史の話であった。

 

「人の持つ傲慢さ、強欲さこそが、人の愚かさの証明でもあり、また彼らの力でもありました──そして始まった計画こそが」

「真人計画……しかし、それは」

「ええ、上手くいきませんでした。しかし、ある時、地下深く氷漬けとなった男を見つけます」

「男……?」

「それこそが、アイスマンと名付けられる存在だったのです」

「! アイスマン……計画」

 

 真人計画すら暗礁に乗り上げて停滞していた中、研究者の中でも意見が割れていた。

 計画を別った彼らが藁にも縋る思いで見つけたのが、地の奥深く氷漬けとなった一人の男、アイスマン。

 彼らは、アイスマンの卓越した生命力から手がかりを得ようとしたのだ。

 しかし──

 

「アイスマンに秘められた力は寿命を伸ばすに留まりませんでした。言わば人類の手に余る未知なる力……しかし、彼等はアイスマンを中核とし、研究を進めていったのです」

「……」

「彼らは狂喜しました。自分達が目覚めさせたモノの正体すら知らずに……禁断の技に酔いしれた後、彼らはたった一夜にして姿を消すこととなったのです。他ならぬ……アイスマン、いえウィツァルネミテア、貴方の手によってね」

 

 ウォシスはまるで挑戦するかの如く、帳の向こうへと視線を送る。

 しかし、その正体に言及しても否定の言葉は帰って来ない。まさか、この先にいる者はそのアイスマン本人──いや、解放者ウィツァルネミテアとうたわれし者なのか。

 

「……良かろう。汝も資格を得た者とする。なれば、汝等に問う。マスターキーを得て何をする」

 

 否定はせず、ただ資格ありとだけ答える人影。

 

 であれば、目の前にいるのはやはり解放者(ウィツァルネミテア)その人である。

 その問答に、願いは不要であることは理解できた。伝えるのは、己の確固たる意志のみ。

 

「自分は──自分の手で同胞を解放し、安らかに眠らせる……その為の研究をする。それだけだ」

「汝は?」

「未知への探求を」

「では、ウォシスに問う。未知なる何を知りたい?」

「全てを。人の本質は好奇心と探求……勿論同胞の解放も考えていますがそれは遺産を継ぐ者にとっての義務に過ぎません」

「好奇心……ニンゲンがそれ故に滅びたとしても?」

「しかし、今こうしてこの地は新たな種に溢れ繁栄している……それは、貴方の功績ではありません。私達人間の功績なのですよ。故に、私は人を、大いなる父を称え続けるでしょう」

「ウォシス……」

 

 その考え方は、自分にも似たところがある。

 たとえ間違っていても、足掻き続ける。足掻き続けた先に何があろうとも、知を求め続ける。

それが愚かであることを知っていても、人には知を探求する以外の方法が無いのだ。

 

 きっとこの先に良き未来があるのだと、たとえそれが滅びに向かっていたとしても、そう信じる他ないのだ。

 全てを見通す神では無いからこそ、人は停滞することなく崖に向かって進み続ける。

 

 ウォシスは確かに兄貴のクローンなのだ。

 考え方が歪んではいるが、知を探求すると言うその心根は兄貴の意志そのもの。

 

「お喋りがすぎましたね……しかし、これでお判りでしょう? マスターキーを持つのは私こそが相応しい」

 

 ウォシスは穏やかな笑みでそう言う。

 これだけの自信を持っているのだ。ここで、お前はクローンであると言って果たして信じるかどうか。

 そう迷っていると、ウォシスの言に不穏なものが混ざる。

 

「そう、私こそが……しかし、それであっても偉大な帝は……我が父上は一つ過ちを犯した」

「何?」

 

 ウォシスは突如自分へと視線を向けると、その表情を憤怒のものへと豹変させる。

 

「それは、この世界を支配する後継者を……私ではなく、貴様を選んだことだ! ハク!!」

「……」

「聞き捨てならない」

「その言葉、主上と主様を侮辱したと判断します」

 

 双子とウォシス配下の者とで一触即発となろうとした時である。

 ウルトリィが威圧するように前へ進み出た。

 

「ここは神聖な場所……この場で争うことは罷りなりません」

「ふ、安心してください。ムツミに連なる者と事を構えるつもりはありません」

 

 ウォシスは警戒するように空を見上げ、元の柔和な笑みへと表情を戻した。

 仕方ない。ここまで話がこじれれば、自分も一つ真実を話さねばならんだろう。

 

「帝が何故自分を選んだか……知りたいか? ウォシス」

「ふむ……? 貴方如きが知っていると?」

「ああ。自分は──帝の生き別れの弟だ」

「……何?」

 

 ウォシスはその言葉の理解に時間を要したのだろう。不可解な表情をした後、ただただ不快だというように己を見つめた。

 

「貴方が……? 父上の?」

「ああ、つまりお前の叔父だ。兄貴は、お前には遺産なんて継がずに自由に生きてほしいって言ってたよ。だから自分を後継者に選んだんだ」

「……そ、それを、信じろと?」

「ああ」

「証拠があるのですか?」

「兄貴に聞けばいいだろう」

「……」

「叔父としてお前に言ってやる。お前はマスターキーや遺産のことなんざ忘れて、さっさと兄貴のところでじっくり話して来い」

「ふ……ふふふ……」

 

 ウォシスは額に手を当てて、まるで頭の可笑しいものを見るかのように自分を見つめた。

 

「なるほどなるほど、マスターキーを手に入れたいがために、そのような嘘を……」

「嘘じゃない」

「嘘だッ!! 記憶も無くし、自分の名前すらも思いだせない奴が、私の叔父だと? 本当に我が父上の弟であれば、帝は私にそう伝えた筈……どうせ父上が創った真人計画試作品の一人、貴様の言など信じられる訳がないだろう!」

 

 真人計画の試作品、か。確かにそう言われてしまえば、自分のことを証明する手段は無い。

 兄貴と自分だけに通じることも、ウォシスには通じないのだ。この場では証明の仕様がない。

 

「確かに証拠はないが……それでも、本当なんだ。だからこそ兄貴は自分に鎖の巫を与え、以前から目をかけていた。心当たりはあるだろう?」

「……もし仮にそれが本当であったとしても……今まで帝が築いてきた物を受け継ぐ資格は、突然ひょっこりと何食わぬ顔で出てきた貴様ではない。同じ血を持った息子である、この私……真人計画の体現者である私こそが相応しい……!」

「……」

 

 己を帝の後継者足る真人として疑わないウォシス。

 

 自分への信頼は地に墜ちている。自分が何を言おうともウォシスの心は開かないだろう。

 ここでウォシスが兄貴のクローンであることを示しても火に油を注ぐだけだ。やはり、兄貴から直々に話をしてもらわねばならない。

 

 しかし、この場はどうする。

 ウォシスにマスターキーを与えれば碌なことにならないのは判りきっている。

 敵は少年兵四人。こちらは自分とクオン、フミルィルにウルゥルとサラァナ。数では劣るがこちらには仮面もある。どうするか──

 

「──ウォシス、それでもお前にマスターキーは渡せん」

「……ほう?」

「お前は、ライコウのように自らの知を以ってして何かを生み出してきたわけじゃない。ただ兄貴の知を……身の丈に合わん知識を弄んで偉くなった気分でいるだけだ。兄貴は、そんなことのために遺産を残そうとしているわけじゃない」

「……叔父として説教でもするつもりですか? 偽物が」

「……とりあえず、マスターキーについては互いに保留にしよう。お前がここで受け取らないなら、自分も受け取らん。まずは自分とお前で兄貴に会いに行く。そこで……兄貴から真実を語ってもらえ」

「……」

 

 ウォシスはその言葉に目を瞑って黙った後。

 やがて堪えきれないというように笑い声をあげた。

 

「くっくっく……騙されませんよ。ハク」

「いや、騙してなんて──」

「黙れッ! 口八丁手八丁を自慢とする貴方のことです。その口ぶりでこれまで数多のデコイを騙してきたのでしょう? デコイは騙せても、大いなる父である私には届きませんよ」

 

 説得も不可能か。

 どうこの場を収めるか唇を噛んで思案していると──

 

「──場を変えたまえ」

「っ、宜しいのですか?」

 

 混沌とし始めた場に一石を投じたのは、ウィツァルネミテアの声と戸惑うエルルゥの声であった。

 

「互いに譲れぬものがあるのなら、力を以って示すが世の摂理。それが、我らの最大の譲歩だ」

「な……戦って決着をつけろってか?」

「そうだ」

「ふふ……その方が分かり易くていいでしょう。煙に巻く貴方と話していると、腸が煮えくり返って仕方が無い。勝者がマスターキーを手に入れられるというのなら、ここで決着を付ける他ありませんね」

「……こちらへ」

 

 武をもって資格を示すことが決まり、ウルトリィが先導するかのように屋内から外へと皆を連れ出す。

 

 ウォシスと共に表へと出れば、そこには社を遠巻きに眺め心配そうに見やる仲間たちの姿があった。

 

「ハク! やはりここにいたか……!」

「オシュトル! 皆! 何故ここに……」

「表でウォシスの姿を見て、密かに後を追わせてもらったのだ。ここまで来る衛兵らは全て固められておったからな」

 

 言霊を持つウォシスの前では、たとえオシュトル達と言えども自分無くは太刀打ちできない。交戦不可の言伝をしっかり守ってくれていたようだ。

 

 ルルティエや、シスなど、ウォシスの姿を初めて見て戸惑いを覚える者もいる。

 エントゥアは以前見たことがあったのか、その正体に納得するように武器を向けていた。

 

 ほかにも、顔は見たことがあるが、かつての様相と違う有様を見て驚く者もいた。

 皇女さんもその一人だったのだろう。憤然と前に進み出た。

 

「……ウォシス、其方が全ての黒幕であったとはの……何故じゃ、余が不甲斐なきせいか?」

「これはこれは、可哀想なアンジュ……父の使命の一端すら知らぬ、哀れな人形がここまで来たとは……」

「父の使命……? 人形……? 何を、何を言っておる……?」

「問答は不要だ! 今度こそ大人しく縛につけッ、ウォシス!」

 

 以前受けた言霊を警戒しているのだろう。

 ミカヅチがその大剣で以ってウォシスへと切っ先を向けた。

 

「ウォシス、これだけの戦力差だ。マスターキーは諦めて、お前は兄貴と話して来い」

「ふふ……」

 

 ウォシスは己がこれだけの戦士に囲まれていても、その笑みを崩さない。

 言霊は自分もいるため使えない筈だ。何か秘策があるとでも言うのだろうか。

 

「何故、笑っているんだ? ウォシス」

「ええ、貴方には私に勝つ自信がおありだったのでしょうね……言霊を防ぐ手段を得て尚、オシュトルにミカヅチ、ムネチカ、そしてハク……帝から仮面を賜われし者が四人揃ったのですから」

「……?」

「……しかし、忘れていますよ。仮面は──もう一つあるということを……!」

「仮面が……もう一つ? っ、まさか……ッ!」

 

 つう、と己の頬を冷や汗が伝い、背筋が冷える。

 兄貴がかつて、この仮面を四つに分けた理由を思い出したのだ。そう、仮面はもう一つあったのだ。その存在を知りながらも、それが今どこにあるかは知らなかった。

 

 ウォシスは自分に答えを見せつけるかの様に、懐から黒く禍々しい仮面を取りだした。

 

「ええ、これです。父が己の犯した罪の大きさを嘆いた原因……力を分けた四つの仮面を結集して尚、抑えられなかった──原初にして最強の仮面(アクルカ)ッ!」

 

 しかし、その仮面をウォシスが被る事は無かった。

 その黒々とした仮面は、隣に寄り添う三人の少年兵の傍に傅くもう一人の小柄な兵へと手渡された。

 

「──ミルージュ」

「はっ」

「かつての汚名を……貴方自身の手で濯ぎなさい」

「わかりました……この命、ウォシス様の為に!!」

「ふふ、良い返答です。ハク、貴方に細工したものよりも更なる改良を加えてあります。易々と勝てるとは思わないことですね」

 

 もしや、己のヴライの仮面に細工した以上の負荷をかけたのか。そんなことをすれば、使い手の破滅は必至である。

 ミカヅチはその仮面を被ろうとするミルージュに剣を向ける。かつての部下であった手前、それを憤怒の表情で以って止めようとした。

 

「やめろッ! ミルージュ!!」

「ふふ、ミカヅチ様……貴方を私の命で以って超える日が来たこと、それをウォシス様に証明できること……本当に嬉しく思いますよ──!」

「くッ!!」

 

 ミカヅチは言葉では止められぬことを悟ったのだろう。

 ミルージュの命を奪うことで以って阻止しようと、一息で接近し渾身の一撃を見舞った。しかし──

 

「──動くなッ!」

「む!? ぐぅゥゥッ!!」

「ッ! ミカヅチ、止まるなッ!」

 

 ウォシスによる言霊による制止と、三人の少年兵による自分への警戒。

 遅れて言霊を自らの言葉によって上書きするも、その一瞬の時間を稼がれてしまった。

 

 自分の言霊を受け再びミカヅチの豪胆な剣が振り下ろされるも、ミルージュの解放が一瞬だけ──

 

「──ぐ、あああアアアあッ!!!」

「!? があッ!!?」

 

 力の解放の余波によって嵐のような風圧を受け容易く吹き飛ばされたミカヅチ。

 その恐ろしいまでの黒々とした圧気にウルゥルとサラァナを両腕に抱え後方に飛んで回避する。吹き飛ぶフミルィルも、クオンの手によって助けられ何とか回避できたようだ。

 

「ッ……!」

 

 社は無事かと思って見れば、社の前にいたウルトリィが必死の形相で防いでいるようであった。

 ウルトリィの言で社より幾許か離れているといえども、この恐ろしい衝撃波は社を破壊し得るものだったのだろう。

 

 ウォシスを警戒するように取り巻いていた仲間の面々へも、その衝撃の余韻を与えた。

 歴代の仮面の者(アクルトゥルカ)の誰よりも、あのヴライよりも解放の余波は比べ物にならない程の規模である。

 

「きゃあっ!」

「小生の後ろに!」

 

 ムネチカがネコネ他将の眼前に立ち、その仮面の力によって増強された盾で以って衝撃波を防ぐ。

 

「ぁ、ァア……!」

 

 濛々と上がり続ける土煙の向こうにあるは、異形の怪物と化した影。

 仮面を解放した姿はこれまで何度も見て来た。オシュトル、ミカヅチ、ヴライ──だが、目の前のあれはその誰よりも黒く禍々しく染まり、右腕に黒炎、左腕に黒雷を纏っている。

 

「あ……ァァあああアアあああアアああアッ!! ヴオシズざまのダメニッ……ヴォジズザマァアッ!!」

「ふむ……早々に呑まれましたか……やはり父上が創り賜うた欠陥品は、欠陥品のままだったということですか」

 

 ミルージュはもはやまともな言語すら扱えぬようである。ただただ叫び、周囲にその怨嗟の音を響かせ続けている。

 最も近い距離で衝撃波を受けたかミカヅチは、強かに体を地に打ち付け額から血が垂れていた。

 

 しかし、ミカヅチにとってはその痛みよりも怒りが勝ったようである。かつての部下、ミルージュのその哀れな末路を想い、剣を向けて激昂した。

 

「ウォォシスゥウウウッ!!」

「ふふ……マスターキーが壊れてしまっては元も子もありませんからね」

 

 ミルージュの衝撃波からいち早く逃れ、ウルトリィの影に隠れていたウォシスである。

 ウォシスは元より力の余波に当てられる前にマスターキーを回収するつもりであったということか。

 

「母さまっ!」

 

 マスターキーを持つエルルゥに近づくウォシス。クオンがそれを阻止しようと警戒するように叫んだ。

 

「あっ……」

「これは戴いていきます、よろしいですね?」

 

 しかし、ウォシスはクオンの圧にも怯まず、エルルゥから半ば奪い取るようにその鍵を手に取った。エルルゥは戸惑うように社の向こうへと問いかける。

 

「……良いのですか?」

「……」

「ふふ、沈黙は肯定とみなします。これは、私の手に相応しい。そうですね、アイスマン」

「……」

 

 ウォシスが沈黙を受け、悠々とマスターキーを手にして去ろうとする。

 それを阻止するため、ウォシスの進行方向を遮ろうと前に出た瞬間である。

 

「!? これは……!」

「気を付けろ、ハク! 其奴らは強いぞ!」

 

 そこにいたのは、かつてオシュトルとミカヅチの一騎打ちの時にも姿を見せた闇の先兵。

 オシュトルの言によればその戦闘力は仮面の者に僅かに劣る程度。それがこの数──いや、それだけではない。

 

「こ、こいつら……あの時の化け物じゃない!」

「奴らに背を見せるな! 皆の者固まれ!」

 

 かつてトゥスクル遠征から帰還する際や、ルモイの関で己を捕える際に見た異形の姿。

 まるでデコポンポに細工したかのような恐ろしい怪物が周囲を覆っていた。

 

「貴方の言葉通り……家族水入らずで、父上と話をしてきますよ。貴方の言が嘘か真かも判るでしょう」

「ウォシス……お前、ここまでするのか……!」

「? 当然でしょう。貴方の存在さえなければ、私が継いでいたのですから……父上と遺産について大事な話をしている間は、仮面の者(アクルトゥルカ)同士どちらかが滅ぶまで存分に戦っていてください」

「……」

「では……お先に失礼しますよ。もし勝てば、私を追ってくるがいいでしょう……全ては、終わった後でしょうが」

 

 ウォシスと三名の少年兵は笑みを浮かべてその場を去って行く。

 残されるは、絶対絶命の死地。

 

 敵は最強の仮面の者(アクルトゥルカ)と化したミルージュ、そして闇の先兵と異形の者達。

 味方は、仮面の者(アクルトゥルカ)であるオシュトル、ミカヅチ、ムネチカ。他には、クオン、フミルィル、皇女さん、ネコネ、ルルティエ、シス、アトゥイ、ノスリ、オウギ、キウル、ヤクトワルト、シノノン、エントゥアに、ウルゥルとサラァナ。

 

「……兄貴」

 

 ぎり、と拳に力が籠る。

 己の不甲斐なさを想い、より力の籠った爪が掌に食い込み痛みを生む。

 

 ウォシスに、己の言葉を信じさせるだけの力が、信用が、自分には無かった。

 これだけの戦力を用いていたのだ。ウォシスを拘束し力で言うことを聞かせる手段も考えていたが、敵が最強の仮面(アクルカ)まで持ち得る存在であったことを失念していた。

 

 しかし、今は後悔していても仕方が無い。

 

 目の前の敵を討ち、マスターキーを手にするウォシスを追うしかないのだ。

 そして、誰の犠牲も出さない。そのためには──己の顔にぴたりと食らいつき離れない仮面が、じくりとその痛みを知らせる。

 

 ──自分の命だけでは足りないかもしれない。

 

「──皆、聞けッ!」

 

 鉄扇を眼前に構え、皆に決意の言葉を送る。

 

「オシュトル、ミカヅチ、ムネチカ、それにウルゥルとサラァナは自分と一緒にミルージュの相手をする! 他の者はそれ以外の兵をこちらに近づけないようにしてくれ! 皆で──生き残るぞッ!!」

「「「「「応ッ!!」」」」」

 

 戦場に皆の呼応と抜刀音が響き、力の奔流が頬を撫でる。

 

 大いなる父の墓場、トゥスクルの最も地下深い空洞の中で、壮大な戦嵐が吹いた──

 

 

 




 うたわれBGMの中でも「戦嵐」は素晴らしく恰好良いBGMだと思っています。
 勿論「君だけの旅路・劇伴」も最高に恰好良いですが、あっちは感動で涙がボロボロ出るタイプの恰好良さですね。
 「不安定な神様・劇伴」も恰好良いですが、あれは一騎打ちっぽい感じで恰好良い。
 「戦嵐」は総力戦というか、決戦とか燃えるタイプの恰好良さな気がします。

 まあ、結局、全部恰好良いってことなんですが……。


 とりあえず、原初の仮面の者ミルージュ戦はBGMの中でも「戦嵐」を想起しながら書きました。


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第五十四話 共に闘うもの

 敵は尽く異形の姿と化し、狂気の戦場を前に恐れ戦く暇はない。

 

 鉄扇を眼前に構え、皆に決意の言葉を送る。

 

「オシュトル、ミカヅチ、ムネチカ、それにウルゥルとサラァナは自分と一緒にミルージュの相手をする! 他の者はそれ以外の兵をこちらに近づけないようにしてくれ! 皆で──生き残るぞッ!!」

「「「「「応ッ!!」」」」」

 

 戦場に皆の呼応と抜刀音が響き、力の奔流が頬を撫でる。

 

 大いなる父の墓場、トゥスクルの最も地下深い空洞の中で、壮大な戦嵐が吹いた──

 

「──こっちだッ! ミルージュ!」

 

 仮面(アクルカ)の力によって生み出した渾身の炎弾をミルージュへと放ち、注意をこちらに向ける。

 

 これは、奴を社や仲間たちから離れるよう誘導するためだ。

 意を汲み取ったオシュトルとミカヅチ、ウルゥルとサラァナがミルージュの背より追い立ててくれた。

 

「ガアアアアッ!!」

「よしよし、こっちに来たな……ムネチカ! 盾だッ!」

「あいわかった、ハク殿! 小生にお任せあれ!!」

 

 ムネチカはそれだけで己の意図を察してくれたのだろう。

 社や仲間の皆に危害を及ぼさぬよう、後方に誘導したミルージュと我ら仮面の者(アクルトゥルカ)だけで戦える場を盾によって整えた。

 

「ハク!」

「心配すんな、クオン! 仮面(アクルカ)の力は最小限に抑える! そっちを一刻も早く片付けて、こっちに来てくれ!」

「っ……わかった、無理はしないでね! ハク!」

「ああ!」

 

 ムネチカの作りし光の盾を境にクオンの泣きそうな瞳を受け決意が揺らぐ。

 しかし、仮面の者による闘いの余波によって思わぬ被害を及ぼさぬためにも、二手に別れて闘うしかない。

 

「こいつら……何度心臓を射っても立ちあがってくるぞ!」

「姉上! 単独で動かぬよう!」

「こいつは、中々時間がかかりそうじゃない……! エントゥアの嬢ちゃん、連携するぞッ!」

「はい、誘導します! アンジュさま!」

「応ッ! 余の眼前に立った者は全員ぶっ飛ばしてやるのじゃッ!」

「ネコネさん! 私の後ろに!」

「はいです! キウルの矢と共に法術をお見舞いしてあげるのです!」

「ルルティエ、ココポ! 私と連携しますわよ!」

「はい、お姉さま! ココポ、行くよ!」

 

 透明な盾の向こう側では、何度斬っても立ちあがる恐ろしい耐久性を誇る敵に手古摺っているようである。

 そして、ムネチカの盾である程度分断できたとは言え、その敵はこちらにも多くいた。であれば取り得る策は──

 

「──ムネチカはそのまま盾の維持に努めてくれッ、余裕があれば補助を頼む!」

「あいわかったッ!」

「ウルゥルとサラァナは、ミルージュの力を抑える呪術を頼む」

「「主様」」

「自分は大丈夫だ。頼んだぞ!」

「「……御心のままに」」

「ミカヅチは敵兵からウルゥルとサラァナを守ってやってくれ!」

「了解だ。後ろは気にするなッ! 貴様は前だけ向いていろッ!」

「ぅがアあアアアアああアアッ!!!」

 

 我らを見て耳を劈く咆哮を上げるミルージュ。

 己の服がばたばたとはためくほどの恐ろしい圧ではあるが、不思議と怖くは無い。何故ならば──

 

「──ヘッ、アンちゃんと肩を並べて戦うのも、ずいぶんと久しぶりだ」

 

 自分の隣に肩を並べるように進み出るオシュトル。言わずとも、己の役目を理解してくれていた。

 

「……そういや、そうだな」

 

 オシュトルとの共闘はウコン時代の時か。いや、戦乱前にデコポンポの営んでいた闇市船で一緒にボロギギリから逃げだすように戦って以来か。

 戦乱の際は何だかんだ影武者やら使者やらで別行動が多くて、こうしてオシュトルと二人共闘することが無かった。

 その久々の戦いがこんな規模になるとはね。こんな戦いをする程に、遠くへ来ちまったもんだと思う。

 

 己の不甲斐なさと、ウォシスの誤解から生まれた悲しい決戦。しかし戦わねば皆を助けられない。

 

「一緒に戦ってくれるか、オシュトル」

「ああ、勿論だ」

 

 何を当然のことをと返すオシュトル。

 しかし、このような状況で、仮面の力を使い自分と共に命を賭けてくれと言えるものか──

 

「アンちゃんよ──俺の命を使うかどうか、悩んでるんだろう?」

「……!」

「大丈夫だ、アンちゃん……俺達が共にあれば、きっと未来に届く」

 

 にっと不敵な笑みを向けるオシュトル。

 そうだ、きっと勝てる。オシュトルと自分であれば、勝てない者はいない、そう確かに思わせてくれる笑みであった。

 

「そうだな……共に、命を賭けてくれるか、オシュトル」

「ああ。生きるも死ぬも……一緒だぜ! アンちゃん!」

 

 互いの持つ剣と鉄扇を我らの決意を示すが如く打ち鳴らし、異形の兵に囲まれた黒き獣と化した仮面の者(アクルトゥルカ)と相対する。

 

 ウルゥルとサラァナがミルージュを呪法で弱体化している今こそ、自ら近づいて討滅する好機。

 示し合わせたわけでもない。だが、その足が前へと進むは全くの同時であった。

 

「「──オオオオオッ!!」」

 

 炎と雷撃を周囲に撒き散らすミルージュ、そしてそれを囲むように守る異形の姿と化した敵へと決死の覚悟で挑む。

 

「ォォォォォオ……!」

「奴さんが来たぞ、オシュトルッ!」

「応さ、アンちゃん! 協撃するぞッ!」

 

 その進路を阻むか如く襲い掛かる異形と化した敵兵の攻撃を躱し、尚向かってくる敵を我ら二人で討ち滅ぼす。

 

「ァァァァアッ……!」

 

 自分へと鋭い爪を突きたてようとした敵兵に対して、オシュトルが目に見えぬ斬撃を繰り出せば、容易く敵の手足が千切れ落ち、跳ね飛ばされた体が宙を舞う。

 そのオシュトルの攻撃の隙を討とうと向かってくる敵を、己の鉄扇で力のままに叩き潰し、操る炎で再生させぬまま焦土と化す。

 

「ギィィィィ……ァァァッ!?」

「我ら二人に敵う者無しッ! このまま突破するぞッ!!」

「応ッ!」

 

 互いの姿を見るまでもない。己を守る必要も無い。しかし、その連携は久しく共闘したものとは思えぬ練度を誇った。

 敵兵の攻撃は届かず、ただ我ら二人が齎す暴風のような攻撃が敵の命を刈り取っていく。

 

「──オシュトル!」

「──アンちゃん!」

 

 きっと、互いを守りながら前へ前へと剣を振るっている筈──これまで何度も剣を合わせて来た経験が、相手に命すら預けて一騎打ちした信念が、己の心を震わせる。

 

「ァァァアアッ……!!?」

「オシュトル! 生きてるか!」

「ああ、アンちゃんこそ! 死んでねえな!」

「何とか生きてるよォッ!! せぇやァッ!」

 

 眼前の敵を次から次へと遠方へと吹き飛ばし、撫で斬り、燃やし尽くす。

 ただただ向かっていたものを尽く消滅させられる姿を見て、我ら二人には勝てぬと考えたのか、その牙は後方にいるミカヅチへと向けられる。

 

「ミカヅチ、後は頼んだぞ……!」

 

 しかし、それを防ぐことはない。ミカヅチであれば漏れた敵も必ず対応してくれる。ミカヅチの言う通り、我ら二人は前だけ向いていれば良いのだ。

 ウルゥルとサラァナの体力もそう持たない。ミルージュを倒すは今──

 

「ゥォォォォン……!」

 

 それでも尚、敵の中でも思考力の劣った雑兵なのだろう。次から次へと湧き出る敵兵をオシュトルとの協撃で塩と霧散させながら、ミルージュとの距離を縮めていく。

 そして──

 

「──ンギャアアアアッ!!! ヴオジズザマアアアッッ!!」

 

 ついに眼前へと立った我らに、ミルージュの絶大なる咆哮。

 肉薄する距離においてその咆哮はびりびりと耳の奥を穿ち、腹にずんとくる衝撃に思わず足を踏ん張った。

 

「くっ……」

 

 ウルゥルとサラァナの呪法に最初は戸惑い動きも鈍かったのだろうが、それにミルージュも対応し始めたのだろう。

 

 ミルージュの手によって遥か彼方に吹き飛ばされる敵兵もあった。

 暴走した強大すぎる力はもはや敵味方関係ないのだろう。眼前に映る全てを破壊しようとしていた。

 

 そして、その破壊の瞳はこちらへと──

 

「バアあああアアアッ!」

「! ちょっ……!」

 

 寸でのところで敵の殴打を避けるも、掠めた風圧だけで己の体は容易く飛ばされる。

 ウルゥルとサラァナの呪法で弱体化され、尚この威力──

 

「熱ッ……!」

 

 威力だけではない。両の腕から放たれる黒炎と黒雷が周囲を無造作に襲い、己の肌を焼いていく。

 しかし、オシュトルがその攻撃の隙を縫うように己の剣戟をミルージュへと放った。

 

「む!? 堅いッ……!」

 

 オシュトルの剣は肌を削ることなく早々に弾かれ、飛ばされたオシュトルも自分の隣へと着地する。

 

「どうだ、オシュトル」

「……仮面の力をある程度引き出した渾身の一撃で無ければ、両断とまではいかねえな……!」

「そうか……なら、隙を作る!」

「ああ!」

 

 短く言葉を交わすも早々に、再びミルージュへと接敵する。

 動き自体は単純である。力に呑まれ思考が衰えているためか、数多の殴打を避ければ僅かに隙が生まれる。

 しかし、それを守るように動く炎と雷撃が邪魔であった。

 

「いつつ……! ったく、反則だぜ……! でぇりゃあアッ!」

「はッ! せやァッ!」

 

 二人の連携の取れた斬撃を、ミルージュの攻撃後の僅かな隙に何度も打ちこみ、ミルージュに浅い傷を作っていく。

 

「ガァッ!? グウアアアッ、小癪ナアアアッ!」

 

 ミルージュもその剛腕で捕えようと我らを追うも、ミルージュの眼前からすぐさま飛び立ち側面を削り取っていく。

 ミルージュは、己の目ではもはや捕捉しきれぬ我らの速度に戸惑い右往左往するばかり、一つの反撃も受けぬまま数多の攻撃を重ね続けた。しかし──

 

「痛つつ……切れば切る程こっちの腕が痺れるとはな……!」

 

 しかし、連撃と協撃を何度浴びせても、致命傷にまでは至らない。

 こちらは切ったり殴ったりするたびにその堅さに弾かれ筋肉が痙攣しているというのに、ミルージュに疲労や痛みの様子はない。

 

 やはり、己の体で以って明確な隙を作らねばならんだろう──

 

「グギャアアアアッ!!」

「──ッ! はああッ!」

 

 嵐のような乱舞を見せていたオシュトルが、自分と呼吸を合わせたかのようにミルージュの後背を穿つ。

 その突貫はこれまでにない威力だったのだろう。背後を気にするようにミルージュの視界から自分が消え、ミルージュに僅かな隙ができる。その一瞬の隙を逃すことはない。

 

「やれッ、ハク!!」

「応ッ! ヴライ直伝の一撃を喰らわせてやるッ──」

 

 すぐさまミルージュの死地へと潜り込み、その空いた土手っ腹に炎を纏った渾身の右ストレート。

 実を言うと傍から見ただけで直伝ではないが、こういうのは気分で言うもんだ。

 

「ッ──はアッ!!」

「ガッ……ァアアッ!!?」

 

 仮面の力を引き出した炎の一撃。

 

 ドゴォォォンと打撃音とは思えぬ爆発音が遠方に響き渡り、その衝撃に流石のミルージュも血を吐くように息を漏らし衝撃を受け止める。尚漏れた威力はミルージュの背を越え炎風となって後方へと伸びた。

 

「ッ……まだか……!」

 

 しかし、これでも足りない。

 ミルージュの目は消えてはいない。それどころか、すぐさま体勢を立て直し、己の懐に潜りこんだ自分の姿を見つけたのだろう。

 

「ギザマッ! ガアアアアアッ!」

 

 黒炎と黒雷を纏った巨大な両腕を振り上げ、一片の慈悲無く振り下ろした。だが、狙い通り──

 

「──ぐううッ! があッ……あああッ!」

 

 ガアアアンと巨大な槌を受け止めたかの如く衝撃が己の体を走る。

 仮面の力の一端を引き出し、己の体を一本の棒と化してミルージュの打撃を両の手甲で受け止めたのだ。

 

 その威力は考えたくもない。大地を踏みしめる地盤は割れ、受け止めた筋肉はぶしゅりと裂け血を生む。

 恐ろしい力であるが、このヴライの仮面も負けてはいない。食いしばる歯はぎしりと嫌な音を立て、全身の骨という骨が衝撃に悲鳴をあげているが、隙を作るはこの一瞬で良い。

 

「隙だらけだぜ……いけ、オシュトル……ッ!!」

 

 この世で最も信頼する友の名を呼ぶ。

 隙さえ作れば必ずオシュトルは動く──その一瞬、視界の端に煌く刃が映った。

 

「──はあああああッ!!」

 

 オシュトルは横合いより飛び立ち、上段より振り被った渾身の一撃を放つ。

 仮面の力を引き出した一撃は、ミルージュの丸太のような両腕を意図も容易く寸断した。

 

「ガッ!? ギイイァあアアアアッ!!!」

 

 落ちた腕は塩と化し、寸断された部位より血のような炎が漏れる。ミルージュは初めて受けた重症に戸惑うよう悲鳴を上げ、無くなった腕先を見つめている。

 

「ふぅ……やったな、オシュトル」

「応、次でとどめといこうじゃねぇか──ん?」

 

 剣を携え、再び共に前へと踏み出そうとした時である。ミルージュの周囲に集まる無数の力の奔流を感じた。そして──

 

「ヴお、ヴオシスザマのためニッ……コノ……ダマジイ……ヲッ!!」

「な……!? さ……再生、だと!?」

 

 寸断された腕の先端から、無くなった筈の腕が炎と雷を纏って再び生えだしてきた。

 思い至るは、あれが四つの仮面の元となったものであること。

 

「そうか! あれは四つの仮面の元となった原初の仮面……!」

「アンちゃんよ! 俺の仮面も治癒の力を持っている! つまり──」

「──ってことは、ムネチカのような防御の術もあるってことか!」

 

 そう嫌な予感がすれば、案の上である。

 ミルージュの体を覆うようにうっすらと膜のようなものが生まれ始める。

 

「おいおい……!」

 

 もはや我らの刃すら通さぬ硬度である事は予想がつく。

 デコイではあり得ないほどの力。ウルゥルとサラァナの妨害呪術を受け、尚これだけの力を発揮しているのだ。

 

 兄貴は仮面についての研究は終わらせている。故にウォシスがその一端を継いだのであろう。

 つまり、あれは兄貴すらも意図せぬ力。ウォシスが独自に研究した結果、仮面だけでなくミルージュ自身にも改造を施していたのかもしれない。

 

 己の体も奴の攻撃を受け止め傷だらけである。どうここから巻き返すか考えていれば──

 

「──どうした、俺の手も必要か? ハク、オシュトルよ」

「ミカヅチ!? 敵兵は……」

「無論、既に我が雷刃で灰と化した」

 

 にいと笑みを浮かべるミカヅチの言を確かめるように、ウルゥルとサラァナの周囲を見る。

 そこには崩れ落ちた多くの死体があり、確かに我らの後方に逃れた敵兵はミカヅチの手によって尽く塩と化したようだ。

 

 ミルージュによる余波の影響もあったのだろうが、全く頼りになる奴だ。

 

「こっちの体もギリギリだった。助かる」

「ああ、もはや雑兵の露払いでは満足できん。ミルージュはかつての部下でもある……俺にやらせろ」

「ふ、ここで我らが揃うか──」

 

 三人の間で交わされる信頼の笑み。

 しかし、三人が揃ったとて、あれはもはや突き抜けられる壁ではない。

 ミルージュの力はムネチカの盾すら震わせその一端に亀裂を入れる程となっている。塩と化すまで放置していても、その前にここ全てが焦土と化すであろう。止めねばならないのだ。

 

「あれだけの力だ……仮面を解放するぞ」

「しかし、アンちゃんよ……」

「長くあの姿で留まれば、お前達の魂を尽く食い尽くす……そうではないか?」

「……一瞬だけだ。自分達三人で……奴を三方より囲み、同時に討つ」

 

 仮面を使わぬまま勝ちたかったが、それが一番生き残る確率が高い。後少しであれば、自分達の体は持つ筈だ。

 オシュトルは何か言いたげであったが、唇を噛んで納得したように頷いてくれた。

 

「無理は……するなよ、アンちゃん」

「ああ、お互いな──ウルゥル、サラァナ! 呪術を一時停止、合図を待って一瞬だけ奴の動きを止めてくれ!」

 

 遠くでウルゥルとサラァナの頷く姿が見える。

 遠くから見ても判る程に憔悴している。次が最後の機会であろう。

 

 さて、後はその機会を確実にするため、そしてウルゥルとサラァナへと合図を下すために、もう一度奴の隙を作るしかない。

 もう一人の要に声をかける。

 

「ムネチカ、合図と共に自分の目の前に壁を張ってくれ!」

「ッ……心得た!」

 

 これだけの壁の維持、仮面を以ってしても辛いのだろう。その頬には汗が滲み出ていた。

 しかし、ここが皆の踏ん張りどころである。

 

「さあて、こっちだミルージュちゃんよぉ!」

「ガァアアアアッ!!」

 

 意図を察したオシュトルとミカヅチがその場を離れるように散開する。

 走るだけでも辛いが、仕方があるまい。双子の呪術を止めたせいか先ほどよりも遥かに膨大な気を纏うミルージュより背を向けて逃走する。

 

「ほらよ!!」

 

 振り向きざまに炎弾を顔面にぶちこみながら、ミルージュの瞳に己しか映らぬ場所へと誘導していく。

 

 傍を見れば、オシュトルとミカヅチは既に仮面を解放するために仮面へと手を当てていた。

 

「──仮面(アクルカ)よ! 我が魂の震えに応えよ! 我は武神也! 無極たる力以って、敵を穿ち貫く矛を与えたまえッ!!」

「──仮面(アクルカ)よ! 我が魂の叫びに応えよ! 我は鳴神也! 無窮なる力以って、敵を滅ぼす雷刃を震わせたまえッ!!」

 

 仮面を、根源を伝って響く友の声。そして、感じる巨大な力の波動。

 ミルージュはもうそこまで来ている。己の目の前に──

 

「ムネチカッ! ウルゥル、サラァナ!!」

 

 絶好の機会に、その名を力の限り叫ぶ。

 ミルージュと自分を挟んで瞬時に展開される光の壁。そして、双子による渾身の拘束呪法。

 

「ガッ……!!??」

 

 それは、ミルージュの一瞬の隙を作るものではあるが、自分には──いや、自分たちには十分過ぎる時間である。

 

「──仮面(アクルカ)よ! 扉となりて、根源への道を開け放てッ! 皆の命を守る、灯の炎を与えたまえッ!!」

「「「オオオオオオオオオオオッッ!!!」」」

 

 三者の裂帛の叫びが共鳴する。

 ミルージュを三方より囲んで行われる仮面の解放──三つの光の柱が高々と打ち上がった。

 

「ッ!! くっ……割れる──ッ!」

 

 その力の爆発と奔流は今までにない衝撃であったのだろう。限界を迎えたムネチカの盾が煌く破片となって宙に散らばっていく。

 

 欠片となった壁に反射する光の奔流に現れるは、仮面の力を解放し化身となった我らの姿。そして──

 

「──行クゾッ!! オシュトルッ!! ミカヅチッ!!」

「「応ッ!!!」」

 

 中心に位置するミルージュに各々が決死の一撃で以って突撃する。

 踏み出す度に地は割れ、振りかぶった拳には赤炎が、雷光が、青光が、我らの手へと集っていく。

 

「「「コレデ──最後ダアアアアアアアッ!!!!」」」

 

 三方より同時に放たれた一撃は、ミルージュの体を纏う盾を易々と貫き尚、体を焼き尽くしていった。

 

「……ッァ! ア……あァ……ウォシスさマ……!」

 

 その威力は想定したよりもずっと強大であり、ミルージュは切ない吐露の声をあげ、その体が崩れるように粒子となって散っていく。

 やがて、恐ろしいほどの力の奔流と閃光が己の目を焼き、力の反動に耐え切れず三人とも後方へ──

 

「──ガッ……!!」

 

 力の余波と衝撃によって弾きだされるように吹き飛ばされ、背をしたたかに打つ。

 口から痛みの声を漏らしながらも、あれだけの威力ならば滅ぼしきれた筈と、ミルージュにとどめを刺せたに違いないと確信する。

 

 これ以上魂の浪費はしていられないと己の姿を元の人の形へと変え、未だ濛々と上がる土煙に目を凝らした。

 

「ハク!」

「ああ……クオン。すまん、ちょっと無理をした……」

 

 クオンは、謝罪する自分の背を抱えると心配そうに瞳を合わせる。

 自分の命に別状はないと判断したのだろう。クオンは安心したと大きく息をついた。

 

「もう……もう! 本当に、心配したんだから……っ!」

「すまん……皆は?」

「……大丈夫、皆無事かな」

 

 周囲を見れば、劣化仮面を被った敵兵達も、異形の姿となった敵兵も、仲間によって全て討たれていたようである。

 こちらにやれやれと笑みを向ける面々。皆の姿に所々傷や血は見えるが、全員無事だったのだ。

 

「ふ……互いに生き残れたな、ハク」

「ああ……そうだな、オシュトル」

 

 オシュトルやミカヅチも言伝通り既に元の姿に戻っており、反動による痛みに眉を顰めながらも笑みを浮かべていた。

 

「すまぬ、ハク殿。最後まで盾を保てず……」

「おいおい、何を言っているんだ。ムネチカがいなければ勝てなかった。助かったよ」

 

 ムネチカも力を使いすぎたのだろうか痛みに頭を抑えていたが、自分の言葉に安心したのだろう。

 疲労は隠せぬまでも、穏やかな笑みを浮かべている。

 

 勝ったのだ。自分達の勝利によって──

 

「「主様」」

「おお、随分無茶させたな。二人とも大丈夫か?」

 

 違和感。ウルゥルとサラァナの視線は未だ濃く上がる土煙の向こうへ。

 

「まだ」

「終わっていません。彼の者は、まだ──」

「──う……ヴォ、ヴおしずさま……私ハ、マダ……!」

「な……!!」

 

 土煙の中から現れるは、もはや上半身は穴だらけとなり所々塩と化した筈のミルージュが、未だ禍々しき姿のまま片膝をついてその姿勢を保たせていた。

 もはや奴も瀕死である。しかし、手負いの獅子は何をするかわからない。

 

 体に纏う雷と炎は未だミルージュの周囲を覆っており、その瞳には一人でも多く道連れとするための狂気が宿っていた。

 そして、その視界は倒れ伏した己へと向けられる。

 

 今の自分では、もう動ける気力もない。今の自分では、戦えない。であれば──

 

「く……仮面(アクルカ)よ──」

 

 皆がミルージュの姿に驚愕し、その視線を向けている。

 今であれば、誰にも気づかれない。仮面に手を当て、再び己の魂を代償にとどめを刺そうとした時である。

 

 一人だけ、自分の行為に気付いた者が──自分の口をその自らの口で塞いだ。

 

「ん……っ」

「!? んむ……!」

 

 その思わぬ行為に、自分の目は見開き、思考は光が刺したように真っ白になる。

 どれだけの時間がたったろうか。すっと、その唇が離れ、赤く染まった頬と潤んだ瞳。その行為の意味がわからず、戸惑うようにその名を呼んだ。

 

「……お、おい……クオン……?」

「それ以上は、駄目だよ、ハク……もう無茶をしないで……」

「……」

「私を置いて、死んだりしないで……! 私を、一人にしないで……!」

 

 涙を堪えてそう言うクオンの瞳には、ただただ孤独に怯える少女の不安が浮かんでいた。

 クオンの飾らない等身大の表情を見て、思わず自分の行為が皆を信じていない行為であったと知った。しかし、他にどうするというのだ。

 

「だが……」

「後は……私に任せて」

 

 そう言ってクオンは立ちあがる。

 唖然と見やる自分を尻目に、クオンはただ一人ミルージュの元へと歩いて行く。

 

「あ、姉さま!?」

「クオン殿、皆でかからねば危険だ!」

 

 皆傷だらけで消耗しきっている。

 しかし、仲間であるクオン一人行かせまいと抜刀しその背を追おうと──

 

「──大丈夫! 皆、私に任せてほしいかな!」

 

 クオンがそう言うと、内から沸き上がったかのような神々しい光が身を包み始めた。

 

「クーちゃん……あれを使うのですね……」

「そんな……クオン……!」

 

 フミルィルの意味深な呟きと、クオンの姿を見たエルルゥが悲壮に満ちた表情をしたことが気になる。

 

 しかしそれ以上に気になるのは、ミルージュはクオンの発する光を見て、殊更に怯え始めた事。

 

「オォ……わカル……オ、オマエハ……オ前ガ……!」

「貴方が悪い訳ではないことは知っているかな……でも、手加減できなくて。だから──ごめんね」

 

 怯えたまま動かぬミルージュへと、クオンは右拳をどんと突き出した。

 

「!?」

 

 ただの打撃であったはずのそれは、仮面の者の誰よりも豪胆な音を響かせ、ミルージュの体を容易く破壊し尽くした。

 その衝撃に掻き消される、仮面を通じて響く声──

 

「──さま……おやくに、たて……もうし……わけ……」

 

 声はそこで途切れた。

 ミルージュの体と魂は弾け飛ぶように霧散し、尚吹き飛ばされた残りの体は宙で塩と化し、その粒子を煌かせながら大いなる父の墓場──深き谷底へと落ちていった。

 

 皆が、クオンの姿を唖然と見やる。アトゥイは思わぬ強者を前に興奮しているが、他の者にとってはクオンに何が起こったのかわからない。

 皇女さんと真っ向から殴り合えるだけの強さを持っているのは知っていたが、それ以上の力だぞ、あれは。

 

「勝った……?」

 

 しかし、ミルージュは瀕死であったとは言え、クオンのお蔭で勝てたのだ。

 痛む体を引き起こし、礼を言おうと近づけば、ぱたりと力無くクオンが地へと倒れた。

 

「──クオン!?」

「だ、大丈夫。ハク……ただの力の反動、かな」

「大丈夫って、お前尻尾一本動かせてないじゃないか!」

 

 いつもは己の頭を締めるうねうね動く尻尾も、今は力無くへにゃりと垂れている。

 自分に無理するなと言っておいて、こんな無茶をするとは──その自らの怒りに、気付いた。

 

 皆も、クオンも、こういう気持ちだったのかと。

 それ以上何も言えなくなり、ただただ無力感が口をついて出た。

 

「心配、かけるなよ……!」

「ふふ……ハクもね、お互い様かな」

「……大丈夫、なんだな?」

「うん」

「クーちゃんのそれは、全身筋肉痛ですから。大丈夫ですよ、ね、クーちゃん」

 

 フミルィルがその現象に名前をつけるが、これが筋肉痛だっていうのか。

 あれだけの力を解放した代償が筋肉痛なら、確かに心配するだけ損であるが。

 

「……」

 

 しかし、社の前で見守っていたエルルゥは険しい顔をしている。

 やはり、何らかの反動はあるのだろう。クオンの元に集った仲間が口々に心配する声をかけている。

 

「本当に大丈夫なのですか、姉さま」

「某らを超え得る力であった。本来であれば、それ相応の代償が求められよう」

「本当に、大丈夫だから。それより、皆ウォシスを追って! 私はちょっと休憩したら後を追うから!」

「しかし……」

「ハク、嫌な予感がするの。だから、お願い……」

 

 クオンの言う通り、今は一刻も早くウォシスを追わねばならん時だろう。

 皇女さんが疑問を持つかのようにその名を呼ぶ。

 

「ウォシスか……確かに意味のわからんことばかり述べておったのぉ……」

「そうですね。ただ、虚言癖という訳でもなく、私達の知らない技術も用いるようです」

「フン……ミルージュ含め雑兵らの散り様が一様にして塩と化したこと……仮面の者の成り損ないとは言え同じ現象だ。奴は元来ある仮面を弄るに飽き足らず、本物よりやや劣る程度の仮面を作り出せるといったところか」

 

 まだウォシスは自分の兵を隠し持っている可能性もある。

 しかし、ミルージュは既に亡く、その最強の仮面もまた地の底へと落ちていった。戦力としては減じた筈である。しかし──

 

「周りにいた方達はどれほど深手を負っても平然としていたのです。まるで、痛みも、死すら恐れていないように……」

「確かに、底が知れぬな。あの者達といい、さっきの死に損ないの化物といい、ミルージュといい……」

「……ハクよ、他にもあると見た方がよいかもしれぬな」

 

 ネコネがその恐怖に体を震わせるように己の肩を抱き、ノスリが真剣な表情でネコネの言葉に頷くよう続けた。

 オシュトルの言う通り、確かにまだ見ぬ技術の一端を隠し持っている可能性もある。

 

「思い返せば、あの化物を寄越したんはトゥスクルの時からやぇ」

「そうですね……僕たちの戦乱以前より布石を打っていたということになります……ハクさんの仮面に細工を施し、同士討ちを狙い、そしてここでも……確かに、姿を見せた今であるからこそ、早々に追わなければ危険かもしれません」

 

 アトゥイやオウギがウォシスの向かった通路の先を眺めて呟く。

 ヤクトワルトもまた、既に塩となった死体を見ながら、気味悪げに舌打ちした。

 

「ちっ……それに、死体を弄んであの平然とした素振り、まともな神経じゃないねえ。放置していては犠牲が増えるだけじゃない」

「そうですね……マスターキーなるものが何かは僕にはわかりませんが……ハクさん、敵がトゥスクルにいる間に、僕たちも早く後を追った方がいいかもしれません」

 

 随分時間がかかったとは言え、キウルのいう通り奴はまだトゥスクルのどこかにいる。

 しかし、一刻も早く追わねば取り逃してしまう。そうなれば、碌なことにならないのは必然である。

 

「……そうだな」

「そうとなれば、早速出発じゃ! ヤマトに災いを持ち込む前に討つのじゃ。クオンは余らに任せて大人しく寝ておれ!」

 

 皆傷だらけで疲労しているが、ウォシスの危険性について皆の意見は一致している。

 早く追えばいいとはいうものの、もはや動けない様を見せるクオンを抱えていくこともできないことは明白だ。

 

 それに、もし早々に追いついてウォシスと戦闘となった際にも、動けぬクオンはここに居た方が安全だろう。母であるエルルゥやウルトリィ達もいるしな。

 

「……クオン、自分たちに任せて、無理はするなよ」

「うん」

「──お待ちください」

 

 エルルゥが、いつの間にか皆の傍に来ていたのだろう。

 エルルゥは、自分の元へと近づくと、袱紗に包まれたあるものを自分に見せた。

 

「これを……」

「? これは……仮面?」

「貴方にこれを渡すようにと……御守り代わり、とでも思ってください」

「む? 余も知らぬ仮面だ……トゥスクルにも仮面があったのか……?」

 

 見覚えなき白き仮面。

 ミカヅチやオシュトルも帝以外が造りし新たな仮面の存在に驚愕していた。ムネチカは、納得するように言葉を紡ぐ。

 

「! そういえば、トゥスクルの方々は、仮面を封ずる術を用いていた……」

「だが、仮面を兄──帝以外に……っ、まさか」

「これをどうするかは、貴方次第……もしかしたら、必要とする時が来るかもしれません」

 

 エルルゥの表情から真意は読み取れない。

 しかし、社の向こうにおわすは、解放者そのものである。その仮面の正体に半ば確信を持ちながらも、御守変わりだという。

 

 ウォシスに対するためならば使えるものは使いたい。仲間の為にも貰えるんなら貰っとこうかと考え、それを受け取ろうと手を伸ばした時であった。

 

「……っ」

 

 触れる前から指先に感じる、己の身に余る神聖な力。

 

 これを受け取るか否か、その選択は己の今後を決定する大事な場面なのではないかと感じ始めた。故に──

 

「──これは……根源の力、いや神様の力……その象徴ってやつか?」

「っ! ……はい」

「なら、受け取らん」

 

 受け取ろうとした手を引っ込め、エルルゥにそう告げる。

 

「え……?」

 

 エルルゥはその思わぬ返答に戸惑い、自分の瞳を見た。

 だが、これまでの色々な経験や記憶、語られた歴史、そしてあの社の中にいた者との問答で己の答えが出たのだ。

 

「いらない、と言うのですか?」

「ああ。こちとら色々仮面に細工されたり戦ったり魂を削られたりして、もう仮面にはうんざりしてるんだ」

「しかし……これが無ければ貴方は」

「自分は自分のまま、ウォシスを説得して自分と兄貴の願いを叶える……神様には頼らんと言った筈だぞ」

「……本当に、良いのですか?」

「ああ。社の向こうにいる奴に言っといてくれ。神様らしく何もせずに──ただ影から見守っていてくれってな」

「……」

 

 そこまで言いきると、エルルゥは戸惑いながらも確かめるように社の方へと顔を向けた。

 やがて社から何の答えも帰って来ないことに気付き、その表情を諦めへと変えた。

 

「わかりました。では……お気をつけて」

「ああ、クオンを頼む」

「勿論です。私の……私達の娘ですから」

 

 エルルゥと別れを告げると、ウルトリィが一歩前に出て皆に道を示した。

 

「こちらへ」

「? ウルトリィさんは、ウォシスが逃げた場所を知っているのか?」

「はい……彼は、大いなる父の遺産。その一端を用いて遠く離れた場所へと瞬時に移動しました」

「瞬時に? っ、まさか……」

 

 嫌な予感がある物を想起させた。

 大いなる父の遺産の一つ、転移装置であるゲートをマスターキーで開いたのか。

 確かに兄貴から伝え聞いたウォシスであれば、その存在も知っている筈だ。

 

 ゲートを用いれば、ヤマトへ瞬時に移動できる。拗れてなければいいが、ウォシスのあの様子じゃ、拗れそうな予感もする。

 まだトゥスクルにいる筈だなんてとんでもない。兄貴が危ない、一刻も早く向かわねばならなかったのだ。

 

「行こう」

「わかりました。こちらへ……」

「じゃあ、クオン。行ってくる」

「……気をつけてね、ハク。私も動けるようになったら直ぐに後を追うから……」

「クーちゃん、無理は駄目ですよ。ハクさまは、私が御守りしますから」

「……うん、お願いね、フミルィル」

 

 クオンと一時の別れを交わし、ウルトリィの案内によって簡易治療を終えた仲間たちがぞろぞろと後をついていく。

 

 ウルゥルとサラァナは少し疲労もあるのだろう。ふらついていたので、自分の腕を取って歩くよう伝えた。

 

「至福」

「両の手で抱えて頂くのが一番ですが、仕方がありません」

「おいおい、そこまでの状態ならクオンと一緒にいてもらうぞ」

 

 自分もお姫様抱っこで抱えるほどの体力は残っていないのだ。

 

「……ここです」

 

 暫く奥まった場所へと赴くと、かつての記憶にうっすらと残る造形。

 そこには確かにゲートと呼ばれる亜空間転送装置があった。

 

 未だ起動したままなのか、円の中には眩い閃光が集っている。ウォシスの罠の可能性もあるが、道はここしかないのだ。

 ネコネが未知なるものを前に身を竦ませる。

 

「こ……ここに、飛び込むのですか?」

「はい。そうすれば、目的の場所へと行けるでしょう」

「罠の可能性もあるが……致し方ない! いい女はこう言う時は先陣を切るものだ!」

 

 ノスリが己の勇気を示し、皆を鼓舞するかのように眼前のゲートへと飛び込んでいく。

 仲間も覚悟を決めたのか、次々とゲートの光へとその身を投げていった。そして自分もゲートの輪へと飛び込もうとした時──

 

「大いなる意志が、貴方を待っています……いくら違う道を歩もうと……貴方は、その時を──」

 

 ゲートを潜る際の去り際、悲し気にそう呟くウルトリィの声が、己の耳に残って離れなかったのだった。

 

 




 二人の白皇クリア後の夢幻演武にて、ウコンがハクに対して言った台詞が使えて良かったです。
 オシュトル好きの方には、ここまでハクとの共闘無しに引っ張ってしまってごめんね。


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第五十五話 足掻くもの

 聖廟地下深く、父の施設まであと少しで辿り着く。

 だが、一つ扉を開けるたびに、私の戸惑う心は大きくなっていた。

 

 ハクが、父上の弟──私の叔父だと? 

