鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ・捏造コラボイベント】 (みあ@ハーメルンアカウント)
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前ノ章
Act.1 邂逅流転


【注意書き~当シリーズを最初に読まれる方は、必読でお願いします~】

この小説は以下の設定を含みます。この中に苦手な物が含まれている場合、このままそっ閉じ推奨です…!

・ドリフターズとFate/GO、版権同士のクロスオーバー二次創作です。かつ登場作品の違う男女キャラクター同士の恋愛要素を含んでいます。
・カップリングは土方(ドリフ)×沖田(Fate)です。彼ら以外のクロスオーバー男女同士の会話やスキンシップはありますが、そちら側には恋愛の意図はございません。恋愛要素はあくまで土方×沖田のみです。
・土方さんと沖田さんは「敵対関係」になります。恋人同士の殺し愛展開がNGの方はご注意ください!
・作中は史実の人ネタなんかも混じってるので、キャラ崩壊してる可能性が(汗)また薩摩弁の嗜みはないので、思いっきり間違ってる可能性大です。どうか寛容な目で見てやって下さい。
・FGOのマスターぐだ子ちゃんは、公式設定に合わせまして名前を男性主人公と同じく「藤丸立香」にしてあります。この子がセクハラ魔設定なのはだいたいプレイヤー(作者)の所為ですごめんなさい。
・ドリフキャラ所有の宝具の名称・能力その他は、完全に作者の捏造です。その場のノリとか話の都合とかで作られているので、かっちりとした設定があるわけでもないです(汗)
・ノッブとのぶのぶは別人なのに、土方さんは何故かあっちと同じ人という世界観ガバガバ設定。
・序盤はコメディ多めですが、キャラの生き死にについて扱っている物語になりますので、シーンによってはシリアス&少々重たく感じられるかもしれません。苦手な方はご注意くださいませ。
・ちなみにタイトルの相思相殺という四字熟語は、山田風太郎先生の甲賀忍法貼からお借りしました。作業中は陰陽座さんの“蛟龍の巫子”と“愛する者よ、死に候え”をBGMにしてます、とさりげなくおすすめ。
・なお当作品は、全く同じ内容の小説と表紙イラストをPixivにて投稿しております(ユーザーマイページにPixivアカウントへのリンクがございます)。あちらでは既に完結済みの作品ですが、こちらのサイトでも手が開いた時に随時投下していきたいと思います。
・そして最後に――本作に登場するキャラクターは全て、実在する歴史人物・団体とは一切関係ございません。登場する歴史人物・団体のファンの方で不快に思われた方には深くお詫び申し上げると共に、その人物・団体への悪意等は一切ないことをここに明言しておきます。


設定というかほぼ駄文でしたが、上記のようなトンデモクロスオーバー作品にお付き合い下さる心の広い方がいらっしゃいましたら、どうぞ本文にお進みください!



澱のように停滞していた思考が、急速に浮上する。

戻ってきた五感が最初に自覚したのは、浮遊感。宛ら、あてもなく海底を漂っているような気分だった。0と1から成る幾何学的な二重螺旋が、緩やかな滝のように視界を流れ落ちていく。霊子演算という概念を知らない男の目に、それはただの奇怪な紋様として映った。

 

(ここは、どこだ)

 

男は目を細め、ここへ至るまでの経緯(いきさつ)を追想した。

 

(また、世界に棄てられたのか。俺は)

 

先程まで、己はオルテという国にいた――はずだった。

廃棄物。現世を憎み、世界を廃滅させる者として、黒王の手足となり、人を殺し、国を焼いて、戦乱を撒き散らすためだけに生かされる存在であった。

天の示す理から外れた、人ならざる者。それが彼であったはずだ。そんな彼を棄てられし者として、受け入れた世界であったはずだ。

だが。またしても天の理は、彼をその世界からも弾き出したというのだろうか。

 

(――あの男。島津は、)

 

何処へ消えた。否、消えたのは己の方であったのか。

泥と鮮血でまだらになっていた手袋は、いつの間にか漂白されたように元の色へと戻っている。しかし、あの薩奸の横面を殴り抜いたときの感触は、未だこの拳からは消えていない。

 

薩摩藩士。義理も恩情も忘れて幕府を裏切り、俺を、俺たち新撰組を殺した、新政府の狗め。

 

誰もいない虚空を睨み据え、奥歯を軋ませる。男の目は、ぎらぎらと滾っていた。その昏い輝きは地獄の業火にも似て、彼の中に刻まれた憎しみの深さを物語っている。

憤怒。絶望。後悔。そして――怨嗟。

その男の存在は、“復讐”という言葉そのものだった。

 

「……官軍が、憎いかね」

 

不意に、何者かの声が降ってきた。天からの声。そう言った形容が正に相応しい。

だが、男はそれを不思議とは思わなかった。

 

(そうとも。俺は、あいつが。あいつらが、憎い。憎い。にくい。ニクイ――)

 

呻くように、男は言った。腹の底に響く、憎悪を漲らせたその声に応えて――世界が一転する。舞台幕のように左右へ割れた、虚構空間。その向こう側、溢れる白い光の中に背の高い人影が立っていた。

 

「ならば今一度、私の手を取りたまえ。その為に私は、死せるきみをここへ喚んだのだ。

――箱館政府陸軍奉行並、いや……新撰組副長、土方歳三義豊」

 

声の主によって、差し伸べられる掌。今度はあの、奇妙な洋装(ドレス)を着た女ではなかった。

この世の総てを憎み、歪んでいた悪鬼の形相に、一瞬だけ人らしい表情が浮かんだ。それは懐古、というべきだろうか。洋式戎服を纏った長い腕が、迷うことなく持ち上がる。

 

男――土方歳三義豊は、この時、三度目となる生を受け入れた。

 



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Act.2 奇縁相克

「……一本!両者、そこまでっ!」

 

張り上げられた判定人の声に、沖田総司は残心の構えを解いた。剣豪、佐々木小次郎の小手を弾き飛ばした菊一文字則宗の剣先を、石目塗りの黒鞘に納めて一礼する。その凛然とした立ち居振る舞いは、なるほど、歴史に名を残した天才剣士のそれである。だが、再び上げられた顔は花が咲いたような笑顔に満ち溢れ、どこから見ても年頃の少女にしか見えなかった。

歴史としても、英霊としても、己より若い小娘から一本取られてしまった小次郎は、こめかみを掻きながら苦笑するほかはない。

 

「あいや、お見事。また腕を上げられたようだな、沖田殿」

「ふふっ…これも佐々木殿のご指南のお陰ですよ」

 

手拭で汗を拭きながら、沖田が照れ臭そうに笑う。

カルデア居住施設の一角、使われていなかった会議室を間借りしたその広間は、木目床を張り、それぞれの流派の看板を仲良く掲げ、ちょっとした道場のように作りかえられていた。汗臭いし古臭い、等と渋い顔をする者もいないこともなかったが、沖田はここで多種多様な国、時代の豪勇たちと仕合うのが日課であり、楽しみのひとつにもなっていた。

道場の端で身体を休め、小次郎と他愛のない歓談に勤しんでいると、冷茶の入ったグラスを盆に載せ、仕合の判定役を請け負っていた彼らの主、立香がやってくる。彼女は人懐こい瞳をくりくりとさせながら、剣豪たちの会話に混ざった。

 

英霊と、マスター。彼らが存在しているのは、魔術王ソロモンによって人理が崩壊した世界だ。この人理継続保証機関、フィニス・カルデアは、残された人類にとって正しく、最後の砦となっている。唯一のマスターにして、人理修復の要。それがこの藤丸立香なのだが――その人類最後の希望はと言えば、男女問わずサーヴァントにセクハラ紛いの言動をとったり、後輩に乳尻放り出した際どい礼装を着せては悦に浸っていたり、どこぞの電気街にいそうな海賊とウス=異本談議で盛り上がったりと、とかく残念な女子である。

それでも彼女の事を悪く言う者がいないのは、誰が相手でも物怖じせず、分け隔てなく接する実直な人柄故なのだろう。或いは皆、ちょこまかと動き回る小動物をハラハラしながら見守る飼い主の気分なのかもしれない。

 

「これで沖田さん、29勝40敗、だっけ?このままいけば、小次郎さんにも届きそうな勢いだね」

「そう言ってくれるな、主殿。拙者も一角の剣客としての矜持がある。故にこのまま、おいそれと抜かれはせぬよ」

「あはっ、ごめんごめん。……でも、ライバルがいるって良い事だよね。お互いを意識して、切磋琢磨できるっていうか」

 

そんな主従の微笑ましいやり取りを前にして、沖田はくすくすと笑っている。そしてふと、何かを懐かしむように口にした。

 

「……何だか、試衛館にいた頃を思い出します。楽しかったなぁ」

「試衛館――確か、沖田さんが小さい頃からお世話になっていた道場だよね。兄弟子にはあの有名な近藤さんとか、土方さんとかがいて……」

 

立香がその話題に食いついてくると、沖田はその通りです、と、嬉しそうに頷いてみせる。

 

「はい!ふたりは私の兄であり、父のような存在でもありました。だけどあの人たち、全然大人げなかったんですよ?……何と言いますか、餓鬼大将がそのまんま大人になったみたいで」

 

思い出話をする時の沖田は、いつも上機嫌だ。幕末の京で名を馳せた壬生狼は今や、饒舌な語り部と化している。身ぶり手ぶりまで飛び出す沖田の表現力豊かな新撰組トークを、立香と小次郎は暫し、微笑みながら静聴していたが、

 

「土方さんなんて、仕合に勝った私が“これで135勝目ですね”なんて言うと、必ず“いや、これで134勝目だ”と言い張って、絶対に譲ろうとしないんです!

実戦ならともかく、何百回としている稽古仕合の一勝一敗なんて、大して変わらないじゃないですか。なのにあの人はどうにもこう、頑固なところがありまして……」

 

しまった、と立香は思った。ここまで来ると、沖田の弁舌はもう止まらない。どこかで無理矢理にでも話の腰を折らない事には、延々と日が暮れるまで昔話を聞かされることになる。小次郎の方を見遣ると、彼も同じ事を考えていたらしい。困惑にも似た感情が、引き攣った笑顔からありありと滲んでいた。

 

沖田が語る新撰組事情は、教科書に読むような無味乾燥な説明文ではなく、その時代を生きた本人が伝える、これ以上なくリアルな物語である。そして彼女の上司であった副長・土方歳三の名前は、彼女の話の中に殊更多く登場した。彼が剣術以上に得意としたステゴロ喧嘩殺法――立香と沖田の間では、畏怖と尊敬を込めて“アルティメット天然理心流”と呼んでいる――の話ばかりか、京で女たちから貰った恋文を故郷に送りつけたという逸話、果てはたくあんの味の好みまで、本当にどうでもいい小話まで聞かされている。お陰で今の立香は、すっかり“土方通”になってしまっていた。

そうやって沖田の口から土方という名前が挙がる度に、

 

『なんだか、恋人のことを惚気られてるみたいだ』

 

と言って立香が茶化すと、途端に沖田は顔を真っ赤にして黙り込むのである。それこそが恋なのだと自分自身で理解していないのが、剣の道以外はてんでお子様な沖田らしかった。

 

(――そうだ!この手で行こう!)

 

羞恥で黙らせてしまえば、際限ない新撰組トークも強制的にひと段落する筈である。これは妙案だと、立香が口を開きかけた――その時だった。

 

「立香くん。ちょっと、ちょっと」

 

道場の門戸から顔を覗かせた、妙齢の美女――レオナルド・ダ・ヴィンチが、その嫋やかな掌で立香を手招きしている。こんな所に姿を現すなんて珍しい事もある、と、少女が小走りで駆けてゆくと、

 

「どうかしたの?またDr.ロマンが、ろくでもない事提案してきた感じ?」

 

そう言って、訊ねがてらに苦笑した。先のカルデア爆破事件にて職員の大半を失って以来、不眠不休で頑張っていたカルデアきっての苦労人に対して、えらくぞんざいな扱いである。とは言えこの立香も、彼の(たまに作為的な)ミスによってちょくちょく酷い目に遭わされているのだから、仕方あるまい。

 

「いや、今回はそうじゃないんだ。……実は小一時間前、緊急施療施設に謎のサーヴァントが一体、担ぎ込まれてきてね」

「サーヴァント?しかも、謎の、って――通常通り、守護英霊召喚システムによって召喚されたサーヴァントじゃないってこと?」

 

これまでにそういった事例が無い事もなかったが、カルデアの英霊召喚システム・フェイトを介さずに現れるサーヴァントというのは、かなりの特例事項と言って良い。立香は首を捻りながら、ダ・ヴィンチに素直な疑問をぶつける。

 

「うん、要はそういうこと。それもカルデアに現れた時には、既に全身傷だらけの状態だった。どうやら、“こちら”で負った傷ではないらしいんだけど……」

「“こちら”、って、どういう意味だろう?そのサーヴァントは、別の特異点からやってきた、ってことでいいのかな」

「あぁ……うん、たぶんそうだと思う。ただ、なんて言うか」

 

言葉に詰まったように、ダ・ヴィンチが口を閉ざす。濡れ羽色をした豊かな髪を掻き上げて、どう形容すべきかと熟考した後、

 

「言葉がよく、わからないんだ。きみと同じ母国語を喋ってはいるみたいなんだけど、ネイティブっていうか、発音その他が独特で――かろうじて分かったのは、“首おいてけ”って言ってるってことぐらいで」

「なにそれ怖い」

 

新手の妖怪か何かだろうか。例えば酒呑童子や茨木童子を、より物騒なものにしたような。

思わず妖怪絵巻に出てくるような異形の怪物を想像して、立香はぞっとした。まさかそんな恐ろしい英霊相手に、契約(なかよく)しろとは言うまいな?

ジト目でこちらを伺い見ている少女に、ダ・ヴィンチは肩を竦める。こうなる事を大凡予想していたかのような反応だった。

 

「――とにかく、一度彼に会ってみて欲しいんだ。ロマニも、きみの見解を聞きたいと言ってるし」

「うっ、うーん……遠慮します、と言いたい所だけど」

 

果たして、どうするべきか。暫く本気で頭を抱えていた立香だったが、

 

「……そんな弱気じゃ、カルデアのマスターとして失格だもんね。わかった、すぐに行くから案内して」

 

最後には吹っ切れたように顔を上げ、力強く頷いたのだった。ダ・ヴィンチはその答えを聞いて、うんうん、と満足げに頷き返す。

 

「了解。その返事、頼もしい限りだ!」

 

道場の内側に視線を向けた少女は、事の成り行きを見守っていた沖田と小次郎に、ちょっと行ってくるね、などと声を掛け、廊下へと出て行った。

 

「……大丈夫、でしょうか?」

「さてな。しかし、まぁ……鬼ですら手懐けてしまった主殿のことだ。相手が誰とて、そうそう悪いことにはなるまい」

 

状況がよく掴めていないふたりのサーヴァントは、主が去っていったその扉を、いつまでも心配そうな面持ちで見詰めていた――。

 

※※※

 

カルデアの医療部門トップ、Dr.ロマンこと、ロマニ・アーキマンは苦悩していた。黙っていれば理知的に見える童顔に、苦渋の汗が滲んでいる。

 

「……なんて回復力なんだ。全身に無数の銃創と刀傷、頭部に複数の打撲痕、肋骨のうち三本が複雑骨折――とっくに消えていてもおかしくない程の重傷だったのに」

 

ちら、と横目で手術台を見遣る。何しろ、その重篤患者はと言えば――。

 

「おいこら、あん大将首ばどけやったぁッ!?出せい、あん日ん本武士(さぶらい)は俺(おい)が首ぞ!」

「――それが何で、治療室で大暴れしているのかなぁ!?」

 

野太い怒号が飛んだ。手術台は大波に浚われた船の如く、揺れに揺れている。麻酔から目覚めるなり、身体に差し込まれていた魔力供給チューブを引き千切りながら跳ね起きたその英霊は、上半身裸のまま手近にいた医療班の男の襟元を引っ掴んで、がくがくと揺さぶっていた。

慌てた職員たちが総出で、彼を後ろから羽交い締めにして制している。しかしその膂力は凄まじく、飛びかかってはすぐに跳ね退けられてしまうという不毛な応酬の繰り返しだった。日がな一日、論文や魔術書と顔を突き合わせているようなインテリの集団と言えども、彼らはれっきとした大人の男の体格である。束になって掛かった職員たちを腕の一振りで吹き飛ばすなど、少なくとも瀕死で担ぎ込まれてきた大怪我人のやることではない。

 

「やっぱりその、サーヴァント、なんだよねぇ。……あぁっ、最新式の医療モニターが!それ、ものすごいコスト高かったんだよ!?」

 

薙ぎ払われた職員の身体がぶつかり、目の前で木っ端微塵に砕け散った高価な医療機器を見て、ロマニは女のような悲鳴を上げる。

頭を抱える青年医師の背後で、扉が開いた。

 

「失礼しま――すッ!?」

「うわぁ、これはまた修羅場ってるねえ。この様子じゃ会話は無理かな?ロマニ」

 

扉の向こう側――思わず足を止める女が、二人。悠長に感想を述べるダ・ヴィンチの傍らで、立香は想像していた以上の惨状に絶句した。

 

(……本当だ。しきりに首を所望しているようだけど、やっぱりその手の妖怪なんだろうか)

 

とは言うものの、改めて見ればこのサーヴァント、ちゃんと人の形はしているらしい。見た目からしておどろおどろしい怪物ではなくて良かった、とほっと胸を撫で下ろす一方で、クラスはバーサーカーではないか、と、密かに予想を立てていた。とてもじゃないが、仲良く会話する、という状況ではなさそうである。――しかし。

 

「――主ゃ、誰ぞ?戦場(いくさば)にこげな若か女子がおるんは、危なかど」

 

意外な事に、向こうから進んで話しかけてきたのである。

男は漆のような黒髪を逆立て、鉛色をした強い瞳を持っていた。濁っているとも、澄んでいるとも言えない、不思議と惹き付けられる目だった。

そして、その衣装がまた変わっている。腰から下には赤銅色の立派な草摺を付けて、揃いの具足に草履を履いていた。

 

――このサーヴァントは、恐らく武者なのだ。太刀を佩き、鎧兜を纏って、戦場を駆けた日本の英雄。立香はこれまでに転移した様々な時代と国とを、ただ安閑と見てきたわけではない。流石にその正体こそ思い当らなかったが、男の言葉や兵装の様子から、その程度の察しはついた。

彼ら侍というものは、“士道”という独特のルールを持っている。少なくとも無抵抗な女子供に暴力を振るうような、野蛮な真似はしない筈だ。

立香はゆっくりと、一歩前へと進み出た。敵意はないと示すように、何も持たない両手を広げてみせる。

 

「ここは、戦場じゃないよ。明確に言えば、戦場に向かう為の準備をするところ、言ってみれば陣営みたいなものだけど――」

 

男は黙したまま、隙の無い瞳でこちらを伺っている。虎かライオンに話しかけてるみたいだな、と、立香は思った。

 

「私は、藤丸立香。できれば、あなたの名前を教えて欲しい」

 

高圧的でもなければ、必要以上に謙るわけでもない。ごく自然体で少女が告げると、

 

「俺は島津。島津豊久じゃ。――主らは、漂流者(どりふ)か。それとも、廃棄物(えんず)か?えるふやどわあふとはまた、違うようじゃの」

 

男、島津豊久が、然りと名乗りを上げた。訊ね返された言葉の意味は、立香にはさっぱり何の事か分からなかったが、彼女が返すべき答えは既に決まっている。

 

「漂流者、廃棄物……あなたの言っている事はよくわからないけど、ただ一つ言える事は、豊久さん。私やここにいる皆は、あなたの敵じゃないってこと」

 

その言葉に豊久は、ふむ、と唸ってどっかりと手術台に胡坐を掻き、腕を組んだ。その時、手持ちの端末で何らかの資料を調べていたロマニが、驚きの声を上げた。

 

「シマヅトヨヒサ――関ヶ原の戦い(バトルオブセキガハラ)で有名な、戦国武将じゃないか!」

「なんじゃ。俺のこつを知っとうのか、主ゃは。その言い方、あの男女によう似ちょるのう。異人は皆、揃いも揃って“変わいもん”ばかりじゃ」

 

豊久が不思議がるように言った、次の瞬間。再び背後の扉が開くと同時、場違いなまでにテンションの高い少女の声が、施療施設に朗々とこだました。

 

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶッ!超有名な第六天魔王・織田信長、ここに見参せり――!」

「……ノッブ!?何時の間に!?」

 

立香たちが振り返れば、そこにはドイツ仕様の軍制服を纏った、匂い立つような美少女の姿があった。艶めく黒髪を人工の風に靡かせて、威風堂々仁王立ちしているのは、第六天魔王こと天下人・織田信長公その人である。

 

「いや、なんかこう、そろそろ儂の出番のような気がしてな?」

 

誰も呼んでなどいないのだが。登場後早くもぐだぐだぶりを発揮し始める信長だったが、立香が突っ込みを入れるよりも先に、

 

「――と、いうのは真っ赤な嘘じゃ!そこな病弱娘から、珍妙な新参者が来たらしいという噂を聞いてのう。ならば早速、面を拝んでやろうと思ったわけじゃが」

 

言いながら信長は、くいと顎先で背後を示した。そこには、どこか居辛そうに縮こまっている沖田の姿が見えた。

 

「主ゃが第六天魔王、織田信長公?……何の悪か冗談ぞ!」

 

信長の登場に対して、最初に反応を示したのは豊久だった。彼は口元をへの字に曲げて、怪訝そうに信長の容姿を検分している。

 

「尾張の大うつけなら、俺もよう知っとる。女子の乳ば揉むとが好いとう、髭を生やした大の男ぞ。その信が、こげんこまんか形した女童なわけがなか!」

 

それを聞いて信長が、むっとしたように眉を潜める。へし切長谷部の鞘先を豊久の方へ向けさせると、甲高い声で一喝した。

 

「何をたわけた事抜かしとるんじゃ、無礼者ッ!儂はそんな分かりやすいセクハラなんぞ、人生五十年、帰蝶にすらやった覚えもないわ!そこなマスターと一緒にするでないッ!!」

「いやいやいや!そこでさらっと私の信用落とさないでいただけますか、魔王様!?」

 

急に矛先を向けられた立香は、焦ったように彼女の抗弁を遮った。まぁ実際、サーヴァントへのセクハラ行為は事実なのだから是非もなし、である。

 

「こほんっ!荒ぶるノッブは、取りあえず置いといて。豊久さん、あなたはこの信長とは別の“織田信長”を知っているの?」

 

咳払いをひとつして、立香が豊久に訊ねた。後ろでは憤然とする第六天魔王を、どうどう、と沖田とダ・ヴィンチが諌めている。

 

「知っとうも何も、共に廃棄物と戦っちょる、同胞(はらから)じゃ」

 

「ええと……つまり、あなたやあなたの知っている信長さんは、その世界で“廃棄物”という敵と戦っていた。それで、気が付いたらあなたは、こっちの世界に呼ばれていた――と?」

「応、そげじゃあ」

 

立香の質問に、豊久が堂々と頷き返す。

 

「“おるて”で敵の大将と殴り合うちょった時、朝日んごた光の差してきて、俺は気ば失った。そいで目が覚めたら、この奇怪な砦に倒れちょった。他んこつは、何も分からん」

 

その返答を切欠に、立香は次々と質問を重ねていった。彼らのいた世界のこと、漂流者、そして廃棄物と呼ばれる者達のこと、エルフやドワーフという種族のこと、オルテという巨大な軍事国家のこと――豊久の答えは時に曖昧で、カルデアの人間にとって理解の範疇を超えるものもあったが、小一時間ほどの会話を経て漸く、彼らはひとつの纏まった結論を導き出すに至った。

 

「……成程ね。うん、大方の状況は掴めてきた」

 

二人のやり取りを眺めていたロマニが、納得した様に言葉を挟む。

 

「島津豊久。彼のいた世界――、一先ず我々の言う所の、特異点、と呼ぶ事にしよう。そこで召喚された英霊たちは、“漂流者”と呼ばれているようだね。“廃棄物”というのも恐らく、その類だろうと推測される。例えばアヴェンジャークラスの一例のように、世界に憎しみを抱いた敵意の強いサーヴァントだ」

「つまり……その世界に召喚されていたサーヴァントの豊久さんが、何らかの干渉を受けてこの世界に改めて召喚された、ってことですか?」

「恐らく、そうだと思う。その“何らかの干渉”、というのが気になる所だけど――この彼が、召喚前の傷を負ったままの不完全な状態で現界したのも、そこに理由がありそうだ」

 

真剣な顔つきで考え込んでしまった立香の肩に手を添えて、ロマニはこう続けた。

 

「ともかく。ここから先は、ボクとレオナルドで詳しく調べてみようと思う。……もしかしたらこのイレギュラー召喚の裏に、重大な歴史干渉が隠れているかもしれない」

 

そして、何事もなければいいんだけどね、と付け加え、彼は頭を掻いた。

話もひと段落し、全員解散――となりかけた、その時である。

 

「……島津豊久、って言いましたよね、あなた」

 

低く潜めた、えらく剣呑な声がした。声の主は、先程から妙に影の薄かった沖田総司である。

 

「島津って、あの、島津ですか?薩摩藩士、島津家の――」

「応とも。主ゃ、島津んお家ば知っとるのか」

「知るも、なにも」

 

沖田の気配が、俄かに殺気立った。薄桜色の髪がざわりと、猫のように逆立つ。

 

「――薩奸、死すべし!!」

「わぁぁぁッ!?沖田さんが乱心した――!?」

「よせ、沖田ッ!今こやつを殺しては、後に取り返しのつかん事になるかもしれんのじゃぞ!?」

 

言うが早いか抜刀し、沖田は双眸をぎらつかせて豊久に襲いかからんとした。これに慌てた立香とダ・ヴィンチ、そして先刻、あれほど豊久に憤慨していた信長までもが、彼女に縋ってその身体を取り押さえる。

 

「どげんした、この女武士(おなごさぶらい)は。女首は恥じゃけ、取らんど――」

 

一方、その薩奸はといえば、余裕綽々である。刀を抜いた武士だろうと何だろうと、女は元より相手にしていない、と言った方が正しいだろうか。取り縋る仲間たちを振り解こうともがいている沖田の姿を、眉根を寄せてただ眺めている。

 

「……しかし、えらい恨まれとるのう。あの土方ちゅう敵ん大将と、同じ形相ばしちょる」

「えっ?い、今あなた、なんて言いました!?」

 

その名前を耳にした途端、沖田の顔色が変わった。刀を下ろし、焦燥を滲ませた様相で豊久を問い詰める。

 

「ひじかた、って、言いましたよね!?もしかしてその人、新撰組の土方歳三義豊というのでは――!?」

「なんじゃ。土方は、主ゃの知り合いじゃったか」

 

事もなげに告げる豊久に、沖田は、あぁっ、と、歓声とも嘆息ともつかぬ声を発していた。

 

(そうか……土方さん、いるんだ)

 

この世界ではない、どこかの特異点に――あのひとが、生きている。

沖田は彼とまみえたこの島津豊久が、酷く羨ましいと感じた。叶うのなら今すぐにでも、その世界に飛んで行きたいとさえ思った。

 

「あの、そちらの土方さんは、――息災、でしたか?」

 

彼の敵対している男に訊ねるのも可笑しな話だが、それより他に良い表現が思いつかない。

しかし、豊久から返って来た答えは、沖田にとってこれ以上なく残酷なものであった。

 

「……俺の知る土方歳三は、世界を滅ぼす廃棄物じゃ。憎悪の塊、俺らとは相容れん外道。おるみぬが、そげん言うちょった」

「―――っ……!」

 

“廃棄物”というのは先程、復讐鬼、アヴェンジャーのようなものだと、ロマニが言っていた。労咳に斃れて以降、新撰組が、土方歳三が――どのように生き、どのような最後を迎えたのか、沖田は知らない。

人の世を廃滅させる怪物に成り果てるほど深い憎しみを抱きながら、彼は死んでいったのか。そう思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。そして、失意の中にあったであろう彼を傍で支え続ける事の叶わなかった己の不甲斐なさを、改めて悔やんだ。

同時に、豊久の知る“土方歳三”が、信長と同じように、己の知る兄弟子とは似ても似つかぬ別人であれば良い。そんなことを、沖田はつい願ってしまった。

英霊の座というものが、そもそも彼らのそれとは別の次元にあるのだと、己にとって都合の良い事を考えていた。

 

そう思うと、異形となった彼と逢わずに済んだことは、幸せだったのかもしれない。復讐の鬼となった彼と切り結ぶことになるなんて、耐えられる筈も――。

 

ぎゅう。ぐるるるる。

 

沖田の思考を遮るように、誰かの腹の虫が大声で鳴いた。その主のほうへと、全員の視線が集中する。

 

「小難しい話ばしちょると、どうにも腹が減っていかんど」

 

豊久は悪びれた風もなく、傷痕だらけの腹を擦っていた。その様子に、立香はぷっと吹き出して、

 

「うん――腹が減っては戦はできぬ、って言うもんね?それじゃ、食堂の人に頼んで何か貰って来る!誰か、一緒に来てくれない?」

「それなら……私が御一緒します」

「儂も!儂もじゃ!」

「ノッブ、そうやってあなたはまた貴重なおやつをちょろまかすので、駄目です」

「なんじゃと――痛ぁッ!?」

 

軽やかに身を翻す立香に、沖田が続いた。マスター不在の中、憎き薩州人と同席するなど、耐えられそうになかったのだろう。それを追おうとした信長は、閉じようとしていた自動扉に思いきり挟まれるという無様を晒すハメになった。

 

「……なんが分からんが、面白か砦じゃのう。ここも」

 

ぼそりと漏らした豊久の口元は、笑っていた。

 



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Act.3 無血大我

翌朝――立香は、耳元で鳴り響くコール音で目が覚めた。緊急招集時の、物々しい電子音。いつまで経っても、こればかりは慣れそうにない。

 

手早く身支度を済ませ、管制室へと向かう。寝癖を残したままサイドで結んだ髪を少し気にしながら、無人の廊下を小走りで駆けていく。いつものように扉の前で認証を済ませ、一歩、足を踏み入れる。するとそこには既に、意外な人物が待機していた。

 

「あっ。おはようございます、マスター!」

「え?あれ……沖田さん!?」

 

いつもと変わらぬ笑顔で、挨拶をする沖田。忍びのような白装束に浅葱の羽織、そして帯には愛刀菊一文字則宗と加州清光を携えている。面喰ったように目を瞬かせている立香に、沖田同様、彼女の到着を待っていたロマニが声を掛けた。

 

「沖田くんを呼びだしたのは、ボクなんだ。君らを招集したのには当然、理由がある。――ここまで言えば、もう大体察しはついているだろうけれど」

 

困り顔で苦笑してから、ロマニは改めて表情を引き締める。それにつられて、立香の面にも緊張が走った。恐らくあの後、何者かの干渉によって歴史を歪められた特異点か、それに準じる何かが発見されたのだ。それより他に、呼び出される理由は思いつかない。

そして、ロマニは立香の予想した通りのことを、淡々と口にした。

 

「新たな特異点が、見つかった。その座標は――1869年後期の、日本国北海道。当時、蝦夷、と呼ばれていた場所だ」

「1869年後期…っていうと、大政奉還が起こって年号が明治に変わったその後、ですよね。旧幕府軍と新政府軍が衝突した、激動の時代の末期……」

 

旧幕府軍、という言葉を聞いた途端、沖田の眉がぴくりと動いた。しかし、彼女はロマニとマスターの会話に口を挟むことはなかった。その先を聞きたいという思いは、立香よりも沖田の方が強くあったのかもしれない。

 

「――その通り。本来の歴史なら、箱館戦争の終結をもって旧幕府軍が新政府軍に投降し、明治政府を主幹とする新しい日本に生まれ変わった――筈だった」

 

ロマニはそこで、言葉を濁す。彼の指先がモニターに触れると、近未来観測レンズ・シバによって捉えられた、特異点の映像が大きく映し出された。

そこには、城と言うべき五角形の建造物を中心とした、近代都市の姿があった。規模はそれほど大きくはない。しかし、近隣の港には大型商船が幾つも並び、貿易が盛んなようにも見えた。

 

「これは……交易都市?」

「そんな所だろうね。この場所は、蝦夷共和国、と呼ばれている。本当なら、成立から僅か半年で地図上から消えていた筈の、幻の都市国家だ」

 

「ええと、つまり無くなる運命だった国が、そのまま存続してしまっている……?」

「そう、問題はそこなんだ。この蝦夷共和国は、旧幕府軍が徳川家や幕臣たちを住まわせる為に作りだした、言わば彼らの新天地。新政府から独立した交易国を目指して、作られた都だ。

だけど、そんな反乱分子が作った国を、新政府が容認できるわけがない。何より新政府を支援している諸外国にも、示しがつかないからね。翌年には討伐軍が本土から差し向けられて、箱館での戦争に負けた蝦夷共和国はすぐに解体された。しかし――」

 

言いながらロマニは、沖田の方へと視線を投げる。それはどこか、これ以上先を口にしても大丈夫か、と、彼女に確認をとるような仕草だった。

 

「……この特異点は何者かの干渉によって、その箱館戦争に蝦夷共和国、つまり旧幕府軍が“勝ってしまった”世界なんだ」

「……――!!」

 

これには流石の沖田も、音にならない声を発して瞠目した。つまるところ、この誤まった歴史を“修正”するということは、彼女たち新撰組が切に願った旧幕府軍の勝利という結果を、敗北という本来の歴史に塗り替えなければならない、ということを意味する。それは沖田にとって、皮肉極まりない話だった。

 

「歴史が分岐したのは恐らく、5月12日以降と思われる。そして、ここからが重要だ。城を陥とされる寸前だった旧幕府軍が、本土に上陸した新政府軍を一夜にして全滅させる。そんなことが、ただの人間にできるわけがない。恐らく今回も、万能の願望器たる聖杯、或いは、それに準じる何かの力が働いていると、ボクたちは考えている」

 

ということは、旧幕府軍側の誰かが――?

