邪教の幹部に転生したけど、信仰心はありません (ellelle)
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プロローグ
例外の始まり


 さて、ごきげんよう諸君。

 

 

 そちらは今、木枯らしが吹きつける寒い冬だろうか?

 それとも眼がくらくらするような夏の炎天下だろうか?

 

 

 こちらかい? こちらは新生活がスタートする季節とだけ言っておこう。

 

 

 

「新入生の皆さん初めまして、当学園の生徒会長を務めておりますニンファ=シュトゥルトです。

 まずは数ある魔導学園の中からここ、この王立コスモディア学園を選んで頂き――――――」

 

 

 真新しい制服に身を包んで興奮冷めやらぬ生徒たち、そんな中に三十も中頃を過ぎた私が混じっていた。

 犯罪じゃないか?……失礼な。

 この状況を私自らが望んだなどと、そんな素敵すぎる勘違いだけはやめてほしい。

 

 

 それに見た目に関しては年相応というか、周りの学生たちに混じっていても違和感はないだろう。

 日本人にはあるまじき灰色の瞳に、髪の毛の色もそれに近い灰色をしているがね。

 

 

 ん? それはおかしいだろうって?

 確かに大の大人がそんなに幼いはずがないと、そう思う諸君達の意見はもっともである。

 だが、世の中にはたくさんの例外が溢れている。

 

 

 私だって好き好んでこの世界に来たわけでもないし、なによりこんな茶番に付き合わされるのは甚だ遺憾だ。

 ここまでの経緯を話すととてもややこしいので、ここでは一旦省略させていただこう。

 

 

 要するに心は三十中頃の大人だが、見た目に関しては高校生くらいだと思ってほしい。

 少々無理のある設定だとは思うが、事実としてそうなのだから私としても困っている。

 

 

 

「どうして当学園には入学テストがないのかと、御集りの皆さんは不思議に思われたことでしょう。

 曲がりなりにも王立を謳っている当学園が、どうして全ての志願者を受け入れているのか不思議だった筈です。

 皆さんも知っての通り、この学園はレムシャイトでも有数の名門校です。

 心・技・体。その全てに於いて一流の人間を教育するため、我がコスモディア学園は幅広い人材と資金を有しております」

 

 

 

 まさか知らない世界でまたこうして、一から高校生活を送るとは思わなかった。

 しかも魔導学園? ハハ、呆れるというよりも笑えてくるよ。

 

 

 巨大な学園ホールとでも言えばいいのか、そこで始まる入学式というのも大概である。

 それこそ量産型ライトノベルのような世界、この世界は私の元いたそれとは遠くかけ離れている。

 人種、文化、そして価値観。正に悪夢のような世界だ。

 

 

 

「当学園の基本理念はただひとつ、それは弱肉強食です。

 学園側が生徒に求めるのは強さと結果だけ、確かに過酷ではありますがその分見返りもあります。

 卒業後の将来性は当然として、上手く立ち回れば相応の対価も夢ではありません」

 

 

 少し話を戻そうか。要するに私はとある学園の入学式、それに参加させられているのである。

 私をこの世界に呼び出した元凶にして、今の勤め先でもある会社の上司だ。

 彼の指示でこんなくだらない茶番に参加し、椅子を温めながら彼女のくだらない話を聞いている。

 

 

「ですが、どんな事柄にも許容量はあります。

 名誉にも、人脈にも、もちろん将来性にだってそれは存在する。

 それは当学園に於いても例外ではなく、ここにいる全ての者を入学させるほど我々も優しくはありません」

 

 

 彼から与えられた指示はこの学園、王立コスモディア学園の学年首席になれというもの。

 初めは自分の耳を疑ったが、業務命令に逆らうほど私も愚かではない。

 いつの時代もやりたいことを選べるような、そんな会社は存在しないのである。

 

 

 こんなふざけた世界で生き残るためにも、せいぜい有能な部下を演じて解雇(リストラ)されないことを祈るだけだ。

 会社という後ろ盾がなければ私なんて、それこそあっという間に野垂れ死ぬだろう。

 今は使い捨てにされないよう実績を積みながら、後々はホワイトカラーとして本社勤めを願い出よう。

 

 

 

「ここには八百人ほどの志願者が集まっていますが、残念ながら当学園に於ける一般生徒の定員は百名です。

 つまりは七百名あまりがここで脱落、その入学を認めるわけにはいきません。

 では、どうやってこれだけの大人数を(ふるい)にかけるのか。ハッキリ言いましょう――――――入学テストは存在します」

 

 

 騒ぎ出す若者たちを横目に私は夢の後方勤務、その順風満帆な人生に胸を躍らせていた。

 正確にはただの妄想に過ぎないのだが、それでもそのくらいの夢はみさせてほしい。

 

 

 生徒会長様の言葉にピリピリとしている青年たち、さながら大企業の面接を受けてきた新卒のようだ。そんな彼ら・彼女たちを見ながら私はあくびを噛みころす。

 この程度のことでプレッシャーを感じるなんて、彼らの精神構造は豆腐のように(もろ)いのかもしれない。

 

 

 営業マンとして商社に勤めていた私に言わせれば、こんなのはゴールデンウイーク明けの挨拶である。

 黒を通り過ぎて白く見えてきそうなほどの会社、そんなオーバーワークを務めあげてきた社畜を舐めないでほしい。

 

 

 定時退社? ふむ、そういった都市伝説があるのは知っていたがね。

 私の職場ではもっぱらノルマという名のギロチン、デスマーチという名の運動会が横行していた。

 サービス残業という舞台で鍛えあげられた精神、彼らのような豆腐メンタルには務まらない仕事だ。

 

 

「入学希望者は会場の入り口に於いて、職員にこの腕輪を渡されて装着したはずです。

 これはあなた方の受験番号が組み込まれた魔具、言うなれば受験票のようなものです。

 生半可な攻撃では絶対に壊れませんし、なによりとても大切な物ですから丁重に扱うことをおすすめします」

 

 

 ああ、確か胡散臭い教員に渡されて嫌々つけたが、これがそんなにも大事な物だったとはね。

 無機質なただの金属。表面はつるりとした光沢のある銀色で、その内側にはびっしりと文字が刻まれている。

 

 

 文字の意味は全く分からないが、これと同じような物を会社で見かけたことがある。

 確か……高名な魔法使いの皮膚?を使った魔導書だったか。ドラゴンの血で書かれた文字に、そのブックカバーはワーウルフの毛皮だと言っていたな。

 

 

 話を聞きながら感心していた私だったが、仲の良い同僚によるとどうやら特別仕様らしい。

 一般的には紙とペンを使うらしいのだが、この辺りは私のいた世界と同じなのだろう。

 

 

 

「どんな手段を使っても構いません。

 自分の所持しているものとは別で六個、自分の腕輪を守りながら他の志願者から奪い取ってください。

 それが当学園に入学するための条件、言うなれば力ある者のみが当学園の生徒を名乗れるのです。

 一応、万が一に備えて職員が待機しているので、怪我の治療に関しては全く問題ありません」

 

 

 

 さすがは一流企業だと、この会社に転職?……いや、ここは皮肉も込めて転生か。

 それができて良かったと心の底から思っている。

 ライバル企業からは邪教徒などと揶揄されて、そのせいで世間の風当たりはとても厳しいがね。

 だが、それでもその力と資金力には驚かされた。

 

 

 たとえ本当に邪教徒だったとしても、私の衣食住を保証してくれるなら構わない。

 重要なのは給料と、そして仕事内容やその拘束時間である。

 給料や拘束時間に関しては全く問題なく、むしろホワイトすぎてこちらが困惑しているほど。

 

 

 

「計七個の腕輪を出口で待機している職員、あの方に渡していただければテストは終了です。

 その時点で入学テストは合格、晴れてコスモディア学園の生徒ということです。

 私たち生徒会、及び教職員一同あなた方を心より歓迎いたします」

 

 

 

 ただ、問題なのは仕事内容に関してだ。

 無理難題を押しつけられるのには慣れているが、なにぶんこの世界に来たばかりで要領がわからない。

 この世界の文化、もっと言えば今いる国の知識すらないのである。

 機会があれば会社にある古い文献でも漁ってみようか、同僚曰く会社の保管庫?は宝の山だそうだ。

 

 

 

「リタイアされたい方は腕輪を外していただければ、その時点で受験資格を失った者として救助いたします。

 怪我人に関しては会場で待機している職員の――――――あら? そこの君、急にどうしたの?」

 

 

 まずは私の有能さを上司に教えなければ、最悪私の居場所がなくなってしまうかもしれない。

 結果を上げ続けることこそが安全であり、私の生活様式(ライフスタイル)を守る唯一の方法である。

 リストラされるだけならまだいいが、そのまま文字通り首を斬られては敵わない。

 

 

 

「質問なのですが、どうやったら学年首席になれるでしょうか?」

 

 

 私は立ち上がりながら大きな声でその疑問を、生徒会長であるニンファ=シュトゥルトに投げかけた。

 私の目的は学年首席の地位であり、この学園に入学するのはその大前提である。

 初仕事に失敗するなど言語道断。それならば主席となる為にはどうすればいいのか、その条件を聞いておかなければならない。

 

 

 ただ――――――その時、この会場に集まっている八百人近い若者たちの視線、それが私という一個人に向けられたのさ。敵意という名の感情を含んでね。

 やれやれ、この程度で敵対心を持つなんてカルシウムが足りていない証拠だ。

 平常心、平常心だよ諸君。君たちのようなお子様には難しいかもしれないが、最低限のエチケットは守っていただかないと。

 

 

 

「そうですね。――――――二十個、腕輪を二十個も集めれば学年首席の、その審査対象に加わることはできるでしょう。

 この学園の基本は実力主義、それだけの腕輪を集めたなら認められるはずです」

 

 

「そうですか、教えてくださいましてありがとうございます」

 

 

 

 さて、では方法もわかったことだし始めるとしよう。

 両隣にいる志願者の腕輪の位置を確認して、そしてその肩から下――――――その腕ごと切り落として行動を開始する。

 付近の志願者たちから悲鳴が聞こえたが、こういうものは先手必勝と相場が決まっている。

 

 

 少しばかりフライング気味かもしれないが、生徒会長様御自身が明言したことである。

 手段は問わない。……そう、手段は問わないのだよ。

 

 つまりはその開始が告げられる前に攻撃すること、彼等の腕輪を手に入れることこそもっとも合理的である。

 それこそ簡単に手に入るだろうし、なにより時間効率がとても素晴らしい。

 

 

 

 私の行動を見た周りの若者たちが触発されて、それぞれがそれぞれの武器や魔術で応戦してくる。

 私を起点として始まった混乱は急速に広がり、そしてそれはあっという間に会場をおおいつくした。

 生徒会長様がなにか叫んではいたものの、今更そんなことに耳を貸す奴もいないだろう。

 

 

 

 それぞれがそれぞれの戦いに集中しており、彼女がいくら呼びかけても徒労に終わっていた。

 少しばかり気の毒ではあるが、結局はそれだけ……その程度の感情でしかないのである。

 ただ、私を中心として広まったその敵意も、結局は私を中心として収束していったがね。

 

 

 なんてことはない、私が少しばかり強すぎただけの話である。

 魔術の知識もなければ剣術の知識もなく、それこそこの世界に来る前までは普通の会社員だった。

 だが、今は会社から与えられた力――――――正確には上司か、彼から与えられた力があるからね。

 

 

「受け取れ、貴様にピッタリの武器だろう」

 

 

 

 その武器は――――――死神を彷彿とさせる大鎌だった。

 尊敬する上司から手渡された武器はよく馴染み、なんの知識も持っていない私にはとても扱いやすかった。

 

 

 やはり持つべきものは理想の上司だと、その計らいには思わず涙が出そうになったよ。

 与えられた武器を力の限り振るい、なにも考えずただひたすらに志願者を排除していく。

 この武器に限って言えば剣術の知識は必要なく、それこそ変に考えるよりも振り回した方が効果的だ。

 

 

 真っ黒で禍々しい形をしたそれを振り回しながら、私は生徒会長様が言っていた二十個を集める。

 付近にいた十数名の肩から下を切り落とした後、再び私は次なる人混みへとその身を投じたのだった。

 個人的にはその倍は回収したいところだが、この様子だとそこまで難しくもなさそうだ。



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例外の本質

「質問なのですが、学年首席にはどうやったらなれるでしょうか?」

 

 

 突然立ち上がったひとりの志願者、彼の第一声はとても衝撃的なものでした。

 八百人近い受験生がその言葉に反応し、彼に対して並々ならぬ敵意を向けている。

 正直気の毒とすら、この時点で彼の合格は絶望的だと思いました。

 

 

 毎年こういったタイプの受験生は出てくると、そう先任の方からは聞いていました。

 自分の力量を知らない……いえ、過大評価している人間。言うなれば井の中の蛙。

 コスモディア学園の入学テストは過激なことで有名で、主に受験生同士を争わせるバトルロイヤル方式が採用されています。

 

 

 勿論大怪我をする者も出てきますし、命に別状はないものの後遺症が残った例もあります。

 この国に住まう者ならば承知の事実ですが、他国から来た受験生などは時々後悔していましたよ。

 

 生半可な気持ちで挑んだために手痛いしっぺ返しを受けた。

 入学テストで負った怪我が元で足が不自由となり、二度と戦闘行為が行えない体となった……etc

 

 

 これが政治や軍事に於ける有力者の家系、所謂おぼっちゃまでなければ良かったのですが――――――

 やはり貴族社会が幅を利かせているこの国では、そういった方達の御子息を危険に晒すのは禁止(タブー)なのです。

 それに、次期当主となられる方々が大怪我を負ったとなると、それはそれで学園経営にも支障が出てしまう。

 

 

 だからこそ一部貴族や豪族の方々はここにはおらず、ここに集まっているのはいわゆる平民なのです。

 この学園に於ける一学年の定員は百五十名、その内五十名は貴族や豪族の中から選ばれます。

 

 

 大貴族。豪族。果ては有名武門の御令息・御令嬢。簡易的な魔力測定と職員による実技テスト、安全なテストにパスした者たちの技量など底が知れる。

 それならば少しでも優秀な人材を集めようと、そう思い至ったからこそこのテスト方法が導入されました。

 

 

 平民の家庭から有力な者を選りすぐることによって、落ちてしまった平均値を少しでも底上げする。

 ここにいるのはそういった思惑によって集められた学生たち、己の才能に絶対の自信を持っている哀れな子羊。

 そういった学生たちを集めた弊害でしょうか、そのせいでちょっとした問題も生まれていました。

 

 

 貴族のそれとはまた違った。……言うなれば慢心・思い上がり、自分こそが一番強いという傲慢。

 彼は清々しいほどプライドが高く、それでいてどうしようもないくらい世間を知らない。

 そんな蛙たちがひしめきあう空間の中で、彼は間接的に喧嘩を売ってしまった。

 

 

 これを哀れといわずなんと言えばいいのか。

 この集団の中で自分こそが一番だと言い切ったわけですから、おそらくはテストの開始と同時に狙われるでしょう。彼という餌を求めて蛙たちが集まってくる。

 いくら自信があったとしてもこれだけの人数を相手に、実戦経験の乏しい学生が勝てるとも思えません。

 

 

 

「そうですか、ありがとうございました」

 

 

 

 とても礼儀正しく無駄のないその仕草には、私としても少なからず好感を持ちました。

 それは先輩としての余裕でしょうか、心の中でその青年を応援していたのです。

 これだけの人数を相手に大見得を切ったところ、その度胸に関しては評価できましたからね。

 

 

 正直こういったタイプの人間は嫌いではありませんし、むしろ好ましい部類だと思っております。

 己の強さに絶対の自信を持っていたとしても、それをこの場で公言するのは難しいでしょうからね。

 だからこそ彼が合格してくれたなら少しだけ話してみたいと、そんなちょっとした好奇心が湧いたのです。

 

 

 

「なっ!?」

 

 

 しかしそれも彼が両隣にいた受験生の……その、肩から下を切り落とす前までですが――――――

 それは本当に一瞬の出来事で、私も含めて大勢の人間がその凶行を見ていたことでしょう。

 試合の開始を待たずに斬りかかるなんて、しかも腕輪のためだけに四肢の一部を削いだのです。

 

 

 彼を中心とした悲鳴の渦はその大きさを増していき、その悲鳴の数だけ無数の肉片が宙を舞いました。

 初めは両隣から……次は前後、果ては付近の受験生へと彼の敵意は広がっていったのです。

 死神を連想させる巨大な大鎌。漆黒のそれを器用に振り回しながら彼という台風は、受験生に対してなんの躊躇もなく悪意を振り下ろす。

 

 

 

「今すぐやめなさい! まだテストは始まっていません!」

 

 

 それを止めようと何度も叫びましたが、結局その声は怒号によってかき消されたのです。

 彼を中心として巻き起こった混乱、その火種が全体に飛び火するまでそう時間はかかりませんでした。

 既に会場は異様な熱気に包まれており、もはや私の言葉では止まらないでしょう。

 

 

 当初、彼を潰そうと何人もの受験生が徒党を組んで挑みましたが、それに対して彼は真っ向からそれをねじ伏せたのです。

 彼の大鎌が振るわれるたびに腕が宙を舞い、それを目にした別の受験生が悲鳴をあげる。

 血だまりに突っ伏して脅える者から我先にと逃げ出す者まで、その光景はあまりにも無惨でした。

 

 

 そして、彼はそんな切り落とした腕には目もくれず、すぐに違う人混み多い場所へと駆け出すのですよ。

 もはや彼と戦おうとする者はどこにもおらず、自ら腕輪を外す者や投げつける者が続出しました。

 

 

「こんなのは戦いではなく、それこそ一方的な蹂躙に近い」

 

 

 彼のせいで予定よりも早くに始まった戦闘、その喧騒を聞きつけて待機していた職員が駆けつけてくる。

 会場は強烈な血生臭さに包まれており、既にその犠牲者は二十人を超えていたと思います。

 なんとか彼の凶行を止めようと動きましたが、受験生たちの戦闘が激しくて思うように近づけない。

 

 

 そしてそれは我が校の職員も同じなようで、一部の職員は倒れている受験生を、もう一部は彼を止めようと動いてはいました。

 しかし八百人もの人間が戦っているともなれば、たとえそれが子供であっても容易ではありません。

 事実、不幸にも何人かの受験生は職員の手によって眠らされ、彼等の保護は完全に後回しとなったのです。

 

 

 まずはこの混乱を生み出した張本人、彼という狂戦士(バーサーカー)を止めなければならない。

 受験生たちでは返り討ちにあうだけでしょうし、なによりこれ以上の怪我人は許容できません。

 三十人以上の腕を刎ねながらも止まらない彼に、私も含めて多くの職員が恐怖したことでしょう。

 

 

「おや? これは生徒会長様、どうしてこんなところまでお越しに?」

 

 

 幸か不幸か、彼と最初に接触したのは私だったのです。

 全身を真っ赤に染めながらも平然と振る舞う姿、その落ち着いた口調と礼儀正しい態度に言葉が出ませんでした。

 彼の瞳にはなんの迷いもなく、この様子だと私がやってきた理由もわかっていない。

 

 

 ええ、このとき初めてその異常性に気づきましたよ。

 失禁している受験生に大鎌を振りあげながらも、彼という人間は全く動揺していませんでした。

 私が来なければあの子も片腕を切り落とされて、おそらくは血だまりの中で鳴いていたことでしょう。

 

 

 

「貴方の実力は十分わかりました。ですから、今すぐその武器を下ろしなさい」

 

 

 それは御世辞などではなく、私という人間の本心だったと思います。

 私が生徒会長に任命されたのは今年からで、その際に先任の会長から色々なことを聞かされていました。

 学生同士の私闘や貴族同士の派閥争い、ですがこれほどの惨状は聞いたことがありません。

 

 

 有名武門の御令息・御令嬢であればできるかもしれませんが、そういった者は最初から呼ばれておりません。

 一般入試と呼ばれるこのテストに参加できるのは平民だけで、一定以上の家柄を有する者は安全なテストに回されるのです。

 それに、仮にそういった方が混じっていたとしても、こんな短時間でこれほど暴れられるとも思えない。

 

 

 受験生の血だまりと肉片が会場を埋め尽くし、その惨状はとても学園の中だとは思えませんでした。

 彼の実力は本物ですよ。ええ、明らかに突出しております。

 むしろ突出しているからこそここまで一方的であり、彼をこれ以上戦わせるわけにはいかないのです。

 

 

 

「貴方が奪い取った腕輪の数は三十を超えており、これ以上戦ったところでなんの意味もありません。

 今すぐ戦いを止めて会場の外へ向かうこと、出口にいる職員に腕輪を渡せばテストは終わりです」

 

 

 

「わかりました。生徒会長様がそう仰るのであれば――――――!?」

 

 

 

 それは不幸な事故だったのか、それとも無謀な挑戦だったのかはわかりません。

 私達の会話を邪魔するかのように飛んできた魔法、その巨大な火球を前に彼は大鎌を振るいました。

 火球を一閃したにもかかわらずその表情はどこか浮かなく、そして返す刀で走り出したのです。

 

 

 

「待ちなさい! これ以上戦う必要なんて――――――」

 

 

 

 なんの躊躇もなく火球が飛んできた方向へと駆けていく、彼は私たちを攻撃した者の顔を正確に捉えていました。

 彼の道を阻む者がいればその腕を切り落とし、そして切り落とした腕や悲鳴をあげる受験生には見向きもしない。

 

 

 そもそも彼の向かう先には常に複数の腕輪が存在しており、彼と同様に奪う側の受験生が多かったように思います。

 有り体に言えば強者でしょうか。この会場に於ける本命たちを見定めると共に、彼はそういった受験生とばかり戦っていました。

 

 

 

「落ち着けニンファちゃん! 今は私達に任せて、君は救護班と共に怪我人の搬送を――――――」

 

 

 

 駆けつけてくれた職員の顔を見て、そのひとりが私の顔なじみだったことにホッとしてしまう。

 彼は救護班に指示を出すよう言ってきましたが、私はその提案をハッキリと拒絶したのです。

 

 

 生徒会長としての初仕事、入学テストという大舞台で私は失敗してしまった。

 それをこのまま放置して自分だけ逃げるなんて、そんなのは私が嫌っている貴族となんら変わらない。

 責任者だからこそ一番危険な場所で、誰もが嫌がる役目を率先してやらなければならない。

 

 逃げたくなかった。……自分だけ安全な場所にいるなんて、そんなのは絶対に嫌だった。

 

 

 

「大丈夫です。おそらく副会長が指示を出しているでしょうから、今はこの場の責任者として私にも行かせてください。

 ここで逃げ出すなんて、そんな恥知らずなことは絶対にできません!」

 

 

 

 それは見栄だったのかもしれません。もしくは懺悔というか、おそらくはそういった感情に近かったでしょう。

 入学テスト史上最大の惨事を前に逃げ出すなんて、そんな情けない生徒会長にはなりたくなかった。

 困った表情で私を見つめる職員、マリウス=ヴォルフガンフに対して私は正直な気持ちを伝えたのです。

 

 

 

「わかった。だけど少しでも危ないと思ったら意地を張らず、ただ自分だけのことを考えて逃げること……これ、約束できる?」

 

 

 

 マリウス=ヴォルフガンフ。私が幼かった頃からの付き合いで、当時から色々と相談に乗ってくれました。

 私がこうして生徒会長となれたのも、彼が生徒達の誤解を解いてくれたからに他なりません。

 私はこの学園の校長にしてこの国の大貴族、シュトゥルト家のひとり娘でしたからね。

 

 

 学園長の娘ということで心ない噂や、変な評判をたてられていた私を彼が支えてくれた。

 生徒会長として立候補したときにしても、彼が対立候補の不正を暴いてくれたから当選できたのです。

 今の私がいるのは彼のおかげであり、彼がいなければ私なんて親の七光りで終わっていたでしょう

 

 

 

「勿論ですわ。さあ、取りあえず先を急ぎましょう。

 これ以上の怪我人は許容できませんし、なによりこんなのはもうテストではありません」

 

 

 

 失った腕を押さえながら泣きわめく受験生、それはもはや戦いと言うよりも一方的な蹂躙でした。

 既に多くの受験生が棄権を申し出ているので、他の者からすれば規定の数を集めるのはほぼ絶望的。

 火球を放った受験生にしても、彼を倒すことで全てを奪い取るつもりだったのでしょう。

 

 

 

 彼が奪い取った全ての腕輪、そして学年首席という魅力的な地位です。

 だからこそ彼が油断している隙を狙ったのでしょうが、残念ながらそんな思惑も彼には通じなかったようで。

 あの程度の魔法で倒せるならばどれだけ良かったか、その程度の人間であったなら私も苦労はしません。

 

 

 おそらくはその者なりの全力だったのでしょうが、私に言わせれば明らかに火力が足りていない。

 火球を放った受験生は慌てて逃げ出しましたが、結果としては彼を不機嫌にさせただけでした。

 

 

 あのときの彼はとても落ち着いていましたが、その表情は明らかにゆがんでいたと思います。

 凄まじいほどの戦闘スキル、私なんて比べものにならないほどの経験を積んだのでしょう。

 一度(ひとたび)武器を握れば全く躊躇せず、冷たい瞳で敵を刈り取る姿は正に死神でした。

 

 

 ハッキリ言って、とても学生を目指しているようには見せません。

 たとえば高名な戦士だとか、有名なギルドチームのメンバーだった方が納得できます。

 

 

「ちっ、遅かったか」

 

 

 珍しく悪態を吐いているマリウスを横目に、私はその惨状を前にして体が震えましたよ。

 私達に火球を放った受験生の両肩、その肩から先が無惨にも切り落とされていたのです。

 そしてそんな哀れな受験生に説教をしている人が……ええ、彼という狂人がそこにはいました。

 

 

 至って普通の、礼儀正しすぎるくらい低姿勢に話しているんです。

 まるで出来の悪い人形劇をみているような感覚――――――異常ですよ。これ以上ないというほど狂っています。

 もはや彼が同じ人間だとは思えませんでした。きっと、この時の光景を私は一生忘れないでしょう。



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例外の恐怖

「私はいいとしても生徒会長様を狙うとは、その恥知らずな根性を叩き直してやろう。

 おい、まだ寝てもらっては困るぞ――――――」

 

 

「そこまでです! 今すぐその武器を捨てなさい!」

 

 

 既に気を失っているその者の胸ぐらを掴み、彼は淡々と同じことを言い聞かせていました。

 彼の声や表情にしても至って普通で、とても冗談を言っているようにはみえません。

 時折出てくる言葉は私に関する単語ばかりで、どうして私が出てくるのかそこがまた不気味だったのです。

 

 

 

「わかりました。生徒会長様がそう言われるのであれば……ほら、二度目はないと思えよ」

 

 

 まるで出来の悪い喜劇を見ているような感覚に囚われましたが、彼は拍子抜けするほどあっさりその手を放しました。

 その仕草にはなんの迷いもなく、それこそ家畜を相手にしているような態度でした。

 彼はこの受験生の両腕を切り落としておきながら、まるで牛や豚を刻むかのように罪悪感を抱いていない。

 

 

 

「なにを……いえ、なぜ貴方はこんなことをしたのですか」

 

 

「なぜ? 申し訳ありませんが、生徒会長様の質問の意図がよくわかりません。

 それはなぜ彼を殺さなかったのか、生徒会長様に泥を塗っておきながらどうして生きているのか――――――そういう意味での質問でしょうか?」

 

 

 綺麗な言葉で取り繕ってはいますが、その内容は明らかに常軌を逸しています。

 彼の言い分を理解するまでに時間がかかり、やっと気づいたときには思わず困惑してしまった。

 どうして生きているのか――――――つまりこの受験生が私を攻撃したと勘違いして、彼はその報復の為に両腕を切り落としたのです。

 

 

 そして私が叱責している理由を、彼はそれだけでは物足りないのだと解釈してしまった。

 これだけの惨状にも興味を示さない彼が、まさかこんなにも慌てるとは思いませんでしたよ。

 彼からすればこの会場は屠殺(とさつ)場かなにかで、周りの悲鳴も豚や牛のそれと同じなのでしょう。

 

 そうでなくてはこんな狂った勘違いで慌てたり、こんな真面目な顔で悩んだりすることもありません。

 

 

 

「なぜニンファちゃんが怒っているのか、君はその理由を正しく理解しているのかな?」

 

 

「はい。生徒会長様に牙を剥いた愚か者を、御二方の到着よりも前に誅さなかったせいで不評を買っております。

 今更許されるとも思いませんが、もう一度チャンスをいただけたなら――――――」

 

 

 マリウスも私と同じ気持ちだったのか、彼の答えに言葉を失っているようでした。

 彼の中ではこの惨状さえも些細な問題にすぎず、目の前にいる受験生にしたって頑丈な玩具くらいにしか思っていない。

 私の不評を買うくらいならばなんの躊躇もなく、彼はその両腕ではなく受験生の首を刎ねたでしょう。

 

 

 

「じゃあ、この惨状を目の当たりにしてもなにも感じないと?」

 

 

 マリウスの言葉に彼はその真意を測りかねているのか、口元を押さえながら思い悩んでいるようでした。

 マリウスの言葉を聞いても考えなければいけないなんて、この時点でどれだけ狂っているかがわかるでしょう。

 そうやって自分の落ち度を探さなければいけないほど、彼は自分の行いが正しいと思っているのです。

 

 

 

「感じませんね。私は生徒会長様が言われた通り、規定の範囲内で手段を選ばず戦いました。

 確かに多少の不手際はあったかもしれませんが、それはあくまで時間対効率を重視した結果です。

 個人的には百個以上集めたかったのですが、私が不甲斐ないばかりに達成できませんでした」

 

 

 時間対効率。これだけの惨状を作っておきながら、彼はその一言で全てを終わらせました。

 これこそが彼の狂った価値観であり間違っている部分、言うなれば欠落した人間性です。

 更には百個集められなかったことに対して、彼は本当に悔しそうな素振りをしていました。

 

 

 自分のも含めて七個集めればいい腕輪を、なぜか彼は百個も集めようとしていたのです。

 百個……百個ですよ? 百人の腕を切り落とすまで戦うつもりだったと、そう自ら認めて悔しがっているようなものです。

 

 

 

 これが異常でないならなにが正常なのか、彼と比べれば人魔教の人間だって聖人に見えますよ。

 私達との会話を続けながら周囲を警戒しているのは先ほどの失態を考慮してか、それとも新しい獲物を探しているのかは私にもわかりません。

 出来れば前者であってほしいのですが、狂人の考えなど理解するだけ無駄でしょう。

 

 

 

「では最後に、どうして受験生の腕を切り落としたのか教えてくれ。

 君ほどの実力があれば相手を傷つけず、もっと簡単に奪うこともできたはずだ」

 

 

「それはごもっともですが、私はあくまで倫理的思考に基づいたまでです。

 ひとつひとつ生真面目に回収していては、それだけ時間と労力を消費してしまうでしょう。

 それならば腕を切り落とすことによって効率を上げて、戦いやすい戦場を作るためにも恐怖心を植えつけようと考えました」

 

 

 彼の理論はあまりにも一方的で異常なのに、どうしてこんなにも堂々と胸を張れるのか。

 私と彼との間にあるこの巨大な隔たりを、この青年はどう捉えているのか教えてほしかった。

 どう思っているのでしょうか、少しは憂慮している?……いや、それすらも彼にとっては些事なのかもしれない。

 

 

 事実、彼は私たちとの会話を終わらせたいと思っていました。

 ここで時間を取られては目標の百個に届かない……なんて、彼はそんな風に考えているのかもしれません。

 このときばかりは彼の考えていることが私にも、不本意ながら理解できてしまったのです。

 

 

 

「私が台風の目となることによってこの会場を支配し、全ての受験生に影響を及ぼすことこそ肝要です。

 戦いが始まった時点で目ぼしい奴らは排除しており、私の邪魔をする者もいなくなりました。

 それにそういった者は腕輪を複数所持していたので、効率よく集められたと自負しております」

 

 

「もういい! 貴方は合格です!

 学年首席の地位がほしいと言うならば、私の権限で上に掛け合いましょう――――――ですから、今すぐここから出て行ってください!」

 

 

 彼の狂った価値観を直視したくなくて、気がつけば言葉の語尾が強くなっていました。

 どうして彼のような人間がここに来たのか、今更学校に通ってなにを学ぶというのでしょう。

 その人間性は別としても、彼の戦闘能力は我が校の職員よりも高いはずです。

 

 

 格下の人間に教えを受けてなんの利点(メリット)があるのか、私にはなにか違う思惑があるとしか思えません。

 これならば高名なギルドにでも登録して、Sランク冒険者とパーティを組んだ方が勉強になります。

 彼が誰かと助け合う姿は想像できませんでしたが、このときばかりは本気でそう思いましたよ。

 

 

 

「わかりました。……ですが、もしも私に至らない点があったのなら――――」

 

 

「いやいや、別に君が悪いわけではないさ。

 ただ……そうだな。ちょっとばかり相性が悪いだけであって、君の活躍には私も期待しているよ」

 

 

 おそらく私と彼とではその人間性に於いて、これ以上ないというほど相性が悪いのです。

 たったこれだけの会話で気づけたのですから、どれくらい私たちの価値観がずれているのかわかるでしょう。

 そこから先の会話は頭に入ってきませんでしたが、どうやらマリウスが上手くやってくれたようでした。

 

 

 マリウスに言われるがまま踵を返して、そのまま会場を後にする彼を見ながらとある衝動にかられる。

 それはこの学園の生徒会長として……いえ、人としてあるまじき行為でしょう。

 年下の、しかもこれだけの激戦を戦い抜いた彼に対して、私は凄まじい敵意を抱いていました。

 

 

 これだけの惨状を作り出しておきながら、会場を埋め尽くす嘆きには目もくれない。

 泣く者。後悔する者。恐怖する者。そして、狂う者。

 その全てを生み出した元凶である彼が、何食わぬ顔で立ち去ろうとしていたのです。

 

 

 

「ニンファちゃん、大丈夫かい?」

 

 

「少し……ほんの少しだけ休ませてもらっても良いわよね。

 なんだかとっても疲れたみたいで、情けない話だけど今は動けそうにないのよ」

 

 

 人の痛みを理解出来ない彼には良心があるのか、それとも良心はあるものの理解出来ないのか。

 私はマリウスの胸に顔を預けながら、その湧き上がってくる黒い感情を必死に抑えました。

 生徒会長である私が一時の感情で動いていては、それこそ他の生徒に示しがつかないからです。

 

 

 ですが、この惨状を前になにも感じないのかと聞かれれば、私は全力でその言葉を否定するでしょう。

 人の皮を被った化物。その礼儀正しさの下にはなにが隠れているのか、彼を知るためにもまずは近づかなければなりません。

 

 

 

「ニンファちゃん、ひとつアドバイスをしてあげよう。

 あんな風に歪んだ人間を見ていると、知らず知らずのうちに自分まで歪んでくるものさ。

 だから、君のようなタイプは特に関わるべきではない。

 わかった? それが一番大事、この言葉を絶対忘れないでね」

 

 

 何が狙いでこの学園にやって来たのか、彼の本質は一体どこにあるのでしょう。

 私は彼が嫌いです。そうハッキリと断言できるほど、私は彼に対して嫌悪感を抱いていました。

 ただ、そんな感情と共にある種の好奇心――――――興味が湧いたのも事実です。

 

 

 それは怖いからこそ興味があって、恐ろしいからこそ覗いてみたいのです。

 もう一度言いますが、私と彼の相性はこれ以上ないというほど最悪です。

 しかし、好奇心というのはそういったものとはまた別もの。言うなれば欲求……人間の性とでも言いましょうか。

 

 

 

 だからこそマリウスは心配しているのです。

 私の性格を知っているからこそ、彼に近づいてはいけないと忠告してきた。ですが、その忠告を聞き入れるわけにはいきません。

 

 懸案事項として。私が生徒会長としての任期を終えるまでは、彼との関係をなによりも優先すべきでしょう。

 彼という化物を飼いならせるか否か、そのときこそ私という個人が試されるのです。

 

 

 今年の新入生は各界の要人が特に多いので、今日の失態を取り戻す機会は十分にあるでしょう。

 大貴族の御令息・御令嬢からこの国の御姫様まで、その顔触れはここ数年でもっとも豪華でした。

 そしてそこに現れた予想外の存在、彼をどう扱うかが今後の課題となってくる。

 

 

 

「マリウス、ひとつ聞きたいのだけれど」

 

 

 九か月後に控えた四城戦に向けて、まずはこの学園の代表を決めなければなりません。

 学園代表戦、今のうちにその対策を進めておいた方がいいでしょう。

 私の任期中は誰も殺させませんし、なによりあの男を必ず飼いならせてみせます。

 

 

 

「ハハ、聞かれると思ったよ。

 彼のことだろう? ニンファちゃんの考えている通り、彼の入学はほぼ確実だろうね。

 たとえその人間性に問題があったとしても、四城戦を控えた今となっては些細な問題だからね」

 

 

 マリウスの言葉に苦笑いしてしまったのは、おそらく己の卑しさを誤魔化したかったからです。

 表面上は彼を叱責している癖に、心の中では彼という人間を認めていました。

 彼がいれば四城戦で優勝できるかもしれない――――――なんて、そんな浅ましい事を考えていたのです。

 

 

 他人を利用して己の願いを叶えるなんて、そんなのは卑しい人間の発想に他なりません。

 これでは自己満足のために多くの受験生を傷つけた彼と同類か、もしくはそれ以上に最低ななにかでしょう。

 

 

 四城戦、そしてその前哨戦でもある学園代表戦。

 彼をどこのクラスに配属して誰をその担任とするか、クラスメイトの割り振りから授業に至るまでその問題は山積みです。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス、人の皮を被った化物」

 

 

 そして多数の怪我人を出した今年のテストは、たった三人の合格者を出して幕を閉じました。

 既に合格していた五十人とこの地獄を戦い抜いた三人、今年の新入生は計五十三人となったのです。

 この異常事態に学園はちょっとした騒ぎとなり、新学期が始まった当初はその対応に追われていました。

 

 

 本来なら百五十人はいるはずの新入生が、今年はその三分の一しかいなかったのですからしょうがありません。

 噂が噂を呼んで、彼が配属されたクラスには連日多くの学生が押しかけました。

 しかしクラスを訪れた者は皆一様に肩を落とし、日に日にその人数は減っていったのです。

 

 

 噂の中心人物である彼が学園に、ただの一度も登校しなかったのですから仕方ありません。

 一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎても彼は姿を現しませんでした。まさかあの男が不登校だなんて、正直驚きましたよ。

 そしてその噂も忘れ去られた頃になってようやく、彼は独特の口調と血生臭さを撒き散らしながら現れました。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 

 学園代表戦。四城戦の前哨戦とも言える大会で、彼は半年ぶりにその強さをみせつけました。



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既存の価値観
化物の定義


 時に、日本には同意殺人というものが存在する。

 被害者の同意を前提とした殺人、人を殺すのは同意の上でも罪となる。

 命とは代えがきかない尊いものだからこそ、それを奪うのは重罪ということである。

 

 

 しかし、この世界に於いての命とはとても軽く、それはまるで御菓子の包み紙を思わせた。元いた世界とは全く異なる価値観を、私はこの数ヶ月で嫌というほど教えられたのさ。

 

 

 

 自己紹介が遅れたようで済まない。

 日本の皆さまこんばんは、私はヨハン=ヴァイスというただの青年である。

 この名前は尊敬する上司から私を雇用する際に、各種手続きと共に与えられた第二の本名だ。

 まだ色々と不慣れではあるが、これからはそう呼んでいただけるととても助かる。

 

 

 

 ヨハン? ヴァイス? この容姿にしてもそうだが、もはや日本人としての原型は皆無である。……いや、過去の記憶は健在なので一応残ってはいるのか。

 それは社畜時代の記憶であり褒められたものでもないが、その記憶だけが私を日本男児たらしめている。

 

 

 私はこの世界でも元気にサラリーマンをやっているが、皆さまの方はどうだろうか?

 電車に揺られながらバスを何度か乗り継いで、そうやって会社に辿り着けたなら幸いだ。

 

 

 ん? なぜかって? それは君達の日常が大変恵まれているからである。

 私の置かれている状況に比べたら、今の君達は霞が関で働いている官僚かなにかだ。

 青空の下、新鮮な空気を吸いながら美味しい食事を食べて、適度な娯楽と共に文明社会を満喫している。

 

 

 私のいる世界は見渡す限りの砂塵であり、そこには文明社会の影も形もありはしない。

 大衆の見世物として戦い続けたこの数ヶ月、私は檻の中にいる動物の気分を味わっていた。

 

 

 

「化物! くるな、くるな、こないでくれ!」

 

 

「失礼な、私は頭の天辺から足の爪先まで徹頭徹尾人間だ。

 化物とは妖怪や怪異、またはそれに準ずるなにかが化けたものの総称である。

 私のような人間はその枠には当てはまらないし、むしろ炎や氷を出せる君たちの方がよっぽど化物染みている」

 

 

 そこは殺し合いという名の見世物で観客を魅了する、言わば非合法の闘技場であった。

 古代ローマ帝国のコロッセオを彷彿とさせる建物は、今日も相変わらず資産家たちのたまり場である。

 そんな中で私は大衆を楽しませる見世物として、曲芸団(サーカス)さながらの猛獣ショーに身を投じている。

 

 

 巨大な洞窟を利用して作られた施設には、新鮮な空気どころか綺麗な空だって見えはしない。

 見渡す限りの岩肌にため息がこぼれ、闘技場を包む独特の血生臭さには気分が滅入る。

 地下へと続くように掘られた空間と、この巨大な施設の中では力こそが全てなのだ。

 

 

 さて、少しばかり説明が遅れてしまったが――――――ここは我が社が経営する闘技場の一部である。

 天然の洞窟を加工して作られたコロッセオを見れば、我が社が保有する技術力の高さにも納得していただけるだろう。

 この施設は退屈な日々を過ごしている資産家の皆さんに、他では味わえないスリルと刺激を提供している。

 

 

 

「これで何人目だったか、私はいつになったら解放されるのやら」

 

 

 手に持った大鎌を振り下ろせば、それだけで血に飢えた大衆は熱狂する。

 舞い散る鮮血と人間だったそれが転がり、闘技場は更なる歓声と賛美に包まれた。

――――――度し難い。馬鹿な大衆を一瞥しながらため息を吐くと、私は再び彼女が来てくれることを願う。

 

 

 

「道化師!」

 

「素敵よ、道化師!」

 

「道化師、万歳!」

 

 

 黒いローブを身に(まと)ってア〇ニマスに似た仮面をつけた私は、気がつけば道化師と呼ばれていた。

 ほぼ毎日ここで戦っている私は……なるほど、彼らからすれば道化なのだろう。

 全ては敬愛する上司の指示で戦っているのだが、それを知っているのもごく一部の同僚だけだ。

 仲の良い同僚も良い機会だと背中を押してくれたが、今ならその理由もわかったような気がする。

 

 

 こんな私でも初めは戸惑っていた。それは戦うということに対する抵抗であり、人を殺すことに対する恐怖でもある。

 普通のサラリーマンだった私に人を殺せと言われても、やはり身体がついていかないのが現状であった。

 しかし相手が殺意をもって攻撃してくるなら、正当防衛が成り立つ分いくらでも許容できたのである。

 

 

 

 死ぬのはゴメンだ。

 私は聖人でもなければ夢想家(ロマンチスト)でもなく、あくまで現実主義者(リアリスト)だと思っている。

 どんな人間にも優先順位というものがあり、それは個人の価値観によって左右される。

 

 

 最初は効率が悪く手痛い反撃も喰らっていたが、今となってはパンを(かじ)りながら殺すこともできる。

 人間とは学習する生き物にして、どんな環境にも適応できる生命体なのだ。

 この世界に来たばかりの無知な自分と比べて、今の私は心身ともに成長しているだろう。

 

 

 郷に入っては郷に従え。

 ここが違う価値観を有する世界であるなら、まずは既存の倫理観を捨てなければならない。

 その点に於いてこの場所は正に理想的であり、人の生き死にを通して私は多くのことを学んだ。

 

 

 躊躇(ためら)っていては次に殺されるのは自分であって、思いやりや優しさなんてものはなんの役にも立たない。

 無数の屍を踏み越えた先に手に入れたもの、それはなんの変哲もない極めて単純な真理だった。

 

 

 

 優先度(プライオリティ)、物事には序列というものが存在する。

 目的を達成するためにはどうすべきか、無理であるならどこで妥協するのか――――――

 

 

 

「貴様の役目はこの女を叩きのめすこと、遠くないうちにプレイヤーとして闘技場に現れるはずだ」

 

 

 私に与えられた命令はその女が現れるまで、この闘技場でプレイヤーとして戦い続けること。

 上司の話では少し前に一度だけ姿を見せたが、それ以降ここには現れていないらしい。

 彼女の身分など詳しい情報は知らされていないが、それでもやれと言われたらやるのが社畜である。

 

 

 はい。了解です。わかりました。

 この三種の神器を片手に戦った私に言わせれば、こんなものはデスマーチの内には入らない。

 そもそも必要な人材や舞台は既に手配済みらしく、後は彼女が来るのを待つだけという優しさだ。

 

 

 新入社員である私がやるべき仕事を、直属の上司が代わってくれたのである。

 その手際の良さから新入社員に対する配慮まで、あの神様のような上司には頭が上がらない。

 私の記念すべき初仕事が失敗に終わった際も、社畜界の救世主(メシア)は決して私を咎めなかった。

 

 

 

 コスモディア学園入学テスト。学園の有力者を怒らせてしまった私に対して、あの御方はなんの罰則(ペナリティ)も与えようとはしなかった。

 取引先の部長を怒らせたようなものなのに、それを笑い飛ばしてくれる懐の深さが素晴らしい。

 ホワイト企業の行き届いた管理と社員に対する思いやり、改めてこの会社の良さを実感した瞬間である。

 

 

 

「それにしても生徒会長様はなぜ怒っていたのか、やはり両腕を削いだだけでは物足りなかったか」

 

 

 彼を殺さなかったことに対する失望と落胆、私という人間の評価は確実に下がっただろう。

 どこの世界でも中途半端な奴は嫌われるということか、これは今後の付き合いを考えるうえでもいい勉強になった。

 まさか生徒会長様がそこまで厳しい御方だったとは、彼女のプライドだけは絶対に守らなければならない。

 

 

 たった一度の攻撃で殺害(ブラック)リストに載るのだから、彼女は私が以前勤めていた会社の上司そのものである。

 絶望的なスケジュールと過度な労働を平気で強要するタイプ、ブラック企業に於ける神様(ゴッド)とはまさにこのことだ。

 

 

 

「ふむ、そう考えたなら全てに納得がいく」

 

 

 学園から届いた入学テストに関する成績と書類の数々、その中にあった学年首席の文字はちょっとした配慮だったのかもしれない。

 最初の一回目だけは大目にみるという警告、要するに二度目はないという事である。

 

 

 なぜ学園に通うのかは私にもわからないが、だからといって投げ出すわけにもいかないだろう。

 この不手際を清算しなければ悪評は蔓延し、不名誉なレッテルが貼られるのは目に見えている。

 失敗が許されるのは一度目だけであり、同じミスを繰り返す無能は必要ないのである。

 

 

 この世界の価値観を学んだ今ならば、私はなんの躊躇もなく人間を殺せるだろう。

 数多くの人間を刻んできた今となっては、もはや人の生き死にで一喜一憂することもなくなった。

 最初は同情もしたし可哀想だとも思ったが、結局は殺すのだからそんな感情は無意味である。

 

 

 百人殺せば百通りの物語が存在し、その物語の中には更に千人の登場人物がいる。

 ここで戦っている者の大多数が奴隷であったが、彼等の中には元は冒険者だった奴らも少なくはない。

 先ほど殺した男はただの奴隷であったために一方的だったが、これが冒険者ともなればそうはいかない。

 

 

 彼らは広域指定暴力団(ギルド)に所属している者たちであり、荒事を専門としているプロフェッショナルだ。

 聡明な諸君たちならばギルドとはなにか、そして冒険者とはいかなる職業か御存じだろう。

 漫画。アニメ。小説。そういったものによく登場する組織であり、独特の風習と法律によって集められたヤ〇ザである。

 一応フリーランスの者もいるにはいるそうだが、その説明に関しては機会があれば話すとしよう。

 

 

 魔物の討伐やダンジョンの探索など、彼らの仕事は多岐にわたりその内容も野蛮極まりない。

 彼らの戦闘スキルには私も何度か苦しめられたし、なによりあの多様性には目を見張るものがあった。

 彼らとの戦いは非常に有意義であり、私が成長するうえでも良い経験となっただろう。

 

 

 極稀に現役の冒険者もまぎれ込んでいたが、要するにそれだけ金銭的に困窮しているのだ。

 ここで行われる戦いが違法だとわかっていても、彼らからすればそんなことは関係ないのである。

 事実、この闘技場の存在をギルドに報告する者はほとんどいなかった。

 

 

 これは仲の良い同僚に教えてもらったのだが、ギルドに所属している者はその身分を保証する代わりに行動を制限されるらしい。

 それは――――――社訓?のようなものだろうか。

 ギルドという会社に入ったからには、会社員としての規律が求められるのである。

 

 

 その規律にしてもギルドによって違うのだが、基本的にはモラルの逸脱や社会秩序を乱す行為は禁止されている。

 しかしそれさえ守っていれば個人に見合った仕事を、ギルド側から定期的に紹介してくれるのだ。

 FクラスからSSクラスまで、社員はその与えられた立場によって依頼を受注するのである。

 

 

 誰であろうとも最初はFクラスから始まり、依頼をこなしていくことによってランクを上げていく。

 冒険者になる者の大半は金銭的な問題を抱えているが、だからといっていきなり高額な仕事は受注できない。

 高額な仕事とはそれだけ危険であると共に、一般の依頼に比べて難易度が高いからだ。

 

 

 突然入用になったからと慌てて登録したところで、結局はFクラスからスタートしなければならない。

 だからこそここでひとつのねじれが生まれるのだが、要するにFクラスでありながらSランク並の冒険者がいるのだ。

 同僚が言うには彼らには三つのタイプがいるらしい。

 

 

 まずは地道にランクを上げていく勤勉な者たち、彼らに関する説明は不要だろう。

 次にギルドを辞めてフリーランスとして活動する者たち、この者たちに関してはある程度の知名度がないと雇ってもらえないそうだ。

 

 

 そして最後に地道にランクを上げながらも、裏では違法な取引に関わっている者たち。

 彼らが違法な取引に手を出している理由は、詰まるところ金銭的に困窮しているからである。

 酷く滑稽な話ではあるが、要するにこの世界はそういう世界なのだ。

 

 誰が正しくて誰が間違っているかなんて、そんなのはこの私にだってわからんさ。

 

 

 

「誰かを殺すのも殺されるのもゴメンだが、私のようなブルーカラーには選択権などありはしない。

 ホワイトカラーに転身するためにも、まずは与えられた仕事を完璧にこなすとしよう」

 

 

 興奮冷めやらぬ歓声の中で、私の言葉はもはや願望に近かっただろう。

 いつの時代も国を腐らせるのは老害であり、犠牲となるのは決まって若者である。

 踵を返した際に吐いたため息はとても深く、それでいてどこまでも哀れみに満ちていた。



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化物の獲物

 どうしてこんなことになったのだろうか、あの時のことを思い出すたび私は後悔していた。

 この国の建国から続く名門貴族、王家の血筋も入っている名家に私たち姉妹は生まれたの。

 超がつくほどの親バカだった両親に愛されながら、可愛い妹と過ごす毎日はとても恵まれていたと思う。

 

 

 貴族としての為来(しき)たりや周りとの付き合いなど、確かに面倒ではあったけどそれを嫌だとは思わなかった。

 むしろこの家に生まれたことが私の誇りだったし、将来は父上のような立派な貴族になるのが夢でさ。

 ちょっと抜けている父上としっかり者の母上、家族想いで意地っ張りな妹との毎日が私の幸せだったの。

 

 

 あの幸せな日々を思い出すたび悲しくなるけど、今となってはそんな感情にも慣れっこだ。

 私の宝物がバラバラになってしまった一年前、白い雪が睡眠薬のように降り注いだ冬のこと。

 父上が治めていた領地が炎に包まれ、一夜にして焼失したことを境に私達の日常は一変した。

 

 

 震える妹を抱きながら眠った夜のこと、あのとき聞いた叫び声を私は一生忘れないと思う。

 真夜中だというのに外は昼間のように明るく、大人たちが武器を片手にせわしなく動いている。

 一晩中聞こえた叫び声と大人たちの怒号は、まるで出来の悪い群像劇を見ているようだった。

 

 

 当時、手持ちの兵力ではどうしようもないと判断した父上は、急いで王都へと使者を送り軍の派遣を求めてね。

 貴族領の大火を鎮めるために軍を動かすとも思えなかったけど、そんな予想に反して国王様は派兵を即決したらしい。

 王都から帰ってきた使者に喜ぶ父上であったが、今思えばそのときから少しおかしかったのよ。

 

 

 こんなことはあまり言いたくないけど、現国王ネウロ=フランツベルグは優柔不断にしてちょっと頼りない御方だった。

 国の政策は彼の側近である宰相様が担い、軍事に関しても将軍達に丸投げしているような御人だ。

 そんな彼が即決した時点で疑うべきだったけど、今更後悔したところであの幸せは戻ってこない。

 

 

 国王様からの返事に父上は喜んでいたが、私は国王様のことが正直好きではなかった。

 国を治める立場でありながらその方針は人任せなんて、こんないい加減な人もそうそういないからね。

 初めは宰相様が世間体を気にして動かれたのだろうと、国王様ではなく宰相様に対して感謝していたもの。

 

 

 以前、宰相様と御会いする機会があったのだけど、御飾りの国王様とは違ってとても聡明な印象を受けた。

 だから、国王様が即決したと聞いてちょっとだけ見直したの。

 救援に来たはずの軍隊が――――――私たちの屋敷に乗り込んでくるまではね。

 

 

 

「違う、なにかの間違いです!……そんな、父上がそんなことするはずありません!」

 

 

 領土内の大火が沈静化したと同時に現れた彼らは、罪状をでっちあげてそのまま父上を拘束したの。

 私たちの主張は受け入れてもらえず、父上は事情聴取の名の下に王都へと連れて行かれた。

 私は彼らの後を追いかけようとしたけど、母上に説得されて未だ復興途上にある領地を押しつけられてね。

 

 

 そして母上が一族の代表として王都へと、父上の無実を証明するために向かう事となったの。

 私は焼け野原となった領地を見ながら、言われた通り犠牲者の弔いと領地の復興に尽力したわ。

 全ては父上と母上が帰ってきたときのために、少しでも力になりたくて一生懸命頑張った。

 

 

 だけど、それも王都から届いた一報によって全てを失ったの。

 王都からやってきた使者は仰々しい口調で、私達に王家の刻印が打たれたそれを手渡した。

 

 

 

 罪状――――――領地二於ケル領民ノ虐殺及ビ第一級指定禁術ノ使用。

 以下ノ者ヲ、絞首刑二処スル。

 ルイス=クロード。

 アデーレ=クロード。

 

 以下ノ者ハ、国外ニ追放スルコトトス。

 セレスト=クロード。

 セシル=クロード。

 尚、上記ノ者ガ保有スル財産及ビ領地ニ関シテハソノ全テヲ没収スル。

 

 

 

 認めるわけにはいかなかった。

 私たちは何もしていないのに、こんな理不尽を許すわけにはいかなかった。

 私は父上と交流のあったとあるギルドマスターに妹を託して、そのまま王都へと不眠不休で馬を走らせたわ。

 

 

 書状には具体的な日にちが書かれていなかったから、私は一日でも早く辿り着かなければならなかった。

 間に合わないのは嫌だった。こんな形で幸せが奪われるなんて、そんなのは絶対に嫌だったの。

 

 

 

「そんな……なんで、どうしてそんなにも早いのですか!

 あの大火はつい先日のことではありませんか、それを碌に調べもせず処刑するだなんて――――――それに、どうして無関係の母上まで処刑するのです!」

 

 

 結論から言うと私は間に合った。私達の家は元々王宮に出入りしていたこともあって、面識のあった宰相様に取り次いでもらえたのが幸いしてね。

 だけど国王様への謁見は認められず、そして両親の処刑が明後日(みょうごにち)に行われると教えられた。

 

 

 

「セレストさん、御気持ちはわかりますが落ち着いてください。

 情けない話ですが、国王様の決定に我々とて困惑しているのです。

 今回の件は全て国王様の一存によって決められましたが、主な側近たちはその裁定に納得しておりません。

 私も含めて大勢の者が説得にあたっていますが、国王様が頑なに拒絶しているのです」

 

 

 私がどれだけ訴えかけても所詮は一介の貴族であり、一度下された決定を覆すほどの力は持っていない。

 頬を伝う涙は無力な自分に対する怒りであり、もはや立つことすらままならなかった。

 人目もはばからず泣き崩れた私に、宰相様はその温かい手を差し伸べてくれたの。

 

 

 この国の政体は絶対君主制であり、どんなに理不尽な命令でも従わなければならない。

 宰相様はとても悲しそうな顔で私を支えると、そのまま王宮の一室で介抱してくれたわ。

 惨めだった。一方的に奪われるだけで抗うこともできずに、ただ泣くことしかできない己に腹がたっていたの。

 

 

 

「御願いです宰相様、刑が執行される前に両親と話させてください」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「セレストか……参ったな。父さんはここ数日風呂に入ってなくて、こんな事なら身だしなみを整えればよかった」

 

 

 宰相様の取り計らいによって、父上の処刑前に少しだけ時間が与えられたの。

 こんなときでも変わらないマイペースな父上を前に、私は溢れ出る涙を誤魔化すので必死だった。

 父上が拘束されてから実に三ヶ月振りの再会、私の憧れていた人は冷たい鉄格子の中で笑ってた。

 

 

 

「ほらほら、そんな顔してたら美人が台無しだ」

 

 

 独房の中にいた父上は少しだけ痩せていたけど、その中身は三ヶ月前となにも変わっていない。

 もうすぐ殺されてしまうというのにどこか抜けていて、私を揶揄(からか)うところや呆れたように笑う姿も同じでさ。

 聞きたいことや相談したいことがたくさんあったけど、楽しそうに話す父上を見ていたらなにも言えなかった。

 

 

 少しでも口を開いたら涙がこぼれてきそうだったから、私は相槌を打つことしかできなかったの。

 手を伸ばせば届きそうな距離なのに、なんでこんなにも離れているんだろう。

 微笑む父上を見ているのがなんだか辛くて、いつの間にか目をそらしている自分がいた。

 

 

 母上のことや私たちのこれからについて、聞かなければいけないことがたくさんあったのにね。

 それなのに私は家族の思い出話を持ち出して、過酷な現実と向き合おうとはしなかった。

 最後の最後まで父上に優しさに甘えて、本当にどうしようもないくらい子供だった。

 

 

 

「我が国最大のギルド、赤羽(レッドフェザー)のギルドマスターとは面識があったね?

 セレストはレッドフェザーのAランク冒険者、それに私とフェルディナント=ハンスは古くからの付き合いだ。

 この王都を離れたら彼のもとを訪ねるといい、ハンスならば良い知恵を貸してくれる」

 

 

「わかりました。レッドフェザーの本部には妹もいますし、父上がそうおっしゃるのであれば相談してみます。

 ただ、私も今年で成人ですから――――――」

 

 

 どれだけ逃げても時計の針は動き続けて、私のささやかな願いすら聞き届けてはくれない。

 宰相様から与えられた時間はあまりにも短く、世界は憎たらしいほど今まで通りだったの。

 父上との別れを受け入れることさえ許されず、私は憲兵隊によって独房から連れ出されてね。

 

 

 

「クロード家の名に恥じぬ行いを、私はいつだってお前たちを見守っている」

 

 

 それが私の中にある父上との最後の思い出、さすがに刑の執行には立ち会えなかった。

 後に憲兵隊の人から父上の遺言と双剣を渡されたけど、どうにも実感が湧かなくてさ。

 だって、本当にあっという間の出来事だったから――――――でも、我が家の紋章が刻まれた双剣を受け取った瞬間、私は言いようのない寂しさに襲われたの。

 

 

 クロード家の当主にのみ帯刀を許された双剣が、私に過酷な現実をつきつけてくるのよ。

 失われてしまったあの陽だまりのような空間、私の宝物がバラバラになってしまった現実……泣かないと決めていた筈なのに、どうしてこんなにも溢れてきちゃうのかな。

 

 

 

「そっか、私ってこんなにも幸せだったんだ」

 

 

 父上の遺言には色々なことが書かれていた。

 この事件を詮索するなという文言から始まり、今後の生活や書類上の手続きに関して――――――そのほとんどが助言や注意事項だったけど、私はそんなものよりも遺言の最後が気になった。

 まるで書き殴ったかのような荒い文字に、その文脈も他とは違っていたからだと思う。

 

 

 

 国王様を怨んではいけない。……配慮せよ、人魔教団にはかかわるな。

 

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「どうぞ、ギルドマスターがお待ちです」

 

 

 それから私は身の回りの整理をするためにも、一旦屋敷へと戻り領地に関する手続きを行ったの。

 結局妹を迎えに行ったのは太陽の日差しが眩しい季節、あの大火から半年ほどたった夏の炎天下だった。

 レッドフェザーの本部へと出向いた私は、すぐにギルドマスターのいる部屋へと通されてね。

 

 

 赤羽(レッドフェザー)ギルドのギルドマスター、深紅の狂信者フェルディナント=ハンス。

 久し振りにあったハンスさんは相変わらず気さくで、貴族としての地位を失った私にも真摯に対応してくれた。

 私はこれまでの経緯を簡単に説明すると、そのままこの国を出て行くつもりだと伝えたの。

 

 

 

「私はレムシャイトに行こうと思っています。

 レムシャイトは治安も良いと聞きますし、なによりあの国には獣人がいないそうですから」

 

 

 この国の隣国にして人間の王が治める土地、私たち獣人とは国交すら結んでいない国だった。

 私の考えにハンスさんは反対していたけど、その理由を話したら渋々納得してくれてね。

 元々国外退去を命じられていたのもあるけど、今回の一件を聞いた国民が騒ぎ始めていたの

 

 

 数万にも及ぶ領民を虐殺した呪われし一族。

 大禁術を完成させるために陵辱の限りを尽くした黒犬(ケロべロス)

 こんな根も葉もない噂が広まったせいで、私たち姉妹が暮らせる地域は限られてしまった。

 

 

 私はともかくとして妹を守るためにも、できるだけ噂の広まっていない国に行きたかった。

 誰かの手によって意図的に流された悪評、そんな十字架を妹にまで背負わせたくはない。

 だからこそこの国とは国交を結んでいない地域、比較的治安の良いと聞くレムシャイトを選んだの。

 

 

 

「あの、ハンスさんは人魔教団という組織を御存じですか?」

 

 

「なっ、どこでその言葉を! ルイスの野郎が嬢ちゃんに教えたのか!?」

 

 

 ふと、私はあの遺言にあった言葉を思い出して、この国最大のギルドを管理するハンスさんに聞いてみた。

 父上の身になにが起こったのか、それを知る手掛かりになるならどんなことでも良かったの。

 

 

 

「いいか嬢ちゃん、このことは一部の人間しかしらない黒箱(ブラックボックス)。パンドラの箱と言い換えてもいい。

 嬢ちゃんがそこら辺の奴よりも強いのは知ってるが、これはそういったレベルの話じゃねぇ」

 

 

 ハンスさんが言うには人魔教団とは闇ギルドの類いであり、その力はレッドフェザーを遥かに凌ぐそうだ。

 時の権力者たちを勧誘したり国家の中枢に潜り込んだり、数ある闇ギルドの中でも突出した存在らしい。

 

 

 

「奴らに関する案件はSSSランク、どこのギルドにも公式には存在しないネームドだ。

 これはAランクの嬢ちゃんには少し荷が重い。

 必ずおじちゃんたちが仇を取ってやるから、嬢ちゃんはこの一件から手を退いてほしい。

 大人気ないのはわかってるが、嬢ちゃんになにかあったら天国のルイスに顔向けできねぇんだ」

 

 

 それは頼み事と言うよりも懇願に近くて、私はそんなハンスさんの厚意を無下にはできなかった。

 このことを人が聞いたらなんと言うか、もしかしたら臆病者と罵られるかもしれない。

 だけど今の私には守るべき家族がいて、私の個人的なわがままに妹を巻き込むわけにはいかない。

 

 

 

「レムシャイトにはレッドフェザーの支部もなければ、国内に住んでいる獣人も数える程度だろう。

 確かに嬢ちゃんたちのことを知る者は少ないだろうが、それはつまり頼るべき仲間もいないってことだ」

 

 

 ハンスさんがレムシャイトへ行くのに反対した理由を、私はこのときになってようやく理解した。

 いくらこの国最大のギルドであっても、国交のない国にギルド支部を建てることはできない。

 要するに困ったときに助けようにも、ギルドが大きすぎるために対応が遅れてしまうのだ。

 

 

 ギルドにはギルド同士の繋がりがあるものだけど、おそらくレムシャイトのギルドとレッドフェザーは不仲なのだろう。

 ハンスさんはレムシャイトに住んでいたという冒険者を呼んでくれて、私に最低限の知識とある程度の情報を与えてくれてね。

 他にも、ギルドを旅立つ前日に餞別として十分すぎるほどの金銭まで頂けて、豪快に笑うハンスさんを尻目に私は申し訳なさでいっぱいだった。



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化物とのすれ違い

「セシル、新しい土地でも一緒に頑張ろうね」

 

「はい、セレスト御姉様」

 

 

 セシルと再会した私は両親のことを話しながら、隣国であるレムシャイトまでの道のりを急いでいた。

 父上の身になにが起こったのか、母上がどうなったのかは私にもわからない。

 だけど両親が処刑されてしまったのは事実であり、セシルが望まなければ私は話さなかっただろう。

 

 

 元々セシルは私なんかとは比べ物にならないほど頭がよくて、その才能はハンスさんの御墨付でもあった。

 セシルからすればいきなり父上が連れ去られて、更には王都に向かった母上までいなくなったのだ。

 なにも教えられないまま故郷を離れることとなり、気がつけばこうして私と二人レムシャイトを目指している。

 

 

 

「ん? そんなに畏まっちゃってどうしたの?……はっはーん、まさか恋の悩み? それとも人生相談かな?

 このこの、なにかあるなら素直に言いなさいよ」

 

 

「だって、御姉様がずっと泣きそうな顔をしてるから……あの、変な勘違いならごめんなさい。

 でも、なんて言うかとっても心配で――――――」

 

 

 妹の言葉に私は動揺していたと思う。だって、妹の前では笑顔でいようと決めて、ずっと私は笑っていたつもりだったから。

 だけどそんな強がりも妹には通用しなくて、結局は見透かされてしまった。

 今にも泣きそうな顔で私を気遣う姿が可愛くて、気がつけばセシルのことを抱きしめていたの。

 

 

 

「お姉……ちゃん?」

 

「ごめんね。少しだけ、少ししたらいつものお姉ちゃんだからね」

 

 

 ほんのりと甘くてどこか落ち着く匂い、今日だけは少し湿っぽい香りが混じっていた。

 今の私にはもうこの子しかいなくて、あの楽しかった日々は思い出の中に消えてしまった。

 冗談好きの父上にそれを怒ってばかりの母上、それを見て笑う妹と呆れる私はどこにもいない。

 

 

 レムシャイトがどんな国かは私にもわからないし、そもそも人間という種族を目にするのだって初めてだ。

 不安な点を挙げ出したらきりがないけど、それでもこの子さえいてくれれば私は頑張れる。

 私の宝物をもう一度強く抱きしめて、二度と妹の前で弱音を吐かないと決めてね。

 

 

 

 私達は新しい土地で一からやり直せばいい、貴族のしがらみや王族との関係を捨てて生まれ変わろう。

 父上と最後に交わした約束を思い出しながら、私はもう思い出に浸らないと心に決めていた。

 こうして、私たちはレムシャルトの大地へと足を踏み入れたの。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「お姉ちゃん、雨漏りしてる!」

 

 

 レムシャイトでの生活は大変だったけど、最初の方は上手くやれていたと思う。

 この国の人達は獣人を知らないのか、どこへ行っても好奇な眼差しを向けられたけどね。

 だけど初めての暮らしはなにもかもが新鮮で、レムシャイトでの生活も一ヶ月ほどで慣れてしまった。

 

 

 ただ、文化の違いや価値観のずれは確かに存在して、生活に慣れ始めた頃から少しずつ問題も出てきたの。

 一番の悩みは物価の違いで、その次に直面したのは仕事の問題だった。

 ハンスさんからはそれなりの金額を渡されていたけど、レムシャイトの物価は思いのほか高くてね。

 

 

 それはこの国の流通網が安定していること、そして私たちの国よりも治安が良いからだと思う。

 しっかりと整備された道なんて王都にでも行かなければないし、御店の種類にしてもここまで多くはなかったもの。

 初めはレムシャイトの物価に驚いていたけど、それもこの暮らしぶりをみたら納得だった。

 

 

 手持ちの金銭では心もとなかった私は、すぐに最寄りのギルドへと足を運んだの。

 でも、登録したはいいけどあまり良い仕事は貰えそうになかった。

 私が獣人族というのもあってか、紹介される仕事は安全面に考慮したものがほとんどでね。

 

 

 たぶんギルドの人たちも初めて見る獣人に対して、どう接すればいいのかわからなかったんだと思う。

 国交がないと言っても私たちの故郷は隣国であり、その強さもわからなければ無下にすることもできない。

 そうなると紹介される仕事は比較的安全なもので、御給金にしても満足のいくものではなかった。

 

 

 とてもじゃないけど姉妹で暮らすには難しくて、何度も交渉してみたけど結局はダメでさ。

 ある程度の実績を積んでからじゃないと、私がやりたかった魔物の討伐やダンジョン探索はできないらしい。

 レッドフェザーのAランク冒険者だと説明しても、まずは実績を積んでほしいの一点張りだった。

 

 

 Fランクとして登録された私にできる仕事といえば、薬草の採取とか武器の手入れとかでね。

 地道にやっていけば生活することもできたけど、そんな状態ではお金も貯められなかった。

 

 

 魔物の討伐や未走破ダンジョンの調査も含めて、そういった危険を伴う仕事はBランクからできるそうでさ。

 なんとか地道にランクを上げていったけど、Dランクから先は中々上がれなかったの。

 やっぱり獣人というのが災いして、ギルドの人達も踏み切れなかったんだと思う。

 

 

 しょうがないとは思った。全く関わり合いのない土地で、種族すら違うのだからそんな偏見もあるだろう……って。

 だから私はそんな偏見に負けないためにも地道に通って、ギルドの人たちが認めてくれるまで同じ仕事をやり続けたの。

 だけど妹の進学が近づいてきて、私は一向に突破できないDランクの壁に悩んでいた。

 

 

 

「私のことは気にしないでよ! 私はお姉ちゃんと一緒にいられるなら、それだけで十分幸せだもん」

 

 

 私は妹が剣術の練習をするために、夜な夜な家を抜け出していることを知っていた。

 本来ならば高校へ進学しているはずの年頃であり、妹だって心の中ではそれを望んでいるのだ。

 だけど私たちの生活を気にして言い出せず、いつの間にか負担をかけていたの。

 

 

 

「全く、この子ったら……そんなのはあんたが気にしなくてもいいの。

 行きたい学校があるならそう言ってくれれば、このお姉ちゃんが全部用意してあげる。

 あんたがお金の心配をするだなんて、それこそ百万年早いのよ」

 

 

 そう言って妹の頭を何度か撫でれば、セシルは不満気に口を尖らせていた。

 たぶん子供扱いされたことが気に食わなくて、少し大袈裟に振る舞っているんだろう。

 妹が私のことをよく知っているように私だってよく知ってるもの、その証拠にセシルの尻尾が嬉しそうに動いていたしね。

 

 

 

「ここなんてどうかな? ほら、とっても大きな学園で特待生制度もあるしさ!」

 

 

 次の日、さっそく妹は学校のパンフレットを用意してきた。

 王立コスモディア学園と書かれたパンフレット、そこに書かれていた内容はとても充実していたの。

 学園内の設備からその教育課程に至るまで、私達の国にもここまでしっかりした学校はなかったと思う。

 

 

 徹底した実力主義というのが謳い文句らしく、その学費にしてもかなり抑えられていた。

 この子のことだから付近の学校を全て回って、それで一番安かったこの学校を選んだのだろう。

 パンフレットには学園の行事なども記載されていて、それを見ただけでもこの学園がかなり特別なものだとわかった。

 

 

 

「どうかな! どうかな! 入学希望者はこの日に集まりなさいって!

 他にも学年首席になれば学費が免除、無理だったとしても成績が良ければ減額なの!」

 

 

 だけど、それでもその金額は今の私たちには大金で、少なくとも今の仕事だけでは厳しそうでさ。

 私がBランクで上がればそんなに難しくもないけど、今のままではどれだけ節約したって足りなかった。

 ただ、嬉しそうに尻尾を振る妹を見ていたら……なんて言うか、いつの間にか私の口が動いていたの。

 

 

 

「そうね。これなら頑張ればなんとか……よし、当日はお姉ちゃんもついていってあげる!」

 

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 当日、私は妹と一緒に学園まで向かった。

 学園内はこんな私でもわかるほど充実していて、初めて見る施設に私の方がはしゃいでしまったの。

 まさかこの歳になって妹に怒られるだなんて、今思えば少し大袈裟だったかもしれない。

 

 

 

「ここが会場なの? なんていうか、他の建物に比べて全体的に大きいわね」

 

 

 会場の入り口で受付を済ませた妹が、なにか腕輪?のようなものを私に見せてきた。

 受付にいた職員に渡されたらしいけど、それがなんのかは妹も知らないようでさ。

 

 

 会場には受験生しか入れないそうで、妹の晴れ舞台にわくわくしていた私はちょっぴり残念だった。

 妹は呆れたように笑っていたけど、私からすれば家族の一大イベントだもの。

 どこか緊張しているような妹を見ていたら、なぜか私の方まで心配になってきてね。

 

 

 

「私も頑張るからお姉ちゃんはここで待ってて、クロード家の強さを見せつけてやるんだから!」

 

 

 今思えばあの子はそこでなにが行われるのか、それを知っていたような気がするの。

 正直に話せば私に止められると思って、だからセシルはあんなことを言ったんだと思う。

 

 

 

「急げ、大至急怪我人を搬送しろ!」

 

 

「おい、誰でもいいから人手を回してくれ!

 志願者の一人が……ああ、そっちは後回しにしても構わん。まずは怪我人の搬出を――――――」

 

 

 私が異変に気づいたのは妹を見送った後、学園内を見学しているときだった。

 学園の雰囲気が慌ただしいものとなり、学園の生徒だけでなく大人たちまで騒ぎ始める。

 私の横を通り過ぎていった職員は、元が何色だったかもわからないほどに汚れていて、最初は事故でも起こったのかと思った。

 

 

 止まらない喧騒と血まみれの職員たちに、私は嫌な予感と言うか妙な胸騒ぎがしてね。

 そこで脳裏を過ったのは妹の不安げな表情で、気がつけば私の足は会場へと向いていたの。

 

 

 

「まだ暴れているのか、応援を呼びに行った者たちはなにをしている!」

 

 

 そこは騒然としていた。血まみれの職員たちが慌ただしく動き回り、会場から多くの受験生が運び出される。

 まるで地獄を体現したかのような有様、強烈な血生臭さと聞こえてくるうめき声に私の顔が歪む。

 なにが起こっているのかはわからないけど、私にはとても他人事とは思えなかったの。

 

 

 

「俺の腕を、あの化物が切り落としやがった!

 腕輪のためだけに、俺の腕ごと……あいつは、あいつは!」

 

 

 搬送されていく受験生のほとんどが片腕を失い、その痛みに苦しみながら誰かを中傷していた。

 もう存在しない片腕を必死に探しながら、見えないなにかに脅えているようでさ。

 あの夜を彷彿とさせる地獄のような光景に、私の脳裏を過ったのは可愛い妹の姿だった。

 

 

 

「なにを――――――君、今すぐ止まりなさい!」

 

 

「怪我をしたくなかったら退いて、私の邪魔をする奴は誰であろうと許さない」

 

 

 誰かが私のことを呼び止めていたけど、私にだって譲れないものはある。

 地を這う雷撃が立ちはだかる全ての者たちを捕らえて、そのまま邪魔者たちを夢の世界へと誘う。

 殺しはしない。ただ、私の邪魔さえしなければそれでよかった。

 

 

 身体から発せられる雷撃が次々と襲い掛かり、気がつけば私を止める者はいなくなっていた。

 うん、今の私は至って冷静だと思う。だって、妹を危険に晒した彼らを私は殺さなかった。だから今の私はとっても冷静。

 

 

 

「だけど、もしも妹になにかあったら――――――」

 

 

「お姉ちゃん!」

 

 

 その時セシルの声が聞こえた気がしたけど、私はそれを空耳だと思って気にも止めなかった。

 会場の中にいる妹の声が聞こえるはずないって、そう高を括っていたのだと思う。

 だけど背後から誰かが飛びついてきて、その鼻をくすぐる甘い香りにやっと私は気づいたの。

 

 

 ここへ来るまでに見てきた者たちと同じで、着ていた服は真っ赤に染まっていたけどね。

 だけどセシルの両腕はちゃんとついていたし、これといって怪我をしている様子もなかった。

 ただ、その両手で私の胸を何度も叩いてきて、私としてもどう反応すればいいのかわからなくてさ。

 

 

 

「バカ! アホ! お姉ちゃん、私を待っててくれるって約束したじゃない!」

 

 

 泣きながら何度もポカポカと叩いてきて、それは痛いというよりもどこか心地良かったの。

 こんなことを言うのは最低だけど、無傷の妹を見て私は心の底から安堵していた。

 他の受験生のようになっていたらと思うと、想像しただけでもぞっとする。

 

 

 

「おや? これはまた珍しい光景だね。

 まさかうちの職員がこうも簡単に負けるだなんて、最近ちょっとたるみ過ぎじゃないかな」

 

 

「マリウス、笑っている暇があるなら手を貸しなさい。

 全く、コスモディア学園の職員ともあろう者が、まさか一般人に負けるとは思わなかったわ」

 

 

 そう言って妹の後ろから現れた二人の男女は、気絶している人たちを見ながら呆れていたの。

 胸の中で泣き続ける妹を尻目に、私は自分が犯してしまった過ちにやっと気づいた。

 無関係な人を一方的に攻撃した事実と、己の身勝手な振る舞いに青ざめていたと思う。



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化物との出会い

「そんな思いつめた顔をしなくても、私は貴女を責める気はありません。

簡単に負けてしまった彼らが悪いのですし、それにこのような混乱を招いた学園側にも原因があります」

 

 

 謝罪の言葉と共に相応の罰を申し出たけど、私の言葉はその学生さんに否定されたの。

 彼女の言葉は素直に嬉しかったけど、だからと言ってこのまま終わらせるわけにもいかなかった。

 どんな罪にも相応の罰が必要であり、ただ一方的に許されたのでは誰も納得しない。

 中々引き下がらない私に彼女は呆れていたけど、ここで引き下がるのだけは絶対に嫌だった。

 

 

 

「では、妹さんが私たちの手助けをしてくれたこと……それとこの件は相殺ということでお願いします。

 貴女の妹さんには随分と助けられましたから、この程度のことで相殺というのも図々しいですが。

 ただ――――――おめでとうございます。生徒会を代表してセシルさんに感謝を、そしてこれからの活躍を期待しています」

 

 

 そのときの私は固まっていたと思う。

 色々なことが起こりすぎて頭が追いつかず、どんなに考えてもその答えは出てこなかった。

 彼女が誰でなにを言っているのか、そもそもあの会場でなにが行われていたのかも知らない。

 

 

 だけど、私の想像以上に成長していた妹の姿が、どこか誇らしくもあり寂しくもあってね。

 もう子供扱いするのはやめよう……って、そんなことを考えながら私はセシルの頭を撫でたの。

 次に妹が言うであろうその言葉を期待して、セシルの頑張りを心から祝福していた。

 

 

 

「お姉ちゃん、私――――――」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 そこから先はあっという間でさ。

 合格した妹を祝うためにその日の食事は奮発して、おかげさまで明日からの仕事は大変そうだったけどね。

 だけど、学園から送られてきた書類に目を通す妹を見ていたら、そんな疲れも一瞬で吹き飛んでしまった。

 

 

 妹が学園に通い始めてからは色々なことを教えてくれて、毎日の食事がとても華やかになったの。

 同じクラスにいるこの国の御姫様についてや、新学期からずっと来ていない問題児の話はよく聞かされてね。

 こんなにも楽しそうな妹を見るのは久し振りで、私もそんな妹の話が大好きだった。

 

 

 この国に来てから初めて見る妹の姿に、私はちょっとだけ舞い上がっていたのだと思う。

 このまま学園に通い続ければ昔のように、あの陽だまりの空間を取り戻せるかもしれない――――――ってさ。

 

 

 

「ほう? お金が入用……っと、ならばこの私がなにか紹介しましょう」

 

 

 だからこそ今ある空間を守るためにもがむしゃらに働いて、どんなに安くて退屈な仕事でも進んで引き受けたの。

 多少強引な日程であっても無理を押し通して、そういったものを積み重ねていけば報われると信じてね。

 だけどそうして働き続けてもギルドランクはDのまま、一ヶ月が過ぎてもCにすら上がれなかった。

 

 

 

「お気持ちは嬉しいのですが、Dランクの私にできる仕事は限られています。

 高額な討伐クエストやダンジョンの調査など、そういった仕事はギルド側から禁止されていまして――――――」

 

 

「いやいや、この一ヶ月貴女のことを見ておりましたが、ギルドボードを見る姿がなんとも不憫でしてな。

 本来であればAランクに進んでいてもおかしくないのに、なぜかずっとDランクのままくすぶっておられる。

 なにやら御入用のようですしここはひとつ手助けを……と、そう思い至った次第です」

 

 

 藁にもすがるとはこのことだろうか、そんな怪しい話を聞いてしまうほど私は焦っていた。

 これが赤の他人であったなら、私もそこまで頼ったりはしなかっただろう。

 だけど、彼がギルドに出入りしている業者の一人だったから、私は警戒しなかったのだと思う。

 

 

 そして私は王都の(はずれ)に存在するとある闘技場について、そこでなにが行われているのかを教えてもらったの。

 お金に困ったら行ってみればいい――――――その言葉の意味に気づいたのは観客席に座ったとき、この闘技場の趣旨を理解するのにそう時間はかからなかった。

 飛び交う怒号に舞い散る鮮血に、私がなにを感じたかは言うまでもないと思う。

 

 

 こんなものを作った人間もそうだけど、これを見に来ている人も含めて私には理解できなくてさ。

 こんな殺し合いに一喜一憂するなんて、私は人間という種族に対して恐怖を抱いたの。

 ここにいる彼らが魔物以上の化物に見えて、込み上げてくる嫌悪感を誤魔化すので必死だった。

 

 

 

「そうですか、それは残念です。

 もしもお気持ちが変わりましたら、いつでも私を呼んでください」

 

 

 この国の人間が抱える黒い感情と醜い欲求を目の当たりにして、私は少しだけ落胆していたと思う。

 それはこの国に対する感情というよりも、人間という固有種に対する失望だった。

 お金のためだけに殺し合いの技術を磨き、血にまみれながら魔物のように戦う。

 

 

 観客は飛び交う鮮血や哀れな断末魔に興奮し、それを一種の見世物として彼らは提供していたの。

 そこに誇りや名誉といったものは存在せず、死ねば命を落として生き残れば大金を手にする。

 人間という種族に対して素直に幻滅した。だけど、今の私には彼らを攻めることもできない。

 

 

 お金があれば幸せだとは言わないけど、お金がなければ幸せになることはできない。

 今までの私がどれだけ甘えていたか、それをこの歳になってようやく理解した。

 相変わらずギルドランクはDのままで、ここ最近は妹の顔を見るどころか家にすら帰っていない。

 

 

 

「なんだか……その、最近のお姉ちゃん元気ないね。

 そんなにお仕事が大変なら、私も学園を辞めて一緒に働こうかな――――――」

 

 

 久し振りに食べる家族そろっての食事は、今思えば少ししょっぱかったような気がする。

 いつもは嬉しそうに学園のことを話すのに、この日だけは気まずい沈黙に包まれていた。

 もしかしたら数日前に学園から届いた手紙を、セシルは知っていたのかもしれない。

 

 

 

「なに言ってるのよ。前にも言ったけど、あんたがそんなこと心配しなくても良いの」

 

 

 机の中に閉まっていた学費に関する書類は、既にその期限は大幅に超えていてね。

 妹が学園に通い始めてから三ヶ月ほどたったけど、未だに私はその学費を用意できなかったの。

 このままで遅かれ早かれ妹は退学となり、やっと手に入れた幸せも失われてしまう――――――やるしかない。もう、その選択肢しか残されていなかった。

 

 

 

「安心してください、貴方ほどの実力があれば誰が相手でも負けないでしょう。

 それに今回貴女が参加するのは殺し合いではなく、純粋な試合でありできるだけ清潔(クリーン)な舞台を用意させました」

 

 

 私が彼を頼るのは必然だったと思う。

 闘技場でプレイヤーとしての登録を済ませた私は、試合に関する説明を受けながら父上の言葉が甦る。

 こんな大勢の前で動物のように戦う日が来るなんて、このときの私はどうかしていたと思う。

 

 

 彼に殺し合いの舞台ではなく、純粋な決闘を用意させたのは私なりの抵抗だろう。

 お金のためだけに人を殺すなんて野盗と変わらないし、それが無理だと言うなら諦めるつもりだった。

 そのときは妹に本当のことを伝えようと思って、それなりの覚悟もしていたけど結局は杞憂と終わったの。

 

 

 彼は私の望み通りの舞台を用意してくれて、私はその清潔(クリーン)な舞台で戦うこととなってね。

 ただ、私が必要とする金額を用意するにはそれなりの対価、負けたときの代償を用意しなければならなくてさ。

 

 

 

「これは隷属関係(ギアススクロール)と呼ばれる羊皮紙でして、たとえるならば……そう、契約書のようなものでしょうか。

 この羊皮紙に書かれた内容は戒律となって、その契約者自身の魂に刻まれます。

 一度刻まれた戒律は解くことができませんが、反故にできないからこそ価値があるのです」

 

 

 隷属関係(ギアススクロール)、それは初めで見る魔術式でね。

 一度契約すれば二度と破れないなんて、それだけでもこの術式がどれだけ強力なものか想像できた。

 突然の提案に私も不安を覚えたけど、彼の説明を聞けばそれも納得だったの。

 

 

 要するに純粋な殺し合いであれば賭ける対象は己の命であり、それに見合った賞金をブックメーカーが出すそうでね。

 だけど今回のような戦いに於いては、御互いが賞金を出し合って奪い合うそうだ。

 一応多少の手当ては支給されるそうで、勝者は互いが出し合った金額とそれを手にいれる。

 

 

 誰も死なないからこそブックメーカーからの賞金は少ないが、それでも誰かを殺すくらいならその方がマシだった。

 それに彼から聞かされた金額はとても大きく、学費を払ったとしてもかなりの額があまっていてね。

 だけど私にはそれだけの金額を用意できないし、お金が用意できないなら相応の担保が必要となる。

 

 

 クロード家の紋章剣ならば対価として十分だろうけど、さすがにこれを担保として差し出す気にはなれなかった。

 なにを担保とするか悩んでいた私に彼が提案したのは、このギアススクロールによる相手との契約だったの。

 

 

 

「どうでしょうか、貴女が負けた際は自らの全てを明け渡す。

 要するに隷属関係を受け入れるということですが、賞金を用意できないのであればこうするしかありません」

 

 

 初めから信用なんてしていなかったし、なによりあんな闘技場に出入りしているような人間だ。

 この人が普通じゃないこともわかっていたけど、それでも今の私には彼しかいなかったの。

 何度も羊皮紙に書かれた文面を確認して、契約に見落としがないか一字一句調べてね。

 

 

 そして彼の言う通りこれが私の敗北を条件として、その効果を発揮する類いの術式だとわかってさ。

 私が見た限りこの国のAランク冒険者は、レッドフェザーでいうところのBランク止まりでね。

 冒険者に対する認識がそんなにも違うなら、相手が誰であろうと勝てる自信があった。

 

 

 

「貴女が勝利した暁には少なからず手数料を頂きますので、それだけはご了承ください。

 では、御武運を――――――」

 

 

 全ての準備を終わらせた私に対して、彼は形ばかりの声援(エール)を送ってくれた。

 聞けば元々こういった仕事を紹介している仲介業者だそうで、その報酬に応じて彼の取り分が決まるらしい。

 あくまで仕事としてやっているならば、彼がこんな契約書を持っているのにも納得できたの。

 

 

 そういうことならば私としてもわかりやすいし、変に警戒しなくてもいいので助かった。

 私は彼との再会を約束して闘技場の門をくぐり、握りしめた双剣の感触を確かめながら大きく踏み出してね。

 これは殺し合いではなく純粋な決闘であり、父上の言葉には決して背いていないはず――――――砂埃が舞うだだっ広い空間の中で、私は大歓声に包まれながらその時を待っていたの。

 

 

 

「来たぞ、道化師だ!」

 

「道化師、今日も俺たちを楽しませてくれ!」

 

「我らが愛する道化師、無敗の道化師(ピエロ)よ」

 

 

 変な奴――――――私が彼?に対して抱いた第一印象はそれでね。

 ボロボロの黒いローブを身にまとって、自分の背丈ほどもある大鎌を持ったそいつは趣味の悪い仮面をつけていた。

 

 

 道化師。彼の登場に沸く観客たちは一様にその言葉を、まるで呪文のように叫び続けていたの。

 それはこの闘技場が揺れるほどのもので、こんな私でも彼が人気者だということはわかった。

 突然響き渡る銅鑼の音色と熱狂する観客たちが、この狂った見世物(ゲーム)の始まりを教えてくれる。

 

 

 先手必勝。たとえ誰が相手であろうと、私という存在を賭けたこの戦いは譲れない。

 殺さない程度に威力を抑えた雷撃を、私はその道化師と呼ばれる彼に放ってね。

 おそらくSランク冒険者にだって避けられないはずの一撃、私がもっとも得意とする魔法だった。

 

 

 

「きゃ!?」

 

 

「ふむ……やはりその耳は本物だったのか。

私のところにいる使用人もそうだが、まさか獣人がターゲットだったとはな」

 

 

 最初、私はなにが起こったのかわからなかったの。

 私の放った雷撃が壁へと激突して、無数の閃光と共に火花を散らしている。

 先ほどまで目の前にいたはずの彼が消えて、その氷のように冷たい声だけが聞こえてきた。

 

 

 耳から伝わる感触が私に警報を鳴らし、それと同時に彼の気配が濃くなっていく。

 あの攻撃を避けた彼に対して、初めは驚きもしたし困惑もしたよ。

 だけど、それは胸の中から湧き上がってきた感情にかき消されて、気がつけば私は黒い感情に支配されていたの。

 

 

 

「私の耳を……父上や母上にも触らせたことがないのに――――――許さない、絶対に許さないから!」

 

 

 獣人族にとっての耳や尻尾はとてもデリケートであり、そこに触れてもいいのは限られた相手(パートナー)だけでさ。

 将来を誓い合った二人が互いの愛を確かめ合うために……その、体を重ねる意味合いもあってね。

 だからこそ、私みたいに結婚するまで家族にも触らせず、大事に守っている人だっているのに――――――こいつは、この変態野郎は私の許可なくそれに触れたのよ!

 

 

 

「なにをそんなに怒っているのか、相変わらず獣人の考えていることは理解できん」

 

 

 それなのにこの男は全く悪びれず、ただ呆れたように笑うだけだった。

 私の大事なファーストタッチを奪っておいて、謝ろうともしないこの変態野郎は絶対に許さない。

 こいつが他の獣人たちにも手を出す前に、この私が責任もって去勢してやらないと!



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化物との道

「私のところにいる使用人は、触れられると嬉しそうに笑うのだがな。

 あの子の反応が正しいのか、それとも単に変わり者なだけか――――――」

 

 

「ふざけんな! 私の初めてを強引に奪っておいて、今更言い訳したって絶対許さない!」

 

 

 正直、自分でも呆れてしまうほど混乱していて、その太刀筋は本当にひどかったと思う。

 振り返りざまに一閃しただけなのに、感情が先走り過ぎて体勢を崩してしまったの。

 大事な一戦だというのに感情をコントロールできず、ただがむしゃらに剣を振るい続けてさ。

 

 

 顔を真っ赤にして剣を振るう私とは裏腹に、彼は忌々しいほど平然としていたの。

 それがより一層私の感情を逆なでして、冷静になろうとすればするほど空回りしていく。

 パートナーがいながら他の女に手を出すなんて、そんなのは最低最悪の浮気野郎だもの。

 しかもその相手が使用人だなんて、弱い立場を利用しているところが許せなかった。

 

 

 右足を軸にしながら一閃すると同時に、その踏み込んだ足からも雷撃を飛ばす。

 私の間合いから彼が逃げたとしても、放たれた雷撃はそう簡単にはいかない。

 二段構えの攻撃。雷撃が彼の動きを制限して、私の一閃が更なる抑止力となる。

 

 

 

「ひゃ!?」

 

 

 ええ、この変態に尻尾を引っ張られるまでは……その、私だって逃がすつもりはなかったのよ。

 だけど、彼の厭らしい手つきに集中力が途切れてしまい、気がつけば恥ずかしい声を出してしまった。

 こんな大勢の前で何度も穢されるなんて、これ以上ないというほどの屈辱だったわ。

 

 

 

「落ち着いてくれたかな? これもその使用人から教えてもらったのだが、尻尾を撫でられた獣人は大人しくなるそうだ。

 彼女曰く、穏やかな気持ちになれると言っていた」

 

 

 きっと、今の私はとても酷い顔をしている。

 私の初めては結婚相手に捧げようと思って、誰にも触らせず守り通してきた。

 それなのにこんな不気味な仮面をつけた男に、私の乙女(ヴァージン)は奪われてしまったの。

 

 

 その使用人は彼のことが好きだからこそ、触らせることを許可したのだろうが私は違う。

 まだ出会ったばかりで彼のことをなにも知らないけど、それでも私は大っ嫌いだと言い切れる。

 

 

 

「言っておきますけど、私はあんたのことなんて好きでもなんでもないの!

 その子はあんたのことが好きなんでしょうが、私は嫌い。大っ嫌い!」

 

 

「シアンが? いやいや、君は色々と誤解していると思う。

 そもそも彼女の年齢は十歳ほどであり、幼女と言っても差し支えない見た目だ。

 彼女の拙い知識を私なりに解釈したのだが、それが間違っているというなら――――――」

 

 

 十歳ほど? 幼女と言っても差し支えない見た目?

 この男はそんな幼い女の子を騙して働かせ、更には性的行為にまで及んでいるというの?

 私の冷たい視線を感じ取ったのか、彼は言い訳ばかりしていたけどね。

 ただ、本当に獣人の女の子を囲っているなら、今すぐ助け出さないと手遅れになってしまう。

 

 

 

「わかってもらえたかな? だから、決して君たちの文化を蔑ろにしたわけでは――――――」

 

 

「もういい、あんたの特殊な性嗜好なんて聞きたくもない」

 

 

 今更綺麗な言葉を並べられても、私の中にある彼のイメージは変わらない。

 こんな変態野郎と一緒にいるだけで、私という存在が穢れていくような気がした。

 私の雰囲気が変わったことに気づいたのか、慌てて距離を取る彼だったけどもう遅い。

 

 

 私を中心として青白い閃光が走ったかと思えば、それは上空へと舞い上がり巨大な雷撃となって降り注ぐ。

 不規則な攻撃を広範囲に亘って続けるその魔法は、対軍魔法と呼ばれるとても強力なものでさ。

 彼という点を狙うから避けられるのであって、彼のいる空間そのものを攻撃すれば関係ない。

 

 

 点ではなく面を狙い、個人ではなく空間を狙う。

 それはまるで私の感情を表現しているかのように、全てのものを破壊しながら取り込んでいく。

 死なない程度に痛めつければいいだなんて、この時の私はそんな風に考えていたの。

 

 

 

「なんと言えばいいのか、これだからこの世界は嫌なのだ。

 私の不手際に関しては謝罪するが、それを一時の感情によってふいにするとはな。

 利己的な者はこれを機会に見返りを求めるものだが、なにも要求せずただ暴れるだけなら子供にだって出来る。

 合理性の欠片もない考え方、この世界の者は実に短絡的だ」

 

 

 だけど、決まればAランク冒険者だって太刀打ちできない魔法、降り注ぐ雷撃の中で彼は平然としていたの。

 飛んでくる雷撃を鬱陶しそうに弾くその姿は、とてもこんな場所で殺し合いをしているようにはみえなくてさ。

 どうしてこんな男がこんな場所にいるのか、気がつけば見とれている自分がいた。

 

 

 

「くっ、だったら戦法(スタイル)を変えるまでよ!」

 

 

 電撃による攻撃は、その性質上変則的な攻撃は行えない。

 なぜならこの速さこそが最大の強みであり、速度を上げるために軌道(ベクトル)を犠牲にしている。

 大半の人は雷撃の速度についていけずやられてしまうけど、ある程度の実力者ならば対応できるのも事実でね。

 

 

 Sランク並の実力者であればいけるでしょうけど、まさかそれほどの実力者がこんなところにいるなんてさ。

 確かに予想外ではあったけど、だからといって万策尽きたわけでもない。

 雷撃が当たらないのならば、接近戦まで持ち込んで直接叩き込めばいい。

 

 

 雷撃で彼の動きを牽制しながら、私は双剣の間合いまで一気に詰め寄ってね。

 私の動きが変わったことに驚く彼を見ながら、私は自分の勝利を確信して微笑んだの。

 

 

 

「全く、こんな感情的な女性がこれから部下になると思うと憂鬱だ。

 この様子だと合理的思考はおろか、その倫理観にしても期待できんだろう」

 

 

 彼がなにを言っているのか私にはわからなかったけど、それでもひとつだけハッキリしたことがある。

 それは私の想像を遥かに超えた実力者だということ、放たれる雷撃を防ぎながら私の剣すらも避けてみせた。

 初めての経験だったと思う。レッドフェザーにいたときもこの戦法を駆使して上り詰めたけど、ここまで完璧に対処されたことはなかった。

 

 

 どれほど小さなかすり傷であってもこの剣が触れた時点で感電し、それはどんな大男であっても耐えられないだろう。

 当たれば一瞬で気を失うような電圧の嵐、そんな中で全ての雷撃を防ぎながら私の剣撃すらも避けてみせた。

 

 

 

「くっ……なんで、どうしてよ」

 

 

 汗一つかかずに平然とそれをこなしている姿に、気がつけば私の方が焦っていたのよ。

 一切の魔法を使わず己の身体能力だけで戦い続ける彼に、私はある種の恐怖を感じていた。

 まるで生き物のように動く大鎌が全てを防ぎ、私の剣撃なんてそのついでと言わんばかりに対応してくる。

 

 

 凄かった。純粋に、笑っちゃうほど凄かったよ。

 

 

 

「これはまた、更には判断能力の欠如とはいよいよもって度し難い。

 セレスト=クロード、君はこんな茶番をいつまで続けるんだ」

 

 

 その一言は私を動揺させるには十分で、思わず頭の中が真っ白になってしまった。

 どうしてこの男が私の名前を知っているのか、先ほどの言葉がやまびこのように何度も響いている。

 たぶんそれは、時間にすれば一秒にも満たなかったと思うけど、それでもその一瞬は私にとって致命的だった。

 

 

 それはあっという間の出来事で、私にもなにが起こったのかわからなくてさ。

 脇腹に感じる強烈な痛みと背中越しに感じる壁の厚み、強烈な痛みに目の前がくらくらして立ち上がるのも億劫だった。

 おそらくは何らかの攻撃を受けて吹き飛ばされたのだろうけど、まさかこれほどの力を持っているなんてね。

 

 

 壁の瓦礫に揉まれながらようやく私は理解したの。

 その衝撃に血反吐を吐きながら今までのことを振り返り、そしてあの男に騙されていた事実に気がついた。

 私が登録したギルドや仲介役を買って出たあの男も含めて、最初から最後まで全てが繋がっていたとしたら――――――そっか、私にはもう逃げ道がないんだ。

 

 

 

「ねぇ、あんた何者よ」

 

 

 これほどの恐怖を、私は未だかつて経験したことがなかったと思う。

 あの大火の日も怖かったけど、それでもここまで悪意というものを直接感じたことはなかった。

 ゆっくりとした足取りで一歩ずつ近づいてくる彼に、そんなどうしようもない質問をしてしまうほど恐ろしかった。

 

 

 

「何者? ああ……自己紹介がまだだったか、これは私としたことが失念していた。

 勤めている会社が少し特別なせいか、なにぶん様々な名前を使い分けていてね。

 ヨハン。道化師。原罪(げんざい)司教。まあ、親しい同僚は皆私のことを憤怒(ラース)と呼んでいるがね」

 

 

 目の前にいる敵はあまりにも強大で、思わず笑っちゃうほど絶望的だった。

 漆黒の大鎌を肩に担ぎながら不気味なくらいに冷静で、自分の名前だというのに全く興味がなさそうでさ。

 もしもこの状況が仕組まれていたものだとしたら、一体いつから私は踊っていたのだろうか。

 

 

 観客は彼のことを道化師と呼んでいたが、結局のところ本当の道化師(ピエロ)は私だったらしい。

 激痛に気が遠くなりながらももう一度双剣を握り絞めて、今も私の帰りを待っているだろう妹の姿を思い出す。

 私がいなくなったらセシルはどんな顔をするだろう。あの子、ああ見えて泣き虫だものね。

 

 

 

「さて、本来であれば名刺のひとつでも渡したいところだが、生憎と場所が場所だからね。

 雇用契約などの具体的な話はここではなく、一度屋敷に戻ってから話すとしよう」

 

 

 こんなところで負けるわけにはいかない。妹を悲しませることだけはしたくなかった。

 彼が誰の指示で動いているかはわからないけど、もしもその全てが繋がっているなら私にも勝機はある。

 彼が私の実力や得意とする魔法を知っているなら、私が取るに足らない存在だと思っているはずだもの。

 

 

 だからこそ、そこにほんの僅かな勝機が生まれる。

 もしもその慢心をつくことができれば勝てるかもしれない。

 彼の持っている武器に関して、あの大鎌を使うにあたり剣術的要素を必要とするのかはわからない。

 

 

 だけど、彼の動きを見ている限り剣術を学んでいるようにはみえなくてね。

 彼の卓越した身体能力がその実力を支えているような気がしたから、私はそこに僅かな可能性を見出したの。

 

 

 私の身体能力は彼に遠く及ばないけど、それでも剣術に関しては私の方が優れている。

 だったら剣術勝負に持ち込んでしまえば、少なくとも一方的にやられることはないはず。

 肉を切らせて骨を断つ、もはや私にはそうする他に道はなかった。

 

 

 

「なるほど、少しばかり認識を改めた方がよさそうだ。

 確かにその判断は合理的だし、倫理的観念からみても優れていると言えるだろう。

 ただ……悲しいかな。それは自殺行為にも等しい、とても危険(リスキー)な戦法だと言わざるを得ない」

 

 

 雷撃を操る私は少なからず電気に対しての耐性があってね。

 だからこそできる芸当というか、私は私自身を基点として電流の渦を作り出せたの。

 本当に小さな……でも、触れたら気を失うほどの電圧を流し続けることができる。

 

 

 

「あんたの言う通りだけど、こうでもしないと勝てそうにないんだもの。

 これだけの覚悟を前に逃げ出すだなんて、そんなつれないことは言わないわよね?」

 

 

 彼の言う通りこの技はとても危険を伴うもので、あまり褒められた技術ではなかった。

 私自身が渦の中心なのだからその電流は私さえも蝕み、電気に耐性があると言ってもそう長くはもたないの。

 正に自爆覚悟の攻防一体の大技であり、だからこそ彼に逃げられては困るのよ。

 

 

 私の力が尽きるまで逃げられたらもはやどうすることもできない。

 あくまでも私は取るに足らない存在であり、彼の慢心を私への興味へと変換させる必要があってね。

 だからこそ彼の油断を誘うためにはどうすれば良いのか、そこが一番の問題であり難しいところだったの。

 

 

 

「ふむ。私の主義には少々反するが、それでも上下関係をハッキリさせるには良い機会か。

 いいだろう、未来の部下に戦いというものをレクチャーしてやろう」

 

 

 だけど、まさか正面から突っ込んでくるなんてね。

 彼の傲慢さには驚かされたけど、それでもそれは私にとって都合の良い結果をもたらした。

 相変わらず器用に雷撃を弾きながら私の剣を躱していたけど、それでもその動きに陰りがみえ始めたの。

 

 

 当然よね。直撃こそしていないものの、これだけの電流を前に戦っていれば影響は出てしまう。

 そしてその影響こそが私が狙っていたものであり、正に致命的ともいえるのよ。

 彼のような身体能力に依存している人にとって、その些細な影響は積もり積もって大きな変化へと変わる。

 

 

 

「父上との約束を果たすためにも負けてはいけない。

 たった二人っきりの家族だもの、あの子を守るためにも負けられない!」

 

 

 卑怯者だと罵られても構わないし、今更過去の栄光にすがりつこうとも思わない。

 この戦いに勝つためだけにどんな痛みにも耐えて、そしてその絶好の機会は私の前に現れた。

 彼の動きが目に見えて衰えた瞬間、その刹那を狙って私は双剣を突き立てたの。

 

 

 飛び散る鮮血と舞い散る火花、私の剣は彼の肩を深々とえぐりその威力を存分に発揮した。

 最後の力を振り絞って更なる追撃を行おうと、直接雷撃を叩き込むとしたけど……結局、そんなことをするまでもなかった。

 きっと、このときの私は狼狽していたでしょうね。笑っちゃうほど酷い顔だったと思う。

 

 

 

「う……そ、嘘でしょ」

 

 

「気は済んだかい? 先ほども言ったと思うが、こんなのは茶番に過ぎないのだよ」

 

 

 全ての魔力を使い果たした私は体力的にも、勿論精神的にだってこれ以上戦えそうになかった。

 私の手からこぼれ落ちていく双剣と振りかぶられた大鎌、その瞬間私の視界は黒く染め上げられてしまった。

 結局、私は最後の最後まで哀れな道化師(ピエロ)だったのよ。

 

 

 化物。こうして私は彼の所有物となったの。



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化物との契約

 その昔、彼の偉人はこう言った。天才とは1%のひらめきと99%の努力である。

 

 

 よく誤解されがちな言葉ではあるが、聡明な諸君たちならば知っていると思う。

 つまり、1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である。

 要するに天才とは1%のひらめき、ひいては1%の要領が必要なのだ。

 

 

 ではここでいうところの要領とはなにか、物事を処理する能力や作業時間の捻出に他ならない。

 それは一流企業に於いてもっとも求められる資質であり、その人間性を推し量る為の重要な要素(ファクター)でもある

 

 

 

 それでは改めましてこんばんは。

 先ほど仕事を終えて帰宅したばかりの新入社員、ヨハン=ヴァイスとは私のことである。

 とある企業に勤めるサラリーマンにして選良(エリート)主義者、決して大衆主義(ポピュリズム)を馬鹿にするつもりはないので誤解しないでほしい。

 

 

 人魔教団、憤怒を司る原罪司教。

 人魔教団の中で新たに新設された部署、憤怒の司教座聖堂(カテドラル)を管理するのが私の仕事だ。

 

 

 入社当時から役職付きの新人(ホープ)として一目置かれているが、本社勤務の同僚たちとはあまり交流がない。

 名目上は管理職だが、そのじつ部下もいなければ資材も乏しいような部署である。

 人材不足のために全ての仕事を一人でこなしているため、既にデスマーチを彷彿とさせる仕事量だった。

 

 

 しかし、それも今日という日を境に改善される。

 私の下に配属された新人は、多少感情の起伏が激しいもののそれさえ除けばかなり優秀だろう。

 リスクを恐れない戦い方とひたむきな姿勢、セレスト=クロードという人間には非常に好感がもてた。

 

 

 あれだけのダメージを受けながらそれでもなお一矢報いたのだから、その実績を考慮したうえで話し合わなければならない。

 職場環境に関する取り決めや今後の処遇について、彼女とコミュニケーションを取ることも必要だろう。

 だからこそ頃合いを見て私は自室を後にすると、わざわざこうして彼女を寝かせている部屋まで出向いたわけだ。だが、ドア越しに聞こえてきた声がね――――――

 

 

 

「違う、あなたはあの男に騙されているの!」

 

 

「うるせーです!

 どうせそのばいんばいんでご主人様を誑かして、あわよくばシアンから奪い取るつもりだったくせに!

 ご主人様の正妻であるシアンを騙そうだなんて、なんて意地悪でハレンチな大人です!」

 

 

 

ばっ……ばいん、ばいん?

 

 

 確かに私の使用人は少々舌足らずではあるが、まさかドアノブに手をかけたまま固まるとは思わなかった。

 そもそも言葉のキャッチボールができておらず、むしろお互いにバットを構えたまま(ボール)を待っているようにも聞こえる。

 

 

 目を覚ましたときに同族の者がいれば落ちつけると思ったが、まさかその気づかいが裏目に出るとはな。あまり期待もしていなかったが、それでもこの状況はさすがに予想外だった。

 無意識のうちにこぼれたため息はとても深く、私は目の前のドアを数回ノックした後に足を踏み入れた。

 よもや味方だと思っていた使用人に撃たれるとは、やはりシアンには最低限の教養を身につけてもらおう。

 

 

 

「あっ、ご主人様!」

 

「ちっ……」

 

 

 私に抱き付いてくるシアンとは対照的に、彼女。セレスト=クロードの顔は清々しいほどむくれていた。

 あそこまで露骨に舌打ちされるとも思わなかったが、この後に及んで御機嫌伺いをする気もない。

 そもそも管理職である私が部下に媚びるだなんて、それこそ同僚たちの笑いものである。

 

 

 無能の烙印を押されれば上司の覚えも悪くなり、悪い噂や常識のない部下はそれに拍車をかけるだろう。つまりは私の出世に影響するのだ。

 ここは毅然とした態度で彼女と向かい合い、そのくだらない誤解から解くとしようか。

 

 

 

「なによ……この変態」

 

 

 そこから先、私は彼女の誤解を解くために尽力した。

 闘技場での非礼を詫びると共に獣人族に対する認識が甘かったと認めて、そのうえで己の勉強不足を素直に謝罪した。

 

 

 彼女の表情を見るからに理解はできるが納得はできない――――――と、おそらくはそんな感じだろう。

 一応、私が幼女好きの変態ではないと念を押したが、それを彼女がどう捉えたかは別問題である。

 全く、やはり第一印象が悪すぎたようだ。

 

 

 人付き合いの八割は第一印象で決まる。

 社畜時代の上司から教わったありがたい言葉だが、確かにそれは言い得て妙だった。

 

 

 

「シアン、聞いての通りだ。

 耳や尻尾に触る行為が獣人族にとって特別な意味を持つならば、私はお前のそれに触れることはできない。

 それはお前という個人を守るためであり、私の人間性を疑われないためでもある」

 

 

 今更シアンから求められたのだと弁解したところで、それをセレストが信じてくれるとは思えない。

 本当にシアンから言い出したことなのだが、そんなことを必死に主張しても時間の無駄である。

 彼女の中にある私のイメージは(けだもの)であり、獣がいくら吠えてもそれは遠吠えにしかならない。

 

 

 

「どうしてです! シアンはご主人様に触られるのが好きです!

 もっと、特別なことされたいです!」

 

「いや、待て。話をややこしくするな」

 

 

 永久凍土よりも冷たい視線が私を貫き、一旦私はその元凶でもあるシアンを部屋の外へと追いやった。

 シアンがいては誤解を解くどころか、そもそも話し合いのテーブルにすらつけない。

 

 

 不満気に口を尖らせていたシアンだったが、その頭を軽く撫でてやれば素直に出て行ってくれた。

 ふむ、なんともちょろい幼女である。

 

 

 

「ここはどこ、もしかしてあんたの屋敷?」

 

 

 そこは人魔教団の所有物件であり、私の世界でいうところの社宅にあてはまる。

 家具の一切から消耗品に至るまで、ありとあらゆるものが揃えられていた。

 レオ〇レスもビックリのサービス精神、これも全ては私に対する期待の表れだろう。

 

 

 

「私をどうする気? あんたの慰み者になるくらいなら私は――――――」

 

 

 そして私たちが今いる部屋はこの屋敷でいうところの客室にあたり、気絶している彼女をこの部屋で寝かしつけていた。

 命に別状はなかったものの、中々目を覚まさない彼女を待っているほど暇でもない。

 だからこそこの場はシアンに任せていたのだが、まさかそんな風に思われているとはな。

 

 

 よくぞそこまで人の善意を無視したものだと、その才能にありったけの皮肉をプレゼントしたい。

 慰み者? 全く、誤解を解くのにもいい加減疲れてきた。

 私は彼女のくだらない妄想を一蹴したところで、なかなか進まない話を切り上げると本題に入った。

 

 

 まあ、本題に入るといってもただの確認作業である。

 彼女が置かれている立場を確認した後、今後の処遇について少しばかり提案するのさ。

 本社勤務の同僚から彼女にかけられた魔術契約について、ギアススクロールと呼ばれるものの説明は受けていた。

 

 

 ギアススクロール、なんとも便利で夢のような代物である。これを日本に持ち帰れたならそれだけでも価値がある。

 日本には数多くのブラック企業が存在しており、その数だけ社畜と呼ばれるサラリーマンたちがいる。

 しかし、時に彼らは己の雇用主に牙を剥き、同じ仲間を集めて労働法を盾に反旗を翻すのだ。

 

 

 労働基準局。社畜たちの救世主(メシア)であり最後の砦でもある。

 その圧倒的な力には経団連も従わざるを得ないが、このギアススクロールさえあれば反乱どころか労働法だって必要ない。

 会社に身も心も捧げた戦士が生まれるのだから、経営者としては喉から手が出るほど欲しい代物だ。

 

 

 

「これから先、君には私の部下として色々と働いてもらう。

 表向きはシアンを同じ使用人という扱いではあるが、その業務内容は比べものにならないだろう」

 

 

 だが、仕事とは自らの意思で取り組むべきものである。

 仕事を強制されるのと自主的に取り組むのでは、その効率性からみても後者の方が優れている。

 ならばここは包み隠さず話し合うことで、御互いの目的をすり合わせることこそ合理的だ。

 

 

 

「それは、私に拒否する権利はあるの?」

 

 

 彼女の反応はいまいちだったが、それでも今の状況は理解しているらしい。

 ああ、なんとも素晴らしい話し合いだ。

 これぞ文明人らしい会話というべきか、この場には剣を振り回したり電撃を放ったりするような人間はいない。

 暴力行為の存在しないやり取り、これぞ現代ビジネスの根本にして生産性のある時間。

 

 

 

「これは……これは、そんな選択肢があると思ったのかい?

 もしも本当にそう思っていたなら、きっと私は君という人間に対して失望するだろう」

 

 

 彼女が交わしたギアススクロールの内容、それは実質的な隷属関係に他ならない。

 そんな契約書にサインしながら今更拒否するなんて、なんとも自分勝手な言い分ではないか。

 契約に際してどんな打算があったかは知らないが、それでも文明社会とはなにをするにも対価が必要である。

 

 

 

「だが、私だってギアススクロールなんてものは使いたくない。

 私たちの間で交わされる雇用契約に関して、それは真っ当なものであればあるほど望ましい筈だ。

 だからこそここでひとつ提案なのだが、君が求めているものをその働きに応じて提供しようと思っている。

 私に用意できる範囲であればなんでもいいし、よほど無茶苦茶な内容でなければ一定の自由も認めよう」

 

 

 私の言葉に初めは怪訝な顔をしていた彼女も、それが冗談や酔狂の類ではないと気づいたのだろう。

 ふむ、感情的ではあるがそこまで馬鹿でもないらしい。

 所詮は口約束に過ぎないが、それでもこういったやり取りはとても重要である。

 

 

 なにを求めるかで私という人間性を測り、どこまで許されるかで己の立場がハッキリする。

 お互いの主張とそれに起因する意図を探ることこそビジネスの基本、安易な考えはそれだけ己の首を絞めるだろう。

 

 

 うるさいほどの静寂に包まれながら、そうやってたっぷりと時間をかけた彼女は口を開く。

 どこまでこの私に譲歩を迫るのか、この世界に住まう者の価値観を知れるいい機会だ。

 

 

 

「お金が欲しい。それと、一ヶ月に一度でいいから家に帰ることを許可して頂戴」

 

 

 彼女が提示してきた内容は給料に関することとその拘束時間について、前者に関してはそれほど高額でもないのでなんら問題ない。それこそ私のポケットマネーで賄いきれるほどだ。

 だが、後者に関してはあまりにもリスクが大きい。

 

 

 個人的な外出という点も含めて、彼女が於かれている立場はとても複雑なのである。

 仕事を手伝ってもらうといっても、会社にまつわる情報やその企業形態などを教えるつもりはなかった。

 彼女はワケありだ。敬愛する上司にもそれとなく注意されており、たとえそれが命令でなくとも従っておいて損はない。

 

 

 詳しいことは私も聞かされていないが、要するに契約社員を部下にするようなものだ。

 なんとも扱いにくく使い勝手が悪いが、それをあの方が望まれるならば私に拒否権などない。

 

 

 

「前者に関しては用意できるが、後者に関してはあまりにも時期尚早だ。

 君がそのまま逃げないとも限らんし、今の段階でそれを許可することなどできんよ」

 

 

 生産性のある時間も佳境に差し掛かって、後はお互いの主張をすり合わせるだけだった。

 もっとも、その決定権は私にあるのだから調整するというにはあまりにも一方的だ。

 今更口を挟んだところで意味はないと、そうわかっているからこそ彼女も大人しかった。

 

 

 

「では、話もまとまったところで私も退散するとしようか。

 ああ……それと、順序が逆になってしまったがこれを君に渡そう――――――なに、私からのささやかな入社祝いだと思ってくれ」

 

 

 それは本社の保管庫から持ち出した物品のひとつ、私と仲の良い同僚は特別なポーションだと言っていた。

 私の知識が確かならポーションとは回復薬の一種、これひとつでどこまで効くかは知らないがね。

 ただ、少しでも早く治るのであれば使わない手はない。

 

 

 費用対効果。そう、費用対効果(コストパフォーマンス)というやつだ。

 彼女にそれを手渡してから踵を返すと、私はそのまま部屋を後にして大きなため息を吐く。

 

 

 

「シアン、隠れているのはわかっている」

 

 

 客室のドアを閉めてから私は物陰に隠れている使用人、頬を膨らませながらむくれているシアンに声をかけた。

 全く、それで拗ねているつもりなのだろうか。

 そのあまりにも古典的な手法に呆れていたが、当の本人は至って真剣なのだから質が悪い。

 

 

 なんと言うか、彼女の幼い見た目もそうだが反応に困ってしまう。

 相手が大人であればいくらでも対処できるが、なまじ子供であるがゆえに難しい。

 ここまで不機嫌なことも珍しいが、それでもシアンにはこれから少々付き合ってもらわねばな。

 

 

 

「どうしたです? シアンの、御・主・人・様」

 

 

「本社に出勤する。今回の件に関しては少々面倒でな」

 

 

 なにをむくれているのか、私には子供の考えていることがよくわからん。

 見た目は十代であっても、その中身は三十代なのだからそれも当然といえば当然か。

 取りあえずその頭を数回撫でてやったところ、ひとまず機嫌は直ったのでよしとしよう。

 

 なんと言うか、本当にちょろい幼女である。



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化物に仕える幼女

 馬車の車輪がガタガタと荒っぽい音をたてながら、暗い森の中を一生懸命走っていくです。

 尊敬するご主人様を乗せて、シアンは今日も元気いっぱい頑張ってます。

 

 

 

「本社に出勤する」

 

 

 シアンのご主人様は月の始まりと終わりに、決まってこの王都から少し離れた森へと向かわれます。

 本社という言葉をご主人様はよく使うけど、お馬鹿なシアンにはよくわかりませんでした。

 ご主人様は偉い人たちとお話しする場所だって言ってたけど、たぶんとっても難しいお話なんだと思います。

 

 

 ご主人様はカッコよくてとっても物知りだから、きっとその偉い人たちもご主人様を頼りにしてるんです。

 シアンにはそんな人たちの気持ちがわかりました。だって、シアンもご主人様に助けられたうちの一人です。

――――――住む家もなく、親すらもいなかったシアンにご主人様はたくさんのものをくれました。

 

 

 今でもあの日のことはハッキリと思い出せます。雨粒の冷たさやふらふらな足元、脅えるシアンに向けられた温かい手のひら。

 ご主人様と出会ったあの日、シアンはシアンとして生まれ変わることができました。

 

 

 もしもご主人様と出会っていなかったら、きっと今でも路上生活を続けていたです。

 孤児として生まれたシアンは親の顔を見たことがありません。

 物心ついた時から路上にいましたし、そこには同じような子供たちがいっぱいいました。

 

 

 毎日がとっても辛くて、ご飯が食べられない日もちょくちょくあったです。

 大きな家の残飯を漁ったり、綺麗な服を着た人からお金をもらうのがシアンにとっての日常でした。

 シアンにとってはそれが普通のことだったから、今でも常識という言葉がピンときません。

 

 

 余裕なんてどこにもなくて、ただ生きているだけで精一杯の日常だったです。

 神様なんてどこにもいなくて、いつもおなかを空かせながら歩いていました。

 

 

 大通りに出ればたくさんの子供がお母さんと手を繋いで、嬉しそうに笑いながら家へと帰っていくで す。

 だけど、シアンの周りにはなにもありませんでした。帰る家もなければ、手を繋いでくれるお母さんもいません。

 寒さに震えながら一生懸命ご飯を探して、気がつけばいつも独りぼっちでした。

 

 

 なんでこんなにも寒いのかなって……どうしてこんなにも違うのかなって、野良犬たちと一緒にゴミを漁りながらよく考えていたです。

 だけど結局はわからなくて、次の日にはまた同じようにゴミを漁っていました。

 

 

 その日も、本当だったらいつも通りの毎日だったと思います。

 着ている服がずぶ濡れになりながら、それでもシアンはゴミを漁っていました。

 なかなかご飯が見つからなくて、いっぱい……いっぱい歩き回ったです。

 そしてそうやって辿り着いたお屋敷のゴミ捨て場、そこでシアンはご主人様と出会いました。

 

 

 

「ふむ、子供だったか」

 

 

 突然聞こえてきたその言葉に、思わず隠れちゃったことを覚えています。

 少し前にゴミを漁っているところを見つかって、それでその家の人に怒られたことがありました。

 だから気がつけば震えていて、また怒られるかもしれないって――――――叩かれるかもしれないって思いました。

 

 

 

「ほら、そんなものは食べ物じゃない。

 全く、今の統治体制からして前時代的だが……まさかここまで酷かったとはな」

 

 

 初めて出会ったとき、ご主人様はなにか難しいことを言ってました。

 だけどシアンにはそれが全然わからなくて――――――でも、とっても偉い人なんだろうと思ったです。

 たぶんご主人様の第一印象はそんな感じ、なんだかよくわからない不思議な人でした。

 

 

 その日、シアンは初めて温かいスープとカビの生えていないパンを食べました。

 バターを塗って暖かいお洋服に着替えて、案内された部屋のベッドはとてもふかふかでした。

 

 

 初めて見るお風呂は使い方がわからなくて、最初は噂に聞く貴族のおトイレかなにかだと思いました。

 とっても大きくていい匂いがする水たまりに浸かりながら、このときのシアンはたぶん泣いていたと思うです。

 

 

 なにが起こっているのかよくわからなくて……もしかしたらシアンは天国にいるのかなって――――――実はもう死んじゃってるんじゃないかと思いました。

 それがご主人様の優しさだと気づいたのはもっと後のこと、シアンが体験した初めての優しさは少ししょっぱい味がしたです。

 

 

 

「なに? お前名前がないのか?

では出生届はどうした。戸籍は? 個人番号(マイナンバー)は?」

 

 

「ごめんなさい、です」

 

 

 ご主人様の言葉が全然わからなくて、思わずうつむいてしまったのを覚えています。

 そのときは怒られるかもしれないと思って、気がつけば服の裾を握り絞めていました。

 だけど、そんなシアンの頭を撫でながらどこか困ったように、それでいて恥ずかしそうにご主人様が言ったのです。

 

 

 

「では、今日からお前はシアンと名乗れ」

 

「シアン?」

 

 

 よくわかっていないシアンにご主人様は照れくさそうな顔をして、もう一度だけ優しく撫でてくれました。

 シアンがシアンとして生まれた日、この日がシアンにとっての新しい誕生日となったのです。

 もしも神様がいるとしたら、この人みたいに優しくてカッコいい人なんだろうと思いました。

 

 

 

「そう、お前の新しい名前だ。

 こうみえても私はあれこれ考えたりするのが好きで、暇さえあれば物思いに耽っているような人間だ。

 だから思案――――――要するにシアンだよ。

 まあ無理にとは言わないが、さすがに名前がないというのは色々不便だからな」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「ここまででいい、後は歩いて行くからシアンはここで待ってなさい」

 

 

 お馬さんの鳴き声と共に馬車が止まると、ご主人様はそのまま森の中へと消えていきました。

 暗い森の中でお留守番するのにも慣れてシアンは、最近では屋敷に置いてある魔導書を使ってお勉強をしてるです。

 

 

 ご主人様がシアンに名前をくれたあの日から、シアンは大人のれでぃーになろうといっぱい勉強しました。

 今ではこの通り、馬車も動かせるようになって難しい言葉もたくさん覚えたです。

 だけど、ご主人様の奥さんになるにはまだまだ頑張らないといけません。

 

 

 

「うー、あのばいんばいんめ」

 

 

 この数ヶ月、お仕事が忙しかったご主人様はあまり帰ってきませんでした。

 そのせいでシアンはあの大きなお屋敷で一人っきり、お部屋のお掃除や魔法のお勉強ばかりしてたです。

 

 

 ただご主人様に褒めてほしくて、優しく耳や尻尾を撫でてほしかったからいっぱい努力したです。

 だけど、久しぶりに帰ってきたご主人様はあろうことか違う女性(メス)を連れていました。

 ばいんばいん……そう、あのばいんばいんです。

 

 

 シアンのことが大切だって言っていたのに、いつも思案しているって言ってたのに浮気してました。

 ふん! どうせご主人様の優しさにつけ込んで、あの女がちょっかいをかけたに決まってるです!

 

 

 あの無駄に大きなばいんばいんを使ってご主人様を誑かし、シアンから正妻の座を奪うつもりなのはわかってました。

 そうじゃないと今まであんなにも耳や尻尾、頭だって撫でてくれたご主人様があんなこと言わないです。

 

 

 

「シアン、彼女が目を覚ますまで傍にいてほしい。

 起きたときに私が横にいるよりも、同族のお前がいた方が彼女も安心するだろう」

 

 

 ばいんばいんを連れてきたときのご主人様の表情、それを見た瞬間にシアンは全て悟りました。

 御姫様抱っこしながら大事そうに客室へと運ぶ姿を見て、シアンは思わず持っていた魔導書を落としてしまったのです。

 だって、シアンだってまだしてもらったことがないのに、それをあのメスは堂々と見せつけました。

 

 

 

「ご……ご主人様、その女性は誰なのですか?」

 

 

「ん? ああ、彼女はお前と同じ使用人候補だ。

 少しばかりワケありではあるが……まあ、あまり気にせず仲良くやってくれ」

 

 

 その言葉に疑いは確信へと変わったのです。

 このメスはあのばいんばいんを使ったに違いないって、シアンのご主人様を寝取ろうとしているのはみえみえでした。

 正妻の地位を脅かすほどの圧倒的な物量、あのときの動揺は今も忘れられません。

 

 

 

「破廉恥です! 淫乱です!」

 

 

 その動揺を否定しようと持ってきた魔導書を何度も叩いて、そのたびになぜだかチクチクと心が痛みます。

 こんなところ見られたらそれこそ怒られてしまいそうですが、それでもご主人様だってご主人様です。

 

 

 一番重要なのは形であって、大きければ大きいほど良いわけではありません。

 大きいだけで形が悪ければそんなのは醜いだけですし……うん、醜いだけだもん。

 

 

 

 つるーん、ぺたーん。

 自分の胸を触りながらあいつのそれを思い出して、なぜだかとっても悲しくなりました。

膨らみなんてどこにもなくて、必死に寄せてみたけどなにも変わりません。

 

 

 つる、つるーん、ぺたーん。

 そんな音が聞こえてきそうな……でも、きっとシアンにだって需要はあります――――――ある。あるし。あるよ。あるもん!

