ダンジョンに性交を求める眷属の物語 (kuracjaponski)
しおりを挟む

一巻相当分
プロローグ もう一つの眷属の物語―ファミリア・ミィス― 


 ここは迷宮都市オラリオ。

 

 太古からこの地に存在するダンジョン―無限に湧き出る怪物と、未知なる資源が眠る迷宮―に富と名声を求め、世界中から人々が集まる文字通りの世界の中心だ。ダンジョンがこのオラリオにもたらしたものは、英雄譚に語られるほどの栄光や、贅を極める巨万の富だけに留まらない。

 

 天界での暮らしに退屈した神々が現世に降臨し、人々に恩恵(ファルナ)を授けた。その神の恩恵を受けた人々は人間の限界を越え、超人的な能力を発現し、親でもある神の能力に近づくという権利を得たのだった。

 

 かくしてオラリオはここ数百年間歴史の中心として幾多の人々・神々を受け入れ、数々の英雄や豪商を生み、同時に数多の犠牲者も出してきた。

 

 

 

 そんな迷宮都市オラリオの一角で。

 今日も新たな冒険を始める人々が街へ入る審査を受けるため、城壁のように高く聳え立つゲートの前で、列をなしていた。

 

 「おい、門兵。さっさと通せ。こんな俗物共と一緒に列をなして入国を待つなんぞ、真っ平ごめんと言うところだ。もう三十分は外で待たされているぞ。貴様らの鈍い仕事に付き合わされる身にもなってみろ。え、何とも思わんのか?三下どもが」

 

 浅黒い肌に、漆黒の髪。血のように赤く、ナイフのように鋭い目つきをしたヒューマンは悪態を吐いた。

 

 「はいはい、お前こそ感謝するんだな。お前がダンジョンへ入ったら十分と経たずにモンスターの腹の中だ。こうして待っている以上は、お前も残りの人生を楽しめていると言うわけだ。はい、次の方どうぞ!」

 

 オラリオを管理するギルドと連携して、ガネーシャファミリアは慈善的に街の出入りを管理していた。オラリオが誇るファミリアの顔ぶれの錚々たるは言うまでもないが、その戦力が外へ流出したとなっては一大事。だからオラリオに住む冒険者たち、また一般人たちは、この場所を簡単に離れることはできないようになっている。

 

 門兵は歴戦のファミリアの中でも最上位に位置する、ガネーシャファミリアの一員だ。毎日毎日途切れることなくオラリオに入ってくる人々には、さっきの男のように無礼な輩もいる。誰が彼にどんな罵詈雑言を浴びせたとしても、彼としては慣れっこだったうえ、殴りかかってくるような命知らずには、恩恵―ファルナ―を授かった神の眷属の力がどれほどのものかわからせてやることもできる。だからこの日も門兵は先の不届きものに対して、別段代り映えしないいつもの感情を吐き出したのだった。

 

「おとといきやがれ、糞野郎」

 

 「…なんだと?」

 

 ぎくり、と門兵は先の男を見た。その紅い目のヒューマンが放った言葉の威圧感に、歴戦の勇士であるはずの彼が一瞬たじろいだ。

 

 その瞬間、刹那の間に門兵は右手を切り落とされた。

 

 「ぐ、おおおおおおおおおおっ……!」

 

 剣を抜いたのも見えぬほどの早業だった。

 

 列をなしていた人々は驚愕の相貌を浮かべ、あたりの門兵たちが血相を変えて集まってきた。

 

 「なんだ、おい!?」

 

 「ならず者だ、ひっ捕らえろ!」

 

 切っ先を紅い血で染めた剣を握りながら、手を切り落とした男は叫んだ。

 

 「糞野郎はお前だ。間抜けな門兵ども!捕らえられると思うならやってみろ!俺の名はハムザ、英雄になる男だ!はははは!どけ~!道を開けろ、軟弱者!」

 

 その男、ハムザは武装した門兵の波を正面から突破し、オラリオの門をくぐった。

 

 門兵はあっけに取られ、姿が見えなくなるまで彼の背中を見送っていた。一体、どういうことだ?

 

 恩恵―ファルナ―を授かり、常人離れしたはずの自分たちが、ただの一般人に出し抜かれるとは。一点を突破する疾風のように突っ込んできた男の気迫を前に、猛者たちは怯んでしまっていた。考えられることは一つ。やつもまた、恩恵―ファルナ―を受けた身に違いない…。

 

 ハムザは走っていた。門兵を斬ったからには、ギルド本部が黙っちゃいまい。オラリオの表舞台に居場所はないということだ。

 

 「それなら、裏舞台か」

 

 そう呟いてオラリオを疾駆する。行く先は一つ。そう。男の夢、歓楽街だ。あははうふふな情事の楽園。美女が股を開いて俺様を待っているとなれば、いかない理由がどこにある?はやる心に足を早めようとした途端、裏路地から出てきた小柄なヒューマンにぶつかった。ヒューマンの少年は情けなく地面にしりもちをついた。

 

 「おいてめぇ、どこ見てやがる!」

 

 「あ、ご、ごごごめんなさいっ!?すみませんっ!」

 

 ルベライトの瞳に、白髪のヒューマン。背丈はハムザの三分の二ほどだ。よわよわしく俯く少年をよそに、ハムザは歓楽街へと走っていった。

 

 少年は呟いた。

 

 「はぁ…。ついてないなぁ。ファミリアには入れない、ボクを雇ってくれる神様はみつからないかぁ」

 

 太陽は真上からオラリオを照らしていた。いつものようにファミリアへ自分を売り込みに行くのだが、今日も収穫はゼロだった。彼のように弱々しい年端もいかない若造を受け入れるファミリアなど、オラリオにはないかと思われた。溜息をつくと、小さな影が少年を覆う。

 

 「きみぃ、ファミリアを探しているのかい?奇遇だねぇ!ボクはファミリアに入る子供を探しているんだ。ねぇ、よかったらボクのファミリアに入る、最初に団員になってくれないかい?」

 

 振り返ると、その女神は。

 

 少年にとっては眩しすぎる笑顔を浮かべ、ツインテールをなびかせていた。少年はおずおずと聞いた。

 

 「あの、本当にボクなんかでいいんですか、神様?」

 

 「もちろんだよ!むしろボクの方こそそう聞きたいくらいさ!ボクはヘスティア、今はしがない神の一柱をやっているよ!ねぇ君、名前を聞いてもいいかな?」

 

 少年は少し恥ずかしそうに、だが顔をほころばせながら。

 

 「ぼ、僕の名前は、ベル。ベル・クラネルです!」

 

 嬉しそうに相好を崩すベルとヘスティアには、裏通りを走り去っていくハムザの足音はもう届かなくなっていた。

 

 ●

 

 歓楽街に到着したハムザは、言葉を失った。

 

 「…閉まってやがる」

 

 それもそのはず。今は真昼。歓楽街がにぎわい始めるのは夜のとばりが下りてからというのは、当たり前のことだ。

 

 あっけに取られるハムザの背後で、なまめかしい声が聞こえた。

 

 「何をしておるのだ?」

 

 暗い路地裏から姿を現したその影に、ハムザは声を失った。

 

 (うおおおっ!なんという美女!なびくプラチナヘアー!雪のように白い肌!そして新緑色の瞳!おっぱいも、うおっ!でけぇ!くそっ、揉みしだいてやりたいっ…!)

 

 「なんじゃ、いやらしい目つきをしておるのう。お前の名前は?」

 

 威厳と淫猥さが混在したその姿は、見る者を虜にする一種の魔力のようなものを秘めているように思われた。肌を隠す布地は薄く、露出は多い。まるで天界の娼婦のような雰囲気で、その絶世の美女はハムザに話しかけていた。

 

 おほん、と咳ばらいをして、いつもよりトーンの低い声で言う。

 

 「俺はハムザ。海のある遠い場所から来た。最強の紳士であり、この世界をいずれ統べる英雄になる男だ」

 

 美女はクスッと笑い、手を差し伸べて言った。

 

 「面白い男だ。私はテルクシノエ。ムーサの四柱の一人。つまり、神様じゃ。どうかな、ハムザ。私はオラリオに来て日が浅い。見たところお前もそうだろう。ここはひとつ、二人で新しいファミリアを始める気はないか?」

 

 燦然と照り付ける太陽の下、迷宮都市オラリオ。今日この時、新たに二つのファミリアがひっそりと誕生したことを、街の住民たちは知る由もない。

 ルベライトの少年と、漆黒のヒューマン。決して交わることのない二人が紡いだのは、別々の英雄譚。

 

 そう、これはもう一つの眷属の物語(ファミリア・ミィス)

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章-テルクシノエ・ファミリア-

 晴天はオラリオの住民たちを暖かい日差しで優しく照らしてくれるようなことはなく、日の当たる路地を歩く人々に汗を滴らせている。だからボール遊びをしていた男の子が噴水広場の北側にある路地裏で、日陰に隠れて遊ぶのをやめてしまったのも、当然のことだった。

 

 その路地裏をまっすぐ抜けた先にある、歓楽街。入り組んだ小路は日中とは思えないほど暗く、この娼婦の根城には洗濯物や手桶など、雑多な日常品があちらこちらに置いてあったり、ぶら下がったりしている。

 

 そんな光の届かない文字通り闇の路地裏では、新参者の神様が娼婦紛いの団員勧誘をしているともっぱら話題になっていた。

 

 神の美の象徴である躰を何の対価もなく味わえるとあって、その神様が住むテントは夜な夜な集まってくる種族を問わない性欲旺盛な男たちでにぎわっているのが常だった。

 

 しかし、今は真昼。そして今テントの中にいるのは、素性の知れぬゴロツキではなく紛れもない団員だった。

 

 「よし。ではこれで契約は済んだというわけじゃな。神の血(イコル)によりお前の体はステイタスの恩恵を受けている。これで晴れて我々はファミリアになったというわけじゃ。気分はどうだ?」

 

 上半身裸に虚空を見やるハムザ。その体には既に神の力が反映されているのだが。

 

 「何も変わらんな?え?えげつない魔法が打てたりとか、上空一万メートルまでジャンプできたりとか、そんな気配は何も感じないぜ、主神様」

 

 「当然じゃ。お前はまだレベル1。ここで言ったら、下級冒険者だ。要は雑魚じゃよ。ただし私の直感通り、お前には特別なスキルが備わっていたようじゃな。これを見てみぃ、ふざけたスキルじゃないか」

 

 テルクシノエはハムザの背中に刻まれたステイタスを、本来の神聖文字(ヒエログリフ)から共通語(コイネー)に翻訳した紙切れをはらりと地面に落とした。

 

 ハムザ・スムルト

 Lv.1

 力:H 145  耐久:I 80  器用:H 120  敏捷:I 80 魔力:I 0

<魔法> 【】

<スキル> 【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 共通語(コイネー)が記された紙切れを眺めながら、テルクシノエは笑っていた。

 

 「はははは!性交一途、いいじゃないか!実に紳士らしいスキルじゃ。これでここに根城を構えて、毎晩毎晩ゴロツキ共を相手していたのも報われたというものだ。私はな、ハムザ。お前を見たその時から我がファミリアにはお前しかおらんと確信しておった。他の男どもは抱かせてやれども、私を満足させるような魂の色を持った者はまったく見つからなかったのじゃ」

 

 「それはとんだ淫乱神様だなぁ。まぁ良いわ。これから毎晩情欲を貪るセクロス祭りだ。なんせヤった分だけ強くなるスキルがあるからな、こうしてだべっているのも時間の無駄じゃないか、ふひひひ…」

 

 両手をわしわしと女神に近づいていく変態。その手を、女神が振り払った。

 

 「甘えるな。たまにくらいは相手にしてもやろう。だが毎晩などとはいかんのじゃ。スキルをよう見てみろ、《快感の丈により効果上昇》とある。私の目論見が正しければ、お前は特定の女を何度も抱くよりも、出来るだけたくさんの女を抱いた方が成長するのじゃ」

 

 それに、と女神は付け加える。

 

 「私は可愛いファミリアの団員がたくさんの女を犯すのを見たいのじゃ。エルフの美姫や、屈強なアマゾネスの娘を屈服させることができたら、お前をたまらなく愛しく思うじゃろう。オラリオ中の娘に中出しをして、孕ませてやるのじゃ。どんな卑劣な手を使ってでも、お前はお前の欲求に忠実であってほしい」

 

 ハムザの鋭い深紅の目は、この時確かに揺らめいたように見えた。それは決意の表れであり、目の前に悠然とたたずむこの女神の神意を叶えることこそが自分の目標なのだと、固く誓ったことを証明する大きな感動の表れであった。

 

 内心、ハムザは思っていた。世界中の女を犯したい。問答無用に中出しをしたい、毎朝別々の美女に目覚ましフェラをさせ、気が向いたときに好きな女を犯せるハーレムを作りたい。これこそが男のロマンであり、自分がオラリオに来た理由なのだと。そのためには、命を賭しても構わない。この女神と巡り合えたことこそが僥倖、自分がここに来たことが正しかったと証明する、ただ一つの真実。

 

 「よし、乗ってやろうじゃないか、その神意に。何度も抱きたいと思える女はそう多くない。しかしこのオラリオにはそういうハイレベルな女がいくらでもいると聞く。この俺様が一般人・冒険者・娼婦を問わず片っ端から手籠めにしてやろう。種族はもちろんコンプリートだ。獣人(デミ・ヒューマン)、アマゾネス、エルフ、ヒューマンはもちろん小人族(パルゥム)にドワーフ、果てには神様まで、全部俺のものだ!」

 

 「その意気じゃよ、ハムザ。それはそうと…」

 

 ところで、と。女神は素朴な疑問をハムザに投げかけた。

 

 「お前はどうしてここに来た?日中に歓楽街を訪れるなど、狂気の沙汰とは言わないまでも普通とは思えん。もしや日中にもどこか営業してないかと、淡い希望を抱いていたか?それほどまでに溜め込んでいたのか?えぇ、どうじゃ」

 

 情欲をそそる顔つきで全身を舐めまわすように見つめる女神にむらむらさせられながらも、ハムザはこれまでのいきさつをすべて説明した。

 

 今朝オラリオの門を叩いたこと。門番と一悶着起こし、ついカッとなって雑魚の腕を切り落としてしまったこと。連中はそろいもそろって能無しだったこと。ギルドに目をつけられれば日陰者の生活を強いられるだろうと考え、急いで歓楽街まで足を運んだこと。娼館で寝泊りしていれば、ギルドには見つからないだろうと考えていたこと。予想に反してどこの娼館も閉まっており、絶望したこと。

 

 今日起きたことを淡々と女神に報告をした。一方その女神は、笑いをかみ殺しながら応えた。いわく、初日に騒動を起こすなど予想外だとか、ガネーシャ・ファミリアの門兵の包囲網をたやすく突破したのはさらに予想外だとか。

 

 「連中はな、ハムザ。このオラリオで有数の超巨大ファミリアだ。当然団員は猛者ぞろいじゃ。報復もさることながら、今頃ギルドではお前を賞金首に仕立てあげているに違いない。まぁ過ぎたことをとやかく言っても仕方ないがの。ここは子供のかわいい過ちを、主神であるこの私がどうにか尻ぬぐいしてやらねばならんな…」

 

 ガネーシャ、か。女神はそう呟いて、さっと外出用の薄手のローブを羽織った。

 

 「それではハムザ、私は野暮用に出かける。お前はメインストリートを決してうろつくな。このことは私が何とかする。それまでおとなしくここで待っているんじゃ。わかったな」

 

 そう言って女神は路地裏の陰へと消えていった。残されたハムザは一考する。

 

 おとなしく、か。不思議な言葉だ。俺には意味がわからんな。どれ、我がファミリアは零細だ。弱小だ。

 ここはひとつ、夜を待って間抜けなゴロツキから金品をせしめて主神様の帰りを待つとしよう。俺は一秒たりともおとなしくなんかするものか。おとなしさなんてそんなもん、バラバラに切り刻んで野良犬にでもくれてしまえ!

 

 ならず者の高笑いは空まで響き、歓楽街の夜の住民たちは迷惑そうに寝返りをうった。

 

 

 

 

 「ゴブリンに負けちゃったーーーー!?」

 

 ヘスティアは、ボロボロになって帰ってきたベルを見て、思わず抱きしめた。

 

 ダンジョンに住むモンスターの中でも、最弱に分類されるゴブリン。最弱といえども、モンスターはモンスターであるから、多少腕に覚えがあっても命を落とすものは少なくない。だから初めてダンジョンに出かけたベルがこうして傷だらけになって帰ってくるのも、ヘスティアは予感していないわけではなかった。なのだが。

 

 (うーん、おかしいなぁ。確かにこの子と出会ったとき、あの場所で特別な力を感じた気がしたんだけど。ボクの気のせいだったのかなぁ)

 

 うんうん、と頭を振りかぶるツインテールの神様は。

 

 (いや、いいんだっ!特別なスキルもなくて、よわっちくても、ベル君はボクの大事なパートナーさ!)

 

 「そうだろ、ベル君っ!?」

 

 「へっ!?あ、あの、神様…。本当にごめんなさい、こんな弱くて、ろくに戦えない僕を拾ってもらって、逆に迷惑してないかなって思って…」

 

 「そんなこと思う必要ないぜ、ベル君!最初は誰だってゴブリンにやられるもんだって、僕の神友が言ってたのを今思い出したぜ!だから元気をだして。さぁ、ボクは君と一緒なら、毎日じゃが丸くんと乾パンだけでも、これっぽっちも侘しくもないもんさ!」

 

 優しい言葉で励まされながら、か弱い腕の中で抱きしめられながら、ベルは自身の弱さを呪った。ステイタスの恩恵を受けても変わらない自分が、心底憎くなっていた。しかし、どうすることもできない。ベル・クラネルは特別ではないという恐怖が、心の中で大きくなっていく気がした。

 

 

 その日の晩、例日どおり強かな娼婦達や快楽にふけるとびきりの紳士たちによって歓楽街はいつもの賑わいを見せていた。

 

 「お兄さん、アタシのおっぱい触らせてあげましょうかぁ?」

 

 「さぁー今日は安いよ!仕入れたての生娘が今ならなんとたったの一万ヴァリス!」

 

 客引き達の熱烈な歓迎は止まることをしらない。そんな雑多で賑やかな路地を歩くたくさんの種族に隠れ、神の一柱が羽付き帽子を深く被って歩いている。眉目麗しい客引きに鼻の下をだらしなく伸ばしながら歩武を進めるその神は、少し人波が小さくなり暗さの増す路地へと曲がったところで、ふいに右手を掴まれて喉元に刃物を突き付けられた。

 

「止まれ、動くな。少しでも不審な動きをすればこのまま喉を切り裂く」

 

 歓楽街の喧騒は今では遥か彼方に思われた。路地の暗がりで、その冷たい声の主は臆面もなく神に向かって刃を突き付けている。後ろから刃物を突き付けられ、凄まじい力で押さえつけられた男神は、何とか平静を取り繕っていた。

 

 「お、おいおい、君ぃ。いくらなんでも神様に対してこんな仕打ちはないだろう?こんな罰当たりなことしちゃあ、ろくなことにならないぜ?きっと今にもうちの万能者-ペルセウス-が…君の大動脈を切り裂いてしまうかも知れないよ…?」

 

 暗がりの中で佇む男と神の一柱。しかし、そんな神の予言は一向に現実になる気配はしなかった。

 

 「悪いな、変態神様。あんたの家来は()()()()()。さっきのセリフは、そこの陰に隠れている透明人間に言った言葉だ」

 

 「ア、アスフィ~?」

 

 暗がりから美女が姿を現した。先刻まで透明だったのは、希代のアイテム・メーカーである彼女の作品、ハデス・ヘッドの効果によるものだ。白いマントを纏い、知的な風貌に生える銀製の眼鏡をかけている。ライトブルーの髪が波打つようにくねり、その鋭い双眸でかの男神ーヘルメスーをにらみつけている。

 

 「だからっ!言ったじゃないですか、ヘルメス様。勝手に前を歩かないで、ちゃんと後ろに付いてきてくださいって。そうじゃないとこの歓楽街でどんなゴロツキにいちゃもんつけられるかわかりませんよ、なんたってうちは胡散臭いことで有名なーヘルメス・ファミリアーなんですからね…」

 

 「一応言っておくが…」

 

 その男は切っ先を神の首筋に突き立てたまま言った。

 

 「俺はゴロツキなんかじゃないぞ。要求を聞きさえすれば、無傷で解放してやる。それにうちのファミリアの膝元であるこの歓楽街で一端の神様がほっつき歩いていたとなれば、怪しまない方がおかしいだろう?」

 

 「うちのファミリア、か…」

 

 ここ歓楽街は、イシュタル・ファミリアのホームである女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)から目と鼻の先だ。美の神である主神イシュタルが取り仕切るこの『夜の街』が彼女の管理下にあることは、オラリオの住人にとっては常識だった。ヘルメスとアスフィは、このゴロツキがその団員であるということに、何の疑いも覚えなかった。

 

 「男の団員も少数いる、とは聞いていたがねぇ…」

 

 ヘルメスは嘆息しながら、顎でアスフィに支持を出す。アスフィは、長年の労苦を伴うこの主神との経験から、それが『要求を呑め』という合図だということを理解した。

 

 「はぁ、まぁいいでしょう。こちらも連絡もなくそのホームに乗り込もうというわけですから…。それで、要求は何ですか?」

 

 その男は試案した。ライトブルーの美女を見やると、あきらめた様子でこちらを見据えている。少し考えてから、その男は言った。

 

 「…実はな、オラリオに住む紳士である以上、歓楽街のお嬢さんたちに挨拶をしないのは失礼だと思っていた。しかし、持ち合わせがなくてな。だから金を寄こせ、と言いたいところだったが」

 

 「だったが…?」

 

 アスフィは、とても嫌な予感がした。ヘルメスのせいで迷惑するのはもうこれで何回目だ。その度に割を食うのは彼女であり、まだうら若い年頃なのにもかかわらず心底疲れたような表情がくせになってしまったのは、主神であるヘルメスのせいだといっても過言ではないだろう。だからその予感が当たっていることも、彼女は分かっていた。

 

 「…そこの君、えらい美女だな。君とセクロスがしたい。条件はガチハメ中出しセクロスだ。そうすればこのは間抜け神を解放してやろう」

 

 やはり、当たっていた、とアスフィは思った。

 

 「…わかりました」

 

 主神の我がままに振り回される日常と決別するいい機会かもしれない。

 

 

 「そんなに死にたいのならヘルメス様もろとも逝ってもらいましょう…!」

 

 殺気立つ己の眷属を、必死に止める主神。

 

 「ままま、待てアスフィ!?いいじゃないか、一度や二度で減るもんでもないんだし、こちらの紳士に歓楽街のプロ達よりも凄いアスフィのテクニックを披露してやっても…それに…これは主神命令だ。言うとおりにするんだ、アスフィ」

 

 ヘルメスの口調は、言い終わる前にはガラッと変わっていた。その意味と重みを理解したのはもちろんアスフィだけだったが。

 

 「…わかりました。偉大で慈悲深いヘルメス様のご命令ということであれば、聞かないわけにはいきません。卑しくもファミリアの団長を務めさせていただいている身分ではありますが、どこの馬の骨とも知らないゴロツキに孕まされても一向に構わないと思われる程度の価値しか持たない女ですし、そもそも女の気持ちなど全く理解していない全能のヘルメス様にとっては、私は道端に転がる泥だらけのじゃが丸君と同じくらい価値のあるものとして大切に扱って頂けているようで何よりです」

 

 恨み節がさく裂し、ヘルメスは口を斜めに釣り上げてひくついている。

 

 「ふひひひ…。まぁ、何はともあれ抱かれるというんなら良いだろう、解放してやるぜ、ヘルメス様」

 

 そういってゴロツキは男神を開放した。その時はじめて神ヘルメスはその男を見る。

 

 切れ味の鋭い刃物のような目つき。深紅の、まるで血みどろになったような色をしている。漆黒の髪と、浅黒い肌の色に相まってその双眸はおぞましいほどの威圧感を放っていた。

 

 (この男、やはり…)

 

 ヘルメスはゆっくりと後ずさり、怒れるアスフィに耳うちした。

 

 (…いいかい、アスフィ。何も理由なく了承したわけじゃない。彼、何か特別なものを持っているよ。イシュタル・ファミリアの切り札かもしれない。ここは適当に一発抜いてやって、情報を引き出すんだ)

 

 はぁ、とため息を吐き、無言でうなずくアスフィ。結局こうなるだろうことは、最初から()()()()()()()()()、とアスフィは内心呟いた。こいつがただのゴロツキで、今のが無事を確保するだけのただのポーズであれば、どんなによかっただろうか。もう一度大きなため息をついて、アスフィは言った。

 

 「それで、まさかここでおっぱじめるわけじゃないんでしょうね?一応言っておきますが、抱くからにはちゃんとした扱いをしなさいよ」

 

 「ぐふふ。わかっておる、わかっておる。この先にテントがある。そこまでエスコートしてやろう。アスフィちゃん。かわええのう、かわええのう」

 

 男はいやらしい手つきでアスフィのお尻をさすり、鼻の下を伸ばしその豊満な胸元を眺めながら、手を取って暗い路地の奥へと進んでいった。

 

 「何が紳士だか…ただの変態じゃない」

 

 アスフィはもう一度深いため息をついて、暗がりへと導かれていった。闇に溶ける直前、彼女は振り返りヘルメスを一瞥した。

 

 とても憎々し気な目つきで。

 

 

 ハムザは上機嫌だった。オラリオに来て初日。釣った女は飛び切りの上物だ。

 

 「ぐふふ、アスフィちゃん。君の水色の髪の毛はなんて美しいんだ。まるで満月に照らされた青白い波打ち際のようだ。触ってみると、ほらこんなにさらさらじゃないか。オラリオ中のビロードを集めてきたってこんなに綺麗な色は見つからないぜ。くんくん。あぁ、至福の香りだ」

 

 「…あなた、見かけによらずベッドでささやくタイプなんですね。それに、親父臭い言葉ばっかり」

 

 「うるさい、俺は詩人じゃないんだ。例えが下手でもいいだろう。それに俺は綺麗なものが好きなんだ。だからアスフィちゃんみたいな知的で美しい女の子は大好物」

 

 ハムザはしばらくアスフィのライトブルーの髪を堪能してから、首筋にキスをした。最初は嫌々連れ込まれたアスフィも、怪しげなろうそく一つだけが灯るほの暗いテントの雰囲気と、これから始まるであろう情事への背徳感に少なからず興奮を覚えていた。

 

 「まったく、アスフィちゃんはとんだエロ娘だなぁ。主神に刃を向けたその男に、その日のうちにセックスさせちゃうなんて、まったくけしからん」

 

 「うるさい、こ、これは命令で…あんっ…」

 

 ハムザはアスフィの耳たぶを噛んだ。捕らえた獲物はじっくりいたぶり、おいしくなったところを頂くのが彼のいつものやり方だった。

 

 「あんっ、だめ…そこ、弱いの…。あぁっ、やめ、なさいっ…」

 

 「ふひひ、アスフィちゃんの弱点は耳たぶと。俺様の心のノートに書いておこう。…しかしまさか、もう濡れてきたなんてことはないよなぁ?」

 

 アスフィは自分の股間が疼いている事に気づいていた。しかしこのまま主導権を握らせたままにするのは自分のプライドが許さない。そう思った彼女はは、大胆にも自らその豊満な胸をはだけさせた。

 

 「うおおっ、でけぇっ!しかも完璧な乳首じゃないか、アスフィたん」

 

 「ふふっ、アスフィたん?変な呼び方しないでください。ねぇ、あなたのペニスも見せて?」

 

 そう言ってアスフィはハムザのズボンに手をかけ、一気に脱がせた。ぶるんっ、と勃起したペニスがアスフィの顔に突き出された。それに恥じらいもせず手を触れ、ぺろっと舐めあげた。

 

 「んっ…おいしっ」

 

 片目を瞑目しながら見上げてくる美女に、ハムザは一瞬で制御を失った。

 

 アスフィの頭を掴み、強引にペニスを口に押し込んだ。

 

 「うおおお、なんてことだ、こんな美人にしゃぶられたらそれだけで射精しちまうだろう」

 

 アスフィは無理矢理頭を掴まれても、遠慮なく奥までペニスを突き上げられても、その動きに合わせて見事な動きでペニスを舐め続けた。その間も白い胸は揉まれ、気づけば乳首は痛いくらいにまで膨れ上がっていた。

 

 「ふひひ…。あぁやばい、気持ちよくなってきた…」

 

 ハムザは幸せそうな顔で腰の動きを早くした。その動きに合わせるように、アスフィは吸いつきを強め、射精へと導く大きなスライドでペニスを刺激していった。

 

 「…あ、やべっ。ぐっ…イクぞっ…!」

 

 アスフィは美しい顔で、白濁の精子を受け止めた。

 

 「あっちょっと、出すぎじゃないですかっ!?」

 

 勢いよくペニスから放たれた精子はアスフィの眼鏡だけでなく髪まで汚し、それでもなお止まらない。仕方なく口に含み、残りを搾り取るように舌で受け止めていく。

 

 「ふぅ、天国天国…。アスフィたんのエロいフェラチオ、気持ちよかった~」

 

 脱力するハムザ。アスフィは口に含んだ精子を、こくりと喉を鳴らして呑み込んだ。

 

 「はぁ、全くあなたはどれだけ出すんですか。常人の三倍は出てましたよ。まったくもう、絶倫ですか」

 

 「そりゃそうだ。ここに来るまで何日もためてきたからな。それに久しぶりのセクロスは極上の美女とだ。喜びのあまり少し気が抜けてしまったが、いくぞ、メインディッシュだっ!」

 

 えええええ~!と声を上げるアスフィ。

 

 (せっかく本番を回避するためにフェラ抜きしたのにっ…!)

 

 「な、まだするつもりですか!?あれだけ出したんだから、満足したんじゃあ…」

 

 視線を落とすと、ハムザのペニスは以前と同じようにしっかりと勃起していた。

 

 ごくり、と唾を飲み込むアスフィ。

 

 (あの量を中出しされたら、本当に妊娠しちゃうんじゃあ…?)

 

 「アスフィたんのとろとろなおまんこをぺろぺろした~い。そのあとは当然がっつり生ハメセクロスを堪能するぞ。ふひひひ、アスフィたん、今夜は寝かせないぜ?」

 

 そおーれ、とアスフィをベッドの上に転がし、まんぐり返すハムザ。スカートの下のパンツは、シミがわからないくらいぐっしょりと濡れている。

 

 「いただきまぁーす」

 

 その上からかぶりつく。アスフィは声を押し殺しきれず、あんあんと漏らしている。

 

 「うまうま。なんかいい匂いがするなぁ。アスフィたんのまん汁にはいい匂いもついてるのか?」

 

 「そんなわけ、あっ…ないでしょう…。魔法香水-マジック・パルフンーです…。体の一部に…ああっんん…噴射する…と…体臭を香水のような臭いに…変換させるぅ…あああっ!」

 

 気が付けばアスフィの下着は脱がされていた。胸元もはだけ、おっぱいが露出しているが服は着ている。マントも装着されたままだが、その短いスカートの中にはもうパンツは履かれておらず、びっしょりと濡れたアスフィまんこが物ほしそうにひくついていた。

 

 「…しっかり出来上がってしまったな、アスフィたん?本来ならここで挿入としたいところだが、せっかくの美女だし、お礼に一回イかせてやろう」

 

 「えっ…ああっ…だめぇ…」

 

 アスフィのまんこは、ハムザの指を二本、あっさりと受け入れた。長い愛撫ですっかり敏感になってしまった膣内を、二本の指が的確に刺激する。びしょびしょにシーツを濡らしながら、気づけばアスフィは全力で股を開き、その快楽に身を任せていた。

 

 「あぁぁぁぁぁ、気持ちいいっ…そこだめっ…あん…あんっ…あっい、イく、あああっ…!」

 

 ビクン、ビクン、と痙攣するアスフィ。それと同時に、膣内が数回うねるのが指の感触で伝わってきた。

 

 「おほほほ、イってしまったなアスフィたん。しかし、なかなかの感度だ。こりゃ生ハメセックスも期待できそうだなぁ」

 

 「…あぁ、もう。いいから、はやく入れてください…」

 

 あっさりとイってしまったことに少し恥じらいながらも、半ばあきらめたようにペニスを求める。

 

 「どうせ、中出しするまで終わらないんでしょう…?」

 

 ハムザはアスフィに覆いかぶさり、まんこにペニスをあてがった。

 

 はぁ、とため息をつくアスフィ。その瞬間、そそり立つ固いペニスがアスフィを満たした。

 

 二人が暗闇に消えてから、数刻。不安げな顔をして、ヘルメスは考え込んでいた。

 

 (いくらなんでも、遅いな、アスフィ…。少し心配だから、様子を見に行った方がいいか)

 

 ヘルメスは二人が消えていった暗闇の方向へ歩いて行った。ほどなくして、ぼろぼろの中型テントが視界に入る。紅目の男は、向こうにテントがあると言っていたからおそらくここで間違いないだろう。近づくと、男女のあえぎ声が聞こえてくる。ヘルメスはそっと、テントの入り口を開いて中の様子を覗いてみる。

 

 「あんっ、もっと、もっと激しく突いて下さいっ!私、ずっとこうやって名前も知らない男とエッチしてみたかったんです…!あぁ、この背徳感がたまらないっ!ああっ…」

 

 「はははは、それはよかった!よっし、では三発目行くぞ!アスフィまんこに種付けフィニッシュじゃ~!」

 

 ペニスから出る精子を全て逃がさないように、アスフィはがっちりと両足で腰をロックしながら射精を受け止めた。

 

 どくん、どくんと精子があふれ出てくるのを感じながら、アスフィは呟いた。

 

 「思ったよりも、癖になりそうですね…。すれ違った程度の見知らぬ男に声をかけられ、求められ、それに応じてただ快楽のためだけに情事にふける…。しまいには中出しを三回も…。いつも理知的に振る舞わなければいけない分、そんな背徳的な行為が開放的で、新鮮で、とても…刺激的です」

 

 射精後の余韻に浸りながら、ハムザはアスフィの上半身を起こし濃厚な口づけをした。アスフィはあっさりそれに応じ、唾液をたっぷり絡めながら舌と舌で激しく求めあった。

 

 「んっ…むっ。…おまけにこんな口づけまで。まるで恋人同士みたいに…。ふふふ。本当に、癖になりそう…」

 

 「そんな分析しなくてもいいんだぞ、アスフィたん。それに俺以外の男とこんな事したら、許さんぞ」

 

 「あら、妬いてくれるんですか?でもご心配なく、私に男漁りをする時間なんてありませんから…」

 

 「ねぇ、ヘルメス様?」

 

 テント内での情事を覗いていたヘルメスは、ぎくりと顔を引っ込めたたが、バレては逃げようがないと思ったのか微笑みながら入ってきた。

 

 「やぁやぁ、主神としては我が子に楽しんでもらって、なによりだよ、アスフィ。ほら二人とも服を着て」

 

 「おい、愛する二人のセックスをのぞき見するなんて、いい趣味してるじゃないか、神ヘルメス」

 

 ハムザはズボン履こうとしたがバランスを崩し、前につんのめってベッドに倒れた。

 

 「あははは…いやぁ、主神として我が眷属が心配でならなかっただけだよ、本当に、ただ心配で。決してちょっと覗いてみようとか、どんなエッチを楽しんでるのかとかを考えていたわけじゃないんだ、いや、本当さ」

 

 アスフィは嘆息した。

 

 「はぁ…本当に、私は素晴らしい神格者に恵まれてとても幸せですよ、ヘルメス様…」

 

 「いやぁ、それほどでも。しかし君、さすがはイシュタル・ファミリアと言ったところかな?あのアスフィにあそこまで言わせるなんて。それにその常人離れした精力。まさしく愛の神の寵愛を受けた、切り札ってところかな?」

 

 鍔付き帽子を深く被りなおしながら、抜け目のない鋭い目つきでヘルメスは見据えた。

 

 「はぁ?イシュタル・ファミリア?お前は何を言ってんだ。俺はハムザ。テルクシノエ・ファミリアの団長、ハムザ様。わかったらさっさと出ていけ。あぁ、アスフィたん君は俺とセックスがしたくなったらいつでもここに来ていいんだぞ。さぁ、胡散臭い神様は行った行った」

 

 「は、はぁ…?」

 

 間抜けに口をあんぐりと開け、呆然とするヘルメス。

 

 

 「ちょっと、どういうことですかヘルメス様っ!」

 

 テントから追い出され、数刻前よりも更に暗さが増した路地の一角を歩きながら、アスフィは今も怒鳴り続けていた。

 

 「だぁかぁらぁっ!もし最初からあの男がイシュタル・ファミリアの団員じゃないとわかっていたら、最初から殺してしまえばよかっただけじゃないですか!まったく、もう。ほんっと、神様の癖してぜんっぜん役に立たないんですから!それにあいつ、言ってましたよね。『これから娼婦を抱きに行きたいが、お金がない』って!よくよく考えれば、イシュタル・ファミリアの団員だったら絶対にそんなことにはなりませんって…」

 

 不平不満は止まらない。

 

 「なんでその時におかしいと思わなかったんです!?私は当然思いました。でもヘルメス様を信じました。その結果私は三発も濃いのを中に出されて!これから朝まで避妊薬を調合するはめになっているのも、全部ヘルメス様のせいですからね。結局神イシュタルには会えず仕舞ですし、何の収穫もなかったじゃありませんかっ!」

 

 ヘルメスはまぁまぁとか、ごめんよぉ、と弱々しく口にしながら、最後の部分だけを訂正した。

 

 「まぁ、落ち着いてくれよアスフィ。収穫ならあったさ。あの男がテルクシノエの子供で、おそらく特殊な力を持っているってことが分かったから。これは神の直感だけど、アスフィ、経験値-エクセリア-にブーストがかかってたりするんじゃないかな?とりあえずホームに着いたら、ステイタスを更新してみよう。明日俺はテルクシノエと話しをしてみるよ。きっと何か情報が引き出せるはずさ」

 

 「はぁ、で、そのテルクシノエっていうのはどんな神様なんですか?」

 

 「うーん。あいつはムーサの一柱さ。芸術を司る神様だ。俺たちの間では、誘うもの者って呼ばれていてね。天界にいる時は、それはもう変わっていたさ…」

 

 そうなんですか、と嘆息するアスフィ。今日は散々だった。ホームに帰ってからも忙しい時間が待っているだろう。中立を気取るヘルメス・ファミリアにはさまざまな依頼が舞い込む。その全てを一身に受けるアスフィには、彼女が言う通り時間などほとんどないようなものだった。

 

 (あの男のセックス、まぁまぁ良かったですが…本当に今度顔を出したら、また優しい言葉をかけてくれるでしょうか…)

 

 ぶるんぶるん、と頭を振るアスフィ。

 

 いけない、いけない。一夜の関係はそれ以上でも、以下でもない。一度だけの逢瀬なら情も移らずに済もうものの、何度も逢瀬を重ねれば来る未来は目に見えている。ファミリアの団長として、他のファミリアの団長と個人的に仲良くなるなんて考えてはいけないことだ。

しかし、きっとまた機会は巡ってくるだろう。アスフィは、そんな事を思いながらこの日最後のため息を漏らした。

 

 (はぁ…ハムザ、か。また会えるといいですね…)

 

 

 魔石灯で彩られたオラリオの夜景は、騒々しくも活気があり、雑多でありながら綺麗だった。ダンジョンから帰還した冒険者たちの興奮した声色や、そんな冒険者を癒す極上の酒へと誘う売り子たちの活発な声に、アスフィのため息はかき消されていった。

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章-青の薬舗とダンジョン攻略-

 迷宮都市オラリオの朝は早い。ダンジョンへ行く冒険者達は日も昇りきらない早朝から街を歩き始めるし、彼らに合わせて商売をする武具屋、道具屋なども数多くあるからだ。

 

 いつも通り、早起きたちのささやきが聞こえ始めた、そんなオラリオの朝。東の空が赤く染まり始めた頃、テルクシノエはようやくホームに着いた。

 

 暗い路地裏にある中型のテントが彼らテルクシノエ・ファミリアの拠点(ホーム)だ。古ぼけ、ところどころに穴が空いている。こんな貧乏臭そうな我が家でも、ないよりはマシであった。

 

 そのテントの入り口には、どこからか拾ってきたであろう木材の切れ端に文字が書かれた看板のようなものが立てかけてある。

 

 『テルクツノエ・ファミりア』

 

 見るからに教養のないその線のうねりを仮にも文字だと呼べるのであれば、それは確かに《テルクシノエ・ファミリア》と読み取れる。

 

 オラリオに流れ着き、ファミリアを結成した最初の朝。眷属の契りを交わした我が子が作った、不器用な看板を愛おしそうに触りながら、テントの中へと入っていく。

 

 「はぁ、疲れた疲れた。おい、ハムザ。主神様のお帰りだぞ」

 

 

 みすぼらしい外見とは裏腹に、テント内部の装飾は豪華だ。黒ずんだキャビネットの上には十寸程ある三叉の蠟燭台があり、テント中心にある支柱には見事な絵画が豪華な額縁に入れられ、飾られている。床はエキゾチックな絨毯で敷き詰められている。その他の調度品もただ一点全てが古ぼけていることを除けば、実に見事なつくりだった。

 

 「こら、起きないか。ハムザ。ハムザ、ハームーザー!起きるのじゃーっ!」

 

 女神は熟睡している自らの眷属をバシバシと叩き起こそうとした。

 

 「ぐ、ううう…。神様、あと五分。むにゃむにゃ…」

 

 起きんな、テルクシノエはそう思った。まぁ、まだ夜が明けて間もないのだから、このまま寝かせてやってもいいのだが、今日はそうも言っていられない。

 

 心地よい眠りに逃げようとする眷属の布団を無理矢理はがし、起きろ起きろとがなり立てる。ハムザは仕方なく体を起こし、眠たげな眼で主神を見た。

 

 「…ぐぅ。こらぁ、うるさい…。せっかく気持ちよく寝ていたのに起こすことないだろう。くそっ、まだ眠い。むにゃむにゃ」

 

 そんな気の抜けた眷属とは対照的に、女神は真剣な顔をしている。

 

 「いいかよく聞け。火急の事態じゃ」

 

 その言葉に、ぴくりと反応した。

 

 「昨晩ガネーシャの所に行った帰り、歓楽街の近くで面白そうな場所を見つけてな。そこで一晩中遊んでいたんだが…」

 

 予想とは裏腹に、プラチナブロンドの女神は罰が悪そうに、歯切れ悪くこう告げた。

 

 「有り金を、全部すってしまったのだ」

 

 ハムザは口をあんぐりと開き、呆然としていた。

 

 発足して間もないテルクシノエ・ファミリアには、もともと貯えと呼べるものはない。だから彼はオラリオに着いてから、自分の持ち金を主神である彼女に預けていた。

 

 「お、俺の金、一体何に使ったんだ…?」

 

 寝起きの頭は、事態を整理しきれていない。

 

 「うむ、カード賭博というやつじゃ。役を作ってな、金を賭けるんじゃ。最初はなかなか調子が良くて勝てたんじゃがな、結局有り金全部すってしまった。いやぁ、すまん、すまん。ははは」

 

 「ははは、じゃねーぞ!俺様が渡した五十万ヴァリス全部すったって本当か!?『ファミリアの経営は私に任せておくのじゃ』とか言ったのはどこのどいつだ!その日のうちにギャンブルですってしまうなんて、夢にも思わなかったというか…」

 

 彼はのそりと起き上がり、主神と相対する。彼女は白金の頭をぽりぽりと掻き、新緑色の瞳を泳がせている。

 

 「まぁまぁ、そう怒ることないじゃろう。金なんてまた稼げばいいだけだ。お前なかなか強くなりそうだし、今日からダンジョン行けばいいじゃないか、のう、ハムザ」

 

 「うん、お前全く反省してないな。俺はもっと女の子と遊びたいからまだダンジョンは行かな~い。死んだらセックスできないからな。だから、この部屋にある調度品とか、そこのぼろい絵とかを売り払ってよこせ。それで当面は働かずに過ごせるだろう」

 

 自分がすってしまった以上自分で何とかするのは当然の事だ。それを俺様に働かせようなど、言語道断である。ましてやギャンブルですったとなれば、これはもう弁解の余地はない。皆無である。

 

 しかし、テルクシノエは泣きそうな顔をしながら懇願した。

 

 「す、すまんがこの品物たちだけは勘弁してくれ。このテントにあるものは全て、天界へと還ってしまった我が子たちとの思い出の品なのじゃ…。これがなくなってしまったら、私はきっと自分を失ってしまう。だから、後生だから…」

 

 急に弱々しく哀願を始めた主神に、内心少し驚いた。我が子たちとの思い出とは、いったいどんな思い出だ?聞きだすまでもなく、主神は自ら説明を始めた。

 

 「この絵はな、今から何百年も前に一緒だったある子供に贈られたものなんじゃ。現世では神の力(アルカナム)を封印しているとは言え、私も一端の芸術の神だ。だから才能を見抜くことにかけては誰にも負けん。でもあの子の作品は、あの子が生きている時にはたったの一枚も売れなかった。当時の流行と比べれば、あまりにも進みすぎていた作風だったのじゃ。あの子の死後、ほどなくして作品は飛ぶように売れ始め、法外な値段が付くようになった。そんな立派なあの子が最初に描いた絵がこれなんじゃ…私を、モデルにしてくれてな…」

 

 ぐすっ、と少し泣きながら、テルクシノエは大切そうに引き出しからボロボロの紙切れを取り出した。

 

 「こっちはとある詩人の詩なんじゃ。彼が三十六歳の時、十四歳の娘に恋をしてな」

 

 「ロリコンじゃねぇか」

 

 「うるさい、純潔を好む子だったんじゃ。法律の仕事をしていたし、立派な性格だった。でも、その恋は相手の親に妨害されてな…」

 

 「そりゃあ、相手もロリコンには渡したくなかったんだろう…」

 

 「それで彼は詩集を編み、私に見せてきた。この作品で彼女の心と、その母親の心を動かせるのだろうかと、私に訊いてきたのじゃ…。それはそれは、素晴らしい作品だった。一節の終わりが次節の始まりに繋がり、彼の愛と同じように終わりというものがないんじゃ。それだけじゃない。全ての節の頭文字を取ると、なんと彼女の名前になるんじゃよ…」

 

 テルクシノエは彼方を見やり、感慨深そうにため息を吐いた。

 

 「それはそれは、美しい作品だった。これはそのオリジナルだ。私はこれを見る度に、報われることのなかった彼の愛の美しさに感動するんじゃ。お前にも、この気持ちがわかるだろう?」

 

 ハムザはあくびをしながら、適当に返事した。

 

 「おう、わかるわかる。ロリコンにつけ狙われた家族はさぞかし怖かっただろうよ。どれ、俺も詩を贈ってやろうか」

 

 思いがけないその言葉に、彼女は目を見開いて驚いた。

 

 「なんと!お前も詩心が分かるのか!お前には芸術を志すよりも、英雄譚に描かれる程の偉大な戦士になってもらいたかったのじゃが。でも嬉しいぞ、ハムザ。お前の作品を、私は是非とも見てみたい」

 

 

 どれどれ、と適当に机に散乱していたボロ紙を取り、羽ペンをインクに浸けた。

 

 ハムザは鼻歌まじりにペンを走らせ、三分もしないうちに作品を完成させた。芸術の女神は目を輝かせながら、愛おしそうにその光景を見つめていた。

 

 「じゃーん!できたぞ、やはり天才!ほれ、我の偉大なる芸術、読んでみよ」

 

 

 『だいめい おっぱい女神』

 

 おっぱい いっぱい揉みたいな

 

 神様 おっぱいおっきいな

 

 揉んで つねって あへあへだ

 

 とろとろになって イっちゃった

 

 

 その小学生レベルの作文を見て、芸術神(ムーサ)の一柱は肩をわなわなと震わせている。

 

 「…て、天才じゃ…!」

 

 驚嘆を隠せないという面持ちで、女神は興奮してその紙切れを掲げた。

 

 「何という新しい韻律!この『おっぱい』と『いっぱい』の韻の美しさよ...。おぉ、『おっきい』にもかかっておるな。ううむ、やはり私の見込み通り、お前には誰にも劣らない素晴らしい美的センスが備わっておるようじゃ...。あぁ、美しいのう。本当に、美しい響きじゃ。完璧な韻律じゃ...」

 

 

 「なんだ、そんなに良いか?」

 

 目を輝かせながら頷く主神を見て、たったひとりの芸術神(ムーサ)の眷属はすっかり上機嫌になっていた。

 

 「…まぁ、俺は天才だからな。なんでも出来てしまうのは、いつものことだ。なそれにしても、何だか朝からいい気分。どれ、こんな日はさくっとダンジョンにでも行って一稼ぎしてくるか!」

 

 先刻までの出来事はすっかり頭から吹き飛んで、ハムザはいい気分で満たされていた。金なんてどうでもいい、とりあえず飯を食えればいい。今では頭の中は能天気な発想でいっぱいになっている。ギャンブルで金をすってしまおうと、自分の才能を正しく評価してくれる神様は本当に神格者だなぁ、と思えるようになっていた。

 

 テルクシノエはというと、今でもハムザの低レベルな作文を大切そうに眺めていた。無計画にダンジョン攻略に乗り出した己の眷属に『行ってらっしゃい、気を付けて』と声を掛けはしたものの、目線は紙切れに落としたままだ。

 

 ハムザが上機嫌でさっさとテントを出て行ってからしばらくして、テルクシノエはひとりごちた。

 

 「ふふふ、あのハムザが私に詩を贈るとはのう…。この詩は何千年も大切にしようぞ。おぉ、そうじゃ。オラリオで一番高い額を買って飾らなければならんな…。ふふふ…」

 

 

 ほどなくしてテルクシノエは大切な事を伝え忘れていることに気づいた。

 

 昨晩彼女がガネーシャを訪ねたのは、ハムザがガネーシャ・ファミリアの門兵を斬りつけた事を釈明するためだった。彼女の予想通りハムザはギルドのブラックリストに載っていたし、賞金首にもなっていた。最初ガネーシャはそれらを取り下げることに反発していたが、テルクシノエの色仕掛けにさくっと引っかかり、結局要求を飲むことになっていたのだ。

 

 (…まぁ、本人も忘れているようだし、何も問題はないか。それに…)

 

 疲れた。

 

 一晩中賭博で遊びほうけていたのだから、彼女は当然睡眠を取っていない。

 

 テルクシノエはハムザが寝ていた古いベッドに横たわり、大切そうに彼の詩を胸に抱きながら、嬉しそうに眠りについた。

 

 こうしてテルクシノエ・ファミリアとしての最初の一日が始まった。

 

 

 

 

 

 「いらっしゃ~い……」

 

 ちゃりんちゃりんとベルが鳴り、客の来店を告げる。店の奥からいつものように気だるげな声を投げかけて、縄張りに入り込んできたカモ、もとい()()()に高価な薬を売りつける。

 

 ナァーザ・エリスイスの日常は、そんなお店の営業と魔法薬の制作に、主神であるミアハへの恋慕を少し足せば完成する。

 

 「よう!久しぶり!」

 

 勢いよく入ってきた客と思して男に、勢いよく挨拶をされた。しかし、男に見覚えはなかった。

 

 「久しぶり……」

 

 知り合いだったらまずいと思い、ナァーザはとりあえず返事をした。

 

 「初対面だ。ばか。引っかかったな!」

 

 子供じみた発言にいらっとさせられる。身なりの悪いヒューマンは、下品に笑って問いかけてきた。

 

 「ところで、ここは何のお店だ?」

 

 もしも彼女のファミリアが貧窮してなければ、この客に外に出て看板を見るように促しただろう。ここミアハ・ファミリアが運営する『青の薬舗』は主に回復薬を販売しているとか、商業系ファミリアとしては小規模で、同業者であるゴブニュ・ファミリアと比べれば月とすっぽんであるとか、陳列されている商品の質も他店と比べればそこまで良くはないとか、それでもお客様のダンジョン攻略を手伝うためまじめに真摯に日々ポーションを作っているとか、そういうお節介を並べ立てて真っ当な商売を営むための説明を始めていたかもしれない。

 

 だが現実として、ミアハ・ファミリアは貧窮していた。だから彼女は間抜けな顔をして入り込んできたカモに、こういったのだ。

 

 「うちはとっても質の良い回復薬を扱う専門店…。ここに並んでいる薬はどれも最上級最高品質。ちょっと値が張るけど、効果は保証する……」

 

 漆黒の髪に紅の目をしたゴロツキ風のそのヒューマンは、フラスコに入れられた極彩色の薬品たちを眺めている。

 

 「これ全部君が作ったのか?ふ~ん。まっ、俺クラスの冒険者には回復薬は必要ないが」

 

 ナァーザは首を傾げた。目の前の男は冒険者風でもなければ、ましてや手練れにも見えない。かくいう自分自身も、昔はダンジョンに潜り込み数々の死線を潜ってきた元・冒険者の一人だ。

 

 薬品を手にとっては棚に戻すその男の手つきが危なっかしかったのと、せっかくのカモを取り逃がしたくなかったので、彼女は男に近づいた。

 

 「どんな冒険者にもポーションは必要……。それにキミ、そんなに強く見えない……初めてダンジョンに行くんなら、気を付けて……」

 

 そういって右手の義手『銀の腕(アガートラム)』を見せた。

 

 「……これは昔、私がダンジョンでへまをした代償。ポーションが必要ない程、ダンジョンは甘くない。だからこれなんかがおすすめ。一口飲めば、どんな傷もばっちり。今ならたったの一万ヴァリス……」

 

 彼女の営業トークとは裏腹に、その男は全く無関係の事柄に興味を示す。

 

 「…おおっ!?君、しっぽが生えてるな!よく見れば頭に耳がのっかっているじゃないか。犬人(シアンスロープ)か!」

 

 男はそのいやらしい目つきでナァーザを眺めている。その目線はまず、頭に生えた耳へ。次に肩まで垂れ下がったブラウンヘアー。気だるげな目と、目が合った。そして鼻の下を伸ばしながら膨らんんだ胸元をじっくり観察し、最後には肉付きの良い腰へ。

 

 無遠慮なエロ視線を感じながら、僅かに身じろぎして尻尾を背中に隠した。

 

 「……お客さん、うちは()()()()()()じゃないんで。そういうのは、別料金……」

 

 男は、鋭い目つきに似合わぬ屈託のない笑顔でがはははは、と笑いながらナァーザへ顔を近づける。

 

 「俺はハムザだ。テルクシノエ・ファミリアの団長、ハムザ様だ。よろしく。今日はダンジョンに行こうと思ってるが、防具がないんでなぁ。この辺りで武器屋を探していたのだ」

 

 無遠慮な男から後ずさりして逃げたナァーザはカウンターに座った。

 

 「テルクシノエ・ファミリアって聞かない名前……。でも、今からダンジョンに行くならなおさらポーションが必要……?」

 

 カウンターの下からフラスコに入った青色の薬品を取り出し、ハムザに見せた。

 

 「今ならこの最高級ハイポーションが、たったの五千ヴァリス……。本当は一万ヴァリスだけど、お客さんいい人だから安くしておくよ~……」

 

 いい人などとは良く言ったものだ。ましてや、この回復薬の中身は普通のポーションの失敗作。本来店頭に並べられないものを、この失礼なゴロツキに売りつけようという魂胆だった。だからこの客が哀れにもその話を信じ込み『じゃあそれを寄こせ』と言った時には、若干の罪悪感さえ感じていた。

 

 「最高級品こそ偉大なる英雄には良く似合う、そうだろ?可愛い店員ちゃん」

 

 「……それはもう、お客さんからは凄いオーラがびしびし伝わってる……」

 

 「そうだなぁ。じゃあそのポーション一つと、犬人(シアンスロープ)の可愛い店員ちゃん、君とセクロスするには幾ら払えばいい?」

 

 「………えぇ?」

 

 凍りつくナァーザをよそに、ゴロツキ風の男は粗悪品ポーションを手で弄びながら、ナァーザが座っているカウンターに身を乗り出してきた。

 

 「君、可愛いな。お肌も白くて綺麗だし、気だるげだけど少し知的な感じがして超好み。きっとこれは運命だ。俺たちは、中出しセクロスする運命にあるんだ」

 

 「……えっと。私は非売品。それと武器屋はここの向かいにあるから。じゃ、さよなら~……」

 

 変態だ。初対面でいきなりセックスがしたいなんて言う人間は、今まで会ったことがない。きっと目の前の男は変態で、関わってしまえば碌なことにならない。そう直感したナァーザは、この不審者をお店から追い払おうとした。しかし、前の男は頑として動かない。

 

 「では百万ヴァリスでどうだ?」

 

 ごくり、と喉をならすナァーザ。百万ヴァリスは、大金だ。今の零細ファミリアにとっては大きすぎる金額であり、歓楽街の娼婦たちでもそんな額は取らない。それだけのお金があれば、ミアハ・ファミリアは余裕をもって回していける……。

 

 「……本気?そんなお金があるようには見えない。……でも払うんなら、前金払い。ここに百万ヴァリスを持ってきたら、考えてあげてもいい……」

 

 「よしよし、わかった、わかった。今は金を持っていないから、これからダンジョンに行って荒稼ぎしてきてやる。今夜はしっかり営業しておけよ!」

 

 男はそう言って店から出て行った。一人取り残されたナァーザは、ぽかんと口を開けて呟いた。

 

 「何だったんだろう……」

 

 ダンジョンで一日に百万ヴァリスも稼ぐことが出来るのは、ほんの一握りだけだ。それだけの金額となれば大量の魔石にドロップアイテムを確保する必要がある。必然的に、多人数パーティを形成できる者か一人で深部まで辿り着くことが出来る猛者だけだ。今の男は、凄腕の冒険者か、単独攻略(ソロプレイ)専門の猛者だったのか。あるいは、ただの馬鹿か。

 

 そこでふと、ある事に気づく。

 

 あの男からポーションの代金を貰っていない。恐らく先ほどの男は詐欺師だったのだろう。

 

 訳のわからない事を言って混乱させた挙句逃げるというのが奴の手口だ。

 

 「悔しい……」

 

 そう呟いているうちに、再びベルが鳴り客の来店を告げた。

 

 「いらっしゃ~い……」

 

 こうして朝からうるさく波を立てられはしたものの、日常の歯車は再び今まで通りに回り始めた。

 

 

 群青色の壁面と天井。魔石の輝きが辺り一面を明るく照らしている。ダンジョン深部と比べれば、ここ一階層はそれほど危険ではない。

 

 しかし、それはあくまでも『恩恵』を授かり、激戦を潜り抜けた強者たちにとってだけの話であり、下級冒険者たちにはとってはれっきとした『危険なダンジョン』そのものである。今日もダンジョンは哀れな下級冒険者たち、弱者たちを何人も飲み込むだろう。

 

 ここから生まれ落ちるモンスターたちは、空腹のためか、あるいは生まれ持った破壊衝動に駆られてか、迷い込んだ弱きものたちを求めて跋扈している。

 

 ダンジョンを甘く見るな。ここでは常識が通用しない。異常事態は日常茶飯事だ。ゆめゆめ忘れるな、冒険者のほとんどがこの下層域で命を落としていることを。ダンジョンへ向かう新米たちには、こういった心得をギルドの受付嬢たちが口を酸っぱくして伝えていることだろう。

 

 

 

 ザンっ、とロングソードでゴブリンを屠る男。ハムザ・スムルトは、今日初めてダンジョンに入った新米冒険者。言うなれば素人中の素人である。

 

「…楽勝楽勝。本当に雑魚しかいないな、低階層は。あぁ~早く帰って可愛い犬の店員ちゃんとスケベしたいなぁ…」

 

 緊張感のない、弛緩した空気。新米にとっては致命的である態度にも関らず、一階層をさまようモンスターたちは彼の敵ではなかった。

 

 『恩恵』を受けて初めてのダンジョン攻略。生身では考えられない程向上した身体能力と、持ち前の恐れ知らずの思い切りの良さをもってさくさくと敵を屠っていく。

 

 ろくにマッピングもせず適当に群青色の通路を進んでいくと、そこには巨大な大広間が広がっていた。

 

 その大広間に、血まみれになって倒れる冒険者に群がる影があった。

 

 息絶えた人間を貪っているのは、犬頭のモンスター『コボルト』の群れだ。

 

 コボルトの群れは生きた肉の臭いに気づき、一斉に頭を振り返りギラリと目を光らせる。

 

『ガルルルルル……』

 

 (多いな。五匹、六匹…。どれ、タイマンも飽きてきたし、まとめて相手してみるか)

 

 群れは鋭い爪を立てて近づいてくる。

 

 三メートル程の距離まで近づいてきた途端、先頭にいた二匹が勢いよく飛び掛かってきた。

 

 『ガァッ!』

 

 飛び掛かりをバックステップでいなし、隙だらけのコボルトにロングソードをお見舞いしようとした途端。

 

 背後から別のコボルトが襲い掛かり、ハムザの右肩に嚙みついた。

 

 「おおおっ!?くそっ、何しやがる!」

 

 慌てて飛び退くも遅く、コボルトの牙が肩の一部に食い込み、じわりと血が滲んだ。

 

 「やべっ…」

 

 (…鎧がなかったら危なかったかもな)

 

 ダンジョンに入る直前、ハムザは冒険者ギルドを訪れた。そこで長ったらしい説明を受け、ついでに初期装備である鎧と武器が配給されていたのだ。もともと自前の剣を所持していた彼は、見るからに安そうな新米冒険者用の鎧だけを着て、ここダンジョン一階層へと潜り込んだ。

 

 (あのハーフエルフの可愛い受付嬢に感謝しなければ…)

 

 血がしたたり落ちる右肩を抑えつつ、拳に力を込めてみる。剣の柄をグッと握りしめ、まだ十分に戦闘可能であることを確認したハムザは、再びコボルトの群れと正面から相対する。

 

 「調子に乗るなよ!聞き分けの悪いワンコはまとめてお仕置きじゃーっ!」

 

 先刻と同じように飛び込んでくる二頭のコボルト。今度は回避せず、タイミングを合わせて斬りかかった。

 

 『グエェェェっ!?』

 

 ザシュッ、と脇腹を切り裂いたロングソード。二頭の間をうまく縫って潜り抜け、ついでに攻撃も食らわせる。

 

 攻撃態勢のモンスターに飛び込んでいくなど、傍から見れば無謀かもしれない。しかし今はそうは言っていられない。最もまずいのは、別のコボルト達に包囲されることだ。

 

 先ほどの様に後ろへ回避すれば、残りの連中に回り込まれてしまう。いかにタイマンでは負け知らずでも、包囲されてしまえば分が悪い。

 

 コボルトの群れは一頭を失っても怯むことはなく、同じように隊列を組んで二頭が飛び掛かってくる。

 

 「バカの一つ覚えかっ!」

 

 今度は二匹同時に斬り捨てる。パターンが分かってしまえば、どうということはない。もともと力の差があるマッチアップだ。間髪入れず、今度は自分から群れへと飛び掛かる。

 

 一瞬のうちにコボルトの頭が切断され、ごとんと地面に落ちた。

 

 『ク、クゥーン…』

 

 そんな仲間を見て、哀願にも思える声を上げる残りの二匹。目の前の冒険者は狂暴な顔をして襲い掛かってくる。

 

 『ギャンッ…!?』

 

 血だまりをつくるコボルトの死骸にロングソードを立て、体内から魔石を穿り出す。途端にコボルトは灰になり、消えた。

 

 「ふん、雑魚どもが束になったところで英雄の敵ではない」

 

 びきり、びきりと音が聞こえる。その方向へ振り返ると、ダンジョンの壁に亀裂が入り先ほどの倍以上もある数のコボルトの群れが生まれ落ちた。

 

 「…面白ろい」

 

 レッグホルスターにあったポーションをぐいっとあおり、再び戦闘態勢に。

 

 「ママの子宮に引っ込んでろぉぉぉぉっ!」

 

 それから半日の間、モンスターの悲鳴が大広間にこだまし続けていた。

 

 

 オラリオほど豊かな街は世界中どこを探しても見つからない。『恩恵』を受けた冒険者たちが街にもたらす経済効果は凄まじく、今最も勢いのある場所がこの迷宮都市だ。

 

 街に点在する豪華な建造物の中でもとりわけ意匠を凝らして作られているの場所がある。ダンジョンへと向かう冒険者たちを支援する組織、ギルド本部。

 

 足を踏み入れるものを無意識に緊張させる、荘厳な空間。大理石で作られたロビーで、下品な声がとどろいた。

 

 「たったの一万ヴァリスっ!?」

 

 朝から夜までダンジョンでモンスターを相手に戦い続けて得た金額、一万ヴァリス。

 

 彼が新米冒険者であることを考えれば、これは決して少ない額ではない。むしろ、初めてにしては上出来だと言える程である。それでもハムザは不服そうに顔をしかめながら、換金所の窓をどんどん叩きながら不満をぶちまけている。職員はその様子を迷惑そうに眺めていた。

 

 「エイナ~。あのヒューマン、エイナの担当でしょ?いかにも気品がありません、って感じであたし好みじゃな~い。ちょっと何とかしてきてよ」

 

 同僚に咎められるエイナ。しかし、その男が野蛮なのは彼女の責任ではない。むしろどうにかしてほしいのは、自分の方だ。そう思いながら頭を抱えて嘆息する。

 

 (今朝もロビーで大騒ぎするし、人目を憚らず卑猥な発言を大声で叫びだすし、自分は天才だの偉大な英雄だの言っておきながら、ダンジョン経験皆無のど素人!)

 

 「おらぁ!俺は今夜百万ヴァリス必要なんだ!一万ヴァリスだと!?足元見やがって、責任もっててめぇが百万借りてこい!ギルド職員だからって調子こいてんじゃねぇぞ、このウスノロの田吾作が!」

 

 冒険者が魔石やドロップアイテムの鑑定額に文句を言うのは珍しいことではない。しかし、ここまで粘り強いクレーマーはそういない。やがて換金所付近では人だかりが出来はじめ、調子のいい同業者たちが面白がってはやし立てた。

 

 「そうだそうだっ!いつも足元見やがって糞ジジイ!」

 

 「てめぇーもたまにはダンジョン潜って魔石を集めてきてみろよ!きっと一階層でゴブリンに腰抜かして、しょんべんまき散らすにきまってるけどな!」

 

 「あはははは!そうだ、そうだ!しょんべんジジイは棺桶に引っ込んでろー!」

 

 やんややんやと騒ぎが広がり、やがて収集が付かなくなる。

 

 「ちょっとエイナ。まじでやばいって~。本当にどうにかしないと、こっちの責任問題にもなっちゃうよ……」

 

 (もう!何なのよ!資料見たらつい昨日まで賞金首になっていたし、報告にはガネーシャ・ファミリア相手に殺人未遂まで犯してる、とんだゴロツキじゃないのっ!)

 

 あぁもう、と。

 

 エイナの中で、ぷつりと何かが切れる音がした。

 

 「うるさぁぁぁぁ~い!!ギルドの鑑定士は超一流!それに文句をつけるあなたたちは三流よ!自分がふがいなくて稼ぎが悪いからって!それを他人のせいにしないで下さいっ!だからあなたたちは、いつまでも下級冒険者なのよっ!」

 

 普段は温厚で思いやりのある美人ハーフエルフが見せた鬼の形相に、冒険者たちはすっかり怒気を抜かれてしまった。

 

 エイナさんまじ怖えぇ、俺のエイナ像がぁ、という声が聞こえてくる。やりすぎたかも知れないと彼女は思った。

 

 「……エイナ~。それはちょっと言いすぎじゃ…。報告書レベルだよ~…」

 

 (なっ…。あんたが私を焚きつけたんでしょう!?)

 

 わなわなと怒りで震えるエイナをよそに、同僚はあちゃーという仕草で知らんぷりである。野次馬がそそくさと退散して行ったが、騒ぎの張本人はまだロビーにいた。エイナは目を合わせないように、無理をして仕事に戻ろうとした。

 

 独りになりたい、穴があったら入りたい。そんな彼女の願いは、一瞬にして砕かれた。

 

 「いよっ!エイナちゃん。さっきのは最高だったぞ~。有象無象に文句を言う資格はない。文句を言っていいのは英雄であるこの俺だけだ。君はさすが俺の見込んだ美女。おかげですっきりしたぞ。お礼に英雄と一晩セクロスする権利をあげよう」

 

 再び爆発しそうになる感情を必死で抑える。これ以上騒ぎを起こすわけにはいかない。それこそ、報告書どころではなくなる。下手したら謹慎処分にまで発展してしまうかも知れない。エイナは何とか心を落ち着かせようとし、真っ白な頭から言葉を絞り出した。

 

 「…換金が済みましたら、もうお引き取り下さい。それと、今後決してギルドで騒ぎは起こさないと誓ってください。もし同じようなことをすれば、その時は…」

 

 うつむきながら、必死で感情を殺す。切れてはいけない、切れてはいけない…。

 

 「…あなたを厚生させてみせます。…全力で」

 

 本当の事を言えば。次は容赦はしないと、そう言いたかった。しかし言葉が出る直前、エイナの中でまだ平静を保っている自分が必死で呼びかけていた。自分を見失ってはいけない。エイナ・チュールはどんな悪人にも優しく語りかけ、慈悲の心で罪を清めてやるべきだ。そんな心の声に従った結果出た言葉だった。

 

 「…おぉ。それ、なんかいいな。俺が悪さをする。そうするとエイナちゃんが止めにくる。俺は好きな女の子にかまって貰うために、いたずらをするタイプなんだ」

 

 当の本人は全く反省を見せず、下品に笑いながらギルドを後にした。職場の同僚は気まずそうに、そっとエイナから視線を外して自分たちの仕事に戻っていった。

 

 (もう、最悪…。)

 

 「おい、チュール!チュールはいるか!?」

 

 不幸は重なる。必ずその跡継ぎをともなってやってくる。エイナの上司であり、ギルド長でもあるロイマンが、先ほどの騒ぎのことを聞きつけたのか、デスクにやってきた。今しがた起きた騒ぎの責任を取らされるのだろうか。もうすぐ帰宅時間だというのに、始末書を書かされるのだろうか…。あぁ、はやく帰って布団を被ってしまいたい。

 

 「ここにいたか、チュール。騒ぎの原因、例のテルクシノエ様の団員だな?」

 

 はい、と返答する。換金所の鑑定額に不満だったようです、と付け加える。次には怒鳴られるだろうか。でぷっと太ったこの『ギルドの豚』、『エルフの生き恥』に嫌味ったらしく説教されるのだろうか。しかし、ロイマンの発言はエイナの予想を見事に裏切った。

 

 「まぁ、それはよくあることだ。原因が向こうにあるのであれば、構わん。お前が怒鳴り散らして冒険者を罵倒していたとしても、そんなことで始末書を書かせるのは時間の無駄だ。それよりも、奴の報告書は見たか?」

 

 ほっと肩をなでおろす。怒られなかった。上司のロイマンにしては珍しく小言も言ってこない。あぁ、よかったと思いながら返答する。報告書は見た。しかしロイマンによると、あのゴロツキ冒険者は珍しいスキルを発現させたと、主神による報告があったらしい。エイナは慌ててて手元にあった報告書に目を落とす。

 

 テルクシノエ・ファミリア所属。団長、ハムザ・スムルト。レベル1。未確認の特殊スキルを所持している模様。詳細は別紙参照されたし。

 

 (未確認スキル?いけない、別紙があったのに気が付かなかった。)

 

 ぱらり、とページをめくると、そこには。

 

 スキル:【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 「…ちょっと、何なの、これ…。」

 

 聞いたこともないスキル名。そして恐ろしい効果。もしこれが本当なら、オラリオ中が大騒ぎするほどの稀有なスキルだろう。

 

 「…というわけで、エイナ。お前はやつの担当になっているわけだから、このスキルについて更に詳細な報告書をつくれ。神様のことだ、恐らくここに書かれていることだけが全てではない。発現の条件、状況、詳しい内容を探り、冒険者の成長モデルの一つとして今後どのようにギルドに貢献する可能性があるのか、念入りに調べてこい」

 

 「で、でも、ギルド長。テルクシノエ・ファミリアが簡単に情報を提供するとは思えません。それにあのハムザという男、かなり自分勝手で…。こちらの事情を説明したところで、協力するとは思えないのですが…」

 

 ノイマンはそんなエイナの発言を予期していたかのように、わかっているわかっていると頷いた。そして意地の悪い目つきで、こう言った。

 

 「簡単なことだろう?チュール。性交願望とやらを、実際に満たしてやればいい。手段は問わずにな。やつはお前に好意を抱いている。だからそれを利用するのだ。私の言わんとしていること、わかるな…?」

 

 エイナは愕然とした。この男は、私に抱かれてこいと言っているのだ。性交に対する欲求がどのように本人に作用し、そして他人に作用するのか。それを自分で試して報告書をつくれ、ということだ。

 

 担当の冒険者について詳しく報告書を作成し、冒険者の成長を見守りながらモデルケースを作ること。それはギルドの受付嬢が受け持つ仕事の一つだ。ましてやギルド長直々に報告書を作れと言われてしまえば、もう誤魔化すことはできない。

 

 「…わかりましたギルド長。しかし、提出までには時間を下さい。未確認のスキルであれば、それだけで膨大な調査が必要になりますので」

 

 ノイマンは満足げに、そのでっぷりとした腹を手でさすった。

 

 「うむ、それで良い。では()()()()()()()()、チュール」

 

 不幸は一人では来ない。最悪な一日は、最悪な明日を連れてくる。先刻までロビーに響いていたあの下品な笑い声を思い出し、エイナは両手で頭を抱えた。

 

 

 

 「魚はいやだ。お肉が食べたいのじゃ。魚なんてみんな同じ味じゃ。形が違うだけじゃ!」

 

 歓楽街の路地裏。古びたテントの外で、テルクシノエは駄々をこねている。

 

 「…うるさいなぁ。我が子が一日働いて稼いできたってのに、文句を言うな、文句を!」

 

 ダンジョンで得たお金を持って、今朝訪れた犬人のかわい子ちゃんが経営する薬屋を訪ねた。そこでハムザは盗人扱いされ、今日の稼ぎの八割以上を取られてしまったのだ。セックスさせろと迫ると、奥からむかつく程にイケメンな神様が現れ、自分の眷属に対して失礼な態度は取らないでほしいと説教を始めた。邪魔者の出現で興をそがれたハムザは、帰りに市で適当に野菜と安かった魚を買ってホームに帰ってきた。

 

 そんな一日の苦労にも関らず、主神であるテルクシノエは已然として口を尖らせて文句を言う。

 

 「ハームーザー私はお肉が食べたいのじゃー、買ってこーい。バーベキューといえば肉だと、きまっているじゃろう!」

 

 適当に焼いて腹を満たして終わりと思っていたハムザとは逆に、主神様はお腹をすかせて夕食を楽しみにしていたらしい。食材を見てもいないのに、『今夜はバーベキューじゃ!』と叫んでどこからか調理器具を持ってきたのだ。

 

 「お前、わがままな神様だな。少しは俺の苦労を理解しろ。ダンジョンで一日運動して稼いだ金を、むかつく神様に取られたのだ。セクロスは出来ないし、金もない。あぁ、最悪。もう寝たい」

 

 ふあー、とあくびをする。網の上で焼かれた魚が、いい匂いを醸し出し始めた。程よく焼かれた野菜を皿に取り、少し塩を振って食べる。

 

 何の変哲もない味だが、路上で飢え死にするよりはマシであった。テルクシノエは文句をぶつぶつ言いながら、魚をぱくっと食べた。

 

 長い一日だった。そう思いながら空を見上げる。オラリオの夜空は、魔石灯に照らされてもなお、きれいだった。

 

 「のうハムザ。お前、欲しいものはなんじゃ?」

 

 ふと隣に座るテルクシノエが言う。

 

 欲しいもの。美女。それもとびきりの。最強の英雄になって、ハーレムを作ること。その他にもいろいろある気がした。でも、今は疲れでよく思い出せない。

 

 「私はなぁ、お前の詩を飾る額が欲しいのじゃ。飛び切り高価な奴をな。いつかこのファミリアが大きくなったら、それを門に飾るのだ」

 

 詩なんか書いたっけなぁ。少ない食事を済ませて、うとうとし始める。

 

 「おっ、そうじゃ。水煙草(シーシャ)でも吸うか」

 

 そういってテルクシノエはテントへ戻りごそごそと何かを探し始めた。

 

 しばらくして、細長い花瓶のようなガラスに水が入ったものを持ってくる。

 

 「味は生憎りんご味しかなくてな。炭はこれを使う」

 

 テルクシノエはバーベキューの炭をてっぺんに置き、細長いホースから空気を吸うとこぽこぽと音がした。

 

 「ふぅーーーーーーっ…。お前もどうじゃ?一日の終わりに黄昏るには、もってこいだぞ」

 

 水煙草(シーシャ)か。祖国を出てからしばらく吸ってないな。どれ。

 

 

 こぽこぽこぽこぽ...。

 

 「ふうううぅぅぅーっ…」

 

 ハムザはたっぷり空気を吸い込み、煙を吐き出した。

 

 「おおおぉっ、うめぇ…」

 

 煙を吐くと、口がリンゴ風味で満たされる。

 

 「オラリオ産の魔石製水煙草(シーシャ)じゃ。魔力がこもってるから、火力が強い。煙をたくさん出すし、通常よりも長く楽しめる。水をいつまでも鮮度の良い状態で保ち、魔石がフィルターの役割をして体に悪い成分を浄化した煙が味わえるのじゃ。私がここで気に入ったものの一つだな、これは」

 

 ホースに口をつけ、煙を吸い込んでは吐き出す。

 

 それから二人は何度もこぽこぽと音を立てながら、やがて煙の中に埋もれていった。

 

 

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章-エイナのお仕事-

 翌朝、目が覚めた時にはすっかり日が高く昇っていた。

 

 すぐ隣では女神様が寝息を立てながらすやすやと眠っている。

 

 ハムザはベッドから起き上がり、体をぐっと伸ばした。

 

 「やれやれ。テント暮らしも飽きてきたな。ここじゃ寝起きにコーヒーすら飲めん」

 

 彼らテルクシノエ・ファミリアの本拠地(ホーム)は、路地裏にあるテントだ。当然水道など通っておらず、喉が渇いたらどこかのカフェに入るか露店で水を買うしかない。寝床こそ確保しているものの、生活はその日暮らしのホームレスそのものであった。

 

 がさごそとハムザが着替える音で、テルクシノエが目を覚ました。

 

 「…むぅ?もう朝か。おはようじゃ、ハムザ。ふあぁ」

 

 時刻は正午を少し回ったくらいだろうか。我ながらよく寝たものだと感心しながら、水筒にまだ少し残っていた水を飲む。今日もダンジョンに行くか。少なくとも一階層では敵なしだったので、今日は二階層へ行ってみようかなぁ、などと思い鎧に手をかけると、テントの外から声がした。

 

 「やっと見つけた」

 

 どこかで聞いたことがある声だな、とハムザは思った。

 

 「テルクシノエ様、ギルドの者です。お話がありますので、こちらへ入れてください」

 

 その声の主は返事が帰ってくる前に、中へ入ってきた。

 

 「おぉ、エイナちゃん!」

 

 白と黒のブラウスを着合わせた小ぎれいなギルドの制服に身を包んだ女性。年は若く見え、エルフの特徴である長い耳を持ちながら、顔立ちは凛々しいエルフのそれではなく柔和で穏やかだ。文字通りのハーフエルフ、エルフとヒューマンのハーフ。エイナは眼鏡の奥から翡翠色の目でじっと主神テルクシノエを見つめながら、顔に似合わずとげとげしい口調でこう告げた。

 

 「テルクシノエ様。初めまして、ギルド職員のエイナ・チュールと申します。この度はそちらの団員であるハムザ・スムルト様の件で伺いました。率直に申し上げますと、ハムザ様のスキルである性交願望(セクロス・シテーゼ)について、申請して頂いた書類内容に不備があるのではないでしょうか」

 

 質問をされた当人は、ぽかんとしてただエイナを見つめている。

 

 「さらに申し上げますと、ファミリアに所属する冒険者の情報を故意に偽って提出した場合、そのファミリアには数々の罰則ペナルティが科せられます。ですので、どうか正直に先ほどの私の質問にお答えください」

 

 エイナは、強硬手段に出た。もともと、神たちは自らの眷属の情報を開示することに難色を示すことが多い。眷属のレベルや特性、スキル等を偽ることは日常茶飯事。神とギルドのの化かしあいは今に始まったことではなかった。だからエイナはその事実の裏をつき、『お前が嘘をついているのは知っている。証拠はないがそれを認めれば、罰則を回避してやってもいい』と持ち掛けにきたのだ。

 

 しかし、こんなことは当然暴挙である。『眷属のステイタス確認』は神にのみ許された神の力。眷属の背中に神の血を垂らし、鍵を開けステイタスを開示する。通常それは眷属の背中に浮かび上がる神の文字であり、ファミリアが提出する義務があるとされるのはその写しでしかない。当然、写しとなればいくらでもねつ造が出来る。

 

 加えて、ギルドに出来るのはそこまでである。翻訳されたステイタスを提出させること。決して神の力を使って鍵を開け、背中に文字を浮かび上がらせる『ステイタスの更新』を強制させることはできないのだ。

 

 だからここでテルクシノエが証拠を見せろなどと言って単純に否定されてしまえば、後に待っているのはやったやってないの水掛け論だった。それだけでなく、あらぬ嫌疑をかけられていると逆襲されかねない。まさしくエイナの暴挙。裏を返せば、それほど追い込まれていたのかもしれない。

 

 「うぅむ…。書類の不備ってなんじゃ?私はちゃんと書いたと思ったのだが。…おぉ、そうじゃ。なんなら見せてやろうか、ステイタスを?」

 

 「…え?」

 

 予想外の返答だった。同時に、この暴挙が最悪の結末を迎えるだろうということを、彼女の直感が告げていた。

 

 

 歓楽街の路地裏。テルクシノエ・ファミリアのテント内では、今まさに眷属のステイタス更新が行われている。

 

 「ほれ、見てみるのじゃ。そもそも、お主は神の文字が読めるのか?」

 

 エイナは、少しくらいならと返答した。事実、ギルドに勤めることが出来るのは限られたエリートのみ。彼女にも、多少の心得はある。

 

 ハムザの背中に浮かび上がったその神の文字をみて、エイナは驚愕した。

 

ハムザ・スムルト

 Lv.1

 力:F 145→320  耐久:G 80→203  器用:G 120→260  敏捷:G 80→265 魔力:I 0

<魔法> 【】

<スキル> 【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 「と、トータル500オーバー!?」

 

 それだけでない。スキル欄に記載されている説明は、ギルドに提出された内容と字一つ違わない。エイナの読みは、完全に外れていた。

 

 「こんなの、ありえませんよ!?いくら最初のうちはステイタスが上がりやすいとはいえ、こんな上昇速度は普通じゃありません…」

 

 (…でも。ということは…)

 

 スキルの効果、ということだ。未確認のレアスキル。成長に作用するだけでなく、説明によれば相手にも作用する。珍しいレアスキルの中でもとりわけ稀有な部類だろうと、彼女は考えた。しかし、これが事実だとすれば確認したいことは山ほどある。どれほどまで効果が上昇するのか。相手に付与される経験値は実際にどれほどなのか。魅了作用は永続なのかどうか…。他にも確かめたいことはたくさんある。

 

 「どうだ?エイナ君。確認がとれたじゃろ。()()間違っていなかった」

 

 その言葉に、エイナは覚悟を決めた。この女神、とぼけた顔してとんだやり手だ。こうなってしまえば、自分に取れる選択肢はひとつ。

 

 (…この成長速度を報告して、『理由はわかりません』なんてロイマンが許さないし…。やっぱり、しっかり調査しないといけないよね…)

 

 やらなければ。自分の仕事を。

 

 エイナは、覚悟を決めた。

 

 「わかりました、神テルクシノエ。申請していただいた内容に偽りはありませんでした。それを踏まえて、改めてお願い致しましょう。ギルドはこの未確認のレアスキルを解明し、新たな冒険者支援のモデルケースとして、ハムザ様のこれからの迷宮探索をサポート致します。つきましては、成長速度に作用する諸条件は、全てハムザ様の担当である私で対応することにご同意頂けますでしょうか」

 

 蚊帳の外に置かれていたハムザはあくびをしながら成り行きを見守っている。

 

 「つまり、こういうことじゃな?エイナ君がハムザとセックスして、スキルの効果がどれくらい出たかを調べる」

 

 テルクシノエは口元を吊り上げながら、要約する。

 

 「…そういうことですね。あくまでも仕事として、ですが。もし愛する女性がいて、その人に相手を依頼できるのであれば、それでもかまいませんが…」

 

 「そんなものはおらん」

 

 ハムザは口を挟んだ。

 

 「それに、俺は世界で一番エイナちゃんを愛してる。エイナちゃんと中出しセクロスできれば他に何もいらな~い」

 

 気の抜けた愛の告白。不本意ながら、エイナは少しどきっとした。明らかな嘘でも、口にされれば困惑するものだな、と思った。

 

 「…では、今後はこちらから指示がない場合、むやみに射精しないでください。私と、あるいは私が用意した以外の女性との性交渉も、しないでくださいね」

 

 「それはどうかな~。ヤりたい時にやるのが信条だし。まぁ、ヤったら事後報告くらいはしてやろう!」

 

 「先ほどの愛の告白は、嘘だったのですか?ひどい…。私もちょっとはハムザさんの事を良いなと思い始めていたのに…」

 

 今度はエイナが逆襲した。ハムザは慌てて発言を撤回した。

 

 「うそうそ。俺は本気だ。エイナちゃんかわいー。世界一愛してる。だからおまんこにちんこを入れさせてください。ただそれだけで良い。他になにもいらな~い」

 

 (エッチのことばかり。単純な人…。そんなに私としたいのかしら)

 

 そうエイナは思った。

 

 (単純な体の関係…。いえ、これはもっと学術的なものよ。『恩恵』の効果範囲の検証。きっとこれをやり遂げれば、ノイマンももう私を馬鹿にはできなくなるかも知れないし)

 

 (そういうことなら、やってやりましょう…!)

 

 エイナの翡翠の目が、めらめらと燃えていた。

 

 ●

 

  「ん…こう、ですか?」

 

 やる気に満ちた心とは裏腹に、エイナは空回りしていた。

 

 「もっと、こう、優しく…。いてっ!こら、歯を立てるなって」

 

 ペニスをしゃぶるエイナの動きはぎこちない。それもそのはず、彼女は経験ゼロのど素人。今まで言い寄る男は数多くいたものの、彼女の眼鏡に叶う人物はいなかったからだ。

 

 「…もう、さっきから強くとか優しくとか、よくわからないんですけど...」

 

 勃起したペニスを口に含み、舌を使って愛撫してみる。男の反応はまちまちで、エイナはいまだにどうしたらいいかわからないでいた。

 

 「…う~ん、もういっか。セクロスしよう」

 

 とにかくちんこを突っ込めばどうにかなるか、というハムザを遮るエイナ。

 

 「まだエッチはだめです!さ、最初は弱い刺激でどれほどの効果が出るかを検証する必要がありますので…って、あっ…」

 

 しゃがみながらフェラチオしていたエイナは、いきなり両腕で持ち上げられた。

 

 「うるさい。いくぞ!べッドへ突撃だ~!」

 

 (…え、これって…?)

 

 エイナにとっては、予想もしなかったことだった。想像以上の男の筋力で、軽々と持ち上げられる。なすがままに男の両腕にすっぽり収まるエイナ。

 

 (…お姫様だっこ…!?)

 

 ぱっと顔を紅潮させる。ギルドに勤めている才女とはいえ、彼女はまだ十九歳。少女だったのは遥か昔ではない。予想外の男の挙動にもとからなかった余裕をさらに失ったエイナは、落っこちないように両腕をハムザの首筋に回した。

 

 (……あっ)

 

 近い。近すぎる。目の前には、ハムザの顔がある。褐色の肌に紅の瞳。昨日ギルドロビーを大混乱に陥れたゴロツキが、今では少し頼もしく思えてしまった。

 

 (…あぁ、私きっと、このまま断り切れずに中出しさせちゃうんだろうな…)

 

 そう想像した途端。

 

「きゃあっ…!?」

 

 ぼふんっ!とベッドへ落下した。訳も分からないうちに両足をがっちり掴んで開脚され、そのまま下着を脱がされた。

 

 「おぉ、エイナちゃんのおまんこ、もうトロトロだぞ。それ、セクロスしよう」

 

 (…え?私、濡れてるの…?)

 

 ペニスを股間にあてがう男を、慌てて制止する。

 

 「…だめっ!エッチはだめ。今日は弱い刺激の効果を検証したいから…エッチは絶対だめだからね」

 

 「ううむ。ま、いっか。ではハーフエルフのおまんこ、いただきまーすっ!」

 

 ハムザはむしゃぶりついた。じゅるじゅるとまん汁をすすり、わざとらしく音を立てる。舐めても舐めても溢れてくるそれは、ベッドのシーツをすでにぐしょぐしょにしていた。

 

 「ちょっと感じやすすぎるんじゃないか?エイナちゃん」

 

 濡れたまんこに指先を当て、そのまま中へと侵入させる。エイナはびくっと体を仰け反らせてうめき声を漏らす。

 

 「…あぁ、だめです…。こんなんじゃ…あんっ…。仕事にならない…ですっ…ああっ!」

 

 (…私が刺激を与えないといけないのに…。これじゃ全く立場が逆じゃないの…)

 

 何とか態勢を立て直そうとすうも、エイナは既に快感に身をゆだね、すっかり出来上がってしまっていた。

 

 「ぐふふふ…初めてでこんだけ濡れるってことは、エイナちゃん。もしかしてオナニー大好きだな?」

 

 エイナは硬直した。バレてしまった。ギルドに勤める才女だろうが何だろうが、まだ十九歳。家に一人でいれば、オナニーだってする。それも、結構な頻度で。

 

 「なに、恥ずかしがらなくていいぞ。俺様もオナニー大好き。射精大好き。だからこれから二人でオナニーするぞ!ちんこをおまんこに突っ込んで、ずぼずぼ出し入れするタイプのオナニーをしよう。二人でな」

 

 卑猥な発言を恥じらいもなく連発する男に、エイナは少し笑みをもらした。

 

 「ふふっ。なにそれ。…だめですよ。今日はお口だけで…。あんっ…。だから、お願い。あゆ、指、抜いて…?ねぇ、言うこと聞いて?あっ…」

 

 言葉とは裏腹に、初めての手マンにエイナの股間は喜びの汁を垂れ流し続け、物ほしそうにひくつき始めた。

 

 

 「ぐふふふ。生ハメ交尾はオナニーよりも何倍も気持ちいぞ?俺、今すぐエイナちゃんのおまんこ欲しい。えっちさせろー」

 

 なすが儘にされつつ、エイナは勃起したペニスを眺める。

 

(あぁ、すごい…。それになんかちょっと、この人可愛いかも…)

 

 ハムザの指はエイナの膣内で愛撫を繰りかえす。その刺激にいよいよエイナは耐えかねる。

 

 「…あっ。あぁッ…。あぁ、もうだ…だめ。……いくっ…!」

 

 絶頂に達し、快感が体を駆け巡る。その快楽に、エイナは何度体を仰け反らせただろうか。

 

 「あぁ…」

 

 (イかせれちゃった…。初めて男の人の指でイっちゃった。私がイかせないといけないのに…)

 

 初めて受ける異性からの愛撫の感触に、自分の体は大喜びをしてしまっているようだ。

 

 (なんかちょっと悔しいかも…。でも…)

 

 「なぁエイナちゃん。セックスオナニーしよう。俺もう、エイナちゃんのおまんこで中出ししないと死んじゃう病にかかってしまったぞ。たすけてー、いかせてー」

 

 (そっか…。オナニーの延長線上だと思えばいいのかな。それに、仕事だしね…。気持ちいいこと、嫌いじゃないし)

 

 そして、エイナは無理矢理自分の気持ちに折り合いをつけて、言った。

 

 「…うん、いいよ」

 

 「ぐふふふ…。今日は死ぬほど中出しするぞ。ほぉーれ。あ、入った」

 

 極限まで勃起したペニスが、エイナの奥深くまで突き刺さる。

 

 「…おぉ~。なんて感慨深い瞬間だ…。ついにエルフとセックスしているぞ」

 

 そう言って嬉しそうに腰を動かし、ペニスで膣内の感触を堪能する。

 

 「…んぅっ。私、ハーフエルフだから…。エルフとはちょっと違うよお…」

 

 「んなことはわかってる。しかし絡みついてきて、締め付けてきて、かなりいい具合だぞ。エルフのおまんこは絶品だ、ありがとう神様…」

 

 だから違うのにぃ、とうめくエイナ。途端、男がゆっくりとピストン運動を開始する。

 

 「おほほほ、気持ちいー…。エイナちゃんのおまんこ気持ちいぃ…。今日は五回くらい中出ししたいなぁ」

 

 「あっ…私もっ。きもちいいっ…」

 

 思わず出た言葉に、我ながら驚いたエイナ。半ば無理矢理なうえ、奇妙な状況であることは事実だが、こうして男と交わるセックスを、実はずっとあこがれていた。

 

 「エイナちゃんはオナニー大好きな変態エルフ。これから毎日無料まんこさせてくれる、やりマンエルフだ!あぁ、エロい美人エルフマジ最高…」

 

 それからしばらくの間、二人は股間を押し付けあって快楽を貪り続けていた。テント内では卑猥な音が鳴り響く。

 

 (…もう、いいかな…?)

 

 ふと、男に突かれながら、快感を全身で味わいながら、エイナは叫びたい衝動に駆られていた。

 

 叫んだら、もう戻れはしない。でも、同じことだ。目の前の男には、既に痴態を見られてしまっているのだから。

 

 ぱんぱんぱん、とぶつかり合う音が響く。徐々に男に弱い部分を掴まれ、執拗に攻められている。卑猥な吐息が漏れ、頬が紅潮するのが自分でもよくわかる。エイナは、息を切らせて叫んだ。

 

 「…あぁっ!エッチ大好き!きもちいいことっ…大好きっ!オナニーも毎日したい、ちんちん毎日欲しいっ!」

 

 あぁ…、と。言ってしまった。普段はクールに振る舞い、浮ついた話に興味がないふりをしていたエイナ・チュールはもういない。本当はスケベで毎日欠かさずオナニーをしている自分が、本来の姿。叫んだことで、エイナの中で開放感が広がっていった。その途端、抑えていたものが弾けとび、エイナは絶頂に達した。

 

 「あっ…!?」

 

 不意の絶頂だった。自分からコントロールできない絶頂。エイナにとっては自らの意思で操れないこの感覚、オナニーをしているだけでは味わえない、このイかされたという感覚がたまらなく新鮮だった。

 

 「いっちゃったじゃないか。くそっ…!エイナちゃんがエロ娘だったなんてっ…!最高だ!エロいエルフ最高っ!俺の子種でおまんこをぱんぱんにしてやろう!」

 

 絶頂後も動きをとめず、今度はラストスパートをかけるハムザ。エイナは素早い腰の動きに合わせ、自らも腰を動かす。頭の中にあるのは、目の前の男の精子をたっぷり注ぎ込まれることだけだった。

 

 「うおおおおっ!よし、一発目、いくぞーーーっ!」

 

 膣内で暴れるペニス。ハムザは腰を打ち付け、ペニスを奥まで突き立てて精子をハーフエルフにぶちまけた。

 

 「うおお…やべっ。きもちえー…」

 

 どくどくと射精の快感に打ちひしがれるハムザの表情を、エイナはじっくりと観察していた。

 

 (ふふ…。やっぱり、なんか子供みたいで可愛いかも…)

 

 ペニスを引き抜くと、ごぽっと精子があふれ出てきた。股間を伝う感触にエイナは手を伸ばし、零れてきた精子を指先でぬぐい取る。

 

 「ふふ、これがハムザ君の精液ね…。あぁ、ちょっといい匂い…」

 

 そう言ってぺろりと舐め取る。

 

 (やっぱり、中出しさせちゃったなぁ…。あとで避妊薬を買いに行こうっと)

 

 エイナは射精後にぐったりしたハムザのペニスを握り、残りの精液を舐めとった。

 

 「おいし...くはないけど、独特な味ね。それに、もう元気がないみたい」

 

 ハムザはおかしいな、という表情で首をかしげる。

 

 「あれ…?前にセックスしたときは四回くらいは出せたのに…なんか少しショック…」

 

 「そうなの?もしかしたら、多く射精できるのも何か条件があるのかもね。やっぱり、検証の余地がまだまだたくさんあるわ…」

 

 そういってエイナは瞳を輝かせて、小さくなったハムザのペニスにキスをした。

 

 「じゃ、私はギルドに戻るからね。ハムザ君、今日もダンジョンに行くのよね?後でギルドに寄ってね。あと、神様によろしく言っておいてね」

 

 じゃ、ばいばい。と言ってテントから出ていくエイナ。ぐったりしたハムザとは対照的に、肌をつやつやと輝かせるんるん気分で帰っていった。すれ違いで、テルクシノエが戻ってくる。

 

 「なんじゃ、どうやらずいぶん仲良くなったみたいじゃな?」

 

 「そりゃあ、今の今まで仲良くやってたからなぁ…」

 

 

 

 それから数刻後。ハムザは言われた通り、ギルドへやってきた。

 

 「あっ。やっときたわね。昨日は一階層まで行ったんだって?今のハムザ君のステイタスなら、三階層まで行っても問題ないはずよ。でも、過信は禁物だからね!ダンジョンでは決して冒険しないこと!それと…」

 

 「わかってるわかってる」

 

 エイナの小言を面倒くさそうに遮って、ハムザは沈黙した。

 

 「…本当にわかってる?」

 

 うむ、と頷いた。

 

 「じゃあ、言ってみて」

 

 「ダンジョンでオナニーのし過ぎは禁物」

 

 はぁ、と嘆息してエイナは眼鏡を直した。それからハムザの耳元まで顔を近づけて、ささやいた。

 

 「今日のことは、絶対内緒にしてね?私だって、変態に思われたくないんだから…」

 

 「わかってる、わかってるって。ダンジョンは何が起こるかわからない、だろ?」

 

 ハムザは大声でエイナの口癖を繰り返した。それを見た彼女はふふっと微笑して、その通りよ、と言った。

 

 「それに、今からダンジョンに行っても、あまり長居はしちゃだめよ。夜までには戻ってくること。じゃ、気を付けて行ってらっしゃい。しっかりね!」

 

 エイナはぱちっ、とウインクしてハムザを送り出す。そんな一連の様子を見て、同僚が声をかけてきた。

 

 「ねぇーエイナぁ。ずいぶん仲良くなったみたいじゃない?いったいどうしたの~?」

 

 「なんでもないわよ。ただ、ストレス発散できただけだよ?」

 

 「なにそれ、えっろ~い」

 

 さぁ、仕事仕事!そういっていつものエイナ・チュールに戻る。浮ついた話には興味なし。世話焼きで、優しくて、冒険者思いの受付嬢が、いつものようにそこに座っていた。

 

 ただし、いつも以上にかわいらしい笑顔で。

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章-迷宮の主と白兎-

 

 ダンジョンを運営、管理するギルド本部。華やかな宮殿のようなそのロビーで働く受付嬢たちはみな、容姿端麗でうら若い娘たちばかり。

 

 「じゃあ、お先に休憩いってきま~す」

 

 昼の休憩は、一時間。エイナはデスクを立ち、廊下を歩いていく。目的の場所は休憩室…ではなく、応接間だった。

 

 がちゃっと扉を開けると、そこで待っていたのはテルクシノエ・ファミリアの団員、ハムザだった。

 

 「遅かったな、エイナちゃん。もうちんぽこが破裂寸前なんだ。さっそくいつもの頼むぜ」

 

 「…はいはい」

 

 カチャカチャとベルトを外し、ズボンをおろす。既にはちきれんばかりに膨らんだ股間を確認してから、勃起したペニスを外に開放してやる。

 

 「…んー。一日も経てば、すっかり元気になるんだね~。…はむっ」

 

 「ふひひひっ...。エイナちゃんのおしゃぶりマジ気持ちい~。最初と比べれば、だいぶうまくなってきたな」

 

 エイナは、数日前にハムザに半ば無理矢理その気にさせられ中出しセックスを許してから、毎日欠かさずこうして休憩時間に応接間で淫行を繰り返していた。しかしそれはあくまで仕事の一環。彼の持つ特殊なスキルを解剖し、詳細な報告書を作り上げること。そのために、ギルド職員であるエイナ自ら男の性欲のはけ口となる。

 

 「…テルクシノエ様が提出してくれた昨日までの成長率は、やっぱり最初と比べると控えめなんだよね。それでもトータル100オーバーだから、十分と言えば十分なんだけど」

 

 ここ数日の実験の内容。それは少ない刺激、少ない回数での効果範囲を調べる事だった。

 

 「一日一回、オナニーで射精しただけじゃあ、あんまり効果は出なかったね。それでも、一般の冒険者と比べると破格の成長率だったけど…んっ」

 

 じゅるるるっ、と音を立てて舌と唇でペニスを刺激する。

 

 レアスキル、セクロス・シテーゼ。エイナはまず、成長率に関する報告書を作成している。一日における具体的な射精の数と量を記録し、成長率と比較したグラフを作る。初日は、自分でオナニーをさせた。翌日からは手こきをしてやったり、フェラチオで抜いてやったり、本番以外の様々なバリエーションで射精へと導く。本人が望む通り、いやらしい行為からいやらしい行為へエスカレートしていくに連れ、成長率を表すグラフはみるみる伸びていった。

 

 「おほほほほっ…いいぞ、おぉそれ、気持ちいい~…」

 

 フェラチオを始めてから十数分。男が絶頂を迎えようとしたところで、エイナは動きを止めた。

 

 「ふふふ、だーめ。今日はイくのを極限まで我慢する実験だって、ちゃんと伝えたでしょ?」

 

 不思議な事に、エイナとの行為では一回の射精が限度だった。そのため、最初の様に出鱈目なステイタスアップは望めない。ならば一回の量を増やしたらどうなるかということで、今日は休憩時間の一時間まるまる使い舐め続ける予定だった。

 

 「え~…。そんなこと言われても。我慢するのしんど~い」

 

 エイナはピクピクと痙攣するペニスを両手で包み込んでから、舌先で裏筋を舐め上げる。なるべく暴発させないように刺激し続けるのはエイナにとって簡単な事ではない。しかし最近の彼女は、時間があるときはいつも愛撫フェラチオの練習をしている。そんな彼女の練習の成果が、いま試されるところだった。

 

 「それにエイナちゃん。一時間もしゃぶってたらランチ食う時間はないんじゃないか?」

 

 再びペニスを頬張り、じゅっぽじゅっぽと音を立てながらゆっくりと上下運動を繰り返して彼女は言う。

 

 「んっ…ほのために、たっくさんだしてくだはいね?」

 

 「ちくしょう、エロ可愛いエイナちゃんまじ天使…」

 

 

 ファミリアを結成し、迷宮攻略を始めるようになったからまだ数日しか経っていないにも関らず、ハムザは既に4階層まで到達していた。何度か来たことがある階層をふらふらと獲物を求めて彷徨うも、今日は肝心のモンスターになかなか遭遇しない。

 

 「あ~...どうなってんだ、ほんとに。全然モンスターいねぇじゃん…」

 

 静かすぎる、と。『ダンジョンが何が起きるかわからない』というエイナの忠言を思い出す。もしかして、俺様のオーラでモンスターが全部死んじまったのか?そんなくだらないことでがはははと笑いながら曲がり角に差し掛かった時、その先で何者かの足音が聞こえた。

 

 息をひそめ、その足音の主を想像する。

 

 (軽い足取り。金属の触れ合う音。モンスターではないな。小柄な剣士、か…?)

 

 「……む」

 

 角を曲がって現れたのは、白髪のヒューマン。ルベライトの瞳をきょろきょろと動かして、自分と同じように周囲を警戒しながらダンジョンを進んでいるようだった。

 

 「…おい。まさかお前がモンスター共をぶっ殺したのか?」

 

 「えっ…?そ、そんなことないですっ!ボクもずっと探してるんですけど、全然遭遇しなくて…」

 

 おかしいですねぇ、と空笑いをする小柄なヒューマン。

 

 (挙動不審だな。怪しい奴だ…)

 

 まぁ、とにかく。

 

 「下に行けば掃いて捨てるほどいやがるか。よし、推定レベル100くらいはある俺が、お前の剣技を鍛えてやろう。進め若人、5階層へ進軍~!」

 

 「は、はいっ!こ、心強いです!」

 

 (凄い自身だなぁ…。ダンジョンで他のファミリアに関らないようにするのは暗黙の了解ってエイナさんから聞いたけど…。まぁいっか。きっとこの人は、上級冒険者かもしれない。こうなったらいろいろアドバイスを貰えるように、頑張ろう!)

 

 (こんなよわそ~な冒険者でも、いざというときの囮くらいにはなるだろ、きっと…)

 

 それぞれは別々の思惑を抱えながら、5階層へ通じる入口までやってきた。白髪のヒューマンを先頭に、二人は初めての階層に足を踏み入れる。

 

 その瞬間。

 

 『ヴヴオォオオオオオオオオオオォッ!!』

 

 「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

 

 「ほあああああああああああああああああああああっ!?」

 

 二人は同時に悲鳴を上げた。

 

 5階層に足を踏み入れた途端、ハムザの倍以上の巨躯を誇る『ミノタウロス』に遭遇。目線が合うや否や、化け物は二人を追いかけ始めた。

 

 「け、剣士さんっ!あいつを何とか倒せないですかっ!?」

 

 「無理無理無理無理っ!あんなデカい奴とやったら俺のケツの穴が裂けちまう!」

 

 全速力で駆け抜ける二人組。

 

 えらいことになった。あれはダンジョンのラスボスに違いない。迷宮と牛、よくあるパターンだ。やつは間違いなくミノタウロス。そうなれば、迷宮の主…。

 

 『恩恵』を受けて常人離れした速度で駆けるにもかかわらず、怪物はその体躯に似合わぬ速度で二人を追いかける。

 

 『ヴヌゥウウゥゥウウウウウウンッ!』

 

 ミノタウロスの蹄が頭の上をかすめる。間一髪で身をかがめ、攻撃を回避することに成功した。牛頭人体のモンスターはその巨大な角を突き立て、少年に狙いを定めて突進した。

 

 (…よしよし。そのままぶっ倒れろ。化物がこいつを喰ってる間に逃げるのが最善かな)

 

 そんなハムザの期待に、少年は応えなかった。

 

 「うわあああああああああっ!?」

 

 体勢を無視して全力で横っ飛び。そして片手に短剣を握りしめ、壁に激突したミノタウロスに無謀にも斬りかかった。

 

 がきんっ、と。

 

 少年の獲物は化け物の皮膚を傷つけることなく折れた。単純な強度の差だった。Lv1程度の下級冒険者では、この怪物を倒すことなど出来はしない。少年は焦燥した。

 

 (そもそも、ミノタウロスって10階層以下のモンスターなんじゃ…!?なんでこんなところに…)

 

 まずいっ…。どくん、どくんと鼓動の音が頭の中で鳴り響く。

 

 まずいっ…!

 

 壁に突き刺さった角を力任せに引き抜いて、ミノタウロスは怒れる双眸で冒険者たちをにらみつけた。そのおぞましい姿に、少年の心はほとんど打ち砕かれていた。

 

 怪物は怒気をはらませながら突進した。

 

 『ヴモオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ!!!!』

 

 「やべぇぞっ!逃げろ!」

 

 少年と同じく、ハムザも焦燥していた。

 

 やばいやばいやばい。まだまだ全然ヤりたりない!もっとたくさんの美女とセックスがしたい…!ダンジョンにセックスを求めてしまったのが、そもそもの間違いだったのか!?

 

 黒い巨大な影に追い込まれるように彼らは通路を走り抜け、いくつもの角を曲がり、ついに膝に手をついた。

 

 「…行き止まり…」

 

 少年のつぶやきが、あまりにも虚しくダンジョンに響く。その声色は、もはや諦観そのもの。強者の前に、弱者は跪く。当たり前のことだ。自然の摂理だ。ボクはここで死ぬ。神様、生まれてきてごめんなさい…。

 

 (嘘だろ!?オラリオ中の美女とセックスするはずの俺がここで死ぬなんて…そんなこと、マジでありえない!ええい、くそ。考えろ、こいつを生贄にする方法を…)

 

 既に心が折られた少年とは異なり、ハムザはまだ諦めていない。この状況を打開する策がまだ、あるはずだ……。

 

 二人が息を切らせて片膝をつく袋小路には、その怪物が姿を現した。

 

 ずしん、ずしんと大きな音を立てながら距離を詰めてくる怪物を前に、策を考えたハムザが言葉を絞り出した。

 

 「おいお前、俺が今から究極の魔法を詠唱するから、十秒で良いから奴を足止めしろ。大丈夫、俺って強そうだろ?俺がお前を救ってやる」

 

 思いがけない言葉に、少年の瞳に希望の光が灯る。そうだ、この人はまだ、諦めていない。ボクが少しでも時間を稼ぐ言葉できれば、生き延びられるかもしれない…!

 

 「お願いしますっ…!」

 

 窮地に立たされながら、彼は思った。死地を共にする仲間って、なんて素晴らしいんだろう、と。潜り抜けた死線の数ほど、絆は深まって行くのだろう。今だソロプレイの少年としては、ダンジョンで初めて組んだパーティだった。

 

 (やってやる…!)

 

 予備のナイフを装備し、再び立ち上がる彼の背中で、ハムザが詠唱を開始した。

 

 (凄いっ…!本当にあの人は魔法が使えるんだ…!)

 

 ハムザの詠唱が、一瞬だけ少年に勇気を与えた。

 

 【美女とセクロス。おまんこぺろぺろ舐めたいな。エルフのパンティー被ったドワーフ…】

 

 (ど、どんな詠唱式だ!?い、いったいどんな魔法!?)

 

 ふざけた詠唱式に驚愕する。

 

 『ヴモオオオオオオオオオッ…』

 

 怪物が近づいてくる。やるか、やられるかだ。もうどうにでもなれっ…!数秒でも稼げれば、魔法で倒せるかもしれないんだっ…!

 

 少年は怪物に突進する。振り回される蹄を必死にかわしながら、その風圧で吹き飛ばされながらも、必死で後ろには行かせない。

 

 (なんだ、意外と根性あるなこいつ。ま、どうでもいっか)

 

 ハムザは適当に詠唱っぽいものを並べ立てながら、隙を伺っている。

 

 【まもなく精子は放たれる。我が名はおちんぽ…】

 

 いまだ、と。

 

 「…雑魚は生贄じゃあああぁぁぁあっ!」

 

 どんっ、とハムザは少年の背中を蹴り飛ばす。

 

 「…えっ?」

 

 少年は予想外の攻撃に無様にも怪物の前にひれ伏した。

 

 突然眼前に倒れこんだ獲物にミノタウロスが気を取られた瞬間、ハムザは怪物の脇を駆け抜けた。

 

 「はははははははっ!作戦成功!またな若人、あとは頑張れよ~!」

 

 あまりにも非情。無垢な少年をだまし、生贄にする。しかしダンジョンでは、常に生き残った者が勝者。無慈悲な謀略も、生き残れば妙策だ。

 

 高笑いをしながら疾走するハムザの正面から、金髪の女剣士が凄まじい速度で通路を駆けて行った。

 

 すれ違う直前、その金の眼とわずかに目が合った。

 

 (おいおいおい!な、なんだ?今の、すっげーかわいこちゃん…)

 

 振り返ると、その剣士は既に遥か遠く。

 

 (…かなり気になるな。ガキはどうでもいい。だが今のパツキンガール…上玉だった)

 

 ハムザは踵を返す。美女と知り合えるチャンスを、逃すわけにはいかないからだ。

 

 「…よし。ブヨが陽のあたる方へ飛んでいくものなら、俺は美女の居るところに全力ダッシュするまでだ!」

 

 彼は再び今まで走ってきたダンジョンの通路を駆け戻っていった。

 

 ●

 

 先刻まで少年を襲っていたミノタウロスは、いまは真っ二つの肉塊になっている。

 

 「あの…。大丈夫ですか?」

 

 女神様と見紛う程の美しさ。その剣士の少女は、返り血を浴びて真っ赤になった少年に手を伸ばそうとするも。

 

 驚愕の表情で目を見開いた少年は、無言で走り去ってしまった。

 

 「ぷくくくくっ、なんだよあのガキぃ、それにアイズ。逃げられちまってんじゃねぇか!」

 

 一部始終を眺めていた獣人の男が笑う。アイズと呼ばれた少女は少しうつむきながら、悲し気にその金色の目を閉じた。

 

 (なんで、逃げられちゃったんだろう…)

 

 「爆笑もんだぜ、なぁ?ぷくくく、まぁ…逃げたミノタウロスはこれで全部片づけた。フィン達が待ってる。さっさと帰るぞ、アイズ」

 

 うん、と頷いて金髪の剣士は風になって駆けていった。

 

 そこに入れ違いでハムザが舞い戻る。

 

 「なんだ、誰もいないな」

 

 しかし、地面にはミノタウロスだったものがぐちゃりとどす黒い血だまりを作っている。少年の姿も、金髪剣士の姿もない。一歩遅かったか、と悔やむ。

 

 (お?これはなんだ)

 

 その血だまりの中で。今までに見たこともない大きさの魔石と、ミノタウロスの巨大な角が横たわっている。大方、先ほどの女剣士が怪物を倒したのだろう。でもどうやら急いでいたようで、ドロップアイテムを回収し損ねたらしい。

 

 儲けもんだ。今日は雑魚がいない分全く稼げてないからな。そう思って魔石と角をバックパックにしまい込んだ。怪物との逃走劇に、若干の疲労を感じ始めている。これ以上の迷宮探索は危険を伴うだろう。

 

 「…潮時か」

 

 そう呟いて、ハムザは帰還の道のりについた。

 

 

 「流石だな!やはりお前は見込み通りの男だ!お前がすばらしい鑑識眼を持っていることは、最初から分かってたぜ~!」

 

 先日の横柄で攻撃的な態度とは打って変わって、彼は換金所で上機嫌になっていた。それもそのはずだ。今日入手したのは大きな魔石とミノタウロスの角が一つだけだったにも関らず、三十万ヴァリスもの大金をゲットしたからだ。

 

 「やれやれ…現金な奴だ。お前は運がいいぞ、なぜか最近『ミノタウロスの角』はなかなか市場に出回らん。今じゃ通常の三倍の値がついているからの。それだけ状態が良ければ、まぁこんくらいの金額が妥当だろう」

 

 お前良い奴、見直したぞ。金貨の詰まった袋をじゃらじゃら言わせながら、意気揚々と換金所を後にする。今日の戦果を、エイナちゃんに報告しなければ。

 

 「おーい、エイナちゃーん。どこだ~っ」

 

 「あ、ハムザ君…。おかえり、どうだった?」

 

 戦果を報告する。まったく雑魚に遭遇しないと思っていたら、五階層でダンジョンのラスボスであるミノタウロスに襲われたこと。弱っちいガキと一緒に逃げ回った挙句死にそうになったが、機転をきかせて逃れおおせたこと。そして金髪のかわいい子ちゃん剣士の情報が欲しいと思っていることも。

 

 「えぇ~!?あなたも?言っておくけどミノタウロスはLv2クラスのモンスターなだけで、決して階層主ほど強くはないから…」

 

 それに、と。

 

 「まぁハムザ君の場合実力的にも5階層に行ってもやっていけるだろうけど、少しでも異変を感じたら引き返さないとだめじゃない…それに、アイズ・ヴァレンシュタイン氏の情報はあなたには教えません」

 

 「なんだそれ。じゃあ誰になら教えるっていうんだ?」

 

 エイナは、先ほどまで血だらけになった少年、ベル・クラネルにも同じ質問をされた。よわよわしく頼りない、まだまだ実力のない新米冒険者である彼にはアイズの情報をこっそり教えたのだ。しかし目の前の男には、教えてはいけない気がする。きっとまた、トラブルを起こすに違いない。

 

 「秘密。とにかく今後は、ちゃんと気を付けてダンジョンに潜ってね。それと…」

 

 エイナは耳うちする。

 

 (…明日は朝からギルドに来てね。出来ればテルクシノエ様も一緒にお願い。今後の事について話したいことがあるのと…)

 

 彼女は耳元で、より小さな声で囁く。

 

 (フェラチオとか、前戯による射精に関するデータは集まったから。次は、本番に関するデータを取るからね。さすがに人気の多いお昼時にはできないから、出来るだけ早い時間に済ませちゃおう)

 

 柔和な笑顔。しぐさの可愛らしいハーフエルフ。スタイルも良く、冒険者からの信頼はとりわけ厚い。そんな彼女を仕事とはいえ独り占めしている者がいると知ったら、きっとその日のうちに刺されているだろう。そんな彼女が日常的にギルドで淫行を繰り返し、挙句の果てには早朝出勤してセックスをするなどとは、誰も思ってもいないだろう。

 

 もし、彼女の支持者がその事実を知ったなら。

 

 きっと、地面に額をついて、両手を叩きつけながら悔しがったことだろう。

 

 外へ出ると、もうすっかり夜中だった。酔っ払いが真っ赤になりながら千鳥足で歩いている。どんな酔っ払いにも不思議と正確な帰巣本能がある。あんな状態で良く家に帰れるものだと思いながら、ハムザは帰路についた。

 

 ●

 

 「いよーう!眷属様のお帰りだ!」

 

 テルクシノエ・ファミリアの本拠地であるテント。主神は暇そうに呆けながら、帰ってきた眷属に訴えた。

 

 「眷属様、遅いのじゃ。私はもうお腹がぺこぺこじゃ。眷属様~ご飯をくれないと死んでしまうぞ~」

 

 ファミリアが発足してから、炊事係は自然とハムザの担当になった。一日中テントにこもって暇を持て余している神様は、炊事にかんしては極度の面倒くさがりだった。ハムザが料理しなければ、きっとこの神は餓死するまで食事をねだり続けるだろう。だから彼は仕方なく炊事係を引き受けていたのだった。

 

 「主神ちゃん。今夜はお肉を食べれるぜ?なにせ三十万ヴァリスも稼いだからな!」

 

 「わーお。眷属様凄いのう!お肉万歳!稼ぎの良い眷属様ばんざーい!」

 

 彼らの生活は、路上生活者とさして変わらない。食事は専らテントの外で取る。当然料理も外でするのだが、そこはあくまでも路上。近頃は料理時に合わせて近所に住む連中が匂いにつられて群がってくる。そうした連中は宴会の輪に加わるために、自ら差し入れを持ってくるのが常だった。

 

 まともな家もない、財産もない。しかしいざそういう生活をしてみると、これが案外しっくりきた。オラリオに流れ着いたならず者同士がこうして顔を突き合せれば、愉快な冗談で話が弾む。こうして毎夜、テルクシノエ・ファミリアの本拠地では路上で宴が繰り広げられているのであった。

 

 「ねーハムザくーん。いつになったらアタシとセックスしてくれるの?レアスキル持ってるんでしょ?一度でいいから試してみな~い?」

 

 娼婦のアマゾネスが誘惑をしてきたり。

 

 「バカ野郎、こいつはホモなんだ。女には興味ないんだよ。だから特別に俺のケツを貸してやろう。今ならたったの三百ヴァリスでいいぞ!」

 

 どこの馬の骨ともしらんゴロツキの冗談を真に受け、顔をひっぱたいたり。

 

 「おぉー今日もやってるねぇ。やぁハムザ君。調子はどうだい?ほら、差し入れだよ。ドワーフの火酒をどうぞ」

 

 羽付き帽子の胡散臭い神様が輪に加わってきたり。

 

 「このヘルメスはお前のレアスキルの情報が欲しくてたまらんのじゃ。何も隠してはおらんのに全く信頼しない。いけすかないペテン神さ」

 

 神様同士の言い争いを見学したり。

 

 「はははは!お前ら全員みすぼらしくて貧乏そうで可哀そうだから、リッチな俺が特別に酒を恵んでやるか。ほれ、飲め飲め!」

 

 良いようにおだてられては、差し入れの酒を次々と空けていく。

 

 こうして宴会は続き、テルクシノエと二人きりになる頃にはすっかり深夜になっている。

 

 「あ、そうだ。忘れてた」

 

 宴会の片づけをしている途中、ハムザは急に思い出した。

 

 「明日は早朝にギルドに行く事にしたんだった。エイナちゃんがどうしても俺とセクロスしたいらしいからなぁ。神様にも来てほしいって言ってたぞ。エルフと神様で3Pかぁ。俺も出世したなぁ」

 

 「そうか。朝は苦手じゃ…。まぁ、ギルドの招集なら無視はできんな。あと私からも言い忘れてたことがあった」

 

 テルクシノエも伝え忘れていたことを思い出す。

 

 「お前、ガネーシャ・ファミリアの門兵を斬ったこと、覚えているか?私の予想通り、見事に賞金首と要注意人物に載っていてな。だからガネーシャ・ファミリアに乗り込んで、あいつを誘惑してやった。あっさり引っかかってきたぞ。それからは後の祭りじゃ。ガネーシャ自ら被害を取り下げたことで、一応事なきを得た」

 

 「一体どんな手を使ったんだ。エロ神様」

 

 「まぁ、神のすることは子供には想像もつかんじゃろう。それはともかく、一応丸くおさまったのだが、ここにきて事態が再燃してきているようじゃ」

 

 ハムザはバーベキューの炭に水をかけ、火を消した。ジューと音が路地裏に響く。

 

 それを見届けながら、主神は話を続ける。

 

 「お前が腕を切り落とした人物。ジーガという奴がな、ずいぶん反発しているらしい。自分を襲い掛かった奴がのこのこと表舞台で生きているのが気に入らんようだ。だからいずれ、決着をつけねばならんと思う」

 

 「それ、ぶっ殺していいってことか?」

 

 そう単純な話ではない、という。

 

 「相手が悪かろうと、殺人は罪だ。ギルドによって罰せられるし、ファミリアの活動は即停止じゃ。だからうまいこと考えるのだ。こちらに罪を着せられることなく、相手の息の根を止める方法を」

 

 「…面白そうじゃないか」

 

 面白い。実に面白い。そういえば、そんな雑魚もいたなぁ。ジーガか、ふむふむ、覚えておこう。

 

 「話はそれだけじゃ。じゃ、私は明日朝早いからもう寝る。おやすみじゃ~」

 

 (明日朝早く起きるのは、俺も同じだが…。ふひひひ、明日はエイナちゃんと生ハメガチセクロスだからなぁ。細かいことでいちいち怒るほど、俺はガキじゃない)

 

 

 「では、招待する神は以下のリストでいいんだな、ガネーシャ?」

 

 ガネーシャ・ファミリアの本拠地、アイ・アム・ガネーシャでは近日中に行われる神の宴が開かれる。ファミリアの団長を務めるシャクティは、もう一度確認する。

 

 「知っているだろうが、ここに例の神テルクシノエは入っていない。この前うちとひと悶着あったのはあそこだろう?本当に入れなくていいんだな?」

 

 民衆の神、ガネーシャ。彼は今、顎に拳をあてて黙考している。ややあって、その屈強な体に似つかない弱々しい声で告げた。

 

 「…予定変更だ。テルクシノエも、入れておけ」

 

 それと。彼は付け加える。

 

 「ジーガを見張るよう言っておけ。怪物祭も控えている。今騒ぎを起こすのは、まずい!」

 

 了解、おやすみ。シャクティはそう返事をして部屋を出る。

 

 (いま騒ぎを起こされてはいかんが、あいつの怒りももっともだ。俺が不甲斐ないせいで…)

 

 ガネーシャは憂鬱そうに窓の外から低い街並みをみやった。

 

 「…くよくよしてはいられんか。そうだ。俺は、ガネーシャだ!アイ・アム・ガネーーーーシャ!」

 

 『うるせぇぞっ!何時だと思ってんだ、馬鹿主神っ!?』

 

 

 翌朝。早朝からメインストリートを歩くテルクシノエとハムザ。横を歩く女神様はぐうたらで、ハムザから見ても変神である。それに、だらしなくても神は神。プラチナブロンドの美しい髪は、シャンプーや香水などをつけてもいないのに極上の香りを漂わせているかのよう。雪のように白い肌と、盛り上がった二つの双丘。美しく気高い外見とは異なり、纏う服の生地は薄く、露出が多い。嫌でも見る者を惹きつける。それに初対面の人の多くは、彼女が美の女神だと錯覚するほどだ。

 

 だが、彼女は芸術の神。本来は色事とは無関係である。そしてその女神には、一つだけ欠点と呼べる要素があった。

 

 女神テルクシノエは、背が低い。美の女神たちと比べてしまえば、どうしてもその背の低さが目立ってしまうだろう。しかしそんなことは、当の本人は全く気にかけていないようだが。

 

 「エロい視線ばかりじゃ。やつらの頭の中は簡単に読み取れるのう。セックスしたい、オナニーしたい、精子をぶちまけたーい」

 

 「男なら当然だろ。そうじゃなければそいつはインポか、童貞。もしくはジジイだ」

 

 「街を守る紳士たちが変態でなにより。オラリオは今日もスケベだらけで平和の限りじゃのう」

 

  その時、ハムザの視界に見覚えのある人物が飛び込んできた。

 

 あそこにいるのは、確か昨日の…弱っちいヒューマン?やっぱり生きていやがったか。

 

 その少年は生意気にも小奇麗な制服を着たウェイトレスと会話をしている。なかなかの上物だ。陽光を浴びて輝く銀色の髪を後ろで束ねている。血色のいい健康的な肌色は若さの証拠か。男心をくすぐる初心なはにかみ。上気した頬は薄いピンク色に染まっている。そのしぐさの一つ一つが、ツボを押さえているというか、わざとらしいほどに『可愛い』のだ。それを知ってか知らでか、当の本人は何気ない顔つきで最高の笑顔を贈る。

 

 「もったいないな~。まるで釣り合わなん。これじゃオークにグリモワール魔導書だ」

 

 少年と少女は睦まじく視線を交わしてから、別れの挨拶をしたところだった。

 

 「よう、おはようさん。さっきのは彼氏か?」

 

 早速声を掛ける。こんな良質街娘を放っておくほど、俺様の股間は萎えちゃいない。

 

 「え?いいえ、違います。今会ったばかりで。あなたは、どちら様ですか?」

 

 ちらり、と横目でテルクシノエを見る少女。神様を連れて朝から何用だ、と少し訝しんだようだ。そんな様子を察してか、主神が返答する。

 

 「テルクシノエじゃ。こいつは私の眷属、ハムザ。よろしくな、娘さん」

 

 初めまして、と頭を下げる少女。おぉ、かわいい。

 

 「シル・フローヴァと申します。ただいま営業開始の準備中ですので、ご来店は後ほどお願いできますか?」

 

 「俺は今からダンジョンに行く所だ。…なぁ、帰ってきたら、どでかい花束を持って来るから君のセフレに立候補していいか?君と毎晩スケベして愛を確かめ合いたいんだ」

 

 これ、と眷属の頭を叩く女神。

 

 「失礼だったかのう。こいつはいつもこんな調子じゃ。ま、悪い奴じゃない。じゃ、また今度な」

 

 「また今夜、だ!絶対来るからな、待ってろシルた~ん」

 

 去っていく二人の背中を見送る間もなく、開店準備をする同僚が声を上げる。

 

 「こら~!シルがサボってるにゃ!さっさとそのテーブルを運ぶのにゃーっ!」

 

 「もう、アーニャったら!サボってなんかいませんよ」

 

 店の奥で睨みを聞かせる大柄の女将に少し萎縮しながら、先ほどの同僚と一緒にテーブルを運ぶ。

 

 (ベルさんにハムザさん、かぁ…。どっちも独特で、かわいいなぁ…)

 

 一方、主神とその眷属は、メインストリートを歩いている。

 

 ギルド本部までは、もう少しだ。

 

 「さっきの店、豊穣の女主人とは興味深い名前をつけたものじゃ。それにあの娘、気を付けておいたほうがよさそうだぞ」

 

 思いがけない主神の発言。気を付ける、とはいったいなんのことだ?

 

 「別に中出しセックスするな、とは言わんのだが…。まぁ、気を付けておくのじゃ。今はそれしか言えん」

 

 「はいはい。ちゃんと避妊薬を飲ませるから安心しろ」

 

 ●

 

 ギルドに着くなり、エイナは二人を応接間に通した。早朝のギルド本部。まだ勤務時間まで長く、建物内に人影は見当たらない。これから行われる行為を考えれば当然、だれもいない方が都合がいいのだが。

 

 「それで、テルクシノエ様は同席されないんですね?」

 

 「ん、あぁ、よい。楽しい二人の時間を邪魔するのも悪いだろう。私はロビーで待機しているから、事が済んだら呼びにくるのじゃ」

 

 そういって神様は応接間を出て行った。

 

 「ぐふふ、どれどれ。久しぶりのエイナちゃんのおまんこは、どんな具合かな?」

 

 後ろから豊満な胸を鷲掴みし、股間に指を這わすと。

 

 「おぉ、もうぐしょぐしょだ!ぐふふふふ…」

 

 「ふふっ…。エッチな私を見ると、興奮するんでしょ?実は二人がくるずっと前から待機して、オナニーしていたの」

 

 エイナは絡みつく手から逃れ、応接間にある一脚のソファーに座り、自ら股を開いた。

 

 「ほら、見てごらん?私もう、こんなに濡れちゃってる…」

 

 おほほほ。よきかな、よきかな。ハムザは既に準備万端のペニスを取り出し、誘うエイナを押し倒し、びしょ濡れのまんこにペニスを突っ込んだ。

 

  (あぁ、これ…いいわぁ。やっぱりオナニーより、気持ちいい…)

 

 彼女は突かれるがままに快楽に身を任せ、思う存分セックスを堪能した。

 

 それから一時間程。ロビーで寝ていたテルクシノエはエイナに起こされた。彼女に案内され、再び応接間に戻ると射精してだらしなく脱力した我が子がよう、とあいさつしてきた。

 

 「…おほん。今日は本番行為でしたが、射精は膣内以外にしてみました。男性は膣内射精以外にも顔射によって征服欲を満たすことがあると聞いたので、私の顔に射精してもらいました。本番行為にも幾つか射精パターンがありますので、ここ数日はそれらを検証していきます」

 

 「エイナちゃんのちっちゃい綺麗な顔にぶっかけるのは、至福のひと時だった。でも、欲を言えばえろ~いセリフで下品に舌を出しながらおねだりしてほしかったなぁ」

 

 「そ、そのパターンも検証予定表に追加しておきましょう。でも、そういう些細な変化で劇的な上昇がみられるかは、今のところわかりません」

 

 かしこまった口調で、テルクシノエに説明を続けるエイナ。その口調には、あくまでもこれは仕事であり私情は挟みたくないという気持ちがこもっているようだった。

 

 (彼を喜ばせるためには、もっと欲求の満たし方を研究して、実践していかなきゃ…)

 

 決して自分が楽しむためではない。決して。そう言い聞かせながら、話題を変える。

 

 「…それと、ダンジョン攻略に関してですが。ハムザ君の場合、常人離れした成長速度のせいで通常の攻略モデルケースがどれも適用できません。しかしステイタスが高いからと言って経験を積まずにどんどん下層へ降りていくのは、やはり危険なことだと思われます。ですから…」

 

 すっかり仕事モードに入ったエイナは、ほとんど話を聞く気がないハムザを視界にいれないようにして説明を続ける。

 

 「パーティを募集してみてはいかがでしょうか?正式な団員を募集するのも、いいかもしれませんね。私は今後、成長速度だけでなく他人への作用も検証したいと思っています。そのためにはもう一人、ファルナを授かった女性が協力者として必要なんです…」

 

 「じゃあエイナちゃんがうちに入ればいいじゃないか。それで万事解決、欲求不満の問題も一気に解決だ~」

 

 そんな提案はあっさり却下される。

 

 「これはあくまでもギルドの調査です。公平を期すべき身分の私が、特定のファミリアに入団することはできません」

 

 むむぅ、とうなる主神。

 

 「団員を増やす…。それはいいのじゃが、募集をかけるのは面倒でなぁ。私としては、いちいち面接なんかせずに、ハムザがヤりたいと思った女を引き抜いてくればいいと思っているのだが」

 

 そうですか、と頷くエイナ。

 

 「それでは、女性冒険者をスカウトの形で増やしていくのが理想ですね。少し時間をかけてでも、納得のいく女性を探してきてください。とりあえず現状では、サポーターを雇うことをおすすめしておきます」

 

 サポーター。支援特化の専門職といえば聞こえはいいが、要はダンジョン攻略時における荷物持ち。魔石やドロップアイテムの回収もさることながら、回復薬や予備の武器を運ぶ存在である。基本的に単独攻略者はこれを自分で行わなければならないため、物理的にも時間的にも効率が悪い。だからアドバイザーとしてのエイナの意見は、十分聞き入れるに値することだった。

 

 「わかったか?ハムザ。サポーターで、女で、セックスしたいなーと思うやつを探してくるのじゃ。それまでは5階層くらいでしっかり稼いでくるのだぞ~」

 

 「いやいや、お前も少しは仕事しろよ…」

 

 そんなやり取りを聞いて、エイナはあはは、と笑い声をあげた。

 

 それでは最後に、と。

 

 「効率的にスケジュールを組めるように、ハムザ君には目標を立ててもらいます」

 

 そういって一枚の紙を取り出した。

 

 紙にはインク文字で『短期』『中期』『長期』と書かれた空欄がある。

 

 「このそれぞれの空欄に、好きなだけ目標を書き入れてください。そしてそれを、毎日見える場所に飾っておくこと。そうすることで、より明確に目標を意識して生活できます」

 

 テルクシノエは、ほほーとうなる。いやぁ本当に下界の子は面白いことを考え付くものじゃ。そういって紙を見つめる。

 

 「めんどくせー…」

 

 一方やる気のないハムザは、鼻をほじりながら上の空だ。

 

 「簡単じゃ、ハムザ。セックスしてみたい女の名前を言ってみろ。それでほとんど埋まるだろう」

 

 それもそうか、と。

 

 「よし、まず『短期』には、百万ヴァリス貯めて犬人(シアンスロープ)の女の子とセックス。どっかの薬屋だった。むかつく神様がいたな。名前はなんだっけなぁ」

 

 「犬人で薬屋…。どこかのファミリア所属…。もしかして、ミアハ・ファミリアかな?そしたら、ナァーザ・エリスイスさんですね」

 

 よし、そいつだ、と。

 

 「サポーターのセフレを入団させて、あとはさっきのシルちゃんとセックス。この前見つけた金髪の剣士ちゃんは、『中期』だろうなぁ。まだ名前も知らん。アスフィちゃんともう一度セックスしたい。美人と評判の純粋なエルフともセックスしないとな。簡単そうだけど、アマゾネスとも。パルゥムは…。まぁそのうちか。『長期』に入れておこう。あと、世界中の美女を集めてハーレムを作る。これは男のロマンだ」

 

 こうしてエイナの目標管理シートはある程度埋めることができた。書かれた名前を見て、エイナはふと気づく。

 

 「あれっ?ハムザ君が言ってた最初に抱いた女性って、アスフィさんのことなの?」

 

 「そうそう!アスフィちゃん!意外とビッチでなかなかのセックスだったぞ!もう一回中出しセックスしたいなぁ。ただ、あの不審な神様は超うざい」

 

 そういうことか、と何度も小さくエイナはうなずいた。

 

 アスフィ・アル・アンドロメダと言えばヘルメス・ファミリアの団長だ。神によって付けられた二つ名は『万能者ペルセウス』。自身は上級冒険者にカテゴライズされるLv3であり、数少ないレアアビリティ『神秘』の持ち主だ。彼女とのセックスでハムザは何度も射精が出来たという。エイナでは一回、アスフィでは数回。これはもしかしたら、対象者のレベルや恩恵の有無によっても影響を与えているのかもしれない…。

 

 内心、ずっと気がかりだったことだ。セックスで一度しか射精が出来ない原因は、私にあるんじゃないか。私の魅力が足りないから、彼は何度も射精が出来ないのかもしれない。エイナはほぼ間違いなくそうだろうと結論付ける直前だった。想定外の可能性に希望を抱き、翡翠色の瞳を燃やした。

 

 (まだまだ検証することが山ほどありそうね!…ふふ、やりがいがある素晴らしい仕事だわ)

 

 徐々に深みにはまっていることに、彼女はまだ気づかない…。

 

 

 ギルド本部を後にして、二人はダンジョンの入り口で立ち止まる。

 

 「じゃ、とりあえず行ってくる~。お前の眷属様はモンスター狩りだけじゃなく、可愛いセフレを探す旅に出る。ダンジョンにセックスを求めて何がわる~い!」

 

 「その意気じゃ。気を付けるんだぞ。ところで…」

 

 主神は眷属に言う。

 

 「五万ヴァリスほど貸してくれ。最近お前がダンジョンに行っている間手持無沙汰でのう。仕事は嫌いだから、ちょこっと賭博で儲けてくるつもりじゃ」

 

 「お前って神は本当に…」

 

 ファミリア結成当日にこのギャンブル癖によって全財産をすられた経験から、ファミリアの金銭管理は全てハムザが行っていた。主神の悪癖を矯正することも眷属の義務かもしれないが…。生憎その眷属も能天気でずぼらな性格だった。

 

 「まぁ、別にいいか。どうせ最近調子がいいし、さっさと百万ヴァリス稼いでナァーザちゃんとしっぽり中出しセクロスするぞ!」

 

 「さすがは我が眷属!天才じゃー偉大な英雄じゃー」

 

 そこから遠く離れたミアハ・ファミリアの青の薬舗で。

 

 「くしゅんっ!?」

 

 (誰かが私の噂をしている…?)

 

 ナァーザのくしゃみがお店に響いた。

 

 

 

 

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章-豊穣の女主人-

 街ではエイナのエロい実験に付き合わされ、ダンジョンでは群がるモンスターを屠り続けること数日。

 

 ハムザのステイタスはここ5階層でも十分に通用するほど成長していた。ゴブリン、コボルト、ダンジョン・リザードがどれだけ束になっても、埋めることが出来ない戦力差が開いている。ここはもう、安全。自分を傷つける事が出来る相手はいない。本来、着実に進んでいく歩みに喜ぶ所かもしれない。道のりを振り返り、『よくやってきた』と自画自賛するのも良いだろう。こんな状況でも警鐘を鳴らす人物がいたとすれば、それはきっとお節介にしか聞こえないはずだ。『ダンジョンでは何が起こるか分からない』。そんな彼女の口癖を思い出しては、目の前の雑魚を蹴散らす。

 

 「なーんも起こらん。なんかこう、この前みたいに美女に出会ったり、助けを求めるかわい子ちゃんを救い出したりっていう、イベント的なものもなーんにもない」

 

 (かと言ってミノタウロスにまた遭遇なんて事態だけは勘弁してもらいたいが…)

 

 群青色の燐光が通路の天井で瞬いている。どこか遠くから、コボルトの遠吠えが聞こえてくる。『恩恵』を受け鍛えられた聴覚は、その僅かな振動でさえ逃さない。ハムザはマップを手に取り、現在地を確認する。6階層へ繋がる通路は、ここを右に折れればすぐだ。

 

 (…エイナちゃんには止められていた気がするが…。行くか、6階層へ)

 

 ダンジョン6階層からは、出現モンスターに変化があるとされる。最弱として知られる『ゴブリン』『コボルト』などは姿を消し、代わりに巨大なカエル型のモンスターである『フロッグ・シューター』と漆黒の人型モンスター、『ウォーシャドウ』等との戦闘は避けられない。

 

 階層が深くなればなるほど、ダンジョンが産み落とすモンスターは大幅に強化されていく。まるで訪れる冒険者の実力を試すように。あるいは、その命を奪い取るために。

 

 生き残った者が勝者、それは分かる。『ダンジョンは何が起こるか分からない』、これもわかる。しかし『冒険者は冒険なんてしてはいけない』、このエイナの言葉には未だに納得ができていない。

 

 (…そもそも、じゃあなんで『冒険者』なんてやってるんだ、って話だからな)

 

 オラリオ中の美女とハーレムセクロス。これは男のロマンだ。しかしそこに辿り着くためには、乗り越えなければいけない障害が山ほどある。こんな低階層でうろちょろしているだけで、本当にそこに辿り着けるのだろうか?百万ヴァリスも貯まらないだろう。あの金髪の剣士ちゃんは、相当な手練れに違いない。Lv1程度の雑魚のままで、中出しセクロスなんてできやしないだろう。

 

 強くなりたい。金も権力も、力も手に入れた英雄になりたい。『恩恵』を授かる超人たちが集まるこのオラリオで英雄と呼ばれるためには。そんな超人美女たちとセクロスするためには。

 

 (…攻めるぞ、今日は)

 

 死すら覚悟して、冒険しなければいけないのだろう。

 

 

 顔面へ弾丸のように打ち出された舌を見切り、僅かに重心をずらして回避。伸びきった舌を長剣で切り落とす。武器を失った『フロッグ・シューター』は窮余の策で飛び掛かるも、無残に真っ二つにされた。

 

 『恩恵』のおかげで反射神経は常人の辿り着ける限界をとうに超えている。筋力や瞬発力などの身体能力の上昇もさることながら、肉体の限界を超えた『恩恵』の力が漲っている。

 

 大型カエルとの戦闘を終えたのも束の間、今度は『ウォーシャドウ』が行く手を塞ぐ。長い両手の先は刃のように鋭く尖り、頭頂部と思しき部分には大型の単眼が光る。その影はゆっくりと近づいたと思いきや、一瞬で姿を消した。

 

 「!?」

 

 鍛えられた感覚は、背後で起きた僅かな異変を逃さなかった。

 

 (…後ろかっ!)

 

 間一髪でウォーシャドウの鋭い指先から逃れ、再び相対する。

 

 (…普通のモンスターとは違う能力みたいなものがあるのか?幽霊みたいに実体がないとか)

 

 振り回される鋭い指先を長剣でいなしながら、相手を分析する。

 

 (実体がなければ鋭い指先も意味がないか。ってことはさっきのは、神出鬼没のワープみたいなもの…?)

 

 『ザシュッ!』

 

 冒険者からカウンターで反撃を受けたウォーシャドウの体は、確かに傷ついていた。

 

 袈裟に切り裂かれた胴体。どす黒い血のような物が流れ出る。するとその影は再びゆっくりと距離を詰め、再び姿を消した。

 

 (…単純だなぁ)

 

 ハムザはさっと体を反転させ、自らの影に剣を突き立てる。

 

 見事にその瞬間実体を現し始めていたウォーシャドウは、突き立てられた剣に魔石を破壊されて灰となった。

 

 「影に隠れられる的なやつか。そんな特技があれば、俺も美女のパンティー盗み見し放題だったのに…」

 

 それにしても。6階層で初めて遭遇するモンスターとの戦闘も、ゴブリンやコボルト達とさしたる違いはない。カエルの遠距離攻撃も、影の変態パンティ覗きも。一度からくりが分かってしまえば対処に困ることはなかった。

 

 時には複数を同時に相手しながら、ハムザは6階層を進んでいく。そして大広間に足を踏み入れた途端。ぞっと背筋が凍るような異変を感じる。

 

 びきり、びきりと壁が裂ける音。

 

 それはまさしく、ダンジョンからモンスターが生まれ落ちる音。

 

 尋常ではない数の壁の亀裂から現れたのは大量のウォーシャドウとフロッグ・シューター。策を用意して獲物を狩るのは、ダンジョンも同様だ。時には冒険者を広間に誘い込み、そこで大量のモンスターを産み落とす。逃げ場のない魔物の巣窟。悪辣な迷宮の罠(ダンジョン・ギミック)

 

 「やべっ…」

 

 (エイナちゃんから聞いてたけど、これが怪物の宴(モンスター・パーティー)ってやつか…?)

 

 優に百体を越えるモンスター。生まれ落ちたその瞬間から戦闘可能な彼らは、包囲網を敷きじりじりとハムザを追い詰める。

 

 『もし単身で怪物の宴(モンスター・パーティー)に遭遇したら、まず生き残ることは不可能よ。だから異変を感じたら、そうなる前に必ず逃げること。決して冒険なんかしないこと!いいね?』

 

 エイナの忠言が脳裏にこだまする。汗が頬を伝っていくのがわかる。

 

 状況としては最悪であった。逃げ遅れ、囲まれた。こうなってしまえば、打てる手段はただ一つしかない。玉砕覚悟で突っ込むこと。命が消えるまで足掻き続けること。たとえ先刻までモンスターを虐殺していたとは言え、こんな数を相手にすればひとたまりもない。

 

 モンスターが産まれる様をのうのうと見届けたのは、間違いだったのだろう。すぐさま逃げるべきだった。ダンジョンではその判断の差が、僅かなたったのその一瞬の決断が、勝者と敗者を分ける。

 

 しかし。

 

 もしも、だ。

 

 もしもこれが『立ち向かう』か『逃げる』かの選択だった場合。

 

 その決断の差が、凡人と英雄を分けるに違いない。

 

 右手に剣を握りしめ。どくん、どくんとはやる鼓動を抑える。

 

 紅の目をした冒険者の恐ろしい形相が、なだれ込むモンスターの奔流に飲まれていった。

 

 

 「…レイズ」

 

 一方、ファミリアの主神はというと。こちらも勝ちの薄い勝負に出ているところだった。

 

 賭博場。手札の配役を競うカードゲーム、ポーカー。テルクシノエは以前と同様に見事にカモにされていた。

 

 風貌の汚い男たちの中で佇む女神は、異様と思えるほどに美しい。しかしその顔は、見事に苦しみに歪んでいた。

 

 (…役なし。ブタじゃっ。しかしここで取り返さんとまた全部すってしまう…くそう、じゃ…)

 

 素人丸出しの女神とは異なり、対戦相手たちは全員がギャンブルの猛者だった。彼らは女神のあからさまな表情に最初はブラフの臭いを嗅ぎつけたが、それが心理戦でもなんでもない素の表情だということがわかると、一斉に持ち金を奪いにきた。

 

 「…オールイン、じゃ」

 

 「…オールイン。ははっ、懲りねぇな、女神様」

 

 男は手札を捲る。

 

 「…なんと、すごい。フルハウスか」

 

 手札は晒すまでもない。持ってけ泥棒!そういって女神は投げやりに机に足を乗っけた。

 

 「あぁ、もうやめじゃやめ。どうせ勝てんし、今日はもうおしまーい」

 

 もう辞めちまうのか?何なら少し貸しをつくってやってもいいんだぜ?カモを逃すまいとするギャンブラー達の前に有り金をぱさっと落とし、背を向けて店を飛び出す。

 

 (負けてばっかりでつまらんのじゃ。はぁ、今頃ハムザは何をしているかのう…)

 

 その手に、先ほどのトランプを一枚忍ばせる。

 

 (こんなもの何に使うんじゃ?持って来いというから盗んできたが…)

 

 オラリオの空は暗雲が広がり、女神の帰路を灰色の雨で濡らしていった。

 

 

 

 その頃、ギルド本部では職員がせわしなく働いている。

 

 「うぇ~降り始めちゃった。今日は残業確定だし、帰りは土砂降りだなんてついてないなぁ…」

 

 ギルド本部内のデスクで書類の山と格闘するエイナに、同僚が声を掛ける。

 

 「大丈夫よ、きっとにわか雨だから。帰る頃には止んでると思うわ」

 

 そうだといいけど…。エイナはそう思いながら作業の手を止めて窓の外を見た。雨音は鎧戸を叩いている。今頃あの冒険者はどうしているだろうか?しっかり危険を避けながら戦闘できているだろうか?特別なスキルを持っているとはいえ、冒険者が死ぬときなんていつもあっさりだ。

 

 風がひゅうっと吹き、鎧戸ががたがたと揺れ始めた。ギルド本部では相変わらず同僚が膨大な仕事と格闘している。自分も、はやく取り掛からなければ。

 

 そうして書類に手をつけた瞬間、ロビーで叫び声が聞こえた。

 

 「きゃあっ!誰かはやく助けて!この人、()()()()よ!」

 

 エイナは嫌な予感がして、大慌てで騒ぎのもとへ駆けつける。そこには、大量の血を流しながら雨に濡れ、ぐちゃぐちゃになった冒険者の姿が。

 

 (…うそ)

 

 見覚えのある新米冒険者用の鎧。見覚えのある長剣。見覚えのある漆黒の頭髪。

 

 (…うそでしょっ!?)

 

 「…大変!ハムザ君、起きて!ねぇ、大丈夫!?誰か手を貸して、彼、意識がないの!!」

 

 穏やかだったギルド本部は、雨風吹き荒れる外と同様に、既に荒れ模様になっていた。

 

 

 「…ん?」

 

 ハムザが目を覚ました時、目の前には不安げな顔をして見下ろしているエイナと、テルクシノエの姿があった。

 

 「おぉ、よかったよかった。やっぱり生きてたんじゃな」

 

 安堵する主神とは正反対に、エイナは厳しい言葉を浴びせる。

 

 「もう、心配したんだから!どうせ私の忠告を無視して下層まで潜っていたんでしょうっ!?それにあんなところで血まみれで倒れたりして。私がどれだけ心配したかっ…」

 

 「ははは。どうせこいつは言うことなんて聞きやしないのじゃ。だからやりたいようにやらせれば良い。それにそう簡単に死んだりはしないぞ。お前は心配しすぎじゃ、エイナ」

 

 エイナの予想は見事に的中していたが、ハムザはそれでも経緯を説明する必要があった。

 

 退屈したから6階層まで行ってみた。怪物の宴(モンスター・パーティー)に遭遇した。百体はいたモンスターを、全部返り討ちにした。出血がひどく途中で血が足りなくなってやばかったが、なんとかギルドまでは辿り着いた。そのあとのことは、全く覚えていない…。

 

 起き上がり、傷ついていた筈の体を確認する。不思議な事に、傷はきれいさっぱり癒えていた。

 

 「なんだ、これ?傷が全部治っているじゃないか。それにここは、どこだ?」

 

 白く清潔な小さな居室のベッドに、自分は寝かされていたようだ。まったく見覚えのない場所だ。どうやら、ギルド本部でもなさそうだが。

 

 エイナは嘆息しながら出血をぬぐい取り真っ赤になったタオルを捨て、一部始終を補足する。

 

 「ハムザ君がギルドのロビーで倒れてるのを職員が見つけて、それからこのバベルの医務室まで運んできたのよ。急いでテルクシノエ様も呼んでもらいました。私がありったけの回復薬を使って、目を覚ますまで必死に看病してあげたのよっ!」

 

 「ばべる…?」

 

 初耳だ、と首をひねるハムザを見て、主神はエイナを睨んだ。なんじゃ、アドバイザーはそんなことも教えていないのか、と。

 

 「()()()()()()()()()()()。この人が聞いていなかっただけですっ!もしかしてハムザ君、記憶をなくしちゃったとか?自分が誰だか、わかるよね?」

 

 「あたりまえだ。あぁ~肩こった。なぁ神様、ギャンブルはどうだった?」

 

 肩をくるくると回しながら、体の状態を確認する。

 

 「すったぞ、もちろん全額。お前の言う通り、一枚トランプをくすねてきたがのう」

 

 「まぁ、そうだろうなぁ…。そのトランプ、なくさないように取っておいてくれよ、神様。今度それを使って、賭博場の馬鹿共を仕留めるからな」

 

 体調は、疲労を除けば特に問題はない。エイナちゃんの治療が良かったのかもしれない。ハムザはベッドから起き上がり、自分の荷物を確認してから部屋を出ようとすると、エイナに声を掛けられる。

 

 「…私、まだお礼の言葉すら貰ってないんだけど…」

 

 「おぉ、ごめん、悪かったなエイナちゃん。看病してくれてありがとな、今度たっぷり中出ししてあげよう」

 

 二人はそそくさと部屋を出て行った。やるべきことがある。そう背中で語りながら。

 

 エイナは外を見た。気が付けばもうすっかり夜だ。怪物祭の資料は既に作成済みだとは言え、まだ片づけるべき仕事は山ほど残っている。今朝は夜明け前から仕事をしていたにも関わらず、今夜は残業だ。うぅ、とエイナは声を漏らす。

 

 「…疲れた。次は私が倒れる番かもね…」

 

 笑えない。だが、良いこともあった。あれだけ降っていた雨が、今はもうすっかり止んでいた。

 

 

 ハムザとテルクシノエがバベルを後にしてメインストリートへ出た時、外はすっかり暗くなっていた。吟遊詩人が英雄の詩を奏で、路上演奏者が弦楽器を打ち鳴らす。バイオリンの優雅な調べに、ナイロンギターの哀愁に溢れたメロディー。様々な音楽と人々の喧騒。それがオラリオのメインストリートにかかるBGMだ。

 

 涼やかな夜風が体をさっとなでる。魔石灯があかあかと街中を照らしている。こんな光景を見れば、冒険者たちが並々と注がれる黄金の飲料につられて酒場に迷い込んでしまうのも、きっと当然のことのように思われるだろう。

 

 そんな中、二人はある酒場の前に立っていた。メインストリートにある酒場、『豊穣の女主人』。今朝ギルド本部へ向かう前に出会った少女、シル・フローヴァちゃんを口説くために用意した花束を持って、二人は店内へ入っていく。

 

 「いらっしゃいませニャ~!お客様、カウンターとテーブル、どちらがよろしいですかニャ?」

 

 対応をしてきたの店員はシルではなく、明るく快活な雰囲気の猫人(キャット・ピープル)だった。

 

 「テーブルを頼む、それと…」

 

 シルちゃんはいるか、そう言おうとした瞬間。

 

 「うわーっ!お客様、凄いおっきな花束ニャ!一体こんな素敵なプレゼント、誰に渡すつもりなのかニャ~?」

 

 にんまりと笑顔を浮かべる店員があまりにも可愛らしかったせいで、ハムザは危うくそれを渡すところだった。

 

 「素敵な花束を持って二名様ご来店ニャ~!」

 

 『いらっしゃいませ~っ!』

 

 容姿端麗な店員たちが一斉にハムザの花束に注目を集める。その目を輝かせる店員たち。一体だれがあの素敵な花束を貰うのだろう。そんな好奇心が、彼女たちを満たしていた。

 

 テーブルに案内されたハムザはやれやれと主神に呟いた。

 

 「まいったな。あと十束くらい多く買っておくべきだった。こんな美人が多いなんて、全く予想外だ」

 

 「まったくじゃのう。あのカウンターの中にいる女子、お主の好みじゃろう…?」

 

 そういって主神は顎でカウンターを差す。そこには女子とは到底かけ離れた体格のごつい女将が、マナーの悪い客を怒鳴り散らしている。

 

 「冗談きついだろ、神様…」

 

 

 「ご注文はどうされますかニャ?」

 

 メニューを聞きに来たのは先ほどの店員だった。ちらちらと花束に視線を浴びせている。

 

 「猫じゃらしは入ってないぞ」

 

 「う、うるさいにゃっ!さっさと注文するニャっ…!」

 

 店員は少しがっかりしたように肩を落とした。

 

 「う~ん。じゃあ俺はこの子牛スープとパンってやつ。タコのマリネサラダ一つ。それと雄鹿のステーキ。付け合わせはじゃがいもで」

 

 ほいほい、っとメモを取る店員。

 

 「タコのサラダは小っちゃいニャ。二人で分けて食べるんなら、こっちのタコのマリネの方がおすすめニャ」

 

 ちゃっかり営業してくる店員に、じゃあそれ頼むというハムザ。

 

 「それで、神様はどうするニャ?」

 

 「そうじゃのう。どれもおいしそうなんだが…。じゃあ血肉のソーセージ盛り合わせを一つ。七面鳥のステーキ。牛の輪切り肉(メダリオン)。それと子羊のロースト。付け合わせはなしじゃ」

 

 「お肉ばっかりニャ」

 

 「そうじゃ。育ち盛りなんじゃ」

 

 「神にそんなものないだろう。こいつは食いしん坊なだけだ」

 

 うるさい、とハムザを視線で咎める女神。

 

 「それで、お酒はどうするニャ?」

 

 「あ~そうだなぁ。ここに来てからまだ酒場では飲んでないな。じゃあ、俺、この自家製蒸留酒(エール)

 

 「私はブルーベリー蒸留酒(ボロヴィチュカ)一つじゃ」

 

 「おっ。つまみにズッキーニのフライも良いな。マヨネーズ付けといてくれ」

 

 さささっとメモを取った店員は、最後に確認をする。

 

 「ブルーベリー蒸留酒(ボロヴィチュカ)は、とっても強いお酒にゃ。酔っ払ってぶっ倒れないように、しっかり注意することだにゃ」

 

 なんか、悪意はないんだろうけど態度の悪い店員だったな。そう言って店内を見やる。魔石灯が石造の店内をオレンジ色に照らしている。程よい広さの店内を、可愛らしいウェイトレス達が忙しそうに走り回っている。年季の入った木製のテーブルはしっかりと綺麗に磨き上げられているようだ。美しいウェイトレス達に似合う、清潔で居心地の良い酒場だった。

 

 程なくして食事が運ばれてくる。二人は乾杯して、食事にありつく。

 

 「おぉ~。見ろ、神様!パンの壺にスープが入っているぞ!面白いじゃないか、おぉ、うまいうまい…」

 

 食事を楽しんでいると、店内の中央でなにやら客が騒ぎ始めた。

 

 「そうだ!アイズ、お前のあの話を聞かせてやれよ!」

 

 こんな良い店で品のない声を張り上げるのはどこの田舎者だ、まったく。

 

 「あれだって、帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス!最後の一匹、お前が5階層で始末しただろ!?それでほれ、あんときいたトマト野郎の!」

 

 5階層?ミノタウロス?なんでそのことを知ってやがる?俺ともう一人の雑魚が5階層に行ったときに遭遇したミノタウロス。追い回された挙句、殺されかけた。雑魚を生贄にすることで事なきを得たが、その後確かに何者かがその化物を始末していたようだな。

 

 「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際に追い詰められちまってよ!可哀そうなくらい顔を引きつらせて、しょんべんちびりながら泣くわ泣くわ…」

 

 何だと。そんな面白そうな光景を俺は見逃してしまったのか。あいつのあだ名はしょんべんちびり丸に決定だ…。くくく、笑いを堪えきれない。

 

 「アイズが間一髪ってところでミノを細切れにしてやったんだが、そしたらそいつ、牛の返り血を浴びて…真っ赤なトマトみてぇになっちまったんだよなぁ!くくく、ひーひひひひ!腹いてぇ…」

 

 なんだそりゃあ、あだ名を変えねばならん。しょんべんちびりトマト丸?トマト風しょんべん小僧?あぁ、もうわけわからん。

 

 「おまけにうちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのおっ!ほんとざまぁねぇよな。泣きわめくくらいなら最初から冒険者になるんじゃねぇっての!」

 

 正論だな。その通りだ。雑魚はママのおっぱいでも飲んでるほうがまだましだろうよ。

 

 あれ…?でもよく考えたらあのパツキン剣士ちゃん、その場にいたんだよな。てことはアイズって奴がまさか…?

 

 「アハハハハ、そんなん傑作やんー!?冒険者怖がらせてまうアイズたんマジ萌えーーーっ!」

 

 ハムザは田舎者が大声上げて笑っているテーブルを見る。なかなかの粒ぞろいの中に、あの娘はいた。肩を落とし、顔を俯かせてなお輝く美貌。美しい金色の瞳に、それに引けを取らぬほど神々しい金髪。

 

 じろじろ見ていると、誰かが勢いよく外へ飛び出した。

 

 『食い逃げだ!』

 

 『うわぁ、ご愁傷さま…』

 

 『ミア母ちゃんの店でよくもまぁ…』

 

 食い逃げねぇ。馬鹿なことをするやつもいたもんだ。しかし是非とも、あの娘とお近づきになりたい。無垢な神々しい顔にザーメンぶっかけたい。ハムザは考えた。そして、思いついた。またしても、名案を。

 

 食べかけだったステーキを喉に流し込んで、言った。

 

 「おし、神様。今から俺がすることは黙って見守っていてくれ」

 

 ん…?テルクシノエは首をかしげながらも、頷いた。

 

 「まぁ、いいじゃろう。眷属が起こすトラブルは、極上の酒の肴になるからのう」

 

 今なら何でもできる気がする。最高の気分だ。ふわふわして、天上の楽園にいるようだ。ハムザは蒸留酒によって酔っぱらっていた。

 

 彼は立ち上がり、すーっと息を吸い込んで叫んだ。

 

 「おらぁぁぁぁっ!俺の親友を侮辱したのはどこのどいつだ、ボケェェェッ!?」

 

 途端に店内は騒然として、すぐに静まり返った。ロキ・ファミリアに喧嘩を売るとは、なんという命知らず。オラリオ屈指の超強力な派閥に対して啖呵を切れなどと言われれば、例え酒にべろべろになった酔っ払いでも真顔で断りを入れるレベルだ。『そんなことだけは勘弁してくれ』と。無知、無謀。愚の骨頂である。愚かにもその人物は、さらに挑発を続けた。

 

 「…我が最愛の友を貶した田吾作はどいつだ。お前か。ヒック…。我が親友は新米であれど、下賤なお前なんかとは比べ物にならないくらい素晴らしい人間だ。具体的には、えーっと…。とにかく、良い奴なんだ。それをお前は公衆の面前でバカにしたな?そんな事は例え我が主神が許しても、オラリオ中の神様が許しても、この俺が断固許さん。恥を知れ、クズが。ヒック…。畜生、蒸留酒(エール)め。ヒック」

 

 あの少年を親友ということにして、先ほどの侮辱に難癖をつける。そして許す代わりにアイズちゃんを差し出せ。何とも無謀な計画だった。

 

 再びざわざわと騒ぎ始める店内。予想に反して、ロキ・ファミリアの面々は痛哭な面持ちだ。ただ一人の、狼人(ウェア・ウルフ)を除いて。

 

 「てめぇ、誰に向かって喧嘩売ってんのかわかってんのか…?」

 

 「止せ、ベート」

 

 飛び掛かろうとする獣人を手で制止する、エルフの麗人。

 

 「…すまなかったな。ミノタウロスを逃がし、5階層まで追い立ててしまったのは我がファミリアの責任だ。そんな彼を公共の場でこのように笑いものにする権利など、我々にはない。この場を借りてお前の親友には謝ろう。すまなかった」

 

 『ちょ、リヴェリア様…!?』

 

 『ベート、リヴェリアに何てこと言わせるのよ…!』

 

 ロキ・ファミリアの面々はがやがやと騒がしくなった。当の獣人はいまだにいきり立っているが、押さえつけられ、縛られ始めている。

 

 「あー…。そうだろうとも、そうだろうとも。ヒック…。ただし、俺の言いたいことはな。ごめんで済むなら、警察はいらんということだ…ヒック」

 

 誰が見ても、その男は酔っぱらっていた。しかしリヴェリアと呼ばれる人物はそんなどうしようもない酔っ払いにも律儀に対応する。

 

 「言いたいことはわかる。お前が証人となれば、彼が我がファミリアを『公然侮辱』と『名誉毀損』でギルドに訴えることが出来る。そういうことだな?」

 

 「…へっ?う、うむ。そう。そうだな、それが言いたかったんだ…。だからそのことについて、()()でゆっくり話し合おうじゃないか…」

 

 いいだろう、と言うリヴェリアを団員が制止するも、『酒を飲んでないのは私とアイズくらい』『他の物には心配でとても任せられん』などと言われ、結局引き留めることが出来なかった。

 

 リヴェリアは席を移動し、ハムザのテーブルまで近づいてきた。神様は気を聞かせて既に別の席に座っており、成り行きをにやにやと見守っている。

 

 「それで…。そちらの要求は何だ?」

 

 率直に質問を投げかけるエルフをしげしげと眺める。

 

 …美しい。いや、そんな形容詞では全く物足りない。『神と比肩するほどの』あるいは、『神をも超えるほどの』美しさ。エルフの麗人は、まっすぐにハムザを見据えている。その優雅で気品のある顔立ちと、何事をも見通すかのように透き通った視線に、ハムザはたじろいだ。

 

 (なんじゃこの美人…?いったい何なんだ、この酒場は…?アイズちゃんとのセックスもいいが、こっちも相当美人だぞ…。目的が変わっちまうけど、まぁいっか…)

 

 間が空きすぎている。言葉を継がなければ。

 

 「え、えー…。そうだな。要求は、君のおっぱいを好きにする権利を俺にくれ」

 

 「…ふざけているのか?」

 

 「いーや。真面目だ。酔っぱらってもいな…ヒック。くそっ。全然素面だ。君の名前も教えてくれ。美しいな。まるで気高い姫様だ」

 

 リヴェリアは瞑目してからややあって、そのきゅっと閉じられた唇を開いて応えた。

 

 「…リヴェリア・リヨス・アールヴだ。お前の名前は?」

 

 (…えっ?リ、なんだって?名前長すぎっ…)

 

 「お、俺はテルクシノエ・ファミリアのハムザだ。よろしくな、リヴァリスちゃん」

 

 「…リヴェリアだ。まぁ良い。ハムザ、お前は相当酔っているようだし、この件についてまともに考えられるとも思わん。悪いがこれで席を外させてもらうぞ…」

 

 そういって席を立とうとするリヴェリアを慌てて引き留める。

 

 「まぁ、待て。その『()()()()』と『()()()()』とかいうやつについてだ。ちょっと賭けをしようじゃないか」

 

 ハムザはグイッと蒸留酒(エール)をあおる。

 

 「うぃー…。ヒック。あー…。俺は半月前にオラリオに来て、ファミリアを結成した。当然、まだLv1だ。しかしあと半月でランクアップしてLv2になる予定だ。信じられるか?」

 

 リヴェリアは瞑目して。

 

 「…無理だな。あのアイズでさえ、ランクアップするのに一年は掛かっているんだ。そんなに早く成長できるものなら、誰も苦労はしない」

 

 「まぁ、そう思うだろうな。ヒック。ただし、俺には特別なスキルがあってな…。普通よりちょっと成長が早いらしい。そしてその効果は、他人にも作用する…」

 

 特別なスキル?リヴェリアは黙考した。他人にも作用するほどの効果。本当だとすれば間違いなくレアスキルだ。当然存在が知れ渡っていれば神々が大騒ぎするだろう。しかし、今のところそのような情報は聞かない。酔っ払いの妄言か、あるいは徹底的に秘匿された極秘の情報か…。

 

 「ヒック。それでだな、実はおっぱいを揉むことと、早熟することは密接に関わっているんだ。おっぱいを揉むことで、俺もリヴェリアちゃんもステイタスが早く成長するというわけだ。だから賭けをしよう。俺があと半月でLv2に到達できれば俺の勝ち。無理なら負け。俺が勝ったらリヴェリアちゃんのおっぱいを好きにさせてもらう」

 

 「くだらん。とても信じられる話ではない」

 

 リヴェリアの背後で声がする。

 

 「本当だぞ」

 

 そこには神様がにやけながら食事を食べていた。テルクシノエはリヴェリアを見つめて、『今のがすべて真実であるということをこの神が証明する。なんならステイタスを見せてやってもいい』と言った。

 

 「まぁ、たった一月でのランクアップが到底無理なのはわかる。しかし俺がそれを証明すれば、それはそのままスキル効果の証明にもなる。だからおっぱいを揉ませろ。それで君も早熟できるんだ。俺が負ければ、今回の件は水に流そう。もう文句は言わんし、親友にもしっかり言い聞かせてやろう…」

 

 数秒、リヴェリアは目を瞑ったまま動かずにいた。

 

 滅茶苦茶な論理だ。所詮は酔っ払いの妄言か。ただし、Lv6に到達してから幾星霜。成長の伸び悩みを気にしないといえば、嘘になる。他人を早熟させるスキルというものが仮にも存在するのであれば、試してみたい。それは彼女の本心だった。なに、胸を揉まれるくらい、きっとなんてことはないはずだ…。

 

 しばらく時間を使ってから、彼女は言った。

 

 「よかろう。興味深いその賭け、乗ってやる」

 

 「よし、約束だぞ!」

 

 席を立ち背中を見せるリヴェリアの後ろで、ハムザは小さくガッツポーズをした。

 

 ●

 

 酔っ払いとロキ・ファミリアの言い争いが収束してから、すっかり酒場は普段の賑わいを取り戻した。ハムザとテルクシノエは残りの食事を片づけ、花束を渡すためにシルを探す。

 

 すると、背後から女性の声が掛かる。

 

 「…そこの方。こちらの席で少しばかりご一緒してもよろしいですか?」

 

 振り返ると、綺麗なエルフのウェイトレスが佇んでいる。またしても麗しのエルフ。なんだ今日は?エルフ日和か?

 

 真剣な眼差しをハムザに投げかけ、その店員は返事を待たずに席に着いた。

 

 「…先ほどのロキ・ファミリアへの啖呵。とても勇敢でした。私もベート・ローガのクラネルさんへの態度に、今にも爆発しそうになっていました」

 

 端正な顔立ち。まっすぐな瞳。真剣な表情でハムザを見つめるエルフの美女は、おもむろにジョッキを握り締める。立てば芍薬、座れば牡丹。そんな形容詞がぴったり似合う程の完璧な所作を先ほどまで披露していた彼女ではあったが、ジョッキを握りしめる右手からはっきりと怒りが見て取れる。

 

 「堪えきれず、私は彼への侮辱を訂正させようとしましたが…。先に動いたのは、貴方の方でした」

 

 その時、どれだけ救われたか。きっとエルフはそんな感じの事を言った。しかし、ハムザの目は右手に持たれたプルプルと震えるジョッキに釘付けで、目前にいる美人の声はすっかり頭を通り抜けてくのを感じていた。

 

 そのウェイトレスはグッと右手に力を込めた。ジョッキが今にも破裂しそうだ。そして…。

 

 「私はいつもやりすぎてしまう…」

 

 ()()()。ジョッキが粉々に砕け散った。

 

 床に全力で叩きつけても割れなそうだった大型のジョッキが、右手の握力のみで粉砕された。それも、ほぼ無意識的に。まるでゴリラが林檎を握り潰すように。

 

 エルフの店員は口をあんぐり開けて硬直するハムザをよそに、感謝の言葉を並べ続ける。隣で主神がおかしそうに笑いを堪えている。

 

 「心が洗われるようでした。貴方は、私の言いたいことをすべて言ってくださった。誰もが恐れるロキ・ファミリアと正面から向き合い、正義を貫いた。私は…悪や不正を許せない。嘘や卑怯な事もです。あなたのとった行動は、正義そのものでした。尊敬に値する行動です」

 

 ありがとうございます、と頭を下げる店員に、ハムザは未だに驚きを隠せない。もし今彼がすべての真実を語り始めたら、この店員はどんな顔をするのだろう。あの少年を危険に追いやったのはそもそも自分だということ。そして逃げおおせるためにミノタウロスの餌食にしようとしたこと。しょんべんトマト小僧の話を聞いて、内心大爆笑していたこと。あんなやつとは親友でもなんでもなく、むしろ虫酸が走るくらいにムカついていた…。そんな事を言ってしまったら、彼はどうなっただろう。適当にそれっぽい言葉を並べ立てたのは、ただアイズちゃんとセクロスしたかっただけだと白状したら、果たして命はあっただろうか。

 

 そして一瞬でアイズちゃんのおまんこからリヴェリアちゃんのおっぱいに浮気したなんて事を知られたら、間違いなく殺されていただろう。正義、勇敢、尊敬。そんなものが自分に似つかわしくないことくらいはわかる。むしろハムザは、不義不正、悪だくみ、()()()()の大の仲良しだった。

 

 ありきたりな(フレーズ)を、なんとかひねり出す。

 

 「ま、まぁな。当然のことをしたまでだ」

 

 「…私も、友人が貶されるのは放っておけない。貴方は素晴らしい人だ。とにかく、礼を言わせてください。そして…」

 

 エルフの長い耳を、先端まで赤く染めながら。そのエルフのウェイトレスははにかみながら言葉を紡いだ。

 

 「…こんなことは、本心から言ったことはなかったのですが…」

 

 「また、お待ちしております」

 

 ハムザは信じられないという様子で主神に助けを求めた。女神は首を横に振りながら、こう言いたげだった。

 

 (もう諦めろ、いま本当の事を言えば許してもらえるかもしれんぞ…)

 

 「お、おう。店員ちゃん。君の名前は…?」

 

 「はい。リューと申します。リュー・リオンです。私としたことが、貴方のお名前をまだ聞いていませんでしたね。よろしければ…」

 

 「ハムザだ。テルクシノエ・ファミリアの団長、ハムザだ。よ、よろしく。それから、これ、君にあげる」

 

 ハムザはシルに渡すはずだった大きな花束をリューに手渡す。リューは驚いてハムザを見上げた。

 

 「…こんな素敵な花束は、受け取れません。お気持ちは嬉しいのですが。初対面の見知らぬ方から贈り物を貰うなんて、私にはとてもできません」

 

 「いや、いいんだ。受け取ってくれ。実はこの前、この酒場で君を見かけてな。ずっと渡したかったんだ」

 

 リューは赤面した。どうやらこういう口説き文句には全く慣れていないらしい。押せばなんとかなりそうだが、取り返しのつかない嘘ばかり並べ立てたから、手はださない方がいいかもしれない…。それにこのエルフからは、極めて危険な香りがする。

 

 「…私はこのような贈り物に値するほど、立派ではありません。むしろ、汚れている」

 

 正面に座るリューは、どこか悲し気にその青い瞳で遠くを見つめた。

 

 彼女が過去の鎖に頭を引っ張られ少し俯いたとき、床に滴る蒸留酒と粉々になったジョッキに気づいた。一体誰がジョッキを割ったのだろうと訝し気に眺めている。

 

 (お前だよ…)

 

 そんな彼女を心の動きを察してハムザは心の中で呟いた。

 

 空色の目を戻し、そうだ、と。

 

 「この花束を、私の親友たちに贈ってもよろしいでしょうか。きっと彼らも、喜んでくれるでしょう」

 

 「うん?まぁ、構わないぞ。君にあげた瞬間から使い道は君の自由だしなぁ」

 

 ハムザとテルクシノエにそれぞれ深々と頭を下げて、彼女は仕事に戻りますと言って席を立った。残されたハムザは、ひどく疲れた様子で安堵のため息を吐いた。

 

 「あのリューちゃん、バカ正直すぎるだろ…。俺の嘘が一つでもバレていたら、多分死んでいたな。あー、おっかねぇ」

 

 「なぜ本当の事を言わん。張り手の一発くらいでは許してもらえたじゃろう。今後も嘘を吐き通せば、いずれえらいことになるぞ~。しかもシルちゃんに渡す花束まで上げてしまったのう」

 

 主神はそういってブルーベリー蒸留酒(ボロヴィチュカ)をあおった。あー、うまい!ごとんとグラスを机に叩きつける。口元を拭いながら酒を飲み続ける主神。既に何杯目かもわからない程飲んでいるようだが、一向に酔っぱらっている気配はない。かくいうハムザも、あのエルフの鋭い眼差しに冷や汗かかされ、すっかり酔いがさめてしまったのだが。

 

 店内ではリューが花束を勝ち取ったのを見て、ウェイトレス達がはやし立てている。

 

 『まさかあの不愛想なリューが!』

 

 『それにまさか受け取るなんて!木刀持ってる方がよっぽど似合ってる!?』

 

 『リューの未来の伴侶が決定したニャ!みんな飲むニャ~!』

 

 まぁ…。飯も食ったし、やることやったし、帰るか。

 

 「お~い、猫ちゃん。おあいそーっ!」

 

 猫人(キャット・ピープル)の少女は高速でテーブルまで駆けてくる。

 

 「ミャーは猫ちゃんじゃないニャ。ちゃんとアーニャっていう名前があるニャ!じゃ、()()()()()()()()()さん、お会計はこちらまでお願いしますニャ~」

 

 ハムザは主神と目を合わせる。えらいことになってきた、そう思いながら。

 

 帰り際、カウンターから体格のいい女将に大声で呼び止められる。

 

 「待ちなっ!アンタ食い逃げ野郎の知り合いなんだって~?大分仲がいいそうじゃないか、リューから聞いたよ。そこまで友達想いなら、当然あいつの食った分の金額、払ってくれるんだろうねぇ?」

 

 (なっ…。あんな小僧の食った分なんて誰が払うか…なんて言える雰囲気じゃないな)

 

 リューが真剣な眼差しで直視している。女将は威圧感たっぷりに腕を組んでどっしり構えている。ノーとは言わせない。そんな雰囲気が店内には充満していた。

 

 「あ、あたりまえだろう。もちろん、そのつもりだ」

 

 こうして二人は高い会計を済ませ、簡単に別れの挨拶をしてから店を出た。

 

 夜はすっかり深まって、道路には千鳥足で歩くドワーフの軍団がいる。二人はたらふく食ったお腹をぽんぽんと叩きながら、帰り道をのんびり歩いて行った。

 

 一方、店内では。ウェイトレスの間ではリューが冒険者からの花束を受け取った話題で持ちきりになっている。その中に、シル・フローヴァはいた。

 

 (…ベル君は食事の途中で逃げちゃうし、ハムザ君は少し遠くにいただけで全く気付いてくれないし…おまけにあの私への花束、どうしてリュウにあげちゃったのかな?私より、リュウの方が好みだったってこと…?)

 

 なんだろう、と。輪の中ではやし立てられる親友、リューを見て。

 

 負けず嫌いの街娘は、少しだけ闘争心を燃やしていた。

 

 

 「最後に教えてくれ。どうしてあの花束をリューにあげたのじゃ?」

 

 歓楽街へと抜ける道を二人で歩きながら、主神は問いかける。もともと、シルちゃんを口説いてセックスするつもりだったじゃないか、と。

 

 それに対するハムザの答えは歯切れが悪い。

 

 「う~ん…。初対面の好感度がMAXだと、それ以降ゲスい事を言っても割とすんなり受け入れてもらえることがたま~にあってな…。なんというか、『あの時素敵だった良い人』っていう思い出がプラス補正されて、『嘘を吐いたのは状況的に仕方がなかった』とか、『変態だけど決して悪い人ではない』みたいに受け止められることがあるというか…」

 

 「エルフに効くかわからんが、とりあえずその線で行ってみようと思う。もしリューちゃんに俺が殺されたら、骨は海に流してくれ…」

 

 己の眷属の答えに、女神は笑い声をあげる。

 

 「ははは。まぁ、せいぜい頑張るのじゃ。あのエルフをがっぽり生ハメするときは、私も見学する」

 

 それに、と。

 

 「明日から、ちょっと出張じゃ。神の宴(デナトゥス)に呼ばれてな。旧友たちに会ってくる。しばらく帰らないから、一人で頼んだぞ」

 

 「お前、友達いないだろ」

 

 「うるさい、お前こそいないじゃろう」

 

 睦まじく小突き合う二人組の姿を、ぐでぐでになった酔っぱらいがゴミ捨て場に埋もれながら、見送っていた。

 

 (ん…?今の奴、どっかで見たことがあらぁ…。ま、いっか。うぃ~っく…リア充、爆発しろ…)

 

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章-賭博場と詐欺師-

 「それで、これから数日どうするつもりなんじゃ?」

 

 テルクシノエ・ファミリアの本拠地で、主神である彼女は自らの眷属のステイタスを更新している。

 

 ハムザ・スムルト

 Lv.1

 力:D 501 → D566  耐久:E 461 → D 504  器用:G 299 → F 303 敏捷:F 305 → F 349 魔力:I 0

<魔法> 【】

<スキル> 【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 神の血(イコル)を背中へ垂らし、これまでの経験値(エクセリア)をステイタスへ反映させる。慣れた手つきでステイタスの編纂を終わらせたテルクシノエは、既に少し冷めてしまった珈琲に手を伸ばす。

 

 「力と耐久の数値が50くらい上がったな。その他はまぁ、それなりじゃ。はぁーっ。早起きは辛いな。珈琲でも飲まんとやってられんのだ」

 

 暁がまず早起きな鳥類を起こし、鳥の羽ばたきや鳴き声で人々が目を覚ます。すると仕事の支度に追われるバタバタした音が、昨晩遅くまで起きていた怠け者たちの安眠を脅かす。ここ歓楽街の路地裏でも、そんな日常の光景はいつものことだった。

 

 普段であれば、ちらちらした外の薄明りに早朝を認め、心地よく再び布団に包まって寝息を立て始める時間だろう。しかしどんな怠け者にも、早起きをしなければならない日々がいつかやってくる。そしてその日々は、もう既に訪れていた。ただし人ではなく、神の一柱に。

 

 「なんで俺まで早起きしなきゃいかん…。はぁ、しんどい。昨日珈琲セットを買っておいて正解だったなぁ」

 

 昨日の俺に感謝。商店街で見つけた魔石製の珈琲製作機(コーヒー・メーカー)。魔石を加工することで、魔力をエネルギーに変換する技術はここオラリオで開発されたものだ。魔力は光にもなるし、熱にもなる。その性質を利用して発明された珈琲製作機(コーヒー・メーカー)は、豆と豆挽き、そして水さえあればいつでも珈琲が楽しめるのだ。例えそれが路地裏のテントの中であろうとも。

 

 「…はぁ。早起きは三ヴァリスの得とかいう諺があるくらいじゃ、損はしないじゃろう。それで、今日はお前、どうする予定なんじゃ?」

 

 「そうだな、その諺を作ったやつを今からぶっ殺しに行くところだ」 

 

 主神であるテルクシノエは、程なくして神の宴へと向かう。実際の所、ここ数日間ずっとダンジョンに通い詰めだったので、今日くらいは羽を伸ばして街を散策したいというのが率直な今の気分だった。そしてついでに美人をナンパしたい。

 

 昨日はセクロスしなかったなぁ。そう心で呟くと、ふとした疑問がよぎる。うちのファミリアの主神様はこんなエロいのに、なんで興奮しないんだ?最初に会ったときはハメ倒したいと思ったのに…。ハムザは女神に疑問をぶつけた。

 

 「…なぁ、お前とファミリア作ってから、一度もセクロスしてないよな。お前は美人なんだけど、なんかこうむらむらしてこないのは何故なんだ?」

 

 残り半分ほどとなってしまったコーヒーをちょびっと口に入れる。砂糖を大量に入れた分、強烈な甘みが広がっていった。

 

 「…ふむ。まぁそんな所だろうとは思っていたが、やはりそうか」

 

 「…ん?」

 

 意味ありげに主神は言葉を発し、続ける。

 

 「私の見解ではな、お前は既に私を女性としては見れない。何故なら私がお前に与えるのは神愛(アガペー)だからだ」

 

 「あじゃぱー?」

 

 「それはお前の頭じゃ、抜け作。よいか、愛を細かく分類すると、情欲愛(エロース)神愛(アガペー)友愛(ピリア)と分けることが出来る。情欲愛(エロース)とは、単純な所有欲をはらむ。性的欲求もそうだし、真実への渇望などもそうじゃ。だからお前が誰かとセックスしたいと思った場合、それは情欲愛(エロース)によるものじゃ」

 

 「おぉ、それなんかいいな。その論理でいけば、俺はセックスする相手に愛してる愛してると連発しても、嘘にはならない」

 

 「あくまでも論理上はな。相手を求めるという事柄自体を愛とみなすならば、じゃ。それと友愛(ピリア)とは、隣人愛じゃ。汝の隣人を愛せ、とかいう言葉は聞いたことあるだろう。これは隣人とセックスしろということじゃない。友情を共有しろ、ということじゃ。友情は愛と極めて似ているからのう」

 

 主神の講釈は続く。普段は不真面目なこの男も、ことセックスになれば大真面目だ。テルクシノエはコーヒーをぐいっと一気に飲み干した。

 

 「最後に、神愛(アガペー)というのは神から子への愛。これは友愛とも情欲愛(エロース)とも異なる。セックスはしないし、友情を共有する必要もない。要するに無償の愛じゃ。そしてそれは、親から子への愛も同じ。言いたいことはわかったな?」

 

 「そっか。つまりお前は俺のかーちゃんというわけだ。だからセックスする気にならない」

 

 まぁそんなところだ、あくまでも私の見解じゃが。そう言って主神は支度を始める。

 

 「察しの良い子でなにより。むろん、子供たちの中にはそんな神愛(アガペー)情欲愛(エロース)とはき違えている者も多くいるし、子供に情愛を求める神もいる。情欲愛(エロース)そのものの神様なんてのもいるから面倒だ。まぁ私は違うがな。だから神に求愛されたとて、浮かれてはならん。根本的に性質が違うのじゃ。では、行ってくる。元気でな」

 

 そういって主神は姿を消した。残されたハムザは残りのコーヒーを飲み干して、ふあーっと大きなあくびをした。

 

 (小難しいことには興味なし。ただひたすら美女とセクロスするのみ、だ)

 

 こうして今日も、オラリオに陽は昇っていく。

 

 

 今日一日何もすることがない時に、何をするかを考えながら一日を終える。そんな経験が、ハムザには何度もあった。速足のお日様はすでに沖天に昇り、怠け者はその歩みに追いつくことすらできずに振り回されている。そんな時、テントの支柱に張り付けられたエイナの『目標達成シート』に目が行った。

 

 昨晩、『短期』の目標にランクアップしてリヴェリアちゃんのおっぱいを一日中揉み続けると書き込んだばかりだったことを思い出し、奮起する。

 

 「外に行く気分でもないが…。リヴェリアちゃんとの約束のため、更なる美女とのセクロスのため、だな。ギルドにでも行ってエイナちゃんと一発やってくるか…」

 

 主神が作ったステイタスの複製紙を持って、報告がてらエイナを抱きにギルドへ出発した。エイナのお節介は、しっかりと役に立っている。それが彼女にとって良かったのかどうかは別として。

 

 

 その頃、ギルドでは。

 

 「怪物祭(モンスター・フィリア)の資料、まだ上がってないぞっ!はやくしろっ、あと数日しかないのは、もちろん分かっているんだろうな!?」

 

 ギルドの責任者であるロイマンの怒声が響いていた。昨夜遅くまで残業をして資料等必要書類を作成済みだったエイナは、その仕事ぶりを褒められるどころか暇をしていると勘違いされ、同僚の資料作りを手伝わされている。一向に消化される気配のない書類の山。そしてその責任は、ほとんどロイマンにあった。

 

 (まったく、稟議書にいつまで経っても捺印しないのはどこのどいつよ!?お陰で経費やら各派閥への協力申請やら、進められない事ばかりが山積みじゃない!)

 

 ロイマン曰く、『判子は神聖なもの』であり、捺印はひとつひとつ丁寧に真心を込めて行わなければならないものだった。エイナは一度だけ自分の事務所オフィスで捺印作業をしているロイマンを見かけたことがあったが、その様子はまるで豚が自分の鼻をゆっくりと書類に押し付けているようだった。

 

 (あぁもう。はやく怪物祭(モンスター・フィリア)が終わらないかなぁ。久々に休暇を貰えないか、今度頼んでみよう…)

 

 そんな慌ただしいギルドのロビーで、自分の名前を呼ぶ声がした。

 

 「おーい、エイナちゃ~ん」

 

 「あ、ごめんねぇハムザ君。今日はちょっと忙しくて…というか怪物祭(モンスター・フィリア)が終わるまで、ちょっとキミの相手をする時間がないみたいなの」

 

 その言葉通り、職員たちはみな必死に紙屑と格闘している。

 

 「怪物祭(モンスター・フィリア)?ふ~ん、まぁそれならそれでいいか。取り合えずこれだけ渡しておこう」

 

 ステイタスの複製紙を手渡し、せわしなく動き回る職員たちで溢れたギルド本部を後にする。

 

 (エイナちゃんとのセクロスはしばらくお預けか。まぁ、たまには街中でナンパするのもいいだろう)

 

 メイン・ストリートを見渡せば、そこには多種多様な種族の冒険者や住民がたくさん歩いている。以前エイナに薦められたように、セフレ兼サポーターの美女を探すのも、悪くない…。

 

 

 数刻の間ギルド本部の付近で佇んでいると、背後から声がする。

 

 「見つけましたよ、ハムザ・スムルト…」

 

 どきりとして振り返ると、そこには。

 

 アクアブルーの髪を靡かせる、アスフィが立っていた。

 

 

 ジーガは不機嫌だった。名だたるガネーシャ・ファミリアの団員として、オラリオを守る門兵として、自分は必死に己を磨き続けてきたつもりだ。一度だけ見知らぬならず者を相手に不覚を取ったとはいえ、それから辿り着いたのは上級冒険者の領域だ。そう、今では自分も数少ない上級冒険者の一人。それはLv.2に到達した者に贈られる称号だ。

 

 (それだってぇのによ…)

 

 かつての仕事は奪われ、迷宮探索に行くパーティにも組み込まれない。ガネーシャ・ファミリアが取り仕切る怪物祭(モンスター・フィリア)を控え、そんな自分にあてられた新しい仕事は『お留守番』だった。彼は今人生のどん底を這いつくばっている気分だ。

 

 現在ファミリアの本拠地(ホーム)は神の宴のため不審な神々で溢れているはずだ。彼にとって、神様は少し苦手な存在だった。超越存在(デウスデア)であり、現世に降り立ち自らの神の力(アルカナム)を封印してもなお溢れるその威厳を前に、どうしても畏怖という感情が拭い去れないからだった。

 

 (それにあのバカ主神の姿を見るだけで、吐き気がしやがる…)

 

 本拠地(ホーム)にも居られない。仕事もない。そんな彼が行くとしたら、酒場かダンジョンのどちらかだった。いつもは前者のお世話になっていたが、持ち合わせの減ってきた彼がこの日に選んだのは後者。ギルド本部のロビーで、程よくこなせるクエストを探す。新米冒険者にとってクエストの受注は命懸けだと言われるのは、大抵がどれも中層以降に出現するモンスターやアイテムの回収を依頼しているからだ。しかし彼も上級冒険者。単独とはいえ、中層までは問題なく辿り着ける。そう、もし彼が片腕でなかったら、だ。

 

 (『銀の義手(アガートラム)』の制作には、まだ少し掛かるらしいからな。片腕でこなせるクエストともなりゃあ、数は少ねぇな…)

 

 手ごろなクエストを見つけ、掲示板から依頼書を引きはがす。受注のため受付に向かおうとする時、その男を見てしまった。

 

 アクアブルーの美女と仲睦まじく会話をするその冒険者。漆黒の髪、褐色の肌。紅の瞳。間違いない、あの野郎だ…。突然と湧き上がる怒りを御しきれず、剣を抜こうとした。

 

 しかし、ない。最初、彼は右手が虚空を彷徨ったのかと思った。だがそうではなく、なかったのだ。彼の右手そのものが。

 

 (糞がっ…。頭はまだ覚えていやがるんだ。右手があったこの何十年間のこと…そう簡単には忘れられねぇっ…!)

 

 殺してやりたい。自分をここまで貶めたその張本人を。しかし、公衆の面前で剣を抜くのは得策ではない。それに隣にいる女、恐らくヘルメス・ファミリアの『万能者(ペルセウス)』だろう。左で一本で挑んで恨みを晴らせるほど、甘い状況ではないということだ。

 

 (…全ては『銀の義手(アガートラム)』が届いてから。しかもことは、ダンジョンで起こす)

 

 その男は青い美姫の肩にいやらしく腕を回し、メイン・ストリートへと歩き始めた。

 

 ジーガは見届けた。その光景を羨ましそうに見つめる男性冒険者たちを。そして自分には興味がないとばかりに舌を鳴らして、受付へと歩いて行った。

 

 ●

 

 「いやぁー、嬉しいなぁ。アスフィちゃんが俺を探してくれるとは。そんなに前回が良かったのかね?ん?」

 

 「答える義務はありません。さぁ、さっさと行きましょう。あなたたちの本拠地へ」

 

 ギルド本部の前でアスフィと出会った時に、ハムザはナンパのことなどすっかり忘れてしまった。目の前の美女は、ここオラリオにきて初めて生ハメした女だ。それが尻尾を振ってまた自分の元に現れたとなれば、喜ばない男はいないだろう。

 

 (…ヘルメス様に言われて来た、なんて言わない方がいいでしょうかね)

 

 ハムザに抱かれてから初めてステイタスを更新した時。アスフィと神ヘルメスは驚愕した。ろくに戦闘を行わなかったのにも関わらず、評価値がトータルで100以上も上昇していたからだ。アビリティのレベルは、ランクが上がるにつれ成長が遅くなる。トータル100以上の上昇というのは、アスフィのランクではあり得ない上昇率だったのだ。だからヘルメスは言った。今後のためにも、もう一回抱かれて来い。ダンジョンなんかに行くよりも遥かに効率よく成長できるじゃないか、と。

 

 「…幸いな事に、ヘルメス様は神の宴に向かったため、今日一日私は(フリー)です」

 

 「じゃあ朝までセクロス三昧ってわけか。ぐふふふ、こりゃあ楽しみじゃ…」

 

 

 

 アスフィはテルクシノエ・ファミリアの本拠地(ホーム)に着くなり、激しく求めてきた。

 

 

 「…んっ…。はぁ、イイ…。もうずっとおざなりだったせいで、疼いて疼いて仕方がなかったんです…。はぁ…んっ!」

 

 躰を寄せ合い、お互い強く抱きしめながら唇を貪りあう。知的な風貌とはかけ離れた痴態を、アスフィは恥もせず曝け出す。濡れそぼつ恥部に手を伸ばすと、アスフィはそれを制止した。

 

 「…お願いがあります」

 

 「ん?何だ?優しくしろっていうなら、してもいいが」

 

 眼鏡の奥から水色の瞳を覗かせて、アスフィは蠱惑的な表情を作り、ハムザの首筋に両腕を回して額に額をくっつけてきた。

 

 美しい顔を極限まで近づけて、激しい視線で見つめながらアスフィは囁いた。

 

 「…今日は『セックス』なんてしないで下さい。私を、思いのままに『ファック』して下さい…」

 

 彼女曰く。愛のある『セックス』は望まない。お互い利害の一致、快楽の共有だけを目的とした『ファック』がしたいと。そこに愛情はいらない。愛撫も、甘い囁きもいらない。欲望の赴くままに自分をさらけ出したい、と。

 

 「アスフィちゃんエロいなぁ、ほんとに…」

 

 そういって既に極限まで膨張したペニスを露出させ、アスフィの体を無理矢理壁に押し付ける。その動きに呼応するように、アスフィが片足を大きく持ち上げて股を開いた。

 

 「おぉ、やっぱりもうびちゃびちゃだなぁ。アスフィちゃんの淫乱おまんこ…」

 

 「…っふふふ。あなたのペニスだって、先っぽから我慢汁を垂れ流して今にも射精したそうですね。さぁ、はやく来てください」

 

 体の柔らかいアスフィは、足をさらに高くまで持ち上げて誘うように恥部を露出させる。膨張して張り裂けそうなペニスをその白くしなやかな手で優しく握ると、導くように自らの秘部にあてがう。その瞬間、ハムザは一気に腰をアスフィに打ちつけた。

 

 ずぶぶぶぶぶっ、と奥まで貫いていく。想像通り、膣内はすでにびしょ濡れで準備万端だった。

 

 「…あああっ!」

 

 「おぉっ…!相変わらず名器だな、アスフィまんこは。しかし自分から誘って立ち正常位なんて、アスフィちゃんも淫乱だなぁ…」

 

 挿入は既に激しく、容赦なく膨張したペニスが膣内を行き来する。服の上から乱暴に胸を揉みしだいて、息をさせる暇もないほど激しくその美しい唇を奪う。

 

 「ああああっ…!ダメ、いいっ…。ねぇ、言ったじゃないですか…。あっ…もっと激しくしてくれないと、『ファック』にならないですよ…?」

 

 「注文の多い奴だな、まったく」

 

 ハムザには、違いのよくわからない注文だった。取り合えずぷりぷりのお尻に両手を回し、力いっぱい揉んでみた。するとアスフィは大声をあげはじめ、挿入中にも関らず

地面に崩れ落ちた。

 

 「…ぐふふふ、おまんこからおいしそうな汁が垂れ流しじゃないか…。それにケツを触られただけでイっちゃうとは、弱点の多いやつだな」

 

 ほれ、と。崩れ落ちた息を切らせた美女の前に、勃起した一物をつきつける。

 

 言われるまでもなくそのペニスにむしゃぶりついてくるアスフィ。

 

 ライトブルーを湛える美しい頭を両手で抑え、容赦なく力いっぱい自分のペニスに押し付け前後させる。アスフィは咥えたまま逃げ場なく喉奥を犯されていく。じわり、と自分の太ももにまん汁が垂れてくるのが分かる。

 

 (…あ、これ、イラマチオ。あぁ…こんな感じなんですね。なすがなく自分の口腔を犯される感覚って…)

 

 苦しいけど…いやな感覚ではないな、と。彼女は内心で冷静に分析をしていた。 

 

 (あっ、やべ…イキそう…。でも、言わなくていっか。このまま流し込んでみよう…ぐおおおおっ!イクぜえぇぇっ!)

 

 「っっっ!?」

 

 どくん、どくんとペニスは脈を打って精液を放出する。アスフィの頭はハムザによってしっかりと押さえつけられ、股間の根本まで咥えこんだまま喉奥に精子が流し込まれていく。

 

 「ぐっ…んんぐっ…」

 

 声を発することもできず、喉を鳴らしてそれを呑み込んでいくアスフィ。数十秒ほどたって、ハムザはようやくペニスをアスフィの口から引き抜いた。

 

 「…ふい~。最高だったぁ~。ぐふふふ、やっぱりアスフィちゃんクラスの冒険者だと息をとめられる時間も長いな…」

 

 絶頂してなお硬直しているそのペニスにむしゃぶりつき、よだれと精液にまみれたそれを綺麗に舌で掃除をするアスフィ。

 

 (…やはり、合格です。硬度も良いし、持続力もある。それに絶頂を告げずに無理矢理流し込んでくるなんて…)

 

 「…最高」

 

 アスフィはぽつりと忍び音を漏らす。

 

 「…この調子で『ファック』し続けてください。夜明けまでまだまだ時間はありますからね」

 

 ぺろり、とアスフィは口元の精子を舐めとって、笑みを湛えながらハムザを押し倒した。

 

 ●

 

 歓楽街の娼婦達がその獲物を抱えて自らの穴倉に引っ込んだ時、オラリオの夜はすっかり更けていた。路地裏のテント内では、裸になって汗と体液でどろどろになった男女がベッドに転がっている。

 

 「…はぁ、相変わらず絶倫ですね。四発ワンセットを、三回もですか…」

 

 休憩をはさみつつとはいえ、一日に十二回。半日をまるまる使えるとはいえ、ここまで射精できる人間はそうそういないだろう。それもこれも、すべてスキルのお陰なのだが。

 

 ハムザはのそりと起き上がって、テーブルにあった一枚の切札(トランプ)をアスフィに見せる。

 

 「…なぁ、お互い何度もセクロスした仲だ。頼みごとを聞いてくれないか。これと全く同じ切札(トランプ)を五十二枚、つまり一組作って欲しいんだが」

 

 良く見せてください、とアスフィは美しい形の胸を隠そうともせず曝け出して、ベッドから起き上がり近づいてくる。この男の前では、恥じらいの素振りなど必要ない。肌を重ねるどころか激しい『ファック』を何度も行い、幾度となく中出しさせた相手だ。今更初心な素振りをみせる必要は当然ない。

 

 眼鏡を掛けなおし、その切札(トランプ)を見つめる。

 

 「…はぁ、見た事あるような仕掛けがいくつかありますね。まぁ、いいでしょう。明日も暇ですし、依頼を受けてもいいですよ。午前中には終わるでしょう」

 

 「…さすが万能者(ペルセウス)と言われるだけはあるなぁ。まぁ、よろしく頼むぜ、アスフィたん!」

 

 そういってハムザは裸のままベッドに飛び込んだ。アスフィは装備に触れ、帰宅準備を始めようとしている。

 

 (…すっかり遅くなってしまいましたね。はやく本拠地(ホーム)に帰らないと…)

 

 そんな事を考えるアスフィに声がかかる。

 

 「何してんだ?はやくこっち来いよ」

 

 そう言ってハムザは布団をぺらぺらと捲り、一緒に寝ようと合図している。

 

 「…さっきも言いましたが、私はそういう恋人同士がするような行為に興味はありません。別に愛情を感じるために肌を重ねたかったわけじゃありませんから」

 

 …。

 

 沈黙が流れる。

 

 いまだに布団をぺらぺらさせるこの男は、どうやら私が彼と一緒に寝る事を確信しているようだ。そんな事にはならない。それは()()()()()()だろう…。

 

 「…アスフィちゃんのおまんこも大好きだけど、可愛いアスフィちゃんと一緒に睦まじく寝たいのだ。なんたって、愛しているからな」

 

 (…そんな甘言に騙される程、私は乙女でもないのですが)

 

 でも…。

 

 まぁ、一晩くらいはいいでしょうか。

 

 この日初めて、アスフィは男の腕に抱かれながら眠りについた。

 

 

 翌朝ハムザが目を覚ますと、隣には誰もいなかった。

 

 「…もう行ったのか?」

 

 時刻は正午を少し過ぎた頃だろうか。約束の物を取りに行かなければ。ハムザは急いで支度を済ませて、街中へ歩いて行った。

 

 (おっと…。アスフィちゃんの本拠地(ホーム)って、どこにあるんだ?)

 

 メインストリートを歩き始めてから、致命的な事に気づく。本拠地を知らなければ、会いに行くこともできない。待ち合わせをしていなかったので、ハムザは一体どこに向かえば良いのかわからい。困ったな…。呆然と佇む彼の後ろで、ぼそっと声がした。

 

 「おはようございます、ハムザ・スムルト…」

 

 「うおっ!びっくりさせるな、アスフィちゃん。お前はなんでいつも後ろから声を掛けてくるんだ、お前は神出鬼没か」

 

 「全く失礼ですね。人を幽霊みたいに言わないでください。とにかく約束の物は用意しました。言っておきますが、ただ働きはこれが最後ですからね。次回はお金を頂きます」

 

 そう言ってアスフィはマントを翻し、どこへともなく消えていった。

 

 (…しかし、良く見つけたなぁ。まぁ居場所を確認する道具(アイテム)くらいは当然持ってんだろうな、あいつは…)

 

 手渡された切札(トランプ)の山を握りしめ。ハムザはとある酒場へ向かっていった。

 

 

 

  「よう、やってるかぁ!」

 

 勢いよく開けられた扉、店内に響く素っ頓狂な声。その来客者は酒場中の視線を一斉に集めた。

 

 「お客さん、うちがどういう店だか分かって来店されたんですかい?」

 

 「もちろんだ、俺は賭博をしにきた。だからさっさと人手を集めてやるぞ、さぁ来い、ゴロツキども!」

 

 古ぼけた、狭い酒場。看板はなく、裏路地の見つけづらいところにぽつんと建っている。ここは酒場を隠れ蓑にした賭博場。規模は大きくないが、その分青天井のギャンブルを楽しめる。つまり、違法賭博だ。

 

 (うちの主神様がお世話になったのは間違いなくこのクズどもだな、どれ、可愛がってやろう…)

 

 テーブルに着くなり、四人の男たちが集まってくる。どいつもこいつも厳つい面相を装ってはいるが、皮をはいでみれば雑魚でしかない。それがハムザの印象だった。

 

 「切札(トランプ)の遊戯はいろいろあるが、うちはポーカー専門でね。それでもかまわないかい?」

 

 「無論だ。さっさとやるぞ。誰か、酒をくれ」

 

 カウンターの奥で成り行きを見守っていた男が果実酒を作り始める。その間に、さっそく遊戯は始まっていた。ハムザは運ばれてきた酒を飲みながら、手札を眺める。

 

 「…一応いっておきますが、いかさまをして勝った場合、その勝負(ラウンド)は敗北扱いになりますぜ」

 

 「おう、構わんぜ、それでいい」

 

 隣の男が発したけん制にあっさりと頷く。テーブルの真正面では、厳つい太ったひげ面のヒューマンが睨みをきかせていた。カモを取り逃がさないように囲む男たちの雰囲気から、ここがまともな賭博場ではないことは十分に分かった。脅しやいかさまは日常茶飯事だろう。阿漕な商売が行きつく先は、人身売買あたりだろうか。借金を負わせて、売り飛ばす。ここまでは、すべてハムザの読み通りだった。

 

 

 

 それから数刻して。

 

 「なんだ、さっきの威勢はどうしちゃったんだい?ほら、もう使えるチップがほとんどないぜ。坊ちゃん」

 

 その男の言葉通り、ハムザは持ち金のほとんどを失ってしまっていた。面持ちは固く、暗い。気分が悪そうに、酒を注文する。

 

 「くそっ…。ついてねぇな。おい、お前の作る酒はまずいから俺がやる」

 

 カウンターへと向かっていき、適当な種類の酒をグラスに注ぎこみ始める。

 

 (くくく…。しっかしここ数日カモが何羽も捕れて店の売り上げは鰻登りだなぁ、オイ。笑いが止まらねぇぜ…)

 

 ハムザの正面に座っていた、取り巻きのリーダー格と思われる恰幅の良い男が愉快そうに仲間たちに視線を送る。

 

 (この前の間抜けな神様といい、面白いように金を落としていきやがる…。こいつも最初は少し警戒させられたが、何のことはねぇど素人だ)

 

 ほどなくしてハムザが席に戻ってきた。

 

 「…ふぅ。良い気分だ!今日は素晴らしい遊戯が出来て最高だったぜ。次の一戦で、俺は降りる…。ところで、ここは担保も受け付けているのか?」

 

 「…はい、もちろんでさぁ。手持ちが無ければ現金の代わりに何かを担保にすることも、一応はできますよ」

 

 じゃあ、と。ハムザの次の言葉に、男たちは息をのんだ。

 

 「…主神の身柄を担保にする。白金色の神をした神様って来ただろう。あいつ俺の主神なんだ。あれはいくらになる?」

 

 ごくり、と男たちは唾を飲み込んだ。女神ともなれば、交易所に売りつけることで優に億は超える金額を手に入れられるはずだ。広い世界を見渡せば、女神を奴隷のように毎日犯したがってる金持ち連中はごまんといる。しかし腐っても神は神。こちらの命も危険にさらされかねない。

 

 「百万ヴァリス…でさぁ」

 

 見積もりに比べれば、あまりに安い金額。吹っ掛けたつもりだったが、その男はあっさりと二つ返事で了承した。…間抜けもここまでくると哀れなほどだ。

 

 百万ヴァリスに代わって黄金色のチップが渡され、遊戯が始まった。

 

 「…いっておくが、ベットしたらもう戻れねぇぞ。そのチップを失えば、お前は主神を失う。必ず回収する。何があろうとな。俺たちを舐めちゃいけねぇ…」

 

 凄みを効かせてけん制する男。こんな場末の酒場で賭博をしながら生計を立てている身だ。多少なりとも腕っぷしがなければやっていける筈がない。彼の言葉は脅しでもなんでもなく、ただの事実を言ったまで。取り囲む男たちの剣呑な雰囲気とは裏腹に、ハムザは余裕の表情を崩さない。

 

 「…なに、この勝負(ラウンド)に勝って、こいつは返すさ。代わりにお前たちの金を頂くが」

 

 (…どえれぇカモだぜ。主神が愚図ならその眷属もそろって愚図だな…。まぁせいぜい稼がせて貰おう)

 

 恰幅の良いひげ面のヒューマンは、ディーラーに合図して切り札をくばらせようとしたその時。

 

 ガシャンっ!と背後で音がした。男たちが見やると、カウンターの奥でワイングラスが床に落ちたようだった。

 

 「す、すみません…。そこのガキが変なところに置いちまったみたいで…」

 

 カウンターの奥に居たバーテンダーが慌てて割れたグラスを拾い始める。

 

 「ちっ…。続けるぞ」

 

 手札が配られた時、男は歓喜した。ストレートフラッシュだ。このポーカーでは二番目に強い役。めったにお目にかかれない必殺の配役だ。勝利を確信して強気に出る彼は高額ベットを続けていく。その様子を察知した仲間たちは、次々に勝負を捨て始める。テーブルを囲っているのはハムザを除いて全員がこの店の従業員。誰が勝とうとも最終的に利益は彼らの懐に入ってくるわけだから、仲間に良い手札の気配を感じれば降りるのが暗黙の了解だった。

 

 「…フォールドだ。俺は降りる」

 

 「俺もだ…」

 

 次々と降りていく仲間たち。試合を続ける意思があるのは、すでにハムザと彼だけだった。ベットを繰り返し、次第に膨れ上がっていくチップの山。

 

 「…オールイン」

 

 ハムザはそう言って黄金のチップを含め、すべてをベットした。

 

 「…正気か?言っておくが、もう戻れねぇぞ?」

 

 「お前こそ、勝負に出て負けてもしらんからな~」

 

 (馬鹿が。まぁいいだろう。格の違いを見せてやる)

 

 「…受けて立とう。残念だな、ストレートフラッシュだ!さぁ、どんな手札(ブタ)か見せてくれ!はははははははっ!」

 

 男の発言を受けて、ぺらぺらと切札(トランプ)を捲っていく。勝利を確信していた彼は愕然とした。ハムザの手札は、ロイヤルストレートフラッシュ。ジョーカーを使わないここのポーカーでは、事実上最強の配役…。

 

 はめられた。こんな手札が最終局面で引けるはずがない。それも、百万以上をベットしたこの一戦で。男は平静を取り戻しながら宣言した。

 

 「おめぇ、やっちまったなぁ。山、すり替えたな。悪いがこの勝ちは認めねぇぞ。最初に言った通り、いかさまで勝った場合その勝負(ラウンド)は敗北扱いだ。もらうぜ、おめぇの主神」

 

 鼻をほじくりながらしながら、ハムザは言う。

 

 「心外だなぁ。疑うなら証拠を見せてみろ。ば~か。はははは」

 

 男は席を立ち近づいてきて、ハムザの胸倉を掴んだ。

 

 「…聞け、小僧。うちの切札(トランプ)には、仕掛けがあってな。これから徹底的に調べさせてもらうぞ」

 

 男はひとつ一つを自分で確認していく。ゴブレットの刻印が裏面に小さく彫られていること。不自然に折れ跡が付かない様にコーティングされていること。しかし目の前の山札は全ての条件を満たしている。

 

 「おっと?なるほど、ネタを用意して乗り込んでくる以上、これくらいはやってきたか」

 

 さて、まだあるぞと男は続ける。

 

 「頑張ったな。まぁどうにかして色々似せることは出来るだろう。だがこれはどうだ。うちの切札(トランプ)は通常とは違ってな、燃やすと紫色の炎を出す」

 

 この発言にハムザはびくっとした。

 

 アスフィちゃん、ちゃんとやってくれたよなぁ…?