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 口をついて出るのは、それを嘘だと切り捨て尚漏れる怨嗟の声。

 

「あり得ない。私が、私こそが……」

「ウォシス様……?」

 

 配下の中でも最も重用している三人の少年兵。その内のシャスリカが心配そうに己を見やる。

 痛みに右手の指先を見れば、強く噛んで血が流れてしまっている。冷静な思考を取り戻そうと自分の親指を噛んでいたようだった。

 

「御気分でも悪いのですか?」

「……大丈夫です。貴方達はただ黙って付従えば良いのです」

「はっ、申し訳ありません。ウォシス様」

「……」

 

 ハクの言は、嘘だ。嘘の筈だ。

 なぜこんなにも心が揺らぐ。思い返せばいくつか心当たりがあるからか。だが、何故父上は私に何も言ってくれなかったのか。もし言ってくれていたら──

 

「未来は変わっていた? 馬鹿な……」

 

 それでも、自分が継ぐことが相応しい筈だ。

 後から出てきた肉親よりも、我が子を優先するだろう。

 

 ウィツアルネミテアすら納得させ、マスターキーを手にできたこともあり、自分には資格がある筈。

 

「父上に会いましょう」

「追っ手はどうなさいますか?」

「後ろを気にする必要はありません。こちらもミルージュ含め既に多くの手札を切りました。多少の時間は稼いでくれるでしょう」

「はっ」

 

 トゥスクルのオンカミヤムカイへと直通するゲートは開けておく。

 彼らが追ってくる場合もあるだろうが、それであれば己が遺産を継ぐ姿を見せつけてやる。その後は、この施設の機能を使えば何とでも撃退できる。

 

「そう、嘘の筈なのですから……」

 

 何度も何度もそう呟き、父の元へと至る最後の分かれ道へと辿り着いた。

 

「来たのですね」

「……貴女が出迎えてくれるとは」

 

 目の前に居たのはホノカ。

 私の、母代わりであった筈の女である。

 

「こちらへ」

「父上のところに案内してくださるのですか?」

「ええ、我が君は……貴方にどうしても伝えたいことがあると」

 

 私がここへ来るのがわかっていたかのような言葉である。

 

 過るのはハクの言葉。

 だが、もはや後戻りはできない。言われるがまま、少年兵を伴い父の元へと歩く。

 そして──

 

「ウォシス……」

「ああ、父上……マスターキーはこの通り頂いてきましたよ」

「ハクは……あの者はどうしたのだ」

「……っ」

 

 形だけでも私に労いの言葉をかけるより、ハクの心配が先なのか。

 

「今頃、私の部下と戦っていることでしょう。たとえ死んでいたとしても心配いりませんよ。あなたの実弟などと平気で嘘をつく輩です」

「……」

 

 カプセルの中の父上は悲しげに俯き、深く息を吐くとその瞳をこちらへと向けた。

 

「それは……真実なのだ。ウォシスよ」

「……ハクが、父上の弟だということが……?」

「そうだ……」

「そうですか……では何故、私に何も言ってくださらなかったのですか?」

「……」

 

 父上は苦しそうに唇を噛み、その理由を話した。

 

「お前には、お前自身の生を歩んでほしかった……余の跡など継がず、自由に……生きて」

「理由になっていませんよ」

「……お前を、愛しているからこそ、言えなかったのだ。他に後継者ができたからお前は要らぬなどと、そう勘違いされてしまうのではないかと……」

 

 その不甲斐ない言い草に怒りが沸き上がり、握る拳に力が籠る。

 その言葉足らずが、全ての原因であるというのに。まだ、言うのか。

 

「勘違い……? 現にそうではないですか! 真の後継者である者が見つかったから、実の息子を捨てた……それ以外に何があるというのですかッ!!」

「違う……違うのだ、ウォシス……」

「何が違うと? まだ正直に話してくれれば気が楽でしたでしょう。お前などもう不要だと……!」

 

 感情のままにそう嘲れば、父上も、その傍にいるホノカも、その表情は硬く悲しみに満ちている。

 たとえその言葉が本当であったとしても、私はもう取り返しのつかないところまで来ている。大いなる父として継ぐために、数多の犠牲を、罪を犯してきたのだ。

 

「そんなことを想ったことは無い……! ウォシス、ひとえにお前への愛ゆえの事なのだ」

「諄い!! 愛しているのなら、尚更私に継がせるべきでしょう! 大いなる父の全てを、何故私に背負わせぬのですか!」

「愛しているからこそ、言えぬのだ……愛しているからこそ、与えられぬのだ……許してくれ、ウォシス」

「はっ……愛、愛、愛……そんな不確かなもので、形になるものは何一つ与えてくれない……私が、そんなに信用ならないというのなら、私は無理にでも継ぐ! 私が、父上すらも超える真の──うたわれるものとなるのだッ!!」

 

 父以上の、この世界の絶対的な支配者として永遠に君臨する。

 

 父が認めぬと言うのなら、この星に生きる全ての者に認めさせてやる。そうすれば、父も私こそが遺産を継ぐに相応しいと考えなおすであろう。

 

 手始めに行うは──

 

「っ! やめよ……お前には、それはできぬ……!」

「何と言われようと結構。そうまで言うのであれば、私は勝手に後を継ぎ功績でもって認めさせるだけです。まずは……同胞を殺せぬ貴方の代わりに、私が彼らを救って差し上げましょう」

 

 見せつけるようにマスターキーを掲げ、父が大事そうに隔離しているかつての同胞達──タタリをパネルに映す。

 これまで溜めに溜め込んだ膨大な量のタタリ。消滅させるにはこの施設のかなりのエネルギーを使わねばならないだろう。

 

 制止する父の言葉を無視しながら、淡々とその実行プログラムを遂行していく。

 

「やめろ、やめるのだ……ウォシス。お前は、私の愛する息子、それで良いではないか……! お前を、心から愛しておるのだ!」

「では、黙って見ていることです。父上の愛する私が、偉大な父を──大いなる父、その後継者となる瞬間を!」

「やめよ……やめるのだ……ウォシス……!」

 

 マスターキーを天高く掲げ、タタリへの抹殺命令を下そうとした時であった。

 

「ウォシス……貴方は──なのですよ」

「!? ホノカ……!?」

 

 今までずっと成り行きを見つめていたホノカが、そう口にした。

 その言葉の意味がわからず、思わず問い返した。

 

「……聞こえませんでしたね。今、何と?」

「聞かなくて良い! ホノカ、それだけは、言ってはならぬ……!」

「いえ、我が君……貴方の意に添わぬ私をお許しください。私達が彼を愛しているからこそ、伝えねばならないのです」

「ホノカ……!」

 

 父の表情は驚愕に満ちていた。

 きっと、これまでホノカが父の命に背いたことは無いのだろう。ホノカは燦然たる決意の表情でそれを口にした。

 

「大いなる意志に、私も娘の為に逆らいたくなったのです、何卒お許しください。もう一度言いましょう……ウォシス、あなたは主上の遺伝子より造られた──クローンなのですよ」

「……っ! 私が……父の……クローン……?」

 

 衝撃に、呂律が回らない。

 

 そんな、筈は無い。

 

 だって、大いなる父の歴史も、知識も、御業も、私は知っているから。

 だって、父はそんなこと一度も私に言わなかったもの。

 だって、ホノカも、そんなこと一度も僕に言わなかったもの。

 だって、部下は必ずボクに従ったもの。だって、命すら、ぼくに預けてくれたもの。

 

 その言葉の意味が脳の奥深くに届き始め、思考が絶望に染まり、生まれる言葉は退化していく。

 しかし、それを否定するは目の前にいる者の言葉。

 

 だって、ぼくを愛してくれているって言った──

 

 ──愛しているからこそ、言えぬのだ。

 

 父の言葉の真の意味を理解しかけ──それを全力で否定した。

 

「うそだ……うそだ、嘘だっ、嘘だっ! 嘘……そうでしょう? 父上……?」

「ウォシス様……?」

 

 自らの動揺に、子どものように問いかける。部下の三人の戸惑いも気にすることもできない。

 ただ、そうではないと言って欲しかった。私は同じ血を分けた子どもだと証明をして欲しかった。

 

「……」

 

 しかし、目の前にいる父の表情は、愛深き悲しみに満ちた顔。

 

「ウォシス。それでも、私はお前を──!」

「……信じないッ! 信じられるものかッ!」

「ウォシス……」

「っ……そうだ、これなら……!」

 

 痛い程に握りしめたマスターキー、これがあれば、全てわかる。

 これであれば、私の見たかった真実を教えてくれる。

 

「た、タタリを、殺せっ! 消滅させろ! 私が、大いなる父!! 真の後継者! うたわれるもの、その人だと証明を──」

 

 その指示は直ちに遂行され、地下深く溜め込まれた無数のタタリは電磁波で対消滅する予定であった。しかし──

 

「エラー、エラー、権限がありません。貴方は、クローンです」

「な……に……?」

 

 その言葉を聞いたとき、真なる絶望が己を襲う。

 

 ──兄貴に真実を語ってもらえ。

 

 ハクの言葉と表情が脳裏に過る。その真の意味を知る。

 

 奴は知っていたのだ、だがあえてそれを言わなかった。

 そして、父も──いや、もはや本当の父ではない。

 

 私は、何をしていたのだ。

 父上の試作品はハクではない。私こそが、父上の試作品。ただの紛い物──

 

 己の絶望は、深く深く止めどなく暗い闇へと墜ちていく。

 力の入らない指先が、からんとマスターキーを手落とし、ころころと転がっていく。

 

 その先を視線で追うことも、警告に響く赤ランプとエラー音も、己の名を叫ぶ部下の声も、もはや己の目と耳には届かなかった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ゲートを潜った先には、敵影は無かった。

 しかし、施設内に響くエラー音と赤いランプ。何か良くないことが起こっていると己の直感が訴えた。

 

「っ! 皆、急ぐぞ!」

「「「応!」」」

 

 ウルゥルとサラァナの道案内により、徐々に見覚えのある景色が見えていく。

 仲間の皆は走りながらも、地下に外の風景があるかのような光景や、見慣れぬ機械の壁に戸惑うも、それを一つずつ説明している暇も無い。

 

 兄貴──無事でいてくれ! 

 

 マスターキーによるものだろう。全ての扉は鍵も無く空け放たれ、その進路が明確であった。

 そして、兄貴のカプセルが浮かぶ部屋へと辿り着いたそこには──

 

「兄貴!」

「な……前帝……!?」

「お、お父上……? ホノカ……? 生きて……!」

「おお……ハク……不甲斐なき兄で、本当にすまぬ……余の言葉は、ウォシスには届かなかった……」

 

 そのカプセルの中に浮かぶその姿を見て、各々は驚きに包まれる。特に皇女さんの驚き様はとてつもなかった。

 

「……奴はどこだ? む……!」

 

 オシュトルやミカヅチは仮面の細工について諸々知っている手前、帝やホノカさんの存命に薄らと気づいていたのだろう。動揺少なく、我らが最も警戒する男へと視線を向けていた。

 その視線が捉えた先は、絶望の表情で伏しているウォシスの姿であった。

 

 兄貴はクローンである事を喋ったのか。いや、兄貴は先程届かなかったと言った。

 つまり──

 

「エラー、エラー、命令実行不可能。補助機能消失、隔離施設一部破損」

「これは……! タタリを解放したのか!?」

「すまぬ……ウォシスが余の代わりに、彼らを消滅させようとしたのだ……しかし」

 

 データパネルを見れば、現在の状況が記されている。

 

 ウォシスはきっとマスターキーを使ってタタリ消滅プログラムを遂行したのだ。しかし、最後の電磁照射するプログラムにおいて権限が足りず、エネルギーを集めるだけ集めただけ。

 その結果消滅せず、エネルギーを他所に集めた結果、タタリを捕える防御機構が破損し、タタリが漏れ始めているということか。

 

「こ、これはタタリなのですか?」

「何と……これほどの数が……」

 

 パネルに移されたタタリの現状に、皆が驚きの声を上げる。

 

 いくらマスターキーといえども、データに登録されている大いなる父のみ扱えるというだけのこと。遺伝子操作されたクローンでは、その最高権限に届かなかっのだろう。

 故に──

 

「──おいおい! このままじゃ、帝都に漏れるぞ!」

「すまぬ……余の」

「後悔は後だ! どうすればいい……っ、これは!」

 

 絶望したウォシスが力無く落としたのだろう。

 マスターキーがその存在を示すが如く地に転がっていた。

 

 ウォシスにはできなくとも、自分の権限なら足りる筈。

 

「おい! 今からタタリ消滅を実行する!」

「エラー、再装填必要。出力が十分ではありません」

 

 であれば、このままタタリを放置すれば、民にどう犠牲が出るのかどうか調べ、対策を考える必要がある。

 

「くっ……なら、被害状況を算出しろ!」

「タタリ、タンパク質を取り込み体積を膨張させる習性あり……地上に残存するデコイ人口と動植物より計算中……一月後にヤマト全土を覆います」

「な……!?」

 

 仲間はただ自分とAIのやりとりを唖然と眺めるだけで戸惑い、意味がわからぬとキウルが質問してくる。

 

「ど、どういうことなんですか? ハクさん!」

「……ここは、帝都の地下なんだ。そして、このタタリ全てが、地下にある存在……それが、今から地上に溢れ出る」

「な……! こ、この数のタタリが、ですか?」

 

 仲間たちの顔に見えるは絶望である。

 しかし、これ以上詳しく説明している暇も無い。何か方法が無いのか。

 

「……防ぐ方法は?」

「一時間以内でのアマテラス照射を提案します」

「……アマテラス、だと」

 

 宇宙に浮かぶ、天候操作衛星。

 地形を容易く変え得る高出力照射を実現した、人類の最高傑作──そして人類の滅びの象徴でもある。

 

 そんなものを照射すれば、帝都はタタリ毎尽く破壊し尽くされるであろう。

 それどころか、今後の天候に影響し核の冬が来る筈だ。

 

 短期的にも長期的にもどれだけ民に被害を齎すか、そして照射すればここにいる奴は全員死ぬことになる。

 絶望の中、しかし立ち止まっていることすらできない。

 

「申し訳ありません。ハクさま……私の言葉では、大いなる意志は止められませんでした……」

「ホノカさん……」

 

 悲し気に俯く兄貴とホノカさんへと目線を送る。

 ホノカさんやウルトリィの言う、大いなる意志が待っているとはこれのことだったのだろうか。そうであれば、こんな運命があってたまるか。

 

 諦めきれず深い絶望から足掻くように、何か他に策が無いか手段を調べる。

 そして再びパネルを見上げればそこには奇妙な画面が映っていた。

 

「算出にエラー。タタリ被害想定について、再計算中」

「……?」

「全体の膨張率、前結果より推定60%減……55%減……50%減」

「は……?」

 

 急にどうしたというのだ。

 兄貴が溜め込んだあれだけの膨大なタタリの量である。あの場に居る何も知らない民に何かできるとも思えない。

 

 地下よりタタリが溢れて来るなど何よりの想定外であろう。

 発見が遅れ、すぐさま襲われ、恐慌状態のままその膨張は果てしない速度となる筈であった。

 

 しかし、現に膨張率は下がっている。その原因は──

 

「……その結果は、どこから算出した?」

「衛星より、算出要因特定。映像出します」

「!! そうか……ったく、やってくれる……!」

 

 そこにいたのは、かつてこのヤマト全土に戦乱を齎した、神速を誇る英雄であった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 時は少し遡る。

 ライコウは、今日もまたシチーリヤが囚われている聖廟地下深くの牢へと足を運んでいた。

 

「……また、来たのですか、ライコウ様」

「ああ、俺に恭順する気は起きたか、シチーリヤ」

 

 牢の中でシチーリヤは余り満足に食べていないのだろう。

 痩せ細り、来る死を受け入れているようでもあった。

 

「黒幕はウォシスだった。何故、そこまで奴に忠誠を誓う?」

「……ライコウ様にはわかりません」

「……」

 

 黒幕の正体がウォシスと分かった手前、シチーリヤに聞くべきことはもう無い。

 つまりは生かしておく必要はない存在であった。

 しかし──

 

「お前は、俺が嘆願して生き存えさせてもらっている身だ。早々によい返事を貰わねば、俺であってももはや庇いきれぬ」

「……」

 

 シチーリヤの軍務能力は高く買っている。

 これまで戦乱を側で補佐してきた物は数多くいたが、シチーリヤを超える処理能力を持った人材には心当たりが無い。

 故にこうして裏切りを示唆するも、シチーリヤの首は一向に動かない。

 

「そうか……また来る」

 

 思い出すは、ハクの人たらし技。

 この俺さえも説得し、仲間に引き入れた手腕。シチーリヤの心一つ動かせぬとは、己にその御業が無いことを嘆いた。

 

 そこまで想い、自分に対して嘲笑を浮かべる。

 

「ふん……」

 

 ライコウは己の変化に戸惑っていた。

 本来の自分であれば、恭順せぬ者など傍に置くことは無い。まして、言葉による説得などすることもない。

 外堀を埋め、絶対に従わねばならぬよう誘導するだけだ。そしてそれさえも無理であれば洗脳するか殺す──その筈であった。

 

 助けにも来ないウォシスに忠誠を誓い、自分の手練手管が通じぬ相手であるシチーリヤを、毎日毎日足繁く通い説得するなど、自分らしくない行為である。

 

「この俺が……ハクに、絆されたか」

 

 その心の変化を、悔やむことは無い。

 これはこれで、自分に無かった良い変化でもあると思っていた。そして仕事に戻ろうと牢の扉を潜ろうとした時──その声は聞こえた。

 

「──た、タタリだ! タタリが出たぞ!!」

 

 牢の更に地下深くを監視していた衛兵が恐れ戦く様に走り去っていく。

 その内の一人を呼び止め状況を説明させる。

 

「どうした」

「こ、これはライコウ様! 早くお逃げ下さい!! 地下の排水路よりタタリが溢れ出しているのです!」

「何だと……?」

 

 地下牢は罪人が脱しても見渡せるよう中央が空洞となっており、廊下より眺めれば最下層が見える構造となっている。

 

 廊下に出て、確かめるように地の底を見れば、赤く蠢くタタリの姿。

 それも膨大な量である。収容されていた罪人やネズミ共を喰い膨張しているのだろう、その膨張速度は尋常ではない。このまま膨張させれば民への被害は避けられぬだろう。いや、それどころか──

 

「……奴らがいない間にこのような惨事が起こるとはな」

 

 冷静にこの後の展開を考え、まずは報告であると地下牢傍に置いていた通信兵に、マロロへと伝令を行う。

 

「どうしたでおじゃるか? ライコウ殿」

「マロロ、牢からタタリが出た。それも尋常ではない数の可能性がある」

「な……なんと!? そ、それはどれほどの……」

「推定被害はわからぬが……他水路より帝都地上に溢れ出る可能性もある。万一の場合を考え、全市民を早急に避難させる必要がある。わかるな?」

「……わかったでおじゃる。直ちに緊急事態宣言を出すでおじゃる!」

 

 そして、再びシチーリヤの牢の中へ。

 あの速度、直にここも飲みこまれる筈だ。

 

「──シチーリヤ」

「?」

「俺と共に生きるか、それともウォシスを信じここで果てるか……どちらか選べ」

 

 最後通牒のようにそう言い、手を差し伸べる。

 シチーリヤは、迷った末にその手を取ろうとし──力無く地へと落とした。

 

「……行けません」

「……そうか、お前の忠誠はそこまでのものか……わかった」

 

 であれば、もはや俺にできることはない。

 かちゃりとシチーリヤの鍵を外し、何も言わず背を向けた。シチーリヤの戸惑いを受けた声が耳に届く。

 

「な、何故……?」

「自由に生きるがいい。俺は、タタリを食い止めるために動く。罪人一人いなくなったところで誰も構うまい……」

「……」

 

 そう言い、帝の愛した民の犠牲を避けるため一刻も早く動こうと前に進み出たときである。

 

「何故……私を気にかけるのですか?」

「……俺が通信兵を扱う際は、お前が傍に居る時が……一番調子が良い。それだけだ」

「……」

 

 シチーリヤはすっと己の傍へと立ち、今までにない弱弱しい瞳を俺へと向けた。

 

「私は……見捨てられたのです。こんな私でも……良いのですか?」

「ああ、お前しかいない」

 

 シチーリヤが目を瞑って考えるは、一瞬のことであった。

 再び目を開ければ、そこはかつてない決意の表情が浮かんでいた。

 

「──ライコウ様! 私に指示を!」

「ふ……まずは通信兵を招集する。時間を稼ぐためにここの衛兵への指示は頼む。タタリは鉄や炎で道を塞げば幾許か凌げるはずだ」

「わかりました! 皆さん、こちらへ!」

 

 シチーリヤの指令に衛兵がよろしいのですかと確認を取る。

 このような時のため、非常時にハクから全権の一部を譲渡する案を通しておいて良かった。

 

「今は非常時だ。ハクに代わって将としての一部権利を得る。今は俺とシチーリヤに従え」

「はっ!」

「膨張させる餌を与えないよう、罪人を解放しなさい! 武器や鎖をタタリの進路に積み、消化と進行を遅らせるのです!」

「「「はっ!」」」

 

 シチーリヤが時間を稼いでいる間、ヤマト帝都に配置する通信兵の回路を繋ぎ直すため、マロロへと通信を送る。

 

「マロロ、俺に通信兵の全権を渡せ」

「あいわかったでおじゃる!」

 

 とんでもない要求である筈だが、マロロの疑い無き返事。

 マロロは俺を敵と思っていた分難儀するかと思ったのだが。

 

「……俺を信用するのか?」

「マロが信頼するのは……お主を信じたハク殿、そしてお主の手腕でおじゃる」

「そうか、ではその信頼に応えねばな──神速の用兵術、発揮するは戦だけではないことを証明してやる」

「頼んだでおじゃる! こちらは民の避難誘導にかかるでおじゃる!」

 

 マロロの許可は得た。後は──

 

「全通信兵に回路を繋げ、タタリを誘導する道を作る。シチーリヤ!」

「はっ!」

 

 衛兵に指示を出すシチーリヤを呼び戻し、次なる指示を下した。

 

「通信兵の組織図はあの決戦以降変わってはいない。纏められるな?」

「はい、お任せください!」

「よし、全ての通信兵が繋がり次第、各門の大筒を直ちに起動せよ」

「はっ!!」

 

 伝令兵とシチーリヤに任せ乍ら、衛兵に現状を報告させる。

 

「時間稼ぎはどうだ?」

「はっ、既に下部より二層は埋もれてしまっています!」

「焼け石に水であろうが、足止めを続けろ。五層まで膨張すれば牢の全てに火を放ち逃げよ」

「はっ!」

 

 俺もここにはいられない。

 ヤマトで最も地下深い場所がこことは言え、他の排水路より漏れ出ている可能性もある。

 外に出て指示を出さねばならんだろう。

 

「こ、これは何の騒ぎでありますか!! んな!? た、タタリ!」

 

 牢を上へと昇って入れば、今頃気づいたのか下層より聞き慣れた声がする。

 この声はボコイナンテか──そうか、牢の食事管理は奴が担当していたのだったな。

 

「うぎゃああ! え、エントゥア殿ぉぉお!」

 

 この悲鳴は──呑み込まれたか。

 エントゥアは悲しむだろうが、仕方があるまい。そう思って最後に下を見れば、そこには思わぬ光景が広がっていた。

 

「で、デコポンポ様……! 私を守ってくださったのですか!?」

「にゃぶ! にゃぶぶぶぶッ!!」

「うっうっ……デコポンポ様! 私も共にありますぞォ!」

 

 ボコイナンテを襲おうとしたタタリを、もはや動かぬ存在であった改造デコポンポがその打撃で以ってタタリを霧散させている。

 ボコイナンテも覚悟を決めたのだろう。駆け回る衛兵とともにタタリを抑え始めた。

 

「ふ……奴らも時には役に立つではないか」

 

 他にも見れば、衛兵も牢にいる罪人の解放までは手が届かなかったのだろう。

 しかし、他の罪人を見捨てられぬと一人の罪人が鍵を持って皆を救出している。紫の服でモズヌと呼ばれる男だった。

 最後にはマロロの父と祖父を抱えて逃げている。罪人にしておくには勿体無い良き男だ、覚えておこう。

 

「シチーリヤ、どうだ」

「たった今、帝都にいる全通信兵に繋ぎました! 指令、出せます!」

「よし」

 

 タタリ、奴らは肉を糧にその体積を膨張させると一部報告では聞いている。

 地下の鼠等の肉がどの程度か、またどれだけのタタリが存在していたのか、それはわからぬが常に最悪の想定をして動いた方が良いだろう。

 

「作戦を通達──タタリを東門より近場の竪穴遺跡へと誘導する。現ヤマトに駐留している将、ゲンホウ、ソヤンケクル、イラワジは配下と検非違使を伴い、全市民を西、南地区より外、川向こうへと避難させよ。マロロ配下の火神部隊は、避難の終わった東地区以外の建築物に火を放ち、道に鉄や武器を敷き詰めよ」

 

 考えた作戦は、タタリの誘導である。

 タタリについて聞いている生態において、奴らに一定の行動原理は無い筈。故に、膨張する材料である物質を焼き祓い、その灰と鉄で壁を作り、地下より湧き出たタタリを膨張させぬまま市民の少ない東区へと誘導する。更に拡大する場合は、その先にある底の深い遺跡まで誘導する手筈である。

 かなり分の悪い賭けではあるが、これ以外に民の犠牲を最小限にする方策は無いのだ。

 

 ──絶望にもがいている暇はない。足掻けるうちは、足掻き続けねばな。

 

「現オシュトル軍にいる元俺の配下達には、大筒の使用許可を出す。各門よりタタリに向けて放ち、その肉を霧散させよ」

「帝都に向かって、大筒を使うのですか?」

「そうだ。タタリの進路を東へ誘導させるように撃てれば尚良い」

「了解しました! 伝令、聞こえましたね! 以前大筒担当をしていた者を中心に、弾、火薬の運搬と砲撃を連携して打ち込みなさい!」

「現在、指令待ちの軍兵は、各事交戦せずタタリに取り込まれることだけは避けよ。武器を投げつける、道に敷くなどして避難誘導の補助を行え」

「はっ、指示を各将兵に伝達、急いで!」

「ライコウ様! ここはもう危険です! お逃げを!」

 

 下を見れば、四層までタタリは届き得た。

 この深き地下牢でこの規模と量であれば、俺が地下牢にて早々に気付いていなければ確実に帝都全てを呑み込んでいたであろう。

 

「各自、迅速に実行せよ」

 

 シチーリヤと共に牢を出る。

 シチーリヤが必死に繋ぐ各通信兵から齎される情報に個々に指令を返しながら帝都を歩く。

 

「皆さん、避難してください!!」

 

 遠く離れた門から大筒が重々しく動く音、そして兵達が慌てて市民を誘導し、動けぬ者は抱え、西門と南門より非難する姿が見られた。

 

「各門の大筒だけでは足りぬな。実験中の試作筒を試す」

「試作筒、ですか?」

「ああ、第十三通信兵に繋げ」

「はっ!」

「工作部隊、大筒試作機を出せ。南門と西門より避難する民を守るため、個々で動かしタタリに放て。動かぬ場合は家屋倒壊によるタタリの進路妨害を狙い、爆薬として使え」

 

 大筒の小型化には難儀しており、多少の小型化には成功したが未だ小回りも効かず試行回数は少ない。暴発の可能性もあるが、致しかたない。

 

「ふ……」

 

 しかし、考えれば考えるほどに脅威成る厄災を前に、浮かぶは笑み──

 

「ライコウ様……?」

「流石、良い展開速度だ。そのまま頼むぞ、シチーリヤ」

「! ……はい!」

 

 隣にシチーリヤを置く安心感。他の者ではこうはいかぬ。

 

 ──さあ、鈍重なるタタリよ。

 

 我は神速のライコウ。

 貴様らの膨張速度と、我が歴戦の通信部隊の練度、どちらが上か試そうではないか。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「──膨張速度、40%……再計算中……38%……再計算中……」

 

 AIすら戸惑うライコウの神速の用兵術。

 

 あの大筒を外敵ではなく帝都に向けて放つなど前代未聞の策である。

 しかし、あのライコウはそれを成した。そしてタタリ対応には全権を託し、己は避難誘導を迅速に行うマロロ。

 

 組んだことが初めてとは思えぬ程に連携が取れている。

 采配師同士、何か感じられるものがあるのかもしれない。

 

「再計算中……」

「被害状況の計算はもういい。地下施設内でタタリを誘導。ここに溢れないようにしてくれ」

「指示を実行。各シャッター展開します……」

「後、この規模のタタリを集束させるための方法を探してくれ。アマテラス以外でな」

「指示を実行中……実現可能な方法を検索中……時間がかかります」

「ああ、待ってるよ」

 

 そう指示を出し、ひとまずはアマテラス照射の危機が去ったことをほっと一息つく。

 現場は大変だろうが、後は帝都を白磁の大橋で用いたような技術で、帝都を壁で囲み再誘導などの対策のしようもあるかもしれない。

 

「兄貴、あんたの見定めた将のおかげで、一先ずは事なきを得たみたいだぞ」

「ああ……皆の者、すまなかった……」

 

 そこでようやく、兄貴やホノカさんと皆が対面する。

 

 先程からずっと気になっていたのだろう。皇女さんが飛び出すように兄貴へと駆け寄った。

 

「お父上!」

「アンジュ……すまぬな。お前にも苦労をかけた……」

「何故、何故言ってくださらなかったのじゃ……お父上ぇ……!」

 

 カプセル越しにさめざめと泣く皇女さんを慈愛の笑みで見つめる兄貴。

 会う訳にはいかないだなんだ言って、結局会いたかったんだなあ。

 

「オシュトル、それにハクの仲間たち……アンジュを支えてくれて、礼のしようもない……」

「勿体無きお言葉であります」

「……」

 

 オシュトルは深々と礼を示すが、ミカヅチは一度皇女さんを裏切った手前応答するかどうか迷ったのだろう。

 しかし、兄貴はそれすらも許すとミカヅチに声をかけた。

 

「気にすることはない。ミカヅチよ……其方は、余の愛した民を守るためであったのだろう?」

「はっ……」

「良いのだ。ハクからも聞き及んでおる。ライコウもお主も……其方らが、余の忠臣であったことは変わらぬ」

「……愛しき御方。姫殿下の才を見抜けなかった、我らの咎をお許しになられると」

「うむ……もし余の最後の命を聞いてもらえるのであれば……これからも、余の娘を、アンジュを頼む」

「はっ、既に忠誠を誓った身ではありますが……改めてこの身命を以って、永遠に御守りさせていただきまする」

 

 面会は終わった。

 余り長々と話していると、自分が帝の弟で大いなる父ってばれてしまう。

 

「それで、あの……ハクさんは前帝のことを兄貴と呼んでいましたがどういう……それに、なぜこのような未知の力を扱えるのですか?」

「うっ……!」

 

 オウギやヤクトワルトは察していながらも気にしないフリをしてくれていたのだが、相変わらず空気を読まないキウルがそれについて問うてくる。

 

「そうだぞ、ハク! 前帝に兄貴などと軽々しく……ん? 兄貴……弟?」

 

 キウルの言葉に乗っかって憤慨するノスリ。

 ただ、ノスリの場合は発した己の言葉を振り返り真実に辿り着きそうだったので、慌てて嘘っぱちを言ってその場を誤魔化した。

 

「いや、その、だな! 鎖の巫を賜ってから仲良くなってな。義兄弟というか兄貴と呼んで慕ってるんだよ。この装置もその時に色々教えてもらってな。な、な! そうだろ、兄貴!」

「う……うむ」

「……」

 

 しかし、未だ自分が無理に誤魔化していると睨んでいるのか、説明責任があるぞという視線を向ける者は多い。

 

「そうじゃったのか? お父上」

「う、うむ……そうなのだ」

「しかしだな……」

「まあ、皆の者、良いではないか。ハクはハク、それ以外の何者でも無かろう」

「そうだな、オシュトルの旦那の言う通りじゃない」

「ハクさんはどうでもいいことはよく喋りますが、大事なことは何も言ってくれない酷い人なのです。それに、別にハクさんの正体が分かったところで何か変わる訳でもないのです」

 

 自分の知られたくない想いにいち早く気づいて庇ってくれるオシュトルやヤクトワルト、それに少し言葉に棘があるも一応庇ってくれているネコネに心の中で感謝する。

 しかし、ノスリは隠し事をされているのが気に喰わんのか、疑惑の視線は変わらなかった。

 

「むぅ……」

「そうですね、姉上は……もしハクさんが前帝の実の弟で、現人神と呼ばれる存在であったとすれば、どうしますか?」

「なっ、そ、そうなのか?」

「もし、ですよ。姉上はハクさんへの態度を変えたりするのですか?」

「……」

 

 オウギ、もう全部知ってる奴の口調だろう、それ。

 大体の者には既に全部ばれてしまっていることがわかってしまったが、そのオウギの言葉に同調する者は多かった。

 

「わ、私は、ハクさまだから、今までもその、付いて来ましたから……」

「そうね、ルルティエ。ハク様はハク様自身の力で功績を立てて英雄にのし上がったのだもの。今頃高貴な血統と言われてもピンときませんわね」

 

 ルルティエやシスの気づいていながらも齎される嬉しい言葉。それに続いたのはアトゥイだった。

 

「ウチも別にどっちでもいいぇ。おにーさんに敬語使うの嫌やしなぁ」

「お前はもっと自分を慕え」

 

 自分に敬語を使いたくないから見てみぬフリするってどんな理由だよ。

 

「むぅ……確かに、ハクの評価が変わる訳ではない、な」

「ええ、そうですよ。姉上」

 

 そこで皆の中で一段落ついたのだろう。

 緊急時とは言え、兄貴って呼んだり、AIと色々やりとりした手前、もうばれてしまって皆の態度が余所余所しいものに変わってしまうかと危惧したが、そうではなかったようだ。

 こうして、自分そのものを認めてくれる言葉は嬉しかった。

 

 自分への追求が終わったので、今度はこのタタリ騒動を引き起こした張本人を糾弾することとする。

 いくら話が拗れたとはいえ、こんな強硬手段を取ったウォシスをとっちめてやらねばならん。

 

「さて、じゃあ次はウォシスを……ん?」

 

 そう思い先程ウォシスが絶望に沈んでいた場所へと目を向けたが──

 

「──おい、ウォシスは、どこに行った?」

「……」

「兄貴?」

「すまぬ……余も、わからぬ」

 

 度重なるエラー音と、赤く暗く点滅していた屋内である。

 

 そして、誰もがパネルに映るタタリと帝都の行く末に注視していたこともある。

 現状タタリが施設内に溢れていることもあり、迂闊に外に出ればタタリに襲われる可能性もあった。

 

 そんな状況であるためか、誰もウォシスが動くとは思っていなかったのだろう。それに乗じて、少年兵と共にその姿を消していた。

 

 まあ、でも構わん。ここの機能を使えばどこにいるかは一目瞭然である。

 

「……検索と平行して、ウォシスの居場所を探ってくれ」

「指示を実行……施設内を探索中……確認できません」

「何? じゃあ、どこに……って、おい、まさか……!」

「展開中のゲート、利用記録あり。行き先は──」

 

 ──トゥスクル。オンカミヤムカイ地下の社だと。

 

 こんなバカ話をしている場合では無かったことに気付き、その背筋をぞっと冷たいものが走る。

 

 そこには──クオンがいるのだ。

 

 まだ、ウォシスは諦めていない。

 奴の絶望は、まだ終わっていなかったのだ。奴は、絶望に代わる何かを取り戻そうと足掻き始めた。

 それは、止めねばならないことだと警鐘を鳴らしている。とてつもない、何か──

 

「「大いなる意志……」」

 

 ウルゥルとサラァナが真っ青な表情で呟く。その言葉の意味にはっとしてホノカさんを見た。

 

 ホノカさんもまた、その言葉の意味に唇を噛み締め、戸惑うように視線を落としている。

 

「大いなる意志……こうなることを、知っていたのか?」

「いえ……私には、具体的な道筋はわかりません。それを止めるための術も……ただ、ハク様……貴方にある選択が迫っていることだけは、わかります」

「ある、選択……?」

「はい……それ以上は、私には……力になれず、申し訳ありません」

 

 悲し気に視線を落とすホノカさん。

 このまま追求しても、ホノカさんから答えがもらえることは無い。であれば、今できる事は再びウォシスを追うこと──

 

 ──同胞ヨ……。

 

「ぐっ……!?」

「な、何だ、この声は……!」

「き、気持ち悪いのです……!」

 

 酷い頭痛。そして、頭の中に響く声。

 それは、自分にだけ聞こえる声では無かったようだ。

 周囲の皆もまた、その声に戸惑いを覚えている。

 

 ──何が、何が起きているんだ。大いなる意志とは、何なんだ。

 

 絶望は、まだ過ぎ去っていない。

 この絶望から抜け出すためには、まだ一手足掻かねばならないことだけは、理解できた。

 

 




 ウォシス配下の中では確実に最人気キャラであろうシチーリヤ。
 ミルージュには申し訳ないが、この作品ではシチーリヤだけでも救えて良かった。

 シチーリヤ、ライコウとお幸せにね。


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第五十六話 願いを聞くもの

 私はニセモノではない。

 私は本物。私こそが、後継者。

 そうあるべきなのだ。そうでなければ、私は何の為に生まれて来た。何の為に、父を害し、彼らを改造し、数多の裏切りを仕向け、暗躍してきたのか。

 

 ──お前を、愛しているのだ。

 

 父の薄っぺらい言葉も、私の絶望には何ら響かない。

 

「全ては……偽り……」

「ウォシス様!」

 

 崩れ落ちたままの私に、声をかける少年兵達。

 今はその声すら煩わしい。私の絶望はハクが私の齎した惨事に対応し始めるまで続いた。

 

 ハクがここにいるということは、ミルージュは死んだのだろう。

 大いなる父の墓場。大神の眠りし地──

 

 そこで、天啓が降りた。

 

「ウォシス様……?」

 

 皆がパネルを見てこちらに気付いていない。行くとするならば今──

 

 幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、気付かれぬようにそっとその場を後にする。

 戸惑う少年兵を伴い、向かう先はここへ来るゲートへの道。

 

「ウォシス様、マスターキーはよろしいのですか?」

「……もはや、あれは私に必要ありません。いえ、相応しくない。私に必要なのは──」

 

 開いたままのゲートを再び潜り、オンカミヤムカイ地下へと辿り着く。

 眼下を見れば、ハクと問答を繰り広げたその特徴的な社。その周囲の地形が変わる程の戦闘痕に、その規模の大きさとミルージュが自らの命を捧げてくれたことを想う。

 こんな、ニセモノのために、彼らは喜んで命を捧げてきた。私にできることは──

 

「! 貴方は……!!」

「なぜ、ここへ……」

 

 社の傍で倒れ伏すはクオンという者と、それに寄り添うエルルゥと呼ばれていた者。

 ウルトリィの姿が見えぬが、早々に要件を済ませた方がいいだろう。

 

「止まって!」

「……」

 

 社の中に進もうとした私を、震える足で制止するクオン。

 ここで治療を受けているのは、先ほどの戦闘の影響なのだろう。

 

「……そこで、見ていなさい。危害を加えるつもりはありません」

「な、なら……一体何をしに……!」

「私は彼に願うだけですよ……私はニセモノではなく、本物になる……もう一人のうたわれるものとなるのです──」

「まさか……! 彼は封印されているかな! 貴方の願いなんて……」

 

 仮面の者(アクルトゥルカ)のように、パリパリと何らかの光がクオンの周囲を包み始める。

 エルルゥが慌ててそれを制止しようと前へ進み出た。

 

「クオン、その力をこれ以上使ってはいけません……!」

「っ、は、母さま……」

「クオンの言う通りです、ここには貴方の願いを叶えるものは何もありません。お引き取りを」

 

 エルルゥが私とクオンの間に立ち、娘を護るかのごとき愛が籠った目で私を見つめる。

 

「……貴方は、彼女の母ですか?」

「? ええ」

「似ていませんが……貴方が産んだのですか?」

「っ……いいえ」

 

 その問答の意味がわからぬかのように、戸惑うエルルゥ。

 

「それでも、愛しているのですか?」

「当然です。私の、私達の、たった一人の可愛い娘ですから……それが何か?」

「……」

 

 たった一人──か。

 私はそうではなかった。血を分けたわけでもない。腹を痛めて生んだ訳でもない。作りたければ、いくらでも作れるクローン。

 たとえ血が繋がっていなくても愛せる? それは、クローンではないからだ。

 

 クローンを愛せる親などいる筈がない。私がニセモノである以上、全てはまやかし。

 

「そうですか……では」

「がっ……!?」

 

 エルルゥが戦闘能力に長けている訳ではないことは動きから知っていた。

 短刀をエルルゥの腹部に突き刺し、驚愕に震える瞳を真っ向から受け止める。

 

「は、母……さま……?」

「……ごほっ……!」

 

 どさりと、血を吐いて蹲るエルルゥ。

 

 これ以上罪を重ねるな、ハクであればそう言うでしょう。

 しかし、これこそ大いなる父。今の私であれば禁忌の力に頼った彼らの考えが理解できる。

 

 私にはもう、失うものは何もないのです。たとえ神に頼った先が滅びであるとしても、私はこれまで犯した罪を償うために、数多の罪を重ね続ける。

 

「──嫌あああああああっ! 母さま! 母さま!!」

「クオン……逃げて……!」

 

 クオンが絶叫し、エルルゥの体に取り縋る。命の危機に瀕して尚、娘を心配するか。

 社の中にいる者に、願いを言った。

 

「さあ、解放者ウィツァルネミテア。彼女を救いたいでしょう? 私もそうなのです……私は、本物にならねばならない……この世界のうたわれるものに……私が大いなる父の後継者となれば、このような傷すぐさま治すことができるでしょう」

「ミコト……」

「? 何ですって? ミコト?」

「……かつての彼らのように……私から愛しき者を奪い、その末路を同じくするか」

 

 社から響く憤然とした言葉に眉を潜め、再びその願いを伝えようとした時である。

 

「貴様ああああああッ!!」

「ウォシス様! 危ないッ! ぐっ……!!」

「ど、けえええええッ!!」

 

 クオンが激昂し、並々ならぬ力を発揮する。

 クオンの持つ力の大きさに、三人の少年兵は苦悶の表情でそれを受け止めた。

 

「だめ……クオン……その力を使ったら……大封印が、揺らいでしまう……!」

「ああああああああッ!!」

 

 もはやエルルゥの声すら届かぬ怒りの表情で、牙を剥くクオン。

 

「はあ……大事なお話中ですよ。エルルゥ、自害しなさい」

「なっ……!!」

 

 短刀を放り投げ、大いなる父としてのその言魂で以って縛る。

 エルルゥは、震える手でその短刀を握り──

 

「だ、駄目! 母さま!」

 

 クオンが慌ててその力をエルルゥの制止に注いだ。

 その短刀がエルルゥの首元へと伸び、それをクオンが必至の形相で止めている。

 

「さあ……貴方の愛した者が死ぬる姿は見たくないでしょう?」

 

 社の中の人物は暫く押し黙ると、諦観の籠った様子でその言葉を口にした。

 

「……汝の願いを言うが良い」

「ふふ……貴方は、その不安定な感情によって神の力を行使する……罪もない子どもまで、全てを怒りのままにタタリへと変貌させた貴方なら、きっと応えてくれると思っていましたよ」

 

 社から響くその声に、私の願いが成就することを確信する。

 

「汝の願いは」

「貴方を封印から解き放ち、私を──うたわれるものに。救いを求める者のため、全ての同胞を救う力を。大いなる父の本当の後継者として下さい」

「大いなる意志は……汝を選ばぬ。それでも尚、その願いを叶えたいと?」

「……私を選ばない? 貴方も、私を否定するのですか?」

「そうではない。汝の覚悟を聞いているのだ」

「っ……だめ、ハクオロさん……!」

 

 エルルゥが震える声で叫ぶも、もはや私と大神には届かない。

 

「ええ、覚悟していますよ」

「では、願いは成った。代償は──」

「代償? 全てを捧げましょう。私の命も、存在も……その全てを」

 

 これまでの罪も、愛も、記憶も、全ていらない。

 ニセモノの人生など歩むつもりは無い。今度こそ、本物としての生を歩むのだ。

 

 真っ新な自分となることを期待し、その眩い力の奔流に目を閉じた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 必死の抵抗によって、からんと、母さまから短刀が取り落とされる。

 そして、力無く微笑む母さまに、涙ながらに取り縋った。

 

「母さま! 母さまッ!!」

「……クオン、憎しみに囚われてはいけません……教えたでしょう? 薬師として、どうすればいいのか……」

「っ……!」

「さあ……私に、その成長を見せてください」

 

 そうだ。

 私は薬師。母さまのような立派な薬師になるために、これまで誰に何を言われるまでもなく、日々研鑽してきたのだ。

 

 ウォシスが、ウィツァルネミテアがどうなろうと構わない。

 神には頼らず、私は、私のこれまで培ってきた力で母さまを救うのだ。

 

「これを……」

 

 母さまの懐から、応急処置用の一式が渡される。それを見れば、瞬時にどう治療すれば母さまを救えるのか思考が繋がる。

 

「そうです……良い手際ですね、クオン……」

「母さま、喋らないで!」

 

 これまで、オシュトル、マロロ、ハク、仲間が幾度もこの刺突傷を受け、治してきた。

 きっと今回もできる筈──

 

 母さまは、私の治療の様子を暫く眺めていると、薄く笑みを浮かべ任せるように力を抜いた。

 ウォシスも、ウィツァルネミテアとの交渉の材料とするためだけで、本当に殺す気は無かったのだろう。見れば、その傷はそこまで深くはない。

 

 汗を拭いながら腹部の傷を縫合し、造血剤を作って口に含ませる。

 これまでにない速度で展開された治療により、何とか一命を取り止められたことを知る。

 

「……ふう、終わったよ。母さま」

「ええ……クオン、立派な薬師となりましたね」

「母さま……」

 

 涙が溢れ、感情が爆発する。

 良かったと安心してエルルゥを抱きしめようとした時であった。

 

 ──同胞ヨ……我ニ救イヲ求メヨ……。

 

「ッ! な、何、この声」

 

 頭の中に直接響く声。その声は──

 

「ウォシス様、なのですか? この声は……」

「きっと、そうだ……私達が忠誠を誓う、うたわれるもの……私達を救ってくださる存在……」

「救ってください! ウォシス様! 私達を──」

 

 ウォシスに伴っていた少年兵がその言葉に返したときである。

 少年兵の体はまるで光の粒子となるかの如く、その体をおぼろげなものへと変えていく。

 

「あ……あぁ……常世が見える……」

「これが、ウォシス様の楽園……」

「私達は、救われ──」

 

 ぱっと、その体は光と霧散し、そこには先ほどの少年兵など何も無かったかのように存在ごと消え去ってしまった。

 

「な……」

「大封印の一部が、解かれてしまったのですね……」

 

 がらがらと崩壊する社の中から現れるは、大いなる父と共にこの世界にうたわれるもの──解放者ウィツァルネミテアがその姿を現していた。

 

「何で……ウォシスは大いなる父として願ったんじゃ……」

「かつてのディーのように……器が足りなかったのです……彼は、叶うはずも無い願いのために……もう一つのうたわれるもの──大神ウィツァルネミテアの……新たなる依代となったのです」

「新たな、依代……?」

 

 依代──ウィツァルネミテアがこの世に顕現するための、仮の肉体である。

 そして、それは大神の娘である私も──

 

「そう……だから逃げて、クオン……この世界の……真の後継者になるために意識すら捧げた彼は……自らの力の大きさに相応しき依代を探し、完全になろうとしている……!」

 

 ──サア、哀レナル同胞ヨ……我ト共ニ……。

 

 エルルゥの言葉通り、その虚ろな色の瞳はこちらへと向いた。

 視線があった瞬間、ぞっとするほどの恐怖が己を襲う。

 

「!? う、動かない……」

 

 己の内なる神が暴れているかのように、自らの体に自由が効かない。指一本、視線一つ動かせない。

 

 ──安ラギモ……愛サレルコトモ……理解サレルコトモ無キ……哀レナ、同胞ヨ……我ト共ニ成リ、永遠ナル孤独カラ救イヲ……。

 

「な、何を言って……私は、ヒトの世で、ヒトとして生きる……! 貴方と一緒なんて……ぐ……」

 

 しかし、体は動かない。

 それどころか、目の前の存在と一緒になることこそが意志であるかのように、固まってしまった。

 

「だめ……来ないで……ッ!!」

「は、母さま……?」

 

 動けぬ私に代わり、母さまは血の気の失せた様子で尚、最後の力を振り絞るように立ちあがる。そして、私を守るように手を広げて神の前へと進み出た。

 

「この子を……連れていかないで……ハクオロさん……! 代わりに、私を……!」

 

 しかし、痛みと出血による限界か──ぱたりとその体を倒す。

 

「!! は、母さまあッ……!!」

 

 気絶しているだけ、その筈──

 

 ──それでも、早く助けねば死ぬるぞ。

 

「──誰ッ!?」

 

 ──誰? 知っている筈であろう。ずっと、お前の傍にいた筈だ。ずっと、ずっと。

 

 頭の中に響く、もう一つの黒き姿をした私の声。

 

 ──救うには、一つとなるしかない。目の前の存在は、依代が未熟なため未だ完全ではない。お前が力を求めれば、全て救えるのだ。

 

「全てを、救う?」

 

 ──そうだ、お前の母も。それに、仲間たちも。ウォシスが何故ここにいると思う? お前の仲間はお前を助けにも来ず、一体どうなったのだろうな? 