これもまた、沖田にとって認めたくない状況であるに違いなかった。もしかしたらそれが、彼女がよく知っている人間なのかもしれないのだから。

唯一の救いと言えば、彼女の敬愛する土方歳三はその歴史が分岐した時点で既に戦死している、ということだった。そうなれば、彼が今回の“首謀者”である可能性は限りなく低くなる。

とは言え――旧幕府側に身を置いていた沖田としては、複雑な心境であることに変わりないだろう。沖田を気遣うような視線で一瞥しては、彼女の代理であるかのように立香が問う。

 

「……なら、私たちはそこへ飛んで、元凶となっている聖杯を回収すればいいんですよね?」

 

そこまで理解してくれているのなら、話が早い――と、ロマニが肩を竦めた。

 

「比較的近い時代への転移だから、レイシフトの安定性は保証する。だけどもし、聖杯の力を殺戮の為の兵器として行使している者がいるとすれば――これは非常に危険な探索になるかもしれない。

……行ってくれるかい?立香くん」

 

念を押すように告げるロマニに、

 

「もちろん――っていうか、行かない、っていう選択肢なんて、私にあったっけ?」

 

おどけたように、立香が笑った。こんな時でも朗らかでいられるのは、ここにいる皆に全力で支えられているのだという確信があるからなのだろう。

彼女の答えにロマニは頷くと、早速、本格的なブリーフィングに入った。

 

「今回は、ここにいる沖田くん、それから例の――島津豊久くんを、同行させて欲しい」

「……なっ!?」

 

ここまで会話に横槍を入れることのなかった沖田が、その一言に身を乗り出して食いついた。

 

「何故、あの薩摩人なんです?……生きていた時代がほぼ同じである私はともかく、時代も何も無関係でしょうに」

 

名指しで指名された協力者が豊久というのが、あからさまに不服な様子だった。幕臣・新撰組にとって薩摩藩島津家は、幕府を見限り寝返った、言わば反逆者である。その元凶とも言える祖先・豊久の同行を沖田が快く思わないのは、至極当然のことだろう。

 

「沖田くん。きみの気持ちは分かるけど……タイミングといい、日本と言う国といい――彼が突然このカルデアに召喚されたのも、この特異点と何か関わっている可能性がある。それに彼なら、戦力としても申し分ないと思うしね」

 

これまで主や己たちを幾度となく人理修復成功へと導いてきた、他ならぬロマニの見解である。その男にこうまで言われては、沖田も渋々黙るしかなかった。

実際のところ、新政府の蝦夷攻伐軍には薩摩藩の出の者が多数在籍していた。箱館戦争で陣頭指揮を執った黒田清隆もまた、薩摩藩士だ。言うなれば彼らは、島津家の血を引く彼の子孫たちである。この観点からすれば、豊久もこの特異点に関して無関係とは言えないのだ。しかし、ロマニは敢えてその事に触れなかった。今必要となる以上の情報を与えてメンバー内に不和を生じさせるのは、得策ではない。

 

「それなら、後の一人は……」

「うはははは!そこで儂の出番じゃな!!」

 

計ったようなタイミングで聞こえてきたのは、またしてもあの声である。

 

「ノッブ、何時の間に――って、この台詞、昨日も言った気がする……!」

 

振り返れば、そこに第六天魔王が悪の総統よろしく、紅蓮のマントをはためかせていた。おまけに島津豊久までが、阿吽の像の如く彼女の横に並び立っている。呼びに行く手間が省けたとも言えるが、この組み合わせは一体何だというのか。確かに泣く子も黙る戦国猛将二人組だけど――そうやって立香が訝しむと、

 

「茶と甘味でも調達しようと思って部屋から出たら、そこでばったりこやつと出くわしてな。暇じゃからちと昔話に付き合わせたんじゃが、こやつ、薩摩の田舎侍の癖してなかなか分かる奴でのう!」

「形(なり)はどげん可笑しかこつしとっても、信は信じゃ。俺はこの信と、ここでん戦ばすっど!日ん本に仇なす敵(かたき)がこん世界におるなら、俺はその将の首ば取るだけじゃ!」

 

などと、何時の間にやら奇妙な信頼関係まで生まれている始末であった。これまた波乱を呼びそうな凹凸、否、凸凸コンビの爆誕に、思わず頭を抱えた立香を見て、

 

「……変人奇人同士、気が合ったんですかね」

 

と、沖田が声を潜めて囁く。そうやって他人を見る余裕が今の彼女にある事に、立香は胸を撫で下ろした。しかし、それでも。レイシフトで特異点に向かうその前に、彼女には聞いておかねばならない。

 

「えっと、……沖田さん、平気……?」

「ふふ。主は、やはりお優しい方ですね」

 

新たな主人と認めた少女から、これ以上なく真剣なまなざしを向けられて――沖田はふっと、儚げな微笑を浮かべた。

 

「……でも、沖田さんなら心配ご無用ですよ!沖田総司は何時どんな時でも、マスター、あなたの刃ですから。あなたに斬れと言われれば、誰であろうと容赦なく斬ります。それに――」

 

言葉を切ると、沖田は誓いの羽織の袖を強く握り込んだ。

 

「今度の敵が、私の同胞であると――まだ、決まったわけじゃないですから」

 

その言葉は、まるで己に言い聞かせているようでもあった。

 

「――わかった。沖田さんの言葉、私、信じるよ!」

 

我ながら陳腐な台詞だと思いはしたが、沖田の顔に浮かんだ明るい笑みは、心の底から立香の言葉を喜んでいるように見えた。

 

「それじゃあ、始めようか。皆、準備はいいかい?」

「ちょっど待ったァ!」

 

無駄に威勢の良い声で“待った”を掛けたのは、豊久だった。

 

「その“れいしふと”が、何のことやら俺にはさっぱり分からんど」

 

その一言に、他全員が踏鞴を踏んだ。考えて見ればつい先日、イレギュラーで召喚されてきたこの豊久が、レイシフトという概念そのものを知らないのは当然のことである。

何とも呆けた顔をしている豊久に、信長が先輩風を吹かせてこう言った。

 

「良いか、お豊。レイシフトというのはな、肉体の情報を一度、霊子状態に変換して――…って、ええい、やっぱ面倒じゃ!取りあえず、儂らと共に来れば分かろう!」

 

しかし結局、途中で億劫になったのか、豊久への説明を早々に諦めてしまう信長であった。その脇で立香は、いつものように使い慣れた霊子筐体(コフィン)へと、その小柄な身体を収める。

 

「ナビゲーションは、ボクとレオナルドに任せてくれ。――成功を祈る!」

 

目指す座標は、1869年5月12日以降の、日本・蝦夷共和国。

ロマニがトリスメギストスのシステムを起動させると、間もなくして霊子転移の開始を告げる、カウントダウンが始まった。

 

『――…全行程・完了(クリア)。グランド・オーダー、実証を開始します』

 

その音声を聞いて、残されたロマニの顔から、緊張がほんの少し薄らいだ。新しい特異点の説明を彼に一任し、何も言わずに待機していたダ・ヴィンチが、件のモニターを眺めながらぽつりと呟きを漏らす。

 

「なあ、ロマニ。何だか、……嫌な形をしていると思わないか?」

 

芸術家の細い指が示すのは、蝦夷共和国、その中心部に位置する五稜郭。五角形を描くその形状をなぞりながら、彼女は物憂げな美貌を顰めた。

 

「五芒星、ペンタグラム――そして」

 

ダ・ヴィンチが言わんとしている事に気付いて、ロマニがはっと目を見開いた。何故、今の今まで気付かなかったのか。この形、忘れもしない。忘れられようがない――。

 

「ソロモン王の、魔術印」

 

口にした名前そのものがおぞましい呪詛であるかのように、暗く、重たく、ロマニの胸にのし掛かった。背筋を冷たいものが走り抜ける。

 

――立香たちとの唯一の通信手段であるオペレーションシステムがエラーメッセージを吐き出したのは、その直後のことだった。

 

※※※

 

「――レイシフト無事成功、はいいんだけど……」

 

がちがちと歯を鳴らしながら、立香が呟いた。息が白い。いや、それどころか、蒸気すらそのままの形で凍りつきそうな勢いだ。

彼女が現れた先には、カルデアの外を思わせる猛吹雪が吹き荒れていた。10メートル先の視界すらも危ういほどだ。

 

ここを訪れてまだたったの数分だが、既に手足の先の感覚はなくなっている。北国とはいえ5月なら問題なかろうと、いつもの装いで来てしまったのだから当然だ。このままでは本気で氷の彫刻にでもなりかねない。

 

「寒ッ!さっむッッ!!なんじゃ、今は皐月ではなかったのか!?」

「蝦夷が最北の地であることを考慮したとしても、これ……真冬、ですよね。雪、滅茶苦茶降ってますし」

「マスター、まだカルデアとの通信は繋がらんのか!?今が何時でここが何処なのか、さっさと特定して貰わんと身動き取れんじゃろうが!」

 

鼻の先をトナカイもかくやという赤色に染めて、信長が叫んだ。その背後では彼女の外套をちゃっかりと雪避けの盾にしつつ、沖田が鼻を啜っている。

立香は先程から何度も、カルデアの管制室に連絡を取ろうと試みていた。しかしどういうわけか、オペレーションシステムがエラーを吐いて、一向に繋がってくれないのだ。

 

「……あっちのことも心配だけど、取りあえずこのままじゃ私たちの危険が危ない」

「マスター、もう台詞すらまともに言えてませんよ!?」

「ともかく、儂らが凍死する前に適当な建物を見つけて、中に退避じゃ!」

 

身を寄せたマスターとサーヴァント二体は、互いに押し合いへし合いしながら、雪道を行く。その様、喩えるなら南極ペンギン大移動、といったところか。彼女たちが寒波に震えながら、じわり、じわりと進む中――ただ一人豊久だけが、この豪雪の中、平然とした顔でのしのしと先頭を歩いていた。

 

「女子とはいえ、主ゃらは戦に慣れとるち思うたら――軟弱じゃのう」

「……薩州ド田舎の野蛮人と、粋で繊細な江戸っ子を一緒にしないでください」

 

悪気もなく口にした豊久にカチンと来たのか、沖田は口を思い切りひん曲げて言葉を返す。

 

「大体ですね、私はまだあなたの事、許してませんから」

「なんのこつじゃ」

 

沖田の険悪な雰囲気を察して、立香と信長は、うわぁ、と顔を見合わせた。ここで新撰組と薩摩藩の確執など出されたら、良くて斬り合い、悪くて殺し合いだ。どちらにしろ確実に、暖を取れる場所への移動どころではなくなる。

立香は慌てて沖田を宥めようと、怒りに震える肩に手を置こうとした――その時。

 

「……昨日、私が食堂で頂いてきた、大納言のおはぎ餅」

 

(――おはぎ!?)

 

沖田の口から飛び出したのは、意外な単語だった。拍子抜けしたように目を丸くする立香と信長を他所に、沖田は恨めしそうな声でこう続けた。

 

「食後のデザートにと、みっつも頂いた筈なんです。うちふたつは、日頃お世話になっているマスターと佐々木殿にお裾分けを。そして残る一つは私のおやつ用に、部屋へ持ち帰るつもりでした。

取っておきの玉露と一緒に頂くのを、楽しみにしていたんですよ。ええ、それはもう楽しみにしていたんです。それなのに――」

 

沖田の手は、腰の菊一文字に伸びていた。ヂギン、と音を立てて鯉口を切ると、暗い雪空に沖田の怒声が響き渡る。

 

「それが何故!!あなたの口の中に入っていたんですか!!この馬鹿!戦闘民族!!」

 

余程悔しかったのか、その声は半ば涙声になっていた。この予想外の展開に、さぞかし困惑するだろうと思いきや、

 

「あげんとこに放っちょったら、誰(だい)でん食うてよかち思うじゃなかが!若か女子が菓子ひとつでそげに目くじら立てて、みっともなかど!」

 

などと、この薩摩人、大真面目に返している。この返答には、沖田の怒りもますますヒートアップするばかりだ。

 

「煩いですよ、裏切り者っ!食べ物の恨みこそが、この世で一番恐ろしいんです――薩奸死すべし、慈悲はない!!」

 

すらりと刀を抜き放ち、沖田は豊久に斬りかかった。完全に冷静さを欠いているとはいえ、剣豪・沖田総司の剣は、数多の死線を潜り抜けて磨かれた殺人剣である。その身に一太刀でも受ければ、如何なる英霊とてただでは済まない。

しかし、それでも豊久はまともに彼女の相手をする気はないらしく、大太刀を抜かぬままその柄で、沖田の胴斬りを右に左にいなしていた。色々と残念な三十路ではあるが、これでも敵兵6万を相手に砦を守り抜いた、紛うことなき豪傑である。薩摩屈指の猛将という評価は伊達ではない。

 

「沖田め、あやつ……いや、何も言うまい」

「……薩摩への遺恨よりも、食の恨みが勝っちゃったかぁ……」

 

立香もまた信長同様、事の成り行きをただ呆然と見守るしかなかった。斬り合いの理由があまりにも幼稚すぎて、命がけで割って入る気にすらならない。一番隊組長・沖田総司のこの姿を見て、新撰組隊士の皆さんは何を思うんだろう。顔を見た事もないというのに、彼らへの同情が立香の胸を過った。

そんな他愛のない事に気を割いていると、いつの間にかふたりの武士の姿が目の前から消えている。降雪に煙る遥か前方で、剣戟の金属音が鳴っていた。

 

「追うか、マスター?このままじゃと、あやつらとはぐれるぞ」

「や、うん、そうなんだけど……あのふたり早すぎて、追いつけるかな」

 

我武者羅に追い掛けて、結果、自分たちが遭難してしまっては笑えない。取りあえずはぐれても、念話さえできれば何とかなるだろう――立香が判断を下した、その時だった。

 

「お前たち、何処の国の者だ!」

 

険しい声に続いて、大きな馬の嘶きが聞こえた。吹き荒れる雪の中から西洋風の幌馬車が姿を現し、ふたりの少女の傍らでその足を止める。幌の中から黒羅紗の戎服と日本刀で武装した男たちが飛び出してきて、立香と信長の周囲を取り囲んだ。

 

「怪しい女ども、名前と国、それから用件を述べよ。場合によっては、奉行所へ連行することになるぞ」

 

憲兵というやつか、と、信長が小さく毒づいた。ここが正しく蝦夷共和国だとするなら、言わば敵陣の只中である。出来るだけ目立ちたくはないし、ここで早々に戦闘を吹っ掛けるわけにもいかない。何よりこちらの主戦力は、ふたり仲良くチャンバラの真っ最中だ。

互いに視線を交わすと、立香が口を開く。

 

「藤丸立香と、こっちは――…」

「第六天魔王・織田の―――はぶっ!?」

 

馬鹿正直に名乗りを上げんとした信長は、立香によって口を塞がれた。当然の結果である。幾らなんでも隠密行動で名乗る名前にしては、知名度が高すぎだ。

 

「いとこの、織田信子です!えっと、商売をしている両親と一緒にこの国へやって来たのですが、雪道ではぐれちゃいまして……!」

「……本当か?こんな雪の中、商人が馬車も使わずにいるとは怪しいな」

 

明らかに疑いの視線を向けられている。流石にこの設定には無理があっただろうか、と、立香が冷や汗を流していると、

 

「まぁ、待ちたまえ」

 

再び、幌の中から声がした。背の高い人影が馬車から降りて、立香たちの方へと近づいてくる。波が引くように憲兵たちが道を開け、ひとりの紳士が少女たちの前に立った。

 

「――きみたち、奇妙な出で立ちをしているね。特に、そちらのお嬢さんが着ておられるのは、どうも…普魯西(ぷろしあ)式の軍装に似ている」

 

口の上に蓄えた立派なカイゼル髭を撫でつけながら、男が言う。彼はふたりの時代離れした装いに、いたく関心を抱いたようだった。

身嗜みはよく、洒落たドレスシャツと蝶ネクタイの上に、信長のそれのような黒羅紗の軍服を羽織っている。先程の憲兵たちの対応からして、かなり高い位の人物だろう。男は顎に手を当てると、不思議そうな面持ちで続けた。

 

「しかし、私の見てきたものとは、随分と仕様が異なるようだ…きみたち、これは一体どこで手に入れたのかね?」

「これは、儂が下僕に言いつけて専用に誂えさせた特別製じゃ!よって、世界にたった一つしか存在せん一級品ぞ!」

 

立香が言うより早く、得意満面で信長が答える。これはまずい、と立香は顔色を青くしたが、目の前の男は彼女のことを、どこぞの貴族のご令嬢とでも思ったのだろうか。特に疑念を抱いた風でもなく、人の良い笑みを浮かべてこう言った。

 

「ふむ、実に興味深い。ぜひ、詳しくきみ達の話を聞きたいのだが……五稜郭の近くにある迎賓館へ、私の賓客として少々、招かれてはくれまいか?」

 

雪の中で立ち往生していた彼女たちにとって、願ってもない申し出だが――立香は即断することができなかった。悪い人間には見えない温厚そうな紳士だが、彼が蝦夷共和国側の要人だとすれば、彼が敵でないという保障はない。それに、離れ離れになったふたりのサーヴァントの事も気懸りだ。

暫しの間、思考を巡らせてから、

 

「……分かりました。こちらも雪の中、困っていたので助かります」

 

立香は、その申し出を受諾した。虎穴に入らずんば虎児を得ず、である。信長も、その決定に異論はないようだった。というより、単に自分の自慢話を聞いてくれそうな人間が見つかって、気を良くしているだけかもしれない。

 

ついてきなさい、と言って、男はふたりを馬車の中へと導いてくれた。馬が走り出したところで、ふと思い出したように、男が言う。

 

「ああ、申し遅れていたようだ。私の名は――旧幕府海軍副総裁、榎本和泉守武揚。現在はこの蝦夷を治める箱館政権の総裁でもある」

 

洋装の紳士――榎本武揚は、目元を細めて人懐こく微笑した。その姿に立香は、強烈な既視感(デジャヴュ)を覚える。

目の前にある光景は、歴史の古い教科書の中で見た、あの有名な写真そのものだった。

 

※※※

迎賓館、という単語を聞けば大体の日本人が、白亜の壁、緋色の絨毯、舶来物の調度品に、極彩色に輝くシャンデリア――と言った、絢爛豪華な洋館を思い浮かべるだろう。立香たちが案内されたのは、正しくそのイメージ通りの建物だった。

 

たった三人で使用するには不相応な大広間に通され、ふたりに用意されたのは会食用の大テーブル、その上席。あまりのVIP待遇に立香が委縮しているその隣で、信長は悠然と出された紅茶を啜っていた。この第六天魔王、緊張感というものが無さすぎである。

 

「阿蘭陀から取り寄せた紅茶は、お口に合いましたかな?」

「はい、とってもいい香りです。それに、このティーセット。まるで芸術品みたいですね」

 

部屋からは、榎本によって人払いがされていた。男達が何人もたむろしている部屋では、自由に話もできないだろうという心遣いだった。事実、これは立香たちにとっても好都合である。立香は榎本との歓談に勤しむふりをしながら、今回の探索にとって最も重要な話題を切り出す機を、密かに伺っていた。

 

「……つまり、きみたちは仏蘭西や普魯西といった西欧諸国よりも、遠く離れた国からやってきた異邦人、というわけだね?」

「ええ。そういうことになります。とても小さな国なので、日本ではまだ良く知られていないと思いますが……」

 

榎本に尋ねられるまま答えた事の大半が適当な作り話だったが、思った以上に相手はそれを信用してくれているらしい。そう素直に感心されてしまうと、嘘をついているこちらは罪悪感さえ抱いてしまう。

 

「そうか。……私は若い時分から、阿蘭陀、丁抹、仏蘭西と、様々な諸外国をこの目で見てきたが、きみたちの母国はそれ以上に文明の進んだ国のようだ。そのような国と取引ができたなら、この蝦夷の地はますます発展することだろうね」

 

榎本は、夢見るような瞳で言った。彼の寄せる蝦夷発展への思いは、まるで子供のように純粋なものだった。立香はその様子を見て、本当に彼らのやっていることを無に帰すことが善なのか、分からなくなってしまっていた。ここへ来て榎本と話す前までは、蝦夷共和国の人間というのは皆、富国強兵主義の、血の気の多い連中だとばかり思い込んでいたから。

 

「……榎本さん。あなたは、この国をどうしたいんですか?」

「ふむ。それは簡単なようでいて、とても難しい質問だね」

 

思わず口を吐いて出たそれは、立香の心からの疑問だった。榎本はそれを受けて、少し首を捻ってから、

 

「――そもそも私は、諸外国が言うような“蝦夷共和国”という名称が、あまり好きではないのだよ。新政府の支配から逃れたこの蝦夷は、国家といった狭い枠組みに囚われない、もっと自由な土地であるべきだ」

 

そう言って、少し身を乗り出す。彼はここから更に、話を続けた。

 

「勿論、それを統制するという意味での支配層は、絶対に必要だ。そして、未だ我らの新政権を認めようとしない新政府軍や、彼らに与する外国の侵攻を退ける為の武力も、不可欠だ」

 

口にした持論に、絶対的な自信があるのだろう。その凛とした物言いからは、誰にも譲れないという強い意志が伝わってくる。そして榎本は最後に、こう締め括った。

 

「……私は蝦夷の地を、他者の侵略にも屈しない、強く、自由な国にしたい。西洋人たちが亜米利加に渡り、新たな国を拓いたように、幕臣たちが皆で夢見た新天地を、この箱館に作りたいのだよ」

 

立香は、改めて榎本の瞳を伺い見た。支配者というものが抱きがちな野心や私欲、傲慢さといった類のものが、彼からはまるで感じられない。政治家というよりも、彼の思考は哲学者のそれに近かった。

 

その時、扉を叩く音がした。秘書官らしき相手が扉越しに、榎本に次の予定を告げている。胸元から取り出した懐中時計を開いて時刻を確認すると、榎本はふたりの少女に向き直った。

 

「――さて。私もそろそろ、職務に戻らなければ。何せ、ようやく施政が軌道に乗ったばかりの大事な時だ。片づけなければならない事が山積みなのでね。

藤丸立香くん、織田信子くん。ふたりとも、楽しい時間をどうもありがとう」

 

榎本は西洋式に則って、彼女たちに握手を求めてきた。それぞれが差し出された手を握り返すと、彼は品のある口元に穏やかな微笑を浮かべた。

 

「この館の客室には、好きなだけ滞在して行ってくれて構わない。ただ――」

 

扉を開け、出ていこうとした榎本が振り返る。先程浮かべていた笑顔とは一変して、男の眼光は今までに見た事のない鋭さを孕んでいた。その迫力に気押されて、立香は思わず返答の言葉を呑み込んだ。

 

「もうすぐ、この箱館は戦場になるだろう。命が惜しければ、この館の外へは一歩も出ない事をお勧めする。

……きみたちが、私たち蝦夷島政府の良き理解者であってくれることを、切に願っているよ」

 

ぱたん、と、重厚な扉が閉ざされる。立香は暫くの間、男の残していった言葉を反芻していた。彼は途中から、否、もしかしたら最初から自分たちの正体を知っていたのではないか、と、そんな疑念が去来する。

信長が皿に残った焼き菓子を一口齧りながら、主に問うた。

 

「――どうじゃ、マスター」

「うん。……多分、間違いないと思う」

「うむ。じゃろうな」

 

ふっ、としたり顔をして信長が頷く。

 

「実際に聖杯と接した事のある儂には、気配で分かる。要するに、“こいつはくせぇッー!聖杯の匂いぷんぷんするぜぇッーーーッ!!”と言う奴じゃ」

 

普段ならば即座に突っ込みを入れている所だが、しかし、立香にそれらしい反応はなかった。その表情は暗い。

 

「でも、……本当にこの歴史、修正しなくちゃいけない事象なんだろうか」

「む?――阿呆、何をぬかしとるんじゃ、今更」

 

いつになく後ろ向きな立香の言葉に、信長は呆れたように片眉を跳ね上げた。

 

「あの男の理想に、絆されたか。そなたもまだまだ青いのう」

 

信長は唇に付いた焼き菓子の欠片をぺろりと舌で舐め取ると、人形造りの愛らしい面貌を蛇の如く獰猛なそれに変えて、嗤った。

 

「武力の肥えた国の行き着く果てなぞ、古今東西変わりはせぬ。即ち――」

「……戦争と、侵略」

「然りじゃ!」

 

立香の鼻先に信長が、ずい、と白手袋の指先を突きつける。

 

「あの男。今はああして聖人君子の皮を被っておるが、一皮剥けば妄執の鬼よ。群衆の目は騙せても、この第六天魔王・織田信長の目は誤魔化せぬわ。

あれは己が理想を遂げる為ならば、大陸丸ごと血で染めることすら厭わぬじゃろう。それを外道と思わぬままにな」

 

信長の言葉は、立香の中にあった心の靄を取り払うだけの説得力があった。そうだ。自分は己の理想に執着し、聖杯によって心を歪められた者たちの末路を、幾度となく見てきたではないか。

 

「己の成すことが良き事と微塵も疑いもせぬ奴が、一番性質が悪い。幼子に善悪の判断がつかぬのと同じことじゃ。

 ――そういう者は、誰かが親になってその尻を叩いてやらねばならぬ」

 

見た目とは不釣り合いに老成した信長の喩えが妙に可笑しくて、立香が笑った。そう言えばこの人、子供を持った親なんだな――改めて、そう認識した瞬間だった。

 

「……ノッブって、たまに良い事言うよね」

「たわけ!儂の言葉はいつだってカルデア流行語大賞最有力候補じゃ!」

 

立香の表情が、いつもの溌剌としたそれへと戻る。

 

「それじゃ、行こっか。まずは外に出て、他のふたりと合流しよう」

「うむ。じゃが……その前に、やらねばならんことがある」

 

頭に疑問符を浮かべている立香に向かって、信長がきっぱりと言い放つ。

 

「――防寒着の調達じゃ!」

 

その提案に、異論はなかった。

 

※※※

 

「随分、遠くまで来ちゃいましたね。――あなたの所為で」

「あんふたりとも、すっかり逸れてしもうたのう――主ゃの所為で」

 

塹壕にも似た簡素な洞穴の中、焚かれた薪の前で座り込む男女が一組。ふたりを見て、仲睦まじいカップルだと想像する人間は一人もいないだろう。両者共に据わった目をして、互いの事を牽制するように睨み合っている。

 

「……あくまでも一時休戦、ですからね。事が終われば、必ずそっ首斬り落としますから」

「まっこと面倒な女子じゃのう。その執念深さ、まるで蝮じゃ。こりゃ主ゃに好かれた男は、冥途に行けども苦労ばすっど」

「――なっ!?本ッッッ当に失礼な人ですね、あなたは!」

 

がたっ、と勢い勇んで立ち上がれば、弱々しく燃える炎が風で揺らぐ。やっとの思いで付けた火種を、今失うわけにはいかない――沖田は渋顔のまま、地面に座り直した。

 

「――吹雪が収まったら、マスターたちを探しましょう」

「そげじゃな。……しかし、なあ。主ゃ、気にならんかったが?」

「……何がです?」

「こいだけの太か都に、人っ子一人、町人がおらん。ないごてじゃ」

 

豊久の指摘に、沖田ははっとなった。言われてみれば確かに、彼女たちはここへ至るまで誰一人として人というものに会っていない。この大雪で外出を控えているにしても、交易の盛んだというこの都に行商人の一人すら歩いていないというのは異常だった。

 

(……この薩摩人。単なる戦馬鹿というわけでもなさそうですね)

 

己でも気付かずにいた事実を察していた豊久に、沖田はほんの少しだけ見解を改める。それと同時に、怒りに任せて剣を振りまわし、冷静に周りを見るという習慣を忘れていた自分が恥ずかしくなった。

 

「……確かに、妙ですね。これではまるで、皆が戦に備えて籠城している時のようです」

「ふむ。主ゃでん気付いちょったか」

 

馬鹿にされたような気がして、沖田は一瞬、むっと唇を結んだが、すぐに真面目な思案顔となってその先を続ける。

 

「……ロマニさんの話では、新政府が負けて滅んだ、とは言っていませんでした。だとしたら、先の戦で負けた新政府が、再び蝦夷へ攻伐の軍を差し向けるという可能性もあるのでは?」

「つまり――こん都の戦は、まだ終わっちょらん。そげんこつか」

「ええ。戦というものは、どちらか一方が降伏するか、一人残らず鏖殺されるまで終わりませんから」

 

一しきり沖田の見解を聞いて、豊久は白い歯を見せニッと笑った。無邪気な子供のような、人好きのする笑い方である。

 

「ただの癇癪持ちの娘かち思うたが……考えちょることは、一端の武士(もののふ)じゃなかか」

「あなたに褒められても、全然嬉しくないです」

 

沖田は素気なく言うと、そっぽを向いた。静まり返った洞穴の中、薪が火花を散らす時のぱちぱちと言う音だけが響く。数分間の沈黙を破ったのは、豊久だった。

 

「のう。沖田ち、言うたか」

「……なんです」

「主ゃ、あの土方ば好いとうとか?」

「―――ふぁへっ!?」

 

唐突すぎる問い掛けに、沖田は素っ頓狂な声を上げて目を見開いた。白い顔が、みるみるうちに耳まで赤く染まっていく。

 

「ひじっ、ひじかたさんを、すっ、すっ、すすす、好き、だなんて!そそそ、そんな、そんなことっ、あるっ、あるわけ…ッ!!」

「……袖、燃えとうぞ」

「ひゃあぁっ!?大事な羽織があぁっ!?」

 

篝火に袖が炙られていることすら気付かぬほどの動揺ぶりに、豊久は何を言うでもなくただ、軽く肩を竦めた。沖田は若干焦げた羽織をしょんぼりと見詰めながら、赤い顔で黙り込んでいた。

 

「まあ、なんじゃ。主ゃの気持ちがどっちでん、俺には関係なか。ただ……」

 

何かを言い掛けて留めた豊久の方へと、沖田が顔を向けた。

 

「――あいのこた今でん想うとう女子がおるなら、土方もちいとは救われるんじゃなかち思うた。そいだけじゃ」

 

そう言って、豊久は新しい薪木をくべる。燃えあがる炎の赤に照らし出された男の表情には、どこか親しみのようなものが混じっていた。沖田は少しの間思案した後、静かに口を開く。

 

「……私自身、よく分かりません。恋だとか、愛だとか。そういうのとは無縁の世界で生きていましたから。それに、あなたの知っている土方さんと、私の知る土方さんが同じとは限りません。……でも――」

 

数多の言葉から一番最適な表現を選び出すようにして、沖田はゆっくりとした口調で告げる。

 

「今でも、傍に居たいと思う人は……あのひと、ただ一人だけです」

 

沖田がそう言い切ると、豊久は「そげかぁ」と口にして晴れ晴れと笑った。そして、腕組をしながら頷いて、

 

「もしまたあっちに戻って土方に会うたら、俺からそいば言うてやってもよかど」

「――けっ、結構です!絶ッッ対に止めてください!ていうかあなたが言うと、かなり曲解されて伝わりそうですし!?」

 

飛び出してきたとんでもない提案を、全力で首を振って沖田が拒否する。薩摩人に借りを作るのが嫌とかいう以前に、この男を土方に関わらせるとなると、何故だか嫌な予感しかしてこない。そもそも敵同士なのだし。それに――。

 

「……自分の口から、伝えたいので」

 

沖田は今にも消え入りそうな声で、そう付け加えた。豊久はひょいと眉を動かし、口端を吊り上げる。

 

――と、その直後であった。

 

どぉん、と、彼方で落雷にも似た音が轟き、地面と壁が震える。ふたりは共に得物を取り、顔を見合わせた。緊張が走る。

 

「――主も聞こえちょったか。あの、雷ごた音は……」

「砲撃の音、ですね。……行ってみましょう」

 

頷き合い、豊久と沖田は火の消えた洞穴を後にした。

 

※※※

 

――五稜郭、総裁官邸。

西洋建築に改められた邸内は、不気味なほどに静まり返っている。まず、人の気配がない。気配はないが、人の形をしたものたちはそこに“在る”。

 

明りを消した執務室、その凍てついた窓から箱館の夜を眺めながら、榎本武揚はその背後へと、独白のように呟いた。

 

「――きみは、どう思うかね?土方くん」

 

暗がりの中に、男がいた。波打つ黒髪が、黒羅紗の外套が、漆黒の闇に溶けている。不健康に白い肌だけが、薄ぼんやりと浮かび上がっていた。

土方と呼ばれたその男は、無言のまま榎本の背を見詰めている。底無し沼のように淀んだ暗灰色の瞳からは、一切の感情を伺い知ることはできない。

 

「彼女たちは、いずれ私やきみの前に立ち塞がることになるだろう。だが正直、私は彼女たちを殺したくはない。

勿論、心情的なものもあるが――何より、彼女たちの背後にある知識や文明を手にする事ができれば、蝦夷の開拓は一気に躍進するだろう」

 

カイゼル髭の毛先を指先で整えながら、榎本が振り返る。一拍の間を置いて、土方は漸くその口を開いた。

 

「……俺は、そういった政(まつりごと)に興味がなければ、学もない。それを考えるのは、榎本さん、あんたの仕事だろう」

 

その答えに、榎本は苦笑する。出会った日とまるで変わらぬ愚直な盟友に、榎本は確かな頼もしさを覚えていた。

 

「俺にできるのは、人を殺すことだけだ。故に――」

 

言いながら、土方は二振りの愛刀を手に、踵を返す。洋式の外套がぶわりと広がり、翻った。歪な形を持って蟠る蒼白い靄のようなものが、去りゆく男の身体に纏わりついていた。

 

「邪魔するものは総て、斬り捨てるまでよ」

 

刀の唾が鳴る。地獄から還った復讐の鬼が、身も凍えるような眼光をぎらつかせていた。

 

 

【鬼哭血風録~相思相殺~ To be continued…】

 




【あとがき、という名の駄文~シリアスな余韻を楽しみたい方は、閲覧注意~】

……ということで、ついにやっちまいましたよ、自分で。FGO×ドリフコラボイベントストーリー。結局、構想立ててから前編の執筆終わるのに2カ月近く経ってました(その間に他の描いたり書いたりしてた所為ですが!)。
まず最初に思い浮かんだのは、お豊と土方さんがFGO参戦した場合、敵味方両陣営に分かれるんだろうなーということでした。主人公で漂流者である豊さんは間違いなくカルデア側につくだろうし、そうなったら土方さんはやっぱり敵鯖のアヴェンジャークラスとして登場だよなぁ…と。私が今まで描いてきたイラストと小説は、土方沖田共闘戦線、といういうものばかりだったのですが、イベントで実装されるとしたら、確実にこの二人は殺し愛、愛する者よ死に候え、になるしかないんだろうなぁ、と思ったのです。でも、それはそれで美味しい気がする……!
これから続々、この二人の複雑な心中にもスポットを当てていきたいと思いますので、この二人の関係に興味のある方は是非、ご期待くださいませ!また、これからは戦闘シーンをがっつりと入れていきますので、豊さんやノッブの活躍もどうかお楽しみに。

……ぶっちゃけ、ソロモンのペンタグラム=五稜郭の都市伝説ネタやりたかったのと、お豊とノッブを会わせたらどんな反応するのか想像してみたかったのと、Fateで榎本武揚さん出したかったのと(話の都合上、泣く泣く鯖化は断念しました)、宝具・××で○○○○ぶっ放す土方さんを描きたかっただけとも言う(後のネタバレなので伏字)。なので概ね満足!