 

 その反応を見た男は、自身の勝利を再度確信した。

 

 (この仕掛けは、誰にも言ってねぇ。店の連中にもな。特殊な薬品をわざわざヘルメス・ファミリアに高い金払って作らせたんだ。誰にも見破れねぇ文字通りの切り札さ…)

 

 「じゃ、燃やすぜ…」

 

 男は火をつけた。そして、途端に紫色の炎が立ち上った。

 

 (お、おい…嘘だろ?)

 

 平静を失う男たち。次々に燃やしていくが、結果はどれも同じだった。

 

 しまった、と男は今更になって気づく。燃やしてしまった事で、すり替えをを証明する方法はもう…。

 

 「お、おいっ!そいつの服を調べろ!徹底的にな!」

 

 すり替えを証明する方法はもうただ一つ。身体チェックだけだった。

 

 (すり替えたんなら、どこかにもう一組隠し持ってるに違いねぇ!?)

 

 しかし男の予想とは裏腹に、どこからも切札(トランプ)は出てこない。

 

 男たちに体をまさぐられて不快感を示しはしたものの、余裕の顔つきで鼻をほじっていたハムザがおもむろに告げた。

 

 「…それじゃ、帰るかぁ。おい、チップを換金しろ。それとこいつは返しておくぜ」

 

 百万ヴァリス分の黄金チップをテーブルへ弾き、換金を要求する。話しかけられた男はたじろぎ、リーダーに視線を送る。しかし彼は項垂れて、悔しそうに唇を噛んでいるばかりだった。

 

 (どういうわけかしらねぇが、ともかくやられちまったな…。見事な詐欺(ペテン)か、ツキが良かっただけか…)

 

 ややあってから、男は言った。

 

 「…聞こえただろ、換金してやれ」

 

 「よ、よろしいのですか?賭け金は丁度三百万ヴァリス程ですが…」

 

 「やってやれっつってんだろうがッ!負けは負けだ。おとなしく引き下がれ。おい、おめぇ、なかなか見事だったぞ。しかし次は容赦はしねぇ。必ずまた来い。ぶちのめしてやる」

 

 はぁ、とハムザは大量の金貨が詰まった袋を受け取り、それをバックパックに詰め込みながら笑い飛ばす。

 

 「ぶちのめす、っていう相手にわざわざ出向くバカがいるか?じゃあな、雑魚ども。楽しかったぜ!」

 

 店を出る彼の背中を見送ることしか、彼らにはできなかった。

 

 (…あの小僧、いかさまする程の度胸も頭も無さそうだ。単純にツキが良かったってわけだ…。しかし全部で二百万も持っていかれたか。まぁ良い。取り返す当てはあるからな。この前交易所に売った娘の代金、そろそろ取り立ててもいい頃か)

 

 ハムザはるんるん気分で通りを歩いている。賭け事とはいえ、一晩にして二百万ヴァリスを手に入れたのだ。エロい笑みを浮かべて、夜のオラリオを歩いていく。

 

  しかし、意外と調べられないものだ。

 

 自分のパンツに手を突っ込み、すり替えた切札(トランプ)を一組取り出した。道の端っこで、ドワーフが酔い潰れている。近づいて、今の今まで股間に隠されてホクホクのそれを手渡した。

 

 「…ん?金くれるのか?兄ちゃん良い奴だなぁ…オラリオに乾杯…くさっ!おぇええっ…!」

 

 

 (これで明日は、ナァーザちゃんとセクロスだなぁ…。楽しみ、楽しみ…)

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章-発情期-

 

 ミアハ・ファミリアの運営する青の薬舗で、ナァーザは店内をうろうろしていた。

 

 うろうろ。うろうろ。回復薬の詰まった小瓶を手にとっては別の場所に置き、また元の場所に戻す。小瓶が陳列した棚に埃が付着していないかどうかと注意深く調べ始めたかと思えば、身を翻して帳簿を付け始める。

 

 (落ち着かない…)

 

 黄昏時の西のメインストリートに、夕陽が沈んでいく。しばらく前に魔石灯が切れてしまった店内では、窓から入り込んでくるオレンジ色の薄明りだけが光源だった。ダンジョンから戻った父親を迎える、小さな子供の叫声が聞こえてくる。ふと背伸びをして店内から窓の外を眺めると、寄り添いながら手を繋いで歩いていく三つの長い影が伸びていた。

 

 「いいなぁ…」

 

 思わずぽつりと声を漏らす。主神の帰りを待つ長い間、ナァーザはそわそわしながらうろうろと店内を動き回るのだった。その時、来店を告げるベルが鳴った。

 

 「おかえりなさいっ!ミアハさ…」

 

 『『あっ』』

 

 二人は同時に声を上げた。一方は嬉しそうに顔を綻ばせ、もう一方は迷惑そうに顔をしかめながら。

 

 「…何しに来た、変態ヒューマン。本日の営業は終了、皆さま本日もご来店ありがとう…」

 

 ぎぃ、と入口のドアを開け退店を促しても、その男は動かない。口元に浮かんだいやらしい笑みが、黄昏色に染まっていた。

 

 「あのムカつく神様は留守か。丁度良かった、実はこの前の約束についての話なんだけどな」

 

 ハムザは重みのあるバックパックをどさっとカウンターに投げ捨て、開いて見せた。中に詰まっていたのは、大量の金貨。それを見たナァーザの目が大きく見開かれる。

 

 「これがその、約束の金だ。ちゃんと百万ヴァリスあるかどうか、確認していいぜ」

 

 「約束って、百万ヴァリスを前金で持ってくれば交尾をするかどうか考えてあげてもいい、と言った事…?」

 

 確かにそんな事を言った記憶はある。しかし、ナァーザは彼が本当に持ってくるとは思っていなかったから、すっかり面食らっていた。カウンターに座り、帳簿を付ける振りをしながらもちらちらとバックパックへ向かう。

 

 「何だ、考えてあげるとかじゃなくて、セクロスさせてくれるっていう約束だったじゃないか!俺はこの日のために毎日ダンジョンへ通いつめ、夜通し肉体労働のバイトをしながら稼いだんだ。すべては君を愛しているからだ、ナァーザ。セクロスしよう!」

 

 ぐぅ…と声が漏れる。ナァーザは返答に窮していた。主神への恋慕も然ることながら、見知らぬ変態の求愛を受け入れる理由などない。仮にもこの男が本気で自分を想い、一生をかけて守り、その才覚で自分の生活と運営する薬舗を豊かにしていける人物だとしても…普段の彼女ならば断わっているだろう。

 

 しかし、たった一回抱かれるだけで百万ヴァリスが飛び込んでくるのだ。薬舗を運営するのに充分すぎる金額を手に入れれば、主神にも少し楽をさせてあげられるだろう。

 

 それに、今は交尾をすることがあながち悪いことには思えない…むしろ、体はずっと疼いていた。強い雄の子種が欲しい。出来る事なら有名なロキ・ファミリアの狼人(ウェアウルフ)あたりに頼み込んで、一日中滅茶苦茶にしてもらいたい。彼女は自覚していた。どうやらやっかいな発情期が来ているらしい、と。

 

 発情期が来る度、彼女は悶々と湧き上がる性欲と格闘していた。一晩中自慰を続けることもあった。だから運悪くこんな時に変態が大金を持って現れ、交尾を要求してきたことは彼女にとって不運だったとも幸運だっと言える。

 

 「…私は貴方のこと全然知らない。だから今夜は一晩中、貴方に()()()()()…」

 

 今すぐやりたくて仕方がない。しかし獣欲が強まっているとはいえ、理性はある。見知らぬ男に金を餌にやられてしまったとなれば誇り(プライド)が傷つくし、何より主神が悲しむだろう。だから今夜、この男の事をもっと知ってしまえばいい。少なくとも変態だが悪い奴ではない…。そういう確信が欲しかった。

 

 「…それと、百万ヴァリスは出資にしよう…。スポンサーを見つけて、出資させた。そのお礼に、ちょっと外で食事…」

 

 ハムザは途切れ途切れの情報を要約する。

 

 「え~っと…。つまり俺が出資したお礼に食事に付き合ってくれて、ナァーザちゃんは俺の事を詳しく知るために一晩中俺についてくる、ってことか…?」

 

 「…うん」

 

 「それって同じじゃねぇか?」

 

 「…違う」

 

  まぁ別にそういうことならいいかと言うや否や、ナァーザは金貨の詰まったバックパックをこじ開けた。

 

 (…凄い。本当に百万ヴァリス…)

 

 これだけあれば、本当に薬舗の運営を軌道に乗せられるかもしれない。必要以上にカモから巻き上げる必要がなくなるかもしれない。まっとうな商売を始められるかもしれない…。

 

 (…ふふふ。あとは食事を奢らせて、どこかで襲い掛かってくるのを待つだけの簡単なお仕事…ちょろい)

 

 「…ふふふふ」

 

 大金を前に、ナァーザは笑みを隠せない。困窮している者に大金を持たせれば、誰だってにやけ笑いが止まらないはずだ。

 

 がちゃり、と机の引き出しを開けて鍵を取り出す。商品棚に鍵を掛け、主神への書置きを残してナァーザに外へ押し出される。外はすっかり暗くなっていた。入口の扉に鍵を掛け、気だるげな目でじっとハムザを見上げ、ナァーザは耳をぴこぴこ動かしながら言った。

 

 「…じゃあ行こ。ハムザ」

 

 

 暫くして、青の薬舗では主神ミアハが眷属の書置きを読んでいた。

 

 『新しい出資者カモが見つかったので少し出かけます。ごはんはこれで適当に済ませてください』

 

 「やれやれ、お客を騙すのはやめろとあれほど言っているというのに…あいつも分からないわけではあるまい…」

 

 ミアハは書置きの隣に置かれていた一枚の金貨を手に取って、夕餉の買い出しへと向かっていった。

 

 

 

 「で、どこに行くつもりなんだ?」

 

 二人は西のメインストリートをバベル方面へ、オラリオの中心街へと向かっていく。青の薬舗はダンジョンから遠く、この辺りには冒険者の姿もあまり見ない。土地勘がない上、オラリオに来てまだ数週間。ハムザが知っている店はそれほど多くない。

 

 「…それはハムザが決めること。私はただついていく…」

 

 先を歩く自分の後ろから、ナァーザはてくてくと歩いてくる。犬人(シアンスロープ)に特有のふわふわで大きな尻尾を左右に揺らしながら。

 

 (うーん…。馴染みのない店に入ってぼったくられるのも格好つかんし、『豊穣の女主人』はリューちゃんが怖いからなぁ…)

 

 「…とりあえず俺は帰って飯食う」

 

 「…了解」

 

 ナァーザはハムザの後を追ってどこまでもついていった。

 

 ●

 

 

 テルクシノエ・ファミリアの夕食と言えば、専らバーベキューだった。テント生活の彼らに複雑な調理は向いていない。炭を焼き、金網で肉と野菜を焼くだけの単純なバーベキューは彼らの生活にすっかり馴染んでいた。今晩は主神が不在な代わりに、ナァーザが隣に座っている。焼かれる肉の匂いに釣られ、隣人たちが集まってきた。

 

 「あらぁ~ハムザく~ん!彼女ガールフレンドがいるならそう言ってよ~。やぁねぇも~」

 

 「くそっ、ホモは黙ってろ。気持ち悪いからくねくねするな!」

 

 隣人の中には娼婦もいれば、男娼もいる。この男娼は以前からハムザのケツを執拗に付け狙っているようだった。

 

 「今日はねぇ~前から紹介したかったお友達を連れてきちゃったんだ~。ほら、アロンソ~挨拶してっ!」

 

 「…クン・アロンソよ。会いたかったわぁ、ハムザくん(ぽっ」

 

 (…くそっ)

 

 この日は何故かホモがホモを呼び。

 

 「あらぁ~!?モホメッドじゃない!いやぁ~ん元気してた~?あら、ゲイザーまで一緒なのぉ~?いやぁ~ん久しぶりぃ。ほらっ、お肉一緒に食べましょ~っ!」

 

 (…くそっ!!)

 

 ホモがホモを引き連れて現れ。

 

 「ねぇ~今日はみんな(ホモ)でエッチな話で盛り上がっちゃいましょうよ~!」

 

 (…くそがぁっ!!!)

 

 ホモに主導権を奪われて。

 

 ついにハムザは決壊した。

 

 「おらぁぁぁぁぁぁっ!てめぇらこれ以上ここで屯するなら容赦しねぇぞ!さっさと散れぇホモ野郎ども!ホモたいさ~~ん!」

 

 剣を抜いて全力でホモを追い払うハムザ。ナァーザは肉を口に加えながら、遠い目でその様子を眺め入っている。息を切らせながら戻ってきた彼に、肉をごくりと飲み込んで聞いてみた。なぜそんなにホモを毛嫌いしているのかと。

 

 「…はぁ、はぁ。ちっ、ホモ野郎め…。ナァーザちゃん、悪かった。ホモは嫌いなんだ。昔俺がまだ小さかった頃、公園の厠で用を足していてな…。でっかい大人が声を掛けてきたんだ」

 

 『ねぇボク、おじちゃんのおちんちんおっきいと思わない?』

 

 「…そのホモは勃起した巨大なちんこをまざまざと見せつけてきた。俺は硬直した。言葉が出なかった。そしてあろうことか、そいつはまだ小さい俺の目の前でシコり始めやがった…」

 

 そして俺は走った。ホモが出た、ホモが出たぞと絶叫しながら。それ以来、男はどうも信用ならん。ホモを見ると、腰が引けて血の気が失せていくのがわかる。剣を振り回すのも一苦労だ…。

 

 ナァーザは彼の昔話に耳を傾けていたが、ぷっと噴出した。

 

 「きっとハムザはホモに好かれる運命。…これからもたくさんホモと交尾できるといいね」

 

 「このわんこめ…あとでたっぷりお仕置きしてやる」

 

 ハムザは肉を口に放り込む。肉汁が口の中一杯に広がった。新鮮な羊肉は臭みが全くなく、火で焼くだけでも旨い。

 

 「…ところで、その『銀の義手(アガートラム)』は本物の腕じゃないんだろ、どこまで動かせる?器用にナイフも使えるじゃないか。それにどんな感じで腕を失くしたんだ?」

 

ナァーザは食器を置いて、少し間を置きながら話始めた。

 

 「…詳しい事は言えない。言いたくない。…私が言えるのは、ダンジョンでへまをしてしまってから、ずっとミアハ様に迷惑をかけてしまっているということだけ…」

 

 彼女が言うには、主神であるミアハはダンジョンで大怪我をして帰ってきた彼女のために、莫大な借金をして『銀の義手(アガートラム)』を贈ったらしい。その金額は彼らのファミリアを瓦解させるには十分すぎるものだったが、たった二人きりになり粗末な生活に浸ることになっても、決して後悔はない。むしろ、主神の愛情を嬉しく思ってさえいる…。

 

 「でも…。モンスターを見ると、その時の記憶が蘇る。震えて、何もできなくなる…。トラウマっていうやつ。きっとハムザのホモ事件と同じ…」

 

 (そっか…この人も私と同じ…。悩みを抱える人間なんだ。…悪い人では、なさそうだし)

 

 ぱちぱちと炭の弾ける音が聞こえる。辺りには静寂が訪れ、先ほどのホモ騒ぎが嘘のようだった。

 

 「ナァーザちゃんはあのもやし男神(おがみ)が好きなのか?」

 

 もやし男神。ナァーザちゃんのファミリアの主神。ミアハとかいう神のことだ。軟弱そうな体つきだが、神の例にもれず顔だけは良いのが癪に障る。

 

 「…私はミアハ様のためなら死んでもいい。それにずっとあの方と一緒に居たいと思ってる…」

 

 それが恋なんだとしたら、きっと好きなんだろう。ナァーザはそう言った。その話を聞いてハムザはテルクシノエの話を思い出した。確かあじゃぱーが何だとか言っていたような…。

 

 「いいかナァーザちゃん、神の愛は根本的に性質が違う」

 

 「…?」

 

 「アジャペーだ。アガパーだったか?まぁどっちでも良い、神が子に与えるのは無償の愛。つまり、親から子への愛情と同じなんだ。あのもやし男神は君の事を想ってはいるが、あくまでも父親のようにだ。それ以上の感情はないとはっきり言える。その愛情を、君はき違えている」

 

 「……」

 

 「まるで恋人から恋人への気遣いのようだ、と君は勘違いをしている。ところが実際は違う。もやし野郎は君の事を愛してはいる…だがあくまでも神として、父親としてだ。なんたって奴らは子供を作れないからな。()()()だから」

 

 「………インポではない、と思う…」

 

 「でも俺は違う。ナァーザちゃんを愛してる。それはもう死んでしまうくらい愛してる。毎日セクロス出来るくらい君のことを欲してる。これは神の愛なんていう得体のしれないものじゃない。真実の愛だ。君を幸せにできるのは神じゃない。他の男でもない。俺だけだ。俺はインポじゃないからな」

 

 (なんかこんな感じのことを言ってたよな…。だいぶうろ覚えだけど、まぁ大体あってるな?)

 

 「…そんなの、私にはわからない…」

 

 「…なら俺が教えてやる!」

 

 ハムザはがばっとナァーザを押し倒す。

 

 「…あっ…」

 

 (Lv.1の癖に、意外と力強い…それに、顔近い)

 

 鼻と鼻がくっつく程の距離で、目の前に変態ヒューマンの顔がある時に。

 

 ナァーザは反射的に目を閉じてしまった。

 

 ●

 

 テントの中では、ぱんぱんと躰のぶつかり合う音と嬌声が漏れている。この付近にもし一人でも噂好きの隣人がいたならば、きっとテントを覗いていたことだろう。一体この住人は今夜、どんな女性を抱いているのだろうかと。しかし歓楽街の住人達は他人の性生活にどこか無頓着な節があった。仕事として躰を売っていれば、セックスくらい食事と同じくらい当たり前のことだと思うようになる。それは以前会話をした娼婦のアマゾネスの至言だった。一体誰が他人の食事の様子を監視したがるだろうか…。

 

 腰を打ちつける音が大きくなるにつれ、女性の喘ぎ声が一段と大きくなる。長い嬌声の後、弛緩したような男の声が上がる。絶頂を迎えたらしい。そんなクライマックスを迎えても、隣人は無頓着のままだった。

 

 もし今テントの中を覗いた者がいたならば、その者は恍惚の表情を浮かべる可愛らしい犬人を見たかもしれない。男に後背位から突き上げられ、だらしなく四肢を弛緩させるその姿を。絶頂を迎えてなおペニスを求めるように尻尾を左右に振り回す、その淫乱な姿を。彼女は獣のように激しい交尾を望み、本能のまま雄の精液を搾り取る。大人しそうで、知性的な普段の表情からは窺い知ることの出来ない豹変。犬人(シアンスロープ)がその姿をさらけ出すのは、いつも決まって交尾の相手にだけだ。

 

 「…エロいなぁ。ナァーザちゃん」

 

 ハムザは一度目の射精をたっぷりと膣内に注ぎ込んだ。未だに硬直したペニスを引き抜き、それをぺちぺちとお尻に叩きつける。

 

 「…ああうぅ…。もっと欲しい。ハムザ、精子足りてない…もっと中に出さないと、妊娠できないよ…」

 

 ナァーザの尻尾が、ペニスを包み込んだ。ふわふわの大きな尻尾が巻き付いてくる。そのまま強い力でペニスが引っ張られ、愛液でぐしょぐしょになった恥部へ導かれる。

 

 「…はやく。もっと交尾しよう…。もっと雄に蹂躙されたい。強い力で組み伏せて、たくさん中に出してほしい…」

 

 「ぐひひひ…。オラリオ到着から半月にして、犬人(シアンスロープ)の交尾相手に選ばれるとは光栄だなぁ。偉大なる主神様に感謝、感謝…」

 

 ずぶりとペニスを挿入する。そのままぐりぐりとナァーザの膣を味わう。

 

 「んっ…。ああうぅぅぅ…。ねぇ、いっぱい出そう?たくさんちょうだい…いつでもイっていいからね…」

 

 (そういえば、ナァーザちゃんにはスキルのこと言ってなかったかなぁ…。ま、いっか。今夜はこのままハメ倒して事後報告だ)

 

 「ぐひひ…。ナァーザちゃんみたいなエロ可愛い犬人に中出し出来るんなら、百万ヴァリスなんて安いもんだ…。ぐっ…」

 

 「…いつでも出させてあげる。いいよっ雄の精液欲しい…っ。犯して、犯して、雌にしてっ…!」

 

 ナァーザの尻尾が腰に巻き付いて、信じられない程の力でハムザを押し付ける。

 

 (ぐおっ…!?)

 

 ペニスは膣内のもっとも深い位置で固定され、一ミリたりとも動かせない。そのまま、波打つナァーザの膣内で絶頂に達した。

 

 「あぁぁぅぅ…。あん、出ちゃったの…?ふふふ…すぐイっちゃって…。そんなに良かった…?」

 

 「おぉ…最高だ…。なんというか、やっぱりちょっと違うんだな、犬人のおまんこって。ちんこから精子を抜き出すことに特化してる感じだぞ。最高に良く締まる…」

 

 (それに…本人はイクことに頓着しないんだな…。イカせることと、中出しされる事自体に喜んでる。オナホとしては、最高に便利じゃないか)

 

 種族が違えば、セクロスも違う。様々な種族が集うオラリオなら、多種多様なセクロスが楽しめるに違いない。ハムザは満足げにペニスを引き抜くと、今さっき出した精子がどろりと太ももに垂れてきた。

 

 「…しかし何度も中出しを懇願されるとは、ナァーザちゃんもエロ娘だな。これであのもやし野郎の事も忘れることができたんじゃないか?」

 

 ナァーザは尻尾をふりふりしている。

 

 (セクロス出来て喜んでるのか?いまいち反応が掴めんなぁ、犬人(シアンスロープ)っていう種族は…)

 

 「…別に普通。交尾の時は、みんなこう。中出ししないなら、交尾の意味ないから…」

 

 「…なんというか、文化の違いだな」

 

 ナァーザは体勢を起こして近づいてきて、袖をぎゅっと引っ張る。

 

 「…責任取って。こんなに中出しして逃げるのは、絶対許さない。朝も昼も夜も、私の事考えてくれないと嫌…ハムザが他の女の子と話すの見るのも嫌…」

 

 (げっ…発情期にセクロスしたら犬人(シアンスロープ)ってみんなこんな感じになるのか?)

 

 

 

 「私は嫉妬深い…。絶対逃がさない…。犬人(わたし)の鼻は、案外利くんだ…」

 

 (げぇ……。何かマジッぽい。ナァーザちゃん、意外と粘着質だった…?)

 

 ハムザは自分のスキルの事を思い出した。精子に魅了効果付与と書いてあった気がした。しかし、相手にどう作用するかどうかは未知数だ。エイナちゃんやアスフィちゃんを見ると、一応効果は出てそうだが、こんなにはやく惚れさせてしまうものなのだろうか…。ともかく、やってしまったら後はどうなるかを静観する事しかできない。どうか最悪な事態に陥りませんように、とハムザは心で念じながらナァーザが帰って行く様を眺めていた。

 

 

 「おぉ、どこに行っていた?ナァーザ」

 

 青の薬舗に戻ってきたナァーザは、ミアハの前に百万ヴァリスの詰まった袋を取り出した。

 

 「…そんなことより、新薬を開発しましょう。ミアハ様。出資金が手に入りました。これでミアハ・ファミリアは安泰です…。ふふふふ、ふふふ…」

 

 (…私からは逃れられないこと、教えてあげる。愛しのハムザ…)

 

 

 ハムザがナァーザとのセクロスに疲れ、ベッドで真っ裸になりながら横になっていると、主神テルクシノエが帰ってきた。

 

 「よう。その調子だとしっかり中出ししていたようじゃな。相手はだれだ?」

 

 「この話したナァーザっていう犬人(シアンスロープ)だ。なかなか良かったぞ、思い出したらまた勃ってきそうだ…でも、ちょっと下手したら刺されそうな雰囲気があったなぁ…」

 

 おや、と主神は首をかしげる。

 

 「刺されんよう強くなれ。しかし百万ヴァリスはどうした、もう貯まったのか?」

 

 「そうだ。賭博場で雑魚を狩り、なんと二百万ヴァリスを稼いできたぞ」

 

 なんと!主神は驚いた。百万ヴァリスを中出しセックスに使っても、まだ百万も残っている。買おう、額縁を。あの詩を飾る豪華なやつを買おう。彼女は息まいている。

 

 「稼ぎの良い眷属さまさいこーじゃ!私はお前が眷属で本当に良かったと思っているぞ…」

 

 「そうだろう、そうだろう。まぁ、賭博で俺に勝とうなんてゴブリンがドラゴンを相手にするようなものだ。祖国を出てから、どう食い凌いできたと思ってる。賭博なんて朝飯前だ。はははっ!」

 

 「私の目にはそう映っておったぞ、お前はなかなかの切れ者だとな。ともかく、明日は怪物祭(モンスター・フィリア)じゃ。一緒に見物しにいこう。祭りに浮かれた無料(ただ)まんこが沢山いるはずじゃ。そいつらを一緒に引っかけにいこうじゃないか」

 

 悪くない…。祭りと言えば、セクロスと相場が決まっている。明日も最高の一日が待っている。そんな気がしてならない。

 

 『はははははは…!』

 

 二人は夜に隠れ、愉快そうに声を上げ続けた。

 

 

 

 ガネーシャ・ファミリアの本拠地(ホーム)、主神の部屋で彼は眷属と対峙している。慈しみを湛える神の表情とは異なり、眷属は顔をしかめ続けている。不機嫌なのは、明らかだった。

 

 「ジーガ、これがそうだ」

 

 差し出されたのは、ディアンケヒト・ファミリア製『銀の義手(アガートラム)』だ。切り落とされた右手の代わりになるもの。彼が待ち望んでいた瞬間が、ついにやってきた。彼は『銀の義手(アガートラム)』を取り付け、それを動かしてみた。…動く。それも、自由自在に。研ぎ澄まされた剣の如く滑らかな光沢が、暗い部屋で輝いている。

 

 「礼を言うつもりはねぇ。この件はお互い悪りぃんだ。だから俺がこれから何しようと、目ぇつぶってもらうぜ、ガネーシャ」

 

 シャクティ団長に見張らせるのもやめろ。迷惑はかけねぇつもりだ。俺は本気だとジーガの辛辣な言葉が主神に投げかけられる。

 

 「…俺は、民衆の王(ガネーシャ)ガネーシャだ。民衆は皆俺の庇護を受ける。例えそれが悪人だろうとも…。だが俺も、我が子の苦しむ様を見て、何もするなとはいえん。好きにしろ。その責任は全て俺が負う…。ただ明日だけは騒ぎを起こすな」

 

 「…怪物祭(モンスター・フィリア)か。いいだろう。世話かけるな、主神様」

 

 「…俺は、ガネーシャだからな」

 

 眷属が荒々しく部屋が出てから暫く経ち、蝋燭の火が燃え尽きた。すぐに部屋に暗闇が訪れた。しかし、ガネーシャの目から悲しみが消え去ることはなかった。

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章-怪物祭-

 『ねぇボクぅ、このおちんちんおっきいと思う?』

 

 青髭のでっぷりと太った男はいきり立つその股間を押し付けるように近づいてくる。

 

 (やめろ…)

 

 先端から我慢汁を垂れ流しながらびくびくと動くそのペニスをしごき始める。

 

 『ほら御覧、こんなになっちゃったのよ。ボクのせいよ…』

 

 (やめて…)

 

 男の紅潮した頬を見て悪寒が走る。目が合った。ハムザは言葉を聞くまでもなく、そのホモが何を言おうとしているかを理解してしまった。

 

 (今からこの巨大なペニスでお前のケツを調教してやる)

 

 「…やめろおおっ!」

 

 がばっと起き上がると、体が冷や汗でびしょびしょになっている。動悸が激しく、今にも息が切れそうだった。まるで二百メートルを全力で走った後みたいだ…。

 

 「…むにゃあ、アウト―…」

 

 隣で主神が気持ちよさそうに眠りながら寝言を発する。悪夢にうなされるのは、今日が初めてではない。ホモに襲われる恐怖と、トラウマ。それは確かにハムザの心に傷を残し、すっかり怯えさせてしまっていた。だから目が覚めてすっかり安堵しきっても、再び眠りにつこうとは思えなかった。

 

 「…本当にアウトか、ちゃんと見たか?ちょっとでもベースを踏んでいなかったか?」

 

 「…いやぁ…たぶん、アウトじゃ…」

 

 全く何の夢を見てやがる。こっちは悪夢にうなされていたというのに、呑気なものだ。外はまだ暗いようだ。ハムザはベッドから起き上がり珈琲を淹れはじめる。豆をガリガリと挽くと、なんとも心地のいい匂いが広がった。粉末状になった豆を水と一緒に容器に入ると、魔石珈琲製造機(コーヒー・メーカー)が勝手に動き始めた。これで後は任せておけばいい。

 

 テントの外へ出てみると、外はやはりまだ暗かった。どこからか、男女の嬌声が聞こえる。ほとんど男が主導権を握られてしまっているようだ。アマゾネスあたりに攫われて、骨の髄までしゃぶりつくされているところだろう。ふあぁっと大きく伸びをしてからテントに戻ると、珈琲の良い香りが漂ってきた。オラリオに来てから既に半月と少し。少しずつだが、まともな暮らしが出来るようになってきた。少なくとも目覚めの珈琲を楽しむくらいには。

 

 ふと、支柱に括り付けてあったエイナの『目標達成シート』に目がいった。昨日ナァーザちゃんをハメ倒したから、『短期』の目標の一つであった『百万ヴァリスを貯めてナァーザちゃんとセクロス』は消されている。残されたのは、『ランクアップしてリヴェリアちゃんのおっぱいを滅茶苦茶にする』と『シルちゃんと中出しセクロス』、『サポーターのセフレを探す』ことだけだった。

 

 (シルちゃんかぁ…。あの酒場じゃリューちゃんに監視されて下手なマネはうてんからな。祭りにでも参加してくれてれば、どれだけやり易いか…)

 

 ぴこん、ぴこんと音がして珈琲が出来た。カップを取り出し、近くに置かれている角砂糖を何個も入れる。ずずず、と一口飲むと、甘い珈琲が口いっぱいに広がっていった。

 

 (…うまいうまい)

 

 「…うぅぅぅ、私にも淹れてくれぇ…」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、主神が目を覚ます。

 

 「なんだ、もう試合終了(ゲーム・セット)か?アウトにされた走者(ランナー)は、さぞ悔しがっていただろうなぁ…」

 

 

 それからしばらくして、テルクシノエ・ファミリアの本拠地(ホーム)であるテント内では、主神と眷属がカップを片手に話し合っている。

 

 「で、神の宴とやらはどうだった?友達には会えたのか?」

 

 「…うむ、まぁ、一応じゃ。親友はおらんかったがの。それに、たっぷり荒らしてやった」

 

 神の宴に赴いたテルクシノエは、片っ端からハムザのレスキルの事を吹聴していった。神々の反応は様々で、詳しく聞いてくる者や遠くから耳を傾けるだけの者など、とにかく全員が興味を示していた。

 

 それもそのはずで、娯楽に餓えて現世に降臨した彼らにとっては、子供の『恩恵』は最も不思議で最も興味深いものの一つだからだ。全能の神を以てしても、子の可能性は無限大だった。時にまったく予期しない偉業を達成する子供が表われ、神々の予想すべてを覆す。ほとんどの場合、それを可能にするのは自らが与えた『恩恵』の力だった。

 

 「…連中はお前の性交一途について、詳しく知りたがった。勿論今は噂程度だが、お前がランクアップする頃には大騒ぎになるだろう。それこそ、お前をスカウトしようと色々な神があの手この手でちょっかいを出してくるに違いない」

 

 他のファミリアの団員を半ば強引に奪い取った例は、枚挙に暇がない。神々にとってそんなものはただのボードゲームであり、智謀知略を尽くして相手の持ち駒を奪い取ることは、むしろ当然の感覚だ。

 

 「…お前のスキルは間違いなく神にとって垂涎の的だ。奪い取ろうとして来るものもいるだろうし、利用しようとするものも出てくるはずじゃ。まぁ、せいぜい頑張れよ」

 

 女神が語る一連の話の結論に、思わずハムザは噴出した。

 

 「お前、俺を守る気全くないんだな。まぁいい。神様の遊び事に付き合ってやろうじゃないか、俺に手を出せば逆にそいつの眷属を喰ってやる」

 

 

 時刻は早朝を少し過ぎただろうか。まともな生活習慣を持った人々なら、朝食を取り終えて珈琲や紅茶などで一服してから、さぁ外へ出かけようと思うような頃合いだった。仕事へ行くもよし。買い物に出かけるもよし。しかし、今日だけはそんな野暮な用事で外出するわけにはいかない。なにせ一年に一度の祭りだ。そう、今日は怪物祭。往来を行きかう人の数は平日よりも多く、皆が嬉しそうな顔をしている。

 

 怪物祭が開催される円形闘技場付近の広場では、商売熱心な働き者たちが美味しそうな匂いを存分に漂わせながら食べ物を売り始めていた。その中でも取り分け住民の心を惹きつける出店は『じゃが丸くん』だ。それを手渡された人々は嬉しそうに顔を綻ばせながらかぶりつく。今もまた男女一組のカップルが、そのうまそうな湯気をのぼらせるホクホクな『じゃが丸くん』を受け取った。

 

 「う~ん。まずくはない。でもこの納豆味って、ちょっと臭くねぇか?」

 

 「そりゃそうじゃ。納豆は極東の食べ物で、腐敗した大豆の事を指すからの」

 

 男はうげぇと顔をしかめ、残りを全部主神に差し出した。

 

 「…なぜ早く教えてくれなかった。眷属が腐った豆で腹を下すところだったぞ。これ、やる。もういらん」

 

 主神は「なんじゃ、もったいない」と言ってその食いかけの『じゃが丸くん納豆味』を受け取る。二人は円形闘技場まで歩いていき、やがてチケット売り場まで辿り着いた。既に行列が出来ている。

 

 「…おい、こんな人混みの中で何時間も待つつもりなのか?」

 

 「せっかく来たんじゃ。名物の祭りを見ておかんとな。祖国のばあちゃんへの土産話の一つでもないとお前もつまらんじゃろ、ハムザ」

 

 ハムザは遠い目で主神を見やる。以前もどこかで待たされた際に、三十分程我慢してやった覚えがある。その後は、雑魚の右腕を切り落とす程度で勘弁してやった。もしここで何時間も待たされるのであれば、一体何本腕を切り落とせば良いのやら…。

 

 「俺は()()()()()()()()、気の短い方なんだ…。だから並ぶ気なし。ナンパしてくるぞ~」

 

 くるっと背を向け、あっさりと列を離れる彼を見て、主神も仕方なくついてきた。

 

 「あ、こら、待て。私はお金がないから一人じゃなにもできんのだ。ま~て~」

 

 

 

 一方、彼らとは真逆の西ゲート付近では、神ヘスティアとその眷属が睦まじくいちゃついていた。

 

 「はい、ベル君!あ~~ん!」

 

 女神はそう言いながら口を開けて食べ物をねだっている。

 

 「神様っ!?そういう時は普通神様が僕に食べ物をくれるんですよ!?」

 

 「いいじゃないかベル君っ!細かい事を気にしてちゃ祭りは楽しめないぜ!?」

 

 (ふふふ…。今日は念願のお祭りデートだ!今日はたっぷりボクのベル君を可愛がってやるんだっ!)

 

 往来の人々はそんな神と人のラブシーンを見るなり、気まずそうに視線を逸らす。

 

 『『昼間から何いちゃついてんだ、こいつら…』』

 

 『『ほっときなさい。ちょっとでも邪魔しようものなら、女神の天罰が下るわよ…』』

 

 そんな呆れた彼らの声に混ざって、女性の声が広場に響く。

 

 「ベルく~ん!」

 

 走り寄ってきたのは、ギルド職員のエイナだった。彼女はヘスティアを見るなり挨拶を始める。

 

 「…初めまして、神ヘスティア。私ベル・クラネルさんの迷宮探索アドバイザーを務めております、エイナ・チュールと申します」

 

 ぺこりとお辞儀するエイナを見やって、ヘスティアはふんと鼻を鳴らした。少しでもでもちょっかいを出してみろ、ボクはただじゃおかないぞ!と、そんな顔をしながら。

 

 「…ベル君。この前も話したけれど、ちゃんとハムザ君にお礼を言ったの?ご飯代、立て替えてくれたんだよ。ちゃんとお礼を言わなきゃ」

 

 ベルは俯きながら「でも…」とか「その…」ともじもじする。そんな彼の優柔不断な態度を見て、エイナは感じた。

 

 (ベル君って、本当に子供みたい…。でもきっとこんな子の方が、面倒の見甲斐があって私好みなんだろうけどなぁ…)

 

 言葉の冴えないベルの代わりに、女神が代弁する。

 

 「…アドバイザー君。ベル君の話によれば、その男は愛しのベル君をミノタウロスの目の前に蹴りつけたそうじゃないかっ!そんな奴にありがとうなんて、例え結果的にベル君が助かったとしても、絶対いうもんかっ!」

 

 「う~ん。ヘスティア様の言う通りではありますけど…。彼がロキ・ファミリアの剣姫を呼んだから間一髪ベル君は救われたわけですから…。お気持ちはわかりますけど、やはり謝罪をするべきだと思います」

 

 エイナの言葉にヘスティアはむむむっと頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いた。眷属が子供なら、神も子供のようだとエイナは思った。

 

 「…神様、僕謝ります」

 

 ややあって、ベルは言った。

 

 「きっとあの人、僕を助けるために仕方なくやったんだと思います。それに、食い逃げ犯のままじゃ、シルさんと顔を合わせられません…」

 

 「なんだいなんだい!ベル君の浮気者ー!それにそのシルとかいう娘は、ベル君の事なんて今頃忘れちゃってるに違いないさっ!さっ、ベル君!それよりあっちのじゃが丸くんの出店に行こうぜ!」

 

 ヘスティアはベルの手を引きながら人々でごった返す道を駆けていった。

 

 (はぁ、変わった神様だなぁ…)

 

 エイナはため息交じりに呟いた。しかし、神様にまともな者なんているのだろうか…。自分が知っている限りでは、皆癖の強い神様ばかりだ。すると、周囲で警備と誘導役を務めている職員たちの声が聞こえてきた。

 

 『...愚痴は後にしろ、はやく人をまわすぞ!』

 

 怪訝な顔をして、エイナはその声の方向を見やる。すると更にざわつきは広がっていった。

 

 『待機の連中は何やってやがる?』

 

 『二日酔いとか、そういうレベルの状態じゃないって話だぜ…!?』

 

 エイナは不穏な空気で話し合う彼らに駆け寄った。

 

 「すいません、何があったんですか?」

 

 「あぁ、西ゲートに待機してる職員が、何人かぶっ倒れているらしい。大方飲みすぎが原因だとは思うが、今代わりの職員を派遣しようとしていたところだ」

 

 「…?」

 

 こんな時に、こんなタイミングで。そんなに都合良く職員が何人も倒れるのだろうか。ざわつく心を必死で抑えながら、エイナは円形闘技場を見上げた。闘技場の向こうには、深い青空が続いている。

 

 青空にモンスターの轟が響く。その直後、けたたましい歓声が闘技場に鳴り響いていた。怪物祭(モンスター・フィリア)が、幕を切って落とされたようだ。

 

 (私の思い過ごし…だよね?)

 

 

 そこに光は届かない。正方形に切り取られた巨大な石が積み上がるその冷たい空間で、女神は微笑んでいた。その燃え上がるように輝く瞳で、その甘くとろけるような唇で、目の前の怪物に彼女は合図した。

 

 (…さぁ、いってらっしゃい?)

 

 銀色の毛並みを震わせながら、巨大な影は動き始める。

 

 (…小さい女神(わたし)を、見つけてちょうだい?)

 

 彼女の瞼に焼き付いて離れないあの色を。あの(いとけな)い、純真な色を。

 

 …少しだけ、苛めてやりたい。

 

 それはささやかな、それでいて苛烈な女神の悪戯だった。

 

 

 

 「おー、シルちゃーん!」

 

 闘技場では相も変わらず大歓声が鳴り響く。そんな熱狂の余波に弾かれるように、ハムザたちは闘技場から離れていった。そこでたまたま通りすがったシルを見つける。

 

 「あ、ハムザさん!それに主神様もご一緒で。ふふ、今日はお二人でデートですか?」

 

 「バカをいえ。こいつはかーちゃんみたいなものだ。デートをするなら君がいい。なんなら邪魔者神様は今すぐ追い払うぞ。ほれ、しっしっ!」

 

 主神は白けた顔で眷属を見つめる。彼女は無言で手に持っていた綿菓子に噛り付いた。

 

 「…いけませんよ、ハムザさん?リューが聞いたら、きっと悲しみます」

 

 「リューちゃんとはまだ何もない。安心していいぞ、君だって彼女と比べても遜色ないほどの美人だ」

 

 シルは少し顔を赤らめながら、上目遣いでハムザを見る。

 

 「ふふ…ありがとうございます。ところで、私は丁度いま用事が終わりました。これから少し近くで出店の見学でもしようかな~なんて思っていたんですけど、財布を忘れちゃって」

 

 てへっ、と舌を出す街娘。主神がごほんごほんとわざとらしく咳込みながら口を挟んだ。

 

 「…のう、私ひょっとして邪魔者な感じ?」

 

 「いえいえ、神様も一緒に楽しみましょう!」

 

 そう言ってシルはハムザの手を引いて、出店の方へ歩いていく。

 

 (別にいいんだが…何かうまいこと俺のおごりパターンに持っていかれてる?)

 

 強かな街娘だな、そう思っていると彼女が矢継ぎ早に口を開く。

 

 「それにしても、モンスターを調教するなんてよく考えましたよね。私なら絶対すぐやられちゃいますよ。ハムザさんはきっとお強い冒険者なんですよね?私も一度でいいからお強い方との色恋沙汰を噂されてみたいなぁ、なんて…。えへへっ、あ!あんなところに霜降り子牛のステーキ串がありますよっ!みんなで一緒に食べましょう?」

 

 ハムザはシルに話術に流され、まんまと一本八百ヴァリスのステーキ串を買わされていた。それにしても…とまたシルが話を続ける。

 

 「オラリオの娯楽って、あんまりないんですよね。血気盛んな冒険者さん達のガス抜きとしては、怪物祭(モンスター・フィリア)は最適なんでしょうけど…私はあんまり好きじゃないなぁ」

 

 「モンスターの調教が娯楽だって?そいつはひどいな。俺なら、シルちゃんに楽しい男女の娯楽を教えてやるぞ。どうだ、今度一緒に…」

 

 『…きゃあああああああああっ!』

 

 ハムザのエロい誘いを遮って、広場から悲鳴が聞こえてきた。「な、なんだぁ?」と彼らは慌ててその悲鳴の場所へ向かう。そこには、全身を覆う白銀の毛並みを靡かせて立つ、巨大なモンスターの姿があった。

 

 ●

 

 「ガネーシャ様、大変です!まずい状況になりましたっ…!」

 

 ガネーシャは円形闘技場の特別貴賓席に陣取り、腕を組みながら祭の進行を見守っている。眷属が慌てた様子で近づいてくるなり、状況を報告する。

 

 「モンスターが逃げたっ!?それは大変だ。さすがにまずい状況だろう!」

 

 「だからそう言ったじゃないですか!?監視員たちは皆ぶっ倒れて会話もままならない状況です!シャクティ団長もですよ!?このままモンスターが街で暴れはじめたら、うちのファミリアの信頼は失墜です!?」

 

 (…まずいな、まさかジーガが?いや、ありえん。あいつにシャクティを打ち負かす能力があるとは思えんからな…)

 

 ガネーシャは一考してから、団員に告げる。

 

 「各派閥に協力を要請しろ。メンツは考えるな。民衆の安全だけを優先しろ!」

 

 団員は了解して走り去っていった。闘技場は大歓声に包まれる。今まさに、団員がドラゴンの調教を終えたところだった。

 

 

 

 ちょうどその頃、ハムザはシルバーバックと対峙していた。二人は間合いを測りながらじりじりと詰め寄る。ロングソードを構え、一瞬の隙も見逃さないつもりで視線を合わせ続ける。そして、尻尾と見紛う程の長さを誇る銀色の長髪が微かに揺れた。

 

 (来やがる…っ)

 

 シルバーバックは全身の筋肉を駆使し、一瞬で間合いを詰めよる。

 

 疾い。しかし、かわせる…。ハムザはひらりと身を翻した。その瞬間、信じられない光景を見た。

 

 自分に向かって突進してきたと思われたその大型モンスターは、ハムザを通り越して一直線にある人物に突撃している。そのモンスターの目線の先には、間抜けな顔をして呆ける主神の姿があった。

 

 (やべっ…)

 

 咄嗟に目の前を流れる銀色の長髪を掴み取り、それに力を込めて引っ張ることでシルバーバックの突撃を食い止めた。

 

 「…無視してんじゃねぇぞ!糞ゴリラ!」

 

 ここ数日間の修行セックスの甲斐もあり、ハムザのステイタスは飛躍的に上昇していた。今では剣の重みも、速さも、以前とは比べ物にならない程だ。全身に溢れる『恩恵』を噛みしめながら、モンスターに向かって突撃する。

 

 止まる事のない斬撃の雨に、シルバーバックはたじろいだ。巨躯を素早く反転させながら回避を試みるも、肌を傷つける斬撃を避けきることはできない。苛立ちを隠せないシルバーバックは、耳を劈く咆哮を上げ力任せにハムザに体当たりをする。

 

 ハムザはその衝撃を受け止めきることが出来ず、ごろごろと地面を転がった。大の字になり見上げると、主神の顔がある。

 

 「お~い。はやくあの猿ぶっ殺すのじゃ。お前、意外と弱いな~」

 

 (いらっ)

 

 「は、ハムザさん!?大丈夫ですかっ」

 

 シルが駆け寄ってくる。なんて事はない、ふっ飛ばされはしたものの、アイツに手傷は負わせてある。こっちの勝ちは揺るがない…。ハムザは剣を地面に突き立てながら体を起こす。興奮したシルバーバックは流れ出る血液を気にも留めず、ただ一直線にこちらを目指して進んでくる。

 

 (…うーん、俺を狙っているというより、神様を狙ってるって感じだな。このまま力比べしても埒があかんし、疲れる。ここはいつものやつで行くか…)

 

 「シルちゃん、大丈夫だ。下がってろ」

 

 そう言ってハムザは主神に歩み寄り、首根っこを掴んだ。主神は「なにをするのじゃーっ!」と暴れている。力を籠め、投げた。主神を。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『『ええっ!?』』

 

 いつの間にか溢れかえっていたギャラリーから、思わず驚きの声が上がる。主神を、生贄にした…?シルバーバックは歓喜の形相で「うほっうほほっ」と鳴いている。ふと、モンスターの股間が肥大してきた。

 

 『『うわぁ…あれ、勃起じゃねぇ?』』

 

 『『でかっ!一メートルはあるぜ、あんなの、凶器だよ…』』

 

 固唾をのんで見守るギャラリー。その真ん中で、勃起した怪物と対峙しながら主神は冷や汗を垂らしている。

 

 (な、なんじゃ?この状況…)

 

 ハムザの姿はいつの間にか見えなくなっている。主神をダシにして逃げたか、あるいは…良からぬことを、企んでいるのであろうか。女神は怪物と目が合った。不思議と、彼の思考が読み取れた気がした。

 

 (俺のイチモツを今からマンコにぶち込んでやるぜ…)

 

 怪物の巨大な影が女神に覆いかぶさる。勃起した巨大なペニスからとろりと汁が零れている。あ、終わった。彼女がそう思い、ぺたんと尻もちをついた瞬間。

 

 極上の獲物を前に隙だらけの怪物を、真上から飛び降りてきたハムザの剣が貫いた。体内の魔石を貫き、瞬く間にシルバーバックは灰になる。突然の出来事に周囲から歓声があがり、シルも嬉しそうに手を叩いている。ただ一人、主神だけは不機嫌そうに顔をしかめながら呟いた。

 

 「…主神を囮に使う奴がおるか、ぼけ」

 

 「主神を守る眷属をバカにしたあほはどこの神だ、まったく。ほれ、さっさと立て」

 

 ハムザは不機嫌な主神に説明する。

 

 真正面から向き合うのも面倒で、疲れる。だからモンスターの気を神で紛らわせている隙に屋根の上に登り、後はタイミングを見計らって飛び掛かれば何とかなるだろうと思ったと。咄嗟に考えたにしては、割と上出来な作戦だろうと。

 

 ハムザが怪物を倒したことで、ギャラリーはほっと息を撫でおろしながら解散していった。シルは興奮しきってハムザを褒めたたえ、主神はそれに茶々をいれる。その時、ふと地面が揺れたような気がした。

 

 「……んん?」

 

 自分達の真下で、何かが蠢いているような。揺れは激しさを増し、弛緩した空気が一瞬にして張り裂ける。

 

 「…避けろっ!!!」

 

 彼が言えたのは、たったそれだけだった。咄嗟に二人を力いっぱい突き飛ばし、揺れる足場から遠ざける。そして、ハムザの真下で地面が割れた。粉塵が爆炎の様に舞い上がる。一瞬の出来事に絶句する二人は、迫り来る粉塵に隠れて、吹き飛ばされた彼の名前を叫んでいた。

 

 夕刻の闘技場。演目はとうに終了し、観客の影は一つもない。夕陽は闘技場に降り注ぎ、以前として鎮座する浅黒いガネーシャの肌に真っ黒な影を落としている。

 

 「…騒動はようやく収束したようです。放たれたモンスターは九匹。いずれもロキ・ファミリアの協力もあり被害は最小限に抑えられています」

 

 「怪我人はなしか?」

 

 その言葉に、報告をしていた団員は頭を横に振った。

 

 「どこぞの冒険者が一人、重症のようです」

 

 夕陽は、真っ赤にオラリオを染め上げている。一連の騒動の首謀者の事、怪我をした冒険者の事、そして今頃復讐に燃えているだろう自分の眷属の事。ガネーシャはその両目をそっと閉じ、徐に立ち上がる。

 

 「…本拠地(ホーム)へ帰るぞ」

 

 精悍な顔つきを歪めながら、彼は自らの無力を恥じていた。

 

 (せめて、無事でいてくれよ。どこぞの冒険者…)

 

 ●

 

 西日が窓から入り込んでくる。忍び足に合わせて、木張りの廊下が歩を運ぶ度にぎぃぎぃと軋んでいた。足音はベッドの前で止まり、不安げな顔をしてそこに横にされている冒険者の姿を見た。ぼろぼろだ。回復師(ヒーラー)の診断によれば、骨は鎧と一緒に砕け散り、筋は断裂している。そんな状況でもオラリオの『恩恵』を授かった子供たちの手によって、怪我人は数日で元通りにされるという。「命さえあれば、あとはどうにかなるもんだ」と言い残して去っていった回復師(ヒーラー)の事を思い出し、シルは複雑な表情をしながら怪我人を見つめている。

 

 (助けて、くれたんだよね…。それでこんなにぼろぼろになっちゃって…)

 

 「…リュー。容体はどう?」

 

 『豊穣の女主人』の二階では、リューとシルが交代で看病を続けていた。今の今ま容体を見守っていたリューは、頭を振って「まだ意識は戻らない」と伝え、階下に降りていく。シルがそっと額に手を当てた時、彼は「うぅ…」と唸った。

 

 「…ん?シルちゃん、おはよう。いてっ…」

 

 ハムザが体を起こそうとすると、全身が悲鳴を上げた。指一本も動かせる気配がなかった。

 

 「ハムザさん、大丈夫ですか?まだ無理しないで下さいね。数日で容体が回復するみたいですけど、まだ骨がくっついていませんから…」

 

 シルの顔に安堵が浮かぶ。彼女はハムザに経緯を説明した。地面から新種と思われるモンスターが現れたこと、ロキ・ファミリアの第一級冒険者たちによって撃退したこと、上空に打ち上げられたハムザが付近の家屋内に屋根を突き破って落ちてきたこと…。

 

 そして彼女は大急ぎで回復師を呼び治療を依頼した。テルクシノエは途中まで傍で見守り続けていたが、容体が安定するなり帰宅してしまったらしい。とにかく、「良かったです」と、何度もシルは安堵のため息を吐いていた。

 

 「いててて…。体内に毒が回ってしまったようだ…このままでは死んでしまうかもしれない」

 

 わざとらしく痛がる素振りを見せるハムザに、シルは首をかしげている。

 

 「…?」

 

 「まずい、解毒が必要だ。シルちゃん、ちょっとお腹の辺りをさすってくれないか…」

 

 言われるがままに、シルはお腹をさすった。

 

 「…こう、ですか?」

 

 「そう、そうそう…もう少し下の方…」

 

 (えっ?もっと下って…()()があるんじゃあ…?)

 

 「ぐひひ…もっと、もっと下だ」

 

 こつん、とシルの滑らかな指先が勃起したペニスに触れた。

 

 「………」

 

 シルは動きを止め、じとっとした薄目でハムザを見る。ハムザはいやらしい顔付きでそんなシルを見返した。

 

 「…うぅ、毒が回って、勃起が収まらない。はやく吸い出してくれないと、きっと死んでしまう。あぁ、誰か助けてくれ~」

 

 「…ふざけているんですか?」

 

 大真面目、なんだろう。聞くまでもなくシルは理解していた。ハムザがどういう人間なのかは、最初から分かっていた。垂れる薄桃色の髪をさっと掻き揚げ、流し目を送り笑みを浮かべる。

 

 「…リューと私、どっちが綺麗だと思いますか…?」

 

 その仕草を前にすれば、どんな男性も君が綺麗だと言いたくなるだろう。それはハムザにとっても同じことだった。

 

 「お…俺はシルちゃんとセクロスしたい」

 

 「それはダメです。それに、ちゃんと答えてください」

 

 シルの柔らかい指先が、ズボンの上からペニスの先端に優しく触れた。そして、シルはそれを勢いよく掴んだ。

 

 「…()()()()()()()()()?」

 

 体が動かないのはもとより、急所を握られてしまえば抗う術はない。可愛い顔して、恐ろしい事をする娘だ…。

 

 「…シルちゃんの方が綺麗だ」

 

 (本当は甲乙つけ難いんだけど、まぁそういうことにしておいた方が無難か…)

 

 「…よくできました」

 

 ふふふっと可憐な微笑みを浮かべて、シルはハムザのズボンを下ろして勃起したペニスを握った。滑らかな肌の感触が、ペニスを包み込む。ハムザの感覚は全神経が股間に集中していた。この素晴らしい感覚を、決して逃すまいとして。

 

 「…助けていただいたお礼に、その、手でお手伝いして差し上げます」

 

 「…おほほほほっ…」

 

 

 

 『豊穣の女主人』の厨房で忙しそうに食器を洗っていたリューは、ふと時計を見やった。頃合いだ。シルと交代で看病しつつ仕事をこなしていた彼女は、交代の時間を示す時計を見てその手をとめた。

 

 (もしかしたら、そろそろ起きている頃かも知れません)

 

 淡い期待を胸に抱きながら、彼女は階段をゆっくりと登っていった。

 

 「あっ…リュー!」

 

 二階に登った時、シルが慌ただしそうに彼女の前に表われてきた。「えっと、彼、起きたよ」とだけ言い残し、足早に去っていく彼女を怪訝そうに眺めながら、リューはハムザの傍に来て、近くにあった丸椅子に腰かけた。

 

 「…体調はどうですか?」

 

 慈愛のこもった視線で、リューは優しく問いかけた。

 

 「お、おう。問題ない。うん、最高だ」

 

 そこで、彼女は辺りに充満した臭いに首を捻った。

 

 「…不自然な臭いだ。シルはイカでも捌いていたのですか?」

 

 「は、はは。まぁ、そんなところだな」

 

 曖昧にはぐらかすことしか、彼にはできなかった。

 

 

 

 それから数日して、青の薬舗ではミアハとナァーザが刺激臭の放つ薬品が散乱した部屋で、不眠不休の労苦からついに解放された。

 

 「ミ、ミアハ様。やりました…。あとはこれを入れれば完成です…!」

 

 主神は彼女の頭をよしよしと撫でた。彼女はぱっと顔を赤らめるも、すぐに身を離す。

 

 「ではナァーザ、後は私がやっておこう。お前は少し休め。…不眠不休で、つらかったであろう」

 

 神の言葉に頷き、ナァーザは別室で休息を取るために移動した。途中、散乱した瓶詰の一つを踏みつけてしまい、危うく転ぶところだった。

 

 「では…。ミアハ様、後は二十分間寝かせてからブリュー・ブラッド(血の醸造酒)を入れて下さいね。ブルー・ブラッド(青の血液)ではないので…。ブリュー…あ、えっと。とにかく寝ます。おやすみなさい…」

 

 部屋を出る際、ナァーザは危険な笑みを浮かべていた。それを主神に見られずに済んだのは、幸いだったかもしれない。

 

 (ふふ。これでハムザは、私のもの…)

 

 ばたん、と戸が閉められ、取り残されたミアハが一人で最後に仕上げに取り掛かった。

 

 「わかっておる、わかっておる。…ブリュー・ブラッド(血の醸造酒)じゃなく、ブルー・ブラッド(青の血液)…ん?逆だったか?はて…」

 

 今しがたの出来事を思い出そうとするも、しばらく休息を取っていない頭はふらふらと定まらず、重い。

 

 「まぁ、確かブリュー・ブラッド(血の醸造酒)を混ぜるなと言っていたな。経験上、きっとこっちが正しいに違いない…これが終わったら、私も少し休むか…」

 

 

  「のう、ハムザ。最近何か忘れている気がせんか?」

 

 テルクシノエ・ファミリアの本拠地(ホーム)では、既に回復して迷宮探索に復帰できるようになったハムザと主神が寝転がっている。

 

 うーん、と彼はうなった。確かに、何か大切な事を忘れている気がする…。

 

 「ま、いっか」

 

 「そうじゃの」

 

 お気楽な二人は、それ以上考える事をやめた。

 

 「今日の探索で、10階層まで行ってみようと思う。あの発情ゴリラもその辺が縄張りだろ?一応倒せたから多分何とかなるだろうし…。しばらくエイナちゃんにも会ってないからな、一発やってから10階層に初上陸の予定だ」

 

 がんばれー、かせいでこーいと気の抜けた返事を送る主神。いつも通りの日常が、再び始まろうとしていた。

 

 

 

 同時刻、ダンジョン10階層の入り口にて。ジーガは己の獲物を携え、虎視眈々と獲物を待ち伏せていた。

 

 (ここに来た時があの糞野郎の最期だ。切り刻んで、豚の餌にしてやるまで俺の気は収まらねぇぞ…)

 

 彼らは、大切なことを忘れていたままだった。

 




練習で書いているものです。クオリティはあまり追及していないので、誤字脱字、本編との矛盾等はご容赦ください。
ご意見・ご感想大歓迎です。
変な点があったら教えてください。しょっちゅう加筆しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ-ナァーザの万能薬-

 「あ、ハムザ。久しぶり…」

 

 ミアハ・ファミリアの青の薬舗にとって、この冒険者は既に常連になっていた。ぼったくりを繰り返し、完全に客を舐め切っていたナァーザの店に信頼を置いているのは、事実彼くらいのものだった。ハムザは戸をぱたんと閉め、いつものように回復薬を補充する。これから迷宮探索に向かうのだから、事前準備は怠らない。

 

 「…昨日会ったばっかりだぞ、ナァーザちゃん」

 

 「そうだっけ?」ととぼける彼女をよそに、ハムザはナァーザに小銭を渡す。購入した回復薬は合計三つ。しかし、「はい、どうぞ」手渡されたのは四つの薬瓶だ。

 

 「…ん?」

 

 「それはおまけ。日ごろ御贔屓にしてくれるお客さんに、特製万能薬(エリクサー)をプレゼント…」

 

 ハムザは思いがけないサービスに機嫌を良くし、いつもよりたっぷりとナァーザの頭を撫でて店を後にした。店内で彼女が邪悪な笑みを浮かべているとは露も知らずに、のんきな歌声を西のメイン・ストリートに響かせている。

 

 

 この日ハムザは難なく9階層を踏破し、10階層への階段を前に休息を取っていた。初めて踏み入れる領域を前に、昂る心を抑える。彼は階段を下っていき、そこに足を踏み入れた。その時。

 

 「…ようやく会えたなぁ、オイ」

 

 霧の中から姿を現した男。それはここオラリオに流れ着いた初日に斬りかかった人物。それは切り落とされた筈の右腕に、見覚えのある義手を装着して不敵に笑っている。そうだ、思い出した。いつの事だったか、主神から伝えられていた。

 

 この目の前の人物が、自分を付け狙っていると。いずれ決着をつけねばならないだろう、ということを。

 

 「ダンジョン内でノコノコと目の前にしゃしゃり出てくるとは、手間が省けるな。お前は今日、俺がぶっ殺す。それでハッピーエンドだ」

 

 そうか?と男は剣を抜く。銀色の長剣だ。ハムザも柄に手をかけ、同じように銀色の光を放つ長剣を抜いた。男の雰囲気は、張りつめている。油断も隙もないという表現が正しいだろうか。ハムザは直感した。最初の様に、うまいこと行く気配はなさそうだ…。

 

 「…悪ぃが俺は、ランクアップした。あの日お前に辛酸を舐めさせられてから、我武者羅にダンジョンに籠りモンスター共と戦い続けた。そして昇華させたんだ、己の器をな」

 

 男は話を続けている。ハムザは全く聞いていなかった。どのように裏を取り、どのように出し抜いてやろうか。ただそれだけに思考が集中している。雑魚の話など、聞く価値はない…。

 

 「…そういう意味では感謝していたぜ。片手じゃなけりゃ、偉業を成し遂げたとは言えねぇだろうからな。しかし、お前が呑気に主神と夜の道を歩いているのを見た時、そして万能者(ペルセウス)といちゃついてやがったのを見た時、怒りが燃え上がってきた」

 

 「ペラペラと煩い奴だ。俺はお前の右腕をもう一度斬り落としてやろう。いや、俺とやり合って四肢五体が綺麗に残ると思うなよ。二度と立ち上がれないようにしてやる」

 

 吹っ掛けても何をしてでも、こういう場合はビビらせてしまうのが得策だ。

 

 しかし、ハムザは彼の次の発言に恐怖させられた。

 

 「…安いな。俺はこれからお前の両手両足を切断して、その可愛いケツマンコに無茶苦茶中出ししてからペニスを斬り落とし、モンスターの餌にしてやる」

 

 しょんべんがちびりそうになった。昔のトラウマを、ほじくり返されたような気分だ。

 

 「……ひっ」

 

 男の目は、マジだった。決して冗談ではない。そんな雰囲気だ。

 

 「…ま、まさか、ホモか?」

 

 「だから何だってんだ?いまさら許しを乞おうとしても、遅ぇ」

 

 話は終わりだと言わんばかりに、男は距離を詰める。

 

 「…構えろっ!」

 

 ハムザの視界は、恐怖で真っ白になった。

 

 

 

 戦意を喪失してしまっては、殺意の籠った一撃をいなす事は出来ない。力任せに振り下ろされた長剣の圧に押され、どすんと尻もちをつく。間髪入れずに助走をつけた膝蹴りが顔面に直撃する。蹴り飛ばされた鼻が異常なまでに熱を帯び、たらりと鮮血が垂れてくる。

 

 (やべぇっ…)

 

 思わずレッグホルスターに手を伸ばす。回復薬を、飲まなければ…。しかしその行動も、あっさりと目の前の敵に阻まれる。

 

 ジーガはハムザの手を踏みつけ、回復薬を蹴り飛ばした。するとからんと音を立て、ホルスターから万能薬(エリクサー)が転がり落ちた。ナァーザに貰ったものだ。これを飲まなければ、まずい…。伸ばされた手は、再び乱暴に踏みつけられる。

 

 「無様なもんだな、オイ…。万能薬(エリクサー)かよ。おめぇには勿体ねぇ。俺が頂いてやろう…」

 

 ジーガはそう言って薬瓶の栓を開けた。匂いを嗅いだ。

 

 色も、臭いも、万能薬(エリクサー)のそれに違いなかった。そして、ぐいっと飲んだ。

 

 すると途端にぐらっと視界が歪み、彼の視界が真っ白になった。

 

 

 青の薬舗では、ナァーザがそわそわしながら帳簿を付けていた。しかし彼女はまったく手元に集中していない。今も数字を書き間違えたところだった。

 

 「…ふふふ。そろそろ来るはず…息を切らせながら、ハムザが…」

 

 すると勢いよく扉が開いた。来客を告げるベルが騒々しい程にりんりんと鳴る。

 

 (…きた!)

 

 「ナァーーーーーザァァァッァ!!!」

 

 (…きたっ!!!)

 

 彼女は興奮してハムザを見つめた。しかし彼の反応は、彼女が予期していないものだった。

 

 「これは一体どういうことだ!?!?!?」

 

 ハムザが指さす場所を見るまでもなく、見たこともない男が髭面をすり寄せながらハムザに抱き着いている。

 

 「…アニキ、逃げるなんてそりゃないぜぇ…俺はアンタをオラリオのアニキだと思ってますぜ…!」

 

 「…あなた、誰?」

 

 ナァーザは体をすり寄せる男に話しかけた。まるで、この反応は…。

 

 「俺はジーガ・ぺデルスキーだ。アニキの舎弟だよ。知り合いか?よろしくなぁ」

 

 そう言って伸ばされた手を、ナァーザは無視した。この反応は、間違いなく媚薬の効果だった。

 

 「…多分、だけど。この人、ハムザにあげた万能薬(エリクサー)を飲んだ…?」

 

 「この糞ホモ野郎、確かにあれを飲んだ。そっからおかしくなりやがった。やらせてくれだの、愛しているだの、思い出すだけで吐き気がする言葉ばかり…おい、いったいあの薬はなんだったんだ…?」

 

 ナァーザは白状した。万能薬(エリクサー)によく似た色と、よく似た臭いのする媚薬を開発したこと。ハムザが愛おしくて、それを飲ませようとしたこと。しかし、わからないことがあった。媚薬はナァーザだけを対象とするはずなのに、なんでこの男はハムザを好きになってしまったんだろう?その答えを握る神物(じんぶつ)が、騒ぎを聞きつけてやってきた。

 

 「なんだ?一体なんの騒ぎだ?」

 

 寝ぼけ眼をこするミアハに、ナァーザは恐る恐る聞いた。

 

 「…もしかして、ミアハ様。ブリュー・ブラッド(血の醸造酒)じゃなくて、ブルー・ブラッド(青の血液)を入れてしまったんですか…?」

 

 ミアハは頭をぽりぽり掻きながら必死に思い出そうとしているが、寝ぼけた頭では歯切れの悪い返答を返すだけで精いっぱいのようだ。

 

 「あぁー…どっちだったか…。すまん、覚えてない」

 

 「…で、結局何なんだ?こ、こいつは元に戻るのか?」

 

 ナァーザは嘆息しながら説明した。ブリュー・ブラッド(血の醸造酒)にはナァーザ自身の血液が含まれている。だから完成した媚薬は彼女だけを対象として効果を発揮するはずだった。しかし、ブルー・ブラッド(青の血液)はただのモンスターの血液だ。そうなれば対象を限定することはできず、ただ目の前の人間に効果を発揮する。

 

 「おい、おい。言っとくがな、お嬢ちゃん」

 

 ジーガが口を挟んだ。

 

 「俺は媚薬なんか飲んでねぇ。俺はアニキに惚れたんだ。この人の未来には、輝かしいものが待ってる。確かに、俺にはアニキを憎んでいた時期もありはしたが…。今はもう、受け入れられるんだ。アニキの強さと、その偉大さをな。…まぁ、おめぇみたいな女に男が男に惚れるってことが分かるとは思わねぇ」

 

 ナァーザはいらっとして、たまたまそばに置いてあった剣の鞘で思わずジーガの頭を全力で殴りつけた。

 

 そして先ほどまでぴんぴんしていた筈のホモがあっさり気絶した。

 

 「な…ナァーザちゃんって、意外と強いんだな…。俺が何度殴ってもぶっ倒れなかったのに…。糞、このホモ野郎」

 

 ハムザはホモをげしげしと何度も踏みつけている。一応、自分も元冒険者の端くれだ。トラウマのせいでモンスター相手に力を出せないとしても、人間相手には十分。ましてや、愛しのハムザを横取りしようとするホモ相手に情けを掛けてやる気分にもなれなかった。

 

 「…しかし意外だな。あのナァーザが一人の男性の愛を独占しようと躍起になる日が来るとはな。今回の行いは邪道とはいえ、その恋路を応援してやらんわけでもないぞ、なぁ?」

 

 ミアハは彼女の頭をぽんぽんと叩く。今までは男の噂すら立たなかった我が子を見つめる主神の視線は、少し悲しそうに見えた。

 

 「まぁ、百万ヴァリスと引き換えにセクロスしたからな。それからというもの、ナァーザは俺にぞっこんだ」

 

 「なに…?」

 

 ナァーザの頭を撫でる手が止まり、ミアハの表情が固くなる。

 

 「ナァーザ、お前、本当か?今の話は。本当にそんな娼婦まがいの事をしていたのか?」

 

 「ち、ちがいますっ…!?」

 

 出資金を貰い、そのお礼に食事をした。その流れで良い雰囲気になってしまっただけだと慌てて訂正するも、時すでに遅し。主神は美しい顔に怒りの表情を浮かべて彼女に詰め寄った。

 

 「同じことだ!悪いが、ナァーザ。そんなものは愛じゃない、ただの勘違いだ。それにハムザはお前を愛してなどはいない。彼に比べれば、まだ俺の方がお前の事を大切に思っているぞ」

 

 (はぁ…くだらねー。一難去って、また一難か…)

 

それからと言うもの、主神の我が子に対する愛の言葉をさんざん聞かされている間、ハムザの意識はとっくに夕飯に向かっていた。

 

 「ナァーザ、私はお前を一生かけて守り抜く。だから二度と娼婦紛いのことはしないでくれ…」

 

 「ナァーザが望むのであれば、何をやっても構わない。だが、金銭を対価に体も心も差し出すなど言語同断だ…」

 

 「私は確かに男としては不十分かもしれない。だがナァーザを一番大切に思っているのは、家族の様に思ってやれるのは私だけだ…」

 

 主神の愛の言葉を瞳を潤わせて、嗚咽を漏らしながら聞いているナァーザを見ながらハムザは思った。

 

 (…今日は、ステーキがいいかな?)

 

 「…わかったな、ナァーザ?」

 

 「……はい」

 

 事態は収束したようだった。

 

 「では、ハムザ。すまないが今日はこれで帰ってもらおう。この気絶した男はこちらで介抱しておく。そして悪いが、ナァーザを弄ぶのはもう止してくれ。今までの行いについて、彼女も十分に反省しているようだからな」

 

 「あー。はいはい。じゃ、またな…」

 

 (まったく、やっと帰れる。あぁ、腹減った…)

 

 嬉々として扉に手を掛けた時、愛しの主神に叱られて萎れていたナァーザがとことこと近づいて来て、こっそりと耳うちした。

 

 (ごめん、ハムザ…。やっぱり私、ミアハ様が好き。あの人を裏切る事ができない…ずっとあの人のお傍にいたい…)

 

 だから…。

 

 (だからハムザを、発情期専用の肉バイブにしてあげる…。ふふふ、ばいばい)

 

 そう言って扉は閉じられた。夜の風が通り過ぎていく中、西のメイン・ストリートではいつものように酔っ払った男たちが愉快そうに笑い声をあげている。

 

 「…冗談、なのか?」

 

 まぁ、いいか。

 

 ホモは追い払った。ナァーザに粘着されずに済む。今日はステーキでも食おう。そうすればまた、明日も元気よくセクロス出来るに違いない。

 

 ●

 

 「とまぁ、そういうことがあったわけだ」

 

 テルクシノエ・ファミリアの本拠地(ホーム)で、ハムザは事の顛末を主神に語っている。主神はおかしそうに笑い声を上げながら肉を頬張った。

 

 「…しかし、本気だったのか、今もわからん。普段は神様にぞっこんだけど、発情期だけは別の男とセクロスするなんて、ありえるのか?」

 

 「…ははは。そんなもの、本人に訊いてみなきゃわからんじゃろう。それに下界では、神なんかには想像もできんことが起こるものだ…。お前がまさに、それを地で行く男じゃな」

 

 そういうもんか、と肩をすくめる。オラリオの夜空は満点の星に飾られて、きらきらと輝いている。

 

 「ふぁー…ねむ。それにあのホモ、まさか媚薬の効果が切れた途端また襲い掛かるなんてことにはならんだろうな」

 

 テルクシノエは満腹そうにお腹をぽんぽんと叩いてから食器を置いた。

 

 「…それについては、まぁ何とかなるじゃろ。あいつの『銀の義手(アガートラム)』だがな、私が贈ったんだ」

 

 「…へっ?」

 

 思わぬ主神の言葉に驚きを隠せない。

 

 「…怪物祭(モンスター・フィリア)の際お前が気絶して運ばれた時、頃合いを見てガネーシャに話をしに行ってな。こちらが料金を立て替える、あいつが全力でジーガを説得するという話で決着をつけた。斬り落とされた腕への対価、眷属の愚行に対する謝罪としてな、私が立て替えてやったんだ」

 

 素直に、驚いた。一体このぐーたら神のどこにそんな大金があったというのか…。

 

 「…何か失くなっているとは思わんか?実はな、あの『絵』を売ったんだ。それでその金をガネーシャに渡してやった。銀の腕ともなれば、それはもう高い値が付くものだから、彼奴は嬉しそうに礼を言ってきたぞ」

 

 あの『絵』とは、彼女の昔の子供が書いた絵だ。その有名な画家の作品は、今では一億ヴァリスはくだらないという。市場に出回ったことのない未発見の作品、しかも神がモデルである知られれば、きっとかなりの値段が付けられたに違いない。しかし、良かったのだろうか。

 

 「…大切にしてたんじゃなかったのか?あの落書きを」

 

 それはもう、と主神は悲しそうに嘆息する。

 

 「胸が張り裂ける思い、とはこの事だ。しかしなぁ、ハムザ。過去の思い出に引きずられて今を楽しめないなんて、愚かだと思わんか。私はもしお前が死んでしまったらと言うことを想像した時、もっと胸が痛んだのじゃ。だから決心できた。私にとっては、お前はもう大切な家族なんだ…」

 

 「そういうもんか…?」

 

 ハムザはばっと立ち上がる。

 

 「まぁ、辛気臭い話は終わりだ。色々あったが、また明日からセクロス三昧の日々が始まるわけだ。次の目標は、えー…」

 

 ちらり、とハムザはエイナの『目標達成シート』を見た。

 

 「…そうだ、サポーター兼セフレを見つける。シルちゃんは手コキまでしかいってないからな。次は中出しセクロスだ!」

 

 それにさっさとランクアップをして、リヴェリアちゃんのおっぱいを無茶苦茶にしなければならない。やるべきことは、山積みだった。

 

 「そうじゃ、そのいきじゃ。どれ、久しぶりに水煙草(シーシャ)でも吸うか?」

 

 「悪くない!この前買った、ココナッツ味を試してみよう」

 

 

  その時、歓楽街の路地裏で悲鳴にも似た声が響く。

 

 「…おいっ!そのガキ捕まえろ!泥棒だ!」

 

 「いやぁ~ん!アタシのオパールの指輪が盗まれたぁ~!」

 

 テルクシノエとハムザは、その叫びに耳を傾けた。面白おかしくハムザは冗談を飛ばす。

 

 「ははは。ホモから盗みとはなかなか気の利く奴だな。今度そいつに会ったら、たっぷり謝礼を渡さなきゃいかん」

 

 

 一方、その小さな泥棒は素早い身のこなしで路地裏を走り去り、あっさりと追っ手を振り払っていた。

 

 手元で黒光りする指輪を転がして。

 

 (…あんな贅肉たっぷりのお腹でリリを捕まえようなんて、百年早いです)

 

 その双眸で夜空を見上げた。まん丸の月が、彼女に笑いかけているようだ。

 

 

 

 こうしてオラリオの夜は、波風を伴いながらゆっくりと更けていった。

 

  

 

 

 

 




ここまでで一巻相当です。

色々怪しい点が多いのですが、書きたいものを自由に書いてみました。
実力不足を感じる次第です。少し間を置いてから、また再開します。

読んでくださった方、どうもありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二巻相当分
第一章 ―ある日―


「おせぇぞっ!サポーター!さっさと歩け、お前がもたもたするせいで俺たちがモンスターに襲われでもしてみろ、ただじゃおかねぇからな!」

 

 冒険者の一団は、青い燐光の灯るダンジョンの通路を歩いている。そのしんがりにて、少女は滂沱たる汗を滴らせながら重い足取りを運び続けていた。息も切れ切れに、足をふるわせながら。

 

 栗色の毛先からぽつりと汗が滴る。それをぐっと拭い、少女は前を見据えた。

 

 冒険者たちの背中。屈強な体格をした男たち、ローブに身を包んだ魔導士の女たち。彼らは振り返らない。自分がどれだけ必死に付いていこうとも、彼らの口から称賛の言葉など出てはこない。それに代わって、きまっていつも罵詈雑言と中傷の嵐が耳に飛び込んでくるのだった。

 

 「ほんと、使えない子供ね。サポーターなんとても無理よ。さっさと女郎屋にでも売り払ってしまったら?」

 

 自分が今、どこにいるのかもわからない。ただただ湿度の高い密閉された空間を、服をびしょびしょに濡らしながら彷徨っているようだ。

 

 『恩恵』なら、受けている。神の御業を一身に受け、生まれた時からファミリアに所属している。本来であれば、『ステイタス』によって強化された身体能力で楽々と階層を踏破し続けていたことだろう。

 

 生まれながらの冒険者、栄誉を勝ち取る羨望の対象として、気取った二つ名も用意されていたことだろう。

 

 こんな何階層とも知れない場所で、汗でびしょ濡れになりながら醜い弱者として存在する必要なんて、なかったはずなのに。

 

 —そうだ。

 

 もし、自分に才能というものがあったのなら。常人離れした体力で前を歩いていくこの冒険者たちにあるものが、自分にも備わっていたのなら。惨めな思いをせずに、笑って過ごせていたかもしれないのに。

 

 先を行く彼らのリーダー格の男が、少女に一瞥もくれず蔑みながら言葉の刃を振り回す。

 

 「放っておけ、お前ら。雑魚は雑魚だ。無理を言ってもしょうがねぇだろう。こいつはいざという時のための生贄として連れてきてるんだ。だからお前ら、間違ってもこいつに貴重なアイテムを運ばせるなよ!一緒にモンスターの胃の中に納まって欲しくなけりゃ、な!はははは」

 

 長い時間重い荷物を背負い速足で歩き続けたせいか、足がまるで鉛の塊になってしまったような気がした。

 

 最初、冒険者になれない自分をひどく責めた覚えがある。きっと自分が甘いせいだ。若く、心が弱いせいだ。それでも、諦めてしまったら二度とそのステージには立てない気がした。

 

 そう思って、彼らについていこうと何度も必死に懇願し続けた。その甲斐もあって、今日初めてサポーターという役割を担い迷宮探索のメンバーに組み込まれた。しかし自分はその役割すらこなせず、今まさに地面にへたり込んでしまうほど疲労困憊している。道のりはまだ長いというのに…。

 

 もう一度、顔に滴る汗を拭った。

 

 気づけば、彼らの背中は先ほどよりも遠ざかっている。足の力が抜け、自分の身長ほどのバックパックの重さに押しつぶされそうになる。必死の思いで踏ん張り、何とか再び一歩を踏み出す。今が辛くても、耐えればきっと明日はもっと幸せになれると、折れそうになる心を奮い立たせて、もう一度前を見据える。

 

 そうだ、どんなにつらくても、死に物狂いで生きていかなくては。少なくとも、それが両親を亡くし、小さな体一つで生きていく自分に必要なことだと思っているから。

 

 だから…。

 

 その時、彼女はどさっと地面に倒れこんだ。

 

 「…?」

 

 訳が分からず、顔を上げる。彼らの背中はみるみる遠ざかっている。

 

 (ついて、行かなくちゃ…)

 

 少女は土が口に入り込んで居るのにも気づかず、地面を這って行った。体はもうとっくに限界を迎えていた。すると冒険者の一団の中から、その様子に気付いた男が一人舞い戻ってきた。彼は少女の首を掴み、無理矢理体を起こした。

 

 なんて恥ずかしいんだろう。自分も同じ『恩恵』を受けた身である筈なのに、ファミリアの先輩たちに迷惑をかけてしまうなんて。自分から必死に懇願しておきながら、勝手に倒れこんで助けられてしまうなんて。

 

 己の無力に耐えきれず、羞恥心に顔が歪んでいくのがわかる。彼女はどうしたら良いかわからず、不器用な微笑みを浮かべた。

 

 「舐めてんじゃねぇ、アーデ」

 

 冒険者の男は彼女の小さなお腹を、力いっぱい殴り飛ばした。あまりの衝撃に地面を転がる。口から鉄の味がした。血だ。彼女は今、土を食べてしまったことに気づいた。

 

 彼女は仰向けに寝転がり、遠のいていく意識の中で、少女は視界で揺れる青い燐光を見つめていた。

 

 

 

 ぱちり、と栗色の目を見開いて、リリは目覚めた。体は汗でぐっしょり濡れている。窓の向こうでは、朝焼けの空を灰色の鳩が羽ばたいている。

 

 あちこちが破れ、中身が飛び出している固いソファーから汚れた薄い布団を引きはがし、リリは魔石灯のスイッチを入れた。

 

 魔石灯は橙色の光を点滅させたものの、すぐに力尽きて消えてしまった。目が覚めたばかりだったが、全く疲労が取れていない。昨晩遅くまで仕事をしていたせいで、数時間しか眠れていなかった。それでも、もう一度甘い眠りの誘惑に引き込まれてしまうわけにもいかなかった。いつもより遅く起きてしまったから、今すぐ仕事の準備をしなければいけない。

 

 リリはふあぁーっと大きく伸びをして、眠たげな眼をこすった。

 

 (悪夢にうなされるのも、慣れないものですね。さて、さっさとお仕事の準備をするとしますか)

 

 寝巻を脱いで、ワードローブの前に立つ。扉を開ける必要はなかった。最初から壊れてなくなっていたからだ。彼女に与えられた部屋では、壊れていない物を探す方が難しかった。魔石灯も、ソファーも、ワードローブもそうだし、鎧戸はついておらず、窓ガラスにはちょうどドワーフの拳と同じくらいの穴が開いていた。

 

 部屋の大きさは、もし彼女が友達を一人でも連れてきたら、きっととても窮屈に感じるに違いない程の広さだ。しかし心配をする必要はなかった。生まれてこの方、彼女に友達なんてものは出来たことがなかったからだ。

 

 事実、そこにあるのは壊れたソファーとワードローブだけ。後は低い天井がまるで棺桶の蓋のように被さっていた。それでも彼女にとっては夜露を凌げるだけ有難かった。こんな狭くてほこりまみれの部屋で寝泊りしていても、オラリオ中の惨めな境遇の人々を集めればきっと豪華な暮らしに思えてくるに違いない。

 

 彼女はおもむろに白いローブを取り出して、それを纏った。幸い今の時期は朝も冷え込まない。だから自分が持っているただ一つのこのローブだけでも、じゅうぶん満足できるのだ。

 

 歩く度にほこりが舞う屋根裏から降りて、キッチンへ向かう。リリが下宿先として見つけたのは老女が経営する長期滞在用の宿屋だった。

 

 初めてこの宿屋に来た時の事は、リリは今でも鮮明に思い出せる。

 

 

 長期滞在が希望だと伝えると、老女が醜い皺だらけの顔に笑みを浮かべて彼女を豪華な一室に案内した。見事な彫刻が居並び、贅沢な額縁に飾られた見るからに高そうな絵画が飾られているその部屋に入るや否や、彼女は自分が第一級冒険者ではないということを老女に告げた。

 

 老女は蔑むように一度唇を歪めてから、階上へと登っていく。すると今度は、程よいスペースに寝心地の良さそうなベッドが置いてある部屋に案内された。彫刻や絵画がない代わりに、品の良い燭台が置いてあった。老女が鎧戸を降ろし、部屋を暗くしてから橙色の魔石灯と蝋燭の火をつけると、オレンジ色の暖かい光が部屋中を包んだ。

 

 その光に照らされた老女の顔には、蔑みの色が混じっていた。まるで第一級冒険者こそが彼女の宿に相応しく、少なくとも上級冒険者までしか客と認めないぞ、と無言で告げているようだった。

 

 リリはここに住んでみたいと強く思ったが、残念ながら自分は上級冒険者でもないと告げなければいけなかった。

 

 すると老女は舌打ちをしてから口調を一変させて、「じゃあ、お前は月にいくら払えるんだい、溝鼠ちゃん」と聞いてきた。

 

 空いてる中で一番安い部屋を貸してほしい、そして仕事を手伝うから宿泊費を月一万ヴァリスにしてもらえないかと恐る恐る聞くと、老女は冷ややかな目つきで蔑むように言った。

 

 「屋根裏に行きな!うちはガキだからって容赦はしないよ、それとトラブルを起こしたら承知しないよ」

 

 醜い皺だらけの顔に、汚物を見るような激しい嫌悪が浮かんでいた。

 

 ここでの生活は快適からは程遠かった。老女は口うるさく、掃除、洗濯、炊事など仕事は山盛りだった。加えて所属するファミリアに収める上納金も稼がなければならない。終わらない仕事に危険な迷宮探索。お腹いっぱいの御馳走など夢にも見なくなった。心地よい睡眠を取れた記憶が、もう何年もなかったからだ。

 

 狭くうねる階段を下り、暗闇の受付間を壁伝いに手探りで歩いていく。そしてリリはドアノブを探り当てる。軋む音が広間に鳴り響く。調理場の明かりを灯し、宿泊者用の朝食の準備という、いつもの仕事に取り掛かる。

 

(その気になれば、いつでも止められる生活ですが…。自由になるためには、一時の不自由を受け入れなければなりません)

 

 きりっと眦に力をこめる。口元を引き締めて、ぱちんと頬を叩いた。

 

 (自由を勝ち取るため、私は今日も頑張って冒険者から巻き上げてやりますっ…!)

 

 袖を捲り、冷水で手を洗ってから、リリは朝食の支度に取り掛かった。

 

 

 「…う~む。じゃあ、ポーンをD8へ。ほれ、チェックメイトだ!」

 

 「バカもん、最初からそんな動きは出来んのじゃ。お前さては私の説明、全く聞いていなかったな?」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地(ホーム)では、主神と眷属が仲良くチェスゲームに興じている。

 

 「こんな同じような駒がそれぞれどう動くかなんて、覚えてられるか。それになぁ、最初から動き方が決まっているなんておかしい。俺の兵士たちは優秀だから、いきなり敵将を討ち取ることもできて然るべし、だ」

 

 テルクシノエがハムザにチェスの面白さを説明しようとしたところで、無駄なのは明らかだった。それでも女神は懲りずにゲームを繰り返す。

 

 「では、お前の駒はもう全部キングで良い。それで私に勝ってみろ、たこすけ」

 

 「よし、その勝負受けて立つ。負けたら今日はお前が飯奢れよ」

 

 

 

 それからしばらくして。

 

 テント内ではハムザが驚愕しながら盤上を眺めている。

 

 「ま、まさか負けるとは…」

 

 「なんじゃ、これだけハンデを貰いながら手も足も出せんか、ハムザ?今度ダンジョンへ潜った時、オークを連れて帰ってきてくれないか?チェスの相手としては、お前よりまだ幾分かマシじゃろう!」

 

 女神が愉快そうに手を叩いている。不愉快そうなハムザを小馬鹿にしながら全身で煽り、そのままベッドにジャンプした。数回飛び跳ねてから、片肘をついて寝転がりわざとらしく大きくあくびをした。

 

 「これが『読み』と『戦略』じゃ。どうだ、お前もファミリアの団長なんだからこれくらいは出来てもらわんと困るなー。ふあー」

 

 「うるさいぞ、いつも俺が仕事して、お前は寝てるだけじゃないか。それに初心者相手に雑魚狩りをするとはまったく大人気ない奴だ。おまけに全力で煽りやがって。ゲーマーの風上にも置けん奴だ。芸術の神なんだからゲームばかりしてないで、たまには俳句でも読んでろ。まったく」

 

 テルクシノエは魔石珈琲製作機(コーヒーメーカー)のスイッチを入れ、勝者の威厳を全身に湛えながら小さい体で胸を張った。

 

 「ふん、それは子供たちの仕事じゃ。それにな、チェスも立派な芸術(アート)じゃよ。お前にはわからんかも知れんがな」

 

 「ゲームが芸術(アート)?くだらん言いがかりはよせ、それじゃあ部屋に引きこもって一歩も外出せずに遊んでる連中の呼び名が、ゲーマーじゃなくて芸術家(アーティスト)になっちまうだろう」

 

 女神は近くにあった丸椅子に腰かけた。机にひじをつき、顎に手の平を当てながら目を輝かせて眷属に視線を浴びせる。この女神は、芸術に関する話になると途端に嬉しそうになるものだ。

 

 「良いか、人に感動を与えられるものは、全部芸術じゃ。だから良質な棋譜は芸術にもなり得る。そういうものを何個も残すものがいるのなら、確かに芸術家と呼んでもいいじゃろう」

 

 機械が珈琲を淹れ始めると、良い香りがテント内に漂い始めた。

 

「それと、お前がさっき言った言葉は確かに面白いアイディアじゃ。なんだったか、『俺の兵士は優秀だから最初から敵将を討ち取れる』だったかな」

 

 ハムザはカップに残っていた珈琲の滓を口に流し込み、自分ももう一杯飲む準備を始めている。砂糖を沢山入れて甘くするのが、彼の流儀だった。

 

 「まぁ、戦争になったら五分五分の勝負なんて滅多にないだろ。大抵の場合は戦争する前から決着がついてるもんだ。俺が王様だったら、自分の軍隊は徹底的に鍛えるし、強者だけで構成する。どこと戦争することになっても絶対に負けない軍勢を作り上げてから、周りの弱小国を蹂躙だ。シンプルでいいだろう」

 

 魔石珈琲製作機(コーヒーメーカー)がぴこぴこと音を鳴らして、珈琲が入った事を知らせる。二人はカップに熱々のそれを注いでいく。

 

 「…では、こちらの勢力が弱く、敵側が強い場合はどうするのじゃ?それでどうしても戦争をしなければならない場合は?」

 

 「決まってる、その時は国を捨ててどこか美女の多い楽園にでも移り住むだけだ。なんたって勝ち目がない戦をしたところで死ぬだけだからな」

 

 女神はふむ、と言って思案を始めた。

 

 ハムザは甘い珈琲を口に入れ、今日の予定を再確認する。

 

 今日は午後からエイナちゃんとデートだ。珍しくセクロスの誘いではなく、装備を整えに行こうと言ってきた。きっとあれこれ口実を付けて、ただヤリたいのを隠したいだけだろう。適当に買い物したら久々にたっぷり中出ししてやるつもりだ。

 

 そこで手持ちの資金百万ヴァリスを殆どつぎ込む予定だから、このあほ女神の欲しがっていた高級額縁は購入を見送ることになっていた。

 

 そもそも額縁ごときに百万ヴァリスなど、馬鹿げている。それこそ適当に木材を拾ってくれば出来そうなものだ。

 

 一度ハムザがそう言ったら、この主神は血相を変えてあれこれと非難がましく文句をつけてきた。お陰でその日の夜、主神はわざとらしく一緒に寝ているハムザの背中を蹴っ飛ばし、何度も寝返りをうって安眠を妨害してきたものだ。

 

 翌日になって、ハムザは主神に告げた。自分が欲しいものは、自分で買ってみろと。

 

 神なんだからちょっとは神らしいことをしてみろと。

 

 それから女神はあれこれと金策を模索しているようで、少ない知恵を絞りに絞っている。無駄な努力だろうと思っている事は、取り合えず口にはしないでいるが。

 

 その証拠に、つい先刻思案の旅に出かけた主神は、すぐに集中力を切らせ戻ってきたようだ。

 

 「…はぁ。どこかに金づるが転がってないものか」

 

 哀れな嘆息だった。ハムザにとって、金を稼ぐ事など造作もない事に思われていた。それは欲望を満たすため良い女を口説きまわっていくうちに身に付いた、不思議な特技でもあったからだ。

 

 

 オラリオ北部にある円形状の広場の中心には、ある銅像が何とも言えない表情で立っている。錆びて緑青色に変色し、ローブを纏う彼の目はどこか悲し気に見えた。エイナはハムザを待つ間、その銅像を眺めていた。

 

 『司祭ヴァレンティン』

 

 銅像が立つ台座には、彼の名前が彫られていた。一部が欠けているものの、何とか読むことが出来た。彼が詠んだ詩が石碑のように刻まれていたが、残念なことに至る所に『おっぱい』と落書きがされてあった。きっと子供の悪戯に違いないとエイナは思った。

 

 「お、俺が書いた落書き、まだ残ってるな。はははは!」 

 

 後ろから声が聞こえ、エイナは振り向いた。

 

 「あら、ハムザ君。はやいじゃない?今日は陽が沈む前に起きれたみたいね?」

 

 「ばか。俺は美人とのデートに遅れるほど野暮な男じゃない。いつまでもぐうたら生活を繰り返す放蕩者に好み女を用意してやったら、むしろ溺れるどころか途端に立派になるもんだ。男の前に据え膳、これ即ち食わぬは愚者だ。だから俺のそばに美女がいる限り、俺は賢者であり続けるというわけだ。当然、遅刻などしない。わかったな?」

 

 「…う~ん?良く分からないけど…」

 

 エイナは首をひねる。

 

 「それならその賢者様は、私のこの服装を見てもなぁ~んにも思わないのかな?」

 

 エイナはそう言って流し目でポーズを決めてみせ、程よい肉付きの曲線を強調した。膨らんだ胸元から白い肌が僅かに露出している。今まで何度も中出ししてきた質感の良く、大きすぎないお尻はミニスカートに隠れ、くびれた腰の細さと相まってお互いが程よく主張している。

 

 さらりとしたブラウンヘアはつい最近丁寧ににカットされたようで、翡翠色の双眸には若干の恥じらいが見え隠れする。僅かに頬を桃色に染め、身じろぐ彼女の脚はすらりと長く、つやつやと白く若々しく輝いて見える。

 

 「…いかんな。こりゃ、いかんぞ。エイナちゃん」

 

 ハムザの発言に彼女は首を傾げた。

 

 「…そんな格好してちゃ、オラリオ中の男に自分は食べごろですとアピールするようなもんだ。ここに来るまでに一体何人の紳士を勃起させたんだ?エロいにも程がある。くそ、勃ってきた。今すぐセクロスしよう!」

 

 がっしりと彼女の肩を掴む。顔と顔が接近するが、エイナはまんざらでもないようだ。

 

 「ふふふ。キミはいつもそればっかり。今日はちゃんと買い物をしなきゃダメなんだよ?じゃ、行こっ!」

 

 そう言ってエイナはハムザの手を取った。エロいという言葉が誉め言葉かどうかはさて置き、彼女は悪い気分ではないという表情を作りながら笑顔で歩いていく。

 

 「で、今日はどこへ行くんだ?」

 

 「バベルよ。今日はキミの装備をしっかり整えるまで帰しません。いつまでも新米冒険者用の支給品のままじゃ、さすがに恥ずかしいでしょ?」

 

 エイナに手を引かれながら、ハムザは青空を見上げた。天高く伸びた塔が、晴天に突き刺さっている。彼女の言う通り、英雄たる自分がいつまでも初心者防具を身に着けているのでは恰好がつかない。

 

 「オラリオのどこからでも見つけることが出来るバベルには、ダンジョンの蓋という役割があるだけど…」

 

 彼女が隣でしゃべり始めると、途端に会話から意識が離れていく気がした。赤い屋根の上に鳩が群れをなしてとまっている。飛んだ。群れは一直線に路上へと着地し、パン屑をばらまいている老年のヒューマンのもとへ鳴きながら群がった。

 

 面白い。まるで金に群がる女の様だ。権力と強さ、そして金さえあれば落とせない女はいない。むしろ向こうから可愛い声で鳴きながらやってくるものだ。かくいう男も美女を前にすれば、貢物を持って女王に群がる蟻のようなものなのだが…。

 

 「…つまり、それが本当にわざとだったかどうか、誰にも分らないの。ねぇ、キミはどう思うかな?」

 

 「ん?あぁ、えーっと…。そうだな、俺にもわからん。きっとわざとだったんだろう」

 

 話を全く聞いていなかったので適当に相槌を打ってみたが、どうやら彼女の賛同を得られたようだった。

 

 「私もそう思う。やっぱり、あれはきっと人間が神様の住処に近づく様な真似をしちゃったから、神様たちの天罰いたずらだったと思うんだ。バベルが崩壊しちゃったのは」

 

 迷宮探索アドバイザーであるエイナのオラリオ講義は、何も今に始まった事ではなかった。最初のうちはうんうんと聞いていたのだが、次第にその情報に特に意味はないのだと気づくようになった。

 

 だからハムザは、エイナが講義を始めると決まって全く別の関心ごとに思考が向いてしまうのだった。そんな事も知らず一生懸命に何かを教えようとする彼女の真面目さと、自分の無関心さに気づかない鈍感さが少し可愛らしく思い、ハムザはからかってやろうという気になった。

 

 「ところで、この前も同じことを俺に話してきたの、覚えてるか?」

 

 エイナは少し驚いた顔をして赤くなった。

 

 「うそ?いやだなぁ、私ったらすっかり忘れちゃってたみたい。ごめんねっ!」

 

 「そうだ、うそだぞ。初耳だな、その話は」

 

 間髪入れずに、エイナの拳骨が腹部に飛んできた。

 

 【恩恵】を受けた体では、か弱い乙女の拳など蚊がとまったのも同然なので、痛くも痒くもない。

 

 エイナはむすっとして頬を膨らませている。

 

 「怒った顔も、可愛いなぁ」

 

 「…もう、バカっ!」

 

  

 

 二人はバベル内のテナントで、装備品を物色している。バベルに着くなり、ハムザは【ヘファイストス・ファミリア】の高級店にふらりと入り込んだ。

 

 売り子をしていた女神に対して、彼は値札の桁が間違っていると言った。みすぼらしい甲冑に三千万ヴァリスの値段が付けられていたからだ。

 

 その甲冑をどう見積もっても、せいぜい三万ヴァリスが限界だったのだが。

 

 しかし、その甲冑はアンチ・カース処理が施された紛れもない一級品だった。

 

 店員の女神は「品物に文句を付けるな」、「冷やかしなら帰ってくれ」と憤り、二人の背中を押して店外へ追い払った。それから二人は上の階へ登っていき、0がもう二つほど少ない値札が付けられているテナント内で物色する。

 

 「これなんかどうだ?極東の忍装束だぞ!やはり男なら一度はニンジャになってみたいものだ…。おぉ、これもいいな。サムライ鎧だ。この兜に付いてる(つの)みたいな部分で、きっとモンスターを串刺しにするんだな。牛みたいだ、サムライは」

 

 「格好いいからっていう理由だけで選んじゃダメだよ?キミの戦闘スタイルと照らし合わせて選ばなきゃ。例えば短剣を主な武器として使うなら、軽装がいいとか…」

 

 エイナの発言を受けて、ハムザは考えた。自分の獲物は、祖国から持ち出した長剣一つ。今更他の種類の武器を試すつもりにもならない。しかし防具となると、正直自分にはわからなかった。今まで一度だって考えたことはなかったからだ。

 

 「う~ん。なんでもいい。長剣に合った装備なんていくらでもあるだろ、だからエイナちゃんが選んでくれ」

 

 「え?いいのかな?」

 

 エイナは少し嬉しそうに声を弾ませた。既に目星をつけているらしく、武具防具がそこかしこに点在する雑多な店内を進んでいく。このテナントも、【ヘファイストス・ファミリア】の作品だけを売っている店だった。一級品からは質が落ちるものの、主に上級冒険者が利用する上等なものばかりが置かれている。

 

 金属のにおいがひんやりとした薄暗い室内に充満し、職人と思わしき店員が店の奥から睨みをきかせていたので、ハムザは無意味に睨み返してやった。

 

 「じゃあ、この鎧なんかどう?とても軽くて頑丈で、剣士の動きを最大限まで引き出せるよう設計されているみたい。上質かどうかは置いておいて、一応アダマンタイト製よ?それにサイズもピッタリじゃない。ほら、試して見て」

 

 言われるがままに試着をすると、なるほど自分の体形にぴったり合った。エイナの言う通り重さも感じない。少し古びて、不気味な雰囲気を纏っている点を除けば、理想的な防具だった。

 

 (まさかエイナちゃん、予め下見していたな?あまりにも手際が良すぎる。まぁいいが…)

 

 「…でも、地味じゃないか?全身灰色だし、(つの)もついてないじゃないか」

 

 「もう、ダンジョンで目立ってどうするの。灰色はダンジョンでは迷彩の役割もこなすのよ?制作者はそこまで考えて、あえてこの塗装にしているんだと思うの。正直言って、アダマンタイト製品が六十万ヴァリスなんて、実際あり得ないんだけど。まぁ、とにかくとってもお買い得だと思う」

 

 ハムザは「じゃあ、これでいいや。ダサいけど」と言って会計に向かった。エイナの助言もあって、買い物は思ったよりもすんなり終わった。しかし、無事にとはいかなかった。何故なら去り際に、店員がこう言ったのだ。

 

 「まいどあり。一応言っておくが、裏の札は読んだよな?それはアダマンタイト製品だが、どうも呪われているようでな。持ち主はいつも半月と持たずに死んじまう。決まって鎧だけがここに戻ってくるんだ。誰かの手に運ばれてな。まぁ、たまたまだろうが、とにかく特価の理由はそれだ。もちろん分かった上で買ってるんだよな?」

 

 顔から血の気が失われていくのがわかった。ハムザが返品しようとすると、エイナがそれを制止した。

 

 「大丈夫、大丈夫。ダンジョンに潜っていれば誰だって危険と隣り合わせなの。防具を新調したばっかりの冒険者が、それに過信して命を落とす事なんてしょっちゅうあるんだから。ね、だから大丈夫だと思うよ」

 

 「何を言ってやがる。そんな適当な事言って、いざという時に死ぬのは俺だぞ…」

 

 新しい鎧に身を包んだ彼は、途端に胸が苦しくなったような気がした。呪われた防具だと。もしや脱げないとか?しかし胸当てはあっさり脱げた。小手も外れる。もう一度装備しても、特に変化はなかった。

 

 (まぁ、いっか。装備変えたくらいでビビってちゃ、話にならんよな)

 

 結局彼らはそのまま店を後にした。エイナは少し悪く思ったらしく、装飾品を主に販売している店で黒色の宝石に似た球体が埋め込まれている長剣を買って渡してくれた。ハムザが読んだ限りでは、その長剣の特徴は以下のようだった。

 

 品名 〈メチナキタ〉 ※特製品

 

 ・切れ味抜群!ミノタウロスの角だって柔らかければ斬れちゃいます

 

 ・安心安全の長持ち仕様!使わなければ孫の代まで使える疲れ知らずの業物です

 

 ・ほどよい状態異常耐性!運が良ければ一度だけ呪いまで防げるかもしれない優れもの

 

 (これを渡してくるエイナちゃんの心境がわからんが…。まぁ、頂いたものだ。一応帯剣くらいはしといてやろう…)

 

 「ほら、呪い耐性がついているじゃない」とエイナが言っていたが、ハムザにはどうしてもそれが全く役に立たない気がしていた。

 

 二人がバベルを出た頃、お天道様は下り坂を転がり始めていた。腹時計は昼食の時間を告げ、お腹がぐうぐうと鳴っている。二人は西のメインストリートにある喫茶店で、昼食を取ることにした。そこには細い路地に何十もの喫茶店がひしめいているから、ほどよい店を見つけるのはとても簡単だった。

 

 店内に入ると店員の猫人が外に座るよう勧めてきた。確かに、今日は天気が良くぽかぽかだ。オラリオでは良くあることだが、天気の良い日は朝から住人たちが道路に面したテラスで談笑している。そんな彼らに倣って、二人はテラスの席に着いたわけだ。

 

 暖かい日差しが肌に心地いい。銀色の座椅子は座ると想像以上に柔らかく、ハムザの体が沈んだ。オラリオは今日も、平和なようだった。

 

 「それで、ハムザ君。キミのスキルについての話なんだけど…」

 

 エイナは運ばれてきた珈琲を一口飲んで、話を続ける。

 

 「この前、上司に報告書を提出したの。そうしたら、まだ『経験値付与効果が他人にどの程度作用するのか』っていう点の資料が集まっていない事を突つかれちゃって。かなり苛められちゃったなぁ。でも、キミの成長速度には相当興味があるみたいよ?だから今度ギルドに寄ったら、上司に会ってもらいたいんだ。直接話したいことがあるとか、なんとか」

 

 エイナちゃんの上司が俺に何の用だろう。そもそもギルドが自分に構う理由もよく分からない。しかしまぁ、考えてもみれば街を管理するギルド側につければ、何かと便宜をはかってもらえそうだ。ハムザは珈琲を飲んだ。苦い…。エイナが使わずに残していた砂糖を奪い取り、追加してまた飲んだ。まだ苦い。

 

 「よし、わかった。そのうち向かうと伝えておいてくれ。今まで何度も体を重ねたエイナちゃんからの願いだ、聞かないわけにはいかん、ぐふふふ…」

 

 「それから、その…私とはしばらくおあずけにします。そうでもしないと、キミはいつまで経っても誰もスカウトしないでしょ?たまには相手に餓えて悶々とするのも、必要だと思うよ?」

 

 「なぁっ…!?」

 

 エイナの発言に、ハムザは口を開けて硬直した。セクロスお預けだと?今日を楽しみにしてしばらくオナニーすらしなかったというのに。

 

 「エイナちゃん、それは、あんまりだ…」

 

 それからと言うもの、おあずけけをくらい意気消沈したハムザは、エイナとの楽しめないひと時を夕方まで中心地で食べたり飲んだりしながら過ごしていた。

 

 太陽が黄色から赤色へ変わっていき、街に伸びる影が長くなり始めた頃、二人は帰路についていた。どこからか、鴉が間抜けな声で鳴いているのが聞こえる。往来では、遊びに飽きた子供たちが帰路についていた。

 

 迷宮探索から戻ってきた冒険者たちは表情をさまざまに、喜ぶもの、悲しむものと皆が別々の雰囲気を纏っている。

 

 きっと今日も誰かがレアドロップアイテムを持ち帰り、家族に豪華な夕食を振る舞うのだろう。あるいは誰かが仲間を亡くした事を、帰りを待つ家族に伝えなければならないのだろう。

 

 いつも通りの、オラリオの夕暮れだった。

 

 二人が小路に入り込むと、エイナは見慣れた白髪の少年が男の冒険者と揉めているのを見つけた。

 

 「ちょっと、ベル君じゃない!?何しているの?」

 

 「あっ…!?エイナさん!す、すみません!ちょっとこの人があそこの女の子に怒鳴っていて、それで、その…助けようとしてっ」

 

 少年はどもりながら早口で意味不明な事をまくし立てた。そこには女の子なんていなかったからだ。ベルは「あれっ!?い、いつの間に?」と言って辺りを見渡したが、やはり少女の影はない。

 

 「ちっ…仲間を呼ぶとは、汚ぇなぁ、ガキ?まぁいい。尻尾は掴んだ。あとはどう料理するかだ。おいお前ぇら、邪魔だぞ!道を開けろ」

 

 ヒューマンの冒険者はそう言って立ち去っていく。

 

 「お友達と一緒に仲良くクスリでもやってたのか?お前は」

 

 「げ、幻覚じゃないですよっ!?」

 

 ベルは慌てて訂正する。エイナはそんな二人のやり取りを眺めていた。

 

 一方は世話のし甲斐がある可愛い少年、一方は放っておいても勝手に強くなっていきそうな変態。二人の背丈は倍ほどにもあるように見えた。少年がハムザの威圧感に縮こまっていたからだ。

 

 (ベル君の方が圧倒的に私好みなんだけど…抱かれちゃったのはこっちの方なんだよね…)

 

 この二人は、少なからず面識があった。ハムザが覚えているかどうかは別として、【ロキ・ファミリア】が取り逃したミノタウロスに二人そろって殺されそうになったり、たまたま同じ酒場に居合わせて一方が食い逃げをして、もう一方が酒に酔って喧嘩をしていたりした。会話の流れでベルが忘れた勘定をハムザが立て替えて以来、妙な師弟関係のようなものが出来上がっていた。

 

 「その、ハムザさん達は何をされていたんですか…?」

 

 「ばか、男と女が二人で道を歩いていればやることは一つだ、童貞。つまり、セ…」

 

 エイナはハムザの腕をつねり、無理矢理言葉を途切れさせた。いかに恩恵を受けた冒険者だろうと、つねれば痛い。か弱き乙女の拳骨ではダメージを与えられなくとも、つねれば多少は効果があるというのが、今日一日でエイナが新しく学んだことだった。

 

 それに、万が一にも自分が他の男と肉体関係を持っているなんてベルに知られるわけにはいかない。彼がまだ少年だと言う事ももちろん理由の一つだし、自分が少なからず彼に好意を抱いているかもしれないという自覚があったからだ。それを恋愛感情と呼ぶことはできないが、少なくともベルはエイナのタイプだったのだ。

 

 「…こほん。今日はバベルでセールがあったのよ、ベル君。それでお金だけはある癖に使い道を知らないこの人に、新しい鎧を見繕ってあげたの。今着てるのがそうよ」

 

 「そ、そうだったんですか。僕、知りませんでした。格好良い鎧ですねっ、ハムザさん!僕も早くコボルトを倒せるようになったらなぁ。この前なんか、危うく二匹に囲まれて死にかけたんですよ。ははは…」

 

 (うわぁ。こいつ、よわ…)

 

 同時期に冒険者稼業を始めたにも関らず進歩のないベルを、ハムザはかわいそうな目つきで眺めていた。残念だが、どうすることもできない。もしも才能がないというある種の能力のようなものを授かってしまったら、このオラリオでは人権がない。あるのは奴隷のようにこき使われ、荷物持ちに成り下がり、やがては朽ち果てていく未来のみだった。

 

 「なんというか、まぁ…。頑張れよ…」

 

 気のない声を掛けるしかなかった。

 

 そんなハムザの背中を、曲がり角の影から小さな目が見つめていた。

 

 「……」

 

 その視線はゆっくりと一行の装備を吟味し、エイナがハムザに贈った長剣に埋め込まれた宝石で止まった。

 

 (耐呪詛の黒水晶…?加工者の腕にもよりますが、普通は数十万ヴァリスはくだらない…)

 

 「…?」

 

 その影は口元を緩め、すっと影に溶けるように消えていった。三人の中で、その視線に気づいたのはベルただ一人だった。

 

 

 

 

 翌朝、ハムザは主神にステイタス更新を依頼していた。面倒くさがりの主神は何かと理由を付けて逃げようとしていたが、何とか説得し久しぶりに迷宮探索へと向かっていく。

 

 ステイタスの写しを片手に、大通りを歩いていく。

 

 【ハムザ・スムルト】

 所属:【テルクシノエ・ファミリア】

 種族:ヒューマン

 職業:冒険者

 到達階層:10階層

 Lv.1

 力:C 613 耐久:C 600  器用: E 470 敏捷: E 449 魔力:I 0

<魔法> 【】

<スキル> 【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 

 【装備】

 《古びた長剣》

 ・際立った特徴のないどこにでもある長剣。祖国を出る時に持ち出したもの。

 ・使い古されて年季が入っていること以外は、目立つ点がないごく普通の装備。

 

 《メチナキタ》

 ・エイナからの贈り物。長剣としての性能は下の下だが、妙に装飾に拘った一品。

 ・僅かだが状態異常耐性と耐呪詛効果がある。

 

 《呪われた(?)鎧》

 ・作者不明。店主曰くこの鎧を装備した冒険者は半月と持たずに死んでしまっているらしい。

 ・アダマンタイト製。防御力が非常に高いため、下層程度のモンスターでは傷一つ付けられない。

 

 

 

 噴水のある中央広場に着いた時には、既にこれから迷宮探索に出かける冒険者たちで広場が賑わっていた。

 

 「お兄さん、お兄さん」

 

 突然声を掛けられる。女性の声。これは僥倖だ。きっと良い一日になるに違いない。

 

 振り向くと、クリーム色のローブを着た身長100㎝ほどの少女が自分を見上げている。

 

 「初めまして、お兄さん。突然ですが、サポーターを探していませんか?」

 

 「探してはいるが、まさかお前がそうっていう事はないよな?どこで美人サポーターのねーちゃんが待機しているんだ?」

 

 「私がそうですよ、お兄さん」

 

 「えっ…」ハムザはわざと驚いたふりをして言った。

 

 「ちんちくりんのお前が美人サポーターのねーちゃん?」

 

 少女は頬をふくらませて、ぷいっとそっぽを向く。子供扱いされるのはお嫌いらしい。

 

 「リリはちんちくりんではありません。小人族(パルゥム)がみんな小さいからって子供扱いしたら駄目ですよ?リリは立派な女性です」

 

 そう言って少女は胸を張る。なるほど、確かに子供とは言えないかもしれない。背丈に似合わず出ているところは出ているようだ。しかし、背が低いということに変わりはない。

 

 「…それで、俺に雇ってくれっていう事か?別に構わないが、仕事は出来るんだな、ちんちくりんの小人族(パルゥム)ちゃん?」

 

 依然として頬を少し膨らませながらも、彼女は答えた。

 

 「もちろんです。お兄さんはソロの冒険者様ですね?お兄さんの到達階層がどれほどかにもよりますが、基本的に下層であればどこへ連れて行ってもちゃんと仕事をこなしますよ。リリはこう見えても戦闘の補助も出来ますし、各階層の道案内もバッチリです!」

 

 ハムザは頭を横に振った。そう言うことじゃない、と言いた気に。

 

 「そうじゃない、そうじゃない。サポーターの仕事と言えば一つしかないだろう、戦闘で疲れた冒険者の股間を癒し、ダンジョンでいつでもストレス発散できるように性欲解消のお助けをする。つまるところ、セクロスだな」

 

 「は、はぁ…?」

 

 リリは訳が分からないといった表情でハムザを見上げている。目の前に立つ褐色のヒューマンはエロい表情で鼻の下を伸ばしている。もしや、この男は…。リリは直感した。

 

 「…変態さん、ですか?」

 

 ばさばさと音を立てて、鳩の群れがどこかへ飛び去って行った。

 

 

 

 

 『ガキンッ!』

 

 鉄と鉄がぶつかった様な音が響いた。昆虫型のモンスターの切断された頭部が地面に転がった。ダンジョン内部、天井から青い光を放つ魔石水晶が辺りを薄暗く照らしている。

 

 7階層の正規ルートから離れた道で、ハムザは群がってくるキラーアントと戯れていた。

 

 真っ赤な外殻は見た目以上に硬く、鋭い下顎は下級冒険者の装備など一撃で貫く程の破壊力を持っているモンスターだが、ハムザにとっては既に戦い慣れた相手だった。

 

 「はぁ…。『新米殺し』とは聞くが、こんな奴にやられてる雑魚は全く救いようがないよな」

 

 長剣を鞘にしまい、つまらなそうにため息を吐く。7階層のモンスターたちは貧弱で、歯ごたえがない。防具を新調したことで受けるダメージも皆無、全くもってつまらないこの日の迷宮探索だった。

 

 ダンジョンに入る前は、この呪われているかも知れない防具を纏う事に少しだけ気後れしていたが、いざ戦闘を始めると妙にしっくりくる気がしたので、ハムザは不安に思うことをすぐに止めた。

 

 (はぁ、つまらん。この防具、強度がありすぎるせいか全くダメージを受ける気がしない。緊張感、皆無だなぁ…)

 

 まるで自分よりも遥かに格下を相手にしているような感覚に退屈しているハムザとは異なり、リリは嬉しそうな顔をしてついてくる。

 

 「ハムザさまは、冒険者歴はどれ位なんですか?」

 

 魔石を素早く回収しつつ、後ろから声を掛けてくる。リリのバックパックは既に魔石でいっぱいだった。7階層で戦闘を開始してから既に数時間だが、あり得ない程の魔石が既に集まっていた。

 

 「うーむ、二、三週間くらいだったか…。あまり細かくは覚えていない」

 

 「嘘は良くないですよ、ハムザさま?二、三週間でそんなにお強くなられたら、他の冒険者の立つ瀬がないではありませんか」

 

 ハムザは「まぁ、どうでもいいわ…」と言って再び剣を抜く。気づけばキラーアントの群れが通路の奥から押し寄せていた。

 

 数十匹はいる群れをものの数分で片づけて、ハムザは吊るされていた死にかけのキラーアントを長剣で刺し殺した。

 

 「飽きた。少し休憩にしよう」

 

 キラーアントは瀕死の際に特殊なフェロモンをまき散らして仲間を呼び集める。その習性を利用して、死にかけの一匹を縄で吊るし、他の蟻たちを釣っていた。

 

 二人は袋小路に陣取り、狭い通路を利用して常に囲まれないよう立ち回ることで危険を回避しつつ、最大限の効率で魔石回収を行う作戦を実行していたのだった。

 

 「それにしても、こんな滅茶苦茶な作戦をよく考えましたね。ハムザさまは悪知恵の働くお強い冒険者さまですっ!」

 

 「行き当たりばったりでの戦闘なんて馬鹿げてる。壁や天井から産まれてくる所さえケアしとけば、安全に効率よく狩りが出来るだろう。こんな事、思いつかない方がどうかしてると思うぞ、俺は」

 

 ハムザの言う通り、危険なダンジョンでは常に効率よく安全に立ち回る必要がある。しかし、今回のような作戦はそれを実行する力が無ければ即、お陀仏だ。いかな腕っぷしに自信のある者であれど、大量のモンスターを相手にすればその分危険も増える。

 

 ダンジョンでは何が起こるか分からない。

 

 そのため、そういった異常事態を素早く察知し、状況を判断して撤退するか戦闘を継続するかは、リリに任されていた。今の所問題なく狩りは進み、かなりの魔石が集まっている。リリのバックパックは、まだ容量に余裕があるもののかなり膨れ上がってきているようだ。

 

 「ふふふ。おっと、いけません。リリは笑いが堪えられません。これだけの魔石、換金したらきっと六万ヴァリスはくだらないでしょう。こんな額、今時下級冒険者が徒党を組んでも絶対稼げませんよ。本当に、ハムザさまはお強いです。リリは心から尊敬します」

 

 「ところで…先ほどからため息ばかり吐いている理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 「あぁ。最近全くセクロスしてないからな。溜まって溜まって、仕方がない。そうだ、ここは一発オナニーでもしとくか?」

 

 ハムザの発言を慌てて否定する。

 

 「いけませんっ!?ハムザさま、ダンジョンで自慰行為など自殺行為にもほどがありますっ!それにリリは絶対にそんな光景を見たくありません!」

 

 二人が契約を結ぶに至った理由は至極簡単で、リリがハムザの変態的要求を飲んだから…ではなかった。

 

 迷宮探索後、女郎屋に勤めているリリの友人を紹介するという提案を、ハムザが受け入れたからだった。

 

 「しかし、本当にその子は素人同然なんだな?俺は風俗店でプロにさくっと抜かれるのは嫌いなんだ。征服感がないと、セクロスしてもつまらんからな。美女を自分の力で口説き落としてハメるか、素人を自分好みに調教するのが好きなんだ。だから間違っても俺をプロばかりの店に連れて行くなよ」

 

 「わかっていますっ。ただし、その子は人気嬢なので…高いですよ?まぁ、五万ヴァリスもあれば足りると思うのですが」

 

 ハムザはあくびをしながら、地面に転がっていた石ころを天井の水晶めがけて投げてみた。ぱりん、と音を立てて水晶は割れた。砕けた水晶が、青白い光を纏いながらまるで雪の様にぱらぱらと落ちてきた。

 

 「ほれ、見ろ。青い雪だ」

 

 「もう、子供っぽい事はやめてください。緊張感が足りませんよ?」 

 

 リリは「それはそうと…」と前置きを入れてから、少し聞きづらそうにしながら質問をする。

 

 「ハムザ様は小人族はもちろん、犬人や猫人に対して、その、執着がありますか?」

 

 「ロリコンかケモナーかどうかってことか?まぁ、どっちでもないな。ただ、次にセクロスするなら小人族(パルゥム)猫人(キャット・ピープル)だな。犬人はこの前たっぷり生ハメしてきたからな」

 

 「よかったです」

 

 リリはそう言って安堵の表情を作る。

 

 「その女の子、つまり私の友達は、猫人(キャット・ピープル)ですから」

 

 「そいつはよかった」

 

 ハムザはそう言ってもう一度石ころを水晶目掛けて投げつけた。今度は外れて天井にぶつかった。するとその場所から、びきりと亀裂が走り次々とニードルラビットが産まれ落ちてくる。

 

 長剣を装備し、落下するモンスターを地面に落とさず空中で真っ二つにする。

 

 『ザシュっ』と音を立て、落ちてきたニードルラビットは血しぶきをまき散らした。

 

 「そういえば、リリはどこのファミリアに所属してるんだ?」

 

 角を突き立てて突進するニードルラビットを長剣を振りかぶり、切断する。奇妙な悲鳴を上げ、兎は息絶えた。

 

 「ちょ、戦闘に集中して下さい!こっちまで飛んできたらリリは死んでしまいます!?」

 

 野球の打者さながら、次々に飛んでくる兎を長剣で切断し、はじき返していく。見る見るうちに数が減り、残ったニードルラビットは尻尾を巻いて逃げ出した。

 

 リリは汗を垂らしながら、「ふぅ…」と息を吐く。

 

 「もう、本当にお願いしますよ、ハムザ様。いくらお強いからって油断は禁物です。えっと…先ほどの質問に戻りますが、リリは【ソーマ・ファミリア】に所属しています」

 

 「【ソーマ・ファミリア】?聞いたことないな」

 

 魔石を回収しながら、リリは灰にならずに残ったニードルラビットの角を見つけた。ドロップアイテムまで、今日は豊作だ。

 

 「【ソーマ・ファミリア】は主にお酒の作成と販売をしています。リリは生まれた時からそのファミリアに所属していますけど、ソーマ様の作るお酒は尋常じゃないほど美味で、販売されている失敗作ですら数万ヴァリスの値が付けられているんですよ?」

 

 「店があるんだな?」

 

 ハムザがそう聞くと、はいとリリは頷いた。

 

 「ハムザさまは【テルクシノエ・ファミリア】の団長さんでしたね?」

 

 「ん?まぁそうだ。しかしまぁ、ご愁傷様だな。酒好きの神に集まる眷属なんて、どうせ碌なやつがいないだろう。お前も大変だな、酔っ払いにさんざん絡まれて困っているんだろう?」

 

 「そ、そんなことはありません。確かに、うちのファミリアには集金制度があったり、少々厳しいルールもあることにはありますが…。あ、ハムザ様。あそこの壁に埋まってるキラーアントの魔石を回収して頂けませんか?リリの身長では手が届かないのです」

 

 急に話題を変えられ少々訝りながらも、ハムザはリリに背を向け魔石を回収しようとした。

 

 (ん…?)

 

 その瞬間、ハムザは違和感を覚えた。先ほどのリリの回答、声色が異なっていた。急に話題を変えてくるのも、妙に不自然だ。ハムザは魔石を回収する振りをして、長剣を目線の高さまで持ち上げて純白の刃を鏡の様に使い後ろのリリを見た。

 

 そこには、鋭い視線でハムザの背中を見つめるリリが立っている。先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、その様子はまさしく危険な油断ならない盗人のそれだ。様子を見ながらも緊張して近づいてくる。リリの手がするするとハムザの腰まで近づいてくる…。

 

 (なるほど、なるほど…)

 

 「やーめた」

 

 ハムザは急に振り返ると、リリはびくっとして手を引っ込めたところだった。

 

 「そ、その…どうされたんですか?」

 

 「剣が重いから、腕が疲れてな。なぁに、あと小一時間狩りを続けて大体十万ヴァリス程集めたら、さっさと帰るぞ」

 

 リリは少し項垂れて「はい…」と返事をする。その表情には、確かに悔しさがにじんでいた。

 

 (まさか…悟られましたか?…まぁ、いいでしょう。この変態からは別の方法で巻き上げることも出来ます…)

 

 それから二人は、何事もなかったかのように狩りを始めた。

 

 

 

 

 「おいっ!てめぇ、あと一万ヴァリス上乗せしろ!てめぇの給料から天引きだ、ばかやろう!」

 

 夕刻になってダンジョンから帰還し、二人はギルドの換金所で今日回収した魔石とドロップアイテムを換金していたところだった。

 

 提示された金額は、九万ヴァリス。十万を目指していたハムザは憤り、鑑定士の目が節穴だ、引退を勧告するなどと言って騒ぎ始めた。

 

 「おい、いったい何事だ!?」

 

 その騒ぎの中に、ぶくっと太った中年のエルフが割り込んでくる。

 

 「あぁ、ノイマンさん。ちょうどよかったのう…。このゴロツキが鑑定額に一万ヴァリスを上乗せしろと言ってきかん。警備員を呼んでくれませんかの?」

 

 ノイマンと言われた男はハムザを見やり、顎をさすりながらこう言った。

 

 「おや、貴方もしや、ハムザ・スムルトさんですかな?」

 

 ハムザが「そうだ」と返事をすると、ノイマンは愉快そうに二重あごをゆらして笑った。

  

 「よろしい、よろしい。冒険者は血気盛んであるべきですなぁ。うむ、彼の言う事も一理ある。お前、もう一度鑑定をやり直せ。この御仁の要求額は十万ヴァリスだ、よく覚えておけ、十万ヴァリスだぞ」

 

 鑑定士はしぶしぶ再計算を始め、程なくして「私が間違っていたようですな、見積もりは、ぴったり十万ヴァリス」と言ってハムザに頭を下げた。

 

 「そうだろうと思っていたぞ、ハゲ。これから俺の持ってくる魔石は全て三割増しで計算しろ。差額はお前の給料から天引きだ」

 

 鑑定士は肩をすくめ、迷惑そうに顔をゆがめて席を立った。そんな一連の様子を、リリは少し離れたところにあるソファーに座りながら白い目で眺めていた。

 

 (ほんと、冒険者ってサイテーです…)

 

 「さて、さて…」

 

 ノイマンは手を揉みながらハムザの正面に立つ。その顔に敵対的な様子はなく、むしろ友好的だった。

 

 「少しお話のお時間を頂けますかな?チュールから貴方の事は仔細伺っておりまして、是非とも一度お話してみたいと思っていたのです」

 

 (そういえば、エイナちゃんが上司と会って話してくれと言っていたな。それはこいつのことか…)

 

 「おう、エイナちゃんを呼んでくれればな。俺は男と個室で二人きりになるような趣味は持っていない」

 

 ノイマンは「了解しました、今呼んできますので暫くお待ちください」と言って離れた。その間にハムザはリリのもとへ行き、金貨の詰まった袋を渡した。

 

 「ほれ、報酬の五万ヴァリスだ。さっさとしまえよ、こんな所で金を見せびらかしていたらろくなことにならんからな」

 

 「…五万…?」

 

 リリは不思議そうにハムザを眺める。今日の稼ぎは九割がハムザの仕事だ。自分は貰えて一割だろうと踏んでいたところに、五割の金額を渡されたので彼女は戸惑っていた。

 

 「…ええと、ハムザ様。サポーターと冒険者は位が違いますので、五割は少々やりすぎかと思うのですが…」

 

 つまらん女はいつもこうだ、とハムザは思った。こちらがあげると言っても、何かと理由を付けて受け取ろうとしないのだ。乱暴に金貨袋をリリに手渡し、ハムザは告げた。

 

 「いいか、俺は金に困っていないんだ。その気になればいくらでも稼げる。だから普通の冒険者の尺度で俺を測るな。わかったな?」

 

 「普通の冒険者の尺度…?」

 

 リリは金貨袋を手に明らかに戸惑って見えた。この少女がどれだけ嘘がうまかったとしても、この戸惑いは本物だろうとハムザは思った。つまるところ、リリは貧乏で金に弱い。ナァーザのようにたっぷり金を与えておけば、いずれヤれるだろう。

 

 「そうだ、俺はリリにサポーターとしての仕事だけを求めるわけじゃない。もし今後もパーティを組むようなことがあれば、その時は俺の性欲を解消する役も担え。別に自分でしなくても良いぞ、今日みたいに知り合いを紹介してヤらせるっていうのでも構わない。この金はその仕事に対する報酬も兼ねている」

 

 じゃら、とリリは金貨袋をならす。

 

 「…わかりました。では、ありがたく頂いておきます。それから、友達には夜に『司祭ヴァレンティン像』の広場で待ってもらいます。今から時計の短針が三回ほど回った時刻に、そこに来てくださいね」

 

 「司祭ヴァレンティン…。あのおっぱい像か、よし、わかった」

 

 するとノイマンがエイナを連れ立って戻ってきた。リリはハムザに会釈をして、ギルドを去っていった。

 

 

 

 「それでは、それでは…」

 

 三人は来客用の個室でも最も豪華な部屋で、会談を始めた。

 

 「チュールから伺っておりますことが正しければ、ハムザさんには特殊なスキルがあるとか。そしてたった三週間で既に10階層まで進出している、間違いありませんかな?」

 

 「おう、その通りだ。証拠が欲しければ神様に頼んで背中を見せてやる」

 

 「結構、結構…」とノイマンは満足げに頷いて、話を進める。エイナは無言で成り行きを見守っていた。

 

 「ギルドは冒険者を支援するものです。ですから当然成長著しい優秀な冒険者の方にはその秘訣を伺い、『成長モデルケース』を作成しています。その情報が他の冒険者の迷宮攻略の助けになるのは、疑いない事実なんですなぁ…」

 

 ハムザは出来るだけノイマンの顔をみないように努めた。豚顔の中年エルフを見たところで、何の得もない。ギルドの制服を綺麗に着こなすエイナに視線を浴びせる。彼女はその舐めまわすようなエロい視線に気づいたのか、少し赤くなって俯いた。

 

 「…まぁここだけの話、冒険者の成長を慈善的に支援…そんなものは建前でして。正直に言いますと、好戦的な他国や、ダンジョンから地上へ這いあがってくるモンスターから街を守るため、ギルドは積極的に強い冒険者を育てたいのです。それだけではありません。オラリオ内部にも悪しき組織はごまんとあります。しかしどこの派閥もギルドには基本的に非協力的でして、神様たちも積極的にギルドを助けようとは思っておりません」

 

 ノイマンは「唯一【ガネーシャ・ファミリア】だけが例外ですが」と付け加えた。

 

 「そこで…成長著しいハムザさんの所属する【テルクシノエ・ファミリア】には、第二の【ガネーシャ・ファミリア】のようになってもらいたいのです。つまり…より攻撃的で、オラリオに巣くう悪の深部へメスを入れられるような…そういう存在がいてくれたら、ギルドはどれだけ助かるでしょう。事実として、法的に手がだせず、静観せざるを得ない悪どい組織が我が物顔でのさばっているのです」

 

 「それならなぜ自分たちの兵士を使わない?」ハムザは率直に尋ねた。ノイマンはうんうんとわざとらしく頷いた。

 

 「仰る通りですが…。ギルドは中立的立場として、攻撃的戦力の保持が禁止されています。えぇ、えぇ…。悪しき習慣ですとも。しかし、あくまでも非公式的な関係を他派閥と結んだとしたら、どうなりますかな?【テルクシノエ・ファミリア】がギルドと結束が強いという事を公表せず、様々な悪に対して秘密裡に裁きを下せるとしたら—。

 

 「言いたいことはわかった」

 

 ノイマンの言葉を途中で切り、ハムザは来客用の菓子を一つを口に入れた。

 

 「つまりこういうことだ、お前が私的に解決したい問題を俺が何とかする。そうすればお前はうちに何かと便宜を図る。そして、最終的に()()()私腹を肥やせるってわけだ。なんたって非公式的な関係だから、相手の資産をギルドが押収する事はできないからなぁ」

 

 「いやいや…参りましたな。確かにそう受け取ることもできますな、まことに不本意ではありますが。しかし、賢い冒険者様は良いですな、物分かりがとてもよろしいようで…」

 

 (こんな豚男の小間使いをやるのは癪だが…まぁ、せいぜい利用させてもらう分には我慢してやろう)

 

 「よし、わかった。その代りこちらの要求にも十分に応えてもらうぞ。最終的な決定はうちの神様の権利だから、詳細は後日改めさせてもらおう」

 

 そういってハムザは会見を打ち切り、三人は部屋を後にした。ノイマンは満足気に太ったからだを揺らし、エイナは少し気まずそうに俯いていた。

 

 「…チュール。この事は他言無用だぞ。もし一句でも漏らして見ろ、お前のここでの仕事はなくなると思え」

 

 上司からの高圧的な言葉に、エイナは黙って頷くしかなかった。

 

 

 

 

 闇の帳がすっかりと街を覆いつくし、いつもの愉快なオラリオの夜が今日もやってきた。ハムザは約束の『司祭ヴァレンティン像』の広場にたったいま到着し、娼婦をしているというリリの友人を探す。

 

 「…ハムザさま、ですかニャ?」

 

 「げっ…」

 

 思わず小さな悲鳴にも似た声が漏れた。

 

 その小さな猫人(キャット・ピープル)はハムザを見るなり近づいてくる。背丈は低く、どこからどうみても、まだ幼い子供だった。

 

 「では、今夜はたっぷりサービスしますニャ。金額は、リリちゃんから聞いていますかニャ?きっかり五万ヴァリス、前金をいまここで、ニャ。それと宿代はお客様負担でお願いしますニャ」

 

 ヤるか、ヤらないか。それが問題だった。

 

 どこからどう見ても子供である目の前の幼い少女を相手に、劣情を抱く変態ロリコンに成り下がるか。それとも今のまま健全な紳士として、合法的な年齢の女性だけを相手にエロい事を楽しむか。

 

 しかし顔立ちの良い少女に、ハムザの股間は反応していた。相手は子供だが、一つの穴だと思えば問題はないかも知れない。 

 

 (くそっ…セクロスしない日々なんてもうこりごりだ!こうなりゃヤケだ。くそ、ロリコンにでもなんでもなってやる!)

 

 ハムザは背負っていった小型のバックパックから金貨の詰まった袋を取り出し、渡した。彼が小児性愛(ペドフィリア)の神に魂を売った瞬間だった。

 

 「ひぃふぅみぃ…。確かに五万ヴァリス、ニャ!じゃあハムザさま、近くの宿屋までご案内しますニャ」

 

 猫人(キャット・ピープル)の少女はてくてくと先を歩いていく。ハムザは後悔と罪悪感に苛まれながらも、結局は性欲に打ち勝つことができずにとぼとぼとついていった。

 

 小路を幾つも曲がっていくと、どこかの城下町の様な区域に入った。

 

 白と黒を基調にした、三角屋根の小窓の多い四階建て以上の邸宅が居並ぶ。外壁はゼブラ模様に塗装され、吊るされた魔石灯や窓枠一つをとってもセンスが良い。

 

 そういった小洒落た民家の軒並みが、様々な面白い形を形成しながら狭い石畳の小道に文字通り隙間なく連なっている。ここがそういう場所だと知らなければ、誰もが小金持ちの住居群だと信じて疑わないだろう。

 

 狭い小路の先にふと、大聖堂が現れた。神様が降臨してから、もう何百年も放置されているのだろうか。窓硝子は砕け散り、入り口の大扉は腐って閉まらない。彫り込まれた彫像や装飾は崩れ落ち、まさしく廃墟と化している。

 

 その脇道を拔け、さらに小路の奥へと進んでいくと、家や道の外壁に沢山の修道士や預言者の姿が刻まれている事に気づく。

 

 その表情があまりにも憂鬱そうだったので、ハムザはきっと善行の象徴たる教会の真横で、連日の様に行われてきた紳士たちによる不貞行為が、何百年もかけて彼ら石像の表情を少しづつ歪めていったのだろうと思った。

 

 少女は連なる住居のうち一つにするりと入っていたので、ハムザはその後を追った。

 

 「ここは紳士の方々ご用達の、少し特殊な宿ですニャ。ハムザ様のような素敵な趣味を持った人たちが、毎晩身分を隠しながらお楽しみ、ですニャ」

 

 「お、おう…それはなにより、だ」

 

 自分が既にロリコン紳士の仲間入りになってしまった事を未だに引き摺りながらも、案内された部屋に入り二人きりになった途端、ハムザは期待してしまっていた。

 

 (ま、まぁ、細かい事は気にするな、だ。とにかく目の前の出来事を楽しむ、それだけだ)

 

 「じゃあ、服を脱ぐ前にこれを飲んで下さい、ニャ」

 

 そう言って少女はお茶を勧めてくる。ハムザはそれを断った。呑気にお茶をしているような場合ではない。緊張して、汗が流れる。とてもじゃないが、くつろげるような状況ではない。正直言って、うまく勃起が続くのかどうかも未知数な状況だったからだ。

 

 (ええい、ままよっ!)

 

 ハムザは少女を椅子に押し倒した。思いの他、少女の反応は初心だった。

 

 淡い灰色の髪の毛が、蝋燭に照らされて輝いている。滑らかな白い肌は若さゆえかとても瑞々しく、薔薇色に染まっている。猫の尻尾をゆらゆらと振って、耳がぴょこぴょこと動いている。紛れもない美少女。それも透明感のある美少女だ。

 

 「お前よく見ると、それなりにエロい体をしているな…」

 

 白いローブをだぼだぼにして着ていた時には想像も付かなかったが、胸は大きく臀部もしっかりと肉が付いている。茶色の瞳が訴えかけるように、潤んでいた。

 

 「くそっ…これがロリの魔力か!?」

 

 「あの、お、お茶…」

 

 少女の哀願を無視して、興奮したハムザは唇を貪ろうとする。途端に少女はハムザに張り手を食らわせて、彼は机にぶつかった。その拍子に、カップがひっくり返りお茶が零れた。

 

 「!!?!?」

 

 「あ、あぁ…お茶が…」

 

 不意打ちの張り手を喰らったハムザは訳がわからずしりもちをついたまま呆けていた。

 

 猫人の少女は罰が悪そうに謝罪する。

 

 「あ…あの…ごめんなさいニャ。わ…ミャーは順序を大切にするんですニャ。ええっと…お茶が零れてしまったですニャ...どうしよう」

 

 「な、なんだ?どうなってんだ!?お前のサービスは。お茶はいらん、くそ、とにかく一発出さんと死んでしまう。さっさと股を開いてご奉仕するんだ、それ、それ!」

 

 そう言ってハムザはズボンを下ろした。不本意ながら、既にフル勃起だった。

 

 「…~~~っ!!」

 

 少女は顔を赤らめて、諦観の念を込めておずおずと口を開いた。

 

 「じゃ、じゃあ…。まずは手で、ええっと…どうすればいいのかニャ…」

 

 「む…もしかして、こういうの初めてか?」

 

 ハムザは挙動不審の少女に問う。彼女はこくりと頷いた。

 

 なるほど、リリから知り合いは女郎屋の人気嬢と聞いてはいたが、何の間違いか別の素人ちゃんを寄こしたのかもしれない。あるいは、こういう初心な感じが売りなのかもしれない。とにかくこれはこれで、悪くなかった。

 

 「よし、いいか、ここをこう持って、こうしごくんだ。ゆっくりな」

 

 ハムザに命令され、少女はおずおずとペニスに触れた。手が震えている。恐怖と好奇が入り混じった表情をしている。目鼻立ちの整った小顔は、見れば見るほど美しかった。

 

 恐る恐るペニスを握り愛撫を続ける少女の手つきは、次第に慣れた動きになってきた。

 

 「ぐひひ…悪くない。いいぞ、ほれ、しゃぶってみろ」

 

 ぺたりとへたりこむ少女の顔に、いきり立ったペニスを突き付ける。

 

 「あ、あの…ミャーはあんまりこういうことはしたくない、ですニャ…未成年にへ、変態行為は良くないですニャ」

 

 「今更なにを言っている。もう遅いんだ、俺はロリコン信者の仲間入りだ。こうなったらとことん突き進んでやる。ほれ、さっさとしゃぶらんか。ロリと果てる地獄の旅だ」

 

 嫌がる素振りを見せる少女の唇に鬼頭をあてがうと、彼女は自ら口を開いてペニスをくわえこんだ。

 

 (な、なるほど…いやがる素振りも演技ってわけか。くそ、ここまできたらもう帰ることはできん…!)

 

 少女の動きは緩慢で、とても絶頂が近いとは言えない。しかし妙な背徳感からか、ペニスは異常なまでに膨張していた。ハムザが腰を前後すると、ぎこちない動きで少女は反応する。

 

 「くそ、いかん。全然だめだ、やっぱり突っ込まんとイケないか…」

 

 そう言ってハムザは強引に少女をベッドに寝かし、服すら脱がさず股を開かせて無理矢理突っ込んだ。

 

 「い、痛っ!ぬ、抜いてください…っ!」

 

 容赦なく少女に腰を打ちつける。室内にはいつのまにか淫靡な匂いが充満していた。ハムザに余裕はなかった。長い間射精をしていない股間は張り裂けんばかりに膨張し、快感を求めてひたすらに少女の膣内を貪る。

 

 激しい動きを、もはや止める事はできなかった。股を開いて仰向けになっている少女を見下ろすと、涙を流しながら「いやぁ…」と呟いている。すらりと立った鼻筋に、ぱちりとした大きな茶色い目が、流れるような灰色の髪の毛の隙間から覗いている。

 

 間断なく繰り返される挿入の動きに、桃色の薄い唇は次第に嬌声を漏らし始めている。

 

 「うぅんっ…」

 

 小さく漏らす少女の喘ぎ声。

 

 (あ、いかん)

 

 パンパンと腰を打ちつけ合う音が響く。綺麗な小さな顔は熱を帯び、今や完全に雌の表情を作っていた。

 

 (いかん…この子、かわいい…)

 

 途端にこみあげてくる射精感。雄が雌に種付けをするように猛然と腰を振り続ける。例え相手が非合法の幼い少女であろうと、やってしまえば出るものは出るらしい。

 

 「あっ…いく…」

 

 射精の直前、寸でのところでハムザはペニスを抜いた。さすがに中出しはまずいと直感したからだった。

 

 いきり立った股間は久しぶりの精子を、幼い少女の顔に大量にぶちまけた。

 

 どくんどくんと射精は止まらず、気づけば少女の顔は白濁の精液をたっぷりと浴びて汚れている。遠のいていく射精感を噛みしめながら、妙な達成感と背徳感が混ざる余韻に浸っている。

 

 (あぁ…ついにやってしまったよ、神様…。これでおれはロリコンの仲間入りだ…)

 

 少女の顔に容赦なくぶっかけたハムザは、急いでズボンを履きなおし、「また明日、うちの歓楽街にあるうちの本拠地(ホーム)で」と言い残し、逃げるように部屋を去った。

 

 取り残された少女は無言のまま俯いて、滴る精液を拭うことも忘れ呆然自失していたのだった。

 

 「あぁ…」

 

 彼女がぽつと呟く。

 

 「痺れ薬入りのお茶でさっさとやり過ごすはずが…まさか初めてまで奪われてしまうとは…」

 

 涙で潤む視界がぼやけていることに気づき、彼女はそれを拭った。しかし袖には大量の精液が付着して、なんとも言えない雄の臭いが広がる。

 

 (…自業自得、ですか)

 

 猫人の少女はゆらりと立ち上がり、汚れを落とすためにシャワールームへ向かった。

 

 『響く十二時のお告げ』

 

 元気のない詠唱が、シャワールームで鳴り響いた。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 ―遊戯のはじまり—

「よーう、眷属様のお帰りだぞ~」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地(ホーム)で、主神はお腹をぐうぐう言わせながら眷属の帰りを待っていたので、ハムザは早速食事の準備に取り掛かった。

 

 粗挽き肉に多種類のスパイスを練りこみ、炭火で焼き上げるというシンプルな料理。何の変哲もない肉料理だが、付け合わせに刻んだ生の玉葱を添える事で味が締まる。それが長い放浪生活で培った、味気ない食卓に僅かな色どりを加える自分流のひと手間だった。

 

 煙がもくもくと歓楽街の路地裏に立ち込める。普段よりも時間が遅いせいか、いつもなら光に群がる蛾の如く集まる隣人たちは、その煙に釣られては来なかった。

 

 ぱちぱちとオレンジ色の炎を弾きながら、重ねた炭が崩れ落ちていく。そんな様子を目に焼き付けながら、ハムザは今夜の出来事を主神に語っていた。

 

 「…それで、俺はロリコンの神に魂を売ったわけだ。きっと死んだら地獄の業火に焼かれるに違いない。俺はもう、至福の楽園には行けないのだ…。目の前のたった一人の少女に気を取られてしまったことで、楽園にいる無限の天女(フーリー)たちとの極上セクロスを楽しむ権利を、自ら放棄してしまったわけだ…」

 

 落ち込むハムザを、主神はもぐもぐと口を動かしながら励ました。

 

 「安心しろ。お前の魂が天界に還ったら、きっと私が裁いてやる。それにお前らの宗教観などデタラメじゃ。天女なんていないし、セックスもできんからな。天界に人が求める快楽などない。こっちでせいぜい楽しんでおくことじゃ」

 

 「…そんなことは分かっている。天界とやらでセクロスが出来るとは思っていない。だからこっちで死ぬほどやってるんだ。まぁ、もし仮に魂にチンコが付いているなら話は別だがな」

 

 神様が神様らしい話をしてくれたことで、ハムザは少し気が楽になった。

 

 どうやらロリコンだからといって永遠の苦しみを味わうということはないらしい。それに死後の世界というものに、セクロスに勝る快楽も無さそうだ。それならば、今を楽しまないと損じゃないか。ロリコンと罵られようが、異常者だと世間に騒がれようが、自分の感覚を裏切る事はできない。

 

 焼けた肉を口に放り込む。肉汁が口いっぱいに広がった。

 

 (そうだ、あの子は確かにセクロスに値する何かを秘めていた。例え少女の外見をしていても、だ)

 

 焼けた肉を次々と口に入れながら、出来る限り前向きに考える。

 

 (きっと彼女は特別なのだ。百万人に一人くらいは、妙にエロい子供がいても不思議じゃない。そうだとしたら、まだ自分は普通なのかもしれない)

 

 ハムザもテルクシノエも素早く焼けた肉を平らげてしまったので、あっという間に網の上が空っぽになった。ハムザは第二陣を投入すると、肉汁が赤々と燃える炭に滴りジューという音を出した。

 

 (しかし、普通子供に欲情するか?小児性愛(ペドフィリア)は、一種の病気だと聞くが…。やっぱり俺は、普通じゃなかったのか…?何かの拍子にロリコンに成り下がってしまったのか…)

 

 ハムザが未だ拭い去れない罪悪感と格闘していると、主神が気遣わし気に言った。

 

 「まぁ、その…。ヤッたものは仕方ないのじゃ。くよくよするな。それより、今日の迷宮探索はどうだったのだ?」

 

 ハムザは思い出したように話し始めた。今朝、小人族(パルゥム)のサポーターに誘惑された。風俗嬢を紹介するという口実にまんまと騙されて契約を結んだ。それがまさか年齢的に違法な少女だとは全く知らされていなかった。思い返せば、彼女が悪い気がしてきた。自分は確かにロリコンではないと伝えたはずだ。それなのにあんな幼気な少女をあてがうなんて、普通の神経じゃない。

 

 思い出せば思い出すほど、いらいらが募ってきた。乱暴な手つきで網の上の肉を転がす。そろそろ食べごろだ。

 

 「くそっ、今度会ったら絶対アイツにぶち込んでやる。腹立つなぁ」

 

 そう言って一つまみ肉を取り、口に入れる。火傷しそうなほど熱々だ。

 

 「ふむ。それで、そのサポーターはどんな感じだったのじゃ?」

 

 主神の更なる質問に、ハムザは面倒臭そうにダンジョンでの出来事を伝えた。

 

 「まぁ、可愛いかったな。小さいが、出るとこは出てる。小人族(パルゥム)ってのは皆あんな感じなのか?ダンジョンでのオナホールとしては、使ってやってもいいだろう」

 

 「それよりも、あいつは俺の剣を盗もうとしたぞ。小物臭をさんざん漂わせといて、油断をさせたかったんだろう。寸でのところで気が付いて、なんとか事なきを得たがな」

 

 一部始終を語った自分の言葉に、ハムザは更に腹を立てた。

 

 (そうだ、あのガキ、俺を騙そうとしやがった。服従中出しセクロスをするために泳がせるつもりだったが、やっぱりやめだ。今度は必ず、問答無用でぶち込んでやる)

 

 「ほう、興味深い話じゃ。そのサポーターとやらはどこのファミリア所属か、聞いたか?」

 

 「ううむ、確か、言っていたな…。あー、【ソーマ・ファミリア】とか、そんなんだ。店で酒を売る派閥らしいぞ。酔っ払いのカス野郎しかいない低級ファミリアだ」

 

 主神は拳を頬に当てながら考え込んだ。先ほどからずっと、主神は箸を止めていた。

 

 「おい、ちんたらしてると俺が全部くっちまうぞ。後から文句言っても、知らんからな」

 

 テルクシノエは空返事をして思案を続けている。その視線は真っ赤に燃える炭に注がれている。

 

 暫くしてハムザが肉をすべて平らげた頃、女神はおもむろに告げた。

 

 「興味深いな、私は【ソーマ・ファミリア】とやらをつついてみる事にする。それで金が落ちてくるようなら、本格的に先制攻撃だ。他に何か情報があったら、今のうちに言っておくのじゃ」

 

 ハムザはギルドでノイマンと話した事を思い出した。非公式的にギルドに協力する組織が欲しいと言われた事、その見返りとして何かと口うるさいギルドから便宜を図って貰えるようになるだろうと言うことを、主神に伝えた。

 

 「…素晴らしいのう。よし、じゃ。さっそく明日便宜を図ってもらうとしよう」

 

 主神が邪悪な笑みを浮かべている。今まで見たことがないテルクシノエの表情だった。

 

 「何だ、お前やる気を出したのか?」

 

 「当り前じゃ。我がファミリアの威厳を示す大切な詩を飾る額縁のため、だ。神自ら遊戯に興じるとしよう」

 

 彼女は箸を持ち、再び肉を食べ始めようとした。

 

 「な、ない…」

 

 唖然とした表情をした女神が、次の瞬間大声で叫んだ。

 

 「私の肉を食べたのは、どこのどいつじゃーーっ!」

 

 

 同時刻、オラリオの闇の中をリリは歩いていた。心と体に後に尾を引くであろう傷を負った彼女は、その報酬として得た金貨を手にねぐらに戻る最中だった。

 

 いくつもの小路を抜けた際にある、一層狭い小路に佇む宿屋に辿り着いたとき、彼女はその男に気づいた。

 

 「よぉ、アーデ。ずいぶん遅いお帰りじゃないか」

 

 「ザニス…さま」

 

 リリは震える体を、相手に悟られないようにローブで包んだ。

 

 「団長の仕事をしていると、いろいろな話が耳に飛び込んでくるものでな。今日の夕刻、ギルドでお前が大量の金貨を手にしていたという話を、小耳に挟んだのだ」

 

 リリはごくりと喉を鳴らした。ダンジョンから帰還しギルドで換金しているところを、ファミリアの仲間に見られていたらしい。

 

 「おかしいじゃなか、アーデ?お前はソーマ様への納金がもう半年は出来ていないはずだと思っていたが、まさか義務を怠り貯金をしているのではないか?」

 

 「そんな事はありません」

 

 リリは出来るだけ目を合わせないように視線をそらしながら、ザニスの質問をはぐらかそうとする。

 

 「俺に嘘を吐くんじゃねぇぞ、おい」

 

 「……っ」

 

 語気を強めるザニスに、リリは体をこわばらせることしか出来なかった。

 

 (下宿先は突き止められていると思っていましたが、まさかザニス自ら乗り込んでくるとは…)

 

 焦りを隠せないリリに対して、ザニスは脅すように言った。

 

 「…わざわざ部下の不手際を埋め合わせるために、団長様自ら足を運んでやったんだ。手持ちの金貨も含め、溜め込んだ金をすべて俺に寄こせ。そうすれば最悪の事態だけは避けられるぞ、アーデ?」

 

 到底飲めない要求だった。自分が必死の思いで貯めたお金だ。心を鬼にして詐欺を繰り返し、次第に純朴さを失い、いつの間にか自分はただの薄汚い盗人に成り下がっていた。それでも自由な未来のため、命を削りながらこつこつと稼いだものだ。金貨一枚だってくれてやるもんか。

 

 「…お断りです」

 

 「じゃあ、痛い目見るしかねぇなぁ」

 

 言葉が終わらないうちに、ザニスはリリを蹴飛ばした。冒険者の強烈な蹴りをまともに食らったリリは、空中を何秒も漂いながらもんどりうって地面に叩きつけられた。

 

 「ぁぐっ…!」

 

 息が出来ない。激しい痛みにリリはお腹を押さえ、呼吸もままならないまま地面でのたうち回った。ザニスは苦しむリリに唾を吐き、足で顔を踏みつけた。

 

 「お前はどれだけ痛めつけられても言うことを聞かないからなぁ、また前みたいに知り合いを痛めつけてやった方が、理解してもらえるか?」

 

 冷酷な発言に、リリは固まった。

 

 一度だけ、ファミリアの生活に耐えられなくなったリリは脱走を試みた事があった。行く当てもないまま路上で生活していると、優しい老夫婦が彼女を拾った。程なくしてリリは花屋を営んでいた彼らを手伝いはじめ、新しい生活の喜びに彼女は浸っていた。

 

 しかし彼女の想いとは裏腹に、慈悲深く優しい老夫婦との幸福な日々はすぐに崩壊を迎えた。リリの脱走を快く思っていなかった【ソーマ・ファミリア】の連中が、彼女を連れ戻すために老夫婦の花屋を滅茶苦茶にしたからだ。

 

 リリはいつ自分の居場所がバレたのかもわからなかった。しかし、彼女にとってそんな事はどうでもよかった。長い間続けてきた店を一日で失った老夫婦が悲しみに暮れているのを見た時、それがすべて自分の責任だったのだと悟ったからだった。

 

 少しでも考えれば、狂った【ソーマ・ファミリア】の冒険者たちが、リリだけでなくその彼ら老夫婦の人生を滅茶苦茶にしてしまうかも知れないことは分かるはずだった。その事実に目を背け、仮初の幸せに逃避してしまった自分のせいで、彼らは不幸になってしまった。リリに向けられた汚物を見るような目つきを見た時、自分はその過ちに気づいたのだった。

普段の優しい眼差しとはかけ離れた、責めるようなその視線はこう物語っていた。

 

 『お前のせいだ』

 

 「……っ」

 

 「おい、黙ってんじゃねぇぞ」

 

 ザニスは再びリリを蹴り上げた。口が切れている。血の味がする。地面に這いつくばり、血の味をかみしめるのはもう人生で何度目かもわからない。そして這いつくばる自分のそば立っているのは、決まってこの男だった。

 

 「お前の住んでるこの宿屋を燃やしてやったら、お前も少しは目が覚めるな?」

 

 「ぅ…っ」

 

 下宿先の女主人は良い人とは言えない。リリはかえってそれが気に入っていた。いざこのような状況を迎えた時、躊躇いなく斬り捨てられると思っていたからだった。しかし、今リリは心の中で叫んでいた。やめてくれ。自分のせいで他の人が傷つくのは、もう見たくない…。

 

 「…わかり、ました」

 

 唇を嚙みしめながら、涙をこらえながら、リリは言った。

 

 「…手持ちの金貨だけ…どうか今はそれで、許してください…」

 

 彼女は這いつくばってバックパックを開き、金貨袋を取り出した。ザニスはかがんでそれを引ったくり、中の金貨を勘定した。

 

 「ははっ、最初からそうしてれば怪我しなくて済んだのになぁ。お前は本当に愚かなやつだ、アーデ。ふむ、十万はあるな。今日のところはこれで勘弁してやってもいいが…溜め込んでいるものに関しては、別の対応が必要だな」

 

 ザニスは大量に金貨の詰まった袋を片手に愉快そうに続けた。

 

 「それにしても、お前は小さい頃と比べて少しは成長したなぁ?食べ頃になったら女郎屋に売り飛ばそうと思っていたが、そろそろその時が来たみたいだな、アーデ?」

 

 「…っ」

 

 醜悪な笑みに顔を歪めたザニスの口元が、橙色の魔石灯に照らされる。

 

 「決めたぞ、アーデ。もしお前が貯金を渡すつもりがないのなら、その分は体で稼いでもらう。なに、心配するな。どうしても小人族の奴隷が欲しいという知り合いがいてな、そいつは紳士だから直接手を下すことはしないそうだ。何でも小人族とモンスターの交配に興味があるらしくてな、オークやゴブリンがどうお前を犯すのかを見たいそうだ。どうだ、良い話だろ?」

 

 絶対に、嫌だ。そんな事になるくらいなら、いっそ舌を噛み切って死んでしまった方がいいに決まっている。もともと楽しいことなどない、みじめな人生だ。それに自分が死んだからって、悲しむ人もいない。

 

 リリの恨めし気な視線に、ザニスは満足したような笑みを浮かべる。

 

 「そうだ、嫌だろう、アーデ?どうしても断りたければ、俺の奴隷にしてやってもいい。四六時中犯し続けてやる。俺が望んだ時、望んだ場所でだ。俺の命令には絶対服従だ。あくまでも、お前がうちのファミリアにいる間は、だがな。そうすれば、お前を今まで通り生活させてやってもいいぞ?」

 

 バレていますか、とリリは心で呟いた。冒険者を騙し金を巻き上げ、僅かな出費をも控えるために過剰な労働を受け入れているのは、すべてファミリアから脱退するために他ならない。

 

 当然頷くことは出来ない。しかし、否定することもできない。リリは返答に窮していた。

 

 「わ、私はまだ子供です…」

 

 「お前はわかっていないな。子供のうちから仕込んで置くことで質の良い性奴隷に仕上がるんだ。ガキだろうが口で奉仕するくらは出来るだろう?」

 

 すると暗がりに潜んでいたもう一人の男が声を掛ける。

 

 「ザニス様、人が来ました。ずらかりましょう」

 

 リリは未だに血を吐きながら這いつくばっている。どんな人間でも、この状況を見れば誰が手を出したのかは一目瞭然だ。ザニスは「まぁ、二日後のファミリアの集会で返事を貰うとしよう」と言い残して踵を返し、暗闇に溶けていった。

 

 リリは何とか体を起こし、ふらつく足に力を込めて下宿先の宿屋の扉を開いて、暗い室内へ入っていった。その様子を、通りすがりのエルフが怪訝そうに見つめていた。

 

 宿屋の受付に置かれていた古ぼけた大型の魔石時計は、丁度深夜一時の時刻を示していた。蹴られた腹部がじんじんと痛む。一日中忙しなく動き回っていたこともあり、リリの体はもはや限界寸前だった。

 

 (それに、今日食べたのは乾パン一つ…さすがに何か食べないとまずいです)

 

 重い体をひきずってキッチンへ向かう。そこには、彼女の行動を見透かすようにして張られたメモが扉に留められていた。

 

 『いつまでも遊んでるんじゃないよ、クソガキ!お前の夕食は没収した。罰として、明朝までに食器を洗っておけ。サボったら、ただじゃ済まさないよ』

 

 リリが洗い場を見やると、うずたかく積まれた食器が山のように彼女を待ち構えていた。

 

 (今まで幾度となく人生最悪の日を味わいましたが、今日はまた格別です…)

 

 彼女は無言で食器洗いに取り掛かった。いつの間にか擦り剝けて赤くなっていた両手が、冷たい水を浴びるためにひりひりと痛んだ。

 

 しかし宿屋の女主人のリリへの理不尽な態度も、先ほどのザニスの暴力に比べれば他愛もないものだ。あの男はいつも自分を追い詰め、ファミリアのため、主神のためなどと嘯いて私腹を肥やしている。

 

 リリは黙々と作業に没頭する。

 

 冒険者なんて、いつもそうだ。弱者を徹底的に卑下し、擦れきれるまでこき使い、挙句の果てには命乞いを笑って蹴とばし、モンスターの餌食にする。その力を用いれば、一体どれだけの弱者を救えるか。その剣一つで、貧困にあえぐ村そのものを救うことだってできるのに…。

 

 あいつらは、いつもその剣で誰かを傷つけるだけだ。

 

 (冒険者なんて…リリは大っ嫌いです)  

 

 結局この日も、彼女がぼろぼろのソファーに横になれたのは三時をとっくに過ぎた頃だった。

 

 バサバサと羽ばたいている夜鴉の群れが、割れた窓ガラスの向こうから泣きじゃくる彼女を同情するように見つめていた。

 

● 

 

 「後ろきてますっ!?はやく回避してください!」

 

 リリは唇を噛んでボウガンの標準を定める。短剣を片手におろおろと狼狽える少年は、リリが彼の背後から迫るコボルトの眼球に矢を撃ち抜いてようやく、その存在に気づいたようだった。

 

 (もうっ、何なんですかこの人はっ!本当に冒険者ですか?これじゃあリリよりも弱っちいじゃないですか…)

 

 息絶えたコボルトから魔石を回収し、怪物はさらさらとした灰に変わっていく。少年は何度も礼を言い、まるで冒険者に似つかわしくない台詞をサポーターに投げかけている。

 

 「本当に凄いね、リリ?僕は今までコボルトを三体同時に相手するなんて考えてもみなかったよ!」

 

 「…冒険者なら、常に集中して背後に気を配って下さい。ベルさまの戦い方は危なっかしくて、リリはとても見ていられません」

 

 目を輝かせる少年は、あははと乾いた笑いを響かせて申し訳なさそうに頭を掻いている。

 

 「それに、こんな1階層でうだうだしてないでリリは早く5階層辺りまで行きたいのですが?」

 

 「5階層!?えっと、それは無理じゃないかなぁ。だって僕は今まで一度だってコボルトに勝てた事がなかったから…」 

 

 思いがけない少年の発言に、リリは目を丸くした。

 

 「…到達階層が5階層だと言うのは、嘘だったのですか、ベルさま?」

 

 ベルは慌てて訂正した。

 

 「嘘じゃないよっ!し、信じて!でも、あの時はたまたまモンスターに遭遇しなくて、その…ほんとにたまたま、行けただけで…。それにしても、リリは凄いね!?まだ僕より全然子供なのに、コボルトを一発で仕留めちゃうなんて!」

 

 尻尾を揺らしながら、リリは白い目でベルを見つめた。

 

 そうだ、今の自分は犬人(シアンスロープ)の子供だ。しかし『子供』という言葉を聞くと、変身していることも忘れて腹が立ってしまう時があった。彼女にとっては、その言葉は未熟さの象徴のように思われた。

 

 『子供じゃない』と訂正したくてうずうずしていると、突然お腹が鳴った。

 

 当然だ。自分はもう丸二日もろくな食事を取っていない。それでもリリは僅かな小銭でさえ無駄にしたくはなかった。昨日ザニスに脅されてからというもの、心は嵐の様に荒れ模様だ。

 

 来る集会の日に主神ソーマに脱退を申し入れなければ、自分はいよいよザニスの奴隷になってしまう。

 

 脱退金がいくらかもわからないが、とにかく一銭でも多く確保しておきたかったから、彼女はずっと食事を取らずにいた。体の方もふらふらだったが、回復薬を飲むことで何とか凌いでいる。

 

 リリが空腹に俯いて、能力のない素人冒険者を今日のパートナーに選んでしまった事にしょぼくれていると、少年は申し訳なさそうな顔をしてからリュックをがさごと漁り弁当箱を取り出した。

 

 「あ、あの…。お腹すいてるなら、これ、一緒に食べよう、リリ?」

 

 じとっとした目つきで差し出されたその弁当箱を見やる。不味くはなさそうだ。

 

 「良いのですか?ありがとうございます、ベルさまは本当に素晴らしい冒険者さまです。実力は、まだまだですが」

 

 彼女は二日ぶりの食事を受け取り、食べた。すると空っぽの胃袋が驚いてぐるぐると音を鳴らした。リリは、それがまるで暇な店主が久しぶりの仕事に大慌てしているような音だと思った。

 

 「ははは、それにしても、本当に僕なんかと組んでくれてありがとう、リリ」

 

 彼女が食事を有難そうに食べている横で、ベルはダンジョンの壁に背を預けながら率直に自分の意見を述べた。実際、自分は冒険者稼業を始めて二週間程経つが、いまだに地力では一階層すら越えられない。

 

 己の非力さに歯がゆい想いをさせられながらも、ボロボロになった体をいつも抱きしめてくれる神様の優しさが心地よくて、最近はこのまま一生弱い冒険者のままでも良いような気がしているのだけど。

 

 「才能がある人って、いいですよね…」

 

 リリが小さく呟いた。

 

 「そうだね…」

 

 ベルはそれに呼応する。自分に冒険者としての才能がないことなんて、いつまでも白紙のスキル欄を見れば明らかだ。ステイタスの伸びも、最初と比べてこれっぽちも成長していない。

 

 「何十年かかろうと、第二級冒険者になることさえ出来れば、オラリオでは勝ち組なんですけどね」

 

 リリは肩をすくめてみせる。まるで彼女はそんな事は自分には何百年かかったって不可能だと思っているようだった。

 

 ベルはリリの事をよく知らない。今日広場で誘われて、初めて組んだサポーターだ。それでも、ベルには彼女の方が自分なんかよりもずっと才能に恵まれているような気がしてならなかった。自分では全く相手にならないコボルト達に対して、果敢に戦い勝利するほどだ。

 

 だからもし自分と彼女のどちらかが第二級冒険者になる日が来るとしたら、それは間違いなく先に彼女の方に来るだろう。そう思うとベルは途端に自分が情けなくなった。俯いていた顔を上げリリを見つめると、青い燐光に照らされる彼女の横顔が、想像以上に大人の雰囲気を纏っていることに気づいた。

 

 その表情は重々しく、暗い。きっとダンジョンで付いた傷だろうと思われる擦り傷や切り傷の跡が、所々に付いている。少女だと思っていた彼女の顔は、今や面妖に大人の女性の雰囲気を漂わせており、そのギャップにベルはどきっとした。

 

 「ね、ねぇ。ちょっと聞いてもいいかな?」

 

 膨らんできた股間を両股で押さえつけながら、悟られないように声を掛ける。しかし目敏いリリの目は、明滅するダンジョンの燐光の中でもそのしぐさを見逃さなかった。

 

 (男性なんて、いつもこうです。ペニス、ペニスって…。本当に軽蔑します)

 

 「どうなさいました、ベルさま?お花でも摘みに行きたいんですか?」

 

 「あ、いや、そうじゃなくて…。その、リリのことをもう少し知りたいなぁー、なんて思ったりして…」

 

 不自然に内股になっているベルを見て、リリは少しからかってやろうという気になった。

 

 「もちろん、良いですよ。そうですねぇ、リリは売春婦です」

 

 ベルは飛び上がった。

 

 「え!?う、嘘だよね!?」

 

 明らかに平静を失っているその様子を内心で馬鹿にしつつ、声色は大真面目を装って答える。

 

 「もちろん、本当です。ベルさま、サポーターなんていう職業で生計を立てられると思いますか?私の様な子供でも、体を売りでもしないととても生きていけない世界なんです」

 

 「で、でも…。ファミリアの人たちは、リリを助けてくれないの…?」

 

 「そんな訳ありません、むしろ逆です。彼らはリリを女郎屋に売りつける事で、自分たちの懐が温まってとても愉快そうでした」

 

 ベルはショックを隠し切れないという様子でとぎまぎしている。リリは思った。からかい半分でついた嘘だったが、自分は明日にでもそうなるかも知れない。そう考えると、なんと笑えない冗談だろう。

 

 「そ、そうなんだ…」

 

 ベルは少し平静を取り戻し始めていた。しかし、驚きの事実に股間は膨れっぱなしだ。

 

 「でも、いいの?その、体を売るっていう事に抵抗とか、やっぱりあるんでしょ?」

 

 リリは頷いた。勿論そうだ。しかし、ここ数日のうちに一人の冒険者を嵌め損ねて初めてを奪われた。そしてもう一人の冒険者には売春婦になるか、彼の奴隷になるかと脅された。

 

 もう自分は落ちるところまで落ちる直前だ。二人の間になんとも言えない空気が流れ、リリは悲しみに沈んでいた。そして彼女は小さな声で語り始めた。それは追い詰められることで無意識のうちに出た、心の叫びそのものだった。

 

 「…リリは小さな頃から冒険者に育てられました。物心ついた頃には既に、母親も父親もダンジョンで行方不明になって二度と帰ってくることはないだろうと知っていました。ファミリアの先輩たちは、リリに冒険者としての才能がないと知るや否や、私の食事を減らしたり、厳しい仕事を与えたりしました」

 

 言葉を紡げば紡ぐほど、心の中でせき止めていた筈の何かがあふれ出ていくような気がした。それでもリリには、それを止めることが出来なかった。

 

 「それでもリリは、前向きに生きようと頑張ってきました。毎日のように殴られて、四六時中蔑まれて生きていきました。それでもリリは、才能がなくても、優しさや思いやりがあれば、きっと幸せになれるんだと思っていたんです…」

 

 リリは零れる涙を拭った。

 

 「でもそれは間違いでした。生活はどんどん苦しくなり、いよいよ自分ではどうすることも出来なくなりました。その頃には、自分はお姫様なんかじゃないし、王子様が救いに来ることなんて絶対にないんだと言うことを、もう理解していました。だからリリは自分を変えました。優しさも思いやりも捨てて、ただひたすら生き抜く事だけを考えました。例えそれで、誰かを不幸にしようとも」

 

 (そうです…そうやって私は冒険者を陥れる事を覚え、どんどん汚れていったんです)

 

 「……」

 

 ベルは悲痛に顔をゆがめて、その話を聞いていた。モンスターの遠吠えがどこかから聞こえてくる。しかし、いまはそんな事なんてどうでもいいように思われた。何とか、目の前の少女を救えないだろうか…。もし自分に力があれば、彼女を無理矢理に所属するファミリアから脱退させてあげられるのに。

 

 「ファミリアを抜ける事は、できないの?」

 

 ベルはリリに問いかけた。彼女はすぐさま首を横に振って否定した。

 

 「…ファミリアを脱退するには、それこそ途方もない金額が必要です」

 

 それにザニスは自分が溜め込んでいるファミリアの脱退金を狙っている。今まで冒険者を手玉に取って金銭を巻き上げて貯めた三百万ヴァリス。それを渡してしまえばもう二度と機会は巡って来ないだろう。かと言ってしらを切り続ければ、間違いなく自分は奴隷として売り飛ばされる。八方ふさがりで、まさしく詰みといって差し支えない状況だった。

 

 さらに不幸な事には、ファミリアのある仲間にたまたま自分の『変身魔法』を目撃され、それをネタに強請られている。彼らは手を変え品を変え、リリの貯金を狙ってくるに違いない。

 

 (残された道は、本当に脱退金を用意することです…。ソーマ様が私の言葉を聞き入れてくれるかはわかりませんが、主神様を納得させられるだけのお金を用意することができれば、あるいは…)

 

 明日行われる集会で脱退を表明する。手切れ金として有り金を全て渡し、主神に懇願する。もうリリにはその選択肢しか残っていない。後は少しでも多くのお金を稼いでおかなければ。

 

 そう思うと、途端にリリは時間が惜しく感じた。こんな所で疲れて座っているより、何かやらなければならないことがある筈だ。

 

 「さて、おいしかったです…ベルさま」

 

 涙を拭い、半分ほど残された弁当をベルに突き付けるも、彼は「食べていいよ、お腹空いてるでしょ?」と言って彼女にそれをおしやった。

 

 リリは再び目に涙を浮かべ感激の表情で感謝の言葉を贈り、すぐに真剣な表情を取り戻して言った。

 

 「では、ベルさま。お食事を頂いた事で少し元気が出てきました。私が今から少し先の様子を見てきますので、ここで待っていて貰えますか?」

 

 「…え?うん、いいけど…」

 

 ベルの返事を聞くまでもなく背中を向け、リリは弁当箱を片手にひょいひょいと食べ物を口に投げ込みながら、ダンジョンを一人で進んでいってしまった。

 

 暫くの間、取り残されたベルは心細く思いながらも律儀に彼女の帰りを待っていた。こだまするのはモンスターの遠吠えだけだ。群れだろうか、そこまで遠くはないだろう。

 

 すると突然、通路の奥から小柄なヒューマンが慌てた様子で駆けてくる。

 

 「おいっ、大変だ!向こうでお前の仲間がコボルトの群れに襲われて、どこかへ引きずられていったぞ!?」

 

 ベルの鼓動が急激に高鳴り始めた。信じられない。あの彼女が、まさかやられてしまうなんて?思い出される先ほどのモンスターの遠吠えが、急にベルの耳にこびりついて来た。

 

 気づいたときには、既にベルは駆け始めていた。大急ぎで彼女が曲がった通路に入り、全速力でその姿を探す。彼女がどこで倒れ、自分が今どこを走っているのかもわからなくなってしまった頃、ベルはある物を見つけ、愕然とした。

 

 先ほどリリに手渡した弁当箱の残骸が、地面に転がっていたからだ。

 

 そしてその隣には、彼女が被っていた白いローブの切れ端が無残に散っていた。

 

 ベルが絶望に言葉を失って突っ立っているその同時刻に、先ほどの小さな犬人はダンジョンへの出口へとまっしぐらに駆け抜けながら、一人でつぶやいた。

 

 「まったく、私としたことがここで時間を無駄にしてしまうなんて。リリは何としてでもお金を稼がなければいけないのに…せめてハムザさまのような稼ぎの良い冒険者を見つけなければいけません」

 

 あの冒険者は妙な作戦を実行することで、一日に十万ヴァリスも稼ぎ出した。普通の四人パーティの四倍に相当する稼ぎだ。もはやそこまで行けば上級冒険者クラス。彼が下層で燻っているレベルでないことは、明らかだった。

 

 帯剣していた装備も、かなりの値段がついていてもおかしくはない物だった。それならば、当然まだまだ金は持っているだろう。

 

 (こうなれば、なりふり構っていられませんか。売春婦の様な真似は出来るだけ避けたかったのですが、手っ取り早く大金を巻き上げるには、こうするしかなさそうです)

 

 街への出口は、もうすぐそこだった。

 

 

 バベル方面から西のメインストリートを暫く奥まで進んでいくと、武器屋や道具屋が姿を消し始め、代わりに民家が所狭しと居並び始める。大の大人がすれ違うこともできない程小さい路地裏を抜けて、ハムザは久しぶりにナァーザの店を訪れた。

 

 扉を押すと、聞きなれた声が店の奥から響いてくる。

 

 「…いらっしゃ~い」

 

 ナァーザは机に肩肘をつき、眠たげな表情で茶色の髪の毛をくるくると弄っていた。

 

 「なんだ、暇なのか?」

 

 「…来たね、変態冒険者。変態に売る商品はない。帰って。…と言いたいところだけど」

 

 ナァーザは明るい笑みを浮かべて、言った。

 

 「久しぶり、ハムザ。よく来たね」

 

 「おう、来てやった。今頃ナァーザちゃんは俺とのセクロスが忘れられないで、悶々としているのではないかと思ってな」

 

 「もう発情期は終わった。だから悶々とはしていない。それよりも、最近調子はどう、ハムザ?」

 

 ハムザは「まぁ、ぼちぼちだ」と適当に返事をしてから、カウンターの机に腰かけた。

 

 「いつ来ても暇そうな店だな。前にあげた百万ヴァリスで作った媚薬はどうなった?」

 

 ナァーザは獣耳を少し垂れ下げて、口を尖らせて言った。どうやら何かご不満の様子だ。

 

 「…あの惚れ薬は、ミアハ様のご命令で処分した。会心の作品だったのに、調合書レシピも全部、捨てられちゃった。…その代り」

 

 彼女はカウンターの下からがさごそと薬瓶を取り出した。

 

 「…あの惚れ薬を開発している途中、たまたま出来たこの『二属性回復薬デュアル・ポーション』の売れ行きはすこぶる順調…。出資への感謝も含めて、ハムザには特別価格で安くしておくよ~…」

 

 「また変な効果がついてたりしないだろうな?」

 

 ナァーザはきっぱりと否定したが、ハムザはどうも信用ならなかった。万能薬と言われて危うく飲みかけた物が、実は媚薬だったのだ。彼女は平気で嘘を吐き、己の目的のためになら手段を選ばないという強かな性格だというのが、前回得た教訓だった。

 

 (まぁ、そのお陰であのホモの魔の手から逃れることが出来たわけだがな…)

 

 「…それで、あのホモはどうなった?」

 

 ここの所ずっと気がかりにしていたことを、ハムザは訊いた。ナァーザはわざとらしく驚いた素振りを見せて、「そんなに恋しいの?」と聞いてきた。

 

 「ばか。あいつが二度と俺の前に現れんように、ちゃんと深く埋めてきたんだろうな?」

 

 「…ホモをゾンビみたいに言わない。あの【ガネーシャ・ファミリア】のジーガとかいう冒険者は、ミアハ様がガネーシャ様の所に連れて行った。別段変わった様子はなかったよ。だから安心して、ハムザ」

 

 その一言にハムザは安堵した。もしまたケツを狙われるような事になったら、自分はオラリオから尻尾を巻いて逃げ帰るに違いないと思っていたからだ。

 

 どうやらまだ、オラリオに留まる事が出来そうだ。

 

 「…そういえば、ミアハ様が何か言っていたような…」

 

 ナァーザはしばらく中空を見つめ、やがてぽつりぽつりと思い出しながらつぶやいた。

 

 「…俺がバカだった。あの人の美しい筋肉への憧憬を忘れ、一時の激情に身を任せてしまうとは。この事を教訓にして、あの人への愛をもっと胸に刻まなければならん。…とか、何とか」

 

 「あ、あの人って誰だ…?」

 

 ハムザの質問に、ナァーザは知らないとばかりに肩をすくめて言った。

 

 「…さぁ。でもミアハ様が言うには、あのホモはガネーシャ様を見て顔を赤らめていたって」

 

 「そ、そりゃあ良い組み合わせだな。出来るだけ末永くお幸せに…」

 

 くすくすと笑い声を漏らし、ナァーザはハムザの頭をぽんぽんと叩いた。

 

 「ほらほら、失恋したからって落ち込まないの。ハムザには私がいるでしょ?」

 

 ハムザには、果たしてその言葉が本気なのかどうかはわからなかった。だが、その真意を聞く気にもなれなかった。ホモに付け狙われるのは当然嫌だが、ナァーザに地獄の果てまで追いかけられるのも少々不気味だと思ったからだ。

 

 そんなハムザの態度から何か察したのか、ナァーザは姿勢を直してハムザにこう言った。

 

 「…私はミアハ様一筋。もう二度とハムザに迷惑を掛けるような事はしない。でも、次の発情期はひと月後だから…ね?」

 

 ハムザは理解できなかった。心は一人の男に預けたまま、別の男の前で股を広げるなんて言うことが、果たしてあり得るのだろうか。それも、自ら望んでそうするなんていうことが、本当にあり得るのだろうか…。

 

 「お、おう。まぁ、覚えてたらな」

 

 (その疑問をぶつけるのは、次の機会にしておこうか…。急に我に返って、もうヤらせてあげないなんて言われたら損だしな)

 

 自ら進んで股を開いてくる相手に向かって、そんな事は道徳上良くないなんて言うのは、腰抜けのする事だ。据え膳は、なんとしてでも食わねばならない。だからハムザは疑問を棚に上げて、とりあえず発情期には彼女をおいしく頂くことに決めた。

 

 「…そうだ。ナァーザちゃんにちょっと聞きたい事があるんだが」

 

 「さっきから既に何度も質問している。なに?」

 

 ハムザは罰が悪そうにぽりぽりと頭を掻き、暫くの間逡巡していたが、やがて意を決して質問した。

 

 「…もし俺が少女とセクロスするロリコンだったら、幻滅するか…?」

 

 途端にナァーザは噴出し、お腹を押さえながら笑い始めた。しかしハムザは大真面目だった。

 

 「おい、笑い事じゃないぞ。俺はその事が気になって昨日は全然眠れなかったんだ…」

 

 「ふふふ…ふふ。ごめん、ごめん。ふふ」

 

 ナァーザは未だに可笑しそうにお腹を押さえては、湧き上がってくる笑みを嚙み殺している。

 

 「ハムザは想像以上の変態。幼い少女にまで手を出す正真正銘の本物だった…」

 

 ハムザはショックで固まっていた。やはり、自分は変態なのだ。ロリコンに人権などないに違いない。これからきっと今みたいに、人に指を差されながら笑われる人生を送っていくのだろう…。

 

 「ふふふ…でもね、ハムザ。性的趣向は人それぞれだから。私は別に幻滅したりしない」

 

 そんな彼女の優しい発言も、砕けたハムザの心を再び繋ぎ合わせる事は出来なかった。ハムザは力なく立ち上がり、新商品の二属性回復薬を受け取ってとぼとぼと店を出た。ナァーザはあまりにも元気をなくしたその様子に驚き、まずい反応をしてしまったと思ったが既に遅かった。

 

 気が付くと、ハムザはどことも知れない往来を歩いていた。行き交う人々の目が、自分の背中を見つめているような気がしてならなかった。そして背中には、きっとこう書いてあるのだ。

 

 『俺は変態ロリコン野郎です。どうぞ蔑んで下さい』

 

 昨晩主神によって一度は元気づけられた彼だが、再び大きな問題に直面していた。

 

 

 

 その頃、主神はギルドに赴いていた。受付嬢に自分が【テルクシノエ・ファミリア】の主神だということを伝えると、どこからともなく太ったエルフの中年がやって来た。

 

 「おぉ、これはこれは。どうもお初にお目にかかります、神テルクシノエ様。私はこのギルドの所長、ノイマンと申します。ささ、こんな玄関口ではおもてなしも出来ませんので、どうぞこちらへ」

 

 促されるまま着いていくと、見覚えのある部屋に案内された。いつだったか、怪物祭の時にハムザとエイナが朝からたっぷりセクロスを楽しんだ来客用の応接間だった。

 

 ノイマンは柔らかいソファーに重い体をどっしりと沈め、テーブルに置いてあった菓子を女神に勧めた。

 

 「いやいや、なかなかどうして女神様のお美しさには慣れんものですなぁ…。テルクシノエ様は女神様の中でも一段とお美しい。まぁ、それはさておき、今日ご足労頂いた件について、早速お伺い致しましょうか?」

 

 テルクシノエは太ったエルフを意地悪い視線で見つめた。それに気づいたノイマンの目は泳ぎ、脂ぎった顔に汗が浮かんでいる。

 

 「なんじゃ、ヤりたいのか?」

 

 「…へっ?」

 

 ノイマンは不意打ちを喰らったように、間抜けな声を上げた。

 

 「女神とセックスをしてみたいのか、と聞いておる」

 

 ごくりと唾を飲み込み、信じられないという顔付きでノイマンは固まっている。

 

 「ほれ、好きにしたければしてもいいぞ?」

 

 テルクシノエは透けて見えそうな程薄い洋服を脱ぎ、上半身を露にした。白銀色の髪の毛をさらっと靡かせ、両手を広げてノイマンに近づいていく。

 

 「よ、よろしいので…?」

 

 女神が優しく微笑んだのを見て、ノイマンはその胸にむしゃぶりついた。

 

 「う、うおおおっ!?これが女神のパイオツかぁ!こんなに素晴らしい肌触りだとは、思いもしなかった!くそっ、あの若造は毎晩こんな良い物を弄んでいるのですかな!?」

 

 ノイマンは思わず出た本音にも気づかず、無我夢中で女神の胸をむしゃぶり続ける。すると女神の極上の絹の様な手が、いきり立った股間に服の上から触れた。

 

 「おおおあっ!?そ、そんな、女神様。そんなところをおお!?」

 

 「うるさい、少し黙っているのじゃ。人が来て困るのはお前だろう?」

 

 一瞬だけ我に返ったノイマンは「失礼…」とだけ言って、自ら服を脱ぎそそり立った下半身を女神の眼前に曝し出した。

 

 女神は、その肉棒を躊躇すらせず口に含んだ。途端にノイマンは感激の悲鳴を上げ、自ら腰を動かし始める。

 

 「おおおっ!か、感激でございます!女神様にフェラチオしていただく日が来ようとは!?いやぁ、本当にいい役職でございますなぁ、ギルド長というのは!」

 

 それから一分も経たないうちに、ノイマンは異変に気付いた。

 

 「あ、あれっ。い、いかん。もうイキ…あっ」

 

 耐えようとする自らの意思をまるで無視するかのように、ペニスは大量の精液を女神の口内にぶちまけた。

 

 「おおおおぉぉぉふううぅぅ……」

 

 射精の快感はまるで別次元だった。慣れ親しんだ紳士ご用達の女郎屋にいる女どものテクニックとは比べ物にならない快感だった。生まれてこの方、このような快感に支配されることはなかったかのように思われる程、すさまじい快楽が身を駆け抜けていた。

 

 「ふふ、まだ元気なようじゃ」

 

 女神の言葉通り、一度絶頂を迎えたペニスは未だに膨張している。とても萎える気配がない自分の一物に、未だ体を駆け巡る快楽。ノイマンは少し恐怖した。

 

 体の自由が利かなくなっている気がして、慌てて右手を動かしてみる。しかし、動いた。何の問題もなく体は動くのだが、異変は拭い去れない。

 

 その感覚は、まるで駆け巡った快楽に意思の手綱を握られていくようだった。気が付くと、ノイマンはペニスを女神の膣内に挿入し、獣の様に腰を振っていた。

 

 (あ、あれ…いつのまに?)

 

 言葉を発するにも、その仕方がまるでわからない。今自分の中にあるのは、下腹部から体全体を駆け巡る極上の快楽だけだった。一突きするたびに、まるで絶頂したかの様な快感が身を包む。心は異常なまでに満たされていた。

 

 自分が、獣の様に女神を犯している。超越存在である、人間には到底叶うことのない異次元の相手を、自分はまるで雌を孕ませるように犯しているのだ。これが興奮せずにいられようか?

 

 出来る筈がない。ノイマンは、この瞬間が一生続けば良いとだけ思い、一心不乱に腰を振り続けた。

 

 そして絶頂の瞬間は不意に訪れた。女神に膣内に吐き出された精液は、まるで一年分ほどもあろうかという量だった。筆舌に尽くしがたい快感は、彼の意識をどこか深い場所へと誘っていくようだった。

 

 (あぁ、やってしまった。私はもう、戻れないに違いない。女神に篭絡され、心身ともに魅了され、意識のない肉塊として快楽を求める獣になってしまった…)

 

 ノイマンが薄れゆく意識の中でそう感じた時、ぱちんという音が弾けて視界が鮮明に色を取り戻し始めた。

 

 「…!?」

 

 気が付けば、そこは先ほどの応接間だった。だらしなく垂れ下がったペニスに、精液がどろりと付着している。目の前の女神は面白そうな顔をして、呆けたノイマンを見つめていた。

 

 「どうじゃ、これが神の魅了だ。一部の美の神なんかは、こうして子供たちを意のままに操るのだ。だが、私はそんなことはしない。ちゃんと元にもどしてやるのじゃ」

 

 長い間驚愕に硬直していたノイマンだが、やがてゆっくりと状況を飲み込み始めた。

 

 「いやいや…参りました。この世の物とは思えない快楽でしたが…少々恐ろしさもありますな。しかし、女神様とのセックスは全く癖になります…。これだけのおもてなしを受けてしまっては、私としてはどうお返しをしたら良いか見当も付きません」

 

 テルクシノエはだらしなく股間をぶら下げながらゆっくりと立ち上がったノイマンを見つめて言った。

 

 「なに、少し頼み事を聞いてくれれば良い。【ソーマ・ファミリア】を内偵し、その情報を私に渡すのじゃ」

 

 「そ、それだけでございますか?」

 

 女神とのセックスだ。とんでもない代償を払う覚悟をしていたノイマンは、心底ほっとしたようだった。

 

 「では、ギルド長の私自ら内偵したとなれば問題となりましょう。ここはチュールを使って調べさせます。詳細は後日、書面にして届けさせましょう」

 

 テルクシノエは満足そうに言った。

 

 「よい。苦しゅうない。これからも私の要求を聞けば、好きなだけヤらせてやろう」

 

 鼻の下を伸ばすエルフの中年は、哀れな程幸せそうな顔をして頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 -やらざるべき-

 

 テルクシノエがギルドを後にしてメインストリートへ出た時、どこからともなく音楽が聞こえてきた。

 

 「…そうか、もうそんな時間か」

 

 辺りはオレンジ色の夕陽に照らされ、仕事を終えて帰宅する晴れやかな住民たちや、ダンジョンから帰還した冒険者で賑わっている。

 

 約束の時間に遅れないよう、主神は歩を早めた。

 

 行き交う冒険者や住人達の間を縫って足早に歩くこと十数分、テルクシノエは『豊穣の女主人』に到着した。大きな木製の扉はいつも同様開き放たれており、店内は既にずいぶんと賑わっている。

 

 今も女神の前を歩いていた冒険者風の一団が店内に入り込んで行く。テルクシノエには、その様がまるで大きな口が次々に人々を飲み込んでいくようだと感じられた。

 

 テルクシノエが理由もなくただ入口で呆けていると、中から店員が顔を出して彼女に声を掛けた。

 

 「女神…テルクシノエ様?」

 

 「おや、リューちゃん、だったかの」

 

 美麗と誉高いエルフの中でもずば抜けて美しい容姿を持つリューだったが、彼女はそのまじめすぎる性格ゆえに、いつも唇をきつく結び、対面する者に厳しい視線を投げかける癖があった。

 

 もし彼女がシルの様に、微笑みとはにかみが異性に対して極めて殺傷能力の高い武器になるということを知ってしまったら、このお店は愚かな下心に取りつかれた男たちによって、もっと繁盛しただろう。

 

 しかしリューはリューだ。自他共に認める不愛想は、そう簡単には笑顔を漏らさない。

 

 だからこの時もテルクシノエはリューの非難がましい鋭い視線にたじろぎ、『用がないなら早く帰れ』と言われているような気がしてならなかった。

 

 しかしここでビビッてしまっては、女神としての威厳が廃る。彼女は無意識のうちに威圧感を垂れ流すリューに対して、本来の目的を思い出し威儀を正す。

 

 「…ハムザ、来ておるか?」

 

 間髪入れずにリューが応える。

 

 「ハムザさんが来るのですか?」

 

 今度はリューがたじろぐ番だった。どれだけ無愛想で有名なリューであっても、ハムザに笑ってくれと頼まれれば、笑ったかもしれないのだ。

 

 以前ハムザが【ロキ・ファミリア】を相手に盛大に啖呵を切った事を、リューは今でも『この上ない程高潔で勇気ある行動』だと思っているらしい。本当はただ阿呆が酒に酔って醜態を晒しただけの筈なのに、リューはそれ以来ハムザに一目置いていた。

 

 だからリューはその高貴な騎士が再び自分の前に現れると知って、急に自分の髪が乱れていないかとか、給仕服に汚れが付いていないかなどと気にし始めたのだった。

 

 当のハムザ本人はと言うと、あまりに真面目すぎるリューにほとんど逃げ腰で、持ち前の快活さと大胆さをすっかり失って『豊穣の女主人』に来ることさえ拒むほどだった。

 

 今朝、そんな逃げ腰の彼をテルクシノエが何とか説得して、ここで二人で落ち合う約束を取り付けた。しかし、肝心のハムザはまだ店内にはいないようだ。

 

 (まさか今更ビビッて逃げたなんていうこと、ないじゃろうな…?)

 

 外で待つわけにもいかないので取り合えず店内へと入っていくと、容姿の整ったウェイトレスたちが女神を一瞥し、一斉に声を上げた。

 

 『いらっしゃいませ~!』

 

(何だか全く別の店に入ってしまったような気分じゃ…)

 

 神とは言え一応女性に分類される彼女からしてみれば、その雰囲気はまるで眉目秀麗な女性たちが哀れな男たちを標的に、接待をしながら言葉巧みに金貨を巻き上げる形態の店と、何ら変わりがないように思われるのだった。

 

 リューに案内され席に着いてしばらく待っていると、ようやくハムザが店内に現れた。

 

 するとどこからともなくリューが疾風の様にやってきて、ハムザと対面した。

 

 「来ていただけて光栄です、ハムザさん。神テルクシノエ様が既にお待ちです。私がご案内差し上げてもよろしいですか?」

 

 椅子をひっくり返し他のウェイトレスをなぎ倒しながらやってきたリューに、ハムザは度肝を抜かれていた。驚いて言葉を失って立ち尽くしていると、より一層険しい顔を作るリューが無言でハムザの手を引き、恐ろしい程の力で席に引っ張っていった。

 

 その様子を眺めていたウェイトレスたちは次々に囁いている。

 

 『うわぁ…リュー、本気じゃん…』

 

 『あんな冒険者のどこが良いか分からないニャ。ただの酔っ払いにしか見えないニャ』

 

 『しっ、クロエ!あんたリューに殺されるわよ…』

 

 リューによって半ば無理矢理に着席させられたハムザは、彼女がテーブルから離れるなり安堵のため息を漏らして正面に座る主神に話しかけた。

 

 「こ、殺されるのかと思ったぞ…。あの顔、俺に積年の恨みでもあるのかというくらい鬼気迫る表情だった…」

 

 「そうじゃな、お前がエロい事が大好きで女を可愛い穴としか考えていない様な紳士だと彼女が知ったら、きっともっと素敵な表情が見れるじゃろう」

 

 ハムザは、絶対にそんな瞬間に立ち会わないぞと強く心に誓った。リューが注文を取りに来たり、大切な騎士様のご用命に預かることはないだろうかと彼らのテーブル付近をうろうろしている時、彼はまるで生きた心地がしなかった。

 

 「しかしお前、一体どこをふらついていた?約束の時間はとうに過ぎておる」

 

 実は自分はロリコンであるという事を気にするあまり、ここに辿り着くまでに五回は道を間違えてしまったのだ。しかしそんな事は口が裂けても絶対に言いたくない。

 

 注文した料理を食べ、美味い酒を飲み始めてしばらくすると、次第にハムザはいい気分になってきた。自分がロリコンでも全く問題がない気がした。今ならまともに話ができる気がしたので、彼は近くをうろついていたリューに視線を送る。

 

 するとリューはすぐさまその視線を感じ取り、無表情で近づいてきた。

 

 「追加のご注文はありませんか?」

 

 「おう、追加の注文はな、リューちゃんとセ…」

 

 テルクシノエがぎりぎりでハムザの言葉を遮り、大きな声でリューに話しかけた。

 

 「リューちゃん!こいつは酔っているのだ。実は酒に頼らないと忘れらないくらい辛いことが起きたのじゃ」

 

 リューは首を傾げた。辛い事とは、一体何だろう。私に力になれることはないものかと期待しながら、彼女は女神の次の言葉を待った。

 

 「可哀そうに、運命という奴はいつも立派な男に辛い仕打ちをするのじゃ。それも仕方ない。鋼をより強度に鍛えるために、職人が槌で叩くのと同様じゃ」

 

 リューは耳を傾けている。ハムザは意味が分からないという表情で主神を見つめていた。

 

 「リューちゃん、高潔の士には、そうなるために必要なだけの試練が科されるのじゃ。ハムザは今、その大きな試練に直面し悩んでいる」

 

 いよいよ我慢できなくなったリューは、意味深な言葉を発した主神に問いかける。

 

 「なにか私に手伝えることがありませんか?」

 

 「おぉ…お前もまた、立派な志を持っているようじゃ。だが聞いてしまえば、もう後戻りはできんかも知れんぞ?それでも良いか?」

 

 「構いません」

 

 鋭い眼光を放つリューの体を、真っ赤になったハムザがエロい目で舐めるように眺めていた。

 

 (可愛い顔してるし、おっぱいも大きくてエロいなぁ…。あのケツを掴んで、たっぷりバックで犯してやりたいなぁ…)

 

 リューがその視線に気づかない程、主神の話に引き込まれていたのは幸いだった。主神は心の中で愚かな眷属に舌打ちしてから、まっすぐに自分を見つめてくるリューに言った。

 

 「実はな、ハムザはとある少女を救おうとしておるのじゃ。その少女はまだ子供なのにも関わらず、女郎屋で働いている」

 

 リューは眦に力を込めて言い放った。

 

 「許される事ではない。誰がそんな事をさせている?」

 

 「わからん。だが、【ソーマ・ファミリア】が関わっているのは明白じゃ」

 

 「その根拠は?」

 

 テルクシノエは少し間を置いて、グラスを手に取った。

 

 「ハムザが一度だけ迷宮探索を共にした【ソーマ・ファミリア】のサポーターがな、その少女が売春をしているという情報を漏らしたのじゃ。正義感に駆られたハムザは彼女の情報を元に実際に少女に会った。そして恐ろしい事に、その少女はもう長い事売春をし続けているらしいのじゃ。まるでそれが悪い事だとは思いもしないという事を言っていたらしい。のう、ハムザ?」

 

 夢見心地で呆けていたハムザは、急に話題を振られて驚いてグラスを手から落としそうになった。そしてリューに向かって赤くなった顔をぶんぶんと縦に振る。

 

 「なるほど」

 

 テルクシノエがグラスに注がれた酒をゆっくりと飲んだ。リューは拳に力を込めており、今にもそれを机に叩きつけそうだった。

 

 「合点がいきました。闇派閥がよくやる手口です。少女を若いうちから飼いならし、貞操観念を崩壊させて体を売らせる。そしてその利益で懐を潤す」

 

 「そうじゃ。そういう悪の所業を、ハムザは見過ごせない。しかし少女の居場所も、サポーターの居場所もわからんのじゃ。分かっているのは【ソーマ・ファミリア】が非常にきな臭く、汚れた悪事に手を染めている可能性が極めて高い…ということだけじゃ」

 

 リューは感慨深げな表情でハムザを見つめた。酒で真っ赤に染まった顔は、なぜかリューには怒りに震えているせいだと思われたからだ。

 

 「連中は隠れるのが上手いし、隠すのも上手い。根城を見つけるのは難しいでしょう」

 

 「そうじゃな。まぁ、ハムザは最近寝ても覚めてもそのことばかりじゃ。昨日など少女の身を心配するあまり、一睡もできなかった様子だ。こちらとしても、打てる手は打っているが、何分いざという時の戦力が足りんのじゃ。当面はそれが問題でのう」

 

 リューはテルクシノエを見た。なるほど、聞けば後戻りはできないとは、まさにその通りだ。こんな話を聞いて見過ごせるほど、自分は器用ではない。ましてや目の前の立派な男性が、自分よりも力の劣る冒険者が、必死の想いで少女を助けようとしているのに…一体どうやって力のある自分がそれを傍観できようか?

 

 震える拳をさらに強く握りしめ、リューは勢いよくそれをテーブルに叩きつけた。

 

 途端にテーブルは轟音を上げて砕け散った。食器が空中に舞い、盛り付けられていた料理が床に散乱した。何事かと他の客が目を丸くするよりも早く、厨房の奥からけたたましい怒鳴り声が轟く。

 

 「リュー!!何やってるんだい!さっさと片づけて厨房の手伝いをしなっ!!!」

 

  真っ赤になって事の成り行きを見守っていたハムザだったが、これはずいぶん参ったようだった。主神がありもしない話をでっちあげ、またしても自分がリューにとって英雄のようになってしまった。一体こんな状況から嘘がバレたら、自分はどうなってしまうのだろう。

 

 目の前で砕け散ったテーブルとまき散らされた料理や赤い葡萄酒が、まるでリューの一撃によって爆発した自分の体の中身のようじゃないか。

 

 リューを怒らせてしまったら、きっと自分はこのテーブルの様になるに違いない。そう考えるとハムザは恐怖で震えあがり、食事も喉を通る気がしない。

 

 あまりの出来事に呆然としていると、見覚えのある可愛いウェイトレスがぱたぱたと足音を鳴らしてやって来る。

 

 「すみませんっ!ハムザさん、お怪我はありませんか?いま片付けますので」

 

 「あ、シルちゃん」

 

 給仕服の良く似合うシルは急いで散乱した食器や料理をひとまとめに袋に詰め、主神とハムザを別の席に案内しようとする。しかし丁度混雑する時間だったこともあり、空席が見つからない。厨房ではリューがごつい女将に怒鳴り散らされ小さくなっているのが見える。

 

 (あのリューちゃんにも、頭があがらない奴がいるもんなんだな…)

 

 空席がないため困ったシルは、二人に相席で良いかと聞いてきた。美人とだけなら構わないというハムザの提案を主神が却下し、席を変えるため二人は人影のあるテーブルへと向かっていく。

 

 「ベルさんとは、お知り合いでしたよね?ベルさん、ハムザさんの事はよくご存じのようですので、少しの間だけ相席してもらってもいいですか?」

 

 白髪のヒューマンの少年が、席に座ってパスタを頬張っている。しかしハムザの目はベルのそばに置かれていたいかにも古臭そうな本に止まった。

 

 「よう、童貞。飯食いながら読書とは生意気じゃないか。何の本を読んでやがる?」

 

 口をもごもごと動かして食べ物を飲み込もうとするベルに代わって、シルが答えた。

 

 「ハムザさん、ベルさんは明日迷宮探索がお休みでお暇らしいので、たまたま店内にあった本を一冊貸してあげたんですよ」

 

 何かを新しく頼まなければならないので、メニューを片手に適当にシルに声を掛ける。

 

 「シルちゃん、もしかして本が好きなのか?」

 

 「はい、大好きですよ?もしかして、ハムザさんもそうなんですか?」

 

 ハムザの目は、『牛ヒレ肉のステーキ、フォアグラソ―ス』で止まった。九千ヴァリス。今自分の財布にいくらあるかを思い出せないのだが、まぁこれくらいはいってもいいだろう…。

 

 「おう、俺は本が大好きだ。俺も何か読みたい。おすすめはあるか?」

 

 シルは目を輝かせ、ハムザにあれこれと早口でしゃべり始める。

 

 「いっぱいありますよ!ハムザさんはどんな種類の本がお好きですか?純文学とか、推理物とか…もしかして意外と英雄譚ですか?」

 

 ハムザは猫人の店員に簡単に酒とステーキを注文し、目を輝かせるシルに向き合った。

 

 「濡れ場の多い本」

 

 「…えっ?」

 

 驚くシル。ベルと主神がふきだした。

 

 「わからんか?性的描写の多い本だ。好きなのは」

 

 「それってエロ本じゃあ…?」

 

 ベルが突っ込みを入れると、ハムザに頭を叩かれた。シルは当惑した表情でなんと言ったらいいか分からないようだ。主神は愉快そうに成り行きを見守っている。

 

 「シルちゃんにはまだ早いか。まぁいい。おいガキ、お前の本を先に読ませろ」

 

 半ば強引に本をひったくられても、ベルには為すすべがなかった。ハムザは運ばれてきた酒をぐいっと一気にあおった。喉が焼けるように熱い。試しに本を開き、少しだけ読み進めてみる。

 

 『魔法は先天形と後天系の二つに大別することが出来る…』

 

 『魔法とは興味である。後天系に事限っていえばこの要素は肝要だ…』

 

 ハムザには単語そのものは理解できたものの、結局その文章たちが何を叫んでいるのか全く理解できていなかった。

 

 それでも文字は頭の中で流れていく。

 

 『欲するなら問え。虚偽を許さない鏡はここに用意した』

 

 自分の顔が見える。なかなかイケメンだ。口が動き、問いかけてきた。

 

 ページをめくる。

 

 『では、始めるぞ』

 

 なんでこいつはこんなに偉そうなんだ?