 

「っ……!」

 

 その想いは、一瞬過っただけであった。

 ウォシスの手にかかり、愛しき者が全て死ぬる未来。

 

 ──我らが共にあれば、皆を救える。

 

「皆を……?」

 

 ──そうだ、そしてお前の愛するハクと、仲間と、永遠に共に。

 

「……馬鹿に、しないで」

 

 ──む? 

 

「私は、神になんか、ならない……! 私はヒトとして生きる……!」

 

 ──そうか、では、お前は永遠に孤独だ。大神の力を宿しながら、誰がお前を愛する。理解する。作り変えるしかないのだ。お前にとって都合のいい世界を。

 

 数多の不幸な未来が頭を過り、繰り返される甘言に思考に靄がかかる。

 そして、目の前のウィツァルネミテアが、その巨大な手を伸ばしてくる。私はそれに抗えない。

 母さまも、今は倒れてしまっている。早く治療しなければ、死んでしまう。

 

 誰か、誰か、助けて──脳裏に、最も愛する存在が浮かぶ。

 

 助けて──ハク!! 

 

「──クオン!!」

 

 その声は、私が求めていたもの。

 私の瞳も体も動かなかったが、声さえ聞けばわかる。その声は正しく私の愛しき人──

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 急いで追ってきたが、これはどういう状態なのか。

 かつて社があった場所は倒壊し、見るも無残な姿を晒している。

 

 その倒壊した傍を見れば、虚ろな目をしたクオンと、倒れ伏したエルルゥ。そして──

 

「あれは……!」

「ウィツァルネミテアの一部」

「彼の禍日神がウォシス様を媒介に具現化したと思われます」

「な……」

 

 ウルゥルとサラァナが言う言葉に驚愕する。

 あの仮面の者が解放したかのような白き巨大な姿が、ウォシス──ウィツァルネミテアだと言うのか。

 しかし、それであれば、先ほどまでの現象にも納得がいく。

 

「あの声が聞こえてから、帝都にいたタタリが尽く消滅したのも奴の力か?」

「そう」

「彼の救いを求める声に応えれば、問答無用で消滅します」

 

 そう、帝都はあの声が聞こえてから新たな騒乱に見舞われていた。

 タタリだけが消滅するならまだいい。しかし、帝都にいた民もその言葉を聞きその体を消滅させ始めていたのだ。

 

 現地にいたライコウやマロロがその言葉に耳を貸さぬよう通信兵で以って知らせてはくれているが、ここトゥスクルより響く声である。

 どれだけの者が彼の声に応えその身を滅ぼしているかわからない。一刻も早く止めねばならない存在だ。

 

「ハクさん、どういうことなのですか?」

「……あれは、求めても無いのに、願いを捻じ曲げ勝手に救いだなんだと皆を消滅させている奴だ」

「であれば……ハク、奴は敵なのか?」

 

 オシュトルの問いに、どう答えればいいのかわからない。

 しかし、もはやヒトを無秩序に消滅させる存在と捉えれば、確かに敵と言えるのか。しかし、挑むはこれまでのような模倣体ではない。元となった本物の──

 

「──そうだ。これから自分達は大神ウィツァルネミテアに挑む」

「……」

 

 皆がその言葉に唖然としていると、ウィツァルネミテアがゆっくりとその眼を傍らへと向けた。

 

「あ、姉さまが……!」

「っ……奴の目がクオンを向いた。助けるぞ!」

「「「応ッ!」」」

 

 たとえ神さまであろうが、たとえ元ウォシスであろうが、仲間を、大事な人を傷つけんとするのであれば容赦はできない。

 

 せめて立ちあがって逃げてくれと、力のままにその名を叫んだ。

 

「──クオン!!」

 

 しかし、クオンの体は動かない。

 虚ろなままその瞳をウィツァルネミテアへと向けている。

 

 ──救イヲ……求メヨ、歩ミヲ止メテ、我ノ声ニ……耳ヲ傾ケヨ……。

 

「ぐぅっ!?」

 

 後ろから仲間の悲鳴のような声が聞こえ思わず振り向けば、そこには氷像と化したかの如く足が止まっている皆がいた。

 

「どうした!?」

「む……う、動かぬ……!」

「な、なんだこれ、指先一つ動かないじゃない……!」

 

 オシュトルやヤクトワルトが苦悶の表情で足が進まぬことを申告する。

 そうか、ヤマトのデコイであっても兄貴が参考にしたのはアイスマン計画のデータ。

 

 その数は少なくとも、遺伝子にウィツァルネミテアの指示に従わざるを得ない物が含まれている可能性もある。

 

「奴の指示に従うなっ! ……どうだ?」

「むう……しかし……ウォシスの時よりは……ッ!! ぐうっ!」

「で、あるな……少しではあるが、動けるか……!」

 

 自分の言霊によって再びぎこちなく動く仲間たち。

 この声は頭の中に常に鳴り響いている。言霊で上書きしてもすぐさま塗り替えられてしまうのだろう。

 

 再び足が止まったように動かぬ者、ネコネ他抗えぬまま立ち止まっている者もいる。もはや戦力として数えられないだろう。

 

「……」

「! ハク、駄目だ! 皆で……!」

「……すまん!」

 

 常に動きながら言霊を用いて戦うなど、神の力を前に無謀な策である。

 クオンは今まさに襲われんとしているのだ。愛する者を失うことは避けなければならない。たとえ、己の命を以ってしても。

 

 ──もし……私が危ない目にあったら、ハクは助けに来てくれる? 

 

 クオンと約束した言葉が蘇り、笑みが浮かぶ。

 

「ああ、勿論……助けに行くさ──仮面(アクルカ)よッ!」

「やめろ、ハク……やめてくれ、アンちゃん……! 俺を置いて逝くな……ッ!!」

「「主様!!」」

 

 仲間の制止の声ももはや聞こえない。

 仮面が熱く煮えたぎり、決意の炎が己の体を焼いていく。

 

「オオオオオオオオオッ!!!」

 

 咆哮と共に上がる光の柱に生まれるは、異形と化した我が姿。

 

「ウィツァルネミテア!! コッチヲ見ヤガレェエッ!!」

 

 倒壊した社に立ち、今まさにその巨大な手でクオンの体を掴もうとしている大神に向かって、炎を纏った右腕が渾身の打撃を見舞う。

 

 しかし──

 

「何……ッ!」

 

 ミルージュの盾すら貫いた威力。その頬に拳が突き刺さるも、体が僅かに傾いたのみ。

 その瞳は、ゆっくりとこちらへと向けられる。

 

 ──救イヲ、我ノ声ヲ拒絶スルカ……我ノ劣化デアル……偽物ノ力を持ツ者ガ。

 

 その無機質な眼光に晒され、ぞっとする程の恐怖が襲う。

 かつて、数多の仮面の者(アクルトゥルカ)を相手に、これほどの恐怖を受けたことがあっただろうか。

 

 伝説通りの、神。

 本物の、力。人には扱いきれぬ、その身を滅ぼす力──

 

 がぱり、と大神の口が開き、眩い青い光が集っていく。

 その攻撃の大きさに、自らの命が終となることを知る。

 

「だめ……にげて……ハク……!」

 

 虚ろな声で呟くクオン。近くには倒れたエルルゥもいる。

 もし、避ければ、その光の奔流がどこを襲うかわかったものではない。

 

「ッゥ、アアアアアッ!!」

 

 その口を塞ぐように、左腕でその矛先を逸らそうと──

 

「──ッ!?」

 

 どん、と青い光線が我が半身を貫く。いや、貫くどころではない。これはもはや──

 

「──いや……ハク……嫌ああああああッ!!」

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 倒れ伏す、我が友の姿。

 そして、泣き叫ぶクオン殿の姿。

 

 ハクの体は、ウィツァルネミテアの光線によって肩から左半身がほぼ吹き飛び、その境目より塩が漏れてしまっている。

 

 その光景を見て、己の何かが変わった。

 未だ拘束から抜けきれぬ仲間の中で、ただ一人──俺だけが、動き得た。

 

「アンちゃん……今、俺もそこへ……!」

 

 どん、と重い体を必死の形相で前へと進める。抗うように唇を強く噛み、血を漏らし、なお進む。

 どん、と片足を挙げ、踏みしめ、その一歩一歩の歩みは遅くとも、もはや止まらぬ。強く、大きく、一歩でも先へと踏みしめ、神の言葉に抗い前へと進む。

 

「ッ……!!」

 

 脳が、筋肉が、神経が、神の言葉に従っている。

 しかし、たとえ体が抗えなくとも、俺の魂までは止められない。止めさせてたまるか。

 

 二度と、アンちゃんを失わねえと、そう誓ったのだ。

 決して、アンちゃん一人に背負わせねえと。アンちゃんだけを戦わせねえと。

 

 友の為に、友との約束を守るために──俺は神に抗うのだ。

 

 どん、とその最後の一歩が届き、ついにハクの側へと辿り着く。

 膝を地につき、仮面の者から生身となったハクの体を抱きかかえた。

 

「アンちゃん……」

「……」

 

 ハクのおぼろげな眼に、近い死を感じる。

 だが、そうはさせない。ハクの崩れていく体を失うまいと強く掴み、仮面を通じて──いや己の魂を通じて念じる。

 

「……根源よ。今こそ俺は知り得た。俺があの場で死ぬる運命を逃れ……何故これまで生き伸びてきたのか……!」

 

 ──アンちゃんよ、言っただろう? 生きるも死ぬも、一緒だと。

 

 その光が発せられたのは同時であった。

 融け合うように、自らの体とハクの体が、眩く暖かい閃光を発し始めた。

 

 



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第五十七話 共に生きるもの

 目が覚めると、そこはこの世のものとは思えぬ世界であった。

 数多の星々と、命の蝶が舞う美しく恐ろしい世界。戸惑いながら、己の疑問を口にした。

 

「ここは……」

「ここは、狭間。現世との境界線……」

「! あんたは……」

 

 目の前に、光の粒子が現れる。

 その神聖な力の集束に、かつて社で問答を繰り広げた奴だと直ぐに気づいた。

 

「狭間? ってことは、自分は死んだのか」

「いや、ここは狭間。まだ君の魂と肉体は半分生きている」

「半分か……」

 

 神の発する光線をまともに受けた。あまり考えたくない状況であることは容易く想像できた。

 

 しかし、自分のことよりも気になることがある。

 

「クオンは……どうなったんだ?」

「……」

「自分は……助けられなかったのか?」

「君が死の淵にいることに絶望し……我が分身に心を囚われてしまった」

「? どういうことだ」

 

 聞きなれぬ言葉に戸惑いを覚え、思わず聞き返す。

 

「君を死の淵より救うため……ウォシスと共に依代として取り込まれ……大神ウィツァルネミテアとしてこの世に顕現したのだ」

「な……」

 

 つまり、あのウォシスですら半分の力に過ぎなかったということか。

 クオンが一体となった今、その力の規模はほぼ完全体。早く助けに行かねば仲間の皆にも危険が及ぶ。

 

 しかしと思う。自分の死に絶望して力を求めたのであれば、なぜ自分はここにいるのか。

 

「だが、自分は……ここに……」

「そうだ、たとえ大神として顕現しても、願いが叶うことはない。それどころか……必ず、その願いは歪んだ形で叶えられる」

「じゃあ、尚更止めにいかなければ……」

「……これを」

 

 そこにあるは、エルルゥがかつて渡そうとしていた白き仮面。

 大神の力宿りし仮面である。それを被ると言うことは──

 

「しかし、ウォシスが既にあんたの力を……」

「彼に、力の全てを渡した訳ではない。この仮面にあるは、残りの我が力」

「……自分に、ウィツァルネミテアとなれと」

「そうだ。我が力を、名を、咎をも……」

 

 その重さに、伸びる手が躊躇する。

 これを受け取れば、もはや人の身として生きることは不可能。だが、この力が無ければクオンを、仲間を助けられない。

 

「……自分も、ウォシスのように神の力に呑まれろってか」

「いいや、受け継いだ力をどう扱うかは君次第……君はウィツァルネミテアではなく、新たな大神となるんだ」

「新たな、大神……だと」

「そう、それが世界の……大いなる意志」

 

 大いなる意志、ホノカさんも、ウルトリィさんも繰り返し言っていた言葉である。

 

「っ! 大いなる意志……?」

「そうだ……君であれば、この世を人と神の世から解放出来る。君であれば、この永劫続く罪の煉獄から抜け出すことができる……」

 

 その自分が歩んできた過去も未来も、全てが決まっているかの如く言葉に、思わず声を荒げた。

 

「ってことは何か? 自分がクオンに見つけられたことも、戦乱が起きたことも、ウォシスが絶望したことも……全部、自分が大神になるためだけに、導かれたと?」

「そうだ……」

「な……!」

「そう、いくら足掻こうとも、道を逸れようとも、それは変わらない。それが、この世界の……大いなる意志なのだ」

 

 大いなる意志が、自分を待っている。

 ホノカさんも、ウルトリィさんも、そう言っていた。自分の意思ではなく、その大いなる意志の導きによって辿って来ただけなのだと。その真の意味が漸く分かった。

 

「……これがあれば、クオンを救えるんだな?」

「ああ」

 

 光の粒子より差し出される仮面に触れようと、手を差し出した時であった。

 

「──ハク」

 

 もう一人の自分を呼ぶ声。

 この命の狭間の世界に、自分を知る誰がいるというのか。

 

 気になって声のした方へと振り向いた。そこには──

 

「──なっ!? お前……オシュトル、なのか?」

「ああ」

 

 そんな馬鹿な。

 オシュトルは生きている筈。ここにいるのは死んじまったか、半死半生の者だけ──ということは。

 

「なんてこった……お前も、死んじまったのか?」

「いや、そうではない」

「? ならどうしてここに……」

「決まっているであろう。其方を……この狭間より連れ戻しに来たのだ」

 

 オシュトルがその手を差し出すようにこちらへと向けた。

 困惑するように言葉を漏らすは、自分だけでは無かった。後ろの大神さんも酷く驚いていたようだった。

 

「まさか……ヒトの身で、狭間に届き得たというのか……」

「どういうことだ?」

「……」

 

 返事は帰って来ない。

 大神さんもどうやら戸惑っているらしい。

 

 オシュトルは、仮面に手を伸ばそうとしていた自分を咎めるように首を振った。

 

「ハク、その仮面を手にしてはならぬ」

「? 何故だ」

「お主は、人の身で我らと共に生きるのだろう?」

「だが……クオンが」

「忘れたのか? 其方は神には頼らぬと……皆で大神に挑むと言ったではないか。その其方が、一人戦って死に……大神を求めるのか」

「……」

 

 しかし、こうしてここ狭間に落ちてくる程の瀕死状態だ。

 現世に戻って何ができるとも思えない。

 

「だが、大いなる意志が……」

「アンちゃんよ、そんなことは関係ねえんだ」

 

 痺れを切らしたかのように、オシュトルはウコンの口調となって己を諭す。

 しかし、大いなる意志なんてとんでもないもの、どう抗えっていうんだ。

 

「関係ないって……お前な」

「アンちゃん。もう一度、聞かせてくれ」

「な……何をだ」

「大いなる意志じゃなく……アンちゃんの意志を……アンちゃんが、どうしたいのかを」

 

 オシュトルから必死に問い掛けられる言葉に、己の意志を考える。

 かつてオシュトルと一騎打ちまですることとなった、仮面により白日の元となった己の暗部。そして願い。

 

「自分が……どうしたいか……」

「そうだ。アンちゃんが何者かを決めるのは、アンちゃん自身だ。大いなる意志でも、神さまでもねえ……! 俺は、それをアンちゃんに思い出して欲しかったんだ」

「……」

 

 自分が、どうしたいか──か。

 ふと、僅かに聞こえる仲間達の声。

 

「ほら、聞こえてきただろう……アンちゃんを呼ぶ声が……」

 

 ──主様。今こそ選択を……人のまま生きるか、新たな大神として生きるか。そのどちらであっても、私達は永遠に共に……でも、私達は、本当は……人として主様に愛してほしいのです。

 

 ウルゥルとサラァナの姿無くとも、その声が魂まで響くようであった。

 

「これは……この声は……」

 

 そして、その声たちは狭間の世界に羽ばたく蝶のように沸き上がり、己の心に届いていく。

 

 ──おにーさん、死んだらだめやぇ! ぐうたらなおにーさんがいないと、ウチはやっぱり楽しない! もっともっと一緒にいて、おにーさんが知りたいぇ! 

 

 アトゥイの声が。

 

 ──ハク、お前は情けない! 惚れた女を残して逝く気か! そんなことは……私が、いい女である私が許さない! 私が憧れ、唯一惚れた漢であるお前は、きっと立ち上がれる漢の筈だ! 

 

 ノスリの声が。

 

 ──ハク様、あなたがいないと、クーちゃんが悲しみます。そして、私も……あなたがいないと、泣きます。沢山泣いちゃいます。だから、戻ってきてください! 

 

 フミルィルの声が。

 

 ──私の命を二度も救ってくれた人。私の女としての幸せに気づかせてくれた人。命の使い方も、貴方が教えてくれたのです。そのあなたに恩を返せないまま……一人で死なせはしません! 

 

 エントゥアの声が。

 

 ──私を好きになってくれるまで、待っています。いつまでも、ハクさまを想い続けています。傍に居て本当に安心できた人……きっと、私のところに帰って来てくれるって信じていますから……! 

 

 ルルティエの声が。

 

 ──誓ったのでしょう? 私とルルティエを守り、愛するって。漢なら、私の惚れた漢なら、最後まで証明してみせなさい。貴方がいなかったら、もう嫁の貰い手も無いの。だから、責任とってくださいまし! 

 

 シスの声が。

 

 ──小生との約束はどうなったのだ、ハク殿。其方は約束を破る男ではない。其方は、皆に信じさせる力を持った漢だ。皆が、其方を信じている。其方が居れば勝てると、其方が居れば生きられると、だから、戻って欲しい……小生の傍へ! 

 

 ムネチカの声が。

 

 ──其方は死んではおらん! 余の傍に居ると、居続けると言ってくれたのじゃ! だから、今約束を……指切りをするのじゃ……余との約束を守って、生きて……叔父ちゃん! 

 

 皇女さんの声が。

 

 ──ハクさん、ぐうたらでだめだめで恰好悪いところも、皆を守る恰好良いところも……どっちも好きだったのです。兄さま以外に、初めて心を許した男の人……皆を泣かせるなんて、ハクさんらしくないこと、しないって信じているのです!! 

 

 ネコネの声が、皆の顔が、燦然と煌く蝶の隙間から空へと浮かんでいく。

 死の淵にいる自分に、ミカヅチ、キウルやヤクトワルト、オウギも必死に呼びかけているのだろう。皆の瞳には焦りの表情と涙が浮かんでいた。

 

 星々が煌く様に空に顔が浮かんでは光となって消え、また浮かび、消えていく。記憶の中で皆との約束が思い起こされていく。己の周囲を覆うようにそれはいつまでも続いた。

 

 多分、本当に口で言っている訳ではないんだろう。きっとこれは、彼らの魂の叫び。オシュトルを通じて、自分に届いた本当の気持ち。

 

 一つ届くたびに、己の心は熱く煮えたぎり、その命の灯が再び燃え上がっていく。

 

「──思い出したか? 皆との約束を」

「ああ……皆と、旅をするんだった……人を解放するための、楽しい旅を……」

「で、どうだ……アンちゃんの意志は?」

「そうだな……お前が来なけりゃ、安請け合いしちまった約束を忘れたままにできたんだが……破ったら後が怖いことを思い出したよ」

「ふ……」

 

 心は決まった。

 だが、もう一つ聞いておかねばならんことがある。自分が人として生きるなら、必ず必要になるものだ。

 

「給料は……特別労働手当はあるんだろうな?」

「ああ、無論だ。其方にしかできぬことはまだまだある。長い休暇はその後だ」

 

 オシュトルの笑み。そして、その後方からマロロやライコウの笑みもおぼろげながら見える。兄貴や、ホノカさん、トリコリさんの顔も──

 

「……帰るか、皆のところへ」

 

 遠くにありながらも、自分を想ってくれているのだ。魂が、結ばれているのだ。

 

「ってことだ……悪いな、大神さん……いや──ハクオロさんよ」

「……良いのか」

 

 仮面を受け取らないというのがどういうことなのか。

 大いなる意志に逆らってもいいのか、それを聞いているのだろう。

 

「ああ、自分は運命よりも──仲間を信じてみるよ」

「……そうか。私もかつて、運命より仲間を信じ託したことがある。君に……いや、君達に賭けてみよう」

 

 そう言って、ハクオロは仮面を被り、その真の姿を晒す。

 

「誇り高き大いなる父、ハクよ……私の娘を、よろしく頼む」

「ああ、任せとけ」

 

 それは白く輝き、正しく神々しい存在そのものであったが、その姿を見せたのは一瞬であった。

 自分に託すかのように笑みを浮かべ、靄と消えるように狭間の世界へと失せていった。

 

 再び、オシュトルより差しだされた手を見つめる。

 

「さあ、ハク……其方を信じる全ての者の欠片を集め……我らで決着をつけよう」

「ああ……生きるも死ぬも、一緒だ。オシュトル」

「今度は、其方だけに託しはせん……我ら二人で、皆で、未来を掴むのだ……」

 

 オシュトルの手を掴むと、眩く暖かい光が満ちていく。

 その輝きは己の目を焼き尚、体を取り巻いていく。心地いい、孤独とは無縁の暖かな灯──

 

 魂と魂が共鳴し、我らの命が溶け合っていく。

 

 ──クオン、皆の力を合わせて、今度こそ助けに行くよ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ハクは死んだのか。

 その瞳は、未だウィツァルネミテアに向けられたままである。

 

 吹き飛ばされたハクがどうなったかはわからない。しかし、ハクの命の灯が薄れていることだけはわかった。

 

 ──ハクを、母を救いたいのだろう? 

 

「──私が、願えば、皆を救えるの?」

 

 ──そうだ。

 

 これまでの全ての記憶が、思い出が、私の意思の隙をついた。

 一瞬の揺らぎが、私の意思と体の全てを奪っていく。

 

 黒々とした力が沸き上がり、封印から力が漏れていく感覚。

 目の前のウィツァルネミテアに魂が吸い取られていく感覚。

 

「……!!」

 

 気付けば、私の視界は遥か天上より倒れ伏す母さまの姿、そして瀕死となったハクの姿を見下ろす形となった。

 己の両手を震えるように見れば、そこには仮面の者と同じく巨大な白き腕。

 いや、それどころか、もっと大きな存在である。

 

「……駄目、私、そんなつもりじゃ……!」

 

 その懺悔の声は、誰にも届かない。

 響くは意味の無い悲哀の籠った咆哮。

 

 ──お前の孤独は、大いなるものと一つになることで癒される。さあ、願え。皆と共に久遠に生きたいと。

 

「だめ……母さま……怖い、ハク……」

 

 根源の力の底知れない深さと大きさに、恐れ戦く。

 こんなもの、ヒトの手に扱えるわけがない。願えば破滅は必至。

 

 ──サア、皆ニ救イヲ……。

 

 ──願え、生きろと、私を孤独から救えと……根源の力を引き出せ……! 

 

 白と黒の意識が己の魂を揺さぶり、その言葉を引き出そうとする。

 逃げようとも、繭の中に囚われ身動き一つ取れない。

 

「嫌……ハク……私を──!!」

 

 助けて、そう願おうとした時であった。

 

 眼下のハクと、それに寄り添うオシュトルから、眩い閃光が発せられた。

 その光の奔流は正しく爆発するように広がり、己の心を溶かすかのような熱が込められている。

 

「ハク……?」

 

 神々しい光に晒され、目を細める。

 その光の中から現れるは、今まで見たことが無い、仮面の者(アクルトゥルカ)

 

 皆がその眩い姿に唖然とする。

 光の合間に見えるは、ハクのような黒き姿でもない、オシュトルのような白き姿でもない。まるで、二人の魂が融合したかのように、彼の姿は白黒の巨大な化身と化していた。

 

 その姿を見て、最初にその想いを呟いたのは誰だったのか。

 

「美しい……あれが、あの姿が根源の力を極めた者達……あの姿こそ、ハクとオシュトルの真の姿──」

「主様が、選んだ」

「人の身で生きることを、選んだのですね──」

「「──オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」

 

 ハクとオシュトル、二つの声が重なり合って響く咆哮が、その光の奔流を消し飛ばし真の姿を晒した。

 

 ──馬鹿な。我の紛い物程度の存在が……偽物が、根源に届き得たというのか? 

 

 驚愕するは、黒の意識。

 

 ──遥か深き根源を通じ、我らと同じく二つの依代を一体化させるとは……だが、所詮はニセモノ。真の姿となったウィツァルネミテアに叶う筈も無い。さあ、クオン。皆を救う力を求めるのだ……。

 

 その言葉に応える筈も無い。

 きっと、ハクであれば、私を助けてくれる。私にできる事は──

 

 ──足掻クカ、孤独ニ怯エル弱キ者ヨ……。

 

 ウォシスの声が頭へと響く。それに燦然たる決意で応えた。

 

「弱いのは、怯えているのは貴方達の方……私は、もう、迷わない……! ハクは、私の仲間は、きっと貴方に勝つ!」

 

 ──なれば、再びの孤独に苦しむがいい。我が手によって、仲間が死ぬる様を、見るがいい。心配ない。もし死んでも、お前の力であれば生き返らせることができる。

 

「皆は、死なない! 私は、ここで戦う!!」

 

 囚われた繭の中でただひたすらに暴れ、己の意志をこれ以上好き勝手させぬよう思考を乱す。

 

 ──サア、戦イヲ。救イヲ齎ス真ノ後継者足ル存在ハドチラガ相応シキカ……戦イヲ!! 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オシュトルの手を取った瞬間。

 我ら二人の魂は光の中で混ざり合うように一体化し、白と黒の紋様が浮かび上がる巨大な仮面の者(アクルトゥルカ)となってこの世に顕現した。

 

「「オオオオオオオオオッ!!」」

 

 咆哮も、意志も、オシュトルと重なるように木霊する。

 原理はわからないが、今自分の命は根源を通してオシュトルの命を吸い、生き存えていることがわかった。

 

 この魂と肉体を合体させた状態──ハクトル状態とでもいうべきものは、きっとウィツァルネミテアがウォシスとクオンを依代として存在しているのと同じく一時的なもの。永遠にできることではない。

 二人の命の灯が消えるまでに、決着をつけねばならないことだけはわかった。

 

「貴方は……ハクさん? それとも、兄さまなのですか……?」

 

 涙の痕が見えるネコネが、震える声でそう問う。

 ハクとしての声も、オシュトルとしての声も、今は二重に響く。己の声を以って仲間に助力を願った。

 

「「ハク(オシュトル)デモアリ、オシュトル(ハク)デモアル! 今、我ラハ互イノ命ヲ吸ッテ生キ存エテイル! 長クハ持タナイ! クオンヲ助ケルタメニ、民ヲ消滅ノ危機カラ救ウタメニ、今一度力ヲ貸シテクレ!!」」

「……何だかわからんが、旦那と大旦那が力を合わせているんだ。俺達もできることはさせてもらうじゃない!」

「ええ、ハクさんと兄上だけに、戦わせはしません!」

 

 戸惑う仲間の中、いち早くヤクトワルトとキウルがその言葉に応えた。

 しかし、不安そうにネコネは再び己の背へと問うてくる。

 

「大丈夫、なのですか……?」

 

 白き筋と黒き関節を動かし巨大な右腕を掲げる。そしてネコネを安心させるように親指を立てた。

 

「「アア! コノ世デ最モ信頼スル漢ガ共ニ在ル……ソシテ、信頼スル仲間モイル! 相手ガ神ダロウガ……我ラハ勝ツ!!」」

「……わかったのです! 姉さまのために、私ももう恐れないのです!!」

「うむ! ハクが生き、オシュトルが共に居ればもはや怖い者は無い! 皆の者! 今こそ剣の振るい時じゃッ!」

「「「応ッ!!」」」

 

 皆が神の呪縛から解き放たれ、各々が抜刀する。

 きっと、仲間が言霊の呪縛から解き放たれたのは、クオンが大神の中で抗ってくれているのだろう。

 

 今を逃すことは無い。

 ウィツァルネミテアに勝ち、クオンを取り戻す。

 

「「ミカヅチ!! ムネチカ!! 奴ノ隙ヲ作レ!」」

「あいわかった! ハク殿、オシュトル殿、存分に力を振るわれよ! 小生の盾にお任せあれッ!!」

「任せろ! これが最後の大戦だ。神に挑むことなど生涯そうあることではない……仮面(アクルカ)よ──我に友と並ぶ力を! 神に打ち勝ち、共に生きる未来を掴み得る力をッ!!」

 

 正面から戦うは我らの役目。

 同じ仮面の者である彼らには、奴の隙を作ってもらう。ミカヅチが仮面を解放し、ムネチカが皆を守る盾の役割を果たす。

 

「「ネコネ! ウルゥル、サラァナ! フミルィル! 其方達ハ法術デ敵ノ動キヲ妨害、味方ヲ支援セヨ!」」

「わかったのです!」

「「御心のままに!」」

「クーちゃんを救う手助け、させていただきます!」

 

 法術が使えるネコネとウルゥルとサラァナ、フミルィルには安全圏にいてもらい、法術で弱体化や味方の支援を図る。

 

「「ノスリ、キウル! 後背ヲ狙イ、矢ヲ射ヨ!」」

「わかった! ノスリの強弓を見せてやる!」

「はい! お任せください!」

 

 矢がどれほどの効果があるかはわからぬが、弱体化させれば攻撃も通る筈である。

 今は仲間の力を全て結集せし時なのだ。

 

「「皇女サン、アトゥイ、ヤクトワルト、オウギ、ルルティエ、シス、エントゥア、其方ラハ、ムネチカノ盾ニ身ヲ潜メ乍ラ、隙ヲ見テエルルゥヲ回収。ソノ後、反撃ヲ受ケヌ程度ニ攻撃セヨ!」」

「わかったのじゃ!」

「うひひっ、任せてーな!!」

「応さッ!」

「わかりました! 我が奥義を見せて差し上げましょう……!」

「はい……! ココポ、行くよ!!」

「ルルティエ、いつものように私と連携して動きますわよ!」

「これが、最後の決戦! 私も皆と共に!!」

 

 真のウィツァルネミテアとの対峙。

 しかし、先程一人で無謀にも立ち向かった、あの時のような恐怖はもはや感じない。

 感じるのは、信頼。仲間と共にあれば、全てを成せる。その筈だ。

 

 ──サア、戦イヲ。ヒトニ救イヲ齎ス真ノ後継者足ル存在ハドチラガ相応シキカ……戦イヲ!! 

 

 頭の中に響くウィツァルネミテアの声と、直接耳に劈く咆哮。

 己の残りの命を燃やす、最後の決戦の火蓋が切って落とされたのだ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 真のウィツァルネミテアと対峙し、動きの鈍い彼奴の元へと地盤を破壊しながら音を立てて進み行く。

 

 ──行くぞ! オシュトル! 

 

 ──ああ、アンちゃん! 

 

「「──オオオオオオオオオッ!!」」

 

 心の中でオシュトルと共鳴し、その巨腕で以ってウィツァルネミテアの両腕と掴み合う。その衝撃に踏みしめる地は裂け、鈍い破裂音がこだまする。

 仲間のお蔭もあり、現状の力は互角──いや、僅かに足りないか。ぎりぎりとその足が避けた地に埋もれ、後退していく。

 

 ──偽物ヨ、我ニ届キ得ルカ……。

 

「「グゥッ……今ダッ!」」

 

 仲間は意図を察してくれたのだろう。

 掴み合って硬直する我らの足元で倒れ伏すエルルゥを、オウギが寸でのところで救いその距離を離していく。

 

 ──ム……! 

 

 呪術による弱体化。

 そして、止めどなく浴びせられる斬撃と矢。その攻撃は深く届き得るものでは無かったが、目の前のウィツァルネミテアは苦悶の表情を浮かべている。

 

 ──ムツミ……アマテラス、デスラ……滅ボセナカッタ我ヲ、本気デ……希望ヲ胸ニ討トウトシテイルノカ……! 

 

「「アンタヲ討チタイ訳ジャナイ! 自分ハタダ……大事ナ人ヲ取リ戻シタイダケダッ!!」」

 

 ──取リ戻シタイ……ソレガ……汝ノ願イカ。

 

 このような戦いの中で尚、目の前の願いを無秩序に叶えようとする歪んだ神に、激昂する。

 

「「願イナンザ──自分デ叶エルッ!! ウィツァルナンタラサンハ……オ呼ビジャネエッ!!」」

 

 ──ナレバ、己ガ大神トシテノ実力ヲ、見セテミヨッ!! 

 

 ぐん、と組んだ両手の指に爪が食いこみ、奴の力の勢いが増す。

 数多の攻撃に晒されながら、がぱりとその大口が開いた。

 

 ──まずい、アンちゃん! 

 

 ──ああ、わかっている! 

 

「「ミカヅチ! ムネチカ!!」」

「応ッ!!」

「あいわかった!」

 

 ミカヅチが仮面の力を解放。後背より渾身の打撃を見舞い、ウィツァルネミテアはその背を大きく逸らした。

 ムネチカによる地より生まれし盾が、ウィツァルネミテアの顎を強打し、その青く光る光線は遥か先の天井へと向く。

 そして──

 

「──ぐぅっ! な、なんて威力じゃない……!」

「きゃあああっ!」

 

 着弾するとともに天井の壁は崩れ、大いなる父の墓場へと落ちていく。あんなもんをぽんぽん撃たれれば天井の地盤が崩壊するだろう。

 その衝撃と風圧にネコネなど体重の軽い者は吹っ飛びかけている。先ほど自分を破壊した時よりも威力が上がっている。

 まともに食らえばひとたまりもないだろうが、当たらなければどうということはない。

 

「「皆ノ者ッ! 連発ハデキヌ筈ダッ! 今コソ我ラノ手デ!」」

「「「「応ッ!!」」」」

 

 我らの白と黒の両腕がこれまでにない威力を以ってウィツァルネミテアを襲う。負けじと奴もその巨椀で以って殴り合い、余波だけで周囲の仲間は近づき難い圧である。

 しかし、僅かな隙を見逃す仲間ではない。殴った直後の隙に畳み掛けるよう数多の斬撃と打撃がウィツァルネミテアを襲い、その傷を増やしていく。

 

 ──我ヲ、願イヲ拒否スルカ……我ヲ再ビ孤独トスルノカ……! 

 

 頭に響く、孤独と愛に飢えた、悲しみに満ちた声。

 神様には神様の苦労があるんだろうが、それでも人の世に害を及ぼしていい訳じゃない。

 

「「願イヲ叶エル神ナド不要ダッ! 我ラハ人トシテ生キ、人トシテ死ヌル道ヲ選択スルッ!」」

「そうじゃ! 余はヒトによって正され、ヒトによって保たれる世を作るのじゃ! クオンよ! 聞こえておるのであれば足掻くが良いッ! 余の一撃で助けてしんぜようぞッ!!」

 

 皇女さんが大剣を振りかぶりウィツァルネミテアを横合いより殴りつける。仮面の者に匹敵する程の一撃を受け、巨体であるウィツァルネミテアの体が傾く。

 相変わらずとんでもない威力である。よくあれを受けて自分は死ななかったもんだ。

 

 ──我ヲ、不要ト断ズルカ……! 

 

「「アア! 神様ナラ、神様ラシク──コノ世ノ影デ見守ッテイロッ!! ソレガ、アンタノ……神サマノ役目ダロウッ!」」

 

 再びその巨椀同士がぶつかり、肉薄するように額がぶつかり合う。

 ぎりぎりと互いの力が拮抗する間近で見る神の瞳は、神らしくも無い感情に揺れた蒼き悲しい色をしていた。

 

 ──我ハ、共ニアル……常シエニ……愛スルヒトヲ、文明ヲ……成長サセ続ケル……ソレコソガ、我ノ罪ト孤独ヲ癒ス道……! 

 

「「グッ……!?」」

 

 これまでにない怒りの力。

 巨椀が己の掌を押しつぶす程の握力で以って、自らの体が振り上げられる。そして、そのまま勢いよく地へと叩き落とされた。

 

「「ガハッ……!」」

 

 そして、攻撃はそれだけではない──

 

「!! ハク殿! オシュトル殿!」

「グゥッ……間ニ合エ……ッ!」

 

 青き光の光線が倒れ伏した己へと向けられていることを知る。

 

「「くっ……主様!!」」

 

 ウルゥルとサラァナが必死の形相で呪術を繰り出しその速度を遅くするも、己の両手は堅く掴まれ、逃げようがない。

 

 ──我ニ、今一歩届カナカッタナ……弱キ大神ヨ……。

 

 その光の奔流に死を覚悟した時であった。

 

 ──!? コレハ……!! 

 

 びしり、とウィツァルネミテアの体が固まり、数多の攻撃がその巨椀を襲い、その拘束を解いた。

 その攻撃の元となった正体へと目を向ければ──

 

「──フン、貴様のためではない……我が娘の危機とあれば、協力せん訳にはいかんからな」

「若様……」

「ここは素直に助けに来たと言えばいいと思いますよ」

「アンタ達ハ……!」

 

 そこには、オボロとドリィ、グラァが立っていた。

 いや、それだけではない。

 

「ふむ……かつて我が主上を見送った地で、再び彼の者と戦うとは」

「腕が鳴りやすねえ、大将。総大将に、俺達が成長したところも見せてやりやしょうや」

「「ベナウィ、クロウ……!」」

 

 かつて皇女につき従っていた、オシュトルに並ぶ豪の者達。

 そして、彼のウィツァルネミテアを止めた正体は──

 

「──ハク様、遅くなり申し訳ありませんでした。しかし、今ここに大神を封印せし者が揃いました。後背は気にせず、存分に力を発揮下さい」

「「ウルトリィ!」」

「カミュもいるよ! お父様、今度こそ願いを叶えてあげるから……!」

「ん、私もいる。お姉ちゃんを刺した罪、許さない。クーを取り戻す」

 

 ウルゥル、サラァナと連携するように、その法術を強化しているウルトリィと、カミュ。

 そして、オウギが避難させたエルルゥの横で、白き獣に跨りその怒りを示すアルルゥ。

 

「聖上……」

「愛する主を見送り……今度はその娘と闘う……私達の人生は波乱に満ちていますわね」

「そうだな……しかし、それもこれで終わる」

「ええ」

 

 あそこに見えるは、白玉楼のカルラとトウカさんか。

 そして、その中でも一際異彩を放つ存在が──

 

「──ハアッ!」

「く、クーヤさまぁ! あんまり一人で前に出ちゃ駄目ですよぉ!」

「「アレハ……アベルカムル!?」」

 

 他の量産型と違う、白きアベルカムル。

 あれは業務監督者だけに許されるカラーだ。しかし、パスワードも無しにあれを乗りこなせる者がデコイにいるとは。

 

 ──アンちゃん! 

 

 ──ああ、オシュトル、共に戦おう! 

 

 これだけの仲間がいれば、きっと届く。

 

「「皆、頼ムッ! 少シノ間、時ヲ稼イデクレ!!」」

「「「「応ッ!」」」」

 

 アマテラスですら滅ぼしきれないと言っていた奴の体。

 であれば、奴を倒すのではない。滅ぼすための力を求めるのではない。

 

 クオンを救う、そのための力を引き出すのだ。

 

「「──ォォォオオオオオオオオッ!!!」」

 

 右腕を天高く掲げ、二人共鳴する魂が根源の力を呼び覚ます。

 目を瞑り、その黒き世界の奥へ奥へと進んでいく。

 

 ──たとえ一人では届かなくとも。

 

 ──二人が共に在れば、きっと届く。

 

 暗き闇の中で、仲間たちの決死の声が響く。

 我らが根源の深淵へと至る時を、その身命で以って稼いでくれているのだ。

 

 足りない。もっとだ。もっと、深く──

 

 仲間の悲痛な声。

 その命の灯が消えていないか、不安で目を開けそうになる。しかし──

 

 ──ハク、皆を信じるのだ。

 

 ──ああ。

 

 その時、深き闇の底にある僅かな光を見た。

 それに手を伸ばすも、自分だけでは僅かに足りない。

 

 しかし、今自分の隣にはオシュトルがいる。共にあれば、必ず──

 

 ──届き得たッ!!

 

「「──オオオオオオオオオッ!!」」

 

 目を見開き、己の右腕に神々しい力の奔流が集い、吹き荒れる。

 周囲の光が全て結集するかの如く粒子が集い、落雷するかの如く天から幾重にも重なった光の柱が穿つ。

 

 その眩いばかりに煌く右腕を、ウィツァルネミテアに向けた時である。

 

 ──ソレハ……!? 

 

 ウィツァルネミテアは、組み合っていたミカヅチやその他の戦士達を吹き飛ばし、警戒するようにその口を開く。

 集うは青い光の渦。再びこちらに向けて放つつもりなのだ。距離は遠い――が、避けるだけの時間も無い。

 

 この右腕に集った光は、すぐにも消えてしまいそうな儚いもの。

 神々しく輝いている間に、この拳を奴に届かせねばならないのだ。

 

 ──オオオオオオオオオッ!!! 

 

 ウィツァルネミテアの光線が真っ向より放たれ、地形が変わっていく。

 我らの力を信じて、友を信じて、仲間を信じて、突き進むしかない。

 

「「グッ……ガアアアアアアアアッ!!!」」

 

 光を纏った右腕を突き出し、目を焼くほどの光の質量に正面から挑み、突き進む。

 その余りの威力の大きさに、自らの体は消えゆくように皮膚が、魂が剥がれていく。

 

 ──まだだ! まだ進めるッ! 

 

 ──ああ、アンちゃん! 最後まで共にッ! 

 

 己の身がすり減ろうが、歩む地が抉れていこうが、その信頼があれば前へ進める。

 その想いに応えるように、己の右腕に集った光は光線を抉り、その歩みを進めていく。

 

 そして──

 

「余を、忘れるなああッ!」

「旦那を殺させるかッ!!」

「ええ、もう失わせはしません!」

「おにーさんは、やらせんぇ!」

 

 数多の仲間たちが、光線の余波に身を竦ませながらもせめて一太刀と浴びせ、その体が衝撃に耐えられず遠方へと吹き飛んでいく。

 

「我ラハ神ノ居ナイ時代ヲ生キル……! ソノ世ヲ生キ抜クニハ、ココニイル誰一人欠ケテハナランノダッ!! 貴様ニ! 我ガ友ヲヤラセハセン!」

 

 ミカヅチが、最後の抵抗。

 光線の余波で身を焼きながらも、後背よりその巨体で以ってウィツァルネミテアを羽交い絞めにし、己ごと焼き尽くす雷刃を放つ。

 

「──盾よ!!」

 

 そして、ムネチカがここぞという瞬間で、光線を防ぐのではなく、逸らすように斜めに置いた。

 光線は間に突如生まれた盾によって、その矛先を僅かに反らし、遥か彼方を穿つ。

 

 皆の決死の抵抗によってできた、一瞬の隙──

 

 盾が光線の圧に一瞬しか耐えられず、光の破片となって散っていく。

 しかし、その一瞬があればこそ、神に届き得た。

 

 今我らは大神の目の前に──

 

「行けッ! ハク!」

「旦那!」

「いって、おにーさん!」

「「主様!」」

「ハクさま!」

「行くのです! ハクさん!」

 

 ──行けッ! アンちゃん!! 愛しき女を、取り戻せッ!! 

 

 クオン、いるんだろう。そこに──

 

 ──ハク!! 