 なんだか不安になってきたのでお勉強を再開します。うん、シアンは子供だから大人に勝てないのもしょうがないのです。

 

 

 

「私は選良主義者ではあるが、だからと言って結束主義(ファシスト)どもを馬鹿にするつもりもない」

 

 

 屋敷で働き始めた頃は、よくご主人様がお勉強を手伝ってくれました。

 テーブルマナーだったり言葉遣いだったり、日常的なものから専門的なものまで教えてくれたです。

 ちなみにシアンがご主人様についてもっと知りたいと言ったときの答えが、この呪文のような言葉でした。

 

 

 

 だからこそシアンは魔法を覚えればご主人様に近づけると思って、お屋敷にある魔導書を使ってお勉強しているのです。

 今ではちょっとした炎もだせますし、いつかはご主人様のお仕事を手伝いたいと思っています。

 ご主人様を支えるパートナーとしてその窮地を救えたなら、きっとご主人様はシアンにメロメロになって――――――

 

 

 

「シアン、なにをそんなニヤニヤしている?」

 

「ひにゃ!?」

 

 

 その言葉に読んでいた魔導書を落としてしまい、シアンは慌ててそれを拾い上げました。

 胸がドキドキして顔が熱くなる。かまってもらえるのは嬉しいけど、それでももうちょっとだけそんな夢を見てたかったです。

 呆れたように笑うご主人様を見ながら、シアンはそんな成長した自分を想像して微笑みました。

 

 

 

「セレスト=クロードに関してだが、正式に私の部下として認められたよ。

 一部の人間からは反発もあったが、そこは上手いこと上司が収めてくれた。

 これでお前に続く二人目の部下、まだまだ規模は小さいがそれでも一歩前進した」

 

 

 思わずムッとしたシアンに気づいたのか、ご主人様の温かい手がシアンを撫でました。

 いつの間にか尻尾が反応してしまったけど、そうやって騙そうとしても絶対に許さないです。

 両手で尻尾を押さえつけながらむくれたふりを続けて、もっと撫でてもらえるように首を伸ばします。

 

 

 

「同じ司教座聖堂(カテドラル)の仲間として彼女に仕事を教えてやるといい、使用人としてはシアンの方が先輩だからな。

 私には反抗的でもお前になら心を開くだろうし、頃合いをみて色々試してみるとしよう――――――ああ……それと、次の仕事が決まったので一応伝えておこう。

 これから先、私は学園に通うこととなった」

 

 

 学園? そういえば、ご主人様が学生だというのは聞いたことがありました。

 確かとっても有名な学園に通っていて、入学から一度も行ったことがないけどそこの首席らしいです。

 

 

 学年首席というのがなんなのかはわからないけど、きっとご主人様のことだから凄い称号に決まってます。

 だってご主人様が学校でお勉強だなんて、教える側ならわかるけど教えられる姿は想像できません。

 なんで学校に行かないのかはわからないけど、それにしたってなにか考えがあるんだと思います。

 

 

 

「それに伴ってこれからは馬車を使っての行動が増えるから、いつでも出せるようにその準備だけは常にしておけ」

 

 

 馬車を使うということは、それだけ長い時間ご主人様と一緒にいられる!

 その言葉を聞いた瞬間尻尾が一際大きく動いて、それを抑えるのにとっても苦労しました。

 ここはなんとか我慢して冷静に、この程度で機嫌を直すと思ったら大間違いなのです。

 

 

 

「次はどんなお仕事ですか? ご主人様一番の部下として、シアンにそれを知る権利があると思うです」

 

 

 ふふん、シアンだっていつまでもご主人様が知るシアンではありません。

 あのバインバインとは違って成長期ですし、なにより簡単に尻尾を振る女だと思われるのは心外です。

 

 

 

「どう説明したものか……少々ややこしくて複雑な仕事でな。

 噛み砕いて言うなら優勝することだが、その過程で幾人かの信頼を勝ち取らねばならん」

 

 

 ただ、その言葉を聞いた瞬間やっぱりご主人様は凄いと思いました。

 難しい言葉がいっぱい出てきたけど、それでもなんだかすごいことだけは伝わったのです。

 ご主人様についていけばきっと幸せになれる。優しくてカッコいいご主人様を見ながらシアンはわくわくしていました。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

「学園代表戦に於いて圧倒的な力を見せつけろ。

 優勝しろというのはわかるが、圧倒的な力なんて曖昧な定義ではなんとも言えん。

 やはり殺してこそ圧倒的なのか、それとも見せしめに四肢でも削ぐか……いずれにせよその方針は決めておくべきだろう」



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学園代表戦(起)
現実主義者と主人公


 天才の一瞬の閃きは、凡人の一生に勝る。

 これは有名な侵略者の言葉だ。

 当初彼は芸術家を目指していたが、大学受験の失敗を機に独裁者の道を歩むこととなった。

 

 

 世界大戦と呼ばれたその戦いに於いて、彼のちょび髭おじさんは数ヶ国を相手に暴れまわった。

 地上を埋め尽くすハーケンクロイツ、数多の都市が落としていくつもの国を隷属させた。

 

 

 しかし、独裁者の最期というのはあまりいいものではない。

 彼はとても有能でカリスマ性にも富んでいたが、たったひとつの失敗を機に全てを失ったのである。

 彼の晩年から学ぶことはたくさんあるが、その中でももっとも重要なのは妥協と引き際だろう。

 

 

 要するに、敵を殺すことより味方を作る方が難しいのである――――――

 

 

 

 では改めまして日本の皆さまこんばんは、カテドラルの拡大に伴って少々厄介な仕事を回された原罪司教です。

 カテドラルの拡大といっても部下が一人増えただけであり、それをあそこまで反対されるとは思わなかった。

 あの傲慢(プライド)と呼ばれる同僚はなにかにつけて張り合ってくるので、どう対応したらいいのか私としても困っていた。

 

 

 彼のカテドラルは私なんかとは比べものならないほど大きく、おそらくそれは人魔教団の中でも突出したものである。

 そんな大物に入社早々目をつけられるとは、私も相変わらず運のない男だ。

 

 

 今回は上司と怠惰(スロウス)が間を取りもってくれたが、これ以上の関係の悪化は望ましくない。

 私の実力を認めさせるためにも、今回の仕事は細心の注意を払わねばならん。

 ここでしくじりでもすれば私の出世は閉ざされて、もはや浮かび上がることすらできないだろう。

 

 

 

「しかし、下見に来たのはいいがこの雰囲気には慣れそうもないな。

 こんなごっこ遊びに精を出すとは、私にはその感性が全く理解できん」

 

 

 一流の社畜とは始業時間が九時ならば、遅くともその三時間前には出社しているものだ。

 つまり、誰よりも早く出社して誰よりも遅く退社する。

 抱えている案件の処理や不測の事態に対応するため、時間はいくらあっても足りないのである。

 

 

 

「代表戦という名のお祭り騒ぎか、頭の弱い学生達には御似合いな行事だ」

 

 

 だからこそ、今私はこんなお祭り騒ぎに身を投じている。

 学園代表戦に伴って学生達が出店を出し合う光景は、日本でいうところの学園祭を彷彿とさせた。

 実際学園祭と変わりないのかもしれないが、学生の本分とは勉強であり断じてこんなバカ騒ぎではない。

 

 

 代表戦が始まる前に最低限の情報、及びプロパガンダを行おうと思っていたがなんともやりづらい空気である。

 今回の仕事は本当にややこしく、その内容もこのバカ騒ぎと密接に関係していた。

 与えられた仕事は多岐にわたり、一応それに対する優先事項も聞いている。

 

 

 圧倒的な力を見せつけて優勝しろ。なるほど、これに関しては全く問題ない。

 だが、次に言い渡されているセシル=クロードの信頼を勝ち取れとはどういう意味だ。

 そもそもなぜセレストの妹が出てくるのか、あの聡明な上司にしてはなんとも不明瞭な命令である。

 

 

 しかもこれで終わりなら未だしも、更に追加された内容が一番厄介だった。

 この国の御姫様、ターニャ=ジークハイデンを決勝の舞台で叩きのめせ――――――ふむ、全くもって意味がわからん。

 

 

 その小娘が決勝まで勝ち上がれるかもわからないのに、それをどうやって叩きのめせというのか。

 加えて、五体満足の状態でそのプライドだけをへし折れときたものだ。

 言われたからには最善を尽くすが、それでもこれからのことを考えただけで憂鬱である。

 

 

 まずはそのターニャとかいう小娘を決勝戦に連れてくること、これを最優先に今後の行動を決めるべきだ。

 仲の良い同僚から彼女の情報は与えられていたが、その内容はお世辞にも私の欲したものではなかった。

 この学園に於ける成績上位者七名の名前及び彼らに対する称号のリスト、一部抜けているものは順位に変更でもあったのだろう。

 

 

 七名の男女は戦鬼又は戦姫と呼ばれる称号を与えられており、その一人一人に能力に準じた異名が与えられる。

 所謂二つ名というやつなのだろうが、なんともファンタジーチックなくだらない文化である。

 御姫様はその上位七名の内の一人らしく、灼眼の魔女と呼ばれているそうだ。

 

 

 灼眼? 魔女? なるほど、要するに魔女裁判よろしく自ら火あぶりにでもなりたいのだろう。

 そんな恥ずかしい名前を誇らしげに使っている辺り、この世界に生きる者の精神年齢は疑いたくなる。

 彼等の流儀に合わせるならば私の名前は疲労感(オーバーワーク)といったところか、その御姫様を決勝戦まで連れてくる労力を考えれば正にオーバーワークだ。

 

 

 プロパガンダの誘導と彼女の敵を排除すること、まずはその二つを重要視して事にあたるとしよう。

 灼眼の魔女。彼女は学園内でも三番目の実力者らしいが、それにしたって本当かどうかは疑わしい。

 

 

 このリストを鵜呑みにして彼女が敗北でもしたら、そのしわ寄せは誰あろう私にくるのだ。

 プライドの意見を押しのけてセレストを手に入れたのだから、ここでしくじりでもしたらなにを言われるのかわからない。

 敬愛する上司の信頼に答えるためにも失敗は許されない。絶対に……そう、絶対にだ。

 

 

 

「おい! アリーナで灼眼の魔女とあの平民が模擬戦をしているそうだ」

 

「本当か!? これは奴らへの対策を考えるチャンスだな!」

 

 

 どこもかしこもお祭り気分で、そんなチンパンジーの群れの中で私は考えていた。

 憂鬱だ。とてつもなく、これ以上ないというほどに憂鬱である。

 そんな中で突然聞こえてきた言葉、辺りが騒がしくなり大勢の生徒が同じ方向へと歩いて行く。

 

 

 どうやら例の魔女が戦っているようで、皆一様にそのアリーナとやらを目指していた。

 模擬戦? そんなに戦いたいのなら私があの闘技場まで案内してやろう。

 それこそこんなくだらないごっこ遊びに興じるくらいなら、本当の殺し合いがなんたるかを学んでくるといい。

 

 

 

「しかし、だからといって傍観するわけにもいかんな」

 

 

 だが、これがチャンスなのもまた事実である。

 序列三位とやらがどれほどのものか、その実力を確かめるにはいい機会だ。少なくとも彼女が決勝の舞台に上がるには二つの障害がある。

 

 

 学園内序列第一位と第二位、その肝心の部分が抜けているのでなんともいえない。

 思わず出たため息は己の不遇を呪ってか、それともいい加減な仕事をした同僚に対してか、どちらにせよこの二人に関する情報も仕入れねばなるまい。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 そこはある種の熱気に満ちていた。あの闘技場を彷彿とさせるのは、おそらくその作りが似ているせいだろう。

 そして、観客席から聞こえてくる歓声は戦いが終わったことを告げていた。

 

 

 まさかこの私が出遅れるだなんて、社畜時代であったならば減給ものである。

 それに湧き上がる歓声が魔女の名前ではなく、その対戦相手を称賛しているのはなぜだろうか――――――

 

 

 

「大番狂わせ! まさか序列三位の戦姫が負けるとはな!」

 

 

「どうやら例の一般入試に合格した一人らしい……ほら、三人しか合格者が出なかったアレだよ。

 戦鬼でもない普通の生徒が勝つだなんて、今回の代表戦は誰が勝ち上がるかわからないぞ」

 

 

 眼下では先ほどまで戦っていたのだろう男女が握手をし、その健闘を称え合っているようにもみえた。

 ほう、殺し合いごっこの次は恋愛ごっこか。

 握手を交わす姿もさることながら、あの満足そうな表情に虫唾が走る。

 

 

 なぜ笑えるのか、競争相手に敗北しながら微笑むあの女の感情が理解できん。

 こんな甘ちゃんのお守りをしなければならんとは、なんとも不愉快極まりない仕事だ。

 もっと貪欲に勝利を欲する気概がなければ、それこそいくら私がサポートしても無意味である。

 

 

 

「あの女は教育する必要がある。もっと貪欲に勝利を追い求める姿勢、こんなごっこ遊びでは勝てるものも勝てん。

 取りあえずは彼女本人ではなく、まずはその周りから矯正するとしよう」

 

 

 あそこにいる男にしても、彼女に勝利した時点で排除すべき対象である。

 さて、そうと決まればここにいても仕方がない。

 道すがらすれ違う生徒に中央へと出る道順を聞いて、そして控室と思しき場所から試合が行われる中央へと出る。

 

 

 控室に置いてあった三本の模擬刀を片手に、私はリングへと上がると談笑を続ける彼らに近づいた。

 糞ったれな演技をしながら柔らかい物腰で、できるだけ観客席にいる阿呆どもと同じ態度を装う。

 

 

 

「どうだろうか、できれば私ともう一戦していただけないか?」

 

「えっ!?……って言うかそもそもあんた誰よ!」

 

 

 持ち出した模擬刀を見せて彼に願い出たのだが、なぜか御姫様の方が言葉を返してくる。

 私の目的はあくまで目の前にいる彼であって、その横に立っている顔をしかめた彼女ではない。

 いずれ戦うことにはなるだろうが、それは代表戦の決勝という大舞台での話だ。

 

 

 敵意剥き出しの彼女をその学生は諫めているようだったが、どうして一国の御姫様とこんなにも仲が良いのだろう。

 身分の違う二人がここまで信頼し合っているとは、なんとも不思議で異様な光景である。

 だが、この状況に限って言えば正しく僥倖だ。

 

 

 御姫様は彼のことを信頼しており、その逆もまた同じであるからこそ効果がある。

 私の考えたプランはそんな美しい光景を利用したもので、この効果は彼らの情によって左右されるだろう。

 

 

「ほら、そうやってすぐに威嚇するのがターニャの悪い癖だよ。

 それに……申し訳ありません貴方がどなたかは知りませんが、僕は先ほど戦ったばかりで御相手をするには不十分だと思います」

 

 

 ほう、一応最低限の教養はあるようだ。

 彼の丁寧な口調には非常に好感がもてたが、それだけにとても残念な状況である。

 もしかしたら漫画や小説の主人公というのは、彼のように真っ直ぐで礼儀正しいのかもしれない。

 

 

 嫌味や慢心からではなく、自分を低く見せることで相手を気遣っているのだ。

 その雰囲気は好青年と呼ぶにふさわしく、どこまでも謙虚でとても気持ち悪かった。

 いきなり試合を申し込まれても相手の実力を気にかけて、それがあまりにも離れていれば断っているのだろう。

 

 

 私を傷つけてしまうのではないかと考えて、棘がないようにやんわりと断ったのである。

 なんとも殊勝な行いではあるが、だからこそ私は彼のことを気持ち悪いと思う。

 初対面の人間すらも気遣えるところが、その綺麗で善良すぎる心が気持ち悪いのさ。

 

 

 

「大丈夫、ある程度のハンディキャップはあげようじゃないか。

 私はこの三本の模擬刀しか使わないし、君はその腰に差している真剣を使っても構わない」

 

 

「ちょっとあんた! 黙って聞いてれば偉そうに、あんたにはアルフォンスの優しさが――――――」

 

 

 

 私の言葉に更なる不平をこぼす御姫様だったが、それをアルフォンスと呼ばれていた彼が遮った。

 御姫様を庇うように前へ出てきたかと思えば、私の顔を見ながらどこか焦っているようでね。

 彼の顔があまりにも面白くて、演技の最中だというのに不覚にも笑ってしまったよ。

 

 

 

 彼が数少ない一般入試枠で入った学生なのは知っていたし、それならば私の顔を知っていても不思議ではない。

 一度も登校したことがない私を知らない者は多いが、あの場にいたはずの彼は知っていて当然である。

 むしろ気付くのが遅すぎるのではないかと、少しばかり心配してしまったほどだ。

 

 

 

「いや、やっぱり僕が御相手しよう。

 ルールはどうする? 模擬戦にも色々種類があってそれによってルールも違う。

 僕がターニャとやっていた試合は一般的な模擬戦、つまり公式(スタンダード)ルールを採用していた」

 

 

「ふむ、申し訳ないがそういったものにあまり詳しくなくてね。

 スタンダードルールと言われても正直サッパリで、できればもっとシンプルなルールが嬉しい。

 たとえば……そうだな。私の武器を全て壊したら君の勝ち、そしてその逆は私の勝ちというのはどうだろう」

 

 

「ねぇ、だから勝手に話を進めないで!」

 

 

 なんとも騒々しい女である。私が誰のために動いているかも知らないで、無知というのはそれだけでも度し難い。

 ため息を吐く私を尻目に二人は言い争っていたが、結局は御姫様の方が引き下がったようだ。

 おそらくは消耗している彼を思いやってのことだろうが、その光景はまるで出来の悪いアニメを見ているようだった。

 

 

 

「ほら、大丈夫だからターニャはそこで待っててよ。

 試合が終わったらついていってあげるから、そのときは一緒にご飯でも食べよう」

 

 

 死亡フラグである。完全な、清々しいほどのフラグが立っている。

 だが、この戦いが模擬戦である以上彼を殺すことはできない。

 模擬戦で相手を殺していいのかどうか、そんなことは言うまでもないだろう。

 

 

 だからこそ私は彼を殺さない。彼を殺してその責任を問われでもしたら本末転倒であり、退学どころか刑務所行きだってあり得るのだ。

 目的のために手段を選ばないなんて狂人の発想であり、私のような現実主義者(リアリスト)は常に違う答えを模索する。

 

 

 

「待たせて済まない……では、正々堂々戦うとしようヨハン君」

 

 

 なにごとも万事予定通り、この男に深手を負わせれば御姫様はきっと私を恨むはずだ。

 その傷が深ければ深いほどに憎み、代表戦に出場できないともなれば彼の分も奮起するだろう。

 

 

 その恨みを晴らす為だけに勝利を欲し、私と戦うまではどんな相手にだって負けはしない。

 時間対効率。費用対効果。全ての面で優れている正に合理的なやり方だ。

 彼という障害が排除できて彼女の教育にもなり、更には彼らの実力を確かめる好機でもある。

 

 

 リバタリアニズムここに極まれり、我ながら素晴らしいアイディアじゃないか。

 日本では許されない行為もこの世界だからこそ許される。

 人が、命が、こんな狂った世界だからこそ実力に訴えよう。

 

 

 初めてこの前時代的風潮の恐ろしさ、そして数多ある人権団体の凄さがわかったよ。

 強ければ許される世界なんて、それこそ38度線で睨み合っている北の国だけで十分である。

 

 

 

「さあ、始めようか」

 

 どこからともなく開始の音が鳴り響き、私は自分の顔が綻んでいるのを感じ取った。



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現実主義者と矛盾した戦い

 歓声という名の雑音に包まれて、私は一本の模擬刀を握りしめた。

 とどのつまり、こんなのは所詮ごっこ遊びに過ぎない。

 彼に深手を負わせることも重要だが、それよりも大事なのは御姫様に憎しみを植えつけること。

 

 

 残りの二本を地面に突き刺すと同時に、私は刀を構えながら真っ直ぐ距離を詰める。

 対する彼の動きもそう悪くはなかったが、やはり身体の一部を庇っているようにみえてね。

 おそらくは連戦による疲れが彼の動きを鈍らせ、無意識のうちにこのような形で表れているのだろう。

 

 

 仮に、もしも私が彼の立場だったならこの状況下での選択肢は三つ。

 一つ目の選択肢は私という存在を無視して、先に地面に突き刺さっている模擬刀を破壊すること――――――ふむ、最も合理的で尚且つ時間対効率も素晴らしい最上の策だ。

 

 

 この戦いに於ける勝利条件とは相手を倒すことではなく、あくまで相手の武器を破壊することにある。

 少々だまし討ちに近い部分もあるが、私に勝とうとするならそれが最も簡単な方法だ。

 

 

 二つ目の選択肢も上記の戦い方に沿ったスタイル、私を倒すのではなくあくまで模擬刀の破壊に努めるというもの。

 彼は真剣を使っているが対する私は模擬刀であり、その強度もさることながら剣術も彼の方が上だろう。

 だが正攻法で破壊するには三本という数字はあまりにも多く、尚且つそれを使っているのが私である。

 

 

 私を倒そうとするよりも現実的ではあるが、それはあくまで可能性が有るというだけだ。

 要するに最上とは言えないものの可能性がある分、この選択肢は見込みの薄い次善策というわけだ。

 

 

 そして最後の選択肢は上記のスタイルを真っ向から否定する戦術、武器破壊に努めるのではなく真っ向勝負での勝利を狙う。

 つまりは私を倒そうとする愚行だ。愚行にして愚鈍、バーバリズムとでも言うべき下策である。

 

 

 確かに万人が好むやり方ではあるが、それでも勇敢と無謀は似て非なる行いだ。

 合理性の欠片もなければその効率も最悪であり、これをバーバリズムと言わずしてなんと言うのか私にもわからない。

 

 

 ではなぜ私がなんの考えもなしに突っ込んだのか、脳筋野郎よろしく距離を詰めたのかはもうわかるだろう――――――そう、彼を試したかったのだ。

 彼が上策を選んでいたなら……なるほど、私は全力で叩き潰していただろう。

 彼が次善策を選んでいたなら、ごっこ遊びという点に於いて軽い練習台くらいにはなると思った。

 

 

 では彼が下策を選んでいたらどんな行動に出るつもりだったか、それはこの試合が始まる前に既に言っている。

 ハンディキャップをあげよう。要するに、更なるハンデを彼にプレゼントするのさ。

 

 

 

「私が最も嫌いなのは君のような感情主義者、くだらない理想を垂れ流す狂人だよ」

 

 

 ハンディキャップ――――――まずは一本、彼の脳天に狙いを定めて自らへし折ってあげよう。

 私を牽制しようと動き回り彼を見極めて、私は模擬刀の強度を度外視して振り下ろす。

 当たれば無事では済まないだろうが、少なくともこの一模擬刀は折れてしまう。

 

 

 それが彼の頭を直撃して折れるのか、それとも躱されて折られるのかは知らないがね。

 感情論には感情論を、バーバリズムにはバーバリズムで、愚かな主人公には愚かな悪役として立ち向かうべきだろう。

 

 

 

「なっ!?」

 

 

 迫りくる刃に驚く彼がとても面白くて、その多彩な表情を見ているだけでも楽しかった。

 おそらくこの一撃は容赦なく彼の額を割るだろうと、もうすぐ伝わってくるはずの感触に私は笑みを浮かべる。

 

 

 

「くっ、僕で遊んでいるのか!」

 

 

 そう、その瞬間までは彼も含めて全員が思っていたはずだ。

 だが現実はあまりにも拍子抜けであり、その光景を前にして私はため息を吐いたのさ。

 まさか風圧だけで折れてしまうとは、折れた模擬刀を見ながら思わず呆れてしまったよ。

 

 

 慌てて距離を取る彼や折れた刀を見て変な勘違いをする観客たち……なるほど、この馬鹿騒ぎはまだ終わらないのか。

 見渡す限りの大合唱、観客席からの歓声に笑いが止まらなかった。そう、彼らの感性に笑えてきたのさ。

 だが一番笑えたのはこんなごっこ遊びを続けている自分に対して、こんな初歩的なミスを犯した自分の低能さにだ。

 

 

 

「御覧の通り折れてしまった。私は代えの模擬刀を取りに行くが、その隙を狙って攻撃してくれても一向に構わない。

 むしろ君の命を守るためにも、正面からではなく背後から強襲することをお勧めしよう」

 

 

 それだけ言うと私は踵を返して代えの模擬刀を取りに行く、さすがにこんな形で幕切れなんて認められないからね。

 最初から彼に期待なんてしていないが、それでも練習台としてある程度は頑張ってほしかった。

 まあこの分だとそれも見込めないか、感情主義者の考えは相変わらず理解できん。

 

 

 ゆっくりと時間をかけたのに彼は動かず、私が地面から模擬刀を引き抜いてやっと剣を構えた。

 とても道徳的で気持ち悪いほど綺麗な心の持ち主、彼はライトノベルの主人公でも目指しているのだろうか。

 感情論で動き善悪を重んじる聖人様、常に正しい主人公は決してだまし討ちしたりしない。

 

 

 

「さて、これで二本目だ。

 次は少し手加減しながら戦おうか、さっきみたいに折れてしまってはつまらんからな」

 

 

 なんとも素晴らしい出会いじゃないか、ここまで対極的で人間性に富んだ人間を私は初めて見た。

 歓声の渦に包まれながら私の気分は最悪である。

 彼の考えていることを想像しただけで吐き気を催し、まるで生ごみに包まれたキャビアをみているようだった。

 

 誰よりも人間性に富んだ人間? ああ、そいつはきっと誰よりも人間離れしているだろう。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス、僕はあの日のことをずっと君に聞きたかった。

 君は……君はどうしてあんなことをしたんだ! なんで、あんなにも多くの受験生を襲った!」

 

 

 まず、それは私にとっても予想外だったと言っておこう。

 先ほどの失敗を考慮したつもりが少々やりすぎたようで、私の攻撃は彼に受け止められてしまったのさ。

 これが折れれば残りの模擬刀は一本だけであり、その現実を前にして私は過剰に力を抜いてしまった。

 

 

 こんなところで社畜時代の悪い癖が出てしまうとは、貧乏性とでもいうべきこの性格は改めるべきだろう。

 全く、こんな会話をするくらいならこの刀もさっさと処分してしまおう。

 

 

 

「まさか私の攻撃を受け止めるとはな。……で、それで? あの日のこととは一体いつのことかな?」

 

 

「入学テストで君がやったことを、僕は絶対に忘れたとは言わさない!」

 

 

 しかし彼も絶妙に加減しているせいか、何度も打ち合っているのに一向に終わらない。

 私の太刀筋を包み込むようなこの感覚、それだけ彼の技術が優れているのだろう。

 剣術だけでここまで戦えるとは、何度も打ち合っているのに全く感触がなかった。

 

 

 

「君のせいで多くの受験生が障害を負ったんだ。どうして腕を切り落とす必要があった!」

 

 

「ふむ、申し訳ないのだが質問の意図が理解できん。

 つまりどうして腕輪だけ奪わなかったのか、彼らの片腕を切り落としたことに憤りを感じているのだろうか?

 だったら教えてあげようじゃないか、それが一番効率のいい最も適した方法だったからだ」

 

 

「ふざけるな!」

 

 

 絶妙な剣捌きとでもいえばいいのか、素人の私から見ても彼の剣術は理に適っている。

 刀の威力を最小限にとどめながら受け流し、なんとかこの会話を続けているようではあったがね。

 

 

 

「では聞くが、彼らとて相応の覚悟もなくあのテストに臨んでいたのか?

 あの時生徒会長様は仰られたはずだ。手段は問わない……そう、手段は問わないのだよ主人公君。

 つまりそのリスクを度外視しても入学したかったわけであり、あの時点ではまだ私と彼らの立ち位置は同じだったのだ」

 

 

 初めはその剣捌きを参考にしようと馬鹿話にも付き合ったが、さすがの私にも限界というものがある。

 なるほど、確かに彼は清廉にして類い稀なる人格者だ。

 きっと大多数の人間は彼をそう評するだろうし、その考えだってあながち間違ってはいないだろう。

 

 

 だが、私に言わせれば彼はただの偽善者であり、それこそ稀代の人格破綻者となんら変わらない。

 ロシアにいた赤い切り裂き魔ほどではないが、それでもそれと近い部分はあるはずだ。

 

 

 

「違う! 物事には限度というものがある!」

 

 

「違わないよ。なぜなら彼らにはリタイアするという選択肢もあったのに、それなのに結局は私と戦う道を選んだ。

 君にしたってあのテストに合格したからここにいる。今もこうして戦っているじゃないか。

 私は大勢の受験生から腕輪を奪い、君は少数の受験生から腕輪を奪った。

 その過程は違うかもしれないが、行きつく先は同じであり戦う戦わないも本人の自由だ」

 

 

 こんなくだらない会話に付き合ってやる謂れもなければ、こんな無知蒙昧な子供と議論するつもりもなかった。

 私は模擬刀を自ら地面に叩きつけると、そのまま彼へと投げつけて踵を返す――――――一旦仕切り直しと行こうか、そろそろ私のお腹もいっぱいである。

 

 

 

「私は一方的に彼らから奪い取り、君は嫌がる彼らから強引に奪い取った。

 手段は違うかもしれないがその目的は同じであり、結果として得たものもまた同様である。

 君も同じことをしたのになぜ私だけを責めるのか、君が私を否定するというなら私も同じことを言わせてもらおう。

 君は――――――一体何様のつもりだい?」

 

 

 二本目の模擬刀が折れたと同時に再び湧き上がる歓声、観客席の熱気は最高潮に達している。

 ただ一人の例外もなく彼のことを称賛しているが、それなのに当の本人はどうにも浮かない顔だった。……いや、それはもはや浮かないというよりも絶望しているように見えた。

 

 

 世の中の道理も知らないような子供が私に舌戦を挑むとは、愚かなバーバリアンには愚かな最期こそ相応しい。

 未熟な覚悟と未熟な精神、彼の周りにはきっと悪い大人なんていなかったのだろう。

 

 

「さて、遂にこれが最後の一本だ。

 これが折れたら君の勝ちであり、そしてその逆は私の勝ちでもある」

 

 

 結局、最後の一本を取りに行ったときも彼は動こうとはしなかった。

 私には彼という人間が理解できないが、彼もまた私という人間が理解できないだろう。

 互いに互いを理解できない関係、哲学的に考えればそれは一種の似た者同士なのかもしれない。

 

 

 私が彼を気持ち悪いと思うように、きっと彼もまた気持ち悪いと思っている。

 私が彼を人間のようななにかだと思うなら、その逆もまた同じなくそう思っているだろう。

 そこには法則のようなものが存在しており、対極に位置するからこそ似通っているのだ。

 

 

 誰よりも人間らしい化物と、誰よりも化物らしい人間か――――――一いや、私は化物じゃないからその理屈は当てはまらないな。

 うむ、私としたことが少々短絡的だった。

 

 

 

「最後のハンデとして、私は一度しか模擬刀(これ)を振るわないと約束しよう。

 これ以上長引かせても意味はないし、なによりこんな茶番はさっさと終わらせるべきだ。

 これが折れたら君の勝ちであり私の敗北、くだらないお遊びはここまでにしよう」

 

 

 私が刀を握ると同時に構える彼は、相変わらず律儀というか本当に哀れな男である。

 私は剣を振りかぶりながら一直線に距離を詰めて、ただ彼という人間だけを見つめていた。

 

 

 目に映る全てが鈍重(どんじゅう)な世界。一分一秒がその十倍もの時間に感じられる中で、私は私という悪意を彼だけに向けていた。

 振り下ろした模擬刀がまたしても受け流され、そして防がれた刹那に私は語り掛けていた。

 彼というどこまでも愚かな偽善者に、ただ彼の驚いた顔が見たかったという理由でね。

 

 

 

「一度しか振らないと言ったが、誰も一撃とは言っていない」

 

 

 それは一瞬のことだった。本当に一瞬の……気がつけばアリーナの歓声は止んでいた。

 吹き飛ばされる彼と湧き上がる悲鳴に体が震え、このときの私は少なからず高揚していただろう。

 色々と勘違いしていた彼には御似合いの薬、その一撃は骨の髄まで響いたはずだ。

 

 

 

「一振りは一振り、模擬刀は一度しか振るってないから約束通りさ」

 

 

 そもそも私は剣士ではない。

 剣術の心得もなければ技術もなく、端からそんなもので彼を倒せるとも思っていない。

 あくまで彼の土俵に立ってくだらない遊びをしていただけ、最近学び始めた剣術を試したかっただけだ。

 

 

 要するに私と彼の勝負が拮抗していた理由、それは私が不慣れな(もの)を使っていたからである。

 結果論で言えばそれが功をそうしたのか、彼は私の刀に気を取られてその攻撃に対応できなかった。

 

 

 

 蹴撃――――――そう、何の変哲もないただの蹴りだよ。

 

 私はただ無防備な彼の脇腹を狙っただけであり、そこにファンタジーチックな要素は存在しない。

 哀れな彼は予想外の攻撃に避けることもできず、正面から私の攻撃を喰らってしまったがね。

 その威力は御覧の通り、あれほどうるさかったアリーナが静まり返っていたよ。

 

 

 

「それで、君の方は楽しんでくれたかな?……ハハ、そんなに見つめられると勘違いしそうだ」

 

 

「あんた、絶対に許さないからね」

 

 

 ただ、まさか御姫様がこんなにも短気だとは思わなかった。

 今にも殴りかかってきそうな勢いで近づいてくる彼女に、私としてもどう対応すべきか迷ってしまう。

 当初の予定通り私への敵意は感じるが、これほどまでに彼のことを想っていたとは予想外だ。

 

 

 このままでは消耗していた彼の分を補うだとか、そんな適当な理由をこじつけて攻撃してきそうだ。

 彼女を傷つけるわけにもいかないので逃げるしかないが、それでもこの様子だと追いかけてきそうだった。

 

 

 

「ほう、まさか立ち上がるとはな」

 

 

 まあ、結局それも杞憂と終わったがね。

 まさかあの一撃を受けて立ち上がるとは、自力で立ち上がった彼に拍手を送りたいよ。

 

 

 

「これで勝負は終わり、だからターニャはそんなに怒らなくてもいいんだ」

 

 

 見るからにボロボロで足元も覚束ない姿は……なるほど、確かに誰が見てもその勝敗は明らかだ。

 素直に彼の健闘を称えようとも思ったが、それも彼の口から出てきた次の言葉を聞くまでの話だった。

 

 

 

「だって、この勝負は僕の勝ちなんだからね」

 

 

 それと同時に模擬刀の刃先がゆっくりと、その綺麗な輝きを保ちながら落ちていく――――――ああ、それは比喩でもなんでもなく地面に落ちたのさ。

 止まらない歓声をその中心で聞きながら、私は自分でも気づかぬうちに舌打ちしていた。

 全く、せっかくいい気分だったのにこれでは台無しだ。



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現実主義者と理不尽な争い

「ふむ、まさかこの私が負けるとはな」

 

 

 彼を侮っていたことは素直に認めるが、それでもこの結末はさすがに予想外だった。

 折れた切っ先を見ながら彼がいつ攻撃したのか、あの交差した瞬間を何度も思い出すが答えは出ない。

 周りの歓声が気にならないほど熟考するが、そうやって出た答えはやはり論理的ではなかった。

 

 

 

「馬鹿! 女の子を泣かすなんて最低なんだから!」

 

「ごめん……だけど、僕にだって譲れないものがあってさ」

 

 

 実際主義(プラグマティズム)、経験不可能な事柄の心理を考えることはできないのだ。

 今更なにを言ったところでこの結果は変わらないし、それならば目の前の現実を考慮したうえで次の手を考えよう。

 彼の怪我はどの程度のものであり、先程御姫様から感じた敵意は本物だったのか、結局のところ私の行動はこの二点に帰結するのだ。

 

 

 勝負に負けたのは認めるし彼の健闘も称えようじゃないか、見た目は十代中頃だがその中身は分別のある大人だ。

 ここで捨て台詞を吐くほど腐ってもいないし、なにより私の目的は達せられた。

 

 

 

「アルフォンス君……だったか、おめでとう良い勝負だった」

 

 

 だからこそ私は彼にこの言葉を贈りたいと思う。

 鬱陶しい歓声に包まれながら満身創痍の彼を称えて、誰よりも気持ちの悪い主人公(ヒーロー)を祝福するよ。

 目の前の餌に飛びついた有象無象に心からの感謝を、そして目の前の彼には最大級の哀れみをプレゼントしよう。

 

 

 私の予想していた結末とは違うが、それでも首尾は上々でありちょっとしたボーナスまでついてきた。

 この国の御姫様と強く結ばれている平民アルフォンス、君は私と対極に位置するからこそ色々と使い道がある。

 是非とも彼にはその糞ったれな感情論と共に、大勢の人間を率いて活躍してほしいものだ。

 

 

 その理由は単純にして明快、いずれ彼がその矛先を私に向けてくることは目に見えている。

 現実主義者と感情主義者、文明人とバーバリアンが手を取り合うことなど有りえない。

 つまり、対立するとわかっているからこそ彼が必要だった。

 

 

 感情論者とはくだらない正義を振りかざし、常に仲間の足を引っ張るものである。

 チームの輪を乱して愚かな決断を平気で下すような人間、私にとって彼ほど倒しやすくて御しやすい人間もいない。

 だからこそ彼には第一線で剣を振るってほしいと、そう私は心の底から願っている。

 

 

 犠牲を省みず突っ走るタイプ、そんな奴ほど敵にして嬉しい人間はいない。

 最も厄介な敵とは身内に潜む無能であり、目の前の彼はその才能が十分にあった。

 仮に目の前の彼が私と敵対した際に前線にいたなら、私はその前線を確実に乱してみせる。

 

 

 それだけの自信が私にはあるし、なにより彼のような不能者こそ的にしやすい。

 少なくとも一国の御姫様と親しい間柄というだけで、その交友関係は十分利用できる。

 ただの平民が彼女と親しく話しているのには理由があると、そう邪推して彼を試したのは正解だった。

 

 

 彼という人間はとても魅力的であり、私にとってその利用価値は千差万別である。

 それこそあの試験会場で片腕を失った者たちをゴキブリでたとえるなら、きっと彼はペットショップにいる犬や猫程度は価値がある。

 

 

 ゴキブリを殺すのに戸惑いはないが、それが犬や猫となると少なからず勿体ないと思ってしまう。

 私的には彼の四肢を削ぎ落したいところではあるが、それをしてしまえば彼の力は弱まり利用する機会も減るだろう。

 部下にはいらないタイプだが、それでも無能が敵に回ってくれるならこれほど嬉しいこともない。

 

 

 言うなれば有能な部下を手に入れたにも等しく、諸君たちならばその重要性も理解できるはずだ。

 目先の利益だけを追い求めるのではなく、数年……数十年先のために行動しなければならない。

 必要なのはちょっとした踏み台と使い捨ての利く缶詰、彼ほど自己犠牲という言葉が似合う人間もいないだろう。

 

 

 

「たとえ僕と君が同類だったとしても、それでもあのときの君は間違っていたと言い切れる。

 君が僕を否定するなら、その否定を受け入れたうえで僕が変えてみせる」

 

 

 最高の場面で最高の利益と共に最高の形で使い捨てる。

 ただ、どんな言葉で取り繕ったとしても今の私は敗者であり、負け犬の遠吠えとは得てして醜いものだ。

 目先のごっこ遊びに浮かれて慢心した結果、それがこの現状であり反省すべき点だ。

 

 

 この先の代表戦が重要であってこんな模擬戦は通過地点だと、そう侮っていたことは私も否定しない。

 だからこそこうしてなにも言わず我慢しており、なんとか穏便に終わらせようと努力しているのだ。

 勝負には負けたが本来の目的は達せられたのでいいじゃないか、社畜とは個人の目的ではなく会社の利益を追求するのだと言い聞かせる。

 

 

 

「結構、精々頑張ってくれたまえ。

 私と君が分かり合えるような日が来たら、それはそれで楽しそうではあるからね」

 

 

 彼の表情が私の神経を逆撫でし、辺りに響く歓声は苛立ちを増幅させる。

 しかし、全ては己の至らなさが原因であり、彼を殺したところでなんの得にもならない。

 全ては今更……そう、全ては私という愚か者の自業自得である。

 

 

 

「では、決着もついたし私はこれで失礼するよ。

 学園代表戦には私も参加する予定なので、できれば私と戦うまでは負けないでくれたまえ」

 

 

こうして多大なる不快感と共に私の模擬戦は終わり、もどかしいほどの消化不良を残したままアリーナを 後にした。

 時間があればもう少し付き合ってやりたいが、残念ながら今の私はとても忙しいのでね。

 正直言って私の置かれている状況は御世辞にも良いとはいえず、たとえるならばアルプス山脈を裸足でハイキングするようなものだ。

 

 

 私に与えられた仕事は多岐にわたり、それをひとつずつやっていては効率が悪い。

 それならば同時にふたつのことをやるしかないが、はてさてそれが吉と出るか凶と出るのか。

 今日私が学園に来た主な目的は情報取集だが、それとは別でちょっとした罠も仕掛けている。

 

 

 罠というよりも餌と言った方が正しいか、一応次の一手も含めてその布石は打っていた。

 それは本来の目的に付随したオマケのようなものだが、私として十分見込みがあると思っている。

 

 

 それは二番目に難しいだろう目的、セレストの妹であるセシルの信頼を勝ち取ること。

 まずは彼女に私という人間を意識させて、一刻も早く交友関係を築かなければならない。

 目下、私とクロード姉妹が置かれている状況はとても微妙である。

 

 

 

 説明するのも億劫だが、簡単にいえばセレストを部下に迎えたこととプライドの意見を退けたことが関係している。

 要するに新参者の私が先輩である彼の不評を買ってしまい、そのせいで私の行動が制限されているのだ。

 

 

 

 私が勤めている会社、これからは便宜上人魔教団と言わせていただこう。

 人魔教団の実態は徹底した秘密主義と、それに伴った利己主義者たちの複合体である。

 

 

 秘密結社という側面もあるが、私に言わせれば手荒い一流企業となんら変わらない。

 なぜなら利益を極限まで追求した場合、その行きつく先はほとんど同じである。

 違いがあるとすれば株式を上場しているかどうか、おそらくはその程度の違いしかないだろう。

 

 

 人魔教団の経営体制は少々特殊であり、私が敬愛する上司をトップとした文鎮型組織となっている。

 私たち原罪司教を土台として、その上にいる教皇様を唯一至上とした組織図。

 企業統治(コーポレートガバナンス)と言い換えても良いが、この場合は少し違うのかもしれない。

 

 

 なぜなら原罪司教にも様々なタイプがおり、その方針に関しても全く異なるからだ。

 憤怒(ラース)傲慢(プライド)怠惰(スロウス)。七つの大罪を模した役職は、言うなれば部署のようなものである。

 

 

 私は憤怒を司る原罪司教であり、司教座聖堂(カテドラル)とは要するに原罪司教が率いている組織の俗称。

 わかりやすく言えば子会社といったところか、各個人が保有する私兵や傭兵といったものだ。

 私たち原罪司教は教皇様から与えられた命令をこなす為――――――固有の戦力、つまりはカテドラルを用いてやりとげる。

 

 

 

 プライドはこの国最大のギルド、火炎之番人(サラマンダー)をカテドラルの母体としている。

 スロウスはギアススクロールにより契約した奴隷達、古今東西あらゆる年齢と人種が揃っている。

 では、彼らと同格であるはずの私はどうだろうか。……ふむ、誠に遺憾ながらそんな伝手や人望は持ちあわせていない。

 

 

 そもそもなにをカテドラルの母体とするか、少し前までその方針すら決まっていなかった。

 だが、セレストを部下に迎えた時点である程度の構想は定まってね。

 私の上司でもある教皇様には既に伝えているが、それが成功するかどうかは私の働き次第だ。

 

 

 

 ……少しばかり話がそれてしまったが、ここまで言えばプライドのカテドラルが如何に強大であるか理解してもらえただろう。

 ではそんな彼がなぜ私に不満を抱いているのか、それはセレストを私の部下にしてしまったからだ。

 

 

 元々彼女はサラマンダーに所属する冒険者、言うなればプライドに与えられた仕事だった。

 それなのになかなか進展しない状況を見かねた教皇様が、その仕事を私に回してしまったことから端を発する。

 彼からすれば教皇様が私を指名したことも含めて、正直あまりいい気分ではなかったはずだ。

 

 

 私は唯一仲の良かったスロウスからアドバイスをもらい、この件に関して協力を仰いだがそれもあまりよくなかった。

 私の力ではなくスロウスによる功績が大きいと、そうプライドに思われてしまったからだ。

 

 

 ちなみに教皇様からの指示は当事者のみに伝えられ、他の原罪司教はそれを知ることはできない。

 その理由は私たちの仕事は血生臭いものが多く、所謂汚れ仕事がその大半だからである。

 そもそも私たちは互いに相手の顔や素性を知らず、ただ人魔教団という枠組みを通して交流している。

 プライドは例外として、私と親しくしているスロウスだって顔を見たことがなかった。

 

 

 最初はこのやり方に疑問も抱いたが、今となってはこのシステムに助けられている。

 そもそも私たちは仲良しごっこをするために集まったのではなく、会社の利益を向上させるためのサラリーマンである。

 おそらくは十名にも満たない組織に於いて、最も懸念すべきは情報の流出と社員同士のいざこざだ。

 

 

 だからこそ情報を制限して流出を防ぎ、外でのいざこざを会社に持ち込まないよう素顔を隠す。

 私はまだプライドとスロウス、そして暴食(グラトニー)としか会ったことがないがそれで十分だった。

 全てを知っているのは教皇様だけであり、己がどう振る舞うかは個人に委ねられる。

 

 

 一度だけその理由を訪ねたときに、上司は二次被害を防ぐためだと言っていた。

 なるほど、確かに誰かが捕まったときにペラペラと喋られては敵わない。

 その被害はネズミ算式に増えるだろうし、人魔教団のような文鎮型組織にとってそれは致命的である。

 

 

 

 だからこそ己の安全と会社の機密を守るため、私を含めてスロウスやグラトニーは絶対に素顔を晒さない。

 グラトニーに関しては数回しか会ったことがないのでよくわからないが、スロウス曰く絶対に怒らせてはいけないそうだ。

 本社にも滅多に顔を出さない人物だが、人魔教団創設当時から関わっているらしい。

 

 

 他の原罪司教にしても用事がなければ本社に現れることはなく、毎月の定例会にも顔を出さないことが多かった。

 教皇様が指示を与えた際にやって来るのが基本であり、私のように定期的に顔を出している者は少ない。

 

 ただ、そんな秘密主義者たちの集まりでもやはり例外は存在する。

 素性を隠すどころか使いの者すらも用いず、堂々とカテドラルの母体がなにであるかを公言する男。……なるほど、その姿は確かに傲慢の名に相応しいだろう。

 

 

 

 傲慢を司る原罪司教クリストファー=ドレイク、彼は自らの素性を名乗りサラマンダーギルドのマスターだと公表していた。

 彼の行動はなんとも頼もしい限りであるが、正直全く理解できないし真似したいとも思わない。



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現実主義者と哀れな魚

 さて最初にも言ったと思うが、ここで問題となってくるのがセレストの処遇についてだ。

 つまり、私はプライドの仕事を奪っただけでなく、その報酬にあたるセレストも横取りしたと思われている。

 プライドは私の素性を知らないが、今回の一件でセレストが私の部下となったのは知っているはずだ。

 

 

 そして、彼女がサラマンダーギルドに所属していたならその交友関係も詳しいだろう。

 仮に、想像したくはないが彼が私への復讐を考えていたとしよう。

 私への制裁を教皇様に進言したところで許可が出るとは思えないし、だからと言って他の原罪司教を頼るわけにもいかない。

 

 

 私の素性を調べることもできず助力も見込めないなら、もはや彼に残された道は一つしかない。

 それは、セレストを見つけ出して私のもとへと案内させること。

 要するにサラマンダーギルドの冒険者を使って王都に網を張り、彼女を見つけ出してからその行動パターンを調べる。

 

 

 セレストが現れそうな場所に間者(ネズミ)を放つのだから、彼女の生活圏を中心に妹のセシルもその対象だろう。

 そもそもギアススクロールとは便利なものではあるが、それゆえにちょっとした欠陥も含んでいる。

 欠陥というか……欠点?だろうか、そこを衝かれてはどうしようもないのである。

 

 

 私に剣術を教えることが彼女の主な仕事であり、その片手間で屋敷の管理もさせていた。

 外出はギアススクロールを用いて制限し、私に関する情報も縛ってはいるものの不安は残る。

 全てが私の被害妄想であり取り越し苦労であったとしても、そこに誰かの意思が介在するなら慎重になるべきだ。

 

 

 私のカテドラルを大きくするためには欠かせない存在であり、セレストを部下にした時点である程度のリスクも承知している。

 今更手放そうとも思わないし、プライドにしても失態が続くようであればいずれは失脚するだろう。

 あのような軽率な人間がなぜ人魔教団にいるのか、サラマンダーギルドも含めて彼を粛清できたらと心底思う。

 

 

 

「切っ掛けさえあればやりようもあるが……まあ、今はまだ対立すべきではないだろう」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 学園の入口にちょっとした人だかりができており、その中心には少々珍しい馬車が止まっていた。

 珍しいと言ってもそれは馬車そのものの話ではなく、それを操っているのが獣人の少女だからである。

 

 

 

「あっ! ご主人様です!」

 

 

 黄色い声が聞こえたかと思えば、その幼女は慌てて尻尾を押さえつけていた。

 シアンに好かれている自覚はあるが、さすがにここまでくると反応に困る。

 言いつけ通りに待っていたことは評価するものの、彼女の大袈裟すぎる反応に思わずため息がこぼれた。

 

 

 

「だが、今日ばかりはそんな振る舞いも許してやろう」

 

 

 先程も話した通り私とプライドの確執からセレストを用いることはできず、それはつまりセシルとの接触に彼女は使えないということだ。

 彼女を使えば交友関係も簡単に築けるだろうが、それではあまりにも危険が大きい。

 そもそも妹の信頼を勝ち取るのに何度連れ出せばいいか、セシルがこっそり会いにでもきたらそれこそ最悪だ。

 

 

 セレストは言うなれば切り札的存在であり、そんな彼女を初手から動かすなど救いようのない阿呆である。

 切り札とは適切な状況に於いて、適切な時間を使い適切な場面で利用するものだ。

 

 

 

「小説を書くときに一番重要なのは構想(プロット)であり、人の心を動かすのは第三者の悪意だと相場が決まっている」

 

 

 この無駄に大きな学園の中でどうやってセシルと知り合うか、セレストは使えないうえにずっと不登校だった私には学友もいない

 たとえばセシルを探し出してそのまま声をかけたとしよう……ほら、なんとも不自然でどこか気持ち悪さすら感じる。

 

 

 なんの脈略もなく話しかけてきた男に喜ぶのは娼婦か、はたまたそれに準ずる売女(ビッチ)だけだ。

 あくまで偶然を装い彼女に興味心を植えつけること、ではどうやってセシルの好奇心を刺激するのか。

 ふむ、なんとも幸いなことに適切な人材がいるじゃないか。

 

 

 この王都に於いて獣人とは特異な存在であり、言うなれば社会的少数派である。

 そんな土地にたった二人で移住してきたのだから、その疎外感はセシルを大いに苦しめただろう。

 しかも唯一の肉親にして頼りになる姉、セレスト=クロードはなにも言わず姿を消してしまった。

 

 

 つまり、彼女は初めて経験するだろう文化の中で孤独に生きている。……さて、ここまで言えば私の狙いにも気づいただろう。

 私がなぜこんな場所で待っているよう指示したのか、シアンという餌をここに配置した理由である。

 

 

 

「少々待たせてしまったか、シアンには迷惑をかけてばかりだな」

 

 

「全然、全く迷惑なんかじゃないです!

 シアンはご主人様と一緒にいられるだけで楽しいですし、それに待っている間はこのお姉ちゃんが話し相手になってくれました」

 

 

 客観的に見ればそれは分の悪い賭けだったかもしれんが、それでも私は絶対に成功すると思っていた。

 いや、正確には成功するまで続けるつもりでいたのだ。

 だからこそあの森の中でシアンにこれからのことを伝え、いつでも馬車が出せるよう言い聞かせていた。

 

 

 シアンが見つめる先を追いかけていけば、案の定そこにはセレストを彷彿とさせる獣人がいた。

 馬鹿とハサミは使いよう……なるほど、幼女と馬車も使い方次第ということか。

 

 

 

「ヨハン……ヴァイス、君?」

 

 

 神様なんてものは信じていないが、無神論者な私も今日という日は有神論者である。

 綺麗な服で着飾って、歯の浮くようなセリフと美味しい御供え物を用意しておくよ。

 まさかいきなり出会えるなんて、代表戦までに間に合うかが一番の問題だった。

 

 

 アーメン、ハレルヤ、キュルケゴール。糞ったれな御姫様やよくわからない小娘とも接点がもてて、今日という日を神様(キュルケゴール)に感謝しようと思う。

 

 

 

「初めまして……で、良かったのかな?

 こうして学園に来るのは初めてで、よかったら君の名前を教えてくれないか」

 

 

 社畜時代に培った営業スマイルを武器に、社交辞令という名の武装で彼女と向き合う。

 物事を円滑に進めるために必要なのはコミュニケーションであり、何億人ものサラリーマンが培ってきた知識を私は持っている。

 

 

 

「私はセシル=クロード、一応ヨハン君のクラスメイトになるね」

 

 

「クロードさんか、これからはちょくちょく顔を出すからどうぞよろしく」

 

 

 そう言って右手を差し出せば彼女は不思議そうな顔をして、その差し出された手をずっと見つめていた。

 固まったまま見つめる彼女と視線が絡み合ったとき、セシルの口から思いがけない言葉が飛び出してね。

 

 

 

 

「学年首席ヨハン=ヴァイス、入学テストの際に何人もの受験生を再起不能にした男。

 学園内序列は二位で、与えられた二つ名は灰色の死神……だったかな」

 

 

 彼女から感じるあからさまな敵意は私としても予想外で、少々困惑してしまったことは認めよう。

 彼女があの試験会場に居合わせた一人であり、数少ない合格者だということは既に知っていた。

 だから私のことを知っていてもなんら不思議ではないし、それ自体はどうでもいいがまさかここまで嫌われているとはな。

 

 

 それにその……なんと言うか、先ほどの恥ずかしい呼称は一体なんだ。

 序列二位? 灰色の死神? 彼女から感じる敵意よりもそちらの方が衝撃的であり、思わず頭を抱えてしまったのは言うまでもない。

 

 

 

「意外、あなたでもそんな顔するんだね。

 だけど私はあなたのことを軽蔑するし、今まで出会ってきた誰よりも狂っていると思う」

 

 

 ほう? 社交辞令のイロハも知らない小娘に説教されるとは、こんな風に言葉を交わすのは今日だけで何度目だろうか。

 主人公君やこの小娘にしても、私としては狂人という定義について議論するつもりはないのだがね。

 

 

 

「君にどう思われようとも一向に構わないが、どうしてそんなにも詳しいのだろうか。

 私すら知らないことをなぜ君が知っているのか――――――ああ、アレか。もしかして君は私のファンかなにかかな?」

 

 

 これは当初の予定を変更して、その都度柔軟に対応した方が良さそうだ。

 正攻法が難しいなら搦手(からめて)を使って、それでも難しいようなら強引にもってくとしよう。

 序列二位だとかそんなくだらない話も脇に追いやって、まずは目の前の小娘に楔を打ち込もうか。

 

 

 彼女の知能がオランウータンレベルでなければいいが、最低限文明人ほどの知性は持っていてほしい。

 さすがの私も類人猿とは仲良くなれないし、なによりそんな人間相手に貴重な時間を浪費したくはなかった。

 

 

 

「あの入学テストの日に私も試験会場にいたから、だからあなたの強さは誰よりも知ってる。

 学年首席というのも妥当だし思うし理解もできるけど、だからといってあなたみたいになりたいとは思わない」

 

 

「なるほど、私を理解しようとしただけあの主人公君よりも優秀だ。

 それに、君は君という一個人で完成されており、それを無理やり捻じ曲げる必要もないだろう。

 セシル=クロードとしての価値観、道徳観念、そして優先順位。

 既に完成されている人格を変えるということは、それはある種の自殺にも等しいからね」

 

 

 

 社畜時代に培った交渉技術、それを使うにあたって最も重要なのは三つの事象だ。

 返報性の法則。一貫性保持の法則。そしてこの二つを締めくくる駆け引きである。

 

 

 

「たとえば君に、自分の命よりも大切な人がいるとしよう。

 その人を助けるためには誰かを殺さなければならないが、君も知っての通り殺人とはとても罪深い行為だ」

 

 

 返報性の法則。第三者から与えられた恩に対して、なにかしらの形で報いたいと思う深層心理である。

 私のような利己主義者はこれを鼻で笑うが、本来であればどんな人間でも必ず持っているものだ。

 

 

 

「さて、ではここからが問題だ。

 どうでもいい人間を殺して大切な人を救うのか、それとも大切な人を見殺しにしてどうでもいい人間を助けるか――――――くだらない建前は抜きにして君の答えが聞きたいね。

 ハハハ、そう身構えなくても大丈夫だよ。

 これはちょっとした悪ふざけ、君があまりにも可愛いから苛めたくなっただけさ」

 

 

 一貫性保持の法則。人は常に矛盾した行動を取りたくないと思っている生き物であり、そういった考えが基となって個人の道徳観念が定まっていく。

 返報性の法則と似ている部分はあるが、その本質は全くの別物だと断言できる。

 

 たとえるならば返報性の法則は個人の価値観であり、一貫性保持の法則は社会通念といったところか

 

 

 

「私は――――――殺す。

 大切な人を救えるならなんだってできるし、それで人殺しになったとしても私は後悔しない

 私達はもう十分すぎるほど苦しんだ。だから、これ以上の理不尽は絶対に認めない」

 

 

「なるほど、だったら私たちは似た者同士ということだ。

 目的のために最善を尽くし、それが非道と罵られようとも己の利益を追求する。

 素晴らしいじゃないか、君も立派な利己主義者(エゴイスト)の一員だ」

 

 

 駆け引き、これに関しては詳しく説明する必要もないだろう。

 鉄のように固い相手を揺さぶることによって判断を鈍らせ、弱ったところで己にとって都合のいい要求を呑ませる。

 

 

 

「なにも知らないくせにやめてよ。あの日のことと、このたとえ話では意味合いが全然違う。

 私はお姉ちゃんのためならどんなことだってできるし、それが人殺しであったとしても躊躇しない。

 だけどそれ以外は普通の学生だし、あなたみたいな異常者と同じにされたくはない」

 

 

「ふむ、私としては分かり合えると思ったがとても残念だ。

 その様子だとこれ以上続けても不評を買うだけか、それならばここは一旦失礼してまた別の機会にお会いしよう」

 

 

 そう言ってわざとらしく馬車へと乗り込み、シアンに合図を出して手綱を握らせる。

 馬車がゆっくりと動き始めて、私が窓を開けた瞬間偶然にも視線が絡み合った。

 睨み続けるセシルに対して、私はできるだけ自然体を装い大きな爆弾をひとつだけ落とした。

 

 

 

「そうそう、君のお姉さんも大変そうだったけど彼女に会ったら伝えてほしい。

 ありがとう世話になった。また機会があれば顔を出してくれないか――――――とね」

 

 

「えっ、待って! どうしてあなたがお姉ちゃんのことを――――」



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学園代表戦(承)
現実主義者と第一回戦


 利己主義とは、自己の利益を重視して他者の利益を軽視する考え方。

 利他主義とは、自己の利益よりも他者の利益を優先する考え方。

 つまり他者を利用して肥える者と他者に利用されて痩せ細る者、対人関係に於ける倫理とは大凡この二つに分けられる。

 

 

 しかし、中にはこのどちらでもない化物(イレギュラー)も存在する。

 彼等の主張は感情的であり尚且つ生産性の欠片もないが、その宗教家に多く見られる兆候を諸君は知っているだろうか?

 

 

 快楽主義。自己の快楽と幸福をなによりも優先させて、己の悦を至上とする迷惑極まりない考え方。

 彼らの頭に費用対効果(コストパフォーマンス)の概念は存在しないが、しかして彼らもまた利己主義の一員なのである。

 

 

 利益と快楽。利潤と幸福。

 天才と馬鹿は紙一重と言うが、知性と狂気もまた紙一重なのだろう。

 

 

 

 では、改めましてごきげんよう。

 徹夜で熟考していたために隈ができてしまったサラリーマン、悪の組織で働いている新参者とは私のことです。

 

 

 あの模擬戦を行った日から代表戦が始まる今日まで、この私としたことが自堕落な日々を送っていた。

 できることなら学園に足を運んで色々と調べたかったが、セシルと出くわす可能性を考えるとそういうわけにもいかなかった。

 

 

 あの日、私が去り際に放った言葉は彼女の心を揺さぶったはずだ。

 どうして私がセレストのことを知っているのか、なぜあんな伝言をわざわざ託したのか。

 それは時間をかければかけるほど彼女を蝕み、そして無意識のうちに迷宮へと迷い込む。

 

 

 一向に出てこない答えとは人にある種の希望を抱かせて、それはいつしか期待という名の願望に変化する。

 今頃彼女は姉を探しながら私の伝言を思い出し、そして見つかるわけのない答えを探しているはずだ。

 私とセレストとの関係がどんなものか、もしかしたら姉が消えた原因を知っているのではないか――――――

 

 

 ふむ、なんとも健気でとても美しい家族愛だ。

 私が当事者でなければ拍手を送っていたが、残念ながらその両手は既に真っ黒である。

 取りあえずもう一度接触するためにも、まずはわかりやすい場所に目印を置こうか。

 

 

 おそらくはセシルも私のことを探しているだろうし、この間と同じ場所にシアンがいれば喜々として飛びつくだろう。

 いなくなった姉の手掛かりを掴む絶好のチャンス、それを見逃すようでは彼女の実力も底が知れている。

 シアンの馬車に乗って学園までやって来た私は、そのまま入口で待っているよう伝えて歩き出す。

 

 

 先日代表戦の日程に関する書類が屋敷に届いたので、私はそれを片手にあの模擬戦を行ったアリーナを目指した。

 アリーナの中は人も疎らで閑散としており、私は近くにいた職員に声をかけると控室の場所を教えてもらってね。

 そうやって辿り着いた部屋の中には誰もいなくて、私は試合が始まるまでの間ずっと暇を持て余していた。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「要するに戦闘の継続が困難な相手、及び降参した相手への攻撃を一切禁ずる――――――なるほど、そういうことなら私も納得です」

 

 

 控室の中で無為な時間を過ごしていた私だったが、突然部屋の中に現れた職員から注意事項が伝えられる。

 その実体のない体は反対側が透けており、おそらくは魔法を使って投影でもしているのだろう。

 

 

 

「ええ、一方的な殺傷行為及び敗者に対する追撃の禁止。

 この二つが主な禁止事項であり、その他の行為に関しては常識の範囲内でお願いします」

 

 

 職員が言っていた要点をまとめると、最も重要なのは二つの禁則事項である。

 戦闘の継続が困難な相手に対する追撃と殺傷の禁止、そして降参した相手に対する攻撃の禁止だ。

 教えられた内容を私なりに整理して聞いてみると、その職員は満足そうに言葉を返してきた。

 

 

 なんとも曖昧で急な説明だが、それならば禁則事項に抵触しない範囲で戦うとしよう。

 圧倒的な力を見せつけろ――――――私の脳裏を過るあのときの言葉、本音を言えばもう少し具体的に言ってほしかった。

 私の価値観とこの世界の価値観は大きく違うし、それも踏まえたうえで考えろと言うなら答えは決まっている。

 

 

 

「ああ……それと、武器の持ち込みは許されていますので――――――」

 

 

 そうして私は試合が始まるまで説明を受けて、やっと解放されたかと思えばすぐにその時がやってきた。

 予選第一試合、それは私にとって本来の力を見せつけるいい機会でもあった。

 ある意味本選よりも重要な戦い、私が出世するためにも対戦相手には犠牲になってもらおう。

 

 

 

「おや? もう時間ですか、ではあなたの御武運を御祈りしています」

 

 

 その言葉を最後に控室は元の静けさを取り戻し、職員の姿はあっという間に消えてしまった。

 私は腰に差している日本刀の感触を確かめながら、控室を後にしてアリーナの中央へと向かう。

 アリーナの中は控室と同じくらい静かであり、リングへと進み出た私はあの時とのギャップに驚かされた。

 

 

 

「ずっと不登校だったあんたが来るなんて、序列二位の死神さんと戦えるなんて光栄だ」

 

 

「ん? 申し訳ないが私は君のことをよく知らない。

 君だけが一方的に知っているというのは不公平だし、できれば自己紹介でもしていただけると助かるのだが――――――その、君が私の対戦相手だろうか?」

 

 

 私と正反対の方向から現れた生徒、大きな戦斧を担ぐ彼からは知性を感じない。

 見るからに教養のない姿は脳筋と呼ぶに相応しく、思わず辟易してしまうほど野蛮だった。

 

 

 一応開始の合図は鳴らされていたが、彼のあまりにも無防備な姿勢に混乱してしまう。

 もしかしたら先程の音は聞き間違いではないのか、そんな風に思えてきた私は周囲に目を向ける。

 そしておそらくはこの試合の審判(アンパイア)を務めているだろう人間、リングの端に立っている一人の職員を見つけたのさ。

 

 

 確か彼は……そう、入学テストのときに生徒会長様と一緒にいた男だ。

 私の視線に気づいたのか手を振り返してきた彼に合図を飛ばし、既に試合が始まっているのかどうかを教えてもらう。

 

 

 

「応とも! 生徒会長には止められたが所詮は一年坊、悪いが今回の代表戦は運がなかったと諦めてくれ」

 

 

 なるほど、結局私の問いに対する答えは肯定であり、やはり聞き間違えではなかったらしい。

 では目の前の彼はどうしてこんなにも余裕なのだろうか、もしかしたら私を誘い出すために敢えて道化を演じているのか――――――有り得る。……いや、それ以外に考えられない。

 

 

 対戦相手と悠長にお喋りだなんて、どう考えても不自然であり合理性にも欠ける。

 それならば彼の目的はお喋りそのものではなく、それとは別のなにかだと考えるのが妥当だろう。

 

 

 

「ふむ……そういうことか、この私が騙されるとはなんともお恥ずかしい」

 

 

 要するに彼はこのやり取りを通じて、私という存在を見極めようとしているのだ。私が主人公君にやったようなことを、彼もまた私に対して行っている。

 もしもこのまま突っ込んでいたら、きっと手痛いしっぺ返しを喰らっていただろう。

 その方法まではわからないが、あの自信満々な態度は警戒すべきだ。

 

 

 それならば最初は小手調べとして、外堀から埋めていくことこそ肝要である。

 彼がどう反応するのかも含めて、まずは利き腕ではない方の手首を切り落とそう。

 これはあくまでも様子見であり、少しでも難しいようなら的を変えればいい。

 

 

 よくわからないことを延々と話し続ける彼を見ながら、私は呼吸を合わせることでそのタイミングを狙っていた。

 あのときの模擬戦で色々と学んだからね。主人公君から教えてもらった教訓、慢心と油断こそが最も警戒すべき敵である。

 

 

 

「いくぞ新入生!

 学園内序列七位モリッツ=ミッタ―、二つ名は黒斧の――――――っ……れ?」

 

 

 その瞬間男の左手首が宙を舞った。間抜けな叫び声と降り注ぐ鮮血、視界を赤く染めながら私の表情はなおも険しい。

 無反応にして無抵抗、こんな男に警戒していた自分がなんとも哀れだ。

 出来の悪い漫才を見ているような気分、目の前の男は正真正銘の阿呆だった。

 

 

 正に愚劣、それでいて愚鈍。

 彼の頭の中はオランウータンと同じか、又は脳みその形をしたポップコーンなのだろう。

 驚愕する本人に冷ややかな視線を向けながら、私の感情はこれ以上ないというほど冷めきっていた。

 

 

 

「モリッツ=ミッタ―君、悪いが私のために死んでくれないか」

 

 

 控室で代表戦に関する禁則事項を伝えられてから、どうしてもよくわからない点がひとつだけあった。

 それはあの職員が口にしていた言葉の意味、戦闘の継続が困難な相手に対する殺傷の禁止についてである。

 どの程度の負傷でそう判断されるのか、その辺りを私なりに考えてみたが答えは出なかった。

 

 

 

 戦闘の継続が困難な相手……か、なんとも曖昧で分かりづらい表現ではある。

 しかし、それも少しだけ視点を変えてみれば、戦闘の継続さえ可能なら殺傷行為も許されるということだ。

 つまり目の前にいる彼は武器を手放さず降参もしていないので、あの職員が言うところの禁則事項には当てはまらない。

 

 

 本来であれば開始と同時に首を刎ねようと思っていたが、私が至らぬばかりにその機会は失われてしまった。

 だがこの様子ならば当初の予定通りなんの問題もなく、彼という哀れなオランウータンにとどめがさせるだろう。

 やはり圧倒的な力とは相手を殺してこそ圧倒的であり、力を見せつけるという点に於いてはこれが正攻法である。

 

 

 未だに混乱しているオランウータンを尻目に、私は聞き足を軸にして刃を返すと冷たい殺意を振り下ろす。

 肉を切り裂くあの独特な感触と舞い散る鮮血、その全てを予想して私は少しだけ微笑んだのさ。

 

 

 

「全く……私がいたからいいものを、なんの躊躇もなく学友を殺そうとするなんて前代未聞だよ」

 

 

 だが、私の一振りはなんの感触も与えぬまま空を切った。

 日本刀の刃先が綺麗な弧を描いて地面へと突き刺さり、私とオランウータンとの間に先ほどの職員が現れる。

 少しだけ軽くなった刀身を見つめながら、なにが起こったのか理解できず私は固まってしまった。

 

 

 

「それじゃあ話を聞こうかヨハン君、代表戦のルールは知っているはずなのにどうしてこんなことをしたのかな」

 

 

 なにか得体の知れない生き物に出会ったような感覚、私には目の前にいる職員の動きが全く見えなかった。

 叩き折られた日本刀と突然現れた職員、全てを理解した瞬間背中に冷たいものが流れる。

 

 

 

「申し訳ありませんが、その前に貴方の名前を教えていただけませんか」

 

 

「ああ……そうか、確かにあの時は自己紹介する暇がなかったからね。

 私の名前はマリウス=ヴォルフガンフ、この学園で働いている只の教師だよ」

 

 

 こうして誰かに日本刀を折られるのも二度目か、折られた刃先が光に反射して綺麗な波紋が浮かび上がる。

 こういった物に詳しくない私でもわかるほどの美しさ、どこからどう見ても一級品のそれをこうも簡単に破壊するとはね。

 手首を押さえながら苦痛に悶えるオランウータン、そんな騒音をバックミュージックに私は緊張していたと思う。

 

 

 それは恐怖心とは少し違った感情、強いて言うなら彼という人間に対する好奇心。

 人間とは己の感性で推し量れないものに出くわしたとき、恐怖心よりも先に好奇心を抱くと私は思っている。

 

 

 

「マリウス=ヴォルフガンフさん――――――」

 

 

「マリウス先生でいいよ。なんて言うか、フルネームで呼ばれるとどうにもむず痒くてね」

 

 

 だからこそここは変に取り繕わず、堂々と自らの主張を貫き通せばいい。

 私は禁則事項に抵触しない範囲で戦っただけであり、端から後ろめたい点などありはしない。

 隠し立てする必要もなければ叱責される謂れもなく、行動の是非を問うているならその正当性を主張するまでだった。

 

 

 

「ではマリウス先生、むしろどこが問題だったのか是非とも御教授ください――――――」



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現実主義者と魚好きな幼女

 どれくらいたっただろうか、私が説明している間彼は一言も喋らなかった。

 うるさいオランウータンが他の職員によって搬送されていき、鬱陶しいバックミュージックが消えた事で辺りに静寂が訪れる。

 観客席にいる有象無象は物音一つたてず、そして目の前にいるこの男も動こうとはしなかった。

 

 

 

「なんともまあ、君の考えていることは相変わらず面白い。

 だけどそんな屁理屈が通用するのは今回だけだし、次からは私も含めて決して見逃したりはしない」

 

 

 そしてようやくその口を開いたかと思えば、どうやらマリウス先生は勘違いされているようだ。

 小刻みに動く眉毛と震える唇を見れば一目瞭然であり、なぜこんなにも憤慨されているのかがわからない。

 どうやって説明すれば納得していただけるのか、この時ばかりは口下手な自分を呪いたくなった。

 

 

 

「屁理屈もなにも、私としてはどうしてこんなことになったのか不思議なくらいです。

 今回の行動は全て代表戦のルールに則ったものであり、なぜ私がこんな風に叱責されているのかがわかりません」

 

 

「そうか、そこまで言うならもっとわかりやすく言ってあげよう。

 対戦相手を殺そうとする行為や意図の禁止、先ほどのような行為は一切認めないからそのつもりで――――――」

 

 

 なるほど、とてもわかりやすくてありがたい御言葉だ。

 どう解釈しようとも一切の語弊・誤解がなく、文字通り彼の言葉によって私の行動は制限されてしまった。

 対戦相手を殺すという方法。言うなれば正攻法を封じられたわけだが、それならばそれで違う方法を採用するまでだった。

 

 

 代替手段とでも言えばいいのか、あまり好みではないが死なない程度に痛めつけるとしよう。

 まずは降参できないように喉を潰して、その後は適当に四肢でも削いでおけばそれで十分。

 ここの職員は怪我の手当てや応急処置に慣れているようだし、彼等に任せておけば後は勝手に処理してくれるはずだ。

 

 

 

「ああそれと、入学テストのときみたいな光景ももうごめんだからね。

 対戦相手の四肢を削いだり拷問まがいの事をするのも禁止、代表戦を続けたいなら最低限のルールは守ってもらう」

 

 

 私の心を見透かしたかのような言葉、まさかこんな風に釘を刺されるとは思わなかった。

 彼の言葉を無視すればそれだけ多くの反感を買うだろうし、最悪なにかしらの処分を言い渡されるかもしれない。

 しかし、だからと言って与えられたノルマを達成せねば評価は下がり、プライドを調子づかせるだけでなく上司の顔も潰してしまう。

 

 

 全く、なんとも複雑な人間関係だ。

 やはりそこはブルーカラーの宿命ということか、さっさと昇進せねばいつまで経っても紫色のままである。

 

 

 

「次の試合に来る職員が誰かはわからないけど、少なくとも私ほど優しくはないだろう。

 この学園から追い出されたくなかったら、これから先の戦いはあまりはしゃがないほうがいい」

 

 

 その言葉を最後にマリウス先生は踵を返し、こうして私の初戦は終わりを告げたのだった。

 終わってみればなんとも呆気ない最後、正直精神的疲労の方が大きかったように思える。

 取りあえずセシルと接触するのが先決か、私は折れた日本刀を血だまりの中へ投げ捨てて歩き出す。

 

 

 アリーナから出て行く私の足取りはとても重く、これから先のことを考えるとため息がこぼれた。

 今の私にはあまりにも情報が足りない。所詮は上流階級のために作られた箱庭だと思っていたが、まずはその辺りの認識から改めるとしよう。

 私に勝利した主人公君も含めて、時間があれば彼の経歴も調べてみるのも面白そうだ。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「ご主人様、あの……お姉ちゃんは悪気があったんじゃなくて――――――そう、お腹が痛くて! お腹が痛くて休んでいるだけなんです!」

 

 

 アリーナを後にした私は真っ直ぐ校門を目指したが、その途中でどこか慌てた様子のシアンと出くわしてね。

 なんとも漠然とした要領の得ない会話、この子はもう少し嘘というものを学んだ方がいい。

 彼女の言葉はあまりにも抽象的過ぎてわかりづらく、今日という日でなければ私も混乱していただろう。

 

 

 気がつけば私の腕は引っ張られており、シアンにされるがまま馬車まで歩いていく。

 そうして辿り着いた先には見慣れた馬車と、そしてその中に座る一人の獣人がいた。

 見るからに不機嫌そうなのは生理だからか、こんな顔をした人間と話すのは今日だけで二度目である。

 

 

 向こうも私の存在に気づいたらしく、勢いよく剣を抜くと真っ直ぐ歩いてきてね。

 冷たい視線とひんやりとした空気、彼女の尻尾はパンパンにはれて大きく逆立っていた。

 

 

 

「教えなさい! お姉ちゃんのこと、あなたが知っていること全部!」

 

 

 知性の欠片もないなんとも横暴な言葉、彼女から発せられる殺気はどこか心地良くてね。

 もう少し冷静になってくれれば私としても嬉しいが、行き過ぎた積極性を律するのはとても難しい。

 私は彼女という存在を過大評価していたのだろうか、この程度で自分を見失うなど底が知れている。

 

 

 まずは交渉から入ってお互いの条件を照らし合わせ、その際に折り合いがつかなければ策を巡らせる。

 強引な手段に出るのは一番最後であり、初めからその選択肢を選ぶなんて動物と同じである。

 交渉のテーブルを自ら蹴り飛ばし粋がる阿呆、勝てる確証もないのに剣を向けてくる低能っぷりだ。

 

 

 

「可哀想に、ものを尋ねる時の作法を類人猿から学んだらしい。

 君を育てた親御さんが悪いのかもしれないが、これでは獣人というよりもただの獣だな」

 

 

「っ……黙れ! これは私からあなたへの命令なの!」

 

 

 緊迫した空気が辺りを包み、騒ぎを聞きつけた付近の学生達が集まってくる。

 まさか姉への伝言を頼んだだけでこんなに警戒されるとは、そう仕向けたのは私自身だが正直予想外だった。

 生憎動物と会話する技術は持ち合わせていないし、なによりこれ以上の騒ぎは望ましくない。

 

 

 取りあえずあの物騒なものを叩き折ろうと決めて、私が動こうとした瞬間にその横を小さな影が通りすぎる。

 この状況でなにをするつもりかはしらないが、その小さな影はセシルの背後へと回り込んでね。

 なんと言うか殺意剥き出しの彼女からすれば最悪の伏兵、周りにいる学生達も予想外だったはずだ。

 

 

 

「それ以上はシアンだって怒るもん! ご主人様に剣を向けるなんて、そんなお姉ちゃん大っ嫌いだもん!」

 

 

 そう言いながら彼女の背中をポカポカと叩く姿はなんとも可愛らしく、見方によっては仲の良い姉妹がじゃれているようだった。

 あれでもやっている本人からすれば全力なのだろうが、残念ながら新手のマッサージにしかみえない。

 

 

 なんとも微妙な空気が辺りを包み、そのよくわからない茶番劇に見物人も呆れているようだった。

 周りにいた学生達がその数を減らしていき、最後に残ったのはマッサージを続ける幼女と哀れな獣人が一匹。

 このまったりとした空気をどう処理すればいいのか、私としてもほとほと困り果てていた。

 

 

 

「あー……シアン? そろそろ止めてあげなさい。

 クロードさんも反省しているようだし、なによりこのままでは話が進まない」

 

 

「ふぇ?」

 

 

 顔を赤くしながらそれでも剣を構えている彼女に、私は心の底から拍手を送りたかった。

 あの殺伐とした空気は完全に消え去り、もはや彼女の握っている剣は張りぼて同然である。

 無邪気な子供がこんなにも恐ろしかったとは、状況をよく理解していないシアンにため息がこぼれた。

 

 

 

「クロードさんがなにを勘違いしているかは知らないが、私に聞きたいことがあるなら最初からそう言えばいい。

 こんな脅迫まがいのことをする必要はないし、なにより憶測だけで剣を向けるのは間違っている」

 

 

「だって……その、教えてくれそうになかったから――――――」

 

 

「先ほども言ったと思うが、ちゃんとした態度で聞かれたなら素直に答えただろう。

 だが、いきなり脅迫してくるような人間に答えてやる義理はない」

 

 

 感情的になった人間と会話するときの注意点、それはどうやって話の主導権を握るかである。

 理性的に話すことで相手の感情を和らげ、話の主導権を握ることによってその結末を調整する。

 

 つまりは相手をなだめるように、それでいて諭すような口調で伝えてあげればいい。

 チンパンジーちゃんもっと冷静に話し合おう。ほら、猿語じゃなくて人間の言葉を話してみて――――――

 

 

 同じ感情論で戦っても話し合いはまとまらないし、チンパンジーと会話するくらいなら壁と話した方が建設的だ。

 まずはチンパンジーを人間に戻してやること、そうすればバナナ欲しさに噛みついてこないからね。

 

 

 

「あの……本当にごめんなさい」

 

 

 

「本当に悪いと思っているなら、これからは相手の言い分も聞いてやることだ――――――全く、それで?私に聞きたいっていうのはなんだ?」

 

 

 会話の主導権さえ握ってしまえばこっちのもの、後は社畜時代の交渉術を用いて型に嵌めるのだ。

 前にも話した交渉術に於ける三つの要素、ここは一貫性の法則を利用して操るべきだろう。

 憶測だけでクラスメイトである私に剣を向けるなんて、そんなのはどう考えても筋が通らない。

 

 

 あくまでも彼女は御願いする立場であり、それを判断するのは請け負う側の私だからね。

 要するに人にものを尋ねるときは、彼女のように高圧的な態度ではいけないということだ。

 全ては私に対する認識の甘さと、彼女自身の勘違いが招いた不幸な行き違いである。

 

 

 私が喋らないだろうと高を括った彼女の失態、初めから強硬策に打って出たからこうなった。

 もしも私がセシルへの協力を全面的に拒否したなら、彼女の行動にも正当性と大義名分が生まれていたはずだ。

 だがその全てが勘違いだったらどうなるか、これほど理不尽で道徳に反する行いもないだろう。

 

 

 

「その、とても個人的なことだから場所を変えたいのだけど――――――」

 

 

 一貫性保持の法則。人は矛盾した行動を取りたくないと思う生き物であり、罪悪感というのはその感情を刺激するには打ってつけである。

 

 

「私は別にかまわないのだが、恥ずかしながらこの辺りの地理には疎くてね。

 場所を変えたいと言うなら案内してくれないか、君もその方が落ち着いて話ができるだろう」

 

 

 最初の威勢はどこにいったのか、まるで借りてきた猫のように彼女は従順だった。

 既に話の主導権は私が握っており、もはや彼女には抵抗することすらできないだろう。

 さしずめ私の手のひらで踊る道化(ピエロ)か、はたまたショーケースに入れられたペットである。

 

 

 あのまま力技でこられたらどうしようもなかったが、この様子ならその心配ももうないだろう。

 今回ばかりはシアンの非常識に助けられたが、これからは感情論者に対するバックアッププランも考えた方が良さそうだ。

 知らぬが仏という奴か、無知でいられることがこんなにも素晴らしいとはな。

 

 

 

「ねぇなんだかとっても歩きづらいのだけど――――――ヨハン君、あなたならこの状況の説明もできそうね」

 

 

「さあ? 私にはなんの心当たりもないよ」

 

 

 私達が通る道……いや、正確には私が通ろうとした瞬間だろうか。

 無数の学生達が歩いているにもかかわらず、私達を中心としてその人混みがサッと左右に分かれる。

 大勢の視線を浴びながら最初はセシルとシアンのせいだと思っていたが、どうやら彼らの視線は私に向けられていたようだった

 

 

 ひそひそと話す姿はなんとも鬱陶しいが、この程度のことで気分を害するほど私も小さくはない。

 十戒のワンシーンを彷彿とさせるそれに私は苦笑いし、そしてセシルは口を尖らせながら文句を言っていた。

 

 

 

「ここなら周りの視線も気にならないし、なにより私たちの話を聞かれる心配もなさそう。

 私がこんなことを言うのも変だけど……どうぞ、そこに座って」

 

 

「シアンはこっち! ご主人様はここに座るです!」

 

 

 どこか嬉しそうなシアンに言われるがままその椅子に座り、それを確認してからセシルも向かい合わせの席に腰を下ろす。

 おそらくは学生同士の交流を目的として作られた空間、案内されたテラスの一角はイスやテーブルだけでなく多くのものが備えられていた。

 

 

 まあ人目が気にならないというのは嬉しいのだが、そんなことよりもこの幼女はなぜついてきたのだろうか。

 あまりにも違和感がなくて今の今まで気付かなかったが、この場にシアンがいても空気をかき乱すだけだ。

 備え付けの御菓子を見つめる彼女に批難めいた視線を向ければ、なぜかその頬を赤く染めてうつむくのだから質が悪い。

 

 

 当然のように横に座ったシアンにため息がこぼれ、喉まで出かかった言葉を必死に堪える。

 今回の件に関してはシアンに助けられた部分もあるので、そんな彼女を蔑ろにするわけにもいかなかった。

 セシルが私のことを性的倒錯(パラフィリア)だと思わなければいいが、なんともよくわからない構図ができあがったものだ。



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現実主義者と狂った物語

「あの……ご主人様、この御菓子食べちゃってもいいですか」

 

 

「ああ、だから少しだけ静かにしていなさい」

 

 

 相変わらずというかマイペースというか、備え付けの御菓子を頬張る姿はシマリスを彷彿とさせた。

 きっとこの御菓子と同じ大きさのダイヤがあったとしても、シアンはそのダイヤに興味すら示さないだろう。

 彼女の生い立ちを考えればそれも無理からぬこと、このまま静かにしてくれれば私としても嬉しいのだがね。

 

 

 

「御取込み中申し訳ないのだけど、そろそろ本題に入ってもいいかな?」

 

 

 そう言って話を切り出したのは意外にも彼女の方からであり、よほどセレストの事が気がかりなのだろう。

 餌をおあずけされた動物とはこんな感じなのだろうか、今にも飛びかからんばかりに涎を垂らす姿はどこか可愛らしくもあった。

 この様子ならば彼女から情報を引き出すことはそう難しくもないし、セレストのことを話せば今履いている下着の色だって教えてくれるだろう。

 

 

 

「ああ、私とてさっさと終わらせてほしいからな。

 そもそも誤解されたままでは居心地が悪いし、なによりなぜ君があんなことをしたのか興味がある」

 

 

 こうして始まったのは案の定セレストに関する質問、全ては私の予想通りであり反吐が出るほど美しい姉妹愛だった。

 なんとも有意義で文明人らしい一時(ティータイム)、そこには無粋なやり取りや暴力的思考は存在しない。

 張り合いがないほどのテンプレート、セシルからあのときの伝言について徹底的に聞かれたよ。

 

 

 私とセレストとの繋がりや消えた原因とその居場所を知っているか、笑ってしまいそうなほど私の予想は当たっていた。

 既に物語の設定とその構想は固まっており、こんな小娘に看過されるほど私も甘くはない。

 社畜時代に様々なプロジェクトを立ち上げた私にとって、彼女が納得させることなど赤子の手をひねるようなものだ。

 

 

 嘘を大声で、十分に時間を費やして語れば人はそれを信じるようになる。

 これは以前にも紹介したとある独裁者の名言であり、私という人間を構成するうえでとても為になった言葉だ。

 ちょび髭おじさん、彼がもう少し理性的であったなら世界の在り方も変わっていただろう――――――少々話がそれてしまったか、要するに私は彼女の問いに対して以下のように答えた。

 

 

 

 まずはセレストとの関係性について、以前私は魔術の実験に必要な薬草を手に入れようとギルドを使ってね。

 そのギルドこそがセレストの所属するサラマンダーであり、ギルドから派遣された冒険者こそがセレストだった。

 戦闘能力はあるものの薬草に関する知識が浅い私は、セレストの知識を借りて薬草の採取と調合を行っていたのさ。

 

 

 セレストの仕事はとても丁寧でわかりやすく、私はサラマンダーに依頼を出すときは常に彼女を指名していた。

 そうして何度も依頼していくうちに私達は顔見知りとなり、お互いに個人的な話をするような仲となってね。

 その際にセシルのことやお金に関する相談を受けたのだが、どうにも彼女の於かれている状況は厳しそうだった。

 

 

 彼女の能力を買っていた私は色々と援助を申し出て、定期的にクエストも発注していたが最近は引き受けてくれなくてね。

 あの伝言の意味も見かけなくなった彼女が気がかりだったわけで、私と彼女との関係は要するにそんなものだということだ。

 暇ならまた手伝ってほしいという思惑があったのは否定しないが、忙しいなら忙しいで一言ほしかったというのが本音である。

 

 

 

「ふふふ……あっ、ごめんなさい。

 まさかヨハン君がそんなことを考えていたなんて、なんだか意外というかちょっと面白くて」

 

 

 そこまで説明したところでセシルの表情が若干やわらぎ、口元を押さえたかと思えば小さな声で笑っていた。

 おそらくは私のような人間がそんなことを言うとは思えなくて、ギャップ?と言うか……まあ、あまりにも意外で面白かったそうだ。

 クスッと笑った表情はなんとも年相応で、もはや私への敵意は微塵も感じられなかったよ。

 

 

 

 私の作り話に一喜一憂する姿はとても見応えがあり、暖かい視線を注ぐ姿はなんとも好感のもてるピエロだった。

 こうも簡単に信用されるとは思わなかったが、所詮は人の悪意に鈍感な小娘ということだろう。

 所詮は騙される方が悪いのだと、同情もするし可哀想だとも思うが助けたいとは思わない。

 

 

 

「じゃあお姉ちゃんがいなくなった理由も、今どこにいるのかもわからないよね」

 

 

「申し訳ないが、セレストさんが失踪したというのも初耳だからな。

 なるほど、道理で顔を合わさないと思ったらそういうことだったのか」

 

 

 言葉を選びながらできるだけ親身になれば、彼女は素敵な勘違いと共に底なし沼へと足を踏み入れるだろう。

 順調だ。これ以上ないというほど順調に進んでいる。

 たとえるならばWinWinの関係、私もハッピー彼女もハッピーみんなみんなハッピーである。

 

 

 

「ふむ、では微力ながら御手伝いさせていただこう。

 こう見えても私の懐には余裕があるし、なによりいなくなったのはクラスメイトの姉であり私の友人でもある。

 ギルドを頼るにしても君一人では少々不安だが、よく利用している私ならば彼らも聞いてくれるだろう」

 

 

「えっ! 本当ですか!?」

 

 

 話を聞いているときの彼女はどこか落ち込んでおり、その表情もどこか諦めているようだったけどね。

 だがそれも私が助力を申し出る前までの話、気がつけばお互いの息遣いがわかるほど身を乗り出していた。

 私が困ったように笑うとセシルは慌てて席に戻ったが、我を忘れてしまうほどその言葉が嬉しかったのだろう。

 

 

 彼女の頭からは湯気が立ち上り、恥ずかしさからかうつむいていたよ。

 その大袈裟な反応には苦笑いしかできなかったが、これはこれで最高の反応ともいえる。

 なにからなにまで私の目論見通りに進んでいき、むしろ順調すぎて少し怖いくらいだった。

 

 

 

「君がどう思っているかは知らないが、セレストさんには私も随分と世話になった。

 だから手を貸すこともやぶさかではないが、その見返りとして一つだけ頼みごとを聞いてほしい」

 

 

「お金、ですか?」

 

 

 変な勘違いをしているセシルに盛大なため息を吐き、そんなものに興味はないと言わんばかりに否定する。

 この世界に於ける平均年収こそ知らないが、それでもそこら辺の貴族よりかは裕福であると断言できた。

 私のことをなにも知らない彼女からすれば当然の発想だが、申し訳なさそうに視線を泳がす彼女は見ていて飽きない。

 

 

 

「そろそろ馬鹿にするのはやめてくれないか、いくら温厚な私でも限度というものがある」

 

 

「違います! 違うんです! その、別にヨハン君を馬鹿にしてるわけじゃなくて――――――」

 

 

 利他主義者の思考など単純明快であり、そのコロコロと変わる表情も含めてからかい甲斐があった。

 人の感情とは雲のように掴みどころがないが、こうやって一人の人間に狙いを定めればそれほど難しくもない。

 感情の誘導や思考の操作がこれほど愉快だったとは、きっと目の前にいる女の子は愚直なまでに誠実なのだろう。

 

 

 

「勘違いされるのには慣れているが、まさかそんな風に思われているとはな。

 私のお願いとは君と同じちょっとした質問であり、さして重要でもなければそれほど難しいものでもない」

 

 

 返報性の法則。セレストの捜索を手伝う代わりに必要な情報を引き出す、たとえ全ての黒幕が私であったしても全く問題ない。

 交渉相手である彼女がどう思っているかが重要であり、バレなければ魚の骨だって金に匹敵する価値がある。

 自ら協力を申し出た私は類い稀なる人格者であり、八方ふさがりだった彼女からすれば正に救世主だろう。

 

 

 行方不明の姉を一緒に探してくれる頼もしい仲間、唯一の欠点はその仲間がチャールズ=マンソンに似ていることだ。

 人とは他者から与えられた恩を返したいと思う生き物であり、彼女のような利他主義者は特にその傾向が強い。

 つまり彼女に恩さえ売れれば後はどうでもよく、口先だけの約束と引き換えに欲しい情報を手に入れるのさ。

 

 

 この学園にいるという七人の戦鬼たちについて、後は主人公君とマリウス先生に関して教えてもらおう。

 返報性の法則を利用したモデルケース、なんとも合理的で文明人らしいやり方だ。

 利己主義者である私には全く理解できないが、それでもその博愛精神は御立派である。

 

 

 

「これからの代表戦を有利に進めるためにも、できればどんな教師や生徒がいるのか教えてほしい」

 

 

 そこから先の時間はとても有意義であり、私の質問に対して彼女はなんの疑いもなく答えてくれた。

 ずっと不登校だった私を元気づけるように、馬鹿な小娘が文字通り尻尾を振りながら教えてくれたのさ。

 

 

 

「序列一位はこの学園の生徒会長ニンファ=シュトゥルトさん、その二つ名は絶零の刃だったかな。

 序列二位のヨハン君にとっては一番の強敵だけど、あの人にはシード権があるから試合に出てくるのは決勝トーナメントからだと思う」

 

 

 なるほど、生徒会長様が序列一位なのはなんとも妥当である。

 入学テストでの出来事を未だに怒っており、あの方ほど怖い女性を私は見たことがなかった。

 マリウス先生に関しては授業が違うこともあって、セシルもそこまで詳しくは知らないそうだ。

 

 

 ただ、生徒会長様とマリウス先生は古くからの付き合いだそうで、二人が一緒にいるところをよく目撃するそうでね。

 その間柄まではわからないが、少なくとも色恋沙汰といったものではないらしい。

 

 

 

「他にも灼眼の魔女ことターニャ=ジークハイデン、序列三位の戦姫である彼女も要注意でしょうね。

 強力な炎を操る魔法剣士にしてこの国の御姫様、ターニャさんは多彩な魔法で攻撃してくるからとっても厄介なの」

 

 

「そういえば彼女と仲の良い生徒がいたな――――――確か……そう、アルフォンス?だったか」

 

 

「アルフォンス=ラインハルト、彼はターニャさんの幼馴染だったと思う。

 彼自身は貴族でもなんでもないけど、彼のお姉さんがとあるギルドの有名な冒険者らしいわ」

 

 

 ほう、つまりはその有名人とやらが二人を繋げたわけか。

 主人公君と御姫様を引き合わせた張本人、大方そのお姉さんとやらを雇った際に知り合ったのだろう。

 どういう経緯で二人を引き合わせたのかは知らないが、その結果としてあのよう関係が生まれてしまった。

 

 

 

「本人は腐れ縁だって言っていたけどね――――――それと、ターニャさん曰く彼は召喚士の家系らしいの。

 みんな彼の剣技が物凄いから勘違いしてるけど、本当は召喚獣を呼んで二人で戦うんですって。

 ただ誰もその召喚獣を見たことがないらしくて……ほら、彼って一人でも十分強いでしょ?」

 

 

 セシルが本当のことを言っており尚且つそれが事実であったなら、あのときの敗北もただの偶然ではないのかもしれない。

 日本刀が折れてしまった理由とその原因、召喚士という意味深な言葉に私は反応していた。

 もしかしたらあの男は私の想像よりも遥かに器用(クレバー)であり、あのときの模擬戦でもなにかやっていた可能性がある。

 

 

 セシルが教えてくれた情報は思った以上のものであり、その中でも主人公君と御姫様に関する内容はとても参考になった。

 彼女曰く御姫様に勝てるだろう生徒は三人しかいないそうで、私を除けば生徒会長様と主人公君が残りの二人だそうだ。

 だがそれほどの実力者である彼がなぜ戦鬼ではないのか、セシルも私と同じような疑問を抱いて直接聞いたらしい。

 

 

 しかし彼の反応はあまり芳しくなく、その話になると本人が嫌がったので聞かなかったそうだ。

 生徒会長様が得意とする魔法は絶対零度(アブソリュートゼロ)と呼ばれており、文字通りどんなもので凍らせてしまうらしい。

 あの御方とはできれば戦いたくないが、トーナメントの組み合わせによっては序盤であたる可能性も否定できない。

 

 

 そもそも御姫様をどうやって決勝戦まで連れてくるか、彼女の対戦相手を闇討ちするのはさすがに効率が悪い。

 幸いにも序列三位の実力は伊達ではないらしく、今のところ順調に勝ち進んでおり本選出場は確実だそうだ。

 なんとも複雑な気持ちではあるが、取りあえず彼女の試合を見ながら様子を窺うとしよう。

 

 

 

「それで……その、お姉ちゃんのことなんだけど――――――」

 

 

「ん? ああ、どこまでできるかはわからないがそれでも失望はさせない。

 まずは馴染みの冒険者に事情を話して、それからサラマンダーを通して情報を集めるとしよう」

 

 

 そう言って微笑みながら右手を差し出せば、前回とは打って変わって柔らかい感触が伝わってくる。

 全ての下準備が整いピエロは壇上に上がった。嘘で塗り固められたガラス球を、まるで宝石のように扱う姿が実に面白かったよ。

 幸せとは人それぞれであり千差万別、一人として同じ人間がいないように幸せの在り方とて同じではない。

 

 

 一人が幸せになるには十人の犠牲が必要であり、十人であれば百人の、百人であれば千人以上の犠牲が求められる。

 世界とはそうやって回り続ける回転翼機のようなもの、ではセシルが幸せになるためにはどうすればいいのか。

 ふむ、私は彼女の手を握りながら極めて悪辣に笑っていた。

 

 セシル=クロードの信頼を勝ち取れ――――――突拍子のない言葉に初めは困惑もしたが、今となってはこれほど面白くて楽しみな催しものもなかった。



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現実主義者と第二回戦

 諸君は一流と二流の違いを知っているだろうか。

 一流とは言われたことを守り成果をあげ続ける人間、二流とは言われたことも守れず成果もあげられない人間。

 基本的に一流とは後天性ではなく先天性、大事なのはその人物を取り巻く環境と血筋である。

 

 

 人類皆平等。なんとも素敵な言葉ではあるが、そんな彼らに私は一つだけ言っておきたい。

 不平等であることが平等であり、君たちは優生学も知らない哀れな肉袋だとね。

 人権団体やNPO法人、綺麗ごとを宣う連中にフランシス=ゴルトンを紹介してあげよう。

 

 

 彼の著書【遺伝的天才】を着払いで送り付けた時、くだらない偽善者どもがどんな顔をするのか見てみたい。

 人類皆不平等。競争原理に於ける敗者とは搾取されるものであり、それが嫌なら赤旗を掲げる国に亡命するしかない。

 金持ちの子は金持ちに、政治家の子は政治家に、搾取される側の人間がいくら喚いても世襲制度はなくならない。

 

 

 仮にそんな世界が嫌だと言うなら、もはや残された道はただ一つである――――――自分を殺すと書いて自殺。

 とても簡単でありなによりも難しい方法、もしかしたら私のように違う世界へと転生できるかもしれない……まあ、あまりお勧めはしないがね。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 憂鬱だ。これ以上ないというほど憂鬱である。

 先日とは比べものにならないほどの大観衆、鬱陶しい雑音に包まれながらその足取りは重かった。

 見渡す限りの馬鹿と阿呆、これからやることも含めてとてつもなく憂鬱だ。

 

 

 

 学園代表戦第二回戦。激しい喧騒に包まれながら愚痴を溢し、そのくだらない舞台に立った私は悩んでいた。

 この状況下でなにを考慮してどれを優先すべきか、言うなればリスクとリターンの兼ね合いである。

 目下、最も優先すべき事柄は与えられた仕事(ノルマ)に他ならない。

 

 

 敬愛する上司の御言葉は最優先事項であり、それはどれだけリスキーな行いであっても覆ることはない。

 前回の戦いに於いて私は対戦相手を殺そうとする行為、及びその意図や拷問の類を禁止されてしまった。

 要するにほどほどの力でほどほどに勝てと、そうマリウス先生は言いたいのだろうが私としては困りものである。

 

 

 圧倒的な力を見せつけて優勝しろ――――――これは私に与えられた第一のノルマであり、なによりも優先しなければならない事柄だ。

 対戦相手を殺さず五体満足のまま殲滅しろなんて、なんとも無茶苦茶と言うかあまりにも無理難題である。

 片方を立てればもう片方には棘が立ち、その前提条件からして両立することは不可能だろう。

 

 

 そうとなれば優先すべきは本来の目的であり、マリウス先生との約束はどちらかと言えば努力義務に近い。

 この点に於いて唯一の救いはリング上に彼がいなかったこと、あの先生さえいなければ後はどうとでもなる。

 リングを囲むように学園の職員が立っていたが大した問題ではないし、むしろこの状況は私にとって好都合とも言える。

 

 

 リングの四方に配置された四人の職員、これだけいれば私の思惑通りに動いてくれるだろう。

 学生同士の試合にしては少々やりすぎだが、それでも私の対戦相手にとっては幸運だ。

 遅れてやってきた対戦相手の女性はどこか緊張しており、視線を向ければ肩を震わせていたがそれも最初だけだった。

 

 

 

 対戦相手である女性は開始の合図とともに防御壁を展開し、私は日本刀を握り絞めながら思わず感心したよ。

 前回戦ったオランウータンとは違ったタイプの人間、その意図は理解できるしなにより好感も持てる。

 少々心もとないがそれ自体は良い選択であり、なにより展開するまでの間になんの躊躇もなかった。

 

 

 事前に決めていたのだろうがその決断力は称賛できるし、速さで劣るからこそ防御力を上げるのは理に適っている。

 ただ……ね。なんと言うか、その戦法自体にはこれといって珍しいものでもない。

 この手の魔法は闘技場で何度も目にしており、学の浅い私でもその性質くらいは知っていた。

 

 

 魔術壁の強度は注がれた魔力量に比例し、透明であればあるほど薄くその逆は固くなる。

 とても大雑把でいい加減ではあるが、そもそも魔術壁自体がそれほど強力な魔法ではない。

 ではそれも踏まえたうえで彼女のそれはどうか……ふむ、悪くはないがそこまで警戒する必要はないだろう。

 

 

 そんなことよりも個人的には彼女の動きに関して、私の反応を窺いながら常に対応してくる姿には驚かされた。

 おそらくはこの日に備えて練習でもしていたのだろうが、彼女に余計な入れ知恵をした人物がいるはずだ。

 

 

 

「残念ながら私はフェミニストではないので、少々痛いとは思うが少しだけ付き合ってもらおう」

 

 

 あんな魔術壁やろうと思えば一撃で破壊できるが、それをしてしまうと彼女が降参してしまうかもしれない。

 私にとって彼女が降参することはとてもマイナスであり、その時が来るまで試合を終わらせるわけにもいかなかった。

 

 

 時間を稼ぐために私は魔術壁をゆっくりと破壊していく、傍から見れば彼女を嬲っているようにも見えるだろう。

 だが当の本人は全くの無傷であり、時折飛んでくる氷や炎が彼女の無事を教えてくれた。

 今まで私の動きを捉えられたのはただ一人、あの不思議な職員だけだというのになんとも愚かである。

 

 

 魔術壁をガリガリと削られながら苦悶の表情を浮かべ、必死に魔力を注ぎながら反撃してくる姿はとても健気だった。

 突破されたら後がないとわかっているからこそ必死に修復する彼女と、それを戯れに削り取る私はさながらペットと飼い主のようだ。

 彼女はゲージの中を必死に走り回るハムスターであり、私はそのゲージを見つめながら微笑む人間である

 

 

 頑張る彼女を評価してひまわりの種でもあげようか、誰の目にも勝敗は明らかだがそれでも試合は終わらない。

 私に勝てるのではないかという期待を持たせるため、わざと消耗しているように見せかける。

 希望という名の感情こそが正常な判断を鈍らせる原因、絶望の入り口であることを私は知っていた。

 

 

 

「こんなところで終わるのは嫌、後一歩……もう少しでこの人に勝てるかもしれない」

 

 

 希望と絶望は正に表裏一体であり、私という崖を彼女は脚立だけで登ろうとしている。

 果てしなく遠い道のりを一生懸命頑張る姿は正に青春であり、魔力を限界まで酷使して立ち向かってくる姿はとても健気だ。

 戦いも終盤に差し掛かると魔術壁の修復は二の次、彼女はほとんどの魔力を私への攻撃に使っていたよ。

 

 

 全てを破壊されてからようやく気づいたのか、慌てて新しいそれを張ったがもはやなんの意味もない。

 再び展開された魔術壁は規模も強度も御粗末なもの、敗北を悟った彼女は降参しようとしていたけどね。

 だけどそれを認めるわけにもいかないので、少々可哀想ではあるがその喉を潰させてもらった。

 

 

 

「そういえばなにか言っていたけど、君は……誰に勝てるかもしれないって?」

 

 

 喉を潰されたことによって吐血はしていたが、この程度の傷ならば死ぬこともないだろう。

 声が出ないことに焦ったのか、彼女は残る全ての魔力を魔術壁に注いでいた――――――ふむ、しかしそんなもので私が止まるはずもなく、彼女には悪いが私は日本刀を大きく振りかぶった。

 

 

 今のところ代表戦のルールに抵触する部分はなく、マリウス先生から言い渡された内容も守っている。

 彼女は魔術壁を展開し降参もしていないので、これを無能力者と断ずるのはあまりにもおかしい。

 たとえその喉が潰れていたとしてもそれは一時的なものであり、彼女自身は諦めていないと判断すべきだ。

 

 

 魔力消費が激しいことを除けば至って健康的な体、私としてもこれ以上攻撃するつもりはない。

 そもそも私の目的は彼女という対戦相手ではなく、あくまでもこの試合を見張っている職員にあった。

 要するに今の私達は周りからどう映っているか、そこが一番重要であり大きな問題である。

 

 

 刀の切っ先は魔術壁へと向けられているが、それは実際に戦っているからこそわかる事実だ。

 全ては演技であり演出、馬鹿な職員を誘き出すための言うなれば下ごしらえである。

 対戦相手の殺害が駄目なら標的を変えてみよう。そうすれば……ほら、この場には彼女の他に四人もの人間がいるじゃないか。

 

 

 視点を変えてみれば自ずと見えてくる抜け道、代表戦のルールやマリウス先生の言葉に職員の保護は含まれていない。

 つまり不幸な事故によって四肢が損壊しようとも関係はなく、勢い余って殺してしまっても問題はない。

 なぜなら再三に亘って注意された内容は対戦相手の保護であり、言うなれば生徒を守るための生徒を対象としたルールである。

 

 

 職員に対する保護や制限は設けられていないし、なによりそれが故意ではなく過失ならば言い訳も通る。

 今後の学園生活も考えてさすがに殺すつもりはなかったが、それでもある程度の流血は覚悟してもらおう。

 突然割り込んできた職員に驚いた私は手元が狂い、致命傷は避けたものの重傷を負わせてしまった。

 

 

 なんとも痛ましい不幸な事故、これだけの条件が揃っていれば誰も私を疑わない。

 予期せぬ事態に対応できなかった職員の過ち、自業自得ともいえるがこれからは気をつけてもらおう。

 

 

 

「待て! それ以上の攻撃は――――――」

 

 

 そして案の定リングに飛び込んできた哀れな職員に、私はなんの躊躇もなく日本刀を振り下ろした。

 まがりなりにも教職を名乗っているので、さすがにこの程度の攻撃では死なないだろう。

 一瞬にして展開された魔術壁を見ながら舌打ちし、私は弾かれてしまう可能性も考えて少しだけ力を入れる。

 

 

 全てが終わった今だからこそ言えるが、このときの私は大きな勘違いをしていた。

 それはマリウス先生を基準に考えていたこと、つまり目の前の職員を過大評価してしまったのだ。

 さすがにあの男よりは劣るだろうが、それでも相当の実力者だと考えて行動した。

 

 

 

「おや……これは、なんというか本当に申し訳ない」

 

 

 まさかこんなにも脆弱だったとは、拍子抜けと言うよりは落胆に近かった。

 私の一振りは魔術壁を貫通して左肩から脇腹までを一閃し、そのせいで職員の左腕が宙を舞ったのさ。

 私達を中心に大きな血だまりが出来上がり、職員が全く動かないので少々焦ってしまった。

 

 

 頭からペンキを被ったかのように赤く染まった身体、殺してしまったのではないかと思わず苦笑いだ。

 取りあえず千切れた腕を拾い上げて返却したのだが、それに対する動きもなければ返事もなくてね。

 気がつけばあれほどうるさかった観客席が静まり返り、女性には衝撃的だったのか対戦相手の彼女は気絶していたよ。

 

 

 

 

「取りあえず君の腕はここに置いておくから、もしも手術するつもりなら急いだ方が良い。

 全く、死ぬなら死ぬでもっとマシな死に方を選びたまえ」

 

 

 広がり続ける血だまりにため息を吐くと、遅れてやってきた三人の職員に囲まれてしまった。

 持っていた日本刀を投げ捨てたのだが、それでも私を見る彼らの瞳は鋭くてね。

 駆けつけた医療班に搬送されていく職員と女生徒、これからのことを考えるととても憂鬱だった。

 

 

 不幸な事故として押し通すつもりではあるが、それを信じてもらえるかどうかは別問題だ。

 さすがに職員を殺したともなれば分が悪いし、なにより今後の学園生活にも支障をきたすだろう。

 しかし一介の生徒にあんな深手を負わされるとは、この学園の職員は少しばかり情けないのではないか。

 

 

 たった一撃、しかも予想された一振りである。

 私としては彼が本当に教職を全うできたのか、その辺りを是非とも聞かせていただきたい。

 

 

 

「ヨハン君早くこっちへ、取りあえず控室の中で待っていてくれ」

 

 

 応援に来た職員に連れられてその場を後にする私、こうして記念すべき二回戦目は幕を閉じた。

 なんとも微妙な終わり方、穏便に済んでくれればいいがこればかりは確証が持てない。

 こうして私はあの出しゃばりな職員に悪態を吐きながら、ほぼ軟禁に近い形で控室の中に閉じこめられたのである。



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現実主義者と許されざる取引

「貴方は自分がなにをしたのか理解していますか、こんなことは長い歴史の中でも前代未聞です」

 

 

 その言葉と共に入口のドアがゆっくりと開き、暇を持て余していた私のもとへ意外な人物が現れる。

 これだけのことをしたのだから学園長自らやってくると思ったが、ふたを開けてみれば学園の生徒が一人だけでね。

 知らない人間が来るよりマシだが、それでも彼女と向かい合った瞬間顔が引き攣ってしまう。

 

 

 まさか数多の職員を押しのけて生徒会長様が現れるとは、これだけでも彼女の地位がどれほどのものか容易に想像できる。

 よもや生徒会長という地位がこれほど高かったなんて、できることならあの日に戻って無知な自分に忠告したい。

 生徒会長様が来る前にあの男を八つ裂きにしろ――――――これはあの阿呆を殺さなかった私の失態であり、今更弁明したところでこの状況は変わらない。

 

 

 

「確かに前代未聞の大惨事、私としてもあの職員のことを考えただけで胸が張り裂けそうです」

 

 

 この場を切り抜けるためにはどうしたらいいか、私の持っているカードはあまりにも脆弱だ。

 もしも代表戦への出場資格を剥奪でもされたら、その時点で私の出世街道は閉ざされてしまう。

 私への風当たりはより一層厳しくなり、教皇様は失望するだろうしプライドも黙ってはいない。

 

 

 商業主義(コマーシャリズム)に於ける最優先事項は金銭的利益であり、会社に貢献できない人間は自然と淘汰される。

 ドーベルマンに求められるのは強さと忠誠心、そしてチワワに求められるのは我慢と愛嬌である。

 競争社会に敗れた負け犬共の末路は後者であり、ただ愛嬌を振りまくことしか能のない犬は簡単に処分される。

 

 

 

「胸が張り裂けそう? よくも……まあ、そんな他人行儀なことが言えますね。

 貴方の言葉は病的なまでに薄っぺらく、そしてあまりにも軽すぎる」

 

 

 だからこそ失敗だけは許されない。従うべきは教皇様の御言葉であり、守るべきは私の矜持と立場である。

 私はライトノベルに出てくるような主人公ではないし、正義を胸に仲間と共に悪を滅ぼす英雄などでもない。

 ただのサラリーマンでしかない私の手足はあまりにも短く、おそらくはこの世界にいる誰よりもちっぽけだ。

 

 

 見渡す限りの理不尽と溢れかえる非常識、旧時代の遺物が蔓延り時代遅れの秩序が幅を利かせている。

 私がいた世界の常識などここでは通用しないが、それでもやりようによっては楽しめるかもしれない。

 この世界の全てが私にとっては新鮮であり、おかげさまで動物園には行きたくなくなったからね。

 

 

 

「確かに軽率な発言だったかもしれませんが、それでも私にだって他者を思いやる気持ちはあります。

 先程の事故は本当に不運でしたが――――――」

 

 

「事故? あれが偶発的なものだと言うつもりですか?……そんな言葉で納得すると思ったら大間違いですし、本当にそう思っていたなら私は貴方のことを買い被っていました。

 貴方の言い分には多くの矛盾と欠点があり、ハッキリ言ってその言葉を鵜呑みにするわけにはいきません」

 

 

 なんとも素晴らしい御方ではないか、生徒会長様の言葉に思わず目を細めてしまった。

 まさか生徒会長様がこんなにも知的だったなんて、感情論を持ち出さなかっただけでも評価できるのに――――――矛盾? 欠点? その言われようは少々不愉快だったが、それでも彼女がどんな風に謳ってくれるのか興味が湧いてね。

 

 

 

「まず貴方ほどの実力者があんな生徒に手こずっていたこと、戦姫でもない学生が貴方と対等に戦えるはずがありません。

 前回の戦いでは序列七位の戦鬼を瞬殺したにもかかわらず、今回はその倍以上の時間をかけても倒せなかった」

 

 

 生徒会長様曰く、序列七位の戦鬼を瞬殺した私が二つ名も持たない学生に手こずるのはおかしい。

 どうやら初戦で戦った哀れなオランウータンは生徒会の一員らしく、医務室にいる彼から私のことを色々と聞いたらしい。

 彼がどんなことを喋ったのかは知らないが、少なくとも私が喜びそうな内容ではないだろう。

 

 

 オランウータン君の意見を踏まえたうえで、先程の試合を見ていた生徒会長様は不思議に思ったそうだ。

 私の戦い方にはあまりにも無駄が多く、試合を終わらせる機会はいくらでもあったのにその尽くを静観していた。

 そして職員が斬りつけられた瞬間とそれまでの動き、あの瞬間だけ私の動きが格段に上がっていたという。

 

 

 初めは私の動きを目で追いかけることもできたが、職員が斬られた際の僅かな間だけなにも見えなかった。

 つまりこの三点を踏まえたうえで私を黒だと断じ、こんななにもない部屋に私を閉じ込めたのである。

 なんともまあ……生徒会長様を馬鹿にするわけではないが、彼女の言葉に少しだけがっかりする自分がいた。

 

 

 

「なにを仰るかと思えば、それは生徒会長様の個人的な感想にすぎません。

 百人いれば百人分の主観と価値観があり、残念ながら全く同じ人間というのは存在しないのです――――――誠に言いづらいのですが、そんなくだらない理由で私をこんなところに閉じ込めたのでしょうか」

 

 

 彼女が語ったロジックは文字通りの屁理屈であり、それこそ偏見という名の感想文と大差なかった。

 私の言葉に震えていたのは憤慨しているからだろうか、やはり生徒会長様といえどもまだまだ子供である。

 舌戦に関しては年の功だけ私が有利ということか、さすがに生徒会長様ともあろう御方が脅えたりはしないだろう。

 

 

 彼女の怒りを抑えるためにもできるだけ穏便に、それでいてオブラートに包んで主張しよう。

 数ヶ月前に私が演じた失態を未だに怨んでいるような御方、ここで選択肢を誤ればゲシュタポ並みの迫害を受けそうだ。

 一流の社畜とはこの程度では動じない。理不尽な上司に激怒されて過剰なノルマを課せられるより、何兆倍……いや、何京倍も気楽なのである。

 

 

 

 さて、生徒会長様の御言葉に私は用意していた言葉で対処した。

 彼女の使う術式が見慣れないものだったので迂闊に動けず、そしてそれを破壊するまでは攻撃に転ずることができなかった。

 つまり端から彼女自身を狙ったのではなく、魔術壁そのものを破壊するために行動していたと伝えたよ。

 

 

 そして魔術壁がそれほど危険なものではないと判断し、新たに展開されたそれを一撃で破壊しようとしたとき……そう、あの哀れな職員が飛び込んできたのである。

 これを不幸な事故と呼ばずしてなんと言えばいいのか、そもそも教える側の職員が生徒にやられるなんてなんとも情けない。

 予想された事故でありいくらでも防げたはずのもの、事実あの職員は己の身を守るために魔術壁を展開していた。

 

 

 私としては彼の能力を疑うべきではないかと彼女に具申したが、当の本人は両手で肩を抱きながら震えていてね。

 そのプライドを傷つけないよう細心の注意を払ったつもりだが、もしかしたら体調がすぐれないのだろうか。

 確かにこの部屋は少々冷えているし、私としたことがそこまで気が回らずなんとも悪いことをしてしまった。

 

 

 

「なにが……望みですか」

 

 

 そうしてやっと口を開いたかと思えば、掠れるような声で睨みつけてきてね。

 どういう意味だろうか、あまりにも予想外だったために思わず呆けてしまった。

 

 

「おそらく私たちがいくら言い聞かせても貴方は止まらない。

 たとえ職員に対する攻撃を禁止したとしても対策としては不十分、次の試合でも平然と誰かを傷つけるでしょう」

 

 

 彼女の表情を見る限りそれが冗談の類でないことはわかったが、ここでその言葉を口にする意味が分からない。

 話の流れから察するに悪い状況でもなさそうだが、生徒会長様がなにを考えているのかがわからなかった。

 

 

 

「ですから取引をしませんか、私と貴方でお互いに相手が望むものを出し合うのです」

 

 

「ほう……取引ですか」

 

 

 要するに私を引き抜こうとしているのだろうか、人魔教団を裏切り生徒会長様の下に就くよう働きかけている。

 なるほど、なんとも嬉しい限りだがさすがにあの御方は裏切れない。

 敬愛する上司と相談に乗ってくれる仲の良い同僚、少しばかり血生臭くはあるがそれでも辞める気はなかった。

 

 

 人魔教団は居心地がいい。私達の活動によってたくさんの人間が苦しむだろうが、資本主義に於ける弱者とはそんなものだ。

 全ての事象に対する労力と報酬、その釣り合いがこんなにも取れているホワイト企業。

 無能な上司に怒鳴られることもなく、過密なスケジュールにより精神をやられる心配もない。

 

 

 

「私があなたに求めるものは二つ。

 一つ目は以降の代表戦に於いて流血沙汰は避けること、そして二つ目は数か月後に行われる四城戦で我が校を優勝へと導くこと――――――これを約束してくれるなら貴方の言うことをなんでも聞きましょう」

 

 

 ちっ、私としたことがどうやら勘違いしていたらしい。

 しがないサラリーマンの恥ずかしい妄想、できることなら自己陶酔に浸っていた自分を罵倒してやりたい。

 無意識のうちに出たため息はとても深く、私を見つめる生徒会長様の視線が痛々しく感じた。

 

 

 

「望み……ですか、確かにこんな私にもちょっとした望みはあります」

 

 

 取りあえず状況を整理するとして、生徒会長様から持ち掛けられたこの取引はとても魅力的だ。

 全ての厄介事を解決する絶好の機会、これは私にとっても悪い話ではない。

 

 生徒会長様が提示した一つ目の望みに関しては、既にある程度の成果を上げており私の力も知られている。

 この部分に関してはそれほど考慮する必要はないし、彼女がそれを望むというならできるだけ努力はしよう。

 

 

 二つ目に関しても問題はない。生徒会長様の説明では四城戦なる大会が行われるらしく、四大高と呼ばれる学校から選出された生徒たち――――――言うなれば代表選手がこの王都に集まるそうだ。

 三年に一度の大きなイベント、王城で開催されるそれはこの国の重鎮だけでなく隣国からゲストも招くそうでね。

 チンパンジー共が喜びそうな行事、そんなことに金を使うならもっとライフラインを整備してほしい。

 

 

 

 生活水準の引き上げと各種サービスの充実、やるべきことは山積みなのにそれを後回しにしている無能共。

 きっとこの国の政治家は人間の形をしたなにかで、毎日バナナを食べながらマスターベーションでもしているのだろう。

 個人的にはそんなチンパンジー共の見世物になるのは嫌だが、そうすることで仕事が捗るなら我慢もしよう。

 

 

 今開催されている代表戦とは言うなれば四城戦の前座、学園の代表選手を決めるためのテストだそうだ。

 代表戦に於ける上位四名が一つのチームを組んで大会に出場し、よくわからない名誉や誇りを賭けて殺し合いごっこをする。

 要するに生徒会長様は私を使って優勝することで、この名前もハッキリと覚えていない学園の評価を上げたいのだろう。

 

 

 私に与えられていた仕事は代表戦で優勝することなので、端からその四城戦とやらに参加することは決まっていたわけか。

 正式な命令は教皇様から受けていないが、この場合はそう考えるのが妥当だろう。

 つまり生徒会長様の申し出は私としても都合がよく、その全てに於いて私の仕事を邪魔するようなものではない。

 

 

 

「わかりました。まだまだ若輩者ですが、生徒会長様の提案を受け入れましょう」

 

 

 ここで彼女の申し出を断る理由などどこにもないし、仮に仮に新しい仕事と取引内容がバッティングしても前者を優先させよう。

 彼女は彼女の目的を果たすために私を利用して、私も与えられた仕事と上司の期待に応えるために彼女を利用する。

 なんとも理想的な相互関係、この学園に於ける実力者と手を組めるなんて最高の取引だ。

 

 

 

「私の望みは生徒会長様と同じく二つ、一つ目は私の出席日数や成績に関係なく卒業まで進級させること。

 自分よりも劣る者から教えを乞うだなんて、そんな馬鹿らしいことに時間を使いたくありません。

 そしてもう一つの望みはとても個人的なもの、生徒会長様ならば私の言いたいこともすぐにわかるでしょう」

 

 

 

 ターニャ=ジークハイデンを決勝の舞台で叩きのめせ。どうやって御姫様を決勝戦まで連れてくるのか、それが私に与えられた仕事の中でも一番の問題だった――――――だがそんな無理難題も彼女が叶えてくれる。

 これで全ては上手くいく、私は生徒会長様にしか叶えられないだろう二つ目の望みを伝えた。

 

 

 

「生徒会長様には協力していただきます。代表戦に於いて一部の生徒に対する圧力と便宜、八百長と呼ばれるちょっとした権利の濫用。……要するに談合のようなものですよ」



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現実主義者と儚い想い

 最近の私はとあるクラスメイトとお昼を共にしている。学生同士の交流を促そうと学園側が作ったテラス、その一角で私達は決められた時間決められたテーブルに座る。

 私は自分で作ったご飯を食べながら、彼は難しい本を読みながら一緒にお昼を過ごす。

 

 

 彼の分もご飯を作ってこようと思ったけど、私に悪いからと彼に断られてしまった。

 別に貴方のためじゃないし!――――――なんて、そんな風に怒っていた自分が恥ずかしい。

 彼はとても不思議な人だった。初対面のときから……ううん、今だってよくわからないし怖いと思うことだってある。

 

 

 だけど、その……なんて言うか、こうして本を読んでいる姿はちょっとだけカッコよかったりする。

 灰色の死神という二つ名を与えられた序列二位、学年首席でもある彼は一部の生徒から恐れられていた。

 その理由を私もそれとなく調べてみたけど、どうやら彼の戦い方に問題があるそうだ。

 

 

 代表戦に於ける予選、最初の戦いで彼は同じく序列七位の二年生を一瞬で倒した――――――までは良いんだけど、その際に彼は先輩の左手を切り落としたらしい。

 そして二回戦目ではあろうことか学園の職員を斬りつけた。多くの人が彼の行動を疑っていたけど、あれは本当に不幸な事故としか言いようがないと思う。

 

 

 彼はそんな風に誰かを傷つけるタイプじゃないし、どちらかといえば物静かな人間だもん。

 こうして一緒にいる私だからこそわかるけど、他の人たちがそんな風に勘違いしてしまうのもしょうがないと思う。

 私だって初対面のときは勘違いしちゃって、そのせいでヨハン君にはいっぱい迷惑をかけてしまった。

 

 

 

 ごめんなさい――――――なんて、そんな言葉じゃ足りないくらいのことをしてしまった。

 あのときのことは私としても忘れたい……でも、時折彼がその話を持ち出して私のことをからかったりするの。

 

 

 

「まずはおめでとう、ベストエイトということは後一勝すれば四城戦への権利(キップ)が手に入る。

 君のことをただのシスコンだと思っていたが、どうやら私の勘違いだったようだ」

 

 

 そう言って私の反応を見ながら楽しむ姿がどこか子供っぽくて、死神というよりは小悪魔に近いと思う。

 名前で呼んでほしいのに彼は私のことをシスコン……って、よくそう呼んでくるからとっても嫌だった。

 だからどうして人が嫌がることを平気でするのか、それをやめてほしくて問い詰めたことがあったの。

 

 

 

「いいじゃないか、シスコンというのはなにも差別用語ではない。

 君のそれは素晴らしい家族愛にして褒められるべき個性、私はそんな君に敬意を払っているだけだよ」

 

 

 褒められているのか貶されているのか、あの日からほぼ毎日一緒にいるけどそれでもよくわからない。

 ヨハン=ヴァイスには近づくな。誰が言い出したのかはわからないけど、それが学園内での共通認識となっていた。

 

 

 化物。異常者。幼女趣味。

 こうして一緒な時間を過ごしているからこそ、私は彼が誤解されやすい体質だと知っている。

 とっても強いのになんだか近寄りがたい雰囲気、生徒会の人も彼に対する質問は答えたがらない。

 

 

 彼の読む本は決まってこの国の歴史や政治に関するもので、それを読んでいるときの彼はいつも憤慨していたの。

 よくわからない単語を口走ったかと思えば頭を抱えて、その動きがなんだか面白くて私はよく彼のことを観察していた。

 この人はとっても頭が良いんだなー……って、私の視線に気づくと彼はちょっとだけ不機嫌になる。

 

 

 なんて言うか――――――私のような凡人には彼の考えていることがよくわからなくて、だからこそ彼という人間に恐怖を感じてしまう。

 理解できないから彼を怖いと感じて、怖いと感じるからこそ理解しようとしない。

 変な噂に探されていた私がいうのも変だけど、きっとこの学園にいるほとんどの人がそんな風に思ってる。

 

 

 

「誤解されるのには慣れているし、そもそも噂なんていうものを気にしていたらなにもできない」

 

 

 こうして同じ時間・同じ空間にいるからこそ気づけたけど、彼には他の人たちとは違うなにかがあるんだと思う。

 個人的に一番嬉しかったのは獣人に対する偏見がなかったこと、彼は獣人としての私ではなく一人の人間として扱ってくれる。

 一応クラスメイトや他の生徒たちと話す機会はあるけど、やっぱり壁というか……ちょっとした隔たりを感じてしまうことが多かった。

 

 

 きっと初めて見る尻尾付きにどう接したらいいか、それがわからなくて戸惑っていたんだと思う。

 最近はヨハン君との関係とか、どんな会話をしているのか色んな人から聞かれていた。

 だから……その、なんて言うかちょっとだけ嫉妬しちゃう。

 

 

 こんなのは言い訳にしかならないけど、たぶん寂しかったんだと思う。

 挨拶したり物を貸し合ったりする人はいるのに、お昼休みを一緒に過ごすような――――――そんな人が誰もいなかったから……だからこのテラスでお昼を過ごすのが入学してからの日課だった。

 

 

 

「ふむ、御一緒させてもらおうか」

 

 

「えっ?」

 

 

 ある日、いつも通りテラスにいた私にヨハン君が声をかけてきた。

 私の返事も聞かずに向かい合わせに座るとそのまま読書を始めて、ページをめくる小さな音だけがこの空間を支配する。

 

 

 

「申し訳ないが、お姉さんの居場所はまだ掴めそうにない。

 だが……いずれ必ず会わせてやるから、君は安心して彼女の帰りを待っていたまえ」

 

 

 その言葉は本当に突然だった。驚く私を尻目に彼は何事もなかったように読書を続けて、気がつけば涙が溢れていたの。

 嬉しかった、本当に……なんて言うかとっても嬉しかったの。

 

 

 入学テストでのことを私は一生忘れないと思う。だってあのときの彼は本当に怖かったから、そのせいで変な噂に流されて彼という人間をそのフィルター越しに見ていた。

 でもそれは違った……いや、違ったというか違ってほしいと思ったの。

 なにか私の知らない事情があったんじゃないか、ちょっとした偏見に悩んでいた私がいつの間にか彼らと同じことをしていた。

 

 

 

「うん!」

 

 

 本当に最低な女、笑っちゃうくらいに自分が情けなかった。

 こうして私は彼に対する偏見や噂話を信じないことに決めたの。……なんて言うか、その日のお弁当はちょっとだけしょっぱかったと思う。

 

 

 

「ねぇ、私聞いたんだからね!