最後に、何故ノッブが信長と別人で、土方さんだけ同一なのかっていうガバガバ設定についての補足。
人々の中の織田信長像は、空飛んだりビーム撃ったり美少女だったりと限りなく多彩。それに比べて、土方歳三という人物像は万国共通と言って良い程、割と似通っている。よって、ノッブとのぶのぶは別人のようにそれぞれの世界に現れ、土方は同じ姿で現れたのである。――という、無茶苦茶なこじつけ理論でした…!(逃げ)

ともあれ、このような駄文まできっちりと読んで頂きまして、ありがとうございました!興味を持って下さった方は、また以降でもお会いできたら幸いです!それでは。


【あとがきという名の駄文・完】


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中ノ章
Act.4 魍魎跋扈


――その男の氏(うじ)は黒田、字(あざな)は了介と言う。

 

“正しい歴史”では後に黒田清隆と名を改め、第二代内閣総理大臣として日本の政治史に名を刻む事になる、極めて重要な人物である。

彼は薩摩藩の下級武士・黒田仲佐衛門清行の長男であった。薩摩藩に伝わる古流剣術・示現流免許皆伝という剣の手練れであり、一方、優れた砲手として藩主島津家に随伴している。

彼は鳥羽・伏見の戦いでの功績により新政府軍参謀に抜擢され、その後、箱館戦争時には攻伐軍の総指揮権を握っていた。1869年5月12日、背後の箱館山から攻め入って五稜郭を落とし、彼の率いる新政府軍が勝利を収める“筈であった”。そう、彼らはこれが勝ち戦であると確信していたのだ。

 

――口にするにもおぞましい、あの異形どもと相まみえるまでは。

 

「参謀殿!敵兵は我々の奇襲により混乱しております。まさかこの猛吹雪の中、遠距離からの砲弾を命中させるとは思わなかったのでしょう。

――このまま、街への砲撃を続けますか?」

 

偵察役の陸軍兵士が駆けつけ、好ましい戦況を伝えてきた。官軍誂えの戎服から覗く日焼けした浅黒い肌に、武人として恵まれた骨太の体格――馬上から戦場となった箱館の街を見据える黒田の表情は、硬く険しい。

 

「いや、砲撃はいい。各突撃隊はこのまま一気に四方から市中へ攻め入り、歩兵を展開させる。奴らが纏まりきれていない、この機を逃がすな!」

「はっ!」

 

(榎本武揚――あの男を捕れば、この戦は勝てる。問題は、そこに辿りつくまでの“化けもん”どもの相手じゃ)

 

五稜郭に攻め入った際、突然現れた影のような形(なり)をした旧幕府軍の兵士たち――何せ彼奴らは、斬れども、斬れども、まるで斃れないのだ。あれは正しく、地獄の釜から這い出てきた魑魅魍魎。人間が相手をするのは手に余る存在だと、黒田は先の戦いで気付いていた。

黒田は得物の柄を握り締め、鍔を鳴らして抜刀する。刃先の長い薩摩拵の大太刀が、猛々しい号令と共に風を切って降り降ろされた。

 

「――俺が先陣を切って敵軍の包囲を突破する、ついてこい!!」

 

わあ、と一斉に鬨の声が上がる。吹き荒れる吹雪をも追い風に変え、黒田率いる蝦夷島政府攻伐軍・黒田小隊は一丸となって箱館の街へ突貫した。

二度目の敗北は、許されない。前の戦では実に八割もの兵力を失い、軍艦・甲鉄をも奪われた。もしここで有りっ丈の戦力を投入された黒田の軍が倒れたならば、新政府にはもう後がないのだ。

 

「来よったな、亡者の成り損ないめ!」

 

雪で白く煙る視界の先、件の影兵たちが群を成して立ちはだかっている。旧幕府軍の洋式軍服も、刀も、軍旗も皆、黒、黒――黒一色。ゆらゆらと不気味に揺らめくそれは、宛ら生ける土壁のようにも見えた。

馬の手綱を引き締めて、黒田は恐れることなく影兵の防御網に突っ込んで行く。取り囲むように集まってくる化生たちを、彼は掲げた大太刀を振り降ろし、薙ぐように斬り払った。

 

――轟ッ!

 

示現流が得意とする、二の太刀いらずの重撃。それは、旋風が起こるほどの剣圧であった。横薙ぎにされた影兵たちが折り重なって倒れ込み、背後の陣列を崩す。致命傷には至らぬものの、彼らはその肉体へ確かなダメージを負っていた。

只の人間にしか過ぎない黒田が魔力で造られた肉体を斬るなど、本来ならば有り得ない話だった。思えばこの時、武術鍛錬の極致にあった黒田は――言わば、生者にして英霊にほど近い存在となりかけていたのかもしれない。

 

隊列が乱れたことで生じた突破口へ、機を逃がさず黒田は飛び込んだ。彼の軍勢が、続々とその後に続く。前から襲いかかる尖兵を斬り倒しながら、黒田の軍は五稜郭その一点を目指して進撃した。ここまでは、黒田の目算通りであった。

 

「―――ッ!?あれは……!」

 

五稜郭へ通じる一の橋を背にして、ひとりの男が立っている。迫り来る騎兵の大軍を目前にしながら、その男は微動だにしなかった。打刀と脇差を左右の手に携えて、仁王の如く彼らの行く手を遮っている。黒羅紗の戎服は、紛れもなく旧幕府軍のそれだった。

 

「どけい!!」

 

どかぬならば、叩き斬る。黒田は気合いを込めて刀を構える。馬で擦り抜け様に、その首を刎ね落としてやるつもりだった。――だが。

 

――ぞんッ!

 

「……なん、だと?」

 

黒田が異変に気付いた時、彼は馬上から地面へと放り出されていた。彼の傍らへ、どう、と大きな馬体が倒れ込んでくる。その首から上が、鎌で刈り取られたかのように消えていた。

不可視の一閃。刃を振るう風切音さえも、聞こえなかった。後続の兵士たちは動揺し脚を止めたが、血気盛んな者たちは馬を下りて刃を構え、男に向かって襲いかかる。

 

「待て!その男は――!」

 

黒田の制止も虚しく、斬り掛かった兵士たちは一瞬にして胴を真っ二つに斬り裂かれ、切口から鮮血の華を咲かせて崩れ落ちた。真っ赤に染まった雪の上、二刀流の男は黒田の姿だけを睨み据えている。

黒田は、その男の顔に見覚えがあった。

 

「貴様(きさん)、……よもや、土方歳三……!!」

 

宮古湾で垣間見た、陸軍奉行並土方歳三。武装艦・回天丸と共に新撰組を率いて鋼鉄を奪わんと襲撃してきた、あの猛攻の様を黒田は忘れていない。

戦の為に生まれてきたような男だった。旧幕府軍の戦神、それがこの男だった。だが、今のこいつは――。

 

「土方……貴様はあの時、一本木で討ち死んだ筈じゃ!死んでん死にきれず、化けち出よったか!」

 

――鬼だ。地獄から蘇った、鬼の首魁だ。

その冷え切った目を見ただけで、全身に怖気が走る。淀んだ瞳の奥にあるのは、憤怒と憎悪。これほどまでに暗く濁りきった目を、黒田は未だかつて見た事がなかった。

黒田の言葉に、男――土方歳三は、何も答えない。答えぬまま、ゆっくりと黒田の方へ近づいてくる。

 

「貴様も、もはや人ではなか……ちゅうわけか」

 

黒田は恐怖で強張る身体を叱りつけて立ち上がると、左足を前に出し、耳の横で刀を直立させる風変わりな上段の構えを取った。示現流における先手必勝の構え――“蜻蛉”である。

対する土方は、太刀を腰まで引いて脇差を前に突き出す、右脇の構え。機動力と防御性を両立させる、如何にも新撰組らしい実戦的な選択だった。

 

「キェェェェイッ!!」

 

裂帛の気合と共に、黒田が踏み込む。相手よりも速く剣を打ち下ろし、一刀のもとに叩き斬る――それが示現流の基本である。渾身の斬り下ろしに速度を加算したその威力たるや、人体を頭から両断するほどだ。示現流“雲耀の太刀”は、新撰組きっての豪勇・近藤勇すらも警戒させる剣技だった。

雷速にも等しい斬撃が、土方の頭上に迫る。しかし、土方はあくまでも冷静だ。退くでもなく、左手の脇差・堀川国広を突き上げ、鎬で黒田の袈裟斬りを受け止めた。

火花が散る。土方は国広を手前に戻しながら袈裟斬りの力を萎やし、刃を弾いた。示現流の重撃を片手で跳ね返すなど、ますますもって尋常ではない。

 

「……ッ、まだじゃ!」

 

続く、二の太刀。示現流は初撃さえ受け流してしまえば、二撃目はないと伝えられている。だがその誤まった情報こそが、他流派者の油断を誘った。斬り下ろしからの容赦ない胴斬りの連続攻撃こそが、示現流本来の攻め手である。黒田は弾かれた刀をもう一度、返す刀で横に振るった。しかし――。

 

「――“薩摩者の初太刀は外せ”。勇さんがそう言っていたな」

 

土方はそれよりも速く、右手の打刀・和泉守兼定による平突きを繰り出していた。二刀流は、連続攻撃や一対多の攻撃に対して特に有効な剣技――八面六臂、隙のない乱斜刀である。代わりとして、一刀流以上に高度な戦闘技術と柔軟な立ち回りが要求されるが、土方は不安定な体勢からの片手平突きという離れ業をやって退けたのだ。黒田の表情が、驚愕の色に染まった。

 

「そこに続く二の太刀があったにしても――それより速く、動けばいい。それだけのことだ」

「むぅっ!!」

 

黒田は直ぐさま、横薙ぎの太刀を振り上げ、防御の相に切り変えた。黒田の刃に、兼定の切っ先がぶつかる。その突きの威力たるや凄まじく、刀身に幾筋もの亀裂が走り、黒田の大太刀は音を立てて砕け散った。受け止め切れなかった剣先は軌道を逸らしながら、黒田の額を鉢金ごと縦一文字に斬り裂いた。

咄嗟の機転により、黒田は九死に一生を得た。得物を失い、額に大きな傷を負ったとは言え、英霊となった土方歳三の剣を躱したのである。土方はもんどりうって地面に転がった黒田を見降ろし、僅かに瞠目した。

 

「獲れなかった、か。……示現流皆伝の実力、伊達ではないな」

 

そう言って土方は再び、両刃を構える。――次はない。一分の隙もなく研ぎ澄まされた殺気は、そのことを雄弁に物語っていた。

戦の年季も、剣の技術も、黒田は何一つ彼には負けていない筈だった。だが、勝てない。人と、人ならざる者――その一点において、彼らは既に戦う前から勝負がついていた。そもそも、立っている土俵が違うのだ。言うなれば鼠が獅子に牙を向けるのと、同じ事だ。

黒田はここで、覚悟を決めた。せめて武士らしく最後まで戦って果てようと、脇差に手を伸ばす。

 

「新政府軍参謀にして蝦夷攻伐軍総大将、黒田了介。……その首、新撰組副長、土方歳三義豊が貰い受ける!」

 

上段から繰り出される、双刀の切り下ろし。それは黒田が脇差を抜くよりも速く、彼の首を獲る――心算、だった。

 

――ビュオッ!

 

一陣の風が吹き込んだ。否――風だと思ったのは、質量を持った“何か”だった。

 

「むッ――!」

 

反射的に首の前で交差させた二本の刀が、土方の腕にビリビリと衝撃を伝えてきた。己目掛けて突っ込んできた“それ”が人であると認識したのは、土方が後方へ吹き飛ばされたその後のことだった。

 

「き、さま……!」

 

雪煙が晴れていく。土方が目を眇めて前方を睨めば、憎くて堪らない男の顔がそこにあった。

 

「……よもや、貴様(きさん)まで来ちょったとはのう。土方」

「島津ッ!!」

 

土方がぎりり、と奥歯を噛み鳴らす。ゆらり、と剣を下げて立ち上がったその姿は、幽鬼そのものだった。

 

「それは、俺の台詞だ。何故、貴様がこの世界にいる――誰に呼ばれた!?」

「そがいかこつ、俺にも分からん。じゃっどん、一つだけ、はっきりしちょるんは――」

 

問われた豊久は、いつもと変わらぬ調子で胸を張った。刀を振って、纏わりついた粉雪を払いながら、

 

「この世界でん、俺は貴様と首の取り合いばす。そいだけじゃ!」

 

そう言って頑健な歯を覗かせ、ニヤリと――土方が最も嫌うあの面で、笑った。土方は何も言わず、答えず、端正なその貌を憎しみで歪ませている。人を射殺しかねない剣呑な視線を受け流しながら、豊久は傍らで呆然と成り行きを見ていた黒田に声を掛けた。

 

「――主ゃが“しんせいふぐん”の総大将じゃな?」

「はっ……はいっ!新政府陸軍参謀、黒田了介と申しまする」

 

黒田は弾かれたように居住まいを正すと、目の前の“助っ人”の出で立ちをまじまじと見詰めた。

先ず目に飛び込んできたのは、紅の戦装束に映える白抜きの十文字。島津十字――ということは、薩摩・島津家が送り込んでくれた援軍なのだろう。黒田は先ず、そのように解釈した。しかし、この男の兵装はどこか古臭く、あまりに時代錯誤である。藩主・島津茂久の血族であれば、その顔も見知っていよう筈なのだが――と、黒田は首を傾げた。

とは言え、黒田家とは縁の無い遠縁の士族、という可能性もある。黒田は豊久に平服し、薩摩訛りを隠すことなく礼を述べた。

 

「恐れながら、殿の御名前は存じませぬが……助かり申した。まっこと、かたじけのうごわす!」

「薩摩兵子……そがいか」

 

それを聞いた豊久の口元が、大きな弧を描いた。満足そうに、薩州きっての豪傑は頷く。

 

「――よか!早よう行って、城ば取い。功名ば取い時ぞ!!」

 

よく通る声が、高らかに檄を飛ばす。黒田は今一度頭を下げると、威勢良く立ち上がった。

島津の援軍・豊久の一喝は、常軌を逸した土方の強さに士気を失い立ち尽くしていた兵たちの心すらも奮い立たせていた。黒田は彼らの隊列を組み直すと、主を失った馬に乗り換え、脇腹を蹴った。彼らが向かう先は、五稜郭背面の裏門橋。正門にこれだけの強兵を配して守りを固めているならば、ここを突破するよりもあちらの方が幾分か手薄な筈だ。

 

馬蹄の音が遠のいた頃、土方は彼らを追うこともなく豊久を見据えている。先程まで燃え盛るようだった男の怒気が、今は冷徹な殺気へと転じていた。

 

「黒田(臣下)の前に、先ずは島津(主)の首、か。……ふん、業深いものだ」

 

自嘲気味に土方が吐き捨てる。吹き荒れる雪風が、向かい合って対峙した黒と緋の装いをそれぞれの軍旗のようにはためかせた。

豊久は刀を持ったままの肩を回しながら、飄々と応える。

 

「主ゃら旧幕府軍は、徳川(とくせん)家の家臣ち聞いたど。何百年かかろうが、薩摩の兵子は必ず、徳川家ば滅ぼす。――そいがほんのこてになる時ば、こげんして見ることができるちゅうんは、僥倖じゃ」

 

その一言に、切れ長の瞳が大きく見開かれた。土方の纏う殺気が密度を増して、濡羽色の洋髪がざわりと波打つ。

 

「……それを、この俺が黙ってさせると思うのか」

「“させん”か」

「ああ」

 

土方は二刀を上下太刀に構えた。打刀兼定を振りかぶり、豊久の喉元へ向けられた脇差国広の切っ先が、男の殺意を明確に示している。

 

「――貴様はここで俺が殺す、島津!!」

 

乗馬靴の長い踵が、雪上を蹴った。豊久は不敵な笑みを崩さぬまま、弾丸のような土方の突撃を大太刀で受け止める。城門すらも粉砕する復讐鬼の一太刀に、しかし、豊久はそれでも笑っている。笑いながら、刃に力を込めて土方を押し戻そうとした。鎬を削る鍔迫り合いの中、ふたりの男は互いの瞳だけをその目に映している。

 

――薩摩藩・島津中務大輔豊久と、徳川幕臣・土方歳三義豊。因縁深き戦いの火蓋は今、再び切って落とされた。

 




今回はいきなり新しい歴史人物が登場しましたので、おや?話間違ったかな?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい!
……それにしても皆様、我が国の第二代総理大臣が示現流免許皆伝の達人だってご存知でしたか?わたしはこの作品のために調べて、そこで初めて知って大変驚きました(笑)
当時の日本って、色々とすごかったんですねえ。歴史を紐解く作業というのは、こういう発見があって本当に面白いです。


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Act.5 戦花追想

――ぞぶッ!

 

閃く剣尖が真一文字の軌跡を描いてから、一拍。胴から上を刎ねられた影兵――シャドウサーヴァントが、黒い塵となって掻き消えた。

恨みがましく刀身に纏わりついていた魔力の残滓を払って、愛刀を鞘に収めた少女――沖田総司は、その背中を冷えた土壁に預けた。華奢な肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返している。黒の襟巻で隠された口元は、吐息のせいで白く煙っていた。

 

「…はぁっ、はぁっ…もう、しつこいったらありませんね…っ!」

 

全身に滴る汗が外気に冷やされ、じわじわと体温を奪って行く。こうしてはいられないと、沖田は身を屈めながら街路に出て、周囲を警戒しながら見回した。

 

――事の経緯は、半刻ほど前に遡る。

大砲によるものと思しき物音を聞きつけ、洞穴を出て街へと向かった豊久と沖田は、そこに跋扈していた大量のシャドウサーヴァントたちによって取り囲まれた。影兵は日章旗を背負い、洋式戎服に帯刀した旧幕府軍の姿恰好をしており、それは彼らが旧幕府軍側の何者か――例の聖杯を悪用している人物によって呼び出されたものだと、確信できた。

 

目の前に現れた英霊を排除すべき敵と認識し、襲い掛かってくるサーヴァントの“成り損ない”。対するふたりは刀を振るい、一体、また一体と彼らを斬り倒していく。豊久も沖田も乱戦を得意とする剣客ではあったが、斬れども斬れども湧いてくる影兵が相手では、聊か分が悪い。追い詰められ、背中合わせで向かい来る敵を切り払いながら、沖田は豊久にこう告げた。

 

『これでは幾ら戦っても、限がありません!ここは一度散開して、敵を撒くのが得策かと』

 

その言葉に豊久は、むすりと口を引き結んだ。

 

『敵ば前にして、退くのは恥じゃ』

 

これを聞いて、沖田は落胆する。そういえばこの男、戦馬鹿の首狩り民族でしたね――と、大袈裟に肩を落とした、その時だった。豊久がその先に、一言こう付け加えたのだ。

 

『じゃっどん――目先の小兵にかまけて、大将ん首ば取り逃がすは大恥じゃ!』

 

大声で叫ぶなり、豊久は跳んだ。跳躍、などという言葉では喩え切れぬほどの身軽さで、敵陣の只中に飛び込んだ薩州男児はそのまま一直線に兵士をなぎ倒し、脱出の道を切り拓いて行く。

 

『まったく、……なんて破天荒な人なんですか、あの薩摩人は』

 

呆れたように言いつつも、こちらも負けてはいられない。敵が陣形を崩した機を見逃さず、沖田もその後に続いた。立ち塞がる兵を薙ぎ払いながら包囲網を突破した後は、追手を分散するため二手に分かれた。

前方に見える大きな砦――五稜郭の前での合流を約束し、豊久と別れた沖田はひたすら街中を疾駆して、追い縋る兵士を切り捨てる。京で維新志士たちとの斬り合いを幾度となく経験していた沖田は、市街戦には慣れていた。足の速さにも、自信がある。すぐに追撃を撒いて豊久、そして、逸れてしまったマスターたちと合流できると踏んでいた。

 

が、――しかし。

 

「……まさか、こんなにすぐ追いつかれるなんて」

 

その見通しは甘かったと、今になって思い知らされることになった。雪国・箱館の街は、京と違って馬車を通す為に道幅は広く、家屋や建造物も点在している。つまり、非常に見通しが利く造りになっているのである。ましてや今の総司は人間ではなく、英霊の身分。気配遮断の能力(スキル)を持たない彼女は、彼らシャドウサーヴァントに匂いを振りまいて歩いているようなものだ。

身を隠してもすぐに敵兵に見つかり、斬り合いになる。そうこうしているうちに体力は擦り減って、逃走も儘ならぬ状況に陥っていた。元より病弱な彼女は、持久戦になればなるほど不利になっていく。

 

(――原田さんならこういうの、得意なんだけどな……)

 

振り向きざまに抜いた刃で、背面から襲いかかってきた敵を逆袈裟に斬りつけながら、沖田は胸の内で独りごちる。新撰組・原田佐之助の撤退しつつ敵を蹴散らす退き突きは有名だったが、それは彼が他ならぬ長槍の名手であったからこそ可能な技だ。壬生狼とはそもそも、獲物を“狩る”側の存在である。“狩られる”側には向いていない。

斬り捨てた敵の更に後ろから、新たな影兵が二体、沖田目掛けて跳びかかった。一体目の喉元に突きを喰らわせてから、戻しながらに剣を振り上げ、二体目の上段を受ける。敵の鳩尾を膝で蹴り上げて、体勢を崩した相手に追い太刀を浴びせようとした、その時だった。

 

「――こふッ!?」

 

雪の上に、鮮血が散る。病弱の呪いによる喀血だった。喉奥から溢れてくる血で気道が塞がれ、息が出来ない。ぐらりと足元がよろけて、意識が遠退く。沖田は片手で胸を押さえながら、その場に膝をついた。

 

(……ッ、こんな時に――!!)

 

先刻斬り損ねた影兵が、今が勝機とばかり突進してくる。沖田は力を振り絞って刀を振り抜き、勢いの乗った敵の剣先を掬い上げて捌く――つもりだった。

辛うじて切っ先を逸らしたものの、力の抜けた腕では突きの威力を萎やし切れなかった。衝撃を受けた手から柄が離れて、弾かれた菊一文字が雪の上に転がった。

 

「くっ!」

 

沖田は刀に手を伸ばしかけたが、既に敵兵は剣を上段に構え直し、袈裟斬りの体勢に入っている。今からでは間に合わない。

 

(……刀が、無ければ)

 

“刀が無ければ、鞘で打て”。

 

沖田の脳裏に、その言葉がはっきりと蘇る。同時に、それを己に教えたある男の、険しくもどこか優しげな横顔が思い出された。

 

(そうだ。こんな時、あのひとなら――)

 

沖田は無意識のうちに、足元の雪を砂利ごと掴んでいた。敵兵目掛けて投げつければ、予想外の反撃に怯んだ様子で一拍ほど、攻撃の手が遅れた。

その隙に剣帯から鞘を抜いて、沖田は振り下ろされた敵の刃に合わせ、弾いた。相手が重心を刀に集中させているのを逆手に取って、足払いを繰り出す。この機を逸さず、沖田は転倒した相手に馬乗りになって、解いた襟巻を敵の首に巻き付けた。そのまま全体重を込めて両端を引き、ぎりぎりと絞め落とす。シャドウサーヴァントとて仮初の肉を持った以上、頸部圧迫によって受けるダメージは人間や英霊たちと変わらない。

 

「“鞘が無ければ、素手で討て”。……そうでしたよね、土方さん」

 

倒れた影兵が霧散し消えたのを見届けてから、沖田は「流石に素手は、無理でしたけど」と、苦笑交じりに呟いた。口元を赤く汚す血を、袖口でぐいと拭い去る。

 

「――行かなくちゃ」

 

みんな、きっと待ってる。

沖田は雪を払って立ち上がると、北に聳える五稜郭を目指して力強く歩き始めた。

 




今回は、沖田さんの土方式アルティメット天然理心流披露回でした(笑)シャドウサーヴァントを撲殺・毒殺できるのですから、絞殺もできる…はず!(強引なこじつけ理論)
ドリフでも土方さんのステゴロ戦法が見れたら嬉しいのですが、どうなるのでしょうね。


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Act.6 魔郭懐胆

「――ふっふーん。どうじゃ、マスター!」

 

一方、その頃。迎賓館の舶来品展示室に、ふたつの影がこそこそと紛れ込んでいた。

堂々と胸を張り、ここ一番のドヤ顔で言い放った第六天魔王・織田信長――その身恰好を上から下まで眺め終えてから、マスター・藤丸立香は思わず表情を引き攣らせた。

 

「うん、趣味悪……もとい、これじゃちょっと目立ちすぎじゃない?ノッブ」

「そうかの?特にこの……何じゃ、よくわからん獣の皮を縫い合わせた外套なんぞは、儂の為に誂えたようにしっくり来ると思うんじゃが――」

 

そう言って裾を摘まんで見せるのは、豹の毛皮を贅沢にあしらった、いかにも王候貴族が愛用していそうな洋式外套だった。豹という存在自体が知れ渡っていなかったこの時代にしては、相当に珍しい工芸品のひとつだろう。

派手好みの信長はこの珍品を大層気に入ったらしく、これまた展示品であるらしい大きな鏡の前でポーズを取っては、ひとり悦に浸っている。確かにふたりが求めた“防寒着”には持ってこいの品ではあったが、こんな格好で外を出歩かれたら一発で憲兵に見つかるだろう。

 

「というか、そう言うそなたも相当アレな恰好じゃぞ?何なのじゃ、その熊の頭は!一瞬、頭から食われたのかと思うたわ」

 

ジトリと目を眇めながら、信長が立香の出で立ちを酷評する。対する立香は黒々とした短毛の毛皮を身体に巻き付け、頭の上には剥製と思しき熊の頭部がどんと乗っていた。――どう見ても、アイヌ民族の狩猟装束である。

 

「うぐっ!だ、だって仕方ないじゃないか…防寒着になりそうなのって、他にこれしかなかったんだもんっ!」

 

何が悲しくて、こんなリアルくま○ンみたいな恰好をしなければならないのか。こんな格好をしている自分たちをロマニたちが見たら、間違いなく腹を抱えて爆笑されるだろう。それを考えただけで、立香は頭が痛くなってきた。

だがそんなことより、もっと重要な問題がひとつ。ここにある展示物を、自分たちが勝手に持ち出すということは――。

 

「……これって、よく考えたら泥棒だよね?いいのかなぁ、こんなことして……」

「なぁーにを弱気なこと抜かし取るんじゃ、この腰抜けめ!」

 

信長は口をひん曲げて、顔をずいと立香に寄せた。ただのコスプレ好きな少女に見えても、彼女こそが神秘滅却の大殺戮を成した第六天魔王波旬、ご本人である。こうして迫られると、このまま取って食われそうな威圧感があった。

 

「良いか、マスター。この国は本来、あってはならん国じゃろうが?ならばその財宝も、ここにあって然るべき物ではない!つまり今ここで儂らが持ち出したところで、なーんの問題もないってことだネ!」

 

しかし、その言い分はどう見ても、悪餓鬼の捏ねた屁理屈である。立香は盛大な溜め息をついた後、

 

「……仕方ないなあ。後でこっそり返しておけば、問題ないよね?」

「うむ、その通り。ではさっさとズラかるんじゃ、誰かに見つかる前にな!」

 

――魔王様、もうそれ完全に悪い盗人の台詞ですよね?

そんな突っ込みを入れようとした、次の瞬間。

 

どぉぉぉん!

 

耳を劈く爆発音がして、地震と見紛う大きな揺れがふたりを襲った。窓から外を見れば、北の五稜郭から幾つも火の手が上がっている。

 

「何じゃ何じゃ、敵襲か!?」

「分からない――取りあえず、外に出て状況を確かめよう!」

 

ふたりは部屋を出て、バルコニーへと急いだ。吹き荒ぶ雪風に耐え、手摺から身を乗り出して箱館の街を眺め渡せば、一体どこから湧いたというのか――シャドウサーヴァントと思しき黒い影がそこかしこに蔓延っている様子と、その中を駆け抜けていく軍馬の隊列が幾つか見えた。

 

「……街にたむろしておるのは、魔力で造られた影兵どもじゃな。あの騎馬隊は――む、薩長土肥の兵か」

 

信長はアーチャーというクラスの特性上、気配察知はお手の物だ。天候による視界の悪さをもろともせず、信長は鷹のように鋭い視線でそれらを見抜いてみせた。

 

「薩長……ってことは、新政府軍!?まさか、五稜郭を落とそうとしてるの…?」

「恐らく、そうじゃな。しかし、――気になるのう」

 

言いながら信長は口元に手を宛がい、柳眉を顰めた。緋色の目は何かを検分するように、五稜郭の外壁を睨んでいる。

 

「裏門の守りが、市中や表門に比べて手薄すぎる。あれではまるで、攻めてくれと言っておるようなもんじゃぞ」

 

そこまで言って信長は、はたと思い出した風に立香へ訊ねた。

 

「――先程の男。榎本と言ったか……あれは南蛮に渡り、様々な国の戦を見てきたと言うておったな?」

「うん。オランダ軍に従軍して、実際の戦地を見て戦略を学んだって」

 

「ふむ。……で、あるか」

 

その返答に信長は頷き、険しげに目を細めた。どうしたの、と問う立香に、戦国名うての策士はその先を続ける。

 

「この状況で、厭らしい策士のやりそうな事――そう、例えば“儂なら”どうするかを、考えた。

敵が大挙して多方面から攻めてくるのなら、個々と戦って撃破するより、いっそのこと一纏めにして葬った方が楽じゃろうて。例えば……わざと砦におびき寄せて、集まったところを一網打尽、といった具合か」

「……まさか!一纏めにって、そんなことが――」

 

反論を唱えようとした立香を一瞥する信長の視線は、驚くほどに冷静だった。その全てを見透かす軍師の目に、立香は後の言葉を呑み込んだ。

 

「できるじゃろう。火攻め、水攻め、中に捕り込めたなら後は思いのままじゃ。そもそもそなた、相手を何と思うておる――奴は、聖杯の力を使うのじゃぞ?」

 

冷たい汗が、背筋を滑り落ちていった。立香は即座に踵を返す。

 

「――知らせなきゃ」

「マスター、何処へ行く!」

 

少女は全速力で、建物の階段を駆け下りていく。その背中を追い掛けながら、信長は大声で立香を諭した。

 

「よもやそなた、あやつら新政府軍を救おうなどと考えてはおるまいな?今からでは手遅れじゃ!