 

 『お前にとって魔法とはなんだ?』

 

 うるさいなぁ。

 

 知るかボケ。

 

 まぁ、せいぜい魔法なんて不確かなものだ。

 

 男は剣ひとつでのし上がるものだからな。

 

 ページをめくる。

 

 『魔法とはどのようなものだ?』

 

 鼬の最後っ屁。

 

 ちゃちな小細工。

 

 臆病者や弱者に相応しい。真の強者は、魔法などに頼らない。俺のようにな。

 

 ページをめくる。

 

 『お前は魔法を求めていないのか?』

 

 そうは言ってない。これだからお前ってやつは。

 

 魔法を超える魔法。常識を打ち破る型破りな能力。

 

 そういうものだ。俺が欲しいのは。

 

 ページをめくる。

 

 『ではお前が欲する魔法とは?』

 

 息を吹きかけるように命を抜き取る。

 

 ぼろ屑たちにかけてやる慈悲だ。

 

 ページをめくる。

 

 『魔法になにを求めるのだ?』

 

 いわなくても分かるだろう。

 

 一撃必殺だ。

 

 どんな馬鹿も一瞬で葬る悪魔の力だ。

 

 それ以外には何も必要ない。

 

 ページをめくる。

 

 『欲深い奴だ。それ相応の対価を払うことになるだろう』

 

 腹立つなぁ。

 

 お前になんかびた一文払ってやるものか。

 

 何が対価だ。糞くらえだ。

 

 お前の母ちゃん犯されろ。

 

 ページをめくる。

 

 『下品なやつだ』

 

 文句あるか?たこすけ。

 

 ページをめくる。

 

 『そうだな。だがそれが俺だ』

 

 

 

 光が弾け、いつの間にか自分は暗闇の中を漂っていた。遠くから音が聞こえてくる。

 

 がやがやと、耳障りな音だ。

 

 「おい、起きろ。たこすけ」

 

 テルクシノエがハムザの頭を叩いた。

 

 「……ん?」

 

 状況が呑み込めずにいると、店員がやってきた。リューだ。

 

 「…今日は疲れていたようですね、ハムザさん。お酒を飲んで、眠りに落ちてしまうとは。もっとお話が出来ればと思いましたが、生憎もう閉店です」

 

 寝てた、のか?自分がどれくらいの時間寝てしまっていたのか見当も付かないが、会計を済ませて店を出ていく人の波は既に少なく、自分たちが店に取り残された最後の客だと分かった。

 

 給仕服を着た店員たちが忙しそうに食器を片付けている。調理場の奥から女将がこちらに睨みをきかせている。どうやらさっさと退散したほうが身のためらしい。

 

 「あ、そういえば俺のステーキは?」

 

 「わしが食べた。昨日の仕返しじゃ」

 

 ふんと腕組みをする主神に肩を竦め、ハムザはさっさと勘定を払い、店を出た。涼しい夜風が肌を撫でた。オラリオの星空はまるで魔法はかかったように綺麗だった。

 

 狭い通り道を抜けて薄暗い歓楽街の路地裏に辿り着いた時、我らが【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地(ホーム)であるテントの前で、少女が座り込んでいた。

 

「なんじゃ、こいつ。ハムザ、知り合いか?」

 

 (げっ…)

 

 あの時の少女だ。ハムザの心に今も影を落とすあの日の出来事。自分をロリコンの道へ誘う事になった妙にエロい体つきをした猫人の少女が、二人の目の前に座って寝息を立てている。

 

 主神は彼女を蹴っ飛ばして起こした。

 

 「はっ…?あ、リ…えっと。ミャーは寝ていましたか?」

 

 彼女はすっと立ち上がり、埃を落とすようにぽんぽんとローブを小さな手で叩いた。

 

 「ハムザさま、言われた通り来ましたニャ。昨晩と同じで、前金五万ヴァリスですニャ」

 

 再び突き付けられる選択に、ハムザは狼狽する。

 

 やるべきか、やらざるべきか。またしても、それが問題だった。

 

 もう一度少女と抱き更なるロリコンの道へ身を落とすか。あるいは過ちを正し、正常な自分をもう一度取り戻すか。

 

 路上に佇む少女はあまりにも幼く見える。一度ヤってしまってからハムザの中に蓄積された後悔と罪悪感は、そう簡単には無視できないほど大きくなってしまっていた。

 

 (セクロスするのは成人になった女だけって、昔から決めていたのに…こいつはどう見ても十二かそこらじゃないか)

 

 ハムザは決心した。据え膳を食わない方が良い時もあるとしたら、きっと今がその時だ。

 

 「すまんが、今日はそういう気分じゃないんだ。帰ってくれ」 

 

 「そ、そうはいきませんニャ!?じゃあ四万ヴァリスでどうですかニャ…」

 

 猫人の少女は食い下がる。ハムザの決意は揺らいだ。縋りつく少女を強引に押しのけてテントに入ろうとすると、少女のお腹が鳴った。

 

 「なんじゃ、お腹空いているのか?こっちへ来い。食べ物くらい食べて帰ったら良いぞ」

 

 成り行きを見守っていた主神はお腹を空かせたみすぼらしい服装の少女に同情したのか、視線で中に入れと合図を送る。

 

 少女は逡巡したものの、それに従った。テントの内部はとても豪華とは言えなかった。質の良さそうな古ぼけた調度品が数個おかれているだけで、羊皮紙や羽ペン、インクなどが絨毯に散乱している。

 

 「…誰も片づけをしないのですかニャ?」

 

 「するわけないじゃろ。物が散らかっているように見えても、実際は在るべき場所に在るだけだ」

 

 怠け者の論理は自分に理解できないものだ。しかしここで文句を言っても仕方がないので、物が散乱した部屋で唯一奇跡的に空間が確保されている場所を見つけ、そこに腰を下ろす。

 

 女神が乳香を焚くと、室内が高貴な香りで満たされる。不思議と、その匂いを嗅いだ途端ここがとても神聖な場所に思えてきた。少女にとって少し意外だったのは、乱暴で変態だと思っていたハムザが、今の所自分がファミリアの本拠地(ホーム)に入り込む事に特に異論を唱えてこない事だった。

 

 「ハムザさまは、いつ頃から冒険者稼業を始めたのですかニャ?」

 

 試しに話を振ってみると、以前に訊いた時と同じ答えが返ってきた。

 

 「二、三週間くらいだろ。そんな事より、ほれ。これでも食っておけ」

 

 ハムザは器に盛られていた果実の類を、そのまま少女に手渡した。

 

 (二、三週間であんなに強くなってしまったら、私のこれまでの努力は一体何なのでしょうか?本当に、理不尽な世の中です…)

 

 手渡された器から葡萄を一つ、また一つと摘み口に入れる。

 

 「…おいしいですニャ。でも、こんなおもてなしを受けてしまったらご奉仕しないのは失礼ニャ。今なら三万ヴァリスぽっきりで、中出しもOKですニャ」

 

 「……う、うるさい。俺はもう惑わされんぞ、ロリの魔力には。ほれ、さっさと喰わないか」

 

 促された少女は今度はバナナに手を付ける。

 

 「ハムザさまは、慈善活動でもしているのですかニャ?冒険者にしては、珍しいですニャ」

 

 それは少しおかしな質問に思われた。食事の際に隣人が集まってわいわいと騒ぐのは、祖国では誰でもしている当たり前の事だ。彼にしてもそれは同じ習慣で、例え相手がホモであろうとも、夕食などで集まってくるならば極力追い払ったりはしないように心がけていた。

 

 「飯はな、大勢で食った方がうまいんだ。それに今日一日起きた事を語り合う相手は多い方が楽しいだろ。俺はしんみり独りで飯を食うなんて事は淋しくて好かんな」

 

 ハムザは更に付け加える。

 

 「まぁ、祖国じゃみすぼらしい奴には食事も分け与えてやるのが普通だが、俺の場合は可愛い女の子限定だ」

 

 「そうですかニャ…」

 

 文化の違いですか、と彼女は思った。

 

 テルクシノエは炭を炙っており、真っ赤になった一欠けらを水煙草の上に置き、煙を吐き出し始める。

 

 「…マリファナですかニャ?」

 

 「ばかもん。これは水煙草というものじゃ。オラリオにはマリファナもあるが、これは煙草じゃよ、お前も吸ってみるか?」

 

  少女はホースを手渡され、ちょびっと口を付けて煙を吸い込んだ。すぐにごほごほと咽せる。

 

 「な、なんですかこの味はっ!?」

 

 「ははは、初めてには強すぎたか?これは煙草味の水煙草じゃ」

 

 (そ、それって普通に煙草を吸った方がいいんじゃあ…?まぁ野暮な質問は、しないでおきますか…)

 

 「しかし、よく食うな。そんなに腹が減っていたのか」

 

 ハムザの言う通り、少女は大盛りの果物を既にほとんど平らげてしまっていた。

 

 「はいニャ。リ…ミャーはとってもお腹が空いておりましたニャ。テルクシノエさまとハムザさまは、とってもお優しい方々です。どうもありがとうございましたニャ」

 

 すっと立ち上がり帰ろうとする少女を、主神が引き留めた。

 

 「まぁ、待つのじゃ。まだそう遅くもない、少しリリちゃんについて聞きたいことがあるのじゃ」

 

 「…?」

 

 少女は訝しげな視線を女神に送る。変身しているとは言え、自分はリリだ。一体聞きたい事とは何だろうか。考えてみても、身に覚えはなかった。少なくとも現段階で、【テルクシノエ・ファミリア】に対しては。

 

 無言を貫くリリをよそに、女神は水煙草をふかしながら質問する。

 

 「リリちゃんと【ソーマ・ファミリア】の関係について知っている事を教えるのじゃ。それと、お前もあのファミリアの団員なのか?」

 

 リリは冷や汗が垂れる思いだった。神に対して、通常下界の人々は嘘を吐けない。当然リリも同様だった。女神と相対し率直な質問をぶつけられたこの感覚は、きっと魂が天界へと昇り生前の行いに対する審判が下される時の質疑応答と、何ら違いがないのだろう。

 

 女神の質問を吟味してから、嘘にならず、尚且つ答えられる範囲の回答を何とか捻り出す。

 

 「ミャーは【ソーマ・ファミリア】とは無関係ですニャ。でもリリちゃんはあそこの人たちに虐められていますニャ」

 

 「そんな事は初耳だがな。あのガキ、君に嘘を吐いているんじゃないか?あいつ、盗人だから平気で嘘を吐く。油断ならん奴だぞ」

 

 バレていましたか、とリリは心の中で呟いた。しかし、この連中が自分に対して敵対的だとわかったのは収穫だった。今後は二度と近づかない方が良いとわかったからだ。そうと決まれば、長居は無用。出来るだけ早く会話を切り上げて、さっさと撤収するのが一番だ。

 

 そうでもしないと、質問の内容いかんではとんでもない事になりかねない。最悪、身元がバレてこの野蛮人にまた犯された挙句、ギルドに突き出されて牢獄にぶち込まれるだろう。

 

 しかしそれでも、ザニスに捕まった時の生活よりはマシかもしれないが…。

 

 「リリちゃんはとてもいい子ですニャ。悪いのは全部【ソーマ・ファミリア】の連中ニャ。御馳走を頂いてごめんですけど、ミャーが知ってるのはこれくらいですニャ。では、そろそろミャーは帰りますニャ」

 

 リリはありがとうございました、とぺこりとお辞儀をしてからテントから外に出ようとしたが、テルクシノエがもう一度引き留める。

 

 「まぁ、待て待て。良い情報をやろう。うちのファミリアはギルドと細くない繋がりがあってな、ギルド長のノイマンから近日【ソーマ・ファミリア】に査察が入るだろうという情報を教えて貰ったのじゃ。理由は奴らに聞いた方がいいだろうが、まぁごまんとあるだろうな。場合によってはそのままギルドと結託したとある巨大なファミリアが、武力行使をも厭わない対応をするそうじゃ」

 

 「そ、それは本当ですかニャ?」

 

 確かに、【ソーマ・ファミリア】の団員たちはステイタスを偽ることなど勿論、脱税や人身売買などにも手を染めている。それでも今までギルドのちょっかいが出てこなかったのは、団長のザニスが徹底的に情報を秘匿しているからだ。

 

 「まぁ、本当かどうかは近日わかる。それに確証がなければ、話したりなどしないのじゃ。では、帰って良いぞ、気を付けろよ」

 

 テルクシノエとハムザに見送られ、リリは歓楽街の路地裏を歩き始めていた。

 

(あの情報がもし本当ならいい気味です…。あんなファミリアなんて潰れてしまった方が、リリは幸せになれるでしょうし)

 

 しかし、ザニスは長年あくどい犯罪行為を繰り返しながら摘発を潜り抜ける頭脳を持った男だ。仮にギルドが【ソーマ・ファミリア】の本拠地に査察に来ても、既にそこが蛻の殻だったなんていう事になりかねない。

 

 事実、【ソーマ・ファミリア】の実態は本拠地にはない。彼らが際どい仕事をしている場所は秘匿されているし、末端の自分には知り得ない情報だ。そういう理由もあって、自分にはどうしてもあのザニスが捕まる光景を想像できなかった。

 

 結局、自分の命運は明日のファミリアの集会で分かる。主神に対し、所持金三百万ヴァリスで脱退を申請する。ただそれだけだ。

 

 今はそれが受け入れられなかった時のことなど、とても考える気にはなれなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 -魔法-

 

 

 少女が出て行ってからしばらくして、主神はハムザに声を掛けられてステイタスの更新を行っていた。

 

 「はぁ、何だか知らんが熟練度の評価値がSに近づいてきておるなぁ。最近セックスしたか?」

 

 「思い出したくもないが、あの少女とやったのが最後だ…」

 

 「なんじゃ、ロリは成長に良く作用するのか?攻撃なんかがやたらと上がっているぞ」

 

 (攻撃…攻撃…。ダンジョンで蟻を大量に殺してたっけ、そういえば)

 

 「まぁ、セクロスするだけじゃなくてモンスターを殺せば成長も早まるって事だろう。もうロリのことは忘れさせてくれ。頼むから。さっきの子供も断りはしたが、妙にエロくてかなわん。勃起が収まらなかったぞ」

 

 「あれがか?お前、本当にロリコンになってしまったのじゃな…。母上はさぞ残念なことじゃろうに」

 

 (うっるさいなぁ、こいつ…。しかし、ロリコンになったのはやはり事実かも知れん)

 

 「そんなにショックか?」

 

 主神の質問には頷く気にも、答える気にもなれずハムザはただじっとステイタスの更新が終わるのを待っていた。

 

 「そうじゃなぁ、昨日まで普通(ヘテロ)だった人間が急にホモになったら、自分に幻滅するかもしれんのう」

 

 「だがまぁ、気にするほどのものでもない、そのうち慣れる」

 

 主神はそう言ってから、急に手を止めた。

 

 「……なんだ?さっさとしろ」

 

 「魔法じゃ」

 

 「…は?」

 

 「魔法が発現しておる。これがロリの魔力か?」

 

 「なんだとっ…!?」

 

 ステイタスの更新が終わり、主神が手早く共通語に翻訳した紙切れをハムザに渡す。

 

 彼は眺めて絶句していた。

 

【ハムザ・スムルト】

 

 

 Lv.1

 力:A 866 耐久:A 828  器用: D 506 敏捷: D 523 魔力:H 140

<魔法> 【イェベン・ティ・マーテル】

<スキル> 【性交一途-セクロスシテーゼ-】

 ・性交の数だけ早熟する

 ・精液に魅了効果 経験値ーエクセリアー付与

 ・快感の丈により効果上昇

 

 

 「【イェベン・ティ・マーテル】?この魔法は何だ?お前、一体どんな余計なことをしたのじゃ?」

 

 ハムザは今日の出来事を思い起こす。しかし魔法が発現するきっかけとなるような事と言ったら、一つしか思い浮かばない。『豊穣の女主人』で見た、あの夢だ。

 

 「…ううむ。リューちゃんのところで本を読んだら眠くなって、夢をみたのだ…。俺の物真似をした奴が、魔法について生意気な講釈を垂れる夢だ」

 

 ハムザが持ち帰ったその本は机に置いてあった。それをテルクシノエは手に取り、「そうか、この本か」と主神は頷いて、ぱたんと本を閉じた。

 

 「お前が読んだ本は、魔導書(グリモア)じゃ。強制的に魔法を発動させる魔法道具で、普通は一億ヴァリスは下らん。持ち主に知られるとまずいが、さっさと燃やしてしまえば大丈夫じゃ」

 

 ハムザが本を開いてみると、なるほど中身は真っ白だった。主神は横から「魔導書(グリモア)は一度読むと効果を失うのじゃ」と声を掛けてくる。一億ヴァリスの本を使用してしまったのはまずい気もするが、盗んだ訳じゃない。燃やしてしまえばバレないだろうという主神の意見は最もだと思われた。

 

 「うむ、なかったことにしよう。シルちゃんには失くしたと言ってしらを切り続ければいい。しかし一体どこの阿呆がそんな本を店に放置してたんだ?」

 

 主神はハムザの質問に答えられなかった。しかし、恐らくこういうとんでもない馬鹿をするのは決まって神のどれかだ。何者かの神意の上で、誰かが踊らされている…。それが誰かと問われれば、答えは明白だ。

 

 (しかし、じゃ。魔導書(グリモア)を寄こしてくるくらいなら友好的と見ておくが…。何かが仕掛けてくる前に、こちらも手を打っておかんといかんのう)

 

 ハムザは突然魔法を授かったという事実に呆然としている。手を閉じたり開いたりして、その感覚を確かめようとするも特に変わりはない。

 

 「よし、今からダンジョンで試し打ちをしてくるぞ。お前、寝とけ」

 

 「ん?まぁ、気を付けろよ。私は明日から本気だーす」

 

 主神は呑気に大きなあくびをしてから、ベッドにどさっと横になった。

 

 その様子を見てからハムザはテントの外へ出た。聞きなれた歓楽街の喧騒が遠くから聞こえてくる。薄暗い路地裏を進むと、可憐な少女に肩を回しエロい顔つきをしているヒューマンとすれ違った。

 

 昔のハムザなら、ロリコンめくたばれと悪態を吐いたことだろう。しかし、今の自分にそんな事を言う権利はない。魔法を手に入れた高揚感は既に失われ、再びハムザは後悔の渦にとらわれていた。

 

 そんな状況だったせいか、重い足取りでバベルまで辿り着くまでに、いつもの倍の時間を要した。時刻は深夜を回ってしまっているだろうか。しかし、ここまでくれば引き返すわけにも行かない。ハムザはダンジョンの入り口へと進み、やがて一階層へ辿り着く。

 

 いつもなら人気の多いダンジョンとオラリオを繋ぐこの『始まりの間』には、今は人影すら見えない。ここから少し進んでから、ゴブリンあたりに試し打ちをしてみるのが妥当だろう。

 

 (ううむ、落ち込んでいる場合ではないな。取り合えず今は魔法の事だけを考えればいい。後の事は後で考える事にしよう)

 

 深く進んでいくにつれ、燐光の瞬くダンジョンはまさしくダンジョンらしいその様相を表し始める。すると百メートル程先に、小さくうごめく影を見つけた。

 

 ゴブリンだ。間抜けな顔で目的もなく徘徊している。足音に気づいたのか、ゴブリンはその爪を立てながらハムザへと疾走を始めた。

 

 『ギィィィアアアア!』

 

 数秒のうちにゴブリンはハムザとの距離を半分ほどまで詰めていた。不思議とハムザには、何をしたら良いかわかっていた。右手を上げ、手のひらを大きく広げながら叫べば良い。それが『詠唱』となり、目の前の愚かなモンスターを一瞬で灰にするだろう。

 

 息を吸い込み胸を膨らませて、大声でその魔法を叫ぶ。

 

 『イェベン・ティ・マーテル!』

 

 すると右手から、どす黒く光る粒子の波がだだっ広い通路を覆いつくすように光速で広がっていき、消えた。

 

 一瞬の出来事だった。

 

 何が起きたのか分からず辺りを見渡すと、先ほどこちらに疾走していたゴブリンはかっと目を見開いたまま地面に寝転がっている。

 

 「死んだ、のか?」

 

 試しに蹴飛ばしてみても、全く反応がない。しかし、ゴブリンは灰にもならず、流血もする事なくただそこに横たわっているだけだ。まるで気絶しているかのように、身じろぎ一つすることなく脱力している。

 

 これが魔法の効果なのだろうか?しかし確証を得るには、もうしばらく実験が必要だ。他の種類のモンスターにも魔法を当ててみて、どのような結果になるかを調べなければならない。

 

 「ううむ、よくわからん。深夜だが、もう少し降りてみないと仕方ないか…」

 

 それからしばらくの間、ハムザは魔法を詠唱し続けていた。

 

 結果は全て同じ。どんなモンスターもそのどす黒い波に飲み込まれた途端に行動をやめ、地面に力なく崩れ落ちていくのだった。ハムザは結論を下す。

 

 「気絶させる魔法、ってことか。何かしょぼいな。大型モンスターに効くかもわからんし…」

 

 『…イェベン・ティ・マーテル~』

 試しに気力のない詠唱で魔法を打ってみても、結果は同じだ。

 

 ニードルラビットの群れがただそこに横たわっている。一匹ずつ長剣で串刺しにして灰に変えていく作業が面倒で、ハムザはそれを放置することにした。

 

 (もういっか。充分に実験したし、帰るとするか。しかしなんか釈然としない魔法だなぁ…)

 

 そうだ、全く釈然としない。火を噴き出すわけでもないし、突風で切り裂く訳でもない。

 

 黒い粒子の嵐が飛び出て、後は敵が寝っ転がるだけの魔法だ。一応、緊急時には使えるかもしれないが、この手の状態異常系の魔法はモンスターが強くなればなるほど効果が出辛くなるのが目に見えているし、それは対人戦でも同じだろう。

 

 相手に『耐異常』のアビリティがあれば、かんたんに打ち消されてしまうに違いない。

 

 そう考えると、ハムザはこの魔法を捨ててしまいたくなった。溜息を吐きながら上の階層への階段へ向かうために踵を返すと、背後の通路から人声が聞こえてくる。

 

 こんな時間に迷宮探索とは珍しい。その声はだんだんと近くなる。女性二人の声だ。

 

 「そうだ、最近ヤってないからここらで襲ってみるのも手かも知れん」

 

 期待に胸と股間を膨らませながら佇んでいると、その影は青い燐光に照らされて姿を現した。

 

 『あっ』

 

 ハムザとその少女は同時に声を出した。

 

 (アイズなんとかちゃんと、美人エルフのリヴェリアちゃんじゃないか)

 

 自分が口を開くより先に、リヴェリアが言葉を発する。

 

 「ハムザ・スムルトだな?こんな時間に何をしている…と聞くのは野暮か」

 

 リヴェリアは知性に満ち満ちた瞳でエロい表情を作るハムザを見つめている。隣でアイズはきょとんとした表情で佇んでいた。

 

 「…リヴェリア、知り合い?」

 

 アイズの質問に、彼女は頷いて応える。

 

 「以前シルの酒場で出会った冒険者だ。この前と同様に、やはりまともな男には見えんな」

 

 それもその筈だ。ハムザは股間を膨らませて今にも襲い掛かりそうな気配で近づいている。

 

 その様子を察知したアイズは、途端に雰囲気を豹変させて剣呑な視線でその動きを制止する。

 

 「…止まって。それ以上近づけば、斬ります」

 

 ハムザは射すくめられた。彼女がいつ剣を抜いたかも分からなかったが、ともかくその剣先が自分の喉元から僅か数センチの所で止まっていた。目で追う事すら出来ぬ早業。

 

 冒険者としての、レベルが違う。こんな化物を相手にしても仕方がないと痛感させられたハムザは、後退りして弁明を始める。

 

 「いや、すまんすまん。二人があまりにも綺麗だったもんで、つい近くで見ようと思ってな。俺は今『魔法』の試し打ちをしていたところだ」

 

 「…試し打ちだと?新たに発現でもしたのか」

 

 ハムザはこの時、少しだけリヴェリアが狼狽したのを察知した。

 

 自分が一か月のうちにランクアップすれば、リヴェリアのおっぱいを弄り倒した挙句セクロスする事が出来る。そういう約束を取り付けた記憶があった。

 

 本来であれば軽くあしらわれてしまう要求だっただろう。だが悪名高い【ロキ・ファミリア】の連中は強くなることに異常な程に執着をしているようだと主神は言っていた。 

 

 だから魔法が発現する程の急速な成長を目の当たりにすれば、いよいよこの気高いエルフも自分から股を開いて中出しを懇願してくるに違いない。ついでに隣のアイズちゃんもずるいずるいと言いながらむしゃぶりついてくること請け合いだ。

 

 「…そこのニードルラビットの群れを見てみろ。俺の魔法を喰らってこの有様だ」

 

 二人は近くに横たわり動かないモンスターの群れを見た。確かに数匹のニードルラビットが何らかの外的要因により行動不能になっているようだった。

 

 「実はな、魔法を撃ったものの効果がよく分からんのだ。気絶しているというか、寝てるというか」

 

 「ほう、興味深いな。アイズ、どう見る?」

 

 リヴェリアの質問に、金髪金眼の少女は「わからない」と首を横に振った。

 

 「ハムザ。魔法を空打ちしてみろ。私が分析してやる」

 

 願ってもない要求だ。他の派閥に自分の手の内を晒すのは癪だが、他ならぬリヴェリアちゃんの頼みであれば無碍にすることもできないし、一応本職の魔導士による分析を聞いてみたい。だからハムザは了解し、右手を構える。

 

 「よし、あっちに撃つぞ。範囲が広いが一瞬だからな、しっかり目を見張っておけよ」

 

 そして力いっぱいに叫んだ。

 

 『イェベン・ティ・マーテル!』

 

 すると、どす黒い粒子が波打つ嵐のように広間を駆け巡り、一瞬のうちにして消えた。

 

 振り返ると、二人は驚いた顔をしている。

 

 「…詠唱無しの、速攻魔法か。そう簡単にお目にかかれる魔法ではないようだな」

 

 「うん。範囲も広いし、速いね。不意打ちだったらまず避ける事は出来ない」

 

 二人の感想に、ハムザは大満足だった。

 

 「そうだろう、そうだろう。しかし肝心の効果が良く分からん。気絶って事でいいのか?」

 

 「それについては、何とも言えん。アイズ、試しに受けてみるか?」

 

 それはいくら何でもまずいだろうと思ったハムザだったが、なんとアイズはあっさりそれを了承した。

 

 「うん。『耐異常』のアビリティなら私も持ってるし、レベル差を考えればまず効果は出ないと思う…」

 

 (お、おう?なんだかずいぶん舐められてる気がするが…)

 

 アイズはハムザを見つめた。その金眼と初めて視線を合わせたハムザは、改めて彼女が纏う黄金の雰囲気に股間を膨らませていた。

 

 驚くほどの美女が二人だ。誰が勃起を押さえていられようか。しかしそんな事は今は無関係だ。「いいよ」とだけ言ってアイズはハムザに相対する。

 

 「…一応確認するが、何が起きても文句は言うなよ?」

 

 ハムザはそう言って、再び右手を上げた。次の瞬間、詠唱が広間に鳴り響く。

 

 『イェベン・ティ・マーテル!!』

 

 どす黒い波がアイズを瞬く間に包み込んだ。それは暫く彼女の傍で踊りながら、やがて昇っていき消えた。

 

 「なっ…」

 

 自信たっぷりに『効果は出ない』と胸を張っていた彼女は、今では力なく伏していた。

 

 「し、信じられん!おい、アイズ!起きろ!」

 

 リヴェリアは彼女のもとに屈みこみ、アイズの容態を必死に調べ始める。

 

 なんかだとても不味い事をしてしまった気がして、ハムザは咄嗟にナァーザから受け取った『二属性回復薬(デュアル・ポーション)』をホルスターから取り出して、アイズに振りかけた。

 

 「…ん」

 

 ぱちり、とアイズは目を開けた。その様子を見てリヴェリアは心底安心したようにため息を吐いた。

 

 「お、俺は一応確認したからな。間違っても今更怒るなよ…?」

 

 「アイズ、いったい何が起きた?今体がどんな状態か、わかるか?」

 

 リヴェリアの問いかけに、アイズは頷いて答える。その口調は先ほどとは打って変わって疲れ果てたようで、鈍かった。

 

 「う…うん。なんだろう、精神疲弊(マインドダウン)した時と同じような感覚…。体が、重くて…」

 

 再び彼女はがっくりと頭を垂れて、次第に寝息を立て始めた。

 

 リヴェリアは彼女をそっと寝かし、立ち上がってからハムザに振り向いた。

 

 「…驚いた事だが、今の出来事ではっきりとわかった事がある」

 

 「…ん?」

 

 「お前のは『魔法』などではない。単純な状態異常魔法なら、アイズに効果が出る筈がないんだ」

 

 「じゃあ、何なんだ」

 

 ハムザの問いかけに、リヴェリアは瞑目する。

 

 少し間を置いてから、その口をゆっくりと開いた。

 

 「呪詛(カース)だろう」

 

 呪詛(カース)?聞きなれない言葉に、ハムザは肩をすくめた。

 

 「…強い状態異常を引き起こす、『魔法』とは一線を画すもう一つの『魔法』だ。呪詛(カース)に対しては『耐異常』は効果がないし、レベル差による成功確率の変化もない。受けた者は特殊な耐呪詛(アンチカース)装備がない限りは、必ずその効果を受ける」

 

 なるほど。それならば自分に相応しい魔法かもしれない。問答無用で相手を気絶させられるのであれば、それなりに使い道はありそうだ。

 

 「…驚くほど厄介だ。私の読みが正しければ、これは『強制的に精神疲弊(マインドダウン)を引き起こす』効果だろう。単純な気絶とは比べ物にならない程厄介だ」

 

 「…ほう。悪くないな。これさえあればどんな化物を相手にしても一本取れるかもしれないわけだな」

 

 ハムザの発言に、リヴェリアは首を縦に振った。

 

 「その通りだ。しかし、呪詛はその強力な効果から、詠唱者に身体的負担を強いる。お前、体が怠いとか動かないとか、そういった症状が出ているだろう?」

 

 その言葉を受けて、ハムザは四肢を動かしてみる。別に普通だ。

 

 「いや、別に?」

 

 「嘘を吐くな。呪詛(カース)罰則(ペナルティ)は必ず付くものだ」

 

 「そんなこと言われても、平気なもんは平気だ」

 

 リヴェリアは信じられないといった面持ちで、呆れたように首を左右に振っている。実際にの罰則(ペナルティ)ない呪詛(カース)があるとしても、このような強力な効果は決して出ないはずだ。もし本当に罰則(ペナルティ)がないとすれば、もはやこの魔法は反則(チート)と言わざるを得ない。

 

 オラリオ中の冒険者が耐呪詛(アンチカース)の装備を新調しなければ、全員彼にやられてしまうに違いない。

 

 (念のため確認しておいて、正解だったな…)

 

 リヴェリアはハムザに背を向け、寝息を立てているアイズを担いで言った。

 

 「この事は、内密にしておいてやろう。お前の魔法を見れてこちらも事前対策が出来るわけだからな。おあいこと言ったところだろう」

 

 そう言い残して立ち去ろうとする彼女に、ハムザは声を掛けた。

 

 「まぁ、そんなことはどうでもいい。それより例の約束、ちゃんと覚えているな?」

 

 リヴェリアは少し立ち止まり、ハムザに背中を向けながら答えた。

 

 「…ああ。覚えている」

 

 「それなら良い。アイズちゃんにもよろしくな」

 

 ハムザからはこの時リヴェリアがどのような表情をしているのか、伺い知れなかった。それでもハムザは満足だった。

 

 何故ならアイズを抱えて地上へ戻るリヴェリアの背中から、はっきりと動揺の色が見て取れたからだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 -神酒-

 

 その日は雨だった。オラリオでは一日中雨が降り続くという事はあまりない。だが不思議なこともあるもので、リリが思い出せる限りでは昨日は一日中雨が降っていたし、一昨日もそうだった。

 

 雨は嫌いではなかったが、この時ばかりは雨粒が降りしきる空へ向かって悪態を吐きたくなるほどに心が荒んでいた。どことも知れない街角の軒下で、一夜中ずっと泣きじゃくっていたからだ。

 

 みすぼらしい服装は、既に泥だらけだ。肌にべっとりと張り付いたローブが気持ち悪くて、思わず脱ぎ捨ててしまいたくなる。でもそんな事をすれば、きっと自分は寒さに凍えて死んでしまうだろう。

 

 ここの住人は皆知っていた。空が強い日差しで人々の肌をこんがり焼くことに飽き始めると、今度は人々の頭を雨でびしょびしょにして遊ぶ。そんなお遊びを繰り返しているうちに街路樹は赤く色を変え始め、皆に秋の到来を知らせるのだ。

 

 お日様がメレン港の方角から昇り始める頃、少しだけ空が明るくなってきた。するとリリは、辺りが濃い霧に包まれている事に気付く。リリには霧というものが良く分からなかったが、きっとそれは雨が石畳(ラストリカート)をぱちぱちと叩いて弾け、粉々になった物なのだろうと思った。

 

 早朝の気温は低い。びしょ濡れになって民家の壁にもたれ掛りうずくまっていると、あまりの寒さに体が小刻みに震え始める。いや、もうずいぶん前から震えっぱなしだったのかもしれない。

 

 リリの意識はあまりはっきりしていなかった。雨だけではなく、霧までもリリを苦しめに来ているからだ。

 

 昔、窓の外から見た時には抱きしめたいほど綺麗だと思ったオラリオの雨は、今や命を吸い尽すまで離れない死の抱擁の様に感じられた。

 

 「…くしゅん」

 

 小さな鼻をすすって、ぶるっと身震いをする。雨が止んでお天道様が昇れば、きっとこんな苦しみも笑い飛ばせる程暖かくなるのだろう。リリはもう一度曇天を見上げた。

 

 そこには分厚い雲が何重にも重なって、暖かい陽射しを決してリリまで届けないように遮っていた。

 

 そうだ。誰も自分には優しくしてくれない。ファミリアの仲間だけではない。自分の両親もだ。彼らは自分に愛情を示してくれた試しなどなかった。今でも記憶にあるのは、酒瓶を手に嬉しそうに顔を赤らめる父親の大きな手だ。まだ小さい自分が近づくと、その腕はリリを殴り飛ばした。母親はと言うと、泣きじゃくる自分に近づいて来るや否や、何か汚い言葉で罵ってから何度も頬を引っ叩いた。

 

 その時からだろう、自分が産まれてくるべきではなかったと悟ったのは。

 

 リリの周りに在るありとあらゆるものが、決してリリを幸せにしてはならないと神様に言いつけられているのだろう。冒険者もそうだし、家族もそうだった。そんな環境にいよいよ我慢出来なくなった自分は、昨晩ファミリアから逃げ出してしまった。

 

 頼る当てもなければ、夜露を凌ぐ宿を取るための蓄えもなかった。そもそも、無計画で飛び出してきただけだ。ずぶ濡れの泥だらけになったとて、いったいどうして文句が言えようか。

 

 雨足は強まっていく。冷たい風はリリから決して離れるものかとして、頑なに自分の周りで音を立てながら舞い続けている。心臓が冷たい手で握りつぶされているようだ。それが寒さのせいなのか、悲しみのせいなのかは分からない。ただ、遅かれ早かれ、この鼓動はその手によって止められてしまうのだろう。

 

 すると背を凭れていた民家の壁が、がたがたと振動した。頭上で鎧戸が跳ね上げられ、優しそうなお爺さんが窓からリリを見下ろした。

 

 「…おや?お嬢ちゃん、こんな所で何をしているね?凍えているではないか。はやく中へ入りなさい」

 

 それからの事は、あまり覚えていない。とにかく次の瞬間には、毛布に包まって暖炉の火に当たっていた。その暖かさは強烈だった。人類がいかにして火によって救われてきたのかを、自分はその時に実感したのだ。

 

 それ以来、暖橙色を見る度にその時の事を思い出すようになった。いつも暖かくリリを包んでくれた火だけは、決して自分を裏切らないのだと知った。その優しい暖炉の炎に包まれた瞬間から、リリの幸せな日々が始まったのだった。

 

 

 

 「おじいさん、このお花はどこに置けば良いですか?」

 

 リリは小さい体を覆いつくすほどの大きな花を持っている。

 

 「あぁ、向日葵は適当に置いとくれ。いや、待てよ。そうじゃの、向日葵はお客さんに一番最初に見てもらえるような場所に置いて貰おうかのう」

 

 「わかりました!」

 

 たっぷり土の入った鉢を落っことさないように慎重に運びながら、リリはそれを店外に置いた。一つでは足りないので、何往復もして大きな向日葵が植わった鉢をたくさん店の外に並べていく。しばらくすると、花屋の入り口は美しい向日葵で綺麗に彩られていた。

 

 「あら、リリちゃんはセンスがあるわねぇ」

 

 お婆さんが朝食の買い出しから戻ってきた。紙袋からは焼き立てのパンの香ばしいにおいが漂っている。

 

 「おや、もう飯の時間か。どれ、リリちゃんや。ちょっと休憩にしよう」

 

 あの日お爺さんに拾ってもらってから、既に数週間が経った。

 

 リリは彼ら老夫婦が営む花屋を手伝いながら一緒に暮らしていた。ファミリアから出るまでは全く知らなかった事だが、世の中にこんなに優しい人たちがいるなんてことは、彼女にとっては衝撃的な事実だった。

 

 食事だけでなく、暖かい布団にかわいらしい洋服まで彼らは惜しみなくリリに与えてくれた。子供を設ける事が出来なかった彼らにとっては、リリの存在は特別なものだったのかもしれない。しかしそうした事実を差し引いても、彼らはやはり優しく寛大で、尊敬できる素晴らしい人物だった。

 

 綺麗な花たちに囲まれる生活は、まるで天国のようだった。毎朝、焼き立てのパンの芳醇な香りと色とりどりの花束から漂うかぐわしい匂いに包まれて朝食を取ることは、全くもって至福の一言だ。

 

 こんな生活が出来るのだと知っていれば、自分はもっとはやくファミリアから抜け出したものを…。そんな風に後悔する事も、幸福な日々を過ごしていくに連れて徐々になくなっていった。 

 

 「リリちゃんは、どの花が一番好きかね?」

 

 ある日お店を閉めた後、お爺さんはリリにこう質問した事があった。

 

 彼女にとって、こんなに素晴らしいお花の中から一番を決めるなんて言うことは、殆ど不可能にも思われた。しかし強いて言うならば、自分はお日様の様に明るい色をした向日葵が好きだった。だからリリは無言で向日葵を指さした。するとお爺さんは大きな向日葵をよいしょと持ち上げて、リリの前に置いた。

 

 「これは、リリちゃんに上げようかのう。飛びきり綺麗な一株じゃが、寒くなってきたせいで少し元気がなくなってしもうた。このまま買い手がつかないまま店頭に並べるのも可哀そうじゃ。リリちゃんの部屋に、飾っておくとしようかの?」

 

 お爺さんの優しさに、リリは飛び上がって喜んだ。そんな様子を愛おし気に見守るお婆さんは、「良かったねぇ」と言ってリリに甘いお菓子を手渡した。二人に何度も何度もお礼を言ってからリリは大急ぎで階段を駆け上がり、向日葵を自分のベッドのすぐそばに置いた。

 

 その夜の事は死ぬまで忘れないだろう。

 

 皆が寝静まった頃、リリは通りで妙に騒がしい声が聞こえて起こされた。

 

 何事かと思って階段を下りていくと、鎧戸が壊されて一階の店内にいくつもの松明が投げ込まれる。その中の一つが店内に置かれていた花に火を付けた。瞬く間に炎が燃え広がり、リリが大好きだった向日葵が赤い炎に包まれた途端、ものすごい速さで萎んでいき真っ白な灰になってしまった。

 

 「おらぁッ!いるんだろ、アーデ!邪魔するぜぇッ!」

 

 店の扉を蹴破って、【ソーマ・ファミリア】の連中が店内に雪崩れ込んできた。彼らは鉢をひっくり返しては花に火を付けていく。石造りのお店はそう簡単に燃えたりはしないが、お花は別だ。赤い炎に触れた途端に、彼らは生気を抜かれたように真っ白い灰に変わってしまう。ずっと自分の味方だと思っていた炎は、一瞬にしてリリの敵に成り代わっていた。

 

 リリは悲しみに堪らなくなって叫んだ。

 

 「ザニスさま!?お願いです、どうかこんなひどい事は止めてください!?」

 

 二階から老夫婦が大急ぎで降りてきた。彼らは目を丸くしてザニスとその取り巻きを見つめている。

 

 「あ、あんたたちは何者だ?こんな事をして一体何になると言うのかね!?私たちがあんたに何か迷惑でもかけたというのか!」

 

 「あぁ、かけたぞ」

 

 ザニスの一言に、リリは凍り付いた。彼らがどうしてここに乗り込んできたのか最初は見当もつかなかったが、愚鈍な自分でもその彼の言葉で理解することが出来た。

 

 彼らは自分を罰しに来たのだ。無断でファミリアから抜け出そうとするなど言語道断。けじめも付けずに逃げ出せるほど【ソーマ・ファミリア】は甘くはないと言うことだ。

 

 「わ、私らが何をしたというのですか…?」

 

 お婆さんは恐る恐るザニスに声を掛けた。彼女の瞳には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。当然だ。お店をこんなに無茶苦茶にされてしまっては、当然のことだ…。

 

 「直接的な原因がお前たちにある訳ではない」

 

 ザニスは冷たく言い放った。

 

 「そこのアーデが無断でファミリアを抜け出したのだ。俺たちは今日、そいつを取り返しにきただけだ」

 

 老夫婦は信じられないという顔でリリを見つめた。

 

 「…ファミリアの一員だったのか?冒険者じゃないって、リリちゃん、あんた最初に言ったじゃないか!」

 

 ひどい。あんまりだ。大好きだったお爺さんを傷つけてしまった。自分のついた嘘によって、彼らのお店を滅茶苦茶にしてしまった。自分はなんてひどい奴なんだろう…。

 

 「嘘を吐いていたのか、アーデ?お前は俺たちに狙われるだろうことも、俺たちがその気になれば平気で店の一つや二つは潰すことが出来るということも、何も伝えていなかったという事だな?」

 

 土や硝子が散乱し、灰になった花にちりちりと赤い火が灯っている。大好きだった向日葵は、今や見る影もない。それは老夫婦も同様だった。リリが大好きだった彼らは、自分が巻いた炎によって真っ白く燃え尽きてしまっているようだった。

 

 「お前は残酷な奴だな、アーデ。お人好しの老人に匿ってもらって、彼らに迷惑を振りかけてなお、謝罪の言葉すら出ん訳だ」

 

 その通りだとリリは思った。全ての責任は愚かだった自分にある。それなのに、どうして自分の口は動かないのだろう。どうして何も言えないのだろうか?

 

 居たたまれない思いで、リリはお爺さんを見た。しかし彼の目には、今やはっきりと敵意が見て取れる。あの優しい眼差しは、無言の非難を自分に語り掛けていた。

 

 そして体を震わせながら、お爺さんはリリに叫んだ。

 

 「はやく出ていけ!この薄汚い疫病神め!」

 

 

 

 次の瞬間、リリはソファーからがばっと起き上がり、その勢いで床に転げ落ちた。

 

 「いたっ…」

 

 頭を押さえながらむくりと起き上がり外を見やると、雨が降っている。

 

 今朝の夢は、もう何度も見た事のある夢だった。彼らの生活を滅茶苦茶にしてしまったあの日は、悪夢となって何度も枕元を訪ねてきていた。

 

 (止まない雨は無いって言いますが、雨は止んでもまた降るものです)

 

 あの日以来、リリは雨が大嫌いになった。

 

 しかし文句は言っていられない。今日はファミリアの集会だ。主神ソーマ様に脱退を申し込み、それを受け入れてもらえなければ、自分はもうおしまいだ。

 

 数時間しか寝れていなかったが、リリにはそんなことはもうどうでもいいように思われた。空腹や睡眠不足など、もう慣れっこだ。

 

 リリは大きなあくびをしてから、ボロボロになった窓からしばらくの間降りしきる雨を眺めていたのだった。

 

 

 【ソーマ・ファミリア】の本拠地(ホーム)には、既に大勢の団員が集まっていた。彼らにとって、ここに集まるのは特別なことだった。老若男女問わず【ソーマ・ファミリア】の冒険者たちは、ここに住んではいない。では誰がどこに住んでいて、何をしているのかという事になると…実はそれもよくわかっていなかった。

 

 ただ分かっているのは、彼らが一月かけて金策に奔走し、ステイタスの更新と神酒が配られるこの集会を待ちわびているという事だった。

 

 無論、神酒は無料で配布される事はない。その献金額に応じて配られる。多額を献金すればするほど、長い間美酒に酔うことが出来る。ただそれだけの、簡単なシステムだ。

 

 しかしそんなシステムで運営するからこそ、ここの団員たちは神酒が持つ魔力に憑りつかれ、理性を失った獣の様な者達ばかりになった。その魔力に打ち勝つ耐性を持つ人間は極僅かだった。第二級冒険者であり団長を務めるザニスなどはそうだし、副団長のチャンドラ・イヒトもその僅かなうちの一人だ。

 

 あとの者は善と悪の区別も分からず、ただ欲求のままに神酒に溺れていく。四六時中、毎日酒を飲んでいようとも、それを咎めるような人間はここにはいない。

 

 むしろ、その持ち主を刺殺して酒を奪いどこかへ消えていく…そんな人間(クズ)ばかりだ。

 

 リリは広間に集まる団員を押しのけて、主神の姿を探していた。主神はまだ広間には来ていないようだ。一度広間を出て、彼女は主神ソーマが座す部屋を目指す。自分の退団を懇願するタイミングは、今しかない。ザニスの姿が見えない今こそ好機と考え、リリは階段を上がっていく。

 

 リリは酒に溺れ自分の命すらも手放していく彼らを、可哀そうだとは思わなかった。彼らがどれだけ神酒に酔っていようと、いずれ素面(しらふ)に戻る時が来る。その時に己を恥じ、断固とした決意でその誘惑と向き合えば、神酒への依存は必ず克服できるものであるはずだったからだ。

 

 そう、自分の様にだ。一度自分は、一滴の神酒に溺れ餓鬼に成り果てる寸前まで堕ちた事があった。しかしある時に突然、暗い空に霹靂(はたた)が迸るように意識が戻った。それからと言うもの、リリはわざとファミリアの上納金を納めず、この集会に出ても決して神酒を貰おうとはしなかった。それが自分なりの神酒に対する回答だった。

 

 そうやって抵抗しようとすれば、どうにかなるものだ。それなのに抵抗する姿勢すら見せず酒に溺れ蒸発していくほかの者たちは、結局『自ら望んで破滅している』にすぎない。

 

 だから、自業自得だ。そんな愚かな者たちに同情してやる義理などない。もともとそんな余裕も自分にはなかったのだが。

 

 リリは階段を上り切り、主神の部屋の扉の前に立った。深呼吸をして、扉をノックする。すると「入れ」と主神の声が部屋から聞こえてきた。リリにとっては、主神の声を聞くのがこれで人生で二回目だった。リリは部屋に入り、開口一番にファミリア脱退の懇願をするつもりだったが、実際にその扉を前にすると緊張で胸が爆発しそうになり逃げだしてしまいくなった。

 

 意を決して足を運び主神の部屋に入った時、リリは絶望した。主神の隣でザニスが仁王立ちし、意地悪そうな笑みを浮かべて自分を見つめていたからだ。

 

 これは起こりうる可能性の中でも一番厄介な状況だった。ザニスが横から茶々を入れてくれるのであれば、主神が自分の要求を受け入れてくれるとは到底思えない。

 

 「お前の言いたい事は分かる。ファミリアを脱退したいと、ソーマ様に懇願しに来たのだな?」

 

 主神に助け舟を求めようと視線を送るが、ソーマはぶつぶつと独り言を言いながら羊皮紙とにらめっこしている。リリは完全に無視されているようだ。きっとソーマにとってリリの存在など、夏のブヨよりも目障りな存在なのだろう。

 

 ザニスの問いかけに、リリはただ無言でうなずく事しか出来なかった。

 

 この主神は酒造り以外に無頓着な事は知っていた。まともに取り合って貰えると思った自分がバカだったのだ。今更自分の行動に後悔をし始めるリリの様子を見て、ザニスは口端を釣り上げ、邪悪な顔をより一層醜く歪めて笑った。

 

 「ハハッ。考えてもみろ、お前は大切なファミリアの仲間の一人だ。ザニス様が簡単に手放す訳がないだろう?だがどうしてもと言うのなら、受け入れてやる。一千万ヴァリスを脱退金として支払えるのであればな」

 

 そんな金額、自分に払えるわけがない。もちろんザニスはその事を見越して設定した金額だろう。

 

 「…私には三百万ヴァリスしかありません。どうかザニスさま、三百万でリリを自由にしてください…」

 

 「…と言っていますが、どうされますかソーマ様?」

 

 突然声を掛けられたソーマは迷惑そうに一瞥してから、低い声で唸った。

 

 「任せる…」

 

 「では、今の要求は却下します」

 

 「任せる……」

 

 終わった。これでもう自分にこのファミリアを脱退する術はない。一千万ヴァリスを貯めれば脱退できるなどと浮かれられるほど、リリは愚かではなかった。ここの連中の事だ。あの手この手でリリから金貨を奪い取りにくるに決まっている。

 

 貯めれば奪われる。その繰り返しだ。

 

 「ということだ、アーデ。さて、集会を始める時間だ。先に降りていろ。お前が故意に献金を怠り、義務を蔑ろにして金貨を溜め込んでいたことに対する処罰は後ほど行う」

 

 そう、このようにして、リリが貯めた財産は片っ端から奪われて行ってしまうのだ。もうどうすることも出来ない。

 

 絶望から始終顔を俯いてしまうのは、もう仕方がないことだ。一体誰がこんな状況で笑っていられるだろうか。リリはこれから陥るであろう最悪の状況を、出来るだけ考えないようにして階段を下りて行った。

 

 

 

 先ほどの大広間の中心では、大きな酒樽を囲むようにして団員が居並んでいる。その酒樽を挟むようにして立つザニスとソーマが、皆の注目を一身に受けている。

 

 「これから【ソーマ・ファミリア】の定例集会を始める。いつものように、各々の献金額によって神酒ソーマが与えられる。では副団長のチャンドラより始めよう」

 

 厳めしい顔つきのドワーフが前に進み出た。リリは彼の顔に大きな青い痣が付いている事に気づいた。その目つきには明らかに敵意が籠っているが、ザニスはそんなことは歯牙にもかけず長い羊皮紙に視線を落とす。

 

 「…チャンドラ・イヒトには、五十万ヴァリスの献金によって二十杯分の神酒が与えられる」

 

 周囲がざわめいた。チャンドラはザニスから大きな杯を受け取り、酒樽から酒を汲み取り自分が持っていた大きな水筒(スキットル)に注いでいく。その作業が終わるとチャンドラは輪に戻っていき、一口ぐいっと仰いだ。周囲の人間は羨ましそうにその様子を見つめている。

 

 (チャンドラさま、あの痣は一体どうしたのでしょう…)

 

 リリはチャンドラの痛ましい顔をしげしげと眺めた。このドワーフの副団長は厳めしい顔をしてぶっきらぼうな性格だが、心から腐った他の団員とは違う。決してリリに優しかったというわけではないが、もし彼がこの派閥の団長だったなら間違いなくリリはもっと幸せに過ごせていただろう。

 

 チャンドラがザニスを団長の座から追いやるような事になったら、きっと自分は嬉しさのあまり神酒で飲み明かすに違いない。

 

 やがて一人、また一人と名前が呼びあげられていく。今の所皆がそれなりの額を献金しているようだったから、リリのそばで順番を待つ団員たちが妙にそわそわし始めた。きっと自分の番が来る前に酒樽の中身が空っぽになってしまわないか、不安でたまらないのだろう。

 

 「…ピヤーネツ。アド・ピヤーネツ」

 

 名前を呼ばれると、ひょろりとしたヒューマンの男が出てくる。足元が覚束ない様子だ。きっとここに来る前にも何杯か引っかけてきたに違いない。顔は赤く、目の焦点が合っていないようだ。

 

 「お前は今月の献金額が十万ヴァリスに届いていないな。先月もそうだ。ノルマを達成できない団員には神酒ソーマは与えられない。罰則として、ステイタスの更新も行われない」

 

 ひょろりとした男が叫んだ。

 

 「そんなっ!ふざけんじゃねぇぞ、こっちはさ、うぃっく!…酒がねぇとやってらんねぇんだ!今月の稼ぎがわりぃのは、てめぇが先月酒を寄こさなかったせいだ。くそっ、ぶっころしてやる!」

 

 男は剣を抜きザニスに飛び掛かろうとした。リリは、ザニスが串刺しにされて死んでしまったらどんなに喜ぶだろうと思った。だが期待に反して、ピヤーネツと呼ばれたその団員はザニスに肉薄する前に足が縺れて地面に倒れ込んだ。

 

 「いてっ…うぃっく。くそっ、誰かもっと酒を恵んでくれ…うぃっく」

 

 「…このキチガイを黙らせた奴には一杯余分に与えてやる。誰かさっさと始末しろ」

 

 ザニスがそういうなり、団員のほとんどがピヤーネツに飛び掛かった。人が揉みくちゃになって彼に群がったと思うと、次の瞬間には彼が喉元を切り裂かれて絶命していた。

 

 一人の男が返り血を全身に浴びて喜びの雄たけびを上げた。

 

 「カヌゥ、よくやった」

 

 それはリリにも面識がある男だった。その男はザニスと並んでリリが最も憎んでいる団員の一人だ。あの冒険者に辛酸を舐めさせられたのは、一度や二度ではなかった。それにしても、本当に屑ばかりの集団だ。酔っぱらう方が哀れなのは言わずもがな、平気で団員を殺してしまうなんて正気だとは思えない。

 

 出来る事なら、一刻もはやくこの場から逃げ去ってしまいたい。そのままオラリオの外へ出て、放浪の旅に出てみようか…。いや、自分にそんなことは出来る筈がない。例え変身魔法を使ったとしても、絶対に不可能だろう。オラリオは逃げ去る者に寛容ではないし、常に門番が脱走者に目を光らせているからだ。

 

 「…リリルカ・アーデ」

 

 リリはどきっとした。今しがたの出来事に意識が向いていたから、急に自分の名前が呼ばれたことに驚いて飛び上がりそうになった。リリは輪の中心へ歩いていき、酒樽を前に俯いた。

 

 絶対にザニスと目を合わせたくないと思ったからだ。

 

 「…リリルカ・アーデ。お前はここ数か月の間、一銭も納めていない。私はそれが、お前が愚鈍で弱いせいだと信じていたが…どうやらそうではないらしい」

 

 信じていた?ふざけたことを。最初から分かっていたくせに…。しかし。これからザニスによる公開処刑が始まるのだ。

 

 「紳士淑女の諸君」

 

 ザニスは低い声を響かせて、ファミリアの団員に問いかけるように言った。

 

 「この女は、ファミリアを脱退したくて金貨を溜め込んでいたのだ。それも、三百万ヴァリスもだ。義務を蔑ろにして逃げ去るなんていうことを、我々は許して良いものだろうか?」

 

 『『絶対に許されない!!』』

 

 リリを取り囲む連中が汚い野次を飛ばす。その中でもひと際目を開かせて激怒している人間がカヌゥだった。もう放っておいてくれ…。出来る事なら一思いに喉を掻っ切ってしまいたい。リリはそんな事を考えながら始終俯いている。

 

 「当然許される事ではない。アーデは罰せられるべきだ。そこで私はお前たちにこう問うのだ。このじゃじゃ馬を矯正するには、一体どんな仕打ちが必要だろうか?」

 

 「そんな事は簡単だ!」

 

 カヌゥが輪の中で大声を張り上げる。リリは耳をふさぎたくて仕方がなかった。

 

 「年頃の娘だ。一晩中犯してやれば、従順になるものです!何ならザニス様、俺がその役目を受け持ってもいい!」

 

 周囲の男たちの目つきが変わった。リリは自分の未来を見てしまった気がした。きっとこの連中に輪姦(レイプ)され、明日にはぼろ屑の様に横たわっているに違いない…。

 

 「それは一理あるな、カヌゥ。採用だ」

 

 ほらね、とリリは内心自嘲する。

 

 「だが些か度が過ぎる。だからこうしよう。溜め込んだ金貨をファミリアに献上するのであれば、一年間のファミリアへの無償奉仕だけで許そう。献上しないのであれば、我々の慰み者になってもらうとしよう」

 

 更にザニスは続ける。

 

 「また、献上したとしても今後同じ過ちを繰り返せば、アーデは我がファミリア専用の性奴隷となる」

 

 大広間は言いようもない熱気に包まれ始めた。女たちは面白おかしく野次り、男たちは股間を膨らませて今にも飛び掛かってきそうだった。今やここにいる全員がリリを標的にしている。しかし、金貨だけは絶対に渡したくない…。そう心に強く念じた途端、思わず言葉が飛びて出来た。

 

 「…じょ、情報があります!近々ギルドが【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭部隊を連れて【ソーマ・ファミリア】を査察に来るそうです!この情報はリリが必死に努力して入手したものです!?どうかこれに免じて今回は見逃してくださいっ…!」

 

 リリはどうして自分がその事を言ったのかよくわからなかった。しかし、それはでっち上げではなく確かな情報だった。【テルクシノエ・ファミリア】を訪れた時に入手したものだ。咄嗟の発言を思い返してみても、なかなか妙手に思えてきた。査察を事前に察知できれば逃亡や隠蔽に苦労するはずがないので、本当ならば確かに価値のある情報なはずだ。事実、団員は明らかに動揺していた。

 

 しかしザニスだけはその邪悪な笑みを崩していない。

 

 「…なかなか賢い取引だ、アーデ。だが済まんな。ギルドがこそこそ嗅ぎまわっているのは数日前から察知しているし、こちらで先手を打っておいた。おいお前、ここへ来い」

 

 ザニスに声を掛けられた人物は団員の輪からは離れており、壁に寄りかかっていた。ザニスに声を掛けられてゆっくりと輪の中へ入り込んでくる。

 

 仮面で顔を隠していたために表情は伺い知れない。身長は百六十センチほどだろうか。華奢な体つきだったが、洗練された足運びから熟達の剣士を思わされる。リリは、それがもしかしたら女性かもしれないと思った。しかし肌を一切露出せず、全身をマントで覆い隠しているから、男だと言うことも十分あり得そうだった。

 

 ザニスはその人物を紹介する。

 

 「これは俺が依頼した用心棒だ。【ガネーシャ・ファミリア】クラスの派閥が相手だとうちの戦力だけではどうしようもないからな。前々から確認していた依頼書(クエスト)の中から、より安全で信頼性のあるプロに仕事を依頼しておいたのだ。なに、抜かりはない。実力は折り紙付きだ」

 

 相変わらず用意周到な男だとリリは思った。しかしそうなれば、自分の情報はあまり価値がなかったのではないか…。

 

 「そういうことだ、アーデ。お前の情報は価値がない。だから最初に戻るとしよう。溜め込んだ金を渡すか、渡さないか。どちらだ?」

 

 頭が考えるよりも先に、リリの口が反射的に答えた。

 

 「…溜め込んだお金なんてありません」

 

 次の瞬間その言葉が悪手だったことに気づかされる。熱を帯びた顔つきのザニスが合図すると、一斉に男たちが飛び掛かってきたからだ。

 

 「や、やめてっ…!」

 

 リリの悲鳴は熱狂にかき消された。自分はまるで先ほど息絶えた男の様だ。このまま死んでしまうのなら、それはそれでいい…幸せなんて皆無の人生だった。今更なんの後悔があるだろうか。

 

 しかしリリの甘い考えは裏切られる。男たちがズボンを下ろし、いきり立ったペニスを露にして自分の体を乱暴につかんだ時、言いようもない嫌悪感が胸に広がっていったからだ。

 

 それは本能の叫びだった。

 

 「やめてっ…!ザニスさま、お金は全部払います!こ、これが金庫の鍵です!」

 

 リリは首から下げていた鍵をザニスへ放り投げた。

 

 「こ、これでどうか止めてくださっ…あっ!?」

 

 しかし男たちに力づくで下着を脱がされる。もうだめだ、おしまいだ…。リリがそう思った瞬間、ザニスは冷たく言った。まるで面白くないという口調で。

 

 「お前たち、やめろ」

 

 その一言で群がっていた男たちは離れていく。間一髪、救われたのだ。リリがそうほっと胸をなでおろしていると、カヌゥが恨めしそうな目つきでザニスを見つめているのに気が付いた。

 

 「甘すぎませんかね?ザニス様」

 

 そんなカヌゥの発言を無視し、ザニスは何事もなかったかのように再び羊皮紙を読み上げ始めた。ただし、その片手にはリリの金庫の鍵が握りしめられている。

 

 

 定例集会が終わり悲喜交々の団員が大広間から去っていく中、リリは未だに呆然と突っ立っていた。

 

 「アーデ、災難だったな?」

 

 ザニスに声を掛けられても、リリはどのような反応をしたらいいか分からず無言で佇んでいた。男たちに犯されかけた事が、精神的に大きなダメージを与えていた。

 

 「なに、落ち込むことはない。これから一年間俺の奴隷として無償奉仕が出来るのだ。幸せだろう?」

 

 「ファ、ファミリアへの無償奉仕のはずでは…?」

 

 ザニスは口端を吊り上げて言った。

 

 「同じことだ。俺がソーマ様にこう聞くとする。『アーデの奉仕内容ですが、一年間私の個人的な奴隷として奉仕するという事でよろいいですか?』すると奴はこう答える。『任せる…』とな。しっかり躾けてやるぞ、アーデ」

 

 リリはもうおしまいだと思った。ついに堕ちるところまで落ちたのだろう。奴隷として飼われた挙句、いずれどこかへ売られるのだ。まったく、本当に幸せな人生じゃないか…。

 

 「…それよりも、お前はモンスターにも姿を変えられるな?」

 

 「…?」

 

 リリは訝し気な表情でザニスを見た。一体この期に及んでどんな質問だ。

 

 「なに、ちょっとした商売も手伝ってもらうぞ。お前の『変身魔法』を使ってモンスターをおびき寄せ、売り払う。簡単だろう?」

 

 「モンスターに商品価値があるとは思えませんが。それが奉仕の内容ですか?」

 

 「くくく、どうだろうなぁ。お前の出来によっては俺を悦ばせる必要が出てくるかも知れん。とにかくその仕事をうまくこなせれば、最悪の事態は避けられるかもしれんぞ?」

 

 リリは理解した。ザニスはこの要求を吞ませるため、あれこれと吹っ掛けてきたに違いない。恐らくザニスの言うモンスターの商売というものが危険極まりないか、とてつもない汚れ仕事だと言うことだろう。そして付け加えれば、私腹を肥やすのに十分な金が転がってくるということだ。

 

 「…わかりました。それで自分を守れるなら、リリにはそうするしか選択肢がありません」

 

 「くくく、賢いなぁ、アーデ。献金の方も気を付けることだな。次にノルマを達成できなかったら、お前の体で稼いでもらうことになるからな。毎月五十万ヴァリス、きっちり支払えよ」

 

 「なっ…ノルマは十万ヴァリスの筈です!?」

 

 ザニスは愉快そうに「お前だけ特別だ。喜べ」と言って去っていった。残されたリリは再び呆然と立ち尽くしている。

 

 (五十万ヴァリスなんて、稼げるはずがありません…)

 

 下級冒険者の一日の稼ぎは、せいぜい五千ヴァリスだ。五十万なんて貯まる筈がない…それこそ第二級冒険者にでもならない限りは…。

 

 リリははっとして顔を上げた。いるじゃないか、いいカモが。一日に十万ヴァリスも稼いでその全てを自分に奪われた哀れな冒険者が。

 

 絶望しかないリリの瞳に、このとき微かに希望の光が灯っていた。

 

 

 

 【ソーマ・ファミリア】の廊下で、カヌゥはザニスを問い詰めていた。

 

 「ザニス様っ!いつになったらアーデをやらせてくれるんですか!?変身魔法の情報も、あいつが金貨を溜め込んでるってことも俺が教えたんですぜ!?」

 

 狭い廊下を歩きながら、カヌゥは口角泡を飛ばす。そんな彼をザニスは邪険に扱っている。

 

 「黙れ、カヌゥ。文句があるなら自分で奪ってこい。あいつの金は俺が頂いたが、迷宮探索時のバックパックにはまだお宝が詰まっている筈だぞ?雑魚が危ない橋を渡るんだ。緊急時用に魔剣だって持っていてもおかしくない。お前もここでのし上がりたいなら、欲しいものは自分で奪え。そのついでに一発二発ぶち込んできても、俺は文句を言わないぞ?」

 

 カヌゥは逆らうことも出来ず、ただ歯がゆい思いに顔をしかめていた。

 

 「ちくしょうっ…俺は諦めねぇ。諦めねぇぞ…」

 

 未だ激情を抑えられずに壁に八つ当たりをしながら去っていくカヌゥの後姿を、柱の陰に隠れた仮面の人物が見送っていた。その者はふぅとため息を吐き、窓の外を見た。明け方から降り始めた雨は今もぽつぽつと降り続いている。光のない曇り空のせいで、今が真昼間だというのにもう夕刻時のような暗さだ。

 

 怒りを爆発させたカヌゥとは対照的に、ザニスは至って冷静そのものだ。影に隠れるように寄りかかっていた仮面の人物の着物が、柱と同じ乳白色で、柱と完全に同化していたので、ザニスは危うく見逃すところだった。そしてその人物のもとに歩を進める。

 

 「こんな所に隠れてコソコソと何してやがる?お前は雇われの用心棒だ。余計な詮索をせず、その馬鹿げた戦闘能力でこちらの身の安全だけを考えていればいい」

 

 その人物は言葉を発する様子もない。その仮面の下にどんな表情を浮かべているのかすら、ザニスには分からなかった。はっきりしているのは、酒場の依頼書に記載されていた通りこの人物は第一級冒険者と同等の実力を備えており、副団長のチャンドラとの立ち合いで彼を一瞬で五十メートル先まで吹き飛ばしていたという事だ。

 

 そのお陰でチャンドラの顔半分は大きな痣で埋め尽くされたが、そんな事を気に掛けるザニスでもなかった。

 

 「まぁいい。お前は有事の際に俺たちを守るのが仕事だ。だが守るべき場所はここじゃない。これから俺たちの酒蔵へ向かう。いいか、決して場所は口外するなよ?」

 

 「……」

 

 仮面の用心棒は黙って頷いた。それから二人は【ソーマ・ファミリア】のから出て、雨がぽつぽつと降る曇り天気の中オラリオの中心街からどんどん離れていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 -ペナルティ-

 「はぁ…。雨は嫌いなのじゃ」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地(ホーム)では、昼食を終えて外出の支度をした二人は雨模様を前に完全に腰が引けていた。

 

 「俺もだ。雨なんか最悪だ。オラリオは雨が多くてかなわん、俺の故郷じゃ今時真っ青な晴れ空が広がっていることだろうよ。くそ、今日はやっぱやめとくか?」

 

 「そうしよう…と言いたいところだがバカを言ってはいかん。先ほども言ったように、私は【ガネーシャ・ファミリア】に向かわなければならんのじゃ。何ならお前も一緒に来るか?」

 

 テルクシノエの発言を、ハムザは一瞬で却下した。ホモファミリアの根城になんざ、例え金が貰えるとしても行くものか。

 

 「だから言っただろう。俺は行かん。代わりにギルドに行ってエイナちゃんとたっぷりセクロスを楽しんでくるぞ。最近だいぶご無沙汰だからなぁ」

 

 「はぁ…。セックスも良いが、たまには新しい女を引っかけてきたら私はどれだけ嬉しいか。この前のロリ少女も喰わずに逃げるしのう。お前、最近調子出ないようじゃな」

 

 主神の指摘は的を得ている。自分がロリコンに落ちた夜を境に、途端に性欲が減衰している気がするからだ。だから今日こそセクロスをしなければならない。

 

 魔法も取得したことだし、新しいステイタスを提出するという名目でエイナちゃんにたっぷり中出しを決める。自分が変態ロリコン野郎になってしまったとしても、何度もセクロスをしていればきっとそのことを忘れられる日が来るかもしれないのだ。頑張らなければ。

 

 「よし、雨がなんだ。美人が股を開いて待っているというのに、雨を理由に引きこもる奴を果たして紳士と呼べるだろうか?さぁ行くぞ!楽しいセクロスが待っている!」

 

 「はぁ、おめでたい奴じゃ…」

 

 主神と別れてから、ハムザは雨の中意気揚々とギルドへ向かっていった。こんな天気だからか、往来の人々はいつもより数が少ない。きっと連中は雨を理由にサボって家でオナニーでもしているのだろうと、ハムザは思った。

 

 メインストリートを抜け、聳え立つバベルの足元にあるギルドに辿り着くころには、ハムザの黒い髪の毛は雨でびしょ濡れになっていた。大理石のロビーを泥水で濡れた靴で汚しながら歩いていき、受付で忙しそうに動き回っているエイナを見つけた。

 

 「よっ。エイナちゃん。来たぞ~」

 

 「あらっ…?」

 

 声を掛けられ驚いたのか、エイナはハムザを見て素っ頓狂な声を広間に響かせた。

 

 「何かずいぶん久しぶりな気がするなぁ、エイナちゃん」

 

 「そうかしら、一昨日会ったばっかりよ?」

 

 エイナは作業を止め、ハムザのためにだけ用意している特別な笑顔で彼に微笑んだ。

 

 (やっぱ可愛いなぁ、エイナちゃん。股間がむずむずしてきたぞ)

 

 「…実はなぁ、魔法が発現したから報告に来たんだ。念願の魔法というよりは、魔法の方から喜び勇んで飛び込んできたって感じだがな」

 

 「ま、魔法ですって?」

 

 エイナは驚いていた。無理もない、もともと魔法に対して適正のあるエルフなどの魔法種族(マジックユーザー)ならともかく、ヒューマンであるハムザが魔法を後天的に発現させるには、並々ならぬ努力という対価を支払わなければならない。

 

 それにも関わらず、ただ好きなように性行為に耽って気が向いたときに迷宮探索に行く『お遊び』程度の努力で魔法が得られるなんて、エイナは思ってもみなかったからだ。

 

 百歩譲ってレアスキルによる効果だとしても、やりすぎに違いない。ここまでくればもうチートと言わざるを得ない。反則だ。

 

 ハムザに羊皮紙を手渡され、エイナは共通語に訳されたステイタスを眺めた。

 

 「この魔法、『イェベン・ティ・マーテル』…?特に詳細が記載されていないけど、一体どんな魔法なのかしら?」

 

 「教えてやってもいいが、場所を変えないか?人が多くてかなわん。暗く、二人っきりになれる場所がいいな。ぐふふ…」

 

 ギルドの受付にはひっきりなしに様々な種族の冒険者が訪れる。こんな場所でファミリアにとっての生命線である眷属のステイタスについての情報を扱ったのでは、危機感が足りないと言ったところか。エイナはハムザに『うん、わかった』と頷き、引き出しから鍵束を取り出して席を立ち、同僚に声を掛ける。

 

 「ねぇミィシャ、迷宮探索相談の件でちょっと席を外すから、何かあったら張り紙を残しておいてね」

 

 ミィシャと呼ばれたヒューマンの女性はエイナに『わかったわ~』と声を掛けてから、ハムザを見た。

 

 「いいなぁ~。私もえっちなエクササイズでストレス解消できる、将来有望な冒険者を担当してみた~い」

 

 「もうっ!ミィシャ、怒るよ?そんなんじゃないんだから」

 

 否定はするものの、エイナは恥じらいに少し赤くなっているようだ。もしかしたら、エイナが『おあずけ』を決め込んだ理由は、同僚に毎日セクロスしている事実を知られてしまった事を恥じているからかも知れないと、ハムザは思った。 

 

 (セクロスなんて誰でもしているし、当たり前の事だってしっかり学ばせなければならんな、うむ)

 

 大理石の通路を歩いていくエイナの細い後姿に、たっぷりエロい視線を浴びせていると、ハムザは応接間に辿り着いた。エイナが鍵束から一つの鍵を差し込み扉を開ける。

 

 「前やった時とは別の部屋だな?」

 

 以前エイナとセクロスした場所とは、明らかに違っていた。飾りつけは粗末で、ソファーはとても柔らかそうには見えないものが一脚置いてあるだけだ。

 

 「うん。今ノイマンが会議で使っているから、応接間は空いてないの。()()()()するだけだもの、ここでも問題ないでしょ?」

 

 「おう、まぁ()()()()するだけなら問題ないな」

 

 そう言ってエイナは固そうなソファーに腰かけ、ハムザはその隣に座る。ふわっ、とエイナから良い香りが漂ってきたので、股間が嬉しそうに起き上がって来た。

 

 「それで…この魔法についてなんだけど、分かっている事があったら、出来るだけ詳細に教えてほしいな」

 

 エイナにそう言われたので、ハムザは先日リヴェリアが言っていた魔法の解釈を何とか思い出しながら喋り始める。

 

 「えーと…これは呪詛(カース)とかいう種類の魔法だ。効果は『相手を強制的に精神疲弊(マインドダウン)状態にする』とか何とか、だ。断っておくが、罰則(ペナルティ)は無かったぞ。まぁ、俺クラスの冒険者になるとこれくらいの魔法は持っていて当然だな」

 

 「罰則(ペナルティ)なしの速攻型呪詛(カース)?しかも効果が精神疲弊(マインドダウン)~!?それってもう、反則じゃないの!」

 

 驚きを通り越して、もはやエイナは呆れていた。異常に速い成長速度に加えて、こんなに卑怯な魔法まで手に入れてしまったハムザは、もはやオラリオ中の冒険者が束になっても敵わないポテンシャルを秘めていると言っても過言ではない。

 

 神々の耳に入ったら、間違いなく大騒ぎになりオラリオ中を巻き込んでの争奪合戦になるだろう。現在ギルドでは、ハムザの情報をノイマンの指示下のもとに徹底的に秘匿している。ハムザをギルドに協力的な『駒』に仕立て上げたい、そのためには多少の我儘にも目を瞑るし、いくらか便宜を図ってやっても構わない…そんなノイマンの指示も、いまでは至極もっともに思えてきた。

 

 「ステイタスも攻撃なんかがSに近づいてきているし…」

 

 話題がハムザのステイタスまで行くと、エイナの声の調子が少し下がった。何だか不満そうだと思って、ハムザは吹っ掛けてみた。

 

 「別にエイナちゃんとセクロスしても成長が遅いなんて事はないぞ。他の女だから速く成長したわけでもない。この前迷宮探索をした時に、少し荒業をして十万ヴァリスほど稼いだことがあってな、その時にキラーアントを何百匹も狩ったんだ。ステイタスが上がったのは、それが原因なだけだろう」

 

 「キラーアントを数百匹、しかもそれを一人で?いったいどんな手段を使ったの?」

 

 セクロスの話題は意識的に避けたものの、エイナは少し安心したようで声の調子が普段通りに戻っていた。

 

 「その時はサポーターがいてな。袋小路に陣取って、瀕死のキラーアントを吊るして群れを誘き寄せたんだ。そしたら来るわ来るわ。こちらから探しに行く手間も省けたし、なかなか効率の良い狩りだったぞ」

 

 「あ、あのねぇ…。キミは自分がどれだけ危ない事をしたのか分かってるの!?いくら狭い通路で一方からの敵だけに集中していても、急にモンスターが背後から生れ落ちるってこともあるんだから!まぁ、キミは私が何を言っても聞かないんでしょうけど」

 

 頬を膨らませて怒るエイナをよそに、ハムザが上下に揺れるエイナの胸にくぎ付けになり全く話を聞かないでいると、彼女は諦めたように怒るのを止めてしまった。

 

 「それより、あの防具はどう?ちゃんと問題なく使えているかしら?」

 

 ハムザはエイナに言われて、呪われたかもしれない防具の事を思い出した。前回の迷宮探索以来全く使用していなかったから、存在そのものを忘れてしまっていたのだ。

 

 「あぁ、あれはまぁなかなか着心地が良かったぞ。呪いなんてのは無さそうだし、持ち主が死んだのも多分偶然だろう。心配する必要はなさそうだ」

 

 それを聞いてエイナは胸を撫で下ろした。自分の選択が原因でハムザが死んでしまったら、きっと責任を感じてしまうに違いない。

 

 「だから言ったでしょ?キミは唯でさえ危機感が足りなくて危なっかしいんだから、多少の不利を跳ね返せるくらいの防御力がある装備を着て貰わないと、こっちは心配で仕事にならないわ…ねぇ、聞いてるの?」

 

 再びエイナの胸元にくぎ付けになり、全く話を聞いていないハムザにエイナはご立腹だ。『話を聞かない』とか『エロい事ばかり』とか『変態冒険者』などと彼女が悪口を並び立てている間も、ハムザは鼻の下を伸ばしてエイナの体をエロい目つきで堪能している。

 

 「ぐひひ…。ところで、エイナちゃんには小言なんかよりももっと似合うものがあるぞ」

 

 「似合うもの?」

 

 この時エイナは、ハムザが自分に何か贈り物を持ってきてくれたのかと期待した。そして一秒後には、少しでも期待してしまった事を後悔することになる。

 

 「そうだ。これだぁっ!」

 

 ハムザは勢いよくズボンを下ろし、完全に勃起したペニスをエイナの眼前に曝け出した。

 

 「こんなになってしまったのはエイナちゃんのせいだ。久しぶりにしようじゃないか、スケベを」

 

 「もう…」

 

 エイナはしっかり拒絶したかったが、いきり立ったペニスを前に疼く下腹部を抑えきれない。ハムザとの肉体関係は暫くの間持たないつもりだったが、セックスの味を覚えてしまったエイナの下腹部は日夜その快楽を求めて理性に反抗し続けていた。

 

 (私もちょっと限界だったのよね…やっぱり彼に抱かれるのって、何だか特別な感じ…)

 

 顔を上げ、勃起ペニスを見やる。はち切れんばかりに膨張し、苦しそうに脈打っている。エイナは何故か、それを開放してあげなければならないという義務感に駆られた。

 

 「じゃあ、久しぶりにやっちゃおっか?」

 

 「おう、そうしよう。ぐひひひ…」

 

 そしてエイナの指先が鬼頭に触れた。

 

 その瞬間、ペニスは急速に萎んでいき、ふにゃりと力なく項垂れた。

 

 「…えっ?」

 

 ハムザは驚愕した。勃起が続かないなんて、ジジイじゃあるまいし自分には起こりうるはずのない事だと思っていたのに、現実にそうなってしまったからだ。

 

 「あれ?元気がなくなっちゃったよ?」

 

 エイナはしこしこと愛撫を続けるが、反応が全くない。不思議な事に、股間から神経がなくなってしまったかのように何も感じなくなってしまっていた。

 

 「ど、どういうことだ…?」

 

 驚きを隠せないでいると、エイナは諦めて手の動きを止めた。ハムザが自分でしごいてみても、やはり全く反応がない。まずい。ハムザは焦っていた。勃起不全だ。まさか自分にこんな事が起こるなんて…。

 

 「まさか、呪いか?」

 

 「…?」

 

 「これが呪いか?ロリコンの呪いが、発動したというのか…?」

 

 「…え、えぇ?」

 

 「う、うそだあああああっ!?」

 

 ハムザは叫んだ。インポになってしまった。その事実から逃げ出したかった。ズボンを上げ、涙を流しながら部屋を飛び出した。エイナが何かを言ったが、聞き取れなかった。

 

 これが報いだ。ロリコンになってしまった自分への、呪いだ。きっと自分は二度と普通の女性とはセクロスができないのだろう。恐らく出来るのは、少女を相手にしたときだけ。禁断の果実を一度口に含んでしまったら、もう後戻りはできないのだ。

 

 ロリコンの罪から逃げることは出来ないぞ。小児性愛(ペドフィリア)の神に、そう告げられている気がした。

 

 ハムザはギルド本部を駆け回り、気づいた頃には雨のオラリオを訳も分からず疾走していた。

 

 水たまりに何度も飛び込みびしょ濡れになりながら、いつの間にか『司祭ヴァレンティン像』の広場に辿り着いていた。気持ちを落ち着けるため腰を下ろし、受け入れがたい事実に頭を抱えていると、アクアブルーの髪を靡かせた美女がハムザの前にやって来た。

 

 「ほらね。アスフィ?彼ならきっとここにいるかもって言ったじゃないか?前に何度もここにいるのを見たからなぁ」

 

 「本当ですね、ヘルメス様。お久しぶりです、ハムザ・スムルト」

 

 ハムザはアスフィを見た。そうだ、この万能者(ペルセウス)なら何か言い道具を持っているに違いない!

 

 「あ、アスフィたん。助けてくれ…!インポに効く道具を俺に譲ってくれぇ!」

 

 「は、はぁ?」

 

 事の顛末を口早に説明すると、アスフィとヘルメスは心底がっかりしたようにため息を吐きながらハムザに告げた。

 

 「…走れない馬に価値がありますか?もう勃たないのなら、貴方は用済みです。本当は今晩久しぶりにどうかと思ったのですが、インポを治す道具はありませんし、時間の無駄です。行きましょう、ヘルメス様」

 

 「あぁ、そうしよう。見損なったぜ、ハムザくん」

 

 凍り付くハムザをよそに、【ヘルメス・ファミリア】の主神と団長は足早にその場から離れていった。ハムザには、まるでその様子が変態ロリコンに近づくまいとして逃げる人々のように思われた。

 

 (く、くそ。まだだ、まだ…ナァーザちゃんがいるじゃないか)

 

 ハムザは重い足取りで『青の薬舗』へ向かって行った。ハムザは既にバケツを何杯も被ったように濡れており、体は冷え始めている。しかし本人はそんな些末な事よりも、目下の問題だけに悩まされていた。

 

 

 

 「…いらっしゃ~い。あ、来たね、変態冒険者」

 

 いつものように、気だるい声を出して挨拶するナァーザに大急ぎで近づいたハムザは、がっしりと彼女の肩を押さえつけて言った。

 

 「ナァーザちゃん!インポを治す薬をくれ!今すぐにだ、頼む!いくら払ってもいい!」

 

 ナァーザだけでなく、隣に居たミアハも驚いたようにハムザを見つめていた。

 

 「えぇっと、ハムザ。勃起不全に効く薬はうちでは取り扱っていない。回復薬の専門店なのでな。開発するにしても時間がかかるぞ…?ディア―」

 

 「ハムザ!私に任せて!」

 

 ミアハの発言を途中で切り、ナァーザは声を荒げた。

 

 「愛しいハムザのインポは私が治してあげる。勃起不全に効く薬はどこにも売ってない。だから前金で十万ヴァリスくれれば、開発に取り掛かるよ~」

 

 ハムザは金貨袋を取り出し、それを丸ごとナァーザに渡した。

 

 「十五万はある。これで頼むぞ、事は急を要する。一秒でも早く完成させてくれ、じゃあな…」

 

 ハムザが背中を丸めて落ち込んだ様子で店を出て行ってから、ミアハはナァーザを非難がましい目で見た。

 

 「どうして【ディアンケヒト・ファミリア】に取り扱いがある事を教えてやらなかったのだ?」

 

 その質問にナァーザは心底呆れたといった視線を返す。

 

 「それを教えちゃったら、ハムザのお金はあいつ等に渡る。だから私が開発すると言って、とりあえずお金だけもらっておいたんです。こうすればうちのファミリアが儲かる…。ミアハ様はいつも親切ばかりで、銭勘定には疎すぎます…」

 

 「そ、それはそうだが…。開発はどうするのだ?時間もかかるし、金もかかるだろう」

 

 ナァーザは少し考えてから、垂れ下がった耳をぴょこんと立てて言った。

 

 「薬は、【ディアンケヒト・ファミリア】から買って来よう。それをハムザにあげれば万事解決」

 

 「そ、それはいくら何でも…勃起不全の薬なんざ、せいぜい百ヴァリスだろうに…」

 

 「ではミアハ様は、うちのファミリアが赤字で潰れてしまっても良いのですね?」

 

 これにはミアハはぐうの音も出なかった。結局商売上手なナァーザに丸め込まれ、お人好しの神は金貨袋を懐にしまった。

 

 

 

 ここにも一人、雨のオラリオを歩く神物がいる。【ガネーシャ・ファミリア】から丁寧な見送りを受けてから、テルクシノエはメインストリートを外れた街道を歩いている。

 

 丁字路に差し掛かった時、丁度角のところに一軒の花屋を見つけた。女神がしげしげと綺麗な花を眺めていると、老人が店の中から出てきて声を掛ける。

 

 「おや、女神様ですかな。珍しいこともあるもんじゃ。良かったら中でお茶でも如何ですか?」

 

 「ほう、悪くない誘いじゃ。では、甘えるとしようかの」

 

 店内に花はあまり多くなかった。鎧戸はボロボロで、窓硝子は修復された跡があった。いたるところに黒ずんで焼け爛れた形跡が見られる。

 

 「薄汚い場所で、申し訳ありません。迷宮洛神花(ダンジョン・ローゼル)のお紅茶でございます」

 

 老婆がティーポットをお盆に乗せてやって来た。

 

 「本当に、恥ずかしい限りですわい。せっかく女神様がいらしたのに、菓子すら出せん程貧しいだなんて…。わしは今日ほど自分の貧しさを呪った事はありませんよ。いや、本当に…」

 

 「構わんのじゃ。気にしなくて良い。それより、ここは何があった?争いの形跡のようなものが見られるようじゃが」

 

 香りの良い紅茶をすすると、甘酸っぱい味が口に広がった。かなりの高級品だと女神は思った。

 

 「今から数年程前になりますが…うちには可愛らしい女の子が働いていた事がありましてねぇ……」

 

 語り始めた老婆だったが、悲しみ故かあとの言葉が出ない様だった。老人がその後を継いで話す。

 

 「それはそれは良い子でございました。正直で、笑顔が綺麗で…。子供のいないわしらにとっては、本当に娘の様な存在でしたが、彼女が所属していたファミリアが深夜にここへ来て何もかも滅茶苦茶にしてしまったのです…」

 

 老婆は嗚咽を漏らしている。語る老人も言葉に詰まり、なかなか舌が次の言葉に繋がらないという有様だった。

 

 「それは、難儀な事じゃのう」

 

 「…彼女はわしらに身分を隠しておりました。どうやらファミリアから脱走してから、うちで逃亡生活を送っていたようなのです。その時わしらは、店を壊されてしまった悲しみから、彼女に辛く当たってしまった…。ひどい言葉を、言ってしまったのです」

 

 老人は話を続けていく。テルクシノエは既に紅茶を半分も飲み干していた。なかなかにうまい一杯だった。

 

 「ずっと謝りたかったのですが…なにぶん居場所も分かりません。今思えば、幼い彼女は暴力に耐えかねてファミリアから逃げてきたのでしょう。身分を隠したのも、正直に話せば追い出されると思って言えなかったのだと思っております…。本当にわしらは、ひどいことをしてしまいました」

 

 「少女を襲ってきた者たちの特徴は覚えていないのか?」

 

 主神は老人を見つめてそう聞いた。どこのファミリアか特定できれば、少女をここに連れ戻す事だって不可能ではないと思った。

 

 「…わかりませんが、名前は憶えています。そのファミリアには、『ザニス』という者がおります。わしらにはその名前をもとにファミリアを特定したところで何もできませんから、これまでずっと泣き寝入りをしておりました…。店もかつての活気は失い、客足は途絶え、今では細々と意味もなく花屋を営んでおります…」

 

 (ふむ、『ザニス』か。後でギルドに寄った際、エイナから情報を引っ張ってみるとしよう)

 

 「なるほど、話はわかった。美味い紅茶のお返しでもしてやろうかの。その少女を見つけてやっても良い。お前たちも謝罪をしたいじゃろう?」

 

 「ほ、本当ですか?女神さま!」

 

 泣き濡っていた老婆が声を上げた。目が赤く腫れてしまっていたが、瞳は希望で潤んでいた。

 

 「そ、それが出来たらわしらは本当に嬉しゅうございます…。あの事件以来、毎月店の前に大金がそっと置かれているんです。きっとあのリリちゃんが罪滅ぼしのために置いて行ってるのでしょうが…罪滅ぼしをしたいのはわしらの方なんです…」

 

 「い、今なんと言った?」

 

 テルクシノエは驚いて聞き返した。リリという名前には聞き覚えがある。ハムザをロリコン地獄に突き落とした張本人であり、盗人の素性を隠しながらサポーターとして一度だけ迷宮探索を共にした少女の名も、リリというものだった。

 

 「は、はい…。わしらが罪滅ぼしを―」

 

 「そのことではない、名前じゃ。少女の名を正確に覚えているか?」

 

 「リリルカ・アーデちゃんです。よく覚えています」

 

 しわがれた声で老婆は呟いた。

 

 なるほど、面白い事になってきたと、主神はほくそ笑んだ。

 

 「珍しい事もあるものじゃな。その少女を探すのは、苦労しないだろう。知り合いなんだ。よし、では紅茶の礼に花束を見繕ってくれ。これで頼む」

 

 主神は金貨袋を机に置いた。老人が中身を開けて確認すると、三万ヴァリスは入っていたようだった。

 

 「女神様、この店にあるすべての花を集めてきても、この半分の金額にも満たないでしょう…。些か、多すぎるようです」

 

 「構わん。取っておくのじゃ。花束は明日とある場所に届けてもらいたいから、それまでにできていれば良い」

 

 主神は立ち上がり、店を出ようとした。

 

 「ありがとうございます。もし私たちが貧乏でなかったら、お恵みを頂く必要はなかったのですが…。それと女神様、お名前を教えて頂けませんか?」

 

 彼女は振り返り、有難そうに畏まる二人を眺めて言った。

 

 「私はテルクシノエじゃ。【テルクシノエ・ファミリア】の名前を、よく覚えておけ」

 

 店を出た主神は、再び雨の中を歩いていく。

 

 しかし、面白い事になって来たものだ。リリルカ・アーデに対する彼女の印象は、いまや百八十度変わっていた。我が愛しの眷属に、従順な下僕を贈ってやるのも一興だ。あのサポーターを籠絡してハムザの性奴隷にする。幸運にもその算段は既に整っていた。

 

 道行く人々は、その濡れた女神を見つける度にぎょっとして立ち止まった。

 

 絶世の美貌を誇る女神は、薄い着物が雨に濡れて透けてしまっているせいで、今や裸が丸見えになっている事に全く気付いていないからだった。

 

 

 ●

 

 

 大理石のロビーは泥でぐちゃぐちゃに汚れていたから、テルクシノエは今更自分がその上から更に新しい泥を擦り付ける事に全く躊躇う必要がなかった。

 

 掃除をする人も大変だろうなと思いつつ受付に向かうが、そこにハムザの姿もエイナの姿も見つからなかった。仕方ないので他の職員に聞いてみると、二人は迷宮探索について個室で話し合っている最中だと言う。時刻はもうすぐ夕刻だ。昼下がりからずっと二人でお楽しみだったと言うことか。主神は眷属の行いを少し誇らしく思いつつ、その個室へと歩いていく。

 

 (なんだかんだ言っても、セックスに励むのは良い事じゃ。その分強くもなるしのう)

 

 狭い通路には、木製の大きな扉が幾つも連なっている。それぞれに文字が刻まれており、『総務課』や『財務課』などの部署の名称がそこに記されていた。その通路を奥の方まで進んでいったところに、その部屋はあった。

 

 『応接間〈旧〉』

 

 「お、ここじゃな。おーい、ハムザ。いるか?」

 

 主神が大きな扉を全身を使って押し開けると、そこに二人は居た。

 

 エイナは俯くハムザを親身に励ましているようだった。当のハムザは『うぅ』とか『ぐぅぅ』とか呟くばかりで、全く元気がない様子だった。

 

 「あ、テルクシノエ様…」

 

 エイナはすっと立ち上がり、女神に会釈した。

 

 「お久しぶりです。えっと、ハムザくんの事ですが…実は勃起不全になっていまった様で、相当落ち込んでいるんです」

 

 「はぁ~?」

 

 エイナは礼儀正しい口調で自分が知っている限りの顛末を説明した。今日、久しぶりに射精実験を行おうとしたら急に萎れて勃たなくなってしまったことや、【ヘルメス・ファミリア】の人たちに馬鹿にされたこと、勃起不全の治療薬を探しても見つからなかったこと…。

 

 ハムザが落ち込んで再びギルドに現れた時、まるで死人のような表情をしており、もう一度試して見てもやはりピクリとも反応しなかったことを、エイナは長々と主神に説明した。

 

 「神様、これはロリコンの呪いなんだろうか?」

 

 ハムザは気落ちした声で唸った。

 

 「馬鹿か、お前は。そんなものは存在しないし、勃起不全なんて一時的なものじゃ。しゃきっとしろ」

 

 しかしハムザは萎えてしまった自分のイチモツ同様に項垂れるばかりだったので、主神は彼を無視してエイナと話を始める。

 

 「まぁこいつは放っておけばそのうち元気になる。ところでエイナちゃん、【ソーマ・ファミリア】についての報告書は出来上がった?」

 

 エイナは「それなんですが…」と言ってテルクシノエに羊皮紙を手渡す。

 

 「例の派閥についての情報は、登録され公開されている一般的なものしか入手出来ませんでした。神ソーマが運営する迷宮探索型と小売業型のファミリアです。団員の数は百余人ですね。団長はザニスと言い、ヒューマンの男性です」

 

 「…ほう?なるほど、こいつがそうか。これはさらに都合が良い」

 

 「……?」

 

 「こちらの話じゃ。他にわかっていることは?」

 

 エイナは補足する。

 

 「はい、【ソーマ・ファミリア】の人たちは、かなりの頻度で問題を起こしています。他派閥とのトラブルもそうですし、ギルドの鑑定額に文句を言って大騒ぎになる事は日常茶飯事ですね…そこの項垂れている人と同じです」

 

 ハムザは「うぅ…」と唸った。それがどういう意味なのかエイナには全く分からなかったが、いつもの快活さや大胆さを失った目の前の弱々しい冒険者に、彼女は少なからず同情していたし可哀そうに思っていた。

 

 「店舗の売り上げはどうだ?税金をちょろまかしたりしているんじゃないか?」

 

 「それについては、何とも言えないのが現状です」

 

 エイナは首を横に振りながら言う。

 

 「提出された書類は完璧ですし、店舗の客入りと商品価格を考えれば、妥当な数字を書いてきていますから…。きな臭い派閥でも、有力な密告情報などがないと強制捜査には踏み出せませんから、ギルドとして打つ手はありませんね」

 

 「ふむ。まぁそれは良い。武力行使が必要なら、こちらが動くからのう。ところで店舗はどこにあるのじゃ?今から三人で見に行ってみようか」

 

 「はい。私は調査のために何度も訪れていますから、すぐにご案内できますよ」

 

 主神は「決まりじゃ」と言ってハムザを蹴飛ばした。

 

 「おい!シャキッとしろ。今に私がお前に性奴隷をプレゼントしてやるから、しっかりするのじゃ」

 

 「…そんなもん、勃たんのなら意味ないだろう……」

 

 ハムザの低く元気のない声を聞いて、エイナは元気付けようと努力する。

 

 「あら。キミが勃たなくても私は傍で面倒を見てあげるよ?セックスだけが男女の仲じゃないでしょ?」

 

 射精管理実験という名目のもとヤリ放題だった二人の関係が、今や少し面倒な事になっていう気がして主神は口を閉ざした。いつのまに『男女の関係』になったのだろう。まるで恋人同士みたいじゃないか。そもそも『仕事の付き合い』ではなかったのだろうかと思いつつも、テルクシノエは無言でハムザを励まし続けるエイナを眺めていた。

 

 

 

 三人が【ソーマ・ファミリア】の運営する『リーテイル』へと向かっていく途中、途端に雨足が強まり一行は急がざるを得なくなった。ハムザは「これも呪いだ」などと意味不明な事を呟きながらのろのろと走っていたため、エイナは途中からハムザの手を引いて急ぎ足で駆けて行った。

 

 やっとのことで冒険者通りに面する『リーテイル』へ辿り着き店内に入る頃には、三人とももうびしょ濡れだった。女神は裸同然の格好になっていたし、ハムザはまるで水死人のように生気がなくなっている。エイナもエイナで、ギルド受付嬢の制服が台無しになるほど濡れそぼっていた。

 

 回復薬や解毒薬などの薬品に限らず、様々な商業系ファミリアから仕入れたものがクリスタルケースに乱雑に並べられている。テルクシノエは濡れたを外衣(パリウム)絞りながら店内を見て回る。

 

 食料雑貨(グロサリー)と記された店の奥に、目当ての品物が置かれていた。

 

 「これじゃ、これ。【ソーマ・ファミリア】と言えば酒を売る派閥と耳にしてな。他の道具は目くらましじゃろう、この神酒ソーマこそがこの派閥の生命線なはずじゃ」

 

 テルクシノエの言葉に目を瞬かせたエイナは、その値段を見て絶叫した。

 

 「ろ、六万ヴァリス~!?」

 

 テルクシノエに「これ、うるさい。恥ずかしいぞ」と注意され、謝るエイナの後ろから、エルフの麗人が声を掛けてくる。

 

 「エイナか?こんな所で会うとはな。随分綺麗になった。見違えたぞ」

 

 「リ、リヴェリア様っ!」

 

 その名を聞いて、ハムザが反応した。

 

 「リヴェリアちゃんが居るのか…?」

 

 「何だ、お前もここに居たのか。こちらの女神はお前の主神だな?」

 

 威圧感たっぷりのリヴェリアの発言に、テルクシノエはどっちが神だか分からなくなった。

 

 「あ、はい。【テルクシノエ・ファミリア】の主神、テルクシノエという者じゃ。どうぞよろしく」

 

 「…女神なのだから、そんなに畏まらなくても良い。ところでエイナ、こんな所で何をしているのだ?」

 

 エイナは査察について詳しく話す事が出来なかったので、テルクシノエが代わりに返事をする。

 

 「私はこのファミリアに探りを入れていてな。大きな声では言えんが、この派閥について色々と調べて回っているのじゃ。お前の所の神はロキだっただろう?あいつ、何か知らないか?」

 

 「ロキが何を知っているかは、私は知らん。だが、ギルド公認の調査と言うことなら三人とも本拠地(ホーム)へ来たら良い」

 

 エイナは驚いて問う。

 

 「えっ!?良いのですか?【ロキ・ファミリア】に部外者が入るなんて、普通だったら前代未聞ですよ?」

 

 リヴェリアはエイナの発言を一笑に付す。

 

 「ふふ、エイナ。お前に関しては同郷のよしみだ、いまさら他人行儀にする必要もあるまい。それと神テルクシノエとそこの変態に関してだが、ロキが会いたがっている」

 

 (あ、リヴェリア様もハムザくんを変態だって思ってるんだ。きっとまた余計な事をしたんだろうな…リヴェリア様、とっても綺麗だから)

 

 「ロキのやつ、私がオラリオにきたのに挨拶もせんとは何のつもりだと思っていたところじゃ。何百年振りか分からんが、久しぶりに顔を見に行っても良いかのう」

 

 リヴェリアはロキから、テルクシノエとは天界でも親交があったと聞かされた事があった。一体どんな関係だったのかは知らされなかったが、ともかく敵対的ではない様子だったので、副団長としての立場を利用して彼らを招待することに決めた。

 

 「決まりだな。では行くとしよう。ところでそこの変態男は、何故先ほどから元気がないのだ?」

 

 ハムザはまたも意味不明な唸り声をあげたから、エイナが助け舟を出す。

 

 「…えーと、詳しい事は後でお話しますが…。リヴェリア様は、あまりお耳に入れない方が良い内容かと…いえ、絶対にお耳に入れてはいけません」

 

 『絶対にいけません!』と息巻くエイナに押され、リヴェリアは「そうか…」と頷いた。

 

 だが、エイナも分かっている事だ。どうせ【ロキ・ファミリア】に着いたら全てを説明しなくてはならないのだと言う事を。

 

 (はぁ…今更全部なかったことにならないかなぁ…。はぁ、憂鬱…)

 

 先に店を出て雨の中を歩いていく三人の後ろから、やる気のなさそうなエイナがとぼとぼとついていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 -エロトーク-

【ロキ・ファミリア】の本拠地(ホーム)はオラリオの最北端に位置する。迷宮探索系ファミリアの中で屈指の実力を誇るこの派閥の所在地は、『黄昏の館』という別名で呼ばれる程に有名だった。

 

 「おぉ、ロキのやつこんな立派な家に住んでおるのか。くそう、羨ましい」

 

 テルクシノエはその壮大な敷地を見て感嘆する。エイナもまた、圧倒的な大きさの本拠地(ホーム)にため息が出るほどだった。まさしく大豪邸。最強の一角を担う派閥故、ここでは並外れた能力を持った者しか住むことが許されない。オラリオに住む者なら知らぬものなど居ない、現代版英雄譚の最前線だ。

 

 「おかえりなさい、リヴェリア様。そちらの方々はお客様ですか?」

 

 門兵は恭しくリヴェリアに一礼するも、部外者がいるためか門は閉ざされたままだ。

 

 「あぁ、私の知り合いと、ロキの神友だ。安全は私が保証する。門を開けてくれ」

 

 「かしこまりました」

 

 門兵は大きな門を開き彼らを敷地に招いた。門兵の一人が、ハムザを見つめた途端顔をしかめたのをリヴェリアは見た。きっとこの場所に相応しくない相貌の人物を見て、気分を害したのだろう。あんな表情をしていればそれももっともだとリヴェリアは思った。

 

 事実、ハムザの表情は本当にひどいものだった。まるでこれから絞首台に向かう死刑囚の様だ。

 

 (囚人という意味では、間違いではないか…)

 

 館へ入り、大広間へ向かう途中、リヴェリアは黙考する。

 

 ロキがハムザを招いた理由は分かりきっている。副団長である自分にセクハラ紛いの発言をしたことに腹を立てているに違いない。団員に対するロキの愛情は、異常とも言える程だ。リヴェリアが『性交渉によって成長する冒険者に求愛された』事をロキに伝えた時、主神の表情は、それはそれは凄まじいものだった。

 

 大広間に着くと、大きなソファーでロキが寝転がっていた。

 

 「あ、リヴェリアたんおかえり~。ってえええええ!?うそやん!?テルちゃん、生きてたんか~!?」

 

 「女神が死ぬか、ボケ。久しぶりじゃのう、ロキ。元気にしてたか?」

 

 「そりゃもう元気にしとるで!ほんま、来るなら言うてやー。おーい!誰か酒持ってきてくれへんか~!」

 

 意外と仲が良い二人に、三人とも絶句していた。酒が運ばれてくるなり二人は乾杯し、思い出話に浸る。リヴェリアとエイナは酒は飲まず、ハムザもそれを断ったから酒盛りは女神二人だけで行われていた。

 

 「いやー、うちは迷宮探索で成功してなー。ほんまに子供たちが可愛くてしゃーないんや。言うてテルちゃんも同じやろ?こないだの神会(デナトゥス)じゃ、ドチビのせいで会えずじまいやったから、ほんまに来てくれて嬉しいでー」

 

 止まらない二人の会話を、リヴェリアが遮った。

 

 「盛り上がっている所すまないが、一体二人はどの様な関係なんだ?」

 

 ロキとテルクシノエは丁度一本目を空けた所だった。とんでもなくハイペースで飲み続けている。

 

 「私とロキはな、天界では共通の敵を持った神友だったのじゃ」

 

 「共通の敵?」

 

 ロキはぷはーっと一気に酒を飲み干し、頷いた。

 

 「そうや!一度テルちゃんが色ボケ女神のアホを扱き下ろした時な、こいつやー!ってびびっと来たんや。いやぁーすっきりしたで、あん時は」

 

 「あぁ、あの淫乱女神フレイヤめ、現世でもデカい顔しているらしいのう?全く気に入らんのじゃ。あのビッチめ、私の『芸術』とあいつの『色欲』を同列に語りおって。許されんのじゃ、そんな事は。あいつのやっていることは、一方的な情欲じゃ。決してお互いを理解し合う美しい恋愛ではない。まったく、本当に―」

 

 「あ、あの、ちょっといいですか?」

 

 止まらない二人の会話を、今度はエイナが遮った。

 

 「積もる話があるのは分かるのですが、その、良ければ本題の方に…」

 

 「そうじゃった、そうじゃった。えーっと、何だったっけ?あぁ、そうそう。【ソーマ・ファミリア】について何か知らんか?ぶっ潰そうと思っててなぁ」

 

 率直な発言にロキが歓喜する。エイナは驚いて目を瞬かせていた。

 

 (ぶっ潰す?そんな話だったかしら…)

 

 「なんやそれ、おもろー!ソーマなぁ、あいつ完全にいかれとるで。ファミリアの運営する気ゼロやし、ずーっと酒を造ってるだけや。でも、あの神酒ソーマだけはヤバいで。一度飲んだらぜっっったいに忘れられへんくらい、()()()

 

  ロキはハイペースで酒をあおり続けながら話を続ける。

 

 「店に並んでる酒、見たやろ?神酒に限っては値段がバカ高い。それでもいつも品薄状態や。それくらいファンが多いし、何よりヤバいのは、あの店で扱ってるのは全部『出来損ない』だけってとこやな」

 

 「あ、あの値段で出来損ないなんですね…」

 

 「そうや、エイナちゃん。それにソーマのやつ、どうもその神酒を団員に配ってるらしい。もちろん無償ちゃうで、稼ぎの良い団員にはこれだけ配りますよー、ってな感じでやっとるから、みーんな死に物狂いで金稼ぎをするっていう寸法や」

 

 エイナは合点がいった。それで【ソーマ・ファミリア】の人たちはあんなに必死になってお金を求めていた訳だ。

 

 「要するに、酔っ払いのきちがい集団という訳じゃな?そんなゴミ派閥が一つなくなった所で、誰も文句は言わん」

 

 リヴェリアは二人の会話に横やりを入れる。

 

 「どうかな、あの派閥が所持している店、『リーテイル』だが…立地が良く、需要も多い。無くなれば困るものが出るだろう。だから派閥を丸ごと潰すのではなく、派閥は存続させつつ団長(トップ)を息の掛かった者に挿げ替える事が望ましいのではないか?それなら、神酒の製造も販売も今まで通りにした上で、利益だけを吸い上げられるかも知れないだろう」

 

 「さっすがリヴェリアたんは違うなー。ぺちゃくちゃお喋りする連中は十を述べるのに百を喋るけど、賢いもんは一を述べるだけでええねん。酔っ払いは口を慎みまーす」

 

 「おふざけは止せ、ロキ」

 

 リヴェリアは嘆息して、自明の事だと肩を竦める。

 

 「確かにそうすれば、都合良く飼いならす事も出来るし、酒も入手し放題じゃ。私の目論見とも合致するし、その案採用じゃ」

 

 「ウチにも一枚噛ませてくれるんやろ?なぁ、そうやろ!?」

 

 ロキは息まいてテルクシノエに迫っているが、テルクシノエは首を縦には振らなかった。

 

 「まぁまぁ、落ち着くのじゃ。この件に関しては既に水面下で動いておってな、準備は万端という訳じゃ。ロキの手は借りんが、情報をくれた事には感謝するぞ。事がうまくいったら、神酒はお前に横流ししてやろう」

 

 「うおー!よっしゃーーー!さっすがテルちゃん、話わかるなぁ。ところで話変わるけど、さっきから黙りこくってるキミはレアスキル持っとるんやろー?」

 

 ロキは始終黙りこくっているハムザに声を掛けるが、反応はない。

 

 「なんや、随分辛気臭い子やなぁ?テルちゃん」

 

 「あ、あぁ。忘れておったのじゃ。こいつは先ほど勃起不全になってな、落ち込んでおるのじゃ」

 

 「勃起不全やと!?そ、そらご愁傷様やん…。かわいそーに、まだ若いのになぁ、ボクぅ」

 

 エイナは「あはは…」と空笑いをし、リヴェリアは内心ほっとしたように笑みをこぼす。そんな反応を見てハムザはますます落ち込むのだった。

 

 「…そうやって俺を笑いものにすると良い…。当然の報いだ、ロリコンの呪いだ…」

 

 「ロリコンの呪いとは何だ?」

 

 肩を小刻みに揺らしながら笑いを堪えているリヴェリアが訊いた。もう諦めたと言う表情で、エイナが説明を始める。

 

 「えっと…何でも一時の性欲に負けて一度だけ少女の娼婦を買ったらしいですよ…それで罪悪感に苛まれているうちに、勃起不全になったとか…」

 

 「うわー、自業自得やん」

 

 ロキは面白そうに茶々を入れる。主神は呆れかえったような顔で酒を飲み続ける。

 

 「おかしいな。私は勃起不全と聞いて真っ先にお前の魔法を思い浮かべたが、違うのか?」

 

 「…?」

 

 ハムザはこの時初めて顔を上げ、リヴェリアを見つめた。彼女は未だに理解していないらしいハムザに丁寧に説明した。

 

 「呪詛(カース)罰則(ペナルティ)の事だ。罰則(ペナルティ)は通常身体的負担を強いる場合が多いが、効果が強力な物の中には『術者にとって大切な物』を代償とする場合がある。お前にとって、勃つか勃たないかという事が大切だったのではないか?」

 

 予想外の解釈に、ハムザの心は踊った。そうか、これがそうなのか。しかしそうなれば、これはあくまでも一時的な副作用に過ぎない。ある時を境に、急に元に戻るに違いない。

 

 「ハムザ、詳しい状況を教えてみるのじゃ。リヴェリアちゃんがしっかり分析してくれるかも知れんぞ?」

 

 主神に促されたハムザは今日の一部始終を語る。

 

 「お、おう。俺がエイナちゃんとセクロスしようとしたのが、今日のことだ。バッキバキに勃起した俺のイチモツだったが、エイナちゃんに触れられた途端に急に元気がなくなったのだ」

 

 エイナは真っ赤になった。リヴェリアには、こんな発言を聞かれたくなかった。自分が男性と性交渉をしている事を知られてしまい、恥ずかしくてまるで生きた心地がしない。リヴェリアも驚いた表情でエイナを見つめている。

 

 「ま、まさかお前に…先を越されるとは…だが、良かったなエイナ。伴侶が見つかった事には祝福を贈るべきだろう。それにお前も、ハムザ。私との約束は反故にすべきだな。よかったではないか」

 

 リヴェリアはエイナを誇らしそうに眺めてから続ける。

 

 「呪詛(カース)罰則(ペナルティ)だが、ハムザの説明を聞く限りでは『勃起不全になる』事ではないな。性交渉時に勃たなくなった訳で、それ以前は正常に反応していたと言う事を考えると、それは恐らく『性交渉の禁止』だろう。それがハムザにとっての大きな代償という訳だ。とにかく、祝福するぞ、エイナ」

 

 「ち、ちがうんです…」

 

 同郷の王族であるリヴェリアに盛大に勘違いされ、エイナは耳の先端まで真っ赤にしながら小さく否定した。どうせこうなるに違いないと思っていた状況に、やはりなってしまったのだ。

 

 「その…ハムザくんの『レアスキル』に関する報告書を作るにあたって、何度もせ、性交渉をする事に同意しているんです…だから、伴侶とかではないです。リヴェリア様…」

 

 「か、体だけの関係ということか…?あ、あの堅物だったお前が、まさかそんな…」

 

 リヴェリアは驚愕した。エルフにとって『体だけの関係』などという事は常識の範疇を越えた物だ。高潔を好み潔癖であるエルフには、性交渉を持つ相手は一生を共にする伴侶でなくてはならない。ましてや一夜限りの関係に身を落としたとなれば、それはもう立派な道徳的犯罪者だ。

 

 エルフとハーフエルフから漂う気まずい空気を、ロキが能天気な声で一刀両断する。

 

 「気にしすぎやで、二人とも。セフレなんて今時あたりまえやん。ウチも肉バイブほしー。なぁキミ『レアスキル』持ってるんやろー?ここに入団しろとは言わんから、勃つようになったらそのチンポで協力してや?」

 

 「何を言っている、ロキ!」

 

 リヴェリアは珍しく声を荒げた。てっきりハムザに対しては無慈悲な有罪判決を下すのだと信じ込んでいたが、実際の判決は真逆のものだ。逆転無罪どころか、誰とでも性的関係を持って良いという免罪符を与えたようなもの。到底納得できるものではない。

 

 「まぁまぁ、嫌ならせんでええっちゅーことや。リヴェリアたんも、セックスするだけで成長するんならするに越したことはないで?なに、成長に限界を感じてきたら試してみるかー、っていう程度でええから頭の片隅にはいれときや」

 

 ただし、とロキは付け加える。

 

 「いっくらテルちゃんとこの子でも、テクなし童貞早漏じゃちょっと任せられんわなぁ。今度ウチが直々に味見したるから、そこで判断やな!」

 

 景気の良い話の連続に、ハムザはすっかり元気を取り戻していた。

 

 「ぐひひ…やる気出てきた。俄然。女神様を満足させられるように、しっかりインポは治しておくとしよう!よし、そうと決まったらさっさと【ソーマ・ファミリア】をぶっ潰そう。主神と団長は斬首刑、団員は残らず皆殺しだ!奴らの店も根城も、跡形もなく粉砕してやろう!」

 

 「あはははは、こいつ全く話聞いてないやん。うけるわー!」

 

 「じゃあ、これから行くところがあるのでこれで失礼しようかの。またな、ロキ。エイナも来るか?」

 

 「あ、はいっ!」

 

 三人は立ち上がり、別れの挨拶をしてから本拠地を出た。リヴェリアは氷像の様に座ったまま長い事固まっていたが、やがてゆっくりと足を動かしどこかへ消えていった。

 

 その晩、【ロキ・ファミリア】の面々は酒に酔った主神によるセクハラ攻撃に散々悩まされた挙句、彼女を捕まえて縛り、狭い一室に閉じ込める事で安眠を手に入れることになる。

 

 

 

 ロキが縛り上げられるよりも前の時間に、エイナと別れたテルクシノエとハムザは『豊穣の女主人』で夕食を取っていた。

 

 「それで、【ガネーシャ・ファミリア】の件はどうなった?」

 

 「あぁ、ジーガは元気にしていたようじゃ。もうお前を恨んではいないし、付け狙うつもりもないらしいぞ」

 

 「はぁ…。それを聞いて安心したぞ、まったく」

 

 ハムザは肩を撫で下ろし、葡萄酒の注がれたグラスを仰いだ。

 

 「ジーガは持ちかけた話には乗ってきたぞ。今の所計画は全てうまい具合に進んでおる。あとはリューちゃんの情報次第じゃな」

 

 「リューちゃんねぇ…うまくやったかなぁ。あいつ、どうみても不器用だから心配だぞ」

 

 「そうは言っても、頼るには彼女しかいなかったからな。お、噂をすればじゃ。リューちゃん!おーい!」

 

 テルクシノエは奥のテーブルで接客を終えたリューを捕まえ、彼女をハムザの隣に座らるように指示した。長椅子には十分なスペースがあったのに、リューは自分の左腕がハムザの右腕にくっつく程密着して着席した。その瞬間、彼女のさらさらとした黄色い髪が、ふわりとハムザの頬を撫でた。

 

 (ぐ、近い。いかん、勃ってきた…)

 

 「ハムザさん、テルクシノエさま、仕事がありますので、簡潔に報告します」

 

 リューは眦にきりっと力を込め、空色の瞳を怒りに燃やしている。ハムザは今にも彼女が机を叩き割るのではないかと思い、まだ飲み干していないワインを両手で持って机から遠ざけた。

 

 「…奴らは屑です。生かすに値しません。隠れ家の所在はこの紙に記しておきました。明日実行して下さい。私はこのオラリオで奴らと同じ空気を吸いたくない」

 

 リューは何とか平静を保ちながらといった雰囲気で早口に報告した。きっと以前机を叩き壊した時にここの女将にどやされたのが少しは効いているのだろう。

 

 「明日か…。まぁいいじゃろう、こちらも必要な情報は全て揃ったしな。それよりも、やれそうだったのか?」

 

 「問題ありません」

 

 リューはきっぱりと告げた。

 

 「肩慣らしにもならない。烏合の衆でしょう。それでは忙しいので、私はこれで仕事に戻ります。ただでさえ日中に空けてしまっていますから、同僚にこれ以上迷惑を掛けたくない」

 

 すっと立ち上がるリューに、軽い気持ちでテルクシノエが言った。

 

 「私たちはしばらくゆっくり飲んでいるから、暇になったら戻ってくるのじゃ。ハムザがお前と話したがっているからの。じゃあ、頑張れよ、リューちゃん」

 

 リューはしかめっ面をいつも以上にしかめ、一礼してから去っていった。

 

 「…お前、何言ってんだ?頭でも打ったか?」

 

 非難がましくハムザは主神を睨みつける。勘違いに勘違いが重なって自分が聖人のようになってしまっているこの状況で、酒に酔ってうっかり『セクロスしたい』などと口走ろうものなら、自分は二度とお日様を見ることは出来ないだろう。ハムザにとって、リューは美しくセクロスしたい相手だが、同時に避けたい相手でもあった。

 

 「大丈夫じゃ。神の勘が告げているぞ、今なら多少の粗相は許して貰えるに違いない。意外と良い奴だぞ、リューちゃんは」

 

 「良い奴ねぇ…さっきのしかめっ面を見てそう思えるのは、きっとお前くらいなもんだぞ」

 

 テルクシノエは大きな肉を頬張り、葡萄酒で喉に流し込む。ハムザは既に料理は片づけていたが、肉好きの主神は未だに注文を重ねて胃袋を満たしていく最中だった。

 

 「…馬鹿もん。乙女は天邪鬼なんじゃ。顔をしかめればしかめるほど、嬉しくてたまらないという事だな。逆に彼女が本気で笑った時は、やばいぞ」

 

 「そういうもんかねぇ…」

 

 「そういうもんじゃ。以前ここでお前が魔導書(グリモア)を読んだ時、私は色々あの子とお話をしたんだ。お前は寝ていたから知らんだろうが、セックスくらいで目くじら立てる器の小さいエルフじゃない。安心することじゃ、ハムザ」

 

 それから二人は明日の【ソーマ・ファミリア】壊滅作戦に事についてあれこれと話し合った。ハムザは神酒や店舗の利益についてはあまり興味がなかったが、リリちゃんとセクロスできれば良いと思っていた。あくまでも、罰則(ペナルティ)が終わり勃起不全が治ればの話だが。

 

 やがて店内に人影がまばらになり、ウェイトレス達が注文を受けるのに走り回る必要がなくなり、お喋りする余裕が生まれてきた頃リューがシルを伴ってやってきた。

 

 「遅くなりました。まだお時間ありますか?」

 

 「リューちゃん、やっと来たか。ようシルちゃん、久しぶりだな」

 

 「お久しぶりです、ハムザさま。退屈していませんか?今から酒場の看板娘二人がお酌しちゃいますよ?」

 

 二人がテーブルに来て会釈すると、主神はわざとらしい口調で「あぁ、急用を思い出したのじゃー」とだけ言い残して去っていった。きょとんとする二人だったが、邪魔な女神がいなくなった事で内心では喜んでいる。

 

 「シル、ハムザさんの隣に座るのは私です。どいてください」

 

 「あら、リューはさっき一緒に座っていたじゃない?だから今度は私の番よ?」

 

 リューは少しだけ「ふふっ」と笑みを漏らして向かいの席に座った。

 

 (あれ、今の笑みってヤバい奴じゃないか…?)

 

 主神の『彼女が笑った時はヤバい』という言葉が頭を過る。だが、今のところ特に変わった様子はなく、リューは正面から姿勢良くハムザを見つめている。

 

 「ハムザさん、聞きましたよ?魔法が発現したんですよね?凄いなぁ、私強い冒険者の人って、憧れちゃうなー」

 

 「魔法、ですか?ハムザさん、本当ですか?」

 

 「お、おう。本当だぞ」

 

 彼女たちの質問に答え、ハムザは自分の魔法について説明した。呪詛(カース)であることや、詠唱がいらない速攻魔法なこと、そして『相手を精神疲弊(マインドダウン)状態にする』効果があることなど。

 

 「さすがハムザさんです。呪詛(カース)とは、ほとんど反則ですね。罰則(ペナルティ)は身体的負担の類ですか?」

 

 リューの質問に、ハムザは声が詰まった。果たして説明していいものかどうか悩んだ挙句、ハムザは言った。

 

 「罰則(ペナルティ)は非常に重い。重すぎるというくらいだ。つまり…その…魔法を使うと、勃起不全になる」

 

 「ええええ~~っ!?」

 

 シルが絶叫した。

 

 「ハムザさん、ということはあの下についているもう一つの立派な剣は、もう動かないんですか…?」

 

 「―ちょっと待ちなさい、シル。貴女はどうしてその、立派な剣が付いていると知っているのですか?」

 

 シルはいじらしい表情を浮かべてリューを見やった。

 

 「いやね、リュー。ただの冗談よ?」

 

 リューは少し顔を赤らめ、「そうですか」と俯いた。

 

 「まぁ落ち着け、シルちゃん。罰則(ペナルティ)は一時的なものだし、すぐ治る…と思う」

 

 「そうなんですか…」

 

 三人の間に沈黙が流れる。勃起不全という言葉が、明らかに場を困惑させていた。

 

 少しの沈黙のあと、シルが意地悪な笑顔でぬけぬけと言ってのけた。

 

 「でも、良かったですね、ハムザさん?これからはあまりたくさんの女性に中出ししてはいけませんよ?罰則(ペナルティ)がなくなったからって、前みたいに私に『中出しさせてくれー』なんて頼まないでくださいね。ちゃんと順序を守って、お付き合いしていきましょう?」

 

 ハムザは硬直した。リューも同様だった。シルただ一人だけ、満足そうにニコニコと笑顔を振りまいている。ハムザは直感した。

 

 (こ、こいつ悪女だ…明らかに俺を変態に仕立て上げ、リューちゃんとの仲を破壊しにきている…)

 

 「………」 

 

リューは徐に手元にあったナイフを持った。ハムザは終わったと思い、咄嗟に近くにあった空き皿を盾に持った。

 

 「…………」

 

 しかし、リューはそのナイフで皿に盛りつけられてあったポテトを乱暴に突き刺し、口に運んだ。

 

 それを見てハムザは空き皿をナプキンで拭き始める。きゅっきゅっと、とてもいい音がした。

 

 絶句しながら行われた二人の奇行を目の前に、シルは困惑している。

 

 「…二人とも、どうしたの?」

 

 「どうしたの、じゃないよ。シル」

 

 ふと大柄のドワーフの女将が彼らの前に仁王立ちをしている事に気づく。

 

 「…で、仕事をサボってるお二人さんに聞こうじゃないか。どっちが山盛りの皿洗いをしたいんだい?」

 

 ハムザはこの場を何とか収拾できるなら、皿洗いでもなんでもやってやると思い立候補しようとした。しかし残念な事に、彼よりも早く猫人(キャット・ピープル)のウェイトレスが声を荒げた。

 

 「馬鹿力のリューに皿洗いをさせちゃ駄目ニャ!この前なんか一晩で二十枚も割ってしまったニャ!!」

 

 女将ははぁ、とため息を吐いてからシルと向き合った。

 

 「決まりだねぇ、シル。さっさと調理場に戻って皿を洗ってきな!!」

 

 シルは「不公平です…」と呟いて調理場に戻っていった。取り残されたリューとハムザに、ドワーフの女将は睨みを効かせる。

 

 「ウェイトレスを侍らせてもらっちゃ困るねぇ、アンタ。うちはそういうお店じゃないんだ、と言いたいところだけど」

 

 「…?」

 

 「いつも大食いの神様を連れてきて貰ってうちとしては助かってるよ。たまには目を瞑ろうじゃないか。リュー、お客さんにしっかりお酌をしとくんだよ!」

 

 そう言い残して女将は店内の奥へと消えていった。残されたハムザはリューの顔色を伺う。空色の瞳は曇がかかったように暗く、思考が読み取れない。

 

 ふと、彼女が言った。

 

 「…お隣でお酌をしましょう、ハムザさん」

 

 「お、おう。悪いな」

 

 リューはハムザの隣に座り、自分のとハムザのグラスに葡萄酒を注ぐ。

 

 「あれ?リューちゃん、エルフなのに酒飲めるんだっけ?」

 

 「…付き合い程度ですが、一応飲めないことはありません」

 

 「…そっか」

 

 会話がもたない。ハムザは今更ながら、逃げ出していった主神を恨めしく思い始めていた。

 

 「知りませんでした」

 

 「…ん?」

 

 リューはグラスを傾けてから、少し悲しそうに呟いた。

 

 「私は知りませんでした。ハムザさんとシルがお付き合いをしているという事を」

 

 「は、はぁ?別に付き合ってないぞ。あれはあいつが適当に言っただけだ」

 

 途端にリューの空色の瞳が輝きを取り戻した。姿勢を直し、横からハムザの顔を覗き込む。

 

 輝きを取り戻した表情はあまりにも美しく、ついついその艶やかな頬に手を伸ばしてしまいそうになる。

 

 「そうでしたか。私はてっきり、お二人がお付き合いをしているのかと」

 

 「そんなことはない。俺はてっきりリューちゃんが中出しセクロスについて怒ったのかと思ったぞ」

 

 『中出しセクロス』という単語を聞いてリューは嫌悪の表情を浮かべたが、丁寧な口調でハムザに言った。

 

 「できればそのような卑猥な表現は控えて下さい。ですが、テルクシノエ様からハムザさんの『レアスキル』については聞いています。不特定多数の女性と性的関係を持つ事で成長する能力のようですね?その副作用に極端に性欲が強まることも、私は聞いています」

 

 ハムザは神に感謝した。あの女神が『大丈夫、大丈夫』と言っていたのは、実は根拠があったのだ。既に根回しをしていた主神に感謝し、ハムザはグラスをあおった。

 

 「そう、そういうことなんだ。性交渉をしないととても寝付けない体質になってしまった。十年前くらいは、そんな事はなかったのだが」

 

 「そうですか」

 

 「おかげさまで、罰則(ペナルティ)にはだいぶ参っている。性交渉しなけりゃ成長もできないからな。ここ最近は、悶々として気が狂いそうだ」

 

 ハムザは気を良くしてありもしないことをどんどん並べ立てていく。喋っている本人にも、何が本当で何が嘘なのか良く分かっていなかった。

 

 「リューちゃんは、こういう話題は好きではないみたいだな?」

 

 ハムザの質問に、リューは率直に頷いた。

 

 「…エルフとはそういうものです。ご存じでしょうが、エルフが肌の接触を許すのは、心を許した相手にのみです。そんな潔癖なエルフが性交渉をする時は、心の底から相手を理解し、信頼できた場合に限ります」

 

 リューは、自分の大胆さに少し驚いていた。この手の質問は、いつもなら黙殺するか、睨み付けて相手を追い払うかのどちらかだ。しかし今は酒の影響もあったのか、普段よりも心が大きくなって何を言っても恥ずかしくないような気分だった。

 

 「はぁ…それは大変だな。一度でいいから本物のエルフを抱いてみたい。エルフは超可愛いし、ツンツンしてるのが妙にエロいからな」

 

 「…止めてください。ところで、ハムザさんは今まで何人の女性と寝たのですか?」

 

 リューの質問に、ハムザは「いちいち覚えていない。たくさんだ」と答えた。彼女の口元に笑みが浮かんだ気がして、急いで「それもすべてスキルの影響で」と付け加えたら、リューは再びしかめっ面に戻った。

 

 「本音を聞かせてください。たくさんの女性を抱いて、後悔することはないですか?」

 

 ハムザは唸った。嘘を吐いてもいい。しかし今更本音を言ったとしても、泥に泥を重ねるだけだ。別に隠す必要もないだろう。

 

 「…ない。気持ち良ければそれでいい。今まで一度も、後悔したことなんてないな。幻滅したか?」

 

 リューは首を振った。

 

 「いいえ。種族が違えば考え方も違う。エルフの中にも快楽に溺れる者は大勢います。一夜の情事によって相手を傷付けているのならば蔑みもしましょう。ですがお互い合意の上ならば、とやかく言うつもりはありません。それに…」

 

 彼女は酒の入ったグラスを傾けて言葉を継ぐ。

 

 「正直に話して下さった事には感謝します。男性は、自分を善く見せるために下らない嘘を吐く傾向がある。私はそのことを最も軽蔑します」

 

 ハムザは内心冷や汗をかきながら、隣で凛として座すリューの綺麗な横顔をちらりと盗み見た。

 

 美人だ。こんな美人エルフの顔にぶっ掛けられるのであれば、冒険者になった甲斐があったというものだ。ツンツンエルフが頬を紅潮させて、四つん這いで股間にすり寄ってくる…。そんな光景を我が目に焼き付けるため、自分はオラリオに来たのだ。

 

 「それにしても…」

 

 彼女はちらとハムザの膨らんだ股間を見た。

 

 「本当に大きい剣をお持ちのようだ。相手をする女性は大変でしょう。今よりもさらに大きくなるのだから」

 

 まるで性には無関心と思われたリューだったが、どうやら大きさなどに関する知識はあるのかも知れない。『大きさ』を測るには、基準となる一竿を知っていなければならないのだから。

 

 「ん?今、可愛いリューちゃんを前にして完全勃起だぞ」

 

 ハムザは首を傾げるリューに罰則ペナルティについて説明が足りていなかった事に気づいた。

 

 「あぁ、勃起不全というのは言葉の綾だ。正確には『勃つけど性交渉は出来ない』だな。それよりリューちゃん、勃起したチンコを見た事があるのか?」

 

 「はい、あります」

 

 意外な返答だった。

 

 「ですが、誤解なさらないで下さい。昔の事ですが、私は極めて悪質な組織を追い回していた事がありました。そういう闇の連中は必ずと言っていいほど無慈悲な風俗業や危険薬物に手を染めています。彼らが情事に耽り集中力が散漫になっている所に討ち入った事は、一度や二度ではありませんでした」

 

 「そういうことか…。まぁ、リューちゃんみたいな美人が乗り込んできたら、男たちは他の女なんか捨てて君に襲い掛かってきただろう」

 

 リューは酒を一気にあおいだ。空になったグラスをテーブルに置き、少しだけ諦観の念を漂わせながら返答する。

 

 「貴方は変わった人です。情事の最中に討ち入った時、いきり立っていた彼らの股間はみるみるうちに萎んでいきましたし、私の体に欲情するような者は一人もおりませんでした。もっとも、誰にでも声を掛ける浮ついた軟派者をその数に数えるつもりはありませんが」

 

 よくよく考えてみれば、それもそうだ。鬼の形相で自分の命を奪いに来る相手が、多少綺麗だったとしても人はみな恐怖に打ち震えるものなのだろう。寧ろその美しさゆえ、恐怖がより一層強まるのかも知れない。

 

 「…俺は勃起が収まらないがなぁ。リューちゃんみたいな女の子とのセクロスを妄想するだけで、丸一日は勃ち続けるはずだ。まぁ、勃起不全なんて罰則(ペナルティ)があっても関係ない」

 

 リューはもう一度股間を見つめた。そんな彼女を見てハムザはため息混じりに言う。

 

 「勃起はするから自慰くらいは出来るが…どうもプライドが許さん。神様も自慰だけはするなと煩いからな。効率よく成長するためにも無駄打ちは避けなければいかんのだ。それで悶々として、今にも気が狂いそうな毎日だ。はやくこの地獄が終わらないものか…」

 

 「自慰が出来るのなら、射精も出来るのですね?それならプライドなど捨ててしまえば楽になるのでは」

 

 リューの言葉に、ハムザは「わかってないな」と首を振る。

 

 「セクロスしなければ意味がないんだ。セクロスってのは、男女の営みだ。当然相手が要る。一人で虚しくシコシコ擦ったところで、全く意味がない」

 

 「そうですか。私にはわかりません」

 

 わからくて結構、とハムザは言った。真面目すぎるが故か、あるいは女将に『しっかりお酌をしろ』と命令されたが故か、意外にも下ネタについてくるリューだった。

 

 暫くの間、真面目な美人エルフとエロトークを楽しむ事で満足していたが、次第に虚しさが心に溢れてきた。どれだけいい雰囲気に持っていこうと、仮にリューが『抱いても良い』と言ってきたとしても、結局は何もできないじゃないか。

 

 「…やめだ。虚しくなってきた。そろそろ帰るか…」

 

 「わかりました。すっかり遅くなってしまいましたね」

 

 金貨袋を取り出し、机に置く。リューはその中から必要な分だけ抜き取り、ハムザを見送るため出入り口までついて行く。

 

 開け放たれた扉から、夜風が舞い込んで来ていた。程よく酒がまわって体が火照っているからか、その風は妙に心地が良い。しかめっ面のリューも、酒を飲んだためか少し頬を紅潮させている。しかしその雰囲気は、普段の近寄りがたい銀嶺のようではなく、裾野を駆ける春風のようだった。

 

 「では、またお待ちしております。それと明日は、うまくいくように願ってます」

 

 リューがそう言った時、ハムザは彼女が微笑みを浮かべたのに気が付いた。それは相手を軽蔑する時に浮かべる危険な微笑みとは異なり、柔和で愛嬌のある微笑みだった。

 

 「うほっ…リューちゃんの可愛い笑顔いただき。じゃ、また明日な」

 

 ハムザがそう言って店を出ようとすると、厨房からシルが駆けてきた。

 

 「…もうっ、リューったら。ハムザさんが帰るならそう言って欲しかったな?」

 

 ここ数刻程皿洗いをしていたと思われるシルは、めくってあった給仕服の袖を元に戻してからハムザに微笑んだ。

 

 「ハムザさん、今度、勃起不全が治ったら私を指名しに来て下さいね?たっぷりサービスしちゃいますよっ」

 

 「…シル、今の彼は欲求不満だからあまり刺激してあげない方が良い」

 

 「なによ、リューったら。私ならリューがしてあげられない男性が喜ぶこと、一杯出来るんだからね?」

 

 シルの発言にリューは少し面食らったようで、目を見開いてから俯いた。『自分がしてあげられない男性が喜ぶこと』とは何だろうかと思案しているに違いないと、ハムザは思った。

 

 「…あー、それじゃ、またな」

 

 二人のウェイトレスに見送られて店を出る。数歩歩いてから、ハムザは振り返って店の看板を眺めた。そこにはこう書いてあった。

 

 『酒場 豊穣の女主人』

 

 (酒場?キャバクラの間違いじゃないか?)

 

 心地よい夜風が、さっと肌を撫でてから星の瞬くオラリオ上空へと舞い上がっていった。一日中降り続いた雨はいつの間にか上がっていたようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 -リリの裏切り-

 

 「だから言ったじゃろう。あいつはお前じゃ勃たんし、今は女を買うような状態じゃないのだ。さっさと帰るのじゃ、小娘!」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地には、夜になると隣人が集まってくる。その人々に混ざって、今日も件の少女が体を売り込みにやってきていた。今日は店で酒盛りを済ませてきたことや、ハムザの帰りがいつになるかわからないことを女神が告げると、隣人たちは帰っていく。しかし、その少女だけはいつまで経っても帰ろうとはしなかった。

 

 「み、ミャーはちょっと入用があるんですニャ。ハムザさまに抱いてもらうまで、ここを離れるつもりはありませんニャ」

 

 そこにハムザが『豊穣の女主人』から帰って来た。テントの外で押し問答をしている二人に声を掛ける。

 

 「よう、眷属様のお帰りだぞ。それに何だお前、また来たのか」

 

 「ハムザさま!」

 

 猫人の少女は尻尾を左右に振り回しながら興奮した面持ちでハムザに近づいていく。服の袖を引っ張りながら、少女は懇願した。

 

 「どうか前金五万ヴァリスでミャーを抱いて下さいニャ!あ、あの時みたいにぱぱっと一発出してもらうだけで結構ですニャ、どうかお願いしますニャ!」

 

 「無理」

 

 ハムザは即答した。同時に、猫人の少女もとい、リリは衝撃を受けた。テントに入っていく彼らの後に続いて、リリは無断で中に入り込んだ。

 

 (む、無理ってどいうことですか!?この外見じゃあ、抱いて貰えないってことですか…!?)

 

 物が散乱した部屋の中で、ハムザは椅子に腰かけ、主神は水煙草を取り出している。

 

 リリは入口付近で立ちすくみ、考えを巡らせる。前と同じように、この外見を使えば目の前の変態ロリコンは五万ヴァリスを平気で払うと思っていたが、どうやら違うようだ。いっそのこと変身を解いて、リリとして懇願してみようか?いや、危険すぎる。

 

 この【ファミリア】は、盗人としてのリリに気が付いている。姿を現した途端捕らえられて強姦され、捨てられるなんていう可能性も排除できない。

 

 それに姿が変わっており、仮初の体を持っているからこそこのような売春婦紛いの行為が出来るのだ。リリとして、自分自身としてその様な行為に手を染めてしまっては、もはや自分は終わりだ。

 

 「そんなことよりも」

 

 テルクシノエは水煙草のために炭を焼きながら、少女に質問する。

 

 「リリちゃんは元気か?ハムザは明日、久しぶりの迷宮探索に行く予定でな。良かったらサポーターを頼みたいのだが、お前から伝えておいてくれないか?」

 

 罠かもしれない、とリリは思った。素性がバレているのだから、姿を見せるのは得策ではない。しかし、変身魔法を利用してハムザに仮初の体を抱かせて金貨を得るという作戦は、もううまくいく気がしない。

 

 断った方が良いと、本能は告げていた。だが、今までと同じように冒険者たちを騙し、少ない稼ぎのために危険の大きい盗賊稼業を続けていく気にも、リリはなれなかった。騙すことに疲れたのかもしれない。あるいは、ファミリアへの月五十万ヴァリスの上納金を納めるためには、昔と同じ手法ではとても稼ぎきれないと思ったからかもしれなかった。

 

 「わかりました…」

 

 リリは頷いた。熟考の末という訳ではないが、ハムザはサポーターとしての自分に利益を山分けした事があったのを、思い出していた。

 

 事実として、サポーターと分け前を山分けにする冒険者なんて、馬鹿か下心丸出しの変態かのどちらかだ。ハムザは後者だった。

 

 『これは下の世話に対する報酬でもある』というような事を、ハムザは言っていた。

 

 そうだ。リリは思い出してきた。

 

 『何もお前自身がしなくてもいい。娼婦を紹介するだけでも構わん』

 

 そう言っていたじゃないか。それなら、好みの容姿を詳しく聞き出してから変身魔法で娼婦になりすませば、きっとまたその日の利益を全て巻き上げる事も可能に違いない。

 

 「伝えておきますニャ。リリちゃんには、この前ハムザさまと出会ったダンジョン近くの噴水広場に居るように、言っておきますニャ」

 

 「よろしく頼む」

 

 主神は真っ赤に燃え上がる炭を転がしながら、それを水煙草に乗せた。

 

 ジュー、という音がしてから、テルクシノエはホースから煙を吸う。

 

 何だかわからない果物の様な匂いがテントに充満し始めると、女神はリリに言った。

 

 「お前も吸うか?」

 

 リリは首を横に振り、ふとハムザを見た。彼は椅子の背もたれによりかかり、寝息を立てている。リリは視線を少しずつ落としていき、やがて腰に括り付けてあった短剣を見た。

 

 (短剣に黒水晶…加工者の腕にもよりますが、普通は二十万ヴァリスはする高価な武器ですね…)

 

 リリは悟られないよう、小さく笑みを漏らす。

 

 そうだ。もし向こうがこちらを罠に嵌めようと言うのなら、こちらもやり返してやればいい。襲い掛かってくるようなら魔剣を使ってもいいし、モンスターの相手をしている際に装備を奪って逃げても良い。

 

 冒険者なんてみんな屑だ。向こうから仕掛けてくるのであれば、躊躇いなく返り討ちにしてやろう。現に、今までそうやって生き延びてきたんだから。

 

 リリは会釈をしてから、テントを出た。すると目の前をヒューマンの男性がまだ小さい少女を連れて暗がりへ消えていった。

 

 ほら見ろ、冒険者なんてみんな変態ロリコンの屑ばかりだ。

 

 リリは誰にも聞こえないほどの小さな声で、こう呟いた。

 

 「リリは、冒険者なんて大っ嫌いです…」

 

 

 

 「起きろ、ハムザ。起きるのじゃ」

 

 「う…ん?」

 

 「椅子で眠るな。寝るならベッドにしろ。それに、明日の段取りは大丈夫じゃな?」

 

 ハムザは大きくあくびをして頷いた。

 

 「大丈夫大丈夫。それよりも【ヘルメス・ファミリア】の件はどうすんだ?明日尋ねる時間はないと思うぞ」

 

 「それなら心配はない。『豊穣の女主人』を出てから真っ直ぐヘルメスの所に行ってな、無事例の兜を借りてきた」

 

 それはよかったと言い、ハムザはまた大きくあくびをした。『インポは役に立たない』とアスフィに言われた事が少し引っかかったが、重い瞼が何度も閉じようとするのでこれ以上考え事をする気にもなれなかった。

 

 「それじゃ、俺はもう寝るぜ。明日は早いからな。おやすみさん」

 

 「あぁ、おやすみじゃ」

 

 

 ●

 

 

 翌日の朝、リリは本来の自分の姿で噴水広場でハムザを待っていた。鎧を鳴らして歩く大柄の冒険者の集団がバベルへと向かっていく。ローブを纏った魔導士や、サポーターと思われる軽装のバックパックを背負った人々がその集団を後から追っていった。

 

 「まったく…偉そうな冒険者ばかりじゃないですか」

 

 口では悪態を吐くものの、リリは緊張していた。

 

 ハムザとの迷宮探索で、無理矢理襲い掛かられたらどうなるだろうか。

 

 ザニスに貯金を全て奪われてしまった後、何とか手元に残った魔剣は頼みの綱だ。仮に壊れてしまうような事になれば、自分には頼れるものが何も無くなってしまう。

 

 どうか襲い掛かってきませんようにと祈っていると、遠くから鎧を着たハムザが歩いてくるのが見えた。

 

 (考えていても仕方ありません…こうなったら当たって砕けろです!)

 

 「ハムザさまーっ!リリはここですよー!」

 

 大声で彼を呼ぶと、ハムザは大股で近づいてくる。何だか、怒っているようだが…。

 

 「お、おはようございます、ハムザさま。調子はどうですか?」

 

 「おう、悪くない」

 

 ハムザは上質な灰色の鎧を着こみ、左右に帯剣している。リリはどうしても彼が不機嫌そうに見えたので、おずおずと聞いてみた。

 

 「ハムザさま、お久しぶりですね。何だか機嫌が悪そうですけど…何かあったのですか?」

 

 「うむ。うちの馬鹿主神が、今朝水煙草の炭をひっくり返しやがった。お陰で絨毯がまっ黒焦げだ」

 

 やれやれと言った顔でハムザは噴水の石段に腰かけた。

 

 「…まぁ、百歩譲ってその事は許すとしよう。だが許せんのは、その絨毯が何千万ヴァリスだかわからん程高価なものだった事だ。そして俺は、あいつにそんな貯えがある事は全く知らなかった」

 

 「そ、それは…」

 

 リリはごくりと喉をならす。確かに、【テルクシノエ・ファミリア】にあった絨毯はとても高価そうなものだったが、異国の製品に疎いリリにはそれがそこまで高価だとは思いもよらなかった。

 

 「お気の毒ですね…ハムザさま。…と、とにかく、朝早いうちに行きましょうか?他の冒険者がいなければ、探索も効率良くなりますから」

 

 「おう。行くか。あのアホ主神め、帰ったらとことん追求してやる。高価な物だと気付いてたら、あいつが寝ている隙に売り払ってしまったものを」

 

 (まったく本当です。留守を狙って忍び込んでも良かったですね…あぁ。だからテルクシノエさまは内緒にしてたんでしょうか)

 

 取り合えずリリはハムザの不機嫌が自分に起因していないことが分かり、ほっとしながらバベルへと歩いて行った。

 

 

 

 「今日は行けるとこまで行くぞ」

 

 二人はハイペースで進んでおり、数刻程で9階層に辿り着いていた。道中のモンスターはまるで相手にならず、ハムザたちは危なげなく階層を突破し続けていた。

 

 「はい、リリはお供しますっ!」

 

 元気の良い声で返事をするリリだったが、内心では焦っていた。最短ルートで進んでいるためか、あまりモンスターと戦闘する機会がない。そのため回収できた魔石やドロップアイテムは、前回の迷宮探索時と比べて多くはない。

 

 (これでは良い収入は期待できそうもありませんか…)

 

 ふとハムザが足を止め、「休息(レスト)を取ろう」と言って地面に腰を下ろした。

 

 「しかしお前、ここ数日で結構やつれたな。しっかり飯食って寝てるのか?」

 

 リリは返答に窮した。少し考えてから、ここは同情を引いた方が得策だろうと考え事実を語る事にした。本当の事を言う方が嘘を吐くより遥かに楽だったからだ。

 

 「リリはいつもあまり睡眠を取りませんし、食事も取りません。なぜならお金を貯める必要があるからです」

 

 「前のファミリアの献金ってやつか。一体どれくらい納める必要があるんだ?ただの酔っ払い集団だろう」

 

 寝食を削るほどの価値があるのか、と言われば『ない』と答えたかっただろう。少なくとも酒に依存していない自分からすれば、【ソーマ・ファミリア】は邪悪な冒険者が取り仕切る汚れた組織だ。だが、自分には逃げる事も彼らを引きずり下ろす事も出来ない。弱者はただ強者に従うほかないからだ。

 

 「献金は月に五十万ヴァリスです、ハムザさま」

 

 リリの返答に、ハムザは対して驚いた素振りを見せなかった。それは裕福な冒険者が持つ一種の余裕のようなものだろうとリリは感じた。一回の迷宮探索で何千万も稼ぐ事が出来る第一級冒険者にとって五十万など、はした金だろう。

 

 ハムザはまだ下級冒険者に違いないが、それでも月に五十万ヴァリスという金額に眉一つひそめない程の余裕がある。即ち、同じLv.1の身分でもそれほど稼ぎに違いがあるという事だった。

 

 「飯も食わん、睡眠も取らん、馬車馬の如く働いて、結局最後は奴隷の様に死ぬ。そんな人生が楽しいか?」

 

 「それは…」

 

 どう答えて良いかはわからなかった。しかし、「楽しくない」と答えた所で何になるだろう。出来る事なら、自分だって普通の生活を送ってみたい。そのために今まで努力をしてきたのだ。一つ分かっている事は、その努力がすべて水泡に帰し、今また一からさらに厳しい道のりを歩いていかなければならない、という事だった。

 

 そんな人生、楽しいはずがない。自分でも、どうしてまだ自分が生きているのか分からなかった。

 

 「俺はな、世界中の美人とセクロスをするという偉大な夢がある」

 

 「それは、()()()()()ですね。ハムザさま」

 

 リリは思った。男はいつもこうだ、口を開けば汚い事ばかり。たまに綺麗な言葉を並べても、結局はそれは心から来る言葉ではなく、股間からくる言葉なのだ。

 

 「そうだ。人生は夢をかなえるチャンスがあるからこそ、素晴らしいのだ。そう思わんか?」

 

 「……わかりません」

 

 言葉とは裏腹に、リリはその通りだと思っていた。まさかそんな言葉がこの変態男から飛び出してくるとは思っていなかったから、認めたくなかったのかも知れない。

 

 それを認めてしまったら、自由になるチャンスを失い地に這いつくばって最期の時を待つ今の自分の生活が、まったく素晴らしくない最悪の人生だと、認めてしまうのと同じなのだから。

 

 「もしハムザさまが第一級冒険者になられたら、リリはまだサポーターとしてお傍にいる事ができるでしょうか?」

 

 話の途中で、リリは自分がなぜ自ら命を絶たずに未だに生き長らえているのか、分かった気がした。自分には、まだ希望があるのだ。微かにではあるが、目の前の変態冒険者が自分を雇ってくれる限り、そして彼が稼ぎを自分に渡してくれる限り、ザニスの無理な要望に応え続ける可能性があったからだ。

 

 何という皮肉だろう。結局憎い冒険者によって苦しめられ、同じ下衆な冒険者によって救われるかもしれないとは。

 

 「それは保証できないな。何しろ俺は英雄になる男だ。お前のようなちんちくりんが隣にいたら、品が落ちるかも知れないだろう?英雄の隣にいるべきは、美女と相場が決まっているのだ」

 

 ハムザの言葉に、リリはひどく傷ついた。

 

 自分の容姿に自信があるわけではないし、男が美人を好む事だってわかっている。それでも、『わかっている』という事が『傷つかない』事に繋がる訳ではない。それと同時に、今まで微かに照らされていた自分の未来が、今や再び真っ暗になってしまった事に、絶望してしまっていた。

 

 ハムザは立ち上がり、二人は再びダンジョンを進み始める。

 

 口笛を吹きながら上機嫌なハムザとは対照的に、リリは余り気の進まない足取りで9階層を進んで行く。時折群れになって現れてくるモンスターを全て一撃で葬りながら、二人はやがて次層へ続く階段に辿り着いた。

 

 「…念のためお聞きしたいのですが、ハムザさまの最高到達階層は何階層ですか?」

 

 「あー…確か10階層だ。問題あるか?」

 

 リリはぶんぶんと頭を左右に振る。

 

 「いいえ!ハムザさまはこんなにお強いんですから、既に10階層に辿り着いていても不思議ではありません」

 

 「でも…」

 

 リリは念のために付け加える。

 

 「10階層からはオークなどの大型モンスターが出現します。下層の階層突破で調子に乗った下級冒険者が、よくここで命を落とすんです。気を付けましょうね、ハムザさま」

 

 「おう、わかってる。だがそんな事はどうでもいいんだ。とにかく、行くぞ」

 

 「…?」

 

 10階層への階段を下るさなか、リリはバックパックから魔剣を取り出し、懐にしまった。

 

 出口に大型モンスターがたむろしていた時の万が一の備えのためでもあったが、そんな事よりも先ほどのハムザの発言に大きな違和感を感じたからだった。

 

 (そんな事はどうでもいい…?いったいそれはどういう事でしょうか…)

 

 リリの不安をよそに、階段はすぐに途切れ二人は10階層に足を踏み入れた。

 

 目前には霧が広がっている。天井の水晶が光を放っているのだろうか。階層に充満した霧は光を受けて、朝霧のように輝いている。もしここにモンスターなどが跋扈していなければ、きっとその美しさを堪能するために世界中から人々が観光しにくるに違いない。

 

 「…待ちに待った瞬間だ」

 

 ハムザはリリに背中を向け、10階層の入り口に立ち止まったまま言った。

 

 「あのホモ野郎に殺されかけたこの場所で、今度は俺がお仕置きをする番だ」

 

 「…?」

 

 「リリ。俺はお前に紹介された少女とセクロスすることによって、心に深い傷を負った」

 

 (ど、どんな暴論ですか!?心に傷を負ったのは、無理矢理犯された私の方です!?)

 

 ハムザは振り返り、リリに向かって短剣を構える。

 

 「ロリコンの烙印を押されたんだ!お前にこの苦しみが分かるか!?道行く人々に後ろ指を差される…そんな気分がする生活を、お前は体験したことがあるか!?」

 

 (メンタル弱すぎです!?私なんて毎日冒険者に後ろ指差されて生活しています!!?)

 

 「…取り返しがつかん事をしてしまった。だがお前には当然の報いを受けてもらう」

 

 ハムザは短剣を構え、リリに接近する。リリは舌打ちをした。

 

 (結局こうなってしまいますか…本当に冒険者ってやつは…最低です)

 

 ハムザが飛び掛かる直前、リリは懐にしまっていた魔剣を振りかざした。

 

 「———死んでくださいっ!」

 

 切っ先から豪炎が飛び出し、ハムザを吹き飛ばした。

 

 「ぐおおおお!?」

 

 その衝撃でハムザは短剣を取り落とす。地面に倒れ込んだ彼を見て、リリは落とした短剣を拾い上げて一目散に駆けだした。

 

 「ハムザさまはっ…今まで会った冒険者の中で一番最低ですっ!大っ嫌いです!!モンスターの餌食になってしまえばいいんです!」

 

 走り抜ける彼女はそう叫んで、9階層へと戻っていった。

 

 その数秒後。

 

 ハムザを包む炎はみるみるうちに小さくなり、やがて消えた。

 

 「…ふぅ、さすがに死ぬかと思ったが…やっぱりこの鎧は鬼耐久だな」

 

 ぱんぱんと体を叩いて土を落とす。魔剣に吹き飛ばされたとはいえ、鎧はそのダメージをほとんど吸収した。背負っていたバックパックを取り出し、兜を被る。

 

 「いよいよだ。賽は投げられた。後はあいつの筋書き通りに進むかどうか、終局まで見届けようじゃないか」

 

 

 

 

 【ソーマ・ファミリア】では異変が起きていた。雑務をこなしていたザニスのもとに、『倉庫が何者かによって襲撃されている』という不愉快な知らせが届いてから、本拠地にいる団員は騒がしく罵り合っている。

 

 「ダンジョンに潜ってない奴を片っ端から集めろ!!糞が、倉庫の見張りは酒盛りでもしてやがったのか!?それに例の用心棒はどうした!」

 

 ザニスの怒号に、広間に飛び込んできた女性が息を切らせながら答える。

 

 「ザニス様、知らせです!倉庫の警備兵たちは例の用心棒と一緒に【ガネーシャ・ファミリア】と思われる部隊と戦闘中です!!加勢が要ります、ザニス様、出来るだけ早く派兵をお願いします!」

 

 ひどく汚い言葉でその女性を罵った後、ザニスは大きく舌打ちしてから副団長のチャンドラに指令を出す。

 

 「チャンドラ、お前が行け」

 

 しかしその団長の命令を、チャンドラはあっさり断った。

 

 「行くならお前が行け、ザニス。こんな傷だ、俺が出てまともな戦力になると思うか?」

 

 彼が自分で指し示す顔の半分は、紫色の痣で覆われていた。チャンドラの瞳は、『お前が作らせた痣だ、自分でその始末を付けろ』とザニスに無言で問いかけていた。

 

 「ちっ…。本拠地(ホーム)に居る全員は、俺と倉庫の戦闘に参加しろ!ぐずぐずするな、手柄を上げた奴には特別に神酒を一瓶やろう!」

 

 その言葉に焚きつけられた団員は熱気を帯び、装備をがちゃがちゃと鳴らしながら大急ぎで飛び出していった。ザニスが少し後から動き始め、チャンドラに相対する。

 

 「お前はここで本拠地(ホーム)を守れ。仮初の本拠地(ホーム)でも、一応は正式な所在地だ。それにその傷を言い訳に戦闘を拒否した事、次の総会で後悔させてやるぞ」

 

 去っていくザニスの背中を、チャンドラは「ふん…」と鼻を鳴らし一瞥してから、携帯用酒瓶(スキットル)から神酒を飲んだ。

 

 その時、背後から喉元に刃が付きつけられる。

 

 「!?」

 

 「動くな。両手を上げ、膝を付け」

 

 チャンドラは背後の殺気に冷や汗を流す。言われた通りにすると、恐ろしい力で平伏され、あっという間に両手を背中に縛り上げられた。

 

 「誰だか知らんが、歯向かう意思はないぞ」

 

 這いつくばりながらも、何とかその襲撃者の姿を見ようと顔を上げると—。

 

 「…さっきの女?…いや、お前…誰だ?」

 

 「まったく、リューの言う通りね。『酒に夢中で仲間がどんな顔をしているかも分からない。変装しなくとも素性はバレないだろう』って言ってたわよ、貴方達の用心棒さんは」

 

 その女はどさっとソファーに腰かけ、転がっていた携帯用酒瓶(スキットル)を拾い上げ、飲んだ。

 

 「はぁー最っ高!たまにはお店の仕事を休んで羽を伸ばすのも悪くないわね。リューに感謝しなくっちゃ」

 

 チャンドラは状況が呑み込めず、暫く地面でもがいていたが、やがて諦めた。

 

 「…俺の酒を。そんなことよりお前、名前を教えろ。何のためにここを襲撃した?」

 

 「あたしはルノアって言うの。ここにお邪魔したのは、頼まれたからよ。じゃ、しばらく眠っててね~」

 

 その言葉の後、首に衝撃が走りチャンドラの意識は暗闇の中に引き摺りこまれていった。

 

 

 「糞がっ…嵌められたか」

 

 ザニス率いる一団が倉庫に辿り着くと、そこに戦闘の跡は全く見られなかった。不自然な状況に疑問を抱きながらも階上へ上がっていくと、扉が開け放たれた部屋の中に殆どの団員たちが縛り上げられ意識を失っている。

 

 「お前、何者だ?ここで何をしている」

 

 ザニスが言葉を掛けたのは、そこで木刀を構えて鋭い眼を光らせているエルフの美女だった。

 

 「答える義務はないな」

 

 彼女はそれだけ言って、光のような速さでザニスの背後にいた団員達を木刀で薙ぎ倒していった。

 

 百人以上いたファミリアの構成員は、予期せぬ襲撃にまともに対応できず、圧倒的な力を前にそのほとんどの者が血祭りにあっていた。

 

 「…強いな。あの仮面の用心棒が、お前か」

 

 ザニスは、余計な事をする気にはなれなかった。彼女と対峙した時から力の差をはっきりと認識していたからでもあるし、頭の中で打開策を巡らせていたからだった。

 

 「お前が助かる道はひとつ。それは今までのお前の行い次第だ」

 

 自分の思考をまるで読んでいたかのように言い放った後、そのエルフの女性はザニスに木刀を向ける。

 

 「問おう。お前は闇派閥(イヴィルス)との繋がりがあるか?或いは、その仲間か?」

 

 「……」

 

 凄まじい剣幕に、ザニスが一言も発せずにいると、彼女は言った。

 

 「私には嘘も沈黙も通じない。お前の顔が、『はい』と答えている」

 

 彼女は腰に差していたもう一つの鞘から、真剣を装備した。そして刃を向けられたザニスは、成す術なく目を瞑るほかなかった。

 

 「…待て、リュー。それはお前の仕事ではないぞ」

 

 柱の陰から女神が現れる。

 

 「テルクシノエ様…」

 

 リューは女神の姿を見て、その剣を下ろした。

 

 「役者が揃うまで、もう暫くだけ待つのじゃ」

 

 リューは頷いた。そしてザニスは誰にも聞こえないように、ぼそっと呟いた。

 

 「何がどうなってやがる…」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章 -変態-

 

 

 ダンジョンを9階層から上へ上へと駆け続け、リリは今7階層をひた走っていた。

 

 ここへ来るまでに何度かモンスターと遭遇したものの、時にはそのまま走り去り、時には裾に仕込まれたハンドボウガンで撃退しながら危機を脱してきた。

 

 能力のないリリ単身では、まともにこの辺りの階層で戦闘をしたところで勝ち目はない。

それでも何とか7階層までこれたのは、道具の力と、これまでの経験に因るところが大きい。

 

 (6階層に辿り着いてしまえば、あとはどうとでもなります!)

 

 通路を走り抜け、迫りくる次の部屋の入り口に辿り着いたとき、何かが自分の足を払いリリは盛大に地面へダイブした。

 

 「…ふぎゃっ!?」

 

 「何だ、俺を引いちまったかぁ」

 

 倒れ込んだ衝撃に全身を丸くして痛みを堪えていると、リリは頭を片手で乱暴に掴まれ持ち上げられ、空中に浮いたまま腹部を思いっきり殴られた。

 

 「ぐふっ!」

 

 「ついてねぇなぁ!お前、身ぐるみ剝がされるだけじゃ済まねぇぞ?」

 

 男にもう一度腹部を殴られて、全身がサンドバックのようにゆらゆら揺れた。激痛に顔を歪ると、男の拳が眼前に迫る。思わずリリが目を瞑ると、男は寸での所で拳を止めた。

 

 恐る恐る目を開くと、そこに立っていたのはよく見覚えのある犬人(シアンスロープ)の男、カヌゥだった。

 

 「…当たりを引いたら取り合えず痛めつけておけ、って話だったが…。可愛い顔を台無しにしたんじゃこの先がつまらねぇからな」

 

 背筋がぞっとする。心臓が止まるのではないかと思うくらい、全身に緊張が駆け巡る。

 

 この男は自分の体を付け狙い、今まで幾度となく罠に嵌めようとしてきた。辛くも逃げ果せてきたが、今の状況を抜け出せる算段がまるで思いつかない。リリはこれからの自分の運命を、悟ってしまった気がした。

 

 (無理矢理犯され、ボロ雑巾のようになってから、モンスターに食べられてしまうんでしょうね…)

 

 「…何が起きたか説明してやろうか?」

 

 男はリリを掴んでいた手を放した。どさっと音を立て、地面にへたり込む。痛みのせいで、碌に体が動かなかった。

 

 「ダンジョン広しと言っても、上階層への正規ルートは限られてるだろう?ましてやお前の能力じゃ、この7階層で取れるより安全な正規ルートなんて二、三通りだ。そうだろ?」

 

 (…くぅ、網を張ったという訳ですか)

 

 唇を噛むリリの正面で、どす黒い欲望に染まった男の顔がダンジョンの燐光に照らされ、醜く光っていた。

 

 「僥倖だったぜ、お前がここを通ったのは。これから手足を動かないようにしてから家に持ち帰り、犯し続けてやる。お前は一生俺のペットとして生き続けるんだ。幸せだろう?手始めに、今晩はお前の血をたっぷり飲ませてくれ。それにもう、手足はいらんだろう?」

 

 思った通りです、とリリは僅かに呟いた。酒によって気が狂い、理性を失った獣の様な男の慰み者になるのなら、いっそここで死んでしまった方が楽に違いない。

 

 舌を噛み切ろうかと逡巡していると、カヌゥが醜い顔を近づけて、唇が触れ合うくらいの距離でリリに囁いた。

 

 「愛してるぜ、アーデ」

 

 「…っ」

 

 気味の悪い囁きに、リリの背筋は凍った。

 

 「お前が6つの頃から、ずっと愛していたぜ。小さいお前のまんこにぶち込み、滅茶苦茶に壊しちまうまで犯す夢を、何度見た事かわからねぇ」

 

 男はリリを抱きしめた。

 

 正真正銘の、変態だ。リリは嫌悪に顔をしかめながら、その男の不気味な眼差しを決して直視しないようにと、顔を背け続けていた。

 

 「お前の両親の事、教えてやろうか?」

 

 「…?」

 

 「酒狂いだったお前の両親はなぁ、ダンジョンで行方不明になったんだ」

 

 そんな事は知っている。しかし、この男は自分の知らない事を、そして知りたくない事を知っているのだと思った。出来る事なら耳を塞いで、今すぐ舌を噛んで死んでしまいたい。

 

 それでもリリには、どうしても決断するだけの勇気が湧き上がってこなかった。

 

 「正確にはなぁ、お前の父親はダンジョンでキラーアントの餌食になったんだ。そして母親は、一年程俺のペットとして生きてから、壊れちまった。だから俺が殺してやった」

 

 「え…。そ、そんなっ…」

 

 「母親が最期に何て言ったか知りたいか?お前について話していたぜ?」

 

 母親が自分について話していた?リリは驚いた。

 

 彼女はまるで自分を気にかけなかった。神酒の事ばかり口にしていたし、親らしいことは何一つしてはくれなかった。そんな彼女にも、母親としての感情が少しはあったのだろうか。

 

 「な、なんと言っていたんですか?」

 

 リリはたまらず質問した。そしてカヌゥは嬉しそうに、愉悦に浸りながらながらこう言った。

 

 「アーデ、お前だ。『娘を差し出すので、好きに嬲って構わないのでどうか私だけは助けて下さい』と言ったんだ。良い親だろう?それからだ、俺がお前を気にかけるようになったのは」

 

 「…っ」

 

 言葉が出なかった。リリは、心が崩れ落ちる音が聞こえた気がした。人生の中でもし、自分で死を選べる時があるのなら、今がその時だろう。意を決して舌を噛もうとした時、とある物が目に入った。

 

 カヌゥの横でもぞもぞと動く、胴体を切断された物体。紫色の鮮血をまき散らしながら悶え苦しむそれは、まるで自分の未来の姿のようだった。しかしそれはリリルカ・アーデではなく、ただの瀕死のキラーアントだった。

 

 ただの瀕死のモンスター。しかし、見逃せない重大な点があった。

 

 瀕死の際、キラーアントは大量のフェロモンを撒き散らし仲間を呼び寄せるという習性がある。現に今、カヌゥの横に転がっているそれに引き寄せられるように、通路の奥から数匹の大蟻が姿を現していた。

 

 「あっ…ま、まずいですよ…?」

 

 リリはこの危機的状況を招いたカヌゥには、何か特別な打開策があるのだろうと思い彼の顔を見た。しかし、カヌゥの顔も恐怖に染まっていた。

 

 カヌゥはリリから離れ、短剣を装備する。

 

 「ちっ…あいつら、何してやがる!?ちんたらしやがって、クソ!お陰で計画が台無しだ!」

 

 「……?」

 

 ゲドは慌てて瀕死のキラーアントに止めを刺したが、そうしている間にもさらに十数匹のキラーアントが部屋へと入り込んできた。

 

 (じ、自分でモンスターを誘き寄せておいて何にも打開策がないんですか?)

 

 余りにも愚かな自殺行為に、リリはただただ驚愕していた。そうこうしている内に二人は囲まれ、じりじりと死の足音が近づいてくる。

 

 「くそっ…寄こせっ!」

 

 カヌゥはリリのバックパックを強引に引きはがし、中身を大急ぎであさり始めた。そして中に入っていた金貨や魔石を地面にまき散らしながら、一振りの魔剣を握りしめた。

 

 「あっ、返してくださいっ!」

 

 リリは飛び掛かった。しかし曲がりなりにも現役の冒険者に対し、サポーターであるリリはあまりにも非力すぎた。簡単に体を引きはがされ、そのまま蟻の群れのすぐそばに投げ飛ばされる。カチカチと顎を鳴らして近づいてくる大群を前に、リリがへたり込みながら後退りしている間に、カヌゥは強引に群れへと突っ込み、魔剣を振りかざした。

 

 『…?』

 

 二人の間に不自然な沈黙が流れた。魔剣は豪炎を上げモンスターを焼き尽くすはずだったが、ぽとんと小さな火の塊を吐き出してから、砕け散ってしまった。

 

 寿命が来たのだ。リリがハムザに対して使ったのが、あの魔剣の最期だったのだ。

 

 『ギィ……』

 

 群れの一匹が、大顎でカヌゥの脚に噛みついた。

 

 カヌゥは大きな悲鳴を上げ、今は刃の崩れ落ち柄だけが残った魔剣を何度も振り回していた。当然ながら寿命を迎えた魔剣は二度とその効果を発揮しない。

 

 カヌゥの両脚は鋭い顎で切断され、上半身が群れの中に倒れ込んだ。一際大きな叫び声の後には、ただただ肉を咀嚼し、骨を嚙み砕く音だけが聞こえていた。

 

 あまりにも哀れな最期だった。しかし彼のそれは、冒険者の宿命なのかもしれない。冒険者の全てが数多の強敵を打ち倒す力を手にし、輝かしい栄光に彩られる訳ではない。

 

 そんな者はごく一部だ。残りの普通の冒険者は、毎日このように無残に命を落とし、二度と地上の光を浴びる事はない。

 

 これが、冒険者という職業なのだ。

 

 そして自分もまた、彼らに付き添うサポーター。迎える最期は、彼らと比べても遜色ないくらいひどく、哀れなものだ。

 

 獲物を平らげたキラーアントの群れは、ゆっくりとリリに近づいてきた。顎には鮮血がこびりついている。リリは、自分の体とキラーアントの体の大きさにあまり変わりがない事を、今初めて知った。

 

 (ま、まずいです…。どうにかしないと…)

 

 恐怖で腰が抜け、まるで体が言うことを聞かない。リリは頭が真っ白になり、思考が回らない。蟻の群れが眼前に迫って来た。手を伸ばせば、届いてしまいそうな距離だ。死の足音は、ただゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。耳にこびりついた咀嚼音が、恐怖を倍増させる。恐ろしさに、リリは目を閉じた。

 

 (あぁ…リリは、死んじゃうんですね)

 

 為すすべなく地面にへたり込むリリに、無数の大蟻が顎を鳴らしながら、ゆっくりと覆いかぶさった。

 

 終わった。つまらない人生だった。両親に見捨てられ、ファミリアの仲間には毎日罵倒を浴びせられ…才能にも恵まれず、いつも誰かの後ろを必死でついていくばかり。綺麗にもなれず、善人にもなれず…ましてや、自分を救ってくれるような優しい友人にも出会えず…。

 

 (全部、リリが悪いんです)

 

 きっとこうなる事は決まっていたんだ。リリが盗人に、詐欺師に身を落としてから…純真な心を自ら捨て去って、薄汚い着物を纏いながら他人を不幸にするようになってから、こうなる事は決まっていたに違いない。

 

 (もう…いいんです。生きていたってどうせ…)

 

 碌な事にならない。自分で自分を殺せないのなら、いっそ誰かに殺して貰った方が良い。モンスターでも何でも構わない。

 

 恐怖で目を開けない。凄まじくおぞましい気配がする。

 

 どこかで『ビキッ』と何かが砕ける音が聞こえた。

 

 体を覆う外殻は固く、力強い。決して獲物を離しはしまいと、こびりついて決して離れようとしない。

 

 「————……。」

 

 リリは待った。大顎が体を噛み千切り、命が消えてしまうのを。

 

 しかしいつまで経っても、その時は訪れてこない。恐る恐る目を見開くと、覆いかぶさったキラーアントだけでなく、周りにいる全てのキラーアントがまるで眠りについたかのように動かなくなっていた。

 

 「……?」

 

 訳が分からない状況にリリは困惑した。モンスターが突然行動停止して眠りに落ちるなんて事は、まるで聞いたことがない。しかし、現実はまさにそれだった。

 

 (ダンジョンでは異常事態(イレギュラー)なんて日常茶飯事ですが…)

 

 「さすがにこれは、理解できませんね…」

 

 覆いかぶさったキラーアントから、もがきながら何とか離れる事に成功する。クリーム色のローブをぱんぱんと手で叩き、フードを被りなおす。

 

 バックパックの中身は散乱し、中にはそれなりに高価な物も入っていた。しかしリリはここを一刻も早く離れてしまった方がよいと思ったので、何も持たずに駆け始めた。

 

 命拾いしたようだ。

 

 しかしリリにとっては、それはあまり幸せな事ではなかった。またオラリオに戻れば、空腹に苛まれる日々が、無限の仕事を気絶するまでし続ける日々が始まるのだ。

 

 リリは役立たずで、卑怯で、醜くて、大馬鹿者なんだ。罵倒され、馬鹿にされ、人々に裏切られては涙を流す生活が、リリを待っていた。

 

 ザニスの奴隷になって、毎日の様に犯されて最後に捨てられる人生を選ぶか。

 

 それも悪くないかも知れない。慰み者になろうと、ファミリアの団長が相手だ。気に入られればそれなりの利益はあるだろう。自分ももう無垢な子供ではない。体を売る事で生き延びられるなら、それがきっと自分の運命だったのだ。 

 

 ただ、このままダンジョンを彷徨ってモンスターの胃袋に納まってしまい、くだらない人生に別れを告げるのも、悪くは思えない。死の恐怖さえなかったら、誰かが自分を眠らせるように殺してくれるなら、きっとリリは喜んで死を迎え入れただろう。

 

  どうするべきか決めかねていたが、リリは進み続けた。オラリオへの出口へと。

 

 

 

 

 「も、もう勘弁してくれ…はやく殺してくれっ…」

 

 ダンジョン7階層。リリを待ち伏せするために待機していた【ソーマ・ファミリア】の数人は、思わぬ人物による襲撃を受け捕縛されていた。

 

 「あ、アンタ、【ガネーシャ・ファミリア】だろうっ…?こんな事をして許されると…思ってんのか」

 

 「口の聞き方が分からん奴だな、ケツ穴一号?」

 

 ジーガは腰を振り続ける最中、犯されながら言葉を発した男の両腕を掴み上げ、へし折った。

 

 男の悲鳴が部屋に轟く。そんな事は意に返さず、ジーガは男を犯し続けていく。

 

 「…飽きたな」

 

 そう言って、ジーガは己のペニスを引き抜き、剣を取った。

 

 血飛沫が舞い散る。切断された首が地面にごとりと落ちた。

 

 「あとはお前だけだな?待たせて悪かった」

 

 床に倒れ込んだ首のない数体の遺体に囲まれて、ゲドは震えあがっていた。

 

 「な、何でこんな事してやがる…。俺達が何をしたってぇんだっ!?クソがっ!」

 

 手足を縛り上げられ自由に身動きが出来ないゲドは、乱暴に首元を掴まれ、無理矢理体を起こされる。

 

 ジーガ・ぺデルスキーは股間をいきり立たせながら、ゲドに言った。

 

 「これは神意だ。善良な庶民に悪為す者共に鉄槌を下すのは、我々の仕事だ。お前たちは、存在しちゃならんというものだ」

 

 「ふ、ふざけるなっ…!ホモ野郎が…くそ、せめて教えてくれ。一体どこぞの神の悪戯だ、これは!?」

 

 ジーガはゲドの顔に唾を吐き、怒りに顔を歪ませた。

 

 「黙ってやがれ!てめぇに知る権利なんてねぇ。いいか、これから四肢を切断し、たっぷり可愛いケツマンコを楽しんでやる。それが終わったらてめぇのクサレチンポを切り取って、モンスターの餌にして終いだ」

 

 「ひっ……」

 

 ジーガは剣を持ち直し、構えて正面を向く。ゲドは悲鳴を上げて泣き叫び、許しを乞い続ける。

 

 「無駄だ。行くぞ、いざ正義執行の時間だ!」

 

 こうしてホモの手によって、ゲドとその取り巻きはダンジョンの闇に葬り去られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章 -リスタート-

 

 

 リリはダンジョンから街へ帰還し、浮かない足取りを下宿へと運んでいた。家と呼べるほどの場所ではなかったが、どこにも行く当てがなくなった時、リリの帰巣本能はいつもその場所を示していた。

 

 古びた大きな扉を開けて中に入っていくと、老婆が皺だらけの顔にさらに皺を寄せてリリを睨みつけた。

 

 「…胡散臭い連中が、これを持ってきたよ。読んだらさっさと洗い場の仕事をしな!」

 

 老婆は「全く薄汚いったらありゃしない」と付け加えて、受付の奥へと消えていった。

 

 手渡された手紙に、リリは首を傾げる。宛名も無ければ、消印も無い。誰かが手で届けたのだろうか。リリは封筒を開け、羊皮紙に書かれた文字を読み始めた。

 

 『リリルカ・アーデへ 

 

 ファミリアの酒蔵である下記の住所へ

 

 一秒でも早く来られたし

 

 ザニス・ルストラ』

 

 下の方には住所が記してあった。手紙の内容は、それだけだ。

 

 一瞬だったが、リリは迷った。しかし一度でもザニスの命令を無視すれば、自分の寿命は十年も縮まってしまうだろう。とても気乗りはしない誘いには違いなかったが、手紙を読んでしまった以上その場所に行かない訳にはいかないだろう。

 

 リリはそーっと下宿を抜け出し、老婆が提示した皿洗いの仕事をほっぽり出して記載された住所に向かった。

 

 

 指定された場所は、都市南東部にある倉庫群の一角だった。その石造りの建物には、煉瓦屋根から一本の塔が突き出ている。リリは分厚い木製の扉を押し開け、広間に入っていく。こつこつと自分の靴音が響くが、それ以外の音はせず、建物内は静まり返っていた。

 

 (…この様子だと、火急の事態という訳ではなさそうですね。ザニスがリリを呼んだのは、以前の仕事の件でしょうか、それとも…)

 

 リリはぶんぶんと首を横に振って、その最悪の可能性については考えないようにした。

 

 一階には人影がなかったので、二階へ続く階段を上る。数ある部屋の扉を開けていくものの、人影はない。しばらく廊下を進んでから、管理塔へ続く階段を上って行く。

 

 結局最上階に着いてしまった。すると閉ざされた扉の向こうから、ザニスの声が聞こえる。

 

 「アーデ、ここだ。入ってこい」

 

 すると両開きの大扉が開かれた。リリはわざわざ扉を開いてくれたザニスに違和感を感じながらも、「ありがとうございます」と言って彼を見た。

 

 「って、え…!?」

 

 そこに立っていたのはザニスではなかった。リリが今日、ダンジョン10階層で置き去りにした冒険者だった。

 

 「ハ、ハムザさま!?ど、どうしてここに…」

 

 リリは目を丸くしてハムザを見やる。状況が良く飲み込めなかった。

 

 「俺とザニスはな、()()なんだ」

 

 なるほど、お互い似た者同士の変態だ。きっと気が合うのだろう。だからもしザニスが縄で縛られて顔を青痣だらけにしていなければ、ハムザの発言を簡単に信じられただろう。

 

 「…ご冗談を」

 

 不可解なことは、たくさんあった。まず、自分を呼び出したザニスと主神ソーマが椅子に縛り上げられていること。そしてハムザだけでなく、女神テルクシノエの姿も見られること。そしてファミリアの他の団員の姿がどこにも見られないことと、一度だけ見た事のある綺麗なエルフの女性が、ザニスを憎々し気に睨みつけている。

 

 テルクシノエが前に進み出て、リリを椅子に座らせてから体をロープで縛りあげ、彼女をザニスとソーマの横に並べた。

 

 離れ際に、リリの耳元で女神が囁いた。

 

 (ようこそ、今宵は最高のショーじゃ。ゆっくりと楽しんでいくが良い)

 

 「……?」

 

 「さて、罪人が出揃ったようじゃ。このファミリアには、かつて数百人の団員がおった。しかし彼らは襲撃の際に命を落とし、また生き延びた者は捕縛され、ギルドによってそれぞれの罪を追及されておる最中じゃろう」

 

 (ファミリアの団員が捕縛された…?一体どういうことですか)

 

 突然の状況に思考が追い付かなかったが、とにかくリリは体を締め付ける縄を精一杯の力で解こうとしていた。

 

 テルクシノエは無人の観衆に語りかけるように続ける。

 

 「従って今残ったのは、そこで縛られている三人と、こちらも同じく本拠地で縛られている副団長のチャンドラ、この四人」

 

 (チャンドラ様まで?まずいです。本当にどうにか逃げ出さないと、このままでは…)

 

 「そしてここに佇む匿名希望のエルフの美女、彼女こそこの【ソーマ・ファミリア】をたった一人で壊滅させた一騎当千の強者じゃ。綺麗な顔から想像も出来ない力のせいか、団員の半分は捕縛時すでに息絶えていたそうじゃ。どなたも、彼女の逆鱗に触れてはならぬ。その命が惜しければ」

 

 柱にもたれ掛っているハムザが拍手した。エルフの剣士は少し照れくさそうに視線を泳がせてから、ザニスに再び厳しい表情を向けた。

 

 「悲しいかな、今日ここでまた一つ命が——」

 

 「アーデ…!この状況をどうにかしろ!俺を救えば、ファミリアでとびきりの待遇を用意してやるっ!」

 

 ザニスはテルクシノエの演説を遮って声を荒げた。ハムザは芋虫の様に転がったザニスを「こら、女神はお楽しみ中だ。途中で叫ぶんじゃない」と言って蹴とばした。

 

 「あー…こほん。ここでまた一つ命が散るじゃろう。眷属は眷属によって、神は神によって、その罪科を問われ——」

 

 「主神様、ソーマ様!?お助け下さい!私が殺されてしまったら、もう神酒をお造りになりませんよ!?」

 

 何度も言葉を遮っては叫ぶザニスを、テルクシノエが引っ叩いた。

 

 「お前は黙っとらんか、ばかもんっ!」

 

 それでもザニスは主神に訴える。

 

 「ソーマ様、お願いします!どうにかこの蛮族達を黙らせてください!アーデ、お前も何とかしろ!」

 

 「あぁもう、楽しい幕開きの時間を台無しにしおって。もういいハムザ、やってしまえ」

 

 「了解」

 

 ハムザは立ち上がり長剣を構え、ザニスに近づいた。

 

 「ザニスよ、これよりこのハムザ様がお前の罪状を述べる。あー、とりあえずムカつくので、死刑」

 

 そしてハムザは剣を振り上げ、ザニスの首筋に叩きつけた。

 

 リリは悲鳴を上げた。首が床に転がり落ち、鮮血が撒き散らされる。エルフの女性が無表情で拍手した。ソーマは青ざめ、汗を垂れ流しながら震えている。

 

 そしてそのソーマのもとへ、次にはテルクシノエが近づいていった。

 

 「さて、次は私の番じゃ。剣をよこせ、ハムザ」

 

 「…交渉しよう」

 

 ソーマはハムザから長剣を受け取るテルクシノエに、縛られた体を揺すりながら言った。

 

 「…芸術神(ムーサ)の一柱よ、異郷ながら、同じ天界の住人として懇願しよう...俺はまだ現世ここに残り、神酒を造りたい。要求を呑む覚悟はある。俺の命に釣り合うと思うだけの資産を、好きなだけ持って行くがいい」

 

 テルクシノエは満足そうに笑みを浮かべ、椅子に縛られ縮こまっているソーマを見下ろした。

 

 「…よかろう。【リーテイル】及び【ソーマ・ファミリア】の全資産を、我が【テルクシノエ・ファミリア】に移管するのじゃ。ただ、神酒造りに必要な経費はこちらが捻出してやるから、お前は全てを投げ捨てて酒造りだけに没頭していれば良い。どうだ、これ以上ない程の慈悲だぞ?」  

 

 ソーマは解放され、瞳と口を大きく開いて、感激に声を震わせながらテルクシノエに感謝の言葉を並べてた。知っている感謝の言葉を一通り言い終わったと思われた時に、『じゃあやる事があるから』と言い残してソーマがどこかへ消えようとしたのを、テルクシノエが引き留めた。

 

 「まぁ待て。まだやる事が残っておるのじゃ」

 

 そう言って、全員の視線がリリに集まった。

 

 リリは自分が産まれた時から所属していたファミリアが、実質解体してしまう瞬間に立ち会ったのだと悟っていた。本来なら大喜びして街中を駆け回るほどの出来事だ。しかし、リリの鼓動は別の意味で早まっていた。

 

 (つ、次は私の番ですね…)

 

 血塗られた長剣を携えて、リリの目の前にハムザの足が見えた。リリは恐怖で顔を上げる事ができず、目を閉じて俯いた。手足が縛られていなければ、耳も塞いでしまいたかった。

 

 「お前の罪状を述べる」

 

 だが無情にも、ハムザの声はリリの耳まで一直線に飛んできた。

 

 罪状なら、いくらでもあげられるだろう。

 

 ひとつ、装備を盗んだこと。ふたつ、魔剣で攻撃したこと。みっつ、変身してお金を巻き上げたこと。よっつ、醜く生まれてきてしまったこと…。

 

 この他にもまだ何かとてつもない事をしでかしてしまったに違いない。リリの心は、まるで教師に自分の過ちを大勢の前で並べ立てられた時の様に焦り、たじろいでいた。

 

 「お前のせいでロリコンになってしまったから、死刑」

 

 かちゃり、と長剣が掲げられる音が聞こえた。全身が硬直し、強く目を閉じた。

 

 (死ぬ思いをするのは、これで今日二度目です…)

 

 今まさに剣が振り下ろされる瞬間、澄んだ声がそれを制止した。

 

 「お待ちください」

 

 リリが驚いて目を開くと、ハムザの振り上げられた右腕をエルフの女性が掴んでいた。

 

 「何をする、リューちゃん」

 

 「ハムザ様。その者からは屑に特有の嫌な臭いがしません。もう一度考え直してみては如何ですか」

 

 それからしばらく、二人は意見を言い合った。その間、リリはまるで生きた心地がしなかった。頼むからこの変態を説き伏せて下さい、とリリはリューと呼ばれたエルフの女性に祈っていた。

 

 リリの思惑とは裏腹に、はやく殺そうと息巻くハムザをリューがなだめきれずにいると、テルクシノエが歩み寄り口を開いた。

 

 「…お前たち、焦るんじゃない。この少女はザニスとも、ソーマとも異なる状況に置かれている事を理解しなければいかんのじゃ。少なくとも、今日ここで何が起きたのかを教えてやってからでも遅くはないじゃろう」

 

 女神の言葉に、ハムザは納得したらしく剣を下ろした。

 

 「そうだな、こいつが何も知らんと言うことを、すっかり忘れていた。神様がそう言うんなら、好きに質問させてやろう」

 

 三人はリリに向き直り、リリの言葉を待った。思い返せば、確かに不可解なことばかりだった。

 

 「えっと…。それでは、どうやって【テルクシノエ・ファミリア】の皆様は【ソーマ・ファミリア】を壊滅させたのですか?」

 

 簡単な事だ、と主神が答えた。

 

 「まず、ギルドに査察を臭わせ、ファミリア周辺を嗅ぎ回らせた。それからお前に『ギルドが武力行使に出るかも知れない』という情報を流布させ、偽の用心棒を雇わせたのじゃ。それがこのリューじゃ。彼女がファミリアの戦力とその隠れ家を把握してから、あとはこちらの合図で団員を殲滅してもらっただけじゃ」

 

 リリは納得がいかなかった。そんな簡単な罠に引っかかるほどザニスは甘くない。外部から人間を雇い入れる場合、何重にも予防線を張ってから招き入れるのが常だった。

 

 「…良い案ですが、果たしてそんなに簡単にザニスが騙されるものでしょうか。現にファミリアの集会では『昔から存在する求職型依頼(クエスト)で、尚且つ信頼出来る評価を多く残した人物』に依頼をしたと言っていた筈ですが」

 

 ハムザが主神の代わりに答えた内容は、以下のようなものだった。

 

 ギルドと繋がっている【テルクシノエ・ファミリア】は、正規の依頼(クエスト)から管轄外の地下組織の依頼(クエスト)全てに、【ソーマ・ファミリア】もしくは『ザニス』と名乗る人物から依頼が入った時点で連絡が来るようにしたらしい。

 

 実際に依頼が来たのは予想通り地下組織の方だったが、その組織とギルドは存在を黙認される代わりに情報を提供するという密約を結んでいた。

 

 そして依頼の受注を受けた管理人がギルドへ報告し、それが直接テルクシノエの耳に届いた。女神はそこで依頼をもみ消し、本来の用心棒に代わる偽者を送り込んだ、という事だったらしい。

 

 「…しかし、もともと顔の知られている人物への依頼だったとしたら、ザニスは仮面をつけている時点で怪しんだ筈ですし、【ガネーシャ・ファミリア】による武力行使の噂も、真に受けない可能性もあった訳ですから…。懇意のファミリアに協力を要請するとか、管理化に置かれていない個人契約で雇い入れるとか、ザニスは色々考えていた筈です。あまり完璧な策には思えませんね」

 

 リリのつぶやきに、リューが反応した。

 

 「ザニスが、この悪党が選んだのは報酬後払いの依頼です。雇い入れるだけで何も起こらなければ、精々少額の謝礼を渡す程度で済んだでしょう。それに信用のない個人契約の依頼では、それこそ良からぬ輩を招き入れる可能性がある。この薄汚い狐は、石橋を叩いて渡るつもりがまんまと墓穴を掘ったという訳です」

 

 「それに、私を怪しんだらその時点で拷問し、隠れ家の所在を吐かせるつもりでした。いずれにせよ、女神テルクシノエの策はどう転んでも成功していたでしょう。いえ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 リューの憎しみの籠った視線が、床に転がったザニスの生首に注がれた。

 

 (このお方の逆鱗に触れてはならないと言うのは、こういう事なんですね…。しかしザニスは何を仕出かしたんでしょう。まぁ、聞かない事にした方が身のためですね)

 

 リリはぞっとする感覚に身震いしてから、次の質問を考えた。今まで心を覆っていた死の恐怖が、薄らいでいくのが分かった。少なくとも彼らは対話が出来る相手だと言うのが分かった事が大きかった。

 

 「…それでは、どうして【ソーマ・ファミリア】を狙って襲撃したのですか?それと、【テルクシノエ・ファミリア】はまだ発足して間もない団体で、間違いありませんか?」

 

 テルクシノエは腕組みをして、女神の美しい相貌をだらしなく崩して言った。

 

 「もちろん、金のためじゃ。神酒も【リーテイル】も調べるほどにその価値の高さがわかった。蓄えもあるだろうし、戦力も大きいようで小さかったからの。何せ、殆ど酔っ払いじゃないか」

 

 確かに、その通りだとリリは思った。【ソーマ・ファミリア】といえば言わずと知れたオラリオの中堅組織だったが、その内実は酒を求めて我武者羅に金を稼ぎ、仲間を蹴落として競い合っているだけだ。そこに団結や結束はないし、人数という点を抜いてしまえばLv.2に匹敵する高い戦力を持つ者は数名だ。量よりも質が求められる現代の戦争においては、致命的とも思われる弱点だった。

 

 「それにのう、私たちは数週間前に旗揚げした組織ではあるが、ハムザは既に第二級冒険者に差し掛かっているのじゃ。友好的な派閥に【ロキ・ファミリア】と【ヘルメス・ファミリア】もある。おまけにギルドのお墨付きじゃ。リューちゃんのような訳ありともコネがあるのは、ひとえにハムザの人格に因る所が大きい」

 

 リリにはとても信じられない、いや、信じたくはない内容だった。たった数週間で【ソーマ・ファミリア】の何十年を上回ってしまう事なんて、考えたくはない。

 

 一体この変態はどんな卑怯な手を使ってのし上がって来たのだろうかと訝しんでいると、ふと疑問が頭に浮かび上がってきた。

 

 先刻ダンジョンで起きた事件、カヌゥに犯されそうになったあの状況を救った不可解な現象には、答えがあるのだろうか。突拍子もない質問だとは思いながらも、リリはテルクシノエとハムザなら何でも知っているに違いないという確信があった。そしてそれが、【テルクシノエ・ファミリア】の秘密なのではないか。

 

 「お、お聞きしますが、リリはどうやってダンジョンで助かったのでしょう…?」

 

 答えてやる、とハムザが言った。

 

 「あれは俺の【魔法】だ。呪詛(カース)と言った方が正しいが、対象を強制的に精神疲弊(マインドダウン)に追いやる。だから蟻共はお寝んねしたという訳だ。他の【ソーマ・ファミリア】の雑魚は、ガネーシャの所のホモに任せた。今頃あいつはケツ穴を楽しんでる最中だろう。くそっ、想像したくもないっ」

 

 (ガネーシャ・ファミリアとまで繋がりがあるとは、恐れ入りました。しかし、ずるすぎる効果の魔法ですね…)

 

 ハムザの説明に、テルクシノエが付け加える。

  

 「ついでに言うと、こいつはレアスキル持ちじゃ。セックスした数だけ強くなるとか、セックスした相手も強くするとか、そんな感じのスキルを持っておる。馬鹿みたいに成長が速いのは、そのためじゃな」

 

 「リリはもう、開いた口がふさがりません…」

 

 内容は何であれ、成長に作用するレアスキルに加えてチート級の魔法まで備えているとなれば、まさしく選ばれた者だろう。オラリオにおいては、強さが全て。その才能さえあれば、成功の方から自ずとやってくる。

 

 それはまさに、リリが長年羨んできた『第一級冒険者』と並んで恥じる事のない稀有な能力に違いない。変態だと思っていた目の前の青年は、実はリリなど足元にも及ばない程に偉大な才能に恵まれていたと知り、彼に対するリリの目は変わった。

 

 「そ、それでは…どうしてあそこでリリを助けたのですか?ハムザさま」

 

 その声色に、非難の色はなかった。寧ろそこには期待の音色が存分に含まれていた。

 

 「お前が助かったのは、たまたまだ」

 

 ハムザの返答にリリは困惑した。

 

 「た、たまたま…?」

 

 「そうだ。お前が俺から盗んでいったこの短剣をよぉ~く見てみろ」

 

 ハムザはリリのバックパックを漁り、短剣を取り出した。リリはそれを眺めた。すると柄と刃の真ん中に埋め込まれた黒水晶が、ひび割れて粉々に砕け散っていた。

 

 「そ、そうですか!耐呪詛(アンチカース)の黒水晶が、たまたま私の身を守ったのですか…」

 

 しかし疑念は消え去らない。そもそもダンジョンからの帰り道、全くモンスターと遭遇する事がなかったのが、おかしすぎた。

 

 机に置かれた兜を見つけた時、リリの頭はいつも以上に素早く回転し、一瞬にして事の全貌を見通した。

 

 (そういうこと…そういうことですか)

 

 すべては神の掌で、転がされていたに過ぎない。

 

 ゲドやカヌゥがリリを狙いダンジョンで事を起こすのを、恐らくあのエルフの剣士あたりから教わり、それ止めるため彼らは前日に『明日リリと迷宮探索に行きたい』と声を掛けてきたのだ。

 

 そして10階層でハムザがリリに攻撃的になったのも、短剣を取り落としたのも全て演技に違いない。リリにそれを盗ませ、本人はあの兜、ハデスヘッドを被り透明になってリリの後をつけた。見事に騙されたリリがカヌゥに捕まっているところを、ハムザは透明になりながら見守っていたに違いない。だからリリが死んでしまう直前で、彼は自分を助けたのだ。

 

 それからはリリの道を先回りし、道に居たモンスターを全て片づけて行ったのだろう。だから帰り道はあんなにも静かだったのだ。地上に帰還してから下宿に戻るリリとは反対に、ハムザはこの酒蔵へ一直線に走っていき、リリを待っていたのだ。ザニスに手紙を書かせたのも、この中の誰かの仕業だろう。

 

 しかしよくわからない事もあった。一体どうしてハムザはわざわざ姿を隠すなど回りくどいやり方でリリを助けたのだろうか。普通に『危険が迫っているから俺の傍を離れるな』と言ってくれさえすれば、きっと信じた…いや、信じる事はなかっただろう。

 

 (そういうことなのでしょうね、きっと…)

 

 そして今や、リリは自分の運命を悟った。いや、神意を悟ったと言うべきだろうか。人生で初めて、自分の未来が予め何者かに定められているという事に気づいた。

 

 「そろそろ質問も終わりか。それじゃあ、もう一度審判を始めるぞ」

 

 ハムザが血塗りの剣を携え、リリの目の前に立った。しかしもう怖くはなかった。リリは先ほどとは異なり、すべてを理解していたからだった。

 

 顔を上げ、ハムザの顔を見据えた。ちゃんと見ると、意外と立派な男らし見えた気がした。赤い色をした目は、血生臭い闘争や殺戮というよりも、リリを暖かく包み込む暖炉の炎のように思われた。

 

 (きっとリリの人生は、これから転機を迎えるのです。今までの苦労は、今日この言葉を言う時のためにあったのですね…)

 

 ハムザが剣を振り上げようとした瞬間、リリは言った。 

 

 その言葉はリリが悟った神意そのもの、無言の神から自分へと伝えられた言葉そのものだった。

 

 「…ハムザさま、どうかリリを、【テルクシノエ・ファミリア】に入れて下さいっ!」

 

 リリは叫んだ。

 

 ハムザは即座に答えた。

 

 「はぁ?無理無理」

 

 (え、ええええええええっ!?)