 

「「──ココダァァァァァァァァァアアッ!!!」」

 

 ウィツァルネミテアの胸元、心の臓に、深々と右拳を突き入れる。

 右腕に集っていた光は爆発するように奔流を生んでいく。

 

 ――オオ……我ヲ……光……ガ……。

 

 これまでで最も眩い閃光を放ちながら、己と神の体は光に埋もれるように融けていった。

 



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第五十八話 再会するもの

「ここは……?」

 

 巨大な光の奔流に体が呑まれ、目を開ければそこは不思議な空間であった。

 自分の手を見れば、そこには人間としての手があった。だが、薄く透けるような存在の希薄さが、己の肉体無く精神だけがここに来たことをおぼろげながら理解する。

 

「ッ……クオン!」

 

 前方を見やれば、兄貴が入っていたカプセルのような黄色い繭の中に、クオンが自らの体を抱きかかえるようにして眠り、囚われていた。

 傍を見れば、もう一つの繭の中には、空ろな目をしたウォシスの姿もあった。

 

 そして──

 

「あんたが……アイスマン……ウィツァルネミテアの、正体か」

「そうだ……」

 

 二つの繭の中心に位置する、巨大な生物──いや、化石か。

 猿、いや人をベースにしたとも言えるが、その牙や体の構成から、そのどちらでもない異形の姿であることを理解する。

 その額にはハクオロから渡されそうになった見覚えのある仮面のようなものが附随しており、この者こそが世界の始まりの神であると認識した。

 

「宣言通り、クオンを返してもらいにきた」

「……見事なり、縁無き人の身でここへ来たのは其方が初めてだ」

 

 でろり、と繭が崩れ、クオンが解放される。

 慌ててクオンの元へと走り、その背を起こして表情を見る。

 

「良かった……」

 

 気を失ってはいるが、命に別状は無さそうだ。

 

 ただ、救いに来たのは、もう一人いるのだ。

 もう一つの繭を指さす。

 

「すまんが……そいつも連れ帰っていいか?」

「……彼奴は願いの代償にここにいる。我に契約を破棄せよと申すか」

「ああ」

「もはや代償として失った精神は戻らぬ。それでもか?」

「ああ、そんな奴でも、兄貴の大事な一人息子なんでな」

「そうか……」

 

 化石は化石のまま、その表情を動かさず声だけ響いている。

 その声色から感情を読みとらねばならなかったが、ほぼ無機質であり僅かに哀しみが感じ取れるだけ。故に、その意図は読めなかった。

 

「依代が無ければ、我はこの世に顕現できない。それでも、彼奴を連れて帰ると?」

「……ああ」

「そうか……我に孤独に戻れと、言うのだな」

「孤独?」

 

 そういえば、戦っている最中も、この孤独と絶望について奴は常に嘆き、言葉にしてきた。

 その意味について知らぬまま問答を続けることに忌避感を得て、思わず問うた。

 

「あんたの言う、孤独って何なんだ」

「世界にたった一人……我と同じ存在は無く……愛する者、理解するものもいないこと……」

「……」

 

 どこから来たのか、宇宙人のように空から来たのか、来歴はわからん。

 しかし、奴がこの世にたった一人の存在であることだけはわかった。

 

 嘆くように言う、その孤独の本当の意味はわからなかったが、かつて自分も似たような孤独を経験していることが頭に過る。

 自分と兄貴は、大いなる父最後の生き残り。

 どれだけデコイと交わろうとも、その種としての意味で一緒になることはない。

 

 しかし、大神に挑みし者として、仲間の全てを結集したのだ。たとえ一時的ではあっても、オシュトルとは命と魂すら融合させ、共に戦えた。

 それはきっと、目の前に居る存在にもできることなのだ。いや、過去にしてきた筈なのだ。それに、気付いていないだけで。

 

「自分は……あんたが羨ましいがな」

「何?」

「大いなる父は、もう兄貴と自分だけだ。だが、あんたはどうだ……愛するヒトと子を育み、あんたの遺伝子がこの世界を覆い繁栄している」

「……」

「あんたを、この世のうたわれるものとして愛し、信じている奴に、自分は孤独で哀れな神だって罵るのか?」

「……うたわれるものと呼ばれる者に対して、その言い様か」

「すまんな、自分もうたわれるものなんだ」

 

 デコイにとっては、この世界では並ぶ者らしいぞ。

 怒りを買ったかとも思ったが、その声色は変わらぬまま興味を引いたように言葉を続けた。

 

「……面白い漢だ……なるほど確かに、大いなる意志が其方を選ぶ理由もわかろうものだ」

「それで……どうなんだ?」

「解放しよう」

 

 繭の中からウォシスがどろりと這い出てくる。

 廃人のようになってしまったかもしれないが、生きているだけで丸儲けのようなものである。

 

「依代無き我は眠る……しかし、クオンは我が血を継ぎし者。再び目覚めることもあろう」

「……そうだな」

 

 ハクオロさんによれば、起きるたびに戦乱を起こしてきたそうだから、碌なことにはならんだろうな。

 

「故に──我に願え」

「願い?」

「そうだ……其方が言っていただろう。神は影から見守る存在で良いと……故に願うのだ。我を永久に眠らせ、この世界を影より見守る存在となれと」

 

 戦いの最中、確かに奴に言った言葉だ。

 ライコウのように、ヒトはヒトとして考え、生きていく時代となった。そこに、願いを叶える神様は不要だと。故に、神様らしく影から見守るだけの存在で良いと。

 しかし、願いには代償が伴う筈だ。

 

「……それは、あんたが勝手に叶えればいいことじゃないのか?」

「我の意志は、我自身では抑えられぬ……」

「そうなのか?」

「そうだ……我の力は根源の意志より生まれ出ずるモノ……大いなる意志に従い……我が感情も、理屈も通じない巨大な意思の奔流に身を任せている……故に、その意志の定めるまま他者の願いを叶えることができても……我自身の願いを叶えることはできぬ」

 

 巨大な力を扱うが故の、代償とも言うべきものか。

 ウィツァルネミテアさんも苦労しているってことだな。

 

「故に──願え。世界の大いなる意志に選ばれた其方であれば、願いは叶う。そして……その代償をその身に受けよ」

「代償、か……」

 

 ハクオロさんは、大いなる意志は自分を新たな大神にするためだと言っていた。

 ならば、この選択はどういう結果になるのだろうか。

 

「……代償は、何なんだ?」

「恐らく……力無き大神として……我の孤独、絶望、咎を背負うこととなろう」

「力無き、大神?」

 

 力無き大神とは何のことであろうか。

 目の前の化石は、その答えを言う。

 

「この世にとって力無き大神──それは人だ。其方は、神に代わる……影とうたわれるものとして……力無きまま我の使命を永劫背負うのだ」

「──影と、うたわれるもの……」

「そう、神と人の世を終わらせるための使者、大いなる意志が定めた者として……」

 

 ハクオロさんが言う大いなる意志は、自分が新たな大神となることであった。

 

 きっと、本来の未来であれば、新たな大神となった自分は、自分の考えもあって必要以上に世に干渉せず、この世界を影より見守る存在となったのだろう。

 その結果、この世は神と人の世の時代が終わり、新しくヒトの時代が始まることとなった──筈だったのだ。

 

 その定められた大いなる意志による未来を、大神としてではなく人として全うする。

 そういうことか。

 

「……クオン」

 

 両の手に抱いているクオンへと目がいく。

 安心したように眠る姿は、とても美しかった。

 

 本当は、代償なんてものはどうでもいいんだ。

 何より、自分の愛するクオンが、これから自分の力に脅えずに生きていけるなら──

 

「……わかった。願うよ、クオンが救われ……あんたがそれで、楽になれるんならな」

「ああ……感謝する。力の大きさと愛深き故に、我が魂を分け、尚憎しみ合い、それでも己を滅ぼせなかった哀れな神は、今ここで永遠の眠りにつくとしよう」

 

 その言葉にあるは、己の否定と寂しさ。

 人の身である自分には、その永劫続く愛と孤独と絶望の輪廻が果たしてどれほどの悲しみかわからない。

 

 かつての兄貴も己の罪を悔やみ、己を責め続けていた。その姿が重なり、思わず励ましの言葉を口にした。

 

「まあ、そう卑下するなって……あんたと、ハクオロさんが、この世をここまで繁栄させてきたんだ」

「……我が罪を許すというか?」

「この世界は、美しい……それだけで、人とあんたがしてきたことは無意味じゃなかったって言える……あんたを責めるつもりもないし、自分達の驕りを責めるつもりもない。わかっているのは……この世界はもう彼らのものだってことだ」

「……」

「あんたがどんだけ働いたかは知らんが……もし、あんたが自分と同じ研究員だったなら膨大な年休が貯まりに貯まっている頃だろうぜ。自分達はもうこれ以上、彼らにあれこれしてやる必要は無いんだ」

「……そうだな」

「だから、お休み。神さまよ……後は、人である自分が、人の罪を清算し、終わりにするさ」

 

 化石は動かぬ筈だった。

 しかし、その頬とも呼ぶべきものが少し傾き、最後に感情らしい笑みを見せる。

 

「大いなる意志に選ばれし、大いなる父よ……いや、ハク……ありがとう」

 

 その言葉を最後に、その真の姿は風に攫われるように消えていった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 クオンが目を覚ました時、そこはオンカミヤムカイ最奥の地、大社のある場所であった。

 

「ここは……」

「姉さま、起きたのですか……良かった……!」

「怪我も無いのに目を覚まさないから、心配したのですよ……」

「ネコネ、母さま……!」

 

 周囲を見れば、涙を溜めて言うネコネと、包帯の痕が痛々しいも血色のいい母さまの姿があった。

 

「姉御も無事で、万々歳ってところじゃない」

「ええ、外の消滅騒ぎも沈静したようですから」

「うむ! これにて一件落着なのじゃ!」

 

 ヤクトワルトとオウギ、そしてアンジュの笑み。

 周囲の仲間たちの笑みに囲まれている中、エルルゥが私の後方へと声をかけた。

 

「あなた、クオンが起きましたよ」

「ああ……」

「? え……あ、貴方は……!」

 

 そこには、オボロお父様やドリィとグラァ、ウルお母さま、カルラお母さまや、トウカお母さま、ベナウィやクロウ、カミュお姉さま、アルルゥ姉さま、クーヤ姉さま、サクヤ姉さまに囲まれた──ハクオロの姿があった。

 

「クオン……か」

「あ……あぁ……!」

 

 初めて見る顔。

 しかし、彼が自分にとってとても大切な存在であることは理解できた。

 

「クオン……ユズハに似て、綺麗になったな……」

「お、お父さま……なの……?」

「そうだ……今まで会えなくて、すまなかった」

 

 ぎゅっと、その体を労るように抱きしめられる。

 エルルゥが重ねるようにして、私をハクオロと共に抱きしめる。

 その安心感に、涙が溢れる。

 

「ひっく……ずっと、ずっと……貴方に……ぐすっ……会いたくて……!」

「ああ……ようやく、この手で君を抱きしめることができた……」

「うん……うん……お、おかえり……なさい……お父様……!」

 

 私が泣く姿を仲間に見せるのは恥ずかしかったけれど、子どものように泣いてしまう。

 しかし、お父様がどうしてここにいるのだろうか。

 

「彼のおかげで、私は娘に会えた……」

「彼?」

「ああ、彼がウィツァルネミテアの真の眠りを願ったおかげで、私は依代の呪縛から解放された」

「解放……」

「あそこを、見てごらん」

 

 ハクオロが指さすは、社があった場所。

 そこには、見たことは無い筈であるが、どこか懐かしさを感じる異形の姿──その巨大な化石があった。

 

「あれが……ウィツァルネミテア?」

「そうだ……もはや、ウィツァルネミテアがこの世に顕現するための依代は……必要ないんだ」

「これから、母さま達と一緒に、過ごせるの……?」

「ああ」

「……ッ!」

 

 ぎゅっとその喜びでハクオロを抱く。

 今まで甘えられなかった分、今だけはと母様に代わって独り占めをする。

 

「くっ、兄者とユズハが見える……駄目だな、歳を取って、涙、もろくなっちまったもんだ……」

「若様は……」

「昔からよく泣いていたように思いますけれど……」

 

 オボロお父様も私の涙に釣られて号泣していた。

 他のお母さま達も、私とお父様の初めての邂逅に穏やかな笑みを浮かべてくれていた。

 

 ただ、気になることがある。

 

「ねえ、ハクは……?」

「……」

 

 そういえばと周囲を見やるも、オシュトルも、ミカヅチもいない。

 しかし、そう問うても、皆の表情は一転して暗くなる。

 

「え……ど、どうしたの、皆……ね、ねえハクは、どこ? ねえ、お父様」

「ん……彼は……」

 

 目を反らし、押し黙ってしまうハクオロお父様。

 それならばと、ハクの傍にいつも付従う彼女達に問うた。

 

「あ、貴方達なら知っているよね? ねえ、ウルゥル、サラァナ……?」

「主様は……」

「……遠いところへ……行ってしまわれました……」

「な……なにそれ……嘘……嘘、だよね……?」

 

 皆は悲痛な表情でその視線を下へと向けた。

 

 ぞっとする感情が己を襲い、恐怖に体が震える。

 

「ま、まさか……」

「くっ、ハクは、ハクは……」

「おにーさん……ぐすっ」

 

 ノスリやアトゥイが震える声で涙を堪えた。

 その絶望に感情が爆発しそうになった時である。

 

「──はあはあ……ちょっとそこ走って見たんだけど、はあはあ……やっぱり弱くなってるぞ……! 直ぐに息があがる……!」

「ふむ、仮面より根源の力が引き出せなくなり……我らも元の身体能力に戻ったというところか」

「残念だ、ハク。あれだけの戦いができる者が一人減るとは」

「はあはあ……まあ……もう戦乱もないし、いいだろ」

 

 そこにいたのは、仮面が外れて素顔を晒しながら息を切らせているハクと、それに連なって仮面を外し元気にしているオシュトルとミカヅチの姿であった。

 

「え……ハク……?」

「お、起きたのか、クオン」

「だ、だって、遠くに行ったんじゃ……」

「ああ、確かめたいことがあってな。ちょっと遠くまで一緒に走ってきたんだ」

「お疲れ」

「汗を拭きますね。お茶などいかがですか?」

「ああ……って持ってきてるのか?」

 

 双子を見れば、先程の問答はどうしたのかすまし顔でハクの汗など拭き始めている。

 しかし、感情が揺さぶられ過ぎて思考は混乱し、二の句が継げない。

 

「で……皆、どうだった? クオンの中にある神様の力が解放されそうだったりしたか?」

「いや、衝撃を受けてはいたが、力の波動は感じなかったぞ」

「そうやなぁ……またバリバリ~って凄い力見せてくれるん期待したんやけどなぁ」

「だ、騙していたの……?」

 

 にやりと笑みを浮かべるはノスリやアトゥイ。

 

「すまない、クオン……彼がどうしても、とね」

「ごめんなさい、クオン様……」

「怒っていいのですよ、姉さま!」

 

 お父様やルルティエ、ネコネなどは申し訳なさそうにその頭を垂れていた。

 

「まあまあ、こうして生きていたんだから、許してくれよ。なあ、クオン」

「旦那……ほどほどにしとかないと愛想尽かされるじゃない」

「そうですよ、ハクさんは心臓に悪いことを提案し過ぎです」

「ふふ、まあ……仮にハクさんが死んでも、別にクオンさんは悲しまないという可能性もありましたが」

「おいおい、オウギ酷いこと、言う……な……って、く、クオン?」

 

 絶望の感情は燃え上がる憤怒へと代わる。

 ハクのことだ、きっと本当に神を封印しきれているか確かめたかったのもあるのだろうが──他にやり方があるだろう。

 

「ほ……本当に……し、し、心配、したんだから……ッ!!」

「ま、待て、クオン……今の自分は元の人になっちまったから超弱いんだ……そ、その尻尾をどうする気だ、クオン、待て……やめ、やめ……!」

 

 怯えるハクのところに瞬時に駆け寄り──ぎゅっと、ハクの体を抱きしめた。

 

「? おい……く、クオン?」

「本当に、心配したんだから……!」

「……そうか、悪かったな」

 

 痛い程に抱きしめ、二度と離さないと誓う。

 ぎりぎりみしみしと関節が軋む音がする。

 

「あの、い、痛い……」

「もう、離さないかな……!」

「そ、それはわかった。あの、痛い、マジで痛い……く、クオン……?」

「絶対に……離さないかな……!」

「や、やっぱり、ちょっと怒って……んぎゃああああッ!!」

 

 ハクが痛みの限界で悲鳴をあげるも、こういうことは痛みが無くては覚えない。

 私を心配させるなんて二度としないように、しっかり刻み付けておく必要があるかな。

 

「……エルンガー直伝」

「ちょ……アルルゥ~? そ、それは、どういう意味かな~?」

「ここにもいた」

「アルルゥ~~!!」

 

 エルルゥ母さまとアルルゥ姉さまが懐かしいやりとりをして追いかけっこをし始める。

 それを、仲間の皆が微笑ましく見つめていた。

 

 私達は、勝ったのだ。

 ハクは、私を助けてくれ、根源の誘惑から、血の呪縛から解放してくれた。

 

 何よりも愛おしく、いつまでもいつまでも、その体を抱きしめ続けていたのだった。

 

 



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第五十九話 うたわれるもの

 大神ウィツァルネミテアとの決戦は終わった。

 タタリによって倒壊した家屋や、ウォシスの救いの声に呼応して消滅した者もおり、その混乱はヤマトだけでなく信者の多かったトゥスクルも大きい。

 しかし、ヤマトとトゥスクルが協力して復興に当たった結果、また元の平穏な生活へと戻っていった。

 

 それから少し時が過ぎて、自分は大宮司の任とトゥスクルへの親善大使の任を解任され、特務大使の任についた。

 

 特務大使は、遺跡調査の名目で各国を自由に回れる権限を持っている。

 その背後には帝──皇女さんの印があるとして、まるでこの印籠が目に入らぬか状態で各国を行脚できる。

 

 また、前トゥスクル皇であるハクオロさんの口聞きのおかげで、トゥスクルでの実権も握っているので、ぶっちゃけるとヤマトとトゥスクルならどこでも行けるし、行った先では歓待を受けることになっている。

 

 兄貴とホノカさんは、もうヒトの世に我らはいらぬと、今度こそ愛を育むのだと、記憶を無くしたウォシスと家族団欒といって一緒に何かの本を書いたりしている間、自分は兄貴の意志を継ぐために各地の遺跡を回ることとなったのだ。

 タタリのほとんどは、ウォシスの救いの言葉に応え成仏したが、その声に応えず未だタタリのまま蠢く存在も多かった。残りの同胞をこの手で救うためにも、兄貴の意志を継ぐためにも、様々な遺跡にマスターキーを以って足を運べることは良かった。

 

 ──って、まあ偉そうなことを言ってはいるがその実、特務大使とは名ばかりで、いつでもどこでも好きに旅していいよっていう、腐敗政治まっしぐらの権力者である。

 オシュトルが自分を狭間から呼び戻す時に約束してくれた、一代限りの特別労働手当ってやつだ。

 

「ふう、いい湯だねえ……」

 

 なので、今はここトゥスクルで一人、いや二人で温泉に浸かっているのだ。

 ここは高台に作られた露天風呂らしく空気も澄んでおり、陽の光に当てられ煌く木々も眼下の街並みも、全てが美しい。

 

 これまで随分働いたんだ。

 急いだところで何か変わるわけでもない。ゆっくり回り道してみることも、タタリ解放の糸口になるかもしれないからな。

 

 自分ともう一人この湯につかっている人物が、湯の感想に同意するように言葉を続けた。

 

「ふふ……お気に召したようで何よりだよ。トゥスクルでもここはかなりの泉質を誇っているからね」

「ああ、眺めも良いし、酒も美味いし……流石、ハクオロさん御用達の温泉だな」

 

 そう、今自分はハクオロと共に、男同士の裸の付き合いというやつを実践しているのだ。

 

 ハクオロさんは、遺跡巡りのついでだと言い、互いに愚痴りたいことや、話したいことがあったそうだ。こちらとしても、いい機会だと誘いに乗った形になる。

 

「日々の疲れが癒えるだろう……私も仕事に忙殺されていた時は、よくここで一人体を癒したものだ」

「ベナウィ、だっけか……あんな堅物が横にいたんじゃあな。忙しいのもわかるよ」

「ふ……それは君もだろう? ライコウもベナウィに並ぶかなりのやり手と聞いている」

「……今はあいつの話は勘弁してくれ」

 

 復興予算だの、試作大筒の件だの、色々外堀埋められた結果やらされそうになったので、こうしてトゥスクルに逃げてきたのだ。

 ライコウは帝都タタリ騒動の功績が認められ一将兵として復帰したり、ミカヅチやシチーリヤの復権があったりした。しかし、彼らの持ち得る権力は以前に比べればまだまだ弱い。

 故に自分に頼って来た手前、勝手に逃げた自分に今頃ブチ切れだろう。

 

「ま、とりあえず忙しいのはお互い様ってやつだな……ほい、ハクオロさん」

 

 温泉に浮かした盆の上から徳利を手に取り、ハクオロさんの空いた盃に注ぐ。

 

「ありがとう……さあ、返盃だ」

「ああ──ふう……うまい……!」

 

 互いに酒を飲み交わし、体の芯から温まる。

 温泉もあるし、体の内も外も熱っぽくなってきた。疲労が湯に融けるような感じがする。

 

「ふむ……お互い、こうして語り合う時が一番落ち着ける瞬間とはね……」

「ハクオロさん……いっつも、追っかけられているもんなあ」

 

 温泉に入る前は、自分以上に青い顔をしてげっそりしていたからな。

 

 その理由としては、ハクオロさんはオボロに現皇の位を譲っているとはいえ、オボロも皇女クオンもよく逃げるのでその皺寄せがハクオロさんに向いて執務室から出られないことも多いらしい。この間ベナウィから拘束されていたからな。

 それに、随分長い間トゥスクルの妻達を待たせていたようなので、そこでも大人気のハクオロさんは寝室から出られないこともあるらしい。

 

「ふふ……それは、君もだろう」

「ん? ……まあ、自分はこうしてヤマトとトゥスクルを行き来できているからな……ハクオロさんよりまだマシさ」

 

 自分も世が平穏に戻ったため、保留していた彼女達の気持ちに自分から応えたのだ。

 

 皆は涙を流したり、頬を染めたり、笑みを見せたりして喜んでくれたが、一人だけの気持ちに応える訳にもいかず──そこから先はあまり思い出したくない。

 

 誰が一番だと血の気の多い連中による修羅場とそこからの逃亡、しかし身体能力の落ちた自分に彼女達から逃げられる術も無く。

 そんな風に、毎日毎日ヤマトの女は手加減を知らんなあとげっそりしていたが、全ては己の撒いた種でもある。彼女達の気持ちに応えようと全力を出してはいるのだ。

 

 ただ、ハクオロさんの場合は、十数年という長い時を待たせたために、鬱憤の溜まった女性陣に終ぞ囲まれ、その希望に常に応えようとしている。

 それを見れば、ハクオロさんに比べればまだまだ自分はマシな方であるとも思った。

 

 辺境の女は強い。

 誰が言っていたか忘れたが、その言葉が妙にしっくり来たものだ。

 

 特にエルルゥさんの変わりようは凄まじく、神秘的な女性だと思っていたのに実はクオンのような嫉妬暴力系だったんだと驚いたのは記憶に新しい。

 

「それで……体の方はどうだ?」

「ん? そうだな……身体能力が下がったからか、特に腰が痛くてなぁ」

「いや、そっちじゃなく……」

 

 ああ、そういうことか。

 彼のウィツァルネミテアと契約を交わした代償について言っているのだろう。

 

「力も無いし頑丈でもないが──どうやら、老いない、死なない躰が、手に入っちまったようだ」

「そうか……」

 

 そう、自分は永遠の命なぞ願ったわけではない。

 しかし、ウィツァルネミテアが眠り、根源の力を引き出せなくなった結果オシュトルと分かたれ、半身を失う瀕死状態へと戻る筈が、ピンピンした健康状態に戻ったこと。

 他にも、気になって兄貴のところで自分の体を調べた結果、そのような結論に達する現象が多々見られたのだ。

 

 願ったのは、ウィツァルネミテアの眠りであった筈。

 何故望んでもいない永遠なる命を与えられたのか──その代償は、余りに不可思議なものであった。

 

「ウィツァルネミテアは……自らが永遠の眠りにつく代償に、君に何を求めた?」

「ええと……力無き大神として、我の孤独、絶望、咎を背負うこととなろう……だったかな」

「……今や、私は不要な依代として切り離された身でもある。その真の意味がどうだったのかはわからないが……元大神として、その言葉の意味と、君に齎された現象について……考えていた」

 

 ハクオロさんは一転して真面目な表情になると、その予想を話し始めた。

 

「ウィツァルネミテアにとっての、孤独と絶望……それは自らでは死ぬことができないという点と……種として違う者と出会い、愛を育み、別離を経験すること」

「愛、別離……」

「そうだ。きっと君は……ウィツァルネミテアと同じくその孤独と絶望を体験し続ける。己の孤独に恐怖し、愛する者と出会い、子を育み、しかし愛する者も、愛した子も、孫も……君より先に死んでいく」

「……」

「永劫に続く……愛と別れと孤独と絶望の繰り返しが、君を待っている可能性がある」

「そうか……」

 

 しかし、気になることがある。

 かつての大いなる父が願った代償に比べ、自分はなぜこの姿のままなのか。

 

「永遠の命と不死の肉体を願った大いなる父は……タタリになった。なら、何故永遠なる命を持ちながら……自分はタタリにはならなかったんだ?」

「タタリは……永遠の命と不死の肉体の代償に、その知性と姿を奪われた。知性がなければ……孤独も絶望も、何一つ感じることはない。姿が無ければ……君を君として認識する者はいない。故に出会わない、愛を育むこともない」

「……なるほどな」

 

 ウィツァルネミテアとしての孤独と絶望を感じるためには、永遠の命に加え、知性と姿は必須であったということか。

 

「そして、ウィツァルネミテアの咎とは、まさにタタリのこと。この世にウィツァルネミテアが犯した罪の残滓であるタタリを、その全てを救いきるまでは……」

「……死ねないってことか」

「そうだ。君はウィツァルネミテアから齎された代償より逃れる術はない……そう仮説が立つ」

 

 元々タタリを解放するためには長い時間がいるとは思っていた。

 兄貴のように体をいろいろ弄らなくて済む手前、楽でもあるとは思っていたが──

 

「だが、自分は……同胞を解放した後に、本当に死ねるのか?」

「……タタリのような不死の肉体である可能性も大きいが……あまり積極的に試さない方がいいだろう」

「ああ、そんな気がしてきた」

 

 肉体が壊れても死なぬまま意識だけが漂い、永遠に地獄の苦しみを味わう可能性もある。

 

「君には酷な話だろうが……大いなる父の姿と知性を奪ったのは……むしろ温情でもあるのだ」

「温情? それは、どういうことだ?」

「少なくとも、ウィツァルネミテアはそう考えていた。永遠なる命など、精神を蝕むだけであると……神ですら耐え切れない孤独に、人が耐えられるのかと……君もそう思っているのだろう?」

「……そうだな、皆と一緒に死にたかったとは思うよ」

「本来であれば、私がその永劫の呪縛につく筈だった……君が肩代わりしてしまったのだ。私の使命も、罪も……だから、私にできることがあれば、何でもしよう」

 

 ハクオロさんの口調は、自分に説明するものからやがて懺悔するかのように変わっていた。

 盃を掴む手は震え、自分への謝罪は本心からなのだろうと、自分の行く末を案じてくれているのだと理解できた。

 故に──

 

「そう……悪いことばかりじゃないぞ、ハクオロさんよ」

「?」

「自分は、大神とやらにならずに済んだ。大事なクオンも血から解放され、同じ人として生きることができた」

「……そうだな」

「だから……ありがとう」

 

 それは、本心から言った礼であった。

 ハクオロは、その言葉に感じ入るように目を瞑って無言となり、唇を噛んで何かを堪えていた。

 

 暫くすると、ハクオロは自分の目を正面より見つめ、大神としての意識が残っていた時の真実を語った。

 

「狭間の世界で、君にこう言ったね……君は大いなる意志に選ばれた、新たなる大神となる者だと……」

「ああ、そう言っていたな」

「この世から大いなる父の系譜は絶え……新たな神がこの世を見守ることとなる……筈だった。だが、そうはならなかった。それは──」

「──仲間の、おかげだな」

 

 自分一人で成せたなど、一度も思ったことはない。

 自分の命の淵を救ったオシュトル。仮面の力で魂を削って戦ったミカヅチ、ムネチカ。神と相対しながら戦いを挑んだヤマトとトゥスクルの仲間達。神に取り込まれながらも抗ったクオン。帝都に残ってタタリの対応をしたマロロや、敵であったライコウ。

 誰か一人でも欠けていたら、この未来はあり得なかった。

 

「そうだ……君の力と、君を信じる仲間の力によって……何の因果か君は人として生きる道を掴んだ。しかし──」

「──大いなる意志が、待っている……」

「そうだ。大いなる意志に逆らい続けることはできない。いつになるかはわからないが……いずれ、君の前に再び根源は現れる」

「……ウィツァルネミテアが復活するってことか?」

 

 オンカミヤムカイ地下で眠る化石を見れば、今にも動き出しそうな姿勢で固まっていた気はする。

 

「いや、それは無いだろう」

「じゃあ……」

「君の未来に、何が訪れるかはわからない。しかし、それは根源よりの使者であると見るのがいいだろう」

 

 根源よりの使者、ね。

 自分にはちんぷんかんぷんであるが、こっちから行かずに待っているだけでいいなら気が楽である。

 

 しかし、ハクオロさんとこうして問答してみたが、やはり未だ明かされぬ疑問点も多い。

 

「根源だの、大いなる意志だの……結局未来はよくわからんってことだな」

「ふふ、彼のウィツァルネミテアであっても根源の力──その深淵の一部しか理解できていないのだ。人の思考で理解できる筈も無い。しかし──私達には、一つだけわかっていることがある」

「? それは……」

「君達は運命に打ち勝ち……たとえ世界にとってほんの僅かな時間だとしても……君は、私の娘を愛する時間を勝ち取った」

「……」

 

 ハクオロはそこで、意味深な笑みを浮かべ、己の瞳を除く。

 

「狭間の中で……最後に君に言った言葉を覚えているかな……」

「いや……」

「私の娘を、よろしく頼む──ハク」

 

 そこに見えるは、父親の笑み。

 最愛の娘を、お前であれば預けられると心の底から信頼している笑みであった。

 

 それに返すは、何て言葉がいいのだろうか。

 こういうのは慣れていないからわからん。

 

「……こういう時、お義父さんって言った方がいいのか?」

「っふ……そうだな。君にそう言ってもらえたら……私は嬉しい」

 

 そうであれば、きちんと大いなる父としての御約束をやることにする。

 互いに裸ではあるが、姿勢を整えばならんだろう。

 

「では、えー……お義父さん。娘さんを、クオンを……自分に下さい」

 

 余り頭を下げ過ぎると、湯の中に顔を突っ込んでしまうので、少し頭を下げるだけに留める。

 ハクオロはその様子を見て苦笑するように笑みを浮かべ、父親らしい言葉を返してくれた。

 

「うむ……浮気、は私も人のことを言えないからね……その分、しっかりとクオンに時間を割いてやってくれ」

「ああ、愛想尽かされんように、贈り物は欠かさないようにしておく」

「ははっ……ああ、そうだな、そうしてくれ」

 

 誓いの盃を交わし、互いに笑みを浮かべる。

 久々にドタバタの無いゆっくりとした時間を過ごせた。

 

 新たなお父様ができた和やかな時間の中、再び酒に口をつけた時だった。

 

「ハクー? お父様―? まだ入ってるのー? ここに余った手拭置いとくよー?」

「ああ、クオン、ありがとう!」

 

 更衣室の暖簾越しに聞こえてくるクオンの声である。

 トゥスクルには、クオン、ウルゥルとサラァナの三人で逃げて来たのだ。

 

 隣の女風呂に三人で入っていたようだが、先に上がったようだな。

 つまり、男二人で随分長風呂をしていたってことだ。

 

「……行くのかい?」

「ああ、早く行かんとまた三人で喧嘩しそうだからな」

 

 ウルゥルとサラァナは何をするでも必ず自分と一緒なのだ。

 クオンがいくら自分を連れて逃げようとも、必ず追ってくる。故に二人になりたい時もなれないので、よく喧嘩するのだ。

 まあ、本気の喧嘩ではなく、仲が良い故のじゃれ合いのような気もするが。

 

「ふ……そうか」

「そうだ。ついでに……その辺りの遺跡も一緒に見に行かせてもらってもいいか?」

「ああ、構わない。ここは君の国でもある。どこでも見ていってくれたまえ」

 

 その言葉に安心して、一足先に湯から上がろうとした時であった。

 

「……ハク」

「ん? どうしたんだ、お義父さん」

「これからの──君だけの旅路を祝して」

 

 ハクオロさんはそう言って、盃を高々と掲げた。

 その頬には、迷いなく透き通った笑みが浮かんでいた。自分も迷いなく盃を手に取り、かちんと打ち鳴らす。

 

「「……乾杯」」

 

 ぐっと最後の盃を飲み干し、互いに酒臭い吐息をつく。

 

「……ふう」

「……ありがとう、またこうして一緒に呑んでいいか?」

「ああ、勿論だとも」

 

 そうして湯からあがろうとするが、ハクオロさんもそういえば長風呂である。

 疑問に思って聞いた。

 

「ハクオロさんも一緒に上がらないのか?」

「ああ、エルルゥに見つかるとね……もう少しいるよ」

「なるほど……じゃあ、御先に」

「ああ、また今度」

 

 そう言って気まずそうに笑うハクオロさんと別れの挨拶を済ませ、更衣室へと歩みを進める。

 そして、籠の中に自分の服や手拭を見つけた時である。

 

「主様」

「御着替えをお手伝いいたしますね」

「ぬあっ!」

 

 突然背後より出てきたウルゥルとサラァナ。

 彼女達の気持ちに応えてからというもの、自分が裸であっても前より遠慮なくこうして入ってくるようになったのだ。

 

「い、いいって……自分で着替えられるから、クオンと話しておけよ」

「話すことない」

「クオンさんとは、お互いの優位性を主張するばかりで平行線です」

「先んじる」

「ここで主様の子などをもうけられれば決着がつくのですが……」

 

 どこで争ってんだよ。

 中にはまだハクオロさんもいるのにここでおっぱじめようってのか。

 

「「……」」

「照れるなよ」

 

 押せ押せかと思えば、こうして急に照れるので二人の心はよくわからん。

 とりあえず、クオンに見つかれば何を言われるかわかったものではないので、二人を追い出し早々に着替える。

 そして暫く身なりを整え、温泉の出入り口へと足を運べば、クオンとウルゥルとサラァナが三人自分を待っていた。

 

「あ……は、ハク!」

「すまん、待たせたな」

「う、ううん、全然、全然待ってないかな!」

 

 頬を染めて手を振るクオン。

 どうやら、横にいるウルゥルとサラァナをちらちらと見ている。嫌な予感がする。

 

「……なんか、話したのか?」

「私たちの優位性」

「クオンさんには、私たちが持つ夜伽の技法を事細かに、臨場感たっぷりにお話を──」

「き、聞いてない! 聞いてないかな!」

 

 クオンは殊更に目を泳がせ、両手を猛然と振っている。

 これは聞いてるな。

 

「ね、ねえ、ハク。今度私と……その……」

 

 頬を染めてもじもじしながら迫ってくるクオンに、嫌な予感がする。

 このままだと恥ずかしい話に転がりそうだったので、話を強引に変えることにした。

 

「そうだ、ハクオロさんから近所の遺跡を見ていいって言われてな」

「あ、ほんと? じゃあ、これから一緒に見に行く?」

「ああ」

 

 何か手がかりがあるとも思えないが、マスターキーもあるのだ。

 何もないことが知れれば、それはそれで収穫なのだ。

 

「じゃあ、行こっか!」

 

 クオンはそうするのが自然というように自分の手を取り、楽しげにその歩みを進めようとした時であった。

 

「──ああーッ!! おにーさん、いたぇ!!」

「げっ、アトゥイ!?」

「あちゃぁ……見つかっちゃったかな……」

 

 温泉の入り口から出た瞬間だった、遠方より大声で自分の存在を叫ばれる。

 そこには、帝都にいる筈のアトゥイ──だけではなかった。

 

「クオン、ずるいぞ! ハクを独り占めする気だったな!」

「クオンさま……信じていたのに、酷いです」

「ああ、可哀想なルルティエ! ついに捨てられたと勘違いしたものね……!」

「あ、え、えっとルルティエ、これは違くて……」

 

 憤怒に燃えるノスリに、悲しみに俯くルルティエと、それを煽るシス。

 他にも──

 

「あ、あのね、これはハクが特務大使でトゥスクルの遺跡を巡るっていう大事なお役目があって……!」

「ふむ……であれば、クオン殿、そのような行脚であれば小生達も誘ってくだされば良かったのでは?」

「そうですよ、クーちゃん。抜け駆けはめーって言ったはずですよ?」

 

 ムネチカにフミルィルまでいる。

 ちょっと待て、ここに聖上御側付のムネチカがいるってことは──

 

「そうじゃぞ、クオン! 皇としての責務から逃げて何をしておるのじゃ!」

「ちょ、アンジュにだけは言われたくないかな!!」

 

 おいおい、やっぱり皇女さんまでいるぞ。

 

「おい、皇女さん……帝都はどうしたんだ?」

「影武者にシノノンを置いてきたのじゃ!」

 

 笑顔でそう言う皇女さん。

 兄貴やホノカさんが生きていると知ってかなりやる気が出たようだったが、為政者としての心構えはまだまだのようだ。

 

 皇女さんの後ろに控えているエントゥアに聞く。

 

「……本当なのか、エントゥア?」

「はい、今頃オシュトルさまが嘆かれている頃だと思います……」

 

 シノノンの影武者姿を見て、額に手を当てて溜息をついている我が親友の姿を思い浮かべる。

 仮面から根源の力が引き出せなくなったとはいえ、無茶もしたんだ。あまり過労させると早々にへばっちまうぞ。

 

「姉さま……」

「うっ、ネコネ……」

「姉さまは、今度は私も一緒に連れていってくれると……そう、約束していたのに……」

「ご、ごめんなさい……」

 

 自分の知らないところでそのような盟約が交わされていたようである。

 ネコネのうらめしそうな視線に耐え切れず、クオンは冷や汗をだらだらと流していた。

 

「というか、それもこれもだな──ハク!」

「は、はいッ!?」

「お前がしっかりしていれば済むことなのだ! 皆に手を出すだけ出しておいて……ッ!」

 

 ノスリが急に己の名を呼び、憤怒のままにそう言う。

 手を出すとは人聞きの悪い。というか、問答無用でそっちから無理矢理迫られたり襲われたりした事も多いんだが──

 

「──聞いているのか、ハク!」

「は、はいいッ!」

 

 直立不動で返事をする。

 漢は言い訳無用だとハクオロさんから学んだのだ。

 

 ノスリの言に他も言いたいことが噴出したのだろう。

 女性陣が連なるように、わっと自分の周囲へと集った。

 

「そうやぇ! いくらおにーさんでもこの数は浮気しすぎやぇ!」

「わ、私はその……時間を作ってくれれば……」

「ルルティエ、こういう時はしっかり言う方がいいのですわ。ハクさま! 余りにも浮気性だと、その大事なモノ縊りますわよ!」

 

 ──どこを!? 

 

「シスさまの提案はとってもいいと思うのです。浮気性のハクさんは、切り落とされて包んでポイされても文句言えないのです」

 

 ──だから、どこを!? 

 

 永遠なる時を大事なモノ無しに過ごすことを思い、咄嗟にある部分を抑えて恐怖に震える。

 

「む? 縊るだの切り落とすだの、皆はどこの話をしておるのじゃ?」

「いえ、聖上はお気になさらず。女の戦いであります故」

「ちょ──ムネチカ、余も立派な淑女であるぞ! 余もその戦に参戦させよ!」

「いえいえ、幼いアンジュ様にはまだお早いかと……」

「なぜじゃ、エントゥア! 数多くの艶本を参考に大人になるための勉強をしておるのに!」

 

 そう憤慨する皇女さんであるが、皇女さんが持っているのは腐った艶本である。

 ただ、今はこの頓珍漢な空気を出す皇女さんだけが救いであった。

 

 この修羅場をどう凌げば自分の命は八つに裂かれずに済むのか考えるも、一向に良い案が浮かばない。

 

 ──ハクオロさんであれば、どうするんだろうか。

 

 そう思考に耽る自分の手を、ぱっと掴んで引く存在があった。

 

「──ハク、一緒に逃げよっ!」

「あ、おいッ!」

 

 クオンから強く手を引かれ、憤怒の表情で追ってくる女性陣から二人で逃げる。

 縺れる足を何とか必死に前へと動かしながら、掌に感じる暖かさに意識を向けた。

 

「ハク──今度は絶対に離さないからッ!」

 

 そう言って振り向き、クオンは笑う。

 

 彼女はもう──うたわれるものではない。

 その笑みは、ただの少女のように朗らかで──太陽のように眩しく輝いていた。

 

 

 

 

 

 影とうたわれるもの ── Happy end

 




 きっとこのendでも夢想歌が流れる。(流したい)

 皆様の期待していたハッピーエンドだったかはわかりませんが、私にとってはこれが最も書きたかったifエンドになります。

 最後はハッピーエンドになるよう気をつけながら、それまでの道筋でも自分が見たい書きたい展開を優先して物語を書くも、仕事との両立がしんどく、途中で三年も投稿できない時期があってエタリかけた身ではありますが、読者さまの応援のおかげで拙作ながらもここまで書ききることができました。

 ハクとオシュトルが共闘とか依代フュージョンしたり、クオンが薬師として成長した姿をエルルゥに見せたいなとか。
 マロロやライコウが生きているからこそできる展開にならないかなとか。
 原作では見送る側だったオシュトル達が、引き止める側になるところが見たいなとか。
 見たい展開を作るために、ウォシスにも随分悪役として働いてもらいました。改めて思うのは、彼もまた大いなる意思に翻弄されただけの可哀想な役回りだったんだなと気付き、今ではすごい好きなキャラとなりましたね。

 そして、この回では、ハクが人のまま皆と生きられたらいいな。
 ハクとハクオロさんが大事なクオンについて話し、酒を飲み交わすことができたらいいな。
 なんていう、オシュトルが生きており、ハクトルではなくハク自身が歩んだからこそ、こんな未来もあったかも……という独自解釈も多いですが、一つのifシーンが書けて良かったです。

 ただ、この作品を書く上で、最後にもう一人救いたいと思っている人物がいます。
 なので、もう少しだけ話は続きます。

 次回「影とうたわれるもの」最終回。

 最高の最後を迎えた筈の原作を、畏れ多くも再構成という形で切ったり貼ったりした無礼なる二次創作ではありますが、途中で切らずにここまで見てくれた読者の方々に感謝です。
 あと残り一話、お付き合いいただけたら幸いです。


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最終話 影とうたわれるもの

 男は、ある場所へ辿り着かんと既に打ち捨てられた遺跡へと一人足を踏み入れていた。

 

 先代より聞き及んでいた場所はここだった筈──と、暗い地の底のような旧時代の遺跡を、灯りを持って奥へ奥へと進む。

 すると、見慣れぬ機械の壁や蛍光灯等、明らかに数千年は先を行っているであろう技術を用いた施設の一端が顔を出した。

 

「む……開かぬな」

 

 しかし、その先の袋小路に辿り着き、どうにも扉のようなものではあるが、横にも縦にも押しても開かない扉が目の前に現れた。

 

 そこで暫く四苦八苦していると、ぶぅんという起動音と共に、誰かの声がする。

 

「来客とは珍しい。誰だ?」

「あ、あなた様が……!」

 

 そこには、扉の横の壁から、顔を覗く様にして顔が映し出されていた。

 先代が言っていたのは確か、もにたー、というものであったか。

 

 先代から受け継ぐように聞き及んでいた風貌の顔をした男がいた。

 随分若いが、その姿は仮の姿とも聞いている。

 

 故に、彼に会えばこの名を言うと良い、と伝え聞いていたその名を呼ぶ。

 

「あなた様が、影とうたわれるもの──ハク様であらせられましょうか?」

「……その名を知っているってことは……そうか、代替わりか。入ってくれ」

 

 男の言葉に呼応するように、しゅんと目の前の扉のようなものは一瞬にして消え、その先の部屋を示した。

 

 促されるまま中へと入り、周囲に浮かぶ底知れない技術の一端に息を飲む。

 触っても良いものか迷うが、気になり手に取っては眺め、再び元の場所へと戻す。

 

 ここに来た理由も忘れ夢中になって触っていると、そこに先程もにたーに映っていた男が姿を現した。

 

「はは、ここに来た奴は大抵同じ反応するが、先代以上に好奇心旺盛な奴みたいだな」

「し、失礼致しました」

 

 あまりじろじろと見たり触ったりして、怒らせてしまったかと思ったが、目の前の男は優しい笑みを浮かべている。

 

「まあ、座ってくれ」

「はっ、失礼致します」

 

 見慣れぬ材質でできた椅子を勧められ、促されるまま座る。

 相手も近くに腰掛け、自分に興味を持ったように瞳を見つめてきた。

 

 その視線に圧はない。それどころか、全てを包み込むような優しき雰囲気を持った御方であった。

 

「貴方様が、この世の生証人……この世界の影と言われる御方……」

「まあ……そんなとこだ。それで、ここには何用で?」

「はい、某は先代から功績を認められ、皇の位を受け継ぐ予定なのです。代替わりの挨拶にと」

 

 ハクと呼ばれる男は、何やら苦々しい表情をして頬をかく。何か今の言葉に不都合があっただろうか。

 

「そうか……義理堅い奴だったが、あんたに自分のことを喋ったか」

「? 貴方様が、代替わりの際には、必ずここへ来るよう厳命していたのでは?」

「いいや。何なら、先代……いや、そのずっと前の世代から、もう来るなよって言い続けてどれくらいか……」

 

 どうやら、別に必ず挨拶に来なければならないわけではないらしい。

 そういえば、と男は自分にある質問をする。

 

「そうだ。これは、ここに来る奴にはいつも聞いているんだが……あんたの先祖は誰だ?」

「先祖……」

 

 そういえば、先代よりこの男と会う際には必ず家系図を調べてから行くのが良いと言われていた。

 しかし、先代、先々代など、いくつかの名をあげるも、男はあまりピンとこないようである。

 

「えっと……一番わかるのは、まだ帝政だった時代だ。アンジュ政権くらいからだな」

「であれば……その頃の某の家系は、アンジュ政権初代総大将であらせられるオシュトル様の血を引いている……と言われています」

「なるほど……オシュトルか。どことなくその尖った眉が似ているとは思っていたよ」

 

 指を差され、思わず自らの眉を抑える。

 

「デコイは母方の容姿を継ぐからな。最初見た時は、ネコネと自分の血を継いでいるのかと思ったが……そうかオシュトルの方だったか」

 

 ネコネ、その人名が教科書にすら載っている偉大な人物の名であることを知り、思わず聞き返す。

 

「? ネコネ……もしや、学士制度の改革者、現代教育制度の母とうたわれる御方ですか?」

「おお! そうそう、そのネコネだ」

「やはり……確か、曽祖父が、ネコネ様の家系と言われる方と見合い婚をされていたと思いますよ」

「そうなのか……ってことは薄いが自分の血も入っているみたいだな」

 

 その言葉に驚いた。

 家系図についてはかなり調べ上げたが、そこまでの記録は確かなかった筈。

 

「そうなのですか? しかし、そのような記録は……」

「まあ、帝都を去る時に、消せるもんは消したからな」

「そうだったのですか……」

 

 現在の教科書には必ず載る偉人ネコネ様と縁があったというのか。

 であれば、このような場所で過ごすことなく、そのまま表舞台に立ち続けることもできた筈。

 

 権力を捨て、なぜこのような場所に居るのか。

 聞いても良いか迷ったが、目の前の男であれば許してくれると不思議と信じられた。

 

 故に、聞く。

 

「なぜ……このようなところで、ずっとお過ごしに?」

「うーん……人はな、権力を持ちすぎると腐る。大きければ大きい程、長ければ長いほどな」

「……」

「まあ、それでも本来であれば死が訪れ、その腐ったもんも自浄作用があるんだが、自分は何の因果か死なんのでね」

「だから、ここにいると?」

「他にも理由はあるが、そうだな」

 

 何てことの無いように言う男であるが、永遠の命を与えられ尚権力はいらぬと言える漢の思考が、己の好奇心を燻ぶらせた。

 

「他の……理由とは?」

「まあ、自分の能力をよく知っているからさ。どのくらいの権力であれば自分は正気でいられるのか、とかな」

「それは、どの程度の……」

「大宮司だったあの頃は忙しくてな……思いだしたくない仕事量だった」

「そ、そうなのですか」

「時間というものがある限り……人が抱えられる権力も、仕事も、できることも、限りがある。自分はその大事な時間を、愛する人と……のんべんだらりと使いたかった、それだけさ」

 

 目の前の男は、その言葉に懐かしむように、愛おしいものを思い出すかのように、優しい笑みを浮かべている。

 一見怠け者の言にも思えたが、為政者としての心構えにも通ずるところがあるとも感じていた。

 

 故に、先代が何故最後にこの言伝を某に齎したのか、それを以ってして代替わりを成すと命じたのか、その理由がわかった気がした。

 

「なぜ、先代が貴方様の元へと馳せ参じるように言ったか理解できました」

「?」

「為政者として、貴方の言葉、纏う雰囲気は見習うべき物、そう感じました」

「そうか? そうか……ま、褒め言葉として受け取っとくが、あんまり自分みたいになるなよ。自分みたいな人間が増えたら世界がぐうたらだらけになっちまう」

「ふ……そうでしょうか」

「ああ、あんたはオシュトルに似て真面目そうだから、特に自分になんか影響されたら駄目だぞ」

 

 既に長い年月を過ごしている筈の生証人であるが、その悪戯好きの笑みは若い男のものそのものであった。

 

「じゃ、先代によろしく言っといてくれ」

「は、はい」

 

 そう言って、男は立ちあがる。

 もっと話したいと思わせる雰囲気を纏った漢であった。しかし、彼がそういうのであれば、私もこの場を去らなければならないだろう。

 

 残念気にしていたのを気づかれたのか、目の前の男はふっと笑みを浮かべると、誘うように目線を向けた。

 

「好奇心旺盛な奴だ。忙しい時分あんまり相手はできんが……ちょっと見て回るか?」

「っ、は、はい。是非!」

 

 遺跡はその殆どが破壊され崩れ落ち、もはや人も長く立ち入らぬ場所となっている。

 このような未知の技術に溢れた場を見て回れる機会などそうそうあることではないのだ。

 

「確かに、ネコネの血も入っているんだな。目の輝き方が似てる」

「っ、も、申し訳ありません」

 

 男は苦笑しながらそう言い、施設の扉を開けて中へ入るように促す。

 そこには──

 

「「主様」」

「おお、お前ら、調子はどうだ?」

「な……彼らは?」

「ん、まあ……調査に行った時に色々拾っちまったり、その息子娘だったり……だな。どこでも行っていいって言っているんだが……物好きにもここにいてくれる奴らさ」

 

 そこには、白衣を来た双子の者や、数多の研究員と思わしき人物達が慌ただしく動き回っていたのだ。

 狭い遺跡であると思っていが、地深き場所でこのような形で発展しているとは。

 

「で、どうだ。調子は」

「万事良し」

「臨床実験の準備は滞り無く終わっています」

 

 その言葉に、よしよしと頷くハク。

 様々な研究員たちに指示を出し、何かの実験を行うようである。私は戸惑うばかりで右往左往していると──。

 

「おお、来客との会話は終わったのか、ハク」

「うわっ!!」

 

 ぶぉんと、何もなかった場に突然老人の姿をした者が現れ、驚きの声をあげてしまう。

 