儂らの目的はあくまで聖杯を回収する事。新政府軍の助っ人をするのではない。それに下手をすれば、そなたまで危険に晒されることになるぞ!」

「……それでも」

 

立香は足を止めることもなく、まるで自分自身を奮い立たせるように叫んだ。

 

「それでも、知ってしまった以上――このまま沢山の人たちが殺されるのを、見て見ぬふりするなんてできないよ!」

 

それを聞いて、信長は瞠目し――そして、驚きの表情は微苦笑へと変わる。

 

「……全く、そなたは儂にも勝る大うつけじゃ」

 

呆れたように言いながらも、信長の声音にはどこか畏敬じみたものが込められていた。

誰かを信じ、誰かのために命を賭して戦うこと。それは、生前の信長には出来なかったことだ。それをこの娘は、己の半分も生きていないひよっこのマスターは――当たり前のように、それをやって見せるのである。

 

(――これだから儂らは、この娘を放っておけんのじゃ)

 

信長は歩を速めた。先を走っていた立香に追いつき、その横に並びながらこう告げる。

 

「砦の左側から回りこめば、幾分か早く着けるじゃろう。間に合うとは保障できぬが、やるだけの価値はある。露払いは儂に任せい」

 

久々の戦とは、武人の血が滾るわ――そう言って笑う信長に、立香がそっと呟く。

 

「……ありがと、信長様」

「ふん。――ノッブで良いわ、むず痒い」

 

信長は面映ゆそうに目を逸らすと、鼻の頭を軽く掻いた。

 



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【鬼哭血風録~相思相殺~外伝】咲いて、結ばず

いきなりですが、このお話は「鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ捏造コラボイベント】」の番外編です。
二人がまだ人として生きていた幕末の話で、新撰組を一躍有名にした池田屋騒動の辺りの出来事を書いております。実はこの話、Pixivの方では本編よりかなり前に投稿したものでした。土方さんと沖田さん、二人の物語を綴っていく上で、どうしても書いておきたかった根幹的なエピソードです。鬼哭血風録では語りきれなかったふたりの生前の関係の補間として、さらりと読んでいただければと思います。

…と言うかこれもうFateドリフ云々関係ねーだろ!というごもっともなツッコミは無しの方向でお願いします…(汗)

ちなみに沖田さんが女性であるという事は、土方さんと局長、試衛館時代からの知人以外には知られていません。所謂、王道の男装女子設定です。え、声と胸でバレる?…知らんなぁ。
作中、局長(近藤勇)も登場しますが、一応コハエースで彼も登場しているので、そちらに準じたイメージで書いております。といっても資料少ないので捏造成分多いんですけどね…!



奇声を上げて斬りかかる倒幕浪士の残党を薙ぎ倒し、血に煙る階(きざはし)の上へと踏み込んだ長身の隊士は、思わず我が目を疑った。

 

血だまりの中に伏した、勤王志士の斬死体。それに重なるようにして倒れていた一番隊組長・沖田総司の身体を、抱き起こさんとする一人の男――新撰組副長・土方歳三は、酷く取り乱した様子で沖田の名を繰り返し叫んでいた。

 

「……副長!如何なされた!?」

 

昨日まで同じ釜の飯を食っていた同胞を斬り殺し、生きた人間の足に五寸釘を打ち込んでも顔色一つ変える事の無かった、鬼のような冷血漢。敵である尊攘派どころか、身内である筈の隊士までもが、冷静さと苛烈さを併せ持つこの男の存在を恐れていた。

 

それが、どうだ。こちらの気配はおろか、名を呼ばれた事にすら気付いていないような有り様である。前後不覚に陥るほど土方が狼狽した姿など、彼には一度たりとて覚えがない。

 

「総司……死ぬんじゃねえ、総司!!」

「副長、診せてください!」

 

その隊士には、多少ながら医学の知識と心得があった。彼は土方の向かい側に回り、腕の中でぐったりとして動かない沖田の顔を覗き込む。元より色白の肌は死人のように蒼褪めて、まるで生気を感じられない。

女のような痩身に纏う、だんだら紋様を染め抜いた浅葱の羽織――その襟から胸元に至るまでが、鮮やかな緋色に変わっていた。恐らく、夥しい量の血を吐いたのだろう。幸いにして息があるのを確認できたが、その笛の鳴るような呼気音は、重い肺病を患う者のそれに似ていた。

 

「……息はあります、ご安心召されよ」

 

そう告げると、土方は震える声で、そうか、とだけ応えた。血走った暗灰色の目は微動だにせず、血の気の失せた沖田の顔だけを食い入るように見詰めている。

 

――このご様子では、剣など抜けますまい。

 

階下ではまだ尊攘の志士と新撰組が戦っている。土方の参戦を諦めた隊士がその場を去ろうとした時、下から耳を劈くような怒号が響いてきた。

 

「トシ!お前ぇ、何していやがる!さっさと来い!」

 

近藤勇の放った一声。それは土方にとっての活だった。

床の上へと丁重に沖田を寝かせると、刀を取って土方が立ち上がる。その顔はまるで憑き物が落ちたかのように、常の――怖気がするほどの冷徹さを取り戻していた。

 

 

――倒幕志士達の討死十余名、捕縛者二十余名。

対して、新撰組の討死一名、重傷者二名。

 

後に近藤によって洛陽動乱と名づけられたその騒動は、後者の圧倒的勝利で幕を閉じた。

暁を背負い、誠の旗を掲げながら凱旋する新撰組。病魔に蝕まれながらも同胞と共に歩もうとする沖田の傍らには、伴侶の如くその身を支える土方の姿があったという――。

 

 

※※※

 

 

「おう。相変わらず、時化た面ぁしてるな」

 

黒で塗りつぶされた空には、爪痕のような月が輝いていた。襖をがらりと開けて私室へ押し入ってきた無遠慮な兄弟子に、窓辺にいた土方は無言のまま一瞥を向ける。その片手には、酒の盛られた杯ひとつ。役者めいて美しい男が月を肴に酒を嗜む姿は、さながら良く出来た浮世絵の如く様になっていた。

 

「色男が、一人寂しく手酌なんかしやがって。トシ、幾らお前でも、今回は廓で慰めてもらう気にもならねえか」

「……何か言いたい事があるんじゃないのか、勇さん」

 

話を切るように、土方が問う。端正な面には、僅かに苛立ちが滲んでいた。

――そう、急くなよ。大きな歯を見せて笑いながら、近藤は土方に背を向けて胡坐を掻いた。

 

「……松本先生の見立てじゃ、もってあと一、二年ってとこだそうだ」

 

その言葉に、土方の眉がぴくりと動いた。口元へ杯を運ぼうとしていた手が止まる。

 

「このまま行けば、の話だがなあ。大人しく養生してりゃあ、多少は延びると言っていた。まぁ、あいつのことだ。気合いでそれより長く持たすかもしれねえが」

 

土方の顔を見ることもなく、まるで世間話でもするかのように呑気な口調で近藤が続けた。暗い空気にならぬよう、努めてそうしているのだろう。彼は昔から、そういう事には気の回る男だった。

 

「あれは元々、身体が弱い。江戸から遠路はるばる上洛して、男だらけの屯所で素性を隠して暮らすだけでも、相当しんどかったろう。

……どんなに辛かろうと笑って、弱音なんざ死んでも吐きゃしねえような奴だから、気付いてやるのが遅れちまったがなあ」

 

苦く笑って、近藤は一際大きな溜め息を吐く。その片手にはいつの間にか、愛用の通い徳利が握られていた。栓を抜いて中身を一口煽ってから、改めて口を開く。

 

「総司はお前と同様、俺にとっちゃあ家族みたいなもんだ。大事な己の妹が、花の盛りに恋も知らずに散っていくかと思うと、やり切れんものがある。――なあ、トシ」

 

近藤のどこか茶化しているような声音が、不意に神妙なものへと変わった。

 

「総司を抱いて、祝言のひとつでも挙げてやれ」

 

土方は虚を突かれたように絶句し、切れ長の目を見開いて近藤を見遣る。

 

「――なにを、馬鹿な」

「惚れてんだろう、ずっと前から。俺の目は節穴じゃないぞ」

 

投げるような乱暴さで告げると、近藤はここで初めて土方と向き合った。無骨な足を組み直しながら、尋問のように反論の暇を与えず、近藤が弟分を問い詰める。

 

「お前が郷里(くに)で縁談を断っちまったのも、いつまで経っても遊びばかりで身を固めようとしねえのも、全部あいつがいるからだろうが」

 

土方は何も言わなかった。否、正確には――何も“言えなかった”。

近藤が口にした事は全て、図星だった。閉口したまま眉を顰めている土方を、近藤は尚も射抜くような目で見据える。

 

「そんなに大事な女なら、さっさと囲って自分のもんにしちまえばいいじゃねえか。あいつにはもう時間がない。くだらねえ意地なんか張ってる場合じゃないだろう」

「――あいつの誓いはどうなる。あいつは人生を大義の為に捧げるつもりで、女をやめて、俺達とここまで来たんだぞ」

 

血を吐くようにして、土方はやっとのことでその言葉を絞り出した。それは近藤にとって、追い詰められた子供が駄々を捏ねているようにも聞こえたのかもしれない。

 

「……お前、本気でそう思ってんのか?」

 

訊き返す近藤の声には、呆れの色が滲んでいる。

 

「大義の為じゃねえ、トシ、お前の為だ。お前とずっと一緒にいてえから、女の幸せかなぐり捨ててまでついてきたんだろうが」

 

胸に刃を突き立てるような、鋭い一言だった。土方の秀麗な貌が歪む。

 

――分かっていた。ああ、そうとも。分かっていたのだ。

分かっていながら目を背け、見て見ぬふりをしていたのだ。

己自身の想いも、あの娘の想いにも――。

 

「今更だろう。……何もかも、遅過ぎた」

 

齢十の頃から、懐いた仔犬の如く己に付いて回っていた、純真無垢な妹分。

気付いた時には、どうしようもなく惹かれていた。だが――手を伸ばせなかった。触れられなかった。

彼女の存在が、あまりに眩しすぎたから。天真爛漫に咲いた美しい花を、この手で手折って、散らしてしまうことが何よりも怖かった。

 

だと言うのに、結局はその花を多くの血で穢してしまった。

咲いても決して実を結ぶことのない、仇花にしてしまったのだ。

 

もしもここで「ひとりの女に戻れ」と口にしたなら、沖田が土方の為に成してきたことの総てを、他でもない土方自身が否定することになる。

あどけない娘に人を殺めさせ、数多の返り血を浴びることを強いたのは、何の為だった?

無邪気で純粋だった少女を、人斬りの道具に変えてしまったのは――?

 

「もはや、後戻りなどできん。……俺も、総司も、この生き方を曲げられない」

 

土方が、呻くように呟いた。何人たりともこの男の意思を変えることは出来ないのだと察して、近藤はもう一度、深い嘆息を漏らす。

 

「――ったく、どうしようもねえ頑固者だな。お前も、総司も」

 

大仰に肩を竦めてから、近藤は徳利に口を付けて酒を飲み干す。格子窓から覗いていた夜半の月は、いつの間にか雲に呑まれて消えていた。

 

 

※※※

 

 

翌朝、土方は療養所に預けられている沖田を見舞った。

血色は随分と良くなったとは言え、頬の窶れは隠せない。白い夜着の袖から覗く、また一段と細くなったような手首が痛々しかった。

大丈夫か、と短く尋ねた土方に、寝床から半身を起こした沖田はぐっと握り締めた両手で、素振りの真似事などしてみせた。

 

「もう、土方さんも近藤さんも、心配のしすぎですよ!私はほら、こんなに元気です。このところの暑さで、ちょっぴり体調を崩しただけですから」

「ただの体調不良で、血など吐くものか」

 

見え透いた嘘を、と眉を潜めた土方に、沖田は少し困ったような顔をする。

――幾度血を浴びようとも、この娘の心はあの頃と何も変わらず、水鏡のように清らかで美しい。己に心配を掛けまいと気丈に振る舞う健気な妹分に、気の効いた言葉ひとつ掛けてやれない自分が土方は歯痒かった。遊女相手に告げる上辺だけの口説き文句ならば、すらすらと口をついて出てくるというのに。

 

「土方さんこそ、ちゃんとご飯食べてますか?」

 

知らぬうちに渋面になっていた土方を気遣うように、沖田が尋ねる。土方より十近くも年下である癖に、その口振りはまるで、彼の母親か姉のようだった。

 

「幾ら好きだからって、たくあんばっかり食べてちゃダメですよ。それから、お酒に酔った勢いで喧嘩なんかしてないですよね?私がちゃんと傍で見てないと、土方さんは無茶ばかりするんですから」

 

馬鹿奴。こんな時に、俺の心配なんぞしている場合か。

 

保護者ぶって忠告する沖田に、いつもの調子でその脳天へ軽い拳骨でも喰らわしてやりたい気分だったが――相手が病人とあっては、それも儘ならない。

 

「……早く良いお嫁さんを貰って、私や近藤さんを安心させてください」

 

沖田はそう言いながら、儚げな微笑を浮かべた。それが無理して作られた笑顔であるのは、土方から見ても明白だった。

 

――やめろ。そんな顔で笑うんじゃねえ。

 

「総司」

 

俺は、お前が良い。お前が良いんだ。

 

名を呼ぶ土方の声が、あまりにも切羽詰まったそれだったからだろう。沖田は不思議そうに小首を傾げ、土方を見詰め返す。

 

――衝動に任せて、この手を伸ばしていた。

 

 

【~咲いて、結ばず・後編へ続く~】

 




【あとがき】
この番外編の続きは本編のネタバレになってきますので、あちらが完結後に投稿する予定です。少しばかりお待たせすることになりますが、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

史実の土方さんは生涯独身だったそうなので、恐らくドリフ方さんもそうなんじゃないかなと妄想。そこからさらに妄想をプラスして、結婚しなかったのは己の士道を貫くため、というだけでなく、ずっと心に思い続けている好きな女性=沖田さんがいたから、という捏造設定になりました。
沖田さんも土方さんを恋い慕っているわけですが、その子供のような天真爛漫さゆえに、自分自身の想いが恋であるということをはっきりと自覚していない、また薄々感づいてはいても、叶わぬ恋だと分かっているので「家族愛」だと自分自身に言い聞かせている――という状況でした(そのあたりに関しては、本編でも少し触れています)。それがどのように変化していくのかは、本編の方で語られていきます。ふたりの関係が気になる方は、引き続きご覧いただければ幸いです…!



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Act.7 悪鬼咆哮

【唐突な注意書き~必読でお願いします~】

いつも閲覧下さっている皆様、ありがとうございます!
今回は完全に「沖田さんヒロイン回」です。どういうことかと申しますと、(魂が)イケメンな沖田さんを期待、或いは(魂が)イケメンな沖田さんでなければそんなの沖田さんじゃないやい!という嗜好の方には少々、読むのがきつい展開かもしれません…。
以上のことを踏まえたうえで、「大丈夫だ、問題ない」という方のみ、本文へお進みくださいませ!

【おしらせ】
また、当シリーズの外伝として「咲いて、結ばず」を投稿致しました。あらすじにも記載しておりますが、そちらはこの鬼哭血風録における土方さんと沖田さんの生前を描いたものになっております。サーヴァントになる前のふたりの関係がどのようなものであったかを描いておりますので、先に「咲いて、結ばず」の方からご覧になると、展開の咀嚼がスムーズかもしれません…!
ご興味がございましたら、是非ご一読くださいませ。



――ヂギィィィイン!!

 

夜闇に浮かびあがる雪原に、鉄(くろがね)を打ち合う音が冴え冴えと響き渡った。白雪に映える赤と黒、二騎のサーヴァントは、互いに一歩も引かぬ攻防を繰り広げている。

豊久の大太刀による奇襲じみた跳び込みを、対する土方は打刀脇差、二本の刀で上へ滑らせるようにして捌き、刀の柄元を蹴り上げて跳ね退ける。雪上に片手を突いた豊久は、即座に大太刀を横薙ぎに振るって土方の足元を狙った。土方はそこに下段の太刀を合わせてから後方に飛びずさり、すかさず二刀を中段に据え、突撃の構えを取る。

彼らの剣速は既に、人の領域を超えていた。剣に生き、剣に死した英霊同士の戦いであれば、さもありなん、と言った所だろう。

 

「死ね、島津ぅッ!!」

「……おおおぉぉぉッ!!」

 

――ぎぎぎぎぎぎィィッ!!

 

二刀を重ねての突進に、豊久は八双に刀を構え、真っ向からぶつかった。合わせた刀から跳び散る火花が、夜の雪原を一瞬、真昼の明るさに変えるほどの激突だった。刀を交えたまま、土方が豊久を後方へ凄まじい膂力で押していく。移動するふたりの身体が深雪を削って、彼らが通った後に掘り返したような一本道を作り上げた。

豊久の背後に、冬枯れた桜並木が迫る。豊久は大木に足を掛け、それをバネにして土方の刃を押し退けた。バランスを崩した土方の腹を蹴り飛ばし、豊久は大太刀を横薙ぎに振るう。その一閃を背面で交差させた刀で受けざまに身を翻し、遠心力を乗せて脇差を豊久の頭部目掛けて投げつけた。大木に突き立った刀身が縫いつけたのは――髪一筋。追撃を転がって躱しながら、豊久は土方との距離を取る。再び、両者の睨み合いが始まった。

 

「今回は、あの“まやかし”は使わんとか。手ぇば抜かれっどは、好かんど」

「抜かせ、この“いかれ”が」

 

――オルテで散々俺を虚仮にした貴様が、何を言う。

以前と変わらず挑発のような口を利く豊久に、土方が鼻を鳴らして一蹴した。双方共にあれだけの大立ち回りをしたにも関わらず、息一つ乱れていない。

 

「だが――貴様がそうまで言うなら、冥土の土産にもう一度、見せてやる」

 

ゆらり。

豊久に向かい刀を突き出す土方、彼の纏う空気が不意にその密度を増した。彼の全身に纏わりつく白い靄が、怨嗟に満ちた人の顔を作ってはまた、形を崩す。それはさながら、質量のない粘土細工のようだった。

 

「――行け」

 

土方の声に応えるかの如く、不定形だったそれらが明確な人型を取った。髷を結い、刀を構える武士たちの纏う羽織には、白染め抜きの誠一文字とだんだら模様。

死して尚、鬼の副長に殉じる御霊衛士。空中を自在に移動できる彼らは、四方から一斉に豊久へと斬り掛かった。山攻撃破剣――新撰組が最も得意とした、多対一で囲んで叩く集団戦術である。

 

「むんッ!」

 

しかし、彼らと交戦経験のある豊久はあくまでも冷静だった。襲いかかる亡霊たちを幾ら刻んだところで、意味がない。ならば防戦に全力をつぎ込むだけだ。

躱す、受ける、躱す――。矢継ぎ早に迫る無数の刃を紙一重で避け、縦横無尽の太刀筋が弾き返した。躱しきれなかった最後の一撃が、豊久の頬に裂傷を刻む。それでも、豊久の顔色は変わらない。ニヤリと口端を吊り上げて刀を振るえば、目の前を覆う靄が切り裂かれた。

――が、その時。四散した靄の向こうから、大きな人影が飛び出してくる。鉛色の瞳が、僅かに見開かれた。

 

「これが俺たち、新撰組だ――…!」

 

眼光をぎらつかせた土方が、振りかぶった兼定を袈裟掛けに斬り下ろす。豊久は刀身を振り上げ、間一髪、頭上で土方の一撃を受け止めた。歯を食いしばる薩奸の首目掛け、土方は押し潰さんばかりの勢いで刃を押し込んで行く。

 

ギヂッ、ギィィィィンッ!!

 

刀が撓り、鎬が弾ける。突き返しは成功したものの、その反動で豊久の身体は遥か後方へと吹き飛ばされた。

積雪の上に転がった豊久に、駆け寄ってくる足音があった。

 

「――何事ですか!?」

 

驚いたような声と共に、線の細い手が豊久の背中を支える。膝を突いて立ち上がると、豊久は平然とした顔で相手の名を呼んだ。

 

「おう、沖田か。主ゃも無事、切り抜けたようじゃの」

 

たった今斬り飛ばされてきたというのに、この男は笑っている。やっとのことで合流を果たした沖田だが、今が気の抜けない状況だと察しているのか、その表情は険しかった。

豊久の姿を眺め、大きな負傷がないことを確かめる。安堵の息を吐いた後、沖田ははっとなって豊久の背から手を離した。休戦協定を結んだとは言え、相手は憎き薩摩者である。ほんの束の間でもこの男の心配をした自分が、信じられなかった。

 

「こほんっ!……そんな事より、あなた一体誰と戦っているんです。敵のシャドウサーヴァントですか?」

「……そいがまあ、何じゃ」

 

豊久が珍しく、言葉尻を濁した。その様子を見て、沖田は怪訝そうに眉根を寄せる。返事を急かす言葉を口にしようとした瞬間――鎌鼬のような剣閃が、ふたりを襲った。

 

「くぅっ!」

「ちぃッ」

 

二者は左右に分かれるように飛びずさり、迫り来る剣風を躱した。着地した沖田は、直ぐさま辺りに警戒の視線を馳せる。たった今までふたりがいた場所は、大地が口を開けたように深く抉れていた。

 

「……逃がさんぞ、島津ゥッ!」

 

猛烈な吹雪の中、黒い外套がはためいていた。癖のある髪を振り乱し、刀を提げて揺らめく長身は、まるで影の怪物のようだ。

 

(シャドウサーヴァント?……否、これは――!)

 

相手の身体から放たれる魔力が、痛いほどに肌を刺す。今までの影兵たちとは、桁違いの強さだ。沖田は菊一文字を抜いて、素早く身構える。

 

「何奴!?」

 

沖田の声に、黒外套の男は動きを止めた。舞い飛ぶ粉雪から垣間見えたその姿に、男――土方は目を眇める。

 

「……女?島津の手先か」

 

よく見えない。目を凝らしながら、土方はじりじりと沖田の方へと近づいた。いつでも斬り込めるよう、霞の構えを解かぬままに。

 

――だが。

 

「―――ッ!!?」

 

土方の目が、驚愕で見開かれた。薄い唇が戦慄く。

 

「その淡い髪の色、浅葱の羽織。……まさか、そんな……あり得ん、こんなことが」

 

その声は震えていた。土方は刀を持たぬ方の手で顔面を覆った。夢か、それとも幻かと頭(かぶり)を振る。

吹雪が一時止んで、視界が晴れた。土方の目に映るその姿は、紛れもなく――。

 

「――総、司」

「土方、さん……!?」

 

見紛う筈がない。見忘れる筈がない。開いたままの唇が、かつて己の手を擦り抜けて逝った女の名を呼んでいた。

沖田もまた、剣を構えた両手を震わせて、信じられないものをみるような面持ちで土方を見詰めていた。驚嘆と狼狽、懐旧、そして――慕情。あらゆる感情を綯い交ぜにして、琥珀の瞳が揺れている。逢いたかった、と、小作りな唇が微かに動いた。

 

「総司、……本当に、お前なのか」

 

お前もまた、この世界の何者かに――喚ばれたのか。

二度と逢えぬ、触れられぬものと思っていた、愛しい女。桜のように儚く散って行った、幸薄き妹弟子。それが今、目の前に現れた。あの時と何一つ変わらぬ、凛として美しい姿のままで。

存在を確かめるように、土方は手を伸ばして沖田の顔に触れようとした。――しかし。

 

「――ぬぅぅッ!?」

 

ギャキィィィッ!!

土方は咄嗟に刀を構え直したが、衝突の勢いを殺しきれない。豊久の奇襲を受けて、今度は土方が大きく後方へ吹き飛ばされた。

その光景を目の辺りにして、沖田が悲鳴のような声を上げる。

 

「土方さん!?」

「沖田。すまんが――」

 

沖田に背を向けたまま、豊久が言った。ヂギ、と鍔を鳴らして再び八双に構え、雪上を蹴る。

 

「主ゃの男ん首ば、取る」

「――ま、待ってください!!」

 

動揺も露わに手を伸ばし、追い縋ったが、放たれた弾丸の如く駆ける薩摩男児には届かなかった。起き上がろうとしていた土方に、豊久が飛びかかる。そのまま馬乗りになって、兜割りの要領で振り下ろされる刀の柄。身を捻ることでそれを避けると、土方は豊久の脇腹に向けて膝蹴りを喰らわせ、雪に塗れながら立ち上がった。

 

「……ふっ、…はは、はははッ――」

 

土方の口から零れたもの、それは乾いた哄笑だった。歪に引き攣った笑顔には、隠しようのない狂気が滲んでいる。

 

「通りで、いくら呼んでも俺のもとへは来やがらねえはずだ」

「ひ、土方さん……?」

「――寄るな!」

 

身を案じて駆け寄ろうとした沖田に、土方は兼定の切っ先を向けた。妹弟子を睨み据えるその瞳には、底の知れない憤怒と憎悪が込められている。その形相に気押されて、沖田はその場から一歩も動けなくなった。

元より、隊の為ならどこまでも冷酷になれる人だった。かつての同胞であっても、眉ひとつ動かさずに斬れるような人だった。だが今の土方は、沖田が生前に見た事の無い――“本物の”鬼の貌をしていた。

 

「――お前も薩摩と通じて、この俺を、……新撰組を裏切るか、総司ィィィッ!!!」

「ち、……ちがう……!」

 

それは咆哮と呼ぶに相応しい、魂の叫びだった。

頭を鈍器で殴られたような衝撃が、沖田を襲う。全身が震えて、まともに立っていられない。視界が傾いた。ヂン、と音を立てて、愛刀がその手から零れ落ちる。

 

「ちがう……これは、ちがうんです、土方さん!!」

 

沖田は駄々を捏ねる子供の如く首を振った。血を吐くときの何倍も、胸が痛む。脳に響くほどに動悸がして、肺が潰れでもしたかのように息苦しかった。

 

――裏切り者。

 

誰にどんな誹りを受けようと、己の信念が崩れることはないと思っていた。だが、他ならぬこの男に――誰よりも傍にいたかった兄弟子から告げられたその言葉は、人斬り・沖田総司の平静を保たせていた、大事な何かを壊してしまった。

 

「……ちがうんです……」

 

うわ言のように呟く沖田の胸に、なけなしの理性が囁きかける。

一体、何が違うというのか。己がここに来たのは、同じ旗を掲げる同胞であった旧幕府軍を、敗北させる為ではないか。それが幕臣・新撰組にとっての裏切りでないと、どうして言えよう――。

沖田の痩身が、がくりと膝からくず折れた。見開かれた瞳から、大粒の涙が込み上げてくる。

このままこのひとに斬られてしまえば、どんなに楽か。迫る土方の剣先を虚ろな瞳で見詰める沖田は、完全に戦う意思を失っていた。

 

「一つ、士道ニ背キ間敷事。せめて、俺の手で介錯してやる。総司――…」

 

――お前を、薩奸どもの手に渡すぐらいならば。

雪の上に座り込んだまま微動だにしない妹弟子に向けて、土方は刀を振りかぶった。

断頭台の刃の如く、落ちてくる白刃。自ら首を差し出すように、沖田はそっと目を閉じ俯いた。……しかし。

 

「――沖田は、主ゃの女(おなご)じゃったか」

 

ギンッ!

 

降り下ろされた刃は、豊久の大太刀によって受け切られていた。

ニィ、と口の端を持ち上げると、豊久が低く告げる。

 

「今の貴様は――女房ば間男に寝取られた、亭主んごた顔ばしちょっど」

「き、……ッさ・まァァァァッ!!!」

 

役者のように涼やかな貌が歪み、秀でた額に血管が浮き上がる。土方はこの時、逆上のあまり我を忘れた。力任せに刀を振るい、受け太刀の豊久に反撃の暇も与えぬ勢いで二の太刀、三の太刀と、立て続けに攻撃を浴びせかける。

 

「島津、島津……シィィィマァァァァヅゥゥゥゥゥゥッ!!!」

 

――怒れる悪鬼の吼え声が、箱館の夜気を震わせた。

 




ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でした!ということで、今回は完全に沖田さんヒロイン回でした!
俺の(私の)沖田さんはこんな女々しい女じゃないわい!とお嘆き&お怒りの方がいらっしゃいましたら、土下座しておきます…ごめんなさい。ただ、あくまでわたしの中の沖田さんは、こういう弱い――女性らしいナイーブな側面を持っていてもいいんじゃないかな、と思っております。ぴんと張り詰めた刃は、その分折れやすいと言いますよね。沖田さんは、正にそんな感じなんじゃないかなと。強いようでいて、本当に大事な部分を打たれると簡単に折れてしまう…そんなわたしの中の沖田さんイメージを描いたのが、今回の作品でした。おひとりでも共感してくださる方がいらっしゃいましたら、とても嬉しく思います。

土方さんも、原作様の中で沖田さんや近藤さんたちが自分の元へ来てくれないと嘆いていましたね。その辺りからして、精神的には気にしいというか、割と打たれ弱い人なのかな?とわたしの中では思っております。その結果、今回のお話ではお豊サンに煽られてまたしてもブチギレ方さんになってしまいました(汗)でもそんな土方さんがわたしは大好きです。

そして、お豊サン!薩摩弁だけでなく、動かすのがとっても難しいです。でも楽しい。
沖田さんと土方さんが話してる所に首狩りに行く辺りは、ただ単に空気読まないで首取りに行っただけなのか、或いは、沖田さんに土方さんを斬らせるのは酷だから、自分が代わりにやってやろう…と出て行ったのか。その辺は読者様のご想像にお任せしようと思います。
何と言うか、お豊サンはこういう“内面の想像がつかない”ところが面白いキャラクターだと、自分は思っておりまして…あえて明確な答えは出さないでおきたいのですよね。…という、以上、行き当たりばったり字書きの逃げ口上でした(笑)


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Act.8 冥府魔道

少女は、走った。息が切れ、心臓が張り裂けそうになっても尚、止まることなく走り続けた。

少女――立香の前方に立ち塞がろうとするシャドウサーヴァントを火縄銃で撃ち抜きながら、後衛の信長が叱咤激励を飛ばす。

 

「もうじき、裏門が見えてくる筈じゃ!マスター、気を抜くでないぞッ」

「うん、分かってる…ッ!」

 

雑木林を抜け、ふたりは開けた場所に出た。軍馬の嘶きに、刃を交わす音が聞こえる。既に五稜郭裏門における攻城戦は始まっていた。

裏門橋を落とされる前に獲った新政府軍は、そこから一気に攻め込んでいく。新型の洋式大砲が火を噴いて、破壊された門や城壁から、次々と兵士たちが五稜郭へと侵攻した。

 

「まずい……急いであの兵士たちを止めないと!」

「そうじゃな――って、いきなり戦場に出ていくな、この馬鹿者ッ!?」

 

立香は信長の制止も聞かず、陣営の中に飛び込んで行った。放って置くわけにもいかず、信長は苦い顔をしながらそれを追い掛ける。

槍を持った兵が走り、大砲や銃弾が飛び交うその只中で、立香は喉が枯れんばかりに声を張り上げた。

 

「お願い、みんな止まって!これは、罠だ!!」

 

しかし、当前と言うべきか。少女の声は虚しくも轟音に掻き消され、足を止めて話を聞く兵士など誰もいない。

 

「戻れ、立香。こうなってはもう、何を言っても無駄じゃ」

 

立香の腕を掴んだ信長が、無理矢理戦場から退こうとした――その時だった。

 

「おい、そこな娘!罠とは、どういうことじゃ!?」

 

立派な軍装を身に付けた大柄な男性が、馬上からふたりを見降ろしていた。おそらく軍の大将格だろう。薩摩訛りの強い喋り方が、どこか豊久を思わせる。

 

「どうか今すぐ、兵を五稜郭から退かせてください!敵は建物の中に大量殺戮の兵器を持っています。このままじゃ、中に入った人たちが危ない――!」

「何じゃと…!?」

 

立香の悲痛な叫びに、男は動揺した様子だった。信用に値するかどうか、厳めしい目が推し量るように少女の顔を伺っている。そして、

 

「実は俺も、こげんまで護りの兵子ん少なかとは、聊か妙じゃ思うちょった。……分かった、お前たちん言うことば信用す」

 

その言葉に、立香は信長と顔を見合わせ、安堵の声を漏らした。大将らしき男は前に進み出て、戦場全てに轟くような大声で号令を出す。

 