 

 リリは驚愕した。

 

 「ちょ、ちょっと待って下さい!?絶対こういう流れでしたよね!?それともリリがお馬鹿さんで、勝手に勘違いしただけですか!?」

 

 「だってお前、うちに来たってやる事ないだろ。サポーターって言ったって、俺はもっとグラマラスな方が好みなんだ。お前の紹介する子はやたら小さいし、俺の好みに合わん。だからお前の居場所はないぞ」

 

 必死になってリリは懇願する。

 

 「そ、そんな事はありませんっ!リリはこう見えても役に立ちますよ!?サポーターとしての能力だってそれなりですし、その、ベッドの上でも頑張ります!だ、だから私をファミリアに入れて下さい、お願いです…!」

 

 ハムザは「そうは言われてもなぁ」と言いながらぽりぽりと頭を掻いていた。テルクシノエに視線を送ると、女神は愉快そうに頷いてからリリの前に屈みこみ、視線を合わせた。

 

 「よかろう、興味深い申し出じゃ。【テルクシノエ・ファミリア】に入団するあたって必要な物がある。入団金じゃ。二百万ヴァリスを今ここで用意できれば、お前の入団を認めてやろう」

 

 リリは絶望した。

 

 自分が勘違いをして、彼らはリリをファミリアに引き入れるためにあれこれ策を弄したのだろうと思ってしまったのが恥ずかしかったし、昇竜の勢いの感があるこのファミリアに入る事を想像してしまっていた事も、もう入れないのだと知ってからなおさらリリを苦しめた。

 

 ハムザのレアスキルにかかれば、リリだって性交渉をする事で強くなれたかもしれないのに…。

 

 リリが人生の中で何度も味わってきた絶望という苦みを、もう一度味わっている最中に女神は言葉を継いだ。

 

 「…まぁ、お前が溝を這いずり回る汚らしい盗人ならば、その願いは叶わないじゃろう」

 

 その通りですね、とリリは自嘲した。項垂れると、テルクシノエは矢継ぎ早に言葉を続ける。

 

 「だが、今まで善行を積み重ねてきた正しい人間なのであれば、きっとその願いは叶うじゃろう」

 

 リリにはそんな善行の積み重ねなど、想像も出来なかった。今までしてきた行いの中で誇れるものがあるとしたら、それは子供の頃に父親の誕生日にお店で買ったお酒を贈った事くらいだ。

 

 父親は奪うようにリリの手から酒をもぎ取り、リリを蹴っ飛ばしたから、果たしてそれが善行だったかどうかも分からない。

 

 あとは家に迷い込んでいた小さな羽虫を外に逃がしてやった事くらいだろう。胸を張って言い切れるほどの善行なんて、リリには到底思いつかなかった。

 

 「もう、いいんです…」

 

 リリはこのままハムザに首を斬り落とされても構わないという心境だった。

 

 しかし女神は、もう一度だけ付け加える。

 

 「なに、落ち込む事はない。お前が本当に善人だったかどうかは、今に分かる。ほら、階段を上ってくる足音が聞こえるだろう?」

 

 塔の最上階へと石段を上る足音が、確かに聞こえてきた。その足音の主が一体誰なのか、リリには見当も付かなかった。足音は階段を上り切り、続いて廊下を進み始めたようだ。数秒の後、それは扉の前で止まった。ひそひそと話す声が聞こえた。リリにはその声色に聞き覚えがあったのだが、どうしても思い出せない。

 

 こん、こんと大扉をノックする音が聞こえる。テルクシノエが合図をすると、扉が開かれ、二人組の老夫婦が現れた。

 

 「おじいさん、おばあさん!?」

 

 その二人は、リリがかつて花屋で働いていた時に世話になった老夫婦だった。

 

 大声でリリの名前を叫んでから、手に持っていた大きな花束を取り落とし、二人は椅子に縛られた自分に駆け寄ってくる。

 

 「あんたたち、何をしている!はやくこの縄を解き、彼女を解放しなさい!」

 

 老いた男性は、老け込んで曲がってしまった体を無意識のうちにまっすぐと伸ばし、まるで何十年も若返ったような鋭い剣幕で威圧した。

 

 「はやくするのだ!くそ、若造め!剣を寄こせ」

 

 ハムザの長剣を奪い取り、老人はリリを縛る縄を切り裂いた。

 

 「あーあ、ハムザ。何をやっておるのじゃ」

 

 「だってこのじじい、目がイっちゃってるし…」

 

 解放されたリリは、ぐったりと老人の腕の中に納まった。

 

 「リリちゃん…済まなかった。本当に、済まなかった…」

 

 「えぇ、本当に…」

 

 老夫婦の腕に抱きしめられ、リリの目から涙が零れてきた。その暖かさは、昔路上で凍えていたリリを家に招き入れ、抱きしめてくれた時と全く変わらないものだったから。

 

 リリはと老夫婦は嗚咽を漏らしながら、お互いに何度も何度も謝り合った。

 

 「今はもうお前たちを邪魔する【ソーマ・ファミリア】は存在しない。これからは秘め事のない、真実の関係を築いていくのじゃ」

 

 「はい、本当にありがとうございます、女神様…。わしらはこうしてもう一度リリちゃんに会うことが出来て、本当に幸せでございます」

 

 老婆は背負っていた薄汚れた鞄を手に持ち、リリの前に差し出した。

 

 「リリちゃん、これはあなたが毎月お店の前に置いていったお金ですよ。私らには、とても受け取ることが出来なかったの。だからどうか、このお金はリリちゃんが使って頂戴ね」

 

 鞄に詰まっていたのは、眼が眩むほどの大量の金貨だった。罪滅ぼしのつもりでこれまでこっそりと置き続けた金貨が、これほどの量になっているとはリリにとっては予想外だった。

 

 「そ、そんな……。リリは受け取れません、おじいさん、おばあさん…一体いくらあるんですか?」

 

 「きっかり二百万ヴァリス、じゃ」

 

 テルクシノエが答えた。リリは感極まって、もう一度大粒の涙を流し始めた。

 

 「ぐすっ…うぅ…。テルクシノエさま……ハムザさま…。あなたがたは、ほんとうに、ほんとうに…」

 

 リリは言葉が出ず、その後が続かなかった。しかし、そんな事はもうどうでもよかった。リリは泣き続け、老夫婦は彼女を愛おしそうに抱きしめていた。まるで本当の親子の様に。

 

 「さて、これで入団金は用意できたな。後はソーマ、『改宗(コンバージョン)』は後ほど行う。異論はないな?」

 

 「無論、ない…」

 

 ソーマは頷いた。その状況を見た老人が、リリに問いかけた。

 

 「リリちゃんや…本当にこの人達は大丈夫なのか?女神様は素晴らしい神格者じゃが、この若造の方はどうみても——」

 

 「だ、大丈夫ですよ、おじいさん」

 

 リリは硬い表情で笑った。空笑いだったに違いない。ハムザは碌でもない冒険者に違いはないが、実力がある以上認めない訳にはいかなかった。

 

 老人はハムザの前に歩み寄り厳しい表情で言葉を発する。

 

 「おい、若造。リリちゃんを不幸にしてみろ、タダじゃ済まさんぞ。こう見えてもわしは昔、村一番の腕っぷしで——」

 

 「わかった、わかった」

 

 言葉を切り、ハムザは適当に返事をした。

 

 そんな様子を見て、リリは思った。

 

 【ソーマ・ファミリア】がお店を襲撃した時、連れ去られるリリをただ眺めていたあのおじいさんが、今では体を張って自分のために勇気を示してくれている。リリがそうだったように、彼らも辛い後悔の時を過ごしていたのだろう。

 

 だからこうして再び元の関係に戻れた今、彼らは二度と後悔しないために、立ち向かおうとしているのだ。この変態冒険者に。

 

 それならば…。

 

 応えなくては。リリだって、二度と後悔はしたくない。もう二度と、この優しい二人を不幸にしたくない。

 

 そのためには。

 

 そうだ、自分は幸せにならなくてはいけない。これからの新天地で、しっかり元気にやっていると、胸を張れるようにならなければいけない。

 

 (それがリリのためでもあり、おじいさんと、おばあさんのためなんです)

 

 「…リリちゃん、これを受け取ってね」

 

 リリは老婆から、大きな花束を手渡された。それはリリが一番好きだった向日葵の花束だった。眦が再び熱くなった。涙が自然と零れてきた。

 

 老人も目に涙を浮かべ、リリを花束ごと抱きしめた。

 

 「元気でな、リリちゃん。また時間があったら、顔を見せにおいで。きっと花たちも喜ぶだろう」

 

 リリは抱えた向日葵の花束よりも輝く満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。

 

 「…はいっ!リリは約束します、おじいさん、おばあさん!」

 

 

 

 

 耳をすませば、鳥の鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。

 

 西日が流れる雲に隠れ、暮れなずむオラリオの天空は青空を残しつつ、ゆっくりと暗くなっていた。

 

 そんな黄昏時にも、バベルの塔は空に突き刺さるように背を伸ばしている。だから通りを歩く彼らも、その塔を目安に歩いていけば良かった。

 

 「しかしなぁ、あんな手の込んだ事をする必要があったのか?」

 

 隣を歩く女神に、ハムザは問いかける。

 

 「もちろんじゃ。人生は芝居だからな」

 

 「そういうもんかねぇ。まぁ、神意に逆らうつもりはないけどな。一応言っておくが、いつも言うことを聞くとは限らんからな」

 

 女神はわかったわかったとハムザの発言に頷き、隣を歩くリューに話しかける。

 

 「それはそうと、いろいろとご苦労だったな、リューちゃん。仕事を放りだしての任務だ。骨が折れただろう」

 

 首を左右に振り、リューは彼方を見やる。

 

 「お礼は寧ろこちらが言いたいくらいです。あのような非道の輩を退治すると聞いたとき、私はお二人を誇らしく思いました。…それも、羨ましい程に」

 

 リューは立ち止まった。

 

 「それでは、私はこちらの道ですので。また、酒場でお待ちしております」

 

 彼女はそう言い残し、暗がりの小路へと消えていった。

 

 「…訳ありな感じだよなぁ。昔なにがあったのか、知ってるか?神様」

 

 テルクシノエは何も言わず、ただその背中が消えた暗闇を見送っていた。

 

 

 

 リリはハムザたちと別れてから、下宿へと戻っていた。荷物を整理し、引っ越す旨を伝えるためだ。扉を押し開け受付間に入った時、リリは言い付けられた仕事を放りだしてしまった事を思い出した。

 

 「…どこ行ってたんだい?あたしが言った調理場の皿洗い、しっかり放り出してくれたみたいだねぇ」

 

 「リリはもうここには住みません。【テルクシノエ・ファミリア】に正式に入団したんです。だからもう、雑用を押し付けても無駄ですよ?」

 

 安い家賃の代わりに、この性悪老婆の言いなりになるのももうおしまいだ。自分もファミリアの看板を背負って立つ立派な団員になるのだ。たかが一般人になめられてはいけない。

 

 「…お前っ!調子に乗るんじゃないよ、クソガキ!あんたみたいな薄汚いドブネズミなんて、ファミリアどころか売春宿が——」

 

 「黙って下さいっ!今の私は、あなたを犬みたいに地面に這いつくばらせる事だって出来るんですよ?」

 

 今までとは百八十度異なるリリの態度に老婆は度肝を抜かれたらしく、それ以降は何も言わなかった。リリは今までの意地悪に少しやり返せた気がして、とてもいい気分だった。

 

 埃まみれの部屋に置いてあった数少ない荷物を鞄に詰め込んで、リリは下宿を後にした。

 

 向かう先は唯一つ。自分の新しい家、新しい本拠地(ホーム)へ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

 

 

 「それでは今日から、リリはハムザさまの下の世話から本拠地の掃除まで、何でも頑張りますからねっ!」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠地(ホーム)では、新たな団員が決意新たに意気込んでいた。

 

 「それなんだがなぁ…。実は魔法の罰則(ペナルティ)のせいでしばらくセクロスは出来ないんだ…」

 

 「ええええっ?性交が出来ない罰則なんて、リリは聞いたことがありませんが…」

 

 項垂れるハムザを横目に、テルクシノエがリリに言う。

 

 「まぁ、そのうち治るんだから気にしなくても良い。それよりお前、所持金は本当にこれだけか?もっと溜め込んでいる物と思っていたのじゃが」

 

 リリはザニスに貯金を奪われたことを説明した。あのことが無ければ、リリは今三百万ヴァリス程持っていたはずだったのだ。

 

 「ふぅむ。まぁ、仕方ないか。お前の入団金二百万と、ソーマから奪い取った千五百万ヴァリスが今の軍資金じゃ。この金はいったん私が預かるが、その後の管理は任せたぞ」

 

 【リーテイル】の売上金はその全てが【テルクシノエ・ファミリア】に流れ込んでくる事になっており、【ソーマ・ファミリア】は副団長だったチャンドラがザニスの代わりに団長を務める事となった。

 

 しかしそれはあくまでも体裁上はという話で、実質的なところかの派閥は壊滅し、これからその活動は酒造りに限定される。ギルドがこの事を公表するかどうか分からないが、とにかく【ソーマ・ファミリア】の名はこれから次第に耳にすることがなくなるだろう。

 

 「…リリはとても嬉しいです。あのザニスは、【ソーマ・ファミリア】は、リリから色々な物を奪っていきましたから」

 

 主神はリリを見つめ、立ち上がったり珈琲を淹れはじめる。その背中で、女神はぽつりと言った。

 

 「…苦労したようだな」

 

 「はい…。ザニスは、リリが人生で出会った冒険者の中で二番目に嫌いな奴でした」

 

 その発言にハムザが食いついた。

 

 「二番目?じゃあ一番目は誰なんだ?」

 

 「わかりませんか?」

 

 リリは意味深な笑みでハムザを見つめる。ハムザにとって、その笑みはどこか面妖で見覚えのある笑みだった気がした。

 

 「…リリはとある冒険者に無理矢理初めてを奪われました。今ではその人が一番嫌いです。ハムザさま」

 

 「そいつはご愁傷さまだ。ま、俺には関係のない話だがな」

 

 本当にそうですか、とリリはハムザに近づいて問いかけた。訳の分からないという表情をして肩を竦める彼に、リリは詠唱を始めた。

 

 「貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの……」

 

 「……?」

 

 突然の出来事にハムザは口を開けて呆けている。

 

 『シンダー・エラ!!』

 

 そしてリリの体は光に包まれていき、やがて全く別の『少女』がそこに立っていた。

 

 「うおおっ!???」

 

 その少女は、ハムザが初めてロリコンに魂を売ったその少女だった。テント内にけたたましい絶叫が轟く。ハムザは気が狂ったように叫び、少女の肩を揺らした。

 

 「お、お前だったのか…!変身できるなんて知らなかったぞ!!あの晩抱いたのは、お、お前だったんだな!?」

 

 あまりの剣幕に、リリは彼が怒っているのかと思った。しかしどうやら違うようだ。むしろ、安堵している。それが何故だか、リリにはわからなかった。

 

 「お、お前…。小人族(パルゥム)だから幼く見えるんだよな。実際のところ、いくつなんだ…?」

 

 ハムザが恐る恐る訊いた問いに、リリは変身した猫人の少女の状態のまま答える。

 

 「リリは、15歳です。ハムザさま」

 

 またしても絶叫が鳴り響いた。

 

 「セーフ!15歳はセーフだ!馬鹿め、思い知ったか!!」

 

 「いや、アウトじゃろ…どう考えても」

 

 呆れた主神の声を無視し、ハムザは勝鬨を上げる。

 

 「うるさい!祖国では15歳から性交渉が認められているのだ。だからセーフ!俺は変態などではない!ロリコンではないぞー!」

 

 ハムザの感激は止まらない。リリは肩を揺らされ、抱き着かれていたが、不思議と悪い気がせず尻尾をゆらゆら揺らしていた。

 

 「な、なんだっ!?勃起が止まらない!チンコが萎えんぞ!呪いが消えたようだ、うおー!」

 

 リリの体に触れつつも、確かにハムザの股間は硬直を維持している。

 

 「ば、バカもん。お前は今日【魔法】を使ったんだから、今治るはずないだろう。あ、こら。見せんでいい、こら。しまえ!」

 

 それから三人は【罰則(ペナルティ)】について色々と話し合ったが、なぜ勃起不全にならないのか、【罰則(ペナルティ)】の影響が消えてしまったのかはわからなかった。

 

 しかし試しにリリが変身を解いてみると、見事に勃起は収まり股間は力なく垂れ下がった。こうして三人はとある結論に至った。

 

 つまり、リリの【シンダー・エラ】はハムザの【罰則(ペナルティ)】をすり抜け、ペナルティの判定を誤魔化す作用があるのだと。リリの魔法は一度本来の体を変えてしまうと、『女体』ではなく『魔法的な何かの物質』として扱われてしまうのだろう。つまり変身状態に於いての行為はセックスでもなんでもなく、ただの物を使った自慰行為に過ぎないと罰則側が判断しているのだ。

 

 「奇跡だ。お前は奇跡そのものだ、リリ。今を以て俺はお前を正式な団員として認める。二人とないかけがえのない団員だ。くぅ…久しぶりに一発景気づけと行くか…」

 

 再び変身したリリは、体をハムザに預ける。

 

 「今だからこそ言える。お前、マジ可愛いぞ。超可愛い。透明感のある美少女最高!今なら何発でも行ける気がするぞ。今夜はオールナイトで生ハメセクロスだ!愛してる、ジュテーム!」

 

 「ハムザさま、リリは何だか変身しているのがちょっと残念です…」

 

 抱きしめられ、腕の中で胸の高鳴りを感じている。

 

 姿が元に戻っても、この人は自分を抱きしめてくれるだろうかと不安になるも、唇をそっと奪われた時、リリは言いようのない感動で胸が一杯になった。

 

 (これが…女性の悦びってやつでしょうか)

 

 「…んっ。悪くありません、ハムザさまぁ…」

 

 「ぐふふ…お前のこれからは俺のチンコと共にあるのだ。もう離させんぞ」

 

 「変態発言ですよ?それより、こんなに固くなってます。はやく出してあげましょうね…」

 

 ハムザはズボンを下ろすと、少女が可憐な手でそっとペニスを撫でた。

 

 「うほっ…気持ちいい」

 

 「リリはどうしたら良いかよくわかりません、ハムザさま」

 

 さらりとした指先でペニスを撫でながら、リリは上目遣いで見上げた。

 

 「セクロスの基本はな、相手のしてほしい事を理解して、してやる事だ。そのためには、お前が自分の欲求を俺に曝け出さなければいかん。わかるか?」

 

 リリはハムザの言葉を一つ一つ咀嚼して、意味を自分なりに理解していった。

 

 「…えっと、つまりハムザさまに私が何をしてほしいかという事ですか…?」

 

 「その通りだ」

 

 リリは目の前のペニスを眺めた。大きく膨張し、先っぽから透明な汁が零れている。一度これに貫かれた時は嫌悪の感情しかなかったが、不思議と今では可愛く思えるものだ。

 

 ペニスに頬擦りしてから、鼻先で先端からあふれ出ている汁の臭いを嗅いでみた。そして、それを舐めとった。

 

 「うほっ…積極的なロリ…いや、女の子最高」

 

 「ハムザさま、リリはこれで本当の悦びを教え込まれたいです。皆が嵌って口々に言い合う『性の悦び』を、リリも理解してみたいんです。それを、他でもないハムザさまとです。実のところ、その他の男性にはあまり興味がありません」

 

 「ううむ、まぁ悪くないな。でも、もっと具体的にだ。実際にどういう前戯が欲しくて、どの体位で突かれたいのだ」

 

 「ええと…」

 

 少しどもってから、リリははっきりとした口調で言った。

 

 「もっと抱きしめて下さい。たくさん、色んな所にキスして下さい。それから、これは願望なのですが…これからリリを出来る限りお傍に置いてくれると、約束して下さい」

 

 「お安い御用だ」

 

 ハムザはリリを強く抱きしめた。そして、すっかり忘れ去られた主神が気まずそうにテントから出て行った。

 

 (はぁ、ちょっと若すぎるし無知すぎる性奴隷には違いないのじゃが…まぁ、よしとしておくか)

 

 魔石灯が歓楽街の路地裏を照らしている。ここに流れ着いてから、もう三週間くらいは経ったのだろうか。思い返せば、この短い期間に色々な事があったものだ。

 

 そして思いの外はやく事が動いているようだ。可愛い眷属は一人目の性奴隷を手に入れ、かく言う自分も欲しかった額縁を手に入れる手筈が整った。

 

 テルクシノエは夜空を見上げた。

 

 これからもっと、あの子に女を抱いて貰わなければ。たった二人の愛情など見飽きた。これからは、何百人もの女達から慕われる英雄こそが愛を語る時代が来るのだ。

 

 圧倒的な強さと権力、そして財力。他国の追随を許さぬこのオラリオで、頂点に上り詰める男になってもらわなければ。

 

 「英雄譚ほど、人を惹きつけるものはない。あいつもそろそろ、成し遂げてもらわなければならんな、偉業というものを」

 

 テルクシノエはどことなく歩き始めた。歓楽街の夜は賑やかに、その栄華を歌い続けていた。

 

 

 

 「あっ…ハムザさま、そこはっ……」

 

 テント内の情事は次第にエスカレートしていった。リリの要求をたっぷり満たしてやった後、ハムザは少女の体を抱きかかえてベッドへ移し、両脚を掴み広げて股間を舐め続けていた。

 

 「うま、うま…。ロリ…ごほん、美少女のおまんこ汁、うまいぞ」

 

 「んっ…ああぁ、だめですハムザさま……むずむずします…」

 

 リリは下腹部に広がる熱い感覚に身を委ねる。それは今までに感じた事のない快楽だった。

 

 「そろそろ入れるか。もう充分楽しませてやったしな」

 

 「ま、待ってください…っ」

 

 リリは体を起こし、ハムザに飛びついた。馬乗りになり、固くそり立つ股間を握りしめる。

 

 「まだ、リリはハムザさまに何もしてあげておりません。リリはマグロ女にはなりたくないのですよ、ハムザさま?」

 

 かぽっ、とペニスを咥えこむ。幼気な少女の可愛らしい口で、リリは愛撫を続ける。

 

 口でしごく度に、灰色の髪の毛がさらさらと流れていく。普段の栗色の巻き毛とは対照的な髪形だ。しかし体の方は、実の所リリの体と大差ない。

 

 ハムザがロリコン汁をたっぷり楽しんでいる時に、リリは喘ぎながら変身魔法について説明していた。どうやらしっかりと想像できないものに変身しようとすると、失敗するらしい。

 

 もともと『少女の体』なんてものは昔の自分の体しか想像できなかったリリだ。成人小人族(パルゥム)の体は、大きさだけで言えば十数歳の子供と変わりがない。

 

 つまり、猫人(キャット・ピープル)の子供に変身する場合、実際の小人族(パルゥム)としての体を想像して使えば良いだけだ。

 

 だから先ほど愛撫を続けたこの体は、本来のリリの体と大差がないはずだった。

 

 「おぉ、それ…気持ちいい、うほお…要領を得るのが速いな、お前は」

 

 「気持ちいいのですか、ハムザさま?」

 

 「…うむ、最初でこれだけできれば、明日の朝一フェラ抜きを任せてやってもいいな。それよりもう十分だ、さっさとセクロスしよう」

 

 「はい、そうしましょう。リリはもう我慢が出来ません」

 

 濡れそぼった股間にペニスをあて、ゆっくりと挿入していく。

 

 リリは小さく喘ぎ声を漏らし、打ちつける腰の動きに合わせて小さな体を前後に揺らしている。

 

 少しの間そうしていると、先にハムザの余裕がなくなってきた。

 

 「あ…久々だったせいか、やばいな…イキそうだ」

 

 「…えっ?も、もうですか?でもいいですよ、ハムザさま。たっぷり出してください」

 

 急速にピストンスピードを上げ、ハムザは大きく腰を打ちつける。

 

 「うほほ…幼い美少女に種付け調教完了だ…神様、やったぞ…」

 

 入れたままで余韻に浸るハムザの顔を、リリは見上げていた。

 

 (気持ちよさそう…ハムザさま、私の体でイケるんですね)

 

 「…眠くなってきた、いかんな…」

 

 急にうとうととし始めるハムザに、リリはくすりと笑って言う。

 

 「別にリリは構いませんよ、ハムザさま。リリは十分満足いたしました。なんだかリリは絶頂だけがセックスではない気がします。とても幸せですから」

 

 「ん…?そうなの?まぁ、それならいっか。おやすみ…」

 

 ぐたりと横に倒れ込み、ハムザは目を閉じた。

 

 リリはその寝顔を眺めながら、思案する。

 

 (結局のところ、このお方がザニスを殺してくれたから、今のリリがあるんですよね…。乱暴で、変態な冒険者ですが、悪い人ではないような気がします)

 

 それに、体を預けてみて分かったことがある。

 

 自分はきっと、冒険者に憧れていたのだ。それも、強い男に。

 

 嫌い嫌いと文句を言いながら、心のどこかで羨み、意識していたのだろう。

 

 こうして組み敷かれる事で、そしてその大きな手で守ると誓ってくれた事で、リリは自分の劣等感から解放された。

 

 そして今でははっきりとこう考える事が出来る。

 

 嫌な冒険者は大嫌いだ。それでも、目の前の冒険者は好きだ。

 

 優しくもないし、立派でもない。だけど悪人ではないし、強くて逞しい。

 

 リリが持てなかったものを、この人は持っているから。

 

 きっとこの人は何度も道を踏み外す。その度に、自分が彼を諭すのだ。

 

 頭脳として、良心として、彼の傍に仕える事こそが、ここでの自分の立ち振る舞いになるのだろう。

 

 

 

 

 明け方まで続いた情事にリリがすっかり疲れ果てていると、外へ出ていたテルクシノエがテントに戻って来た。

 

 「神様、どちらへ行かれていたのですか?」

 

 「あぁ、まぁ少し大切な用があってな。オーダーメイドの額縁作成を依頼しにいったのだ。深夜でも叩き起こしてやったら、文句を言いながらも依頼を受けてくれたのじゃ」

 

 額縁ですか、とリリが周りを見渡すと、テルクシノエは引き出しから一枚の羊皮紙を取り出して見せた。

 

 「な、なんなんですかこの下品な詩は…」

 

 

 

 『だいめい おっぱい女神』

 

 おっぱい いっぱい揉みたいな

 

 神様 おっぱいおっきいな

 

 揉んで つねって あへあへだ

 

 とろとろになって イっちゃった

 

 

 

 お下劣極まりない幼稚な作品を、女神は大切そうに眺めてから引き出しへと戻した。

 

 「どれ、入団テストも兼ねて、お前の才能を見てやろう。これまでのごめんなさいの気持ちを、俳句で詠んでみろ。ちゃんと季語も入れるのじゃ」

 

 (は、俳句ですかっ!?そんなの一度も試した事はありませんよ…)

 

 断る訳にもいかず、リリは羊皮紙に俳句を書いた。思うがままに綴る、初めての芸術作品だった。

 

 

 

 『秋雨や 仮寝の宿の わび住い』

 

 

 

 「むむむ…」

 

 芸術神ムーサはその俳句を見て顔をしかめた。リリは会心の出来に、きっと驚いているに違いないと思っていた。

 

 「才能な~し!!」

 

 「えええええっ?!」

 

 非情な宣告だった。

 

 「なんじゃこれは!詫びと侘びを掛けようと言う発想がいかにも凡人じゃ!謝罪の気持ちが伝わらない。侘しさを喜んでいるのか、悲しんでいるのかも伝わらん!だめだめ!お前はやっぱり才能なしじゃ~」

 

 「ちょ、ちょっと待ってください!?少なくともハムザさまの『おっぱいの詩』よりはまともだとリリは思います!」

 

 「うるさい!私を何の神だと思ってる!己惚れるなよ、このど素人めが!」

 

 「神様こそ何様ですか!実はセンスがないんじゃないですか!?あんな下品な子供の作品を大切そうに扱って、恥ずかしいったらありません!」

 

 明け方に怒鳴り合う二人の声に、ハムザは寝返りをうった。

 

 (うるさいなぁ…もう)

 

 それからしばらくして事態が収束すると、既に外は明るみを帯び始めていた。リリが寝る布団は用意されておらず、今日はハムザの布団に入り込んだ。

 

 体は疲労感でいっぱいになっているようだ。横になると、眠気が急速にリリを捉えた。まるで自分の体が布団を突き抜けて沈んでしまうのではないかという程、重く感じられた。

 

 目の前にはハムザの背中がある。リリは手を回し、ハムザに抱き着いた。別の体だったとは言え、先ほどまでさんざん肌を重ね合わせていた訳だから、リリはずいぶんと大胆に振舞えるようになっていた。

 

 (ハムザさまは、変態冒険者です…。リリは冒険者も変態も、大っ嫌いです…)

 

 ぎゅっと腕に力を込め、強く抱きしめてみた。ハムザが「ふごっ」と変な寝息を立てたのに釣られ、リリは笑みをこぼした。

 

 (それでもリリは…ハムザさまの冒険譚を、一番近くで見ていたいのです。そしてリリを救ってくれたこのファミリアで、リリはいつまでも…いつまでも…)

 

 仲良く寝息を立てる二人を眺めて、テルクシノエも布団に潜り込む。

 

 (子供は不思議なものだ。何故だか親に似る。この子の場合は、虐待を受けて育ったから暴力的な男に惹かれるようじゃ…。そういう意味では、あながちザニスとやらも好かれていたのかも知れんな)

 

 「まぁ、本人に自覚はないのだろうが…」

 

 (それにしても、万事うまく行きなにより。明日は何も予定がないのも素晴らしい。今宵は存分に寝溜めしてやるか)

 

 オラリオに朝が訪れる頃、【テルクシノエ・ファミリア】の面々は幸せそうにそれぞれが寝息を立てていた。

 




旅行をしていたせいで書くのが遅くなっておりました。

シリアスっぽいのも練習しないとと思い始めた第二巻相当です。

読み返すと、なんだか変なテンポで面白味に欠ける感じですが、せっかく書いたので投稿だけはしておこうと思いました。

次はエロメインで、アイズちゃんとレフィーヤちゃんに焦点を当てていく感じになると思います…。

でも、アニメのレフィーヤちゃんは少し想像していたのと違いました。

ああいう感じが今は人気なのでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三巻相当分
第一章 -黄昏の館へ-


 リリは軽快なステップを踏みながら西のメイン・ストリートを歩いていた。

 

 入団初日にハムザに言い付けられたのは、《神酒》の確保だった。だからリリはかつての【ソーマ・ファミリア】の店舗である『リーテイル』へ出向き、団長を務めるチャンドラに挨拶がてら《神酒》を頂戴してきたのだ。

 

 向かう先は、『豊穣の女主人』という酒場だ。

 

 空腹ですっかり凹んでしまったお腹の辺りをさすってから、リリは崩れかかった外壁にひらりと飛び乗り、夕日が作る民家の影の中に着地した。すると居並ぶ古民家から、夕食をねだる子供の声が聞こえてきた。

 

 ふと足を止め、思いを馳せる。

 

 自分にもそんな時期があったものだ、と。そうは言っても、自分はまだ十五歳。子供といわれればそれまでだが、それでも自分にだって幼い時があった。

 

 誇らしい記憶ではなかった。むしろ思い出したくもないとさえ感じていた。

 

 でも、いつか背が大きくなり、いつかもう子供とは呼ばれなってしまったら…。

 

 きっと、幼い時の思い出を振り返って懐かしむのだろう。そして現在の幸せを噛み締めるのだ。

 

 「あの時があるお陰で、今の幸せがあると思えるようになれたらいいですね…」

 

 首をぶんぶんと左右に振り、感傷に浸りがちな夕暮れから逃げるように、リリは太陽の沈む方角からぐんぐんと離れていった。

 

 久しぶりの外食だ。それも、所持金を気にすることもない程の贅沢が出来る。そんなことは、自分の人生で一度だってなかった。そう思うと笑みが止まらない。

 

 しかし思考が進んでいくに連れ、軽快なステップはやがて重い足取りへと変わっていった。バックパックが急に重く感じられたのだ。夕暮れがもたらした先ほどまでの感傷的な気分が、とある発言を思い出したことにより劇的な変化を遂げ、陰鬱な感情が湧き上がって来た。

 

 『俺はロキ・ファミリアを乗っ取るぞ』

 

 昨晩、ハムザはそう言っていた。

 

 そして今日、夕食を済ませたらいよいよ最強の派閥【ロキ・ファミリア】を訪ねる事になる。ただ冷やかしに行くだけでも恐ろしいのに、彼が提案したのは団員を押し倒すという無謀な計画だった。

 

 無事で済む筈がない。リリは試しに何度か想像してみた。【ロキ・ファミリア】の団長はリリと同じ小人族の、フィン・ディムナ。なるほど種族なら同じかも知れない。だからリリは頭の中でシミュレーションをしてみたが、どうやってもLv.6という壁を越えられずにけちょんけちょんにやられてしまっていた。

 

 リリは明日も自分の命がありますように本気で祈りながら『豊穣の女主人』の入口を潜った。

 

 ハムザとテルクシノエは食卓を挟んで座っている。リリは迷わずハムザの隣へ着席した。するとどこからか鋭い視線が飛んできた気がして、背筋がぞくっと震えた。

 

 「…ご注文は」

 

 リリはびっくりして店員の顔を見つめた。見覚えのある美人なエルフだ。この恐ろしい無表情、冷酷な眼差し…あの時の剣士だ。 

 

 (スパイでしょうか?)

 

 【ソーマ・ファミリア】の全員でかかってもまるで歯が立たない程の実力を持つ謎の剣士が、こんな所でウェイトレスに扮している。どう考えたっておかしい。

 

 「…詮索は無用じゃ、リリ」

 

 主神に釘を刺され、メニューに視線を落とす。

 

 『ポルチーニソースとスタッグステーキ 3600ヴァリス』

 

 『ふるさとのご馳走盛り合わせ 2800ヴァリス』

 

 (ぜ、全然何が書いてあるんだかわかりません…それに、高いです)

 

 ぱらぱらとページをめくり、手ごろな価格帯の料理を発見する。

 

 「え、えーと…。本日のスープは何ですか?」

 

 リリはおずおずとウェイトレスに質問した。すると彼女は愛想の欠片もない口調でぶっきらぼうに答えた。

 

 「子牛のスープ」

 

 「で、ではそれを。あと、パンを下さい」

 

 メモを取った彼女は無言で背を向けて、厨房へと消えていった。リリは安堵のため息を吐き、主神とハムザに言った。

 

 「…嫌われているのでしょうか」

 

 「彼女の場合、むっつりしている内は安全じゃ。ところでなぜもっと注文しない?今日はお祝いの贅沢三昧、遠慮は無用だぞ」

 

 それは条件反射とも言えたし、習慣とも言えた。リリのような人間は贅沢に慣れていないどころか、節制の達人だ。生来お金を貯める事だけに熱中してきたようなものだから、贅沢という言葉は知っていても実際にするとなると、実は難しかったのだ。

 

 「ただ食いたいもん、注文すればいいだけなのになぁ。それより、神酒は手に入れたか?」

 

 地面に置いた大型のバックパックを一瞥して、リリは簡単にチャンドラと結んだ契約内容を説明した。

 

 まずチャンドラを説得するために、彼に神酒を分配する約束をした。

 

 そして【リーテイル】の売り上げは折半とし、酒造りにかかる費用は向こうが負担をすることにした。もともと冒険者から需要の多い大型の『なんでも屋』だ。月当たりの売り上げは上級冒険者の稼ぎにも匹敵するだろうから、こちらに入る利益が半分になったところで痛くはない。

 

 「よくやったぞ、リリ」

 

 ハムザが褒めた。嬉しさのあまり、笑顔がこぼれる。グラスを傾けるハムザは言う。

 

 「面倒事は押し付けるのが一番だ。ソーマファミリアだかなんだか知らんが、連中は連中でやりたいようにやらせておけばいい。やつらの活動で出た上澄みの利益を頂くだけで充分だ」

 

 「そうじゃな。無理を通して反発をされるような事になれば、目も当てられん。飼いならす者にはそれなりに甘い汁を吸わせてやれば、忠誠心も強まるというわけじゃ」

 

 リリとしては、単純に優しさからチャンドラを助けようと思って提案したこの契約だ。やろうと思えば、一銭も与えない契約を結ぶことだって出来ただろう。だがそれだけはしたくなかった。リリの中にある商売人魂よりも、善意が勝った。ただそれだけのことだ。

 

 しかし二人の解釈は別次元だった。ハムザは怠惰から、そしてテルクシノエは打算からリリの行動が正しかったと褒めた。だが、理由は違えど、褒められて悪い気はしない。

 

 「そうでしたか?リリは少し不安でしたが、お気に召されたようで何よりです」

 

 「それよりも、俺はどでかい目標をぶち上げた」

 

 ハムザがそう言って不敵な笑みをこぼすのを見て、リリは悪寒がした。そして彼は言った。

 

 「今宵の標的は、剣姫アイズ・ヴァレンなんとかちゃんだ」

 

 リリの直感は見事に的中した。これから神酒を持って向かう【ロキ・ファミリア】の本拠で、あろうことかあの『剣姫』にちょっかいを出すと言う。確かに口実はある。以前にテルクシノエがロキと話を取り決めたと聞いたことがあった。

 

 【ソーマ・ファミリア】の情報提供をする代わりに、見返りとして神酒を受け取るという内容だ。リリの元所属派閥が事実上消滅し、解散させられた今となっては訪問には格好の機会ではある。

 

 それでも、目的が目的だった。『剣姫』に手を出せば、生きて帰ってこれる筈がない。仲間もろとも剣の錆びというのが関の山だろう。リリは嬉しそうにもくもくと食事を口に運ぶ女神に視線を送り、ダメ元で声を掛けた。どうか彼を止めてくれ、と訴える目で。

 

 「えっと、その…。テルクシノエ様」

 

 「まぁ、やらせておけばいい」

 

 だが、女神は放任主義だった。ハムザは靴底の様に分厚い肉を頬張りながら、もごもごと言った。

 

 「このダメ主神が成果を上げたんだから、ここは団長様も気張って結果を出さなければいかん。そうだろう?だから俺はやるぞ」

 

 「絶対、うまくいくわけありませんよ…」

 

 リリは本気で心配になった。この男について行っても大丈夫だろうかと。だが乗りかかった船だ、もう降りる事は出来ない。しかし、そう思い込んで不安とおさらば出来るほど、呑気な性格でもない。

 

 それから数刻の間、リリは不安な気持ちで彼らが夕食を食べ終わるのを待っていた。

 

 

 

 「お会計、神酒一本で済んでしまいましたか。もともと高い物なのは承知ですが、お金を払わなくても何とかなるものですね」

 

 三人は食事を終え、店の外に面したメイン・ストリートに立っている。

 

 実は直近のごたごたで、彼らにはまとまった現金がなかった。言うなれば、今日は無銭飲食だ。

 

 ひと悶着あるだろうと思われた会計時、ハムザはリューを呼び出して「何者かに店内で金貨袋を盗まれた」と告げた。彼としてはこっそりと話したつもりだったが、耳ざといドワーフの女将がすぐにどすどすと音を立てて三人のもとにやって来て、何事かと野太い声で彼らを脅した。

 

 主神が不機嫌な女将に、「神酒をやるから会計をタダにしろ」と言った時、リリはそのドワーフが怒りで爆発するのかと思った。しかし彼女は感嘆の声を漏らしてから大きく頷いた。

 

 「なんだい、神酒ソーマじゃないか!最近めっきり出回らなくなって、困っていたんだよ。ありがたくもらっとくよ、大食いの神様。坊主も、しっかり稼いでまた来るんだよ!」

 

 リリは面食らっていた。

 

 不思議な事に、ハムザを取り巻く人々はみな彼に、そして主神であるテルクシノエには好意的だった。こんなにやりたい放題をして我儘な人たちなのにどうして好かれているのか、とても理解できなかった。だが、それは英雄だけが持つ資質なのかも知れない。

 

 (英雄は色を好むって言いますし、何より実力がありますからね…)

 

 きっとそういうことなのだろうと思い、リリは先を歩く二人について行った。目指すは【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、黄昏の館だ。

 

 

 レフィーヤは窓辺によりそって、夜空に浮かぶお月様を眺めていた。

 

 ダンジョン24階層で、死んだと思われていたオリヴァス・アクトとの遭遇。そしてレヴィスと呼ばれる怪人(クリーチャー)闇派閥(イヴィルス)の残党、さらには宝玉の胎児。【ロキ・ファミリア】は今までもそうだったように、常に生死を賭けた『冒険』の空気に包まれている。

 

 新種の出現によってやむなく撤退を強いられた前回の遠征の失敗を成功に変えるため、そしてさらなる栄光を求めて、団員たちは一週間後に行われる遠征を前に英気を養っている。深層への侵攻、再チャレンジである。

 

 そんな意気軒昂な偉人達の後ろで、常にレフィーヤは自らの非力に恥じていた。Lv.3というオラリオで稀に見る領域に若くして到達した自分でも、ここ【ロキ・ファミリア】に於いては足手まといですらある。

 

 ―強くなりたい

 

 何度、そう願った事だろう。それでも願い一つでステイタスが上がる程、甘い世界ではない。必要なのは絶え間ない努力と、愚直なまでに行われる詠唱の反復練習。

 

 レフィーヤが克己を信条に、寝食を削ってただひたすら訓練に没頭すること数年。

 

 憧憬の剣士(アイズ)の背中には、届く気配すらない。

 

 「せめて、並行詠唱くらいは出来るようにならないとなぁ…」

 

 数年前の自分なら、黄色く光るお月様に『強くなりたいです』と涙を流していたかもしれない。だが、もう自分はそこまで幼くはない。強さとは、努力によってのみ獲得できるものだと知っている。祈っている暇があるのなら、他にやるべきことがあるはずだ。

 

 身を起こし、椅子に真っ直ぐ座りなおしてから、レフィーヤは魔法の書にかじりついた。

 

 それから数刻。

 

 普段であれば、レフィーヤは魔法の勉強に没頭していたことだろう。だが今日に限っては、邪魔が入った。先ほどから階下で響く下品な笑い声に、集中を妨げられていたからだ。

 

 「…もう、ロキったら。またお酒を飲み始めたのかなぁ」

 

 気になった彼女は本を閉じ、宴の様子を見に階下へと降りて行こうとした時、二階の端にある備品倉庫の中で、聞きなれた美しい声が聞こえてきた。

 

 逃さない。Lv.3の聴覚は伊達じゃない。あれは、あの声は、間違いなくあの剣士のものだ。しかし、一人ではない。…男だ。男の声が聞こえるっ…!

 

 レフィーヤは駆けだした。そして倉庫の扉の前にへばりつき、中の会話を盗み聞きする。

 

 その声は紛れもなくアイズ・ヴァレンシュタインのものだった。男の声に聞き覚えはない。ファミリアの団員だろうか?

 

 「それで、俺が砂漠を越してすぐあと、オアシスにかつてない程の砂嵐がやってきたわけだ。噂じゃあ、皆死んじまったらしい。残念だったな、もし俺が残っていたら、砂嵐なんぞ一振りのスイングで追い返してやったことだろう」

 

 「……そうだね」

 

 (一体何の話よ、この男!アイズさんに慣れ慣れしく話しかけるなんて、許せないっ!それに倉庫で二人きりなんて、怪しい。怪しすぎる) 

 

 「アイズちゃんもそう思うだろ?俺の武勇伝はまだまだあるぞ。だが生憎、時間がない」

 

 「…うん。そうだね」

 

 (ぐぅっ…この雰囲気、何かすごく不味い雰囲気なようなっ…!?)

 

 「綺麗な顔をしているな」

 

 数秒の後、アイズの「んっ…」という声が漏れた。

 

 (なに!?なになに!?なにをしてるの?アイズさん!ま、ままま、まさか、キス…?)

 

 さらにアイズは「ふあっ…」と声を漏らし、二人の荒い息遣いが聞こえてくる。

 

 「率直に言おう。アイズちゃん、俺は今苦しんでいる。とってもとっても苦しい事態に陥っている。助けてくれるか?」

 

 「…うん、私にできることなら」

 

 (なによ、この変態っ!?私のアイズさんに私の許可なく助けを求めるっていうの?うぅ…扉を蹴破って、今すぐにでも魔法で消し炭にしてしまいたい)

 

 「俺のおちんぽが膨張して爆発しそうなんだ。白い膿を出さなければ死んでしまうかも知れん。だからアイズちゃんと中出しセクロスしないといかんのだ」

 

 「…いいよ」

 

 (アイズさん!嘘って言って下さい!嘘ですよね!?今からその男の首を跳ねるつもりなんですよね!?ねぇ、そうって言って下さい、アイズさん!)

 

 「意味わかって言ってるのか?セクロスってのは、おちんぽをおまんこに突っ込んでパコパコする行為の事だ。そして気持ちよくなったら俺の子種をアイズちゃんの中に直接ぶちまけるのが、中出しセクロスだ」

 

 「うん。知ってる…。ハムザがしたいなら、いいよ」

 

 (う、うそ………)

 

 扉にへばりついて盗み聞きをするレフィーヤは、アイズの返答に力なく崩れ落ちた。

 

 愛しの少女に、まさかの想い人がいたなんて。伴侶となるべき人物が、既に見つかっていたなんて。聞いてない。悔しい。ハムザとかいうこの男を、今すぐ葬り去ってしまいたい。

 

 しかし、きっとそんな事をしたらアイズが不幸になる。一生口を聞いて貰えないだろう。今自分が出来る事は、こうして聞き耳を立てて盗み聞きをする事くらいだ。

 

 (しかし、あのアイズさんが今、セックス…?こ、これは絶対に逃してはいけない瞬間です…せめて音だけでも…!)

 

 憧憬の少女に対し、レフィーヤは前向きになった。

 

 ここは祝福しつつも、しっかりと耳に残しておかなければ。愛する少女の痴態の一部を。

 

 「ぐひひ…。どうだ、アイズちゃん。感想は?」

 

 「…えっと。大きい、です…?」

 

 (ふふ、ふふふ…さぁアイズさん。次はどうするんですか…しごくんですか、それとも、堪らずその可愛いお口で頬張っちゃうんですか…?)

 

 「……ほれ、やると決まったんだからさっさと脱がないか。裸にならんと始まらんのだ、セクロスは」

 

 「…うん。ちょっと待って…」

 

 (ふふ、不慣れなアイズさん、かわいい…。ふふふ…)

 

 カチャカチャと防具を脱ぐ音が聞こえる。暫くして、男の下品な声が漏れた。アイズは裸なのだ、今。そう思うと、レフィーヤは劣情を掻き立てられ、自分の中で熱いものを感じた。

 

 「ぐ、ぐひひ…。ほれ、ヤる前にエロい声でおねだりしてみるんだ。チンポだいすき~、ってな具合でな」

 

 「………?」

 

(き、聞きたいっ…アイズさんのおねだり、聞きたい…っ!)

 

 それでもアイズは何も喋らない。いや、喋れないと言うべきか。恐らく彼女には、おねだりが出来るほど性に関する知識がないのだろう。

 

 沈黙し続けるアイズに業を煮やし、男は急かし始める。

 

 「う、くそ。何でもいいから、エロい台詞で興奮させてみろ。ほら、お股を開いてこっちに見せてみろ」

 

 「…好きにして、いいよ」

 

 「そうじゃなくてな…。こう、積極的なセクロスがしたいんだ。寝っ転がっているだけじゃ、つまらん」

 

 「…そう?私のことは、いいよ…」

 

 レフィーヤには、アイズの困惑が感じ取れた。それ以上に、男の困惑も。物置の中に沈黙が流れていく。そしてハムザと呼ばれた男が口を開いた。

 

 「…もしかして、アイズちゃん。マグロ…?」

 

  レフィーヤは衝撃を受けた。

  

 「……お腹、空いてるの?」

 

 しかし今度は、その男の衝撃の方が、遥かに大きかった。

 

 「へっ…!?い、いや…」

 

 「……?」

 

 男は衝撃を隠し切れない口調で、ぽつりとつぶやいた。

 

 「…天然?」

 

 アイズは首を傾げていることだろう。レフィーヤは、内部の状況が手に取るように感じ取れた。男は困惑している。そしてその原因は、アイズの天然ボケだ。

 

 「…天然のマグロが食べたいの?」

 

 「はぁっ…!??」

 

 「じゃあ、捕りに行こうか。今から…。その、それも小さくなっちゃったから…」

 

 「いや…そ、それはさすがに…」

 

 レフィーヤは心の中で勝鬨を上げた。終わりだ。この二人の関係は、ここまで。性交渉が出来ないとなれば、男は遅かれ早かれアイズを見限るだろう。男とは、そういうものなはずだ。そして傷心のアイズに自分が優しく語り掛け、おこぼれを頂戴する。

 

 アイズの天然を理解してやれるのは自分だけだ。ぽっと出の男に、アイズを渡してなるものか。

 

 ざまぁみろ、とレフィーヤはガッツポーズをしてから、備品倉庫から出てくる二人と出くわさないよう、急ぎ足でその場を離れた。

 

 (ふふ…残念でしたね、ハムザ。誰だか知らないけど、私のアイズさんに手を出すなんて百年早いです。ふふ…)

 

 数段飛ばしで勢いよく階段を下りると、応接間では見知らぬ女神とその眷属と思しき小人族の少女が、愉快そうにロキと酒を飲んでいた。

 

 「おー!なんや、レフィーヤ、珍しいやん!お勉強はもうええんか?ほな、一緒に飲も!ほらほらー!」

 

 見知らぬ女神と目が合った。白銀色の髪の毛がさらさらと揺れている。まさしく、神の美貌だ。だが女神が持つ雰囲気は柔和で、それでいて気さくだった。

 

 「ほれ、エルフの少女ちゃん。お前も飲め。神酒だぞ?極上の味じゃ」

 

 「え、えっと、私はその、エルフなので。お酒は飲まないんです。それよりご挨拶が遅れました。私、レフィーヤ・ウィリディスと申します。えっと、そちらは…」

 

 「なんやー!!レフィーヤたん、律儀~!こんなぐうたらアホ女神に挨拶なんかせんでええのに!生真面目なエルフ、萌えやわ~ほんま!」

 

 女神は「うるさいなぁ」と言ってロキを小突いた。小人族の少女はちょこんと座り、二人に酌をしながら成り行きを見守っているようだ。

 

 「私はテルクシノエじゃ。テルクシノエ・ファミリアをよろしく」

 

 差し出された手を握り、握手をした。

 

 暫くの間女神との歓談を聞いていると、見たことのない男性のヒューマンとアイズがやって来る。レフィーヤがこの男が先ほどの変態だと直感した。

 

 「なんじゃ、もう終わったのか?というより、始まらなかったのか。そりゃ、お前自身に課された呪いを忘れてはいかん」

 

 「…うむ。まぁ、また別の機会に、だな…」

 

 「なんやぁ、元気ないなぁボクぅ!ま、酒でも飲んで嫌な事は忘れよーや!」

 

 (この男が…私のアイズさんを。ふんっ、何の取り柄もなさそうな、軟弱者ね)

 

 次から次へと、女神たちの口からしょうもない言葉が飛び交う中、子は子どうしで話をしようと思ったのか、小人族の少女がレフィーヤに声を掛ける。

 

 「あの、私はリリルカ・アーデと申します。この度は本拠(ホーム)にお邪魔してしまい、申し訳ありません。レフィーヤ様、でしたね?よかったら、おつまみをどうぞ」

 

 行儀よく丁寧な挨拶をされれば、例えそれが不埒者の知り合いだからと言っても黙っているわけにはいかない。簡単な挨拶を交わしてから、手渡されたおつまみを頬張る。そしてレフィーヤは、機が熟した頃合いを見計らってハムザを睨みつけた。

 

 「…ハムザさん、でしたね。それとアイズさん。さっきまでどこに行ってたんですか?」

 

 アイズは赤面して沈黙し、ハムザは「まぁ、あちこちに」と適当に答えた。

 

 すかさずリリが突っ込みを入れる。

 

 「答えになっておりませんよ、ハムザさま」

  

 「うるさい。それよりエルフのレフィーヤちゃん。君は滅茶苦茶かわいいな。どうだ、今度俺と一緒にオラリオの風俗を研究しに行かないか」

 

 (は、はぁぁあ!?この男、アイズさんの前で私をデートに誘うって、一体どんなつもりなの…?)

 

 「え、えっと…考えておきます。それよりアイズさん、一緒に行ったらどうですか?」

 

 「わたし…?わたしは、いいよ。レフィーヤ、行ってきなよ」

 

 (ど、どういうことなんでしょう…二人は付き合ってない…?)

 

 ハムザの発言に振り回され思考が追い付かないレフィーヤは、「あはは」と空笑いをしてから適当にはぐらかした。それからすぐのことだった。

 

 リヴェリアがもう遅いからお客には早く帰って貰った方が良いとロキに忠告をし、【テルクシノエ・ファミリア】の団員たちはしぶしぶと宴を切り上げて帰っていった。

 

 レフィーヤが耳にした彼らに関する情報に、有益なものは殆どなかった。彼らは新興派閥で、団長であるハムザでもまだ駆け出しの新人。当然のことながら、Lv.1だ。【ロキ・ファミリア】にとってみれば他愛もない程の弱小ファミリア。

 

 だが天界での親交から、ロキは女神テルクシノエに対して援助をするつもりらしい。

 

 分かった事はそれくらいだった。

 

 レフィーヤにとって本当に知りたい情報を握るの者は、紛れもなくアイズ・ヴァレンシュタインだけだ。彼女にハムザという名の変態冒険者との関係を聞いてみない事には、自分はとても前に進めそうもない。

 

 だから宴会が終わってそれぞれが部屋に戻る際、レフィーヤはアイズを捕まえた。

 

 「あの、アイズさん!」

 

 「……?レフィーヤ、どうしたの?」

 

 「その、聞きにくい事なんですが…。あの、アイズさんはハムザという冒険者と付き合っているんですか?」

 

 率直な質問だった。そうだ、と言われれば失恋の瞬間だ。しかし、レフィーヤには確信があった。二人の間に、愛情なんていうものはない。

 

 (そうです…。あるとすればむしろ、私とアイズさんとの間に違いないんです…!)

 

 「付き合って、ないよ。…どうして聞くの?」

 

 レフィーヤは大きくガッツポーズをして跳ねた。アイズの目の前だったが、そんな事は関係なかった。ただ、嬉しくて仕方がなかったのだ。

 

 「そうなんですねっ!安心しました。あんな変態の隣にいたのでは、アイズさんの格が落ちてしまいますから…ふふっ」

 

 満面の笑みを向けるレフィーヤにやや戸惑いながらも、アイズは逡巡して言った。言うべきではない、と思っていたことを、純真なレフィーヤを前に心が隠し切れなかった。

 

 「えっと…ハムザは、特別なスキルを持ってるの。彼とセックスすると、強くなれるんだよ。だから私、してみたいな…って思った」

 

 「えぇっ!?」

 

 まるで青天の霹靂だ。そんなスキルがあるなんて聞いたことがない。騙されているのではないかとレフィーヤは言ったが、アイズはロキからのお墨付きであることを告げた。つまり、そのスキルの存在は事実。そして性交渉をロキが容認していることも…。

 

 「そ、それじゃあ…アイズさん、それって体だけの関係っていう事ですか…!?」

 

 「…うん、そうなる、かな…。でも、ロキだって言ってたよ。今じゃ、みんな当たり前みたいにしてる、って…」

 

 そしてレフィーヤは爆発した。

 

 「あんな神様の言うことを鵜呑みにしてはいけません、アイズさん!アイズさんは純潔で、気高く理知的な女性でなくてはいけないんです!体だけの関係で男に弄ばれるなんてことは、アイズ・ヴァレンシュタインにはぜっったいにあってはいけません!」

 

 「え、えっと…」

 

 興奮してまくし立てられたアイズはどうしていいか分からず、レフィーヤをなだめることも出来なかった。仕方がなく、少女に問いかけた。

 

 「じゃあ、レフィーヤだったら、どうする…?」

 

 「え…?」

 

 「もし精液を飲むだけでランクアップできるなら、当然飲む、よね…?」

 

 「の、飲みません!私は全然そんな変態なんかじゃありません!」

 

 「そう…」

 

 「…あっ。今のは、その、忘れて下さい…」

 

 レフィーヤの発言に対し、アイズの目は曇った。少女と少女の心が通わなかった瞬間だ。

 

 もし心にひびが入る音が聞こえたなら、間違いなくこの時、二人の心から聞こえてきただろう。

 

 どちらも悲し気な目をしながら、俯いた。少しの沈黙が流れ、アイズは顔を上げた。

 

 「それじゃあ、おやすみ…」

 

 背を向け去って行くアイズの後姿を、レフィーヤはただ震えながら見送っていた。

 

 ●

 

 「それで結局だめだったんですね、ヴァレンシュタイン様とは」

 

 「まぁ、罰則のせいでな。好感度MAXだったから、そのうちやれるだろ。それよりあのエルフだ。レフィーヤちゃん、悪くない。ツンデレエルフは俺の大好物だ」

 

 テルクシノエの姿はそこにはなかった。リリとハムザは二人してじゃが丸クンを片手に、夜のオラリオを歩いている。呑気なハムザに対し、リリは憔悴しきった様子でとぼとぼと歩く。

 

 無理もない、昨晩まで【ソーマ・ファミリア】でほぼ奴隷のような日々を過ごしてきた少女が、次の日には超エリート集団の【ロキ・ファミリア】での宴に参加するなんて。

 

 飛べない豚が、急に飛べる豚たちの集会に出るようなものだ。自分は飛べないままなのに、空の心地よさとか、遥か彼方の雨雲の匂いなどに話を合わせ続けなければならない。自分は土の香りしか知らないと言うのに。

 

 「はぁ…リリは疲れました。なんですか、50階層までは余裕、その先もアイズ達なら余裕、挙句の果てには階層主もソロで余裕、だなんて!あり得ませんよ、あの人たちは怪物です。同じ生き物ではありません」

 

 「そうかぁ?それよりリリ、ちゃんとアイズちゃんの姿を焼き付けておいたな?」

 

 慣れぬ場での気苦労も然ることながら、リリはハムザに言い付けられた『任務』に対しても気を配らなければならなかった。

 

  「はい、ハムザさま。それはもうくっきりと思い出せますよ。一、煌びやかな金髪。二、輝く大きな金眼。三、小さな唇ふたつ。四、まっすぐ伸びた、高い鼻。五、抜群に艶やかで赤みを帯びた頬」

 

 「上出来だ」

 

 ハムザは満足気に、リリに頷いた。

 

 「本当に、うまくいくのですか?リリは殺されませんか?」

 

 「大丈夫、大丈夫。あのレフィーヤちゃんは間違いなくアイズちゃんに首ったけだ。彼女の言うことなら何でも聞く」

 

 「…それで私がアイズ・ヴァレンシュタインに変身して、レフィーヤさんを説得するのは分かりました。でも具体的には、どうしたらいいですか?」

 

 「簡単なことだ」

 

 ジャガ丸くんを頬張りながら、ハムザは自信満々に、はっきりと言った。

 

 「お前が明日ロキ・ファミリアに侵入して、偽アイズからのメモをレフィーヤに渡せ。そうしてツンデレエルフを呼び出して、アイズに変身したお前とのセクロスを見せる。そしてお前がこう言うのだ。レフィーヤもハムザ様に中出しセクロスしてもらわないと、駄目だよ?ってな」

 

 リリにはどうしてもうまくいくとは思えない計画だった。しかし、テルクシノエが【ソーマ・ファミリア】を乗っ取る事に成功したこともあり、ハムザは「今度は俺がロキ・ファミリアを乗っ取る」と気炎を上げている。

 

 「ツンデレエルフは乗っ取り計画の第一段階だ。次なるターゲットはアイズちゃん、リヴェリアちゃんだ。そいつらを手籠めにしてから、隙を見て主神を強奪する。恩恵(ファルナ)を封じさせてから団長を刺して終いだ。ふふ…やる気出てきた」

 

 「…テルクシノエ様は、リリがいよいよ危なくなったら、絶対助けて下さるでしょうか?」

 

 「奴ならこう言うだろう。『まぁ頑張れ』ってな」

 

 「それ、絶対助けてくれませんよね…」

 

 こうしてリリの【テルクシノエ・ファミリア】としての一日は、始終不安に包まれたまま過ぎていった。

 

 

 一方、黄昏の館では女神どうしの密会が行われていた。三人はリヴェリアに促され一緒に本拠地を出たが、見送りの際ロキがテルクシノエを引き留めたのだ。

 

 二人の女神は裏庭のベンチに腰掛け、魔石灯の下で怪しく微笑み合っている。

 

 「それが、ウチの計画や。この所、どうも胡散臭い連中が増えとってなぁ。次の遠征までには、色々と片を付けておきたい、っちゅーわけや」

 

 「なるほどなぁ、しかし本当に良いのか?奴に手を出せば、相当掻きまわされるだろう。お前の子供達は」

 

 ロキは口端を釣り上げ邪悪に微笑んだ。

 

 「かまへん、かまへん。ウチのファミリアを何だと思ってる。新種だろうが怪人(クリーチャー)だろうがどんと来いや。奴らにとって絶対に負けるしかない戦いが、そこにはあるんやでー?盤石に盤石を重ねてなぁ、激辛流の戦いを見せたる!」

 

 「それなら…まぁ、様子を見るとするか。私はもう帰る。おやすみじゃ、ロキ」

 

 「おー、おやすみぃー。ところでええんか?ほんまに、神酒の代金もらわんで」

 

 テルクシノエは優しく微笑んだ。子には見せない、女神の笑顔。それは親としてはなく、一人の女性として、気の合う友人に見せる笑顔だった。

 

 「構わん。こちらも世話になるからな。それじゃあ、またな」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 ―変身―

 昨晩素直になれなかったことを、レフィーヤは後悔していた。眠れぬ夜を過ごしているのは、きっとそのためだろう。

 

 同部屋で寝ている団員の寝息が聞こえてくる。空はようやく青白く輝き始めている。そう、ようやくだ。

 

 机に置かれた小型魔石灯を灯しながら、ひたすら魔導書に没頭し続ける。邪念を払うが如く、ただ魔法の上達だけに意識を割く。しかし、当然のようにアイズに対する様々な感情が頭に侵入し、レフィーヤの心を乱した。

 

 「むむむ…」

 

 何度目の中断だろうか。レフィーヤは静かに引き出しを開け、一冊のノートを取り出した。

 

 そのノートは、絶対に他人には見られてはいけないものだった。日記帳、とでも言うのだろうか。それを開き、心が叫ぶままに筆を走らせる。そうすることで魔法書に没頭するだけの精神力が、再び戻って来るのだった。

 

 しばらくすると、空は明るさをすっかり取り戻していた。鳥の鳴き声が中庭に響き始める。もう朝だ。他の団員も起きて来ることだろう。レフィーヤは例の日記帳を引き出しにしまい、しっかりと鍵を掛けてから魔法書を持って部屋を出た。

 

 食堂は、まだ朝食の準備が出来ておらず、空っぽだった。仕方ないので共有広間にある柔らかいカウチの上で一休みしようと思い、渡り廊下を歩いて行き、共有部屋に入る。

 

 するとそのカウチは既に、リヴェリアによって占領されていた。

 

 「なんだ、レフィーヤか。朝早くから書物を持って勉強か?関心だな」

 

 リヴェリアは腰を上げ、レフィーヤにカウチに座るよう目で合図した。一度は拒んだものの、「どうせ碌に休んでいないのだろう」と説得され、仕方なくそれに従った。

 

 「リヴェリア様もお早いですね。朝食まで、まだ数時間は掛かりそうでしたから、ここでちょっと休憩しようと思っていました」

 

 「そうだな。私も同じだ。昨晩、『黒き森の歴史』を読みすぎたせいで、すっかり寝る機会を失ってしまったんだ。レフィーヤはもう読んだか?ダークエルフとエルフの確執を正しく理解するには、あの書は必須だ」

 

 「いいえ、私はまだ…」

 

 「ふふ…。どうした、何か思い悩む事でもあったか?」

 

 王族であるリヴェリアを前に、頭など上がるはずもない。ましてや、自分ごときエルフの小さな悩みで彼女を煩わせるわけにもいかない。しかし、嘘を吐くなど以ての外だ。レフィーヤは数ある悩みの中から一つを選んで、打ち明けた。

 

 「実は…昨晩アイズさんと少しだけ話をして…。その、リヴェリア様は知っていますか?ハムザという冒険者のスキルの事を」

 

 「あぁ…あの男か」

 

 リヴェリアが頭を抱えてため息を吐いた。こんなに困った表情のリヴェリアを見るのは、これが初めてだった。

 

 「え、えっとリヴェリア様、そんなに不味い質問でしたか?」

 

 「あぁ、そうだな。実はフィンやガレスとも相談していたのだが、ロキの対応とあのテルクシノエ・ファミリアの団員には、正直言って心底辟易している」

 

 あの公明正大なリヴェリアにここまで言わせる程だ、きっとあの冒険者はまた余計な事をしたに違いない。アイズさんの時と同じように。

 

 「いいか、レフィーヤ。余計なお世話かも知れんが、一応言っておく。決して奴のスキルに惑わされて体を許してはならんぞ。この事は昨夜さんざんアイズにも言っておいた。我々は誇り高き冒険者だ。強さと引き換えに娼婦の真似事など、似つかわしくない」

 

 「はい、リヴェリア様。努力を対価にする事でしか、本当の強さは得られません。アイズさんには…その、私からも気を付けるように言っておきます。昨夜は、例のハムザという男と物置部屋で二人っきりだったようですから…」

 

 「わかっているなら、いいんだ。説教臭いことを言ってすまなかったな」

 

 「いいえ…私も、実は少しだけ揺れていました。でもリヴェリア様に背中を押して貰えた事で、今ならはっきりと正しい心で考えられます。ありがとうございます」

 

 ぺこり、とお辞儀をするとリヴェリアは気を遣ってか部屋から出て行った。柔らかいカウチに横になり、レフィーヤは少しだけ目を閉じる。

 

 しばらく休んでから元気を取り戻したら、しっかりと並行詠唱の訓練を続け、魔法の勉強も欠かさずこなすなければならない。

 

 次の遠征では、もう足手まといになんてなりたくない。ファミリアのみんなを助けられる心と力が欲しい。

 

 (私は、強くなりたい…)

 

 気づかぬうちに、彼女は眠りについていた。

 

 

 それからアイズが部屋にやってきて、すやすやと寝息を立てて眠るレフィーヤの隣に腰を掛けた。

 

 朝まだきに、欠かさず行う早朝の素振りを終えて彼女は共同広間にやって来たのだが、この時間にリヴェリア以外の団員と出くわすのは珍しいことだった。

 

 少女の手から、どさりと大きな書物が床に落ちる。起こさないよう、アイズは小さな声で呟いた。

 

 「そっか…。レフィーヤは、頑張ってるんだね」

 

 かくいう自分も、昨晩まともな睡眠を取れず、居ても立っても居られずに暗いうちから訓練に飛び出した。昨夜リヴェリアに言われた事を自分自身で消化するために頭を精一杯使ったせいで、すっかり目が覚めてしまっていたからだ。

 

 リヴェリアは言った。

 

 『相手が自分を愛しているという確証がないのならば、決して体を許すな』

 

 『強さと引き換えに心を売ってしまったら、二度と殻は破れなくなるだろう』

 

 『本当の強さとは、真実にのみ宿る。弛まぬ努力、真の愛と言った確かな物でしか、人は強くなれん』

 

 アイズにとって、これらは未知の世界からの言葉のようだった。

 

 理解は出来る。だが、納得は出来ない。そう言った類の言葉はすうっと体の中に入ってきてから、体内の全細胞によって叩きのめされ、外へ放り出されてしまう程の受け入れがたい言葉だった。

 

 自分がいつも辛い鍛錬に身を置き続けるのは、ただそれが好きなだけではない。強くなりたいという強烈な願望を満たすため、一時の不便を受け入れているに過ぎない。

 

 端的に言えば、不自由を受け入れるのは更なる自由のためだ。艱難に耐えるのはより大きな快楽のためだ。自分が今まで経験してきたもの…器の昇華、難敵の打破、未開領域の開拓。これらの偉業の影には、常に喜びがあった。達成感、というやつだろうか。強くなるという欲求を一つ一つ満たしていくことが、目標をかなえていくことが楽しかった。理想の自分に近づけている実感が出来て、嬉しかった。

 

 それにも関わらず、今も心に抱き続ける『強くなりたい』という欲望は、未だ望みを叶えろと声高に叫んでいる。つまるところ、自分はまだまだ満足していないのだ。

 

 強くなるためには何だってしてやろう。無理難題に挑むのはもう慣れっこだ。例え今回の試練が今までとはベクトルの違うもの、つまり『性的な試練』だったとしても、アイズ・ヴァレンシュタインならやってのけるはずだ。

 

 貞操を捧げようが、娼婦のような身に落ちようが、強くなれるのなら心を売ったっていい。今まで自分はそのように考えていたのだった。

 

 だが、師であり親のような存在であるリヴェリアは、そういった論理を受け付けない。『そんな事をしてみろ、お前はすぐに勘当だ』と言われるのが常だった。

 

 だから昨晩、アイズは精一杯考えた。しかし、結果は同じだ。答えが変わる筈もなかった。ただ、完全なる無駄骨だったという訳でもない。

 

 ハムザとはセックスをしてはいけない。しかし、強さの源であるハムザの精液を貰い飲んでみるだけなら、誰も文句は言えないはずだ。そしてもし本当に彼が自分を愛していて、生涯を通じて苦楽を共にする伴侶となる覚悟があるのなら…その時は自分が彼と何をしたって、誰にも文句は言わせない。

 

 近いうちに、暇を見つけて一度彼らを訪ねてみよう。アイズは何度も小さく頷きながら部屋を出た。

 

 

 【ロキ・ファミリア】の侵入者は、夜中からずっと茂みに隠れ続けていた。警備兵の目を搔い潜り高い塀を越え、植え込みに小さな身を隠し、潜伏を続けていた。少女の顔付きは疲れ果てており、時折体を這う虫を払いながら、もう何時間も緊張と戦っていた。

 

 それもそのはず、誰もが寝静まるような時間帯であっても、【ロキ・ファミリア】の城砦、〈黄昏の館〉には常に人影がちらついていたからだ。

 

 「全く…警戒心が異常なくらい高いですね。これほどの実力者が揃う派閥なら、侵入者なんて絶対に来る訳ないじゃありませんか」

 

 そう言ってすぐに自嘲する。自分がいるではないか。命知らずの侵入者だ。見つかれば即刻処刑されるだろう。まさか『たまたま窓が開いていたので』だとか『ちょっと鋏を借りに来ただけですよ』などの言い訳が通用する訳がない。

 

 しかし団長ハムザからの命令は、確実に遂行したい。いや、しなければならない。

 

 今のファミリアの将来に不安はあるものの、一度決めたことだ。最後までやり通してやろうという根性が、今の彼女には備わっていた。

 

 リリは誰もいなくなり、レフィーヤだけが取り残された広間に侵入する手段を探る。

 

 (…硝子を破る訳にはいきませんね、音ですぐに人が来るでしょう)

 

 階上を見上げても、とてもジャンプして届く高さではないことは明白だ。近くの窓からの侵入も、誰かと遭遇しないとも限らない。あまりに危険すぎる。

 

 (となれば残された手は…)

 

 正面突破だ。

 

 正々堂々と【ロキ・ファミリア】の正面玄関から館へ入る。自分にしか出来ない芸当だ。

 

 (今の時間、絶対に内部で鉢合わせすることがない人物は、一人しかいませんね)

 

 広間で寝息を立てているレフィーヤに変身すれば、適当な理由を付けて玄関を開けてもらえるだろう。誰かと鉢合わせても、適当に会話を合わせてからさっさと立ち去るだけだ。何度も何度も行ってきた変身による偵察だ。そのことに特に問題はない。

 

 問題があるとすれば——。

 

 「たったの一度、数十分しか顔を合わせていない人間に化けるなんてことは、今までで一度もありませんでした」

 

 リリの変身魔法、【シンダーエラ】は詠唱時の想像力によって成功確率が変わってくる。馴染みの相手であればほぼ百パーセント成功するだろうが、姿を思い浮かべることに苦労する相手が対象の場合、失敗(ファンブル)の恐れもある。

 

 (なるようになれ、ですっ!)

 

 【貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの】

 

 「シンダー・エラ!」

 

 体が光に包まれてから一瞬のうちにリリは変身した。硝子に姿を映し確認するが、問題はない。

 

 「…これなら上出来です」

 

 

 

 「おや?レフィーヤさん。こんな朝まで装備も持たずにどこへ行っていたのですか?」

 

 「おい、野暮な事聞くんじゃねぇよ。うちの次期エースだぜ。遠征前にハメ外したって、誰も文句を言うべきじゃねぇ」

 

 「はは、違いないな。失礼しました。どうぞ、おかえりなさい。我が本拠(ホーム)へ」

 

 正面玄関に配置された守衛たちは笑い合いながら扉を開けた。

 

 ここに来るのは二度目だ。一度目は今から十数時間前。まさかこんなに早く二度目が訪れるとは思わなかったが、人生は予期せぬ出来事の連続だ。これくらい、何のことはない。

 

 自分にそう言い聞かせ、震える足を運んでいく。

 

 (えーっと…団員の共有広間はあっちの方角だから、渡り廊下を一度渡らなければいけませんかね)

 

 幸い団員の姿は見られない。ほっと胸を撫で下ろしながら進んで行くと、渡り廊下の向こうから人影が歩いてくる。

 

 「おや、レフィーヤじゃないか。おはよう、調子はどうだい?」

 

 (げっ…この人って、まさか…)

 

 「お、おはようございます。フィン・ディムナ様」

 

 「ははは、やけに畏まった挨拶だね。いつも通りでいいんだよ、レフィーヤ。しかし丁度良かった、君を探していたんだ」

 

 (探していた?ま、まずいです…よりによってここの団長と会うなんて…いけません、心臓の音が聞こえてしまいますっ…!)

 

 「ど、どうした、フィン?」

 

 「ンー?今度は急にくだけたね。まぁいい、レフィーヤ。あのハムザという冒険者についてなんだけど…」

 

 「ハ、ハムザですか」

 

 「あぁ、リヴェリアから何か聞いてるかも知れないけど、僕としてはロキの方針に賛成だよ。強くなるために手段を選んでいる状況じゃない。怪人(クリーチャー)の件もあるし、深層で起こっている事も気になる。今は出来るだけ戦力を充実させておきたいんだ。ヘファイストス・ファミリアを次回の遠征に組み込むのも、万全を期すためには必要なことなんだ」

 

 「そ、そうですよね。強くなるために手段を選んでいる場合ではありませんよね」

 

 「その通りだ。それでもファミリアの風紀が乱れる事は危惧している。だからくれぐれも、彼にお熱を上げ過ぎてこちらの活動が疎かになるような事には気を付けてくれ。もっとも、強い男がモテるのは仕方ないって、十分理解しているつもりなんだけどね。おっと、嫌味じゃないよ。こう見えても僕のもう一つの野望に関しては、まるで進んでいないんだ」

 

 「も、もう一つの野望…。えっと、世界平和、でしたっけ?」

 

 「ははは、冗談が上手くなったね、レフィーヤ。もちろんそれもある。だけど僕の場合はお嫁さんさ。はやく子供を作って、小人族(パルゥム)達の希望になりたいんだ。彼らを照らす道しるべにね。それは分かってるんだけど、どうも女性に関してはうまくいかなくてね。迷宮に潜っている方がしっくりくるんだよ、僕は」

 

 「そ、そうですか…。でも、フィン様はハムザ様よりも知的で、勇敢で、とっても素敵です。私がもし選ぶ立場にあったなら、絶対にフィン様を支持します。だって、私たちの…いや、えっと、フィン様は小人族(パルゥム)の誇りそのものですから」

 

 「そう思うかい?はは、意外だね。レフィーヤからそんな誉め言葉を貰えるなんて。まぁ、必要な事は話したよ。僕は出かけてくるから、アイズたちによろしく頼むよ」

 

 「は、はいっ。それではフィン様、お気をつけて」

 

 (…い、行った。あぁ、話してしまいました…フィン・ディムナと!)

 

 リリは興奮していた。一族の希望、【勇者(ブレイバー)】、フィン・ディムナ。オラリオ屈指の冒険者であり、彼の上を行くのは【フレイヤ・ファミリア】のオッタルのみ。そのオッタルがほぼ休業中な事を踏まえると、現役では事実上の頂点だ。

 

 そんな雲上人と、自分が会話をしてしまった。しかし、浮かれている場合ではない。目的を遂行しなければ。

 

 リリは急いで広間へ入り、いまだ本物のレフィーヤが寝息を立てているのを見て一安心した。

 

 (あとは…このメモを置いておくだけで、おしまいですね)

 

ポケットから紙切れを取り出し、リリはさっさと部屋を出ようとした。しかし毛布も掛けずにカウチで眠っているレフィーヤが少し可哀そうになり、広間の戸棚を片っ端から開けて毛布を探し出し、彼女に掛けてやった。

 

 「…これは無断で変身してしまった事へのお詫びでもあります…。それでは、おやすみなさい」

 

 そう言い残してリリはばたんと扉を閉めた。

 

 「む、むにゃあ…アイズさぁ~ん…」

 

 レフィーヤの寝言が、無人の広間でこぼれた。

 

 ●

 

 「ふっ…!」

 

 ナイフを握りしめ、細かいステップを刻みながら空を斬る。何度も何度も、実直に繰り返される反復練習。

 

 こちらにも、夜明けを待たずに訓練を開始していた生真面目な冒険者が一人。

 

 ベル・クラネルは三週間前に初めて【恩恵(ファルナ)】を与えられた、Lv.1の新米冒険者だ。

 

 この場面を見守る師匠がいたのであれば、彼の拙いナイフ捌きに檄を飛ばしていた事だろう。だが、まだ夜も明け遣らぬこの公園で彼以外にいる者と言えば、酔い潰れて寝っ転がっている飲んだくれか、公園を家代わりにして暮らしているホームレスくらいだった。

 

 「なんだぁ、あのガキ。また来てやがる。畜生、さっさとモンスターにやられちまえ。こっちはゆっくり眠れもしねぇ」

 

 「ぐごー…。エルフのパンティ、くんかくんかしてみたいのう…ぐうー。もう、テキーラは飲めません…堪忍してくれぇ…」

 

 

 一通り素振りを行ってからは、基礎体力の訓練。木の枝にぶら下がって懸垂をしたりしたり、砂埃を浴びながら腕立て伏せを繰り返したり、ベルの訓練は日夜を問わず行われ続けていた。

 

 「ふぅ…でも、これだけ訓練を続けても…」

 

 一向に強くなる気配がなかった。繰り返される筋力トレーニングや、迷宮での実践。それらを愚直なまでに繰り返してきて、力の能力値が三週間で4上がった。他の能力値は一切変化がない。

 

 たかが4、されど4。

 

 「神様はそう言うけど…これってつまり、進歩が遅いってことだよね…」

 

 無理もない。ベルが比べる相手は、ハムザ・スムルトだ。同時期に冒険者稼業を始めたいわばライバルだったが、彼は既に9階層まで踏破しているらしい。

 

 自分はと言えば、いまだ1階層でコボルトを相手に大苦戦する始末だ。まるで天と地の差だ。

 

 稼ぎが悪いせいで神様に不便な思いをさせている現状には、正直恥じ入る思いがする。

 

 しかし努力なら続けている。胸を張れるくらい、歯を食いしばって頑張っている。

 

 「今日はそろそろ切り上げないと…神様の朝ごはんを買って、帰ろうかな」

 

 それでもオラリオは、そんなに甘くはなかった。

 

 ただ、それだけの事だ。

 

 

 

 「ふふふ…。また頑張っているわ。透明な、美しい魂を持った彼が…。いやね、朝から疼いてきちゃう」

 

 オラリオの中心、天蓋を貫くバベルの最上階。その女神は神の眼を以て少年を見つめ続けていた。朝日を一身に浴びて愉悦を漏らす女神の表情は、極上の葡萄酒にも作り出す事は出来ない程に恍惚としている。

 

 美の女神、フレイヤ。

 

 【ロキ・ファミリア】と双璧をなす、もう一つの最強派閥、【フレイヤ・ファミリア】の主神である彼女はとある少年に目を付けていた。

 

 純白でも、漆黒でもない。その中間でもなく、ましてやその他どの色にも染まっていない、限りない透明色。それは今まで何万年と眷属を見守り続けていた神の一柱にとって、衝撃の色だった。

 

 きっかけは、街で走る彼をたまたま目にした時だった。その彼が【ヘスティア・ファミリア】という弱小派閥の団員だと知ってから、彼を〈魅了〉してしまいたい衝動に何度襲われた事だろう。その度に従者を務めるオッタルは女神の昂りを鎮めた。

 

 そして今朝もまた、その衝動に駆られている。いっそのこと、手中に収めてしまおうか。激情に身を任せ、彼を我がものとしてしまおうか。

 

 しかし、だ。

 

 女神の目が曇る。

 

 「どうしていつも、邪魔されちゃうのかしら?」

 

 そうだ。〈怪物祭〉の時も、本来であればあの少年が解き放たれた怪物と戦う筈だったのに。

 

 フレイヤはモンスターに下した命令を思い出す。

 

 『小さな女神(わたし)を追いかけて?』

 

 怪物は、間違ってはいなかった。結果的にあの女神ヘスティアではなく、憎い女神テルクシノエを追いかけたのだから。

 

 そのせいでベルと怪物を戦わせる計画は失敗し、代わりにハムザという青年があのシルバーバックを打ち倒してしまった。

 

 それだけではない。

 

 少年の手助けになればと思い、わざと『豊穣の女主人』に置いてきた魔導書(グリモア)も、いつの間にかハムザによって奪われてしまっていたようだ。

 

 女神の直感は告げていた。あの男、この先も邪魔をし続けるに違いない、と。

 

 「…オッタル」

 

 「はっ…」

 

 女神が振り向いた先には、部屋の片隅で佇む猪人ボアズの男、単騎の実力だけで言えばオラリオ最強のLv.7、【猛者(おうじゃ)】オッタルが控えている。

 

 「あなたなら、どうする?透明な彼の愛を得るには、邪魔者は消した方がいいかしら?」

 

 武人然とした彼は、平坦な口調でただ事実のみを述べていく。

 

 「今までもこれからも、神々の予想を裏切るのは英雄と呼ばれる者だけでしょう」

 

 「それは、邪魔者の方が素質があるということかしら?」

 

 「現状では、そう考えるのが妥当かと」

 

 「正直ね、オッタル。それはそうかもしれない。…でもこれ以上邪魔をされるのは、ごめんだわ」

 

 巌のような従者は再び口を開く。その口調は確信に満ちており、何をも寄せ付けぬ迫力が備わっている。

 

 「男は自信によって生まれ変わるものです。彼が抱える競争心を煽り、因縁を乗り越える事が出来れば、自ずと邪魔者は消えるものかと」

 

 「それはつまり…あの少年に強くなれ、と?彼が強くなれば、邪魔者を跳ねのけるだけの力が身に付く。そう言いたいのよね?」

 

 「私はそのように考えます」

 

 女神は「そう…」と言い残し、物思いに耽る。オラリオの日差しは上へ上へと昇り続け、部屋は煌びやかな朝日に包まれていく。

 

 「任せるわ、オッタル。貴方の方が得意でしょう?」

 

 「滅相もございません。ですが、必ずやご期待に添えることでしょう」

 

 「うふふ…。何をやらかそうって言うの?」

 

 オッタルの口元が、僅かに緩んだ。剛毅なる武人が、笑みを浮かべている。

 

 「彼らに決闘をさせましょう。その敗者には屈辱を、勝者には栄誉と更なる試練を与えましょう」

 

 従者の提案は女神に大いなる歓喜を与えた。猛り狂う程の愛情が求めるのは、極限に追い込まれた魂が見せる、嬋娟たる光の迸発か。

 

 女神は頬を紅潮させ、恍惚の表情で彼方を見つめた。少年が居た、その場所を。

 

 あの子の激しい輝きを、もっと見てみたい。生死の間際で散らす子供達の火花を。女神の倒錯した愛情は、仮に少年が命を落とそうとも意に介す事はないだろう。

 

 その時は、冥府の彼方だろうが、天界の楽園だろうがどこまでも追いかけていき、この手で抱擁してあげよう。それが、女神(わたし)の愛だ。

 

 「オッタル」

 

 「はっ…」

 

 「鎮めなさい」

 

 従者は膨張した股間を露にし、艶やかに色気を振り撒く女神と番った。

 

 

 

 

 

 その頃、リリは本拠(ホーム)に帰った。テント内では、昨日と同じように主神と団長が寝息を立てている。

 

 「はぁ…。皆頑張ってるというのに、この人たちはお気楽すぎますよ」

 

 本当に理不尽な世の中だ。

 

 勤勉な冒険者が道半ばで斃れ、怠け者がただ性交をするだけで伸し上がっていく。

 

 本当に、残念な世界だ。

 

 珈琲製作機(コーヒーメーカー)のスイッチを入れ、リリは彼らが起きるのを待っているのだった。

 

  

 

 ●

 

 今日は快晴。何と愉快な昼下がりだろう。小さな紙切れを握りしめながらメインストリートを歩いて行くレフィーヤは、時折スキップを交えながらそこら中に笑顔をばら撒いている。

 

 往来ではすれ違う人々、あらゆる種族の男性が、そのようにして魅力を振り撒くエルフの少女に、何度も振り返りながら卑猥な視線を送る。

 

 そんな彼らの心の叫びは、今のレフィーヤには届かない。仮に紳士たちが『ヤリてぇ』だの『いいケツしてやがる』だの、挙句の果てにはラッキースケベを求めて彼女の体にわざとぶつかって来ても、彼らは張り手の一つですら頂戴することはないだろう。

 

 (ふふふ…。アイズさんから呼び出しだなんて、今日は最高の日になる予感ですっ♪)

 

 完全な幸福に包まれた状態の人は、例え腕に蚊が止まろうと、日に焼かれようと、雨に濡れようと決して心は乱されない。

 

 だから今のレフィーヤも、ちらほらとスケベな視線を浴びせる変態共とすれ違っても、『まぁ、今日は良いお天気ですから』といって全く意に介さないのだ。

 

 仮眠から目覚めた時に置かれていた紙切れには、こう書かれていた。

 

 『レフィーヤへ。今日のお昼過ぎ、ここの住所で待っています。第三区画、クルバ通り42。アイズより』

 

 南東のメインストリートを下り、既に第三区画には着いている。しかしそこで一度、レフィーヤは足を止めた。

 

 「ここって…歓楽街?」

 

 指定された住所は予想外の場所にあった。アイズがこの場所を指定してくると言う事にどんな意味があるのかと、レフィーヤは考えた。

 

 「一番ありそうなのは、人目につかない場所で二人きりになってむふふな事を楽しむ、っていうところでしょうね…」

 

 だらしのない笑みで整った相貌をふにゃふにゃにして、レフィーヤは通りを歩いて行く。

 

 (えーと、あそこがクルバ通りの40だから、ここがきっと…あれ?)

 

 何でもない歓楽街の裏道の奥に、五人くらいは収まりそうな中型のテントが置かれている。

 

 Lv.3の聴覚が、その内部から漏れる憧憬の剣士アイズの声を拾った。

 

 「ア、アイズさんがこの中にっ…!?」

 

 入口の扉は木製のフレームで作られており、その粗末な出来からか完全に閉まらなくなっているようだ。これなら、一般人の聴覚でも容易に中の様子を探ることが出来るだろう。

 

 嬌声を上げる男女の荒い息遣いが聞こえてくる。またか、とレフィーヤは唇を噛んだ。

 

 頭を過るのは昨晩の出来事。物置部屋で行われていたアイズとハムザという変態男との情事だ。だが、アイズが自ら呼んだのだ。きっと何か特別な事情があるに違いないと思い、レフィーヤは扉に手を掛けた。

 

 「ご、ごめんくださ~い…」

 

 恐る恐る扉を開けると、彼女の予想通りアイズ・ヴァレンシュタインは服も纏わずに男の肉棒にむしゃぶりついている。

 

 「ア、アイズさんっ!何をしているんですか…っ!」

 

 レフィーヤは堪らず近づいていき、アイズを男の股間から引きはがそうとするが、背後から何者かに肩を引っ張られ地面に転がった。

 

 「これ、よそのファミリアに入り込んできて、子供の楽しい時間を邪魔するとは何事じゃ」

 

 振り向くと、そこには女神テルクシノエが仁王立ちしている。レフィーヤはこの時理解した。ここは、彼らの本拠(ホーム)なのだ。

 

 「…ごめんなさい。私が呼びました」

 

 アイズはぺろりとそそり立つ肉棒を舐めてから、レフィーヤを見やった。エルフの少女は憧憬の先輩のあられもない姿と、その破廉恥極まりない行為にすっかり赤面し、狼狽えている。

 

 無理もないかと主神は思った。

 

 呼び出された場所が場所だ。歓楽街の裏通り、日夜仮初の情事が行われるその一画に紛れ込んだのは、道徳を重んじ、純潔を守りぬく事に誇りを見出すエルフという種族の少女だ。

 

 付け加えれば、そこで愛しのアイズが見知らぬ男の股間に奉仕している。

 

 仮にレフィーヤが男だったとしたら、その精神的ダメージは容易に推し量ることが出来るだろう。

 

 しかし彼女が女性だからといって、ショックがないということではない。寧ろ男性だった場合以上に驚いているに違いない。お互いを理解しあい、友人のような、姉妹のような関係を続けてきた間柄だ。ただの男女の繋がり以上に深く強い絆が、二人の間にはある筈なのだ。

 

 まぁ、目の前のアイズが偽物であることなど、今のレフィーヤには知る由もないのだが。

 

 「レフィーヤ…来たね」

 

 もじもじと指先を動かしながら、座り込んだ少女はこくりと頷いた。

 

 「…今日はどうしてもレフィーヤに伝えたいことがあって、呼んだの…」

 

 「伝えたいことって、何ですか…?」 

 

 誰より先に、男が口を開いた。

 

 「それはな、アイズちゃんは俺のオチンポに首ったけっていうことだ」

 

 「わ、私はアイズさんとお話してるんです!…それ、はやくしまってください」

 

 レフィーヤはバキバキに勃起したペニスを見て再び赤面した。だが、もう俯かない。いや、むしろ凝視しているようだ。ハムザは、エルフの少女が耳まで好奇心に染まっていくのを見た。

 

 「しまわん。それよりアイズちゃん、この変態エルフにさっさと説明してやれ」

 

 「へ、変態はあなたです。この変態っ!スケベっ!エロオヤジっ!」

 

 「レフィーヤ…落ち着いて。えっとね、レフィーヤはハムザのこと、どう思う?」

 

 間髪入れずに少女は答える。

 

 「変態だと思っています、アイズさん」

 

 「それは…そうかもしれないけど。私はハムザのオチンポのお陰で、ランクアップ出来たんだよ」

 

 「えっ…」

 

 アイズの口から『オチンポ』などという下品な言葉が飛び出してきたことに衝撃を受けたレフィーヤは、口を大きく開けて硬直した。

 

 出来ればそんな言葉は聞きたくなかった。清楚で可憐だと思っていた憧憬の剣士は、卑猥な言葉を恥じらいもせず口に出来る少女だったのだ。自分はまだまだ、彼女のことを理解できていなかったのかもしれない。

 

 レフィーヤにとっての自負は、アイズを深く理解しているということだった。しかし、それは今崩れ去った。プライドは砕け散ったのだ。

 

 だが、そういうことならば。

 

 本当の彼女をもっと知りたい。いや、知らなければならない。

 

 下ネタにいちいちショックを受けるほど幼くもないんだと自分自身に言い聞かせ、エルフの少女は覚悟を決めた。

 

 「じゃあ、アイズさんは今まで何度もこの男と寝たのですか?いつから関係は続いていたのですか?」

 

 「それは…昔からだよ。そうよね、ハムザ?」

 

 「お、おう。そうだな。昔からだ、うん。その通り」

 

 「そ、そうだったんですか…私は知りませんでした」

 

 アイズに変身しているリリは、このとき少しばかり戸惑っていた。

 

 変身魔法は成功しているし、相手に疑いをかけられるような状況は皆無…その筈だったが、どうしてもアイズ・ヴァレンシュタインの口調が思い出せない。なぜなら、彼女は殆ど喋らなかったからだ。

 

 (ハムザさまのシナリオでは、うまく会話をしてこの変態エルフビッチに股を開かせるということでしたが…それではちょっと墓穴を掘りかねませんね)

 

 そして決断した。下手にあれこれと喋るより、行為で示してやろう。アイズ・ヴァレンシュタインは淫乱なのだと。

 

 「はむっ…」

 

 「うほお…アイズちゃんのいきなりフェラチオ、最高…」

 

 偽アイズは両手でペニスを包み込みながら咥え続ける。わざとらしく大きく卑猥な音を立てながら、物欲しげな表情をしているエルフの少女に見せつけていった。

 

 (ふん。エルフは清純で誇り高いだの言いますが、この娘なんてとんだ淫乱エルフじゃないですかっ…)

 

 口での奉仕を続けながら、偽アイズもといリリは横目でレフィーヤをしっかり観察する。

 

 もじもじと内股をくねらせて、少女は頬を紅潮させていた。アイズの痴態を見て興奮しきっている様子だ。ライトブルーの大きな瞳を輝かせ、食い入るように見つめ続けている。

 

 (リリは腹が立ちますっ!あんなに綺麗な山吹色の髪の毛、ずるいです。大きな目もずるいです。お肌もぴちぴちじゃないですか。もう、本当にロキ・ファミリアの人たちは才色兼備で羨ましい限りですっ!)

 

 世の男性を虜にするのも無理もない。【ロキ・ファミリア】の面々に不細工はいない。存在してはならないのだ。女性は麗らかな陽光に揺れる花びらの如く、男性は白銀に輝く剣の如く、美しく強くなくてはならないらしい。

 

 どれだけ実力があろうとも、容姿に優れぬ者は門前払いだという噂を知らぬ者はいない。

 

 美しく、強い。それも次元が違うレベルで、圧倒的に。

 

 そんな連中がオラリオの頂点の一角を座しているわけだから、彼らを仰ぎ見る者たちの目には嫉妬と羨望、そしてそれを遥かに凌駕する希望が宿る。

 

 人類の悲願達成を託された英雄たちへの賛歌は、日々止まることを知らない。

 

 しかしだ。

 

 あろうことかそんな超人軍団【ロキ・ファミリア】の次世代エース候補の一人が、こんな弱小ファミリアのテント内で、悪い男に騙されかけているのだから愉快なものだ。

 

 こうなれば、たっぷりからかってやろう。リリは意地悪な気持ちになり、変態女神の神意に従う破廉恥な眷属へと成り代わった。いや、成り下がったと言うべきか。

 

 偽アイズは奉仕を一度止め、それまで添えていた両手を離して膝上に置いた。

 

 仁王立ちするハムザの下半身に跪き、神聖なるものに忠誠を誓った聖女のごとき仕草で、恭しく男根に祝福のキスを与えてやってから再び咥えこんだ。

 

 「ア、アイズさんのノーハンドフェラ…凄くえっちです」

 

 「心の声が漏れておるぞ、破廉恥エルフ」

 

 主神に指摘されたレフィーヤは恥ずかしそうにしながらも、視線はアイズのしぐさに釘付けだ。

 

 「うひひ…いかん、アイズちゃんのお口が気持ち良すぎてイってしまいそう…」

 

 「んっ…。駄目ですよ、ハムザさ…ハムザ。出すならこっちに、ね?」

 

 ちゅぽん、と音を立てて肉棒を離し、偽アイズはベッドに横になって両股を開いて手招きした。

 

 「ち、ちょっと待ってください。するんですか、その、今ここで?」

 

 当然のように体を重ね合うアイズとハムザを前に、レフィーヤは頭が真っ白になりかけていた。しかしエルフの少女は土壇場で、この場の状況に違和感を覚える。

 

 昨夜、物置部屋で二人は行為に及ぼうとして、アイズの無気力セックスに対しこの男は愕然としていた筈なのに、どうしてたった一晩でこんなに積極的になってしまったのだろうか。

 

 いや、そもそもおかしい。二人は以前から関係を続けていたような口ぶりで話していたが、昨夜はまるで初めて行為に及んだかのようだったではないか。

 

 訝しむレフィーヤの心中を、いち早く主神が察知した。しかしさすがの女神にも、レフィーヤが盗み聞きをしていたなんていうことまでは予想できない。

 

 だから彼女は単純に状況を説明するに留まった。ハムザのスキルについての詳細を、この少女が知らないのだろうと思ったからだ。

 

 「レフィーヤ。ハムザのスキルについては知っているか?成長の効果を激増させるには、強い快感を得なければならないのじゃ」

 

 本来であればそれはそれとして納得できるものだっただろう。しかし今のレフィーヤは、この情報から飛躍してまったく別のことに納得してしまった。

 

 (そ、そうですか。つまり、マンネリを防ぐためにあれやこれやと色んなプレイをする程の間柄ということですね…。それなら昨日のは、処女開通プレイに違いないです)

 

 「なるほど。わかりました」

 

 勘違いを決め込んだレフィーヤは頷いて、それならば間近で観察してやろうと二人に近づいていった。

 

 「あのね、レフィーヤ。もしハムザのオチンポが欲しかったら、先にいいよ…」

 

 「えっ…!?えっと…それは遠慮しておきます、アイズさん。さすがに見ず知らずの男性に処女を捧げるなんて、私にはできません…エルフの矜持に反します」

 

 「それじゃあ、アイズちゃんのおまんこを先に頂くぞ」

 

 ハムザはアイズに挿入した。その感触を味わうようにゆっくりと腰を動かしながら、反応を楽しむように時折強く腰を打ちつける。

 

 溢れ出る好奇の吐息を押し留めるようにレフィーヤは指先を桃色の唇に当てるが、青碧の瞳はしっかりと一つ一つの動きに興味を示している。

 

 獣の如き交尾を見つめていたレフィーヤであったが、やがて我慢できなくなってきたのか両股をもぞもぞと動かし始めた。

 

 「なんだ、ヤリたいのか?レフィーヤちゃん」

 

 腰を動かしながらハムザは問いかける。しかしエルフの少女は拒絶した。

 

 「本当に、いいのか?レフィーヤ。気持ち良くなる上、強くなれるのじゃ」

 

 女神の誘惑にも打ち勝ち、再び拒絶した。

 

 「レフィーヤ…。これは強くなるのに、必要なことなんだよ…本当にいいの?」

 

 愛しのアイズに唆されて、この三度目の質問に、とうとうレフィーヤは屈した。

 

 「……です」

 

 「ん?何か言ったか?」

 

 「……私も、欲しいですっ。ファミリアのお荷物には、もうなりたくないんです!アイズさんに助けられてばっかりじゃ、私嫌なんです!だから、私も強くなりたい…」 

 

 ハムザは待ってましたとばかりにペニスを引き抜き、レフィーヤの前にそれを突き付けた。そして呼応するようにリリは言った。アイズの姿で、アイズの声で、憧れる少女の心を読み透かすように。

 

 「それだけじゃないでしょ?レフィーヤ…。本当は、オチンポの味にもとっても興味があるんだよね…?自分に正直になっていいんだよ、レフィーヤ…」

 

 昨晩リヴェリアによって奮い立たされた理性と、さんざん自分の操を守り続けてきたエルフの矜持は偽アイズによりあっさりと崩れ落ちた。

 

 「……はい」

 

 可憐なエルフの少女は小さく頷いた。山吹色の頭をぺこりと垂らし、サファイアのような瞳でそそり立つペニスを見つめた。

 

 それは人生で初めての経験だった。今までのレフィーヤには想像すらできなかった男性器が、自分の鼻先にある。少しでも顔を動かせば触れてしまうような距離にだ。

 

 「絶対に勘違いしないでくださいね。私は変態が大嫌いです。貴方には一生触れたくないです。でも、強くなるためには仕方ない事だから」

 

 レフィーヤは手を出し、それに触れようとした。

 

 「こら。お前は、触るな。こっちへ来い」

 

 ハムザは現在、罰則により性交が出来なかった。だが精液に含まれる魅了効果は生きている筈だ。このエルフにそれを少しでも多く飲ませてやり、反応を確かめる必要があったのだ。

 

 「ぐひひ…レフィーヤ、正直になったご褒美に極上の経験値の素をくれてやる。だがお前にはチンポに触れさせん。アイズと俺の愛あるセクロスでも眺めていろ」

 

 「…なによ。私がそれをどうしても欲しいみたいな口調で言わないで、変態」

 

 頬を膨らませるレフィーヤ。ハムザは心の中で大きく勝鬨を上げた。あんなにツンツンしていたエルフの美少女も、アイズという憧れの剣士を使えばイチコロだった。まったくもって、素晴らしい世の中じゃないか。まるで我が世かと思うほどに。

 

 だが、残念なことに罰則は未だ解けていない。少しでも触れられてしまえば股間は萎え、興が削がれることだろう。

 

 偽アイズはペニスを恥部へと誘い、二人は再び交わった。

 

 すぐ隣でレフィーヤが顔を赤くして行為を見守る最中、アイズは横目でレフィーヤにパチリとウィンクをした。

 

 心臓が止まるかと思った。ドキドキと高鳴る鼓動が止まらない。

 

 何という素晴らしい日だろうか。あのアイズがセックスをしながら自分にウィンクしてくれるなんて。まるで、別人になったかのようではないか。

 

 欲を言えば、お相手がこの変態ではなく紳士で素敵な男性だったらもっと良かったのだが。

 

 「うほっ…いかん。もうイク…レフィーヤ、ぶっかけるぞ」

 

 「え、えっ…?」

 

 ハムザはペニスを引き抜き、股間をしごきながらその先端をレフィーヤの顔に向けた。

 

 その刹那、白濁液がエルフの少女の額を目掛けて発射された。

 

 さらに第二射、第三射とレフィーヤの髪の毛や鼻、桃色の唇を汚していく。

 

 呆然とする彼女に最後の一射が放たれて、襟元に精液がこびりついた。

 

 「ふぅ…満足、まんぞく…」

 

 射精の余韻に浸るハムザをよそに、レフィーヤはどうしていいか分からず困惑していたが、アイズに言われ少女は精液を手ですくい取り、ペロリと味見をした。

 

 「どう…?極上の、経験値の素だよ…」

 

 「う、う~ん?思ってたよりも、甘いです」

 

 顔にこびりついたどろどろとした精液を指先ですくっては舐め上げて、あれこれと感想を述べていく。

 

 「やっぱり、イカ臭いんですね。それに、ねばねばしていて気持ち悪いです。甘いのがせめてもの救いですね、アイズさん」

 

 「う、うん。そうだね」

 

 「もっと出ないの?変態くん」

 

 「なんだ、もっと欲しいのか。生憎いまは一発だけだ。それよりレフィーヤ、強くなりたいなら今後も協力してやってもいいが、条件がある」

 

 洋服についた汚れをティッシュで拭きとりながら、レフィーヤは聞き返す。

 

 「条件って、なに?」

 

 「うむ。お前らエルフはどうも性に対する幻想が強い。だから俺がお前の貞操観念を百八十度変えてやる。それでもよければ、協力してやるぞ」

 

 「それって、どういう意味…?」

 

 行為の最中、ずっと退屈そうな顔をして床に横になっていた主神がレフィーヤに言った。

 

 「今のアイズのような女にしてやろう、ということじゃ」

 

 「むむむむ……」

 

 レフィーヤは考え込んだが、隣に座るアイズの顔をちらりと盗み見てから、わかりましたと頷いた。

 

 「何をするつもりかだけ、教えてくれる?」

 

 ハムザはその問いに笑みを浮かべながら答える。

 

 「うむ。ずばり、オラリオの女がいかに簡単にヤらせてくれるのかを学びに行く、オラリオ風俗探検ツアーだ!」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 ―風俗探検ツアー―

 

 霧の出る晩だった。夕闇に包まれたオラリオが幻想的には程遠く思えたのは、まだ夜も更け切らぬうちに酩酊し嘔吐する酔っ払い集団で賑わっていたからだ。

 

 度数の高い、強い酒を飲むことのみに誇りを見出すその聖なる軍団は、路上にも関らず小瓶をあおり続け、気違いじみた雄叫びを上げてはお互いを罵り合っている。

 

 かと思えば今度は肩を組んで一同で歌を歌いながらメイン・ストリートを闊歩し始めるなど、素面の人間が見れば狂気じみた挙動を繰り返す。見上げるバベルの塔は霧に隠れ、不気味な光を薄く靄がかった空気の向こう側から放っている。

 

 霧の深い、オラリオの夜だ。

 

 レフィーヤは何もない街路の一角で、ハムザを待ち続けていた。約束の時間はとうに過ぎただろうか。今も酔っ払い集団が道路を一周して、元の位置まで戻って来た。

 

 「もう…なによっ。デートの誘いなのかは分からないけど、いきなり遅刻するなんて酷い奴っ」

 

 オラリオ風俗探検ツアー、とその男は言っていた。それが何を意味するのか、レフィーヤにはある程度は想像することが出来る。娼館に行くのかも知れない。あるいは、酒場に入り目ぼしい女性に声を掛けるつもりなのかも知れない。

 

 だが、指定された待ち合わせ場所は娼館のある歓楽街からは遠く、酒場の数も少ない。西のメイン・ストリートで待ち続ける暫くの間、レフィーヤはただ酔っ払いたちの痴態を眺めていた。

 

 「よう、待ったか。レフィーヤちゃん」

 

 ようやくその男、ハムザ・スムルトが姿を現した。手提げの紙袋を持って近づいてくる男に、レフィーヤはたっぷりと睨みを利かせてやった。

 

 「遅いんじゃないですか?女性をこんなに待たせるなんて、どんな神経をしているのか分かりません」

 

 「まぁそうぷりぷりするな。これでも食え」

 

 ハムザは手提げ袋から瓶詰を取り出し、レフィーヤに渡した。

 

 「こ、これは…?」

 

 「プレゼントだ」

 

 まじまじとその瓶詰を眺める。まさか毒ではないだろうかと訝しみながら。

 

 「あ…。これ、ジェリー・ビーンズ?」

 

 ジェリー・ビーンズとは、蜂蜜と砂糖で作られた柔らかい小型のキャンディーだ。色とりどりの豆粒のように小さい飴がつまった瓶詰は、子供に人気のお菓子としてよく知られている。

 

 しかし、自分はこれを貰って喜ぶ程子供ではないのだが…。

 

 「ただのジェリー・ビーンズではないぞ、よく見ろ。巨大蜂デッドリー・ホーネットの蜂蜜だ」

 

 レフィーヤは驚いて言った。

 

 「えぇ~!?本当に食べれるんですか…?あんな凶悪で毒だらけのモンスターから、蜂蜜が採れるなんて知らなかった…」

 

 「いいから食ってみろ。腰抜かしても知らんぞ」

 

 言われるがままに一粒を手に取り、食べる。

 

 その瞬間、口の中でまるで蜂蜜そのものを食べたように甘い舌触りが広がっていく。それは普通の飴にはない、上質な甘味だった。

 

 「…おいしい。でも、高かったんじゃないの?」

 

 一粒食べただけでも分かるその高級感は、他の甘味食材とは一線を画する程だ。それに巨大蜂の蜂蜜なんて、今まで耳にしたこともない。

 

 「まぁな。この蜂蜜は《ブラッディー・ハイヴ》のドロップアイテムだ。もともと希少性の高いモンスターな上、どうもドロップ条件が面倒らしい。それだけに味は一級品だし、魔力回復効果もある」

 

 「そ、そうなんだ…その、ありがとう…」

 

 《ブラッディー・ハイヴ》は巨大蜂と共生するハチの巣のようなモンスターで、通常は遭遇したら巣ごと魔法で壊してしまうことが多い。とにかく遭遇するだけでも厄介な敵だ。普通の冒険者なら定跡通りに魔法で破壊してしまうのだろうが、どんな手段を使うのかは知らないが、このドロップアイテムの存在が知れ渡ればまた別の攻略方法が広まっていくのかも知れない。

 

 レフィーヤが知る限りでも、このような新たな発見は枚挙に暇がない。ダンジョンが生み出すのは危険だけではなく、当然恩恵も含まれるのだ。間違いなくこの蜂蜜はそんな流行の最先端だろう。存在を知れただけでも、レフィーヤにとっては嬉しいことだった。

 

 意外と気の利く贈り物を貰いすっかり機嫌を直したレフィーヤは、ハムザにこれからの行先を聞く。こんな酔っ払いの通り道で時間を浪費するのは、もうたくさんだった。

 

 「そうだな。今日は酒場に行き、酒を飲む。あれが見えるか?」

 

 ハムザが視線で示すのは、例の飲んだくれ集団だ。レフィーヤは頷いた。

 

 「これから酒場に行って、朝まで酒を飲む。訳が分からなくなって道端でぶっ倒れる程にな。俺と、お前でだ」

 

 「むむむむ…ちょっと待って。私もお酒を飲むの?」

 

 「そうだ」

 

 「それで、あんな痴態を晒すまで飲み続けるの?」

 

 「そうだぞ」

 

 レフィーヤは少し考え込む仕草をして、言った。

 

 「嫌です」

 

 「ばか、お前に拒否権はない!いいか、これは強くなるために必要な事なんだ」

 

 納得できない。いったいどうして酒を飲むことが強くなることに繋がるのか。頑なに拒絶し続ける自分に、ハムザは業を煮やしてまくし立てる。

 

 「エルフはこれだからダメなんだ!誇りだのなんだの偉そうに言って、自分達の世界から出てこようとしない。新しい世界を知るのは悪いことではないぞ。酒もそうだ。殻を破るためには、器を昇華させるためにはあらゆる挑戦を続けねばならん。お前がそれを知らない訳でもないだろう」

 

 「そんなこと、あなたに言われたくないです。まだLv.1のくせにっ!」

 

 「なんだこの野郎、やる気かっ!じゃあいいんだな。もう抱いてやらんし、自分だけで強くなったらいい。きっとアイズちゃんは幻滅するだろうな。レフィーヤったら、そんなこともできないなんて残念エルフ、ってな具合でな」

 

 この発言は効果てきめんだった。「むむむむ…」と返答に窮した残念エルフは暫くののち、頷いてハムザの提案を受け入れたのだった。

 

 「わかればよろしい。この挑戦が終わった頃には、お前は泣いて俺に感謝しているだろう。ではいざ行かん、きちがいの世界へ」

 

 歩き始めた二人が酔っ払い集団とすれ違った時、彼らは大声で歌を歌っていた。

 

 『進め我が軍、砲弾よりも速く!酒がお前を待っている!』

 

 

 

 ハムザに連れてこられた店の名は、『飲み屋—国会議事堂—パルラメント』というものだった。店内にはその名の通り賢そうな飲兵衛たちが行儀良く様々な法案について審議している。その中の一人、げっそりとしたひげ面のヒューマンがレフィーヤを見るなり鼻の下を伸ばしながら議事を提案した。

 

 「お嬢ちゃん、可愛いねぇ。処女かい?今晩よかったらお相手にどうだい?」

 

 聴衆のドワーフが火酒をぐいっと傾けてそれを却下する。

 

 「短小包茎は綺麗に洗って出直してこい!嬢ちゃん、俺の方がいいぜ。ズル剥けの極太だ、これじゃなきゃダメって女は、掃いて捨てる程いるぜ」

 

 (何ですか、このゴロツキ達は。こんな品の無いお店、サイアク…)

 

 「おい、てめぇらよぉく見てみろ。【ロキ・ファミリア】だぜ…」

 

 「な、なんでこんなところにいやがる…」

 

 目敏い何者かの発言に、辺りは静まり返った。粗相すれば、殺されかねない。そんな緊張感が広がっていく。何人かはレフィーヤを見ただけで慌てて逃げ出した。

 

 さすがは最強派閥といったところか。紋章をちらりと見せただけでこの有様だ。

 

 ハムザはそんな店内の雰囲気には我関せず、店の奥へ奥へと進んで行く。

 

 案内されたのは、店内の奥まった一角にある小部屋だった。彼いわく、オラリオの住人たちはみな開放的なせいか、貸し切り部屋などの閉鎖的な空間を持つ店は殆どないそうだ。レフィーヤは納得し、着席する。

 

 ふと前を見ると、ハムザがさっそくメニューを眺めていた。

 

 褐色の肌に、紅の瞳。風貌だけで言えばそこいらのゴロツキと変わりはないが、不思議とオーラの漂う青年だった。もし彼が変態でなければ、きっと自分は今悪い気分はしないだろう。しかし、事実彼は変態中の変態であり、自分が大嫌いな男の典型だ。

 

 きっと小部屋を用意したのも、これから幼気なエルフ(じぶん)を酒に酔わせ、無理矢理襲う腹づもりのためだろう。しかしもう覚悟は決めている。いつ初めてを奪われようと、気にすることはない。

 

 すべては強くなるため、一歩でも憧憬の剣士あの人に近づくためだ。

 

 「決まったか?」

 

 「知らない。どれにするか、あなたが決めてよ」

 

 ハムザは了解し、店員に注文を頼んだ。

 

 「しかし、何故エルフは酒を毛嫌いするのか、俺にはわからん」

 

 「節制よ。己を律するためには、娯楽から離れなければいけないから」

 

 「ふん、なにが節制だ。酒、煙草、女、賭博。これが神が人間に与えた最高の喜びだぞ」

 

 「貴方に理解して貰おうとは思いません。でも、その四つはどれも低俗な快楽ですね。人助けとか奉公にも喜びを見出すことは出来るんですよ」

 

 「それならなぁ、人助けだと思ってお前、あそこのおっさんのチンポしゃぶって来い。俺は絶対にごめんだ」

 

 取り合えず下品な言葉にも、レフィーヤは丁寧に対応しようと心掛けていた。短い時間しかこの男と一緒にいたことはないが、とにかく息を吸うように変態発言が飛び出すびっくり箱のような男だ。

 

 例え救いようのない馬鹿でも、一応は高貴なるものへの道を説くことはする。聖職者などではないが、善の探求に美を求めるのは、エルフの価値観そのものなのだ。

 

 「いい?悦楽には善と悪があるの。性交の快楽は悪。滅私奉公は善。貴方達はみんな、悪の悦楽の信奉者です」

 

 「そんなもん、誰が決めるってんだ!」

 

 ハムザは大声で叫んだ。すると扉を開けて店員が入ってきて、酒を置いて出て行った。

 

 「…さぁ?私にはわからない」

 

 レフィーヤ自身はエルフだが、たまに種族本来が持つ強い道義心に対し、違和感を覚える事があった。実のところ何が善で何が悪なのか、自分にはよく分からない。

 

 「リヴェリア様なら、明快な論理でしっかり説明できるんだけど…。私はただ、そう習っただけだから。でも、貴方のやっている事は最悪です。これだけは断言できます」

 

 エルフの里は数多くあれど、リヴェリアのような王族の数はそう多くない。レフィーヤにとってリヴェリアとは奉仕の対象であり、同時に指導者でもあった。彼女が右と言えば右、左と言えば左だ。

 

 しかし幼い頃から教え込まれたエルフの道徳観念は、オラリオでは普通ではなかった。

 

 ハムザの言う通り、ここでは多種多様な種族が快楽に耽る。ドワーフは貪欲な性格でしょっちゅう女性を口説いて回っているが、彼らは専ら同種族に対して積極的であり、他種族には奥手になる事が多いらしい。

 

 獣人には発情期という極めて性欲の強まる時期があり、噂では発情期の獣人たちが寄り合う乱交パーティが日夜開かれているようだ。

 

 ヒューマンはと言えばどの種族とも子をもうけることが出来るため、とりわけ女性があらゆる種族から人気がある。男性はハムザのように誰彼構わずセックスを求め、一度抱いたら再び別の女性を求めて旅立つことが多い。

 

 女性しか産まれないアマゾネスは、連日のように雄を攫っては種付けさせるほど性に貪欲だ。オラリオの失踪事件の大半はアマゾネスによる犯行であるらしい。

 

 そしてエルフはその中でも異色の存在だ。

 

 ここオラリオでは極めて珍しい事を表す比喩表現として、盲亀の浮木、優曇華の花という言葉に並んで『エルフのセックス』と語られる程に稀なことなのだ。

 

 心を許した相手にしか肌を触れさせない。そして心を許すには、膨大な時間を必要とする。それが通常のエルフだ。

 

 しかし…。

 

 自分はどうだろう。生まれ故郷の《ウィーシェの里》は他の部落と異なり、他種族への理解が強い。それはここオラリオ程ではないが、少なからず他種族との交流があった歴史的背景によるものだろう。

 

 そのため、自分たちウィーシェの住人は、そこまでエルフエルフしていないという特徴があった。レフィーヤにとっては肌の触れ合いにそこまで嫌悪感はないし、性交渉に関して言えば…興味がある、それだけで体を許すことだって出来るだろうと考えていた。

 

 もちろん、それは自分が相手を「良い」と思える時のみの話なのだが。

 

 百パーセントはっきりと言えることは、もし自分が普通のエルフ達と同じ考えを持っていたのなら、既にこのハムザはダンジョンの塵となっていたに違いない。

 

 ふと気が付くと、酒の他にも美味しそうな料理がテーブルに並べられていた。

 

 「…では、乾杯するにあたって、我が祖国の習わしを教えよう」

 

 グラスを手に取ったハムザは不敵な笑みを浮かべて言った。

 

 「祖国では、乾杯の時に『ちんちん』と言うんだ。お前も一緒に言ってみろ」

 

 「は、はぁ~…!?」

 

 ふざけた提案に驚倒するレフィーヤだったが、言わなければ始まらないらしい。まったく、とんでもなく子供だ。そう思いながら、エルフの少女ははじめてその言葉を口にした。

 

 誰にも聞こえないくらい、小さな声で。

 

 『ち、ちんちん…』

 

 

 

 宴もたけなわに、店内は酔いの回った客たちで大賑わいだ。席に着いてから既に数刻は経った。レフィーヤは目の前のハムザを見つめた。

 

 ぐでぐでだ。たった数杯の果実酒を飲んだだけでこの有様。どうやらずいぶん酒に弱い体質のようだ。

 

 「もう、ちゃんと話聞いてるの?どこまで話したっけ、アイズさんの武勇伝…。あっ、そうだ。それで新種のモンスターを華麗に切り刻んで、私たちを救ってくれたの。アイズさんの『風』は別格よ。付与魔法エンチャントの類とは思えないほど強力で、ほとんど反則の域なの」

 

 「む、むぅ…?そうか、それはよかった。うぃっ…」

 

 「それからアイズさんは階層主にソロで立ち向かって、今まで誰も成し遂げられなかったソロ討伐を——」

 

 ハムザはグラスを煽り、テーブルに叩きつける。

 

 「もう武勇伝は充分だ!くそ、口を開けばぺちゃくちゃとアイズちゃんのことばかり。この破廉恥レズエルフめ。俺はお前のことが知りたいんだ。さっさとお前のことを話してくれ。俺の意識がまだあるうちにな…うぃっ…。あぁ、くそが。もっと酒を寄こせ」

 

 「私のこと…?むむむむ、私は…強くなりたい。アイズさんに助けてられてばかりじゃなくて、傍にいて守ってあげられるような力が欲しい」

 

 自分について話す段階になって初めて、レフィーヤは机に置かれていた料理に手を付けた。これまでの数刻はひたすらアイズのことばかりを語り続けており、ハムザはすっかり聞き手として振り回され、疲れ果てていた。

 

 レフィーヤはふと気付く。我ながら、今日はよく舌が回る。ぽかぽかと体が暖かく、今なら何でもできそうな気分だ。これがお酒の力なのだろうか。これはこれで嫌いではないな、と思った。

 

 「…それで俺のチンポが欲しいわけだ。ぐひひ…レフィーヤちゃんみたいな可愛い美少女に誘惑されたら、一瞬でバキバキに勃起してしまうだろうなぁ。あぁ、ヤリてぇ…」

 

 「なによ、変態。はぁ、私も並行詠唱くらい出来るようにならないとなぁ…。あ、勘違いしないでね。ちゃんと練習してるし、フィルヴィスさんに手伝って貰うようになってコツは掴み始めてるから」

 

 「並行詠唱?なんだそりゃあ、そんな訓練より俺とスケベなことを楽しんだ方が効果があるぞ、絶対。間違いない、うむ。うぅいっ…」

 

 ハムザの発言をレフィーヤは聞き流す。手元にあったサラダを口に運ぶ。野菜の味がしたが、それだけだった。

 

 「おい、エルフはドレッシングすらかけんのか?生野菜を頬張って何がうまい。まるでハムスターだな」

 

 「そんなことはありません。ドレッシングなんてどこにもないじゃない。もう駄目そうね、貴方。幻でも見えてるのかしら」

 

 そうは言われて、ハムザは机にあった緑色の液体を指示した。濃緑の液体は、まるでモンスターの体液のようにどろどろとして不気味に光っている。しかしどうやら、これがドレッシングらしい。ハムザはレフィーヤの取り皿を奪い取り、サラダにその液体を掛けてから塩を振り撒いた。

 

 「騙されたと思って食ってみろ。お化けカボチャの種油だ」

 

 恐る恐る口に運ぶと、滑らかな舌触りと濃厚で深い香りが広がっていく。塩が絶妙に絡み合い、ただのサラダが全く別物に生まれ変わったようだ。

 

 「…おいしい」

 

 「ほれみろ。少なくともここいらじゃ、最近流行っているな。菜種油なんかと比べても格段に健康的らしい」

 

 「貴方、意外と色々詳しいのね。Lv.1のくせに」

 

 「お前たちが勉強だの訓練だの迷宮探索だのと無駄骨を折る時間に、俺はオラリオを満喫しているんだ。それに俺は、並行詠唱の極意を知っている」

 

 並行詠唱の極意とは、一体何事か。魔導士でもなく、魔法に関する知識も全く無さそうなこの野蛮人からそのような誘惑の言葉が飛び出してくるとは。つくづく、予測の出来ない奴だとレフィーヤは考える。

 

 「私だって知ってます。それは詠唱の際に不動の心を持ち続ける事だけです。何事にも惑わされず、動じることがない不動の心が、並行詠唱の極意です」

 

 「なるほど、なるほど。まぁ、一理ある。それでは、並行詠唱を一週間で取得できるように俺が稽古をつけてやろう」

 

 「あなたが稽古?出来るわけないでしょう」

 

 「いや、出来る。セクロスで能力を底上げするだけじゃなく、並行詠唱の取得にも手を貸してやる。その代り…」

 

 「その代り…?」

 

 レフィーヤはごくりと喉を鳴らす。

 

 「…俺は今猛烈に、レフィーヤちゃんの、エルフのおまんこをぺろぺろしたいのだ…。ぐひひ」

 

 「むむむ…」

 

 気難しそうな表情で、考え込むレフィーヤ。暫くののち、彼女は言った。

 

 「わかったわ」

 

 大歓喜するハムザをよそに、ため息を吐く。この変態に体を預けるのは気が引けるが、強くなるためだ、仕方ない。

 

 「一応聞いておくけど、貴方が私に付きまとうのは、単にエルフとセックスしたいからなんですね?」

 

 「もちろん、その通りだ」

 

 ハムザは臆面もなく頷いた。あまりに正直な反応だったため、怒る気もしない。

 

 「それなら私は単純に強くなりたいから、貴方に体を預けます。それ以外のことは、絶対に求めないで下さい。単なるギブ・アンド・テイクです」

 

 「どうかな。まぁ、今の所はそれでいいだろう」

 

 その時、女性の大きな声が店内に鳴り響いた。そして次々に歓声が沸き起こり、異様な雰囲気が漂い始める。

 

 突然の出来事に呆気に取られるレフィーヤは、何が起こったのかとハムザを見やった。

 

 「…始まったな。ぐひひ、風俗探検ツアー第一日目は、乱交酒場の見学だ」

 

 

 驚愕したレフィーヤは急いで個室を出て、状況を確認する。そして絶句した。

 

 ヒューマンの女性が全裸になって、汚い言葉を叫びながら一心不乱に騎乗位で男根を貪っている。それに他の男たちが群がり、ペニスを無理矢理喉奥に押し付けたり、胸を乱暴に揉みしだいたりと好き放題だ。

 

 その一団だけではない。次から次へと男と女は互いに群がり合い、情事を繰り広げていく。

 

 絶句するレフィーヤの肩をぽんと叩き、ハムザは言った。

 

 「ここは割と有名な乱交酒場だが、普通とはちょっと違う。驚くなかれ、ここは女が通う乱交酒場だ。飛び切りのビッチが集まる場所で有名なのだ」

 

 店内の様子は、もはや圧巻だった。神聖で清いものだと教え込まれていた男女の営みが、かくも醜悪に、 醜穢に行われている。様々な種族の若い女性達が恍惚に涎を垂らしながら、男根を嬉々として受け入れていく。もはやこの世のものとは思われない程の、異様な光景だった。

 

 「どれ、これ以上のんびりしていると連中は気が狂ったようになるからな。ちょっとインタビューでもしてこよう」

 

 ハムザはレフィーヤの手を取り、乱交を楽しむ一団の中心に無理矢理体をねじ込んでいく。その途中、男たちの汚らしいく汗ばんだ肌が何度もレフィーヤの体に触れた。

 

 むせ返るような雄の空気に、思わず嫌悪の顔を作る。

 

 『オイっ、順番守りやがれ!』

 

 『てめぇ、割り込むんじゃねぇ!聞いてんのか、この野郎!』

 

 罵声が飛び交うも、ハムザは意に介さない。レフィーヤの存在に気付いた男たちは目の色を変え、彼女に飛び掛かろうとした。

 

 自分の身を護るため拳を作るレフィーヤだったが、彼女よりも先にハムザが男たちを殴り飛ばしていった。無残にも床に横たわり鼻血を垂れ流す彼らは、悪態を何度も吐きながらも別の乱交集団の中に逃げて行った。

 

 その様子は、まるで獲物から引きはがされた蟻たちのようだ。

 

 気づいてみれば、その場所には女を貪る数人の男たちと、レフィーヤとハムザの二人だけがそこにいた。

 

 男根に跨り快楽を貪り続ける若いヒューマンの女性に、ハムザが質問する。

 

 「おい、君の名前は何だ?」

 

 「えっ…?なぁに、お兄さんもヤーニャにちんちんくれるの?嬉しいっ。んんんっ…」

 

 ヤーニャと名乗った彼女は直後に口をペニスで塞がれた。しかしものの数十秒でペニスを射精に導き、再び言葉を発する。

 

 「はやくぅ、ちょうだい?全然足りないよぅ…」

 

 「聞くがな、ヤーニャ。どうして乱交なんかしてる?お父さんが悲しむぞ?」

 

 「えぇぇ?なぁに、お父さんならあっちで楽しんでるけど。あたしはね、ロマンチックな雰囲気も愛の言葉も要らないの。ただたくさんの大きなちんちんを見るだけで、もうどうしようもないくらい濡れちゃうから。ほら、あなたも大きいの持ってるでしょ、はやくちょうだい?」

 

 レフィーヤは驚いてからハムザに視線を送る。目が合ったハムザはにやりと微笑んでから彼女の手を取り、別の一団に近づいていく。

 

 「おい、お嬢さん。乱交は楽しいか?」

 

 今度の女性は、赤みがかった綺麗な髪を振り乱しながら喘いでいる。驚いたことに、まだ若いエルフの女性だった。

 

 「えぇ…最高です。貴方も私に入れて下さるのですか?生憎、男根はあり余っていますから…そこで扱きながら、私の痴態を眺めていて下さる?」

 

 「いや、遠慮しておく。それより誇り高きエルフがこんなことをしていて良いのか?」

 

 「エルフの矜持なんて古臭い時代遅れの考えですわ」

 

 息を飲む程美しいエルフに向かって激しく腰を振る男が、二人の会話を遮って声を荒げる。

 

 「おい、お前黙ってろ。気が散るだろうが。お前はそこの『千の妖精サウザンドエルフ』にでもさっさと突っ込んでろ」

 

 美女の口内を堪能していたドワーフが言葉を継ぐ。

 

 「ほほほ、最高じゃわい。いけ好かないエルフのフェラチオを堪能する日が来るとはなぁ、長生きするもんじゃ。お若いの、こいつは常連だが、伴侶がおる。だがそいつはセックス嫌いでなぁ、性欲を持て余したこの女は毎日ここに来ているらしい。ぐぅ、いくぞッ…飲めっ!」

 

 ドワーフの太い男根から放たれる精液を、躊躇いもなくエルフの美女は飲み込んだ。正常位で行為を続けながらごくりと喉を鳴らし、舌なめずりをしながら蠱惑的な流し目をハムザに送る。

 

 「…行きましょう」

 

 それまで無言を貫いていたレフィーヤは、ハムザの手を取りむりやり元の個室へと戻って行く。

 

 バタンと扉を閉め、レフィーヤはハムザの目を見て言った。

 

 「はぁ…もう限界。こんな乱交見てたら、気が狂っちゃいます」

 

 ヤリたくなったのだろうというハムザの問いに首を横に振り、レフィーヤは肩を落とす。

 

 「むしろ、逆。刺激が強すぎて、ちょっと引いた…かな」

 

 それでも、とレフィーヤは言葉を続ける。

 

 「エルフにもああいう開放的な女性がいると知って、ちょっと安心しました。私だけじゃないんだなって、思って。その…エルフの考えが、古臭いと思っている人って」

 

 「そりゃ、他にもたくさんいるだろう。それより話を戻すぞ」

 

 「……?」

 

 きょとんと首を傾げたレフィーヤは、直後に『あっ』と意味を理解した。

 

 「…そうだ。おまんこぺろぺろさせろ。ぐひひ…いよいよこの時が来た」

 

 いつの間にか取り出した酒瓶を手渡し、ハムザは乾杯をして一気に飲み干せと言う。レフィーヤはそれに従い、中身を一気に飲み干した。ハムザも負けじと飲み干す。

 

 「ぐぇっぷ。あんな気狂い集団と一緒にいたせいで、すっかり酔いが醒めたようだからな。ここいらで燃料追加だ。よし、そこのテーブルに座って、股を開いて見せろ」

 

 レフィーヤは言われた通りにした。純白の下着が露になり、ハムザは局部に顔を近づける。

 

 「ちょっと。ち、近いって…」

 

 少女は既に敏感になった恥部に吐息が吹きかかるのを感じていた。今にもむしゃぶりつかれてしまいそうだ。期待と不安で胸が高鳴っているのが分かる。

 

 両股を大きく開いて机に座るレフィーヤを見上げると、青碧色の瞳を輝かせながら頬が桃色に染まっている。後頭部で束ねられた豊かな絹のように美しいの山吹色のまっすぐな髪が、さらさらと揺れている。

 

 (ぐひひ…やはりとんだ淫乱エルフだ。こいつは)

 

 「おいレフィーヤ。今この状況で、詠唱が出来るか?」

 

 「…えぇっ?そ、それは多分、無理じゃないかな」

 

 「やってみろ。これが並行詠唱の練習だ。俺の悪戯を我慢しながら、詠唱を完成させるのだ」

 

 魔法を完成させてはまずい、ここ一帯が焼け野原になるからとレフィーヤは言うが、ハムザは「どうせ出来っこない」と言い放つ。

 

 プライドを逆撫でされ、闘争心が沸々と湧き上がってくる。

 

 (ふんっ、なによ。やってやろうじゃないの)

 

 「…どうなっても、知らないわよ」

 

 きりっと双眸を細め、精神を落ち着かせたレフィーヤは一瞬にして集中状態に入る。そして足元に魔法陣が生成された。

 

 『…誇り高き戦士よ、森の射手隊よ。押し寄せる略奪者を前に弓を取れ』

 

 (おぉ、さすがはロキ・ファミリアか。完成したら相当ヤバそうな魔力だな)

 

 酒を飲みつつも、両股を開き恥部を他人に見られながらも、魔力の装填に意識を割ける精神力はさすがと言ったところだ。

 

 (ぐひひ、しかしこれはどうかな?)

 

 「…同胞の声に応え——ひゃあんっ!?」

 

 ハムザがレフィーヤの股間を指先でひと撫でした途端、魔法陣は消え去り魔力は霧散して詠唱が中断された。魔力の粒子が霧のように空気へ溶け込んでいく様子が、魔法に疎いハムザにも感じられるほど膨大な出力の詠唱だったようだ。

 

 それでも失敗は失敗だ。たった一撫でで精神を乱されるようじゃ、とても並行詠唱など出来はしない。レフィーヤは、己の無力を痛感していた。

 

 「駄目じゃないか。まだ割れ目をなぞっただけだぞ?ほれ、続けてみよ、若輩者よ。ぐひひ」

 

 むむむむ、と唇を噛み、再び魔力を装填する。

 

 「…誇り高き戦士よ、森の射手隊——ひゃんっ…あぁっ…!」

 

 今度は下着をずらされただけで、詠唱は中断された。

 

 「これこれ。吾輩はおまんこに触れてすらいないと言うのに、お主は集中力が足りんようじゃな。ぐひひ」

 

 「…ちょっと、何よその口調。馬鹿にしているの?ふん、見てなさい。次こそ本気でやってあげる…」

 

 強気な言葉とは裏腹に、先ほどよりも精神の集中が難しくなっていることを自分で認めながらも、妙に神経が集中する局部には極力思考を向けないようにして、再び詠唱に入る。

 

 『…誇り高き戦士よ、森の射手隊よ——』

 

 「おぉ、レフィーヤちゃんのおまんこ、ピンク色で美味そうだなぁ。ぐひひ」

 

 (集中、集中っ…!)

 

 卑猥な発言に耳を貸さずに、ただ詠唱だけに精神を向ける。

 

 『押し寄せる略奪者を前に弓を取れ——』

 

 「クリちゃんもしっかり見えてるぞ。たっぷり抓って気持ちよくさせてやろう」

 

 (耳を傾けちゃ駄目。不動の心、不動の心!)

 

 眉をぴくぴくと動かしながらも、レフィーヤは詠唱を紡ぎ続ける。

 

 『……同胞の声に応え…矢を番えよ。帯びよ炎…森の灯火——』

 

 「しかしなぁ、おまんこびしょ濡れだぞ?これは相当溜まってると見た。ちゃんと普段からオナニーしているのか?」

 

  (不動、不動、不動、不動っっ!!!!)

 

 『撃ち放て、妖精の火矢… 雨の如く降りそそぎ——』

 

 「おちんぽ欲しくて堪らないんだろう?想像してみろ、これから見ず知らずの男に中出しされるんだ」

 

 挑発的な言葉を全力でスルーし、詠唱は最終局面を迎える。

 

 (ふんっ、無駄よ!もう終わる、勝ったわ、勝ったんだわ!!)

 

 『…蛮族どもを焼き払え』

 

 それは冷ややかな視線と共に呟かれた、冷酷な宣言だった。

 

 途端に凄まじい魔力の渦がレフィーヤを包む。魔力の装填が完了し、詠唱は最後の一声を待つだけだ。

 

 (あ、いかん。遊び過ぎたか…)

 

 冷や汗を垂らすハムザに対し、レフィーヤは勝ち誇る。

 

 (燃え尽きなさい、外道っ、変態っ!)

 

 オラリオを馳せる名声の中心軍団、【ロキ・ファミリア】のエース候補が放つのは、尋常ではないほど強力無比な炎属性の広域魔法。間違いなくここ一帯は灰と化すだろう。

 

 それは弱者への死の宣告であり、強者の勝利の雄叫びだった。

 

 偉大なる彼女の魔法名が店内に轟いた。

 

 『ヒュゼレイド・ファラァあぁぁぁんッ…!』

 

 静まり返った。乱交を繰り広げていた男女の群れが、一体何事かと個室に視線を送る。

 

 巨大な魔力の渦が集まり、彼らは死を覚悟していた。しかし魔法は打ち出されなかった。

 

 強力無比な魔法に代わって鳴り響いたのは、少女の喘ぎ声。

 

 命拾いしたと悟った彼らは、気持ちを切り替えてまたもとの乱交作業へと戻っていった。何事もなかったかのように。

 

 対する個室では。

 

 レフィーヤは項垂れていた。

 

 「あううぅ……ずるい、舐めるなんてっ卑怯…っ!」

 

 じゅるじゅると卑猥な音を立て、恥部を舐められている。襟元についた大きなリボンを噛み締めながら、レフィーヤは喘ぎ声を押し殺す。あんな大声で詠唱しながら、最後は殆ど喘ぎ声だった。そのことで頭が一杯だ。聞かれたに違いない。品行方正と噂される【ロキ・ファミリア】にあるまじき痴態を晒したことで、レフィーヤは羞恥に顔を歪めながらもされるがままに体を痙攣させている。

 

 ハムザは一度顔を上げ、少女の恥部から顔を離した。

 

 両股を大きく開く少女のふとももに、薄手の魔法衣のスカートが襞を作りながら局部へと流れ落ちている。下肢を覆う清潔な白いストッキングは清純な乙女を連想させるが、魔法衣をたくし上げるとまるで男を誘うかのような、艶めかしくまろやかな臀部と内股が露になった。

 

 その様子だけでも男の欲望が限界まで膨張するのに十分だろう。だが、その奥にある秘部は獣欲をそそる雌の匂いを撒き散らし、汚らわしい欲望を受け入れるために既に愛液でぐっしょりと濡れていた。

 

 ハムザは指先をレフィーヤへと挿入した。少女は大きく喘ぎ声を上げる。その声色はもはや歓声そのものだった。濡れそぼった内部で指を前後させながら、少女の反応を探る。奥へ奥へと突き進むほど、少女の悦びは深まっていくようだ。

 

 「とんだ淫乱雌エルフだな、まったく」

 

 下品な形容にエルフの少女はハムザを睨みつけた。だが、物欲しげに潤む瞳に紅潮する頬、淫靡な吐息がその剣幕を台無しにしていた。まったく怖くないな、とハムザは内心でほくそ笑む。

 

 「さっさと突っ込んで射精したらいいじゃない。そんな手つきじゃ私が絶頂する前に朝が来てしまいますよ?」

 

 「口を慎め、ビッチエルフ」

 

 「…っ!誰がっ…!」

 

 これまでの反応を探るような緩やかな動きを止め、ハムザは少女の膣を蹂躙するかの如く掻きまわした。局部に痛みが走ったのか、途端に抵抗の素振りを見せるレフィーヤ。

 

 「あまり余計な事を言うと、また今のお仕置きをするぞ」

 

 目に涙を溜めた少女は屈辱に唇を強く噛みながら、ぷいっとそっぽを向く。

 

 次にハムザが優しい手つきで愛撫を始めると、先ほどまでの処女とは思えない程の感度の良い反応が戻って来る。陰核に触れた途端、卑猥な歓声が漏れる。乱交が広がる店内の異様な雰囲気と、酒による理性の放棄も手伝ってか、普段のレフィーヤ自身にはまるで想像もできない声色だった。

 

 レフィーヤはハムザに弄ばれる局部から込み上げる、今までに体験したこともない感覚に気が付いていた。それは少女の恥部の奥から湧き出る不思議な快感で、レフィーヤは既にその快楽に身を任せる心地よさに酔いしれている。

 

 膣の奥や陰核など、執拗に心地よい場所を攻め立てるハムザの指先により快楽の渦は次第に膨れ上がっていき、もう自分の小さな体には収まりきらないと思われるほど大きくなっていった。

 

 「あ、だめっ…あぁ」

 

 膣の中で繰り返される刺激の連続に、限界は既にすぐそこまで来ているようだった。先ほど啖呵を切ったばかりなのに、ものの数分で絶頂されられたとなっては沽券にかかわる。何とか耐え凌いでやろうと全身で快楽に抵抗を始める。

 

 だがその抵抗も僅か数分だった。

 

 レフィーヤは下腹部に渦巻く莫大な熱量を持った快感を御しきれなくなり、ついに観念して体の硬直を解いた。

 

 その刹那、下腹部に溜まった快楽が爆発し、迸る快感となって全身を駆け巡る。

 

 有無を言わさぬ絶頂に、腰の痙攣を抑えきれない。愛液を垂れ流す局部を曝け出し、淫らな腰が何度も小刻みに震える。

 

 それは少女にとって初めての体験だった。快楽の爆発の後は、ただ満たされた不思議な喜びが体を満たしていく。レフィーヤはだらしない笑みを浮かべながら、「あぁ…」と呟いた。

 

 目を閉じながら絶頂の余韻に浸って暫くした後、眼前には苦しそうな程膨張したハムザの男根があった。

 

 何も言葉を発する必要もない事は、レフィーヤには分かり切っていた。この大きなペニスを、きっと今挿れるつもりなのだろう。そのための準備は、十分すぎるほど。

 

 「経験値の素が欲しいのか、俺のチンコで気持ちよくなりたいのか、どっちだ?」

 

 「うるさい。さっさとしたらいいじゃないですか」

 

 ハムザはレフィーヤの体を起こし、床に立たせてから上半身を無理やり机に押し付けた。

 

 魔法衣を乱暴に捲し上げて、艶やかな臀部をはだけさせてから、それに平手打ちした。

 

 「っっ~~…!」

 

 ぺちん、と良い音が鳴る。二度、三度と平手打ちを繰り返す度に、肉付きの良い太ももと臀部が揺れた。

 

 「お前は少し反抗的すぎる。経験値の素が欲しければ、俺の命令や質問には素直に応えろ」

 

 「い、いや…そんなのいや」

 

 ぺちん、と再び平手打ちをした。

 

 「じゃあなんだ、アイズちゃんに幻滅されても良いんだな?俺の言うことを聞かないと、あいつとの約束を守ることは出来ないぞ」

 

 「むむむむ…」

 

 交渉にアイズを出されてしまえば、レフィーヤは頷くしかない。酒に酔って正常な判断が出来ないことも相まって、結局少女は頷いた。

 

 「よろしい。では再び聞こう。俺のペニスが欲しいのか、経験値の素だけが欲しいのか、どっちだ」

 

 少し間を置いて、ぽつりとつぶやく。

 

 「…どっちも」

 

 今度は思いっきり力を込めて、ハムザは臀部に平手打ちをした。すでにうっすらと赤く染まり、少女は苦痛と恥辱に悶絶した。

 

 「嘘をつけ。本当はどうなんだ?」

 

 「むむむむ…」

 

 少女は観念して、先ほどよりも更に小さな声で言った。

 

 「…今は、その。ペニスの方が欲しい、です…」

 

 「先にそう言っていればいいんだ。まぁいい。今度から嘘は許さん。それに俺の命令は絶対だぞ。わかったな?」

 

 「う、うん……」

 

 「うん、ではない。はい、だ。それに俺のことは、これからハムザ様と呼べ。お前が経験値の素を欲しがる限りは、俺はお前の主だ。いいな?」

 

 「は、はい…わかりました。ハムザ様」

 

 (ぐひひ…とんだドM淫乱雌エルフだな、こいつは)

 

 この場で気が狂うほど淫乱にまぐわってもいいだろう。しかし、未だ罰則は解けず。本番は出来そうにもない。ハムザは「おしおきだ」と適当に理由を付けてペニスを仕舞い、レフィーヤも乱れた衣服を直し始めた。

 

 「アイズちゃんは特別だが、お前は違う。レフィーヤ、これからは俺の精子が欲しければ態度で示して見ろ」

 

 少女は羞恥に顔を歪めたが、すぐに頷いた。呑み込みの早い彼女に、ハムザは満足だった。二人は席を立ち店内に再び顔を出した時には、既に客たちは乱交を楽しみ終えた後だった。窓硝子の向こうには、薄らと明るみを帯びた雲が見える。夜明けが近いのだろう。

 

 ハムザは最高の気分だった。エルフの少女を手籠めにしたことが、心地よい酔いをさらに素晴らしいものにしていた。対するレフィーヤも、何だか分からない満足感を感じていた。これが酒のせいなのか、ただ単純に先ほどの行為によるものなのかは、分からない。

 

 程よくいい気分になった二人はカウンターでもう一度酒を注文し、乾杯した。レフィーヤはこの時は店内に響き渡るほどの大きな声で、『ちんちん!』と声を上げる。そのように命令されたからだった。

 

 「おい、実はお前にもう一つプレゼントがある」

 

 紙袋から取り出されたのは、柔らかい素材で出来た男根を模る物だった。いわゆる、ディルド。レフィーヤはそれを手渡され、今後は必ずこれで毎晩挿入の練習と、自慰しながらの詠唱を練習することと言い付けられた。

 

 先ほどエルフの女性の口内を楽しんでいたドワーフの老人がやってきて背後から声を掛けた。

 

 「お若いの、ちょっと火を貸してくれんかのう?」

 

 紙煙草を咥えた老人はレフィーヤは眺め、いやらしく鼻の下を伸ばす。

 

 「生憎だが、火は持ってない。悪いな、ジジイ」

 

 「なんと!」

 

 その老人はひどく酔っぱらっているように見えた。大仰な反応を見せ、生気が漲った眼球をキラキラと輝かせながら二人に言った。

 

 「それじゃあ一体どうやって、お二人は愛の火を灯すと言うのかね?えぇ、鳩ぽっぽちゃん?インポ男じゃ女を幸せに出来ん。火のない煙草じゃ俺は幸せにならん…」

 

 酔っ払いドワーフを追い払った後、二人は何杯も酒を飲み続けた。

 

 すると酔いが深まり、次第に狂気じみた雰囲気がハムザを覆う。レフィーヤは既に出来上がっており、ハムザが卑猥な発言をする度に大笑いしている。

 

 急に、ハムザが奇声を上げ先ほどのドワーフに殴りかかった。拳が顔面に直撃する直前に、驚いた老人の足が縺れて自ら倒れ込んだので、大事には至らずに済んだ。そしてハムザは言った。

 

 「お前、エルフのパンティー被れ!」

 

 それからハムザはレフィーヤにストリップを命じ、大勢の客の前で少女は裸にさせられた。本人はまんざらでもないという顔つきで服を脱ぎ始めたので、うら若いエルフの痴態に大興奮した客たちは大いに盛り上がった。

 

 レフィーヤのパンティーを被せられたドワーフの老人は泣いて喜び、ハムザの靴に這いつくばって口づけした。そこかしこで狂気じみた言動が繰り返され、レフィーヤはおかしくて堪らず何度もお腹を抱えて大笑いしていた。

 

 それからハムザが気分が悪いと言い出したので、二人は外に出た。道端で彼が嘔吐を繰り返し始め、レフィーヤは彼を介抱してやり本拠まで送ってやろうとした。

 

 その道中、飲み始める前、ハムザを待っていた時に目撃した酔っ払い集団と遭遇した。彼らは壁に向かって尿をぶちまけていた。レフィーヤは形や大きさの異なるペニスをまじまじと眺めた。その中のどれでもいいから、欲しくてたまらないと彼女は感じている事に気が付く。

 

 するとハムザがレフィーヤのもとを離れ、奇声を上げ彼らの輪に入って尿を壁に引っかけ始めた。その後彼らは肩を組んで歌を歌い始める。誰も歌詞や旋律を理解しておらず、全くバラバラの殆ど奇声に等しい歌だったのだが。

 

 結局ハムザがそのままどこかへ歩いて行ってしまったので、レフィーヤは仕方なくそこで彼と別れたのだ。

 

 そんな気狂い集団に別れを告げ〈黄昏の館〉帰る途中、どうしても公園に寄りたくなったのでレフィーヤは覚束ない足取りを運びながら、大きな公園に辿り着く。

 

 「えへへぇ~…。アイズさんとあんなこと、私もしたいにゃぁ~…」

 

 先ほど見た何本ものペニスが頭を離れなかった。何の目的もなく公園を横断するレフィーヤは、すぐ隣に短剣を装備し訓練をしているヒューマンの少年を見つける。

 

 「ぼくぅ、いまの、聞いた…?駄目ですよ、誰かに言っちゃあ…ふふふ」

 

 「え、えっと…!?聞いてません、アイズさんが何とかとか、聞いてませんから!!」

 

 白髪の少年は素振りを続けながら、不自然な笑いを作りながら大げさに否定した。レフィーヤは安心し、少年の不格好なナイフ捌きに駄目出しを始める。

 

 「もっとぉ、腰いれなきゃ。男の子なんだから力強く、腰をいれなきゃあダメだにゃぁ…ふふふ、アイズさぁん」

 

 レフィーヤはナイフを奪い取り、「こうやるの」と言いながら素振りをして、転んだ。少年が慌てて駆け寄り、「大丈夫ですか!?うわっ、酒臭い」と鼻をつまむ。

 

 少女は胸元をわざとらしくはだけさせて言った。

 

 「えへへ…ねぇ~ちょっと休憩しない?私、疲れちゃったなぁ~」

 

 

 「っっ…!?」

 

 美しく可憐なエルフの美少女からの誘惑に、ルベライトの瞳の少年は真っ赤になって飛び上がる。

 

 (他意はない、他意はないよね!?)

 

 彼は逡巡した。こっそり木陰に連れ込んで、イケないことをしてしまおうか。すると少女がむくりと起き上がり、虚ろな口調で言った。

 

 「あれぇ?さっきの可愛い男の子、いなくなっちゃったのぉ?なぁんだ、残念。ふふふ…。まぁ、いっか。アイズさぁ~ん。むふふふ…」

 

 愕然と立ちすくむ少年を背に、レフィーヤは再び歩き始めた。

 

 その少年は遠ざかる背を暫く眺めてから、目をごしごしと擦った。

 

 「…夢だよね、夢だよね!?」

 

 再び目を開くと、彼女の姿は見えなくなっていた。

 

 「ゆ、夢だったの…?」

 

 そうだと思いたい。もしこれが現実だったら、自分はとんでもないチャンスを逃してしまったのだから。追いかけようか、と少年は考える。しかし自分の理性が欲望を押し留め、彼は訓練に戻った。

 

 オラリオには、もうすぐ明るい朝日が昇るだろう。愛しの女神様が起きる時間までに訓練を終え、朝食を買って帰らなければ。

 

 そう、才能のない自分には、愚直に鍛錬を続ける事しか出来ない。美少女と飲み明かして、ゆきずりのセックスを楽しめるような身分じゃない。

 

 そして心に強く誓った。出来るだけ早く、そうなりたい、と。強くなって、オラリオの女の子とイケない事をしてみたい。

 

 「オッタルさんに言われた通り、今度ハムザさんに決闘を申し込もう。ボクはやるんだ…絶対に、勝ってみせる!」

 

 思い出すのは昨日の出来事。『最強』との出会いと、彼の言葉。

 

 『お前はハムザに挑戦しろ。そうすれば、冒険者としての新たな道が開かれるだろう』

 

 彼は自分の中に眠る才能を見出したに違いない、と少年は考える。今は芽が出ていないだけで、きっかけさえあれば自分も変われる。少年はそう信じ込んだ。

 

 そして決闘の末、勝者が手にする物。

 

 それは決まって、敗者の所有物だ。

 

 ハムザ・スムルトがアイズ・ヴァレンシュタインと付き合っているということは確認済みだ。それはあのオッタルからも確認したことでもある。二人は肉体関係にあり、仲睦まじく毎日逢瀬を重ねているという。

 

 許せない。ボクだって、アイズさんとえっちな事をしてみたいのに。初めての体験を彼女と過ごすことができたら、どれだけ幸せだろう。

 

 勝って、アイズさんを求める。軽蔑されたっていい。それに減るもんじゃないんだから、一回くらいはいいじゃないか。

 

 少年はその想いを一身に、愚直に素振りを繰り返す。

 

 「ボクは…強くなるんだ」

 

 女神から授かった 《ヘスティア・ナイフ》が音を立て、空を切り裂く。

 

 何もない少年が勝者に提供できるものは、そのナイフだけだ。もちろん、女神様には相談はしていない。全て自分の我儘と、独断だ。

 

 だが、勝ってみせる。

 

 勝って栄誉を手にしてみせ、女神様にも楽をさせてあげたい。そのためには、まず決闘を申し込む文章を考えなければならないのだが。

 

 汗を滴らせながら、少年は素振りを終え手元のナイフに視線を落とす。

 

 「…ボクだって、できるはずだ。何が何でもやるんだ、そうだ。ボクなら出来る」

 

 やるべきことは、わかっている。

 

 少年は眦に力を込め、明るくなった朝空を見上げていた。

 

 ベル・クラネルの心には、勇気が漲っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 ―反省―

 レフィーヤはリヴェリアによる説教を、もう何時間も正座しながら聞かされていた。

 

 アマゾネスの女性団員が明るい声で、「ねぇ。さっきからずーっと説教してるよね、リヴェリアさー、ちょっとひどくない?」と別の団員に声を掛けた。

 

 いつもならどんよりとした雰囲気を爽やかな空気に変えるだけの力を持っていた筈の彼女の声だったが、今回ばかりはそうもいかないようだ。

 

 【ロキ・ファミリア】の談話室には相変わらず重苦しい空気が流れ続け、その場に居合わせている団員は皆気まずそうにそわそわしている。

 

 「昼過ぎまでどこかの公園でぶっ倒れていて、リヴェリアの個人授業をすっぽかしたのよ。さすがに擁護できないわよ」

 

 先ほどのアマゾネスの姉であるティオナのため息交じりの返答に、妹はふーんと首を傾げてから言った。

 

 「そうかなー。誰にでも、羽目を外したい時ってあると思うなぁ」

 

 羽目を外すだけならね、と双子の姉がポンと妹の肩を叩き、自室へ戻っていった。リヴェリアによる公開処刑は、一向に終息を見せる気配がないどころか、一層厳しさを増しながら続いていく。

 

 何度も出入りを繰り返す団員たちはみな、虚ろな目をして青ざめるレフィーヤに驚き、さらに鬼の形相で冷淡に説教を続けるリヴェリアを見てもう一度驚く。

 

 そして近くの団員に声を掛けるのだ。一体、何事かと。

 

 リヴェリアは何度も同じ質問を繰り返していた。お前は一体何をやっていたんだ。どうして公園で眠りこけるくらいまで酒を飲んだのか。

 

 そう言われると、決まっていつもレフィーヤはこう答えていた。

 

 「わかりません…」

 

 彼女自身にも、一体自分に何が起こったのか分からなかった。不思議な力に誘われてその黄金の水を口に傾けた瞬間から、全世界が素晴らしい愛情に満たされたような気分になり、世界に生きるあらゆる種族の人々が愛おしくなったのだ。

 

 それからのことは、うまく思い出すことが出来ない。だがしっかりと脳裏にはハムザとの行為が焼き付かれていた。酒場で行われていた乱交騒ぎもだ。

 

 頭の中にある恥ずべき記憶を拭い去る事も、正直に伝える事も出来ず、レフィーヤは口を閉ざし、冷ややかな言葉の刃に唇を噛み続ける。偉大なる王族を前に心中を告白できない自分の不実さには、つくづくうんざりする。

 

 だが、もし事実をそのまま告白してしまったら…きっと自分の居場所は、ここにはなくなるだろう。レフィーヤには、それだけはどうしても受け入れられなかったのだ。

 

 「もうそのあたりにしてあげても良いんじゃないかな?」

 

 すると陰険な談話室に、朗らかな声が響き渡った。途端に団員たちはほっと胸を撫で下ろし、声の主に期待を込めた視線を送る。

 

 【ロキ・ファミリア】の団長であるフィン・ディムナが、先ほど部屋を出て行ったアマゾネスの女性を伴って再び姿を現したのだ。

 

 このフィン・ディムナさえいれば、ファミリアの問題は快刀乱麻を断つが如く解決するのが常だった。リヴェリアは一度立ち上がってからフィンと向き合い、冷徹な口調を崩さずに宣言した。

 

 「すまないが、フィン。私はまだ言いたい事の半分も言い終えていない。用事なら後にしてくれ」

 

 「ンー。そうは言っても、遠征前の時間は限られている。それをこうして浪費するのは、少し勿体ないとは思わないかい?」

 

 フィンはそのようにリヴェリアに説き始めた。遠征前の貴重な時間を、あえて説教だけに浪費するのもつまらない。どうせならもっと有効な使い方をした方がいいと言って、レフィーヤに今日一日を全て魔法の勉強に費やすようにと命令し、リヴェリアを納得させた。

 

 もちろんレフィーヤは謝罪を繰り返していたし、絶対に同じ過ちは繰り返さないと誓った。リヴェリアの説教は、少女の邪念をきっちり刈り取ってから、彼女をまともな『エルフ』に仕立て上げる事に成功したかに思われた。

 

 ようやく解放されたレフィーヤは自室への階段を上りながら、ため息を吐いて独りごちた。

 

 「はぁ…。どうしてあんなことになっちゃったんだろうなぁ」

 

 頭が痛む。まるで頭の中に子猫を数匹飼っているようだ。喚き散らしながら暴れ回る子猫たちは、絶えず頭の内部から頭蓋骨に殴りかかっている。

 

 手すりにもたれ掛りながらふらふらと覚束ない足取りで階段を上り切ると、レフィーヤは彼女の姿を見つけた。

 

 「ア、アイズさんっ…!」

 

 遠くの方を歩いていた彼女に届くように大きな声を出すと、急に吐き気を催した。何とか堪えてぜぇぜぇと荒い息を吐いていると、アイズはもうすぐそばまで来ていた。

 

 「どうしたの、レフィーヤ?」

 

 瞳に喜びを灯し、少女は破顔しながらアイズの手を取った。

 

 「私、やりましたっ!あのハムザ・スムルトからしっかり経験値の素を貰う約束を取り付けましたよ!アイズさんの言いつけ通り、しっかりできました!」

 

 レフィーヤが嬉しそうに述べていく報告に、アイズは全く頭がついていかなかった。

 

 「…私は、何も言いつけなんてしてないよ。レフィーヤ、飲み過ぎたの?きっと勘違いだと思うけど」

 

 そんなはずはない、とレフィーヤは食い下がる。自分は見たのだ。彼らの本拠で睦まじく体を重ね合う二人の姿を、はっきりと。そしてアイズが言った言葉も、はっきりと覚えている。

 

 『強くなりたいなら、ハムザの精子を貰わないと駄目だよ?』

 

 アイズは初心な自分に教えてくれたのだ。強くなるための性交という素晴らしい行為を。気持ちが良くて、強くもなれるなんて最高ではないか。相手が変態であるという点を除けば、文句の付けどころがない訓練方法だった。きっとこれがアイズの強さの秘密だったのだ、とひどく納得したものだ。

 

 「…ですからっ、アイズさんはハムザさんと二人で肌を重ね合う関係なのは、この目ではっきり見ましたよ」

 

 「ごめん、レフィーヤ。私は何のことだか、わからない…」

 

 そう言ってアイズは手を離し、階下へ降りて行った。アイズにとってなんてことはない所作だったが、それはひどくレフィーヤを傷つけていた。

 

 (うぅっ…アイズさん、ひどい。アイズさんに言われたから頑張ったのに…)

 

 何とか自室へと戻ったレフィーヤは机の引き出し開け、日記帳を取り出してから思いの丈を綴り始めた。それは誰にも見せる事はない、長年書き続けたアイズへの恋慕の言葉だった。

 

 

 

 麗らかな日差しの中庭で固い木製の椅子に腰かけながら、アイズはレフィーヤの言葉の真意を考え続けていた。彼女の言ったことが本当なら、レフィーヤは既にハムザと関係を持ち、強くなるための経験値の素を貰っているのだ。

 

 どういう訳か知らないが、あのレフィーヤが男に体を許した。リヴェリアにきつく禁止されていた筈の行為を、あろうことか一番の弟子である彼女がやってしまうとは。

 

 出来るなら、自分もしたい。確かめてみたいと、アイズは強く思った。ハムザのスキルがもたらす成長の力を。そして昨日出した結論を思い出す。

 

 「…私も、お願いしに行こう。精液を貰うだけなら、リヴェリアだって文句は言えないはずだから」

 

 ●

 

 「あたしたちの故郷とは違ってさー、オラリオの夏はカラッと乾いてて快適だよね~」

 

 アイズは本拠を出てから暫くの間あてもなく公園を歩き続けていた。目の上で揺れる自分の髪の毛が、強い日差しを浴びてさらさらと揺れている。澄み切った青空と白い雲。木々の真上から地面へと光を注ぐお日様は、陰を作ったり、陽だまりを作りながらオラリオの上で燦燦と輝いている。

 

 そんな天気の良い午後だったからこそ、ティオナの言葉を思い出したのかも知れない。

 

 いったいどんな場所に住んでいたのかと尋ねると、彼女はそこが密林のように蒸し暑く、起きている時も寝ているときも、毎日が汗だくだったと言った。そしてなんと、そんな季節が一年の三分の二を占めていたそうだ。

 

 ティオナが故郷について語ったのは、アイズが知る限りでもその時が最初で最後だった。

 

 いったい本当にそんな場所に人が住めるのだろうか。もしかしたら、住めなかったのかも知れない。だからティオナとティオネはオラリオにやってきたのだろう。

 

 「…みんな、いろいろ物語を持っているんだよね」

 

 アイズに舞い降りた詩的な感情が、彼女の視線を自然と地面に向けさせた。すると、そこには盛大に撒き散らされた吐物が干からびて、アイズの行く先を遮っていた。

 

 彼女が詩人だったのならば、きっとその吐物の主が紡いだ昨晩の物語に思いを馳せた事だろう。だが、アイズ・ヴァレンシュタインは冒険者だった。

 

 だから彼女は先ほどまで胸を占めていた不思議な詩心を、あっというまに脱ぎ捨てた。そして顔をしかめて大またでそれを飛び越えた。アイズ・ヴァレンシュタインは詩を詠まない。自分は剣一本で、牡蠣の様に閉じたこの世界を開いて見せる。ペンではなく、剣で。

 

 吐物を踏み越えた弾みで心まで躍ったのか、それともくよくよ悩んでしまうのは自分らしくないと思ったのか、彼女は今朝の決意を再び胸に刻み込んで体の向きを変えた。

 

 「…行ってみようかな、ハムザのところへ」

 

 決心してからは早かった。つい先日Lv.5へ到達した事で、基礎的な身体能力が跳ね上がり、一走りすれば突風のように駆け抜ける事が出来た。運動がてら【エアリアル】を使用して、天気の良い大空を疾駆した。人間が翼もなく飛べる日が来るなんて知ったら、大昔の人々は腰を抜かすに違いないなと思いながら、地上を見下ろすアイズはふと笑みをこぼした。

 

 なんてことはない、路上を歩く人々が空を見上げて指差しながら、腰を抜かして倒れこんでいたからだった。

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠の位置は、既にレフィーヤから聞いていたので簡単にたどり着くことが出来るはずだ。

 

 五十M上空から見下ろす歓楽街は、整然と居並ぶ娼館が密集して寄り添い合っていた。所々に点在する人工的配置を漂わせる木々や花壇が、陽の光を浴びて輝いている。

 

 しばらく飛翔していたアイズは目的地を見つけると、そのまま降下し勢いよく地面に着地した。その拍子に裏通りの狭い舗道が爆音と共に砕け散り、石造りの建物が崩れんばかりに震え、周囲に土埃が舞い上がった。

 

 「敵襲っ、敵襲っ!?」

 

 アイズが爆砕した通りに面していた彼らの本拠もとい中型テントは、爆風で支柱が倒れ、崩れかかっていた。ハムザがフライパンを両手に持ったまま驚愕の様相で飛び出し、土埃の中で立ち往生している。

 

 テントが完全に崩れ、中からぎゃあぎゃあと悲鳴が聞こえてくる。アイズはどうしていいか分からず、とりあえず魔法の風で土埃を吹き飛ばした。

 

 すると再び襲った突風に、テントの天蓋が吹き飛んだ。竜の様に空へ舞い昇っていった空気が一瞬にして静まり返り、アイズはテルクシノエ、小人族の少女、ハムザの三人と向き合って言った。

 

 「えっと…。おはよう」

 

 「今の爆弾は何だ?お前がやったのか!?」

 

 目を見開く三人に対し、アイズはぎこちなく釈明を始めた。まさか本拠がテント作りだとは思わなかった、まさか着地がこんなに難しいとは思わなかった、まさかLv.5のジャンプがこんなに威力のあるものだとは思わなかった…。

 

 「そりゃあな、俺たちだって」

 

 その説明を聞いてハムザは呆れながら言った。

 

 「まさか人間が爆弾みたいに降ってくるなんて、思わなかったぞ」

 

 頭に鍋を被ったまま、テルクシノエが続けた。

 

 「私はな、ハムザ」

 

 「いつかお前のせいで、人間が爆弾になって降って来る日が来るかも知れないと、思っていたところじゃ」

 

 即座に平静さを取り戻し冗談を言い合う二人とは対照的に、ファミリアのテントがあった跡地にて、リリはおたまを握り締めて突っ立っているだけだった。

 

 ●

 

 それから一日かけて、アイズとハムザ達はファミリアのテントを修復した。

 

 天蓋は3km先の娼館の屋根に引っかかっていた。路上に散乱したファミリアの所有物も、隣人の助けもあって大方回収することが出来たので、テルクシノエもハムザも特に腹を立ててはいなかった。災難はリリにだけ訪れていた。吹き飛ばされた彼女のバックパックは空中で分解し、中身の支援用具が歓楽街に降り注いだ。中にはそこそこ高価な回復薬や地図、水筒や今まで盗んだまま売れなかった宝石類などが入っており、それらは歓楽街の住人たちによって無言のまま回収されてしまっていたのだ。

 

 リリはそれからというもの、隙あらばアイズに小言を並べ立てた。荷物持ちが第一級冒険者に反抗できる手段と言えば、せいぜい悪口を言うことくらいだったから、仕方のない事だったのかもしれない。

 

 だが当のアイズは完全に打ちひしがれ、ようやくテントが修復された頃にはすっかり意気消沈し、衝撃で折れ曲がったテントの支柱のように体を折り曲げてベッドの上で体育座りをして俯いていた。

 

 作業が一段落したハムザは魔石珈琲製作機の電源を入れようとするが、反応がなかった。衝撃で壊れてしまったようだった。

 

 「くそ、珈琲め、お前もか」

 

 リリは砕けた水煙草の残骸に魔石を詰め込んで、小型の魔石灯を作る作業に没頭しながらアイズに話しかける。

 

 「そう言えば、ヴァレンシュタイン様はどうしてここで人間爆撃機ごっこをしようと思ったのですか?天気が良かったからかでしょうか?まさかウチに用事があったわけじゃないですよね。それなら歩いて来れば良い訳ですから」

 

 怒りで手元が狂ったせいで、リリは作業を手伝っていた女神の手を鋭い破片で切り裂きそうになった。

 

 「ぎゃー!危ない!何をするのじゃ。集中しろ!」

 

 リリをばしばしと叩く女神を一瞥してから、アイズは言った。

 

 「えっと…。その、実はちょっと話があって、来たんです…」

 

 「お話ですか?恨みがあるなら、さっさとそう言ったらどうですか。絶対にわざとやったに違いありませんよ。ハムザ様、私たちは狙われたんです。テントそのものが破壊されずに済んだのはたまたまで――」

 

 「もういい。リリ、その辺にしておけ。それで、アイズちゃん。俺はてっきり天気が良いから爆弾ごっこをしたかっただけだと思っていたが、用事があったんだな?」

 

 ハムザはアイズの隣に腰掛けた。ふわりと仄かに良い香りが漂ってきたせいで、股間に血液が集まっていくのが感じられた。

 

 「うん…。その、ハムザのスキルについてなんだけど、性交はしなくても、精液を飲むだけでも効果はあるのかな、って思って…」

 

 「なんだ、そのことか」

 

 ハムザはアイズを抱き寄せた。

 

 「無論、効果はある。エイナちゃんと確認済みだ。だから今すぐやろう。お詫びに中出しセクロスだ」

 

 そう言った途端、ハムザはアイズの両腕で押し出され、床に転がり落ちた。

 

 「…実際に性行為をするのは、だめだよ。私は、精液だけが欲しいの」

 

 「今更そんなわがままを言ってどうなると言うのじゃ。テントを吹き飛ばしたお詫びに、セックスの一回や二回は当然じゃろう」

 

 主神の発言にリリもハムザも大きく頷いた。だが、アイズは頑なに首を縦に振らなかった。

 

 「そういうのは、本当に愛し合ってる人同士でするものだから…。それにテントを壊したお詫びは、お金でちゃんとするつもり」

 

 「それを言うなら」

 

 リリが憎憎しげに言った。

 

 「ハムザ様の貴重な精液をただで貰おうっていう乞食精神を最初にどうにかして下さい。それともただで敵に塩を送れ、と言うのですか?有り得ませんよ。そちらが支払う対価を明確に提示すべきです」

 

 対価と言われ、アイズは困惑した。確かに、その通りだ。自分がハムザに提示できる自分の体以外のものとは何だろう、と暫くアイズは考え込んだ。

 

 「…私なら、闘い方を教えてあげられる」

 

 「そんなものはいらん」

 

 ハムザは即座に否定した。

 

 「でも、それしかないの。私は、ずっと闘ってばかりだったから…手伝えることと言ったら、それくらい」

 

 そう言ってアイズは食い下がり続ける。

 

 最初は断固拒否していたハムザだったが、アイズがあまりにもしつこく粘り続けるので、ようやく了承した。そうして二人は明日の早朝から訓練を開始することに決めた。

 

 もちろんハムザが了承したのは、暑苦しい訓練と強くなる事の重要さを理解したからではなかった。

 

 二人きりになればスケベなことをするチャンスが増えるから、ただそれだけだった。

 

 アイズは憑き物が落ちた時のように気持ちが前向きになったように見え、先ほどまでとは見違えるほどの美しい表情で別れの挨拶をして出て行った。

 

 「ハムザ、言うことがあるのじゃが」

 

 「奇遇ですね、テルクシノエ様。私からもあります」

 

 「そんな神妙な顔をして、二人ともいったい何事だ?」

 

 テルクシノエが最初に言った。

 

 「いつからお前の精液が飲むだけで他人の体に作用する事になったのじゃ?」

 

 「それはハッタリだ。まぁ、未検証だが間違いではないだろう」

 

 主神はやれやれと肩をすくめ、ベッドに横になった。次にリリがハムザに言った。

 

 「ハムザ様、これからしばらく、夜伽をする際は絶対にアイズ・ヴァレンシュタインに変身したくありません。それと、これは警告ですが」

 

 「ロキ・ファミリアの乗っ取りなんて本気で計画していたら、テントがいくつあっても足りませんよ」

 

 

 

 ●

 

 

 太陽が沈むのか沈まないのか決めかね、優柔不断なまま大空に浮かんでいる時刻に三人はメイン・ストリートを歩いていた。この日の夕刻は、先延ばしにし続けていたギルドの訪問に時間を費やす事に決めたからだ。

 

 小人族であるリリの歩幅は狭く、前を行く二人に遅れずについていくためには早歩きをしなければならない。とことこと足音を鳴らしながら、リリはこう尋ねた。

 

 「ところで、どうしてリリをファミリアに入れようと思ったのか、聞いてもいいですか?」

 

 入団以来せわしなく動いていたせいで聞けなかった事だった。サポーターが欲しかったならば、他にいくらでも探せた筈だ。【ソーマ・ファミリア】の乗っ取りを計画していたとはいえ、何の取り柄もない自分をわざわざ生かし、入団させるとは余程特別な事情があったのだろうかとリリは考えていた。

 

 「それはな、リリ。ギルドに提出するハムザの《スキル》についての詳細を把握するために、もともと別の女性団員が必要だったからじゃ」

 

 「ハムザ様との性交が、どれだけ他人に作用するかを測るというものでしたよね?でもそれなら、別の女性でもよかった筈です」

 

 主神の隣でハムザが呆れたように言った。

 

 「お前なぁ。じゃあ、あそこのじじばば夫婦にこう聞いてみろ。『お前たちは他の人間でもよかった筈なのに、どうして一緒になってしまったんだ』とな」

 

 「そんな野暮な事を言ったら、リリは絶対にぶたれてしまいますよ」

 

 テルクシノエは笑い声を上げた。

 

 「ははは。要するに、お互い惹かれ合う理由があれば他にはなにも考える必要がないということじゃ」

 

 「でも、こんなちんちくりんなリリに惹かれる理由があるとは思えません」

 

 「ネガティブな奴め」

 

 ハムザの発言に女神が継ぎ足した。

 

 「そうじゃ。それに几帳面で、真面目で、何事も整理したがる性格だな。ハムザとはまるで正反対。だからこそ惹かれ合うのじゃ。違うか?」

 

 「おい、あまり気色悪い事は言うな。まるで愛し合うカップルみたいじゃないか。いいか、俺は身近に置ける女を探していた。安全な居場所と強くなりたい願望を持っていたお前がそれを受け入れた。これで契約成立だ。お前が俺の欲しい物を与え、俺がお前の欲しい物を与え続けられる限り、この契約は続く。人間の関係なんて、そうやってシンプルに考えておけばいいんだ。永遠だの真実の愛だの、薄気味悪い物は神様にでも食わせていればいい」

 

 リリは肯定もせず、かといって否定もしないまま無言で歩き続けた。最初はひどく冷たい考え方だと思ったが、次第に妙に納得出来るものだと考えるようになった。ギブアンドテイクの関係に少しだけお互いへの好意が混ざれば、それだけで十分一緒にいる理由にはなるのかも知れない。そう思うと、少しだけ心が軽くなった気がした。

 

 ギルドに着いてから、三人は受付嬢のエイナとギルド長であるロイマンと話をした。エイナは最初、ハムザが元【ソーマ・ファミリア】であるリリを入団させたことに少しだけ驚いていたが、特に文句は言わなかった。

 

 「あら、そう」と簡単に返事をして、入団に関する書類を受け取ったエイナはデスクへ戻っていく。ロイマンは少し禿げ上がった頭に少しだけしがみついている髪の毛をさすりながら、小難しそうな表情を作って言った。

 

 「ところでテルクシノエ様のファミリアですが、住民税や課税申告書、居住登録証などの公的書類が未提出となっておりますな。ファミリア結成時にお渡ししている筈ですが、期日が迫っているためできるだけ早くご提出をお願い致します」

 

 テルクシノエはきょとんとした顔でハムザを見た。彼はすぐに首を左右に振ってから、リリを見下ろした。

 

 「リリが何か知っている筈がありません、ハムザ様。テルクシノエ様がご存じなのでは?」

 

 「う~ん…書類か。もらったかな?おぉ、そうじゃ。いつだかBBQをするための火種として使ってしまったかもな」

 

 「も、燃やしてしまったと…?」

 

 ロイマンは目を見開いた。

 

 「一体どうしてそんな事を?」

 

 「あぁ、思い出した。とっても腹が減っていたのに、身近には他に燃えそうな物がなかったからだ。分厚い書類だったからよく燃えたものだ。お前にも見せてやりかかったぞ、リリ」

 

 女神はハムザに頷いて、にやりと笑った。

 

 「どうせお前の権限でどうにでもなるじゃろう、ロイマン?」

 

 しかし豚顔の中年エルフは否定した。

 

 「無形の事柄なら口利きだけでどうにかなりますが…残念ながら、こういった書類は必ず形に残るものでして。書類には女神様の神血が必要ですし、偽造も出来ません。ですから何とか再発行はさせて頂くとして、提出は義務となっております」

 

 「まぁ、考えておくか。それよりソーマ・ファミリアの後処理はどうなった?」

 

 「えぇ、えぇ。それですが」

 

 ロイマンは待っていましたとばかりに声を弾ませて言った。

 

 「捕縛した団員の殆どに罪科がありまして。ギルドとしては、摘発にお手伝い頂いたテルクシノエ様方に感謝状を贈ろうと思っている所でございます。なにしろここまで大きな組織を摘発したことで、犯罪に対抗するギルドの能力と態度を世間に知らしめる事が出来ましたので…」

 

 「それに押収した物品はギルドの宝物庫でいったん保管してから、市場に出します。もちろん宝物庫の管理は私めが責任を負っておりますので…ここだけの話、押収品にご興味がおありなら一度訪ねて下さいますか?私の裁量次第では、不良物品として無償でお渡しする事も可能でございますので——」

 

 嬉々として語るロイマンの話をハムザが遮った。

 

 「あんな雑魚軍団の押収品には興味がない。それに感謝状なんかも要らん。エイナちゃんには、近日中にまた来ると伝えておけ」

 

 ぶっきらぼうな態度に肩を竦めるロイマンを後に、三人はギルドを後にした。

 

 「まったく、あいつは馬鹿だな。感謝状など贈られたら、うちが例の酔っ払いファミリアを乗っ取ったと暴露するようなものだ。押収品の横流しもそうだ。そんな事をあからさまにやっていたら、気づいて下さいというようなものだろう?」

 

 「意外と慎重なんですね?ハムザ様」

 

 「忘れて貰っちゃ困るが」

 

 ハムザは言った。

 

 「余計に目立つ真似はしない。なぜなら我が軍には偉大な任務が控えているのだ。ロキ・ファミリア乗っ取りという、偉大な任務がな」

 

 リリは隣を歩く女神にこっそりと助け舟を求めた。

 

 「テルクシノエ様、どうにかハムザ様を説得出来ませんか?どう考えても、うまくいくわけがないとリリは思うのですが」

 

 女神はリリに耳うちする。

 

 「呪いが解けてやりたい放題になったら、そのうち忘れる。放っておけばいいんじゃ。放っておけば」

 

 ●

 

 オラリオ最北端に位置する【ロキ・ファミリア】の〈黄昏の館〉近辺では、もう店仕舞いの時間だった。中心部から離れているためか、商業用店舗の数は少なく、まばらに建つ八百屋や肉屋などは日が落ちてすぐに戸を降ろしてしまうのだ。

 

 街灯がオレンジ色の光で夜の道を照らし始めるに連れ、立ち並ぶ民家では留守から戻った労働者が部屋に明かりを灯し、いくつもの窓から暖かい光が漏れ始めている。

 

 石畳をがたがた鳴らしながら、荷車を牽いた果物商が帰路をゆっくりと進んでいる。深く刻み込まれた皺から、彼がもう七十は過ぎているだろう事が分かる。老体には酷なのだろうか、荷車の車輪が石畳の深い溝に嵌ってしまうと、彼の力ではどうやっても抜け出せなくなった。

 

 溜息を吐いて、老人は顔を上げた。道に沿う塀の向こう側では、黄昏の館から漏れる光が街灯よりも輝いていた。建物内から大きな笑い声が聞こえてきて、老人は小さく「くそったれめ」と悪態を吐いた。引き手を握り締め、全体重を預けるように渾身の力を持って荷車を牽くと、車輪が溝から外れて荷車は再び重い音を鳴らし始めた。

 

 彼はもう、顔を上げてはいなかった。

 

 窓に頬を押し当てて、レフィーヤはその光景を見下ろしていた。

 

 「大変だなぁ…」

 

 彼女は視線を机の上に戻した。羊皮紙が散らばり、開きっぱなしの魔法書はもうずっと同じページのままだ。フィンに言いつけられた魔法の勉強だったが、とても身が入らないのだ。集中力という物は、例え気分が乗らない仕事でも執拗に反復を繰り返せば自ずとやってくる。だが今のレフィーヤのように二日酔いに苦しんでいれば、とうぜん思考の手綱は放り出されてありもしない方向へと飛んでいく。

 

 筆すらまともに持てずに苦しんでいたレフィーヤだったが、何よりも彼女を苦しめたのは、思考の行き着く先が決まってハムザから渡されたプレゼントのディルドだったことだ。袋に入れたまま引き出しに仕舞い、あわよくば存在そのものを忘れられたらと考えた彼女だったが、この一日はずっとその事ばかりを考えていた。ついに我慢できなくなり、レフィーヤは引き出しを開け、袋からそのディルドを取り出した。

 

 男性器を模した異形な遊具を手に取り、レフィーヤは生唾を飲み込んだ。

 

 そして椅子から立ち上がり、部屋の鍵を閉めた。部屋の同居人はまだ階下で談笑しているのだろう。今、自分は部屋に一人きりだ。

 

 (魔法の訓練も大切だけど、一応ハムザに言いつけられた方の訓練もやっておかなきゃね)

 

 ベッドに横になり、股を大きく開いてディルドを咥えた。日中から溜まりに溜まった欲望に身を任せ、一心不乱に舌を這わせていくと、下腹部がひどく疼き始めた。

 

 (もう我慢出来ない…入れちゃおっかな)

 

 するりと下着を脱ぎ、既にぐっしょりと濡れた恥部にディルドを押し当てた。その瞬間、ガチャリと大きな音を立てて誰かが部屋に入ろうとして来た。

 

 「あれ?レフィーヤ、いるの?」

 

 レフィーヤは飛び上がって乱れた洋服を直し、空返事をして鍵を開けた。

 

 「ゴメンっ!ちょっと勉強に集中するために、鍵を掛けちゃってた。アハハ…」

 

 同居人の少女は既に片付けられた机に目をやってから、頬を上気させ妙に赤らんだレフィーヤを見て訝しげに言った。

 

 「もしかしてレフィーヤ、いろいろ溜まってるの~?程々にしないと、またリヴェリア様に怒られちゃうよ?」

 

 「えっ!?えっと、何のことだか、分からないなぁ~。うん、全然わかんないよ。じゃ、あたしはそろそろ寝ようかなーっと。おやすみ!」

 

 レフィーヤは布団で全身を覆った。枕がいつもよりも高く感じたのは、とっさに枕の下にディルドを隠したせいだろう。

 

 

 ベル・クラネルは主神ヘスティアが日中のバイトでへとへとになり、布団の中で寝息を立て始めた頃にもぞもぞと動き出していた。

 

 蝋燭に明かりを点け、その僅かな光源を頼りに椅子に座り、机と向き合った。ここ数日、ベルはこうして決闘書に書く文章を考え続けていたのだった。

 

 女神を起こさないよう、かすれたように小さな声でベルは呟いた。

 

 「決闘の申し込みって、いったいどうやればいいんだろう…」

 

 そもそもだが、自分がハムザと闘って生き残る可能性は低い。まともに戦闘すら出来ない素人が、年上で実績も成長率も遥に勝る相手と闘って勝つなんてことは、いくら夢想家な自分だって想像すら出来ないことだ。オッタルに焚き付けられ、成り行きに任せて決闘を決意したベルだったが、どれだけ努力を重ねても一向に増えないステイタスの数値に、いまや自分の決断を激しく後悔していた。

 

 

 希望に満ちていたのはつい先日の話。今では剣を持つ相手と対峙することを想像するだけでも怖い。このまま逃げてしまえたら、なかったことにできたらどれだけ楽になるだろうとベルは考えた。しかし、もう後戻りは出来ない。そして自分でもはっきりと理解していた。

 

 この決闘で自分の未来が決まる。こうして底辺を這い蹲りながらダンジョンで野垂れ死ぬ日を待つか、あるいは称賛浴びる英雄として語り継がれる物語の主人公となるか。

 

 決断しなければならなかった。そしてベル・クラネルは筆を走らせる。

 

 「…とにかく、やってみよう。今日は書き上げるまで、絶対に寝ないんだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 ー戦争開始ー

 ダンジョン15階層。光源の乏しい洞窟を思わせるこの階層で、ある冒険者パーティがミノタウロスの大群と闘っていた。開戦して暫くの間続いた均衡状態だったが、怪物の圧倒的なタフネスを前に、冒険者達の体力は蝋燭のように溶けていった。

 

 モンスターの中でも際立って体の大きい一頭が、巨大な岩石のようなこぶしを振り降ろし、前衛の盾役達を潰した。血肉が撒き散らされ、無言の恐怖が伝播した。その時、誰かが悲鳴を上げた。そこからはモンスター達による一方的な虐殺が始まった。

 

 冒険者は恐怖に心を支配され、冷静に相手の動きを観察することも、連携で苦境を打破しようともしなかった。中には仲間が虫のように潰されていくのを、ただ呆然と眺めているだけの者もいた。瞬く間に数が減ったパーティには、既に数名が息をしているだけだ。茫然自失している者を何とか鼓舞しようと、どうにかしてこの戦闘から脱出しようと必死に声を荒げ続けている人物がいたが、彼の声はもう誰にも届かないようだった。

 

 「助けてくれ!誰か、助けてくれ!」

 

 その悲鳴を聞いたか、霧の向こう側から武人がやってくる。巨人のような猪男だった。

 

 「あんた、まさかオッタル…?助かった。頼む、あいつらをどうにかしてくれ!」

 

 その武人は状況を一瞥するなり、冷笑を浮かべて言った。

 

 「お前も冒険者なら、他人になど頼らず自分の力で未来を切り拓いてみるのだな」

 

 救援要請を突き放された男の顔から、次第に希望の色が消え失せていった。彼が背後を振り返ると、もう誰も立ってはいなかった。ミノタウロスの大群が最後の獲物をしとめようと鼻息を荒げて近づいてくる。ふと、モンスター達の足が止まった。

 

 彼らはオッタルを見るなり明らかに動揺し、どっしりとした重低音で苦しげに唸った。しかし、オッタルは身じろぎ一つしない。彼の動きを注意深く観察するモンスターと、逃げる気力も無く立ちすくむ冒険者の間に膠着状態が生まれた。

 

 冒険者は、ごくりと唾を飲み、後退りをしながら逃げようとした。

 

その直後、人体が潰される音が広間に木霊する。一際体の大きな一体が、オッタルに構わず前に出てくるなり、戦意喪失していた冒険者を叩き潰したのだ。その怪物は雄叫びを上げ、オッタルをねめつけた。

 

 「ふふ。お前は、悪くないようだ」

 

 武人は武器を手に取り、それを怪物の前に投げ捨てた。

 

 「…扱ってみろ。お前は、見込みがありそうだ。神意に付き合って貰おう」

 

 ミノタウロスは武器を手にとり、オッタルに激突した。

 

 

 オラリオは夏の間、ずっと暑いわけではない。まだ月が輝いているうちは、そこら中に霧が出て周囲の温度を下げる。だからアイズ・ヴァレンシュタインがこそこそとを抜け出した夜明け前、彼女が薄手のガウンを羽織っていたのも、当然だと言えるだろう。

 

 冷たい外気に両手を擦りながら、蛻の殻になった街中を南下していった。夜明け前のオラリオは、とても不思議な雰囲気だった。そこには秘密に溢れた夜の神秘さも、希望に満ちた朝の快活さも無かった。悲喜交々が混ざり合い、夜と朝がお互いに譲り合いながら中途半端な色を空に浮かべ続けている。

 

 アイズは暫く歩いてから、誰も入り込まないような路地裏に辿り着く。恐らく神々降臨以前からあるだろう外壁はあ、既に崩れて僅かばかりの形を残すだけだった。扉を失った門を潜ると、野草が生い茂る空間に出た。そこを直進すると、古ぼけた煉瓦造りの建物が天を衝くように聳えていた。

 

 塔を登る扉を押し開けると、埃が舞った。階段は螺旋状だ。アイズ程に名の知れた冒険者でなければ、上り切るまでには相当な苦労が強いられるだろう。

 

 上っていくうちに、外から鳥の鳴き声が聞こえてきた。アイズは鳥の名前など見当もつかなかったが、鳥達が朝の使者であることは知っていた。ぐるぐると階段を上っていく途中にある小窓からは、暗い塔内にオレンジ色の光が差し込んでいた。

 

 そして上れば上るほど、その光は段々と明るくなっていった。

 

 螺旋階段は、何の合図もなく無くなった。目の前には身を屈めて潜れるほどの大きさの扉があるだけだ。

 

 アイズは体を少し曲げて外に出た。なるほど、確かに少しだけ近くなった空が、今ではオレンジ色に変わっている。石壁の上に止まっていた鳥が、自分を見て驚いたように飛び去った。ばさばさという羽音と共に、足元の不審な影が唸った。

 

 「ハムザ…?」

 

 アイズは不審者に名前で呼びかけた。その男はパジャマを着て、毛布に身を包んで眠りこけていた。

 

 「どうしてここで寝ているんだろう?」

 

 男が寝返りを打つと、アイズのメタルブーツにごつんと頭をぶつけた。痛みで目を開いた彼は、寝ぼけ眼で言った。

 

 「…よう。はやいな、もうそんな時間か」

 

 「どうしてここで寝ているの?」

 

 アイズがそう聞いた時、ハムザは上半身だけを起こして大きなあくびをしていた。

 

 「そりゃあ、夜明け前に起きるなんていう怠け者の習慣が、幸いにも俺には身についていないからだ」

 

 「…早起きは、怠け者の習慣じゃないと思う」

 

 意味が分からず、首を傾げる少女。ハムザはいちいち説明する気も起きなかったので、のっそりと立ち上がりまだ明けやらぬ空を見つめた。

 

 「まだ夜じゃないか。もう一眠りしよう、ほれ。アイズ、こっちへ来い」

 

 「…訓練、しないの?」

 

 「訓練なら、もう始まっている。隣に来ておちんちんを勃起させるのだ。無事に勃起させたら、次は俺をその気にさせてみろ。うまく出来たら精液のプレゼントだ」

 

 アイズは直立不動のまま、無表情だった。人形のような彼女の心情を言葉なしで理解できる人間がいたとするならば、もはやその人物はサイキックか、神様だろう。普通の人間なら、彼女は怒っていると思うかも知れない。はたまた彼女を良く知る人物なら、呆れていると想像するかも知れない。しかし、ハムザは違った。

 

 「ぐひひ…嬉しくて言葉も出んか。ほれ、アイズ。はやくこっちへ来い」

 

 手招きし、石の上に敷かれた毛布に横になるように目線で示した。無表情を貫いていた彼女が一度だけこくりと頷いて、それに従った。

 

 「…戦闘の訓練はしない、の?」

 

 「そんな事を約束した覚えは、ないなぁ」

 

 「そう…」

 

 アイズは少しだけ息を吐いた。ハムザはそれが笑い声だと思い、可愛らしいものだなと思った。しかしよくよく考えてみれば、もしかしたらそれは溜息だったのかも知れない。

 

 ●

 

 スケベな特訓とは、センズリを見せつけるだけの筈だった。しかし行為の途中、ハムザは罰則が解けた事を知った。おんおんと男泣きをする彼に最初は戸惑っていたアイズだったが、ムードもないまましつこく本番を迫るハムザを、彼女は反射的に殴り飛ばした。

 

 気絶する変態に、アイズは「あっ」と一瞬だけ固まったが、すぐにその場所を後にした。どうせまた明日訓練するのだ。精液はその時に貰えばいいだろう。次はもう少し空気を読んで迫って欲しいものなのだが。

 

 時刻はもうすぐでお昼になる頃だろうと、お腹の虫が告げていた。朝方は快晴だったにもかかわらず、空気は湿り気を帯び、空にはまだらに雨雲が浮かんでいた。

 

 ハムザの意識が戻ったのは、アイズが去ってからそれほど経った頃でもなかった。むくりと起き上がり、辺りには曇り空以外には何もないのを確認してから、彼は街へと降りて行った。そして近くのオープンテラスカフェに腰かけた。その時にはぽつぽつと雨が降り始めていた。

 

 テーブルに置かれたメニューを眺めていると、女性ヒューマンの店員がやってきて、無言で注文を待っていた。すらりとして背が高く、真っ黒に流れる髪は若さを存分に湛えている。顔立ちは整っていたが、その表情や目つきには生気がなく、諦観のようなものが憑りついていた。可哀そうに、若くして店を任されたが故の疲労だろうか。いや、仕事が私生活にまで侵入してきて、我が物顔で趣味や色恋沙汰を追い立てれば、若者でなくとも誰しもがこんな表情をする筈だ。ハムザはそう考えながら、暫く注文を決めかねていた。

 

 それでも彼女には、今まで沢山の花束が贈られてきたようである。贈り物を手一杯に抱えて赤面させられる事もあったのだろう。しかし、どうせ大抵はすぐに破綻する恋だった筈だ。蝸牛が殻を脱ぎ捨てられないのと同様に、彼女もまた、カフェの経営という仕事に縛られているからだ。

 

 ハムザの無遠慮な視線に、思わずその女性は後ろを向いた。ミニスカートが、はらりと揺れた。スタイルの良い後ろ姿に、ハムザは少なからず欲情していた。

 

 「この、チャイっていうのをくれ」

 

 彼女が振り向いた。

 

 「三種類ありますけど。エル・アルズ地域のスパイスを使ったものが、おすすめね」

 

 「なんだと。エル・アルズと言えば我が祖国の地域ではないか。では、それをくれ。君はそこの出身なのか?」

 

 ウェイトレスは首を横に振った。

 

 「お店を始めた祖父が、そこの出身だっただけ。私が産まれた頃、お父さんもお母さんも、オラリオに住んでいたから…私の出身はオラリオね」

 

 そう言って彼女は店内に入っていった。ハムザは雨模様の通りを見やった。

 

 居並ぶ民家よりも背高く育った栃ノ木(マロニエ)が、傘のような白い花を咲かせて道路沿いに立ち並んでいる。オラリオは生憎の雨模様だが、陽が差している場所もあった。

 

 雨とも晴れとも言えない不思議な天気だからか、お構いなしに鳥たちが歌の掛け合いを続けている。少し雨足が強まり、テラスを覆う小屋根を雨粒がぽつぽつと叩く音が聞こえてきた。頭上の雨音に耳を傾けた途端、音は止んだ。降ったりやんだりの繰り返しだ。

 

 赤、黒、黄色、水色のカラフルな小椅子には、今はまだ小鳥がちょこんと舞い降りるだけだ。これから日が暮れるに連れ、沢山の紳士がそこに思慮深そうに神妙な面持ちで座り、真面目くさった態度であのウェイトレスを口説きにかかるのだろう。

 

 しかし、今はそのウェイトレスは自分だけのものだ。彼女がチャイを運んできた。持ち手のない茶色の陶器製のカップに注がれたそれを、ハムザは飲んだ。

 

 どうですか?と彼女が笑顔で聞く。不思議な事に、彼女が笑うと先ほどまでの諦観が消え去り、顔には生気が漲っていた。ハムザは心からこう思った。

 

 ——うまい。

 

 ハムザがこうして昼下がりの数刻をのんびり楽しんでいると、レフィーヤが待ち合わせの時間にやって来た。

 

 「あ、ハムザ…。今日は早いじゃない」

 

 レフィーヤも席に着いて、注文を眺めはじめた。

 

 「今日のツアーはやりまくりナンパ大作戦だ。早速のターゲットは…そこのウェイトレス」

 

 店員がレフィーヤの頼んだ紅茶を運んで来た。彼女はレフィーヤを見て言った。

 

 「あ、ロキ・ファミリアの千の妖精(サウザンド・エルフ)…」

 

 「えっと、どうも。こんにちは…」

 

 二人はぎくしゃくとした挨拶を交わした。レフィーヤほどの有名人ともなれば、入る店のほとんどで声をかけられる。もう慣れっこではあったが、指を差されて噂されるのは、あまりいい気分のするものではなかった。

 

 「お姉さん、突然だが、少し話を聞いてくれないか」

 

 そう言って彼女を足止めしてから、ハムザは嘘八百を並べ立てた。

 

 「実は今、出資先を探していたところだ。我がギルドは街の発展のために、質の良い酒場や武具屋に無償で資金提供を行う事にした。もちろん、それはファミリアに所属する組織だけではなく、個人運営の店も含まれるというわけだ。我がギルドがお金を払い、街に品質の良いサービスが溢れる。どうだ、悪くないだろう」

 

 ウェイトレスはお盆を脇に抱えて言った。

 

 「それは結構ね。それよりあなたが、ギルドの?」

 

 「あぁ、もう何年も前から働いている」

 

 ハムザはそう答えて、さらに説明を続ける。レフィーヤは遠い目で嘘を並べるハムザを見つめていた。

 

 「援助をするかどうかを決める全権は俺にあるのだ。そうして、たまたま立ち寄ったこの店のチャイに、俺の心は今まさに動かされようとしている。だが出資にあたって、一つ問題があるのだ」

 

 「問題って何ですか?ギルドの職員さん」

 

 「ソーマ・ファミリアを知っているか?」

 

 店員の女性は頷いた。

 

 「かの派閥も、我々の援助を受ける団体の一つだった。しかし土壇場で、彼らがとてつもなくあくどい集団であるという事が発覚した。具体的に言えば、無許可風俗店の運営などだ」

 

 「それで?」

 

 「それがどういう関係があるんです?」

 

 いつの間にか、ハムザの口調は威厳たっぷりな紳士を装ったように変わっていた。レフィーヤは腕組みをして意味ありげに何度もうなずくハムザを見て、ため息を一つ吐いた。

 

 「身辺調査が必要なのだ」

 

 ハムザの答えに、彼女は納得した様子を見せた。

 

 「そう。うちは健全だから、必要なら書類でも何でも用意するわ」

 

 「それだがな」

 

 腕組みをしてわざとらしく顔をしかめ、ハムザは言った。

 

 「俺は明日から長期休暇に入る。悪いが、休暇中に仕事をする程狂った人間ではないのだ。だからもし無償でお金が欲しければ、君は今日中に俺を納得させる必要がある」

 

 「それで、具体的にはどうしたらいいの?」

 

 「幸いな事に、俺は最強なイケメンで、君は可愛らしい女の子だ。ちょっと幸が薄そうなのは置いておいて、なかなかに魅力的な笑顔を持っている。だからその、言いにくいのだが…今すぐ審査をしよう。なに、ちょっと体と体をくっつけ合うだけだ。もし合格すれば、君には特別に書類なしで通してやろう。明日には金塊が待っている」

 

 店員は少し難しい顔をして考え込んだ。

 

 「それ、実際にいくら貰えるの?」

 

 「百万ヴァリスだ。返済の義務はない。用途も自由だ。もし休暇が必要なら、店を閉じてバカンスにでも出ると良い。そのことに我がギルドは感知しない」

 

 「それは結構ね。前金で頂けるのよね?」

 

 「いや、それはダメだ。金を渡すのは審査が通ってから。こればっかりは俺の全権でも変えられん」

 

 「そう。それは残念ね」

 

 そう言って店員は店に戻っていった。レフィーヤはハムザの法螺話に彼女が乗って来なかった事に喜んだ。だが、店員はすぐに二人のテーブルに戻って来た。鍵を持っている。

 

 「悪いんだけど、店を閉じるのを手伝って貰える?机も椅子も店内にしまっておかないと、酔っ払いや悪ガキに持って行かれちゃうから」

 

 ハムザは聞いた。

 

 「それはつまり、返答はイエスということか?」

 

 「えぇ、そうよ」

 

 店員は微笑んで言った。

 

 「返事はイエスよ。はやく店を閉じて、審査を始めましょう」

 

 

 店を閉じた後ハムザが近づくや否や、その女性は唇に吸いついてきた。腰をくねらせ、手を体中に絡ませてくる。そうとう溜まっていたのが一目瞭然だった。熱い抱擁を続ける彼女が、横目でレフィーヤを見て言った。

 

 「ねぇ、彼女、どうするの?ちょっと気が散るんだけど」

 

 「気にするな。あいつはただの見学希望だ。エロい事を教えてやらなければいかん」

 

 「ふふ…。それも『ギルド』の任務なのかしら?」 

 

 そう言って彼女は服を脱ぎ捨てた。健康的な色をした肌が露になり、抜群のスタイルを誇る若い女体がハムザに絡みつく。

 

 「ぐひひ…我慢ならん。いますぐ審査を始めよう」

 

 彼は勃起したペニスをズボンから取り出し、服も脱ぎ去らないまま彼女の恥部にそれを挿入した。準備は万端だったらしく、彼女はすんなりハムザを受け入れた。久しぶりの性交の感覚に、ハムザは愉悦の声を漏らす。それは彼女も同じだった。

 

 普段はやってきた客に紅茶を淹れている時間だろうが、今日に限っては店内で男と交わっている。その背徳的な状況に彼女は燃えに燃え、何度も何度も大声を上げて腰を動かし続けていた。欲求不満が続いていたそのウェイトレスは、すぐに絶頂に達した。対するハムザも射精の時がすぐそこにやってきているのを感じていた。

 

 「くそっ…久しぶりのセクロス、もう少し楽しみたかったが…。止むを得ん。レフィーヤ、コップを持って来い」

 

 腰をより素早く、より激しく見知らぬ女性に打ちつけながら、ハムザはコップを受け取りその中に射精した。

 

 「ぐふふ…最高さいこう。久しぶりのおまんこ、なかなかに気持ち良かったぞ。ほれ、レフィーヤ。経験値の素だ。ごっくんと飲んでみろ」

 

 レフィーヤはどろどろとした白濁液の入ったコップを手渡され、それを傾けた。 

 

 「んっ…あまい」

 

 彼女は躊躇う事もなくそれを口に含んでから舌で味わい、飲み込んだ。

 

 「ねぇ、それ何のプレイなの?それに私は合格したかしら。ギルドの職員さん?」

 

 ハムザはズボンをたくし上げ、てらてらと光るレフィーヤの唇にキスをした。途端に彼女は顔を赤らめ、もう精子の入っていないコップに口を付けて俯いた。

 

 「審査の結果、残念ながら君は不合格だ。だが、休暇中にも何度か訪ねる事にしよう。そこでもし俺の心が動かされたら、もしかしたらその時に合格するかも知れん」

 

 「そう、それは残念ね」

 

 その女性はさらっとハムザの発言を流して、調理場に入って行き手を洗って戻って来た。レフィーヤはあまりにあっけらかんとした店員の対応に、つい声を発する。

 

 「えっと…本当にいいんですか?タダでヤリ捨てされたんですよ?私だったら、絶対に黙っていられません。どうして受け入れられるんですか、こんな理不尽を?」

 

 ウェイトレスの店員は乱れた髪を結びなおし、微笑みながらレフィーヤに言った。

 

 「最初から、そこまで信じていなかったわ。だって私、ソーマ・ファミリアに所属していたのよ。私は彼のこと、よく覚えているわ。もともとお店の経営に忙しくて、ファミリアの活動なんてこれっぽっちもしていなかったけど…とにかく彼がギルドの職員なんかじゃない事は、最初から知っていたの」

 

 「なんだと?騙されたふりをしていたって訳か」

 

 ハムザの発言に、彼女は笑いながら応えた。

 

 「あはは。単純にあなたの事、悪くないと思ったからよ。それにしっかり、飲み物のお代は貰っていくわ」

 

レフィーヤは嫌な予感がした。ちらりとハムザを見やると、彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。

 

 「いくらだ?」

 

 「そうね…。スペシャルサービス込みで、十万ヴァリスってところかしらね」

 

 レフィーヤは飛び上がった。まさかただの飲食店で十万ヴァリスもの大金を請求されるとは思わなかったからだハムザは渋々それを了承し、金貨を支払った。お金を受け取った彼女は満足そうに微笑んでから、二人にもう店を出るように促した。

 

 「それじゃ、またね。私の名前はクセニアよ。もしまた来るなら、その時もサービスしてあげるわ、ハムザ君」

 

 ばたんと閉じられた扉を背に、二人は少しの間立ち止まって沈黙していた。

 

 「…まぁ、こういう事もあるという一例だ。そんなことはさて置き、次の獲物を探しに行こう…」

 

 だが雨足の強まり始めたオラリオの通りでは、あまりたくさんの獲物に恵まれなかった。何度か街中で女性に声を掛けるハムザだったが、その成果はあまり著しくはない。やがて夕暮れがやってきて、レフィーヤは本拠に帰る事にした。

 

 「じゃ、さようなら。あまりうまくはいかないみたいね。もう少し紳士に声をかけるようにしたら、女の子も悪い気はしないと思いますけど」

 

 「うるさい。例え1勝10敗だろうと、白星は白星だ。それに天気にこうも拗ねられちゃ、運が無かったと諦めるしかないな」

 

 「きっとナンパなんてうまくいかないのよ。誰だって、見ず知らずの男についていくのは抵抗がありますから」

 

 そんな言葉を言い残して、彼女は去っていった。ハムザは途方もない落胆で頭を垂れ、とぼとぼと夕暮れの帰路を歩いて行った。

 

 

 その夜、レフィーヤは前日の失敗という経験を活かして、夕食にたっぷりと時間を使ってからディルドを持ってトイレに立て篭もった。完全に孤立したトイレの中であれば、誰にも邪魔をされることはないだろう、という計算だったのだ。

 

 既にとろとろとほぐれた恥部にディルドの先端をあてがい、ゆっくりと挿入する。だが、違和感があるばかりでとても気持ちがいいものとは言えなかった。途中から、レフィーヤは考え方を変えた。便座に手を突き、思い切って膝を折り、石床に膝をくっつける。汚い事をしていると理性が警鐘を鳴らしたが、考えない事にした。そうして出来るだけ臀部を持ち上げてから、犬のように四つん這いになってディルドを動かしてみた。

 

 すると先ほどまで感じる事のなかった、犯されるという感覚がレフィーヤを支配する。あのハムザという乱暴者に無理矢理組み伏せられ、有無を言わさず犬のように犯される自分を想像して、レフィーヤは大いに興奮した。こうして自分の性癖を思い切って解放してからは、絶頂など容易いものだった。レフィーヤは様々な体位を試して、少なくとも四回は絶頂した。途中、試しに詠唱を紡いでみようとしたが、全く魔法にならなかった。本当にこんなことに意味があるのかと思うくらい、不可能に思われた。

 

 この日、すっきりした気分で布団についたレフィーヤは、いつもよりぐっすり眠ることが出来たのだった。

 

 

 翌朝、アイズは昨日と同じように夜明け前からハムザとの訓練のために本拠を出た。塔に登ると、そこにはやはりハムザが簡易ベッドを作って寝転んでいた。その寝顔をまじまじと見つめると、アイズは少し胸がどきどきするのを感じた。それからハムザを起こし、少し準備運動をしてから本格的な実戦形式の戦闘訓練が始まった。

 

 ハムザの一撃をアイズは余裕を持ってかわす。そしてカウンターの一振りを食らわせると、ハムザは吹き飛んだ。戦闘訓練は、たったの数秒で終わった。気絶から回復したハムザは二度目の戦闘を拒絶し、下半身を曝け出して言った。

 

 「お前は強すぎるから、訓練になんかなるものか。それよりも俺のちんこを見てみろ。どうなっている?」

 

 剣を置いて、アイズはそれを見つめた。そそり立っている。

 

 「うんと…大きくなってるみたい」

 

 「そうだ。そして大きくなるという事はセクロスがしたいということだ。お前も俺の経験値の素が欲しいのなら、手で触ってみるのだ」

 

 「それは、えっと…。リヴェリアに、えっちを止められてるの。だから、ハムザの精液だけが欲しい…」

 

 そこからは同じことの繰り返しだったので、ハムザは仕方なくアイズの眼前でペニスをしごき始める。流れる金髪が風に戦いでいる。朝焼けが過ぎ去り、空には明るい太陽が輝き始めた頃に塔の天辺で美少女を前にする自慰は、なかなかに格別だった。罰則が解除された今、本当ならオナニーなど言語道断だ。しかし目の前に居るのはアイズ・ヴァレンシュタイン。彼女に視姦されながらの一発は、雑魚とのセックスよりは良いかも知れない。

 

 「お、いく」

 

 ハムザは躊躇いなくアイズに発射した。朝一番の精子が顔にこびりつき、アイズはそれを指で掬い取ってぺろぺろと口に入れる。

 

 「これで強くなる、のかな…?」

 

 「さぁ、多分あまりならんだろう。一番はセクロスだ。ただ精子を飲むだけじゃ、効果を期待しないほうがいいな。明日はセクロスしてみるか。ん?」

 

 「それは…駄目だよ。ハムザは私の事、好きじゃないみたいだから」

 

 「好き好き。愛してる。あいらぶゆーだ。じゅてーむだ。だからハメハメしよう」

 

 アイズは首を横に振った。

 

 「戦闘訓練をしないなら、私に出来ることはないね…」

 

 「いや、そんな事はない。添い寝をしてくれ。朝早く起きて辛いから、ここらでもう一度寝ておくとしようじゃないか」

 

 アイズはそれに従い、ハムザと簡易ベッドの上で横になる。太陽が眩しく、とても寝付けるものではなかったが、彼はすぐに眠りに落ちたようだ。疲れていたのだろう、とアイズは思う。

 

 すると鼓動が早く高鳴っている事に気づく。アイズには、それが一体何なのか分からなかった。

 

 (本拠のテントを壊したお詫びもあまり出来てない…本当は、セックスさせてあげたいんだけど…)

 

 リヴェリアに止められている。彼女を裏切るわけにはいかない。自分は、確証が欲しいのだ。ハムザが本当に自分を愛しているという、確証が。

 

 しかし、そんなものはどこにも転がってはいなかった。

 

 ●

 

 アイズとの朝の訓練を終えたハムザは再びレフィーヤと街を練り歩いていた。ハムザはこの日、司祭ヴァレンティンの銅像がある通称『ヴァレンティン広場』で、待ち合わせをしている女性達に狙いをつけた。

 

 「よう、誰を待っているんだ?俺は昨日ドラゴンとの戦いで足を挫いてしまってな、今日は久々の余暇を満喫しているんだ」

 

 「へぇ!凄いじゃない。ドラゴンなんて倒せるのね。貴方、冒険者様?」

 

 ハムザが声を掛けたのは、背の低い金髪のヒューマンだった。彼女は気のありそうな微笑みを浮かべて、自己紹介をした。

 

 「マルゴーちゃん、俺はハムザ。Lv.87の冒険者だ」

 

 くだらない冗談にも嫌な素振り一つ見せないどころか、マルゴーと呼ばれた彼女は大きな声を上げて笑った。久しぶりの好感触だった。いつもは軽くあしらわれるか、そそくさと逃げられるばかりだったが、今日に限っては一打席目からホームランの気配がする。気さくな口調で場を和ませながら暫く当たり障りのない会話をしていたハムザだったが、ついに切り込むべき機会を見つけた。

 

 「…そう、俺クラスの冒険者になればロキ・ファミリアにも出入り自由だ。それに我らが本拠は宮殿だ。ファミリア名は言えないがな。ところで、待ち人は来ないと思うぞ。これから俺と飲みに行こう。とびきりの店を知っているんだ」

 

 「あら」

 

 彼女は少し気まずそうな顔つきで、肩に垂れ下がる金髪を掻き分けて、首筋を擦った。

 

 「悪いんだけど、もうすぐ彼が来る時間だわ。お誘いは嬉しかったけど、彼、凄く短気だから放り出すわけにはいかないし…」

 

 「そんな彼氏よりも俺のところに来い、最高の暮らしをさせてやれるぞ」

 

 空振りの気配に焦ったハムザは、思わず語気を強めてしまった。一瞬だけ張り詰めた空気を敏感に感じ取った彼女は、危険を察知した小動物のように素早く上半身を反転させ、立ち上がって去っていく。

 

 「失敗したみたいね。やっぱりナンパなんて無理なんじゃないですか?」

 

 「うるさい、次いくぞ次」

 

 レフィーヤは歩こうとするハムザの袖を掴んだ。そして彼を見上げて言った。

 

 「ねぇ、それよりもさぁ…。訓練の成果、見てくれませんか?」

 

●  

 

 

 それから数日の間、ハムザは実物のアイズをネタに自慰をしながら気を紛らわせたり、レフィーヤを連れ回してエロい事を教え込んだりして過ごしていた。

 

 だが、全く予想しなかったことが起きた。

 

 リリと主神は次第に仲が良くなる筈だったのに、日を追うごとにかえって悪くなっていった。リリがあまりにも杜撰な金銭管理に腹を立て、主審の額縁購入についてだらだらと文句を言い始めるようになった事がきっかけだったのだ。

 

 天邪鬼な女神は、文句を言われれば言われるほど散財するようになっていった。お陰でテント内は訳の分からない〈芸術作品〉で溢れかえり、せっかく修繕費にとアイズから貰った金貨も瞬く間に溶けていった。

 

 このままでは貯金がいよいよ危ないと思ったリリは、もともと押さえていた【ソーマ・ファミリア】の金庫の中身をどこか別の場所へ移そうとして、元ファミリアの本拠へ出向いて行った。金庫の中に足を踏み入れた途端、リリは言葉を失った。中身が空っぽになっていたからである。お金を巡る争いは、どうやら女神に軍配が上がったらしい。

 

 眷属の不穏な動きをいち早く察知したテルクシノエは、保管されていた金貨を全て額縁購入の費用に当ててしまっていたのだ。

 

 「リリは信じられません。ハムザ様、額縁に何千万ヴァリスと使う神がいるだなんて、信じられますか?」

 

 ある日の午後、三人は本拠で緊急会議を開いていた。ハムザと主神が無理やり参加させられた形ではあったが、リリはどうにも我慢が出来なかったようだ。先ほどのリリの質問に、ハムザは答える。

 

 「金をどう使おうがこいつの自由だろう。お前はいちいち腹を立てすぎだ」

 

 「お言葉ですが」

 

 語気を強めて、少女は言う。

 

 「こんな使い方をしていたのでは、金貨があまりにも不憫です。世の中にはお金で救える命がたくさんあるのですよ?それをこんな正体不明なガラクタなどに使ってしまってはーー」

 

 「聞き捨てならん。才能なしは黙ってるのじゃ!」

 

 女神が叫んだ。

 

 「ハムザなら分かるじゃろう、この英雄のすばらしさが?」

 

 そう言われた彼はその彫刻を見つめた。どこをどうみても、明らかに子供が作ったような歪な造詣の人間と思わしき物体が、切っ先の曲がった鞭とも槍とも思えるものをだらしなく地面に垂らしている彫刻だった。他にもそのように理解不能なものが数体テントのスペースを占拠しており、ハムザからしても厄介極まりない代物だった。どれもこれも体中に穴のような物が無数に空いており、あまりの不気味さにうっかり夜中に目覚めてしまおうものなら、思わず悲鳴を上げたくなる程だ。

 

 「俺が思うに」

 

 ハムザは言葉を選びながら、慎重に言った。

 

 「これらの素晴らしい芸術作品を置いておくには、あー…我らが家は些か狭すぎるかも知れんな。リリとしては、額縁を買ってしまうより先に家を…その、素晴らしき作品の保管場所を確保しておいた方が良かったと言いたいのだろう」

 

 「なんじゃ、そういう事だったのか?」

 

 リリはぽかんとしてしばらく呆けていたが、主神を納得させようとするハムザの意図を汲み取り、大きく何度も頷いた。

 

 これが実に効果覿面だった。主神は散財を後悔し始め、リリに謝罪した。そして確かに少し無鉄砲に買い物をしすぎてしまったと認め、今後はしっかり使い道を相談すると宣言した。二人は仲直りをし、緊急会議はハムザの機転により大きな成果を残したが、同時に三人はのっぴきならない事態に直面したことを思い知らされる。

 

 三人の手持ちを合わせても、お金があまりにも少なかったのだ。リリは家具や彫刻をひっくり返し、絨毯の裏や引き出しの奥、ベッドの下など、あらゆるところを徹底的に捜索して金貨を探した。そうして集めたお金と手持ちを合計した金額が、ぴったり3900ヴァリス。

 

 何度数えても、同じだった。

 

 「これでは、しばらく一緒に迷宮探索に精を出すほかありませんね、ハムザさま。リーテイルの売上金は何週間も待たなければなりませんし、神酒もロキ・ファミリアに渡して以来在庫が空っぽです」

 

 ハムザにとって、それは承服しがたい申し出だった。このところ迷宮には潜っていないのは、他にやるべきことがたくさんあったからだった。アイズとスケベをすることもそうだし、次第に従順になってきたレフィーヤの体を堪能することもそうだ。全ては【ロキ・ファミリア】を乗っ取るために、必要なことだったからだ。

 

 それをもし今ここで放り出し、お金のために迷宮に潜ります、あなた達とスケベなことは暫くしません…そんな事になってしまっては本末転倒であるのではないか。そう思ったハムザはきっぱりリリの提案を却下し、「今度考えよう」と言って問題を棚に上げてから、服を脱いでリリに言った。

 

 「呪いが解けてから、好調だ。それより今日は変身するな。素のままのお前を抱いてみる気分になったぞ」

 

 「それは…もうちょっとロマンチックなシチュエーションが良かったです、ハムザさま」

 

 リリはそう言って不気味な彫刻を見た。成人サイズの彫刻が数体、ハムザとリリを見つめている。

 

 「う~ん。まぁ、本拠の引越しは、本気で考えなければ駄目か。こんな雰囲気じゃあ女を連れ込んでも犯れはしないだろうから、な…」

 

 

 怠け者二人に囲まれながらも、リリはいつもの習慣を保ち続けていた。どんな遅くに眠りについても、鳥達が鳴き始める頃には自然と目覚める習慣だ。今までは深い眠りについている二人を見て、自分も二度寝を存分に堪能する時もあった。しかし今日は別だ。

 

 (なんといっても、たかだか数千ヴァリスではご飯すらまともに食べていけません。金策を考えなくては)

 

 ハムザが子供のように駄々をこねて「ダンジョンには行きたくない」と言い張り続けていたせいで、ファミリアの金策は全てリリに託されたのだ。以前までの自分なら、バックパックに溜め込んでいた盗品の宝石や武具を売り払って、何とか用立てしたことだろう。しかしその目論見は既に打ち砕かれていた。あのアイズ・ヴァレンシュタインとかいう生意気な小娘が本拠を吹き飛ばしたせいで、リリの持ち物は全て歓楽街の住民の懐に逃げ込んでしまったからである。そのことを思い出すと、リリの心でふつふつと怒りが湧き上がってきた。

 

 (いけません、朝から腹を立てていては、いい一日になる筈もありませんからね)

 

 そうして彼女は本拠を出て、朝焼けの色を確かめようとした。

 

 「…?」

 

 ふと足元を見ると、一通の手紙が石畳に置かれていた。それを拾い上げたリリは、封を開けて便箋を取り出した。

 

 「こ、これは…」

 

 リリは大急ぎでテントに駆け込んで、思い切り朝の空気を吸い込んで叫んだ。

 

 「ハムザさま!テルクシノエさま!果たし状が来ていますよ!宣戦布告です、戦争が始まります!」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 -Shall we have sex?-

 「果たし状じゃと?リリ、読んでみろ」

 

 リリの叫び声に驚いて目を覚ました二人は、寝ぼけ眼を擦りながら訝しげに少女を見つめていた。

 

 「え~っと、じゃあ、読みますね…。『汝は我が逆鱗にふれたるなり。故に、この文を届けん』」

 

 「汝?我が逆鱗?一体どこのジジイの仕業だ?」

 

 「筆跡は線が細くて、ちょっと弱そうですが…続けますね。『古の竜よ、怪物の王よ。誰が汝らこそ冥界に帰すと想像せん。それは全て英雄の為す業なり。そして、我こそその血を継ぐ者なり』」

 

 「なるほど、分からん」

 

 「滅茶苦茶じゃな。意味不明だが、怪物を倒した英雄の子孫だと言いたいように聞こえるぞ」

 

 あまりの出来栄えにあっけに取られ、リリは大きく口を開いて突っ立っていた。リリが我に返って次の内容を読み進めるまで、数十秒の間があった。

 

 「えーと…『我が英雄たる血に反逆する勇者よ、汝もまた英雄たりえる資格あり』あ、ここ字が間違っています。『激情に可られる我ではあれど、汝の謝罪を受け入れる器はありけり』」

 

 「暗号だったら天才的だ。そうじゃなかったら、ただの馬鹿だ」

 

 「後者だろう、残念ながら。謝るなら決闘しなくてもいいと言っているように聞こえるぞ」

 

 「はい、そのようです。『剣と魔法よりも強きは、言葉なり。汝の謝罪さえあれば、こちらは身を引く覚悟もあり。そうすれば、無用な血を流さずに済むが故、おすすめされたるなり』

 

 「何だこいつ、完全にびびってるじゃないか。俺が何をしたっていうんだ?」

 

 「さぁ…ハムザさまを恨む同業者は、意外と多いと思いますよ?えー…『どうしても剣で解決せんとするなら、汝英雄の技の前に倒れる運命なり。しかるが故に、謝るなら今なり。こちらの忠告虚しく、決闘をどうしても望むのであれば、下記の時刻に下記の場所にて待つなり』」

 

 「決闘を望んできたのは、お前のほうじゃろう。ボケナス」

 

 「俺はどうしてもこの天才の顔を拝んでみたい気分だ」

 

 「もうすぐ終わります。『決闘では命を落とす可能性もありけり。我が技は未熟なれど、でも剣だけは鋭く研がれたり。決闘の際は覚悟を決めるが最善なり』…あ、追伸があります」

 

 ハムザとテルクシノエは既に笑いを堪えきれずに、にやけが止まらなかった。リリは追伸を読んだ。

 

 「『追伸。返事は今日中に求むなり。雄牛の如く怒れるベル・クラネルより』…だそうです」

 

 「なるほど、なるほど」

 

 わざとらしく神妙な顔つきで腕組みをして、ハムザが言った。

 

 「まさに怒れる雄牛のごとき文章だ。まるで頭が足りてない。もしこれが人間によって書かれた物だったら、今頃俺は恐ろしさにしょんべんを漏らしていたに違いない」

 

 「で、どうします?」

 

 リリは笑い合う二人に聞いた。主神が答える。

 

 「さぁ、知らん。どうせ悪戯じゃろう。ベル・クラネルとかいう子供は知っているが、そんな事をするほど度胸があるとは思えないのでな。うちには闘牛士はいませんとか適当に返事を書いておけばいい」

 

 「それもそうだ。まさかあのガキが俺に喧嘩を売るとは思えんな。怒れる闘牛は置いておいて、ちょっくら二度寝でもするとしよう。ふわーあ…」

 

 二人はもぞもぞと布団に潜り、再び眠りについた。リリはショッキングな果たし状にすっかり驚かされてしまい、殆ど興奮状態だった。文章が雑であれ、誰かが自分達を恨んでいるのは明確だ。ベル・クラネルという名前にも聞き覚えがある。あの白髪の少年だろう。

 

 あれくらいの少年こそ、血迷ってこのような文章を送り付ける可能性が高いように思われた。

 

 リリはしばらく腕を組んで考え込んだ。返事を書く、会う、穏便に話す、怒りの理由を知る、謝る、和解する…。そうだ、そうしよう。リリはそう思って手紙に書かれていた住所を探すが、どこにも書かれていない。恐らく書き忘れたのだろう。日時も場所も不明の決闘を前に、リリは沈黙した。

 

 「…考えても無駄ですか。こんなくだらない事はさっさと忘れて、金策を考えるとしましょう」

 

 

 「アイズ。話がある」

 

 バルコ二ーに出て朝の空気を肺一杯に吸い込んでいたアイズは、背後からリヴェリアに呼びかけられた。

 

 「ここ数日、お前がどこに行っているかを私は知っている。その上で率直に聞こう、お前はご両親にかけて快楽の誘惑に負けていないと誓えるか?」

 

 アイズははっきりと頷いた。戸惑いも後ろめたさもない、澄んだ目でハイエルフを見つめる。

 

 「そうか…ならばこれ以上は言うまい。ただし肝に銘じておけ。もしもハムザという悪辣な冒険者に体を許したと知られれば、今後私がお前の面倒を見ることはないだろう」

 

 強圧的な口調でリヴェリアは語った。アイズの背後に広がる青く澄み渡ったから、涼やかな風が髪を撫でていく。一体、どういうことなのだろう。あのリヴェリアが『もうお前の面倒は見ない』と告げるとは。親同然として常にアイズの傍に居続けたハイエルフが、暗に『このファミリアを出て行け』と告げているのだ。

 

 「それは、フィンの…?」

 

 「いや、違う。私の意向だ」

 

 「それなら、フィンはリヴェリアとは別の意見だから…」

 

 そこから先は口に出せなかった。アイズとリヴェリアにある信頼関係が、強固な絆で結ばれていたはずの関係が、今では触れれば崩れてしまうような、蜻蛉の羽のように薄く脆いものに感じられたからだった。

 

 「勘違いをしているな。万が一の事になれば、去るのは私のほうだ。私がどれだけあのならず者への対応に辟易しているかは、お前も知っているだろう。だが上の立場の人間の中で、私だけが異質なようだ。それで、まるで孤立したように感じられてな」

 

 「…リヴェリアは間違っていないと思う。でも、本当に二人が愛し合う関係だったら…ファミリアはそれを認めてくれないの?」

 

 王族(ハイエルフ)は「お前、まさか…」と顔を強張らせたが、アイズはすぐに否定した。あくまでも例えとして、ハムザが自分を一生涯愛し続けるという強い信念の上で求めてくるのなら、一体誰にそれを止める権利があるのだろうか、と。

 

 「そういう場合においては、私は特に何も言うつもりはない。ただし、愚者は愚かな行為を続けるからこそ愚者なんだ。不貞を働き続ける者は一貫して信ずるに足りん。そして、ペテン師は他人を騙し続ける。そんな人間の言葉など、例えお前が信じたとしても、ファミリアが信じたとしても、私は信じない。それだけだ」

 

 「リヴェリアは…ハムザが嫌いなんだね」

 

 「当たり前だ。もしこの世から消し去る事が出来る対象を選べたのならば、私はあいつを真っ先に消去する。ゴキブリや蝉、百足、その他の薄気味悪い生物や不道徳な男どもを束でまとめても奴には敵わん」

 

 ひゅうっ、と音を立てて風が吹いた。庭の木々がさわさわと葉擦れの音を立てている。フルートのような鳥の声が響き、通りを行く荷車の揺れる音が微かに聞こえてきた。

 

 不思議と心を満たす自然が織り成す業よりも美しく、また弱く儚い声でリヴェリアは呟いた。

 

 「…だが、もしお前にまで私の考えを否定されてしまっては、もうどうすることも出来ん。それならば、むしろ私は私を信じない方がいいかも知れんな。『アイズ、お前もか。ならば去れ、リヴェリア!』だ」

 

 「そんなの、私は絶対に嫌…」

 

 彼女の言葉に、アイズはもはや半泣き状態だった。リヴェリアは彼女の頭をぽんぽんと叩き、「そんな事にはならん、お前がお前でいる限りはな」と言って抱き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 「おや、レフィーヤ。執務室に来るなんて珍しいね。緊急かい?」

 

 【ロキ・ファミリア】団長のフィンは羽根ペンで羊皮紙にサインをする手を続けながら、もじもじと入り口に突っ立つレフィーヤを見やった。

 

 「えっと、その。フィン様…。実は、次回の遠征に入用な装備や薬品を買い揃えるのに資金が足りなくて…その、いくらか用立てして欲しいのですけど…駄目ですか?」

 

 フィンはさらさらと筆を走らせる手を止めずに、あっさりと承諾した。

 

 「そんなことか。もちろん構わないよ。いくら必要なんだい?」

 

 「えっと…じゅ、十万ヴァリス?」

 

 「ははは、レフィーヤも最近は冗談がうまくなったようだね。僕ら第一級冒険者の装備に十万ヴァリスだなんて、それじゃあ剣の鞘すら買えないだろう。とりあえず五千万ほど貸してあげよう。返済期限は、そうだな…遠征後で頼むよ」

 

 レフィーヤはあまりの金額にあっけに取られ、無言で立ち尽くしていた。するとフィンが手を止め、椅子から立ち上がり豪華な執務机から離れた。

 

 「それじゃあ、金庫に向かおうか。ところで、今日は随分雰囲気が違うようだね」

 

 レフィーヤはいつもとは異なる服装をしていた。ずっと一緒にいるフィンですら、一度も見た事がないような服装だ。単純に言えば、いつもの清潔で品のある服装ではなく、少し古ぼけていて、汚れていた。

 

 「えっ?いえ、その…それよりも、フィン様。やっぱり遠征前にはお金を借りる人、多いですか?」

 

 たくさんの鍵が連なった束をじゃらじゃらと鳴らしながら、フィンは頷く。

 

 「それは、もちろんさ。今日はレフィーヤで三人目だよ。ベートとティオネが今朝来たからね。遠征前の風物詩と言ったところさ。ロキも僕も、今回の遠征には全てを賭ける価値があると思っている。だからファミリアの金庫は常に解放状態だ」

 

 金庫が置かれている部屋は、長館の三階に位置するフィンの執務室のすぐ隣だった。堅牢なオリハルコン製の大扉がどっしりと佇んでいる。フィンは鍵を開け、レフィーヤに意地悪く笑って見せた。

 

 「開けてみるかい?」

 

 レフィーヤは言われるがままに扉に手を押し当てた。全体重をかけても、ぴくりともしない。

 

 「Lv.5以上にならないと、この扉は開かないだろう。まぁ、単純に重いだけだけどね。一応ここに来るのは初めてだと思うから説明しておいたけど、防犯の意味があるというロキの意見には僕は納得できない。そもそもこんな最上階に到達されてしまった時点で詰みだ。あとは爆破でも何でもしてこじ開ければ良い。それに…僕らの抗争相手にLv.5以上なんてたくさんいるからね」

 

 「そ、そうですねぇ…でも、コソ泥に狙われないという点では随分効果的だと思いますよ?フィン様」

 

 フィンは堅牢な扉を簡単そうに押し開けながら「それはそうかもね」と言って中に入った。後についたレフィーヤは驚愕する。金庫の内部には貴金属、宝石類の類が堆く積まれている。それはまるで海賊の隠し財宝のようだった。

 

 「さて、五千万ヴァリス分の金貨は流石に重過ぎるから…これを渡しておこう」

 

 「翡翠玉(ジェダイト)…それも透明度が高く、溜息が出るほどの濃緑…」

 

 「すぐに見抜くとは、詳しいね。ただしそれは、ダンジョン下層産だ。以前の遠征でたまたま採れた物で、『迷宮翡翠(ダンジョン・ジェダイト)』と呼ばれている。換金すれば、五千万はくだらない。後はこの羊皮紙に記録しておいてくれ。それと…一応ルールだから伝えておくけど、万が一期日までに返済できない場合や、その他何らかの理由で返済そのものが不可能になるか、あるいは返済の意思がなくなった場合…厳罰がある。まぁ、五千万くらいレフィーヤならすぐだろう、だからこちらも心配していないけど、心に留めておいてくれ」

 

 「わ、わかりました…」

 

 真っ青なレフィーヤは、部屋を出るフィンの後に続きながら冷や汗を流していた。

 

 (思いつきで来てはみたものの…えらい事になってしまいました…リリはもう、おうちに帰りたくて仕方ありません…)

 

 

 

 

 

 本拠を出てから人気のない小路に入り込み、リリは変身魔法を解いた。それから何食わぬ顔でメイン・ストリートへと顔を出し、しばらくのんびり歩きながら歓楽街の本拠に着いた。

 

 テントの中にぬっと顔を出すと、ハムザとテルクシノエが不自然な格好で仰向けになり、絨毯の上に転がっていた。

 

 「死んでしまいましたか?」

 

 リリの問いに、彼らは答えない。虚ろな目で天幕を見上げている。

 

 「なぁ神様、原始人たちは腹が減って死にそうな時、何をしていたんだろうな?」

 

 「さぁな。マンモスでも狩りに行ったんだろう。腹が減って動けなくなった奴から順に、囮に使われていたのかもしれん」

 

 力のない声で「そいつは気の毒に」とハムザは呟いた。

 

 「昔からずっと、マンモスを狩るのは男の仕事だった。でも最近は何だか変だ。女まで狩りに出て、男よりもずっと大きい獲物を仕留めて平然と帰ってくる。そこで俺は不思議に思うわけだ。一体男の存在意義はどこに行ったんだ、とな」

 

 リリはこほん、と一つ咳払いをした。

 

 「なんだリリ、いたのか」

 

 ハムザは身じろぎ一つせず、仰向けになって空を見つめている。

 

 「えーと、少々金策をして参りました。いろいろあって…ざっと手元に五千万ヴァリス相当の宝石がーー」

 

 言い終える前に、二人は凄い勢いで飛び跳ねた。その様はまるでコメツキバッタが飛び跳ねて起き上がる様子にそっくりだった。

 

 「ごせんまん!?」

 

 ハムザが叫んだ。声にならない悲鳴が、女神の口から漏れた。

 

 「…マジなはず、ないよな?」

 

 「えーと…これ、迷宮翡翠(ダンジョン・ジェダイト)です」

 

 女神がリリの足元まで這いずりやってきて、その宝石を受け取った。直後、彼女は石のように固まった。

 

 「五千万どころじゃない…競にだせば七千万が狙えるじゃろう…リリ、一体どこでこれを?」

 

 

 リリの説明に女神は感心したように聞き入った。彼女の説明が終わるや否や、ハムザが気難しそうな顔をして、腕組みしながら唸った。

 

 「ほらみろ、今じゃどんな小さな子供だってマンモスを狩れる時代だ。いよいよやばいぞ、世界の均衡はもう崩れ去った」

 

 「大げさですよ?ハムザさまこそ、そのバカげたスキルのせいで大勢が悲しんでいる事実を知るべきではありませんか?」

 

 「放っておけ。それよりも、早速換金しに行くのじゃ。今日は酒場で食い明かすぞ!」

 

 「待て」立ち上がって、ハムザが言った。

 

 「今晩は、別行動だ。淫乱エルフ調教の最後の締めが待っているのでな」

 

 

 今日は珍しく月がはっきりと見える夜だった。レフィーヤとハムザの『オラリオ風俗探検ツアー』は、既に残すところ二日となり、二人は喧騒の中メイン・ストリートを歩いている。

 

 「それで、今日は何をするんですか?」

 

 つんとした態度のエルフの少女は、隣を歩くハムザと十分な空間を空けて歩いている。

 

 「俺が思うに、お前たち成金ファミリアどもは下々の生活という物を知らん。実はそういった生活にこそ、人生の旨味が隠れているのだと知らずにな」

 

 「今晩はバベルで百万ヴァリスのディナーですよ、夏の間は100kmに及ぶ海岸線を独り占めしながら、最高級のワインセラーを持つ別荘に行きますよ、だのなんだの、くだらない金の使い方をしているのだろう」

 

 「してません」

 

 「嘘を吐け。昔とある王国のエルフのお姫様が、パンすら食えず飢えに苦しむ民に向かってこう言ったのだ。『パンがないなら、ケーキでも食べていればいいじゃない?』とな。王宮での豪華な暮らししか知らんお姫様には、ケーキがどれほど高価な物かを知る由もなかったのだ」

 

 「そんな無知なお姫様と一緒にしないで下さい」

 

 レフィーヤはばしっとハムザを叩いた。二人の間に結ばれていたはずの主従関係は、いつの間にか奇妙な物になっていた。いざことが始まる時に限り、それは効力を発揮するだけだ。ハムザのスケベがレフィーヤの中に秘めた欲望に火を点けた時にだけ、エルフの少女は下僕になっていた。だが、このようにただ二人で夜のメイン・ストリートを歩くだけでは―もちろんそれも見方によっては随分ロマンチックである筈なのだが―、レフィーヤはハムザへの敵対心を隠さない。

 

 涼しい顔をしてエロい事を考えているハムザとは対照的に、レフィーヤは戸惑い、苦しんでいた。自分の中に生まれた好奇心、そして一人の男性への愛情のようなものに。そしてその心に目を向けることを拒んでいた。もしそれを見つめてしまったら、きっと今すぐにでも彼と手を繋いでみたいなどと考えてしまうだろう。もしかしたら、それ以上のことを。

 

 「…だからだ、今日も酒場に行く。前回の酒場を覚えているか?」

 

 「うん、二度と行きたくありません」

 

 「あそこはまぁ、オラリオの中じゃあ特殊だ。貧乏人が行く所ではないな。今日は人生の隠し味と呼ぶにふさわしい場所を見つけたい。そのためには、地元民の助けが必要だ」

 

 それから半刻ほど歩いて、二人は街の外れにある公園に辿り着いた。ハムザ曰く、金のない若者達は酒場の酒で酔うまで飲むにはあまりに高くつきすぎるため、店で予め買っておいた酒を公園で飲むのだと言う。それが随分安上がりな宴会らしかった。

 

 公園には、既にたくさんのグループがベンチや銅像の台座に座り語り合っていたり、立ったまま乾杯をしたりしていた。集まる人々の年齢は若く、年寄りの姿は見えない。当然だろう。レフィーヤには、ここが若者達の楽園のように思われた。そんな場所に親のような年齢の人間がやってきては、神聖さが失われてしまうからだ。たとえその人物が何も言わなかったとしても。

 

 

 「おーマイフレンド!こっちへ来て一緒に飲もうぜ!」

 

 ハムザが若者の一人に声を掛けられ、二人は熱気に包まれる酒飲み達の輪の中に入っていった。

 

 「紹介しよう、彼はハムザ・スムルト。テルクシノエ・ファミリアの冒険者で、最高にいかした俺の親友さ」

 

 冒険者という言葉を聞いて、彼らはひゅーと口笛を鳴らした。

 

 「始めまして。私はアナよ。今学区で神聖文字の勉強をしているわ」

 

 それから一人ひとりが自己紹介を始め、終わった頃に全員の視線がレフィーヤに注がれた。

 

 「うそ…?良く見たら、ロキ・ファミリアじゃない?」

 

 「あ、はい。その、レフィーヤ・ウィリディスと申します」

 

 「マジかよ!?あの千の妖精(サウザンド・エルフ)を連れまわすなんて、お前スゲーな!」

 

 「よーし、飲め飲め!ハムザ、お前はいつもの蒸留酒(エール)だな。レフィーヤ、君は何を飲む?火酒(ウィスキー)がお勧めだぜ。さぁ、皆グラスを持って。もう一度乾杯をしよう!」

 

 それから数刻の間、レフィーヤは場の勢いに流されて、さんざんリヴェリアによって注意されていたはずの宴会を楽しんでいた。

 

 ハムザは最初何人かの女性たちと会話をしていたが、その中の一人が熱烈な視線を送り続けているため、ターゲットをそのヒューマンに絞った。それから二人は色々と話し込んでいるようだった。怪しい雰囲気はまるでなかったが、レフィーヤはどうしてもその内容が気になってしょうがなかった。

 

 「なぁ、ロキ・ファミリアって美人しかいないって聞いたけど、本当なんだね。コップを貰えるかな?お酒を作ってあげるよ」

 

 若者たちはレフィーヤにとても興味を示していた。かくいうレフィーヤ自身もいい気分で飲み続けていたが、どうしてもハムザが気になって彼のところへ行った。

 

 「ねぇ。そろそろ訓練の時間じゃないですか?」

 

 出し抜けに、彼女はそんな事を言ってみた。何とか二人の会話を邪魔してみたくなったのだ。

 

 「あら」

 

 アナが勝ち誇った顔で言う。

 

 「ハムザはこれから私達と社交場に行くわ。ねぇ、そうでしょ?」

 

 「おう。そうだ。あー、お前は帰ってもいいぞ。…それから密林のアマゾネス部隊が罠を仕掛けて、俺達のキャンプを包囲してきた。信じられるか?百人のアマゾネスだぞ?」

 

 レフィーヤを殆ど無視し、ハムザはアナに武勇伝を語り続ける。彼女は大げさな反応を示しながら、微笑んでうっとりとした視線を彼に送り続けていた。

 

 「こほん、こほん」

 

 レフィーヤは咳払いをする。

 

 「…だが、俺はふと気づいたんだ。罠を張られた場所の法則性にな。それは真夏の星座と関連している法則だったのだ。当然、罠を張った奴らもその場所を覚えておかないといけないから、必然的に解読しやすい――」

 

 「こほん、こほん、こほん」

 

 「――うるさいな、レフィーヤ。どうした?」

 

 「私も行きます」

 

 「あら、あなたも社交場に来るの?ロキ・ファミリアは門限が厳しいって聞いたわ」

 

 「私も行きます!!」

 

 レフィーヤは叫んだ。そして男達が大喜びして駆け寄ってきた。

 

 「マジかよ!レフィーヤも来る?あそこは最高にクールだぜ、それに今晩はカクテルが半額だ。そうと決まれば、そろそろ動こうか」

 

 

 そうと決まってから集団の中の半分は帰宅し、残りの半分は次の遊び場に向かうためにその場に残った。それはたったの数人だったが、彼らは公園の近くにあるというその場所に向かって歩いて行った。

 

 レフィーヤは社交場というものを知っていた。貴族階級や王族などが他の同階級の人々と知り合うために開く、宴会のようなものだ。だが、この場においては何となく嫌な予感がした。何の変哲もない若者たちが、社交場などに集まる筈がないのだ。

 

 ハムザの後ろに付き従って数分歩くと、建物の地下へと続く階段が目に留まった。煉瓦造りの建物の入り口に、ひっそりと『骸骨(スケルトン)』と書かれている。レフィーヤには、一体ここがどんな場所なのか想像もつかなかった。

 

 若者の一人が、全員の前に立って嬉しそうに酒瓶をあおった。

 

 「おい、聞けよ!今日の分はハムザが出してくれるらしい。しかも、おい、待てよ、今話すから。しかも、だ。驚くなよ、貴賓室だぜ!」

 

 若者達は雄叫びを上げるとすぐに、数段飛ばしで階段を駆け下りていった。

 

 階段には、松明が点るだけの長い暗闇が地下まで続いていた。ハムザの後について降りると、踊り場に数体の骸骨が照らし出されている。

 

 (不気味です…)

 

 それから十秒ほどで、レフィーヤは大きな部屋に着いた。そこでは弦楽器が奏でる音楽が熱気と共に充満し、グラスを片手に若者達が踊りあっている。レフィーヤ達がいる貴賓室は二階に相当する場所だったらしく、一段下の通常広間では男女が優雅とは言えない踊りを披露していた。

 

 「レフィーヤ、楽しもう」

 

 先ほどから常に気に掛けてくる若者の一人に耳元で囁かれて、レフィーヤはぞっとした。アップテンポな旋律が部屋を駆け抜けるように演奏されていくと、人々は釣られて小刻みに踊り始める。レフィーヤは戸惑いを隠せずに、ただただ突っ立っていた。

 

 すると背後から何者かに両手を掴まれた。ぐいぐいと上下左右に好き放題に動かされる。嫌悪感を覚えた彼女が振り返ると、それはハムザの仕業だった。

 

 「ほれ!酒を持ってきたぞ。俺もここに来るのは初めてだが、正直言って、こういうノリの乱痴気騒ぎは好きではないんだが、セクロスするにはうってつけの場所だからな」

 

 酒瓶を手渡されたエルフの少女は、ほっこりと笑みをこぼす。

 

 「ありがとうございます!さっきの女の子はどこに行ったんですか?それに、皆がセックスをしに集まってきたんですか・・・?」

 

 「もちろん、違う。いいか、しきたりを教えてやる」

 

 度数の高そうな酒瓶を一気に飲み干して、彼は言った。

 

 「ぷはっ!どうやら貴賓室は下の広間にも出入りが自由なようだ。ここから下で踊っている良い女を探して、見つかったら捕まえに行くらしい。ほら見ろ!あいつなんか、もう相手を見つけたぞ」

 

 示された先を見てみると、ハムザの事を親友と呼んでいたヒューマンの若者が、同じく若いエルフの女性とくっつき合い唇を貪りあっていた。

 

 社交場などとはよく言ったものだ。これではまるで乱交酒場と同じではないか。

 

 「じゃあ女の子はどうしたらいいんですか?」

 

 「好みの男が近づいてきて、一緒に踊り始めたら、無視せず付き合ってやるだけだ。あとは向こうから求めてくる!急ぎのヤリたい女は、大抵が椅子に座りながら声を掛けられるのを待っているようだな」

 

 (これが『人生の旨味』ですか・・・。ただ馬鹿みたいに騒ぎたい人たちが、遊んでいるだけに見えます・・・)

 

 下の広間には、アマゾネスや小人族もいれば、エルフもいる。多種多様な種族が混ざり合って密集しながら音楽に合わせて踊りあっている。かくいう貴賓室にも多くの人々が各自で楽しんでおり、綺麗なアマゾネスがいかにも未経験に見える少年の体にいやらしく腕を絡ませたり、ドワーフの二人組みが難しそうな顔を突き合わせながら、今夜の標的を探していた。

 

 すると見知らぬ獣人の男が近づいてきて、彼女の前でくねくねと不思議な踊りを披露した。可笑しくて笑みを漏らした事に気を良くしたのか、彼は腰と腰が密着するほど近づいてきて彼女に囁いた。

 

 「俺のアナコンダを見せてやろうか?」

 

 バシッと頬に張り手をお見舞いしてから、レフィーヤはそこから逃げた。それから数分の間、麗しの【ロキ・ファミリア】の魔道師のところにはひっきりなしに男が集まってきていた。一人、また一人と撃沈していく様はまさに蠅叩きのようだ。すると彼女の目に、先ほどの獣人とアナが抱き合って熱いキスをしているのを目撃した。

 

 (ふん、いい気味ですっ。あなたなんかにハムザ様は似合いません)

 

 そしてレフィーヤは、いつの間にか姿を消していたハムザを探し始めた。踊りもせず、話もせずこの広間に佇むのは苦痛だったからだ。

 

 すると下の広間にいる可愛らしい小人族の女性を膝の上に乗せて、角にある椅子に気分良さそうに腰掛けているハムザが目に飛び込んできた。彼は背後から彼女を抱きしめて、唇を奪った。レフィーヤは知らず知らずのうちに拳を強く握り締め、唸りながらその様子に釘付けになっていた。

 

 「むむ…許せません」

 

 鳴り止まない音楽が急に遠く感じられた。そして、最初に声を掛けてきた若者がレフィーヤの下にやってきて、小声で耳打ちした。

 

 「ごめんね、貴賓室だと男の身が持たないくらい、女の子に求められるんだ。下のフロアの人に無料でお酒を提供できるからね。それを求めて話しかけてきたアマゾネスの女の子と、今しがたセックスしてきたところさ!さぁ、一緒に踊ろうか?」

 

 レフィーヤが張り手をお見舞いする直前、ハムザと小人族の女性がするすると密集地帯を抜け出してどこかへ行く様子が目に入った。彼女は「どいてください!」と叫んで目の前の男を突き飛ばし、二人を追いかけていった。

 

 二人は奥にある階段を上がって行った。どうやらそこにはトイレがあるらしい。レフィーヤの直感は最悪を告げていた。

 

 (犯る気に、違いありませんっ…!)