 ヨハン君初戦で対戦相手の先輩に大怪我させたって、なんでそんなことしたのよ!」

 

 

 それからこの不思議な人とのお昼休みが私の日課となった。普段はなにも喋らず本ばかり読んでいる彼も私の言葉には反応してくれて、時折私の方から彼を注意するなんて珍しい光景もあってね。

 そのたびに彼は妙な屁理屈ばかり並べて、私に謝ったかと思えば数秒後にはその私を馬鹿にするの。

 

 

 なんだかよくわからないけど居心地が良くて、そんなくだらないけど楽しい毎日を送ってた。

 相変わらず彼に関する噂は酷かったけど、本人が気にしていないのだから私もそうすることにしたの。

 一応彼の事を聞きに来る生徒やクラスメイトには本当のことを言ったけど、だけど私が話すヨハン君よりも噂で語られる彼の方がわかりやすかったみたい。

 

 

 

「ほら、ヨハン君は無表情だから誤解されがちなの!

 もっと笑って、ほら! もう一度……ニーって!」

 

 

 その日、私はテラスで待っていた彼に現状を説明してね。

 いつもはポーカーフェイスな彼が困ったように笑う姿を見て、いつの間にか私はこの状況を楽しんでいたの。

 

 

 私だけが彼の笑った顔を知っている。恥ずかしそうに笑った顔がとっても可愛らしいことを……それが少しだけ嬉しかったり嬉しくなかったり、自分でもこの感情がなんなのかよくわからなかった。

 いつもは無表情なくせに笑うと可愛らしくて、怒りっぽいくせに実は優しい人で、気がつけばお昼休みの時間を楽しみにしている自分がいたの。

 

 

 

「早くそこに座って……じゃあ、どうしてあんなことになったのか私に教えてください」

 

 

「あんなこと? ああ、この間の代表戦を言っているのか。

 教えるもなにも知っての通りただの事故、こうして君と会っていることがなによりの証拠だ」

 

 

 職員が怪我を負った試合、あのときのことを私が聞くと彼は盛大なため息を吐いた。

 きっと彼自身その手の質問にうんざりしてたんだと思う。だけど彼は私の質問に嫌々ながらも答えてくれて、彼の口からその言葉が聞けてちょっとだけ安心してた。

 

 

 

「うん……わかった。私は信じるよ!」

 

 

 ヨハン君がそう言うなら私は信じてあげよう――――――って、話を聞く前から私はそう決めていた。

 やっぱり独りぼっちは寂しいもんね。どんなに強い人でも寂しさには耐えられない……誰にも信じてもらえないなんてとっても悲しいこと。

 

 

 

「あの先生一命は取り留めたって、当分学校には来れないけど順調に回復してるらしいよ」

 

 

「そうか! それは私としても嬉しい限りだ!

 初めて君と一緒にいて良かったと、そう思ったかもしれない稀有な一日だ」

 

 

 ほら……こうやって見れば彼も普通の高校生、最後の一言は余計だけどそんな照れ隠しも含めて彼のいいところなのにね。

 笑った顔も呆れた顔も、怒った顔だって私は嫌いじゃない……そう、あくまでも嫌いじゃないだけだ。

 なにも知らない人達が彼のことを悪く言うのはどうしてだろうか、どうしてあんな酷い噂を流すのか私にはわからなかった。

 

 

 

「今日も棄権されたの? 今更驚きもしないけど、このままだと体がぷにぷにになっちゃうね」

 

 

 あの事件以降ヨハン君は一度も戦っていない。対戦相手の棄権又は試合放棄、予定されていた生徒は一人残らず彼の前から逃げ出していた。

 彼らの気持ちがわからなくもないけど、それでもなにかしらの悪意を感じてしまう。

 一度だけその試合を見に行ったことがあるけど、アリーナの中央で一人立っている彼はなんだか寂しそうだった。

 

 

 

 結局予定の時刻を過ぎても現れなかったことにより、職員からヨハン君の不戦勝が告げられてその日の試合は終わったの。

 私は慌ててこのテラスまで帰ってきたけど、そんな彼が決まって向かうのがこのテラスだった。

 だから彼の試合が行われる日はちょっとだけ特別、その日だけ私は一日二回ここを訪れる。

 

 

 お昼休みに一回と彼の試合が終わった後に一回、さすがに恥ずかしいからちょっとだけ偶然を装ってね。

 そこから先は適当な理由をつけて次の授業が始まるまでの間、なにをするわけでもなくただぼんやりと過ごしている。

 

 

 初めは本を読んでいる彼の横顔をこっそりのぞき見してたけど、彼に怒られてからはもうやっていない。

 あのときは私の意思に反して動き回る尻尾のせいもあって、恥ずかしさからうつむくことしかできなくてね。

 どんなに押さえつけても一向に落ち着かないので、思わずちょん切ってやろうかと本気で考えた。

 

 

 

「そうか……確かに、君が付き合ってくれるならそう悪くもない提案だ」

 

 

「はっ!? なっ……なによ、変な勘違いしないでよね!」

 

 

 ヨハン君の唯一嫌いなポイント、その妙に鋭いところがあんまり好きじゃなかった。

 結局今日も言えずじまい。暇なら一緒にクラスへ行こうよ!せっかくだから授業を受けてみたら?――――――って、そのちょっとした言葉が出てこない。

 

 

 

「さて、今日は大事な試合があるしそろそろいくとしよう」

 

 

「あっ……うん、確かベストエイトを賭けてアルフォンス君と戦うんだよね。

 今日の戦いに勝った方が私の対戦相手ってことか、なんだか気まずい雰囲気だね」

 

 

 今日行われる試合はアルフォンス君とのもので、勝った方が私と戦うことになっていた。

 ヨハン君は勿論だけどアルフォンス君にも頑張ってほしいし、同じクラスメイトでもある私は二人とも応援していた。

 ただ個人的にはほんのちょっぴり、尻尾一本分くらいの差で彼に勝ってほしい。

 

 

 

「まあ、今日という日を私は待ちわびていたからな。

 君も時間が空いているなら見にくるといい。絶対に損はさせないし、なにより君が来てくれると私としても助かる」

 

 

「しょ、しょうがないわね。そこまで言うなら見に行ってあげる」

 

 

 彼を見上げながら慌てて尻尾を押さえつけた。ここで暴れたら本当にちょん切るからね!――――――なんて、そんなことを考えながら精一杯の意地を張ってね。

 獣人の感情は尻尾に表れる。……うん、誰が言い出したのかは知らないけどぐうの音も出ない。

 

 

 

「ああそうそう、それと君のお姉さんに関してかなり有力な情報を掴めた。

 全ての手筈は整えてあるから、このまま上手くいけば数日中に会えるかもしれない」

 

 

「本当に!?……あっ」

 

 

 あまりの嬉しさに思わず手を放してしまって、案の定押さえつけられていた尻尾が――――――ね?なんて言うか……これ以上はあんまり言いたくない。

 

 

 

「この続きは試合が終わってからゆっくりと話そうか、私の方も相応の準備が必要だからね」

 

 

 そう言って踵を返した彼に私は大きな声で言ったの。ありがとう!――――――って、だけどその気持ちはあっさりと踏みにじられた。

 ベストエイトを賭けたアルフォンス君との代表戦、その舞台で私の感情は絶望へと変わったの。

 アリーナに詰めかけた大観衆、その激しい喧騒の中で私の声はとても小さかったと思う。

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「そんな……嘘、なんでヨハン君がお姉ちゃんの――――――」



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学園代表戦(転)
合理主義者の屈辱


「言われた通りマリウスを待機させていますが、その理由をお聞きしてもよろしいですか。

 私としては貴方がなにを恐れているのか、そこが気になって仕方ありません」

 

 

 ヒーロー君との戦いを前に私は生徒会長様と談笑していた。談笑といっても御互いの親睦を深めるようなものではなく、端的に言えば今後の打ち合わせである。

 生徒会長様の尽力によって私の計画は順調に進んでおり、おそらく私だけではここまでやれなかっただろう。

 対戦相手の排除や意図的な不戦勝、教職員の介入及び生徒達への情報操作(プロパガンダ)には舌を巻いた。

 

 

 そしてその集大成と言うべきものがこのトーナメント、出場選手の組み合わせと仕組まれた八百長である。

 要するに出場選手の組み合わせを操作することによって、私と生徒会長様の手で御姫様の障害となり得る者を排除するのさ。

 実力者たちを一ヶ所に集めて私達の手で潰し、肝心の御姫様には明らかに力不足な生徒をあてがう。

 

 

 順当にいけば準決勝で生徒会長様と当たるのだが、その件も含めて彼女は了承している。

 思えば私が言いだしたことではあるが、まさかここまでやってくれるとは思わなかった。

 正直、彼女の手際も含めてその合理性には惚れ惚れする。

 

 

 なんとも理想的な相互関係、とても分かりやすくて尚且つ強固なものだ。

 彼女は私を利用して名誉を手に入れ、私は彼女を利用してノルマを達成する。

 効率的にして合理的な方法、まさに文明人らしい取引である。

 

 

 やはり手を組む相手は自分と同等とそれ以上の者、どこぞの蛮族みたいに好きだ・嫌いだで動かれてはたまらない。

 時には泥をすすり自らの手を汚すことも厭わないのが人間、ただ貪欲に利益を欲する姿こそ生き物の本質である。

 

 

 たとえばとある男を殴ったら一億円貰えるとしよう。暴力、それは決して許されない行いである。

 しかしこの誘いを断れる人間が何人いるだろうか、二割? 三割?……いや、私は断言しようそんな奴は全体の一割にも満たない。

 人間とは本質的に己の利益を追い求めており、どんなに綺麗な言葉で取り繕ってもそれだけは変わらない。

 

 

 つまりどうして茨の冠を与えられた男が有名なのか、それは彼が類い稀なる利他主義者だったからだ。

 磔にされても他者の幸福を願う……なるほど、その異常なまでの高潔さは確かに救世主である。

 だが私たち凡人には彼の考えが理解できないし、たとえ理解できたとしてもそれを実行する者はまずいない。

 

 

 なぜなら私たちが正常な人間であり、その磔にされた男の方が異常だからである。

 一応断っておくが、私は十字架を掲げる人道主義者たちを馬鹿にしているわけではない。

 そもそも大工の息子がここまで有名になるなんて、それだけでも十分信仰の対象となり得る。

 

 

 だがそれを羨ましいと、彼のようになりたいと思う人間は全体の数パーセントだ。

 その数パーセントの人間が正常か、それとも異常なのかは諸君の想像にお任せしよう。

 

 

 

 

 それでは改めまして日本の皆さまこんばんは、この日を一日千秋の思いで待っていた原罪司教とは私のことです。

 長ったらしい紹介から個人的な主観を垂れ流したこと、まずはそれを社畜の皆様に謝罪したいと思う。

 要するに私が言いたかったことは社会人としての心得について、利己主義者こそが人間の本質にして本来の姿なのだ。

 

 

 先程の説明を聞いて少しでも利他主義者たちの異常性、それに気づいていただけたなら私としても満足である。

 さて、状況説明も兼ねて少しばかり話を戻すとしよう。

 試合が始まる前に生徒会長様と連絡を取っていた私は、彼女にこの控室の護衛を頼んでいた。

 

 

 理由は簡単、この学園に潜んでいる狂犬への保険である。

 私は動物愛護団体の人間でもなければ保健所勤めでもないし、そういった手合いと戦うのはあまり得意ではない。

 適材適所。発狂した人間には御医者さんが必要であり、狂った生徒には頼りになる先生が必要だ。

 

 

 

「理由と言われましても少々複雑な事情がありまして、申し訳ないのですがとても個人的なことなので説明することはできません」

 

 

「わかりました。そういうことであれば余計な詮索は止めましょう。

 貴方の指示通り全ての手筈は整えましたし、私はこの控室の中で貴方の帰りを待たせてもらいます」

 

 

 生徒会長様の配慮に少しばかり心が痛む、頭が上がらないとはまさにこのことである。

 そもそも私がこうもすんなり勝ち上がれたのは彼女と、そして生徒会が裏で手を回してくれたおかげでもあった。

 

 

 彼女曰く、やるだけ無駄なら最初からやらなければいい――――――ふむ、全くもって生徒会長様の言う通りである。

 短い期間で私の要望を叶えた才能、生徒会長様の手腕には驚かされてばかりだ。

 

 

 

「貴方ほどではありませんが、アルフォンス君も突出した人材ですし切り捨ててしまうのはあまりにも惜しい。

 前にも言ったと思いますが、貴方ならば私の考えもわかってくれると信じております」

 

 

 そしてこの試合に関しては特に念を押されていた。個人的には片腕の一つでも切り落としてやりたかったが、取引相手である生徒会長様の信頼を裏切るわけにもいかない。

 代表戦に於いて無用な流血沙汰は避けること、彼女がそれを望むなら私は我慢しなければならない。

 私は生徒会長様に頭を下げるとそのまま踵を返し、そのまま馬鹿共が集うアリーナへと向かう。

 

 

 アリーナの中は立ち見の生徒までいるようで、彼等の喧騒に思わず苦笑いしてしまったよ。

 ヒーロー君に対する声援や私への罵倒も含めて、もはやちょっとした動物園かサファリパークである。

 

 

 ここにいるほとんどが時間を持て余した負け犬たち、代表戦の敗者にして声だけは一人前のチワワ達だ。

 要するに負け犬共のなれ合い、社会的弱者(アウトカースト)どもが努力もせずに不満をぶちまけている。

 群れることでしか己を主張できない人間など、もはや大衆という名の付属品である。

 これ以上ないというほど愚かであり、その主張にしてもくだらない理想論ばかりだ。

 

 

 

「僕はあの模擬戦の日からずっと考えていた。どうしてそんなにも好戦的で流血沙汰を好むのか、君ほどの実力があればいくらでもやりようはあるとね。

 だけど、どんなにも考えてもその答えは出なかったよ。

 苦しんでいる人を嘲笑う感情、平気で人を傷つける価値観――――――だから、それを終わらせるためにも僕は剣を振るう。

 君という人間を理解するために……いや、僕が君という人間の抑止力になるためにね」

 

 

 

「なるほど、君が男性同性愛者(ホモセクシュアル)だったとは私も驚きだ。

 これはいよいよもって度し難い、今すぐ病院に行くことをお勧めしよう。

 残念ながら私は同性愛者でもなければセラピストでもないし、そういった相談は専門の機関を頼るといい」

 

 

 開始の合図とともに鈍い光を放つ刀身が揺れて、目の前にいるバーバリアンは怒りから顔を歪めていた。

 どうやら冗談が通じないタイプか、この程度のことで取り乱すとはなんとも情けない男だ。

 剣を構えながら突っ込んでくる姿は迷いがなく、一応私との戦いを想定して練習でも積んできたのだろう。

 

 

 攻撃に主軸を於いた戦術、持ち前の剣術と徹底した攻勢により反撃の隙を与えない。

 あのときとは違った積極的な攻勢に驚かされたが、どうやら考えもなしに突っ込んできたわけではないようだ。

 剣術の差を活かした合理的な戦い方、私の刀は彼の剣によって受け流されてしまう。

 

 

 そして私が刀を振るうたびに彼の手数が増していき、より苛烈な打ち合いへと進化していく。

 打ち合うことによって剣術戦を強要し、一定の距離を保つことによって私の攻勢も封じる。

 己の長所と私の短所を理解したうえで戦うか、バーバリアンにしては中々考えたものだ。

 

 

 しかし……残念かな。君がどれだけ頑張っても私には届かない。

 剣術では劣っているが体術の方は私の方が圧倒的であり、結局のところ当たらなければどうということはない。

 そもそも彼はとても大事なことを忘れている。彼の戦術、攻撃面に於いてはそう悪くない判断だ。

 

 

 相手の短所を衝くのは戦いに於ける常套手段、だがヒーロー君の戦い方はあまりにも無謀すぎる。

 なぜならこれ以上ないというほど防御面が疎かであり、前回の戦いからなにも学んでいない。

 あのときのことを忘れたのかそれとも誘っているのか、いずれにせよこの状況で私にできることは限られている。

 

 

 

「あのときの痛みと屈辱的な一撃、忘れたというなら思い出させてあげよう」

 

 

 では――――――このチャンバラごっこも終わらせるとしよう。

 体術を駆使して彼の動きを圧倒し、そしてあのときと同じように一撃くれてやればいい。

 試合が始まってからまだ数分しか経っていないが、私は勝負を決めるべく彼へと悪意を向ける。

 

 

 彼我の力量は圧倒的であり、それならば変に長引かせるよりもさっさと終わらせるべきだ。

 技術には力で思惑には直感で対処しよう。前回と同じように彼の脇腹目がけて私の悪意が牙を剥く――――――はずだった。

 

 

 

「残念だけど、もう僕にその攻撃は通用しない」

 

 

 それを……その感覚をなんと呼ぶのか私にもわからない。ただ多くの人間を倒し殺めてきたからこそ気づけた変化、これを風向きが変わったというのだろうか。

 ある種の違和感が私の心を蝕み、そしてそれは私にだけ聞こえる警報となった。

 

 

 おかしい。これは――――――さすがにおかしすぎるのだ。

 私達の実力差は彼が一番わかっているのに、なぜヒーロー君の表情は変わらず迷いすら感じないのか。

 鳴り響く警報に私は蹴撃の軌道を捻じ曲げて、少しでも距離を取ろうと後方へ飛んだ。

 

 

 前回の戦いで私も少なからず学んでいる。慢心は最悪を招き油断は死を招く、私は彼が嫌いでありその姿を見ただけでも気分が悪くなる。

 しかしだからと言って彼を過小評価しているわけでもないし、むしろ代表戦に於いて最も警戒すべき相手だと思っている。

 あの模擬戦で私は彼に敗北した。どんな思惑があったにせよ敗北は敗北、それならばこちらも細心の注意を払うべきだ。

 

 

 初めての反応初めての後退にアリーナは一段と活気づく、馬鹿共が口々に出来もしない理想を垂れ流している。

 なるほど、どうやらセシルの言う通り好かれてはいないらしい。

 

 

 

「あれを避けるなんてさすがはヨハン君、だけどさっきみたいな動きはもうやめた方がいい」

 

 

 蹴撃を放った右足の一部が赤く滲んでおり、それを見ながらヒーロー君の言葉に軽く舌打ちした。

 足を伝う滴は地面へと流れ出て、赤色の水たまりが私の足元を汚す。

 

 

 ああ……なんと、なんとも爽快な気分である。

 私の血を見て歓声に沸くアリーナや、どこか満足そうに一息ついているヒーロー君――――――素晴らしい。ああ、これ以上ないというほど素晴らしい状況だ。

 

 

 

 この世界に来てから初めて流しただろうそれ、こんな私でも血の色は赤かったらしい。

 私という人間は少々特殊だからね。たとえ血の色が緑だったとしても驚きはしなかった。

 ただこんな男に不覚を取るとは、この怪我を同僚に見られでもしたらいい笑い物である。

 

 

 今すぐにでもその首を捻じ切って観客席に投げつけたいが……全く、君は生徒会長様の温情に最も感謝すべき人間だ。

 

 

 

「ふむ、それにしても不可解だな。

 今の攻撃が私には見えなかった。君の剣が私よりも速いというならさっさと倒せばいいのに――――――これはどういうことだろうか」

 

 

 

 私の質問に対して彼はバーバリアン流の返答、御丁寧にもその剣で答えてくれた。

 なんとも独特な解説方法だと、そう言わざるを得ないのがとても残念だ。

 彼の剣を避けながら私は考えを巡らせる。彼の行動はあまりにも矛盾しており、その自信満々な雰囲気も不可解である。

 

 

 そもそも私に見えないほどの速度で振るえるなら、このやり取りに意味はなく決着もついている筈だ。

 お得意の剣術で私を圧倒すればいいだけ、避けることのできない私はあっという間にローストチキンだ。

 しかしまたしても彼はこのどうでもいいやり取り、無駄な時間を私に求めてきた――――――なぜだろうか、このやり取りになんの意味があるのだろう。



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合理主義者の報復

「そういえば君は召喚士の家系らしいが、それは本当の――――――」

 

 

 先ほどまでの余裕はどこにいったのか、彼は当たらないとわかっていながらも剣を振るう。

 思えばあの模擬戦にしても不審な点は幾つかあった。

 どうして受け流されただけの刀があんなタイミングで折れたのか、折れないよう細心の注意を払ったにもかかわらずあの結果だ。

 

 

 なんの力も受けていないはずなのに、これ以上ないというほど絶好のタイミングで折れてしまった。

 なんと言うか……そう、偶然にしては少しばかり出来過ぎだろう。

 世の中の事象には必ず何らかの因果関係、つまりはその結果に至るまでの工程が存在する。

 

 

 

「おかしい、これはどう考えてもおかしいとは思わないかねヒーロー君。

 なぜあの女生徒のように魔術壁を展開しないのか、端から攻撃一辺倒で守ろうとすらしない。

 仮に君があの戦術を彼女に教えたというなら、それならばこのモヤモヤも少しはスッキリするのだがね」

 

 

 それでも彼は答えない……いや、その表情を見るからに私の予想は当たっているのだろう。

 なるほど、仮にヒーロー君が教えたならこれほど愉快なことはない。

 とても合理的で尚且つ利己的な判断だ。私という人間と戦うにはあまりにも情報が不足しており、そのディスアドバンテージを補うために彼女を利用したのである。

 

 

 

「そうか、どうやら君のことを勘違いしていたよ。

 要するに君は魔術壁が私に通用するのかどうか、それを確かめるためにあの女生徒を使ったわけか」

 

 

「違う! 僕はそんな人間じゃない!」

 

 

 やっと口を開いたかと思えば出てきた言葉がこれだ。なにを怒っているのか私には理解できないが、少なくとも彼という人間が破綻していることはわかる。

 私のような文明人が彼を理解できないのは当然であり、その思考が理解できるのはバーバリアンくらいだろう。

 いやはや本当に申し訳ない。彼を理解するということはその同類になるということ、私のような感情よりも理性を優先するタイプには難しい。

 

 

 仮に親切心から彼女にその戦術を教えたとしよう。彼女と私との戦いを通して彼は学習し、防御壁に頼るのではない違う戦術が必要だと知ったのだ。

 それはつまり彼女という人間を踏み台として、この試合を有利に進めているということである。

 

 

 

「僕はあの子を守りたかった! 君との戦いに脅えていた彼女を勇気づけるために、僕は精一杯の努力をしただけだ!」

 

 

 彼の言葉と共に豹変する攻撃のリズムとその剣撃、そんなバーバリアンらしい変わりように私は思ったのさ。

 彼が蛮族ではなく合理主義者ならば全てが繋がるのではないか。この無意味なやり取りや見えなかった一振り、彼の家系が召喚士だというセシルの言葉も無視できない。

 

 

 全ての事象はなにかしらの工程を踏んでおり、物事を考えるときは第三者の視点に立って考えなければならない。

 なにを信じてどれを疑うべきか、私の持っているカードを一枚一枚確認してみよう――――――そうすれば……ほら、自ずとその答えは見えてくる。

 

 

 

「ああ、そう考えれば全ての行動に納得がいく」

 

 

 そうしてとある仮説を思いついた。それを実証するにはもう一度彼を攻撃して、その反応を確かめなければならない。

 あまり気は進まないがここは割り切るとしようか、私の考えを気取られては全てが無駄だからね。

 先程と同じように彼の剣撃に合わせて動き、その一瞬の隙を衝いて脇腹へと蹴撃を放ったよ。

 

 

 

 結果? 無論私の右足は赤いテープでラッピングされて、それこそローストチキンのような有様だった。

 動くたびに感じる激痛に顔が歪む。だがこんなものはすぐに治るし、なにより今感じているこの痛みだって瞬間的なものだ。

 なぜなら私は喰人魔造(ホムンクルス)と呼ばれる特別な存在であり、そのことでプライドから何度貶されたかわからない。

 

 

 

「さすがの君でもその足では戦えないはずだ。降参してくれないか、大人しく降参してくれればこれ以上傷つかずに――――――」

 

 

「ふむ、ではお遊びはここまでにしようか。

 ここから先は私の素質を疑われかねんし、なにより貴様のようなガキにやられ放題というのは面白くない」

 

 

 しかしこれで私の仮説は実証されて全ての舞台は整った。

 この世界で広く普及している魔道具と呼ばれる便利グッズ。その中でも唯一私が持ち歩いているそれ、物を収容できる指輪の中からとある武器を取り出してね。

 そうして私は今まで使っていた刀とそれを入れ替えて、律儀に待っていてくれた彼に微笑んだのさ。

 

 

 実戦で使うのはこれが初めてだが、この状況ではこの武器が一番適しているはずだ。

 それにこの試合を見ているだろう彼女も退屈だろうし、ここはその聞こえるはずのない声援に応えてあげよう。

 

 

 

 

「君が双剣を使うなんて驚きだ。その構えを見ているとクロードさんを思い出すけど……ああ、そういえば君と彼女は仲が良かったね」

 

 

 この人格破綻者を倒す過程でもう一つの目的も果たそう。

 セシルは今どんな表情をしているだろうか、どんな気持ちでこの私を見ているのだろう。

 痛み? 悲しみ? それとも絶望かな? 彼女の心境を想像しただけでも心が痛むよ。

 

 

 自惚れでなければ彼女は私に好意を抱いており、そうでなくてもある程度の信頼関係はあるはずだ。

 しかし私が欲しいのはそんな中途半端なものではなく、どんなことがあっても決して揺るがない忠誠心だ。

 大日本帝国が組織した特高のような、鍵十字を掲げる国が組織したゲシュタポのようなそれだよ。

 

 

 セシル=クロードの信頼を勝ち取れ。つまりは絶対的な上下関係を作り、彼女を服従させればいいだけの話だ。

 ではどうやって彼女の忠誠心を私に向けさせ、その思考をコントロールするのか――――――簡単だよ。これ以上ないというほど簡単である。

 

 

 

「残念ながらその情報はもう古い。既に彼女との関係は崩れてしまったし、そもそも君の想像しているようなものでもないからね。

 この時この瞬間から私と彼女は敵同士、だけどここから私達の関係が始まるのだ」

 

 

 今までとは違って私の手元には強力なカードがあり、その背後には頼もしい味方もついている。

 そもそもそのための舞台そのための茶番劇、そしてこの紋章が刻まれた双剣もその小道具の一つだ。

 代々クロード家の当主にのみ帯刀を許された双剣、言うなれば由緒正しき鉄くずである。

 

 

 本来であればこれを持っているのはセレストであり、クロード家となんの関わりもない私が持っているのはおかしい。

 この意味とその経緯を考えれば行きつく答えは一つだけ、要するにセレストを殺して奪ったと考えるのが妥当である。

 

 

 

 没落貴族の紋章剣を手に込み上げてきた感情、それを堪えるのに私は必死だったよ。

 あの小娘はどんな表情をしているだろうか、どんな感情を私に向けているのだろう。

 困惑しているのだろうかそれとも怒っているのだろうか、信じていた者が実は敵だったかもしれないなんて――――――面白そうだ。ああ、とっても面白そうじゃないか。

 

 

 

「さて改めまして御挨拶を、君とは永遠に分かり合えないだろう男ヨハン=ヴァイスとは私のことだ」

 

 

 

 私が双剣を構えたと同時に彼は向かってきてね。相変わらずその行動原理は理解できないが、それでも今回だけは同情してあげよう。

 ああ、誤解がないよう言っておくが彼に対して同情するのではない。

 正確には彼が召喚したのだろう薄汚いペットに、この世界でいうところの召喚獣とやらに同情するのだ。

 

 

 彼の狙いは悪くないし理にも適っている。だが二度の攻撃で私を倒せなかったこと、その実力不足が今回の敗因である。

 馬鹿の一つ覚えに同じことを繰り返す彼はどうしようもない低能であり、私を侮ったことを後悔させてあげよう。

 なんてことはない。……そう、なんてことはないのだよ。

 

 

 

 一度目にその違和感を見抜き、二度目にその核心に迫ってから三度目に全てを叩き潰す。

 私の仮説が正しければ彼は待っているはずだ。私が反撃してくるだろう瞬間を、数少ない勝機を逃すほど彼も馬鹿ではない。

 全てはヒーロー君に私の意識を集中させるための囮、私が思っていた以上に彼は合理的だった。

 

 

 私に速さでは敵わないとわかっていたからこそ、彼は幾つもの罠を仕掛けていた。

 私の思考を分析してそのうえで待ち構えていた。まずは強引な攻勢によって私の集中力をかき乱すところから、おそらく無駄な剣撃を私に強要するのもそれが理由だ。

 模擬戦の際に私の剣術が劣っていることは知っていたし、突破できないとなれば私は戦い方を変えるだろう。

 

 

 

 剣術は彼の方が上だが体術では私の方が優っている。だからこそ私に体術を使わせたうえで攻撃を、私に負傷させられた脇腹への一撃を彼は引き出したかった。

 つまり私の性格を読んだうえでこの戦術を選んだのだ。模擬戦のときに負傷した脇腹への攻撃、彼が一番苦しむだろうそこを狙ってくれると信じてね。

 そして私は彼の思惑通りに動き、知らず知らずのうちに引っかかっていたのである。

 

 

 

 私の注意を逸らしたうえでその隙に獣人が襲い掛かり、あくまで彼がやったように見せかけて再び潜伏する。

 ここまで言えば彼の召喚獣が持つ特性、その一番厄介なところに諸君たちも気づいただろ。

 そう――――――彼の召喚獣は透明になれる。

 

 

 

「阿呆が、私の返り血で姿が丸見えだ」

 

 

 この試合に関してヒーロー君はとても合理的だった。まずはあの女生徒を使って魔術壁の有効性を試したこと、そしてその召喚獣の特性を安易に用いなかったことからもわかる。

 仮にその召喚獣を使って私の背中を切りつけたらどうなっただろうか、無論私は気づくだろうしここにいる馬鹿共もさすがにおかしいと思っただろう。

 

 

 そもそもその一撃で勝てる保証もなければ、激昂した私が力ずくで突破するかもしれない。

 情報とは時に命よりも重く、手品とはネタが割れてしまえばその時点で使えないのである。

 ではそこまでわかっていながらどうして二度目の攻撃を受けたのか、それはヒーロー君のペットに綺麗な目印をつけたくてね。

 

 

 私の周りをこそこそと歩き回っているだろう獣に、血という名の首輪をプレゼントしたかったのさ。

 多少の怪我は負ったがその見返りは上々であり、哀れなペットは私のつけた目印にも気づかずのこのこと現れてね。

 そうやって誘い出されたペットの目印へ向かって、私はその悪意と共に双剣の片割れを振り下ろした。

 

 

 この一刀がどこを貫くのかは私にもわからないが、そんなことはハッキリ言って些細な問題である。

 これは私の感情と生徒会長様の思惑をすり合わせた妥協案、私達が交わした取引には全く抵触しない。

 私にヒーロー君は殺せないし傷つけることも許されない。それならばこの行き場のない感情をどう発散すればいいのか……ふむ、よくよく考えればそう難しいことでもない。

 

 

 彼の精神面に攻撃を加えるなりそんな方法いくらでもある。取りあえずは彼を試してみようか、彼が本当に利他主義者なのかとても気になるのでね。

 目の前にいる君にはわからないだろうけど、今の私はこれ以上ないというほど怒っている。

 

 

 

 

「待て、コン逃げろ!」

 

 

 振り下ろされた剣は小さな手のひらを貫き、その小娘を地面に縫い付けていた。

 私はそのままヒーロー君を蹴撃によって黙らせると、必死に抜け出そうとしているそいつへ視線を向けた。

 

 

 巫女装束に身を包みこちらを睨みつけてくる彼女……いや、幼女といった方が正しいかもしれない。

 頭の上に生えた耳やその尻尾は獣人たちとよく似ており、銀色のそれからは輝きというかなにかしら神聖なものを感じたよ。

 

 

 

「初めまして御嬢さん、私は君がローストチキンにした足の所有者だ。

 ほら、見てくれたまえ……今も痛くて痛くてたまらない」

 

 

 その姿はなんとも不憫であるが、だからと言って助けたいとも思わない。

 私の言葉に肩を震わせたかと思うと、もう片方の手で短刀を構えて必死に抵抗してきたがね。

 だけどそんな抵抗をしたところでもはや無意味であり、私はそんな鬱陶しい彼女を蹴り飛ばして黙らせたのさ。

 

 

 

 全く、そんな物騒な物を持ち歩くなんて親の顔が見てみたい。

 呆れながら私はゆっくりと彼女を貫く剣の頭、その柄を踏みつけながら体重をかけてね。

 すると剣は肉を切り裂いて小さな御手手を侵食していき、それが根元まで辿り着いたところで私は足をどけたのさ。

 

 

 

「くっ……あぁぁ、うぅ」

 

 

 蹴り飛ばされたヒーロー君はまだやってこないが、その間はこの子で遊ばせてもらおう。

 綺麗な銀色の耳と尻尾を生やしたどことなく神聖な存在。彼女を見下ろす私が邪教徒であること、それがこの女の子の唯一にして最大の不幸である。

 生憎と神聖なものを敬う精神など持ち合わせていないので、ここから先は今までのような扱いは期待しないでくれ。



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合理主義者の悪意

 震える彼女を見下ろしながら、怖がらせないよう穏やかな口調で話しかける。

 私なりに気を遣ったのだが、もしかしたら逆効果だったかもしれない。

 まあ、変に期待させるよりかはよっぽど誠実である。

 

 

 

「さてどうしたものか、幼女を甚振(いたぶ)る趣味はないが君の場合は例外だからね」

 

 

 なんとか抜け出そうとする姿は健気ではあるが、根元まで突き刺さったそれはびくともしない。

 あの細い腕では引き抜くこともできないだろうし、肝心の飼い主さんもなかなか現れない

 取りあえずはこれからのことについて、私はちょっとした親切心から彼女に忠告したのさ。

 

 

 不幸中の幸いとは正にこのこと、私のような常識人に捕まった君は運がいい。

 もしもプライドのような男に捕まっていたらどうなっていたか、それこそ事前通告もなしに拷問されるよりはマシである。

 ちゃんとした手順を踏んでから実行された方が覚悟もできるし、なにより相手が子供なのだからできるだけ真摯に対応しよう。

 

 

 

「ただ、借りを返す前に個人的な質問がいくつかあってね。

 君が私の質問に答えてくれたら、そのときはこれ以上手荒な真似はしないと――――――」

 

 

「ふん、誰が! わっちはアルフォンス様を……!?」

 

 

 全く、ヒーロー君はこの幼女をどんな風に飼っていたのか。

 飼い主なら飼い主らしく最低限の教養、少なくとも義務教育レベルの躾は施してほしい。

 目上の人に対する態度やその言葉遣いも含めて、これではシアンの方が数倍まともである。

 

 

 利他主義者が聞いてあきれる。彼女の態度があまりにも酷いので、少しばかり痛みを与えてみたのだが――――――ふむ、残念ながらそれほどの効果はなかったようだ。

 声にならない悲鳴をあげながら巫女装束を赤く染めて、その大きな瞳から頬へと伝う一筋の輝き。

 

 

 

「最初に断っておくが、私はこのようなくだらないやりとりが嫌いだ。

 君は聞かれたことを素直に答えればいいのであって、それ以外の言葉を口にした瞬間ペナルティーが発生する。

 私の質問には明確に、それでいて簡潔に答えてくれたまえ」

 

 

「助けて……アルフォンス様――――――」

 

 

 これではまるで悪人ではないか、なぜ私がこのような扱いを受けている。

 事の発端はこの幼女が私の右足を斬りつけたこと、それが最大の原因であり全ての始まりだ。

 そもそもこの場にいる時点で彼女も攻撃の対象であり、彼女自身もこういう状況を予想していたはずだ。

 

 

 それ相応の覚悟はしていたはずであり、今更青少年保護法を盾に私を糾弾するのは間違っている。

 大前提としてカビの生えた法律や身分制度、そんなものを採用しているのはこの国である。

 人の命がちり紙のように軽く、傷害罪などあってないような野蛮な世界だ。

 

 

 そんな世界で生きてきたくせに文明人の真似事か、小娘が考えたにしては中々ユニークな冗談だ。

 しかし誰に保護を求める?――――――人権団体か? それとも動物愛護団体かな?

 残念ながらそういった類いの組織はこの世界にはないし、あったとしてもこのカビ臭い国では無力である。

 

 

 

 殴ったら殴り返されて、刺そうとしたら刺されるだろう。

 撃ったら撃ち返されるし、殺そうとしたら殺されてしまう。

 因果応報。そんなことは誰だって知っているルール、だから子供であっても特別扱いはされない。

 悪いがその手の常識は通用しないし、むしろそれを求めたのは君とこの世界である。

 

 

 

「きっ……貴様ァァァ!」

 

 

 ああ、そういえば君の存在をすっかり忘れていたよ。

 そんな馬鹿げたことを平気で主張してくるだろう人物。私を傷つけてもなにも感じないくせに、身内が傷つけられると途端に怒り狂う哀れな野蛮人。

 それこそなんという理不尽か、私を殴るのはいいが殴り返すのは許さない。

 

 

 要するに私にサンドバッグにでもなれと、そう遠回しに言っているようなものだ。

 だが私は十字架を崇拝する団体でもなければ、インド出身の大物政治家でもないからね。

 己の命と財産を守るために戦うし、その点に於いては誰よりも平等であり過剰殺人(オーバーキル)だって受け入れる。

 

 

 幼女や青年だって、女性や男性……果ては赤ちゃんだって私は躊躇なく殺せる。

 平等に殺すし平等に戦おうじゃないか、全ては私が幸せになるための正当防衛である。

 

 

 

「お前だけは絶対に許さない!

 僕のコンに、お前は……お前は! それが人間のやることか!」

 

 

「君は馬鹿か? ここはそういう場所で、その戦いにあの子を連れてきたのは他ならぬ君だ。

 君の命令であの子は戦い、私はそれに対して少しばかり手荒な反撃を行った。

 つまりは立派な正当防衛、少なくとも君にそれを言う資格はないよ」

 

 

 突然現れたヒーロー君はとても怒っているようで、突っ込んでくる彼にため息がこぼれた。

 きっとこのときの私は酷く呆れたように……それでいてとても冷たかったと思う。

 ここまで矛盾した人間を見たことがなくて、呆れるというよりも哀れに感じていただろう。

 

 

 既に彼の戦術は破綻しており、唯一の勝機であった切り札は私に奪い取られた。

 身動きの取れない幼女など足手まといでしかなく、彼女という戦力はもはやゴミ同然である。

 

 

 

「君に勝つことが無理だって、そんなことはあの模擬戦のときからわかっていた。

 だけど僕はそんな勝ち負けじゃなくて、ただ単に君を理解したかっただけだ。……君が傷つけてきた多くの人たち、その痛みと苦しみを教えたかっただけなんだ。

 人を傷つけてばかりの君に、それが如何に愚かな行為かを伝えたかった」

 

 

 だが、ここまで追い詰められてもなお降参しないのはどうしてか。

 彼の中にあるプライドが邪魔しているのか、それともまだ勝つつもりでいるのか――――――いずれにせよ試合はまだ終わっていない。

 もはや無謀としかいいようのない攻撃に少しだけ付き合ったが、これ以上なにもないのであればただのチャンバラごっこである。

 

 

 私は隙だらけの攻撃にタイミングをあわせて、彼にとどめの一撃を与えようと動く……だが、その際にまたしても妙な違和感を覚えてね。

 あんなにも助けを求めていた幼女、あれほどうるさかった小娘が急に静かになった。

 視界の端に映る姿は相変わらずだったが、ヒーロー君の動きにしてもどこか不自然でね。

 

 

 小娘を助けようとするわけでもなく、避けられるとわかっているのに無謀な攻勢を続ける。

 その剣捌きも酷いものだったが、彼はこの状況で考えもなしに動くような人間ではない。

 結局考えられる要素は二つだけ、むしろそれ以外の選択肢は有りえない。

 

 

 まずは彼女を助けるために敢えて怒ったふりを装い、私の隙を衝いて解放しようと考えた。

 だがこの考えはあまりにも無謀すぎるし、なによりこの強引な攻勢を説明することができない。

 彼が私の想像通りの人間ならばそんな無意味なこと、たとえここにいるのがあの御姫様だったとしてもやらないだろう。

 

 

 今更このペットを解放してもなんの戦力にもならない。要するに解放したところで勝機はないし、それならば今すぐ降参した方がより安全に解放できる。

 しかしそれをしないとなると残る選択肢は一つだけ、あの幼女を使ってダメ押しの一撃を狙っている。

 

 

 ふむ、こんな状況にもかかわらずヒーロー君は勝つつもりなのだろう。

 御立派な事を口にはしているが、その本心は勝つことを諦めてはいない。

 なるほど、なんともわかりやすくてこれ以上ないというほど納得できる。

 

 

 そうなるとその狙いも自ずと見えてきた。……そうか、あの小娘は攻撃魔法も使えるのか。

 

 

 

「悪いけど、これで終わらせてもらう!」

 

 

 要するに彼は小娘の射程圏内まで私を追い込み、そこでより確実な一撃を与えたかったのだろう。

 それならば彼等の思惑を逆手に取って、これ以上ないというほど最悪な結末をみせてやる。

 

 

 

「ほう、それは私としても楽しみだ」

 

 

 

 それは巨大な火球だった。幼女が放った魔法はただ真っ直ぐ、一直線に私の方へと飛んできてね。

 彼の言葉を信じるならその威力は申し分ないだろうし、あれを食らったらさすがの私もただでは済まない。

 だが、これを紙一重で避けたらどうなるだろう。

 

 

 そもそもそれが飛んでくる寸前まで私に気取られず、更には足止めをしなければならない。

 それがヒーロー君に課せられた役目であり、彼等に残された唯一の勝機だろう。

 では私がその場から離脱したとき、その先にいるだろう可哀想な人間は誰だろうか――――――ふむ、君は本当に哀れな男だよ。

 

 

 

「アッ……アルフォンス様!」

 

 

 まさか味方である筈の小娘に攻撃されてしまうとは、あれが直撃したにもかかわらずそれでも立ち続ける気概は認めてあげよう。

 自らの剣を支えとしてかろうじて立っている姿はとても凛々しく、おそらくは火球が直撃する寸勢に魔術壁を展開したのだろう。

 

 

 なるほど、彼の柔軟な思考と多種多様な戦術は評価できる。……だが相手が悪かった。

 ヒーロー君を一瞥した私は踵を返して歩いていく、そしてその幼女を見下ろしながら微笑んだのさ。

 

 

 

「まさかあんな奥の手があったとは、驚きよりも先に感心してしまったよ。

 君の行動はとても勇気あるものだと、この私が君という阿呆を認めてあげよう。

 では誠に残念ではあるが、私を狙ったことに関してまずは一つ目のペナルティーだ」

 

 

 己の主人を気遣う姿はとても美しく、少しでも近づこうと必死に暴れる姿はとても健気だ。

 剣を引き抜こうと必死に頑張り続ける小娘、だが根元まで突き刺さったそれはあまりにも無情である。

 その忠誠心を評価して少しだけ手加減しようか、彼女を怖がらせないよう優しい口調で話しかける。

 

 

 なんの打ち合わせもなく彼の動きを見ただけでその意図、そしてタイミングをあわせたことは評価しよう。

 なんとも心の通じ合ったパートナーじゃないか、人魔教団にいる同僚たちに教えたいくらいだよ――――――だけどそんな関係も今となっては足手まとい……か。

 パートナーの攻撃によってその御主人様はボロボロ、当の本人はうるさいことこの上ない。

 

 

 

「わっちが……わっちのせいでアルフォンス様が――――――」

 

 

 ヒーロー君の名前を叫びながら謝り続ける彼女、心の通じ合ったパートナーが健気に鳴いている。

 そんなに罰してほしいなら手伝ってあげようか、泣き崩れる彼女に近づくともう片方の手を掴んでね。

 もはや抵抗する気力もないのか実に素気なかったが、一人の大人として交わした約束は守らないといけない。

 

 

 掴んでいた手に剣を突き立てて振り下ろし、その小さな御手手を二つとも地面に縫いつける。

 これで理解してくれると助かるのだが、両手を貫く剣や頬を伝う涙はなんとも人間らしかった。

 全く……悪い子はお仕置きされるものであり、本来であれば保護者である彼がやるべき仕事だ。

 

 

 

「申し訳ありません、アルフォンス様。……そんな、こんなことって――――――」

 

 

 もっと泣き喚くかと思えば、その反応が大人しかったので拍子抜けである。

 だがこれで余計な邪魔は入らないし、ヒーロー君だって黙ってはいないだろう。

 大好きな身内がここまでやられて、それでなにも言わずに引き下がるほど大人ではないからね。

 

 

 

「それじゃあちょっとしたゲームでもしようか、この私に一度でも攻撃を当てたら棄権してあげよう。

 ただし制限時間内に当てられなければここにいる彼女、召喚獣とやらにペナルティーが与えられる」

 

 

 そして希望を抱かせるような言葉で彼の逃げ道を塞ぎ、降参という選択肢を排除させる。

 希望とは時に人の判断を鈍らせる。ここで降参でもされたら消化不良も甚だしく、この感情を持て余しそうだからね。

 

 

 

「右足から初めて次に左……この首は最後まで取っておこう。

 私は召喚獣という存在についてそれほど詳しくはないが、これといって気にする必要もないはずだ。

 能力を知られた時点でこの子に戦術的価値はなく、それこそ別の召喚獣と契約した方が君のためにもなる」

 

 

 彼を挑発するようなことを言って、更にその判断能力を鈍らせるとしよう。

 一撃、たった一撃当てただけで勝てる……なんて、そんな幻想に囚われた時点でゲームオーバーだ。

 なぜなら自分の利益だけを考えて彼女を軽視する行動、それは利他主義者の概念から完全に逸脱している。

 

 

 

 要するに自分が勝つために他者を見捨てたという事実、ペットを見殺しにした彼の行動は立派な利己主義だ。

 私はただ彼が偽善者だという事実を、私と同じ側の人間であることを証明したいのさ。

 そのついでヒーロー君の心を完膚なきまでに砕く、それこそが私のちょっとした悪意であり復讐でもある。

 

 

 

「さぁ、第二回戦といこうか」

 

 

「……する」

 

 

 だからこそその言葉がよく聞こえなかった。……いや、正確には聞こえていたのだが受け入れたくなかった。

 気がつけばあれほどうるさかったアリーナが静まり返り、全ての視線が彼の一挙手一投足に集中していた。

 まさかこんな終わり方が……ふざけるな。こんなふざけた最後を認めるわけにはいかない。

 

 

 

「僕は、降参する」

 

 

 彼は利己主義者の筈だ。他人を食いものにして利益を追求する人格破綻者――――――そんな彼がここにきて諦めるというのか。

 このときの私はこの場にいる誰よりも激怒していた。皮肉なことにその一言が最も私を動揺させ、そしてこの試合を終わらせてしまったのである。



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合理主義者の裏切り

 とある学生と取引したことを私は後悔していました。私自身がそれを望んだのであり、決して脅迫されたわけではありません。

 彼が特異な存在であることは知っていましたし、ある程度のトラブルは覚悟していました。

 彼という劇薬を用いてでもやりたかったこと……ふふふ、他人が聞いたらそれこそ失笑するでしょうね。

 

 

 ですがそれを叶えるためなら私は悪魔とだって契約しますし、端から理解されたいだなんて思っていません。

 そして私は私自身のために一部の生徒を生贄にして、生徒会長としての立場を利用し様々な便宜を図りました。

 全ては私の御母様にしてこの学園を取り仕切っている大貴族、シュトゥルト家当主プランシー=シュトゥルトに認めてもらうために――――――ね? 笑っちゃうでしょ?

 

 

 御母様は重要な式典か行事でもなければ顔を出しません。学園の運営に関してはマリウスを中心とした一部の上級職員がやっているほどで、初めて聞いたときは戸惑いましたがそれも御母様からすれば苦渋の選択だったのでしょう。

 シュトゥルト家の人間は私も含めてたった二人、国内屈指の大貴族にもかかわらず御母様と私しかいないのです。

 

 

 御父様は私が生まれてすぐになくなったそうで、御母様は当時のことをあまり教えてくれません。

 血縁関係にある縁者が一人もいない家系。ですからシュトゥルト家が管理する領地から貴族間の付き合いまで、その全てを御母様一人で行っていました。

 大貴族ともなれば政治に関する仕事も多いですし、そのせいで学園の運営にすら手が回らないのが現状なのです。

 

 

 私が幼かった頃より御母様は貴族としての仕事が忙しく、屋敷に帰ってくることはほとんどありませんでした。

 言葉を交わすどころか顔を合わせるのだって数える程度、だだっ広い屋敷の中で従者として雇われていた少年(マリウス)と共に過ごしました。

 私にとってマリウスという人間は頼りになる従者であり家族、当時から魔術に関する才能のあった彼には何度も嫉妬しましたね。

 

 

 幼少時代は御母様に雇われた家庭教師に貴族としての礼儀作法や知識、剣の扱いや戦う術は屋敷の護衛をしていた冒険者の方に教わりました。

 マリウスと共に様々なことを勉強するのは楽しかったですが、それと同時になにか物足りなさも感じていたのです。

 おそらくは中々縮まらない御母様との距離感に対して、ある種の不満を抱いていたからだと思います。

 

 

 一度でいいから御母様に褒めてもらいたい――――――それが幼かった頃の目標であり夢でした。

 御母様のような立派な貴族になって、同じシュトゥルト家の人間として少しでも役に立ちたい。

 そんな憧れを抱いたまま大きくなったのが私、それが私というくだらない人間の望みです。

 

 

 学園の運営にまで手が回らないなら私が頑張ろう。ただそれだけの理由……そんな感情で私は生徒会長に立候補しました。

 生徒会長になった私を褒めてほしくて――――――ですがその日の食卓に御母様が来ることはありませんでした。

 屋敷で働いている使用人とマリウスに祝福されながら、あのときの私は上手く笑えていたでしょうか。

 

 

 

「本当に、私ってばなにを期待しているの」

 

 

 そしてそんなわだかまりを残したまま私は生徒会長としての初仕事に臨みました。

 入学テスト。私の取引相手である彼と初めて出会ったあの日の夜、偶然帰ってきた御母様にその全てを伝えたのです。

 

 

「あら……そう、わかったわ。

 その件はこっちでなんとかするから、貴女は気にしなくてもいいわよ」

 

 

 途中から現れたマリウスが私を庇ってくれましたが、それでも久し振りに交わした親子の会話はとても冷たくて悲しかった。

 御母様の力になりたくて頑張ったのに、結局は余計な仕事を増やしてしまったのです。

 

 

 

「それじゃあこの後も用事があるから――――――」

 

 

 だからこそ私はどんな手を使ってでも挽回し、この失態を取り戻さなければなりません。

 四城戦に優勝することで全てを帳消しにしたうえで、御母様に最大級の名誉をプレゼントしたい。

 四城戦で優勝した選手とその学園の責任者は王城で開かれる晩餐会、それに招待されると共に国王様とお話しすることができるのです。

 

 

 貴族としての仕事が忙しくて、そのせいで親子らしい会話なんてしたことがありませんでした。

 ですがその日だけは特別なはず……その日だけは絶対に違うはずなのです。

 

 

 

「この学園を優勝へと導いて私は御母様に認めてもらう。そのためには彼の力が必要だもの、今更引き返すなんて絶対にできない」

 

 

 あの男が出て行ってから何度もアリーナが沸きたちました。それは建物全体が揺れるほどのもので、ここにいてもその熱気が伝わってきます。

 アルフォンス君もかなりの手練れですし、最終的には彼が勝つでしょうがそれでも一筋縄ではいきません。

 個人的には戦いの中で彼がどういった行動に出るのか、私との約束を反故にするのではないかと不安でした。

 

 

 彼が職員を斬りつけたあの日、ここでその本質を垣間見た気がします。

 同じ人間と話しているはずなのに全く別の生き物と対峙しているような……淡々と説明する彼に私は恐怖しましたよ。

 人間の形をした悪魔とその倫理観について、まるで意見交換でもしているような気分でした。

 

 

 

「やめて……もう震えないで――――――」

 

 

 あれだけのことをやっておいて平然としている化物、そんな彼から生徒たちを守ろうと私は奔走したのです。

 予選で彼と戦うはずだった生徒に生徒会を通して圧力をかけて、従わない者には彼との戦いに関して責任は負わないことを伝えました。

 学園側は一切の責任を負わない。つまりは試合で負った怪我やその治療も含めて、その全てが自己責任であると伝えたのです。

 

 

 ただ、決勝トーナメントともなると圧力をかけるわけにはいきません。

 既に決勝トーナメントの組み合わせに関して、彼の希望通り全ての日程を変更していました。

 なぜ彼がターニャさんにこだわっているのか、結局その理由を聞き出すことができませんでした。

 

 

 どうしてこんな回りくどいことをするのか、彼の目的がなんなのかも私は知りません。

 しかし、私との取引の中で彼は対戦相手に対する過度な攻撃、及び流血沙汰は起こさないと約束してくれました。

 それに警備の職員を増やしさえすれば問題ないはず、私を利用するつもりならこちらも利用させてもらいましょう。

 

 

 どんな手を使ってでも優勝すると私は誓いました。それならば彼を利用しない手はありませんし、なによりその異常性も含めて彼という存在は大きい。

 狂っているでしょう……化物染みているでしょうよ。ですがこの学園で一番強いのは彼であり、その人間性から他校への牽制にも使えるでしょう。

 

 

 彼と取引した時点である程度の危険は承知の上ですし、それを差し引いてでも彼という人間がほしかった。

 ハッキリ言いましょう……私は一部の生徒を犠牲にしてでもその力がほしかったのです。

――――――ただこればかりは些か予想外だったというか、彼の恐ろしさは私の想像を遥かに超えていました。

 

 

 

「出せ! 私を騙したあの裏切り者に会わせろ!

 人の心を弄んで……私は絶対にあんたを許さない――――――私はあんたのことを信じてたんだ!」

 

 

 彼の試合が終わったのかアリーナが元の静けさを取り戻した頃、女性の声が聞こえたかと思えば激しく言い争っていました。

 ドア越しからでも感じられるほどの激しい憎悪、その聞き覚えのある声に私は戸惑ったのです。

 この学園にいる唯一の獣人にして彼と親しい間柄の生徒、彼女のことを私は入学テストの時から知っていました。

 

 

 とても家族想いで絵にかいたような優等生であり、少なくともあんな感情を学友に向けるような人ではありません。

 きっと彼女の違和感に気づいたマリウスに止められて、それでこんな風に言い争っているのでしょう。

 冗談にしても質が悪いというかあまりにも現実味がなく、こんな状況でなければ失笑していたと思います。

 

 

 彼の名前が出てきたからこそ私は青ざめ、彼と仲の良かった彼女だからこそ私は思う。

 たとえどんなに荒唐無稽なことであっても、たったそれだけの理由で私は信じられます。

 

 

 

「あっ、やっと来ましたか! 試合の方は……ひっ」

 

 

 そんな剣呑な空気が漂う控室の中に、アルフォンス君との試合を終えた彼が帰ってきたのです。

 今まで感じていた空気など霞んでしまうほどの殺気をまとって、なにが面白いのか不気味に笑っていました。

 このときの私は酷い顔をしていたでしょう。壊れた玩具のように笑い続ける彼が、どうしようもないくらいに怖かったのです。

 

 

 

「生徒会長様に言われた通り直接的な攻撃は控えました。

 数日間は立てないでしょうがそれ以降は問題ありませんし、これといった外傷もないので後遺症の心配もありません」

 

 

「それは……本当なのですか?」

 

 

 思わず聞き返してしまうほどそのときの彼は血生臭かった。私は彼のことを信用していませんし、なによりその倫理観が全く理解できません。

 ですがある側面に於いては高い教養を備えており、彼という人間の悪質さはその一点に尽きます。

 共感能力の欠如とその二極化思考さえなければ、私は彼に対して好意を抱いていたと思います。

 

 

 白か黒か。0か100か。

 その極端な思考と性格こそが恐れられる理由、生徒達が脅えてしまう原因でありその本質でしょう。

 高機能反社会的人間、特別な人間とは誰にも理解されないから特別なのです。

 

 

 

「交わした約束を反故にするほど礼儀知らずではありませんし、生徒会長様の言葉に従って最大限努力はしました。

 彼の召喚獣(ぶき)は例外としても、私の攻撃によって彼が負った傷は微々たるものです。

 むしろ私の方が傷を負ったほどでして、己の不甲斐なさに気が立っているのですよ」

 

 

 

「武器? 武器ならば問題ありません。

 アルフォンス君が無事なら武器の代えなどいくらでもありますし、なにより剣や刀というのは消耗品と同じですからね。

――――――ただそんなことよりも少々聞きたいことが……この声が貴方には聞こえていますか?」

 

 

 徐々に激しさを増していく喧騒、ドア越しからの声がいつしか衝撃音へと変わりました。

 おそらくは実力行使に出たのでしょうが、彼女が職員を攻撃するなんて絶対普通ではありません。

 しかしその当事者の一人でありながら彼は平然と、あのときと同じようになんの躊躇もなく言ったのです。

 

 

 

「どうやらどこかの誰かがマリウス先生と言い争っているようだ。……ふむ、考えたくはないですがこれは由々しき事態ですな。

 仮に理由もなく職員に危害を加えたなら、その女生徒を処罰しなければなりません。

 確か校則にも職員に対する攻撃や私闘、それに準ずる行為を禁止する旨が記載されています」

 

 

 なるほど……全ては貴方の目論見通りということですか、こうなることを見越して職員を待機させたのでしょう。

 おそらくは彼にとって唯一ともいえる学友を騙すつもりで、貴方にとっての友達とはただの踏み台に過ぎない。

 化物染みた力と悪魔のような狡猾さを兼ね備えた人間、貴方はこの世界をどんな風に見ているのですか。

 

 

 

「ここで私から提案なのですが、その女生徒を自宅謹慎とするのはどうでしょうか。

 仮にその生徒が決勝トーナメントの出場選手だった場合、更生させるためにもその当日まで謹慎させるのです」

 

 

 ですがもう引き返すことはできない。……いや、引き返すつもりもありません。

 四城戦で勝つためには彼の協力が必要であり、私は私の目的を果たすために彼を利用する。

 今更後悔するくらいならもっと前に、それこそ入学テストの時点で彼を弾くべきだった。

 

 

 私は踵を返すとそのまま控室を後にしました。取引相手がそれを望むなら、その共犯者である私に選択権などありはしない。

 だから私はセシルさんを生徒指導室まで連れていき、そして然るべき手続きを踏んでから処罰しましょう。

 職員に対する攻撃によりセシルさんを謹慎処分に、その期間は次の試合が行われる当日までの間です。

 

 

 

「全く、私はちゃんと伝えたのだがな。

 試合が終わってから話し合おう――――――つまりは彼女との試合が終わってからであり、今押しかけられても迷惑なだけだ。

 ああ……なんというか、本当に鬱陶しい小娘だよ」



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合理主義者の準々決勝

 いつもの私ならばこの場所に立った時点で嫌悪していたはずだ。しかし、今日という日に限ってはそんな感情は一切なく、私に対する罵声すらもどこか心地良かった。

 きっとこれから始まるだろう戦いにある種の愉悦を見出し、そしてこの高揚感を持て余しているのだ。

 彼女と出会ったあの日から始まったこの物語、私達の不思議な関係も遂に大団円である。

 

 

 ウィリアム=シェイクスピアには程遠いが、それでも素人にしては上出来の脚本だろう。

 個人的にはリア王のような悲劇かハムレットのような狂気が好みだが、残念ながら私の描いた脚本では誰も死なない――――――予定である。

 諸君はシェイクスピアからどんな教訓を学んだだろうか、特にリア王やハムレットといった四大悲劇からだ。

 

 

 現代社会に於ける必須事項。処世術に関する概念と無能な権力者の最期、優しさや正義といった哀れな結末が満載である。

 人間の本質を理解したうえで描かれたストーリーは新鮮であり、その内容はライトノベルなんかとは比べものにならない。

 作品に出てくる主要人物の何人かは必ず死ぬが、それも踏まえて私は彼の作品を気に入っている。

 

 

 正義は勝つ? 愛は負けない?……ふむ、その手の作品が好きなら児童書でも読みたまえ。

 現実世界でそんなものを頼りに悪と戦ったらどうなるか、悪の定義にもよるが少なくともハッピーエンドはありえない。

 ブラック企業を相手に訴訟を起こすのに必要なのは金と弁護士であり、正義や愛といったものを武器に戦っても挽肉(ミンチ)にされるのが落ちである。

 

 

 

「学園の職員を攻撃して謹慎処分になったと聞いたが、その様子だとあまり元気でもなさそうだな。……寝ていないのか? ほら、この辺りに大きな隈ができている」

 

 

 さて、では日本の皆さまこんばんは。

 学生同士の試合にもかかわらず、全力の殺意を向けられている哀れな子羊とは私のことです。

 学園代表戦準々決勝、言うなれば四城戦への出場をかけた大事な一戦である。

 ここで勝てばその資格が貰えるので張り切るのはわかるが、それでもこれは少々やりすぎだと思うがね。

 

 

 お腹を空かせた猛獣とはこんな感じだろうか、上質な憎悪を下地として殺意という名のトッピングがついている。

 上を目指そうという気概やその行動力は理解できるが……なるほど、確かに君は誰よりも人間に近い獣である。

 本当にこの私を殺すつもりなのか、どす黒い感情を放ちながら睨んでくる彼女に思わず苦笑いだ。

 

 

 

「今の君を見ていると初対面のときを思い出す。あのときも散々な目に遭ったが、今の君はあのとき以上に殺気立っている。

 個人的にはそんな君と戦いたくはないが……まあ、できるだけお手柔らかに頼むよ」

 

 

 彼女の持っている双剣が光を反射し、その心を表すかのように冷たい殺意が激しく揺れる。

 やる気になっているところ申し訳ないが、この試合の勝敗は既に決まっているわけでね。

 勝敗は戦う前から決まっているのさ。彼女の姉であるセレストを利用して聞き出した情報、セシルが得意とする技からその戦術まで私は知っていた。

 

 

 セレストも妹のこととなると途端に反抗的になるので、私もギアススクロールを用いて無理やり聞き出したがね。

 まさか上司に逆らうサラリーマンがいたとは、なんとも素敵で称賛されるべき家族愛だ。

 だが短時間労働者(アルバイター)とは違うのだから給料分の仕事はやってもらわねば、それこそ筋が通らないというか私としても困る。

 

 

 ギアススクロールがある限りどんなに反発しても無意味であり、彼女の頬を伝う涙を見ながら思わず呆れてしまった。

 どれだけ懇願しても彼女の意見は通らないが、それでも最初からそれを使わないぶん私は人格者だと思うのだがね。

 一応自分から喋るかギアススクロールで強制されるかの権利は与えているし、それすらも拒否されては私だって困るのだよ。

 

 

 

「どんな手を使ってでもあんたから聞き出してやる。お姉ちゃんのことを……全部、洗いざらい吐かせてみせる」

 

 

「これはまた……交渉術というにはあまりにも個性的だな。

 そんなにこの剣が気になるなら直談判でもしたまえ。私の用事が終わった後でなければ難しいが、それさえ終われば彼女も貸してくれるはずだ」

 

 

 開始の合図が鳴ったと同時にそのまま突進してきて、私との距離を詰めたかと思えばこの脅迫だ。

 四本の剣が重なり合って甲高い音を奏でながら対立し、私は黒い感情をぶつけてくる彼女に微笑む。

 純粋な力勝負ならば私が負けることはないし、そうなればこの状況を乗り越えるために使ってくるはずだ。

 

 

 セレストから聞き出した彼女の奥の手、そのユニークな能力を是非とも見せてほしい。

 このまま終わっては私としても困るからね。切り札を隠したいのはわかるが、そんなことを許すほど私は甘くない。

 

 

 

「君は体感速度を操れると聞いていたが、どうしてそれを使おうとしない。

 ん? ああ、彼女から教えてもらったのだよ。己の周囲に結界を張ってその中にいる者、つまりは私の体感速度と感覚を狂わせる。

 さっさと使えばいいじゃないか、このままでは話にならないし私としても興ざめだ」

 

 

 微笑む私とは対照的に彼女の顔は凍りついていた。この程度で動揺するなんて所詮はごっこ遊びということか、殺気だけは一人前でそれ以外は空っぽである。

 重なり合った剣が徐々に押されていき、必死に持ちこたえている姿がとても健気だった。

 このまま倒すことも可能ではあるが、それでは私の計画に支障が出てしまう。

 

 

 彼女が彼女自身の手でこの違和感に気づくこと、それがこの物語に於ける重要な分岐点だ。

 私が散りばめた無数のパンくずを拾うことで、彼女は真実とは程遠い大団円(ゴール)を模索する。

 こう見えても君のことを高く評価しているのだ。あのバーバリアンとは違って君は頭が回るし視野も広く、こんな私に好感を持っているような人間である。

 

 

 どうしてこの剣を持っているのか、君の能力を知っている理由や先ほどの発言にしても不可解だろう。

 君ならば絶対に気づくはずだ。私は彼女の力が弱まった瞬間に剣を弾き、そしてその脇腹に向かって加減した一撃を叩き込んでね。

 少しだけ距離を置いて一旦落ち着こうじゃないか、冷静さを失った人間はその能力を半減させてしまう。

 

 

 

「私の能力について、あんたがお姉ちゃんから聞き出したのはわかった。

 そしてお姉ちゃんが今もあんたの身近にいて、私の前に出てこられない理由があるのもわかったよ。

 あんたが言いたいことはわかった。だけど……ね。だからって私は止められない――――――」

 

 

 そうやって向かい合ったとき、彼女から放たれる殺気が弱まりその瞳が和らいだ。

 この短時間でそこまで気づくとは、私としても君を信じた甲斐があったよ。

 私の言動がなにかしらの形で繋がっていたら、その全てを理論づけて考えたら行きつく答えは一つだからね。

 

 

 それをどう捉えるかは本人次第であり、私は彼女という人間を知るためにテラスを訪れていた。

 あのテラスで過ごしたささやかな時間、あのときも君は私の言葉を信じて疑おうとはしなかったね。

 分の悪い賭け? いやいや、私に言わせればとても合理的な方法である。

 

 

 私の発言はあまりにも不可解であり、そこに違和感を覚えるのは当然のことだ。

 冷静になって考えれば誰だって気づく、そもそも他人から奪った剣をこんな場所で使うだろうか。

 こんなところで使っても私の立場が悪くなるだけで、しかも本来の所有者を知るセシルまでいるのだ。

 

 

 それにあのセレストが妹の能力を喋るとは思えない。クロード家の誇りともいえる武器を奪った相手に、彼女が唯一の家族でもある妹を売り渡すはずがない。

 付き合いの短い私でさえもわかるのだから、彼女の方は疑おうとすらしなかっただろう。

 ギアススクロールの存在を知らなければ一生辿り着けない真実、そしてなにも知らない彼女は間違った方向へ歩き続ける。

 

 

 迷子のようにぐるぐると歩き回る彼女にヒントを与えて、私にとって都合の良い真実へと誘導する。

 私に好意を抱いている彼女だからこそ、その目印(パンくず)を疑いもせずに食べてくれるのだよ。

 大丈夫、だって私たちは仲の良い同級生じゃないか――――――それにこれが終わったらちゃんと会わせてあげよう。

 

 

 

「この剣を収めることも……この感情を我慢することだってできそうもないの。

 たとえあんたがお姉ちゃんの恩人であったとしても、私は行き場のないこの気持ちを抑えられそうにない」

 

 

「そうか……まあ、勘違いされるのには慣れているから気にするな」

 

 

 彼女が気づいたところで試合は終わらないし、むしろここからがスタートラインである。

 私は突っ込んでくる彼女に対して双剣を構えてね。セレストから聞かされた話では彼女は一定の範囲にいる者の、その体感速度と感覚を狂わせる魔法を使うそうだ。

 

 

 つまりは結界内にいる者の速度や痛覚だけでなく、嗅覚や触覚すらも操れるのである。

 ただそれだけ強力な魔法であるため、体にかかる負担も大きくそれなりの制限もあるそうだ。

 連続しての使用や能力の併用はその性質上難しく、一度の展開でかなりの魔力を消費するらしい。

 

 

 しかしそれを差し引いても数倍の速度で動けることや痛覚の遮断など、その能力は使い勝手がよくとても強力だ。

 だが長期戦には不向きなようで、魔力が無くなる前に決着が尽かねばじり貧である。

 

 

 

「なるほど、確かに今までの動きとは大違いだな」

 

 

 突進してきた彼女が消えたかと思えば、次の瞬間に私の目の前で剣を振るっていた。

 倍速で動くというのはこれほど違うのか、この私が見失ってしまうほどにその速度は凄まじかったよ。

 確かにそこら辺の生徒では相手にならないだろうが、今回は相手が悪かったとしか言いようがない。

 

 

 一瞬だけ見失ってしまったがそれは文字通り一瞬であり、この程度であればいくらでも対処できる。

 セレストの話では倍速が限界ということだったが、これはこれで少しばかり拍子抜けである。

 どれだけ持つのかは知らないが、取りあえずは元に戻った瞬間を狙ってその剣を叩き落そう――――――

 

 

 

「舐めんな! お姉ちゃんが知っているのは数ヶ月前までの私、だからあんたの知っている私は今の私とは違うの!」

 

 

 これは……これは、まさか更に倍速で動けるとは思わなかった。

 まさかこの私についてくるなんて、かすり傷とはいえ素直に褒めてあげよう。

 ヒーロー君のようなトリックを使った一撃ではなく、純粋な力、純粋な能力によって彼女は一矢報いたのだ。

 

 

 それが頬を掠めただけのものだったとしても、私に一撃与えたのは事実であり称賛すべき行いである。

 頬を伝う一筋の線が私の顔を少しだけ染めて、私は驚きと共にちょっとだけ感心してね。

 なるほど、確かに成長しているようだがこの程度で強がられても困る。

 

 

 

「ではそんな君に敬意を表して、私も少しばかり本気で戦うとしようか。

 君がなにを迷っているのかは知らないが、それでも今の一撃には心底失望した」

 

 

 今の一撃は本来であればもっと深かったはずであり、おそらくは私に対する好意が彼女の剣先を鈍らせたのだろう。

 彼女が本気だったとしても避けられただろうが、それでもこのかすり傷は私の油断が招いたものだ。

 セレストの情報を信じて彼女を侮っていたこと、ヒーロー君との模擬戦で学んだことを私は忘れていた。

 

 

 私は自分自身が許せなかったのだよ。絶対的な有利、絶対的な強者を気取りながら私は見逃された。

 私に対する好意が彼女の体を束縛し、そしてそのおかげで私はこんなかすり傷で済んだのだ。

 油断だ。あの瞬間私は確かに油断していたのだよ。

 

 

 

「馬鹿にしないでいただこうか、どれだけ勘違いされても一向に構わないがね。

 だが情けをかけられるのはとても不愉快だ。先程の一撃、あれはどういうつもりだセシル=クロード」

 

 

 結局、あの模擬戦での敗北と教訓を私は忘れていた。

 一流の定義、それは言われたことを忠実に守り同じ過ちを繰り返さないことだ。

 ではその点を踏まえた上で考えてみようか、今の私は一流なのかそれともそれ以外なのか。

 

 

 

「前にも話した通りこの試合が終わったら全てを話そう。君が知りたかったこと、私とセレストの本当の関係も含めてね――――――」



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合理主義者の尻尾と牙

 貴方が無口なのは知ってるけど、今日だけは本当のことを話してほしい。

 ヨハン君が正しかったのかそれとも私の方だったのか、なにを信じればいいのか自分でもわからなくなっていた。

 学園代表戦の準々決勝。その舞台で私は誰よりも混乱していて……なんていうか、私の意思はこんなにも脆かったのかな。

 

 

 あんなにも怒って、そして泣いた筈なのに未だに私は迷っている。

 ヨハン君とアルフォンス君との試合中、私の足はいつの間にか動き出していた。

 クロード家の紋章が刻まれた双剣、お姉ちゃんが持っているはずのそれを彼が使っていたからだ――――――ただ単にその理由が知りたくて、どうやって控室に向かったのかは私も覚えていない。

 

 

 

 あのときの記憶は酷く曖昧で、私の体は黒い感情によって突き動かされていた。

 怒りや悲しみ、そこに少しばかりの悲しみを混ぜて出来上がったもの。……私がハッキリと思い出せるのはそれから少し後の、どこか悲しそうに微笑むニンファさんに呼ばれてからだ。

 そこでやっと私はここが生徒指導室だと気づいて、自分がなにをしたのか彼女から教えられた。

 

 

 

「セシル=クロードさん、今回の件に関する処罰を言い渡します」

 

 

 感情を持て余してしまった私は、あろうことかマリウス先生に攻撃したらしい。

 混乱する私を尻目にニンファさんの表情は険しく、そして近くにいるはずの彼女がとても遠かったの。

 淡々と告げられる内容が他人事のように思えて、どうしてもその実感が湧かなかった。

 

 

 私の心に芽生えた感情は徐々に体を侵食していき、その全てが黒く染まるまでそんなにかからなかったと思う。

 彼の体に剣を突き立てて一秒でも早く真実が知りたい。こんな感情は生まれて初めてだったし、できることなら今すぐにでも彼を問いただしたかった。

 だけどそのたびにお姉ちゃんの笑顔が脳裏を過って、そんな私を何度も押し留めてくれたの。

 

 

 私のわがままでこの学園に入学したのに、ここで退学にでもなったらお姉ちゃんに顔向けできない。

 少しだけ取り戻した理性に私は悶々とした感情を募らせて、彼に対する憎しみが日に日に殺意へと変わっていく――――――そして今日という日を私は迎えたの。

 

 

 

「あんなにも憎んでいたのに……なんで、どうしてこんなにも虚しいのかな」

 

 

 この数日間ずっとこの瞬間を待ち望んでいたのに、気がつけば彼のことを信じたいと思っている。

 なんで……どうしてヨハン君はそんなにも遠いの。

 ヨハン君の足が速すぎて私には追いつけそうにないから、だからそんな風に意地悪しないでよ。もっとゆっくり歩いてよ。

 

 

 困る……困るんだよ。どんなに悩んでも答えは出ないし、なにを信じればいいのかも私にはわからない。

 貴方がわからない――――――どんなに考えても私にはわからないんだよ。

 

 

 

「ねぇ、私はなにを信じればいいのかな?」

 

 

 気がつけばその答えを彼に求めていた。短い付き合いだったけどそれでも彼という人間について、少なくともその笑顔が魅力的だというのは知っている。

 彼の欠点は彼自身を基準として他人にもその才能を求めるところ。彼が誤解されがちなのもそれが原因で、相手にも自分と同等かそれ以上の理解力を求めてくるの。

 

 

 究極に口数が少ない究極の口下手。それでも彼の言葉を注意深く聞いていれば、一応なんとなくだけど理解することはできる。

 お姉ちゃんが無事だということ、それに親しい間柄だというのは私にもわかったよ。

 お姉ちゃんに信頼されているのもわかったし、今思い返せば私の処罰が軽かったのも貴方のおかげなのかもしれない。

 

 

 

 だけど……だからって納得できるわけないよ。

 ヨハン君が伝えたかったことはなんとなくわかったけど、だからってあの時の感情を忘れることなんてできない。

 私は凡人だもん。私は貴方が考えているほど凄い人間じゃないし、お姉ちゃんみたいに強い人間でもない。

 

 

 私はヨハン君とは違ってどうしようもないくらい幼くて、それと同じくらいに聞き分けも悪いの。

 この学園の誰よりも貴方の事を理解しているつもりだし、君が浅はかな行動を取るような人間じゃないのも知ってる。

 わかってる。わかってるよ?だけど一度芽生えたこの感情は治まりそうになくて――――――

 

 

 

「ここから先は戦いではなく、どちらかといえば教育に近いかもしれない。

 個人的な見解ではあるが、今の君はセレスト以上に危うい存在だからね」

 

 

 お姉ちゃんから私の能力について、その全てを聞いているならそれ以上の力をみせてやる。……なんて、そう思ったからこそ私はその情報を逆手に取った。

 なにも教えてくれない彼に一矢報いたくて、私の成長を知らない今ならばその一撃は絶対避けられない。

 

 

 私の予想は正しかったよ。だけどそれと同時に最悪の結果も招いたの。

 倍速(アクセル)のことを知っているなら更なる倍速で、発動条件を知っているなら強引に突破すればいい。

 そうして生まれた唯一の勝機を、私は己の感情を制御できずに逃してしまった。

 

 

 手元が狂うなんて、そんな言葉では表現できないほどにその切っ先は乱れていたの。

 振るわれた剣は彼の頬を掠めただけで、慌てた私は思わず後ろに下がってね。

 この醜態を彼がどう捉えるかなんて、そんなのは今のヨハン君を見れば簡単だったよ。

 

 

 いつもの口調で淡々と……そう、淡々と話しかけてくるところがとても怖かった。

 たぶん、この瞬間から私は勝つことを諦めていたと思う。

 初めは彼が憎かった。次に彼を信じたくなった。それから彼が怖くなって――――――そして気がつけば認められたいと思った。

 

 

 私はなにをしたいのか、彼とどうなりたいかなんてわからない。

 なにも、どんなに考えてもその答えは出なかったと思う。

 彼を信じたい自分がいて、それと同時に彼を疑う自分もそこにはいたの。

 

 

 

「まず初めに、君は己の弱点を知らなさ過ぎる。

 君の能力は結界を媒介として相手の五感を操るものだが、それはつまり結界内でしか能力を使えないということだ。

 そしてその能力は君自身が速くなったのではなく、あくまで相手の五感を操っているに過ぎない。

 それならば最初から結界内には入らず、その外から攻撃すればなんの問題もない」

 

 

 そう言いながら結界内に入らないよう一定の距離を保つ彼に、気がつけば翻弄されている自分がいた。

 こんな短時間で私の能力について、その弱点を的確についてきた彼に私は唇を噛んだ。

 ヨハン君の立ち回りに全くついていけず、そんな私を見ながら彼は楽しそうに笑っていたの。

 

 

 彼の凄さは知っていたけど、それでもこの状況にはさすがにへこんだかな。

 まさかこんなにも実力差があったなんて、今までの努力を全否定されている気がしてさ。

 私自身の弱点から能力に関するダメ出しまで、こんなにも残酷なアドバイスは生まれて初めてだった。

 

 

 

「結界の維持にはかなりの魔力を消費するだろうし、今の君にはそれを行えるだけの魔力がないからね。

 ずっと維持していてはあっという間に魔力切れを起こして、肝心な時に大事な切り札が使えないかもしれない。

 だから魔力を節約しながら戦わないといけないわけで、それと同様の理由で他の魔法も使うことができない」

 

 

 そして彼の右手が一瞬光ったかと思えば、双剣の片方が私の足元に突き刺さっていた。

 私の結界は相手の五感を操るものであり、自我のある生物に対してその効果を発揮する。

 だからこういった攻撃の前には役にたたないし、だからと言って魔術壁を展開するわけにもいかない。

 

 

 彼の言う通り私の魔力はそんなに多くはなくて、無駄遣いしていてはあっという間に魔力切れを起こしてしまう。

 だからこそ私はお姉ちゃんから剣技を教わり、ある程度の護身術も身に着けていたの。

 ヨハン君の推測は全て当たっていた。地面に突き刺さった剣を見ながら額の汗を拭って、その動揺を隠すためにも彼を睨みつけようとしてね。

 

 

 

「これで一度目、動揺しているのはわかるがもっと演技力を身につけろ」

 

 

「えっ!?」

 

 

 背後から聞こえてきた言葉と冷たい感触、そのチクリとした痛みに変な声が出てしまう。

 咄嗟に結界を展開して振り向きざまに一閃、そして彼の姿を探してみたけどどこにもいなくてね。

 もう一度注意深く辺りを見渡すと、いつの間に移動したのか地面に突き刺さった剣を回収して結界の外に立っていた。

 

 

 

「違う、こんなので勝ったなんて言わせない!」

 

 

 その言葉と共に私は真っ直ぐ駆けていき、それに対して彼はその双剣で応えてくれた。

 よし、正面からぶつかり合ったら私だって簡単には負けない。

 さっきは油断していたけど、これならば結界の外へ逃げることもできない。

 

 

 四本の剣が激しくぶつかり合ってその衝撃に火花が散り、御互いの息遣いがわかるほどの接近戦となった。

 私は結界の範囲を広げて彼を包み込み、その五感を操ることでこの状況を覆そうとしてね。

 このままだと私の方はじり貧だし、なによりこのまま終わるなんて絶対に嫌だった。

 

 

 

「さて、これは君の能力というよりは君自身が抱えている弱点だ。

 君の能力は接近戦に於いて強力なアドバンテージとなる。しかし、接近戦とは速さだけではなく、最低限の腕力も求められるのだ。

 何度も言うようだが君の能力は相手の五感を操るだけであり、決して君自身が強くなったわけではない」

 

 

 わかる。ヨハン君の言いたいことは私にもわかる。……だって今の私は身動きが取れずにいたから、彼の腕力が強すぎるせいで剣を振るうどころか離れることすらできなかった

 彼の剣を受け止めるのに精いっぱいで、このままでは押し切られてしまう。

 かろうじて耐えてはいるけどいつまで持つか、この時ばかりは自分の非力さを呪いたくなったよ。

 

 

 

「なるほど、ここで体術を使わないのはその心得がないからか。

 ではこのまま押し切るというのも芸がないし、私が最も得意とする技を見せてあげよう」

 

 

 ヨハン君の言葉が聞こえたかと思えば、いつの間にかリングの端まで吹き飛ばされてね。

 両膝を地面につきながら痛む脇腹を押さえて、私が咳き込むたびに口元が赤く染まった。

 呼吸するたびに肺が痛むし頭もふらふらだったけど、そんな状態で立ち上がれたのは相手がヨハン君だったからだと思う。

 

 

 そんな私を知ってか知らずか、彼の足取りはとてもゆっくりとしていたの。

 向かってくるヨハン君を見ながら私の心は不思議と昂っていた。このままなにもできずに終わるなんて絶対に嫌、彼を失望させたままではその背中に追いつくことなんてできない。

 

 

 

「これで二度目か、まだ戦えるならば続けるが……どうするかね?

 個人的にはもう少し戦いたいところだが、そんな状態の君に無理強いしても意味がない。

 試合が終われば私とセレストの関係について、今の彼女がどういう状況に於かれているかも全て話そう」

 

 

 私は結界を最大限まで広げて少しでも時間を稼ごうとした。彼が立ち止まってくれたらその分だけ休むことができる。

 だけど彼の足は止まるどころか更に速まったような気がして、私はその時点で幾つかのことを諦めたの。

 彼が結界内に入ったと同時に痛む体を無理やり動かし、そしてくだらない意地を張り通すと決めた。

 

 

 思い通りに動かない心と体に苦笑いして、私は同じ失敗を繰り返さないためにも剣を握った。

 私の戦いはまだ終わっていない……むしろ始まってすらいないの。

 未だに私はまどろみの中を泳ぎ、そしてその答えを見つけ出せずにいる。

 

 

 だからこのままなにもできずに終わるなんて、そんなのは絶対に許されないし許さない。

 彼が剣を振るうよりも先に剣を振りぬき――――――そしてその先へと駆け抜けるんだ。

 

 

 

「全く、窮地に陥ったときこそ直線的な攻撃は控えるべきだ。

 短絡的な答えを求めるのではなく、必要なものとそうでないものを見極めて行動する。

 なにを優先すべきか考えてみれば……ほら、自然とその答えは見えてくる」

 

 

「そうだね。ヨハン君の考えていること、わからないことも多かったけどちょっぴり――――――ほんの少しだけわかったと思う」



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合理主義者の宣言

 なんと素晴らしい人材だろうか、この一撃を受け止めた彼女に私は称賛を贈りたい。

 これはちょっとした心理ゲームのようなもの、彼女は結界内に入った私を見てこう考えたはずだ。

 これが最後のチャンスかもしれない……これを逃せばもう後はないとね。

 

 

 だがそれは青酸カリがトッピングされたショートケーキであり、希望なんかとは程遠い最低の代物だ。

 そもそもこんな結界(モノ)で私達の実力差は埋まらないし、先ほどのような不意打ちももはや通用しない。

 セレストの情報を重視したせいで彼女に対する認識、そして私の対応が甘かったことは認めよう。

 

 

 この点はこの戦いで学んだ教訓であり、セレストというフィルターを通して彼女を見ていた私のミスだ。

 しかしそう悲観することもない。なぜならそこまでやっても彼女の剣は私に届かなかった。

 つまり彼女の結界ではこの実力差を覆せないということ、この戦いは彼女が剣を振るった時点で始まりそして終わったのである。

 

 

 あのときに躊躇していなければ……なんて、そんなことを言っても時間の無駄だろう。

 私を怒らせてしまったことが彼女の不運、そして私に取っての幸運だったかもしれない。

 この戦いはあくまでも通過地点であり、最終的には彼女を降参させるつもりだった。

 

 

 私の目的は可愛い子犬(セシル)をゲージの中へと誘導すること、彼女が踊り出した時点でその目的は達成されている。

 感動的なクライマックスを迎えるために、セシルには舞台(ゲージ)の中で踊り続けてもらおう。

 季節外れの新人研修。こちらにも色々と事情があるわけで、私のカテドラルを強化するためには君たちが必要なのだ。

 

 

 拒否権は認められないがその分待遇は保証するし、働きによってはセレスト再び暮らせるよう手配しよう。

 少しばかり血生臭い会社ではあるが、安心安全の終身雇用であり大好きなお姉ちゃんとも一緒にいれる。

 

 

 

「ねぇ、私はなにを信じればいいのかな?」

 

 

 こうして季節外れの新人研修が始まったのである。セレストから聞いた情報に個人的な見解もプラスし、アドバイスという名の下に彼女の自尊心を叩きのめす。

 私という存在を大きく見せたうえで、彼女の中にあるはずの残像を絶対的なものとする。

 私に対する好意が彼女の人格を狂わせるのだ。好意というフィルターを通したとき、人間とは自分にとって都合の良い部分しか見ようとしない。

 

 

 散りばめられたパンくずを拾った彼女は、その断片的なヒントから必死に答えを探していた。

 私が何を考えているのか、その思考を読もうとして考え、悩み、そして染まっていったのだよ。

 お前が深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いている。ドイツの哲学者が残したこの言葉はとてもユニークであり、実存主義に於ける代表的な言葉だと私は思う。

 

 

 

「ほう、面白いじゃないか」

 

 

 正面から突っ込んでくる彼女に私は呟くと、そのまま剣を構えて同じように走り出した。

 この状況を好機だと思っているなら、残念ながらそれは大きな勘違いだ。

 私は合理主義者だからね。費用対効果や時間対効率を誰よりも重んじているし、目的のためならなんだって利用しよう。

 

 

 ではそんな男が何も考えずに行動するだろうか――――――答えは否、だ。

 彼女の性格と結界の性質上その攻撃は単調なものが多く、長時間の打ち合いにはあまり慣れていない。

 それこそ学生風情が相手では一方的にあしらわれて終わり、相手が結界内に入った時点でその勝敗が決まってしまう。

 

 

 つまり接近戦が得意といってもその経験は少なく、ちょっとした罠や予想外の反撃には対処できない。

 立体的な動きには体がついていかず、先ほどのような至近距離での戦闘にも弱い。

 大方あそこまで近づかれたことがなく、結界の中で打ち合うのも初めてだったはずだ。

 

 

 それならば私のやるべきことは決まっている。正面からの攻撃で彼女の一刀を誘い出して、それが振り下ろされた瞬間に双剣を弾き飛ばそう。

 意味深長な言葉と圧倒的な力、思い通りにいかない焦りが彼女の思考を鈍らせる。

 直線的な動きから立体的なそれへと、フェイントを入れてからの一撃でこの試合も終わりだ。

 

 

 

「やっぱり、ヨハン君が正面からくるなんておかしいと思ったもん」

 

 

 だが、その一撃に彼女は対応してみせた。最初のフェイントには見向きもせずに、本命の一撃を受け止めた彼女はどこか嬉しそうだった。

 御互いの息遣いがわかるほどの距離で微笑む彼女、予想外の状況に思わず苦笑いしてしまったよ。

 おそらくは私の性格とあの言葉を信じて、それでこの一撃に全てを賭けたのだろう。

 

 

 ここから先は戦いではなく教育だ――――――だからこそ正面からくるのではなくなんらかの形で双剣を奪いにくると読んだ。

 どう足掻いても私に勝つことはできないが、それならば一秒でも長くこの試合を長引かせよう。

 彼女が今もこうして立っているのは、その執念がもたらしたささやかな奇跡である。

 

 

 勝つことを諦めたからこそ気づけた選択肢、あのバーバリアンとはわけが違う。

 これ以上の戦いは無意味だと彼女は知っている。事実、私の考えを裏付けるように彼女は動こうとはしなかった。

 結界を展開するわけでもなく、だからといって私から離れようともしない。

 

 

 剣も振らずにただ黙って最後の瞬間、言うなれば私の攻撃を待っているようだった。

 なるほど、どうやっても勝てないならいっそのこと投げ出してしまおう……か。

 このまま戦ったところで結果は明白、それならば最初から無駄な抵抗はせずさっさと終わらせよう。

 

 

 彼女の目的は代表戦に優勝することでも、ましてや四城戦に出場することでもないからね。

 あくまでも私とセレストとの関係を知ること、そして唯一の家族と再会することの方が重要なのである。

 それこそこんな試合なんてどうでもいいと、そう思えるほどに彼女は欲しているのだ。

 

 

 ほら、なんとも美しい家族愛じゃないか。

 御立派な地位や名誉なんかには見向きもせず、セレストと過ごす平凡な日常を取り戻すために戦う。

 他者のために自らを犠牲にできる稀有な存在であり、だからこそ私は君という人間を評価する。

 

 

 

「セシル、私は君の覚悟を侮っていたかもしれない。

 今の君はどんな貴族よりも気高く、そして今まで出会ってきた誰よりも美しい。

 セシル=クロード、私は自分以外の人間に対して初めてこんな感情を抱いた。

 たとえ何千、何万、何億の人間が君のことを否定しようとも関係ない――――――私が君という人間を評価してやる。

 だから誇れ……そしてこれ以上私を失望させるな」

 

 

 

 欲しい。そんな君が是非とも欲しいのだよ。

 人の感情とはアニメや小説のように単純なものではないし、そこには無量大数分の選択肢と可能性が存在する。

 複雑な人間関係と個人の感情、様々な利害関係が個を形成してそれが全へと変わる。

 

 

 だが人は誰しもある種の願望や欲望、劇的な変化を無意識の内に欲しているのだ。

 人心を掌握する術について、彼のちょび髭オジサンはこう語っている。

 

 

 

「私は説得によって全てを作り出した」

 

 

 ここはちょび髭オジサンをお手本に、目の前にいる間抜けな小娘を扇動してやろう。

 私はため息を吐きながら背を向けると、そのままセシルが喜びそうな言葉を使って心を揺さぶる。

 それこそ絶対的な強者を気取りながらガッカリだと言わんばかりに――――――そうすれば……ほら、彼女は私という人間に心酔することだろう。

 

 

 先ほどとは打って変わって輝きを取り戻した瞳、君はヒーロー君のような偽物ではなく本物の御人好しだ。

 正真正銘の利他主義者、今の彼女は己の浅はかさを悔やんでいるはずだ。

 セレストのことが気になるのはわかるが、だからといって私をないがしろにしないでほしい。

 

 

 

「君に対して敬意を払おう。私はセレスト共に人魔教団と敵対するもの、セシル=クロードのクラスメイトであり仲のいい友達だ」

 

 

「うん、私もヨハン君と同じ気持ちだと思う。

 ただ認められたくて……貴方に追いつきたいからこそ私は戦う」

 

 

 

 そしてそんな感情に乗じて最後の狂言、言うなれば最大のパンくずを落としてやる。

 ここから先は試合が終わった後、特別ゲストも交えてゆっくりと話し合おうか。

 私の誘いに彼女は喜々としてゲージの中へと飛び込み、その様子を見ながらこれ以上の会話は無粋だと悟った。

 

 

 ブルーカラーとして働かせるにはセレストは危険だし、今の内にセシルの実力をある程度把握しておきたい。

 誰かのために自らを犠牲にできるなんて……ああ、君は本当に素晴らしい人材だよ。

 彼女が大切とする人間の中に加わったなら、それこそ私としても今後の計画を安心して進められる。

 

 

 研ぎ澄まされた二つの感情と儚く揺れる二つの双剣、私達の視線が重なり合った時周囲は静寂に包まれた。

 あれほどうるさかった雑音が聞こえなくなり、数え切れないほどの視線がその瞬間を待っている。

 今の私には彼女がなにを考えているのかがわかった。戦いが長引けば長引くほどに彼女の勝機は失われていく、それならば最初の一撃に己の全てをかけるしかない。

 

 

 

「いい、やはり私の目に狂いはなかった」

 

 

 案の定展開された結界はかなり大きく、おそらくは全ての魔力をこれに注いだのだろう。

 自滅覚悟の特攻。それは最も合理的で称賛されるべき一手であり、これで時間稼ぎをすることもできなくなった。

 それは覚悟という名のあからさまな挑発、可愛らしい子犬がケージの中で叫んでいる。

 

 

 私は結界の中へと入るとそのまま一気に駆けていく、ここで小細工を弄するほど野暮でもないからね。

 魔力を使い果たしてしまったのか、彼女は剣を構えたままそこから動こうとはしなかった。

 身体・精神的ダメージを負っているにもかかわらず、そんな状態でも彼女は諦めていない。

 

 

 しかし、現実はどこまでも残酷であり、数秒後には私の剣だけが振るわれていた。

 セシルの双剣が砕け散りその体から力が失われていく、それはまるでスローモーションのようにゆっくりと……それでいて着実に時を刻む。

 わかりきっていた光景、なんの面白味もない結果がそこに広がっていた。

 

 

 ただ、私は倒れゆく彼女にどうしてあんなことをしたのだろう。

 咄嗟に伸ばした手は彼女の手を掴み、そして自分の方へと引き寄せていたのさ。

 砕け散った刃が光を反射しながら二人を包み、そんな煌びやかな空間の中でセシルを抱いていた。

 

 

 

「ほら、やっぱり君は優しいね」

 

 

 私の目の前で彼女は嬉しそうに微笑んでいた。もしかしたらこれを狙って……なんて、そんな馬鹿らしいことを想わず考えてしまう。

 しかしそんな妄想も終了の合図と共にかき消され、満足そうに眠っている彼女を見ていたらどうでもよくなった。

 むしろ私にとっての戦いはここから始まるわけで、学園の近くで待機しているはずのゲストをどうやって連れてくるかが問題だ。

 

 

 駆けつけた職員に彼女を引き渡した私は、そんな彼らを見ながら当初の予定を変更すべきだと思ってね。

 取りあえずは生徒会長様に協力を仰いで医務室の人払いをし、そして学園の裏口がどこにあるのか聞き出すとしよう。

 

 

 

「ん? なんだ――――――」

 

 

 なんと言うか……これからのことを考えていたせいで、私は私自身の足並みが遅れていることに気がつかなかった。

 いつもの喧騒を取り戻したアリーナの中で、有り体に言えば私の悪い癖が出てしまってね。

 いつもならこんな鬱陶しい場所に長居はしないのだが、そのせいで聞き捨てならない言葉を聞いてしまったのさ。

 

 

 

「全く、やっぱり動物じゃ勝てねぇよな」

 

「所詮は犬っころ、俺は最初から負けると思っていたね」

 

 

 今までならば私と戦った相手に対して、その全てに称賛を送っていた馬鹿どもが野次を飛ばしていた。

 初戦で戦った戦鬼や名前も知らない女生徒、そして糞ったれなヒーロー君は称賛するのに彼女は違うらしい。

 そうか、私が認めたセシルではなくあんなゴミ共が好みなのか。

 

 

 なるほど……なるほど、本当にどうしようもない馬鹿どもでもある。

 それが獣人に対する偏見なのか、それとも私に対する当てつけなのかはわからない。

 だがそれでも私と戦うだけの勇気もない有象無象が、彼女を罵っているという事実だけで十分だった。

 

 

 

「さて、ここで私からちょっとした注意事項がある」

 

 

 騒がしいアリーナの中心で私はできるだけ目立つように振る舞った。周囲を見渡しながら双剣を地面に突き刺して、そのうえで不快感を隠そうともせずに叫んだよ。

 

 

 

「セシル=クロード、彼女を侮辱する者に私は容赦しない。

 彼女は私が認めた人間であり、貴様らの何兆倍も美しくて価値のある存在だ。

 私は貴様らが何百、何千、何万人に死んでもかまわない。……もう一度言うぞ? 私は貴様らがいくら死んでもかまわないのだ」

 

 

 こんな馬鹿共に、私が認めた彼女を貶されることが不愉快だった。

 

 

「彼女に触れた者はその部位を削ぎ、馬鹿にした者はその舌を削ごう。

 殺しはしないから安心してくれたまえ。ただ削ぐ――――――削ぐだけで終わりだよ諸君。

 四肢を削いで達磨にして、そしてそのまま新しいオブジェとして飾ってあげよう」

 

 

 こんなゴミ共に、私が欲した人材を中傷されるのが不愉快だった。

 

 

 

「貴様らのような馬鹿にはわからないだろうが、彼女は私と同じかそれ以上の可能性を秘めている。

 彼女は私のものだ。私だけの……私が欲した女なのだよ。

 そんな彼女を馬鹿にする? ほう、私を敵に回してもいいならやってみろ」

 

 

 柄にもなく声を張り上げたこと、馬鹿な大衆と会話することが不愉快だった。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――



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学園代表戦(結)
合理主義者の司教座聖堂


「全く、随分と待たせてくれる」

 

 

 鼻をくすぐる薬品の匂いと、この白を基調とした独特の空間が私は嫌いでね。

 思い出したくもない過去がよみがえり、私は無意識のうちに舌打ちしてしまった。

 なんとも大人気ないというか……目の前に怪我人が寝ているというのに、彼女に対する配慮が欠けていたと思う。

 

 

 

「え……っと、ここは――――――」

 

 

 そう言って辺りを見渡す彼女は混乱しているようだったが、状況が状況なだけにそれも仕方ないのかもしれない。

 目を覚ますとそこはカーテンで仕切られたベッドの上、しかもその横には彼女に怪我を負わせた張本人がいる。

 彼女の視線に思わず苦笑いしてしまったのは、この不思議な状況に対するささやかな抵抗である。

 

 

 私が説明しなくとも彼女は気づくだろうし、なによりそんなことに大切な時間を使いたくはなかった。

 ここがどこなのか、そして彼女の身に一体なにが起こったのか――――――ふむ、少し考えればそこら辺の小学生にだってわかる。

 

 

 

「そっか、やっぱり私負けちゃったんだ」

 

 

 そう言って微笑む姿はどこか満足そうで、なんでこんなにも嬉しそうなのか私にはわからなかった。……まあ、わかりたいとも思わないし興味もないがね。

 そしてそんな私たちの視線が絡み合ったとき、そこから見えた一瞬の輝きに私は混乱してしまう。

 今まで数多くの人間と言葉を交わしてきたが、彼女のそれは見たこともないような色をしていてね。

 

 

 

「あの……」

 

「ん? どうしたのかな?」

 

 

 喉まで出かかった言葉を何度も呑み込んで、考えがまとまったかと思えば再び黙ってしまう。

 おそらくは私に対する罪悪感が彼女の喉を潰し、そして積みあげられた(しがらみ)がその感情を抑え込んでいる。

 個人的には鬱陶しいことこの上ないが、ここで私の方から切り出すわけにもいかないからね。

 

 

 あくまでも彼女の意思を尊重し、そのうえで間違った方向へと誘導しなければならない。

 私が描いたにしては上出来のラスト、可愛らしい子犬は見事(セレスト)の居場所を突き止めたのである。

 

 

 

「お姉ちゃんのことを教えて――――――ヨハン君との関係も含めて……全部、私はなにがあったのか全部知りたい」

 

 

 彼女の言葉に私は悪辣な笑みを浮かべ、その真っ直ぐな瞳が黒い塊に覆われていく。

 そんな風に見つめられてもなんとも思わないというか、残念ながら私の感情はこれっぽっちも動かない。

 私の良心は燃えないゴミの日に捨ててしまったからね。今更良心の呵責に苛まれることやあのときのような失敗はありえないのだよ。

 

 

 

「さて、どこから話したものか――――――」

 

 

 そうして始まった確認作業という名の答え合わせ、私自身の口から嘘だらけの物語が語られる。

 物語の始まりはあのテラスで話した私たちの関係、私とセレストとの出会いを確認するところから始まった。

 

 

 私とセレストとの出会いに関して、それはギルドを通して薬草の採取を依頼したからである。

 そのときにやってきた冒険者がセレスト=クロードであり、私たちはサラマンダーギルドを通して何度も取引を行った。

 それはセレストが失踪するその直前まで続き、彼女への依頼が滞り始めたので私はギルドへと向かった。

 

 

 なぜこんなにもギルド側の対応が遅いのか、彼女はまだサラマンダーギルドの冒険者として活動しているかが知りたくてね。

 だがギルド本部を訪れた私は予想外のことを教えられた。それはセレストがよからぬ連中と付き合っていたこと、そしてそのせいで冒険者としての資格を剥奪されたという内容だ。

 最初は同姓同名の別人であることを疑ったが、残念ながらその可能性は否定されてしまった。

 

 

 

「人魔教団、この名前を聞いたことはあるかな?」

 

 

 初めはちょっとした好奇心だったと思う。セレストがこの国でも珍しい獣人だったから……なんて、そんな不純な動機で彼女の足取りを追った。

 ギルドの言うよからぬ連中とは一体誰なのか、なぜ登録を剥奪されてしまったのかが気になってね。

 そして想像以上に彼女が追い詰められていたこと、人種差別や文化の違いにセレストが悩んでいたことを知った。

 

 

 

「人魔教団とは闇ギルドの元締め的な組織、言うなれば最低最悪の連中だ。

 要人の暗殺から民間人の拉致や人体実験まで、彼らはありとあらゆる犯罪に手を染めている。

 私は彼女の足取りを追う過程でなぜ資格を失ったのか、そしてこの件に彼らが関わっていることを知った――――――」

 

 

 おそらくはこの国では珍しい獣人だったから狙われたのだろう。彼女は見栄えも良くて腕も立つし、彼らが欲しがった理由も納得できる。

 精神的に弱っているところをつけ込まれて、そのせいで彼女は道を踏み外した。

 私がセレストを見つけたとき、彼女は人魔教団が運営する闘技場の中で非合法の戦いに身を投じていた。

 

 

 久し振りに見た彼女は着ている服もボロボロで髪も汚れており、付き合いの短い私が見ても辛そうでね。

 見世物の一環として殺し合いを強要され、下衆な観客たちが対戦相手を殺せと叫んでいた。

 哀れな奴らだよ。自分たちが非力で無能だからこそ、金を払って殺し合いを安全な位置から眺めている――――――なんと言うか、そんな彼らを私は心の底から嫌悪したね。

 

 

 

「だからこそ私は徹底的に破壊した。それは比喩や言葉遊びの類ではなく、文字通り徹底的にやらせてもらったよ。

 こんな場所でセレストが戦っている……いや、戦いを強要されていることが許せなかった。

 あんなくだらない施設を造った人魔教団や、観客席で笑っているクズ共も全員許せなかった」

 

 

 そこから先は彼女を救い出して私の屋敷で匿うことにした。セレストを助けるためにかなりの無茶をしたから、このまま人魔教団が引き下がるとも思えなくてね。

 ある程度落ち着いてきた彼女に全ての経緯を話すと、セレストは私の屋敷で働きたいと言ってきたのさ。

 一応断っておくがこれは私が言い出したのではなく、あくまでもセレスト側からの提案だ。

 

 

 君をこの件に巻き込みたくないからと、彼女が使用人として働きたいと言ったのも君の……その、学費?を稼ぎたかったそうだ。

 仮にセレストが君のもとへ帰っていたなら、おそらくは二人とも殺されていただろう。

 なぜこんなにも大事なことをずっと黙っていたのか、それは君を信じ切れなかった私の失態でね。

 

 

 セレストは君のことを信用できると言っていたが、私はその言葉を疑ってしまったのだ。

 これは私の悪いところなのだが、私は私自身が見たものしか信じられない質でね。

 だからこそ私は君という人間を試したのだが、少しばかりやりすぎだと彼女に怒られてしまったよ。

 

 

 だがそのおかげで君のことを知ることができたし、個人的にはやって良かったと思っている。

 だけどそのせいで何度も君の気持ちを踏みにじり、更にはこんな怪我まで負わせてしまった。

 君を傷つけた私が言うのもおこがましいが、君は――――――

 

 

 

「君はセレストの言う通り素晴らしい人間だった。君を疑ってしまった馬鹿な私を許してほしい」

 

 

 その言葉を一区切りとして、私は彼女の反応を窺ったのだがその表情は悲しげでね。

 人を説得するときはそれっぽい感情を織り交ぜて、そのうえでできるだけ大袈裟に振る舞うといい。

 適切な場面に於いて、適切なタイミングを見計らって適切な言葉で御話ししよう。

 

 

 これは私が社畜時代に培った対人スキルであり、初対面の人間と話す際にはなんの問題もなかった。

 大抵の奴らは私の言葉を信じて疑わない。なぜなら私の行動には一貫性があり、表面上は全く矛盾していないからだ。

 だが私の性格をよく知る者は例外であり、彼女ならばその中にあるちょっとした違和感にも気づくだろう。

 

 

 

「嘘つき、ヨハン君は嘘を衝いてる――――――だって、どんなときでも冷静なあなたがそんなことするはずないもの。

 なんの考えもなしに暴れるなんて、私の知っているヨハン君はそんな風に流されたりはしない。

 それに……その、人魔教団?について、なんでそんなにも詳しく知ってるの?」

 

 

 セシルならば話の流れやその経緯ではなく、あくまでも私という個人を取り上げると思っていた。

 私が誰かのために身を投げ出すなんて、それこそなにかしらの思惑がなければありえないだろう。

 北の独裁者がノーベル平和賞を受賞するか、それとも彼の国に星条旗が掲げられるくらいにありえない。

 

 

 

「話の経緯は理解できたし、私たちがヨハン君に助けられていたこともわかった。

 だけどどうしても納得がいかないの。……だから教えて、私を信頼しているなら全部教えてよ」

 

 

 そもそも闇ギルドの元締め的な存在を、どうして私なんかが知っているのだ。

 人魔教団のことを説明する際の口振り、学生とは思えぬほどの実力も含めて疑問に思っただろう。

 しかしそんなセシルの感情すらも織り込み済み、彼女は彼女自身を閉じ込めている悪意(ケージ)の存在に気づいていない。

 

 

 

「確かに、君の言う通りセレストを助けたのはついでだった。

 もしかしたら彼女を助けるという口実を利用して、ただ単に復讐したかっただけかもしれない」

 

 

 ここからが物語の中核を成す部分、私がセシル=クロードを買っている理由である。

 なぜセシルに人魔教団の情報を与えたのか、それは彼女を使ううえで最も効率が良いからだ。与えられたノルマを達成するため――――――というのはただの建前に過ぎない。

 私はカテドラルの在り方について、その主軸をどうするかでずっと悩んでいてね。

 

 

 プライドに関してはサラマンダーギルドがその主軸であり、スロウスはギアススクロールの影響下にある人間たちである。

 では私の方はどうだろうか。……ふむ、実はセレストを部下に加えた時点である程度の構想は固まっていた。

 残念なことに私にはこれといった組織もなく、特別な術式を生成するだけの知識もない。

 

 

 だが新参者であるがゆえにある種の禁じ手というか、私にしかできない最高の方法が存在する。

 できるだけ多くの実績を積むために、最も効率が良くて比較的安全なプランだ。

 

 

――――――それは人魔教団と敵対する組織(ギルド)、そのギルドマスターに私が就任することである。

 

 

 これがなにを意味するのか、そんなことは今更説明するまでもないと思う。

 人魔教団と敵対する組織の内情、それを内側から調べるだけの簡単な御仕事だ。

 危険人物のリストアップからライバル企業への情報操作まで、ローリスク・ハイリ―タンとは正にこのことだろう。

 

 

 人魔教団が犯した事件を誰かになすりつけて、そのうえで敵対組織の内部分裂を謀ろうか。

 有能な人間を殺したり彼等の技術を盗んだりと、その方法はいくらでもあるしいくらでも作れる。

 そして一番のメリットは人魔教団の大司教である私が、彼らという野蛮人の標的にならないことである。

 

 

 無論正体がバレてしまえばその限りではないが、それまでは私が望む安心安全な生活が送れるだろう。

 人魔教団を憎んでいる者たちを集めてギルドを作り、そのギルドをカテドラルの主軸としよう。

 私たちを憎んでいる者が私たちのために働く、それこそが私の思い描く安心安全な邪教徒ライフ。

 

 

 そしてそんな彼らに最高の舞台を提供するために、彼女たち姉妹を利用して架空の実績をでっちあげよう。

 人魔教団の手から救い出したセレストと、そんな彼女を慕い私に恩義を感じているセシル、なんとも微笑ましくてわかりやすい関係だ。

 君たち姉妹が私の身分を保証してくれるわけで、人魔教団と敵対する組織に私の能力を宣伝してくれる。

 

 

 少しばかり物足りないかもしれないが、私に言わせれば大した問題ではない。

 人魔教団の原罪司教、憤怒を司る私が教団の者を捕まえることなど簡単だ。

 要するに実績など簡単に積めるのだよ。人魔教団最高幹部の一人、同じ原罪司教を生贄にすれば私の地位も自然と上がるだろう。

 

 

 実績も積めて教団内での地位も上がる。ほら、出来の悪いライトノベルにありがちなストーリーじゃないか。

 最強の味方が最悪の敵に……なんて、別に驚くようなことでもないだろう。

 教皇様には私のカテドラルについて、ある程度のことは言ってあるしその許可も頂けた。

 

 

 ただどうやってそんなギルドを作るのか、そのプランまでは伝えていないけどね。

 仮に正体が露見したとしたときは、敵対組織の情報を手土産に本社勤務を願い出よう。

 徹底的にライバル企業を陥れて、意味深長な書類と出鱈目なリストを使って疑心暗鬼にさせる。

 

 

 時間対効率ここに極まれり。露見したところで夢の本社勤務、どう転んでも私の生活は安泰である。

 それに私が人魔教団と敵対する組織の、その最大勢力ともなれば教団内でも重宝されるはずだ。

 

 

 

「私がどうしてこんなにも人魔教団について詳しいのか……正直に言うと私と彼らには色々な因縁があってね。

 人魔教団には大きな借りがあるわけで、それを返さないことにはこの悪夢から解放されない。

 私は私をこんな風にした彼らを許さないし、彼らも彼らで私という人間を狙っている」

 

 

 さて、もう少しだけこの物語を続けようか――――――ちなみに先ほどの発言も含めてそのほとんどが嘘であり、全ては可愛らしい子犬への躾である。

 人間を殺すのに必要なのは鋭い悪意であり、人間を騙すのに必要なのは(なまく)らな悪意である。

 嘘を吐くときのコツはその中に真実を織り交ぜること、そうすることによってちょっとした矛盾やある種の罪悪感が解消される。

 

 

 

「それは……どういう――――――」

 

 

「申し訳ないが、私にだって思い出したくない過去はある。

 セレストを調べる過程で人魔教団の存在に気づき、そしてその居場所がわかったからこそ行動した。

 ただそれだけ……しかし私にとってはそれだけで十分だった。

 こんなことを言うのはあまり好きではないが、君のような人間はとても恵まれているんだ」

 

 

 それに少しばかり含みを持たせた方がこの手の人間には効果的であり、こちらとしてもなにかと都合が良い。

 可愛らしい子犬が申し訳なさそうに口を噤み、それを見ながら未来の飼い主が苦笑いする。

 私のような人間にそんな顔ができるなんて、その感情をコップ一杯分でもいいから捨ててほしかった。



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合理主義者の共犯者

「その……本当にごめんなさい」

 

 

「ハハハ、君にそんな顔をされたら私も気まずいのだがね。」

 

 

 意味深長な言葉で彼女の好奇心に釘をさして、私はそれ以降の会話を全てはぐらかした。

 話の主導権を私が握っている以上、彼女は自身の罪悪感から逃れることはできない。

 私に対する罪悪感が彼女の足を引っ張り、そのせいで彼女は最後の一歩を踏み出せずにいた。

 

 

 思慮深い彼女だからこそ疑わずにはいられない。私にはセシルがなにを考えているのか、その感情が手に取るようにわかった。

 私の言葉をそのまま受け取ってもいいのか、それとも私の過去も含めて全てをハッキリさせるか。

 私たちは誰よりも身近な赤の他人であり、その距離感は蜃気楼のように近くて遠いものだ。

 

 

 明らかに学生の領分を超えた内容、それを前にして彼女はどうすべきか悩んでいる。

 それならばこのためだけに連れてきたゲスト、私の切り札を特別にお見せしよう。

 百聞は一見に如かず。生徒会長様の協力を仰いだうえで、君が喜ぶだろうと思ってわざわざ連れてきたのだ。

 

 

 

「取りあえずここから先は私ではなく、君自身がお姉さんに直接聞くといい。

 私が話すよりも納得できるだろうし、なにより彼女と会うことが君の望みだった」

 

 

 その言葉と共に最後の一人、私の切り札であり物語の重要人物が姿を現す。

 医務室のドアがゆっくりと開かれ、セシルのお姉さんであり私の部下でもある彼女がそこには立っていた。

 妹を守るために必死に笑顔を取り繕って、セレスト=クロードは私の命令通りに動いている。

 

 

 

「そんな……うそ、なんで――――――お姉ちゃん!」

 

 

 セシルの頬を伝う一筋の滴、彼女が発した言葉はとても暖かくて嬉しそうだった。

 もしもこの場に私がいなかったら、きっとセレストに抱きついてその胸で泣いていたはずだ。

 その証拠に立ち上がろうとした彼女に私は注意して、そのまま近くにあった替えの包帯を手渡した。

 

 

 セシルの方は大袈裟だと言っていたが、急に動いて怪我が悪化でもしたら私が困る。

 四城戦を視野に入れた新しい計画、その第一手から躓きたくはないのでね。

 生徒会長様と交わした取引、そして個人的な思惑も含めて彼女の体はとても大切だ。

 

 

 

「さて、セシル君も落ち着いたようだから私も席を外そう。

 久し振りの家族水入らず、御互いに思うところもあるだろうからね」

 

 

 そう言って私は踵を返すと、セレストとのすれ違いざまに彼女の肩を叩いた。

 余計なことを喋らないようギアススクロール用いて、確認の意味も込めてもう一度命令したのさ。

 あれを使うときはちょっとした手順が必要であり、それを満たさなければ彼女の魂を縛ることはできない。

 

 

 セレストには私がやろうとしていることについて、その大筋は伝えてあるしなんの問題もない。

 私が話したことと同じ内容を彼女が口にすれば、さすがのセシルもそれ以上踏み込んではこない。

 そして私が信用できる人間だと勘違いし、有りもしない恩義を感じてより従順となる。

 

 

 

「セレスト、後は打ち合わせ通りに話せ」

 

 

「……はい」

 

 

 適切な状況に於いて、適切な時間を使って適切な場面を利用する。

 たとえどんなに理不尽な内容であっても、セレストは私の命令に逆らうことができない。

 私が望めば彼女もそれを望み、私が否定すれば彼女も同じように否定する。

 

 

 それが隷属関係というものであり、私の命令は彼女の人間性すらも歪めることができる。

 セレストの声が震えているのは再会を喜んでいる……のではなく、おそらくは妹に対する罪悪感からくるものだ。

 しかし私の庇護下に入ったことで生活面に関して、特に金銭的にはかなりの余裕が生まれたはずだ。

 

 

 彼女からの仕送りでセシルは学園を追い出されずに済み、その労働時間も大幅に改善されている。

 確かに自由意志はないかもしれないが、それを補って余りあるほどのメリットを提供しているつもりだ。

 なにかを手に入れるということはなにかを捨てるということ、個人的には最高の労働環境だと思うのだがね。

 

 

 

「ご主人様! ご主人様!」

 

 

 医務室を出た私を呼び止める声、徐々に近づいてくる小さな人影に私は微笑む。

 初めて見る学校にこのちびっ子は興奮しているのか、その瞳はキラキラと輝き尻尾が左右に揺れていた。

 私はそんなシアンの頭に手を伸ばして、はしゃいでいる彼女をなんとか落ち着かせてね。

 

 

 

「なにか良いことでもあったですか? 今日のご主人様、なんだかとっても楽しそうです」

 

 

 私の周りに獣人が多いのはただの偶然なのか、それともあのときの彼らが助けを求めているのか。

 この世界に召喚されたあの日、私は巨大な魔法陣の中で私は数え切れないほどの死を目撃した。

 もしかしたら私の体を構成している無数の魂、つぎはぎだらけの彼らが呼び寄せているのかもしれない。

 

 

 

「別に、ただちょっとだけ面白い玩具が手に入ってね」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

「そんな……そんなことできるわけがありません!」

 

 

 それは準決勝が始まる直前、いつも通り控室で待っていた私に彼は言いました。

 この代表戦を根本から否定するような内容、それは要望という名の脅迫に他なりません。

 私にはこの悪魔がなにを考えているのか、その片影すらも理解することができませんでした。

 

 

 

「四城戦の代表選手に追加で一名、セシル=クロードという生徒を加えて頂きたい」

 代表戦とは四城戦への参加資格を賭けた大会であり、文字通り代表選手を決めるための戦いです。

 決勝トーナメントの組み合わせは彼の要望通り操作しましたが、結局勝ち残れるかどうかは本人次第であり、既に四城戦に参加する生徒も決まっていました。

 

 

序列一位の私、ニンファ=シュトゥルト。

序列三位の御姫様、灼眼の魔女ターニャ=ジークハイデン。

序列五位の大貴族、硝子の旋律エレーナ=アドルフィーネ。

そして序列二位の彼、灰色の死神ヨハン=ヴァイス。

 

 

 

 準決勝まで勝ち上がったこの四人が代表選手としてチームを組み、コスモディア学園の誇りと名誉をかけて戦います。

 この四城戦はとても大きな大会であり、各界の大物たちだけでなく国王様も観戦しますからね。

 そこで学園の品格を下げるわけにはいきませんし、そんな大舞台で醜態を晒せば御母様にも迷惑がかかってしまいます。

 

 

 だからこそ四城戦が行われる年は特別な試合が設けられ、その順位は誰にも覆すことができません。

 いくら私でもできることとできないことがありますし、ましてや準々決勝で敗れたクロードさんを出場させるのは難しい。

 だから私は彼にこう言ったのです。一度負けてしまった彼女は他の誰かが出場権を失うか、又は代表選手を辞退しなければ無理だとね。

 

 

 

「それでは今から行われる準決勝の舞台で、仮に私の対戦相手が重度の障害を負ったら……その場合はどうなるのですか?