「おいおい、あんま驚かしてやるなよ、兄貴」

「ほっほっほ、この客を驚かす瞬間が余は待ち遠しくてのぉ」

「か、彼は?」

「ああ、この瞬時に姿を現すのはホログラムっていってな……そんでこれは自分の兄貴で──」

 

 諸々説明されても、その単語の羅列の意味も、何を言っているのかもまるでわからない。

 

「そんで、今から何をするかと言うとだな……タタリって知っているか?」

「タタリ……あ、遥か昔にその存在を消したという?」

「ああ、そのタタリだ」

 

 赤き肉を蠢かせ、その肉を喰らい膨張する禍日神と聞いている。

 おとぎ話として伝え聞いている存在であるが、それが何なのか。

 

「タタリはな、実は元は人だったんだよ」

「な……そうなのですか?」

「ああ、今やっている──というか、自分がずっと研究しているのはそれでな。ほら、これがタタリだ」

 

 そうして指し示すところには、巨大な球状の物体が浮かんでいた。

 その中にいるのは──

 

「? これが、タタリと呼ばれる者なのですか?」

「そうだ」

 

 そこには、小柄な少女の姿があった。

 水で満たされた半透明の球状の中に浮かぶ少女の瞳は閉じられ、深く眠るように漂っている。

 

「その……タタリというには、随分、その……」

「可愛らしい姿をしてるってか? その通りだ、元々はもっと違う姿をしていたんだぞ。ここまで戻すのに大分時間がかかった」

 

 ハクは、これまでの優しげな雰囲気から一転、中に浮かぶ少女を見て何とも哀愁のようなものを漂わせていた。

 

「折角の機会だ。ちょっと結果を見ていくか?」

「は、はい」

 

 何をしているかはわからないが、見せてくれるのであれば見させてもらおう。

 そして、そこにいる全ての研究員がハクの判断を待つかのように視線を向けた。

 

「実行可能ですが、如何いたしますか?」

「ああ、最後の臨床試験だな……」

「……良いのじゃな、ハク」

「ああ、兄貴よ……今日は縁故ある来客が訪れた良き日だ。神だの運だのに頼るつもりはないが……きっとこれで……」

 

 ハクはこちらを見てにやりと笑うと、決意の表情をして何かを押し込んだ。

 すると──

 

「ぅ……」

 

 水に浮かぶ少女に、鋭い針のようなものが刺さり、何かが注入されていく。

 少女のうめき声とともにごぽりとした空気が漏れる。

 

 皆が緊張の様子でそれを眺め、やがてどれくらいの時間が過ぎたろうか。

 

「体表面、安定」

「臓器等も復元確認致しました」

「よし、解放しろ」

 

 ぶしゅうと内より満たされていた水が徐々に流れ出て、少女の姿は底へと落ちていく。

 そして全てが流れ落ち、空洞となった球状の装置は花びらの様に上部から開いた。

 

「……」

 

 緊張した面持ちで、少女に近づいていくハク。

 震える手で伏した少女を抱き起こし、その反応を見ている。

 

 やがて──

 

「ぅ……」

「!! まさか……チィ、ちゃん……?」

「……あれ? ここは……え、おじ……ちゃん?」

 

 少女の瞳は、目の前のハクを見て驚愕に見開き、おじちゃんと口にした。

 それを聞いたハクは、その顔を感情が爆発したかのように破顔させ、少女の体を強く抱きしめた。

 

「──チィちゃん!!」

「……おじ、ちゃん? なんで……泣いてるの?」

 

 ハクは滂沱の涙を流し、力の限り少女を抱き続ける。

 戸惑う少女は、泣き崩れるハクの姿にあわあわとしていた。

 

「成功」

「おめでとうございます、主様……」

 

 周囲の研究員も、感動に打ち震え、涙ながらにその光景を見ている。

 未だ戸惑うのは某と、あの少女だけ──

 

「──なんで、叔父ちゃんがここに……っていうか、ここはどこなの──って!! きゃ、きゃあっ、は、裸!!」

「──がはっ!!」

 

 少女は自らが裸の姿であることを知り、その渾身の張り手をハクへと放った。

 簡単に吹き飛ばされるハクに大事なところを隠しながらも少女は憤慨する。

 

「叔父ちゃんのエッチ! い、いくら将来結婚してあげるって約束してても、こういうのはまだ駄目なんだからね!!」

「あ、ああ……す、すまん、チィちゃん」

 

 その後、慌ただしく服を着せよと研究員が走り回ったり、少女と老人の邂逅があったりと、置いてけぼりにされている私に気付いたのだろう。

 

 ハクは、某に近づき、ありがとうと礼を一言、そして──

 

「もう、あんたに会うことは無いだろう」

「ここにはもう、いないと?」

「ああ、寂しいか?」

「……」

 

 初対面であるはずの男、しかし確かにそう言われれば寂しさのようなものが湧き上がってくる。

 もっと話したかった、もっと相談したいという想いが芽生え始めていたのだ。

 

 そんな某の様子に苦笑しながらも、大丈夫だと言うように慈愛の笑みを向けられた。

 

「お前の目は、オシュトルにそっくりだ……」

「え……?」

「お前がこれから作る世に自分は……うたわれるものはもう要らない。世界を……後を──頼んだぜ、アンちゃんよ」

 

 そう肩を叩き、見送られたのだった。

 

 それから時が過ぎ、遺跡に赴くもその全ては跡形もなく破壊されていた。

 その様相を見て、もう二度とハクと言う男に会うことが叶わないのだと気づいて思う。

 

 あの時の光景を、真実を、ハクから詳しく聞くことは無いままではあったが、もしかしたら、あのハクという者と少女は、元は家族のようなものだったのかもしれないと。

 

 彼は、権力も、時間も、仲間も、その全てを賭け、何かの運命に抗い続けていたのかもしれないと。

 そして、あの少女との邂逅は、男がその運命に打ち勝ち、最後に届き得た姿だったのだと後々想うようになった。

 

「……おとーさん、どうしたの?」

「おお……すまぬな。思い出していたのだ……影とうたわれるもの……その男の姿を」

 

 あの出来事より数十年後に生まれた愛しき子を抱き、そう呟く。

 かつて、あの男に肩を叩かれ言われた台詞が蘇る。

 

「──後を、頼んだぞ……か」

 

 終わりのない、永遠に続く命と愛の系譜。

 託したその先を少しでも容易く歩めるよう、世界に、我が子らのために、いま自分にできることは何なのか。

 

 未だ小さな手をした愛しき子をしっかりと抱きしめ、その先の未来を思い続けたのだった。

 

 

 

 影とうたわれるもの ── fin

 




「影とうたわれるもの」これにて完結です。

 あなたにとって人生最高のゲームは……と聞かれれば、原作「うたわれるもの」シリーズは、必ず名を挙げる作品です。

 旧Leaf、アクアプラス様にはこんなに熱中できた魅力的なキャラとシナリオが展開されるゲームを世に出してくれてありがとうと言いたい。
 そして願わくば、これからもうたわれ作品を作っていって欲しいですね。特典付きで必ず買うので。
 とりあえず、今年7月末発売の斬2購入時にアンケートなどあれば、また家庭用でうたわれ系の作品出してくださいと要望を送るつもりです。

 後は、ここまで読み支えてくれた読者の方のためにも、気楽なラブコメ後日談を斬2発売前後くらいにどっかであげられたらと思っています。
 活動報告でも皆様の後日談案募集などやりますので、見たい展開などあれば是非お願いします。

 ああ、完結できたなあ……と達成感もあり、2話に渡ってだらだらと後書きが長くなってしまいましたが、うたわれ原作と二次創作界隈がこれからも賑わうことを期待して……一先ずここで完結とさせていただきます。

 ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。


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後日談
壱 悩みしもの


 感想や活動報告で後日談の要望ありがとうございました。
 最終回に対して沢山の高評価やメッセージもあり、自分の書きたかったものが皆様に受け入れられたようでとても嬉しかったです。

 後日談第一弾は、少し成長したアンジュ(ロスフラのミトっぽい容姿)とネコネです。時間軸としては59話~最終話間のどこかになります。

 話自体は六十話で終わっていますので、ここからはあくまで本編には関係のないif、蛇足の部分ということでご了承願います。


 まだ陽も明るいうちであった。

 せっせと民が畑仕事に勤しむ中、二人の男の姿が豪華な屋敷の中でにやにやと笑みを浮かべている。

 

「ほっほっほ、お主も悪よのぉ……」

「いえいえ、貴方様ほどでは……」

 

 一方の男の懐から取りだされるは民から搾取した金子である。

 傾ければその分美しく光を反射して映る金の煌きに心を奪われながら、二人して邪悪な笑みを浮かべていた時であった。

 

「ぎゃあああっ!」

「!?」

 

 突然である。

 どがしゃあと盛大な音を立てて障子を突き破り、二人見つめていた金子に頭から突っ込んで事切れた男がいた。

 

「な、こいつは……」

 

 男の顔を見れば、それは民が反抗せぬようにしていたお目付け役の男であった。

 

「っ! 何奴だ!」

 

 突き破って空洞となった障子を開け放ち、奴を投げ入れたのは誰だとその姿を見やる。そこには──

 

「──女?」

 

 障子の先の庭にいるは、巨大な黒剣を携えた齢二十に届かぬかと言える程の少女の姿である。

 少女とはいっても、その重々しい巨大な剣を軽々と担いでいる様子からして並々ならぬ戦士であることは明白であった。

 

「貴様らは、その職権を悪用。民より金子を悪戯に奪い、ヤマトへの租を誤魔化し不正の便宜を図った……不届き千万!」

「ふん、浪人の分際で何を言うか!」

 

 どうせ、民がなけなしの銭で雇った浪人であろう、そう唾棄するように男が言えば、もう一人の男がその少女の顔に見覚えがあるかの如く震えている。

 

「ほう……余の顔を見忘れたと申すか!」

「ま、まさか──アンジュ様?」

「な、なに!?」

 

 確かによくよく見れば服装は違えど、その高貴なる血を持つ圧倒的な才覚に満ち溢れた御姿は正しくアンジュそのものであった。

 

「「は、ははーっ!」」

 

 男達はこれまでの無礼を詫び、ひたすらに平伏する。

 しかし──

 

「──今更遅い。租を誤魔化し、悪戯に民の金子を搾取していること、余が気付かぬと思うてか」

 

 しかし、アンジュの声は堅い。

 我らが悪を成していると知って疑わない様子である。

 

「お戯れを……しょ、証拠はありますまい!」

「証拠なればある」

 

 ぶんと幼き少女より投げられるは、我らが秘匿していた闇帳簿である。

 

「先程の男が持っておったわ。このような悪事、そしてヤマトの信を穢した罪、許すわけにはいかぬ。貴様らに切腹を申しつける!」

「せ、切腹……!? くっ……」

 

 あの幼さにして既に名君と呼ばれし姫君。

 このままでは我らの命が無い事は確実であることは明白であった。

 

「ぐっ……そ、そうだ、アンジュ様がこのような所に来られる筈がない!」

「うむ、貴様はまやかし! アンジュ様の名を騙る不届き者め!」

 

 ただの少女が扮装している可能性も無きにしもあらず、それであれば討っても大義名分が立つ。

 

「ほう、我らの聖上がニセモノと申すか」

「悪党の目は殊更に曇っていると見えるな」

「き、貴様らは、ミカヅチ、ムネチカ……」

 

 その名を知らぬものはいないと言われる、元左近衛大将ミカヅチ、アンジュ政権樹立の立役者、八柱将として名高いムネチカの両名がアンジュの前へと姿を現す。

 そして、金髪の髪を揺らし前へと進み出る好青年。

 

「──この金印が目に入らぬか! この尊き御方がニセモノと申すのであれば、それなりの覚悟あってのこととお見受けする!」

「ぐっ……貴様は八柱将キウル……!」

 

 見覚えのある将軍が三人も付従っておる。

 それに、キウルが指し示すあれは帝の金印。間違いない、彼女は本物の聖上──アンジュ皇女である。

 

「ぐっ……しかし、ここで死ねばただの小娘、ヤマトもこれで終わりよ!」

「この者はアンジュ様を騙る不届きもの! ものども、であえ! であえ!」

 

 その声を聞き受け、屋敷中から我が金子に心酔する浪人共が集まってくる。

 これだけの数に、相手はたった四人のみ。しかも、皇女を守りつつ闘うなど不可能である。

 

「やれ! 聖上の名を騙る悪を成敗いたせ!」

「「オオオオッ!!」」

 

 数人がその声を元にアンジュに切りかかるも、易々と浪人共をいなし、素手で吹き飛ばし、こちらに天誅を下すかの如く剣を構えた。

 

 ──チン。

 

 アンジュが剣を鳴らすと、それを合図ととったかのようにミカヅチやムネチカ、キウルが数多の浪人共を事も無げに切り伏せていった。

 そして、アンジュは首謀者二人へと一歩一歩無言で近づき、震え上がるほどの圧倒的な強者の圧を放っている。

 

「か、かかれっ──ぎゃあああっ!!」

「余の命は天下の命! 貴様ら如き悪党に渡すわけにはいかんのじゃ!」

 

 一撃で十数人が吹き飛ばされ、為す術もなく障子や壁を破壊し尚遠方へと消えていく。

 

「安心せぇ、峰内じゃ」

「峰内って、そんな鈍器みたいな刀で殴られたら……!」

 

 もはや切れる部分や峰がどこなのかわからないような形状の刀である。

 周囲を見れば、殴られたものは白目を向いても物言わぬ屍と化している。正しく死屍累々である。

 

「くっ、しかしここで引いても後は同じ!」

「うむ! 悪党らしく死に花を咲かせてくれる! 皆の者、取り囲んで一度にかかるぞ!」

 

 もはや負けは必至であっても、切腹の時を待つばかりよりはマシである。

 万に一つの可能性を賭けて、数十人が一斉にアンジュへと襲い掛かる。

 

「成敗ッ!!」

 

 その瞬間、我らは翼なく空を飛んだ。

 これまでの人生で最も輝く光景といっても過言ではないほどに、数多の体が美しい太陽に体を煌かせている。

 彼らと同じく宙を舞っている己の姿を目に収め乍ら、男は意識を手放したのだった。

 

 そして、悪党より民を救ったアンジュは──

 

「──ああ、アンジュ様、本当にありがとうございました」

「アンジュ様とは知らず大変なご無礼を……どうかお許しくだされ」

 

 アンジュは悪政を敷かれ苦しんでいた民と交流していた。

 最初は彼女をただの少女として扱っていた彼らであったが、こうして悪党を成敗した結果、今ではアンジュ様であったのかとその正体に驚き、救いの主としてひたすらに平伏していた。

 

「余はアンジュではない。余の名はミト……それで構わぬ」

「な、なんと……」

 

 アンジュはその感謝の言葉が照れくさくなり、元々民に名乗っていた偽名を告げてその場を後にする。

 

「行くのじゃ、ミカさんムネさん」

「「はっ!」」

「あとキウル」

「何で私だけいつまでも本名なんですか!」

 

 今回の行脚でまたもや悪事を成敗することができ、ヤマトの治安維持にまた一つ貢献できたと笑みを浮かべるアンジュであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「──というのが、此度の行脚で得た収穫なのじゃ!」

「はあ……」

 

 ここは、帝都の中ではかなり高級を誇る料亭の一室である。

 私──ネコネは、兄さまから聖上の此度の行脚の一件について労って欲しいと頼まれ、こうしてアンジュ様と二人飲むことになったのだが、延々自慢話を聞かされせっかく美味しいお酒でも中々酔うことができない状況に陥っていた。

 

「ムネチカやミカヅチがな、もう余は並ぶ者のいない武人であると認めてくれたのじゃ! すごいじゃろ!?」

「そうですね」

 

 あの二人は嘘を言わない。

 実際、アンジュ様はかなり強い。兄さまであっても、アンジュ様に勝つのは難しいと言わしめるくらいの実力を持っているのです。

 その実力の使い方が此度の小悪党殲滅行脚なのは些か役不足のきらいはありますが。

 

 まあ、聖上自ら悪を討滅している──暴れん坊皇女の噂が広がり小悪党は怯えて治安自体は良くなっているのでいいのですが。

 

「そうじゃろ、そうじゃろ、余は凄いのじゃ……なのに……」

「なのに?」

「皆、帝都に帰ってきたらすぐに解散するのじゃ……ミカヅチはライコウの手伝いに……ムネチカは子に会いに、キウルはシノノンと乳繰り合いしに……」

「……」

 

 行脚の旅を終えた瞬間に宴をするまでもなく解散する彼らの姿が目に浮かぶ。

 

 まあ、ライコウ様とシチーリヤ様も今や帝都の技術開発面を一手に担う人ではあるが、その能力の高さゆえに使える武力は限られている。ミカヅチ様はライコウ様が唯一自由に扱える手駒でもあるので、帝都にいる間はよく手伝っているようだ。

 ムネチカ様も、ハクさんとの子が一昨年生まれ、まだ幼いながらもその育児を他の者に頼んで此度の行脚に同道したという。

 キウルも、シノノンとようやく婚姻を結びましたから、一刻も早く向かいたいのが本音ですよね。

 

「まあ、アンジュ様もお暇なら行脚前に残したご政務をしたらいいと思うのです。兄さまが嘆いていたのですよ」

「……」

「? アンジュ様?」

「皆幸せそうに……余だけ、余だけぽつんと……うぅ……」

 

 酒がどうやら悪い方向に働き始めたようだ。

 都合の悪い私の小言を都合良く無視し、アンジュは涙と口元から零れた酒を拭いながら、嗚咽混じりにあるものを取りだした。

 

「皆と別れた後何をしているかといえば、一人寂しくこのような本を買い漁るしかないのじゃ……」

「ハク×オシュトル本……それにガウンジ×ボロギギリ本……? なんです、これ」

 

 随分業の深い書物が出てきたものだ。

 ハクさんと兄さまの本を以前初めて見た時、最初は怒りが勝っていたが少しときめいてしまったこともあり帝都で禁書扱いにはしなかったが、ガウンジとボロギギリとは一体。

 アンジュ様にそちらの趣味があるのは知っているが、随分拗らせはじめていると言えよう。

 

「……兄上が、書いたのが始まりでの……最初はわからんかったが、いつの間にか魅力的に……」

「そ、そうですか」

 

 兄上とはウォシスのことだろう。ウォシスは、その界隈では有名な著者ラウラウだったらしいですからね。ラウラウ本はルルティエ様他数多の女性陣の心を掴んでいますから。

 しかし、悪行の記憶を無くし、今では前帝と仲睦まじく本を書いているとは聞いていましたが、このような本まで書き始めたとは知らなかった。

 

 あまり想像したくない家族団欒を夢想するも、美味しいつまみを口にいれてその想像を打ち消す。

 こうなればとことん愚痴を吐いて早々に潰れてもらおうとアンジュの空いた杯に酒を注いだ。

 

「おお、すまんの」

「いえ」

「んぐんぐっ……ぷはぁっ……それぇもこれも……ハクが余から逃げ回っているのが悪いのじゃぁ!」

「あ~……」

 

 愚痴は愚痴でも、そっちにいってしまったか。

 そう、ハクさんに想いを寄せていた女性陣の中でも、未だアンジュ様の気持ちにだけは応えていないのだ。

 

 姉さま、ルルティエ様、シス様、ノスリ様、アトゥイ様、ムネチカ様、フミルィル様、エントゥア様、ウルゥル様、サラァナ様。

 こうして名を挙げるととんでもないが、各々の気持ちに応え、今やムネチカ様のように世継ぎを生んでいる者も多い。

 ルルティエ様も昨年第二子が生まれ、育児の忙しさからかアンジュ様とご趣味を共にする時間が減ったようである。アンジュ様としても、同じ時間を共にする仲間が減ったように思ったのかもしれない。

 しかし──

 

「お父上から余の出生について聞いた……余は、お父上の娘であった者のクローン、ハクの姪のクローンじゃったと……だが、たとえそうであったとしても余は父から、アンジュとして愛される存在であった。たとえ姿は似ていても、薄らと残る記憶があったとしても……ハクの本当の姪ではないのじゃ。故にこの心は、確かに奴を求めておるのに……うぅ……!」

 

 そう、ハクさんは前帝の弟だったことだけではない。直接多くの言葉を聞くことは無かったが、聞き及んだ僅かな単語を繋ぎ合わせれば、ウィツァルネミテアと大いなる父の関係、デコイと呼ばれる私達の出生の秘密他、数多の真実が隠されていたことは少し考えれば何となく察せられた。

 隠し事なく全て話せとハクさんを無理に問い詰めるつもりはないが、私達のためを思って多くを語らないハクさんに少し寂しさは感じている。

 

 特にアンジュ様は、私たちよりも多くの言葉を聞いているようで、クローンというのも、聞きなれない言葉であるが大いなる父の技術の一端を駆使したものなのだろう。

 アンジュ様は、かつてハクさんが姪と呼んでいたものの分身。それ以上のことはわからないが、ハクさんにとってアンジュ様は家族としての扱い以上の関係にはならないつもり、ということは確かなのだ。

 ただ──

 

「それだけが理由ではないと思うのですよ……アンジュ様は聖上でもありますから。ヤマトの正統な世継ぎが自分の子だというのが良くないと思っているかもしれないのです」

「じゃが、余はハク以外に考えられぬ……! うぅ、どうやって想いを伝えれば……」

 

 ぐびぐびと酒を飲んで真っ赤な顔で考え込むアンジュ様。

 やがて目が据わったまま、私のある部分を注視し始める。

 

「? 何です?」

「体型ではネコネに勝っておるというのに……」

 

 アンジュ様は、見比べるように自分の胸を両手で持ちあげ、私のある部分を注視している。

 思わず盃を掴む手にみしりと力が籠るが、相手は腐っても聖上である。

 

「わ、私の胸が、どうかしたのですか?」

「うむ……ネコネに手を出して余には手を出さぬ理由がわからぬ……」

 

 我慢だ我慢。

 

 私も全く無いわけではないが、アンジュ様のそれよりは小さい。

 ハクさんに想いを寄せる面子の中では最も胸が小さいとも言えるだろう。しかし、まだまだ自分は成長期、これからフミルィル様のように育つ可能性も無きにしもあらずである。

 

 それに、このような胸であっても自信をもって言えることはある。

 

「は、ハクさんは私に夢中なのです。胸なんて飾りなのです」

「そうなのか?」

「はい。もうハクさんから来るぐらいなのです」

 

 少しばかり、いやかなり嘘も混じるが、胸について言及された手前少し大げさにそう言う。

 言っている内に恥ずかしくなり頬も熱くなるが、構わず言い切る。無礼にならない程度の意趣返しである。

 

「そ、それは、如何にして誘惑したのだ!?」

「えっ……そ、それは……」

 

 机をバンと叩いて身を乗り出すアンジュ様。

 思わぬ食いつきに身を反らし考えるも、よい返答が思い浮かばない。

 

「え、えっと……」

「それか!? その腋か!? 艶本を読んでいると、そのような嗜好の持ち主もおるようじゃからのぉ!」

「ちょ……こ、これは正式な服装なのです! アンジュ様が私を殿学士に任命した時にいただいたもの、ってお忘れなのですか?」

 

 殿学士、殿試に合格した最高位の文官のみがなれる職務である。

 その正式な女性用装具に誘惑の要素が入っているわけがない。どういう訳か、腋がしっかり見える服装ではあるが、通気性を考えたものでハクさんを誘惑するためなどというものでは決してないのだ。

 

「しかし、何だかいやらしいのじゃ……なるほど、ハクはそこが好きなのじゃな」

「なっ……」

 

 アンジュ様の言葉にそうだったかなと夢想する。

 そういえば、そんな感じのことをされたような気もする──とそこまで思い出してぼんと顔が熱くなった。

 

 私も何を考えているのだ。ふるふると首を振って記憶を打ち消す。

 

 しかし、未だじっと私の腋を見つめるアンジュ様の視線が何だかこそばゆい。

 まるで見せてはいけないものを晒しているような気持ちになり、隠すように手で覆う。

 

「っ、あ、あまり見ないで欲しいのです」

「おお……なんじゃ、その艶本で見るかの如く見事な照れ顔は……女の身である余も鼓動が高鳴ってしまったぞ」

 

 アンジュ様は勉強になると頷きながら酒を再び飲み始める。

 今宵席を設けた兄さまと、アンジュ様より逃げ回るハクさんを思い、唇を噛む。

 

 恨むのですよ、全く。

 

「で、余の服装も腋出しするとして」

「それは確定なのですね……」

「ハクにどう迫れば、余の気持ちに応えてもらえるかの?」

 

 真っ赤な顔で問うアンジュ様ではあるが、その瞳は真剣そのものである。

 本当にハクさんを想っているのであれば、アンジュ様は私の恋敵でもあるのだ。

 

 ハクさんは最近ただでさえ遺跡巡りに精を出すなど一緒になれる時間が少ない。

 特務大使の任を利用して、今や各国にいる女性陣の元に足繁く通うことも多い。特にトゥスクルに赴いた時などは寂しがり屋の姉さまが半年近く離さなかったこともあり、アトゥイ様とノスリ様が強引に連れ戻しに行ったほどだ。

 

 今でさえそのような形なのに、アンジュ様の気持ちにハクさんが応えれば、その分私のために使える時間は減る。

 

「……」

 

 しかし、目の前のアンジュ様は、かつて私がずっとハクさんに無意識にも恋い焦がれていた時の様子にそっくりで。

 周囲がハクさんと恋仲になる中、自分だけが置いてけぼりになっている寂しさも感じているのだろう。

 

「ネコネ……協力してくれんかの……?」

 

 不安げな目でこちらを見つめるアンジュ様に、ふうと一息ついて早々に折れた。

 

「……わかったのですよ」

「おお、流石はネコネ! 余の親愛なる友よ!」

 

 机を飛び越え、ぎゅっと体を抱きしめられる。

 ちゅっちゅと頬に酒臭い接吻が繰り出されるのに嫌な視線を返しながらも、ハクさんを射止めるための方策を考えだす。

 

 ハクさんのことはよく知っている。

 

 ハクさんは何だかんだ押しに弱い。逃げ場を無くせば自然と応えてくれることを。

 たとえ、これでアンジュ様がハクさんを射止めても構わない。

 

 誰よりも好き。その気持ちだけ誰にも負けなければいいのだ。

 

 そう、胸の大きさよりも気持ちの大きさで勝負するのが良い女というものだ。

 

 

 そして、アンジュ様とハクさんとの恋路に協力すると約束した──その翌日である。

 

 アンジュ様が私を執務室へと呼び出し、そこでハクさんを落とすための方策について相談することとなった。

 

「これらの本を参考にしておるのじゃが……」

 

 ばらばらと机にばらまかれ、数年間収集されてきたであろう堆く積まれた薄い本の数々に恐れ戦きながらも手に取りめくる。

 

「これなんて最高じゃろ?」

 

 そう言われてぐふぐふとだらしない笑みを浮かべて指し示されたくんずほぐれつルルティエ様大興奮の男同士の睦言に冷や汗を垂らしながらも、アンジュ様にそうですねと感情の籠らない声で応える。

 

「それで、どれを参考にするのが良いかの?」

「あの……そも、こういう本は参考にならないと思うのですが」

 

 きょとんとした様にこちらを見るアンジュ様。

 何を言われているかわからないといった感じである。

 

「しかし、余はこういうものを参考に実践してきたのじゃ」

「じ、実践したのですか!?」

「うむ、これなんかがそうじゃの」

 

 私の驚愕に反し、アンジュ様は事も無げにぱらぱらと本をめくり、ある頁を指し示す。

 見れば、睡眠薬をお酒に入れて眠らせ部屋に連れ帰る描写のある本であった。

 

「クオンに頼んで睡眠薬を処方してもらっての」

「は、犯罪なのですよ」

 

 聖上であるし相手がハクさんであるのでどうにも判断つかないが、これが民の中で行われているのであれば検非違使案件待ったなしである。

 

「他にも実践したのですか?」

「うむ……眠ったハクを連れ込んだ後はの、これを……」

「裸で布団に潜り込む……なんです、これ」

 

 艶本には、布団を捲ると愛しい裸の恋人が潜り込んでいたという描写があった。勿論男同士である。

 

「ああ、それも駄目じゃった」

「ちょ、これもやったのですか!?」

「うむ……しかし、ウルゥルとサラァナがよくやるようでの。何の驚きも無く服を着せられたのじゃ……」

 

 乾いた笑いで虚空を見つめるアンジュ様。

 その光景を想うと、女性としての魅力が否定されたようにも思うだろうことは想像に難くない。

 

 しかし、アンジュ様がハクさんに想いを伝えても応えてくれないと言っていたので、もっと可愛げのある好意を見せているのかと思っていたが、過激な艶本のせいで大分歪んだ好意の伝え方になってしまっているようだ。

 

 これは、そもそもこういったものに頼らない方がいいことを伝えるべきだと思い、そう忠言する。

 

「あの……やっぱり、まずは、これらの艶本を参考にするのをやめるのがいいと思うのです」

「なっ……しかし、これは余の教育の土台を培ったものぞ」

「だから駄目なのです。ハクさんがこんな素敵な台詞を吐く男だと思うのですか?」

 

 艶本の中で、ハクさんが絡み合う兄さまに向かって煌く瞳で囁く台詞を指さす。

 

「む……むぅ……」

「私だってハクさんにこんなこと言われたことないのです」

 

 君の瞳に夢中だ、なんて言われたことはない。きっとこれから先も言われることは無い。

 ハクさんのような女心のわからぬ唐変木から、こんな台詞が生まれるわけがないと断言する。言われたらそれはそれで鳥肌が立つ。

 

「む……そ、そこはほれ、想像の良さというか」

「アンジュ様のいう通りこれは想像。現実ではこんなのあり得ないのです。アンジュ様はアンジュ様自身の姿を見せればいいのです」

「余、自身……」

「はい。アンジュ様自身が想っていることをそのまま伝えれば、ハクさんにとっては一番魅力的なのです」

「むぅ……」

 

 アンジュ様は悩むように口角を上げて腕を組んでいる。

 

 まあ、私も相手はハクさんだけなので他者に教えられるほど恋愛に精通してはいないが、アンジュ様のそれは拗らせすぎであることは誰が見ても明らかである。

 ここが正念場であると、悩めるアンジュ様にあれこれ助言を繰り返したのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 あれから様々な助言をし、アンジュ様は意気揚々とハクさんの元へ足繁く通い、純粋な想いを何度か伝えたり二人して仲良くどこかに出掛けたりしたそうである。

 

 ちらりと街中で見た二人の様子としては、中々悪くないように思えた。まあ、昔から家族のように仲が良いと言われていた二人であるので、その仲の良さの方向性を変えるだけだったのかもしれない。

 ハクさんもハクさんで、昔と変わらず朗らかな笑みを浮かべるアンジュ様のことが好きなのだろう。その笑みはアンジュ様と共に居る時間を心底楽しんでいるようにも思えた。

 

 そうしてアンジュ様からの現状報告や相談事が減り暫くして、ハクさんの行方がわからないと兄さまより言われ、もしかすれば熱烈な好意を見せるアンジュ様より逃げた、もしくはまた無断で遺跡巡りをしているのではと返して数日後のことであった。

 

 アンジュ様よりかつての料亭に呼び出され、二人して酒とつまみを楽しみつつ進捗を聞いた。

 

「それで、結局どうなったのですか?」

「うむ! ハクは余の気持ちに応えてくれたのじゃ!」

 

 つやつやとした肌を見せるアンジュ様の笑顔には、もはや一切の陰りもない。

 どうやら、叔父と姪の関係性から何とか進展することができたようだ。

 

 少しばかりの嫉妬もあるが、それよりも先にアンジュ様の長年溜め込んだ気持ちが報われて私も嬉しかったのだろう。

 ほっと胸を撫で下ろし、心から祝福の言葉を送る。

 

「それは良かったのです」

「うむ、ネコネにも色々世話になったのじゃ!」

 

 アンジュ様の顔は実に晴れやかではあるが、以前相談を受けた身としてはその射止め方は気になるものだ。

 

「それで、どうやってハクさんとの関係性を深めたのですか?」

「うむ、最初は色々ネコネの言う通りにしてたんじゃが……やはり、ハクは思い悩んでしまっての」

「そうですか……」

 

 ハクさんのアンジュ様に対する想いがどれだけ深いかは知らないが、やはりアンジュ様には皆とは違った特別な想いを持っているような気もする。

 

「……ハクさんは相変わらず不器用な人なのです」

 

 私が過去にハクさんを好きだと告げた時もそうだった。

 ハクさんの中で、私のような幼い者からの好意は、幼き心ゆえの勘違いであると仮説を立て、本当にその気持ちが確かであるか時間をかけて見抜こうとするのだ。

 他の成熟した女性陣の心には比較的すぐに応えたが、私は幼い身なりであったが故に最後までその好意に応えることに躊躇している面があった。

 

 きっとハクさんのことですから、アンジュ様だからこそ大事にしたい、特別扱いしたいという想いもあったのでしょうね。

 

「じゃから……暫く考えさせてほしいと言われての」

「そうですか……でも、ハクさんは答えを出したのですよね?」

 

 先程のアンジュ様の笑顔からしても、断られたという感じではなさそうである。

 そう安心して聞いたのだが、返ってきた答えは予想外のものであった。

 

「うむ、答えが出るまで待つと言ったのじゃ──この本を参考にしての」

「……はい?」

 

 取りだされるは、緊縛の館と書かれた本である。

 鎖に縛られた男をもう一人の男が苛めている様子が絵姿で描かれている。

 

「三日三晩縛って、答えが出るまで離さぬと常に一緒にいたのじゃ。最後には泣いて余の気持ちに応えると言ってくれたぞ!」

 

 アンジュ様の表情には、それがとてもまずいことであることが理解できていない晴れやかな笑みが浮かんでいる。

 

「あの……兄さまから、最近ハクさんの姿が見えないと聞いていたのですが……」

「む? そうなのか、今も余の部屋にいるのじゃ。オシュトルにもそう伝えよ」

「は、はぁ……」

 

 これは、助けに行った方がいいのだろうか。

 アンジュ様の情操教育を担当していたのはムネチカ様である。ムネチカ様も恋愛には初心な様子が散見されていたので、そういった正しい恋愛事情というのを誰からも教えられなかったともいえる。

 

「ち、ちなみに……ハクさんとはその間どの程度のことを」

「ど、どの程度って……どういう意味じゃ」

 

 アンジュ様はそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 酒による赤みとはまた違った頬の染め方をし、俯きながら照れ始める。

 

「その……この本の通りに、や、やってしまったのですか?」

「う、うむ……ハクの頬にな? その、余から接吻をくれてやったのじゃ!」

「……? それだけですか?」

「そ、それだけとはなんじゃ! 物凄い進歩じゃぞ!」

 

 これらの本を見習ってもっと色々してしまったのかと思ったが、そうではなかったようだ。

 一先ず取り返しのつかないことになっていなくて安心するも、アンジュ様は頬への接吻だけでもかなり参ってしまっているようだ。

 

「ネコネの言う通りじゃった……これは参考にならぬ。艶本を眺めている時よりも心臓が痛い程に緊張したのじゃ……」

「そ、そうなのですか……」

 

 ムネチカ様、恨みますよ。

 きっと、碌な恋愛を教えなかったに違いない。そのせいで、こんなにも純粋なまま成長したとも言えるし、純粋な想いゆえの惨事が起こってしまったと言えよう。

 戦乱が終わった後も、母さまのところにもっとアンジュ様を行かせるべきだったと後悔するとは。

 

 しかし、ハクさんには常に鎖の巫が付従っている。

 その二人をどう回避してハクさんを捕えたのだろうか。

 

「あの、ウルゥル様とサラァナ様は……」

「おお、あの二人も事前に相談したら快く協力してくれての。お蔭でハクもようやく折れてくれたのじゃ」

「……」

 

 そういえば、あの二人は珍しく側室を増やすことに賛成の一派であった。

 拒むどころか皇女さんの艶本教育によって歪んでしまった愛を受け入れて協力してしまうとは。

 

「それとの? 今度ハクと二人で仲良く悪党成敗の行脚に行くことにしたのじゃ!」

「そ、そうですか。それは良かったのです」

 

 アンジュ様の笑みは輝いており、心の底から邪気の無い笑みである。

 それは間違った手段ですよと忠臣故に伝えるべきか否か悩んでいると、更なる爆弾発言が落とされた。

 

「うむ、十年ほど戻ってこないつもりじゃから、後はよろしく頼むのじゃ」

 

 さらりと言う年月にしてはとんでもない期間である。

 思わず聞き間違いかと思って聞き返すも、アンジュ様はこれまで溜まった鬱憤から決意を翻すつもりは無さそうである。

 

「ちょ、それは、それだけは駄目なのです! 聖上といえども、看過できないのですよ!」

「な、なんじゃ、ネコネ。そう怒るでない」

「想いを伝えていいとは言いましたが、ハクさんを独り占めする権利はあげてないのですよ!」

 

 不敬と言われども構わない。

 あれこれ協力した手前言う権利はある。それに、女としての戦いに身分は関係ないのである。

 

 まずはここでアンジュ様を何としてでも説得し、二人でエンナカムイにいる母さまのところに赴き、アンジュ様に正しい恋愛を学ばせるのが先だ。

 母さまの情操教育をもってすれば、きっと歪んだアンジュ様の思考も元通りになって天下泰平の世が訪れるであろう。

 

 愛しき男との時間を賭けて、アンジュ様と終わりなき言い争いを繰り広げたのだった。

 

 




 ロスフラのアンジュ(ミト)は恰好良さが勝っている感じですが、この時空のアンジュ(ミト)さんはこんな感じの朗らか(?)な性格のまま成長した感じです。これはこれで。

 今回の後日談内容については、活動報告やメッセージでも望む声があったのもありますが、本編(影とうたわれるもの)ではアンジュはヒロインレース遅れ気味という意見を頂き、確かにそうだなあと思ってこんな話を書きました。

 本編完結後の気楽な後日談ifと言うことで一つお許しください。切腹は勘弁。


 次話以降も、活動報告で案をくれている方の要望に順次応えていけたらなあとは思っております。
 ただ、私の力量的に想像していた展開とは違う可能性もありますので、その点はご了承ください。


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弐 愛を育むもの 前

 第二弾は要望の多かったハクオロさん、トゥスクルヒロインズ回です。
 59話~後日談(壱)の間の話になります。59話からそんなに時間が経ってない頃のお話ですね。

 後日談は時系列をあえてばらばらにして書いていますので、これからも逐一どの辺りの話か前書きに時系列を書かせていただきます。

 そして、後日談故にあくまで本編の蛇足。
 原作から離れた作者の荒唐無稽な恐ろしい妄想を受け入れられる方のみお読みください。


「死ぬ……」

 

 ハクオロは身近に迫る死の予感に恐怖していた。

 これほどまでに死の恐怖を感じたのは、親っさんと共にムティカパと戦った時か、シケリペチムの時か、それとも単身アヴ=カムゥと戦った時か、それとも我が分身ディーと戦った時か。

 

 しかし、過去のどの恐怖体験よりも、今のこの状況が刻一刻と死に近づいていることだけは理解できた。

 そう、男に死の恐怖を抱かせるのは戦いだけではない。愛した女性の直ぐ傍でもその恐怖は起こり得るのだ。

 

「聖上」

 

 聞き覚えのある女性の声。

 夜更けにも関わらず禁裏に来る存在は、トウカであった。

 

「……トウカか?」

「はっ、お休みのところ申し訳ありませぬ。聖上」

 

 ──聖上、か。

 

 私はもう地位などないただの男だから聖上と呼ばなくていいと言っているのだが、トウカは私こそが主上であると言い、未だ聖上と呼んでいるのだ。

 トウカと同じ考えの者は多く、ベナウィも未だ私を聖上と呼んでいる者の一人だ。他にはトゥスクル前皇として、以前よりの文官からはハクオロ上皇や、天子ハクオロ様と呼ばれることも多い。

 

「お、御側付のお役目を果たしたく……よろしいでしょうか」

「ああ、入れ」

 

 トウカは私の返事を受けた後に恭しく襖を開いて中へと入る。

 肌寒い夜には似つかわしくない程に頬を火照らせ、何やら緊張した様子だ。きっと御側付とは名目であって本心は別にあるのだろう。

 

「や、夜分に恐れ入ります」

「良い。さ、良い酒がある。二人で飲もう」

 

 誰かが来ることは予想していた。

 予め用意していた盃に酒を注ぎ、トウカを私の隣へと促す。

 

「はっ、失礼をば」

 

 おずおずと私の傍へと座るのを確認し、乾杯と言って盃に口をつけるも、トウカは未だ酒には手を付けず口をパクパクと開いて何かを告げようとしている。御側付としての役目があるから酒は無理、といった理由でも無さそうである。そうであるなら、すぐさま断りを入れているだろう。

 

「……?」

「……ぅぁ、何をしている、しっかりしろトウカ……今こそ一族の務めを果たす時だろう……! そう、聖上は積極的な女が好み……寵愛とは奪うもの……」

 

 トウカは何やら頭を抱えてぶつぶつと何やら小言で呟き始める。

 暫く見ているのも面白かったが、その様子があんまりにもあんまりなので、トウカが自然と胸の内を明かせるように聞いた。

 

「どうしたのだ、トウカ」

「えっ! あっ、あ、いえ、その……不躾乍らよろしいでしょうか……?」

「ああ」

「では……その、聖上にお願いしたい儀がありまして、えー……」

「……ああ」

「そ、某に、あの……エヴェンクルガの後継として、その」

「……」

「せ、聖上の、御子を……っ! た、たたた種を……っ!」

「う、うむ……」

 

 もう何度も肌を合わせているというのに、未だこういったことになると照れて中々告げられないトウカ。

 私の仮面が外れて素顔を見てからというもの、トウカは聖上の真なる御顔を拝謁できたと興奮状態に陥ってしまった。

 素顔が受け入れられたようで何よりであるが、こうして私の顔を見られぬまでに照れてしまうのだ。

 

「駄目……でありましょうか」

 

 断られるか不安なのだろう。

 俯き、窺うように視線だけ向け、切なげな声で呟く。

 

 しかし、今日はトウカであったか。

 であれば、明日はカルラであろう。トウカには悪いが体力を残しておかねば、翌日に差支える。

 翌日に差支えてしまえば、次の日は女性らしく成長したクーヤとサクヤの二人である。二人がかりで体力を奪われてしまえば、次の日は他の女性に嫉妬したエルルゥである。そして次の日の予定ではオンカミヤムカイから二人が来ると聞いている。であれば、殊更に成長してしまったカミュや、私の前では妖艶さを見せるウルトリィと──

 

 決して、私の許可を以って決められている訳ではない。

 しかし、私の前で争わぬためか一定の順序なるものが女性陣の間で決められているようなのだ。

 故に以前からの周期から予測すれば、そのような順番でここへ来る筈である。

 

 特にウルトリィやカミュはオンカミヤムカイ、トウカやカルラはヤマトの白楼閣での勤務もあり、会う機会も限られる。故にトゥスクル皇都にいる間はほぼ確実といっても良い程にここへ来る。

 

 トウカも今宵ここへ来たのは、帰還する前に私との時間を過ごしたいと思ってのことだろう。

 特にトウカはエヴェンクルガの一族のしきたりとして一族に優秀な種を入れねばならぬらしいからな。長く待たせた手前、仕えた筈の男に逃げられたエヴェンクルガ族などと色々言われたことがあるそうで、そのことで深く悩んでもいたようだ。

 

「……」

 

 そう物思いに耽り──思わず眩暈がする。

 

 彼女達の気持ちは実に嬉しく思う。

 あれだけの美女達、引く手数多の適齢期の女性達が、私は必ず帰還すると信じて操を立てていた手前、彼女達の誘いを断る訳にもいかない。

 それに、娘であるクオンより先に子を産まねば女の矜持に関わると熱心であるようだ。

 

 しかし、神からただの人の身に戻った私としては殺人的な日程に過ぎる。己で撒いた種でもあるが、ただでさえ彼女達デコイの体力は人のそれと比べ遥かに多い。

 たとえ彼女達四人がいなくとも、皇都に滞在するエルルゥ達が毎日のように求めてくる始末である。

 

 真に休憩できる日はアルルゥとの添い寝日か、オボロやクロウと飲む日、ハクがトゥスクルに遊びに来た時くらいだ。

 

 世の男達が心底羨む美女達に囲まれ幸せではあるが、それゆえの贅沢な悩みとも言えよう。

 

「……あの」

「む……」

 

 手にした盃の中にぼんやりと浮かぶ己の表情を見て憂鬱そうにしている様を、トウカが気づいたのであろう。心配気に声をかけてきた。

 

「せ、聖上? 何やら無言で……如何なされた?」

「……す、すまぬ。考え事を、な」

「そうでしたか、それは気づかずに申し訳の無いことを……であれば、聖上にご無理はさせられませぬ。今日は──」

 

 そう言って心底悲しそうに俯くトウカ。

 慌ててトウカの体を抱きしめて、そうではないと囁く。

 

「せ……聖上?」

 

 トウカは抱きすくめられ、胸の中でおずおずとこちらを見上げる。

 安心させるように、優しく囁いた。

 

「すまぬ……不安にさせたな」

「いえ! 考え事でお疲れの様であれば、某は……」

「いや、トウカが今……忘れさせてくれた」

「せっ……聖上……!」

 

 トウカの瞳が、ふるふると感動に打ち震えるように揺らぎ、潤んでいく。

 次の日に体力を持たせるなどと、トウカに失礼なことを考えた己を殴ってやりたいものだ。

 

 ずっと私の帰りを待ってくれていた、こんなにも健気な女性達。

 良き男など、私の他にもいくらでもいたろうに──十数年待たせた彼女達の気持ちに応えることこそが、己が帰ってきた意味というものだ。

 

 トウカの体から力が抜け、濡れた瞳を瞑って震える唇を差し出す。

 私はそれを──

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「このままでは死ぬ……」

 

 ちゅんちゅんと朝を知らせる鳥の声が寝室に響く。

 ちなみに、昨晩トウカが来訪した時より寝ていない。陽の光が痛い程に己の目蓋を焼いている。

 

 彼女達の気持ちに全力で応えると誓ったが、人の身となった自分にできることにはやはり限りがある。

 

 私の体は今や貧弱である。

 私がウィツァルネミテアに依代として取り込まれた時代、それはハクが生きていた時代よりも遥かに昔であった。故に私の体はこの世界に適応できないほど虚弱ではないが、デコイ程強靭でもない。

 デコイと比べ寿命も短く、彼女達より先に老いて死んでいくだろう。

 

 ハクから聞いた話では、遺伝子情報はそれほどハク達と変化は無く、しようと思えば真人計画における延命手段も使えるだろうとのことだった。

 今は政権より離れた前ヤマト帝に頼めばある程度はできるとは思うが、私は怒りのままに大いなる父の技術を否定し、彼らから姿と尊厳を奪った張本人でもある。

 

 その私が今更大いなる父の技術に頼ることなどできはしないというのが本音であった。

 

 それに、ハクはともかくとして前帝──彼は私を決して許しはしないだろう。

 たとえ神と切り離された身であるとしても、これは力を抑えきれなかったが故の、私の永劫消えぬ罪なのだ。たとえ彼らが許したとしても、私自身が己を許すことなどできはしない。

 

 故に、同胞の解放を願うハクの手助けをする。

 そして、限りある命の中で彼女達に精一杯尽くすことこそが私の最後の主命である。

 

 しかし──

 

「命の限りが、もうそこまで来ている……」

 

 幸せそうに眠るトウカの姿に精一杯の笑みを浮かべながらも、やはり己の限界はそこまで来ているのだ。

 平和な世に訪れた馬鹿馬鹿しい案件ではあるが、私にとっては死活問題。何らかの対策を施さねば、エルルゥ自慢の薬草を以ってしても体に恐ろしい不調が訪れるであろう。

 

「おやすみ、トウカ……」

 

 未だ起きぬトウカの頬を撫で、風邪をひかぬようにと布団を優しく被せる。

 そして、私は眠たい目を擦り乍らも一足早く執務室へと足を運んだ。

 

 オボロが皇として十分に機能している今、私はもう表に出る必要もないと思っていたのだが、トゥスクルの民は私の帰還を殊更に祝ってくれた。

 オボロも私が帰ってきた手前、私が復権するほうが良いと考えているのだろう。ベナウィを通じて権力を幾許かこちらに回そうとすることも増えた。

 それだけでなく、各国の豪族より齎される膨大な数の献上品や文の確認、それに対する各地巡礼計画や返礼品の選定等、私にしかできぬことはある。

 

 復権するつもりは露ほども無いが、オボロ達は戦後の混乱期を纏め、トゥスクルという国をここまで豊かに発展させたのだ。その分の礼を返さねばならぬと思えば、少しばかりの執務ならば寝ずに取り組むかという気持ちにもなるのだった。

 

「おはようございます、聖上」

「おはよう、ベナウィ」

 

 既に仏頂面で佇むベナウィに挨拶を返し、堆く積まれた書簡の山に嫌な予感がする。

 

「お疲れのところ悪いのですが、先程トゥスクル皇がまた旅に出まして」

「オボロが……そうか、クオンのところか?」

「ええ、奴から娘を取り戻すと書き置きが」

「……」

 

 クオンもハクを追ってヤマトに滞在しているようであるからして、オボロがいないとなると自然こちらに執務が向くと言うことになる。

 クオンの幸せを願えば、そろそろオボロもハクのことを認めて良いと思うのだが、亡きユズハの娘ゆえに複雑なのだろう。

 

 ユズハ──少し前であるが、オボロと共にユズハの墓参りに行ったことを思い出す。

 

 良き景色の見渡せる小高い丘に立つ墓石を見て、ユズハとの様々な思い出が蘇り、大の男が子どものように泣いてしまった。

 オボロは、そんな私の姿を見てからというもの、これまで以上にクオンに悪い虫がつかないよう頑張る方向性に舵を切ってしまったようである。

 ユズハの最後を看取り、クオンを実際にあそこまで快活な娘へと育てあげたのはオボロでもある。私の血を引く娘であるからといって、余り口を出すわけにもいくまい。

 

 ただ、だからといって私も余裕があるわけではないのだ。

 

「ベナウィ、私も昨夜寝ていないのだ……少しばかり手加減してもらえると……」

「しかし、今この皇都におられる者でトゥスクル皇に並ぶ権力者は貴方になります。本日が期限である最低限の政務のみ選別しておきましたので、昼頃には終わるかと」

「昼頃……」

 