 

 トイレは男性と女性にすら分かれていなかった。二人はするりと個室に入り込んだ。こそこそと後を追っていたレフィーヤは隣の扉を開けた。すると中にはアナが先ほどの見知らぬ獣人にフェラチオをしている最中だった。アナコンダを目撃したレフィーヤは慌てて扉を閉め、もう一つ反対側の扉を開けて中に忍び込んだ。

 

 (もう、鍵くらい閉めておいて下さいよっ!)

 

 酒のせいで、体温が上がっている。もしかしたら、もう耳まで真っ赤になっているかも知れない。レフィーヤは隣のトイレで行われている行為に耳を澄ませた。すると案の定、二人がいやらしい音を立てながら激しいキスをしているのが聞こえてきた。

 

 レフィーヤは我慢できなくなり、魔法衣のスカートをたくし上げて下着を脱ぎ捨てた。隣の息遣いに全神経を集中させながら、エルフの少女は自慰を開始する。

 

 「ふふ…小人族を狙うなんて珍しい人ね?あなた、ロリコンかしら。でも心配しないで、私はまだ二十歳、見た目が少し幼いのは種族の特性だから…とにかく楽しませてあげられると思うわ」

 

 「うほっ」

 

 反対側のトイレから、パンパンとセックスの音が聞こえ始めてきた。アナと獣人が本番を始めたようだ。レフィーヤは、大音量の音楽がここまでは届いていないことに今気づいた。ここには音楽よりも、男女の矯正が充満している。そしてその全員が一晩の情事を楽しんでいるのだ。お互いに見初めあったら、あとはまるで獣の様にトイレに一直線、そして一心不乱に求め合う。理性の欠片もない状況に、普段なら「吐き気がする」と言い張るはずのレフィーヤだったが、自分の激しい欲望に興奮しきっていることを認めないわけにはいかなかった。

 

 そう思った途端、レフィーヤの下半身はぐしょぐしょになった。卑猥な声を出し合うトイレの住人達とは対照的に、レフィーヤは声を押し殺しながら指で局部の愛撫を続けていく。

 

 どうやらハムザと小人族は、既に交わいを始めていたようだ。小人族の女性の嬉しそうなあえぎ声が聞こえてくる。そして大声が響いた。どうやら彼女が絶頂に達したらしい。

 

 (ずるい…ずるいです。私も、欲しい…)

 

 「うおお…きっついおまんこ、締め付け最高ではないか。おぉっ!そうだ、もっと締めてみろ。特濃な経験値の素をプレゼントしてやろう」

 

 「あんっ…ふふ…いつでもイっていいわ…あなたって、最高ね」

 

 (ずるい、ずるい、ずるい…)

 

 「ぐひひ…いかん、出るっ…」

 

 ハムザが達するのと同時に、レフィーヤは絶頂に達した。痙攣する腰が落ち着くまでぐったりと便座に座りながら、呆然と目の前の扉を見つめる。そして隣にいたハムザ達が、そそくさと扉を開けて外へ出て行く音が聞こえた。暫くの間、レフィーヤはぐったりと次の男女がセックスを楽しむ様子に聞き耳を立て続けていた。

 

 それから少し経った頃、レフィーヤは再び大音量が鳴り響く部屋に戻っていた。ハムザが酒を両手に持って、彼女に近づいてきた。

 

 「おい、どこにいた!?奴ら、煙草に行きやがった。俺達も行くぞ、付いて来い」

 

 二人はまた別の階段を上がって行き、喫煙広場に出た。そこは外に面した大きなバルコニーのような作りで、多数の男女がお酒を片手に紙煙草を吸っている。

 

 「う…私、煙草だけは駄目。臭いがひどくて、とても耐えられないです…」

 

 ハムザは「これも修行だ、我慢しろ」と言って周りの男達に声を掛け始めた。

 

 「なぁ、お前持ってないか?」

 

 ドワーフの若者が答えた。

 

 「葉っぱか?もちろんあるぜ、くれてやろうか」

 

 そう言って彼は包み紙を取り出して、中に入っていた茶色い葉っぱを一掴みハムザに手渡した。

 

 「兄ちゃん、貴賓室にいたな。後で女を見繕ってくれよ、そしたら無料でいいぜ」

 

 「生憎、金には困ってない。これを取っとけ。足りんとは言わせないぞ」

 

 手渡された金貨にドワーフは顔を綻ばせてから、ばんばんとハムザの背中を叩いた。

 

 「こいつぁいい!これだから冒険者には様を付けて呼ばねぇといけねぇんだ、なぁ!?」

 

 ハムザはその「葉っぱ」を紙に包んでから、くるくると巻き始めた。しかし酔っているせいか、なかなか作業が終わらない。それどころか手元が狂い、ハムザは折角買った『葉っぱ』を地面にぶちまけた。先刻のドワーフが見かねてもう一本分見繕い、今度は彼がそれを手際よく巻き始めた。瞬く間に『葉っぱ』の紙煙草が出来上がったが、レフィーヤはそれが大麻なのだと知らされ顔面蒼白になった。

 

 「大麻は違法ですよね…?」

 

 「あぁ、ギルドにゃ感謝しねぇとな」

 

 ドワーフが言った。

 

 「合法ですって言われりゃ、売値も下がっちまう。違法だからこそ高く買う、そうだろう?それに見つかった所でたかが数千ヴァリスの罰金を払うだけだ。いまどき学生だって払える金額だぜ」

 

 「つまりな」今度はハムザが言う。

 

 「合法的な違法行為という事だ。まぁ、そう目くじら立てるほどの物じゃない。人体への影響っていうんなら、酒の方がよっぽど危険だ」

 

 「そ、そうなんですか…」

 

 酔っ払ったレフィーヤは、ハムザといる事で様々な世界の扉が開かれていく事がなんと素晴らしいのだろうと感じていた。もし冷静だったならば、大麻の喫煙など断固拒否していたことだろう。しかし彼女は酔っ払っていた。正常な判断が出来なかったとも言える。ハムザの見よう見まねで、大麻を吸った。

 

 「なんにも感じません…」

 

 「そうか?それじゃあ、もっと吸え」

 

 「ははは、兄ちゃんもなかなかやるな。ロキ・ファミリアの女に手を出してる奴を見るのは、初めてだぜ」

 

 レフィーヤは、ふわふわと魂だけで漂っているような気分になり、周りの会話が耳に入ってこなくなるのを感じていた。そして不思議な幸福感が心に充満し始めた。細かい事がどうでもよくなり、エルフの矜持や誇り、理性などはこの幸福感と比べたらなんとくだらないものなのだろう、とさえ思うようになった。葉っぱがレフィーヤの気分に化学変化をもたらしたのだ。不思議と思考はいつもより冴え渡っていた。今魔法の詠唱を始めたら、絶対にうまくいくに違いない。レフィーヤは思考の手綱を緩め始める。

 

 (今思えば、惹かれあう男女が合って数分でセックスする事に、何の違和感もないですね。それに気持ちが良いことをしたいです。あの獣人のアナコンダも、銜え込んだら気持ちいいんだろうなぁ。あ、でもハムザ様のを頂かなきゃ。そうだ、葉っぱを次の冒険用に買っておこうかな。アイズさん、今頃何をしているのかなぁ…。あぁ、それよりも)

 

 レフィーヤは世界と自分の間に薄い膜が張られている事に気がついた。その膜が周囲の音を遮っているのだ。余計な情報が入らないからこそ、自分の体の要求がひしひしと伝わってくる。秘部から溢れ出る蜜が、たらりと太ももを伝っていく感触に背筋を奮わせた。

 

 いますぐセックスがしたい。ハムザの愛人になりたい。毎日のように彼に求められ、自分も彼を求めたい。おまけに、そうすることで強くなれるのだ。自分は今まで何をしていたのだろう?レフィーヤは後悔した。出会ったその日に、中出しして下さいと頼むべきだったのだ。くだらないプライドなどは捨て去り、愛人になりますと宣言をするべきだったのだ。そう思ったレフィーヤは、世界と自分を隔てていた膜に頭から突っ込んだ。

 

 「ねぇ、ハムザ様」

 

 呼びかけられたハムザはレフィーヤを見るなり、いやらしい顔を作った。そして思い出したかのように、笑いながら彼女を抱き寄せた。どうやら彼も葉っぱによって不思議な気分に浸っているらしい。

 

 「うほっ!美少女エルフ発見!おい、レフィーヤちゃん、踊りに行こう!いますぐだ!」

 

 「はいっ!行きましょう!」

 

 トリップを決め込んだ二人は大急ぎで広間へと戻り、全てを捨て去って音楽に身を任せ始めた。不思議と頭の冴え渡っていたレフィーヤは、踊るということの素晴らしさを全身で感じていた。テンポに合わせて手足を動かすだけで、こんなに良い気分になれるなんて。先ほどまで感じられていた戸惑いや、他人の目線などは既に遠くへ投げ捨てられていた。そして見上げる先には、自分に熱い視線を送ってくれるハムザがいた。二人の目が合ったのだ。

 

 ハムザもレフィーヤ同様に、ひどく不思議な気分が心を支配していた。今まで自分はどうしてこんな美少女エルフを放っておいたのだろう。この髪の毛も、美しい瞳も、綺麗な肌も、全て自分の物にしたい。そう思うと、口づけせずにはいられないと感じた。

 

 そしてハムザは顔を近づけた。近くにいたギャラリーは、どうせ彼も張り手をくらって吹き飛ぶのだろうと予想しながら眺めていた。先ほどまで、千の妖精が他の男達にそうしていたように。しかし二人は口付けした。周囲がどよめくのを、うるさい音楽が鳴り響く中でもハムザは感じ取れたのだった。

 

 心の中で勝ち鬨をあげたのは、二人同時だっただろう。ハムザはついにエルフの美少女をその手に落とした事に、長年の夢の一つをかなえた事に、無限に広がる心を埋め尽くすほどの幸福感を感じた。対するレフィーヤも、自分の心と向き合い、正直になることで彼の愛を一心に受ける事が出来、たまらなく嬉しかった。

 

 間近で少女の顔を見下ろすと、綺麗に長く伸びた睫の下に、筋の通った細い鼻先が美しく聳えていた。この骨格は、エルフ特有なのかも知れない。種族の殆どが美しい相貌を持つ理由がこの骨格だろう。レフィーヤはその中でも、とりわけ美しい。山吹色の髪をさらりと手先を撫でる。そして白い頬に片手を当てると、藍晶石(カイヤナイト)よりも美しい瞳が潤んだ。彼が再びキスをすると、レフィーヤは両手を首の後ろに巻きつけて、ハムザに抱きついた。

 

 それからも二人は盛り上がる若者達に揉みくちゃにされながらも抱き合い、キスを続けた。そしてハムザが言った。

 

 「少し静かな所へ行かないか!?」

 

 「うん、そうしましょう!」

 

 

 

 二人は既にトイレに入り込んでいた。相変わらず両隣ではセックスの音が響いてくる。その淫靡な雰囲気がレフィーヤに再び火を点けた。ハムザのズボンを無理やり下ろし、そそり立つ性器に口で奉仕をする。

 

 「うほっ…うまいな…さてはレフィーヤ、しっかり練習していたな?」

 

 初めてとは思えないほど的確に、レフィーヤの舌はペニスを刺激し続ける。まるで今まで何本も銜え込んできた様な大胆さと、自信に溢れた技術が備わっているかのようだった。

 

 「はむ…はい、ハムザさま…。レフィーヤはハムザさまのおちんちんを夢見て毎晩オナ二ーしていました…」

 

 じゅぽじゅぽ、ちゅぱちゅぱと淫乱に音を立て、隣人のセックスよりも激しい音を立てるようにレフィーヤは激しく頭を前後に振る。それはまるで忠誠を誓った奴隷が、ご主人さまへ一心不乱に奉仕をしているかのようだ。

 

 「おほっ…イってしまうだろ、こら」

 

 ハムザはペニスを引き抜いた。そしてレフィーヤの上半身を無理やり便座に押し倒し、犬のように四つん這いにさせてから魔法衣と下着を剥いた。

 

 「あぁっ!犯して下さい!ハムザ様!ずっと私はこうやって無理やり組み伏せられるのを、望んでいたんですっ!!」

 

 ペニスが入り込み、数回突かれただけでレフィーヤは絶頂した。それから休むまもなく挿入が繰り返され、瞬く間にレフィーヤの下腹部に再び絶頂の感覚が戻ってきていた。何とか耐えようと、犬のように這い蹲るレフィーヤは唇を噛んで我慢を続けていた。しかし、ハムザはいきなりレフィーヤの尻を叩いた。

 

 ぱちんと打擲の音が響いた。その瞬間、レフィーヤは思わず絶頂していた。

 

  (あぁ…お尻を叩かれていっちゃうなんて…)

 

 「ぐひひ…随分エロい子に仕上がったなぁ。もしかしたら、お前はマゾの才能があるのかも知れん。たまらんぞ、美少女マゾエルフが俺の肉便器第一号だ。あ、他にも居たか?まぁいいか、細かい事は…」

 

 「ハムザ様っ!毎日おまんこ使って下さい!毎日レフィーヤに中出しして下さい!アイズさんにしていることを、私にもしてくださいっ!」

 

 レフィーヤは周囲の事などまるで考えもせず、大声で喘いだり欲求を叫んだりしていた。程なくして、ハムザは絶頂を迎える。当然のように中出しされたレフィーヤは恍惚の表情でぐったりと便座にもたれかかり、至福の中で意識が飛んだ。

 

 

 

 

 「またぁ?リヴェリアも飽きひんなぁ~」

 

 女神ロキの気の抜けた調子の言葉が、ファミリアの談話室に響いた。鬼の形相でリヴェリアがレフィーヤを正座させ、くどくどと説教を続けている。以前にも見た【ロキ・ファミリア】の一幕だった。

 

 「それが、どうにも別件らしいのよ。また同じことを繰り返したんだとか」

 

 「またぁ?一体レフィーヤたんはどないしたっちゅうねん?ストレス溜まってるなら、ぱぁーっとセックスでもしてきた方がええんちゃう?」

 

 アイズが溜息混じりに呟いた。

 

 「レフィーヤ、この頃おかしいの。昨夜は、夜中に帰ってきたのに凄いテンションが高くて、私のベッドに飛び込んできた。とってもお酒臭くて…フィンが言うには、その、ドラッグだろうって」

 

 あちゃーと、ロキは頭を掻きながら「それは擁護できひんなぁ」と言って部屋を出た。代わりに団長のフィンが談話室に入って来て、リヴェリアの隣に立った。

 

 「邪魔するな、フィン」

 

 「そのつもりはないさ、リヴェリア。いいかい、レフィーヤ。前にも言ったように、遠征前に英気を養うならまだしも、風紀を乱すのは頂けない。それに装備を新調するのに渡したお金で、地元の若者と乱痴気騒ぎをしていたそうじゃないか」

 

 「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 レフィーヤは身に覚えのない言葉に反論する。

 

 「私はお金を借りたりなんかしていません!その…乱痴気騒ぎをしてしまったのは、私の落ち度です…でもお金なんか借りていません…」

 

 フィンは訝しげに言った。

 

 「確かにおかしいな。薬の影響にしては飛んだ記憶の範囲が広すぎるようだ。レフィーヤ、白を切るつもりなら先に言っておくが、ちゃんと金庫の出金記録に君のサインがあるからね。いいかい、この件からは逃れられないよ。遠征は明後日だが、貸したお金は返してもらおう。悪いが今のレフィーヤを信用することが出来ない。今日一日中外出禁止だ。謹慎して頭を覚ますように。それからリヴェリア、どれだけ説教を続けても構わないよ。よろしく頼む」

 

 「おかしいです!私は絶対にお金を借りていませんよ。フィン様、きっと誰かと間違っているのではないですか?記録にサインした覚えもありません!」

 

 様子を見守っていたベートが出し抜けに口を開く。

 

 「おい、オメェは自分のやった事にすら責任を持てねぇのか?頼むから遠征には参加しねぇでくれるか、オメェみたいな嘘吐き野郎に背中を預けるなんか、真っ平ごめんだぜ」

 

 レフィーヤは俯きながら、「私は借りてないのに…ひどいよ」と言って泣き出すが、アイズはへなりと頭を垂れる彼女を、冷ややかな目つきで眺めた。

 

 可哀相なレフィーヤは、その目つきを見るなり一層ひどい有様で泣き続けるのだった。

 

 

 

 その夜、ハムザ達は『豊穣の女主人』で夕食を楽しんでいた。リリは贅沢が少しだけ身についてきたのか、今日はステーキを注文した。主神は相も変わらず肉料理だけを平らげ続けている。ハムザは嬉しそうに昨晩の出来事を何度も何度も繰り返していた。

 

 「あの淫乱エルフは、もう俺の物になったな。あいつがなんて言ったか知ってるか?『これから毎晩中出しして下さい』って――」

 

 「もう、ハムザ君ったら、お食事中に卑猥な発言は禁止ですよ?」

 

 ウェイトレスのシルがお盆を小脇に抱えて会話に割り込んできた。

 

 「それにその話、さっきからもう三回はしているじゃない?さすがに飽きちゃうわよ。ねぇ、リュー?」

 

 呼びかけられたエルフのウェイトレスは頷きもせず、ただじっとハムザを見つめていた。相変わらずの無表情から、彼女の感情を読み取るのは並大抵のことではない。

 

 「正確には、四回じゃな、シルちゃん」

 

 やれやれと言ってテルクシノエとリリは食事を口に運ぶ。

 

 「お金が入って、乗っ取り計画も順調なのは良いのですが…」

 

 リリはふと、何かを思い出したようだ。口をもぐもぐと動かしながらリリは二人に疑問をぶつける。

 

 「なにか、忘れていませんでしたっけ?」

 

 対する二人も「さぁ」や「そうだったか?」と返事の歯切れが悪い。しかし、確かに何かを忘れているかもしれない。そんな雰囲気が三人の間に漂っていた。

 

 

 

 

 

 同時刻、ベル・クラネルは【フレイヤ・ファミリア】のオッタルと共に決闘相手を待っていた。

 

 「来ませんね…」

 

 指定した場所はオラリオの東の端っこにある廃墟だった。決闘の時間は、もう半刻以上も過ぎている。

 

 「不戦勝になりますか?」

 

 ベルは期待を込めてオッタルを見た。しかし武人は首を横に振り、ベルは肩を落とす。

 

 「場所は指定したのだな、間違いなく?」

 

 少年は頷いた。「返事は来ませんでしたけど」と付け加える。

 

 オッタルは顔をしかめて言った。その目には怒りが宿る。

 

 「敵前逃亡とは許しがたい。いいか、明日からはハムザを探して、見つけ次第斬り付けろ。決闘を無視するなど言語道断だ。ギルドの動きは私が封じておく。いいか、見つけ次第斬りかかれ。お前が殻を破るには、それしかない」

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 -決闘の勝者-

【ロキ・ファミリア】乗っ取り計画の作戦会議が始まってから、もう数刻が経過していた。

 

 「遠征は公式発表によって明日だと分かっています。ですから事を起こすのは明日で決まりですが…問題は遠征の間も本拠を守る兵士達が、何十名も待機すると予想される事ですね。そうなっては私達はひとたまりもありませんよ、やめる決断をするなら今です、ハムザさま」

 

 リリは栗色の巻き毛をくるくるといじりながら、腕組みをして考え込むハムザにそう言った。ハムザ主導により計画された『ロキ・ファミリア』を阻止すべく、リリは必死の説得を続けていたのだ。

 

 「これはどう考えても不可能な戦ですよ。搦め手を用意したって、私達の戦力が乏しい以上は勝ち目がありません」

 

 ハムザは苦しげな表情を浮かべるリリとは正反対に、愉快極まりないという軽やかな顔つきで手元にあった珈琲カップを取り、一口飲んだ。両脚を背の低い丸テーブルに投げ出すと、リリが作戦立案のために用意していた、古ぼけたオラリオ市街地図がくしゃっと音を立てる。

 

 「いいか、俺の作戦は完璧だ。レフィーヤはもう陥落した。それにお前が変身して金貨を借りてきた行動も素晴らしかった。いいか、借りたのが重要なんだ。盗んだのではなくな」

 

 「ははは!」

 

 主神が笑い声を上げて会議に水を差す。彼女はベッドに横になり、何かの本を読んでいるらしい。作戦会議にはまるで参加する気がないのだ。先ほどからわざとらしく笑い声を上げて意味もなくちょっかいを出してくる女神を一瞥して、リリは先ほどの発言の真意を問う。

 

 「借りたのが重要というのは、どういうことですか?」

 

 リリはこの際、今までの自分の行動に対する評価などはどうでもよかった。そんなことよりも、どうすれば目の前のハムザが行動を思いとどまってくれるかどうかが、とても大事なことだった。

 

 ここ数日間、彼の作戦を支持しながら協力的な態度を取ってはいたが、ドンパチするその時を目前に、リリはどうしても勇気を奮い起こせなくなってしまっていたのだ。臆病、といわれるかもしれない。だが、リリはこれから超大型恐竜の横腹を、みすぼらしい木の枝で突っつきに行くようなものだ。ぎろっと睨まれてから、しっぽを一振り。これだけであの世いきに違いない。そんなリリの気持ちとは裏腹に、ハムザは落ち着いた様子で姿勢を直してから、机越しにずいっと顔を近づけて言った。

 

 「つまりだ、ここ数日でレフィーヤの評判ががた落ちしていると言う訳だ。これは俺の作戦に大きな影響を与える。いいか、今日もまたあそこに侵入して、何かしら問題を起こして来い、レフィーヤの姿でな。俺が直接出向いて呼び出せば、まぁ本人を外で足止めすることは出来る。その隙にお前は変身して、遠征時の守衛部隊の有無などの情報を探りつつ、レフィーヤの評判に決定的な損害を与える何かを探すのだ」

 

 ハムザは説明を続ける。リリは納得いかないという表情を作りながら聞いていた。どうやら危険に飛び込むのは、また自分の仕事らしい。

 

 同時に、謂れのない非難を受けているだろうレフィーヤを想うと、ほんの少しだけ胸が痛んだ。彼女は何も悪くないのに…。

 

 「レフィーヤを何とかして脱退させる方向に持っていければ最高だ。そうならなくても、アイズの情報は収集しておけ。当日ことを構えるに当たって、お前はアイズに変身してもらうからな」

 

 「本当に、やらなければなりませんか…?レフィーヤ様が、不憫ではありませんか?」

 

 上目遣いで哀願するリリに、横になっているテルクシノエが口を挟む。

 

 「大丈夫、大丈夫。お前が思ってる程悪い未来はやってこない。女神が保障するのじゃ。やってみろ」

 

 その言葉は、リリに落胆を与え、ハムザに決起の希望を与えた。

 

 「決まりだな」

 

 リリは「うぅ」と漏らして頷いた。いずれにせよ、そうと決まればやるしかない。後にどうなるかを今知る術はない。なるようになる。自分が何を言おうと、必ず賽は投げらるだろう。いずれ覚悟を決めるなら、早い方がいい。

 

 

 

 同時刻、【ロキ・ファミリア】の本拠は昼食で賑わっていた。来る遠征が明日に迫った事もあり、団員は戦闘や装備などの話題で盛り上がり、お互いに士気を高めあっている。そんな中、昨日リヴェリアから半日以上に及ぶ説教を受けたレフィーヤは、向かいのテーブルに座るアイズを盗み見ながら小さくなって食事を取っていた。

 

 いつもなら同年代の女性団員と歓談する所だったが、今のレフィーヤに積極的に話しかける人物はそうそういない。彼女自身、自分が孤立し始めていることを感じていたのだった。

 

 (はぁ…アイズさん、今日もすごく可愛いです…)

 

 レフィーヤの視線に気づいていたアイズではあったが、彼女は決して目を合わせない。無理もないか、とレフィーヤは心の中で溜息を吐いた。

 

 ハムザと社交場に行った日の帰り、「葉っぱ」の影響であまりにテンションが上がりすぎたせいか、本拠に帰ってくるなり歌を歌いながらアイズの部屋に直行し、寝息を立てている彼女の上にダイブをしたのだ。それだけではない。

 

 アイズが驚いて彼女を突き飛ばそうとするまでのほんの僅かの間に、レフィーヤはアイズの胸を揉んだ。直後に突き飛ばされて壁に激突し気を失ったレフィーヤだったが、柔らかい胸の感触は今もなお消えることはない。

 

 それが武勇の戦果という物だ。だが、それが不興を被ったのは明白だった。それ以来アイズは絶対にレフィーヤと目を合わせようとしないのだから。

 

 (嫌われてしまいました…)

 

 しゅんとして小さくなるレフィーヤとは対照的に、アイズは背筋をぴんと張り、遠征に向けて気持ちを高めていた。オラリオにおいて最強クラスの女性剣士からは、やるべきことはやったという自信が見て取れる。すると食器を持ったリヴェリアが近づいてきて、アイズに声を掛けながら隣に着席した。

 

 「アイズ、今日もあの男の所に行くつもりか?私はお前の言葉を信じてはいるが、何分心配でな」

 

 プレートに乗ったクリームたっぷりのクレープをナイフで切り分けながら、レフィーヤは彼女たちの会話に聞き耳を立てる。

 

 リヴェリアの言葉の意味は、はっきりと理解できた。きっとハムザとの性交トレーニングの事に違いない。アイズがあの冒険者と体の関係を持っていることは、レフィーヤにとっては瞭然たる事実だった。そして、それが彼女の強さの秘密であるということも。その秘密を知ることで、自分もようやく愛しのアイズと同じステージに立つことが出来たのだ。それなのに何故、こんなに距離が出来てしまったのだろう…。そう思うとレフィーヤは涙がこみ上げてくるのを感じ、何かが胸のあたりをずきずきと刺す感触に苦しんだ。

 

 「リヴェリア、心配しないで。私はハムザに借りがあるだけだから…」

 

 優雅な手つきで切り分けたクレープを口に運び、リヴェリアは舌鼓を打つ。

 

 「だがな、アイズ。お前があの冒険者のもとへ行くことと、ちょっとしたお詫びの気持ちを表明することは、全くもって釣り合わん。何か他にも目的があるのだろう?」

 

 アイズは逡巡した。戦闘訓練を一緒にしてあげる代わりに精液を貰っている何て言うことをリヴェリアに言ったら、自分はどうなってしまうのだろう。いや、やましい事ではない。絶対にそんなはずはない…。しかし、真実を告げる事が出来ずにいた。

 

 「…私は彼らの本拠を壊してしまったから、戦闘訓練をしてあげる約束をしたの…」

 

 「本拠を壊した?なんだ、惜しい事をしたな。ついでに中にいたハムザも一緒に片づけてくれていたら、私は今頃祝杯を上げていただろう」

 

 (そうなる寸前だったとは…言えない…)

 

 アイズは困ったように大きな目を左右に泳がせてからそっぽを向いた。

 

 そうして会話が終わってすぐ、レフィーヤは席を立ち自室に戻って行った。悲しみのせいで彼らの会話をこれ以上聞く気になれなかったのだ。

 

 あのアイズも自分と同じく、ハムザに関する秘密を抱えている。それにも関わらず、自分だけが孤立してしまったのは何故だろう。どうしてアイズは自分から離れていってしまうのだろう。そう考えると、レフィーヤの胸は悲しみで張り裂けそうになった。

 

 自室に戻ったレフィーヤは机と向き合い、引き出しの鍵を開けて一冊のノートを取り出した。羽ペンをインクで浸し、思いの丈を連なる羊皮紙に書き続けて行く。

 

 

 

 思いの丈をぶつけ終わったレフィーヤは、一呼吸おいてから魔法書を開いて勉強を始めた。並行詠唱を学ぶようにとリヴェリアに与えられた魔法書を、彼女は既に最終章まで読み進めている。レフィーヤは肩肘を付きながら指先ではらりとページをめくり、並行詠唱におけるあらゆる重要な点を述べた後に付け加えられていた『補足:発現済み危険魔法リスト』を読み始めた。

 

 『―――レベルや魔力による威力増幅に依存せず、対象に甚大な損傷や枷を齎す呪詛は危険な魔法として知られている。また、発現した例が極めて少ない即死魔法も言うまでもない。

 

 対象の命を抜き取る即死魔法は、蘇生魔法と対になる稀少な魔法だと考えられているが、どちらも極端に発現例が少ないため、本書において詳細に触れることは叶わない』

 

 呪詛も即死魔法も、今の自分には関係ない。もうスロットは一杯なのだ。それに自分は、この本の内容の九割を占める並行詠唱ですら習得出来ていない。最後まで読み進めてしまったと言うのにだ。するとレフィーヤの目が、次の項目に留まった。

 

 『―――以上が直接的に影響を及ぼす危険魔法の一般的な解釈である。しかし本書では、間接的に影響を及ぼす危険魔法が存在する事にも言及しておかなければならない。興味深い事例の一つとして、《ポドヴォチュエ村の少女》を紹介しよう。

 

 数百年前、二つの小国が血みどろの戦を繰り返していた時代、とある村の少女が変身魔法を駆使し、一夜にして戦争を終結させたという記録が残っている。少女は地上に降りた神にファルナを授かり、自由自在に姿を変えられる魔法を発現させた。そして捕虜として捕らえられた敵将軍の姿になり、敵国の城をあっさり開門させ、国王の杯に毒を盛った。翌日寝室で死体になった国王が見つかった頃には、その少女は既に家に帰り、農作業をしていたという。

 

 この逸話が私達に伝える教訓は、変身魔法がただの物珍しい、舞台芝居にうってつけなだけの魔法では決してない、という事である』

 

 レフィーヤはその文章に釘付けになっていた。もしも本当に変身魔法なんていうものが存在していたら、確かに危険極まりない。自分に変身した誰かが広場で裸踊りをするだけで、社会的に抹消されてしまう。恐ろしいことだ。更にページをめくり、先へと読み進めていく。

 

 『―――残念な事に、私のこの見解はこれまでのところあまり支持されていない。変身魔法も極めて発現例が少ないからだ。しかし、もしこのような魔法が悪巧みを好む人物に発現したとしたら、非常に危険な魔法になり得る事は言うまでもない。変身魔法は性質上極めて見破りにくいものだと認識されているが、衣服や道具をまとめてそっくりそのまま表現できる訳ではない。なのでもし周囲の人物が本物かどうか疑わしい場合、持ち物を確かめてみることだ。過去の記憶に関する質問も同様に有効だと思われる。しかし、この魔法の最も危険な所は、その存在の稀少性故、誰一人として目の前の人物が「偽者」であるなどと疑う習慣を持っていない、という点にある』

 

レフィーヤはぱたん、と本を閉じた。すると扉を叩く音が聞こえ、ティオナが部屋に入ってきた。

 

 「ねぇ、レフィーヤ。ハムザっていう冒険者が用事があるって来てるよー?追い払ったほうがいいかな?」

 

 勢い良く椅子から立ち上がり、レフィーヤは言った。

 

 「いえ、私が行きますから大丈夫です!丁度団長に返すお金を、貸金庫に取りに行こうと思っていたんです。ついでにあの冒険者にも会っておきますね」

 

 レフィーヤは「まぁ、私は絶対にお金を借りていないんですが」と付け加える。ティオナは軽く返事をして、部屋から出て行った。急な訪問に焦るレフィーヤは大急ぎで髪と服装を整えてから、ハムザに会いに降りていった。

 

 

 

 外出禁止令を出されていたレフィーヤは、ハムザと貸金庫に行くだけだからと言って何とかフィンから許可を得てから本拠を出た。それと入れ替わるように、レフィーヤの姿そっくりに変身したリリがすっと【ロキ・ファミリア】の門を潜った。

 

 「あれ?レフィーヤさん、もう帰ってきたんですか?それに、そのローブ…着替えたんですか?」

 

 いつもの魔法衣とは似ても似つかないほどみすぼらしい服装を纏う偽レフィーヤではあったが、門兵達は疑うこともなく館の扉を開いた。

 

 「うん。ちょっと忘れ物をして。魔法衣は、暑すぎるから脱いできたわ。じゃあ、ご苦労様。明日もよろしくね」

 

 麗しの次期エースに丁寧な挨拶をされた門兵は顔を赤らめて、疑いもせずいやらしい笑みを作っているだけだった。

 

 長館に入った偽レフィーヤは、なるべく人目を避けながら移動を開始した。既にここには二度足を踏み入れている。建物の作りは大体把握した。だが、油断することは出来ない。何故ならこれから挑む任務は、まさにインポッシブルだったからだ。

 

 (ばれずに行動して、遠征とアイズ様の情報も得て、レフィーヤ様の評判も落としてくる。なるほど、言うだけならすぐです)

 

 そして彼女の侵入をまるで知っていたかのようなタイミングで、団長のフィンが目の前に現れた。

 

 「やぁレフィーヤ。早いじゃないか。お金は受け取れたのかい?」

 

 「あ、えぇ~と。ちょっと忘れ物をしてしまいまして。あははは~…」

 

 フィンは鋭い眼差しで偽レフィーヤを見据えた。まるで友好的ではないその態度に、リリは今すぐ彼に背を向けて、大急ぎで逃げ帰りたくなった。

 

 「必ず今日中に、渡した五千万ヴァリスを返却してもらう。自分の行動に責任は持たないとね。まぁ、心配しなくていい。お金さえ貰えば、謹慎も解くし普段通りの生活をさせてあげるからね」

 

 (あぁ、やはりそういう話でしたか…)

 

 内心納得するリリに背を向け、フィンは階段を降りて行った。残された偽レフィーヤは経ったまま考え込む。

 

 (リリが受け取ったお金を、レフィーヤ様は返せていない。謹慎を食らうほど、評判は既に落ちている。後一押し、ってところですかね?)

 

 いけるかもしれない、とリリは思った。そうと決まればレフィーヤの件は後回しだ。次に片付けておきたいのは、アイズの情報収集だ。

 

 (アイズ様がお部屋にいる所にお邪魔するのは少々リスキーですかね…ここはレフィーヤ様の部屋で、何かアイズ様に関する情報を入手するべきです。例えば…日記とか)

 

 リリは迷うことなく、レフィーヤの部屋を目指して一直線に進んでいく。本来なら部屋の位置など知る由もないが、下調べを入念に行っていたリリは、先ほどまでレフィーヤが西側の塔にある一室で机に座って読書に没頭しているのを目撃していた。

 

 (わざわざ望遠鏡まで買ったのです…元盗賊を舐めてもらっては、困ります!)

 

 迷宮探索の地図製作マッピングで培った方向感覚を頼りに、リリはレフィーヤの寝室を見つけた。扉を調べると、鍵が掛かっていない事が分かったので、思い切って扉を開けて堂々と中に入っていった。

 

 

 部屋は空っぽだった。リリはレフィーヤの机を調べ始める。引き出しが三つあり、一番上の引き出しには鍵が掛けられている。リリはぽけっとから針金を取り出し、数秒後には造作もなくその鍵を解除し引き出しを開けていた。

 

 (ありました…これは間違いなく、日記です)

 

 リリはそれを読んだ。そしてその内容に絶句した。

 

 (う、これはあまりにも…ですが後には退けません…次に行きましょう)

 

 ふと、魔法書がリリの目に留まった。造作もなく机の上に置かれていたその『並行詠唱の心構え オッティー・スタンコ著』を、何気なくリリは開いた。そしてその内容に驚愕する。

 

 彼女が読んだのは栞が挿まれていた巻末の『変身魔法』に関する記述だった。危険極まりない変身魔法、対策は過去に関する質問や、装備の確認など。リリは歯噛みしながらその本を閉じた。

 

 (オッティーさん…誰だか知りませんが、余計な事を…)

 

 その時、リリの頭にある案が浮かぶ。

 

 そうだ、このままレフィーヤに変身した状態で、アイズから借りてしまおう。アイズ・ヴァレンシュタインの愛剣を。

 

 そうすれば、例え変身魔法の危険性を知っているレフィーヤからも十中八九疑われることはないだろう。本物のレフィーヤは「返してくれ」と言われて困る筈だが、当然返せない。剣を借りて返さないのであれば、彼女の評判は更に落ちる。そして彼らは明日遠征に行くのだから、暫くの間リリ達に危険は及ばない。名案だ、とリリは自画自賛する。

 

 (そうです…この際後で誰かに化けて、本物のレフィーヤ様から返済するお金を受け取ってしまいましょう。そうすればレフィーヤ様の居場所は、もはやなくなるに違いありません)

 

 しかしリリの良心が、本当にそれで良いのかと問いかけてきた。だが、リリはその声を振り払った。ハムザに従うと、神意に従うと決めたのだ。滅茶苦茶な計画ではあったが、意外とこれまではうまく進んでいる。もしかしたら自分がどうしようもないくらいの馬鹿で、彼が想像を遥かに超える大天才なのかも知れない。いずれにせよ、やると決めたからにはやるべきだ。ここで迷っている訳には、いかないのだ。

 

 (それでは次に、進んでみましょうか)

 

 

 

 部屋を出た偽レフィーヤはアイズを探して館内をうろついていた。時には団員に声を掛け、アイズを見ていないかと聞く。誰もアイズを見ていない。どうやらアイズは自室に篭っているだろうという事が分かった。さり気ない会話の中で、西塔の最上階がアイズの居室だと知ったリリは再び塔を上っていく。最上階に着いたリリは「アイズさ~ん」と大声を出しながら歩いていると、扉の向こうで少女の声がした。

 

 「レフィーヤ…?どうしたの?」

 

 (しめしめ、こちらでしたか)

 

 扉をノックし、偽レフィーヤは部屋に入っていった。

 

 「えぇっと、明日、ようやく遠征ですね。剣のお手入れは完璧ですか?」

 

 「それは…うん。えっと、どうしたの?レフィーヤ」

 

 落ち着きのない様子で歯切れの悪いアイズを無視し、レフィーヤ姿に変身したリリはどんどん畳み掛けていく。他人に成り代わっている時ほど、舌が回ることはないものだ。何せ自分は役を演じているだけなのだから。

 

 「先ほどハムザさんと話をしていたんですが…ちょっと剣を借りれませんか?並行詠唱の練習に、実践形式で挑戦してみようと思うんです。でも、彼の剣が壊れてしまって…この後、アイズさんはハムザさんと訓練をするんですよね?その時に返すように言っておきますから」

 

 しばらく無言で立ち尽くしてアイズは、やがてこくりと頷いた。

 

 「ハムザの頼みなら、いいよ。貸してあげる…」

 

 そう言って愛剣(デスペレート)を偽レフィーヤに手渡して、アイズは窓の外を見た。

 

 「ハムザによろしくね…それと、一つ聞いてもいい?」

 

 「え、あ、はい」

 

 「どうしてあんなことしたの?」

 

 リリには何のことか分からなかった。返答に窮する偽レフィーヤは、剣を握り締めたまま苦笑いを浮かべ、曖昧な呟きを残してそそくさと部屋を出て行った。

 

 

 (無視、された…)

 

 顔をしかめて佇むアイズに、麗らかな日の光が降り注いでいた。

 

 ●

 

 レフィーヤは貸金庫で五千万ヴァリスを受け取り、それをハムザに運ばせた。本当はその足で本拠までひとっ飛びといきたかったが、ハムザに用があると言われ、やむなく彼らの本拠までついて行くことにした。

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠で他愛のない会話を繰り返していたそんなハムザとレフィーヤのもとに、アイズが顔を出した。レフィーヤは驚いて立ち上がり、声を掛ける。

 

 「えっと、アイズさん!そんなローブを着てどうされたんですか?」

 

 「…目立ちたく、なかったから…」

 

 そう言って彼女はテントの中に入り、腰を下ろす。

 

 「フィンからの伝言で、金貨は私に渡してくれって。丁度私がお金を借りに行こうとしたら、レフィーヤから直接お金を貰ったほうが早いからって…」

 

 「あぁ、そうだったんですか」

 

 レフィーヤはアイズが普段通りに話しかけてくれるので喜んでいた。もう怒っていないのだろうか?と安心しながら、言われるがままに金貨の詰まった大袋を渡した。

 

 「そんな服装でも、デスペレートは手放さないんですね、アイズさん。ふふふ…じゃあハムザ、私は行くね。アイズさん、訓練がんばって下さいね!」

 

 「うん、ありがとう。ばいばい…」

 

 レフィーヤは外へ出て行った。取り残されたアイズは、ふぅと溜息を吐いてから言った。

 

 「ここまでして大丈夫でしょうか、ハムザさま、女神様?」

 

 彼らはアイズが偽者であることを見抜いていた。みすぼらしいクリーム色のローブが、いつもリリが纏っているものだと知っていたからだ。

 

 「剣を盗んできたのか?まぁ、やるからにはとことんだ。悪くない。それよりリリ、首尾はどうだった?」

 

 「完璧です…あ、その。遠征時の守衛部隊については聞きそびれましたが、それ以外は完璧ですよ。剣については、この後のアイズ様との訓練で返却する約束ですが…『俺はレフィーヤに渡した筈だ』とだけ言ってしまえば、どうにかなるでしょう」

 

 「えげつない事するなぁ。レフィーヤは大目玉を喰らうこと請け合いだぞ…」

 

 少しだけ逡巡したハムザだったが、うんうんと頭を立に振ってからレフィーヤから得た情報を伝える。

 

 「ついさっき聞き出したところだが、奴らが留守の時も、当然本拠を守る部隊はいるようだ。だがどいつもこいつも戦力にならないカスばかり、俺の敵ではないだろう」

 

 「そうですか?あ、それとこれも手に入れました」

 

 そう言ってリリは懐からレフィーヤの日記帳を取り出した。

 

 「言っておきますが、強烈ですよ?」

 

 ハムザは開いた。読んだ。

 

 「これは、爆弾だな…」

 

 急に興味を示した主神が割り込み、それを横取りして読んだ。

 

 「なるほど…天才だな」

 

 「いや、狂人にしか思えないが」

 

 「まぁ、そうかも知れん。だがな、紙一重なんじゃ、天才と狂人は」

 

 

 

 

 ハムザがアイズとの最後の戦闘訓練に向かった後、リリは変身魔法を駆使してハムザの姿になった。哀れなレフィーヤから巻き上げた計一億ヴァリスを使って、明日の決戦のために少しでも良い装備を買う予定だったのだが、見た目が幼いリリでは相手に舐められるため、強面なハムザに成りすまして交渉を優位に進めるつもりだった。

 

 彼がいつも装備する古びた長剣は、訓練のために持っていかれてしまった。アイズから拝借した随分豪華な剣デスペレートを携え、昔ハムザが装備していた新米冒険者用の鎧を着込み、リリは外に出た。

 

 というのも、ハムザにはもう一つ鎧があった。曰くつきの鎧らしく、買い取った店主はそれを「呪われている」と言っていたらしい。このところダンジョンには潜っていないため、ずっと埃を被ったままの鎧だったが、リリは恐ろしくてそれを着る気になれなかったのだ。

 

 新米冒険者用の装備でも、大き目のマントにすっぽりと収まってみれば、なるほど格好はつく。少し背の低く見える偽ハムザは、出来るだけ他人の目を避けるように人通りの少ない裏道ばかりを選びながら、目的の武具屋を目指していた。

 

 無理もない、自分が背負っているのは一億ヴァリス分の金貨だ。重みでとろとろと歩いている内に盗人に目をつけられれば、一巻の終わりだ。この時間は、大抵の盗人は大通りで我が物顔に獲物を探している。暗くなる前は、むしろ裏通りの方が安全だという事を、リリは経験から身に染みて知っていたのだった。

 

 遠回りでも構わない。まずは無事に武具屋に着く事が重要…リリがそう思っていると――。

 

 「見つけたぞ、腰抜けめ」

 

 そこには猛者(おうじゃ)オッタルが、小柄な白髪の冒険者を従えて行く手を遮っている。

 

 「…?」

 

 状況が飲み込めない偽ハムザことリリだったが、その少年ベル・クラネルが言った。震えながら。

 

 「えっと…ハムザさん、すみません。--死んでくださいっ!」

 

 直後、彼は跳躍していた。見上げたリリの目に飛び込んできたのは、太陽を背に、いつのまにか帯剣したナイフを振り下ろす彼の姿。咄嗟に飛び退いた弾みで、背負っていたバックパックの紐が重みに耐えかね切れた。じゃらり、と中身が飛び出して、バックパックは地面に横たわる。偽ハムザは大声で叫んだ。

 

 「一体何のつもりで…つもりだ!」

 

 大通りを避けたのがまずかったか。人通りの少ない裏通りでは、通行人も滅多に来ない。いや、あの猛者の事だ。どうせ今頃【フレイヤ・ファミリア】の仲間を使ってここ一体を通行止めにしているに違いない、どちらにしても同じこと。今更後悔しても遅いのだ。鋭い眼光を放つオッタルが、厳めしく腕組みしながら口を開いた。

 

 「果し状を無視し、返事すら送らないとはいい度胸だな、ハムザ・スムルト」

 

 「はたし…じょう?あっ」

 

 リリは自分がどうして襲われているのかを理解した。この前届いた、抱腹絶倒を禁じえない決闘書の事だ。本当だったのだ…本当にベル・クラネルはこちらと勝負するつもりらしい。

 

 「…俺が何をしたって言う?」

 

 動揺を出来るだけ悟られないように、胸を張ってリリはハムザを演じる。こんな時にも、彼なら自信たっぷりでこうするだろう。しかし、リリは完全に自分の腰が引けてる気がした。

 

 対するベル・クラネルは、そんな偽ハムザの威勢にすっかり面食らっているようだった。短剣を構える彼の姿勢も、まるで見えないロープで腰を引っ張られているかと思われる程、異常な及び腰だ。

 

 「う、うるさいっ…ボクだって、ボクだって女の子とイチャイチャしたいんだ…っ!」

 

 憐れな心の叫びの後、少年は意を決して飛び込んできた。

 

 ――遅い。

 

 リリはいつもの体を操る時と同じ様に回避しようとした。しかし鎧を着込んだ成人男性の体は思いのほか重く、突進を避け切る事が出来ない。

 

 「きゃっ…!」

 

 まるで似つかわしくない野太い悲鳴をあげ、偽ハムザは少年の渾身の突進を一身に受けてしまった。馬乗りになったベルは、喉元を狙って短剣を振り下ろす。

 

 「ま、まいったっ!まいった!」

 

 偽ハムザは叫んだ。そしてベルは振り下ろす手を止めて、愕然とした表情で言った。

 

 「…か、勝った…?神様、ボク、勝てたんだ!?」

 

 飛び跳ねて歓喜する少年に、労わる目つきで武人は僅かな笑みを送る。そして高々と宣言した。

 

 「…勝者、ベル・クラネルっ!!」

 

 (えぇ~~~っ!?)

 

 リリは心で叫んでいた。何だ。この茶番は何だ。自分はハムザではないし、もし変身していなかったらあんな突進を避けるなど造作もない。軽がると避けて、本拠に戻って、紅茶を淹れて、一息ついてから戻ってきても間に合うくらい、とろい突進だったのに。

 

 いっそのこと変身を解いて、決闘を無効にしてしまおうか?リリは迷った。もしここで変身魔法の事をばらしてしまっては、これからの作戦に支障を来す可能性があるかも知れない。

 

 どうするか決めかねているリリを横に、オッタルはいつの間にか散乱した金貨をバックパックに詰め込み、「勝者の権利だ」と言ってそれをベルに手渡してしまった。それだけではない。偽ハムザが帯剣していたアイズの愛剣ですら、オッタルは取り上げた。そして彼は、リリにとっては理解不能な宣告をした。

 

 「…アイズ・ヴァレンシュタインはもうお前のものではない。このベル・クラネルのものだ。肉体関係を持つ権利はお前からこの少年に移った」

 

 リリは、それがどうしたといった口調で返事をする。アイズなんて小娘、リリにとってはどうでもいいのだ。

 

 「そ、それは構わない…むしろ好都合だ。…でも、相手は剣姫だぞ?」

 

 「…私は猛者だ。Lv.6だろうと、小娘一人に遅れを取る事はない」

 

 リリはそれでも続ける。

 

 「…ロキ・ファミリアだぞ?」

 

 対する武人も一歩も引かない。

 

 「我々はフレイヤ・ファミリアだ」

 

 (あぁ、そーですか。戦争なり何なり、好きにして下さい。リリには興味がありません)

 

 剣もお金も取り上げられてしまったリリは、くるりと背を向けてとぼとぼと歩いていった。今、いざこざを起こすべきではない。お金を取り返すならば、何か別の方法で解決するべきだ。

 

 すぐさま、ベルが勝利の雄叫びを上げた。その貧弱な声色に、リリは激しい怒りを覚えた。

 

 (…覚えていなさい。絶対に許しません。あなたなんて…あなたなんてハムザ様の手を借りなくとも、リリが葬って差し上げますから)

 

 今だけは喜んでいろ、そう呟いてリリは去っていった。

 

 ●

 

 ベルが裏通りで決闘に勝利し、雄叫びを上げた頃、ハムザはアイズとの最後の訓練に臨んでいた。だが、いつも通り訓練などは始まってもいなかった。すこしとろんとした目つきで、眠そうなあくびを繰り返すアイズを見て、ハムザは拵えた簡易ベッドに横になり「睡眠の練習だ」と言って彼女を手招きした。

 

 「…そういえば、剣は持ってきてくれた…?」

 

 手招きには応じず立ち続けるアイズの問いに、ハムザは大きな欠伸をした。

 

 「ふあぁー…。あぁ、剣だがな。レフィーヤに渡してしまった。後で受け取っておけばいいだろう」

 

 「そう…」

 

 オラリオを見下ろす外壁の上には、絶え間なく力強い風が通り続けている。金髪を靡かせながら、アイズは眠そうに目をしばたかせてハムザの横にちょこんと腰掛けた。

 

 「ハムザはいつも、楽しそうだね…」

 

 人形のような表情を歪ませて、少し羨ましそうに彼女は呟く。

 

 ハムザが反射的に後ろからアイズの腰に手を回すと、彼女は抵抗もせずにまたぽつりと呟いた。

 

 「…それは、毎日セックスしているから…なの?」

 

 相変わらず意味不明な思考回路だ、とハムザは思った。しかし向こうから破廉恥な話題を持ちかけてきたのだ、応じないわけにはいかない。鴨がネギを背負ってやってきたら、鴨狩の名人でなくとも()()()()()をしてやろうと思うのが、人情というものだ。

 

 「もちろんそうだ。毎日のセクロスこそが、人生に絶え間ない笑顔を与える」

 

 ハムザは眠気を堪えているアイズに畳みかける。

 

 「俺クラスの冒険者の場合、セクロスが与えるのは笑顔だけだはない。強さと豊かさもだ。だからそろそろな、アイズちゃん。そろそろそのボディーをじっくり堪能させてくれないか」

 

 「それはは駄目…。リヴェリアに強く言われてるし、それに…」

 

 「…」

 

 アイズはもごもごと言い淀んだ。しかしハムザは、確かに彼女が『ハムザは私を愛していないから』というような言葉を零したような気がした。 

 

 (まったく、出会った時はやれそうだったのに、急にガードが固くなってしまったな。次にリヴェリアちゃんと会ったら、がつんと言ってやろう。セクロスこそが偉大なる人類の目標だとな)

 

 

 「まぁ、あの剣姫にいつでもオナニーを見せつける事が出来ると思えば、それで良しとしておくか…」

 

 ハムザは隠しもせず、心の言葉をそのまま口にした。アイズは僅かに反応し、ハムザに体を向けた。

 

 アイズの目線がハムザの股間に注がれた。臆面も恥じらいもなく、剣姫は一物が眠るその一点をじっと見つめている。次第にハムザの中でむらむらとした欲望が膨らんでいき、やがて股間は芯を伴って、ズボンの中で苦しそうに直立した。

 

 「…寝ようかと思ったが、ここで一発も悪くないか。どれ、アイズや。日ごろの頑張りを讃え、今日はたくさんご褒美をくれてやろう」

 

 剣姫を眼前にオナニーでもしながら、一発抜いておこう。そう思ったハムザは体を起こして立ち上がった。その時、ぽけっとにしまい込んでいた日記がばさりとアイズの膝の上に落ちた。

 

 「…?」

 

 日記帳は落下の勢いで開いたまま両膝の上に乗っかっている。そのせいで、アイズが視線を落とした時には簡単に中身を読み取る事ができてしまった。

 

 

 

 『十月十一日。今日、初めてアイズ様とお話できました。お人形みたいに可愛くて、とっても素敵です』

 

 「ハムザの、日記帳…?」

 

 アイズは高まる鼓動を感じ、一度ぱたんと日記帳を閉じてハムザを見つめた。

 

 (まずいか…?)

 

 ハムザは返答に窮した。レフィーヤの日記帳をリリが無断で拝借してきた事がばれたら、どう言い訳をしたら良いだろうか。借りたとでも言えばいいか、あるいは白を切るか。

 

 「あ、あぁ。そう、俺の、だったかなぁ。そんな気もする、ははは」

 

 つい無意識に、ハムザは適当にはぐらかしていた。しかしそんな反応にも納得したのか、アイズは「読んでも良い?」と告げてから返事もまたずに再び日記帳を開いた。

 

 『十月二十日、アイズさんきゅんきゅん!あぁ、あの柔らかそうなほっぺをつねってみたいです!』

 

 アイズはこの一文を読んだだけで、この日記帳が全てを解決する鍵になるのではと思った。直感が胸の高鳴りを伴って、はっきりとそう告げているのだ。日記の日付を見た。何年も前から始まっている。

 

 やっぱり、そうだと彼女は感じていた。

 

 ハムザは、こんなにも前から自分の事を想っていたのだ。

 

 『今日もアイズさんを想って、5回もオナ二ーしてしまいました。でもまだまだやれるはず!明日は6回目指してがんばります!アイズさんラブ!はぁはぁ』

 

 「意外と…女の子みたいな文字を書くんだね、ハムザ…」

 

 胸に手を当てながら、頬を赤く染め、瞳を潤ませて、剣姫は盛大な誤解の果てまで突き進む。ハムザはアイズのあまりの鈍感ぶりに半ば呆れ、半ば面白がりながら言った。

 

 「俺が実は乙女だったってこと、皆には内緒だぞ」

 

 「うん…そうだね。もっと読んでも、いい?」

 

 「もちろんだ。どうなっても知らんがな」

 

 『記録更新!なんと今日は9回もいけました!でも、自分がこんな変態だってばれたら、アイズさんは幻滅するかな?あ、でも、実はアイズさんも変態かもしれません!いけない、そう考えたら興奮してきた。10回目に挑戦しようかな』

 

 「ハムザが変態だってこと、私は知ってるよ…」

 

 「そうだったのか?皆には、絶対に言うなよ。幻滅されるだろうからな」

 

 アイズは真っ直ぐな瞳で『私は幻滅したりなんかしない』と訴えかけてから、一呼吸置いてもう一度日記帳に視線を落とした。

 

 『アイズさん、大好きです!大大大好きです!結婚してください!あぁ、でも出来ないよね、無理だよね…。うぅ、悔しい。今日、アイズさんがラウルと話してた。あの男、鼻の下を伸ばしていやらしい顔してた。だから、思いっきり頭を叩いてあげたら、おとなしくなりました』

 

 「…ハムザ、ラウルを叩いたの?だめだよ、そんな事…」

 

 天然アイズはそれがレフィーヤの日記帳だとは露知らず、どんどん先へと読み進めていった。先に進めば進むほど内容は過激になり、仕舞いには意味不明な叫びだけが並んでいた。

 

 『アイズさん!アイズさん!アイズさぁぁぁん!はぁはぁ!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!私のお嫁さんになってください!あぁぁぁ!』

 

 アイズは無言で日記を閉じた。ところどころに『遠征』や『宝玉の胎児』などどう考えても【ロキ・ファミリア】の団員しか知らない筈の情報が出てきている上、一人称も『私』であることから、普通の人間ならそれがハムザの所有物ではない事は一目でわかるものには違いなかったが、アイズが考えていたのはそれとは違う全く別の事だった。

 

 「ハムザは…こんなにも前からずっと私の事を想ってくれていたんだね…」

 

 「えっ?…あぁ、まぁな。そういうことだ。うん、その通り」

 

 だが、それから一度難しそうな顔をして、アイズは考え込んだ。

 

 (でも…口調がちょっと、変?)

 

 これはハムザのぽけっとから零れ落ちたものだ。だから彼の物には違いない。口調がおかしく感じるのは、きっと気のせいだ。或いはハムザの隠された内面は、ほんとうにこんな感じだったのかもしれない。だが、決断とは、いつも都合の良い選択を無意識に選んでしまうものだ。アイズは疑念に目を向けるのを止め、目の前の変態冒険者の赤色の瞳をじっと見つめた。

 

 その瞬間、彼女の中で、何かが外れた。今まで散々自分の行動を制限していた枷のようなものが取り払われ、思考の歯車ががたがたと回り始めた。

 

 (ハムザは私を愛してくれてる…経験値の素だって、いつもくれる。それなのに、私は何もあげないで彼を拒絶してばっかり…。ううん、それはいけない。ハムザが欲しいもの、ちゃんとあげないと…)

 

 今となっては、リヴェリアだって説得させられる気がした。この日記帳に綴られた自分への想いの丈を見せてやれば、たとえモンスターだって理解するだろう。ハムザが自分を愛し続けていたということを。

 

 

 アイズは身を屈め、ずいっと顔を股間に近づけてきた。さらり、と肩にかかった金髪が流れ落ちた。それから頭を少しだけ上げて、ハムザをちらりと見上げた。

 

 「したかったら…しても、いいよ…」

 

 ハムザはがばっと起き上がり、アイズの肩を両手で揺らした。

 

 「なんだと!やるぞ、今すぐに!」

 

 やる気満々のハムザに対し、アイズは「でも…」と視線を逸らして、もどかしく返事した。

 

 「あの…私はどうしたら良いか、よく分からないから…」

 

 「それなら、俺の言う通りにしてみろ」

 

 ハムザはアイズがどでかいマグロだったことを思い出し、どんな命令を出すべきかと考えた。抽象的なものはダメだろう。なるべく直接的な命令であれば、彼女も理解しやすいかもしれない。

 

 よし、と一言入れてから、支持を待つアイズに告げた。

 

 「まず、鎧を外して、上の服を全て脱ぐんだ」

 

 「うん…」

 

 特に恥じらう様子も、抵抗する様子もなくアイズはのろのろと鎧を外していった。どうやら訓練の際は軽装で来ているようで、胸当てなどのプレートを外した下には、もう真っ白な肌着が見えている。アイズがそれをがばっと脱ぐと、白い艶のある肌と十分にその存在を主張する形の良い双丘が露になった。

 

 「上を、脱いだよ。ハムザ…」

 

 (裸になること自体は、まぁズリネタに使っている時にもさせているから、特に問題はないか)

 

 「よし、じゃあ下を脱ぐんだ」

 

 いわれた通り、アイズはショーツに手を掛け、それを一気に下ろした。

 

 アイズの裸体は全て曝け出されていた。見るだけで情欲をそそる若い肢体は、女神と見紛う程の美しさを放っている。だが、当の本人は一度だってそんなことを意識したことがないのだろう。彼女はまだ自分の魅力には気づいておらず、それを有効的に使うことも学んではいなかった。だからアイズ・ヴァレンシュタインは、惜しげもなくその完璧な若い肢体をあっさりと変態冒険者へと曝け出したのだろう。

 

 「それで、次はどうするの…?」

 

 アイズは首を傾げながら、両手で胸を隠した。今更ながら、羞恥心が芽生えてきたのだろう。ハムザは考えた。

 

 「一応聞いておくが、これは素晴らしいセクロスを学ぶための手順を、ゆっくりと確認している」

 

 「うん…わかってる」

 

 「今日学んだことは、次も、その次も実践するのだ。そして基本を押さえたら、今度は自分の頭で応用を考えるのだ」

 

 「うん、わかった…」

 

 「よろしい、よろしい。じゃあ、そこに腰かけて両脚をしっかり開いて、おまんまんを開帳するのだ」

 

 「お、おまん…まん?」

 

 きょとんとしたアイズだったが、数秒後に言われた意味を理解して、顔を赤らめた。流石の第一級冒険者であっても、異性を前に両脚を広げ恥部を曝け出す、などという冒険は躊躇われるのだろう。

 

 だが、ハムザは容赦しなかった。足首を掴み、それをぐいっと広げた。アイズは恥辱の声を上げたが、抵抗はしなかった。

 

 「良いか、アイズよ。セクロスしたくなった時、何となく男を誘惑したい時は、密室に連れ込んでこうしておまんまんをご開帳すれば万事解決だ。よーく覚えておくんだ」

 

 無垢な少女はうん、と頷いた。

 

 「そうして唇に指を当て、物欲しげな顔をして、情欲をそそる目つきで微笑む。こうすれば、どんな馬鹿男だって理解するものだ。やれる、ってな」

 

 「ハムザ…。私は…他の人と経験したいわけじゃない…けど…」

 

 「それはそれ、これはこれだ。どれ、やってみろ」

 

 アイズはハムザに言われた通り両脚を大きく広げながら指を唇に当てたが、無表情のままだったので随分滑稽な姿となった。『微笑む』という行為が、どうやら彼女にとっては難しいようだったので、ハムザはすぐに諦めた。

 

 「まぁ、時には誘惑などしない方が、かえって自然でいいものだ…。それでは、次のステップに移る。いよいよ男が我慢ならんとなった時にするのが、フェラチオだ」

 

 それは知っている、とアイズは頷いた。そして、ハムザはいつの間にか取り出していた股間を彼女の目の前に突き出した。

 

 「これを咥えてみろ」

 

 まじまじといきり立つそれを熱い眼差しを浴びせ、アイズはゆっくりと口を開き…そしてがぶりと噛みついた。

 

 

 

 「ぎゃああああああああああああああ!」

 

 バサバサと大声に驚いた鳩が飛び立った。往来の人々が、高台の上で鳴り響いた絶叫に気づき顔を上げたに違いない。

 

 「噛みつく、とは言ってない!!」

 

 石積みの高台に寝っ転がり、股間を抑えながら悶え苦しんでいるハムザは、目に涙を浮かべながらそう叫んでいた。困った表情でおろおろとするアイズ・ヴァレンシュタインは、どうしたものかと両手を頬に当てて無残に転がるハムザを見下ろしている。

 

 「グッ…うおお…ど、どうしてそんなことを…」

 

 「だって…ソーセージみたい、だったから…つい」

 

 痛みを堪えながらよろよろと立ち上がり、ハムザはしっかりと突っ込みを入れた。

 

 「お前は躾けの悪い犬か!…っと、とにかく、仕切り直しだ」

 

 すっかり萎えてしまった股間を突き付けて、ハムザはアイズをしゃがませてしっかり舐め上げるように強く言い聞かせた。

 

 「いいか、ぜっったいに歯を使うんじゃないぞ。唇と舌だけで頑張るのだ」

 

 「うん…わかった」

 

 ぺろ、とひと舐めしてから、アイズは動きを止めた。苦い表情で一言、「…変な味」と言ってそれきり何もせず、じっと屹立するそれを困惑の眼差しで見つめ続け始めた。

 

 「こら、サボるんじゃない。もっと頑張るんだ」

 

 「…私はこれ、あまり好きじゃない…」

 

 この発言は、彼を随分と凹ませた。ハムザは胸に、冷たい石がずっしりと迫り来るような思いを感じながら、平静を装おうと必死に何も考えないようにつとめた。だが、塔の上でさらさらと靡く金髪が敏感な箇所に触れる心地よさも、滑らかな白い肌を染める微かな少女の恥じらいも、今ではハムザを興奮させることはなくなった。

 

 みるみるうちに彼の股間は勢いを失くし、やがてへにゃりと元気なく萎れてしまった。

 

 「…?どうした、の…?」

 

 きょとんとして小首を傾げるアイズに、ハムザは優しく言ってやった。

 

 「…お前はムードというものをぶち壊すことにかけては天才だ」

 

 「…ありがとう……?」

 

 「褒めている訳ではない」

 

 訳が分からないと小さく肩を竦めるアイズは、項垂れるハムザの股間をじぃっと見つめ、桃色の唇を小さく開いた。

 

 「でも、今からするんだよね……?」

 

 「むろん、そのつもりだ。だがな、アイズちゃん。俺はお前が積極的になることを期待していたのだ。受け身ではなく、奉仕の悦びだとかそんなやつを、感じてくれるのではと思ったのだ。だが、結果はこのざまだ。とにかく、そういう訓練は今後に期待するとしよう。今はアイズちゃんの体を堪能することだけで良しとする」

 

 ハムザはアイズを簡易ベッドの上に寝かし、上から彼女に覆いかぶさった。

 

 (結局…こうなるのか)

 

 まぁいいか、と一度息を吐いてから、ハムザは若い体をじっくりと堪能し始める。

 

 まずは、彼女の双丘を。

 

 この世の物とは思えない肌触りが、ハムザの欲求を満たす。大きいだけでなく、形も良い胸を優しく掌で揉んでやると、少女から甘い吐息が漏れた。その物欲しげな吐息は、ぴんと張り出した乳首に彼女が気づいた途端、さらに熱量を上げた。

 

 目を潤ませて可愛らしい喘ぎ声を上げる金髪少女の表情は、あまりにも魅力的で美しい。これが、神すら指を噛んで悔しがると言われる少女の美貌だ。それを今、独占している。彼女の初めてを頂戴するのが、他の誰でもない自分だと思うと、とてつもない優越感が込み上げてきた。

 

 アイズの目は、明らかに「もっと、もっと」とせがんでいた。自分から奉仕をすることは消極的だったが、受け身であろうとも感度が良ければ悪くはない。ハムザは痛そうなほど硬直したアイズの乳首をいやらしく吸い上げた。すると、アイズから期待通りの甘美な喘ぎ声が漏れ、心地よい音楽が耳を楽しませているような感触だった。

 

 そうして暫くの間は、裸同士で抱き合いながらアイズの求める場所を愛撫し、ハムザは楽しんでいた。しかし、少女の目つきは「もっと、もっと」と要求のレベルを上げてゆく。充分に上半身を堪能してから、彼女の期待に応えてやるように、すっと内ももあたりに手を伸ばした。

 

 「…ぁっ…」

 

 それは小さな、小さな感嘆の声だった。内ももをぎゅっと握ってやると、滑らかな肌が指先に食い込んだ。

 

 「…んっ…」

 

 アイズははぁはぁと息を荒げ、快楽に頬を赤く染め、期待に瞳を輝かせている。そして、いよいよ彼女の割れ目に指先を這わせてやろうという瞬間に、アイズの唇を奪った。

 

 驚いて目を見張った彼女だったが、すぐにそれを受け入れ、目を瞑り両手を首筋に絡ませてきてから、熱いキスを返した。

 

 言うまでもないことだが、アイズの恥部は既に十分に濡れていた。それは全ての準備が整っているという合図でもあった。少女の美貌に余裕をすっかりなくしていたハムザは、既に限界まで膨らんでいるペニスを割れ目に当てがった。

 

 そして、それをアイズの割れ目に押し入れた。

 

 違和感は直ぐに感じ取れた。押し入った股間が、アイズの膣の中で猛烈に吸い込まれたような気がした。驚いてハムザは挿入された付け根のあたりを確認するが、何も異常はないようだ。

 

 だが慣れないアイズがぐっと力を込めた途端、膣はハムザの股間を猛烈に吸い込んで刺激する。あまりに強烈な攻撃に驚愕しながら腰を振るのだが…僅か数十秒ほどで、あり得ないほどの快感が波になって股間に押し寄せてきた。

 

 「あ…あれっ…?」

 

 急いで腰の動きを止めたものの、その大波を御しきれず、ハムザは大量の精液をアイズの中にぶちまけた。どくどくと脈打つ股間の興奮を感じながら、依然として強く吸い込むアイズの膣は、全てを飲み込まんとする勢いで猛烈に精液を吸い上げている。

 

 「……?」

 

 アイズはまさしく、きょとんとしていた。急に動きを止めたハムザに、何かまずかったかと問いたげな様子だ。しかし、程なくしてハムザが既に達したことに、彼女は気づいた。

 

 「…えっと…終わった、の…?」

 

 「え、えー…ごほん」

 

 ペニスを引き抜くと、白濁の液体がどろりと彼女の割れ目から零れ、内ももを伝って落ちていった。

 

 (しゅ、瞬殺だと…?この俺が…?)

 

 ハムザはこの時、アイズ・ヴァレンシュタインの真の恐ろしさに気が付いた。百戦錬磨の士が、剣を初めて持っただけの新兵に無残に打ち倒されたのだ。常識では、そんなことが起こり得る筈はない。だが、ここはオラリオ。常識など、恩恵を受けた体を前には台風の中のかがり火でしかない。

 

 負けは負け。それはそれとして、ここで気落ちして適当に言い繕って終わってしまっては、自分のプライドが許さない。ハムザは人生で一番真剣な表情を作り、ぼーっとしているアイズに真顔で言った。

 

 「…二回戦、お相手願えるか」

 

 

 ●

 

 暖かな夜の優しい風に包まれながら、ハムザは本拠への帰路に着いた。アイズとの組み手には、全て瞬殺という結果に終わっていた。もう、涙も枯れ果てた。経験値の素でさえ、もう一滴も出る気はしなかった。人生において、このような惨敗は初めてだった。

 

 敵将を一方的に嬲り倒したあと、騎士道精神の塊である少女は敗者に慈悲を与えた。

 

 『遠征から帰ったら、好きなだけ使っていいよ…。私、ハムザが喜んでくれるのが、嬉しい』

 

 完敗だった。自分はアイズを、一度たりともいかせることは出来なかった。代わりに何度も何度も、アイズはハムザを軽々と射精に導いた。まるでぎこちなく、要領も得ていない筈の初物は、とんでもない化物だったのだ。

 

 だが、圧倒的な能力の差を突き付けられてはいたが、ハムザは清々しい思いで帰路についていた。それは敗北という甘美な果実を、一滴残らず味わい尽せるからなのかも知れなかったし、あるいは単純にたくさん出せていい気分だったからなのかも知れない。

 

 本拠に着くと、主神が嬉しそうに話しかけて来た。どうやら額縁がもう少しで完成するらしい。ハムザは何故かとても嬉しくなった。

 

 「額縁が来るんなら、そろそろ引越しも考えなければならんな。このでかい彫刻の置き場所にも困っているだろう」

 

 先ほどまでの組手のことは、すっかりどこかへ飛び去って行った。敗北の悔しさは翼を得て、どこかへ飛び去った。ハムザとは、それほどまでに切り替えの早い楽天的な性格だったらしい。

 

 「そうじゃな。リリが戻ったら、有り金を確認してそろそろまともな家を探すか。テント暮らしも悪くはないが、何分手狭になってきたからの」

 

 引っ越し…次に住む場所は、城か宮殿か。どちらにせよ、大きな居城に召使を侍らせて、好きな時な好きな女を抱く生活も、悪くないではないか。

 

 「あぁ、そうだ。ロキ・ファミリアを乗っ取ったら、奴らの本拠に住めばいいのか。まぁ、それも明日には完了する。あいつら、可愛い女の子たちを残して全滅してくれれば楽なのだが」

 

 主神は肯定も否定もせず、微笑みだけを浮かべていた。それから暫くの間、テルクシノエは読書に没頭する。するとふと思い出したように、女神はぐうたらと横になりながら何もしていないハムザに言った。

 

 「あ。そういえばじゃ、最近ステイタスの更新をサボっていたな。久しぶりにやっておくか?」

 

 「あぁ、明日は決戦だ。やるに越したことはないだろう」

 

 

 ●

 

 

 その頃、リリは未だに本拠には戻らずにいた。決闘に敗れた事で失った一億ヴァリスとアイズの剣を取り返すため、今の今まで何かと策を巡らせていたからだ。リリは考える。

 

 ベル・クラネルは【ヘスティア・ファミリア】の冒険者。進行派閥の弱小ファミリアに、何故オッタルほどの猛者がついているのか。それだけがリリの決断を鈍らせていたのだが、夜が深まっていくに連れリリは行動を開始せざるを得なくなった。

 

 「…やるしかありませんか…」

 

 『貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの』

 

 思い浮かべるのは、初めてハムザと関係を持った時の姿。若い猫人の娼婦の姿。

 

 「シンダー・エラ!」

 

 変身が完了し、リリは立ち上がった。その時、彼らが本拠にしている崩れた教会の地下からベル・クラネルが外へ出てきた。

 

 (よし!やります!)

 

 ベルはいつもの人通りの少ない道路の脇に、自分と同じくらいの年と思われる少女が蹲っているのに気がついた。彼はその少女が心配になり、近づいていって声を掛ける。

 

 「ねぇ、君…どうしたの?」

 

 「う…冒険者さま、ですかにゃ?」

 

 目に涙を湛え、哀願するように顔を上げた少女は、直後にベルに抱きついた。

 

 「どうかミャーを助けてください!お願いしますにゃ、冒険者さま!」

 

 少年はうろたえながらも、何とか少女を救えないだろうかと親身になって話を聞いた。彼女が言うには、ファミリアの仲間に無理難題を押し付けられ、それが達成できなかったので娼館に無理やり送られてしまったらしい。それはそれで仕方がないと納得しているものの、初めてのお客へのサービスが不十分で、娼館からも放り出されてしまったとの事だ。ベルは彼女の話を聞いている途中から股間が膨れ上がっていた。

 

 「…それで、ミャーは今晩寝る所がないのですニャ。だから冒険者様、ミャーにお布団を貸してくれませんかニャ?もちろん、お礼は身体でさせてください、ですニャ」

 

 「か、からだでっ!?そ、そんな事言われても…えっと…本拠には神様がいるし…」

 

 少女は食い下がり、諦めない。

 

 「それでは、ミャーの知っている宿屋に行きましょう?御代は冒険者様持ちになってしまいますが、その分サービスはたっぷりさせてもらいますニャ」

 

 「う~ん」と唸って考える少年だったが、少女は彼の下半身が膨らんでいる事に気づいた。少女はさっと彼の膨らみに手をのばし、それを撫でた。

 

 「…いっぱい中に出させてあげます、ニャ」

 

 「…~~~!!」

 

 それからは完全に少女のペースだった。ベルは彼女に手を引かれ、宿屋まで強引に連れて行かれた。その気になれば振りほどけるはずの手も、ベルは「人助け」という言葉に釣られてどうしても放せない。興奮する股間に感じた彼女の手の感覚も同様に、彼の退路を断っていた。

 

 二人は宿屋に着いた。ベルは決闘のお陰で大金を手にしたこともあり、五万ヴァリスほどの代金もすぐに現金で支払った。部屋に着くなり、興奮しきったベルだったが決して自分からは動かない。彼女が再び誘惑し、彼の体に触ってくれるのを今か今かと待ちわびているようだ。

 

 「それでは、お茶をどうぞニャ」

 

 「あ、うん。ありがとう…」

 

 少年はぐいっとお茶を飲んだ。直後ベルは視界がぼやけ、だらりと腕を垂らして椅子にもたれかかった。ベルは体中から汗が吹き出るのを感じていた。意識が揺れ、思考が定まらない…。ふと、遠くから誰かに話かけられたような気がした。

 

 「金貨はどこにしまいましたか?」

 

 金貨?決闘の金貨の場所?どうして…?ベルはぐらぐらと頭が揺れている気がした。そして、舌が勝手に喋った。

 

 「本拠に置くのが怖くて…オッタルさんからギルドの貸金庫をお勧めされて…」

 

 少女は冷たい口調で問う。

 

 「鍵はどこにしまいましたか?」

 

 「ここに…」

 

 少年は首に下げた紐を取り出した。その先に、鍵がぶら下がっている。

 

 「貸金庫の番号は?」

 

 ベルは意識では抵抗しようとしていた。しかし舌が勝手に情報を喋ってしまう。どうすることも出来なかった。

 

 「ハの五百四十番…無理を言って、エイナさんの管轄にしてもらった…」

 

 「ハの五百四十番、ギルドの貸金庫。鍵はこれ。他に教えるべきことは?」

 

 既に意識ははるか遠くまで遠ざかっていた。ベルは、最後の力を振り絞って舌を動かしていた。教えてあげないと…彼女に、教えてあげないといけない。ベルはいつのまにか、そのような使命感に駆られていた。

 

 「特記…その、暗号があり…ます。それは…『ヘスティアの…ひ、も』」

 

 「ヘスティアの紐?何のことですか?」

 

 ぐらり、と少年の体が床に倒れていった。少女は鍵を握り締め、力なく伏せる少年には目もくれずギルドの貸金庫へと走っていった。

 

 (自白薬…安くはありませんでしたが、必要経費ですね)

 

 

 

 「ベル様の使いでお金を受け取りに来ましたニャ」

 

 ギルドに着いた少女は残業をしていた受付嬢のエイナに声を掛ける。

 

 「ベル君の?う~ん、書類を渡すから、書いておいてね」

 

 渡された書類に、必要事項を記載していく。ハの五百四十番金庫。受取人、アシュリー・アーデント。もちろん偽名だ。特記項目…ヘスティアの紐。

 

 受け取った書類をエイナはしげしげと眺めた。どこかに不備はないかと確認しているようだ。

 

 「書類は問題ないわね。じゃあ、案内するから着いてきて」

 

 少女は内心でガッツポーズをした。

 

 大理石の廊下を奥へ奥へと進んだ先にある階段を降りて、彼らは地下に着いた。アダマンタイトで出来た大きな扉をエイナが開けた。大きな音が地下室に鳴り響く。

 

 「じゃあ、私はここから先には入れない規則なので」

 

 少女は中へと進んでいく。そこは大小さまざまな金庫が並ぶ大きな部屋だった。少女は目的の金庫を探す。

 

 ハの五百四十番…あった。厳重な大扉とは打って変わって、貸金庫そのものは木製で、少女と同じくらいの大きさの扉だ。そこに鍵を差込むと、扉が開いた。中には大量の金貨が詰め込まれている。少女はポーチに入れていたバックパックを広げ、中に全てを詰め込む。暫くして作業が終わった少女は、外で待っていたエイナのもとへ行って言った。

 

 「…お待たせしましたニャ」

 

 エイナは訝しげな表情で問う。

 

 「…金貨を全部出しちゃったんですか?えっと…ベル君はしばらく預けておくって言っていたけど…」

 

 「トラブルが起きたんですニャ。それで、現金が必要なので。ご心配なく、明日には残りの金貨を預けに来ますニャ」

 

 「そう、それならいいんだけど…」

 

 (まぁ、暗号も知ってたし、ベル君の使いなのは間違いなさそうよね…)

 

 二人は階段を上り、エイナは作業をするためデスクへと戻っていった。リリはそのまま一億ヴァリスをバックパックに抱え、ギルドの外に出た。いつも通りの酔っ払い達による宴が、もう始まった頃だった。

 

 メイン・ストリートに立ち止まり、少女は大きく息を吸い込んだ。夜風がなんと心地よいことか。

 

 (リリはやりました…完全勝利ですっ!)

 

 笑みを漏らしながら、本拠へと歩武を進めていく。

 

 

 

 「ふふふ、ベル・クラネル。最後に勝つのは賢い者ですよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 -怪物の横槍-

宿屋の女将がどんどんと部屋の扉を叩いて何かを叫んでいる。ベルはむくりと起き上がり、もうすっかり明るくなっている外を見た。

 

 どうやら自分は宿屋の床に倒れこんだまま眠りについていたらしい。昨日、一体何をしていたのか…。確か自分は可愛い女の子と一緒に部屋に入った筈だ。そこから先の事は、ぼんやりと浮かんでくるだけだった。

 

 (えっと…可愛い女の子にえっちな誘惑をされて…それから…)

 

 「死んでるのか?返事をしろっ!とっくに退出時間は過ぎてるよ!」

 

 「は、はいっ!?」

 

 女将のキンキンした叫び声が、さっさと部屋を出ろと急かしていた。ベルは未だ明かりに慣れない半開きの目で立ち上がった。ふらふらと体が安定しない。硬い床で寝たせいだろうか、体中が痛んだ。扉を開けると、老婆が血相を変えて部屋に乗り込んできた。

 

 「ほら、さっさと出て行きな!こっちは仕事が山積みなんだ」

 

 全身の気だるさが抜けきらないまま階段を降り、宿屋の受付を通り過ぎようとすると、受付の老人男性が眼鏡を拭きながらベルを呼び止めた。

 

 「ゆっくりお休みになれましたかな?ところで、レイト・チェックアウト代金をお支払いがまだです。1万ヴァリスになります」

 

 ベルは渋々と金貨を支払った。これで手持ちのお金が無くなってしまった。それでも心配することはないのだが。

 

 決闘で勝ち得た一億ヴァリスは、未だにギルドの金庫でぴかぴかと眠っているだろう。今まで一度だってそんな大金を持ったことはなかった。オラリオに来てから最初の勝利がこの結果だ。これからは、素晴らしい未来が待っているに違いない!

 

 (一度に本拠に戻って、それからお金を受け取りにいこうかな。それにしても、朝帰りなんて…きっと神様、怒ってるだろうなぁ)

 

 主神ヘスティアには、まだお金の事は黙っていた。毎日必死にバイトをしながら借金の返済を頑張る彼女に、サプライズプレゼントを上げたかったのだ。明るい午後の日差しを浴びながらメイン・ストリートを抜け、本拠として使用している古びた教会の前に立つ。地下への階段を降り始めると、自分の足音以外に聞こえてくる音があった。

 

 本拠に誰かがいるようだ。階段を下りるにつれ、その声の主がはっきりしてきた。どうやら女神様は、今日バイトを休んだらしい。きっとこれからたっぷり叱られるに違いない。

 

 「ベル君!?」

 

 部屋に姿を現したベルに、ヘスティアは涙目で駆け寄り抱きついた。

 

 「ベル君のあほーっ!一体今までどこに行っていたんだい!?ボクは心配で夜も眠れなかったんだぞー!」

 

 「えっと…その、すみませんでした、神様…」

 

 子供のようにベルの胸元をどんどんと叩いてから、ヘスティアはきっと敵意の篭った目つきで、そこにいたもう一人の人物―オッタルを睨んだ。

 

 「これもお前の仕業か、このフレイヤの犬めっ!」

 

 「…貴女には関係のない事だ。俺はただ神意を伝える使いに過ぎん。ベル・クラネル、剣を研ぎ、迷宮へ向かえ。お前が欲する物が、そこにある」

 

 武人はそう言い残して去っていった。ヘスティアは彼の言葉を理解してはいなかったが、ベルは違った。自分の欲する物…それは、一つしかない。アイズ・ヴァレンシュタインだ。決闘に勝利し、彼女を自分の物にする権利を得た今となっては、一秒でも早く勝利の喜びを味わいたい。彼女が迷宮に居るなら、自分も行かなくては。そして宣言するのだ。アイズさん、君の体は、僕のものだと。

 

 「神様…ごめんなさい」

 

 ベルは抱きつく女神を押しのけ、無言のまま冒険用装備を着込んだ。そして、呆然と立ち尽くすヘスティアに言った。

 

 「神様、迷宮に行ってきます…その、帰ってきたら…あ、いえ。なんでもありませんっ!」

 

 そう言ってベルは駆けていった。それまでの大騒ぎとは打って変わって、かび臭い地下室には、女神のぼやきだけが鳴り響いていた。

 

 「まったく、何がどうなってるんだい…」

 

 

 

 

 遠征当日。【ロキ・ファミリア】の錚々たる面々は厳しい武器を持ち、絢爛な装備に身を包んで大広間に集まっていた。これから団長の挨拶が始まると言う所で、レフィーヤがその団長に呼び出される。前日の指示通り、先陣部隊に入り込んでいたレフィーヤは、並み居るLv.5以上の幹部達が集まる輪の中に招き入れられた。

 

 皆、彼女を見る目が冷たい。フィンが口を開いた。

 

 「レフィーヤ、君は約束を果たさなかった。貸した金貨の返済期限はもう、過ぎてしまったね」

 

 目を見開いて驚いたレフィーヤは反論する。

 

 「そ、そんなっ!お金はアイズさんに預けたはずですっ!?」

 

 昨日、フィンからの伝言という形でアイズ本人がレフィーヤの金貨を受け取った。レフィーヤは必死にそう説明したが、「本当かい」と訊くフィンに、アイズは首を横に振る。

 

 「それに…レフィーヤ、私の剣を返してくれる?」

 

 アイズは彼女と視線を合わさず、淡々と言った。しかし、レフィーヤにはまったく何の事だか分からない。だから彼女は「剣は借りていませんん」と説明したが、誰も聞き入れる者は居なかった。ここ数日で、自分の評判は地に落ちてしまったと、レフィーヤは痛感する。

 

 「レフィーヤ、お前は一体どうしてしまったんだ。ファミリアのお金も、アイズの剣も受け取っていないというのか?その上毎晩飲んだくれ、挙句の果てには薬にまで手を出しているではないか!」

 

 萎れた様に頭を垂らす彼女に、リヴェリアが声を荒げてから諦めたように言った。

 

 「…結局お前は、私の言う事などまったく聞き入れてくれないと言う訳だな?」

 

 「まぁ待て、リヴェリア」

 

 今すぐにでも裁きを下そうかという王族を、フィンが右手を上げて制する。

 

 「どうも釈然としない。レフィーヤの態度を見れば、嘘をついていない事くらいは分かる。だが、何が起きているかを論理立てて説明することも、推測することも僕には出来ない。手に余る問題だ、ロキを呼ぶ」

 

 「あんな神様呼ぶまでもねぇだろうがよぉ。こいつの悪事は一目瞭然だぜ」

 

 けっ、と吐き捨てるベートを無視し、フィンはガレスにロキを呼んでくるように命じた。

 

 少しの後、部屋に引きこもっていたロキがガレスに引っ張り出されて幹部たちのもとへやって来たが、団員たちの問題には我関せずといった態度で両手を頭の後ろに組み、かすれた音しか出ない口笛を必死に吹こうとしている。

 

 「さて、ロキ。レフィーヤの豹変について、何か知っている事はないか」

 

 フィンに問いただされたロキは細い目でレフィーヤを見つめ、悪そうに微笑んだ。

 

 「さぁなぁ。ウチはなんもしらーん。それより今日、じゃが丸クンペペロンチーノ味の発売日やねん。誰か買うてきてくれへんかなー」

 

 無責任な対応に呆気に取られた団員の前で手をひらひらとさせてから、主神は背を向けてどこかへ歩いて行ってしまった。

 

 

 

 「ンー…どうしたものか。まぁいい、レフィーヤ。とにかく規則は規則だ」

 

 「そんな…私は、何もしていないのに…」

 

 レフィーヤは泣きそうだった。

 

 周りに居たアイズやリヴェリアは顔をしかめているし、フィンは優しい眼差しを捨て、冷淡な裁判官のような雰囲気になってしまった。

 

 ベートは相も変わらず心を抉る言葉を吐き続けており、ガレスは無言の沈黙の中、首を左右に振り続けている。遠くでティオナの明るい声が聞こえてくる。いつもならすぐ近くで聞こえていた彼女の能天気な発言も、ここ最近は彼女が意図的にレフィーヤを避けているせいであまり耳にしていないのではないか。レフィーヤは今すぐにでも大声で叫んでしまいたくなった。

 

 「まったくよぉ、どうかしてるぜ。糞エルフ」

 

 ベートの嘲笑の刃がレフィーヤの心を深く抉る。涙が頬を伝い、辛い感情が大きくなって爆発した。

 

 「どうかしてるのは、皆さんの方ではないですか!?アイズさん、私は昨日、しっかりお金を渡しましたよね?しっかり思い出してください!」

 

 怒りを爆発させるレフィーヤに戸惑ったアイズだったが、ゆっくりと静かに呟いた。

 

 「私は…お金なんて貰ってないよ。レフィーヤこそ、私から借りた剣、返してくれないと…」

 

 アイズの言葉には、明らかな非難の色が混じっていた。最愛の友人の冷たい態度に、レフィーヤの感情はさらに暴走する。

 

 「皆さん、一体どうしちゃったんですか!私たち、家族(ファミリア)ですよね!?」

 

 悲鳴交じりの叫びが再び大広間に響いた。談笑していた団員達は興味ありげに、何事かと様子を伺い始める。

 

 「アイズさんまで、私のお金を受け取っていないなんて冗談を言うなんて!私はお金も剣も借りていません、誰か信じてください!」

 

 

 「誰か信じて下さい!…ぷぷっ!」

 

 ベートがレフィーヤの言動をそっくりそのまま真似てみせ、ガレスがそれに釣られてくすりと笑みをこぼした。

 

 「やめろ、ベート。いかなる状況であろうと、団員を辱めるべきではない」

 

 「…五月蝿ぇなぁ、ババァ。おい、糞エルフ。てめーの行いをよーく思い出してみろ。何一つ信頼できる事なんてねぇだろうが?まったくよー、遠征前の雰囲気ぶち壊しだぜ?さっさと認めろっつーの」

 

 ティオネも彼に同調した。するとレフィーヤは一層ひどく、嗚咽交じりに泣き始めた。

 

 「悪いけど、レフィーヤ。最近のあんた、どうも変よ。それじゃ信じろっていう方が、無理よね」

 

 ティオネの後を継ぐように、フィンは大泣きしているレフィーヤを見据えて言う。

 

 「レフィーヤ、これが最後の質問だ。君はお金を借りたかい?」

 

 「うっ…借りてません…でも、お金、返さないとと思って…アイズさんに…」

 

 「アイズ、お金を受け取ったかい?」

 

 アイズは首を振って「剣を貸したけど返して貰ってない」と言った。それを見てレフィーヤは一層酷く泣き喚き始めた。

 

 「…ンー、妙だな。とにかくレフィーヤ、こんな状況じゃ君を遠征に連れて行く訳にはいかない。今回は留守番をしているんだ」

 

 「そ、そんなっ…」

 

 レフィーヤは反論しようとしたが、涙や呻き声が際限無く流れてくるせいで、言葉を発することが出来なかった。

 

 「それじゃあ、この件はここまでだ。遠征前の演説を始める時間だ。団員達を集めてくれ。アイズ、剣の心配はするな。ヘファイストス・ファミリアに不壊属性の武器の予備を借りて来い。馴染まないかもしれないが、当面はそれでどうにかするしかない」

 

 「…うん、わかった」

 

 「おーい」

 

 するとどこからともなく主神であるロキがやってきて、フィンに耳打ちする。

 

 (ハムザっておるやろ?…まぁ何かやらかしたら、大目に見てやってくれへん?)

 

 「ハムザ…?ロキ、どういうことだい?」

 

 フィンの問いには答えず、女神は冗談を言いながら別の団員をからかいに離れていった。

 

 「やれやれ…振り回されるこちらの身にもなって欲しいよ」

 

 

 

 それからすぐに幹部達はぞろぞろと動き始め、レフィーヤはその場に取り残された。いつまでも泣き続ける訳にはいかないと思った彼女は、もう不必要になった杖を床に置き去りにし、力なく歩き始め、演説が始まる前に館を出た。

 

 門兵が、一体何事かとぎょっとした顔つきで彼女を見たが、あまりに悲惨な姿に何も言葉を発しなかった。

 

 「総員、よく聞け!これより隊を組み迷宮へと向かう!目指すは未開拓領域でありーー」

 

 フィンの澄んだ声は、青空に消えていった。レフィーヤは黄昏の館を離れ、メイン・ストリートを下って行く。こんな時、一体どうしたらいいのだろうかと彼女は自問した。ファミリアに見捨てられた自分に、行くべき場所などあるのだろうか。ふと、脳裏にハムザの顔が浮かんだ。レフィーヤはくるりと進行方向を変え、彼方にある歓楽街方面へと進みなおした。

 

 

 ●

 

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の本拠では、『ロキ・ファミリア乗っ取り計画』の最終確認が行われていた。

 

 「いいか、お前がアイズに変身する。俺と門まで行って、適当な理由を付けて開けてもらう。中に入ったら女神を見つけて、剣で脅して縛り上げる。なるべく守衛達には見られたくないな、見つかったら、まぁ適当にボコボコにしておけ」

 

 「なるほど。あ、作戦に重大な穴が見つかりましたよ。実はリリ、ロキ・ファミリアのどんな末端兵士よりも弱っちいという事に、今気づきました。それに多分、ハムザさまも」

 

 「んん?お前はともかく、俺はーー」

 

 ハムザを遮って、主神がベッドに横になったまま声を荒げる。急に何かを思い出したようだ。

 

 「おーいリリ!そういえば、昨日取り戻したという金貨はどこにしまったのじゃ!」

 

 栗色の巻き毛を指先で弄りながら、リリは唇を尖らせて小さく悪態を吐いた。

 

 「言う訳ありませんよ、テルクシノエさま。また変な芸術品に使われでもしたら、目も当てられません」

 

 折角元通りになった仲が再び険悪になっては困ると思い、ハムザが会話に割って入る。

 

 「おい、神様。引っ越したらでかい部屋をやるから、そこに何でも飾っておけるぞ。だが今は引越しが先だ。それにリリ、俺はこの彫刻達の良さが、段々分かってきたぞ。女を模った物は、見方によってはそれなりにエロい」

 

 会話が明後日の方向に向かったところで、彼らはもう一度仕切り直す。

 

 「とにかく、やってみれば何とかなる。じゃ、そろそろ準備に取り掛かるぞ、神様」

 

 「あぁ、頑張るのじゃ。帰ってきたら、引っ越し先を決めたいのう。歓楽街も良いが、もう少し芸術の匂いの感じる場所が良い。つまり、森じゃな」

 

 嬉しそうに引っ越し先を妄想する主神をよそに、リリは「本当にやるしかありませんか…」と最後に呟いた。リリとしては、ハムザの作戦がどうも危険に思えて仕方がなかった。彼の言うことなら聞かないわけにはいかないが、それなら他にもやり方があるのではないか。そう言いたい気持ちを押しとどめて、リリはアイズに変身した。

 

 「いつ見ても見事だな」

 

 ハムザに言われたとおり、リリは見事にアイズと瓜二つの姿になっていた。

 

 「それでは、我が軍。装備を整えよ、ロキ・ファミリア乗っ取り作戦を開始するために、準備を怠るな!」

 

 その瞬間、テントの入り口からレフィーヤが顔を覗かせた。驚きの交じった目で、遠征に出発したはずの、ここにいるはずのないアイズを捉えた。テントの外で入るか入らないかと二の足を踏んでいたレフィーヤは、不運にも全てを聞いていたのだ。

 

 「あなた達…本当に?」

 

 「やべっ…どうしてお前がここに?遠征はどうなった?どこから聞いていた?」

 

 ハムザを無視し、レフィーヤは静かに震え始めた。

 

 「私を…騙していたの?貴女、アイズさんじゃない…リリルカ・アーデですね?」

 

 ハムザが言った。

 

 「おい、リリどうにかしろ。あ、違う。リリじゃなくて、アイズだったな、今は…」

 

 やれやれ、とため息を吐いたリリは胸を張って言う。

 

 「ハムザさま…私はこうなる予感がしていましたよ?それも、最初の最初からです」

 

 そしてレフィーヤの怒りは爆発した。魔力が迸り、テントがびりびりと震える。

 

 「私を騙しましたね!?あなた達のお陰で、私はっ…私はっ!!」

 

 「落ち着け、レフィーヤ。落ち着くんだ」

 

 振動はさらに強くなっていった。紅茶のカップがカタカタと揺れ、机に転がっていた丸鉛筆がひとりでに絨毯の上に転がり落ちた。

 

 「黙りなさいっ!許さない、絶対に許しません…!」

 

 そして怒りに震えるレフィーヤは詠唱を開始した。怪物共を焼き払う、本物の詠唱だった。冒険者としての、魔導士としての誇りを懸けて、全身全霊の魔力を注ぎ込み打ち出す本気の魔法だった。

 

 『――誇り高き戦士よ、森の射手隊よ…』

 

 ぎょっとしたハムザは叫んだ。

 

 「おい、こいつ詠唱始めたぞ!逃げろっ!!」

 

 ハムザとリリは駆け出した。それをレフィーヤは追いかけていく。怒りに支配されたレフィーヤだったが、詠唱を始めた途端に不思議と平静さを取り戻していた。

 

 (そうよ…この蛮族達を、しっかり焼き払わないと…今なら絶対に出来る筈っ…!)

 

 『――押し寄せる略奪者を前に弓を取れ。同胞の声に応え、矢を番えよ』

 

 歓楽街の入り組んだ小道を抜け、メイン・ストリートを走る二人を追いかける。ハムザが途に転がる小石を掴んでは、レフィーヤ目掛けて投げつけていく。しかしレフィーヤは完全に軌道を見切り、全ての攻撃を機敏な動きでかわしていく。

 

 『――帯びよ炎、森の灯火。撃ち放て、妖精の火矢。 雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え…』

 

 「リリは蛮族の一味ではありません!」

 

 そう叫びながら、リリも投石に加わった。降り注ぐ小石の雨を掻い潜り、逃げる獲物を追いかけながら、レフィーヤは心一つ乱さぬ不動の心で詠唱を完成させた。

 

 「リリ、来るぞ、何でもいいから障害物の陰に隠れるんだ!!」

 

 「わ、わかりましたっ!?」

 

 (無駄よ…燃え尽きなさいっ!!)

 

 

 『ヒュゼレイド・ファラーリカ!!』

 

 

 レフィーヤの広域炎属性魔法がメイン・ストリートに放たれた。道を行く人々は驚いて飛び退いた。ハムザとリリも噴水の陰に隠れる事で、何とか事なきを得る。しかし爆風は人々や露店を吹き飛ばし、周囲にあったあらゆる物を燃やしてしまった。

 

 『『おい、あれロキ・ファミリアだぜ!』』

 

 『『どうして俺達を攻撃してるんだ!?』』

 

 メイン・ストリート界隈の住民達は叫び声をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 

 (くぅっ…杖が無いせいで、威力が随分足りないですね…)

 

 レフィーヤはその中に居る二人をしっかりと目視してから、両目を閉じて魔力を装填する。その距離は50Mほど離れているが、問題はない。

 

 (広域魔法を選んだのは失敗でした…住民に攻撃をしてはまずいですよね)

 

 かっと目を見開き、両手を掲げて詠唱を開始した。

 

 『――解き放つ一条の光、聖木の弓幹』

 

 「第二派来るぞっ!急げっ!」

 

 ハムザはリリを引っ張りながら、訳も分からず走り続けていた。正面に、バベルが見えてきた。詠唱しながらぴったりと後ろについてくる怒れる魔導士に冷や汗を流しながら、彼は必死に考えた。ギルドへ飛び込んでしまえば手出しはできないだろうか?いや、今のレフィーヤならギルドなどものともせず焼き尽くすだろう。このまま逃げ続けても埒があかない。攻撃してみるべきか。

 

 ハムザはリリを引っ張って狭い小路に入り込み、剣を構えようとしたが、丸腰だったおとに気が付いた。その瞬間、レフィーヤの姿が視界に入ったので、ハムザは思い切って彼女に飛び掛った。

 

 『――汝、弓の名手なり…』

 

 さっと体を反転させ、レフィーヤはハムザのタックルを避けた。そして体勢の崩れたところへ強烈な蹴りを食らわせる。

 

 「ぐえっ…!」

 

 地面を数十メートル程転がりながら、ハムザは血を吐いて立ち上がった。リリが青ざめた顔つきで駆け寄って来る。

 

 「大丈夫ですか!?」

 

 「ぐ…強い。逃げろ、殺される」

 

 二人は慌てて走り去っていく。怒れるエルフの少女は彼らを追いかけながら、三度目の詠唱を完成させるために言葉を紡ぐ。

 

 『――狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢』

 

 「避けろおおおおっ!」

 

 必死の叫びを、レフィーヤの詠唱が掻き消した。

 

 「アルクス・レイ!!!」

 

 轟音と共に魔力が解放され、複数の光の矢がハムザ目掛けて飛んでいく。一瞬のうちに矢はハムザに着弾し、石畳と共に弾け飛んだ。あまりの衝撃に驚いて、オレンジ色の屋根からばさばさと鳩の群れが飛び去って行った。道路沿いに住む人々が何事かと窓から顔を覗かせている。彼らの視線が、次第に霧散していく粉塵の中に倒れ込んでいる男に集まった。

 

 「ハムザさま!?」

 

 リリはまだ脈があることを確認し、緊急用の回復薬を浴びせる。すると冷酷な魔導士が背後から近づいてくる音が聞こえてきた。

 

 「助けないでくれませんか?お願いです、貴女にまで危害を加えたくはないんです」

 

 まるで別人のようになったレフィーヤを前に、リリはたじろいだ。いっそのこと投降してしまおうか。洗いざらい話してしまえば、命くらいは助けてもらえるかも知れない。

 

 湧き上がった逃げの思考に、そっとリリは蓋をした。

 

 (…いけませんね、リリはもうテルクシノエ・ファミリアの団員なんですから)

 

 意を決して、握り締めていた煙幕玉を地面に投げつけた。途端に煙が立ち上り、辺りは再び土埃と煙幕が充満するが…。

 

 「小細工、ですね…」

 

 レフィーヤは冷静だった。目が見えなくなっても、耳は聞こえる。走る足音に耳を澄ませれば、彼らの行く方向など直ぐに分かるのだ。

 

 (この方向は…ダンジョン?好都合です)

 

 レフィーヤは煙幕の中を走り抜け、二人の蛮族を追ってダンジョンへと走っていった。

 

 

 

 

 迷宮を彷徨いながら、ベル・クラネルは異様な静けさに首を傾げていた。軽装甲の防具を纏い、神様に貰った《ヘスティア・ナイフ》を片手に握りしめ、ベルはダンジョン5階層まで進出していた。腰には昨日奪い取った、アイズ・ヴァレンシュタインの愛剣も差している。

 

 準備は万端だったはずだ。だが、あまりに少ないモンスター。不気味な空気に、冷や汗が全身から溢れ出ている。手汗がひどく、柄を握る手を何度も何度もズボンで拭きなおしていた。以前にも、このような状況を体験した事があった。オッタルはこの事を予見していたのだろうか?

 

 『ベル・クラネルよ、迷宮に行け。そこにお前の求める物がある』

 

 彼は低い声を響かせて、そう言っていた。求める物とは、麗しの剣士の事ではなかったのだろうか?何故なら、決闘に勝利することで得たアイズ・ヴァレンシュタインとの性的行為を営む権利を行使することこそ、ベルの求めることだったのだ。

 

 だが、美麗な金色の剣士はどこにもいない。…何かが間違ってしまったのだろうか?

 

 「いや、まだ分からない…」

 

 ベルは静かな5階層を奥へと進んで行く。モンスターの遠吠えも、他の冒険者の剣戟も聞こえない。存在するのは、砂利の上を歩いて行く自分の足音だけだった。目の前に巨大な広間が見えてきた。そこに足を踏み入れると、ふと、空気が変わった気がした。

 

 ――何かがいる。

 

 そして息を吸いこむような音の後、聞き覚えのある悍ましい咆哮がベルの全身にぶつかった。

 

 『『ヴモオオオオオオオオオオオオオオッ!』』

 

 「っっ!!?」

 

 その牛の怪物は通常の二倍はあろうかと思われる程大きく、異常な事に、武器を…大剣を携えている。

 

 (ミノタウロス…なんでまた5階層に!?)

 

 いつの間にか砂利の上にへたり込んでしまっていたベルは、手足を動かそうとするも体が言う事を聞かない。ずしん、ずしんと怪物の足音が鳴り響く。逃げろ、と全神経が全力で警鐘を鳴らすも、地面を這って進むのがやっとだった。

 

 「こ、こんな筈じゃ…」

 

 絶望の呟きは、二度目の咆哮にかき消された。

 

 (――こんな物、僕は求めていなかったのに)

 

 

 

 

 レフィーヤの怒りの炎は、迷宮に入った途端さらに大きく燃え上がっていた。ここには彼女を阻む物などない。傷つけてはならない市民もいないし、壊してはいけない物もない。大量の魔力を注ぎ込んで、彼女は魔法を発射した。

 

 「ヒュゼレイド・ファラーリカ!!」

 

 豪炎が通路を埋め尽くしながら、数十メートル先の二人目掛けて驀進する。彼らは間一髪のところで曲がり角に飛び込んだ。

 

 (避けられた…)

 

 三人の追いかけっこは、5階層まで続いていた。時折襲い掛かってくる小型の怪物達をあしらいながら、並行詠唱を完成させ続けること十数回。杖を持たないレフィーヤの魔法は、彼らを葬り去るには十分な威力を持たなかったようだ。

 

 単純に面と向き合って戦闘が出来れば、いつの間にか並行詠唱をものしていたレフィーヤにとって、彼らは取るに足らない相手だろう。思い出したかのように行われる反撃も怖くはない。ただ、ダンジョンの地理を完全に把握し逃げる二人を追い詰めるのは、思いのほか至難だった。

 

 厄介なのは、煙幕を張った後のボウガンによる遠距離攻撃だった。流石のレフィーヤも視界を絶たれてからの遠距離攻撃には業を煮やすほかない。その度に足止めされ、距離を開けられる。ステイタスの差により、単純な速度勝負ならばレフィーヤの圧勝だ。だが、敵は三叉路等の分岐点に必ず煙幕を張ったり、道を進んだと思わせておいて実は引き返していたりと、なるほど逃走には慣れているということは、認めざるを得ない。

 

 そしてこの時もまた、煙幕を前にレフィーヤは標的を見失った。焦りを抑え、冷静さを失わない様に目を閉じ、耳を澄ませる。Lv.3の聴覚であらゆる物音を拾うためだ。2時の方向から風切り音が聞こえる。すっと体を動かして、放たれた矢を回避する。二人分の足音が南東の広間へ向かっている事を確認し、レフィーヤは駆けだした。

 

 「絶対に追い詰めて見せますっ…アイズさんのためにも、ファミリアのためにも、蛮族は今ここで討ち取っておかないと」

 

 

 

 「矢弾、煙幕共に尽きましたっ!応戦するほかありませんっ!」

 

 「くそ、足も速い、魔力は底なしだ、おまけに並行詠唱があるせいで迂闊に接近戦にも持ち込めない。あんな化物、どうやってやっつけたらいいんだ?」

 

 「逃げ続けても埒があきませんし、ここから先はモンスターによる妨害も厄介です。それにリリはもう種切れです。危険を伴いますが…正面からぶつかってみましょう!」

 

 そう言ってリリは正面の広間へ飛び込んだ。すると、暗闇の奥で何かが蠢いている事に気づく。あれは…大剣?冒険者だ。

 

 丁度いい、とリリはその影に近づいた。そしてリリの顔から血の気が失せていく。

 

 (冒険者、じゃない…!ミノタウロスっ!!?どうしてここにっ!?)

 

 牛の怪物は今まさに少年を粉砕するために、大剣を掲げ上げていた。邪魔が入った事に苛立ちを覚えたのだろうか。怪物は標的を変更し、持ち上げた大剣をリリへと振り下ろした。

 

 (あっ…死んだ)

 

 走馬燈が見える。お父さん、お母さんが笑っている。思えば、供養もしてやってない。母親は強姦された挙句、奴隷として死んだようだ。父親は…どうせダンジョンで怪物に喰い殺されたには違いないが、手向けの花くらいはどこかに飾ってやるべきだっただろうか?それに優しいお爺さんとお婆さんにも、まだ顔すら合わせていないではないか。彼らはリリを許してくれた。その上、修繕費にとこっそり置いてきた金貨ですら、リリに返してしまった。残念だ。せっかくの厚意を無駄にしてしまった。リリはもう、死んで――。

 

 「避けろ、馬鹿っ!」

 

 ハムザがリリに突進した。怪物が悍ましい表情をさらにひどく歪めた。

 

 振り下ろされた大剣は地面を破砕したが、肉を捻り潰した手応えがなかったからだ。

 

 そして巨大なミノタウロスは、地面に倒れて血を流すハムザを睨みつけて低く唸る。

 

 「牛が、図に乗るなよ」

 

 立ち上がったハムザの右肩から、どろりとしたどす黒い血がどくどくと流れ落ちていた。それにも関わらず、彼は怪物と正面から対峙して、果敢にも戦闘態勢を取る。

 

 「リリ、喜べ。今夜は細切れ牛のハンバーグだ」

 

 『ヴヌゥウウンッ!』

 

 ミノタウロスが振り下ろす大剣と激突し、周囲に弾けた衝撃派が広間を震わせた。

 

 

 

 死を覚悟していたベルは九死に一生を得た事にすっかり安堵し、ミノタウロスの強制停止(リストレイト)から解放されている事にも気が付かなかった。

 

 「立って!助けを呼びにいきますよっ!」

 

 リリは少年に声を掛けるも、彼ははっきりしない態度で歯切れ悪く言った。

 

 「あの…あなたが倒した方がはやいんじゃあ…?」

 

 「倒せる訳ないですっ!?ほら、さっさと立って下さい!ハムザさまが時間を稼いでいる間に、レフィーヤ様を見つけて救援を要請しましょうっ!」

 

 ベルは訳が分からず困惑していたが、彼女に付き従って通路を走って行った。

 

 武器も鎧もない、丸腰のハムザを残してしまった罪悪感に、ベルは一度だけ後ろを振り返った。しかし、そこには粉塵が舞い上がる他には、何も見えなかった。

 

 

 「そこをどいてくれるかい?オッタル」

 

 遠征に出発したロキ・ファミリアの先発隊は、ダンジョン4階層でオッタルに足止めされていた。【フレイヤ・ファミリア】の最強戦力、オラリオ屈指のLv.7を前に、流石の百戦錬磨の冒険者達も息を呑みながら武器を構えている。

 

 「無駄な戦闘は極力避けたいんだ。どんな理由かは知らないけれど、出来れば君と今ここで争いたくはない」

 

 フィンは逸る団員達を抑えながら、オッタルに問いかけ続けていた。対する武人は無言のまま仁王立ちを続け、5階層への階段を塞いでいた。

 

 「…言った筈だ。通しはせん。お前たちはここでその時を待つ外ない」

 

 「もう、さっさと片づけちゃいませんか?団長、あたしの愛の力、お見せします」

 

 ティオネが前に出た。フィンはもう止めることは出来ないかと思い、やれやれと首を振ってから、自らも得物を構えた。

 

 「…悪いけど、オッタル。僕らは急いでる。そこをどくつもりがないのなら、無理やりにでも――」

 

 その瞬間、5階層からベルと共に階段を上がってきたリリが叫んだ。

 

 「た、助けて下さいっ!ミノタウロスが、ミノタウロスが出て…っ!」

 

 

 『『『!?』』』

 

 

 

 全員がリリを見て驚愕した。歴戦のオッタルでさえ大きく口を開け、瞠目して固まった。しーん、と不自然な空気が流れる。リリは意味不明な彼らの驚愕に、ただ「?」と怪訝な表情を作るだけだった。

 

 「えーと…」

 

 ティオナが恐る恐る呟いた。

 

 「あたし、目がおかしくなっちゃったかなー…。アイズが二人いるように見えるんだけど」

 

 全員は隊の中にいるアイズを見た。金髪の剣士は、目を白黒させて棒立ちしている。

 

 (あっ…そういえば、今のリリって、アイズ様の姿なんでしたっけ…?)

 

 リリはレフィーヤとの逃走劇のお陰で、すっかり変身していた事を忘れてしまっていた。

 

 「アイズ、いつの間に二人に分裂出来るようになったんだい?」

 

 「団長さんよぉ、普通に考えれば分かるだろうが。双子だろ!」

 

 「いや――」

 

 濃緑色のローブに身を包んだリヴェリアが、瞑目しながらつぶやいた。

 

 「変身魔法かも知れん」

 

 リヴェリアの発言に、場にいる全員が驚いて王族を見る。すらすらと淀みなくリヴェリアは続けていった。

 

 「少し前に魔法書で読んだ覚えがある。希少性は高いが昔から変身魔法は存在するらしいな。それでお前、何者だ?」

 

 「え、えーっと…話は後です。とにかく、ミノタウロスが出たんです!助けて下さいっ!?」

 

 【ロキ・ファミリア】の集団は、棒立ちするオッタルの脇をすり抜けて階段を駆け下りていった。彼らが去った後、そこにはベルとオッタルだけが残された。オッタルはロキ・ファミリアの足止めも忘れて棒立ちをしていたが、やがてくるりと向きを変え、ベルに問いかける。

 

 「…一体、何がどうなっているのだ…?」

 

 「え、えーっと…僕もまったく、わかりません…?」

 

 「それよりも、怪物はどうした?」

 

 オッタルとはとても目を合わせられなかったベルは俯きながら、気まずそうに応えた。

 

 「えっと…ハムザさんが来て、助けてくれたので…。逃げてきました」

 

 オッタルは頭を抱えた。とにかく成り行きを見届けるために、二人は階段を下りてミノタウロスのもとへと向かって行った。

 

 

 

 「おいおい、マジかよ。あの糞ミノタウロス、何でこんなところに居やがんだ?」

 

 「いや、それよりもあの冒険者、確かまだLv.1だった筈だけど…」

 

 一足先に広間に着いたベートとフィンは、ミノタウロスとの戦闘を続けるハムザを見つけた。

 

 それから少しの間をおいてから、リヴェリア、ティオナ、ティオネ、そしてアイズが到着する。遅れてベルとオッタルもその場に着いた。

 

 ミノタウロスとの戦闘を続けながら、ハムザはギャラリーが増えていることに気づいていた。右肩に受けた傷がズキズキと痛んだ。振り下ろされた大剣を横っ飛びで回避し、彼は怪物と距離を取った。ミノタウロスもまたハムザから受けた傷で血を流しているが、戦闘不能まではまだ遠い。雄牛は低い呻き声を出してから、広間をビリビリと痺れさせる程の大音響で咆哮した。

 

 『ヴモオオオオォオオオオオオオオオォッ!!!』

 

 衝撃波を受けたベルは、あまりの迫力に腰が抜けてぺたりと座り込んだ。しかし周囲にいる歴戦の強者達は、顔色一つ変えずに戦況を見つめている。

 

 「ねぇ、なんであの人Lv.1なのにリストレイトしないんだろうね?」

 

 「変ね。闘い方もまるで雑だけど、まだ余裕って感じだわ。でも、なんで丸腰なのかしら?」

 

 アマゾネスの姉妹の分析に、リヴェリアはただただ口を閉ざすばかりだった。認めたくはないが、明らかに器の昇華を済ませている。酒場で出会ってからまだ二週間程だと言うのに、一体どうやって…。スキルのせいなのだろうか?悩むリヴェリアのよそに、ベートが口を開いた。

 

 「おい、ありゃどうみてもLv.2だろうが。一体誰が偽情報を広めたっつーんだよ?」

 

 「…ハムザは、まだLv.1だよ。私、彼のステイタスを見たから、知ってる…」

 

 アイズはそう呟いて、拳をぎゅっと握った。

 

 「一応…他のパーティが戦闘中なのだから、救援が出るまでは干渉はご法度ではあるけど…」

 

 フィンは奇妙な状況に首を捻って顔をしかめた。

 

 「今のところ助けが必要なようには、どうも見えないな」

 

 フィンの隣に立つリリも、一体自分がどうして助けを呼びに行ったのか、よく分からなかった。ちゃんと考えてみれば、魔法を使えば一発で勝てるのではないか…。

 

 『ヴウウウウゥゥゥゥ…』

 

 怪物と対峙しながら、ハムザは忌まわしそうに舌を鳴らしていた。武器さえあれば、こんな牛など夕食のチキンを捌くよりも簡単に片づけてしまっていただろう。しかし、不運なことに、今の自分は丸腰だ。出来る攻撃はパンチとキックだけ。何とも原始的な冒険者がいたものだ。

 

 (そもそも、武器を持たない奴を冒険者と言えるのか…?)

 

 鼻息を荒くして剣を振り回す怪物の攻撃をひらりひらりと避けながら、ハムザはくだらないことを考え始めていた。魔法を使ってしまえばこれが一瞬で終わるだろうことを、何となく理解していたからかも知れない。

 

 ハムザの弛緩した空気に腹を立てたのか興を削がれたのか、ミノタウロスは紅の瞳を不気味に光らせて、くるりと背を向けた。

 

 「…?」

 

 広間に居た全員が目を疑った。

 

 ミノタウロスが大剣を振り下ろしたのは、人の二倍ほどある大岩。大きな石礫が飛び散り、粉塵が舞い上がる。そして、蒼白になったレフィーヤがその煙の中から這い出してきた。

 

 「なんだ、いたのか?レフィーヤ」

 

 ハムザが遠くからレフィーヤに声を掛けた瞬間、リリの叫び声が広間に響いた。

 

 「いけませんっ…!ハムザさまっ――」

 

 その瞬間、ミノタウロスは大剣をレフィーヤに振り下ろしていた。不意を衝かれたレフィーヤは一瞬だけ硬直し、そしてその一瞬が命取りになった。

 

 (間に合わないっ…!?)

 

 レフィーヤ本人も含め、そこにいた全員がそう思ったに違いない。様子を見守っていた【ロキ・ファミリア】の幹部たちの初動が、僅か一瞬だけ遅れていた。岩陰から急に現れたレフィーヤに驚いたことだけでなく、数日のうちにすっかり変わってしまったエルフの少女の行動を思い出したことで、ほんの一瞬だけ彼らの判断が遅れた。

 

 怪物が振り下ろした大剣はレフィーヤの居た地面を抉った。しかし、ミノタウロスはまたしても辛酸を舐めさせられる。ハムザが間一髪のところでレフィーヤに飛び掛かり、彼女を危機から救い出していた。

 

 「ほれ、ほれ。的はここだぞ。しっかり狙えよ、雄牛アル・バカラ」

 

 「ち、ちょっと、ふざけないで下さいっ…」

 

 ハムザはレフィーヤを背後から抱え上げ、ミノタウロスがしっかりと彼女を狙えるように両手を広げさせてアピールした。

 

 「いやっ…放してっ」

 

 もぞもぞと動くレフィーヤをハムザは力で押さえつけている。その奇妙な様子にアイズが口を開く。

 

 「助けた方が、いいのかな…?」

 

 「いや…」

 

 フィンは親指を一瞥してから言った。

 

 「その必要は、ないだろう」

 

 「あははっ。レフィーヤったら、本気で逃げる気ないよねー?あの冒険者のこと、好きなのかなぁ?」

 

 ティオナの何気ない一言に、リヴェリアはぎょっとして固まった。

 

 「まさか…そんな筈は…レフィーヤ、お前まで…」

 

 『ヴヌゥゥゥゥゥゥン...』

 

 ミノタウロスは唸り、角を突き出して突進の構えを取った。対するハムザはレフィーヤを後ろから抱えたまま微動だにせず佇んでいる。

 

 「あいつら、馬鹿か!?死ぬぞ」

 

 ハムザのおふざけに対し呆れかえっている【ロキ・ファミリア】の中で、いち早くベートが銀靴を鳴らしてミノタウロスに飛び掛かろうとした。しかしベートは踏みとどまる。ハムザがレフィーヤの後ろから片手を突き出し、『魔法』を行使する様子を見せたからだった。

 

 顔をしかめながら、ベートは『冒険者達の暗黙の了解』を思い出していた。他パーティの戦闘には、原則的に不干渉を貫くこと…。

 

 (あァ?…マジで何なんだぁ?)

 

 直後、弾丸の様に体を丸めた雄牛は、前方のハムザに向けて突進した。凄まじい筋肉の爆発に、地面が砕け散る。それでもハムザは飛び退かない。両者の距離がみるみる縮まっていく。そして激突しようかという所で、ハムザは叫んだ。

 

 

 『イェベン・ティ・マーテル!』

 

 

 突進する雄牛とすれ違うように、ハムザはレフィーヤを抱えて真横に回避した。ミノタウロスはどす黒い魔力の粒子に包まれ、そのままバランスを崩し、力なく地面に倒れこんだ。

 

 『………??』

 

 どしんと大きな音を立てて突っ伏すミノタウロスを前に、【ロキ・ファミリア】も、ベルもオッタルも、皆が首を傾げた。そして、すぐにリリの歓声が沈黙を破る。

 

 「ハムザさま!さすがです!あんな怪物でも一撃で倒せてしまうんですね!リリは感激しました!」

 

 ハムザに駆け寄ってリリは小型ナイフを手渡した。そしてミノタウロスは身動き一つしないまま、ハムザにナイフを突き立てられ、体内の魔石を砕かれ灰と化す。

 

 消失していくミノタウロスだった灰を眺めながら、居合わせたもの達は言葉を失っているばかりだった。

 

 「…なに、いまの…?」 

 

 「急にミノタウロスが…眠った?」

 

 アイズは瞠目しながらハムザを見つめていた。あれには見覚えがあった。自分を包んだ黒い粒子。そうだ、あれはーー。

 

 「呪詛だ。強制的に精神疲弊を引き起こす」

 

 「えーっ!?そんなの反則だよ!」

 

 リヴェリアの説明に双子の妹が騒ぎ始めた。ベートは舌を鳴らしてそっぽを向く。フィンは柔らかな微笑みを湛えている。そして、アイズは…。ハムザに近づいて、優しい口調で言った。

 

 「…ミノタウロスを、倒せたの?凄いね…」

 

 「お、おう。まぁ余裕だな。肩の傷がなければ魔法すら使う必要なかったんだが。それに武器も防具もないんじゃあ、さすがにな」

 

 依然として【ロキ・ファミリア】の集団はざわついている。双子の姉の非難がましい声が聞こえてきた。

 

 「…めちゃくちゃね。Lv.1の冒険者がミノタウロスをあっさり倒しちゃうなんて。ちょっとおかしいんじゃない」

 

 ティオネに皆がうんうんと頷いた。とてつもない偉業を見せ付けられた…と言うよりも、反則的な何かを目撃した。そんな空気に包まれていた。

 

 アイズの胸のふくらみにいやらしい笑みを向けてから、ハムザはギャラリーに向かって高らかに宣言した。

 

 「俺はもう、Lv.1ではない。昨日ランクアップしたばかりだ」

 

 そしてリヴェリアに、格別のいやらしい笑みを向ける。

 

 「約束は、覚えているな?」

 

 そっぽを向いたリヴェリアはハムザの視線を避けながら苦しそうに俯いて、杖をぎゅっと握りしめた。

 

 「…適当なことを言うな。皆、行こう。この者とは関わるだけ無駄だ」

 

 そんな彼女を遮って、フィンが前に出る。このまま場を離れてしまっては、知るべきことも知らずに終わる。解き明かさなければならない真実が、今深淵から顔を覗かせてこちらの様子を伺っているのだから。

 

 「まぁ待て、リヴェリア」

 

 「それとそこのアイズ、こっちに…いや、お前は本物だろう。そっちのアイズ、つまり変身魔法が使える方のアイズ…こっちに来てくれ」

 

 

 かの勇者ブレイバーに言われたので、リリは前に出てハムザと並んだ。そのすぐ隣にレフィーヤがやって来てきっとハムザを睨んだが、随分と力のないひと睨みだった。レフィーヤの口元には隠しきれない笑みが浮かんでいたからだ。助けられたことを嬉しく思うべきなのか、騙されたことを憎むべきなのか…レフィーヤは測りかねているようだった。

 

 「はっきりさせておきたい事があるんだ。偽者のアイズさん…こんな事があるなんてとても信じられないが、一体君は誰なんだい?」

 

 リリはちらりとハムザを盗み見た。彼が頷いた気がしたので、リリは全てを白状するために変身を解く。

 

 「…響く十二時のお告げ」

 

 一瞬にして、リリはリリの姿に戻った。そして周囲がどよめく。

 

 「なるほど…驚いた。確かに、変身魔法という訳か。見たところ君は、テルクシノエ・ファミリアの団員だね?」

 

 「はい、そうです…」

 

 リリはしょぼくれて頷いた。敗北を認めたくはなかったが、もう言い逃れできる状況ではない。万策尽きたとは、まさにこの状況を差すのだろう。自分が白状しなくても、どうせレフィーヤに全てをばらされてしまうに違いないのだから。

 

 「そ、そうですっ!」

 

 するとレフィーヤが叫んだ。

 

 「この蛮族達は、変身魔法を使って私を騙し、あわよくばロキ・ファミリアを乗っ取ろうと画策していたんです!」

 

 レフィーヤの悲壮な叫び声のあと、笑い声が響いた。

 

 「なんだって?ははは。レフィーヤ、それは無理だろう」

 

 フィンのそれは、苦笑いのようでもあった。

 

 「いくら変身できたとしても、主神を討ち取るのは不可能だよ。ロキの部屋を守るために、特別な魔法がいくつも施されているからだ。それを破るには、リヴェリアのような魔導士を5人は集めてくる必要があるだろう。そうでもしないと、安心して遠征にすら行けないからさ」

 

 「そんな情報は、僕らの遠征の日程を聞き出すよりも遥かに簡単に手に入るくらい有名な話だと思ったんだけど…ね」

 

 「言ってやるな、フィン。きっとその男は少しだけ知能が足りないのだ。装備を忘れて迷宮に潜るくらい、おめでたい頭を持っているようだからな」

 

 がっくりと項垂れたハムザには、リヴェリアの辛辣な言葉も頭に入って来なかった。頭の中では、完璧な計画が崩れていく音が聞こえていたからだ。

 

 「それよりも、レフィーヤ。一体君はどうしてあんなところに隠れていたんだい?」

 

 フィンは眉をひそめてレフィーヤに問う。その問いに、好機と見計らったハムザが口を挟む。

 

 「なに、こいつは俺たちが牛に喰われてしまえばいいと祈りながら、隠れて戦闘を覗き見ていたのだ。何故ならこの不埒なエルフは――」

 

 言い終わらないうちに、フィンがハムザを遮った。随分と厳しい顔つきだ。

 

 「ハムザ、君の発言は、今のところは聞くつもりはない。口は禍いの元、さ。大人しく閉ざしている方が、君のためかと思うけどね」

 

 余計な事を喋れば容赦はしないと暗に示すフィンの威圧感に、ハムザは気圧されて黙りこくった。小さな優男のようかと思えば、とんだ食わせ物だと心の中で愚痴をこぼしながら。

 

 背筋をまっすぐ伸ばして見上げる団長の凛々しい姿にたじろぎながらも、レフィーヤは小さく背を丸めながらおずおずと口を開いた。

 

 「えぇっと…先ほども言いましたけど、この人は私達のファミリアを狙っていました。その計画を知った私は、街中から彼らを追いかけました。ダンジョンに逃げ込まれ、5階層まで潜られてしまいましたが、回り込んで待ち構えていた広間でそこの冒険者がミノタウロスに襲われているのを見つけて、その、助けようとしたんです」

 

 全員がそこの冒険者、ベル・クラネルを一瞥した。ベルはぶるっと身震いしてから、内股になり両手で股間の辺りを隠した。

 

 「そうしたら、間髪開けずにアイズさんに変身したその人が、広間に飛び込んできたんです。ミノタウロスは標的を彼女に変え、ハムザが彼女を守りました。ハムザとミノタウロスが戦闘を始めたら、そこの二人は救援を探しにどこかへ行ってしまいました。ですので…私は岩陰に隠れて、戦闘の様子を見ていたんです」

 

 「なるほど」

 

 フィンが手を顎に当てながら頷いた。

 

 「君たち三人が武器も持たずに迷宮に潜り込んだのには、そんな理由があった訳だ。何となく、全貌が見えてきた」

 

 変身を解いたリリを興味ありげに見つめて、フィンはおかしそうな口調で質問を始める。

 

 「どうか正直に答えてほしい。君はレフィーヤに化けて、僕から金貨を受け取ったことを覚えているね?」

 

 「はい…」

 

 「それで合点がいった、全て君の仕業だ」

 

 フィンは他の団員に、愉快だろうと言いたげな笑みを送る。大勢が呆れかえっているだけの中、フィンの思考は誰よりも先を見通していた。

 

 「アイズに変身して、レフィーヤから金貨を受け取ったのも君だ。そしてレフィーヤに変身してアイズから剣を借りたのも君だ。そしてそのどちらも返していない。恐らくレフィーヤの評判を下げ、そちら側に引き込もうとしたのだろう。だが、結果的に失敗に終わった。どのように計画が破綻したのかは知らないが…脇が、甘かったのだろう」

 

 「変身魔法があれば簡単に本拠に出入りが出来たはずだし、僕以外にも、騙された人は多かった筈だ。そして、オッタルがわざわざ僕らを4階層で足止めしようとしていたのは、このミノタウロスと関りがある。そうだろう?」

 

 オッタルは無言のまま、口端を下げて首を横に振った。

 

 「…俺は何も言うまい」

 

 「それならそれでいい。君たちの謀は、どうせ僕らには関りのないことだ」

 

 そう言ってフィンはちらりとベルを見た。小さく縮こまった彼は、まるで追い詰められた兎のように哀れな姿だった。

 

 「でも、それならさー」

 

 ティオネはフィンが言った内容を正確にまとめてみせた。

 

 「結局レフィーヤは、悪くなかったってことだよね?」

 

 「あぁ、そういうことになるだろう」

 

 一同は気まずそうに俯いて、各々の装備を確かめるような仕草をしながらはぐらかしていた。皆がレフィーヤに対し、不当な暴言を吐いたり冷たい態度を取ってしまっていたことを、今になって後悔しているようだった。

 

 「だが、まだ全てが分かった訳ではない。済まないが、リリルカさん。君たちが知っていることを、全て話して貰えないだろうか?」

 

 「わかりました」

 

 ハムザの了解も得ず、リリは頷いた。こういう場合、相手がこちらの悪事を受け入れる準備が出来ていると分かったら、洗いざらい吐いてしまった方が得策だと思ったからだった。

 

 迷宮の静寂の中、リリは全てを白状した。ハムザの計画で【ロキ・ファミリア】を乗っ取るため、アイズに変身してレフィーヤを手籠めにしようとしたこと。すっかり信じ込んだレフィーヤをハムザが連れまわし、強くなるためだと言って卑猥な訓練をさせていたこと。訓練の一環で、ハムザはレフィーヤの道徳観念を覆そうとしていたこと。お酒や煙草など、今まで触れるのも嫌がっていた物に触れさせることで、レフィーヤの器が昇華するに違いないと信じさせようとしたこと。

 

 「フィン様の推論は、全て的を得ていました。リリは驚きました」

 

 変身魔法を駆使して【ロキ・ファミリア】をかき乱し、評判を落とした頃合いを見計らってレフィーヤを引き抜こうとしたことも、リリは説明した。遠征に行く【ロキ・ファミリア】の留守を狙い、主神であるロキの命を狙おうとしていたことも。

 

 全て洗いざらい白状した後、リリはぽつりと付け加えた。

 

 「…それでも、きっと最後はこうなるだろうって、リリは思っていました」

 

 言い終えた後、リリがすっきりした表情をしているのに対し、ハムザはやや不機嫌そうだった。計画がこのような結果を招くとは、想像もしていないことだったのだ。フィンはおかしそうに微笑みながら、一同に視線を送った。殆どの団員達が、すべての元凶であるハムザを憎々し気に見つめている。ファミリアをかき乱したこの男を、出来れば許したくないようだった。

 

 「さて、リリルカさんが僕から迷宮翡翠玉を受け取ったのであれば、その分のお金は返してもらわないといけないね」

 

 「実は…その件ですが」

 

 申し訳なさそうに俯いて、上目遣いのリリは憐れみを誘う口調で話す。

 

 「か弱いリリは、自分を強く見せるために一度だけハムザさまに変身しました。その時、そこにいる卑劣漢ベル・クラネルにいきなり襲われてしまい、残念なことに金貨を奪われてしまいました」

 

 ハムザに注がれていた時と同じ目つきのまま、全員がベルを見た。いち早く状況を理解したオッタルは、まるでリヴェリアがするように頭を抱えてため息を吐いた。

 

 「え?あの…決闘の事ですか?」

 

 きょとん、としたベルは上ずった、かすれた声を出す。

 

 「はい、その決闘の事です」

 

 リリはあの時の事を思い出しながら、説明を続けていった。

 

 「ベル・クラネル様はハムザさまに変身したリリを打ち負かし、勝者の権利だと言って合計一億ヴァリスとアイズ様の剣を持って去りました。それから先の事は、リリには分かりません」

 

 今や全員の視線はベルにへばりついていた。恨みの籠った目つきの強者達に囲まれて、またしてもベルはぶるっと身震いしてから内股になった。

 

 「では、ベル・クラネル。済まないがそのお金は返してもらおう。そして、アイズの剣も」

 

 フィンに凄まれたものの、ベルは慌てふためきながら釈明を始める。

 

 「じ、実はっ…その、今日ダンジョンに潜る際に金庫に行ったんですけど…その、お金、盗まれちゃってて…!?」

 

 いつの間にかハムザの傍からアイズの傍までじりじりとすり寄っていたレフィーヤが、大声を上げて非難した。

 

 「盗まれたっ?私のお金をっ!?貴方、死ぬまで働いて返してください!」

 

 「まぁ待て、レフィーヤ。彼に一億ヴァリスの返済は無理だろう。ベル・クラネル、この件は我々にも責任はある。だが君にもそうだ。遠征から帰ったら、一千万ヴァリスの返済計画を提出して貰う。それにしても一体どうして盗まれたんだい?」

 

 娼婦に騙されて盗まれました、などとはとても説明できなかったベルは黙り込んだ。そんな様子にリリは出来るだけばれないように、こっそりとほくそ笑んだ。

 

 (しめしめ。これであの一億ヴァリスはリリ達のものです。可哀相なベル様には、いくらかお金を上げて大きな貸しでも作っておきますか)

 

 「言えないならそれでもいいけど、代わりに取立ては厳しくいくよ。それにどうして決闘なんかしようと思ったんだい?」

 

 リリがフィンの質問に答える。

 

 「アイズ様とセックスしたかったから、だそうですよ。私の前でそう仰っていました」

 

 全員の視線には、今度は軽蔑の色が浮かび、ベルは逃げ出したくて堪らなくなった。ひそひそと声が聞こえてくる。

 

 「情けない。正面から口説く勇気がないんだね」

 

 「ねぇ、あの子おしっこ漏らしてない?」

 

 「あ、ほんとだー。きっとミノタウロスの咆哮にやられたんだね」

 

 「おい、あいつしょんべんちびりトマト野郎じゃねぇか?アイズが助けたって言う?」

 

 「え…?私は、覚えてないよ…」

 

 ベルは耳をふさいで、目を閉じた。死にたい。死にたい。死にたい。ただそれだけだった。オッタルは見ぬふりをして明後日の方向を向いているだけだった。

 

 「ねぇ、その傷治してあげるよー!」

 

 ティオネは回復薬を片手にハムザのもとへ近づき、怪我をした右肩の治療にあたった。リヴェリアが文句を言いたげな顔でその様子を見守っていたが、結局何も言わないことに決めたらしく、ただ顔をしかめていた。

 

 文句は星の数ほどあるとは言え、一応は団員の命を救ったのだ。ここで文句を並べるのは、筋違いだとリヴェリアは判断していたようだった。

 

 場に居合わせた団員たちは、ゆっくりと遠征へと意識を戻していた。随分変な状況に出くわしたが、自分達は今から遠征に向かうところだ。あまり道草を食っている場合ではないのではないかと、皆が考え始めたていた。

 

 アイズはベルに冷たい表情で近づき、半ば強引にデスペレートをもぎ取った。その様子を見た、リリは、あることを思い出す。

 

 (あ、返すと言えば)

 

 懐から日記帳を取り出して、レフィーヤに押し付けて言う。

 

 「この日記は、リリがレフィーヤ様のお部屋から情報収集のため盗み出した物です。お返しします」

 

 何か言いかけたレフィーヤを遮り、リリは「もちろん、読んでません。ご心配なく」と嘘を吐いた。

 

 実は昨日、三人で散々日記の内容をネタに笑い転げていたのだったが、哀れなレフィーヤをリリはどうにか救ってやりたかったのだ。

 

 その瞬間、アイズが目を丸くしてひどく驚いていた。ハムザの物だと思っていた日記帳が、なんとレフィーヤの手元に納まったからだ。アイズは思わずレフィーヤに近づいて、他の団員に聞かれないようそっと耳うちした。

 

 「それ…レフィーヤの、だったの?」

 

 「えっ…!?あ、はい、そうですっ」

 

 暫くアイズとはこんなに近い距離で会話をしていなかったレフィーヤは顔を赤らめて、嬉しそうにはにかみながらもじもじとした。

 

 「そっか…勘違い、だったんだ」

 

 そして同時に、目の前のエルフの少女に対する不思議な気持ちに、アイズは気が付いた。

 

 「レフィーヤ、ごめんね。ひどいこと、言ったよね、許して…」

 

 「えっ!?そんな、大丈夫ですっ!?アイズさん、そんな顔しないでくださいっ!」

 

 日記の持ち主がハムザではなく、レフィーヤだったのならば…あの時自分が感じていた確信は、全く別の意味を持つ。ハムザは自分を愛しているのだと勘違いをしてしまったが、実際はレフィーヤだったのだ。

 

 自分をあんなにも気にかけて、身を焼き尽くすかのような激情に悶え苦しんでいたのは、レフィーヤだったのだ。ハムザが自分を騙していたことなど気にもならなかった。この時、アイズは正確にハムザという人間を捉えたといえるかも知れない。

 

 (多分、ハムザはえっちがしたかっただけ、なんだよね…)

 

 うんうんと頷いて、アイズはもう一度目の前のレフィーヤを見た。

 

 「ごめんね…」

 

 アイズはレフィーヤを抱きしめた。すると、レフィーヤは再び目を潤ませて、ぐすんと鼻を鳴らした。

 

 ぽろぽろと涙を流す彼女だったが、今度の涙は今までとは全く別の物だった。リヴェリアは二人の少女が仲睦まじい様子で何かを囁き合うのを遠くから眺めながら、やがてハムザに向き合って言った。

 

 「お前があの子を誑かしたこと、とても許すわけにはいかん。だが、成り行きとはいえあの子を救ったことも事実だ。そのことについては、礼を言わねばならんな」

 

 「成り行きなんかではない。俺は心から、人助けをすることに生きがいを感じているといえる」

 

 「ハムザさま、嘘は良くないですよ」

 

 「うるさい、嘘なんかではない。現にお前も助けてやっただろう」

 

 すると厳しい顔つきのリヴェリアに、すっと僅かな笑みが宿った。

 

 「どんな悪党にも、善の心は存在する、という訳だな。どうやら度量が狭いのは、私の方だったようだ」

 

 大杖を両手で抱え、リヴェリアは回復薬を浴びせられて治りかけていた傷をこつんと杖で叩いた。

 

 「どれ、私が癒してやろう」

 

 

 

 リヴェリアがハムザの傷を魔法で癒している間、フィンを筆頭に幹部たちはハムザについての見解を話し合っていた。彼らが出した結論は、実に簡単なものだった。当事者のレフィーヤは全員から何度も謝罪されたこと、遠征への帯同を許可されたことにより、すっかり機嫌を直していた。特にアイズからの誤解が解け、彼女との距離がより縮まったと感じられたことも大きかった。そんな訳で、全てがレフィーヤに委ねられたのだ。

 

 

 「それじゃあ…ファミリアに返済する一億ヴァリスは、少し猶予を下さい。遠征が終わったら、ハムザさんとベル・クラネルさんにしっかり返済をしてもらいます。それから、ハムザさんとのことについてですが…。本当に、許して貰えるのでしょうか?」

 

 そう言ってレフィーヤはちらりとリヴェリアを見た。どうやら治療が終わったらしく、右肩をくるくると回すハムザから離れてこちらへ静かに歩いてきた。

 

 「黒白とは光の見え方次第なのかも知れん。陽に当たった人物を正面から眺めれば明るく見えるが、背後から見れば影に目がいく。同時に物事も…私達の真上を太陽が往くこの世界では、時期によって明るくもなり、翳りもするということだ」

 

 「えっと…」

 

 半分も理解できなかったレフィーヤは、困ったように頬を華奢な指で掻いた。

 

 「つまりだ、レフィーヤ。世の中には、私の知らぬことが沢山あり、私が悪と忌み嫌う物の中にも、見方によっては善になり得る物もある。そして残念なことに…私はレフィーヤがここ数日で体験したことに関しては、余りにも無知だ。冷静に考えれば、無知なる者が判断を強制することは、余りにも愚かしいことだと思われもする」

 

 「レフィーヤ。私はお前を許すつもりだし、むしろお前に許してもらいたいと思っている。愚かな私の発言を、どうか水に流して欲しい。そして改めて、ファミリアの一員として大切にお前の面倒を見ると誓う。感情に任せた暴言の数々、本当に済まなかった」

 

 リヴェリアの心からの謝罪に、レフィーヤはとんでもないですと言って慌てながら落ち着きを失くした。やんごとなき王族が下々の民に謝罪など、通常、あってはならないことなのだ。

 

 「よしてくださいっ!リヴェリア様がそう仰るなら、私はこれ以上ハムザさんを罰するつもりはありません。結果的には、私にも色々良いことがありましたので、なかったことにしておきましょう」

 

 「さて、と。そういうことなら、一件落着、ということで良いのかな?」

 

 フィンは場を切り上げようと、団員達を見回した。最後にオッタルに合図を送るが、武人は黙して動かなかった。どうやら、謀はうまくいかなかったらしい。フィンからしてみれば、これ以上厄介ごとを背負う可能性が減っただけでも十分に喜ばしいことだった。

 

 「とにかく、他にも色々あるかもしれないが、これ以上立ち止まっている訳にはいかない。テルクシノエ・ファミリアの君たちには悪いが、僕らはもう行かなければ」

 

 「なぁに、お構いなくだ。自分の面倒は自分で見れるからな。ほれ、行った行った」

 

 ハムザに対し、フィンは愉快だと言わんばかりの微笑みを向けてから、部隊に向けて声を張った。

 

 「総員、全力でリヴィラを目指す。後発隊に追いつかれないよう、急いで向かうぞ!」

 

 フィンの一声で、【ロキ・ファミリア】の団員は皆迷宮の暗闇へと駆け始めた。

 

 「行こう、レフィーヤ?」

 

 ハムザに後ろ髪を引かれていたレフィーヤを、アイズが前へと促した。そして、手を差し出してから言った。

 

 「レフィーヤ…本当に、ごめん。これからは、絶対に、ずっと一緒だよね…?」

 

 差し出された手をぎゅっと握り、目に涙を浮かべて、レフィーヤは大きく頷いた。

 

 「はいっ!」

 

 そして二人の背中は、一瞬のうちに見えなくなった。

 

【ロキ・ファミリア】の団員で最後までその場に残っていたのが、アマゾネスのティオナだった。彼女はハムザの手を取ってぶんぶんと握手して言う。

 

 「ねぇ、キミすっごいねー!あたし、ティオナっていうの。よろしくね!」

 

 豪快なまでに明るい笑顔を振りまいく彼女に対し、リリはじっとりと見つめながらハムザの袖をぎゅっと握りしめた。

 

 「んん?あぁ、よろしく。それより、行かなくて良いのか?もう皆行ってしまったぞ」

 

 期待の籠った目つきを隠しもせず、熱い視線を送りながらティオナはハムザの手を強く握りしめた。

 

 「うん、大丈夫!私、こう見えても足はやいんだよー?ねぇねぇ、遠征から帰ってきたら、会えないかなぁ…?」

 

 予想外の反応に、ハムザは思わず目尻を下げていやらしく笑った。

 

 「おう、もちろんだ。君みたいな可愛い子だったら、何発でもイケるに違いない」

 

 「ほんとーっ!?うっれしー!さっきの闘いみてさぁ、かっこいいなーって思ったんだよね~。じゃあ、これ貸してあげる!強くってもさ、武器がなかったら、危ないかもしれないもんねー?」

 

 懐から短剣を取り出して、彼女はハムザにそれを手渡してからずいっと顔を寄せてきた。ふわっといい香りして、ハムザはさらにデレデレした。

 

 「遠征から帰ってきたらさー、出来るだけ早く、返しに来てくれるかな?」

 

 熱い眼差しをキラキラと輝かせ、ティオナは鼻先がぶつかり合う程の距離でそう言った。

 

 「お、おう。もちろんだ。いの一番に、返しにいくとしよう」

 

 「ふふ。やったー。ありがと!」

 

 そう言ってから、ティオナは笑顔でハムザの口に軽くキスをして、去っていった。

 

 彼女の駆ける音は、すぐに聞こえなくなった。迷宮の広間に取り残されたハムザが、ぽつりと呟いた。

 

 「…アマゾネスも、悪くないな」

 

 「ハムザさま、鼻の下が伸びていますよ。だらしないったらありません」

 

 二人は呆然と立ち尽くし、流れについていくことが出来ずに取り残されていたベルとオッタルに別れを告げ、そそくさと帰路に着いた。

 

 暫くの間、まるで忘れ去られた銅像のように立ち尽くしていた二人だったが、やがて武人が重々しくベルに告げた。

 

 「…帰るぞ、ベル・クラネル」

 

 「あ、はい…」

 

 二人の背中からは、物寂しくまるで覇気を感じられない。悲しげな目つきで、ベルは呟いた。

 

 「あの…オッタルさん。僕、しばらく休みます。あのミノタウロスを倒しちゃうハムザさんと戦っても、絶対に勝ち目がないですし…。それに何ていうか、何故か借金も増えた上、決闘で倒したのは別人でしたから…なんていうか、ちょっとやる気がなくなって」

 

 オッタルは無言だった。武人は激しい落胆を感じており、気まぐれな運命に振り回され疲れきっていた。そして、臆病であまりに覇気のない目の前の小さな冒険者にも、うんざりしていた。もし、今ここで怪物が大量に生まれ落ちてくれたら…女神への謝罪も込めて、絶対に彼を置き去りにしたことだろう。だが、結局一匹も怪物は生まれ落ちてはこなかった。

 

 「…どうしてこう、上手くいかないんでしょうか…」

 

 ベルはとぼとぼとオッタルの後ろを歩きながら、独り言のように言った。

 

 「…叫びたければ、叫んでも良い」

 

 武人の優しさに、ベルは大声で泣き始めた。ダンジョンに、少年の嗚咽だけが響く。

 

 「ちくしょうっ!覚えてろ!呪ってやる、ぜったいに呪ってやるぞ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ -戦場にて-

 

 

 迷宮から本拠に帰還したリリは、ハムザのために珈琲を淹れていた。

 

 「魔石製品なんて邪道ですよ。リリは昔ながらの製法で作る珈琲の方が好きです。こうしてしっかり火でお湯を沸かして、香りの良い挽きたての豆の後に、たっぷりお砂糖を入れてーー」

 

 「分かった分かった。それより神様はどこ行った?」

 

  アイズによって爆砕されてしまった魔石珈琲製作機の代わりに買ってきた、簡単な作りのカップを火にかけながら、二人は昼下がりから寛いでいた。リリが淹れ立ての珈琲を持ってきて、隣の椅子に腰掛けた。

 

 「さぁ?額縁でも見に行ったんじゃないですか?」

 

 ずずず、と一口飲むと、絶妙な甘さとほろ苦さが、香りと共に口一杯に広がった。思わずハムザは「うまい」と唸った。

 

 「珈琲はこうやって淹れるのが一番ですよ。暗闇より黒く、愛より甘くです。甘くない珈琲なんて邪道です」

 

 「それは俺も同感だな」

 

 「それにしても、いつの間にランクアップしていたのですか?普通、偉業は文字通りの偉業を成し遂げないと、実現しない筈ですが」

 

 「さぁなぁ」

 

 もう一口飲んでから、ぐったりと背もたれに凭れ掛かる。今日はまだ昼下がりだというのに、随分と疲れてしまったものだ。

 

 「まぁ、目標の一つだったエルフとのセクロスも達成したし、おまけにあの超アイドル、アイズ・ヴァレンシュタインもハメ倒した…いや、倒されたからなぁ。俺にとっちゃ、牛の怪物を倒すよりもそっちが偉業だぞ」

 

 「特別なスキルを持っていると、そういう抜け道もあるって事ですかね…?」

 

 リリはずずずと珈琲を飲み干しカップを置いた。そしてばっと立ち上がる。

 

 「それじゃ、リリは引越し先の下見に行って来ます。それとハムザさま、明日からは迷宮探索を頑張りませんか?」

 

 「なんだぁ急に?ついさっき探索してきたばかりではないか」

 

 「はい、ですが…リリは思うんです。ハムザさまほどの才能をこのまま眠らせておくのは、あまりにも勿体無いと」

 急に神妙な顔つきを作ってみせたハムザは、見事にリリに乗せられて「確かに」と頷いた。

 

 「リリの言う通り、俺クラスの冒険者には、迷宮こそふさわしい戦場なのかも知れん」

 

 「そうですよ、その通りですよハムザさま!」

 

 まんまと煽て上げられ、ハムザはすっかりその気になってしまっていた。リリは単純に、これから狙われる事が多くなることを予期して、ファミリアを大規模にしていきたいだけだった。そのためには、団長には強くなってもらわなければならない。

 

 「ダンジョンに出会いを求めるのも、アリかもしれん」

 

 ハムザの発言にリリは「へっ?」と間抜けな声を出す。

 

 「俺クラスの冒険者なら、ダンジョンで困った女の子を助ける王子様になり、惚れさせてからセクロスを楽しむ事くらい、日常茶飯事かも知れん。下手に路上でナンパなぞするよりは、効率的なのではなかろうか?」

 

 神妙な顔で真剣に考えるハムザに背を向けて、リリはテントを出た。この男に、何を期待しても無駄かもしれない。下半身の欲望だけで生きている男だからだ。

 

 暖かな日差しは、普段から薄暗い歓楽街の路地裏にもしっかりと降り注いでいた。太陽は世界の頂点に君臨し、優しく全員を包み込むように輝いている。リリは今も命がある事に安堵しながら、メイン・ストリートへと歩いて行った。

 

 ●

 

 「大分おいたしたみたいやけど、まぁレフィーヤたんもアイズたんも育ったし、団員を貸してくれたこと、感謝しとくでー」

 

 ロキはテルクシノエと午後のティータイムを本拠で楽しんでいた。

 

 「まぁ、それを言うならこちらも感謝をしなければならんな。ハムザもランクアップしたし、フレイヤのアホもからかえたのじゃから。しかし、我が耳を疑ったぞ、ロキ。お前がハムザに好き放題やらせてみせて欲しいと言った時は」

 

 「そうやなぁ…。ほんまにウチもどうなるかと思ったけど、あの異常なスキル持ちやで?ぜったい試さん訳にはいかんって、思ったからなー。遠征前に盤石を期すのは、団員達だけの仕事ちゃうで?主神であるウチも、たまーには神らしく後ろから応援してやらなあかん」

 

 「ふふ…変わったな、お前も。しかし、傑作じゃ。あのフレイヤの従者の顔、写真に撮って飾って置けないのが残念でならんのじゃ。一生からかえただろうに」

 

 「ほんま、傑作やで。アホの色ボケ女神が悔しさに地団駄踏む姿、見たかったなー」

 

 「そうじゃな。それよりこれから額縁が完成するのじゃ。見に来るか?」

 

 ロキは軽く「おーいくわー」と返事をして立ち上がった。

 

 「持つべき者は友やなー。あのオッタルが落ち込んで帰る姿!笑いすぎて死ぬかと思ったで。まぁ、隣の小さい子には、ちょっと残酷やったかもなー?」

 

 「なに、時として優しさより、残酷さの方が有難いものじゃ。それより、あのアホがオラリオの頂点に偉そうにふんぞり返っていると思うと、とても我慢ならん。最強はロキ、お前が取らなきゃのう」

 

 「あったりまえやー!フレイヤの首、取ったるでー!」

 

 二人の女神は肩を組んで、陽光が燦々と降り注ぐ外へと出て行った。

 

 

 ーー迷宮32階層。【ロキ・ファミリア】の遠征隊は凄まじい速度で進み続けていた。レフィーヤは素早く隊と合流し、第一線の部隊に復帰を果たしている。あのハムザとミノタウロスの戦闘から、もう大分経った頃だろう。団員達は「あいつにだけは負けたくない」と気負い、いつも以上に激しくモンスターを屠り続けていた。

 

 戦闘を終えたアイズが、レフィーヤに近づいてきた。先ほどの出来事以来、アイズは暇を見つけてはレフィーヤの隣にやって来ていた。その度に、レフィーヤは嬉しさで心が躍った。こんなにも愛しの彼女と距離を縮めたことは、ファミリアに入団してから一度たりともなかったはずだ。

 

 「ねぇ、レフィーヤ…どこで並行詠唱を覚えたの?」

 

 アイズに同調するように、傍で戦況を見つめていたリヴェリアが口を開く。

 

 「見違えたぞ。詠唱の威力も速度も上がっているようだし、おまけに並行詠唱まで完璧だ。どんな訓練をしたんだ?」

 

 彼女は思ったままに答えた。ハムザを追い掛け回す時、たまたま初めて並行詠唱が出来たこと。そして初めて、頭を空にし冷静さを保ちながらも魔法に気持ちを乗せられるようになったこと。そうした経験が、きっと自分の魔法に影響したのかもしれない、と。

 

 それを聞いてふっと笑みを漏らし、リヴェリアは彼女を褒めた。

 

 「魔法とはな、最初は誰でもまぐれなんだ。そして練習を積み重ねることで、段々とまぐれを体が覚えてくる。それが次第に実力となり、まぐれではなくなっていくものだ。お前は随分吸収が早いようだな。期待しているぞ、レフィーヤ」

 

 「そうだね…レフィーヤには、きっと凄い才能があると思うよ…」

 

 アイズにも褒められ、レフィーヤはとても嬉しかった。リヴェリアは戦闘で傷ついた下級団員を癒しに行く為に、その場から離れて行った。アイズとレフィーヤは地面に腰を下ろし、肩を並べて語り始めた。

 

 「ねぇ…レフィーヤは、ハムザと何回も、その、したの…?」

 

 驚いたレフィーヤは聞き直したが、アイズはもう一度同じ質問を彼女にぶつけてきた。少し考えてから、レフィーヤは口を開く。

 

 「え、えーっと…はい、本番は一回だけですが…その、舐められたり、指でイかされたり、好き放題されてしまいました…」

 

 清廉潔白な金色の少女と比べて、自分は何と淫らで汚れているのだろうと、レフィーヤはとても後ろめたい気分になった。変身したあの少女にまんまと騙されたとはいえ、あのアイズ・ヴァレンシュタインが性行為をするだなんて想像することは、つまり自分自身が穢れている証であるはずだ。

 

 もしも自分が目の前の清らかな少女と同じように清純な心を持っていれば、きっと騙されることもなかっただろう。アイズと比べれば、自分など卑しい娼婦と何ら変わりがない。そう考えると、レフィーヤは剣姫との差に愕然とするのであった。

 

 実力だけではなく、女性としての魅力まで、やはり遥かにかけ離れていると認めざるを得ない…。

 

 「そうなんだ…」

 

 そう考えていたレフィーヤだったが、アイズの表情に徐々に暗い影が宿った気がして、慌てて付け加えた。

 

 「えーっと、その。偽物のアイズさんに唆されたから、しただけで…恋愛とか、そういうのではないです。もちろん清く純潔なアイズさんが、あんなことをするなんて信じられませんでしたが、でも…え、えっと…アイズさん?」

 

 「私が、純潔…?」

 

 暗い表情で聞き返すアイズに、レフィーヤはたじろいで答えられなかった。今の今まで纏っていた金色のオーラが陰りはじめていた。何か嫌な予感がした。不吉な何かが、今すぐにアイズの口から飛び出てくるだろうと、レフィーヤは身構えた。

 

 「ねぇ、驚かないで聞いてくれる?実は私も…ハムザとしちゃったの…」

 

 絶叫と共に驚いて飛び上がる、という数コンマ前に、アイズはレフィーヤを制止した。

 

 「静かに…誰にも、言わないで…」

 

 口を開けてぱくぱくとしてから、声にならない枯れたうめき声をあげてレフィーヤは弱々しく俯いた。

 

 「それは、まぁ…えっと、でも、どうして、そ、そんなことに…」

 

 アイズは理由を説明出来なかった。レフィーヤの日記帳を読んでしまったと彼女に告げたら、きっととてもショックを受けるに違いない。誰でも秘めた心の叫びを聞かれてしまうのは、嬉しいことではないのだから。

 

 レフィーヤが落ち着きを取り戻すまで、暫く時間がかかった。それからアイズは、出来るだけ彼女を刺激しないよう、優しく語り掛けた。

 

 「ねぇ、レフィーヤは、ハムザのこと、どう思ってるの?」

 

 そう言われた彼女は目を泳がせてから、しばらく黙り込んだ。しかし、やがて堪忍したかのようにため息を吐いてから、ゆっくりと語りだした。

 

 「うーん…気になるかどうかといえば、気になるんですが…。なんというか、恋愛とか、そういうものではないんですよね。でも、その、行為の最中は、とっても嬉しくて、気持ちよくて、出来ればずっとあの人と一緒に居たいって、思ったんですけど…。やっぱり後から冷静になってみると、ちょっと、違うのかなーって…うまく、まとめられません」

 

 「ただ、強くなりたかった?」

 

 「はい、そうです、そうなんです。あの時はなんていうか、必死でした」

 

 「うん、わかるよ…私も、そうだった」

 

 アイズも頷いた。二人の間に、暫く沈黙が続いた。息をする度に小さく揺れるアイズの肩が、レフィーヤの肩と暫くの間ぶつかり合った。戦闘を終えた団員達が、武器や防具を確かめてから隊列を組みなおした。もう直ぐ、フィンの号令が聞こえてくるに違いない。

 

 (リヴェリアには、ハムザとのこと、黙っていた方がいいのかな…)

 

 先ほどのハムザ達との会話から、リヴェリアの彼への態度が軟化したことは間違いなさそうだ。でも、アイズにはどうしても事実を切り出す勇気がなかった。勘違いから体を許してしまったと知られたら、一体どんな顔をされるだろうか。きっととんでもなく怒られるか、呆れられるかのどちらかだ。

 

 どうやら悩んでいるのは、アイズだけではないようだ。隣に座るレフィーヤも、きっとハムザとの出来事をどのように処理したらいいかと決めあぐねているようだった。

 

 「ねぇ…レフィーヤ。ハムザのこと、だけど」

 

 アイズは思い切って切り出してみた。

 

 「あの人のこと…暫くは、二人だけの秘密にできない、かな…?」

 

 「秘密、ですか?」

 

 「うん。ハムザのスキルのこと、皆あまり詳しく知らないみたいだし…」

 

 うぅーんと首を捻り、レフィーヤは少しの間考えた。

 

 「ハムザさんが一か月でランクアップしたこと、リヴェリア様が皆さんに黙っている理由、アイズさんは知っていますか?」

 

 アイズはきょとんとして「ううん、知らない」と答えた。その言葉を聞いて、レフィーヤは話を続けていく。

 

 「実はリヴェリア様、ハムザさんと約束をしたらしいです。一か月でランクアップしたら、その、体を触らせてあげてもいいって」

 

 思わずアイズは聞き返した。まったく信じられない、と金髪金眼の少女は目を見開いて驚いていた。あのリヴェリアが、あの気高い王族が、まさかそんな約束をするなんて…一体何の間違いだろう。

 

 「それで、ハムザさんが見事にランクアップを果たしてしまったので…遠征から帰ったら、きっと約束を守る事になると思うんです。もし、そうなったら…」

 

 「リヴェリア、居なくなっちゃかもしれない」

 

 「えっ?いなくなる、ですか?私はむしろ、逆かもしれないと思っちゃいました」

 

 「逆って、どういうこと?」

 

 「もし、もしですよ、アイズさん」

 

 真っ直ぐにアイズの瞳を見つめて、レフィーヤは誰にも聞こえないよう、とても小さな声で言った。

 

 「もしリヴェリア様がハムザさんのスキルの効果を体験したら…もちろんそんな事になってしまうのは想像したくもありませんが…。でももしもそうなったら、リヴェリア様も分かってくれるかも知れません。その…体を許すことで、強くなるということを」

 

 なるほど、とアイズは頷いた。ハムザの事だ。リヴェリアの背中をぽんと叩いて、約束は果たされた、などとは言わないだろう。きっと自分に対して執拗に行為を要求してきた時の様に、徹底的に行くつもりなのだろう。もしそうなったら、流石のリヴェリアにもかわし切れるかどうかは分からない。むしろ、ああいった話題に弱いリヴェリアのことだ。案外押し切られて、そのまま押し倒されてしまうことも十分に考えられた。

 

 「だから…私はアイズさんの意見に賛成です。取り合えず遠征後、リヴェリア様がご自身でハムザさんとの問題を解決した後に…私たちの問題を報告してみても、いいかもしれません」

 

 「うん、そうだね。いろいろありがとう、レフィーヤ。これからも、よろしくね…」

 

 アイズはレフィーヤに寄りかかった。ふわっといい香りがして、レフィーヤは思わずアイズに抱き着いた。

 

 「アイズさんっ…。だいすきですっ!」

 

 そんな少女に少しだけ驚いたアイズだったが、そっと両腕を回して、彼女を包み込んでから優しく言った。

 

 「うん…私も好きだよ、レフィーヤ…」

 

 「ふふふふふふ…アイズさぁん…ふふふ」

 

 柔らかい腕の中で、レフィーヤはにやにやしながら極上のひと時を堪能しながら、ハムザに思いを馳せた。

  

 (いろいろ苛立つことがありましたが…アイズさんとの距離も縮まりました。一応、感謝をしておいてあげましょう、ハムザ・スムルト…)

 

 

 

 ここがダンジョンでなければ、麗らかな陽光降り注ぐ草原で、鳥の鳴き声を聞きながら二人の少女を見送ることになっただろう。だが、ここはダンジョンだ。数多の冒険者を飲み込み、凶悪な怪物達を産み落とす、歴とした戦場である。

 

 で、あるからして。

 

 団長の鋭い矢のような号令の後、二人の少女は手を取りながら立ち上がり、風のように一団のもとへと走り去っていった。

 

 

 




気分をリフレッシュするつもりで間を開けたら、進行がよくわからなくなり、訂正がプロットの修正を生み、書き直しがモチベを低下し…最後は勢いでやっつけることも出来ず、ただ打ちひしがれて続きを書いていました。

次は、命ちゃんのお話になりますが…時事無視で他のキャラに焦点を当てただけの短編もちょくちょく投稿していく予定です。

つたない文章で荒も相当ですが、練習のため頑張っています。
ご意見お待ちしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四巻相当分
プロローグ ―饗宴―


 

 椅子に腰かけたテルクシノエがどこを向いても、意地悪そうな顔ばかりだった。

 

 とある男神は、鍔付き帽子をキザに傾けて、怪しげな笑顔をまだ男を知らなそうな純朴な給仕の少女たちに振りまいている。適当に興味を引かせて、あとで喰ってやろうという腹づもりに違いない。

 

 またとある女神は、露出度の高い衣装に身を包み、目を細めて書類を眺めている。物ほしそうな顔つきからは、【命名式】の後にどの子に唾を付けてやろうかと思案している様子が伺える。

 

 テルクシノエの吐いた溜息は、がやがやとした大広間の喧騒の中で、誰にも聞かれることなく溶けていった。

 

 「邪悪なきちがい神どもめ。地獄へ堕ちるがいい」

 

 そんな女神の暴言を耳聡いヘルメスが拾い、気取った足取りで近づいてきて、帽子を脱いでから大仰な会釈をした。

 

 「やぁ、テルクシノエ。今日は随分とご機嫌だね?」

 

 ヘルメスの白い歯が、きらりと光った。

 

 「あぁ、お前のようなオリュンポスのきちがい神どもに囲まれて、こちらは天上にも昇ろうかという程に最悪な気分じゃ」

 

 顔を背け、背の低い女神は不機嫌な態度を示して見せる。白金色の髪が少しだけ靡いたせいで、ヘルメスの鼻腔に上品な香りが舞い込んできた。思わず股間を意識した男神は、それと悟られないように平静な態度を装いながら、テルクシノエの隣に着席し、給仕の少女に葡萄酒を注ぐように合図した。

 

 先ほど()()()()()おいた給仕の少女の一人が、待っていましたと矢のように飛んで来た。恭しく一礼してグラスに真紅の液体を注ぐ少女の横顔は、恥じらいと喜びを隠し切れず紅潮している。

 

 「俺にはよく分からないなぁ」

 

 下がっていく少女の魅惑的な腰つきを盗み見ながら、ヘルメスは葡萄酒に舌鼓を打つ。

 

 「天に昇るほどの気分なら、最高なんじゃないのかい?」

 

 分からないな、と顔を左右に振ってから、豪華な食卓から瑞々しい果実を取り、テルクシノエの前でぶら下げた。

 

 ちらり、とテルクシノエは横目で果実を見た。そして視線を外したままヘルメスの手にぶら下がっているさくらんぼをもぎ取り、口に運ぶ。

 

 「卒倒しかけているという意味じゃ。憎たらしい神々に囲まれたせいでな」

 

 「ほぉ…?」

 

 

 ヘルメスは辺りを見渡した。なるほど、豪華に彩られた大広間は、優雅に着飾った神々で大賑わいだ。極東の装束に身を包む武神や、仕事着のままやって来て退屈そうにしている職人風の神などと、そこでは男女も様々に、数多の神々がふざけ合っている。

 

 探る様なヘルメスの視線に気付いたのか、柱の陰に隠れるようにして座を占めていたフレイヤが、遠くから冷たい眼差しで男神を射すくめたので、ヘルメスは背筋を震わせ、思わず顔を背けた。

 

 「確かになぁ。こわ~い神様に睨まれちゃあ、不死の(おれ)でも寿命が縮む思いさ。文句があるなら俺から言っておこうか、テル?芸術神(ムーサ)様がご立腹だから、馬鹿騒ぎは控えるように、ってね?」

 

 「気を遣ってくれているのか?だが、いいのじゃ。そういうのは自分で言うからな」

 

 テルクシノエはヘルメスに向き直り、この日初めての笑顔を…それからすぐに、口元に嘲りを浮かべて言った。

 

 「じゃあ…さっさとどこへでも消えてくれないか?大嫌いな助平神(ヘルメス)が隣にいるせいで、落ち着かんのじゃ。ほれ、消えた、消えた。さもなくばこのフォークをお前の目玉に突き刺すぞ」

 

 やれやれとヘルメスは両手を挙げ、失笑しながら席を立った。

 

 女神様はご機嫌ななめだと言い残して。

 

 

 

 

 バベルの最上部で行われる、娯楽を求める神々による情報交換の集い―神会(デナトゥス)。神々による命名式が行われる場でもある。Lv.2以上の冒険者のみがその『二つ名』の名誉を授かるのだが、通例、神々は子に名誉ある名を与える事はない。

 

 彼らは《器の昇華》という偉業に心を弾ませる眷属達に、喜びの代わりに試練を与えるのだ。更に器を昇華させるまでの間、あまりにも悲惨で痛々しい名に耐えるという試練を。そして神々は艱難に喘ぐ子供達を見て、遠くからほくそ笑むのである。面白い玩具が見つかったとして。

 

 (テルクシノエ)の立場としてみれば…これはあまり気分の良いものではない。自らの血を与えた我が子が、美も芸術も分からない低俗な神々によって玩具にされるのだ。一時の娯楽のために、子供たちの人生が滅茶苦茶にされる。テルクシノエがこの日ずっと不機嫌だったのは、そんな理由からだった。

 

 

 

「「「お集りの諸君!」」」

 

 

 空気を震わせるほどの大声が、広い部屋に響いた。壇上に上がった男神は注目を一身に受けてから、こほんと咳払いを一つ。

 

 その存在感のせいか、給仕達は彼に注目し続けたが、神々は彼を見るなり呆れた顔をして、もとの談笑へと戻っていった。

 

 神々の冷ややかな反応には意に介さず、象を模る仮面を着けた壇上の男神は、再び息を大きく吸い込んでから叫んだ。

 

 

 「本日はお集まり頂き、ガネーシャ大感激!堅苦しい挨拶は抜きにして、早速饗宴を始めようではないか!…ところで、毎回開催される神会の費用は全てこの民衆の民、ガネーシャが払っている!諸君に無料で飲み食いを提供するのは、民衆の民であるガネーシャとして…あぁ、そういえば!最近二軒隣のペガー婆さんの家で鶏が五つも卵を産んで、ガネーシャ――」

 

 

 『うるせーぞ!まとめてから喋れー!』

 

 『そうだそうだ!長々と語ってるんじゃねーか!』

 

 

 民衆の神を自称する残念な男神に対する反応は冷たい。

 

 当の本人があまりにも周囲の反応に無頓着であることも災いして、自警団的役割を担っている筈の【ガネーシャ・ファミリア】への評価は――思いの他、高くはないのだ。

 

 次々と運ばれてくる豪華な料理の数々。神々はそこに群がり、押し合い圧し合いしながら料理を取り合い、悪態を吐き合ったり、ともかく好き放題に暴れ始めた。

 

 テルクシノエは騒ぎの中心に行くのが億劫で、反射的にその場を離れた。すると自分と同じように難しい表情をした極東の神が、腕組みをしながらやれやれとその様子を眺めていることに気づいた。その男神は、テルクシノエが輪から離れて行くのを目にしていたのか、とにかく同類が見つかって良かったと声を掛けてくる。

 

 「お前も馬鹿騒ぎに嫌気が差した口か?他の連中はいい気なものだな、まったく。こちらの気も知らないで…」

 

 その神はテルクシノエを見下ろしながら、疲れた表情でため息を吐く。

 

 「命名式が控えているというだけで、こんなに胸騒ぎがするとはな。いや、挨拶が遅れたか。俺はタケミカヅチだ。今日、俺の子供が二つ名を授かることになっている。…ランクアップしたのだ」

 

 テルクシノエは差し出された手を取り、握手した。

 

 「奇遇じゃな、お前もか。私も先日眷属がランクアップしたかどで、ここに出頭させられているのじゃ。まったく、悪夢じゃな。二つ名など…」

 

 武神はまったくその通りだと同調した。テルクシノエは何だか不思議な気分になった。少し離れた所では餌に群がる昆虫のように、神々がブンブンと大騒ぎをしている。その一方で、静寂を好む二人の神が、暗い顔をしながら傷を舐め合っているのだ。同じ空間にこんなにも異なる雰囲気が同居するとは、何とも奇妙だった。とにかく、こんな気分では宴会など楽しめる筈もない。まったく、悪夢だ。

 

 だが、せっかくの食事だ。楽しまないのも良くないし、内容も気になる。テルクシノエは空腹感に導かれて、神の群れに飛び込む決心を固める。

 

 一方でタケミカヅチは、食事などする気も起きないほどに心中穏やかではないようで、テルクシノエには行ってこいとだけ言って、どすんと椅子に腰を落ろした。

 

 「お互い大変じゃな。それでは、な。私はテルクシノエ。ランクアップしたのはうちの団長で、ハムザ・スムルトじゃ。機会があれば、懇意にな。では」

 

 「おぉ、お前であったか…」

 

 少し驚いたような口調だ。

 

 「ハムザか…。随分話題になっているぞ。あいつらの事だ、手は抜かんだろうが…出来る限り助けになるつもりだから、そちらの方もよろしくな」

 

● 

 

 普段から料理にはうるさいテルクシノエにとって、出来立てこそが一番の楽しみだった。心が穏やかではないせいでその楽しみを味わう機会を失ってしまったことには、後悔が残る。

 

 だが、彼女にとっての良い料理というのは、決まって良い友人や良い家族に囲まれながら取るものだった。或いは喧騒から離れ、一人でゆっくりと想い出の引き出しを一つずつ開けながら、料理と一緒に過去の悲喜交々を噛み締めるのも悪くはない。大昔、眷属が書いた一節が脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 『良い火加減、良い味付け、良い会話。するとその結末は、良い食事』

 

 

 

 (…本当は、ハムザやリリを招待してやりたかったんじゃが)

 

 子供たちを連れてこれなかったのは仕方がないか、とテルクシノエは頭を振る。神会(デナトゥス)は神だけのもの。であれば、自分ひとりで静かに楽しむとしよう。

 

 料理の奪い合いは既に一段落ついていた。静寂とはいかないまでも、誰にも邪魔されない平穏がある。

 

 テルクシノエが極上の羊肉にありつきながら、想い出の引き出しをどこから開けようかと考え始めた時…横から誰かがぶつかって来た。

 

 キンキンと高音を響かせながら、けたたましく喚き散らすその小さな女神に…彼女の優雅な晩餐はぶち壊された。

 

 

 「ちょっと、キミ!一人でそんなに取ったらずるいじゃないか!」

 

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 

 「は、はぁ?」

 

 同じくらいの背丈の、ツインテールの女神が血相を変えて怒鳴り散らしている。見たこともない奴だ!