「――全軍、退けい!敵は鏖殺兵器ば持っちょる!五稜郭ん中におる兵は全員、直ちに堀ん外まで退けい――ッ!!」

 

その声を聞いて、兵士たちが一様にざわついた。号令を掛けた男は、余程彼らに信頼された将なのだろう。皆が命じられた通り、続々と五稜郭内からの退避を始める。――が、しかし。

 

「奴らめ、撤退に気付きおったか――来るぞッ、マスター!!」

「な……!?」

 

信長が立香を庇うように、その身を外套の中に引き込んだ。刹那、天上がオーロラの如く白んだかと思うと、五稜郭の城壁、その五つの角からそれぞれ光の柱が出現した。

ぞわりと、全身の肌が総毛立つ。恐ろしく強大な魔力が、五稜郭を中心に膨れ上がっていくのを立香は感じた。身体の全感覚が、この力は危険だと警告を発している。

鮮やかな紫色に輝く光柱が天に向かって一直線に伸びていき、上空に巨大なひとつの紋様を描き出す。

それは――五芒星(ペンタグラム)。魔術王ソロモンの魔法印。

 

瞠目する立香たちの前で、新たな異変が起こった。

五稜郭を包み込むようにして紫色の濃霧が立ち込める。その霧に触れた兵士たちは、途端に悲鳴を上げて悶絶し始めた。倒れ、苦しむ人々の全身が、有り得ない速度で腐り落ちていく。

まるで逃げる者を追うように広がっていく霧から脱しようと、混乱した兵士たちは凍った堀へと飛び込んだ。表層の氷が割れて、氷点下を下回る堀の水は、兵士たちの命を奪う凶器と化す。また、一度に人が殺到した裏門橋から弾き出され、落下する者が続出している。

 

――戦場は瞬く間に、阿鼻叫喚の地獄と化した。

 

「な、なに、……これ!?」

 

立香は蒼褪めた顔で、その地獄を凝視している。これまでに幾つもの戦を見てきた立香だが、この凄惨な光景を前に狼狽を隠せない。驚きと憤りで、声が震えた。

 

「儂にも分からぬ。じゃが、あれの気配に近い物に、儂らは何度も対峙しておる」

「――まさか」

 

答えた信長、その言葉に立香は思い当たるものがあった。考えたくはないが、聖杯絡みの事件である以上、決してあり得ぬ話ではない。

 

「それって、魔術王ソロモンの――」

「然り。あの魔力、魔神柱のそれと瓜二つじゃ」

 

立香は固く拳を握り込んで、唇を噛んだ。今まで何度もソロモンの息の掛かった連中と対峙してきたというのに、相手を甘く見積もっていた己の愚かさ、そして、碌な対策も練らずに特攻してしまった浅はかさを悔いた。

 

「……ここまで来たのに、みんなを……救えなかった」

「阿呆め、今はそんなことを言っとる場合か!」

 

項垂れる立香を、信長がぴしゃりと一喝した。横っ面を叩かれたかのように、立香がはっと顔を上げる。

 

「ここにいては全員、巻き込まれるぞ。流石にこの箱館全土を死の都にするつもりはあるまい――市外まで撤退じゃ!」

 

信長の言葉に、立香が頷く。幸いにして、魔力の霧が広まる速度は、人が走るそれよりも遅い。

傍らの大将も、どうやら同じ事を考えていたらしい。駆け出した少女たちに続いて、彼もまた残兵を率いて軍馬を駆った。

走りながら、立香がつと背後を振り仰ぐ。夜空に描かれた魔方陣は、彼ら卑小な存在を嘲笑うかの如く妖々と輝いていた――。

 



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Act.9 血煙戦線

「……だめだ、念話が繋がらない」

 

肩で息を整えながら、立香が言った。

 

「沖田とお豊、ふたりともか?」

 

信長は眉を顰めて立香に問う。その質問に、立香は黙って頷いた。

――ふたりは今、五稜郭南東に位置する小高い丘陵まで逃れていた。箱館の市街地を一望できるここからならば、異変があればすぐに見極めることができる。

漸く落ち着いた所で、立香は逸れたままの沖田、豊久と合流しようと念話による通信を試みた。しかし、何度語り掛けても彼らからは一向に応答がない。状況も状況である、これはふたりの身に何かあったと考えざるを得なかった。

 

「ノッブ――ふたりの気配を感じ取れない?」

「既に今、やっておる。………むッ!?」

 

ぴくりと、信長がその片眉を跳ね上げた。何かを察知したらしい。立香の表情に緊張が走る。信長は微動だにせず、箱館の街のある一点だけを険しい顔で注視していた。

 

「……マスター、あそこじゃ。五稜郭の正面、あの場にサーヴァントの気配を感じる。一騎、二騎、――いや」

 

信長の額から、一筋の汗が伝った。いつも泰然と構えている第六天魔王が、明らかに動揺している。

 

「三騎……!!」

「なっ!?」

 

立香の顔色が変わった。共にここへ訪れたのは、沖田、豊久、信長の合わせて三騎。その信長がここに居る以上、もう一騎、別の英霊がこの時代の何者かによって召喚されているということになる。

 

「もしかして、敵側に召喚されたサーヴァントがそこにいるの!?」

「状況からして、そう判断するのが妥当じゃな。味方の英霊とは考え難い。

三騎のうち二騎からは、剣気を感じる。クラスはセイバー……これは恐らく、お豊と沖田じゃな。して、あとの一騎は――」

 

信長が口を引き結んで、分かりやすい渋面を作る。

 

「……あの竜の魔女や監獄塔の伯爵と、毛色が同じじゃ。それもこの世の総てに対して、桁外れの悪意を振り撒いておる。これではまるで、修羅か悪鬼よ」

「アヴェンジャー!?それじゃあ沖田さんと豊久さんは、今その相手と……?」

「うむ、交戦しとる可能性は高い。……マスター、如何にする?」

「そんなの、決まってるじゃないか!」

 

立香は身を乗り出して叫んだ。散々走りまわって、疲労はかなり蓄積している。しかし、だからと言って仲間ふたりを見捨てるという選択肢は、彼女には端から無かった。

 

「ふたりを助けに行こう。ノッブ、まだ戦える?」

「――ふん、答えるまでもないわ。この儂を誰じゃと思うておる!」

 

高飛車に胸を張ってみせる天下人は、何とも頼もしいものだった。しかし、その後で付け加えられた一言というのが、

 

「沖田に貸しを作って、後で期間限定ハーゲン○ッツを全種類奢って貰うのじゃ。うははは!」

 

――そんな安っぽい覇道でいいのか、第六天魔王。

マスターの残念なものを見るような視線さえもろともせず、信長は腰に両手を当て、哄々と笑っていた。

 

 

※※※

 

死角から斬り込んできた亡霊隊士の刃が、豊久の脇腹を掠めた。バランスを崩したその機を狙って、他の隊士たちが一斉に諸手突きを繰り出し、仇敵を串刺しにせんと襲いかかった。豊久は刀を正面に横構えにし、弁慶の如く複数の突撃を仁王立ちで受け止める。防ぎきれなかった剣先の幾つかが、豊久の小手や草摺りの一部を弾き飛ばした。

攻撃を終えた隊士たちが煙のように消え失せて、豊久だけが残った。頑強な身体に刻まれた無数の刀傷が、敵の猛攻が如何に容赦ないものであるかを物語っている。

 

(こいはちと、面倒なことになったの)

 

額から滴り落ちてくる血が、瞼に掛かる。それを手の甲で乱暴に拭いながら、豊久は大太刀を正眼に構え直した。

互いに一歩も引かなかった剣豪同士の戦いは、今や豊久の防戦一方となっていた。彼らの戦況が明確に変わったのは、あの瞬間――突然、五稜郭の真上に奇妙な紋様が浮かび上がり、輝き出してからだった。力も、速度も、感覚も、土方や亡霊隊士の能力全てが強化されている。あの光は所謂、敵方の“神風”なのだろうと、豊久もまた漠然とそれを理解していた。

 

単に一対多数戦というだけならば、乱戦に慣れた豊久に分がある。しかし何人斬っても敵が減らぬとあれば、話はまた変わってくる。更に敵の将は、確実に豊久の首を取るつもりで襲いかかってくるのだ。連携の行き届いた囲い込み戦術を前に、反撃の暇はまるで与えられなかった。

オルテでの戦の時のように、今の豊久にはドワーフ、エルフ衆の後援はない。唯一、戦力として期待できる沖田は――既に戦う気力を失くして、雪の中に座り込んだままだ。戦況は最悪、と言ってもいいだろう。

 

「――万策尽きたか、島津」

 

殺気を纏うその身を陽炎のように揺らしながら、土方が一歩、また一歩と距離を詰める。ぎらりと獰猛に光る刀身は、死神の鎌の如し。

 

「元から俺は、策なんぞ使っちょらん。謀(はかりごと)ば考ゆっとは俺でんなく、信じゃ」

 

豊久は今、圧倒的に不利な状況へと追い込まれている。それが分からぬほど、うつけではない筈――だというのに、この期に及んで豊久の目はまだ諦めてはいなかった。元より島津豊久という人間は、己の生に固執していない。生きていながら、死んでいるのである。だからこそ、この男は強い。

“喧嘩というものは、始める時に自分の命はないと思う事だ。そうすれば必ず勝てる”――それはかつての土方が、信条としていた言葉だ。それを己以上に体現して見せているのが他ならぬこの薩奸だとは、皮肉にも程がある。土方はぎりりと奥歯を噛み鳴らした。

 

――オルテでは、こいつの刀を折った。確かにあれは、俺の勝ちだった。だが、勝ったという実感がまるでない。将としても、戦士としても、こいつの手の内で踊らされたという敗北感だけが、胸中で澱のように蟠っていた。

 

しかし、今度こそは。

 

「死ね、島津ゥッ!!!」

 

確実に首を取る。土方の一声に応えて、亡霊隊士たちが具現化した。指揮するように土方が刀を振るえば、彼らは豊久を取り囲むようにして陣取り、中空から刀を振り下ろす。生身の人間では有り得ない位置から斬り下ろされる無数の刃は、見切りが困難。豊久はダメージ覚悟で前に飛び出し、一点突破に集中しようとした――その時だった。

 

「――撃てぃッ!!」

 

ズパパパパパッ!!

 

撃ち込まれた複数の鉛弾が、亡霊隊士たちに悉く命中した。煙となって四散する隊士の向こう側、小柄な人影が立っている。

 

「種子島――信か!?」

 

僅かな驚きを込めて、豊久が問う。彼が知る尾張のうつけとよく似たしたり顔で、赤外套の少女が笑った。

 

「いかにも、――儂じゃ!!」

「豊久さん!大丈夫!?」

 

信長の背後からマスター・立香が顔を出す。その不安そうな眼差しに、豊久はニッカリと歯を見せて笑い返した。

 

「俺は無事じゃ。じゃっどん――」

 

ちらりと背後を見遣る。そこには、心ここに在らずといった様子の沖田が、呆然と上を向いたままへたり込んでいた。

 

「沖田さん!?どうしたの……!」

「マスター、下がっておれ!まだ戦闘は終わっておらぬ!」

 

沖田の元へ向かおうとした立香を言葉で制し、信長は二丁の種子島を両手に構えた。その照準を合わせては、豊久に問いを投げる。

 

「お豊、敵はそこな戎服の男か?何やら、妖しの術を使うようじゃの」

「おう。信、援護ば出くっか?」

 

豊久の言葉を受けて、彼女は然りと頷いた。

 

「雑兵は儂に任せい、蹴散らしてやろうぞ。そなたは敵将のみを斬ればよい!」

「――頼むど、信!」

 

言って、豊久は刀をぐっと握り直す。足幅を広く開き、腰を落としたその斜構えこそ、タイ捨流独特の甲段の構え。そこから走り込んだ豊久の身体が、獲物に飛びかかる虎の如くに跳躍した。

 

「……火縄銃、オルテの時と同じ戦法だな。だが――新撰組(おれたち)を、舐めるなよ」

 

土方は豊久の飛斬りに備えて刀を構えながら、彼の後方に亡霊隊士を展開する。土方率いる新撰組の亡霊たちは、鳥羽・伏見の戦いに於いて、命中精度・破壊力共に種子島よりも格段に進化したミニエーの銃雨の中ですら、生き抜いた精鋭達だ。射手の位置さえ分かっていれば、それに対応出来ぬ筈がない。

彼らの標的は無論――射撃手たる、信長。四方からの斬撃が、銃を構える魔王の両腕を大きく斬り裂いた。血飛沫が舞い、傾国の美姫と見紛う女武将の貌が苦痛に歪む。

 

「ちィ――こやつら、銃に慣れておるわ!」

「ノッブ、耐えて!!」

 

立香の右手が、燐光を放つ。回復の術式――信長の腕に負った刀傷が、瞬く間に癒えていった。

 

「――小娘。貴様が頭か」

 

それを見た土方は、部下たちの狙いを立香へと切り替えさせようとした。指揮官たるマスターを叩けば殆どのサーヴァントを無力化できるということを、彼は理解しているのだろう。――が、しかし。

 

「土方ァ!」

「ぐぅッ!!」

 

一寸早く、土方の元へと辿りついていた豊久がそれを許さない。大きく振り被った袈裟斬りが、振り上げられた兼定と衝突する。凄まじい剣圧によって、周囲の大気がビリビリと揺れた。

 

「貴様(きさん)の相手は、この俺じゃ!」

「手前ッ…!!」

 

全体重を乗せた豊久の一撃に、土方は押されていた。先程まで追い詰められていた筈の男が、魔力によって増幅された土方の身体能力さえも凌駕しようとしている。有り得ない話だった。

 

「…いい、加減…、ッ……くたばれェッ!!」

 

土方は暗灰色の瞳に憤怒を燃やして、豊久の刀を突き返す。弾かれて後方へ飛びずさった豊久は、土方による追撃の横薙ぎを大太刀で捌き、そのまま幾度も切り結んだ。

距離を保ちながら、亡霊隊士を銃弾で撃ち倒していた信長は、その戦況を見て眉間に皺を寄せた。

 

「――むぅッ…」

 

信長は既に、宝具――『三千世界(さんだんうち)』を解放する準備を、整えきっていた。しかし、ここに来て大きな問題が浮上したのだ。

即ち、射程。信長のそれは、広範囲に渡って銃弾の雨を降らせ、戦場の敵を一掃する対軍宝具である。このままあのアヴェンジャーに撃とうとすれば、前線で戦っている豊久と付近にいる沖田を、その銃撃に巻き込む事になってしまう。

 

「マスター、あのふたりを後ろへ下がらせい!このまま儂の宝具を撃てば、やつらも一緒に蜂の巣になるぞ!」

「わかったッ――豊久さん、沖田さんッ!一旦、こっちへ下がって!」

 

立香の言葉に、豊久は思いの外機敏に反応した。鍔競り合う土方の胴を蹴り上げるなり、怯んだ隙に背後へ跳んで後退する。だが、事は順調には進まなかった。

 

「……沖田さん?」

 

沖田からの反応がない。立香は何度も声を掛けたが、応答どころか、指の一本たりとも動かそうとする気配がない。その瞼は開かれているにもかかわらず、彼女の瞳は何も見てはいなかった。

 

「駄目だ。私の声、届いてない!」

「何じゃとッ、……あンの馬鹿娘が……ッ!」

 

焦燥を露わにして、信長が唇を噛む。こうなれば身体のどこかに一発掠り弾をくれてやって、無理矢理にでも沖田の目を覚まさせるしかない――彼女がそう判断した、その時である。

 

「――沖田ァ!しっかりせいッ!!」

「……ッ!?」

 

怒号と共に、豊久の腕が沖田の背後に伸びた。その手が白い襟首を引っ掴むと、力任せに立香たちの方へと投げ飛ばす。

ずささ、と雪飛沫を上げながら、沖田の身体が止まった。漸く己を取り戻したように目を見開いた彼女を抱き起こし、信長が叫ぶ。

 

「お豊ッ!!」

 

豊久の背に、土方の刃が迫っていた。振り向きざまに受けようとするも、土方の剣が幾分速い。豊久の大太刀は薙がれた刃に弾き飛ばされ、その刀身が雪の上に突き刺さった。

 

「信!このまま俺ごと撃て!」

 

後ろへ下がらせた信長の意図を、彼もまた察していたのだろう。豊久は振り返ることなく彼女に叫ぶ。

 

「何を言う、それではそなたが――!」

「よか!!」

 

豊久の声には、ひとかけらの惑いも躊躇もない。信長はその声に気押されて、後の言葉を失った。

 

「……ええい、儘よッ!!」

 

己の迷いを振り切るように、信長が跳んだ。天女のように中空で留まる少女の背後に、数多の火縄銃が具現化し、不可視の使い手が居るかのように整然と列を組む。その鉄砲の数――実に、三千丁。

魔力の高まりはその身に絡み付く焔となって現れ、曼珠沙華を思わせる緋の外套が、蝶羽の如くはためいていた。

 

「宝具、開帳――!」

 

人の身でありながら、災厄の化身と恐れられたその女――第六天魔王波旬が、厳かにその口を開く。構えられた種子島が、一斉に敵陣へとその銃口を向けた。

 

「――刮目し、とくと見よ。これが魔王の『三千世界(さんだんうち)』じゃあ!!」

 

ドドドドドドドォッ!!!

 

魔力で生み出された種子島三千丁の一斉射撃が、文字通りに火を吹いた。長篠の戦で当時最強と謳われた武田の軍を打ち破った、疾風怒濤の三段撃ち――銃口から炎と共に撃ち出された鉛玉が、流星雨の如く土方へと襲いかかる。

 

相手が騎馬隊であれば、確実に殲滅。そうでなくとも弾一発でバズーカ並みの威力を持った、天魔の銃撃雨である。これをまともに受ければ、如何なる剛の者とて立ってはいられまい。

であると言うのに――八方より迫る銃弾を前にしても、土方の表情に変化はない。僅かに切れ長の目を細めては、

 

「馬鹿奴。……二度も、同じ手は食わん」

 

呟いて、土方は愛刀兼定を天に翳すように振り上げる。

 

――ず、ずず……ッ!!

 

復讐鬼の背後に、黒く、巨大な影が立ちこめた。影は急速に密度を増し、或るものの形を成す。ライフルカノン砲を船首に備えた三本マストの洋式軍艦(コルベット)が、圧倒的な質量を持って立香たちの前に現界した。

その数、三艦。蟠竜、高雄、そして、回天――かつてその男が、宮古湾の死地にて伴った“戦友”たちである。

 

「……宝具、開帳――」

 

立香は戦慄した。息が詰まる。単にその宝具の見てくれに気押されたのでは、決してない。底知れぬ負の魔力が、そこに凝縮されていた。言わば、敵意と殺気、そして怨嗟が、戦艦の形をとったもの。それがこの、アヴェンジャー・土方歳三の宝具だった。

 

「……死ね。ただただ、死ね。我らの怒り、憎しみ、灰塵と散って思い知れ――『接舷交戦(アボルダージュ)』!」

 

土方の刀が、号令のように降り下ろされる。大地を揺るがす轟音と共に、ライフル砲、ホイッスル砲、そして50斤ライフルカノン砲の一斉砲撃が、夜の闇を引き裂いた。

その様は太陽を落とした女傑、フランシス・ドレイクの宝具と酷似していたが――近代砲元来の高い攻撃性能に聖杯の魔力を上乗せされたその火力は、桁外れの破壊力を有していた。

信長の放った三千世界の弾丸を呑み尽くしても武装艦隊の弾雨は止まらず、着弾した砲弾が広範囲に渡って灼熱を撒き散らす。

 

「何じゃと――儂の三千世界が…!!」

 

撃ち負けるなどと。

銃弾の雨に撃ち貫かれ血を吐きながら、呆気にとられたように目を見張る信長。――しかし、敵の攻撃はそれだけでは終わらなかった。

多勢の亡霊隊士たちが、船首から次々と跳びかかるようにして斬り込んできたのである。

 

「……いけない、マスターッ!」

 

真っ先に反応したのは、豊久の機転により我に返った沖田だった。咄嗟に立香を抱き竦めるようにして庇い、かつての同胞たちの凶刃にその身を晒す。浅葱色の羽織が、見る間に鮮やかな血一色で染め上げられていった。

 

「――づッ、あぐぁぁっ…!!」

「沖田さん!?」

「お前(まん)ら、そこば退いちょれッ!!!」

 

地獄の中に駆けこんできたのは、豊久だった。ふたりの前に立ちはだかると、亡霊隊士の的を己が身で取って代わった。

 

「だめだ!豊久さん、下がって――もう一発、弾が来る!!」

 

旗艦、回天の主砲が火を吹くのを見た立香が、声を振り絞って叫ぶ。だが、退避できる暇も場所も、彼らにはどこにもなかった。

 

閃光、続いて、爆音。暴熱と凄まじい衝撃が、少女の意識を焼き尽くしていった。

 

 

※※※

 

――男はただ一人、焦土と化した大地に立っていた。

抜き身のままの愛刀を提げ、土方歳三はゆっくりと歩いていく。歩を進める度に雪溶けの泥水が跳ねて、外套の裾を汚した。

 

歩む先には、女がいた。華奢な背を無残にも斬り刻まれて、全身が血の赤で染まっている。それでもまだ、彼女は生きていた。血に濡れた唇が、細い声で男の名を呼んでいた。

 

「ひじ、かた……さん」

 

土方は足を止めた。その表情は氷のように凍てついたままだった。血に汚れて尚美しい女の横顔を、硝子玉のような瞳に映しながら――男はすっと、刀身を持ち上げる。

 

殺さねばならない。生かしてはおけない。

お前を想う心が全て、憎しみに塗り替えられてしまうその前に――。

 

兼定の剣先が、沖田の首筋目掛けて降り下ろされようとした――正に、その時だった。

 

「……待って!!」

 

声の主に、土方は視線を向けた。傷だらけの顔を持ち上げて、立香は男を哀しげな目で見詰めている。

 

「あなた、土方歳三さん……だよね」

 

土方は答えず、感情の伺い知れぬ瞳で少女を見降ろしている。立香は臆する事なく、言葉を続けた。

 

「沖田さんを、斬っちゃだめだ。あなたを慕う沖田さんを今、斬ったら――」

 

人懐こい橙色の瞳が、苦しげに歪む。

 

「あなたは、本物の鬼になってしまう」

 

幾度となく沖田の話を聞くうちに、立香はこの土方歳三という男を、よく知る身近な人間のようにさえ感じていた。

その土方が、彼の事を誰よりも恋慕っている妹弟子を、その手で殺める。そんなことは、あってはならない――絶対に止めなければならないことだと、立香は思った。

 

「……貴様に、何が分かる」

「分かるよ」

 

返されたその問いに、立香は間髪入れずに応えた。

 

「――同じ、女だもん。沖田さんの命を預かる、マスターだもん。

沖田さんはずっと、あなたのことを誇りに思いながら共に戦ってくれた。沖田さんにとってあなたの存在は、生きることそのものなんだ」

 

その言葉に、土方の表情が変わった。僅かながらも瞠目し、整った眉を寄せている。

 

「お願い、土方さん。……もうこれ以上、沖田さんを“殺さないで”」

 

立香のそれは、心からの懇願だった。誰にも譲れない友への思いが、その瞳に溢れていた。

 

「…………」

 

長い沈黙の後に、土方は刀を持つ腕を静かに下ろした。ヂン、と音を立てて、刀身が臙脂色の鞘に収まる。

 

「土方さん……」

「――助けたわけではない。俺の真に獲るべき首は、他にあるというそれだけだ」

 

ばさりと黒羅紗を翻して、男は踵を返した。仰ぐほどの長身が、舞い散る雪の中へと遠ざかっていく。

 

「……次に俺の前に姿を現したなら、その時は――容赦なく、殺す」

 

立香はもう何ひとつ、彼に掛けるべき言葉を残してはいなかった。そして必ず、その再戦の日はやってくるだろう。――決して、負ける訳にはいかない。次こそは。

彼が死んでいった仲間達の想いを背負っているのと同じで、自分もまた多くの人の想いを背負っているのだから。

 

びょうびょうと、零下の雪原に風が鳴る。立香はルーンの刻まれた己の右手を、強く握り締めた。

 

 

【鬼哭血風録~相思相殺~ To be continued…】

 




はい、というわけで超長い戦闘シーンの読了、お疲れ様でございました…!
中編はほぼ戦闘回だから、全部合わせて一万字ぐらいでいけるだろう!――とか、軽く思っていた以前の自分を殴りたい。今まで戦闘シーンを書いたことが無かったので、ちょっとくどくなり過ぎたんじゃないかと心配しつつも、皆さんに少しでも楽しんでいただけましたなら幸いです。次はもうちょいテンポよく進めたいなぁ…(汗)

ちなみに作中、土方さんに最初二刀流使ってもらってますが、原作様の初登場時は兼定と国広の二刀流やってましたよね…あれ結構好きだったんですが、もうやってくれないのでしょうか(笑)
それから宝具!回天でカノン砲ぶっ放す土方さんはどうしてもやりたかった…(笑)彼の宝具が戦艦になったのは、一応理由がある……ようなないような。次回に一応繋がっています。
一応対軍宝具扱いで、攻撃力にステータスガン振りしているイメージです。ガウェインみたいにBusterごり押しタイプなんだろうなぁ…。今回は五稜郭の魔術印で強化されているので、パーティはコンティニューの憂き目に遭ってしまいました。全滅エンドとか、かなり禁じ手な気はしますが…次回、逆襲の立香ちゃんをお楽しみにお待ちくださいますようお願いいたします!

ということで、今回も最後までお読み下さり、ありがとうございました!次回以降は後編となりますが、次回も楽しみにしてくださる読者様がいらしたら、書き手として嬉しい限りです。
それではまた、お会いしましょう!


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後ノ章
Act.10 桜花追想


その桜が花を咲かせる姿を見るのは、上洛してから二度目のことだった。

 

“浪士組”から“新撰組”と看板を改められた、壬生の八木邸。沖田総司が廊下へ顔を出すと、花開いたばかりの庭の桜と競い合うように、季節外れの雪がちらついていた。

桜の樹を見上げる広い背中を見つけた沖田は、童女のように顔を綻ばせて庭先へと降りていく。薄く積もった新雪の上に、草履の足跡がふたつ並んだ。

 

「桜、寒そうですね。土方さん」

「……総司」

 

背後から声を掛けてきた少女に、土方歳三は振り返る。口元を白い吐息で隠しながら、はにかむように沖田が笑った。

 

「俺には、お前の方が余程寒そうに見えるがな」

「あはは。心配ご無用ですよ、これでも雪国奥州人の血を引いてるんですから!」

「……ついこの間まで風邪引いて寝込んでやがったのは、どこのどいつだ」

 

呆れたように言いながら土方は己の羽織を脱いで、得意げに胸を張る沖田に頭から被せてやった。やけに嬉しそうに羽織を握りしめる妹弟子を一瞥してから、土方は今一度桜へと視線を戻す。沖田もそれに倣って桜の木を見上げていたが、その眼差しはいつしか、剣客にしておくのは勿体ないような、鼻筋の通った美しい横顔へと向けられていた。

この男の物憂げで、けれども真っ直ぐに前だけを見据えている芯の強い瞳が、沖田は何よりも好きだった。

 

「この桜の花、お好きなんですか?」

「まあな」

 

少女の問い掛けに、土方が短く応える。再び訪れる沈黙。

 

「……寒い中、こうしてずっと眺めていても飽きないほどにお好きなら――」

 

沖田は数度、その続きを言いかけては口を噤むというのを繰り返した。そして、

 

「枝を手折って、お傍に置いておけばいいじゃないですか」

 

声は、ほんの少しだけ強張っていた。土方の切れ長の目が、沖田の顔を見遣る。僅かに見開かれた瞳が一瞬、揺らいだようにも見えたが――瞬きを終えた時には、いつもと変わらぬ凛々しい黒が沖田を見降ろしていた。

 

「……あほう。手折ってしまえば、花はすぐに枯れちまうだろが。

花は美しいまま、こうして触れずに眺めるから……良いもんなんだ。違うか、総司」

「……そう、ですね」

 

答えて、沖田は微笑んだ。雪に埋もれた咲きかけの花に似る、どこか哀しげで、儚い笑顔だった。

元治元年、三月某日。この後に起こる洛陽動乱を皮切りにして、新撰組は維新という激動の時代の中に呑まれていく事になる。

 

男はまだ、知らない。

この時手折らず、ひとりきりで散らせてしまった花のことを、死して尚も悔やみ続けるということを。

 

花はまだ、知らない。

この時、ただ一言「手折ってほしい」と伝えられなかった男のことを、散った後まで想い続けるということを。

 

――時は流れ、掛け違えたままの歯車が動き出す。

 



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Act.11 愛染抱懐

「獲ったどー!」

 

などと無人島生活芸人のような勝鬨を叫びながら島津豊久が蹴り開けたのは、箱館山の中腹にある山小屋の入口であった。

住人が失せて久しいのか、内も外もすっかり荒れ果ててはいたものの、あばら家というまでには至らない。枝を詰めて隙間風を塞ぎ、古い囲炉裏に薪を入れて火を起こせば、何とか死なない程度に暖を取る事ができた。

 

――彼ら、藤丸立香の一行がアヴェンジャー・土方歳三との死闘を演じてから、数時間が経つ。日付も変わり、完全な闇夜が帳を降ろしていた。猛烈な吹雪はその勢いを減じて、今はしんしんと大地に降り積もっていくばかりである。

立香は己の令呪を三画全て使い果たして豊久らサーヴァントたちの傷を癒した後、疲労困憊した身体に鞭打って、やっとの思いでこの小屋まで辿りついた。五稜郭より離れたここならば、ソロモンの魔方陣が害を及ぼす懸念もなければ、シャドウ・サーヴァントたちが襲ってくる心配もない。

豊久はまず信長と連れ立って、食糧の調達に出た。ごく当たり前の人間である立香は当然のこと、サーヴァントと言えども戦をすれば腹が減るのである。程なくしてふたりは、巨大な蝦夷鹿を一頭づつ肩に担いでほくほくと戻ってきた。

 

「う、うわあ、……まさか本当に、この短時間で二頭も狩ってきちゃうなんて」

「いやぁ、鹿狩りなんぞしたのは稲葉山以来じゃのう!久々に血が滾ったわー」

 

血塗れの鹿を目の前にどさりと置かれて若干引き気味の立香だったが、ご自慢の狙撃術で獲物を仕留めてきた信長は至って上機嫌である。

しかし、彼女の獲った鹿をしげしげと眺めていた豊久は、不意にこんな事を言い出した。

 

「……なぁんが、信の獲った鹿はこまんかのう。主ゃが鹿狩りん達人じゃ言うから、俺は期待しとったが」

「なんじゃと!?そなたのより儂の獲物のほうが上物じゃ!ほれ、この毛皮の艶と立派な角ぶりが見えんのか!?」

 

落胆した様子で口元に手をやる豊久に、信長が獲物を指差しながら声を荒げる。だが豊久はふんすとふんぞり返って、

 

「そがいかこつより、今はどいだけ腹ば満たすっかどうかじゃ。つまり、信よかふとっか鹿ば獲った、俺が勝ちじゃ」

 

信長の主張を一蹴した。信長は唇を噛み、悔しそうな顔で唸っていたが、

 

「ええい、小賢しい!誰が何と言おうが、儂のがすごいの!儂の勝ちなのじゃ!!」

 

その場に胡坐を掻いて座り込むと、そっぽを向いて黙りこくってしまった。

まるで子供同士の喧嘩である。立香は苦笑しながらも、自分の代わりに重要な“任務”を果たしてきてくれたふたりに「ありがとう」と礼を言った。

 

豊久は早速、脇差で獲物を捌いている。その手際の良さは流石、蛮族――もとい、野戦の手練と言えるだろう。血を見るのには慣れている立香とはいえ、スプラッター映画も真っ青の解体現場を延々と見続けているわけにもいかない。取りあえずご機嫌斜めの信長をあやしていると、その間に囲炉裏を覆うほど大量の瓦焼きが出来あがっていた。

肉の焼ける香ばしい匂いが、食欲をそそる。緊張続きだったせいか忘れていた食欲を思い出して、胃袋がぐうぐうと大きな音を鳴らし始めた。

それを気にしてバツの悪そうな顔をしていると、ほれ、と豊久が焼けた肉を刺した火箸を立香に差し出した。初めて食べる野生の鹿肉はなかなかに歯応えがあったが、それでも空きっ腹には充分な御馳走に感じられた。

 

「鹿って結構、美味しいんだね」

「おう、どがいでん食うちよか。まだまだ飯(まま)はたんとあるど」

「――あやつは、まだ食わんのか?」

 

信長がくいと顎を上げて、窓の外を示す。そこには小柄な人影がひとつ、ぽつんと雪の中に立っていた。浅葱色した羽織の肩に降り積もる雪を払うこともせず、彼女――沖田総司は、ただじっと雪国の高い夜空を見上げている。

 

「……少しの間、一人にして欲しいって」

 