 目の前に堆く積まれた書簡の山はどう見ても夕刻までかかる量である。

 ベナウィとの政務に時間を割きすぎて、もはや見ればどの程度かかるか察する力を得てしまった。

 

「もう少し……負からないか」

「負かりません」

「……」

「私を鬼とお思いでしょうが、こうして無事にご帰還なさった貴方を頼るのは私も心苦しいのです」

「……本当か?」

「ええ」

 

 ベナウィはそこで初めて僅かな笑みを見せる。

 その笑みは、確かにベナウィらしい精一杯の笑みであった。その親愛の笑みを見れば仕方があるまいと、多少の無理は背負うべきかもしれぬとも思えた。

 

「……お前達には、苦労をかけたからな」

「そうお思いですか?」

「ん……? 違うのか?」

「我らが主上の形見……皇女を皆で育てる時間は存外楽しいものでしたよ」

「ならば……」

「しかし、それとこれとは話が別です。貴方の国であるとはいえ、我らは民の租で生き存えている。政務こそが民に返せる術なのですよ」

 

 オボロやクオンが再三言われてそうな台詞である。

 違うのは、彼らは政務から逃げるだけの戦闘力があるが、私には無いということである。

 

「……やるか」

「ええ」

「……出来たものはここに置くから、確認を頼む」

「御心のままに」

 

 重々しい溜息をついて、ベナウィと二人、静かに政務に取り組む。

 何とも懐かしい光景であった。

 

 暫く無言の空間で書簡を捲る音や判を押す音のみが響いていたが、ふと気になり一つの疑問を訪ねることにした。

 

「ベナウィ」

「はい」

「クオンはきっと……このままオボロに皇を任せ、トゥスクルの後継として継がぬつもりだと思うのだが……どうだ?」

「そうですね。皇女は……彼にも、その仲間の方々にも夢中のようですから」

 

 驚いた風も無く、そう返答するベナウィ。

 

 クオンはハクに夢中である──我らの中でそれは周知の事実である。しかし、懸念点はそれだけではない。クオンはこれまでの出会いによって個人的にもヤマトのことを好きになりすぎている。

 ベナウィにとっても、トゥスクルという国こそが最も守るべきものである中、ヤマトにこれから乱が起これば、トゥスクルの利を考えずに必ず首を突っ込むであろう。

 その辺りの利と情を切り離すことのできる人材としては、オボロの方が良いとも言えるのだ。

 

「これからのトゥスクルを思えば、どうするのが良いか……」

「……私は余り心配していませんよ」

「そうなのか?」

「ええ、何しろ……近々新たな御世継ぎがお生まれになるでしょうから」

「……」

 

 それは、クオンとハクの実子の事を言っているのか、それとも私とエルルゥ達の間で生まれる実子のことを言っているのか。

 一応の可能性として、別の人物の名を挙げる。

 

「……オボロにも良き出会いが?」

「彼に? 彼はもはや父親です。義理の娘に時間を割いてあらゆる縁談を断っている間は、彼を継ぐ者が生まれることはあり得ません」

 

 オボロ、クオンのために縁談を断るなんてことしていたのか。

 いや、クオンのためなのか、オボロ自身の判断のためなのかわからないが、オボロも良き人と巡り合えるだけの器量を持った良き漢である。実に勿体無いことである。今度見合いを受けるよう進言しよう。

 

「私が申しているのは、聖上の御世継ぎですよ」

「……わ、私か」

「ええ、建国の皇──ハクオロ上皇の後継が誕生するのは実に喜ばしいことです。オボロも、皇女もこのままトゥスクルを統治するつもりは……はっきりいって皆無でしょう。世情が安定している今、しっかりと英才教育を施せる御世継ぎは、私にとっても望むべくものです」

 

 オボロとクオンに幾度逃走を図られたが故の諦観の籠った声であった。

 ベナウィのことだから、かつてのゲンジマルとクーヤの関係のような一方的な英才教育となりそうである。

 

「ですから──」

 

 こちらを見ることも無くそう告げていたベナウィであったが、ぱっと顔を上げてこちらを見る。

 

「このような政務は早々に終わらせましょう」

「……そうだな」

 

 ベナウィなりに、私の夜の出来事を想って気遣ってくれているのだろう。

 

「……ふむ」

 

 ていよく押し付けられたかと思うも、よくよく見れば書簡も確かに判を押すだけのものがあったり、既に検討された案が添えられていたりと極限までこちらの労力を減らそうとしている努力が見られる。

 私が残した国のために、内を纏め、外敵から護り、一心に支え続けてきた侍大将。今、私からかけることのできる言葉は何か。

 

「……苦労を、かけたな」

「ふ……苦労など……貴方からその一言が聞けただけで、報われた気分です」

 

 ベナウィの声は久しぶりに聞くほどに優しげである。

 眠いままの政務は殊更にしんどかったが、ベナウィとこうして話せたら少しばかり気分が乗ってきた。

 

 ただ、明日も明後日も、いつまでこの政に取り組まねばならないのかを想うと憂鬱な気分と半々である。

 

「しかし、オボロはいつ帰ってくるのだろうな……」

「余り期待しないほうがよろしいのでは。それよりも、早く御世継ぎを。好色皇再びなどと仇名されたくもないでしょう」

 

 さらりと言われた台詞にしては、違和感のある単語が耳に入り、思わず聞き返す。

 

「……ん? 好色皇?」

「ハクオロ上皇帰還を喜ぶ者が多数ですが……悪辣な噂は消えぬものです。ましてや色恋となると」

「……具体的にはどのような噂なのだ」

「室を何人も持ちながら現地妻を作りに行った、他にも室の数の割には後継ぎの少ない好色皇再びと仇名されているのを、以前の報告で見ましたね」

「な、なんだそれは……」

 

 何という不名誉な仇名であるか。

 まあ、民が帰還の理由も知らないのだから、その理由に関してあることないこと噂が広まるのは仕方が無いことでもあるが。

 

「種無し、現地妻だけ作って責任を取らず、初回限定、三擦り半など、様々な噂もあります。他にも、色里で聖上と私を題材にしたラウラウ本とやらが広まり、男色の噂もあると聞いています」

「くっ……そんなもの禁本にしてくれ」

「色里は管理が難しいので、全てとは中々いきませんね。それに、噂はあくまで噂……言論統制などすれば余計に歪な噂が広まることでしょう」

 

 ベナウィの正論に押し黙る。

 確かに、人の口に戸は立てられぬ。噂は噂を呼びまくるであろう。

 

「現時点で皇后はユズハ様のみ。それ以外の方は室の扱いですらありません。第二皇后以下の順番を決められ、しっかりと御世継ぎを残しましたら、市井の煩わしい噂からも解放されるでしょう」

「ああ、そうだな……ん?」

 

 その言葉に、もしや最近の女性陣の押しが恐ろしく強いのは、ベナウィの謀も含まれていたのかもしれないと勘付く。

 何だかんだ、ベナウィは私の尊厳を守ろうと動いてくれることは多い。ベナウィとしても早くまともな後継となる世継ぎを産ませたくて、最初に産んだ人が第二皇后とか何とか吹き込んだとか──いやいや、この忠臣が私に負担をかけるようなことをするかと頭が否定する。

 しかし、と思えば、以前より政関連で負担を死ぬほどかけられた記憶しか掘りだせない。

 

 もしや、とベナウィに問うかどうか迷っていたところ、聞きなれた女性の声が己の思考を中断させた。

 

「ハクオロさん、お茶が入りましたよ」

「あ、ああ……ありがとう、エルルゥ」

 

 執務室にそっと入るは、エルルゥであった。

 政に取り組んでいるところに、エルルゥがこうして茶を淹れてくれる。本当に懐かしい光景であった。

 

 しかし──

 

「……? エルルゥ、どうした?」

「昨夜は! 随分と! お疲れの様子でしたので! 少し滋養強壮のお薬も混ぜておきました!」

「そ、そうか……ありがとう」

 

 どろりとした濃厚な茶を手に取るも、エルルゥの顔は微笑んでいるようで微笑んでいない。

 これは、確実に嫉妬されている顔である。お疲れの様子となった原因を知っている顔である。

 

「……」

「ど、う、ぞ!」

「あ、ああ」

 

 促されるまま、ほぼ粘液のような茶を喉に流し込むと、かっと腹が熱くなる。一体何を入れたのかはわからんが、聞くことはできないだろう。

 これほどまでの態度、きっとトウカが違和感のある顔で廊下を歩いていたのを見たのかもしれない。まあ、逆の立場であれば面白いことではないのだ。嫉妬は甘んじて受け入れるのが、良い漢というものかもしれぬ。

 

「……」

 

 にこにこと貼りつけたような笑みを浮かべるエルルゥと、こちらの問答には我関せずのベナウィを尻目に、一心不乱に政務を終わらせる。

 早く終わらせて、早く寝るのだ。それが、一番良いと目の前の書簡に挑んでいくのだった。

 

 そして政が終わった夕刻。

 あまりの疲労に暫くうとうとと横になっていると、何やら布団の中でもぞもぞと違和感がある。

 

 少しばかりの睡眠を邪魔したのは誰かと存在を確かめると、そこには悪戯がばれたような笑みを浮かべたカルラがいた。

 

「カルラ……!」

「あら、主様。起きられましたのね……残念」

 

 残念そうでもなくぺろりと舌なめずりし、妖艶な笑みを見せるカルラ。

 外を見れば、夕闇の光が残っているような時間である。今からとなると、問答無用で枯れてしまう。

 

「食事になさいます? 湯になさいます? それとも……わたし?」

「湯だ、湯にする」

「では、先に一汗流してからにしましょうか」

 

 それ、どれを選んでも結局お前になるじゃないか。

 

 焦るように後退し、両腕をついて豊満な胸を強調するカルラから逃げる。

 しかし逃げれば逃げた分だけ、以前よりも殊更に魅力的となった肢体が近づいてくる。壁際にどんと背中をついた時、情けない声が出た。

 

「ま、待て……私も少し疲れていて……」

「あら、大丈夫ですわよ。白楼閣で勤務するうちに、殿方はただ寝転んでいるだけで、朝に気持ちよく目覚める方法を学びましたの……安心してくださいな、実践は主様が最初、その技が馴染むまでとくとお見せ致しますわ……」

「それで何を安心しろと言うのだ……」

 

 ギリヤギナの一族に力で勝てる訳も無い。

 

「あん、駄目ですわ、そんなところ……」

「い゛っ」

 

 こちらの手を掴んで一方をカルラの胸に、一方を下腹部に添えさせる。

 握られたカルラの手が、ものすごい力で固定され全く動かないどころか痛みすら覚える。

 

「あらあら、主様も我慢できませんのね……仕方の無い御方」

「いやいや、お前が……! あだだだっ!」

 

 どうやら、自分から誘う件にするのではなく、あくまで私から求めたことにしたいようである。

 

「ちょ、は、離、千切れる……!」

「んー……」

 

 悲鳴と抵抗の声は口によって塞がれる。

 そのまま肉食獣が草食獣を捕食するかのように体を貪られ、その日はあれよあれよという間に長い夜を共に過ごすこととなった。

 

 その次の日。

 

「太陽が、眩しい……死んで、しまう」

 

 黄色い朝日に目を細めながらも本日期限の政務はある筈である。

 それに、現皇であるオボロも皇女クオンもいないということは、代替で朝の報告会にも出なければならんということだろう。

 

 ぐーすか眠るカルラを尻目に何とか身支度を終え、急いで謁見の間へと走ったのだった。

 

「──ハクオロ上皇、御出座であるッ!」

 

 クロウが銅鑼を鳴らし、皇都に務める上級文官の前へと進み出る。

 この光景も慣れたものであったが、久しぶりに立つ場である。緊張等は無いが、随分懐かしいものだ。

 

 文官達は私の姿を見て驚きもせず、慣れた様子で深々と頭を下げていた。見渡せば、新しい顔もいるが建国以来より支えてきた見覚えのある者も多い。

 オボロやクオンがどこかへ逃げるのは慣れた風景でもあるのだろう。特に疑問を持たれることもなく、会は進む。

 

「本日の御報告を致します」

 

 エルルゥが前へと進み出て、案件を一つずつ話し始める。

 

「各地に響いた謎の声により機能停止にあった旧シケリペチム区、その一部村々が復興を開始。半年後には、予定通りの租を収められるとのことです」

「そうか……しかし、今は復興に力を割く時。租についてはヤマトからの支援品もある故、一年は待てるだろう。復興と租についてはある程度調整可能と伝えよ」

「はい、そのように」

 

 傍らのベナウィに伝える。

 この件は長期的な案件であるからして、オボロにも伝えられるよう書簡に纏めねばなあと政務が増えることに頭を抱えていたところである。

 

「次に、お姉ちゃんが嫉妬で薬草を思いっきり叩いてた、ブキミ。とのこと──ってなにコレ!?」

「……」

「ア~ル~ルゥ~! なんで、今になってこんなイタズラして!!」

「あははっ」

「コラー! 待ちなさい!! もう大人でしょ! アルルゥ!!」

 

 以前より格段に上がった逃げ性能を発揮するアルルゥと、それを追いかけるエルルゥ。

 ベナウィはその様子を咎めることもなく、前へ進み出た。

 

「では、これにて散会します。皆さん、本日も頑張ってください」

「いやぁ、懐かしい光景ですなあ」

「私など、何だか涙が出てきましたよ」

「いや、まったく。明日の朝も楽しみですなあ」

 

 ベナウィが慣れた口調で散開を促し、以前よりの文官達はこれまた慣れた様子で感想を言い合っている。

 未だ戸惑うのは、新しく任用された文官達くらいである。

 

「……」

 

 そして、会は終わるも私の仕事はまだまだある。

 

 執務室でベナウィと二人政務をせっせと取り組み、アルルゥとの追いかけっこを終わらせ息を切らせたエルルゥが恥ずかし気にお茶を淹れてくれる。

 

 そして、そのまま今日も今日とて煩雑な政務を終わらせ、どこに行くんですかとエルルゥの恐ろしい視線から逃げるように寝室で過ごしていると──

 

「ハクオロ! おるか!?」

「く、クーヤさまぁ……あたし、この恰好は本当に恥ずかしいですよぅ……!」

 

 深夜、サクヤを両腕に抱きかかえて参上するクーヤの姿。

 

 サクヤがゲンジマルに足の腱を断たれた都合上サクヤは早く歩けぬ。だからといって、クーヤがサクヤを抱えて宮廷内を歩き回る姿は中々に羞恥を誘うものなのだろう。様々な治療の結果、生活に不自由しない程度には歩けるだけに尚更である。

 サクヤは以前より大人っぽくなった表情を殊更に染めて照れていた。

 

「クーヤ、サクヤ……言ってくれれば、私からお前のところへ……」

「ふん、其方はそう言って来ない時があったであろう。いつもそうだ、会いに行くのは余からばかりだ」

 

 そう言われてしまえば、私としては返す言葉が無い。

 思い当たるのは、かつて色里に連れていけと言われた時に断ったことなどだろう。他にもカルラに攫われて予定をすっぽかすことになるなど心当たり多数である。

 

「は、ハクオロ様、すすすいません、突然」

「いや、大丈夫だ」

「そうか、ならば良いな!」

 

 サクヤに向けて言ったのだが、クーヤが満面の笑みで応答する。

 

 苦々しい笑みを浮かべる私をそっちのけで、クーヤはサクヤを優しく布団へと降ろす。

 そして、子どもが甘えるように、自分の頭を私の膝へと乗せてきた。

 

「さぁ、余の頭を存分に撫でるが良い!」

「く、クーヤ……」

「ふふ……」

 

 鼻息荒く頭を撫でられることを求めるクーヤと、その姿を見て優しい笑みを浮かべるサクヤ。

 そういえば、かつての私もこうしてクーヤの頭を撫でたことがあったと思いだす。

 

「むふぅ……良いぞ、やはりこれは良いものだ……」

 

 クーヤの記憶、その多くが戻ったとはいえども、子どもっぽい様子は変わっていないようである。

 沢山の思い出したくない過去がありながらも、その記憶の封印を解き、こうして強く生きることができるようになったのは、きっと傍らで支え続けたサクヤのおかげなのだろう。

 だからこそクーヤは──

 

「では、次はサクヤを撫でるが良い」

「え、ええっ! あ、あたしはいいですよぅ!」

「ああ、わかった。ほら、サクヤ」

 

 クーヤと私に促されるまま、サクヤも頬を赤く染めながらもおずおずと自らの頭を膝に乗せる。

 サクヤにも、本当に苦労をかけた。同族シャクコポル族への圧政が回避されたのも、サクヤを私の内々の室として扱っていた噂を流したことも大きいとウルトリィから聞いている。

 トゥスクル皇の室にシャクコポル族がいるとなれば、と表立った迫害などは見られなくなったとも聞いた。噂を流すために、随分と表舞台にも立ったというし、危険な矢面に立ちながらもクーヤを支え続けたのだ。

 

 もはや私には頭を撫でるだけしかできないが、サクヤの苦労に見合うだけの借りを返そうとは考えていたのだ。

 

「サクヤ、クーヤみたいにもっと甘えていいんだぞ」

「あ、あわわ……は、はいぃ……!」

「む……其方、余とサクヤで随分態度が違うのだな」

 

 クーヤの非難の目を誤魔化すように、二人の頭をなでりなでり、と優しく慈しむように撫で、暫く至福の時を過ごす。

 

 クーヤは暫く頭を撫でられ、それで満足したのだろう。

 起き上がると悪戯好きな笑みを浮かべ、私の胸に枝垂れかかる。

 

「? どうした」

「では、そろそろこの国にシャクコポルの世継ぎを作るとしよう!」

「うぇっ、く、クーヤ様ぁ、そ、そういうのは……!」

 

 余りにも直接的過ぎるとサクヤが真っ赤な顔でクーヤに非難の視線を送っている。

 

 クーヤがこうまで言う理由は、亡きゲンジマルが護ろうとしていたものを護るため。かつてのシャクコポル族の叡智、クンネカムン復興を目標に、トゥスクルにシャクコポル族の血を引く皇族が欲しいと熱心なのだ。

 ウルトが戦後シャクコポル族の保護区や復権に助力したとはいえ、未だ目に見えぬ部分で確執も多いと聞く。

 

 クーヤの焦燥は理解できるものでもある。しかし──

 

「ク、クーヤ、私も、その、疲れていてだな……」

「寝ているだけで構わぬ。教わった技も試したい。サクヤもそうであろ?」

「え、ええっ!」

 

 誰に教わるんだ、そんなもの。というか、教わったのか。

 頭に浮かぶはカルラの悪戯好きな笑み。トウカへの吹き込みで前科一般であるからして可能性は高そうである。

 

「わ、私は、そのぉ……えっと……う、うぅぅぅ」

 

 ちらちらと私の下腹部を見て震えるサクヤ。これは教わっている視線である。

 サクヤも私が察したことに気付いたのだろう。違うんですと弁明しながらも羞恥で瞳は潤み始めている。

 

「余でもサクヤでも良い、さっさと孕ませよ。シャクコポルの血を継ぐ者を作るぞ、ハクオロ!」

「な……」

 

 色気も何も無いが、一度始まると先ほどまでの態度は何だったんだと照れるクーヤである。

 きっと、自らの使命も鑑みた結果、羞恥を必死に隠して誘ってくれているのであろう。

 

「は、ハクオロ様ぁ、ご、ごめんなさい!」

 

 サクヤもサクヤでここまで来れば後は成り行き派なのだろう。

 クーヤを制することはなく、案の上二人がかりで求められてしまった。

 

 そして、次の日。

 

「太陽が、痛い……太陽に殺される……」

 

 もはや殺人的な陽光に体を震わせながらも這って起き、謁見の間へと向かう。

 そして、そこではまたもや、アルルゥとエルルゥによる一波乱が起きながらも、朝の集いを早々に終わらせ今度は執務室へと向かう。

 

「ハクオロさん! お茶が入りましたよ! 今日は特に濃厚ですから!」

「あ、ああ、エルルゥ、ありがとう」

 

 政務では毎日のようにエルルゥの特殊な茶を飲んで過ごし、嫉妬のせいか徐々に憤怒の形相となるエルルゥに戦々恐々としながらも、昨日はサクヤとクーヤであった。であれば次に来る人物──予想ではエルルゥである。

 

 つまり、今日はエルルゥが来る日である。

 そう思ってみれば、エルルゥの表情も心なしか明るいように思えた。

 

 これで暫くは嫉妬の目線からも解放されよう──そう思っていたのだ。

 

「よう、ハクオロさん」

 

 思わぬ客分──ハクがトゥスクルへと来訪した。

 

 




 初代の御馴染展開を書こうとするとついつい文字数が多くなりがちです。

 読みやすさも考え、今回は二話に分けました。
 後編は推敲の後投稿します。


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参 愛を育むもの 後

 ハクオロさんとトゥスクルヒロインズ回の続きです。

 初代をやってない方には、ちょっとちんぷんかんぷんになる展開もあるかもしれません。
 やってない方はこんな作品読む前に是非やってくださいね。不朽の名作です。


「よう、ハクオロさん」

 

 トゥスクルに、ハクが来訪した。

 

 クオンの帰還に合わせたのだろう。

 クオンを追ってトゥスクルから消えたオボロやドリィグラァの姿が見えないため、擦れ違いになったかそれとも彼らを撒いてきた可能性もあるが。

 

 クオンが皆のところへ、特にベナウィに釈明しに行っている間、ハクは私の元へと会いに来てくれたのだ。

 

「やあ、ハク。暫くぶりだ」

「ああ」

 

 以前、温泉で二人仲良く過ごした時以来の再会である。

 本来ならば、待ち望んだ邂逅といっても過言ではない。二人して笑みを浮かべ、握手を交わす。

 

「? どうした、ハク」

「いや……ハクオロさん、大変だったようだな」

 

 ハクは気まずそうに私の顔を見ている。間近で見て色々察したのだろう。

 鏡を見ても判るほどに、今の私は頬も痩せこけているのだから。

 

「ん……まあ……お互い様だ」

 

 彼は彼で、クオンだけでなく数多くの女性に求められているようだから、悩みは一緒の筈である。

 それよりも、今はそういった悩みが共通しているが故に相談したいことがあったのだ。

 

 昼間ではあるが、互いに酒好きの身である。

 奥に隠していた秘蔵の一本を飲み交わしながら、ぽつりと切り出した。

 

「ハク、少し相談事をしても良いだろうか」

「? ハクオロさんが? 何だ?」

 

 私から相談事など珍しいという反応である。確かに、ハクに相談することはそう多くない。どちらかといえば、相談されることの方が多かったように思う。

 

 何事かと戸惑うハクに、私がここ最近の女性事情について悩んでいることを明かす。

 このままでは身が持たないため、何らかの打開策を見つけたい旨を伝えた。

 

 すると──

 

「皆に、休ませて欲しいって言ったら駄目なのか?」

「……しかし、私は彼女達を長年待たせてしまった身でもある。たとえ以前よりも遥かに力が劣ったとしても……彼女達が望むならば、望むままに応えてやりたい」

「……ハクオロさんは、相変わらず真面目だな」

 

 真面目──そうかもしれんな。

 

 ウィツァルネミテアの依代となれば、その精神も融け合い、影響し合う。

 融通の利かない私の生真面目な性格が反映され、世界を混乱させるきっかけとなったとも言える。

 

 しかし、今更どう変われば良いと言うのだろうか。

 

「そうだな……君のように飄々と生きてみたいものだが……」

「いやいや、ハクオロさんはその性格が魅力的なんだろうよ」

「……そうだろうか」

「ああ、エルルゥさん達がハクオロさんを見る目を思えばな」

 

 そうか、もはや何の力もない自分ではあったが、エルルゥたちに未だ自分が魅力的に映っているのであれば良かった。

 しかし、ハクは相変わらず己の嬉しい部分を刺激するのが上手い。人たらしとクオンが言うのもわかるというものだ。

 

「ふ……私は君の方が魅力的に思うよ」

「いやあ、ハクオロさんには負ける」

 

 気持ちの悪い男同士の褒め合いはこのくらいにして、先程の案件に話を戻した。

 すると、ハクは少し悩んだ後に心当たりのあるようなことを言う。

 

「んー、一応あるんだが……」

「ふむ?」

「そうだな……ハクオロさんの本心を話すのが一番だと思うぞ」

「……本心?」

「ああ、何か、言えないことというか……隠していることがあるんだろう?」

 

 ハクの言葉は、私の隠していた胸の奥を鋭く穿った。

 本当の悩みはそこではないと、ハクが知っているかのような言葉であった。

 

「そうか、わかるか……」

「ああ、贅沢な悩みだけじゃないことくらいはな」

「ふ……」

 

 ハクは相も変わらず気持ちが良い程に核心をつく。

 人のことを見ていないようでよく見ている。気づいていないようで気付いているのだ。

 

「君は、どこまでわかっているんだ?」

「ん、いや、具体的なことはわからんが」

 

 それでも、何かを隠していることに気づいたということか。

 

 では、と私の言えなかった本心をハクへと明かす。

 ハクは暫く私の言葉に悩んだ後、元気付けるように言葉をかけてくれた。

 

「そうか……まあ、元が弱かった自分と違うからな……それでも、話した方がいいと思うぞ」

「そう、だな……」

 

 ただ、ハクの言葉を全て受け入れられるかと言えば、そうではない。

 ずっと、言えなかった本心を話すべきなのか。私の恐れを、彼女達に話しても良いものだろうか。思わず弱音が漏れた。

 

「……話しても、良いのだろうか」

「ああ。ハクオロさんが話したら、わかってくれる人達だと思うぞ」

「……うむ」

 

 確かに、そうかもしれない。

 私の弱音に間隔なく応えてくれたハクの言葉。それは驚くほどにすっと胸の内に入ってきた。

 

 誰かへ安易に頼る前に、彼女達へ私の本心を明かすことが先──か。

 

「ま、どうしてもってなら、兄貴おすすめの回復装置を──」

「わかった。皆と話してみよう」

「お、そうか。まあ、いい話になるよう願っているよ」

 

 ハクとの会話で、決心がついた。

 私が帰還した時よりずっと抱えていた、ある本心──私の恐怖を、彼女達に明かす時が来たのだ。

 

 明日、どう彼女達を集め、どうその本心を語るべきか、思考を巡らせたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 エルルゥの日であった筈のその夜は、ハクとクオンと共に酒盛りをして過ごした。

 久々の休日というやつである。

 

 ただ、その次の日の朝には、ハクとクオンは何処へと旅立った後であった。

 クオンが、ベナウィの決して逃がさぬという気配を感じたのかもしれない。

 

 クオンが逃げたため、ベナウィは変わらず私を頼り、今日も今日とて政務に精を出す。

 

「ハクオロさん、お茶をどうぞ……」

「あ、ああ……ありがとう、エルルゥ」

「……はぁ」

 

 本来であれば、昨日はエルルゥの日ではあったが、御預けをくらった形となるエルルゥは見るからに溜息を連発していた。頬に手を当てて、その眼は悲しげに俯いている。

 

「昨日は本当に、本当に久しぶりだったのに……う〜……! お薬もいっぱい用意したのに……!」

 

 何やら怖い独り言を呟いているが、エルルゥも最愛の義娘と義理の息子との酒盛りを邪魔するわけにはいかないと思っていたのだろう。

 

 しかし、そんなエルルゥに伝えねばならないことはあるのだ。

 エルルゥの耳元に寄って小声で囁く。

 

「……エルルゥ」

「? どうしました、ハクオロさん」

「今夜、私の寝室に来て欲しい」

「っ──!!!」

 

 その瞬間、エルルゥの顔はぼんと赤くなり、執務室にいるベナウィに気付かれぬよう無言でぶんぶんと首を縦に振り始めた。

 まさか、ハクオロさんから誘ってくれるなんて、と小声で呟き、両頬に手を当て、くねくねと体をしならせ、尻尾は感情を示すかの如く暴れている。

 

「エルルゥに話したいことがあるのだ、いいか?」

「……っ……っ!」

 

 何度も何度も頷くエルルゥ。

 もしかすれば違うことを期待させてしまったかもしれない程に、喜びに満ち満ちた表情であるが、今夜呼び出した訳はハクから言われたことを実行するためであった。

 

 そして次は──

 

「ウルト」

「あら、ハクオロ様。お久しぶりです」

 

 次は本日オンカミヤムカイより来訪したウルトリィである。

 ウルトリィにも様々な苦労をかけた。戦後の動乱を纏めあげられたのは、ウルトリィの力が無ければ成し得なかったであろう。

 

 それに、ハクを私の元まで導いたことや、運命に従うことなく機転を利かしてトゥスクルの皆を呼びに言ったのも功を成した。影の立役者である。

 

「ああ、久しいな。元気にしていたか」

「ええ」

 

 美しい金髪の髪と純白の翼を風にはためかせ、以前と変わらぬ美しい姿に見惚れる。

 いつか、しっかりと礼は尽くしたいと思うが、互いに忙しい身である。ウルトリィがこうして皇都で過ごす間くらいはゆっくりと語らいたいものだ。

 

 暫く心地よい雑談を交わしながら、ウルトリィと言えば――と、今やトゥスクルの重鎮となったフミルィルの話題を持ってきた。

 

「そういえば、この前フミルィルと食事を共にしたが……あの赤子だった子が、ウルトに似て随分綺麗になっていたな」

「あ、あら……そうでしょうか」

「ああ、気品があるところがそっくりだ」

 

 傾国の美女とまで呼ばれているが、その美しさの根源はウルトの立ち振る舞いを真似たようにも思うのだ。

 

「ふふ……ハクオロ様にもそっくりですよ」

「そうか?」

「ええ」

 

 かつて赤子のフミルィルを抱いて仮のマーマとパーパとなった記憶が蘇る。

 母の愛を知り、しかし我が子同然の存在を失い、尚前を向き続けた強き女性。

 

 いつかの光景が蘇り、もう一度ウルトリィと共に足を運びたい欲が出た。

 

「そうだ……フミルィルは今ヤマトで親善大使の任についているが……都合があえば、ウルトとフミルィルの三人で、かつての孤児院に行かないか」

「! 勿論です。私も最近は行けていませんでしたから……今は学び舎ですが、子ども達も喜びます」

 

 フミルィルを本当の親へと返したことで一度は失い、その愛を今度は救われぬ孤児たちへと向けたウルトリィ。

 それだけでなく、未来を担う子ども全てへと愛を向ける学び舎までに昇華してくれたのだ。

 

 気高く、芯を持った強き女性。しかし、その夢は小さな家でただの村娘として暮らしたいという健気な女性。

 こうして生身の肉体を持ったからこそ、ウルトリィの夢をほんの僅かでも叶えてあげられたらとも思うのだ。

 

 ただ、今回話しかけた用はそれだけではない。

 長々と道端で話すことも無いと、要件を伝えることにした。

 

「ウルト、それとは他に願いがあるのだが、良いか?」

「はい? ええ、何でしょうか」

「今夜……私の部屋に来てくれないか? ウルトに話したいことがある」

「!! あら、あらあらあら……まぁ」

 

 ウルトリィは一瞬目を輝かせると、恥ずかしそうに自らの金髪を弄ったり、豊満な胸の下で腕を組んでそわそわしたりと落ち着きが無くなる。

 何か予定があったかと心配になり、思わず聞いた。

 

「すまない、何か予定があったか?」

「い、いえ! 予定は……ありません。ハクオロ様より誘っていただけたのが、その……珍しいことでしたので……」

「そう、かもしれないな」

 

 思い出しても、ウルトリィから会いに来ることの方が多いように思う。

 私から会いに行ったのは、ウルトリィに相談事を持っていくくらいしかなかったかもしれぬ。

 

「迷惑だったか?」

「そんな……嬉しく思います」

 

 ウルトリィは少し頬を染めて微笑む。

 良かった。エルルゥとウルトリィは来れそうである。

 

「気にするな、私もウルトに話したいことがあっただけだ」

「ええ、夜……ですね」

「ああ、ウルトが来るまで待っている」

「っ……わ、わかりました」

 

 唇を噛んでぎこちない笑みを浮かべ、真っ赤にした頬を隠すようにどこかへと向かうウルトリィ。

 夜に呼ぶのはどうかとも思うが、私も昼は政務で時間が取れぬ。仕方のないことでもあるのだ。

 

 さて次は──

 

「カミュ」

「あっ、おじさま! おひさ! どうしたの?」

 

 オンカミヤムカイからの来訪者二人目。

 ウルトリィがいるということは、つまりカミュも必ずいるということだ。さぼって皇都にいることも多いカミュであるが、最近ムントの開発した術のせいでオンカミヤムカイに長く留まっていたようだ。

 

 ここ最近は皇都にいなかったようだから、久々の再開に花のような笑みを浮かべている。

 

「いや……」

「?」

 

 子どもっぽい見た目から随分と女性らしく成長したカミュであるが、未だ身長はそれほど高くない。

 自然カミュを見下ろすような形となる。

 

 ウルトリィよりも成長したと噂のカミュであるが、やはり大きい。

 ムツミが宿る肢体は代々このような遺伝になるのか、それともムツミが選んでいるのか気になるところではあるが、あまりじろじろと見るのも失礼である。

 

 それに、カミュには聞きたいことと、伝えたいことがあるのだ。

 

「元気にしていたか?」

「うん!」

「アルルゥも寂しがっていた。暫くしたら、また戻るのか」

「ううん、ムント達の術に対抗する術を編み出したからね! 暫くまたアルちゃんと一緒にいられると思うよ!」

「そうか」

 

 アルルゥとカミュは一心同体なところがある。二人の仲睦まじい姿は疲れた体も癒える目の抱擁だ。

 かつてはユズハと三位一体であったが、彼女達の姿を見ていればユズハのことも決して忘れていない事はわかる。

 以前、オボロとユズハの墓参りに行ったが、アルルゥとカミュと行くのもいいかもしれないな。

 

 そんなことを考えながらも、もう一つ聞きたいことを問う。

 

「ムツミとは、どうだ?」

「うーん……話す?」

「今話せるのか?」

「うん、直接話したいでしょ?」

 

 そう言って、カミュは目を閉じる。

 暫くすると、姿がぼんやりとぶれ、ムツミが目の前に現れた。

 

「ムツミ……か?」

「どうしたの、お父様」

「いや、元気に、しているか?」

「この子は元気」

「カミュが元気なのは知っている。お前はどうだ」

 

 ムツミは暫く迷った後、相変わらず無表情のまま応えた。

 

「元気」

「……そうか、それは良かった」

 

 ムツミはもはやウィツァルネミテアでは無くなった私の事は眼中にないかと思っていた。

 しかし、こうして未だ意識を共有しているカミュを通して話をしてみると、相変わらず私をお父様と慕ってくれていることがわかったのだ。

 その理由は聞けずじまいではあるが、未だムツミの拠り所となれているのであれば、こんなにも嬉しいことなかった。

 

「ウィツァルネミテアの様子はどうだ」

「眠ってる」

「そうか……」

「私もあの子には感謝している。お父様の願いを叶えてくれてありがとうって、あの人間に伝えて」

「ああ」

 

 ムツミが言うのはハクの事だろう。

 ハクのおかげで、ウィツァルネミテアの孤独を癒し、その真なる眠りを叶えることができたのだ。ウィツァルネミテアの願いを叶えることは、ムツミの悲願でもあった。

 

「……あと」

「?」

 

 ただ、ムツミは少し悩んだあと、もうひとつハクに伝えてほしいことがあるという。

 

「心を折らないでって伝えてほしい」

「心を?」

「お父様の今回の眠りは……封印ではなく、あくまで契約。契約者の心が折れた時、お父様は再び目覚める」

「……」

 

 ムツミの言う通り、ハクが正気でいる限り契約は遂行され、ウィツァルネミテアは眠り続ける。

 しかし、ハクが己の孤独に耐えられなくなった時、その契約は破棄されるのだ。

 

 愛しき存在がいる今は良い。

 だが、その後、気の遠くなるほど長い長い時を、ハクは孤独のまま過ごすこととなる。

 

 ウィツァルネミテアはあくまで他者の願いを叶え、進化させる存在。それだけの力を持つ神を強制的に眠らせたのだ。

 それ相応の代償と言えばそれまでであるが、人の精神にはあまりにも重すぎる代償である。

 

 このことは、ハクに伝えるべきか迷っていたことでもある。それを伝えれば、尚更己の孤独を意識し、一人戦い続けてしまうのではないかと。

 

「お父様が言わないなら、私が言う」

「……そう、だな。だが、それは彼の心が折れる寸前にしてやってくれ。もう、無理をする必要は無いと」

 

 ムツミもまた、オンカミヤムカイの血筋に宿り続ける存在。

 カミュの子々孫々に、再びムツミの意識は宿るであろう。その時、ハクもきっとその世界で生きている筈。

 

 もしその時、ハクが契約を破棄しウィツァルネミテアが目覚めれば、再びヒトを進化させるための闘争が始まるであろう。

 しかし、その時に抗うはハクではなく、彼らの子孫である。彼らの子孫であれば、きっとウィツァルネミテアには頼らぬ未来を、神を必要としない未来を掴もうとしてくれる筈だ。

 いや、私も含めて、その未来をこれから作っていかねばならない。

 

 ムツミは私の願いを聞き入れるように、僅かに頷いた。

 

「わかった、そうするね……今日はもういい?」

「む……ああ。カミュにも言うが、別件で夜に話したいことがある。来てくれるか」

「この子が行くなら私も聞いている」

「ふ、そうだな。だが、お前に聞くのも、私は忘れない」

「……」

「来てくれるか」

「……わかった。じゃあ夜ね、お父様」

 

 そう言って、ムツミは目を閉じる。

 かつてウィツァルネミテアの遺伝子を最も濃く受け継いだ娘のような存在であったが、私は深手のせいでムツミの存在を忘れていた。

 決して私を忘れないで──そう言われた時の、あの時の失態を二度と繰り返しはしない。生きている限り、こうしてカミュを通して繋がり続ける。

 

 それが、ウィツァルネミテア無く、こうして帰ってきた私の役目でもあるのだ。

 

「ん……おじさま?」

 

 カミュが意識を取り戻したのだろう。

 目をこすりながら、私のことを呼ぶ。

 

「話したよ。ありがとう、カミュ」

「いいよ! 用事はそれだけ?」

「いや、もう一つあるんだ」

「?」

「今夜、私の部屋に来てくれないか? カミュに話したいことがあるのだ」

「……っ!? え、えぇっ!!?」

 

 暫く口をぱっくりと空けて唖然としていたカミュが、突然飛び上がるようにして驚く。

 

「どうした?」

「だ、だって! いつも鈍感なおじさまから、なんて、その……め、珍しいなって、あはは……!」

 

 ウルトリィにも言われたな、珍しいと。

 

 こうして考えてみると、やはり私には積極性が無いような気もしてきた。まあ、カルラやトウカなど筆頭に、いるだけで波乱を起こす者が周囲に多数いるのだ。受け身な性格になってしまったのも仕方が無いのかもしれぬ。

 

 カミュはぽりぽりと照れたように頬をかき、私の視線から避けるように目を逸らす。

 都合が悪いのだろうか、もう一度聞いた。

 

「カミュ?」

「ぅ……よ、夜に、おじさまの……その、部屋に行けばいいの?」

「ああ」

「うぅ……わ、わかりました」

 

 翼をへにゃへにゃと曲げ、表情を見せないように額に手を当てて隠すカミュ。

 なぜそんな反応をすると、顔を下から覗きこもうとすると、カミュは逃げるように飛び退いた。

 

「おじさま!」

「な、なんだ」

「わ、わかったけど……み、皆には内緒だよ!」

「? ああ……」

 

 カミュはそう言うと脱兎の如くどこかへと駆けていく。

 

 皆には内緒にしていても、夜には一同勢ぞろいである。

 内緒にする意味がわからないが、カミュの姿はもう遥か先にある。問うこともできまい。

 

 さて、と、政務の合間合間や、厠、食事の合間に他の者にも誘いをかける。

 本来であれば一堂に会する機会に聞けば良いのだろうが、皆ばらばらに動いていて聞こうにも聞けない。こうして偶然出会った者に声をかけるしかないのだ。

 

 そうして、何とかクーヤ、サクヤ、トウカ、カルラにも誘いの話をし、全員から戸惑いを覚えられつつも了承を得ることができた。

 アルルゥにも声をかけるか迷ったが、アルルゥは娘のようなもの。大人な話は聞かせられぬと秘密にすることとした。

 

「ふう、これで全員か……」

 

 やはり、好色皇と仇名されてしまうほどには多い。

 それに、オンカミヤムカイの皇女を二人、エヴェンクルガ族の剣豪、亡国のギリヤギナ族皇女、クンネカムン皇女とその側付など、地位や肩書きもとんでもない者が多い。

 男色の噂しかないオボロと比べ、市井があることないこと噂するには絶好の存在ということだ。

 

「世継ぎ、か……私に、その資格があるのか……」

 

 夕闇が支配する中、女性陣が何やら揃いも揃って湯に向かう姿を捉え乍ら、私は皆を自室で待つこととしたのだった。

 

 そして──

 

「皆、よく集まってくれた」

「これは──」

「どういう──」

「──ことでしょうか?」

 

 台詞を継いで疑問を口にする女性陣。

 

 そう、私の本心を語るためにも、今夜の寝室には私と関係を持つ女性陣全てを集めた。

 具体的に名を挙げれば、エルルゥ、カルラ、トウカ、カミュ、ウルトリィ、サクヤ、クーヤの七人。ムツミも入れれば八人である。

 

「珍しくハクオロさんから誘ってくれたと思ったら……皆で、なんて……どういうこと? 二人っきりじゃ、こんな胸じゃ、興奮しないってこと……?」

 

 エルルゥが虚空を見つめて何かしら独り言を呟き始める。

 

「ふふ、流石好色皇……随分趣向を変えてきましたわね」

「ほ、他の者に肌を見せるのは恥ずかしいが、こ、これも、お役目のため……せっ、聖上が望むなら、望むならば……っ!」

 

 カルラは諸々含んだ笑みでそう言うが、他の者に関しては私の誘い方が悪かったのか、皆一様に戸惑っているようである。

 

 末恐ろしい誤解に背筋が凍り、一刻も早く皆の誤解を解く必要があると焦りに駆られ、口を開いた。

 

「すまない、今日皆に集まってもらったのには、皆に伝えたいことがあったからだ」

「おじ様が皆に……?」

「伝えたいこと……?」

 

 私の言葉を復唱するカミュとウルトリィ。

 姉妹揃って首を傾げて、その言葉の意味を反芻している。

 

 トウカもまた予想が裏切られたような表情をして戸惑っている。

 

「聖上より、話……のみ?」

「残念でしたわね、トウカ。貴女の勘違いだったようですわね」

「んなっ! 元はと言えばカルラが」

「私が?」

「ぐ、ぐむっ……」

「トウカ、勘違いをさせてすまぬが……話を続けてもいいだろうか」

 

 真っ赤な顔で言い争いするトウカに声をかける。

 トウカは先程までの慌てようを思い出したのだろう。顔を伏せて謝罪を述べた。

 

「はっ、某としたことが……と、取り乱して申し訳ありませぬ、聖上」

「いや……私も言葉が足りな──」

「トウカ、貴女、そんな厭らしい服も持ってましたのね」

「も、もうやめろぉ!」

 

 確かに、トウカは肌着といっても良い服装であるが、カルラも人のことは言えぬ服装である。

 ここぞと揶揄うカルラを言葉で制し、何とか皆が話を聞く態勢へと持っていこうとするも、皆も戸惑いが大きいのか未だわちゃわちゃしてしまう。

 

「それで、ハクオロ、余らに話とは?」

 

 一向に進まぬ状況にクーヤの言葉が刺さる。

 そこでようやく、皆が私の話を聞く態勢になったようだ。

 

 しかし、皆の中には心当たりはないのだろう。

 一体何の話なのかと、皆の表情には疑問符が浮かんでいる。それはそうだ、私の本心は誰にも話したことはないのだから。

 

 緊張に声を震わせながらも、ぽつりぽつりと語ることとした。

 

「皆も気づいているだろうが……私の体は以前より遥かに弱くなった」

「……」

 

 その言葉に、誰も否定は返さない。

 

 そして、皆の中にこれは真面目な話なのだと気づいたのだろう。ぴんと張りつめたような緊張感が走る。

 

 無言の空間の中、私はぐちゃぐちゃした心の中を整理するように、ぽつりぽつりと言葉を伝えることにした。

 そう、皆は私がもう彼の者ではないことは知っているが、改めて皆に伝えておきたかったのだ。

 

「そう……私はもうウィツァルネミテアではない、ただの人だ……かつての私と、今の私は違う」

「……」

「かつての私が持っていたもの……敵を屠る力も、皆を救う知も、上に立つ者としての求心力も、もはや何一つ無い」

 

 神としての意識は無かったとはいえ、内より沸き上がる力、知力、技、指導力、求心、その全てが果たして人間である自分が持っていたものであると言えるのか──答えは否である。

 

 こうして人の身に戻ったからこそ理解できる、己の未熟さ、至らなさ。

 

 ベナウィと政をする中でも気付いていた。

 以前とは違い、人として持っていた記憶や知識を思い出そうとすると、靄がかかったように浮かんでこない。思い出すのに多くの時間がかかってしまう。

 疲労も以前より遥かに重く感じる。老いと言えばそれまでであるが、ウィツァルネミテアで在る時は老いなど無かった。

 

 そしていざ戦となれば、以前の私であれば数多の策が即座に生まれていた。今は平和な世であるからこそ確かめる術はないが、あの仮面によって憑代である身に根源の力を与えていたということは、もはや疑いようの無い事実である。

 

 となれば――神としての力があったからこそ、私は皆に頼られてきたのだと、そう考えるようになってしまった。

 

 そう考えてしまえば、もはやそれを否定する思考は浮かばぬ。

 ただの人として帰還した私に何の魅力があるのかと、私はずっとそれを一人思い悩んでいたのだ。

 

 ──彼女達が求めるならば応える。

 

 それは、ハクの言うように私が真面目だったからではない。

 私が考えていたのは、本当の想いは、ただ──

 

「──怖かった……こうして素顔を晒し、皆のところに帰ってきた私は……私であって、私ではない。皆と出会った時の……皆が愛を囁いてくれた時の、強き私ではないことに……」

「ハクオロさん……」

 

 ぎゅっと、言葉を紡ぐほどに拳に力が籠る。

 惚れた女性に対して、自らが如何に情けない男であるか、以前より劣化したか伝える愚かな行為に、肩が震えた。

 

「仮面を……根源との繋がりを失った私は……聖上、主上、主、そのように呼ばれる価値などない。君達の誰よりも、力も知も、その命の限りも劣る、ただの凡人となった」

 

 シャクコポル族が自らの非力に絶望し、ゲンジマルが彼らを救おうとウィツァルネミテアに力を求めた気持ちが今なら分かる。それほどまでに、己に力が無いという絶望は深きものであった。

 皆の表情も見られず、嘆く様に、心の底から謝罪するように、言葉を紡ぐ。

 

「私は、皆の気持ちに十全に応えることすらできない、ただの人という種族に戻ってしまった……君たちの想いに相応しき力も寿命も無いことを……こうして、君たちに謝っておきたかったのだ……」

 

 見限るならば見限ってくれと、それが自分にとって真に恐ろしいことであると知っていても、言わねばならないと、頭を下げた。

 

「すまない……不甲斐なき男で……」

 

 どれくらいの時間が過ぎたろうか。

 ハクが、皆ならばわかってくれると言ってくれたことを心の支えに、ここまで自らの心情を吐露したこともある。

 

 不安に押しつぶされそうだ。心臓が早鐘のようになり響いている。

 

「……ハクオロさんは、勘違いをしています」

 

 私の爆発しそうな心を押しとどめたのは、エルルゥの安心させるような優しき声色であった。

 

「エル、ルゥ……?」

「ハクオロさんが持っていたものは、今も昔も……一つだけだったじゃないですか?」

「……」

「力も、知も、求心だって、無くてもいいんです……元々ハクオロさんは、皇だって周りから求められて嫌々やっていただけじゃないですか……私達がハクオロさんについていった理由は、もっと別のことです」

 

 武力でも、知識でも、指導力でも、無い。私が持つ一つだけのものとは一体何なのか。

 エルルゥは痛い程に握りしめていた拳にそっと手を重ねて呟く。

 

「私のこと……今も好きでいてくれていますか?」

「……? 勿論、好きだ……愛しているとも」

「ほら!」

「む……?」

「ハクオロさんは、変わってなんかないじゃないですか。私達が大事だって気持ちを、封印されても、ずっと、ずっと持っていてくれたじゃないですか……!」

 

 エルルゥがそう言って微笑む。

 その笑みがミコトの笑みに重なる。神すらも魅了した、ヒトの持つ心からの純粋な笑み──

 

「……」

「あの時も言いましたよね……知っていました、って。契約のせいじゃない……私達に温もりをくれた人、だから、好きになったんです……って」

 

 確かに、その言葉は覚えていた。

 

 ウィツァルネミテアとして、エルルゥと別れる前に交わした言葉だ。

 エルルゥが私を慕う理由は、私と契約したからではないと、そう否定してくれたのだ。

 

「神様だからじゃない……ハクオロさんの温かい心が、皆を集めたんです……強いからじゃない、賢いからじゃない……皆、皆、今の優しいハクオロさんが好きなんです」

「……エルルゥ」

「皆が待っていたのは、今のハクオロさんです……ただの人として、私達と一緒に生きていけるハクオロさんのことを……ずっとずっと、待ってたんですよ」

 

 そうだ。

 私は何を忘れていたんだろう。大事なことを。

 

 長き眠りに、大封印に正気を奪われ、分身が神として再び顕現せぬよう、自らの心を堅く律してきた。

 神として、己の心を殺さねばすぐさま封印は融けてしまったであろう。実際、エルルゥの危機によって心を揺さぶられ、封印は弱まってしまった。

 

 そのせいなのだろう、人として持っていた筈の、本当に大事なことを忘れていた。

 

「聖上……某もあの時誓いました。またいつか、お仕えさせていただきます、と……それは、聖上が某の罪を許し信じてくれていたからこそ。それに、大事な人形も修繕していただいたこともありました……某が仕える相手として、今の聖上が以前より劣るものなど、何一つありませぬ」

「……トウカ」

「おじ様は相変わらず鈍感なんだね。まあ、そこがあの子もアルちゃんも好きなところなんだろうけど……」

「……カミュ」

 

 トウカとカミュがエルルゥの言葉を続ける。

 人形に関しては私が壊したんだが、それについては言える雰囲気ではない。それに、純粋に皆の言葉は嬉しかった。

 

 そして、カルラが私の背に枝垂れかかるようにして迫り、ぽつりと心情を吐露した。

 