 

 怪訝な顔つきで目を細めるテルクシノエに、その女神は怒鳴り散らした。

 

 「なんだい!その態度は!?小さいくせに胃袋だけは一人前だっていうのかい!?キミみたいな神は、《納豆》でも食べていたらいいさ!なにせボクは《納豆》が大嫌いだからね!ふん!まったく最近の神ときたら…ボクを見習って欲しいよ!」

 

 「な、なんだと…」

 

 厚顔無恥な女神は面食らって呆然としているテルクシノエを押しのけて、並んだ豪勢な料理をタッパーに詰め込んでいく。目の前の料理をひょいひょいと手づかみで放り込んでから、彼女はきっと睨みを利かせてから別の長机へと移っていった。その女神が全ての料理を持ち去ってしまったせいで、もう目の前にあるのは空っぽになった食器だけ。 

 

 「くそ…。邪悪な女神め。今度会ったら覚えておくがいい…」

 

 沸々と湧き上がる憎悪の炎。食べ物の恨みは、大きい。

 

 その時、ロキがテルクシノエのもとへのんびり歩いてきた。

 

 「よーう、テルたん。今日も不機嫌かー?馬やら鹿やらはその辺に放っておいて、一緒に飲まへんか、相棒?」

 

 ロキはテルクシノエの方に腕を回し、嬉しそうに目を細めて耳元で囁いた。

 

 「なぁなぁ…自分とこのハムザ、ランクアップしたんやろー?ウチも手ぇ貸してやったんやから、ちょっとくらい情報教えてやー?」

 

 数日前、確かにハムザは【ロキ・ファミリア】の面々を巻き込んで小さくない騒動をオラリオに齎した。妖精(レフィーヤ)を怒らせたり、剣姫(アイズ)を騙したりしたせいで、両派閥には溝が出来たかと思われた。だが、結局原因は神々の歪な愛情が招いた()()()()騒動だったことで、勇者(フィン)を含む【ロキ・ファミリア】の幹部は『またか…』と非難交じりに呟くだけで済んだのだった。

 

 テルクシノエは、あの騒動で最も惨めで哀れな扱いを受けたのが、宿敵【フレイヤ・ファミリア】のオッタルと、どこかの名の知れない派閥の新人だったことを思い出し、思わず吹き出しそうになった。

 

 確かにロキのお陰で良い一幕を見ることが出来た。それに親友(ロキ)の手助けは、確かにハムザの成長を促した。それならここはこの哀願にも耳を傾けてやるのが道理というものだろう。テルクシノエは笑みを浮かべたまま懐に手を突っ込んで、一通の封筒を手渡した。

 

 「ギルドに提出しようとしたまま忘れていた<ステイタス>の写しじゃ。阿呆共の目に留まらないよう、影に隠れて読むのだぞ」

 

 だが、その言葉を無視し、ロキは喜んで封筒を破り、羊皮紙を取り出して読み始めた。

 

 

 

 ハムザ・スムルト

 

 Lv.2 力:【I】0 耐久:【I】0 器用:【I】0 敏捷:【I】0 魔力:【I】0 

 

 悪運:【I】狩人:【I】性技:【I】

 

 《魔法》

 【イェベン・ティ・マーテル】(呪詛)

 ・速攻魔法

 ・無言詠唱

 ・対象を一時的に強制的な精神疲弊ーマインドダウンー状態にする

 

 《スキル》

 【性交願望(セクロス・シテーゼ)

 ・性交の数だけ成長する

 ・快感に応じて効果上昇

 ・性交対象に魅了効果付与、経験値付与、回復効果付与

 

 

 

 「ふむふむ…まぁ最初のランクアップなら、こんなもんかー?………って」

 

 ロキは息を大きく吸い込む。

 

 「なるかぁぁぁーーーー!?ボケーーーーっ!」

 

 羊皮紙をくしゃっと丸めてから涙混じりに地団太を踏んだ。

 

 「なんや、このイカれたスキル!なんやこの魔法!おかしいやろ、ウチが子供育てるのにどんだけ苦労したっちゅーねん…おまけにちゃっかり狩人までゲットしよって…それになんなん、この悪運て?普通こんなアビリティ付けへんやろ…性技とかもあるし…もう、わけわからんで、ほんま……」

 

 「他にも取れるアビリティはあった。だが、全部は本人の希望じゃ」

 

 「あ、アホちゃうかー…?」

 

 「違う。我が子のなりたい様にならせてやるのが教育というものなのじゃ」

 

 「いや、それをゆーたら…間違いを正してやるのが教育やろ。まぁ、しょーもないことにエネルギー使ってもしょーがないか…。ウチらの子が遠征から戻ったら、よろしく頼むで。結局レフィーヤたんやらアイズたんやらも、処女を失った代わりに殻を破れた様子やったからな。フィンやらリヴェリアやらも、そろそろ新しい風を吹き込まんと成長が止まってしゃーないからな」

 

 「お前の子は容姿端麗な女子が多かったな。ハムザが喜ぶ提案じゃ」

 

 そう言って踵を返して背を向けるテルクシノエに、ロキはちょっと待ったと話を続ける。

 

 「それならそれならー、今度、またちょっとハムザ貸してくれへんか?個人的に話しておきたい事があるんよなー」

 

 飄々とした様子のままさり気なく危険な雰囲気を纏うロキに、テルクシノエは眉を上げた。

 

 「なんの用じゃ?子供たちは皆遠征に出ているのじゃろ?」

 

 「そうなんやけど。実は今、めっちゃ面倒くさい連中と水面下でやりあっててな。ハムザにも情報を吹き込んでおきたいんや。遅かれ早かれ知ることになるやろーから、早いほうがいいかな、って思ってなー」

 

 脳天気なテルクシノエは考えもせずに頷いた。ロキはよっしゃ、決まりやと言ってから、満面の笑みのまま神々の喧騒の中へ消えていった。

 

 

 

 

 「あぁ、えぇ~っと…。空気の読めないガネーシャ君に司会は務まらないから、急遽俺ことヘルメスが担当することになった!皆、もちろん異論はないな!?」

 

 命名式の時間がやって来て、ヘルメスが壇上に上がる。そして凄まじいブーイングを受けた。

 

 

 『大ありだー!先生、ヘルメスがギルドに虚偽の情報を提出してるって、本当ですかー!?』

 

 『本当なら罰金食らうはずなのに、ギルドの受付嬢を垂らしこんで逃れているらしいぞー!アスフィちゃんという美少女がいるにも関らず!』

 

 『うわぁ!ヘルメス最低!』

 

 テルクシノエは頭を抱えた。最初からこんな雰囲気では、どうなることかも分からない...。だが、飛び交う野次にもめげず、ヘルメスは無理矢理話を続けていく。集まった神々はこの時を何十年も待ち望んでいたかのように盛り上がり、会場は一体となって狂気を作り出している。

 

 

 「よーし!君たちがそこまで俺を支持してくれているのが分かって、安心したぜ。それじゃあ第五千回目くらいの神会を開くとしようじゃないか!まずは、何か報告がある神はいるかな!?」

 

 『はーい!ソーマくんの団員が全員ギルドに捕まったそうでーす!』

 

 『でもソーマのやつ、めげるどころか神酒造りがやり易くなったって喜んでるそうでーす!』

 

 『誰やー!裏で糸引いてる神はぁ!神酒が出回らなくなったら、ウチはお前をぶち殺すでー!?』

 

 

 広間は叫び合う神々の怒号で次第にヒートアップしていく。どこかの神々が理由もなく暴れ、食器が砕ける音が各所で鳴り始めた。

 

 

 『ああぁぁーっ!そういえばロキの千の妖精が、見知らぬ男と乱交酒場にいる所を目撃されたらしいぞ!』

 

 

 狂乱の中、誰かが叫んだ。

 

 

 『なんじゃそれえええええぇぇぇ!?うわぁぁぁぁぁ!俺の純潔なる妖精レフィーヤたんがぁぁぁ!』

 

 『うるさいうるさーい!その話はなし!根拠のない憶測や!誰やいらん事言うたん!お前か!お前か!?それとも、おーまーえーかー!』

 

 「おいおい、ロキ!暴れるなって!あぁもう、これだから…。ほら、細かいことは置いといて、次に進もうか」

 

 

 次第に狂っていく雰囲気に嫌気が差したのか、ヘルメスは若干投げやりになっていた。本当にこいつらときたら…。

 

 喚き散らすロキを周囲の神が愉快そうに囃し立て、場はまさしくカオスとなった。狂気染みた勢いは収束するどころか膨れ上がり、そのまま【タケミカヅチ・ファミリア】の命名式に突入していく。

 

 

 『うおおおお!命ちゃん、萌ええええぇぇぇ!その鋭い目で俺の股間を射貫かないでくれえぇぇ!』

 

 『いかん、これは久々の上物だぞ!おまんこぺろぺろ忍者!チクショー、許さんタケミカヅチ!』

 

 『タケミカヅチ!俺とお前の仲だろう!?一晩貸してくれ!なに、心配すんなって!薬浸けの性奴隷にして返却するからさぁ、ぎゃはは!』

 

 

 狂乱の中、誰かが言った『絶†影』という二つ名が哀れな子供に与えられた。そしていつまでもふざけて騒ぎあう神々を尻目に、ヘルメスはこほんと誰にも聞こえない咳払いをしてから声を張り上げる。

 

 

 「いいか、よく聞けお前ら!次は【テルクシノエ・ファミリア】のハムザ・スムルトだ!資料を見てくれ!ランクアップ所要期間、一カ月だ!史上最速の記録だぞ!」

 

 

 『うおおおおおおおおおおお!でたああああああああああ!?』

 

 『ハムザァぁぁぁ!お前いつも広場でナンパしてるだけだろぉおおおお!!』

  

 『おぉ、俺も見たぞ!ヤらせろヤらせろと通り過ぎる女の子全員に声を掛けてたなぁ!』

 

 

 軽蔑したと言わんばかりの冷たさを舌に乗せ、とある女神は冷ややかなメスを入れる。

 

 

 『品が無いわね。助平猿(エロモンキー)でいいじゃない』

 

 

 すかさずヘルメスは割り込んだ。

 

 

 「いやいや、もう少し真面目に考えようじゃないか、なぁみんな!」

 

 

 『包茎戦士(ファイモシス・ウォリアー)なんてどうかしら?』

 

 

 そうだそうだと声を大にして笑い合う神々に、ヘルメスは違和感を覚え始めていた。

 

 (あ、あれ?こんな逸材滅多に出てこないのに、こいつらなんで…)

 

 悪い予感は的中した。ヘルメスの思惑とは裏腹に、命名式はおかしな方向へと進んでいったのだ。

 

 

 『性交師匠(セックスマスター)尻穴姫(アナルプリンセス)絶頂大革命(カミングレボリューション)はどうだい!?』

 

 

 「あ、ええと…そういうんじゃなく、もっと、ほら…」

 

 これはまずいと感じ取ったヘルメスが議論の方向を変えようとするも…時すでに遅し。ヘスティアの叫び声が、ヘルメスを遮った。

 

 

 『だめだだめだ!こいつにはもっとひどい名前が相応しいよ!こいつのせいでボクの…ボクのベル君はぁ…ぐぬぬぬぬ』

 

 

 どうにか話を逸らそうと、ヘルメスは必死だった。若き英雄の誕生だ。もっと、威厳のある、笑いやおふざけのない、高貴な『二つ名』が彼に相応しいというのに。

 

 「あー!?いろいろと意見があるようだけど、彼はオラリオに来る前、遥か西部の大草原で集落を散々荒らしまわった盗賊団『黒蛇ブラックマンバ』を率いていたらしい!実力は折り紙付きさ。オレとしては、もう少しこう…まともな二つ名を!?」

 

 そんなヘルメスに呼応するように、とある女神は喜びの声を上げる。

 

 『獰猛さが素敵ね!盗賊なんて似合わないわ。海賊にぴったりじゃない。黒真珠(ブラック・パール)よ』

 

 喰いついた!ヘルメスは確かな感触を得た。それまでどれだけダサい下ネタの名前を付けようかと躍起になっていただけの場の雰囲気が、今の発言で少しだけ変わったのだ。

 

 だが、先の女神が、何としてでも飛んでもない悪名を付けてやろうと話題を戻す。

 

 『いや、いや!こいつは海と何の関わりもない変態だ!君の趣味に合わせる必要はない!』

 

 会場は暫くの間、彼に相応しい変態的な二つ名を与えてやるか、それとも«最高に普通》な二つ名を与えてやるかで意見が対立していた。ああでもないこうでもないと様々な意見が出るも、決着はつかない。

 

 『性交大砲(セックスキャノン)』だの『珍宝牛乳(オチンポミルク)』だの、『変態冒険者(アドヴァントゥーラ―)』だのといったくだらない名前に始まり、『KURAUDO』だの『漆黒堕天使』といったお決まりの痛い名前と、ヘルメスやテルクシノエが納得しそうな名前は出てこない。

 

 『黒真珠(ブラック・パール)』も聞こえはいいが、よくよく考えると何故か卑猥に思えた。一体どうしたらいいと心の中のヘルメスが頭を抱えている時、誰かがこう呟いた。

 

 

 

 『じゃあ皆の意見の間を取って、黒い変態(ブラック・パーヴ)でいいんじゃないか?』

 

 

 

 この一言は会場の意見を見事に一致させた。

 

 

 

 『『『それだ!!!!!』』』

 

 

 命名式はかつてないほどの団結を見せ、居並ぶ神々は皆それしかないという表情で頷いている。だが、進行役のヘルメスは未だに納得がいかない。そんな名前は駄目だ…変態だなんて。

 

 「あー…出来ればもうちょっとマシな奴の方が…なぁ、テルクシノエ?」

 

 ヘルメスの助け舟は、あまりにもに弱々しく、今にも壊れて沈没しそうなほど勢いに欠けていた。あまりに覇気のない司会役の様子に慌てたテルクシノエが「やめてくれ!」と声を張り上げようとした時、フレイヤがぴしゃりと言った。

 

 「満場一致じゃない」

 

 テルクシノエはぐぬぬと拳を握り締め、ヘルメスは冷や汗を垂らして固まった。味方かと思われたロキもお腹を抱えて笑っていた。場の雰囲気は、とても盛り返せる状況ではなかった。そして美の女神に恐れをなしたヘルメスは、力なく宣言した。

 

 「じゃあ…黒い変態(ブラック・パーヴ)で…。はぁ、じゃあ、終わり。お疲れさん」

 

 神会はその一言で閉幕した。リストに載っていた全員の命名式が終わったので、挨拶も待たずに各自が好き勝手に散らばって行った。

 

 テルクシノエは壇上で項垂れるヘルメスに近づき、軽く頬を引っ叩こうとしたが、身長差がひどかったせいで、彼女の張り手は空を切った。

 

 「怒らないでくれよ、これでも頑張ったんだぜ?」

 

 ヘルメスの弁明に、テルクシノエは明るく答えてみせた。

 

 「わかっておる、今のは冗談じゃ」

 

 直後、女神は男神の腹部に拳骨を叩きつける。

 

 「や、八つ当たりはよしてくれっ!ごふっ。これでも頑張って、ぐはっ…」

 

 頭を抱えてうずくまるヘルメスに怒りのままにテルクシノエの拳が振り下ろされていく。

 

 「お前は!この馬鹿!お前!この!なんという!ことを!してくれたんじゃーーー!」

 

 泣きながら喚き散らす女神を、周囲の神々は囃し立てている。その時、遠くからやってきたロキが間に割って入った。

 

 親友の愚行を見かねて止めに入った…そんな顔つきをしている。

 

 「おーい、おい。テルたん、ヘルメス。暴力はあかんでー」

 

 助かった、と安堵したヘルメス。だが、彼女もまたヘルメスに蹴りを食らわせた。続けざまに何度も張り手をお見舞いする。

 

 「暴力はあかん!暴力はあかーーーん!!!」

 

 更に腹部に一撃を加えて、力いっぱいに叫んだ。

 

 「暴力はぁぁぁぁ!あかんでえぇぇぇぇぇぇ!!??」

 

 渾身の一撃を受けたヘルメスは体をくの字に折って倒れ込み、殺虫剤を吹きかけられた虫のように悶え苦しんだ。

 

 「ひ、ひどいじゃないか…俺が何をしたって、ごふっ」

 

 怒りと共に目を細め、ロキはヘルメスの胸倉を掴んで起き上がらせた。

 

 「言うたやないかぁ、余計な事言うなって。何が千の妖精(サウザンド・エルフ)が乱交酒場にいたやっ!?」

 

 「そ、それは俺が言ったんじゃあなく…」

 

 「うるさい!ウチの内部情報漏らしたん、お前やろ!」

 

 ロキの怒りの炎がテルクシノエにも燃え移る。

 

 「何が黒い変態(ブラック・パーヴ)じゃあああ!?お前のせいだ!責任取って天界へ帰れえぇ!この阿呆~!!!」

 

 女神二人に袋叩きにされるヘルメスを、場内に残った神々は可笑しそうに眺めているだけだった。ヘスティアは相変わらず料理をタッパーと大きな口に放り込んでおり、タケミカヅチは眷属に『絶✝影』などという理不尽な二つ名を付けられたこともあり、見てみぬ振りを決め込んでいた。

 

 「タケミカヅチ!?た、助けっ…」

 

 ヘルメスはタケミカヅチに縋りついた。だが、武神は腕を固く胸の前で組み、冷ややかな視線を浴びせる。

 

 「なぁ、ヘルメス…お前は以前、まともな二つ名をと懇願する俺にこう言ったよな?神々にだって潜るべき狭き門はある、とな?」

 

 「そ、そりゃああの時は、冗談のつもりで…」

 

 「今がその時だ、ヘルメス。狭き門より入れ。浄土への道は狭く、細いのだ。だから俺はお前に付き添うことは出来ん。ではな」

 

 「そ、そりゃあないぜ、親友…」

 

 

 結局二人の腹の虫が収まる頃には、ヘルメスはボロ雑巾のようになっていた。

 

 

 




復活しました。

更新頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一章 ーランクアップー

 夏の午後、メイン・ストリートは人で賑わっていた。冒険者達にとって、祝日という概念は存在しない。しかしこの日は特別だった。立秋の祭りが開催されているからだ。大通りは露店が密集し、祭りの空気に金の気配を感じ取った抜け目のない商人たちが大声で客の呼び込みをしている。

 

 「何が立秋だ。くそ、秋の気配なんてどこにもないじゃないか。馬鹿にされている気分だ」

 

 ハムザはエイナとリリと一緒だった。カフェのオープンテラスに席を取り、冷たいジュースを一口。頬に汗が滴り、氷の溶け落ちる音が虚しく響く。

 

 「暦とはそういうものなのですよ」

 

 大きな日除け傘の下で、広場中央の<司祭ヴァレンティン>の銅像を見た。あの台座にこの前落書きをしてやったのだが、まだ残っているだろうか。目を凝らすも、広場を行き交う人々に遮られてしまい、結局ハムザは傑作である<おっぱいの落書き>を探すことを断念した。

 

 ふぅ、と一息入れて目の前の二人を見つめる。リリもエイナもぶつぶつと言いながら必死に書類と格闘しており、ハムザは一人だけ手持ち無沙汰だった。

 

 「なぁ、エイナちゃん。おっぱい揉ませてくれんか?」

 

 すっ、と目を上げ、エイナは微笑んだ。

 

 「黙ってなさい」

 

 ハムザはけっ、と悪態を吐いてから、今度はリリに向かって言い放つ。

 

 「なぁリリ。フィンとかいうチビに変身して、広場で裸踊りしてみろよ」

 

 無言のままリリは目を落とし、ぽつりと呟いた。

 

 「オッケーです。…ファミリアの税金は計算出来ました。でも、<リーテイル>の方が厄介です。外部からの輸入にも手を出しているせいで、関税の計算が非常に面倒ですね」

 

 「うん、本来は書類を提出してくれればこっちでやるんだけど、今は時間がないから自力でやるしかないわね」

 

 「無視をするんじゃない」

 

 「それを言うなら、邪魔をしないでください」

 

 「まったく、やれやれだぜ」

 

 『『それはこっちの台詞です!』』

 

 

 さっきからずっと、リリとエイナはファミリアが収めなければならない税金の計算をしていた。ハムザは「踏み倒すぞ」と宣言したが、リリは団長命令を聞き入れずエイナに相談したのだった。それでわざわざ休日を返上し、エイナは彼らを手伝うことにした。

 

 ついでに、作業が終わったら三人で祭りに参加しようと誘った時、彼女は随分と嬉しそうだった。今晩はやれるに違いない。

 

 退屈そうにあくびをして、ハムザは祭りの事を想像した。夏の夜に祭りとくれば、答えは当然エロスとなる。自由な空間、楽しい余興、集まる若い女性に囲まれて酒を飲めば、誰だって手を出さずにはいられない。しかし、誰でもいいという訳ではない。今日は、どうしても目の前のエイナに手を出したくて仕方がないと感じる日だった。

 

 【ロキ・ファミリア】が遠征に出てから、そしてハムザの『ロキ・ファミリア乗っ取り計画』が失敗に終わってからというもの、数日の間、彼らは罰則が解けるまで好き勝手に動いていた。

 

 まだ年端のいかない街娘に手を出してみたり、看板娘と評判の子が実はとんでもないブスでがっかりしたり、口説くはずがリューに模擬戦を申し込まれ断りきれずに打ちのめされたり。

 

 『罰則(ペナルティ)を解く薬を完成させた』

 

 そう言うナァーザに鮮やかに騙されて財布の中身を空っぽにしたり、色々と辛い出来事はあったが、変身したリリが自分の夜の相手をしてくれる事で、何とか退屈せずに済んだ。

 

 そして今日、性交の禁止という何とも理不尽な罰則(ペナルティ)が解けたのだ。その喜びの中、エイナが本拠に来訪してきたので、ハムザにはそれが天の啓示に思えて仕方がなかった。

 

 ハムザは考えた。そろそろ本物のリリのエロい意味での成長を確認したいところだ。しかし、リリとは四六時中ほとんどいつも一緒だった。いつでも手を出せる彼女にちょっかいを出すのではなく、たまにしか会えないエイナに魔の手を伸ばすべきか……と策士は沈思黙考する。

 

 なんにせよ、もう暫くエイナを抱いてないではないか。それはハーレムを作り上げる上でも、あまりよくない状況だ。性愛は平等に――それがハーレムの宮殿の入り口に掲げられるべき、我がファミリアの規約の第一章になるだろう。

 

 

 「ふぅ、何とか終わりましたね」

 

 ずっと書類に目を落として集中していたリリが、やっと顔を上げた。

 

 「うん。これなら大丈夫かな」

 

 エイナも安堵の息を吐き、額を拭った。

 

 書類をとんとんと整え、エイナは紙の束をハムザに差し出した。彼が書類を受け取ろうと手を伸ばすと、ひょい、と彼女はそれを引っ込めた。

 

 「理解する気、あるのかな?」

 

 「うん。ない」

 

 「じゃあ、いらないわね」

 

 彼女は鞄に書類をしまった。ハムザが随分冷たいじゃないかと不機嫌な声を漏らすと、エイナはそっぽを向いて肩肘を突いた手に顎を乗せた。暫くそのままでいた彼女は、ちらりと横目でハムザを見つめる。

 

 「ねぇ、次の目標管理シートに、次の予定を書き入れた?」

 

 ハムザは首を傾げた。だが、すぐに彼女の言うことを理解した。アイズに本拠を吹き飛ばされた後に彼女が用意した『目標管理シート』という怪しい計画表が、行方知れずになっていることに気がついたのだ。

 

 「それ、リリは見たことがありませんよ」

 

 「こら、ばらすな」

 

 溜息を吐いてエイナは姿勢を直す。グラスを手にとってジュースを飲んでから、伏せ目がちで言った。

 

 「はぁ。ハムザくんは結局私のこと、気にもかけてくれないんだぁ。構ってくれなくて、残念だなぁ~?」

 

 「ごたごたがあってな。まぁ、挨拶もしなかったことは悪いと思ってる。ただ、特別な地位の人間は、多くを与えることが出来る。その対価として、相手は俺の全てを許さねばならん」

 

 リリはくすっ、と笑った。

 

 「ハムザさま。ランクアップしたとは言え、まだまだ上には上がいるんですよ?Lv.2程度で王様気分になられてしまっては、先が思いやられます」

 

 エイナも顔に笑みを浮かべて「まぁ、こうなるのは分かってるつもりだったけどね」と小さく溜息を吐いた。

 

 「それで、リリルカさんのデータを元にスキルの検証結果を報告するね。えっと、基本的に他人に作用する成長速度はハムザくんのと比べて比較的に遅いみたい。それでも劇的な成長であるには違いないわね」

 

 リリは自信たっぷりにえへん、と腕組みをして頷く。

 

 「そうですよ。何年もかけて30くらいしか上がらなかった耐久が、たった数日で12も上がってるんです。リリにとっては大成長ですよ」

 

 誇らしげなリリにエイナは凄いねと笑みを向けてから、更に説明を重ねていく。

 

 「それでランクアップをしたことで、スキルに追加されたのが<回復効果>。魅了や経験値付与だけでなく、回復効果だものねぇ…」

 

 「そうですねぇ」とリリは考える姿勢を取ってから、目の前のビスケットに手を伸ばす。

 

 「こればっかりは実戦の中で確かめてみないと、何とも言えないですね」

 

 「まぁ、そうね。とにかくもう少し検証してみる必要があるわね」とエイナが後を継いで言った。

 

 『それで、問題は…』

 

 二人は同時に同じ言葉を放った。ハムザにも、彼らの問題とするところは十分に理解できた。今日ここにわざわざ三人が集まったのは、ハムザの<新スキル>について議論を交わすためでもあったのだ。

 

 「はぁ。<悪運>ねぇ…」

 

 ランクアップ時に発動可能だったスキル、<悪運>。エイナは過去の記録を調べてみたが、これに該当するスキルは見つからなかった。そうなれば当然、効果を知るのは文字通り神頼みなのだが、肝心の女神テルクシノエは、よく分からんとあくびをするばかりだった。

 

 「字面で見ればその通りの効果なんだろうけど、基本的にマイナス効果のあるスキルは存在しない筈なんだけど…それに<性技>なんていうスキルも聞いたことがないし、魔法の無言詠唱も可能になってるわよね。一体どんな裏技を使ったらこんな滅茶苦茶な成長が出来るのかしら?」

 

 「本当に、こんなの不公平ですよ。ハムザさまは・・・その、冒険者としては、勤勉な方ではなかった筈ですから。どうしてこんなレアスキルがたくさん発現してしまったのか、リリは理解できません」

 

 「つまりは俺の努力の賜物って訳だな」

 

 「…人の話を聞いてましたか?」

 

 理由は神のみぞ知る。そういうことにしておいて、何とか自分を納得させようと努めたリリだったが、口先はいつまでも尖ったままだった。

 

 暫くの間、三人は何を言うこともなく、冒険者や住民が行きかうメインストリートの喧騒に耳を傾けていた。

 

 氷が溶けて水滴で濡れたグラスを見つめ、暫く俯いていたリリだったが、ついに諦めたように顔を上げた。

 

 「考えても仕方がありませんか。エイナ様、私達は明日から迷宮探索に行くつもりです。そこで何か分かったら、また報告します」

 

 うん、と頷くエイナ。だが、彼女は今しがた通り過ぎていったアマゾネスの臀部をいやらしく見つめるハムザの視線を目ざとく捉えている。

 

 「…それと、ハムザくん」

 

 エイナの声は、教室で会話を弾ませる生徒達を、つまらない授業に引きずり戻す時の教師のように冷酷で、威圧的だった。

 

 「…街中に変な落書きをしたり、女性を片っ端から口説いたり、違法薬物の売買をしたり、路地裏で一般人に暴力を振るう暇があったら……真面目に冒険者らしいことをしたらどうしかしら?」

 

 ここ数日、【ロキ・ファミリア】が遠征に出てからというもの、確かにハムザはエイナの言うとおりのことをして楽しんでいた。リリは何とか子供っぽい行動は辞めさせようと文句を並べ立てたが、あまり効果がなかった。肝心の主神が余りにも放任主義だったせいで、子供が誤った育ち方をしている。そんな印象をリリは抱いていたのだったが、それはエイナも同様だった。

 

 先程の口調をかなぐり捨て、今度は困り果てた子猫のような調子で、エイナは続ける。

 

 「ギルドでは、未だに意見が分かれているの…。最速でランクアップした期待の新人な筈なのに、裏社会に関与しているとか、黒い噂が絶えないわ。お陰様で、私の通常業務に加えて火消し作業が大変で、毎日が残業の連続…はぁ、困ったなぁ〜」

 

 同情を誘いたいエイナに、しかしハムザは言い放つ。

 

 「ギルドなんか辞めちまえ。俺のところへ来れば、残業なんてせずに済むぞ」

 

 だが、エイナは首を縦に振らない。もう口調はいつものエイナに戻っていた。

 

 「受付嬢は私の夢だったの。もっと仕事で成功するまで、辞めるつもりはないわ。それに貴方がどれだけ強がっても、私が絶対に真人間にしてあげる。担当者として、その仕事はやり遂げるって決めてるのよ。まぁ、やんちゃな弟を持った姉の心境よね…」

 

 「残念ですね」とリリが言う。

 

 「テルクシノエ・ファミリアでは真人間がリリひとりしか居ませんので、エイナ様が来てくれれば二対二で対等な勝負が出来るのですが」

 

 苦笑いしつつも、エイナはリリに言葉を返す。

 

 「テルクシノエ・ファミリアへの助言としては…もっと規模を大きくした方がいいわよね。リーテイルを傘下にしたことで資金は潤沢だから…あとはちゃんとした真面目な人をたくさん仲間に加えて、ファミリアの等級を上げていくといいよ」

 

 リリはエイナの助言に全面的に同意しながらも、「それが主神様がまるでその気じゃないんですよね…」と声を落として返答した。

 

 あっ、と。何かを思い出したように、出し抜けにハムザが言う。

 

 「確かに、もう一人、あるいは二人、冒険者の仲間が欲しいところだ。ハーレムを作るにあたって、美貌も才能も兼ね備えた、未来のアイズ・ヴァレンシュタインがまだまだ何人か必要だな。でも、ロキ・ファミリアの奴らは、ちょっと危険だ。俺がもう少し強くなるまで、あまり刺激しないようにするのが賢いやり方だ」

 

 「リリから言わせれば」

 

 リリは尖らせた唇で、不満たらたらにハムザを見つめて言った。

 

 「ハムザさまの方が、よっぽど危険です。いろんな意味で」

 

 

 陽が落ちて、待ちに待った夜がやってきた。ヴァレンティン広場周辺では、猫人の集団が軽快にバイオリンを鳴らしている。涼やかで軽い空気や食べ物の匂いが、人々の興奮と共に広場を駆け巡っている。

 

 演奏が終わるたびに拍手が送られ、酒瓶を片手に人々は愉快にステップを踏み続ける。昼間から飲み始めたせいで既に出来上がっていたハムザ達だったが、周囲の人々と同じように解放的な夏の祭りを存分に楽しんでいた。

 

 すると踊る人々の輪の中で、大柄のヒューマンがハムザにぶつかった。その弾みで手に持っていた酒が、ハムザの手からするりと抜け落ちた。

 

 ぱりん、と音を立て、それは石畳の上で破裂した。そして大量の中身がヒューマンの靴に飛び散り、大柄な男は声を荒げて怒りを爆発させる。

 

 「おい、てめぇ!俺の靴を汚しやがって!よくも――新品だぞ!?弁償しやがれ!」

 

 怒れに震え、詰め寄ってくる男を面倒くさそうな目つきで一瞥し、ハムザはすっと自分の背中にエイナを隠した。

 

 「そりゃあ済まなかったな。こんな場所にわざわざ新品の靴でやってくる程の馬鹿なんて、世界中どこを探してもいないだろうと思っていたんだ」

 

 二人の剣呑な雰囲気を察知した周囲の人々は、がやがやとした喧騒に紛れ、不安そうに囁き合う。

 

 

 『…オイオイ、ありゃあギルドの張り紙で出てた冒険者だぜ。『黒き変態』だ。かなりのスピードでLv.2にランクアップしたっていう噂の…』

 

 

 ひそひそと、また別の声。

 

 

 『おい…。あいつはヤバいって話だぜ。理由もなく人を斬りつけたり、ロキ・ファミリアに喧嘩を売ったりしているらしい。他にも売春や違法ドラッグとか、とにかくあぶねぇことに手をだしてるって話だ』

 

 

 二人の周りから、するすると人々が遠ざかっていった。

 

 

 『危ない奴には関わらねぇのが一番だ。さ、俺たちゃ明日も仕事だ。怪我する前にずらかるとしようぜ』

 

 

 そしてぞろぞろと人々はその場を離れ、エイナを含め、ハムザとその男の三人だけが広場に取り残される。

 

 ハムザが男を見やると、男は汚らしいひげ面に皺を寄せながら、まずいことをしたとたじろいでいる。

 

 「いや…。その、人違いってのは、誰にでもあることだと思うんだが…その、気を悪くさせたらすまねぇが…酒を引っかけたのがあんただと勘違いしちまっただけで…まぁ、今思えばあんたはちっとも悪くねぇ。ありゃあ、あんたの酒じゃねぇもんな。あの中のどいつがやったか――」

 

 後退りしながら必死に弁明する男を遮って、ハムザは言った。

 

 「もちろん俺のじゃない。ほれ、さっさと行った」

 

 

 

 

 「ねぇ、ちょっといいかな?」

 

 酔っ払いに絡まれてから、エイナとハムザは当てもなく石畳の街を歩いていた。祭りの騒ぎは既に遠ざかっていたが、ハムザの心は未だにざわめいていた。人混みの中の誰かが言った黒い変態(ブラック・パーヴ)という二つ名が、頭から離れなかったのだ。

 

 「ねぇ、聞いてるの?」

 

 エイナに呼びかけられていたことに気が付いて、ハムザはそちらを向く。

 

 「あぁ、聞いてる聞いてる。それより、黒い変態(ブラック・パーヴ)という二つ名をどう思う?神様が命名式に出るっていうもんで、朝から落ち着かなくてな。俺に変な二つ名が付かないかどうか、心配していたらしい。俺としては――」

 

 「私は、とってもキミに似合った名前だと思うけどなぁ?」

 

 彼女は皮肉のつもりで言った筈だったが、ハムザはそれを真に受けて喜んだ。

 

 「やはりエイナちゃんもそう思うか」

 

 どこかの神がバイトをしているジャガ丸くんの屋台に光る魔石灯に引き寄せられ、列をなして待つ人々を邪険に手で押し避ける度、彼らの非難がましい声が聞こえてくる。そんな声を無視しながら、ハムザは誇らし気に何度も何度も頷く。

 

 「ブラック・パーヴ。いいじゃないか、海賊みたいでな」

 

 「本当にそう思うの?」

 

 エイナの質問は頭をすり抜けていった。とにかく、自分に相応しい勇ましい二つ名を授かったのだ。主神に感謝の意を示すため、神意を全うしなければ。

 

 二人はメイン・ストリートを外れて小道に入っていった。既に喧騒は遠く離れており、住宅街には夜の静けさが舞い降りていた。小道の先には、不自然な緑色の光を放つ魔石灯が二本、ぽつりと浮かび上がってきた。

 

 この緑の魔石灯は、宿屋の印でもあった。家を持たない貧しい労働者や、旅人などにとってはありがたい目印だ。この小道には、そういった宿屋がいくつも居並んでいる。二人は静かに扉を開けて、受付広間にするりと入り込んだ。初老の男性が目配せで合図を送る。ハムザは無言で金貨を置いた。

 

 「…Sクラス。セリナ、案内を!」

 

 老人が叫ぶと、肌の黒い、子鬼のような若い娘が蝋燭を持ってやってきた。

 

 「こちらになりますだ。暗いので気をつけてくだせぇ」

 

 建物は珍しく木造で、廊下には、似たような造りの扉が沢山並んでいた。少女は二人をどんどん奥へ、そして階段をのぼり上へ上へと案内していく。ぎしぎしと軋む床をそろりそろりと歩きながら、何十もの扉を既に通り過ぎた時、エイナがぼそりと言った。

 

 「いったいどうなっているのかしら…?」

 

 呟きを聞き逃さなかった少女がエイナに答える。

 

 「ここは普通の宿とは違うだ。お代はお客様が決めますだ。だからうちには貧しい労働者用から有名な冒険者様用まで、いろいろなお部屋が用意されてありますだ」

 

 少女が言い終えると、最上階の最も奥の扉の前で立ち止まった。

 

 「それでは、鍵はこちらになりますだ。どうぞごゆるりと、お楽しみくだせぇ」

 

 二人に蝋燭を手渡し、少女は音も立てずに暗黒の廊下に消えていった。鍵を開け扉を開くと、手持ちのろうそくの光と月明りが、豪奢な調度品に飾られた部屋をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 

 「凄いね…」

 

 エイナが言い終わるや否や、鍵をしっかりと閉めたハムザは彼女の柔らかな身体を抱きしめた。

 

 「んっ…そんなぁ、もう?」

 

 彼女の下腹部に手を伸ばすと、言葉とは裏腹にそこは既にしっかりと濡れている。

 

 「ぐひひ…期待していたんだろ?エイナちゃんはスケベなハーフエルフだからなぁ」

 

 頬を染め、エイナは首を横に振った。しかし直後、彼女は首筋に腕を絡め、激しく求めてきた。欲に任せた情熱的な振る舞いにすっかり心を奪われたハムザは、エイナの柔らかな胸に手を伸ばす。

 

 ぱんっ、とその手を払い、エメラルドの瞳に燃える炎を隠しながら、仮初の表情で、何だか真面目臭いことを言った。

 

 「言っておくけど、これはあくまでもスキルの調査、研究のためなんだからね?」

 

 ちゅっ、と唇にキスをして、エイナは蝋燭だけが点る薄暗い部屋で、艶かしく微笑んだ。

 

 

 ●

 

 

 暗い室内。既に半分ほど溶けた蝋燭は陽炎を作り出し、花盛りの少女の裸体をぼんやりと滲ませている。ベッドが軋む音と、甘い少女の喘ぎ声。そんな僅かな振動が、ぽとり、と蝋の一粒を受け皿に垂れ落とした。

 

 「はぁ…あんっ…これがやみつきになるのよねぇ……」

 

 男の上に跨り、淫靡な腰使いで男根を堪能するハーフエルフの美少女は、恍惚に浸る甘い声と共に口元を緩めて、緑色の双眸を薄らと細めた。

 

 ベッドには服が乱雑に散らばり、少女の愛液で濡れたシーツは所々に染みを作り出し、体液をぬぐい取った後のティッシュや、べとりと精液のこびりついた眼鏡が無造作に放り投げられている。

 

 交わうこと数刻。エイナは当初の目的であった『特殊スキルの調査』という大切な役目を思い出していた。ハムザが持つのは超希少スキル、成長に作用するという特殊な性質。それは男女の性交を経て作用し、対象者にも効果を及ぼすという代物だった。

 

 おまけにLv.2へランクアップしたことで、その効果は大幅に強化され…ついでに回復効果までもが付与されるようになっていた。エイナにとって、いや、毎夜性的な刺激を思い出して寂しさを一人で紛らわす事が日課となっている少女にとって、これは思いがけない朗報だった。

 

 また、再び大義名分と共にハムザを自分の物にし、拘束し、甘美な悦楽に耽る事が出来るのだ。その至福の時を、エイナは恐らくハムザ以上に楽しんでいた。もはや動くのが面倒になり始めたハムザに跨り、何度も何度も行為を繰り返しているのだから。

 

 「あっ…イきそう。だめっ…あぁっ…」

 

 絶頂を迎え、全身の痙攣に身を委ねる。恍惚を模る唇は涎を垂らしている事にも気が付かず、節操が固く、美徳を重んじるエルフの血を受け継いだ人物とは思えない程、艶やかに輝いている。

 

 「…もう駄目だ…限界だ…」

 

 ハムザは既に何度も射精に導かれており、文字通り精根尽き果てたようにぐったりとして横になっている。

 

 「今、六回目よ」薄明りの部屋で、エイナの目が怪しく輝いた。

 

 「今日は七回目まで頑張る実験だって、最初に言ったわよね?」

 

 「それは、そうだが…どうして七回なんだ」

 

 「ふふっ…。それはね、七という数字が好きだからよ」

 

 「誰が?」

 

 「私が、よ」

 

 ううむ、と唸ってハムザは目を擦った。少し気を抜いてしまうと、疲労感がどっと押し寄せて来て、眠ってしまいそうだった。だが、エイナは依然として男根を咥えこんだまま離さない。

 

 「じゃあ…そろそろお口でも味わおうかしら」

 

 そう言ってエイナは膣から男根を引き抜いて、口に含んだ。

 

 慣れた手つきで的確に急所を責め続けると、半ば元気を失っていた股間に再び燃えるような興奮が舞い戻ってくる。

 

 エイナにとって、ハムザを射精に導くのは、朝食に目玉焼きを作るのと同じくらい手慣れたこととなっていた。少女は度重なるハムザとの性的な実験の結果…涎をたっぷりと溜め込み卑猥な音を存分に響かせて、極上の感触を持つ舌と柔らかい唇で男根を絞り上げてやれば、男は堪えきれずに精子を吐き出してしまうということを、既に学んでいたのだった。

 

 「うおっ…やばい…」

 

 抗うことも許されず、全てはエイナの意思に委ねられていた。こうして彼女にペースを握らせてしまうと、後はなすがままに弄ばれ、弄られるだけだ。だが、惻隠の心を持ったハーフエルフのエイナは、苦痛に歪む顔を見てからすぐに優しさを取り戻し、絶頂が近づき破裂しそうになる男根には我慢をさせず、たっぷりと精子を吐き出させてやるのが最近の常だった。

 

 「んんんっ……!?」

 

 エイナは精液を吐き出すペニスの口先を窄めた唇で包み込み、緩やかなストロークで長く深い絶頂へと導いていく。口内へ流れ込む経験値の素を舌で転がして、満足そうな笑みと共に、ごくりと飲み込んだ。

 

 「ふふ…ごちそうさま…七回目、おめでと」

 

 唾液と精液で濡れそぼつ口元を指先で拭ってから、エイナはハムザの隣に横になり、裸のまま抱き着いた。

 

 

 

 エイナを抱き寄せたハムザは、仰向けになって見上げた高窓に浮かぶ月を眺めていた。ふと、エイナが手に指を絡ませて言った。

 

 「ねぇ、私いろいろ調べてみたんだけど…過去にもたくさん、優秀なスキルを持った冒険者がいたみたいなの」

 

 「そりゃあそうだろうが、俺クラスは一人もいたはずがない…」

 

 眠気を堪えて強がるハムザをくすっと笑って、エイナも窓の外の満月を見た。

 

 「…そうだと良いんだけどね。でも、ダンジョンでは優秀な人ほど早く…その、亡くなっていくの。そんな中で残った一握りの才能が、今のフレイヤ・ファミリアとかロキ・ファミリアなんだと思う」

 

 

 「ねぇ、一年で何人の冒険者が帰ってこないと思う?」

 

 「さぁ。百人くらいか?」

 

 「もっと居るわ。大体五百人くらいは行方不明になっているの。新人や第一級冒険者に関わりなく、沢山の人が地上に帰ってこれないままなのよ」

 

 「ふむ…そうか。雑魚が百人…雑魚が、五百人……」

 

 ハムザの返答は、次第に適当になっていった。津波の様に押し寄せる眠気に抗えず、瞼が鉛の様に重くなる。閉じかけた瞼を擦り、眠るまいと努めるハムザを見て、エイナは口元を緩めた。

 

 「弱い冒険者だけじゃなくて、ちゃんと強い人達も行方不明になってるわ。迷宮を舐めると、必ず返り討ちにあうのは、歴史が語っているの。だからちゃんと帰ってくるために、怪物の特徴を事前に学習したり、他の冒険者達が作り上げた成長手順に従って計画を立てる事が、本当に重要で……」

 

 エイナが語り終える前に、彼の寝息が聞こえてきた。

 

 幸せそうな顔で眠るハムザの頬に、エイナは優しく口付けをした。

 

 その時、蝋燭の火が消えた。部屋には高窓から漏れる月明りが差し込んでいたが、月はやがて雲に隠れ、部屋には完全な暗闇が訪れた。

 

 誰にも聞こえないような声で「おやすみ」とだけ言ってから、エイナも目を閉じ、眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 「で、黒い変態(ブラック・パーヴ)はどこにおる!?今まで何をしていたのじゃ!」

 

 テルクシノエは夜遅くに帰ってきたリリに問い詰めた。リリは寝ぼけ眼であいまいな返事をする。

 

 「えぇっと…リリは酔っ払って、気づいたら公園で寝てました。ハムザさまは多分、エイナ様と楽しんでいるのかと…」

 

 「なんじゃ、とんでもない奴だ。黒い変態(ブラック・パーヴ)は。主神の私がお腹を空かせて待っているというのに、夕食の準備を忘れるとは!」

 

 どうやらテルクシノエは夕食をずっと待っていたらしい。そういえば、祭りに参加するという事を伝え忘れていたかも知れない、とリリは寝ぼけ眼で思い出す。

 

 そうだ、伝えようとしたけど、ずっとこの女神は眠っていたんだ。無理やり起こそうとしたら怒られたので、仕方なくハムザと二人でエイナに会いに行ったのだった。

 

 それから主神は神会に行ったのだろう。すれ違いのせいで、伝える時間がなかっただけだ。仕方がないことだし、しょうがないだろう。弁明は明日すればいい。

 

 

 「えっと…むにゃ。リリはもう寝ます。おやすみなさい…」

 

 ぼふん、とリリはベッドにダイブして、そのまま寝息を立て始めた。

 

 「ぐ、ぐぅ…眷属共め…眷属共めぇ~!」

 

 怒りで震えるテルクシノエは、昼間に食べた極上の羊肉を思い出す。

 

 女神は明け方に眠りにつくまでずっと、苦しそうにお腹を鳴らし、似たような唸り声を出し続けていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二章 ―試練―

 

 翌朝、鎧を着込んだハムザとバックパックを背負ったリリは主神の怒号を全身に浴びていた。

 

 「ばかもん!神をほっぽり出してセックスを楽しむ子がおるかー!お前達なんて無神論者じゃ!信仰心ゼロじゃ!あー!誰か私を拝んでくれー!」

 

 昨晩、誰も夕食を作る者が本拠(ホーム)にいなかったせいで、主神はお腹を空かせながら一晩中苦しんでいたのだ。女神は災難の元であるハムザに――エイナとのセクロスをたっぷりと楽しんで嬉々として朝帰りをしてきたハムザに、一片の慈悲すら見せぬと怒り狂い、喚き散らしていた。

 

 「そうは言ってもなぁ。神様、たまには自分で料理してもいいんじゃないか?」

 

 もっともらしい事を言うハムザに、テルクシノエは雷に打たれたかのように目を見開き、とてもひどいことを言われたといった態度でよろめいてから、ハムザの提案を断固却下した。

 

 「…お前は神を何だと思ってるのじゃ。私は神だ!お供えをするのは当然だろう!」

 

 「じゃあ、毎晩おまんじゅうを用意しておきましょうか?」

 

 「ばかもん!お饅頭で満足するかぁ!ステーキじゃ!羊肉が食べたいのじゃー!」

 

 怒りと空腹で、テルクシノエは涙を流しながら眷族に訴えかける。リリにまで――加入してまだ間もない新人にまで小馬鹿にされたと、主神の怒りはもはや悲痛に変わっていた。その姿は、威厳のある神というよりは、泥水で濡れた物乞いの様だった。

 

 朝っぱらから頭が痛くなるような声で、ご近所迷惑も憚らずに元気に暴れ回る小さな主神を目の前に、ハムザは面倒臭そうにぼりぼりと頭を掻き、専属シェフでも雇うかと提案した。リリもそれに同調し、早く引っ越しましょうと言葉を添える。

 

 つい先日の出来事だったが、【テルクシノエ・ファミリア】にはリリが【ロキ・ファミリア】の団員をだまくらかして奪った一億ヴァリスがあった。<豊穣の女主人>のウェイトレスの一人や二人、例えば良質町娘として人気のシルや、アルプス山脈の様に峻厳なエルフ――リューなどを引き抜くことだって出来るかもしれなかった。

 

 だが、そう考えた途端、脳内で女将の姿が過る。

 

 女将は人の頭よりも大きな拳を振り下ろし、酒樽を爆散させた。そしてハムザを睨みつけ、よくもうちの店員を垂らしこんでくれたねぇ、と出刃包丁を持ち出して舌なめずりをした。

 

 ぶるっと身を震わせ、ハムザは人知れず頭を振る。

 

 ――引き抜くのはやめておこう。俺にはまだやり残したことが沢山あるからな。

 

 

 「では、迷宮に行くついでにあのお店によって、一つ交渉をしてみましょうか?」

 

 リリの提案は、テルクシノエにとってとても魅力的に映った。

 

 確かにあの『豊穣の女主人』で料理人も務める彼女たちの誰かを引き抜く事が出来れば、毎晩ご馳走にありつけるに違いない。腹を十二分目まで満たす筈だった羊肉だって、今度は群れの一匹も残さず食らい尽せるだろう。邪悪な女神のちょっかいも受けず、眷属達と心ゆくまで。

 

 悪くないと、一瞬頷きかけた女神だったが、はっとした表情で我に返り腕組みをしてリリを睨みつける。

 

 「ふんっ、それはこいつの仕事だった筈じゃ」

 

 かろうじて食の誘惑に打ち勝った女神に対し、それもそうだと頷くのは団長ハムザ。だが、リリの本業はあくまでも迷宮探索時のサポーターであり、これから遠征やら探索やらでで留守にしがちな本拠を守る女神のためにも、料理のりの字も知らぬ哀れな神のためにも、誰かを雇うというのは良いアイディアに思われた。

 

 「今日の探索から戻ったら、おい、そうだな。三人で酒場にでも行って、どうするかを話し合おうじゃないか。とにかく、俺達は行くぜ。ダンジョンに出会いを求めにな」

 

 だが女神は依然として怒りを露にしながら、ハムザ達に容赦ない罵声を浴びせる。

 

 「ばかもん!お前たちは何にもわかっちゃいない!なーんにもじゃ!ほれ、さっさと行ってしまえ!ミノタウロスに串刺しにされて、キラーアントに切り裂かれて、ヘルハウンドに焼き殺されてしまえ!!」

 

 「今夜は焼肉をご所望みたいですね、ハムザさま」

 

 「うるさい!さっさと行ってしまえ、間抜けな眷属め!お前たちが留守の間、こっちは有り金を全部使って存分に楽しんでやる!神のために働いてくるのじゃ、間抜けな人間達め!」

 

 怒れるテルクシノエに追い立てられるように、二人はテントの外に追い出された。リリは肩を竦めてハムザに問いかける。

 

 「何であんなに機嫌が悪いのでしょうか?」

 

 「さぁ…。まぁ、あの気まぐれ女神のことだ。お前の言う通り、今晩は焼肉にしてやろう。きっと向こうから泣いて謝ってくるぞ」

 

 そんなことより、とハムザは付け加える。

 

 「そういえば、あの神様、ロキって奴に呼び出されている。迷宮に行く前に、ちょっと寄っていくか」

 

 リリは一通の手紙を懐から取り出して、目を落とす。

 

 『ちょっと相談ごとがあってなー。近いうち、遊びにきぃや』

 

 手紙に書いてあるのはそれだけだった。

 

 「そうですねぇ、ロキ・ファミリアのことですから、行って損はないでしょう。今更この前のことで怒られるということもないでしょうし」

 

 「そうだな。それに俺の次の標的はあの王族(ハイエルフ)、リヴェリアだ。俺はエルフを攻略した。次は王族(ハイエルフ)だろうが何だろうが、簡単に捌くことが出来ると言わざるを得ない。そう思うだろ?」

 

 リリは青空を見上げたていた。雲のすぐ下に、バベルの塔がそびえている。団長ハムザのお気楽でしょうもない無駄話を、はいはいそうですねと流しながら、二人は気持ちの良い晴れた午前の空気の中、軽い足取りで『黄昏の館』へと歩いて行く。

 

 

 

 誰も居なくなった本拠(ホーム)で、女神はふんと鼻を鳴らし、どすんと椅子に座った。

 

 柱に立てかけるように置かれた宝石だらけの額を眺めて、テルクシノエは溜息をついた。ハムザが書いた『おっぱい女神』とリリの『お詫びの一句』が、きらきらと輝く額縁の中にすっぽりと納まっている。

 

 しかし、その輝きが女神のお腹を満たすことは、決してなかった。

 

 

 

 

 「それでは行って参ります、タケミカヅチ様!」

 

 艶のある長い黒髪に青紫の瞳。

 

 菫色の戦闘衣から覗く肌は若く瑞々しく光り、街行く男達は神をも連想させる顔立ちの少女を、何度も振り返っている。

 

 「気をつけるのだぞ、命。ランクアップしたからと言って慢心してはいかんぞ、初心忘るるべからず、だ」

 

 ヒューマンで構成されたパーティの輪に囲まれ、命はタケミカヅチの大きな手で頭を撫でられた。頬を染め、嬉しさと恥じらいの混じったキラキラした瞳で主神に頷き、命は男神に背を向けた。

 

 【タケミカヅチ・ファミリア】の面々は彼女に倣い歩き始め、迷宮へ出発していった。

 

 「遠征、か…。よくぞここまで来た、と言いたいものだが」

 

 タケミカヅチは眷属達の成長に感慨深いものを感じながらも、手放しで喜ぶ気にはなれなかった。

 

 「無事で帰ってくるんだぞ……」

 

 【タケミカヅチ・ファミリア】は、今日初めて遠征へと旅立った。これが意味するのは、今まで攻略の中心としていた『上層』を離れ、その更に下にある『中層』へと足を踏み入れるということだった。

 

 上層と中層。わざわざこの様に分類化されているのには理由がある。中層と呼ばれる13階層以下は、上層と比べて格段に敵が強くなるからだ。

 

 初の遠征に出たその日に冒険者全員が帰ってこなかったという話は、ここオラリオではよく耳にするなんでもない『日常』だ。

 

 二強を形成する【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】は、そうやって死んでいった名もなき冒険者達の屍の向こうに立つ、特別に優れた冒険者達。それは裏を返せば、彼らのように特別なものを持っていなければ、この迷宮で生き残り続けることは出来ないということだ。

 

 タケミカヅチは俯いたまま、石畳の裂け目をぼうっと見つめていた。

 

 「命にはその資質があるが、まだ若い。それに、他のメンバーには……」

 

 それ以上考えることは出来なかった。男神は顔を上げ、眷属が歩いていったその方角を見やる。

 

 バベルの巨塔が、青い空に突き刺さっている。だが、バベルはいつもに増して不気味で近寄りがたい雰囲気を纏っているようだった。

 

 

 

 ハムザとリリはバベルを通り越し、北側にある『黄昏の館』まで歩いてきた。

 

【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)はいつもと違い閑散としており、衛兵の代わりを勤めているのは、【ヘファイストス・ファミリア】の団員達のようだった。遠征で本拠を留守にする彼らに代わりに、懇意にしている派閥として本拠の守備を頼まれたらしい。もちろん善意の警備という訳ではなく、それなりの対価は貰っているのだろう。

 

 「ほな、紅茶がええか、それとも珈琲がええか?」

 

 ロキはやって来たハムザとリリに、まず飲み物を勧めた。二人は珈琲を貰うことにし、大きなソファーに勢いよく座り込んだ。全身がすっぽり沈み込むくらい柔らかいソファーだ。さすがは大一級冒険者を多数抱えている最大級の派閥なだけあって、応接間の豪華絢爛さといったら目が眩むようだ。

 

 少しすると、ロキが珈琲を盆に載せて戻ってきた。

 

 「そんなごっつい装備して、これから迷宮探索行くんかー?ほんまは最初に世間話でもすればえーんやけど、時間がないなら、いきなし本題から話そか?」

 

 リリは礼儀正しく返事をした。ハムザはあまり興味がなさそうな様子でソファーに身を埋めたまま動かない。ロキは眉を下げて目を細め、話し始めた。

 

 「実はな、ウチら、イカれた連中とやりあっててな。食人花って知ってるか?」

 

 「食人花、ですか…?いえ、リリ達は聞いたことがありません」リリは首を横に振って答える。

 

 「まぁ、せやろな。食人花はなぁ、怪物祭(モンスターフィリア)の時に初めて出てきたんやけど、だいたいLv.3くらいの怪物で、調教師(テイマー)によって操られてる、まぁ新種みたいなもんや。それがな、祭りの時、街中で大暴れしてな。当然そうなったら天下のロキ・ファミリアは黙ってられへんやろ、アイズたんをひとっ走りさせて、さくっと倒しといたんよ。でもな、食人花が暴れたことで、一人だけ怪我人が出てしもうたんや。ほれハムザ、誰か分かるか?」

 

 ハムザはなぜそんな質問をされたのか意味が分からず、生ゴミを見るような目でロキを見つめつつ、ぶっきらぼうに言い捨てた。

 

 「お前は何故そんなことが俺に分かると思ったのだ?そんな雑魚は知らんし、興味がない」

 

 ロキは腹を抱えて笑い始めた。二人はまるで理解が出来ずに、きょとんとした顔つきでロキが笑い転げるのを眺めていた。そして、息も絶え絶えになったロキは呼吸を整えながら、何とか言葉を発した。

 

 「アハハ…ハハ、ハハぁ…それな、だれかっちゅーとー…ぐふふ、あははは…お前や、お前やで!ハムザ・スムルト!ひーひひひぃ、あー、おっかしー」

 

 「な、なんだって?」

 

 ハムザは最初は全く意味が分からなかったが、記憶をたどっていくうちに、色々と思い出し始めた。確か、シルバーバックがあのアホ主神を狙っていて…その怪物をあっさり葬り去ったあと…地面が爆発した。それで気がついたら『豊穣の女主人』でシルちゃんやリューちゃんに看護されていて…あぁ、そういえばあの時シルちゃんが口で一発抜いてくれたんだっけ…あれは素晴らしい体験だった…。

 

 「な、思い出したやろ?」ロキは言った。

 

 「なんでこの話をキミらに教えてあげたかっていうとなぁ、実はその食人花を操る調教師(テイマー)っていうのが、ごっつい美人やねんて。もちろんアホみたいに強いんやけど、それはもう美人みたいでな。そいつがウチらにちょっかい出してきてて、色々大変やねんなー。なんでも人と怪物が合体したような感じで、まぁ殆ど謎やねんけど、ウチらはその謎の美少女を、怪人(クリーチャー)と名付けて追ってんねん」

 

 ロキが『美人』と言葉を発する度に、ハムザはソファーから顔を出し、どんどんと前のめりになってロキの話に食い入り始めた。

 

 「謎だらけやけど、もちろん分かってることもちゃーんとあるで?今んとこな、その美人調教師(テイマー)の目的が地上にあることは察してるんや。他にも協力者が居て、迷宮と地上を繋ぐ独自のルートがあることも分かってる。でもなぁ、そいつ胸も尻も出るとこは全部出とるけど、尻尾だけはなかなか出さへん。今度の遠征で何か手がかりが掴めるかもしれんけど、ハムザ達やったら、その金髪グラマラス調教師(テイマー)を捕まえられるかもなー、なんて思ったり、思わなかったりしてるって、アイズたんが言ってたんや。夢の中でな」

 

 「なるほどな」

 

 ハムザは勇猛果敢な戦士たる勢いで背筋を伸ばし、ロキの手を取って握手した。

 

 「遠征は59階層だったかな?」

 

 ハムザの問いにロキは飄々とした態度のまま軽く聞き返した。

 

 「あ、なんや、もしかして興味あるん?」

 

 「いや」

 

 ハムザはすぐに否定しようとした。だが、出来なかった。

 

 「まぁ、少しだけな」

 

 「さすがやなー。それでこそ英雄の卵やで。ほな、まぁウチとしてはただ情報を喋ってただけやねんけど、そんなにハムザが興味あるんなら、もう一個特別な情報を喋っとかへんとなー?」

 

 ハムザは聞きたくてたまらない様子でウズウズしていた。

 

 「闇派閥(イヴィルス)が、きな臭いなー思っててな。オラリオのどっかに潜んで、機会を伺ってるかもしれん。復讐したくてしたくてたまらん奴らが、怪人(クリーチャー)と手を組んで息を潜めてるはずや。そいつらをとっ捕まえられれば、超巨乳金髪碧眼美少女調教師への道が開けるかもしれへんって、ガレスが寝言で言ってたらしいで」

 

 ロキはにやりと目を細める。反応の良いハムザを前に上機嫌だ。

 

 「裏社会で汚いことをしてる奴らを一通り洗い直してみたら、何か分かるかもな?ほれ、お前んとこはギルドと懇意らしいし、ハムザもそういうお友達はぎょーさんおるやろ?あ、これはレフィーヤがフィンにそう聞いてるのを、ウチがたまたま聞いてしもただけの情報やでー」

 

 ハムザはすっと立ち上がり、顎に手を当てて考えた。

 

 「なるほど、なるほど」

 

 そして顔を上げ、ロキに珈琲と情報への礼を適当に述べてから、さっさと部屋から出ていってしまった。リリは白い目でハムザの背中を追っていたが、目の前で満面の笑みで座るロキが薄気味悪かったので、結局自分も出ていった方が良いのだと悟りハムザの後を追って走っていった。

 

 

 そして、女神は。

 

 笑みとも困惑とも取れる表情を作り、足を組んだまま動かなかった。そしてぽつりと呟く。

 

 「…焚き付ければうまいこと動いてくれへんかと思ったけど…」

 

 ため息を一つ吐き、頭を抱えていた。

 

 「まぁ、あの様子じゃあ…無理やろなぁ〜………」

 

 

 

 ——13階層。

 

 中層。多くの冒険者達にとっての関門であり、上層とは一線を画すダンジョンの新たな領域。ここに辿り着く事が出来れば、立派な迷宮探索型ファミリアだと言える。

 

 燐光灯る、怪しげな迷宮の一画にて。

 

 ハムザは呑気に弁当箱を広げ、昼食を取り始めていた。

 

 ランクアップしたばかりとは言え能力の上昇は凄まじく、危なげなく12階層を踏破した。リリの見立てでは、いわゆる中層と呼ばれる13階層でも、ハムザがモンスターを相手に戦闘で後れを取ることはまずないということだった。二人は入り口付近で休憩(レスト)を取りながら、呑気にサンドイッチを頬張る。

 

 「はむははまお、あほお…げふん」

 

 「そんなに急いで食うな。喉詰まらせて死ぬぞ。ジジイじゃあるまいし」

 

 どんどんと胸を叩いて、リリは水を流し込んだ。

 

 「ごほん、すみません。えっと、要所要所でハムザさまの魔法を使えば、18階層まではすんなり進めるでしょうが」

 

 薄暗いダンジョンでも明らかに見て取れるように、ハムザは嫌そうな顔で首を振った。

 

 「魔法を使う気は、ない。それに今回の目的は59階層へ辿り着き、謎の金髪美少女調教師を捕まえることだ。それで帰ってシルちゃんの所で乱交パーティだ。もしまたインポになりでもしたら、目も当てられん」

 

 そんな彼を見て、呆れてため息を吐くことすら忘れ、リリは立ち上がる。

 

 「ランクアップ祝いです、乱交パーティではありませんよ。それに、もしハムザさまが算数のやり方を知っていれば、59階層に行くのは不可能だということが分かる筈なんですけどね」

 

 「算数なんてくだらんものは物置にしまっておけ。計算などという愚劣な行為は、詐欺師のすることだ」

 

 「馬鹿を言っちゃいけません。冒険者には身の丈というものがありますから、いきなり59階層へ辿り着くなんて出来る訳がありませんよ」

 

 空の弁当箱をしまい、リリはローブに付着した埃を払った。

 

 「さて、ともかく一つの場所に長く留まるのは危険です。さっさと13階層を探索して、引き返すとしましょう」

 

 未だにのろのろとサンドイッチを食べ続けるハムザを急かし、リリは地図を確認しながらそろそろと迷宮を歩き始めた。

 

 仕方なく、それに付き従う。ハムザは前を行くリリの背中の下、お尻の辺りが妙に色っぽいことに気が付いた。小さい割に…出るところは出ている。

 

 「それなら、【ロキ・ファミリア】が遠征の帰りに寄る18階層くらいまでは行けるようにしておきたいな。もちろん魔法抜きでだぞ。今日はこの最初の中層をさくっと攻略して、明日から18階層への道を探ろう。後は『リヴィラ』で奴らを待ち伏せして、例の美少女の情報を得ることにする」

 

 「良からぬことを企むのは、ほどほどにしてくださいね」

 

 地図に目を落としたまま、リリは答える。緊張感がなく、おふざけの事しか頭にない団長にはほとほと嫌気が差すが、彼を立派な冒険者に仕立て上げるのも自分の仕事だろう。取り合えず今のうちはそう思うことにして、リリは歯切れよく彼に答えた。

 

 「西の広間に行きましょう。途中、モンスターとの戦闘は避けられないと思いますから、しっかり集中して準備していて下さい。迷宮で油断は禁物です。いつ何が起きても対処できるよう、全力で警戒してくださいね」

 

 地図をしまいハンドボウガンを手に取るリリはハムザを一瞥した。まるで遠足にでも来たかのように、彼はのんきに口笛を吹いているではないか。

 

 (まったく、緊張感のないリーダーです)

 

 ピューピューとかすれた調子はずれの音に混ざり、その時、何かが裂ける音が聞こえた。

 

 「んん…?」

 

 亀裂から兎型のモンスター、アルミラージが地面にボトボトと落ちてくる。群れは天然武器(ネイチャーウェポン)を携え、二人を囲い込むように陣形を取り、深紅の瞳をぎらりと輝かせた。

 

 「九体です。いけますね?」

 

 サンドイッチを口に放り込み、ハムザは剣の柄に手を掛けた。

 

 「まふぁへほ」

 

 その瞬間、ハムザは壁際の一匹を剣で串刺しにしていた。予想外の素早さに狼狽したモンスター達だったが、すぐに天然武器(ネイチャーウェポン)を構え攻撃態勢を取る。その僅か数秒の動作の間に、ハムザはもう別の一匹を仕留めていた。

 

 リリは壁に体を押し当て、アルミラージと対峙するハムザの背中に隠れた。たった二匹を仕留めただけで、二人はモンスターの包囲を脱出し隊列を組み直すことに成功する。

 

 「おらおらァっ!」

 

 長剣を一閃。そしてまた一閃。

 

 暗い迷宮に銀色の残像が尾を引いて、モンスターは断末魔を上げて倒れていく。中層特有のモンスターによる連携も、圧倒的な速さと力の前には全くの無力だった。

 

 Lv.1のリリから見れば、まるで理不尽だと思われる程の能力の差。こちらが1M動く間に、ハムザは10Mも先に行っているような、そんな感覚だ。人間の限界を超えるということは、こういうことなのだ。極端な話、恩恵を授かり身体を強化した者は、バベルから飛び降りても死なない。石を殴っても拳が砕けない。重力すら無視して、殆ど空を飛ぶ。

 

 そして武器もまた武器である。恩恵を受けた鍛冶師による作品は、そんな化物達の動きについてくる。決して錆びない刃、折れることのない穂先、誰も傷付けることの出来ない鎧。そういう装備を纏った超人のような連中を、人々は畏怖も尊敬も込めてこう呼んだ。

 

 冒険者、と。

 

 そんな冒険者の一人であるハムザによって撃退され、最後の一匹となったアルミラージは角を突き出し捨て身の突進に出た。怪物の真紅の瞳と、それよりも深い色をした深紅の瞳が暗闇で光る。

 

 「ママのお腹に帰れ!」

 

 長剣で胴体を真っ二つに切断しようとハムザが薙ぎ払う直前——ボウガンの矢がアルミラージの瞳を貫いた。

 

 「ギィヤアァッ!?」

 

 怪物は地に倒れ、灰へと変わっていく。その最中、肝を冷やしたハムザは振り返る。フードの奥に隠れた目を抜け目なく光らせて、リリは魔石の回収を始めた。

 

 

 「ちょっとヒヤッとしたぞ、おい」

 

 「どこがですか、楽勝ではありませんか」

 

 地面に散らばった魔石を一つずつ拾い集めながら、少女は口を尖らせる。

 

 「いや、俺の股の間からボウガンを打つな。股間に命中していたらと思うと、ゾッとする」

 

 振り向いたリリの顔に、影が差した。可愛らしい顔に浮かぶ意味深な笑みが、なんとも不気味だ。

 

 「確かに、いつか手元が狂うかもしれませんね」

 

 ハムザはぶるっと身震いし、彼女に背を向けて前へと進み始める。

 

 荷物持ち(サポーター)。ダンジョン攻略の際に、アイテム回収を主に受け持つ非戦闘員。それがリリの役割だ。一部の冒険者からは侮蔑される程の、役立たず。生死を分ける迷宮攻略に於いて、弱者ほど忌み嫌われる立場はない。

 

 だが、リリは過去に【ソーマ・ファミリア】の荷物持ち(サポーター)として、そしてフリーの盗賊(シーフ)として、冒険者に何度も煮え湯を飲ませてきた。戦闘能力が皆無でも、支援役として役立つ術はいくらでもあるというのが、リリの見解だった。

 

 圧倒的に強く、反則的な魔法を持つが迷宮や怪物に対する情報が皆無のハムザ。そして弱く、戦闘に役立つ魔法もないが危機察知能力と知識、そして経験値で彼を支援するリリ。

 

 欠けている能力を補完し合う。これが迷宮攻略の基本、パーティの強み。

 

 いわゆる中層と呼ばれるこの層域にあっても、戦闘にてこずる気配はまったくない。

 

 それに兎が何匹湧いて出てこようが、それこそミノタウロスの大群が押し寄せてこようが、<魔法>さえあれば何とでもなる。

 

 先ほどの戦闘にあまりに手応えがなかったため、肩透かしを食らっていたハムザの心中を察し、リリはぽんとハムザのお腹を軽く打った。

 

 「この先にはいくらでも強敵がいる筈です。さぁ行きますよ、ハムザさま」

 

 

 

 

 ハムザは『中層』に落胆していた。

 

 アドバイザーのエイナやリリが、口を揃えて『中層は危険』だと言っていた。しかし、蓋を開けてみればなんてことはなかった。

 

 以前、うまいうまいと散々持て囃されている『ジャガ丸くんたこ焼き味』なるものを食べた時も、似たような失望を味わったものだ。

 

 二人は難なく13階層を攻め続け、既に地図の半分を踏破していた。

 

 だが、楽勝ムードの【テルクシノエ・ファミリア】に、試練(トラブル)が襲い掛かる。

 

 それは二人が大広間を抜け、狭い通路を進み始めてすぐのことだった。

 

 通路の先から、極東風のパーティが疾走している。リリは事故(アクシデント)の気配を察知し、ハムザの袖を引いた。

 

 ハムザが目を凝らすと、そのパーティはどうやらモンスターに追われているらしかった。負傷者もいるようだ。無意識にハムザが剣を持ち直した。

 

 「助けなければ」

 

 「正気ですか?」

 

 リリは耳を疑った。彼らとの距離がみるみる縮まってくる。そのパーティの中には、女性がいた。真っ直ぐな瞳で正面を見据え、唇をきゅっと結んでこちらへと駆けてくる。今までに見た事もない程に美しい色をした黒髪を揺らす姿に、どうやらハムザは見とれているらしい。

 

 その少女は焦燥しているように見えた。絡みつく彼女の視線に、無言の救援要請が感じ取れる。

 

 一団はすぐそこまでやって来た。そして、先頭を走る大男がハムザ達には目も合わせず、口元に軽蔑の色すら浮かべ、無言ですれ違った。

 

 一人、二人と冒険者達が二人の横を通り過ぎていく中、ハムザはずっとその女性を見つめていた。そしてその菖蒲色の女性剣士は、無念の表情を浮かべながら、最後にちらとハムザと視線を交わした。

 

 リリは生唾を飲み込んだ。やはり、これは――。

 

 盗賊時代に何度も繰り返し、最早お家芸にもなりつつあった、冒険者達への意趣返し。

 

 怪物を引き連れて迷宮内の狭い通路を逃げ回れば、怪物が新しい怪物を呼び、次から次へと追いかけてくる。群れを通り越したパレードさながらの大群を引き連れて、他の冒険者パーティと接触する。そしてそれを他人に擦り付けるのだ。

 

 冒険者達にとっては、危険な迷宮内で生き残るための非常手段であり、同時に間接的に他派閥を潰すための常とう手段でもある。この非道な行為によって潰されて来たファミリアは枚挙に暇がない。

 

 リリは大声を響かせる。

 

 「怪物進呈(パス・パレード)です!一旦上の階層に戻りま―――」

 

 大声を張り上げ退却を呼びかけようとした矢先、リリは言葉を失った。

 

 ハムザが長剣を引き抜いて、正面から雪崩れ込むヘルハウンドの群れと、真っ向から激突したのだ。

 

 彼の行動に驚いたのは、リリだけではなかった。菖蒲色の女性剣士は、思いがけない冒険者の行動に目が釘付けになり、足を動かす事を忘れて立ち竦んでいる。

 

 怪物進呈なる悪事を受けてもなお、彼は怪物の群れに立ち向かった。数えきれないほどの怪物達に囲まれ、揉みくちゃになりながらも、見知らぬ剣士が大群をなんとか押し留めている。

 

 「そんな…どうして…」

 

 その女性剣士は呆気に取られ、ハムザの戦闘を食い入って見つめていた。

 

 自分達と何ら変わらない下級冒険者のパーティに思われたのに、彼はどうして…。どうしてあんなに勇敢でいられるのだ。

 

 前方を行く冒険者達が「はやくしろ!」と怒号を上げるが、もはや彼女の足は地面にくっついて動かない。そしてその少女が叫んだ。

 

 「桜花殿、先にっ…!千草殿をお願いしますっ!必ず戻ります!!」

 

 桜花と呼ばれた大柄のヒューマンの冒険者は、無念そうに唇を噛んで僅かに逡巡する様子を見せたが、少女を信じるような顔つきで力強く頷き、パーティに退却を命じた。

 

 その様子に安堵した少女は、逃げていく仲間達への道を塞ぐように、怪物の群れと相対する。そして全身に力を込め、刀に手を掛けてから、跳ねるように飛び掛かった。

 

 「まったく、何を考えているのですか!?焼け石に水です!さっさと退却しましょう!?」

 

 リリの叫びは、けたたましい悲鳴や斬撃の音に掻き消えた。リリの思惑通り、少女が戦闘に加わったからといって、事態が好転することはなかった。群がる怪物に囲まれ、あれほどまでに成長したハムザが苦戦している。だが、怪物は次から次へと切り裂かれ、血を流して地面に転がっていく。詰みあがっていく無数の死体が、物量をものともしないハムザの強さを物語っていた。

 

 それでも戦線はじりじりと後退していった。ハムザ達が怪物を切り結ぶよりも早く、新たな群れが押し寄せて来る。群がる怪物を力任せに吹き飛ばし、ハムザが後退して姿を現した。見るも無残に、血だらけだった。

 

 「キリがない!ここまで時間を稼げたなら上出来か!?おいリリ!撤退するか!?」

 

 「リリはもう随分前から退却を呼び掛けています!ハムザさまのお耳が遠くなってしまっていることが残念でなりません!」

 

 一撃、一撃と怪物を屠りながら、頃合いを見てハムザとリリが退却しようとした矢先――先ほどの少女が、ハード・アーマードの突進を受けて吹き飛んだ。

 

 「あっ…!」

 

 少女は受け身もままならないまま地面を転がり、ぴくりとも動かなくなった。

 

 「まずいです!」

 

 ハムザはリリが叫ぶよりも前に、即座に為すべきことを理解していた。

 

 「急げっ!ありったけの回復薬を浴びせておけ!」

 

 少女はリリの足元で血を吐いたまま身動き一つせず、事切れたように動かない。焦燥に駆られ、枯れた声で叫ぶ。

 

 「それでどうするのですか!?撤退ですか!?殲滅する気ですかっ!?」

 

 「そうだっ!こいつらをぶち殺してから治療する!」

 

 激しい戦闘を続けるハムザの叫び声は、しかし夥しい数の怪物の群れに掻き消えていく。

 

 いつハムザの守りが決壊するかも分からない危機的状況の中、リリは出来る限り冷静さを保つよう努めながら、荒れる呼吸を整え、ハムザの言葉を咀嚼した。

 

 

 (自分達がこの人を見捨てて撤退するのは論外…!かと言って担いで撤退しても早急に治療しなければ助かる保証はない…?それならば撤退を視野に入れず真っ向勝負をするしか…!そうですか…それならば)

 

 

 「出し惜しみは出来ません…!」

 

 数M先では必死の戦闘が続いている。リリはベルトポーチ、バックパックから大急ぎで取り出した回復薬の全てを少女に振りかける。その回復効果がすぐに顕れたのか、意識を失っていた少女は目を開き、苦しそうな声を漏らした。

 

 その悲痛な呻き声が聞こえたのか、或いは何かを感じ取ったのか、絶望的な状況に生まれた手ごたえのような物を感じて、ハムザは決意した。横薙ぎの一閃で戦線を無理やり押し留めてから、片手を突き上げる。

 

 …不本意だが、魔法を使うしかない。美少女調教師とは異なるが、あんな美人の為ならば、インポとなる覚悟も決めてやろう——。

 

 

 「その必要はありません」

 

 

 その言葉のすぐ直後だった。

 

 リリが真横から怪物達へ飛び掛かったのだ。

 

 それまで一切戦闘に加担していなかったリリが前線に飛び出し、ハムザは呆気に取られていたが――彼女が振り下ろした短剣は、辺り一面に業火を生み出し怪物の群れを一気に焼き払った。それを続けざまに何度も振り下ろし、通路は灼熱の地獄さながらに阿鼻叫喚の様相を呈す。

 

 「今です!リリは治療に当たります!お願いですから一匹たりとも通らせないでください!」

 

 燃え盛る怪物達の死体を見て、ハムザは大いに安堵していた。少し離れたところに、業火から逃れた怪物が火を見て慌てふためいているのが見える。だが、大した量ではない。リリの短剣は大量の怪物を焼き払っていた。

 

 「魔剣か。まったく、何が荷物持ち(サポーター)だ。これじゃどっちがお荷物か、全く分からんな」

 

 

 

 

 「つぅっ…。あ、も…問題ありません。その…なんとお詫びしたらいいか…。モンスターを、押し付けてしまい…ご迷惑を………」

 

 「いいんだ。もとより君のように素敵な人を見過ごすことは、俺には出来ない。良かったら名前を教えてくれないか?」

 

 魔剣の使用により、怪物進呈を無事に切り抜けることが出来た。そしてリリの治療によって少女は一命を取り留め、今では言葉を紡げる程まで回復している。だが、依然として状態は芳しくないようで、横になった彼女は常に苦痛に苛まれているようだった。

 

 「はい…【タケミカヅチ・ファミリア】のヤマト・命と申します。えぇと、そちらは…」

 

 「俺達は【テルクシノエ・ファミリア】だ。俺がハムザで、こっちがリリだ」

 

 少女は小さく感謝の言葉を零してから、目を閉じて再び苦悶の表情を浮かべる。苦しみながらも、少女は必死に言葉を紡いでいく。

 

 「私たちの仲間は…どうなったのでしょうか…」

 

 「あいつらはまぁ、大丈夫だろう。それよりも自分の体を心配しろ。俺の見立てでは…助かる見込みは十に一つだ。このままでは命が危ない」

 

 「私はどうすれば…いいのでしょうか?このような身体では、何も…ぐぅッ」

 

 命の凛とした顔立ちが歪む。美しい少女が苦しむ姿に、ハムザは神妙に額に皺をよせ顔を近づけて言った。

 

 「俺が看病する。そうすれば助かる見込みは…ええと、一つに十だ。つまり、何の心配もいらないということだ」

 

 「…?えぇと、申し訳ありません…。私が不甲斐ないばかりに…回復薬まで…」

 

 何かを言いかけたハムザよりも先に、性分を抑えきれずにリリが刺々しく口を挟む。

 

 「魔剣一本に高回復薬数十本。五百万ヴァリスくらいは請求させて頂きますよ」

 

 「おいおい、そう言うことは治ってから言ってやれ。ショックで逝っちまったら、元も子もないだろう」

 

 ハムザが言う通り、五百万という金額を聞いて少女は目を見開き、さらに苦しそうに呻いた。

 

 「…私達はまだ、弱小ファミリアですので…そんな大金は…。でも、この御恩は、一生忘れません。絶対に、何倍にもして返します。例え…命がなくなっても…」

 

 「あぁ、そういうのはいいから」

 

 ハムザは目の前の極東風の美少女にどんなお詫びをさせようかとわくわくしていたが、遠くから地鳴りが聞こえてきた気がして耳を澄ませる。

 

 ゴゴゴ、と揺れは強まっていく。

 

 

「――これは…この音はなんだ…?」

 

 

 その不吉な音は、一つ苦難を乗り越えた彼らに告げる、更なる不幸の音。

 

 それはハムザの記憶の中に眠る、とある光景を呼び覚ました。

 

 まだ駆け出しの頃、一度だけ体験したことがあった。

 

 あの時は――そうだ、広大な広間を埋め尽くすほどのモンスターが、壁から生まれ落ちて来た……。

 

 

 「まさか、怪物の宴…?それにしても、この規模は…」

 

 

 リリの小さな声の後に、まるで階層全体に亀裂が走ったかのような音が響く。二人は身震いして身構えた。ボウガンをぎゅっと握りしめるリリの顔に、焦燥の色が焼き付いている。

 

 そしていつしか主神が言った言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 (苦難は一人では来ない。必ずその連れを伴ってやって来るものじゃ。それを試練と見るか不幸と見るかは、お前達次第…)

 

 突然の出来事に思考は止まり、悪い予感だけがリリの体を駆け巡る。

 

 その予感は的中した。

 

 壁という壁、天井という天井全てに亀裂が走り——モンスターの唸り声が響いたのだ。

 

 まるで階層全域が震えているかのように。

 

 「階層全体が…怪物の宴!?」

 

 ふざけている、とリリは悪態をつく。あまりにもひどい冗談だ。とんでもない不運だ。こんなに運悪いのは、きっとハムザの新スキル、<悪運>のせいに違いないとリリは確信した。全くどうして、あんなに意味のわからないスキルを取ってしまったのか。理解が出来ない。

 

 「お二人は…はやく逃げなければ…」

 

 命は横になり、死人のように青ざめながら、そう促した。

 

 死地を悟ったかのように眦を決し、柳眉を釣り上げる。

 

 「私は、置いて行って下さい…これ以上、ご迷惑は…掛けたくありません!!」

 

 そんな少女を遮って、ハムザは無理やり横になった命を抱えた。

 

 

 不気味な呻き声が何重にもなって、壁という壁を伝い鳴り響く。もう一秒たりとも無駄には出来ない…すぐに決断をしなければ。

 

 「上に戻るぞ!一番近い出口は上層への階段だ!」

 

 彼らが地を蹴った瞬間、目の前に先ほどよりも多いのではないかと思うほどの大群が同時に産まれ落ちた。ぼとり、ぼとりと大群の背後にさらなる大群が産み落とされる音が聞こえてくる。ハムザは直感した。

 

 「まずい!塞がれたぞ、おいっ!後退だ!急げ、はやくしろっ!」

 

 これ以上の戦闘は流石に危険すぎる。自分の命よりも、彼女の命が。

 

 

 リリとハムザは踵を返し、出口とは別方向へと駆け始める。

 

 「おい、リリ!案内頼むぞ!」

 

 ダンジョンは、まさに壮観だった。

 

 壁や天井に走る亀裂から、怪物が雨の様に降ってくる。一本道の通路をひた走る彼らの真後ろから、生まれ落ちた怪物が群れをなして追いかけてくる。必死で逃げる彼らをあざ笑うかのように、迷宮は彼らが走りゆく先に亀裂を走らせて、怪物の雨を降らせている。

 

 怪物の合計数は百体や二百体という話ではないだろう。一秒ごとに膨れ上がる地鳴りの音も、怪物の叫び声も、全てが異常事態(イレギュラー)を物語っている。

 

 「くそっ、これが中層か。確かに上層とは大違いだ」

 

 「馬鹿言っちゃいけません!?これが通常だったら、今頃冒険者なんて絶滅しています!」

 

 吐き気を催す恐怖に、リリは振り返る気も起きなかった。出来るだけ冷静さを保つように高鳴る鼓動を抑えながら、頭で地図を浮かべた。

 

 背後からは凶悪なモンスターが涎を垂らしながら追いかけて来ているが、今だけは彼らの胃袋に収まる自分の姿を想像してはいけないと必死に言い聞かせる。

 

 前を走るハムザは命を抱えるせいで戦闘が出来ない。つまりは誰にも頼ることは出来ない。自分だけが頼りだ。リリは精一杯集中して、絶対に間違えないよう正確に地形を把握しながら前を走るハムザに道順を指示していく。

 

 「次の三叉路は直進してください!下へ向かいます!」

 

 汗を流しながら、息を切らせながら何とか辿り着いた途端、全員が青ざめた。一本道の先、ぽっかりと空いた丸い空間、その天井に——またしても亀裂が走った。

 

 一秒もしないうちに大量のモンスターが産み落とされ、中央と左の通路が塞がれた。

 

 「私は…どうか…置いて下さい……」

 

 腕の中で唸る少女を無視して、ハムザは叫んだ。

 

 「右しかない!とにかく行くぞ!」

 

 ハムザが駆け出した。リリは「ま、待って!」と叫ぶも、既に彼は右の通路に侵入してしまっていた。

 

 (駄目ですよ!?だって、このルートは…)

 

 「ちょっと待って下さい!このルートはこの先どこを曲がっても、最終的には行き止まりです!」

 

 殿を走っていたリリの真横を、特大の火玉がすり抜けていった。リリが後ろを振り向くと、ヘルハウンドの群れがもうすぐそこまで迫っている。リリは悟った。もう引き返すことは出来ない。それどことか…もう帰ることは出来ないのではないか。

 

 「とにかく走るぞ!速度を上げろ!」

 

 ハムザの叫びにリリは大声で応答した。前方に別の冒険者集団の背中が見えてきた。どうやらこの階層にいた冒険者達は追い立てられるように皆逃げ惑っているようだ。

 

 『おめぇたち、なに引き連れてきやがった!?』

 

 『ふざけんなっ!ちくしょう、ぜってぇ生き延びてやるからな!』

 

 『階層まるごと怪物の宴だなんて、聞いてねぇぞ!?』

 

 

 怒号を投げ合う冒険者集団に、ハムザは罵声を浴びせかける。

 

 「うるせぇぞっ!雑魚共!さっさと喰われて、時間を稼ぎやがれ!!」

 

 

 『なんだてめぇっ!?くそっ、生き残ったらぶっ殺してやる!!』

 

 先ほど丸焦げにされる寸前だったリリは叫び声を上げた。

 

 「争っている場合ではありません!?袋小路に誘導されているんですよ!そこで一網打尽です!このルートはもう、行き止まりなんですよ!?」

 

 彼女の言ったとおり、道なりに進んだ集団は行き止まりを前に立ち往生した。走ってきた方向から大群の暴走する音が聞こえてきて、全員が行き止まりを背に武器を手に取った。逃げられないなら、やるしかない。彼らに残された選択肢は、もはや一つ。

 

 しかしダンジョンはそんな決意をあざ笑う。狭隘な袋小路に逃げ込んできた獲物の真横から、そして真上から亀裂が走る音が鳴り響く。

 

 「おいおい…」

 

 ハムザは絶句した。追い込まれた袋小路に待っていたのも、やはり怪物の宴。前方からは怪物の大群が押し寄せてきている。そして立ち往生するこの場所からも、今まさにモンスターが産まれ落ちる。背後は壁だ。逃げ道など皆無。腕の中で、命が呟いた。

 

 「ハムザ殿…どうか…どうかわたしを置いて逃げて下さい…」

 

 もう、やるしかない。

 

 ハムザは決意した。魔力の限り魔法を連発して、どうにか生き延びなければならない。

 

 ここで死んでは、後悔してしまいそうだ。

 

 命をそっと地面に下ろそうと腰を落としたその時。

 

 『おい、穴が空いたぞ!』

 

 誰かが大声を上げた。

 

 振り返ると、行き止まりかと思われていた壁には大きく穴が開いていた。冒険者集団は我先にとその穴へ飛び込んでいく。ハムザは無言でリリを促し、そこへ飛び込ませた。

 

 最後に残されたハムザは後ろ向きで穴へ入り込む。目の前には、涎を垂らし、牙を剥き出しにして飛び掛るヘルハウンドの群れ。

 

 怪物と鼻先を掠める程肉薄した瞬間、壁は元通りに塞がり視界が真っ暗になった。モンスターが塞がれた壁に激突する音を聞きながら、ハムザは命をしっかりと抱えながら、大笑いして空洞に落ちていった。

 

 「ははは!あばよ、雑魚ども!」 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三章 ー襲撃ー

 

 

 

 「それで、ここはどこだ?」

 

 幸いなことに落下した先が地底湖だったことで、冒険者達は全員無事だった。ハムザは気を失っている命を地面に寝かせてから、難しい顔で地図を確認しているリリの肩に手を掛けた。

 

 「さっさと地上に戻って、この子の治療をしてやろう」

 

 だが、リリの反応は薄い。何やらブツブツと独り言を呟いた後、リリはハムザを見上げて言った。

 

 「ここがどこだか、リリには分かりません」

 

 周りを見渡すと、この場所に落ちてきた様々なパーティが狭い洞窟内でごった返している。冒険者達は、大小様々にいくつものグループに固まって議論しているようだ。

 

 どこかで大きな声が響いた。

 

 

 『力のねぇ奴らは俺について来い!一人あたり百万ヴァリスで地上へ連れて行ってやる!!』

 

 

 冒険者の中でも目立つ、一際大きい体の男が周囲に呼びかけるも、反応は冷たい。

 

 

 『チッ。いいか、てめぇら!生き残りたきゃあ俺の下で動け!俺様は、長年Lv.2をやってるトール・ファミリアのウェドンだ!!』

 

 

 だが、大男の叫びに耳を貸そうとする冒険者は一人もいなかった。そして、輪の中で静かに周囲を観察していた青年が声を上げる。

 

 

 『こんな状況だ。いがみ合うのではなく、手を取り合って脱出するべきだ』

 

 『文句があるのかい、ボクちゃん?』

 

 

 大男は猫なで声で囁く。

 

 

 『お友達同士でおててを繋げば怖がらずに済むのかな?見知らぬ場所に来て、もうママが恋しくなっちゃったの?』

 

 

 大男の取り巻きがわざとらしい笑い声を立てた。

 

 

 『俺の親は女神じゃない。男神アポロンだ』

 

 

 周囲の冒険者はざわめきたった。

 

 

 『アンタ、アポロン・ファミリアか!良かったぜ、アンタに着いてきゃ安心だ、もちろん助けてくれるよな?』

 

 

 調子の良いヒューマンが彼に握手を求める。

 

 

 『アポロン・ファミリアの冒険者、アタシの体を好きにする代わりに、地上まで連れてってくれよ』

 

 

 アマゾネスの戦士が色目を使う。

 

 わちゃわちゃと彼の周りに人だかりが出来てしまったので、大男はつまらなそうに舌打ちを打ってから仲間と話し始めた。

 

 「…どういうことだ?」

 

 その様子を見ていたハムザはリリに答えを求める。

 

 「つまり、【トール・ファミリア】なんかより、【アポロン・ファミリア】の方が遥かに格上ということですよ」

 

 「なんだ、そりゃ。こいつら本当に冒険者か?自分の力でどうにかしようとしないで、最初から人頼みだなんて、お里が知れるぞ」

 

 リリはぐうの音も出せなかった。何故ならハムザさえ許してくれるのなら、自分だって【アポロン・ファミリア】の庇護を受けて地上に戻りたいと思っていたからだった。

 

 「それで、ここはどこなんだ?」ハムザは再びリリに問いかける。

 

 

 「そりゃあ、未開拓領域に決まっているじゃありませんか」

 

 

  獣人やドワーフ、小人族、アマゾネス、エルフなど様々な種族でごった返している広間で、リリの声が遠くまで飛んでいって反響した。

 

 ざわめきが一瞬にして、冷水を打ったように静まりかえった。

 

 

 『…未開拓領域』

 

 『まじかよ…そういうことか、やべぇぞ、おい……』

 

 

 平静さを失った冒険者達は絶望のうめき声を上げ始める。

 

 

 「なんだ?つまり、地図にない場所に来てしまったのか?」

 

  焦燥感を募らせる他の冒険者とは異なり、ハムザは落ち着いていた。リリは彼に頷いた。

 

 そしてハムザの決断を促す。リーダーとして、パーティの行動を決めるのは貴方だ、というような顔つきで。緊張から、彼女の額に汗が浮かび上がっている。

 

 「ふむ…そうだな。こういう状況には、慣れてる。バックパックはどうした?」

 

 「バックパックは、穴に飛び込む前に投げ捨てました。リリは丸腰です」

 

 それが何を意味するのか、ハムザにはよくわかった。致命的ということだ。いつもリリが腰から下げている緊急用のアイテムを除けば、パーティが持つ資源はほぼゼロ。この状況で生き延びるのは、骨が折れるだろう。

 

 「それで、どうするのですか?【アポロン・ファミリア】と協力して脱出しますか?」

 

 リリがそう言った途端、近くを歩いていた【トール・ファミリア】の大男の足を、ハムザが引っ掛けた。

 

 「てめぇ、何しやがる!?」

 

 怒鳴る男にも怯まず、ハムザはすっとぼけた声を出した。

 

 「どうした?ちゃんとママに歩き方を教わったのか?」

 

 男は口元を釣り上げ、あからさまな敵意をむき出しにする。

 

 「おいおい……まさかテルクシノエ・ファミリアか?黒い変態、ブラックパーヴさんのお出ましだぜ!見ろよ、お前ら!猿みたいに発情した、間抜けな変態野郎だぜ!」

 

 取り巻きの仲間がせせら笑った。リリは拳をぐっと握りしめてハムザをちらりと見たが、彼は全く意にも介していないようだ。

 

 「おいおい、ビビって声も出せないのか?それとも頭の回転が遅いのか?こいつは助からねぇな。何が最速ランクアップだ。受付嬢たらし込んで、虚偽の申請を無理やり通しただけだろうが。こちとら長年Lv.2だ、舐めてんじゃねぇぞ!」

 

 挑発を受けてもビクともしないハムザを、リリは不思議な目つきで眺めている。ハムザという男は、実は我慢強い性格の持ち主なのかも知れないと、リリは彼を少し見直した。

 

 「ふん、こっちのオチビちゃんは荷物持ち(サポーター)だろう?バックパックも持たねぇで、こりゃ助からねぇな。お前らみたいなクズは、俺様達の使い捨て道具にすらなれやしねぇ。おまけに女神は気違いときた。揃いも揃って、お笑いじゃねぇか!」

 

 「言ってしまったな、馬鹿め」

 

 ハムザはすぐさま剣を引き抜いて、大男の腕を切断した。

 

 「ぎゃあああああっ!?」

 

 悲鳴を上げて倒れる男の胸に、剣をひと刺し。男はあっさりと絶命した。【トール・ファミリア】の団員は驚愕に顔を染めながらも応戦しようとしたが、ハムザの剣速に全く対応しきれず、一人二人と切り裂かれていった。

 

 突然の戦闘に場は騒然となった。【アポロン・ファミリア】の男や猛者らしい装備に身を包んだ冒険者らを中心に、全員がハムザに敵対的な目を向ける。

 

 

 「…主神と仲間を馬鹿にされた。泣き寝入りしろってのか?」

 

 

 『一理あらぁな。自業自得だ』

 

 集団のリーダー格らしき、鞭を持ったドワーフがそう言った。それから何もなかったかのように冒険者達は好き勝手に動き始めたので、ハムザは場が収まったのを確信した。

 

 「…どういうことですか?」

 

 リリはハムザに問いかける。

 

 「つまり、飛んで火にいる夏の虫ということだ。あの馬鹿、わざわざ突っかかってきて殺される理由を俺にくれやがった」

 

 なるほど、とリリは納得する。だから挑発を涼しい顔をして受け流せた訳だ。獲物が罠に掛かってくる様子を思い浮かべれば、多少悪口を言われても気にはならないだろう。何故なら、結果的に自分が勝つのだから。

 

 

 それから周囲の冒険者達は連盟を組み、大きな二つのグループが出来上がっていた。【アポロン・ファミリア】を中心にした一団と、ドワーフの調教師(テイマー)率いる【ガネーシャ・ファミリア】の一団。

 

 だが、やはりハムザ達に声を掛けて来る冒険者は一人もいなかった。相手に非があるとは言え、同業者殺しを平気でやってのける人物とは、皆関わりたくなかったのだろう。

 

 二つの連盟が広間を去ってしまうと、狭く感じていた広間がとても広く感じるようになった。それと同時に、孤独感と不安がリリの胸に忍び込む。

 

 「…本当にこれでよかったのでしょうか?」

 

 ハムザ、リリ、そして命。取り残されたのは三人だけ。ハムザは誰も居なくなったのを確認してから、【トール・ファミリア】の亡骸を調べ始めた。

 

 「しめた。回復薬(ポーション)に、食料がある。流石に魔剣などはないか…だが、リリ。収穫だ」

 

 奪い取ったバックパックに道具を詰め、ハムザはそれをリリに投げた。

 

 小さな体でそれを受け止め、リリは危うく後ろに転びかけた。バランスを持ち直し、バックパックを背負う。そしてテキパキとしたいつもの口調で言う。

 

 「なんですか、もともとやり合って奪い取る算段だったのですか。それでわざと気の短そうなこの人の足を引っ掛けて、喧嘩を売ったと」

 

 「まぁ、そういう解釈も出来るだろう」

 

 リリの表情は、先程より明るくなっているようだった。

 

 「しかし、納得行きませんね。相手の実力も図らずに喧嘩を売るのは、得策ではありません。もし相手が自分の力量を凌ぐ猛者だったら、一体どうしていたのですか?」

 

 ハムザはすぐにはリ返答しなかった。リリにいつもの小言が戻ったなら、取り敢えず安心だ。そう考えてから伏している命を抱え、リリに先へ進むように合図してから言った。

 

 「長年Lv.2で燻ってる雑魚だ、相手にならんのは、最初から分かっていた」

 

 

 

 

 地底湖の広間を抜けるには、狭い通路を通らなければならなかった。

 

 気を失った命を抱えて何とか外へ出た【テルクシノエ・ファミリア】は、言葉を失う。

 

 目前には、巨木が連なる深い森が待ち受けていたのだ。

 

 

 「中層ってのはずいぶん緑が多いんだな?」ハムザは近くの岩のそばに命を寝かせ、自分も腰を下ろした。

 

 なるほど、絵から飛び出してきたような鬱蒼とした森の中にいると、ここがダンジョンであることを忘れてしまいそうだ。

 

 草木が生い茂り、苔に覆われた大きな岩がいくつも散らばっている。蔓は好き放題に木肌に絡み、木々は思いのままに枝を生やす。手つかずの自然、リリの頭にぱっとその言葉が浮かぶほど、見事な空間だった。

 

 あくまでも、木の根が這い回っているような迷宮特有の壁を除けば、の話だが。

 

 「…この空間、特徴的には『大樹の迷宮』のようですが…」

 

 「大樹の迷宮?」

 

 「はい。大樹の迷宮は19階層から24階層に広がる森林型迷宮です。と、いうことは…もしかしたら、上の階層を目指せばすぐ18階層…つまり安全階層(セーフティポイント)に着くかもしれませんね」

 

 リリも地面に腰を下ろし、先程ハムザが奪い取ったバックパックの中身を入念に調べ始めた。中には三本の回復薬(ポーション)、一日分の食料や水が五人分、それと古びた地図が一つ。後は奇妙な形をした金属。中に丸い球体が埋め込まれている。

 

 「これ、何でしょうか?」

 

 リリはその奇妙な金属を取り出した。だが、ハムザにはさっぱり分からなかった。

 

 「こいつらの荷物、中層の探索にしては軽装すぎやしないか?」

 

 ハムザは携帯食料を半分に折って、リリに手渡した。

 

 「確かにそうですが、みんながみんな遠征をする訳ではありませんし、慣れたLv.2の冒険者達ならこのくらいで十分なんだと思いますよ」

 

 「いや、それにしてはあいつら随分弱かったぞ。まぁ、別にどうでもいいか。ボウガンやら魔剣やら、リリの武器になる物が無かったのは痛いか。ハズレを引いたらしいな。何なら剣でも振ってみるか?」

 

 「冗談はよしてください。とにかく、そろそろリリ達も動きましょう。他のパーティが安全階層(セーフティポイント)への脱出経路を見つけるかもしれません。リリはお役に立てませんし、怪我人も抱えている状況では…この際開き直って、別パーティの後をつけるべきだと思います」

 

 ハムザは毅然として表情を崩さず、気を失っている命の顔をじっと見つめていた。それからおもむろに口を開く。

 

 

 「俺たちは、しばらくここで拠点を作る。命を抱えての移動は危険だし、それでなくとも、すぐにリヴィラに着く保証などどこにもない。ゆっくり腰を据えて、態勢を立て直してから攻略に出る」

 

 リリは納得がいかないと反論しようとしたが、伏せる命を見て、ハムザの言うことも一理あると思い直した。

 

 「リーダーがそう言うのならリリは従いますが…。長期間滞在出来るほどの余裕はありません。この迷宮で、一体どうやって怪物から身を守り続けるおつもりですか?」

 

 それができるなら、と。リリは条件を出すかのようにハムザに問い質す。

 

 「大丈夫だ。敵は全部やっつける。心配するなよ、俺はこう見えて、サバイバルは得意な方なんだ。木があればシェルターを作れる。森があれば腹を満たせる。ここが迷宮なら、それこそ皮や骨など資源には困らんだろう」

 

 

 

 

 迷宮の天井を覆い尽くす水晶が輝きを失いはじめ、森には夜が訪れていた。

 

 【テルクシノエ・ファミリア】よりも早く広場を発ち、脱出地点を目指して大勢を引き連れていた【アポロン・ファミリア】は、怪物との戦闘により既に十数名の死者を出していた。

 

 それでも大半の冒険者達は未だに無事で、気力も失っていなかった。それは彼らを率いるリーダーの優れた統率力に拠るところが大きい。

 

 

 「トゥリウス様、冒険者達には明るくなるまで待機する旨を伝えておきました。それから、食料分配のルールを説明したところ、大半は受け入れてくれました」

 

 「ご苦労、アカンサス」

 

 トゥリウスと呼ばれた青年は、火をじっと見つめながらエルフの魔道士に礼を言った。

 

 「なんとかなりそうですね。大樹の迷宮のようだったけど、出現する怪物は13階層以下のようだし、そこまで強くはないわ」

 

 そう言って安堵するエルフの魔道士。

 

 【アポロン・ファミリア】の冒険者達は、火のそばに固まって軽食を取っていた。 

 

 「あぁ、まったくだ。あんな大人数について来られちゃ流石に厳しいだろうとは思ったが、そこはトゥリウスだ。完璧な指示で、部隊を再編しちまいやがった!」

 

 盾役のヒューマンは豪快に干し肉を頬張ってから、トゥリウスの背を叩いた。

 

 「大したことはない。頭が優れていても、動くのは結局手足だ。君たちの貢献がなければ、俺なんて本当に大したことはないさ」

 

 褒められた当の本人は端正な顔立ちに笑みを讃えて、仲間の貢献に言及し、自らの謙虚さを示した。

 

 「まぁ、とにかく今は休息を最優先で考えよう。食べ終わったら火を消して、寝袋に入るんだ。夜番は…そうだな。ナディル、君に任せる」

 

 盾役の男は待ってましたと雄叫びを上げた。それに呼応するように仲間が彼に激を飛ばす。

 

 その時、弓を携えた狩人、エルフの男性冒険者が小声で聞き返した。

 

 

 「…火を消すのですか?この迷宮で、獣から守れる火を消してしまうのですか?」

 

 焚き火に土をかけてから彼に向き直り、トゥリウスは静かな口調で言ってやった。

 

 「アルサッド、ここに獣は居ない。いいかい、ヘル・ハウンドが、つまり【放火魔(バスカヴィル)】が火を恐れると思うかい?答えはノーだ。火は目立つ。怪物にとっては格好の目印となってしまうだろうからな」

 

 エルフの狩人は仲間からからかわれ、はにかんで黙り込んだ。それから【アポロン・ファミリア】はトゥリウスに倣い火を消し、夜番をするナディル以外の全員が寝袋に入って、休息を取りはじめた。

 

 

 【アポロン・ファミリア】やその他の派閥の冒険者達が火を消すと、森の迷宮には暗闇が訪れる。まだ僅かに赤く光る炭が、唯一の光源だった。

 

 そして、夜番をしていたナディルはすぐさま異変を察知する。

 

 

 ―――暗闇で、何かが蠢いている?

 

 

 「………なにもんだ?」

 

 

 影の主は応えない。だが、その『なにか』はずるずると暗闇を這いずり、こちらの様子を伺っているようだった。

 

 ナディルは考えた。皆を起こすべきだろうか?…いや、その必要はない。きっとウォーシャドウか何かだろう。それくらいの怪物なら、一人でも十分だ。

 

 片手に槌を構え、ナディルは闇で蠢く物体に近づいていった。

 

 その時、まだ微かな火を灯していた炭からついに明かりが消え、灰に変わった。

 

 怪物はその瞬間を好機と捉え、ぐんぐんと体を大きくさせ、ナディルに覆いかぶさった。

 

 「っ!!!?」

 

 ナディルは目を大きく見開いて、その姿を捉えようとした。だが、何も見ることが出来ない。まるで周囲の闇全体に押しつぶされたようだった。

 

 怪物は地面に食い込んで身動きが取れないナディルの首に、鋭い何かを当てた。死を悟ったナディルは、ありったけの力を振り絞って大声で叫んだ。

 

 

 「……っ!?なんだっ!」

 

 

 突然の悲鳴に【アポロン・ファミリア】を含む冒険者達は飛び起きた。急いで松明に火を灯し、周囲を照らすと、そこには首と胴体が切断されたナディルの死骸が転がっており、地面が血溜まりになっている。

 

 「…ナディル…っ!そんな!」

 

 悲痛の声を上げるアポロン・ファミリアの魔道士を、影の怪物は鋭利な爪のようなもので切り裂いた。

 

 『ぎゃああああああああっ!』

 

 魔道士の体はぱっくりと開き、切り口から血が噴出した。パニックに陥る冒険者達を、影の怪物は次々に屠っていく。【アポロン・ファミリア】や他派閥は、暗闇の中で状況も掴めずに、ただただ一方的に蹂躙されていく。

 

 「っ…!退却だ!総員、どこでもいい、安全な場所へ逃げろ!これよりアポロン・ファミリアの庇護は、受けられないものと思え!!」

 

 トゥリウスはそう告げて、暗闇の奥へと駆け出した。生き残った【アポロン・ファミリア】は愕然とした表情で彼の後を追った。

 

 そして残された冒険者達は【アポロン・ファミリア】への悪態をぶち撒けながら、あるいは死の淵の絶叫をあげながら、どこかへと散らばっていった。

 

 

 ●

 

 

 暗闇で休息を取ろうとした【アポロン・ファミリア】とは異なり、【ガネーシャ・ファミリア】に率いられた冒険者の一団は闇の迷宮を進み続け、最速脱出を試みていた。

 

 彼らは何手にも分かれて地図作成(マッピング)をし、森林地帯をぐんぐんと踏破した。そしてついに、この階域の攻略の鍵となるであろう、大きな洞窟に辿り着く。

 

 彼らは一旦洞窟の前で止まった。そしてリーダーの男は俊敏な小人族のシーフに、洞窟内の様子を見てくるように命令した。

 

 髭面の小人族は松明を持って洞窟に入っていった。そして間を置かずに、すぐに部隊の元へと戻ってから言った。

 

 

 「怪物の臭いがひでーや。まちげーなく奥にヤバいなにかがいらぁな。んでも、洞窟じてーはそんなに深いもんじゃねーで」

 

 

 リーダーの男は報告を受けてから少しの間考え込んだが、すぐに唸るような声で指示を出す。

 

 「なら、陣形を組むか。洞窟内の怪物を誘い出して、この場所で集中砲火だ。よっしゃあ、お前ら気合いれてけ!出口はすぐそこだと思え!」

 

 大声を挙げて気合を入れた冒険者達は、早速魔道士を中心に後衛を組み、盾役を大量に前線に配置して弧を描くように陣形を作る。そして戦闘中に光源をしっかりと確保出来るように、松明を沢山作って地面に突き立てた。

 

 「よっしゃあ。準備は出来たか。釣りは俺がやるぜ」

 

 リーダーの男はそう言って陣形の中で胸を張る。彼に同じ【ガネーシャ・ファミリア】の男が声を掛ける。

 

 「ニコラス、頼んだぜ。ヘマだけはしてくれるなよ」

 

 「バカ野郎…ルシオ。どんだけ場数を踏んでると思ってやがる」

 

 二人は笑いあった。

 

 このやり取りは、強敵に挑む際の常となっていた『儀式』だった。未知の恐怖に心が折られないよう、緊張をポジティブな自信に変えられるよう、彼らはいつもこのやり取りを欠かさなかった。

 

 その儀式を終えたニコラスは、無言のまま洞窟に入って行った。暫く何も起きなかったが、突然獣の大きな声が轟き、彼がとてつもない勢いで吹き飛ばされてきた。

 

 前線の盾で受け止められたニコラスは、多量の血反吐を吐き出して悶え苦しんだが、仲間に抱えられて、命からがらに陣形の外まで連れ出された。

 

 

 『………シルバーバック、だよな?』

 

 

 【ガネーシャ・ファミリア】は思わず息をのみ、異形の怪物を見上げる。

 

 その怪物は、姿形はシルバーバックそのものだったが…サイズが大違いだ。

 

 「バカ野郎ッ!さっさと魔法を打ち込んじまえ!!!」

 

 ニコラスの叫びによって、魔道士達は目を冷ましたように魔法を発射し始めた。既に詠唱が完了しており、魔力の充填が終わっていた魔法の集中砲火が、巨大なシルバーバックを襲った。

 

 『やれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!』

 

 幾つもの光や炎、突風や氷塊が怪物に降り注ぐ。

 

 一分ほど続いた魔法の砲撃が終わり、地面を抉る魔法で発生した粉塵が舞う。

 

「嘘だろ、おい…」

 

 

 土埃が収まると、そこには。

 

 無傷の怪物が、凄まじい形相で冒険者達を睨んでいた。

 

 

 「………っ!?」

 

 ニコラスは大慌てで陣形の中心へ飛び込んだ。そして鞭を構え、大声で全員に命令する。

 

 「【ガネーシャ・ファミリア】の連中は俺を援護しろ!腕に覚えのある連中もだ!それ以外はさっさと撤退しろ!こいつは雑魚の手に負える相手じゃねぇッ!!」

 

 シルバーバックは目の前に飛び出してきたニコラスに、大きな腕を振り下ろした。

 

 「うおおおおおっ!?」

 

 間一髪で避けたニコラスだったが、頬に冷や汗が滴る。

 

 「あと一発でも食らったら、やべぇ…」

 

 その怪物が腕を振り下ろしただけで、地面には大きな穴が空いていた。その様子を見た冒険者達の殆どが恐れをなし、一目散に逃げていく。

 

 残されたのは【ガネーシャ・ファミリア】数名と、腕に覚えのある冒険者が数名。

 

 ニコラスは彼らが自分の後ろで武器を構えるのを見て、意を決する。

 

 「……おめぇら、見てろ。俺がこいつを調教してやる」

 

 「やめろ…逃げよう、ニコラス。こいつをやるには作戦が必要だ、引こう、ニコラスッ…!」

 

 ルシオの懇願に、彼は耳を傾けなかった。そして鞭をしならせて、シルバーバックに飛びかかった。

 

 

 

 

「なんか悲鳴が聞こえた気がする」

 

 その頃、未だに最初の洞窟付近に居た【テルクシノエ・ファミリア】は、木製のシェルターを三つ拵えており、丁度作業を切り上げて焚き火に当たり始めていた。

 

 「気のせいだとは言えませんね。恐らくどこかのファミリアが襲撃されたのでしょう」

 

 「そうかもな。とにかく、火を絶やさないように気をつけろ。火は獣を遠ざけるだけではなくて、気力も回復させる。人間には欠かせないものだ」

 

 リリは頷いて、新しい薪を一つ追加した。

 

 この日、ハムザとリリはずっと拠点作りに集中していた。不必要な枝を切り落とした木の棒を幾つも作ってから、地面を掘った。掘り起こされた土に木の棒を斜めに突き立て、簡易的な屋根を作る。そして穴の上に木の棒を敷き詰めてから、剥ぎ取った樹皮を敷くことで、ベッド付きシェルターが出来上がる。

 

 作業の途中には怪物が襲撃に来たが、個体の強さは13階層のものと代わり映えせず、ハムザの敵ではなかった。だが、リリは口々にその数の多さを懸念していた。

 

 個体の強さは大したことがないとしても、数が多ければどんどん厄介になる。それも日を重ねることによって、肉体的、そして精神的疲労が倍増していくだろうと。

 

 そんなリリの意見を元に、【テルクシノエ・ファミリア】は長期戦への準備を整えていた。

 

 モンスターが産まれ落ちる壁面に気を遣いつつ、周囲を丸太で作る防御柵で囲み、怪物の視野を遮ってしまえば守りが楽になるだろう。また、地底湖から流れる川が少し先にあったので、飲み水の確保に苦労することはない。問題は食料だったが、さすが森林型迷宮なだけはあって、果実肉やベリーなどが、ちらほらと散見した。リリの見立てでは、この周辺だけの食料で三日分くらいにはなるだろうし、少し先まで行けばもっと手に入るだろうとのことだった。

 

 このようにして怪物を撃退し続け、命の回復を待つ。あわよくば他派閥と合流し、さらなる情報を得る。彼らの作戦は、根気よく、我慢強く耐え凌ぐというものだった。

 

 

 暫くの間焚き火を見つめ続け、二人は沈黙していた。

 

 焚き火は二人に安心感を与え、体を芯から温めていた。暫くすると命が起き上がって来て、深々と頭を下げた。

 

 

 「本当に申し訳ありません、ハムザ殿、リリ殿…。私が不甲斐ないばかりに、お役に立つどころか、足手まといに——」

 

 「いいから、いいから」

 

 眉を下げ、美しさを捨て悲愴な面持ちを作る極東の剣士をいやらしい目つきで眺めながら、ハムザは彼女の言葉を遮る。足手まといになってくれた方が、随分と都合が良い。見知らぬ美人とお近づきになれるのならば、問題が起きる方がかえって好都合だ。きっと火の中に夏の虫が飛び込むのは、燃え盛る炎の中に苦しむ美女の幻影を見たからに違いない。

 

 男というものは、ラッキースケベのためなら便所に篭ることだって厭わない。どぶの中にだって嬉々として身を潜めるものだ。ならばどうして、怪物の渦の中に居た彼女を見捨てることが出来ただろうか。

 

 「悪いが、命ちゃん。謝罪の言葉なんかでは、詫びの気持ちは伝わらない。言葉なんて所詮は空気に過ぎないからな。だが命ちゃんが本当に礼をしたいのなら、手段はいくらでもある…俺の好みの手段が」

 

 (危機をやり過ごし、己の知力と武力によって勝ち得た報酬――つまり美女とのセクロスは、紳士たる男が行使すべき正当な権利だろう…)

 

 「いけませんよ、ハムザさま」

 

 だが、そんな男の浪漫を引っぱたき、地面で悶え苦しむのを笑顔で踏み潰すのがリリだ。

 

 「そういうのは、命様が元気になってからお願いしてください。リリ達は今、非常に危険な状況の中にいるのですよ」

 

 命は二人の会話を理解できず、不審に首を傾げている。何か良からぬことを話している気配ではあったが、命は体調を戻すことに気持ちを集中させるため、目を閉じて再び横になった。

 

 

 リリはハムザに夜番を任せ、自分も横になろうとした。シェルターに行こうと立ち上がった時、その目が見知らぬ人影を捉える。

 

 「…誰か来ますよ」

 

 ハムザは立ち上がり、遠くからその人物を見た。

 

 に身を包み、しなやかに歩いている。どうやら女性のようだった。その女が近づいてくるに連れ、彼女がとんでもない美人だということが分かった。燃えるような赤髪を揺らし、蛇のような目で鋭くこちらを睨みつけている。

 

 ハムザが前に出て、その女に立ちふさがった。

 

 「敵ならここは通行止めだ。味方なら、その剣を下ろしな」

 

 女は鼻を鳴らし、剣を持つ手を下げる。すると、剣先から血が滴り落ちた。

 

 「…敵でも味方でもない。興味がない」

 

 そう言って、辺りを見回した。彼女の目はシェルターを捉え、そこで眠る命に移り、最後に作りかけの防御柵で止まった。

 

 「美女に興味がないと言われるのは、ショックがでかい」

 

 ハムザは注意深く彼女の視線を追いながら、そう言った。

 

 「…ここで何をしている?」

 

 「そういう質問をする前に、まずは自己紹介をするべきだろう。二人の出会いに、乾杯」

 

 だが、彼女はハムザには答えなかった。暫く無言のまま佇んでいたが、思い立ったように剣を持ち直した。

 

 「…死ね」

 

 一瞬で間合いを詰め、その女はハムザに拳を叩きつけた。異常とも言える程の速度で放たれた一撃は、ハムザですらかわし切ることが出来ず、腹部にまともに重撃を食らって倒れ込んだ。

 

 

 リリは目前の光景に言葉を失っていた。あのハムザが、一撃で倒されてしまうなんて。相手はLv.3か、あるいはそれ以上ということか。

 

 「………」

 

 足元に崩れ落ちてピクリとも動かないハムザに、その女は不自然に視線を送る。だが、面倒臭そうに鼻を鳴らし、鮮血が滴る剣先を、ハムザの体目掛けて一気に突き落とそうと剣を掲げた。

 

 その僅かの隙を見計らい、ハムザはくるりと手首を回し、女の太ももを斬った。

 

 慌てて飛び退く女は舌を鳴らし、不愉快そうに目を細める。

 

 「死んだふりとは、小賢しい奴だ」

 

 「油断大敵だ。全く、お前は何者だ?」

 

 女は剣を投げ捨てて言う。剣の代わりに拳を作り、指を鳴らしながら。

 

 「お前こそ、一体何者だ。何故ここに居る」

 

 「説明するのは、面倒くさいなぁ〜」

 

 ハムザはまるでパーティの最中に踊るように、ひょうきんな調子でふざけてから、ゆっくりと手を掲げた。リリは息を呑む。

 

 いつものおふざけだが…目が笑ってない。本気ということか。

 

 右手を女へ向け、決然として魔法を放つ。絶対に使いたくないと言い張っていた魔法を、躊躇いもなく。

 

 『【イェベン・ティ・マーテ――…】』

 

 魔力が右手に収束し、呪詛が放たれるというその瞬間。

 

 

 「ッ!?」

 

 

 女は危機を察した獣のような速度で木の上へ飛び退き、荒い呼吸で瞠目した。

 

 「こら、逃げるな」

 

 突然飛びのいた彼女にびっくりしたハムザは、うっかり詠唱を止めてしまっていた。

 

 「今のは…なんだ。あぁ、くそ。まぁ、もういいか…」

 

 「おいおい、どういうことだ?やるのか、やらんのか?」

 

 ハムザには答えず、女はくるりと背を向け、どこかへ飛び去ってしまった。

 

 

 

 「魔法を使うつもりだったんですか?」

 

 「あいつは、ヤバい奴だ。出し惜しみしてたら死んでいた。全く、厄介な奴が混ざってたもんだ。ありゃ、殺人狂だな。まともに会話も出来んらしい」

 

 「どこのファミリアでしょうね…?」

 

 「さぁな。とにかく逃げてくれたんだから、良しとしよう。ほれ、さっさとシェルターに戻らんか。見張りは俺がやっておくから、お前は出来るだけ眠るといい」

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 -少女の困惑-

 

 ——ダンジョンXX階層、未開拓領域。

 

 昨晩、リリが眠りに就いている間、怪物が何体も襲撃に来たお陰でハムザは一睡も出来なかった。

 

 13階層と同じかと思っていた怪物は、夜になると能力を上げた。ヘルハウンドはより狡猾になり、他の怪物と戦闘しているハムザを遠くから観察し続けて、休憩の際を見計らって襲撃をするようになった。

 

 昼間での戦闘で全く脅威ではなかったアルミラージも、ハードアーマードと連携を取るようになってから格段に厄介になった。

 

 防御力に特化したハードアーマードはしつこくハムザにちょっかいを出し続け、アルミラージは天然武器(ネイチャーウェポン)による遠隔攻撃に専念する。ハードアーマードの固い殻による防御に手を焼き、攻撃の隙を見せれば、アルミラージが即座に斧を飛ばしてくるのだった。

 

 また、遠隔攻撃に気を取られれば、ハードアーマードのモーニングスター形状の尻尾による一撃を貰いかねない。

 

 この二匹のパーティを力技で蹴散らしても、この階域には鋭い爪と牙を持ち、敏捷性と強靭さを持ち合わせ単独行動をするライガーファングが居た。この怪物はLv.2になったハムザをもってしても、簡単な相手ではなかった。一匹仕留めるには数発もらうことを覚悟しなければならなかったし、天然の捕食者としての粘り強さと執念深さに、精神的に参ってしまいそうになることもしばしばあった。

 

 そんな怪物達の襲撃から拠点をたった一人で守りきったハムザは、明らみを増す天井の水晶目掛けて、かなり大きな溜息を吐いた。

 

 既に疲労が溜まっている。まともな食事や睡眠が取れなければ、迷宮では命取りだ。だが、ここにはそのどちらも転がってはいないようだった。ハムザは別々になった他のパーティのことを考えた。もしや、既に全滅しているかも知れない。そうでないとしても、これだけ過酷な環境では、三日と持たないだろう。

 

 自分達も十分に気をつけなければならない。そう考えている時、リリが目を覚ました。

 

 「…おはようございます」

 

 リリの目は、どうやらクマができているようだった。

 

 「眠れなかったのか?」

 

 「…残念ですが、ほとんど。ハムザさまがすぐ傍で守ってくれていたものの、怪物の咆哮や剣戟で、緊張が解けませんでした」

 

 まぁ、そうだろうなとハムザはリリの頭を撫でた。

 

 「ここの夜は、危険だ。怪物が強くなってるし、頻繁にやってくる。早急に手を打たないと、あまり長持ちはせんな」

 

 「そうでしょうね。とにかく、出来ることは何でもやるべきです」

 

 リリは水筒の水を顔に掛け、顔を洗う。そしてやや逡巡してから、ハムザの顔を見上げた。

 

 「…ところで、男性は朝に元気になる方が多いようですが、迷宮でもそれは変わりませんか?」

 

 予想外の言葉に驚くハムザだったが、すぐに返事をする。

 

 「もちろん変わらない。むしろこういう場所だからこそ、本能が告げるのだ。女を孕ませとな」

 

 「…それならリリも、本能に従います」

 

 リリは立った状態で腰を突き出してから、ローブを捲くった。するとリリのぴっちりとした小さな女性器がハムザの目の前で露になる。

 

 「…折角ですから、獣のように声を張り上げて、開放的な野外での情事を楽しんでみませんか?命様が起きてしまうとか、他の誰かに聞かれるとかは、この際目を瞑りましょうよ」

 

 「乗った」

 

 ハムザはリリの挑発的な腰振りにすっかりその気にさせられていた。朝一番のどうしようもなく膨れ上がった股間でリリの入り口に触れ、そのまま突き入れる。

 

 ややきついリリの膣内がきゅうきゅうと締まると、水を得た魚のように股間が喜び、腰の動きが自然と早まっていく。リリは両手を地面に突き、後背位で為されるがままに突かれている。ハムザは雄が雌を組み伏せる優越感に浸りながら、獣のようにリリの穴を突きまくった。

 

 「あぅ~…良いです…もっとリリを犯して下さい!」

 

 リリは叫び声を上げる。

 

 「うぉおおおっ!」

 

 それに呼応するハムザも、我武者羅に声を張り上げる。腰と腰がぶつかりあうパンパンという音が森に鳴り響き、雄と雌の愉悦の声が清涼な朝の風に運ばれていく。

 

 「…っ出すぞっ!」

 

 最後の深い一突きで、ハムザは腰を止める。リリの小さな体が何度も何度も大きく痙攣した。

 

 絶頂した股間から迸る精液がリリを満たし、ハムザが股間を引き抜くと、小さな入り口から大量の白い液体がどろりと太ももに垂れていった。

 

 「…開放的な朝のセックスは、どうでしたか…?」

 

 息を切らせながら、リリはハムザに問う。そしてハムザも同様に、肩を震わせながら答える。

 

 「…嫌いじゃないな」

 

 

 そして、眠りについていた命は。

 

 (…何事っ…!?)

 

 二人の絶叫によってすっかり目を覚ましており、その淫靡な光景に目を釘付けにしていた。

 

 ●

 

 遭難二日目も、ハムザとリリは依然として拠点を離れようとはせず、守りを固めるための作業を続けていた。昼の間はあまり怪物が見当たらない理由を、リリは「眠っているのかも」と推察した。

 

 迷宮で昼夜が分かれているのは珍しく、リリの知る限りでは安全階層(セーフティポイント)くらいだった上、その場所には殆ど怪物が出現しないため、リリの推察が当たっているのかどうかもよく分からない。

 

 だが、とにかく昼の間に作業を分担して行えるのはありがたかった。リリは命の体調にしっかり気を配りながら、近くの肉果実や果実ベリーを収集し続けた。

 

 ハムザは拠点の柵を完成させるため、時折襲撃に来る怪物を蹴散らしながら、手を豆だらけにして百本以上の木を伐った。リリもそんなハムザに呼応するように、無駄口を入れずに黙々と作業を続け、時折川辺へ下り飲み水を確保して、また作業に戻り——そうして作業と戦闘を繰り返していくうちに、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 

 もう地上では真夜中かも知れない。少なくともあのぐうたら女神は、とっくに眠ってしまっている頃だろう。昨日『豊穣の女主人』の美女達と大騒ぎをする予定になっていたが、一体どうなってしまっただろうか。

 

 他のパーティはもう正規ルートへ合流しているのだろうか。あるいは、とっくに全滅してしまっただろうか。

 

 

 

 いろいろと心に思いを巡らしつつ、ハムザは怪我に苦しむ命に、最後の回復薬(ポーション)を飲ませてやった。彼女は美しい唇を小さく動かして、ハムザに礼を言う。横になった体で強引に飲ませたせいで回復薬(ポーション)が口元にこぼれており、唇にむしゃぶりつきたくなってしまう。

 

 だがそれを必死に堪え、ハムザは立ち上がった。

 

 防御柵で囲まれた拠点の真ん中に、簡易ベッドが三つ。その中心でキャンプの火があかあかと燃え続けている。

 

 「休んでいる暇などありません。これだけ頑張っても、どうせ眠れないのですから」

 

 リリの言う通り、休む暇などなかった。いつの間にか壁から産まれ落ちていたライガーファングが、抜き足差し足でこちらに近づいて来ていた。

 

 ハムザは剣を抜き、凄まじい速度で飛び掛る怪物に対応する。体を捻り、突撃を回避すると、ライガーファングは牙をむき出しにして威嚇した。

 

 そして、二度目の突撃。

 

 ハムザは見事にタイミングを合わせ、すれ違いざまに腹部に剣を突き刺す事に成功した。

 

 灰に変わっていくライガーファングが、魔石と牙を落とす。ハムザはある手ごたえを感じていた。

 

 「…何となく分かってきた。こいつらは基本的に獲物の喉を狙う。俊敏で強靭だし、耐久もなかなかあるが、攻撃のパターンが読みやすいな」

 

 初めて無傷で勝利を収め、ハムザは成長を実感していた。対面するリリは、そんなハムザがとても頼もしく思えた。続けて壁面に亀裂が走り、ハードアーマードとアルミラージが二匹ずつ、赤い瞳を光らせた。

 

 「…もう一丁、来ましたよっ!」

 

 「下がってろ!俺がやる」

 

 すぐさま陣形を整えた怪物のパーティは、定石通りにハードアーマードが盾となり戦線を作ろうとする。ハムザはリリを背に隠し、群がる二匹のハードアーマード達と応戦する。

 

 ハードアーマードの固い殻に剣は弾かれ、ハムザはしつこい突進を何度も避け続ける。そして、機を見計らったアルミラージが投斧を放った。一直線に飛んできた投斧を左手で掴み取り、それを思い切りハードアーマードに打ち付けた。

 

 『グギャアアアッ!?』

 

 ぐちゃり、と気味の悪い音を立て、一匹を仕留めることに成功する。どうやら斬撃への耐性はあっても、打撃への耐性はそこまで高くないようだ。要領を得たハムザはハードアーマードの尻尾を掴み取り、大きく振り回してからアルミラージに向けて投げ飛ばした。

 

 『ギャアアアアアッ!』

 

 見事に命中し、激突した怪物同士は灰へと変わっていく。

 

 「上出来だな」

 

 昨晩苦戦した怪物達相手に、攻略法が見えた。各々の弱点を把握すれば、効率良く狩りが出来る。ハムザにはこの晩が、昨晩よりも楽になるだろうという予感があった。

 

 「まぁ、リリは何もしておりませんが。おや、命様が起きられたようです」

 

 

 木の枝の寝床から、命が顔を覗かせていた。

 

 彼女は揃って武器を構える二人を見て何を悟ったのか、鎧を着込み始める。

 

 

 「わ、私も手伝います…。このような時、いつまでも伏していたとなっては…仲間に、タケミカヅチ様に顔向け出来ません。体調は、大丈夫です…」

 

 そうは言ったものの、まだ彼女は完全に回復していないのは口調からも明らかだったので、ハムザは拒絶する。

 

 「勘弁してくれ。お前は安静にしてなければ。無理させたせいで死んでしまいましたとなったら、それこそタケなんとか様に顔向け出来ん」

 

 「ですが……」

 

 言いよどむ命。リリはハムザとは別意見らしかった。

 

 「この夜を乗り切るには、交代での夜番が必要です。どうせ断っても聞かないでしょうから、ハムザさま、ここは引いてください」

 

 命はその通りだと頷いた。

 

 「…私は腹をくくっています。ハムザ殿、後は貴方次第です」

 

 困ったことになったと、ハムザは命を眺める。オラリオでは珍しい、黒髪美少女だ。こんな子に本気で『おねだり』をされてしまっては、断れる訳がないのだ。

 

 (う~む。ここで死なれては困るが…。ここはいっそ覚悟を決めて、攻めるか)

 

 「よし、わかった」ハムザは言った。

 

 「俺の命令に従えるか?」

 

 「休んでいろ、という命令以外ならば従います、ハムザ殿」

 

 「それなら決まりだ。リリ、すまんが」ハムザは言う。

 

 「そう言うことだから、よろしく頼む」

 

 とんとん拍子で話が進んで行く会話に、リリが口を挟む。

 

 「ちょっと待ってください、リリだって戦いたんです。お二人が戦っている間に眠るだなんて、とても出来ませんよ」

 

 だが、ハムザは彼女の言い分を認めたくはなかった。だからリリには「眠れなくても目を瞑っていろ。体力がなくなれば死ぬ」と無理矢理言い聞かせた。

 

 「仕方ありませんね」とリリは頷いて、皮張りの寝床に横になった。

 

 「気を遣って頂いて感謝していますが、ハムザさま。あまり()()はしないで下さいね?」

 

 もちろんだと頷くハムザ。だが、リリは本当に彼が自分の意図を理解しているのかどうか、どうにも確信が持てずにいた。

 

 

 ●

 

 

 命とハムザによる拠点の防衛は、ハムザによる戦闘レッスンも兼ねていた。

 

 ハードアーマードの殻に苦戦していた命を見たハムザは、怪物の尻尾を掴み取り、振り回した。そして壁に叩きつけ、絶命させる。

 

 「な、なんと…斬り合わないとは、卑怯な」

 

 「卑怯も糞もあるか。これは生死を賭けたサバイバルなのだ。怪物は弱点を持つ。弱点を理解したら、それを上手く利用するだけだ」

 

 「ですが…私にはどうも…」

 

 「ところで、その剣は珍しいな。ちょっと見せてくれないか」

 

 ハムザは命の持つ刀を手に取り、しげしげとそれを眺めた。

 

 「こんな小さい刀身で、折れたりしないのか?」

 

 「もちろん、誤った使い方をすればそうなります。刀は剣とは違い、デリケートな武器ですが…その道を極めた達人による一撃の威力は、どんな武器にも勝ります」

 

 「ふむ、そうか。難しいのか。叩きつけるだけの剣とは、確かに違いそうだ」

 

 ハムザは刀を命に返してやった。そして黒い夜の中、焚火に照らされる命の元に投斧が飛んでくる。それを剣で叩き落し、投斧を拾い上げて飛んできた方向目掛けて投げ返す。甲高い怪物の断末魔が、投擲の命中を告げる。

 

 「何故かアルミラージは投斧を掴みたがる。力はそんなに無いくせにな。俊敏さを活かして避ければいいものを、何故か掴みたがるんだ。アホだからな」

 

 「そ、そうですか……」

 

 「ハードアーマードは尻尾を掴んで振り回せば何も出来なくなる。剣で斬るより掴んで投げた方が効率が良い。ライガーファングは、絶対に喉に噛み付きたがる。飛び掛るタイミングで下から剣を突き上げれば、大体一発だ」

 

 「は、はぁ…成程」

 

 「ではここで問題だ。ヘルハウンドは獲物をじっくりと観察し、弱るのを見計らっている。ここの階層じゃ滅多に姿は見せない。だが、火炎攻撃は脅威だ。どのように対処するのかね?」

 

 「えぇと、私のスキルを使います。それで位置を特定し、先制攻撃を……」

 

 「違う、違う」

 

 ハムザは首を振る。

 

 「まぁ、この際魔法やらスキルは忘れよう。俺だって魔法は使えるが、使用機会は出来るだけ少なくしているからな」

 

 今までの命の固い表情に、興味ありといった色が混ざる。

 

 「魔法ですか…。それは…便利なものなのでしょうか?攻撃魔法でしょうか、それとも…」

 

 「不便極まりない。まるで呪いだ。いや、呪いか。実際に」

 

 「呪詛、ということでしょうか?」

 

 その通りだ、とハムザ。命は初めて呪詛持ちの冒険者と出会ったと喜び始めた。

 

 「それで、どのような——」

 

 命は言葉を途中で切った。これ以上詮索するのはまずいか、と考えているようだった。

 

 「別に、聞かれて困る内容ではない。むしろ悩みの相談相手が欲しいくらいだ。俺の魔法は【イェベン・ティ・マーテル】という。どうだ、変な言葉だろう。発音が難しくて、どうも好きになれん。効果は、そうだな。えぇと、強制的に精神疲弊(マインドダウン)状態にするというものだ」 

 

 「強制的に、精神疲弊(マインドダウン)…」

 

 命は何度かそう繰り返した。

 

 「対人専用、ということでしょうか?」

 

 「ん?いや、怪物にもしっかり効くぞ。このあいだのミノタウロスなんかも、一発でおねんねしていたな」

 

 驚いた顔で、命は声のトーンを上げる。

 

 「怪物にも精神疲弊(マインドダウン)があるだなんて、知りませんでした!」

 

 「確かにな。俺も実際見るまでは、考えもしなかったことだ。とにかく…」

 

 ハムザは転がっていた小石を、暗闇に浮かんでいたインプ目掛けて投げつけた。

 

 『グぎゃアあっ!?』

 

 命はインプに全く気が付いていなかった。少しドキドキしながら、ハムザが語るのを黙って聞いていた。

 

 「全ての美徳を備えた俺に相応しい、最強の魔法だ。誰でも一発で倒してしまうのだからな。だが、俺は代償を払う。大きな、とても大きな代償だ」

 

 ごくり、と命は喉を鳴らす。即死級の呪詛。一撃必殺の魔法。一体それに見合うだけの代償とは何だろうか。もしかしたら、寿命だろうか。

 

 命は考えを巡らせながら、ハムザの次の言葉を待った。

 

 

 「出来なくなってしまうんだ、セックスが」

 

 

 

 「……………それだけ、ですか?」

 

 

 目を見開いて、命は凍りついたまま上ずった声を出す。だがハムザは重々しく、まるで何者かに我が子を連れ去られた父親のように、苦悶に満ちた表情で呟いた。

 

 「許されんことだ!」

 

 悲痛の叫びが迷宮に木霊した。

 

 「セックスが出来なくなるだなんて。あまりにもひどい、一体俺が何をしたっていうんだ……」

 

 「釣り合ってないように思いますが」命の発言に、ハムザはその通りだと声を荒げる。

 

 「全く釣り合っていない!重すぎる罰則(ペナルティ)だ。そんな罰則(ペナルティ)があったのなら、誰だって魔法を使う訳がないじゃないか!」

 

 「えぇと……」

 

 命は完全に逆を突く発言に閉口した。

 

 「ここ数日、俺は随分と苦しんだ。もう魔法は使いたくはない。あの変な殺人狂の女さえ来なければ…もう二度と…。とにかく、罰則(ペナルティ)のせいでチャンスを逃すことには、もうこりごりなんだ」

 

 辛い過去の記憶が、ハムザの喉から悲嘆となって飛び出してきた。

 

 「あぁそうだ。色々あった。アスフィちゃんにはインポと罵られた。ナァーザには噛みつかれた。歯形は痣になって残ってる。良い雰囲気になったのに勃たないと知って、シルちゃんは相当落胆していた。他にもリューちゃんや猫の店員さん達や、その他もろもろの可愛らしい街娘たちの全員が…失望の目で俺を見るのだ」

 

 「そ、そうですか……」

 

 「そうなんだ!どこかにインポを馬鹿にする奴がいたら、この世の果てまで追いかけまわしてとっちめてやる。この悲しみは、当事者にしか分からん。俺は世界中のインポの代表者になってもいい。彼らの住みやすい世界を、俺が作るのだ」

 

 「えぇ、と…」

 

 「唯一、リリだけが」

 

 ハムザは感謝してもしきれないという表情で言う。

 

 「あいつだけが、俺の面倒を見てくれた。あいつは俺には欠かせない。この呪いを打ち破る救世主だ。普段はぶつぶつ文句を並べる奴だが、いざとなれば従順で可愛い奴だ。俺はリリなしでは生きていけん」

 

 「お二人は、そういう関係なのですね」

 

 何とか命は言葉を口にすることが出来た。だが、困惑する彼女に構うことなくハムザはどんどん話を続けていく。

 

 「だが、呪いは解けた。俺は傷の癒えた鷹よろしく、素晴らしいこの空に羽ばたくのだ。命ちゃん、君は確かにこう言った。俺の命令には従うと」

 

 「はい、そう言いましたが——」

 

 

 その時、なんの前ぶりもなく、ヘルハウンドが焚火の傍に座っていた二人へ飛び掛かった。命はぎょっとして後ろに倒れ込んだが、ハムザは驚異的な反応速度で怪物を真っ二つにしていた。

 

 未だドキドキと早鐘を打つ鼓動を抑えながら、命は深呼吸して息を整える。

 

 「し、心臓に悪いですね、この場所は…」

 

 「慣れてしまえば、問題ない。そんなことより、命ちゃん。緊急指令だ」

 

 

 ざわざわと草むらが揺れている。また怪物が来たのだろうかと、命の鼓動は早まる。

 

 

 「俺の命令は絶対だ——」

 

 ハムザの言葉に耳を傾けるべきだろうか、それとも怪物の襲撃に耳を澄ませるべきだろうか…思い悩む命だったが、やがてすべての思考が停止する。

 

 

 「これをどうにかしてくれ」

 

 

 そう言ってハムザはズボンを下ろし、いきり立った息子を曝け出した。

 

 

 命の時は止まった。

 

 ただ激しい鼓動の音だけが鳴り響く。そしてまじまじと初めて見る男根を眺めてから、両手で顔を覆った。

 

 「し、しまってください!」 

 

 「俺は君が欲しいんだ」

 

 「そ、そ…そんなことを言われてもっ!?」

 

 命は赤らんだ。ハムザが下半身むき出しのまま近づいてきて、ますます赤らんだ。

 

 だが、ハムザの期待とは裏腹に、そんな窮地にも命はすぐに冷静さを取り戻してみせた。

 

 瞑想するように目を閉じ姿勢を直し、目の前に突き出た男根にも動じず言ってみせる。

 

 「…申し訳ありませんが…その…。応えられません私には…想い人が…」

 

 「命令は何でも聞くと誓った筈ではなかったのか?」

 

 厳しい追及にもめげず、命は答える。

 

 「…出来ることと出来ないことがあります。バベルのてっぺんまで跳躍してみせろと言われても出来ないように…私にはそういったことが出来ないのです…」

 

 「恩恵のあるこの世界に、不可能は存在しない!さぁ、やるんだ。でなければ命ちゃん、君は命の恩人の不興を被ることになるぞ」

 

 ぐぐ、と命は堪えて言う。

 

 「ハムザ殿には…リリ殿がいるのではないですか…?」

 

 

 

 「——そういう関係ではありませんよ」

 

 その時、どこからか聞こえたリリの声が二人の会話を遮った。リリは寝床から顔を覗かせて、眼をこすりながら外へ出た。

 

 「全くお二人とも。そんな大声を出されては怪物が集まってしまいますよ?ハムザさま、余りにもうるさいのでリリはすっかり目が覚めてしまいました。多少は休めましたので…命さま、ベッドを使って頂いて構いませんよ」

 

 命はどうするべきかと悩んでいるようだった。このままリリの言う通りにすれば、少なくともハムザの魔の手から逃れることができる。だが、それは同時に、命の恩人に失礼な態度を取ることをも意味する——。

 

 「ハムザさま、あまり無理はするなと言ったではありませんか。命様には、まだ早いですよ」

 

 そう言ってリリはちょこんと跪き、露出した男根を咥えこんだ。

 

 「うほっ」

 

 間の抜けた声を出すハムザ。命は突然の出来事に硬直することしか出来なかった。

 

 「はむ…ふぅ、まったく。今朝抜いてあげたばかりではないですか」

 

 慣れた手つきで奉仕するリリを、命は何事かと問いた気な顔つきで眺める。彼女の視線を理解したリリは、淫靡な愛撫を続けながら命に説明した。

 

 「…んっ、呪いのような…ものです。こうして定期的に抜いてあげないと…んんっ。気が狂ってしまうんです」

 

 卑猥な音をわざとらしく立てながら男根を舐め上げる幼い少女の姿は、理解の限界を超えていた。命にとってまったく未知の世界がここにある。動揺を隠せずに命は狼狽える。

 

 緊張感からだろうか。命の鼓動は激しく打ち続け、言い表せない感覚が胸を締め付ける。

 

 「んっ…命さまも、やってみたいですか?」

 

 リリは股間から口を離し、その先っぽを命に向けてみせた。

 

 そして何かが決壊した。

 

 「御免っ……!」

 

 我慢の限界を超えた命はくるりと背を向け、寝床へと駆けこんだ。

 

 

 

 「あ、いく…」

 

 ハムザはリリの顔に全てをぶちまけた。絶頂感が体中を駆け回り、ハムザを満たした。

 

 「やっぱりこうなってしまいましたか」

 

 どろりとした精液を指で拭っては、ぺろりと舌に絡ませる。リリは全く呆れたとハムザに文句を言った。

 

 「だから言ったんですよ。命様に嫌われても、リリは知りませんよ?初対面で体を求められては、ああいう人は困惑してしまいます。じっくり時間をかけないと、心を許さないタイプですから」

 

 「あぁ、すまん。つい我慢できなくてな。怪物の襲撃にイライラしてたせいで、つい…」

 

 「まぁいいですよ。これもサポーターの仕事ですから」

 

 そう言ったリリは随分嬉しそうだった。ハムザには不可解な笑顔だったが、とにかく気にしないことにした。

 

 

 

 

 翌朝、命はひどく疲れた顔で今にも倒れてしまいそうだったので、リリとハムザはこの日も拠点を動かないようにするつもりだった。だが、暫くすると命は起き上がり、二人に探索に行くように頼み込んだ。

 

 今のところ明るいうちには危険も少ない上、自分だって一人でも十分に闘えると言い張る。

 

 リリやハムザもそろそろ周囲の様子を見に行きたいと心では思っていたので、彼女の言うとおりにすることにした。

 

 「パーティを分断するのは賢明とは言えませんが、そろそろ食料を確保しなければなりません。ここのエリアには…あまり残っていないようですから」

 

 予定よりも早く近辺の食料が枯渇し始めた事を懸念し、早めの行動を決める。

 

 命は彼らが提案を受け入れたことを、ほっとしている様子だった。

 

 二人は丸太の柵の一部に作った開閉式の扉を押し開け、拠点の外へ歩いて行った。

 

 

 

 「……はぁ」

 

 命は苦痛から、そして下半身のむず痒さから大きく溜息を吐いた。昨晩の出来事に心を乱されたお陰で、一睡も出来なかった。そんな自分の苦悩は露知らず、今朝も二人は大声を張り上げながら情事に耽っていた。

 

 そのせいで、こんなに体中が痛むにも関わらず、下腹部が湿ってしまっている。

 

 命はそっと右手を自分の股間に当てた。そして、既に敏感になっている女陰の突起を擦り始めた。

 

 「…一人になれて、良かった……やっと発散できそうです…」

 

 

 

 

 迷宮には沢山の痕跡が残されていた。

 

 二人が足跡に踏み鳴らされた土を早足で辿って行く途中、冒険者の死体がちらほらと現れ始めた。ある者は体の一部がひしゃげており、ある者は喉元を食いちぎられている。

 

 歩を進めていくに連れ、死体が増えていることにハムザは気がついた。そしてリリは、異なる種類の足跡の痕跡を目ざとく見つける。

 

 「…行きの足跡は深く濃く、帰りの足跡は浅く薄いですね。ということは、行きはゆっくり確実に歩いていき、帰りは慌てるように走り去っていったということでしょうか」

 

 「ふむ…。この先で何かが起きたのは、間違いないか」

 

 死臭に鼻を摘みながら、二人はどんどん奥へ進んでいった。

 

 そして、その先には。

 

 多数の冒険者の死骸が横たわり、その肉に釣られてやって来た怪物が群がっていた。

 

 「うげっ…これ全部死体か?」

 

 魔道師やら戦士やら、沢山の冒険者の死体の山。それぞれが顔を粉々に砕かれており、素性を識別することは難しいようだった。

 

 「…この階層にはリリ達がまだ出会っていない何かが居る、ということでしょうかね」

 

 「それか、あの殺人狂か。とにかくどちらも危険だということだ」

 

 ハムザは死体を何体か確認したが、有用なアイテムは見当たらなかった。回復薬(ポーション)は食料を詰め込んだバックパックなどが見つかってもいい筈だが、一つも見当たらない。先客がいたということなのだろうか?

 

 「ともかく、この先の洞窟が危険だということだな。どれ、ちょっと行ってみるか」

 

 ハムザは「危険すぎますよ」と言うリリの制止を聞かず、洞窟の内部に侵入した。

 

 明かりが差し込み、内部はそこまで暗くない。数秒歩いただけで、それが洞窟というよりはトンネルだということが分かった。

 

 「先にも森があるぞ!」ハムザはリリに聞こえるように大声で叫んだ。その時…。

 

 (おいおい、なんだこりゃあ…?)

 

 不気味な音が洞窟を震わせる。

 

 

 『ボォオオオォオ…』

 

 

 そして身震いするほどの唸り声と共に——巨大な影が覆いかぶさるように、洞窟内へ突進してきた。

 

 「うぉおおおおおぉっ!?シルバーバック!?!」

 

 巨大なシルバーバックはハムザに殴りかかった。避ける体勢が整わず、ハムザは凄まじいぶちかましを全身で受けた。

 

 「ぐおっ!?」

 

 そのままハムザは洞窟外へ吹き飛んで、大木に激突した。

 

 「ハムザさま!?」

 

 圧倒的な破壊力だった。これまでの雑魚とは比べ物にならない力。それはランクアップしたハムザをもってしても太刀打ちできない力だった。

 

 しかし、ハムザは頭から血を流しながらも立ち上がる。その紅い瞳が、炎のように揺れた。

 

 

 「ゴリラめ…人間様がきちんとした挨拶の仕方を叩きこんでやろう」

 

 怒りの形相でこちらの方へやって来たシルバーバック。大きな腕で、入り口に重なっていた死体を一掴みし、思い切って放り投げた。

 

 『グガァァァッ!!』

 

 咆哮にリリは耳を塞ぐ。木々の枝から葉が吹き飛び、咆哮は脳まで揺らすかのようだった。

 

 これは、『咆哮(ハウル)』か…?ハムザは顔をしかめる。ミノタウロスの咆哮を、シルバーバックが?こいつは何か特別な…強化種ということなのか。

 

 (関係ないか、打ち殺すまでだ)

 

 ハムザは足にありったけの力を込め、お返しの突進をお見舞いする。

 

 直後、目にもとまらぬ速さで、シルバーバックの腹部にドロップキックが叩き込まれた。巨大な野猿は体をくの字に折って吹き飛び、派手に地面を転がった。

 

 「そうだ」

 

 地に片膝をつき、ハムザは立ち上がる。

 

 「今のが会釈だ。だが、握手はしなくていいぞ。俺はお前が大嫌いだからな」

 

 野猿もまた立ち上がり、瞳に怒りを浮かべて再び突進した。

 

 まるで岩石が猛スピードで飛んで来たようだった。ハムザは間一髪でそれを回避し、すれ違いざまに斬撃をお見舞いする。

 

 「っ!?」

 

 キンッ、という衝撃音と共に、刃は剛毛に弾かれた。ヘルハウンドなどの下級怪物には通用した斬撃が…まるで通じない。

 

 「ちくしょう…こいつは分が悪い」

 

 シルバーバックは雄叫びを上げ、再びハムザ目掛けて突進をしようと間合いを詰める。だが、ハムザは大きく旋回しながら、怪物との間に一定の距離を保ち続けた。慎重に、距離を測る。

 

 怒りに身を任せて闇雲にタックルを仕掛けるシルバーバック。だが、充分な間合いを保っていたハムザは、突進をぎりぎりのところで回避した。

 

 

 「お遊びはおしまいだ」

 

 すぐさま背を向け、走った。

 

 「逃げるぞ!案内を!」

 

 がさっ、と草むらからリリが飛び出してハムザを先導した。シルバーバックは吠え、二人を追い始めた。だが、野猿はすぐに追跡を諦め、森の中へ帰っていった。

 

 

 「はぁ、はぁ…。一体なんなんだ、あの野郎」

 

 二人は肩で息をしながら両手を膝について呼吸を整える。

 

 「…どうして、追って来なかったのでしょうか?」

 

 「うむ…何か、理由があるのかも知れん。例えばだが…生活範囲があるのかもな。どちらにしろ助かった、はぁ」

 

 「とにかく、リリはハムザさまが死んでしまったかと思いました。あんな一撃をもらって、よくご無事でしたね?」

 

 先ほどの戦闘で受けたダメージは、確かにハムザを苦しめていた。だが、幸いなことに致命傷は受けていない。鎧が大部分の衝撃を吸収したのだ。

 

 「まるで化物だった。鎧のお陰で命拾いしたようだ」

 

 「…本当に、その鎧はどうなっているのでしょう。実はどこかの名匠の作品ではありませんか?」

 

 「あぁ、そうかも知れない。だが、呪われているという話だ…」

 

 ハムザはその話を思い出して、胸のあたりに違和感を感じた。だが、必死にそれは気のせいだと自分に言い聞かせるようにし、出来るだけ考えないようにした。

 

 (大丈夫、呪いなんてある筈がない。装備した奴らが全員行方不明になったのも、鎧がひとりでに帰って来たのも、全部気のせいだ。最近じゃあ随分しっくり来るじゃないか。しっかりしろよ、おい。お前が不安になってどうする・・・)

 

 リリはため息を一つ吐き、ハムザの袖を引っ張った。

 

 「とにかく、はやいことこの場所を離れましょう。あのシルバーバックに目をつけられたら、リリは生き延びる自信が全くありませんから」

 

 

 

 

 二人は鬱蒼と生い茂る木々の隙間を縫うように進み続ける。そして数刻、二人は壁にぶつかった。

 

 巨大な岩壁は天井まで続いており、蔦が壁面を覆いつくしている。ここがこの階層の端のようだった。

 

 そして、リリが痕跡を見つけた。水気を含んだ地面が明らかに踏みならされており、足跡が茂みへと伸びている。間違いなく冒険者達が歩いた跡だった。二人は壁面伝いに足跡を辿りながら、更に数分歩いた。そこには、ぽっかりと口を開けた別の洞窟の入り口があった。

 

 「足跡はここに入り込んでいます。きっと別のパーティの野営地なのでしょう。もしかしたら、誰かがいるはずですよ」

 

 ハムザは顔をしかめながら、リリの言葉を否定した。湿った木の匂いに交じり、僅かな異臭が漂っている。なるほど、確かにここには人がいるだろう。生きているか死んでいるかを別にすれば、何かがいるのは間違いなさそうだった。

 

 洞窟に足を踏み入れていく。空間は下へと続いており、横に広かった。鍾乳石がつららのように生え、木々はここまで入り込めないようで、まさしく洞窟そのものといった風景だった。内部の奥まったところに、冒険者の亡骸が転がっていた。鎧を着ている者も、ローブを纏っているものも、皆すべて横たわり、息をしていない。

 

 「…死因は何でしょうかね?」

 

 所々に外傷が見られたが、どれも致命傷とは思えない。【ガネーシャ・ファミリア】について行ったが、あの野猿の襲撃から逃れてここに迷い込んだのだろう。自分達のように拠点を作るつもりだったのか、集めてきたらしい食糧(ベリー)も丁寧に布袋に詰め込まれたままだ。

 

 「おい、ここに穴がある」ハムザが屈みこみながら穴を覗き込んだ。

 

 その穴は小さく、パーティが置いたであろうアイテムの類や、食料、調味料が奥の方に置かれていた。ハムザが喜んで横穴に入り込もうとするが、穴は低く狭く、入ることができない。

 

 「リリの出番です、任せてください」

 

 代わりにリリが入り込んだ。横穴は、まるで小人族(パルゥム)専用の食糧庫のようにすっぽりとリリを受け入れた。数分もしないうちにリリは全ての品物を外に出し、それを転がっていた誰かのバックパックに詰め込み始める。

 

 「お可哀そうに。このパーティのサポーターも、小人族(パルゥム)だったようです。そこの彼女が…掘ったのですよ、この横穴を。小人族(パルゥム)は家の中でも、こういったことをよくやります。穴が小さければ、同族以外は入れませんからね。お守り……簡素な金庫のようなものです」

 

 ちらり、とリリは黄色くなって横たわる同族を見た。まだ随分若いようだった。雇われたのであれ、パーティの一員だったのであれ…ここで生涯を終えるのは、きっと悔やしかったことだろう。

 

 「…麦か?麦とオリーブだ。このエンブレム、見覚えがあるか?」

 

 死体を転がしながら、ハムザは鎧に刻まれたエンブレムを見た。リリは知っていると頷く。

 

 「…【シモエイス・ファミリア】です。盗賊時代…何度かカモにさせて頂きました。平凡な迷宮探索型ファミリアです…」

 

 「そうか」リリの心の苦痛を感じ取ったハムザは、さっさと戻ろうと彼女を急かす。

 

 「何にせよ、前触れもなく急に人が死ぬことはない。人が死ぬだけの理由がこの場所にあったのだ。となれば、長居は無用」

 

 ぽん、とリリの背を叩き、ハムザは彼女を元気づけてやった。

 

 「彼らのお陰で今夜はそれなりの晩餐が取れる。酒まで持っていやがったからな。まぁ、なんだ。葬送なんてする余裕はないが、乾杯くらいはしてやろうじゃないか」

 

 「そうですね」リリは少しだけ明るさを取り戻した。

 

 「このサラマンダーウールを予備に持ち去っておきましょうか?」

 

 地面に転がる耐火装備を見て、リリは思わずそれを拾い上げようとした。ハムザがその手を制す。

 

 「俺達も持ってるのだから、いらん。それはそいつらの顔にでもかけてやれ。俺達に予備は必要ないな」

 

 「そうですね…」リリは頷く。

 

 「さっさと拠点に戻りましょう。探索に随分時間を使ってしまいましたから、暗くなる前に戻らなければなりません」

 

 「あぁ、そうだ。ついでにさっさと地上に戻って、シルちゃんやリューちゃんに囲まれながらうまい飯でも食いたいところだ」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 -反撃-

 【シモエイス・ファミリア】が遺した食料は、幾分か【テルクシノエ・ファミリア】の食事を豪華にした。だが、それも数日経ってしまえば、もう殆ど残りがなくなっていた。

 

 ハムザが自分の食事を最優先で命に分け与えていたお陰で、命は十分な栄養を得て、すっかり元気になった。だが、度重なる夜の怪物の襲撃により、ハムザは全く眠れておらず、空腹もあって限界が近づき始めていた。

 

 リリはなかなか【シモエイス・ファミリア】の不思議な死に様を忘れることが出来ず、頭を悩ませ続けていた。ハムザに無駄なことを考えるのはやめるように言われたが、リリはどうにも止めることが出来ず、夜も眠らず考え続けており、そのお陰で、日中は睡眠不足のまま周辺を探索しなければならなかった。

 

 そして不思議なことに、この付近ではもう食料を見つけることが出来なくなってしまっていた。その理由を、リリは『第三者』が採取したに違いないと推察するが、ハムザはどうも釈然としない様子だ。

 

 「ガネーシャ軍団がほぼ全滅だとして、残るはアポロン一派か、たまたま運良く生き延びた誰かだろう。そいつらがこの辺りに居るとしたら、俺達に気が付かない筈がない」

 

 「黙って食料だけ取って、去っていったのかも知れません。お忘れですか?ハムザさまはこの場所に迷い込んだ時、【トール・ファミリア】を皆殺しにしているのですよ。避けられているのではないでしょうか」

 

 二人の会話に命が口を挟む。彼女はたった今水浴びから帰ってきた所だったので、ほんのりと少女の良い匂いがした。

 

 「他のファミリアが居るのであれば、私達が見つけられない理由がありません。ここ数日は、周辺の探索に余念が無い訳ですから…」

 

 確かにそうだ、とリリは背中に体重を乗せ、バックパックに体を埋もれさせ始める。

 

 「なんにせよ、食糧が尽きたのは危険です。ハムザさまの体力の回復も…『スキル』だけではどうにもなりません」

 

 リリはちら、と命を横目で盗み見た。初心な少女は恥じらいから顔を染め、俯いてしまう。

 

 というのも、ここ数日は朝も夜も二人は命の目の前で行為に耽っていた。リリは命に『回復効果』を持ったスキルの存在を説明したが、命にはどうも信じられなかったらしい。ハムザの『特殊スキル』についても同じで、他人と性交渉するだけで強くなるなんて、ありえないと思っているらしかった。

 

 処女にありがちな拒否反応だ、一度やってしまえば問題ない、と言ってハムザは気にも留めないが、リリは命の体をハムザが自由に出来るようになれば、きっと生存確率が上がるだろうと信じて疑わない。

 

 だが、目下の問題は食糧だ。三人はこの問題にどう対処するかを決めるため、今日は探索を中止して朝から議論を続けているのだった。

 

 「…向こうに行くしかないか。命の体調が戻った今、とどまる理由はない。シルバーバックを倒して、北側に進出する。ここ南側にはもう資源が残っていないからな」

 

 議論の結論は、結局こうなるだろうと皆が理解していた。だからハムザがやっとその言葉を口にした時、彼らはすぐさま頷いた。

 

 「…ハムザ殿が苦労された相手…私が力になれるか分かりませんが、全力を尽くしたいと思います」

 

 「あまり気乗りのする相手じゃない。力馬鹿で、攻撃が通用しないからな。長期戦になるだろう。まったく、腹が減っているというのに……」

 

 剣を取るハムザの動作は空腹のせいで緩慢になっていた。命は、水浴び後の濡れた髪を乾かそうと、出来るだけ焚火に近づいた。リリはリリで、シルバーバックに対抗する何かを模索していた。

 

 「そういえば……」リリが何かを思い出したようバックパックから身を起こして言った。

 

 「アポロン一派はどこにいるのでしょう?あのシルバーバックがまだトンネルに居るということは、彼らもこの南側をさ迷っている可能性が高いのでは?」

 

 「まぁ、確かにそうだ」ハムザは頷いてリリの後を継ぐ。

 

 「倒されていないから、ゴリラはまだ居やがるという訳だ。ならば、あいつらはどこかで死んでるか、別のルートで脱出したか」

 

 「案外近くに身を潜めているかもしれません。ここの食糧を根こそぎ採取してしまったのが彼らで、私達には会いたくないという仮説に基づけば難しい交渉になるでしょうが…とにかく、賭けてみますか」

 

 「そうするほか、ないですね…」

 

 「なんだ、具体的にどうするんだ?」ハムザはリリと命に問う。

 

 「簡単ですよ、ハムザさま。準備が出来たら武器を取って、大声で叫びながら歩くんです。『シルバーバックを倒すから、共闘してくれ』とお願いするんです。彼らが姿を現せばそれで良し。そうでなくとも…結局は誰かがあの怪物を倒さなければならないのです。やれることはやっておきましょう」

 

 うぅむ、とハムザは唸り声を出す。ずっと隠れ続けていた奴らがそんなことで顔を出すだろうか?ハムザは【アポロン・ファミリア】の一団が【ガネーシャ・ファミリア】同様に怪物にやられてしまっているような気がしてならなかったが、他に提案することもないので二人の言うとおりにした。

 

 「じゃあ、準備が出来次第、ゴリラ狩りと行くか」

 

 重い腰を上げてハムザは立ち上がる。リリがバックパックの確認に気を取られている時、命が彼に近づいて果実を取り出して見せた。

 

 「…あの、これ…水浴びの際にたまたま見つけた茂みに一つだけ残っていました。こんなもの、ハムザ殿から受けたご恩には全く足しにはならないとは思いますが…えっと、良かったら……」

 

 「くれるのか?」

 

 「はい……」命は顔を染め、言い辛そうにはにかみながら、早口で言った。

 

 「…ご恩には必ず報います。気遣って頂いて本当にありがとうございます」

 

 そう言ってからくるりと背を向け、命は装備の確認をし始めた。

 

 「どうかしましたか?」とリリは命に問いかける。

 

 「い、いえ。なんでもありません」と命は答える。

 

 だが、その横顔には、隠しきれない恥じらい浮かんでいた。

 

 

 三人は迷宮の森の中をあちこちと彷徨いながら、【アポロン・ファミリア】へ大声で呼びかけ続けた。だが、やって来るのは耳の良いアルミラージばかりで、パーティは余計な戦闘を強いられるばかりだった。ハムザはもう無駄な体力を使う気にもなれず、パーティに休憩を言い渡し、適当な所で火おこしを始めた。

 

 「…まぁ、なんだ。あの、なんちゃらとかいう怪物を仕留めて、たらふく肉を食うのだ」

 

 腹が減って、まともな言葉を探すのに時間が掛かる。リリは怪物の肉など食べられないと文句を言ったが、ハムザとしては、やってみなければ分からないという気分だった。三人の中で最も体力的に余裕のある命は、周辺に食料がないかとしきりに探し続けている。だが、やがて命はそれも諦めて、二人と同様に火の傍に腰を下ろす。

 

 「…アポロン一派は、やって来ませんね。本当にこの辺りに潜んでいるのだったら、そろそろ気づいても良い頃な筈です」

 

 「もう死んじまったんだろう。この場所で生きているのは、俺達だけだ。なぁ、リリ。もし好きな物を一つだけ食べられるとしたら、何が食いたい?」

 

 リリはぼんやりと火を見つめながら、微動だにせず、小さな声で言った。

 

 「…パンです。焼きたての、香りの良い、パンさえあれば、リリは何も文句を言いません」

 

 「パンか、悪くない……。命はどうだ?」

 

 「…私は何より、淹れたての緑茶のあの香りが恋しいです。ご飯に焼き魚の切り身を乗せ、緑茶をかけるだけで…あぁ、止めましょう。どうせここにはそんなものはありません」

 

 「俺は、そうだな…」

 

 想像するだけでハムザのお腹が鳴った。少しずつ、少しずつ体や思考が鈍くなっていくのが分かる。サバイバルでこの状況は非常に危険だが…今自分には、美味しい食べ物を想像することくらいしか出来ない。

 

 「ステーキが食べたい。山盛りの揚げポテトを添えてな。品の良い脂身の多い肉なぞ要らん。靴底みたいな、食べ応えのあるやつだ…」

 

 三人は『はぁ…』とため息を吐く。ハムザは考えた。今頃あの主神は、豪華な食事に囲まれてたらふく食べていることだろう。自分達がこんな場所で苦しい思いをしていることなど露知らず、毎日好きなことをして、放蕩の限りを尽くしているのだ。

 

 「なぁ、リリ。あの主神、俺達のことを覚えていると思うか?」

 

 「難しい質問ですね。神テルクシノエに限ったら、この世の人間が想像出来得る範囲を超越した奇想天外なことを平気でやってのけますから」

 

 「ハムザ殿たちの主神様は、どんな人物なのですか?」

 

 命は他人の(おや)の話に興味があるらしく、二人に問う。

 

 「恐らくだが、俺達のことなど忘れて今頃新しいファミリアを結成している。そんな神だ。命のところの神様は、どんな奴なんだ?」

 

 「タケミカヅチ様は……」

 

 命は胸に両手を当て、憧れの異性に恋い焦がれる乙女に早変わりした。

 

 「強く、雄々しく、包容力があり、一緒に居て心が安らぎ、尊敬でき、優しいお方です」

 

 「なんだ、まるで俺のようだな」

 

 ふざけ半分でハムザはそう言ったが、命は雷に打たれたように硬直し、心の中で叫んでいた。

 

 (確かに、その通りだ!この胸の高鳴りの原因は…まさか、まさか…?そういうことだったのですか!?)

 

 命は途端にハムザの顔を見ることが出来なくなってしまい、顔を下に向けながら考える。

 

 (ハムザ殿は…強い。それは間違いがない。雄々しさも一級品だ。小さなことなど気にしない大らかさを持ち合わせ、私の心を落ち着かせてくれる。それにこの厳しい環境でも弱者を労り、知恵を活かしてパーティを率いることの出来る、尊敬すべきリーダーだ。それに…私の命の恩人。このような人物に比肩しうるのは…オラリオ広しといえども、タケミカヅチ様くらい…)

 

 頭が高速で回転し、命の顔は真っ赤に染まる。考えが先へ行くに連れ、命の胸は高鳴りを強め、ハムザをとてつもなく意識し始めた。

 

 「え、えっと!?」

 

 命は挙動不審に立ち上がり、リリの顔に視線を固定しながら不自然な口調で言った。

 

 「わ、私はもう少し周囲を周回してみるであり、ありますっ!?」

 

 そんな命の背を、リリは喜んでやるべきか悲しんでやるべきか分からないといった、曖昧な表情で見送ってから言う。

 

 「…率直な話、ヤれると思いますが」

 

 「そうかもな。迷宮マジックというやつだろうか。まあそれより今は、怪物をどうするか考えなければ」

 

 ハムザがセクロスのことよりも怪物退治にやる気を出しているのが不思議ではあったが、リリはその貴重な機会を逃すべきではないとして、攻略法を考え始めた。

 

 「まずあの怪物ですが、強化種で間違いないとリリは考えています。魔石を喰らい、通常よりも遥かに強化された個体ということです。個人の力で負けてしまっている以上、連携でどうにかするしかありませんが……」

 

 リリは言い淀んだ。栗色の瞳に暗い影が落ちる。

 

 「三人、いや…二人でどうにかなるもんではないだろうな」

 

 彼女の代わりにハムザが言った。リリはそうだ、と頷いて額に手を当てる。

 

 「リリが魔剣でも持っていれば…魔法攻撃が出来たのですが。でも今は、それも望めません」

 

 二人は解決策を見出せないまま、無言で火を眺めていた。天井を見上げると、空を覆う木々の隙間から注ぐ光が、少しづつ弱まってきているのが分かった。もうすぐ黒い夜が辺りを覆うだろう。そろそろ動かなければ、この一日を無駄にすることになる。

 

 ハムザが意を決して立ち上がると、命が手を振りながら駆けて来るのが見えた。

 

 「ハムザ殿、リリ殿!見つけました、協力者です!!」

 

 

 

 

 「【ガネーシャ・ファミリア】だと?」

 

 命が連れて来た人物は一人だけ。この未開拓領域に降り立った直後、ハムザが【トール・ファミリア】を返り討ちにした時『自業自得だ』と言ってハムザを責めなかったドワーフの調教師(テイマー)だった。

 

 「そうだ。俺はニコラス。Lv.2で、組織の中でもそれなりに腕は立つ方だった。他の派閥の連中を率いて、俺達は最速攻略を目指した。だが、あの強化種に返り討ちにされ、敗走することになった。俺のパーティは、全滅だ。俺だけが生き残っちまった……」

 

 男はボロボロだった。鎧はへこみ、顔には大きな青黒い痣が浮かぶ。頬はげっそりと痩せこけており、目元には大きなくまが出来ていて、あまり頼もしい助っ人には見えなかった。

 

 「断言するが、あいつを倒すのは不可能だ。恐らくLv.4からLv.5に相当する。何十人もの魔導士の魔法をくらっても奴は無傷だった上、斧でも剣でも、傷一つつけられやしねぇ」

 

 「そ、そんな強敵だとは……」命に焦りの表情が浮かぶ。

 

 「そうなれば、現実的に戦闘は避けるべきですね……」リリの目にも絶望の色が滲んだ。

 

 「いや、そんなことはない」

 

 だが、ハムザは諦めるつもりはなかった。気落ちする美少女二人に、力強い言葉をかける。

 

 「俺にかかれば、ゴリラなど一撃だ。忘れたのか?俺には魔法がある」

 

 「言っただろうが、魔法なんか効く相手じゃねぇっ!」能天気なハムザに、ドワーフは怒りを込めて叫んだ。

 

 「まぁ、魔法ならな。だが呪詛ならどうだ?」

 

 ニコラスは「うっ...」と言葉を飲み、少し考えてから呟く。

 

 「いや…それは分からねぇ。試してねぇから、効くかもしれねぇ……」

 

 「ですが、本当に魔法を使ってしまうのですか?」リリは彼の決意を確認するように、ハムザの顔色を伺う。

 

 「やむを得ない場合は、そうする。だが、まずは接近戦だ。魔法ばかりに頼っていたら、いつまで経っても成長できやしないからな」

 

 命とニコラスはその言葉に感銘を受けたらしく、目を滲ませて何度も頷いてハムザを褒めたたえた。だが、リリは単純に彼が罰則(ペナルティ)による性交の禁止を避けたいだけだということを分かっていたので、感動に打ちひしがれる二人を白い目で見つめていた。

 

 「それならば、すぐにでも向かいましょうか」命は三人に告げ、刀を鞘から抜いた。

 

 「まぁ、待て!待て、望みがあるんなら、手助けできる奴がまだ居るんだ。俺は、アポロンのところのトゥリウスって奴らと隠れ続けてた。あいつらも、きっと手を貸してくれるだろうよ」

 

 

 それから四人は大急ぎでその場所へ向かい、【アポロン・ファミリア】の説得に当たった。リーダーのトゥリウスは陰気臭い目つきでこちらを一切信用しようとはしていなかったが、北側への進出の望みがシルバーバックの打破しかないことから、渋々ハムザ達の要求を呑み、手助けをすることに決めた。

 

 「…俺は付与魔法を得意とする槍使い(ランサー)だ。残りの二人は魔導士で、アカンサスとマルペッサだ。彼女達には後衛を任せるが…」

 

 エルフの魔導士達はとても不安そうな表情で、小さく体を震わせていた。三人揃って何かに憑りつかれたように顔色が悪く、何日間も食事を口にしていないのが明白だった。

 

 魔導士の一人が、恐る恐る口を切る。

 

 「…私達に、あまり魔力は残っていません。それに集中力も…果たして力になれるかどうか……」

 

 「そんなもの、誰だって一緒だ!」ニコラスが大声を張り上げ、士気を高めようと彼らに声を掛ける。

 

 「きつい時に力を振り絞るのは、意思の力だ!心が折れちまったら何も成し遂げられやしねぇ!偉業は不眠不休の労苦によってのみ成し遂げられるものだろう?のうエルフさん、お前らは真理だの善の究極だの論じ合いながら、そんなことも忘れちまったのか!?」

 

 「わ、私は…やるわ。貴方の言う通りよ」

 

 もう一人は眦を決し、魔道杖を両手に持って立ち上がる。

 

 「私はアカンサス。シルバーバックを倒すため、全力を尽くすわ」

 

 残されたマルペッサも諦めたように顔を振って立ち上がった。どうやらこれで全員の意思が固まったようだ。

 

 「それでは、簡単な作戦を決めておきましょう」リリは事態が好転していくのを感じながら、興奮を隠し淡々と作戦を説明していく。

 

 「ハムザさま、ニコラス様で前線を作ります。魔導士のお二人は後衛で、リリもそこに加わります。トゥリウス様は中衛で前後のサポートをし、命さまは殿でバックアタックを警戒して下さい。ここまでは良いですね?」

 

 全員が頷いたので、リリは続けていく。

 

 「前衛の役割は時間を稼ぐこと。後衛の役割は魔法を撃つこと。他の人は臨機応変にサポートを。以上です」

 

 「ちょっと待ってくれ、サポーターちゃん。やつに魔法は効かねぇ、忘れちまったのか?」

 

 むむ、とリリは唇を噛む。

 

 「ですが、やってみなければ分かりません。苦手な属性があったのかも知れませんし、相手の反応で次の手を考えることが出来ます」

 

 リリの作戦は定跡通りの、当たり前の作戦だった。だが、全員はなかなか踏み切ることが出来ずに困っていた。

 

 その時、命の頭にある作戦が浮かんだ。

 

 「えっと、私からも良いでしょうか?もしかしたら、倒す必要はないのでは?」

 

 「どういうことだ?」ハムザは思わず聞き返した。

 

 「ですから、地形を利用してハメてしまえば良いのです。まず、強化種はトンネルの先のエリアに居て、私達は手前のエリアに居ます。一度どうにか怪物を釣って、こちらに誘き寄せてから私達はトンネルを潜り抜け、先のエリアへ到達してしまう」

 

 「そんでどうすんだぁ?奴は絶対に追いかけて来るぞ」ドワーフの調教師に、命は言いづらそうに顔をしかめながら提案する。

 

 「ですから、そこで魔法を撃つんです。トンネルに魔法を撃ちこめば、落石を起こせるかも…強化種を私達のエリアに閉じ込めて、私達は先のエリアへ脱出すると…」

 

 「正々堂々やる必要はない、ということですか…悪くはないですね」

 

 「あぁ、悪くはないが…戦士としては禁じ手だな。あまりにも臆病な作戦だし、俺の誇りに反する」

 

 リリは命に賛同し、トゥリウスは否定する。

 

 「誇り云々言う場合か?生き残れば勝者だ。俺は賛成だな」

 

 【アポロン・ファミリア】以外が皆命の提案に賛成したため、彼らは仕方なく意見を曲げた。こうして作戦が決定し、彼らは行動を開始する。

 

 全員が準備を整え、いざ向かうと言うところで…リリが言った。

 

 「言っておきますが、リリはまるで役に立ちませんので。魔法も使えませんし、武器も駄目です。頼りの綱のアイテムは…そうですねぇ。周囲を明るくする、松明くらいでしょうか」

 

 「火の棒切れでぶん殴ってどうにかなる相手なら、まぁ苦労はしないだろうな。命ちゃんもリリも、まぁついでにそこの二人組も、全員俺が守ってやる。なに、あんなゴリラ野郎、俺の剣にかかれば楽勝だ。お前達は知らんぞ、男ども。男を守る趣味なんてないからな」

 

 トゥリウスとニコラスは苦笑いをハムザに返す。パーティの先頭に立ち、ハムザはそれっぽいことを言った。

 

 「機は熟した。今こそ全員が一丸となってあの野猿を倒す日だ。ダンジョンに一泡吹かせてやろうじゃないか」

 

 一同が結託して士気を高める中、リリは一人暗い表情を作っていた。

 

 (文字通り、これは最初で最後のアタック…。平静を装ってはいますが、皆が体力の限界を感じているはず。失敗すれば、それは敗北を意味するだけでなく…最期(おわり)になるでしょうね)

 

 皮肉混じりに笑みを作り、リリはハムザ背を追いかけようとした時、命がそっと近づいてきて、リリにこっそりと耳うちした。

 

 「……彼らがここに居たのなら、私達の姿を見つけていた筈ですし、呼びかけにもすぐ応えられた筈です。それをしなかったという理由は…何だと思いますか?」

 

 リリは誰にも気付かれないよう、首を小さく横に振った。そして、小声で命に答える。

 

 「分かりませんが…何にせよ、良からぬ理由でしょうね……」

 

 彼らは一時的に協力するとは言え、腹の内を見せるつもりはない、ということか。心中穏やかではないというのは、まさにこのことだ。

 

 

 ●

 

 

 パーティは強化種の待ち受けるトンネルまでやって来た。既に辺りは暗くなっており、リリは他の怪物の襲撃を懸念していた。だが、皆の体力も限界が近いし、士気も高まっている。ここで一日伸ばしてしまうのは愚策に思えたので、無理矢理作戦を結構することに決めた。

 

 ただし、やるからには何としても戦果を上げなければならない。松明の火をそこら中の木に灯し、リリは光源を確保する。

 

 「よっしゃあ、行くぞ、ハムザ!」

 

 気合を入れるニコラス。ハムザは熱血漢が苦手だったため、返事はせずにトンネルへと進んで行く。

 

 

 「…近いな。来るか?」

 

 ハムザの予想通り、聞き覚えのある唸り声が暗闇に響く。

 

 

 『ボォオオオォオ……...』

 

 

 リリが燃やした木々は大きな光源となり、トンネルまで僅かに明かりを届けている。そして、その僅かな光が、醜悪な怪物の顔を照らした。

 

 「出たぞっ!退けぇっ!」

 

 大急ぎで退却する二人。強化種は咆哮を伴って突進した。

 

 二人は間一髪でトンネルの外へ飛び出し、突進を回避する。

 

 シルバーバックは襲撃者達へ牙を剥き、片腕を振り上げ、力いっぱいに地面に叩きつけた。

 

 地面が弾ける爆音。衝撃波が周囲を震わせる。

 

 「よう、クソ野郎」

 

 振り下ろしを見切り、隙の出来た懐にハムザは飛び込んでいた。零距離から剣を構え、怪物の右目めがけて鋭い突きを見舞う。有無を言わせぬ奇襲だった。だが、シルバーバックはその突きをあっさりと左腕で払い、ハムザを蹴り飛ばす。

 

 「ぐっ……!?」

 

 蹴りを一発貰っただけで、ハムザは数M吹き飛ばされた。

 

 「なんつー威力だ…馬鹿め」

 

 「今ですっ!皆さん、トンネルの先へ!」

 

 リリの掛け声と共に、前衛を除く全員がトンネルへと入り込んだ。そしてすぐさま、魔導士二人は詠唱を開始する。

 

 「ハムザさま、ニコラス様!はやくこちらへ!!」

 

 ニコラスは良い位置取りをしていたため、難なくトンネルへと入り込むことが出来た。だが、ハムザは一度吹き飛ばされて距離が出来てしまったため、トンネルへの道に強化種が立ち塞がる。

 

 「ちくしょう…まずいな」

 

 急がなければと焦るハムザ。だがシルバーバックは鼻を鳴らしながら、不自然な動きを見せた。それからくるりとハムザに背を向けて、トンネル目掛けて突進した。

 

 「ま、まずいっ!」トゥリウスは魔導士二人を見つめる。

 

 「もう時間はない、撃てっ!」

 

 「ま、待ってください!?」

 

 トゥリウスはハムザが残されていることを気にもせず、二人に魔法の発動を命じる。リリはそれを止めるべく叫んだ。その拍子に、松明を落としてしまった。

 

 火が傍の茂みに燃え移り、光源がぼんやりと広がったその時。

 

 命は魔導士達に近づく大きな影を捉えた。

 

 「ミ、ミノタウロスがっ…!!」

 

 突如現れたミノタウロスが、魔導士達へ斧を振り下ろした。いち早くバックアタックに気付いていた命が二人に飛び掛かり、何とか攻撃を緊急回避する。地面を転がった命は素早く立ち上がり、ミノタウロスの足に一太刀お見舞いした。

 

 『グ、ガァァァァッ!?』

 

 足を切断されたミノタウロスは崩れ落ちる。何とか魔導士を救って安堵する命とは裏腹に、リリは青ざめていた。

 

 最悪の状況をいち早く察知していたのだ。

 

 「詠唱が…ぶれてしまいましたね」

 

 魔導士達は突然の背後からの襲撃に集中が削がれ、態勢を崩したことでそれ以上詠唱を紡ぐことが出来なくなっていた。

 

 詠唱の中断、失敗。魔導士としてはあってはならない致命的なミス。しかし二人の魔導士は、決して歴戦の猛者でもなければ、第一級の熟達冒険者でもなかった。もともと極限に近い精神状況だ、いったい誰が二人を咎められようか…。

 

 リリも、命も、トゥリウスも、アカンサスも、マルペッサも、ニコラスも、全員が絶望に目を染めながらトンネルを見た。そこには、醜悪に牙を剥ける大猿の怪物が辺りを包む炎に照らされ、目を光らせて佇んでいた。

 

 

 「―――退けっ!!」

 

 シルバーバックの背後から、ハムザが剣を突き刺す。だが、突きは剛毛と分厚い皮を貫くことはなく、切っ先が零れてしまう。

 

 シルバーバックは背後から襲われたにも関らずハムザを気にも留めず、燃え盛る炎へ近づいて奇妙な鳴き声を上げ始めた。

 

  「な、なんだ?」強化種の不自然な行動に目を丸くする一同。

 

 ハムザはその隙にパーティに合流し、シルバーバックの一挙手一投足に目を向けた。

 

 怪物は悲しんでいるようだった。ハムザは突如戦闘を止めた怪物の行動の意味がすぐには分からなかったが、やがて燃え移る火の中に果実を見つけ、その意味を理解する。

 

 「バナナだっ!食い物があるぞっ!」

 

 いち早く気が付いたハムザの後に、リリもその目でバナナを捉える。それからの行動は迅速だった。リリは魔導士二人組にまだ火の移っていないバナナを探すよう言い、果実を集め始めた。そして強化種の前で魔法を詠唱するよう、トゥリウスに言った。

 

 半ば意味が分からない一同だったが、トゥリウスが詠唱を開始するとシルバーバックは途端に彼に敵意を露にしたので、全員はこの強化種が魔法に反応する性質を持っているのだと理解した。

 

 そしてトゥリウスは自分が囮になりながら、距離を取り続けて時間を稼ぐ。その間、シルバーバックには背後や横から攻撃する隙が生まれていた。

 

 「凄いぞっ!魔法を唱えていれば、こいつは俺にしか興味がないようだっ!」

 

 トゥリウスは詠唱を始めては止め、始めては止めと繰り返しながら怪物との追い駆けっこに興じる。そして、ハムザが怪物の背後から斬りかかり、ニコラスが鞭をしならせて急所を狙っていく。

 

 だが、どちらもダメージを与えることは叶わない。その時、命が前に出て、刀を一閃した。

 

 「はぁぁぁぁぁッ!」

 

 命の渾身の一薙ぎが、怪物の掌を切り裂いた。

 

 『ギャァッ!?!?』

 

 「いけるっ…!掌は攻撃が通るようです!」命は見事にシルバーバックに一矢報いてみせた。

 

 「す、すげぇぞっ!サムライッ!?」

 

 ニコラスは歓喜の雄叫びを上げる。

 

 斬撃を受けた怪物の右手はぱっくりと割れ、鮮血が迸る。甲高い悲鳴を上げて、シルバーバックは手を庇うように後退し始めた。

 

 「しめた、痛覚がある!傷口を狙え、痛みに怯えているぞ!!」

 

 ハムザの号令と共に三人が飛び掛かると、シルバーバックは巨体を翻して暗闇の中へと逃げて行ってしまった。

 

 「止めろ、追う必要はない!」ハムザはそう命じてから、リリ達の方を見た。

 

 炎は幾分か勢いを止めており、安堵のため息を吐くリリの姿は陽炎に揺れることなくくっきりと見ることが出来た。

 

 どうやら《戦果》は十分にバックパックに詰め込んだらしく、リリはにこにこと満面の笑顔をハムザに向けていた。

 

 「上々じゃないか、おい。成果はあった。俺達は勝利したのだ」

 

 全員が頷いた。怪物の討伐こそできなかったが…追い払うことが出来た。それにパーティは大量の食糧を得た上に、北側へと進出することが出来たのだ。これを戦果と言わず、なんと言おう?

 

 命とリリは大喜びで手を叩き合う。ニコラスは目に涙を湛え、死んでいった戦友に何かを呟いていた。魔導士の二人も、信じられないといった表情でお互いを抱きしめ合っている。

 

 だが、トゥリウスだけは暗く陰湿な目で、値踏みするようにハムザを盗み見ていた。

 

 

 久しぶりの食糧を口にすることで、リリもハムザも元気を取り戻した。ニコラスやトゥリウス達も力が戻ったようだ。全員は火を囲みながら、何本もバナナを貪った。リリが周辺に灯した炎は、今ではすっかり辺りを燃やし尽くしてしまったが…既に一部は再生が始まっていた。迷宮の再生能力は、驚くほどのものだ。

 

 「あの大猿、毛皮は尋常じゃない程の防御力だが…足の裏や掌まではカバーできていないようだったな。食事を取って休憩してから、狩りに出るとしよう」

 

 トゥリウスは依然として距離を保ち続けていたが、ニコラスはハムザに敬意を表して高回復薬(ハイ・ポーション)を手渡して、がっちりと握手をした。なんでも、勇気と知恵に惚れたとのことだったが、ハムザはそれをすぐにリリに手渡してから、手をごしごしと裾で拭った。

 

 【テルクシノエ・ファミリア】はひとつの死線を乗り越えたことで、一段と結束力が高まっていた。命はハムザの傍で従者のように周囲を警戒しつつ、自分も休息を取っている。対するリリは【アポロン・ファミリア】の男を目敏く監視し続けながら、気になる【シモエイス・ファミリア】の死因についてハムザと話しを続けていた。

 

 「だから、シモエイス・ファミリアの死因を考えるのはもう止めにしろ。大方怪物にやられたか、あるいは服毒自殺でもしたんだろうよ」

 

 ハムザはそう言い終えるや否や、奇妙な音に気が付いた。

 

 「――――……」

 

 聞き覚えのある、不気味な重低音。

 

 『…………オォォォ……』

 

 脳まで揺らすような、あの感覚が上空から降ってくる。

 

 「…この音は?」

 

 命が、リリが、その異音に気付いた。その緊張が、他のメンバーにも伝播していく。

 

 「まさか…そんな——」

 

 命の呟きの後に、唸り声が伴って轟いた。

 

 『………ボオォォォ』

 

 耳を劈くような咆哮と共に、巨大なシルバーバックが暗闇から降って来た。

 

 

 「うおおおおおおっ!?!?」

 

 

 強化種の突然の襲撃に、全員が驚愕した。

 

 大猿は大地を爆散させ、今までの数倍大きな声で怒りを撒き散らした。林立の木立を大きな手で弾き飛ばしながら、こちらへ一目散にやって来る。

 

 「…まずい」

 

 シルバーバックは怒りに任せて加速し、巨体で焚火に突っ込んだ。

 

 「きゃああああっ!」

 

 リリは大声を上げて何とかそれを避けた。他のメンバーも、驚愕を浮かべてはいるものの落ち着いて攻撃を回避していたようだ。だが、武器を取る彼らの焦りがリリにも伝わってくる。怪物は先ほどとは打って変わって、明らかに強くなっているようだ。そして、傷も塞がっている……。

 

 「一体何が起きた?この短時間で…?」

 

 トゥリウスやニコラスも、舌打ちをして怪物を前に武器を取る。

 

 「分からんが……間違いなくやべぇ。一人でも生き残れれば、御の字だろうな」

 

 いつ飛び掛かってくるかも分からない程の興奮状態で、荒く速い呼吸に体を揺らしながら、怪物の目はぎょろぎょろと動いている。その眼はハムザへ、トゥリウスへ、命へ…アカンサスへ、マルペッサへ、ニコラスへ…。そして、呆気に取られてバナナを握り締めていた、リリへ。

 

 

 

 「……え?」

 

 

 リリは思わず間抜けな声を出す。

 

 (自分…が、狙われているのでは……?)

 

 そして怪物の目の色が変わった。

 

 『グァァアアアアアッッ!!!』

 

 その咆哮と共に、リリは逃げ出していた。怪物は一目散に逃げるリリを追いかけ、走り始める。ハムザが止めにかかろうとするが、呆気なく吹き飛ばされ、血を吐いて倒れた。柄に手を掛けていた命だったが、一瞬の出来事に攻撃の機会を逃し、走り去る怪物の背を見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 「これは助からない。二人とも、追うのはやめておけ」

 

 冷たい口調でトゥリウスはそう言って、破壊された焚火に新しい薪を放り投げていく。やりきれない表情で、ニコラスは口を噛んでいた。

 

 そして、何とか立ち上がったハムザが、リリが逃げて行った方へ駆けていく。慌てて命はそれを追いかけた。

 

 ●

 

 

 「はぁっ…、はぁっ」

 

 鼓動が早鐘のように鳴り、全身から大汗が流れている。リリは訳も分からず駆け続けていた。背後からは、おぞましい怪物達が群れを成して追いかけてきていた。

 

 シルバーバックだけなら、まだよかった。

 

 だが、数種類の怪物達が数十匹と連なり、先頭を走る野猿に付き従うように、リリという獲物を目掛けて追いかけてきているのだった。もしこの場所に他のパーティがいれば、特大の怪物進呈(パス・パレード)となるだろう。

 

 憎きザニスにこの素敵なプレゼントを贈ることが出来たら、どれだけ気が晴れるか――いや、ザニスはもう死んだ。ハムザがやっつけてくれたのだ。

 

 どうせなら楽に死ねればいいのに、と。

 

 夢と現実の境界線が曖昧なようだ。もしかしたら、こっちが悪い夢か。いや、きっとそんな筈はない。

 

 既にもつれかけている足取りをなお止めず、リリは逃げ続けた。

 

 ハムザなら、追いついて助けてくれるだろうか。いや…期待するべきではない。彼は既に自分を守ろうとしてくれた。自分が逃げ出した直後、怪物を止めようと間に割って入り…吹き飛ばされる姿を見たのだから。

 

 それでも…もしかしたら、助けに来てくれているかも知れない。そう思い、リリはもう一度振り返る。だが、そこにあるのは、自分を喰い殺そうと追いかけてくる怪物の群れだけだった。ヘルハウンドの火が、もうすぐそこだ。シルバーバックの大きな爪が、触れられそうな距離にある。アルミラージの角も、一突きで楽にしてくれるのなら…案外愛しいものだと思えるものだ。あの斧で潰されるよりは、まだましだ。

 

 「もう…ダメ、ですっ…」

 

 リリは足を止めようとした。だが、その時。

 

 目の前に洞窟があった。

 

 それは【シモエイス・ファミリア】全滅の場所だった。

 

 最後の力を振り絞り、リリは入口を目指して下半身に全ての力を注ぎ、加速した。

 

 ここ数日、リリは彼らのことを考えずにはいられなかった。盗賊時代散々カモにしてきたお人好し達。簡単にこちらの嘘を信じては、財布の中身をごっそりと奪われていく。それでも彼らは怒ったりはしなかった。

 

 それどころか、そんな出来事の後ですら、彼らは微笑み続けていた。子猫に引っかかれた傷が出来た、とふざけながら。

 

 思えば、その時…あの子がいたかも知れない。断片的な記憶の中で、その子の笑顔がちらちらと目に浮かぶ。あの黄色くなって変わり果てた姿の小人族(パルゥム)。そして同じサポーター。

 

 ハムザには考えないように言われ続けていたが、リリは自分の悪い過去とうまく折り合いをつけられるよう、何とか彼らを供養してやりたいと思っていた。

 

 

 

 「はぁ、はぁ…」

 

 早鐘を撃つ鼓動とは裏腹に、リリの頭はだんだんと冴えてきた。ここ数日、さんざん彼らのことを考えてきたからだっただろうか。そしてつい先ほど、結論のようなものを導き出していた。

 

 それは、死因。どうして彼らは死んだのか。どうして無傷のまま、眠るように亡くなってしまったのか。

 

 リリは洞窟に入り込んだ。残念だ…この大きさなら、あの巨体だってすっぽりと収まるだろう。洞窟の入口は広い。簡単に怪物達を招き入れるだろう。 

 

 急いでバックパックから松明を取り出した。火打石を壁に擦り付け、火を灯した。その直後、シルバーバックを筆頭に怪物の群れが雪崩れ込んできた。

 

 

 『ガァァァァァアァァァァッ!!!』

 

 

 間髪入れずに襲い掛かる怪物。リリは覚悟した。

 

 

 ここが、死地。今が最期の瞬間。

 

 松明の火が、ゆらゆらと揺れた。時が無限のように感じる…。

 

 松明の赤い炎は黄色くなり、すぐに青白く変わった。

 

 

 

 (それなら…どうせ死ぬなら…っ!)

 

 

 

 「タダで死ぬなんてまっぴらごめんですっ!!!」

 

 松明を投げ捨てる。

 

 一瞬、怪物達の動きが止まった。

 

 その僅かな間にリリはサラマンダーウールを拾い上げ、横穴に潜り込む...…。

 

 ——そして、轟音と共に大爆発が巻き起こった。

 

 洞窟を埋め尽くす炎は行き場を失くし、外に飛び出して何十M先まで燃やしていった。

 

 洞窟内の怪物達は悲鳴を上げ、業火に包まれて灰になっていく…。

 

 

 ……。 

 

 

 

 …。

 

 

 

 猛る炎が、やがて静まった頃。

 

 

 ハムザと命の二人は、怪物の足跡を追って洞窟まで辿り着いていた。

 

 「何だったんだ、あの爆発は…」

 

 ハムザが呆然と声を出す。命は無言で首を左右に振った。

 

 洞窟内には大量の灰が堆く積もっていた。【シモエイス・ファミリア】の冒険者達は、装備だけを残して跡形もなく消え去っていた。彼らにとっては、いい火葬となったに違いない。

 

 ハムザは少し歩いて様子を探る。魔石やドロップアイテムは炎に焼かれず、しっかりと原型をとどめたまま転がっている。

 

 その中でもひと際大きく巨体にハムザの目がいった。

 

 「こりゃ、シルバーバックだ…まだ、ちょっと息があるぞ…?どうなってる?」

 

 炎に焼かれてもなお、防御に優れた毛皮は健在だった。だが、意識は朦朧としているようだ。ハムザは剣を怪物の目玉に突き刺して、それを一気に奥へと押しやった。

 

 致命傷を受けた怪物は無言のまま血を流し、灰になった。山のようになった灰からは、巨大な魔石と人が被れそうな分厚い毛皮が残る。

 

 「ドロップアイテム……」命はその漲る生命力に息を飲む。

 

 「しかし、これは一体何事だ…?」

 

 ハムザの頭に、ある考えが過る。まさかリリが、魔法…?知らない間に、覚えてしまったのか?

 

 いや、そんな筈はない。あのアホ主神の場合でも、魔法が発現したのなら伝えて来るだろう。それに、リリだって魔法が使えるのなら喜んで話したことだろう。

 

 だが、当の本人は一体どこへ消えてしまったのか…。周囲を見渡すハムザは、奥の方にある横穴に目がいった。

 

 慌ててそこへ近づいて下から覗き込むと、サラマンダーウールを被ったまま動かないリリが居た。

 

 「ここにいるぞ!」

 

 ハムザはリリを穴から引っ張り出した。

 

 「まずい、意識がありません…」

 

 命はなんとかリリを助けるために、辺りに何か使えるものがないかと見渡すが…周囲は灰とドロップアイテムに包まれており、何も見つけることが出来なかった。

 

 「高回復薬(ハイ・ポーション)を、こいつに渡した!」

 

 ハムザはリリのローブをまさぐった。するとベルトポーチに括り付けられたホルスターに高回復薬(ハイ・ポーション)が納まっていたので、大急ぎでそれをリリに飲ます。そしてハムザは祈るようにリリの目が覚めるのを待った。そして、すぐにそれは実る。

 

 「…げほっ…げほっ!?」

 

 リリは咽ながら、ぜいぜいと酸素を吸い込んだ。大量の涙を流し、嗚咽さえ漏らしながらも、リリは息を吹き返した。

 

 「一体何をやらかした?」彼女の無事に安堵したハムザは、まるで我が子の悪戯を咎めるような口ぶりでそう言ってから、リリを腕の中に抱き寄せた。

 

 「…はあ、はぁ…。ええっと…ここに隠れて、爆発を起こした途端…息が苦しくなって、そのまま意識が飛んでいたようです」

 

 「爆炎が酸素を燃焼させたということなのでしょうか…?それであの強化種も、あんな死に方を…」

 

 「というかお前、どうやって爆発を起こしたのだ」

 

 リリはぐったりとして、まるで元気がない。疲れ果てているようだった。

 

 「とにかく…ここは危険です。はやく離れましょう」

 

 リリにそう言われたので、ハムザは真っ白い《シルバーバックの毛皮》をリリに被せてから、彼女を背負って外へ出た。

 

 

 ●

 

 

 「それで、一体どうやってあんな魔法を唱えたんだ?」

 

 破壊された拠点まで、ハムザはリリを抱えて戻る途中。ハムザは力を使い果たして腕の中でぐったりとしているリリにそう聞いた。

 

 「…シモエイス・ファミリアが無傷で全滅した理由を、リリは随分考えました。それで…もしかしたら、有毒ガスではないかと思ったんです。…それより、疲れました。もう寝かせてください、ハムザさま…」

 

 そう言ってリリは目を閉じる。命が感心した声を出す。

 

 「なるほど…可燃性の毒ガス、という訳ですか。私はてっきり魔法かと…」

 

 「いや、似たようなもんだろう」ハムザが言う。

 

 「荷物持ち(サポーター)が、俺らでさえ倒せなかった強化種を葬ったんだ。頭と発想だけでな」

 

 腕の中で丸くなって眠るリリを見て、ハムザははぁと溜息ひとつ。

 

 「何はともあれ、今はゆっくり休ませてやろう。たいしたお手柄だぜ、まったく」

 

 「そうですね、しかしどうしてシルバーバックはリリ殿を追いかけたのでしょう?」

 

 その質問の答えを、ハムザは知っていた。先ほどあの強化種が牙を剥いて襲い掛かってきた時、何故か主神のことを思い出していたからだ。

 

 「…バナナだな。あいつはゴリラだから、バナナを取られて腹が立ったに違いない。だから普段の行動範囲を超えて俺達を追いかけてきた。それしかない」

 

 「そ、そんな単純な…?」

 

 「そうだ。俺には分かる。食べ物の恨みは怖いのだ。やつの気持ちは手に取るように分かるぞ。俺は天才だからな」

 

 「それは…ゴリラ並みの知能、ということでしょうか…?」

 

 「おいおい、笑わせてくれるぜ」

 

 ハムザは口端を釣り上げ、助平な笑みを命の胸部に向ける。

 

 「君にはそのうちお仕置きをしなければならん。覚悟しておけよ」

 

 「ど、どうかご勘弁をっ…!?」

 

 命はリリのバックパックを代わりに背負い、ハムザと一緒に北部への道をゆっくり歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 -影-

 

 不思議なことに、リリが強化種を打ち倒してからパタリと夜の襲撃が止まった。これには全員が助かった。夜番の必要がなくなったし、睡眠を削って戦闘を続ける必要が全くなくなったからだった。だが、依然として周囲に怪物はいるようだったし、北側にはミノタウロスやオークなど、中型怪物も出没する様子ではあった。だが、少なくともリリが《シルバーバックの毛皮》を被っている限りは、怪物は全くこちらに近づいてこなくなったのだ。

 

 この現象を、リリは『黒龍の鱗現象』と名付けた。

 

 どうやら自分よりも遥かに上位に属する怪物を、怪物が恐れるらしい。その強大な力を本能で感じ取り、恐れ、近づきたがらないということだった。今のところリリの仮説は正しかったし、誰もリリに反論をする気になれなかったので、取り合えず毛皮は強力なお守りも兼ねていると、そう皆は考えることにしていた。

 

 しかし、実際問題としてそんな超強力な魔除け装備が存在しているとしたら、途轍もない希少アイテムということになる。迷宮に居ながら怪物を避けることが出来るとしたら、探索がこの上なく楽になってしまうからだ。

 

 だが、あの強化種の異常な能力には、確かに目を見張るものがあった。強化種という希少であり強力な怪物のドロップアイテムと考えれば、それほど強い効果を持っていても、不思議ではないかもしれない。

 

 そんな強力なシルバーバック強化種を倒し、三人が拠点に戻った時の他の冒険者達の顔は、筆舌に尽くしがたい程に滑稽だった。トゥリウスなどは一向に信じようとしなかったが、ニコラスがリリが纏う毛皮を指さすと、何も言えなくなってしまった。しかし、トゥリウスはシルバーバックの死亡を認めるかわりに、どんどん猜疑心が強くなっている様子だったのが、リリは気がかりだった。

 

 そして迎えた、強化種打破から二日目の夜のこと。

 

 事件は起きた。

 

 夜な夜な起き出したトゥリウスは、誰にも気づかれず、ハムザに近寄って首を刎ねようとしたのだ。たまたまハムザのことを考えていたせいで眠れなかった命がその危機を察知し、間一髪でトゥリウスのナイフを弾いたことで助かったのだが、それから怒った命はトゥリウスを殺そうかという剣幕でまくし立てたのだった。

 

 「何ということを!恩知らずこそ、最大の恥ずべき行為です!弁明の言葉が無いのなら、私は今すぐ…トゥリウス殿、貴方を斬り捨てる!」

 

 トゥリウスの形相は、命の言葉を受け、怒りで爆発するかのようだった。

 

 「恥じを知るのはお前だ!」

 

 一度吐き捨ててから、捲し立てる。

 

 「お前は間違いなく、裏社会に繋がっている!あの女の仲間だろう、えぇ、【テルクシノエ・ファミリア】よ!お前達が私の愛する仲間達を殺したのだ!見るも無残なあの亡骸を…お前達が作り上げたのだ!」

 

 「ちょ、なんのことですか?」

 

 騒ぎを耳にしたリリは目を覚まし、トゥリウスの言葉を聞いていたがすぐに言葉を返す。

 

 「私達は【アポロン・ファミリア】にちょっかいなど出しておりませんよ」

 

 「しらばっくれるな!」トゥリウスは叫んだ。そして、短刀を持ち直し、リリに向かって飛び掛かった。

 

 だが、リリが纏っていた毛皮はあっさりと攻撃を弾き、反動でトゥリウスは地に倒れる。そこをすかさずハムザが抑え、首元に剣先を突き付けてから言った。

 

 「俺がすっかり納得するまで訳を話せ。出来ないのなら、殺してやるぞ」

 

 「ひっ……」

 

 トゥリウスは威勢を失くし、今度は涙ながらに語り始める。その様子を見ながら、ニコラスは沈痛に相貌を崩す。

 

 「...俺達は、影の化物に襲われた。それで冒険者は散り散りになった。だが、俺達は生き延びた。そして怪物の特徴を掴んだのだ。奴は明かりを恐れ、激しい炎がある所には姿を見せなかった…」

 

 嗚咽を漏らしながら、トゥリウスは途切れ途切れに続けていく。

 

 「生き延びたんだ!生き延びた…。だが、あの女が滅茶苦茶にした。お前の仲間だろう?赤い髪の、蛇の目のような化物…。あいつに比べれば、強化種など大したことはない。雑魚だ!雑魚に過ぎないんだ……」

 

 ハムザは喉元に突き付ける剣を持つ手を緩めず、警戒しながら続きを促した。

 

 「それで、その女が何をした?」

 

 「あ、あいつが…」

 

 トゥリウスは苦しそうに呻いた。

 

 「あいつが仲間を皆殺しにした!そして、食わせたんだ…!怪物の餌に…な、仲間を。それから俺は逃げた。仲間を置き去りにして、逃げたんだ。その様子をあいつはただ眺めていた…。それから俺はニコラスに出会った…。ニコラスもまた、仲間を殺された。あの女に…」

 

 ハムザはニコラスを見た。彼もまた悲しみに打ちひしがれ、膝から崩れ落ちて全てを語り始めた。

 

 「あぁ、そいつの言う通りだ!…俺達は最初にシルバーバックと戦って、敗走したんだ。おめぇも知ってるな」

 

 ハムザが頷いたので、ドワーフの調教師(テイマー)は更に話を続ける。

 

 「それから俺達は逃げ遂せた。あっさりとだ。あいつは逃げる敵に執着しねぇからな…。それで、森で怪我人の手当をしていたら、あの女が来やがった。何も言わず、次々と仲間の顔を握りしめ、砕きやがった。それからあいつは魔石や食料を要求した。あいつは袋を持っていて、その中には既に大量に入っていたがな」

 

 「それで、渡したのか?」ハムザは聞いた。

 

 「あぁ、一部はな。だが俺が隠し持っていたもんまでは、あいつは気にしなかった。既に十分量を手に入れたってことだろうよ。あいつは俺の仲間を全部殺しちまった後、俺に聞いた。生きたいか、ってな。俺は答えたぜ。殺せ、ってな」

 

 ごくり、とリリは喉を鳴らす。

 

 「だが、あの化物は無言で去っていきやがった。とんでもねぇ奴だ…あの冒険者め。それで俺達生き延びた連中で、必死で隠れていた訳よ。その時、お前さん達を見つけた。もしかしたらあの女の仲間かもしれねぇと思って、最初は声を掛けなかったさ。だが、シルバーバックを倒す手助けが欲しいって聞いてから、俺はお前達を信じることにした。今じゃ確信を持って言えるぜ、お前達はあの化物の仲間じゃねぇ。あいつは血が通ってねぇが、お前らは違う」

 

 「ふむ…それならニコラス、お前は命拾いをした。だがトゥリウス、お前は駄目だ。殺すことにする」

 

 「ま、待ってください!」

 

 それまで不安げに成り行きを見守っていた魔導士の二人が声を荒げる。

 

 「どうか、お慈悲を…冒険者ハムザ様…」

 

 見目麗しいエルフにおねだりされてしまったハムザは、仕方なしと手を緩め、トゥリウスを解放してやった。だが、すかさずトゥリウスは短刀を握りしめ、ニコラスの腹を突いた。

 

 「がはっ……!?」

 

 不意を突かれたニコラスは何もすることが出来ず、そのままトゥリウスに何度も腹を刺される。

 

 「お前は…!この、愚鈍なドワーフめ!死をもって、その愚かさを学ぶがいい!」

 

 返り血で血まみれになったトゥリウスは、少し離れてハムザをねめつける。

 

 「覚えていろ、【テルクシノエ・ファミリア】。いや、闇派閥の悪鬼ども。我ら光の【アポロン・ファミリア】が、お前達を皆殺しにしてみせる!」

 

 トゥリウスはそう言ってニコラスを蹴り飛ばし、エルフの魔導士二人と共に闇の中へ消えていった。

 

 ハムザは血を吐くニコラスに、そっと近づいて彼を起こしてやった。回復薬(ポーション)がもうないことは分かっていた。そして、腹部に受けた傷の大きさとその出血量では、もう助かる見込みがないことも。だが、不思議とハムザはそうしてやるべきだと感じていた。

 

 「…すまねぇ、最期まで、面倒みさせちまったみてぇだ」

 

 「構わん。何か伝言があれば言ってくれ、地上へ戻ったら、伝えてやろう」

 

 ニコラスはその申し出を断った。冒険者の死など、日常茶飯事。自分の仲間達はそれくらいの覚悟はある、とのことだった。

 

 「家族はいないのか?」ハムザは問いかける。

 

 「いたさ、だがあの女に殺された。嫁も、娘もな。魔導士だったんだ。優秀じゃなかったがな…。なぁ、ハムザ…お前なら、仇を討てると思うぜ……」

 

 「そうか。楽にさせてやろうか」

 

 「いや、必要ねぇ!お前さんの手を汚すまでもねぇ。間もなく、逝ける……」

 

 ニコラスの口調は緩慢になり始め、目は虚ろに色褪せていく。

 

 「お前さんには、英雄の器がある。死が、お前を遠ざけているのが見える……」

 

 ハムザ達は無言で彼のいうことを聞いていた。

 

 「……英雄になってくれ、ハムザ。そして俺達のことを思い出してくれ…。お前がそこへ辿り着くまでの道のりに、俺達家族の糧があったということを、思い出してくれ……」

 

 「分かった、約束しよう」

 

 そう言うと、ニコラスはかっと目を見開き、それきり動かなくなった。ハムザは死んだドワーフを寝かせ、リリと命を見る。

 

 「……為すべきことを、為す必要がある」

 

 「その通りです、ハムザ殿」

 

 「はい、やりましょう、ハムザさま。あの戦闘衣(バトルクロス)の女冒険者を探し出し、やっつける。それから地上へ帰還です」

 

 

 

 

 岩壁に囲まれたとある一室にて。

 

 赤い髪の女が、大量の肉果実や果実、魔石に囲まれて食事を取り続けていた。

 

 「足りん。くそ、こんなものでは…。【ロキ・ファミリア】の化物どもめ」

 

 魔石を手に取り、それを歯で砕く。常軌を逸した女の食事は、かれこれ数時間は続いていた。

 

 「なぁーんだ、レヴィスちゃん、まだ食べてたの?」

 

 そこに均整の取れた顔に笑みを浮かべる、とある神が姿を現す。

 

 「邪魔をするな、タナトス。【ロキ・ファミリア】のせいで、あちこち痛む。元の力を戻すため、私は食べ続ける。邪魔をするな」

 

 蛇の目で睨みつけられたタナトスは踵を返し、部屋から立ち去った。暗い空間に残されたレヴィスは、肉果実を豪快にほうばる。

 

 「……足りん、か。狩場のネズミの様子でも見に行くか……」

 

 そして立ち上がった。完璧な女の肢体をマントで隠し、レヴィスは声を上げる。

 

 「バルカ!私は狩場へ行く。扉を開けろ」

 

 レヴィスの目の前で、巨大な扉が門を開いた。そして、その目の前に広がるのは。

 

 鬱蒼と茂る、黒い森だった。

 

 

 

 

 

 ハムザ達が北側に侵入して、数日が過ぎていた。三人は協力して寝床を拵え、万が一のために防柵も用意した。トンネルの近くはバナナが生い茂り、食料に困ることはなかったので、拠点には最適だった。そこから北側の探索を続けていたが、思いの外広かったため、地図を埋めるには時間を要した。

 

 この頃、リリとハムザのセクロスが、命にとって目新しいものではなくなってきていた。ある時、二人が豪快に求めあっている横に命がやってきて、二人のために水筒を置いていった。どうやらそれくらいまで馴染んできたようだったので、ハムザはいよいよ処女の収穫の時期を感じていた。

 

 雑魚の襲撃も受けず、食料にも困らず、ついでに性欲を十分に満たすことができ、睡眠にも困らなかったので、ハムザの体力はどんどん回復していった。そしてそれはリリも同じで、二人はとてもサバイバルを始めて十数日が経ったとは思えない程、気力体力共に漲っていた。だが、命は日々の疲労と緊張感による精神的負担に堪え始めており、体力を落とし続けているようだった。

 

 暗闇に包まれる森の中、寝床に横になりながら命は思案する。このままサバイバルを続ければ、真っ先に死ぬのは自分だ。これから探索で出口が見つからなければ、恐らく自分は餓死するだろう。しかし、肉を喰い生きながらえたとしても…こんな迷宮で生き続けて、一体何になるというのだろうか。【タケミカヅチ・ファミリア】との日々が、今では遠く離れた異国の思い出のように思えてきた。

 

 涙が頬を伝い、言い表せない悲しみが胸を締め付けた。

 

 命は迷っていた。生還の希望を捨て、この地に死を見るか。それとも、ハムザが持つ英雄の器を信じ、希望を持ち続けるか。

 

 どちらも簡単ではなかったが、命は決断に迫られている気がした。この場所で自分に残された時間は、恐らくそう長くはない。命は何故かそう感じていた。黒い夜の不気味な音や臭いが、死を考えさせ続けているせいかもしれない。

 

 命は目を閉じ、主神の姿を思い浮かべた。

 

 (強く優しいタケミカヅチ様…。最後にあってから、もう随分経ってしまった……)

 

 記憶の中で、タケミカヅチは命に囁いた。

 

 『…命、初心忘るるべからずだ…』

 

 命はその言葉を反芻する。

 

 (初心、忘るる、べからず……)

 

 命は自分の修行時代を思い出す。恩恵を与えられる前から、自分は武人としての心構えや戦闘の技術を、必死に学ぼうと努力を続けていた。あの時は…希望に満ち溢れていた。輝かしい将来とその可能性に胸を躍らせ、自分の前に開かれた道の広さを想像してみた時、感動さえ覚えたほどだった。

 

 それがどうしたことか。今では迷宮の見知らぬ土地で横たわり、希望のない死を見つめ続けている。あれだけ可能性に溢れていた筈の未来はいつの間にか閉ざされ、目の前には何も広がっていない。あるのは底の見えない穴か、或いは入り口も出口もない壁だけだ。

 

 初心、忘るる、べからず。命は必死に希望に満ちた修行時代を思い浮かべた。そして、その努力は確かに心に変化をもたらした。そうだ、こんなことで挫けてはいけない。自分はここから生還し、英雄たるハムザとリリと共に、もう一度家族と抱擁を交わすんだ。

 

 ヤマト・命はこんな所で倒れる筈がない。何故なら、自分は今、本当の英雄と共に冒険を続けているのだから。

 

 命は心を決めた。そして、眠ることを諦めて夜番を務めることにした。寝床を離れ、焚火に目を向けた。

 

 その時、不思議な影が一本、焚火へと伸びていき、爪のようなものが炎を奪い取った。

 

 「…?」

 

 焚火は勢いを急速に失い、明かりは失われた。そして、その怪物は影を纏い、暗闇の中で膨張した。

 

 「っ…!?」

 

 (視えない!)