 私としてもこんなことは言いたくありませんが、一応予備知識として――――――」

 

 

「貴方は! 貴方は自分がなにを言っているのか、それを理解しているのですか!」

 

 

 悪魔のような笑みを浮かべながら平然と宣う彼に、私はどうしても我慢できなかった。

 まるで朝食の献立でも決めるかのような態度、ピクリとも動かないその表情に身震いしましたよ。

 重度の障害? 予備知識? そんな言葉を信じるほど私は愚かではありませんし、そもそもそういった行為は最初の取引で禁じていました。

 

 

 邪魔な人間は排除してしまえ……なんて、それこそ質の悪い大人か子供の発想です。

 目障りだったという理由だけで他者を傷つけ、そのことに対してなんの罪悪感を抱いていない。

 ハッキリ言って異常ですよ。善悪の概念がない人間なんて、質の悪い化物とそう大差ありません。

 

 

 

「これは……なんというか、生徒会長様がそんなにも怒るとは思いませんでした。

 ですが誤解だけはしないでほしい。私は可能性の話をしているだけであって、貴女と反目するつもりなどございません」

 

 

 

 彼とは幾度となく言葉を交わしてきましたが、結局ヨハン=ヴァイスという人間を操ることができませんでした。

 しかしそれでも彼という人間の価値観、そしてその行動理念は理解しているつもりです。

 彼が憶測や推測で動くような人間ではないこと、無意味な言動を嫌っているのは知っていました。

 

 

 可能性の話?……笑わせないでくださいよ。普段の貴方ならばそんなことではなく、おそらくはターニャさんに関する情報を聞いたはずです。

 つまりそれをしないということはそれだけこの話題が重要であり、どうやって代わりの選手を決めるのかが知りたかったのでしょう。

 その程度のことは私にだってわかりますし、なにより彼の良識は明らかに欠如している。

 

 

 

「たとえば試合の最中に頭部を強打し、そのせいでなんらかの障害を負った場合です。

 私としてもそのようなことがないよう最善を尽くしますが、それでもなくならないのが事故というものです。

 生徒会長様の不安もわかりますし、私もこの戦いで武器を使用するつもりはありませんが――――――」

 

 

 彼の対戦相手は序列五位エレーナさんでしたが、私がいくら説得しても彼は譲らないでしょう。

 そしてそれと同様に代表選手を辞退するよう彼女に忠告したところで、あのエレーナさんが聞いてくれるとも思えない。

 貴族としては名門のアドルフィーネ家。元々シュトゥルト家とアドルフィーネ家は仲が悪く、その一人娘である彼女と私もその例外ではありませんでした。

 

 

 確かアドルフィーネ家が管理していた領地と利権、それを私達が違法に占拠しているというのが彼らの言い分であり、両家の仲がここまで悪化した原因だったと思います。

 そしてそれを見かねた国王陛下が両家の仲介に入り、その結果彼らの言い分は退けられたのです。

 本来であればここでこの話は終わりなのですが、どうやらアドルフィーネ家の方々はこの裁定に納得していないようで、この裁定を境に両家の中は悪化の一途を辿りました。

 

 

 それは両家の次期当主である私たちも同じで、私は気にしていないのですがエレーナさんは少し違ったようです。

 生徒会長選挙のときも私の対立候補として出馬し、その際に彼女から様々な嫌がらせを受けました。

 彼女と仲の良かったグループに酷い噂をたてられて、何度も馬鹿にされたことを覚えています。

 

 

 彼女たちの嫌がらせを私は黙殺していましたが、それが面白くなかったのか遂には御母様のことまで中傷するようになって、気がつけば彼女とすれ違った際に魔法を放っていました。

 当然学園内での私的な争いは禁止されていますし、そのせいで私は自宅での謹慎処分を言い渡されたのです。

 

 

 もはや生徒会長選挙も絶望で、唯一の対立候補であった彼女が勝利するのも時間の問題でした。

 しかし選挙の最中に彼女の不正に気づいたマリウスがそれを暴き、最後の最後でエレーナさんはその権利を失ったのです。

 私にとってのエレーナさんとは御母様を侮辱した敵であり、友人としてもあまり好きなタイプではありません。

 

 

 

「良いでしょう……ですが、御節介ながら一つだけ忠告させてもらいます。

 この件に私は一切関与しませんし、それが本当に不幸な事故であったなら――――――学園側は貴方に対してなんの処罰も下しません。

 不幸な事故ならばしょうがない。貴方ならばこの言葉の意味、それを理解してくれると私は信じています」

 

 

 最悪の事故を回避できないのであれば、こちらとしても相応の考えがあります。

 この件を譲歩することによって恩を売り、この先の最悪をできるだけ防ぎましょう。

 エレーナさんを人柱とすることで貸しを作って、それを盾に彼という人間を大人しくさせるのです。

 

 

 ふふふ、そうですね……ええ、私は最低な人間だと思います。

 結局どんなに取り繕っても私の下した決断、言うなれば彼女を見捨てたという事実は変わりません。

 ですが、言い訳が許されるなら私の言葉を聞いてほしい。

 

 

 私は聖人君子ではありませんし、なによりエレーナさんは私の御母様を侮辱しました。

 どうしてそんな人間を助けなければならないのか、私は全ての人間に対して優しくできるほど強くはありません。

 私は謝りませんよエレーナさん、御母様を侮辱した時点で貴女は敵となったのです。

 

 

 

「相手は国内屈指の大貴族であり、今までのような屁理屈は通用しないでしょう。

 私たちはどうしてそんな事故が起こったのか、それを調べたうえで彼女の親御さんに報告しなければなりません」

 

 

 アドルフィーネ家の現当主である彼女の父親は、おそらくどんな手段を使ってでも介入してくるでしょう。

 私たちのことを良く思っていないからこそ、彼らは様々な繋がりを利用して報復してくる。

 次期当主がそんな状態ともなれば、自然とアドルフィーネ家の地位も揺らぎますからね。

 

 

 それならばせめてもの抵抗として、シュトゥルト家を道連れにしようとするでしょう。

 具体的な方法まではわかりませんが、一人娘を傷ものにされて黙っているとも思えません。

 

 

 

「仮にエレーナさんが身体的な障害を負った場合、学園側は彼女の出場資格を剥奪して再び代表戦を行います。

 この場合は準々決勝で敗れた者たちを戦わせ、その勝者を新たな代表選手にするでしょう。

 ちなみに準々決勝で敗れた者は四人いますが、その中に序列入りしている生徒はいません。

 これはあくまでも個人的な意見ですが、おそらくクロードさんに勝てる生徒はいないでしょうね」



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合理主義者の秘密

 今回の代表戦は波乱が多く、二つ名を持つ戦鬼達のほとんどが予選落ちでした。

 決勝トーナメントまで勝ち上がった者も、その組み合わせを操作したので残ってはいません。

 ターニャさんが戦っていた準々決勝なんて、あまりの試合内容に思わず苦笑いしましたよ。

 

 

 それほどまでに分不相応というか、その試合に勝った筈の彼女が一番気まずそうでした。

 そういった生徒を勝ち上がらせたのは私ですが、さすがにやりすぎてしまったと後悔しています。

 ですから準々決勝で敗れた生徒達に関して、クロードさんならばなんの問題もなく勝てるでしょう。

 

 

 それこそこの試合でエレーナさんが勝利するくらいの、その程度の可能性はあるかもしれません。

 ですがそんなものを考慮していてはなにも出来ませんし、なによりそんな事が本当に起こったら私は笑うでしょうね。

 私は大多数の生徒が戦う事を拒否した彼と戦い、更には一矢報いたクロードさんを尊敬しますよ。

 

 

 確かに私達は彼等に対して圧力をかけましたが、それでも最終的に決めるのは彼等ですからね。

 私達は戦う事を迷っていた彼等の後押しをし、そして助言と言う名の逃げ道を作ったにすぎません。

 

 

 

「なるほど……では、生徒会長様は不測の事態に備えてください。

 学園側の安全管理には不備がなかったと、そう思えるほど厳重にしてもらっても結構です。

 貴族の御令嬢になにかあっては一大事ですし、私なんかにはわからないようなしがらみもあるでしょう」

 

 

「そうですね……ただ、わかっているとは思いますがこれ以上の譲歩はありません。

 あくまでエレーナ=アドルフィーネに関する事故だけで、それ以外は一切認めませんし許容も出来ません」

 

 

 ただ、あんな流血沙汰を見せられたらしょうがないですね。

 一般の生徒は当然として、二つ名を持つ戦鬼達だって嫌がりますよ。

 最初の試合では対戦相手の片腕を切り落とし、次の試合では警備の職員に重傷を負わせた。

 

 

 ですから負けるとわかっている戦いに臨んだ彼女、セシル=クロードさんを私は評価していました。

 学園内で唯一彼と交流のあった彼女ならば、あの理不尽なまでの強さに気づいていた筈です。

 それでも戦おうとしたのですから、彼女の四城戦にかける意気込みは本物なのでしょう。

 

 

 セシルさんがマリウスに剣を向けた時、さすがの私もどうするべきか悩みましたよ。

 彼に言われるがまま処分を言い渡し、そうして迎えた準々決勝の事は今でも覚えています。

 久し振りに見た彼女は鋭い殺気を放ち、普段の姿からは想像も出来ないような顔をしていました。

 

 

 そんな姿を見た私は慌てて警備の職員を増やして、更には複数の医療班を待機させたのです。

 結局は杞憂と終わったのですが、今思えば少し大袈裟だったかもしれません。

 試合が始まる前はどうなるかと思いましたが、時間の経過とともに彼女の表情も軟化していったのです。

 

 

 

「あの時の私は少しおかしかったって言うか――――――ヨハン君って不愛想で言葉足らずだし、それで私の方が早とちりしちゃったんです。

 ハハハ、なんて言うか私って本当に馬鹿ですよね」

 

 

 先日、彼女の病室を訪れた時に私はその疑問をぶつけました。

 優等生の貴女がどうしてあんな事をしたのか、そして彼との間で一体なにが起こったのか聞いたのです。

 それに対する彼女の答えがこれ……ええ、こんな間違いだらけの解答でした。

 

 

 

「あっ、一応誤解も解けましたからもう大丈夫です。

 生徒会長さんにまで迷惑かけちゃって、これからはこんな事がないように――――――」

 

 

 許されるならばこの事を彼女に……彼に騙されているのだと伝えたい。

 どこか照れくさそうに話す姿を見ながら、その直感は間違っていないのだと教えたかった。

 貴女が彼に抱いている感情はまやかしであり、これ以上深入りしてはいけないとね。

 

 

 

「そうですか、それならば私としても安心です」

 

 

 だけど――――――そんな事言えませんよ。それを彼女に伝える事など、彼の共犯者である私には出来そうもありません。

 それを教えれば全てが明るみとなり、シュトゥルト家の家名に泥をぬってしまう。

 学園の名声は地に落ちて、更には学園長である御母様にも迷惑がかかる。

 

 

 ですから、それはだけは出来ない。……出来ないのですよ。

 彼と手を組んだ時点で他の選択肢、言うなれば彼と対立する道は閉ざされてしまった。

 失うものが多すぎるが故に、失うものの少ない彼とは戦えない。気がつけば入学試験の際にマリウスが言った言葉、その忠告が私の心を揺さぶっていました。

 

 

――――――あんな風に歪んだ人間を見ていると、知らず知らずの内に自分まで歪んでくるものさ。だから、君のようなタイプは特に関わるべきではない。

 

 

 

「それよりも……その、私は生徒会長さんに相談したい事があるんです。

 お見舞いに来てくれたクラスメイトから聞いたんですけど、私が気を失っている間に彼が告白?てきな事をしたらしくて、だからどうすればいいのかなーって……ハハハ」

 

 

 

 どうしてあの忠告に耳を貸さなかったのか、なんであんな取引を彼に持ち掛けたのでしょう。

 頬を赤くしている可愛い後輩を見ながら、私は人間として最低な事をしようとしている。

 セシルさんには入学試験の時に色々と助けられたのに、その時の恩を私はこんな形で返したくはない。

 

 

 

「いやいや!別に、ちょっと気になっただけですよ!ちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけです!」

 

 

 でも、喉まで出かかった言葉をこの場にいない筈の彼が封じているのです。

 この空間には私達しかいないのに、それでも私の中にあるなにかが警告してくる。

 ここで彼を裏切ったらどうなるか、全てを捨てて彼女を救う事になんの意味があるのか――――――と。

 

 

 

「あの……どうして生徒会長さんが泣いてるんですか」

 

 

 クロードさんの言葉に私はなにも言えず、そしてその事について彼女も聞こうとはしなかった。

 私はこの気まずい空気をなんとか打開しようと、震える唇を必死に動かして無理矢理笑ったのです。

 彼女に全てを話せばどうなるかなんて、そんなのは考えるまでもありません。

 

 

 

「なんでもないの……ただ、自分の不甲斐なさを思い知らされてね」

 

 

 笑っている彼女を絶望に追いやり、学園の評判は地に落ちて御母様は罷免される。

 私はまとわりつく罪悪感を振り払う為に言い訳を繰り返し、まるで自己暗示のように言い聞かせていたのです。

 それこそクロードさんに気づかれない事を祈りながら、私は私自身の良心を何度も殺しました。

 

 

 

「私も直接聞いたわけではないのだけど、おそらくそのクラスメイトはあの時の事を――――――」

 

 

 そこから先は当たり障りのない言葉を選んで、出来るだけ彼女の相談に乗ってあげました。

 ですが私が泣いてしまった事実はかわりませんし、今更取り繕っても遅いかもしれません。

 クロードさんが勘違いしてくれればいいのですが――――――たとえば私も彼に好意を抱いていた……なんて、さすがに楽観的すぎるかもしれませんね。

 

 

 しかしクロードさんは彼のどこが良かったのでしょうか、恋愛経験の乏しい私には全く理解できません。

 ただ試合後の彼はどことなく変というか、私の知っている彼とは別人のようでした。

 クロードさんへの告白もそうですが、私が気になるのはその後の行動に関してです。

 

 

 あの頼みごとが今の彼女とどう関係しているのか、医務室の人払いはともかく学園の裏口を聞いてきたのはなぜでしょう。

 どんな手品を使って彼はクロードさんを説き伏せたのか、目の前で嬉しそうに話す彼女を見ながら私は考えていました。

 少なくとも彼にはなにかしらの思惑があること、そして今の状況を彼が望んでいる事はわかったのです。

 

 

 

 

「それこそ問題ありませんよ。この試合はすぐに終わるでしょうし、生徒会長様は私を信じてここでお待ちください」

 

 

 そんな事を考えたところで答えなんて出る筈もないのに、それでも気になってしまうのはなぜでしょうか。

 ここが控室の中だという事を忘れてしまうほどに、私はクロードさんとのやり取りを思い出していました。

 私の知らないところでなにかが起きているという不安、もしくは私も彼女と同じように利用されているかもしれないという恐怖、彼の言葉に我に返った私は震えていたと思います。

 

 

 

「なかなかどうして、私も嫌な人間になったものです」

 

 

 彼がいなくなった事で少しだけ静かになった空間、そこであまりの情けなさに両目を拭いました。

 底なし沼に入り込んだような感覚、彼を利用するつもりが逆に使われている。

 控室まで聞こえてくる歓声は試合の始まりを告げて、これから起こるであろう不幸な事故に目を閉じる。

 

 

 試合を見物している生徒の大半は彼の敗北を望んでいます。新入生でありながら圧倒的な力を持ち、尚且つどこまで血生臭い彼に恐怖している。

 そう……彼の強さに憧れるのではなく、ただひたすらに恐怖しているのですよ。

 彼がおとぎ話の住人であったなら、私はそんな世界から彼を連れ出した間抜けと会ってみたい。

 

 

 これ以上ないという程の悪夢、私は彼と関わったこの数ヶ月を一生忘れません。

 徐々に変化していく歓声と時折聞こえてくる怒号、その大半が悲鳴に変わった時は思わず両腕を抱きました。――――――ええ、その悲鳴がなにを意味するのかは知っています。ですが、わかっていても止まらないのが人間なのです。

 

 

 

「やめて……お願いだから震えないで」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 結局、監督していた職員の善処も虚しくその事故は起こりました。

 これは試合を間近で見ていた職員、監督役の人から聞いたのですが試合は一瞬で終わったそうです。

 開始の合図とともに彼は距離を詰めて、突然の事に驚く彼女に一度だけ拳を振るった。

 

 

 そして振るわれた拳は彼女の下腹部を捉えて、その衝撃で彼女は後方へと吹き飛びました。

 リングの端まで吹き飛ばされた彼女はそのまま壁に激突し、彼はその光景を見ながら小さく笑ったそうです。

 彼は追撃せずにそのままゆっくりと距離を詰めて、それ以降攻撃する事はありませんでした。

 

 

 職員もその時点では大したダメージではないと判断し、エレーナさんが立ち上がると思って試合を止めなかったそうです。

 序列五位の彼女がこの程度で倒れると思えない。事実、序列入りすらしていないアルフォンス君やクロードさんは立ちましたからね。

 ですが倒れたまま動かない彼女に不安を覚え、異常に気づいた職員が慌てて駆け寄りました。

 

 

 

「なるほど、実に有意義な時間だったよ」

 

 

 動かない彼女を見下ろしながら彼はそう呟いたそうです。職員がどれだけ呼びかけても反応せず、駆けつけた医療班もエレーナさんの容態に困惑していました。

 医務室へと運ばれていく彼女は死んだように動かず、その様子を見た何人もの生徒が悲鳴をあげたそうです。――――――結果ですか?それこそ考え得る限り最悪の結末、意識が戻るかどうかもわかりません。

 

 

 脳挫傷。壁に激突した際に頭部を強打し、そのせいで脳に深刻なダメージを負ってしまった。

 本来であれば魔術壁を展開する事で衝撃を和らげるのですが、それをエレーナさんは怠っていたそうです。

 魔術壁を展開せずに叩きつけられて、更にはその打ちどころも悪かった。

 

 

 幾重にも重なった不幸が彼女に最悪の結果をもたらし、そして彼の目論見通り最高の結果が生まれたのです。……そう、これ以上ないというほど完璧ですよ。

 それこそ彼という人間の本質を知らなければ、エレーナさん自身に事故の原因があるのだと勘違いするでしょう。

 武器を持っていないと高を括って、そのせいで手痛いしっぺ返しを喰らってしまった。

 

 

 言うなれば完全なる自業自得であって、それを理由に彼を責める事など出来ません。

 たとえアドルフィーネ家の者がどれだけ調べても、結局は身内の恥じを晒すだけで終わるでしょうね。

 ただ少しばかり気がかりというか、彼に対して個人的に思うところもあるのです。

 

 

 それはこの事故が彼の狙い通りだというなら、どうやってエレーナさんを植物状態にしたのか。

 彼女は頭部を強打した事によって脳挫傷を引き起こし、そして体を動かすどころか喋る事さえもできなくなった。

 脳にダメージを負ったのはあくまでも偶然であり、壁にぶつかっただけなのだから威力を調整する事も事出ません。

 

 

 ではその偶然をなぜ彼は知っていたのか、どうやって成し遂げたのでしょう。

 彼の攻撃は一度だけで、しかもその拳は頭部ではなく腹部に当たっている。

 どうして腹部なのでしょうか、正確を期すなら頭部を狙う筈です。それにすぐさま追撃しなかったのはなぜか、あの時点では勝敗すら決まっていません。

 

 

 

「違う。私はなにか…とても重要な事を見落としている――――――」

 

 

 そこまで考えたところで私はとある答えに行きつき、それと同時に激しい恐怖に襲われました。

 一番有りえない筈の可能性が現実味を帯びて、私はそれを認めたくなくて必死でした。

 数少ない彼の試合を振り返る事で、なんとかその可能性を否定しようとしたのです。

 

 

 序列七位のモリッツ=ミッターとの戦いで見せた一撃、そして職員に重傷を負わせた次の試合で彼がどんな風に戦っていたか。

 アルフォンス=ラインハルトとの試合で見せた剣技や体術、更には先日行われたセシル=クロードとの試合内容を振り返ったのです。

 そして私は私が見聞きした限りの情報を思い出して、その可能性が一番現実的だと気づきました。

 

 

 

「私は彼が魔法を使っているところを、この数か月間一度も見た事がない」



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合理主義者の決勝戦

 諸君は赤い皇帝と呼ばれた男を御存じだろうか、近代社会における独裁者という言葉の定義を確立したような人間だ。

 生前、彼はこんな言葉を残していた――――――たった一つの死は悲劇的だが、百万の死は統計に過ぎない。

 この言葉だけでも彼の人間性というか、その本質を垣間見ることが出来るだろう。

 

 

 彼の掲げる旗がなぜ赤かったのか、それは彼自身が人間というものに興味を示さなかったらだ。

 おそらくはブランド物の靴を汚したくなくて、死体の上に布でも敷いてその上を歩いたのだろう。

 彼ほど決断力と自己保身に長けた指導者はいなかったが、その晩年は疑心暗鬼と言う名の怪物であった。

 

 

 彼の軍隊はとても貧弱であり、軍装にしても彼の有名なちょび髭オジサンとは比べものにならなかった。

 だがそれを補って余りある程の兵数を有し、攻めてきた鍵十字を返り討ちにしたのは有名だろう。

 後に世界大戦と呼ばれた戦いに於いて、物資が不足していたことを理由に彼が下した命令はとても独特である。

 

 

 二人一組のチームを組ませた上で、各チームに一丁のライフルと僅かばかりの弾倉を配給してね。

 そして無駄にカッコいい行進曲(マーチ)で祝福しながら、砲煙弾雨の戦場に笑顔で放り出すのさ。

 なんとも個性的なピクニックだが、兵士達からすればK2に夏服で挑戦するようなものだ。

 

 

 逃げようとした者はその場で撃ち殺されて、弱音を吐いた者は反逆者として収容所に送られる。

 余計な手間を省くために軍法会議どころか、弁解の機会すら与えられないというオプション付きだ。

 これだけでも素敵すぎるのだが、更に悪質なのがその指導者自身である。

 

 

 彼は己の立場を守る為に自分よりも優秀な人材、軍の中枢を担う者から政治家までありとあらゆる人間を粛清するか投獄した。

 彼の命令に従わなければ粛清されるし、たとえ命令を達成しても収容所送りである。

 平凡な人間を粛清するのはわかるが、自己保身の為に優秀な人間まで殺したのはいただけない。

 

 

 だが利己主義というものを極限まで追求したなら、おそらくは彼のような人間になるのだろう。

 疑わしき者は拷問し、自分より優れている者は殺す。

 少々やりすぎかもしれないが、それでも粛清された者達とは違って彼は脳卒中で死んだ。

 数百万人もの人間を殺しておきながら歴史に名前を刻み、今でも独裁者の代名詞として教科書の中で生き続けている。

 

 

 

 さて、以上の点を踏まえて彼から学ぶべき教訓はなにか。

 それは――――――大勢殺せば大した罪にはならないということ、殺人はその数によって神聖化されるのである。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス、やっとあんたと戦うことが出来る。

 アルフォンスやコンちゃんを傷つけこと、その報いを今日ここで受けさせてやる」

 

 

 それでは改めまして御挨拶を、大貴族の一人娘を排除した事で少々面倒な事になってしまった学生とは私のことです。

 あの試合が終わった日から数日間、何人もの人間に色々な事を聞かれましてね。

 どんなに調べたところで証拠なんて出て来ないのに、それでも一生懸命探偵ごっこを続けていた彼等に同情するよ。

 

 

 私を疑っている筈の彼等がその無実を証明し、そしてこの事件が偶発的なものであると結論付ける。

 未だに目を覚まさない彼女には悪いが、これも私が幸せになる為の尊い犠牲である。

 少し前で大きな病院に移動したらしいが、機会があれば着払いで花束でも送ってあげよう。

 

 

「なんというか、君は少しばかり勘違いしていると思う。

 彼の傷はそこまで深くはないし、なによりあの召喚獣(こども)だって両手を負傷しただけだ。

 そもそも召喚獣とは術者の道具であって、そんな道具に感情移入する方が間違っている」

 

 

 アリーナを埋め尽くす大観衆は口々に私の対戦相手である彼女、ターニャ=ジークハイデンの名を叫んでいてね。

 あの年で処世術に関する基本的概念、それを理解している彼等はなんともしたたかである。

 時の権力者に媚びる事は当然であり、むしろそういった人間に反抗する方が異常なのだ。

 

 

 量産型のライトノベルにはありがちだが、それを現実に当てはめるとわかりやすい。

 要するに彼等は御姫様を応援する事で己の立ち位置をアピールし、この国の王族である彼女と交流を持ちたいのである。

 なんの取り柄もないからこそ少しでも目立とうと努力し、それが御姫様の目に止まれば彼等にも価値が生まれる。

 

 

 名前を持たない有象無象にとって、一国の姫君というのは最高の人脈でありアクセサリーだからね。

 なんとかお近づきになろうと出来るだけ声を張り、平凡な人生から脱出しようともがいている。

 これぞ社会の縮図にして大多数の人間が辿るであろう末路、社会とは一割の特権階級を支える為に九割の犠牲が必要なのだ。

 

 

 鬱陶しい雑音が辺りを埋め尽くし、無数の瞳が私という存在を見つめている。

 見渡す限りの敵意と好奇心、そんな中で一際熱烈な視線を向けてくる者がいた。

 学園内序列第三位、灼眼の魔女ターニャ=ジークハイデンである。

 

 

 彼女は自分と同等かそれ以上の大剣を片手に、飢えた猛獣のような目つきで睨んできてね。

 大剣に刻まれているのは王家の紋章だろうか、その御大層な模様がより一層私の心を煽る。

 なるほど、柄に施されている装飾もそうだがおそらく特注品なのだろう。

 

 

 

「使えない道具などただの粗大ゴミだし、私だって危うくローストチキンになるところだった。

 それなのに貴女は粗大ゴミである彼女を庇い、そして人間である私を貶すのか……なんともまあ、世間知らずの小娘にはありがちな考え方だ」

 

 

「コンちゃんがゴミ?ああ……そう、あんたに話しかけた私が馬鹿だったわ。

 召喚獣をただの道具としか思っていない人間に、コンちゃんの良さを伝えてもわかるわけないもの」

 

 

 開始の合図が鳴らされたと同時に、目の前に閃光が走ったかと思えば彼女の大剣が発火する。

 その炎は御姫様のように激しく、それでいてある種の神々しさを感じるものだった。

 そして大剣から発せられる熱気も凄まじく、正攻法で戦っては少々分が悪い。

 

 

 大剣を受け止めてもあの炎に焼かれ、炎を避けたところで今度はあの熱気である。

 彼女の言動は単細胞のそれだが、その戦術に関しては実に考え込まれている。

 長時間の接近戦は無謀であり、体術を得意とする私に取ってこれほど嫌な相手もいないだろう。

 

 

 

「アルフォンス、悪いけど貴方との約束は守れそうにない。

 だって私は……どうしてもあいつが、コンちゃんをゴミ呼ばわりしたあの男が許せない」

 

 

 ここで教皇様から与えられた仕事に関して、その内容をもう一度振り返ってみよう。

 まずは圧倒的な力を見せつけて代表戦に勝利しろ。ふむ、これに関してはなんの問題もないだろう。

 そしてセレスト=クロードの妹に当たるセシルの信頼を勝ち取れ。これに関しても姉のセレストを手元に置いている限り、彼女は無条件で私の言葉に従う筈だ。

 

 

 最後にターニャ=ジークハイデンを決勝戦で叩きのめせ。私の敬愛する上司は彼女との戦いにおいて、御姫様を傷つけずにそのプライドだけを砕けと言っていた。

 つまりは降参させるのがベストであり、それを踏まえた上で彼女を追い詰めなければならない。

 

 

 

「初めに言っておくけど、私が勝ったらコンちゃんに謝ってもらう。

 そしてもう二度とあんな真似はさせないし、誰かを傷つけることだって許さない。

 あんたのそれはただの暴力であって、相手への思いやりが微塵も――――――」

 

 

「申し訳ないのだが、私は正義の味方ごっこに付き合うつもりはないのでね。

 君のくだらない独白にも飽きてきたし、そろそろ始めようじゃないか」

 

 

 彼女の言葉を聞きながら私は宗教の始まりについて、その一部を垣間見たような気分だった。

 一方的な正義を他者に押しつけて認めさせようとするやり方、これぞ正に宗教勧誘の手口である。

 信じる者は救われる。……なるほど、このことわざを考えた人は信仰心だけで御腹がふくれたのだろう。

 

 

 しかし彼等のような有神論者と私では、その人間性からしてかなり違っているからね。

 たとえば神様に自動車をねだるとしようか、それを毎朝祈り続けても自動車はおろか自転車すら手に入らない。

 だが私はたった一度の祈りで自動車だけでなく、自転車すらも手に入れる事が出来る。

 

 本当に全知全能の神様がいるなら簡単だ。要するに自動車を盗んだ後で神様とやらに、その罪を許してもらえばいいのである。

 

 

「温室育ちの小娘にこの私が教えてあげよう。世の中には君の事をなんとも思っていない人間がいる事を、君は所詮ターニャ=ジークハイデンという入れ物に過ぎないのだ」

 

 

 彼女の歩みと共に激しく揺れる炎、振りかぶられた大剣が火花を散らした。

 まずはどの程度の実力を持っているのか、それを把握してから仕事に取り掛かるとしよう。

 私の言葉に逆上した御姫様が突っ込んできたが、その短絡的な思考は相変わらず残念である。

 

 

 彼女の剣捌きはセシルより早いがとても乱暴で、それ単体では私の敵ではなかっただろう。

 だがやはり問題なのは大剣を覆う炎であり、それを補って余りある程の能力を発揮していた。

 単純な能力であるが故に戦いづらいというか、大剣そのものの大きさだけでなく炎も考慮しなければならない。

 

 

 そうなると必然的に御互いの距離が離れてしまい、そのせいで私の攻撃が御姫様に届かなくてね。

 つまり私よりも大きな武器を使っている彼女だけ、間合いの外から一方的に攻撃してくるのである。

 一応危険を承知で接近戦を挑み、彼女を痛めつけるという手もあるにはある。

 

 

 だが彼女を痛めつけたところで意味はなく、むしろ逆効果になる可能性の方が高い。

 そもそも五体満足の状態で倒す事が条件であり、私の目的は彼女を痛めつける事ではなくそのプライドを砕く事にある。

 仮に手元が滑って彼女に大怪我でも負わせたら、それこそ私の出世街道は閉ざされてしまう。

 

 

 それならば彼女の実力を見極めた上で、出来る限りその体力を消耗させるべきだろう。

 私は強烈な熱気と鉄塊が行き交う空間、彼女の間合いへと自ら進み出て刀を抜いた。

 振るわれる大剣に注意を払いながら強烈な熱気に耐えて肉薄する。……更に一歩、その無駄に大きな刀身を弾いて踏み出しところで――――――

 

 

 

「甘い!その程度で私に近づけると思ったの!」

 

 

 彼女の言葉と共に私の足元から炎が噴き出した。なんとか避ける事は出来たが、激しい勢いで噴き出すそれはいつの間にか巨大な壁となってね。

 魔力によって生み出された炎が幾重にも重なって、そうして生まれたのがこの鬱陶しい代物である。

 

 

 おそらくは狙っていたのだろうが、おかげさまで更に面倒な状況となってしまった。

 基本的には間合いの外から大剣を使って攻撃し、私が近づいてきたら壁を作りだして距離を取る。

 大剣を使っての攻撃が主軸だろうが、体勢を崩した私をそのまま見逃すとも思えない。

 

 

 

「まだまだ、この程度じゃまだ終わらない!」

 

 

 その言葉と共に現れる無数の火球、私の頭上に現れたそれが無秩序に降り注ぐ。……なるほど、私という点ではなく面を攻撃した事は褒めてあげよう。

 だがそれでも私を捕まえるにはまだ足りない。降り注ぐ火球を避けながら目の前の壁に関して、あの鬱陶しい障害物をどうするか私は考えていた。

 

 

 強引に突破する事も出来るだろうが、そんな強硬手段は二流の発想である。

 そもそもあの壁を維持するのにどれだけの魔力を消費するか、そんな事は魔術に疎い私にだってわかる。

 私を近づけさせない為のもの、謂わば障壁として使っているなら既に目的は達成されている。

 

 

 しかし、戦術的価値の失われたあれを彼女は費用対効果(コストパフォーマンス)に関係なく維持している。

 少しでも魔力を温存しておきたいこの場面で、そんな馬鹿げたことをするほど単細胞でもないだろう。

 ではこの状況が何を意味するのか、そんな事は今更言うまでもないと思う。

 

 

 

「ハハ、その気概だけは褒めてやろう」



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合理主義者の悪辣な遊び

――――――私が勝ったらコンちゃんに謝ってもらう。

 

 

 この御姫様は試合が始まる前そう言っていたが、実際に私と戦ってみて気づいた筈だ。

 私達の間に存在する絶望的な隔たり、実力差と言う名の残酷な現実である。

 ではそんな私にどうやって勝つつもりなのか、ここは御姫様の立場に立って考えてみよう。

 

 

 

「ああ……そうか、それを狙っているなら納得できる」

 

 

 さて、取りあえずは中々出て来ない小娘を誘い出そう。

 わがままなボルゾイを教育する為に、私は彼女の大好きなドックフードをちらつかせる。

 血統書付きの間抜けなボルゾイに対して、私は少しだけ体勢を崩してアピールしたのである。

 

 

 

「悪いけど、これで決めさせてもらう!」

 

 

 すると、案の定そのドックフードに彼女は食らいついた。

 鬱陶しい壁が消えたかと思えば、そこから私という獲物に間抜けなボルゾイが向かってきてね。

 数少ない好機をものにする為、彼女は私という餌にその牙を突き立てようとする。

 

 

 

「残念、君の考えている事などお見通しだ」

 

 

 私の雰囲気が変わった事に気づいたのか、御姫様の焦りようは中々面白かった。

 慌てて大剣を振り下ろそうとするが、私の間合いに踏み込んだ時点で意味はない。

 甲高い音と共にあれほど大きな武器が宙を舞い、媚びるしか能のない馬鹿共が騒ぎ出す。

 

 

 突然のことに固まる御姫様を尻目に、私はその無駄に大きくて豪華な大剣を回収した。

 全く、見れば見るほど無駄が多いというか、あまりにも実用性に欠ける造りである。

 この大剣に施された装飾一つでどれだけのライフラインが整備できるか、これではまるで中世ヨーロッパの暗黒時代である。

 

 

 おそらくは絶対君主制の弊害だろうが、こんなものを造る金があるならインフラ整備に予算をあててほしい。

 私に言わせればただの無駄遣いであり、無能な国王が幅を利かせている時点で終わっている。

 国を滅ぼすのは無能な権力者と相場が決まっているが、その権力者をトップに据えたのは愚鈍な民衆である。

 

 

 カビの生えた貴族制度を採用し、古臭い政治体制に依存している国家に未来などない。

 無能な癖に自尊心だけは一人前の人間なんて、それこそ正真正銘の不良債権である。

 そう言った国がどんな結末を迎えるか、そんな事は歴史の教科書を開いてみればいくらでも載っている。

 

 

 

「汚い手でその剣に……御父様から貰った私の宝物に触れるんじゃない!」

 

 

 思わず出たため息は御姫様に対してか、それとも無能な国王に対してかは私にもわからない。どちらにせよなんとも胸糞悪い話だ。

 御姫様の叫び声と共に再び火球が現れ、それと同時に彼女の体を激しい炎が包む。

 これは少し前に闘技場の中で見た技、セレストが使っていたものと同じタイプの魔法だろう。

 

 

 彼女を起点に炎の渦を作りだして、その熱風によって触れるもの全てを焼き尽くす。

 セレストの時は雷撃だったが、今回はそれよりも質の悪い炎ということだ。

 ただその大きさはセレストのものよりも小さく、そしてその密度も薄いように感じたがね。

 

 

 

「剣?ああ、この趣向品の事を言っていたのか――――――では少しばかり君に聞きたいのだが、この装飾にはなんの意味があるのだろう。

 外見が良いだけで実用性に欠け、その中身はこの国のように空っぽだ。

 空っぽの御姫様が空っぽの武器を使う?なるほど、私が触れたらメッキも剥げるか」

 

 

 ただセレストとの戦いとは違って制限があり、御姫様を切りふせることは出来ないのである。

 なんとも面倒ではあるが、彼女への直接的な攻撃は許されていない。

 降り注ぐ火球と突っ込んでくる御姫様、おかげさまでリングの上は大炎上である。

 

 

 

「黙れ、黙れ黙れ黙れ!返せ、それは私にとっての誇りなんだ!」

 

 

 激情する彼女とは打って変わって、私の方は小躍りしたいくらいの気分だった。

 先程までの御姫様には考える余裕というか、この実力差を覆そうとする戦術的努力が垣間見えた。

 しかし今の彼女は主人公君よりも酷く、もはや王族としての威厳すらも霞んでいる。

 

 

 類は友を呼ぶ。魔術に疎い私でさえも彼女が無理をしていること、要するに大量の魔力を消費している事がわかった。

 彼女の後先考えない行動はそれだけでも興味深い。つまり御姫様にとっては命よりも大切であり、一刻も早く取り戻したかったのだろう――――――確か……誇り?だったか、これは良い事を教えてもらった。

 

 

 

「さて、正義の味方である君はどちらを選ぶのかな。

 哀れな召喚獣の仇を取ろうとするのか、それともくだらない誇りとやらを守ろうとするか……まあ、答えなんてわかりきっているがね」

 

 

 私は奪った大剣を適当に投げ捨てると、そのまま彼女の出方を伺っていた。

 甲高い音をたてて転がる大剣、間抜けなボルゾイはどちらに飛びつくだろう。

 誇りと言う名の玩具に飛びつくのか、それとも勝機と言う名の餌に食らいつくのか。

 

 

 その選択次第で私の方針も決まるわけで、個人的には前者であることを願っているよ。

 後者を選べば限りなくゼロに近い勝機が生まれるかもしれない。だが前者を選べば大量の魔力を消費しただけで、得られるものもなければ数少ない勝機も失う。

 これで彼女という人間について、その行動理念を私は知ることが出来る。

 

 

 

「そうか、やはりそちらを選んだのだな」

 

 

 誇りと言う名の玩具を取りに行く、そんな子犬を見ながら私は笑ったのさ。

 攻撃の主軸である筈の御姫様が背を向けて、そのまま鉄くずを拾いに行く光景は新鮮だった。

 間抜けなボルゾイを見ながら極めて悪辣に、それでいてとても楽しげに私は微笑んだ。

 

 

 彼女が勝機よりも誇りを重んじるならば、そこを攻め立てれば自ずと瓦解するだろう。

 私を嫌悪しているなら尚のこと、無力な自分に絶望してくれる筈だ。

 

 

 

「くっ、私の大切なものをよくも――――――」

 

 

「ああ、大切なのはわかったから拾えよ。……ほら、貴様の誇りとやらが泣いているぞ」

 

 

 彼女が大剣を拾い上げた瞬間、私は一気に間合いを詰めてそれを弾いた。

 甲高い金属音が響いたかと思えば、御姫様の手から誇りと言う名の鉄くずがこぼれ落ちる。

 最初はなにが起こったのか理解していなかったが、すぐに数発の火球を私に飛ばして彼女は自らの誇りに手を伸ばす。

 

 

 私は飛んできた火球を刀で切り裂くと、それ以上の攻撃はなにもしなかった。

 その光景をただ眺めているだけで、彼女が誇りを取り戻した瞬間に私は拍手を送る。

 投げたフリスビーを子犬が咥えたのだから、それを褒めてやるのは人間として当然のことだ。

 

 

 くだらない誇りを守ろうと踵を返し、私に背を向けた時点で君は終わったのさ。

 私の思惑に気づいたのか御姫様の顔が徐々に歪んでいき、そして再び大剣を構えて呪文を唱える。

 その鉄くずがそんなにも大切なら私が手伝ってあげよう――――――彼女の心が折れるまで何度も……ね。さて、それではゲームの続きを始めるとしようか。

 

 

 

「これではまるで金管楽器だな。特に綺麗な音色を奏でるわけでもないが、そうやって地面に転がっている方が御似合いだ」

 

 

 彼女の大剣が発火した刹那を狙って、私は再びその刀身を弾き飛ばしてね。

 本日三度目の金属音は今まで一番響き渡り、その音はどこか泣いているようにも聞こえた。

 ふむ、ここまでくれば御姫様だけでなく、観客席にいる馬鹿共も私の目的に気づいただろう。

 

 

 彼女の大剣をフリスビー代わりにして、そのくだらない誇りとやらを徹底的に冒涜する。

 御姫様の手から誇りと言う名の鉄くずを奪い取り、そして犬のように永遠と拾わせるのである。

 出来の悪い駄犬を躾けるのは私の務め、由緒正しきボルゾイとのドッグスポーツである。

 

 

 

「さっさと拾ってくれないか、君が拾ってくれないとなにも始まらない。

 そのガラクタが大事なんだろ?ほら、私は邪魔しないから安心して拾うといい」

 

 

 そんな風に見られたら照れるじゃないか、御姫様から向けられる視線はとても怖くて――――――でも、私はそこにある種の絶望を感じとったのさ。

 まあ、彼女が焦っている理由もわかるがね。先程の火球にしても足りないというか、最初のものよりも明らかに劣っていた。

 つまり彼女の魔力はほぼ枯渇しており、私に対抗する手立てがないのである。

 

 

 多種多様な魔法で敵を翻弄すること、それが彼女の強みであり武器なのだろう。

 だがそれが使えないともなればどうしようもなく、御姫様の勝機は完全に潰えたのである。

 今の彼女はなにを考えているのだろうか、王族としてのプライドと立場、加えて観客席で騒いでいる馬鹿共が彼女の降参を許さない。

 

 

 私を倒してみせると宣言したこと、それも彼女を苦しめている原因の一つだろう。

 彼女に出来る事といえばその誇りが蹂躙される様を、躾けの行き届いた犬のように眺める事だけだ。

 降参するという事は敗北を認めた事であり、つまりは君の誇りが擦り切れてしまった証明でもある。

 

 

 私は君の大切な友人とその召喚獣(ペット)を傷つけた元凶であり、そう簡単に降参するわけにもいかない筈だ。

 君の心がどの程度まで持つのか、それを私だけの特等席で見物しようじゃないか。

 

 

 

「黙れ、あんたみたいな異常者に私の気持ちがわかってたまるか!」

 

 

 それはただ単に逆上しただけだったのか、それとも王族としての意地だったのかはわからない。

 それでも最後の魔力を振り絞って、あの鬱陶しい壁を作り出した頑張りは評価しよう。

 最初の奴よりも少しばかり小さかったが、今の彼女にはこれが精一杯なのだろう。

 

 

 私達の間を隔てる鬱陶しい炎の壁、しかし今回のそれはとても薄っぺらくてね。

 これならば強引に突破しても大丈夫だろうし、むしろそうする事によって精神的負荷を与えよう。

 持っていた刀でその壁を切り裂いて、もはや時間稼ぎすら出来ない事を教えるのさ。

 

 

 

「なにを言うかと思えば、そんなもの興味もなければ知りたいとも思わない。

 私と君は違う人間であり、見てきたものも歩んできた道のりも違うからね」

 

 

 壁を突き抜けた先にいた御姫様、人間の形をした哀れなボルゾイは既に大剣を回収していた。

 だが壁を突き破って現れた私を見た瞬間、その瞳は明らかに動揺し唇は震えていた。

 ハハハ、ここにいるのは私という存在に脅える小娘であって、決して御姫様なんて上等な代物ではないな。

 

 

 

「私は私という個体で完成されており、君は君という個体で完成されている

 残念ながら君から学ぶべきことはなにもないし、あったとしても私の考え方とは相反する」

 

 

 ゆっくりと近づく私に彼女は呆然とし、攻撃する素振りすらみせない。

 あまりにも無反応なので勘繰ってしまったが、結局はなんの抵抗もせずに本日四度目である。

 この光景を見るのもそろそろ飽きてきたが、それでも彼女の心が折れるまでは続けよう。

 

 

 

「ねぇ、あんたの目的は――――――」

 

 

 そして今回ばかりはすぐに動こうとせず、御姫様は空虚な瞳で睨み付けてきてね。

 一筋の涙が頬を伝って地面に落ちていく、彼女の声は震えており少し可哀想だったよ。

 

 

 

「目的?目的か……そうだな」

 

 

 御姫様の言葉は私としても予想外だったというか、そんな事を聞かれるとは思ってもいなかった。

 さすがに本当の事を言うわけにはいかないので、取りあえずは適当な言葉で取りつくろう。

 こんな時は論点をすり替えようとせず、わかりやすい言葉を使って簡潔に答えるべきだ――――――彼女の耳元まで近づいて、そしてその問いに対する答えを告げた。

 

 

 

 

「ただの趣味だろうか、私には目的なんてものはないからね」

 

 

 震える御姫様には申し訳ないが、せっかくのゲームがこれで終わりなんてつまらない。

 今更途中退場なんて認めないし、なにより君の心はまだ壊れていない。

 凍ったように動かない彼女を尻目に、私は踵を返すとそのまま大剣(フリスビー)を拾い上げてね。

 

 

 彼女の誇りを投げ捨ててみれば、それは甲高い悲鳴をあげながら擦り切れる。

 そして最後に一際大きな声で鳴いたかと思えば、その誇りは御姫様の足元で醜態を晒していた。

 

 

「さて、そろそろ再開するとしようか」



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合理主義者の信じる正義

「きっと、あんたからすれば今の私は酷く滑稽なんでしょうね。

 だけど私に言わせればあんたの方が哀れよ。あんた、自分の顔を鏡で見た事ある?

 今のあんたは私が出会ってきたどんな大人達よりも醜く、そして嬉しそうに笑っている」

 

 

 

 目の前に転がる大剣を拾い上げて、震える体で必死に虚勢を張る彼女に私は微笑む。

 静まり返ったアリーナに響く一方的な罵倒と乾いた拍手、この状況で罵られるとは夢にも思わなかった。

 この私が醜い?おいおい、冗談も休み休み言ってほしいな。

 

 

 彼女が大剣を拾い上げるまでの間、一度も攻撃をしなかった私に対して失礼だろう。

 御姫様の頑張りを認めて何度も拍手を送り、加えて一切の追撃を行わなかったというのにこれではあまりにも身勝手である。

 

 

 決勝戦という大舞台に於いて、対戦相手から武器を奪ったにもかかわらずなにもしなかったのだ。

 彼女が大剣を拾い上げるまで一切動かず、更にはその頑張りを認めて拍手まで送ったのである。

 絶対に有りえない光景、本来であれば武器を奪われた時点で勝敗は決している。

 

 

 これ以上ないという程の優しさ、自己主張を押しつけるバーバリアンとは大違いだ。

 確かに個人的な目論見があった事は否定しないが、相手がそれを知らなければなんの問題もない。

 つまり、客観的に見れば私の行いは道徳的であり、彼女を思いやっての行動という事である。

 

 

 

「最初に言っておくけど、どんな辱めを受けても私は絶対に諦めない。

 正義は負けない。この私があんたみたいな異常者に負ける筈ないのよ」

 

 

 それなのにこのバーバリアンときたら、なんの根拠もなく私を罵倒した上にこの言葉だ。

 きっと、その言葉は浮足立っている己を奮い立たせる為なのだろうが、なんともくだらない理想論だと言わざるを得ない。

 正義論について語りたいならば、まずはジョン・ロールズの著書を読んでから言ってほしい。

 

 

 

「正義か、これはまた大きく出たものだな。

 無知な大衆は正義と聞けば憧れを抱き、そしてその言葉を調べもせずに一喜一憂する。

 ……では御姫様に聞くが、君が言うところの正義とはなんだ。それは誰に取っての正義で、誰に対する不義かな?」

 

 

 

 このまま永遠と彼女の誇りを穢し続けるのもいいが、それではあまりにも芸がなさ過ぎる。

 ここは時間対効率(コストパフォーマンス)を考えて外堀から埋めていこう。彼女が信じるものを否定する事によって、その拠りどころとしているものを破壊するのである。

 

 

 もはや大剣を発火させる魔力も残っていないのか、ただがむしゃらにそれを振るう彼女に付き合ってやる。

 私の目的は大剣を奪う事ではなく、ましてやその誇りを穢す事でもないからね。

 あくまで彼女のプライドを砕き屈服させること、哀れな夢想家に過酷な現実を教えてやろう。

 

 

 

「正義は正義よ!弱きを助け強きをくじく!

 みんなが笑っていられるように、誰かを食いものにする奴は絶対に許さない」

 

 

「ほう、では御腹を空かせた妹の為に盗みを働いた兄はどうだ。

 兄を殺した人間を殺した場合は?その殺した人間を更に殺した場合はどうなる?

 弱きを助け強きをくじく――――――なるほど、ではその弱き者とは一体誰のことだ。誰がその強き者とやらを決めるのかね?」

 

 

 

 御姫様の剣筋があからさまに鈍り、どこか辛そうにするさまはなんともからかい甲斐があった。

 必至に反論しようとしているのはわかるが、私の動きが変わっただけで慌てる姿は滑稽である。

 いっその事どちらかに集中すればいいものを、なんとも器用貧乏な小娘だと言わざるを得ない

 

 

 

「だったら法律……法律は絶対だもの!

 御父様や貴族の方々が知恵を出し合って制定した法律は、この国に住まう民を救済する為に作られて――――――」

 

 

「では貧民街で生まれた人間を誰が守り、親を殺された子供はどうやって恨みを晴らす。

 そもそも法律に準ずることが正義ならば、君の言っている事は明らかに矛盾している。

 弱きを助け強きをくじく……ふむ、では強き者が定めた法律でどうやって彼等を裁くのかな」

 

 

 

 百人が百人とも笑っていられるような世界など、所詮は狂信者の戯言に過ぎない。

 なぜなら百人には百通りの生活があると同時に、多種多様な利害関係が存在するからだ。

 百人が百人とも幸せになる事は出来ないが、それでも五十人を犠牲として五十人が幸せになる事は出来る。

 

 

 七十人を犠牲にすれば更なる幸福が手に入り、九十人を犠牲にすれば至福へと変わるだろう。

 そして、九十九人を犠牲にすれば一国の王にだってなれる。

 この国の法律とやらがどんなものかは知らないが、それでも彼女の言動を見ていればある程度の予想は出来た。

 

 

 

「法律に準じて正義を成したとして、それで数千人が不幸になったとしてもそれは正義なのか?

 それが正義であると保証する者もいなければ、その保証するものでさえも保証出来ないだろう。

 そんな曖昧でくだらない正義とやらを持ちだしたところで、誰も救われないし誰も変われないのだよ御姫様」

 

 

「うるさい!あんたにこの国のなにがわかる!

 私はこの国で生まれてこの国で育った。多くの貴族や軍人と話すことで、私は国の在り方や民に対する理解を深めてきたの!

 だから私の努力をそんな言葉で馬鹿にするな!何も知らない癖に……御父様がどれだけ悩んでいるのかも知らない癖に!」

 

 

 

 前時代的な統治体制、カビの生えた貴族制度を採用しているような国だ。

 法律とは万人の為に存在するものではあるが、この国の法律にそれを求めるのは少々無理がある。

 社会的地位によってその性質を変える法律など、豚の餌を同じかそれ以上に酷い。

 

 

 そもそも正義という言葉を免罪符にしている時点で、彼女の努力とやらも底が知れている。

 御立派な思想に反してあまりにも中途半端というか、その主張はどこもかしこも穴だらけである。

 この国の人口に対して貴族・豪族といった特権階級が占める割合、それがどれほどのものかを彼女は理解していない。

 

 

 

「知らんよ、君の生い立ちなんてどうでもいいしその努力とやらにも興味はない。

 だが、この国の事をなにも知らない君に言いたいのさ。……ん?その顔は私の言っている事が理解出来ない――――――っと、そう言わんばかりの表情だな。

 しかし君の意見を尊重するなら間違ってはいない筈だ。私の屋敷で働いている使用人の一人、シアンと呼んでいる女の子は元々孤児だったからね」

 

 

 そうして私は世間知らずの御姫様に、彼女が言うところの救済すべき人間について教えた。

 身よりのない子供がどんな扱いを受けているか、雨に打たれながらゴミを漁っている現実をね。

 文字通りのボロ切れを身に纏って、体を洗うどころか御風呂というものがなんなのかもわからない。

 

 

 どこにでもあるようなパンを齧り、これまたどこにでもあるようなスープを飲んで涙する。

 名前すら与えられずその日の寝床にすら困る有様、私が付けた適当な名前を宝物のように何度も口にする。

 この国で育った彼女ならば知っている筈の現状、最も助け出さなくてはいけない人間達だ。

 

 

 

 この御姫様は努力を怠らず、貴族や軍人達と言葉を交わしながら理解を深めたらしい。

 それならばその事実を知らなければおかしいし、なにより王都の端には大きな貧民街がある。

 正義を口にする御姫様、弱きを助け強きをくじくなら知っていて当然の知識である。

 

 

 

「この国の御姫様である君が、この現状をどう思っているのか知りたくてね。

 私に対してあんな言葉を吐いたのだから、当然なにかしらの対処はしている筈だ。

 君は――――――君が言うところの弱き者を何人……いや、何千人救ったのかな?」

 

 

「わっ……私にそこまでの権限はないのよ。

 勝手に国庫を空けるわけにもいかないし、なにより王城や学園の外に出る事は禁止されている」

 

 

 

 この御姫様は外の世界をろくに歩いたこともなく、貴族や軍人といった特権階級の人間と理解を深めたそうだ。

 信賞必罰の考えは大いに結構だが、その基準があまりにも偏っている理由がそれだ。

 短い人生の中で培ってきただろう信念をものの数分で疑い、更にはなにもしていない癖にプライドだけは一人前という事だよ。

 

 

 直接貧民街にでも行って、そのありがたい御言葉を彼等に聞かせてやればいい。

 私は今までなにもしてきませんでしたが、精いっぱい努力してきたので馬鹿にしないでください……ってね。

 そうすれば彼等は冷たい瞳で彼女を貫き、その拳を振るいながら精一杯陵辱してくれるだろう。

 

 

 振るわれる大剣がその荒んだ心を体現しており、決勝戦というにはあまりにも低レベルだった。

 まるで靴の裏に張り付いたガムを剥がすかのように、哀れな御姫様は無理矢理……その歪んだ正義を振りかざす。

 私は彼女の動きに合わせて大きく踏み出すと、そのまま彼女の両手首を掴んで動きを封じてね。

 

 

 突然の事に慌てる御姫様は必死に振り払おうと暴れるが、その程度の力では抜け出す事など絶対に出来ない。

 御互いの息遣いがわかる程に近づき、そして複雑な表情で私を睨みつけてくる姿は哀れですらある。

 籠の中の鳥。外の世界をなにも知らない哀れな(カラス)だよ。

 

 

 カラスを大事に育てている理由はその飼い主を恐れているからであり、カラスそのものに魅力を感じているからではない。

 カラスはどこまでいってもカラスであり、どれだけ努力しようとも羽の色は変わらない。

 

 

 

「なにを言うかと思えば、だったらこの大剣を売ればいい。

 これひとつ売るだけで孤児院の設立やライフラインの完備、何万人という人間に柔らかいパンと温かいスープを提供できる。

 働くことも出来ず飢えに苦しんでいる子供達を個人的に保護し、大人になったら君の近衛兵として働かせるのもいいだろう」

 

 

「なっ……」

 

 

「ほう?今君は少なからず動揺したな。

 それは私の考えが盲点だったからか、それとも大剣を手放すのが惜しいと思ったからか。

 出生も明らかでない者を助ける為に、御父様から貰った鉄くずを手放すのは嫌だ。……なるほど、そんな考え方も悪くはないと思う。

 下賤な輩を己の近衛兵として働かせたくない――――――そんな奴等の為に大事な誇りを手放したくないと思うのは当然のことだ」

 

 

 

 彼女の手から大剣がこぼれ落ちて、甲高い悲鳴をあげながら虚しく横たわる。

 おそらくは彼女自身が揺らいでいる為に、自分でも気づかぬ内にこぼれ落ちたのだろう。

 

 

「だが、人の命と物の価値を天秤にかけるような人間に罵られるとはな。

 少なくとも君に正義を語る資格はないし、その努力とやらも認めるわけにはいかんよ」

 

 

「違う!わっ、私はなにも知らなかったの!」

 

 

 彼女の声は大剣が転がる音ととても似ていたが、悲鳴というよりは叫び声に近かったかもしれない。

 自分は間違っていない筈だという主張は保身へと変わり、掴んでいた手首を離せば彼女はそのまま座り込んで、あれほど大切にしていた誇りを拾おうともしなかった。

 

 

 私を哀れだと罵ったその口で、彼女自身が哀れな自己暗示を繰り返している。

 御姫様の目の前で大剣を拾い上げても、彼女はその場から動こうとはしなかった。

 少し前ならば絶対に考えられない光景、私は踵を返すとそのまま少しだけ距離をとってね。

 

 

 

「知らなかった?一国を取り仕切る者の娘が、そんな言葉で許されると思ったのかい?

 国王然り、御姫様然り、国のトップに立つ者とその家族にはそれ相応の責任がある。

 裕福な生活を送っている分、常に一定の結果を出さなければならない――――――結局、罰せられるべき人間は君自身であり、君の努力とやらも全て無駄だったというわけだ」

 

 

 うるさいくらい静かなアリーナの中で、私の言葉は普段よりも響き渡っていた。

 地面に座り込み両手で顔を覆いながら泣く小娘と、それを見ながら楽しそうにヨハンと言う名の道化師、こんな状況を誰が予想しただろうか。

 拠りどころとする信念を折られた御姫様が、自分の浅はかさに打ちのめされている。

 

 

 

「違う……違う。私はそんな人間じゃ――――――」

 

 

 信じていた正義を否定されて、大事にしていた誇りも穢されてしまった。

 もはや御姫様には拠りどころとする場所も、信念も、正義だってありはしない。

 後は軽くその背中を押してやればいい、そうすれば彼女のプライドは一気に瓦解する。

 

 

 

 与えられたノルマがやっと達成できる――――――そう、この時の私はそう思っていたのだ。

 

 

「もう十分だろヨハン君、これ以上ターニャを虐める事は僕が許さない」

 

 

ああ、思っていたのだよ。



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合理主義者の代表戦

 その男は突然観客席の中から飛び出してきて、御姫様を庇うように私の前に立ちはだかってね。

 予想外の状況に慌てふためく有象無象を尻目に、この時の私は誰よりも冷めていただろう。

 決勝戦という大舞台に乱入してきた彼は、まるでライトノベルの主人公のように堂々としていた。

 

 

 かよわい御姫様を守るように剣を抜き、気持ち悪いほど真っ直ぐな瞳を私に向けてくる。

 周りにいる教職員もどうすればいいのか困っているようで、おそらくは彼等もあのまがいものと同じ気持ちなのだろう。

 

 代表戦に於ける勝敗の決し方は主に二通りある。

 降参するか、それとも試合の続行が不可能となる程の怪我を負うか。

 

 

 泣き崩れてはいるものの、御姫様は降参しておらず身体的な外傷も皆無である。

 代表戦に於ける規定によればまだ勝敗はついていないが、道徳的に考えればこれ以上の戦いは無意味だろう。

 既に御姫様は戦える状態ではなく、既に勝敗は決していると考えるのが妥当だ。

 

 

 だが、ここで御姫様が言っていた言葉がそれを邪魔してしまう。

――――――私は絶対に諦めない。

 なるほど、要するに周りにいる教職員も含めて止めるべきか否か、それを測りかねているのだろう。

 

 

 本来であれば今すぐにでも拘束されて然るべき状況、目の前にいる彼が未だに立っているのはそんなところだろ。

 彼を取り押さえなければいけないという考えと、このまま試合を続行させるわけにはいかないという思いがせめぎ合っている。

 なんともまあ……これ以上ないというほど素敵な状況である。

 

 

 

「おやおや、どうして部外者である筈の君がここにいる。

 しかもそんな剣まで持ち出して、私には今の君がとても正気だとは思えない」

 

 

「確かに今の僕は正気じゃないのかもしれない。

 だけど、こんな悪趣味な試合を見ていられるほど狂ってもいない。

 誰の目にも君の勝利は明らかだ。これ以上彼女を痛めつけたところで、誰も喜ばないし見たいとも思わない。

 僕がここにいる理由はそれだよヨハン君、君が試合を続けるというならそれを僕は全力で阻止する」

 

 

 

 本来であれば彼に邪魔されたと憤慨するのだろうが、私に言わせればこれは千載一遇の好機である。

 御姫様の心を砕くのに一番効果的な要素が、自ら私の前に現れたのだからね。

 私が攻撃できるように大義名分まで持参して、これ以上ないというほど素敵な状況である。

 

 

 御姫様と一番仲が良いだろう主人公君の四肢を削いだら、きっと御姫様は自分のせいだと思うだろう。

 事実、彼女が降参しなかったが為に彼が止めに入ったわけで、私はその暴漢を排除しただけなのだから問題はない。

 試合に乱入しただけでは飽き足らず、私に剣を向けているのだから正当防衛としては十分だ。

 

 

 

「阻止する?全く、これだから野蛮人は理解に苦しむ。

 彼女は君の復讐を果たそうと健気に戦っているというのに、それを君自身が止めるというのかい?

 私は君達の関係についてそれほど詳しくはないが、こんな時こそ君が彼女という存在を信じるべきだろう。

 御姫様が私という悪?だったか倒すと信じて、それを待つことこそ友人としての努めだ」

 

 

 

 彼の四肢が己の大剣(ほこり)によって切り落とされた瞬間、御姫様がどんな表情をみせるのか楽しみである。

 これだけの職員が見守っているなか彼を殺すのは難しいだろうが、それでも片腕くらいならば切り落とせるだろう。

 それくらいならば過剰防衛と罵られることもなく、生徒会長様の不評を買う事もない筈だ。

 

 

 主人公君の返り血を浴びた御姫様がどんな顔をするのか、それを想像しただけでも笑いが止まらない。

 もっともらしい言葉を並べながら彼の油断を誘って、私は着実に彼との距離を詰めていく。

 無論、私が持っている大剣の間合いまで近づくことが目的であり、それさえ達成してしまえば後は振り下ろすだけだ。

 

 

 

「君が言っている事もわかるけど、単純にこれは僕自身のワガママでもあるのさ。

 僕はこれ以上ターニャが傷つく姿を見たくない。たとえ彼女に罵られようとも、僕はこの道を君に譲る気はないよ」

 

 

 私は大剣を弄びながら近づき、そのまま主人公君と睨み合いながら反応を伺う。

 既に私の間合いに入っている彼は警戒しているようだったけど、そこで私は盛大なため息をついて踵を返したのさ。

 彼の表情を見ることは出来ないが、それでもどんな顔をしているかくらいは手に取るようにわかる。

 

 

 きっと、私が背を向けた事に対して驚いている筈だ。

 どんな理由にせよ試合を邪魔してしまったという罪悪感、その感情から彼が攻撃してくることはないだろう。

 だからこそ、ここでの駆け引きはとても重要なのだ。

 

 

 最初の一刀を彼に防がれてしまうと、周りにいる教職員が止めに入る可能性がある。

 主人公君と剣術で競い合ったところで、その結果は火を見るよりも明らかだ。

 正攻法で攻めたとしても防がれる可能性が大きく、その場合は職員によって取り押さえられるだろう。

 

 

 

「わかった。君がそこまで言うなら私も考えを改めよう」

 

 

 それならば私が取るべき道はただひとつ、不意打ちによる防御不可能な一撃である。

 私が背を向けた事で彼は考えている筈だ。もしかしたら諦めてくれたのではないかと、考え直したのかもしれないとね――――――

 全く、なんとも浅はかな考えだと言わざるを得ない。

 

 

 私の言葉に張りつめていた筈の空気が乱れて、どこからともなく安堵の声が聞こえてくる。

 私の事をどんな風に見つめているかは知らないが、それでも手に取るように君の感情がわかる。

 なにを安心しているのだろうか、試合に乱入してきた暴漢を私が見逃す筈ないだろう。

 

 

 

「では、君を排除して試合の続きをやらせてもらおう」

 

 

 その言葉と共に右足を軸として背後を薙ぎ払う。この動作では片腕は切り落とせても、その体を両断する事は出来ないだろう。

 振り返った瞬間に見えた彼の表情はとても間抜けであり、どうやら私の言葉を信じていたようで既にその剣は納められていた。

 

 

 空気を切り裂く音と観客席から沸く悲鳴、唯一の武器を鞘に納めていてはどうしようもない。

 突然降り注いできた血の雨を前に御姫様はどんな反応示すのか、もはやその結末は想像に難くなかった。

 私よりも早く動ける人間などいな……いや、そう言えば一人だけ上回っていた奴がいたな――――――

 

 

 

「前にも忠告したけど、君の技は同級生に向けていい類いのものじゃない」

 

 

 そうだった。この決勝に備えて生徒会長様は警備を万全にするだろうし、ここに彼がいても何ら不思議ではなかった。

 大剣と言う名の鉄塊を素手で受け止めて微笑む姿は、あの時の事を私に思い出させた。

 あれ程の運動エネルギーを難なく受け止めるとは、どう考えてもこの職員は普通じゃない。

 

 

 代表戦に於ける予選でもそうだったが、私は私よりも早く動ける人間を見た事がなかった。

 目に映らない程の速さという点も含めて、今の今まで私は彼の存在に気づかなかったのである。

 一介の職員に過ぎない筈の男、マリウス=ヴォルフガンフを見ながら私の顔から笑みが消える。

 

 

 

「御言葉ですがマリウス先生、私は私の試合を邪魔しようとした阿呆を排除したかっただけです。

 決勝戦という大舞台を穢した輩には、相応の罰をもって望むのが妥当でしょう」

 

 

「君の言い分ももっともだけど、それをやるのは君じゃなくて私達の仕事だ」

 

 

 彼の口調や態度はこの私から見ても特異なもので、どこまでも掴みどころがなくとても落ちついたものだった。

 大剣の一撃を素手で受け止めておきながら全く動じない姿は、ある種の恐怖を私に植えつけてくる。

 彼自身もそれを狙っているのだろうが、その雰囲気はとても学園の職員だとは思えなかった。

 

 

 私達は互いに睨み合いながら全く動かず、この混乱とざわめきの中で固まり続けている。

 本来であれば今すぐにでも剣を下ろすべきなのだろうが、私の中に芽生えた恐怖心がそれを許してくれない。

 所謂防衛本能という奴なのだろうか、治まりのつかない感情が私という人間を駆り立てる。

 

 

 

「なにをやっているのですか!今すぐ彼を取り押さえなさい!」

 

 

 だからこそ、その時聞こえて来た言葉は一筋の救いではあった。

 ただ、その内容に思わず辟易してしまったがね。

 ここで暴れたところでなんの利益もなく、それならば少しでも有利に事を運ぼうと大剣を手放す。

 

 

 これを持っているせいであらぬ誤解を招いては、それこそ私の立場が悪くなる一方だ。

 生徒会長様の御言葉に従うと言う事を示した上で、迫りくる衝撃に私は覚悟を決めていた。

 あまり乱暴なことはされたくないが、状況が状況なだけに納得してもらえないだろう。

 

 しかし、そんな私の予想とは裏腹に職員達が向かう先には、私ではなくあの主人公君の姿があったのさ。

 

 

 

「ほう。なんとも……こうなるとは思わなかった」

 

 

「アルフォンス=ローラン、優等生として職員の評判も良い貴方がなぜこんな事をしたのです。

 決勝戦という大事な試合に於いて、個人的な目的の為にその秩序を乱した罪は重い。

 正式な処分は追って伝えますから、それまでは自宅での謹慎処分と致します」

 

 

 押さえつけられる主人公君と、なにが起こっているのかやっと理解した御姫様。

 主人公君は覚悟の上でやった事なのだろうが、御姫様の暴れっぷりはなんとも見応えがあった。

 職員に押さえつけられながら全く動じない姿は、個人的にはあまり面白くなかったけどね。

 

 

 

「先日の件も含めて、これで彼に対する遺恨は水に流してください。

 エレーナさんの一件と彼に対する処罰をもって、この場は大人しくしていただけると助かります」

 

 

 御姫様が主人公君を庇う光景はとても新鮮で、なんとも美しい茶番にしかみえなかった。

 生徒会長様が私の元までやってきて、先程の言葉を耳打ちしたかと思えばその返答を待っている。

 個人的にはあの一撃を止められた時点でそれ以上手出しするつもりはなく、むしろ生徒会長様の方からあの時の借りを持ち出してくれる分には大歓迎だ。

 

 

 準決勝に於ける不幸な事故に関して、私は生徒会長様に多大な借りがあるからね。

 それをこんな事で返せるというならば、それは私にとっても大きなメリットである。

 社会人として借りたものは返すのが礼儀であり、それを踏み倒したとあっては私の評価に響くだろう。

 

 

 なんとも拍子抜けな結末ではあるが、その生徒会長様の言葉によって私の代表戦は終わったのだ。

 御姫様の方に視線を移してみれば職員達ともめているようだったが、その声には試合前までのあの鬱陶しい抑揚が感じられない。

 主人公君を助けようと懇願する姿を見れば、彼女の心がどんな状態であるか一目瞭然である。

 

 

 

「生徒会長様がそう仰るのであれば、私はこの感情を押し殺しましょう。

 一応試合の方はまだ決着していないのですが、一旦仕切り直してもう一度行うのですか?」

 

 

「いえ、彼の言葉を借りるわけではありませんが、これ以上やったところで結果は見えています。

 ターニャ=ジークハイデンを試合続行不可能と判断し、この試合は貴方の勝利と致しましょう。

 それに……ほら、この状況では試合を行うのも難しいでしょう」

 

 

 

 観客席にいる有象無象が声を張り上げている。その内容は主人公君を助けようとするものであり、彼を押さえつけている職員達に向けられたものだ。

 御姫様の姿に触発されたのだろうが、声を張り上げるだけで行動に移さない彼等は主人公君よりも質が悪い。

 私としては生徒会長様からお墨付きも頂けたので、もはやこんなくだらないお祭り騒ぎを続ける気はない。

 

 

 敬愛する上司から与えられたノルマ、その全てを終えた今となってはただ鬱陶しいだけである。

 セシル=クロードの信頼を勝ち取り、決勝の舞台でターニャ=ジークハイデンを無傷のまま叩きのめした上で、圧倒的な力で以て代表戦というお祭り騒ぎを終わらせる。

 唯一の心残りは御姫様自身が降参しなかったことだが、今更それを聞いたところであの様子では難しいだろう。

 

 

 

「一応、今から表彰式を執り行いますので――――――」

 

 

「申し訳ないのですが、この後大事な約束が控えていまして。

 私の代わりに……そうですね。クロードさんにでも頼んでください。

 どのみち彼女も四城戦に参加するでしょうし、なにより彼女ならば私の頼みを断らないでしょう」

 

 

 そう言って私は踵を返すと真っ直ぐ出口へと向かう。これ以上ここにいたところで時間の無駄であり、ただ私の感情を逆なでするだけである。

 生徒会長様は不満気な表情だったが、表彰式とやらに出席する前に報告書を提出する必要がある。

 まずは本社に出向いて教皇様に取り次いでもらい、一秒でも早く報告書を提出しなければならない。

 

 

 ここで騒いでいる子供達とは違って私は歴とした社会人であり、プライベートよりも仕事を優先させるのは当然だ。

 学園代表戦決勝、その終わりはとても呆気ないものであった。

 歓声どころか拍手のひとつも起こらず、観客席にいる愚衆は口々に無責任な事を叫んでいる。

 

 

 

「無能共のフルコーラス、なんとも私らしい結末じゃないか」

 

 

 混乱?いや、ここまでくると渾沌だな。

 王族の誇りは地面に横たわり、主人公君は学園の職員に取り押さえられている。

 大衆は面白半分で首を突っ込み、その隙に私という勝者がこのふざけた空間を後にした。



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合理主義者を取り巻く環境

 ビザンティン建築。日本ではビザンツ様式とも呼ばれる中世ヨーロッパの建築方式、その独特な造りと多種多様な壁画は黄金時代を彷彿とさせる。

 歩く度に軽快な音を奏でる石畳、左右に掲げられた松明が幻想的な世界を作りだす。

 これだけ大きな建物にも関わらずその中は殺伐としており、静かな空間に響く足音がどこか薄気味悪かった。

 

 

 人魔教団。この世界に於いて知る人ぞ知る複合企業(コングロマリット)、この建物は人魔教団の中でも一部の権力者しか知らない。

 とあるダンジョンの最下層に作られているらしいが、未だかつてここまで侵入した冒険者はいないそうだ。

 無数の魔物と数多くのトラップが人の侵入を拒み、私達でさえも転移物を使用してここへと来る。

 

 

 転移物とはその名の通り一定の場所へと転移する事が出来る魔道具、私のそれは王都郊外にある小さな森が入り口である。

 森の中にある一際大きな樹木に支給された転移物をかざし、そうして開かれた道を通ればこの場所へと辿り着く。

 私が今日ここに来た理由は仕事の完了を報告する為であり、数少ない同僚との交流を深める為でもあった。

 

 

 

「それで?君はそのまま表彰式にも出ず報告書をまとめていたのかい?」

 

 

 軽快な足音を奏でながら揺れる二つの人影、ア〇ニマスに似た仮面をつける同僚はどこか面白そうだった。

 怠惰を司る原罪司教。数多くの人間をギアススクロールによって従わせる奴隷たちの王、同じ原罪司教の中でも唯一仲の良い同僚だ。

 敬愛する上司の手によってこの世界にやってきた私は、目の前を歩くこのスロウスと呼ばれる男の手によって教育を受けた。

 

 

 初めはこの新しい法則とふざけた概念に困惑もしたが、彼のおかげで今では普通に暮らせている。

 教皇様自身が私の教育係に彼を任命したらしいが、おそらく私達が似た者同士だから配慮してくれたのだろう。

 ホムンクルスと呼ばれる仲間として、私も少なからず彼という人間を気に入っている。

 

 

 

「ええ、あんな馬鹿騒ぎに興じている暇はありません。

 個人的にはどうしてこんな事をやっているのか、出来る事なら今すぐにでもこの学生ごっこを辞めたいですよ」

 

 

「まあまあ、君をその姿にしたのもなにか理由あっての事だ。

 教皇様がなにを考えているのかはわからないけど、その内見えてくるものもあるだろうさ」

 

 

 教育係という立場上彼は私の素顔を知っていたし、今住んでいる屋敷だって彼が手配したものだった。

 教皇様を除けば私が最も信頼する人間であり、仕事の上でも頼りがいのある同僚である。

 私は彼の素顔を見た事がないしその素性も知らないが、それでもスロウスという人間は十分に頼もしい。

 

 

 

「取りあえず宝具殿までは案内するけど、ラースは新しい武器が欲しいの?それとも防具とか?」

 

 

 スロウスの案内によって地下へと下りていく私は、教団の者が宝具殿と呼んでいる場所を目指していた。

 宝具殿。それは人魔教団が収集した数多くの武具が置かれた部屋、私は見た事がないが要するに保管庫のようなものだ。

 どこの会社にでもある資料室のようなもの、私はその場所にちょっとした用事があった。

 

 

 用事と言ってもなにかを調べたりするわけではなく、ただ単に教皇様から与えられた報奨を取りに行くだけだ。

 先程まで教皇様と会っていた私は、報告書を提出するに際しお褒めの言葉をいただいてね。

 そして宝具殿にあるものをなんでも一つだけ持ち出してもいいと、そう言われたことからこうして向かっている。

 

 

「武器は教皇様から頂いたものがありますし、防具にしても必要だとは思わないのです。

 なにか面白い魔道具でもあればいいのですが、最悪適当な魔導書でも構いません」

 

 

「確かに、教皇様がラースにクロノスを渡した時は驚いたよ。

 プライドなんて顔を真っ赤にして抗議してたけど、あれがあれば武器や防具なんて邪魔なだけだからね」

 

 

 クロノスとは私が入学テストの時に使った大鎌であり、初仕事に赴く私に教皇様が手渡した武器である。

 あの時は片腕を切り落とす為だけに使ったが、今思えばあれを使うべきではなかった。

 クロノスの力が発動していたらどうなっていたか、おそらくはスプラッター映画よりも酷い惨状が生まれていただろう。

 

 

 

 教皇様と話した際に次の仕事も言い渡されたが、私はその仕事でもクロノスを使うつもりはなかった。

 上司から与えられた次の仕事――――――四城戦に於いて出来る限り派手に暴れろ。

 暴れろと言ってもそれは言葉通りの意味ではなく、私という存在を観客達に売り込みたいらしい。

 

 

 四城戦を見に来るのは上流階級でも一握りの人間達、言うなればこの国を牛耳っている各地の貴族や軍人たちである。

 その試合に於いて無名の一年生が派手に暴れれば、それだけ各派閥は私という人間に興味を示すだろう。

 将来有望な人間を手に入れようと接触し、そしてなにかしらの行動を起こしてくる。

 

 

 要するに私はハエを捕らえるラフレシアであり、匂いにつられてやって来た馬鹿共を捕食するのさ。

 今回の仕事も少々不明瞭ではあるが、代表戦の時とは違って余計な制約は一切ない。

 単純に私という商品を観客に売り込み、そして獲物がかかるのを待つだけだ。

 

 

 

「よし、やっと着いたね」

 

 

 突然スロウスが立ち止まったかと思えば、そこには無数の魔法陣に囲まれた巨大な扉があった。

 黒い光沢を放つ扉には様々な彫刻が施され、その扉を守るように魔法陣が浮かんでいる。

 周りの雰囲気と相成ってとても幻想的ではあるが、正直近づきたいとは思わなかった。

 

 

 スロウスが魔法陣に触れれば激しい火花が散り、無数の魔法陣が甲高い音をたてて重なり合う。

 遂には扉を覆いつくすほどのものとなって、最後には青白い光と共に消えてしまった。

 あまりの光景に呆然とする私だったが、そんな私とは対照的にスロウスは何食わぬ顔で手を伸ばす。

 

 

 

「それじゃあどうぞ、私もここに入るのは久し振りだけどね」

 

 

 木製の扉が奏でる独特の甲高い音と共に開かれる空間、宝具殿の中は私の想像を遥かに超えていた。

 大小様々な形をした武具に無造作に置かれた魔導書の数々、奥の方にはドラゴンと思しき巨大な骨格まで飾られている。

 不気味な笑い声を発する魔導書から白い光を放つ双剣まで、この空間にはありとあらゆる宝具が揃っていた。

 

 

 無秩序に並べられたそれは全てが一級品であり、これだけのものを揃えるのに一体何人死んだのだろう。

 血塗られた剣やドレスは当然として、傷だらけの防具にしてもなにかしらの因縁を感じる。

 試しに赤い刀身の日本刀を握ってみれば、その瞬間凄惨な断末魔が辺りに響き渡った。

 

 

 

「そうそう、教皇様と長話してたけど次の仕事は決まったのかい?」

 

 

 驚く私を尻目に平然と魔導書を読んでいる彼を見て、私はこのふざけた概念と法則性に舌打ちする。

 パーティープレゼントとしては有能だろうが、それ以外では使いたいとも思わない。

 この程度で驚いているようではまだまだ青いと言う事か、静かな空間の中でページをめくる音だけがいやにうるさかった。

 

 

 

「一応決まったのですが……なんと言うか、よろしければ相談に乗ってくれませんか?」

 

 

 スロウスの言葉に私は先程までのやりとりを思い出し、教皇様から与えられた次の仕事について相談を始めた。

 相談すると言ってもどんな風に戦えばいいのか、この国にいる貴族や軍人の思考がわからないからね。

 私という人間を売り込むために一番最適な方法、どの程度暴れればいいのか聞きたかった。

 

 

 

「だったら相手を降参させるのはどう?四城戦は各学校の名誉を賭けた戦い、過去の試合でも降参した者はほとんどいない。

 代表に選ばれた者は相応の矜持を持っているから、その御立派な精神を砕いてやれば目立つと思うよ」

 

 

 そこから先、スロウスは四城戦に関して色々と教えてくれた。

 国のお偉いさん方が集まる四城戦とは、有り体に言えば派閥争いの延長戦だそうだ。

 門閥貴族。魔術師協会。世襲派軍閥。そして私が所属している王党派。

 

 

 各勢力が管理している学校を数年に一度戦わせ、そうする事で派閥の優劣を決めているらしい。

 なんともドロドロな政治争いであるが、各派閥が正面から殺し合うよりかは健全である。

 表向きは学生達の意識改革、将来有望な学生達を戦わせることで向上を狙う。

 

 

 あくまでも四城戦自体は健全な試合であり、対戦相手への拷問及び殺害は禁止されている。

 各派閥の重鎮が試合を管理しており、代表戦の時みたいに一筋縄ではいかないだろう。

 幸いあの御姫様と戦った際にコツは掴んでいるし、切っ掛けさえ掴めれば後はどうにでもなる。

 

 

 

「なるほど、スロウスさんの助言にはいつも助けられます」

 

 

「そんな風に言われると照れくさいけど、まあ悪い気はしないかな――――――って、ハハ……まさかまだそんなものがあったなんてね」

 

 

 それは仰々しい木箱に入っていた二対の水晶、綺麗な光沢を放つ赤と青の小さな球体でね。

 ここにあると言う事はこれも魔道具なのだろうが、正直あまり価値のあるものだとは思えなかった。

 なにに使うのかよくわからなかったので、ついつい手を伸ばしたがなんの反応もない。

 

 

「ん?どうしましたか?」

 

 

 だが、これを見た瞬間のスロウスの表情が気がかりだった。

 先程の叫び声には無反応だったのに、この水晶を見た瞬間あからさまに雰囲気が変わったのだ。

 周りにある武具や魔導書に比べれば明らかに見劣りする水晶、そんなものにどうしてスロウスが動揺したのだろう。

 

 

 

「その魔道具の正式名称はフォールメモリー、赤い水晶を押し当てる事によって対象の記憶を破壊する。 もう一つの青い水晶はその逆で、赤の水晶によって破壊した記憶を復元することが出来る。

 ただあくまでもそれはフォールメモリーに似せたレプリカ、その効果は本物とは違ってかなり限定的だね」

 

 

 フォールメモリーとは対象の記憶を破壊する魔道具、赤と青の水晶はそれぞれその効果が異なるそうでね。

 本来のそれは破壊する期間を任意に選べるらしいが、レプリカであるこれにはそこまでの力はない。

 破壊出来る範囲は最高でも一年間であり、それ以上の記憶を消そうとすると魔道具が融解するそうだ。

 

 

 スロウスの説明はとても淡白なものであったが、先程感じた動揺は気のせいではないだろう。

 この魔道具になにかしらの思い入れがあるのか、それとも痛い目にでもあったのかは知らないがね。

 だが私という人間にとっては使い勝手が良く、なにより他者の記憶を破壊出来るなんて素敵じゃないか。

 

 

 ここにあるどんな武器よりも強力であり、使い方さえ選べば最高の盾にだってなり得る。

 私は二つの水晶を木箱に戻すと蓋を閉めて、そのまま指輪と言う名の便利グッズに収納する。

 その光景を見ていたスロウスは読んでいた本を元に戻して、近場にあった双剣を弄びながら笑っていた。

 

 

 

「他の武器や魔導書には目もくれないで、そんなものを欲しがるなんて相変わらず変わってるよ。

 初めて出会った時もそうだったけど、あの時の君には本当に笑わせてもらった。

 君がこの世界にやってきた夜――――――ほら、教皇様に聞かれて君はこう答えたんだ」

 

 

 それはこの世界にやってきた初めての夜、生き物が燃える独特な臭いと断末魔がこだます生き地獄。

 燃え盛る炎は容赦なく建物を焼き、積み重なった死体がこの世の理不尽を主張する。

 広大な大地は赤いペンキによって染め上げられ、時折聞こえて来る悲鳴がどこか虚しかった。

 

 

 巨大な魔法陣の中で目を覚ました私は、咽かえるような死の匂いに顔を歪める。

 夜だというのに辺りは昼間のように明るく、見渡す限りの地獄絵図は私の世界とは似ても似つかない。

 あの男に刺された脇腹を確認しても傷跡はなく、身体中血まみれではあるがどこにも外傷はなかった。

 

 

「ああ……そうか、やっぱり地獄に落とされたか」

 

 

 数秒前まではもっと大きかった筈なのに、私の身体は痩せ細り声も甲高くなっている。

 まるで思春期の少年みたいだと苦笑いし、中々現れない獄卒共に悪態をついていた。

 子供の姿で甚振るなんて良い趣味をしている。呆然とその時を待っていた私に、背後からとある二人組が声をかけてきてね。

 

 

 

「ハハハ、残念ながら地獄というよりは煉獄ですね。

 ここまで大規模な生贄は初めてですが、そのおかげであなたを造る事が出来ました。

 五人の原罪司教と教皇様を相手に戦い、それでも生きているのですからここの領主は優秀ですよ」

 

 

 大きな音と共に建物が崩れ落ちて、人間の形をしたなにかが無惨にも押しつぶされる。

 不気味な仮面をつけた人間がこの惨状を語り、燃え盛る炎が彼の言葉に呼応した。

 後に私はこの男の事をスロウスと呼び、この世界に関する知識と技術を教えられる。

 

 

 

「スロウス、喋っている暇があるならあの犬どもを追い立てろ。

 これは私達に喧嘩を売ったあいつへの報復、仲間の一人が処刑されれば少しは大人しくなるだろう」

 

 

 そして男の横に並び立つ小さな人影、大人びた口調ではあるがその声はとても可愛らしい。

 炎に照らされて浮かび上がった素顔はとても幼く、そしてその雰囲気はあまりにも出来過ぎているように思えた。

 可愛らしい顔の裏に張り付く狂気と愉悦、きっとこの童女は最低最悪の人種だろう。

 

 

「初めまして名無し君、私は貴様をこの世界に転生させた魔法使いだ。

 突然の事に驚いているだろうが、くだらない説明は後日スロウスの奴から聞いてくれ。

 この場で重要なのは貴様の願いがいかなるものか、そして我々の仲間に加わるつもりがあるかどうかだ」

 

 

「……願い?」

 

 

「そうだ。金・女・権力、貴様が望むものを全て用意しよう。

 我々の仲間となるなら貴様の於かれている状況や、この世界を取り巻く環境についても話してやる。

 言え、私はまどろっこしいやり取りが嫌いなのだ」

 

 

 これが私と教皇様との初めての会話、この時点ではまだ彼女と言う人間を見誤っていた。

 脳裏を過る生前の記憶はどれもこれもくだらないものであり、気がつけば私の口はとある言葉を発していてね。

 それはあの男に刺された時から考えていた事、冷たい道路に横たわりながら来世ではこうありたいと願っていた。

 

 

「私は――――――」



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四城戦(上)
正義の味方とちょっとした勘違い


 いつか空を飛びたいと思っている者は、まず立ち上がり、歩き、走り、踊る事を学ばなければならない。その過程を飛ばして飛ぶことは出来ないのだ。

 

 これはとある哲学者が残した有名な言葉、彼は実存主義に於ける代表的な思想家として知られている。

 Cという結果を出す為には必ずA及びBという過程が必要であり、その二つを飛び越えてCという結果に辿り着くことは出来ない。

 彼の考え方は私という人間に多くのものをもたらし、また対人関係をつくる上でも大いに役だった。

 

 

 全ての行動にはなにかしらの思惑が絡んでおり、それが複雑であればあるほどその先に待っているだろう結果は絶大である。

 とある学園に入学した私はそこで開催されていた代表戦と呼ばれる大会、言うなればちょっとした催しもので優勝しろとの指示を受けた。

 そして次に課せられたノルマは四城戦と呼ばれる行事に参加する事、そこで私という人間を多くの者に売り込むことである。

 

 

 敬愛する上司から与えられた仕事は全て繋がっており、その先になにが待っているのかは私にもわからない。

 Cという結果の為に私はAという代表戦を制して、更にはBという四城戦に参加するわけである。

 では最終的に待っているCとは一体何なのか――――――好奇心は猫をも殺す。私がやるべきことは詮索する事ではなく、あくまでも与えられたノルマをやり遂げる事だ。

 

 

 社畜に求められるのは歯車としての才能、会社を上手く回す為には感情など不要である。

 求められがまま、ただ永遠と回り続ける事こそ私に課せられた役割であり、たまに油を注してくれればそれ以上は求めない。

 わかるかな?わかってくれるといいが……まあ、分不相応な願いは身を滅ぼすということだよ。

 

 

 

 では改めましてごきげんよう。

 今朝方屋敷に届いた手紙を馬車の中で読みながら、何度もため息を吐いているサラリーマンとは私の事です。

 蹄の音と心地良い振動に身を任せながら、私は今日何度目ともわからないため息を吐いた。

 手紙の送り主は私が一番恐れている女性であり、代表戦に関する最終的な結果と今後の予定が綴られていた。

 

 

 これを読む限りあまり楽しい状況でもなさそうだが、私の思惑通りセシルが代表入りした事は吉報である。

 アルフォンス=ローランに科せられた無期限の停学、そしてそれに対する一部生徒達による反発と嘆願。かなりオブラートに包まれてはいるものの、文章の節々から私に対する忠告が見て取れた。

 私としては彼の処遇に関して興味などないが、それでも御姫様に対する抑止力としては使えそうだ。

 

 

 

「あっ、お姉ちゃんです!」

 

 

 シアンの声が聞こえてきたかと思えば揺れが収まり、ドアを開けてみれば見慣れた景色が広がる。

 多くの生徒がすれ違う学園の校門、シアンが手を振る先には獣人の女の子が立っていた。

 左右に揺れる尻尾を必死に押さえつけながら、どこか嬉しそうに手を振り返してくる哀れなピエロ。

 

 

 馬車から降りた私の元へ駆け寄ってくる姿は、もはや獣人というよりは可愛い子犬である。

 この様子から察するに偶然というわけでもなさそうだが、どうして彼女が私を待っていたのか見当もつかない。

 届いた手紙には生徒会室に来るよう書かれていたが、生徒会長様が気をまわしてくれたのだろうか。

 

 

 

「おはよヨハン君、こうやって面と向かって話すのはあの時以来だね!」

 

 

 私のクラスメイトでありセレストの妹でもある彼女、セシル=クロードはその頬を赤く染めて話しかけてくる。

 どこかよそよそしい態度に違和感を覚えたが、これといって心当たりもないのでおそらくは気のせいだろう。

 生徒会室の場所を知らない私からすれば手間が省けて助かるし、ここは生徒会長様の御好意に甘えさせてもらおう。

 

 

 

「申し訳ないが生徒会室がどこにあるのかわからなくて、良かったら案内してくれないか」

 

 

「うん!その為に私も待っていたもん」

 

 

 そう言って笑う姿は本当に嬉しそうで、なぜこんなにも好意を持たれているのかわからない。

 赤く染まった頬に激しく左右に揺れる尻尾、これが演技であるならアカデミー賞ものである。

 私個人としては彼女の事をなんとも思っていないが、馬車を運転している使用人はそれを見てご機嫌斜めだった。

 

 

 

「ご主人様、今日屋敷に帰ったらこの間の続きをしてほしいです!」

 

 

「ああ、テーブルマナーの続きならいくらでも付き合ってやる」

 

 

 突然現れた小さな使用人に右手を引っ張られながら、このわけのわからない茶番劇にため息を溢す。

 不機嫌な彼女をなんとか落ち着かせたが……なんと言うか、本当に扱いづらい生き物である。

 使用人の説得にここまで体力を使うとは、ある程度の常識と言葉遣いは教えたのだがな。

 

 

 

「では私は行ってくるから、お前は私が帰って来るまで待っていなさい」

 

 

 使用人の説得を終えた私は踵を返すと、そのまま生徒会長様から派遣された素敵なガイドさんについて行く。

 軽快な足並みと今にも踊り出しそうな雰囲気、なぜここまで上機嫌なのか全く分からない。

 唯一わかっている事と言えば周囲から向けられる視線と、彼等が私達を避けるように歩いている事くらいだ。

 

 

 おそらくは主人公君の停学処分が関係しているのだろうが、そのあからさまな態度がなんとも鬱陶しい。

 私に言わせれば彼に対する生徒会長様の処分は妥当であり、むしろ退学処分にしなかっただけでも十分譲歩している。

 突然乱入してきた彼が悪いのであって、それを美談として受け止めるなら彼等の精神年齢は五歳児と同じである。

 

 

 

「ねぇねぇヨハン君、実は私も四城戦に出場する選手に選ばれたの」

 

 

 周りの阿呆どもに冷ややかな視線を向けていると、前を歩くガイドさんが突然ブレーキをかけた。

 その声は緊張しているのか少し震えており、なにかの迷いを振り払うかのように踵を返す。

 元々小柄な彼女は私を見上げながら、そして私はそんな彼女を見下ろしながら次の言葉を待っている。

 

 

 

「それでその……なんて言うか、ひとつだけヨハン君に確認したい事があってね。

 私との試合が終わった後に言った言葉、あれって本気――――――なんだよね?」

 

 

 出来の悪いラブストーリーを彷彿とさせる状況、たっぷりと時間をかけて出てきたものがこれである。

 彼女がなぜこんなにも照れているのかはわからんが、くだらない恋愛ごっこならそこら辺の雄犬とやってほしい。

 あの時の言葉になにか誤解を招くようなものがなかったか、それを思い出しながら私は自問自答する。

 

 

 しかし出てきた答えはとても単純であり、そのせいで更に困惑したのは言うまでもない。

 私は彼女という人間に利用価値を見出したからこそ、セシルという道具を確保すべくあのような行動を取ったに過ぎない。

 あの時の言葉に嘘偽りはないが、だからといって彼女に好意を抱いているわけでもなかった。

 

 

 彼女がいうところの本気とはなにに対しての、どういった感情を求めているのかがわからん。

 彼女の言葉はあまりにも範囲が広く、そしてその内容は受け取る側の主観に依存している。

 ここは深く考えず無難に対応するとしようか、四城戦の事もあるしあまり気にしない方がいいだろう。

 

 

 

「無論だ。そんなくだらない嘘を衝くような人間でもないし、なにより君は私と対等に戦ってみせた。

 君が私の事をどう思っているかはわからないが、それでもこうして迎えに来てくれたことは嬉しく思う」

 

 

 生徒会室の場所を知らない私に取って、彼女というガイドが来てくれてとても助かった。

 一応誤解を与えないよう気を遣ったのだが、これで私の真意も彼女に伝わっただろう。

 君が私の事をどう思っているのかはわからない。……ふむ、少しばかりわかりづらいかもしれないが問題ない。

 

 

 

「うん!私も勿論わかってた!

 ふふふ、ヨハン君って誤解されがちだもんね!」

 

 

 振られた故の空元気という奴だろうか、気丈に振る舞っている姿がなんとも痛々しい。

 今にも走り出しそうな雰囲気と満面の笑み、その尻尾が大きな音をたてて左右に揺れる。

 ここまで気を遣ってくれるとは、彼女の迫真の演技に私も感心してしまった。

 

 

 私の中でセシルという人間の評価が更に上がった瞬間、いつの間にこんな才能を身に着けたのだろうか。

 獣人は演技が下手くそだと思っていたが、やはり人間と同じで個人差があるのかもしれない。

 

 

 

「ほら、生徒会の本部があるのはあの建物だから――――――行こ!」

 

 

 そういって私の手を掴みながら引っ張る姿は自然体であり、私でなければ騙されてしまうだろう。

 駆け出す彼女とされるがままの私、なんともよくわからない構図が出来上がったものだ。

 周囲から向けられる視線をものともせず、耳まで真っ赤にしたセシルが走っている。

 

 

 この程度であれば付き合ってやるのも一興であり、彼女との関係が悪化するのは私としても好ましくない。

 このマイナスを埋める為にも少し優しくしてやろうか、セシルという道具はまだまだ伸びしろがある。

 少しばかり荒い吐息と軽快な足音、彼女の尻尾が揺れてその手はほんのりと熱くなっていた。

 

 

 どれくらい走っただろうか、やっと立ち止まったかと思えば私達の前に大きな建物が現れる。

 校舎とは完全に独立した造り、ローマ帝国のvilla(ブィラ)を彷彿とさせるそれに呆れてしまう。

 驚く私にセシルが説明してくれたが、どうやらこの建物は生徒会の所有物だそうだ。

 

 

 無駄に大きな敷地に生徒会専用の建物、一介の生徒にここまでものを与える意味がわからない。

 まあこの中にあの生徒会長様がいると思えば、これが生徒会のものだと言われても納得できたがね。

 そして建物の周囲にいる生徒達は全員青色の腕章をつけており、セシルが言うには彼等は風紀委員と呼ばれる者達だそうだ。

 

 

 生徒間のいざこざや学園内の私闘を仲裁する役割、言うなれば生徒会長様の子飼いである。

 ゲシュタポかはたまた秘密警察の類か、少なくとも恩を売っておいて損はないだろう。

 私達に気がついた風紀委員に対して手を振るセシル、するとその風紀委員が慌てた様子で駆けよってくる。

 

 

 

「大丈夫、あの人たちは私達の事を知ってるし応援もしてくれてる」

 

 

 四城戦に出場する私達を応援するのはわかるが、それでもこんな風に呼び寄せて大丈夫なのだろうか。

 生徒会長様の息がかかった子飼いの者達、その二人は息を切らしながら駆けよって来ると頭を下げる。

 突然の行動に私だけでなくセシルも驚いていたが、これは私としても粗相のないように心がけねばならん。

 

 

 

「セシルちゃんにヨハン君……様、ここから先は風紀委員がご案内します」

 

 

 セシルの説得によりやっと顔を上げてくれた風紀委委員、その女生徒達はどこか緊張しているようだった。

 セシルの名前を呼ぶときは普通だったのに、私の時だけその言葉が震えていたのはなぜだろう。

 しかも一度言いかけた言葉をわざわざ言い直して、その一瞬だけ横にいた風紀委員が軽く小突いていた。

 

 

 もしかしたらヒーロー君の事で彼女達に迷惑をかけてしまったのか、それで私の事を快く思っていないなら納得できる。

 子飼いといっても生徒会長様の息がかかっているし、それならば私に脅えているという事もないだろう。

 これはますます気が抜けない。これから先の学園生活も踏まえて、絶対につけ入るすきを与えてはならない。

 

 

 

「どっ、どうぞこちらです!あっ……セシルちゃんありがと」

 

 

 そう考えたら先程の言い直しやぎくしゃくした動き、どこか緊張しているように見せたのも演技か。

 全てが計算づくであるなら声が震えている理由も、彼女達の歩き方が変なのも納得できる。

 私という人間を試そうとしているのだろうが、風紀委員の考えている事など既に御見通しである。

 

 

 風紀委員の二人について行きながら、私は建物の中へと足を踏み入れると周りに気を配る。

 途中で前を歩く二人にセシルが声をかけていたが、もしかしたら顔見知りなのかもしれない。

 私に気を遣って演技を続けているセシルに、私という人間を試そうとしている二人の風紀委員、状況を整理すればするほど憂鬱である。

 

 

 いつの間にか隣にやって来たセシルの肩を叩き、もう演技は十分だと遠回しに伝えたのだがね。

だが強情な彼女はまだ続けるらしく、尻尾を振りながらただ嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

「ここが生徒会室です。既にターニャさんはご案内しましたし、生徒会長も中でお二人を待っている筈です。

 私達の役目はここまでなので――――――え……っと、この辺で失礼させていただきます」

 

 

 彼女達の事をずっと見ていたからだろうか、二人は助けを求めるような視線をセシルに向けていた。

 それに対してセシルはなにかしらの言葉を返すと、風紀委員の二人はどこかホッとした表情で踵を返す。

 残された私達は案内された場所、生徒会室と書かれたそのドアノブに手を掛ける。

 

 

 建設的な話し合いが出来ればいいが、その可能性は低いだろうと私は思っていた。

 生徒会長様や御姫様と会うのは決勝戦以来であり、生徒会長様はともかくあの御姫様がどう出るのかがわからない。

 だが……まあ、私は私に与えられた仕事を全力でやるまでである。



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正義の味方と不可解な提案

 部屋の中はアンティーク調の家具によって統一されており、建物の外観とは違ってとても落ち着いた雰囲気だった。

 部屋の中央に置かれた大きな長方形のテーブル、置かれている家具は全て木製の物で統一されており無駄なものが一切ない。

 本当に話し合いをする為だけに作られた部屋、それがこの部屋に対する第一印象だった。

 

 

「思ったよりも遅かったので心配しました。では我が校の代表選手は揃いましたし、四城戦に関する注意 事項とこれからの方針を話し合いたいと思います。

 どうぞ、二人とも御好きな席に座ってください」

 

 

 長方形のテーブルを中心として向かい合わせに並べられた椅子、生徒会長様は上座に座り御姫様はその右手に腰を下ろしていた。

 こうして御姫様と会うのも代表戦以来か、私の視線に気づいた生徒会長様が困ったように笑っている。

 なんというか……部屋の中にいるのは私達四人だけだというのに、これ以上ないというほど空気が淀んでいた。

 

 

 私はその原因でもある彼女と向かい合わせに座ったのだが、当の本人はなにも言わず睨みつけてくるだけでね。

 この学園の代表として共に戦う仲間だというのに、こんな状態で話し合いなんて出来るのだろうか。

 生徒会長様も私達が来るまで彼女と話していたのだろうが、この御姫様がその忠告を素直に聞くとも思えなかった。

 

 

 

 苦笑いする生徒会長様と正面から感じる視線、どうやら思った以上に嫌われているらしい。

 あの程度の事でこんなにも怒っているとは、少しは生徒会長様の事を見習いたまえ。

 己の利益を見出した彼女は理性で感情を制御し、私という愚か者と取引したほどの合理主義者だ。

 世間知らずの小娘にはわからないだろうが、少なくとも正義や優しさなんてものよりはよっぽど誠実である。

 

 

 

「待て、これはいくらなんでも近すぎる」

 

 

「えっ?あっ……ごめんなさい」

 

 

 それにしても彼女はいつまで続けるつもりだろうか、私の隣に座るのはかまわないがさすがに近すぎる。

 隣にあった椅子をわざわざ近くまで寄せて、御互いの体が触れ合う程の距離までやってきた彼女に呆れてしまう。

 私の言葉に落ち込んでいるようだったが、さすがに限度と言うものがあるし目の前にいる二人の視線が痛い。

 

 

 

「セシルさん……そろそろよろしいですか?では四城戦に参加する各学校について、まずはそこからお話するとしましょう。

 この国に於ける四つの名門校とその特色、四城戦に出場する生徒こそわかりませんがそれでも対策は可能です」

 

 

 生徒会長様の口から説明されたものとスロウスから聞いたもの、そのほとんどが同じだったので思わず感心したよ。

 四城戦に出場する四つの名門校に関する内容、所属している派閥の特色がそのまま各学校にも現れている。

 たとえば私のいるコスモディア学園。卒業生のほとんどが近衛隊や王城の警備など、なにかしらの形で王族と関係を持っている。

 

 

 細かな就職先などは私にもわからないが、少なくともこの学園に御姫様がいる時点で答えは出ている。

 王立コスモディア学園は王党派、つまりは王族が管理する王族の為の人材教育機関だ。

 そしてその王党派と敵対しているのが門閥貴族と世襲派軍閥、この二つはとある戦争以降仲が良いらしい。

 

 

 奉天学院。数多くの有名将校を輩出している軍のエリート校である。

 この国の最大軍閥でもあるリトヴャク家が設立したもので、ここを卒業した者は軍でも優遇されるらしい。

 剣技・体術こそが最高の武器であり盾でもある。軍事関連の知識と過酷な状況に対する訓練、要するに士官学校のようなものだ。

 

 

 その主義主張から魔術師協会とは仲が悪く、魔法というものを毛嫌いしているそうでね。

 前回の四城戦で優勝した大本命、生徒会長様の話では一番の強敵らしい。

 

 

 次にグランゼコール専門学府。門閥貴族が金と権力にものを言わせた学校、その設備から教職員に至るまで最高のものを揃えているそうだ。

 四つの学校の中でも最も入学が難しく、入る為には様々な条件を満たさなければならない。

 貴族であればその血筋を調べられるし、商人であれば毎年莫大な金を寄付しなければならない。

 

 

 そして他の学校とは違って卒業しても就職先が特になく、社交界に於けるステータスとして使うのだそうだ。

 彼等は名誉や伝統といったものを大事にしており、貴族間に於ける礼儀作法から美術や芸術といったものまで勉強するらしい。

 その為前回の四城戦ではあまり成績がよくなく、今回はその挽回も含めて多くの職員を雇い力を入れているそうだ。

 

 

 最後にラッペンランタ魔道学院。この国の魔術師協会が次世代の魔術師を教育する為、そして新しい魔法を開発する為に設立した学校である。

 彼等は魔法第一主義者であり、魔法こそが人々の生活を楽にして国を豊かにすると思っている。

 その考え方から世襲派軍閥とは反りが合わず、新しいものを積極的に取り入れる姿勢は貴族受けもよくない。

 

 

 協会は常に新しいものを求めて行動しており、その風潮は魔道学院の方にも色濃く出ている。

 学校にいるものは研究者にして技術者であり、生徒になったりもすれば教職員になったりもする。

 実力至上主義なのは私達の学校と同じであり、王党派と協会はそういったところが似ているかもしれない。

 

 

 

「私達が最も注意すべきは前回の優勝校である奉天学院、彼等をなんとかしなければ優勝は難しいでしょう。

 我が校も含めて代表選手に関する情報は遮断されており、各学校からどんな生徒が出場するのかはわかりません。

 ですが奉天学院に関しては一人だけ――――――リュドミラ=リトヴャクという生徒は確実に出てきます」

 

 

 その言葉に反応を示したのは御姫様だけであり、最近この国に来たばかりのセシルは不思議そうな顔をしている。

 かく言う私もそんな人間に心当たりなどないのだが、彼女達の雰囲気から察するに有名人なのだろう。

 リュドミラ=リトヴャク……まだ見た事もないしどんな人間なのかもわからないが、少なくとも早口言葉の類ではなさそうだ。

 

 

 奉天学院を設立したのはリトヴャク家らしいので、それを踏まえて考えればなんとなく想像はつくがね。

 それだけ有名な家の人間であれば交流もあるだろうし、学園長の娘である生徒会長様や御姫様と顔見知りでも不思議ではない。

 

 

 

「確かリュドミラさんとターニャさんは交流があったと思いますが、彼女から代表選手について――――――」

 

 

「そんな卑怯な真似絶対に嫌、私は私の友達を裏切りたくないしそんな風に勝ちたいとも思わない。

 正々堂々戦って勝つ、それがこの学園に対する恩返しでありリュドミラへの礼儀でもある」

 

 

 この御姫様は相変わらず世間知らずというか、勝負事というものをなにもわかっていない。

 戦いに勝つことこそが正義であり、情報戦とはそれ自体が一つの争いでもある。

 敵が私達の事を調べてその対策を用意してきたらどうするのか、負けた後でその事実を指摘しても結果は変わらない。

 

 

 御姫様の言う通り正々堂々と戦うなら、勝率を上げる為にはどうすればいいのかも考えるべきだ。

 勝率を1パーセントでも上げる為に、努力なんていうあやふやなものではなく明確な事実が欲しい。

 たとえば相手校の出場選手を特定するなど、そういった確固たる結果を追い求めてなにが悪いのだろう。

 

 

 生徒会長様の言葉に彼女は憤慨していたが、私に言わせれば御姫様の方が理解出来ない。

 私との試合でまだ凝りていないのだろうか、こんな世間知らずと一緒に戦うなんて憂鬱である。

 御姫様の言葉に生徒会長様は苦笑いしていたが、本来であれば彼女の考え方こそ重んじるべきである。

 

 

 

「これは失言でしたね。では四城戦に関するルールと試合形式、誰をどの順番で出すのか決めるとしましょう。

 代表戦の時とは違って団体戦ですし、それに相手校がどんな生徒を出してくるかもわかりません」

 

 

 四城戦とは個人戦ではなく団体戦であり、複数の代表選手が戦うのでその形式も少々特殊である。

 試合は先鋒・次鋒・副将・大将の順番で行われる。先鋒から副将までは勝った方に1ポイントだが大将は2ポイントであり、その与えられた合計ポイントによって勝敗が決まる。

 つまり一日に行われる試合は四試合、たとえ先鋒から副将までがストレート勝ちしたとしても大将戦は行われるそうだ。

 

 

 負けが決まっていたとしても誇りをもって戦え。これは四城戦に於ける一種のスローガンのようなもので、誇りとやらが大好きな王族らしい御言葉である。

 試合のルールは概ね代表戦と同じらしく、戦えない相手の殺傷や拷問などの行為を禁止されている。

 この試合の為だけに他国から使者も来るそうで、代表戦とは比べものにならないほどの警備だろう。

 

 

 案の定生徒会長様には遠回しに忠告されたが、私だってそこまで命知らずではないので安心して欲しい。

 先鋒から副将までは同じポイントなのでさして重要ではないが、大将に関しては明らかに別格である。

 どこの学校も大将には最も強い生徒を配置するので、その位置に関しては他よりも怪我人が多いらしい。

 

 

 

「私としては代表戦の順位をそのまま照らし合わせ、この四城戦に臨むべきだと思っています。

 ですから我が校の大将はヨハン君で――――――」

 

 

「悪いけどこの男が大将なのは反対、私はシュトゥルトさんこそが大将に相応しいと思う」

 

 

 初めてこの御姫様と意見があったのだが、彼女の口調に棘があったのはなぜだろう。

 最も強い生徒を大将に据えるというなら私は適任ではないし、そもそも危険とわかっている場所に自ら突っ込む馬鹿はいない。

 私に与えられた仕事は大将になる事でなく、あくまで私という人間を売り込むことである。

 

 

 大将にならずともそれは出来るし、なにより相手が弱ければ弱いほど私としてもやりやすい。

 御姫様の言葉に私は深く頷いたが、生徒会長様の方はどこか浮かないものだった。

 しかしここで最後の一人でもあるセシルが同調すれば、さしもの生徒会長様とてその意見を無下には出来まい。

 

 

 私はここぞとばかりにセシルの手を握り、私の意思を伝えようと視線を向ける。

 直接その言葉を口にして不評も買いたくないので、なんとか意思の疎通を試みたのだが結果は――――――まあ言うまでもないだろう。

 

 

 

「私はヨハン君が大将でいいと思います。ターニャさんの言いたい事もわかるけど、優勝を狙うんだったら絶対にヨハン君です」

 

 

 頬を赤く染めながら二百キロの剛速球を平然と投げる獣人、彼女の辞書には索引という項目がないのだろうか。

 予想外の言葉に慌てる私だったが、なんとか立て直そうと口を動かした瞬間の事だ。

 生徒会長様が不機嫌そうな顔で割って入り、そのまま決定的な言葉を口にしたのである。

 

 

 

「これはヨハン君も承知の事ですし、なにより前もって彼の方からやりたいと言われていました。

 ターニャさんが危惧している理由もわかりますが、ここは彼の事を信じて任せてみてはどうでしょうか。

 無論私としても彼を監督するつもりですし、彼自身その辺りはある程度理解してくれる筈です」

 

 

 生徒会長様の冷たい視線が私を貫き、その身に覚えのない事実への反論を許さない。

 私を大将に据える事で勝率が上がると思っているのだろうが、私に言わせれば生徒会長様の方が適任である。

 確実な勝利を掴むと言うならここは生徒会長様が大将で、私が先鋒辺りなのだろうがそれを否定される。

 

 

 生徒会長様から向けられる視線はとても強く、それこそ反論する余地などどこにもなかった。

 この学園を勝利に導く事が彼女と交わした取引であり、それを反故にして更なる不評を買うのは得策ではない。

 なんというマッチポンプ、後はお姫様がどれだけ粘ってくれるかにかかっている。

 

 

 

「まあ、シュトゥルトさんがそこまで言うなら――――――」

 

 

 最初の勢いはどこにいったのやら、予想はしていたがなんとも情けない光景だ。

 こうして大まかな流れを確認した私達は話し合いを終えて、一旦生徒会室を出る事となったわけである。

 代表選手は四城戦の間は授業が免除されるらしく、この後は好きにしていいとのことだった。

 

 

 ただ……その、なんと言うかここでとある問題が起きた。

 生徒会長様が奉天学園への対策として体術の練習、それを提案したのが全ての始まりである。

 その時の私はそれほど注意深く聞いておらず、大方マリウス先生辺りに教えを乞うのだと思っていた。

 

 

 しかし彼女の口から飛び出した言葉はそんなものではなく、この私が思わず聞き返した程だ。

 状況が理解出来ない私は呆然とし、セシルは尻尾を振りながら嬉しそうにしている。

 御姫様は心底嫌そうな顔をしており、私としては生徒会長様の提案に是非とも反対して欲しかった。

 

 

 

「そうそう、奉天学院との試合を想定してヨハン君が手伝ってくれるらしいです。

 彼の動きはこの学園の職員を含めてもトップクラスですし、ここは彼の御言葉に甘えて練習試合でも行いましょう」

 

 

 生徒会長様は私になにをさせる気だろうか、まさかこの私に先生の真似事をしろというのか――――――まさか……いや、それだけは断じてやめてほしい。

 生徒会長様の視線は先程と同じであり、それはつまり決定事項ということである。

 私に与えられた選択肢は限りなく黒に近い白、要するにその提案を飲むことだけだった。



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正義の味方とジャンクフード

「申し訳ないですけど、私はこの男になにかを教わるだなんてごめんです。

 シュトゥルトさんに迷惑をかけるつもりはありませんが、彼と一緒に練習するくらいなら一人でやらせてもらいます」

 

 

 唯一の希望はそう言い残して部屋を出て行き、残されたのは賛成派の二人だけだった。

 セシルに関してはただの興味本位だろうが、生徒会長様がなにを考えているのかがわからない。

 私に相談したとしても断られると思ったのか、それとも単純に思いついたことを口にしたのか……どちらにせよそんな面倒事はごめんである。

 

 

 

「ジークハイデンさんが嫌だと言うなら、やはりマリウス先生に頼むのが一番だと思います。

 四城戦とは最終的なポイントで勝敗が決するものであり、求められるのは個人ではなくチームとしてのレベルアップ。

 私が提案しておいてなんですが、ここはチームとしての結束力を優先すべきです」

 

 

 御姫様を口実に生徒会長様の提案を辞退し、更には代案を用意する事で彼女をフォローする。

 これならば生徒会長様のプライドを傷つける事もなく、かと言って私の評価が下がるわけでもない。

 この場を逃げ切れば私の勝ちであり、後は生徒会長様がなんとかしてくれるだろう。

 

 

 少しばかり心苦しくはあるが、そもそも私を選ぼうとした時点で間違っている。

 彼女達のように炎や氷を出せるわけでもなく、少し前までサラリーマンをやっていた私になにを教わるのか。

 生徒会長様からの視線がとても痛かったが、それに構わず私は立ち上がろうとして――――――そして彼女に腕を掴まれた。

 

 

 

「これは貴方にとっても悪い話ではない筈、私達を鍛えると言う事はそれだけ優勝に近づきます。

 貴方一人が勝ったとしても、他の三人が負けてしまえばその時点で勝ちはなくなる。

 ターニャさんが嫌がる事はわかっていましたし、この件に関するセシルさんへのフォローは私がやりましょう」

 

 

 突然引っ張られたかと思えば目の前には彼女の顔、この距離ならばその吐息すら感じられそうだった。

 生徒会長様の言っている事は筋が通っているし、少しでも勝率を上げたいという気持ちもわかる。

 ではここでその提案を断ったとして私に利益があるのか、そして受け入れた際の見返りはどれ程のものかを考える。

 

 

 

「これは私が出した条件に間接的とはいえ関わりがあるもの、ですがこの事で貴方は私に対して貸しを作れます。

 ヨハン君に対する貸しが一つ、貴方からすればこれ以上魅力的な報酬もないでしょう」

 

 

 いつもの癖が顔に出ていたのだろうか、そのちょっとした変化に彼女は気づいたらしい。

 ここぞとばかりに私が飛びつくだろう条件、それを付け加えることによって私の心を揺さぶったのである

 そこまで言われたら断る事など出来ないし、たとえもっと面倒な内容であっても私は受けいれただろう。

 

 

 それだけ彼女の提示してきたものは魅力的であり、この学園に於ける生徒会長様という存在は大きい。

 私の答えに生徒会長様は満足そうだったが、私からすれば願ったり叶ったりである。

 信じられない程の好条件に頬が緩み、気がつけば隣の方から鋭い視線を感じた。

 

 

 

「へぇ、ヨハン君とシュトゥルトさんは仲が良いんだね」

 

 

 声がする方に視線を向けて見ればセシルがむくれており、私としても反応に困ったのは言うまでもない。

 シアンから学んだ知識なので通用するかはわからないが、こういった時の獣人は頭を撫でてやれば大抵治る

 この分だと彼女に対してもそれは有効だったようだ。先程までの拗ねた態度とは一変して恥ずかしそうにする姿は、もはや獣人というよりはただの犬である。

 

 

 

 その後は生徒会長様が上手いこと話をまとめてくれて、私達はこの建物の中にあるという練習場へ向かう事となった。

 ここには様々な設備が揃っているそうで、セシルたちが通っている校舎とほとんど変わらないらしい。

 さすがに教室や職員室といったものはないが、それ以外に関しては一通りのものが揃っているそうだ

 

 

 今から向かう練習場とやらもその一つで、生徒会長様が風紀委員の為に作らせた特別性らしい。

 その性質上風紀委員は実力行使に出る事が多く、その際に少しでも事故を無くすために作られたのがその練習場でね。

 生徒会長様曰く自慢の設備らしいが、こんなにも嬉しそうな姿を見るのは初めてかもしれない。

 

 

 彼女に案内されるがまま私達はその後をついて行き、やっと止まったかと思えばそこには飾り気のない扉が一つだけあってね。

 生徒会長様の話に色々と想像してしまったが、この様子だとそこまで凄いというわけでもなさそうだ。

 

 

 

「……なんと言うか、相変わらずこの世界の常識は理解出来ん」

 

 

 ふむ、まずは前言を撤回しよう。私の溢した独り言は目の前に広がる空間に対して、あまりにもちっぽけでくだらなかったとね。

 案内された場所はなにもない無機質な空間。練習場といえば聞こえはいいが、私に言わせればなにかしらの実験場にしか見えなかった。

 

 

 窓から差し込む暖かな日の光が唯一の癒しであり、これほど練習場という言葉が似合わない場所もないと思う。

 生徒会長様の話ではこの部屋全体に魔術壁が張られているそうで、一通り見て回ったが確かに今まで見てきたそれとは造りが違った。

 風紀委員たちには前もって説明していたらしく、彼等が邪魔をする心配もないので確かに理想的な空間ではある。

 

 

 限られた生徒しか出入りしないので情報漏れの心配はないし、基本的な設備は整っているのでこの建物から出て行く必要もない。

 なんとも至れり尽くせりというか、さすがに宿泊設備に関する説明はお断りしたがね。

 セシルの方はどこか乗り気だったが、学園の中で寝泊まりするなんてごめんである。

 

 

 

 

「それじゃあ始めよっか。……それで?私達はなにをすればいいのかな?」

 

 

 セシルの言葉に私はこれからの事に関して、一応ある程度の方針だけは伝える事にした。

 方針といってもこの状況そのものが予想外であり、かなりいい加減なものとなってしまったがね。

 この状況に於ける唯一の救いは奉天学院の特色というか、そこの生徒が魔法を毛嫌いしている点である。

 

 

 つまり彼等が魔法という分野を捨てているならば、こちらはその分だけ戦いを有利に進める事が出来る。

 無論あちらの方が剣術・体術に於いては優れているだろうが、それならば私達もその部分を重点的に鍛えればいい。

 そもそも私には魔法に関する知識がほとんどないし、彼女達のように炎や氷を出すなんて芸当は出来ないからね。

 

 

 これは私の体質的な問題だが、私の身体には魔力というものがほとんど存在しない。

 なぜ私が生徒会長様の提案に反発したか、その理由は魔法を使えないという点を知られたくなかったからだ。

 この世界に於いてそれがどんな意味を持つのか、そんな事は今までの経験から十分理解している。

 

 

 これがもしも貴族や協会に対する備えであり、魔法に関する特訓であったならさすがに断っていただろう。

 彼等が魔法を使わないならば、こちらもその状況を想定して練習すればいいだけだ。

 魔法を嫌っている奉天学院だからこそ、私は魔法とかいうとんでも能力の実演をしなくて済むし、適当な理由をつけて体術のみの練習を行えるのである。

 

 

 

 なんとも行き当たりばったりというか、私らしからぬ考えではあるが今のところ他の選択肢はない。

 私を奉天学院の生徒に見立てて戦う事で、彼女達に本番さながらの実践を詰ませる。

 そこにいる生徒がどれ程のものかはわからないが、少なくとも私よりも強いという事はないだろう。

 

 

 

「えっ?魔法は教えて頂けないのですか?