「主様、言った筈ですわよ……必ず出会って、何度でも、主様のものになってみせますわ……と」

「カルラ……」

「人になったくらいでは、私達の愛は揺らぎませんわよ」

 

 カルラの言葉がじんわりと胸の内に広がり、ただ女々しく怯えていただけなのだと悟る。

 

「それに、主様が弱い方が好きにできますもの」

「……」

 

 そっちが本音じゃないだろうな。

 まあ、以前よりカルラには力で勝てた試しは無いのだ。

 

「ハクオロ様、貴方がいなければ、ここまで皆が家族のように纏まる事は無かったでしょう」

「ウルト……」

「ハクオロ様がこの輪を作ったのです。誇りに思ってください」

 

 優しきウルトリィが、少し怒ったような表情でそう言う。

 怒られて当然だろう。全ては、私の勘違いであったのだから。

 

「ありがとう……」

「もう一度言います。ずっと、ずっと待っていたんです……ハクオロさんが、優しいハクオロさんのまま、私達のところに帰ってきてくれる日を。だから──おかえりなさい」

「……ああ、ただいま」

 

 エルルゥ他、皆の瞳には涙が浮かぶかのように潤んでいた。

 いや、違う──これは、私の瞳が潤んでいたのだ。

 

 日々感じる己の無力さ故に、皆の愛を疑ってしまった。

 しかしもう疑う事は無いだろう。たとえ元と違う存在であっても、私らしくあれ。彼女達はそう言ってくれたのだから──

 

 エルルゥの手の温もり、皆の温もりが伝わってくる。

 皆が傍にいてくれれば、今度こそ人として生きてゆける――そう確信した。

 

「ありがとう、皆に今の私が受け入れられて嬉しい……そこで相談なのだが――」

「──じゃ、話も終わったし、するぞ! ハクオロ!」

「ちょ、クーヤ様!? と、突然何を……!」

「うむ、ハクオロは勘違いをしておる。あんな仮面など無くなって良かったと余が行動で以て示してやるのだ」

 

 クーヤが快活な声を上げて自分の服を脱がそうとする。

 それを見てサクヤが驚愕のままに止めようとするが、あわあわと声にならない涙目おろおろ状態で頼りにならない制止である。

 

「ま、待て、クーヤ。先ほども言ったが、私はもうただの人なのだ。情けない話だが、体が持たない! これからは、皆の愛に応えたいが……できるだけ、その加減を……!」

「見苦しいぞ、ハクオロ。漢ならば責任は取れ」

 

 己の弱さを理由にすることはないと先程誓ったばかりであるが、できることとできなことは未だあるのだ。

 八人は流石に無理であると、焦りに焦って周囲に助けを求めた。

 

「ちょ、待ってくれ……え、エルルゥも止めてくれ!」

「ふふ、大丈夫です。いつもより無理はさせませんから」

 

 エルルゥがクーヤの姿を見て嫉妬を覚えたのか。

 ぎらりとした視線、肉食の笑みを浮かべて対抗心を燃やし始めている。そして、そのような対抗心を燃やし始めたのは、エルルゥだけではなかった。

 

「ええ、私達は永遠に主様の僕であることを、しっかりと刻み付ける必要がありますわね」

「何事も、今日を頑張るものに明日は訪れる──って言葉があるから、今日くらいは、ね? お姉さま」

「ふふ、そうですね、カミュ。普段のカミュに聞かせたい言葉ですが、今回だけは、カミュのその言葉を支持します……皆の愛を疑った代償です。ハクオロ様、今夜だけはお覚悟を」

 

 カルラやカミュはともかく、冷静なウルトリィですらこの判断である。

 であれば、もはや止めるものはいない。

 

 そして、カミュが何か思い出した風に、懐より何やら奇妙なものを取りだす。

 

「あっ、そういえば、今日クーちゃんの部屋からこんなの見つけてね。あの子が動かす方法わかるって」

「な、なんだ、それは……」

 

 大いなる父の遺産、何やら強制回復装置と銘打っているものである。

 そういえば、ハクも辛い故にこういった装置を使っていると聞いた覚えがある。

 

 ムツミはアマテラス等の大いなる父の遺産に介入できるマスターキーもびっくりな存在である。この程度の装置の扱いはお手のものだろう。

 

「クスクスッ……クーちゃんから聞いたんだけど、これを使った時の最高記録……知りたい?」

 

 カミュの瞳は赤く輝き妖艶な笑みを見せ、かつて血を啜っていた頃のような舌なめずりをする。

 もしや、出てきていないだけでムツミの精神も影響しているのか。

 

「ひ、ひぃっ……!」

「ハクオロ様……逃げてはなりませんよ。今度こそ、本当のマーマにしてくださいね」

 

 ウルトリィが呪法を展開して、襖には壁のようなものが展開されもはや逃げ場はない。

 

「ハクオロさん、安心してください。お薬はたっぷりありますから……」

 

 エルルゥがにこやかに、もはや薬をいれすぎて固形物と化した茶の準備を始めている。

 

 身を凍らせるほどにぞっとする光景。

 かつてテオロが言った辺境の女は強いという言葉を思い出す。

 

 決して勝てない、避けられない女難。

 もはやどこにも逃げ場はない。この場にアルルゥを呼んでおけば有耶無耶にできたかもしれぬ──と、深く後悔したのだった。

 

「せ、聖上……」

「は、ハクオロ様ぁ……」

「私達の愛を、しっかりと受け止めてもらいますね……」

 

 愛しき女性たちに囲まれ、深き愛ゆえに訪れる死の恐怖に恐れ戦いたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 一方その頃、アルルゥの自室では──

 

「……ムックル」

「きゅうん!」

「大人の話だってアルルゥだけ除け者」

「きゃうん!」

「この代償は高くつく。覚えておく……」

 

 自分以外の女性陣がどこかに呼び出されたのに自分だけ除け者扱いに憤慨しているのである。

 

 あまりの怒りにムックルの毛を毟って蝶々結びにするくらいである。

 

 呼び出された面子を見れば、ハクオロと関係のあるものばかり。話の内容は大体察した。

 呼ばれなかったのは、私だけが未だ親子関係のままだからだろう。

 

「ウソツキウソツキウソツキ……!」

「ぎゃうん! きゃうううん!!」

 

 おとーさん、好き――と囁いて添い寝しているのに、一向に進展しない。

 

 私も愛してくれるって言ったのに。

 もう、私も年頃の娘なのだ。いや、娘扱いのままでは駄目だ。つまり、恋人になれるだけの大人な年齢なのだ。

 

 ぶちぶちぶちとムックルの毛を毟りまくり、目指せ銀色の帯とばかりに束ね始める。

 その光景を切なそうに見やるムックルに、私の覚悟を告げた。

 

「おと〜さんに……もっと告げる」

「きゅうん」

 

 一人寂しくムックルと夜を過ごすアルルゥは、己の秘めた愛を告げる決意をすることとなる。

 そして、ハクオロの負担は今後更に増えることとなるが、それはまた、別の話であった。

 

 




 初代の御馴染展開というか、初代で私の好きな台詞やキャラとの思い出をそこかしこにちりばめるのを優先した回となりました。下ネタ多くてすいません。
 
 今回書ききれなかった出番の少ないトゥスクルヒロインや、トゥスクル勢に関しては、また別の話で登場回数を補完できるようにしたいと思います。フミルィルとか今回出せてないので。
 他にも、トゥスクルとヤマト勢での絡みとかもあるといいなあとかも思ったり。ここんとこ下ネタ続きで申し訳ないので、ハクのルルティエやネコネあたりと純情な恋模様とかできたらいいなとも思ったり。
 ただ、次回以降の展開は暫くお待ちください。


 そして話は変わりますが、斬2のPV見ました。
 オシュトル役であった利根さんが、亡き藤原さんのハクトルを見事に演じていましたね。
 ハクらしい部分ではハクっぽく、ハクトルの部分ではオシュトルの真似をするハクっぽくと、藤原さんの遺志を継いだといっても過言ではない素晴らしい演技に本当に感動しました。これはアニメも期待できますね!

 私はクオンとネコネの店舗特典が入ったものを予約しました。
 発売日までもう少し! コロナで気軽に外出できない中の発売ですので、とても楽しみです。


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四 母なるもの

 お久しぶりです。
 斬2クリアにかなーり時間かかりました。育成系は楽しくて辞め時ががが……。
 そして、何度やってもトリコリさんのところは泣ける。ぼろぼろ泣く。あかん。


 そんな訳で、今回の後日談はトリコリさんです。後、男連中。
 時系列としては、前回ハクオロさんの話の直前くらいです。

 混乱期にあったヤマトも徐々に落ち着き始めた頃ですね。



 ハクが遺跡巡りと称して様々な地を巡っていた頃であった。

 

「母上を帝都にお連れしたと?」

「ああ、事後報告になってすまんが……」

 

 ハクはどうやら旅の途上にてエンナカムイに居られる母上と会い、病弱な母上を連れ帝都に戻ってきたというのだ。

 

「……今の母上は病状も落ち着いているとはいえ、あまり感心せぬな」

 

 たとえあの不可思議な機械──ゲートといったか、を使ったとしても慣れぬ空気を吸うのは体に障る。

 危険な賭けを、身内である某に相談もせず行うとは。

 

 某の怒り──というよりも困惑をハクも感じ取ったのだろう。

 謝罪するように、その真意を語った。

 

「すまん、オシュトル。ただな……トリコリさんの目を治してあげたくてな」

「母上の目を?」

「ああ」

 

 そこで思い浮かぶは、前帝の存在である。

 なるほど、数多の薬師に不可能と言わしめたとはいえ、奇跡の御業を持ち得る前帝であれば確かに成し得るかもしれぬ。

 

「……良いのか、ハク」

 

 その問いは、ウィツァルネミテアに対し、前帝と共にこの世界に干渉し過ぎないことを誓った漢の行動として良きものかというものである。

 

 しかし、ハクの目に迷いは無かった。

 

「まあ、自分のことを家族と言ってくれたヒトだからな……オシュトルとネコネさえ秘密にしといてくれれば、いいさ」

「ふっ……某が喋る訳もあるまい。其方の想いは十分に伝わった」

「……そうか」

「母上は何処に?」

「下だ。今から来られるか?」

 

 下、つまり聖廟地下のことであろう。

 タタリ騒動もあり、施設の多くは壊れた筈。今はもう最低限の機能だけ残した状態であると聞き及んでいたが、母上を治すために幾つか復旧させたのかもしれぬ。

 

 外に控える伝令に声を発するも、届いた様子は無い。

 どうやら、鎖の巫により防音の術式を組んでいるようである。

 

 仕方が無いと書き置きだけ残し、ハクに行けると返事をした。

 

「ウルゥル、サラァナ、道を繋いでくれ」

「「御心のままに」」

 

 周囲に靄がかかり、彼女達によって異次元へと渡る道ができたことを知る。

 そこで、もう一人の家族の存在について言及した。

 

「……ネコネは良いのか?」

「ネコネは既にトリコリさんと一緒だ」

「なるほど、そうであったか」

 

 そういえば、此度の旅はネコネも連れていっていたのであったな。

 エンナカムイより母上を連れ出す決断は、ネコネとの相談の上だったのかもしれぬ。

 

「オシュトル、離れずについてきてくれ」

「ああ」

 

 母上の目を治すこと。

 それがどのような意味を持つかは分かりきっていることである。

 

 ──ハクにとっても、大事な母であるということか。

 

 母からの無償の愛。

 その返礼もまた、無償の愛である。

 

 ハクと並び歩きながら、もはや誰も見ていないかとウコンの口調で話しかける。

 

「母上の目を治してくれるたぁ……随分な親孝行だな、アンちゃんよ」

「ん? ん、ま、まぁ、な……はは」

 

 違和感。

 何故動揺するのだろうか。誤魔化すように変な笑みを浮かべている。

 

 ハクの頬は、少し朱が差し、思いがけない言葉に照れているようである。

 

「……アンちゃん?」

「……」

 

 この世には、必要以上に母に尽くし尽くされる者もおり、そういった者を親離れできぬ未熟者とも称される。

 しかし、今回のハクの行動はそのようなものではない。ただ、母に無償の愛を向ける素晴らしい行動であるため、照れることなど無いような気もするのだが──

 

 気になって、傍に居る二人に話を聞くことにした。

 

「鎖の巫様よ、母上とアンちゃん、なんかあったのか?」

「熱望」

「トリコリ様より、主様の御尊顔を見てみたいと希望されたのです」

「ちょ、言うなよ!」

「……」

「い、いや、違うぞ? もちろん、邪な想いは無い! トリコリさんのためを思ってだ」

「……」

 

 ハクは慌てたように数多の言葉を重ねるが、もはや某の耳には届かない。

 ネコネにも随分な恋敵ができたものだと、頭を抱えたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オシュトルの疑いの目線から逃れるように聖廟地下についてからである。

 タタリ騒動の一件でほぼ壊れかけた施設であったが、兄貴と共に諸々修理して、ようやくその一部が復旧できた。

 かつて兄貴自身が己を治療していた最奥の場所、見覚えのある一施設まで辿り着き、オシュトルを連れて中へと入る。

 

 すると、一番に出迎えてくれたのは記憶を無くしたウォシスであった。

 

「あっ!! 来てくれたんだね。ハク叔父さん!」

「おう、ウォシス。元気してたか?」

「うん! 僕ね、父上と母上と一緒に本を書いたんだよ。ほら、ハク叔父さんと、オシュトルさん!」

 

 見せられるは、自分とオシュトルがくんずほぐれつボンバーしている邪悪な本である。

 兄貴とホノカさんに、非難の視線を送るも──

 

「ウォシスは絵が上手じゃのう」

「ええ、とても凄い躍動感です。上達しましたね、ウォシス」

「えへへ、うん! ありがとう、父上、母上!」

 

 駄目だ、親馬鹿を発揮しているせいか、にこにこと成果を褒めたたえている。

 

「ハク叔父さんも、僕の本はどうかな!?」

「い、いいんじゃないか。まあ、できれば、その、自分をもう書かないで欲しいかなあって」

「なんで!?」

「う……ま、まあ、他の奴も書いたほうが上達するだろ?」

「あ~、そっかぁ……なら、今度、ライコウさんっていう人と一緒に来て欲しいな!」

「いや、それはちょっと……」

 

 嫌な予感しかしない。

 ライコウとのくんずほぐれつハリケーン本は流石のライコウも激怒する気がする。焚書騒ぎや言論統制を敷くぞとか言いだしたら面倒である。

 

 オシュトルが若干引き気味に自分達の会話を眺めているので、ウォシスとの会話はこれくらいでと兄貴に視線を移した。

 オシュトルもまた、前帝の姿を目に収め、平伏する。

 

「御壮健で何よりであります。前帝」

「久しいの、オシュトル。余はもう力無きただの人。畏まらずとも良い」

「しかし、こうして我が母上の病すら治して頂けるとは」

「ハクの願いもあった。弟にできた可愛らしい嫁の願いものぉ。それに、其方が齎したものに比べれば些細な返礼であろう」

「有難き幸せであります」

「そんで、トリコリさんはどうだ。兄貴」

「うむ……今は治療カプセルにて様子を見ておる。娘もそこで待っておるよ」

 

 兄貴の体はもはや完治し、今はまた車椅子で移動する状態まで戻ることができた。

 空いた治療カプセルを、トリコリさんに使ったという訳である。

 

 兄貴よりそこ、と指示された部屋の奥では、確かにカプセルの中にトリコリさんが浮かんでいた。目を瞑り、眠っているようである。

 

 そのカプセルの下に、ネコネはちょこんと心細げに座っていた。

 オシュトルを呼びに行くとここに置いていったからだろうか、頬を染めこちらを睨んでいる。

 

「ぅ~……」

 

 いや、あれは兄貴が自分に連れ添うネコネを見てからというもの、弟に嫁ができたやったーとはしゃぎ続けた記憶があるからだろうか。

 弟の嫁呼ばわり云々の件が多分恥ずかしいんだろう。前帝に無礼な返答はできんとか考えて、否定するにもできない結果、こちらを睨むに留まっているような気もする。

 

 ネコネの視線には触れずに兄貴に再び聞く。

 

「治りそうか?」

「ふむ……彼女の正常な時機のデータが無かったのが少し手間ではあったが……問題ない。デコイ種は人間と比べその治癒力も桁外れ。もう暫くすれば、完治するじゃろう」

「そいつは良かった」

「忝い、前帝」

「礼は治ってからで良い」

「はっ」

 

 ウルゥルとサラァナは、ホノカさんと話があるようで別れる。

 オシュトルを連れ、トリコリさんのいるカプセル前へと足を運んだ。

 

 すると、ネコネが恨めし気に非難の声をあげた。

 

「……随分と遅かったのです」

「すまんすまん」

「ネコネ、母上は大丈夫なのか」

「最初は苦しそうでしたが、今は落ち着いたのか……眠ってしまったのです」

 

 そういって、三人はカプセルの中に浮かぶトリコリさんを見上げる。

 

 ──美しい。

 

 あまりじろじろ見るのはどうかと思うが、一瞬その美しさに見惚れてしまう。

 ネコネも将来こうなると思えば嬉しい限りではあるが、トリコリさん自身の気高さというか、儚さもあるのかもしれん。

 

 しかし、デコイは長寿種とは言うが、ここまで若々しいというか美しさを保てるものなのだなあと感心する。

 改めて、人間とは色々と違う存在なのだなと思い知った。

 

「……不潔なのです」

 

 邪な感情は一切ない忌憚なき感想であった筈が、ネコネから久々に道端のンコを眺めるような目線を頂戴する。

 

「母さまも、じろじろ見られるのは恥ずかしいと思うのです。終わったら声をかけるので、あっちに行っておいてくださいです!」

「ぅぉっ、お、押すなって……!」

 

 遅いだの、あっちに行けだの、どっちか判らん奴である。

 なあ、とオシュトルを振り返るも、オシュトルもまた非難の視線を向けていた。

 

「今のはアンちゃんが悪い」

「何だよ、オシュトル。お前もネコネの味方か」

「ネコネと母上の味方だ。ま、男はあっちでウォシスの相手でもしてようや」

 

 まあ、オシュトルがそう言うならば、そうしよう。

 ウォシスが舐めるように自分とオシュトルを見比べ、鬼気迫るように絵を書き始めた数時間後であっただろうか。

 

「む……どうやら、終わったようじゃ」

 

 兄貴の声と共に、ネコネが母さまと叫ぶ声がする。

 振り向けば、カプセル内の水分が排出され、横たわるようにトリコリさんは眠っていた。

 

 ネコネが慌てたようにトリコリさんに服を着せ、その体を抱き起こす。

 

「母さま! 母さま!!」

「眠っておるだけじゃろう。心配せずとも良い」

 

 兄貴がゆっくりとした口調でそう告げる。

 しかし、ネコネは不安そうにトリコリさんを見つめ続けている。

 

「で、でも……」

「ネコネ、前帝がそう言うのだ」

「兄さま……はいなのです」

「ホノカ殿、寝台をご用意願えないでしょうか」

「はい、オシュトル様。直ちに」

 

 オシュトルがトリコリさんを抱え、ホノカさんが用意した簡易寝台に横たえる。

 

 皆がじっとトリコリさんが目を覚ますのを待っていると──

 

「──ぁ」

「母さま!?」

 

 トリコリさんの目が薄らと開き、周囲の光景にぼんやりと視線を動かす。

 そして──

 

「……ネコネ?」

「母さまぁ!」

「あらあら、ネコネ……貴女、こんなに美人になっていたのね」

「わ、私の顔が見えるのですか?」

「ええ、くっきりと……」

「母さまぁ!!」

 

 ぎゅっと、母娘の抱擁が交わされ、涙なしには見られない感動の光景であった。

 

「オシュトル……」

「母上……某が、俺が見えるのですね」

「ええ。貴方も、あのヒトによく似て、凛々しくなったわね……」

「……母上からお墨付きであれば、某も精進した甲斐がありました」

 

 オシュトルは仮面を外し、その涙を堪えるように素顔を晒していた。

 

 傍と見れば、兄貴やホノカさん達、ウルゥルサラァナも既に姿を消していた。

 感動の再会に自分達はいらぬと、見られると余計な嘘を言わねばならないとでも思ったのだろう。

 

 誤魔化すのは、自分の仕事ってことだ。

 

「もしかして……貴方が、ハクさん?」

「はい、トリコリさん」

「あぁ……やっぱり、想像した通り」

「そ、そうですか?」

 

 どんな想像だったんだろうか気になるところではあるが、予想を下回ってないようで安心する。

 

「優しい土の香りがする人……きっと貴方は優しい顔をしていると思っていたの……私の想像通り、素敵な顔……」

「……」

 

 だめだ、好きになっちゃう。

 

「……」

「な、なんだよ、ネコネ」

「ちっ、何もないのです」

 

 心暖かになるトリコリさんの台詞と、心寒くなるネコネの舌打ちに翻弄されながらも、トリコリさんの病状が改善して良かったと強く思う。

 これでダメとなったら、ネコネ達に申し訳が立たんからな。

 

「久々に目が見えるようになって、改めて見た光景が貴方達で良かった……」

「これから、様々なものを見ましょう。母上」

「ええ、とりあえず……次は孫の顔かしらね、ふふっ」

「なぁっ、は、母さまぁ……!」

 

 自分とネコネを見比べてから言う台詞は、ネコネにとっては恥ずかしいものだったのだろう。

 

 さて、と一段落したところで、説明に入る。

 ここの施設のことは他言無用であること、目が治ったことは明かしてもいいが、治療方法については薬のおかげであると嘘をつくこと、等々。

 

 前帝や大いなる父の技術の片鱗が表に出ないように、トリコリさん達の口封じを行った。

 

「できますか、トリコリさん」

「ええ……何が何だかわからないままだったけれど、こうして治していただいたもの……ハクさんを困らせないように協力できることはさせて下さいね」

 

 難儀するかとも思ったが、トリコリさん他、皆快諾してくれ、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 ウルゥルとサラァナを呼び、今度はトリコリさん達を連れ、再び帝都へと戻ったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「帝都を案内してほしい?」

 

 トリコリさんの目が治り、その他諸々の病状が完治した影響もあるのだろう。

 オシュトルの屋敷に泊まっていたトリコリさんが外に出たいと言ったそうだ。

 

「オシュトルは?」

「某は、昼間は流石に政務があるのでな。ネコネであれば都合がつく。共に帝都を案内してくれないか」

「いいぞ」

「……」

「なんだ?」

 

 オシュトルは不審な者を見るかの如く、仮面の下より疑わし気な視線を送ってくる。

 

「……其方は、母上のこととなると快諾するのだな」

「そうか?」

「うむ」

 

 そうかな。

 そうかも。

 

 トリコリさんには、色々甘えちまっているというか、数少ない癒し要因でもある。

 大切にしなければならない人間関係と思えば、やる気も違うものだ。

 

「某も夜からならば合流できるだろう」

「ああ、あの店か?」

「うむ、予約はしてある」

 

 かなりお高いが、酒も飯も美味い、金払いさえ良ければ多少暴れても目を瞑ってくれる最高の料亭である。

 オシュトルとミカヅチ、オウギ、ヤクトワルト、マロロ、キウルといういつものむさい漢面子は常連。たまに、ライコウも参加してどんちゃんやっている場なのだ。

 

 オシュトル自身も気にいっているのだろう。

 守秘義務もしっかりしている手前、安心だろうしな。

 

「わかった。夕方になったら行くよ」

「ああ」

「そういや、皇女さんは? トリコリさん、アンにも会いたいって言っていただろう」

「聖上は……クオン殿、フミルィル殿、ムネチカ殿と世直しの旅である」

「またか」

 

 話を聞けば、トゥスクルにムネチカの武者修行を兼ねてお遊びに行っているらしい。

 相変わらず帝都にいる時間の方が少ない皇女さんである。

 

「……同盟国と仲良くするのは悪いことではない……が、もし帰還なされたらハクからも進言してくれぬか」

「自分が言っても聞かんぞ」

「……」

 

 さぼりがちの皇女さんに仕事をさせる気にするには、ムネチカの折檻が一番である。

 ただ、そのムネチカも此度の旅に同道しているとあれば、もはや誰にも口は出せんだろう。

 

「それじゃ、トリコリさんのところに行ってくる」

「ああ、某の屋敷にいる。迎えに行ってやってくれ」

 

 皇女さんの代わりに色々やっているんだろうなあ。

 政務で疲れた笑みを浮かべるオシュトルを尻目に、せめて頼まれ事くらいはしっかりやろうとオシュトルの屋敷へと足を運んだのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 トリコリさんを屋敷へと迎えに行き、ネコネと共に帝都を見回るということで三人仲良く帝都観光となって数刻。

 観光といえばやはりここだろうと、ヤマト最大級の市場へと足を運んだ。

 

「あら……凄い活気ね。エンナカムイとは比べ物にならないくらい……」

「エンナカムイにはエンナカムイの良さがあるですよ」

「そうだな、こっちの商売人は形振り構ってられない押しの強い奴が多いからな」

 

 エンナカムイならば、無理に勧められることなど皆無であるが、ここらの商売人は商魂逞しく道を塞いで呼び込みかけたり、顔馴染みを増やそうと一度来た客の顔は忘れぬよう覚え書きしたりとか、かなり切磋琢磨している様子が窺える。

 

 そして案の定、市場に足を踏み入れて暫くである。

 自分もここには足繁く通うので、顔見知りも多いのだ。

 

 故に、物凄く声をかけられる。

 

「おっ、ハクの旦那ぁ、また新しい嫁さんですかい」

「おいおい、人聞きの悪いこと言うな」

 

 トリコリさんに女たらしだと誤解されたらどうするんだ。

 

「ふふ、残念だけれど違うの」

 

 しかし、トリコリさんは大して動揺した様子も無く、薄ら笑みを浮かべて否定する。

 大人の女性感がたまらん。

 

「私の母さまなのです」

「お、そうでしたかい。こいつはめでてぇ、ネコネ様の母君にも夫婦仲公認ってわけですかい」

「そ、そういう訳でもないのです!」

「あら、公認よ」

「ぅなっ!? は、母さまぁ!」

「そいつはいいや! おまけしときやすぜ、ハクの旦那! 相手方の親御さんにはいいとこ見せにゃ!」

「あんたに言われる筋合いはないが、仕方が無い。三本くれ」

「まいど!」

 

 相変わらず商売上手な親父である。

 串焼きをそれぞれ買い、皆に手渡す。日頃酒に飯にと使ってはいるが、これくらいの財力はあるのだ。

 

 仲良く市場を眺めながら、トリコリさんはずっと楽しそうである。

 量はそれほど食べられないようであるが、以前よりも活力に満ちており、あっちをきょろきょろこっちをきょろきょろと久しく見なかったものに興味深々であった。

 

 とりあえず市場をぶらぶらするだけでも楽しめるものだが、ネコネはちらちらとこちらを窺っている。

 トリコリさんも歩きっぱなしで休ませたいという想いがあるのだろう。ネコネは一体どこに行くつもりかと気になったのか、声をかけてきた。

 

「それで、これからどこに行くですか?」

「競犬場」

「ふんっ!」

「いでぇっ!!」

 

 だって、座って観戦できる場所はそこしか知らんのだもん。

 

 ノスリとか皇女さんと行く時は大体そこである。

 夜には料亭も待っているからして、あまり腹いっぱいになる訳にもいかんし、という説明すらできん痛みを脛が襲う。

 

「そんなところに母さまを連れていくわけないのです!」

「だって、他にあんのか」

「観光名所は他にもあるです!」

「なら、ネコネが決めろよ。ついてくから」

「なあっ、この甲斐性なし!」

「んだと!」

 

 街のど真ん中でまた始まったぞと言わんばかりに民が周囲を囲み始める。

 

「ハクの旦那、謝っちまえって!」

「カミさんを泣かせるなよ!」

「うるさいぞ、あんたら!」

 

 変に知名度が高い割には、全然敬われてないのが癪である。

 いくら顔見知りとは言え、面白がり過ぎである。

 

「あ、あぅ……」

 

 ネコネもそこでようやく周囲の喧噪に気づいたのであろう。

 縮こまるように照れてしまった。

 

「──ふふ、孫の顔は思ったよりも早く見れそうね」

「んなっ……は、母さまぁ!」

 

 ネコネは照れるようにトリコリさんの口を塞ごうとするも、身長が届かない。

 最近少し背が高くなったとはいえ、まだまだトリコリさんには届かないようである。

 

 背丈を補うようにぴょんぴょん飛んで抗議するも、トリコリさんに堪えた様子は無く、心底楽し気であった。

 

「ハクさん、私はどこでもいいのよ」

「そうですか、なら……」

「賭け事はだめなのです」

「……わかってるよ」

 

 観光地といえば、植物園とかか。全然自分は楽しくないが、まあ、仕方が無い。

 

「ふふ、こんなに楽しいのは久しぶり」

「そいつは……よかったです」

 

 こうして三人並ぶと、トリコリさんと夫婦みたいだなと思い嬉しくなる。

 クオン辺りに見られたら殺されるけど。

 

「トリコリさん、あっちの店も美味いんですよ。どうですか」

「は、ハクさん、母さまは病み上がりなのですから……!」

「……そういえば、そうだな」

「いいのよ、こんなに足が軽いのは久々だもの。もう少し歩きましょう?」

 

 植物園への道すがらも、市場の中に楽しみを見つけつつ歩き続けたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 一通り帝都の観光が終わり暫くしてである。

 夕闇を辺りが包み始め、そろそろいつもの料亭に足を運ぼうとした時である。

 

「一応、夜用の薬を取ってくるのです」

「そう、だな」

 

 兄貴は完治したと言うが、まだ病み上がり。発作等が起きる可能性も無いとは言えない。

 なんかあってからじゃ遅いからな。

 

「一人で行けるか?」

「む……もう子どもじゃないのです、屋敷はすぐそこですから、先に始めていて欲しいです」

「わかった」

「ありがとう、ネコネ」

 

 まあ、以前に比べ検非違使体制も充実しているし、ネコネ自身も猛者である。心配はいらないだろう。

 

 ネコネの言葉に甘え、オシュトルの待つ料亭へと足を踏み入れた。

 

「ウコン様で承っております」

「ああ」

 

 相変わらずの仮名で予約するオシュトル。

 まあ、重鎮であるからして、仕方が無いよな。

 

 煌びやかな一室に通され、二人対面で座る。

 

「オシュトルは……まだか」

「綺麗なお店……凄く高いのではないかしら」

「まあ、オシュトルは稼いでますから。たまの日だし、親孝行したいんだと思いますよ」

「ふふ、なら、私も久々にお酒を飲んでみようかしら」

 

 それはいい案である。

 トリコリさんと酒が飲めるなんて男冥利に尽きるというものである。

 

「じゃ、先に始めますか」

「ええ。もう大丈夫だと言うのに……きっと、飲もうとしたら怒られちゃうもの。なら、先に飲んでいたほうがいいかもしれないわね」

 

 悪戯好きな笑みを浮かべ、トリコリさんはそう囁く。

 

 店の者を呼び、酒に弱いものでも嗜める度数の少ない酒を注文し、二人して乾杯する。

 

「あら……美味しい」

「でしょう?」

「美味しいけれど……駄目だわ、体が直ぐに熱くなって……久々だから、かしらね……ふぅ」

 

 トリコリさんは頬をうっすらと紅潮させ、パタパタと首元を仰ぐ仕草を見せる。

 

「……」

「? 何かついているかしら」

「いえいえ」

 

 眼福である。

 クオンもこういう色気のある仕草とかしてくれるとなあと、無いもの強請りに悲しい笑みを浮かべた頃であった。

 

 隣の部屋から聞き覚えのあるどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。

 ここの料亭、防音設備はかなり力を入れている筈、それを尚突き抜けてくるとは。

 

 もしや、と思い店員に聞いてみる。

 

「隣の部屋がやけに煩いが……もしかして、サコン達か?」

「ええ、ハク様。いつもご利用ありがとうございます」

「やっぱりか……」

 

 サコン、つまりミカヅチがいるということは、いつもの面子もいるということだろう。

 オシュトルと自分がいないから宴会はしないかと思ったが、気にせず自分たちで開催していたようである。

 

「あら? ハク様のお知り合い?」

「まあ、知り合いというか、自分の友人達ですよ」

「それならもしかして……オシュトルの御友達でもあるのかしら?」

「まあ、そうですね」

「なら、是非ご挨拶したいわ」

「……えっ」

 

 まずい。

 

 今隣にいるは野獣と化した男達である。むさくるしい場にトリコリさんのような可憐な花を置けばどうなるかわかったものではない。

 というか、オシュトルに何故合流させたとこっぴどく叱られそうである。

 

「いや、そ、それは、余り、おすすめは」

「どうしてかしら? 息子の大事な御友達ですもの、きちんとお礼を言っておきたいわ」

「……」

 

 高貴な生まれであるのか、その志は立派であるが今の彼らに会わせるのは誰にとっても酷である。

 どうしたものかと頭を悩ませるも、トリコリさんの意志は固い。

 

 というか、酒が入ったからなのか目が少し据わっており、拒否するならば自ら行くとでもいうような風貌である。

 まさか、トリコリさんもオシュトルのような覇気を出すことができるとは。いや、母だから当然なのか。

 

「あ、あの、皆多分、そのべろべろで、トリコリさんに迷惑をかけると……」

「いえ、オシュトルの方が普段迷惑をかけていると思うわ。お酌ぐらいしないと、割に合わないもの」

 

 そんなことないんだがなあ。

 まあ、母である以上、息子の交友関係が心配なのもあるのだろう。

 

「なら、その……挨拶! 挨拶だけにしましょうか」

「ええ」

 

 一瞬開いて挨拶して帰る。

 そうすれば、トリコリさんの要望も聞き、皆の名誉も守られる筈である。

 

 がらりと襖を空け放ち、中の面子と顔を合わせた。

 

「おや? ハクさんではないですか。オシュトルさんと用事では?」

「おお、ハク殿ぉ、来てくれたでおじゃるかぁ? マロ達と飲むでおじゃ!」

「ハクさん? ……って、トリコリ様!?」

 

 やはりいたか。

 サコン(ミカヅチ)、マロロ、オウギ、ヤクトワルト、キウルが、既にかなりの酒を飲んでいるのだろう。その頬を真っ赤にしてこちらを見ていた。

 

 この店の常連──迷惑客である。

 まあ、どいつもこいつも重役で金払いは良いので女将さんも笑って許してくれるが。

 

「な、何故ここにトリコリ様が……!」

「もしかして、キウルかしら? 漢前になって……」

「は、はい! あ、もしや、目が……?」

 

 キウルも、いつもと違って視線が合うのに違和感を得て、そこで気づいたのだろう。

 

「ええ、ハクさんから……新しい薬を貰ったおかげでね」

「それは、おめでとうございます! トリコリ様!」

 

 エンナカムイにいた頃は、トリコリさんと会ったことのある人物は限られるからな。この中ではキウルくらいだろう。

 しかし、トリコリさんの病については皆も知っていたのか、口々に祝いの言葉を向けた。

 

「そいつは喜ばしいじゃない!」

「オシュトルより母君の病については聞き及んでおりましたが……御快復おめでとうございます」

「貴方達は、もしかしてミカヅチ様? そして、ヤクトワルト様かしら」

「はっ、お初にお目にかかります」

「会うのは初めてじゃない」

 

 酒の随分入った赤い頬でも、最低限の挨拶はできるようだ。

 まあ、ミカヅチはサコンの恰好なので、禿げ頭のカツラが目立って真剣身が薄れるが。

 

「そして、貴方がオウギ様とマロロ様かしら。オシュトルから聞いているわ」

「はい、オシュトルさんには随分良くして頂いていますよ」

「オシュトル殿は、マロの親友でごじゃる。母君の快方……マロにとっても真めでたいでおじゃる!」

「あらあら……ふふ、皆さん、御上手ね」

 

 一連の自己紹介が終わったところで、キウルの疑惑の視線が再び自分へと向けられた。

 

「で、何故ハクさんはここに……」

「本当はトリコリさんと、ネコネ、オシュトルと家族水入らずで宴会するつもりだったんだがな。トリコリさんが、是非挨拶したいって」

「そうなの、いつもオシュトルと仲良くしてくれてありがとうね」

「そんな、兄上は偉大な方です。こちらの台詞ですよ!」

「ああ、オシュトルがおらなんだら、こうして宴会も味気ないものであるからな」

 

 サコンの恰好のまま、にいとした笑みを浮かべるミカヅチ。

 味気ないにしては、めちゃめちゃうるさかったぞ。

 

 このまま巻き込まれれば余りいい展開にはならんだろうと、早々にお暇することにする。

 

「まあ、トリコリさんは挨拶に来ただけだから。じゃ、戻りますか」

「まだオシュトルは来ていないでしょう? 皆さんにお酌くらいはしてあげたいわ」

「えぇ……?」

「おう、そいつは嬉しいじゃない!」

「折角の機会でありますからな、聞きたいこともあるでしょう」

「ええ、そうね。皆さんからオシュトルの話も聞きたいわ」

「ほう……」

「それはそれは」

「ふふ……」

 

 キウルとマロロ以外の皆がにたりと、嫌な笑みを浮かべる。

 まずいな、オシュトルから怒られるのは自分なのだ。どうすればここから回避できるか考えるも、トリコリさんは母の行動力ですっとミカヅチの隣へと腰を降ろした。

 

「ふふ、さあ、ハクさんもいらっしゃって。ミカヅチ様、オシュトルは家ではああしていい子を続けてくれているんだけれど、余り辛い顔を見せてくれないから心配で……」

「ほうほう、母に心配かけまいとする親心ですな」

「流石はオシュトル殿でおじゃる!」

 

 駄目だ、トリコリさんは皆からオシュトルの情報を引き出す気満々である。

 

 しかし、と考える。

 オシュトルは清廉潔白を地で行く奴でもある。

 

 穢れ仕事は大体自分が担っていたし、そこまで評価を落とす様な話が出てくることは無い筈──

 

「そういえば、オシュトルに良い人はいるのかしら?」

「ふむ、昔であるが、母上のような気高き女性でなければ婚姻に値しないと、よく言っていたな」

「まあ」

 

 やばい話あった! 

 トリコリさんは嬉しそうだが、オシュトル的にはめちゃめちゃ恥ずかしい話だぞ、それ! 

 

「? ハク殿どうしたでおじゃるか?」

「オウギ、これ、強い酒か?」

「ええ、ここにある中では一番度数が高いですよ」

 

 それを手に取り、ぐいっと飲み干す。

 

「ひゅー、旦那、いい飲みっぷりじゃない」

 

 もう、この場から逃げる方法は無いのだ。

 つまり、オシュトルに自分に責任が向きさえしなければ良い。

 

 つまり、自分もべろべろになっていたので何も覚えてない作戦。

 これであれば、オシュトルには怒られない。

 

 腹の奥がかっと燃えるような、強い酒を飲み思考をとろけさせる。

 

「ハクさん、手酌なんて駄目よ。お酌してあげるわね」

「ありがとうございましゅ、トリコリさん」

 

 すまん、オシュトル。

 母の愛に勝てるものは無い。そして、母の押しの強さにも勝てるものは無いのだ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「母上、ハク? 店の者より場所を移したと聞いたが、ここか……って──げぇっ!?」

 

 オシュトルが身形良く部屋に入り、その阿鼻叫喚となった場に驚愕する。

 

 そこには、各々が好き勝手に飲んだり食べたりするだけではない。

 トリコリさんを楽しませようと、それぞれが面白おかしく芸を披露したり、オシュトル談議に花を咲かせたりと、トリコリさんを中心にむさくるしい連中が集っているのだ。

 

「おう、オシュトル、先に始めてるぞー!」

「は、ハク……母上……な、何故ここに……」

「私が頼んだのよ、オシュトル。オシュトルの御友達に是非、ご挨拶したいわ……って」

「な……は、母上、それは……ちょっと」

 

 オシュトルの表情から引き攣った笑みが見える。

 まあ、そりゃ嫌だよな。普段のまともな姿であればいいが、酒でべろんべろんになったこの汚らしい面子と会わせればどんな災難が降りかかるか。というか、もう振りかかっているからな。

 

「さ、オシュトル。母の隣にどうぞ、お酌してあげるわね」

「か、忝い」

 

 ぎこちなくオシュトルは盃を受け取るも、その表情は固まりきっている。

 

「そうです、オシュトル」

「は、はい?」

「私のような女性を探すのはやめなさい。貴方は、自分の辛い部分を見せられる女性を探すのです」

「は、はい……」

 

 誰が言ったのだ、とオシュトルは周囲を赤面して睨む。

 酒を飲んだ故の赤みではなく、ただ猛烈に照れているようである。

 

 犯人であるミカヅチを見れば、我知らずとばかりにヤクトワルトと肩を組んで歌っていた。

 

 そんな中、震える程に恐縮しているオシュトルに違和感を得た友が一人。

 

「ん? オシュトル殿ぉ、今日は元気が無いでおじゃるなあ」

「そうじゃぞ、ウッちゃん。いつもなら、儂と裸踊りをしておる頃じゃ」

「む、ミカヅチ、や、やめろ……」

「どうした、ウッちゃん? 母の前では素顔は見せられぬか?」

「くっ……」

 

 マロロの追撃とばかりに、サコン形態であるミカヅチの嫌らしい攻撃がオシュトルを討つ。

 まあ、オシュトルの動揺した姿って中々見られんからな。気持ちは分かる。

 

「あら、オシュトル。母に遠慮せずとも良いのですよ。御友達と楽しんで」

「し、しかし母上……」

「御母堂もこう言っておられるのだ、ウッちゃんよ、今宵は無礼講ぞ」

「くっ、てめぇら……ここぞとばかりに……っ!」

 

 びきびきと、オシュトルの蟀谷に力が入る。

 いつもは超無礼講で全員裸祭り開催だからな。

 

 トリコリさんの目が見えてなければ機会があったかもしれんが、今はばっちし見えてるというのが問題である。

 まあ、トリコリさんも結構お酒を飲んでいるので、大抵のことはもう気にしないとは思うが。

 

 仕方が無い。

 母に友達との醜態を見せたくない気持ちはよくわかる。

 

 しかし、オシュトルは勘違いをしているのだ。

 トリコリさんはきっと、オシュトルがどれだけ友達と仲良くしているか知りたいだけなのだ。ならば、やるべきことは一つである。

 

 ここは自分が一肌脱いでやるとしよう──物理的に。

 

「ハク、いきます!!」

 

 ばっと服を脱ぎ、純白の褌一丁となる。

 

「ほっ、ほっ、ほあっ!!」

 

 盆で前を隠しながら、しゅるしゅると褌すらも脱ぎ捨て、マロロの顔に褌を投げ捨てる。

 

「あっはっはっは!!」

「ハクの旦那ァ、見えてる! 見えてるじゃない!!」

「は、ハクさぁん!? 兄上の母君の前で、だ、駄目ですってぇ!」

 

 腹を抱えて笑うミカヅチ、ヤクトワルトとオウギ。そして悲鳴を上げるキウル。

 オシュトルは笑っていいのか迷っているのだろう。ほぼ引き攣った笑い状態。そして、トリコリさんの顔は怖くて見れない。

 

「それでこそ大戦の英傑ハク! サコンもいくぞ!」

「マロもハク殿に続くでおじゃる!!」

 

 悪酔いしたミカヅチとマロロが己の服に手をかけ、裸踊りの面子が増える。

 

「こいつはいいねえ! 男の美、友の結束を見せるいい機会じゃない」

「キウルさん、こうなれば一蓮托生ですよ」

「おら、キウルも脱げ!」

「いやあぁ! やめて、脱がさないで! 兄上! 助けてください!」

「すまぬキウル……某にはもはや母上の目を塞ぐことしかできぬ!」

「やだあああっ! 兄上の母君の前でやだあああ!!」

 

 既に裸踊りも佳境に入り、もはや裸になっていない漢はキウルとオシュトルのみである。

 

 そんな阿鼻叫喚となった場を沈静化させたのは、がらりと襖が空け放たれた音と、ある少女の声であった。

 

「母さま、お待たせしたのです。薬の期限が切れていたので、薬師様に新しく薬を……って」

「お、おう? ネ、ネコネ……」

 

 ネコネは中の惨状を見た後、その瞳に炎を灯し、声は憤怒に震え始めた。

 

「……何を……してるですか?」

「ま、待て……これは誤解……」

「折角、折角、母さまの目が良くなったというのに……」

「その札は何だ、や、やめ──」

「母さまに、汚いものを見せるなです!!」

 

 男連中の裸祭りは、遅れてきたネコネの火の法術で尽く焦土と化したのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「帰る──のですね」

「ええ、貴方達の故郷はあの家だもの。私は、私達の家を守るわ」

「……そう、でありますか」

 

 トリコリさんをいつまでもオシュトルの屋敷にて住まわせることはできた。

 しかし、トリコリさん自身が、もう帰ると言いだしたのだ。

 

 その真意は、息子たちの帰る故郷を守るためであるという。

 オシュトルも、無理に引き止めることはできないと知っているのだろう。ただただ残念そうに、視線を落としていた。

 

「顔を上げなさい、オシュトル。母はいつまでもあの家で待っています。お勤めを終えたら、いつでも帰って来てね」

「……はい、母上」

「ネコネも、早くハクさんを許してあげてね」

「……母さまがいいのなら、私だってもう怒らないのです」

「ふふ……それと、孫の顔を早く見せてね。教えた技をきちんと使うのですよ」

「ぅ……」

「ネコネ?」

「わ、わかったのです」

「ふふ……よろしい。貴方達に、心を許せる友が……愛する人がいる姿がこの目で見られて、本当に良かった」

 

 トリコリさんは、二人との別れを済ませると、自分の元へと足を運ぶ。

 

「ハクさん……護衛、ありがとうね」

「いえいえ、このくらい」

 

 途中で賊に襲われんためにも、近くにあるゲートを使う予定である。

 手を振るネコネとオシュトルに手を振り返しながら、自分とトリコリさんは帝都を後にした。

 

 暫く二人で街道を歩いていると、トリコリさんは憂鬱気に言葉を発する。

 

「……顔が見えるというのも、難儀なものね」

「? そうですか?」

「ええ。悲しそうな顔を見ると、つい残って甘やかしたくなってしまうわ」

 

 そこには、親としての哀愁に満ちた顔。

 しかし──

 

「……甘やかしていいと思いますよ。オシュトルもネコネも、十分頑張ってきましたから」

「ふふ、そうね……ハクさん、また皆と一緒に帰って来てね」

「ええ、勿論。今度はアンも連れていきます」

「ええ……その時は、沢山甘やかしてあげないと……私も、まだまだやることは沢山あるみたい」

 

 次に見た表情は、母として幸せであると語る──月明かりのような優しき笑顔であった。

 

 

 




 オシュトルが生きていると、トリコリさんも生き生きする筈。(確信)



 そして、話は変わりますが……
 斬2クリアして後日談ロスに陥りました。
 マシロ様がただただヒロインといちゃいちゃする話が書きたくなり、大神マシロ様の道中記というタイトルで新たに投稿しました。
 影とうたわれるものが未完(本編は完結しているけれども)ながら、浮気してしまってすいません。
 
 もしお時間ありましたら、そちらの方も是非読んで感想等いただければ幸いです。


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伍 聖なるもの

クリぼっちの怒りを小説にしました。

時期は59話後、暫くしてのあたりです。



 二日前のことである。

 

 珍しくクオンがしおらしい様子でもじもじと体をくねらせながら、あることを聞いてきた。

 今思えば、これが災難の始まりだったのであろう。

 

「ねえ、ハク……その、明後日、予定あるかな?」

「ん? いや、特に無いが」

 

 オシュトルやマロロを連れて、その辺の酒屋を飲み歩こうかと思っていたところだが、それも別に約束したものでもない。

 暇だと返すと、クオンの表情には花のような笑みが咲いた。

 

「ほんと!? じゃあ、絶対に空けといて欲しいかな!」

「あ? あ、ああ……」

「絶対だから!」

 

 念押しのように絶対絶対繰り返しながら、クオンは何処かへと嬉しそうに駆け出して行ってしまう。

 何かしらがあるのだろう。何処へ行くとも、何をするとも言われていないが、特に予定は無いのだからクオンの言う通りに付いて行けばいい話だ。

 

 そう思いながら、帝都宮廷内にある自室へと足を運んでいる最中である。

 背後から聞き覚えのある少女の控えめな声がした。

 

「ハクさん」

「ん? ああ、ネコネか。おはよう」

「……」

 

 自分から声をかけてきたくせに、ネコネは自分と視線が合うと照れくさそうに視界を下に向ける。

 

 気まずい理由に心当たりは色々あるが、多分──あれだけ憎まれ口を叩いていたネコネであるが、恋人的な関係性に進んでしまった今、二人っきりになると以前と同じように話しかけにくい──というあたりだろうか。

 出会ったころより随分成長したとはいえ、ネコネもまだまだ少女。悩み方もお年頃特有である。

 

「……」

「ぅ……その……」

 

 ネコネはもじもじと要領を得ない。

 このままでは無言の気まずい空間が形成されるだけである。

 

 仕方が無い。

 世間からは、幼女から人妻まで何でもイケル性欲魔人と仇名され、肖像権など無い現代で数多の鬼畜艶本のお題にされ、もはや人間としての尊厳も地に墜ちている自分ではあるが、ここは大人の余裕を見せておくのが吉であろうか。

 

「なにか、用事があったんじゃないのか? ネコネ」

「ぅ……あ、あの」

「ああ」

「……ハクさんは、その……明後日、予定はあるのですか?」

 

 たっぷり時間をかけて絞り出すように言ったのが、それである。

 ふと過った顔はクオンの顔。しかし、特にどんなことをするとも聞いていない。そして、集まる時間も聞いていない。

 ただ、先約は先約である。ネコネのお誘いは嬉しいが、ここはと断りの言葉を出そうとした時である。

 

「……もしかして、もう誰かと過ごすのですか?」

「ん? あ……いや」

「……」

 

 うるうると瞳を濡らし、心底悲しそうに──いや裏切られたとでも言うべき表情をするネコネ。

 ある、と言いかけた口を噤み、クオンもきっと一日中ではないだろうとあたりをつけ、その言葉を口にした。

 

「いや、多分、その~……無いが」

「本当ですか!! で、でしたら、私の用事に付き合ってもらうです!」

「え……いや、その、ただそんなに時間は……」

「約束なのですよ!!」

 

 先ほどまでのしおらしさはどこへ行ったのか、ずんずんと遠くへ消えていくネコネの姿にはもはや迷いはない。

 失敗した。この世の終わりみたいな顔をするので動揺してしまい、つい約束してしまった。

 