表情を曇らせて、立香が言った。信長はそれに「だらしがない」等と毒吐くでもなく、小さく鼻を鳴らしただけだった。立香よりも沖田と付き合いの長い、彼女の事である。想い続けてきた男との殺し合いが沖田の心にどれほど深い傷を与えたのかを、正しく理解しているのだろう。

鹿肉を大きな犬歯で食い千切りながら、重い沈黙を破るかのように豊久が言った。

 

「――のう、こいからどげんする?」

「勿論、榎本さんたちの暴走を止めるよ。一度負けたからって、尻尾巻いてカルデアに戻るなんてできないもん。っていうか、未だに通信繋がらないし――」

 

立香は腕に巻いた通信機を撫でながら、困ったように呟く。信長は、ふむ、と腕組みをして、いつになく真面目な思案顔になった。

 

「……十中八九、あの魔方陣が原因じゃろうな。電波障害、というやつじゃ。魔神柱クラスの魔力が放出されておれば、是非も無しよ」

「あの魔方陣、無効化することはできないのかな」

「はっきり言って、それは難しいの。あれは五稜郭という建物自体を、聖杯の力で巨大な魔術回路に改造したに等しい。この地の者は、“神威(カムイ)”等と呼んでおるが――古くから精霊信仰に篤いこの蝦夷地は、神秘の宝庫じゃからな。その大地に直接回路を繋げているあの魔方陣は、言わば無限に魔力を汲み上げる供給ポンプのようなものじゃ。少なくとも、余程高位の魔術師でもなければ太刀打ちできん」

 

その説明を聞いて、立香は幼げな顔立ちに苦渋を滲ませる。彼女は回復途中の令呪の一角を、歯痒そうに見詰めていた。その姿に肩を竦めながら、信長がその先を続けた。

 

「――まあ、方法が全くない、というわけでもないがな。しかしそれよりも先ず、どのようにあのアヴェンジャーを退けるかが問題じゃろうて」

 

土方を倒せずとも、元凶たる聖杯を奪取できれば良いが――あれを手にした榎本もまた、あっさりとそれを渡してくれるとは思えない。

魔方陣の追い風を得た復讐鬼土方歳三と、聖杯の力を手に入れた榎本武揚。彼らを二人同時に相手取るようなことになれば、再びの全滅は火を見るよりも明らかだ。

 

「あん土方とは、俺が戦う」

「それは下策じゃ」

 

名乗り出た豊久に、間髪入れず信長が異を唱えた。

 

「あの男とそなたでは、そなたの分が悪すぎる。あの男はそなたと同じ、力押しのタイプじゃろ。無論、只の斬り合いならばそなたらに優劣はない。じゃが今、五稜郭の魔力があの男に加勢しておる。

それに加えて、そなたは過去に一度あの男と死合っておろうが。あれに既に太刀筋を読まれつつあっても、何ら可笑しくはない。そなたの強みは奇襲性であろうに、これではその強みを十全に生かし切れる状態とは言えまい」

 

淡々と見解を述べる信長の口調からは、一切の私情は伺えない。炎のように苛烈な本性とは打って変って、こうして策を練っている時の彼女の態度は正しく、冷徹な軍師のそれだった。血気盛んな豊久すら、織田信長という人物の勘を信頼しているのか、その間、一切余計な口を挟む事はなかった。

 

「かく言うこの儂も、銃による遠距離戦を得手とする以上、多勢の手駒を持つあの男との相性は最悪じゃ。故に相手の動きよりも速く、かつ的確に急所を狙えるような者をぶつけるのが上策なのじゃが――」

 

信長は言いながら、ちらりと窓の外を見遣った。失意の天才剣士は変わらず、肌を切るような雪風にその身を晒して立っていた。

 

「……その適任者が、あの有り様ではのう」

 

好敵手のらしからぬ消沈ぶりに、溜め息交じりで信長が呟く。初めは横っ面でもひっ叩いて目を醒まさせてやろうかと思っていたが、剣士としての誇りも、女としての慕情も、全て木っ端微塵に砕かれてしまった今の彼女にとって、その手のショック療法が上手くいくとは思えなかった。

 

「武将んごた気性の烈しかごとしちょっでん、沖田は女子じゃ。仕方んなか」

 

悪気もなく豊久が零した言葉に、立香がぴくりと反応した。

 

「沖田さんは、そんなに弱い女性(ひと)じゃないよ」

 

静かな口調でそうとだけ告げると、立香は立ち上がる。そのまま脇目もふらずに歩いて、沖田のいる外へと出て行った。

 

「――ないが、怒らせてしもうたかの?」

 

ポリポリと頬を掻きながら訊ねる豊久に、信長が言った。

 

「安心せい。あれは、人を憎む、恨むという感情を、親の腹の中に置き忘れて生まれてきたような娘じゃ」

 

口元に老人のような微笑を浮かべてから、信長は鹿肉を一齧りする。今ここに酌み交わす酒でもあれば良いのだが――と、彼女は心からそう思った。

 

 

※※※

 

 

――頬も、足も、指先も。どこもかしこも、とうに感覚を失くしている。

吹き付ける風は凍えるほど冷たい筈なのに、沖田はそれを寒いとさえ感じられなかった。

 

天を、仰ぐ。高くどこまでも続いている冬の夜空には、星が冴え冴えと輝いていた。それらの欠片のように舞い落ちてくる雪が、かじかんだ白い頬に触れる。溶け消えた雪は雫となって、涙のように女の頬を伝い落ちていった。

 

『お前もこの俺を、新撰組を裏切るか――総司!!』

 

頭の中で、何度もリフレインする男の声。

何も言えなかった。何もできなかった。誓いを立てた誠の旗に自ら背を向けたという罪悪感に、心が押し潰されそうだった。好いた男に裏切り者と罵られ、刃を向けられて、動揺のあまり真意を告げることすらできなかった。

そればかりではない。憎むべき薩摩人に窮地を救われた挙句、己の不覚悟によって主の身までも危険に晒してしまったのだ。

 

己は、半端者だ。かつての仲間を裏切ったばかりか、今の主や仲間すらも失望させてしまった。

今の自分に、浅葱の羽織を纏う資格など――きっとない。沖田は羽織の襟元を固く握り込んで、血が出るほどに唇を噛み締める。

 

「……沖田さん。隣にいても、いいかな」

「――っ!?……マスター……」

 

赤く腫れた目を擦り、沖田は慌てて振り返った。いつの間にか、人懐こい笑顔を浮かべた立香がそこに立っている。「星、綺麗だね」などと言いながら、小さな魔術師はきらきらと輝く橙色の瞳で、空を見上げた。沖田は肩を落としたまま、無邪気な主に向かってぽつりと呟いた。

 

「……申し訳ありません、マスター。

“沖田総司はいつでもあなたの刃である”と、そんな大口を叩いたというのに、私は――あなたからの信頼を、最悪の形で裏切ってしまいました」

 

今にも消え入りそうな、謝罪の言葉だった。深々と頭を垂れながら、沖田は続ける。

 

「今の私に、あなたの刃を名乗る資格はありません。……如何なる沙汰でも、粛々と受け入れます」

 

切腹も辞さないと言わんばかりの覚悟を告げる、桜の剣士。立香はその哀切に染まる瞳を真っ直ぐに受け止めて、

 

「そうだね。沖田さんは、私の刃じゃない」

「………ッ」

 

その一言に、びくりと沖田の肩が微かに震えた。立香はその薄い肩に、そっと手を伸ばす。そして、

 

「沖田さんは私の刃じゃなくて、ひとりの女の子――私の大切な、友達だもん」

 

そう言って、明るく笑った。沖田の目が、驚いたように見開かれる。立香は彼女の肩をぽんぽんと撫でながら、言葉を続けた。

 

「だからね。沖田さんたち英霊のみんなが、私たち人間と同じで泣いたり、怒ったり、悩んだり、恋をしたり――そんなの、当たり前のことじゃないか」

「……マスター……」

 

沖田は整った顔をくしゃくしゃにして、瞳に大粒の涙を浮かべた。今まで我慢していたものが、堰を切って一気に溢れだしたかのような――子供のように純粋な、少女の表情。立香はそれを見て、少し照れ臭そうに笑う。

 

「私ね、大好きだったんだ……沖田さんがしてくれる、土方さんのお話。たくあんの味付けにやたらと拘ったり、文学には興味なさそうなのに、変な俳句をこっそり作って詠んでたり」

 

立香は沖田が語ってくれた数々のエピソードを思い出しながら、それらを楽しげな様子で口にする。沖田もまたそれにつられて、泣き濡れた顔を仄かに綻ばせた。

 

「聞いてるうちに私も土方さんの家族になったような、そんな気持ちでいたんだ。だからかなぁ、私も彼を見た時は――ショック、だったよ」

 

沖田の表情に、再び翳りが差す。少しの間黙してから、彼女は静かにその口を開いた。

 

「……優しすぎる、ひとなんです。あのひとは」

 

沖田の細い指先が何かを懐古するように、羽織の裾をなぞっていた。

 

「ずうっと、庭に咲いた桜の花を眺めているんです。雪の降る寒空の下、傘もささずに。わたしは“そんなにこの花がお好きなら、手折ってお傍に置いておけばいいじゃないですか”と尋ねました――そしたらあのひと、こう言うんです。“花は、触れずにあるからこそ美しいんだ”って。

……手折っても、手折らなくても。いつか必ず、花は散ってしまうのに」

 

そう言って儚く笑う沖田の横顔は、哀しいほどに美しかった。

立香は掛けるべき言葉を見失ったまま、沖田の澄んだ琥珀の瞳をただ見詰めることしかできない。

 

「いつだって土方さんは、心を痛めていました。芹沢さんたちを討ったときも、山南さんを介錯した時も。

誰よりも傷ついて、誰よりも仲間のことを思っているのに――それを他人には見せようとせず、罪も罰も全てひとりで背負い込もうとするような、不器用なひとなんです」

 

瞼を伏せて、沖田は腰に帯びた菊一文字にそっと手を添えた。

 

「私は……そんな土方さんの傍に居て、最期(おわり)を迎えるその日まで、あのひとの支えになりたかった」

 

血に錆びて、今にも崩れてしまいそうな刃を抱き締める、この鞘のように。

 

けれど、その願いは叶わず消えた。瞑目したまま口を閉ざす沖田を、立香は何も言えず、苦悩に満ちた表情でじっと眺めていた。しかし――。

 

「――あの時。私たちの前に立ちはだかった土方さんは、沖田さんが知っている通りの土方さんだったのかな」

「……え?」

 

沖田が不思議そうに問い返すと、彼女の主は強い視線をぶつけてきた。

 

「誰よりも優しくて、他人の痛みを知っている、あなたがずっと想い続けてきた新撰組副長――そのひとが今、憎しみに駆られて世界の理を歪めようとしている。

……本当に大好きな人に、こんな事を続けさせちゃいけない。あなたが慕った“土方歳三”を、本物の鬼なんかにしちゃいけない」

 

立香は刀に添えられていた友人の手を、両手で包み込むようにして握った。その手にぎゅっと力を込めながら、祈るような目で沖田を見上げる。

 

「――沖田さん。アヴェンジャー・土方歳三を、どうか止めて欲しい」

「マスター……」

 

沖田は驚いたような目で、少女を見詰め返した。小動物のように愛嬌のある瞳が、今は毅然とした鋼の意志に満ちている。

――さぞかし、言い辛かった事だろう。想い人と斬り合う痛みを理解したその上で、敢えてそれを願わなければならないとは。

 

この時、今更にして沖田は気付いた。彼女の真っ直ぐで芯の強い瞳は――罪も罰も背負って前に進もうとする高潔な魂は、己が愛する男にとてもよく似ているのだ。だからこそ、他ならぬこの少女に、己の忠義を捧げるつもりになったのだ――と。

 

「……承知しました。藤丸立香、あなたの刃――そして、友として。この沖田総司、あなたの命を見事果たして見せましょう」

 

沖田は確りと頷いて、少女の手の上にもう片方の手を重ね、握り返す。立香は安堵と悲壮、そして希望を綯い交ぜにしたような顔で、沖田に微笑んだ。

 

「マスター、あなたの言うとおりです。あのひとの心が壊れてしまうのを、止めなければ。……それが生前果たせなかった、私の務めですから」

 

迷いはなかった。友と同じ道を歩み、友と同じ理想に殉じる事。かつて遂げられなかったその想いを、今度こそ、最後まで遂げ果せる事。

それこそが新撰組一番隊組長ではない、今の己の――セイバー、沖田総司の士道なのだと、彼女はここに気付いたのだから。

 

 

※※※

 

 

皆が食事と共に待っているから、と沖田を小屋に送り返して、立香はひとり夜空の下で背伸びする。胸一杯に澄んだ山の空気を吸い込めば、緊張していた身体が少しだけ解れたような気がした。

 

「……私ってば、最低だぁ」

 

誰に言うでもなく、少女は呟く。自嘲気味に笑うその頬に、彼女は冷えた両手を宛がった。

今しがた沖田に向けて告げた言葉に、偽りはない。後悔もしていない。だがそれでも立香は、己のした選択に心を痛めていた。沖田を土方と戦わせずに済む方法があったのではないかと、この期に及んでそう考えずにはいられなかった。

 

結局、自分は戦いに勝つための駒として、沖田を土方にぶつけることを選んだのではないか。友だの何だのと都合の良い事ばかりを言って、彼女の義侠心を利用しただけではないのか。そんな自分は、彼女たちサーヴァントが命を掛けるに値するマスターたり得ているのだろうか――。

 

そんな事を考えていると、突然立香の頭に広い手が乗せられて、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられた。

 

「ないば考えちょる」

「わっ……豊久さん?」

 

掛けられた声に、立香はびっくりして顔を上げた。名を呼ばれた男はニッと笑って、オレンジ色の頭から手を離す。

 

「主ゃの判断は、正しか」

 

ふたりのやり取りを見て見当はついていたのか、それとも単なる当てずっぽうであったのか。豊久は立香の心中を言い当てるかのように、そう言って退けた。

 

「只の女子と侮った俺を、許しちくい。我が兵子ば信じた主ゃも、我が刀ばうっ捨(せ)んじおった沖田も、立派じゃ。立派な日ん本さぶらいじゃ。

……こいは沖田にとって、己との戦ど。沖田のためにも、自分の手ぇでやらねば」

 

頷きながら言う豊久の力強い眼差しから、立香は目を離せずにいた。豊久は人好きのする笑顔を浮かべたままで、こう続ける。

 

「それに主は、薩摩ん兵子ば危険も承知で救いに行ってくいた。そがいかこつ、誰でんでくっことじゃなかぞ」

「……でも、私はみんなを助けられなかった」

 

豊久の言葉に、立香は暗い顔で視線を落とす。自分の無力さを悔やむ少女に、豊久は言った。

 

「主ゃは神様でん、仏様でんなか。人間じゃ。否――神仏様でん、人ば漏れなく救うてくいはせんど。

……“かるであ”の兵子達は、主ゃのためなら喜んで命を捨てがまる。そいだけでん、充分に分かっど。主ゃはほんのこて、よか将じゃ」

 

ごつごつとした掌が今一度、猫のように細い髪を荒っぽく撫で回した。何度も頬を掠める毛先が擽ったくて、少女が笑う。幼げな大将に笑顔が戻ったことで機嫌良さそうにしている豊久に向かって、彼女はその口を開いた。

 

「ありがとう、お陰で自信が出てきたよ。でも私は――誰一人として、命を捨てがまらせたりしないから」

 

豊久のそれを意識してか、同じようにニカッと歯を見せ、立香が笑う。豊久もまた大きな歯を覗かせて、

 

「よか」

 

とだけ応え、笑い合った。

――東の空に、明けの明星が輝き始めている。決戦の時は、刻一刻と迫っていた。

 




2/26 誤字修正いたしました。ご報告有難うございます…!


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Act.12 逢魔動乱

――物心ついた頃から、世界というものに憧れを抱いていた。

 

ジョン万次郎の私塾に通っていたその少年は、書物の中にある日の本では見た事もない大きな船や不思議な機械を目にする度、胸を躍らせた。才知に優れた少年は外語を学びながら海軍伝習所へと進み、やがて幕府からの留学生となることで、海の外へ出て様々な国を巡る機会を得た。

阿蘭陀、亜米利加、仏蘭西。そこで彼は様々な船を、港を、街を――戦場を見た。そして彼は、世界という漠然とした定義の中に、国、宗教、人種など、様々な共通項で結ばれた者達が生んだ、幾つもの“世界(コミュニティ)”が存在しているのだという事を知った。

そして、日本の為にとあらゆる知識を吸収し帰国した彼を待っていたのは、維新の波によって衰退しきった幕府の窮状であった。恩義を返すならば今がその時と、彼は立ち上がる。伝習所時代より縁の深かった軍艦・開陽丸の帆を上げて、彼は幕臣達と共に極北の地を目指した。

 

長きにわたり日の本を納めてきた幕府の存在を新政府が否定するというのなら、武力も、交易も、誰にも侵されない彼らだけの世界を作ればいい。

過去の礎を不要な物として打ち捨てるのなら、捨てられた石たちが新たな城の礎となることも許されてしかるべきなのだ。

 

彼――榎本武揚は、新政府という“世界”を否定しない。だがそれならば、我らが求める“世界”もそこに存在して良い筈だ。

だがそれさえも壊すというならば、和平すらも受け入れぬというのならば、こちらも対抗するしか道はないではないか。

 

「――開陽。お前には、まだまだ世話になりそうだ」

 

霧に煙る闇の中、榎本は箱館港に錨を下ろした開陽丸――江差の戦いで失った筈の幕府旗艦、その甲板に立っていた。マストの支柱を白い手袋で撫でながら、彼はまるで旧知の友に語りかけるかのような言葉を零す。

 

「榎本さん。……船出は、いつになる」

 

船首の方に、揺らめく長い影がある。強い海風に外套を靡かせて、影――土方歳三が、箱館山のある方角を睨み据えていた。

 

「早朝――そうだね、卯の刻には出るつもりでいるよ」

「承知した。……ならば、合流は浄土ヶ浜辺りになるか」

「ああ。宮古湾……懐かしいかね」

 

榎本の問い掛けを受けて、端正な口元が僅かに歪んだ。微苦笑めいたそれはすぐに消えて、土方は船首から降りてくる。

 

「懐かしむような思い出など、ない。……あの戦で死んだ甲賀さんも、野村も、皆“ここ”に居る」

 

土方の手が、和泉守兼定の鯉口をヂン、と鳴らした。その瞬間、男の背後で白い影が揺らめいたようにも見えた。

 

「黒田の首を、獲りに行く」

 

それだけ言うと土方は舷縁に脚を掛け、甲板から飛び降りた。黒羅紗を翻してしなやかに降り立つ男の姿は、黒豹のように優美だった。

夜霧に紛れて消えていく盟友の背中を見送ると、榎本は柔和な目元を細め、ひとり呟いた。

 

「……たとえ世界が敵に回ろうと、私の“世界”を誰にも壊させはしない」

 

男の懐には、血を流したように赤い“ぎやまん”の西洋杯がある。それは偶然、あの日――五稜郭が陥ちようとしていたあの夜に、蔵の奥で見つけたものだ。この器に触れた途端、全ての状況が一変した。これさえあれば、理想の“世界”を作り上げることができる。そしてその“世界”を、誰かに踏み躙られることもない。

獣の目の如く獰猛な願望器の輝きを、榎本は飽きもせずに眺めていた――。

 

 

※※※

 

 

もうじき空が白み始めようという頃、立香は信長のデコピンによって無理矢理叩き起こされた。

 

「……というわけで、じゃ。聖杯の気配が、港の方へ移動しておる。奴め、血気逸って本土へ打って出る気じゃな」

 

眠い目を擦りつつ起き出してきた立香に、信長が険しい顔で状況を告げていく。立香は寝起きでぼんやりとしている頭を必死で動かして、信長に問うた。

 

「それはまずいね。……土方さんも、そこにいる?」

「いや。あのアヴェンジャーは、そこにはおらん。大方、新政府軍の将・黒田とやらの首を獲りに行くつもりじゃろう。戦力が二手に分かれてくれたのは有難いが、さて――」

「こちらもこちらで、二手に分かれる必要が出てきましたね」

 

立香の代わりに答えたのは、沖田だった。後ろには大口を開けてあくびをしている豊久の姿がある。

 

「うむ。どちらも後回しにすれば、どれだけの影響が出るか分からんからのう」

「成程。では、誰がどちらの相手をするかですが――」

「沖田」

 

眉根を寄せて悩む沖田へ即座に声を掛けたのは、豊久だった。

 

「榎本ちゅう大将ん元には、俺が行く。お前(まん)は土方ば追え。あれは今、おいの取るべき首でんなか」

 

意外な言葉に、沖田は面食らったように瞠目した。てっきり豊久は、土方の首を獲る事にばかり執着していると思っていたからだ。

 

「……いいのですか?」

「おう。日ん本さぶらいに二言はなか」

「――ふむ。これで此方の布陣は決まりじゃな」

 

ぱん、とひとつ手を打つと、信長は固まった方針を全員に告げる。

 

「マスターとお豊、そなたらは港にいる榎本武揚を叩き、聖杯を回収せい。沖田、そなたは黒田を追っているであろう土方を探し、止めるのじゃ」

「で……ノッブ、あなたは?」

「儂か?儂はのう――」

 

その中に当の信長本人の名前が無いのを不審に思ってか、沖田が訊ねる。すると信長は、妙に勿体ぶった様子で口端を吊り上げると、

 

「儂にしか出来んことを、やりに行く」

 

キリッとした顔で、そう答えた。厨二病を拗らせたような彼女の発言に、沖田と豊久の表情が残念なものを見るようなそれへと変わる。

 

「……とか何とか言って、一人だけ逃げ帰ったりしませんよね?」

「つまり、人に言えんようなことをしに行くちゅうこつか」

「た、たわけ!儂のここ一番のカッコいいシーンを台無しにするでないわッ!!」

 

顔を真っ赤にして、信長が怒声を張り上げる。その直後、

 

「はいはい、喧嘩は後でね。――みんな、急いで出発しよう!」

 

立香の放った一声に、全員が「承知」と頷いた。

 

「……必ず、勝とうね」

 

誰一人欠けることなく、帰って来よう。皆が待つ、カルデアへ――。

 

強い決意を胸に、立香は山小屋の扉を開け放った。

 

 

※※※

 

 

卯の刻。開陽丸は既に、聳え立つ三本の帆を全て上げ終えている。後は追い風を待って抜錨し、船体を波に乗せるのみだった。

 

東の空が、白墨を流したように淡く白んでいる。じきに海を黄金に染めながら、燦々と照る朝日が顔を出すことだろう。生まれ変わった開陽の船出を祝うには最高の舞台だと、榎本は一人ごちた。

 

「――きみたちも、そうは思わんかね」

 

背を向けたまま、榎本は船上に現れたふたりの招かれざる客に問い掛ける。否――彼らの到着を予期して、待っていたのだろうか。この時、船の梯子は港に下ろされたままだった。

立香は息を切らしながら、榎本の前へと一歩、進み出た。

 

「榎本さん……お願いです、聖杯をこちらに渡して下さい。それは決して、人が持っていて良いものではないんです」

「……やはり、これを探しに来たのだね」

 

榎本が振り返る。怒るでもなく、嘆くでもなく、彼はただ静かに笑っていた。白手袋を嵌めた手が懐へと伸びて、深紅の硝子細工を取り出す。数多の人間の欲望を啜り破滅を招いた、万能の願望器。邪悪、なれどあくまでも純粋無垢な輝きを指先でなぞるように愛でながら、上品に整えられた口髭の下、西洋人のように薄い唇が、まるで幼子を諭すように優しく言葉を紡いでいく。

 

「だが、私には……蝦夷島政府には、この器の力が必要だ。悪いがこれを、手放すわけにはいかない」

「でも、それは――使い方次第でこの先の未来を変えてしまう、とても危険なものなんです。この世界の未来が、壊れてしまうんです!」

 

榎本の主張に対し、立香は身を乗り出して聖杯の恐ろしさを訴えた。しかし、榎本の表情は変わらない。

 

「……きみの知る未来というのは、争いも憎しみも悲しみもない、素晴らしい世界なのかな?」

「ッ、それは――…!」

 

痛い所を突かれ、立香は言葉に詰まる。表情を歪める少女を前に、榎本は淡々と語り始めた。

 

「私は、外国で沢山の戦争や紛争を目の当たりにしてきた。それを見た上で、こう思うのだよ。血の流れない平和な世界などというものは、決して有り得ない。

きみの知る世界が戦乱に満ちたものであるならば、果たしてきみがそれを護る必要はあるのかね?」

 

立香はぐっと拳を握り締めると、顔を上げて榎本を見た。

――負けられない。真っ直ぐ男を見据える少女の目には、頑なな信念が宿っている。

 

「……確かに、この先の未来には何度も戦争が起きて、多くの人々が犠牲になりました。今こうしている時だって、私たちは敵と戦っている」

 

人の悪意は決して、この世から無くなる事はない。これまでに飛んだ幾つもの特異点での戦いの中、嫌と言うほどそれを思い知らされた。誰もが争わずに済む世界なんて所詮夢物語だと、無力な自分に打ちひしがれる事だって何度もあった。

 

――だけど。だけど、それでも。

 

「それでも、私は――あなたの創ろうとしている世界を、変わってしまう未来を、肯定することはできないよ。あなたのしていることは、今まで通ってきた道を未練がましく振り返っているだけだ。

そんな後ろ向きの世界が、みんなを幸せにできるとは思わない。人間が人間であるかぎり、たとえどんな未来が待っていても――運命を切り拓き、前に進まなきゃ駄目なんだ!」

 

立香の叫びは魂の底から溢れ出る、心の叫びだった。立香は、尚も榎本へ向けて懇願する。

 

「お願い、榎本さん……聖杯をこちらに渡して。あなたの持っている沢山の偉大な知識を、新時代をより良いものにするために使って欲しい。私が、私たちが必ず、素晴らしい未来を勝ち取ってみせるから――!」

 

榎本は、何かを想うように目を閉じた。そして、

 

「だが、その未来に……私や幕臣たちが夢見た“世界”は、ないのだろう?」

 

再び開かれた瞳の奥に、揺るぎない意思があるのを立香たちは見た。立香を制するようにずいと前へ踏み出し、豊久が言う。

 

「立香。こん男ば前に、ないば言うても無意味じゃ」

 

もはや、どんな説得も哀願も意味を成さない。立香もまたそれを痛感していた。

榎本はそんなふたりのやり取りを見て、穏やかに微笑んだ。出会った時と何一つ変わらない、聖人君子の微笑だった。

 

「さて……交渉は、決裂した。私は我々の理想を護る為に、きみたちを排除しなければならない」

 

榎本の手が、聖杯をその頭上に掲げ持つ。宛ら祝杯を上げるかの如く、厳粛に――そして、堂々と。

 

「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは、七十二柱の魔神なり」

 

――轟ッ!!!

 

突風が吹き荒れた。榎本を中心にして、潮風が竜巻のように束ねられ、螺旋を描いて舞い上がる。

豊久の大きな背に守られながら暴風に耐える立香は、榎本の姿を垣間見た。手にした聖杯がどろりと蝋のように溶けだして、持ち主の身体を毛細血管のように覆い尽くし、侵食を始めている。

紳士然とした榎本の身体が、徐々に巨大な異物へと変わっていく。

 

『――我が名はソロモン七十二柱が一柱、序列四十二位。海魔ウェパル。

全ての生命は海から生まれ、海へと還る。罪深き人の仔らよ。我が腕(かいな)に抱かれて、あまねく水底に沈むが良い!!』

 

――四散した竜巻の中から現れたのは魔神柱ウェパルを名乗る、ソロモンの使徒であった。人類悪の下僕にして、災厄の分身。

それは“人類の敵”と形容するに相応しい、まともな人間であれば正視に絶えず卒倒するような、醜悪極まりない姿をしていた。天を穿ち裂くようにして聳え立つ歪な肉塊は、身体じゅうに無数の単眼を生やしている。肉の色は酷く濁った紺碧で、海の底に腐り落ちて蟠る、藻草や汚泥のそれのようにも見えた。

 

「……豊久さん、気を付けて。魔神柱の攻撃は、シャドウサーヴァントたちとは比べ物にならない……!」

「心配なか」

 

豊久は腰に佩いた大太刀を抜き、八双に構えながら立香に答える。その口元はいつもと変わらず、強気に笑っていた。

 

「俺は、功名餓鬼ぞ。相手が龍でん、“まじん”でん、必ず大将ん首ば獲る!!」

 

歯を見せて笑う戦国武将――その根拠のない自信が、今は何よりも心強い。立香は恐怖に抗う心を奮い立たせて、前方に立ちはだかる魔神柱を睨んだ。

 

「――薩摩肥後国、島津中務少輔豊久!」

 

通る声で、豊久が威勢よく名乗りを上げる。促すような肩越しの視線に気付いて、立香がこくりと頷いた。

 

「人理継続保障機関、フィニス=カルデア。マスター・藤丸立香――」

 

少女が、己の右手を強く握り締める。ふたりの将は、眼前の敵を毅然とした眼差しで見据える。両者の心中に、未知なるものへの恐れなどなかった。

 

「いざ!!」「参るッ!!」

 

――始めの一声と共に、豊久が疾風の如く甲板を蹴った。

 



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Act.13 魔王繚乱

「――おおォォッ!!」

 

声を上げて猛然と向かい来る豊久に、魔神ウェパルの数多の眼が、ギョロリと一斉に動いた。

 

『……卑小な。身の程を知れ、俗物!』

 

魔眼の視線に射竦められた途端、豊久は全身から力が流れ出していくのを感じた。まるで鉛に変えられたが如く、足運びが重くなる。

 

「流石、魑魅魍魎の類じゃな。まやかしの術ば使いおる」

 

だが、その程度で豊久は屈しない。重圧を振り切るように床板を強く踏み込み、バネのように跳躍した。頭上に振り上げた刀身が、ギロチンの刃にも似て鋭く閃く。巨体を持つ相手は、それを避ける術を知らない――故に、力任せに刀を振り下ろし、渾身の力で叩きつける。一刀両断、二の太刀要らず。それはタイ捨流や示現流といった、薩州剣士が最も得意とする戦い方だった。

 

ドシュッ!!

 

肉が裂ける音と共に、巨大な柱が袈裟掛けに断ち切られた。人の胴の何倍も太いその巨体が、真っ二つ――否、かろうじて薄皮一つで繋がっていたが、それでもセイバー・島津豊久の一撃がどれほどの重撃であったか、その傷の有り様が雄弁に物語っている。

これをまともに喰らえば、英霊だろうと魔性の類だろうと、大抵の者は即座に消滅させられるだろう。――だが、しかし。

 

『――く、く、く。可笑しや……賊の刃が、我に届くと思うたか』

「なッ!?」

 

立香は思わず、動揺の声を上げていた。切断された魔神の肉から紫色の霧が溢れ出し、豊久に両断された筈の胴体が瞬く間に繋がり、傷ひとつ残さず塞がっていく。

言葉を失うほどに、卓越した自己修復能力。その回復速度は、今まで戦った魔神柱たちの比ではない。元より魔神ウェパルの特性として治癒能力を取得している上に、魔方陣から供給される魔力がそれを増強させている――。

 

「……ふむ。こいはちくと、厄介な“まやかし”じゃのう」

 

流石の豊久もこれには目を丸くして、顔から余裕の笑みを消した。魔神はそんな敵対者たちを嘲笑するかのように、巨体を震わせる。

本能的に危険を感じ取ってか、豊久は魔神の体躯を蹴って背後へ大きく飛びずさった。大樹の如き身体が大きく脈動し、波打つように甲板が揺れる。

 

『――昏冥の時、来たれり』

 

海鳴りにも似た低い声が、呪詛を呟く。次の瞬間、魔神の身体から放出された紫色の濃霧が触手に近い形状に変わり、それ自体に意志があるかのように豊久へと襲い掛かった。

霧の触手は豊久の全身へと蔦のように絡み付き、締め上げる。霧が触れた箇所から武具が腐り落ち、肌が爛れ始めた。霧が肉に食い込みながら、じわじわと傷口を広げていく。

 

「――ちィッ…!」

「豊久さんッ!!」

 

治癒のルーンが輝いて、豊久の身体を清浄な光が包み込む。その輝きの中で豊久は太刀を大きく薙ぐように振るい、四方から絡んでいた霧の触手を斬り飛ばした。切断された触手は甲板の上でのたうち、文字通り霧散する。

 

「こげな小技まで使いよるか。立香、すまんの」

「ううん、大丈夫……!」

 

へっちゃらだと笑ってみせはしたものの、立香の額には冷たい汗が滲んでいた。

 

(……魔力がまだ、回復しきってない……使えるのは、あと三回ってところかな)

 

ほぼ無限に魔力を引き出せるウェパルに対して、こちらは使える魔力にも限りがある。虎の子である令呪は、ひとつとて残していない。

このままでは、ジリ貧確定だ。どう足掻いても相手の魔力を削り切るより先に、こちらの魔力が尽きてしまう。

 

(――せめて、あの魔方陣の効果が消えてくれれば)

 

北方の空に浮かぶ魔方陣を振り仰ぎ、立香は祈るように己の右手を見詰めた。第六天魔王・織田信長――彼女の提示した“作戦”の成否こそが、この戦いの命運を分ける。今朝、信長は起き抜けの立香に開口一言、こう言ったのだ。

 

『残るひとつの令呪を、儂に預けよ』――と。

 

曰く、彼女には五稜郭の魔方陣を打ち消す秘策を持っているという。信長に言われるまま、立香は一晩かけて回復したばかりの令呪一画――この戦いにおいて恐らく最後の切り札になるであろうそれを、彼女の為に使ったのだ。

 

「ノッブ、……私、信じてるから」

 

誰も信用せず、誰からも信用されぬまま、臣下の裏切りによって最期を迎えた天下人。狡猾にして利己的な彼女は、いざ敗色濃厚となれば主である立香を斬って、敵に寝返るかもしれない。元より彼女はマスターに対する忠誠心など毛ほども持たない、制御の効かない危険な英霊なのだ。

 

だが、立香はそれでも――たとえ自分だけであっても、織田信長というかけがえのない仲間を信じていたかった。

 

 

※※※

 

 

「――うははははは!!ほんにうつけじゃのう、あのマスターは!