 あっ……いえ、別に不満があるというわけではないのですが――――――」

 

 

 セシルと生徒会長様が私に攻撃を当てること、そこからこのくだらない先生ごっこを始めるとしようか。

 私の言葉に生徒会長様はがっかりしていたが、彼女なりに思うところがあったのかもしれない。

 その反応が少しばかり大袈裟だったので気になったが、私としてはこのやり方を変えるつもりはなかった。

 

 

 そもそも魔力のない私が魔法を教えるなんて、食材がないのに料理教室を開くようなものだ。

 そして体術に関する訓練という名の下に魔法を禁止し、私自身の身も守らなければならない。

 セシルはともかく生徒会長様の実力は未知数であり、そんな彼女と戦ったら私も無事では済まない。

 

 

 

「先に言っておきますが、私と戦っている間は魔法を使ってはいけません。

 この訓練は御二人の体力を向上させることが目的であり、魔法を禁止する事によって自分に足りないものを見つけてください。

 魔法を使わずに私に一撃食らわせること、それが私から御二人に出す最初の目標です」

 

 

 

 全力で生徒会長様と戦ったらどうなるか、そんな事は一々説明する必要もないだろう。

 死にはしないにしろただでは済まないだろうし、なにより勝っても負けても不評を買うだけである。

 勝てば彼女のプライドを傷つけてしまい、負ければ私という人間の評価を下げてしまう。

 

 

 それならば私の取るべき道はただ一つ、彼女達の実力に合わせたギリギリのラインで勝利すること。

 そうすれば生徒会長様もそこまで傷つかず、私という人間に失望する事もないだろう。

 彼女達の攻撃を紙一重で避け続けて、その上である程度の満足感を与えてやればいい。

 

 

 

「では、要領を掴むためにもセシルから始めようか。

 先程も言ったように魔法を使う事は禁止だが、君ならばあの結界を使わずともある程度は戦えるだろう」

 

 

 私から攻撃する事はないが、だからと言って簡単に負けてやるつもりもなかった。

 魔法を使わないという条件なら私に有利であり、いくら彼女が強くても負ける事はないだろう。

 そもそも私は生徒会長様が戦うところを見た事がないし、それに持っている情報のほとんどがセシルから与えられたものだ。

 

 

 この訓練でどれだけの時間を稼げるか、それが一番重要であり難しいところでもある。

 二人の顔色を伺いながらわざと負けること、先程も言ったように生徒会長様のプライドを傷つけてはならない。

 程よいタイミングで程よく負けるのだよ。言うなればちょっとした接待のようなもの、その内容が麻雀やポーカーと似ているけどね。

 

 

 

「うん、わかった!じゃあ……お願いします!」

 

 

 セシルに関してはその身体能力を向上させること、魔法に関しては捨ててしまっても構わない。

 あの結界はあくまで補助的なものであって、御姫様が使っていた魔法とは明らかに系統が違う。

 今更新しい魔法を覚えたところで役に立つとは思えないし、それこそ時間も足りないのでここはオーソドックスにいこう

 

 

 彼女の攻撃を避けながら無駄な動きを指摘して、その踏み込みが甘ければそれを注意する。

 中途半端な攻撃は刀で弾いて警告、無理な攻勢に出た時はそれとなく伝えてね。

 彼女の欠点は代表戦の時にわかっていたし、あの時の延長戦だと思えばそう難しくもなかった。

 

 

 肩で息をしながらそれでも剣を振るうセシルだったが、さすがに限界だったのかその動きが止まってね。

 大量の汗によって着ている服が彼女の肌に張り付き、その表情にしてもかなり辛そうだった。

 取りあえず休んでいるよう伝えたのだが、私が近づこうとするとセシルは嫌がってね。

 

 

 

「だって……その、今ちょっと汗臭いし」

 

 

 恥ずかしそうに呟く彼女に思わず笑ってしまったが、当の本人からすれば大真面目なのだろう。

 女性ならではの発想というか、私はその頭を一度だけ撫ででそのまま踵を返した。

 視線の先には既に武器を構えた生徒会長様がおり、私という獲物が来るのを心待ちにしている。

 

 

 相手を刺しぬく事に特化した独特の形、あれがレイピアと呼ばれる武器なのだろう。

 その鋭い切っ先が放つ冷たい空気、武者震いなのかその肩が若干震えているようにみえた。

 攻撃魔法を主軸に戦う生徒会長様にとって、この状況が不満なのは理解出来るがどうか抑えてほしい。

 

 おそらくあの震えは私に対する怒りからであり、恐怖や脅えといったものとは全く違う。

 

 

 

「では、よろしくお願いします」

 

 

 独特のステップと見た事もないような剣術、生徒会長様のそれはセシルやヒーロー君とは明らかに違っていた。

 泥臭い戦いとは無縁の常に余裕をもった動き、彼女の動きには一定の線引きがなされていた。

 

 

 この距離ならば追撃しない。こう攻撃してきたなら一旦距離を取る――――――ある種の教科書を見ているような感覚、相手の動きに合わせて常に一定の距離を保っている。

 良く言えば手堅い戦い方、悪く言えば面白みのない戦い。生徒会長様の戦い方は嫌いではないが、やはり決め手に欠けるのは事実である。

 

 

 魔法を禁止しているせいなのはわかるが、もしかしたら彼女は試しているのだろうか。

 あまりにも消極的な動きと生徒会長様らしからぬ雰囲気、試しに甘い一撃を弾いてみれば彼女は嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

「やはり貴方は強い。私に戦いを教えてくれたどんな先生よりも強く、そしてニンファ=シュトゥルトをただの人間として扱ってくれる」

 

 

 よくわからないが……なんと言うか、私のとった行動は正解だったのだろう。

 生徒会長様程の地位があれば教える先生も気を遣うのか、それとも彼女が強すぎる為に先生がいないのかはわからない。

 少なくともこんな風に魔法を禁止されて、その上で対等の人間と戦うなんて事はなかった筈だ。

 

 

 この様子だと彼女のプライドを傷つけずに済みそうだと、そんな事を考えながら私は再び攻撃を弾いた。

 彼女のステップに合わせて嫌がりそうな動き、そして無謀な攻勢と強引な一撃を全て受け止める。

 なるべきやりすぎないよう気をつけて、生徒会長様の向上心を刺激しながら上手く立ち回る。

 

 

 

 こうして四城戦が始めるまでの間、私達はこの部屋で毎日戦う事となった。

 戦うといっても一方的に攻撃されるだけの、言うなればサンドバックのような扱いだったがね。

 結局あの御姫様は一度もこの部屋に来なかったが、彼女の実力ならばそこら辺の学生には負けないだろう。

 

 

「四城戦最初の対戦相手が決まりました――――――」

 

 

 そして始まる運命の四城戦、私は私と戦うだろう哀れな学生に祈りでも捧げよう。

 こう見えても私はとある教団の大司教だからね。たとえそれが邪教と呼ばれる集団であっても、神様なんてものはジャンクフードでも供えておけば喜ぶだろう。



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正義の味方と前哨戦

「初戦の相手はグランゼコール学院、生徒のほとんどが有名貴族という少し特殊な学校です。

 私なりに出場選手の事を調べてみたのですが、さすがにガードが固くてこれといった成果は得られませんでした」

 

 

 各学校の選手にあてがわれた控室という名の個室、その中で私は生徒会長様の言葉を思い出していた。

 四城戦が始まる数日前、初戦の相手が決まったと同時に私は彼女に呼び出された。

 そこでこれからの日程と各学校の対策について、それを生徒会室の中で話し合ったわけでね。

 

 

 四城戦は学生達の意識改革と能力の向上を謳っており、その開会式ではちょっとした交流会が開かれる。

 各学校の代表選手と一部の関係者が呼ばれて、選手の登録と禁止事項の確認が行われるらしい。

 一応強制参加ではないらしいが、基本的にはほとんどの選手がその場に姿を現すそうだ。

 

 

 そしてその選手の中には当然私も含まれるのだが、生徒会長様はその開会式に私を参加させたくないらしい。

 学園長の娘である生徒会長様や御姫様とは違って、私の名前はそこまで知られていないからね。

 だから大将である私の情報は出来るだけ隠したいそうで、情報戦という面で他校に後れを取っているぶん挽回したいそうだ。

 

 

 私としてはそんなお友達ごっこに興味はないのだが、教皇様から与えられた仕事もあるので悩みどころだった。

 サラリーマンだった頃の私だったなら、そう言った交流会には進んで参加していただろう。

 なぜなら新しい人脈を作るチャンスであり、名刺を配る事によって私という人間をアピールできる。

 

 

 しかし今の私には名刺もなければ実績もなく、そんな状態で自分を売り込んでも滑稽なだけだ。

 それならばまずは私の実力を見せつけて、その上で彼等からの接触を待った方がいいかもしれない。

 全くの無名選手が他校の生徒を圧倒したとなれば、必ず私という人間に対して興味を持つ筈だ。

 

 

 その情報が少なければ少ないほど、各派閥は躍起になって動き出すだろう。

 そこで生徒会長様が私の盾となれば、彼等の私に対する好奇心は更に刺激される。

 処世術の基本概念からは外れているが、この場合はその選択こそが一番賢い。

 

 

 結局、私は生徒会長様の申し出を受ける事にした。

 私が来ない事にセシルは不満げだったが、そこは適当な理由をつけてあしらったよ。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス様、試合が始まるまでここでお待ちください。

 副将戦が終わるまでの間は自由ですので、ご要望があればいつでも――――――」

 

 

 クラック・デ・シュヴァリエを彷彿とさせる城は、外から見てもため息が出る程の大きさだったが、実際に入ってみると予想以上に手が込んでいた。

 城の中は迷路のように入り組んでおり、私達は城の警備している兵士によって部屋まで案内された。

 

 

 部屋の中はモダン調のインテリアによって統一されて、その造りに思わずため息が出てしまったよ。

 試しに目の前にあったソファーに座ってみれば、自重だけでどこまでも沈んでいきそうだった。

 どこまでも優雅で文句のつけようがない空間、そんな中で私は知らず知らずの内に呟いていたのさ。

 

 

 

「空っぽな人間が治めている割に、城の中は反吐が出るほど美しい」

 

 

 そして部屋の中心に見慣れたものがある事に気づいたわけだ。それはアリーナの控室にあったやつと同じで、最初はどうやって使うのかがわからなかった。

 だが先程の兵士が言った言葉を思い出して、私はドア越しに声をかけるとそのまま招き入れてね。

 それの使い方がわからない事に彼は驚いていたが、私に言わせれば知っている方がおかしいのである。

 

 

 兵士から説明を受けてそれを起動すると、そこには緊張した様子のセシルが映し出されていた。

 おそらくは魔法で会場の様子を投影しているのだろうが、この世界の常識には相変わらず慣れそうになかったよ。

 ちょうど先鋒戦が始まるところだったらしく、私は暇つぶしがてらその試合を見物する事にしてね。

 

 

 

「貴族共の子飼いがどの程度強いのかは知らないが、少なくともこの試合はセシルが勝つだろうな」

 

 

 セシルの能力は完全な初見殺しであり、他国から移住してきたばかりの彼女は私と同じように有名ではない。

 生徒会長様や御姫様のように貴族との交流もないし、その能力が他校に知られているとも思えない。

 つまりは御互いに目隠しをした状態での試合であって、そういう状況下でなら彼女が負ける事はないだろう。

 

 

 この日の為にある程度の戦術はレクチャーしているし、なにより私との訓練で一番成長したのは他ならぬ彼女である。

 元々セシルの能力は長期戦には向かないので、最初の一撃で彼女の全てを叩き込み、そして一瞬で終わらせる事こそ最も効率的だ。

 

 

 相手がセシルの能力を知らなければ、結界の中に入っても逃げようとはしない筈だからね。

 結界の中に入らない事こそが最大の対処法なのだが、私のように彼女の速さについてこられるような人間がいるとも思えない。

 要するにこの試合に限って言えばかなりのアドバンテージがあり、余程相性の悪い相手でなければまず負けないのである。

 

 

 しかしこの戦術は次の試合では使えないだろう。この試合を見物している他校の関係者が、この試合を通してセシルの能力に気づく筈だ。

 この戦術は相手がセシルの能力を知らないこと、それが最も重要なのである。

 彼女の能力はとても強力であるが、その反面多くの対処法が存在するからね。

 

 

 つまりセシルの事が知られていないこの試合関しては、対戦相手の方から彼女の結界内に入って来る可能性が高い。

 そして結界内に引き込んだ時点で彼女の勝ちであり、先程も言ったように全力の一撃を叩き込めばそれで終わりだ。

 少しばかり強引なやり方ではあるが、私達は観客席を喜ばせる為に来たのではないからね。

 

 

 

「いや……私に限っては例外か、こんな気持ちはあの闘技場以来だな」

 

 

 こうして始まった先鋒戦は、案の定セシルの一方的な攻撃によって幕を閉じた。

 その試合内容があまりにも短かったために、映し出された映像は淡白なものだったけどね。

 嬉しそうに飛び跳ねているセシルと、倒れたまま動かない対戦相手がとてもシュールだったよ。

 

 

 なんと言うか本当に気の毒な奴だ。多くの権力者が見ている中で、あんな醜態を晒すなんて自殺ものである。

 しかし……まあ、次に行われる試合よりはマシだったかもしれない。

 グランゼコール学院との次鋒戦、この試合に関してはなんの心配もしていなかった。

 

 

 それこそスター〇ックスの珈琲でも飲んでいるかのような安心感、私に言わせればただの茶番劇である。

 結果のわかっている試合ほどつまらないものはないし、映し出された対戦相手にしても震えているではないか。

 おそらくはこんなにも早く生徒会長様が出てきたこと、それがあまりにも予想外だったのだろう。

 

 

 先程の学生も気の毒ではあったが、あそこに立っている女生徒はもっと不幸である。

 一応生徒会長様の知り合いだったらしく、試合が始まる前に言葉を交わしていたけどね。

 彼女がなにものなのかは知らないが、少なくとも私やセシルのような人間でない事は確かだ。

 

 

 試合内容に関しては……まあ、予想通りとしか言いようがない。

 生徒会長様を相手に善戦したとは思うが、これといって凄い部分があるわけでもなかった。

 平平凡凡。たとえるならば御姫様の劣化版だろうか、多種多様な魔法で相手を翻弄するが決め手に欠けている。

 

 

 私ならば試合が始まったと同時に切り伏せているが、生徒会長様がそれをしなかったのは優しさからだろう。

 貴族同士のしがらみという奴か、そうでなくてはあそこまで手こずるわけがない。

 その優しさを私にも向けてほしいのだが、入学テストでの事もあるので難しいだろう。

 

 

 取りあえず、私はそんな生徒会長様の意外な一面に笑っていたのさ――――――ただ…ね。次に行われた副将戦がそんな感情に水を差した。

 いや、水を差したといえば聞こえはいいが、私に言わせればトラック一台分の冷水をぶっかけられた気分である。

 御姫様が勝てば私としても気軽に戦えたのだが、そんな期待は試合の開始と同時に消え失せてしまった。

 

 

 

「あの小娘、悪ふざけにしても度が過ぎているな」

 

 

 静かな空間に響いた声はどこか呆れ気味であり、その試合を見ながら何度舌打ちしたかわからない。

 あの小娘は一体何を考えているのだろうか、映し出された映像にため息がこぼれる。

 副将戦ターニャ=ジークハイデンの試合、それはあまりにも滑稽だったと言っておこう。

 

 

 私と戦った時はあれほど酷くはなかったし、なにより使っている武器も一回り小さくなっている。

 代表戦で使っていたものとは違う武器、その大きさに彼女が慣れていないのは明らかだった。

 攻撃魔法を乱発して距離を詰めたかと思えば、突然ブレーキをかけて距離を取ろうとする。

 

 

 まるで今思い出したと言わんばかりに、その動きは本来の彼女とはかけ離れていたよ。

 相手が突っ込んできたら攻撃魔法で対処し、出来るだけ近づかせないようにしている。

 最初の方はそれでもなんとか戦えていたが、そんな風に戦っていれば魔力がなくなるのも時間の問題だ。

 

 

 案の定魔力切れを起こした御姫様は、嫌々その新しい武器で戦う事となってね。

 一回り小さくなった大剣で相手の攻撃を防ぎ、隙を見て反撃に出るものの攻撃が届かない。

 焦る彼女と届かない攻撃、私も含めてほとんどの者が失笑していただろう。

 

 

 個人的には遊んでいるようにしか見えないし、試合を見ている他の人間も同じことを思った筈だ。

 所詮は飾りものの小娘でしかなく、王族だからと言って必ずしも優れているわけではない。

 御姫様の対戦相手が強かったというのもあるが、それでもその試合内容はかなり酷かった。

 

 

 結局、最後の最後まで新しい武器を使いこなすことは出来ず、こうして多くの失笑と共に彼女の記念すべき第一戦は終わりを告げた。

 私に言わせればただの練習不足というか、そんな中途半端な武器を使った御姫様が悪い。

 どうしてあの大剣を使わなかったのか、その辺りが疑問というか不思議である。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス様、そろそろ始まりますので準備してください。

 会場までは私がお送りするので、必要なものがあれば今の内にお願いします」

 

 

 彼女ならばそれくらいの事は気づいただろうし、こういう結果になる事もわかっていた筈だ。

 最初から試合を棄てていたのであれば、それこそあそこまで粘る必要もなかっただろう。

 なんとも傍迷惑な小娘というか、おかげさまでそのしわ寄せが私にきている。

 

 

 

「さて、不甲斐ない正義の味方に代わって私が出よう」

 

 

 こうして試合会場に辿り着くまでの間、私は御姫様に対する不信感に悩まされることとなった。

 彼女の性格から私への当てつけではないだろうし、同様の理由からグランゼコールと繋がっているとも思えない。

 そもそもそんな事をしても彼女にメリットはなく、むしろ公の場で醜態を晒す方がとてつもなくマイナスだ。

 

 

 その答えはいくら考えても出そうになかったが、試合が終わったら生徒会長様にでも聞いてみよう。

 御姫様と慣れ合うつもりはないが、だからと言って敵対する理由もないからね。

 こういった情報は意外なところで意外な成果を生む、なにかしらの役に立つなら利用しない手はないだろう。

 

 

 

「ではどうぞ、貴方の御武運を御祈り致します」

 

 

 会場の中には観客席というものが一切なく、代わりに大きなビスタルームが四方を取り囲んでいた。

 中心を見下ろすように作られたそれは、これを設計した者の性格を物語っていたよ。

 四方のビスタルームにはそれぞれ数名の人影があり、残念ながらその顔を見る事は出来なかった。

 

 

 各ビスタルームはそれぞれが独立しており、中にいる人間も着ている服がかなり違っていてね。

 軍服を着た人間がいるのはおそらく世襲派軍閥のブースであり、そう考えたならローブを着込んだ者達がいるブースは魔術師協会だろう。

 でっぷりとした体に高そうな服を着ている人間が門閥貴族なら、残りのブースは私が所属している王党派の筈だ。

 

 

 王党派のブースは他とは違って人数が少なく、どこか暗い雰囲気に包まれていたと思う。

 見下ろす側である彼等はなんの問題もないが、私達からは見えない造りをしているので中の様子は見なかった。

 だが私を見下ろしている三人の内、一人が獣人である事だけはわかった。

 

 

 獣人特有の耳と尻尾、おそらく隣国から来たというゲストは彼のことだろう。

 私の視線に気づいたのか手を振って来る陰に、私は軽くお辞儀だけすると踵を返してね。

 

 

 

「私の名はディルク=ヴェルデリッド、栄えあるグランゼコール学院からやってきた者だ。

 前回大会での不本意な成績と先輩方の屈辱、それを雪ぐためにも貴様には生贄になってもらう。

 私は貴様のような人間が嫌いだ。開会式にも参加しなかった下賤の輩に、伝統というものの尊さを教えてやろう」

 

 

 やっと現れた私の対戦相手は頭がおかしいのか、聞いてもいない事を色々と教えてくれた。

 動作の一つ一つがとても大袈裟で、見ているこっちが恥ずかしかったくらいでね。

 私はこぼれたため息を隠そうともせずに、このディルク=ヴェルデリッドとかいう男を眺めていたのさ。……さて、この男を降参させるにはどうすればいいだろうか。



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正義の味方と大きなペット

「御丁寧な説明痛み入るが、生憎と伝統なんてものに興味はないのでね。

 そう言った会話を御所望ならお家にでも帰って、マスターベーションの休憩がてらお友達と語り合ってくれ」

 

 

 彼の長話にも飽きてきたので忠告したのだが、どうやらこの手の冗談は通じないらしく、貴族の御坊ちゃまは顔を真っ赤にして怒っていた。

 この程度で感情的になるとはさすが貴族様、精神年齢が第二次反抗期の子供と一緒かそれ以下である。

 貴族社会というものが私にはわからないが、少なくともヴィンテージ家?の今後が思いやられる。

 

 

 一応それなりの実力者だとは思うが、私はこういったタイプの人間があまり好きではなかった。

 貴族制とかいうカビの生えた文化に巣くう害虫、極端な知識と思想を植えつけられた最悪のサラブレッドである。

 彼等の食べ物は誇りや名誉といった悟性概念であり、私達のようにパンやスープを食べる人間とは反りが合わない。

 

 

 代表戦での御姫様もそうだったが、この手のタイプはくだらない矜持を持っているから困る。

 どんなに追い詰められても負けを認めないというか、彼等のような人間はそこにある種の美学を見出すから面倒でね。

 どうしてそんなものにこだわっているのか、私に言わせれば彼等の方が下賤である。

 

 

 

「貴様、平民の分際で我が家名を愚弄した罪は高くつくぞ。

 シュトゥルト家の娘もなにを考えているかしらんが、貴様のような人間を連れてきた時点でいい笑いものだ。

 貴族の面汚しが、この私が奴の過ちを正してやろう」

 

 

 試合の開始を告げる鐘が鳴り響き、それと同時に彼の正面に魔法陣が浮かび上がった。

 警戒する私を見下したように笑う御坊ちゃま、そして次の瞬間その魔法陣から大きな人影が現れてね。

 なにかしらの役目を終えた魔法陣が消えた時、そこには人というには少々無理のある生物が立っていた。

 

 

 雄牛の頭に人間の胴体を持った怪物、私の倍はあろうかという身長に思わず苦笑いしてしまう。

 肩に担いだ戦斧は御姫様が使っていた大剣よりも大きく、その刃は所々錆びついて無数の血痕が付着していた。

 血管の浮き出た体は見ているだけで暑苦しいし、その瞳からは知性というものが全く感じられない。

 

 

 ギリシャ神話の中に出てくる人身牛頭の怪物、ミノタウルスと呼ばれる生き物とそいつはよく似ていた。

 確かダイダロスが建てた迷宮に幽閉されていた筈だが、こんな場所まで出張に来るなんて最近の怪物も大変である。

 

 

 

「こんな怪物を呼び出しておいて、当の本人はお絵描きごっこなんてね」

 

 

 目の前の彼は召喚士なのだろうか、複数の魔法陣に魔力を注いでいる姿はかなり無防備だった。

 一応主人公君という前例もあるので油断は出来ないが、取りあえずは目の前の怪物とじゃれ合いながら見極めるとしよう。

 私が雄牛君と戦っている最中に背後から攻撃でもされたら、それこそ代表戦と同じ過ちを繰り返す事になってしまう。

 

 

 彼が主人公君とは違ったタイプの召喚士、要するに呼び出した化物に全ての戦闘を丸投げ……なんて、そんな戦い方だったら個人的には嬉しいのだがね。

 私は彼の事を警戒しつつ目の前に立っている雄牛君、やる気満々の怪物にゆっくりと刀を向ける。

 それにしてもこの怪物はどうしてこんなにも怒っているのか、文句があるなら私ではなく君を呼び出した彼に言ってほしい。

 

 

 

「なんと言うか、そんな風に叫ばれても反応に困るわけでね。

 出来れば人間の言葉を喋って欲しいのだが……まあ、君にそんな事を言っても通じないか」

 

 

 力任せに振るわれる戦斧はとても単調だったが、その威力だけはとても凄まじかった。

 振るわれた戦斧が地面にめり込んだかと思えば、砕けた破片と共に巨大な亀裂が生まれてね。

 この様子だと刀で防いでも効果はないだろうし、一度でも直撃すればその時点で大惨事である。

 

 

 しかしながら見た目通りの牛頭というか、全ての攻撃が大振りなので避けるのも簡単だ。

 どんなに威力があっても当たらなければ意味はなく、この程度であればセシルの方が数倍マシである。

 一応彼の出方を伺う為にわざと体勢を崩し、幾度となく誘いをかけてみたが彼は動こうとはしなかった。

 

 

 

「召喚士である事は間違いなそうだが、どういった戦い方をするのかさっぱりわからん」

 

 

 無数の魔法陣にただひたすら魔力を注ぎこみ、新しいなにかを生み出そうとしている姿は少し不気味でね。

 ちなみに雄牛君の方は攻撃が当たらない事に苛立っており、最初の時よりも鼻息が荒くなっていた。

 全く、牛頭の癖にカルシウム不足とはね。その鳴き声があまりにもうるさいので処分しようかと思ったが、刀を振りかぶった瞬間に別の魔法陣が光り出す。

 

 

 雄牛君が出て来たそれとは違う模様の魔法陣、突然の事にタイミングを逃してしまった私は迫りくる戦斧を避けるので手一杯である

 そして輝きを失ったそこから出て来たのは三匹の巨大な蝙蝠であり、身体中の目玉模様が印象的な気持ち悪い化物だった

 さすがにこれ以上怪物が増えるのは嫌だったので、私は戦斧が振り下ろされた瞬間に雄牛君の右腕を切り落として対処する。

 

 

 涎を撒き散らしながら叫ぶ姿は可哀想だったけど、残念ながらなにを言っているのかはわからなかった。

 切り落とされた部分を抑えながら跪く雄牛君、ただその首に刀を押し当てた瞬間予想外の邪魔が入ってね。

 それは新たに召喚された蝙蝠どもが思いのほか素早かったこと、そして見た事もないような黒い液体が飛んできた事に起因する。

 

 

 突然のことに避けきれなかった液体の一部が私の服を汚し、そしてその部分が硫酸でもかけたかのように破けていた。

 なるほど、どんな成分が含まれているのかは知らないが、少なくとも触れていいものではなさそうである。

 真っ赤に染まった地面に頭上から降り注ぐ黒い液体、正面には怒り狂う怪物で頭上にはよくわからない化物だ。

 

 

 

「ヴェリデリッド家は召喚士としてはこの国随一の名家、我が家に伝わる秘術によって一度に何体もの魔物を使役する事が出来る。

 貴様は知らなかったようだが、そこら辺の召喚士とは格が違うのだ」

 

 

 私は雄牛君との距離を詰めようと再び動いたが、それを三匹の化物が中々許してくれなくてね。

 頭上を飛び回る三匹と右腕を庇いながら怒り狂う雄牛君、怪物如きに本気を出すつもりはなかったけどしょうがない。

 このまま手をこまねいていては私の評価にも影響するし、蝙蝠もどきのせいでフラストレーションも溜まっている。

 

 

 

「私に魔物を呼び出す時間を与えた事、それが貴様の敗因であり経験の差でもある。

 魔力の続く限り現れる魔物達に貴様がどう抗うか、それをここから見物でもして――――――」

 

 

「ほう……誰が、誰を見物するって?」

 

 

 彼の言葉を遮るように振るわれた一閃、その一撃は彼の顔を凍りつかせるには十分だった。

 宙を舞う雄牛君の首と真っ赤な噴水、巨大な戦斧が虚しい音をたてて転がる。

 ふむ、私としたことが少し大人気なかっただろうか、噴水を中心として広がるそれを見ながらため息をこぼす。

 

 

 強烈な血生臭さと視界を埋め尽くす赤色、私自身も体中に真っ赤なペンキを浴びていた――――――次は蝙蝠もどきを処分しようと思い刀を構えれば、そいつ等は害獣の分際で逃げ惑っていてね

 ふむ、それにしてもこの様子だと彼には本当に戦う能力がないのかもしれん。

 私を攻撃するタイミングならいくらでもあったのに、その尽くを無視して魔力を注ぎ続ける彼に私は呆れていた。

 

 

 こんな化物をどれだけ召喚しても、それこそ時間稼ぎにすらならないだろう。

 性懲りもなく新たな魔物を召喚しようと頑張っている辺り、主人公君の方が彼の数倍お利口さんである。

 私は逃げ惑う害獣共に狙いを定めると、そのまま投擲の要領で攻撃を繰り返した。

 

 

 

「ハハハ、そんな風に睨まれても照れるのだがな。

 見ての通り化物共の返り血を浴びてしまったせいで色も酷いし、この強烈な臭いはいくら洗っても取れないだろう。

 個人的には新しい衣服代を請求したいのだが、ヴェリデリッド家とかいう下賤な家がどこにあるのか教えてくれないか」

 

 

 その結果バラバラとなった害獣共が落ちてきて、またしても着ている服が汚れてしまったよ。

 化物共の返り血で真っ赤に染まった衣服は、たとえ綺麗になったとしても着たいとは思わない。

 

 

 

「貴様、あの程度の魔物を殺した程度で調子に乗るなよ」

 

 

 この手の人間は同じような返ししかしてこないので、それこそロボットと話しているような感覚に陥る。

 要するに無個性であることが個性というか、私に言わせれば一種の病気である。

 貴族と言う名の病気。その対処法は没落することであり、処方箋として一番効果があるのは断頭台だろう。

 

 

 御坊ちゃまの言葉と共に全ての魔法陣が輝きを放ち、それが一つに重なって巨大な魔法陣となり空を覆う。

 その光景はとても幻想的なもので、彼のよくわからない見世物に思わず拍手してしまった。

 私の態度に御坊ちゃまはご立腹だったけど、素晴らしいものを称賛するのは人として当然である。

 

 

 そして突然聞こえてきた遠吠えのような鳴き声、雄牛君とは比べものにならないそれに空気を揺れる。

 個人的には化物共と戦うのは苦手なのだが、この状況では期待するだけ無駄かもしれない。

 魔法陣の中から黒い毛並みに覆われた右足が現れ、その巨体が姿を現した時思わず笑ってしまったよ。

 

 

 

「私が使役する最強の魔物、ケロべロスを相手に精々抗ってみせろ!」

 

 

 おそらくは哺乳類だろうが、三つの頭部に蛇の鬣を持った生物がその枠に当てはまるのかがわからない。

 大きな口から覗く鋭い牙と竜の尻尾、胴体は犬のそれだが可愛らしさの欠片もなくてね。

 なんというか……少なくとも私の知っている犬はこんなにも大きくないし、主人を丸のみにするような生物はペットとして失格だ。

 

 

 なにを食べたらここまで成長するのか、さすがにドッグフードという事はないだろう。

 その大きさに固まる私だったが、三つ首の駄犬はそんな私を尻目に動き出した。

 それは本当に突然の事で、真ん中の頭が炎を吐き出したのである。

 

 

 火炎放射器のような勢いで迫りくるそれは、明らかに私という人間を狙っていた。これでは化物というより怪獣である。

 間一髪それを避けたかと思えば、次は右側の頭が同じように攻撃してくる。

 それぞれの頭が固有の意思を持ち、それぞれの判断で攻撃してくるとはなんとも厄介だ。

 

 

 この生物に仲間意識というものがあるのかは知らないが、まずはバランスの悪いその頭部を切り落とすとしよう。

 私は三方向から迫りくる炎を避けながら駄犬に迫るが、足元まで辿り着いたところで今度はその巨大な両足が邪魔をする。

 口に生えているそれと同じくらい大きなかぎ爪は、私の持っている武器では対処のしようがなくてね。

 

 

 迫りくる炎と立ち塞がる巨大なかぎ爪によって、私はその攻撃を二度も避けそこなってしまった。

 かぎ爪に注意を払い過ぎたせいで、服の一部が燃やされるという失態である。

 しかしおかげさまでなんとか首根っこまで辿り着き、私は力の限り持っていた刀を振るったのさ。

 

 

 肉を切り裂く時の感触が手元に伝わって、噴き出した血飛沫によって視界が赤く染まる。

 そのまま駄犬の首を落とそうとしたが、表面の肉を切り裂いたところで勢いが止まってしまう。

 今思えばこの時の私は考えが足りなかったというか、目の前の化物を雄牛君や蝙蝠もどきと同列に扱っていたのが問題だった。

 

 

 

「ほう、犬っころの分際で中々やるじゃないか」

 

 

 甲高い音と共に綺麗な破片が飛び散り、私の言葉は血だまりの中に消えてしまった。

 少しだけ軽くなった武器とちょっとした衝撃、気がつけば私の体は吹き飛ばされていたよ。

 手元の刀は根元から先が無くなっており、これでは修復する事も出来ないだろう。

 

 

 あの瞬間私の力に耐えきれなくなった刀が折れて、そのせいで体勢を崩したところを奴に体当たりされた。

 かぎ爪で攻撃されなかったのは幸いだが、結局駄犬の首を落とすことは出来なかったし、更にはこんな醜態を晒してしまったのである。

 全く、私を見下ろしながら怒り狂う駄犬に、私は自分の中にあるなにかが切れるのを感じてね。

 

 

 間髪入れずに迫りくる炎を避けながら一旦距離をとって、この化物をどうやって殺すか考えたのさ。

 私の武器は折れてしまったし、他の武器を使っても奴の体に通用するとも思えない。

 上司から頂いたクロノスならば問題ないだろうが、ここで使うにはあまりにも人目が多いからね。

 

 

 他の武器は先程折れてしまったものと変わらないし、御姫様のような大剣を持っているわけでもなかった。

 そして――――――そこまで考えたところで私は目の前に転がるそれを……雄牛君の遺品を見つけたわけだ。

 錆びついているので切れ味はないだろうが、それでも私の持っているどんな武器よりも頑丈である。

 

 

 一度で無理ならば二度、二度で無理なら巨大な鈍器として扱えばいい。

 頭の足りない犬っころに教えてやろうじゃないか、勝ち誇ったように笑う御坊ちゃまに私は微笑んでね。

 そしてその鉄塊をゆっくりと拾い上げて、目の前にいる哀れな駄犬に最大級の賛辞を送ったのである。



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正義の味方と死屍累々

※グロテスクな表現がとても多いので注意してください。


「さて、それじゃあ大英雄の真似事でも始めよう。

 今回は美味しいパンや甘いお菓子はないけれど、それでも彼のように素手で戦う必要はないからね。

 私は半神半人でもなければ王族でもないし、君を生きたまま送り返すよう言われてもいない。

 出来るだけ痛まないよう努力はするが、見ての通りこんな武器しかないのでね」

 

 

 駄犬の発した咆哮が空気を震わせて、その気持ち悪い鬣と竜の尻尾が激しく揺れる。

 こんな化物に人間の言葉が理解出来るとは思えないが、少なくとも私のやろうとしている事は伝わったらしい。

 再び吐き出された炎は先程よりも強力で、三方向から放たれたそれが手当たり次第に辺りを焼いている。

 

 

 気がつけばそうやって出来上がった炎の壁に動きを制限され、そしてその統一性のない攻撃にこの私が混乱していた。

 やはり雄牛君や蝙蝠もどきとは違うという事か、迫りくる炎と立ち塞がる赤い壁のせいで身動きが取れない。

 こんな醜態を晒し続けるくらいなら強引に突破でもして、そのまま犬っころの一撃を喰らった方が数倍マシである。

 

 

 おそらくは先程と同じようにあのかぎ爪を使って攻撃し、そして私が怯んだ隙に丸焼きにでもするつもりだろう。

 今の私は奴の作り出した壁によって動きが鈍り、更には逃げだす事も出来ないからね。

 この戦斧が駄犬の攻撃に耐えきれるかどうか、それが最も重要でありもしもの時は私も奥の手を使おう。

 

 

 代表戦の準決勝、エレーナ=アドルフィーネとの戦いで使った私のユニークスキルである。

 こんな犬っころに使うのは少々惜しいが、それでもこれ以上の負傷はあまり好ましくない。

 私は戦斧を構えたまま壁を突き破ると、そのまま駄犬の動きに合わせて血生臭い悪意を振るった。

 

 

 

「思ったよりも反応が鈍い……ふむ、どんなに強くとも所詮は化物という事か。

 それならば地獄の番犬と戦った記念に、この右足は戦利品としてもらっておくよ」

 

 

 駄犬の反応は予想以上にのんびりとしたもので、体勢を整えるには十分すぎるほどの時間を私に与えてくれた。

 私は迫りくるかぎ爪を避けながら体を捻り、その時の反動を利用して駄犬の右足を根元から両断する。

 ただやはり見た目通りの切れ味と言うべきか、肉を切り裂いて骨に達した瞬間ちょっとだけ動きが止まってね。

 

 

 そこから強引に骨を叩き割って残りを切り落としたが、この調子だと刃物として使えるのは精々一、二回だろう。

 一応こんな化物にも痛覚というのはあるらしく、右足を切り落とされた瞬間になにかしら喚いていたよ。

 

 

 さすがの私も化物の言葉など理解出来ないし、理解出来たとしても今更やめようとは思わない。

 バランスを崩した巨体がゆっくりと傾き、それを残った足で支えている姿はとても健気でね。

 黒い体毛に覆われたそこが真っ赤に染まり、暖かい血飛沫を浴びながら私はため息を吐いた。

 

 

 

「念のため忠告しておくが、君が暴れればそれだけ私の手元が狂ってしまう。

 出来るだけ早めに終わらせるよう努力はするが、そのまま動かないでくれると助かるよ」

 

 

 必至に態勢を保とうとしている駄犬だったが、私は目の前の好機を逃すような間抜けではないからね。

 駄犬の方は一生懸命抵抗してきたけど、こうなってはケロべロスではなく大きなチワワである。

 私は三方向からの炎を掻い潜りながら接近し、そして錆びまみれの血生臭い鉄塊を振り下ろす。

 

 

 先程と同じように右側の首を狙って、折れた刀身が突き刺さったままの傷口に私の殺意が食い込んでいく。

 肉を切り裂く感触と噴き出す血飛沫、駄犬の断末魔と共に辺り一帯に真っ赤な雨が降り注いだ。

 

 

 巨大な頭部が嫌な音をたててずるりと滑り、血だまりの中で痙攣を繰り返している。

 完全にバランスを崩した駄犬が地面に横たわり、そして批難めいた視線を私に向けてきてね。

 見渡す限りの赤色と咽かえるような臭い、そこにはある種の希望と絶望が混在していたよ。

 

 

 歩くたびに嫌な音をたてる血だまりに、私はこの試合が終わった後のことを考えてしまう。

 これをどうやって処理をするのかは知らないが、少なくともこの臭いだけはなんとかしてほしい。

 私は目の前に横たわる大きな置物を見ながら微笑み、そして残りの仕事終わらせようと動き出した。

 

 

 

「主人公君や御姫様の言葉を借りるわけではないが、正義の味方ごっこと言うのもたまには面白い。

 人間を襲うような化物をいち早く退治し、尚且つその過程で様々なものを手に入れよう。

 君のご主人様も言っていたけど、私には経験というものが足りないらしいからね」

 

 

 倒れた状態のままそれでも抵抗する姿がなんとも痛々しい。とめどなく流れ出る命に残りの頭部が必死に抗い、そして私という死神から逃れようと攻撃を続ける。

 しかし現実というのはあまりにも無情であり、駄犬の放つ炎はもはや時間稼ぎにすらならない。

 私は真ん中の首に狙いを定めて戦斧を振り下ろし、そのまま切り落とそうとしたがそう上手くはいかなかった。

 

 

 まあ、あんな風に使ってはダメになって当然か。表面の肉を切り裂いたところで動かなくなった戦斧を見れば、私の力に耐えきれなかった鈎柄が大きく歪んでいた。

 全く、さっさと諦めてくれればいいのだがね。今更抵抗してもその結果は変わらない。

 私が立ち止まったところを首だけを動かして対処し、一瞬の隙を衝いて放たれた炎には驚かされたけどね。

 

 

 しかしこの状況ではもはや時間の問題であり、強いて言えば戦斧の刃が駄目になったところが面倒だった。

 もはや私に残された方法はこの化物を撲殺する事であり、私は戦斧を使ってその顔を何度も殴打してね。

 そのせいで表面の皮膚がそがれて赤くなり、折られた牙とよくわからない液体が辺りに飛び散っていたよ。

 

 

 

「きっ……貴様ァァァ!」

 

 

 それを見て御坊ちゃまがどう思ったかは知らないけど、少なくとも楽しそうではなかったと思う。

 駄犬を召喚した際にかなりの魔力を使ったのか、ただ傍観しているだけだった彼がやっと動き出してね。

 新しい魔法陣から出て来たのは最初の雄牛君と同じ怪物であり、嬉しい事にそいつは新品同然の同じ武器を持っていてね。

 

 

 これには私としても驚いたというか、目の前で抵抗を続ける駄犬がとても可哀想だった。

 まさかご主人様自ら新しい武器を提供してくれるなんて、さすがの私も思わず笑ってしまった。。

 なるほど、御坊ちゃまからすればこの劣勢を覆す為の援軍というか、おそらくは時間稼ぎがしたかったのだろう。

 

 

 少しでも時間を稼いで魔力を回復し、そして新たな化物を呼び出して数の力で押しつぶす。

 彼がどんな化物を飼っているかは知らないが、一応ここにいるチワワが最強らしいからね。

 要するに新しく呼び出された雄牛君はその為の生贄であり、これ単体で私に勝てるとは思っていないだろう。

 

 

 ただその人選?があまりにも酷すぎるというか、これでは彼自身がとどめをさしたようなものである。

 私は雄叫びを上げながら迫りくる雄牛君に、その右手に持っている巨大な鉄塊を振り下ろす。

 御坊ちゃまが最初に召喚した怪物もそうだったが、私はこの程度の敵に後れを取るような人間ではないからね。

 

 

 

「弱い者いじめというのはあまり好きではないが、今更手加減したところでなんのメリットもない」

 

 

 案の定首から上が私の攻撃によって潰されてしまい、この雄牛君も他と同様にその死体を晒すこととなった。

 まさか敵である彼が私の手伝いをしてくれるなんて、ピクピクと痙攣している雄牛君の傍らに落ちているそれ、私が持っている武器と同じものを拾い上げて踵を返す。

 これで目の前のチワワを簡単に解体できる。既に刃物としての機能を失ったそれを棄てて、その上で新しい武器へと持ち替えた私はそのまま動いた。

 

 

 私の動きを止めようと必死に抵抗する犬っころ、そして新しい玩具を片手に微笑みを浮かべる死神、もはや私を止める事など誰にも出来ない。

 研ぎ澄まされた殺意がその肉を切り裂き、噴き出すペンキがセピア色のそれに彩を添える。

 今度の玩具はどこも錆びついていないので、それこそシフォンケーキを切るかのような柔らかさだった。

 

 

 惜しむべきはそのケーキが一種のゲテモノであり、それを切り分けた私にそっち系の趣味がない事である。

 私は滝のように流れ出るそれを背中に、少しだけ汚れてしまったケーキナイフを見ながら微笑んだ。

 

 

 

「さて、それではこの茶番劇もそろそろ終わらせよう」

 

 

 もはや抵抗する気力もないのか、残された頭部は死んだようにぐったりとしていた。……いや、もしかしたら本当に死んでいるのかもしれない。

 あれだけの血液を失ったのだから死んで当然というか、むしろ生きている方がおかしいのである――――――まあ、たとえ死んでいたとしても私のやる事は変わらないのだがね。

 

 

 最後の首に戦斧を押し当てた瞬間、その頭部が少しだけ動いたがなんの問題もなかった。

 聞こえてくる呼吸音と食い込む刃、終わってみればあっという間の出来事である。

 血の海に沈んだ三つの頭部と残された体、それを見ながら私はちょっとだけ虚しさを感じていた。

 

 

 まさか魔物如きにここまで苦戦するとは、私は水膨れした右手を見ながら思わず苦笑いしたよ。

 この世界の生き物にしてもそうだが、召喚士というものを少し舐めていたかもしれない。

 勝手に主人公君と同じタイプだと思い込み、その結果として複数の手傷を負ってしまった。これは今回の戦いで学んだ点というか、私の経験不足が浮き彫りとなった一戦である。

 

 

 

「貴様、ただの平民ではないな」

 

 

「いや、私は君達がいうところの平民で間違いない筈だ。

 生まれはこれ以上ないというほど卑しいし、家族なんてものもいなければ大切な人間だっていない」

 

 

 全てを終えた私はこうして御坊ちゃまのところへと向かい、そして新しい化物を召喚しようと躍起になっている彼を眺めていた。

 おそらくは魔力の回復が追いついていないのだろうが、目の前の魔法陣が発動しない事に彼は苛立っているようでね。

 

 

 

「ではなぜ攻撃しない!今の貴様ならば私を倒すことなど容易い筈だ!」

 

 

 それを言われると私としても困るのだが、仮にその理由を説明しても彼は納得しないだろう。

 私はスロウスの助言に従っているだけなのだが、それを教えたところでわかってもらえるとも思えない。

 全ては私が代表戦に関する報告を終えた時、新たな命令を受けた際にスロウスが教えてくれたのだ――――――だったら相手を降参させるのはどう?……と、そしてその助言によって私の方針は決まったのである。

 

 

 ではそれを踏まえた上でこの男を降参させるにはどうすればいいのか……ふむ、実は彼の特性を知った時点である程度の計画は立てていた。

 御坊ちゃま自身に戦闘能力がなく、加えて呼び出した化物共にその全てを任せているなら簡単である。

 要するに降参する側の人間とは全ての希望が潰えて、尚且つ戦う事が出来なくなった際にそれを宣言するのだ。

 

 

 では彼の手から攻撃の手段を奪えばどうなるか――――――ほら、ここまでくれば私の考えている事もわかる筈だ。

 つまりは彼が飼育している化物共を皆殺しにし、その上で御坊ちゃまの大事にしているものを破壊する。

 出来るだけ派手に……それでいて残酷に殺せば彼もわかってくれるだろう。

 

 

 私に勝つことは不可能だと、これ以上戦ってもなんのメリットもないとね。

 御坊ちゃまは伝統が重んじているらしいが、私はそんなよくわからないものを追い求めたりしない。

 目の前の男がどうやったら降参してくれるのか、それだけが私の目的であり目指している場所だ。

 

 

 

「いや、私は君の魔力が回復するまでここまで待っていよう。

 好きなだけ化物でも怪物でも――――――それこそ人間を召喚してもらっても構わない。

 私は君が諦めない限りそいつ等を殺し続け、そして君がいうところの伝統を徹底的に冒涜する。

 君は私の言葉を平民の戯言と、そう思っているならその考えは捨てた方が良い。

 世の中には貴族の事なんてなんとも思っていない人間がいる事を、君はこの戦いを通して知る筈だ」

 

 

 そう言って私は持っていた戦斧を地面に突き刺すと、そのまま彼の魔力が回復するまでなにもしなかった。

 御坊ちゃまの方はそんな私に激昂していたけど、黙ったままなにも喋らない私に彼の肩が震えていたよ。

 

 

 

「ふざけるな!どこまでも私を馬鹿にしおって、貴様の傲慢な態度を必ず後悔させてやる!」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

 それからどれだけの化物共を殺しただろうか、見渡す限りの惨状がその全てを物語っていた。

 歩くたびに広がる波紋とよくわからない物体、その異臭に顔をしかめながら私は作業を続ける。

 必死に逃げ回る化物共の首を刎ねて、そうやって余った部分を血だまりの中へと沈めるのである。

 

 

 これは私の宣言から始まった一連の流れ作業、おそらくは今日行われたどんな試合よりも長かっただろう。

 そしてその全てを処分した私は再び彼の元へと帰り、新たな化物を召喚するよう御坊ちゃまを急かすのである。

 

 

 

「もういい……やめてくれ、私はもう降参する」

 

 

 真っ赤な水たまりに両膝をつく敗者と、それを見下ろしながら微笑む勝者は対照的であり、この試合を見ている人間はそんな私達をどう思っただろうか。

 出来れば私の評価が覆ってくれればいいのだが、さすがにこの程度の化物が相手では難しいかもしれん。

 

 

 

「そうか、思ったよりも早かったじゃないか」

 

 

 四城戦第一試合、グランゼコール学院との大将戦はこうして終わったのである。



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正義の味方とちょっとした優しさ

 その昔、とある有名な女優がこんな言葉を残している。

 ノブレス・オブリージュ、高貴さは義務を強制するという意味である。

 わかりやすく言えば一種の心がけのようなものであり、支配階級にいる人間はより多くの義務と責任を負わなければならない。

 

 

 よくある話じゃないか、政治家の子供が傷害事件を起こしたらその親が責任を取る……なんて、そんなに珍しい話でもないだろう。

 有名人であれば活動を自粛するし、コメンテイターであれば業界からいなくなる。

 金持ちや有名人は貧乏人よりも厳しく、それでいて相応の対価が必要である。

 

 

 では一国の御姫様ともなればどれだけの責任、そして義務が発生するのか諸君は知っているだろうか?……ふむ、私に言わせればとても簡単な問題だ。

 要するに労働者階級(プロレタリアート)に当てはめてみればわかりやすい。たとえばよくわからない世界に連れて来られて、これまたよくわからない戦いに身を投じている私にね。

 

 

  その女優が言っているように 高貴さを身分や地位でなく、一個人の魂と考えるならその精神こそが尊いのである。

 つまり私のような社畜には関係がない。なぜなら家族もいなければ頼るべき友人もなく、仲の良い同僚は私と同じ殺人鬼だからね。

 だから魂だとか精神なんてものに価値を見出したら、それこそ私にどれほどの値打ちがあるだろうか。

 

 ハハハ、私を造る為に犠牲となった人間達には申し訳ないが、個人的にはタイガーブレットくらいの価値しかないと思っている。

 あの闘技場で私に殺された人間も然り、そして元いた世界で私を殺した部下も同じである――――――まあ、動く死体にそこまでの価値はないという事だよ。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「今日の訓練はここまでにして……生徒会長様、申し訳ないのですが少しよろしいですか」

 

 

 四城戦の第一試合、グランゼコール学院との試合に勝利した事で私は訓練内容を少しだけ変えていた。

 今までは彼女達の攻撃を避けるだけだったが、今度は私の攻撃を彼女達が避ける事となってね。

 セシルに関しては今まで通り問題でなかったし、生徒会長様にしても今までの訓練でその要領は掴んでいた。

 

 

 そして一通りの訓練を終えたところで生徒会長様を呼び、私はあの質問を彼女にぶつけたのである。

 御姫様の試合――――――グランゼコール学院との副将戦、あの試合に関して多くの者が不思議に思った筈だ。

 どうしてこんな小娘が代表選手に選ばれたのか……ちぐはぐな動きに無謀なペース配分、御姫様の実力を知っている私でさえも不快だった。

 

 

 

「やはり貴方もそう思いましたか、確かにターニャさんの試合は少々酷かったと思います。

 おそらくは本来の実力の半分……いや、三分の一も出せていなかったでしょう。

 詳しい事は私にもわかりませんが、貴方の言う通りこのまま放置するわけにもいきません。

 一応ターニャさんから口止めされていたのですが、実は彼女から頼まれて――――――」

 

 

 案の定私の言葉に生徒会長様は喰いついてきた。やはり生徒会長様も不思議に思っていたようで、私の知らない情報を色々と教えてくれたよ。

 たとえば御姫様が使っていた武器にしても学園側が用意したもので、試合が始まる少し前に頼まれて慌てて用意したらしい。

 生徒会長様がその事について聞いても彼女は答えようとせず、その時から御姫様の事が心配だったそうだ。

 

 

 新しい武器を渡す際にもう一度私達の訓練に参加するようすすめたが、それを御姫様は拒絶し代わりにこの部屋の鍵を借りたらしい。

 その際に御姫様は何度も謝ってきたらしいが、私に言わせればそんな言葉に一円の価値もない。

 後ろめたい気持ちがあるなら言わなければいいし、勝てるという確証がなければただのワガママに過ぎない。

 

 

 

「まあ……私に頭を下げるよりかはマシか」

 

 

 生徒会長様曰く御姫様には主人公君の他にこれと言った友人はいないそうで、クラス内でもどちらかと言えば浮いているそうだ。

 その理由として彼女の実力が学園内でもトップクラスである事、そして御姫様自身の性格にも問題があるらしい。

 だから新しい武器を使おうにも練習相手がおらず、唯一同等の力を持っている人間も今は謹慎中である。

 

 

 新しい武器というのは慣れるまでに時間がかかるので、それを短期間で使いこなすには練習相手が必要だ。

 自分と同等かそれ以上の実力者、主人公君は謹慎中であり生徒会長様は私と訓練をしている。

 そして他の人間に頼もうにも御姫様という肩書がそれを邪魔し、更には中途半端に実力がある分その範囲も狭いのだ。

 

 

 生徒会長様の話を聞く限り孤立しているようなので、結局のところ御姫様に残された選択肢は二つしかない。

 私に練習相手を頼むか、それとも私達が帰った後に一人で練習するか――――――ふむ、そうなったら御姫様がどちらを選ぶかなんてわかりきっている。

 つまりあの試合は彼女が手を抜いていたわけではなく、ましてや私達を裏切っていたわけでもなかったのである。

 

 

 ただ単に練習不足というか……まあ、御姫様の判断ミスが招いた当然の結果だ。

 さすがにどうして新しい武器が必要だったのか、そこまでは生徒会長様にもわからないそうでね。

 

 

 

「ではこの件は私にお任せください。数日中にジークハイデンさんを連れてきて――――――」

 

 

「本当ですか!?」

 

 

 その言葉に生徒会長様は驚かれていたが、私に言わせれば彼女との関係を改善するまたとない好機である。

 代表戦の時は仕事の都合上あのように振る舞ったが、もしも教皇様の命令がなければ私は生徒会長様と同様の態度で彼女と接していた。

 それだけ御姫様というステータスには利用価値があり、そんな彼女と敵対するのはあまり得策ではない。

 

 

 王族に喧嘩を売るなんてあまりにも馬鹿げている。不動産王の娘とボクシングをして、更にはその性格を批判するくらいにありえない。

 あの時はそういう命令を上司から与えられて、私はそれを終わらせる為にあのような手段を取っただけだ。

 出来るだけ効率的に、それでいて少しでも早く仕事の完了を報告する為にね――――――ん?もしももう一度同じ命令を受けたら?……無論、私はなんの躊躇もなく同じことをやるだろうね。

 

 

 

「ええ、その代りちょっとしたお願いがあるのですよ」

 

 

 まずは私を毛嫌いしている彼女を引きずり出して、その上で誤解を解くところから始めよう。

 これ以上私達の関係が悪化する事はないし、今の状況が少しでも進展するならそれでいい。

 これは生徒会長様へのちょっとしたサービスであり、私に対する学園側の悪いイメージを払拭する為でもあった。

 

 

 私の考えに生徒会長様も賛成していたし、これでこの学園にいる生徒達も大人しくなるだろう。

 私は嬉しそうな生徒会長様と少しだけ不満気なセシルを見送り、そのまま御姫様が来るのを部屋の中で待っていた。

 生徒会長様からの提案で御姫様が入ってきやすいよう部屋の明かりは消して、その上で出来るだけ私がいないよう見せかけてね。

 

 

 

「ほう……やっと来たか」

 

 そうして窓から差し込む月明かりだけがこの空間を支配し、私は聞こえてくる足音に耳を傾けた。

 静かな空間に響く軽快な音と金属音、目の前のドアがゆっくりと開かれて御姫様が姿を現す。

 月明かりに反射する見覚えのある武器とその横顔に、私は持っていた刀を構えてその鞘を彼女に投げつけた。

 

 

 

「っ!?」

 

 

 壁に当たって転がるそれと小さな息遣い、これで私という存在に彼女も気づいただろう。

 私は混乱する御姫様を見ながら刀を構えると、そのまま月明かりの元まで歩み寄ってね。

 そうやって私達の視線が絡み合い、御互いが御互いを認識したところで彼女はこう言った。

 

 

 

「ねぇ……なんであんたがここにいるのよ」

 

 

 御姫様の方は私がいる事に動揺していたが、その理由を教えたところで時間の無駄だろう。

 その証拠に彼女の反応は悪くなかったし、月明かりに揺れる刀身もどこか嬉しそうでね。

 

 

 お互いの息遣いすら聞こえてきそうな距離でせめぎ合い、二つの煌めきが激しい火花を散らしている。

 一応彼女の実力に合わせているつもりだったが、それでも防戦一方の御姫様に思わず笑ってしまった。

 この程度の攻撃であればセシルでさえも防げるのに、この御姫様ときたら既にボロボロである。

 

 

「私としてもこんな事は言いたくないが、今の君は哀れと言うよりもただただ醜い」

 

 

「くっ……なにが言いたいのよ!」

 

 

 彼女の動きは代表戦の時とは別人であり、その原因は今更説明するまでもないだろう。

 私はこの茶番劇を終わらせようと大きく踏み込み、そして御姫様の攻撃を誘った上でその脇腹に蹴撃を放った。

 一応これからの事も考えてかなり手加減したが、彼女に取っては精神的ダメージの方が大きかっただろう。

 

 

 静かな空間に響き渡る乾いた金属音と小さな悲鳴、御姫様の両肩は震えてその足取りも覚束ない。

 しかしそれでも彼女は新しい武器を支えに倒れず、そして最後の最後まで両膝をつくことはなかった。

 

 

 

「代表戦の時もそうだったが、これ以上君のワガママに付き合うつもりはない。……だから答えてもらおうか、君はどうしてあの大剣を使おうとしない」

 

 

 おそらくそれは御姫様なりの抵抗というか、私に対するメッセージだったのかもしれない。

 代表戦の時に失ったものを取り戻す為の、言うなれば彼女自身が自らに定めたルールだ。

 私の前では決して両膝をつかないこと、そしてどんな事があってもその誇りだけは手放さない。

 

 

 必至に抵抗する彼女はとても健気だったが、個人的にはさっさと私の質問に答えて欲しかった。

 あれほど大切にしていた武器を使おうとしない理由、あんな醜態を晒してまでなにを隠そうとしているのか。

 

 

 

「……たのよ」

 

 

「ん?悪いがもう一度言ってくれるか?」

 

 

 ただ、私の言葉に対する彼女の返答がその―――――あまりにも……ね。どうしても信じられなかったというか、この私としたことが思わず聞き返してしまった。

 なぜなら偏った知識を植え付けられた彼女があれほど大事にしていた信念、そしてその努力を手放すとは思えなくてね。

 だから予想外の言葉に戸惑ってしまったと言うか、もう一度御姫様の口からその言葉を聞くまでは信じられなかったよ。それこそ部屋中に響き渡る程の声で……これにはさすがの私も言葉を失ってしまった。

 

 

 

「売ったのよ!私は孤児院を建てる為にあの剣を売って、それであんたの言う通り王都の端(はずれ)にあるスラム街に孤児院を建てたの!」

 

 

 その少しだけ恥ずかしそうな……それでいて怒ったような口調はとても眩しくてね。

 だから御姫様の言葉は本当に予想外だった。代表戦の時に交わしたくだらないやりとり、私の言葉を聞いた彼女がなにを思ったのかはわからない。

 だがその結果として彼女は自分の命よりも大切なものを売り払い、その上で私の提案をなんの躊躇もなく実行したのである。

 

 

 まさか私の言葉を真に受けるとはね。彼女は今までに培ってきた努力や知識を全て捨て、そして私の吐いた真っ黒な理想を信じたのである。

 全く、子供というのは本当に恐ろしいと言うか―――――こんな時どんな顔をすればいいのか私にはわからなかった。

 

 

 

「やりましょうよ先輩!会社の不正をこのまま野放しにするなんて、そんなのカッコ悪いじゃないですか!」

 

 

ハハハ……御姫様の真っ直ぐな瞳を見ていると、記憶の片隅に追いやった筈の馬鹿がしゃしゃり出てくる。

 申し訳ないがここにいるのはヨハン=ヴァイスという人間であって、君が慕っている先輩は既に死んでしまった。

 それに、目の前にいる女の子はあの会社にいた人間達とは違うし、何も知らない子供だからこそそんな事が出来るのである。

 なんのしがらみもない綺麗な体、そんなものを持った人間がたくさんいたらどのみち殺されていただろう。

 

 

 

「私はあんたの言葉を聞いて自分が間違っていると思った。

 あんたの言う通り私は心のどこかでそんな人達を見下して、この国の格差をなくそうとなんの努力もしなかった。

 だから私は行動しようと思ったの。あんたの事は嫌いだけど、あの時の言葉は私の周りにいるどんな人間よりも正しかった―――――ええ、この私が嫉妬しちゃうくらいに……私なんかよりも全然王族らしかった」

 

 

 なにも言わずただ黙ったままの私に彼女は言葉を紡ぎ、その瞳から一筋の滴がこぼれて頬を伝う。

 月明かりに照らされたそれはとても綺麗で、気がつけば彼女という人間に圧倒されていたよ。

 ふむ、どうやら私は御姫様の事を勘違いをしていたらしい。

 

 

 

「今までの自分と決別する為にも、私は自分に出来る事を全てやろうと決めた。

 たとえそれがただの自己満足であったとしても、その自己満足で一人でも多くの人間が救えるならそれでいい。

―――――笑ってもいいわよ……別に、あんたならもっと良いやり方があるんでしょうけど、だけど今の私にはこれが精一杯だもの。

 あんたと戦って私は自分という存在が如何にちっぽけか、それを嫌というほど思い知らされてる。

 だからあんたの事は嫌いだけど認めてるし、いずれは私なんかよりも大きな人間になるとも思う」

 

 

 ノブレス・オブリージュ、私の脳裏を過ったこの言葉がどういうものかは知っている。

 彼女は四城戦と人間の命を天秤にかけて、その上で代表戦の時とは違う選択をしたのである。

 王族としての誇りを守るのではなく、一人でも多くの人間を救おうと決断しそして行動した。

 

 

 それがターニャ=ジークハイデンという人間であり、彼女が四城戦で醜態を晒した原因でもあった。

 なんと言うか……御姫様の手に巻かれた包帯を見れば、目の前にいる小娘がどれだけ不器用なのかがわかる。

 それこそどうしようもないくらいの御人好しで、誰よりも王族らしい王族だとね。

 

 

 

「だけど……ごめんなさい。私にはやっぱり無理。

 あんたが凄いのもわかるし、あんた達がやってる訓練に参加すれば強くれるのもわかる。

 でもアルフォンスやコンちゃんを傷つけたあんたに教えてもらうなんて、それだけはどうしても出来そうにないの。

―――――馬鹿みたいでしょ?でも、この気持ちまで捨てたら私は私じゃなくなる。

 だからあんたに知られた時点で私はここを使わないし、これからは違う場所で練習させてもらう」

 

 

 こうなる事は最初から私もわかっていた。なぜなら私が説得したところでなんの意味もなく、たとえこのまま頭を下げても彼女は納得しない。

 生徒会長様が頼んでも無理だったのだから、他の人間が頼んでもその意思は変わらないだろう。

 それならば少しだけ視点を変えて、ただ頼むのではなく取引という形で彼女を説得すればいい。

 

 

 自分の得意分野に相手を誘き出して、その上でもう一度説得すれば彼女も納得する筈だ。

 私はある種の逃げ道を用意する事で、この関係を少しだけ清算しようと思っていた。

 覚束ない足取りで部屋を出て行こうとする彼女に、私は事前に用意していた材料を提供する。

 

 

 

「私ならば主人公君に課せられた処分に対して、その内容を撤回するよう学園側に掛け合う事が出来る」

 

 

 その言葉に御姫様の動きが止まり、彼女から発せられる空気が変わったのを私は感じた。

 私には彼女の気持ちが手に取るようにわかる。それだけ私の出した条件は魅力的であり、御姫様がどれだけ望んでも手に入らないものだ。

 

 

 

「そ……そんな事出来るわけ―――――」

 

 

「ほう、どうしてそう思うのかな?

 彼がなぜ無期限の謹慎処分を受けたのか、その理由を知らない君ではあるまい」

 

 

 主人公君は私達の試合に乱入しただけでなく、代表選手である私に剣を向けた事で責任を問われた。

 つまり被害者である私が学園側に掛け合えば、彼に対する処分も軽くなるかもしれない……なんて、そんな風に御姫様は考えた筈だ。

 まあ実際のところはもっと簡単であり、既に生徒会長様の協力も取り付けているがね。

 

 

 彼女が私達の訓練に参加するのであれば、その処分も撤回されて数日後には登校できる。

 最高の口実とこれ以上ないというくらいの逃げ道、これを断るような人間でない事は私も知っている。

 なぜならそれこそが御姫様の欲しいものであり、彼の未来を交渉材料にすればさすがに頷くだろう。

 

 

 私は半信半疑の彼女に詳しく説明して、その上で御姫様にどうするのか聞いたのである。

 私達の訓練に参加するのか、それともくだらない意地を張って主人公君を退学に追い込むか。

 この提案は言うなればwinwinの関係であり、それこそ彼女にはなんのデメリットもないからね。

 

 

 

「さあ、どうするかね?」

 

 

 こうして翌日から私達の訓練に大剣を持った小娘が参加し、それは四城戦が終わるまで続けられることとなった。

 相変わらず彼女との関係は最悪であるが、それでも一時に比べればかなり軟化した方だろう。

―――――まあ、私に対する態度でセシルとよく喧嘩しているが、そんなくだらない時間も時には必要かもしれない。




皆様の感想がとても励みになります。
更新速度も上がって来ましたので、引き続きよろしくお願いいたします。


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四城戦(中)
正義の味方と危険な香り


「次はラッペランタとの試合ですが、彼等は最初の試合で奉天学院に負けているので後がありません。

 私達に負ければ二連敗ということになり事実上の脱落、残りの試合に勝ったとしても優勝する事は出来ないからです。

 ですから前回よりも厳しい戦いとなるでしょうが、私達もこんなところで躓くわけにはいきません。

 貴方の事を心配しているわけではありませんが、くれぐれも油断しないようお願いします」

 

 

 グランゼコールの時と同じ控室に案内された私は、部屋に通されてすぐにその魔道具を起動させた。

 それは大将戦が始まるまでの暇つぶしであり、この試合が少しだけ特別だったからである。

 その理由は御姫様とセシルにあるのだが、今更嘆いたところで状況が変わるわけでもない。

 

 

 魔道具の起動によって映し出された光景、双剣を構えたまま相手を牽制する彼女はとても落ち着いていた。

 グランゼコールの時はあれほど緊張していたのに、今のセシルからはそんな雰囲気は全く感じられない。

 おそらくは私との訓練で成長したという実感、そしてあの時の言葉が彼女に余裕を与えたのだろう。

 

 

 

「油断しないように……か、それは私ではなく彼女達に言うべきだろう」

 

 

 私は試合が行われる前日、いつもの訓練が終わった後にセシルを呼び出してとある忠告をした

 それは私なりの助言というか……まあ、ちょっとしたアドバイスのようなものだ。

 なぜなら前回の戦いでセシルの能力は知られており、それを魔術師協会の人間が見逃すとも思えない。

 

 

 ラッペランタは優秀な魔術師達を集めた学園であり、遠距離攻撃に対する反撃手段がないセシルとは相性が良いからね。

 彼女の作り出す結界の外から攻撃しても良いし、なんらかの形でそれを無力化することだって出来るだろう。

 彼等にとってセシルという人間は狙い目なわけで、優勝争いから脱落しない為にも必ず仕掛けてくる。

 

 

 

「私は君の努力を認めているし、そんな風に頑張っている姿も嫌いじゃない。

 だがラッペランタとの試合に関しては別というか、君の立場になって考えると正直辛いものを感じる。だから私達のこれからも考えて――――――」

 

 

「あぅ……あの、さすがにそれを決めるのはまだ早いかなって!

 いや、嬉しいよ?嬉しいけど……その、さすがにちょっとだけ早すぎるよ!」

 

 

 だからこそ私は試合が始まる前からその結果がわかっていた。そしてそれをわかりやすいよう彼女に伝えたのだが、私の言葉に平常心を失ったセシルが突然走り出してね。

 耳まで赤くして逃げていった彼女を見ながらため息を吐き、もう少し言葉を選べばよかったと後悔した。

 私は奉天学院との試合を見据えて無理はしないこと、そしてその判断は任せると言いたかったのだがな。

 

 

 元々彼女はイレギュラーな存在というか、本来の代表選手を私が再起不能にした為に選ばれたのである。

 セシルはその負い目から誰よりも努力していたが、それをこの私が否定してしまったわけだ。

 これが主人公君とかだったらなんとも思わないが、個人的にはセシルのような使える駒は残しておきたい。……全く、この私としたことが部下に対する配慮に欠けていたよ。

 

 

 唯一の救いは私の考えがセシルに伝わったこと、一応言葉のキャッチボールは成立していたからその点は問題ない。

 もしも彼女がラッペランタとの試合で大怪我でも負ったら、それこそ奉天学院との試合に支障が出てしまう。

 それならばここはある程度見切りをつけて、その上で私や生徒会長様に任せた方が無難である。

 

 

 さすがに今の御姫様は信用できないというか、ラッペランタの実力がわからない以上期待はできない。

 つまりこの試合は最初から不利な戦いであって、それも踏まえた上で私は頭を悩ませていてね。

 そして今日も私は彼女の後姿を見ながらため息を吐き、その魔道具を起動させてセシルの試合を見ていたわけだ。

 

 

 

「やはりこうなったか……ふむ、予想はしていたがあまり気分の良いものではないな」

 

 

 ラッペランタとの先鋒戦は予想通りというか、なんの面白味もなかったとだけ言っておこう。

 セシルの結界を無力化した上での遠距離攻撃、そして様々な魔法を組み合わせて彼女の動きを封じる。

 魔術師ならではの攻撃と牽制にセシルは追い込まれ、その徹底された戦術に思わず舌打ちしてしまった。

 

 

 その舌打ちが嬉しそうに笑っている敵か、それとも最後まで降参しなかった彼女に対するものかはわからない。

 しかし最後の瞬間に映し出された彼女の表情、両手からこぼれ落ちた双剣がとても印象的でね。

 そしてスローモーションのように崩れ落ちていくセシルの、その頬を伝う涙と微かに動いた唇が試合の終わりを告げる。

 

 

 

「ごめんなさい――――――か、だったら私は彼女の事を見損なったかもしれない。

 負けるとわかっている戦いを続けたところで意味はなく、それこそ私と戦った貴族の御坊ちゃまと同じかそれ以下だろう。

 ハッキリ言って迷惑以外のなにものでもないし、私の忠告を無視した結果がこれでは笑い話にもならない。

 やはりあの時の言い方が不味かったのだろうか、もしかしたらセシルのプライドを刺激して反感を買ったのかもしれん――――――全く、私としたことがこんな初歩的なミスを犯すとはな」

 

 

 ラッペランタとの次鋒戦が始まったというのに、私はそんな事ばかり考えていた。

 もしも目の前にサンドバックでもあったら、きっと一センチ単位でそれを切り刻んでいただろう。

 部下のモチベーションを保つのは上司の仕事、そして部下の失態をカバーするのも私の仕事である。

 

 

 私の軽はずみな行動によって彼女の戦意は下がり、更にはそのプライドを刺激した事によって反感まで買ってしまった。

 セシルの失態をカバーするのは当然として、明日から彼女とどう接したらいいものか――――――ああ、出来る事ならあの時に戻って過去の自分に忠告してやりたい。

 

 

 

「個人的にはあまりやりたくなかったが、この際セレストを使って彼女を説得させるか。

 セシルのモチベーションを上げるには一番だろうし、なによりセレストにしてもこの間の件で少なからず私を恨んでいる。

 これからはセレストのガス抜きも兼ねて二人を合わせ、その上で少しずつ私の計画を進めるとしよう。

 こんなところで躓いているようでは、それこそ出世どころかプライドすら殺せないからな」

 

 

 そんな事を考えながら頭を抱えていた私に、ここでちょっとだけ嬉しいニュースが舞い込んできた。

 それを嬉しいというのは彼女に対して失礼かもしれないが、少なくともこれで私達の負けはなくなったからね。

 なんと言うか……私が独り言を呟いている間に生徒会長様の試合、ラッペランタとの次鋒戦は終わっていたのである。

 

 

 さすがは生徒会長様といったところか、その試合があまりにも短かった為に彼女の雄姿を見逃してしまった。

 しかしこれで大将である私さえ勝てば奴等の敗北であり、たとえ御姫様が負けたとしてもその状況は変わらない。

 私に言わせれば次の試合は茶番劇というか、こんな試合に一喜一憂する人間の気がしれない。おそらくは誰よりも冷ややかな視線を向けて、私はその世界一無駄な試合にため息を吐いてね。

 

 

 

「ほう、これは少しだけ予想外だったな」

 

 

御姫様の動きはグランゼコールの時とは別人のようで、彼女の多彩な攻撃はあの時とは違って洗練されていた。

 ラッペランタの副将も御姫様の変わりように驚いていたが、きっと前回のそれを参考に作戦でも立てていたのだろう。

 

 

 私が言うのもなんだが本来の御姫様はあそこまで酷くはなく、それこそ突き抜けた才能こそないが非凡であることは確かだ。

 それに前回の失点を取り戻そうと躍起になっている辺り、彼女と戦う事となったあの代表選手は気の毒である。

 一応それなりに善戦しているようではあったが、それでも今の御姫様に勝てるとは思えない。

 

 

 結局先鋒戦の時とは真逆の試合運びというか、最高に退屈な茶番劇を見ることとなった。

 魔道具が映し出す御姫様はどこか誇らし気で、なんとなく私に向けられているような気がしたよ。

 全く、この程度の事で有頂天になられても困るのだがね――――――しかし……まあ、少しだけ認めてあげようじゃないか。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス様、そろそろ始まりますので準備してください。

 以前と同じように会場までは私がお送りするので、今の内に必要なものがあれば――――――」

 

 

 副将戦が終わってからどれくらい待っただろうか、やっと現れた兵士さんに苦笑いしてしまう。

 そして私は彼に言われるがまま部屋を後にし、その兵士さんに前回と同じように会場まで案内されたのである。

 ただ……ふむ、そこである種の違和感というか不安を覚えてね。なぜなら会場の四方を設置された巨大なそれ、ビスタルームを守るように四つの支柱が大きな結界を張っている。

 

 

 なんというか……なぜこんなものをわざわざ用意したのか、その理由を是非とも教えてほしかった。

 それこそオブジェとして飾っているのならやりすぎだし、なによりこんな私でもその結界がどれだけ分厚いのかがわかる。

 明らかにビスタルームの中にいる要人たちを守る為に張られた結界、それを前にして私の足取りも自然と重くなってね。

 

 

 

「コスモディア学園の大将、御主一体何者じゃ」

 

 

 先に待っていた私の対戦相手、ラッペランタの大将がそんな風に話しかけてきたのさ。

 ただ――――――その、あれだよ。その見た目がシアンと同じくらいに見えたので、この私とした事が言葉に詰まってしまう。

 おそらくシアンよりは年上だろうが、それでも幼女といって差し支えない風貌である。

 

 

 それにその小さな体とは不釣り合いな……箱?だろうか、それを背負っている姿は遠足前の小学生である。

 つるりとした光沢を放つそれはどこか機械染みており、どう考えても御菓子が入っているようにはみえない。

 むしろ会場に張られている結界も含めて考えれば、それだけその中身がヤバいのだと想像できる。

 

 

 なにが入っているのかは知らないが、ハッキリ言って今すぐにでも帰りたい気分だった。

 それこそ彼女の見た目にしてもそうだが、これだけの結界を用意する意味も分からない。

 これ以上ないというほど憂鬱というか、どう考えてもここにいるのは危険である。

 

 

 

「まさかコレを使う許可が下りるとは……御主が何者かは知らぬが、少なくとも相当ジジイ共に嫌われてるみたいじゃの」

 

 

 本来であれば私達が揃った時点で鳴らされる合図、試合の始まりを告げるそれも中々聞こえない。

 おそらくはなにかしらの準備というか、私の知らないところでトラブルでも起こったのだろう。

 ますますこの場から逃げ出したいというか、むしろそう思わない人間がいたらそいつは病気である。

 

 

 

「ふむ、君がなにを言っているのかは知らないが……出来ればそれがなんなのかくらいは教えてほしい」

 

 

 私の言葉に目の前の幼女は少しだけ笑っていたが、なにがそんなに面白いのか理解できない。

 彼女が背負っているそれに関係あるのだろうが、結界内でそんなよくわからないものと戦う私はどうなる。

 この国に教育委員会というものがあるのなら、それこそ四百字詰めの原稿を五十枚ほど送りつけてやろう。

 

 

 

「わっちの名前はメディア=ブラヴァツキー、そしてこれは御父様がやっていた研究を元にわっちが作ったものでな。

 黒い夜、この言葉を聞けば後はもうわかるじゃろうが――――――つまりこれはそれに関係する魔道具であり、魔術師協会のジジイ共がこんなものを用意したのもそれが理由じゃ」

 

 

 そう吐き捨てるように言った幼女に対し、私はなんと答えればいいのかわからなかった。

 そもそもその黒い夜とやらがわからないのに、それを知っている体で話されても困るのである。

 一応彼女の口振りからなんとなく理解したが、要するにその言葉と今の状況が関係しているのだろう。

 

 

 ただ私はこの世界の常識に少々疎いので、出来ればわかりやすいように説明してほしかった。

 彼女の言葉を聞きながら首を傾げる私に対し、その反応が予想外だったのか目の前の幼女は呆れていたがね。

 いやはや、これに関しては私の勉強不足としか言いようがない。

 

 

 

「王都に住んでいながら黒い夜も知らないとは、世間知らずと言うよりもただの阿呆じゃな。

 黒い夜とは旧ブラヴァツキー領内で起こった事件の俗称、わっちの両親が魔道具の実験に失敗した為に起こった事故じゃよ。

 当時の御父様はダークマターを加工した上で反物質を抽出し、その過程で生まれるエネルギーを――――――」

 

 

「いや、それだけ教えてくれれば十分だ。

 要するに君の両親がやっていた傍迷惑な実験のせいで、黒い夜とかいう大きな事故が起こったのだろう。

 そしてその技術に改良を加えたのがそれで、この結界も君の魔道具が暴走した時の保険という事だ。

 なるほど……なるほど、では私も手伝うからそのハッピーセットを今すぐ解体しよう」




皆さま良いお年を。
エリート社畜は三日から仕事です(笑)


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正義の味方と狂科学者

 黒い夜とかいう事件がどんなものかは知らないが、少なくともそんなものを持ち歩くなんて普通ではない。

 ある種の精神病患者か頭の悪い平和主義者、彼女の両親がノーベル平和賞を受賞しているとも思えない

 それこそ核弾頭を片手にビールを飲むような人間と同じというか、目の前の幼女やその両親も含めて素敵な一族である。

 

 

 個人的にはそんな得体の知れないものを作った彼女とその両親、そしてそれの使用を許可した協会の人間に言ってやりたい。

 それこそ彼等のようなMADは心臓発作でも起こして、その上で某第三帝国の悪魔と同じようにその最期を教科書にでも乗せてくれ。

 

 

 

「御主が不安がるのもわかるが、わっちにも色々と事情というものがあっての。

 四城戦に勝って御父様の理論が正しかったこと、そしてあの事故は天使衣(セフィロス)が原因でなかった事を証明せねばならぬ」

 

 

 MADにしては些か可愛らしい風貌だが、どんなに可愛らしくても所詮は狂科学者である。

 個人的にはそんな得体の知れないものではなく、それこそピンク色のバックパックでも持ち歩いてほしい。

 その中に手作りのお弁当と数百円の分の御菓子を入れて、わけのわからない目標と適当な夢を見ながらピックニックでもしてくれ。

 

 

 

「奉天学院との戦いではセフィロスの使用が認められず、あのような不本意な結果を残してしまったが今回は違う。

 御父様の発明を嘲笑った協会の間抜け共を見返し、その上でわっち等一族に与えられた不名誉な称号を返上する。

 全てはブラヴァツキー家を復興させる為、そして御父様と御母様の名誉を取り戻す為の四城戦じゃ」

 

 

 全く、よくわからない実験に付き合う私の事も考えてほしいものだ。

 なぜ私が聞いたこともないような理論を証明する為、これまた聞いた事もないような実験を手伝う必要がある。

 これが四城戦という一種の競技だということ、そして教皇様や生徒会長様の御言葉がなければ殺していただろう。

 

 

 私はブラヴァツキー家とか言う家の復興に興味はないし、会った事もないような人間に力を貸すのも御免だ。

 あの箱になにが入っているのかは知らないが、少なくとも私は収容所の人間でもなければモルモットでもない。

 それこそMADらしい発想と言えばそれまでだが、私に言わせれば目の前の幼女と死の天使は同類である。

 

 

 

「では始めようかコスモディア学園の大将、セフィロスのデータ収集が終わるまでは倒れるでないぞ!」

 

 

 

 開始を告げる鐘が鳴り響き、それと同時に彼女の足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

 ある種の歯車を彷彿とさせるそれはとても複雑で、どことなく本社の宝物庫を守っていた魔法陣と似ていた。

 見た事もないような文字が重なり合って光を放ち、その全てがセフィロスと呼ばれる箱に吸い込まれていく――――――ハハハ……そんな乾いた笑いが私の口からこぼれ、そして彼女は新しい玩具を前に子供のようにはしゃいでいた。

 

 

――――――いやはや、それをなんと表現すればいいのか私にはわからない。

 どこかのアニメやライトノベルに出てくるような武器というか、少なくともこれを一言で表現するのは不可能だろう。

 最低限の急所を守るように彼女の体を包み込む金属と、その周りに浮かぶ独特な形をした飛翔体、左右に浮かぶ超電磁砲(レールガン)も含めて正にオーバーテクノロジーである。

 

 

 ふむ、サムおじさんがパワードスーツの開発に力を入れていたらしいが、彼女をその国に紹介したら研究者たちは卒倒するだろう。

 あれがどういう原理で動いているのかはわからないが、少なくともその技術は私のいた世界よりも明らかに進んでいた。

 もしもこの技術がお昼のワイドショーで紹介されていたら、それこそ画面越しに拍手でも送っていただろう。

 

 

 それほどまでに素晴らしいと言うか、なんとも鬱陶しそうな代物である。

 まさか機械工学という概念がこの世界にも存在したとは、彼女の右胸に埋め込まれた赤い宝石を見ながら私は思ったよ。

 

 

 

「なんと言うか……出来の悪いロボットアニメでも見ているようだな」

 

 

 そして彼女の両目が同じように赤く染まったかと思えば、その宝石に向かって無数の回路が伸びていく。

 おそらくあの宝石が車でいうところのエンジンであり、溢れ出す魔力はそれを動かすガソリンなのだろう。

 それは周りに浮かぶ飛翔体にも言える事で、どうやら全ての飛翔体に同じものが埋め込まれているようだ。

 

 

 取りあえず私は彼女の出方を伺おうと刀を抜き、そのまま大きく踏み出して距離を詰めた。

 狙いは彼女の急所を守っているあの金属、あれがどれほど固いのかが気になったからね。

 一応最悪の事も考えてある程度手加減はしたが、それでも彼女の動きは私の予想を超えていた。

 

 

 大方周りの飛翔物を使って反撃するか、あるいは魔術壁を使うと私は考えていたがね。

 彼女が私よりも早く動けるようには見えないし、それこそヒーロー君並の剣術を使えるとも思えない。

 だからこそ突然巻き起こった突風と眩い光、そしてなんの感触もないまま空を切った一撃に困惑してしまう。

 

 

 

「協会のジジイ共は大っ嫌いじゃが、今回ばかりは感謝した方が良いかもしれぬの。

 それこそ御主の事を事前に聞いておらねば今の一撃、そしてこれからの戦いにも支障が出たかもしれん。

 さすがはヴェリデリッド家の嫡子を圧倒し、更にはあれだけの惨状を作り出した異常者じゃ……しかし悲しいかな、こうなっては魔法の使えぬ御主に勝機はないの」

 

 

 その言葉は頭上から無数の光と共に降り注ぎ、数秒後には眩い閃光と共に轟音が響き渡る。

 私の足は無意識の内に動いていたが、もしもあの場にいたらどうなっていたか――――――目の前の光柱(ライトピラー)を見ながら苦笑いしたよ。

 これほどの魔力は初めて見るというか、明らかに学生の領分を超えているだろう。

 

 

 天才だったからMADになったのか、それともMADだからこそ天才なのかはわからない。

 しかし無数の飛翔体に囲まれながら空を飛んでいる幼女、メディア=ブラヴァツキーを見上げながら私は思う。

 これは今までの戦いとは比べものにならないというか、あまりにも相性が悪くてため息すら出て来ない。

 

 

 その証拠に間髪入れずに二つのレールガンが光を放ち、まるで生き物のように私を追尾してくる。

 私は地を這う蛇のように動き回りながら機会を伺うが、飛び回っている彼女に反撃する手立てがなかった。

 やっと休憩することが出来たのはそれから数分後、レールガンの攻撃が止んで剣の形をした飛翔体が飛んできた時でね。

 

 

 

「魔法が使えない?ハハハ、そんな事を言われたのは生まれて初めてだよ。

 まさかそんな風に思われているとは、さすがの私も少しだけ不快というか――――――君がどうしてそう思ったのかは知らないが、そんな言葉で私の動揺を誘っても無駄だと思うがね」

 

 

 その飛翔体を刀で弾きながらレールガンの攻撃に備えていたが、どうやら二つ同時に攻撃する事は出来ないようでね。

 そもそもレールガンの攻撃が止まったのは熱くなった筒身の、その熱を逃がす必要があったからだろう。

 レールガンの攻撃は避けるほかに手立てはなかったが、こう言った物理攻撃であればいくらでも対処できる。

 

 

 取りあえず飛翔体に埋め込まれた宝石を壊してみれば、それは糸の切れた人形のように虚しく転がった。

 一瞬の閃光と響き渡る金属音、私は飛んできたそれを全て破壊した上で彼女を見上げてね。

 まだ同じような飛翔体は無数にあったが、それでも当の本人は私の動きに驚いているようだった。

 

 

 ただ、さすがにこの高低差では彼女の言う通りどうしようもないというか……そもそも魔法が使えない事をなぜ彼女が知っているのだろう。

 あの言葉がただの時間稼ぎであったならいいのだが、そう言った駆け引きをしてくるようなタイプにも見えない。

 無論私はその言葉を否定したが、それに対して彼女は私を見下ろしながら言ったのさ。

 

 

 

旋律眼(サードアイ)、さすがの御主もこの程度の事は知っておるじゃろう。

 他人の魔力をなにかしらの色として知覚出来る能力……いや、病名と言った方が正しいか。

 これのせいでわっちは協会のジジイ共に疎まれ、そして両親が死んでからはそれに拍車がかかった」

 

 

 サードアイ――――――確かに私はその言葉を知っていた……いや、調べたといった方が正しいかもしれない。

 なぜならサードアイとはギアススクロールを見破る唯一の能力であり、交わした契約を解除する事も出来るからだ。

 まさかこんなところで御目にかかるとは、サードアイとは一種の特異体質でありその希少性はかなり高い。

 

 

 なぜなら他人の魔力がなにかしらの色に見えて、その魔力量からよく使う魔法まで正確に見抜くことが出来る。

 そして彼女の言う通りサードアイを持つ者の多くは差別を受け、この国ではある種の障害者として扱われていた。……ただ、その理由がなんとも馬鹿らしいと言うか、要するに他人の力を正確に読み取る彼等が怖いそうでね。

 

 

 サードアイとは私の世界で言うところの共感覚に似たもので、日常生活を送るのに何等問題はない。

 むしろその能力はとても強力であり、こればかりは生まれもっての才能である。

 それこそどれだけ訓練しても身につける事は出来ないし、対人戦だけでなく魔物との戦いでも重宝されるだろう。

 

 

 しかし人間とは得てして自分とは違うものに対して、往々にしてよくわからない称号をつけたがるものだ。

 サードアイはその性質上本人の意思に関わらず色を認識し、そしてそれをある種の情報として脳に伝える。

 つまり無断で相手の能力を覗き見ているわけで、彼等を差別している人間はそれを嫌がっているのさ。

 

 

 ほら、たとえば魔術師協会の御偉いさんが能無しだったとしよう。

 普通の人間には相手の魔力量を正確に読み取る事は出来ないし、その人が得意としている魔法だってわからない。

 だからこそ能無しであっても上に立てるわけで、世渡り上手の人間は権力(コネ)を使ってその地位に座るだろう。

 

 

 しかし彼女のような人間が組織内にいては、その実力を一瞬で見抜かれてしまう。

 金や権力で地位を手に入れた人間からすればこれほど厄介な事はないし、なにより自分の存在意義すらも疑われてしまうからね。

 魔術師協会の幹部が一介の生徒よりも魔力量が少なく、更には使える魔法まで劣っているとなれば……ふむ、その後の事は言うまでもないだろう。

 

 

 だからこそ彼等はよくわからない権利を主張して、その立場を守る為に彼女のような人間を迫害している。

 私には目の前の幼女がどんな生活を送っていたのかはわからないが、少なくともあまり楽しくはなかっただろう。

 サードアイを持つ者の両親が不祥事を起こせばどうなるか、そんな事は彼女の顔を見ていればなんとなくわかる。

 

 

 

「サードアイに関しては私も知っているが、確か能力の代償として右目が紫色になるはず――――――」

 

 

「ふん、その程度の事は魔法でどうとでもなるわ。

 サードアイの者が最初に教えられる魔法がそれ、要するに瞳の色を変えるものじゃからな。

 わっちの言葉が正しいかどうかは御主が一番わかっておる筈、もっともその魔力量を見る限り否定したくなるのもわかるがの」

 

 

 彼女の言葉を信じるならば先程の発言、魔法が使えない事を見抜いたのも納得できる。

 それにしてもまさかこんなところで出会うとは、彼女の発言によって不本意ながら私の体質が知られてしまった。

 これにはさすがの私も困ったというか、近くにあった飛翔体を思わず切り刻んでね。

 

 

 しかし視点さえ変えればこれはチャンスであり、やり方次第でいくらでも覆すことが出来るだろう

 私は持っていた刀を投げる事で彼女の周りに浮いているそれを貫き、まずはその下準備から始める。

 さすがに動き回るそれに当てるのは難しかったが、これといってやれる事もなかったのでそれを繰り返してね。

 

 

 降り注ぐそれはひとつの例外もなく切り刻み、そして彼女の攻撃が止まれば刀を投げて破壊する。

 もしもの事も考えて彼女自身を狙う事は出来ないが、その代り周りに浮いているそれを破壊させてもらう。

 これにはさすがの彼女も予想外だったのか、次々と破壊されていくそれに焦っていたよ。

 

 

 一応彼女の方も私のやろうとしている事に気づいたらしく、一生懸命飛び回っていたがやはり優先順位というものはある。

 周りの飛翔体よりも二つのレールガンを優先して守り、そしてそのレールガンよりも守るべきは自分の体である。

 私には彼女を狙うつもりなど初めからなかったが、彼女からすれば気が気ではないだろう。

 

 

 

「くっ、たかが銃剣(バヨネット)を破壊したくらいで調子に乗るとはの。

 しかしその程度の攻撃で勝つつもりなら御主には失望したぞ。このセフィロスは両親の研究を元にわっちが完成に導いた魔導兵器、悪いがバヨネットの補充などいくらでも出来る!」

 

 

 その言葉と共に彼女の雰囲気が変わり、バヨネットと呼ばれたそれがサークル状に回転している。

 このままでさすがに分が悪いと思ったのか、そのまま急降下してくる彼女を見ながら私は微笑んだ。

 まさか彼女の方から向かってくるなんて、私の間合いに飛び込んできた彼女にハグでもしてあげよう。

 

 

「短絡的な思考に判断能力の欠如、悪いがその代償は支払ってもらおう――――――」

 

 

「戯け、その程度の反撃は折り込み済みじゃ!」



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正義の味方と最悪の能力

 回転するバヨネットが光を反射して輝きを増し、独特の金属音と共に彼女が突っ込んでくる。

 私はそんな真っ白な塊を見上げながらその中心で揺れる閃光、全ての魔道具を操り制御している心臓に狙いを定めた。

 そして赤い光を放つ宝石に真っ黒な感情を向け、私の間合いに入ってきた瞬間右手を伸ばす。

 

 

 迫りくる調と突き立てられた刃、私の声は彼女の叫び声に遮られてしまう。

 そして私の一撃はその目的を達成する前に悲鳴をあげ、彼女の作り出した魔術壁によって無惨な姿となった。

 まさか魔術壁にこんな使い方があったとは、私を押しつぶそうとするそれと左右から迫るバヨネット――――――なるほど、私としたことがどうやら失敗したらしい。

 

 

 

「バヨネットによって私の動きを制限した上で、そこを上空からの一撃で押しつぶす。

 逃げようとすれば魔道具に切り刻まれ、その場にとどまれば魔術壁に押しつぶされる。

 なんともまあ……可愛い顔して中々えげつない事をするじゃないか、君のおかげで私の評価もだだ下がりだ」

 

 

「評価?御主がなにを言っておるかは知らぬが、あの技を受けてその程度で済んだのじゃから誇るがよい。

 むしろわっちからすればあの一瞬で状況を理解し、その上で折れた刀を使ってバヨネットを破壊した事に驚いたぞ」

 

 

 彼女が魔術壁を使う事は予想していたが、まさかあれほど分厚いとは思わなかった。

 しかもそれをあんな風に使うとはね。おかげさまで持っていた刀は真ん中辺りからその先がなく、脱出に手間取ったせいで頭部を強打してしまった。

 加えてバヨネットを破壊した際に左腕を貫かれ、もはや感覚どころかその痛みすらも曖昧である。

 

 

 私は自分の浅はかな行動に思わず舌打ちしたが、今更後悔したところで状況は変わらない。

 歩くたびに痛む頭部と左右に揺れる体、額から流れ落ちてきた滴が私の視界を赤く染める。

 私は私という人間をここまで追い詰めた彼女に微笑み、そして教皇様から与えられた能力を使う事に決めた。

 

 

 

「御主の動きとその判断能力は明らかに常軌を逸しておる。初めは私の防御壁を貫いて核を狙ったのじゃろうが、それも刀がたわんだ瞬間に諦めて早々に的を変えた。

 とても同世代の発想とは思えぬ。それこそ歴戦の冒険者と戦っているような感じ、あまり近づきたくはないタイプじゃの」

 

 

 私の雰囲気が変わった事に気づいたのか、目の前にいた幼女は慌てて距離を取ってね。

 先程よりも高く舞い上がった彼女を見上げながら、私は新しい武器を魔道具の中から取り出したのさ。

 そして右手に持っていた刀を投げ捨てると、それは悲鳴をあげながらゴミへと変わってね。

 

 

 そうして空を舞う糞ったれな白い鳥と、それを見上げながら地面を這う血だらけの蛇がそこにはいた。

 鳥はその翼を広げて蛇に狙いを定めると、その美しい羽を使って傷だらけの蛇を襲う。

 哀れな蛇は彼女が一定の距離まで下りてくるのをひたすら待ち、ただその攻撃を終わるのを耐え忍ぶしかなかった。

 

 

 全てはこの試合で著しく下がった評価を上げる為、幸せをもたらすという白い鳥を喰らう為である。

 そしてその時は遂にやってきた。哀れなアホウドリがレールガンを使う瞬間、私という的に照準を合わせようと近づいたのである。

 私はそんな彼女に刀を向けながら出来るだけ大袈裟に――――――対戦相手である彼女ではなくこの戦いを見ているだろう人間、そしてビスタルームにいるだろう各派閥の人間に対して言う。

 

 

 

「君がなにを勘違いしているのかは知らないが、私は魔法が使えないのではなく使うのが面倒なだけだ。

 私は君達のように魔法を使っての戦いがあまり得意ではなく、どちらかと言えば奉天学院の生徒と同じタイプだからね。

 彼等のように剣術や体術に重きをおき、その片手間に魔法を学んでいるに過ぎない。

 だから私の使う魔法は補助的なものが多いが、それでも複数の魔法を同時に発動すればこんな事も出来る」

 

 

 響き渡る声と彼女に向けられた切っ先、私の言葉に彼女は動揺していたがもう遅い。

 私の力はサードアイと同じ一種の特異体質であり、魔力を一切使わないとてもユニークな能力である。

 そもそも私には魔力というものがほとんどなく、彼女の言う通り初歩的な魔法すら使えない。

 

 

 しかしそれをここで認めてしまえばどうなるか、そんな事は今更言うまでもないだろう。

 教皇様から与えられた仕事は大きく後退し、生徒会長様も含めて多くの人間が失望する筈だ。

 それだけこの世界における魔法とは絶対的であり、それが使えないとなればある種の欠陥製品と同じである。

 

 

 そもそも少し前までサラリーマンだった私に魔力なんてものはないし、彼等のように炎や水を出したりすることも出来ない。

 だから先程の発言に関してもほとんどが嘘であり、全ては与えられたノルマを達成する為の下準備である。

 私には魔力というものがないので魔法は使えないが、それでも魔法のような魔法とは程遠い能力を持っている。

 

 

 

「ラース、それはおそらく貴様を召喚した際に起こった弊害だ。

 我々は貴様の召喚に際して無数の魂を繋ぎ合わせ、そしてお前という人間の肉体だけを作り出した。

 だからこそ貴様は常人とはかけ離れた身体能力、そして鋭い感性と洞察力を持ち合わせている。

 しかし今回の儀式で用意したのは肉体だけ、スロウスのように大勢の人間から魔力を抜き取ったわけではない。

 つまり魔法が使えないのは貴様自身の魂と、そして元いた世界に魔法という概念が存在しなかったからだ」

 

 

 私が自身の能力に気づいたのはこの世界にやってきてから、スロウスからこの世界に関する知識や戦う術を教わっている時だった。

 反吐が出るような世界で生き残る為、これまた反吐が出るような知識を覚える。

 戦う術は自身が生き残る為に必要であり、当時の私は誰よりも時間というものを欲していた。

 

 

 全てはあの時の失敗を繰り返さない為に、あの風に殺されるのはさすがにごめんだからね。

 そうやって一ヶ月が過ぎ、そして二ヶ月が過ぎたあたりで私はとある違和感に気づいた。

 それは私の体感速度と本来の時間がかみ合わなくなり、その感覚が日に日に増していったのである。

 

 

 初めはある種の疲れからくるものだと思っていたが、スロウスから体術を教わっている最中それは起こってね。

 その日はいつもの訓練に教皇様が顔をだしており、私は少しでも成果を見せようと張り切っていた。

 しかし所詮は数ヶ月で得た知識、私はスロウスの防御を突破できず苛立っていたのさ。

 

 

 それこそ時間が止まればいい――――――なんて、そんな馬鹿げたことを願う程に苛立っていた。

 すると私の攻撃を凌いでいた彼の動きが止まり、その全てがセピア色に染まって音も聞こえなくなってね。

 私も初めはスロウスがふざけていると思ったが、それも数秒後には動き出したので混乱してしまう。

 

 

 そして混乱する私を尻目に彼は拳を振るい、それを受け止めきれなかった私は醜態を晒してしまった。

 しかしその時の感覚を覚えていた私は同じ状況を作り出し、そしてその空間を制御しようと様々な手段を試してね。――――――そこから先は諸君らの御想像に任せるが、それから暫くして私は教皇様に全てを話した。

 

 

 

「貴様にはほとんど魔力がない。そして魔法とは魔力を用いて世界の法則を歪め、その上でなにかしらの結果を生み出すものだ。

 魔力によってその過程を強引に省略し、自分の望みを叶える事が魔法であり魔術だ。

 しかし貴様のそれは魔力を使わず過程を省略した。つまりこれは魔法ではなくある種の特異体質、おそらくは新しい概念の誕生とその成果だろう。

 喜べ、貴様は魔力も使わずに因果律を制御したのだからな。私が数人の大司教と共に多くの生贄を準備し、そうしてやっと辿り着ける第四魔法に貴様は到達した」

 

 

 

 時間対効率ここに極まれり、そうして私は教皇様からクロノスを渡され今に至る。

 第四魔法、それがなんなのかは知らないが私はそれを使えるらしい。

 しかも魔力を使わず生贄すらも必要としない。――――――それを発動する際に恥ずかしい呪文を唱える必要もなく、ただ私が願うだけで全てがセピア色に包まれる。

 

 

 たとえば代表戦での準決勝、エレーナ=アドルフィーネとの戦いでも私はその能力を使っていた。

 全てがセピア色に染まった世界の中で彼女に近づき、その頭部を殴打してからその空間を解除する。

 後は彼女が倒れる前に一撃を喰らわせれば終わり、出来るだけ派手に吹き飛ばせば完成である。

 

 

 個人的にはそこまで傷つけるつもりはなかったが、その辺りは加減がわからなかった為にやりすぎてしまった。

 生徒会長様が言うには両親が屋敷に連れて帰り、彼女の為に国中の名医を呼んで治療しているらしい。

 しかしそれでも回復の目途が立っていないそうで、なんとも気の毒な事をしたと思っている。

 

 

 

「取りあえず周りのそれを破壊して、その上で君には降りてきてもらおう。

 私はこう見えても優しい人間だから、君が抵抗さえしなければあっという間に終わる」

 

 

「ふん、遂に頭までおかしくなった……か――――――」

 

 

 私がそれを願えば世界は悪意によって染まり、その間は全ての生き物と物体が制止する。

 一度の発動で止められる時間は十秒ほどだが、それでも私に取ってその十秒は宝石よりも価値がある。

 私は持っていた魔道具から刀剣類を取り出し、そして全ての飛翔体を串刺しにする事から始めてね。

 

 

 後は彼女の背中から生えている翼のようなもの、それを持っていた刀で切り落として元の位置に戻る。

 もしも彼女がレールガンを使わず今まで通りの戦術、周りの飛翔体を使って攻撃してきたら打つ手はなかった。

 それこそレールガンを使う為に私へと近づいた事、そしてその瞳を信じて私を甘く見たのが敗因である。

 

 

 串刺しにされた飛翔体の横で固まる彼女、こうして幸せを呼ぶ白い鳥はその翼を失ってね。

 そして私は先程と同じように刀を彼女に向けて、そのまま世界が動き出す瞬間を心待ちにしていた。

 ああ……彼女の表情がどんな風に歪むのか楽しみだよ。この試合を眺めている各派閥の人間も含めて、これで先程の失点も少しは取り戻せるだろう。

 

 

 

「か――――――なっ!?」

 

 

 小さな光が弾けたかと思えば鉄くずが降り注ぎ、そんな中でそのアホウドリは一際大きな声で鳴いていた。

 あの世界を知っている私はともかくとして、その瞬間を見ていた人間はどんな風に思っただろう。

 突然切り落とされた翼と串刺しとなった飛翔体、先程から私を攻撃する時に使っていたバヨネットも全て破壊した。

 

 

 これを見れば私が魔法を使えないなどと、そんな風に思う人間は一人もいなくなる。

 未知の魔法を使う得体の知れない生徒……ふむ、これ以上ないというくらい面白そうじゃないか。

 私がどんな魔法を使ったのかは知らないが、それでもこれ以上ないというくらい最高の見世物だ。

 

 

 

「さて、これで私が君を見下ろす側になったな。

 ただそんな風に見つめられても困るというか、出来ればもう少し落ち着いて話したいのだがね」

 

 

 突然のことに墜ちてきたアホウドリは混乱しているようだったが、その表情は私の期待していたものより遥かに面白かった。

 これならばこれから私のやろうとしている事について、彼女からある程度の理解は得られそうだ。

 無数のガラクタが支配する空間の中で膝をついて見上げる彼女、メディア=ブラヴァツキーはどこか御姫様と似ていてね。

 

 

 そして私はそんな彼女に近づいて言ったのさ。それはセフィロスという魔道具のポテンシャルを知った時から、そして先程の攻撃と機動力を見た瞬間に思ったのだ。

 ここでその言葉を口にすればどうなるか、そんなのは火を見るよりも明らかである。

 しかしそれでも私は敢えて口にする事で彼女の、その難しい立場を更に悪化させて追い詰めるとしよう。

 

 

 

「これはちょっとした提案なのだが、ラッペランタなんか辞めて私の出資でその研究を続けるのはどうだろうか。

 もしも君が私の申し出を受け入れてくれるなら、それこそ今とは比べものにならない程の資金と報酬を用意しよう。

 突然の申し出に君が困惑するのもわかるが、私にあの魔法を使わせたその魔道具はそれだけの価値がある」



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正義の味方と楽しい交渉

 おそらく魔術師協会の中でも彼女は異端というか、彼女の両親が引き起こした黒い夜とかいう事件、そして彼女自身の特異体質がその原因だろう。

 そうでなければこれほどの魔道具を発明した彼女を冷遇し、更にはこんな結界を張ったりはしない。

 それに彼女の言葉からはある種のコンプレックスを感じるというか、この手のタイプはサラリーマン時代に何度も見てきた。

 

 

 上司や取引先に睨まれて窓際に追いやられた人間、どんなに有能であっても活躍できなければただの置物だ。

 そしてそんな彼女を私は唆しているわけだが、たとえ断ったとしてもこの試合を見ている協会の人間はどう感じるか……ふむ、それこそが私の狙いであり交渉する時のコツである。

 

 

 なぜなら王党派の人間にこんな提案を持ち掛けられた時点で、たとえ断ったとしても彼女は協会から批難される。

 おそらく彼女を嫌っている人間がよくわからない形式を踏んで、その上で目の前の幼女に首輪を付けるだろう。

 そうなれば彼女の立場はより一層悪くなり、どんなに頑張っても魔術師協会(ラッペンランタ)にいる限り状況は変わらない。

 

 

 一応私は彼女の事を評価しているつもりだ。私をここまで追い詰めたのは彼女が初めてであり、あの魔道具にしてもかなりのものである。

 私の言葉に対する彼女の返答は痛烈なものだったが、それにしたって当然の反応と言わざるを得ない。

 彼女の背後を埋め尽くす魔法陣と放たれる光、それは魔弾と呼ばれる圧縮された魔力の塊。

 

 

 

「君ほどの人間ならわかっていると思うが、このままラッペンランタにとどまっても未来はない。

 これほどの魔道具を作った君を冷遇し、更にはこんな鳥かごを用意した時点で明白だろう。

 おそらくは君の魔道具が暴走する事を彼等は望み、そして自分達にはその被害が及ばないよう結界を張ったのだ」

 

 

 仮に彼女の魔道具が暴走したとしても死ぬのは私達であり、魔術師協会はそれすらも踏まえた上でセフィロスの使用を許可した。

 最悪の場合全ての罪を彼女にきせればいいし、それでも駄目なら真っ白な紙に綺麗な言葉でも綴ればいい。

 彼女が勝てば優勝争いから脱落せずにすみ、魔道具が暴走すれば邪魔な小娘を排除できる。

 

 

 協会の人間はあの魔道具を見てこう考えた筈だ。セフィロスさえ暴走しなければ残りの試合に全て勝ち、その上でもう一度奉天学院と優勝争いが出来る。

 どうして最初の試合で使わなかったのかはわからないが、大方準備が間に合わず一部の人間がそれに反発したのだろう。

 もしも国王様がその暴走に巻き込まれでもしたら、それこそ魔術師協会だって言い逃れは出来ない。

 

 

 しかしこの結界が用意出来た時点でそれを考慮する必要がなくなり、もはやセフィロスの使用を止める必要がなくなったのである。

 彼女と戦っている私だからこそわかるが、あの魔道具は明らかに学生の領分を超えている。

 私でさえもこれほど苦戦しているのだから、おそらくセシルや御姫様では相手にならないだろう。

 

 

 それこそ私にあの力を使わせた時点で異常というか、彼女の性格はともかくとしてその頭脳は貴重である。

 仮にあの魔道具が量産出来たらどうなるか――――――ふむ、私の計画は大幅に進展するだろう。

 組織(カテドラル)を大きくするために必要なのは人材と物資、人材に関しては問題ないが物資に関しては当てがなかった。

 

 

 しかし目の前の幼女を仲間に引き入れ、その上であのセフィロスを量産すればその問題も解決である。

 どんな間抜けもあれさえ使えばある程度のお使いは出来るし、なにより彼女という人間は今の内に囲っておくべきだ。

 なぜならヒーロー君とは違って敵に回られると厄介というか、彼女の頭脳をこのまま腐らせるのはあまりにも惜しい。

 

 

 

「御主の言いたい事はわかる。……ああ、わっちとてそれくらいわかっておるさ。

 しかし御主にわっちが望むだけの設備や資金、それにこの国の一角を担う協会と対立するだけの力があるとも思えぬ。

 わっちの望みは家名の復興と名誉の回復、黒い夜などという不名誉な事件を清算する事じゃ。

 そうでなければ犠牲となった数万の領民たち、そしてわっち等一族を信じていた国王様に顔向けできぬ」

 

 

 彼女の言葉はおおむね予想通りだったが、私に言わせればそんなのはただの自己満足である。

 こう言った人間の多くはある種の感情を抱いており、機会さえあればいくらでも唆す事が出来る。

 彼女の言い分をわかりやすく説明すると、私には協会と対立するだけの力や資金があるようにはみえない。そして、彼女の望みである家名の復興や名誉の回復、つまりは黒い夜とかいう事件の真相を調べるのに私では力不足だ――――――と、つまりはこういう事である。

 

 

 しかし裏を返せばその条件さえ満たせば可能性はあり、現状に不満を抱いているからこそ彼女は言ったのだ。

 魔術師協会にいても彼女の目的は果たせないだろうが、それでも全く望みがないというわけでもない。

 

 

 今の私は少しばかり強いただの平民であり、彼女の目的を叶えるのに必要なのは権力と金だからね。

 ここにいたのが私ではなく御姫様であったなら、おそらくは彼女の答えも違っていただろう。

 しかし私だってなんの勝算もなくあんな提案をしたわけでもないし、ある程度の折り合いというかその算段はついていた。

 

 

 原罪司教である私はそこら辺の貴族よりも力があり、人魔教団は魔術師協会よりも遥かに優れている。

 彼女の要望くらいならいくらでも応えることが出来るし、なによりその結果次第では教皇様に掛け合ってもいい。

 ただ、こんなところで私の素性を教えるわけにもいかないので、ここは王家の威光とやらでも借りて説得するしかないだろう。

 

 

 私が右手嵌めている指輪は一種の魔道具であり、この中には様々な武器が収納されている。

 そしてこの中にある武器のほとんどが会社から支給されたもの、私の敬愛する上司が用意してくれたものでね。

 そのほとんどが一級品の剣や刀といったものであり、中には少しばかり面白いものも混じっている。

 

 

「まだわっちは負けておらんし、なによりセフィロスの翼を切り落としたくらいで勝った気になるな。

 わっちは勝たねばならん。勝って……そして国王様に謁見を果たして全てを伝えるのじゃ。

 もう一度あの事件を調べ直してほしいと――――――じゃからコスモディア学園の大将、御主にわっち等一族の悲願は邪魔させぬぞ!」

 

 

 その言葉と共に足元に小さな魔法陣が現れ、彼女はそこから飛び出した光に包まれる。

 私は右手に持っていた刀を指輪に収納し、その上でとある剣を出したところでそれに気づいた。

 その光が魔力の塊でありそれを右胸の宝石が吸収していること、そして切り落とした筈の翼が修復されている事にね。

 

 

 まさかこんな事まで出来るとは、翼の修復に時間はかかっているものの驚きである。

 おそらくは魔力を与える事で壊れた部分を修復し、更には失ったパーツすらも復元しているのだ。

 これにはさすがの私も苦笑いというか、ますます彼女という人間が欲しくなったのは言うまでもない。

 

 

 翼を直そうと少しでも時間を稼ごうとする彼女、降り注ぐ魔弾はとても鬱陶しかったけどね。

 私が飛んでくるそれを弾いて距離を詰めれば、彼女は魔術壁を展開してそれを防ごうとする。

 その一生懸命な姿は少し気の毒だったが、このまま放置してそれを修復されても困るからね。

 

 

 私の能力は一日にそう何度も使えるものではないし、なにより体への負担がとても大きいのが特徴だ。

 ある程度の時間さえおけば問題ないが、それを無視するとそれなりのペナルティが発生する。

 だからこそここは立体的な攻撃で彼女を牽制し、その上でもう少し具体的な御話をしよう。

 

 

 展開される魔術壁を避けながら魔弾を切り裂き、そのまま私は目の前にいる幼女との距離を詰めた。

 彼女が魔術師としても優れているのはわかるが、この場合は相手が悪いとしか言いようがない。

 セフィロスさえなければ所詮は学生であり、魔法が使えない私だからこそ飛び回る彼女に手間取ったのである。

 

 

 しかしこうして地上に降り立った今、彼女の攻撃はそれほど脅威でもなかった。

 この手の戦いはあの闘技場で嫌という程行ったし、なによりあの時は文字通り命がけだったからね。

 こんなお遊びで後れを取るようでは原罪司教などと、そんな風に呼ばれて多くの人間に恐れられてはいない。

 

 

 

「申し訳ないが翼を失った時点で君の負け、この程度の攻撃では時間稼ぎにもならんよ」

 

 

「なっ……!?」

 

 

 翼の修復が終わる寸前、私はその一瞬の隙を衝いてその障害物を突破した。

 魔弾を切り裂き魔術壁を掻い潜りながら肉薄し、そしてもう一度翼を切り落としてその肩を貫く。

 彼女の右肩に剣を突き立てたまま走り、私はリングを包む結界の端まで一気に駆けた。

 

 

 そして彼女の肩を貫いたまま剣を結界に突き刺し、聞こえてきた悲鳴と共にゆっくりと顔を上げてね。

 深々と突き刺さった剣は彼女にはどうすることもできず、この距離では魔法を使う事すら出来ないだろう。

 もはや誰のものかもわからない血を拭いながら、私は結界に縫いつけられた彼女に微笑んだよ。

 

 

 

「さて、これでゆっくりとお話が出来る」

 

 

 真っ赤な液体が刀身を伝って流れ落ち、目の前の幼女は必死にその痛みと戦っていた。

 剣を引き抜こうと暴れる姿は酷く滑稽で、代表戦で戦ったヒーロー君の召喚獣(ペット)を彷彿とさせる。

 その細い腕ではどう足掻いたって無理だろうが、それでも私は彼女が諦めるまでそれを眺めていた。

 

 

 磔というには些か御粗末な代物だが、生憎とローマ産の釘は持ち合わせていないからね。

 それに彼女を磔にすることが私の目的ではなく、これはちょっとした自己紹介も兼ねた交渉なのである。

 だからこそ私は未だ諦めていない彼女の首を掴み、そのまま耳元へと口を寄せてどす黒い言葉を吐いた。

 

 

 

「確かに私一人では協会に太刀打ちなど出来ぬが、こう見えても御姫様とは親しい間柄でね。

 彼女に戦い方を教えたのも私だし、なによりその御礼としてこの剣を戴いた。

 君がなにを心配しているかは知らないが、私に言わせれば今の君は死人と同じだ」

 

 

 私の言葉に彼女はもう一度左手を伸ばすと、その刀身に刻まれている紋章にやっと気づいてね。

 赤く染まったそれは御姫様の大剣と違って小さくなんの装飾もなかったが、それでもその部分に触れて彼女の表情が変わった。

 それはある種の希望というか願望に近かったと思う。少し考えれば私の発言と行動が伴っていない事、それに気づけそうなものだが今の彼女には難しいだろう。

 

 

 この戦いで彼女は大量の魔力を消費し、尚且つこれほどの血を一度に失った。

 その顔色は御世辞にも良いものとはいえず、そんな彼女に冷静な判断を求める方が酷である。

 私は一端距離を取ると少しだけ時間を与え、彼女がどんな風に謳うのか無言で見つめてね。

 

 

 

「もし……も、もしもわっちが断ったらどうなる?全てを知った上でそれでもわっちが拒絶したら、その時はわっちを殺すのかえ?」

 

 

「殺す?これはまた、さすがの私もそこまでするつもりはないさ。

 ただ君の頭脳とその魔道具は脅威だ……だから君の体からセフィロスを引きはがして、その上でもう少しこの試合を続けようと思う」

 

 

 私はそう言って彼女の肩に突き刺さっているそれ、王家の紋章が刻まれた剣を一気に引き抜いた。

 飛び散る鮮血と苦痛の歪む表情、悲鳴をあげなかったのは彼女なりの抵抗だろう。

 そして真っ赤に染まったそれを何度か振るい、私は跪く彼女へとその悪意を向けたのである。

 

 

 ここで私の提案を断ればどうなるか、それくらいの事は彼女だってわかっている筈だ。

 しかし右肩を抑えながら見上げる姿はどこか儚く、そしてその答えを躊躇(ためら)っているようにも見えた。

 目の前の男を本当に信じていいのか、あまりにも出来過ぎてはいないか……なんて、おそらくはそんなところだろう。

 

 

 

「さて、そろそろ返答を聞かせてもらおうか。

 君が降参してくれるなら私が全てを保証しよう。君の生活から研究に必要な材料や設備、そして君の邪魔をする全ての人間から守ってやる。

 私はそれを君に強制しないし、なにより魔術師協会の老害どもと違って評価もしよう」

 

 

 差し出された手はどんなものよりも冷たく、それでいてとても魅力的だっただろう。

 この機会を逃せば彼女を待っているものは絶望であり、怪しいとわかっていてもすがるしかない。

 ここでその言葉を宣言すれば明らかな裏切り、もはや魔術師協会(ラッペランタ)に戻る事は出来ないからね

 

 

「わ……わっちは――――――」

 

 

 そして四城戦第二試合、ラッペンランタ魔導学園との大将戦はこうして終わったのである。

 私は有能な人間と面白そうな玩具を手に入れ、目の前の幼女はそれを宣言したと同時に気を失った。

 家名の復興と事件の真相を探る小娘メディア=ブラヴァツキー、君がこれから先どんな風に踊ってくれるのか楽しみである。



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正義の味方と正義の敵

 たとえば特定の誰かを殺さなければならないとして、諸君はその人間が自分よりも優れていたらどうする?無論、日本という法治国家ではなくこの世界を基準として考えてほしい。

 王都の一等地に大きな屋敷を持つ男、二人のメイドと暮らしている変な学生だ。

 彼は同世代とは思えないような力を持ち、その思想は血生臭い事で有名でね。

 

 

 正面から挑んでも勝てる可能性はほとんどなく、だかと言って仲間を集めても望みは薄い。

 そんな人間を殺そうと思ったらどうすればいいか……ふむ、私に言わせればそんな方法はいくらでもある。

 それこそ出来の悪いライトノベルにありがちな展開、メイドの家族を攫うか買収して仲間に引き込めばいい。

 

 

 個人的には屋敷に爆弾でも仕掛けて、その上で二人のメイドと一緒に爆殺するのが王道だ。

 もっとお手軽で簡単なのは彼の食事に毒を盛る事だが、これに関してはリスクが大きいのでお勧めしない。

 そして一番効率がいいのはメイドを魔法によって洗脳し、その体に呪いを植えつけて解放すること――――――これに関しては成功の可能性が高くコストパフォーマンスもいい。

 

 

 最悪殺す事は出来なくてもただでは済まないし、なにより彼という人間も怪我の治療に専念する筈だ。

 後は運び込まれた病院ごと爆破するか、あるいは病院食に毒でも混ぜれば完璧である。

 しかし諸君等も知っての通り私は臆病な人間なので、まずは彼という人間を調べてから行動するだろう。

 

 

 何事も順序と言うものが大事であり、ある程度の保険をかけてから殺すべきだ。

 たとえば彼の屋敷で働いている二人のメイド、そのどちらかを攫って必要な情報を引き出す。

 ではどちらのメイドを攫えば良いのか……ふむ、そんな事は今更言うまでもないだろう。

 

 

 それはいつも楽しそうに笑っている女の子、彼女は同じ馬車に乗って同じ道を通り、これまた同じ学園へと向かってくれる。

 言うなれば……そう、誰よりも一生懸命な防犯装置――――――では、ここから先は諸君らの想像に任せるとして、今日も私はそんな彼女と共に素敵な朝を迎えよう。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「へぇ、私を無視してよそ見するなんて良い度胸じゃない」

 

 

 長かった四城戦も最後の一試合となり、一番の強敵である奉天学院との試合が間近に迫っていた。

 彼等は先日の試合でグランゼコールに勝利し、そして私達も彼等と同様にラッペランタを下している。

 つまり彼等との試合が文字通りの決勝戦であり、その試合が終われば生徒会長様との契約も終了である。

 

 

 

「さすがは御姫様、今の攻撃を躱すとは思いませんでしたよ」

 

 

「そんな風に言われても全然嬉しくないけど、一応褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 

 私は刀を振るいながら苦笑いし、彼女の提案で始まったこのやり取りにため息を溢す。

 御姫様の不機嫌そうな声と迫りくる大剣、奉天学院との試合も近いので私は訓練内容を変えていた。

 今までと同じように魔法の使用は禁じていたが、それ以外に関しては実践と何等変わらない。

 

 

 私が彼女達の実力に合わせて剣を振るうので、その攻撃を躱しながらどれだけ戦えるかを試す。

 要するに一秒でも長く持ちこたえること、それが今やっている事であり最後の訓練でもあった。

 始めた当初はさすがの生徒会長様も辛そうだったが、今では御姫様ですら御喋りが出来るほど余裕がある。

 

 

 ちなみに私と御姫様の関係はかなり進展したのだが、それでも相変わらず彼女の悪態は治らなかった。

 いやはや、まさかこの私がこんな小娘に頭を痛めるとは、それこそスロウス辺りに知られたらいい笑いものである。

 だがそんな御姫様の態度にももう慣れたので、私は一通りの訓練を終えたところで彼女に代わってセシルを呼んだ。

 

 

 

「ねぇ、悪いんだけどこの後少しだけ付き合ってほしいの」

 

 

 しかしその瞬間、汗だくの彼女が私達の間に割って入り、そのせいでセシルはどうしたらいいかわからず慌てていた。

 そして御姫様の言葉に動揺したのは私も同じで、彼女がそんな言葉を口にするとは思わなかった。

 怪訝な顔をする私に彼女は頬を染めていたが、私に言わせればその反応はただただ不気味だ。

 

 

 未だかつてこれ程嬉しくない言葉は初めてというか、彼女に誘われた時点で嫌な予感しかしない。

 それこそこのまま二人仲良くティータイムなんて、そんな妄想をするほど私はユニークな人間ではないからね。

 御姫様の言葉にセシルの方は私以上に動揺していたが、その尻尾がパンパンに張っていたのはなぜだろうか。

 

 

 

「へぇ……一応聞いておきたいんだけど、どうしてターニャちゃんはヨハン君を―――――」

 

 

「ばっ……馬鹿言わないでよ!

 一応シュトゥルトさんの許可も貰ってるし、なによりセシルさんが考えているような事じゃないから!

 それに彼と話したがってるのは私じゃないし……って、なにやってんのよあんたは!」

 

 

 御姫様の言葉を聞いてなんとなくわかったと言うか、彼女を気絶させようと放った一撃が避けられてね。

 その攻撃に御姫様は怒っていたが、正直なところ彼女の自己満足に付き合う気はない。

 私の予想が当たっているのかは知らないが、その口振りから察するにおそらくあの男が関わっている。

 

 

 

「待って、本当にちょっとだけでいいのよ!」

 

 

 だからこそその場から立ち去ろうとしたのだが、その瞬間御姫様に右手を掴まれてね。

 私を掴むその手は微かに震えており、彼女の瞳もいつものそれとは少し違っていた。

 これにはさすがの私も困り果てたと言うか、御姫様の手を強引に振り払っても後々面倒だからね。

 

 

 そもそも明日になれば今日と同じように顔を合わせるわけで、その時はきっと今と同じことを言うだろう。

 この手を振り払ったところで素直に諦めるとも思えないし、なんともめんどくさい状況に追い込まれてしまった。

 相変わらず御姫様の手は震えていたが、その瞳がどこか脅えているように見えたので私は首を傾げた。

 

 

 

「そんな怖い顔をしなくてもいいではありませんか、別にターニャさんは貴方をどうこうするつもりはありません。

 それは貴方を待っているだろう人にしても同じで、ここは少しだけ彼女の顔を立ててあげませんか」

 

 

 おそらくは自分でも気づかぬ内に殺気を放ち、そのせいで御姫様が脅えていたのだろう。

 私は生徒会長様の言葉に大きなため息を吐き、そして目の前で震えている御姫様に言ったのさ。

 ここで彼女の手を振り払っても意味はなく、生徒会長様もこの一件に絡んでいるならしょうがない。

 

 

 ここまでくれば私と話したがっている人間、その人物が誰かなんて今更言うまでもないだろう。

 それこそあの男となにを話せばいいのかはわからないが、ここは生徒会長様に従って彼女の顔を立ててあげよう。

 一応御姫様の話ではすでに生徒会室でその男は待っているらしく、それを聞いた無意識の内に私の顔が歪んだ。

 

 

「全く、少しは私のことも考えてほしいのだがな。それに……その、なんだ。いつまでこうしているつもりだ」

 

 

「うっさい!私はあんたが逃げないように監視してるだけよ!」

 

 

 こうして私は御姫様と仲良く手を繋ぎながら生徒会室まで、それこそ大勢の生徒に見られながら向かう事となった。

 そのせいというわけではないが、私達の姿を見た数人の女生徒が顔を赤くしながら隠れたので、私は誤解される前にこの手を離すよう忠告したのだがね。

 しかし御姫様の方は感情的になっているのか、いくら説得してもその手を離そうとはしなかった。

 

 

 個人的にはこれ以上の厄介事はごめんなのだが、こうなっては素直に従った方が被害は少ない。

 そして私達は見慣れた廊下を通って見慣れた階段を上がり、これまた見慣れた部屋の前で止まったのさ。

 私の方はこれといってなんともなかったが、御姫様の方は明らかに緊張しているようでね。

 

 

 

「じゃ……じゃあ、準備は良いわね?」

 

 

 なんの準備が必要なのか是非とも教えてほしいのだが、それを彼女に聞くのは些か可哀想である。

 そしてゆっくりと開かれたその先にいたのは―――――まあ、案の定というか外れてほしかったというか、取りあえずは顔見知りだったとだけ言っておこう。

 突然斬りかかってくることはないと思うが、もしもの時はその首を刎ねてベランダにでも飾ろう。

 

 

 

「久しぶりだねターニャ、それに……ヨハン君と会うのも久しぶりだと思う。

 君とこうやって話すのは代表戦以来かな。突然のことで混乱しているのはわかるけど、僕がシュトゥルトさんやターニャに頼んで君を呼んでもらったんだ」

 

 

 類人猿が上等な服と言葉で着飾ったような人間、懐かしのバーバリアンが私の前に立っている。

 その表情は初めて彼と出会った闘技場を彷彿とさせ、それに対して私は出来るだけ自然体を装った。

 彼の瞳は概ね予想通りというか、とても話し合いに来たような感じではなかったからね。

 

 

 ちなみにそれが関係しているのかはわからないが、彼が口を開いた瞬間生徒会室の空気が一気に重くなった。

 そしてうるさいくらいの静けさに包まれたかと思うと、突然私の横から大きな影が飛び出してきてね。

 それと同時に乾いた音が生徒会室に響き渡り、私は目の前の光景に言葉を失ってしまった。

 

 

「はい、そんな怖い顔しないでやり直し!

 私達はあんたと喧嘩させる為に彼を呼んだんじゃないし、そもそもこいつと話したいって言いだしたのは他ならぬアルフォンスでしょ!

 そんな風に睨んでてもなにも始まらない。それにあんたも男なら自分の言った事は曲げず、一人の男として責任もって彼と話しなさいよね」

 

 

 全く、彼女の行動力には驚かされるというか、時々この国の御姫様だという事を忘れそうになる。

 振りぬかれた右手と赤く染まった頬、あのバーバリアンが借りてきた猫のようになっている。

 ただ……その、御姫様の堂々とした声は様になっていたが、その足が震えていたので思わず吹き出してしまった。

 

 

 これに関しては私の方が一方的に悪いのだが、その笑い声に彼女は踵を返してね。

 やはり成長したと言っても所詮は子供、こればかりは才能というよりもただの経験不足である。

 恥ずかしいなら黙っていればいいものを、御姫様の顔は赤く染まりその瞳には涙が溜まっていた。

 

 

 

「それもそうか……うん、確かにターニャの言う通りだよ。―――――ヨハン君、僕は君にありがとうと言いたかったんだ。

 僕の謹慎を解除するよう学園に掛け合ってくれたこと、そして悩んでいたターニャを励ましてくれてありがとう」

 

 

「ちょ……なに言ってんのよあんた!」

 

 

 その言葉に私は反応する事が出来ず、先程までうつむいていた御姫様が彼の胸ぐらを掴んだ。

 困ったように笑う彼と顔を真っ赤にしながら怒る彼女、そんな光景を私は他人事のようにとらえていた。

 なんと言うか……私の濁りきった瞳に映るのはある種の茶番劇、くだらない慣れ合いと賞味期限切れのチョコを混ぜ合わせたような光景でね。

 

 

「いいじゃないか、君だってこの間の手紙で彼の事を―――――」

 

 

「馬鹿!捨てなさい、今すぐそんなものは捨てなさい!」

 

 

 ありがとう……か。ふむ、これほど心に響かない言葉も久しぶりである。

 それこそ賄賂を受け取った政治家の記者会見と同じか、あるいはW不倫した芸能人の言い訳くらいどうでもいい。

 私は彼女達のやりとりを見ながら全く別の事を考え、そして目の前の光景を見ながらため息を吐いた。

 

 

 

「私は君の事があまり好きではないし、君にしても私と同じだと思っていた。

 感謝される筋合いはないと言うのが私の本音であり、それを恩着せがましく誇張するつもりもない」

 

 

 そのため息が誰に対してのものだったか、そんなのは私にもわからないしこの際どうでもいい。

 ただ私はこの男がなにを考えているのか、その答えが知りたくて思わず聞いてしまった。

 目の前のバーバリアンがどうしてそんな言葉を口にしたのか、彼のペットを傷つけその考え方すらも否定した私にね。

 

 

「だから一つだけ教えて欲しいのだ。どうして君が感謝しているのか、君を追い詰めた筈の私に頭を下げる理由だ」



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正義の味方と突然の来客

「理由?まさかそんな事を聞かれるとは思わなかった。

 一応言っておくけど僕はなんの後悔もしていない。君の方は面白くなかっただろうけど、あんな試合を続けさせるわけにはいかなかった。

 あの試合は誰が見ても明らかだったし、なによりターニャ自身も戦える状態じゃなかった」

 

 

 彼の言葉は相変わらず気持ち悪いと言うか、ここまで無色透明な人間は私も初めてだった。

 おそらくは事前にその口を芳香剤でうがいして、その後にトイレ用洗剤でも飲んだのだろう。

 清々しいミントの香りはその本音を隠す為か、それともなにかしらの思惑があるのかはわからない。

 

 

 

「だから僕は止めた……いや、止めなければならないと思った。

 たとえ学園側の恨みを買おうとも、あれ以上ターニャの傷づく姿を見たくはなかった。

 こんな事を言うのも変だけど、試合を台無しにされた君が怒るのもわかるし学園側の処分も当然だと思う。

 僕自身ある程度の覚悟はしていたからね。むしろ退学処分にならなかっただけ良かったと言うか、少なくとも君だけは絶対に許してくれないと思っていた」

 

 

 あの時、私は彼の事を誰よりも見下していただろう。よくわからない正義を振りかざして、これまたよくわからない内に排除された阿呆。

 こう見えても少なからず彼には感謝しているというか、彼のおかげで生徒会長様への貸しも清算できた。

 個人的にはあまり好きなタイプではないが、彼という人間に利用価値があるなら我慢もしよう。

 

 

「だけどそんなどうしようもない僕の為に、ターニャやニンファさんではなく他ならぬ君が動いてくれた。

 そのおかげで僕はこうして再び学園の制服を着て、明日からターニャやたくさんのクラスメイトと一緒に勉強が出来る。

 だからこれはある種の自己満足というか、君に対する個人的なケジメだと思ってほしい」

 

 

 彼のおかげで御姫様を追い詰める手間も省けたし、彼女を私達の訓練に参加させることも出来た。

 更に彼という餌を与える事で私に対する評価も上がり、御姫様だけでなく生徒会長様も喜んでいたので満足もしている。

 しかし出来る事ならあまり近づきたくないと言うか、彼と会話する事すら私にとっては苦痛だ。

 

 

 

「ただ、これだけは誤解がないよう伝えておきたい」

 

 

 利用価値があるならそれも我慢できるが、今となってはあまり使い道もないからね。

 だから私は彼の言葉に深いため息を吐き、差し出された右手を他人事のように見つめていた。

 本当に……彼等の仲良しごっこにも呆れると言うか、この男は聖書をおかずにご飯でも食べているのだろうか。

 

 

 私に言わせればそんな狂人と話したところで意味はなく、こんな事に時間を使うなら壁と話した方が有意義である。

 取りあえずはくだらない演説を最後まで聞いて、それが終わったと同時にその手を払いのけよう。

 そんな事を考えながら彼の言葉を待っていたが、その口から出てきた言葉に思わず固まってしまった。

 

 

 

「僕は君の事が誰よりも嫌いだ」

 

 

 この言葉はさすがの私も予想外だったと言うか、彼の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなくてね。

 近くにいた御姫様も私と同じように言葉を失い、そんな私達を尻目に彼は一人だけ嬉しそうに微笑んだ。

 そして彼の右手が私の手を掴んだかと思うと、放心状態の私を尻目にヒーロー君は満足そうに頷いてね。

 

 

 

「なっ……なに言ってんのよアルフォンス!」

 

 

 私が彼の手を振り払ったのはその数秒後、聞こえてきた怒鳴り声によって正気を取り戻したからだ。

 御姫様はそのまま彼に詰め寄っていたが、そんな彼女とは対照的に私は彼の事を見つめていた。

 そしてその視線に気づいた彼が困ったように笑い、その口を動かして私に助けを求めてきてね。

 

 

 しかし私としてもそれどころではなかった。振り払った方の手を見ながら必死に我慢していたが、結局は堪えきれずに私は笑ってしまった。

 生徒会室に響くその声はどこか楽し気で、普段のそれとは少しだけ違っていただろう。

 その違いは私にしかわからないだろうが、それでもその笑い声に御姫様は驚いていた。

 

 

 なんと言うか……そんな風に見つめられても困るのだが、今回は面白いものが見れたので良しとしよう。

 そもそもこの感情を言葉にするのは難しく、たとえ説明したところで彼女には理解出来ないだろう。

 普通ならば御姫様のように怒ったりするのだろうが、私という人間はそれとは違う感情を抱いていたからね。

 

 

 

「そうか、その言葉が聞けて私としても安心した。

 それじゃあ君の学園生活がこれから先も続くことを祈って、私は美味しいご飯でも食べに行くとしよう」

 

 

 これ以上の会話は必要ないというか、これで御姫様に対するサービスは終了である。

 ヒーロー君の目的も達成されたし、私としてもいい退屈しのぎになった。

 御姫様は未だに私を見つめながら固まっていたが、後のことはヒーロー君に任せて帰るとしよう。

 

 

 

「なによあいつ、あんな顔も出来るんじゃない」

 

 

 私は踵を返すとそのまま生徒会室を後にし、校門前で待っているだろうシアンの元へと向かった。

 その途中で私とすれ違った生徒が何人かいたが、そのほとんどが御姫様と同じ顔をしていたがおそらく気のせいだろう。

 そうでなければ彼女達が頬を染めたり、それこそあんな風に走り去ったりはしない筈だ。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

「全く、なんの冗談だこれは――――――」

 

 

 校門前は人混みによって塞がれており、その光景と聞こえてきた声にため息がこぼれた。

 その人だかりに嫌な予感はしていたが、シアンが待っているので無視するわけにもいかない。

 そもそも私を見つけた瞬間に手を振ってくるような子供であり、よくわからない理由で怒ったりするようなメイドだ。

 

 

 

「ごっ……ご主人様!シアンはご主人様に説明を要求します!」

 

 

 案の定人混みを掻き分けて現れた小さな子供は、その頬を膨らませながら私の前へと現れてね。

 その声に周辺の生徒が私の存在に気づき、そして後ずさる光景は中々面白かったよ。

 しかしどうしてこんなにも人が集まっているのか、彼等の雰囲気から察するに私を待っていたわけではないだろう。

 

 

 

「お前がなにを怒っているのかは知らないが、まずはこの状況を説明してから――――――」

 

 

「御話の最中失礼します。貴公はコスモディア学園の大将、ヨハン=ヴァイス殿で間違いありませんか?」

 

 

 そしてシアンが私を見つけてから数秒後、目の前の人混みが左右に分かれたかと思うと一人の女性が現れてね。

 着ている服は某第三帝国の軍服を連想させたが、軍人にしては少しばかり若すぎるというか、おそらくは私や生徒会長様と同じくらいだろう。

 腰に下げた細長い剣と腰まで伸びた艶やかな黒髪、その瞳も髪の毛と同じように黒くどこか日本人に似ている。

 

 

 その態度というか雰囲気は御姫様と同じかそれ以上、よく言えば伝統と誇りを重んじる素敵な人間、悪く言えばただの骨董品か綺麗な御飾りである。

 こんな知り合いなど私にはいないのだが、そもそも目の前の女性一人になぜこれほどの生徒が集まったのだろう

 明らかにこの学園の生徒ではないし、なによりいくら綺麗と言ってもこの数は異常である。

 

 

 

「確かにそうですが……失礼、どうやら貴女の事を忘れているようだ」

 

 

 だからこそここは出来るだけ正直に、相手が誰であるかわからない以上冷静に対応しよう。

 私の言葉に目の前の女性は右手を差し出し、私は求められるがままその手を掴んでね。

 男装の麗人というのを私は初めて見るが……なるほど、これほど的確でわかりやすい言葉もないだろう。

 

 

 

「初対面なのだから知らなくて当然ですし、なによりそう畏まらないでください。

 私の名はリュドミラ=リトヴャク、南軍をまとめる名門リュトヴャク家の次期当主にして、今回の四城戦では奉天学院の大将を務めています」

 

 

 彼女の言葉に私はこれ程の生徒が集まった理由、それを理解する事が出来たとだけ言っておこう。

 要するに周りにいる馬鹿共は文字通りの阿呆(ギャラリー)であり、四城戦に於ける最大の障壁がどうして私を探していたのか、最終戦まで残り数日というこの状況で現れた理由が知りたかったのだろう。

 なんとも浅ましい連中というか、おかげさまで私としても身動きが取りづらい。

 

 

 

 ここで下手な発言をすれば生徒会長様の耳に入り、私の学園生活はあっという間に崩壊するだろう。

 だからと言ってこれ程の好機を逃すわけにもいかず、まさか御姫様の発言から始まった奇妙な一日がまだ終わっていないとは――――――上司から与えられた仕事は私という人間を売り込むことであり、この状況は理想的ともいえるが一歩間違えば全てが終わる。

 

 

 

「今は四城戦の性質上争ってはいますが、私の父上はヨハン様の事を大層気にしておいでです。

 あれ程の実力がありながらこのような学園にいては勿体ない――――――それがリュトヴャク家の当主である父上の考えであり、私も含めた奉天学院の総意でもあります。

 尽きましてはその件に関してヨハン様に御話したいことがあって、父上の名代としてこの私がやってきました」

 

 

 まさか奉天学院がこれほど直接的な行動に出るとは、仮に接触してきても学園には来ないと思っていた。

 ここで彼女を追い返すわけにもいかないし、なにより追い返したところで状況は変わらない。

 目の前で微笑む女性を見ながら苦笑いしか出来ないというか、こんな風に追い込まれるとは思わなかったよ。

 

 

 この一件が御当主様のものか、それとも目の前で微笑む彼女の提案なのかはわからない。

 しかし少なくともある程度の知恵は回ると言うか、やはり交渉するならばこういった状況の方が面白い。

 彼女の発言によってこの話は学園中に知れ渡り、たとえ断ったとしても私は叱責されるだろう。

 

 

 私が話を聞いてくれれば御の字であり、それが出来なくとも噂を流して孤立させることは出来る。

 ラッペンランタとの試合で私がメディアにやったものと同じ……いや、それよりも質が悪いといえる。

 取りあえずは出来るだけ疑われないように対処し、その上で生徒会長様に説明するしかあるまい。

 

 

 まずはこの暑苦しい空間から移動するとして、話をするならば学園の外ではなく中の方がいい。

 その方が生徒会長様への説明も真実味が増すし、なによりわけのわからない言いがかりにも対処できる。

 私は学園内にある私自身がよく使う場所、他の生徒も寄りつかないあのテラスを使おうと思っていた

 

 

 

「取りあえずここでは人目もありますし、この近くに良い場所もあるのでそこへ移動して――――――」

 

 

「言っておきますけど、ご主人様はシアンにめろめろなのです!