「クオンに、時間を聞いとくか……」

 

 午前中と午後で分ければ何とかなるだろう。

 そう楽観的に思考を切り替えた時であった。

 

「おお、ハク!」

「ノスリか」

 

 今日はよく誰かと会う日だ。

 快活な表情で屋根から飛び降りてくるは、ノスリである。

 

 ノスリとも一応許嫁のような形になったが、それ以来特に甘い雰囲気になることも無く、以前のような悪友のような関係が続いている。

 ノスリは自信満々に自分の傍に寄ってくると、ふわりと髪をかき上げた。

 

「どうだ」

「? 何が」

「……」

 

 むー、と不満そうなアヒル口を見せるノスリ。

 

「わからんか?」

「……ああ」

「……はぁ」

 

 やれやれと呆れたように嘆息するノスリ。

 いつもは肩幅広く堂々とした姿勢も、今はどこかしらしゅんとしているような気がする。

 

「どうしたんだ」

「もう良い……くぅ~高かったのに……」

 

 嘆く様に、懐から何かしらの瓶詰を取りだし、眺めるノスリ。

 ノスリの悩みはよくわからんが、きっと賭博に負けて機嫌が悪いとかだろう。変な匂いするし。

 

 ノスリは瓶を懐に仕舞うと、切り替えるように自分に向き直った。

 

「まあいい、ハク。明後日、何か予定はあるか?」

「明後日?」

 

 ある。

 既に午前も午後も埋まっている。

 

「ああ、あ……る……」

「──ん? 聞こえんな」

 

 じり──と、矢じりがこちらに向けられる。

 一体いつの間に取りだしたのか、流石エヴェンクルガ族である。身体能力に劣る自分としては言霊くらいしか抵抗できないが、声を発するよりノスリの矢の方が早いだろう。

 

「予定は、無い。そうだろう? ハク」

「いや、その……」

「……」

 

 きらりと光る矢の切っ先。

 おかしい、今日のノスリはいつになく強引である。一体、何の用事だと言うのか。

 

 しかし、このままでは股を三つに裂かれること請け合いである。駄目元で聞いてみることにした。

 

「明日、とか明明後日とかじゃ、駄目か?」

「駄目だ、明後日がいい」

「……」

 

 なぜだ。

 なぜこんなにも明後日に予定が集中するのか。一体明後日に何があるというのか。

 自分が知らないだけで、とんでもない行事があったりするのか。しかし、元大宮司の身としてもそんな行事に覚えはない。

 

 しかし、この窮地を脱するには無理やりにでも予定に入れるしかない。

 その結果、絞り出した言葉が──

 

「そ、早朝なら……」

「そ、早朝だと!?」

「? あ、ああ」

「む……そ、それは流石に私の体が……」

 

 一転、衝撃を受けたように頬が真っ赤になり、もじもじと照れ始め、矢の切っ先がぶれ始めるノスリ。

 何の用事なのかますます気になるが、矢の切っ先が今にも放たれそうになっていることの方が気になって思考が回らない。

 

「ま、まあいい! わかった! 早朝だぞ! 約束だ!」

「あ、ああ……」

 

 ではな、と再び屋根に跳躍してその姿を消すノスリ。

 何故、皆約束だけ取りつけて去って行ってしまうのか。一体何があるというのだろうか。

 

 自室に帰ったら、大宮司の文献を漁ろうと心に決めて帰路についていると、またもや誰かの声。

 

「おにーさん」

「アトゥイ……もしかして、明後日の予定か?」

「っ当たりやぇ! なんでウチの思ってることがわかったのけ?」

 

 この流れはもしやと思って聞いたのだが、正解だったようだ。

 アトゥイは偶然でも無いこの必然の推理を、自分の察しの良さだと勘違いしたようで、心を読まれた礼にとばかりに、どぉんと削岩機がぶつかってきたような衝撃を与えてくる。

 

「やっぱりウチとおにーさんは心が繋がってるんやぇ!」

 

 アトゥイは心底嬉しそうに抱き付いているが、弱体化した身では命に関わるのである。

 

 命からがら、アトゥイの拘束を抜けだし、疑問に思っていたことを訪ねてみた。

 

「ごほっ、な、なあ……明後日、一体何の用事があるんだ?」

「何の……って、いややなぁ、おにーさん。おにーさんの方が詳しいくせにそないなこと言うんは……いけずやぇ」

 

 囁く様にそう言って、妖艶な笑みを浮かべるアトゥイ。

 思わずどきりとする笑みであるが、色っぽい意味でなく、まるで捕食者に睨まれた蛙みたいなもんである。

 

 恐怖に身を震わせていると、アトゥイはわかってるよなとでも言わんばかりに元の笑顔に戻る。

 

「ほな、おにーさん。夜は空けといてな~」

「ちょ、待──行った……」

 

 機嫌よく鼻歌を響かせながら廊下の先に消えていくアトゥイ。

 自分の方が詳しいとは何なのか。そして、こう女性陣から誘われるような祭りとは何なのか。

 

「……全くわからん」

 

 元大宮司じゃなく、今も大宮司の職務についていればわかったのだろうか。

 しかし、一刻も早く調べなければ命に関わりそうである。少し急ぎ足に廊下を進んでいた時であった。

 

 廊下の進行方向の奥に、ムネチカの姿が見えた。

 

「……」

「っ、あい待たれよ!」

「……」

「ハク殿! なぜ小生から逃げる!」

 

 ずんずんと大足飛びで近づいてくる何者かに肩を掴まれる。

 振り向けば、些か額に青筋を浮かべた様子のムネチカがいた。

 

「ハク殿、小生から逃げた理由を窺おう」

「……いや、厠に行こうと思ってな」

「ふむ……そうであったか。それは邪魔をした」

 

 良かった。

 完全に嘘であるが、誤魔化せたようである。

 

「それはそれとして、明後日に何か予定はあるだろうか」

 

 誤魔化せてなかった。

 がっちり肩も掴まれているので、完全に逃げ場を塞がれている。

 

「いや、その……先約がだな」

「ほう……それは、小生との用事よりも大事か」

 

 だから何なんだ、その用事ってのは。

 

「いや、その……ムネチカの用事ってのは」

「……それを聞くのは野暮と言うものである。ハク殿」

 

 頬を染めて、照れたようにそっぽを向くムネチカ。

 視界から外れた今の内に逃げようかとも思ったが、肩は変わらずがっちりつかまれているので動けない。

 

「就寝前に……少しだけで良い。ハク殿も小生も忙しい身である。無理は言わぬ」

 

 肩を掴んで無ければもう少しグッとくる台詞だったんだが。

 

 どうするか迷うが、うんと言うまでこの場を離れられんだろう。

 

「わかった、ちょっとだけだぞ」

「ああ、感謝する」

 

 そこでようやく肩を掴んでいた手が離れる。

 厠の件は嘘ではあるが、もう少し経っていればその嘘も露見して詰められそうであった。

 とんでもない悪い予感は多々あるが、仕方が無かったのだろう。

 

 それに、ムネチカとも許嫁関係を結んだ割には、多忙で一緒に過ごす時間は少ない。たまの要望くらいは叶えねばなるまい。

 

「では、失礼する」

「ああ」

 

 相変わらずお堅い口調であるが、あれがムネチカの良いところでもある。

 まあ、絶対に譲らない頑固さはちょっと勘弁してほしいが。

 

 しかし、このままだとかなりまずいことになる。

 明日も明明後日も何も無い筈だが、明後日だけ忘我の忙しさである。

 

 ひとまず現状の予定を確認しよう。明後日には既にクオン、ネコネ、ノスリ、アトゥイ、ムネチカの五人と予定がある。

 しかも、時間もまちまちで、クオンとネコネに至っては時間すら決めてない。まあ、明日は暇である。もう一度明後日の予定について話し合って調整をすればいいか。

 

 嫌な予感をふつふつと感じながらも楽観的に考える。

 そうしなければ、自分の精神が容易く壊れそうな不安に襲われるだろうからな。

 

「さて……」

 

 元大宮司であるからして、一応許可を取れば祭事の文献等は自由に読める。

 衛兵に印を見せて書庫に入り、明後日は一体何の祭りかと情報を探るも、一向に出ない。

 

「何かお探しですか?」

「ん? ああ、エントゥアか」

 

 エントゥアは、オシュトルからここの文献管理も任されているのだった。

 ヤマトを揺るがす重要な書物も存在する書庫である。ここを任せられるほどの信頼は、決して裏切らぬと確信が無ければあり得ない人事である。

 それだけエントゥアがここで貢献してきたということと、自分の許嫁であるということも加味しているのだろうが。

 

 まあ、エントゥアなら、自分よりもここの書物について詳しいだろう。

 そう思って聞いてみた。

 

「いや、明後日の祭事についてな」

「明後日、ですか?」

「ああ」

「ハク様から……誘ってくださるのですか?」

「えっ?」

 

 エントゥアは、優しげな笑みを浮かべると、そっと自分の手を握ってくる。

 

「嬉しい……是非、明後日、一緒に過ごさせてください」

「え、あの……」

「ふふ……約束ですよ」

 

 ちゅっと、軽く頬に接吻され、書庫の影に姿を消したエントゥア。

 残されたのは、鼻腔をくすぐるエントゥアの香りと、湿った頬を抑えて呆然とする自分の姿である。

 

「絶対におかしい……」

 

 書庫では何も情報を得られなかった。

 それどころか、新しい約束まで取りつけてしまった。

 

 オシュトルならば何か知っているかと、オシュトルの書斎へと足を運ぶ道すがら、思案する。

 

「皆が、自分を試しているのか……?」

 

 意図したように明後日に予定をぶっこんでくる女性陣。

 いつ八つに股が裂かれるか賭けようぜと道行く人が楽しそうに喋るくらいの浮気性と仇名される自分であるが、これは女性陣によるお試し行動なのではないだろうか。私を愛してるなら私を選べ的な。

 

 穏便な状態を望んでいるためか、誰が一番だと明確に決めたことは無かった。

 まあ、一番に惚れたのはクオンであるが、他の女性陣の好意を無下にできなかった結果、このような歪な関係性になっていることは事実である。

 

 まあ、時代的に一夫多妻制が当然ではあるようだが、自分としては皆への申し訳なさも勿論感じている。

 だからこそ、皆が求めるならばそれに十全以上に応えたいとは思っているが、このような愛のお試し行動をされると困ってしまう。

 クオン、ネコネ、ノスリ、アトゥイ、ムネチカ、エントゥア。

 六人の内、誰かとの約束を破らねば、体が六つなければ足りない事態に陥ってしまう。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、廊下の角で小さな何者かが突如現れ、危うくぶつかりそうになった。

 

「うぉっと、すまん。余所見していた」

「あっ……!? は、ハク様でしたか」

 

 どうやら、ぶつかりそうになった影はルルティエだったようだ。

 

「ルルティエだったか、すまんな」

「いえ、その……丁度良かったです」

「ん?」

「あの……明後日に何かご予定はあるのでしょうか?」

「……」

 

 どうやら、体が七つ無ければ足りない事態に突入したぞ。

 しかし、ルルティエは自分の顔を見て何かを察したのだろう。申し訳なさそうに視線を落とした。

 

「……もしかして、もうご予定が?」

「あ、ああ……すまんな。ルルティエ」

「いえ……いいんです」

 

 ルルティエはいつも優しげな笑みを浮かべる女性であるが、今回は今にも消えそうな儚げな笑みを浮かべて、消え入りそうな声でそう言う。

 胸中を罪悪感が襲うも、これ以上話をややこしくすると、命に関わる。

 ここは心を鬼にしてとも思ったが──

 

「ルルティエ、その……」

「い、いいんです! わかってますから……誰か、他の人と過ごすんですよね……いいんです」

「……すまん嘘!! 空いてる空いてる!!」

 

 今にも泣きそうな様子を見せられて、断る言葉があるだろうか。否。

 各々との予定は短くなるであろうが、ルルティエとも過ごそう。何をして過ごすのか全然わからんが。

 

「無理、してませんか?」

「してないしてない。ただ、あんまり時間は取れないかもしれんが……」

「そうなんですね……でも、少しでも一緒にいられるなら……」

「いいか?」

「はい。明後日、楽しみにしていますね」

「あ、ああ……また、時間は伝える」

「はい、ありがとうございます。ハク様……」

 

 ルルティエは、自分の言葉を聞いて申し訳なさそうにしながらも、少し嬉しそうに頬を染めてその場を後にした。

 

「やっちまったな……」

 

 まずいことをしたことは自覚している。

 既に明後日の予定は、ぎちぎちに入った弁当箱に無理矢理モロロを潰して詰め込んだような超過密さである。

 さてどうすればこの予定を上手く捌けるか──

 

「──もし」

「!? な、何だ、シスか……見ていたのか?」

 

 後悔も束の間、突如背後から現れたシス。

 まるで暗殺者のように気配が無かったが、どこから見ていたのか聞く。

 

「ルルティエと過ごすんですってね」

「全部見てたのか」

「ええ。それで……つまりは、お姉ちゃんである私も一緒に過ごすってことね」

「はい?」

「それでは、明後日、お誘いお待ちしておりますわ……ふふっ」

 

 話は終わったとばかりに踵を返すシス。

 ちょっと待てと言いたかったが、あまりに一方向からの弾丸会話過ぎて、返しの弾が打てなかった。

 なぜそんなに堂々としているのか不思議なくらい、シスの足取りは軽く、傘をくるくる回しては機嫌の良さを誇示していた。

 

 これで、八人である。

 八つ裂きとは具体的にどう裂かれるのだろうか想像に震えながら、オシュトルの執務室へと辿り着き、明後日の行事について尋ねる。

 しかし──

 

「いや、某は何も知らぬ」

「そうか……」

 

 オシュトルとの会話も要領を得なかった。

 結局、明後日に何があるのか。去り際、オシュトルから骨は拾ってやるとだけ声をかけられたが、普段は頼りになってもこういう女性問題ではオシュトルの後ろ盾が役に立った覚えがない。

 ある種絶望的な観測のまま自室へと向かうと、室内から何者かの姦しい声がする。

 

 客かと思い、一声かけてから戸を開けて、中を確認する。

 

「「おかえりなさいませ、主様」」

「お邪魔しています、ハク様」

「ただいま、ウルゥル、サラァナ。客はフミルィルだったか」

「ええ、お二人の話が面白くて……」

 

 そう言って、フミルィルはくすくすとウルゥルとサラァナの方を向く。

 面白い話とは何だろうか。つい気になり、興味本位から問うた。

 

「ふーん、面白い話ねえ……どんな話だったんだ?」

「旧時代の文化のお話です」

「旧時代の文化?」

「ええ、お二人のお話は新鮮なことばかりで……つい聞いてしまいました」

 

 フミルィルもクオンに連れられて遺跡巡りをしていたようだから、そういうのに興味はあるのだろう。

 三人の楽しげな様子からも、流石のウルゥルサラァナも、デコイ種含めた暗い話はしていないだろうから、本当にただの文化の話をしていたのだろう。

 ただ、一応確認のため聞いておく。

 

「兄貴から聞いたことでも、あまり今の時代に影響の無い話か?」

「当然」

「主上とお母様より伝え聞いたことを、後の時代に良い形で伝えていくのが私達の役目ですから」

「そうか、当たり前のことを聞いたな。すまん」

 

 ウルゥルとサラァナも、兄貴や自分がいずれ旧時代のものを全て無くしてデコイだけの世界を作ろうとしていることは知っている。

 だからこそ、影響の無い話だけしてくれているんだろう。

 

「ちなみに、フミルィルに何の話をしてたんだ?」

「宗教文化」

「主様の時代には、神が誕生した聖夜に恋人同士が一晩中ぬっちょぐっちょする素晴らしい文化があったそうですね」

「まさに性夜」

「いや、それ一部の国の汚れた文化だから!」

 

 基本的には家族で過ごすのが定番である。

 それに、自分の時代にはもはや宗教自体が下火にあったのもあり、そういった変な風習も廃れていた筈である。そういう、変な一文化もあったというのは知識として知ってはいるが。

 

 いや、待て──とこれまでの不可思議な体験と今回の話が結びつく。

 恐る恐る、そのことを二人に問うた。

 

「ちなみに……旧時代の暦を今の時代に合わせたら、聖夜はいつだ?」

「明後日」

「正確には、明後日の夕刻から朝方にかけてを性の時間としていたそうです」

 

 やたら明後日誘ってくる現象は、二人のこの話の流布があったせいか! 

 

 それで全て合点がいく。

 旧時代の文化であるからして、旧時代の人間である自分はその日を確実に知っている。つまり、その日は必ず恋人と過ごそうとするに違いないと。そして一晩中ぬっちょぐっちょ融け合うのだと。

 

 だが、早合点の可能性もある。

 一応の願いを込めて聞いてみた。

 

「……その話、他にもしたか?」

「だいたいは」

「私達、鎖の巫はその日を主様と共に過ごしますと勝利宣言しました」

「……」

 

 無表情ながらも少し勝ち誇ったような表情を浮かべるウルゥルとサラァナ。

 二人による、両手の人差し指と中指で示されたブイの文字を見ながら、その約束を思いだした。

 

 以前、その日の夜を共に過ごしたいと言われていたことを。

 約束しなくともいつも一緒だろうと返したが、あれはそういう意味だったのか。

 

「……兄貴が、そんな話を?」

「だいたいはお母様」

「主上の言葉を歴代のお母様が解読した結果かと」

 

 全然、良い形で後世に伝わってないじゃないか。

 

「でも、愛を確かめ合うって、とっても素晴らしい文化です~! それに、恋人だけでなく、家族で過ごそうというところもあるのですよね?」

「というか、家族と過ごすのが基本だ」

「主上は、お母様や、ウォシス様、聖上と共に家族で過ごすそうです」

「水入らず」

「おい、自分も一応身内なんだが」

 

 誘われてないぞ。

 まあ、誘われたら誘われたで今は困るんだが。

 

「ハク様、私もその聖夜……御一緒したいのですが、駄目でしょうか?」

「う……」

 

 フミルィルとも婚姻を結んでいる身としては、今の話を聞いた後には断りにくい。

 恋人や家族ならば、共に過ごそうと言われているようなものだ。断ると言うことは、そうでないと否定することになる。

 しかし──

 

「あ、あくまで旧時代の文化だ。今は違うだろう?」

「でも、ハク様は他の方とは過ごす約束をしたのでしょう? 私もご一緒させてください」

「む……ぅ」

 

 フミルィルは他の人とご一緒でも良いようだが、最初の方に約束を交わしたクオンやネコネについては絶対にそう思ってない。

 寿命では死なぬ身ではあるが、もしかすればある一部分の命日となる可能性もある。

 

「そうだ。今はどなたと御約束しているのですか? 私から皆さんに、この素晴らしい文化についてご説明します」

「名案」

「私達も手伝います。主様との聖夜を邪魔されたくはありませんから」

「火に油注ぐからやめてくれ!」

 

 既にどっぷり油に浸かっている身ではあるが、これ以上火元を近づけられたらとんでもない勢いで燃え上がる。

 

「では……皆様との約束を破ってしまわれるのですか?」

「いや……そんなことはしない。自分が説得する」

「? 一体、どうするのですか?」

 

 その一筋の光明が如く名案は、これまでの過酷な戦乱を生き延びたが故に生まれたもの。

 それは──

 

「──都合の良い文化を、でっちあげる」

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「できなかったよ……」

 

 今、自分は縄に縛られ、十一人の女性に囲まれている。

 

 計画は上手くいくはずだったのだ。

 

 明後日に全ての女性を集め、皆は聖夜において共に過ごす家族だと紹介する。

 朝、昼と家族は共に食事をして過ごし、夜には仲良く並んで寝る。家族と平和な夜を迎える──それが正しい文化だと喧伝した。まあ、実際ウルゥルとサラァナが吹聴していたものよりは正しいのだが。

 

 今回の騒動は、家族と共に過ごす、そのために皆を誘い、約束したのだということにした。

 フミルィルやウルゥルとサラァナとも口裏を合わせた。何だかんだ女性陣は仲良しな面子である。途中までは上手くいっていたのだ。しかし──

 

「それで──誰がおにーさんの隣で寝るん?」

 

 アトゥイの余計な一言が、その場の流れを一変させた。

 

 まず対抗心を燃やしたクオンが名乗りを挙げ、その対抗心に対抗心を燃やしたウルゥルとサラァナが名乗りを挙げ、その二人はいつも隣だろうとムネチカが不平を言い、では誰がするのですか最年少に譲ればとネコネが計算高い提案をし、ルルティエが控えめながら枕を自分の隣にこっそり置いたのを見て、シスが便乗して枕だけでなくルルティエと共に寝ようとし、エントゥアが皆を落ち着かせようとおろおろしている横で、ノスリが賭けで決めようと言いだし、いやいや槍で勝負がいいとアトゥイは言いだし、フミルィルはクーちゃんの隣がいいと関係ない話をし始める混沌とした場が出来上がった。

 

 この場を収めるには、一先ず騒ぎを収めなければと、原因である自分がいなくなれば解決するとこっそり抜け出そうとしたところ、女性陣の手によって注連縄のような太い紐で拘束されているのが現状である。

 

 争いは激化。

 誰が隣に寝るのかと、自分の枕を奪い合っている。

 

 この混乱を収めるには、言霊であればなんとかなる。

 しかし、愛する人に対して、無理やり言葉で縛るなどという行為ができよう筈も無い。

 

 しかし、早く収拾をつけねば、いつ自分の体が十一に裂かれるかわからない。

 何とかするしか──そう思い、口を開こうとした瞬間であった。

 

「──こんなことしたくないけど、ごめんね」

「もが!?」

 

 いつの間にか背後にいたクオンは、自分の口内に布を突っ込み、目にもとまらぬ早業で猿轡のようなものを噛ます。

 

「本当はこんなことしたくなかったんだけど……皆を騙したお仕置きかな」

 

 騙したとは人聞きの悪いと抗議しようと考えたが、確かに騙していたのは事実である。

 

「そうですね。本当はこんなことをしたくありませんでしたが……やっぱり、皆さまはハク様の一番になりたいようです」

「ふふりぃる! まふぉか……」

「ごめんなさい、ハク様……クーちゃんハク様のことになると鋭くって……」

 

 フミルィルが、諦めたようにそう言う。

 口裏を合わせていたが、度重なる追求から裏事情をクオンに喋ったのだろう。争いに注視していて、クオンとフミルィルの動きに気付かなかった。

 

「それで? ハク、誰が一番か今夜決めよっか」

「うむ。夜は長い……誰が一番か、判断できる時間は十分にあるぞ」

 

 クオンとノスリの猛獣も怯えて逃げだすような圧気を受けて震える。

 

「本当はこんなことはしたくないんやぇ? でもおにーさんずっとのらりくらり……ええかげん、ウチらもはっきりさせときたいんよ」

「懸想する者全てを呼んだ代償であるな……今宵は覚悟してもらおう。ハク殿」

「むー!! むー!!」

 

 したくないしたくない言いつつ、女性陣の呼気は荒い。

 獲物を前に舌なめずりする捕食者そのものである。

 

 ──死。

 

 これまでで最も避けられぬ死を感じた。オシュトルとの死闘よりも、ウィツァルネミテアとの闘争も、今この瞬間に比べればはるかに絶望は少ない。

 

 口を塞がれ、言霊も封じられてしまった。

 もはや頼れる者は二人しかいないと。助けてくれウルゥル、サラァナと、最後の希望に目をやると──

 

「──こんなこともあろうかと」

「主上から賜れた御業」

「何度出しても復活できる優れもの」

「万事解決」

 

 かつて、デコイといちゃこら大好きな研究員がその生涯を賭けて生みだした最低最悪の傑作である。

 まさか、兄貴が所持していたとは。そして、それを一番渡してはいけない二人に渡していたとは──

 

「むーむー!!」

「おにーさん、往生際が悪いぇ」

「私を口説いた責任は取ってもらいますわ。ハク様」

 

 じりじりと迫りくる女性陣に、もはや自分にできることは無い。

 

「あ、あわわ、あ、姉さまと、ハクさんが……!」

「は、ハク様……の、ぅ……わぁ……」

 

 まだ幼いネコネや、純真なルルティエには、かなり刺激の強い光景であろう。

 しかし助け舟を出すわけでもなく、顔を真っ赤にして成り行きを見守っている。

 

「聖夜とは、愛を奪い合うもの……かくも恐ろしい、聖なる闘争の夜だったのですね……」

 

 熱を持った声色でそう言うエントゥア。

 その呟きが、意識が途切れかけた自分の耳に、いつまでも木霊して離れないのだった。

 

 




 メリークリスマス。良い子は家族と過ごそうね。

 遅くなってすいません。楽しみにしていた方がいたら感謝を。
 ただ、クリスマスに間に合わせようとあまり推敲できていないので、後日消すか修正するかと思います。

 もう一つのうたわれ作品も、少しずつ書き溜めていますが、多忙につき暫くかかります。
 気長にお待ちいただけたら幸いです。

 皆様、よいお年を。


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陸 墓を参るもの

 そろそろお盆だからという訳ではありませんが、エントゥアの話となるとこんな話になるかなと。

 時系列は、後日談参、ハクオロさんの話の後くらいです。
 登場キャラは、エントゥア、ヤクトワルト、シノノン、オシュトル、オウギです。


 その相談は、クオンと共にトゥスクルから帰還して暫くのことであった。

 

「一緒に墓参りに行きたい?」

「はい、亡き父の墓前に花を届けたいのです」

 

 エントゥアはそう言い、胸に抱えた見慣れぬ花を見せる。

 そういえばと記憶を探れば、かつて兄貴がまだ帝だった頃のヤマトとウズールッシャで起こった戦乱、その終戦日が近づいていた。

 

「……ゼグニの墓か」

「はい……」

 

 エントゥアの父は、ウズールッシャ元頭目グンドゥルアの敗走の殿を務めた千人長である。

 軍の殿を任された結果、オシュトルとの一騎打ちで敗れ、エントゥアに遺言を託し死んだ漢だ。

 死した後であっても、ヤムマキリ他ウズールッシャ各勢力から影響力のある人物として認知されていた傑物でもある。

 

「ハク様の、あの大きな輪っかのようなものがあれば、と思ったのですが」

「……うーん」

 

 大きな輪っかとはゲートのことだろう。

 大いなる父の遺産であるゲートを使えば、ウズールッシャの地にも瞬時に辿り着くだろう。

 ただ、余りあれを表沙汰にしたくないこともエントゥアは理解している筈である。それでも、こうして誘ってくれる理由は何だろうか。

 

「あの……駄目でしょうか?」

「いや、駄目じゃないぞ、行こうか」

 

 ゼグニには伝えたいこともあるしな。

 

 エントゥアを奥さんにしましたと。

 あと、嫁さんがいっぱいいてすいませんと謝罪しなければならんのだ。

 

「ゲートを使うのもいいが、一応ちゃんとした旅程を記録しなきゃな」

「はい、その辺りは抜かりなく行わせていただきます」

 

 オシュトルやネコネの補佐をすることも多いエントゥアだ。

 言葉通り、その辺りは任せても良さそうである。

 

「そうか、なら大丈夫だ。いつにする?」

「ハク様の御力を使えるならば、旅程は三割程短縮できそうですから……明後日から一週間程でいかがでしょうか?」

「いいぞ、空けとく」

「ありがとうございます」

 

 あからさまにほっとした笑みを浮かべるエントゥア。

 

 その辺は、ノスリと全国の賭博場巡りを約束していたが、別に一週間遅れるのは訳ないことである。

 公にできない旅でもあるからして、ノスリに一言断っとけばいいだろう。

 

 後は、自分がまた帝都を空けることを他の奴らに伝えんとな。

 

 そう思って、後日。

 オシュトルに今度の墓参りのことを伝えにいったのだが──

 

「ゼグニ殿の?」

「ああ、まずいか?」

「いや……」

「?」

「今や、エントゥア殿はヤマトの重鎮、確執を抱え続けるのも良くない……か」

 

 オシュトルは幾分迷った表情をした後、何かを決意したように口を開いた。

 

「ハク……その墓参り、某も共に行こう」

「えっ」

「某はエントゥア殿の仇敵でもあるからな……遺恨を残さぬためにも、墓くらいは参らねばなるまい」

 

 そういうオシュトルの表情には幾許かの懺悔が含まれている。

 エントゥアとしてもオシュトルにもう怨恨は無いと断言しているんだが、やはり気にしているようだ。

 

「エントゥアはもう気にしていないと思うが」

「いや、エントゥア殿の本心は聞いている。しかし、内乱を画策する輩は吐いて捨てる程にいるのだ……痛くない腹を探られるのもな」

「……なるほど」

 

 エントゥアは元ウズールッシャ勢力であるというのは、周知の事実でもある。そして、オシュトルがかつてはエントゥアの父を斬ったというのも。

 

 そこに反乱分子が目をつけるなど、エントゥアに悪い虫が付くのを牽制する目的もあるとなれば、確かに墓くらいは参った方がいいのかもな。

 

「わかった、オシュトルも行くんだな」

「ああ」

「なら、シノノンもいくぞ!」

「おっ、シノノンが行くなら、俺も行くじゃない」

 

 そこで、オシュトルの執務室に偶然居合わせた皇女さんの影武者役をこなしてくれているシノノンと、補佐のヤクトワルトから声が挙がる。

 ゲートに人数制限は無いが、余り大所帯だとエントゥアも旅程を誤魔化しきれないだろう。

 

「おいおい、帝都を空にしてもいいのか?」

「聖上もお戻りになられている。某がいなくとも、マロロやネコネが支えてくれるであろう」

 

 皇女さん、また逃げようとしたところを今度ばかりはとムネチカに捕まっちまったからな。

 オシュトルにとってもこの時期は都合が良かったんだろう。

 

「旅程に関してはエントゥア殿と調整する。アレを使うのであろう?」

「ああ」

「であれば、もう一件きな臭い事件を解決しておくとするか……」

「きな臭い事件?」

「ああ」

 

 どうやら話を聞けば、ウズールッシャとの国境近く、治安が不安定な地域で変な一団が拠点を置いている──との報告があったようだ。

 現在、オウギ他調査員が現地で勢力の調査を行っているらしい。

 

「おいおい、オウギが調査中なんだろう? 危なくないか?」

「だから行くのであろう」

 

 そう言って、にやりとこちらを見て笑う。

 なるほど、自分の力に頼りたい訳ね。

 

「近頃、帝都の平和を隠れ蓑に悪辣な商売をする者も増えた。戦後の混乱期に乗じ、身に余る権力を持った者も多いのだ」

「炙り出したい、ってか」

「ああ、今後の内乱防止もある。かつてのデコポンポのような存在を許せば、非合理組織がまたもや帝都を席巻しよう……不自然な一団は警戒しておかねばな」

 

 ノスリ旅団みたいな義賊ならまだしも、ウズールッシャとの国境近くとなれば、確かにきな臭さは感じるよな。

 

「まあ、普段好き勝手させてもらっている手前、それくらいの協力ならば惜しまんさ」

「そうか、助かる……アレを使えるならば、旅程に関しては心配いらぬ。エントゥア殿との墓参りが真の目的ではあるが、余った時間で調査くらいはできるであろう」

「おう、エントゥアに伝えておく」

 

 そういうことになった。

 

 そうして、ゼグニの墓参りとウズールッシャに蔓延る勢力の調査をかねた旅、当日である。

 

「イヤイヤ! エントゥア殿! 吾輩も付いて行きたいであります!」

「ボコイナンテさん、私のいない留守を預けられるのは貴方だけです。よろしくお願いしますね」

「し、しかし……」

「ボコイナンテさん、貴方を信用しているのですよ」

「……そ、そうまで言われれば仕方ないのであります……くっ!」

 

 そう言って、キッとこちらを一瞥して大股で去って行くボコイナンテである。

 エントゥアも、随分ボコイナンテの扱いが上手になったというか雑になったというか。

 

「では、行きましょうか」

「ああ……っと」

 

 エントゥアはそっと隣に立つと、自分の腕をぎゅっと抱いてくる。

 その肢体は豊満ではなくとも、女性らしいしなやかさと柔らかさを兼ね備え、また煌く青い髪からは花の蜜のような甘い香りがした。

 

「ど、どうかなさいましたか?」

 

 エントゥアも少し恥ずかしいのだろう。

 普段はしない行為に動揺しているのは自分だけではないらしい。

 

 エントゥアって、時たまこうして大人っぽいところを見せてくるんだよな。

 それでいて恥じらいがあって、かなりくらっとくる。

 

 しかし、墓参りってこんな風にいちゃいちゃしながら行くもんなのだろうか。

 ゼグニは常世から見ていて怒らないだろうかといらぬ不安が頭を駆け巡る。

 

 そして、帝都の街道を二人歩いて暫く──

 

「この遺跡のゲートを使って行くか」

「はい……」

 

 待ち合わせ場所でもある遺跡へと足を運び、中へと促す。

 そうすると、オシュトル達は先に着いて暫く待っていたのだろう、遺跡内でどっかりと腰を下ろし、揶揄交じりの視線でこちらを見上げていた。

 

「ったく……アンちゃんが遅かった理由が知れたな」

「おう、ハクの旦那と、エントゥアの嬢ちゃん。実にお似合いじゃない?」

「おー、こいびとみたいだぞ」

 

 こいびとみたいじゃなくて、一応奥さん扱いなんだが。

 エントゥアは、揶揄われることには慣れていないのだろう。ぱっと抱いていた腕を離すと、恥ずかしそうに縮こまってしまった。

 

「もしかしたら、嬢ちゃんの計画を邪魔しちまったのかもしれないじゃない」

「済まぬな、エントゥア殿」

「い、いえ、そんなことはありませんから」

「みんなでいったほうがたのしいぞ!」

「え、ええ、そうね。シノノン」

 

 誤魔化すように前髪を直すエントゥア。

 そこで、今更ながらにエントゥアは二人きりになりたかったのかもしれないと気づく。

 

「旦那は相変わらず鈍感じゃない」

「遠慮なく付いて来たお前らが言うな」

「っくっくっく、違いねえ」

 

 こっそりと耳打ちしてくるヤクトワルトにそう返したのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「これが、ゼグニの墓か……」

「ええ、簡素ですが……」

 

 かつて、ゼグニがオシュトルとの一騎打ちにて敗れた地。白き岩肌に囲まれた小高い丘の上にそれはあった。

 

 遺体は無く、魂だけがここにあると、名すら刻まれていない簡素な墓である。

 自分達以外に参る者もいない寂しい墓だと、そう思っていた。しかし──

 

「あら……これは……」

「? どうした」

「誰かが……」

 

 そこには、英傑ゼグニここで眠ると、墓石の裏に刻まれていた。

 最初はエントゥアが彫ったのかとも思ったが、エントゥアの戸惑いを見るにそうではないようだ。

 

「エントゥアじゃなかったのか?」

「私は何も……」

 

 よくよく周囲を見れば、綺麗に掃除された後や、簡素な摘まれた花が添えられている。

 

「! これは……故郷の花です……」

「そうか……」

 

 エントゥアが涙ぐんでその花を手に取る。

 オシュトルは、そんなエントゥアの背に向かって、ゼグニを偲んで言う。

 

「やはり……某の討った漢は、良き将であったようだな……墓石に名は無くとも、その名を彫り、参る者はいたようだ」

「……そうですね」

「惜しい漢を亡くした。改めて、謝罪を……」

「いいえ、オシュトル殿。我が父は……死んで尚、魂の価値を認められたのですから……」

「……そうであったな」

「ええ……」

「では、亡きゼグニ殿に……某から最上の敬意と、鎮魂の言葉を」

「はい、是非お願いします……」

 

 人の本質は死んだ後にあるとも言われ、葬式や墓石にどれだけ人が参るかでその人の価値が決まると言われていた時代があった。

 ウズールッシャの死者に対する認識はどうかわからんが、エントゥアの父を覚えて慕い続けている者がいる。それだけで、幾分救われた気がした。

 

「ハク様も」

「ああ、エントゥアを、娘さんをくださいって頼んでくるよ」

「う……は、はい、是非おねがいします」

 

 表情を隠すように頬を赤く染めて俯くエントゥア。

 ゼグニの今際の際に──女としての幸せを掴め、と言われたそうだ。その幸せを自分が与えられると自惚れちゃいないが、一緒に作っていけたらとは思うのだ。

 

「シノノンも、おねえちゃにせわになったとつたえるぞ!」

「ふふ……そうね、お願い。シノノン」

 

 皆でゼグニの墓に手を合わせる。

 魂に、常世にきっと届くと、エントゥアの幸せな姿が見えると、ただただ拝んだのだった。

 

 そうして、暫くしてである。

 周囲の掃除を済ませ、御供え物を置いてその場を後にした。

 

 墓参りは終わった。

 しかし、ゲートを使って帝都に帰ればとんでもない旅程になってしまう。大いなる父の遺産を扱っていることは、公にしたくない手前残りの日数は調査に使うのだ。

 

「──さて、では宿を取ろうか」

「ああ、オウギから信頼のおける宿を聞いているから、そこに行こう」

 

 帳尻を合わせるためにも、近くで宿を取り、そこを拠点にしながら調査に赴くこととなった。

 

 たとえオウギの息がかかった隠密衆御用達の宿であっても、刺客がいる可能性もある。

 護衛も含め二部屋借りることとなり、とりあえず部屋割を決めることとなったのだが──

 

「では、ハク。明日の朝にな……あまり遅れるなよ」

「シノノンはおねえちゃといっしょがいいぞ……」

「まあまあ、シノノン。今日はオシュトルの旦那が遊んでくれるじゃない。んじゃ、まあ、旦那、エントゥアの嬢ちゃん。ごゆっくり……邪魔はしないじゃない」

 

 そうなった。

 

「……」

 

 残されるは、もじもじと体をくねらせ、自分の袖をちょいと掴み、唇を噛んで俯くエントゥアである。

 その頬は邪推されても仕方ないくらいに火照っていた。

 

 こんな時に抑止力というか、煽ってくることもあるウルゥルとサラァナは、ホノカさんのところで何やら修行中であると偶然にも旅の道連れではない。

 

 つまり、二人っきりである。

 

「い、行きますか……?」

「……そうだな」

 

 夜は長そうである。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 朝、宿にて朝食をもてなされながらも、愚痴をこぼす。

 

「遅いな……」

「まあまあ、オシュトルの旦那」

 

 随分、仲の良いことだ。

 

 最愛の妹ネコネも、ハクのところに漸く嫁にいったとはいえ、エントゥア殿に比べればまだ進展が少ないとも言えるかもしれぬ。

 まあ、ネコネの体を気遣っていると言えば聞こえはいいが、ハクとしても周囲の女性の包囲網が強過ぎるため時間をかけられないといったところか。

 

「オシュ、シノノンがだんなをおこしてやろうか?」

「いや、止めておいたほうがいい」

「そうだな、シノノンには見せられん惨状かもしれんじゃない」

 

 こうなれば、ハク達は放っておいて我らで先に赴くのも良いかもしれぬ。

 身分を隠した旅、旅路を簡略化できる遺産も用いられるとはいえ、あまり長居もできぬ。

 

 ゆっくりと味わった朝食は既に完食した。

 

 現地で調査しているオウギとの待ち合わせ、その刻限も近づいている。

 謎の組織は時間によって拠点を変えるとの報告も受けているのだ。急がねばなるまい。

 

「行くか」

「俺達二人で大丈夫かい?」

「ふ……ヤクトワルト、本気で聞いているのか?」

「くくっ、愚問だったかね」

 

 今や仮面による根源との繋がりを断たれ、仮面の者としての力を発揮できなくとも、そこらの刺客に遅れを取るほど耄碌はしておらぬ。

 

 どの程度の勢力かは知らぬが、我らにかかれば造作もあるまい。

 オウギからも、既に尻尾は掴めたと聞いている。

 

 いざとなればハクの力も借りたかったが、仕方ない。

 

 昔から、恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬと相場は決まっているのだ。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 目覚めた時には皆の姿はなく、オシュトル達は先に向かったと宿の者から聞いた。

 

 慌ただしく二人で準備を整え、オウギとの待ち合わせ場所まで駆けつけたところ、そこでは全てが終わっていた。

 

「ふむ……ここまで口が堅いのは、義理堅き証でもある。よほどあくどい者か、それとも義侠心ある者か……雇い主は誰か気にはなるが……」

「どうしますか、オシュトルさん。ハクさんもいない今、口を割らせるには……おや?」

「お……噂をすれば、じゃない」

 

 オシュトルの不敵な笑み、オウギのまたですかという笑み、ヤクトワルトのにやにやした笑みに囲まれ、遅れてきたエントゥアが真っ赤になって縮こまる。

 嫁と自分の汚名返上のためにも、ここから挽回しなきゃいかんようだ。とりあえず、止むに止まれぬ事情故に遅刻した件を謝罪する。

 

「すまん、遅れた!」

「やっときたか、だんな。おねえちゃも、まったくおねぼうさんだぞ」

「ご、ごめんなさい、シノノン」

 

 シノノンの純粋な非難に自分とエントゥアは心を痛めつつも、周囲を見回して状況を整理する。

 どうやら、オウギ手引きの元、オシュトル、ヤクトワルト他隠密集団によって怪しい組織は既に一網打尽、お縄についていたらしい。

 

「こいつらか?」

「ああ、報告にあった通りである」

 

 規模としては数十名でそこまでは多くはないものの、もし盗賊団や人攫い集団とすればかなりの規模である。

 

「目的は何だったんだ?」

「それがわからぬのだ」

「ウズールッシャとの境界線でもありますからね。盗賊団、もしくは人攫いの可能性もあったので調査を進めましたが……装備を見るにどうやら、そういう訳でも無さそうです」

「内乱を企てていた、とか?」

「それは無いだろう。それにしては今度は装備が不十分である」

 

 装備は盗賊団や人攫いにしては良質な武器や装備が揃っているようである。

 しかし、盗賊や人を攫う際に必要な移送手段が余り見られないことから、そうでもないとのことだった。

 故に、あくどい目的でも、内乱なんて大それた目的でも無さそうという結論である。

 

「しかし、何か企んでそうなのは確かなんだろう?」

「む……そうであるな。丁度良かった。ハク、彼らの口を割ってくれぬか」

「……それで帳消しにしてくれるか?」

「勿論だ」

 

 オシュトルが自分を連れてここに来たかった理由はこれのためであろう。

 そう、大いなる父の力──言霊による縛りである。

 

 彼らデコイには、大いなる父が命ずる言葉には従わざるを得ないよう遺伝子に刻まれているのだ。

 自分は仮面を無くし非力な存在へと戻りはしたものの、この大いなる父の言霊があるおかげで、悪漢から襲われ様とも切り抜けられる故に、護衛も無く過ごせるようになったということである。

 

 頭目らしき人物の前に進み出て、視線を合わせる。

 その瞳には怯える様子は無いが、絶対に口を割らぬという強い意志も見え隠れしていた。

 

「お前に聞く。お前の雇い主は誰だ?」

「……う、うぅ」

 

 言霊が弱いようである。

 かつてウォシスが用いていたように、強く意思を込めて、命じた。

 

「命ずる──お前の雇い主を言え」

 

 余りこういうことはしたくないが、仕方ない。

 こうすることで、自分の愛するヒトが、国が、平和で保たれるならば、幾許かは協力したいのだ。たとえ、目の前のヒトの権利を侵害しようとも。

 

 目の前の男は、暫くくぐもった声を上げた後、ある名前を呟いた。

 

「ぼ、ぼ……」

「ぼ?」

「ボコイナンテ様で……あります」

「……なに?」

 

 その名を聞き、一瞬皆の表情に戦慄が走る。

 あのボコイナンテが内乱を企てている。エントゥアにお熱であるからして今更逆らうこともあるまいと放置していたが、元々の禍根を考えればあり得ぬ話ではない。

 

 オシュトルも真剣な表情で思案しており、それ以上に動揺を見せていたのは、彼を庇護しているエントゥアであった。

 

「そんな……まさか、ボコイナンテさんが……」

「陽動……か?」

「!」

 

 数段早い思考であるオシュトルの呟きが響き、遅れて周囲の者もまた気づく。

 この墓参りにより、総大将と自分は帝都から離れている。仕掛けるとすれば今──そこまで思考が回りかけ、エントゥアの声がその懸念を吹き飛ばした。

 

「あり得ません! ボコイナンテさんが、反乱など!」

「エントゥア……?」

「あの方は、私に恩を返すと……私の幸せを願うと言ってくださったんです。ですから……あり得ません」

「……では、聞いてみるしかあるまい」

 

 オシュトルが厳しい声でそう告げる。

 そうだ、全ては聞けば分かる話である。それに、エントゥアがここまで言うのだ、憶測で物を言うのはまだ早い。

 

「ボコイナンテは、お前達に何を命じた? 答えてくれ」

 

 再び、大いなる父の言霊でもってそう命じる。

 すると、先程口を割られたことで何か術を使われたと思ったのだろう。男は諦めたように言葉を漏らした。

 

「……我らは、運び屋、そして伝言役である」

「何を」

「……花を……そして墓の在り処……」

「! まさか、あの花……」

 

 そこで、エントゥアが思い至ったようにその口を綻ばせる。

 

「貴方達が、置いてくれたのですか……?」

「ボコイナンテ様は……エントゥア様のために、ゼグニ様の墓の場所を、ウズールッシャにいる元配下の面々に知らせたいと……そして、彼らから手向けの花を届けたいと、我ら傭兵を雇ったのです」

 

 墓参りにあった、既に手入れされた後。それは、彼らによって齎されたものだったらしい。

 ボコイナンテがやたらとついてきたがったのも、その辺りが関係していたのか。

 

 オシュトルやヤクトワルトも、疑ったことを申し訳なく思ったようだ。

 

「そうか……あのボコイナンテがな……」

「ひゅ~……随分な漢気じゃない」

 

 エントゥアの言葉は正しかった。

 しかし、一つ疑問が残る。

 

「何故、こそこそ隠れてやっていたんだ? 堂々としてればいいじゃないか」

 

 そう、志立派な行いである。

 自分やオシュトルに予め打診してくれれば、このような手間もかからなかった筈だ。

 しかし、男は首を振って否定した。

 

「ここは、境目……ヤマトの敵国でもあるウズールッシャの民を、ヤマト近くへ誘導することは、許可が下りぬだろうというのが、ボコイナンテ様の考えであった」

 

 なるほど。

 確かに墓参りを利用してあくどいことを考える輩も出てくることを思えば、ヤマトに明かすよりも秘密裏に動いたほうがよいと考えたのかもしれない。

 墓参りを口実にヤマトへの密入国が横行するとなれば、一番傷つくのはエントゥアだからな。

 

 彼らがこの辺りを怪しいくらいにウロウロしていたのも、ゼグニの墓に案内するだけでなく、密入国目的の者を判断し、打倒する役目も担っていたからだろう。

 

「ボコイナンテ様は、愛する者に振り向いてもらえなくとも……知られなくとも、できる全てを尽くすと……我らは、その志に惚れてこの職務についたのだ」

「ってことは、お前達はボコイナンテの私兵か」

「そうだ」

 

 口が異常に堅い姿には、そんな理由があったのか。

 ボコイナンテも、初めて会った時より随分と漢気が増したように思う。その理由も、エントゥアの持つ優しさのおかげだったんだろうな。

 

「ボコイナンテさん……」

 

 一件落着、といったように皆の表情に安堵が戻る。

 エントゥアは、感動で涙を拭う様子も見られた。

 

「……」

 

 しかし、何故だろうか。

 エントゥアが、そうやって別の男に感謝し、嬉し涙を流す様を見て──少し、胸の奥が燻ぶった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 帝都に帰って来れば、御留守番を命じられたボコイナンテはもじもじそわそわと気持ち悪い挙動でこちらを見ている。

 エントゥアは、この旅路で知ったことについて礼を伝えねばと思ったのだろう。ボコイナンテに駆け寄り、事のあらましを話した。

 

「──何故、それを……」

「ですから、ありがとうございました……ボコイナンテさん」

「いえ……吾輩は、ただエントゥア殿に恩返しをしたかっただけでありますので……」

 

 エントゥアがボコイナンテに笑顔を向け、言葉で礼を尽くしている。

 二人の中には、友情や主従ではない、深い信頼関係が見えた。

 

 それを見て、少しばかりの嫉妬が芽生える。

 あの時はこの気持ちに言葉を当てはめられなかったが、これはそう──間違いなく嫉妬だ。

 

 これだけ嫁さんがいて図々しいとも思うが、違う男と仲良くしているとどうも焼きもちを焼いてしまうものらしい。

 ホノカさんが兄貴とくっついた時も同じような感情が芽生え、自分の中でそれを抑える術を身に付けたつもりだったが──

 

 ボコイナンテと別れ、エントゥアと二人で帝都宮廷内の自室へと帰る。

 そしてつい──エントゥアの肩に手が伸び、その華奢な体を抱き寄せた。

 

「……っ? は、ハク様、どうかしましたか」

「いや、エントゥアが嫁さんで良かったと思ってな……」

「な……も、もう、急にどうしたんですか?」

 

 普段言わないことを聞かされ、頬も真っ赤に耳をパタパタと動かし動揺するエントゥア。

 

「ちなみに……今回のこと以外で、なんか他に頼みたいことは無いか?」

「え? でも……今回の墓参りに付き合ってくださっただけで十分ですから……」

「いや、他にも……ほら、あるだろう?」

「……もう、本当にどうしたんですか? 今は、大丈夫ですよ。何もありません」

「そ、そうか……まあ、できたら言ってくれ……」

「ふふ……はい、また頼らせてもらいますね、ハク様」

 

 自分には去って行く女性を縛ることはできない。

 ならばせめて、自分を好きでいてくれるよう、傍にいてくれるよう、言葉と行動は尽くすとしよう。

 

 世間一般で言う、一夫多妻制のお股八つ裂き浮気漢ではあるものの、手を出した責任は死ぬまで取らねばと、エントゥアを抱く手に力を込めたのだった。

 




 ハクって嫉妬とかするんかな……。

 この二次創作で、原作と大きく展開が変わったエントゥアとボコイナンテのお話でした。
 前々から、読者の方の中にエントゥア好きな方がいて、要望を沢山いただいていました。遅ればせながら執筆しましたが、こんな感じでよろしかったでしょうか。楽しんでいただけたら幸いです。

 あと、アニメ……ついに始まりましたね。
 トネケンさんが喋るたびにハクらしさを感じて素晴らしかったです。
 様々な名シーンをどうアニメ化してくれるのか、楽しみで仕方が無いです。

 特にラスト! 原作と多少変えても良いので、マシロ様と皆の再会を!!
 アニメ会社さんお願いします! 300円あげるから!


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