 

 命は突然閃いて、スキルを使う。

 

 「【八咫黒烏】……!」

 

 遭遇済みの怪物にのみ有効なスキル。隠蔽を無効化し、敵影を探知する。

 

 「こ、これはっ…!?」

 

 命の頭に浮かんだもの。それは、巨大なウォーシャドウだった。

 

 ウォーシャドウはするするとハムザの寝床に近づいて行った。命は飛ぶように地を蹴り、影の怪物にぶつかった。

 

 「ううおっ!なんだっ!夜這いか!」

 

 「起きて下さい、火を、火を付けて下さい!襲われています!」

 

 まさか、とリリは息を飲む。しかし、確かに暗闇の中で何かが蠢いているのが見えた。大急ぎで焚火へと近づくリリに、影の怪物は鋭い爪を振りかざす。

 

 「ぐっ…!?」

 

 命は刀でそれを受け止めた。だが…。

 

 (重いっ…!!?)

 

 能力の差が、はっきりと表れていた。

 

 (ウォーシャドウは下層のモンスターな筈っ!?これでは、まるで…)

 

 強化種。命は頭でその言葉を思い浮かべていた。

 

 刀を構え、再びスキルを発動させる。怪物は目の前にいるようだ。その時ようやくリリが再び火を点した。怪物は明かりに照らされたことで悲鳴を上げ、するりと草むらの影へ逃げていった。

 

 「助かった……」

 

 命が肩の力を抜き、刀を下ろしたその直後だった。

 

 ウォーシャドウは命の影から実体化し、完全に油断しきっている命の背中に、巨大な爪を振り下ろした。

 

 「あぐっ…!?」

 

 鮮血を撒き散らし、命は倒れ伏す。ハムザが剣を構え、リリが大慌てで薪を追加していくも……もうそこには、何もいなかった。

 

 

 

 

 「本当に…申し訳ございませんでした…」

 

 死の間際、命はハムザとリリに謝罪するばかりだった。

 

 曰く、自分が足を引っ張ったと。そして、折角看病して下さったのに、このまま死んでしまうのが申し訳ないと。切り裂かれた背中はどす黒い血を流し続け、命が抱えられる一帯は殺人現場のように血だまりとなっている。

 

 たった一度切り裂かれただけ。だが、強化種と思われるウォーシャドウの爪は、あまりにも致命的だった。

 

 「俺を見ろ!大丈夫だ、大丈夫だぞ!お前は俺を救ったんだ。リリ、回復薬(ポーション)はないか!?」

 

 寝込みを襲われたハムザを助けたのは、他の誰でもない命本人だった。だが、当の本人にとってそんな事実はあまり関係がないらしい。命の頭の中には、これまで尽くしてくれたハムザの優しさへの感謝で溢れかえっており、怪物とトゥリウスの不意打ちを防いだ程度では、全く釣り合いが取れていないと思っているらしかった。

 

 「…うっ..、わ、私は…。タケミカヅチ様こそが理想だと、思っていました……」

 

 命の瑞々しい顔から、どんどん血の気が失せていく。まるで洞窟でくたばった【シモエイス・ファミリア】の死体のように、土気色を帯びていく。

 

 「ですが……今は、あまり分かりません…。ハムザ殿は、他の誰よりも、本当に素晴らしい……」

 

 「くそっ、何かないのか!?リリ、何とかしてくれ!」

 

 命は瞼を閉じた。ハムザの焦燥感が肌を通じて伝わって来た。薄れていく意識の中で、ハムザは何かを叫んでいた。リリがすぐに応えた。

 

 『…スキル……』

 

 木霊する声色は、不思議と希望に満ちているようだった。何かとんでもない財宝を見つけた者が上げるような、喜びの色が浮かんでいた。だが、命はもう、死の世界への旅路に着いてしまった。

 

 暗い水底へ沈んでいくようだ。そして、冷たい死の手が迫り来るのが分かる。この場所では、もう誰も…救ってはくれない。どんな神の奇跡も届かない死者の国に、自分は足を踏み入れてしまったのだ。

 

 もう誰も、自分の体を元の場所へ帰してはくれない。

 

 その時、『死』の冷たい手が、すっと引いていく感覚があった。冷え切った体が温まっていく。命はその感覚に身を委ねた。心地良い感覚だった。これが『死の抱擁』なのだろうか?

 

 暫くすると、遠くで誰かの声が聞こえる気がして、命は耳を澄ませた。ずっと昔に聞いたことがあるような声だった。その音はどんどん大きくなっていき、体はどんどん熱くなりはじめた。背中が焼けるようだ。そして、あらゆる感覚が一斉に息を吹き返した。その瞬間、命を包んでいた暗闇が弾け飛び、命はかっと目を見開いた。

 

 「あっ……!」

 

 目の前は森の中だった。弾ける焚火があまりにも眩しくて、命は目をしばたかせる。体を起こすと、不思議とあまり痛みがなかった。何故か股の辺りが痛んでいたが、斬られた筈の背中はすっかり元通りになっているようだった。

 

 「目を覚ましたな」

 

 ハムザに自分の顔を覗き込まれると、とても安心した。だが、ハムザの下半身から、長い物が飛び出している。アレは一体何だろう…と思い、命はそれをまじまじと見た。

 

 「……えっ?」

 

 顔面蒼白の瞬間だった。目の前の状況は命の理解の範疇を越えていた。訳が解らず、頭が停止した。その時、リリの声が、ゆっくりと耳に入り込んできた。

 

 「スキルの回復効果ですよ。まさかこんな即効性があり、効果が強いとは……卑怯ですよ」

 

 「卑怯なことはない。それよりも命、本当に体調が万全かどうか分からん。念のためもう一発いっておこう」

 

 「ええと……?」

 

 「はぁ。リリがご説明しましょう。命様が気を失ってからすぐ、ハムザさまがこのおちんちんを突っ込んだのです。スキルの回復効果に期待して、意識のない体を、まるで死姦するように……」

 

 「こら、気持ち悪いこと言うな。俺だって良い気はしなかったぞ。だからもう一発やりたいのではないか。意識のあるうちに」

 

 「わ、私は…そのっ!心の準備がっ!」

 

 ハムザに覆いかぶさられたまま、命は声を張り上げる。だが、二人は「何をいまさら…」と呆れ返っていた。

 

 「駄目だということか?」残念そうにハムザが言った。

 

 「いえ、ダメという訳ではなく、その……」命は何と答えたら良いのか分からず、汗を垂らす。

 

 「では、良いということか?この身体を使ったご奉仕は、俺にとって最高の恩返しになるのだ」

 

 「えぇっと…あぁ…」命は両手で顔を覆った。

 

 (恩人に、尊敬するハムザ殿に、ご奉仕をさせて頂けるのなら…私は、私は…。でも…そんなことをすることが、本当に正しいのでしょうか…私には、分かりません………)

 

 ハムザの肌と触れ合う度に心臓は未だ嘗て経験したことがない程に脈打ち、得体の知れない緊張感が電撃の様に全身を駆け巡り、頭の中が真っ白に塗り替えられていくようだ。

 

 命は考える。身体を許すということは、きっと城門を開くということだ。一度自ら股を開いてしまったら、もう後戻りは出来ないだろう。四六時中ハムザのことを考え、彼が喜ぶことに最大の喜びを感じ、どんなひどい言葉を彼が放っても、その声を聞けるだけで天にも昇る程の幸せを感じるようになるのだろう。

 

 しかし、こんな順番で正しいのだろうか?本当は先に愛がある筈だ。行為より先に、愛が…いや、自分のこの感情は、愛ではないのだろうか?ただの緊張感なのか、それとも勘違いなのか。

 

 ダメだ、と命は力を抜いた。

 

 (私はどうしたら良いのでしょうか…?誰か教えてください。あぁ、タケミカヅチ様…)

 

 命が態度を決めかねている間ハムザはじっと待っていたが、そろそろ我慢の限界だった。

 

 そもそも、輝く目の美少女が股を開き、『いやよいやよ』ともじもじ身体をよじるのは、かえって男のやる気を刺激してしまうものだ。激しく拒絶する訳でもなく、曖昧な態度を取り続けるということは、ハムザにとって、それは紛うことなきゴーサインだ。

 

 ということで、先程と同じように、ハムザは両手で命の足を掴み、股を開かせた。

 

 「あっ……!?」

 

 中途半端な声が漏れるも、命は拒絶しない。つまりはいけるということだ。

 

 よいせと腰を動かして、挿入態勢を取る。股間は先ほどの快感を思い出し、元気いっぱいだった。

 

 合図も出さず、股間を恥部に挿入する。先程の行為ですっかり濡れてしまっていたので、愛撫などは必要なかった。

 

 命は何とも言えない表情で泣きそうになっていたが、その表情があまりにも弱々しく可憐だったので、ハムザは唇を思い切り奪ってやった。すると命の体から力が抜けていき、命はすらりとした両脚をハムザの腰に絡め、すべすべした両腕を背に回し、抱きしめてきた。

 

 勝利の瞬間だった。オラリオに来てはやひと月。アスフィやらナァーザやら、レフィーヤやらアイズ・ヴァレンシュタインやらを抱いてきた。だが、命の陥落は、ハムザにとって別の意味合いを持っていた。命はリリと同じく、我がハーレムに加わった二人目の美少女だったのだ。彼女が自分のモノになったという実感が、膣を通じて伝わってくる。この感覚だけは、ただハメるだけだった他の美女達とのセックスとは一味違う感覚だ。

 

 気まぐれな他の女性達とは異なり、今の命ならいつでも自分の性欲を満たすために身体を許すことだろう。忠義を尽くす従者よろしく、彼女は自分の性欲を気遣い、毎晩毒気を抜くために寝室へやってくるのだ。何と素晴らしいことか。

 

 それこそがハーレムであり、男の浪漫。

 

 これほど輝く美少女を手に入れられるとは、オラリオ万歳。

 

 ハムザはさっさと射精してしまいたかった。不思議な感覚だったが、意識のある命の膣内へ射精するということは、マーキングの完了を意味するものだと感じていた。それは契約の儀式のようなもので、雌を支配すると決めた雄の感覚だった。

 

 きつく締め付ける処女の膣は心地よく、自然と腰の速度が上がっていく。命は幸福の吐息を漏らし続け、がっちりと体を抱きしめて放そうとしなかった。唇を奪う度に歓喜の息を吐き、腰を深く打ちつける度に淫靡によがった。そしてハムザは一気にスパートをかけ、股間を奥深くまでスライドさせ続ける。

 

 「よし……イクぞっ!」

 

 命は目を瞑ったまま、幸せそうな笑みを作ってから言った。

 

 「…はい、どうぞ、お好きなところへ射精して下さい…!」

 

 その言葉を以て『契約』が完了したことが、ハムザに伝わった。それから奥深くまで腰を打ちつけながら射精して、命を自分の精液で満たした。

 

 「あぁ……これが…セックス…」

 

 荒い呼吸を整えながら、命は幸せに溶けるような顔で深い快感のため息を吐いた。

 

 「……ご満足して頂けましたか?」命は繋がったままのハムザに聞く。

 

 「最高だったぞ」

 

 命は「良かった…」と安堵して、ハムザに口づけをした。

 

 「初めてなのに、こんなに感じてしまうとは…。もっと痛いものだと、想像していました……」

 

 「だが、これで終わりじゃあないぞ。後ろから犯すのもまだだし、口内射精もまだだし、おっぱいにぶっかけるのもまだだし、やるべきことが山積みだ。少し休んだら、第三回戦だ。今夜は命を精子でぐちゃぐちゃにするまで終わらないぞ」

 

 命はくすくす笑いで応えた。

 

 「…元気のある方は、嫌いではありません…。では、さっそくお口でのご奉仕を、ご指導お願いしますっ…!」

 

 

 

 その時リリは。

 

 足を組み、顎に手を当てながら二人の行為を眺めていた。

 

 「…やれやれ。こちらはこれで一件落着ですか…」

 

 命の心の鍵は開けた。これでスキルによる回復効果で、三人の生存確率は上がった筈だ。迷宮でセックス三昧なんて考えられなかったが、いざ始めてみれば、意外と悪くないかもしれない……。

 

 リリは薪を掴んで、火の中にゆっくりと差し込んだ。いま強化種が現れでもしたら、目も当てられない。自分は夜番をしながら、彼らの為に警戒を続けていよう。火は強まり、周囲を照らし続ける。

 

 そして、リリは心で呟いた。

 

 (命様がへばったら、次はリリの番です。まったく、我慢するのがこんなに大変だとは、知りませんでした)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 -真相へ-

 

 天上を覆う水晶が輝き失い、森が暗黒に包まれ始めている。迷宮の森には金属音を鳴らす【テルクシノエ・ファミリア】が歩を進めていた。

 

 北側に来てから数日、探索は順調だった。地図は九割埋まり、後は細かな見落としがないかを確認する作業が残るのみ。だが、どうにも出口が見当たらなかったので、三人の焦りは募っていく。

 

 三人は何度も議論を交わした。影の怪物への対処、そして赤髪の女へのリベンジ。失踪した【アポロン・ファミリア】の三人がどうなったのかも気がかりだった。

 

 そして地上のこと。三人の体感では、おそらく二週間ほどが経過しているという感覚だった。二週間も経過してしまったら、もう誰も自分達を探してはいないだろう。

 

 ハムザはリリの後ろを歩きながら、薄暗い森を進み続けた。柔らかい土を踏みながら、一歩一歩と進んで行く度に、地上の美女達の姿が頭に浮かんできた。

 

 アスフィは元気にしているだろうか。ナァーザの薬舗は潰れていないだろうか。あいつは少々やりすぎる。エイナは度重なる残業で体を壊してしまったかも知れない。レフィーヤやアイズ達は遠征に行くと言っていたが、もうとっくに帰還していることだろう。酒場のシルやリューも、きっともう自分達の墓を作って、そこにお弁当やらお花やらを供え始める頃合いだろう。いや、もしかしたら、もう皆自分達のことなど忘れてしまっているかも知れない。冒険者が帰って来ないなんていうのは、日常茶飯事らしい。すぐに切り替えて、彼女たちはいつもの日常を送っているのだろう。

 

 そういえば、主神なんて奴も居た。あのアホ主神、俺達を朝っぱらから怒鳴り散らして追い払ったことをきっと後悔しているに違いない…いや、後悔などあいつがするものだろうか。むしろ新ファミリアを結成し、誰かにたっぷり貢がせているに違いない。そう思うと、自然と独立心が芽生え始めているのに気が付いた。

 

 もう神に頼るのはやめだ。自分自身の力で、正しいと思ったことをしなければ。この迷宮を彷徨い、未だに出口が見えない以上…あの赤髪の女をやっつけて、罪を償わせるのだ。

 

 地上に戻れなくたって、もう構うものか。それに、仮にあの神との縁が切れていたとしても、構うものか。自分達はもう、ひとりで生きているのだ。

 

 隣を歩く命も、似たようなことを考えているのが分かった。目を伏せた表情は曇っている。背を向けて歩くリリだって、きっとそうに違いない。

 

 なぜ、自分達はこんなにも落ち込んでしまったのか。その理由は明白だった。

 

 

 

 ――出口が、ない。

 

 この未開拓領域には、通常の階層と同様に出口があると思われたが、それがまったく見つからなかったのだ。ここ数日はひたすら歩き、出口を探し続けていた。だが、誰の目も、自分達の望むそれを見つけることは出来ていない。

 

 リリは立ち止まって振り返った。松明が、口を結び、途方に暮れている彼女の顔を照らし出していた。

 

 「ここも、外れです。そして、もう他に行く場所はありません。南も北も、これだけ歩き回って隅々まで探し回っても、結局出口は見つかりませんでした」

 

 三人はそこで火を焚き、キャンプを張ることにした。バックパックから食料のバナナを取り出してリリはハムザに勧めたが、ハムザは食べる気がおきなかった。もうずっとバナナを食べ続けていたので、いい加減飽きてしまったのだ。

 

 「…うぅむ。しかしどうしたものか。いくら俺が最強でも、出口がないもんをどうにかすることは出来ない」

 

 「そうですね。ですからこれ以上歩き回るのは不毛です。後は頭を使って、何か見落としがなかったか、考え続ける他ありません」

 

 リリにそう言われ、二人は考えた。そしてハムザは口を開く。

 

 「あの影の怪物をぶっ殺すしかないのかも知れん。ほら、シルバーバックが北側進出への鍵だっただろ。きっと影の化物も、倒すと何かあるはずだ」

 

 「気持ちは分かりますが、出来るかどうか……。姿の見えない相手ですから、スキルを持つ命様以外はあまり役に立ちません」

 

 命は石の上に座りながら、じっと考え込んでいた。暫く経ってから、沈黙の中、ようやく口を切る。

 

 「私には自信がありません。あの怪物は、手強い。ところで、【アポロン・ファミリア】と、その赤い髪の女性冒険者は、消えてしまったと考えるのが妥当ということでしたか?」

 

 命はリリに尋ねる。リリは頷いた。

 

 「これだけ探し回っても見つからないのですから、自分達が見つけられていない脱出経路を見つけたか、怪物の胃の中に納まったかのどちらかです」

 

 「自分達の知らない、脱出経路……」命は火の音に消えるかのように小さい声で呟いてから、分からないと首を振る。

 

 「そもそも、俺達はどうしてここへ来たんだ?どうして13階層の怪物の宴で追い込まれた際、急に穴が開いたんだ?おかしいだろ、そんなことは」

 

 「それがわかれば、苦労はしません。迷宮の意思、とでも言っておけば良いのでしょうが……」

 

 ダメだ、とハムザは議論を切り上げる。

 

 「取り合えず今できることは、あの影の怪物をやっつけることだ。それで何も起きなければ、もう一度考え直すとしよう」

 

 

 「もうやめてくれ!!!」

 

 【テルクシノエ・ファミリア】が出口の捜索に行き詰まり困り果てていた頃、【アポロン・ファミリア】のトゥリウスは迷宮の『外側』に居た。

 

 彼はたったいま女に右足を切断され、血が噴出している。

 

 整った顔立ちを醜く歪め、トゥリウスは激痛に叫び声を上げる。

 

 「……お前達ファミリアの情報を全て吐け。構成員の規模、レベル、能力、魔法、知っていることについて全てだ」

 

 レヴィスは冷酷な眼差しで、苦痛にのた打ち回るトゥリウスにそう吐き捨てた。

 

 「…俺はっ…俺はアポロン様を売ることはしない!殺せっ!」

 

 拷問に屈しない冒険者から苛立ちを隠せずに目を背け、女は再び向き直る。

 

 「では、お前達の仲間のエルフ二匹は、男共の餌にする。ここには飢えた男が多い。女など、奴らにとっては快楽穴に過ぎない」

 

 捕縛された仲間が強姦されると告げられてもなお、トゥリウスは何も喋らなかった。苛立った女は「ならいい」とだけ言い、トゥリウスの足を掴んだ。

 

 「餌にしてやる。まったく、馬鹿な冒険者共だ」

 

 そして広い室内の天井に向かい、叫んだ。

 

 「バルカ、門を開けろ!こいつを捨てるついでに、残りのネズミを狩ってくる」

 

 そして、再び門は開いた。目の前には暗い迷宮の森が広がる。レヴィスはトゥリウスを森の彼方へ放り投げ、拳を鳴らした。

 

 「全く、面倒な…」

 

 そう言い残し、レヴィスは躊躇いもなく迷宮へと足を踏み入れた。

 

 ●

 

 「今の音は何ですかっ!?」

 

 リリが叫んだ。

 

 夜営をしている最中、近くで大きな物体が悲鳴と共に落下したのだ。三人は松明を掲げながら慎重に近づいていくと、そこには右足を失ったトゥリウスが、虫の息になり転がっていた。

 

 「おい、お前、何があった?」

 

 ハムザが尋ねるも、トゥリウスは意識が朦朧としているようで、受け答えができなかった。

 

 「スキルの回復効果で復活させますか?」

 

 「馬鹿を言うな!!!」

 

 ハムザは本気で怒った。自分を殺そうとした男とセクロスをするだなんて、正気じゃない。ホモは許せない。ホモは断じて抹殺すべし、とハムザはリリの提案を完全否定する。

 

 その時、命は何かを閃いたように声を上げた。

 

 「た、倒せる…これなら、あのウォーシャドウを倒せるはずです…!」

 

 「何だ?説明してくれ」

 

 「あ、えぇと…。自分はずっとあのウォーシャドウの攻略法を考えていたのですが……正攻法では難しいので、何か、策をと……」

 

 「それで?」

 

 「はい、実は、こういうことで……」

 

 命は小声でハムザに耳うちした。そしてハムザは感心したように大声を出し、命の背中を何度も叩いた。

 

 「いける、それならいけるぞ!さすが忍者、素晴らしい作戦を思いついたな!」

 

 そうと決まれば、こいつは助ける必要がある。

 

 そう言ってハムザはトゥリウスを抱えた。だらんと四肢を垂らし、まるで死んでいるかのようだったが、まだ息はある。そしてハムザは言った。

 

 「行くぞ、急がなければ」

 

 「ちょっと待ってください、リリはまだ作戦を聞いておりませんよ」

 

 「あとだ、あと!行くぞ我が軍、憎き強化種へと進軍だ!」

 

 

 

 

 「これだけですか?」リリは命の作戦に必要な道具を揃えてから、そう言った。

 

 薪と火種。そんなものは、リリのバックパックに大量に詰め込まれている。三人は北側でウォーシャドウの襲撃に逢った場所の近くまで来ていた。

 

 「火を起こすだけでいいのです」命はそうリリに伝え、装備を整え始める。

 

 渋々リリはそれに従い、火を起こした。ハムザはそこにトゥリウスを横にし、松明を持って別の場所へ移動するようリリに告げた。

 

 「…この人を、取り残すのですか?」

 

 「その通りだ。さぁ、行くぞ」

 

 三人は明かりを持って、虫の息のトゥリウスを放置した。そして肉眼で何とか確認できるくらいに離れた時、命は告げる。

 

 「ここが限界です」

 

 それから三人は固唾を飲んでトゥリウスが横たわる場所を見守っていた。暫く経った後、火に暗い影が覆い被さり、火が途端に勢いを失くした。

 

 「来たぞ!スキルだ!」

 

 ハムザが小声で命に言う。そして命はスキルを発動させた。

 

 「……居ます!間違いなく、あのウォーシャドウです!」

 

 最後にウォーシャドウを目撃した場所で、餌を用意してやれば、きっと獲物は食いつくだろうと、命は信じていた。

 

 そして作戦は成功する。命は精神を集中させた。

 

 (初撃で討ち損じれば…自分は敗ける…)

 

 頭にタケミカヅチとの日々を思い浮かべ、初心を心に刻み込む。

 

 (でも、恐れてはいけない…鍛錬の日々は…必ず報われる。自分には…努力の日々がある…出来ると信じなければ)

 

 命は閉じていた目をゆっくり開いた。遠くでは、トゥリウスが影の怪物に生きたまま切り裂かれたところだった。

 

 (…恐れはないっ!)

 

 (――――【八咫黒烏】!)

 

 【スキル】を発動させ、目を閉じて暗闇へ疾走する。

 

 命は確かにウォーシャドウの位置をはっきりと確認できていた。地を蹴り、捕捉した目標へと一気に駆け抜け、懐の刀に手を掛けた。

 

 「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 怪物と肉薄した命は、ウォーシャドウの焦燥を感じ取った。

 

 (もらった!)

 

 渾身の居合斬りを、怪物の影のような背中に一閃する。

 

 『………ッッ!??』

 

 得意としていたはずの主戦場、暗闇の中でまさかの不意打ちを受けたウォーシャドウは、斬撃を受けて地面に倒れ込んだ。

 

 命はすかさずそこに剣を刺し、地面ごと怪物を貫いた。そして遠くにいるハムザに叫ぶ。

 

 「ハムザ殿、火をっ!」

 

 ハムザはその声のした場所へ松明を放り投げた。くるくると炎を灯しながら回転する松明は、ぴったりと命の手元まで飛んで来た。

 

 明かりを掲げると、通常よりも遥かに大きく膨れ上がり命の二倍はあるウォーシャドウが、巨大な爪を振り回しながら暴れている。命は焚火に松明を投げ込み、光源を確保する。そして、怪物は刀の刀身に手を掛け、引き抜こうとし始めた。

 

 「【掛けまくも畏き――いかなるものも打ち破る我が武神よ、尊き天よりの導きよ】」

 

 命はすぐに魔法の詠唱を始めた。怪物は一撃を受けたのにも関わらず、まだ暴れる程に元気があった。さすがは強化種ということか。

 

 (このまま剣ごと圧し潰す……!)

 

 「【…卑小のこの身に巍然たる御身の神力を。救え浄化の光、破邪の刃。払え平定の太刀、征伐の霊剣】」

 

 命の詠唱に気が付いた怪物は、何度か影に溶け込もうとした。だが、ダメージを受け、能力を発動することが出来ない。焚火の明かりに照らされて周囲が明るいことも影響しているようだ。

 

 影になりかけてぶよぶよとしたジェル状になったまま、ウォーシャドウは固まってしまった。

 

 「【今ここに、我が命において招来する。天より降り、地を統べよ】」

 

 その時、ウォーシャドウは一気に実体化し、体を貫く刀を自らの鋭利な爪で真っ二つに折った。

 

 (っ!?)

 

 命は驚愕する。だが、間に合った。もう詠唱の完成は目前だ。

 

 怪物は悪魔のような口を広げて立ち上がり、命に覆いかぶさるように鋭い爪を振りかざした。

 

 「【――神武闘征】!!」

 

 一瞬の差で、命の速度が上回った。

 

 「————【フツノミタマ】!!!!」

 

 魔法が発動された直後、一振りの光剣が輝きながら影の怪物の頭上に出現し、直下する。

 

 同時に、地面には魔法円が生み出され、周囲を美しい光が一気に照らす。

 

 そして紫色の光剣がウォーシャドウを通り抜け、円中心に地面に突き刺ささった瞬間、重力の檻が発生した。

 

 『ーーーーーッッ!!?』

 

 半径10Mに及ぶ重力の檻に囚われた怪物は圧し潰され、地面に縫い付けられる。魔法の眩い光が影すら生み出さず、怪物は完全に檻の中に囚われた。

 

 その様子を遠くから眺めていたハムザとリリは魔法に近づいて、感嘆のため息を漏らす。

 

 「おぉ、すげぇ…」とハムザ。

 

 「……きれい」とリリが。

 

 だが、ふと二人は首を傾げた。

 

 命も重圧に苦しんでいる。怪物はもとより、魔法を行使した本人までも、魔法の影響下に置かれているようだ。

 

 重圧は強まり、焚火が潰れ、大地が凹み始める。傍にいたトゥリウスの死骸は、ぐしゃぐしゃと音を立てて潰れていった。

 

 どんどん地面にめり込んでいく命の足。圧倒的な重圧に、命の右手は、脇差に触れたまま動かすことも出来ないようだ。

 

 ハムザは急に心配になってきた。

 

 「おいこれ、相打ちってことはないよな……?」

 

 そうハムザが言った瞬間、命は魔法を解除する。

 

 魔法円が霧散し、光剣が砕け散ってバラバラになる。眩い光の破片がきらきらと散らばる中、僅か一瞬で命は脇差を抜き、怪物の首を刎ねた。

 

 『......ッッ…』

 

 首を切断されたウォーシャドウはどしゃりと地面に倒れ、大きな体を痙攣させながら、やがて灰へと変わっていった。

 

 辺りが再び暗闇に包まれ始め、ハムザとリリは松明を掲げて命に駆け寄った。

 

 「ふむ、見事だ」

 

 ハムザは命を抱きしめた。命は嬉しそうにハムザの胸に顔を埋め、「良かった……」と安堵する。

 

 「…あんな素敵な魔法が使えるなんて知っていたら、リリは毎晩見せてもらうようお願いしていましたよ」

 

 命の魔法を羨ましがるように言ってから、リリは命をからかった。

 

 「しかし…死にかけの冒険者を囮に使い、バックアタックを仕掛けるとは…さすが忍者、汚いですね」

 

 「汚いも糞もあるか。完璧だったぞ、完封勝利だ。あの爪を使わせずに勝ったんだ、大したもんだぜ」

 

 一度はにかんだ命だったが、すぐに何かを思い出したように表情を暗くさせた。

 

 そして怪物によって真っ二つに破壊されてしまった刀のもとへ屈みこむ。折れた刀身は、元に戻りそうにもない。するとリリが、ウォーシャドウの灰の中から、一振りの『爪』を取り出した。

 

 「地上に戻ったら、この爪で刀を打って貰いましょうか?」

 

 リリに手渡され、命はいま倒した怪物の巨大な爪を両手で持った。真っ黒で固く、不気味な雰囲気を纏っている。

 

 「…そうですね。きっとこの素材ならば、素晴らしい刀を打てるはず——」

 

 命は言葉を切った。木々の隙間から、赤い髪の女がぬっと現れたのだ。 

 

 

 

「…強化種を、倒したのか?お前達、一体何者だ」

 

 

 

 

 三人が二体目の強化種を倒し、喜びに浸るのも束の間、赤い髪の女がハムザ達と二度目の邂逅を果たす。女の目から読み取れるのは、驚愕と、賞賛だった。今すぐ戦闘にはならない気配を感じ取ったハムザが、前に出て女に言う。

 

 「…凄いだろう。そろそろ名前を教えてくれても良いのではないか?俺はハムザ・スムルト、【テルクシノエ・ファミリア】だ」

 

 女は無言のままハムザの顔を見つめていた。ややあって、鋭い目つきとは裏腹に艶やかな唇を動かした。

 

 「…レヴィスだ」

 

 「なんと」ハムザは即座に言葉を返す。

 

 「お前が闇派閥(イヴィルス)の親玉か?」

 

 「……何故そうなる?」

 

 「闇派閥(イヴィルス)、レヴィス、響きが似ている。文字を入れ替えれば同じ単語になる気がする」

 

 「………馬鹿ではないようだが、そう単純な話ではない」

 

 レヴィスはハムザに歩み寄り、片手を差し出した。

 

 「お前達の協力が要る。狩場で生き延び、強化種を打ち倒したお前達に頼みがある」

 

 「聞いてやろう」

 

 ハムザは被せるように言った。少しの間を置いて、レヴィスは言う。

 

 「…【ロキ・ファミリア】を殲滅しろ」

 

 「はぁ………?」

 

 沈黙が流れた。ややあって、ハムザは口を切る。

 

 「それは無理だ。レフィーヤやらアイズがいるし、リヴェリアともまだやってないからな」

 

 差し出された手を無視し、剣を構える。こいつはここで殺さなければならない気がする。

 

 「提案は受け入れられない。…お前は殺し過ぎた。理由は知らんが、成敗してやろう」

 

 その女は、嗤った。不敵に、そして苛立ちを込めて。殺気が解き放たれ、リリと命は思わず顔を背けた。

 

 

 「…やってみろ!!」

 

 ハムザは瞠目した。レヴィスが力を込めた途端、踏ん張る足が大地を砕いたのだ。そして疾風のように一瞬で間合いを詰め、腹部に強烈な拳が叩きつけられる。

 

 思わず体を折り曲げたハムザの首筋に衝撃が走る。

 

 そして、身体から力が抜けていくのを感じながら、ハムザはあっさり意識を手放した。

 

 

 

 

 目覚めると、頭がガンガンと痛んだ。立ち上がろうと体を動かすが、金属の枷で手足を固定されており、鎖の音が鳴るだけだった。無理矢理引っ張って鎖と壁に着いている留め金具を引き抜こうとするが、びくともしない。

 

 そこは金属で出来た空間だった。ハムザは首を傾げる。迷宮に居たはずなのに、一体どういうことだ?隣には、同じく鎖に繋がれたままの命とリリが並んでおり、二人とも目を閉じたまま動かない。

 

 ハムザはリリの体を蹴っ飛ばした。まさか死んではいないだろうな、と。するとリリは呻き声を漏らす。そして、重そうに瞼を開けた。

 

 「……あの人は?」

 

 「分からん。捕まったらしいな、どうやら」

 

 二人の声に、命も目を覚ました。三人は現状を確認するため、囁く声で会話を始めた。

 

 「…ハムザさまが倒されてから、リリ達は連れ去られました。そしてここに繋がれ、薬を打たれました。恐らく、気絶薬でしょう…」

 

 リリの後に命が話を続ける。

 

 「この空間は…未開拓領域の隣に位置しています。どうやら北側の壁には、扉の役割を果たす場所があるようです。あの女に連れられた時、私達はそこを通ってここまで来ました」

 

 「ここは何なんだ?どうしてこんな場所が迷宮に存在している?」

 

 ハムザの問いに、リリは簡潔に答える。

 

 「ここは、【人工迷宮(クノッソス)】です。あのレヴィスが言っておりました。恐らくは…闇派閥(イヴィルス)の残党の拠点、ということでしょうね」

 

 「では、あの未開拓領域は?」

 

 命が答える。

 

 「『狩場』と言っていました。恐らくは…闇派閥(イヴィルス)に属する、迷宮の一部です」

 

 「ふむ…。闇派閥(イヴィルス)というのは雑魚かと思っていたが、大規模な組織だった訳だ」

 

 その時、扉が開き、巨大な魔石を持ったレヴィスがやって来た。

 

 「起きる頃合いだと思っていた」

 

 レヴィスはそう言ってから魔石を口へ運び、噛み砕いた。そしてガリガリと咀嚼音を鳴らし魔石をすり潰し、一気に呑み込んでしまう。

 

 「……美味しそうじゃないか。俺の分はあるよな?」呆気に取られるリリと命を置いて、ハムザがふざけた。

 

 「くく……笑わせるな、ハムザ・スムルト」

 

 長い間迷宮に居るにも拘わらず、レヴィスの赤い髪からは良い香りが漂ってきた。水浴びでもしてきたのだろうか。戦闘衣(バトルクロス)に一切の乱れはなく、露出が多く魅惑的な服装で、これ見よがしにハムザの股の間に艶やかな脚を曝け出す。

 

 果てして意識的にこんなにエロい服装をしているのか、全くの無意識なのか、ハムザには計りかねた。

 

 「さて、質問だ」

 

 レヴィスはハムザの股の間に右足を置いたまま腰を下ろした。そして鋭い目で質問を浴びせていく。

 

 「お前達はどのようにして『狩場』に侵入した?」

 

 リリが答える。

 

 「13階層で発生した大規模な『怪物の宴』に巻き込まれ、袋小路に追い詰められたところ…急に穴が開いて、ここへ落ちてきました」

 

 「13階層…そうか。ウェドンという冒険者は知っているか?」

 

 命は首を横に振る。ハムザも首を横に振った。だが、リリには聞き覚えのある名前だった。少し考えてみると、ハムザがこの場所で最初に倒した冒険者の名前が、【トール・ファミリア】のウェドンだったことを思い出す。だが、リリはそのことは口にしなかった。

 

 「…知りません」

 

 「そうか。まぁいい。あの馬鹿め…鍵を失くしてくたばるとは、愚かにも程がある。お前達の他に生存者は居るか?」

 

 「いないだろうな」ハムザは即座に答える。

 

 「ここ数日、かなり歩き回った。トゥリウスのホモ野郎が、最後の生き残りだった」

 

 「そうだろうな」レヴィスは納得したようだった。

 

 「強化種をどのように倒した?お前達のレベルを教えろ」

 

 「シルバーバックはこっちのリリ、Lv.1だ。ウォーシャドウはこっちの命、Lv.2だ。そしてこのハムザ様が、Lv.53だ」

 

 「Lv.2になったばかりです」敵の不興を買うことを恐れ、リリはおふざけを即座に訂正する。

 

 「Lv.1だと…?どのように倒した」

 

 リリはシルバーバックとの戦闘を説明した。洞窟のガス爆発を誘引し、恐らく窒息したのだろうということも。そして命がウォーシャドウを生贄を使って誘き寄せ、バックアタックから仕留めたことも。

 

 「…あの強化種二匹は、実験の一つだった」

 

 レヴィスは淡々と説明をする。暗闇に照らされる横顔は、驚いている様子だった。

 

 「もともと人口迷宮の庭として資源採取に使われていた迷宮の一部を『狩場』とし、私は怪物から魔石を採取し続けていた。そして、有り余る魔石を、怪物のために使ってやることを思いついた」

 

 「悪くない出来だった。シルバーバックを【大猿の悪魔(グーシオン)】、ウォーシャドウを【悪夢(エファアルティス)】と名付け、こちらの手駒として使役する予定だったのだ」

 

 「あの場所はお前達が管理していたというのか?怪物を、しかも強化種を使役するだと?」ハムザは信じられず、レヴィスに聞き返す。

 

 だが、レヴィスは質問に答えなかった。

 

 言葉を切り、沈黙に浸るレヴィスに、ハムザは提案を返してみた。

 

 「…俺を解放しろ。【ロキ・ファミリア】の殲滅なんか止めちまえ。頂点に立ちたいのなら、俺の派閥に来い。オラリオを裏で牛耳る最強の裏組織を作り上げてやる。お前はそれに参加するんだ」

 

 「…お前は先ほど私を殺すと言っていたな」

 

 ぎくり、とハムザは目を背ける。

 

 「その提案には乗らん。私にはやるべきことがある」

 

 「だったら俺だってそうだ。お互いやるべきことがあるのだから、邪魔しないようにするのが社会人としての常識ではないか。さぁ、これを外すんだ」

 

 「……冗談を言い合う気分ではない」

 

 その時、ローブに身を包んだ別の人物が入ってきて、レヴィスに声を掛けた。

 

 「レヴィスちゃん、お客様が来たよ。ちょ~っと怖いから、護衛を頼むよ。ヴァレッタちゃんもディックスも居ないのに、来ちゃうんだもん、あの神様」

 

 そして、あっ、と。その神は囚われた三人を見て、手を口で覆った。

 

 「喋りすぎたなんてことはないぞ。俺達はもう耳が遠いから、何を喋っているんだかまったく聞こえんからな。さぁ、続けたまえ」

 

 ハムザに同調するように、命とリリはぶんぶんと首を縦に振った。その様子が気に入ったのか、神は自己紹介を始める。

 

 「やぁ、どうも。俺はタナトス。死の神さ。そちらは芸術神(ムーサ)の眷属だったかな?よろしくね~」

 

 レヴィスは奔放なタナトスに嫌気が差したように顔をしかめ、口を塞ぐように命令する。

 

 「黙っていろ、タナトス。それ以上口を開いてみろ、顔をすり潰すぞ」

 

 脅されたタナトスは口をぱくぱく動かしながら、何かをジェスチャーしている。手を動かし、指を差し、無言でふざけているようだった。

 

 レヴィスはタナトスの首を掴んだ。神は威厳などなく、子猫のように引き摺られていった。そして扉が閉まる中、レヴィスは三人に言い捨てる。

 

 「暫く待っていろ。お前達の処遇は私が決める」

 

 そして扉は閉まり、三人は空間に取り残され、リリが即座に口を開いた。頼もしい口ぶりだ。

 

 

 「全て分かった気がします。まず、ハムザさまが殺してしまった【トール・ファミリア】のウェドンは、『出口へ連れていってやる』と言っていました。確実に闇派閥(イヴィルス)の関係者です。そして、彼はある物を失くしてしまい、レヴィスはそれを狩場で探し回っていた。それが……多分、リリのバックパックに入っています」

 

 「そう言えば、最初に道具を奪ったか。あの妙な球体が埋まった金属が、鍵ってことか」

 

 「そうです。レヴィスはそれから狩場へ赴き、冒険者を殺して魔石や食料を採取した。ですが、ハムザさまはあの人を撃退した」

 

 「なるほど、それで?」

 

 促されたリリは早口で説明を続ける。

 

 「まず、最初の拠点で急に果実が減ったのは、恐らくあの人が採ってしまったからです。そしてあの未開拓領域は、実際は闇派閥(イヴィルス)の『庭』あるいは『狩場』で、移動をするには鍵が必要…。13階層の恐慌で急に穴が開いたのは……」

 

 「そこが入口だった、ということ…!」命は声を荒げる。

 

 「ウェドンが居たからだ。あいつが鍵を持っていたから、俺達もここに来れたということだ」

 

 「そうです。そうしてもう一つ」

 

 興奮する二人に、平静さを保ったリリが言う。

 

 「恐らく神ロキが言っていた『調教師(テイマー)』は、あのレヴィスのことでは?怪物の『使役』と『闇派閥(イヴィルス)』…繋がると思いませんか?」

 

 「あ、あぁ…金髪美少女巨乳童顔調教師ではなかったか?」

 

 「さぁ、知りませんが」

 

 「とにかく、脱出だ!敵の本拠でだらだらしていたら、冗談抜きでヤバい」

 

 ハムザは鎖をじゃらりと鳴らす。だが、どうやって抜け出せば良いのやら。命を見るが、彼女は首を横に振った。リリを見ると……不敵に微笑んでいた。

 

 「あのレヴィスという女…化物みたいに強いようですが、対人慣れしていません。捉えた捕虜を並べるのは愚策、このように情報共有が出来てしまいます。それに捕虜のバックパックを調べもしないで、隣に置いておくなんて愚の骨頂です」

 

 リリは横目で自分のバックパックを見てから更に言葉を続ける。

 

 「それに見張りも置かずに席を立つだなんて、あり得ません。ですから、こうして、抜け出されてしまう訳です」

 

 「んん…?」ハムザはリリの言った意味がよく分からなかった。だが、リリは魔法の詠唱を開始した。

 

 「【貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの】」

 

 おぉ、とハムザは感嘆する。その手があったか、変身してしまえば良いだけだ。

 

 「【シンダー・エラ】!」

 

 光に包まれたリリは瞬く間に小さな子供に変身した。手首を繋いでいた鉄の輪からするりと手を引き抜き、束縛から逃れてみせる。

 

 「さぁ、何をしているのですか?お二人も、早く変身してください」

 

 無言で見つめ合う二人を前に、リリはくすっと声を出す。

 

 「冗談です。えぇと、バックパックの中に…これが」

 

 リリが取り出したのは、『ウォーシャドウの爪』だった。それをハムザの鎖にあてがい、振り下ろす。

 

 拘束していた鎖は、あっさり切断された。続いてリリは命の鉄鎖も迅速に切断した。

 

 「さぁ、行きましょう!敵が来る前に、逃げるのです」

 

 「どこへだ?」

 

 「さぁ?分かりませんよ。こういう時は、とにかく走るものなのでは?」

 

 「えぇと…ちょっといいですか?」命は二人に言う。

 

 「あの神タナトスが身振りで話していた時…『ここの右側の扉を出て進み、二つ目の階段を降りて左手の門を開くと…18階層に出るよ』と言っていました」

 

 「な、なんだぁ、そりゃ?」

 

 命はきょとんとする二人に説明してやった。

 

 「…読唇術です。実は忍びの修行の一環で、タケミカヅチ様に教え込まれたことがありまして…。罠、でしょうか?」

 

 「うぅむ…。賭けてみるか?」

 

 リリは頷いた。

 

 「まぁ、無策で走るよりマシですね。行きましょう」

 

 

 暫くして、元の部屋へ戻って来たレヴィスは、拳を握りしめて壁に叩きつけた。

 

 「……雑魚だと侮ったか…?」

 

 破砕された金属の破片が散り、ぱらぱらと足元に落ちている。部屋の扉が口を開き、鼠の逃げた先をはっきりと示しているが、レヴィスは行動を戸惑っていた。脳裏には、一度ハムザと拳を交えた時、彼が怪しげな魔法の行使をした時のことが頭を過っていた。

 

 「レベルを偽った冒険者か…?追うか、追わざるべきか」

 

 レヴィスは逡巡していた。【ロキ・ファミリア】との戦闘で、力を取り戻し切れていない。食人花の準備もまだ…放っておいても良いのではないか。

 

 だが、レヴィスは進むことに決めた。魔法を詠唱する前に殺してしまえば良いだけだ…戦闘能力ではこちらが遥かに勝るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 -脱出、そして-

 

 

 三人は命が読唇術で聞き取った情報を元に人口迷宮(クノッソス)を進み、指定された扉の前に立っていた。それは扉というよりも、壁に近かった。リリがバックパックを漁って鍵を探し出し、奇妙な金属を取り出して、扉に近づけた。

 

 すると中に埋め込まれた球体が赤く光った。

 

 「げ、これ、目玉じゃないか。悪趣味な」

 

 瞳に埋め込まれた『D』の文字。それが輝いた途端、大きな壁は上へせり上がっていく。目前には『狩場』と似たような森が広がっている。だが、明かりは優しく、不穏な雰囲気もない。心が落ち着くような森だった。

 

 ハムザは恐る恐る足を出した。そして、人口迷宮(クノッソス)との境界を一歩、踏み越える。

 

 「……脱出、か?」

 

 「ここが、18階層…怪物の出現しない『安全階層(セーフティポイント)』」リリは呟いた。信じられないというような顔だ。

 

 「それだけではなく…もうここは通常の迷宮の一部です。他の冒険者が集う、『リヴィラの街』もあります……」

 

 「戻って来たのか、ついに!」ハムザは喜んでリリに抱き着いて、リリの体を持ち上げた。

 

 「やったぞ、やったぞ!ついに俺達は、ここまで辿り着いたのだ!」

 

 子供のように持ち上げられたリリは居心地が悪そうに白い目で揺られながら、「まだ終わりではないですよ」と言う。

 

 

 「――その通り、まだ終わりではない」

 

 

 背後で声がした。三人が振り返ると、レヴィスがそこに立っていた。

 

 

 

 

 「どうして出口が分かった?」

 

 

 レヴィスはハムザに問う。ハムザは答えるつもりはなかった。あの神様、タナトスと言ったか。これはひとつ貸しだろう。

 

 「まぁ良い。お前達は、殺すことにした。未知の脅威は排除しなければ、な」

 

 ハムザはもう覚悟を決めていた。魔法を使う時が来た。脱出の喜びを台無しにされるぐらいなら、インポになったほうがましだ。それにこの女には、償うべき罪がある。ドワーフの調教師(テイマー)が残した言葉は、ハムザの心にしっかり残っていた。リリと命の間で小声で囁く。

 

 「…俺は英雄になる」

 

 そしてレヴィスの前に仁王立ちをして、立ち塞がった。

 

 「お前はこの暗い人工迷宮で眠ってろ。光の世界には似つかわしくないからな」

 

 だが、レヴィスは。

 

 ふん、と鼻を鳴らし、冷ややかな目でハムザを見つめている。

 

 「勘違いをするな。お前に私は倒せない。いいか、お前が魔法を言い終わる前に、私はお前の首を折れる」

 

 「そうかもな。だが、どうでもいいのだ」

 

 「………?」

 

 不穏な気配に、レヴィスは一歩後退した。

 

 ハムザは今更になって、自分の魔法に追加された特性を思い出していた。

 

 『無言詠唱』

 

 詠唱の省略でも、簡略化でもなく…。格好をつけるように魔法を叫ぶ必要もない、無言での魔法の行使。一度も試したことはなかったが、やり方はよくわかった。

 

 (心で呟くだけだろ、こんなもん)

 

 微動だにせず立ったままのハムザ。レヴィスはひとつの所作も見逃すまいと、目敏く動きを観察している。

 

 (【イェベン・ティ・マーテル】)

 

 突然ハムザの体から放出された黒い粒子に、レヴィスは飛び退いた。

 

 「……ッッッ!?」

 

 だが、呪詛はレヴィスを遥かに上回るスピードで飛んでいき、彼女の体を包んでしまう。

 

 粒子に包まれたレヴィスは空中で停止した。そして、突然魔法が弾け、レヴィスの体だけが地面にどさりと落ちる。

 

 動かない。【呪詛】による『精神疲弊(マインドダウン)』により、レヴィスは気を失っていた。

 

 「なっ……」

 

 ハムザの圧倒的な破壊力の【呪詛】を見た命は、言葉を失っていた。

 

 「……相変わらず、ズル過ぎます」

 

 ハムザはレヴィスに近づいて、頬を突っついた。ぷにぷにと柔らかい頬だ。赤い髪もなんだか珍しく、さらさらしていて触り心地が良さそうだ。

 

 (…いかん、いかん。取り合えずどうしよう。こいつは持って帰って、ロキに差し出せばいいんだったか)

 

 レヴィスを担ぎ、ハムザは二人を横切る。

 

 「さぁ、進め我が軍。出口はもうすぐそこだ」

 

 

 

 

 三人は森を進んで行った。『リヴィラの街』を目指して、進み続けていた。だが、どこに街があるのか見当もつかなかったので、疲れた三人は取り合えず休憩を取ることにした。

 

 木漏れ日が降り注ぐ優しい森の中、リリはバックパックからバナナを取り出して言う。

 

 「リリは多分、一生分のバナナを既に食べてしまったと思います」

 

 「同感だ。もうバナナなんて見たくない。肉だ、肉」

 

 「…お米が恋しくなってきました。本当に、戻ってこれたのですね……」

 

 何だかんだ言いながらバナナを食べるリリを見て、『ゴリラ系女子』という言葉がハムザの頭に浮かんだ。よく見ればリリはゴリラの毛皮を纏っているし、バナナをいつも食べている。『か弱い乙女』と何度も自称していたが、経験上、そんなことを言うのはゴリラみたいな体つきの女ばかりだった。

 

 「…よく似合うじゃないか、その毛皮」

 

 ハムザの思惑とは裏腹に、リリはにこやかな微笑みを返す。

 

 『日常』が、戻って来た。そんな感覚だった。傍らで気絶するレヴィスを突っついてみた。まだ起きる気配はなさそうだ。

 

 暫く森林浴をしていると、近くで人の声が聞こえて来た。

 

 女性が会話をしているのが聞こえる。はて…どこかで聞いたことがあるような。

 

 「……それでぇ、アイズさんったら、昨日は私のお布団で眠っちゃいまして、もう可愛くて可愛くて…思わずぺろぺろしたくなりそうで…でも、自分に言い聞かせて、『ダメよ、レフィーヤ。禁断の愛の行為は、まだちょっとだけ早いわ』なんて自分に言い聞かせて…ねぇ、アキったら、ちゃんと聞いてますか?って………」

 

 グループの真ん中で惚気ていた妖精(レフィーヤ)が、地面にごろりと横になっているハムザの姿を見、地上まで届くかのような大声で叫んだ。

 

 「えぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 指さし飛び跳ねるレフィーヤ。そして、隣の団員が首を傾げてレフィーヤに聞く。

 

 「なに、レフィーヤ。もしかして、知り合い……?」

 

 「知り合いどころじゃありません!」レフィーヤはユニコーンでも見つけたかのように興奮していた。

 

 「これがハムザ・スムルト!黒い変態、ブラック・パーヴです!『13階層の災害』で行方不明になって、ギルドが超高額報酬のクエストを張りだして捜索している、あの、ハムザ・スムルトですっ!!!?」

 

 ハムザにくぎ付けになっていたレフィーヤの目が、リリへ、命へ、そして、地面で横になるレヴィスへ移った。

 

 「…………っ!」

 

 「アキ、下がって!」

 

 レフィーヤは杖を構え、三人に向けた。

 

 「なぜ怪人(クリーチャー)が、そこにいるのですか?答えて下さいっ!」

 

 「喜んだり警戒したり、忙しい奴だな。こいつは、そうだな———」

 

 その時、小さな影が上空に舞い、くるりと回転してから地面に着地した。槍を構えた、小人族(パルゥム)の冒険者…。随分豪華な服に身を包んでいる。

 

 「……やぁ、ハムザ・スムルト」

 

 【勇者(ブレイバー)】、フィン・ディムナだった。

 

 「親指が疼いてみれば…またその女か」

 

 ぺろり、と親指を舐めたフィン・ディムナの目には、敵意が漲っていた。槍の穂先をハムザに突きつけ、鋭い威圧感を放っている。

 

 「発言次第では、君は命を落とす。心して答えるように」

 

 「はぁ……?」

 

 「ハムザ・スムルト。君は闇派閥(イヴィルス)の一員か?」

 

 「何でそうなる?俺達は、ただ———」

 

 フィンはリリの手の中にあった『鍵』を目で示し、鋭く言葉を被せた。

 

 「『クノッソスの鍵』を持ち、『怪人(クリーチャー)』を従えている。これだけあれば状況証拠としては十分だ」

 

 「…俺達がこいつを倒し、鍵を奪い取ったというのは?」

 

 「『怪人(クリーチャー)』は鍵を持っていない。闇派閥(イヴィルス)の一部の人間だけが所持している道具だ」

 

 「そんなもん、知るか!」ハムザは怒った。

 

 なんでこんなことで敵対されなければならないんだ。自分達は『未開拓領域』を踏破し、生き残り、悪い奴一人をやっつけて外へ出ただけだというのに。

 

 「【トール・ファミリア】とかいうゴロツキから奪い取ったもんだ!それで闇派閥(イヴィルス)の『狩場』とかいう未開拓領域を完全踏破して、他のファミリアが全滅する中で生き残り続けて、強化種を二匹倒して、襲ってきたレヴィスも返り討ちにしただけだ!まったく、馬鹿げてる!こんなもん、欲しけりゃくれてやる!」

 

 ハムザはリリの手から『鍵』をもぎ取り、フィンに思いっきり投げつけた。それをキャッチし、フィンは難しい顔をした。

 

 「……推定無罪は罰せず、か。まぁいい、君がそう言うのなら信じよう。リヴィラに案内するよ。面白い一幕が見れるだろう」

 

 

 

 道中、質問攻めは止まることがなかった。一体どうやって『未開拓領域』を生き延びたのか、そして『狩場』がどのような場所だったのか、強化種はどんなに強かったのか、そしてどうやってレヴィスを討ち取り、『人口迷宮(クノッソス)』から逃げ出したのか、など。

 

 いちいち答えてやるのが面倒になったハムザは適当にレフィーヤをあしらっていたが、真面目な命とリリは全部を彼らに聞かせてやった。その話に信ぴょう性があったからか、フィンはもう自分達を疑っていない様だった。それよりか、リリに熱い視線を送っているのが少し気になった。だが、とにかく帰還を果たしたのだ。細かいことを気にすることもない。

 

 案内されるがままに歩き続けると、ようやく一行はリヴィラに着いた。

 

 リヴィラの住民たちは、ハムザの顔を見て絶句した。皆、手を止め、口を止め、幽霊でも見るかのような目でハムザ達をまじまじと眺めている。すると人だかりの中から、極東風の冒険者が現れた。

 

 「命っ…!」

 

 「桜花殿っ…!?」

 

 男は命のファミリアの団員のようだった。二人は感動の再会を果たし、抱き合った。

 

 「…もう、死んだと思っていた。本当に、よく無事だった…。お前の顔を見せれば、タケミカヅチ様の陰鬱な顔も晴れるだろう。あぁ、良かった…本当に…」

 

 するともう一人、今度はハムザの方に近寄って来た。

 

 「……やれやれ、まさか、生きていたとは」

 

 ふさふさの青い髪の女性冒険者。彼女は眼鏡を上げ、眼元を拭った。

 

 「おぉ、アスフィちゃん」

 

 ひょっこりと隣に神が現れる。【ヘルメス・ファミリア】の主神、ヘルメスだった。

 

 「さすがは次世代の英雄だねー。一体どこで何をしていたんだい?どんな修羅場を潜って来たんだい?洗いざらい話すまで、今夜は寝かせてあげないぜ。あぁ、もちろん、アスフィがねぇ~」

 

 なぜ迷宮内に神様が居るのか不思議で仕方がなかったが、ハムザは抱き着くアスフィの心地よい香りにそんなことは一瞬で忘れ去った。

 

 そして、アスフィは懐から小瓶を取り出して、ハムザに手渡した。

 

 「ナァーザ・エリスイスという薬師から伝言と共に預かっていた物です」

 

 「なんじゃ、こりゃ?」

 

 アスフィは肩を竦めて言った。

 

 「『惚れ薬』と言っていました。とにかく、捜索に出る私に、『自分は迷宮には行けない。その代り、彼を見つけたら、これを飲ませて欲しい。死体になってても構わない』と言ってましたよ」

 

 げぇ、とハムザとリリは引いた。

 

 「…飲んだことにしておいてくれ」

 

 「本気じゃないですよ」アスフィが言った。

 

 「恐らく高回復薬(ハイ・ポーション)でしょう。彼女なりの、貴方への愛情表現だと私は感じました」

 

 確かに、あのナァーザが無料で物を手渡すなんて、異常なことだった。

 

 人だかりの中から、ローブに身を包んだ剣士が近づいてきた。顔を覗き込むと、それがリューだと分かった。

 

 「おぉ、リューちゃん!君もここに居たのか。……一体なんでこんなに人が居るんだ?」

 

 簡潔に、彼女は答えた。いつものクールな口調の裏に、喜びの色が混ざる。

 

 「私達は、捜索隊です。ヘルメス様に頼まれ、貴方達を見つけるべくずっと迷宮を探し回っていました。これは、シルからです」

 

 そう言ってリューは箱をハムザに手渡した。中を開けると、日持ちの良い乾物が沢山入っていた。干し肉やら、ドライフルーツやら。ハムザは大喜びで干し肉を口に入れ、リリにも分けてやった。

 

 喜ぶ二人を見て、リューは相好を崩す。

 

 「…あの子は貴方を心配しておりました。『きっとお腹を空かせているだろうから』と、私にこれを持たせた。…それに、私も貴方の姿を見れて…安心した」

 

 リューが美しい顔を少し赤らめてそう言うのを見た途端、我慢できなくなったハムザは思わずリューを抱きしめた。

 

 「なっ……!」

 

 突然抱きしめられて驚いたリューだったが、彼女の手は少しの間宙を彷徨ってから、ハムザの背中に辿り着いた。

 

 二人は再会を祝して抱きしめ合った。

 

 「捜索ご苦労、大変だっただろう。君のために、闇派閥(イヴィルス)の一員を捕まえて来たぞ」

 

 体を離すと、リューはまだ困惑しているようだった。だが、その顔には紛れもない喜びと興奮が浮かんでいる。

 

 「…今晩は、酒場にいらしてください。きっとシルは大喜びでしょう」

 

 そう言ってリューは背を向けて離れていった。すかさずヘルメスがリリとハムザの前に立つ。随分にやにやしていて、気持ちが悪い。

 

 「…いやぁ、モテる男は辛いねぇ。これは受付嬢のエイナちゃんからさ」

 

 そう言ってから手渡されたのは、びっしりと文字が詰まった羊皮紙だった。

 

 「何でも怪物に出会った時の対処法が書き記されているんだとか。エイナちゃん、三日三晩、寝る間も惜しんでこれを作っていたみたいだぜ」

 

 ハムザはリリの顔を見た。リリはとても複雑な表情をしていた。

 

 「これを渡すエイナ様の心境が、リリにはよく分かりません…」

 

 「俺もだ。これ、見ろよ。ヘルハウンドに出会ったら、サラマンダーウールを被り、火炎放射を防ぎ…云々だ。確かに役に立つかもな、怪物に出会ったらこれを読めばなんとかなる。もし怪物がその間ずっと待ってくれたらの話だが」

 

 「いやぁ、そこは事前に学習してくれよ、ハムザ君…」ヘルメスはハムザに言う。

 

 「あぁ見えて、エイナちゃんは随分心配していたみたいだぜ?それに、ちょっとパニックになると、普段のキレを失くして愚行に突っ走っちゃうのも、愛嬌があって可愛いじゃないか?」

 

 「まぁ、そういうことにしておくか」

 

 ハムザは羊皮紙をリリに預け、リリはそれを懐にしまった。

 

 「こんなもんか?もう他にはいないよな?」ハムザは辺りを見渡して言った。

 

 だが、ヘルメスのにやにや笑いは止まらない。一体何事だと視線を落とした瞬間、人混みの中から、小さな女性が姿を現すのが見えた。

 

 「あっ……」

 

 リリは思わず声を上げた。テルクシノエだった。だが、普段の輝く美しさは消え失せていた。頬は痩せこけ、瞼は腫れあがり、髪の毛はぼさぼさだ。しばらく見ないうちに、貧相になったものだ。

 

 ハムザは何と声を掛けていいか分からず、ぼうっと主神を眺めていた。

 

 そして、テルクシノエは言った。

 

 「…すまん」

 

 消え入るような、ガラガラな声だった。

 

 「……すまんのじゃ」

 

 そして、テルクシノエは地に膝を突き、まるで子供のように大泣きを始めた。

 

 「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 

 一体何なのか、とハムザはリリを見る。だが、リリは今にも泣きだしそうな顔をしている。テルクシノエは地面に崩れ落ちたまま泣き叫ぶ。

 

 「すまんのじゃ!私がお前達を邪険にしたせいで!…ひっく、こんなことになってしまって…。あぁ、許してくれ!全部私のせいなのじゃ!許してくれ、許してくれ…。今度から料理も覚える…!だから、だから………私を一人にしないでくれ!」

 

 一層ひどい声で泣き始める主神に二人は歩み寄り、そっと両手で抱きしめた。リリも、ハムザも、自分の神がこんなに惨めな姿になって許しを乞うだなんて、思いもしていなかった。

 

 抱き合う三人に、ヘルメスは面白そうに言った。

 

 「このムーサの女神さんは、君たちが行方不明になってからほとんど眠らず、水しか飲んでいないんだ。まったく死すべき人間の身になって、よくやるよ。きっと迷宮では餓えに苦しんでいるだろうから、自分だけ贅沢なんて出来ない、ってね」

 

 信じられなかった。まさかこのぐうたら女神が、そこまで自分達を心配していたなんて。リリもハムザも、それまでの暴言やからかいを申し訳なく思い、一層強く彼女を抱きしめた。

 

 「ひっく…。ひっく…うぅ、うぅ…。ゆ、許してくれる、のか…?」

 

 「当り前だ、馬鹿主神」

 

 「当然です、むしろリリが謝りたいくらいですよ」

 

 三人は抱き合った。気が済むまで抱き合い続けた。そして、その様子を、リヴィラの住人やハムザの知り合い達は、目尻に涙を湛えて眺め続けていた。

 

 

 

 

 【テルクシノエ・ファミリア】の感動の再会が行われている頃、フィンを筆頭に【ロキ・ファミリア】の幹部たちが難しい顔を突き合わせていた。

 

 「それで、どうする?こやつ、眠ってはいるが、起きたら大変なことになるぞ」

 

 ガレスは言う。

 

 「…速やかに息の根を止めるべきだ」

 

 リヴェリアは言う。

 

 対するフィンは、顔をしかめて考え込んでいる。

 

 輪を作るように座る幹部たちの中心に置かれているのは、気を失っているレヴィスだった。【遠征】で【ロキ・ファミリア】に甚大なる被害を齎し、オラリオの破壊を謳う派閥の重要人物、そして個人的理由からアイズの命を狙う。それがこのレヴィスの姿だった。

 

 フィンとしては、殺さない理由がなかった。唯一彼が踏み切れない理由は、親指が疼くことにあった。危険を知らせる、特殊な能力。フィンがレヴィスの処刑に考えを巡らせる度に、親指が痛むのだった。

 

 「...怪人を捕らえたのは【テルクシノエ・ファミリア】だ。獲物を横取りして殺害するのは、基本的に冒険者の規則に背く…。それに怪人は危険だけど、貴重な情報源でもある。目が覚める前に殺してしまうのが最も賢いやり方だけど……拷問して情報を聞き出すべきかもしれないな」

 

 「うーん?じゃあ取り合えず、ハムザに聞いてくるよ。アタシ、色々話聞きたいし」

 

 ティオナの発言に、姉のティオネが口を挟む。

 

 「あんた待ちなさい。団長の決断が絶対よ。団長、さぁ、こんなやつさっさと殺してしまいましょう。ハムザなんて、後からティオナに夜這いをさせればいくらでも説得出来ます」

 

 確かにそうだろう、とフィンは苦笑する。

 

 「よし、分かった。直感に従う。【ロキ・ファミリア】としては、怪人は拷問の後、処刑する。だが、その前に処遇について、一応ハムザと相談してみよう」フィンは決断した。

 

 「やったー!」と跳ねるティオナにフィンは首を横に振り、アイズを指さした。

 

 「伝えに行く役目は、アイズ。君に任せる」

 

 「私……?」

 

 それまで無言を貫いていたアイズは、思わぬ役目を任されたことに驚いていた。

 

 「そうだ。アイズなら、万が一レヴィスが目覚めてもどうにか出来るだろう。それに彼とは、まだ再会していないんじゃなかったかな?」

 

 

 

 人々の質問攻めからも解放され、知人達と一通り再会の会話を済ませてから、ハムザはもう少し森の様子を見ていたいと我儘を言った。

 

 宿場の傍のベンチに座り、リヴィラの明かりが薄れていく様子をぼんやりと眺めながら、シルからの贈り物である肉をこうして頬張り続けていた。リリとテルクシノエは地上への帰還の計画を立てるため、宿場に戻ってヘルメス達と話をしている頃だろう。

 

 命もハムザの隣に座り、干し肉を頬張っていた。

 

 度重なる迷宮での緊迫した出来事を思い出す度に、ここまで生き残れたことへの感謝が心に芽生える。すべては、ハムザのお陰だ。彼が自分の命を救ってくれたから、自分はいまここに座って美味しい肉を食べることが出来ている。

 

 「…ハムザ殿、実は、折り入って相談が」

 

 とても重要な話がある、と命はハムザに顔を向けた。

 

 「地上へ戻ったら、真っ先にタケミカヅチ様に相談したいと思っているのですが、もしよければ…【同盟】を組みませんか?」

 

 「同盟?どういうことだ?」

 

 「私は…ハムザ殿のお傍を、離れたくありません。ですが、タケミカヅチ様の子であることを辞めたくはないのです。ですから、どうか…」

 

 「あぁ、そういうこと。もちろん問題ない。そうしよう。あの神様には後でお願いしておくとしよう」

 

 「本当ですか!良かった…」命は声を弾ませて喜んだ。

 

 「では、詰めは地上で行いましょう。私は桜花殿とリューさんが待っておりますので、一足先に地上に帰還します」

 

 分かった、と言いかけた時、誰かが声を掛けて来た。

 

 「あ、あの………」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインだ。もじもじしながら、何かを肩に担いでいる。ハムザはすぐにそれがレヴィスだと分かった。

 

 「な、なんだぁ?」

 

 「…フィンが、この人をどうするのか、ハムザに聞いてきて欲しいって…」

 

 どさり、とアイズはレヴィスを地面に落とす。

 

 「こらこら、人の体をそんな雑に扱っちゃいかん」

 

 ハムザに怒られたアイズは少ししょんぼりしながら、「敵だもん……」と呟いた。

 

 「………どうやって、倒したの?」アイズはハムザへ小さな声を出す。

 

 「そりゃあ、正義の力だ。悪い奴はやっつけられるように世の中は出来ている。俺は正義の英雄となったから、悪は滅びる運命にあるということだ」

 

 「……意味が、分からない。私は強くなりたいだけ。ハムザのスキルが強化されたって聞いたけど、本当…?」

 

 「あぁ、本当だ」

 

 「そう……」とアイズは俯いた。命はなんだか二人の間に不穏な空気を感じ取り、こほんと咳ばらいをした。

 

 アイズはちらりと命を見たが、すぐにハムザに視線を戻し、再び呟く。

 

 「凄いね…。私にも、力を分けてくれる?前みたいに…いっぱい出してくれて…いいんだよ」

 

 「ごほん、ごほんっ!?」命は大きく咳ばらいをした。

 

 「ハムザ殿!」そしていつもより大きな声で、ハムザにぐいっと顔を近づけてから言った。

 

 「そろそろ行かなくては…!その、それと、帰り際の…せ、接吻を」

 

 命はアイズの目の前で、唇をつけてきた。これ見よがしに舌を絡ませ、まるで前戯のように濃厚に。そして口を離し、命はハムザに釘を刺した。

 

 「それでは…ハムザ殿。どうかお大事に。それと、お忘れないよう…私の身体は貴方の物です。地上でも、これまでのように沢山求めて来て下さい。では……」

 

 そう言い残し、命は駆けていった。アイズは何故か頬を膨らませている。

 

 「………浮気者」

 

 「おいおい、冗談はよせ。それよりこのレヴィスだが、【ロキ・ファミリア】はどうするつもりなんだ?」

 

 ハムザの質問に、アイズはう~んと唸り、顔を捻った。

 

 「……拷問して、殺す…だったかな?それでもいいかどうか、聞いてこいって…フィンが」

 

 がたっと席を揺らしてハムザは立ち上がる。

 

 「それはいかんだろう!こんな美女を…あ、いや。人道的に、それはいかんだろう!国際社会が黙っとらんぞ!」

 

 ハムザはレヴィスを担いだで、首を傾げるアイズの手を取った。

 

 「【ロキ・ファミリア】の陣に行くぞ!あいつらにお説教だ!」

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の夜営陣で、ハムザは肩にレヴィスを担ぎ、幹部達と向き合っていた。にこにことアマゾネスの少女が笑み送っている。ガレスは腕組みをしながら、こちらを値踏みするように眺めている。リヴェリアは椅子に座りながら相変わらずの嘆息を繰り返し、頭を抱えながらこちらの様子を伺っている。

 

 フィンは背筋をまっすぐに伸ばして立ちながら、ハムザに問う。

 

 「………もう一度言ってくれるかな?」

 

 「だ、か、ら!」ハムザは叫ぶ。

 

 「拷問なんていかん。殺すのも…なんか勿体ない。いいか、こういう場合、獲物は野に返してやるのが狩人としての心得ってもんだ。違うか?キャッチ・アンド・リリース!」

 

 「違うな」リヴェリアは即答する。

 

 「何故ならここに狩人は居ない。いるのは冒険者と、その敵だ」

 

 フィンは呆れたように口を開く。

 

 「それなら君は、怪人(クリーチャー)が…レヴィスがオラリオを破滅させるのも、アイズを殺してしまうのも黙って眺めている、ということでいいのかな?」

 

 「そうは言ってないだろう、まったく、これだからお前達は」

 

 「なら、どういうことじゃ?分かるように言ってくれんかのう」

 

 ガレスに凄まれたハムザは考える。どうしたものか。いや、そもそも何故自分はレヴィスの譲渡を拒んでいるのだろう。ロキに言われた通り、身柄を引き渡してやるだけで良かったはずだ。だが、テルクシノエに抱きしめられてから、何だか不思議な気分になっていた。

 

 錆びついた歯車が動き出した。そんな感覚に近い。ハムザは思い切って心のままに発言してみた。

 

 「えぇと…。こいつは、なかなかいい女だ。だから苛めるのは良くない。説得すれば、きっと良い子になるだろう。だから任せておけ」

 

 リヴェリアは両手で頭を抱える。だが、フィンはその一言で殺気立った。

 

 「ふざけるな」

 

 そして槍を手にして、ハムザに突き付けた。

 

 「君の性的嗜好にオラリオの命運を委ねることは、止めた。勇者(フィン・ディムナ)として、その女は殺す。抵抗するのなら、君もだ。ハムザ・スムルト」

 

 結局こうなるのか、とハムザは顔をしかめた。だが、仕方ない。もう腹は括ったのだ。

 

 (勇者なんて、英雄なんて、馬鹿みたいだ!)

 

 目の前に美女が居たとして、どうしてやらずに殺せよう?そんなことは、不可能だ。【テルクシノエ・ファミリア】のハムザ・スムルトは、美女とやりまくって世界で一番のハーレムを作るのが目標だ。何がオラリオだ、知ったことか!

 

 ハムザは柄に手を当てた。戦闘態勢。【ロキ・ファミリア】の幹部たちは息を飲む。

 

 「…正気か?」リヴェリアはハムザを諭すような声を出すが、もう手遅れだった。

 

 「勝ち目はないぞぉ、若いの」ガレスは言った。

 

 アマゾネスの一人はフィンを囃し立て、もう一人は悲しそうな顔をしている。アイズも納得いかないような表情だが、口は閉じたままだった。

 

 「…言っておくが、詠唱を始めたその瞬間、僕は君の首を落とせる」

 

 どこかで聞いたことがあるような台詞だ。ハムザは構えを解き、心の中で呟いた。

 

 (馬鹿め、くたばっちまえ!)

 

 (【イェベン・ティ・マーテル】!!)

 

 突然現れた黒い粒子、まさかの『無詠唱』に、幹部達は驚愕した。フィンは神速を以てハムザに飛び掛かったが、粒子の壁に阻まれ、そのまま地に伏せた。

 

 「あ、ありえん……なんじゃっ、今のはぁっ!」

 

 ガレスがハムザに掴みかかろうと突撃する。だが、既に遅い。

 

 再び粒子がガレスの突進を阻み、ドワーフの重戦士も力なく倒れ込む。

 

 一瞬にして、幹部二人が戦闘不能。場は騒然となった。

 

 「ア、アンタ…!団長に、何をっ…なにをぉぉぉぉぉ~~~!!!!」

 

 怒り狂ったティオネは双剣を投げようと振りかぶる。だが、既に無言詠唱を終えていたハムザの呪詛によって、力が抜けたように崩れてしまった。

 

 「ほかに文句のあるやつはどいつだ!」ハムザは息巻いた。

 

 ティオナは目を輝かせてにこにこしている。アイズは、ただただ驚いていた。そしてリヴェリアは、相変わらず座ったまま頭を抱えているだけだった。そして麗しの王族(ハイエルフ)は呟いた。

 

 「はぁ……。言っておくが、私の魔道服は耐呪詛仕様だ。私には効かない……多分な」

 

 「でも、戦うつもりはないんだな?」ハムザにリヴェリアは苦笑いを返す。

 

 「好きにするが良い。だが、どうなっても知らんぞ」

 

 ハムザはもう誰も歯向かう者がいないと分かったので、夜営陣を後にしようと背を向けた。すると、ティオナが入口に立ちふさがった。

 

 「ねぇねぇ。すごーい!どうやったの、今の!」

 

 少女のようにきらきらと目を輝かせて、ハムザの手を取り胸に当てた。

 

 「あぁ、まぁ、魔法だ。魔法。じゃあな、行かなくては」

 

 ティオナはすぐには道を譲らなかった。

 

 「私のさー、ネックレスなんだけど」

 

 青い宝石のようなネックレスに目がいった。

 

 「呪詛に耐性がある、ってゴブニュが言ってたかなぁー」

 

 「なんだなんだ?やろうってのか?」

 

 「うぅん、そうじゃなくて」とティオナは無邪気に笑う。

 

 「たぶん、私には勝てないよ?でも道を譲ってあげるからさぁー。地上に戻ったらすぐ、絶対にぜったい、私の処女を貰いに来てね?」

 

 「お、おぉ」

 

 積極的なアマゾネス流の誘惑に、下半身が疼いた。

 

 「もちろん約束しよう!絶対のぜったいの、絶対だ!」

 

 「えへへー!やったー!」

 

 ティオナはそう言って道を開けた。ハムザが外へ出ると、後ろから嬉しそうな声が聞こえてくる。

 

 「やったー!アイズ、聞いた!?私にも子作りしてもらえるって!これで強くなれるんだよー!」

 

 

 ●

 

 

 ハムザはレヴィスを抱えたまま、すぐさまリリとテルクシノエ、そしてヘルメス達と合流した。【ロキ・ファミリア】との交渉を説明し、ハムザはレヴィスを自分の物にすると宣言した。

 

 テルクシノエは眷属の行動に大喜びで、それでこそ我が子と褒めちぎっている。当然リリは頭を抱えていたが、もうどうすることもできないので、放っておくことにしたらしい。

 

 ヘルメスとアスフィは既にこうした行動には慣れているのか、あまり気にしていないらしかった。

 

 

 こうしてパーティは地上を目指して出立し、その日の夜には、念願の地上への帰還を果たす。

 

 ハムザはまずギルドへ赴き、エイナに無事を報告した。それからレヴィスを繋いでおく牢屋が欲しいと伝えた。エイナはすぐさま資料を持ってきて、今は使われていないがかつて牢獄として使用されていた地下施設がギルド地下にあることを教えてくれたので、テルクシノエ達はそこへ向かい、レヴィスに枷を付け、頑丈な檻に閉じ込めた。

 

 「オリハルコン製らしいから、多分壊されることはないよ」とエイナは言った。

 

 それからエイナを含め、全員で『豊穣の女主人』へと足を運んだ。家族全員で食べる食事に、テルクシノエは大満足のようだった。ハムザもリリも、久しぶりのまともな食事に涙を流して感謝し続けた。その様子を面白がった女将は次から次へと料理を運ばせ、周囲の冒険者は【テルクシノエ・ファミリア】の冒険譚を聞くためにどんどんテーブルに集まって来た。そのうちアスフィやナァーザも輪に加わってきて、宴会は夜遅くまで続いていった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ ―日常―

 

 

 「立場が逆転したようだな」

 

 薄暗い牢屋の鎖に繋がれたまま、レヴィスは目の前の男にそう呟いた。

 

 「…良い気分だろうな、ハムザ・スムルト?」

 

 彼女の前に立つハムザは、言葉に反してあまり嬉しそうではなかった。

 

 「………二日酔いだ、馬鹿野郎」

 

 昨晩朝まで飲み続けていたせいで、目覚めた頃には頭がガンガンと痛んだ。ふらふらの足取りでギルドまでやって来てから、エイナが求める様々な『報告』をすっとばしてここまで降りて来たところだった。

 

 レヴィスは相変わらずオリハルコンの鎖に繋がれたまま動けないようで、流石の馬鹿力でも脱出は不可能だろう。

 

 「ここはどこだ?お前は私をどうするつもりだ」

 

 両手を縛られたままのレヴィスは、蛇の目を細めてハムザを睨む。

 

 「…ここは地上だ。あぁ、地下だが、一応地上だ。迷宮でお前を気絶させてから、ここまで連れて来たんだ」

 

 「地上だと?」レヴィスはかなり驚いたようだ。まるで意図しなかった言葉だったのか、きょろきょろと周りを見回している。だが、周囲に明かりの差し込む窓は取り付けられておらず、本当に地上に連れてこられたかどうかをレヴィス自身が確認することは不可能だった。

 

 「【ロキ・ファミリア】はお前を処刑しようとした。だが、俺はあいつらをぶっ倒して、無理矢理地上に連れて来た。いわば命の恩人だ」

 

 「もう一度言う。お前は私をどうするつもりだ?」

 

 「そうカリカリするな。別に拷問しようとか、情報を聞き出そうとかするつもりはない。飯だって食わせてやるし、頃合いを見て地上の様子を見せてやる」

 

 「……それにどんなメリットがある?」

 

 レヴィスの体を、ハムザは舐めるように眺めた。瑞々しい肢体。艶やかな唇と鋭い目の対比が素晴らしい。豊満な身体は完璧に均整が取れており、美を咲き誇る女体から溢れ出る魅力は、アイズ・ヴァレンシュタインを越える程だと言っても過言ではない。

 

 「レヴィス、お前はやんちゃなじゃじゃ馬だ。俺がしっかり世間というものに慣らしてやる。それからお前は、我が軍の戦力に加わるのだ」

 

 「……軍門に下れ、か」

 

 「一時的でもいい。別に嫌ならここで舌を噛んで死んでも良い。好きなようにしろ」

 

 レヴィスは黙り込んだ。牢屋の策に視線を移し、次に自身を縛る手枷を眺める。

 

 「…お前が私の体を犯す時、私はお前の喉元を食いちぎり、お前を殺す。それから鍵を奪い、脱出してからアリアを殺す。そしてオラリオに悪夢を見せてやる。好きなようにさせてくれるなら、私はそうする」

 

 「元気なもんだ。ところで、鍵は【ロキ・ファミリア】に渡しちまった。問題ないか?」

 

 「渡しただと?大ありだ。お前は…何という事を」

 

 「取り返すことは出来る。俺が寄こせと言えばな。だが、言わないかも知れない。忘れっぽい性格だからな」

 

 レヴィスは舌を鳴らし、ハムザが鍵を所有していたことに気が付かなかった自分に苛立っていた。

 

 「…そうか、ウェドンの馬鹿から奪ったのは、お前か」

 

 「その通り。ご明察だ。ところでウェドンは闇派閥(イヴィルス)だったのか?【トール・ファミリア】は」

 

 レヴィスは答えるのに躊躇った。だが、ゆっくりと口を開いた。

 

 「ウェドンは…とある派閥に預けていた『鍵』を人工迷宮(クノッソス)に運ぶ任務に就いていた。【ロキ・ファミリア】との戦闘に備え、人工迷宮(クノッソス)の万全を期すためにな。だが、それからすぐに『出資者』が視察に来ると言ってきた。実験成果を見たい、と言ってな」

 

 「出資者?誰だ、そりゃあ」

 

 「この情報は鍵と交換だ。いいな?」

 

 ハムザはすぐに頷いた。もともと鍵なんてどうでもよかったし、フィンに持たせるのは何かと癪だった。

 

 「出資者は…【イシュタル・ファミリア】の主神、イシュタルだ」

 

 「ほう……?どこかで聞いたことがある名前だ。それで、お前達の実験の成果はどうだったんだ?」

 

 「…上出来だった」

 

 ハムザは納得した。恐らく実験とは強化種のことだろう。あるいは、それに似た何か。レヴィスは調教師(テイマー)であり、怪物を操る術を持っている。平たく言えば、闇派閥(イヴィルス)は武器を作りたかったのだ。そしてその武器を欲しがる派閥もいる。どの時代も、強い力は他者を惹きつけるものだ。

 

 「すぐに『鍵』を回収しろ。【ロキ・ファミリア】を野放しにしておくと、とんでもないことになる」

 

 だが、ハムザは意地悪い笑みを浮かべてレヴィスに言った。

 

 「お願いをする時には敬語を使うのだ。相手の不興を被らないようにな。やってみろ」

 

 「……鍵を回収して…ください」

 

 レヴィスは死んだ目をしながらそう言った。だが、ハムザは納得しない。

 

 「違う。どうか私のために鍵を回収してきて下さい、最強イケメン剣士ハムザ様だ」

 

 「ふざけているのか?」

 

 レヴィスは殺気立った。おふざけが通用しない真面目腐った所は、何となくフィンに似ているか…。ハムザは満足したので、レヴィスの食事として魔石を放り投げた。

 

 「じゃあな、俺には用事がある。良く噛んでから飲み込めよ」

 

 ハムザは牢屋の外へ出て、しっかり鍵を閉めた。レヴィスは暗い牢屋で顔を伏せていたので、どんな表情をしているのか分からなかった。だが、ハムザは楽天的だった。きっとどうにかなるだろう、そう思いながら階段を上り、ギルドの廊下を渡り、エイナがいる受付を通らないように通路を選んで、裏口から外へ出た。

 

 快晴が広がっている。二週間も迷宮に居ると、こんなに青空が幸せな気分にさせてくれるということは、すっかり忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 時を同じくして、リリは馴染みのノームの主人が経営する店で、『狩場』で得たドロップアイテムの鑑定を依頼していた。リリは時計を見る。もう一時間が経った。普段ならとっくに鑑定は終わっていると言うのに。

 

 すると、ひょっこりと小さな老人が奥部屋から顔を覗かせて、白い眉を下げながら残念そうに言った。

 

 「すまんが、リリちゃん。うちじゃあこんな品は扱えん…。どうにも性質が尖りすぎているし…正直言って、どうしたらいいのかよく分からん代物なのじゃ」

 

 「そうですか」リリは『シルバーバックの毛皮』と『ウォーシャドウの爪』を受け取った。

 

 「どうやら魔法…のような効果が付与されておる。『魔猿の防皮』に『悪夢の冷爪』…ワシならそう名付け、競売にかけるか直接鍛冶師に売りつけるかのう」

 

 「分かりました、ありがとうございます。おじいさん」

 

 リリは礼を言ってから店を出る。こうなるだろうことは、何となく予感がしていた。このようなドロップアイテムが売りに出たという例は、聞いた試しがなかったのだ。

 

 「……さて、エイナさん曰く…主神が迷宮入りしたことで罰金は確定とのことですが……ここは目先の金銭よりも、実利を取ってみましょうか」

 

 リリは拠点に戻ってからハムザと主神と合流し、命に会うために【タケミカヅチ・ファミリア】を訪ねた。彼らはまず『怪物進呈』をしたことを謝罪し、命を助けたことに深い感謝を示した。13階層の災害で生き残った冒険者がゼロ、加えて『狩場』でも生き残った冒険者が三人だけとあって、彼らは命が助かったということがどれだけ奇跡に近い出来事なのかを、昨夜で理解したらしい。

 

 それからテルクシノエは正式にタケミカヅチに同盟を申し込み、武神は快くそれを受け入れた。命はこれより両者のファミリアを行き来する橋渡し役となり、当面の間、お互いはファミリアの等級を上げるために助力し合う、とのことだった。

 

 「じゃあ、タケミカヅチ様!これから私はドロップアイテムの売却のため、テルクシノエ様と出掛けてきます。夕飯までには戻れると思います」

 

 そう言う我が子に、タケミカヅチは温和な笑顔を向けた。

 

 「あぁ、行っておいで。しかし…本当に変わったな、命。良い冒険をしたようだ…」

 

 昨夜、タケミカヅチに命は同盟について申し出た。命の決然とした口調に、思わず男神は首を縦に振らざるを得なかったのだが、そんな命を見るのは初めてだったので、タケミカヅチはとても驚かされていた。

 

 命はタケミカヅチの両腕で抱きしめられ、少しだけはにかんだ。だが、迷いのない澄んだ目で主神を見上げて、その胸に顔を預けた。

 

 「…私は、タケミカヅチ様の子で良かったと思っております」

 

 いつもとは違う子供の積極的な愛情表現に、タケミカヅチは顔を綻ばせる。

 

 「あぁ、俺もだ…。お前は自慢の娘だよ。さぁ、行っておいで。彼らを待たせてはいかん」

 

 親の手から離れていく…タケミカヅチは子の成長をしみじみと感じていた。去っていく大切な子供の背中を見て、ぽつりと、嬉しそうに呟いた。

 

 「下界の子供は…こんなに早く変われるのだな……不死不変の神とは、本当に大違いだ」

 

 

 

 

 テルクシノエ、ハムザ、リリ、命。四人はまずメイン・ストリートにあるそこそこ大きな武器屋に入った。だが、数十分経って追い返された。店主曰く、そんな訳の分からん品物は名うてのファミリアに持ち込んでくれ、うちにそんなものを買う金はない、とのことだった。

 

 仕方がないので四人はバベルにある商業施設を訪ねる。【ゴブニュ・ファミリアと並んで】最大手の一つである鍛冶派閥【ヘファイストス・ファミリア】の管轄だ。

 

 だが、どの店舗も鑑定を即決で拒絶し、上へ行け、上へ行けと言うばかりだった。従って、四人はバベルをどんどん上る羽目になった。やがて店舗に並ぶ品物がどれも超一級品になり始めた頃、ようやく話の分かる人物が現れた。

 

 「ふむ…。強化種のドロップアイテムか面白い。手前が見てみよう」

 

 だが、数十分して彼女は首を横に振った。

 

 「こりゃあ、主神案件だな。済まないが、ここで待っていてくれ。手前が神様を呼んでくる」

 

 そしてすぐに赤い髪に眼帯をした美人な神様がやって来て、四人は挨拶をした。テルクシノエとは直接の面識がない神のようだ。

 

 「私はヘファイストス。話は聞いてるわよ、飛ぶ鳥を落とす勢いの【テルクシノエ・ファミリア】ってね。さぁて、久々の主神案件…。どんな代物かしら?」

 

 ヘファイストスはじっくりと二つのドロップ品を眺める。

 

 「『魔猿の防皮』に『悪夢の冷爪』ねぇ…。怪物特有の魔法能力が付与されているわね。こっちの皮は、多分一定以下の攻撃を無効化する仕様だわ。こっちの爪は…うぅん。切っ先に冷たい魔力が満ちていて、切れ味が凄そうね。もしかしたら、アダマンタイトクラスに対抗できるのかも」

 

 『うん』だとか『おお』だとか声を上げ続けること三十分、ようやくヘファイストスは決定を下した。

 

 「言い値でいいわよ、ゴブニュのところに持って行かれる訳にはいかないものね」

 

 「ならば、先にご希望価格を提示してください」リリは即座に言葉を返す。さすが場慣れしているだけはある。危うくテルクシノエは『一億ヴァリス』と言いそうになっていた。

 

 「五億くらいかしら?」

 

 四人は心臓が飛び出る程驚いた。まさか、そんな価格が提示されるとは思ってもいなかったのだ。

 

 「なんと…五億。あ、遊んで暮らせるぞ!」テルクシノエは歓喜の声を上げる。

 

 「いつも遊んでいるお方が、何を仰います」リリの突っ込みも冴えている。

 

 「あぁ、勘違いしないでね」ヘファイストスは言った。

 

 「一つ五億よ。二つで十億。正直きっついけど、他に渡す訳にはいかない素材だもの。あぁ、早くこれで武具を打ってみたいわ~。どんな名前をつけようかしら?」

 

 完全に目が金に変わっている他の三人を余所に、リリはここで交渉を持ち掛けた。

 

 「…これを無償提供する代わりに、手間賃を無料にして頂くというのはどうですか?」

 

 「それじゃあ商売にならないわ」ヘファイストスはぴしゃりと却下した。

 

 むむ、と言葉に詰まるリリ。その時、ヘファイストスの目がハムザの胸当てに留まった。

 

 「あら…その胸当て…もしかして、『堕ちた騎士道(フォーレン・ナイト)』かしら?」

 

 何のこっちゃと肩を竦めるハムザに、ヘファイストスは身振り手振りで説明した。

 

 「こんな感じの灰色の鎧で、首元に紋章が入っていて、呪われているという噂の鎧よ。私が製作したの」

 

 「あ!」と命は声を上げる。いつもハムザが着ていた鎧にぴったりの説明だったのだ。どうやら今日は胸当てだけを着けているらしい。ハムザは理解したのか、ヘファイストスに応えた。

 

 「あぁ、中古屋で格安で売られていたが、お前の作品なのか。どうりで鬼耐久な訳だ…神の鎧だもんな」

 

 ヘファイストスは「そうよ」と胸を張る。

 

 「ここのところ、消息不明だったのよね。その鎧、人を選ぶみたいなの。殆どの冒険者は選ばれないで、鎧に絞殺されてしまったわ。その度に椿に回収させて、もう一度売りにだしてたの。失敗作だとは認めたくなかったけど、やっぱり、うまく出来ていたみたいね」

 

 「…急に胸のあたりに痛みを感じる気がする」

 

 ハムザは胸をさすった。鎧に絞殺されるだなんて…呪いの噂は本当だったのだ。

 

 「…返却しようかな?」

 

 不安で仕方がないハムザだったが、ヘファイストスはすっかり機嫌を良くして自分の世界に入り込んでしまっている。

 

 「『堕ちた騎士道(フォーレン・ナイト)』を着こなす冒険者かぁ~。悪くないわねぇ。じゃあ、無料で打ってあげる。そこの侍お嬢さんには、『悪夢の冷爪』を使った刀を一本拵えましょうか。あとはそうねぇ、『魔猿の防皮』をサポーターちゃんのローブに仕立ててみましょうか。勿論、特殊能力をバンバン付与しちゃうわよ。過去最高の武器と防具を作ってあげる」

 

 勝手に話を進めていく鍛冶の神。だが、無料で技を披露してくれるのなら任せておくのが得策だろう。金に目が眩んでいたテルクシノエはやや不満そうだったが、仕方がないと受け入れた。

 

 「…じゃあ、明日朝五時にここに来て。一人ずつ面談をして、どんな武器が良いかイメージを固めていくから。あぁ、テルクシノエ。【ステイタス】の写しを二枚、魔法とかスキルが載った完全版を提出してね。身体を採寸して、それから椿と一緒に迷宮で戦闘をしてもらって、細かい手癖やスタイルをイメージに刷り込ませなきゃね。大体一週間も続ければ、作製に取り掛かれるわ」

 

 「な、なんという職人気質……」ハムザは驚くと同時に安堵していた。良かった、自分は五時起きをしなくて済みそうだ。だが、すぐにその安堵は裏切られる。

 

 「そこのハムザ君も、五時集合。鎧の調整をするわ。それに折角だから武器も作ってく?いまなら特大値引き価格で打ってあげるわよ」

 

 「か、勘弁してくれ……」

 

 鍛冶神の圧倒的な熱量に圧されて、四人は後悔し始めていた。

 

 

 『ゴブニュのところに持って行くべきだった……』

 

 

 

 

 夜、何とかヘファイストスから逃れた【テルクシノエ・ファミリア】は命と別れ、裏路地の本拠(ホーム)へと帰って来た。

 

 本拠(ホーム)のテントは荒れ放題で、テルクシノエはまったく掃除などしていなかったようだ。お腹が空いて堪らないハムザはさっそく肉を焼き始め、リリはもうパンとチーズを食べ始めている。主神はテーブルに着いた女神は魔石水煙草に火を付け、煙をふかしながら、とんとんと机を叩いて二人を振り向かせた。

 

 「夜は長い。晩飯も良いが、ゆっくり食べながら、お前達の冒険を一から十まで聞かせてくれ。今宵は善い食事を取りたいのじゃ」

 

 いつも通りの日常が、ようやく帰ってきた。

 

 その時、歓楽街の裏路地を通る娼婦の一団が、【テルクシノエ・ファミリア】から漏れる笑い声を耳にした。だが、娼婦達にはそんな笑い声を気に留める余裕などなかった。これから夜を通し、何人もの男を相手にしなければならない。

 

 夜の務めは、楽ではないのだ。

 

 歓楽街の夜は、ゆっくり、ゆっくり更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 尖塔の居室。

 

 高窓から漏れる月明りがとある男神の慟哭を照らし出していた。

 

 顔を手で覆い、とめどなく涙を流し続ける。金色の髪は乱れており、完璧な肉体美を誇る身体には一切服を着ていない。

 

 すると布団の中で、もう一人の男が蠢いた。

 

 「…アポロン様。トゥリウス、アカンサス、マルペッサのことはお忘れ下さい。今宵はこのヒュアキントスだけを心に思い、愛でて下さいますようお願い致します」

 

 それでも、言葉は神には届かない。アポロンは怒りに任せてヒュアキントスに告げた。

 

 「ヒュアキントス、館内に戻り奴隷を届けよ。調教が済んでいなくとも穴ならなんでもよい。あぁ、気が済まぬ。愛しのトゥリウスが…もう帰っては来ぬとは…。どうした、早く行け、ヒュアキントス!」

 

 従者のように素早い動きでヒュアキントスは一礼をしてから、服を纏って部屋の外へ出た。

 

 太陽の神、アポロン。

 

 男神の慟哭は、やがて残酷な笑いへと変貌を遂げる。

 

 

 「【テルクシノエ・ファミリア】め…覚えているが良い。必ずや、私が貴様らを破滅に導く。太陽の名のもとに、お前達は私に跪くだろう……」

 

 

 

 

 

 

 

 




個人的問題作。もっと磨けたかもな…でももう疲れた。

次はエロ多め、奴隷館の館主アポロンとの闘争、並びにレヴィスまわり整理になります。

ほぼ出来上がってるけど、ゆっくり上げます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五巻相当分
プロローグ ―予言の子―


 

早朝。【アポロン・ファミリア】本拠(ホーム)にて。

 

 最上階に位置する回廊型の空中庭園に躍り出たアポロンは、湿った朝の匂いを胸いっぱいに吸い込んでから、一通の巻紙を読み始めた。

 

 

 『トゥリウス、マルペッサ、アカンサスの死を確認。

 

 懸念の通り、【テルクシノエ・ファミリア】が我らがトゥリウス含む三名の死に関わっている模様。

 

 十三階層の災害は我らが同士の死と無関係であり、実際には未開拓領域に於ける闇派閥(イヴィルス)の関与が疑われる。

 

 また、上記ファミリアにて、女性冒険者が捕縛されているとの旨、信頼の置ける情報筋から連絡あり。

 

 闇派閥(イヴィルス)の一員を上記ファミリアが拘束中と思われる。

 

 同志の死に深い哀悼の意を示す。ルアン』

 

 

 輝く男神のアポロンは、崩れ落ちるように膝を突き、右手に羊皮紙をくしゃくしゃに握りしめ、左手を胸に当てて死者の名を呼んだ。

 

 「トゥリウス…マルペッサ…アカンサス…あぁ、美しき者達よ……」

 

 「有望な団員を殺したのが【テルクシノエ・ファミリア】であるならば、必ずや報復をしなければなりません」

 

 傍に控えるのは、美麗の従者ヒュアキントス。【アポロン・ファミリア】の団長を務める彼の声は、悲嘆に暮れる主神アポロンの復讐心を搔き立てた。

 

 「そうだ、そうなのだ」

 

 朝日に照らされるアポロンの口元が、怒りで歪にゆがんでいく。

 

 「復讐をお考えであれば、私ヒュアキントスにご命令下さい」

 

 「もちろんだ、ヒュアキントス。ハムザ・スムルトこそ我がファミリア最大の敵。あやつの首を刎ね、私の前に持って来るのだ」

 

 深々と頭を下げる従者。それから二人は幾つもの円柱が連なる回廊をぐるぐると歩き続けながら、議論を交わし合った。

 

 「…しかし闇派閥(イヴィルス)など、とうに滅んだものだと思っていた…。侮ったということか」

 

 「【疾風】の暴走以来、闇派閥(イヴィルス)は壊滅したというのが一般的な見解です。ですが、あの手の者共は手強い。必ずどこかで息を潜めているのだろうと私には分かっていましたが」

 

 ヒュアキントスの考察に、アポロンは大仰に片手を上げた。

 

 「焦るな、我が子よ。闇派閥が生き残っているからと言って、それが強大な悪であるかどうかは分からん。それに、かつては巨大な悪意であったとしても、それが今や落花寸前ともなれば、容易く落とせよう」

 

 ヒュアキントスは頭を下げた。アポロンは空中庭園の中央花壇に足を踏み入れ、一輪のチューリップを摘み取ってからベンチに腰を下ろした。

 

 「闇派閥(イヴィルス)など、取るに足らない連中だ。小粒な悪よりも、私はテルクシノエが憎い。あのハムザ・スムルト…【黒い変態】が憎いのだ」

 

 一枚、一枚と花びらを千切っていくアポロン。それからふとその手を止め、そうだな、と顔を上げた。

 

 「奴隷の調教を急げ。貴族への納入を早め、倍の金をせしめるように。足りなければ能力の低く、成長の見込めぬ団員を売り払っても良い。とにかく金を集めるのだ。私は策を練る。テルクシノエを天界へと送り返す策をな」

 

 美麗な青年はアポロンの目の前に跪いた。そして男神は輝く朝日に手を翳してから、その手を勢いよく振り下げて言った。

 

 「太陽に向かって唾を吐けばどうなるのか、奴らに教えてやるのだ。ゆけ、ヒュアキントス!」

 

 ●

 

 【アポロン・ファミリア】の館の一画。

 

 真っ暗で冷たい部屋の中で、少年少女が全裸のまま鎖にきつく繋がれていた。

 

 部屋には窓もなく、唯一ある扉には鍵が掛かり、内側からは開けられないようになっていた。

 

 彼らは声も出さず、暗闇に死人のような顔を浮かべている。

 

 その時、扉が開いた。差し込む眩い光に思わず顔をしかめる少年少女。その何人かは、はっとして唾を飲み込んだ。

 

 それから鞭を持った団員達が部屋に雪崩れ込み、蝋燭に火を点した。石造りの部屋が次第に明るくなり、頑丈そうな鎖や汚れた石床、顔は綺麗だが体中傷だらけになった奴隷達の姿を浮かび上がらせた。

 

 『食事の時間だぞ!』

 

 団員の大声が部屋に響く。しかし、囚われた者達は、誰一人として嬉しそうにしていない。繋がれた彼らは皆、極めて美しい容姿を持っていたが、その表情は仮面のようで、とても人間とは思えない。

 

 「さぁ、今日もはりきってやるわよ」

 

 打擲(ちょうちゃく)の音が響き始め、彼らが苦痛の声を上げ始める中、とある女性団員が鞭を片手に少女の前に立つ。

 

 「ダフネちゃん、あんまり痛くしたら可哀そうだよお…」

 

 隣に佇む気の弱そうな少女が、少年をかばった。しかし、気の強いダフネはその言葉を鞭で遮る。

 

 「カサンドラ、あんたがそんなんだから、奴隷が調子に乗るんじゃないの。これはアポロン様の命令なんだから、ちゃんとやらなきゃまずいわよ?」

 

 ダフネの容赦ない打擲により少年の肌は赤く腫れあがり、裂けていく。

 

 「ちょっとぉ…可哀そうだよ、ダフネちゃん。やめてあげて…」

 

 カサンドラは奴隷に近づき、膨れ上がった下半身の欲望を解放してやるように、左手を玉袋に添え、残りの手で竿を包み込むと、少年の性器はぐんぐんと膨れ上がった。嬉しそうにその固い性器を眺め、カサンドラは上下にしごき始めた。

 

 「ずっと我慢してたんだよね?いっぱい射精したいよね?」

 

 「うぅ……」

 

 嗚咽とも快楽の溜息とも漏れる声を上げてから、少年はゆっくりと頷いた。だが、ダフネはカサンドラの手を引っ張って奴隷と引きはがしてから、思いっきり奴隷を打擲した。

 

 「調子に乗るな!お前はご主人様の命令もなく勃起させて、射精したいっていうの!?そんな態度じゃ酷い貴族に売るわよ」

 

 鞭を器用に操り、直接性器を打つ。少年は痛みを堪え切れずに涙を流し、枯れた声で哀願し始めた。

 

 「申し訳ございません、ご主人様…ご命令に背き勃起させた私に、どうかもっと罰を与えて下さい…」

 

 ダフネは手を止め、ふんと鼻をならしてから、おどおどしているカサンドラに向き合って釘を刺した。

 

 「いい?ちゃんとやらないと売り飛ばされるのはウチらなんだからね?アポロン様の命令に背いたらどうなるか、あんただって見てきたでしょう」

 

 カサンドラはう~んと声を漏らし、仕方がないとして頷いた。ダフネは「まったく、もう…甘いんだから」と言ってから自分の奴隷に向き直る。

 

 「さて、お嬢ちゃん。隣の男の子のペニスをしっかり見てごらん」

 

 ダフネの前に繋がれているのは、瑞々しい肌と黄金色の長い髪を持った少女だった。

 

 つい最近『仲買人(ブローカー)』によって遠くの村から攫われてきた少女で、彼女の黄金色の髪は主神アポロンに気に入られていた。そのためダフネは主神から、よく調教するようにとの命を預かっている。

 

 少女はダフネの命令に反し、目を瞑り少年の裸体から顔を背けた。すかさずダフネは打擲した。

 

 「目を背けるな!いい?あんたはもう奴隷なの。まともな暮らしが出来るとしたら、アポロン様に気に入られて団員になるしかないのよ。いい加減理解しないと、もっとひどい目を見るよ」

 

 だが、強情な少女はダフネの言葉に耳を傾けようとはせず、目を瞑ったまま首を左右に振った。少女は目尻に涙を溜め、力の限り叫んだ。

 

 「私はっ…ぜったいに貴女達を許さないっ!」

 

 「ダフネちゃ~ん…可哀そうだよぉ」

 

 カサンドラの同情の声も意に介さず、ダフネは少女に鞭を打った。ぴしゃり、ぴしゃりと酷い一撃が加えられていく度、少女の可憐な体は蚯蚓腫れで覆われていく。

 

 だが、強情な少女はどれだけ打たれても一向に反省の気配を見せないので、ダフネは鞭打ち手を止める。その瞬間、奴隷少女の顔に勝利と安堵が混じり合ったような笑みが浮かぶが……ダフネが吊り下がった一本の鎖を思い切り引くと、少女の体が持ち上げられた。

 

 「あっ……!?」

 

 彼女は思わず声を上げた。両脚に繋がれていた枷が鎖に持ち上げられると、股を大きく開いた状態で空中で固定されてしまう。

 

 ダフネは容赦なく少女の股の間に指を入れ、恥部を激しく刺激した。

 

 「ほら、ほらっ!どれだけ強がっても、あんたなんて所詮はメスなの。ウチらのいうことを聞く人形になるしかないんだって、今日分からせてあげる」

 

 苦痛の声を上げる少女の頬からとめどなく伝う涙が、汚れた石床に何粒も零れていく。

 

 「ちょ、ちょっとダフネちゃん…それはまだ早いよぉ~…」

 

 「そんなことない。しっかり濡れてきてる」

 

 ダフネは少女の恥部から愛液が滲み始めていることを確認して、カサンドラの奴隷の鎖を緩めた。

 

 少年は身体の自由を得る。そしてダフネは少年の手を引き、恥ずかしい格好のまま吊り下げられた少女の目の前に少年を導いた。

 

 「挿れなさい」

 

 端的な命令。金髪の少女はびくっと体を跳ねさせ、恐々と少年の顔を見つめた。

 

 思わぬご馳走にすっかり正気を失った少年は、目を真っ赤に充血させて、はち切れんほど股間を固くさせていた。

 

 そして恐る恐る二人の顔色を伺い、少女の秘部に両手を添え、ぐっと花びらを開いてから、痙攣する下半身の渇望をゆっくりと挿入した。

 

 「…ぉぉっ…」

 

 彼が快楽の声を漏らすと、すかさずダフネの鞭が飛ぶ。だが、鞭を打たれてもなお、少年は快楽を貪るために腰を動かしていった。美しい少女のすすり泣きは、もう悲鳴のようだった。

 

 「お願い、止めて…やめて!」

 

 少女は涙ながらに訴え、その悲痛な声色は同じ奴隷である少年に同情を搔き立て、彼は腰の動きを止め、逡巡する様子を見せる。だが、ダフネがぴしゃりと言った。

 

 「そいつをいっぱい苛めれば、今後はあんたにもしっかりご褒美を上げるわよ」

 

 その言葉がスイッチになり、少年は再び腰の動きを早めていく。

 

 「いや…!いや!やめて……!おねがい……‥」

 

 だが、彼はもう少女の哀願には耳を貸そうともせず、猿のようにひたすら少女の穴を貪っているだけだ。

 

 「そうだよ、あんた、やれば出来るじゃないか」満足したダフネの笑い声。

 

 必死に腰を動かす少年の尻に鞭を打ちながら、ダフネはカサンドラに命令する。

 

 「ほら、あんたも打たなきゃ。快楽と痛みを同時に覚えさせて、鞭を打った時に勃起するように調教しないと駄目だからね」

 

 口を曲げながらも、カサンドラは仕方なしと鞭を手に取った。そして、打つ。

 

 「えいっ!」

 

 ぺちん、と弱々しい音が鳴った。あまり痛そうには見えない一撃に、ダフネは呆れたように溜息を吐く。

 

 「あっ…ご主人様、射精()そうです…っ」

 

 へこへこと腰を振る少年はカサンドラに目配せした。カサンドラがにっこりと「いいよ」と言おうとしたその瞬間、ダフネは少年を少女から引き離した。

 

 爆発前のペニスを抜かれた少年は、苦しそうな表情でダフネを見上げる。

 

 「達しちゃ駄目。あんたは奴隷なんだから、絶対に射精なんて駄目」

 

 「ダフネちゃん、可哀そうだよぉ……」

 

 友人を五月蠅そうに退けてから、ダフネは少年を再び縛り上げ、鞭を打った。泣き濡れる少女にも打擲を重ね、恥部に指を出し入れし、敏感になっている性器を掻きまわす。

 

 「あぁっ…!!」

 

 体を痙攣させる少女。金髪はだらしなく乱れ、眼元は涙のせいで真っ赤に染まっている。だが、快楽の余韻は間違いなく幼い少女の身体にも染みついていた。恥部は愛液で濡れ、子種を受け入れる準備は十分に整っているように見えた。

 

 そんな少女に対し、ダフネの口調は冷ややかだ。

 

 「あんたは死ぬほど絶頂させてあげる。女がどういう生き物なのか、身体に覚え込ませてあげないとね」

 

 それと、とカサンドラに言い添える。

 

 「そっちの奴隷は一段落。餌を与えていいわよ」

 

 カサンドラは渋々彼女の言葉に従った。少年の目の前に皿を置き、鎖を緩めてやった。すると少年は犬のように皿に口を付け、一日に一度の食事にありついた。

 

 

 その日の夜。

 

 皆が寝静まった頃、【アポロン・ファミリア】の館に動く影があった。

 

 その影はいそいそと階段を下り、抜き足差し足で廊下を渡る。暗い館内には月明りが縞模様を作り、今にも消えそうなランプの火がゆらゆらと揺れている。

 

 彼女は木造りの大扉の閂を抜いて、出来るだけ音を立てないように奴隷の間の扉を押し開いた。

 

 何人かの奴隷は目を覚ましたようだったが、深夜の来訪者には興味を示さない。彼女は明かりを掲げて、暗闇の中に繋がれている自分の奴隷を呼んだ。

 

 「…奴隷君?ねぇ、起きて…」

 

 夜まで続いた調教に疲れ果てた少年は、薄目でその声の主を見つめた。

 

 「……カサンドラ様…ご主人様…」

 

 カサンドラは少年の枷を外してやった。それから彼の手を引き、奴隷の間から出してやった。そして大広間へと続く大階段の脇にある巨大な石像の影に少年を招き、彼を台座に座らせる。少年の腰は、立っているカサンドラの目線とちょうど同じ位置にあった。

 

 「あぁ…ご主人様…」

 

 少年はこれから何が起こるのかを理解していた。カサンドラは日中の厳しい調教に対する詫びとして、このように奴隷を連れ出し、『抜いてやる』ことがあった。優しい眼差しを送る美しい少女に対し、少年は頬を赤らめる。

 

 カサンドラの柔らかい手が、既に性的な期待で膨らんでいる性器に触れた。優しい手つきで上下に擦ってから、少女は柔和な表情のまま一歩近づいて、整った顔を股の間に埋めた。

 

 「苦しいよね…。今、抜いてあげるね…」

 

 勃起して汁を垂れ流している性器に頬を当て、カサンドラは少年の太ももの付け根に口づけをする。悦びの声に笑顔を返し、カサンドラは若い欲望を口に招き入れた。

 

 「んぶっ…んんっ……」

 

 優しい面持ちの少女によって繰り広げられるのは、苛烈な口淫責め。カサンドラは知っていた。彼が責められるのが好きなタイプだと言うことを。

 

 口淫の卑猥な音が、誰も居ない館内に響く。石像の陰に隠れて性器を呑み込むカサンドラの表情は、まるで弟を助ける姉のように柔和で優しさに満ちていた。

 

 だが、カサンドラ本人は既にアポロンによる寵愛を受けた身分。奴隷である少年とは根本的に地位が異なるので、このようなことは禁忌でもあった。奴隷に温情をかけるということは、【アポロン・ファミリア】の団員としてはあってはならないこと。

 

 アポロンは言う——奴隷は商品であると。

 

 優れた容姿を持ち、神の欲求を満たす身体を持つ者だけが、家族(ファミリア)としての契約を結ぶことが出来る。それ以外の奴隷は、一定の期間が過ぎれば好事家達に売られていく。小金持ち、悪党、貴族、果ては王族まで、【アポロン・ファミリア】で調教された奴隷は極秘裏のうちに高く買われていく。

 

 奴隷売買で一種のブランドを築いたアポロンはその資金力を活かし成長を続け、今ではオラリオ有数のファミリアの一つになった。

 

 そして奴隷達は、調教が終わる頃には岐路に立たされる。家族となるか、奴隷のまま売られるか。

 

 カサンドラが温情をかけているこの少年も、そう遠くないうちに選別されるだろう。そして、カサンドラは経験から、彼が奴隷として売られていくだろうということが分かっていた。可愛い顔つきの少年は、とある有名な収集家に買われることが大半だ。その男は少年達を生きたまま壁に埋めており、彼の館の大広間の壁は、使い道のなくなった少年奴隷達の『ひとがた』で彩られているという。この少年も、きっとその一員として迎え入れられるのだろう。

 

 快楽のツボを知る彼女は、そのような恐れを抱きながら的確に愛撫を重ねていた。少年は既に限界が近く、深く激しく口奉仕をするカサンドラに射精の許しを乞う。

 

 「カサンドラ様…射精をしても、宜しいでしょうか…」

 

 「…んっ。いつでも、出していいよ…お姉さんが全部飲んであげる…」

 

 その言葉のすぐ後に、少年は全身を震わせて腰を突き出した。立ったまま喉の奥を性器に突かれたカサンドラだったが、両手を少年の腰に回してから、更に性器を自分の喉奥にぐっと押し込ませた。

 

 「あぁっ……!」

 

 少年は美しい少女になされるがまま、彼女の喉奥で精液を迸らせる。カサンドラは喉を鳴らしながらごくごくと飲み込んでいった。長く続いた禁欲生活のせいで溜まっていた少年の欲望は、数十秒の間留まることなく迸り続ける。しかし、カサンドラはその全てを胃に流し込んでから、ようやく射精が収まった頃に性器を引き抜いて、精液や体液で汚れる綺麗な顔に笑みを浮かべて言った。

 

 「…気持ちよかった?もっとして欲しい?」

 

 少年は息を切らせていたが、ややあってから頷いた。カサンドラは嬉しそうに再び性器を口に含もうと近づいた。その時、急にカサンドラの視界がぼやけ、目の前が真っ暗になった。

 

 (あ、れ……?)

 

 ……。

 

 カサンドラは暗闇に居た。そこは夢とも現実とも言えるような曖昧な場所だった。恐る恐る周囲を見渡すと、ぼんやりと光に照らされたいくつもの死体が転がっている。

 

 「リッソスさん……!ルアン…!」

 

 中には良く知る人物も含まれていた。夥しい数の死体の山だ。カサンドラは我を忘れて駆けだそうとした。だが、死体を踏んずけてしまうせいでうまく走れない。踏みつけた死体と目が合った。

 

 「…ヒュアキントス様…!?」

 

 【アポロン・ファミリア】の団長、太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)だった。Lv.3の冒険者であり、ファミリア最強の実力者。そんな彼が息絶えている。カサンドラは泣き叫びたくなって、親友の名を呼んだ。

 

 「助けて…助けて!ダフネちゃん、助けて!!」

 

 するとすぐ近くで光が舞い始める。飛び交う蛍のような淡い光が、積み上がった骸骨の山に居る男の姿を浮かび上がらせる。

 

 その男は、浅黒い肌をしていた。紅い瞳がおぞましく光り、カサンドラをじっと見つめている。

 

 「あなたは…誰!?ここはどこなの!?」

 

 男は玉座に座っていた。見覚えのある玉座だ…主神の玉座だ。骸の山の上に玉座が敷かれており、その男が冷酷な空気を纏ってじっとカサンドラを見つめているのだ。

 

 ふいに、どこからか声が響いてきた。

 

 『聞け 太陽の慟哭を 天空は暗闇に包まれ もう永遠に 光は来ない

   

  哀れな死すべき人間よ 太陽の子らよ 愚かな神を許し給え』

 

 

 (これは———予言…?)

 

 カサンドラは耳を澄ませて響く声に聞き入った。

 

 『我が声を聞け プリアモスの娘よ 破滅の導き手の 怒りは鎮まらぬ

 

  心を捧げねば 命を捧げねば 冷酷な英雄の許しを 乞うことすら叶わぬ

 

  ただ 全ての贄が捧げられた時にのみ 二羽の籠の鳥の 飛翔は叶わん

 

  離別を恐れてはならぬ 王の声に耳を傾けねばならぬ

 

  玉は砕かねばならぬ さすれば叶わん

 

  心せよ 予言の子よ 我が声を忘るるなかれ 我が慟哭を 忘るるなかれ

 

  囚人達よ もう啼く必要はない

 

  贄は必ず 夜の覇王を動かすだろう』

 

 

 

  「………」

 

 立ち尽くしたままその予言の言葉を胸に刻んでいると……目の前が真っ暗に反転した。

 

 次の瞬間、カサンドラはわっと飛び起きていた。

 

 「ちょっとあんた、大丈夫!?」

 

 目の前には明かりを持ったダフネが冷や汗を垂らして自分の顔を覗き込んでいた。奴隷の少年の心配そうな顔つきも目に入る。

 

 「…えっと、私…いったい…?」

 

 ダフネははぁ、とため息を吐き、「こっちが聞きたいわよ、まったくもう」と嫌気が差したように口を尖らせた。

 

 場所は相変わらず石像のすぐ傍だった。どうやらそんなに時間は経っていないらしい。少年から漂う淫靡な体臭と、喉の奥にこびりついた精液の臭い。カサンドラはダフネの手を借りて立ち上がった。

 

 「…ダフネちゃん…予言を見たの」

 

 「はぁ…何かと思えば、そんなんだろうと思ったわ。いつもの悪夢にうなされてたって訳ね」

 

 「違うの!悪夢じゃなくて…もっとはっきりとした…えっと…予言、みたいなもので…」

 

 「――勘弁してちょうだい」

 

 ダフネに遮られ、カサンドラははっとして動きを止めた。

 

 「あんたが夜な夜な抜け出したら、私は後を追わなきゃいけないの。あんたが余計なことをしてるのがバレたら、同室の私にまで危害が及ぶって、分からない?くだらない予言なんかの為に、私はどこかに売られたくないの」

 

 「ごめん…なさい…」

 

 すっかり元気を失くして、カサンドラは肩を落としてダフネに謝り続ける。だが、ダフネが語気を弱める気配はない。 

 

 「分かる?あなたは自分の好き勝手にしてるだけかも知れないけど、私にも危害が及ぶのよ。あんた、迷惑を掛けているの!」

 

 「うん…ごめんね…ダフネちゃん……」

 

 「はぁ……もういいわ」

 

 今にも泣きそうになるカサンドラに呆れたのか、ダフネは背を向けて離れていく。

 

 彼女は数歩歩いてから足を止め、振り向きざまに言った。

 

 「ウチ、寝るから。さっさとその奴隷を繋いで、あんたも寝室に戻って来なさい。いやなら別にいいわ。部屋を変えてもらうから。誰かに嗅ぎつけられててひどいことになっても、もう知らない」

 

 

 




どうでも良いことですが、私初めて中国のKTV(カラオケ風俗)なるものに行って参りました。

風俗童貞のままでは春姫編が書けないと思ったので、思い切ったのです。
日本では色々しがらみがありますので、中国でした。

30人くらいの女性から一人を選び、侍らせます。
それでお喋りしてから、お触りを楽しみました。

とんでもないおっぱいの持ち主だったので、息子が激しく勃起する筈でした。
でも、友人と行った事や、トイレを我慢していたせいで膀胱がやばかったのも重なり、息子は小さくなったまま死んでしまいました。

インポをネタにして慰みにすることができなくなってしまった。そんな素敵な体験を正月にしてきました。

仕事もあるので更新が遅れていますが、ちゃんと更新します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一章 ー調教ー

「…畜生、あぁっ…」

 

 ギルドの旧地下牢獄では、ハムザによる調教が行われていた。

 

 台座に乗せられたレヴィスはオリハルコン製の鎖に繋がれ、手足を固定されたまま。

 

 一週間の間、昼夜を問わず続いた性的拷問。最初のうちは、レヴィスも余裕のある口調でハムザを挑発したものだった。だが、ナァーザ特製の媚薬により性感帯が敏感になったレヴィスは、絶頂の感覚を体に覚え込まされた途端、女の弱さを見せ始めていた。

 

 何十回目の絶頂に達したレヴィスからは鋭い眼光が消え失せ、今では虚ろな目をしていた。

 

 「…私は…くそッ…。……っ」

 

 指がレヴィスの性器に出入りする度、思わず甘い声を漏らしてしまう自分を恥じるように唇を噛んだ。

 

 「ぐひひ…びちょびちょではないか。あれだけ牙を剥きだしていたのに、今となってはクリちゃんを剥き出しにするばかり…レヴィスも所詮は女だったということだな」

 

 敏感になったクリトリスを強く擦ってやると、レヴィスは腰を跳ねさせて声を漏らす。それを数秒続けただけで、レヴィスは何度目かも分からない絶頂に達した。

 

 「イキ続けると狂っちまうらしいぞ。俺としては、お前がチンポ狂いになる所が見たい。お前みたいな美女が、快楽に落ちるのを見るのが楽しみなんだ」

 

 そう言ってハムザは勃起した股間をレヴィスに見せつける。今までは指での愛撫のみだったが、ここでハムザは始めて男の味をレヴィスに教え込むと決めた。

 

 「…それは…止めろ……」

 

 止めろとは、どういう意味だろう。意外にも、女の尊厳を感じているということなのだろうか?ハムザは考えた。人と怪物の混合種、怪人(クリーチャー)。それがレヴィスの正体だ。魔石を喰らい能力を向上させることができる強化種でもある。そんな怪物でも、処女喪失は愛する人と…なんて思ったりするのだろうか?

 

 「言う……分かった、お前の勝ちだ…。私達は『宝玉の胎児』を育て、モンスターに寄生させる事で大幅な能力強化を成功させた……。食人花とそれらの化物を使い…地上を蹂躙する計画を立てている…。これで見逃せ」

 

 「お前は何か勘違いをしているな」

 

 ハムザはレヴィスにゆっくりと近づいた。ずぼんを半分下ろしているせいで、足取りは随分滑稽だった。

 

 「俺はオラリオなんてどうでもいい。オラリオ転覆だとか、そんなことよりセクロスがしたい。レヴィスみたいな美人可愛い女に死ぬほど中出ししたいだけだ。分かるな?」

 

 「っ…。下衆め……」

 

 「今日は記念日だ。記念すべき罰則の終焉。セクロス解禁日だ。分かるな?」

 

 「…地獄に落ちろ。猿め」

 

 レヴィスはそそり立つペニスに向かって、ぺっと唾を吐き出した。

 

 「そうだ、そういうのが良い。お前は気が強い感じでいてくれなければつまらん」

 

 そう言って無理矢理レヴィスの穴に捻じ込む。

 

 「止めろ…ッ!抜け、抜け!猿め…、お前は屑だ!ゴミ、虫けら……」

 

 言葉とは裏腹に、愛液で洪水となっていたレヴィスの膣は、求めるように絡みついてきた。きつく締め付けてくるその感覚に酔いしれるハムザは、腰の動きをどんどん早めた。

 

 レヴィスは途端に無口になり、口を噛みながら声を出すまいとしている。だが、試しに奥まで一気に突いてやると、悦びの声が飛び出してきた。突く度にいやらしい音を立てるレヴィスの膣は、かなり良い具合だ。流石は悪の親玉(ボスキャラ)。戦闘能力だけでなく、こっちの方もなかなかに厄介だ。

 

 久方ぶりのセックスだったので、我慢をするつもりはなかった。良い具合の角度だけを貪るように突き続ける。まるでレヴィスを自慰に使っているようだ。だが、そんな感覚は寧ろ興奮を強くしたし、殺人狂には寧ろこのような仕打ちが相応しいというものだ。

 

 「よし…いくぞ」

 

 その声を聞いたレヴィスだったが、もう諦めたのか無言のまま為すがままとなっていた。

 

 「おらっ……!!!」

 

 「……っ」

 

 深くまで打ちつけられた男根から迸る精液。異物が送り込まれる感覚に気が付いたのか、彼女は目を白黒させた。

 

 「…ぐっ…これは……」

 

 悪くない。ハムザは彼女がそう言うのかと思った。しかし違った。

 

 「……ゴミめ」

 

 「ゴミに中出しされてどんな気分だ?」

 

 最悪だ、とレヴィスは吐き捨てる。

 

 「気が済んだだろう。さっさと【ロキ・ファミリア】から鍵を奪って来い。私の身体を好きにさせてやった代わりにな」

 

 ハムザはレヴィスをじっと見つめながら、腕組みをし、暫く何かを考えていた。そしておもむろに口を開いた。

 

 「…飯でも食いに行くか」

 

 運動したら夜食が欲しくなった。

 

 ハムザはレヴィスの身体拘束を緩め、彼女の身体を起こしてやった。

 

 「…何をしている?」

 

 突然拘束が緩んだことにぎょっとして目を見開いたレヴィス。まさか自由が与えられるとは思っていなかったのか、突然得た脱出の機会の意味を熟考する様子を見せる。

 

 「オラリオをぶっ壊したいなら、俺が遊んでからぶっ壊せ。協力してやってもいいぞ」

 

 蛇のような目つきを取り戻したレヴィスは無言のまま、服を着直すハムザの様子を注意深く見つめていたが、どうやら意図を図りかねているらしい。

 

 「俺はここにハーレムを作る。美女だらけの宮殿を作るのだ。邪魔な神は殺す。お前が殺したい奴も、俺が殺してやる」

 

 「――ならばアリアを殺せ、今すぐだ」

 

 アリア…その名前が指す人物がアイズ・ヴァレンシュタインだと言うことは、ハムザも理解していた。

 

 「アイズは殺さん。あいつはむしろ俺の仲間になる。それよりお前に聞きたい。俺が外に出してやったら、今すぐオラリオをぶっ壊すつもりなのか?」

 

 ほう、とレヴィスは眉を吊り上げた。どうやら感心したらしい。

 

 「どうかな。勿論そのつもりだ、と言いたいところだが…。敵の陣中で単独行動する程、私は無謀ではない」

 

 「だが」レヴィスは続けていく。

 

 「私を解放したら……。そうだな、どうなっても知らんぞ」

 

 殺意に満ちた空気を纏うレヴィスだったが、何だかレヴィスが可哀想に思えてきた。こんなに可愛い顔をしているのに、怪物と同様に迷宮内で過ごしていたなんて、理不尽だ。

 

 自分達も『13階層の災害』によって迷宮で遭難した経験があるからこそ、それがどれだけ辛い事なのかがよく分かった。【ロキ・ファミリア】に狙われているのも不運だ。奴らは限度というものを知らない。それに拷問をしようとしている。こんな美人なのだから、ちゃんと着飾らせて、礼儀作法を覚えさせて、地上での暮らしに順応させてやれば、もっと幸せになれるに違いないというのに。そんな美人に拷問だと…?許さん、【ロキ・ファミリア】め……。

 

 射精後の賢者モードは、ハムザが今まで彼女に性的拷問をしていたことをすっかり忘れさせた。そして彼女がオラリオに復讐を考えるのも、無理もないとさえ思えてきた。

 

 「よし、ついて来い。地上を見せてやる」

 

 拘束具を外され、レヴィスの身体は完全な自由を得た。ハムザはもう檻の外に出ていた。レヴィスはどんな罠が待ち受けているのかと警戒しながら、一歩外へ出て周囲の様子を探る。

 

 「……………」

 

 経年を感じさせる薄暗い地下道だった。檻はずっと奥まで連なり、火が灯されているのはこの通路一帯だけだ。

 

 「これを着ろ。ロキ・ファミリアがあちこち嗅ぎ回っててな、身バレしたら終わりだぞ」

 

 古椅子にかかっていた埃まみれのローブを手渡されたレヴィスは、黙って従った。薄茶色のローブに身を包むと、フードの奥の表情をはっきりと認識することは難しかった。魔石灯で明るい大通りにさえ出なければ、これが『怪人』だとバレる心配はなさそうだ。

 

 ハムザはボロボロになった石階段を数段上がり、木製の扉についている錠を開けた。軋んだ扉の開く音が地下道に響き渡る。

 

 暫く階段を上り続けると、だんだんと明かりが増えていった。それから更に上へ登っていくと、厳重な鍵が取り付けられた大扉が現れた。ハムザががちゃちゃと音を鳴らして何とかその鍵を抜いて扉を開くと、まばゆい光が飛び込んできた。

 

 床は石材から大理石に変わり、壁や柱に豪華な彫刻が施されている空間。完全に牢獄から抜け出たことに、嫌でもレヴィスは気付かされた。

 

 「ギルドだ」

 

 ぴくり、と彼女の指先が反応する。

 

 「オラリオをぶっ壊すならまずここだ。でも、その必要はないな。既に所長のロイマンは我が主神の言いなりだから」

 

 フードの奥で押し黙るレヴィスは、立ち止まってハムザを見つめたまま動かない。本当にギルドがハムザの手中にあるのかどうかを、見極めようとしている様子だった。

 

 「正面玄関はあっちだ。人目につかない裏口がこっち」

 

 ハムザは雑踏から離れるようにいそいそと歩き始めた。それから二人は裏口から細い小路に出る。

 

 暗く、往来のない裏通りだ。

 

 通りに面するのは宮殿のように豪華なギルドと、連なる汚い古民家のみ。何となく、迷宮の通路に似た雰囲気がある。ほの暗く、不気味で、警戒心を抱かせるような。

 

 「この時間なら、人はほとんど通らない。いるのはゴロツキか酔っ払いだけだ」

 

 無言のまま頷いて、小路を進んでいく。すると、地面に座り込んで顔を真っ赤にした酔っ払いが、管を巻いていた。

 

 「…うぃっく!おぉ、ブラック・パーヴだ!イカレポンチの大法螺吹き…俺にもおまえみたいな才能があったらなぁ!史上最速のランクアップ…まったく、凄まじい嘘の才能だぜ」

 

 ハムザは酔っ払いの腹を蹴飛ばした。酔っ払いは地面に伏し、意味不明な言葉を呟き始める。

 

 「エルフのおまんこぺろぺろ…ぐへへ」

 

 ボロ雑巾のような酔っ払いを一瞥してから、ハムザは再び歩き出す。

 

 「俺は一カ月でランクアップした。それをやっかむ阿呆は星の数ほどいる」

 

 二人が暗い小路を歩き始めてから数分経つと、民家の陰から男が声を掛けてきた。

 

 「よう、ハムザ・スムルト。やってくか?」

 

 傷だらけで無精髭を生やしており、あまり真っ当な人間には見えない男の顔を、レヴィスはじっと眺めた。

 

 「…闇派閥(イヴィルス)か?」

 

 馬鹿な、と男はすぐに声を荒げる。

 

 「危ねぇことを言うんじゃねぇ!闇派閥(イヴィルス)なんて言葉、冗談でも口に出しちゃいけねぇぜ。俺達のシノギは連中なんかよりずっとまともだからな。なぁ、ハムザ、今日はとびっきりの娘が入ってる。見てくだけなら無料だぜ」

 

 「あまり気乗りはしないが、まぁ付き合ってやるか」

 

 男に案内されるがまま、二人は古民家に入った。それから地下の一室に入った途端、咽返るような男の臭いが飛び込んでくる。

 

 「…………」

 

 レヴィスは男が群がる先に目をやった。まだ年端のいかない少女が、血と精液にまみれて床に倒れ伏していた。男は無理矢理少女の髪を引っ張り、性器を幼い少女に捻じ込んでいく。

 

 半分気を失ったように力が抜けている少女を、男達は喜んで輪姦している。レヴィスが不思議と握りこぶしに力を込めたその時、輪から外れた男達がハムザに声を掛けて来た。

 

 「よう、ハムザ。お前さん、持ってるか?今切らしちまってな」

 

 「おい。薬なら他を当たれ。俺は売人じゃない」

 

 「おっと、おっと」男は両手を上げ、煙草をふかしながらおどけた様子で言った。

 

 「そういうことになってるんだったな。でも、お前がギルドに俺達コルリオーネ組の口聞きをしてくれた件、皆感謝してるんだぜ。お陰でヤクの売り上げは絶好調だ。ついでに女もな。おっと、そっちの女、お前の奴隷かい?なかなか良い体つきしてんじゃねぇか」

 

 ハムザはレヴィスに顎で合図した。

 

 「もう行くぞ。馬鹿共と同じ空間に居るとこっちまで馬鹿になりそうだ」

 

 踵を返す二人の背に、ティシェールは明るい声を掛ける。

 

 「じゃあな、ブラック・パーヴ!」

 

 

 二人は再び暗い小路に出た。新鮮な空気を吸い込んでから、ハムザは弁明しようとする。

 

 「あいつら勝手に来て、勝手に話を進めやがってな。一体どこから俺達がギルドと繋がってることを聞きつけたのやら」

 

 「…私は奴らの仕事を支持する。このオラリオに破壊を齎す奴らの存在は、私にとって都合が良い」

 

 それから暫くの間、ハムザは小路を真っ直ぐに歩き続けた。そしてまだ明かりの消えていない一軒の酒場にするりと入り込み、レヴィスを手招きした。

 

 大柄の男が、流し場からぎろりとレヴィスを睨んだ。カウンターに腰を下ろすと、そろそろとやって来た犬人の男性にメニューを手渡される。

 

 「……『混沌亭』」

 

 メニューには値段も料理名も書かれていなかった。ただ『甘い』『辛い』『塩辛い』と書かれてあるのみ。

 

 「お前みたいなおのぼりさんには、かえってこれくらいが丁度良いだろう。好きな味を言えば、勝手に作ってくれる。まぁ、馴染みじゃなければぼったくられて終わりだがな」

 

 「…………そうか」

 

 睨み続ける料理人に、ハムザは大声を出した。

 

 「辛い奴!!!!」

 

 大声を咎めるように、レヴィスはハムザを睨んだ。だが、ハムザは耳うちする。

 

 「あいつ、耳が遠いんだ。だから客を注意深く観察する癖がついちまった。ずっと睨んでるのは、そのせいだ」

 

 レヴィスはそうかと頷いてから、呟いた。

 

 「……甘いのを貰おう」

 

 だが、料理人は睨み続けたまま動かない。ハムザがレヴィスの代わりに叫んだ。

 

 「甘い奴!!!!」

 

 料理人は頷いてから仕事に取り掛かった。レヴィスはふむ、と首を傾げる。

 

 「…あいつがこっちに来て、私がメニューに指を差してやれば良いだけなのに、何故そうしない」

 

 グラスに水を注ぎながら、ハムザは言ってやった。

 

 「店名にも書いてあるだろう、混沌(めちゃくちゃ)だって」

 

 

  

 【ロキ・ファミリア】の執務室に、ノックの音が響いた。

 

 「失礼します、えっと、団長。報告をしに来ました」

 

 「やぁ、レフィーヤ。ちょっと待ってね、今この書類を片付けるから」

 

 そう言ってフィンはいそいそと羽ペンを動かした。何もすることがなかったレフィーヤは窓の外に浮かぶ月を眺める。もう深夜だと言うのに、フィンはずっと仕事を続けている。きっと団長がこんなに勤勉だから、【ロキ・ファミリア】はここまで成長してこれたのだろう、とレフィーヤはフィンに対する尊敬の念を深めた。

 

 「…ふぅ。これでようやくだ。さて、レフィーヤ。報告を聞こう」

 

 背もたれに寄りかかり、書類が散乱した大きな机の向こうからフィンが声を投げかけた。

 

 「はい、えっと…。【テルクシノエ・ファミリア】に動きはありません。ハムザ・スムルトの所在は不明で…恐らくはギルドに居るんだと思います」

 

 「報告ご苦労、レフィーヤ」

 

 フィンは椅子に深く座ったまま考え込んだ。暫くしてから、そわそわしているレフィーヤに伝言を伝える。

 

 「…流石に【怪人(クリーチャー)】を外に放つような真似はまだしない……か。部屋に戻る前に、リヴェリアの部屋に行ってこう伝えてくれ。もうすぐフィンが来ると」

 

 「えっと…この時間に、ですか?」

 

 「大丈夫、リヴェリアはあまり寝ない。この時間でも、間違いなくまだ起きている。さぁ、行ってくれ。伝言を伝えたら今日の任務は終了だ」

 

 レフィーヤは分かりました、と言い残し部屋を去っていった。一人になったフィンは机の書類を片付けてから、自分も部屋を後にする。暗い廊下を進み、リヴェリアの寝室の扉をノックした。

 

 「…フィンか、入れ」

 

 ぎっしり詰まった本棚が並ぶ部屋の中央で、いつもと同じ格好のリヴェリアは姿勢良く椅子に座っていた。手元には閉じられた本が見える。

 

 「読書中すまない。ちょっとハムザの件で相談したい事があってね」

 

 ハムザか…とリヴェリアは呟いてから、耳に掛かった翡翠色の髪をかき上げた。

 

 「【怪人(クリーチャー)】は未だ囚われのまま。だけど、もう一週間が経った。動きがあるとしたらそろそろだと、僕は睨んでる」

 

 「全く馬鹿な男だ。あの女を本気で御そうと思っているとしたら、愚かにも程がある」

 

 フィンは苦笑しながら、脇にあった椅子を手繰り寄せて座った。

 

 「【テルクシノエ・ファミリア】は面会拒否、その上ロキには団員の『尾行』も辞めるように言われている。それでもあの女を放っておくことは出来ないから、僕は『観察』を続けさせているけど…表立って出来ない以上、追跡の精度は悪い。今夜レフィーヤはハムザの姿を見失ったようだ」

 

 リヴェリアは額に手を当て、ため息を吐いた。

 

 「あの男のことだ、レヴィスに何をしているのかは容易に想像が付く」

 

 困り果てた様子のリヴェリアをフィンはからかった。

 

 「…そう言えば君も、口説かれたうちの一人だったね。『約束』は果たしたのかい?」

 

 失笑を漏らしてからリヴェリアは天上を仰いだ。

 

 「一月でランクアップしたら私の胸を自由にする約束…か。あれから一カ月。私は奴の目から逃れるようにこうして自室に籠りきっている」

 

 「それなら君は【怪人(クリーチャー)】に感謝しなければならないね。彼女のお陰でハムザはあまり外に出てこない。彼女に夢中だからね」

 

 リヴェリアは笑みを溢した。馬鹿を言うな、とフィンに首を横に振ってみせる。

 

 「それを言うならお前の方こそ、レヴィスに夢中のように見えるぞ。四六時中怪人怪人と、彼女のことばかり口にしているからな。ティオネが嫉妬するのも、無理はないな」

 

 「は、は…」

 

 フィンは空笑いを返す。それから真面目な口調を取り戻し、リヴェリアに言う。

 

 「これからは尾行の任に、アイズを付けようと思う。本格的に【怪人(クリーチャー)】脱走の可能性が疑われる以上、Lv.6の彼女を付けなければ不測の事態を収めることが出来ないからね」

 

 「同意だ。だが、フィン。この件に関しては、ロキの指示に従った方が良い。彼らを刺激しない方が、かえって安全というものだ」

 

 「それはどうかな。勇者として、僕は彼女を野放しには出来ない」

 

 「…まぁ、お前がそう言うならそれで良いだろう」

 

 リヴェリアは簡単な返事を返す。フィンは考え込んだまま顎を手でさすっていたが、ため息の後に立ち上がった。

 

 「全く、こんなに気を揉む事態になるとは。ハムザ・スムルト、いや黒い変態(ブラック・パーヴ)。本当にやってくれた……」

 

 おやすみ、と彼女に言ってから部屋を出て、扉を閉じる。紫色の魔石灯が照らす廊下を歩きながら、フィンは独りで考えを巡らせた。

 

 (『13階層の災害』を乗り越え、【闇派閥(イヴィルス)】の幹部を捕らえた、か……。世間が彼らを次世代の担い手だと騒ぐのも無理はない。でも、彼らは危険だ。本当にあの女を御しきれると思っているのかい?ハムザ……。出来る訳がない。最悪の事態を招く前に……場合によっては、僕が……)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 -それぞれの一日-

 ハムザは眠っていた。股間のあたりがむずむずするので、手でまさぐろうとした。すると、サラサラした何かに指が触れ、意識がだんだんはっきりしてきた。

 

 「む……」

 

 「おふぁようございます、ハムザ殿」

 

 本拠のテントの魔石灯は消えており、外はまだ薄暗い明け方のようだった。そんな早朝にも関らず完璧にめかし込んだ命が、ベッドに乗り自分の股間に顔を埋めていた。

 

 「おぉ…もうそんな時間か」

 

 ハムザは股間の感覚に集中してみた。気が付けば勃起しており、命の丁寧な奉仕が心地良い。リリも主神もまだ寝息を立てているようだ。

 

 「…ふう。朝から元気ですね」

 

 嬉しそうにペニスに口づけをする清廉な少女。淫靡な行為を躊躇わず行う大胆さが、見た目とのギャップによく映える。黒髪美少女が、ペニスの先端を舌先で弄りながら、くすりと微笑んだ。

 

 「そろそろ出させて差し上げましょうか?」

 

 その言葉と共に、口と手を滑らかに前後させ、奉仕は激しさを増していった。瞬く間に射精感が込み上げ、寝ている間に溜まった朝の濃い一発を命の口内に解き放つ。

 

 「んっ…すごい…です」

 

 両手で命の顔を押さえつけながら、射精が収まるまで腰を突きあげ続ける。ようやく収まった一発目の射精の後、命は口内に溜まった精液を舌の上で転がしながら、ハムザに見せた。

 

 「こんなに出ましたね」

 

 ごくりと喉を鳴らして呑み込んで、淑やかな笑みを作る。

 

 命による目覚めのフェラチオは、ここ一週間毎日続いていた。これがないと、きっと一日が始まった気がしないだろう。ハムザはむくりと起き上がって、魔石珈琲製造機にスイッチを入れる。

 

 「命も上手くなったなぁ。最初はあんなにぎこちなかったのに」

 

 「そんなっ…!?ご指導のおかげです。ハムザ殿、私にもいつものを淹れて頂けますか?」

 

 いつもの、というのは緑茶のことだった。今日もいつもの日課が続いていく。今にも匂いに釣られてリリが起き出してくる。それから買い溜めてあるパンをかじりながら鎧を着こみ、薄暗い朝の街に飛び出すという訳だ。何でこんなことをしなければならないのか……不満そうにカップを乱暴に机に置くと、その音でリリが唸った。

 

 「ん〜…?あ、おはようございます。ハムザさま、命様」

 

 「よう。珈琲なら出来てるぞ」

 

 リリが起きてきたので、余分に作っておいた一杯をリリに渡す。それからリリは、熱々の珈琲を冷ますように何度も息を吹きかけていた。

 

 「あと15分もしたら、出発ですね」

 

 緑茶をありがたそうに飲む命がそう言った。あと15分で、【ヘファイストス・ファミリア】に出発しなければならなかった。オラリオ屈指の鍛冶派閥ということで、かなり有名な派閥であるのは間違いなかったが……正直あの神様に関わるのは、できればこれっきりにしたかった。

 

 つまり――鍛冶神ヘファイストスは、あまりにも職人気質で面倒くさい奴だったのだ。

 

 ●

 

 一方その頃、【ヘファイストス・ファミリア】の工房群の一画で、女神はじっと羊皮紙に目を落としていた。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 ハムザ・スムルト

 

 Lv.2 力:【G】252 耐久:【G】219 器用:【H】130 敏捷:【I】88 魔力:【H】197 

 

 悪運:【I】狩人:【I】性技:【I】

 

 《魔法》

 【イェベン・ティ・マーテル】(呪詛)

 ・速攻魔法

 ・無言詠唱

 ・対象を一時的に強制的な精神疲弊ーマインドダウンー状態にする

 

 《スキル》

 【性交願望(セクロス・シテーゼ)

 ・性交の数だけ成長する

 ・快感に応じて効果上昇

 ・性交対象に魅了効果付与、経験値付与、回復効果付与

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

 「まったく、滅茶苦茶ね…」

 

 そして一枚ページをめくる。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

 ヤマト・命

 

 Lv.2 力:【I】87 耐久:【I】65 器用:【H】120 敏捷:【G】280 魔力:【I】48 

 耐異常:【I】

 

 《魔法》

 【フツノミタマ】

 ・一定領域を超重圧で圧し潰す。

 

 《スキル》

 【八咫白烏】

 ・効果範囲内における眷属探知。

 ・同恩恵を持つ者のみ効果を発揮。

 ・任意発動(アクティブトリガー)

 

 【八咫黒烏】

 ・効果範囲内における敵影探知。隠蔽無効。

 ・モンスター専用。遭遇経験のある同種のみ効果を発揮。

 ・任意発動(アクティブトリガー)

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

 「…こっちもなかなかよねぇ。魔法の効果が限定的過ぎてアレだけど…」

 

 さらに一枚めくる。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

 リリルカ・アーデ

 

 Lv.1 力:【G】207 耐久:【G】201 器用:【F】384 敏捷:【F】309 魔力:【I】93 

 耐異常:【I】

 

 《魔法》

 【シンダー・エラ】

 ・変身魔法

 ・変身後は詠唱時のイメージ依存

 ・模倣推奨

 ・詠唱式【貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの】

 ・解呪式【響く十二時のお告げ】

 

 《スキル》

 【縁下力持 アーテルアシスト】

 ・一定以上の装備過重時における補正。

 ・能力補正は重量に比例。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

 「この子は…う~ん。ステイタスには現れないけど…原石よね」

 

 ヘファイストスは真紅のビロードで覆われたソファーに座り、足を組みながら、目を瞑って着想を練り始めた。

 

 【テルクシノエ・ファミリア】のリリとハムザ、そして【タケミカヅチ・ファミリア】の命のために造る特注品。オラリオ最大鍛冶派閥の主神として、そして鍛冶の神の一柱として、ヘファイストスには妥協するつもりは全くなかった。

 

 幸いなことに、これまでのところ彼らも自分の熱意に応えており、毎朝五時に工房に来ては色々な調査に付き合ってくれているのだった。近接遠隔問わず様々な武器を振らせたり、団長の椿と模擬戦をさせてみたり、怪物に対する得手不得手や将来習得してみたい理想のスタイル等の情報を聞き出したり、それこそ思いつく限りの全てを、槌を振るう前に行うことが出来ている。

 

 その甲斐もあってか、ヘファイストスの中にはイメージが膨らみつつあった。

 

 手元の希少素材を眺めながら、女神は熟考を続け、思いついた単語を口にしていく。

 

 「…必殺の忍者、不沈の軍師…。ハムザ君は、そうね。冷酷な災害……」

 

 う~んと唸る鍛冶の神。その時、三人が工房へやって来た。

 

 「よう、元気か。片目の神様」

 

 「あら、お揃いね」

 

 リリと命は頭を下げて挨拶をする。ハムザは大机に胸当てを置き、続いて剣も投げ捨てるように置いた。

 

 「全く、今日は何をするつもりだ。あの椿とやらの模擬戦は勘弁だぞ。何がLv.5だ、ちくしょうめ」

 

 近くの椅子に腰を落とし、ハムザは欠伸をした。ヘファイストスは弓なりに目を細め、笑顔を振りまいている。

 

 「いやねぇ~。強者との戦闘は成長の過程で欠かせないのよ?だから今日も呼んであるわ、椿を。そろそろ来る頃だと思うんだけどねぇ~」

 

 「まじか……」

 

 三人は肩を落とした。まるで絶対に受けたくない教師の授業を受ける生徒のように、緊張し、落ち着きがなくなり、顔から余裕が消えていく。

 

 「待たせたな!」

 

 そして、椿はやって来た。大声を張り上げて、扉を豪快に閉めた。

 

 「主神から聞いておるぞ。今日は手前が本気を出させて貰う。そして三人は連携して、手前の攻撃を防ぐのだ。なんと、楽しそうな模擬戦だ!さぁ、ハムザ。お前の力を見せてみろ!」

 

 ハムザはリリと命の間でそっと呟いた。

 

 「用事を思い出した気がする……帰っていいか?」

 

 

 

 模擬戦を終え工房を出た頃には、すっかり太陽が真上に昇っていた。三人は本拠へ戻り、未だ寝ている主神を揺すり起こした。

 

 「おい、神様。火事だ、火事だ。テントが燃えている…」

 

 「むにゃ…。嘘つけ、馬鹿め。騙されんぞ」

 

 テルクシノエは手を振り払うように身を捩り、寝返りをうって枕に顔を埋める。

 

 「大変だ!が、額縁が!額縁が燃えている!」

 

 途端にがばっと身を起こし、テルクシノエはあたりをきょろきょろと見渡した。

 

 「……なんじゃ、嘘か」

 

 そう言うと主神は体を脱力させ、気を失ったようにベッドに倒れ込んだ。相変わらずの光景に、命もリリも笑顔を見せる。いつもの平和な一コマだった。

 

 女神の髪はぼさぼさだった。ちゃんと身を整えれば綺麗なのに、女神はいつも自分の容姿に無頓着だ。

 

 「そうじゃ、命。入団試験があるのじゃ」

 

 枕に顔を埋めたまま、主神が思い出したように言った。

 

 「し、試験、ですか?」

 

 「そうじゃ」女神はようやく起きるつもりになったらしく、ゆっくりと上半身を起こして、ベッドの上を這いながら何とか立ち上がった。古びた机の引き出しを引き、羊皮紙を取り出して言う。

 

 「曲がりなりにも同盟の一員として、我が根城に足を踏み入れるのだから、詩心がなければならん。リリもハムザも、なかなかの才能を持っておるからの」

 

 おっぱいの詩とお詫びの一句が入っている額縁を愛おしそうに眺めながら、ぶっきらぼうに女神は告げる。

 

 「ペンとインクはその辺にあるのじゃ。形式はソネットじゃ。弱強五歩格以外は認めん」

 

 「え、えぇと…?」

 

 主神は再び布団に潜りこんだ。命はリリとハムザと顔を見合わせて、何事かと顔を引きつらせている。

 

 「大丈夫」

 

 ハムザが不安げな素振りを見せる命に言ってやった。

 

 「手伝ってやるよ。こいつは分かってる振りをしてるだけの(バカ)だから、適当でどうにかなる」

 

 「リリも手伝います。ソネットは…韻律詩ですよね。取り合えず、何となくそれっぽいリズムを作るのが大切だった気がします」

 

 命は頭を悩ませながらも仕方なしと俯いた。

 

 「…俳句なら心得があるのに…どうしてソネットなんでしょう。あぁ、困りました……」

 

 命は頭を抱えながらも、二人に別れを告げて【タケミカヅチ・ファミリア】へと帰って行った。彼女曰く、そろそろ主神との稽古の時間らしい。命はいつもこうして午前を共に過ごし、午後は自分の本拠へ戻る。夜を食べに来ることも頻繁にあった。

 

 二人きりになったリリは、まるでさも当然のようにハムザの膝の上に乗っかった。

 

 すっぽり収まるリリの小さな身体を抱いてやると、リリは猫のような声を出す。そして上目遣いで栗色の瞳を潤ませた。

 

 「……昼飯前に一発、やっておくか」

 

 リリは満面の笑みを向け、口づけをした。首に手を回し、貪るように何度も舌を絡ませてくる。それから溶けたような笑顔で手を跨ぐらに導いてから、既に濡れた恥部に指先を触れさせた。

 

 「リリにもたっぷり注いでくださいね?」

 

 もちろんだ、と頷いてズボンを下ろし、座ったまま濡れた恥部に挿入する。軽いリリの身体を掴み前後させ、きつい膣内を堪能する。幼い体つきの少女との行為は、背徳感を感じさせる。腰回りにある幼さは、ともすれば純朴な少女のそれに相違ない。だが、その腰は固くそそり立つ男根を飲み込み、いやらしい音を立てながら愛液を撒き散らしていた。

 

 小人族というのは…何だか癖になる。ハムザはリリとの行為に慣れてはいるものの、改めて少女の身体付きを眺めると、何だかいけないことをしている感覚に陥ってしまう。だが、もう関係ない。

 

 ハムザはリリを持ち上げて、立ち上がった。そのまま思い切り腰を動かし、激しくリリを責め立てる。

 

 「あっ…ちょ…激しっ…あっ」

 

 リリは初めての体位に感じてしまい、体を何度も痙攣させている。幼く無知な少女にエロい行為を教え込むと言うのは、ロリコン紳士としての嗜みだろう。と、ハムザは思わず顔を振る。

 

 (いけない、俺はロリコンではないのだ。リリが特別なだけだ)

 

 抱えたリリをベッドに下ろし、今度は後背位で突き立てる。リリのきつい膣の締め付け具合はが丁度良い。込み上げてくる射精感に身を任せて突き続け、思いっきり中にぶちまける。

 

 「あっ……凄い、出てるのが分かります」

 

 ぐったりと倒れ込んだリリに覆いかぶさり、身体を密着させたままペニスを奥まで押し付けて、最後の一滴まで注ぎ込む。それが終わって引き抜くと、リリはすぐに起き上がって残り滓を舐め上げ始めた。

 

 「うほっ……ヤバい、また立っちゃう」

 

 「…経験値の素ですから。一滴も零す訳にはいきませんよ」

 

 それから二人は二回戦を楽しんだ。

 

 

 「はぁ~。嫌になっちゃう。見てよこの書類の山~」

 

 エイナは片肘を付きながら乱雑に重ねられた紙の束の前でため息を吐いた。同僚のミィシャは引き出しに隠してあったチョコレートをこっそりと口に放り込んでから、悲嘆に暮れるエイナへ軽口を叩く。

 

 「何でも引き受けるエイナが悪いんだって~。アタシならその半分は、ゴミ箱に捨てて忘れちゃうな~。だって、ほとんど不必要な仕事だもん」

 

 「そんな事言ってもぉ…断れないのよ~…」

 

 再び溜息を吐くエイナの後ろで、ミィシャはもう一つチョコレートを口に放り込んだ。その時リリとハムザが二人で受付にやって来たので、彼女は指を差す。

 

 「あっ、変態だ」

 

 「あら、こんにちは。参ったなぁ、もうそんな時間?」

 

 顔を上げて困った表情を作るエイナに、リリはぺこりと頭を下げてから書類を提出した。

 

 「こちらが『13階層の災害』の際の主神の行動証明書です。テルクシノエ様は迷宮には入らず、ずっと『豊穣の女主人』の下宿先で匿われていました。証人にも印を押して貰いました」

 

 エイナは「どれどれ」と書類に目を通す。そしてすぐにそれを受理した。

 

 ロイマンと繋がりのある【テルクシノエ・ファミリア】は、【ヘルメス・ファミリア】とは異なり罰金が免除された。主神は確かに迷宮に入り込み、ギルドが定める『ルール』を破ったことには違いなかったが…所長の口利きにより所定の書類さえ提出すれば問題ない、とのことだったので、女神は大喜びをしていた。対して哀れなヘルメスは資産の半分を没収され、アスフィにより数日間監禁されたという。

 

 「じゃ、行こっか」エイナは席を立ち、デスクに不在を示す札を置いてから、先頭に立ってギルドの廊下を進み始め、一番豪華な応接間までリリとハムザを案内した。

 

 「これはこれは、どうぞお座りください」所長ロイマンが、既に座っていた。

 

 「…さてさて。我がギルドとしましては、女神テルクシノエ様の眷属様方の当ギルドに対する数々の奉公に対し、多大なる感謝を表明させて貰いましょう」

 

 リリとハムザは顔を見合わせた。ここ一週間、特にギルドの特になるようなことは何もしていない。恐らく、この中年男はコルリオーネ組との薬物取引により更に私腹を肥やせたことを喜んでいるのだろう、とハムザは何となく理解した。ゴロツキ共の組織が行っている薬物売買をギルドは意図的に見逃し、その分利益の一部を頂戴する。そんな図式だろう。

 

 「それと私個人的には、闇派閥との繋がりのある【怪人(クリーチャー)】なる者を捕縛した事にも、言及せねばなりますまい。その者は、何か情報を漏らしましたかな?」

 

 そう言われて、レヴィスが何かを言っていたことをハムザは思い出す。

 

 「そう言えば、ナントカを寄生させた怪物を使って、オラリオを攻撃するようなことを、言っていた気がする。まぁ、大した計画じゃないな。俺が完全に阻止できる陳腐な計画だ」

 

 「それは心強い」

 

 ロイマンを手を揉みながら続けた。

 

 「【テルクシノエ・ファミリア】こそ新たなる覇者だと世間が騒いでいるのは、もう耳にしておりますかな。未だかつてハムザ様ほどのスピードでランクアップした者はおりませんし、派閥としましても、もう間もなく等級が上がるでしょう。武力も財力も急速に成長しており、迷宮攻略の方も…信じられない結果を残しておいでです。そんな新進気鋭の新派閥と内密に関わることが出来、当ギルドとしても、大変嬉しく思っております。…これをどうぞ」

 

 ロイマンは茶菓子を二人に勧めてから、エイナに視線を送る。その意味を理解したエイナは、今後の方針について話し始めた。

 

 「えぇと、アドバイザーとしての意見を言わせて貰うわね。【テルクシノエ・ファミリア】には、有望な冒険者が現在二人在籍しているけど…団員が二人だけというのは物足りないわね。出来れば十人以上の団員を集めて、路地裏ではなくしっかりした建物に引っ越すべきね。固定収入も相当あるようだし」

 

 エイナは書類に目を落とした。リリはその『固定収入』を差すのが、【リーテイル】からの売り上げ利益であることが分かった。【ソーマ・ファミリア】の神酒の売り上げも、どうやら順調らしかった。副団長のチャンドラは、うまくやっているのだろう。

 

 そんなことを考えながら、リリはエイナの意見に口を挟む。

 

 「…有望な冒険者が一人、ですよ。エイナ様。勿論命様を団員に数えても良いのであれば二人です。リリは足手纏いですし、冒険者のうちには入りませんよ」

 

 「そんなことないわ。『13階層の災害』…もとい『未開拓領域』で、強化種を倒したという話が本当なら、足手纏いに数える訳にはいかないでしょ?」

 

 諭されたリリは呻き声を出しながらも、「それは確かに、そうですが…」と納得せざるを得ない様子だった。

 

 「ともかく、当面はファミリアの等級を上げることを目標に、頑張ってみましょう。それと、ハムザ君」

 

 半分眠りかけていたハムザは、エイナに名前を呼ばれてびくっと動いた。

 

 「な、なんだぁ?寝てないぞ、寝てない」

 

 「はぁ…。スキルについてなんだけどね」

 

 エイナは呆れながらも丁寧な口調で二人に説明を続ける。

 

 「分析の結果、ハムザ君は本当に性交を続けないと成長しないみたい。どれだけ怪物を倒して経験値を稼いでも、どれだけ対人戦で成果を残しても、能力値には全然反映されていないみたいなの。多分強化種を倒すより、より格上の冒険者と性交した方が、成長するみたいね」

 

 「…だから帰って来てからあまりステイタスが伸びていなかったのか。Lv.5くらいにはなっていると思ったが」

 

 レヴィスを捕らえ地上へ帰還する間に、色々な戦闘を経験した。かなりの成長が見込まれるだろうと期待をしていたが、実際のところ、ステイタスの伸びは今一つだった。その理由を説明されてみると、確かにそうだとハムザは納得する。

 

 アイズやレフィーヤといった強豪とのセクロスを経験した後、すぐにランクアップした。となれば、強くなるにはまたあの【ロキ・ファミリア】の美女達にお相手願わなければならないだろう。ついでに、ナァーザやアスフィといった中堅どころも忘れるべきではない。いっそのこと、関りのある女性達をもう一度片っ端から抱きまくるべきだ、とハムザは考える。

 

 リヴェリアとの約束もまだ果たせていない。あの我儘おっぱいを一日中好きにしてから何発も中出しをするべきだ。ついでにアマゾネスの子にも誘われていた。アマゾネス…そう言えばまだやっていなかった。先にどちらに手を出すべきか……。

 

 「…何やら良からぬ妄想をされているようですが、ハムザ様。あの人の調教はどうなんですか?魅了効果の検証も兼ねて捕まえている、あの怪人です」

 

 「んん??」

 

 レヴィス、レヴィス…ハムザは何かを忘れているような気がした。そう言えば昨日、一緒に酒場に行ってから……まずい、覚えていない。

 

 「…すまん…逃げたかも」

 

 「はあぁあぁぁぁぁ!?逃げたぁぁぁぁ!?」

 

 エイナは叫んだ。

 

 「…オラリオを破壊すると宣言している彼女を、みすみす逃がしたのですか?」リリの冷たい視線が胸に突き刺さる。だが、ハムザはあえて胸を張って二人に言う。ロイマンの慌てた顔が滑稽で、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら。

 

 「待て待て、酒のせいであまり覚えていないだけだ。昨日あいつを外に連れ出して、メシを食いに行った。その後は…覚えていないが、多分また鎖に繋いだだろう。うん、そんな気がするという確信がある」

 

 大丈夫、多分牢屋に居るだろう…というハムザの言葉は説得力が皆無だった。リリは青い顔をしてハムザの手を引っ張り、無理矢理立ち上がらせてから二人に平謝りをする。

 

 「すみません、本当に…。何かの間違いだとは思うのですが。とにかく…逃がしていたら危険です。はやく牢屋を確認しに行きましょう。エイナ様、ロイマン様、後ほど報告に伺いますので、今はこれで失礼します」

 

 ●

 

 無数の打擲の音が響き渡る。

 

 【奴隷の間】では、主神アポロンが自ら鞭を取り、調教の進み具合を確認している最中だった。

 

 男神は蚯蚓腫れを作る少女の肌を指先でなぞる。怯えた声を上げ、涙を溜める少女。アポロンが恥部に触れると、そこは湿り気を帯びていた。

 

 「合格だ。まずまずといった具合だ。誰が躾けた?」

 

 ダフネが前に進み出た。

 

 「ダフネ、君か。悪くない仕事だ。継続するように」

 

 続いてアポロンは隣の少年に鞭を打つ。何度も何度も打たれた少年は涙を流すばかりで、徐々にアポロンは苛立ちを見せ始めた。

 

 「…なんだこれは。まるで駄目だ!おい、誰が躾けた!?」

 

 おずおずとカサンドラが前に出た。アポロンは不服そうな表情で彼女に伝えた。

 

 「…カサンドラ。お前はまた奴隷に情をかけたのだな!?」

 

 声を荒げて怒る主神を前にすっかり萎縮してしまったカサンドラは、震えながら首を縦に振った。

 

 「良いか、打たれて勃たない奴隷はいらん!お前の情けは、非情な情けだ。理解しているのか!?」

 

 アポロンが思いきり少年の腹部を蹴っ飛ばすと、少年はそれっきり動かなくなってしまった。

 

 「こんなもの!…すぐに売りに出せ。ヒュアキントスが新たな奴隷を仕入れ次第、お前には別のモノを授けるとしよう。次はもっと良く躾けるように。良いな!?」

 

 「…は、はいぃ~っ…」

 

 アポロンの厳しい確認は次から次へと続いていく。いつもに増して怒りに満ちている主神に対し、ほとんどの団員は恐れをなしてしまっていた。

 

 ようやく主神が遠くの奴隷を確認するようになってから、カサンドラとダフネは二人でひそひそ話をして時間を潰す。

 

 「どうしてアポロン様は売りを急いでいるのかなぁ…」

 

 「そりゃあんたね、【テルクシノエ・ファミリア】との抗争を控えているからだと思うわよ。あの【ロキ・ファミリア】との繋がりも噂される新興派閥よ。お金を作って、最善の策を打ちたいからだと思う」

 

 「う~ん。じゃあ、どうしてあんなに怒ってるのかな……」

 

 「それは…トゥリウス様の死のせいよ。その原因も、【テルクシノエ・ファミリア】にあるって言うじゃない?やりきれないのよ、あの方も」

 

 「そっかぁ~。でも……少し時間があれば、奴隷君を調教出来たと思うんだけどなぁ~」

 

 ダフネは信じられないと首を振る。

 

 「私には一年あっても無理だと思うけど。まぁ、次は頑張りなよ。男より女の方が気が楽だから、交換してあげてもいいわよ」

 

 「うん……優しいね、ダフネちゃん……」

 

 カサンドラがアポロンに目を向けると、丁度男神は少女の膣に男根を挿入している所だった。鞭で尻を打ち、背中を打つ度に少女は快楽の叫び声を挙げる。どうやら向こうの調教はうまくいっているらしい。そして、カサンドラは溜息を吐く。

 

 「…こんなこと、本当はやりたくないんだけどなぁ……」

 

 

 

 「う~~~~ん……」

 

 レフィーヤは机に突っ伏して、魔法書に顔を埋めていた。

 

 それからバタバタと両手足を動かしてから、急に立ち上がって叫んだ。

 

 「…生のアレが欲しいっ!」

 

 魔法書の脇には、ハムザから手渡された男根を模した張型が転がっている。その叫びに、ベッドの上で寝ころんでいたアキが応えた。

 

 「そりゃあ、誰だって欲しいわよ」

 

 毎日毎日この張型で欲求を解消していたレフィーヤだったが、さすがに同部屋のアキにはバレてしまった。だが、優しい相部屋人はその行為に理解を示し、実は自分も二つ持っていたと引き出しから張方を引っ張りだして見せてあげたのだった。

 

 それからというもの、二人の仲は深まった。お互い秘密を打ち明け合ったことで、以前よりも距離が縮まったのだ。

 

 「レフィーヤから誘ってみれば?だって、考えてみなさいよ。私が男だったら、こんな可愛いエルフちゃんから夜のお誘いを受けたら、絶対に受けるわ」

 

 レフィーヤは涙声になりながら、それが出来れば苦労はしないと言う。アキはやれやれと肩を竦めた。

 

 すると駆ける足音が聞こえてきた。どたどたと音を立てて、一直線に部屋へと向かってくる。慌ててレフィーヤは張型を引き出しに隠した。

 

 「レフィーヤ~!今日も来たよ~!」

 

 バーン、と大きな音を立てて現れたその人物は、ティオナだった。極めて露出度の高い服を着て、ショートカットの黒い髪の毛の上に可愛らしいリボンが乗っかっている。

 

 いつものガサツな雰囲気は消え去り、ティオナはすっかりめかし込んだ少女のような風貌で笑顔を振りまいていた。

 

 「…ティオナさん、今日も可愛いですぅ~」

 

 もじもじしながら、レフィーヤは変貌を遂げた少女を素直に褒める。嬉しそうな反応を見せたティオナは、窓にぴったりと額をくっつけて動かなくなった。

 

 「まだかなまだかなぁ~」

 

 『あはは……』

 

 ここ数日続いているいつもの光景に、思わず二人は視線を交わし合う。

 

 ティオナはハムザに愛を打ち明けた。そしてハムザはそれを受け入れた。もちろんティオナ本人の中ではの話だ。それ以来毎日身だしなみを整え、リヴェリアに頼み込んで可愛く髪をカットもしてもらい、リボンやら髪留めやら、何かしらの可愛い物を身に着けて、ハムザを待ち続けているのだった。

 

 この部屋は窓が大きく、大通りが良く見えるのだと言う。ハムザが来るとしたら間違いなくこの方向と言い張って、ティオナはレフィーヤ達の部屋を訪ねてはハムザの来訪を心待ちにし続けていた。

 

 すっかり少女になってしまったティオナを羨ましくも思いながら、突然現れたライバルにどんな声を掛けていいやら分からないレフィーヤは、ただ「あはは…」と空笑いを続けるのだった。

 

 「ねぇ、レフィーヤも、ハムザとセックスしたんでしょー?」

 

 「うっっっっ!?」

 

 突然とんでもないことを聞いてくるティオナに、レフィーヤは冷や汗をかく。

 

 「アイズが言ってたよ。秘密なんだってねー。いいなぁー、アタシも秘密が欲しい!二人だけの秘密が欲しいなぁ~」

 

 「…バレてる時点で二人だけの秘密じゃないわよね」

 

 冷静に突っ込むアキを余所に、ティオナは満面の笑みを崩さずじっと窓の外を見つめ続けていた。

 

 ●

 

 その時、ハムザとリリは言葉を失っていた。

 

 ギルド地下、旧牢獄にて、レヴィスは完全に姿を消してしまっていたのだ。

 

 蛻の空となった牢屋の中で、ハムザとリリは行ったり来たりしながら対策を考えていた。

 

 「…不味い状況ですね。もしかしたら既に迷宮へ戻ってしまったか…いや、あまりに楽観的過ぎますか。状況としては、いつ破壊活動が始まってもおかしくありません」

 

 「うぅむ…ヤバいな。でも、一度逃げてしまったらもう見つからないだろう。考えても無駄かも知れん、忘れよう」

 

 と、ハムザが諦めたその時、通路の暗闇の奥で誰かの声がした。

 

 「……ハムザか?」

 

 こつこつと足音を鳴らしてやって来たのは、レヴィスだった。

 

 「あ、あれ…?逃げたのではなかったのですか?」

 

 リリは驚いた。以前のような危険な雰囲気が消え去り、レヴィスの表情は落ち着いていて、幾分か穏やかにさえ見えた。

 

 「お前は昨日の事を覚えていないのか?」

 

 問いかけられても曖昧な返事しかしないハムザに、レヴィスは呆れたような口調で昨夜の出来事を説明していった。

 

 「『混沌亭』で、お前に出されたのは辛い酒だけだった。それから酒を飲み過ぎたお前の言動はあまりにも支離滅裂で、急にあの料理人に喧嘩を売った」

 

 「そ、そういえばそうかもな……」

 

 リリの白い目が突き刺さる。レヴィスは何食わぬ顔で牢屋に入って来てから、床に腰を落とした。

 

 「お前は料理人を殴り飛ばしてから、外へ出ろと私に命令した。それから裏通りの人間を片っ端から蹴っ飛ばして、大通りに出ようとした。その時、私がお前を止めた」

 

 「止めた…ですか?」リリの訝しむような言葉遣いに、レヴィスは勘違いするなと返す。

 

 「目立ちたくはない。敵の陣の中央で騒ぎを起こせば、【ロキ・ファミリア】がやって来る。今日一日街を歩いていたが、確かに奴らは目を光らせている。特に迷宮への入り口にはな」

 

 ハムザとリリは何となく【ロキ・ファミリア】がこちらを観察していることは理解していたが、まさかバレてしまったのだろうか?【怪人】が脱走したと気がついたら、奴らが襲ってくるのも時間の問題だ。不安になる二人をよそに、レヴィスは昨晩の出来事を再び話し始めた。

 

 「お前は怒った。それから『もう知らん』と言って、私を牢屋に連れて行った。それから『体調が悪い』と言って、私に鍵を寄こしたな」

 

 「……そうだった、かな?」

 

 そんなことは全く覚えていなかったハムザは、昨晩の自分の行動を知って驚かされていた。

 

 「鍵を寄こしたお前はこう言った。『お前は奴隷だ。だが、自由を与える。この鍵で好きなように行動して良い。俺はもう帰る』とな。私は耳を疑ったぞ」

 

 「げぇ…」

 

 「……僥倖だ、と私は感謝したさ。だが、同時に惨めな姿のお前を殺す気も失せていた。それから寝ずに街を歩き回り、【ロキ・ファミリア】の動きを探っていた」

 

 「それで…今後はどうするおつもりですか?」リリは探る様にレヴィスに問う。

 

 「どうもしないさ、今動くのは得策じゃない。ハムザ、お前はクノッソスの鍵を持ってこい。それと引き換えに、茶番に付き合ってやる」

 

 「茶番……?」

 

 レヴィスは鋭い眼を光らせる。その迫力にリリは思わず息を飲んだ。だが、発現は随分奇妙だった。

 

 「…調教ごっこさ。お前の欲望を私が受け止めてやる。その代わりに、お前は鍵を持って来い」

 

 「そんなんで良いのか……?」だが、レヴィスは不敵に笑った。

 

 「先程お前の主神が訪ねて来てな。テルクシノエ、と言ったか。スキルについて話してくれたぞ。実に興味深い。お前のスキルが強化種の私にも作用するのであれば、お前は貴重な駒だ。飼いならす理由は十分にある」

 

 「…あの馬鹿、余計なことを…。いや、まぁいいか。お前がその気なら、レヴィス。俺には案がある。明日から本気を出すぞ。もう行くぞリリ。命と神様が腹を空かせて待ってるからな」

 

 背を向けるハムザにリリは付き従った。だが、後ろ髪を引かれるようにレヴィスを振り返る。本当にこの危険人物を放置して良いのだろうかと、リリはどうしても不安を拭い去ることが出来なかった。

 

  

 

 本拠へ帰った二人を、羊皮紙を持った命が出迎えた。

 

 「ちょっと…お二人とも、これを見て下さい。ソネットを書いてみたのですが…その、うまくできているかどうか」

 

 ハムザは羊皮紙を読んだ。

 

 

 

 『貴方は雨が好きだと言う それでも貴方は傘を差す

 

 貴方は太陽が好きだと言う それでも貴方は日陰を探す

 

 貴方は風が好きだと言う それでも貴方は窓を閉める

 

 だから、貴方が私を好きだと言った時 私は不安に思うのです』

 

 

 「ど、どうでしょうか……?タケミカヅチ様を想っていたら…この詩が浮かんだのですが」

 

 おずおずと上目遣いで反応を伺う命に、ハムザは厳しい評価を下した。

 

 「…技巧的すぎる!意味が分からない」

 

 「意味なら分かりますが」

 

 だが、ハムザはリリの言葉に聞く耳は持たず、ペンをインクに浸して何やら新しい詩を書き始めた。それは数十秒のうちに出来上がった。これを渡せば大丈夫、とハムザは命に手渡してやる。それを読んだ二人は青ざめた。

 

 「リリには…理解できませんが」

 

 「私にも…これはちょっと…」

 

 だが、ハムザは頑としてそれを主神に見せるように伝えた。それから命はその詩を写生し、ハムザは自分の書いた原文を火で燃やしてしまった。

 

 「手伝ったことは秘密だぞ。あいつは馬鹿だからバレやしないだろうが」

 

 「誰が馬鹿じゃ?」

 

 主神がテントに入って来た。夕食の食材を抱えている。と言っても、あるのは肉ばかりだが。

 

 「おう、命が詩を書いたぞ。ほれ、見てみろ」

 

 テルクシノエは荷物を置いて、羊皮紙を食い入るように読み始めた。

 

 

 『私は雨が好きだと言う それでも私は傘を差す

 

 貴方は太陽が好きだと言う それでも貴方は日陰を探す

 

 私は風が好きだと言う それでも私は窓を閉める

 

 貴方は私を好きだと言う それでも今晩のオカズを探す

 

 だから、貴方のしている事は とっても正しいのです』

 

 

 テルクシノエは羊皮紙がくしゃくしゃになりそうな程強く握り、わなわなと震えてから叫んだ。

 

 「凄い!なんて才能じゃ!採用、採用~!!」

 

 嬉しそうに詩を掲げて飛び回る女神に対し、命は完全に言葉を失っていた。

 

 (危なかった…真面目にやっていたら、きっと落とされていたのでは!?)

 

 ともかく、額縁の中に新たなコレクションが加えられたことで、主神は大満足の様子だった。それから四人は夕食の調理に取り掛かる。

 

 歓楽街の裏通りには、愉快な声が跳ねるように響き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 -最初の小競り合い-

 居住塔の最上階。

 

 天高い太陽は燦燦として輝きを放っているが、窓の小さい部屋の内部はほの暗い。

 

 高窓から差し込む陽光を背にしたアポロンがマントを翻し、彫の深い顔にどす黒い憎しみを宿す。ベッドのシーツは乱れ、枕は床に落ちている。書類や装飾品が散乱し、巨大な鏡には大きなひびが入っていた。

 

 アポロンは荒れ放題の自室から離れ、ヒュアキントスを探す。団長はアポロンが住む最上階から一つしたの階で寝泊りをしており、主神が何かを命じる時には必ずその雰囲気を感じ取り、階下で神を待つ。

 

 「ヒュアキントス!」

 

 アポロンはヒュアキントスの部屋の扉を開き、部屋へ入り込む。怒声にも似た大声に、美青年は静かに会釈を返す。

 

 「…ご用命でしょうか、我が神」

 

 ヒュアキントスの綺麗に整った部屋をうろうろと歩き回ってから、苛立ちを抑えきれないアポロンは早口に喋り立てる。

 

 「トゥリウスの死を想う度に怒りが心に入り込んで、夜も眠れない。復讐心が私を駆り立てるせいで、この目に映る物全てが本来の輝きを失くし、憎しみを招く悪夢のように見える。それもこれも全てあの男のせい、俺はハムザ・スムルトを許さない。不死なるこの身が滅びようとも、あの男だけは生かしてはおけない」

 

 「無理もないことでしょう、我が神。貴方の怒りは我が心を痛ませます。死すべき人間の中でも最も愚かな奴らの死を見届けるまでは、このヒュアキントス、満足に眠れる日など一日もないと宣言しましょう」

 

 「よくぞ言ってくれた、我が最愛の者よ。実は、数日前から初手は決めてある。奴らを挑発し、攻め入る口実を作るのだ」

 

 黄金色の髪に掛かった桂冠を脱ぎ、アポロンはそれをヒュアキントスの頭に乗せた。

 

 「この戦争に勝利せよ。そうすればお前は、この世界の王に近づくだろう」

 

 ヒュアキントスは小さく礼をして、そのまま部屋を出た。早足でどんどん廊下を進み、談話室の大扉を開ける。

 

 「ルアン、ルアンはいるか!」

 

 団長の呼び声にそそくさとやって来た小人族の小姓のような男が、ヒュアキントスに一礼した。

 

 「やぁ、団長様。おいらに仕事かな?」

 

 「偉大なるアポロン様が、ついにご決断なされた。今夜動くぞ」 

 

 ルアンはあまり嬉しそうではなかった。大きくため息を吐いて、不安だよう、と一言。

 

 「…痛いのだけは勘弁してくれよ~、おいらいっつもとばっちりをくらってばかり、損な役回りだよな~」

 

 

 【テルクシノエ・ファミリア】は、今日も五時起きだった。怠け者のハムザがもう一週間以上このような生活が送れているのは奇跡と言ってもいい。それは一重に、命とリリの献身的な世話の賜物だった。そして今日も重苦しい足取りでヘファイストスの工房にやって来た三人は、陰鬱な溜息を重ね続けながら椅子に座って女神がやって来るのを待っていた。

 

 ヘファイストスは彼らが待つ工房にやって来るなり、眼帯をしていないもう片方の目を細め、にこりと微笑んだ。

 

 「お疲れ様、これで調査はお終いよ。後は私がやっておくわ。仕事が終わり次第、使いを届けるからね」

 

 三人は女神の言葉に飛び上がるようにして喜んだ。ハムザは半分涙を流しているくらい、この女神の創作への執念は厳しく大変なものだったのだ。

 

 Lv.5にしばかれ、意味の分からない質問の為に半日監禁され、使ったことのない武器を持たされては迷宮に連れ込まれ、この一週間のうちの半分は命の危険を感じていたくらい、女神に付き合うのは骨が折れた。

 

 それから三人は軽い足取りを弾ませながら、【ヘファイストス・ファミリア】の工房群を抜け、メイン・ストリートへと躍り出た。昼下がりの街は飯屋を探す住民達で賑わっている。ハムザも彼ら同様に空腹を感じて、良い匂いで客を引き付けようとするお店の策略にまんまとはまり、帰路の途中で肉の串焼きを三本買った。

 

 命とリリに一つずつ手渡し、三人は本拠への道をのんびりと下っていく。すると、命が足を止めた。

 

 「実は私、これからタケミカヅチ様とランチの予定なんです」

 

 「そうだったんですか、分かりました。夕食はご一緒されますか?」

 

 リリに命は「はい」と礼儀正しく頷いて、ハムザに目配せした。

 

 「おう、じゃあまた後でな。楽しんでこいよ」

 

 命は手を振りながら、別の道へと駆けて行った。残されたリリとハムザは主神の待つ本拠へと歩いて行き、数十分かけて着いた。するとテント内の机に置き紙があった。

 

 『出掛ける。昼は適当に食べるように』

 

 置き紙を摘まんで、ハムザはリリに言った。

 

 「これじゃあまるで母ちゃんだな。まったく料理をしないくせに、良く言うぜ」

 

 あはは、とリリは空笑いをし、これからどうしようかと問う。

 

 「実は案がある」ハムザは言った。

 

 「今まで抱いてきた美女達と、もう一度お相手を願うために頑張るつもりなのだ」

 

 「と、いうことは…。アスフィ様、ナァーザ様、レフィーヤ様、アイズ様…エイナ様、ですかね?それならリリは一人でご飯を食べに行きますよ。頑張ってくださいね」

 

 リリは少し悲しそうにしょんぼりしていたが、気丈に振る舞ってみせる。

 

 「それに命とお前だ」リリは驚いた表情でハムザを見つめ返した。

 

 「だが…セクロスならさっきした。だから、今日はお前を好きなところに連れて行ってやる」

 

 「本当ですか」

 

 リリは困惑とも取れる表情で髪の毛をくるくる弄っている。だが、落ち着いた微笑みを湛えてから机の引き出しを引き、金貨の詰まった袋を手に取った。

 

 「では、行きましょう。実は色々訪ねたい場所があるんです」

 

 

 リリが向かった先は、【ソーマ・ファミリア】の本拠だった。そこは樽が居並ぶ薄暗くひんやりとした酒蔵で、かつての主神ソーマは、いそいそと樽の中の酒の状態を確認するために動き回っている。

 

 リリが声を掛けると、ソーマは手を止めてしばらく二人を見つめ続けた。ややあって、「あぁ…」と呟いて二人のもとへゆっくり歩いてきた。

 

 「…お前達か。久しぶりだな、酒でも飲むか?」

 

 「おう、最上級のもんを寄こせ」

 

 断ろうとしたリリより先に、ハムザが返答してしまう。

 

 だが、ソーマの無表情な目尻に、皺が浮かんだ。どうやら嬉しかったようだ。

 

 「…私は最近、蒸留酒(カルヴァドス)を作っている。二人の意見を貰おう」

 

 そう言ってからソーマは酒蔵の隅にあった食器棚へと歩いて行き、二人にグラスを渡した。それから黒ばんだ酒樽の蛇口を捻り、無色透明の酒をグラスに注いでいく。

 

 リリは渡された酒を飲んだ。かなり強い酒で、口全体が痺れるような感覚がした。

 

 「ぐおっ…なんだこれは」ハムザも同様らしく、とても美味い酒を飲んだ時の反応ではなかった。続いてソーマは別の酒樽へ二人を案内し、殆ど真っ黒に変色している樽から、再び透明の酒をグラスに注いだ。

 

 「先ほどのは、二年熟成の蒸留酒(カルヴァドス)だ。こちらは十年熟成のもの。違いを試してみて欲しい……」

 

 言われるがままに二人は飲んだ。そして、今度はその味わい深さに驚嘆する。

 

 「うおぉ…美味い。色んな味がする。一番強いのは、木の味だ」

 

 「リリにはアーモンドに感じます。本当に、初めて飲む味です…」

 

 ソーマは満足気だった。

 

 「…十年も熟成すれば、アルコール分が木に吸われて減少する。そして味が深まり、樽の香りが酒にも移る。若い蒸留酒(カルヴァドス)と比べ、熟成された物は全くの別物だ」

 

 確かにその通りだった。ハムザは既にグラスを空っぽにしており、次の酒は何かと期待しているようだった。そこでソーマは前の樽に戻り、二人からグラスをもぎ取ってもう一度それを注ぎ始める。

 

 「それを踏まえて…もう一度この二年熟成の物を飲んでみて欲しい…」

 

 「なんだ、またか?」文句を言いながらも、ハムザはそれを飲んだ。リリも少しだけ口に含む。

 

 「……あれ?」

 

 不思議なことに、先程感じた痺れるような感覚は消え去り、すっきりとした主張の強い味を感じることが出来た。

 

 「……別の飲み物みたいですねぇ。舌が慣れたのでしょうか」

 

 「その通り」ソーマは大満足のようだった。

 

 「この違いに辿り着く子供は多くない。お前達は…優秀だな」

 

 ハムザは優秀と言われて気分が良くなり、酒の効果もあって声が大きくなり始めていた。

 

 「お前、これを市場に出してるのか?売ったら売れるぞ、なんなら俺が営業してやろう!」

 

 「……まだ完成はしていない。売るつもりはない」

 

 「馬鹿を言うな」ハムザはソーマに歩み寄り、至近距離で神に対して文句を言った。

 

 「お前達神のモノづくりへの執念なんてものは、人間にとっては関係がないのだ。美味いもんはそれで十分完成してる。今すぐ団員を集めて、熟成年に分けて瓶詰しろ。それから二本ずつ俺に寄こせ」

 

 ソーマは戸惑っていた。かつての主神が狼狽える様子が余りに滑稽だったので、リリは神の前にも関らず声を出して笑った。

 

 「…だが…いや、まぁ、それなら良いか。だが…うぅむ、もう一押しが足りないのだ。それが何だかわかるまでは…」

 

 ぶつくさと独りごちるソーマ。苛立ったハムザがぴしゃりと言った。

 

 「混ぜろ。水でもワインでもエールでも何でもいい、混ぜろ」適当な発言ではあったが、ソーマは彼の言葉に深い意図を感じ取ったので、「なるほど」と頷いた。

 

 「…混合酒…。そうか、その発想があったか。混ぜれば良いのだ。熟成樽を葡萄酒の物へあえて変えてみるのも良いな…面白い。無限大の可能性だ」

 

 ぶつぶつと自分の世界に入り込むソーマを、ハムザは引っ叩いた。

 

 「今すぐ瓶詰して、二本ずつ寄こせ。明日には流通に乗せてやる!楽しみにしていろよ!」

 

 突然叩かれたソーマは面食らって、思わず「分かった」と頷いてしまった。それから酒蔵で作業をしていた団員を呼び、すぐさま幾つもの蒸留酒(カルヴァドス)を瓶詰していった。作業の途中、リリはソーマを呼び止めてから、バックパックから取り出した袋を手渡す。

 

 「こちらが今月分の経費です。リーテイルの売り上げが好調でしたので、少し弾んでおきましたよ。これでまた、お酒造りを頑張ってくださいね」

 

 ソーマは大げさな仕草で金貨袋を受け取った。殆ど涙さえ浮かべながら、リリに何度も感謝の言葉を述べていく。まるで立場が逆転したようなその様子にリリは思わず居心地が悪くなってしまったので、さっさとハムザの傍へ戻り、次の場所に行きましょうと提案した。

 

 両手に酒瓶を入れた袋を抱えたハムザは、リリに従って酒蔵を後にした。

 

 

 

 続いてリリが足を運んだのは、バベルの傍の道具屋、『リーテイル』だった。内部は良く整理され、陳列棚には沢山の商品が丁寧に置かれている。昔の雑然とした様子と比べると、見違えるような変化だ。

 

 店を見渡すと、レジの向こうで帳簿と格闘している男と目が合った。

 

 「なんだぁ、アーデじゃねぇか。よう、調子はどうだ!」

 

 かつての【ソーマ・ファミリア】の副団長、チャンドラだった。彼は団長ザニスの死後その跡を継ぎ、ファミリアの運営を任されていた。本人は「やりたくない」と後ろ向きだったが、真面目で能力のある彼に、ファミリアのメンバーは皆よく従うようになった。それから本人も団長職にやる気を出し、『リーテイル』の店舗を改装してから、売り上げは更に伸びたのだ。

 

 「チャンドラ様、お久しぶりです。お元気そうで、良かったです」

 

 リリは彼に挨拶をすると、チャンドラは破顔して二人に近づいてから握手を求めた。

 

 「…【テルクシノエ・ファミリア】の武勇は俺の耳にも聞こえて来るぜ。よくやってるようだな、アーデ。それから、ハムザ。今日はどうした?道具が欲しけりゃ格安で売ってやるぜ」

 

 「値引きの必要はありませんよ。売り上げの一部をハネているだけで、私達にはかなりの大金が入って来ていますからね」

 

 『リーテイル』を傘下に収めたお陰で、自分達のファミリアには定収があった。エイナはその経済的基盤を評価し、メンバーさえ集まればファミリアの等級を上げると言ったものだ。その『リーテイル』を運営するチャンドラ含む【ソーマ・ファミリア】の面々も、ハムザ達には感謝していた。

 

 ザニスによる独裁体制を終わらせたのも彼らだし、彼らがオーナーになってからは不思議とギルドからの税金が免除された。加えて、【テルクシノエ・ファミリア】のバックアップがあると広まった途端、見知らぬ業者が沢山の仲買人を送り始めたのだ。

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らの名前は、今ではこの街において一目置かれている。昔、後ろめたい仕事をしていた団員達はきっぱりと汚れ仕事を辞めることが出来たし、ごろつきに付け狙われることなく安全な日常を過ごせるようにもなり、皆がハムザには感謝をしている…とチャンドラは二人に説明した。

 

 「大派閥の庇護を受けた派閥は、他派閥の抗争に巻き込まれにくくなりますからね。昔からある自衛手段です」

 

 「あぁ、その通りだ。しかし正直言って、こんなに短期間で生活が変わるとは思っていなかったぜ。おめぇは…確かにソーマ・ファミリアでは異色の存在だった。なんつうか…肥溜めに花、って感じだな」

 

 「それを言うなら、掃き溜めに鶴ですよ、チャンドラ様」

 

 くすくす笑いをしながら、リリは上機嫌のまま昔話に花を咲かせた。それから色々な報告が終わると、リリはチャンドラに挨拶をしてからまた来るように告げ、外へ出た。

 

 「…退屈しておりませんか?」リリの問いに、ハムザは正直に答えてやった。

 

 「別に構わんよ。それより、いい加減腹が減ってきた。もう食事時は過ぎちまったが、俺の胃袋はまだ騒いでる。飯でも食いに行こうぜ」

 

 

 それからリリはハムザをパン屋に連れて行った。どうやら主人とは馴染みの関係らしく、リリ達は少し待って焼きたてのパンを手に入れた。それを持ってリリは街角を曲がり、みすぼらしい花屋に入る。

 

 「おや!リリちゃんじゃないかい」

 

 客の気配を感じ取った老婆が店内から姿を見せ、リリを見つけて嬉しそうに両手を広げて歩み寄って来た。リリはまるで祖母に会った孫のように彼女の両腕に抱きしめられている。

 

 「おぉ、本当にリリちゃんじゃ」

 

 店の奥から老人も姿を見せた。ハムザはこの二人を知っていた。リリがまだ【ソーマ・ファミリア】で奴隷のような暮らしをしている時代、彼女を匿ってくれた老夫婦だ。会うのは数か月ぶりだったが、以前よりも二人は元気に見える。ハムザは両手に抱えた酒瓶の袋が重いので、それを机に置いてから椅子に座ってパンをかじり始めた。

 

 「お店が壊されちゃったじゃないか、丁度いい機会だと思ったから、花の量を減らしたのよ。意外と花屋は重労働でねぇ。その代わりに花束を作る仕事に切り替えたら、これがうまくいってねぇ」

 

 老婆はにこにこと嬉しそうにリリに近況報告を続けている。気を利かせた老人は奥から生ハムとチーズを持ってきて、ハムザの目の前に置いた。

 

 「おぉ、悪いな、爺さん」腹がぺこぺこだったハムザはチーズを豪快に頬張った。塩気の効いた生ハムとチーズが焼き立てのパンに合う。

 

 老人は向き合うように椅子に座り、皺だらけの両手を体の前で組んだ。

 

 「…順調なようじゃな、若いの。だが、人生には山あり谷ありじゃ。決して浮かれるな、でなければリリちゃんが不幸になる」

 

 もぐもぐと食べ続けながら、ハムザは話を聞いてる振りをし続ける。

 

 「わしにも良い時はあった…だが、悪い時の方が多かった。まさか今、また良い時が来るとは思わなんだが…とにかく——」

 

 「もう、お爺さん。説教は嫌われますよ」

 

 老婆はそう言って奥に入り、葡萄酒を持ってきてハムザにグラスを手渡した。

 

 「リリちゃんから聞きましたよ、大変な冒険をしたそうねぇ。やっぱり男の人は強くなくちゃ。こんな時代だもの、強さは大事だわ」

 

 「その通りです、強さは大事です。でも、リリは弱っちくて、ちんちくりんで、役立たずです。きっとハムザさまや命様がどんどんランクアップしていく中、リリだけが取り残されていくのでしょうね」

 

 暗い表情を作るリリの顔が、妙に印象的だった。軽い冗談のつもりで言ったのか、本当にそう思っているのか。ハムザとしては、後者のように思われた。何かを言おうとすると、お婆さんが先に言った。

 

 「そんなことはないと思うわよ、ねぇ、お爺さん?」

 

 「あぁ、そりゃそうだ。リリちゃんはもう立派な冒険者じゃ」

 

 それからリリも食事に参加し、老夫婦は次から次へと食べ物を持ってきた。どれも美味しく、食事が終わる頃には二人のお腹は膨れ上がっていた。それからリリは三人に提案する。

 

 「今日は少し時間がありますから、ヤッツェでもしませんか?」

 

 「ヤッツェ?」

 

 老人はよしきた、と立ち上がり、引き出しからサイコロと犬が食事の際に使うような皿を持ってきた。いつの間にか老婆の手にはペンと紙が握られており、彼女はそれを手際よく配り始める。

 

 「サイコロゲームですよ。賽の役目によって得点を競うゲームです。その紙に自分の成績をどんどん書いていって、最後に一番点数の高かった人の勝ちです。リリはこれが大好きなんですよ」

 

 「あぁ、ゲームね。はいはい…」

 

  それから四人は葡萄酒を飲みながらゲームに興じた。楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、ゲームが終わる頃には空は真っ赤に染まっていた。

 

 老婆はちょっと待ちなさいね、と言って、奥で花を切り始めた。それから数分で見事な花束を持って戻って来る。色とりどりの花に、大きな蕾が三つ。とても豪華な花束だ。

 

 「お好きに使いなさいな」

 

 そう言って老婆は花束をリリに手渡した。リリの背丈と同じくらいあろうかという大きさに、思わずリリは相好を崩して礼を述べる。

 

 ゲームを通じて、老人はハムザを少しだけ見直したようだった。なかなか頭が良い、戦略を持っている、などと言って褒め始めたのだ。それから老夫婦は二人にまた来るように言い、彼らを見送った。

 

 大通りまで出た頃、ハムザはぽつりと呟いた。

 

 「良い日だな」

 

 リリもそれに同調する。

 

 「そうですね。性交だけが人生の楽しみではないと、教えてあげたかったんですよ」

 

 「そんなもの、知ってる」

 

 ハムザはむきになって反論する。だが、リリはにっこりとしたままいつまで経っても顔色を変えなかった。

 

 

 

 それから二人は『豊穣の女主人』へと足を運んだ。蒸留酒(カルヴァドス)をドワーフの女将に手渡してやると、女将は興味深そうに酒瓶を眺めてから一気に飲み干した。

 

 「げっ…こいつ頭おかしいんじゃないか」

 

 ドン引きするハムザに対して、女将はうまそうに口元を拭ってから酒瓶を叩きつけるように置いた。

 

 「っぷはーーー!悪くないねぇ、坊主。ウチで扱ってやるよ、【ソーマ・ファミリア】の酒なら願ったりかなったりさ、明日には百本ずつ届けさせな」

 

 女将との交渉が終わると、どこからともなく現れた給仕の少女達に席へと案内される。リューに、シル、アーニャ、クロエ。皆うら若く可憐な少女達だ。テーブルを通り過ぎる度に、男達は彼女達に熱い視線を送る。広めの席に座り、二人は主神と命を待つ。

 

 今日はここで一緒に夕食を取ろうと、皆で約束をしていたのだ。まだ夕食前の時間だからか、あまり客数は多くない。取り合えずハムザはリューを呼び、今日のおすすめを聞いてみた。

 

 「シルが新しい料理を覚えたんです。タラコパスタという、珍しい料理です。賄いものではありますが、特別にハムザさんにはお出しできます」

 

 「う~ん、じゃあ、それを一つ。リリと二人で分けながら時間を潰す。暇ならリューちゃんも座ったらどうだ?まだ忙しい時間じゃないだろう」

 

 リューはすぐには答えを出せず、どうすれば良いのかと躊躇っていた。だが、ちょっとだけならということで、厨房に注文を出してからハムザの横に滑り込んだ。

 

 「その花束は……」

 

 リューの目線がリリが持っていた花束に留まった。リリは老夫婦から貰ったと説明すると、リューは納得したようだった。

 

 「私はてっきり、シルに差し上げるものかと。トウメイユリの蕾ですか、花が咲く頃にはもっと立派な花束になりそうですね」

 

 どうやらリューは花に少し詳しいようだった。そうしてリューと会話をしていると、次第に客足が増えて来た。彼女は仕事に戻ると言って厨房へ消えていった。そして更に暫く経ってから、ようやく主神と命が店に現れた。

 

 「お待たせしました、お二人とも」

 

 「おう、待たせたのじゃ。腹ペコじゃ、今日のおすすめは何と言っていた?」

 

 それから猫人のアーニャがやって来て、注文を取り始める。主神は相変わらず肉のオンパレード、リリはあまりお腹が空いていないとサラダとパンのみ。命は魚料理を注文する。

 

 「う~ん…どれにするか」

 

 ステーキの項目で迷うハムザに、アーニャは能天気な声でにゃーにゃーと言った。

 

 「今日はにゃんとか地方の子牛が入ってるニャ。にゃんでも特別な餌を食べてる子牛みたいだニャ。だから味も特別らしいニャ」

 

 良く分からない説明だったが、取り合えずハムザはそれを頼むことにした。アーニャの特殊な営業力は、何故かいつも客に彼女が勧めた物を食べさせるという不思議な力を持っていた。気の抜けた情報不足の説明のお陰で、かえって料理に対する想像力が膨らむのだろう。

 

 

 程なくしてお盆に四つの酒を並々と注いだグラスを乗せて、シルがテーブルへとやって来た。ハムザに愛想たっぷりの笑顔を向けてから、忙しそうに去っていく。四人はグラスを突き合せ、乾杯をした。

 

 「命の正式加盟に、かんぱ~い!!」テルクシノエの音頭と共に、四人は酒を流し込む。勢いよくグラスを置いたその瞬間、近くのテーブルから嘲るような声が聞こえてきた。

 

 「おいおい、変態野郎は美人に囲まれて、いいご身分だなぁ!!嘘っぱちで最速ランクアップなんて法螺吹いても、バレやしないと思ってるんだろうなぁ!」

 

 ざわざわと周囲が色めき立つ。【テルクシノエ・ファミリア】と言えば新興派閥ではあるが、着実にその勢力を伸ばしている実力派だ。【ロキ・ファミリア】とも繋がりがあると噂される彼らに喧嘩を売るとは、一体どこの誰だ…。周囲の冒険者はとばっちりを恐れて、皆が見ぬふりを決め込んでいる。

 

 命とリリは気まずそうに顔を伏せ、テルクシノエは眉をひくひくさせていた。ハムザは至って冷静で、落ち着いた様子のままグラスを傾けた。

 

 ざわつく店内の雰囲気を気にも留めず、声の主は挑発を続ける。

 

 「法螺の才能は一級品だと、オイラ認めるよ!ついでに無鉄砲と短気の才能も超一流だよな、もしお前が腰抜けの才能も併せ持ってなかったら、今頃迷宮でくたばっているのになぁ、オイラ残念だよ」

 

 耳に残る口調、嘲りの声色。

 

 ハムザが命知らずな田舎者に何かを言い返そうかと思った次の瞬間……声の主は高速の拳によって店外へ弾き飛ばされた。

 

 『っ……!?』

 

 酒場の全員が絶句した。

 

 驚くほどの拳速と破壊力。弾丸のように飛んでいった小さな男は、メイン・ストリートを何回転もしながら転がり、ゴミ溜めに激突した。

 

 「…っ。やってしまったか」

 

 リューだった。一瞬の出来事に店内が静まり返るも中、リューは何事も無かったかのように厨房へ戻ろうとする。その時、美青年が立ち上がってリューの道を塞いだ。

 

 「客に対するその態度は何だ?エルフの給仕め」

 

 ハムザは男の鎧に描かれている徽章を見た。太陽…太陽のエンブレムだ。迷宮でくたばったトゥリウスと同じ【アポロン・ファミリア】に違いない。

 

 「…行儀の悪い客にマナーを教えたまで。何か問題でも?」リューは剣呑な空気を纏い、その美青年を睨み返した。

 

 『あいつ、ヒュアキントスだぜ…』

 

 『おいおい、【アポロン・ファミリア】の、第二級冒険者様かよ…』

 

 周囲の冒険者達はその青年を知っているようだった。大派閥アポロン派の団長、太陽の光寵童(ポエブス・アポロ)、Lv.3の冒険者。

 

 ヒュアキントスは優雅な立ち振る舞いを崩さないまま、リューに冷たく言葉を投げる。

 

 「給仕風情が、思いあがるなよ?その男が取るに足らぬ法螺吹きであることなど明白ではないか。高潔で純潔を重んじるエルフ様に、弱者(メス)強者(オス)に組伏される感覚を教えてやるのも一興か」

 

 「私のことなどどうでもいい」リューは怒りに燃えているようだった。ハムザ達は冷や汗を流す。不味い、あのリューが本気を出してしまったら、きっと自分達にも飛び火する。生きてこの酒場から出れるかどうか分からない…。

 

 

 「売ってはいけない相手に喧嘩を売ってしまったな」

 

 

 リューは前傾を取り、一気に加速した。ヒュアキントスの余裕は瞬く間に消え去り、驚愕が顔を染め上げる。

 

 思わず掲げた右手を流れるように取り、リューはヒュアキントスの重心を腰に乗せ、思いっきり床に叩きつけた。

 

 「っ…一本背負い…」

 

 ハムザ達は息を飲む。あまりにも早すぎる投げ技。Lv.3の冒険者ですら全く対応できなかった技の冴え。一体、この酒場はどうなっているんだ…そんな声が聞こえてくるようだった。

 

 リューはヒュアキントスを店外に放り投げてからぱんぱんと手を払い、ハムザの前で頭を下げた。

 

 「こちらの不手際です。あのような俗物にハムザさんへの悪態を許すとは、私としたことが…とんだ失態です。お許しください」

 

 「お、おう…。気にしてない、大丈夫だ…」

 

 店内からは空笑いが漏れ始める。そしてドワーフの女将の一言が更に客の肝を冷やす。

 

 「ウチじゃ狼藉者には容赦しないよ。それにアタシはリューの何倍も強い。さぁお前達、分かったらさっさと飯を食いなっ!冷めちまうよ!」

 

 四人は気まずさを隠すよう努めながら、引きつった表情のまま食事を始めた。

 

 

 

 外に放り出されたヒュアキントスは、明るく輝く酒場を睨みつけ、忌々しそうに舌を鳴らした。すっかり伸びているルアンを起こし、肩に担いで帰路に着く。ルアンの惨めな声が、綺麗な夜空に吸い込まれていく。

 

 「痛いのは勘弁してくれって、言ったじゃないかぁ~…。もうオイラこりごりだよ、こんな役回り……」

 

 ヒュアキントスはふらふらの足取りで歩き続ける。何か別の手を考えなければ…と黙考しながら。

 

 

 食事を終えた頃には、先程の出来事などすっかり忘れ去ったように酒場は普段の賑わいを取り戻していた。四人は店を出て、本拠への帰路に着く。

 

 命は途中で別れ、ハムザもレヴィスの様子を見るために別れた。どうやらリリはあまりレヴィスには会いたくないらしい。主神もあまり興味が無さそうだ。

 

 ハムザはギルドへ行き、地下へ降りた。夕食の残り物を持ってきたので、きっとレヴィスも喜ぶだろう。

 

 牢屋に入ると、レヴィスは床に横になっていた。足音に気が付き、彼女は身を起こす。

 

 「お前か…。退屈していた所だ」

 

 確かに退屈しているようだった。よく考えてみれば、ここには何もない。【ロキ・ファミリア】に発見されるのを恐れているのなら、外にも出ないだろう。もしかしたら奴らが踏み込んでくるかも知れないし、レヴィスにとっては意外とストレスのかかる環境なのかもしれない。

 

 まるでペットを案じる主人のような思考を続けるハムザは、取り合えず余り物のステーキを食べさせた。

 

 「足りんな。まるで足りん」

 

 一瞬にして食べきってしまうレヴィス。

 

 「それで、鍵は持ってきたのだろうな?」

 

 「すまん、忘れてた」

 

 そうか、とレヴィスは空を見つめる。

 

 「どうせそんなことだろうと思っていた」

 

 改めて曲線美に優れたレヴィスの身体を見てみると、情欲がそそられた。ハムザはポケットからナァーザ特性の媚薬を取り出す。それを持って座り込んでいるレヴィスの目の前に立つ。

 

 「飲んでみろ」

 

 レヴィスは無表情のまま、黙って口を開けた。舌の上に錠剤を置いた瞬間噛まれるのかと思ったが、レヴィスは噛みつかなかった。彼女が喉を鳴らした後、そのまま覆いかぶさるように唇を奪う。レヴィスはあまり乗り気ではなかったが、されるがままに口を差し出している。

 

 すっかり固くなった一物を取り出し、目の前で見せつける。あの怪人に勃起したペニスを見せつける感覚は、筆舌に尽くしがたい程に興奮を覚えるものだった。

 

 

「口を開けろ」

 

 そう言ってから、半ば強引にレヴィスの口にペニスを捻じ込む。容赦なく喉奥まで差し込み、休む間も与えず喉を突く。鉄格子に身体を押し付けられ、レヴィスは苦しそうに喘ぎながらもされるがままに身を任せていた。

 

 ハムザは喉を突くのを止め、レヴィスの舌の上でペニスを転がし始めた。彼女の鋭い目で見上げられると、支配欲が満たされてぞくぞくした。

 

 そのままレヴィスの生暖かい舌の感覚を楽しみながら、扱く。すぐに込み上げてきたので、舌の上に思い切り射精した。

 

 「…っ」

 

 瞬く間に白い液体で満たされる口内と、跳ねた液体で汚れる綺麗な肌。それからレヴィスは喉を鳴らして呑み込んで、じっとハムザの股間を見つめた。

 

 「奴隷は主人を満足させるだけで十分。毎日セックスしてもらえると思うなよ」

 

 くく、と笑いを噛み殺しながらレヴィスは言う。

 

 「猿、だな…。男というのは単純なものだ」

 

 立ち上がり、命令口調でハムザに告げる。

 

 「もっと私を犯したければ、食事を持ってこい。クノッソスの鍵を持ってくれば、極上の夢を見せてやるぞ?」

 

 「む…か、考えておこう」

 

 あまり主導権を取られたくなかったので、ハムザはこれ以上会話を続ける気はなかった。レヴィスにはセックスへの抵抗があったと思ったのに、どうやらそんなことはないらしい。あろうことか、セックスを通じてこちらを操ろうとも考えているように見て取れる。なかなかの危険人物だ、確かに扱いには十分注意しなければならない。

 

 明日命とのデートをした後は、調教について考えなければ…そう思考を巡らせながら、ハムザは地上へと戻って行った。

 

 残されたレヴィスは、やれやれと再び腰を落とす。

 

 「…アリアの首を取れればそれで良い…鍵など、大した問題ではない。刺し違えてでもアリアは殺す。あの男の傍に、必ずやって来る…」

 

 目を瞑り、レヴィスは再び横になった。

 

 (…アリアとあの男の繋がりは突き止めてある…。程々に愛想を売っておいてあの男の傍で行動出来れば…あとは機会を待つだけだ)

 

 「アリアだけは、殺す。何があっても、何としても」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 -老魔法使い-

 

 翌日、ハムザが目を覚ますと既に十時を回っていた。いつもの五時起きから解放され心ゆくまで眠れたことで、体調がすこぶる良い。テント内では命とリリがのんびりお喋りをしていた。

 

 「あ、おはようございます、ハムザ殿」

 

 「おはようございます」

 

 二人に挨拶され、ハムザはのそりと起き上がる。大きく伸びをしてから、一つ欠伸をついた。

 

 今日はこれから命と模擬戦を行う予定だったので、ハムザは簡単な朝食を摘まんでから剣を取った。半日何をして過ごしたいかと昨夜命に訊いたところ、「模擬戦がしてみたい」と彼女は答えたのだ。

 

 しばらくのんびりしてから、二人は稽古の準備をする。金属音に目を覚ました主神が起きて来て、お腹が空いたとリリに言う。

 

 「おぉう、今日は命とデートか、ハムザ。それならリリ、私達もこれから出掛けよう。森の近くに良い空き家があるらしくてな、見に行きたいのじゃ」

 

 そろそろ引っ越しをというリリとハムザの願いは、最近になってようやく主神に届き始めていた。一時期は奇妙な彫刻を大量に買い込むという前歴があり、スペースを埋めることに関しては躊躇いのない主神にとっても、広い我が家を得ることは悪いことではない筈だ。

 

 「なんで森なんだ?」

 

 確かに、とハムザの問いに命は同調した。

 

 「住むなら街の中心に近い方が、何かと便利ですが……」

 

 「芸術神(ムーサ)は森に住むからじゃ」

 

 良く分からんな、とハムザは立ち上がる。それからリリとテルクシノエに手を振って、命と外へ出た。

 

 暖かい日差しが心地良い。冷たさの混じった風が通り過ぎる度、命の綺麗な髪の毛がさらさらと揺られた。美しい彼女の横顔に見とれながら、ハムザはのんびりと公園まで歩いて行った。

 

 公園では、【タケミカヅチ・ファミリア】の面々が集まり、主神のもとで稽古を受けていた。極東式の剣術は見ていて面白く、体の前で構えた剣を素早く振ったり、突いたり、払ったりしながら色々な型を繰り出している。

 

 タケミカヅチ派の面々はこちらに気が付き、全員がおーいと手を振った。主神が歩み寄ってきて、ハムザに握手を求める。

 

 「ようやく来たか、こちらはもう温まっているぞ。さぁハムザ、早速桜花と打ち合ってみろ」

 

 竹刀を手渡されたハムザは、どう持っていいか分からなかったのでいつものように片手で持った。だが、すぐにタケミカヅチに駄目出しをされる。

 

 「死に手だ。そうではない、こうやって正面から、傘を差すように持つのだ」

 

 言われるがままに手を持ち替え、取り合えず形になったので大男のヒューマン、桜花と対峙する。命は見守る列の中で、目を輝かせていた。どうやら自分の技を見るのが楽しみなのだろう。

 

 「手加減するつもりはないぞ、俺だってLv.2だ」

 

 桜花は睨みを利かせ、奇声を上げて飛び掛かって来た。

 

 「きぃぃぃぃぃぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 「うわっ…」

 

 突然の奇声にハムザはびっくりして、桜花の突進を回避した。人間とは思えない不思議な声を上げる大男。今のは何だったんだと開いた口が塞がらない。

 

 「逃げるな、黒い変態(ブラック・パーヴ)。行くぞっ!」

 

 「うぃぃいぃぁぁぁぁぁああっ!!!」

 

 再び繰り出される奇声に面食らいながらも、振り下ろされる竹刀を受け止め、手首を回転させて素早い突きを繰り出す。

 

 桜花はまるでその動きを見越していたかのように一歩後退り、突きは空を切った。

 

 すれすれの間合い。だが、ハムザの攻撃は僅か数センチだけ届いていない。完全に見切ったと、桜花はにやりと口元を歪めた。

 

 それから奇声と共に繰り出される素早い技の数々。全てをぎりぎりの所で捌き続けながら、ハムザは隙を見て胴に前蹴りをお見舞いする。

 

 「ぐっ……!?」

 

 桜花は一撃をもろに受け、後方へ吹き飛んだ。彼はすぐさま立ち上がり、声を張り上げる。

 

 「反則だ!」

 

 だが、タケミカヅチは腕組みをしながら、彼の言葉を否定した。

 

 「これは剣術練習ではない、模擬戦だ。桜花、枠にとらわれずあらゆる手を想定しなければ、冒険者を相手に一本取ることは難しい」

 

 良かった、とハムザは安堵する。相手は何か油断していたようだ。取り合えずこれで一勝。勝ちには違いない。続いての相手は命だった。

 

 「はじめっ!」

 

 タケミカヅチの合図と共に、命は懐へ急接近を試みる。ハムザは突きを繰り出して牽制するも、命は優れた動体視力で竹刀の軌道を読み切り、そのまま一直線に懐に潜り込んだ。

 

 だが、命の顔にハムザの膝が飛ぶ。思わず後方宙返りによる緊急回避をするが…ハムザは飛び上がり、空中で一回転してから追撃をお見舞いした。

 

 「ぐっ……!?」

 

 何とか竹刀の攻撃を小手で防いだ命だったが、着地の態勢が崩れ、そのまま地面に叩きつけられた。

 

 「…いっぽぉぉぉーーぅん!!」

 

 タケミカヅチの不思議な奇声と共に、模擬戦は終了する。どうやらまた勝てたようで、ハムザは安堵した。

 

 「…命ちゃんでも勝てないなら、私には無理かなぁ~…」

 

 千草はもう戦意喪失しているようだった。タケミカヅチはしげしげとハムザを見つめ、腕組みを解き、なるほどな、と首を縦に振る。

 

 「単純なステイタスの差だけではないな。見事な技の冴えと状況判断だ。才能だけではなく、経験が豊富なのだろう。あらゆる武術を収めた相手との実戦経験がな」

 

 生まれはどこだ、と問うタケミカヅチを軽くあしらって、ハムザは命の手を取り体を起こしてやった。

 

 「流石です…お強いとは思っておりましたが、まさか秒殺されてしまうとは」

 

 肩を落とす命に、励ましの言葉を投げかけてやる。

 

 「まぁなに、訓練を重ねれば誰だって強くなる。今日は飽きるまで打ち合ってやるよ。椿の奴とやるよりは、遥かに楽だからな」

 

 命ははにかんだ笑みで俯きながら、恥ずかしそうに顔を上げる。

 

 「私は…強い方が好きです。だからきっと、ハムザ殿に打ちのめされる度……いえ、なんでもありません」

 

 ●

 

【タケミカヅチ・ファミリア】との模擬戦後、命は午後をハムザ達と過ごすことにした。二人は途中でじゃが丸クンを買い、本拠まで歩いて行く。歓楽街に入り、裏通りを歩いて行くと…異変に気が付いた。

 

 人だかりが出来ている。本拠がある方面から、黒い煙が立ち昇っていた。思わずハムザは駆けていた。角を曲がり、一直線に走っていくと…燃え盛るテントを前に泣き叫んでいる主神の姿が目に飛び込んできた。

 

 慌てて駆け寄った。

 

 主神の背中を摩りながら、リリが「大丈夫、大丈夫ですよ…」と声を掛けている。

 

 「一体何事ですか!?」遅れて命もやって来た。

 

 目の前には、慣れ親しんだ本拠が炎に包まれて黒煙を吐き続けている。そして、涙に濡れる主神の足元には…彼女の一番の宝物だった額縁が、ばらばらに散らばっていた。

 

 「私の…私の子供たちの…け、傑作が!」

 

 主神は手を血まみれにしながら、ガラスのかけらを集めて繋ぎ合わせようとしていた。だが、それが無駄な努力なのは一目瞭然だった。どうやら三人が書いた詩や俳句は、全て燃えてしまったらしい。加えてリリが昨日お婆さんからもらった花束も、火に包まれてしまっただろう。あんなに蕾が咲くのを楽しみにしていたのに…。

 

 「誰がこんなことを?」

 

 「【アポロン・ファミリア】です」ハムザにリリは簡潔に言う。

 

 「昨夜の腹いせのつもりでしょうが…こうなっては、黙っている訳にはいきません」

 

 ハムザの中で、静かな怒りがめらめらと燃え始めた。【アポロン・ファミリア】め、戦争がしたいのか?自分達にちょっかいを出して、無事でいられるとでも思っているのか?