“信じて送り出した織田信長が、まさか敵方に寝返るなんて……”とか、くず折れる姿を想像しただけで悪役笑いが止まらないよネ!」

 

場違いな高笑いが、延々と続く石造りの廊下に響き渡る。無論、声の主は大股で傲然と歩を進める信長。その周囲を取り巻くようにして歩くのは、旧幕府軍の高官たちだった。彼らは一様に緊張した面持ちで、互いに目を合わせては信長の様子を伺い合っている。

 

「箱館五稜郭――こんなにも素晴らしい魔術装置を、この儂が見逃すと思うたか。これを手中に収めれば、世界の天下はこの第六天魔王のものよ!

……む、何をジロジロと見ておる、無礼者。儂は気が短いのじゃ、さっさと動力部まで案内せい!焼き払った軍兵どものしゃれこうべが手土産では、まだ足りんか?」

「そっ、そのようなことは……しかし、恐れながら本当に織田信長公は、我々の味方なので?」

 

異形の力を行使する榎本に従っているとは言え、彼らは聖杯や英霊に対する知識などない、ましてや魔術の素養など持たぬ一介の人間であった。

そんな彼らが突然、山のような髑髏を持参して現れた“自称・織田信長”を目の当たりにして、動揺しないわけがない。頭のいかれた侵入者だと侮り、襲いかかった者はへし切り長谷部の錆となった。

そこまでくると、相手が本物の織田信長であれ何であれ、彼らもその言に従わぬわけにはいかなかった。早い話が、脅しに屈したわけである。

 

「くどい。この天下人・織田信長が直々に手を貸してやる上に、手柄を譲ってやろうと言うのじゃぞ?……手柄が要らぬというなら、そなたらのそっ首刎ねて新政府軍への手土産にしても良いのじゃが」

「ひっ!」

 

赤く輝く瞳で睥睨され、信長に愚問をぶつけた高官は上擦った声を上げた。

 

「いえ、疑っているわけではないのです……ただその、榎本殿に了解を得ないままというのが、少々」

「小心者めが。そんなもの、この儂が後から何とでも口を利いてやろうぞ」

 

ふんと鼻を鳴らして、信長は視線を再び前へ戻した。城塞の要として作り変えられた館の内部は、まるで回廊のようになっている。これも聖杯の力を使ったのだろうかと、信長がそんなことを考えていると、

 

「……この先の、突きあたりの部屋です」

 

案内役の男が鍵を使い、扉を開けた。その奥にはだだっ広いだけの空間が広がり、石畳の床一面に描かれた複雑な魔法円が、我が物顔で鎮座している。

不気味な紫の燐光を放つそれは、枯れることなく未だに魔力を放出し続けていた。それは地下から滾々と湧き出づる、魔力の泉のようにも見える。――が、しかし。

 

「……ふむ。これが五稜郭の魔術装置か……もぬけの空じゃな。期待して損したわ」

 

信長は線の細い顎を手で擦りながら、つまらなそうに呟いた。

 

「やはりこれも、聖杯が肝であったか。あれがここから持ち出された今、一介の術式とさして変わらん。この程度の残留魔力であれば、儂がちと本気を出せば消し飛ばす事ぐらい出来そうじゃのう――」

 

その剣呑な言葉を聞いて、周囲の者達が俄かにざわめき立つ。

 

「信長公、それはどういう……!」

「どうもこうも、そのまんまの意味じゃが。そなたら馬鹿なの?死ぬの?」

 

信長は平然と言い放った。男たちに冷ややかな一瞥をくれて、普魯西製の軍靴はルーンで編まれた魔法円へつかつかと近づいていく。

 

「先程、そなたらの戦を手伝ってやると言ったが――気が変わった。

この魔方陣に残された聖杯の魔力と、神秘を殺す天魔の宝具。どちらが勝つか力試しをする方が、ずっと面白そうじゃ」

「貴様、最初からそれが目的で!我らを謀ったな!!」

 

軍刀を抜いて挑み掛かろうとした男達を、炎の壁が阻んだ。床から立ち上るようにして現れた、燃え盛る紅蓮の焔。それは乱れ咲く曼珠沙華の花の如く、信長の周囲を鮮烈な血の色で覆い尽くしていく。

 

「人聞きの悪い――端から信用なぞしとらん癖に。そなたらが命惜しさで、勝手に尻尾を振っただけじゃろうが」

 

似たような手合いは五万と見てきたが、彼らは信長にとって格好の駒であり、最も侮蔑すべき人種だった。強い者に巻かれ、顔色を伺ってしか生きられぬ彼らは一生、誰かの手駒でしかいられないのだろう。

あの男、榎本もまた並みならぬ才を持ちながらも、臣下には恵まれなんだか――信長はふと、敵の将を落日の己自身と重ね合わせた。

 

しかし今は、そのような感傷に浸っている場合ではない。狂い乱れる炎の中で、信長は静かに目を閉じ、“それ”を己が身に降ろす為の言葉を唱える。さながら敦盛を唄い舞うが如く、凛然と。

 

「これよりは大焦熱が無間地獄。三界神仏灰塵と化せ――」

 

……ドォォッ!!

 

信長を取り囲むように咲いていた炎の華が、煽られたように火勢を増した。舐めるように這い上がっていく焔が、魔王の肉体から不要なものを剥ぎ取っていく。そうして残ったのは、一糸纏わぬ女体――それは少女の如き華奢な肢体ではない。神々しいとさえ思えるほどに完成された豊満な美躯は、煩悩と不浄の象徴、即ち、仏敵たる“女”そのものだった。

 

制御を誤れば己自身の霊基を崩壊させかねないほどの膨大な魔力を必要とするが故、信長自身が封じていた強力すぎる固有結界。それが立香の令呪によって強制的に解放された、織田信長の“真なる宝具”だった。

全ての神秘を焼き払う、神滅の煉獄――それが今ここに顕現する。

 

轟炎が、魔法円が纏う紫の光を喰らうように侵食していく。しかしその浸食が、魔法円の半ばまで来て止まった。ルーンから溢れ出す邪悪な輝きが、灼熱の炎をじわじわと押し返していく。

 

(……チッ、神霊の魔力を借りてあくまでも抗うか、聖杯の残滓よ。じゃが――神性が高まれば高まるほど、己の首を絞めるだけぞ!)

 

信長は負けじと奥歯を食い縛り、力を一点に集中させる。頭蓋を軋ませるような痛苦が襲い、心の臓が弾けそうになっても尚、彼女は攻めの手を決して緩める事はない。渾身の力を振りしぼり、魔王が吼えた。

 

「儂――“妾”こそが、神秘を滅する者。仏敵、第六天魔王波旬・織田信長なり!!」

 

グオォォォォォォ……ン!!!

 

鬩ぎ合っていた紅蓮と紫紺が弾け、視界を浚う閃光と共に大地が唸る。断末魔の叫びと言うに相応しいその鳴動が尽きた時、描かれた魔法円は輝きと共に、跡形もなく消滅していた。

炭化した石畳の上、魔王はひとり立っている。豊満に変化していた身体つきは、少女のように細いそれへと戻っていた。彼女は肩口で乱れた黒髪を、掌で颯と払い退ける。

 

「火傷程度で済んだか。……そなたらが未だ人の身を捨てておらなんだこと、幸運に思うが良い」

 

身体じゅうを煤だらけにして、顔を引き攣らせたまま呆然と座り込んでいる男達の様子に、信長は微笑する。彼女の宝具は神秘を滅する炎――故に神性を持たぬ凡人は、殺せない。

 

紅蓮の外套を裸身に巻き付けて、信長は蔵を後にした。開かれた門戸の外で瞳を細め、禍々しい輝きから解放された五稜郭の空を見上げた――その時だった。

 

「――…ぐッ!」

 

眩暈がして、信長は思わず床に片膝をつく。落ちかかった軍帽の鍔が、額に汗を滴らせた女の貌を翳らせている。

 

「ふ、はは。……うむ。久々に使う固有結界は、身に堪えるわ」

 

軍帽を正すと、信長は膝に力を込めてゆっくりと立ち上がった。ついでに、床に落ちていた造り物の――霊基で編まれた頭蓋骨を無造作に取り上げれば、悪びれぬ様子で肩を竦める。

 

「こんな儂の“おぷしょん”と口先三寸の芝居に、易々と騙されてくれるとはのう。お陰で無駄な魔力を使うことなく、早々に事は済んだが――そのうちはりうっどにスカウトされちゃったりして、儂。

ていうか本当にあやつらを裏切って、一から天下取りを始めても良かったんじゃが……」

 

『ノッブなら、絶対できるよ』

 

己の為に令呪の力を使ったあの時の、主の顔を思い出す。屈託なく笑う少女の瞳には、信長が今まで何度も見てきたような猜疑心や卑屈さは、微塵もなかった。

 

「――あんな目をされては、毒気も抜けるわ」

 

皮肉めいた微苦笑を浮かべて、信長は彼方に見える箱館港に視線を馳せた。

 



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Act.14 覇道散華

――ドシュッ!!

 

もう幾度目か分からない胴払いが、魔神柱の根元を抉り抜いた。

幹から生えた複数の瞳が蠢いて、一斉に攻撃者を睨みつける。ぱっくりと口を開けていた傷は瞬く間に塞がり、霧の触手が鞭のように撓りながら豊久を捕えんと襲い来る。

豊久はそれに対して奮然と、縦横無尽の太刀筋で応戦した。初太刀の斬り上げが頭上から迫る触手を斬り裂き、返す刀の斬り払いが左右から来る触手を、二本同時に討ち取った。しかし、床から突き上げるようにして現れた触手に、片足を絡め取られる。刀身を突き立てて捕縛から逃れるも、前方から真っ直ぐに伸びてきた触手が、彼の腹部を激しく打ち据えた。大きく後方へ吹き飛ばされてきた豊久を、駆け寄った立香が抱き起こす。

彼はこうして現界していられるのが不思議なほど、多くの傷を負っていた。これ以上は危険だと判断し、立香は男の背に手を翳しながら治癒の術式を使用する。目に見えて大きな傷は塞がりはしたものの、魔力の不足が祟って、完全回復には至らない。

 

「……まだ、耐えられる?」

「おう。まだまだ余裕じゃ」

 

豊久は勢いを付けて立ち上がると、再び大太刀を構え直した。

 

(これで、残りあと一回――)

 

いつでも強気な立香の表情が、今は苦渋の色に染まっている。傷を癒せるのも、あと一度きりだ。そんな少女の姿を見て、ウェパルは全身を戦慄かせるようにして嗤っていた。

 

『まだ無駄だとわからぬか。……蒙昧もここまで来ると哀れよな』

 

万事休すのふたりへ追い打ちを掛けんばかり、魔神の周囲に大量の霧が集まっていく。未だかつてないその質量は、明らかに彼らに止めを刺すつもりでいるようだった。

 

「豊久さん、触手が来る!回避に専念を!」

「承知じゃ――」

 

身構えるふたりの前に、数多の触手が具現化する。今までとは比べ物にならない、圧倒的な手数だった。如何に戦上手の豊久と言えども、疲労とダメージが蓄積している今、全ての攻撃を躱しきれるとは思い難かった。しかし、それでも今はやるしかない。

 

『これで終わりだ。我が腕の中で果てるが良い!』

 

ウェパルの声が粛々と、絶望に満ちた攻撃の始まりを告げる。霧から生み出された触手が蠢動し、絡み合いながら一斉にふたりへ向かって伸びてきた。危機的状況を前にしても臆することなく立香の前に立つ豊久の背中は、ただただ美しかった。如何なる時も敵に背を向けることなく、常に死を共にあるものとして享受し、戦人(いくさびと)としての矜持を貫く男の在り方は、真に“侍”と呼ぶに相応しい。

甲板の上を奔るようにして追いかけてくる触手を、太刀で切り捨て、柄で捌き、身を捩って跳躍し、避けていく豊久。超人的な身のこなしと攻撃に対する反応速度は、とても満身創痍の英霊が成せる動きではなかった。

 

『無駄な足掻きを――!』

 

ウェパルの複数の目が、抗う豊久を忌々しげに睨めつけた。金縛りにでも遭ったかのように彼の四肢が硬直する。それによって、迫り来る触手への対応が遅れた。咄嗟に転がりながら攻撃を避けたものの、隙を与えぬ触手たちの波状攻撃によって、豊久は徐々に船首へと追い詰められていく。

絡み合いながら突進してきた触手たちを防ぐように横一文字で刀を構え、豊久は舷縁の際で踏み止まった。そのまま海へ突き落とすつもりか、或いは、彼らの中に呑み込んでしまおうとでもいうのか。触手たちは阻む刀身をじわじわと腐食させながら、豊久に迫った。

 

「豊久さんッ!!」

 

最後の術式を、使うしかない。そう決意して、立香は豊久へと掌を向けた。その彼女にも、魔神の触手が迫る。彼女にはそれを避ける術はない。

 

万事休す。覚悟を決めた少女は、固く目を閉じた――正に、その瞬間。

 

豊久と鬩ぎ合っていた触手たちが突然、掻き消えるようにその場から霧散した。残る触手もまたその異様な事態に気を取られてか、凍り付いたように静止している。

 

『馬鹿な。魔力の供給が、途切れただと……何が起きたのだ!?』

 

魔神柱は奇瞳を震わせ、激しい動揺を見せていた。立香は北の空を見る。たった今までそこに輝いていた、あのおぞましい輝きはもうどこにも見当たらない。

 

「……魔方陣が、消えた――!!」

 

信長が、やってくれたのだ。苦しげだった立香の顔にようやく、仄かな笑顔が宿った。そして――、

 

『……くん、立香くん!聞こえるかい!?』

 

腕に巻いた通信機から、聞き覚えのある声――ロマニ・アーキマンの声が、届けられた。

 

「聞こえてるよ、ドクター!」

 

急いで返事を返すと、ロマニは向こう側で、安堵したように大きく息を吐いていた。

 

『あー、やっと繋がった!で、きみたちは今何を――って、いきなり魔神柱!?』

 

相変わらず呑気な青年医師の反応に、立香は拍子抜けしそうになった。しかし、これは確かな光明だ。自分を支えてくれる彼らがここにいるという事実が、絶望に傾きかけていた立香の心を、再び奮い立たせてくれる。

 

「聖杯を使ってたのは、旧幕府軍の榎本武揚さんだったんだ。彼がその力を使って――って、ごめん、詳しい話は後でお願い!

それよりドクター、魔神ウェパルの弱点は分からない?どんな小さな情報でもいいの、突破口になるようなものがあれば……」

『うーん、いきなりそう言われても……今急ピッチで調べてるとこだけど、奈何せんまだ情報量が足りてなくてね……』

 

ロマニがそう返答したのは、至極当然のことだろう。何しろ何の前振りもなしに、突然どんと魔神柱を目の前に置かれたも同然なのだから。

するとそこへ、空気を読まない男が唐突に問うた。

 

「あん化けもんの首は、どこじゃ」

「……えっ?」

 

豊久の言葉に、立香は意図が分からず訊き返した。豊久は続ける。

 

「どげん強か化けもんでも、首さえ獲ればただの骸じゃ」

『―――ッ!!島津くん、それだ!!』

 

そのやりとりを通信機越しに聞いていたロマニが、一際大きな声を上げた。直後、カタカタとキーボードを忙しなく叩く音が伝わってくる。焦燥とも喜色ともつかない声で、彼は言った。

 

『今から魔神ウェパルをトレースして、“核(コア)”を探し出す!

聖杯を手にした、榎本武揚という人物――彼は元々魔術の素養があるわけでもなく、只の人間だ。魔神を降ろすには、媒体となるものが必要な筈……恐らく、聖杯がその役目を果たしているんだろう。魔神柱の体内に取り込まれたそれを切り離す事ができれば、ウェパルを退けることができる!

――頼む、立香くん、島津くん。ボクたちが聖杯の位置を見つけるまでの間、攻撃に耐えてくれ!』

「解った、ドクター!」

 

ロマニからの指示に、立香が頷く。彼の言葉を信じて、その可能性に賭けると腹を括った。豊久もまたその決意を酌んでか、ニッと口端を上げて少女を見遣る。

 

『おのれェ……おのれ、人の仔の分際がァッ!!』

 

魔神柱が巨体を脈打たせながら、憎々しげに咆えた。怒れる海魔は霧の触手をまたも展開し、それらをふたりへ向けて放った。

だが魔方陣の魔力供給が断たれた今、その数は減り、力も速度も目に見えて落ちている。豊久は甲板を一陣の風の如くに駆けて、冴え渡る大太刀の重撃を浴びせ、次々と触手を切り払った。

 

『……見つけた!あそこだ、左から二番目の、一番大きな瞳の奥――』

 

ロマンの声を受けて、立香よりも先に前戦の豊久が動いた。己の身を護るように我武者羅な攻撃を仕掛けてくる触手たちを斬りつけながら、

 

「立香ァ!」

 

彼は、魔術師の少女の名を呼んだ。

 

「俺に主ゃの、“まやかし”ば掛けちくい。傷ば治すっとじゃなか。追い風んすっとじゃ!」

 

立香はその提案に驚いて、目を見張った。次が正真正銘、彼女が使える最後の術となることは、彼も知っている筈だ。それを守りのためではなく、攻めの為に使えと言う。

憎悪で我を忘れている魔神柱にこのまま回復無しで特攻すれば、無事で済むという保障はない。

 

「……でも、それをやったらもう、傷を治せなくなるんだよ!?」

「上等じゃ」

 

即答だった。言いながら豊久は、きっと笑っている。彼の後姿しか見えていない立香にも、それが分かった。

 

「死ぬ気で獲りに行かねば、あん化けもんの首には届かん。次の一刀で、必ず首ば獲る。死んでん、獲る」

「豊久さん……」

 

立香はその言葉に、意を決した。それ以上は何も言わず、豊久へと掌を向ける。

最後の魔力を振りしぼって――立香は、豊久へ強化の術式を掛けた。

赤銅の鎧を纏った侍の四肢に、魔力が漲っていく。男の太刀筋は、既に神速を超えた。

 

『……我は、魔神。愚かで卑小な人の仔なぞに、負けはせぬ……負ける筈など、ないィィィ!!』

 

しかし魔神とて、手をこまねいて己が斬られるのを待っているわけがない。咆哮と共に、ビリビリと辺りの空間が震える。未だかつてない密度の霧がウェパルの前に収束し、蛟龍(みづち)の如き姿へと変化した。鮫のそれにも似た大量の乱杭歯を剥きながら、異形の触手は豊久目掛けて喰らいついてくる。

 

グゥオォォォォオ――ッ!!

 

雷鳴のような唸りが轟く。口を開けた蛟龍が、豊久の眼前に迫った。軍艦すらも悉く粉砕するであろう怒涛の突撃を、豊久は刃が零れ、ボロボロになった大太刀を受け構えて、真っ向から受け止めた。

蛟龍の牙がギチギチと、豊久の太刀を噛み鳴らす。辺り構わず撒き散らされる腐食の霧が甲冑を溶かし、拡がっていく傷口から鮮血が噴き出した。それでも豊久は一歩も退かず、怯みもしない。鉛色の瞳で射抜くように敵を見据え、力を込めた刃でじりじりと押し返していく。

しかし――蛟龍の怪力と、魔力強化された豊久の膂力。その鬩ぎ合いに耐えきれず、大太刀の刀身が音を立てて砕け散った。

 

(そうじゃ。今が――)

 

豊久は、砕けた大太刀を捨てた。その代わりに、彼は背に負った種子島を脇に構える。鈍色の銃口は、開かれた蛟龍の口へぴたりと照準を合わせていた。

 

「今が俺の――命、捨て奸時ぞ!」

 

――――どうッ!!!

 

蛟龍が豊久を呑み込む瞬間――閃光が爆ぜた。

放たれた弾丸が蛟龍の身体を一直線に引き裂きながら、一筋の流星のように進んで行く。深紅に光り輝く弾は尾の端まで届いて尚も止まらず、本体である魔神柱さえも貫いていた。

 

『まさか、……こんな、はずが……!!』

 

瞳を撃ち抜かれた魔神柱が、唖然として声を上げた。ぽっかりと口を開けた風穴から、血の色の聖杯が覗いている。

 

豊久の宝具――“捨て奸(すてがまり)”。

宝具が“技(スキル)”と言う形を取ったそれは、島津豊久と言う武将の、戦国の世に生きたひとりの男の、綿々と受け継がれる薩摩兵子の生き様、魂そのものだった。

兵(つわもの)の生が燃え尽きる寸前の、最後の輝き。命の灯火、その全てを力に変えたその一撃は、星さえも穿つだろう。

 

「そいが、お前が首か……!」

 

罅割れた硝子の器に向かって、豊久は手を伸ばしながら疾走する。だが、あと一歩――指先が杯に触れるその寸前、最後の足掻きで絡みついてきた毒霧が、今にも力尽き掛けている男の全身を縛鎖の如く縛りつける。遠のいていく意識の中で、豊久は己の最期を悟った。

 

(――ここまできて、届かんか)

 

あん戦の時と、同じじゃ。

あと一歩で届くという所で、敵(かたき)を取り逃がす。それが彼の、逃れられぬ宿業のようにも感じられた。

豊久は残る力を振り絞って、喉奥から声を張り上げる。

 

「立香ァ!後ば頼んだ。お前がそやつの、首ば獲れ!!」

 

背後から、彼の名を呼ぶ少女の悲痛な声が聞こえた。豊久は晴ればれと笑いながら、言葉を続ける。

 

「俺は元より、捨て奸じゃ。俺の命が後の勝利に繋がれば、そいが本懐ぞ」

「―――ッ…!!」

 

男の言葉は、自棄や虚勢などではない。紛うことなき本心だ。

その気持ちが正しく伝わったからこそ、立香は拳を握り、全力で駆け出した。

 

駆けて、駆けて、千切れんばかりに手を伸ばし――そして、

 

「――づ、ぅぅ……ッ!!」

「立香、お前(まん)……!?」

 

少女の両手は、豊久の手首をしっかりと掴み、握っていた。

立香の生命力から変換された魔力が、握り締めたその場所から豊久の霊基へと直に流れ込んでいく。彼女は肉体の接触によって無理矢理、サーヴァントとの間に魔術回路を繋げたのだ。それがどれだけ危険なことであるか、知らない立香ではない。

これは魔力でサーヴァントを回復させているのではなく、マスターの生命力をサーヴァントと分かち合っているに過ぎない。このまま強制的な魔力供給を続ければ、遠からぬうちにマスターの生命力が枯渇し、死亡する。

 

しかし――どんなに苦しくても、死の危険が迫っていても、立香はその手を離すつもりはなかった。あと一歩先にある、敵の首をふたりで獲るまでは。

 

「……約束、したよね。誰一人捨てがまらせたりしないって」

 

苦悶に眉を寄せながらも、少女は毅然と顔を上げ、豊久に笑い掛けた。

 

「サーヴァントは兵でも捨て駒でもない。みんな、かけがえのない私の仲間なんだ……!」

 

それだけは、何があっても譲れないから。

真っ直ぐな瞳で見詰める立香に、豊久は無言で頷くことで応えた。全身の力を総動員して、聖杯に向かってその手を伸ばす。

 

「一緒に、獲ろう。これは、ふたりの首級だ!」

「――応ッ!!」

 

血が流れ、肉が裂け、骨が軋んでも、ふたりは決して止まらない。

 

「ひっ跳べぇぇえええええぃ!!!」

 

一条の光が、夜明け前の闇を二つに引き裂いた。

 

 

※※※

 

 

「……私は、負けたのだね」

 

黄金色に輝く朝日に包まれながら、甲板の上に横たわる男が静かに言った。傍らの豊久と視線を合わせた後に、立香はゆっくりと彼に近づき、その傍らに膝をつく。

 

「ごめんね、榎本さん。だけど……私、ううん、私たちにも、譲れないものがある。守りたい仲間がいる」

 

その言葉に、榎本は、ふ、と口元を緩めた。相変わらず柔和で、優しさに満ちた笑みだった。これが聖杯の力に魅入られ、道を踏み外した人間であったとは、立香は未だに信じられずにいた。

 

「不思議なものだ。戦いに負けたというのに――心の霧が晴れたような、とても清々しい気分だよ」

 

そう言って男は瞑目し、深く息を吐いた。それからやや間を置いて、彼は再び開いた瞳を立香に向ける。

 

「藤丸立香くん。私の想いを、きみに託そう。我々が護ろうとしたものが決して無駄ではなかったと思えるような、そんな新しい世界をきみが――きみの信じる仲間たちが創ってくれると、約束して欲しい」

 

榎本は腕を持ち上げて、清廉な白手袋を嵌めたその掌を、未来から来た魔術師に差し出す。

 

「はい。――必ず、約束します」

 

男が伸ばした手を、少女はしっかりと両手で握り返した。

 



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Act.15 相思相殺

血の赤が、凍てつく浜辺に点々と落ちていた。氷雪をまだらに彩る鮮赤は宛ら、地獄へ誘う道標の如く。

その先には――鬼がいた。提げた刀から滴る血脂を拭いもせず、鬼はただ前へと進み続ける。昇る朝日に照らされても、整った面は血の通わない蝋人形のように蒼白なままだった。

 

その向かう先に立ち塞がるのは、錦の御旗を背負った新政府軍の兵士たち。猿声を上げて斬り掛かってきた先兵を一刀の元に斬り伏せて、鬼――土方歳三が、じりじりと距離を取る後続の男達に、冷厳な声で告げた。

 

「黒田了介は、どこだ」

 

問われた兵士たちは皆、得物を持つ手を震わせ、戦慄していた。それでも彼らは、男の前で旗を降ろすことはしない。兵のひとりが、土方へと刃を向けながら言った。

 

「たとえ討ち死のうとも、貴様を大将の元へ通すわけにはいかぬ!!」

「……そうか」

 

その答えを聞いても、土方の顔色は変わらない。真一文字に結ばれた薄い唇が、今一度開かれる。

 

「ならば、死ね」

 

土方が血に濡れた愛刀・和泉守兼定を持ち上げ、霞の構えを取った――その時だった。

 

「待って下さい!!」

 

覚えのある女の声に、土方は動きを止めた。構えを解かぬまま、視線だけを横へと向ける。

 

「……土方さん。剣を、降ろして下さい」

 

女がいた。先日、我を失くして蹲っていた彼女とはまるで別人のように、凛然とした表情で立っている。

桜色の髪を潮風に揺らしながら、彼女――沖田総司は、静かに一歩、兄弟子の方へと進み出た。

 

「気付いていますよね?榎本さんが倒れ、聖杯の力が消えたということに。

召喚者(マスター)である彼の魔力が尽きた以上、貴方もじき英霊の座に戻る……もう、戦う意味はない筈です」

 

沖田の言葉を受けて、土方はほんの僅かに目を細めた。その視線からは既に、険しさが消えていた。

 

「蝦夷島政府の行く末がどうだろうと……もはや俺には、関係の無いことだ。復讐など何の意味も成さぬという事は、とうの昔に知っている」

 

物憂げな瞳が、菊章旗を一瞥する。しかし彼は依然として、刀を鞘に納めようとはしなかった。

 

「なら、どうして――!」

「……これは俺の、俺自身の“けじめ”だ。共に誠の旗を背負い、命を散らしていった同胞(はらから)へ、俺がしてやれるせめてもの手向けだ」

 

答える土方の声に、迷いはなかった。彼は一度構えを解くと、言葉を失くしたまま立ちつくしている沖田の方へと向き直った。

 

「総司。たとえお前だろうと、邪魔する者は斬り捨てる。加減はしない。

……故に、お前も。俺を止めると言うのならば、そのつもりで掛かって来い」

 

妹弟子へ言い聞かせるような声は、その言葉に不釣り合いなほど優しくて。その目は真っ直ぐに――前だけをただ、見詰めている。

向かい合った土方の黒い双眸は、沖田がかつて焦がれた美しい瞳のままだった。

 

「お前の士道と、俺の士道。そこに正も非もありはしない。戦場では、どちらが勝つか――ただ、それだけだ。

お前にも譲れない信念(もの)があるのなら、斬れ。ただただ、斬れ。斬って、それを押し通せ」

「……もう、何を言っても無駄なのですね」

 

哀しげに笑う女を見て、土方は微かに口元を歪めた。俺の頑固さは、お前が一番良く知っているだろう――そう言わんばかりの、ささやかな苦笑だった。

 

土方は再び、愛刀を構える。剣先を相手の喉元へ向けた、天然理心流・平正眼――持ち主の魂を映したように研ぎ澄まされた刀身が、陽光を受けて強かに輝いた。

 

「……新撰組副長、土方歳三義豊」

 

低く、けれども堂々とした声で名乗りを上げる土方。それに応じて、沖田もまた愛刀・菊一文字を静かに構えた。土方と同じ、平正眼。試衛館時代、近藤から何度となく指摘されていた剣先を下げる独特の構え方は、今尚変わらないままだった。

 

旭日の光に満たされた、箱館海岸――道を違えたふたりの新撰組隊士が今、共に譲れぬ士道を胸に対峙する。

 

「新撰組一番隊組長、沖田総司房良。いざ、尋常に――」

 

『勝負!!』

 

戦いの始まりを告げるように仇波が弾けて、流氷に飛沫を散らした。

 

 

※※※

 

「――見て、あそこ!!」

 

遠く離れた海岸線にふたつの人影を見つけ、声を発したのは立香だった。豊久が目を凝らして見れば、見知ったふたりの男女の姿がそこにあるのを確認できた。

 

「沖田と、土方か。……仕合いばしちょる最中らしいの」

「止めなきゃ……もうあのふたりが殺し合う必要なんてないんだ!」

 

叫んで、立香は駆け出そうとした――が、その時。

足を踏み出しかけた少女の前へ、制するように腕が伸べられる。

 

「……たとえ主でも、手出しは無用ぞ。あれは沖田と土方、ふたりだけの戦じゃ」

「でも……っ!」

「――酌んでやれ、マスター」

 

新たな声に振り向けば、そこには信長の姿があった。海から吹き込む強風に黒髪を乱しながら、魔王は続ける。

 

「お主が説いて、刀を下げるような連中ではなかろう。

あやつの友を名乗るならば、あやつを最後まで信じて、見届けよ。あの人斬りも、そう望んでおるじゃろうて」

 

そして彼女は、ふっ、と、皮肉屋めいて口元を綻ばせた。その笑みにはどこか、老いた者が若人に向ける羨望めいたものが滲んでいる。

 

「……あやつらは今、命を賭して殺(愛)し合うとる。そこへ他人が割って入るのは、聊か野暮というものよ」

 

信長の言葉に、唇を噛んで押し黙る立香。そんな彼女の姿を見て、豊久もまた然りと頷き返した。

沖田総司と土方歳三。ふたりの想いの行きつく果てを、この目でしかと見届ける。それが己の――主として、そして何より友としての役目だというならば。

 

「――見届けよう。沖田さんの決意と、その戦いを」

 

そして彼女の――恋(おもい)の行方を。

立香はその胸元に拳を固く握り締め、切り結ぶふたつの影を見詰めた。

 

※※※

 

――捌き損ねた刃の先が、男の右頬を裂く。縦一文字を描いた傷から、真っ赤な血の華が散った。

男の刀が素早く翻り、片手突きを繰り出す。女は直ぐさま身を捻り、姿勢を低くする事で剣先を避けた。彼女の髪を結んでいた黒布が、一筋の髪と共に宙に舞う。

 

「昔より、随分とすばしっこくなりやがったな……総司」

 

賞賛とも皮肉ともつかない物言いで、土方が鼻を鳴らした。刀を肩口まで引いて、八双に構え直す。

 

「土方さんこそ。――あの頃ならば、負けていたかもしれません」

 

じりじりと間合いを取りながら、沖田が苦笑する。額から伝い落ちていく汗の雫が、黒い襟巻に濡れ跡を作る。

 