 だからご主人様をゆうわくしようとしても、そんなみすぼらしい体ではあのばいんばいんにすら勝てねぇです」

 

 

 しかし突然投げ込まれたその手榴弾に私は固まり、そして滑走路よりも平らな胸を張るメイドがそこにはいた。

 彼女のおかげで辺りはよくわからない空気に包まれ、私は手榴弾の破片によって頭を抱える。

 それは代表戦の時に見た光景とよく似ており、あの時はセシルが犠牲となったが今回は私らしい。

 

 

 頬の引き攣りが自分でもわかるというか、目の前の軍人さんは頬を染めながら視線を反らしてね。

 私が全ての元凶である小さなテロリストに視線を向けると、そのメイドは素敵な笑顔で微笑みかけてくる。

 サムおじさんも裸足で逃げ出すような状況、そんな中で爆心地の中心にいる私は彼女の頭を撫でる。

 

 

 

「シアン、お前は先に帰っていなさい」

 

 

「ふぇ?どうしてシアンが帰るですか?」

 

 

「……二度は言わないぞシアン、お前は屋敷へと帰ってこの間渡した本をもう一度読み直せ。

 目上の人に対する言葉遣いと礼儀、あの本の五ページから二十ページまでを暗記するのがお前への罰だ」

 

 

 普段なら尻尾を揺らしながらくすぐったそうに笑うシアンも、この時ばかりは少しだけ違っていた。

 私の言葉に唇を噛みながら涙をこぼし、そうして頬を膨らませる姿は相変わらずだったがね。

 しかしなにも言わずに踵を返した辺り、彼女も少なからず成長しているのだろう。

 

 

 

「きょ……今日のところはご主人様の顔に免じて許してやるです。でも、もしもご主人様の事を誑かしたら絶対に許さないです」

 

 

 さすがの私も世襲派軍閥の筆頭であるリュトヴャク家の、その次期当主である彼女に誤解されるのは困る。

 そもそもシアンがいたところでなんの役にも立たないし、小さなテロリストにはお家に帰ってもらおう。

 シアンにあんな視線を向けるのは初めてだったが、子供だからと甘やかしすぎたかもしれんな。

 

 

 最近ではセレストから剣術や魔法を教わっているようだが、個人的にはそれよりも先に一般常識を身に着けてほしい。……まあ、常識がないからこそ違う使い道もあるのだがね。

 取りあえず私はそんなシアンを一瞥すると、そのまま周りにいる馬鹿共を睨みつけた。

 ここから先は人魔教団の仕事と生徒会長様への対策、つまりは両方のバランスを取った上で交渉しなければならない

 

 

 そんな大事な話し合いをこんな馬鹿共に邪魔されたら、それこそ勢い余って殺しかねん。

 だからこそ私は周りの人間を排除し、そしてもう一度彼女へと歩み寄るとここから移動する事を伝えた

 私の言葉に目の前の軍人さんは苦笑いしていたが、今の失点はこの後の交渉で取り返せばいいだろう。

 

 

 

「それでは行きましょうか、貴女の父親がどんなことを言っていたのか興味もありますしね」



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正義の味方と残念な小娘

 座り慣れたテーブルと見慣れた景色、普段の私はこの場所で本を読んでいるが、いつもなら可愛い人形が座っている場所に軍服の女性がいる。

 おそらくはこの学園と一番縁遠い筈の彼女、腰まで伸びた黒髪を揺らしながらその力強い瞳が動く。

 私はそんな軍人さんにもう一度頭を下げると、彼女は苦笑いしながら言葉を返した。

 

 

 世襲派軍閥の指導者であるリュトヴャク家の次期当主、生徒会長様は彼女が四城戦に於ける最大の障害だと言っていた。

 個人的には彼女が御姫様と同じタイプであれば助かるのだが、こんな搦手を使った時点でその可能性は限りなく薄い。

 まずは出来るだけ情報を引き出した上で彼女と、そして彼女の父親であるリュトヴャク家の思惑を探ろう。

 

 

 

「では改めまして、先程の提案に対する答えを教えてください

 奉天学院に編入する意思があるのかどうか、我がリュトヴャク家は全力で貴方の事をバックアップいたします。

 それこそ新たな住まいから人間関係の清算まで、これは私の父上であり当主でもあるドワイト=リュトヴャクの意思です」

 

 

 しかしながら目の前の軍人さんは世間話すらするつもりがないようで、これには私としても困惑してしまった。

 新たな住まいに人間関係の清算……ふむ、彼女の父親がどういった人間であるかは知らないが、少なくともこれで一つだけハッキリした事がある。

 それは私の事を大して調べていないという点、つまりは私という人間を全くわかっていない。

 

 

 なぜなら私の経歴は人魔教団が用意したものであり、住んでいる屋敷も会社が用意したものだ。

 それなのに目の前の軍人さんは適当な言葉を並べて、軽々しく人間関係を清算してくれると言った。

 これには思わず呆れてしまったと言うか、この様子だと世襲派軍閥とやらも大したことはないだろう。

 

 

 仮にもこの国最大のギルドを取り仕切る者や、数多くの奴隷を従わせているような人間が勤める会社だ。

 それを近くのセブンイレ〇ンにでも行くような感じで、それこそ問題ないと言わんばかりの態度は滑稽である。

 さすがの私もリュトヴャク家の情報網がずさんなのか、それとも人魔教団が彼等以上に優れているのかはわからない。

 

 

 しかし先程の言葉が出た時点で私の中にある彼女のイメージ、世襲派軍閥とリュトヴャク家の評価は一段と下がった。

 そもそも奉天学院についてなにも知らないのに私に対して、そんなよくわからない人間の名前を誇らしげに話す時点でおかしい。

 まずはコスモディア学園とどういったところが違うのか、そしてどんな人材を集めているのか説明すべきである。

 

 

 これにはさすがの私も呆れてしまったと言うか、もしかしたら目の前の軍人は見た目通りの御飾りかもしれない。

 要するに父親であるドワイト=リュトヴャクという人間が賢いだけであって、彼女自身は御姫様と同じタイプなのだろう。

 そうでないならこんな初歩的なミスを犯すとも思えないし、なによりこんなところで躓くようでは話にならない。

 

 

 

「ハハハ、突然そう言われてもあまり実感が湧きませんね。

 リュトヴャクさんの申し出は嬉しいのですが、生憎と奉天学院に関して私は詳しくありません。

 ですので私の考えを伝える前に、その歴史やどういった校風なのか教えて欲しいのです」

 

 

「あっ……そ、そうでした。そうですよね。

 私としたことが慣れない役目に緊張してしまって、ヨハン様からすれば我が学院は稀有な存在ですしね。

 では個人的な見解も多少含まれますが、奉天学院の成り立ちとその校風に関して説明させていただきます」

 

 

 だからこそ少しばかりその点を指摘すれば、すぐさま混乱してなんとか取り繕うとする。

 私はその言葉によって彼女がこういった状況に慣れていないこと、そして厄介なのは彼女の父親であって目の前の小娘はただの馬鹿だとわかった。……ふむ、それさえわかれば後はいくらでも対処できる。

 

 

 私の興味は既に目の前の小娘から離れていたが、それでも失礼がないよう注意はしていた。

 おそらくはこのやり取りを通して彼女の父親、ドワイト=リュトヴャクは私という人間を知ろうとする筈だ。

 その際に不純物が混じっていたら当然評価は下がるし、なによりこれはある種の好機でもあった。

 

 

 彼女の父親が私の想像通りならば、これはちょっとした試験なのかもしれん。

 要するにこの小娘をどれだけ手玉に取れるか、そして私がこの状況をどうやって切り抜けるのか。

 私の中ではある程度の受け答えは決まっていたが、取りあえずは嬉しそうに説明を続けている彼女に相槌を打ってね。

 

 

 奉天学院。彼女の説明ではその歴史は意外にも新しく、四十年ほど前に起こった大戦が始まりらしい。

 当時はセシル達の故郷である獣人の国、サーサーンとこの国は戦争状態にあってね。

 この世界の勢力図は中国に於ける三国時代とよく似ており、概ね三つの国に分かれている。

 

 まずは私達が住んでいる人間達の国レムシャイト。

 そして先程説明した獣人達の国サーサーン。

 最後にエルフ達が管理している国アストラン。

 

 

 

 それぞれをその時代の勢力図と重ね合わせるなら、三国の中で最も人口が多く領地も広いレムシャイトが魏であり、山や緑に囲まれた国であるサーサーンが蜀漢、そして独自の文化と豊かな土地を有するアストランが呉である。

 当時の国王はサーサーンに戦争を仕掛けて、その際の遠征軍をまとめていたのが南軍の名門リュトヴャク家でね。

 最初の方はサーサーンを圧倒していたらしいが、彼等と同盟を結んだアストランが参戦した事によって状況が変わった。

 

 

 レムシャイトは二正面作戦を強いられ、その際に先代の国王がアストランの軍勢によって殺された。

 先代の国王が死んだことにより現場は混乱し、今の国王にその王位が継承されたと同時に戦線を縮小。

 その上で各国に使者を送って和平を結んだが、ハッキリ言って国王を殺されたレムシャイトの敗北である。

 

 

 その戦争はアスクルムの戦いと呼ばれており、この国に住まう人間のほとんどが知っている。

 先代の国王を護衛していた軍とリュトヴャク家は別だったが、遠征軍をまとめていたという事もあって彼等は王都から追放された。

 そしてリュトヴャク家はサーサーンとの国境に勢力を移し、当時は将校達の宿舎として使われていた建物を改装して奉天学院を設立する。

 

 

 そこから先に関しては皆さんもご存じの通り、有能な軍人を輩出して中央へと送り勢力を拡大させたわけだ。

 つまり奉天学院とはリュトヴャク家の人材育成機関、言うなれば世襲派軍閥が保有する各派閥への切り札である。

 正直なところ辺境に追いやられた彼等が貴族や魔術師、ひいては国王と肩を並べる程の組織を作り上げたのは凄い。

 

 

 ただ当時の戦いを引きずっているのかは知らないが、サーサーンやアストランと国交を結ぶのに反対しているのはいただけない。

 王党派はアスクルムの戦いは水に流して、その上でサーサーンやアストランと国交を結びたがっていると聞いたが、それを彼等と門閥貴族が反対しているらしい。

 この国に獣人やエルフがいないのはそういった事が関係しており、そう言ったところはマイナスポイントと言える。

 

 

 

「どうでしょうか、私達は決してヨハン様を失望させません」

 

 

 一通りの説明を終えたところで彼女はそう締めくくったが、私に言わせれば彼女の本質がわかった時点で失望している。

 さすがの私も人事課長に媚びを売るのはわかるが、人事部が用意したアンケート用紙には興味がない。

 だから私は目の前の軍人さんに微笑むと、そのまま彼女が大好きそうな言葉を使ってね。

 

 

 

「失望?失望ですか……ふむ、つまり貴女はこの学園を裏切って奉天学院につけと、リュトヴャク家に尻尾を振れと言っているわけですね。

 それこそある程度の地位は保証してやるから恩人を裏切り、そして屋敷を用意してやるから友人達を捨てろ――――――なんともまあ、これ以上ないというくらい素敵な提案だ。

 糞ったれな地位と引き換えに生き恥を晒し、これまたくだらない金銭と引き換えに尻尾を振れと言う」

 

 

 その言葉に私達を包む空気が一変し、目の前の軍人さんは言葉を失っていた。

 私はただ彼女の言葉をもっとわかりやすいように、それこそオラウータンにもわかるよう言い換えただけだ。

 どれだけ綺麗な言葉で使っても、彼女達が言うところの提案とはそういうものだからね。

 

 

 残飯の上にキャビアをトッピングしてもその本質は変わらないし、脱税した政治家がどれだけ募金しても許されはしない。

 目の前の軍人さんは私の言葉にやっと気づいたのか、慌ててその言葉を否定するがそんな事はどうでもよかった。

 重要なのは彼女に私という人間が高潔であり、誰よりも義理堅い人間だと思わせる事にある。

 

 

 

「では御当主様の名代ではなく、リュドミラ=リュトヴャクという個人に聞きたい。

 貴女は金や権力で仲間を裏切るような人間に対して、尊敬する家族や仲の良い友達と同じように付き合えますか?

 その男は少し前まで敵対していた筈の人間であり、これといってなにかしらの問題を抱えていたわけでもない。

 己の欲望に目がくらんだだけの浅ましい人間、おそらくは誰よりも高潔である貴女方が最も嫌っている人種だ」

 

 

 大袈裟に振る舞う事で軍人さんの感情を刺激し、その一方で馬鹿な小娘を立てる事も忘れない。

 目の前にいるのが彼女ではなくその父親であったなら、それこそこんなところで黙ったりはしなかっただろう。

 おそらくは気の利いた皮肉やある種の本音をぶちまけて、その上でもう一度このやり取りを続けた筈だ。

 

 

 

「そっ……そんな事はありません――――――」

 

 

「そんな事はない?……そうですか、それなら貴女と話すことはもうありません。

 私はリュトヴャク家について詳しくはありませんが、貴女の知り合いでもあるターニャさんから高潔な一族であると聞いています。

 ですからそのような恥知らずな事を平気で話すような人間、つまり貴女とはこれ以上話したくない。……申し訳ないのですが、私の中にあるリュトヴャク家のイメージを壊さないでほしい」

 

 

 私の言葉に彼女は肩を震わせうつむいていたが、この程度のやり取りすらも満足に出来ないようでは話にならない。

 ここで開きなおる位の度量がなければ当主など務まらないし、なにより私自身は既にその目的を達成している。

 私という人間を彼女に誤解させた上で、リュトヴャク家や奉天学院に関する情報も手に入れた。

 

 

 もはや彼女との会話に意味はなく、無駄に長引かせて生徒会長様に誤解されても困る。

 私の誤解を解こうと軍人さんは慌てていたが、その口からはなんの言葉も出てこなくてね。

 所詮は御姫様と同じ空っぽの人間、こんな小娘にアピールしたところでなんの効果もない。

 

 

 

「こんな事は言いたくないのですが、出来れば貴女のような人間ではなく真面な人を連れてきてほしい。

 一番嬉しいのは貴女の父親であるドワイト様ですが、さすがにそこまでの事は私も望みません。

 そもそも私なんかとは住む世界が違いますし、なによりリュトヴャク家の御当主ともなれば多忙でしょう」

 

 

 だからこそ私は彼女のような阿呆ではなく、リュトヴャク家の当主と関係を持つ為に言葉を濁す。

 これで御当主が私という人間に興味を持っているなら、最低でも彼の側近かその身内が来るだろう。

 この小娘よりは話のわかる人間、一番良いのは御当主様本人が来ることだがね。

 

 

 このやり取りを通して目の前の馬鹿がどう報告するか、少なくとも悪いようにはならない筈だ。

 これで世襲派軍閥のトップに近づくことが出来るし、今度の報告書を見れば私の上司も喜ぶだろう。

 

 

 

「……後悔する事になりますよ」

 

 

「後悔ですか、後悔なら前世で嫌というほどしています。

 取りあえず、貴女の言葉がただの強がりでないことを祈ってますよ」

 

 

 そう言って私は立ち上がるとそのまま踵を返し、哀れな小娘を置いてそのまま屋敷へと戻った。

 この時の私は時間も時間だったので報告書をまとめた後、明日にでも生徒会長様に事情を説明しようと思っていたのだ。

 だから御姫様の発言から始まったこの一日がやっと終わる……なんて、そんな事を考えながら私は屋敷の門をくぐったのである。

 

 

 

「なに、シアンが戻っていないだと?」

 

 

 そう、この奇妙な一日がまだ続くとも知らないでね。

 私はセレストの言葉を聞きながらため息を吐き、その日は一日中書斎の中で彼女の帰りを待つことにした。

 そして分厚い本を一冊……また一冊と、シアンが戻って来るまで読み続けたのである。

 

 

 

「ふむ、まさかこんなにも早くちょっかいをかけてくる馬鹿がいたとはな」

 

 

 時計の針が動く度に次の本に手を伸ばし、私の周りには多くの本が無造作に積まれている。

 シアンが消えたのは防犯装置としての役目を果たしたからか、それともただ単に誤作動を起こしただけか――――――そんな事を考えていたらあっという間に時間は過ぎた。

 そして鬱陶しい日差しに舌打ちすると同時に、私はこの国に関する歴史書を閉じて呟く。

 

 

 

「さて、殺しに行くとしよう」

 

 

 奇妙な一日が終わり、こうして血生臭い二日間が幕を開ける。



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正義の味方と怠惰の先にあるもの

「まさかこんな形でここに来るとは、プライド辺りに知られたらいい笑いものだ」

 

 

 ダンジョンの最下層に作られた建物、私はとある人間と会う為に本社へとやって来た。

 殺伐とした空間に響く足音はとてもうるさく、今日ばかりは美しいステンドグラスや周りの装飾、そしてこの無駄に広い空間すらも鬱陶しく感じる。

 全ては私の部下であり屋敷で働いているメイド、シアンがいなくなった事から端を発する。

 

 

 私は他の者達がコネクトと呼ぶこの建物の一室、一般企業でいうところの管理部を訪れていた。

 なぜなら人魔教団はその性質上他の者と連絡を取り合う際、一部の例外を除いて報告しなければならないからだ。

 それは私達の立場と情報の流出を防ぐ為であり、他にもこうしたルールはいくつか存在する。

 

 

 徹底した秘密主義の弊害ともいえるが、少し面倒なだけであってそれほど難しくはない。

 簡単に言えばプライベートでなにかしらの用事がある時、必ず中立者(ハイブ)と呼ばれる男を通さなければならないのである。

 たとえば直接会って話したい時や伝言を頼みたい時など、仕事以外に関する内容はハイブを通して相手へと伝える。

 

 

 つまりお互いに相手の素性を知らない私達に取って、彼は唯一の連絡手段にして異質な存在というわけだ。

 そしてコネクトは教皇様が管理する部署であり、その性質上ハイブは私達の素性も知っている。

 私がハイブに頼みごとをするのは初めてだったが、彼の第一印象はそれほど悪いものではなかった。

 

 

 

「畏まりました。ではラース様がスロウス様に急ぎの要件がある旨、そしてスロウス様の事を資料室で待っていると伝えます」

 

 

 彼は無表情のまま私の言葉を繰り返すと、そのまま近くにあったマントを羽織って部屋を出て行く。

 私は自分の仕事を淡々とこなす彼に好感を覚え、それと同時になんの詮索もされなかった事に驚いた。

 なぜなら人魔教団の幹部である私が同じ立場の者を呼び、しかもその内容も伝えずに会って話したいと言ったのだ。

 

 

 ある程度の事情は説明しなければならないと、そう思っていたが彼の反応に拍子抜けしてしまった。

 だから私はちょっとした書置きだけを残して、その後にスロウスにどうやって説明するか考えていたのである。

 一応私の教育係だった彼ならばわかってくれると思うが、さすがになにかしらの見返りは必要だろう。

 

 

それこそただほど怖いものはないし、なによりこれは人魔教団とは関係のない問題だ。

取りあえずはその辺りを考えながらもう一つの要件、ここへ来た二つ目の目的を果たすとしよう。

私はコネクトを後にするとそのまま資料室を目指し、最近仲間になったMADに関する事件、黒い夜とやらを調べてみようと歩き始めたのである。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「先進的な魔道具、稀代の発明家にして魔術師協会の実力者か。

黒い夜と一夜にして全てを失った一族、まさかこれ程までに大きな事件だったとは思わなかった。……なるほど、やはり彼女には色々と使い道がありそうだな」

 

 

黒い夜。私は最近仲間に引き入れたあの幼女に関して、ある程度の知識と情報は必要だと考えていた。

ブラヴァツキー家がどういう状況にあるのか、そして黒い夜とか言う事件がどういったものなのか――私は資料室に納められた膨大な数のファイル、その中から黒い夜に関する資料を集めてね。

そのおかげで事件の内容とその後に関して、ブラヴァツキー家の復興がいかに難しいかはわかった。

 

 

 

黒い夜とはブラヴァツキー家の領内で起こった人災であり、彼女の父親がセフィロスの開発中に引き起こした事故だ。

その事故によってブラヴァツキー領内にいた人間の八割が死亡、実験を行っていた場所を中心に半径五百メートルが焼失。

この事件の不思議なところは死んだ人間のほとんどが無傷であったこと、まるで魂だけを吸い取られたかのように死んでいたらしい。

 

 

今にも動き出しそうなほど綺麗な死体とそのままの風景、焼失した場所から外は普段と変わらなかったそうだ。

そして多くの人間が死んでいるにもかかわらず、木々や草花……更にはそこに住んでいる動物たちには影響がなかったようでね。

当時の事件を調べていた人間の私記などもここにはあったが、その全てに例外なくとある一文が書きなぐられている。

 

 

 

「この国にはなにかがいる――か」

 

 

事件が起こる日の前日、メディア=ブラヴァツキーは協会に招待されてラッペランタを見学しており、そのおかげで黒い夜に巻き込まれなかったようだ。

しかしその事故を重く見た王党派と協会はブラヴァツキー家の特権、つまりはその領土と発明した魔道具に関する権利を剥奪した。

彼女に残されたのは別荘として郊外に建てられていた小さな屋敷、そして僅かばかりの金銭とあからさまな迫害だ。

 

 

それでも彼女はラッペランタに入学し、持ち前の才能を活かして数多くの魔道具を発明した――ふむ、ここから先に関してはあまり面白くもないので割愛しよう。

要するに彼女はそうやって得た金銭のほとんどを領民たち、つまりは生き残った者や犠牲となった者の家族に分配したらしい。

 

 

そして彼女と同じようにこの事件を追っている者は意外と多く、王党派と協会が下した裁定に反発した者もいたようでね。

トライアンフとかいうギルドがそれを調べているようで、ここにはその冒険者が記した資料が多く残されていた。

おそらくは黒い夜に関係する者達が作ったのだろうが、どこの世界にも物好きな奴はいるものだと、そんな事を考えながら私は次の資料を手に取った。

 

 

 

「……ん?ほう、これは中々興味深い」

 

 

それは資料というよりも本に挟まっていた一枚の布、私が手にした瞬間にそれは床へとこぼれ落ちてね。

全体的にボロボロなそれは所々擦り切れており、赤く染まったそれからは仄かに血生臭さを感じる。

しかし私が気になったのはそんな事ではなく、そこに書かれていた意味深な一言である。

 

 

 

――第三魔法の成就を確認、我々の仮説はここに来て大幅な進展をみせた。

 

 

 

なんとも物騒な言葉ではあるが、この第三魔法とやらがなにを意味しているのかがわからない。

少なくともなにかしらの裏がありそうだが、そんな事はサッカー好きな名探偵にでも任せればいい。

私の立場はお酒をコードネームにする組織か、又はロンドンの大学にいた数学教授と同じだからね。

 

 

彼女との契約通りある程度の便宜は図るが、そこから先に関しては彼女の実力次第だろう。

残念ながらここにある資料を渡すつもりはないし、彼女の復讐を手伝ってやろうとも思わない。

私は持っていた布を元の本へと戻し、そして次の資料に手を伸ばした瞬間にやっと彼は現れた。

 

 

 

「ハイブが私の元へとやって来た時は驚いたが、まさか君の方から連絡してくるなんてね。

しかも個人的な用事なんて、初めはグラトニー辺りがからかっているのかと思ったよ」

 

 

聞こえてきた声に私は頭を下げると、そのまま近くにあったソファーに座るよう促す。

彼は人魔教団の中でもとび抜けた存在であり、ギアススクロールを用いた組織は人数だけで言えばプライドよりも多い。

私の教育係にして仲の良い同僚、彼と契約した奴隷たちに何度も助けられている。

 

 

 

「実は私の力ではどうしようもない状況に追い込まれまして、出来ればスロウスさんの力をお借りしたいのです。

勿論ただでとは言いませんし、よろしければお話だけでも聞いてくれませんか?」

 

 

そう言って私は今の状況を事細かに説明した。まずはシアンに関する情報とその風貌、そして私なりの考察を交えた上で意見を求めてね。

私の中でシアンという存在は防犯装置のようなものであり、彼女がいなくなった言う事は危険が迫っているということ。

誰が彼女を攫ったのかはわからないが、少なくとも私と紅茶を飲む為にやったわけではないだろう。

 

 

シアンを使って私の情報を得ようとするか、又は彼女を使って私を排除しようとする筈だ。

なにかしらの情報が得られればそれを武器に脅すなり、それこそ憲兵にでも通報して破滅させることだって出来る。

直接私を狙うようなリスクを冒すよりは、その小娘を仲間に引き入れたほうが効率は良い。

 

 

私の周りにいるのはシアンとセレストだけであり、いつも屋敷にいるセレストの方は知られていないだろう。

そうなれば残る選択肢はシアンだけであって、彼女が一人っきりになったところを攫えばいい。

後は金銭で釣るなりその家族を使って脅すなり、やり方はいくらでもあるし相手が子供なので費用対効果(コストパフォーマンス)も最高だ。

 

 

 

「つまり私に取っての彼女とは生餌のようなものでして、今回はその餌に馬鹿なオオカミが食らいついたのです。

今頃は話の通じない小娘に手を焼かされ、おそらくは雇い主と相談でもしているのでしょう」

 

 

しかし残念ながらシアンに限って言えばその常識は通用せず、孤児である彼女には家族だっていない。

そもそも世間知らずのシアンに金貨を見せても意味はなく、そんなもので釣るより大量の御菓子でも用意した方がマシである。

だがそんな事をどこぞの誰かが知る筈もなく、むしろ孤児だと知れば金銭で買収しようと考えるだろう。

 

 

それが逆効果だと知らずに自ら泥沼にハマり、そして世間知らずの彼女だからこそ裏切る心配もない。

仮に裏切ったとしてもシアンが持っている情報など知れているし、それだけで私を追い詰める事など出来ない。

そして口封じの為に彼女を殺せば私が狙われている事、つまりは自分達の存在を宣伝する事となってしまう。

 

 

残された選択肢はシアンを洗脳するか、又は呪いをかけて間接的に危害を加える方法だ。

しかしこれにしてもそう簡単な話ではないし、対象者の精神状態に影響されはするが一日や二日で出来るものでもない。

ギアススクロールですら相手の承諾を必要とするわけで、その手順を省くなら相応の時間は必要だ。

 

 

更に言えば私がシアンを雇い入れた事に関して、スロウスの方はなにかと不思議がっていた。

なんの役にも立たない子供を拾ったところで意味はなく、それならば彼の組織から人材を派遣するとも言われたよ。

しかし私なりに彼女の使い道は決まっていたので、その申し出は嬉しかったが断る事にしてね。

 

 

 

「君の言いたい事はわかるし、攫われたのが獣人なら簡単に見つかる筈だ。

間抜けな人間を釣るにはこれ以上ないという餌、確か君の口癖だった……そう、費用対効果(コストパフォーマンス)!それも良いし面白いやり方だとは思う」

 

 

どんなに優れた者を使っても獣人を攫えば目立つし、なによりあのシアンが大人しくしているとも思えない。

これがそこら辺の冒険者や魔術師であったなら、それこそとてつもない時間と労力を必要としただろう。

しかしそれが獣人の……しかも幼い子供であれば話は別であり、スロウスと契約している奴隷達を使えば簡単に見つかる。

 

 

 

「だけど……ね。君は気づいていないかもしれないけど、私は君の言葉がどうしても理屈っぽく聞こえてしまう。

――ハハハ、そんな風に黙らないでくれよ。むしろ私は面白いものが見れたと喜んでいるくらいだし、普段の君からは想像出来ないような言葉に驚いているだけだ」

 

 

資料室に響くスロウスの楽しそうな声と小さな息遣い、この時の私は彼がなにを言っているのかわからなかった。

いつもの仮面をつけているのでその表情こそわからないが、きっと玩具を前にした子供のように笑っているのだろう。

そして静かな空間の中で再び彼がその口を開いた時、私はスロウスの言葉に思わず固まってしまった。

 

 

 

「君はハイブを使って私に急ぎの要件があると言った。しかし今の話を聞く限り、それほど急ぎの案件でもないように思えてね。

だって君の目的は達成されているし、その女の子にしたって本来の役目は果たした筈だ。

それなのに君はその餌を助けたがっているような――そんな気がしてね」

 

 

「なにを……まさか、私はただその餌を再利用しようと思っているだけですよ」

 

 

私に言わせればシアンを見殺しにするのは簡単だが、また同じような人間を見つけ出して教育するのは時間が掛かる。

そもそも獣人の子供なんてこの国には滅多にいないし、彼女のような世間知らずは更に貴重だろう。

それに部下を見殺しにするような人間だと思われては、それこそ私の評価に傷がつくかもしれない。

 

 

 

「君のやり方は間抜けなオオカミを誘い出すのに最適だが、その代り同じ餌で同じ手は通用しない筈だ。

その程度の事は君ならばわかるだろうし、なによりそんな餌はスラム街に行けばいくらでも転がっている。

それなのに君はその餌に固執しているというか、助け出そうとしているようにしか見えない」

 

 

なにを馬鹿な……なんて、そんな風に笑い飛ばしたいが言葉が出なかった。

それこそいくらでも否定や反論は出来る筈なのに、それを頭の中で上手くまとめる事が出来なくてね。

そんな風に固まっている間に彼は立ち上がると、そのまま私に顔を近づけてこういった。

 

 

 

「プライドなんかは君の事を化物だと言っていたけど、私に言わせれば彼はなにもわかっていない。

君は誰よりも人間らしい人間だ。たとえその体が作りものであったとしても、その心はどんな人間よりも人間臭い」

 

 

うるさいくらいの静けさに包まれながら、私は冷汗が止まらなかったとだけ言っておこう。

そして突然壊れたように笑う目の前の男に、なぜか言いようのない恐怖を感じたのである。

それを言葉にする事など出来ないし、なによりこの時の私はとても混乱していたと思う。

 

 

 

「さて、それじゃあそろそろ帰ろうかな。

一応その女の子に関してはこっちで探しておくから……そうだな、たぶん一日もあれば見つかると思うよ。

だから明日の夜にでもここで待ち合わせるとしようか、それと面白いものが見れたから今回は報酬もいらない」

 

 

そう言い残して出て行く彼と一人残された私、静かな空間の中で私は立ち上がる事が出来なかった。

先程からスロウスの言葉から私の頭から離れず、そして自分という人間が酷く矮小な存在に思えてね。

私の脳裏を過る見知らぬ誰かと糞ったれな笑顔、それは私のような私ではない誰かだったよ。



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正義の味方と感情論

 いつもと変わらない朝、いつも通りの服に着替えてこれまたいつも通りの道を通る。

 視線の先には糞ったれな日常と笑い合う人々、脳裏を過るのはシアンの笑顔とセレストの泣き顔。

 私は暖かい日差しと心地良い振動に苦笑いし、そして窓から見える代り映えのない景色にため息を吐いた。

 

 

 

「先に言っておくけど、シアンちゃんになにかあったら絶対に許さないから」

 

 

 通りで捕まえた初老の男性が運転する馬車、それに揺られながらセレストの言葉を思い出す。

 シアンに関する事はなにも教えていないのだが、彼女なりに思うところがあるのかもしれない。

 それが私に対する反感からくるものなのか、それともなんの根拠もないただの直感なのかはわからない。

 

 

 一応スロウスとの約束は今日の夜だったが、たとえシアンが見つかったとしてもあまり余裕はなかった。

 なぜなら明日の午後から奉天学院との最終戦、四城戦の優勝者を決める試合が行われるからだ。

 本来であれば資料室で黒い夜に関する残りの情報、それをスロウスが来るまでの間調べたかったが、さすがにそんな理由で休むわけにもいかない。

 

 

 最終戦を前に無断欠席が続けばどうなるか、そんな事は今更言うまでもないと思う。

 そもそも生徒会長様が黙ってはいないだろうし、あの御姫様にしてもなにを言ってくるかわからない

 取りあえずは昨日の事を謝罪して、その上で出来るだけ穏便に切り抜けるとしよう。

 

 

 

「ほら、そろそろ着くよ学生さん」

 

 

 私はそんな事を考えながら見えてきた建物、無駄に大きなそれを前にして盛大なため息を吐く。

 そして運転手に御金を渡すと馬車を降りたのだが、ここでひとつだけ予想外な事が起こった。

 それは私が現れたことに驚く生徒達の中で、その男だけがこちらへと真っ直ぐ向かって来たのである。

 

 

 いつものそれではなくあんな古臭い馬車から現れたこと、それに周りの生徒が驚いている事はわかるが、なぜか彼だけはなんの迷いもなく近づいて来た。

 それはシアンの運転する馬車に私が乗っていないこと、それをあらかじめ知っていたかのような態度でね。

 校門前の人だかりも私の登場と彼の雰囲気にあてられ、もうすぐ授業が始まるというのに足を止めていた。

 

 

 

「おはようヨハン君、今日はいつもの馬車じゃないんだね」

 

 

 そう言って微笑む彼に私の頬が痙攣し、これ以上ないというほど憂鬱な気分になったのは言うまでもない。

 それこそ鳥の糞でも当たったかのような感覚、朝からバーバリアンに話しかけられるとは最悪である。

 これが昨日の今日でなければ世間話くらい付き合うのだが、今の私は鳥の糞とお話するような時間はない。

 

 

 私はヒーロー君の事を無視して歩き始めたが、彼とのすれ違いざまに発せられた一言、それに反応して思わず止まってしまう。

 彼の声はそれほど大きなものでもなかったが、それでも周りの騒音なんかとは比べものにならなかった。

 

 

 

「……そうか、やっぱりシアンちゃんは帰っていないのか」

 

 

 どうして彼の言葉に反応してしまったのか、それを説明する事は出来ないし覚えてもいない。

 私が思い出せるのはそこから先のこと、彼の胸ぐらを掴む自分と周囲の悲鳴だけだ。

 目の前の男はそんな私に苦笑いしていたが、もしかしたら彼なりのアプローチだったのかもしれない。

 

 

 しかしこの時の私は少しだけおかしかったと言うか、スロウスとのやり取りや今後の事で頭がいっぱいだった。

 そしてあまり寝ていない事もそれに拍車をかけ、この時の私は上手く取り繕う事が出来なくてね。

 これでは本能のままに動くお猿さんと変わらないと言うか、なんの計画性もなかったルーマニアの赤い大統領と同じである。

 

 

 

「知っている事を全部話せ、今の私はお前の駆け引きに付き合うつもりはない」

 

 

 私の雰囲気になにかしらの事情を察したのか、彼の顔つきとその態度が変わってね。

 それは御姫様との試合で見せたものと同じであり、あの召喚獣(ペット)を傷つけられた時よりも怒っていたように思う。

 どこまでも真っすぐな瞳で私を見つめ、そしてその手首を掴んで彼はこう言った。

 

 

 

「だったら離してくれ、口で説明するよりも見てもらった方が早い」

 

 

 彼に言われるがまま私は掴んでいた服を離すと、そのまま通りかかった馬車を捕まえて足を用意する。

 周囲の生徒達はそんな私達を見て騒いでいたが、ヒーロー君はそんな彼等に微笑むと運転手に行先を告げてね。

 小さな個室の中で向かい合わせに座る二人、この光景を生徒会長様や御姫様が見たら誤解したかもしれない。

 

 

 小さな空間に響く車輪の音と馬のいななき、御世辞にもいいとは言えないその中で私達は一言も喋らなかった。

 個人的にはどうしてシアンがいなくなった事を知っていたのか、そしてこれからどこに向かおうとしているのかなど、それこそ聞きたい事は山ほどあったがそれをこの空間が許さない。

 そもそも行先も聞かずに乗り込んだ時点で救いようがなく、普段の私ならば決してこんな行動は取らなかっただろう。

 

 

 さすがに今回の一件に彼が関与しているとは思わないが、それでもある程度の保険は掛けておくべきだ。

 それはある種の自己嫌悪というか後悔のようなもので、やる事のなかった私は外の景色をずっと眺めていたよ。

 そしてどれくらいそうしていただろうか、やっと馬車が止まったかと思えば運転手が声をかける。

 

 

 

「着きましたぜ学生さん達、だけど本当にこんなところで降ろしてもよかったのかい?

 俺が言うのもなんだけど、ここはあんた達みたいな人間が来るようなとこじゃないぜ」

 

 

 

「いいんですよ。ここに来るのは慣れていますし、なによりこんなところでも意外と面白いんです。

 これはここまでの代金とちょっとした御礼ですから、もしも時間があればリヤンという孤児院にでも寄ってください」

 

 

 馬車から降りた瞬間に私が感じたのはすえた臭いと埃っぽい空気、入り組んだ道と無秩序に建てられた建築物、通りにはゴミが散乱しており御世辞にも綺麗とは言えない。

 通りに座り込む子供達やゴミを集めている老人、その光景と独特の雰囲気にここがスラム街だと理解するのに時間がかかった。

 確か王都の端にあるというスラム街、その存在こそ知っていたもののこうして訪れるのは初めてだった。

 

 

 

「それじゃあこの辺で俺は失礼するが、火遊びもほどほどにしときなよ学生さん」

 

 

 さすがに表通りで生活している運転手はこたえたのか、ヒーロー君から代金を受け取った彼は手綱を引いた。

 おそらくはこの臭いと空気に我慢できなかったのだろうが、そのまま振り返らずに来た道を戻っていく。

 そして残された私は彼に言われるがまま再び歩き出し、そんな掃きだめの中を出来るだけ警戒しながらついて行った。

 

 

 

「こっち、この先のゴミ捨て場に見せたかったものがある」

 

 

 整備されていない道に今にも倒壊しそうな家屋、道行く人々の視線を集めながら歩き続ける。

 ここに住んでいる者達からすれば私達のような人間は珍しいのか、何度か声をかけられたがその尽くを無視したよ。

 そうやってどれくらい歩いただろうか、気がつけば私達の足は彼の言うゴミ捨て場で止まっていた。

 

 

 

「あれだよ、あの屋根や車輪には君も見覚えがある筈だ。

 僕が見つけた時は馬の死体や他の部分も残っていたけど、今はあれだけしか残っていないようだね」

 

 

 異臭が漂うスラム街の中でも一際凄いその空間、目の前のゴミ山から子供たちが使えそうな物を持ち出している。

 私は彼が見つめる先にあるそれ、多くの子供たちが密集しているそこへ視線を移してね。

 そのまま彼と共にその場所へと近づけば、見慣れたそれが無惨な姿となって飛び込んでくる。

 

 

 その木材はもはや原型をとどめていなかったが、それでも私にはそれがなんだったのかがわかる。

 まだ乾ききっていない血だまりにボロボロとなった部品、この瞬間私が予想していた中でも最悪のパターンが確定したのである。

 嬉しそうに馬車を磨いているシアンの姿が脳裏を過り、私は目の前のゴミを思いっきり踏みつぶした。

 

 

 全く、誰がやったのかはわからないが、この私に喧嘩を売った事を後悔させてやろう。

 おそらくはこの間やってきた御飾りの小娘か、又はリュドミラを引き抜かれた魔術師協会だと思うがね。

 貴族の御坊ちゃまという可能性も考えられるが、その辺りはスロウスが調べあげてくれる。

 

 

 

「そうか、では私は学園に戻るとしよう」

 

 

「そうか……って、あれを見てもなんとも思わないのかい!?

 あれはシアンちゃんがいつも乗っていた馬車なのに、それをたった一言で済ませるなんてどうかしている。

 たとえ冗談だとしても、全然……全く笑えない。僕がこんな事を言うのも変だけど、君がやるべきことは学園に戻る事じゃない筈だ。

 なにかの事件に巻き込まれてしまったかもしれない彼女を――あの素直で真っ直ぐな女の子を迎えに行く事じゃないのか!」

 

 

 だからこそ私は踵を返して学園に戻ろうとしたのだが、今度はヒーロー君の方が私の胸ぐらを掴んでね。

 それでよくわからない言語を持ち出して、然も理解出来ないと言わんばかりに詰め寄ってくる。

 これにはさすがの私も驚かされたが、こうして見れば校門前でのやりとりもかなり滑稽だ。

 

 

 

「私のやるべき事?これはまた……君のような人間にそんな事を言われるとはね。

 では突然怒り出した君に聞くが、私が探したところでなんの意味がある?

 私はその道のプロフェッショナルでもなければ王都に来たのも最近で、それこそこれと言って頼れる友人もいないような人間だ」

 

 

 本来であればその手を振り払うところだが、先程の件もあるのでそれが出来ずに私は困っていた。

 だから彼の手首を優しく締め上げて、その上で少しだけこの茶番劇に付き合ったよ。

 彼が言おうとしている事はなんとなくわかるし、それがどれだけ無駄な行為かも知っている。

 

 

 

「既にギルドを通じて依頼は出しているし、そう言ったもめ事は冒険者に任せた方が効率的だろう。

 彼等は私の代わりにシアンを探し出し、そして私は彼等を使って四城戦に専念する。

 私が失うのは数枚の金貨とちょっとした時間であり、得られるものは四城戦の優勝旗と君の反感だけだ。

 それこそ誰もが喜ぶような素敵な方法、私には君がどうして怒っているのか理解できない」

 

 

 

「たとえ冒険者を雇っていたとしても、君が探している事を知ればそれだけで彼女は喜ぶ。

 もしかしたら冒険者よりも先に君が見つけるかもしれないし、それに僕が言いたいのはそんな事じゃないんだ。

 君は効率がいいだなんて言ったけど、僕に言わせればそんな効率なんてどうでもいい。

 これは心の問題であって効率だとか……ましてやお金なんかよりも遥かに大切な事、君自身がシアンちゃんを助けたいかどうかだ」

 

 

 コメディアンだってもう少しまともな事を言うが、これ程までに彼が重傷だとは思わなかった。

 言葉のキャッチボールが全く成立していないというか、彼の言っている事はニヤゾフと同じかそれ以下だ。

 感情論を優先させればどんな行動でも否定できるし、それと同じように肯定することだって可能だろう。

 

 

 それに彼女を助けたくないならスロウスに相談などしないし、私の立場上冒険者を雇っていると言ったがあながち間違ってもいない。

 情報さえ手に入ればそいつを殺しに行くわけで、今は出来るだけ目立たないよう行動すべきである。

 しかしそれを目の前の男に教えるわけにもいかず、同様の理由でその間違えを指摘することも出来ない。

 

 

 なんともよくわからない状況になったと、そう感じた私は思わず苦笑いしてしまう。

 おかげさまで私の服は伸びきっているし、彼の表情もこれまでとは比べものにならない。

 ヒーロー君がなにを勘違いしているかは知らないが、少なくともこれ以上の会話は時間の無駄だ。 

 

 

 

「僕がシアンちゃんの名前を口にした時、君は確かに怒っていた。

 そうでなければ君があんな行動に出る筈がないし、なによりこんなところまで着いて来てくれるとも思えない。

 だからあの瞬間に僕は君という人間の優しさ、そして人を想う部分に触れたような気がしたんだ」

 

 

 

「なにを言うかと思えば、先程も言ったと思うが私は既に冒険者を雇っている。

 私に言わせればそれこそが最大級の優しさであり、これ以上ないというほど正しい判断だ。

 そもそもどうして君のような部外者がそこまで首を突っ込むのか、私にはそちらの方が疑問だよ」



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正義の味方と人間のような化物

 人間とは好き嫌いが激しい生き物であり、どんな博愛主義者であっても全ての人間を平等に扱う事は出来ない。

 自分が可愛がっているペットを傷つけられれば怒るし、大切な人を貶されれば剣だって向けるだろう。

 たとえその感情が一時のものであっても、人間の脳はそれをある種の情報として記憶する。

 

 

 

「仮に君の言葉によって私が考えを改めたとしようか、そうすると君は私の手助けでもするつもりかね?

 ハハハ……全く、冗談も休み休み言ってくれないか?

 君のペットを傷つけた私を助けるなんて、そんな出来もしない事を軽々しく言うべきではないな」

 

 

 ではそれを踏まえた上で目の前の男はどうだろうか。そう言った感情や記憶を度外視した上で行動する人間、誰よりも正しい行いをしようとする化物である。

 私は精神科医ではないので詳しい事はわからないが、それでも目の前の男は異常だと言い切れる。

 なぜならよくわからない感情論を振り回し、その上で自ら矛盾した行動を取ろうとしているからだ。

 

 

 

「それがヨハン君の望みだと言うなら、その時は全力でやらせてもらうよ。

 こう見えても彼女とは顔見知りだし、あんな真っ直ぐな子がつらい目にあっているなら助けたい」

 

 

 どこの世界に大切なペットを傷つけられ、更には大切な人を貶されても気にしない人間がいる。

 それこそ顔も見たくないと思うのが普通であり、どんな聖人であっても自らその男を助けようとは思わない。

 むしろそういった状況を知って嬉しがるのが人間というか、少なくともこんな言葉を口にする者はいないだろう。

 

 

 気持ちが悪い――それが目の前の男に対する率直な感想であり、私が抱く彼という男のイメージでもあった。

 アニメやライトノベルの世界では重宝されるだろうが、現実的に考えてこれほど気持ち悪い人間もいない。

 

 

 

「では聞くが相手が剣を抜いて来た時、話し合いでどうにもならない時はどうするつもりだ。

 相手を殺すのかそれともただ逃げ惑うだけか、私やお前のような学生に出来る事など知れている。

 それこそ探偵ごっこならぬ冒険者ごっことしか言いようがない。どうしてそこまで首を突っ込みたがるのか、個人的にはそちらの方が知りたいのだがね」

 

 

 なにかしらの思惑があるというならわかるが、それがないとなればもはや人間ではない。

 私の言葉にヒーロー君はその力を緩めてくれたが、それは彼自身がその言葉に反応したからだろう。

 どう答えたらいいのか悩んでいるようで、目の前の化物は出かかった言葉を何度も呑み込む。

 

 

 そう言えばセシルが彼の事をわけありだと言っていたが、その辺りにヒーロー君の本質が眠っているのかもしれない。

 どうしてこんなにも歪んでしまったのか、病的なまでに正しくあろうとするその理由だ。

 個人的には御姫様との関係について知りたかったが、この化物が喋ってくれるとも思えない。

 

 

 

「とある事件がきっかけで僕の家族、そして故郷だった村はなくなってしまった。

 当時の僕は姉さんと一緒に村を離れていたから助かったけど、両親はその事件に巻き込まれてしまってね。

 それから僕達は一緒に暮らしていたけど、ある日を境にその姉さんも帰って来ないようになった」

 

 

 そうしてやっと口を開いたかと思えば、彼は曖昧な表現と意味深な言葉を連発する。

 その漠然とした内容に思わず苦笑いしたが、もしかしたらこれ以上詳しい事は言えないのかもしれない。

 全く、その事件とやらさえわかれば調べる事も出来るが、この様子だとそれを聞いても濁されるだけだろう。

 

 

 

「姉さんはその事件をずっと調べていて、その過程でとある重大な事に気づいたんだ。

 それは僕達なんかが面白半分で首を突っ込んでいいような――そんなレベルではなくて、だから姉さんは僕を守る為に姿を消した。

 一応姉さんの友達から事情は教えてもらったけど、本当に突然の事だったから反応に困ってさ。

 ただ、その時その冒険者さんが僕にこう言ったんだ」

 

 

 その事件が彼の価値観を狂わせたのは間違いなく、自分達だけが助かったという罪悪感がこの化物を生み出した。

 おそらくは両親の死を切っ掛けに少しずつ歪み、そして突然いなくなった姉が最後の決め手となった。

 なるほど、頼るべき人間や拠り所とすべきものが消えてしまい、当時の彼はそれをその冒険者に求めたのである。

 

 

 

「胸を張って受け入れろ、そして誰よりも真っ直ぐ生きるんだ」

 

 

 全く、君は本当に気持ちが悪い男だ。それこそよく知らない冒険者の言葉を真に受けて、そんなどうでもいい慰めを糧に強くなろうとした。

 ある種の強迫観念にかられながら生き、気がつけば最低限の人間性すらも手放した。

 正しくあろうとするばかりに感情論を優先させ、そのせいで自分が矛盾している事にも気づかない。

 

 

 

「代表戦に於いて、確かに君は僕の大切にしているものをいっぱい傷つけた。

 だけど僕の処分を撤回させる為に頑張ってくれたし、ターニャにだって王族としての道を示してくれた。

 だからヨハン君のそう言った部分を信じたいというか、僕は他の人達が思っているほど君の事を悪くは思っていない。

 確かに色々とズレている部分はあるかもしれないけど、そんなのはこれから変えていけばいいんだ」

 

 

 やはり彼の言っている事は異常だ。全ての原因は私にあるというのに、それを度外視するなんて普通ではない。

 そもそも私のそう言った部分を信じたい……なんて、中々面白い事をいうお猿さんじゃないか。

 信じるもなにも私は化物に興味などないし、君が目の前で殺されたとしても笑って見送るだろうね。

 

 

 

「だから僕は君が変わると信じているし、今だって間違った行動を取ろうしている君に怒っている。

 君はどうして僕がこの件に首を突っ込むのか、それを不思議がっていたけどそんなのは簡単だ。

 僕自身がシアンちゃんを助けたいから……それこそお金だとか効率の問題じゃなくて、ただ単に助けたいから助けるんだ。

 君の言うように足手まといになるかもしれないけど、それでもなにもしないよりはマシだからね」

 

 

 自分自身の異常性は棚に上げて、その上で私が間違っていると言わんばかりの態度……これにはさすがの私も呆れてしまった。

 彼や彼の周りにいる人間は気づいていないのだろうか、それとも気づいているからこそ逆に利用しているのか。

 ただ単に正しくありたいという理由で行動する化物、そこに個人的な感情や目的は存在しない。

 

 

 いや、存在するかも知れないがそれはあくまでもオマケだ。

 彼の行動はある種の強迫観念から始まっており、そういったものはただの理由づけに過ぎない。

 まさかこれほどまでに重傷だったとは、もはや可哀想というより哀れでしかない。

 

 

 

「そうか、そこまで言うなら私も考え方を変えよう」

 

 

 だからこそ彼の一人芝居というか、その奇声が私の神経を逆撫でしたのも当然である。

 私は掴んでいた彼の手首をひねると足を払い、そのまま地面へとたたきつけて襟首を掴む。

 小さなうめき声と共に私達の立場は逆転し、私は彼を見下ろしながら教えてあげたのさ。

 

 

 

「なるほど、確かに君は可哀想な人間だろう。

 幼くして両親と故郷を失い、更には唯一の身内である姉も消えてしまった。

 頼るべき人間や帰る場所がなくなった時、君がその冒険者とやらの言葉にすがりついたのもわかる。

 そしてその言葉がある種の支えとなって大きくなり、遂には君という人間を作りだしたのだろう」

 

 

 彼の人間性について率直な意見を述べると共に、その考えがどれだけ歪んでいるかを説明した。

 私に言わせれば過去のトラウマから己の行動を正当化し、更には個人的な感情を他者に押し付ける時点で普通ではない。

 無自覚な悪意ほど質の悪いものはないというが、どうやらそれ以上のものを見つけてしまったようだ。

 

 

 

「だがな……だが、その程度の不幸話などいくらでもある。

 それこそこのスラム街に住んでいる人間、あそこでゴミを漁っているガキ共の方がよっぽど壮絶だ。

 貴様のやっている事はただの御節介であり、褒められるような事でも……ましてや正しい行いなんてものとは程遠い。

 自分が気に入らないものには口を出し、相手が止まらなければ実力行使に訴えかける」

 

 

 人間の形をしたなにかが口を開き、そしてよくわからない言葉を発している。

 個人的にはさっさと終わらせたかったが、このまま犯罪者予備軍を放置するわけにもいかない。

 

 

 

「いいから聞けよ小僧、私は別に怒っているわけではない。

 むしろそう言ったものとは真逆の感情、要するに貴様を見ながら楽しんでいるだけだ。

 真っ直ぐ生きようとするあまりに道を踏み外し、そして間違った方向へと歩き続ける貴様は見応えがある」

 

 

 空虚な瞳に逃げ惑う視線、私の腕を掴むその手も震えていたように思う。……全く、化物の分際で動揺しているのか、そんな彼を見ながら私はため息を吐いてね。

 彼の反応を伺う為に少しだけ間隔をおいて、その上で頃合いを見計らって譲歩する。

 これ以上の会話は時間の無駄でしかなく、この後のことは御姫様辺りに任せるとしよう。

 

 

 

「しかし喜べ、私は今日学園にはいかない事にしたからな。

 貴様の説得に感化されたと思うもよし、ただ単に別の用事を思い出したと考えても構わない。

 少なくとも君の目的は達成されたので、この後は楽しい学園生活を送ってくれたまえ」

 

 

 私の言葉に彼は一瞬だけ口を動かしたが、結局はなにも言わずに黙り込んでしまった。

 おそらくは今までの人生で初めての経験というか、目の前の男はその異常性を指摘されたことがなかったのだろう。

 だからこそその動揺は想像以上に大きく、それはどんな魔法よりも彼にダメージを与えた。

 

 

 ふむ、それに今頃学園では私達の事が噂になっているだろうし、そんな中で戻ったとしても余計な面倒事が増えるだけだ。

 それならば全ての説明は彼に任せて、その上で私は彼の敷いたレールに便乗するとしよう。

 この様子だと私に干渉してくることもないだろうが、もしもの時は今と同じように古傷を抉ればいい。

 

 

 私は地面に倒れたまま動かない彼を尻目に、そのまま踵を返すと来た道を戻っていく、後のことはこの化物にやってもらおうか。

 おそらくは話を聞いた御姫様辺りが騒ぐだろうし、それならば私が説明するよりも彼にやらせた方がいい。

 私は一足早く本社へ向かうとして、生徒会長様や御姫様への報告と対応は彼に任せよう。

 

 

「あっ……そうそう、君は私の事が嫌いだと言っていたが、私は少しだけ君の事を好きになったと思う。

 今日は私の分まで美味しいご飯を食べて、その後は御姫様にここで会った事を説明するといい」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「おや、これは私としたことが少し遅れてしまったかな?」

 

 

 その声は黒い夜に関する資料を漁っていた私の、その疲れ切った頭を覚醒させるには十分だった。

 あの後ヒーロー君と別れた私は一度屋敷へと戻り、そして昨日と同じように資料室の中で調べものをしていた。

 ただ、黒い夜に関する資料が想像していたよりも多かったせいで、私の周りには大量の本が山積みになっていた。

 

 

 

「いえいえ、少し調べものをしていただけですよ」

 

 

「ふーん……まあ、君がやろうとしている事に口出しするつもりはないよ。

 一応君のところにいた獣人のメイドとそれを攫った相手、可愛いプリンセスと間抜けな悪党は見つけたしね。

 個人的にはいい退屈しのぎになったし、たまには人助けをするのもいいかもしれない」

 

 

 そう言ってスロウスは持っていたそれを渡すと、そのまま私の正面にあるソファーに座る。

 私はその数十枚から成るリストに目を通しながら、そこに記載されている人物と経歴に目を通してね

 職業、年齢、経歴、そして家族構成。あらゆる情報が詰め込まれたそれはある種の武器であり、数多くの奴隷を従える彼にしか作れないだろう。

 

 

 しかしこの量にはさすがの私も驚いたと言うか、リストに載っている人間には共通点がほとんどなくてね。

 中にはスラム街で生活している者までいるし、このリストがどういったものなのかがわからない。

 私は一通り目を通した上で顔をあげると、そのままスロウスにこれがどういったものなのかを訪ねた。

 

 

 

「これは君の事を怨んでいる者やその家族、つまりはそのメイドを探す過程で浮上した人間だ。

 君は知らなかったかもしれないけど、これだけ多くの人間が君の事を怨んでいる。

 職業や年齢、その家族構成だってバラバラだけど、このリストに載っている者の大半にはある共通点があってね。

 その身内のほとんどが君の通っている学校、コスモディア学園の入学テストとやらを受けている。

 まあ、ここまで言えば後はわかると思うが……要するに可愛い娘や息子を傷ものにされた親、又はその身内がほとんどという事だ」



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四城戦(下)
悪の組織は笑う


 それは私としても予想外だったと言うか、あの程度の事で怨まれているとは思わなかった。

 スロウスが言うには片腕を失った者のほとんどが生活に困り、金銭的な問題から義手を買う事すら出来ない。

 この世界に於けるそれは一種の魔道具であり、性能はいいのだがそれなりにお金もかかる。

 

 

 要するにある程度の地位にいるものならいざしらず、ただの労働者階級には難しいという事だ。

 それこそ怪我の治療からその後のリハビリも含めて、彼等にかかる精神的な負担も相当なものだろう。

 そしてそう言った行き場のない不満が私へと集まり、これほど分厚いリストが完成したわけである。

 

 

 全く、私に言わせれば完全な逆恨みなのだが、それを主張したところで彼等は納得しないだろう。

 これには私としても頭を抱えたが、今更嘆いてもこの状況は変わらない。

 取りあえずはそう言ったものを一度清算し、その上で今後の対策を練り直す必要がありそうだ。

 

 

 

「なるほど、では片腕を失った者達全員に新しい義手と見舞金、加えて当面の生活費を援助しましょう。

 それでこのリストに載っている者の一部……いや、その半分は消えるでしょうからね。

 後はそこら辺の福祉施設に援助金でも送り、私という人間を上流階級の人間にアピールする」

 

 

 彼等が金銭的な問題を抱えていると言うなら、それを解決する事によって恩を売るとしよう。

 たとえ全ての元凶が私だったとしても、そうする事によって彼等の不満を反らすことは可能だ。

 後は適当な施設に援助金でも送って悪い噂を払拭し、そして私と御姫様の関係をアピールする。

 

 

 御姫様が建てたとかいう孤児院、そこに匿名で援助金を送る事によって周りを勘違いさせる。

 一部の貴族や軍人が調べればわかるように、敢えて私という存在をちらつかせるとしよう。

 表向きは善意の第三者から送られた寄付金、しかしその中身は同じクラスの男子生徒から送られたものだ。

 

 

 私を調べる過程でそういった繋がりを発見し、そして私達の仲を勘違いでもすれば十分だ。

 御姫様は私から送られた寄付金で多くの孤児を救い、私は御姫様という肩書きを利用してその抑止力とする。

 王家との繋がりを知れば大抵の者は諦める筈で、たとえどんな人間であってもそれを無視することは出来ない。

 

 

 

「ハハハ、確かに面白い手だとは思うけどね。

 だけど今の君には人手が足りないというか、それをやるにはラースのカテドラルは小さすぎる。

 たとえその計画を私に頼むとしても時間はかかるし、なによりこの間みたいに無償というわけにはいかない」

 

 

 スロウスの言う通り私の組織はあまりにも小さく、その規模は人魔教団の中でも最弱である。

 彼の性格からしてただの嫌味でもないだろうが、それでもその言葉には思わず苦笑いしてしまう。

 私の計画が進めば教団内のパワーバランス、特にプライドに対する立場は逆転するだろうがね。

 

 

 しかし今のところはスロウスに頼るしかなく、どんな計画を立てようともそれを実行するだけの力がない。

 なんとも情けない話ではあるが、それが私の置かれている現状だ。

 むしろそんな私に付き合ってくれている彼は、それだけ面倒見がいいといえる。

 

 

 

「それに君はまず可愛いプリンセスを救う為に、この……そう、とても可哀想な悪党と戦う必要がある。

 ほら、この男が君のメイドを攫った小悪党だ。

 君の事だからその名前を見て気づいたと思うけど、彼はそのリストに載っている者とはわけが違う。

 これと言ってお金に困っているわけでもないし、周りの評判だってそんなに悪くはない」

 

 

 そう言われて私はリストに載っていた最後の人物、一人だけ身分の違うその男のページで指が止まった。

 そこに書かれていたのは御立派な血筋と経歴、無駄に長い家系図やその性格に思わず感心してね。

 どうしてこれほどの男がシアンを誘拐したのか、個人的にはそちらの方が不思議だったよ。

 

 

 しかし彼に言われるがままその名前を見て、そして聞き覚えのある単語を呟いた瞬間納得した。

 そう言えば彼女の名前もこの男と同じだったと、そう思いながらリストに載っていた顔写真に視線を移す。

 

 

 

「確かに一部の貴族たちからは嫌われているけど、それは彼の打ち出した政策が門閥貴族の反感を買ったからだ。

 貴族にしては珍しく領民よりの考えというか、少なくともあんな事がなければ君のメイドを攫ったりはしなかっただろうね。

 ちなみに君のメイドは彼が最近建てた別荘、そこに幽閉されているようだけど、そこには彼の他に君の顔なじみも住んでいるようだ」

 

 

 顔なじみ……か、まさかスロウスがそんな言い方をするとは思わなかった。

 確かに顔なじみと言えばそうなのかもしれないが、これほど皮肉染みた言い方もないだろう。

 

 

 おそらくは療養の為に建てたのだろうが、辺境にあるそこは私としてもやりやすい。

 周りに民家がないので余計な邪魔が入らないし、なにより街から離れているので応援を呼ぼうにも時間が掛かる。

 

 

 

「貴族に怨みを持っている人間、それを二十人ほど貸していただけませんか。

 あくまで使い捨てる事を前提として、出来ればBランクくらいの冒険者でお願いします」

 

 

「別に構わないけど、一応それなりの見返りはあるんだよね?」

 

 

 取りあえずは彼から最低限の人材を借りて、その上で私は全ての見返りとしてとある契約を結ぼう。

 契約の内容はスロウスに取って魅力的なもの、つまりは私が提示できる最高のもので取引する。

 

 

 

「無論です。さすがにある程度の制限は設けますが、それでもスロウスさんの言う事をなんでも一つだけ聞きましょう。

 これは単なる口約束ではなく、あくまでギアススクロールを用いた契約です。

 ですから今回だけは私のわがままを聞いて、その上でなにも言わずに協力して欲しい」

 

 

 私の不利益にならない範囲で彼の命令を実行する――要するに一回限りの主従関係、これほどの好条件であれば彼も断らないだろう。

 一応ある程度の制限は設けているが、これを失くしては色々と問題があるからね。

 

 

 スロウスは奴隷達を使ってリストに載っている者、そして御姫様が経営している孤児院に金を送る。

 後は使い捨てのコマを二十人ほど用意して、私が散らかすだろうゴミの処理もしてもらう。

 その見返りに私は一回限りの主従関係を結び、私の不利益にならない範囲で彼の命令を聞く。

 

 

 

「ふーん……まあ、私としては大歓迎だけどさ。

 ただ、獣人の子供を救う為にそこまでするなんてね。

 私は君の事をもっと冷たい人間だと思っていたけど、この場合は褒めた方が良いんだろうね。

 だけど本当にこんな事でギアススクロールを使うの?君も知っていると思うけど、一度結んだら契約を果たすまで解除出来ないよ?」

 

 

 

「はい、私にとってはとても大事な事ですからね。

 一応孤児院に対する寄付はスラム街にある最近建てられたもの、おそらくはコスモディア学園の生徒が出入りしている筈です。

 そこに毎月一定の金額を私だとバレないように送り、その裏で私の痕跡をいくつか残してください。

 こんな事を言うのも変ですが、その道の人が調べれば簡単にわかるような形で……まあ、その辺りの采配はお任せします」

 

 

 ふむ、なんともわかりやすい関係だ。

 少しばかり釣り合いが取れていない気もするが、その辺りは私からのサービスという事にしよう。

 彼が私という人間に好感を持ったならそれもよし、たとえこの件で評価が下がったとしても問題はない。

 

 

 

「君の言っている孤児院には心当たりがある――確か……そう、リヤンだったか。

 スラム街の中でも一際大きな建物、孤児院にしては妙に小綺麗だったから覚えているよ。

 大方貴族連中が道楽で建てたと思っていたけど、君の様子を見るからにどうやら違うようだ」

 

 

 そんなのはいくらでも挽回できるし、そもそも私の計画は始まってすらいない。

 私はスロウスの言葉を聞きながらこれからのこと、どうやってその小悪党を成敗するのかを説明してね。

 その上で彼の口から小悪党の屋敷がどこにあるのか、そしてその準備にかかる時間を算出して口を開く。

 

 

「では、準備が出来次第私は行くとします」

 

 

「昨日の今日で人殺しか、とても学生さんが言うような言葉じゃないね。

 だけど……まあ、そんな君も私は嫌いではないけどさ。

 君は王都の端にある森の入口、そこで私の用意した馬車が来るのを待っていてくれ。

 人手の方はすぐに用意できるし、その後のことも気にしなくていい」

 

 

 私の言葉にスロウスはため息を吐いていたが、彼もこうなる事は予想していたのだろう。

 そうでなければこれほど早く準備できるわけがないし、そもそも彼の声はどこか楽しそうだったからね。

 こうして私達は立ち上がって握手を交わすと、そのまま渡されたリストを近くの松明で燃やす。

 

 

 資料室の中で不気味な仮面した男たちが笑い、そして軽快な足音を響かせながらそこを後にする。

 掲げられた松明が私達の気分を高揚させ、美しいステンドグラスがそれに彩を添える。

 アーメン、ハレルヤ、オーバーキル。目的を達成するのに必要なのは御大層な志ではなく、情報通な同僚とポケットからはみ出る程の大金である。

 

 

 

「それじゃあスロウスさん、私は御人形さんが届くのを待っています」

 

 

「ああ、返品されても困るから処分の方は頼んだよ」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 馬車の車輪が荒っぽい音を立てながら、暗い森の中を突き進んでいく。

 私は同席している目の前の女性、スロウスが用意した御人形さんに視線を移してね。

 青色の瞳と髪の毛をした女性、着ている鎧はそれほどいいものではないが、それでもそこに刻まれた傷がなんとも凛々しかった。

 

 

 スロウスから提供されたBランク冒険者総勢二十名、その全てが数台の馬車に別れて私達の後を追いかける。

 窓から差し込む月明かりが女性の髪を照らし、私はそれを見ながら口を開いてね。

 一応この女性が冒険者たちを統率するリーダーであり、全ての命令は彼女を通して指示する事になっている。

 

 

「君達は屋敷の周りを取り囲んで、そこから逃げ出そうとする者を殺せ。

 他の者は私の方で処分するから、合図を出したら屋敷に火を放ってそのまま待機だ。

 最低限の見張りを配置して、残りの者は屋敷の入口でのんびりしていればいい」

 

 

「畏まりました。我等はラース様の剣となり、必ずやその役目を果たしましょう」

 

 

 今更言うまでもないと思うが、彼女達はギアススクロールでその魂を縛られている。

 本来であればスロウスの言う事しか聞かないのだが、彼からの命令で私とも契約を結ぶ事となった。

 しかしこういったやり方はある種の裏ワザというか、正規のやり方ではない分その効果も弱まるそうでね。

 

 

 スロウスの様に直接契約したわけではないので、ある程度の抵抗は覚悟してほしいと言われた。

 抵抗と言っても一時的なもので、私の命令を理解するのに数分ほど時間がかかるらしい。

 これに関してはどうにもならないので、彼女達を屋敷の中で使うのは難しいだろう。

 

 

 そもそも彼女達の役目は全ての人間を殺した後、つまりは屋敷を燃やした後の予定だ。

 それならば屋敷から逃げようとする者を標的に、私の邪魔にならない範囲で楽しんでもらおう。

 

 

 

「邪魔だと思う者、もしくは予想外の存在と出くわしたら例外なく排除しろ。

 それが女や子供、たとえ赤ん坊であっても例外はない。全てを殺してその首を屋敷へと投げ込め、後のことは全てが終わった後に指示する」

 

 

 そして車輪の音が聞こえなくなったと同時に、私はそこから降りて道なりに突き進む。

 すると月明かりに照らされた大きな建物、石造りの外壁と無駄に大きな入口が見えてね。

 よく見れば二振りの刃が暗闇の中で揺れており、そこには鎧を着た門番が辺りを警戒していた。

 

 

 あれは(パイク)?――だろうか、それは私の身長よりも遥かに大きく、夜中だというのにその装備もかなりのものだ。

 あの身なりからして冒険者ではなさそうだし、おそらくはこの屋敷を警護している私兵だろう。

 そして私の存在に気づいた彼等は素早く武器を構えて、そのまま敵意のこもった視線を向けてくる。

 

 

 なるほど、相手が貴族だからと侮るのは止めようか。

 門番でこれほどの動きが出来るなら、屋敷の中にいるだろう兵隊もかなりのものだ。

 いきなり攻撃してこなかっただけマシだが、それは私の見た目が子供だという事もあるのだろう。

 

 

 

「聞きたいのだが、この屋敷はパウロス=アドルフィーネの屋敷で間違いないかな?」

 

 

 私の言葉に門番の二人は驚いたのか、一瞬だけお互いの顔を見つめ合ってね。

 その瞬間に私は持っていた魔道具からお気に入りの一品、敬愛する上司から頂いたそれを取り出したのさ。

 私の身長よりも大きくて歪な形をした武器、全てが真っ黒なそれは死神を彷彿とさせる。

 

 

 プライドが欲しがっていた禍々しい大鎌、教皇様から与えられたお気に入りであり、これを使うのもかなり久し振りだ。

 私は鈍い光を放つそれを一閃すると、目の前の二人は時間が止まったかのように固まる。

 そして暖かい血飛沫が私の顔を濡らし、切り落とされたそれが虚しく転がった。

 

 

 綺麗な赤色が辺り一帯を染め上げて、強烈な血生臭さが私の鼻を刺激する。

 出来の悪い人形がゆっくりと倒れ、それと同時に足元の液体が辺りに飛び散ってね。

 私は持っていた大鎌――クロノスを死体の心臓に突き刺すと、そのまま目の前の扉をノックしてこう言ったのさ。

 

 

 

「こんにちは、皆さんを殺しに来た正義の味方です」

 

 

 私の声は静かな森に響き渡り、屋敷の中から激しい怒号が聞こえる。

 真夜中だというのに窓ガラスが一斉に灯り、私はそれを見ながら彼等に祈りを捧げた。

……ん?だれに祈りを捧げたかって?そんなの決まっているじゃないか、勿論ケン〇ッキー・フライ〇・チキンにだよ。



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悪の組織は食事をする

※グロテスクな表現が多いので注意してください。


 真っ赤に染まった扉と咽かえるような臭い、私はそんな中でもう一度だけ扉を叩いてね。

 そしてそのまま踵を返すと手首をひねり、人形に突き刺したまま放置していたそれを引き抜く。

 真っ赤な液体が盛大に弾けて顔を汚し、人間だったものが血だまりの中に沈んでいった。

 

 

「さっさと開ければいいものを、かくれんぼがしたいなら他を当たってくれ」

 

 

 私はクロノスを振るいながらため息を吐き、その無駄に大きくて邪魔な物体を一閃する。

 激しい砂埃と共に無数の亀裂がはしり、真っ赤な扉があっという間に瓦礫へと変わってね。

 扉の残骸が足元のそれを押しつぶし、辺りに臭いを少しだけ和らげてくれる。

 

 

 

「ひっ!?」

 

「うろたえるな! それでもアドルフィーネ家に仕える騎士か!」

 

 

 そして砂埃の中に見える無数の人影、独特の金属音と激しい怒号が辺りを包む。

 私は彼らの混乱に乗じてクロノスを振るい、視界の悪さを利用して恐怖心を植えつける。

 近くにいた間抜けのお腹を突き刺し、そのままアホウドリのように鳴いてもらおう。

 

 

 仲間を動揺させるために適度な痛みを与えて、死なないように加減しながら歌ってもらう。

 砂埃の中で延々と歌い続けるアホウドリ、素敵なバックミュージックが彼らを恐怖させる。

 私は持っていた楽器が壊れるたびに心臓を突き刺し、とどめをさしたうえで新たな楽器を見繕う。

 

 

「ば……化物が!」

 

 

 やはりアホウドリにも個体差はあるようで、楽器によってその演奏時間はまばらだった。

 できるだけ長持ちさせようと頑張っているのだが、消耗品に情けをかけるだけ時間の無駄だとわかってね。

 それならば死なないように扱うのではなく、より大きな声で鳴いてもらおうと考えたわけだ。

 

 

 

「全く、初対面の人間にその言い方はどうかと思うがね。

 そもそも全ての原因は君たちの方にあるわけで、私はこの世界のルールに則って殺しているに過ぎない。

 だからそんな風に言われるのは心外だし、君たちのような犯罪者予備軍には御似合いの末路だ」

 

 

 そうやって様々な形、様々な方法で演奏していたがどうやら潮時らしい。

 あれだけいたアホウドリも残り僅かとなり、視界も晴れてきたのでこれ以上の効果は期待できない。

 私は最後の楽器を蹴り飛ばすと、そのままクロノスを振るって一度綺麗にする。

 

 

 よくわからないものが辺りに飛び散り、これまたよくわからないものが辺りを染める。

 個人的にはこれからのことも考えて、彼らの死体をできるだけ散らかそうと思っていた。

 なぜならこの事件が猟奇的であればあるほど、それを調べる人間は勘違いするはずだ。

 

 

 ありもしない背後関係を洗い、なにかしらの答えとその根拠を求めて捜査にあたる。

 それならば私はわかりやすい答えを用意し、あとはそういった連中に任せればいい。

 つまり私が今やるべきことは彼らの腕、そして足、更には心臓を貫いてその首を切り落とすこと――アホウドリたちの翼を切り落とし、その体を盾代わりに他の仲間も殺していく。

 

 

 ある者は目の前の光景に嘔吐し、ある者は剣を捨てて走り出す。

 真っ赤な水たまりに広がる無数の波紋、それは聞こえてきた悲鳴の数よりも多かっただろう。

 気がつけば私以外に動く人影はなく、足元の水たまりもその深さを増していた。

 

 

「まだ足りない……か、相変わらず気難しい奴だ」

 

 

 真っ赤な雨が降り注ぎ、月明かりが綺麗な水たまりを照らしている。

 そして数メートル先に広がる見事な庭園。完全な左右対称を美学とする西洋式庭園は、フランスにあるランブイエを彷彿とさせてね。

 綺麗な噴水と多くの木々が植えられた見事な庭園に、思わず足元に転がっていたボールを蹴り飛ばしてしまった。

 

 

 

「よし、重装歩兵隊前へ! そのまま陣形を乱さず前進しろ!」

 

 

 ふむ、目の前の景観を台無しにする存在、綺麗な隊列を組んでいるそいつらのせいとだけ言っておこう。

 前列の者はその背丈よりも大きな盾を装備し、その間からは無数の刃が顔を覗かせている。

 あれは確か……ファランクス?だったか、人数も少ないのでそこまでの厚みはないが、それでも個人に対して使うようなものでもない。

 

 

 独特の金属音がこの空間を支配し、そんな無機質な空間に小さな悲鳴が彩を添える。

 あっという間に現れた数十人の出来損ないたち、前列の者は盾を構えたまま動かず、後列の者はその間から槍を突き出す。

 さすがの私もこれには困ったというか、あれを正面から突破するのは難しいだろう。

 

 

 

「どこの誰かはしらぬが、我らが主を脅かす者は決して許さぬ!

 魔法剣士(ルーンナイト)隊、奴の後方を焼き払って退路を塞げ!」

 

 

 更には後方から弓矢……ではなく、無数の火球が退路を塞ぐように降り注ぐ。

 一瞬にして燃え広がった炎は夜空を照らし、血だまりを蒸発させて多くの人形を消し炭にする。

 

 

 

「そうか、それならば私も奥の手を使おう」

 

 

 個人的にはあまり使いたくなかったが、さすがにこれ以上の面倒事はごめんだ。

 ここでかすり傷の一つでも負えば、私は明日の四城戦で疑われるかもしれない。

 それならばあの能力を使って、そのうえでこいつらを蹂躙するとしよう。

 

 

 私はいつも通りそれを願うことで全てのものを、一つの例外もなく灰色の世界に取り込む。

 その世界に於いて私は絶対的な支配者であり、私以外の者はただのわき役に過ぎない。

 だから、ただ願い……そして染めあげる。全てが制止した世界の中で、私はクロノスを構えながら一気に動いた。

 

 

 ファランクスとは正面の敵に全ての力を集中し、守りながら攻めるという歩兵戦術だ。

 その性質から正面の敵には絶大な威力を発揮するが、側面からの攻撃には弱いという一面もある。

 つまりドミノ倒しと同じ要領で敵を殺し、そこを足掛かりに攻撃すれば自然と瓦解する。

 

 

 まずは右端にいる間抜けを切り刻み、その後は陣形の中心を目指して突き進もう。

 モンテ・カッシーノがピクニックに思えるような惨状、私の手によって多くのアホウドリが解体され、そしてその残骸を月明かりが照らしだす。

 命というものがスーパーのバーゲンセールのように安く、これ以上ないというほど粗末に扱われていた。

 

 

 

「なにをふざけたことを……いっ!?」

 

 

 私の支配する世界から解放されたとき、彼らは目の前の惨状に言葉を失ってね。

 個人的にはそんな彼らから感じる空気、ある種の不協和音がとても面白くてさ。

 ある者は恐怖からその足を振るわせ、またある者は吐瀉物を撒き散らしている。

 

 

 陣形が崩れているというのに我を忘れ、ただ茫然としている姿がとても可愛い。

 突然現れた私に攻撃するわけでもなく、その武器を向けながら距離をとっていたしね。

 そんなに恐がらなくてもいいのに……なんて、そんなことを言っても彼らの態度は変わらないだろう。

 

 

「くっ、すぐに陣形を立て直せ!この男を中心として陣形を組み、重装歩兵は先程と同じように――!?」

 

 

 だけどさすがの私もこれには困ったというか、もう一度あれを使うのは嫌だったからさ。

 だから目の前にいたそのうるさい男を両断して、そのまま周りにいた兵士も斬り殺したわけだ。

 するとクロノスに血管のようなものが浮かびあがり、それが全体に広がったかと思えばある種の鼓動を感じてね。

 

 

 それはクロノスという武器が目覚めた証であり、私がこの武器を使って闘技場で戦っていたとき、つまり大勢の人間を殺した際に一度だけ経験したものだ。

 そもそもクロノスとは武器であって武器ではなく、ある一定の条件を満たすことによってその真価を発揮する。

 プライドがこの武器を欲しがった理由がそれであり、私のような人間には勿体ない代物ということだ。

 

 

 

「貴様の特異体質は確かに強力ではあるが、それはあくまでも相手が少数の場合だけだ。

 言うなれば対人能力であって、決してプライドのような対軍能力ではない。

 しかしこれさえ使えばプライドと同等ではないものの、それに近いだけの力を手にすることができる。

 よいか、一度しか言わないからよく聞け。貴様がこれを使いこなしたいのであれば、多くの人間を殺しその魂を捧げたうえでこう唱えろ――」

 

 

 

 私にクロノスを渡したときに教皇様は言っていた。この武器がただの武器ではないということ、そして能力の発動条件とその特異性に関してね。

 つまりこの鼓動はその条件が整ったことを意味し、私がすべきことはこいつを解放することに他ならない。

 気がつけばこびりついていた血糊、そして刃に付着していた肉片が消えていた。

 

 

 

「さて、クロノスも目覚めたことだし始めるとしよう」

 

 

 黒い輝きと共に赤いオーラを発しているそれ、私のお気に入りが更なる餌を求めている。

 私はそんなクロノスを見つめながら小さく笑うと、そのまま彼らの方へと視線を向けてね。

 どうやらある程度の混乱は収まったようで、私を中心として先ほどの陣形が完成されていた。

 

 

 盾を構えた重装歩兵が私を取り囲み、その後方にいるルーンナイトが魔術壁を展開する。

 おそらくは傷ついた仲間を助けるため、この私を少しでも足止めしたいのだろう。

 ……ふむ、なんともおめでたい奴らではあるが、ここはそんな彼らに面白いものを見せてあげよう。

 

 

 

「第一制御術式解放――さあ、ご飯の時間だよクロノス」

 

 

 

 それをなんと表現すればいいのだろうか――ギャ。ギャ。ギャ。ギャ。

 少なくとも私の世界ではありえない光景だった――ギャ。ギャ。ギャ。

 私の言葉と共にクロノスがその形を変えていき――ギャ。ギャ。

 気がつけば刃の中心に気持ちの悪い目玉が生えてね――ギャ。

 巨大化した刃は二つに裂けて、それは口のような全く違うなにかを形成する――ギ……ャ。

 

 

 

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ

 

 

 そいつはなにをそんなに喜んでいるのか、壊れたオルゴールのように笑い続けている。

 ……いや、それを笑っていると表現していいものか、私にはそいつの姿を説明することができない。

 どんな生物よりも甲高くて不気味な音色、どこからそんな声を出しているのかが不思議だった。

 

 

 

「ハハ、夢だ。そう、これは夢なんだ――」

 

 

 個人的にはこれを見ても逃げ出さなかった彼らに、私は盛大な拍手を送りたいと思う。

 たとえその末路が悲惨なものであっても、一応それが終わるまで眺めていようじゃないか。

 

 

 

 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――

 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――

 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――

 

 

 そいつは魔術壁ごと盾を食い破ると、そのまま数ヶ月振りの食事を始めてね。

 激しい怒号が飛び交う中で、そいつは嬉しそうに周りの人間たちへと襲い掛かる。

 クロノスの刃が自らの意思で動き回り、その大きさを変えながら獲物を追い詰めていく。

 

 

 その光景はスプラッター映画でも見ているようだったが、こいつにとっては人間なんて食べ物に過ぎないからね。

 そもそも私達だって鳥や豚を食べるだろうし、なんだったらそこら辺の雑草や昆虫を食べる者もいる。

 つまり視点さえ変えれば私たちのしていることと、今こいつがしていることはなにも変わらない。

 

 

 

「くっ、くるなぁぁぁぁぁ!」

 

「……やっ、助け――」

 

 

 

 個人的には人間の方がやっていることは酷い。……ほら、諸君も親子丼というものを知っているだろうが、あれは文字通り親と子を合わせて食べるものだ。

 他にもイクラだって妊娠したサケを切り開き、そしてその卵を取り出したものであり、私に言わせれば人間の方が酷いことをやっている。

 だからこいつの食事を私は認めているし、人間を食べるからといって嫌悪することもない。

 

 

 強いて言えばこいつの食事がもう少し綺麗であれば、この臭いや辺りに飛び散ったそれも少なくて助かるのだがね。

 しかし、こんなよくわからないものにナイフとフォークを渡し、そのままテーブルマナーを教えたところで時間の無駄だろう。

 食事のときくらいは好きなように食べればいいし、この世界には食べ〇グなんてものも存在しない。

 

 

 だから私はため息を吐きながらその光景を見つめ、ただこいつの食事が終わるのを待っていた。

 気がつけばあれだけいた人間が全ていなくなり、私でさえも目を背けたくなるような惨状が広がっていた。

 辺りには血まみれの武具だけが残され、その中心でクロノスが嬉しそうに揺れていたよ。

 

 

 

「終わったか、それじゃあこの家の当主を探すとしよう」

 

 

 あれほど綺麗だった庭園が真っ赤に染まり、中央の噴水には無数の残骸が浮かんでいた。

 私は誰もいなくなった庭園を一度だけ見渡すと、そのまま屋敷に向かって歩き始めてね。

 さすがにこれ以上の時間は無駄だろうし、なにより私はまだ本来の目的を果たしていない。

 

 

 クロノスは相変わらず不快な声をあげて、周囲に餌がいないか探しているようだったけどね。

 しかしここまで言えばクロノスの特性について、その本質は諸君たちも理解してくれたと思う――つまり、この武器(クロノス)は生きているということだ。



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悪の組織は貴族と踊る

 ――ギャギャギャギャ

 

 

 廊下に横たわる無数の人形と不快な音色、私の見つめる先には元気なそいつがいてね。

 兵士の悲鳴をおかずに食事をするそれ、周辺のカーペットが水分を含んでボロボロとなっている。

 個人的にはさっさと進みたかったが、さすがに置いていくわけにもいかない。

 

 

 

「全く、まさかこんなにも隠れているとは思わなかった」

 

 

 私はこういった戦いに慣れていないし、こんな死角だらけの空間というのも初めだった。

 だからお腹を空かせているこいつを使い、そういった照れ屋さんたちを排除しようと考えてね。

 たとえば室内に隠れている阿呆、他には廊下の陰に隠れている間抜けなど、こいつの使い道はいくらでもあった。

 

 

 そもそも人(エサ)の存在に気づいた瞬間、こいつは嬉しそうに向かっていくからね。

 そして私が来るよりも前に敵を排除し、更には死体の後片付けまでしてくれる。

 だからこういった状況では使い勝手がよく、この鳴き声にしても慣れてしまえば可愛いものだ。

 

 

 

 ――ギャギャギャギャ

 

 

 相変わらずなにを言っているのかはわからないが、それでもこの状況を楽しんでいることは確かだろう。

 私は屋敷の中にある部屋をしらみつぶしに探し、可愛い御姫様と間抜けな悪党を探し続けた。

 しかしこれだけ大きな建物となればその数も多く、おかげさまで着ている服が更に汚れてしまった。

 

 

 

「化物が……たとえどんな犠牲を払おうとも貴様を殺し、そして我等が主への忠義を示そう――」

 

 

 多くの人間が自分の無力さを痛感しながら、そのちっぽけな命を対価に剣を振るう。

 私としては彼らの考えが全く理解できないし、そんな社会科の授業でも聞かないような言葉を言われても、それこそ苦笑いしかできないので反応に困る。

 少なくとも彼らが普通でないことはわかったが、喜々として死にに来るような連中と会話する気にもなれない。

 

 

 そんなに死にたいなら適当な場所に縄でも結んで、そのままダイ・〇ードばりの大ジャンプを決めてほしい。

 そちらの方がクロノスに食べられるより幸せだし、なにより私としても余計な体力を使わずに済む。

 私は今日何度目かのため息を吐きながら、そんな哀れな彼を見下ろしながら踵を返した。

 

 

 

 ――ギャギャギャギャ

 

 

 そうやってどれほどの人間を殺しただろうか、もはやこの私にも正確な数字はわからない。

 しかし、先ほどの男を殺してから襲われることがなくなったので、個人的にはとても嬉しかったとだけ言っておこう。

 鬱陶しい人間たちがいなくなったおかげで、私の着ている服もこれ以上汚れないからね。

 

 

 クロノスの方は少し退屈そうにしていたが、廊下に転がっているそれを食べている辺り、そこまで気にしなくてもよさそうだ。

 ただ、私がとある部屋の前で立ち止まった瞬間、クロノスがその刃を揺らしながら嬉しそうに笑ってね。

 おそらくはこの部屋に隠れているエサの存在に気づき、私にそのことを教えてくれたのだろう。

 

 

 ふむ、それならばこいつの期待に応えるとしよう。私は数回ノックすると相手の返事を確認し、そしてそのまま中へ入ると小さく笑った。

 そこは私の執務室ととても似ており、四方には巨大な本棚が並べられて、窓際にはアンティーク調の机が置かれている。

 中央には茶色いソファーと大きなセンターテーブル、そして視線の先には私に返事をした大貴族様だ。

 

 

 

 ――ギャギャギャギャ

 

 

 ただ、目の前にいる男をエサと勘違いしたのか、クロノスがその口を開いて襲いかかろうとしてね。

 これにはさすがの私も焦ったというか、彼には色々と聞きたいことがあったからさ。

 だからその軌道をずらすために鈎柄を振るい、そのまま本棚に激突したところで注意する。

 

 

 

「おい、誰が食べていいと言った?」

 

 

 破壊されたそれと宙を舞う書類、私はそうやって何度もクロノスを叩きつけてね。

 いくら教皇様からプレゼントされたものであっても、一応最低限のマナーは守ってほしい。

 それこそ自分の飼っているペットがリールを引き千切り、そのまま歩行者をかみ殺そうとすれば誰だって怒る。

 

 

 だから私はクロノスの笑い声が聞こえなくなるまで、ただひたすらにその刀身を本棚に叩きつけてね。

 そうやって大人しくなったところで顔をあげて、自分の身だしなみを整えたところで軽く微笑む。

 

 

 

「さて、貴方がパウロス=アドルフィーネで間違いないかな?」

 

 

 パウロス=アドルフィーネ、アドルフィーネ家の当主にしてシアンを攫った張本人である。

 この男は貴族でありながら門閥貴族には加担せず、だからといって他の派閥にも属していない。

 

 

 領内で起こったトラブルには積極的に介入し、更には領内の交通網を整備するために私財を手放した。

 彼は貴族でありながら領民のことを第一に考え、その政策は多くの貴族から反感を買っている。

 つまり領民たちからは好かれているものの、ほとんどの貴族は彼のことを嫌っているということだ。

 

 

 

「その若さでここまでの力をもっているとは……初めは子供相手に大人気ないと部下に進言されたが、私はどうしても君という人間が許せなくてね。

 だからその尻尾を掴むために行動を起こしたが、結局は多くの部下を死なせて私たちだけが生き残ってしまった」

 

 

 ではそんな男がどうしてシアンを攫ったのか――ふむ、それは中央のソファーで横になっている女性を見ればわかる。

 その女性は虚ろな瞳で天井を見上げたまま、これだけの騒ぎだというのになんの反応も示さない。

 そして呼吸のたびに小さく動くお腹だけが、彼女のささやかな抵抗であり生きている証だ。

 

 

 私はその女性が誰であるのか、どうしてここにいるのかを知っている。

 なぜならこの屋敷は彼女のために建てられたもので、目の前の男がシアンを攫ったのもそれが理由である。

 エレーナ=アドルフィーネ、彼女は代表戦で私と戦った哀れな生徒でね。

 

 

 セシルを代表選手にするため、私は彼女との戦いであの能力を使った。

 その結果は諸君も御存じの通り、私にとっては最高の……そして、彼女にとっては最悪の結末をもたらした。

 なんと言うか、彼女の父親である彼には気の毒なことをしたが、私にも色々と事情があったからね。

 

 

 要するにこの茶番劇は私への復讐であり、彼なりの最終手段ということだ。

 どれだけ調べても進展しないあの事件、可愛い一人娘が人間としての幸せを奪われ、更にはその名誉すらも穢されてしまった。

 娘の不注意による不幸な事故という調査結果、そして大事な跡取りを失ったことに彼は絶望しただろう。

 

 

 

「しかし、この屋敷を守っていた兵士はともかく、武器を持っていない者まで殺したのはどういうことだ。

 君が恨んでいるのは私であって、あそこまでやる必要はなかった。

 私たちはお互いに相手のことを憎んでいる。だが、この屋敷にいたメイドやその家族は関係なかったはずだ」

 

 

「ハハハ、まさか誘拐犯に説教されるとは思わなかったよ。

 確かにこの屋敷にいた人間を皆殺しにしたが、それは私なりの優しさだと思ってほしい。

 私は貴族たちのような差別主義者ではないし、貴方が言うように正気を失っているわけでもない。

 ただ単に全ての人間を平等に扱い、貴方への怒りを平等にぶつけた結果がこれだ。――ん?その顔は私がなにを言っているのか、それがわからないといった感じだな。

 別にわかってほしいとも思わないし、私も貴方という人間を理解するつもりはない。

 だからいいじゃないか、そんなに怖い顔をしなくても――」

 

 

 私は道徳のお勉強をするためにきたのではなく、あくまでも彼と彼の側近たちを殺すために足を運んだのだ。

 その過程で多くの人間を殺しはしたが、それにしたって私に言わせれば大事なプロセスのひとつである。

 そもそもこの男にそれを説明したところで、私の考えに納得してくれるとも思えない。

 

 

 

「君は私が出会ってきた中でも最低の人間だ。普通の人間ならば当たり前にもっている感情、人として大事な要素が明らかに欠けている。

 君は他人の苦しむ姿を見ながら剣を振るい、そしてその返り血を浴びながら愉悦に浸っている」

 

 

「全く、どうして先ほどの言葉でその考えにいきつくのかが理解できん。

 まあ、類人猿どもに理解しろというほうが無理だな。

 取りあえず私のところにいたメイドはどこにいる? 彼女の居場所さえ素直に答えれば、最後にお茶をする時間くらいは与えてやろう」

 

 

 これ以上の会話に意味はなく、彼の言葉に答えてやる義理もない。

 私はシアンを見つけだして彼を殺し、このくだらない関係を綺麗に清算する。

 この状況で彼が取れる道は二つ。その内の一つは素直に居場所を教えることであり、残された時間を大事な娘と過ごすことができる。

 

 

 そしてもう一方の選択肢に関しては……まあ、今更言うまでもないだろう。

 この私を倒して屋敷の包囲を突破し、そのまま全てを捨てて娘と共に暮らす。

 どこぞの主人公君なら選びそうだが、この男がそこまで馬鹿だとも思えない。

 

 

 

「あの女の子のなら上の階にいる。一番左端にある青い扉の部屋だ」

 

 

 だからその言葉は私としても嬉しかったというか、おかげさまで余計な体力を使わずに済んだ。

 私は彼の決断に盛大な拍手を送り、約束通り踵を返すとシアンの回収に向かう。

 たとえ彼が背後から襲い掛かってきたとしても、この距離ならば瞬時に対応することができる。

 

 

 そして彼が娘と共にこの屋敷から逃げだそうとしたなら、外で待機している冒険者たちが一斉に襲いかかる。

 彼一人なら逃げることもできるだろうが、娘を囮に自分だけ逃げるようなタイプでもないだろう。

 

 

 

「だが、君のような人間をこのまま行かせるわけにはいかない。

 私はこの国に住まう一人の人間として、故国に害を与えるだろう人間は排除する。

 有象無象の終焉(メタモルフォーゼ)――私は私自身が犯した罪を償うために、アドルフィーネ家の当主として君とその最期を迎えよう」

 

 

 だからこそ足元に浮かび上がった魔法陣、私がドアノブに触れた瞬間作動したそれに困惑した。

 それは私にとって完全に予想外のもので、こんなものを仕掛けているとは思わなかった。

 

 

 真っ赤な光が部屋の中を包み、魔法陣の中から人間の腕によく似たものが生えてくる。

 それは私たちを魔法陣の中に引きずりこもうとし、それに触れられた服が一瞬で変色してね。

 これにはさすがの私も震えたというか、少なくともこのままではヤバいということがわかった。

 

 

 魔法が使えない私にはこれを破壊することはできないし、そもそもこの魔法陣がどういったものかもわからない。

 だからこの空間を強引に上書きすることで、私はその全てをコントロールすることにした。

 本日二度目。この能力を短時間に何度も使えばどうなるか、それくらいのことは私にもわかっていたがね。

 

 

 しかしそんなことを言っている余裕もなく、私にはそれを使うしか方法がなかった。

 全てが止まってしまった世界の中で、彼はなにが起こったかもわからないまま、最後の最後まで私の死を願っていただろう。

 私は彼に歩み寄るとクロノスを振るい、そしてその返り血を浴びながら舌打ちをする。

 

 

 

「くっ……やはり体への負担は大きいか、糞ったれな貴族にしては中々やるじゃないか」

 

 

 彼の死と同時に足元の魔法陣が消え、私はその場で膝をついて呼吸を整える。

 やはり一日に何度もあの能力を使った弊害か、大量の胃液と共に仄かな鉄臭さを感じてね。

 視界はおぼろげで頭が割れるように痛く、激しく動く鼓動が私の体を支配する。

 

 

 静けさを取り戻した部屋の中で、私はなんとか立ち上がるとそれを一瞥した。

 あの魔法がなんだったかは知らないが、それでもこの男が私を追い詰めたのは確かだ。

 だから、私の判断がもう少し遅れていたら……なんて、そんなどうでもいいことを思わず考えてしまう。

 

 

 

 ――ギャギャギャギャ

 

 

 満足そうな顔をしているそれと、血まみれの胴体はなんだか作り物のようで、私は離れ離れとなっているそれを繋ぎ合わせてね。

 そしてこの男が最期の瞬間にどんな姿をしていたのか、それを確認すると同時に踵を返した。

 

 

 

「クロノス、そこの女は食べていいぞ」

 

 

 ふむ、私はなにがしたかったのだろうか、どうしてそんな行動をとったのかがわからなくてね。

 私はアドルフィーネ家という名家が潰えるその瞬間、自分でも驚くほど冷めていたように思う。

 ソファーの中に入っていた綿が視線を塞ぎ、真っ白なそれがあっという間に赤く染まる。

 

 それは映画のワンシーンのように、どこまでも綺麗でとても残酷なものだった。 

 肉を切り裂く音と降り注ぐ雨の中で、私はクロノスの笑い声をバックミュージックに部屋を後にする。――こうしてこの国有数の名家、アドルフィーネ家はその歴史を終えたのである。



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悪の組織は誰も救わない

「全く、明日は奉天学院との試合だというのに、私はこんなところでなにをやっているのだ」

 

 

 上へと続く階段を見つけた私は、己の不甲斐なさを感じながら一旦休憩を挟む。

 今更後悔してもしかたないのだが、まさかこれほど消耗するとは思わなかった。

 おぼつかない足取りと激しい頭痛、咳き込むたびに私の右手が赤く染まる。

 

 

 このときの私は剣を振るうことすら億劫で、もはやクロノスを持っているのもつらくてね。

 これ以上こいつを使うこともないだろうし、私は四城戦のことも考えて体力を温存しようと考えた。

 

 

 だからこの生き物を封印するために術式を唱え、クロノスの自我を奪って魔道具を起動する。

 このままこいつを放し飼いにしてもよかったが、一々指示を出すのも面倒だったからね。

 それにシアンのことをエサだと勘違いして、先ほどのように暴走されても困る。

 

 

 

「ふむ、しかしこれでこの馬鹿騒ぎもやっと終わる。

 後はスロウスのもとへと向かって、そのままシアンの体を調べてもらえばいい。

 たとえなにかしらの呪いがかかっていても、あの男ならなんとかしてくれるだろう」

 

 

 使い道のないメイドを助けだすにしては、かなりの労力と時間を費やしてしまった。

 スロウスの言う通り私らしくないというか、どうしてここまでしたのか自分でもわからない。

 だが今はそんなことを考えるよりも先に、シアンという間抜けなメイドを見つけだすほうが先決だ。

 

 

 私はあの男が言っていた部屋へと入り、月明かりだけを頼りに彼女の姿を探す。

 部屋の中は思っていたよりも清潔で、どちらかといえば客室に近かったように思う。この様子だとある程度の自由は保障されていただろう。

 

 ふむ、世間知らずの幼女を攫ったのは問題だが、なんの危害も加えていないのは評価できる。

 これならもう少し優しくしておけばよかったと、そんなことを考えながら私は目の前のカーテンを引く。

 

 

 

「なんというか、お前の顔を見ていると本当に頭が痛い」

 

 

 そこにいたのは大量の御菓子に埋もれる小さな子供、その頭に生えた耳と小さな尻尾が獣人であることの証明であり、時折聞こえてくる寝言が彼女の無事を教えてくれる。

 月明かりの中で御菓子を抱えながら寝ているそいつは、間違いなく私のところにいたメイドでね。

 涎を垂らしながら間抜けな顔をしているシアンに、私は振り上げた拳を我慢するのに必死だった。

 

 

 

「えへへ、ご主人様――」

 

 

 どんな夢を見ているかは知らないが、なんとも幸せそうな寝顔である。

 助けにきた私はボロボロだというのに、目の前の幼女は自分の涎でベトベトだ。

 私はシアンを起こさないように近づくと、そのまま抱きかかえて部屋を後にする。

 

 

 間抜けな御姫様が起きないようにゆっくりと、できるだけ死体の少ない場所を選んで歩く。

 さすがにこの惨状は彼女の教育に悪いというか、幼い彼女には刺激が強すぎるからね。

 目を覚ましたシアンに騒がれるのも嫌だし、なによりこの状況を説明するのが面倒だった。

 

 

 だからシアンの涎でベトベトになりながらも、私は両腕を犠牲にして出口へと向かう。

 そうやってどれくらい歩いただろうか、腕の中で間抜けな寝顔を晒している彼女と、その鼓動を感じながら私は見えてきた明かりに微笑んでね。

 半壊した扉の先には無数の人影が立っており、その一人一人が武器を構えたまま私の到着を待っていた。

 

 

 

「ラース様の御命令通り、逃げようとした者は全て排除しました。

 他の者もこちらへと向かっているので、新しい命令があればすぐさま実行できます」

 

 

「そうか、では屋敷に火を放って全てを燃やせ」

 

 

 私の言葉を合図に無数の魔法が放たれ、巨大な炎が全ての人間を浄化する。

 それは私たちのことを優しく包み、真っ赤に染まった両手を洗い流す。

 周りには数え切れないほどの死体が散らばっているというのに、その空間だけはどこまでも綺麗で美しかった。

 

 

 

「君達にはとても感謝している。今回の仕事は君達の力によるところが大きく、私一人ではどうにもならなかっただろう」

 

 

 私の腕で気持ちよさそうに寝ている幼女と、その背後で武器を構えたまま命令を待っている奴隷たち。

 前者は陽だまりのような笑顔を向けて、後者は死んだような顔で微笑む。

 私はその中心で全ての世界を堪能しつつ、シアンを抱えたまま暗闇の中へと踏みだしてね。

 

 

 

「だから君達のことを私は忘れないし、君達の主であるスロウスにも今回のことは伝えておこう」

 

 

 その昔、私の友人がこんなことを言っていた。――意思の伴わない行動に価値などない。

 当時の私は彼の言葉に反論したが、今ならばその気持ちがわかるような気がする。

 こうして言われるがまま人を殺し、己の幸福や利害関係を無視して行動する人間……ふむ、要するにこいつらはどうしようもなくつまらない。

 

 

 

「では、最後の命令を言い渡す

 全員――自らの剣で自分の首を切り落とし、その死をもって我等への忠誠を果たせ」

 

 

 スロウスから与えられた人間という名の消耗品、そんな狂信者たちが自らの首を切り落とす。

 彼らはなんの躊躇もなく私の言葉を信じ、それが当然だと言わんばかりに武器を振るう。

 それはこの虐殺を締めくくる流血であり、私は淡々とした口調で彼らを処分した。

 

 

 ああ、本当に……なんともつまらない連中である。

 こういうときには使い勝手がいいので重宝するが、さすがに少しくらいは抵抗してほしかった。

 そうすればギアススクロールに関する情報、つまりはその対策と傾向を知ることができる。

 

 

 まあ、どのみち彼らの死は決定事項だがね。

 この事件は貴族を怨んでいた冒険者たちによる犯行、つまりは偽善者共による暴挙と決まっている。

 彼らは貴族の屋敷を襲撃し、そしてその目的を遂げて自らの命を絶った。

 

 

 なんともわかりやすくて単純な事件、細かな調整はスロウスがやってくれるはずだ。

 だから私は彼らの憎しみを演出するため、敵の死体をバラバラにして屋敷に火を放つ。

 シアンがこの屋敷にいたという証拠もろとも、全てを燃やして新しい台本を用意する。

 

 

 

「ん?どうした、私の命令が聞こえなかったのか?」

 

 

 だからその冒険者が首筋に剣をあてたまま、そうやって震えている姿は興味深くてね。

 青い瞳と髪の毛をした女性、彼女は私と同じ馬車に乗っていた冒険者であり、他の冒険者たちを統率していたリーダーでもある。

 その瞳は他の者たちとは違っているというか、ある程度の自我を取り戻しているように見えた。

 

 

 

「いえ……その、私にもわからないのです。

 ラース様の御命令通り剣を抜いたのですが、どんなに力をいれても体がいうことをききません」

 

 

 なるほど、頭では私の命令を理解しているものの、本来の契約者ではないのでその魂までは縛れない。

 これがスロウスの言っていたやつか、確かに今の彼女は矛盾している。

 

 

 

 

「そうか、それならその剣をおろすといい。

 私としても無理強いさせるつもりはないし、なにより君は他の者たちと少し違うようだ」

 

 

 これは私としても勉強になったというか、今後はギアススクロールの欠点も調べるとしよう。

 どんなに万能なものであっても、それを過信するのはよくないからね。

 

 

 私は彼女の言葉に優しい口調で返し、そして近くに落ちていた剣を拾って微笑む。

 月明かりに照らされた彼女の顔は、明らかに他の者たちとは違っていた。

 それはもしかしたら冒険者としての、本来の彼女がみせる笑顔だったかもしれない。

 

 

「ありがとうござ――」

 

 

 

 

「なに、気にしなくてもいいさ」

 

 

 それは本当に一瞬のことで、気がつけば彼女の頭が嫌な音をたてて――ずるり……っと、その視線が徐々に傾いていく。

 そして噴水のように舞い上がったそれが、私たちの顔を濡らして血だまりの中へと沈む。

 個人的には彼女という人間に興味はあったが、それでも私の中で彼女を助けるという選択はなかった。

 

 

 名前も知らない冒険者。頭部を失った体がゆっくりと倒れ、私は持っていた剣を投げ捨てるとため息を吐く。

 どうして利用価値がありそうな彼女を助けず、利用価値のないシアンを助けたのだろうか。

 私はそんなことを考えながら出口を目指し、そしてその途中で考えることをやめた。

 

 

 

「ふむ、やはりいくら考えても答えはでんな」

 

 

 間抜けな寝顔を晒しているシアンを見ながら、私はスロウスに言われた言葉を思いだす。――私は君の言葉が理屈っぽく聞こえてしまう。

 燃え続ける屋敷と無数の死体、おそらくはシアンを助けだすことに意味などなかった。

 だから私は彼女の鼓動を感じながら、その言葉を数時間前の自分に捧げる。

 

 

 

「しかし、良い実験にはなったじゃないか」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

 その日のことを私はよく覚えていない。生徒会長様や御姫様にどんな言葉を返したのか、そしてどうやってここまで来たのかもおぼろげだ。

 しかし私の顔を見たときにみせた反応、彼女たちが驚いていたことだけは思いだせる。

 それは生徒会長様が言葉に詰まり、御姫様の顔を曇らせるほどのものだった。

 

 

 セシルは私に近づこうとすらせず、そして私自身も彼女という人間を見ていない。

 気がつけばいつもの控室でいつものソファーに座り、これまたいつものようにただそのときを待っていた。

 脳裏を過るのは無数の死体と巨大な炎、彼らの悲鳴が私の頭を狂わせる。

 

 

 

「やはりあの能力を使った影響か、くだらない幻覚まで見えてくる」

 

 

 彼女たちの試合も見るわけでもなく、だからといって対策を立てるわけでもない。

 私はこのどうしようもない感情を制御しようと、その幻覚を何度も振り払おうとしてね。

 そのたびに彼女は泣きながら私を見つめ、そして持っていた包丁を投げ捨てる。

 

 

 それは私がこの世界に来ることとなったきっかけ、つまりは人間だったころの記憶なのはわかっていた。

 だから私はその幻覚を冷めた目で見ながら、その包丁を拾ってできるだけ遠くを目指す。

 彼女を庇うために適当なメールを上司に送り、警察の捜査を誤魔化すために歩き続ける。

 

 

 

「ヨハン=ヴァイス様、そろそろ始まりますので準備してください」

 

 

 そんな面白くもない幻覚に付き合っていた私を、いつもの兵士がこの世界へと連れ戻す。

 私はそれほどの時間がたっていたことに驚き、他の試合を見逃したことに舌打ちしてね。

 最悪、あの能力を使って会場に乱入することも考えていたが、試合が終わった後ではどうすることもできない。

 

 

 だから彼女たちが負けていたとしたら、私がここで勝ってもその結果は変わらない。

 ここにきてこのような失敗をするとは、私としたことが情けないかぎりである。

 取りあえず他の試合がどうなったのか、それを会場へと向かう途中で聞いてね。

 

 

 

「先鋒戦と次鋒戦、そして副将戦を含む全ての試合で勝利をしています。

 ですから言わせてください――おめでとうございます。既にコスモディア学園の優勝は決まりました」

 

 

 その言葉を聞いてどれだけ喜んだかなんて、そんなのは今更説明するまでもないだろう。

 つまり大将戦の結果に関係なく、私たちの優勝は決まったということである。

 これで生徒会長様との契約は終わり、私に与えられたノルマも達成できる。

 

 

 後はどの派閥に私という人間を売り込むか、そこだけが問題だったがなんのことはない。

 これだけ優勝に貢献すれば十分だろうし、多くの派閥が私という人間に興味を持っただろう。

 特に世襲派軍閥を筆頭として、私が所属している王党派も確実だ。

 

 

 

「それにしても、今日のあなたはいつもと雰囲気が違いますね。

 私は仕事柄様々な人と面識がありますが、あなたのようなタイプは初めてです。

 ただの学生にしては大人びているというか、その歳でこれほどの――」

 

 

 その言葉に皮肉で返せばいいのか、それとも喜べばいいのかわからなかった。

 だからそれ以上考えることはやめて、少しでも普段の自分を取り戻そうと頭の中を整理する。

 

 

 

「申し訳ないが、それ以上話しかけないでもらえるかな」

 

 

 無数の血だまりとクロノスの笑い声、激しい怒号が私の中を支配する。

 その全てが幻聴であり幻覚、つまりは昨日のことを引きずっているに過ぎない。

 だから私はできるだけ冷静に、そして自らの消耗を否定するように彼女を見つめた。

 

 

 

「貴方は……誰ですか」

 

 

 奉天学院大将リュドミラ=リュトヴャク、私は彼女と交わした言葉を鮮明に覚えている。

 私が彼女に抱くイメージとは御姫様と同じもので、そこまで好きなタイプでもなかった。

 だが、その凛とした姿は少なからず好感がもてた――のに、今の彼女は小動物のように震えている。

 

 

「私はヨハン=ヴァイス、君の対戦相手だよ軍人さん」



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悪の組織は深いため息を吐く

 四城戦最終試合、リュドミラとの試合は他のそれとは違っていた。

 私たちはそれ以降一言も喋らず、開始の合図とともにその剣を振るう。

 

 

 剣が交差するたび火花が散り、激しい音色が一定のリズムを刻む。

 お互いに相手の力量を探るように、私たちは簡単な自己紹介をおこなってね。

 

 

 ふむ、ビスタルームで私たちのことを見ている人間からすれば、その試合は退屈だったかもしれない。

 グランゼコールのように派手でもなく、そしてラッペランタのように華やかでもない。

 しかし、それでもこのときの私は彼女に圧倒されていた。

 

 

 それは彼女の実力を甘く見ていたこと、そして昨日の戦いであの能力を使ったせいだ。

 確かに彼女の速さには驚かされたが、それでも普段の私ならばなんの問題もなかっただろう。

 事実、私の目にはその姿がハッキリと映っているし、この距離ならば剣に彫られている紋章だってわかる。

 

 

 だから私自身は彼女の動きよりも早く、そしてその剣捌きも圧倒しているつもりなのだ。

 それなのに今の私は追い詰められ、このような姿を晒すはめになっている。

 

 

 自分の体だというのに力が入らず、どうしても反応が遅れてしまう。

 彼女の方も徐々にその剣速を上げていき、気がつけば攻撃を防ぐので精一杯でね。

 私の頬を掠めたそれが、そのまま私の服を汚して地面を染める。

 

 

 全く、試合が始まる前と今では別人だな。

 小動物のように震えていた彼女が、今は生き生きとした表情で剣を振るっている。

 彼女が口下手なことは知っていたが、こんな好戦的だとは思わなかった。

 

 

 

「ふむ、だったら戦い方を変えてみようか」

 

 

 私は彼女の剣を避けると同時に、その勢いを利用して脇腹を狙う。

 このままでは彼女に押し切られるし、そもそも剣術というものが私は苦手だ。

 だからいつも通り強引な手段で、この小動物を黙らせようと思ってね。

 

 

 私は痛む体を無理やり動かして、そのまま蹴撃を放つと剣を弾く。

 身体能力に関しては私の方が上であり、これならば剣で防ぐこともできないだろう。

 たとえ私の体が消耗していたとしても、この体勢なら避けられる心配もない。

 

 

 

「ふざ……けないで」

 

 

 ただ、ここで私は致命的なミスを犯した。

 それは彼女が奉天学院の生徒であること、つまりは体術に関する心得もあるという点だ。

 私は奉天学院がどんな学校であるのか、それを知っていたというのに忘れていた。

 

 

 剣術は最高の武器であり、体術は最高の盾である。……なるほど、奉天学園の生徒は確かに強い。

 まさか私の攻撃に合わせて体をひねり、あの体勢からカウンターを決めてくるとは思わなかった。

 おかげさまで私の方が体勢を崩し、そこをこの小動物に狙われてしまった。

 

 

 綺麗に決まった一撃は私を吹き飛ばし、そのまま冷たい地面へと叩きつける。

 私はその無駄に大きな天井を見ながら、少しの間立ち上がることができなくてね。

 

 

 

「こんな……私はそんなあなたと戦うために、全てを捨ててここへ来たんじゃない!」

 

 

 そして全てを理解した私は舌打ちし、目の前の女を全力で潰そうと決めた。――まあ、全力といっても今の私は本来の半分……いや、三分の一ほどしか戦えないだろう。

 だが、今の一撃で彼女の弱点がわかったからね。

 

 

 それを弱点と呼んでいいのかわからないが、少なくとも普段の私なら真っ先に排除する方法だ。

 しかし、今はそれ以上の案が思いつかなくてね。なんとも情けない限りではあるが、ここは主人公君を見習うとしよう。

 

 

 

「あのとき、私は本当に惨めで情けなかった。

 御父様の言葉を信じて疑わず、どれだけ恥知らずなことをしているかも気づかなかった。……ええ、それすらもわからずあなたを傷つけてしまった」

 

 

 私たちは正面からぶつかり合い、相手の顔を見ながら言葉を交わす。

 互いの息遣いがわかるほどの距離で、冷たい感情を間に挟んで剣を振るう。

 私は彼女の攻撃を防ぎつつ機会を伺い、彼女は一方的な感情をぶつけてくる。

 

 

 やはり御姫様に似ているというか、この状況でそんなことを言われてもね。

 彼女が口下手なことはわかっていたが、ここまでくると一種の才能である。

 私は他人事のようにその言葉を聞きながら、彼女の攻撃に合わせてもう一度剣を弾く。

 

 

 

「だから私は、私なりのやり方であなたを引き抜いてみせる。

 あなたは私のことを恥知らずな人間だと、そうあのとき言いましたよね。

 だったらその言葉を後悔させてみせる。あなたの中にある私というイメージを、必ずや払拭してこの試合に勝利する――」

 

 

「そうか、じゃあやってみろよ小娘」

 

 

 先ほどと同じように脇腹を狙い、彼女もそれに合わせてカウンターを放つ。

 彼女の反応は私の予想通りというか、その一撃はさすがに堪えたよ。

 ある程度の痛みは予想していたが、まさかこれほどのものとは思わなかった。

 

 

 しかし、それでも私の動きを止めることはできない。最初のそれとは違って、私もカウンターがくるとわかっていたからね。

 だから先ほどのように惨めな姿を晒さず、こうして彼女との距離を保っている。

 

 

 彼女の方は私が耐えたことに驚いていたが、今更気づいてももう遅い。

 なぜなら今の彼女はとても無防備であり、私の攻撃を防ぐことができない。

 彼女のカウンターさえ耐えてしまえば、後はその一撃を叩き込むだけ――ここからは消耗戦といこうじゃないか。

 

 

 私の一撃は彼女の脇腹をとらえて、その衝撃に彼女は大きく後退してね。

 持っていた剣を地面に突き刺して耐えたものの、顔を上げた彼女はとても辛そうだったよ。

 ふむ、しかし今の一撃で私の狙いというか、なにを考えているかは伝わっただろう。

 

 

 

「さあ、ここからが本番だ」

 

 

 要するに野蛮なチキンレース。これから始まるのはただの消耗戦であって、やっていることは子供の喧嘩と変わらない。

 本来であれば体力の消耗しているほう、つまりは私の方が不利だ。しかし、私は彼女の攻撃を食らって確信したのさ。

 それは彼女の攻撃があまりにも軽いということ。確かに彼女の速さは脅威だが、その一撃は今の私でも十分耐えられる。

 

 

 これが主人公君や別の誰かであったなら、私も違うやりかたを選んだだろう。

 そもそも彼女の戦い方は私とよく似ており、魔法を使わずに戦うところなどほぼ同じだ。

 

 そして私たちが同じタイプであるなら、彼女の上位互換である私は負けないだろう。

 なぜなら彼女の目指している強さとは私であり、私こそが彼女の完成形でもあるからだ。

 

 

 彼女の強みはその驚異的な速さであって、同等の力をもつ者と戦うのはおそらく初めてだろう。

 確かに彼女の剣は私よりも鋭く、柔軟で応用が利くかもしれない。

 しかしこの程度であれば十分対処できるし、私に致命傷を与えることは難しい。

 

 

 

「確かに君は速いかもしれないが、別に追いつけないほどでもない」

 

 

 教科書通りの攻撃では体力を消耗するだけで、私の防御を突破することはできない。

 そして先ほどのような攻勢をしかけても、彼女にとっては最悪の消耗戦が待っている。

 だから彼女に残された道は二つ。神様に祈りながら剣を振るい続けるか、又は勝機の薄い消耗戦を受け入れるかだ。

 

 

 私はもう一度彼女の剣を弾くと、そのまま先ほどと同じように攻撃してね。

 おそらくカウンターが飛んでくるだろうと、そう思っていたが現実は違っていた。

 まさか右足で私の攻撃を防ごうとするなんて、さすがの私も苦笑いしかできなかったよ。

 

 

 全く、主人公君が見たら青ざめるだろうね。

 私の攻撃を食らったことがあるなら、絶対にガードしようとは思わなかっただろう。

 事実、私の攻撃は彼女のそれをもろともしなかった。

 

 

 

「申し訳ないが、私の一撃は君のそれとは全く違う。

 だからそんな風に防ごうとしても、傷口を広げるだけでなんの効果もない」

 

 

 無理なガードでバランスを崩した彼女は、その勢いを殺すことができなかった。

 吹き飛ばされた彼女はその場で吐血し、ガードした右足は内出血を起こしていた。

 

 

 

「まだよ……まだ、私はこの程度で諦める女じゃない!」

 

 

「そうか、その言葉が強がりでないことを期待しているよ」

 

 

 さて、ここからは私も攻勢にでようか。あの足では動けないだろうし、なにより私の一撃をあの体で二度も受けたのだ。

 既に勝敗は決しているものの、ここからどうのように動くかが難しい。

 そもそもこの女をどうやって降参させるか……ふむ、取りあえずは彼女の体力を奪うとしようか、さすがにこれ以上長引くのはごめんだからね。

 

 

 私は彼女に合わせて剣を振るい、できるだけその感情を揺さぶる。

 正面からぶつかり合ったかと思えば、すぐに違う角度から彼女を攻めたてる。

 前後左右。彼女の長い髪の毛を利用して、ありとあらゆる角度から攻撃する。

 

 

 どこからくるのかわからない攻撃に、彼女はその神経をすり減らす。

 長い髪の毛が彼女の視界をさえぎり、黒く変色した右足が動きを制限する。

 さすがに気の毒ではあるが、私の体も悲鳴をあげているのでね。

 

 

 ここは利用できるものは利用して、彼女をできるだけ追い詰めるとしよう。

 私の攻撃に翻弄される彼女だったが、その瞳は相変わらず綺麗なままでね。

 これだけ一方的だというのに、まだ諦めていないとはさすがだよ。

 

 

 

「私は自分が女として生まれたこと、それを今日だけは嬉しく思う。

 あなたが私のことをどう思ってるかはしらないけど、あんまりリュトヴャク家を舐めないでほしい」

 

 

 だから……というわけではないが、私はギリギリでその攻撃を避けることができた。

 いや、それを避けたと表現するのは正しくないだろう。事実、彼女の剣は私の肩を貫いていたからね。

 

 

 ただ、自分の髪の毛をなんの躊躇いもなく、根元の方から一気に切り落とすとは思わなかった。

 おかげさまで私は反応するのに遅れて、舞い散るそれに視界を塞がれてしまった。

 そしてその僅かな間を彼女は利用し、持っていた剣を私へ投げたのである。

 

 

 おそらく普通に攻撃しては避けられると思って、私の利き腕を潰すためにやったのだ。

 なんともまあ……やってくれるじゃないか、持っていた刀が血だまりの中へと沈み、着ている服が内側から真っ赤に染まる。

 

 

 私は右肩のそれを強引に引き抜くと、そのまま後ろの方へと投げ捨ててね。

 利き腕を潰されはしたが、彼女から剣を奪い取ることができた。

 確かに余裕があるとはいえないが、それでも主導権は私が握っている。

 

 

「最初からこれを狙っていたなら、私は君のことを勘違いしていた。

 まさかあの状況で利き腕を潰されるとは、君の度胸は称賛に値する」

 

 

 だからここから先は剣ではなく、純粋な殴り合いで決着をつけよう。

 彼女には申し訳ないが、こうなったら最後まで付き合ってもらう。

 

 

 

「だからこそ忠告しておくが、できるだけ早めに降参したほうがいい。

 私は君のような人間が嫌いではないし、できれば傷ついてほしくない」

 

 

 私の忠告に彼女は少しだけ考えていたが、すぐにその拳を構えて言葉を返す。

 髪の毛が短くなったことで年相応というか、少し幼くなった彼女は嬉しそうに笑ってね。

 

 

 

「申し訳ないですが、それだけは絶対に嫌です」

 

 

 このときの彼女がなにを喜び、そしてなにを考えていたかはわからない。

 しかし彼女は気づいていたはずだ。剣を奪われた時点で勝ち目がないこと、そしてこの戦いに意味がないこともね。

 

 

 

「だって、私はまだ戦えますから」

 

 

 私の悪意が彼女の体を黒く染め、その心にある種の恐怖を植えつける。

 彼女は私という存在に脅えながら、それでも諦めようとはしなかった。

 どれだけ倒れても立ち上がり、どんな状況であっても最善を尽くす。

 

 

 彼女が立ち上がるたびに私は苦笑いし、彼女が拳を振るうたびに舌打ちする。

 そして……ああ、そんなことをどれくらい繰り返しただろうか、いつの間にか私の方が限界を迎えていたよ。

 

 

 

「そろそろ降参してくれないか、さすがの君もいい加減気づいただろう。

 これ以上戦っても勝機はないと、このままでは取り返しのつかないことになる」

 

 

「い……や、です」

 

 

 全く、馬鹿もここまでくると一種の才能だな。どうしてそこまで意地を張るのか、私には理解できそうもなかった。

 今にも倒れそうだというのに意地をはり、彼女の拳にはなんの力も入っていない。

 

 

 

「そうか、じゃあしょうがない」

 

 

 私は彼女の攻撃を受け止めると同時に、そのまま右腕を掴んで引き寄せる。

 そしてその瞳を確認するとため息を吐いた。……なんというか、あれだけ痛めつけたのに彼女のそれは綺麗なままだった。

 

 

 

「降参……なんて、絶対にいや」

 

 

 だから私は全ての可能性を考慮しつつ、もう一度優先順位を確認してね。

 そのうえで二つの事象を天秤にかけて、どちらの方が有用であるかを考えた。

 

 

 教皇様から与えられた仕事と、それを選んだ際の利点を計算する。

 そして、そうやって導きだされた答えに私は納得した。

 そもそもそれ以外の選択肢は存在せず、優先すべきは会社の利益であって私の感情ではない。

 

 

 

「リュドミラ=リュトヴャク、君に最大級の称賛を送ろう。――私の負けだ」



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悪の組織は少女で遊ぶ

 全ては彼女という人間を甘くみていたこと、私自身の判断ミスが大きな原因である。

 さすがにこれ以上は付き合いきれないし、なにより肩からの出血が思いのほか酷い。

 このままでは彼女が諦めるよりも先に、私の方が倒れてしまうかもしれない。

 

 

 ふむ、それならばそのような姿を晒す前に、この状況をできるだけ有効活用しよう。

 私が棄権することで彼女……ではなく、この試合を見ているだろう彼女の父親に恩を売る。

 

 

 これで彼らは更に関心を示して、他の派閥も私との関係を勘違いするだろう。

 王党派は私を引き留めようとするだろうし、残りの派閥もこの機会に接触してくるかもしれない。

 敢えて敵対する派閥に恩を売ることで、全ての派閥が私の真意を探ろうと躍起になる。

 

 

 私に与えられた仕事は四城戦に優勝することと、私という人間を各派閥に売りこむことだ。

 相手を降参させるというのはスロウスからの助言、私を売り込むという手段であって目的ではない。

 前者に関しては既に優勝が決まっているし、後者に関してはここからが重要である。

 

 

 表面上は彼女の力量に感銘を受けて、これ以上傷つけたくなかったと思わせる。

 しかしその裏では各派閥に対する駆け引き、私という人間を少しだけ誤解させるのさ。

 後は個別に対応してできるだけ引っ張り、各派閥との関係を均等に保てばいい。

 

 

 

「なっ……なぜ」

 

 

「理由かい? 理由は……そうだな、私は本当に君のような人間が嫌いではない。

 君の戦い方はとても合理的で躊躇がなく、そこら辺の学生なんかとはレベルが違う。

 少し女の子らしさに欠けるかもしれないが、それでもそういったところが私は好きだ」

 

 

 突然のことに頭が混乱しているのか、彼女は私の服を掴んで顔を上げる。

 私はそんな彼女の頭を撫でて、適当な言葉で誤魔化しつつ時間を稼いでね。

 取りあえずはできるだけ自然に、彼女という人間を私の 人脈(ネットワーク)に組みこもう。

 

 

 世襲派軍閥のトップ、リュトヴャク家の次期当主という肩書きは大きい。

 それこそなにかしらの役にはたつだろうし、ここで切り捨ててしまうのはあまりにも勿体ない。

 だから適当な笑顔と共に、彼女が欲している言葉をプレゼントする。

 

 

 

「おめでとう、君はこの私に勝ったのだ。

 もう二度と君のことを恥知らずだなんて、そんな風に罵ったりはしないと約束しよう。

 本当に申し訳なかった。リュトヴャク家の人間がこれほどものだったとは、私は君のような女性と戦えて嬉しく思う」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔をして、どこか誇らしげに彼女は微笑んでね。

 私の言葉に一喜一憂する彼女を見ながら、やはり子供というのは扱いやすいと思った。

 

 

 

「で、では!」

 

 

「悪いが、それとこれとは話が別だ。

 しかし……そうだな、もしももう一度私に勝てたら、そのときは君の言うことをきいてあげよう」

 

 

 後はどうやって彼女との繋がりを保つか――ふむ、あまりこういうのは好きじゃないが、私は魔道具という名の便利グッズを使ってね。

 その中から彼女でも使えそうな武器、少し大きめのそれを地面に突きさしたのさ。

 

 

「これはその証というか――まあ、私に勝利した君へのプレゼントだ」

 

 

 見た目とは違って羽のように軽いそれは、ため息がでるほど洗練されていた。

 もとは会社の保管庫にあったもので、研修期間を終えた際に渡されたものの一つでね。

 要するにただの消耗品というか、私はこういったものを大量に持っていた。

 

 

 これはクロノスのように特別な武器でもなく、ただ単に切れ味が良いだけの武器だ。

 だから消耗品としては使い勝手がいいし、なによりプレゼントとしても使えるからね。

 

 

 

「今日は私にとって素晴らしい一日だった。個人的にはもう少し話したかったが、それは次の機会にとっておくとしよう」

 

 

 私は会場を離れるとそのまま医務室に向かい、怪我の治療を名目に閉会式には顔をだなさかった。

 このときの私はそれどころではなかったというか、できれば四城戦に関する報告書をまとめたくてね。

 まさかこの世界でもデスマーチをやるはめになるとは、屋敷に戻ったらペンを片手にコーヒーでも飲もう。

 

 

「さて、後は小学生にでもできる簡単な御仕事だ」

 

 四城戦最終試合、奉天学院との大将戦はこうして終わったのである。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「一応確認しておきますが、その晩餐会に遅刻することは許されません。

 たとえどんな理由があったとしても、必ず迎えにきた馬車に乗ってください」

 

 

 四城戦が終わってから数日後、私たちはもう一度あの生徒会室に集まっていた。

 私はヨハン君の横でその話を聞きながら、その場にいた誰よりも困っていたと思う。

 

 

 

「そっか、この国の人が大勢参加するパーティーか――」

 

 

 四城戦に優勝した私たちを招いて開かれるそれは、この国の王様も出席するらしい。

 私たちは学園側が用意した馬車に乗って、その晩餐会が開かれる御城へと向かい、そして今回の優勝を大勢の人に祝福される。

 

 

 生徒会長さんはどこか誇らし気に説明していたけど、私は苦笑いすることしかできなかった。

 だって私は生徒会長さんやターニャちゃんとは違うから、レムシャイトとは仲が悪いササーンの人間だもん。

 私みたいなよそ者がそんな場所にいたら、それこそ彼女たちに迷惑がかかるかもしれない。たとえ二人が気にしないとしても、彼女たちの周りが嫌がるだろうと思った。

 

 

 

「当日はドレスコードですが、あまり気にせず普段通りでお願いします。

 帰りの馬車は学園の方で手配しますので、そこまで長引くことはないでしょう」

 

 

 それに今の私はドレスを持っていない。一応お姉ちゃんから貰ったお金があったけど、新しいドレスを買おうにもお店を知らなくてね。

 ターニャちゃんにでも聞けばよかったのに、結局なにも言えないまま話は終わっちゃった。

 

 

「ほう、珍しく元気がないようだな」

 

 

 ターニャちゃんたちが部屋を出て行った後、ヨハン君はいつもの口調で揶揄ってくる。

 その視線が私の尻尾に向けられていたこと、そして意地悪そうなその笑顔にちょっと安心した。

 だって奉天学院との試合が行われる前、御城で会ったときの彼は本当に怖かったもん。

 

 

 アルフォンス君から事情は聞いていたけど、それでも話しかけることができなかった。

 四城戦が終わってからは顔も出さず、そのせいで何度もお弁当を作りすぎてね。

 せっかく作ったものを捨てるのも勿体ないし、いつものテラスで生徒会の友達と一緒に食べてた。

 

 

 

「ヨハン君はいいよね。だって、私みたいな耳や尻尾がないだもん」

 

 

「そうか? 私は耳や尻尾が可愛いと思うし、なによりそんな特徴も含めて一つの個性じゃないか。

 君がなにを気にしているかは知らないが、その程度のことで落ちこむ必要などない」

 

 

 あぅ……そんな風に言われると反応しづらい。

 自分でも顔が熱くなるのを感じるというか、こんな恥ずかしいことを平然という辺り、この人は馬鹿なんじゃないかと思ったりもする。

 私はヨハン君の言葉に赤くなりながら、今にも暴れだしそうな尻尾を押さえつけてね。

 

 

 代表戦のときも同じようなことがあったけど、今度は両手を使って必死に誤魔化した。

 あのときもそうだったけど、人は恥ずかしさだけで死ぬことができる。

 だから私はできるだけ気づかれないように、これ以上ないというくらい頑張ったの。

 

 

 

「ああ……それと、こんなことを君にいうのも変だが、明日の予定が空いているなら私の買い物に付き合ってほしい。

 明日はこの学校も休みだから、ちょっとした気分転換兼ねてどうだろうか?

 そこまで長引かないよう配慮はするし、なにより君が望むなら途中で帰っても――」

 

 

「行く!絶対に行く!」

 

 

 うん、無理だった。その言葉を聞いた瞬間私は死んだ。

 気がつけば私の椅子は倒れてて、自分でもびっくりするくらいの声をだしてた。

 

 

 

「そっ……そうか、それなら君の家まで迎えに行こう。合流する時間は君に合わせるよ」

 

 

 尻尾を押さえることすら忘れて、私はヨハン君に詰め寄っていたの。

 だってあのヨハン君が買い物に誘ってくるなんて……その、あまりにも予想外だったというか、また私を揶揄っているんじゃないかと思ってね。

 だけど、いつまで経ってもそれを否定しないから、私も自分の感情を制御することができなかった。

 

 

 だってヨハン君と一緒に買い物するなんて、それじゃあまるでデッ……デートとみたいじゃん。

 今まで学校の外で一度も会ったことがなくて、カップルらしいこともしたことがなかったけど、これで少しは進展するかもしれない。――しれない?……いや、する! 絶対させてみせる!