 

 愚かだ、あまりにも愚かな連中だ…。

 

 拳を握りしめ、ハムザは泣き濡れる主神を抱きかかえる。

 

 「リリ、命、ついてこい。もうここは本拠には出来ない。拠点を移そう」

 

 「嫌じゃ!嫌じゃ~!わたしの…ひっく…うぅ~!」

 

 暴れる主神を無理矢理抱えて運び、野次馬に怒鳴り散らしながらハムザはメイン・ストリート方面へ走っていく。リリと命も、暗い表情で後ろから着いてきた。ハムザはギルドへ行き、エイナに簡潔に報告した。本拠が【アポロン・ファミリア】によって燃やされたと聞いて、彼女は青ざめていた。それから地下へ降り、旧牢獄まで主神を運んだ。レヴィスは全員の表情から異常事態を察知したらしく、興味深そうにハムザの行動を眺めていた。

 

 主神をレヴィスの隣の檻に入れ、ハムザは皆に告げた。

 

 「戦争だ。アポロン一派は全滅させる。これから俺達は強くならなければならん。各自、決戦に備えるように」

 

 状況をレヴィスにも説明してやると、彼女はつまらなそうに鼻を鳴らした。どうやら【アポロン・ファミリア】などには興味がないらしい。だが、そんなことはどうでもよかった。この【怪人】を手なずけてしまえば、大きな戦力になる。オラリオ全体を売ってでも、【アポロン・ファミリア】は壊滅させる。ハムザの頭には、それしかなかった。

 

 哀れな主神の姿を見ると、その想いは一層強くなった。

 

 「命、ここでレヴィスと主神の様子を見守っていてくれ。俺はリリを連れて、戦争に向けた準備をするぞ」

 

 「分かりました」と命は答え、主神の横に座り込んだ。背中を摩られると、主神のすすり泣きが地下に鳴り響いた。

 

 「ハムザ……」消え入るような声で、テルクシノエは言う。

 

 「仇を、討ってくれ…」

 

 あたりまえだ、と。眦を決して、ハムザはリリと地上へ向かう。

 

 根絶やしにしてやるぞ、愚かな【アポロン・ファミリア】め。

 

 

 「それで、どうするおつもりですか?」

 

 階段を駆け上がりながら、リリはハムザの背中に声を投げ掛ける。

 

 「やることは簡単だ。強くなるには、強い女とセクロスをしなければ。ついでにお前も強くならないとな…魔法、とか」

 

 一体何を考えているのやら、とリリは黙り込む。二人は受付に居るエイナを呼び出し、廊下の柱の影で会話を始める。

 

 「…何か、クエストはないか?魔導書(グリモア)が報酬だったり、それが買えるくらい高額なやつが良い」

 

 エイナは即座に首を横に振った。

 

 「そんな都合のいいクエストなんてないわ。それより、大丈夫なの…?本拠が燃やされたって、本当なの?」

 

 「あぁ、本当だ。アポロンがやった。でも、今はそんなことを話している場合じゃない。どうにか強くなるために、行動しなければ」

 

 う~ん、とエイナは顎に手を添える。それから、あっと何かを思い出した。

 

 「そう言えば、一つだけ興味深い依頼があったわね…クエストというよりかは…誰にでも出来る、少額報酬の依頼よ」

 

 「それはどういった物でしたか?」

 

 エイナは「本当に役に立つかは分からないけど」と前置きしてから、二人に言う。

 

 「稀代の大魔術師と呼ばれたオッティー・スタンコ氏の娘さんが…父の介護をする人手が欲しいっていう依頼が出してるわ。報酬は少ないんだけど…大魔術師オッティーと言えば世界中にある魔法書の半分は、その人が所蔵しているっていう噂もあるくらい…凄い人なのよ」

 

 ハムザは意味がよく分からなかった。オッティー・スタンコという名前は聞いたことがなかったし、そんな凄い奴がいるなら、どこかのファミリアに所属して大活躍をしている筈なのに。

 

 エイナの優し気な眼差しはそんなハムザの心の動きを読み取ったかのように動き、彼女は更に詳しく話を続けていく。

 

 「…何だっけなぁ。『魔法認知障害(マジック・ディメンティア)』っていう病気を患ってから…オッティー氏は一線を退いたの。それで、娘さんが屋敷を開ける時は…誰かにオッティーさんを介護して欲しいっていう依頼が、たまーに出るのよね」

 

 「なるほど」リリはもう理解したようだった。

 

 「上手くいけば蔵書の魔導書(グリモア)の一つや二つ、入手できるかも知れませんね」

 

 「でも、盗んだり、無理矢理奪ったりしたら駄目よ。ギルドから厳しい罰則が下りるから、絶対にね?」

 

 ハムザは頷いた。だが、場合によっては罰則すら辞さないだろうということは、リリもエイナも十分に理解していた。

 

 

 それから二人は依頼を受諾し、指定されていた屋敷へ行った。まだ指定時間まで余裕があった為、出迎えてくれたおばさんは二人にお茶を出す。

 

 「ありがとね、助かるわ。お父さんの病気はねぇ、ちょっと特殊で…。何も分からないのよ。食器の使い方も、トイレの仕方もね。それにふらふら出歩きたがるものだから、世話する方は大変でねぇ」

 

 そうですか、とリリは相槌を打つが、その目はしっかりと豪華な屋敷を隅々まで観察していた。ハムザも同様に、どこに魔導書(グリモア)が保管されているのかと首を回す。出来ればこの訪問を無駄足にはしたくなかったので、二人は何とか戦果を見つけてやろうと意気込んで来たのだが…だだっ広い応接間には豪華なシャンデリアと革製のソファー、頑丈そうな机が置かれているだけで、本の姿はどこにもない。

 

 「今日は娘の学区で授業参観があってねぇ、どうしても家を開けなきゃならなかったのよ。直前まで依頼受諾の知らせがなかったから、諦めかけていたんだけど…助かるわぁ」

 

 それから他愛ない会話に付き合ってから、おばさんはオッティー・スタンコが眠る寝室へ二人を案内した。オッティーさんは白い髭をたっぷりと蓄えた老人で、全身をベッドに縛り付けられて身動きが取れないようにされていた。

 

 「縛るのは可哀そうだけど、本人のためなのよ」

 

 おばさんは一つずつ拘束を緩めながら、一言二言二人に言った。

 

 「この前なんか、逃げ出して庭の雑草をむしり食べていたんだから」

 

 拘束が解かれたオッティーさんはむくりと起き上がり、だらしなく口を開け、生気のない白くなった目でぼんやりと虚空を見やった。

 

 「それじゃ、お父さん。私は出掛けますから、何かあったらこの人たちに言って下さいね」

 

 無反応な老人を置いて、おばさんは嬉しそうに「よろしく~」と言い残し、部屋を出た。取り残された二人はまじまじとオッティー・スタンコを眺める。

 

 「………」

 

 老人は無言のままぺろぺろと唇を舐め始めた。それから近くにあったティッシュを手に取り、口に放り込んだ。

 

 「な、なんだぁっ!?」

 

 ハムザは後ずさった。すかさずリリがもぐもぐとティッシュを食べる老人の口に手を突っ込み、ティッシュを無理矢理引っ張り出した。

 

 「うぇぇぇ…」

 

 べとべとになった手を拭きながら、リリはオッティーさんに言った。

 

 「ティッシュを食べてはいけませんよ。食べ物ではないのです」

 

 「………?」

 

 オッティさんはリリをしげしげと眺めた。それからリリに指を差し、虚ろな目で言った。

 

 「犬がいるぞ。おかしいなぁ、犬がいる」

 

 ハムザは思わず噴出した。空笑いをしながら、リリはその言葉も否定した。

 

 「リリは犬ではありませんよ、オッティーさん」

 

 それからリリは少し怒ったように腕組みをし、息を吐いてから部屋を見回した。

 

 「多分…お腹が空いているのではないでしょうか?何か食べさせて上げましょうか」

 

 「冷蔵庫に食事を用意してあると言ってたな」

 

 ハムザが部屋に設置されている冷蔵庫を開けると、そこには色々なゼリーのような液体がお皿に用意されていた。

 

 「…ジジイはゼリーしか食わないのか」

 

 「きっと嚥下能力の問題ですよ、ハムザさま。年を取ると飲み込む能力も下がるんです」

 

 そういうものかと納得しながら、ハムザはゼリーをスプーンでよそい、オッティーさんの口に突っ込んだ。

 

 「ごふっ…!?」

 

 オッティーさんはゼリーを噴き出した。急に食事を突っ込まれ、びっくりしたのだろう。リリはハムザからスプーンを奪い取り、優しく「ご飯ですよ~」と声を掛けてから食べさせてやった。

 

 もぐもぐと口を動かしながら、オッティーさんは食事を取り始めた。時折意味不明な発言をしていたオッティーさんだったが、数十分かけて完食した。もうこの頃には、オッティーさんはハムザのおもちゃになっていた。

 

 「なぁオッティーさん、目の前にいるのは何だろう?今通り過ぎたぞ?あっ、ここにも飛んでる、なぁ、これなんだろうな?」

 

 意味不明な発言をさせる度に面白いので、ハムザは適当なことを言い続ける。オッティーさんは始終無言のままだったが、たまに思い出したように変なことを喋るのだ。

 

 「……この人、幻覚が見えてる。変な人だなぁ」

 

 ハムザはそれはお前だ、と腹を抱えて笑う。もう『魔導書』なんてどうでもよくなっているようだった。それからリリはオッティーさんをトイレに連れていくと言った。ふらふらとベッドから立ち上がり、手を引かれて老人はトイレへ向かう。

 

 「ここから先はハムザさまがお願いします」と、リリはトイレの外で待つことにした。仕方がないのでハムザはボケ老人の手を取り、トイレに案内する。

 

 「終わったらちゃんと言うんだぞ」

 

 そう言って手を離した。オッティーさんはきょろきょろと見渡してから、立ってする方の便器に座り込んだ。それから、ズボンを履いたままぶりぶりと音を立ててうんちをした。

 

 「リリ、ヘルプ、ヘールプ!!」

 

 慌ててハムザがリリを呼ぶも、時すでに遅し。トイレは途轍もない臭いで満たされてしまっていた。

 

 だが、幸いなことにおむつを履いていたお陰で、最悪の事態は免れた。リリはぎこちない手つきで新しいおむつを履かせ、「もう疲れました」と言ってぐったりとソファーに座り込んだ。あどけない顔にまじまじと浮かんだ疲労の色に、介護の大変さがにじみ出ている。

 

 ハムザも同様だった。ボケ老人の介護がこんなに疲れるものだとは…これで報酬が五百ヴァリスなんだから、まるで釣り合ってない。誰も依頼を受けない訳だ…。

 

 本当に介護ばかりをしていても仕方がないので、ハムザは屋敷を散策した。だが、困ったことに殆どの部屋は空っぽだった。一人娘と老人の二人暮らしなのだろう。おばさんの部屋にも入ってみたが、これといって目ぼしい物はない。資産があるにしても、金庫に預けているのだろう。とてもこの屋敷に金目の物があるようには感じられなかった。

 

 リリのもとへ戻ると、オッティーさんは落ち着いている様子だった。ぼーっと虚空を見つめ続け、動く気配はない。

 

 「何か見つかりましたか?」

 

 首を振って答える。リリはそれを予期していたかのように、「やはりそうですか」と言った。

 

 「他人を家に招き入れることに抵抗がない人でしたから、セキュリティは万全だということです」

 

 ハムザは部屋を眺めてみた。彼の寝室には沢山の本が棚に並んでおり、もしやと思ったハムザはその一つを手に取ってみる。

 

 

 『魔法史に於ける変身魔法の存在と、その可能性』

 

 

 魔導書(グリモア)ではない。何となく著者を見ると、オッティー・スタンコと書かれていた。

 

 「おいリリ、このボケ老人、変身魔法について研究していたみたいだぞ」

 

 どれどれ、とリリはハムザの肩越しに本を覗き込んだ。それから何かを思い出したように機敏に動き、宝物を探す盗賊のような顔つきで本棚を調べ始めた。

 

 「どうしたんだ?」と問うハムザに「ちょっと待っててください」と答え、リリは順番に本の題名を調べ始めた。

 

 「『変身魔法の魅力』、『ゼロから始める変身魔法』、『とある変身魔法の目録』…。ありました、これです」

 

 一冊の本を抜き取り、リリはぱらぱらとページをめくる。そして変身魔法について言及されている項目を指差し、抜け目ない表情でハムザを見つめた。

 

 「この本、以前【ロキ・ファミリア】の本拠で読んだことがあります。変身魔法は危険な魔法として数えられるべき、ということが書いてありましたよ」

 

 「ふむ、奇妙な老人だな」

 

 興味を抱いたので、ハムザも本棚を調べ始めた。端の方まで行くと、日記帳のようなものが置いてあった。それを手に取って、ぱらぱらとページをめくってみる。

 

 

 『11月のある日。私はヴォイヴォディナ周辺にあるマルティクという寒村に来た。寒さが老いた体に堪えるが、残された時間が少ない。力を振り絞って、変身魔法の存在を確認したという手紙を送って来た老婆と会った』

 

 

 筆跡はしっかりしている。とても目の前で涎を垂らすボケ老人が書いたものには思えなかった。次のページを読む。

 

 

 『また無駄足だった。老婆は幻惑魔法にかかっており、お湯の沸いたポットを指差して『狸に変化した』と言い続ける。彼女の一人息子で、遺産を食い潰していた元冒険者の男に問い詰めると、彼は自分がやったと自供した。実にくだらない。私の最期の旅が、このように終わってしまうとは。ついに生涯存在を見つけることが出来なかったが…私は変身魔法の使い手が必ずいると、今でも確信している』

 

 

 「なぁ、リリ」ハムザは思わずリリに聞いてみたくなった。

 

 「変身魔法って、そんなに珍しいもんなのか?」

 

 当の本人も困惑しているようだった。

 

 「どうなんでしょうね」本を棚に戻し、肩を竦めて見せる。

 

 「昔のファミリアの記録や英雄譚には、似たような話は出てきますが…たまたま最近は少ないだけではないでしょうか?」

 

 「う~ん。変身って言っても大した魔法じゃないだろうけどなぁ」

 

 「リリもそう思います。意外とリスクがあるんですよ、別人に間違えられることで、良からぬトラブルに巻き込まれたこともありましたから」

 

 「ま、そうかもな」日記帳を閉じて棚に戻して~、ハムザはオッティーさんの目の前に立つ。

 

 「せっかくだから、ボケ老人の前で変身してみるか?」

 

 リリもその気だった。生涯をかけて探し続けた変身魔法を見たら、きっと喜ぶかもしれない。例えボケボケになって訳が分からなくても。

 

 「やってみますか」

 

 ぼうっとしているオッティーさんの目の前で、リリは魔法を詠唱した。

 

 「【シンダー・エラ】」 

 

 身体を包む光が消えると、そこにはアルミラージが立っていた。耳をぴょこぴょこと動かして、赤い目をぱちくりさせている。愛らしい姿の怪物だ。

 

 途端に、オッティーさんの曇った瞳に生気が漲ってきた。涎を拭い、目をこすり……オッティーさんは驚愕と共に勢いよく立ち上がった。

 

 「アルミラージじゃっ!??」

 

 慌てふためいて逃げようとする老人を捕まえて、ハムザは落ち着かせようと声を掛ける。

 

 「大丈夫、あれは人間だ。変身しただけだ!おい、暴れるなって、ボケ老人」

 

 「誰がボケ老人じゃっ!?」

 

 オッティーさんはハムザの頭を引っ叩いた。それからベッドの傍に立てかけてあった杖を手に取り、機敏な動きでハムザを叩き始める。

 

 「おいっ!ジジイっ、急に元気になりやがって!やめろ、馬鹿っ!」

 

 揉みくちゃになる二人。

 

 リリは大慌てで変身を解くが——その光景を目にしたオッティーさんはその場にへたり込み、夢見るような声で呟いた。

 

 「へ、変身魔法じゃ……」

 

 

 

 それから二人は魔術師オッティー・スタンコの病が急に治ったことを理解した。どうやらショックが頭の回路を繋ぎなおしたらしい。正常な認知能力を取り戻した老人はリリに何度も感謝の言葉を述べ、何度も変身魔法が見たいとおねだりをし続けた。

 

 「でも、どうしてそんなに変身魔法を探していたのですか?ありふれた魔法だと思いますが」

 

 数十回は変身してへとへとになったリリに聞かれると、オッティーさんはゆっくりと答え始めた。長年の夢であった変身魔法の発見に、老人は目に涙を浮かべながら。

 

 「それは大間違いじゃ。良いか、お二人。神に恩恵を授かる事で、地上の人間は新たな扉を開く。身体の強化、魔法の発現。これらは一貫して、とある目標を持っておる」

 

 少し間を置いて、オッティー・スタンコは続けていく。

 

 「神に近づくのじゃよ。つまり、恩恵を深め、器を昇華させ続けた先にあるのは…神に成るということじゃ」

 

 「神に成る、ですか?」リリは目を丸くして問う。

 

 「そうじゃ。魔法というのは、神の奇跡の再現に過ぎないのじゃから…その答えに気が付く者は少なくはない。後天的であれ先天的であれ、魔法の発現は神への第一歩。そして神の奇跡の中でも最も多く語られているのが…変身魔法じゃ」

 

 オッティー・スタンコさんは穏やかな足取りで歩き、戸棚を引き、ローブを引っ張りだした。それを着て、帽子を被り、大杖を持った。驚いたことに、そこに立つ人物には先ほどまでのボケ老人の姿の見る影もなかった。大魔導士然とした外観、厳めしい額、荘厳な眼差し。稀代の大魔法使いオッティー・スタンコがそこに立っていた。

 

 「大昔の英雄譚には如実に現れておる。女神アテナはテレマコスを説得するために別人に成り代わり、父親の捜索を彼に命令した。偉大なるゼウスは牝牛に変身し、美しきエウロペーをクレタ島に連れ去った。変身魔法の使用例は枚挙に暇がないのじゃ。それだけ強力であり、便利な魔法だということじゃな」

 

 「そうなんですか……リリはずっと、大したことがない魔法だと思っていましたが…」

 

 老人はすぐさま否定する。知性に満ちた蒼い瞳が、情熱できらきらと輝いている。

 

 「大間違いじゃ。死の魔法、復活の魔法、そして変身の魔法。これら三つこそ、真なる神の奇跡。変身魔法とは他の二つと同様とても希少で、素晴らしいものなのじゃ」

 

 「じゃあ、呪詛はどうなんだ?俺は精神疲弊にさせる呪詛を使えるぞ」

 

 ハムザを値踏みするように眺めた老魔術師は、白い髭を触りながら語る。

 

 「精神疲弊を招くというのはかなり強大な魔法じゃな。だが、変身魔法には及ばない。呪詛という点では、お主には死の魔法を扱う才能があるとも捉えられる。死の魔法こそ最強の呪詛じゃからな」

 

 「使い方には気を付けなければならんぞ」老人はリリに忠告した。

 

 「その手の魔法は、使うべき時に使うのじゃ。闇雲に使うよりは、出来るだけ使用を控えるのが賢明というものじゃな」

 

 「分かりました、そうします」リリは素直に頷いた。

 

 

 「——あら、お父さん、楽しそうにお話しているのかしら?」

 

 その時、おばさんが部屋に戻って来た。父の姿を見るなり駆け寄って、二人は抱き合った。

 

 「…戻ってこれたの、お父さん!」

 

 

 母と娘は長い間抱き合っていた。老魔術師は『魔法認知障害(マジック・ディメンティア)』に罹っていた時期について説明した。それは曇った硝子越しに隣の部屋を見ているような感覚で、細部までは状況を認識できないが、人々がどんな感情を持っているのかは分かる、とのことだった。

 

 娘が悲しんでいたのも当然分かっていたし、からかわれた時も、馬鹿にされた時も感情は動いていたと言う。そしてアルミラージの姿を見た途端、驚いた衝撃で硝子が壊れ、元に戻れたらしい。

 

 オッティー・スタンコは二人に感謝の言葉を述べ、古びた鍵をリリに手渡して言った。

 

 「私は余生を静かに過ごすとする。もう人生の目標は叶えたのでな…。その鍵を持ち、旧大聖堂にある聖リシャール像の彫刻を調べてみると良い。私の研究の全てがそこで見つかるだろう。好きに使いなさい」

 

 二人は謝礼の五百ヴァリスを受け取ってから、言われた通りに旧大聖堂を目指した。オラリオ西南部にある廃墟。神の降臨以降、使われることのなくなった宗教施設。二人がそこへ着くと、まず目に入ったのは無数の崩れた彫刻と、板の打ちつけられた正面門。

 

 建物は【ロキ・ファミリア】の尖塔群に劣らないくらい巨大だった。かつては豪華な場所だったのだろうが、今ではあちこちが崩れ、窓は割れ、鳥の巣が沢山作られていた。

 

 ハムザは無理矢理に補強板を引っこ抜いて、門を開いた。埃っぽい空気に満たされており、虫食いだらけの古びた絨毯の上を歩いて行くと、暗い内部の中に壁に添っていくつもの彫刻が居並んでるのが見えた。

 

 「…なんだか、不気味ですね」

 

 割れたステンドグラスから差し込む光が、蜘蛛の巣だらけの懺悔室を照らしていた。そこを通って、彫像の名前を一つ一つ確認していく。

 

 「聖フロリアン…聖フランチェスコ、ウィリアム王…三世。あ、あった、聖リシャール」

 

 リリがとことこと寄ってきて、入念に像を調べ始めた。

 

 「鍵穴は…ないですね。う~ん」

 

 リリは像をまさぐった。すると、がこん、と音を立てて像の右肩が沈んだ。

 

 大きな音が大聖堂に響き渡る。大理石の棺かと思っていた物がスライドし、地下への階段が現れた。

 

 「何か不気味だが…いくしかないよな」

 

 まず先にハムザが地下へ進んで行く。松明もなかったので、暗闇の中を手探りで一歩一歩降りていった。何十段か降りると、開けた場所に出たのが空気で分かった。後ろからやってきたリリがぶつかった。

 

 壁のあたりをまさぐり続けていると、ランプのようなものに触れる。スイッチを探すと…見つかった。電気の弾けるばちばちという音を鳴らしてから魔石灯の明かりがゆっくりと広がっていき、広い室内を照らしていった。

 

 「うわぁ……」

 

 リリは感嘆の声を上げる。そこは見事な図書館のようだった。張木の格子が石造りの建物に巡らされ、木製の本棚が理路整然と居並んでいる。中心には女神の彫像が置かれており、本棚は一階と二階とに別れていた。丈夫そうな机がいくつも置かれていて、机には溶けたまま固まった蝋燭がいくつもくっついていた。

 

 「これが研究の成果ってか?」

 

 適当に本を手に取ってみた。人を殴り殺せるくらい分厚い本には、錠がかかっていた。意匠をこらした革表紙には真っ赤な宝石が埋め込まれており、綺麗な文字が刻まれている。

 

 「これ何て書いてある?」

 

 リリはその文字を見て、あっと息を飲んだ。

 

 「魔導書(グリモア)ですよ、これ」

 

 リリはその棚の本を一冊ずつ調べあげた。なんと、横1M、縦2M程の大きさの本棚に敷き詰められた本の全てが魔導書だった。

 

 「…あのボケ老人、本当に凄い奴だったんだな…」

 

 ハムザは椅子に座って、もう一度周りを見回した。見事な図書館だ。もしかしたら、この図書館をリヴェリアに贈ってやったら喜ぶかもしれない。どうせエルフなんて本が好きに違いないし、あわよくばおっぱいを揉む約束の後、本番に持ち込めるかもしれない。

 

 「よし、良い物を手に入れた。リリ、魔法を覚えておけ。もう一つくらい持っていても損はしないだろう」

 

 「でも…」とリリは魔導書を片手に首を傾げる。

 

 「全部、鍵が付いていますよ?」

 

 「あのなぁ、オッティーさんから鍵を貰っただろ?それを使ってみろよ」

 

 あぁ、そうでしたとリリは鍵を取り出して、錠に差し込んだ。思った通り、それは魔導書(グリモア)の鍵だった。

 

 「では、一つ持って帰ります。一度テルクシノエ様達と合流しましょう、そろそろ心配し始める頃でしょうから」

 

 

 リリもハムザも、老人の世話や大聖堂の探索で少し疲れてしまっていた。だが、地下牢に戻った時の命ほど憔悴してはいなかった。レヴィスの一挙手一投足に注意を払い続け、女神の慟哭に律儀に付き合い続けた結果…命は今にも倒れそうなくらいふらふらになってしまっていた。

 

 なのでハムザは命にまた明日来るようにとだけ伝え、本拠に帰らせた。それから主神には今日あったことを伝えるが、彼女は未だに泣き続けていたので会話にならなかった。

 

 ハムザがリリと今後について議論をしていると、隣の檻からレヴィスがこちらに向かい、声を掛けてくる。

 

 「お前達の状況が芳しくないのは分かった。だが、腹が減った。何か食事を持ってこい」

 

 仕方がないのでハムザはレヴィスと夕食を探しに行くことにした。こんな牢屋では料理などは出来ないので、何かを買って来なければいけない。

 

 ローブに全身を包ませて、レヴィスを外まで連れていく。出来るだけメイン・ストリートから離れた場所を歩き、ハムザは五枚ピザを買った。冷めないようにそそくさと帰ってくると、リリの笑顔が飛び込んできた。

 

 「魔法を覚えましたよ、今、テルクシノエ様にステイタスの更新をして頂きました」

 

 「おぉ、そうか」ピザを配りながら、ハムザはリリに聞く。

 

 「それで、どんな魔法だったんだ?」

 

 満面の笑みでリリは答える。

 

 「魔法名は【レーテー】といいます。効果は…忘却魔法です」

 

 「…忘却魔法?結構えげつないんじゃないか、それって…?」

 

 そうかもしれませんね、とリリは微笑んだ。

 

 「使い道は十分に考えますよ。でも、何だか思い直しました。きっとリリは戦闘ではお役に立てなくても、他のことならうまくやれると思うんです。卑屈になるのは、もうやめにします」

 

 リリの吹っ切れた顔は、とても明るく魅力的だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 -The Taming of the Shrew-

 

 【アポロン・ファミリア】、【玉座の間】にて。

 

 玉座に座す輝く男神のアポロンは、足を組み、顎に手を添えながら、眼前の盤面を見つめていた。

 

 【玉座の間】の高窓は、ちょうど光が玉座に射すように設計されており、午後の陽光を一身に浴びるアポロンは、まさしく威厳と神々しさに溢れた神そのものの姿で遊戯に興じている。

 

 対面しているのは、団長ヒュアキントス。こちらの美青年もまた神の従者として恥じない美貌を備えており、赤絨毯に沿って整列している団員達は、皆二人の姿を惚れ惚れしながら眺めていた。

 

 「その手があったか、なかなかの着眼点だ」

 

 ヒュアキントスの一手に長考の姿勢を取るアポロン。すると、【玉座の間】の大扉が開かれ、美しいエルフの男性が一礼の後に玉座へ歩み寄る。

 

 「ご遊戯中申し訳ございません。かの派閥に動きがございました」

 

 「仔細に述べよ」明瞭な声が響く。

 

 「歓楽街の本拠の火事の後、【テルクシノエ・ファミリア】はギルドへ退避致しました。それからハムザ・スムルトと小人族のサポーターがオッティー・スタンコ邸を訪ね、旧大聖堂に向かいました」

 

 微動だにせず、輝くアポロンは長考する。象牙の駒を動かして一手指した後、美しい顔を上げて従者達を見回した。

 

 「ギルド籠城は読み筋の一つだ。だが何故、奴らは老魔術師の館を訪ねたのだ?そして何故、旧大聖堂に赴いたのだ?」

 

 質問をぶつけられたエルフの男は、少しだけ顔を引きつらせながら意見を述べる。

 

 「それは…報酬を期待しての事でしょう。報奨金こそ少ないものの、かの老魔術師の財産は莫大です。我が栄光のアポロン・ファミリアへの応戦を考えているならば…資金は必要でしょうから。旧大聖堂につきましては、私にはその…分かりかねます」

 

 「新本拠の下見だろう」

 

 ヒュアキントスは被せるように言った。

 

 「奴らが旧大聖堂を訪れたのは、新しい本拠を探しているからだ。あそこは我らの館と目と鼻の先、戦を想定しているからこそ、あの場所を新たな本拠に選んだのだ」

 

 新たな一手をヒュアキントスは確かな手つきで進めた。アポロンは片手を上げ、エルフの男に指示を出す。

 

 「ご苦労、リッソス。列に加わり、私を眺める事を許す」

 

 それから静かな口調でアポロンは続けた。

 

 「私の見解はな、リッソス。お前とは少し異なる。奴らには潤沢な資金がある。老魔術師を訪ねたのは、魔導書(グリモア)が目的だ。旧大聖堂に赴いたの理由については、ヒュアキントスと同意見だ。いずれにせよ、奴らは上手く躱している。【剣姫】の護衛もあれば、ギルドの注意も引いている。そのお陰で、白昼堂々実力行使に出る訳にもいかない。だが、長期戦こそ我らに利があるというものだ」

 

 「見事な洞察です、太陽神様」ヒュアキントスは頭を下げて神に敬意を払う。

 

 「そこで、だ。聡明なるヒュアキントスよ。奴らが一つ魔法を発現させたとして、それは驚異になり得るか?」

 

 「答えはいいえでしょう。こちらの戦力は数百規模、対して奴らは数名です。個々の能力もこちらにはLv.3が一名、Lv.2が十数名。奴らはLv.2が二名いるだけ、しかも先日器を昇華させたばかりの新人です」

 

 「その通り」輝く目を動かしながら局面を精査していたアポロンは一手を決め、駒を動かした。

 

 「この戦力差を埋めるには、策が必要だ。私がテルクシノエならば、奇手を用意する事だろう。良いかお前達、決して侮るな。引き続き他派閥から情報を得よ。いくら払っても良い。装備を新調したい者も、これを機に考えるのだ。出費は惜しまん、幾らでも使って良い」

 

 列を為す団員達は声を上げて喜んだ。アポロンの気前の良い決断に、皆が相好を崩して新しい武具について考え始めているようだった。

 

 だが、その弛緩した空気をアポロンが引き締める。

 

 「浮かれるな、美しき者達よ。情報が正しければ、奴らは【ヘファイストス・ファミリア】の武具を用意している。しかも、神ヘファイストス直々に製作しているようだ。それが本当であれば、武具性能で引けを取らないのは『太陽の波状剣(フランベルジュ)』のみとなろう」

 

 団員達はざわめいた。ヒュアキントスは口端を緩め、腰に差した波状剣(フランベルジュ)に愛おしそうに触れる。

 

 「ヒュアキントスの考察は正しい。戦力差ならばある。だが、奴らに金がついて回っているうちは侮れん。気を付けなければならん、奇策に嵌る事だけはな」

 

 乱れていた列が、その一言で整然となった。アポロンは額に皺を寄せ、再び盤上に目を落とした。ヒュアキントスの手が、先程アポロンが指した駒に伸び、それを取った。

 

 「食らいついたな。五手後にチェックメイトだ」

 

 すかさず次の一手を指すアポロン。ヒュアキントスはしまったと額に手を当て、わざとらしく空を仰いだ。

 

 「まさかあの手が罠だとは!見事に毒蝮を喰らってしまったという訳ですか…」

 

 上機嫌なアポロンは姿勢を崩し、愉快そうに笑い声を響かせる。

 

 「これが策だ、ヒュアキントス!策があれば小軍をもって大軍を制す事が出来る!だからこそ、気をつけねばならん」

 

 高らかに声を上げ、アポロンは二人の名を呼んだ。

 

 「ダフネ!カサンドラ!」

 

 列から二人の少女が進み出る。おっとりとした表情のヒューマンのカサンドラと、同じくヒューマンで壮麗な空気を纏うダフネが神の前で礼をした。

 

 「お前達二人に任務を与える。テルクシノエ一派を見張り続けろ。そして逐一報告をするのだ」

 

 「分かりました、アポロンさまぁ~」

 

 「かしこまりました、我が神」

 

 対照的な返答を送り、二人は【玉座の間】を出た。大扉が閉まる大きな音の後に、二人は同時にため息を吐き、呆れたように顔を見合わせた。

 

 「はぁ、調教の次は諜報…ってね。まったく、ここのファミリアに来てから嫌なことばかりやらされるわ」

 

 本当にそうだ、とカサンドラはぶんぶん頭を縦に振る。それからおずおずと『予知夢』について言及した。

 

 「…でも、もし未来が予言の通りになるとしたら……何だっけなぁ。『太陽は堕ちねばならぬ』…それと『二羽の籠の鳥の飛翔は叶わん』…って、どういう意味だと思う?ダフネちゃん」

 

 「そうねぇ」ダフネは豪華な絨毯の上を歩きながら、わざとらしく考える素振りをしてみせる。

 

 「【アポロン・ファミリア】が戦争に敗けて、アポロン様が天界に送還されて、私達二人が解放されるってことじゃない?」

 

 最後に一言、ダフネは付け加えた。

 

 「まっ、ある訳ないけどね、そんなこと」

 

 それから足取りを早め、真っ青な空を誇る街へ繋がる前庭に飛び出した。

 

 「さぁ、さっさと行きましょう。テルクシノエ一派はギルドだから、ギルドの出口を見張りましょうかね」

 

 ●

 

 

 「人生は演劇じゃ」

 

 時を同じくして、地下牢に移動した【テルクシノエ・ファミリア】は、椅子に立ち演説をする主神の言葉に耳を傾けていた。…と、言うよりも、無理矢理聞かされていた。

 

 「この世界を舞台に、お前達には何らかの役割が与えられる。平凡な村人、富んだ貴族、優れた冒険者。だが、生まれた時からその役職を持つ人間はいない。皆、いつの日にか決断をするのだ。『私はこの役目を演じよう』と」 

 

 女神の声は静かで、落ち着いている。テルクシノエは最初にハムザを見た。それからリリ、そして命。最後に隣でこちらを睨んでいるレヴィス。

 

 「お前達は今まで、誰を演じていた?何に怒り、何に笑い、何を目指して生きる人物を演じていた?…いや、答えなくても良いのじゃ。今日、私は主神としてお前達に命じる。復讐に燃える悪魔になれ。今までの役割を捨て、ただ私の無念を晴らす事だけを考える、悪鬼の皮を被るのじゃ」

 

 ハムザが手を挙げた。

 

 「質問。その復讐の鬼の着ぐるみっていうのは、どこに落っこちてるんだ?」

 

 「ふざけるでない。私は大真面目じゃ。のらりくらりとした生活は、もうお終いだ。あの阿呆のポエブスの首を取るまではな」

 

 主神は満足気に全員を見回した。それからわなわなと体を痙攣させ、怒りに震えた声で両手を突き上げた。

 

 「…ポエブスめ、ポエブスめ。私の宝物を…許されんぞ、こんなことは……」

 

 テルクシノエの分かり辛い演説が皆の心に響く…ということはなかった。それでも、主神の悲しみを感じ取った団員達は皆、アポロン一派へのリベンジに燃えていた。本拠が黒煙に包まれたその時から、復讐心はしっかり皆の心に根付いていたので、テルクシノエが今言ったことには『何をいまさら…』としか思えない。それでも、主神が復讐を誓ったことで、改めて【アポロン・ファミリア】との戦争が避けて通れる道ではないということが確認できたので、ハムザは満足だった。

 

 「俺達はもうとっくに復讐の鬼になってしまっているぜ。ちょっと遅かったな、神様。その証拠がリリの魔法だ。俺はこれから会わなきゃならん連中がいる。そこのレヴィスにも、世間というものを教えてやらなきゃいけないしな」

 

 レヴィスはじろっとハムザを見つめた。どうせ鍵のことやら【ロキ・ファミリア】のことやらを考えているのだろう。【ロキ・ファミリア】が迷宮の入り口を見張り、レヴィスの帰路を絶っていることはかえって幸いだった。そのお陰で、この【怪人】はあまり牢屋を出ようとしないのだから。

 

 「付いてくるのだ、じゃじゃ馬め」

 

 冷笑を返すレヴィス。だが、体は言われた通りに動いていた。すっと立ち上がり、心底軽蔑したような冷たい目つきをしながらも、ハムザの背中を追いかけて行く。

 

 二人が上階へ行ってしまってから、リリは命と顔を見合わせた。

 

 「なんだかおかしな雰囲気ですねぇ、あのお二人は」

 

 その通りだ、と命は相槌を打つ。

 

 「…あのレヴィスという人物……。【ロキ・ファミリア】の話では大層な悪者と聞き及んでおりましたが……。何というか、少女っぽい所があるような…?」

 

 「そうなんですよ、リリもそう思っておりました。あのわざとらしい蔑みの目つき…恋心を悟られまいとする少女のそれに似ているというか……う~ん」

 

 主神が椅子から飛び降りて、二人に口を挟む。

 

 「スキルの影響じゃ。魅了効果がしっかり作用しておるのじゃろう」

 

 リリは肩を竦めてから牢屋の片隅に置かれていたバックパックを背負った。それを見た命も装備を拾い上げ、一つずつ装着していく。

 

 「迷宮探索か、二人とも。私は一人になるのが、寂しい」

 

 主神は顔を伏せ、憐れみを誘う口調で呟いた。だが、二人は仕方がないと彼女を説得する。

 

 「復讐に燃える役目を演じているのですよ、リリだってお傍にいてあげたいです。でも、今は強くならなければいけませんから」

 

 「その通りです、テルクシノエ様。自分はもっと強くなって、あの方の役に立つ刀になりたいのです」

 

 「もちろん、分かっておる」

 

 ちょっとした発言の過ちを隠すように手を上げ、テルクシノエは大人しく二人を見送ることにした。それから誰も居なくなってしまった牢屋の中で、テルクシノエは一人で泣き始めた。

 

 額縁のかけらをその手に握りしめながら。

 

 

 ハムザはレヴィスを連れてメイン・ストリートを歩き、まず御者を捕まえた。二頭の馬に引かれて街を北上していく。その間、二人は一言も発することはなかった。やがて目的の場所に着くと、御者は二人に降りるように言った。

 

 「着きました。『青の薬舗』でがす」

 

 馬車から下り、ハムザは御者にちっぽけな銅貨を投げて渡した。

 

 「ご苦労。じゃあな」

 

 「ま、待ってくだせぇ。足りないでがす、旦那様」

 

 突然ハムザは沸騰した。

 

 「何だと!?畜生め、お前らみたいな仕事にはこれでも多いくらいだ!ねじれっ鼻の、不細工じじいめ、お前は馬糞野郎だ、便所コオロギだ、側溝で暮らすドブネズミ野郎だ!金が欲しいってのか?冒険者様が命を賭けて稼いだ金が欲しいってのか?ならくれてやる、この下衆め、くたばりやがれ!」

 

 あらん限りの罵声を浴びせてから、ハムザは銀貨一枚を御者に向かって投げつけた。あまりの剣幕にすっかり怯え切った御者は、銀貨を受け取らずにそのまま馬を走らせて逃げてしまった。

 

 「…何をしている?」レヴィスはハムザの激昂の意味が解らず、不審な目つきで彼を見つめていた。

 

 「あいつは私達をここまで運んだ。その対価を求めるのがそんなにおかしいか?」

 

 ふん、とハムザは口を吊り上げる。

 

 「もちろん、おかしいのだ。俺はあいつの仕事ぶりを一ヴァリスと評価した。だがあいつはその百倍も求めてきやがった。おかしいではないか」

 

 それ以上、レヴィスは何も言わなかった。納得した様には見えなかったが、ハムザはさっさと先へ歩き、数軒先の『青の薬舗』の扉を思い切り開いた。

 

 「ナァーザはいるか!」

 

 びくっと肩を跳ねさせた犬人のナァーザが、レジ台の向こうから寝ぼけたような目でこちらに振り返った。

 

 「いらっしゃ~い……」

 

 頭の上に乗った茶色い垂れ耳を動かしながら、ナァーザはせっせと帳簿をつけている。大股で彼女まで近づいたハムザは、素早い動きで無理矢理彼女の唇を奪った。

 

 「っ……!?」

 

 突然起きた強引なキスに驚いて、ナァーザはハムザの頬を引っ叩こうと右手を振り上げた。だが、ハムザはその手を掴み取り、ナァーザを無理矢理椅子から引きはがし、両手に抱えてから彼女の体を床に落とした。

 

 「きゃあっ…」

 

 背中から床に落ちたナァーザは体を起こし、恨めしそうな目つきでハムザを睨んだ。しかし、その頃には既にハムザの下半身は何も身に着けていない状態となっており、彼女は赤面すると同時に目を伏せ、たどたどしい口調でズボンを履くように命令した。

 

 もちろんハムザにはそんな命令を聞くつもりなど毛頭なく、股間を下品にぷらぷらと揺らしてみせてから、ナァーザのふわふわした毛並みの頭の上に置いた。その時、ただただ傍観しているだけだったレヴィスの口元に、はっきりとした嫌悪の色が滲んだ。

 

 「お前は何をしている?何のためにここへ私を連れてきた?お遊びがしたいのなら、一人でしろ。お前の子供じみた遊びに付き合うほど、我々は暇ではない」

 

 「我々はだと!?」

 

 股間を揺らしながらレヴィスへ近づいて、ハムザは彼女の首を掴んで叫ぶ。

 

 「お前は怪物だ!俺たち人間と一緒にするんじゃない。俺といるのが嫌ならどこへでも行ってしまえ。フィンやらアイズやらに捕まって、バラバラにされてしまえ。誰のお陰で生き延びていると思ってる!?よく覚えておけ、俺がお前の主人だ。俺の物だ!」

 

 首に伸びた手を思い切り弾き、レヴィスは鎌首を上げる毒蛇の様に殺気を纏う。

 

 「お前は勘違いをしている。私が生かしてやってるのはお前だけではない。お前のファミリアもだ。私がその気になったら、お前に親しい者を一人残らず殺し、怪物の餌にすることも出来る。何故私がそうしないのか、分かっているのか?」

 

 「当然のことを言わせるな!お前はもう俺の物だ。お前の体、お前の考え、お前の将来は全部俺の物だ。いい加減気づいたらどうだ、俺について来い。そうすればお前の望みも叶えてやる。お前がオラリオをぶっ壊したいのなら、俺がぶっ壊してやる!」 

 

 床にへたり込んでいたナァーザが、「わぁ…」と小さく声を出す。ハムザのプロポーズにも似た発言に目を輝かせながら。レヴィスは顔をしかめ、何かを言おうと口を開き、閉じ、また口を開いてから閉じて、そのまま無言になってしまった。

 

 「立場が分かったなら、そこで見ていろ」そう言ってからナァーザの体を抱えて起こし、服を脱がし始めた。ナァーザは嫌がる素振りを見せず、期待の籠もった熱い目つきでされるがままとなっていた。

 

 ナァーザを四つん這いにして、濡れていない秘部にペニスをねじ込んだ。可憐な顔を苦痛に歪めるも、彼女はハムザを受け入れる。強く、早く腰を振り続け、ナァーザの尻尾を掴んで引っ張った。

 

 「やぁ…ちょっと、ハムザ。強引すぎ……」

 

 相手にまったくペースを合わせず、ただ自分の快感を得る為だけに腰を振っていく。だが、ナァーザの言葉とは裏腹に、秘部は確実に濡れ始めていた。深いストロークで思い切り奥まで突いて、ナァーザの柔らかい尻を叩く。ぱちん、という通った音が薬舗に響く。

 

 「――このっ!――淫乱の!――犬めっ!」

 

 ナァ―ザは喜びに溢れた声で「きゃん」と鳴いた。叩いた箇所が赤く腫れていく度、膣内は潤いに満ちていく。彼女のくびれた腰を両手で掴み、今までよりももっと激しく腰を振る。すると、次第に射精感が高まってきた。

 

 「…よしっ、ご褒美だっ!どこに欲しいか言ってみろ」

 

 「…いっぱい、中に…出して?」

 

  再び形の良い尻を叩いてから、思い切り精液をナァ―ザに注いでいく。射精の深いストロークを重ねる度、彼女も体を震わせて絶頂していた。

 

 「ふぅ……」

 

 出したものが溢れる秘部からペニスを引き抜き、ハムザは傍で行為を見続けていたレヴィスを呼んだ。

 

 「飯が食いたいと言ってたな。これが飯だ。舐めとれ」

 

 「ふざけているのか?これは食事ではない」

 

 「ふざけているのはお前だ!俺がそうだと言ったらそうなんだ!いいからさっさとしゃぶれ、レヴィス。俺が主人で、お前は奴隷だ。その綺麗な顔を汚すのも俺の自由、お前のうまそうな体を犯すのも俺の自由。分かったらさっさと舐めろ、分からず屋のこんこんちきめ」

 

 無言のまま近づいてきたレヴィスは、ハムザの股間の前でひざまずき、きゅっと結んだ口元を開いてそれを口に含んだ。

 

 無表情のまま眉一つ動かさずに舌を這わせていく。淫靡な行為と、彼女の扇情的な体つきも相まって、ハムザの股間は萎れるどころか硬さを取り戻した。それからレヴィスの口内を犯していく。

 

 ナァーザは起き上がり、表に『閉店』の札を下げた。尻尾を振りながらレヴィスの横に座り込み、彼女もまた欲しがるように股間を咥え込む。

 

 二人の美少女に愛撫され、思わず気の抜けた声が出る。レヴィスの舌使いはあまり積極的とは言えないが、そんなぎこちなさはかえって支配欲を満たしたし、ナァ―ザの積極的な奉仕もまた然りだった。気分が満たされたまま射精し、二人の美しい顔を汚すため、あらん限りの量を発射していく。

 

 「ふふ……」

 

 べっとりとした白濁液を指で絡め取りながら、ナァ―ザは怪しげな笑みを作る。レヴィスは嫌悪の色を浮かべながらも、凛々しい表情を崩さず精液を口に含んでいく。

 

 「どうだ、今日の飯は美味いだろう」

 

 レヴィスは首を振って答える。「お前は滅茶苦茶な男だな。まるで台風のような奴、こちらの手の届かない所で暴れまわる」

 

 ズボンを履き直しながら、精液をすくい取っては舐め取っていくレヴィスに答える。

 

 「俺が聞いたのは、美味いか不味いかだ。答えてみろ、あんぽんたん」

 

 「……美味くはないな。だが、経験値にはなる」

 

 「まぁいいか。ナァーザ、邪魔したな。行くぞじゃじゃ馬」

 

 立ち去ろうとするハムザに、ナァーザは「待って」と声を掛ける。

 

 「……私はハムザの、なに?」

 

 答えづらい質問が飛んできたが。ハムザは即答した。

 

 「俺が剣なら、お前は鞘だ。したくなったら訪ねて来るんだぞ、それと怪しい薬を作るのはやめろ」

 

 「そっか…ふふ…ふふ」

 

 ふらふらと立ち上がり、ナァーザは服を直してからレジに座った。レヴィスの顔にはまだ白い物が付いたままだったが、そのまま彼女の手を引き店外へと引っ張っていく。

 

 背中で、ナァ―ザの声が聞こえてきた。

 

 「また来てね〜…」

 

 

 それから二人は食事を取るために店に入った。だが、ハムザは席に座って一分で立ち上がり、「飯が来るのが遅すぎる」だの「装飾が気に入らない」だの難癖を付け、罵声を浴びせてから外へ飛び出した。腹を空かせていたれヴィスは心底がっかりしたようで、再び訳も分からず沸騰するハムザを相手に、少々疲れを見せ始めていた。

 

 今度は馬車を借りずに、ハムザはメイン・ストリートをどんどん進んでいく。きっとどこかで【ロキ・ファミリア】の監視役が目を光らせていると思うと、レヴィスは緊張を緩めることが出来なかった。もしここで『アリア』と出会うことになれば…命を捨ててでも殺さなければならない。だが、果たして今の状態で可能なのだろうか?今の自分は能力が落ちてしまっているし、単純に空腹のせいであまり力が湧いてこない。

 

 食事をしたいとハムザに言っても、帰ってくるのは罵詈雑言の嵐だったので、レヴィスはすぐに諦めた。どこかから食べ物を盗むにも、こんな往来の多い道で騒ぎを起こせば、すぐに【ロキ・ファミリア】が飛んでくるだろう。結局レヴィスは何もすることが出来ず、ただハムザの背中を追い続けた。

 

 するとハムザがすれ違う住人とぶつかった。大声で罵声を浴びせ、剣を引き抜いた。

 

 「ぶっ殺すぞ!ゴキブリ野郎、俺の前を歩いていいのは俺の影だけだ!」

 

 貧相な男は有名なLv.2の冒険者に喧嘩を売られてしまい、しわくちゃに顔を歪めて平身低頭平謝りを続ける。だが、ハムザの怒りは収まらない。

 

 「軟弱な烏賊野郎め、穀潰しめ、税金泥棒め!誰のお陰でのうのうと生きてこられたと思ってる?冒険者様の死にもの狂いの迷宮探索のお陰で、マスターベーションが出来るってのが、分からんのか!?謝るつもりがあるのならお前の全財産を持ってこい、さもなくば今ここでぶっ殺してやるぞ、このゴミ虫、蛆虫、サナダムシ!」

 

 次第に人だかりが出来ていく。レヴィスはフードの奥に出来るだけ顔を引っ込めながら、ハムザにこっそりと耳打ちをした。

 

 「…目立ち過ぎだぞ。もう許してやれ」

 

 「なんだと!」ハムザはレヴィスに食って掛かった。

 

 「ご主人様に命令するだと!?お前はそれでも俺の奴隷か、言ってみろ!俺が悪いのか、こいつが悪いのか」

 

 言葉が思わず口の端から出掛かったが、すんでの所でそれを飲み込み、レヴィスはゆっくりと口を動かした。

 

 「そいつが悪いな。それは当然だ。だが…それ以上は可哀想だろう。引き下がれ」

 

 ふん、と大きく鼻を鳴らしてから、ハムザは男に背を向けた。

 

 「雑魚が命拾いをしたな。次はないと思え」

 

 再び大股で広い街道を突き進むハムザを追いかけながら、レヴィスは先程の言葉を振り返り、自問自答する。

 

 (――この私が、あんな男に『可哀想』だと?憐れんだと言うのか?いや…そんな筈はない。オラリオへの復讐、『アリア』の抹殺…私の願いは、一寸たりともブレはしない)

 

 

 続いて二人はギルドに足を運ぶ。受付で忙しそうに書類と格闘しているエイナを無理やり呼び出し、人通りのない暗い階段の踊り場で、彼女を犯した。されるがままに膣内に射精され、ハーフエルフ特有の端正で柔和な顔を汚された。だが、そんなハムザの積極性はむしろエイナを喜ばせたらしく、「こういうプレイも、嫌いじゃないわよ」と前置きをしてから、彼女は去り際に呟いた。

 

 「【アポロン・ファミリア】はどうもきな臭いのよねぇ。つついたら、他にも色々出てきそう。今、その調査で忙しいの。あまり邪魔はしないでね?悪くはなかったけど」

 

 

 ギルドを出て【ヘファイストス・ファミリア】の工房群へ向かう途中、空が夕焼けで染まっていった。レヴィスは思わず空の美しさに感嘆を漏らすが、その小さな吐息は冷たい風に乗って消えていく。一際目立つ工房に辿り着くと、入り口の前で女神ヘファイストスと団長の椿が何やら言い合っていた。

 

 「まったく、だから出費は抑えろと手前は忠告したんだ。あんな若造達に打つ武具に、どうして大金を注ぎ込んだのだ?」

 

 二人の足音が聞こえた途端、ヘファイストスは「あら」と相好を崩す。代わりに椿は額に手を当て、呆れたように溜め息を吐いた。

 

 「ようやく来たのね、待ちくたびれたわ。さぁ、入って。素晴らしい装備が出来たわよ。もっとも椿は気に入らないみたいだけどね」

 

 「当然だ。主神様が下手にやる気を出したせいで、ファミリアの無駄な出費が増えた。部下達が汗を流して作ったお金を自己満足に使ったものだから…手前にはどう彼らに弁明したらいいか、何も言葉が思いつかない」

 

 和風の装備に身を包み、黄昏れた目つきで夕日を眺める椿の姿からは、言いようのない哀愁が漂う。彼女をその場に残し、二人は工房の中に入った。

 

 「これよ、どうかしら?」

 

 高級な絹に包まれたそれぞれの装備は、見ただけで見事な出来栄えだと分かった。ヘファイストスはまず『魔猿の防皮』で出来たローブを手にとって、広げて見せた。

 

 「素材が持っていた能力を上昇させるために、迷宮産の透閃石(トレモライト)を主軸に、沢山の繊維をモザイク状に織り込んだの」

 

 満面の笑みで鍛冶の神は説明を続ける。

 

 「少しだけど、襟元の素材にはオリハルコンを使ったわ。九割の灰色と、一割の赤。綺麗でしょ?デザインのイメージはあの小人族ちゃんにぴったりの、灰と炎よ。軽いだけじゃなく、一定ダメージ以下無効と、呪詛耐性、異常耐性が付与されるているわ」

 

 「…名付けて『不沈の外套(マンティヤ・グーシアナ)』」と笑みを向ける女神に、ハムザは吐き捨てた。

 

 「20点だな。その刀はどんな具合だ?」

 

 ヘファイストスは思わぬ返答に顔を引きつらせたが、200点の聞き間違いかも知れないと思ったらしく再び笑みを作り、絹布に包まれた刀を披露した。

 

 「これは凄いわよ?『悪夢の冷爪』を加工するのは、かなり難しかったの。強烈な冷気を秘めているせいで、火にくべても全然変質しないんだもの。だから、暗闇に溶ける性質を利用して引き伸ばしていったわ。強い魔力を含んでいたから、他の素材をミスリルにして魔力伝導率を最大限まで高めたわ。黒い刀身に刃紋は数珠刃、鞘の素材は全部オリハルコン」

 

 再び「どう?」と笑みを向ける女神だが、ハムザはあまり内容が理解出来なかったので、無言のまま近くの椅子に腰掛けた。

 

 「説明が長すぎる。簡潔でいい」

 

 あらそう、と言ってからヘファイストスは一度レヴィスに目を向けたが、すぐに説明を続けた。

 

 「端的に言えば完璧なバランス、鋭い切れ味。暗闇で変質する能力に形状記憶能力を併せ持つから、研ぎ知らず。刃こぼれしたら鞘に収めること。そうすればすぐに切れ味が元通りになるわ。でもデメリットがあってね、無限の切れ味を維持するには使用者の魔力を吸い続けるから…使い続ける場合は注意が必要ね。名付けて、『死霊剣』」

 

 「30点だな。それで俺の武器はどうだ?」

 

 やはり低い点数を与えられたのだと知ってショックを受けたヘファイストスはよろめいた。それから顔を口元をひくひくと痙攣させながら最後の武器を手に取った。

 

 「『宝剣アルマス』ね。これはまぁ…二つの素材を合わせて宝石を散りばめただけなんだけど…。冷爪をあえて柔らかい状態で固定するために、防皮の繊維だけを取り出して二つを組み合わせてみたの。防皮の絶対防御と冷爪の魔力が重なりあって、超高品質な冷気属性の剣になったわ」

 

 ヘファイストスはハムザの反応を伺いながら、更に説明を加えていく。

 

 「鎧の方も手を加えて改良しておいたけど…えっと、うん。そうだった。元々呪詛の使用者しか着れない性能だったみたいでね、あの鎧は。呪詛持ちの特殊な魔力にだけ反応して、能力を発揮するのよ。だから、その効果を高めて、傷を直して…。防御力、耐久力、対異常、対呪詛、ついでに対魔法。全部の数値をひと桁くらい上げておいたわ」

 

 「それと新しい剣も、呪詛の魔力に呼応するようにしてあるから、貴方以外の誰かが持っても、ただのぬるぬるした剣にしかならない」

 

 そう言ってからヘファイストスはハムザに剣を手渡した。暗闇のような刀身がゆらゆらと動いていて、近づくだけでもその冷気を感じることが出来る。手に持ってみると素晴らしいバランスで、柄がよく手に馴染んだ。一度振ってみると、黒い影が残像となって空気を凍らせた。霜がぱらぱらと地面に落ちる。今まで見たこともない、本当に素晴らしい武器だった。

 

 鞘に剣を収め、それを腰に佩いた。もう二つの武具を女神から受け取って、捨て台詞を残す。

 

 「出来栄えは最悪だが、仕方がないので使ってやろう」

 

 「そ、そんな…。非道いじゃないの。私は一週間も寝ずに頑張ったのよ?」

 

 「関係あるか。偉大な作品は全て不眠不休の労苦が払われて当然だ。まぁ、悔しかったら次は俺が満足する武器を打ってみろ。鍛冶の神が、聞いて呆れるぜ。良い物を提供できなかったお詫びに…そうだな。おっぱいを揉ませろ」

 

 「えっ…」

 

 意味がわからないと固まるヘファイストに素早く接近し、ハムザは女神の胸を揉んだ。形の良さが服の上からでもよく分かった。そのボリュームもかなりのもので、人間にはない素晴らしい揉み心地は、まさに神がかっている。いつまでも触っていたいと思える胸だ。

 

 「ちょっと…なによ。あんっ」

 

 まんざらでもない表情で受け入れていたヘファイストスだったが、急に何かを思い出したように手を振り払い、張り手を食らわせようとした。

 

 その張り手をさっと避け、くるりと背を向けてレヴィスに合図してから二人は既に暗くなった外へ出た。

 

 「もう…何よ。変な子ね」

 

 取り残されたヘファイストスは一人で溜め息を吐き、ドキドキと高鳴る鼓動を静めるよう、胸に手を当てて呼吸を整えようと努めた。

 

 

 

 「私が手塩に掛けて育てた強化種の武器…これ以上素晴らしい武器はない筈だが」

 

 帰路を歩きながら、レヴィスは後ろからハムザにそう言った。だが、相変わらず帰ってくる言葉はいつもの調子だ。

 

 「お前は何も分かっていないな?俺が悪いと言ったら悪いのだ。見ろ、あれは太陽だ。夜なのに太陽、だが何もおかしいことはない」

 

 「気でも狂ったか?」

 

 「俺がそうだと言えば、月も太陽になる。わかったか」

 

 「私が分かったのは、他の人間はまともで、お前だけがずっとふざけているという事だけだ。おふざけで迷惑を掛けるお前は、無目的という点では私よりも悪質だ。私も人を殺す。だが、ちゃんと意味がある。私にもちゃんと節操はあるが、お前にはそれがない。全てが気まぐれのおふざけだ。それが気に入らん」

 

 「俺だけがふざけていると言うのなら、この世は気違いだらけだ。唯一まともなのは俺くらい、残りは阿呆と馬鹿で溢れていることになる。お前がそのことを理解出来るように、しっかり面倒を見てやるとしよう。それまでは寝ない、食べない、休まない。お前が理解するまで、ずっとな」

 

 

 ●

 

 それから数日の間、ずっとハムザはレヴィスを連れ回しては人々に非道い仕打ちを重ね続けた。料理人が運んできた豪華な料理を机ごとひっくり返すのは毎度のこと、薬屋でポーションを叩き割り、武器屋で剣を折り、レヴィスが休もうと横になった傍から叩き起こし、無目的に街を歩き続けた。

 

 その間【テルクシノエ・ファミリア】はギルド地下の牢屋を離れ、オッティー・スタンコが授けた図書館へと居を移した。リリと命は二人で迷宮に行っては武具の性能を確認し続け、またテルクシノエは神会への出席を拒み続け、大聖堂の地下図書館から一歩も外には出なかった。

 

 アポロンが神会でテルクシノエの代理を務めるロキに対し戦争遊戯を申し込んだが、却下されたという噂がハムザの耳に入り込んできていたが、ファミリアのメンバーは誰もそれを気にはしなかった。こちらが準備しているのは遊戯などではなく、本当の戦争だからだ。

 

 また、テルクシノエ一派の取り巻きも行動を開始していた。

 

【タケミカヅチ・ファミリア】は、旧大聖堂の入り口を自主的に見張り始めたし、【ミアハ・ファミリア】のナァーザもこちらに一時的に拠点を移し、そこで掃除を始めていた。

 

 ある夜、レヴィスを連れ回して戻ってきたハムザは、地下図書館の一角で小さくなっているテルクシノエを見つけ、声を掛けてやった。

 

 「万事順調だ、神様。元気出せよ、それからステイタスの更新も頼む」

 

 仕方がないと顔を上げた女神の目元には、はっきりとクマが出来ていた。昨晩も泣きはらして過ごしたに違いない。この女神の額縁に対する執着心は、想像を絶する程のものだったらしい。

 

 羊皮紙に共通語へと訳されたステイタスを写し、テルクシノエはさっさと机の下に潜り込んだ。絨毯の上に寝転んで布団を被る。随分と奇妙な場所に寝床を構えたものだ。

 

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 ハムザ・スムルト

 

 Lv.2 力:【F】378 耐久:【G】289 器用:【G】230 敏捷:【G】208 魔力:【G】277 

 

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

「あまり伸びてないなぁ」

 

 自身のステイタスシートをしげしげと眺めながら、ハムザは長机に腰掛けた。年季の入った机には、染みやら傷跡やらが付いている。羊皮紙を置き、破かないように注意深く羽ペンで文字を書き入れ、力の数値を『1378』にしてみたが、虚しくなるだけだったのですぐに止めた。

 

 やはり高レベルの美女を狙うしかないらしい。だが、リヴェリアは難しい。レヴィスを引き連れて【ロキ・ファミリア】の本拠に行くのは自殺行為だし、レヴィスを置いていくのは気が引ける。現在じゃじゃ馬慣らしの真っ最中なため、完遂するまではこの仕事を放り出したくなかったからだ。リヴェリアが難しいとなれば、残るはアスフィか。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 -決闘の瞬間に-

 

 皆が寝静まった深夜のこと。

 

 ハムザがローブを着こんだ正体不明の女性と行動しているのを、アイズは遠くから見張り続けていた。フィンの命を受け、三日三晩諜報活動を続けていたアイズだったが、本当にあのローブの女が【怪人】なのかどうか確信が持てずにいた。屋根から屋根へと飛ぶように移動し、煙突の影に隠れながら二人の行動を追い続けるが、二人は酒場へと入り込んでしまう。

 

 ――本当に、あれが【怪人(クリーチャー)】?

 

 迷宮で出会ったあの女は、破壊の申し子さながらに全てを蹂躙し、自分でさえ打ち負かした。あの瞳に燃える復讐の炎や言葉の端々から迸る憎悪の刃が、いつの間にか人間と共存出来る程には丸くなってしまったと言うのだろうか?

 

 いかにハムザと言えども、それは不可能に思われた。あの女は、人類の敵。怪物側の存在であり、決して受け入れるべきではない存在。今すぐ酒場へ突入して、ローブを脱がしてやり、もしも本当にあの【怪人】であれば……斬り捨ててしまいたい。

 

 アイズは必死にその衝動を抑え込んだ。はやる鼓動を落ち着かせるように深呼吸をしてから、ううん、と首を左右に振った。

 

 (ロキに止められてる以上、手出しは出来ない……)

 

 神であるロキが幹部達に下した決断は、傍観することだった。捕虜となった【怪人】が実際に被害を出すまでは、傍観を徹底すること。それがロキの神意であり、同時にそれは、ハムザへの絶大なる信頼の表れでもあった。当然、団員は反発する。しかし、そんな反発は歯牙にもかけないと言う軽い調子で、ロキはこう言ったものだ。

 

 『ま~、何とかなるやろ』

 

 フィンは団員達の不満を代弁するように、常々怪人に関する決断に苦言を呈し続けるが、依然として女神の態度は変わらないまま。そしてその女神の態度が一日、また一日と続いていくに連れ、アイズはどんどん不安になっていった。

 

 本当にあの女が丸くなり、地上で人間のように暮らし始めたら……自分は一体どうすれば良いのだろう?それにもし、あのローブの女が【怪人】だったとしたら…ロキの判断は正しかったということになる。つまり、ハムザがあの女の懐柔に成功したということだ。

 

分からない。あの女ともう一度対峙するまでは。本当に『敵』なのかどうか。そして、『敵』だったとしたら。

 

 どうやって自分を押さえつければいい?

 

 ダメだ…とアイズは肩を落とす。

 

 月夜の宵闇が深まるに連れ、不安も大きくなっていった。ようやく、酒場から二人が出てきた。何か非道い仕打ちを受けたのか、店内に向かって怒鳴り散らしている。

 

 ローブの女は従者のように付き従い、怒れるハムザの背中をぼんやりと見つめていた。足取りはフラフラで、かなり消耗しているようだ。あれが【怪人】なら、確実に討ち取れるのに……。それから二人はメイン・ストリートを下り、深夜のオラリオをどんどん進んで行った。

 

 二人を追いながら、アイズはフィンの言葉を思い出す。

 

 『――彼らはアポロン・ファミリアとのいざこざを抱えている』

 

 『――戦争遊戯を受けるまでに、【怪人(クリーチャー)】を懐柔して戦力にしたいということだろう』

 

 その考察は間違っていないのだろう。しかし、そうするとアイズには分からないことがある。

 

 あのローブの女が【怪人(クリーチャー)】であり、ハムザが彼女を懐柔しようとしているとして…一体全体、どうしてこんなに無意味な行動を取り続けているのだろうか。

 

 三日三晩外へ出歩き、喧嘩を吹っかけたり、怒鳴り散らしたり、人に迷惑を掛ける行為ばかりを行っている。その行動に、どんな意味があるというのだ?そんなことで、【怪人(クリーチャー)】が心を入れ替えるとでも?

 

 そんなことをするくらいならば、ハムザのスキルの魅了効果で操る方がもっと効率的だと言うのに。アイズには分からないことばかりだった。二人を追いながら考えに考え続けたが、やはり結論は出ない。

 

 【ヘルメス・ファミリア】に入っていく二人の背中を見届けてから、アイズは諦めたように背を向けて呟いた。

 

 「…もう、かえろう……」

 

 

 

 アスフィを訪ねたハムザは、彼女に居室で待つように告げられた。フラスコやビーカー、秤などが整然と置かれている部屋でレヴィスと二人で待ち続けていると、ようやくアスフィが扉を開いて中へやってきた。艷やかな水色の髪を揺らしながら、軽い足取りで、纏う衣服はごく僅かだった。

 

 アスフィの瞳はレヴィスを咎めるように射抜いたので、ハムザは彼女に説明しなければならなかった。

 

 「こいつは俺の奴隷だ。どこに行くにも従わせてる。大丈夫、悪さはしないし、セクロスの邪魔もさせない」

 

 「それなら良いですけど」淡々とした口調でそう言ってから、彼女は薄いビロードのような肌着を脱いだ。見事な裸体を臆面もなく晒すアスフィは、艶かしく首に腕を絡めてきて、燃えるような視線を送る。だが、ハムザの目元に大きなくまが出来ているのを見つけ、絡めた手を解き、怪しい薬品を手に取った。

 

 「疲れているなら、この薬を飲みなさい」

 

 紫色の回復役を飲むべきか飲まざるべきかと悩むハムザの背を、彼女は押してやる。

 

 「精力剤と回復薬の混合薬です。大丈夫、体を壊したりはしませんよ」

 

 本当だろうか?だが、レヴィスがじっとこちらを見ている以上、びびって飲まないという訳にもいかないので、思い切って飲み干した。

 

 

 ………気がつけば、ハムザは真っ裸になり、大の字でベッドに横たわっていた。股間にねっとりと液体が絡みついており、ピリピリと痛んだ。おまけに頭がガンガンと痛む。水色の壁に寄りかかったレヴィスがハムザが目を覚ましたことに気が付き、ゆっくりと近付いてきた。

 

 「ようやく起きたか。あの女は仕事があると言って出ていった」

 

 額に手を当て、ひどい二日酔いのように鳴る頭を押さえつけながら、ハムザは溜め息を一つ吐いてから起き上がった。

 

 「一体何が起きたんだ?」

 

 「どうもあの薬は、強烈な精力剤だったらしい。お前は疲れのせいもあってか、ショックで気絶したようだ。だがあの女は気にも留めていなかった。何度も射精させ、精液をビーカーに集めていった」

 

 アスフィめ、と悪態を吐くハムザだったが、今更後悔しても仕方がないので服を着直してから外を眺める。もう深夜のようだ。暗い夜に星星が輝き、大通りには人影がまばらだ。アスフィには一本取られたらしい…しかしレヴィスは随分おとなしくなったようだ。これならもう、次のステップに移る頃合いかも知れない、とハムザは考える。

 

 「気持ちの良い朝だな」

 

 真っ暗闇の外を見つめて伸びをするハムザを、レヴィスは壁によりかかり、腕組みをしながら怪訝そうに眺めていたが、やがて口元を緩めて言った。

 

 「………よく眠れたか」

 

 「まだ寝足りない。こっちへ来い」

 

 ベッドに腰掛けて、ぽんぽんと隣を叩く。数秒間ためらいを見せたレヴィスは、背中を壁から離し、ゆっくりと近付いてそこへ腰を下ろした。曲線美を誇る体つきは散々セクロスをした後でなければ、襲いたくなるほどに魅力的だった。さらさらとした赤い髪の毛も美しく、刃物のように鋭い素の表情も、それが自分には無害だと思えば可愛いものだった。

 

 「俺が眠るまで隣にいろ。俺が眠ったら、お前が寝ることを許す。奴隷は主人が心地よく眠れる様に、常に気配りをするものなんだ」

 

 横になるハムザを不思議な目つきで眺めながら、レヴィスは小さく頷いた。

 

 「お前がそう言うのなら、そういうことにしてやろう」

 

 

 『【アポロン・ファミリア】が【テルクシノエ・ファミリア】に戦争遊戯(ウォーゲーム)を申し込んだらしいぞ』

 

 ギルドのロビーは多種多様の種族でごった返していた。様々な職種の冒険者達が、クエストを選び合ったり公表された他派閥の情報が張り出される掲示板を眺め合ったりしながら、噂話に興じていた。

 

 『噂のテルクシノエ一派か…。アポロン一派に狙われるとは、可哀想なもんだ。世の中目立たない方が見のためだな』

 

 移ろいがちな世間の噂話は、もっぱらこの話題で持ちきりだった。有名な【アポロン・ファミリア】が新進気鋭の【テルクシノエ・ファミリア】に喧嘩を吹っかけた。その行く末がどうなるのか、お互いの次の一手は何なのか、そして自分達の生活にどのような影響が及ぶのか。冒険者達はギルドで、酒場で、ファミリアの本拠でそれぞれが意見を述べあっていた。当然、【アポロン・ファミリア】が一方的に弱小派閥のテルクシノエ一派を蹂躙するというのが、大方の見解だった。

 

 そんな噂好きの冒険者達を、半ば当事者でもあるエイナはつまらなそうな表情で眺めていた。それもその筈、最近持ち上がってくる仕事と言えば、殆どがアポロン一派の調査だったのだ。テルクシノエ一派の本拠破壊の被害届が提出されてからというもの、所長ロイマンは他の仕事の一切をシャットアウトし、しつこくアポロン達の怪し気な動向を職員達に嗅ぎ回らせている。

 

 そしてその調査は実を結びつつあった。不自然な人の動きが【アポロン・ファミリア】には存在し、どうもそれは違法な人身売買のように思われた。聞き込みをするに連れ、アポロンの黒い噂は湧き水のように溢れてくる。未だ確たる証拠は掴めていないものの、ギルドは既にアポロンへの見解を改めていた。

 

 つまり――オラリオ屈指の実力派という今までの評判は崩れ、違法な奴隷売買を通じて溜め込んだ利益を無申告のままにしている、巨大な脱税組織であり犯罪者集団。

 

 【アポロン・ファミリア】は、世間が思うほど立派な派閥ではない。エイナには、もうすっかりその事実が分かっていたから、冒険者達が畏敬の念を込めて彼らについて言及するのを聞くと、どうにも歯がゆい思いがしてならなかったのだ。

 

 つまらなそうに頬杖を付き、唇を結んだままぼんやりとしていると……ロビーがざわめいた。

 

 人だかりをかき分けるようにして現れたその人物に、エイナは思わず息を飲んだ。

 

 「―――リヴェリア様っ…」

 

 「壮健だったか、エイナ。久しぶりだな」

 

 【ロキ・ファミリア】幹部、王族であるリヴェリアの突然の来訪に、エイナは思わず身をこわばらせて口元に不自然な笑みを作る。だが、そんな彼女に優しく声を掛け、リヴェリアはリラックスするように言った。

 

 「単刀直入に言う。【テルクシノエ・ファミリア】の本拠が知りたい」

 

 「えっ…?」

 

 思わぬ発言に時を止めるエイナだったが、すぐに受付嬢の規則が頭を過った。

 

 (他派閥の情報は絶対秘匿…違反した場合は最悪停職処分が科される…けど)

 

 相手が王族だしなぁ、とエイナは困った顔で返答に窮していた。

 

 「…実は【怪人(クリーチャー)】の件でアイズがハムザを尾行していてな。だが、昨晩から姿が掴めない。ロキは懸念している。【怪人(クリーチャー)】が脱走したのではないか、とな」

 

 「また…脱走ですか?」

 

 「そうだ。彼らの本拠に行ったが、もぬけの殻だ。依然として【怪人(クリーチャー)】の所在も不明。もしも脱走であった場合、オラリオはすぐに戦場となる。最悪、住民にも死者が出るだろう。…あの女は、御しきれるようなモノではない。何か対処をしなければならないが…その前に奴らの本拠を確認しておきたくてな」

 

 げぇっ、と息を呑むエイナ。ハムザはレヴィスに関して、絶対に大丈夫だと言っていたのに。ロイマンにしても、関わらないようにと忠告までしてきた。ギルドとしては脅威とみなしていなかった存在に対し、改めてリヴェリアの口からその危険性を指摘されると…対処しなければならない、とエイナは結論付ける。

 

 重大な危機が差し迫った場合には何よりも住人の安否を優先すべしという規則に従うことにして、エイナはリヴェリアにこっそりと伝えることにした。

 

 「…西南の旧大聖堂に拠点を移しています。なんでも、聖リシャール像を触ると地下への通路が開き、そこに女神テルクシノエは立てこもっているらしいんですけど…」

 

 翡翠色の瞳を細め、リヴェリアはゆっくりと頷いた。

 

 「世話を掛けたな、エイナ」それから背を向けて言った。

 

 「もちろん誰にも言うつもりはない。正直に話してくれたこと、感謝している」

 

 人だかりを避けるリヴェリアの顔は曇っていた。誉れ高い王族には似つかわしくない苦悶をたたえながら、メイン・ストリートを歩いて行く。

 

 (まったく、ティオナのやつ。心配だから様子を見てきて欲しいなどと、まさか私に頼むとは……。あの子の純粋さにも困ったものだ、まさかあのハムザを見初めてしまうとはな……)

 

 はぁ、と息を吐く。ハムザもハムザだ、とリヴェリアは頭を振る。

 

 (会いに行くと約束したのだから、会いに行けばいいものを。それに【怪人(クリーチャー)】の懐柔など、出来る筈がなかろう。お陰で嘘を吐く羽目になった)

 

 エイナから本拠の情報を引き出すために、リヴェリアはロキが【怪人(クリーチャー)】の脱走を危惧していると嘘を吐かなければならなかった。そうでもしなければ、真面目なエイナは何も喋ろうとはしなかっただろう。アイズが【怪人】を見失ったというのは事実だが、ロキはそんなことは気にも留めていないのだ。

 

 全ては恋に悩む少女、ティオナのため。ハムザに会い、彼女に会いに行くよう説得する必要があった。ついでに【怪人(クリーチャー)】の近況を探ることも出来るので、一石二鳥のつもりではあったが……あまり気乗りする役割ではなかった。

 

 (目に見える収穫もある…か。あの女がギルド地下に幽閉されているのであれば、エイナはあんなに焦らなかっただろう。つまりは、ローブの女が【怪人(クリーチャー)】であり、ハムザがあの女を何度も外へ連れ回しているというフィンの読みは、当たっていたと証明された訳だ)

 

 仕方ない、と王族は顔を上げる。すれ違う冒険者達がぽかんと口を開けながら自分を見つめているのを無視しながら、リヴェリアは西南地域に向かって歩き続けた。

 

 

 

 旧大聖堂の前には、極東風のパーティが座を占めていた。リヴェリアは大柄なリーダー風の男に端的に来訪の旨を説明した。

 

 「ハムザ・スムルトがここにいるなら伝えてくれ、リヴェリアが約束を果たしに来たと」

 

 口をへの字に結んだまま棒立ちしていたヒューマンの男は、横目で隣の少女に視線を送る。少女は頷いてから大男に言った。

 

 「【ロキ・ファミリア】であれば警戒する必要はないでしょう、桜花殿。ハムザ殿は、ロキ一派とも懇意だと聞いております」

 

 大男は腕組みを解き、道を開けた。

 

 「命がそう言うんなら俺はそれでいい。まぁ、正直言って【ロキ・ファミリア】がアポロン達に加担するとは思えんしな。さぁ、入りな、王族さん。中を掃除してるナァ―ザを呼べば、地下書庫に案内してくれるぜ」

 

 「済まないな、邪魔をする」

 

 正面の門はがたがただったので、開けるのに一苦労した。中へ入ると、割れたステンドグラスから光が差し込み、旧大聖堂には廃墟の様に不気味な空気が漂っていた。

 

 「……九魔姫(ナイン・ヘル)?【ロキ・ファミリア】がどうしてここに?」

 

 柱の陰からひょっこり現れた犬人(シアンスロープ)の少女が、こちらに警戒の視線を送っている。片手には埃を払う刷毛を持ち、マスクをしている。

 

 「ハムザ・スムルトに会いに来た。果たすべき約束があってな」

 

 「そう」と短く答えてから、少女は先を歩き始めた。そしてある石像の前で止まり、右肩を押し込んだ。

 

 背後で巨大な仕掛けが動く音がして、石棺が蓋を開き、地下への階段が現れる。

 

 「…ほう」思わず感嘆の声を漏らすリヴェリアをよそに、少女はゆるい口調で言った。

 

 「じゃ。私は上の掃除があるから。リリもハムザも、神様も下にいるよ。ばいば〜い」

 

 階段を下りて書庫に着いたリヴェリアは絶句した。

 

 円形の広間の壁面に沿って本棚がびっしりと並んでいる。天井の一部が塔のように伸びており、てっぺんには高窓が付いていて、そこから差し込む光が女神の石像を照らしていた。本棚には貴重そうな古い本が敷き詰められ、一番高いところは梯子でも使わない限り届かないような高さだった。

 

 長年生きてきた王族(ハイエルフ)であるリヴェリアにとっても、これほどまでに大規模な書庫を見るのは初めてだった。リヴェリアは思わず心を踊らせ、ずっとこの場所で本を読んでいたいと思っていた。

 

 すると中央に居並ぶ長机から声が飛ぶ。

 

 「よう、リヴェリアちゃん。いい所に来たな、ちょうど会いたいと思っていたんだ」

 

 ハムザだった。そしてその隣には……【怪人(クリーチャー)】が座っていた。

 

 「……っ」反射的に杖を構えるリヴェリア。だが、【怪人(クリーチャー)】はこちらにはまったく興味を示さず、パンを一かじりしてから呟いた。

 

 「【ロキ・ファミリア】か。私を捕らえに来たのか」

 

 「それはお前次第だ」それからリヴェリアは矢継ぎ早に言葉を重ねる。

 

 「お前…いや、本当にあの【怪人(クリーチャー)】か?」

 

 リヴェリアはレヴィスの表情に驚いていた。彼女はまるで牙が抜け落ちたような目つきをしている。以前戦闘した時とはまったくの別人のように変わってしまった彼女の姿に、リヴェリアは少なからず困惑した表情を作る。

 

 「私は変わっていない」パンをもう一つかじり、レヴィスは言う。

 

 「もう一つの役を手に入れただけだ」

 

 「意味が分からんが…まぁ、良い。ハムザ、お前に言っておきたいことがある。ティオナに会いに行け。彼女がずっとお前を待っている。約束をした以上、それは果たすべきだ。もしあの子に興味が無いのなら、はっきりとそう言ってやれ」

 

 あっ、と間抜けな声を出して、ハムザはリリを見た。リリは肩を竦めてみせる。

 

 「リリは知りませんよ。まだ会いに行ってあげてなかったんですか?」

 

 「すっかり忘れていたのだ」言い訳がましく弁明する。

 

 「色々あってな。アポロンの阿呆が余計なことをしたせいで、すっかり」

 

 机の下からぬっと現れた死人のように真っ青なテルクシノエが、怒った猫のような声を出す。

 

 「ポエブスめ…ポエブスめぇ」

 

 「動物園のように愉快なファミリアだな。ではな、話は伝えたぞ」

 

 帰ろうとするリヴェリアを呼び止めて、ハムザは言う。

 

 「折角だ、俺からも話がある。みな、悪いが席を外してくれ。二人っきりで話したいんだ。ナァ―ザの掃除でも手伝っていてくれ」

 

 団長にそう言われ、全員は階上へ行った。それから取り残されたリヴェリアを手招きし、ハムザは彼女に腰を下ろさせる。

 

 美しいエルフの姫を目の前にすると、さすがのハムザも少し緊張した。

 

 「あ〜。ごほん。俺は色々あって、この書庫を手に入れた。オッティー・スタンコの所蔵らしい」

 

 「オッティー・スタンコだと?」リヴェリアは言った。「あの伝説的魔導師か?」

 

 「そうだ。本来の姿はただのボケ老人だがな。とにかく古今東西、読みきれない程の本がある。中には魔導書(グリモア)もある。その全てを、お前にあげたい。俺は読まんからな」

 

 「気でも狂ったか?一体どこにこんな贈り物を受け取れる人物がいると思っているのだ」

 

 「知るか、そんなこと。読まんからあげる、ただそれだけだ。それに俺はお前とセクロスがしたいのだ。飛び道具でも使わん限り、それは一生叶わないだろうが?そういえばおっぱいもまだ揉んでいないな。揉ませろ、揉ませろっ!」

 

 ハムザは飛びかかった。リヴェリアは身を翻して避けるかと思われたが…意外なことに、目を瞑って胸を差し出した。

 

 「うほっ」

 

 柔らかい王族(ハイエルフ)の胸を揉めたことに感動していると、リヴェリアはすぐに立ち上がった。

 

 「これで約束は果たしたな」

 

 再び止めようとするも、ハムザの制止を聞かずにリヴェリアは階上へ行ってしまった。やり損ねたと後悔するハムザだったが、同時に手応えも感じていた。胸を揉むことが出来たのだ。少なくとも嫌われてはいないようだ。もう一度や二度アタックしてみれば、案外行けるかも知れない。

 

 王族(ハイエルフ)の胸の感触が蘇ってきた。今度は直で、もっと長い間揉んでやろう。そして滅茶苦茶に犯してやるのだ。想像すると俄然やる気が出てきたので、ハムザはレヴィスと一緒に外に出ることにした。

 

 【ロキ・ファミリア】と言えば二人居るではないか、アイズ・ヴァレンシュタインが。そしてレフィーヤ・ウィリディスが。ついでにアマゾネスのティオナもやってしまおう。しかし、レヴィスに関してひと悶着起こしてしまった後で、彼らの本拠に入れるだろうか?それにレヴィスを引き連れてフィンと出会ってしまったら、どうなるのだろうか?

 

 流石にレヴィスを引き連れて彼らの本拠地に行くのは気が引けるので、ハムザは訪問を諦めざるを得なかった。【ロキ・ファミリア】には今度一人で行けばいい。せっかくレヴィスという美人を手に入れたのだから、今はそれを失わないようにしたい。

 

 「……飯でも食いに行くか」

 

 

 【アポロン・ファミリア】の調教の間で、ダフネとカサンドラは顔を突き合わせていた。数日間続いた【テルクシノエ・ファミリア】の偵察任務を一旦切り上げ、丁度主神アポロンに報告をしたところだった。

 

 彼らは目論見通り旧大聖堂へ引っ越しをし、新拠点では他派閥が護衛を努めている。そしてハムザ・スムルトは一日中謎の女を連れ回しては、怒り狂い、性交に耽っている。性格は不安定な情緒型、無鉄砲、向こう見ず、無計画。しかし世間の噂を間に受ければ、実力だけはある冒険者――というのが、ここ数日の観察で見えてきたハムザの特徴だった。

 

 報告を受けたアポロンは二人に簡単な労いの言葉を投げかけてから、新しく入荷した奴隷の様子を見るように告げたのだった。

 

 「…あの子、元気かなぁ」

 

 カサンドラは自分が担当していた少年のことを思い出していた。少年はオラリオ外の好事家に買われると思われたが、どうやら街内の犯罪組織に売られたらしい。どちらにしろ、自分が未熟で我儘なばかりに、彼は不幸な運命を辿ってしまった。自分を責めるカサンドラの心の動きを読んだのか、ダフネは気遣いの言葉をかける。

 

 「今更後悔しても遅いわよ。そんなことより、次の奴隷をちゃんと見て上げなさい。ほら、綺麗な女の子じゃない」

 

 新しく充てがわれた奴隷は、年端のいかない少女だった。怯えた目つきで子犬のように震えている。

 

 「…もうこんなこと、嫌だよぉ…。本当に、夢の通りになれば――」

 

 「しっ!」ダフネはすぐさまカサンドラの言葉を切った。

 

 「ここで夢の話はなし。奴隷の口から誰かに伝わったらどうなるか分かってる?」

 

 カサンドラは渋々頷いた。ここ数日ずっとハムザ・スムルトをつけて確信したことがあった。予言の通りに条件を満たせば、恐らく自分達は解放される。しかし、それは自分の家族である【アポロン・ファミリア】の壊滅も意味しているように思われた。カサンドラはどっちつかずのまま、果たしてアポロン一派を守るべきか、それともテルクシノエ一派に加担するべきかを決めかねている。

 

 もちろんそのことを何度もダフネに話はしたが、彼女はまったく聞く耳を持たなかった。

 

 ダフネいわく、あんな怒ってばっかりの男がまともな作戦を立てられるとは思わない、一日中セックスばかりしてろくに剣も振らない冒険者が、ヒュアキントスに敵うとも思わない、ましてやせいぜい数人の弱小ファミリアが数百人規模のアポロン一派を壊滅させるなんて、天地がひっくり返っても起こりうる筈がない、とのことだった。

 

 う〜ん、と唸るカサンドラにダフネは言った。

 

 「私達はこれからまたテルクシノエ一派を見張らなきゃならないのよ。くだらない夢のことなんて考えてる暇はないわ」

 

 「でもっ……本当にあのハムザ・スムルトに特殊スキルがあったら……?本当はLv.3相当の冒険者で、万が一ロキ・ファミリアも戦争に加担したら…?」

 

 他の諜報員が聞きつけた情報によると、どうもハムザ・スムルトには特殊スキルがあるらしい、とのことだった。また、【ロキ・ファミリア】とも交流があることから、かの最大派閥が応援に駆けつける可能性も考えられる。これらの報告を聞いたアポロンは『全て予想通り、既に手を打っている』と答えて団員の不安を払拭したが、カサンドラだけは納得しなかった。

 

 「ハムザがLv.2なのはギルドにちゃんと裏を取ってあるでしょ?そりゃ、確かに特殊スキルくらいはあるかも知れないわ。でも、あのヒュアキントスがそれだけで揺らぐ筈がない。どうせいつもみたいに、一捻りよ」

 

 依然として唸り続けるカサンドラに呆れたダフネは鞭を取り、奴隷に打ち付けた。

 

 「この話はおしまい。さぁ、さっさと仕事に取り掛かりましょう」

 

 有無を云わさぬ彼女の口調に折れ、カサンドラも少女へ鞭打ちを始める。やりたくもない調教を続ける優しい少女の心には、確かにアポロンへの反逆心が芽生え始めていた。

 

 

 ハムザはいつものように『豊穣の女主人』へやって来た。店に入るなり、女将の巨体が道を塞ぐ。ハムザは悪事を咎められた生徒のように小さくなったが、どうやら女将は【ソーマ・ファミリア】の蒸留酒(カルヴァドス)の売れ行きが好調なことを、ただ伝えたかっただけらしい。それからそそくさと給仕の少女達がやって来て、ハムザとレヴィスは着席させられる。

 

 二人はたらふく食べた。レヴィスは慣れない手付きで久しぶりのまともな食事をどんどん胃に流し込み、ハムザも負けじと次から次へと食事を運ばせる。

 

 そんな夕食の一時が終わるか終わらないかというその時。かつかつと音を響かせながら、輝くように美しい魔導師がこちらの机まで歩いてきた。

 

 「お久しぶりです」

 

 レフィーヤだった。豪華な服を纏い、きっちりと後ろで束ねられたポニーテールを揺らしながら、ハムザににっこりと笑いかけた。

 

 「あっ…。よう、元気か」

 

 怒られるのか、それとも怒られないのか。ハムザは少し前に、レフィーヤを陥れたことがあった。その件について文句を言われるのかと身構えるが、レフィーヤは不自然なほどにこにこしたまま、無理やりハムザの隣に着席した。

 

 「並行詠唱を習得しました。それに、ランクアップが出来るようにもなりました」

 

 「良かったじゃないか」

 

 「貴方のお陰です。ついでに【怪人(クリーチャー)】、貴女のお陰でもあります」

 

 正面に座るレヴィスは責めるような口調にも眉一つ動かさず、じっとレフィーヤを見つめている。

 

 「なんだ、知り合いか?」

 

 「その女に、私は殺されかけました。アイズさんが助けてくれなければ、首の骨を折られていたでしょう」

 

 「お前は何ということをしたんだ、まったく」

 

 「でも、いいんです」さらっとレフィーヤは流した。

 

 「ロキが言うには、その人は放っておけば良いとのことですから。貴方がすっかり飼いならしてしまえば、きっとその人の方から闇派閥の計画を話すだろうって、ロキは信じています」

 

 「何の計画だ?」ハムザは訳が分からないので即座に聞き返した。そしてそれと同時にレヴィスが口を開く。

 

 「前に言っただろう。オラリオ転覆の計画だ」

 

 「あぁ、そのことか」ハムザはすっかり思い出した。

 

 「なんちゃらを寄生させて、強い怪物を生み出す云々だな。そんな計画があったこと、すっかり忘れていた。まぁどうせもう本人もその気じゃない。闇派閥の残党が頑張ったとしても、とても無理だろう。レヴィスはすっかり諦めたようだぞ」

 

 その時、レヴィスの口元にうっすらと軽蔑の色が浮かぶが、すぐにもとの無表情に変わった。

 

 「どっちにしても、鍵がこちらにある以上、私達は闇派閥(イヴィルス)を討ちます。その人が邪魔するつもりなら、全力で排除します。でも、これまでのように無関係を貫くなら…私は何もしません」

 

 「だとよ。せっかくだから、洗いざらい話してやったらどうだ?誰が転覆を計画して、どいつが首謀者なんだ?」

 

 目を伏せ、レヴィスは低い声で言った。

 

 「……断る」

 

 「昔からよくある話として、捕らわれの兵が祖国を裏切り、敵国で働くようになるということは多いのだ。この場合もそうだ、お前は前の主人に仕えるよりも、俺と居たほうが幸せだ。裏切りは悪徳ではないぞ、本当の悪徳は忘恩だ。お前の主人はお前に何を与えた?――何もだ。俺はお前に何を与えた?――全てだ。お前は俺の恩義に尽くすのだ。前の主人のことを忘れさせてやる。そうすればお前も、別の人生を歩むことが出来る」

 

 レヴィスは口元を手で多い、真剣な眼差しで考え込んだ。しかし、たっぷり時間を使ってから、再び低い声で言った。

 

 「……それができれば、な…」

 

 「たまにそれっぽいことを言うのは、相変わらずですね…」レフィーヤはお手上げといった具合に空笑いをする。

 

 「では、失礼します」立ち上がり去ろうとするレフィーヤの手をハムザは捕まえた。びくっと体を跳ねさせて固まった彼女は、ゆっくりと振り返った。

 

 「…手を離してください」

 

 「だめだ。まだ目的を果たしていない。お前はここで俺を探してた。なんとなく、そんな気がする」

 

 ハムザは直感でそう感じていた。どうしてレフィーヤが一人でここにいるのか、どうしてこんなにめかし込んでいるのか。瑞々しい肢体から溢れ出る色香は、抑制がきかず女性の魅力を周囲に振り撒いている。きっと、レフィーヤは我慢がならなかったのだ。したくてしたくて仕方がなくて、自分を探していたに違いない。

 

 推察が当たっていたのか、当惑したレフィーヤはもじもじと挙動不審に陥る。

 

 「えぇと…駄目ですよ。手を離してください。駄目…そんな目で見ないで…もう」

 

 

 それから三人は店を出て、裏路地に入り込み、真っ暗な公園の茂みに潜り込んだ。その頃にはもうレフィーヤは期待で息を弾ませており、頬が真っ赤に染まっていた。彼女を木にしがみつかせ、そのまま一気にスカートを脱がせた。

 

 真っ白い雪のようにきめ細かい素肌が指に触れると、下半身がむくりと起き上がった。レフィーヤの恥部は既にびしょ濡れだったので、すぐさま本番に突入する。ペニスを挿入すると、レフィーヤは甘い悦びの声を漏らした。

 

 嗜虐心がふいに沸き起こった。腰を振りながらポニーテールを両手で引っ張ってみると、レフィーヤは苦しそうな声を出す。

 

 「ちょっと…やめてください、できれば、普通に…」

 

 そう言われるとかえって苛めたくなるのが男というものだ。ハムザはナァ―ザにしてやったように、彼女の尻を叩いた。

 

 「淫乱エルフめ!ちんぽが欲しくて毎晩オナニーしてたんだろう?」

 

 平手打ちを重ねると、じわりと臀部が赤く染まっていく。同時にレフィーヤの膣も愛液で溢れかえり、挿入するペニスを突くたびに淫らな音が夜の公園に響いた。

 

 「――答えろ!淫乱の!雌豚の!ちんぽ狂いだと!認めたらどうだっ!」

 

 激しく突き、臀部を打つ。始めは苦痛の声を漏らしていたレフィーヤだったが、もうそれは悦びの声に変わっていた。

 

 「…はいっ。ずっと本物が欲しくてっ…一人でしてましたっ……」

 

 本心をさらけ出したレフィーヤの喘ぎ声が一層大きくなる。すると、茂みの向こうから人の声が聞こえる。

 

 『…おいおい、誰だよこんなところでやってんの。って、うおっ!千の妖精(サウザンド・エルフ)っ!?』

 

 みすぼらしい衣服の、いかにも貧しそうな住民が行為に耽る二人に近付いた。レヴィスがすっと前に出て、彼の前に立ちはだかる。

 

 「ここは通行禁止だ、さっさと出ていけ」

 

 だが、男は酔っ払っているせいで、レヴィスに凄まれても平然とした態度で悪態を吐いた。

 

 「黒い変態(ブラック・パーヴ)じゃねぇか!噂通りぶっ飛んだ奴だなぁ!いいなぁ、俺もエルフ様とセックスしてみてぇぜ。なぁ、ちょっとくらいいいだろ?」

 

 男はぽろりと股間を取り出し、レヴィスの目の前でしごき始める。

 

 「あんた美人じゃねぇか。手持ち無沙汰なら俺とどうだ?」拳を握り、レヴィスはありありと敵意を剥き出しにしていった。

 

 「ゴミが……今すぐ立ち去れ」だが、ハムザはレヴィスをなだめて言った。

 

 「いいんだ、おいお前、こっちへ来い」

 

 男は嬉々として近付いた。そして股間をレフィーヤの顔の横に突き出して、自慰を続ける。

 

 「触るのは許さんが、ぶっかけるのは許す」

 

 「うおおっ!心の友よ、お前最高だぜ!まさか俺が千の妖精(サウザンド・エルフ)にぶっかけられる日がくるだなんて…母ちゃん、産んでくれてありがとよぉ!」

 

 「えっ…ちょっと待って、えっ?」レフィーヤは見知らぬ男に性行為を目撃され、なおかつ初めて見る他の男の性器に困惑していた。

 

 頭が真っ白になり、言葉をうまく紡げないでいると…ハムザが苦しそうな声を出す。

 

 「やばい、出そう…あっ、いく」

 

 「あっ…!?」それから奥まで股間が届き、レフィーヤは一気に絶頂する。

 

 「んんんっ……!」快感が駆け巡る身体を何度も小刻みに跳ねさせていると、男は歓喜の声と共にしごく速度を早めた。

 

 「うおおっ!色っぺぇ!エルフのイキ顔を拝めるだなんて、俺はもう死んでもいい!おっしゃ、出すぞ、千の妖精(サウザンド・エルフ)さん…!」

 

 「えっ…ちょ、ちょっと待って!?待って、ほ、本当に…!?」

 

 男はレフィーヤの綺麗な顔目掛けて汚い精液を大量にぶち撒けた。

 

 「きゃっ…」

 

 飛び散る精液を顔に受け、レフィーヤは目をつむり口を結んで顔をしかめる。

 

 迸る白濁液が、美麗なレフィーヤの顔からどろりと垂れ落ちた。

 

 「…………」

 

 無言のレフィーヤ。ハムザはゆっくりと中で出したペニスを抜き、ふぅ、と一息吐いた。

 

 「おい、いつまでここに居るんだ。さっさと帰りやがれ、ウスノロの粗チン野郎」

 

 「お、おぉっ…この恩は一生忘れねぇぜ、黒い変態さん!」

 

 男はそそくさと立ち去った。そしてレフィーヤは押し寄せてきた感情に抗えず、泣き叫ぶ。

 

 「うぇーん、もうお嫁にいけません…アイズさぁ〜〜ん!」

 

 すると、レフィーヤの叫び声に応じるように空から何かが降ってきた。

 

 

 

 「っっ!」

 

 レヴィスは瞠目する。目の前に、アリアが―――。

 

 そう思った時には、既に足が動いていた。アイズを目掛けて一直線に突進し、拳を振り上げる。フードが外れ、レヴィスの顔が露になると同時に。

 

 「っ…!」

 

 アイズは抜剣していた。

 

 しかし、レヴィスの足が止まった。応戦のために身構えるアイズも怪訝な顔でレヴィスを見やる。

 

 レヴィスの頭の中で何かが戦っていた。アリアを殺せばどうなる?ハムザは悲しむだろう。私が彼を裏切ったということを。だが、エニュオはどうだ。アリアは殺さなければならない。しかし…エニュオは悲しむだろうか?私が裏切ったとて…あれが悲しむだろうか…。

 

 答えが出ず、レヴィスは端正な顔を苦悶で歪める。初めて生まれた心の葛藤に苛まれているようだった。

 

 「…これが、あの【怪人(クリーチャー)】?」アイズは信じられない、といった口調で呟く。

 

 「すごく、弱くなったね

 

 その言葉は決定的だった。レヴィスは固まっていた。やがて腕を下ろし、ハムザを見て、アイズを見て、そして自分の拳を見た。

 

 「……この人はもう、私達を傷つけることは出来ない」

 

 アイズは追撃をするように言葉を重ねていく。その一つ一つが、レヴィスに重くのしかかった。

 

 「…もう関わらないで。そうすれば私も見逃してあげる」

 

 完全に上からの目線。強者が弱者に語る時の口調。レヴィスは悔しさに顔を歪めるが、どうにも出来なかった。彼女の言葉は、真実だった。

 

 (もう私には……覚悟がなくなったというのか…?)

 

 アリアを仕留めるべき機会を逃し、ハムザを想い踏みとどまってしまった時点で…【怪人(クリーチャー)】としての自分は消えてしまったように思われた。昔の自分なら、絶対にそんなことはしなかった筈だ……。

 

 「行こう、レフィーヤ。フィンに報告する。【怪人(クリーチャー)】はもう、居ない」

 

 それから、とアイズは付け加えた。

 

 「私も……欲しいのに。ハムザの浮気者」

 

 「あ、えーと…。じゃあ、今度な」

 

 無愛想な表情でアイズは言った。口調から、随分とご機嫌斜めだということが伺えた。

 

 「じゃあ、あの場所で待ってる…。それと、これ以上レフィーヤを、いじめないで」

 

 そう言い残して、アイズは去った。王子に救われた姫君のように目を輝かせるレフィーヤと共に。

 

 力なく拳を下ろすレヴィスに、ハムザは優しく声を掛けてやった。

 

 「人生はうまくいくことばかりじゃない。なに、アイズにリベンジしたければ手伝ってやる。今度はレヴィスとして、あいつに喧嘩を吹っかけてみろよ」

 

 だが、レヴィスはすぐには反応しなかった。暫くしてから、ようやくハムザに心のうちを打ち明ける。

 

 「こんなどっちつかずの立場は…辛いな。出来ることなら、過去の自分を消し去るか…今の自分を消し去ってしまいたい」

 

 「そんなこと、出来やしない。さぁ、帰るぞレヴィス。神様にステイタス更新をお願いしなきゃな。ついでに飯も買って帰ろう。何でも好きなもんを言うといい」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 -卵-

 

 レヴィスは地下書庫の隅に拵えた簡易的な魔石製調理器具の前に立ち、鍋に火をかけた。

 

 卵を一つ取り、それを奇妙な目で見つめてから割って鍋に落とす。じゅわっと音を立てる鍋に蓋を落とし、じっと数分待った。それから出来上がった料理を慣れない手付きで皿へ移し、長卓に座るハムザの所まで持っていった。

 

 「こんなものでいいか」

 

 昨晩リリに習ったのは目玉焼きだった。初心者に教える簡単な料理として選んだ目玉焼きだったが、形にはなっているようだ。レヴィスは開き直ったような態度で、『笑いたければ笑えばいい』と言いたそうな表情で腕を組んだ。

 

 ハムザはそれを口にした。そして、箸を置く。その様子を見たレヴィスの目に影が差す。

 

 「口に合わなかったか。捨ててこよう」

 

 皿を奪い取ろうとする彼女の手を払ってハムザは言った。

 

 「塩を忘れてる、塩を。それがあれば問題ないぞ、まぁ、不味からず美味からずだ」

 

 「美味くないのなら食べる必要はない」

 

 重ねるように言ったレヴィスの言葉を無視して、ハムザは塩を振った。それから一気に目玉焼きを平らげた。そんな彼の行動を、レヴィスは不思議な顔つきで眺めていた。

 

 「それより、ここに置いてあったチョコレート、半分食ったやつは誰だ?」ハムザは全員を見渡すように首を回した。まず、リリが首を振った。それからテルクシノエも首を振った。

 

 「命かな?」

 

 しかし、リリはそれを否定する。

 

 「命様はしばらくここには来ておりません。ずっと階上を掃除していますから」

 

 「じゃあ、残るは……」ゆっくりと視線をレヴィスに移し、ハムザは首を傾げて言った。

 

 「賢いネズミが居るなぁ」

 

 リリはぷっと吹き出した。レヴィスも口元を緩め、ハムザに合わせるように言う。

 

 「全くだ。ご丁寧に中身を箱に戻し、元の場所に置いておくなど、確かに賢いネズミが居るようだな」

 

 「お前だろう。腹が減ってるならそう言えよ、まぁチョコレートくらい、気にもしないがな」

 

 「腹ならずっと減っている。私の身体は燃費が悪くてな…いくら食べても膨れない」

 

 「どれくらい食べるものなんですか?」リリが聞いた。

 

 「昨夜の酒場での料理、ざっとあれの百回分は必要だ。食べ物だけでなく、魔石も必要だな」

 

 「それ、百万ヴァリスくらいはするぞ?」呆れたように言うハムザ。

 

 「まさか毎日そんだけ食うわけじゃないよな?」レヴィスが返す。

 

 「当然毎日だ。力を戻すには、それを毎日続ける必要がある」

 

 リリは急いで帳簿を計算し始めた。それから顔を上げ、難しい顔をする。

 

 「…リーテイルの売上だけでは足りませんね。ファミリアの貯金でさえも、三ヶ月で食い潰してしまいます」

 

 ファミリアにどんよりとした空気が流れる。レヴィスというジョーカーは【アポロン・ファミリア】との戦争の際には大きな戦力になるが、常に維持するには莫大な資金が必要らしい。そんな悪い空気を、テルクシノエが吹き飛ばす。

 

 「ポエブスならごっそり持っておるのじゃ。あの阿呆を殺し、ファミリアを全滅させ、資産の全てを奪い取るのじゃ。そうすれば、私はレヴィスがこの派閥に入ることを許す」

 

 「待て。私はまだ仲間になる訳ではないぞ」レヴィスはテルクシノエの提案を拒否するように言葉を継ぐ。

 

 「力を貸すだけだ。そこから先は、好きにさせて貰う」

 

 

 それからハムザは主神にステイタス更新を頼んだ。面倒くさがりなテルクシノエは難色を示すが、アポロン打破のためと説得されてようやく重い腰を上げた。

 

力と耐久の評価値がBまで上がっている。その他はCだ。アスフィ、レフィーヤとのセクロスにより能力が上昇したようだ。しかし、来る【アポロン・ファミリア】との決戦に備えるにはまだ足りない。

 

 「なぁ神様、リヴェリアを振り向かせるにはどうすればいい?」

 

 寝床としている机の下へと潜ろうとした所を呼び止められたテルクシノエは、そんなことかと振り返る。

 

 「昔から女子の心を射止めるには恋文と相場が決まっておるのじゃ。どれ、手伝ってやろう。乙女心は心得ておるからな」

 

 ●

 

 『黄昏の館』には、珍客が訪れていた。輝く男神のアポロンがロキを訪ねて来たのだ。突然の神の訪問、それに目下世間を騒がしている神の来訪に、【ロキ・ファミリア】の団員達は大慌てだった。

 

 ロキはそんな子供達をなだめるように軽口を叩き、アポロンを応接間に招き入れた。

 

 「それで、どないしたんや」

 

 豪華な調度品が並ぶ部屋は、二人の神によってより一層輝いていた。アポロンは足を組み直してから、目を閉じたままゆっくりと落ち着いた口調でロキに問う。

 

 「テルクシノエは、いつになったら戦争遊戯(ウォーゲーム)を受けるつもりだ?あの女神、部屋に籠もって全く外に出てこないではないか」

 

 言い終えた後に、アポロンは目を開いた。神の視線には強い非難と憎悪が宿っていた。しかし、ロキは身じろぎもせずさらっと答えた。

 

 「知らんねん。会うてへんからな〜。ウチを代理に立てたのはそもそもギルドやし?ウチにしたって、面倒な役回されて困ってるんやで〜」

 

 じっとロキを観察しながら、視線を外さず、アポロンは口だけを動かす。

 

 「中立を装うつもりならそれで良い。だが、お前の子供達はハムザ・スムルトを助けているのではないか?剣姫に千の妖精(サウザンド・エルフ)、そして九魔姫(ナイン・ヘル)との面会があったとの情報を得ている。それをどう説明するつもりなのだ?」

 

 「知らんもんは知らんで。子供達の動きを一つ一つ見張るつもりなら、それこそ神力(アルカナム)でも使わんと無理やん?めんたま二つじゃ、そんなん無理やで」

 

 アポロンは微動だにせず、ロキを睨みつける。不穏な空気が応接間に漂い始めた。しばらく無言を貫いていたアポロンは、再びゆっくりと口を動かした。

 

 「では、中立であるという証明をして貰おう。ロキよ、お前が知っている彼らの情報の中でも特別我々に利する物を一つ、今ここで述べて貰おう。そうすれば【ロキ・ファミリア】が【テルクシノエ・ファミリア】に支援をしているという疑念は、自ずと晴れるだろう」

 

 ロキの眼が光った。口元を怪しく歪め、悪事を企む悪党の様に笑った。

 

 「そうやなぁ。ガネーシャんとこの、ハシャーナっておったやろ?Lv.4の子なんやけどなぁ、リヴィラで殺られたらしいで。頭ぐしゃってなぁ、いとも簡単に潰されてしもうたらしいわ」

 

 アポロンはこの時初めて視線を外した。左上に目をやり、口に手を当てて考え込む。しかし、すぐに再びロキに視線を戻して言った。

 

 「……その犯人がハムザ・スムルトだと言いたいのか。Lv.4を、計略により討ち取ったと」

 

 「情報なら与えた。それをどう料理するかはお前次第や、アポロン」

 

 納得がいかない様だったが、アポロンはややあってから立ち上がり、ロキに簡素な礼を述べてから部屋を後にした。外で控えていた付き人のヒュアキントスに小声で囁きながら、館内の出口へと二人は進んでいく。

 

 「間違いなくハムザは策を持っている。問題はそれがこちらの読み筋にあるのかどうかだ。ヒュアキントス、連絡用の魔法具を用意せよ。いざとなれば全ての諜報員に情報を伝達できるようにしなければならない」

 

 

 ヒュアキントスとアポロンが館を去った時、談話室で読書をしていたリヴェリアのもとに一通の手紙が届けられた。差出人を見て、リヴェリアは思わず額に手を当てる。ハムザ・スムルトからの手紙だったのだ。

 

 手紙を机に置き、リヴェリアは立ち上がって窓の傍へ歩いた。それから落ち着かない様子で談話室の花瓶が置かれている壁際から反対の暖炉の所までを、行ったり来たりしながら歩き続けた。

 

 しかしついに観念したように机に置かれた手紙の元まで行き、溜め息と共にそれを読み始めた。蚯蚓がのたくったような文字で、手紙にはこう書かれていた。

 

 

 『あぁ 美しい顔よ 涼しい目元よ 気高く美しい物腰よ

 

 乱暴者には慎ましさを 卑しい者には凛々しさを説く お前の言葉よ

 

 如何なる愛の矢ですら射貫けなかったこの胸を 容易く射貫いて見せた嬉しい微笑みよ

 

 こんな後の世に降りたたなければ 御身こそ王国を統べる 栄えある王女!』

 

 

 リヴェリアは封筒を裏返し、もう一度差出人を見た。差出人は確かにハムザ・スムルトとなっていた。一体本当にあの男がこの文章を書いたのだろうかと訝しむ。とんでもない内容を想像していただけに、肩透かしを食らったような気分だ。

 

 もう一枚の羊皮紙に、更に続きが書いてあった。

 

 

 『まともに太陽に立ち向かう鷹が居れば 明るい光を苦にし 日の暮れにやっと外に行く梟も居る

 

 また愚かにも 火遊びを恋うあまり 光を慕って 燃え盛る火の 身を焼き尽くす力を知らされる虫も居る

 

 我が身はその終いの群れにあり お前の輝きを見つめる程の勇者にはあらず

 

 暗闇や 夜更けを待って隠れもできず 

 

 おのが身を焼く運命とは知らず 光を慕い お前の後を追う』

 

 

 手紙はそれで終わっていた。リヴェリアはそっと机の上にそれを戻し、顎に手を当てて考え込んだ。それから立ち上がって、魔道衣の上から肩掛けを羽織った。

 

 「……誰の作品を盗んだかくらいは、聞きに行ってやるとするか」

 

 

 

 「あんなんで本当に来るのか?」足を投げ出して椅子に座るハムザは、芸術神テルクシノエに文句を言い続けていた。

 

 「来なかったらお前のせいだぞ、神様」だが、女神の自信は揺るがない。

 

 「心配無用じゃ。女子は恋文に弱い。それはどんな時代になっても変わらないのじゃ」

 

 本当かなぁとハムザはリリを見る。リリは『自分に聞かないでくれ』というような表情で肩を竦めた。

 

 その時、階上から命がやって来て、ハムザに言った。

 

 「九魔姫(ナイン・ヘル)が来ております。何でも二人だけで話したい事があるそうですが……」

 

 跳ねるように立ち上がってハムザは命の手を取った。

 

 「でかしたぞ!もう掃除は切り上げて、ゆっくり休んでいてくれ!」

 

 命は「でも…まだ蜘蛛の巣が」と口ごもるが、そんな彼女を置いてハムザはさっさと上へあがった。

 

 少しだけ見栄えが良くなった大聖堂内を早歩きで進み、大きな正面門を両手で押し開けた。

 

 リヴェリアは大聖堂の骨のような尖塔を見上げていた。それから自分に気が付き、懐から手紙を取り出して言った。

 

 「これは誰の作品だ?」

 

 「良くできた作文だっただろう」

 

 「お前が書いたのか、と聞いている」

 

 「もちろん俺が書いたさ」

 

 「お前の独創ということだな?」

 

 「あー、うん。そういうことにしておいてくれ」

 

 歯切れの悪い返答に苦笑する王族。ハムザはしかし、女神の素晴らしい作文の効果にすっかり感心していた。本当にリヴェリアがやって来た。たった一つ手紙を出しただけで、頼みもしないのに、自らの足で。

 

 「………」

 

 リヴェリアは無言だった。こちらが黙っていても仕方ないので、ハムザは切り込んでみる。

 

 「歩くか。ついでにそろそろ陽が落ちる。バベルのレストランにでも行って、お互い腹の底から話をしてみようじゃないか」

 

 「何を話そうと言うのだ?」

 

 咄嗟にハムザは答えた。

 

 「もちろん、レヴィスについてだ。【ロキ・ファミリア】の幹部からしたら、放っておけない情報だと思うぞ?フィンに土産話でも持って行けば、なに、一回の面会くらいどうってことないだろう」

 

 「本当に我々に利する【怪人(クリーチャー)】についての情報があるのなら、止むを得んか」

 

 リヴェリアは納得したようだった。二人はメイン・ストリートへ出た。それからバベルの高級レストランの一席を確保した頃には、すっかり夜になっていた。バベル程の高所からオラリオを見下ろすと、街灯や民家の明かりが宝石のようにきらきらと輝いて見えた。

 

 【ロキ・ファミリア】の幹部が話題の【テルクシノエ・ファミリア】の団長を連れ立ってやってきたことに、給仕係の目元には隣人の噂話のネタを探す主婦のような、噂話を探るような色が浮かんでいる。二人はそれを無視して適当に注文を終え、ハムザは正面に座るリヴェリアに目を注ぐ。

 

 真っ直ぐに伸びた背筋。ただ座っているだけで、その気品が漂っている。なるほど、神と見紛う程の美しさとは、本当のことだ。今更になって、ハムザはリヴェリアの魅力に取り憑かれ始めた。彼女こそ、剣士達の世界を率いるべき清らかな聖女であり、不思議な魅力を秘める魔法世界の姫のように思われた。

 

 「あの本、俺には読み切れん。さっさとそっちに運んでくれないか」

 

 ずっとハムザの言葉を待っていたリヴェリアは、そう聞かれてすぐに返答した。

 

 「いいか、本はお前が思っているほど無価値ではない。中には優に百万ヴァリスを越える物もある。貴重なんだ、本というものは」

 

 ハムザはめげずに問答を続ける。強引さでもって王族をここまで連れ込んだのだ、もうひと押しすれば、いけそうな気がする。

 

 「関係あるか、そんなこと。俺が持ってる、お前が欲しい。ならばお前が取るべきだ。そうだろう?」

 

 「お前の論理はおかしいな。所有物の交換は、等価交換でなければならない。仮に私があの本全てを受け取ったとして、私が持つ物の中で、その価値と釣り合う物は何もない」

 

 「お前の話こそおかしいぞ。俺が持ってるものを、お前に渡す。富める者が貧しい者に分け与えるのは当然ではないか」

 

 リヴェリアはハムザの言葉を咀嚼しながら、グラスに口をつけた。

 

 「お前、産まれはどこだ?」リヴェリアはハムザに問う。答えるべきかどうか迷ったハムザだったが、間を置いてから言った。

 

 「エル・アルズ地方だな」

 

 「そうか、それで合点がいった」なるほど、と頷いてからリヴェリアは言う。

 

 「その地方には特殊なコミュニティがあったらしいな。神の恩恵を嫌い、魔石製品による生活の変化を拒み続ける部族が居たと聞いたことがある。性質は原始的だが、所有欲が無いという点で異質であったと聞く。お前はそこの生まれか」

 

 「ん……?」目を丸くするハムザ。リヴェリアの論理は明後日に向かって突き進んでいった。

 

 「富める者が貧しき者に全てを分け与え、貸し借りという概念を放棄する、か…社会的にはある種革新的でもある。何故持たないか、という問いへの反問として、何故持つのか、という回答か……面白いな」

 

 「えっと、うむ…まぁそうだな…」

 

 「お前の考えは分かった。蔵書を寄贈するというその提案、半分は受け入れることにしよう…」

 

 半分は、と言うのが引っかかる言い方ではあったが、どうやらリヴェリアは本をもらい受けるつもりらしい。運ばれてきた無駄に装飾に凝った焼き魚に手をつけながら、ハムザは期待を込めてリヴェリアの次の言葉を待った。

 

 「公共図書館を作らせてくれ。費用の一部は私が負担しよう」

 

 公共図書館?一体何のつもりだと、口に運ぶ寸前にフォークを止めて、開口したまま固まった。

 

 「あれほどの知的財産を私だけが独占するのは気が引ける。おまけに他派閥から譲り受けるなど、【ロキ・ファミリア】としてはあってはならない行為。それならば、お前の善意を社会貢献に利用させて貰おう。なに、公共図書館の所有者はお前にするし、知り合いの本の虫達に資金協力を仰ぎ、必ず実現させよう」

 

 何となく、話がおかしな方向へ進んでいるのは分かった。しかしリヴェリアのきらきら光る瞳の圧力に負け、ハムザはその提案を飲んだ。こんなに嬉しそうにしているのだから…きっと意味はあっただろう。

 

 それから思い切って報酬の話へ移ることにした。

 

 「じゃあ…まぁ図書館を作ればいいさ。阿呆のアポロン一派をすっかり全滅させたら取り掛かればいいさ。それより…お前からも俺に贈れる物があると俺は考えるのだ」

 

 ぴたり、とリヴェリアの動きが止まった。

 

 「ほう…私からお前に、だと?」まるで危険を察知した猫のように警戒心を纏い、注意深くハムザの動きを目で追う。

 

 「そうなのだ。お前のおっぱいを揉みしだいたあの時から、夢におっぱいが出て来て眠れん。素晴らしいおっぱいを持っているのだから、男に揉ませないのはずるい。だからもう一度揉ませてくれ」

 

 「………やはりそういう話になるか。そう来るならば、私も聞きたいことがある」

 

 リヴェリアはフォークをテーブルに置き、射貫くようにハムザをじっと見つめた。

 

 「アイズとレフィーヤに手を出したな?」

 

 否定する意味もないので、ハムザはあっさりと頷いた。リヴェリアは「やはりか…」と嘆息してから言葉を続ける。

 

 「ロキがお前を信頼しているとはいえ、今はまだファミリア間の連携協定も結ばれていない。本来ならばあり得てはならない禁じられた関係だ。とはいえ、お前のスキルによりステイタスが強化されている以上…それにロキが認めている以上…私からは文句は言えんな」

 

 文句は言えないという言葉とは裏腹に、リヴェリアはとても文句を言いたそうな顔をしていた。お堅いエルフ様のことだから、きっと美徳やらなにやらを持ち出して、お説教をしたいに違いない。

 

 「セクロスは悪いことではない。アイズもレフィーヤも、成長できたことを喜んでいるぞ。何も問題ないではないか」

 

 「勘違いをするな、お前を相手に問答しようというつもりは毛頭ない。災害そのものに被害を訴えて慈悲を乞おうというのは、愚かな行為だからな。だが、私はアイズもレフィーヤも、そしてティオナも…団員達を娘のように想っている。出来れば不幸になって欲しくはないのだ」

 

 「何が言いたいんだ?さっぱり分からん」

 

 ナプキンで口元を拭ってから、王族は口を開いた。

 

 「彼女達が望む以上、手を出すのは構わない。だが、そうするのならとことんまで彼女達をケアしてくれ。ティオナはずっとお前を待ち続けているし、アイズだって、レフィーヤだってそうだ。お前はほったらかしにする傾向があるからな、それを治して欲しいと言いたいのだ」

 

 リヴェリアは続けていく。

 

 「率直に言えば…お前は興味深い男だ。神や私を前にしても物怖じしない豪胆さという、他の男には見られない美点を備えている。あの子達の興味を引くのも理解出来る。男も女も強さには関係がないこの時代、お前のように男らしい人間は少ない」

 

 「それなら」ハムザは思わず口が滑ってしまった。

 

 「俺とセクロスしよう。エルフのおまんこをぺろぺろしたいのだ。ついでにいっぱい中に出してみたいのだ」

 

 しまった、と口を覆うハムザ。せっかく良い雰囲気の店に連れ込んで、良い感じに彼女の態度が和らいできたと言うのに。口が滑ってしまったせいで、すべてが台無しだ。

 

 ――断られる。それも大声で怒鳴られるかも知れない。机を壊したらどうしよう?会計がとんでもない値段になったらどうしよう?財布には金はある…でも、もし法外な値段を吹っかけられたら払えるだろうか?

 

 そんな考えが頭を過る。リヴェリアは氷のように冷たい目でこちらを睨んでいる。そして、死刑判決を言い渡す判事のように、決然としてゆっくりと口を開いた。

 

 「――いいだろう」

 

 (え、いいの?)ハムザは固まった。予想外の返答だったので、聞き間違いではないかと思った。

 

 「いいのか?」

 

 「いい、と言っている。ついて来たのはもとよりそのつもりだ。いくぶん直接的な言葉に困惑はしたが…お前のことだ。そんなところだろうな」

 

 

 「それなら、リヴェリア。さっさとお会計を済ませて、場所を移そう。こんな大して美味くもない気取ってばかりの店じゃ、やることもやれんからな」

 

 ハムザがホールに目をやると、こちらを探る様に見つめていたウェイターが急いで目を逸らした。

 

 「同感だ。だがまだ大切な話が残っている」

 

 リヴェリアに止められて、ハムザは首を傾げた。

 

 「レヴィスだ。あの女の情報があると言っていたな、それをまず聞かせて貰おう」

 

 「あぁ、そのことか」ハムザは席を立ち、リヴェリアのもとへ寄って、誰にも聞かせたくないという大真面目な表情を作り、彼女の耳元でそっと口ずさんだ。

 

 「実はな…あいつの作る目玉焼きには、殻が二つ入っていたんだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 -リヴェリア-

ティシェールは魔石パイプをくゆらせながら、事務所の入り口に座り込んで夜の雑踏を眺めていた。彼は一般的に言うところの犯罪組織の一員だったが、極めて独立心の強い野心家でもあった。所属しているコルリオーネ組はある程度彼に裁量権を与え、そして彼はそれを大いに利用してあらゆる金儲けを続けていた。

 

 魔石の用途は相当な数があると言うが、それはきっとティシェールが企んできた金儲けの数と比べれば、半分にも満たないだろう。今夜は暖かかった。近頃は寒い夜が続いていただけに、今日は金の匂いがする。下半身から突き上げる欲望に気付かないうちに頭を支配された連中が、自分が発明した営みの一つである『時間貸し宿屋』に迷い込んでくるという予感がしていた。

 

 その予感は的中した。顔は良くないが身体付きは良い猫人の女性が、どうみても不細工な男の腕に抱かれてやってきた。それからどう見ても法律に抵触するだろう年齢の少女を連れた中年太りのヒューマンが、こそこそとやってきて宿の受付をした。それから三組、四組と続けて来客があった。やはり今夜は調子が良いらしい。ティシェールは得意気にぽけっとに手を入れて、その場を離れようとした。その時、見覚えのある男が

九魔姫(ナイン・ヘル)を従えてやってきたので、思わずティシェールは魔石パイプを地面に落としてしまった。

 

 「…ハムザっ、おめぇ」

 

 ハムザは後ろを歩くリヴェリアを雑踏の目から隠すようにやって来て、早口でティシェールに言った。

 

 「おう、さっさと受付だ。お姫様の気が変わらんうちにことを済ませる必要がある。なぁ、一応聞いておくが、お前のところの守秘義務はまだ健在だよな?」

 

 「もちろん、その通りだぜ」ティシェールは取り落とした魔石パイプを拾い上げ、洒落た帽子を被りなおした。

 

 「どんなに有名なファミリアだろうが神様だろうが、うちの店員の口の堅さからしてみればミジンコかアメーバかってとこさ。漏らしゃしねぇよ。安心して使いな」

  

 その時雑踏の注目を一斉に浴びていたリヴェリアがハムザに非難がましく告げた。

 

 「やはり止めておこう。ここまで注目されては、入ることは出来ない」

 

 だが、折角の獲物を逃したくないハムザの心を察した勘の良いティシェールはリヴェリアに言った。

 

 「安心しな、王族さん。うちはただの酒場だぜ、馴染みの客しか本当の営業を知らないのさ。実はやましいことをする場所だなんて、ここを通る連中は考えもしねぇって寸法だ」

 

 紳士御用達の安心と信頼の『愛の酒場』だぜ、と付け加えてから、ティシェールは二人をとびきりの上客をもてなすように受付へ案内した。

 

 受付はみすぼらしい少年だった。所々に痣の跡があったが、すでにきっちり仕事を覚え込まされたのか、流れるように今日のおすすめメニューが肉料理だと説明してから一拍間を置いた。

 

 「鵞鳥の肝臓があると聞いたんだが」ハムザはその間に差し込むように言った。

 

 「なに、一度食べて以来、やみつきになってね」

 

 それから少年は言った。

 

 「501号室にご用意がございます」受付の奥にある扉を開き、ハムザとリヴェリアは階段を上った。その背を見送ってから、ティシェールは肩を落として溜め息を吐いた。

 

 「全く、今度は王族か。ハムザにだけは敵う気がしねぇな。俺ならビビっちまって勃ちもしねぇだろうよ」

 

 

 501号室は一番上の階にあるただ一つの部屋だった。豪華な金色と赤で統一された広々とした客室を好まし気に見渡し、リヴェリアはやわらかそうな座椅子に腰を降ろした。

 

 「暗号とは、ならず者も考えたものだな」

 

 「奴らは頭が切れるぞ。常に頭を使って生きているからな。でなければお縄を頂戴するから、命がけだ。その証拠がこれだ」

 

 小さな冷蔵庫を開くと、そこには確かに鵞鳥の肝臓があった。それだけではなく、作り置きの煮込み料理もあり、テーブルには質の良さそうなワインが二本並んでいる。確かに、酒場の体裁は整っている。売春の斡旋となればギルドは黙ってはいないだろうが、実態がただの個室の酒場だとすれば手出しは出来ない。

 

 「お前の行動力には恐れ入った」リヴェリアは笑みをたたえてそう言った。普段の凛とした表情とは違った魅力が現れる。こんなに優しい眼差しを持っていたのかと思うと、ハムザは一層リヴェリアを押し倒したい衝動が高まった。

 

 「私を本気で口説いたのは、お前が初めてだ」

 

 「そんなに綺麗なのにか?」思わずハムザは聞き返す。

 

 「どうかな。Lv.6の魔導師、【ロキ・ファミリア】の幹部、そして王族。そこまでいってしまうと、人は見る目を変える。神と接するかのように畏まり、決して自分を見せないんだ。お陰で私は伴侶探しに苦しんでいる。フィンも似たようなものだな」

 

 「伴侶が欲しいのか?」

 

 「無論、そう思っている」リヴェリアは答えた。

 

 「どれだけ強かろうと、どれだけ有名だろうと、私を愛してくれる人が居ないのなら、一体なんになる?――そう考えたことは何度もある。だから、お前が私を口説いた時…正直言って、嬉しかったぞ。お前の放蕩ぶりには心底幻滅したが、同時にその勇気は認めていた」

 

 ハムザは鵞鳥の肝臓を口に放り込んだ。なんとも言えない奇妙な味だったが、確かに癖になる味だ。それからワインの栓を引っこ抜き、グラスに注いだ。

 

 「飲むか」リヴェリアは断った。しかしハムザは諦めない。エルフだろうが何だろうが、酒の力は偉大なのだ。愛の神ですら動かせない固い貞操だって、酒神の力を借りれば豆腐のように柔らかくなるということは、経験により証明済みの事実だったのだ。

 

 「お前も冒険者なら、冒険をするべきだ。古臭い価値観なんて捨ててしまえ。殻を破るには、駄目なことも学ばなければならん。そうしてレフィーヤは成長したんだから、お前だってそうだろう」

 

こほん、と一つ咳払いをする。それからリヴェリアは通る綺麗な声で喋った。

 

 「分かった、分かった。だが、まずは知りたいことがある。それは【アポロン・ファミリア】の動向だ。戦争遊戯(ウォーゲーム)の結果次第では、お前達は消滅するだろう。そうならないためにも、私はお前を勝たせるように動くつもりだ。だが、表立って協力は出来ん。そこでまず、お前達の作戦を教えてもらおう」

 

 「正面突破だ」簡潔に、そして確信を持ってハムザは答える。

 

 「戦争遊戯(ウォーゲーム)など受けない。近々能力と装備で押し潰すつもりだ。そのためのレヴィスだ。そのためのセクロスだ。俺はスキルのせいで強くなるにはセクロスをしなければならん。だからお前が必要なのだ」

 

 「レヴィスは本当に味方なのか?」リヴェリアは険しい顔をして言った。

 

 「【アポロン・ファミリア】とは言え、本気になったあの女には敵わないだろうが……あの女がお前を裏切れば、それで全てがご破算だ。確証があるのだな?」

 

 「もちろんある。アイズに聞けばいい、レヴィスはアイズに見下されて…そうだなぁ、ちょっとだけ傷ついたようだ。お前だって直接会った時、自分の目を疑ったではないか。その感覚を信じられないのか?」

 

 「確かに…あの女は変わった。牙が抜け落ちたようではあった。それならばその件はそれでいい。それと…明日は必ずアイズとティオナを訪ねろ。レフィーヤもだ。お前の顔を見れば、彼女達も喜ぶだろう」

 

 美女が待っていると知らされれば、行かない訳にはいかない。ついでに評価値もうなぎのぼりに違いない。断る理由がなかったので、ハムザは「わかった」と頷いた。それからリヴェリアは翡翠色の髪を掻き上げて、身体をほぐしてからリラックスして言った。

 

 「ならばもう話すべきことはないな。後は好きなようにすればいい」

 

 そう言ってリヴェリアは赤い葡萄酒を飲んだ。顔をしかめて「不味いな」と言うが、初めて飲む酒にあまり抵抗はないようだった。

 

 ハムザは立ち上がって、正面に座るリヴェリアの背後へ近づき、後ろから胸を鷲掴みにした。

 

 「っ…」

 

 どうやら顔を歪めているらしいが、そんなことは気にならなかった。髪の毛から漂う高貴な香りが獣欲をそそった。手に収まりきらない溢れる巨乳を、柔らかい魔導着の上から思う存分堪能する。

 

 「しかし、意外とあっさりしたものだな。実はヤりたくてしょうがなかった口か?」

 

 ハムザはどうしてリヴェリアが急に身体を許すつもりになったのか、まだよく分かっていなかった。胸を弄られながら、リヴェリアはふふ、と微笑する。

 

 「高潔、貞淑、品行方正。私に対するこれらの評価は全て想像に過ぎない。王族ともなれば仕方がないことだが…本来の私はその真逆の性格だ」

 

 乳首を摘んでみると、リヴェリアは身体を捩らせた。

 

 「…っ。ふふ。私が里を抜け出して冒険者となったのは、反骨精神によるものが大きかった。古い慣習を捨て、世界を旅し、新しい価値観を学びたかったのだ。だが、同時に幼い頃から教え込まれたエルフとしての美徳意識も、確かに染み付いていたな」

 

 「実はやんちゃな子供だったのか。でも、厳しく躾られて良い子になったと」

 

 「そんなところだ。だが、オラリオに来て、親がするように若い連中を見守り続けていると…私の生来の反発心が薄れていった。アイズやレフィーヤが道を誤りそうになる度、彼女達を古い価値観で束縛していたらしい。それに気が付かせてくれたのが、他でもないお前だ。ハムザ」

 

 するりと手を服の下へ潜り込ませ、豊満な双丘を直接堪能する。とてつもなく滑らかな肌触りと、完璧な形状だ。

 

 「…ふふ、くすぐったいな」

 

 「すぐ気持ちよくなるさ。それで俺に恋をしてしまった訳か」

 

 「恋というのは間違いだな。先程言ったように、私はあまり貞淑な方ではない。気に入った男に言い寄られれば、いつでも身体を捧げるつもりで居た。だが…そんな男に会うのに、何十年とかかってしまった」

 

 「それは…世の男達はとんでもない大馬鹿物だな」リヴェリアは声をだして笑って答える。

 

 「それか、お前が大馬鹿者かのどちらかだ。さぁハムザ。私に冒険をさせてくれ。新しい世界を、お前が見せてくれ。この時を…あぁ、私は何十年も待ったのだから」

 

 

 リヴェリアの豊満な胸をしばらく堪能し、ついに服を脱がそうかと手をかけた所、リヴェリアはその動きを遮って立ち上がった。

 

 「服は脱がせるな」

 

 ハムザは手を引かれ、ベッドまで連れてこられた。

 

 「エルフの性でな…身体を見せるのは抵抗がある。その代わりお前を脱がせてやるから、ここに座れ」

 

 隣をぽんぽんと叩く彼女に従い、ハムザは柔らかいベッドへ腰を降ろした。するとリヴェリアは服をせっせと脱がせ始める。まるで母親に服を脱がされる子供のようだ。ついに纏う衣服が下着だけになった時、膨らんだ股間の辺りを見た王族は顔を背けて言った。

 

 「慣れんな。まさか私が男の裸体を眺める日が来るだなんて」

 

 そう言いながらも手はしっかり下着に掛かっており、しなやかな手はそれをゆっくりと下ろした。いきり立つ股間を凝視し、王族は不思議な笑みを浮かべている。隠しきれない喜びが湧き出てきたようだ。

 

 「やっぱり裸を見てみたかったのか?」

 

 リヴェリアは素直に頷いた。

 

 「不思議な事に、年を重ねるに連れその欲求は高まっていった。昔は気にも留めなかったお前の様な男が、どうにも魅力的に映るようになった。何故だろうな」

 

 そう聞かれても答えることは出来なかった。代わりに外に出た股間が、獲物を求めてぴくっと動いた。美しいエルフの姫を前に、先走り汁が垂れそうになっている。

 

 「…随分と苦しそうだな」完璧に磨かれた爪、その華奢な指先が裏筋をなぞるように触れた。背筋がぞくっと震えた。跳ねる股間を取り押さえるように片手で包み込むエルフの姫は、そのまま股間を前後にしごき始めた。

 

 なめらかな手のひらで、しなやかな指先で、顔を見上げこちらの反応を逐一観察しているリヴェリアは、確実に手コキのコツを掴んでいった。次第にむず痒くなり、股間がさらなる刺激を欲しているのがよく分かったので、ハムザはそれとなくリヴェリアに言った。

 

 「手でするのもいいけどなぁ…なんと言うか、もっとエロいのが良いなぁ」

 

 動きを止めた彼女はエメラルドの瞳を伏せて考えた。それから「仕方がないか」と言ってローブのボタンを上から順に外し始めた。ゆっくりと露になっていく胸元に期待を抱いていると、ついに大きく美しい双丘が姿を現す。

 

 ローブを着たままなので所狭しと迫り上がり、零れ落ちる素晴らしい胸。染み一つなく、見事な張りのある白い色をしており、乳首は見たこともないような美しいピンク色をしていた。

 

 そんな凶器を二つ持ち上げて、股間を挟んでみせた。思わず声が漏れるが、リヴェリアは更にそれを上下に擦り始めた。一体どこでそんな技を身に着けたのか…そう言いたくなるハムザだったが、【ロキ・ファミリア】の連中の底知れない恐ろしさを思い出し、その言葉は飲み込んだ。

 

 どうせこいつらは、初めから最強なんだ……。約束されたセクロスの技を、生まれつき持っているという超人軍団、それがハムザの中の【ロキ・ファミリア】だった。あのレフィーヤでさえ、その気にさせればきっととんでもない隠し技を持っているのだろう。

 

 「具合が良ければそう言え。何分初めてなものでな…上手く出来ているのか確証が持てない」

 

 「まぁまぁだな」本当は最高だと言いたかったが、認めるのが癪だったので嘘を吐いた。しかしその言葉を本気にしたリヴェリアは、「そうか…」と綺麗な唇を開くと同時に、亀頭をその柔らかい唇で包み込んだ。

 

 「うほっ…」

 

 舌を蛇のように動かし、ぐるぐると亀頭を愛撫するエルフの姫。またたく間に唾液と先走り汁でヌルヌルになった股間を、再びリヴェリアは二つの狂気で包み込む。

 

 以前よりも激しい動きで、射精を促すように執拗に前後させる。豊満な胸に包まれるその快感はとても心地よく、もう我慢出来そうにもなかった。

 

 「……いかん、そろそろセクロスをしよう」だが、そう言うハムザに目を細め、エルフの姫君は首を横に振った。

 

 「駄目だ。このまま射精しろ。私の身体でお前を絶頂に導けるという確証が、私は欲しい」

 

 何でそんなことを…と苦しげに呻くハムザに、リヴェリアは言葉を重ねる。

 

 「どうせ一度や二度では萎えないだろう?最初は胸に出して良いぞ。さぁ、絶頂ってしまえ」

 

 思い双丘が肌に打ち付けられる度、リヴェリアの唾と股間から出る先走り汁で濡れた淫靡な音が響く。ついに我慢の限界を迎えたハムザは、胸に埋もれた中で思い切り射精した。

 

 「っ……」

 

 先端から飛び出した一滴が、リヴェリアの髪に飛んでいき頬を滴る。離した胸には白濁液がべっとりとこびり付き、淫靡な臭いがどっと押し寄せてきた。

 

 「なかなか癖の強い臭いだな」

 

 汚れた胸元にへばりついたそれを指先で掬い、興味深そうにまなじりを細めたリヴェリアは言う。

 

 「一度綺麗にしてやろう」

 

 汚れていない方の手で美しい翡翠色の髪を耳に掛け、痙攣する男根を口に咥えた。根本まで咥え込み、舌を器用に絡め、唇をすぼめて男根を吸い上げる。エルフの姫の美技に、思わずハムザは感嘆の声を上げた。

 

 それから口に残った精液をゆっくりと嚥下し立ち上がる。その時、反動で大きな胸が揺れた。

 

 「やはりまだ萎えないようだな。期待していた通りだ」

 

 このままだと覆いかぶさられ、犯され、気絶してアスフィの二の舞になる。そう感じたハムザはリヴェリアを押し倒し、四つん這いにさせ、ローブをたくし上げた。どうやら下着は履かない主義らしく、王妃の秘部からは濡れた雌の匂いが漂う。

 

 「こらっ…あまり見るな。するなら早く挿入しろ」

 

 どうやらお姫様は見られるのが本当にお嫌いらしい。仕方がないので、股間で蓋をしてやることにした。先端をあてがった瞬間、股間はにゅるっと飲み込まれた。

 

 「おぉっ…凄い」

 

 絡みつく妖精の姫の襞。その味は、柔らかなアイズ・ヴァレンシュタインのようだった。アイズのものは情け容赦なく搾り取る搾精器のようだったが、リヴェリアのものはもっと優しく包み込むタイプの名器だ。

 

 無我夢中に腰を振るあいだ、ハムザは不思議なことを考えていた。レフィーヤのものもそうだったが、エルフの性器は包み込むタイプのものが多いらしい。エイナのものにも似たような感覚がある。深く、大きく、全てを許容するだけの包容力があり、その上で優しく絡みついてくる襞を持つ。急激に射精感がこみ上げるというよりかは、長く時間を掛けて楽しむことが出来、全てがこちらの加減次第だった。

 

 性処理専用の穴としては、これほど優れたものはない…にも関わらず、エルフは皆セックスをしたがらないという。何という、宝の持ち腐れだろうか…。

 

 後ろから妖精の姫を犯すという贅沢を、出来るだけ長く続けたかった。ハムザはリヴェリアを突きながら声を掛ける。

 

 「お姫様、はじめてのセクロスはどんな感覚だ?」

 

 吐く息に僅かに喘ぎ声を混ぜながら、姫は答える。

 

 「想像していたよりも痛みはない。それどころか、なかなか良い塩梅だな…」

 

 「そうか、それはよかった」

 

 今までは浅く突き続けていたが、今度は奥まで一気に突き上げてみる。

 

 「うっ…!」

 

 すると今までにない声色でリヴェリアは喘いだ。どうやら深く突かれるのがお好きらしい。彼女の上半身をベッドに押し付け、腰だけを浮かせた状態にする。背後から覆いかぶさる体勢を取り、男根が王姫の奥まで届くよう、深く強く腰を打ち付ける。

 

 「んっ…そう、…そこだ」

 

 手持ち無沙汰になった手で、押し潰れた胸を掴んだ。それから獣が欲望のままに交尾するように、ハムザは何度も何度も突き続け、ついにリヴェリアは絶頂を迎える。

 

 「っっっっ〜……」

 

 くびれた腰が面白いように跳ね、リヴェリアはしばらく痙攣していた。それから再び動き始めると、リヴェリアは間もなく二度目の絶頂を迎える。その痙攣が収まった時、溜め息混じりに彼女は言った。

 

 「参ったな…病みつきになる訳だ。確かに想像を絶する快感だ」

 

 「喜んでくれたようで何より。だが、俺はまだイッてないぞ」

 

 四つん這いのまま振り向いて、繰り返される挿入に唇を噛みながら彼女は言った。

 

 「避妊薬は常備しているから…好きな時に出して良いぞ。孕ませるつもりで、お前の子種をたっぷりと注いでみろ…」

 

 それから長い間、ハムザは思う存分リヴェリアを堪能した。途中何度も絶頂を迎えた彼女だったが、「早く終わらせてくれ」と頼むことは決してしなかった。むしろハムザが出来る限り素晴らしい膣を堪能したいのだと言うと、「それならばそうすると良い」と言って喜んだ。

 

 しかしいよいよ限界を迎え、溜まりに溜まった欲望を全てリヴェリアの中に吐き出したくなってきたので、腰の動きを早め、リヴェリアに射精を告げる。

 

 「うおおぉ…いくぞっ」

 

 「っ……良いぞ、出せ」

 

 ぐったりとしながらも何とか言葉を発する彼女の中に、ハムザは思い切り全てをぶち撒けた。

 

 「っ…!」

 

 どくどくと脈打つ男根から、妖精の姫の内部に精液が注がれていく。その感覚をはっきりと認識しているのか、リヴェリアは眉間にシワを寄せて口を噛んでいた。対するハムザは天にも昇ろうかという心地よさに開口して脱力し、最後の一波が終わるまでずっと彼女の奥に挿入し続けていた。

 

 ようやく射精が終わった頃には、全身が汗だくになっていることに気がついた。ぐったりとベッドへ倒れ込むハムザとは対照的に、リヴェリアはすっと立ち上がってから、どこからか持ってきたタオルでハムザの全身を拭き始めた。

 

 「お前には感謝しなければ。こんな私を抱く気になる男は、オラリオ広しと言えども、なかなか居ないからな」

 

 「それはどうだか…お前をズリネタにしているやつなんて、掃いて捨てる程いると思うぞ」

 

 「だが、誘ったのはお前が初めてだ」優しい笑みを浮かべ、リヴェリアはハムザの鼻を摘んだ。

 

 もがくハムザを見てけらけらと笑うリヴェリア。彼女の無邪気側面を垣間見て、ハムザは何となく嬉しくなった。

 

 「目を瞑れ」リヴェリアは姉が弟に告げるような、或いは母親が子供に告げるような口調で言った。従わざるを得ないと思わせる口ぶりに、仕方なくハムザは従った。

 

  目を瞑ると、リヴェリアは優しく口付けをしてきた。ハムザはそのままリヴェリアの顔を掴んで離さない。彼女の悪戯っぽいその口付けは、次第に本格的な絡みつく舌使いに変わっていった。

 

 暫くしてから顔を離すリヴェリア。悪戯を完了した子供のように満足そうな笑みを浮かべ、再びいきり立つ股間を指先で弾いて言った。

 

 「……今日は満足いくまで出させてやろう。手と胸と口、好きなものを選べ」

 

 

 

 フィンは夜空を流れる美しい雲には目もくれず、せっせと単調な色彩の書類と格闘し続けていた。巨大なファミリアの団長である彼の元には、毎日沢山の書類が届く。他派閥への支払いだったり、ギルドへの税金だったり、各種申告事項の記載だったりと、ファミリアが大きくなるに連れて執務量はどんどん増えていった。主神ロキがあんなぐうたらな性格なせいで、こなすべき仕事の全てはフィンの両肩に降りかかる。

 

 「…っと。もうこんな時間か」

 

 大きな魔石時計は午前三時を告げている。筆を置き、「ん〜」と伸びをする。するとこんな夜中にも関わらず、足音が執務室に向けて近付いてきた。

 

 (リヴェリアかな?)

 

 こんな時間に起きているのは、自分かリヴェリアくらいだ。ついでにガレスもそのうちの一人ではあるが、彼の場合は酔っ払っている頃合いだろう。ここに来る理由はない筈だ。

 

 ノックの音が響いた。扉を開いて現れたのは、やはりリヴェリアだった。しかし、憑き物が取れたようにスッキリした顔で現れたので、フィンは面食らっていた。

 

 「……殻でも破ったのかい?まさかハムザと?」

 

 思わず口を出た言葉に、フィン自身も驚いた。しかし、リヴェリアはゆっくりと頷いてから話を始めた。

 

 「【怪人(クリーチャー)】の脅威は去った。奴の過去は清算してやろう。闇派閥の殲滅は、あの女の情報に頼らずとも実行出来る筈だ。…ところで、またこんな時間まで仕事か。たまには羽根を伸ばし、気の向くままに馬車にでも乗ってみたらどうだ。世界が変わるかも知れんぞ」

 

 フィンは爽やかに聞き返す。

 

 「無目的に時間を浪費するために馬車に乗る?無理な相談だね」

 

 くるりと筆を回して、更に付け加えた。

 

 「正確には、出来ない相談だ。【勇者(ブレイバー)】たる者一秒も無駄にすることは出来ない。一族の悲願はお気楽な行楽の先にあるものじゃなく、たゆまぬ労苦の果てに成し遂げられるものだからね」

 

 やれやれ、とリヴェリアは肩を竦める。

 

 「お前がそうならそれで良い。だが、はっきりと伝えておこう。【怪人(クリーチャー)】の脅威は去った。アイズも私も、この点で意見は合致している。あの女はもう敵には成り得ない」

 

 「僕には信じられない」フィンは曇った眼で続けた。

 

 「この目がそうだと認識しても、【勇者(ブレイバー)】の目はそうは信じないだろう。どれだけ小さな脅威でも、後に大きな悪となるのならば…確実に排除しなければならないからね」

 

 分かった、とリヴェリアは頷いた。そしてフィンに背を向け、廊下の扉を開いた。思い出したように振り返り、一言だけ彼女は付け加えた。

 

 「どうしてもと言うのなら…親指に聞いてみるんだな」

 

 そう言い残し、リヴェリアは部屋を去った。

 

 「………」

 

 窓の向こうの暗闇をゆっくりと雲が流れていく中、立派な執務机に向かいながら、フィンはじっと親指を眺め続けていた。

 

 疼くことのないその親指を。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章 -洛陽-

 

 

 

 深夜のオラリオに、けたたましい鐘の音が鳴り響いていた。寝ぼけ眼の住民達が一斉に窓を開け、身を乗り出して音の方角を眺めている。

 

 「…うぅん、西南地区…?まさか…」寝巻き姿のシルが、不安そうに両手を胸の前で組む。

 

 「うるさいニャ…。シル、さっさと窓を閉めるニャ……」アーニャが寝返りを打って、布団を被り頭を隠す。

 

 「そうよ、ファミリアの抗争なんて私達には関係ないわ…ほら、はやく眠らないと、明日もきついわよ?」

 

 クロエにそう言われ、シルは窓を閉めた。柔らかいベッドへ戻ると、体が沈み、自然と瞼が閉じた。暗闇の中、シルは男の名を呼ぶ。

 

 (大丈夫だよね……ハムザ君…?)

 

 

 

 緊急事態を告げる鐘の音が、館の全域を震わせていた。団員達は大急ぎで廊下を走り回り、素早く開戦に備えていく。兵士達が行き交う館内を、アポロンとヒュアキントスは小走りで進みながら、いそいそと言葉を交わしていく。

 

 「…奴隷の間には閂を差したな?」

 

 「はい。そのように致しました」

 

 「よい。万が一ということもある……。あの場所は他の人間に知られる訳にはいかないな。それにしても、やはり夜を選んできたか。テルクシノエめ」

 

 アポロンは忌々しそうに舌を鳴らす。

 

 「どのような奇策を準備したとお思いです?」

 

 「分からぬ」アポロンは吐き捨てた。

 

 「戦争遊戯(ウォーゲーム)を受けずに直接攻撃か。だが、こちらも万全だ。戦力は館の守りに集中している上、装備も一新しているからな。我々が負ける要素は、万に一つもない」

 

 『玉座の間』の大扉を開き、アポロンは荒々しく赤絨毯の上を歩いた。既に控えていた兵士達に怒号を飛ばす。

 

 「リッソス!お前は前庭の守備へ回れ、ルアン、お前は館内で情報を収集しろ!」

 

 エルフと小人族の団員が飛ぶように広間から出ていった。残された団員の数は、ヒュアキントス含め五名。いずれも精鋭達だった。

 

 玉座に腰を落とし、アポロンは部下を睥睨した。

 

 「…敵はたったの四人という知らせだ。間違いなく奇策を用意している、気を抜かず、全力で迎え撃て!」

 

 

 「うってつけの夜だぜ」

 

 ハムザは巨大な影の様に闇に鎮座する館を仰ぎ見た。片手に握るのは、鍛冶神へファイストスが打った『宝剣アルマス』。すっかり存在を忘れてしまっていたが、どうやら名工らしい。

 

 なんだか寒気がする上、ハムザはこんな剣はやっぱり不気味だと感じたので、リリに剣を渡した。途端に黒い剣がふにゃふにゃのゼリー状に変化してしまい、思わずリリが素っ頓狂な叫び声を上げた。非難がましい彼女の目つきに諭され、ハムザは仕方なく剣をリリの手から受け取り、気を取り直してパーティに言葉を掛ける。

 

 「我らが主神様の気分を損ねた阿呆共に、正義の鉄槌を下すのだ!」ハムザが吠えた。

 

 「でも、凄い人数ですよ。鉄柵の向こうに何十人も…。いえ、百人は居るでしょうか」

 

 リリは、闇で蠢く人の群れに身震いをする。【アポロン・ファミリア】の団員は皆武器を構え、こちらの動きをじっと観察していた。前衛の厳めしい装備、そして後衛の優雅な魔法衣。流石はオラリオでも有数の『迷宮探索型ファミリア』だ、武闘派が勢ぞろいといった所だろう。

 

 「準備運動にもならん」

 

 レヴィスが一歩前に出て、ハムザと並んでから冷酷な表情を保ったまま指を鳴らした。

 

 「殺してしまって構わないのだな?」

 

 「許可する。なんなら館ごと吹き飛ばしてくれても構わんぞ?俺達の仕事が減るからな」

 

 フードを脱いだ命が真っ黒い柄に手を掛け、僅かに刀身を晒す。切れ味の良さそうな刃が、魔石灯に照らされてぬらりと光った。

 

 「…作戦はレヴィス殿を中心とした中央突破。お手並み拝見といきましょう」

 

 リリがフードを被った。ごわごわした灰色のローブに包まれ、リリの顔が見えなくなった。ところどころにあしらわれた炎の模様が、炭にくすぶる残火のように、暗闇の中であかあかと輝いている。

 

 「では、いきましょう」

 

 リリの声だけが響く。細いが、芯のこもった声色。

 

 「…見ていろ、ハムザ。これが本当の私だ」

 

 レヴィスは屈伸し、力を溜めてから勢いよく地を蹴った。

 

 瞬きする間に、彼女の超速の拳が【アポロン・ファミリア】の誇る分厚い石壁に叩きつけられていた。

 

 『うおおおおぁっ!?』

 

 石壁が粉々に砕け散り、破片が大砲のように降り注ぎ、敵の集団を蹂躙していった。前衛は礫の嵐に視界を奪われ、盾を掲げることを忘れた者達の何名かが、その顔を潰された。

 

 突風が見張り台を薙ぎ倒し、弓兵は無残に地面に叩きつけられた。魔導師達は轟音に耳を壊され、平静さを失いとても詠唱が出来る状況ではなかった。

 

 「狼狽えるな!武器を構えよ!」

 

 驚愕がまたたく間に中庭の守備隊に伝播していき隊列が乱れる中、部隊長を務めるリッソスは懸命に声を掛けた。

 

 「前・中・後に別れ、臨機応変に編成を組み上げろ!兵士よ、太陽にその身を捧げよ!」

 

 リッソスの号令を受けて兵士達は幾分か冷静になったようだったが、彼らがふと上空に異変を感じて夜空を見上げたとき、完全に希望は潰えた。

 

 「なんだ……これ」

 

 城壁が浮かんでいる。真っ先にリッソスはそんな連想をした。数コンマ後に、それが剥ぎ取られた石壁だと気がついた頃には、もう死の恐怖が心を覆い尽くしていた。

 

 『に、逃げろ〜〜〜〜!!』

 

 誰かの叫び声が聞こえたのと同時に、空中に浮かんでいた巨大な石壁が爆砕した。

 

 礫の雨が降り注ぎ、【アポロン・ファミリア】の兵士達は無残に潰されていく。血が飛び散り、肉が潰れるおぞましい音が立て続けに中庭を覆った。僅かに残った運の良い兵士がぼんやりと佇んでいるところに、獣のように強靭な体躯から繰り出される超高速の拳打が襲った。

 

 上半身が吹き飛び、窓ガラスを破った。壊れた魔石灯が明滅する中庭で蠢く影は、圧倒的な力の差を前に無抵抗になってしまっていた兵士達を、ためらいもせず壊していった。

 

 舞い散る血飛沫。血の臭いが充満する中、リッソスは膝をついた。美しい中庭の花壇が、どす黒い血で染め上げられている。見事な噴水は崩れ、血溜まりと化していた。百名は居たはずの兵士達の姿は、もうどこにもなかった。ただそこには、赤い髪を揺らした緑色の目を持つ怪物が、瓦礫の中、ゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見えるだけだった。

 

 「………化物」

 

 ぐしゃっ、と頭を潰されて、リッソスは事切れた。

 

 「これで最後か」

 

 僅か一分間にも満たない殺戮だった。怒声の飛び交う館内から、焦燥の色がはっきりと伺い知れる。そんな異常な雰囲気の中、顔色一つ変えずに、レヴィスは振り返って声を張り上げた。

 

 「どうした!はやくしろ!先に行っているぞ!」

 

 次の瞬間、館の正面玄関が大砲で撃ち抜かれたようにひしゃげ、館内から幾つもの叫び声が上がった。

 

 「……やりすぎでは?」

 

 呆れたリリの声が、破壊しつくされた【アポロン・ファミリア】の中庭を滑稽なものに思わせた。抉られた地面と、ぶち抜かれた石壁。夥しい死体の山。館内では今も破壊の轟音が鳴り響いている。まるで悪魔が暴れているようだった。

 

 「私達も、行きましょうか」

 

 あまり気乗りのしない命の声が聞こえる。ハムザは、このままレヴィスにまかせておけばどうにでもなる気がしていたが、一人くらいは倒しておかないとあとで主神に嫌味を言われること請け合いだったので、仕方なく進むことに決めた。

 

 しかし、あれだけの兵士を一瞬で片付けてしまうなんて。それに、あんなに素早く動けるだなんて。パンチしただけで体が吹き飛ぶなんて、一体どんなステイタスだ?

 

 可愛い顔をしておきながら、意外と殺しが好きな獰猛さも持ち合わせているらしいし、何となく血をみて興奮しているような気もする。本当は連続殺人犯かなにかだったのではないか?

 

 ひしゃげた鉄門を身をかがんで通り抜けながら、ハムザはレヴィスが実はとんでもない奴だったのかも、と心で呟いた。

 

 

 館内の戦況は奇妙だった。百人規模の守りがいとも容易く突破され、人の形をしているものは死体だろうとレヴィスによって蹂躙されていった。もはやそこには『戦闘』などは存在しておらず、一方的な殺戮が繰り広げられる。

 

 絶叫、断末魔、嗚咽。

 

 豪華絢爛を誇る【アポロン・ファミリア】の本拠に身の毛のよだつ叫びがこだまし続けている中、アポロンは【玉座の間】で頭を抱えていた。

 

 「馬鹿な…あり得ん……何が起こっているのか、報告はまだか!?」

 

 ヒュアキントスは顔をしかめたまま首を横に振った。中庭の殺戮を見てから、館内の状況が掴めない。状況がすこぶる悪いのは、兵士達の悲鳴から感じ取ることは出来た。だが、正確な情報が欲しい。先程戦況報告のため戦闘区域に出した幹部はまだ戻らない。男神は頭を掻き毟り、黄金の髪は乱れて普段の輝きを失う。

 

 「我が軍勢を一方的に屠るステイタス……Lv.6…いや、Lv.7…?ロキかフレイヤが、いらぬ横槍を出してきたか?」

 

 「それは……」ヒュアキントスは信じられないと青ざめる。「あり得るのでしょうか、そのようなことが?」

 

 「あり得るわけがないのだ!」アポロンは声を荒げた。

 

 「たかがFランクごときの新興派閥に、オラリオ屈指の奴らが肩入れをするなど、あってはならんはずだ!」

 

 荒々しく【玉座の間】を行ったり来たりしながら、アポロンは必死に分析に思考を割く。

 

 (烽煙玉は依然として何も知らせてはいない。ダフネもカサンドラも、異常なしということか…だが、この馬鹿げた状況は何だ?一体何が起きている…いや、起きようとしているのだ…?)

 

 駒の散らばった盤上に忌々しそうに視線を落とし、アポロンはじっと動かなくなった。館内の柱が崩れる音が聞こえ、部屋が振動した。破壊音が徐々に近づいてくるのが分かる。一分ほど硬直した後、アポロンは頷いた。

 

 「鬼手…そうか。こちらも鬼手を返さなければ」

 

 立ち上がり、男神は青ざめている幹部達に告げる。

 

 「ヒュアキントスを残し、お前達はギルドへ向かえ。私の読みが正しければ、あの馬鹿げた女がハシャーナ殺害の犯人だ。ギルドに協力を仰ぐと共に、テルクシノエ・ファミリアを犯罪人の隠匿で糾弾し、行動不能に陥らせるのだ」

 

 「ですが、アポロン様」

 

 ヒュアキントスは恐る恐る口を挟んだ。

 

 「ギルドは奴らのいいなりだったのでは。それに、今からギルドに向かって説得を始めても、きっと間に合わないでしょう」

 

 拳をきつく握りしめ、激昂を抑えきれずわなわなと体を震わせるアポロン。 

 

 「…貴様は、それでも」息を整えながら、真っ赤な顔でアポロンは言った。

 

 「それでも太陽の御子か?神がやれと言ったら、子はそれをやるものだ!血を吐いて倒れても、病に罹っても私の言う通りに働くのだ。365日、24時間、死ぬまで働け!」

 

 「そ、そんな!」女性幹部が悲鳴にもにた声を上げる。「そんなの無理です!」

 

 「無理と言うのは、嘘つきの言葉だ!」アポロンの怒りはついに限界を迎え、男神は怒号を響かせて激しい身振りで喚き散らした。

 

 「諦めるから無理なのだ!諦めなければ無理じゃないのだ!戦力差があろうが、時間がなかろうが、気合と根性でどうにかしろ!」

 

 呆然としている幹部達に猛り狂った顔を向け、男神は歯を剥き出しにして怒鳴った。

 

 「何をしている、さっさと行け!さもなくば奴隷として売り飛ばすぞ!」

 

 ●

 

 「追い詰めたぞ!」

 

 槍で牽制しながら、袋小路に追い詰めた獲物へとじりじりと近づいていく【アポロン・ファミリア】の団員達。リリは一歩一歩と後退していき、壁に背をつけた。

 

 「こいつは大したことない!ただの小人族だ!」

 

 暴れ回り破壊の限りを尽くすレヴィスとは打って変わって、館に侵入してきたもう一人の【テルクシノエ・ファミリア】は弱かった。追い詰められ、あっさり両手を挙げた。

 

 「リリは降参しますよ。冒険者の皆さまに取り囲まれては、どうすることも出来ません」

 

 せせら笑う【アポロン・ファミリア】の冒険者達の中で、小人族の小姓に似た(ルアン)が、そろりそろりと輪から抜け出し、別方向へ駆けだした。

 

 「…おかしいよなぁ。弱い奴がのこのこウチに入ってくる訳がない…おいらの勘だけど……あいつも十分ヤバい」

 

 直後、先程までルアンがいた廊下で、爆発が巻き起こった。立て続けに二発、三発と大爆発が館内に炸裂する。

 

 「ひいっ!」

 

 ルアンは思わず足を止め、両手で頭を抱えて蹲った。大震動が壁を伝い、壁に取り付けられた魔石ランプが床へ落下し、砕けた。恐怖で身が竦み、ルアンは腰が砕けたまま動けなくなった。すると先ほどの取り囲まれていた筈のリリが、ゆったりとこちらへ近づいてきた。

 

 「おや…勘の良い方が一人残っておりましたか」

 

 「た、助けてくれ!」ルアンは哀願した。「いうことなら聞く!」

 

 「それでは交渉になりません。どっちみち貴方達は我々の命令に従うことになりますから」

 

 冷淡な口調に、ルアンは冷や汗を垂らす。

 

 「…なぁ、あんた同族だろ?ブレイバーやブリンガルの他にもヤバい奴が居たなんて、おいら知らなかったよ。あの爆発……ヤバい魔法だよな」

 

 「魔法ではありません。リリは何もしていませんよ。本当は命様と練習した連携でやっつける筈だったのに、誰かが逸って魔法を使ってしまったんです。しかもよりによって、炎魔法を」

 

 「ど、どういうことだぁ…?」呆然とするルアンに、リリは肩を竦めて説明してやった。

 

 「このローブですよ」くるっと回転して、リリはローブを見せびらかした。控えめにあしらわれた緋色の模様が、あかあかと輝いている。

 

 「ヘファイストス様特製のローブですが、炎は吸収して、何倍にも威力を上げて跳ね返してしまうんです。せっかく良い作戦を実行する絶好の機会を得たのに…残念です。そうですよね、命さま」

 

 「全く、その通りです」

 

 背後で声がして、極東風の少女が現れた。

 

 「さて、どうしましょうか。この方は捕らえてしまうのが良いか、殺めてしまうのが良いか」

 

 「放っておきましょう。一人くらい生き証人が居た方が、【テルクシノエ・ファミリア】の武勇を広めるためには役に立つものです。それより…見て下さい」

 

 リリは窓の外を指差した。本拠の豪華な館の尖塔が、砂浜の城が波に攫われていくように、呆気なく崩れていった。

 

 「あれもレヴィス殿ですか…。見事と言わざるを得ません」

 

 「あんな化物を従えることができただけで、ハムザさまが特別だって分かります」

 

 轟音と共に崩れ去った本拠の一画を白い目で眺めながら、ルアンは空笑いを響かせた。

 

 「はは……。あんたら、ぶっ飛んでるなぁ…でも」

 

 ルアンはゆらりと立ち上がった。「おいらにだって策はあるんだぜ」

 

 いつの間にか彼の右手には、スイッチが握られていた。「地獄で会おうぜっ!」

 

 スイッチを押しかけたルアンの右手を、高速の抜刀が斬り落とした。

 

 「っ…!?」

 

 血を撒き散らす右肩。目を見開いて硬直するルアンの前で、命は黒い刃を鞘にしまった。

 

 「自爆装置ですか?申し訳ございませんが、そうはさせません。さぁ、玉座の間に案内して頂きましょう」

 

 「嫌だと言ったら……?」恐る恐るルアンは命の目を見つめながらそう聞いた。代わりにリリが答える。

 

 「案内すれば、後で腕を治して差し上げましょう。案内しないのであれば、そちらの片腕は潰して進みます」

 

 床に転がった自分の片腕を眺め、ルアンはごくりと喉を鳴らした。

 

 「殺すって言われるより、ずっと効き目がある脅し文句だなぁ……。わかった、案内してやるよ。どうせおいら達はもうおしまいだ」

 

 

 『【アポロン・ファミリア】の本拠で大きな抗争が起きているようです!』 

 

 ギルド本部。

 

 真夜中の事件の対応に、エイナは追われていた。遅くまで残業をしていた彼女と、その他の夜勤職員の数名は突然の出来事に頭を抱え、ギルド長ロイマンの不在を嘆いていた。

 

 「はぁ…あの豚上司、いっつもいっつも定時に帰る上……緊急事態も全部私達に丸投げじゃない…」

 

 溜息と共にエイナは目を閉じた。ギルドには住人が次から次へとやって来て、抗争が起きていると大声で叫んだ。しかし、ただの平職員であるエイナにはどうすることも出来ない問題だった。ロイマンの指示がなければ抗争鎮圧のため他派閥に『任務(ミッション)』を依頼することも出来ない。だから次々とやってくる住人達に、エイナはこう告げるだけだった。

 

 「ファミリア間の抗争を即座に仲介したり処罰する権限は、ギルドにはありません。でも、抗争がもし街の治安に悪影響を及ぼすのであれば、ギルドはギルド長の命の元、各派閥に任務として協力を求めることが出来ます」

 

 しかし、そんなことを言われて住人が納得をする訳がない。同じように説明をした今も、寝間着姿の女性は不服そうに腕組みをして言った。

 

 「あら…館から瓦礫が飛んできて、私の家の屋根を突き破ってキッチンを粉々にしたんだけれど、それでも街の治安に悪影響がないって、本当に思っているの?」

 

 (もうやだぁ~…はやく起きて来なさいよ、馬鹿上司……)

 

 数刻前に使いがロイマンの家へ飛んでいったが、上司はまだやってこない。職員の少ない深夜のギルドは混乱を収めるにはあまりに人手が不足していた。

 

 その時、ロビーに武装した冒険者数名が息を切らせて飛び込んできた。

 

 「【テルクシノエ・ファミリア】だ!」

 

 男が叫んだ。その後を継ぐように、別の男が叫ぶ。

 

 「我々は【アポロン・ファミリア】だ!テルクシノエ一派が我々の本拠を急襲し、多大なる被害を出している!奴らはガネーシャ・ファミリアのハシャーナを殺害した犯人を匿っている、危険な集団だ!闇派閥(イヴィルス)かもしれないぞ!」

 

 ロビーがざわめいた。エイナは突然ある事を閃いた。

 

 どうするか対応に困っている同僚達を押しのけて、エイナは彼らの前に進み出て言った。

 

 「私、受付嬢のエイナ・チュールです。お話を伺いますので、応接間へどうぞ」

 

 彼らは焦燥感を隠しもせず、早足で応接間へと向かった。部屋の明かりをつけるや否や、一人が大声を出した。

 

 「女神テルクシノエの拘束を要求する!」

 

 「えぇっ…?」驚いたエイナに被せるように、男は言った。

 

 「犯罪者の隠匿に関与した罪で、女神テルクシノエを出頭させるべきだ!そしてただちに我々の本拠への攻撃を中止させ、尋問した後処罰するべきだ!」

 

 荒い身振り手振りの大男に気圧されながらも、エイナは背筋をぴんと張り、淑やかな受付嬢を保ち続けた。

 

 「生憎ですが、女神テルクシノエからは既に事情を伺っております」

 

 「なんだと!?」【アポロン・ファミリア】の一派は面食らったようだった。

 

 「ですから、彼女から既に伺っております。ハシャーナさん殺害に関与したと思われる人物を拘束し、尋問したと。その結果、その人物は無関係だったという結論に達したことを、ギルドは十分に説得力のある論拠として支持しています。つまり、女神テルクシノエはハシャーナ殺害の件とは無関係です」

 

 エルフの女性冒険者が机を叩き、勢いよく立ち上がった。

 

 「やはりお前達もグルか。恥を知れ!穢れたハーフエルフめ!」

 

 「それよりも、実はこちらも【アポロン・ファミリア】に伺いたいことがありました」

 

 エイナの口調には、苛立ちと不満の声色が混ざっている。

 

 「脱税、人身売買、虚偽申告。アポロン一派にはこれらの疑いがかけられていますよ。遅かれ早かれ、ギルドは貴方達を査察する予定でした」

 

 「な、何が言いたい……?」エルフの女の表情は硬くなり、発する言葉はぎこちない。

 

 「つまり…」口もとを覆ったり、目を逸らしたりしているアポロン一派に、エイナは畳みかけた。

 

 「取引を申し出ましょう。神アポロンが行ってきた犯罪の情報を提供するのであれば、身の安全を保障します」

 

 「馬鹿なっ!?我が太陽神様を売れというのか!」声を荒げるエルフに反し、落ち着いた口調で大男が言った。

 

 「俺は乗るぜ、その提案」

 

 「あぁ、俺も乗るよ。あの主神には嫌気が差していたところだ」

 

 「そんなっ!?」信じられない、とエルフの女性は目を見開いて同胞を見つめた。

 

 「どうして!?」

 

 「どうしてもこうしてもないさ」男は言った。「さっきの言葉、覚えてるだろ?あの神、俺達のことを何とも思っちゃいねぇ。俺は奴隷の調教に一生を捧げるために冒険者になったんじゃねぇ。頃合いだろう、俺は降りる」

 

 閉口するエルフの女性に、憐れみの目を向けてエイナは言った。

 

 「仮に貴方達の主神がこの抗争に生き残ろうと、ギルドの調査によって黒と判明すれば神アポロンはおしまいです。間違いなく追放の身となるでしょう」

 

 「そうだ。それに俺には、あの神がこの戦に勝つとは思えないな」男がはっきりと言った。

 

 「どっちに転んでも、俺達は終わりだ。それなら、この提案はむしろ有難い。身の安全を保証し、重い罪には問わない。そうだろ?ハーフエルフの受付嬢さん」

 

 「そうですね」エイナは満足気に笑った。「再就職も斡旋します。第二の人生が軌道にのるまで、ギルドは全力で貴方達をサポートしましょう」

 

 「…………」エルフの女性は考え込んでいたが、やがて頷いた。

 

 「分かった。飲もう。ただし、条件がある」

 

 「条件……?」エイナは彼女を見た。目が潤み、涙が頬を伝った。

 

 「絶対にあの神に厳罰を下してくれ!あいつは……私の体を道具のように扱った!何度も逃げたかったが…逃げた団員がどうなるかはよく知ってる。あいつは執念深く、裏切り者を許さない。だから……もし私達が裏切ったと知ったら、あいつは…。絶対に私を殺しに来る」

 

 「それなら…不安を取り除いてあげるわ。この件に関して、実は非公式だけど外部から協力を申し出てくれた人がいるの。その人の顔を見たら、きっと貴女も安心するわ」

 

 立ち上がり、エイナは応接間の奥へと続く扉をノックした。

 

 「入れ」

 

 凛とした女性の声が響いた。【アポロン・ファミリア】の団員達は互いに顔を見交わし、その声の主に興味を示す。

 

 「一体……誰が?」彼女は眉をひそめ、エイナに問う。「誰が私達の身の安全を保障する?」

 

 ふふ、と一呼吸置いて、エイナは言った。

 

 「リヴェリア・リヨス・アールヴ様よ。実はリヴェリア様が、ギルドを内密に支援してくれているの」

 

 扉の奥には、ソファーに腰を落とし、古めかしい書物をめくる王族の姿があった。彼女は翡翠色の目を向け、可憐な口を開いた。

 

 「善意の施しではあるが、無償の善意ではない。ギルドが所有している公共施設の一部の改築権利を得るため、個人的に協力することにした」

 

 「九魔姫(ナイン・ヘル)……【ロキ・ファミリア】の後ろ盾か…そりゃ、アポロン様も勝てない訳だ」

 

 妙に納得した様に頷く男に、リヴェリアは首を振った。

 

 「少し違うな。奴らの実力は奴らだけのものだ。私達が進んで協力を申し出た訳ではないからな。テルクシノエ一派の行動力が、私達を巻き込んでいった。お前達【アポロン・ファミリア】は、潜在能力の時点で負けているだけだ」

 

 「喧嘩を売る相手を間違えたのよ、神アポロンは」

 

 エイナの言葉に、【アポロン・ファミリア】の面々は重々しく俯き、口を塞いだ。 

 

 【アポロン・ファミリア】の本拠で暴虐を尽くしていたレヴィスだったが、次第に破壊する場所が少なくなっていき、自ずと最も造りが頑丈な中央部へと進んでいた。また、リリと命の二人組もルアンの案内の元に、同じ場所へと近づきつつあった。遅れて参戦したハムザは、血肉が散乱する館内を悠然と歩きながら、無目的に彷徨っていた。

 

 ハムザは地下を目指していた。と、いうのも、うっかり城の内部でレヴィスの巻き添えをくらうのを恐れたからだった。地下にいれば、少なくともさっきの塔みたいに崩壊してしまうこともない。それに、アポロンがそれらしい【玉座の間】にいると見せかけて、実は地下に籠っているという可能性だって、十分に考えられたからだ。

 

 頑丈な作りの木扉に、閂がかけられていた。ハムザは閂を抜き、扉を開いた。鎖に繋がれて項垂れる少年少女が、いっせいにこちらに目を向けた。

 

 「うおっ……」

 

 痩せこけた頬、痣だらけの肌。一目で彼らが奴隷として扱われていたことが分かった。彼らの拘束を剣で断ち切り、一人ずつ自由にしてやった。礼を言う奴もいれば、拘束を解いてもそのまま動けない奴もいた。とにかく、ハムザはあまり時間をかけないように雑に鎖を断ち切り続け、全員を解放してから言った。

 

 「アポロンはどこにいる?ぶっ殺してやるから、場所を教えろ」

 

 『『『玉座の間』』』

 

 大勢がそう答えた。元気のある奴隷を一人選び、ハムザは道案内をさせることにした。残りの奴隷には外に出るように伝えたが、彼らは恐れのためか動きたがらなかった。

 

 「ここに居たら崩落に巻き込まれるぞ!さっさと外へ出やがれ!」

 

 剣を抜き、追い立てるように叫ぶと、彼らはようやく腰を上げ始めた。そんな作業に十数分を費やしてから、ようやくハムザは奴隷の一人と共に【玉座の間】に向かって歩き始めていた。

 

 「お前は怖くないのか?」少年に問うと、彼はゆっくりと答えた。

 

 「……あの神が、あいつが…貴方に殺されるのが楽しみです。恐れはありません…」

 

 「俺が殺すのはヒュアキントスとかいう野郎だ。そいつをぶっ殺したら、主神がアポロンを殺しにやってくる」

 

 「同じことです。ヒュアキントスは、僕の弟を殺した」

 

 それ以上、ハムザは何も聞かないことにして、少年の道案内に従って館内を進んだ。程なくして、一段と豪華な彫刻が施された大扉の前に二人は辿り着いた。

 

 「なんだ、遅かったな」

 

 レヴィスが柱に背を持たれて腕組みをしていた。

 

 「本当です。随分待ちましたよ」リリが物陰から現れた。

 

 「…人質を解放していたのですね?流石です、ハムザ殿」

 

 命が一礼し、ハムザは少年に顎で帰るように指示を出した。彼は躊躇いを見せたが、冒険者に囲まれた自分を場違いだと恥じ、渋々踵を返して戻っていった。

 

 「万事、恙なしといったところだな?」

 

 「あぁ」拳を鳴らし、レヴィスが獰猛な笑みを作る。「ここの部屋の連中以外、皆殺しにした」

 

 「リリ達は一人だけ逃がしてやりました。今頃腕をくっつける為に治癒師を訪ねているでしょうね」

 

 「よろしい。俺も仕事をするか」扉に両手を当て、押し開く。

 

 天上の高い荘厳な部屋の奥に、玉座に座す男神アポロンの姿があった。

 

 「悲しき夜だ」

 

 大袈裟な所作で天を仰ぎ、ゆっくりと立ち上がるアポロン。

 

 「多くの子供を失った。私の長きに渡る活動の成果が、たった一夜にして失われてしまうとは。許されることではない」

 

 こちらへ歩み寄ってくる神に注意深く視線を注ぎつつも、ハムザは周囲の警戒を怠らなかった。

 

 (団長がいない…。小細工だな)

 

 アポロンに背を向け、上を見た。大扉の上に施されていた彫刻に身を隠していたヒュアキントスと目が合った。

 

 ぎょっとしたヒュアキントスが、リリを目掛けて剣を突き立て、飛び降りた。

 

 「太陽に血を捧げよっ!」

 

 跳躍し、抜刀。ヒュアキントスの両手を狙い、剣を振った。

 

 確実に腕を捉えた筈だったが、ヒュアキントスは素早い反応で剣を受け、弾いた。

 

 二人は同時に着地し、お互い自分の剣に目を落とした。

 

 ハムザの『宝剣アルマス』は、真っ黒い刃に刃こぼれ一つなかった。だが、ヒュアキントスの『太陽の波状剣(フランベルジュ)』は刃の一部が凍り付いていた。

 

 「馬鹿な……」

 

 僅か一瞬、ヒュアキントスが剣の状態に気を取られている隙に、ハムザは斬りかかった。

 

 「ぐっ……!?」

 

 ヒュアキントスは再び剣で受けた。しかし、凍り付いていた箇所を狙ったハムザの斬撃により、『太陽の波状剣(フランベルジュ)』は呆気なく折れた。砕け散った剣に、アポロンは閉口する。だが、まだ戦意を失っていないヒュアキントスは折れた剣を捨て、ハムザ目掛けて飛び掛かった。

 

 リリ、命が目で彼を追った。レヴィスがつまらなそうに目を閉じた。

 

 狙いを定めて剣を運ぶハムザ。だが、ヒュアキントスは直前で身を屈め、大きく跳躍し、ハムザを飛び越えて空中で一回転してからアポロンの傍へ戻った。

 

 「逃げるな、馬鹿」

 

 「【——我が名は愛、光の寵児。我が太陽にこの身を捧ぐ】」

 

 詠唱を開始したヒュアキントスを、ハムザは面白そうに眺めた。

 

 「魔法でどうにかなると思ってるのか?」

 

 「【——我が名は罪、風の悋気。一陣の風をこの身に呼ぶ】!」

 

 無駄なことを、と吐き捨て、『宝剣アルマス』を掲げた。

 

 「【放つ火輪の一投。———来たれ、西方の風】!」

 

 どんな魔法だろうと、打ち落としてやる。ハムザは次の攻撃に備えた。

 

 ヒュアキントスの魔力が一点に集約し、魔法が完成する。

 

 「【———アロ・ゼフュロス】!!」 

 

 輝く大円盤が、振り下ろされた右腕と共にハムザ目掛けて驀進した。

 

 円盤を迎え撃ち、ハムザが剣を振り下ろした瞬間———。

 

 「【火華(ルべレ)】」

 

 円盤の光が極限まで膨張し、剣を振り下ろすハムザごと爆発で包み込む。爆風が【玉座の間】を縦横無尽に駆け巡り、リリが、命が、アポロンが吹き飛ばされて壁にぶつかった。だが、レヴィスは腕組みしたまま仁王立ちしていた上、爆発の中心地にいたハムザも、傷一つなくそこに佇んでいた。

 

 「…何だ、何だその小さな爆発は、ヒュアキントス!もっとまじめにやれ!」

 

 アポロンの怒号を受け、固まる驚愕に顔を染めるヒュアキントス。微細な氷の結晶が、ぱらぱらとハムザの眼前で舞い散る。

 

 「火華(ルべレ)が……凍った…だと?い、いつもなら」

 

 美男子ヒュアキントスは、しどろもどろになった。「いつもなら…も、もっと爆発するのに…」

 

 「他に奥の手はあるか?まだ見せてない魔法があるなら、使っておけ」

 

 「ありえん…俺はLv.3だ!何故、どうしてLv.2のお前の方が強いのだ!?説明がつかないではないか!!」

 

 「知るか、そんなこと。じゃあ、次は俺の番だ」

 

 右手を上げて魔法を詠唱しようとしたハムザの前に、アポロンが跪いた。

 

 「ま、待て!私達の負けでいい!資産は受け渡す!追放の身になっても構わん!だが、命だけは勘弁してくれ!」

 

 う~ん、と迷うハムザ。その時、大扉が開かれ、主神テルクシノエが【玉座の間】に足を踏み入れた。

 

 「——やぁ。お揃いじゃな、馬と鹿とが」

 

 「テルクシノエ……ムーサの一柱」

 

 アポロンは顔を上げ、哀願するように言った。

 

 「どうか…どうか助けてくれ。お前達を恨んだのは間違いだった。許せ、許すのだ……」

 

 全員の目を一身に受けたテルクシノエは、誇らし気に眷属達を見渡してから、言った。

 

 「許す訳ない。百回殺してやる。額縁の恨み。死ね。その男を殺すのじゃ、ハムザ!」

 

 「と、いうことだ。悪いな」

 

 ヒュアキントスはハムザの剣で心臓を貫かれ、息絶えた。アポロンは両手で顔を覆い、泣き崩れた。

 

 テルクシノエは男神の目の前で、硝子の破片を握りしめていた。彼女の白い掌から、鮮血が滴り落ちる。それでもなお、彼女は破片をきつく握りしめ続けた。

 

 「これが何だか分かるか?」

 

 太陽の神に問う、芸術の神。ハムザは、それが額縁の硝子の破片だと一目で分かった。一番鋭い部分を、わざわざこの神は持ってきたのだ。それで復讐を果たすために。

 

 「お前達が壊した、私の宝物だ!」

 

 テルクシノエは握りしめた破片を振りかざし、アポロンの首筋に目掛けて振り下ろした。

 

 「…死んで侘びろ!」

 

 アポロンの首に硝子の破片が突き刺さり、どさりと床に崩れ落ちた時、天空から光の柱が降り注ぎ、館の屋根を貫いて、アポロンの身を包んだ。

 

 神が死を免れるために発動する、神力アルカナム。アポロンは地上での禁忌を犯したことにより、自動的に天界へと送還されていった。

 

 光の柱を上っていく神の身体を眺めながら、テルクシノエは未だに憎しみの籠った目つきを保ちつつ、呟いた。

 

 「喧嘩を売る相手を間違えたな……阿呆のアポロンめ」

 

 

 「アポロン・ファミリアが壊滅した?」

 

 翌朝、眠そうな目で出勤してきたロイマンは、そのように報告を受けて目を丸くした。

 

 「一体何が起きたんだ、おい、チュール!」

 

 「……言葉の通りです、ギルド長。昨晩さんざん使いを出したのに、どうして出社して下さらなかったのですか?私はお陰で眠れませんでした」

 

 「あ、あぁ。そのことか。いや、実は…うむ、まぁ良い。丸く収めたのだな?」

 

 「丸く収めるどころか、エイナはアポロン一派と取引して、犯罪の証拠をつかんでますよー、ロイマン所長」

 

 同僚のミィシャに褒められても、徹夜明けのエイナの表情は冴えない。だが、ロイマンは感心したようだった。

 

 「ふむ…それなら、テルクシノエ様達の昨晩の行動は、悪辣な犯罪者集団アポロン一派を粛正するため、ということで声明を出そう」

 

 「その準備も出来てます、所長」羊皮紙をミィシャから手渡されたロイマンは、ほほう、と再び関心の声を漏らした。

 

 『脱税、人身売買を行ったかどにより、【アポロン・ファミリア】はギルドの査察を近日中に受ける予定だった。しかし、奇しくもアポロン一派から戦争遊戯を申し込まれていた【テルクシノエ・ファミリア】がその噂を聞きつけ、アポロン一派を急襲。捕縛されていた不幸な境遇の少年少女達を解放し、神アポロンは女神テルクシノエにより天界へ転送された』

 

 『当ギルドは【テルクシノエ・ファミリア】の迅速かつ勇敢な行動を評価し、オラリオの治安を乱していたアポロン一派を壊滅させたことに対し、五千万ヴァリスの報奨金を支払うことを提案。しかし、女神テルクシノエはこれを辞退した。女神曰く、報奨金は被害を受けた不幸な住人達へ渡して欲しい、とのことだった』

 

 「なるほど、なるほど。よろしい。この五千万の出所はもちろん……」

 

 「――【アポロン・ファミリア】から押収した財産です」エイナが答えた。

 

 「けっこう、けっこう。私はこれから女神テルクシノエに謁見を求めにいく。この文書は複製して各掲示板に貼りだしておけ。よくやった、チュール」

 

 ●

 

 「アポロンの本拠が壊滅したっていう噂、本当みたいニャ。シルが早朝見に行ったら、瓦礫の山になっていたらしいニャ」

 

 『豊穣の女主人』では、朝から仕込みに入っていた給仕の少女達が、丁度噂話に興じ始めていた。

 

 「抗争なんて、珍しいわねぇ。しかし、戦争遊戯を吹っ掛けてきたアポロンを、強襲して崩壊させるなんて、テルクシノエ様もあぁ見えて武闘派ね」

 

 猫人のクロエは尻尾を揺らし、のんびりと子牛のスープをかき混ぜながら欠伸をかいた。

 

 「ハムザは無事だったのニャ?」ちらっ、とシルを見やるアーニャ。リューが聞き耳を立てながら厨房の奥から顔をのぞかせた。

 

 「それがねぇ……」言うべきかどうか悩んだシルだったが、やがて息を吐いてから言った。

 

 「捕虜の女の子を捕まえたって言って、喜んでました。私が様子を見に行ったら、朝からお楽しみだったの。心配して損しちゃった…」

 

 「あの変態らしいニャ。それにしても、どうやってヒュアキントスを倒したのか、未だに謎だニャ」

 

 「ハムザさんは、私よりも強い」リューが皆に背中を向けて、じゃがいもの皮を剥きながら言った。

 

 「ヒュアキントス程度では、勝負にもならなかったでしょう。本気を出したあの人が、【ロキ・ファミリア】の幹部を数人纏めて戦闘不能にしたという話を、本人から伺いました」

 

 「嘘に決まってるニャ。信じるリューの頭がおかしいニャ」アーニャはあり得ないと否定する。

 

 「もし本当にそんなことをやってのけてたのなら、ミャーの処女はハムザに捧げるニャ」

 

 「言いましたね」リューはじゃがいもの皮を剥く手を止め、アーニャを射すくめた。

 

 「今度【ロキ・ファミリア】がここへ来たら、私が聞いてみましょう。本当だったら、アーニャ。その時は分かってますね?」

 

 「おーおー!受けて立つニャ!あんな変態冒険者の法螺話なんて、嘘に決まってるニャ!もし嘘だったら、リューがあいつに処女を捧げるニャ!」

 

 ぐっ、と怯むリュー。

 

 「ふざけてないで、さっさと仕込みを終わらせましょう。ミア母さんが来るまでに仕上がってなかったら、貴方達の処女なんて関係ないくらいひどいことになるんだから」

 

 クロエに促され、少女達は仕事に戻っていった。

 

 (なんだか……どんどん先に進んで行っちゃうなぁ、ハムザ君。もう私なんか、振り向いてもくれないのかな……)

 

 唇を尖らせながら、シルはにんにくを潰し続けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ ―勇者は、その時―

 

 

 

「金ががっぽり入ったのじゃ。地下金庫の財産を軽く見積もっただけでも、十五億ヴァリスはくだらん。これで当面はどうにかなるじゃろ」

 

 【アポロン・ファミリア】との抗争を経て、テルクシノエ達は大いに懐を潤わせていた。大聖堂の改築にしっかりとした業者を手配し、ナァーザと約束した新薬舗の建築にも取り掛かる手筈が整った。

 

 ギルド長のロイマンに裏金をしっかり渡しておいたお陰で、今回の急襲には何のお咎めもなかった。むしろ、巷ではテルクシノエ達は悪を討ち取った英雄として、尊敬のまなざしを集めるようにもなっていたのが、なんとも心地がよかった。

 

 そして、この日ハムザは、【アポロン・ファミリア】から奪い取った二人の麗しい女性の横で、素っ裸で寝息をかいていた。

 

 「なんなら、今すぐにこいつの首をかき切って、どこへでも行けそうな気がしない?」

 

 ダフネはカサンドラに言う。だが、数日をハムザ達と共に過ごしてみて、二人は居心地の良さを感じ始めていたので、カサンドラはそれが彼女なりの冗談だとすぐに気が付いた。

 

 「じゃあ、私が口を押えるから、ダフネちゃんはひと思いにやっちゃって……」

 

 「―――本気ではないだろうな、まさか?」

 

 二人は振り返った。短刀を手に取ったレヴィスが、二人を睨みつけている。あははは、と空笑いを作り冗談だと説明するも、赤髪のボディガードは疑り深い眼差しで二人を睨み続けていた。

 

 「……はぁ、それにしても、予言が成就しちゃったんだなぁ……」

 

 「後からなら、何とでも言えるわよね。でも、アポロンと別れることが出来たことには、感謝してるわ。これで真っ当な冒険者生活が出来るって訳だもの」

 

 「うん……それなんだけど、やっぱりダフネちゃんは、【テルクシノエ・ファミリア】に入るのは嫌?」

 

 「考えてはいるけど……どうするか、まだ決めてないわ。だって、ここも滅茶苦茶じゃない。団長はただの変態だし、主神はぐうたらだし……。まぁ、実力があるってのは認めるけどさ」

 

 「そっかぁ……。まぁ、ハムザさんはよく考えると良いって言ってくれてるし…こうして体の関係を続けているだけでも、幸せだよね…」

 

 私はそうは思わない、とダフネは肩を竦めた。ともかく、自由になれた。今はそれだけで、満足だった。

 

 

 【アポロン・ファミリア】壊滅の噂が落ち着き始めた頃になっても、フィンはまだ怪人の動きを追い続けていた。主神であるロキは放っておけばそのうち収まると気にも留めなかったが、団長フィンの猜疑心は日に日に強まり、ついに彼を行動に動かした。

 

 ある日の夕刻のことだった。

 

 レヴィスが一人で外出している際、薄暗い路地裏で囲まれる少女がいた。

 

 フィンは遠くからその様子を眺めていたが、レヴィスが拳を鳴らすのを見るや否や、槍を抜いて一目散にその場所へ飛んでいった。

 

 (……次におかしな行動を見せたら、絶対に僕が仕留めてやろう)

 

 僕は、勇者なんだ。フィンはいつかリリに言われた言葉を出来るだけ思い出さないようにして、自らの使命に身を委ねた。

 

 

 「お嬢ちゃん、悪いことはしないよ。ただ、ちょっとお股におちんちんを突っ込んで、白い液体を出すだけだよ」

 

 「へへ、怖くないよ、お嬢ちゃん。ついでに手足も切って、歯も抜いて、お偉いさん方好みの便器に替えてあげるからね、心配いらないよ」

 

 にじり寄るゴロツキ達の輪の中で、アイスクリームを手に震える少女が丸くなっていた。

 

 「——相手が欲しいなら、私でどうだ?」

 

 ゴロツキ達が振り返ると、露出の多い服に身を包む赤髪の女冒険者——レヴィスが、怪しげな笑みを浮かべて壁に寄りかかっていた。

 

 「おぉ、おぉ。こりゃあえれえ上玉だ」唾を飲む男たち。

 

 「遊んでくれるんだな?」レヴィスは言った。

 

 「もちろん、遊ぼうじゃないか。どんな遊びが好みだい?まぁ、聞くまでもねぇか」

 

 「……それはな。殺し合いだ」 

 

 レヴィスが身体から殺気を放つと、男達の形相が一片した。

 

 「ひっ!?」

 

 男の腹を拳打が貫いた。臓器を撒き散らして転がっていく。続いて、もう一人の男の首が飛んだ。血を撒き散らしてこと切れる仲間達の姿に恐れをなし、残党はもつれあいながら逃げていった。

 

 「雑魚……遊びにもならん」

 

 「――随分と、楽しそうだね」

 

 レヴィスが振り向くと、槍を構え、戦闘態勢を見せるフィンが立っていた。

 

 「……LV.6、フィン・ディムナ。まだ、つけていたか。執念深い奴だ」

 

 血だまりと、死体に目を向け、レヴィスは溜息を吐いた。終わりだ。フィン・ディムナに殺害現場を見られた。この男は、もし自分がオラリオの住人に危害を加えたら、自分を殺すと宣言していたではないか。

 

 「……お前なら、今の私を殺せるだろう。【アポロン・ファミリア】との戦闘で力を使ってしまったせいで、まだ本調子ではない」

 

 視線を空に向け、レヴィスは小さな声で哀願した。

 

 「ハムザには伝えてくれ。済まなかった、と。それだけを約束してくれるなら、お前の手にかかるのも良いだろう」

 

 「僕は約束はしない。怪物とは、決して」

 

 フィンは柄を持ち直した。その時、少女がレヴィスに声を掛けた。

 

 「お姉ちゃん、ありがと。アイス、あげる」

 

 血だらけになったアイスクリームを手渡され、レヴィスはぎこちなく固まった。

 

 お礼を言って去っていく少女の背を眺め、レヴィスは言う。

 

 「さぁ、ひと思いにやってくれ。私にはもう、使命など残っていない」

 

 レヴィスの予想に反して、フィンは肩を竦めた。

 

 「君は何か勘違いをしていないかい?レヴィスさん。僕はたまたまここを通りかかっただけで、君のことは何とも思っていない。さぁ、はやくこの場所を離れた方がいい。でないと、君が殺人犯だと疑われてしまうだろうね」

 

 背を向け、フィンはその場を後にした。たまたま通りがかった馬車を止め、フィンはそれに乗り込んだ。

 

 「どこへ向かいやす?」御者が馬上で言った。

 

 「どこでもいい。しばらく気の向くままに、走らせてくれ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。