土方の剣は実戦に特化した、型に囚われぬ変幻自在の剣だ。試衛館において彼の剣術は、道場主の息子である近藤や天賦の才を持つ沖田には到底及ばなかった。しかし、それはあくまでも道場の規則に則った、“試合”の中での話である。真剣を持ち、実際の戦場に斬り込んだ時のこの男の強さは、尋常ではなかった。この男に掛かれば、炉端に落ちている石すらも戦の小道具へと変えてしまう。土方の剣は命の取り合いをする鉄火場でこそ、生きる剣だった。

 

対する沖田の剣は、流れる水の如くに淀みなく、また、落ちゆく花の如く華麗な剣技だった。鮮やかに振るわれる菊一文字の切っ先には、寸分の迷いもない。天然理心流・免許皆伝の名に相応しい、無明の剣。身体ごと真っ直ぐに切り結んでいく彼女の剣は、どこまでも純真で無垢な女の心を映したそれだった。

 

ある種対極とも言える、ふたりの剣の使い手。双方共に一歩も引かず、相手へ切っ先を向けた睨み合いを続けながら、世間話でもするかのような気軽さで言葉を交わす。

 

「あの頃なら、か。……今なら勝てる、と言いたいようだな」

「いえ、正直今も苦戦していますよ。それでも――」

 

そう言って、沖田は肩を竦めて微笑んでみせる。土方が良く知る、じゃじゃ馬娘の顔で。

 

「負ける訳には、いきませんから」

 

――だって。

ここで負けたら……貴方にもう、褒めて貰えないじゃないですか。

仕合に勝つたび、貴方が私の頭を撫でながら、“よくやった”と褒めてくれるのが――嬉しくて、うれしくて。

だから私は、強くなった。誰よりも、強く。誰よりも、貴方のお役に立てるように。

 

沖田は一歩踏み込むと、目にも止まらぬ速さで胴を狙い、刀身を薙いだ。しかし土方は、そう来る事を知っていたかのように下段で合わせて掬い上げると、そのまま鍔競り合いに持ち込んでいく。

 

「……そうかよ。なら今度こそ、その生意気な矜持――完膚なきまで叩き折ってやる」

 

軋む刀越しに見詰め合い、土方は言った。技で負けても、力では土方の方が勝っている。白刃が沖田の方へと傾き、迫っていく。天然理心流の技“虎尾剣”に倣い、構えを崩してそのまま斬り上げるつもりだった。

 

――総司は人斬りになれても、俺や他の隊士たちのように、意図して人を斬る人殺しには決してなれない。

総司は自分の損得や打算の為に、人を斬れるような人間ではないのだ。この娘は、“誰かのため”にしか人を斬れない。こいつが人斬りになったのは、そもそも、俺のせいなのだから。

 

本当に彼女の幸せを想うなら、共に行くと言って聞かないあいつの心を手酷く折ってでも、郷里に置いて出れば良かったのだ。

だが、それが俺にはできなかった。“あいつの剣が役に立つから”なんていうのは、大義名分の綺麗事だ。

 

離したくなかった。離れたくなかった。手離して、他の男になど渡したくなかった。たとえ人斬りにしてでも、この女を己の傍に置いておきたかった。

すべては俺が、身勝手な想いを押さえられなかった所為なのだ。

或いは、只一言――お前に告げるだけで良かった。ただそれだけで、良かったのだ。

 

このままでは押し切られると悟って、弾かれざまに沖田は土方が握る柄を蹴り上げる。そうやって追い打ちを封じると、素早く左側に回り込んで突きを繰り出した。

 

「相変わらず、負けず嫌いですね……!」

「お前に、言われたかぁねえ……!」

 

土方は直ぐさま刀を返し、鎬をぶつけて沖田の突きを横へと往なした。刀身に沿って、チリリと火花が散る。

 

「……本当に、意地っ張りなんですから」

 

貴方も、――私も。

 

人斬りになったのは、貴方と同じ夢を追い掛けていたかったから。貴方の一番近くに、いたかったから。恋しい貴方を、知らない誰かに取られたくなかったから――。

鈍い私は、そんな簡単なことに気付けないでいた。そして、貴方が抱えていた想いにも。

私の所為で、どんなに貴方が苦しんでいたのかを。私の為に、どんなに貴方が傷ついていたのかを。

己が抱いている想いが何であるかも知らず、知ろうともせず、これは単なる家族の情だと嫉妬心を誤魔化して、幼い慕情をただぶつけるしかできなかった私は、どうすることもできない貴方をがんじがらめに縛りつけていた。

 

過去の私がずっと言えなかった、ただひとつの言葉を――今の私なら、言える。

 

鈴のように澄んだ音を鳴らして、ふたつの刃が弾き合う。互いの姿だけを燃えるような瞳に映して、ふたりは向かい合った。

 

(私は、貴方を)

(俺は、お前を)

 

 

―――愛している。

 

 

平正眼に刀を構え、沖田が縮地の第一歩を踏み出そうとした――その時だった。

 

「――かはッ……!」

 

彼女の口元から、ごぼりと赤い血が溢れる。沖田の虚弱な身体は、とうに限界を迎えていた。大地に刃を突き立て、ふらつく身体を支えようとする沖田を見据えたまま、土方が叫ぶ。

 

「――総司ィ!!」

 

彼は柄を握った己が両手を、忌々しげに見遣った。土方の指や足の先からは、既に感覚が失せつつあった。魔力供給が途切れたこの肉体が現界していられなくなるのは、もはや時間の問題だ。

 

「……次が、最後だ。正真正銘、俺の総てを賭けた最後の一撃――」

 

言って土方は、兼定を鞘の内に収める。腰を低くしたその構えは、沖田にも覚えがある。男の得意とした、見切り抜刀術のそれだ。

 

「だから……手前も来やがれ、総司。手前の想い、全部、受け止めてやる」

 

沖田は口元に袖を遣り、鮮血を拭った。ぐらつく脚に気合いを込め、凍土を強く踏みしめて――菊一文字の切っ先に片手を添えながら、真っ直ぐに兄弟子へと刃を向ける。それは正しく、幕末きっての天才剣士・沖田総司の魔剣――“無明三段突き”の構えだった。

 

相対するは、土方の得意とする秘剣“向抜撃剣”――それは起死回生の見切り技だ。相手の剣技の“おこり”を読み、慣性重力の加速度を乗せて抜き放たれる刃は、神速をも超える。土方が沖田の三段突きに勝つには、この技に賭けるしかなかった。

 

土方の見切りが先か、沖田がそれを超えた速さで打ち込むか。勝敗は一瞬で決まるだろう。

 

「……一歩、音越え」

 

女の脚が、音もなく雪を踏む。風に舞う花弁の如く、桜色の髪がふわりと靡いた。

 

「二歩、無間」

 

土方の双眸が獲物を狙う鷹の如く、飛び込んでくる沖田の一挙一動を捉えている。男の指先が、刀の柄を握り込んだ。

 

「三歩、――絶刀!!」

 

女の瞳から散っていった涙の雫が、清らかな輝きをその場に残した。浅葱色の残影を伴って、刹那――沖田の身体は空間を飛び超え、土方の眼前に迫っていた。

 

 

「“無明三段突き”!!!」

「――“向抜撃剣”!!!」

 

魂の総てを乗せたふたつの宝具(やいば)がぶつかり合い――朝日よりも眩ゆい剣閃が、剣士ふたりを呑み込んでいった。

 

 

※※※

 

 

「……これで、136勝めですね」

 

刀身を失くした和泉守兼定の柄が、濡れた砂浜の上に転がっている。

沖田は仰向けに倒れた兄弟子の胸に跨って、その喉元に愛刀の切っ先を合わせていた。

 

「違うな、135勝めだ」

「……もう。あなたというひとは」

 

困ったように眉を寄せた沖田に、土方がにやりと口角を上げた。残心のまま動かない妹弟子へ、急かすように彼は言った。

 

「いいから、斬れ。……手前ぇはいつまでも甘っちょろい餓鬼だったからな。わざわざ俺が命令してやらなきゃ、人を斬ることも出来ねえか」

「貴方こそ。……その脇差を抜いて、私を斬る事も出来たでしょうに」

 

土方を見降ろす琥珀の瞳は、涙の色で滲んでいる。その濡れた眦へ伸ばそうとした土方の指先は、光の泡となって消え失せていた。

 

「どあほう。……もう、指一本動かす力も残っちゃいねえよ」

 

ああ、――畜生。

神や仏がいるんなら、そいつは大層な皮肉屋だ。惚れた女がこうして黄泉の国から戻ってきてやがるのに、この手で抱きしめることもできやしない。

 

「――別れの時だ、総司」

 

男の身体を構成する霊基が、次第に質量を失っていく。儚い輝きと共に散華していく土方を見詰めながら、沖田は言った。

 

「また、あえますか」

「……。俺には、わからん」

 

答えて、土方は瞑目した。次の逢瀬があるかも分からぬ女の顔を、瞼の裏へ焼きつけておくように。

 

「もし、もしも…また、あえたら」

 

繰り返す沖田の声は、駄々を捏ねる少女のそれのようだった。彼女はそっと手の甲で涙を払って、こう続ける。

 

「貴方に、お伝えしたい想いがあるんです。……聞いてくださいますか?」

「……ああ」

 

観念したように瞼を持ち上げ、男は小さく笑った。

 

……いいだろう。また会えたなら、その時はこの腕で抱き締めてやる。

だから――。

 

お前はそこで、待っていろ。

 



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Act.16 転生流転

かくて、1869年の蝦夷・箱館――その特異点の歪みは正された。

 

黒田了介率いる新政府軍は、まやかしの力を失った五稜郭をその日のうちに攻め落とし、蝦夷島政府に全面降伏の白旗を上げさせた。榎本は捕えられ、クーデターの首謀者として一度は投獄されたものの、彼の能力を高く買っていた黒田は後に、坊主のように剃髪してまで新政府に榎本の釈放を訴えたのだという。

 

――そしてここには、正しく修正された歴史の裏の立役者たちが揃っていた。

薩摩の兵たちと顔を合わせればきっと面倒な事になると、立香たちは彼らから逃れるようにして、どこまでも続くような海沿いの道を歩いていた。

 

「その、――私の気持ちを酌んでくれて、ありがとうございました。……島津」

 

不意に。沖田が前を歩いていた豊久の背中へ向かって、小さく告げた。

 

「礼は要らん。あの男との決着は、“あっち”で着ける」

「え?」

 

立香がきょとんとした顔で訊ねると、豊久はニッと笑って彼女たちの方を振り返る。

 

「俺もそろそろ、誰ぞに“呼ばれ”ちょるようじゃ」

 

晴れやかに笑う戦国武将。その身体は鈍い輝きを放ち、徐々に薄れ始めていた。彼らの様子をモニタリングしていた管制室のロマンが、通信機越しに語り掛ける。

 

『なるほどね。――島津豊久、キミは恐らく、聖杯に喚ばれた土方歳三の巻き添えになる形で、この世界に召喚されて来たんだ。

彼が消えた今、キミもまた元の座に戻るだろう。それが果たして我々の知識にあるそれなのか、はたまたキミがやってきたという世界なのかは――ボクたちの預かり知るところではないけれど』

「そっか。でも、それならまたいつか……どこかで会えるかもしれない。そういうことだよね、豊久さん」

 

彼と共にカルデアへ戻れないという事実を寂しく思いながらも、立香は明るく微笑み返す。同時、消えてしまわないうちにと手を伸ばして、豊久へと差し出した。豊久はそれを大きな掌で、確りと握り返す。

 

「薩摩ん子孫が未来(さき)ば見れたのは、僥倖じゃったど。無論、主らに逢うた事ものう」

「――お豊!」

 

握手を交わす二人の横から、信長がずいと割り込んできた。豊久の鼻先に指を突きつけながら、彼女は言う。

 

「向こうの“儂”に伝えおくが良い。“せくはらはほどほどにせい、織田信長の風評被害も甚だしい!”――とな!」

「……いや、ノッブ。あなたがそれを言いますか。言っちゃいますか」

「信、ようと見たら外套の下は素っ裸でんなかか。ふむ、主ゃにそがいか趣味ばあったとは――」

 

沖田の的確な突っ込みに、天然かわざとなのか判断つかない豊久の指摘が続いた。顔を真っ赤にして怒鳴り散らす信長と屈託のない立香の笑い声が、箱館の高い空に響き渡った――。

 

 

※※※

 

Act.■ 終幕

 

人理継続保障機関・フィニス=カルデア。

人類悪から未来を守り抜く為に日々、過酷な戦いを続ける彼らにも、ほんのひととき――平穏な日常が与えられていた。

 

壁を一枚隔てた廊下から、慌ただしい足音が聞こえてくる。和風に設えた部屋の中、沖田総司は刀掛台から菊一文字則宗を取り上げて、腰へと帯びた。

その時だった。壁の向こう側から沖田を呼ぶ、賑やかな声がひとつ、ふたつ。

 

「おい人斬り、何をぼさっとしておる!クエストに置いてゆくぞ!」

「沖田さぁーん、はやく、はやく!」

「はーい、只今!」

 

沖田を急かして扉を叩く、信長と立香の二人組。威勢良く返事を返して、沖田はすっと、背筋を伸ばして立ち上がった。

 

「それでは――行って参りますね。土方さん」

 

小さく呟き、沖田は床板の脇にこさえた書院を横目で眺めた。そこには質素な一輪挿しに咲く桜の花と――刃のない和泉守兼定の柄が、大事そうに飾られていた。

 

「総司は、待っております。いつまでも、いつまでも――貴方が私を手折って、手元に置いて下さるその時を」

 

浅葱の羽織を颯爽と翻し、彼女は部屋を後にする。綻び始めた淡色の蕾は、やがて来るであろう幸福な春を予感させた。

 

 

【鬼哭血風録~相思相殺~・完】

 




【あとがき、という名の駄文~シリアスな余韻を楽しみたい方は、閲覧注意~】

ここまでの長いお付き合い、本当にありがとうございました!そして同時に、お疲れ様でした…!ついに「鬼哭血風録~相思相殺~」全三話、ここに完結の運びとなりました。お気に入りや評価、コメントなど大いに活力を分け与えて下さった皆さんに、感謝…圧倒的感謝…!

プロットから起こして書き始めた時は、「大体五万字もあれば終わるよね」等と軽い気持ちでおりました。――が、しかし!!実際、執筆を終えて見ればなんと、まさかまさかの約十万字……書き終って字数を見た瞬間、目が飛び出るかと思いました。というか、ガチで腱鞘炎になりかけましたorz

ともあれ、何とか無事にこうして長編の連載を終えまして、本当にすっきりと晴れやかな気分でおります。ここに土方×沖田の全てを置いてきた!というところでしょうか。やりたかったことをやりきったという充足感で、心満たされております…。
ここまで飽きずにずっとお付き合い下さった皆様がた、ドリフinFGOの世界は如何でしたでしょうか。文字書きとしても絵描きとしてもまだまだ未熟者が思いのまま書きなぐっただけの作品ですので、読み辛いとか、自己解釈多すぎとか、誤字脱字とか、歴史のお勉強不足とか、夢見すぎとか、色々あったかと思います。それでも最後までこうして読んでくださったことに、感謝の念に堪えません。

FGOとドリフターズのコラボレーション作品は先人の方が多数おられるようで、クロスオーバーに対する寛容な土台があったとは言え、作品の違うキャラクター同士の恋愛を全面に押し出した当作品は異端であり、賛否両論が分かれるものだと思います。正直これはないわー、と思う方が大勢いらしたとしても、それは至極当然のことだと受け止めております。
しかし、世界に700万以上存在するそれぞれカルデアは、ひとつとして同じものではない筈です。そのうちのひとつ、私のところのカルデアはこんな感じですよ、という気持ちで、私はいつも物語を書いて(描いて)おります。それこそが私の中では真実であり、沖田さんたちの幸せが詰まった世界であると信じているのです。(実際にコラボはされておりませんが…!)
こうして読んで下さった皆様の中で、お一人でも多くの方が私の妄想カルデア事情を見て、「こんなカルデアもありだよね」と思ってくださったなら、こんなに嬉しい事はありません。ましてや「ドリフ世界の土方さんとFGO世界の沖田さんがこんな関係であっても、素敵だと思う」と共感して下さった方がいらしたら、更に、更に嬉しく思います!

……と、そんなこんなで今回もぐだぐだな後書きになってまいりましたが、ここで本編の注釈などを幾つかしておきますね。

今回はラスボスとして、ウェパルという新しい魔神柱を創作で出してみました。心臓おいてけー。魔神ウェパルは人魚の姿で現れるソロモン72柱のうち1柱で、船を沈めたり造り出したり、霧を発生させたり、人の傷を拡げて腐食させたりする能力を持っているのだそうです。海軍副総裁であった榎本さんとは波長が合うのでは?と思い、彼(彼女?)に登場していただいた次第でした。(実は作者は新撰組オタクの上に、ソロモン72柱オタクでもあります。名前と序列と能力全部覚えようと頑張ってた厨二病な黒歴史よ…)

お次はお豊さんの宝具“捨て奸”ですが、これは恐らく殆どの方が予想されていたのではないかなーと(笑)豊さんといえばこれですもんね。効果としては簡単に言うと、HPを捨てる代わりにとんでもなくぶっ壊れた攻撃力を叩き出す、というものです。アーラシュ先生のステラの類似品みたいな扱いになってしまったのが少々残念ではありますが…(でもステラは本当に強いですよね(笑))

そして土方さんの宝具ですが、今回もうひとつ別なものが出て参りました。この“向抜撃剣”、実はこちらが土方さん本来の宝具です。セイバーとして召喚された場合、多分これになるのだと思います。本作品中では、中ノ章で登場させた“接舷交戦(アボルダージュ)”は、聖杯(というか魔神ウェパル)の力で付与された借りものに近い宝具、という設定でした。なので、聖杯の力がなければ使用できません。あんなん出して来られたら無理ゲーですし…(笑)
ちなみに本当にこの技、土方さんが使ってたみたいです。本来ならお互い抜刀していない段階で使う抜刀術ですが、展開の都合上、普通のカウンター攻撃になりました(おい)

聖杯や召喚などについてもかなり独自解釈やこじつけも多かったですが、細かい所はノリとテンションで乗り切っていただけると幸いです(汗)

因みに、今後投稿予定の「動かねば闇にへだつや花と水」と「咲いて、結ばず(後編)」――この二つの作品は、こちらの真エンディングとなっております。実はこの作品たち、この捏造コラボイベントよりも前に執筆し、pixivに投稿したものでした。なので台詞などで多少の矛盾も出てくるかもしれませんが、そこは後付け故のご愛嬌ということで宜しくお願いします…(笑)

では、最後に――改めまして、ここまでのお付き合い、本当に、本当にありがとうございました!
どうか願わくば、この作品を好きになってくださった皆さんの胸の片隅に、私の思い描いた理想のカルデアが息づいて――土方さんと沖田さんの恋物語が、末永く続いていきますように。

【あとがきと言う名の駄文・完】


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動かねば闇にへだつや花と水

Pixivにて、こちらが一番最初に投稿した土方(ドリフ)×沖田(Fate)小説になります。
クロスオーバーカップルということでスル―や批判を覚悟の上で投稿したものでしたが、予想以上の方に快く受け入れていただけたり、沢山の方にブックマークしていただいたにも関わらずこちらの手違いで一度誤削除してしまったりと(汗)色々と思い出深い作品になっております。
土方さんの口調が今書いている作品よりもなんだか固かったり、”鬼哭血風録”と若干矛盾?のようなものを感じられるかもしれませんが(作中で、以前の戦いに言及していないので)、上記のように色々と思い入れが深いものでしたので、敢えて手を加えることなくそのままこちらにも掲載しようと思います。

――土方(ドリフ)×沖田(Fate)を愛して下さる全ての皆様へ、心からの感謝をこめて。願わくばこれからも末長く、ふたりの関係を見守ってやってくださいませ。


 

「と、いうわけで―――大人しくしてて下さいね、土方さん」

 

同世代の女性たちからすれば発育の良い方だった自分より、更に頭ひとつぶんは上背のある男の体躯を馬乗りになって見降ろしながら、少女が言った。

抜けるように澄んだ肌、凛と引き結ばれた小作りな唇と、眦の切れ上がった涼やかな瞳。美少女と評して何ら申し分のない顔立ちだが、――いかんせん、その眼光というのが非常に危ない。

琥珀色の双眸はらんらんと輝いて、見る者によっては獲物を前にした捕食者のようにも見えるだろう。彼女によって床の上に押し倒されている人物が太刀と脇差を携えた大柄な成人男子でなければ、カルデア緊急セクハラ審議会が開かれる程度の事案になっていた所である。

 

もっとも――それを見上げる男の目付きも、凡人のそれではなかったが。鬼気迫る顔で腹の上に跨った妹分に、元より苦虫を噛み潰したような渋面をまた一段と険しいものに変えて、男が返す。

 

「……何の真似だ、総司」

 

「え、何って……勿論、今から既成事実を作るんです。

そりゃあ、私も初めてですから不安もありますけど……一応、その、春画とか……マスターからウ=ス異本なるものをお借りして、一通りのことは学習して来ましたから」

 

きょとんとした面持ちで事も無げに言い放つ妹分――沖田総司に、かつて鬼の副長と呼ばれた男は柳の葉にも似た薄い唇を一度噤んで、諦観の溜め息を吐く。

 

「……誰にそんなふざけた事を吹き込まれた?」

 

「だ…大丈夫です!分からないところは気合いで何とかします!安心して沖田さんにお任せください」

 

「誰の入れ知恵だと、聞いている」

 

……聞かずとも、概ね察しはついているのだが。

軽い眩暈に目を瞑れば、新たな己の主君――であるらしい、垢抜けない少女のしたり顔が脳裏に浮かんだ。

 

苛立ちを隠せない様子の兄弟子に、沖田はバツが悪そうに口籠ってしまった。

 

「……それは、まぁ……マスター、ですけど」

 

「あなたがカルデアに召喚される前に、私、マスターから言われたんです。

“沖田さんって、土方さんの事になるとすごく生き生きとした顔で話をするよね”――って」

 

例えば、色恋沙汰が派手だった、とか、たくあん好きの土方に付き合って、彼が親戚から貰って来た樽一杯のたくあんを毎日のように食べさせられた、とか。

内容は不平不満と言えるものが多かったが、彼女との世間話の中にやたらと土方と言う名が上がる事に、鈍感さに定評のあるマスターとはいえ流石に気付いたのだろう。要は、それだけその相手を気にして見ていた、ということである。

終いには、まるでだらしのない恋人の愚痴のふりして惚気ているようだ、と笑われてしまった。

 

「自分では、全然気付いてなかったんですけど……その一言でずっと、心の中にあった靄が晴れたような気がしたんです。胸に閊えていたものが、すとん、って落ちてきたと言いますか。

……笑っちゃいますよね、こんな簡単なことだったのに。マスターに指摘されるまで、自分の感情に気付けないでいたなんて」

 

本当は、他の女性と並んで歩くあなたを見るのが悔しかった。

好きでもないたくあんを毎日無理して食べたのも、あなたが喜んでくれると思ったから。

 

自嘲するように、少女が笑う。頬を掻く華奢な指は相変わらず、討幕派に恐れられた剣豪の手とは思えぬほど嫋やかなものとして、土方の目に映っていた。

 

「今度こそ、何もできずに後悔しないように。心に誓ったんです、もしいつか、あなたに再会するようなことがあったら――あなたの前で、ちゃんと言おうと」

 

そう言って、男の腹上に尻を据えたまま居住まいを正す姿は少々滑稽ではあったが、当の本人は真剣そのもの。こほん、と咳払いをひとつした後、沖田が続ける。

 

「私……あなたに置いて行かれるのは、イヤです」

 

少女の告白を受けて、滅多に感情を伺わせることのなかった人斬りが僅かに瞠目する。それを見つけた沖田が、どこか照れ臭そうな微笑を浮かべた。

 

生前、女として添い遂げる事は、出来なかった。ならばせめて、男として同じ志の下、最後まで共に戦うと誓えども――病に斃れ、それすらも叶わなかった。

 

……でも、互いに英霊となった今ならば。

 

「私って、そんなに魅力、ないですか?

確かに、その……島原の太夫や祇園の芸妓みたいに、色気も女らしい教養も……ないですけど」

 

その問いに、土方は答えなかった。死人のように冷たい瞳が、内面を洞察するように沖田の眸を覗きこんでいる。

 

この世界に召喚されてからというもの、彼は何人足りとも他者を寄せ付けようとしなかった。己以外のものは何一つ視界に入っていないとでも言わんばかりの顔で、全ての干渉を跳ね退けている。共に誠の旗の下で戦い、家族同然だった少女すらも。

元より誰とでも打ち解けるような性分の男ではなかったが、英霊となってからはその傾向が顕著だった。沖田が没した十月後の、五稜郭。最果ての地での熾烈な戦いが、彼を妄執に囚われた復讐者に変えてしまったのだろうか。

肝心な時に役立たずだった自分はもう必要ないと言われているようで、沖田はそれが悲しかった。

 

その上、勇気を振り絞った一世一代のこの告白すらも拒絶されたら――今度こそ、どうしようもない。

 

男としても、女としても。英霊として仮初めの生を受けた今でさえ、あなたの傍にはいられないのか。

口惜しさで、沖田の目に涙が滲んだ。いつの間にか土方の軍装ごと握りこんでいた指先が、わなわなと震えている。

熟考の果てにやっと言葉を探し当てたのか、男が慎重に、重たげなその口を開いた。

 

「……お前は、俺にとっては妹分だ。それに、身体の弱いお前が耐えられるか」

「耐えられます。いたいのも、くるしいのも、なんだって……耐えてみせますから」

 

冷たく付き離すような――それでいてどこか沖田を気遣うように選ばれた土方の言葉へ被せるようにして、沖田は即答してみせる。威勢良く張った筈の声は、情けなくも半ば涙声になっていた。

 

「傍にいたい。たとえ、お役に立てなくても……女でも、男でも、なんでもいい。今度こそ最後まで、土方さん……あなたの傍に、居たいです」

 

濡れた琥珀色が、男を真っ直ぐに見詰めた。

土方はやはり、答えない。

答えない、その代わりに――。

 

「総司」

 

短く名を呼んで、少女の白い襟合わせを掴んだ。落ちてくる柔い身体を鍛えられた胸板で支えて――乱暴に、唇を塞ぐ。目の前で日を浴びた麦穂のように美しい瞳が、驚きも露わに見開かれた。

数秒の交わりの後に唇を解放してやると、魂が抜けたようにぼんやりとしている沖田に、活を入れるが如き低い声が飛んでくる。

 

「ならば――女でも、男でもなく……沖田総司として、俺の傍にいろ」

「……へっ?」

「女だ男だと、瑣末な事を気にするような惰弱はいらん。お前はお前として、その想いを貫く覚悟さえあればいい」

 

間の抜けた声が返る。状況をいまいち呑み込めていないらしい沖田の様子に、土方が諭すように付け加えた。

 

「――墓の穴まで、ついてこい」

 

沖田の乱れた前髪を、広い掌がくしゃりと撫でた。南蛮人のそれに似て色素の薄い髪は、散る間際の桜花を思わせる。己が散ると知りながら、最後まで命を燃やして咲き誇る、大和の桜。

 

杯を交わした義兄弟の処刑を止められず、大事な女の死に際さえ看取ってやれなかった。

口惜しくなかった筈がない。『二度目』があるなら、今度こそ――そう思っていた。

 

子供のように泣きじゃくる沖田に抱きつかれながら、土方は『二度目』を手にしてから初めて、鋼の如く冷たかった面貌に人らしい感情を滲ませていた。

 

 

※※※

 

 

――後日、魔人アーチャーこと織田信長のマイルームにて。

 

「……と、いう事を言われた訳ですが。あなたはどう思いますか?ノッブ」

 

手土産にしたハーゲ○ダッツのバニラアイスを頬張りながら適当な相槌を打っている相方に、沖田が問い掛けた。言葉の合間に、同じくハー○ンダッツの抹茶をぱくりと一口。

 

「そりゃあ勿論、嬉しかったですよ?嬉しかったですとも!

ただ――何かこう、肝心な部分をはぐらかされたような気がしないでもないんですよねー……」

 

もはや愚痴なのか惚気なのか分からない相方の悩みに、黙々とスプーンを動かしていた信長が、ここに来てようやく口を挟んだ。

 

「そなたは贅沢者じゃのう」

 

眉根を寄せたその表情からは、面倒くさい奴め、という心情がありありと見て取れる。半ば溶けかけたアイスをぐりぐりと掻き混ぜてソフトクリーム状に整えながら、呆れたように信長が続けた。

 

「墓の穴までついてこい、じゃと?それぶっちゃけ、プロポーズされたも同然ではないか」

「ぷっ、ぷろ……―――~~!!!?」

 

 

 

――数秒後、信長のバニラアイスが、ソースを掛け過ぎた苺サンデーに変貌したことは言うまでもない。

 

 

 

【動かねば闇にへだつや花と水・完】

 



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【鬼哭血風録~相思相殺~外伝】咲いて、結ばず(後編)

土方(ドリフ)×沖田(Fate)外伝”咲いて結ばず”の後編です。ネタバレを防ぐために本来一話完結だったものを、その後半部分だけ”鬼哭血風録”のエンディング後に投稿させていただくことになりました。
少し性的なものを匂わせる描写も含まれます(R18にするほどではないですが)ので、苦手な方はご注意くださいませ。

この作品を持ちまして、”鬼哭血風録”としてひとつに纏めたお話を完結とさせていただきます。
この後もちまちま土方(ドリフ)×沖田(Fate)の健全小説を短編や短い連載ものとしてこちら、ハーメルンにも投稿させていただくと思いますが、ご興味をもたれた方は是非、今後とも宜しくお願い致します!


「ひじ、かた……さん?」

 

目を開ければ、少女が澄んだ琥珀色を瞬かせてそこにいた。

伸ばした筈の手は、確かにその細い手首を掴んでいる。しかし、布団の上に居た筈の沖田は、きょとんとした顔で土方を上から見下ろしていた。

視界が、逆転した?――違う。横になっていたのは最初から、己の方だ。

 

「えっと、悪い夢でも見ていたんですか?何だかひどく、うなされていたようだったので」

 

瞑目する。ああ――そうか。俺は地獄の底から、何の因果かこの“かるであ”という場所に喚ばれ、連れて来られたのだ。

夢と現の間を彷徨っていた記憶が、漸く手元に戻ってきた。安堵したように息を吐く土方の様子を見て、沖田は可笑しそうに肩を揺らして笑った。

 

「私、もう心配で心配で。本当はマスターとお出かけする約束があったんですけど、断っちゃいました。……後でしっかり、土方さんが埋め合わせして来てくださいね?」

「……お前の好きでそうしたんだろが。俺の知った事か」

 

憎まれ口を叩きながら、存在を確かめるように沖田の手首へ指先を滑らせる。滑らかで温かい、生気を帯びた女の肌が、現実のものとしてそこにあった。くすぐったそうに、沖田が身じろぐ。

 

「あは、くすぐったいです……さっきから、一体どうしたんですか?土方さんらしくもない」

「……美しい花ならば、ただ眺めているよりも……こうして触れて、愛でる方がずっと良い」

 

そのまま腕を引き寄せれば、あっ、と、愛らしい唇から小さな声が漏れた。その唇を奪って、ほっそりとした腰を抱きながら褥に引きずり込む。

 

抱きしめて、唇を吸って。

近藤の言う通り、意地など張らず――最初から、こうしていればよかったのかもしれない。

 

「もう、土方さんっ……まだ、日も高い時間ですよ?」

 

唇を尖らせる沖田だったが、胸元へ縋りついてくる指先を見るに、満更でもないようだった。その仕草を許諾の証と見て取ると、土方は大きな掌で着物の襟合わせを開きに掛かった。

何度抱こうが、沖田はその都度、生娘のように初々しい反応を返してくる。組み敷かれながら胸元を乱され、顔を赤らめ恥じらう少女の姿は、得も言われず愛いものだった。

 

「……仇花に、実を生らせてやりたくなってな」

「え……?」

 

――我ながら、馬鹿な冗談を言ったものだ。この娘の愚直さが、いつの間にか己にも移ってしまったのかもしれない。

 

ふ、と口元に微苦笑を滲ませると、土方はもう一度沖田の唇を塞いだ。己とよく似て頑固な妹分に、これ以上余計な言葉を言わされるその前に。

 

 

【咲いて、結ばず・完】

 




まずはここまで読んで下さった皆様に、多大な感謝を。本当に、本当に、ありがとうございました!

土方(ドリフ)×沖田(Fate)の一連のストーリー、いかがでしたでしょうか?
クロスオーバーカップルをメインに打ち出した作品ですから、かなり賛否両論分かれるものだったかと思います。様々な印象をもたれた方がいらっしゃるかと思いますが、それでもこのわたしの妄想カルデアを共に愛して下さる方がひとりでもいらっしゃいましたら、もうそれ以上望むものはありません。
どうか皆様の記憶の片隅に、ふたりの恋物語がかけがえのないものとして残ります事を。

それでは、また次のお話でお会いしましょう!
そして本作への沢山のお気に入り登録、評価などなど、ありがとうございました!


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