 

 

 私の勢いに彼は苦笑いしてたけど、ここまできたら尻尾なんてどうでもよかった。

 ここにターニャちゃんたちがいなくてよかったと、そう心の底から思ったよ。

 私は開いている時間を彼に伝えて、そのまま急いで生徒会室から出て行く。

 

 

 このままヨハン君と一緒にいたら、私の尻尾は千切れてしまうと思った。

 廊下に響く足音はとても軽やかで、窓ガラスに映った私の顔は真っ赤でね。

 なんて言うか、今まで一番だらしない顔をしていたと思う。

 

 

 

「くふ、明日はヨハン君と一緒にお買い物」

 

 

 その後の授業はあんまり覚えていない。気がつけば私は自分の家にいて、小さなクローゼットに顔を突っ込んでいた。

 足元には残念ながら予選落ちとなった服、ベッドの上には決勝に進んだものが置かれてね。

 最近買った姿見の前で何度もチェックして、そうやって明日の勝負服が決まったの。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

 

「おや? 少し早めに来たのだが、もしかして遅れてしまったかな?」

 

 

「全然、大丈夫! 私が出てきたのも少し前だし、ヨハン君はなにも気にしなくていいよ!」

 

 

 言えない。一時間も前から待ってたなんて言えない。

 シアンちゃんが運転する馬車でやってきた彼は、いつもとは少しだけ雰囲気が違っていた。

 たぶん見慣れた学生服じゃなくて、お互いに私服を着ていたからだと思う。

 

 

 学校にいるとき少し遠くに感じるけど、今はお互いの肩が触れ合うほどに近い。

 こんな彼を知っているのが私だけだと思うと、ちょっぴり嬉しかったりもする。

 こうやって見ればヨハン君も私と同じ、ただの学生にしか見えないから不思議だ。

 

 

 

「四城戦ではよく頑張ったな。個人成績で言えば二勝一敗だか、一年生でそこまでやれれば上出来だろう。

 君は代表選手としての役目をしっかりと果たした。だから学生たちは当然として、教員たちも君のことを認めるはずだ」

 

 

 御者台にいるシアンちゃんは別として、この空間だけは誰にも譲りたくなかった。

 軽快な蹄の音と心地良い振動、あのヨハン君が照れくさそうな顔をしている。

 もしかして慰めているのかな? ここ最近は本当にいろいろなことがあったから、ヨハン君とこうやって話すこともなかった。

 

 

 

「ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。

 私には生徒会長さんやターニャちゃんだっているし、最近は生徒会にいる子とも仲がいいしね」

 

 

 最近の学校は本当に楽しい。だけどその楽しさを実感するほどに、私の中である感情が芽生え始めていた。

 それはお姉ちゃんに対する罪悪感であり、なにもできない自分へ対する怒りだと思う。

 あのとき、私は医務室の中でお姉ちゃんとたくさんのお話をした。

 

 

 どうして突然いなくなったのか、なんでヨハン君と一緒にいるかもそのとき知ってね。

 私は自分がどれだけ馬鹿だったか、それ知って物凄く後悔したことを覚えている。

 

 

 

「そうか、では近いうちに私の屋敷に来るといい。

 実はセレストが君に会いたがっていてな。君の話を聞けば彼女も安心するだろうし、なにより君自身も彼女と会いたいだろう」

 

 

「でも……その、いいの?」

 

 

 やっぱりヨハン君は凄いと思う。だって私以上に私のことをわかっているから――こんなことを言うのも変だけど、その妙に鋭いところがちょっぴり苦手だった。

 勿論お姉ちゃんとは会いたかったけど、それでヨハン君に迷惑がかかるなら我慢しようと思った。

 

 

 

「気にするな。毎日というわけにはいかないが、それでも月に数回程度であれば問題ないだろう」

 

 

 だけど、それすらも彼は見抜いていたの。ヨハン君は呆れたように笑いながら、それ以上なにも言わなかった。

 静かな空間の中でなにをするわけでもなく、彼は嬉しそうに窓の外を眺めていた。

 私はそんな横顔を見ながら、この陽だまりのような空間で小さく笑ってね。

 

 

 彼は他の人と比べて口数が少なく、あまり冗談をいうタイプでもないけど、私はそんなところも含めて彼が好きだった。

 だからこの空間はとても居心地がいい。ヨハン君を独り占めできる小さな空間、私にとってこれ以上の御褒美はないもの。

 

 

 

「ご主人様、着きましたです!」

 

 

 だけど、そんな空間もいつかは終わる。聞こえてきたシアンちゃんの声に、私は少しだけ残念に思っていた。

 もう少し遠回りしてくれてもよかったのに……なんて、そんな風に思っている自分がいた。

 

 

「え? ここって――」

 

 

「ジークハイデンさんに聞いたら、獣人もののドレスはこのお店にしかないらしい。

 一応彼女たちにも協力してもらって、今日はこのお店を貸し切ってもらった。

 だから周りの視線など気にせず、君が満足するものを探すといい」

 

 

 ショーウィンドーに飾られた綺麗なドレス、大きな看板が私たちを迎えてくれる。

 目の前には人が良さそうな店員さんと、嬉しそうに笑っているターニャちゃんがいてね。

 

 

「でも私、そんなに持ってきて――」

 

 

「確か君の誕生日は来月だったな? うむ、だったら少し早めの誕生日プレゼントだと思ってくれ」

 

 

 言葉がでなかった。私のためにここまでしてくれるなんて、変な勘違いをしていた自分が恥ずかしくてさ。

 だからその恥ずかしさを隠すように、ヨハン君の手を強引に掴んで中へと入っていく。

 これは私たちにとっての大きな一歩。彼が来ないのなら私の方からいこうと、そう決めてターニャちゃんに微笑んだの。



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悪の組織は宴を楽しむ

 古代ギリシアの哲学者、12年間もの間地中海を旅した男はこう語る。――初めは全体の半ばである。

 つまり、それだけ物事を始めるというのは難しく、多くのリスクがつきまとうということだ。

 不当な裁判で師匠を殺された彼は、後にイデア論という新しい概念を提唱する。

 

 

 ふむ、ではそんな教訓も踏まえたうえで、ヨハン=ヴァイスという少年について振り返ってみよう。

 彼はこの世界に召喚されると同時に、とある大企業の重役を担うこととなった。

 そして、他の役員と比べて少し若かった彼は、その年齢を活かしてとある教育機関に潜入してね。

 

 

 その学校はこの国の王族も通う名門校で、王党派と呼ばれる組織が管理している。

 若者たちはノートを片手にペンを握るのではなく、剣を片手に呪文を唱えるというふざけた場所だ。

 若いうちから人殺しの技術を磨き、それを一種のステータスとして評価するのである。

 

 

 彼はそんな原始人どもと共に生活し、そしてこの数ヶ月で代表選手に選ばれた。

 四城戦で各学校の代表を蹴散らし、その手に優勝旗を掴んだのはつい先日である。

 会社側からすれば私の活躍も含めて、全ては計算通りに進んだはずだ。

 

 

 要するに彼がその世界に呼ばれた時点で、四城戦での優勝は決まっていたのである。

 初めは全体の半ばである。……なるほど、教皇様がどの程度の未来を予想し、なにを目標に動いているかはわからない。

 だが、私の目から見てもそれが順調に進んでいることは確かだ。

 

 

 さて、ここまでは会社側の意見というか、教皇様から見たヨハンという人間についてである。

 だからここから先は私自身の口で、ヨハン=ヴァイスという人間を語ろうと思う。

 今日この日、この場所から始まる彼の未来について――私から見た彼の第一歩はここからだ。

 

 

 この世界にやってきたあの日でも、クロノスを振るった入学試験でもない。

 煌びやかな装飾と見渡す限りの老害ども。この国の権力者たちが一堂に会する晩餐会、ここから私の計画は始まるのである。

 

 

 

「ふーん、意外と似合ってるじゃない」

 

 

「ハハハ、まさか一国の御姫様に褒められるとはな。

最近良いことでもあったのか? 君の方から私に話しかけるなんて、なんだか裏があるようで怖いよ」

 

 

 上質なローブを羽織った老人から、軍服を着た若い将校まで、この部屋にはありとあらゆる人間が集まっている。

 どちらかといえば社交界に近いような気もするが、この世界に於ける晩餐会とはなんとも不思議なものだ。

 会場の中を見渡せば誰がどの派閥であるか、それが一目で分かるよう配置されている。

 

 

 王党派と門閥貴族はテーブルの下で殴り合い、魔術師協会と世襲派軍閥は顔を合わせようとすらしない。

 様々な思惑がバイオリンの音色を汚し、そして上質なワインを泥水へと変える。

 私たちの登場によって少しだけ穏やかになったが、各派閥から向けられる視線は相変わらずだ。

 

 

 

「そんだけ言えるなら上出来ね。一応私にも王族としての立場があるから、ずっと一緒にいるわけにもいかない。

 あんたは大丈夫だと思うけど、あそこにいるガールフレンドはなんとかしなさいよね」

 

 

 御姫様の言葉に視線を向けて見れば、そこには若い将校たちに囲まれているセシルがいた。

 おそらくは私たちを探している途中で捕まったのだろう。彼女は必死に助けを求めてきたが、私はそれに対して軽く手を振ってね。

 この機会にセシルにも各派閥との繋がり、特にリュトヴャク家と交流を持ってほしい。

 

 

 セシルは売られていく子牛のような……ふむ、とても悲しそうな顔をしていたけどね。

 しかし、ここで顔を売っておくのも彼女のためであり、ひいては私の利益へと繋がるのだ。

 御姫様はそんな私に深いため息を吐き、そして踵を返すと真っ直ぐセシルの元へと向かう。

 

 

 

「全く、あんたみたいな人間のどこがいいんだか」

 

 

 そんな捨て台詞を吐きつつ、なんだかんだセシルを助けようとする辺り、彼女もまた主人公君と同じ御人好しなのだろう。

 私はそんな光景を見ながら近くにあったグラスに手を伸ばし、心の中でそんな御姫様に拍手を送った。

 

 

 

「私が言えた義理でもありませんが、もう少し優しくしてもいいのではありませんか?

 せっかくのパーティーだと言うのに、これでは勘違いされてしまいます」

 

 

「これは……生徒会長様、いやはやお恥ずかしい限りです。

 しかし彼女もこれからは獣人としてではなく、セシル=クロードという個人として人間関係を築いてほしい。

 私や学園にいる者とは別の繋がり、本当の意味でためになる友人というものをね」

 

 

 聞こえてきた言葉に私は言葉を返しつつ、困ったように笑いながら視線を移す。

 そこには普段とは少し違った雰囲気の彼女、生徒会長様と一人の女性が立っていた。

 

 

 

「へぇ、君がニンファの言っていた男の子ね」

 

 

 その女性を見たときに私が感じたイメージは――蛇。ふむ、その表現が一番正しいだろう。

 私や生徒会長様とは違うタイプの人間、その微笑みはとても魅力的で謎が多く、見る者を不思議と高揚させる。

 どちらかと言えば生徒会長様とは真逆のタイプ、スロウスと同じ匂いがするのは気のせいだろうか。

 

 

 

「生徒会長様、こちらの方は?」

 

 

「ああ、そう言えば私の御母様と会うのは初めてでしたね。

 プランシー=シュトゥルト、シュトゥルト家の現当主にして我が学園の責任者です」

 

 

 普段の私ならばすぐさま思考を切り替え、サラリーマン時代の処世術を駆使したはずだ。

 しかしこのときばかりは違っていたというか、どうにも気が進まなかったのである。……そう、進まなかった。

 そのときの感覚を言葉で表現することは難しく、たとえ出来たとしても酷く曖昧なものだ。

 

 

 生徒会長様にその女性が母親だと言われても、私はどうしても納得できなかった。

 それは二人の顔が似ていないということもあるが、それよりも先に彼女の人間性というか、第一印象があまりにもかけ離れているのだ。

 たった一言。この数秒間でそれだけの違和感に私は気づき、最後までその違和感を拭いさることができなかった。

 

 

 

「ニンファからある程度のことは聞いていたけど、今回は学園のために働いてくれてありがとね。

 もしも必要なものとかがあったら、遠慮なくニンファかマリウスに言えばいいわ。

 学園のことは二人に任せているし、他の職員にもマリウスを通して話してちょうだい」

 

 

 気持ちが悪い――それは、主人公君に抱いたものとは真逆の感情、暗闇に話しかけているようなものだった。

 どれだけ言葉を交わしてもなにも響かず、どんなに観察しても見えてこない。

 なにもわからない。それがプランシー=シュトゥルトの第一印象であり、少ない会話の中で導きだした答えだ。

 

 

 

「それじゃあ頑張ってね死神さん、あんまり面倒事は起こさないでよ」

 

 

 ただ最後の部分だけ、その言葉にある種の怒りが含まれていた。

 それがなにに対してのものかはわからないが、確かにそんな瞳をしていたのである。

 

 

 

「今回は本当に助けられました。これからも同じ学園の生徒として、色々とよろしくお願いしますね」

 

 

 生徒会長様は私の耳元で囁くと、颯爽と踵を返す学園長様について行く。

 その姿がどこかシアンに似ていたので、私としたことが苦笑いしてしまった。

 貴族の生まれである生徒会長様と、孤児だったシアンの後姿を重ねるとは、さすがに冗談だとしても笑えない。

 

 

 

「さて、それにしても困ったな。

 もう少しアプローチがあると思ったが、どいつもこいつも私に近づこうとすらしない」

 

 

 取りあえず、今はこの状況をどうするかが問題である。

 生徒会長様達が去って一人になった私は、その場でなにをするわけでもなく、一度だけ会場を見渡すとそのままバルコニーへと向かう。

 御姫様や生徒会長様がいなくなったところで、他の派閥が接触してくると思ったが、結局誰も近付いてこなかったからね。

 

 

 もしかしたら王党派の人間を気にして、他の派閥が躊躇しているのではないかと、そう思ったからこそ移動したのである。

 ここならば誰にも見つからないし、なにより話をするのに打ってつけだからね。

 

 

 そこはバルコニーと言うより庭園に近かったが、個人的にはこのくらい広い方がいい。

 私は月明かりに包まれながら、アドルフィーネ家の最期を思い出していた。

 間抜けな貴族と哀れな小娘、あのような人生は絶対にごめんだ。

 

 

 利用できるものは利用し、使えないものは容赦なく排除する。

 人魔教団の基本理念は資本主義の亜種であり、そこに余計な感情を持ち込むべきではない。

 私はただ与えられた仕事を効率的にこなし、その過程で競争相手を蹴落とせばいい。

 

 

 

「おや? パーティーの主役がこんなところでなにをしておるのじゃ?」

 

 

 私は聞こえてきた声に踵を返すと、瞬時に全ての感情をリセットした。

 そして頭を切り替えると同時に視線を移し、男性の着ている服とその口調から人間性を判断する。

 既に私と彼との間で駆け引きは始まっており、まずはこの男がどの派閥であるのか探るとしよう。

 

 

 男の容姿から察するに年齢は五十代くらい、着ている服は他の者達と比べて簡素なもので、おそらくは協会の人間だろう。

 貴族のように着飾っているわけでも、軍人のように階級章をつけているわけでもない。

 王党派の人間が今更接触してくるとも思えないし、そうなれば魔術師協会しかいない。

 

 

 

「こういった場所は初めてなもので、少し疲れてしまったのかもしれません。

 こんなことを言うのも変ですが、外の空気が吸いたくて出てきました」

 

 

「おぉ、そうかそうか。

 確かに初めて参加する者にとっては、今回の集まりはちと厳しいものがあるな。

 ワシも御主と似たようなもので、あの空気がどうにも苦手で逃げだしてきたのじゃよ」

 

 

 一応それなりに高い地位を持っているのか、簡素な服であってもその素材は見事なもので、こんな私でもその服が高級品であることはわかった。

 落ち着いた口調に独特の雰囲気、人当たりの良さはそれだけでも才能である。

 気がつけば私はその男と言葉を交わし、くだらない話に花を咲かせていた。

 

 

 どうやらこの男は王族と親しい間柄らしく、国王の側近たちについて情報を得ることができた。

 魔術師協会の人間だと思っていたが、ただ単にパーティーが嫌で逃げだしたそうだ。

 その口調から王党派であることはわかったが、ここで王党派の人間といても時間の無駄だ。

 

 

 できれば魔術師協会か門閥貴族、最低でもリュトヴャク家の者と繋がりを持ちたかった。

 限られた時間でできるだけ効率的に、それでいて目的を達成するにはこの男は邪魔だ。

 私は強引に男の話を切り上げると、そのまま踵を返そうとして肩を掴まれる。

 

 

 

「まあ、そう焦らなくてもいいじゃないかヨハン=ヴァイス君」

 

 

 さすがにこれ以上は面倒だと、そう感じて振りほどこうとしたがね。

 しかし振り返った瞬間に私は固まり、そして男は顔色を変えずに言葉を続けた。

 

 

 

「王都の一等地に屋敷を構えて二人のメイド、この国では珍しい獣人と共に暮らしている。

 君の両親については既に死んでおるのか、その存在まで確認することはできなんだ。

 コスモディア学園には一般入試を受けて合格、その際に多くの受験生を再起不能にした」

 

 

 そこにいたのは先程までの男……ではなく、落ち着いた口調で私の全てを暴露する狂人。おそらくは王党派の重鎮だろう。

 国王の側近かそれともその身内か、いずれにしても私は動くことができなかった。

 どうしてそこまで調べたのか、なぜセレストのことを知っているのかが不思議でね。

 

 

 私は男の雰囲気に呑まれてしまい、それを否定することすらできない。

 沈黙と肯定は同意義であり、私の足は地面に縫いつけられた。

 男の口調はそれが本来のものであるのか、最初のときとその一人称が変わっていた。

 

 

「そう怖い顔をせずとも、余は御主をどうこうするつもりはない。

 むしろ四城戦での功績を褒めたいくらいでな。おかげさまで南方の軍閥や、小うるさい貴族共が静かになった」

 

 

 この男がなにものであるのか、それが今の私にとって最重要であり、ここで選択肢を誤れば明日はない。

 どれだけ高い地位を持っているのか、もしかしたら王族なのかもしれない。

 その口調は明らかに貴族を馬鹿にし、そしてあのリュトヴャク家を下に見ていた。

 

 

「ただ……な。あれだけ暴れたのだから、御主の素性は他の派閥も調べておるだろう。

 この程度のことで顔色を変えていては、この先使いものになるかは少々不安じゃの。

 別にやましいことがないのであれば、そのように焦る必要もなかろうて」



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悪の組織はどこにでもいる

 この状況をどうやって切り抜けるか、このときの私はそれだけを考えていた。

 幾つもの選択肢が脳裏を過り、それと同じだけ小さく舌打ちする。

 相手が誰であるのかわからない以上、迂闊な行動をとるわけにはいかない。

 

 

 こんなところで騒ぎ起こせば、その時点で私の人生は終了である。

 沈黙はそれだけ私の立場を悪くし、下手な受け答えをすれば更に怪しまれる。

 男の素性さえわかれば対処方もあるが、あまりにも情報が少なすぎてね。

 

 

 男の言葉を否定するのか、それとも肯定したうえで弁明すべきか。

 私の焦りとは裏腹に時間だけが過ぎていく、そして私が口を開こうとした瞬間、男の背後から別の人間が現れたのさ。

 

 

 

「国王様、このようなところで護衛も連れずになにしているのです。

 ターニャ様や大臣たちも含めて、多くの人間が探しておりましたぞ」

 

 

 着ている服から軍人であることはわかったが、そんなことよりも彼の発した言葉の方が問題だった。

 国王様――つまり目の前の男はこの国の要であり、私が所属する王党派のトップということだ。

 

 

 時代遅れの統治体制を未だに引きずり、カビの生えた貴族制を採用する無能。

 ハハハ、私はなにかの冗談だと思ったよ。なぜならこの男がそのような人間には見えなかったし、なにより先程の変わりようも含めて、男の雰囲気は御姫様とは真逆だったかね。

 支配されるのではなく、支配する側の人間であることは間違いない。

 

 

 そう、とても御姫様が言うような間抜けには見えなかった。

 なぜ王党派が他の派閥と対等であるのか、どうして納得しているのかがわからない。

 

 

 この男が本当に国王であるのなら、少なくとも他の派閥よりも優位に立てるはずだ。

 それだけの確信が私にはあったし、この男にはその能力があるとも思った。

 

 

 

「なに、娘の同級生を揶揄っていたのよ。

 将軍も御存じの通り、彼はこの国にとって必要な人材じゃからな」

 

 

 なにを話しているかは聞こえなかったが、それでもなんとなくはわかる。

 おそらくは会場からいなくなった彼を、この軍人が連れ戻しにきたのだろう。

 目の前の男……いや、国王様は私に苦笑いすると、そのまま近づいてこうささやいたのさ。

 

 

 

「これはちょっとした助言、別に御主を咎めているわけではない。

 これから先、様々な人間が近づいてくると思うが、自分の立ち位置だけは見失わないようにな。

 少し怖い思いをさせたかもしれぬが、余にとっては楽しい一時であったぞ」

 

 

 そう言い残して国王様は踵を返し、そのままバルコニーを後にする。

 残されたのは一人の軍人と間抜けな会社員、国王様は彼のことを将軍と呼んでいたが、どうして彼が残っているのか不思議だった。

 この国には珍しい日本人に似た風貌、その軍服には無数の勲章が――ん? いや、彼がここにいるのは必然だったか。

 

 

 

「こうやって会うのは初めてか、その節は娘が世話になったな小僧。

 吾輩はリュトヴャク家当主、ドワイト=リドヴャクだ。貴様の言う通り吾輩の方から出向いてやったぞ」

 

 

 会いに来るとは思っていたが、個人的にはもう少し後の方が良かった。

 それに知らなかったとはいえ、国王様と一緒にいるところも見られている。

 状況としてはかなり最悪だが、今更逃げるわけにもいかないだろう。

 

 

「それにしてもその歳でこの国の王族、しかもレオンハルト様と交流があるとはな。

 貴様には四城戦での借りもあるし、元々直接会って話したいこともあった」

 

 

 その言葉に私は違和感を覚えたが、それに関しては将軍が説明してくれた。

 今回の四城戦に関して、将軍は私と彼女が戦うことを許さなかったらしい。

 それは軍閥という特異な組織において、次期当主である娘の経歴を守るためだった。

 

 

 

「どうしても戦うというなら、負けたときは当主としての資格を剥奪する。

 お前は吾輩が選ぶ新しい当主の妻となり、四城戦以降表舞台に出ることは許さん」

 

 

 それは彼なりの親心というか、一種の駆け引きだったのだろう。

 さすがにそこまで言えば引き下がるだろうと、そう思っていたが逆効果だったらしい。

 彼女は私との試合前に将軍の元を訪れ、そして全てを受け入れると誓ったそうだ。

 

 

――全てを捨ててここに来たんじゃない! あのとき彼女が言っていた言葉、あれは強がりでもなんでもなかった。

 つまり言葉通りというか、本当に全てを捨てて試合に臨んだのだろう。彼女ならば私に勝てないこともわかっていたはずだ。

 

 

 軍閥という性質上、リュトヴャク家は徹底した実力主義を謳っている。

 私との戦いで惨めに敗北すれば、それはリュトヴャク家への不信感にもつながるだろう。

 組織としての運営にも支障がでるだろうし、将軍はあの試合を見ながら焦っていたそうだ。

 

 しかし将軍の予想とは裏腹に、リュドミラは最後まで善戦してね。

 結果的に彼女は私に勝利し、将軍はその結果に安堵したそうだ。

 

 

 

「コスモディアの学園長、プランシー=シュトゥルトとは面識があるか?

 シュトゥルト家の当主にして大貴族の一人、あの女にはできるだけ近づかない方がいい」

 

 

 ふむ、そういうことであれば話は別だ。

 将軍がなにを知っているのか興味もあるし、ここは素直に受け取っておくとしよう。

 

 

 

「貴様は知らないだろうが、あの女が大貴族の一員となったのはアスクルムの戦い以降でな。

 当時のシュトゥルト家は下級貴族に過ぎなかったが、あの戦いで前王の首級を敵から取り戻したことで、国王レオンハルト様が今の地位を与えた」

 

 

 アスクルムの戦いについては、あのテラスでリュドミラが教えてくれた。

 全ての種族を巻き込んだ大きな戦争、その際に当時の国王がエルフたちによって殺された。

 

 

 確かその国の名前は……そう、アストランだったな。

 エルフたちが住んでいる国、その軍勢によって殺されたと聞いている。

 まさか学園長様がその戦争に参加し、それほどの功績をあげていたとは思わなかった。

 

 

 

「当時、遠征軍の全権はリュトヴャク家にあった。

 先代の当主、吾輩の父がその軍を指揮し戦っていたのだがな。

 その際に戦争に参加していた各諸侯に対して、父は派遣された政治将校とは別に記録を取っていた。

 だが、その記録にシュトゥルト家という名の貴族、そしてプランシー=シュトゥルトなる人物は参加していない」

 

 

 そこから先、将軍は当時のことを色々と教えてくれた。

 そもそも下級貴族である彼女が中央軍の、しかも国王様の近くにいること自体おかしい。

 突然現れたアストランの軍勢もそうだが、学園長様を除く全ての近衛兵が死んでいたそうでね。

 

 

 彼女はたった一人でその乱戦を生き抜き、更には敵の手から国王を取り戻したわけだ。

 どの種族よりも魔術に長けているエルフ、その集団を突破して誰よりも早く王都に戻った。

 精鋭ぞろいの中央軍が一方的にやられたというのに、当時の学園長様にこれといった外傷はなかった。

 

 

 

「他にもまだある。レオンハルト様が爵位を授けたとき、一部の貴族が猛烈に反発してな。

 曰く、シュトゥルト家という貴族、そしてプランシー=シュトゥルトなる者は知らない。

 そしてあの女の持っていた領地にしても、他の貴族はその所有権が自分にあると主張した」

 

 

 それに関しては私も知っている。以前生徒会長様がそのことについて、マリウス先生と話していたことがあった。

 個人的にはちょっとした行き違いというか、その程度の問題でしかないと思っていた。

 だが、将軍の話が本当であるなら困りものである。

 

 

 

「結局、レオンハルト様が管理する貴族名簿(クエーカー)、そして領地に関する記録が出てきて一旦は治まった。

 しかし、それでも納得できない一部の貴族が度々あの女と衝突している。

 そしてそういった者は一人残らず変死、又はなにかしらの事件に巻き込まれて取り潰された。

 一番大きかった反シュトゥルト派の貴族、アドルフィーネ家も先日何者かの襲撃にあって皆殺しにされている」

 

 

 今の私にはそれを調べる手立てがなく、だからといって直接聞くわけにもいかない。

 スロウスを頼るという手もあるが、これ以上貸しを作るのは得策ではない。

 少なくともアドルフィーネ家に関して言えば、学園長様ではなく私がやったことだ。

 

 

 

「あの女にはなにかある。貴様がなにを目指しているかは知らんが、コスモディアにいたという事実は後々邪魔になるだろう。

 沈むとわかっている船に乗るというなら無理意地はせんが、貴様の才能を捨ててしまうのはあまりにも惜しい」

 

 

 リュトヴャク家の力がどの程度のものであるか、それがハッキリしないのでなんとも言えない。

 彼の言葉を素直に信じてもいいが、既にリュトヴャク家は二度も失敗している。

 最初は人魔教団が用意した私の素性について、次にアドルフィーネ家の襲撃に関してだ。

 

 

 おそらく人魔教団が大きいだけで、彼らが無能なわけではないだろう。

 しかし、ここで答えをだすのはあまりにも早い。どのみち教皇様の指示がなければ学校を辞めることも、それこそ奉天学院転入することもできない。

 それにたとえ本当に沈んだとしても、私には人魔教団という大型船がある。

 

 

 

「御忠告感謝します。ですが、もう少しだけこの景色を楽しんでいます。

 たとえ泥船に乗っていたとしても、沈む前に浮き輪くらいは用意したいのでね。

 もしものときは新しい船に手土産でも持って、そのうえで新しい船長さんに御挨拶でもします」

 

 

「ふん、まあいい。どうせそう言うだろうと思っていた。

 今の話を聞いて慌てるような人間なら、どのみち吾輩の軍では使い物にならん。

 こうして直接話してみてわかったが、やはり貴様には見所があるようだ」

 

 

 そう言って将軍は笑っていたが、やはりこの男は今までの人間とは一味違う。

 この辺りはさすがと言うべきか、おかげさまで私の頭は混乱している。

 もしも学園長様と会う機会があれば、私はその度に彼の言葉を思い出すだろう。

 

 

 学園長様に対する悪いイメージ、ある種の先入観が私の思考を鈍らせる。

 言葉は剣よりも強いというが、将軍は駆け引きというものを知っているようだ。

 

 

 

「それに貴様が娘に渡したレイピアだが、我が軍の職人に見せたら震えておったわ。

 曰く、全てが巨大なミスリルから削り出された至高の一品、貴族でも中々手に入らないということだ。

 吾輩の軍は貴様の話題でもちきりだよ。そんなものを簡単に手放したこともそうだが、貴様の実力は明らかに他を圧倒していた」

 

 

 一方的な情報で私の感情を揺さぶり、その反応を確認してから本題に移る。

 このときほど営業スマイルという名の盾に、サラリーマン時代の技術に助けられたこともなかっただろう。

 

 

 

「小僧、貴様は一体なにものだ?」

 

 

「ただの学生ですよ。少しでも娘さんに近づこうとする学生、軍人(ライバル)にはできないことをするただの阿呆です。

 それこそ当主様の御言葉を借りるなら、一応見所はあるみたいですがね。

 内心では彼女が喜んでいるのかどうか、そんなことばかり気にしている男です」

 

 

 一流の営業マンはスーツを着たら変わると言うが、私の場合はこの営業スマイルがそれだ。

 自分の感情を制御したうえで、ちょっとした冗談も言えるようになる。

 

 

 

「フハハハハ。そうか、そうきたか。

 ならば吾輩はもうなにも言うまい。そこから先は当人たちの、貴様が言うように男と女の問題だからな」

 

 

 私の言葉に将軍は固まっていたが、数秒後には大きな笑い声が返ってきてね。

 まさかこんなにも笑ってくれるとは、私としてもその反応は予想外だった。

 そこまで面白いことを言ったつもりもなかったが、将軍が喜んでいるならは問題ないだろう。

 

 

 

「そうそう、リュドミラのことを言い忘れておった。

 奴は次期当主としてこのまま学院に通い、卒業と同時に政治将校として軍へ迎える。

 いずれは吾輩の地位を継ぎ、新たな当主としてその手腕を振るうだろう。

 しかし、少しばかり頑固なところがあってな。できれば娘とは違ったタイプの人間、心理戦に長けている者が一人欲しかった」

 

 

 

 ふむ、私の冗談に付き合ってくれる辺り、将軍もこういった冗談が好きなようだ。

 わざわざあの女の進路やその後について、それこそ部外者でしかない私に教えてくれたのだ。

 些か大袈裟すぎる気もするが、それを指摘するのはさすがに無粋だろう。

 

 

 

「もしかしたらなにかしらの形で……そう、手紙のようなものが届くかもしれぬが、それは吾輩とは全く関係のないものだ。

 娘には自分の気に入った相手と繋がり、そして好きなようにしろと言ってある。

 これは余計な御節介かもしれんが、あやつは吾輩の意思とは無関係に突っ走るだろう。

 今の言葉、屋敷に戻ったら伝えておくとしよう。おそらく……いや、あやつは確実に喜ぶだろうよ」

 

 

 そう言って満足気に踵を返すと、そのまま将軍はバルコニーを去っていく。

 私はその後ろ姿が消えるまでの間、ひたすら営業スマイルを続けてね。

 そして見えなくなったところでため息を吐き、やっと休憩することができたのである。

 

 

 近くにあった手すりに寄り掛かって、月明かりを背に自分の影を見つめる。

 先程の将軍にしてもそうだが、一番の厄介なのはやはりあの男だろう。

 確か……レオンハルト?だったか、御姫様と同じ間抜けであればよかったものを、この国の王があのような人間だとは思わなかった。

 

 

 ふむ、取りあえずはこの晩餐会が終わるまで、私はこれからのことを考えるとしよう。

 他の派閥がやってくる可能性もあるし、なにより会場に戻っても騒がしいだけだ。

 

 

「レオンハルト=ジークハイデン。彼に会えたことが最大の成果であり、今回の仕事で得た大きなの情報だ。

 できるだけ早く報告書をまとめて、そのうえで上司の指示を仰ぐとしよう。

 次の仕事がどんなものかは知らないが、そろそろあの計画も進めた方がよさそうだな」



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素敵な前日談
悪の組織と愉快な仲間たち


 あの晩餐会が終わって数日がたち、いつの間に肌寒い季節となった。

 その日の私は報告書をまとめながら、テーブルのコップに手を伸ばしてペンを走らせる。

 窓の外は黒く塗りつぶされ、軽快な音がこの空間を支配する。

 

 普段であれば既に寝ているのだが、やはり仕事を残したまま休憩するのは居心地が悪い。

 私は新しい紙を取り出しながら、晩餐会でのやり取りを思いだしていた。

 

 

「ん? こんな時間に誰だろうか」

 

 

 コン、コン、コン――ドアをノックする音と人の気配、それは本当に突然のことだった。

 おそらくはセレストだろうが、なにか問題でもあったのだろうか。

 私は持っていたペンを置くと、そのまま用件だけ聞こうとしてね。

 

 

 しかし、ドア越しから聞こえてきた声に、思わず固まってしまった。

 目の前のドアがゆっくりと開かれ、そこから見慣れた顔が現れる。

 それは人魔教団の要であり、私たちと同じ本社勤めの人間――そう、中立者(ハイブ)だった。

 

 

 

「ラース様、夜分遅くに申し訳ありません。ですが、至急黒円卓の間までお越しください。

 これは教皇様直々の御命令であり、既に他の方々も向かっております」

 

 

 淡々と話すところは相変わらずだったが、それでもなんとなく状況は理解した。

 そもそもこんな時間に呼びだしたこと、他の者も招集したことからもわかる

 これでみんな仲良くピクニック……なんて、そんな馬鹿げた話ではないだろう。

 

 

 おそらくはなんらかのトラブル、しかもその内容はかなり大きいものだ。

 一応なにが起こっているのか、私はその説明を彼に求めたがね。

 しかし、返ってきた言葉は予想通りだった。

 

 

 

「申し訳ありませんが、今の私にはそれを言う権限がありません。

 私の役目はラース様をお連れすること、詳しいことは黒円卓の間でお聞きください」

 

 

 黒円卓の間、それは本社にある大きな会議室でね。

 某物語に出てくる有名な話、そのときの挿絵でも思いだしてほしい。

 部屋の中心には黒くて仰々しいテーブル、そしてその周りには十三……ではなく、七つの席と七つの墓標(モノリス)が置かれている。

 

 

 よくわからない生き物の剥製に、見るだけで気持ち悪くなる絵画、そして壁に掲げられた大剣。

 私の覚えている内装はそんなものだが、個人的にはあんなゴミではなく、できればリンゴマークのタブレットが欲しかった。

 

 

 

「なるほど、ではスロウスさんにでも聞くとしましょう」

 

 

 仕事の話をするのに不必要なものばかり、あれならトイレットペーパーの方がマシである。

 個人的にはホワイトボードも一つでも欲しかったが、それをこの世界に求めてもしょうがない。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「さて、突然のことにみんな驚いていると思う。

 今回君たちに集まってもらったのは、ちょっとしたトラブルが起こったからだ」

 

 

 七つの席は三つが空席で、部屋の中には私も含めて四人の大司教がいた。

 スロウス、プライド、そして嫉妬(エンヴィー)。おそらくエンヴィーと会うのはこれが初めて、プライドを除く全ての者があの仮面をつけており、部屋の空気は御世辞にもいいものではない。

 

 

 

「一応この国にいる全ての者に声をかけたが、まさか全員来るとはね。

 詳しい話はこの事態を招いた当事者、プライドの口から説明してもらう」

 

 

 そう言って口を開くのは私の横にいたスロウス、てっきり教皇様が話を進めると思ったが――なるほど、この様子だとスロウスに一任したのだろう。

 しかし定例会にも顔を出さないエンヴィーまでくるとは、これに関してはスロウスの言う通り驚いた。

 まさか彼?もこの国にいたとは、この機会にエンヴィーと話すのも悪くない。

 

 

 このときの私はトラブルの内容よりも、離れた席に座るエンヴィーが気がかりだった。

 一度だけスロウスが言っていたが、エンヴィーはグラトニーと同期らしくてね。

 あまり本社には顔を出さないが、その力は私たちの中で最も強烈らしい。

 

 

 だからこそエンヴィーがどういう人間であるか、最低限その性別くらいは知っておきたかった。

 私の視線はエンヴィーに注がれていたよ。プライドがその口を開き、そしてその言葉が私の耳に届くまでは……ね。

 

 

 

「俺の正体が知られた。相手はあの死にぞこないども、トライアンフの連中だ」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、私がどれだけ喜んだかは言うまでもない。

 プライドの言葉に部屋の空気が張りつめ、エンヴィーに至っては殺気を放ってね。

 スロウスは呆れたように肩を落とし、そして私は目の前の間抜けに拍手を送る。

 

 

 

「状況は最悪だ。サラマンダーが管理していた裏帳簿、それをあいつらに盗まれた。

 あれには俺たちが殺してきた要人、そしてギルドの内情が書かれている」

 

 

 いいじゃないか、これ以上ないというほど最高だ。

 大きな鴨が九条ネギを片手に、それこそコンロや調味料まで持ってきた、

 今日の御飯は鴨鍋……もとい、トカゲの裏帳簿煮込みである。

 

 

 傲慢な彼らしいというか、いずれそうなるとは思っていた。

 おそらくは教皇様にでも泣きついて、彼の代わりにスロウスが一任されたのだろう。

 表向きは教皇様の命令という形で、それならばこの状況も納得である。

 

 

 

「元々は俺の部下だった女、シチーリヤが管理していたんだがな。

 だがあの女が俺を裏切り、帳簿を持ちだしてトライアンフにつきやがった。

 こっちで女の方は殺したが、肝心の帳簿は見つからなくてな。このままだとトライアンフの連中が俺を告発するだろう」

 

 

 そこから先はプライドが説明し、そしてスロウスがその補足を入れる。

 要するに信じていた部下に裏切られ、大事な情報を売られたということだ。

 トライアンフとは前々から仲が悪く、彼らはプライドのことを調べていた。

 

 

 そのときに裏帳簿の存在とそれを知る女、シチーリヤに辿り着き彼女を説得したそうだ。

 哀れなプライドは部下に裏切られ、その女が逃げだす前に殺すことには成功した。

 しかし肝心の帳簿は彼らの手に渡り、もはや一刻の猶予もないらしい。

 

 

 

 シチーリヤの他にもいた帳簿のことを知る人間、これに関しては教皇様の指示で殺したそうだ。

 ただプライドの右腕である冒険者、ベナウィについては殺していないらしい。

 その辺りは教皇様も知っているそうで、この男に関しては許可をもらったそうでね。

 

 

 

「だからこそトライアンフのギルドマスター、そしてその幹部と金糸雀(カナリア)の連中を殺す。

 お前らに来てもらったのは他でもない、奴らを殺すのに人手が足りなかったからだ。

 サラマンダーの連中を使ったら足がつくし、なにより色々と面倒だからな」

 

 

 金糸雀(カナリア)とは冒険者チームのことで、トライアンフ最強ということだった。

 この辺りはスロウスが説明してくれたが、その中にはトライアンフ最強の冒険者、緋色の剣士と呼ばれる女がいるそうだ。

 この女は教団と何度もいざこざを起こし、その度に生き残っているらしい。

 

 

 ふむ、スロウスや周りの雰囲気から察するに、全員その女を知っているのだろう。

 プライドは眉間にしわが寄り、スロウスはため息をこぼしていた。

 

 

「では、ここから先は私が説明します。

 トライアンフのギルドマスターとその幹部、そしてカナリアの連中を殺すのは難しい。

 それに今はトライアンフの創立祭、全ての冒険者が戻っている時期だ」

 

 

 トライアンフはサラマンダーよりも小さく、その影響力も弱いそうでね。

 しかし彼らのギルドは少し特殊で、一つの都市がそのままギルドとして機能している。

 その都市はトライアンフと呼ばれており、彼らが管理する彼らの都市ということだ。

 

 

 ギルド都市トライアンフ。中に住んでいる者の大半が冒険者、又はその家族か親類だそうでね。

 辺境にあるそこは王都からも離れ、一番近い都市でも半日はかかるそうだ。

 彼らは自分たちで畑を耕し、そして家畜を育てながら生活している。

 

 

 完全な自給自足。冒険者たちが帰ってくることは少ないが、それでも年に一回だけ必ず戻って来る時期がある。

 それが創立祭、トライアンフがギルドとして認められた日だ。

 

 

 

「都市を守る城壁は厄介ですが、それでも少数であれば問題ない。

 帰ってくる冒険者にまぎれて都市に入り、邪魔者を殺して裏帳簿を回収する。

 今回のことは教皇様も知っていますし、なにより私の方で兵隊も用意します」

 

 

 なるほど、つまりスロウスが逃げ道や身代わりを用意し、私たちはギルドマスターやその幹部を殺す。

 なんともわかりやすい構図ではあるが、この場合はあまりにも効率が悪い。

 そもそも数千人という冒険者がいるなかで、特定の数人を殺せというのが難しい。

 

 

 高い城壁に守られた都市、限定された空間で特定の者を殺す。――ふむ、それならもっといい方法がある。

 私たちの力を存分に発揮し、そのうえで個人的な利益にも繋がる方法。

 新参者である私が出世するために、ここはトライアンフを利用しよう。

 

 

 

「すみません、少しよろしいでしょうか?」

 

 

「ん? どうしたんだいラース?」

 

 

 逆転の発想だよ。数千人の中から数人を殺すのは難しいが、数人のために数千人を殺すのは簡単だ。

 この機会を利用しない手はない。私のカテドラルを増強すると同時に、邪魔者を排除して計画を進めよう。

 

 

 

「それならばいっそのこと、トライアンフの人間を皆殺しにしましょう。

 城壁の出入り口を塞いだうえで、中にいる人間を殺してしまうのです。

 女や子供、ペットや家畜に至るまで、そうすることで真実を知る者は口を閉ざす。

 たとえトライアンフの他にこのことを知る者がいても、そこまですれば喋ろうとは思わないでしょう」

 

 

 

 ギルド都市殲滅戦。こうして四人の原罪司教により殲滅戦、未曽有の大虐殺は決まったのである。

 この事件を境にレムシャイトだけでなく、人魔教団も様変わりすることとなる。

 後に黒い夜と並び称される事件、赤い月と呼ばれる一連の虐殺はこうして始まった。

 

 

 

「人魔教団の原罪司教、それが四人も集まれば問題ないはず。

 都市ごと滅ぼしてしまえば、余計な禍根も残りませんしね」

 

 

 たった四人しかいないこの部屋で、地図上から一つの都市が消えたのである。

 この世界にやってきたしがないサラリーマン、その出世欲を満たすために彼らは死ぬ。

 少し可哀想な気もするが別にいいだろう。彼らの墓標にはこの私自ら、素敵なジャンクフードを供えるとしよう。




ヒャッハー!次から本編が始まるぜー!


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赤い月(殲滅編)
原罪司教は門を開く


 冬空を照らす無数の光、それはオーロラのように形を変える。

 外はこんなにも寒いというのに、そこだけは異様な熱気に包まれていた。

 無邪気に走り回る子供、酒を飲みながら笑う大人、そしてそれを見ながら舌打ちする悪人。

 

 

 今日の夜空は昼間のように明るく、通りに並んだ屋台がとても綺麗でね。

 それこそ、大人たちが鎧ではなくスーツを着て、剣や盾ではなく財布を持っていればもっと良かった。

 そうすれば私はこんな寒空の下、城壁の上で血まみれになることもなかった。

 

 

 

「お……のれ、我らはまだ――」

 

 

「こらこら、よそ見は禁物だよラース」

 

 

 年に一度のお祭りということもあって、たくさんの人間が通りを埋め尽くしている。

 香ばしい匂いに包まれながら、家族や友人と笑い合い酒を煽る。

 私たちがお猿さんを解体している陰で、彼らは最後の晩餐を楽しんでいた。

 

 

 小さなうめき声と共に、乾いた音が静かな空間に響く。

 血と鉄の匂いしかしないここで、更なる悪臭が追加された。

 私は背後にいるスロウスに微笑み、そしてその死骸を蹴り飛ばす。

 

 

 

「これで城壁を守っていた兵士は最後だし、トライアンフの連中が気づく前に向かおうか。

 結界を張る前に逃げられたら、それこそ君の作戦が無駄になる」

 

 

 ギルド都市トライアンフ。眼下に広がる町並みはとても美しく、イタリアのフィレンツェを彷彿とさせた。

 石造りの道路にルネサンス式の建物、ここのギルドは良いセンスをしている。

 個人的には観光の一つもでもしたかったが、今となってはどうしようもない。

 

 

 私たちは城壁から飛び降りると、そのまま屋根を伝って走りだす。

 間抜け共の笑い声を聞きながら、都市の中心にある噴水を目指していた。

 ここから先は時間との勝負であり、私たちの仕事はとても重要だ。

 

 

 

「それにしても、君がこんなことを提案するなんてね。

 ラースはブラヴァツキー家と仲がいいから、今回のことも乗り気じゃないと思っていた」

 

 

 屋根から屋根へと飛び移り、そうやって私たちは辿り着いた。

 そこは噴水を中心に作られた広場で、多くの子供たちが遊んでいたよ。

 広場の中には屋台も出ており、大人たちは食べ物を買っていた。

 

 

 

「まさかそんなことまで知っていたとは、さすがはスロウスさんですね。

 彼女とは四城戦で知り合ったのですが、魔術師協会(ラッペランタ)から引き抜くのに苦労しました」

 

 

「なに、ブラヴァツキー家を監視するのも私の役目だ」

 

 

 突然現れた私たちに驚いていたが、すぐに声援や拍手が送られてくる。おそらくはパフォーマンスかなにかと勘違いしたのだろう。

 これならスロウスが術式を展開するまでの間、誰かに邪魔されることもないだろう。

 ただ、先程の言葉――ブラヴァツキー家を監視しているとはどういうことだ。

 

 

 

「ブラヴァツキー家を監視? それはどういうことですか?」

 

 

「ハハハ、君が知らないわけないじゃないか。

 だってこの間……ほら、君に呼ばれたとき黒い夜について調べていただろう?」

 

 

 話しが噛み合っていないというか、スロウスは大きな勘違いをしている。

 確かにあの事件を調べていたのは事実だが、それは彼女という人間を知るためだ。そもそも彼女を監視することとは関係がない。

――どういうことだ。スロウスがなにを言っているのか、どうしてあの事件を持ち出すのかがわからない。

 

 

 

「まさか、本当に知らなかったのかい?

 ブラヴァツキー家と黒い夜、そしてトライアンフというギルドについてもさ」

 

 

 嬉しそうに近づいてくる子供たち、しかし今の私はそれどころではなかった。

 なにか大きな……そう、とても大きなことを見落としている。

 それはあまりに大きすぎて気づけないこと、私なら知っていて当然のことだ。

 

 

 なんだ。私はなにを見落としている。――教団の資料室で見た書類の数々、トライアンフの冒険者が残した資料。

 トライアンフは前々から教団のことを知っており、そこの冒険者は何度もいざこざを起こしている。

 あのときプライドは彼らのことをなんと言った? 確か……そう、死にぞこない共。そうだ。そう言っていたはずだ。

 

 

 魔道具の暴走とブラヴァツキー家の取り潰し、トライアンフという敵対組織と今回の事件。

 人魔教団とはどういった組織で、その組織が保管する資料とは一体なんだ。

 もしも全てが繋がっているなら、私は大きな勘違いをしていただろう。

 

 

 

「まさか、黒い夜は教団が起こした事件ですか?」

 

 

 その言葉と共に術式が完成し、それは都市を覆う巨大な魔法陣となった。

 夜空に追加された紫色の光。時計の歯車のように回るそれは、事情を知らない者には美しく見えただろう。

 事実、広場にいた人間はその光景に完成をあげ、私たちは盛大な拍手に包まれていた。

 

 

 

「おめでとう、大正解だ」

 

 

 そしてその全てが止まったとき、都市は真っ赤な炎に包まれる。

 城壁を利用した巨大な結界は、東西の城門で待機している二人への合図であり、殲滅戦の始まりを告げている。

 これでもう逃げることはできない。全ての人間……いや、全ての動物を殺すまで私たちは止まらない。

 

 

 

邪悪(ダムド)の炎。さあ、それじゃあここら辺の掃除は頼んだよ。

 前にも話したと思うけど、これを展開している間は身動きがとれないからね」

 

 

 周囲の歓声に包まれながら、スロウスはそう言って近くのベンチに座る。

 残された私はクロノスを取り出すと、そのまま近くの子供を殺して……ね。

 辺りにその残骸をばら撒くと、すぐさま違う子供を両断する。

 

 

 噴水はあっという間にその色を変え、無数の悲鳴が辺りを支配する。

 血と鉄が充満する嗅ぎなれた空間、多くの大人たちがその剣を振るい、そしてその命をダース単位で消費する。

 一方的に蹂躙される冒険者たちを、スロウスは笑いながら応援していた。

 

 

 

「くそ、あの化物を誰か止めろ!」

 

 

「頑張れ! いいぞ、そこそこ!」

 

 

「腕……俺の、俺の腕がぁぁぁぁぁ」

 

 

「大丈夫! まだ左手が残ってる!」

 

 

 冒険者や抵抗してきた者は当然として、女や子供、繋がれていたペットすらも殺す。殺し尽くす。

 今は一分一秒でも時間が惜しい。人魔教団があの日、ブラヴァツキー領でなにをしていたのか知りたい。

 こんなゴミ共とじゃれ合うより、その方が数倍……いや、数京倍マシである。

 

 

 私は鶏を縊り殺すように、彼らを人ではなくただの動物として扱った。

 ちょっと大きめの二足歩行動物、ときどきよくわからない言語を喋っていたが、私がやることは至ってシンプルである。

 その首を切り落として蹴り飛ばし、返す動作で背後の動物を両断する。

 

 

 

「教えて頂けませんか、教団は……いえ、教皇様はなにをなさったのですか?」

 

 

「なにをしたか? そうだな――まあ、君になら教えてあげてもいいか。

 あれはちょっとした実験でね。人の魂はエネルギーとなり得るのか、それを調べるためにあの事件を起こした。

 人の魂を魔力に変換したうえで、その魔力を個人に移植するものだ」

 

 

 そうやって全てを処分した私は、ただ黙って彼の言葉を聞いていた。

 赤を通り越して黒くなった体、私の同僚はそんな私に軽く微笑む。

 広場の中は様々なものが散乱し、もはやどう表現していいかもわからない。

 

 

 

「おかげさまで私は喰人魔造(ホムンクルス)となり、教皇様はその実験を元に君を生みだした

 君のときは私とは比べものにならないほど、それはもう大掛かりなものだったよ。

 肉体を創るのに問題はなかったけど、その精神をどうするかが大変だった。

……まあ、この辺りは君の方が詳しいだろう」

 

 

 喰人魔造(ホムンクルス)、それは人であって人ではない者。

 スロウスの場合は魔力を移植されただけで、その土台は普通の人間と変わらない。

 なぜなら私のように父親が魔法陣で、母親が殺された人間の魂……なんて、そんな出生ではないからだ。

 

 

 

「ちなみにこの都市にいるほとんどの人間が、元はブラヴァツキー領にいた者たちだ。

 黒い夜の生き残り……というより、その家族や友人が多いね。

 だからトライアンフが敵対しているというより、敵対している者たちがここを作ったんだ」

 

 

 なるほど、だからスロウスは私の心配をしていたのか。

 彼女の目的は事件の真相を突き止め、ブラヴァツキー家を復興することだ。

 それを教団のために働かせるなんて、確かに危険なことかもしれない。

 

 

 

「なるほど、スロウスさんの言いたいことはわかりました。

 ですが大丈夫です。確かに驚きはしましたが、その程度であれば対処できます」

 

 

「まあ、ラースならそう言うと思ったけどね。

 それじゃあ今日は任せるとして、私は君の活躍を見学してようかな。」

 

 

 だが問題はない……いや、むしろ好都合といってもいい。

 彼女が真実を知りたいというなら、私は饒舌な人狼になるとしよう。

 そういうのは得意分野だからね。セシルのときと同じように、嘘と真実を使いわければいい。

 

 

 

「それに……ほら、向こうも始まったみたいだ」

 

 

 激しい揺れと共に響き渡る音色、それは教会の鐘によく似ていた。

 私はスロウスの視線を追い、そしてそのゲートを見つけたのである。

 禍々しい造形と装飾の数々、オーギュスト=ロダンが制作した地獄の門、それを極限まで大きくしたものがそこにはあった。

 

 

 ダムドの炎により赤く染まった夜空、そして東の城門に現れた巨大なゲート、これ以上ないというほど素敵である。

 私は目の前の光景に言葉を失い、ある種の興奮すら覚えていた。

 

 

 

地獄(ソロモン)の扉、あの様子だとプライドも本気みたいだね」

 

 

 地獄の門がその口をゆっくりと開き、そこから黒い塊が一斉に飛びだしてね。

 激しい怒号と共に範囲を広げて、瞬く間にその周りを塗りつぶす。

 なにが起こっているかは知らないが、それでもあの塊には見覚えがある。

 

 

「まさか、あれは全部魔物ですか?」

 

 

「その通り、ああ見えても彼は召喚士だからね。

 おそらく伯爵の軍団だろうけど、あの人がダンジョンを離れるなんてね。

 もしかしたらラースも伯爵に会えるかも……って、そう言えば伯爵のことは知らないのか」

 

 

 そう言ってスロウスは色々と教えてくれたが、その内容はとても勉強になった。

 プライド自身はそれほど強くないが、彼の使役する魔物が凄いそうでね。

 三十もの軍団を率いる悪魔で、その力はスロウスを圧倒するらしい。

 

 

 

「たぶん呼ばれてると思うから、その内向こうからやってくるかもね。

 エンヴィのいる西側にはいかないと思うし、なにより伯爵は彼女のことが嫌いだしさ」

 

 

 普段は教団の本社があるダンジョンで、侵入者を一人残らず殺しているそうだ。

 私以外の者とは面識があるらしく、教皇様も一目置いているらしい。

 

 

「私は戦闘に参加できないけど、ラースの方はここからが大変だ。

 しっかり護衛してくれよ? こう見えても君のことは信頼してるんだ」

 

 

 スロウスの言う通り多くの冒険者が、私たちを殺そうとやってくるだろう。

 この結界を破壊するためには、その術者である彼を殺すしかない。

 私の仕事はそんな害虫からスロウスを守り、全てが終わるまで結界を維持すること、要するに害虫駆除(ダ〇キン)のサービスと同じである。

 

 

 既に無数の気配を感じていたが、こういうのはまとめて殺った方が早い。

 私は彼らを挑発しながら誘いだし、多くの冒険者が集まったところで踵を返す。

 気がつけば彼らに囲まれていたようで、私はクロノスを確かめてからこう言った。

 

 

 

「第一制御術式解放――ほら、お前の大好物がいっぱいだ」

 

 

 先頭にいた冒険者が上半身を失い、その背後にいた者が悲鳴をあげる。

 周りの冒険者が必死に剣を振るい、それを見ながら私の同僚は笑っていた。

 魔術師たちが必死に結界を張り、重装備の男がクロノスの前に立ち塞がる。

 

 

 

付与魔術師(エンチャンター)俺に強化の魔法を、魔術師(ウィザード)は結界を張ってあの化物を――」

 

 

――ギャギャギャギャギャギャ。

 

 

 相変わらず節操がないというか、これ以上散らかすのはやめてほしい。

 目の前の男を頭から食らい、その残骸を撒き散らすなんてね。

 これにはさすがのスロウスも苦笑いで、飛んできたそれを魔法で燃やしていた。

 

 

「さすがはトライアンフというべきか、ここまでやって誰も逃げないとはな。

 それだけ教団を憎んでいるのか、それとも別の狙いでもあるのか……ふむ、どちらにせよやることは変わらない」

 

 

 ここまで一方的だというのに、それでも戦い続ける彼らに驚いた。

 仲間の死体には見向きもせず、着実に私たちとの距離を縮めている。

 ふむ、それなら私も戦い方を変えよう。クロノスの食事を邪魔することになるが、そろそろ手伝った方がいいだろう。

 

 

 私はクロノスの鈎柄を両手で握ると、そのまま薙ぎ払うように大きく振ってね。

 するとその一振りが衝撃波となり、近くの冒険者をまとめて両断する。

 クロノスは食事をすることによって、その刀身を大きくなり切れ味が増す。

 

 

 

「どこまで大きくなるのか、私としても興味があるからね。試し切りには打ってつけの状況だ」

 

 

 前回はクロノスの好きにさせていたが、今はあのときとは状況が違うからね。

 こいつの動きには無駄が多いし、なにより敵の数があまりにも多い。

 だからクロノスの試し切りも兼ねて、私自身が戦いに参加するとしよう。

 

 

「フハハハハ、原罪司教が四人も攻めてくるとは、吾輩もまだまだ捨てたものではないな」

 




キャラクター名、随時募集中です。


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原罪司教は亡霊と踊る

 なにが起こったのだろうか、突然クロノスがその動きを止めてね。

 その……目の前に現れた男を見ながら、どこか警戒しているようでさ。

 周りの人間(エサ)に見向きもしないで、いつもの笑い声をあげていたよ。

 

 

 

「やあ、久しぶりじゃないかグリフォン」

 

 

「その声はスロウスか、貴様がいるということはどうやら当たりじゃな」

 

 

 スロウスと話すグリフォンと呼ばれた男、見た目からしてそれほど若くはないだろう。

 鎧のような筋肉と大柄な体、その口調からしてスロウスとは顔見知りのようでね。

 少なくともある程度の力をもった冒険者、私たちのことを知っている人間だ。

 

 

「彼の名前はグリフォン=バード。トライアンフの創始者であり、この都市を管理するギルドマスターだ。

 彼は私たちとは少なからず因縁があってね。緋色の剣士にしてもそうだけど、私たちのことを知る数少ない人間さ」

 

 

 私の考えていることに気づいたのか、スロウスがいろいろと教えてくれた。

 原罪司教と幾度も戦い、それでも生き残った凄腕の武闘家(モンク)

 その実力は相当のもので、スロウス自身も手を焼かされたらしい。

 

 

 

「あの結界を張っているのはスロウス、貴様だということはわかっていた。

 これほどのものは吾輩も一度しか見たことがない。貴様がトライアンフの人間を惨殺したあの日、ミーシャと共に貴様らと戦ったときだ」

 

 

 そう言ってグリフォンが呪文を唱えると、肌が赤く染まって体が大きくなる。

 一回りほどその筋肉が肥大し、そして拳を構えた瞬間空気が変わった。

 

 

 なるほど、これがスロウスの言っていたモンクか。

 彼が踏み込めば地面が陥没し、拳を振るえば大気が揺れる。

 私は彼が突進してきたと同時に、その体にクロノスを振り下ろす。

 

 

 おそらくは身体能力を向上させ、私のことを圧倒するつもりだろう。

 しかしこの程度であれば問題はないし、なにより今のクロノスに切れないものはない。

 そもそもどれだけ筋肉が肥大しようと、それはたんぱく質の塊にすぎない。

 

 

 

「あー、ひとつ大事なことを言い忘れてた。

 彼の体についてなんだけど、グリフォンの体は刃物を通さないんだ」

 

 

「!?」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、私が舌打ちしたのは言うまでもない。

 スロウスは申し訳なさそうだったが、このタイミングでそれを教えるとはね。

 ちょっとした悪意を感じるというか、彼が面白がっているとしか思えない。

 

 

 そして振りおろされた一閃は、案の定グリフォンの拳に阻まれてしまった。

 素手でその刃を弾くと、そのまま距離を詰めて回し蹴りを放つ。

 この辺りはさすがモンクを言うべきか、全てが一つの体術として洗練されていた。

 

 

 

「ちっ、逃げ足だけは早いようじゃな」

 

 

 踏み抜いた地面が陥没し、その風圧だけでバランスを崩す。

 ギリギリのところで避けたというのに、私の頬が少しだけ切れていた。

 

 

 そして殴り飛ばされたクロノスも方も、初めての経験なのか困惑しているようだ。

 なにを考えているかはわからないが、それでもその声を聞けば大体わかる。

 なぜ切れなかった。どうして食べれないのか困惑しているようだ。……いや、私をそんな風に見つめないでくれ。

 

 

 

「その仮面をつけているからには、貴様も原罪司教の一人であろう。

 そのような化物と戦うのは初めてじゃが、どうやら吾輩には通じないようだ。

 それならば思う存分、こちらから攻めさせてもらおう」

 

 

 瞬時に状況を判断して蹴撃を放ち、距離を詰めながら拳を振るう。

 彼の動きはひとつひとつが大きく、それほど速いというわけでもないが、それでも私にとっては脅威だった。

 あの拳が食らったらどうなるか、そんなことは言うまでもないだろう。

 

 

 避けるのはそれほど難しくないが、だからと言って打開策があるわけでもない。

 隙をついて何度か刃を振るうが、その都度クロノスが彼の体に弾かれる。

 思わず悪態をついてしまうほど、それくらい彼との戦いが面倒だった。

 

 

 グリフォンの一撃は小手先のものではなく、文字通りの必殺といっても過言ではない。

 何度か刃でその攻撃を防いだが、そのうちクロノスの方が嫌がりだしてね。

 これにはさすがの私も参ったよ。クロノスすら彼の攻撃を避けようとするから、正直困り果てていた。

 

 

 

「ふむ、だったら戦い方を変えるとしよう」

 

 

 どれだけ堅いといっても、人間には構造上やわらかい部分が存在する。

 たとえば目、そして脇、とりあえずはその辺りを攻めるとしよう。

 お互いに攻めあぐねている状態で、それでも私たちは拳と剣を振るう。

 

 

 唯一の救いは邪魔が入らないこと、正確にはできないと言った方が正しい。

 冒険者のほとんどが細切れになり、生きているものも満身創痍だ。

 そして、この状況ならば私たちの方に分がある。これは心理的な駆け引きになるが、攻めているのはあくまでこちら側だ。

 

 

 彼らはこの都市から逃げたいのであって、私たちはここで彼らを殲滅したい。

 この状況は私にとっては有利であり、彼には大きな足かせとなるだろう。

 この都市を攻めているのは四人の原罪司教。その全てが私と同等かそれ以上であり、私に手こずっているようでは話にならない。

 

 

 あの能力を使えば彼の口に剣をねじ込み、そして内側から両断することもできる。

 しかしそれをしてしまってはこれからのこと、私の目的に支障がでてしまうからね。

 

 

 切り札は取っておくべきだ。それに徐々にではあるが、彼の肌がその色を取り戻している。

 クロノスの攻撃も少しずつ通りはじめ、小さな切り傷が目立ち始めた。

 ふむ、これならばこのまま押しきれるだろう。

 

 

 

「グリフォンさん、東門のチームがあの化物に突破されました。

 ここは私たちが時間を稼ぐので、その間にグリフォンさんは逃げてください!」

 

 

 しかし、ここで思わない人間たちがやってくる。

 全身に返り血を浴びた複数の冒険者。慌てた様子でやってきた彼らは、広場の入り口を急いで固めてね。

 その口ぶりから東門で戦っていたのだろう。続々と集まってくる彼らに、気がつけば舌打ちする私がいた。

 

 

 

「ならん! ここでスロウスを殺さなければ、この都市から脱出することはできん!

 お主たちはここで陣形を組み、少しでもあの化物を足止めするのじゃ。

 その間に吾輩はこいつを倒し、そしてスロウスをこの手で殺す!」

 

 

 

 広場の入り口にバリケードを築き、そのうえで複数の結解を張りめぐらせる。

 なにをそんなに慌てているのか、彼らの姿に少しだけ興味をもってね。

 だから入り口の様子をうかがいながら、私はグリフォンと戦っていたのさ。

 

 

 すると、そう時間を空けずに激しい閃光がはしり、入り口の方から悲鳴が聞こえてくる。

 複数の魔術師が魔力を使い果たし、そのまま倒れたのには驚いた。

 激しい怒号が広場を埋め尽くして、強烈な死臭が私たちを襲う。

 

 

 

「ラース、どうやら私たちの出番はないみたいだ」

 

 

 その光景を目にしながら、スロウスは退屈そうにそう言った。

 私は彼がなにを言っているのか、それが最初はわからなかった。

 しかしグリフォンの焦っている姿、そして聞こえてきた声が教えてくれる。

 

 

 

「だめだ、そいつに物理攻撃は通用しない!」

 

 

「魔術師はどうした! さっさと結解を修復しろ!」

 

 

 最後の魔術師が倒れたのと同時に、広場の結界はその役目を終えてね。

 満身創痍の冒険者たちが、その剣を片手に入り口を目指す。

 その光景は戦っているというより、ただ吸い込まれているような気がした。

 

 

 

「無理だ。……もう、俺たちはおしまいだ」

 

 

 そしてその全てが蹂躙される。地面が突如現れた対象の突起物、それが冒険者たちを串刺しにしてね。

 ほとんどの者がなんの悲鳴もあげず、なにが起こったかもわからなかっただろう。

 なにもわからぬまま死んだ。自分が死んだことさえわからぬままね。

 

 

 

「ぐっ、遅かったか――」

 

 

 広場の入り口は悪趣味なオブジェが埋め尽くし、そしてその化物が姿を現す。

 首のない大きな軍馬に跨った人間……いや、それを人間と表現していいのだろうか。

 確かに形は人間のそれだが、その存在があまりにも希薄でね。

 

 

 亡霊というものが存在するなら、きっとこんな感じなのだろう。

 人の形をした煙が軍馬を操り、これまた槍の形をした煙をもっている。

 その全てには実体がなく、そこに質量があるとは思えなかった。

 

 

 しかしその軍馬は現に地面を踏みしめ、亡霊の槍が人間を串刺しにしている。

 その光景は質の悪いホラー映画のようで、使いまわされた化物の設定だった。

 

 

 

 

「我ガ名ハ、ソロモン七二柱ガ一柱バルバトス」

 

 

 ああ、そうさ。その化物が本当に実在し、そして現れなければ笑っていた。

 確かにこの世界には串刺し公なんて、そんな存在がいないことはわかっている。

 あれは私たちの世界にいた人間、歴史上の偉人だからね。

 

 

 だけどその戦い方と風貌は、昔のワラキアにいた偉人を彷彿とさせる。

 そしてゆっくりと近づいてくる亡霊、バルバトスと名乗ったそいつが槍を払う。

 すると串刺しの冒険者がバラバラとなり、私たちを中心に雨が降り注いだ。

 

 

 

「やあ伯爵。唐突で悪いんだけど、そこのおじさん殺してくれないかな?」

 

 

 そんな亡霊にスロウスは手を振りながら、まるでお使いでも頼むように話しかけてね。

 すると亡霊は軍馬の手綱を引き、そしてグリフォンにその槍を向けた。

 

 

 

「ヨカロウ、我ガ友人ヨ」

 

 

 その言葉と共に大量の突起物が現れ、グリフォンの体に襲いかかってね。

 本来であればそれで終わりなのだけど、彼の堅さをこの亡霊は知らないらしい。

 案の定そのほとんどが砕け散り、亡霊はその光景に肩を揺らしていた。

 

 

 

「ごめんごめん、説明不足だった。

 そのおじさんとっても堅いから、たぶん伯爵の槍じゃないと貫けない」

 

 

「ソウカ、ワカッタ」

 

 

 抑揚の感じさせない声、無機質な声という方が表現が正しい。

 それは機械音でも聞くかのように、ただ淡々と事実確認を行っていた。

 軍馬の上から亡霊が私たちを見下ろし、そしてその槍をグリフォンに振りかぶる。

 

 

 その動作自体はとてもゆっくりなもので、彼であればその間に三度は拳を振るうだろう

 しかしその拳は実体のない体をすり抜け、その蹴撃は煙を払うことすらできない。

 私と彼とは戦いの相性が悪いが、彼と亡霊はそれ以上に相性が悪い。

 

 

 

「無駄ダ、小サキ者ヨ」

 

 

 そしてその槍は彼の腕を貫き、そのまま易々と引きちぎってね。

 これにはグリフォンも驚いたのか、肩を抑えながら大きく後退する。

 なんというか、敵ながら少しだけ可哀そうだったよ。

 

 

 片腕を引きちぎられた上に、一人で私たちと彼は戦うのだからね。

 しかも敵の一人には攻撃が通じず、自慢の堅さも全く意味がない。

 

 

 

「コレデ、少シハ通リ易クナッタ」

 

 

 亡霊の言葉と共に、再び大量の突起物が彼を襲う。

 今度は彼の肩を狙って、その内側から串刺しにしようする。

 グリフォンもその狙いに気づいたのか、必死に抗うが時間の問題だろう。

 

 

 私との戦いで体力を消耗し、さらに肩からの出血が止まらない。

 見れば上半身の一部は完全に色が戻り、それを庇いながら戦っているようにも……ん? ああ、そういうことか。

 

 

 

「まだじゃ、まだ吾輩にはやるべきことが――」

 

 

 亡霊に気を取られている彼は、背後から現れた私に気づかなかった。

 彼の敗因をあげるとすれば、物事を多角的に捉えなかったことだ。

 敵を亡霊だけに絞り、私に注意を払わなかった。

 

 

 いや、払うことができなかったのか。

 仲間の冒険者を皆殺しにされ、肩からの出血がその思考を鈍らせる。

 ここはアニメやライトノベルの世界ではない。相手が一人だからと言って、私たちがそれに合わせる必要はないのだ。

 

 

 

「さようなら、哀れなマスター」

 

 

 振り下ろされた刃は、そのままグリフォンの命を奪う。

 彼が気づいたときにはすでに遅く、クロノスの刃がその首を切り落とした。

 

 

 

「あらら、予想外の終わり方だね」

 

 

 ゆっくりと倒れるその巨体、鮮血が更なる鮮血を洗い流す。

 転がった首を見下ろしながら私は思う、今回のことは私に多くの教訓をもたらした。

 これから先、クロノスが通用しないときのことも考えて、新しい武器や人間が必要となるだろう。

 

 

 出世のためには多くの武器と人材、文字通り力と権力が必要なのだ。

 そうとなればここで立ち止まるわけには……ふむ、この好機を見逃すのはもったいない。

 

 

 

「こんな首だけの存在になっちゃって、本当に残念だよグリフォン」

 

 

 転がるグリフォンの首を拾いあげ、その頬を叩きながらスロウスが話す。

 胴体のない彼が声を発するわけもなく、ただ一方的に話しかける姿は興味深かった。

 それだけ付き合いが長かったのか、それとも恨んでいたのかわからない。

 

 

 とりあえず、私はこの辺りで次に進むとしよう。

 本来の目的、私のギルドを作るための第一歩である。




復活したので更新を再開します


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原罪司教は開始する

「スロウスさん、一つ提案があるのですが――」

 

 

「ん? どうしたんだい?」

 

 

 スロウスは彼の首を投げ捨てると、そのまま楽しそうに聞いてくる。

 なんというか、私はスロウスのこういうところが苦手だった。

 全てを知っているようで知らず、なにを考えているのかがわからない。

 

 

 

「このまま殲滅戦を続けるのもいいですが、それでは時間がかかるでしょう。

 ですから、罠を仕掛けて待ち伏せするのです。

結界の一部をわざと弱めて、その先で敵を私が攻撃します」

 

 

 会議室で私はトライアンフの冒険者について、スロウスの口からいろいろと教えられた。

 その中でも緋色の剣士と呼ばれる冒険者、彼女のことが一際興味深くてね。

 若くしてとあるダンジョンを攻略し、その功績を認められ国王と謁見したそうだ。

 

 

 今でも王族との繋がりがあるそうで、私は彼女という人間を知りたかった。

 使えるようなら利用すればいいし、無能と分かればそのまま排除する。

 私が殲滅戦を提案したのはそれが理由だ。混戦となった都市ではなく、都市の外で彼女と会いたかった。

 

 

 誰に邪魔されるわけでもなく、ただ彼女という人間を見極める。

 王族と繋がりのある冒険者なんて、それだけでも十分に使えるだろう。

 私の目的はこの状況を作り出し、そして他の者を出し抜くことだ。

 

 

 結界を弱めればそこに冒険者が押し寄せ、一部の人間は都市を脱出するだろう。

 その中には必ず緋色の剣士がいる。私の考えでは裏帳簿を持っているのは彼女、またはカナリアの誰かだと思っていた。

 先ほど彼がグリフォンの体を調べていたが、裏帳簿は持っていなかったしね。

 

 

 

「どうでしょうか、悪くはない提案だと思います。

 ある程度の冒険者を殺したら戻ってきますし、なによりこの方が効率的でしょう」

 

 

 そもそも裏帳簿を持っている人間が、こんな場所に現れるとも思えない。

 戦闘に参加して焼失でもしたら、それこそ目も当てられない。

 

 

 そうなれば適任者は誰か、そしてその護衛が誰かなんて決まっている。

 おそらくグリフォンが結界を解除し、その隙に脱出するつもりだろう。

 全ては憶測にすぎないが、合理的に考えればそうなる。

 

 

 

「ふーん、君が待ち伏せ……ねえ」

 

 

 ただ、ここで一つ問題なのがスロウスの護衛だ。

 彼が私の提案を否定するなら、私はここを離れることができない。

 結界を弱めることもできないし、カナリアの連中を待ち伏せることもできない。

 

 

 だからできるだけわかりやすく、合理的に説明したつもりだがね。

 しかしここである種の不安定要素、スロウスの考えが全く読めなかった

 最悪なにかしらの取引も辞さないが、それだと帰って怪しまれるだろう。

 

 

 

「いいよ。ラースの提案に乗ってあげよう

 護衛は伯爵がいれば問題ないし、君の言う通りその方が効率的だからね。

 南門の結界を弱めておくから、そこで待ち伏せるといい。外にいる兵隊は好きに使っていいから、敵を追い詰めるのに役立ててくれ」

 

 

 だからその言葉が聞けた瞬間、私がどれだけ喜んだかは言うまでもない。

 一番の問題であったスロウスは説得できた。後はこの罠にだれがかかるか、そこだけが不安だが大丈夫だろう。

 むしろこのチャンスを見逃すような無能なら、この私がわざわざ会う必要もない。

 

 

 

「そうそう、せっかくだしこれをラースにあげるよ。

 グリフォンを殺したのは君だし、その記念にこれは取っておくといい」

 

 

 許可ももらえたので踵を返そうとしたが、それをスロウスの言葉が引きとめる。

 そしてスロウスは笑いながら指輪を……紋章の刻まれたそれを手渡してね。

 二頭の鷹が剣を重ねた紋章、おそらくグリフォンが持っていたものだ。

 

 

 

「それはトライアンフの紋章、正確にはギルドマスターの証だね。

 それがあれば他のギルドや仲間、一定の者に命令することができる。

 手紙の封にその印璽を使えばいいだけだ。それでギルドマスターからの命令、証明となる代物だ。

 ラースならうまく使いそうだし、私が持っていても使わないからね」

 

 

 なるほど、要するに印章指輪と呼ばれるものか。

 中世において、その者の身分を証明するための特殊の指輪。それに印璽の効果を持たせたものだろう。

 

 

「それじゃあ、張り切って殺してくるといい。

 一応カナリアの連中を見つけたら、そのときは後で報告してくれ」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

「さて、やっとお出ましのようだな」

 

 

 私の近くには都市の周囲を監視していた兵隊、ギアススクロールで縛られた者がいる。

 敵がどの程度やってくるのかわからないので、適当に使える者を選抜したがね。

 残りの者は引き続き都市の周囲を監視し、近づく者がいれば報告するよう伝えた。

 

 

 そうやってある程度の準備を終えたころ、やっと目の前の城門が吹き飛んでね。

 スロウスは結界を弱めてくれるといったが、それでもこれほどまでに強力だったのか。

 爆炎の中から現れる数名の男女、どうやら私の予想は当たっていたらしい。

 

 

 

「やっと抜け出せたわね。それじゃあ、このまま王都を目指して――」

 

 

「申し訳ないが、ここから先は通行止でね」

 

 

 

 そう言って現れたのは四人の男女、おそらくはカナリアの連中だろう。

 ここにきて温存しておくとも思えないし、なにより一人だけ汚れがなかったからね。

 残りの三人は傷だらけだというのに、その女性だけは全くの無傷だった。

 

 

 

「やあ、初めましてカナリアの皆さん」

 

 

「敵の新手? 私とクリスが前衛を務めるから、ホロはヒッピを守って後方支援!」

 

 

 瞬時に状況を判断して散開する辺り、あの女性は優秀なのだろう。

 一人だけ無傷の女冒険者、きっと緋色の剣士とは彼女のことだ。

 それは個人的にはそうであってほしいという願望、あの中では一番使えそうだという直感だ。

 

 

 一人はスロウスの結界を破ったためか、すでに満身創痍のようだしね。

 残りの二人にしてもパッとしないというか、グリフォンより明らかに下だ。

 

 

 

「待てミーシャ、ここは俺たちに任せて先に王都へ行け。

 敵があの程度しかいないなら、今の俺たちでもなんとかできる」

 

 

「そうそう、その代わり他の連中は頼んだわよ。

 できればあの男の後ろにいる連中……って言うかあの男も含めてね!」

 

 

「おい、それだとミーシャさんが全員倒することになるだろ!

 私たちの方は大丈夫なので、ミーシャさんは先に進んでください!」

 

 

 まさかこんなところでくだらない友情ごっこ、ライトノベルのような会話が聞けるとはな。

 さすがの私も苦笑いというか、彼らに呆れてなにも言えなかった。

 ミーシャと呼ばれた女性、無傷の冒険者はその言葉に苦しそうだったがね。

 

 

 おそらくは彼らとともに戦い、そして一緒に王都へ向かいたいのだろう。

 しかしここで手間取っていては、最悪他の者が襲ってくるかもしれない。

 王都の中にはまだ三人の大司教がいる。それに広場であったあの亡霊、他にも多くの魔物たちが暴れている。

 

 

 先ほどの爆発に気づいて彼らが来たら……なんて、カナリアの連中は考えているだろう。

 実際のところは私がいるので、他の司教たちがここへ来ることはないがね。

 

 

 

「わかった。じゃあここはみんなに任せるから、あとで必ず追いついてよね。

 全てが終わったら王都で一杯……ううん、王宮の中で好きなだけ飲ませてあげる」

 

 

 そういって勝手に話を進める彼女、ミーシャと呼ばれた冒険者が走りだす。

 当然こちらとしてはそんな茶番に興味はなく、彼女を通してやる義理もないからね。

 クロノスに彼女を襲わせようとしたが、ここで予想外のことが起こった。

 

 

 

「悪いですが、あなたの相手は私たちです!」

 

 

 満身創痍の冒険者が放った一撃、巨大な火球が私の視界を塞ぐ。

 私はそれをクロノスで切り裂こうとして、その殺気に反応が遅れてね。

 まさか突然現れた彼女が剣を振るい、そのまま攻撃してくるとは思わなかった。

 

 

 

「ちっ、外しちゃったか……でも、次は絶対に殺すからね」

 

 

 おかげさまで火球は避けられたが、その代償に左腕を潰されてしまう。

 私に一撃を加えて彼女は走り去り、残されたのは間抜けな私と三人の死にぞこない。

 周りの兵隊にはあの女を追うよう指示したが、おそらく時間稼ぎにしかならないだろう。

 

 

 それくらい彼女の動きは早く、そして鋭かったと今ならわかる。

 この世界に来て、この世界の理不尽に慣れ、この世界のルールに順応した私ならね。

 しかしここまで一方的にやられるとは、これはこれで久しぶりかもしれない。

 

 

 

「さて、どうやら私と君たちが戦うようだ。

 一応聞いておきたいが、君たちの中に緋色の剣士、若しくは裏帳簿を持っている人間はいるかな?」

 

 

 私の言葉に剣士風の男、クリスと呼ばれていた冒険者は剣を構える。

 そして双剣の女冒険者その隣に並ぶ、確かホロとか呼ばれていた冒険者だ。

 そして私に火球を飛ばした魔術師、ヒッピが私たちを中心に結界を張る。

 

 

 おそらくは私の足止めをするために、彼女を追わせないための処置だろう。

 一応彼らが裏帳簿を持っている可能性もあるし、彼らを放置するという選択はないがね。

 しかし、これであの女が緋色の剣士であり、裏帳簿を持っていることもわかった。

 

 

 本当にわかりやすい奴らだ。ここで適当な偽物でも出したり、私の問いに答えたら状況も変わっただろう。

 これで彼らを殺すのに障害はなくなったし、裏帳簿が焼失するという可能性もなくなった。

 

 

 

 

「!?」

 

 

「クリス、あんた遅れてるわよ!」

 

 

「黙れ馬鹿娘、お前の方こそ俺に合わせろ」

 

 

 しかしここで私の実戦経験の短さ、本物の連携というものに圧倒される。

 一人が私を押さえつけて、もう一人がその背後を攻める。

 しかも潰された左腕を中心に、偏った攻撃を仕掛けてきてね。

 

 

 私が攻撃に移ろうとすれば、その瞬間に魔術師が火球を放つ。

 攻撃のタイミングを魔術師に潰され、一旦防御に回れば私の弱点をついてくる。

 なるほど、確かにこれが本当の殺し合いというものだ。相手を殺すつもりだから、余計な情けやプライドなんて必要ない。

 

 

 あの学園で笑いながら剣を振るう男、新しい魔法を覚えて飛び跳ねている女、その全ての行き着く先がここである。

 学問の場所で殺し合いを教えるその感覚、やはりこの世界は好きになれない。

 目の前で剣を振るうこの男も、私を背後から襲ってくる女も、そしてよくわからん理屈で火球放つ化物も、私はその全てが好きにはなれなかった。

 

 

 

「やめだ。こんなことをしていても、あの女が逃げるだけだからな」

 

 

 だから私はこの世界のルールに従い、殺し合いの勉強することをやめた。

 彼らから大きく距離をとり、そして地面にクロノスを突き刺してね。

 突然の行動に彼らは警戒していたが、今更悔やんでももう遅い。

 

 

「ハッキリ言おう、私は君たちと遊んでいる暇はない。

 あまりこの能力を使いたくなかったが、これ以上時間をかけるわけにもいかない。

 だから、先に謝罪しておこうと思う。君たちとの戦いはとても勉強になるが、私にもいろいろと都合があってね」

 

 

 地面に突き刺したクロノスが、その真っ赤な瞳を私に向けてくる。

 それは私を非難しているようであり、これからすることを嫌がっているようにも見えた。

 

 

「なに言ってんのよ間抜け、どう見たって私たちの方があんたを――」

 

 

「いや、待て! 急いでこの男から離れろホロ!」

 

 

――第二制御術式開放……さあ、全てを吐き出せクロノス。



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恋する乙女と金糸雀の歌

「ねぇ、あなた私たちと組んでみない?」

 

 

 それが彼女との出会い、私がトライアンフに入った切っ掛けだった。

 当時の私はまだ駆け出しの冒険者で、そこまで強くもなかったと思う。

 それなのに私と同い年で有名の、緋色の剣士と呼ばれる彼女に誘われたのが始まり。

 

 

 元々サラマンダーギルドに所属してた私は、彼女に誘われるままチームを組んだ。

 最初はトライアンフからの依頼として、次からは彼女に誘われて依頼を受けた。

 緋色の剣士。みんなからそう呼ばれる彼女は、とてもいたずら好きで弟思いの……そんな、普通の女の子だった。

 

 

 ミーシャと一緒に冒険するうちに、私は多くのものを学び力をつけた。

 気がつけばギルド内でも有名となり、グリフォンさんと話す機会も増えてさ。

 そして彼女たちが失ったもの、倒すべき悪がいることも知ったの。

 

 

 

「馬鹿娘が、お前はそんなこと考えなくていいんだよ」

 

 

「なっ!? 馬鹿ってなによ、馬鹿って!」

 

 

 その日、悩んでいる私にクリスがこう言ったの。

 私の頭を乱暴に撫でながら、まるで子供を慰めるみたいにさ。

 少し年上で背が高くてイケメンで、ちょっとモテるからって偉そうにする。

 

 

 私はこの男が嫌いだった。だって、いつも私のことを子供扱いするんだもん。

 しかも私を呼ぶときは決まって馬鹿。馬鹿娘、猪、お姫様!……ごめん、最後のは嘘。

 私だって身長のこととか気にしてるのに、この男はそういうコンプレックスを平気でからかう。

 

 

「絶対にあんたが惚れるくらい良い女になって、そんで私があんたを振ってやんだからね!

 いい? わかった? だから覚悟してなさいよね、この間抜け!」

 

 

 私はあの時のことをハッキリと覚えている。あの日の天気から着ていた服まで、いつかあの時の借りを返そうと思っていた。

 それは私だけが知っている、私のための復讐。結局のところ、馬鹿な私にはそれだけでよかったの。

 ただこの空間を守るために。ミーシャに恩返しをするために。そしてクリスを見返すためにここを守りたい。

 

 

 

「なんだ? 今日はやけに外が騒がしいな」

 

 

「どーせ喧嘩でもしてるんでしょ? だって今日は年に一度の創立祭だもの、騒ぎたくなる気持ちは私にもわかる」

 

 

 その日は本当に突然だった。年に一度の無礼講、創立祭のときにそれは起こったの。

 いつかこんな日が来るかもしれない――グリフォンさんは常に言っていたけどね。

 だけど私はそれをただの冗談だと思っていた。だってこの都市を襲うだなんて、そんなことできるわけないもの。

 

 

 高い城壁に囲まれた都市、多くの冒険者が生活している私たちの空間。

 その中にはあのグリフォンさんだけでなく、国王様と面識のあるミーシャまでいるんだもの。だから絶対大丈夫だと思ってた。――そう、今日という日が来るまでわね。

 

 

 

「吾輩があの結界をなんとかする、だからお主たちはその隙に都市を脱出しろ。

よいか、絶対にこの帳簿を渡してはならんぞ」

 

 

 東門に魔物の大群が現れて、都市にいた仲間たちを襲い始めた。

 その話を聞いたときは冗談だと思ったけど、すぐに真実だと気づかされてね。

 私たちは仲間を助けながら合流し、そしてグリフォンさんにそれを託された。

 

 

 

「楽勝だって! こっちにはミーシャや私がいるんだし、他にもヒッピやクリスがいるじゃん。

 カナリアは誰にも負けない。だって、カナリアはトライアンフ最強だもの!」

 

 

「私やヒッピがついで扱いなのは気になるが、馬鹿娘にしてはいいことを言うじゃないか。

 少しはいい女になったんじゃないか? ミーシャの足元……いや、つま先くらいにはなっただろうな」

 

 

「静かにしてください皆さん、そろそろ結界が解けますよ!」

 

 

 

 そして私たちは都市の南門を破り、あの地獄から脱出することができた。

 血と硝煙にまみれたあの世界から、みんなの希望を背負って走りだしたの。

 多くの仲間を見殺しにして、多くの物を捨てて大地を踏みしめた。

 

 

 

 

「やあ、初めましてカナリアの皆さん」

 

 

 だけどその男に出会ってしまった。不気味な仮面をつけたいけ好かない男、気持ち悪い武器を使う教団の幹部。

 ヒッピのおかげでなんとかミーシャを逃がし、彼女の方はすれ違いざまに私たちの援護もしてくれた。

 あの様子だと左腕を使うことはできないはず、ミーシャの機転に内心ガッツポーズしてた。

 

 

 

「クリス、あんた遅れてるわよ!」

 

 

「黙れ馬鹿娘、お前の方こそ俺に合わせろ!」

 

 

 最初は彼の動きやその武器に困惑したけど、全員で力を合わせれば怖くなかった。

 クリスが彼の攻撃を防ぎつつヒッピがフォローし、そして私の双剣で致命傷を与える。

 一対一なら敵わないだろうけど、それでもこのまま押し切れると思った。

 

 

 

「落ち着けよ猪女、この程度で終わるような敵じゃない。

 このまま負けるような奴に、グリフォンさんやミーシャが警戒するわけがない」

 

 

 大丈夫、ミーシャがいなくても私たちは戦える。こんな相手に負けるつもりはなかった。

 だからクリスの言葉を聞いた瞬間、私は頭の中でそれを否定したの。

 今ならこいつを殺すことができる。武器を手放した今なら、だれも死なせずに倒すことができる……ってね。

 

 

 

「待て! 急いでこの男から離れろホロ!」

 

 

 だからクリスの言葉に困惑した。すぐに動くことができなかった。

 だってクリスが私のことを名前で呼ぶから、ここでいいところを見せたいと思ったの。

 それが間違いだとも知らずに、たぶん私は浮かれていたんだと思う。

 

 

 

「第二制御術式開放……さあ、全てを吐き出せクロノス」

 

 

「えっ!?」

 

 

 突然私の動きが止まった。……ううん、なにかに足首を掴まれたの。

 だから視線をそっちに向けてみれば――そいつらがいた。

 

 

 そいつらは人の形をしたなにかだった。見渡す限りの地面が盛り上がりそこから人が、人の形をしたそいつらが出てくる。

 うつろな瞳に血まみれの体、腐敗した肉と強烈な死臭に私は包まれてね。

 なにが起こったのかわからなかった。剣や槍を片手にそのむき出しの腕で、呪詛の言葉を吐き続ける。

 

 

 

「なんと言うか、やはり不完全な奴らしか出てこないか。

 まあ、君たちを殺すにはこれで十分だろう」

 

 

 顎がないのに声だけ聞こえ、腕がないのに剣を持とうとしている。

 それはゾンビとは違うなにか……そう、なにかだったの。なんて表現すればいいかわからないけど、一秒でも早くここから離れたかった。

 次々と這い出てくる化物の集団、そいつらが私の手や足を掴んでくる。

 

 

 

「やめて! 離して! なによ、こいつらなんなのよ!」

 

 

 その恐怖に私は耐えられない。何度も足元をそいつを切りつけ、それでも湧いて出てくるそいつらに剣を振るう。

 気が狂いそうだった。だって、そいつらずっと喋ってるのよ。――死にたい……死にたいってさ。

 どこからどうみても死んでるのに、自分たちが死んでることに気づいてない。

 

 

 

「ホロ、落ち着け! いいか、落ち着いて俺を見ろ!」

 

 

 

 落ち着けるわけがなかった。数百体にも及ぶそいつらが、さらにその数を増やして向かってくる。

――死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

 

 もう死んでいるのに、その言葉を口にしながら向かってくる。

――死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

 

 正気でいるなんて無理、こんなの絶対に普通じゃない。

――死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

 

 

 

「ちっ、しょうがねぇな――」

 

 

 そのとき、私の唇に柔らかいものが触れたの。

 仄かなコーヒーの香りと、そしてクリスが吸ってる煙草のにおい。

 私がその正体に気づいたとき、目の前には恥ずかしそうに笑う彼がいた。

 

 

 

「ほら、さっさと行くぞ処女。ぼさっとしてたら追いてくからな」

 

 

 気がつけばクリスに抱きしめられ、そして自分の失態を思い知らされた。

 ヒッピが新しい結界を張り直し、クリスが私を庇いながら敵と戦う。

 本当なら手伝わなくちゃいけないのに、私の足が言うことを聞いてくれない。

 

 

 

「おいヒッピ、こいつらは一体なんだ?

 ゾンビにしてはやたら頑丈だし、中には魔法を使うやつまでいる」

 

 

「私にもわかりません。ですが、このままではいずれ押し切られます」

 

 

 数百体にも及ぶそいつらが、更にその数を増やして向かってくる。

 今は結界がそいつらを抑えているけど、そんなのは時間の問題だった。

 だって、どう考えても敵が多すぎる。四方をそいつらに囲まれて、ヒッピの魔力ももう限界が近かった。

 

 

 

「ねぇ、クリス」

 

 

 私はなんとか立ち上がると、彼が振り返った瞬間その顔に手を伸ばす。

 どうしてそんなことをしたのか、今考えても思い出せない。

 ただそのままキスしようとして――そして……うん、失敗したの。

 

 

 

「はっ? お前、本当に頭がおかしくなったのか?」

 

 

 死ぬほど恥ずかしかった。ええ、むしろ死にたかったわよ。

 だって私の身長が低すぎて、背伸びをしても届かなかったんだもの。

 だからなんだか変な空気になって、私は恥ずかしさのあまり彼を殴った。

 

 

 こんなことをしてる場合じゃないのに、自分でもなにがしたいのかわからなかった。

 私はまだ体に力が入らないし、クリスだって私を助けるのにボロボロになってた。

 ヒッピは都市の結界を破るのに力を使って、いつ倒れてもおかしくないもの。

 

 

 もしもヒッピの結界が解けたら、そのときは一瞬で殺される。

 あの……よくわからない化物に殺されて、たぶん原型も残らないような気がする。

 それだけ目の前のこいつらは異常で、恐ろしく、そしてその数が多すぎた。

 

 

 

「二人でじゃれ合うのはいいですが、そろそろ私の方も限界です。

 ですから提案があるのですが、お二人の意見を聞かせてください」

 

 

 ヒッピの言葉に私たちは視線を反らし、そして彼の最低な話を聞くこととなった。

 本当に最低で最悪の、とても受け入れられない提案をね。

 ええ、勿論私は反発したわよ。ヒッピには悪いけど、それだけは絶対に嫌だった。

 

 

「そんなふざけた作戦は嫌! 絶対に嫌!

 それだったら私が先頭の敵を倒すから、そのままあいつを無視して逃げればいい。

 難しいかもしれないけど、これなら誰も死なずに王都へ――」

 

 

「無理ですよ。だって、私はもう立てそうにありません。

 それにあの男を倒さなければ、確実にミーシャを追いかけるでしょう。

 あいつは危険すぎます。たとえ失敗したとしても、彼女の時間を稼げればそれでいい――違いますかクリスさん?」

 

 

「ああ、その通りだ」

 

 

 ヒッピは本当に辛そうだった。確かに彼の言いたいこともわかる。…わかるよ? だけど、そんなの悲しすぎるじゃない。

 失敗してもいいだなんて、そんなの絶対に間違ってるもの。

 どうして生きることを諦めるの? なんで私の話を聞いてくれないの? 嫌だよ……そんなの絶対に嫌だもん。

 

 

 

「まあ、少しは落ち着けよ馬鹿娘。

 お前はそんなに考えなくていいんだ。俺たちが全部なんとかするから、お前はいつもどおり突っ走ればいい」

 

 

 そういって私の頭を撫でてくるクリス、これは彼が困ったときにする仕草だった。

 いつもこの男は私を子供扱いする。私がそれに怒ればミーシャがなだめて、最終的にはヒッピが私たちの間を取り持つ。

 それが私たちカナリア、私が守りたかった金糸雀だった。

 

 

 

「ねぇ、ダメなの……かな? それしか本当に方法がないの?

 みんなで一緒に王都に行って、それでミーシャと仲のいいお姫様を紹介してもらって、それから――それから、ね?」

 

 

 涙があふれてくる、もうどうでもよかった。強がっていても仕方ないと思った。

 私は二人にただお願いするしかなかったの。他の方法を考えて欲しい――カナリアはまだ歌えると言ってほしかった。

 

 

「泣くなよ馬鹿娘、まだ失敗すると決まったわけじゃねぇ。

 お前があの男を倒せばそれで終わり、俺たちはミーシャとも合流できる。

 安心しろ。お前があの男を殺すまでの間、俺がヒッピを守りながら戦ってやるさ」

 

 

 だけど、私の願いが彼らに届くことはなかった。馬鹿な私でも彼の目を見ればわかる。

 私の言葉が届かないことも、カナリアがもう歌えないってこともね。

 私の頭を乱暴に撫でる彼の分厚い手、それが離れた瞬間私はその手を掴んだ。

 

 

 

「だめ、もう少し撫でてくれないと許さないから」

 

 

「全く、少しは大人になったと思えばこれだ。

 じゃあ、王都に着いたらお前が死ぬまで撫でてやるよ――それこそ毎日、寝る前と起きた後にな。だからお前は俺たちを信じろ」

 

 

 そう、まだ失敗すると決まったわけじゃない。

 私があの男を倒せばうまくいく、私の居場所を守ることができる。

 今までだって私たちは乗り越えてきたんだ。だから今回だってうまくいく、私があの男を殺してみせる。



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恋する乙女と邪教の歌

「ホロさん、そろそろ準備はいいですか?

 私が結解を解除したら、すぐに風魔法(フライ)で上空に飛ばします。

 その後はあの化物を飛び越えて、そのままあの男を殺してください。

 術者である人間が死ねばこいつらも消えるはず、うまくいけばまた撫でてもらえますよ」

 

 

「うっ、うっさい馬鹿! あれは……アレよ。ちょっと演技しただけで、別にそういう意味じゃないし!」

 

 

 ヒッピの言葉に思わず反応してしまう。別に、クリスに撫でてほしいからやるわけじゃない。

 まあ、撫でてくれるならそうしてもらうけどさ。ただ勘違いはされたくなかった。

 

 

 ハッキリ言うけど、クリスの手にそこまでの価値はない! うん、絶対にない! 

 そもそもあいつの手は大きくて硬いし、私の扱いが他よりも乱暴なんだ。

 これが終わったらそこら辺を改善して、それで約束通り頭を撫でてもらう。

 

 

 毎朝、私の気が済むまで撫でてもらう。寝る前は私が許可するまでやらせる。

 そうだ、あいつにはそれくらいが丁度いいんだ。全部私に押しつけといて、中途半端な報酬なんて絶対許さない。

 この間抜けは私だけ見れてばいい。今日のことを口実に、毎日この間抜けをこき使ってやる。

 

 

 

「頼んだぞ馬鹿娘。王都で待ってるミーシャに、俺たちの武勇伝を教えてやろうぜ」

 

 

 私のことを好きになるまで、ずっと一緒にいてやるんだ。

 

 

 

「結界を解除します! クリスさんは少しでも時間を稼いで、ホロさんは衝撃に備えてください!」

 

 

 ヒッピの合図と共に結解が解除され、そいつらが一斉に襲いかかってくる。

 クリスはヒッピを守りながら剣を振るい、金糸雀は夜空へと舞いあがった。

 ここまできたらやるしかない。絶対に失敗しちゃダメなんだ。

 

 

 私は振り返らなかった。急降下する私が捉えたのは無防備な男と、そして新たに生みだされた無数の化物。

 今ならあの男を倒せる。私の存在に気づいていない今なら、その首を切り落とすことだってできる。

 それでクリスに認めてもらうんだ。私は良い女になった。あいつの周りにいる誰よりも、それこそミーシャにだって負けるつもりはない。

 

 

 

「残念ながら、私も少なからず成長しているのでね」

 

 

 その瞬間、私はその男と確かに視線を交わした。

 それは双剣を振り下ろす刹那、無防備な彼に剣が届くその瞬間だった。

 どうしてそう思ったのかはわからない。でも、仮面越しに男が笑っているような気がしたの。

 

 

 

「ねぇ、死にたいの」

 

 

 私の進路を阻むように現れた防御壁、突然現れたそれに激しくぶつかる。

 とても巨大で幾重にも張られたそれを、私はなんとか突破しようと剣を振るってさ。

 両手を振るうたびに体が悲鳴をあげたけど、それでも立ち立ち止まろうとは思わなかった。

 

 

 

「お願い、私は死にたいの」

 

 

 いつの間にか現れた金髪の少女、男の背後から現れた彼女が口にする。

 その子だけは他とは違っててね。その見た目は人間そのもので、彼女の肌や瞳は本来のそれだったと思う。

 唯一の共通点と言えば例の言葉、壊れたように繰り返すあの言葉だけだった。

 

 

 

「ふざけんな……まだ私は、金糸雀は歌えんのよ!」

 

 

 彼女の張った防御壁は本当に強力で、その硬さに私は弾かれてしまった。

 だけど諦めたくはなかった。空からの奇襲は失敗したけど、それでも目の前にはあの男がいる。

 邪魔する人間はその少女だけで、彼女はなんの武器も持っていない。

 

 

 私は着地したと同時に踏みこんで、そのまま男との距離を一気に詰めたの。

 まだ間に合うと思った。この距離なら私の剣は届く、そう思って双剣を振り下ろしてね。

 

 

「さすがは一流の冒険者、まさかここまでやるとは思わなかった」

 

 

 肉を切り裂く確かな感触に、私は双剣をさらに深々と突き刺す。

 刃から伝う赤い雫はとても冷たく、そして人間を殺すには十分の深さでさ。

 だから成功したと思った。私はあの男を倒したんだ……って、そのときは本当にそう思ったの。

 

 

 

「うそ、なんで――」

 

 

「御苦労エレーナ嬢、君のおかげで無駄な体力を使わずに済んだ」

 

 

 目の前には先ほどの少女がいて、私の双剣は彼女を貫いていた。

 まるで目の前の男を庇うように、その少女は両手を広げていたの。

 どこからどう見ても生きているようにしか見えなくて、彼女の瞳からこぼれる涙も本物みたいでさ。

 

 

 だけど他の化物と同じように、私を前にしても少女の願いは変わらない。

 気がつけば私は結界の中に閉じこめられ、そして作戦が失敗したと悟った。

 

 

 

「発想は悪くなかった。もしも私があの模擬戦や代表戦、そしてグリフォンとの戦闘を経験していなかったら、おそらく君の刃は私に届いていただろう。

 クロノスがこの能力を発動している間、術者である私は身動きが取れない。

 あの出来損ないどもにしたって、私が死ねば自然と消えるだろうしね」

 

 

 少女が作りだしたそれによって、私は指先すら動かすことができない。

 最初は何度か脱出しようと暴れたけど、結局はどうすることもできなかった。

 そしてあの男が前に立つと、そんな私を見ながら拍手をする。

 

 

 それは子供の頑張りを褒めるように、まるで私たちの健闘を称賛しているようでさ。

 本当に屈辱的だった。今すぐにでもその胸に剣を突き刺し、こいつの腐りきった心臓を貫いてやりたい。

 だけど今の私にはそれができない。――悔しかった。悔しくて苦しくて、なにもできない無力な自分に怒りすら覚えた。

 

 

 

「だから君たちの判断は正しい。しかし残念かな、人間とは常に成長する生き物だ。

 私としてはどうして彼女だけ成功したのか、それを知りたいが君たちじゃ無理だろう。

 全てを失った彼女が私を助けるなんて、これ以上の皮肉もないだろうけどね……まあ、これは君たちとは関係のない話だ」

 

 

 そういって少女に突き刺さった双剣を引き抜き、男は私の顔にそれを押し当てる。

 このとき私の脳裏に二人の姿がよぎってね。私の成功を信じてくれた仲間、クリスとヒッピのことが不安だった。

 私は失敗しちゃったけど、それでもあの二人はまだ戦い続けてる。

 

 

 

「お願い、私は何でもするからあの二人は助けて――」

 

 

 あれだけの化物に囲まれながら、私が成功すると信じて戦ってる。

 そう考えたら私の口は自然と動いてた。トライアンフの冒険者としては最低の……だけど、今の私にはそうするしかなかった。

 恥や矜持なんてどうでもいい。冒険者じゃなくなってもよかった。ただあの二人を助けられるなら、私はどうなってもいいと本気で思った。

 

 

 

「ほう? なんでもしてくれるのか、だったら一つだけ聞きたいことがあってね。

 それに答えてくれたら、君の言う通りあの二人は助けてあげよう。

 どうだろうか、私としても時間をかけたくないからね」

 

 

 今の私には選択肢がない。クリスたちを助けるためには、この男の言う通りにするしかなかった。

 男は私にプライドと呼ばれる教団の幹部、つまりはリストファー=ドレイクのことを聞いてきた。

 私たちがいつ頃からあの男を調べていたのか、そしてその正体に気づいた時期を聞いてね。

 

 

 他にもいろいろと聞かれると思ったけど、男はそれ以上口にすることはなかった。

 ただ、私が全てを話し終えた瞬間、そいつは狂ったように笑い始めたのよ。

 まるで全てが順調だと言わんばかりに、私にはその光景がとても恐ろしく感じた。

 

 

 

「いいぞ、全てが順調に進んでいる。

 多少の不確定要素はあったものの、これほど順調に進むとは思わなかった。

 これで私はこの国の英雄となり、二つのギルドを統合することができる。

 本来であれば数十年かかるものを、たったの数カ月で手にいれるのだ」

 

 

 そのとき、私はなにかとてつもない失敗をしたような気がした。

 それは私たちの命なんかと比べものにならない、この国を揺るがす程のものかもしれない。

 だけど今更どうしようもなかった。たとえこの国が滅んだとしても、私はあの二人が生きてくれればそれでよかったの。

 

 

「私はちゃんと教えた。だから今度はあんたの番、約束通りあの二人は助けて」

 

 

「ああ、勿論彼らは助けてあげよう。

 私は交わした取引を反故にするような人間じゃないし、ましてや君は私の恩人でもある」

 

 

 男がなにを言っているかはわからなかったけど、それでもこいつがあの武器を引き抜いた瞬間、あれだけいた化物が一瞬で砂となってね。

 そして、私が見つめる先にはあの二人がいた。ボロボロになって片膝をついていたけど、それでもクリスたちは動いていたの。

 死んでなかった。あれほどの化物に囲まれながらも、あの二人はしぶとく生きていた。

 

 

 このときの私は、たぶん今までの人生で一番嬉しかったと思う。

 状況は相変わらず最悪だったけど、それでもクリスたちを助けることはできる。

 たとえ私がこの男に殺されたとしても、二人が生きてくれるならそれでよかった。

 

 

 

「それじゃあ約束通り、彼らは助けてあげよう」

 

 

「えっ、なにを……待って!」

 

 

 そういって男は私の双剣を拾いあげると、そのまま二人の方へと向かっていく。

 最初、私はなんでそんなことをするのかわからなかった。だって私はあいつに言われた通り、知っていることを全て話したんだもの。

 だから男がクリスたちの元へと向かった瞬間、私の心臓は大きく跳ねた。

 

 

 心臓がうるさいくらいに脈打って、私は心の中でそれを何度も否定する。

 だけど一度脳裏に浮かんだ光景は、結局最後まで覆ることはなかった。

 

 

 

「いや、だめぇぇぇぇ!」

 

 

 振りかぶられた双剣が、月明かりで綺麗に光ってた。

 それは本当に一瞬のことでさ。冗談みたいに一瞬で、気がつけば私は叫んでいたの。

 結界の中で暴れながら叫んで、そしてその最後を見てしまった。

 

 

 崩れ落ちる二人と赤い血だまり、私の双剣は両方とも赤くなっていた。

 男はそんなクリスたちに見向きもしないで、そのまま私の方へと向かってきてね。

 

 

 それでその剣についていた血を払った。それはまるで見せつけるように、約束は守ったぞと言わんばかりにね。

 私はもう声もだせなくてさ。涙を隠すのに精いっぱいで、もうなにも考えたくはなかった。

 

 

 

「そんなに風に睨まれても、私は君の言う通り彼らを助けただけだ。

 クロノスに殺されたら魂を拘束され、あいつの中で永遠の苦痛を味わう。

 君も先ほどの奴らを見ただろう? あれはクロノスによって殺された者たち、いうなれば私が殺した人間たちだ」

 

 

 この男は狂っている。全てを他人事のように話す姿は、とても同じ人間だとは思えなかった。

 殺した人間? 魂を拘束する? もしもこいつの言っていることが事実なら、こいつはあれだけの人間を殺したってことだ。

 

 

 あんな学生くらいの女の子も含めて、あの光景になにも感じないなんてね。

 こいつは私が今まで出会ってきた誰よりも……ええ、どんな人間よりも異常だと言いきれる。

 あれだけの死者を前にして、この男はなんとも思っていない。

 

 

 

「拘束された魂は私の自由にできる。クロノスが破壊されない限り、永遠に戦うこととなるのだ。

 君はそれが嫌だったからこの私に、わざわざあんな取引を持ち掛けたんだろう?

 ん? もしや違っていたかな? まあ、違っていたなら謝罪しよう」

 

 

 そう、この言葉にしたってそうだ。こいつの言葉は全てが軽いんだ。

 クリスたちを殺したのはこいつなのに、その口調はまるで他人事みたいでさ。

 この男には人として大切ななにかが欠けてる。こうして話してみて、私はこの男の異常性にやっと気づいた。

 

 

 そうじゃなきゃこんな風にはならない。数百人にも及ぶあの大合唱を前に、平然と戦えるはずないもの。

 今の私にはこいつの表情が、その仮面を越しからハッキリとわかった。

 

 

「だが、文字通り彼らを助けてほしいという願いだったなら、それはさすがに横暴というものだ。

 そもそもこの惨劇の真実を知る君たち、つまりは邪魔な存在を生かしてはおけない。

 もしもそれを期待していたなら、さすがに考えが甘すぎるだろう」

 

 

――ヒッピ、あんたがミーシャのことを好きだったのは知ってた。それを何度もからかって、無理やり二人っきりにさせたこともあったね。

あのときあんたは嫌がってたけど、後でお礼を言いに来たときは驚いたよ。

 

 

――クリス、あんたには最後まで本当のことを言えなかった。いつも喧嘩ばかりしていて、結局私の気持ちを伝えられなかったね。

今思えばもっと素直になればよかったと、本気でそう思うから自分が嫌になる。

 

 

「そういう言う意味での助けてほしいなら、前もって私の方も断っていただろう。

 まあ、不幸な行き違いというやつだな。

 それじゃあ哀れな冒険者さん、来世ではもう少し賢く生きるといい」

 

 

 

 ごめんミーシャ、私のせいでみんな死なせてしまった。この男に全てを話しちゃった。

 あんたには迷惑かけてばっかりだよね。思えばあの時だってそう、初めて一緒に冒険をした時も足を引っ張ってた。

 ごめん。本当にごめんね。全てをあんたに背負わせちゃって、私なんかが仲間にならなきゃよかったよね――

 

 

 

「そうそう、クリスとかいう剣士からの伝言だ。

 俺は最初からお前のことが好きだった――それじゃあさようなら、哀れなカナリアの諸君」

 

 

 金糸雀はもう歌えない。だけど、最後の最後で飛べたような気がした。

 私のせいで失敗したのに、その瞬間だけはちょっぴり幸せだった。

 迫りくる刃を見ながら、私はいるはずのない彼にこう言ったの。

 

 

 

「私もだよ……クリス――」



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原罪司教は己を知る

「さて、後はあの女を見つけるだけだな」

 

 

 最後の冒険者が倒れると同時に、私の興味は彼女たちから離れていた。

 私の足元で死んでいる一人と、少し離れたところにいる二人、これでカナリアメンバーはあの女性だけだ。

 緋色の剣士。彼女をどう扱うかで私の今後、つまりは教団内での立ち位置も変わる。

 

 

 目の前で死んでいる冒険者からは、いろいろと面白いことが聞けたので、とりあえずは計画通りに進めるとしよう

 私は持っていた双剣を投げすてて、その三人にもう一度拍手を送った。

 彼女たちには聞こえていないだろうが、それでも本当に助かったからね。

 

 

 特に目の前にいる彼女、ホロと呼ばれていた冒険者は最高だ。

 私が最も欲していた情報を、その詳細まで話してくれた。

 元々サラマンダーギルドに所属していたらしいが、おそらく帳簿を持ち出した女と知り合いだったのだろう。

 

 

 ただ、トライアンフの連中がどうやって裏帳簿を盗み、そしてなにをするつもりかはどうでもいい。

 そんなことに興味はないし、知ったところでなんの価値もない。

 しかしこいつ等がいつプライドの正体に気づき、そして帳簿の存在を知ったかは重要だ。

 

 

 

「そう遠くには行ってないと思うが、あいつ等に止められるとも思えない。

 ふむ、やはり急いだほうが良さそうだ」

 

 

 足元のそれを蹴り飛ばせば、それが甲高い悲鳴をあげてね。

 まるで泣いているようにも聞こえたけど、残念ながら彼らはもう死んでいる。

 個人的には彼らも私のコレクションに加えたかったが、それはしないと約束してしまった。

 

 

 クロノスが物欲しそうにしていたが、こればかりはどうしても譲れない。

 たとえ不幸な行き違いだったとはいえ、この女性は十分な対価を支払ったのだ。

 それならば一介のサラリーマンとして、その約束を破るわけにもいくまい。

 

 

 私はクロノスを構えて踵を返すと、そのままあの女を追いかける。

 彼女がどこへ逃げたのか、それがわからなくなるのが心配だった。

 しかしスロウスの兵隊が目印となり、私に彼女の足取りを教えてくれる。

 

 

 最初は悪趣味なオブジェだと思ったが、よく見ればスロウスの兵隊でね。

 なにをどうしたらそうなるのか、無数の剣が体中に突き刺さっていた。

 人間というよりハリネズミに近く、そしてその者の周囲にもそれがあってね。

 

 

 形や長さが全く同じの剣が、それこそ数えきれないほど刺さっていた。

 おそらくはあの女の仕業だろうが、どういう理屈でこうなっているのかがわからない。

 おかげさまでその後を追うのは簡単だが、この量にはさすがの私も警戒してしまう。

 

 

 

「なにかしらの魔法だろうが、明らかに物理法則を無視している」

 

 

 何人もの人間が同じような姿で死に、その全てに同じ剣が使われていた。

 死体の周囲に突き刺さっていたものも、そして体中に突き刺さっていたものも同じだ。

 見かけによらず容赦がないと言うか、中には原型をとどめていないものまであった。

 

 

 

「全く、これだから魔法は嫌いなのだ。対策を立てようにも、その能力がわからなければどうしようもない」

 

 

 そうやっていくつもの死体を目にし、無数の剣を確認しながら私は走ってね。

 ついに目的の女性を見つけたのさ。無数の剣が突き刺さる大地の上で、丁度最後の一人を殺しているところでね。

 もはや見慣れた光景ではあったが、その中心に立っている彼女だけは別だ。

 

 

 トライアンフ最強の冒険者、その称号は伊達ではないということか。

 久しぶりに動いている人間と会って、この私としたことが安心していた。

 まあ、彼女の方は私に気づいた瞬間、その殺気を隠そうともしなかったがね。

 

 

 

「どうして……なぜあんたがここにいる――」

 

 

「ふむ、逆に聞きたいのだがね。君が馬鹿じゃなければ、その質問に意味などないはずだ。

 私がここにいるということは……つまり、そういうことなんだろう?」

 

 

 彼女の声は本当に弱弱しくて、とてもこの惨状を作りだした者とは思えなかった。

 無数の死体と共に私たちは睨み合い、そしてその言葉が引き金となる。

 

 

 彼女が走りだしたかと思えば、近くに刺さっていた剣を引き抜き、そのまま私の方へ突っ込んでくる。

 なるほど、認識力及び判断能力は合格点だ。

 少しばかり感情的な気もするが、無駄口をたたかないのは好感がもてる。

 

 

「なにをそんなに怒っている? これは殺し合いであって、どちらかが死ぬまで終わらない。

 君たちは私たちのことが嫌いで、私たちは君たちが邪魔だと思っている。

 今回のことがなかったとしても、いずれはこうなるとわかっていたはずだ。

 プライドの素性を掴んだだけでなく、その証拠となる帳簿まで盗んだのは凄いがね」

 

 

 いつもの不協和音が私たちを包み、クロノスがその口を大きく開ける。

 その姿は魔物よりも化物じみていたが、彼女の方は動揺していなかった。

 クロノスの動きに最初は足が止まったが、それも本当に最初だけでね。

 

 

 あっという間に対応して、的確にクロノスの弱点をついてくる。

 この様子だと突破されるのも時間の問題――ああ、そんな風に私は思っていたのだ。

 しかし、現実は私の予想よりも遥かに早く、そして意外な形でやってきた。

 

 

 

「ねぇ、あんた本当に原罪司教なの?」

 

 

 クロノスはその性質上、どうしても攻撃が直線的になる。

 生きていると言っても知能はないし、その凶暴性だけが強みと言える。

 

 

 だから彼女のように立体的な動き、そして挑発するような行動は効果的でね。

 ただでさえも直線的なものが、さらに単純化してしまうからだ。

 

 

 

「ほう、それはどういう意味かな?」

 

 

 だからこそ突然の動きにクロノスは彼女を見失い、私は突っ込んでくる彼女に舌打ちした。

 ふむ、これは今後の課題として対策すべきだ。

 クロノスが突破されたときに、それに代わるなにかを用意しよう。

 

 

 一々魔道具の中から武器を出しては、それこそ突然の攻撃に対応できない。

 私は近くに突き刺さっていた剣、彼女が使っているそれを同じものを引き抜いてね。

 そのままその攻撃を防ぐと、気がつけば口が動いていた。

 

 

 

「ハッキリ言って、あんたは他の奴らよりも弱い。

 昔戦ったことのある原罪司教よりも、明らかに戦い慣れしていない」

 

 

「それはそうだ。私が教団に入社したのは一年ほど前で、それ以前はただのサラリーマンだったからね。

 君たちのように剣を振るうことや、魔法なんてものも見たことがなかった。

 だから、君のような強い人間が必要なのさ。私の地位を守るために……いや、正確には教団での発言力を強めるためにね」

 

 

 お互いの息遣いがわかるほどの距離で、私たちは初めての会話を楽しんでいた。

 粗悪な剣がその力に耐えきれず、その刀身に無数の亀裂が生まれる。

 

 

 

「ごめん、私の言い方が悪かったわ。

 だからもう一度聞く、あんたみたいな人間がどうしてそっち側にいるの?」

 

 

 彼女の声はとても小さかったが、妙に透き通っていたような気がした。

 それは私の動きを止めてしまうほどに、ある種の戸惑いを与えるには十分でね。

 気がつけば私は宙を舞い、指先が反対方向に曲がっていた。

 

 

――ギャギャギャギャギャギャ。

 

 

 そして背後から聞こえてくる声に、彼女は持っていた剣を投げ捨ててね。

 そのまま近くにあった剣を引き抜くと、クロノスと正面からぶつかっていた。

 

 

「せっかくいいところなのに、私の邪魔をするなんていい度胸ね」

 

 

 彼女の右足がその反動で地面に埋もれ、クロノスがその口を大きく開く。

 しかし彼女はその剣技によって、目の前の化物を押し返してね。

 クロノスの口に剣を突き刺すと、その勢いを利用して地面に固定した。

 

 

 私は彼女の動きを見ながら苦笑いし、そして心の底から称賛した。

 まさかクロノスの動きを止めるとは、しかもその口に彼女は剣を突き立てた。

 一連の動きは私よりも早く、それでいて無駄がなかったと言える。

 

 

 先ほどの言葉にしても、私の動きを止めるためだったのか。

 背後からクロノスが迫っていることを知って、私の動揺を誘うためにあえてしたのだ。

 

 

 強い、この女は私が戦ってきた誰よりも強い。

 私は立ち上がると同時に、近くにあった剣を引き抜いて構える。

 既に利き腕は潰されているし、もう片方の指先も感覚がないがね。

 

 

 

「ねぇ、あんたを見た時から感じてたんだけど、どうしてそんな風に無理して笑うの?

 まるで泣くのを我慢してるみたいに、ずっと悲しそうにしてる」

 

 

 しかし、ここで諦めるのは面白くない。

 この世界に来てからというもの、ここまで追い詰められたことはなかった。

 クロノスを封じられて、さらには私自身もボロボロである。

 

 

 対して彼女は少しの切り傷と、多少の汗をかいただけだ。

 まさかここまで実力差があるとは、やはり最強の名は伊達ではないようだ。

 

 

 

「その仮面のせいでハッキリとはわからないけど、それでもなんとなく違うのはわかる。

 あんたのそれは妙に演技じみてて、なんだかとっても嫌な感じがする――やらされてるって言った方がいいかな。

 だからどうしてそんなあんたがそっち側にいるのか、私としては不思議なんだよ」

 

 

 だが、彼女はクロノスのことを甘く見ている。

 あんな粗悪品を一つで、あの化物を封じることなどできない。

 彼女は手ぶらのままやってくると、その答えを私に求めてきてね。

 

 

「やらされている? 全く、なにを言うかと思えばそんなことか。

 私は一介のサラリーマンに過ぎないし、社員である私に自由意志などない。

 上司の命令は絶対であり、私自身もそれを望んでいるのだ」

 

 

 クロノスが動けることを、この女はまだ気づいていない。

 あともう少し時間を稼げば、すぐにでも襲いかかるはずだ。

 私がやるべきことは彼女を牽制しつつ、クロノスの存在を気取られないこと、雑談をご所望とあらば付き合ってあげよう。

 

 

 

「会社の歯車となることを、そして同じ歯車でも重要なそれになりたいとね。

 無理して笑う? 泣くのを我慢している? ふむ、君には悪いが私にそんな感情はない……いや、正確には存在しないと言った方が正しい。

 なぜならそれが私と教皇様の契約であり、私がこの会社に入社した理由だ」

 

 

「そう、どのみち私にあんたを殺す気はない。

 金糸雀のみんなやギルドには悪いけど、私の目的はあくまで教団を破壊すること、そのためならなんだって利用してやる」

 

 

 

 私の言葉に彼女は興味を示し、その真意を伺っているのがわかる。

 それもそうだ。教団のトップである私の上司、教皇様の存在が出てきたのだから、彼女のような人間には最高のエサだろう。

 後は彼女の興味をこちらに引き寄せて、その間にクロノスを襲わせればいい。

 

 

 

「それこそが私たちの……トライアンフと、そして教団に家族を殺された者の悲願。

 たとえそれが洗脳された敵であっても、私はあんたを連れて王都へ向かう」

 

 

「ほう、やってみろよ小娘」

 

 

 私はクロノスの存在を確認すると、そのまま彼女を襲うよう合図する。

 ああ、確かにタイミングは完璧だっただろう。武器を持っていない彼女に、この攻撃を防ぐ手立てはなかったはずだ。……いや、ないはずだったのだ。

 

 

「ええ、あんたには悪いけどそうさせてもらう。

 全てが終わったら然るべき罰を受けて、その罪を償ってもらうからね」

 

 

 突然空間が歪んだかと思えば、なにもない空間に無数の光が現れる。

 そしてその中から現れたのは鋭利な、それでいで光沢のある物体だった。

 私にはそれがなんなのか一瞬でわかった。……そうさ、むしろわからないはずがなかった。

 

 

 なぜなら今も私が持っているものであり、ここに来るまで嫌というほど見てきたものだ――つまり、なんの変哲もない安物の剣だよ。

 

 

 

「なん……だと――」

 

 

 その切っ先が空間の中から現れ、まるで土石流のように降り注いでね

 クロノスの動きを封じるために、それは空間を切り裂いて現れたのさ。

 独特の金属音ともに全てを破壊し、クロノスの動きを止めるまでやむことはない。

 

 

 目の前の彼女は全てが終わるまで、一度も振り返ることはなかった。

 クロノスは無数の剣によって地面に固定され、非難めいた視線を私に向けてくる。

 なんとか脱出しようとしているが、あの様子だとさすがに難しいだろう。

 

 

 

「言ってなかったけど、私は剣士でもなければ魔法使いでもない。

 一応こう見えても召喚士なのよ。私の家系は召喚士の一族で、代々なんらかの召喚獣を使役してた。

 ただ私にはその才能がなくて、代わりにこの剣を生みだすことができる」

 

 

 そう言って近くにあった剣を引き抜き、それを私の足元に投げつける。

 確かに剣の形や長さに加えて、その材質や傷にいたるまで全てが同じだ。

 そして彼女の言葉が本当なのであれば、これほど厄介な能力もないだろう。

 

 

 先ほどの光景にしてもそうだが、三次元の空間で任意の場所を対象にできる攻撃。

 つまりは多角的な攻撃が可能であり、その兆候はあの空間のゆがみだけでね。

 投擲が可能ということは、おそらく罠を仕掛けることも可能だ。

 

 

 相手の逃げ道に剣の壁を作り、その行動を制限することもできる。

 全く、まさに反則的な能力である。これで兵隊の死因も納得できた。

 辺りに無数の剣が突き刺さっていたのは、彼女がその能力で剣による投擲を行ったから、そして兵隊が串刺しになっていたのもそのせいだ。



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原罪司教は見境がない

「殺しはしない。だけど、仲間と同じ痛みは味わってもらう」

 

 なんともふざけた能力である。しかもこの能力に加えて、当の本人も私と同等かそれ以上だ。

 剣技については比べるまでもなく、その速さにしてもほとんど変わらない。

 彼女は空間の中から剣を取りだすと、それを私に向かって振り下ろす。

 

 

 クロノスと同じようにすればいいものを、わざわざ剣を振るうのは不合理だがね。

 おそらく頭では理解しているが、感情がそれを許さない。

 仲間を殺された悲しみを、彼女自身の手で晴らしたいのだ。

 

 

 私を死なせない程度に痛めつけて、そのうえである種の免罪とする。

 それが誰に対するもので、どういった意図があるのかはわからない。

 しかし、そうすることで自身の感情を発散し、さらには死んだ者たちにも弁解できる。

 

 

 

「綺麗な顔をして、なかなか面白いことを考えるじゃないか。

 私はストレス発散の道具でもなければ、君に利用されるつもりもない」

 

 

 

「ええ……そうね。たぶんこれは個人的なわがまま、こうやって剣を振るうことに意味なんてない。

 だけど、別にわがままを言ってもいいじゃない。私はあんたたちに仲間を殺され、帰るべき故郷すらも奪われた。

 確かに、私はあんたを利用するつもりでいるし、それが許されないのもわかってるわよ。

 でも、あんたは他の奴らとは違う……なんていうか、まだ戻ってこられると思う」

 

 

 剣が交差するたびに火花が散り、心地よい殺気が二人を包む。

 本来であれば決着がついているはずなのに、それでもこのような茶番が続いているのは、おそらく手加減しているからだ。

 私の剣術が彼女と対等なわけがないし、なにより彼女にはまだまだ余裕がある。

 

 

「だから……ってわけじゃないけど、あんたが諦めるまで――私という人間を認めるまで戦わせてもらう。あんたには悪いけど、私はさっきの会話で確信したからね」

 

 

 正論……いや、ここは王道と言うべきだろうな。

 つまり目の前の女は、私がセシルにやったことを再現するらしい。

 私を利用するために屈服させ、そのうえで利用するというわけだ。

 

 

 全く、どれだけ綺麗な言葉を並べても、その本質は私の考え方と同じである。

 彼女は剣術の指南でもするかのように、私との間で剣を振るい続けた。

 その瞳から殺気が消えて、まるで見下すように……ん? みくだ……す?

 

 

 

「王都に行けば、トライアンフの支部がいくつかある。

 そこには優秀な魔術師もいるし、あんたにかけられた洗脳も解除できる。

 どんな術式かは知らないけど、そうすればあんたは本来の自分に――!?」

 

 

 おや? ああ……そうか、彼女はこの私を見下していたのか。

 道理でその瞳から殺気があふれ、その口調も攻撃的になったのだな。

 いやはや、私としたことがお恥ずかしい限りである。

 

 

 

「どういうこと、さっきとはまるで別人みたいに――」

 

 

 彼女の剣捌きが突然ゆっくりとなり、その動きにしてもキレがなくなった。

 今ならば少し強引に攻撃すれば、彼女の首を切り落とせるだろう。

 ただ、持っていた剣が力に耐えきれず、無数の破片となって砕ける。

 

 

 私は彼女の剣を素手で掴むと、そのまま蹴撃を叩き込んでね。

 驚く彼女を尻目に近くの剣を拾いあげ、接近すると同時に追い打ちをかける。

 しかし彼女の能力によって召喚されたそれが、私たちの間に突然降り注いだのさ。

 

 

 おかげさまで接近することができず、彼女の利き腕を削ぐことはできなかった。

 しかし、咄嗟に投げたそれは彼女の肩を貫き、一応潰すことはできたので良しとしよう。

 彼女の方は驚いているようだったが、そんな風に見つめられても困るよ。

 

 

 

「あんた、教団の奴らに一体なにをされて――」

――やっぱり教団の人間は信用できない。悪いけど、あんたにはここで死んでもらう。

 

 

 替えの剣ならいくらでも刺さっているし、武器に困ることはないだろう。

 彼女もやる気になったようだし、ここらへんでテストは終わりである。

 ふむ、やはりこの女には想像以上の価値がある。少しばかり甘くはあるが、その能力と経験はかなりのものだ。

 

 

 これなら私の計画に組み込めるし、パートナーとしても申し分ない。

 私は新しい剣をつかみ取ると、そのまま突っ込んで剣を振るったよ。

 ただ……ね、数回振るっただけで剣が折れてしまうので、少しばかりやりづらかった。

 

 

 まあ、替えの剣はいくらでもあるので、その辺りは彼女の能力に助けられたよ。

 彼女の方は相変わらず手を抜いているのか、剣捌きや動きにキレがなくてね。

 徐々に切り傷が増えていき、その呼吸にしても荒くなっていた。

 

 

 

「くっ、一応先に謝っておくわよ――」

――その程度で私を倒そうなんて、まだまだ甘ちゃんね。

 

 

 突然背中が重くなったような気がしたが、だからといって休憩するわけにもいかない。

 彼女の剣を弾くと同時に、その勢いを利用してもう一度攻撃する。

 今度は先ほどまで剣が突き刺さっていた傷口、利き腕のそこに打撃を加えてね。

 

 

 更に近くの剣を拾いあげて、彼女の右足を切りつける。

 もう少し追い詰めたかったが、私の背中がより一層重くなったせいで、最後の一撃は彼女に届かなかった。

 どうしてこんなにも背中が重いのか、ふと気になった私がそこに触れてみれば、その元凶に指先が触れたのさ。

 

 

 

「あんた……もしかして人間やめたの?」

 

 

 さすがに邪魔だったので引き抜いたが、自分でも不思議なくらい刺さっていたよ。

 もはや見飽きたと言ってもいい。私の足元には血だまりができ、その近くに数本の剣が転がる。

 私としてはなんの痛みも感じないので、どこか不思議な感覚だったが、目の前の彼女は明らかに違っていた。

 

 

 

「ごめん、もうあんたには手加減できそうにない。

 殺しはしないけど、ある程度の覚悟はしてほしい」

 

 

 彼女の言葉を皮切りに、私の周りに無数の光が発生する。

 もちろんその全てがただの光ではなく、その中から剣の切っ先が顔をだしてね。

 彼女の言葉を信じるならば、私を殺すつもりはないらしい。

 

 

 しかし、これだけの量を受ければよくてひき肉、悪ければ原型も残らないだろう。

 彼女自身それに気づいているのか、それともわかってやっているのかは知らない。

 ただ、この状況でそんなことを言われても、さすがに無理があるとだけ言っておこう。

 

 

 

「ほう、これが奥の手かな?」

 

 

「ええ、だけど安心してほしい。

 魔術壁を展開すれば死ぬことはないし、急所は狙わないと約束する」

 

 

 四方に発生したそれは、確かに逃げ場などないだろう。

 彼女が言う通り魔術壁を展開すれば、その勢いを相殺することもできるだろうが、生憎とそんな能力は持ち合わせていない。

 

 

 私は魔法を使わないのではなくて、元々使えない人間だからね。

 ただそれを説明したところで、彼女が信じるかどうかは別だ。

 さすがに分が悪すぎるというか、おそらく時間稼ぎにしかならないだろう。

 

 

 

「そうか、では私も奥の手を使おう」

 

 

 さて、こうなっては私も使わざるを得ない。

 光の中から剣が飛びだすその瞬間、私はいつも通りそれを願った。

 別になにかしらの呪文とか、くそったれな儀式は必要ない。

 

 

 私がそれを願うだけで、世界はセピア色に染まるのである。

 全てが停止した空間の中で、私はその感触を確かめながら歩く。

 途中で近くにあった剣を引き抜き、目の前の彼女にプレゼントする。

 

 

 その両手足を貫いたうえで、そのまま縫いつければそれで終わり。

 彼女がクロノスにやったことを、飼い主である私が実行するのである。

 世界がその輝きを取り戻したとき、彼女は初めて小さな悲鳴をあげた。

 

 

 それは本当に小さく……とても弱弱しものだった。

 私は磔となった彼女を見ながら、その首筋に剣を当てて忠告する。

 もしもあの魔法を使おうとしたら、本社の受付に君の首を飾るとね。

 

 

 

「率直に言おうか、私は緋色の剣士と取引がしたい」

 

 

 これは彼女にもメリットのある話だ。今回のトライアンフ殲滅戦は、元々私の地位を高めるためのものだ。

 仮に数万人の民間人が殺された場合と、一人の権力者が死んだ場合、どちらの方が民衆は興味を示すだろう。

 この場合は明らかに前者であり、トライアンフと交流のあった人間には大打撃だ。

 

 

 権力者が一人死んだのであれば、その替えはいくらでも効くだろう。

 しかし人間が数万人単位で死んだとなれば、それはもう一種の戦争と同じである。

 国家に対する背信行為であり、経済的な損失は計り知れない。

 

 

 では、この事件をスロウスは隠蔽できるだろうか? ハッキリ言おう、それは限りなく不可能に近い。

 数万人の民間人、しかもその中には冒険者が大勢いるのだ。

 仮に代わりの人間を犯人にしたてても、明らかにおかしいと子供でも分かる。

 

 

 私の計画が採用されたということは、なんらかの考えがあるのだろうが、それも私の描いた筋書きには勝てない。

 民衆はわかりやすい動機と、劇的な演出が好きだからね。

 だから私は今回の件を利用して、とある人間を排除しようと考えた。

 

 

 

「君にプライドの命、クストファー=ドレイクの首をプレゼントしよう。

その代わりに私の計画、つまり新しいギルドを作ってもらう」

 

 

 サラマンダーギルドのトップにして、原罪司教でもある男クストファー=ドレイク。

 私と彼との確執は入社当初から大きく、そのせいで私はセレストを使えずにいた。

 元々は完全な逆恨みなのだが、私には対抗する手立てがなくてね。

 

 

 相手はこの国最大のギルドであり、私の方は二人の獣人とMADが一人である。

 セレストの存在が知られれば、自動的に私の正体も明るみとなる。

 その場合プライドがどのような行動に出るか、そんなのは今更言うまでもない。

 

 

 だからこそ、私は代表戦の時からどうやって排除するか、そればかりを考えていたがね。

 しかしここにきて、彼の方から私に口実を与えてくれた。

 プライドの正体がトライアンフに知られ、それを処理するために私たちは動きだした。

 

 

 ただ、ここで少しだけ視点を変えよう。……ふむ、聡明な諸君なら私の言いたいこともわかるはずだ。

 要するに、この事件をプライドの単独犯ということにし、公に殺すことも許されるのである。

 全ての虐殺を彼に肩代わりさせ、そのうえでプライドを殺せばいい。

 

 

 そうすればサラマンダーギルドも無事では済まないし、多くの冒険者が仕事を失うだろう。

 そこでトライアンフ――つまり彼女の出番というわけだ。

 

 

 サラマンダーギルドの看板は汚れ、おそらくは解体されるだろう。

 この世界に民事再生法があれば別だが、指定暴力団を相手に救済があるとも思えない。

 そうなると職を失った冒険者の、その受け入れ先が必要となる。

 

 

 たとえば……そう、哀れにも多くの冒険者を失い、そしてギルドマスターすらも殺されたギルド。

 しかもそのギルドは仲間の仇を討ち、人魔教団に一矢報いた強者たちだ。

 ここまで言えば私の考えていること、そして私の計画にも気づいただろう。

 

 

 

 つまり――プライドを私と彼女で殺したうえで、トライアンフがサラマンダーギルドを吸収する。

 

 

 こうすることで新しいギルドが生まれ、しかもその規模はこの国最大となる。

 全ての功績を二人で分配し、私はたったの数カ月で大規模なギルドを手に入れる。

 大義名分はこちらにある。被害者である彼女が先頭に立ち、プライドの情報は教団の人間である私が教える。

 

 

 プライドを殺すことは簡単にできるし、その後の処理にしても問題ない。

 その辺りはすでに別の計画があり、教皇様を納得させることも可能だ。

 サラマンダーギルドを吸収するにしても、被害者であるトライアンフが許せば、後は彼女と私の交友関係を利用すればいい。

 

 

 私は御姫様とリュトヴャク家に働きかけ、彼女はギルド同士の繋がりを利用する。

 最悪、彼女と仲の良い王族とやら引き込み、強引に話を進めるもいいだろう。

 正当性はこちらにあるし、トライアンフを潰すくらいなら、彼らも私たちの誘いに乗るはずだ。

 

 

 

「私には大義名分がいる。全てが正当化されるために、君という旗が必要なのだ」

 

 

 全てがうまくいけば、新しいギルドが誕生する。

 この国最大のギルドにして、二人の英雄を有する巨大なギルドだ。

 ギルド同士の繋がりを考えるなら、彼女をギルドマスターにした方がいいだろう。

 

 

 私は裏方として都合の良い時だけギルドを利用し、その情報網を活用させてもらう。

 一からギルドを作ろうと思えば、それだけ時間と労力がかかるが、既存のものを利用するなら話は簡単だ。

 

 

 私は邪魔なライバルを排除し、さらにその組織(カテドラル)を奪い取る。

 どうせなら黒い夜に関する罪も負わせて、メディア=ブラヴァツキーの信頼も勝ち取ろう。

 地位を、名誉を、そして邪魔者を排除するのである。



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原罪司教は次の段階に進む

「それを本気で言ってるなら、あんたは狂ってる」

 

 

 全てを話し終えた後、彼女は小さな声でそう言った。

 その顔はどこかおびえているようだったが、おそらくは武者震いだろう。

 ただの冒険者がたったの数カ月……いや、一カ月ほどでこの国最大のギルドを設立し、そのマスターになれるのだ。

 

 

 これほどのチャンスは滅多にないし、私がマネージメントする限り、設立までの過程も含めてその経営は万全である。

 サラリーマン時代に培った経験が、この世界で通用するかはわからない。

 しかし邪魔なギルドや否定的な者には、教団を通じて暗殺者を送ればいい。

 

 

 そしてその犯人を私たちで捕まえ、その功績を他の企業にアピールするのである。

 そうすれば自然と教団に関する案件、もしくは協力者などを得ることができる。

 

 

 誰かに疑われる心配もなく、未然に教団の情報を遮断する。

 それこそみんな大好きアンクルサムの、あの有名な初代長官をモデルにすればいい。

 教団に関する情報……つまり原罪司教たちの情報を手にし、それを武器に出世を狙うのである。

 

 

 これこそがマッチポンプ。内情を知らない人間からすれば、そのギルドはかなり将来性があるだろう。

 表面上の責任者に彼女を据えて、私は共同経営者として甘い汁を吸う。

 適度に重大事件を解決すれば貴族や軍人、王族の目に留まることだってあるだろう。

 

 

 彼女にはギルドマスターというポストと、この惨劇を招いた元凶への復讐、それと少しばかりの名誉で協力してもらう。

 プライド以外の人間は取引の対象外だが、本来であればその復讐すら果たせなかったのだ。

 妥協案としては十分すぎるというか、これ以上は望みすぎである。

 

 

 

「狂っている? 失敬な、私ほど会社に忠実な人間はいない。

 教団を危険に晒した不良債権を処分し、そのギルドを自然な形で引き継ぐのだ。

 合法的に巨大なギルドを組織して、それを私のカテドラルとして活用する。

 どこにおかしい要素がある? 全てが合理的であり、私たちが協力すれば実現できる」

 

 

 彼女の非難めいた視線にうんざりし、私は目の前の剣を踏みつける。

 右手を貫く剣がその力で深く……さらに深く浸食していき、その傷口を大きく広げた。

 

 

 彼女は必死に耐えていたけど、こぼれ出る吐息が教えてくれる。なんとも強情な女である。

 この様子だとどれだけ説明しても、彼女が協力してくれるとは思えない。

 かなり魅力的な提案だと思うのだが、やはりこの世界の人間は頭が悪い。

 

 

 

「新しいギルド? 大義名分? なによそれ、おかしすぎて笑っちゃうわ。

 そんなことこの私が認めるわけないし、絶対に協力だってしない。

 拷問したって無駄よ? あんたたちに協力するくらいなら、苦しみながら死んだ方がマシだもの」

 

 

 

 まあ、こうなることは予想していたがね。

 いきなりこんな提案をしても、教団を憎んでいる彼女は納得しない。

 共同経営者がこんな得体の知れない人間で、しかもその後ろ盾が人魔教団だからね。

 

 

 

「ふむ、そういうのであれば少し試してみよう」

 

 

 私は目の前の剣を利用して、何度も同じ言葉を繰り返した。しかし彼女からは前向きな答えをもらえなくてね。

――こうなったらしょうがない。営業の基本は根気よく説明し、相手の興味を刺激することにある。

 それならば私のやることはひとつ、まずはその警戒心を解くことから始めよう。

 

 

 

「へぇ、あんたそんな顔してるのね」

 

 

 冷たい夜風が私の頬を撫でて、外されたそれが虚しく転がる。

 私の素顔に彼女は驚いていたが、個人的にはこんな顔にした教皇様、もしくはスロウス辺りに言ってほしい。

 

 

 私としてもこんな体に押し込まれ、今更学校に通うなんて思わなかった。

 少なからず面白い出会いはあったものの、未だに教皇様の狙いがわからない。

 

 

 

「実は、ホロとかいう女冒険者から聞いたのだが、君たちがプライドの正体に気づいたのは二年前らしいな。

 そして、裏帳簿の存在を知ったのは一年ほど前、去年の夏ごろだったと聞いている。

……ああ、別に否定する必要はないよ。これはちょっとした確認というか、単なる独り言だと思ってほしい」

 

 

 そう言って私は魔道具を起動させ、その中からとある水晶を取りだす。

 それはこんなときのために用意したもの、私が代表戦で受け取ったボーナスだ。

 フォールメモリー。対象の記憶を一年前まで破壊し、全てをリセットする魔道具である。

 

 

 私の提案を彼女が拒絶するなら、もう一つのプランで計画を進めよう。

 これを使うのは少し心苦しいが、このまま解放するわけにもいかない。

 

 

 

「私たちが分かり合うには、最初からやり直すべきだろう。

 君は私と今日の惨劇を忘れて、一年前までの記憶をすべて失う。

 それはプライドの正体を知り、帳簿の存在に気づいた時まで遡る」

 

 

「なっ!?」

 

 

「君は失った記憶と目の前の現実に困惑するだろうが、その辺りは私がヒントを残そう。

 そうすれば優秀な君は私の元に現れ、いろいろな疑問をぶつけてくるはずだ。

 そこで私はもう一度協力を申し出て、記憶を失った君と一緒にプライドを殺す」

 

 

 私は彼女の体を調べて帳簿をみつけると、そのまま魔道具の中に収納する。

 これで最も重要な武器は手に入れた。これから始まるのは盛大な茶番劇、最凶最悪のマッチポンプである。

 全ての役者と演出を私が管理し、向かう先はハッピーエンドと決まっている。

 

 

「喜べよ緋色の剣士、君は歴史にその名を刻むのだ。原罪司教を殺した道化(ピエロ)として、仲間たちの復讐を果たした英雄としてね」

 

 

「そんなもので私の記憶を……仲間たちとの思い出を消せるはずない。――そうよ。たとえ全てを忘れたとしても、絶対にあんたの顔だけは忘れない。

 私は諦めないからね。いつか絶対にあんたを解放して、その報いを受けさせてやる――!?」

 

 

 

 私が水晶を彼女の胸に押し当てれば、彼女は激しい痙攣と共に気絶する。

 もはや後戻りはできない。彼女の首をスロウスに届け、プライドを助けるという選択はなくなった。

 この女が私の役に立つのかどうか、後は期待しながら待つとしよう。

 

 

「さて、それじゃあ次の段階に移ろうか」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 

「くそっ、一体どうなってやがんだ」

 

 

 俺は馬車を走らせながら悪態をつき、迫りくる盗賊に魔法を放った。

 しがない行商人でしかない俺に、これだけの人数は倒せないからな。

 そもそもこの地域はトライアンフの領域、普段なら巡回の冒険者がいるはずだ。

 

 

 それなのに誰にも出会わねぇ。今日が創立祭なのはわかるが、それでもこんなことは今までなかった。

 荷台には創立祭のために買い込んだ商品、おまけに長旅のせいで相棒は疲れてる。

 このままだと追いつかれるのは時間の問題。しかし、だからと言って荷物は捨てられねぇ。

 

 

 これを捨てれば借金しか残らない。たとえ逃げ切ったとしても、それじゃあ行商人として終わりだ。

……全く、まさに究極の選択ってやつだな。こんなことなら積み荷を減らして、夜の移動もやめておくんだったぜ。

 

 

 

「ふざけんな! 創立祭で盛り上がるのはいいが、最低限の仕事はしやがれ!

 都市に着いたら商会を通じて、不幸の手紙を送りつけてやる。浴びるほど酒を飲んで、死ぬほど美味いもんを食ってやる!」

 

 

 しつこく追いかけてくる盗賊に、俺も含めて相棒もボロボロだった。

 長年連れ添ったこいつのことは、俺が一番よく知っている。

 ここまでの長旅に加えて、この重労働ではさすがに持たない。

 

 

 普通の馬ならとっくの昔に潰れて、今頃盗賊たちに食われてる頃だ。

 そう考えたらよく頑張ったもんだと、そう褒めてやるべきだろうな。

 俺は迫りくる盗賊を見ながら、相棒の首を撫でて手綱を離す。

 

 

 

「くそが、来るなら来いってんだ!

 俺も行商人の端くれだ、ただで積み荷は渡さねぇ!」

 

 

 馬が倒れたのと同時に、俺は盗賊たちに魔法を連発する。

 大した威力こそねぇが、時間稼ぎくらいはできるはずだ。

 巡回の冒険者がこの明かりに気づいて、俺を助けに来てくれればいいが……まあ、それは難しいだろうな。

 

 

 魔力がなくなるまで魔法を連発し、少しでも時間を稼ごうと努力する。

 誰でもいいんだ。冒険者であれば誰でもいい。一人でも来てくれれば、それだけで盗賊たちは諦める。

 なぜならここはトライアンフの領域、盗賊たちも気が気じゃないはずだ。

 

 

 都市から応援が来れば一網打尽、あいつらに勝ち目はないからな。

 だからハッタリでもかませばそれで終わり、盗賊たちも諦めるだろう。

 

 

「ああ……まぢか、ここにきて魔力切れかよ」

 

 

 しかし、現実はそれほどうまくいかねぇ。

 魔力切れを起こした俺は足元がふらつき、そのまま荷台から転げ落ちてな。

 慌てて立ち上がれば、目の前には剣を構えた盗賊がいたんだ。

 

 

 

「ハハ、こんなところで――」

 

 

「死にたくなければ、そのまま伏せてください」

 

 

 その時、突然俺の背後から声が聞こえたんだ。

 こんな状況にもかかわらず、その声だけはハッキリと聞こえた。

 藁にもすがる思いで身をかがめれば、目の前にいた盗賊が倒れて、その首が俺の前に転がってきてな。

 

 

「ひっ……!」

 

 

 一応断っておくが、これは武者震いってやつだ。

 その声に助けてもらえなくても、ここから挽回するつもりでいたからな。

 だからズボンが濡れているのも、言うなればちょっとした手違いだ。

 

 

 

「危機一髪のところだったが、なんとか間に合ってよかった」

 

 

 そして振り返ってみれば、そこには一人の子供がいたんだ。

 月明かりに照らされた白銀の髪と、その綺麗な瞳がとても印象的でな。

 体中が血まみれあることを除けば、どこにでもいる普通の学生に見えた。

 

 

 年は高校生くらいか? なんと言うか、少なくとも社会人には見えなかった。

 雰囲気は俺よりも上に見えたが、この容姿で年上ってことはないだろう。

 

 

 

「あっ……ああ、助かったよ」

 

 

 俺は行商人であって戦いには向いていないが、それでもこの坊主が強いってことはわかる。

 おそらくトライアンフの冒険者だ。さっきの動きにしても凄かったし、たぶん俺の魔法に気づいたんだろう。

 

 

 

「俺は見ての通り行商人だ。創立祭のためにいろいろなものを運んでいたんだが、突然こいつらに襲われてな。

 他にも何人かいると思うんだが、助けに来たのは坊主一人だけか?」

 

 

「私ともう一人いますが、彼女の方は気を失っています。

 あなたの言う他の人たちについては、すでに殺したので御心配なく」

 

 

 そんなことをあっさりと言う坊主に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 あれだけの数を倒したのもそうだが、この子が普通の冒険者には見えなくてな。

 俺としては嬉しい限りだが、あまり関わりたくないタイプだ。

 

 

 

「そっ……そうか、それは本当によかった。これで安心して都市に向かえるな。

 坊主には大きな借りができちまった。なんだったら坊主も載せてくし、都市に着いたらいろいろと奢らせてくれ」

 

 

 しかし、受けた恩を返すのが商人って生き物だ。

 このまま借りを返さないなんて、それこそ行商人として失格だからな。

 だからいろいろと提案したんだが、それに対して坊主はこう言ったんだ。

 

 

「残念ですが、今トライアンフに行くことはできません。

 今から話すのは都市で起こったことと、私たちが脱出した経緯についてです」

 

 

 私たち? その言葉に引っかかるもんがあったが、坊主の視線の先にもう一人冒険者がいてな。

 気を失っているのかぐったりしてたが、そんなことは話を聞いている内に吹っ飛んだ。

 坊主の話はとても信じられなかったが、こいつが嘘を言っているようにも見えなくてな。

 

 

 さっきの盗賊にしても、普段なら絶対にいないはずの連中だ。

 巡回の冒険者も見なかったし、極めつけはその倒れている女だった。

 よく見ればそいつはトライアンフの重鎮、緋色の剣と呼ばれる冒険者だったからな。

 

 

 トライアンフ最強と呼ばれる彼女が、こんなところで気を失っているのは普通じゃない。さすがにそんなことは俺にもわかった。

 そうなると目の前の坊主が言っていること、そしてこの状況にも説明がつくからな。

 坊主の話を聞きながら内心焦っていたが、その辺りはしょうがねぇだろう。

 

 

 だってあまりにも話が大きすぎて、俺みたいな小物には想像もできないしな。

 だから次に坊主が発した言葉に、思わず変な声が出ちまったよ。

 

 

 

「だから、行商人であるあなたに依頼したい。

 彼女、緋色の剣士を王都まで運んでほしい。無論、そのための報酬は弾みましょう」

 

 

 そう言った坊主の手には宝石が握られ、俺としたことが固まっちまった。

 俺は宝石について詳しくはないが、それでもあれがかなりのものだとわかる。

 おそらく積み荷の全部と引き換えにしても、坊主の持っている宝石の一つにすら届かない。

 

 

 人一人運ぶだけでそれだけの報酬、しかも王都までの道のりは比較的安全だ。

 街道を通っていけば時間もかからないし、途中で積み荷を売ることもできる。

 

 

 

「ピンチこそ最大のチャンスってことか……なかなか面白いじゃねぇか、特別に坊主の依頼受けてやるよ。

 ここで引いたら行商人じゃねぇしな、この嬢ちゃんを俺が王都まで送り届けよう。

 報酬はその宝石一つで十分、それ以上はもらい過ぎってもんだ」

 

 

 坊主の手から宝石を一つもらうと、俺は緋色の剣士を馬車に乗せる。

 あまり乗り心地はよくないが、近くの村によって積み荷を売ればいい。

 俺の言葉に坊主は安心したようで、残りの宝石を嬢ちゃんの服にねじ込んでいた。

 

 

 あれだけの物をなんの躊躇もなく、ただの報酬として使うなんて普通じゃない。

 まあ、普通じゃないことはわかっていたがな。俺は相棒の状態を確認して、乗っていた積み荷を半分に減らす。

 この宝石があるなら、積み荷を捨てるのだって惜しくはねぇ。

 

 

 重要なのは一刻も早くここから離れること、坊主がいない状態で襲われたらアウトだ。

 俺が全ての準備を終えて手綱を握ったとき、周囲を警戒していた坊主が口を開いてな。

 それは俺に対する言葉というより、お嬢ちゃんに対する伝言に近かった。

 

 

 

「王都に着いたら灰色の死神を探すこと、彼はこの事件の全てを知っている。この惨劇を止めるには彼の協力が必要だ」



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嵐の前の静けさ

 その昔、ドイツの哲学者はこう言った。

 天才とは、狂気よりも一階層分だけ上の住人である。

 彼の思想は芸術論・自殺論が有名であるが、むしろ総合哲学者としての側面が強いだろう。

 

 

 その思想は多くの哲学者と芸術家に影響を与えたが、一部の者からは似非哲学のさきがけとして批判された。

 しかし、そう言った批判をものともせず、その思想は現代思想においても用いられる。

 幸福について。知性について。自殺についてなど、彼の著書は新しい視点を与えてくれる。

 

 

 狂人とは周りからそれを指摘されて、否定するだけの能力や実績がない者であり、天才とはその反対だと私は思っている。

 たとえ周りから狂人と揶揄されても、それを否定するだけの力があれば問題ない。

 要するに前者は頭のおかしい無能であり、後者は頭のおかしい有能である。

 

 

 ん?……いや、頭がおかしいという表現は正しくないな。正確には周りとは異なる人間だ。

 天才とはどんな指摘や評判も跳ね返し、凡人には達成できないことを成し遂げる。

 天才と狂人の違いはそれだけであり、むしろ狂人には天才の素質があるとも言える。

 

 

 では私は周りが指摘するように狂人なのか、それともその一階層分だけ上の住人なのか、それはこの件が終わればハッキリするだろう。

 教団内における覇権争い、プライドを排除できれば私は証明できる。

 それこそ口先だけの人間ではないと、本社の連中にわからせるとしよう。

 

 

 

「全く、相変わらず平和な連中だ」

 

 

 では、改めましてごきげんよう。

 トライアンフ殲滅戦を終えて、何食わぬ顔で学園にいるサラリーマンとは私のことです。

 気づけばあれから半月が経過し、この王都もその話題で持ちきりだった。

 

 

 通りの商店には多くの情報誌が並べられ、トライアンフの六文字が飛び交っている。

 私はいつものテラスでそんな情報誌を片手に、目の前の獣人と世間話をしていた。

 話題は勿論トライアンフについてであり、世間ではあの事件を赤い月と呼んでいるらしい。

 

 

 その犠牲者の数が多いことと、ブラヴァツキー領の事件をかけているそうだ。

 黒い夜と赤い月。誰が言いだしたかは知らないが、それでも命名した人物はセンスがある。

 事実、その両方が教団による仕業だ。

 

 

 

「セシルはこの事件をどう思う? ほら、赤い月とかいう事件についてだ」

 

 

「えっ、私!? 私は……その、できればお弁当の感想を――」

 

 

 そう言ってうつむく彼女に、私は今日何度目かのため息を吐く。

 なぜなら最近のセシルは私に対し、なぜか恋人ごっこをせがむようになった。

 それは本当に突然のことで、私としてもどうすればいいのか困っている。

 

 

 お弁当のおかずを箸で掴んだかと思えば、私の口元までそれを運ぼうとする。

 私が自分で食べられると言えば、酷く落ち込むので困惑していた。

 好意を向けられるのは嬉しいが、これ以上のスキンシップは問題だ

 

 

「そんなこと、私が昼食を用意しない時点でわかるはずだ。

 私に不味い料理を食べる趣味などないし、味が合わないなら初日に断っている。

 こんなことを言うのも変だが、セシルはもう少し自信をもった方がいい。私が昼食を用意しないのは、君の料理を楽しみにしているからだ」

 

 

「はぅ!?」

 

 

 そのくせ、私が褒めればそれを宝石のように喜ぶ。

 彼女は隠しているつもりだろうが、激しく揺れる尻尾がその証拠だ。

 この様子だと次の授業が始まるまで、このまま復活することはないだろう。

 

 

 

「そんな、楽しみだなんて言いすぎだよ……えへへ」

 

 

 私はそんなことを考えていたが、そこで予想外の人間が現れてね。

 そいつの姿が視界に移った瞬間、私は持っていた情報誌をテーブルに置く。

 セシルは気づいていないようだが、わざわざ教える必要もないだろう。

 

 

 

「やあ、僕もそこに座っていいかな?」

 

「断る、さっさとUターンして帰れ」

 

 

 私の反応が予想外だったのか、目の前の男――アルフォンス=ラインハルトは困ったように笑う。

 しかし、私に言わせれば当然の対応だ。残念ながらチンパンジーと昼食をとる気はない。

 

 

 

「じゃあセシルさん、僕もそこに座っていいかな?」

 

 

「えっ? あっ……はい」

 

 

 耳まで赤くした彼女がうなづくと、彼はそのまま向かい側の席に座る。

 そして耳まで赤くしたセシルが、気まずそうにその視線を泳がせていた。

 

 

 

「そのお弁当はセシルさん手作り? 実はお昼がまだで、よかったら一口もらってもいいかな?」

 

 

「だめだ、これはセシルが私のために作ったものだ。

 君はそこら辺の雑草でも食べて、さっさとこの場から消えろ」

 

 

 私が彼と会話する気がない以上、言葉のキャッチボールは成立しない。

 主人公君が会話の糸口を探すたび、私はその全てを否定することにした。

 なぜなら私の計画に彼は不要だし、部下として雇うにも相性が悪い。

 

 

 セシルは私たちに挟まれながら、面白いほど動揺していたよ。

 元々彼女は私たちの関係について、少しでも改善しようとしていたのだ。

 だからこの機会を活かして、どうにか繋ぎとめようとしていた。

 

 

 

「悪いけど、僕は君じゃなくてセシルさんに聞いたんだ。

 だからセシルさんにもう一度聞くけど、僕も一口もらっていいかな?」

 

 

「うん、どうぞ」

 

 

 まあ、彼女にできるかどうかは微妙だがね。

 戦闘に関する思考や能力は認めるが、彼女は基本的に遠慮がちな人間だ。

 周りの評価はそうでもないらしいが、私の前だといつも受け身だからね。

 

 

 私に対する好意がそうさせているのか、それとも元々こういう人間なのかはわからない。

 しかし、彼女に私たちを仲裁する力はない。

 だから今も気まずい沈黙が三人を包み、私は再び情報誌を手に取った。

 

 

 

「そういえばセシルさん、赤い月って呼ばれてる事件知ってる?

 トライアンフのギルド都市が、何者かの襲撃を受けて壊滅したんだ。

 あの事件から半月が経つけど、未だにその犯人はわかっていない」

 

 

「うん、確か一つの都市が丸々なくなった事件だよね?

 さっきもヨハン君に聞かれて……その、ごめんなさい」

 

 

 なんとも白々しい会話である。王都に住んでいる人間なら、それこそ知らない方がおかしい。

 私の視線に気づいた彼女が、なぜか謝ってきたがね。しかしそんなことはどうでもよかった。

 次の授業が始まれば彼は消えるだろうし、私に興味がないと知れば諦めるだろう。

 

 

 だから私は一言もしゃべらず、ただ二人の会話を聞いていた。

 昼食にチンパンジーが紛れ込んだのは不愉快だが、もう少し我慢すれば学園(オリ)の中へと帰る。

 

 

 

「罪もない人たちを大勢殺して、その犯人は今もどこかで笑ってる。

 もしかしたら僕たちの身近にいて、普通に暮らしているかもしれない。

 僕はね、この事件の犯人だけは許せないんだ。

 たとえどんな理由があったとしても、その罪は償うべきだと思ってる」

 

 

 主人公君の演説を聞きながら、私は情報誌のページをめくる。

 もしも目の前にその犯人がいると知ったら、この男は発狂するかもしれない。

 彼がどんな表情をしてくれるのか、少なからず興味はわくがね。

 

 

 

「ちなみに、セシルさんは誰が犯人だと思う?」

 

 

 ギリギリのところで笑いはこらえたが、これほど面白い状況もないだろう。

 主人公君の言葉にセシルが同意し、二人はその会話に花を咲かせていた。

 出てくる言葉はどれもくだらないもので、砂糖よりも甘くて中身がなかった。

 

 

 

「犯人? うーん、いきなり言われても想像できないよ。

だけど、単独犯ってことはないと思う。だって、一夜で都市を壊滅させるなんて普通じゃないもん。

たぶん犯人?っていうより、組織なんじゃないかな? 正規ギルドを敵に回しても大丈夫な人たち、たとえば……ほら、人魔教団とか!」

 

 

 ただ、彼女の口からその言葉が出るとは思わなかった。

 彼女からすれば私への助言であり、ちょっとした質問である。

 もしかしたら教団が関わっているかもしれないと、そんな軽い気持ちでその名前を出したのだ。

 

 

 何も知らないセシルからすれば、その名前を真っ先に連想するのは当然か。

 彼女は闇ギルドに詳しいわけでもないし、この国に来たのも一年ほど前だ。

 

 

 ただ、質が悪いのはそれが正しい点である。

 この事件に人魔教団が関与していることを、彼女は偶然にも当ててしまった。

 そしてその発言によって空気が変わり、長い沈黙が私たちを包んでね。

 

 

 

「セシル、お前はもう喋るな」

 

 

 さすがにこれ以上の会話はまずい。主人公君が私やセシル、そしてセレストの関係まで知ることは避けたい。

 私がセシルに忠告すると、彼女も自分の失敗に気づいたのだろう。

 慌ててその口を押えていたが、私に言わせればそれも間違っている。

 

 

 

「人魔教団? へぇ、そんな組織があったんだ。

 僕も初めて聞く名前だよ。だけど、どこでそんな名前を知ったの?」

 

 

 主人公君がセシルの言葉に食いつき、その辺りを詳しく聞こうとする。

 この流れは当然だ。誰だって自分の知らない固有名詞、特に闇ギルドとなれば興味を示す。

 

 

 たとえそれが酔っ払いの戯言であっても、きっとこの男は食いついただろう。

 問題なのはその発言が正しいこと、そしてこの私が関係していることだ。

 

 

 

「この話はこれで終わりだ。次の授業も始まるようだし、さっさと君たちは教室に向かえ」

 

 

 遠くから聞こえてきた鐘の音に、私は次の授業が始まることを教える。

 それはこれ以上話すつもりがなく、彼の質問にも答える気がないということ、セシルも私の雰囲気に全てを察したはずだ。

だが、それでも彼はやめようとしなかった。

 

 

 

「ヨハン君、できれば今日君の家に寄ってもいいかな?」

 

 

 それに対して私はなにも答えない。否定したところで意味はなく、だからと言って肯定するのは論外だ。

 彼がなんのためにここへ来たのか、どうして私の屋敷に来たいのか、その全てが不気味であり予想外だった。

 少なくとも目的がハッキリしないなら、私が協力する必要はない。

 

 

 

「ヨハン君、君が僕のことを嫌っているのは知っている。だけど、この話はそんなレベルじゃないんだ」

 

 

 私は情報誌を読みながら、その全てを無視していた。

 時間が来れば授業を受けに行く、そう思って黙殺したのである。

 しかし現実は私の予想を超え、意外な結末を見せることとなった。

 

 

 

「ヨハン君……お願いだ。代わりに君の言うことをなんでも聞く、だから僕の話を聞いてほしい――」

 

 

 弱弱しい声で頭を下げる彼に、私は頭の中が混乱していた。

 なぜそこまで執着するのか、彼がそこまでする理由がわからない。

 今なら私が土下座しろと言えば、この男は喜んでそうするだろう。それだけの確信があったし、ある種の不気味さも感じていた。

 

 

 なにがこの男にそうさせるのか、その目的が全くわからない。

 その表情はどこか追い詰められ、助けを求めているようにも感じた。

 主人公君が私にこんな顔をするとは、御姫様が知ったら騒ぎだすだろう。

 

 

 

「ねぇ、ヨハン君――」

 

 

 横から感じる視線はセシルのもので、彼女が言いたいことはわかる。

 たとえ私が拒否しても、彼はここから動かないだろう。

 それだけの意志を私は感じたし、それはセシルにしても同じはずだ。

 

 

 あのチンパンジーが暴力ではなく、言葉で私を説得する日が来るとはな。

 今日は帰りにホールケーキでも買って、彼が来たらそれを振舞ってあげよう。

 チンパンジーが類人猿に進化した日、記念すべきホモサピエンスだ。

 

 

 

「いいだろう。私は先に帰っているが、授業が終わるころにシアンを向かいに出す。

 後はその馬車で屋敷まで来るといい。――ただし、先ほどの言葉は忘れるなよ?

 この貸しは高くつく、なぜなら私は君のことが嫌いだからな」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「ふむ、やはりいくら考えても答えはでんな」

 

 

 テーブルのホールケーキを眺めながら、私は学園でのことを思いだす。

 彼があのような態度にでるとは、絶対に普通ではないと言いきれる

 しかし、何が起こっているのか、どうしてそこまでするのかがわからない。

 

 

 私は迎えに出したシアンが帰ってくる間、一人で主人公君のことを考えていた。

 そしてそうやって導き出されたのは、あの男が頭を下げるなんてありえない。そう、なんの面白みもない答えだった。

 ああ、事実として頭を下げたのだから、その答えが間違っているのもわかる。

 

 

 しかし、どんなに考えてもあり得ないのだ。

 セシルや御姫様、生徒会長様だって頭を下げるかもしれない。しかし、あの男だけは絶対にありえない。

 全てが演技であったなら納得もできるが、彼がそこまで器用だとは思えない。

 

 

 所詮はチンパンジー、頭の中はくだらない考えで一杯だ。

 あのタイプは絶対に自分を曲げないし、それは代表戦の時に経験している。

 

 

 

「来たか、今行くと伝えろ」

 

 

 ドアをノックする音に、私は要件を聞かずに言葉を返す。

 おそらくはセレストだろうが、相変わらず嫌われているようだ。

 シアンを連れて帰ってきたときは、あんなにも喜んでいたというのにな。

 

 

「それにしてもアルフォンス=ラインハルト、彼はどうして私の屋敷にやってきた。

話なら学園でもできるし、なによりその方が時間もかからない」

 

 

 エントランスへと向かうまでの間、私は彼という人間を思いだしていた。

 確かシアン攫われた時、彼は自分の過去を話したはずだ。

 

 とある事件がきっかけで家族と故郷を失い、それからは姉と一緒に暮らしたとね。

 しかしその姉もある日を境に姿を消し、そして彼という化物が誕生した。

 

 

 そしてその姉に関しても、確かセシルが代表戦の時に言っていた。

 とあるギルドの有名な冒険者で、その強さから王族とも交流があったと、だから彼は御姫様とあれほど親しいのだ。

 

 

 

「……ん? なんだ、私はなにを見落としている」

 

 

 そこまで振り返ったところで、私はとある可能性を見出していた。

 絶対にありえないとわかっていても、それが正しいのであれば全てが繋がる。

 彼が言うとある事件とは一体なんのことで、彼の姉はどこのギルドに所属していたのか。

 

 

 

 私の足取りが自然と早くなり、気がつけばその答えを欲していた。

 エントランスに近づくほど、私の中で可能性が確信へと変わる。

 あの女は自分の家系について、召喚士の一族だと言っていたはずだ。

 

 

「ああ……そういうことだったのか」

 

 

 見えてきたエントランス、そこには二人の人間が立っていた。

 一人は私の同級生であり、数時間前に約束を取りつけた同級生。

 そしてもう一人は私が待っていた人間、半月前に予約した新しい道化(ピエロ)だ。

 

 

 

「へぇ、その様子だと私と会ったことがあるみたい。

 最初は半信半疑だったけど、あんたが灰色の死神で間違いないわね」

 

 

 

ああ、勿論会ったことがあるさ――緋色の剣士。




次回、赤い月(英雄編)スタート


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赤い月(英雄編)
英雄は道化と踊る


 それは私にとって予想外でしかなかった。鋭い目つきで睨んでくる彼女と、その後ろで困惑している間抜け。

 彼女が私という人間を見つけるまで、少なくとも一カ月はかかると思っていた。

 いくら優秀な人間であっても、あれだけでは難しいだろうと。

 

 

 だからこれほどの短期間で、しかも主人公君(オマケ)まで連れてくるとは……全く、冗談だとしても質が悪い。

 今にも襲い掛かってきそうな猛獣に、私は主人公君との会話を思いだす。

 それはシアンが攫われた時のこと、彼が語ったその生い立ちについてだ。

 

 

 

「私はイザベル=ラインハルト。アルフォンスの姉で、トライアンフギルドの冒険者をしてる。

 まあ、今更自己紹介なんて必要ないわよね?

 だって、あんな伝言を残すくらいだから、私がやってくるのも想定内でしょ?」

 

 

 これで彼女が懇意にしている王族というのが誰で、御姫様と主人公君との関連性もわかった。

 全てが繋がっているというなら、私の計画も修正が必要だろう。

 まずは彼女の記憶がどこまであるのか、それを確かめなければならない。

 

 

「ええ、あの伝言はそのために残したものです。

 あの時は私も約束があったので急いでいましたし、なにより貴女が捕まった時のことを考えると、あのような形で逃がすしかありませんでした」

 

 

「約束?」

 

 

 ふむ、いきなり襲い掛かってこないあたり、フォールメモリーは役に立ったというべきか。

 私が意味深な言葉を発すれば、案の定彼女は食いついてくる。

 殺気でカモフラージュしようとしても、その人間性までは誤魔化せない。

 

 

 少なくともあの日の記憶はないと仮定して、とりあえずは主人公君(イレギュラー)を排除しよう。

 今回の舞台に彼は呼んでいないし、なにより使い勝手が悪すぎる。

 

 

 

「はい、ですが知らなくても不思議ではありません。

 この事を知るのはトライアンフのマスターと一部の人間、ただの冒険者でしかない貴女が知らないのも当然です」

 

 

「へぇー、なかなか面白いこと言うわね」

 

 

 おそらく彼女が主人公君を頼ったのは、他に手立てがなかったからだ。

 それは彼を人魔教団との争いから遠ざけ、学園に通わせていることからもわかる。

 彼の生い立ちと学園での立ち位置、その全てを鑑みれば辻褄が合う。

 

 

 どうして主人公君が序列入りしていないのか、その素性を周りに話さない理由もそうだ。

 彼女は主人公君を守りたいのだろう。だから彼の前から姿を消し、王都の安全な学校に通わせている。

 

 

 ただ……まあ、そんな気遣いも徒労に終わっているがね。

 代表戦の時に私の試合を邪魔して、彼は一躍有名人となっていた。

 御姫様と仲が良かったことや、元々目立つ存在であったのもその理由だ。

 

 

 

「言いたくないならここで強引に聞いてもいいけど……どうする?

 悪いけど、弟の同級生だからって容赦しない」

 

 

 緋色の剣士にとって彼がどれほどの存在か、それを推し量る良い機会である。

 価値があるなら利用すればいいし、ないのなら今後の参考にもなる。

 私は彼女の問いに対して、視線を主人公君へ向けて答えた。

 

 

 

「トライアンフが壊滅した今となっては、味方は一人でも多い方がいい。

 それが貴女ほどの実力者であれば、私としても助かりますからね。

 ただ、貴女は良いとしてもそこの彼は違う。――イザベル=ラインハルトさん、私の言いたいことがわかりますか?」

 

 

 私の投げたボールに対して、彼女は辛そうな表情をしていた。

 それは弟を巻き込んでしまった罪悪感か、それとも私に対する警戒心か、いずれにしても予想は当たっていたようだ。

 張り詰めた緊張が少しだけ緩み、彼女の殺気が弱まったのを感じる。

 

 

 

「アル、残念だけどこいつの言う通りだわ。あんたにはまだ早すぎる」

 

 

「そんな、なんで……ベル姉! 僕だってみんなの役に立ちたいんだ!」

 

 

 剣のように鋭かった雰囲気が、徐々に丸みをおびていくのがわかる。

 どうやら私の予想通り、彼女は弟のことが大切らしい。

 まあ、その気持ちが当の本人に伝わっていないこと、それが彼女にとっての不運である。

 

 

 

「あの日、ベル姉が帰ってきたときに約束したじゃないか。今回は僕にも手伝わせてくれるって!

 記憶が混乱してるベル姉のために、あの事件についてターニャにも調べてもらった。

 確かに僕たちはまだまだ力不足だけど、それでもなにかの役に立ちたいんだ」

 

 

 全く、ライトノベルだとお決まりの展開である。少し考えれば気づくだろうに。

 確かに御姫様はその地位を利用して、私たちをバックアップすることは可能だ。

 しかしただの学生にすぎない彼は、それこそ足手まといでしかない。

 

 

 どれだけ力説してもそれは変わらないし、そもそも彼が舞台へ上がるのは避けたかった。

 このままでは彼女が説得されて、私の計画が破綻する可能性すらある。

 ふむ、だから……というわけでもないが、このイレギュラーな状況に対して、私は強引な手段に出るしかなかった。

 

 

 いつも通りそれを願うことで、私の世界はセピア色に染まる。

 これは彼を排除すると同時に、緋色の剣士に対して実力を見せる良い機会だ。 

 殲滅戦の記憶がない彼女は、私の強さを知らないからね。

 

 

 主人公君が説明していたとしても、所詮は高校生から見た実力に過ぎない。

 一流の冒険者である彼女にとって、その情報はちり紙のようなものだ。

 だからこそ、これからのことも考えれば、ここで私の実力を見せるのも悪くない。

 

 

 全てが黒く染まった世界の中で、私は彼女が腰に差している剣を抜き、それを主人公君の足元に突き刺す。

 後は再び動き出した彼に対して、私はこう問いかけるのだ。

 

 

 

「今のが見えたか? 先ほど役に立ちたいと言っていたが、今の君にできることなどなにもない。

 君が私たちに協力したいと言うなら、これ以上この件に深入りしないことだ。

 君はあの御姫様を守っていればいい。ある程度の事情は知っているようだが、今一番危険なのはおそらく御姫様だ。

 君に頼まれて彼女は教団について調べようとした。それがどれだけ危険な行為か、君ならば知っているはずだ」

 

 

 見えるはずなどない。なぜならあの世界で動けるのは私だけ、誰であろうとそのルールは絶対だ。

 うるさいくらいの静けさの中で、緋色の剣士は鋭い目つきで私を睨み、主人公君は悔しそうにうつむいている。

 床に突き刺さった剣に映る歪んだ笑顔、視線の先には道化たちが踊っている。

 

 

 

「アル……アルフォンス。ここはお姉ちゃんに任せて、あんたはターニャちゃんを守りなさい。

 彼の言う通り、ターニャちゃんにも万が一ってことがある。

 あんたは私の心配なんかより、あの子のことを考えなさい。

 大丈夫、私は教団の奴らになんか負けないから。それに、なかなか頼りがいのある仲間も見つかったしね」

 

 

 ブラヴァツキー領にいた彼なら、私の言い分もわかるはずだ

 教団に故郷を滅ぼされた彼は、その危険性を誰よりも理解している。

 人魔教団がどれだけ危険であるか。そして御姫様を巻き込んでしまったこともね。

 

 

 だからこそ、彼女の言葉に彼は動いたのである。

 弟思いの姉がその頭を強引に撫でて、彼は悔しそうにその拳を握った。

 そして、微かな嗚咽がこぼれたかと思えば、小さな後ろ姿と共にドアが開かれる。

 

 

 弟を慰めて見送る姉と、全てを理解したうえで屋敷を出ていく弟――ああ、なんともくだらない光景である。

 これなら連続ドラマの最終回だけ見て、適当な感想文を書いた方が有意義だ。

 

 

 

「ねぇ、あんた」

 

 

 主人公君が去ったあと、剣を引き抜きながら彼女は言う。

 その背後に大量の光が現れ、そこから無数の切っ先が顔をだす。

 これは殲滅戦で彼女と戦った時、私が苦戦させられた魔法だ。

 

 

 

「今回は許してあげるけど、次アルフォンスに剣を向けたら……わかってるわよね?」

 

 

 正確には召喚術の類だったか、その光景を前に苦笑いしてしまう。

 どうやら怒らせてしまったらしい。全く、想像以上に弟思いのようだ。

 

 

「ああ、勿論だとも。

 だが、ああしなければ彼は引き下がらない。私としては同級生を守りたかっただけで、こんな風に剣を向けられるのは心外だな」

 

 

「そうね。あんたの言うことが本当なら、お姉さんがあんたの頭も撫でてあげる。

 だけど、あんたは普通の学生じゃない……そうでしょ?」

 

 

 少なくとも合格点は頂けたらしい。私はわざとらしくため息を吐いて、彼女は持っていた剣を鞘にしまう。

 相変わらずその目つきは鋭いものだが、それでも先ほどよりは好意的だ。

 

 

「さっきの動きを見ればわかる。

 私も自分の腕には多少自信があったけど、まさか弟と同い年の子に出し抜かれるとはね。

 一応話は聞いてあげるけど、少しでもおかしな真似をしたら容赦しない。

 勘違いしないでよね。私はあんたのことを信用していない。弟がいたからあんな風に言ったけど、いなかったら最初の時点で切りかかってるわ」

 

 

 なんというか、第一印象は最悪らしい。

 個人的には酷い誤解なのだが、それを説明したところで無駄だろう。

 こんな私でも彼女の考えていることはわかる。記憶を失った彼女にとって、もはや私を頼るしかないのだ。

 

 

 得体の知れない人間から情報を引きだすか、もしくは御姫様と弟を巻き込むかの二択。

 先ほどのやりとりを見れば、彼女がどちらを選ぶかは決まっている。

 

 

 

「取りあえず、あの日のことを教えてもらうわよ。

 あんたとグリフォンさんの関係や、教団のことをどれだけ知ってるかもね」

 

 

 そう言って再び殺気を放つ彼女に、私は心の中で声援を送っていた。

 精一杯の虚勢を張るその姿は、どこか悲しそうでもあった。

 

 

 ふむ、彼女の境遇には同情の余地がある。目覚めれば帰るべき故郷や、頼るべき仲間も失ったのだ。

 その絶望がどの程度のものか、こんな私でもなんとなくわかる。

 他人の信頼を勝ち取るのに必要なのは、適切な場所と然るべきタイミングである。

 

 

 

 

「さて、まずはあの日のこと――私とギルドマスターの間柄から説明しよう」

 

 

 私は緋色の剣士を執務室に案内し、そこでくだらない物語を騙る。

 なんてことはない。全ては私という人間の妄想であり、そこに彼女が求めている答えはない。

 派手な表紙ともっともらしい言葉を使い、わかりやすい内容で伝えよう。。

 

 

 大丈夫、なんの問題もない。なぜならそれを確かめようにも、彼女の仲間はすでに腐っている。

 だから始まりはこうしよう。私は人魔教団に恨みを持つ者として、グリフォンから仕事をもらっていたことにする。

 教団と敵対する中で彼と出会い、そして同じ目的を持つ者として、陰ながら協力していたわけだ。

 

 

 私が教団から救いだしたことになっているメイド、セシリアを使えば信憑性も生まれる。

 彼女に私の話を確かめる手立てはないし、それを行おうにも時間がない。

 

 

 

「あんたが教団と? なんていうか、さすがに信じられないわね。

 弟の同級生があいつらと戦い、しかも生きているなんて」

 

 

「こう見えても私は強い。……いや、強いからこそ生きている。

 私の生い立ちは少々複雑でね。君の想像以上に汚れているし、そうしなければならなかった。

 それこそ奴隷のようなものだ。人を楽しませるために人を殺し、気がつけば全てを受け入れていた」

 

 

 だからこそ彼女は私という人間に深入りできない。なんてことはない、セシルを説得した時と同じだよ。

 それっぽい内容で誤魔化しつつ、徐々に論点をすり替えるのだ。

 彼女が知りたいのは私の生い立ちではなく、あの日なにが起こったのかだ。

 

 

 

「しかし私だって人間だ。いや、人間だと思いたかった。

 だから……というわけでもないが、教団と敵対する道を選んだのだ。

 私のような人間が生まれないためにも、原罪司教は全員殺すべきだとね」

 

 

 全て予想通りだった。彼女は自身のことはなにも語らず、私から情報を引きだそうとする。

 記憶を失っているのに、そのことを隠したまま対等に振舞う。

 悪くはない、むしろ合格点と言ってもいい。私たちの友達は愛と希望ではなく、警戒心と強かさである。

 

 

「あの日、私がトライアンフを訪れた理由は簡単だ。

 トライアンフのギルドマスター、グリフォン=バードから連絡があったのだ。

 プライドに関する決定的な証拠を見つけた、サラマンダーギルドの裏帳簿を手に入れたとね」

 

 

 さて、諸君にはもう少しこの話に付き合ってもらおう。

 この日のために私はスロウスの兵隊を使い、わざわざ行商人を襲撃したのである。

 自らの手で奴隷どもを処分し、ここまで大掛かりな舞台を整えた。

 

 

 全てはサラマンダーギルドを乗っ取り、プライドを排除するための計画だ。

 ここがある種の分岐点、彼女の協力がなければ私は全てを失う。



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英雄は旗印を手にする

「裏帳簿……そう」

 

 

 小さな呟きとこぼれ出るため息、それは本当に一瞬のことだった。

 凛とした態度は不安の現れ、呟きとため息は困惑の証である。

 どうやらあの情報は正しかったようだ。さすがは金糸雀というべきか、ホロとかいう女には感謝だな。

 

 

 これで帳簿の記憶があることはわかった。どこまで覚えているかはわからないが、それでもこちらとしては都合がいい。

 私は全ての答えを知っている。なぜなら殲滅戦の前に直接話したのだ。

 あのホワイトボードすらない会議室の中で、それこそ被害者(プライド)の口から全てを聞いた。

 

 

「ああ、君たちはサラマンダーギルドに所属していた人間、シチーリヤを説得することで帳簿を手に入れた。

 しかしその過程で彼女はプライドに殺され、君たちはなんとか都市へと戻った。

 そして事件の数日前に連絡を受けた私は、直接グリフォンから帳簿を受け取る予定だった」

 

 

 グリフォンから事前に計画を教えられ、私は裏帳簿を守るために行動した。

 ふむ、完璧な筋書きである。トライアンフの人間は私たちが殺し、関係者の名前とその経緯はプライドから聞いた。

 たとえ彼女が思い出したとしても問題はなく、中途半端に覚えているなら逆に好都合だ。

 

 

 どっちに転んでも信憑性が増すだけで、私たちの関係が悪化するとは思えない。

 そう、なんてことはない。それこそ答案用紙を持っている人間が、学校のテストで百点を取るようなものだ。

 私の作り話は全ての経緯を知ったうえで、さらに矛盾がないよう構成されている。

 

 

 記憶が曖昧な彼女からすれば、私の話で全てを補っているのである。

 点と点を繋ぐために言葉を聞き、その点がひとつでも間違っているなら、その時点で私の嘘が露見するだろう。

 しかし残念かな、彼女は人魔教団という企業をなめている。

 

 

 

「都市へと向かう途中で傷ついた君を見つけ、偶然通りかかった行商人に後を頼んだ。

 こんなことを言うのも変だが、裏帳簿を失うわけにはいかなくてね。あの時は君の命を守るのではなく、帳簿を優先させてもらった」

 

 

「そう……まあ、私でもそうするでしょうね」

 

 

 そこから先はただのエピローグである。グリフォンの死体を見つけて、私と関わりのあった者も殺されていた。

 多くの魔物が徘徊する都市で、一通り状況を確認してから脱出した。

 一応親切心から金糸雀が全滅したこと、都市に生き残りはいなかったと説明したがね。

 

 

「!?」

 

 しかしその瞬間、彼女は私の服を掴んだのである。

 これにはさすがの私も焦ったが、それも彼女の口元を見て理解した。

 震える唇と頬を伝う涙――なるほど、確かにこの女は主人公君と似ている。

 

 

 

「ねぇ、あんたはそれでなにも思わなかったの? 

 誰も助けず、そのまま逃げてきたって言うつもり? ねぇ、答えて……いや、答えなさい!」

 

 

 私たちと戦っていた時はとても冷静で、それこそなんの容赦もなかったのにな。

 こちらが彼女の本質というか、素敵なくらいに偏執的である。

 ここで模範的な回答をするのもいいが、それだと今後の予定が狂ってしまう。

 

 

 少し計画を修正するとしよう。彼女の中にある私という人間について、その立ち位置と人間性を変える。

 私はトライアンフの人間でもなければ味方でもなく、あくまで共通の敵と戦う友人だとね。

 

 

 

「逆に聞きたいのだが、私にできることとは一体なんだ?

 まさかあの魔物が徘徊する都市の中で粘り、生き残りを見つけるまで戦えというのか?

 それとも、仲間たちの遺品だけでも持ち出せと?――ほう、それを貴女が口にするとは思わなかった。

 都市の外で倒れていたお前が、命がけで情報を持ち帰った私に言うとはな」

 

 

 彼女の手首をひねると同時に、私はその右足を蹴りとばす。

 バランスを崩した彼女が地面に倒れ、それを見下ろしながら口を開く。

 

 

 

「私はトライアンフの人間でもなければ、正義の味方でもない。

 ただ人魔教団という組織を憎み、誰よりも滅ぼしたいと思っている男だ。

 私は無意味な人助けはしないし、貴女のように泣きわめいたりもしない」

 

 私と戦ったときの彼女なら、こんな無様な姿は晒さなかっただろう。

 それだけ混乱していると言うことか、それはそれで都合は良いが、少し冷静になってもらわないと困る。

 このままでは話が進まないし、肝心な部分もまだ伝えていない。

 

 

「なにも思わない? そのまま逃げてきた? ほう、だったら聞きたいのだが、貴女はなにをしたんだ?」

 

 

「わっ……私は――」

 

 

 彼女の瞳からこぼれ出る涙と、震える唇が教えてくれる。

 結局、いくら強がっていても所詮は小娘だ。記憶を失ってから今日まで、多くの不安と戦っていたはずだ。

 絶望の淵に立たされた彼女が見つけた光、それが私という存在であり未来だ。

 

 

 ふむ、気の緩みから叫びたいのはわかる

 まあ、不安から八つ当たりだってしたいだろう。

 それに、絶望から泣いてしまうことだってあるさ。

 

 

――しかし、そんなことは他でやってくれ。

 

 

「貴女が私を信じられないのもわかる。だが、貴女が私を信用していないように、私だって貴女を信用していない。

 だから、私たちが馴れあう必要はない。それこそお互いに監視しながら、少しでも疑わしければ殺せばいい。

 私の言いたいことがわかるか? 君が納得できないと言うなら、私の行動をその隣で監視すればいい。

 こう見えても私は今後の行動について、ある程度の方針を決めている」

 

 

 

 涙を流しながら睨みつけてくるあたり、一応言いたいことは伝わったらしい。

 私が差し出した手を払いのけて、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 そこにはあれほど感情的だった面影はなく、程よい緊張感と殺気が漂っていた。

 

 

「そうね、そうさせてもらうわ」

 

 

 ああ……そうか、今のは私を試しただけで、先ほどの涙もただの演技か。

 ここまでくるとまさに女狐だな。主人公君とは違うタイプの人間、どちらかと言えば私に近いだろう。

 平然と近くの椅子に座る彼女を、私は苦笑いしながら見つめていた。

 

 

「それじゃあ、その方針とやらを聞かせてよ」

 

 

 生徒会長様と同じ……いや、それ以上に注意すべき人物だ。

 これから彼女がどういう手に出てこようと、私は私の役目を忠実に果たせばいい。

 既に物語は進んでいる。彼女は知らず知らずのうちに舞台へと上がり、残りの配役も好き勝手に踊っている。

 

 

 私は彼女と向き合いながら口を開き、簡単にその概要を伝えた。

 小学生にもわかる内容だ。要するに取られたなら取り返せばいい、私は敵側の人間についても知っているのだ。

 

 

 

「裏帳簿を奪い返す。私がギルドマスターから聞いた話では、とある冒険者がその在処を知っているはずだ。

 確かベナウィ――だったか、その男にギルドを通して依頼を出し、彼を待ち伏せして誘拐する。

 その後は屋敷の地下に幽閉して、喋るまで問い詰めればいい」

 

 

 プライドの右腕である男、冒険者ベナウィ。

 帳簿の存在を知る人間はほとんど殺されたが、彼だけはその腕を買われて生きていた。

 あの会議室でプライドが自慢げに言っていたが、それが彼にとっての不運である。

 

 

 本来であれば穏便に進める予定だったが、こうなってはしょうがない。

 私が人魔教団と敵対する理由、それを復讐によるものと匂わせた時点で、彼が生き残る道は途絶えてしまった。

 私の憎しみを演出するためにも、ただ誘拐するのはリアリティに欠ける。

 

 

 彼女を信用させるためにも、できるだけ過剰に……それこそ家畜同然に扱うべきだ。

 そこまでして初めて信憑性が生まれ、彼女という人間を騙せるのである。

 

 

「いいわ、そこまでわかってるなら手伝ってあげる。

 あんたが逃げないとも限らないし、ベナウィのことなら私も知ってる」

 

 

 依頼内容は数カ月かかるものがいい。例えば、遠方の森に生息する魔物の調査。

 誘拐に成功した後も、それに気づかれないだけの時間が必要だ。

 仮にベナウィが知らなかったとしても、私が裏帳簿を持っているから問題ない。

 

 

 数歩先に彼女が欲しがっているもの、必死に守っていたものが置いてある。

 しかし、残念ながら彼女には見えていない。

当然だ、私に縋った時点で見えるはずがない。

 それこそ私という人間が眩しすぎて、すぐそこの真実に気づいていない。

 

 

 

「それと、私もこの屋敷に泊まらせてもらうわよ。

 元々行く当てもなかったし、なによりあんたには興味がある」

 

 

「ああ、お好きにどうぞ」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「なっ……ななななっ!?」

 

 目の前の美人さんを前に、シアンの尻尾が自然と膨らみました。

 ご主人様に呼ばれてきてみれば、そこにはまたしても新しい女がいたです。

 

 

「それじゃあシアン、彼女をゲストルームに案内しなさい」

 

 

「あの、この方はご主人様のなんなのです?」

 

 

 今にも倒れそうでしたが、シアンは必死に耐えたです。

 もしかしたらただの友達で、これから帰るだけかもしれません。

 だから神様にお祈りしながら、ご主人様の言葉を待っていたです。

 

 

「ああ、この人と私は特別な関係にあってね。

 当分この屋敷に泊まるから、私と同じように彼女も扱いなさい」

 

 

 最低です!えっちです! あのバインバインを入れれば二人目、たったの一年で二人目なのです!

 ちょっと冷たい感じがする美人さんに、シアンは必死に対処法を考えました。

 だってこの女の人、シアンがいるのにずっと無視するです。だからシアンはご主人様にしがみついて、そのうえで正妻としての威厳を見せつけるです。

 

 

 以前バインバインが来たときは……その、あまりの衝撃になにもできなかったですが、シアンも同じ過ちは繰り返しません。

 まずはご主人様との関係をアピールして、正妻としての立場を示すことが大事なのです。

 

 

 

「どこの誰かは知りませんが、ご主人様の正妻は――」

 

 

「それと、このケーキはみんなで食べるといい」

 

 

 はぅ! そう言ってシアンの前に現れるケーキ、そう、ケーキなのです!

 ご主人様がその大きなケーキをテーブルに置いて、そのまま食器を取りに行きました。

 白くてふわふわなケーキ。一度だけバインバインが買ってきてくれましたが、あの時のことは今でも覚えているです。

 

 

 

「話には聞いていたけど、本当に獣人の女の子がいるのね」

 

 

 シアンがこの屋敷に帰ってきたとき、あのバインバインが泣いていました。

 シアンは親切なおじさんにお菓子を貰って、ただお昼寝をしていただけなのにです。

 

 

「よかった……本当に、よかった――」

 

 

 それなのに泣きながら抱きついてきて、本当に大げさだと思いました。

 あの日は突然馬車の車輪が外れて、通りかかったその人に助けてもらったです。

 その後のことは覚えていないけど、それでもお菓子をたくさんもらいました。

 

 

 そして気がつけばご主人様が傍にいて、屋敷に帰ってくるまでたくさんお喋りしたです。

 それで屋敷に帰ってきたらバインバインがいて、なんだかわからないけど頭を撫でられました。

 

 

 

「ねぇ、どうして貴女みたいな女の子がここにいるの?」

 

 

「ふん! そんなの、ご主人様がシアンを大好きだからです!

 ご主人様は寂しがり屋だから、悲しまないようにシアンはいるです」

 

 

 シアンは嘘をついていません。うん、嘘じゃないから問題ないです。

 だってご主人様はいつも笑わないけど、シアンが近づくと笑ってくれます。

 最近読んだ本に男の人が笑うときは、なにか嬉しい事があったときだとありました。

 

 

 だから、ご主人様はシアンがいれば嬉しいのです。

 ご主人様はシアンが大好きで、だからシアンといる時は笑顔なのです。

 

 

 

「お姉さんにはわからねーと思いますが、シアンとご主人様はとっても深い関係なのです。

 あれです……そう、でぃーぷな関係ってやつです!」

 

 

 ご主人様はいつも忙しそうだけど、それでも数日に一回は三人で訓練するです。

 それは本当に突然のことで、あの日屋敷に帰ってから言われました。

 とっても厳しくて辛かったけど、訓練が終わって頭を撫でてくれる瞬間が、シアンにとってはなによりの力だったです。

 

 

 

「そう、あんな気持ち悪いやつのどこがいいんだか」

 

 

 だから、その言葉だけは許せなかったです。

 気がつけば目の前のケーキを投げつけて、シアンはそのお姉ちゃんに言っていたです。

 

 

 

「なにも知らないくせに、シアンのご主人様を馬鹿にするな!」

 

 

 またご主人様に怒られると思ったです。でも、いきなり現れた女の人が、ご主人様のことをそんな風に言うのは嫌でした。

 だから目の前のお姉ちゃんに、シアンがこの屋敷で働くまでを教えてやりました。

 地面で寝るのがどんなにつらいか、カビの生えたパンがどんなものか。全部……ぜーんぶ教えてやったです。

 

 

 気がつけば頭の中も真っ白で、なにを言っていたかもわかりません。

 そのお姉ちゃんは困ったように笑って、それでシアンの頭を撫でてくれました。

 最初は嫌だったけど――途中から嫌じゃなくなっていて、たぶんシアンは泣いていたと思うです。

 

 

 

「ごめんなさい……小さな勇者様」



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英雄は小道具を手にする

 どうして殺人は罪が重いのか、諸君は考えたことがあるだろうか。

 くだらない感情論を抜きにして、これを倫理的に説明しろと言われたら、おそらくこれほど難しい問題もないだろう。

 しかし、私はこの世界に来てからその理由に気づいた。

 

 

 いや、気づいたというよりも、気づかされたという方が正しい。

 つまり殺人を認めてしまえば、それだけ文明の発達が遅れるのである。

 資本主義における争いとは、強者がより大きくなることを推奨し、その後押しを法律が行なっている。

 

 

 法律とは強者が作ったルールであり、弱者を救済するためには作られていない。

 ではそれも踏まえたうえで、殺人が合法化されるとどうなるか。

 ふむ、とても簡単なことである。企業同士の争いは株式の買収ではなく、文字通りの殺し合いで決着する。

 ライバル企業が少しでも業績を伸ばしたら、その利益を奪い取るために殺すのだ。

 

 

 失敗したら殺せばいい。邪魔な奴は殺せばいい。無能どもは殺せばいい。

 そんなことでは優秀な人材は淘汰され、企業はその方向性を見失ってしまう。

 

 

 暴力団のような組織が生き残り、サービス業というものが失われる。

 人々は戦うことで生計をたてて、一部の人間がそれに従うような世界。

 とある漫画にもあるように、それこそ世紀末というべき惨状である。

 

 

 ではそれを踏まえたうえで、私のいるこの世界はどうだろうか。

 冒険者とかいう無法者が賞賛され、ギルドとかいう組織がそれを牛耳っている。

 子供たちはペンやノートではなく、剣や魔法を鍛えて大人となる世界、見渡す限りの絶望である。

 

 

 高校の入学試験で殺し合いを行い、それに勝った方が入学できるのだ。

 これほど野蛮な世界はないだろうし、私が調べた限り殺人に関する定義も曖昧だ。

 要するに、この世界の法律は歪んでいる。それは先ほども言ったように、一部の殺人を許容していると言ってもいい。

 

 

 その内容が「国家に対する重大な背任行為」――なんていう曖昧なものだから、本当に狂っているとしかいえない。

 だから……というわけでもないが、私はこの世界にやってきた瞬間、それを教皇様に願ってよかったと思っている。

 人間の適応能力はとても発達しているが、どんなものにだって限界はあるのだ。

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「そろそろ来る頃だと思うけど、これからどうするつもり?」

 

 

 風に揺れる木々とあたたかな光、見渡す限りの緑が私たちを包んでいた。

 ここはクローデンの森と呼ばれる巨大な森林。レムシャイトとの国境近くにあり、その大きさは王都の数倍にも及ぶ。

 私たちはそんな辺境で時間を潰しつつ、とある冒険者チームの到着を待っていた。

 

 

 数日前に多額の金銭と共に結ばれた契約、内容は森に生息する魔物の調査である。

 彼女の知り合いを通じてギルドへ依頼を出し、必要な資金については私の方で用意した。

 サラマンダーギルドに所属する特定の冒険者を、多額の指名料を払い雇ったのである。

 

 

 

「どうするもなにも、私の屋敷にベナウィを連れ帰るだけだ。

 抵抗するようなら四肢を切り落として、二度と固形物が食べられないようにする」

 

 

 冒険者ベナウィが所属するチーム、名前は確か銀牙(シルバーファング)……だったか。

 彼を含めた男女4名で構成され、それぞれがAランク以上の冒険者である。

 サラマンダーギルドでも有名な彼らは、王都でもそれなりに名前が売れている。

 彼らに頼んだ内容は三カ月間の調査であり、現地の協力者と共に生活することとなっていた。

 

 

 こちらでガイドと宿泊施設を手配し、彼らは与えられた仕事に集中する。

 無論、ガイド役を務めるのは私たちで、宿泊施設なんてものも存在しない。

 むしろ、彼らが到着した時点で攻撃を加えて、ベナウィ以外の人間には退場してもらおう。

 

 

 私たちの制限時間は三カ月であり、それを過ぎればギルドも不審に思うだろう

 個人的には一カ月ほどで次の段階へと進み、二カ月以内に全てを終わらせたい。

 プライドがこちらの動きに気づく前に、彼女を味方にできれば私の勝ちだからね。

 

 

 

「悪いけど、あんたにベナウィの相手は厳しいと思う。

 サラマンダーギルドのSランクは伊達じゃないし、私でも簡単に倒せるような相手じゃない。

 だから私がベナウィを倒すまでの間、あんたは残りの冒険者を引きつけてほしい」

 

 

 遠くから歩いてくる人影に、彼女は用意していた仮面を取りだす。

 私はただの学生でしかないが、横にいる彼女は相当な有名人だからね。

 トライアンフ最強の冒険者、緋色の剣士という二つ名は誰もが知っている。

 

 

 皮肉にもあの事件が彼女を有名にし、辺境のギルドをここまで有名にさせた。

 おかげさまで私の計画は順調だが、ここまでくると少し面倒でもある。

 彼女の顔を見れば大抵の人間は気づくし、口を開けばそれだけで注目の的だ。

 

 

 要するに、存在そのものが悪目立ちするのだ。

 今回だって彼女がその素顔をさらしたなら、おそらくベナウィは一瞬で剣を抜くだろう。

 それがたとえ勘違いであったとしても、攻撃してくるのは確実である。

 

 

 

「幸い他の冒険者はAランクどまりで、ベナウィのように戦闘に特化した人間はいない。

 後方支援の付与魔術師(エンチャンター)であったり、回復系魔法のヒーラーであったり、一応前衛にビーストテイマーはいるけど、そこまで強くはないと言ってた。

 だから少しの間時間を稼いでくれれば、その間にお姉さんがなんとかしてあげる」

 

 

 だからこそ私は屋敷にあったもので、丁度使えそうなそれを渡していた。

 真っ黒な仮面に白い瞳とこぼれる涙、サーカスのピエロを彷彿とさせるそれは、彼女のような人間にはお似合いである。

 本人はあまりいい顔をしなかったが、それは教団の仮面に似ていたからだろう。

 

 

 

「そうか、ではその言葉に甘えよう。

 私がその三人を倒すまでの間、貴女は時間を稼いでくれればいい」

 

 

 私たちの元へ四人の男女が近づいてくる。一人は巨大な大剣を背負い、一人は巨大な狼に跨っていた。

 そしてその後ろからやってくる残りは、装飾の施されたワンドとスタッフを持ち、どこか儀式じみた衣装を着ていた。

 

 

「ん? あんさんたちが依頼人の言ってたガイドか? なんか……えらいけったいな服装やな。

 ワイが言うのもなんやけど、初対面の人間と話すときはもう少し愛想良くせな」

 

 

「こらミミィ! すいません、この子誰に対しもこんな感じで、いつも注意してるんですけど直らないんです。

 ただ、あなた方が依頼人の言っていたガイドの方でしょうか? 私たちはサラマンダーギルドから派遣された者で、シルバーファングという名で仕事をしてます」

 

 

 狼に跨る少女が喋ったかと思えば、横にいた青年がそれを注意する。

 右手に持ったスタッフでその頭を小突き、何度も誤ってくる姿は手馴れており、おそらくこういったことはよくあるのだろう。

 頭を押さえながら涙目の少女と、その横で頭を下げ続ける青年に対して、私は微笑みながら言葉を返す。

 

 

 できれば彼らが油断している隙に、一人ずつ処分したいと考えていた。

 目の前の少女から初めて、次にこの青年を殺せばいい。最後にその後ろで苦笑いする女性を殺し、後はベナウィを捕らえて屋敷へと戻る。

 ビーストテイマーさえ殺せば、残りは簡単に排除できるだろう。

 

 

 だから焦る必要はない。ここはできるだけ穏便に、その機会が来るのを待てばいい。

 この様子だと私たちの正体も含めて、そこまで警戒しているようにも見えない。

 取りあえずは打ち合わせ通り、ベナウィと残りの連中を分断させよう。

 

 

 

「おっ……おいおい、どうしてお前が――」

 

 

 しかしここでずっと黙っていた男、ベナウィがその口を開いてね。

 ああ、もしも神様とやらが本当にいるなら、おそらく休暇中だったに違いない。

 ハンバーガーを片手に私たちを見て、Lサイズのダイエットコー〇を飲んでいるのだ。

 

 

 

「なっ……なんでお前が生きてんだよ、クロノス!」

 

 

 突然ベナウィが叫んだかと思えば、背中の大剣が振り下ろされてね。

 派手な轟音と共に砂ぼこりが舞い、私も含めてその場にいた全員が驚いていた。

 黒い塊が私たちの足元を揺らし、そばにいた彼女が一瞬で姿を消す。

 

 

「私は向こうで戦ってるから、後の奴らは頼んだわよ」

 

 

 その言葉と共に無数の光が現れ、黒い塊が吹き飛ばされたのである。

 砂ぼこりが晴れればそこに彼の姿はなく、巨大なクレーターだけが残されていた。

 

 

 

「ええっと……なあ、これはどういうこっちゃ?」

 

 

 状況が呑み込めない三人と一匹に、私は頭を抱えるしかなかった。

 ベナウィがなにに反応したのか、どうして焦っていたのかはわからない。

 しかし、結果として私の計画は破綻し、こいつらを利用する選択肢もなくなった。

 

 

 

「まあ、この程度なら修正は可能か」

 

 

 遠くから聞こえてくる轟音に、私は苦笑いしながら拍手する。

 近くで彼女が戦っている以上、クロノスを使うわけにもいかない。

 だから魔道具の中から双剣を取りだし、目の前の冒険者に謝罪したのである。

 

 

 

「申し訳ないが、クロノスが使えない以上君たちに価値はない。

 その体を利用することもできないし、自殺してくれると助かるのだがね」

 

 

 巨大な狼がその牙で威嚇し、残りの二人も無言で構える。

 彼らを中心に魔法陣が形成されて、あふれ出た光に彼らは包まれた。

 おそらくは身体能力を向上させる魔法、もしくは魔法攻撃への耐性だろう。

 

 

 前衛はビーストテイマーである少女に任せて、残りの二人は後方支援といったところか。

 少女と狼が負傷すれば怪我を癒し、常にエンチャンターが身体能力をサポートする。

 確かに厄介な相手ではあるが、今回に限って言えば問題はない。

 

 

 なぜなら彼らを殺すことで、私の憎しみを証明するのが目的だ。

 彼らの首を切り落としたうえで、一秒でも早く彼女と合流する。

 そうすることで実力が認められ、教団への憎しみにも信憑性が増す。

 

 

 

「何者かはしりませんが、私たちと敵対するつもりなら――」

 

 

 本当に可哀そうな奴らだ。世界がその色を失ったと同時に、彼らもその動きを止めてしまう。

 王都でも有名な冒険者チームの最期が、まさかこれほどあっけないとはな。

 さすがの私も同情すると言うか、もう少し戦いたかったとも思う。

 

 

 彼らと戦うことで経験が生まれて、新しい知識だって増えたかもしれない。

 しかし、物事には優先順位というものがある。要するに、その程度の価値しかなかったのだ。

 彼らの一生は私の一秒と同等であり、彼らの命は私のため息と同じである。

 

 

 

「敵対するもなにも、最初から敵とも思っていない。

 君たちはただの小道具であって、脇役にすらなれない存在だ」

 

 

 世界がその色を取り戻したとき、私の周りだけ酷く汚れていた。

 気がつけば全身が真っ赤に染まり、足元には血だまりができている。

 空はこんなにも晴れているのに、その一帯だけ別世界のようだった。

 

 

 

「さて、こんな茶番もさっさと終わらせよう」

 

 

 私は強烈な血なまぐささを感じつつ、血だまりに浮かぶ彼らを見つけた。

 ふむ、これなら持ち運びも便利だし、彼女にみせるにも丁度いいだろう。

 私は血だまりの中から拾いあげると、そのまま彼女たちの方へと歩きだした。

 

 

 手元で揺れる三人と一匹、これを見れば彼女も納得するはずだ。

 私の憎みやその実力について、この小道具にはそれだけの価値がある

 これも私の出世と将来のため、彼らにはもう少し付き合ってもらおう。



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英雄は失態を犯す

「くそが、どうして俺なんだ!

お前を殺したのは暴食(グラトニー)様であって、俺はその後始末をしただけだ」

 

 

 私が彼女たちを発見した時、ベナウィは錯乱しているようだった。

 支離滅裂な言葉を繰り返し、どこかおびえているようでね。

 彼の大剣が森を薙ぎ払い、その一撃によって地形が変化する。

 

 

 しかし、どんなに強烈な一撃であっても、当たらなければ意味はない。

 ベナウィの攻撃に合わせて、緋色の剣士がその動きを変えていく。

 彼女が攻撃に転ずれば、こんな茶番もすぐに終わるだろう。

 

 

「原罪司教という身分でありながら、教皇様の命令を無視したのはお前だ。

 イカれた実験を繰り返して、自分のカテドラルまで潰したんだ。粛清されて当然だろうが」

 

 

 だが、彼女は攻撃する素振りすら見せず、ただベナウィの攻撃を避け続けていた。

 おそらくはこの状況を利用して、なんらかの情報を引き出したいのだろう。

 理由はわからないが、彼は明らかに動揺していた。

 

 

「俺は他の奴らとは違う、お前に殺されるのはごめんだ!」

 

 

 さすがは緋色の剣士と言ったところか、物事の優先順位をわかっている。

 個人的にはなにを言っているのか、このまま聞いてみたい気持ちもある。

 しかし残念ながら、私の立場がそれを許さないのでね。

 

 

 これ以上教団のことを話されたら、それこそ計画に支障がでてしまう。

 ただのサラリーマンでしかない私にとって、上司である教皇様の命令は絶対だ。

 教皇様が緋色の剣士を殺せと言えば、私は殺さなければならない。

 

 

 プライドに対する切札が彼女なら、私にとっての致命傷も彼女である。

 緋色の剣士を匿っていること、そしてこの襲撃が露見すれば、私は文字通り全てを失うだろう。

 だから彼女をコントロールするためにも、その扱いには細心の注意が必要である。

 

 

「俺の命は俺だけのものだ。だから、あいつらみたいに死んだ後も――」

 

 

「全く、遊びもほどほどにしてくれないか」

 

 

 私は酷く呆れたように……それでいて、タイミングを見計らって邪魔をする。

 持っていたそれを二人に見せれば、彼女たちの動きが一瞬止まってね。

 四つのそれが私の頬を濡らし、その視線がバラバラな角度で交じり合う。

 

 

「その首、あいつらのものか――」

 

 私が持っているそいつらを、ベナウィは興味深そうに眺めていた。

 それは仲間の死に怒っているというより、どこか安心しているようでね。

 まるで助かったと言わんばかりに、その声は落ち着いていたように思う。

 

 

「ってことは……お前、クロノスじゃねぇな?」

 

 

 先ほどからなにを気にしているのか、彼は何度もその言葉を口にしていた。

 どうしてそこまで気にするのか、私の武器(クロノス)と関係があるかはわからない。

 しかし、少なくとも人の名前ではないし、彼が勘違いしていた理由も謎である。

 

 

 

「ええ、誰と勘違いしたのかは知らないけど、私はクロノスなんて名前じゃない。

 ただ――お久しぶり?でいいのかしら。私はトライアンフの冒険者、緋色の剣士と言えばわかるわよね」

 

 

 そう言って彼女が仮面を外すと、ベナウィの口からため息がこぼれる。

 それは驚いていると言うより、どちらかと言えば喜んでいただろう。

 こんな状況にもかかわらず、彼は落ち着きを取り戻していた。

 

 

 おかしな男である。仲間の冒険者が皆殺しにされ、更には緋色の剣士までいるのに、それでも彼は喜んでいた。

 個人的には最悪の状況だと思うが、彼にとってはクロノスの方が恐ろしいようだ。

 仲間殺しにより粛清された大司教……ふむ、とても面白そうな内容だ。

 

 

「そのクロノスさんには感謝しないとね。おかげであんたが教団の人間であること、あいつの話が本当だったのはわかった」

 

 

 突然空間が歪んだかと思えば、彼女の背後から無数の光が現れる。

 それは彼女が得意とする魔法であり、言うなれば理不尽の塊である。

 個人的には彼がどのように戦うのか、サラマンダーギルドのレベルを見るいい機会だ。

 

 

 

「ハハハ、そうか……そりゃあそうだ。あの女が生きてるはずねぇもんな。

 くそが、心配して損したぜ。別人だってわかってたら、俺もここまで警戒はしなかった」

 

 

 ベナウィの肌が赤黒く変色し、それに伴って体も肥大化する。

 その見た目は人間というよりも、どちらかと言えば獣人に近かったがね。

 体が一回りほど大きくなったところで、彼の肉体的な変化は終わったらしい。

 

 

 

「身体強化の魔法、どうやら私の戦い方を知っているようね」

 

 

「当たり前だ。お前らが裏帳簿を盗んだ時点で、トライアンフのことは徹底的に調べた。

 ギルドのメンバーから得意とする魔法まで、お前のこともある程度は知ってる。

 召喚術を用いた物質の錬成。確かに厄介な能力ではあるが、わかっていればそう怖くもねぇ」

 

 

 無数の剣が彼に襲い掛かるが、正面からの攻撃を大剣で防ぎ、そのまま緋色の剣士へと突っ込んでいく。

 彼女もベナウィの死角を突くが、彼の体が硬すぎて弾かれてしまう。

 二人の表情は対照的であり、予想外の光景に感心してしまった。

 

 

 まさかこんな対処法があったとはね。さすがは野蛮人というか、非常識すぎて笑ってしまう。

 剣を通さない体。トライアンフのギルドマスターと同じ……いや、そこまで強力でもないか。

 要するに身体強化の魔法をかけて、剣が通らないようにしたのだろう。

 

 

 剣が通用しないのであれば、緋色の剣士にはどうしようもない。

 私もグリフォンと戦ったからこそ、彼女の焦りが伝わってくる。

 

 

 

「言っただろ? 怖くはねぇってよ」

 

 

「そうね、少なくとも相性は最悪みたい」

 

 

 ベナウィがただの剣士であれば、この状況も変わっていただろう。

 魔法使いであったなら、今頃ピクニックでもしているに違いない。

 だが、彼女の言う通り相性が悪い。圧倒的な剣技と物量で戦う剣士と、身体強化を得意とする魔法剣士(ルーンナイト)

 

 

 このまま見学しているのも一興だが、ベナウィの戦い方は参考にならない。

 私は彼のように魔法を使えないし、なによりあんな化物はごめんである。

 彼女なら大丈夫だろうが、時間をかければそれだけ危険が増える。

 

 

 ここはある種の先輩として、こういった相手との戦い方を教えてあげよう。

 結局のところ、どんなに体を強化したところで、その構造上柔らかい部分はあるのだ。

 例えば両腕の脇、太ももの内側、そして両目である。

 

 

「言ってろ女狐が、このままお前らの首を――」

 

 

「ほう、誰の首をどうするって?」

 

 

 彼の敗因は私を過小評価したこと、この一点に尽きるだろう。

 緋色の剣士にリソースを割いて、私への警戒を怠ったことだ。

 彼の顔が歪んだかと思えば、私たちの顔が赤く染まった。

 

 

「少しはカッコよくなったじゃないか、これで隻腕の阿呆(ベナウィ)が誕生した」

 

 緋色の剣士が驚いた様子で、剣を構えたまま見つめている。

 それは今にも攻撃してきそうなもので、せっかく助けてあげたのに、これでは私の親切心も無駄である。

 邪魔をしたのは申し訳ないが、私も慈善事業でやっているのではない。

 

 

 大剣が地面に転がると同時に、ベナウィの体が元の色へと戻っていく。

 目の前の男は肩を抑えて膝をつき、突然のことに混乱しているようでね。

 必死に剣を拾おうとする姿は、まるで赤ちゃんのようだった。

 

 

「こらこら、勝手に動いたら危ないじゃないか」

 

 

 緋色の剣士に苦笑いする私だったが、その隙に彼が逃げようとするから、思わず繰り飛ばしてしまった。

 私はそのまま彼の方へと向かい、今の一撃で気を失ったのか、全く動かない彼にため息をこぼした。

 

 

 ふむ、取りあえず抵抗されても面倒なので、四肢を削いでから連れ帰るとしよう。

 口さえ動けば問題はないし、なにより体重も軽くなる。

 私の屋敷にある地下室へと向かい、そこでアホウドリのように歌ってもらう。要するに死ななければいいのだ。

 

 

 

「あんた、こいつをどうするつもり」

 

 

 だから持っていた剣を振り下ろしたが、それを強引に彼女が掴んでね。

 流れ出る血が私の手元を濡らし、私たちはお互いに睨み合った。

 もしかしたら、私の演技がバレてしまったのかと、内心ではかなり焦っていたよ。

 

 

 人魔教団への復讐心を演出するために、わざわざ仲間の首を持ってきた。

 そして、それだけでは足りないと思い、彼を達磨にしようと思ったのだ。

 やはりこの程度では足りなかった。自分の優しさに足をすくわれるとは、まだまだ甘かったかもしれない。

 

 

 

「このままでは運ぶのに不便なので、手足を切落して傷口を焼こうかと。

気を失っているのは残念ですが、悲鳴が聞きたいなら私の屋敷でいくらでも聞けます」

 

 

「そう……なの。それじゃあ、さっき持っていた首は? どうしてあんなことをしたの?」

 

 

 彼女はこの男の悲鳴が聞きたくて、敢えてこのまま連れ帰りたいのだ。

 なるほど、彼が目覚めている状態で、ゆっくりと切断したいのだろう。

 気を失っていては痛みを感じず、その絶望感も半減してしまう。

 

 

 故郷や仲間を失った復讐を、この程度で晴らすわけにはいかない――つまりはそう言っているのである。

 なんということだろう。私としたことが、彼女の残忍さを見誤っていた。

 人は見かけによらないというが、まさかここまでとは思わなかった。

 

 

 

「それは簡単ですよ。人魔教団に協力する者、たとえそれが不可抗力であったとしても、私はそいつらを絶対に許さない。

 知らなかった? しょうがない? そんなのは犬にでも食わせて、私は美味しいディナーでも食べます。

 ええ、奴らの血で作った飲み物に、奴らの肉で作ったフルコース。前菜にはその悲鳴でも聞くことにしましょう。

 あっ!そうそう、食事をするときはその方たちの家族も呼びましょう。

 たぶん……いえ、きっと盛りあがるはずです」

 

 

 その証拠に、私の発言に彼女は肩を震わせていた。

 どこか怒っているようにも見えるが、やはり私の態度が原因だろう。

 首を持ってくるだけじゃなくて、その死体もバラバラにしておくべきだった。

 

 

 そうだ、そうやって初めて認められただろう。しかし、今更後悔しても仕方がない。

 首しか持ってきていないので、彼女が怒っているのも当然といえる。

 私にできることといえば、この男を彼女の満足する形で処分すること、そうすることでしか挽回はできない。

 

 

 

「!?」

 

 

 その瞬間、乾いた音が森の中に響いた。

 それはあまりにも突然で、最初はなにが起こったのかもわからなかった。

 しかし、遅れてやってきた強烈な痛みに、私はようやく理解したのである。

 

 

 

「――っ!」

 

 

彼女はなにも言わずに踵を返すと、近くに落ちていたそれを拾う。

もはや、原型をとどめていないものもあったが、その全てを拾ったところで口を開いた。

 

 

 

「いい、あんたはそこで待ってなさい」

 

 

 向かう先は体の残りがある場所、私が戦っていた方向である。

 おそらくは死体をバラバラにして、その復讐心を満たしたいのであろう。……本当に、人は見かけによらないとはこのことだ

 

 

「悪いが、君は普通には死ねないらしい」

 

 

 すぐ近くで気を失っている彼に、私はその真っ暗な未来を伝えた。

 彼が協力的であろうとも、その未来は絶望的である。

 あわよくば私の失敗を取り返すために、少しは役立ってもらうとしよう。

 

 

 彼女がそれを望むと言うなら、私としてもやぶさかではない。

 あまりそういうのは得意ではないが、小説で呼んだことを真似ればいいだろう。

 私の世界では多くの小説があった。多くのジャンルがあり、多くの死にざまがあったからな。

 

 

「問題はない、なにも……計画は順調に進んでいる」

 



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緋色の剣士と夢想家

「おっ、やっと起きたようだな」

 

 

 それは不思議な感覚だった。気がつけば全てを失い、トライアンフは壊滅してた。

 前日までギルドの方針について、人魔教団と戦っていくかを考えていたわ。

 サラマンダーギルドの裏帳簿や、協力者であるシチーリヤのことを調べてね。

 

 人魔教団との激しい争い、進展しない毎日に疲れていたけど、あの日を境に全てが変わった。

 それは笑っちゃうくらい順調で、毎日が希望に満ち溢れていた。

 だけど、今思えばあいつらの思惑通り、ただ踊っていただけかもしれない。

 

 

 

「あっ……あなたは?」

 

 

 王都で目を覚ました私は、その商人から全てを聞かされた。

 赤い月――トライアンフで起こった惨劇を、王都の人間はそう呼んでいるらしい。

 突然のことに私は混乱し、気がつけば男の肩を掴んでたわ。

 

 

 混乱……なんて、そんな言葉では説明できないほど、私は絶望していたと思う。

 だって、やっと教団の幹部を特定したのに、目を覚ますと全てが終わってた。

 終わっていた――うん、本当に、なにもかもが終わっていた。

 

 

「そんな……そんなわけない!

 だって、昨日まで私は仲間たちと話してた。ギルドの今後について、どうやってあいつらと戦うか!」

 

 

 記憶喪失。商人の話を聞きながら、自分の記憶を辿ってみると、ある時期を境に記憶がなかった。

 それは裏帳簿の存在に気づき、シチーリヤと接触した頃からでさ。

 目の前の男と話せば話す程、私はその事実に打ちのめされた。

 

 

 どうして記憶がないのか、なんで私だけ生きているのか、ただ単純に恐ろしかった。

 まるで自分という人間が、他人と入れ替わったような感覚、私は両肩を抱いて震えてた。

 

 

 私が殺したんじゃないか――想像したくはなかったけど、そんなことばかり考えてしまう。

 激しい頭痛が私を襲い、恐怖がその心を支配する。

 今にも倒れそうな私を、その商人は必死に励ましてくれた。

 

 

 

「そうだ、嬢ちゃんに伝言を頼まれてたんだ。

 王都で灰色の死神を探せ、そいつが全てを知っている――俺にはなんのことかわからねぇが、取りあえずそいつを探してみたらどうだ」

 

 

 灰色の死神。王都にトライアンフの支部はないけど、個人的な知り合いが何人かいた。

 一緒に仕事をした冒険者に、顔見知りの情報屋、見つかるかはわからないけど、このまま脅えているのは嫌だった。

 私はその商人にお礼をいうと、できるだけ目立たないように動きだしたわ。

 

 

 教団に見つかればただではすまないし、なにより王都には家族(アルフォンス)がいる。

 できれば巻き込みたくなかった。あの子にはターニャちゃんがいるし、私みたいな人間になってほしくない。

 復讐のために生きて、復讐するために強くなる。私はそうすることを選んだけど、あの子には幸せになってほしかった。

 

 

 

「勘弁してくれ。あんたには世話になったが、この件には関わりたくねぇんだ」

 

 

 ええ、私は必死に情報を集めた。

 どれだけ否定されようが食らいつき、手がかりを見つけるために奔走した。

 

 

「悪いが、俺にも守りたい人がいるんだ」

 

 

 そんな数週間で得たものといえば、結局は新しい絶望だけだった。

 誰もがあの事件から目を反らし、人形のように同じ言葉を繰り返す。

 

 

 気がつけば私は雨の中を、傘もささずに歩いていた。

 このときの私は酷く弱っていたと思う。どうしようもない現実に、ただ泣くことすらできなかった。

 

 

 

「……ベル姉?」

 

 

 そのときのことは今でも覚えてる。冬の冷たい空気を溶かすように、酷く懐かしい言葉だった。

 振り返ればあの子がいて、泣きそうな顔で私のことをみている。

 そして、もう一度だけ私の名前を呼ぶと、全てがスローモーションのように動きだす。

 

 

 私の胸にあの子が飛び込み、私はその頭を撫でながら謝ってさ。

 これでは姉と弟ではなく、親子のようだと思いながら、私は初めて自分の過ちに気づいた。

 王都で目覚めたあの日から、一度もいい事なんてなかったけど――今日この日、この瞬間だけは笑えたと思う。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「なんて言うか……こんな風に話すのは久しぶりだね」

 

 

 アルが借りている王都の一室、そこで私たちは数年ぶりに言葉を交わした。

 ほとんど一方的なものだったけど、そんなどうでもいい時間が嬉しかった。

 罪悪感という溝を埋めるように、アルは多くのことを話してくれた。

 

 

 それは学園での生活から始まり、嫌いな同級生についても含まれていた。

 私がターニャちゃんのことを聞くと、アルは困ったように笑ってた。

 もしもあの時、あんな事件さえ起こらなければ、私たちも幸せになれたかもしれない。

 

 

 それは私が望んでいた生活であり、捨ててしまった未来でもある。

 今更後悔なんてしないけど、そんな未来にも少しだけ憧れてしまう。

 

 

 あーあ、やっぱりここにいたらダメだわ。

 普通の生活は捨てたのに、アルといるだけで揺らいでしまう。

 私はアルの話が落ち着いたところで、そのまま立ち上がると玄関を目指す。

 

 

 このままここにいたら、きっと私は私じゃなくなる。

 トライアンフ最強の冒険者、緋色の剣士は剣を握れない。

 

 

 

「待ってよベル姉! トライアンフのことを聞いてから、ターニャもベル姉のことを心配してたんだ!」

 

 

 突然掴まれた腕は、私の想像以上に力強かった。

 目の前にはアルがいて、その真っ直ぐな瞳が頼もしい。

 そっか、もう子供じゃないのか……なんて、そんなことを私は考えてた。

 

 

「僕も色々と情報を集めて、そしたらその内の一人が教えてくれた。数日前、ベル姉を王都で見かけたって――

 だから僕たちは必死に探して、それでようやく見つけたんだ!

 どうして僕たちを頼らないのさ! ベル姉にとって、僕たちはそんなに信用できないの!?」

 

 

 でも、こんなところは昔のままだ。

 すぐ感情的になって泣きだし、私を困らせるのは変わらない。

 その瞳から零れ落ちる涙も、震える唇だってそうだ。

 

 

 

「僕はベル姉に守られるだけの……そんな人間にはなりたくない。

 大切な家族が困っているときに、ただ見ているだけなんて絶対に嫌だ!」

 

 

 私がアルの前から消えたときと同じ――でも、アルは成長したんだと思う。

 自然と私の足が動いていた。アルを巻き込まないために、私はこの子から離れたはずだったのにさ。

 

 

「わかった。今回だけは手伝ってもらうけど、一つだけ条件がある。

 それは私の判断には従うこと、それが聞けるなら話してあげる」

 

 

 だけど、結局はこうなってしまった。

 私はここまでの経緯と灰色の死神について、商人から聞いたことをアルに伝えた。

 その男を見つけるのが最優先で、どんな情報でもいいからほしかった。

 

 

 ただ、期待はしていなかった。

 王都の知り合いにあたってみたけど、結局は無駄足だったしね。

 だからアルの言葉を聞いた瞬間、私は自分の耳を疑った。

 

 

 

「灰色の死神――まさか、いや……彼ならありえるかも」

 

 

 予想外の反応とその言葉に、私はちょっとだけ混乱した。

 だって、プロの情報屋が知らなかったのに、私の弟が知っているなんて、冗談だとしても質が悪い。

 あまりにも出来すぎているというか、なにかしらの悪意を感じてしまう。

 

 

 相手が人魔教団というのもあるが、あいつらと戦うのに油断は禁物だ。

 たとえアルが正しかったとしても、絶対に飛びついてはいけない。

 だから、私はその同級生について、アルの知ってることを全て聞いた。

 

 

 それは入学試験から始まり、学園代表戦で彼がどう戦ったか、そして四城戦での活躍についてもだ。

 確かに、アルの言っていることが本当なら、その同級生はあまりにも異常だった。

 天才……なんて、そんな言葉では表現できないほど、周りを圧倒しているとも思う。

 

 

 だけど、所詮は学生同士の試合だ。

 開始の合図が決められて、私たちのように命がけでもない。

 だから直接その同級生を見るまで、私もそこまで期待していなかった。

 

 

 

「へぇ、その様子だと私と会ったことがあるみたい。

 最初は半信半疑だったけど、あんたが灰色の死神で間違いないわね」

 

 

 ヨハン=ヴァイス。アルの同級生であり、四城戦で最も活躍した学生。

 彼という人間を初めて見たとき、私はこの男だと確信してた。

 それは彼の反応というか、私を見つけたときの表情だ。

 

 

 これが初めてだというのに、彼は私のことを知っているようだった。

 そして彼が放つ独特の雰囲気も、その直感を後押ししてくれた。

 アルの同級生だというのに、彼の動きはとても落ち着いていた。

 

 

 それは大人びているのではなく、どこまでも自然体で礼儀正しく、その雰囲気はギルドの相談役に似ていた。

 人を言いくるめる才能。この年でここまでの実力があるなら、彼の将来は明るいと思う。

 私の剣を奪い取った動き、アルの前に突き刺さった剣がその証拠。

 

 

 

「ねぇ、あんた。

 今回は許してあげるけど、次アルフォンスに剣を向けたら……わかってるわよね?」

 

 

 だけど、これとそれとは話が別だ。

 気がつけば複数の魔法陣が展開し、その切っ先が彼に向けられていた。

 こいつを攻撃すればどうなるか、そんなことは私にもわかっていた。

 

 

 しかし頭ではわかっていても、やはり納得することはできない。

 これは些細な抵抗というか、私なりの忠告でもあった。

 アルを傷つけたら容赦しない。巻き込んだ私が言うのも変だけど、それでもあの子にはまだ早い。

 

 

 

「取りあえず、あの日のことを教えてもらうわよ。

 あんたとグリフォンさんの関係や、教団のことをどれだけ知ってるかもね」

 

 

 それから何度か言葉を交わして、最終的に協力関係を結ぶこととなった。

 私が彼に抱いたイメージと言えば、不気味で生意気な学生ってとこ。

 なにを考えているのかわからないし、彼の計画にしても異常だった。

 

 

 普通の学生ならベナウィを誘拐して、そのまま尋問しようだなんて思わない。

 その計画もかなり現実的だったし、客観的にみても成功する可能性は高い。

 ただ、この年てこんなことを考えるなんて、正直あまりにもズレている。

 

 

 

「ねぇ、どうして貴女みたいな女の子がここにいるの?」

 

 

 あいつがいなくなった後、私は獣人の女の子に聞いてみた。

 メイド服を着た小さな女の子。私が彼と話している間、ずっと一緒にいたから気になった。

 たぶん、子供の頃のターニャちゃんに似ていたのも、その子に声をかけた理由だと思う。

 

 

 

「ふん! そんなの、ご主人様がシアンを大好きだからです!

 ご主人様は寂しがり屋だから、悲しまないようにシアンはいるです」

 

 

 もっと内気な子だと思ったけど、性格までターニャちゃんと似ていた。

 ただ、女の子が教えてくれる彼と、直接話してみた彼が全然違って、さすがの私も困惑してしまった。

 どちらの彼が本当の彼なのか、気がつけば私は呟いていた。

 

 

 

「そう、あんな気持ち悪い奴のどこがいいんだか」

 

 

 今思えば大人げなかったと思う。好きな人を貶されて、この子が黙っているわけがない。

 案の定、私の顔はクリームまみれになってさ。

 女の子は顔を真っ赤にしながら、その生い立ちを教えてくれた。

 

 

 可哀そう……なんて、そんな安っぽい言葉で片付けるのも、この子を憐れむのも嫌だった。

 彼女はとても幸せそうだったし、私がアルを大切にしているように、この子もあの男が大切なのだと思った。

 

 

 私にはカビの生えたパンの味も、地面で寝る辛さもわからない。

 この子のようにたった一人ではなく、いつだって隣には誰かがいた。

 自分でも気づかなかっただけで、私は恵まれていたのかもしれない。

 

 

 大勢の仲間を失ったけど、それでも隣には誰かがいる。

 たぶんこの子にとっては、あの男が全てなのだと思う。

 目の前で泣いている女の子に、私はその手を伸ばした。

 

 

「ごめんなさい……小さな勇者様」

 

 

 確かにあいつは不気味だ、生意気だし底が知れない。

 だけど、それは私の思い込みであって、その内面は全く違うかもしれない。

 私は女の子の頭を撫でながら、自分の発言に後悔していた。

 

 

 人を見た目で判断してはいけない。そんなことはわかっていたけど、私は大事なことを忘れていた。

 泣き続ける女の子に謝りながら、私は頬のクリームを一口食べる。

 

 

 

「はは、やっぱりケーキは美味しいよね」

 

 

 あの男が人魔教団を憎み、敵対していることはわかった。

 それなら彼を避けるのではなく、導くのが私の役目だと思う。

 間違った方向に進むなら、それを注意してやめさせればいい。

 

 

 私は緋色の剣士。誰よりも長く教団と戦い、あいつらの危険性も知っている。

 それこそ手遅れになる前に、それを止められるのも私だけだ。

 

 

「大丈夫、あんたの御姫様は私が救ってあげる」

 

 こうして私は彼の計画に乗り、ベナウィたちをおびきだした。

 このときの私はまだ、ヨハン=ヴァイスという男の危険性を知らず、そして教団への憎みも甘くみていた。

 彼がシルバーファングのメンバーを殺し、その首を玩具のように扱うまで、私は彼という人間を勘違いしていた。



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緋色の剣とお菓子な女の子

「全く、遊びもほどほどにしてくれないか」

 

 

私がベナウィと戦っているとき、あいつは森の中から現れた。

まるで物でも扱うように、持っていた首を投げ捨ててね。

彼の登場によって空気が変わり、ベナウィも含めて時間が止まった。

 

 

それまではベナウィを利用して、できるだけ情報を引きだしていた。

だけど、あいつのせいで流れが一変したわ。

たぶん、多くの死体を見てきた教団(ベナウィ)と、ただの冒険者でしかない私の違いだと思う。

 

 

「ハハハ、そうか……そりゃあそうだ。あの女が生きてるはずねぇもんな。

くそが、心配して損したぜ。別人だってわかってたら、俺もここまで警戒はしなかった」

 

 

そしてベナウィは再び剣を取った。それまでは話にならなかったけど、いきなり強くなったから驚いたわ。

さすがはサラマンダーギルドの重鎮、Sランクの実力も伊達じゃないと思った。

魔法剣士(ルーンナイト)としての力を発揮して、私の攻撃を防ぐなんて感心した。

 

 

だけど、私も負けるつもりなんてなかったし、こういう敵とも戦ったことがあった。

だから問題なんてなかったけど、あいつの方は少し違ったみたい。

 

 

私たちが戦っている隙をついて、あいつは背後からベナウィを攻撃した。

奴の片腕を切り落として、笑いながら蹴り飛ばしてた。

突然のことに私も驚いたけど、彼の異常性はそこからだった。

 

 

「このままでは運ぶのに不便なので、手足を切落して傷口を焼こうかと。

気を失っているのは残念ですが、悲鳴が聞きたいなら私の屋敷でいくらでも聞けます」

 

 

まるで当然だといわんばかりに、剣を振り下ろそうとしてた。

感情のこもっていない瞳と、こんなときでも礼儀正しい口調に、気がつけば私の方が震えてた。

 

 

彼が教団を憎んでいるのも、本気で戦おうとしてるのも伝わった。

だけど、もしもこれが教団への憎しみではなく、彼という人間の本質だとしたら――その、私は耐えられるだろうか。

 

 

ベナウィを攻撃する際に邪魔だったのか、投げ捨てられた首が叫んでいる。

それは男性から女性、更には幼い女の子に至るまで、どこか私たちを非難しているようでさ。

 

 

もしかしたらベナウィだけが関係者で、彼女たちは知らなかったかもしれない。

ただ……いや、だからっていうわけではないけど、私の口は自然と動いていた。

彼にその疑問を伝えたらどうなるのか、どんな反応をするのかが知りたかった。

 

 

 

「それは簡単ですよ。人魔教団に協力する者、たとえそれが不可抗力であったとしても、私はそいつらを絶対に許さない。

知らなかった? しょうがない? そんなのは犬にでも食わせて、私は美味しいディナーでも食べます――」

 

 

たぶん、これ以上ないというくらい最悪の答え。

彼は罪悪感を抱くどころか、それを悪いとすら思っていない。

気づけば私の体が勝手に動き、あいつの頬が赤くなっていた。

 

 

「いい、あんたはそこで待ってなさい」

 

 

それはただの強がりだったと思う。獣人の女の子が脳裏をよぎり、やり場のない怒りが私を包む。

ヨハン=ヴァイス、あんたがどういう人間なのかわからない。

幼い女の子を助けた優しい人なのか、それとも見た目通りの人間なのか……少なくともこのまま見放すことはできない。

 

 

私はシルバーファングのメンバーを拾うと、そのまま彼がいた方へと向かった。

たとえ教団の関係者であったとしても、こんな最期はあんまりだと思う。

人として生まれて、人として死ねるのが人間だ。だからこんな風に捨てられて、ただ朽ちていくのは可哀想だった。

 

 

「たとえ敵であったとしても、こんなのは絶対に間違ってる」

 

 

私だって教団の人間を殺してきたし、責める権利はないかもしれない。

だけど、誰かが教えないといけない。そうじゃないとあいつは人ではなく、それこそ人の形をした化物になる。

他人の痛みがわからない人は、誰も応えないし幸せにもなれない。

 

 

だから私の後ろ姿をみて、どうして怒っているのかわかってほしい。

この気持ちを十分の一でも理解したら、あいつは英雄になれるかもしれない。

あの歳でグリフォンさんに認められ、更にはベナウィすらも圧倒した。

 

 

 

「ホント、能力が高すぎるのも考えものだわ。

あいつをこのままにしたら、きっと私じゃ手に負えないでしょうね」

 

ベナウィを屋敷に連れ帰ったら、あいつには釘をさしておこう。

裏帳簿の在処さえわかれば、ターニャちゃんを通じて全てを告発する。

然るべき機関に身柄を預けて、プライドたちにはその罪を償ってもらう。

 

 

「ヨハン=ヴァイス……お願いだから、私に剣を抜かせないでよね」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「知らねぇもんは知らねぇって、さっきからそう言ってんだろうが!」

 

 

あいつの屋敷にある地下室、そこに私たちはベナウィを閉じ込めた。

どうしてこんな屋敷に住み、更には地下室に鉄格子まであるのか、正直聞きたいことは山ほどある。

だけど、それよりもこの状況をどうすべきか、私はベナウィを見ながら焦っていた。

 

あいつの計画通り、ここまでは順調に進んでると思う。

偽の依頼でベナウィを誘拐し、そのまま屋敷の地下へと閉じ込めた。

地下室には最低限の家具と、鉄格子で作られた空間があってさ。

 

 

「くそが、この代償は高くつくからな!」

 

 

それはたぶん……檻?だと思う、そこにベナウィを閉じ込めてた。

ただ、彼を幽閉したのはいいけど、ずっとこの調子で埒があかない。

 

 

 

 

「この男は私が尋問するから、あんたは来なくてもいい。

帳簿の在処を聞きだしたら報告するから、今まで通り学園にでも行ってなさい」

 

 

「そうですか……まあ、貴女がそういうなら任せるとしましょう」

 

 

ベナウィを幽閉してから一週間が経ち、内心ではかなり焦っていた。

なぜなら私に任せる条件として、あいつは二週間という制限を設けた。

もしもベナウィが喋らないようなら、二週間後には交代しないといけない。

 

 

正直、私に任せてくれたのも意外だけど、素直に学生をやってるのも驚きだった。

私は地下室でベナウィを尋問し、あいつは今まで通り学園に通う。

そうやって一週間が過ぎ、気がつけば二週間が経っていた。

 

 

「お前らはなにもわかっちゃいねぇ、こんなことをしても時間の無駄だ」

 

 

おそらく……だけど、ベナウィは気づいていたんだと思う。

私たちに時間的な制限があること、後ろ盾や他の仲間がいないのもね。

だからこんなにも強気で、私の説得にも応じなかった。

 

 

私たちが出した依頼について、その期日が過ぎても連絡がなければ、さすがにサラマンダーギルドも動きだすと思う。

そうなればシルバーファングを襲撃したこと、ベナウィの死体がないことも気づかれる。

そして近い内にこの場所も知られて、おそらくはプライドの配下がやってくる。

 

 

 

「約束の二週間が経ちました。ここからは先は貴女に代わって、私が帳簿の在処を聞きだします」

 

 

あいつが地下室に現れた瞬間、私はその胸倉を掴んでいた。

それはある種の予感というか、シルバーファングのことが脳裏をよぎってさ。

ええ、ただ単純に嫌な予感がした。この子に任せてもいいのか、本当に問題ないのか……ってね。

 

 

 

「たとえ帳簿のことを喋らなくても、この男を拷問するのは許さない。

いい? あんたはなにもしなくていいの。どんなに教団が憎くても、人を傷つけていい理由にはならない」

 

 

だから私なりの忠告というか、少しでもわかってほしかった。

どんな理由があったとしても、軽々しく傷つけてはいけない。

人を人として扱うからこそ、私たちは人であることができる。

 

 

 

「わかりました。では貴女の言う通り、彼に対してなにもしないと誓いましょう」

 

 

ああ……ホント、自分でも大人げないと思うわ。

こいつのおかげでここまで来たのに、気づけば変な感情に流されていた。

こんな風に胸倉まで掴んで、自分の価値観を押しつけてる。

 

 

もしかしたらシルバーファングにしても、しょうがなく殺したかもしれない。

彼も混乱していただけで、戦いたくはなかったはずだ。

それなら私がやるべきことは、彼という人間を信じることだと思う。

 

 

「ごめんなさい、後は頼んだわよ」

 

 

一度冷静になろう。今の私を仲間が見たら、きっと同じことを言うはずだ。

私は踵を返すと地下室を出て、そのまま自分の部屋へと向かった。

別にやることなんてなかったけど、この時は恥ずかしさというか……罪悪感からなにもできなかった。

 

 

本当に情けないと思う。自分の無力を棚にあげて、あいつに当たるなんて最低だ。

部屋へと向かう途中であの子と会ったけど、あまり話したい気分ではなかった。

ただ、珍しく私の後をついてくるから、自分でも無意識のうちに話しかけてた。

 

 

「なに? 用があるならハッキリ言ったら?」

 

 

 私にケーキをぶつけてきた女の子、この子がいなければどうなっていたか――たぶん、あいつを攻撃していたでしょうね。

 ええ、あんなことを平然と行う奴に、私がついていくわけないもの。

 この子のせいであいつがわからなくなり、私はこんな気持ちを抱いている。

 

 

「べっ、別になんでもないです。

 なんだか疲れていそうだなーとか、おなかでも空いてるのかなーとか、そんなこと全く思ってねーです!」

 

 

 本当に……この子には敵わないと思う。

 そわそわした様子の彼女に、私は苦笑いしかできなかった。

 この子と私はよく似ている。感情表現が恐ろしく苦手で、いつも強がってばがりの女の子。

 

 

 今の私はどんな顔かな。泣いているかもしれないし、笑っているかもしれない。

 少なくとも目の前の女の子が、こんな私に慌てているのはわかった。

 

 

「頭を下げるです。シアンが特別に励ましてやるです。

 シアンが辛い時は、いつもご主人様がこうしてくれました。

 頭を撫でられると、ぽわぁーとして、びびびーっとして、それで気がつけば元気がでてるです」

 

 

 そう言って背伸びをする彼女に、緋色の剣士と呼ばれた私が従っていた。

 こんな風に頭を撫でられたのは、たぶんあの事件が起こる前だったと思う。

 教団との戦いを決意してから、アルから離れてトライアンフに所属した。

 

 

 それから多くの敵を殺して、それ以上の仲間が死んでいった。

 感謝されたこともあるし、その分だけ恨まれていたと思う。

 ただ、こんな風に慰められたのは初めてだった。私なんかよりも全然弱くて、こんなにも小っちゃくて可愛らしい女の子--そんな子供にトライアンフ最強の冒険者が泣かされていた。

 

 

 

「お前、お菓子は好きなのです?」

 

 

その日から毎日、私が目覚めるとお菓子が置かれていた。

誰の仕業かは知らないけど、時折感じる視線が教えてくれる。

本当に不器用だと思うけど、私はその日からお菓子が大好きになった。



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緋色の剣士と哀れな獣

「私がベナウィの尋問している間、シアンの教育係をやってもらえませんか」

 

 

 それは本当に突然のことで、あいつは本当に困った顔をしてた。

 初めは冗談だと思ったけど、どうやら本当に困ってたみたい。

 だからやることのなかった私は、あいつの言う通りそれを手伝った。

 

 

 そもそも教育係といっても、教えるのは魔法や剣術についてでさ。

 ある程度はできていたから、私は実践的なことを教えてた。

 

 

「こ……の、もっと手加減しやがれです」

 

 

「それだけ喋れるなら、まだ続けても大丈夫そうね」

 

 

 あいつには色々と恩があるし、なによりこういうのは嫌いじゃなかった。

 相手がシアンちゃんだというのもあるけど、頼られているのが素直に嬉しくてさ。

 ちょっと張りきりすぎて、次の日はいつものお菓子がなかった。

 

 

 どうやら駄菓子屋さんが寝坊して、その開店が少しだけ遅れたみたい。

 夕方ごろにこっそり現れたけど、必死に否定する姿が可愛かった。

 

 

「本当に、このままだと太っちゃいそうだわ」

 

 

 そうやって数日が過ぎて、あっという間に一週間が経った。

 その間も私は教団の動向を探りつつ、夜はシアンちゃんの教育係として動いた。

 あいつに関してはいつも通り、毎日同じ時間に食事をとりに来て、そのまま地下室へと戻っていった。

 

 

 そんな状況が二週間ほど続いて、さすがの私も彼を呼び止めていた。

 ベナウィが喋るとは思えなくて、これ以上は本当に危ないと思ってさ。

 別に疑ってたわけじゃないけど、これからどうするのかが知りたかった。

 

 

「ねぇ、ちょっと話したいことがあるんだけど――」

 

 

「そうですね……私もアドバイスが欲しかったというか、ちょうど相談したいことがありましてね。

 せっかくですし、地下室でお話しするのはどうでしょう?」

 

 

 こいつの口からそんな言葉が出てくると思わなかった。良くも悪くも人付き合いが悪く、どちらかと言えば無口なタイプだったもの。

 だから私は彼に言われるがまま、その後に続いて地下へと向かった。

 

 

 この時に彼は一度食堂によって、適当な食事をもってきたけど、特に気になるようなことはなかった。

 そもそもこいつが地下へ向かうときは、いつも食事を持っていたような気がする。

 

 

 何度か地下へ向かってく姿を見たけど、大体出てくるときは空の食器を下げて、向かうときは食事を持っていた。

 だからこの時も特に気にしなかったし、むしろ感心していたくらいだと思う。

あれだけ憎んでいた教団の人間に、彼はここまでしっかりと面倒を見ている。

 

 私が言ったのもあるけど、それでも一カ月前とは全く違う。

 あの時みたいに自分の過ちに気づかず、他人の痛みに鈍感だった時とは別人だった。

 

 

「少しうるさいとは思いますが、あまり気にしないでください」

 

 

――あぁぁぁぁぁ!

 

 

 いや……別人だと思っていた。地下室の扉を開けて、その叫び声を聞くまではね。

 最初は気のせいだと思ったけど、それを強烈な異臭が否定する。

 この時の私は動くこともできず、目の前の光景に絶句していた。

 

 

「頼む! なんでもいい、なんでもいいから水をくれ!

 俺は喋ったはずた。裏帳簿がある場所も、俺たちがしたことも全部喋っただろ!」

 

 

 鉄格子を両手で掴みながら、その男は叫び続けていたわ。

 歯茎から血が噴きだし、強烈な腐敗臭が鼻を刺激する。

 着ていた服はボロボロとなり、もはや冒険者としての面影はなかった。

 

 

 そこにいたのはギルドの重鎮でも、ましてや人間ですらなかったと思う。

 壊れたように叫びながら、ずっと同じ言葉を繰り返してた。

 鉄格子を揺さぶる音と、その叫び声に私は凍りついた。

 

 

「なっ……なによ、これ」

 

 

 やっとのことで出た言葉は、自分でも情けないほど震えていた。

 自分の汚物をまき散らして、それを食べながら懇願する獣。

 そこには二週間前とは別人の……いや、人ですらないベナウィがいた。

 

 

「なに? なにって、見ての通りベナウィですよ。

 サラマンダーギルドの重鎮、シルバーファングのリーダーだった男です」

 

 

 動揺する私を尻目に、あいつはいつも通りだった。

 こんな状況でも礼儀正しく、部屋の臭いや叫び声にも動じない。

 それこそ興味がないと言わんばかりに、持っていた食事をテーブルに置いてさ。

 

 

――あぁぁぁぁ!

 

 

 そのまま椅子に座ると、こんな場所で食事を始めたの。

 意味が分からなかった。あの食事をベナウィではなく、あいつが食べ始めたのも含めて、この状況が全く理解できない。

 

 

 

「そんなことは知ってる……私が言いたいのは、あんたがベナウィになにをしたかってこと――」

 

 

「なにをしたか……別になにも、貴女との約束通りなにもしていません」

 

 

 私の質問に答えながら、あいつはコップの水を飲んでいる。

 それを見たベナウィは叫び、鉄格子が激しく叩いていた。

 

 

 

「水や食べ物、それこそ話しかけてすらいない

 貴女との約束を守るために、私はこの二週間彼を見ていただけです。

 ここでご飯を食べながら、ただ彼という人間を見ていました」

 

 

 部屋の中はこんなにもうるさいのに、こいつの言葉はハッキリと聞こえた。

 この二週間なにがあったのか、ベナウィがどうしてこうなったかも、これ以上ないというほど簡単だった。

 こいつは私の言葉通り、ベナウィに対してなにもしなかった。

 

 

 ええ、簡単だったわよ。こいつはベナウィになにもしていない、だからベナウィはこうなってしまった。

 水や食べ物を一切与えず、帳簿どころか話しかけてすらいない。

 ベナウィを見ながら食事をとり、こいつはずっと約束を守ってた。

 

 

 

「ねぇ、あんたはなんとも思わないの?」

 

 

 怖い……なんて、そんな言葉では足りないほど、私はこいつのことを恐ろしいと感じた。

 こいつはこの二週間一言も話さず、ただベナウィのことを見ていたの。

 見ていた……そう、見ていただけよ? こんな場所で平然と食事し、ベナウィが狂っていく過程を楽しんでた。

 

 

 

「さすがにうるさいとは思いましたが、こんなのも慣れてしまえば可愛いものです。

 ただ彼と話してはいけないので、どうすればいいか困っていました。

 ベナウィは帳簿のことを話しましたが、貴女との約束を破るわけにもいかない。

 だから貴女を地下室に呼んで、この状況を説明しようと考えました」

 

 

 こいつが言っていることは、確かに間違ってないかもしれない。

 だけどそれを理解したら、たぶん人間じゃなくなると思う。

 私は諦めずに口を動かして、少しでもこいつを知ろうとした。

 

 

 

「だったら、どうして帳簿のことを話した時点で呼ばないの。

 そこで私を呼んでいれば、少なくともこんなことにはならなかった」

 

 

「それは簡単ですよ。彼が最初に話した場所と、その後に話した場所が違ったのです。

 おそらく嘘の場所でも教えて、取りあえず時間を稼ごうとしたのでしょう。

 だからベナウィが帳簿について話した後も、私はその情報を信じることができなかった。

 まあ、最近は同じ場所を繰り返し話してます。……ほら、あんな風にね」

 

 

 確かにこいつの言う通り、ベナウィを同じ言葉を繰り返してた。

 王都のはずれにあるギルドの支部、そこにプライドの執務室があること、そしてそこにいるのは教団の関係者だとね。

 私の説得には応じなかった彼が、帳簿のことを叫び続けていたわ。

 

 

 だけど、こんなことをしてまで聞きだすなんて、やっていることは教団と変わらない。

 私は教団の人間を絶対許さないけど、だからと言って同じにはなりたくなかった。

 たとえそれが甘かったとしても、ある種の線引きは必要だと思ってる。

 

 

「どんなことだってするから、俺にその水を渡してくれっ!」

 

 

 私たちの視線が重なり、張り詰めた空気に包まれる。

 それは私という人間を試して、次の言葉を待っているようにも見えた。

 シアンちゃんの顔が脳裏をよぎり、私は彼に対してハッキリと言った。

 

 

「悪いけど、その食事は彼に渡してもらう」

 

 

 自分でも驚いたというか、剣を抜かなかったのが意外だった。

 もしかしたらあの子と一緒にいる内に、私も少しだけ変わったのかもしれない。

 こいつは本当にどうしようもないけど、まだ戻ってこれるかもしれない……ってさ。

 

 

 事実、こいつは帳簿の場所を聞き出した。

 その方法は最低だったけど、それでも結果だけは残している。

 もしもこれが私だったら、もしかしたら無理だったかもしれない。

 

 

 あの状況で更に二週間あったとしても、ベナウィが素直に話したとは思えない。

 それこそこいつが言っていたように、偽の情報を信じていた可能性だってある。

 

 

「なるほど……では新しい食事を持って来ましょう。

 さすがに二週間ぶりの食事が、私の食べ残しでは可哀そうですしね。

 なにか胃に優しいものを取ってきますから、少しだけ待っていてください」

 

 

 それにベナウィは死んじゃいない。ひどい目にあったのは確かだけど、それでも生きていることに変わりはない。

 だったら少しでも早く治療して、こいつにその間違いを教えるべきだ。

 こんなところでいがみ合っても、時間の無駄だし誰も救われない。

 

 

 

「落ち着け私、こんなことで見捨てちゃダメ。

 あいつはまだ変われるはず、私が教えずに誰がやるっていうのよ」

 

 

 あいつが地下室を出ていくと、私は目の前のグラスを手に取った。

 教団の人間は許せないけど、それでもこの仕打ちは酷いと思う。

 それだけあいつの中にある憎しみ、そして敵対心が人一倍強いのだろう。

 

 

 

「あっ……ありがてぇ」

 

 

 私から受け取ったそれを、ベナウィは一気に飲み干した。

 今にも泣きそうな顔で喜び、心底嬉しそうだったのが印象的でさ。

 こうしてみると普通の人間、トライアンフの冒険者となにも変わらない。

 

 

 

「今回だけはあんたの味方をしたけど、これが終わったら全部話してもらうからね」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「あまりやりたくはなかったが、こうなっては仕方ないだろう」

 

 

 彼女の残虐性を考慮したのが、まさかこうなるとは予想外だった。

 当初の予定ではベナウィは拷問され、最終的には殺されると思っていた。

 しかしその期待は裏切られ、貴重な時間を浪費してしまう。

 

 

 彼女に時間を与えたのは、私なりの配慮も含まれていた。

 短すぎては満足できないだろうと、そう思っての二週間だったのだ。

 だが私の予想は大きく外れ、彼女はベナウィを拷問するどころか、帳簿の在処を聞きだすこともできなかった。

 

 

 

「全く、私は彼女の残虐性に固執して、その意図を履き違えていた」

 

 

 おそらくは私を試すために、敢えて拷問しなかったのだろう。

 彼女はとても慎重で賢い。私にあんな制限をつけたのも、全てはそういった思惑があったのだ。

 そうでなければ二週間もの間、ただ我慢していた説明がつかない。

 

 

 目の前の玩具で遊ばないまま、私に引き渡すような人間ではない。

 そう考えると彼女の言動にしても、全てが演技じみているように思う。

 敢えてなにもさせないことで、私が彼女との約束を守るかどうか、あの男に情けをかけるか試したのだ。

 

 

 私が本当に教団を憎んでいるのか、それを知るためなら我慢もできる。

 その証拠に彼女と交代した後、ベナウィは食料を隠し持っていた。

 おそらくは食事の一部を残し、私との交代に備えていたのだろう。

 

 

 

「おい、帳簿の在処なら話してやる。だから今すぐ食事を持ってこい」

 

 

 それも一週間辺りで底をつき、彼も焦っているようだった。

 彼女から聞いていた話と違ったので、彼自身も混乱したのかもしれない。

 もしもその混乱すら予想していたなら……なるほど、やはり彼女は想像以上の人間である。

 

 

 彼が苦しむことをわかったうえで、こうなるように仕向けたのだ。

 私が約束を守ったとしても、ベナウィが苦しむ姿が見られる。

 そして私が約束を破ったなら、その憎しみが演技だと見抜ける。

 

 

 本当にいい性格をしている。私に食事を持ってくるよう言ったのも、おそらくは直接聞くつもりだろう。

 本格的な拷問と同時に、これまでのことを問いただす。

 私にそっち系の趣味はないが、今の彼では面白くないのだろう。

 

 

 だから体調が回復した時点で、彼を拷問して全ての情報を聞きだす。

 ベナウィが教団のことをどこまで知っているか、そこまではさすがの私もわからない。

 しかしプライドは当然として、会社のプラスにもならないだろう。

 

 

 それならばやるべきことはひとつ、ベナウィを殺してしまうことだ。

 私が直接殺すのではなく、彼女にやってもらうのが望ましい。

 拷問する前に……それこそ、彼女にその気がなかったとしてもね。



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緋色の剣士と茶番劇

 この世界には魔法がある。私の世界とは違って、銃刀法違反なんて言葉もなければ、犯罪という定義も曖昧である。

 それは魔法という万能の能力が蔓延し、人間が考えることをやめたからに他ならない。

 多くの失敗と流血の末に、人類が獲得してきた知識という名の武器、その全てがこの世界では破壊されているのだ

 

 

「魔法は便利だろう……ああ、その能力に依存してしまうのもわかるさ。

 だが、君たちはその能力に依存するあまり考えることを放棄している」

 

 

 この世界に来てからというもの、私は多くの本を読み漁った。

 形式化学、社会科学、人文学、そしてある学問が劣っていることに気づいたのである。

 それは魔法に依存しているこの世界だからこそ、その重要性に気づかなかったのだろう

 

 

 

「鳥取の飢え殺し。後の関白が鳥取城を攻める際に行った戦術、日本史でも極めて凄惨な戦いであったと記録される攻城戦は、その死者のほとんどがリフィーディング症候群によって発生した」

 

 

 医学。魔法による治癒が可能なこの世界において、この学問はあまり重要視されていない。

 チンパンジーどもの争いが多いからか、外科学は発達しているようではあったが、内科学と心理学は酷いありさまだった。

 治癒魔法の種類と効果、そしてその魔法を習得するまでにかかる日数と練習方法、そんなものが記載されている医学書を読んだ時、私がどんな顔をしたかは想像におまかせしよう。

 

 

 病名に関する記述もなければ、それに対する個々の対処方法すら存在しない。

 全ての症状をひとつにまとめて、複数の魔法により記述があるだけだ。

 こんなものが医学書として出回っている時点で、如何に狂っているかがわかる。

 

 

「さて、彼女は私の計画通りに動いてくれただろうか」

 

 

 屋敷の食堂で温かいスープを用意した私は、あの地下室でなにが起こっているのか、ある程度予想がついていた。

 まあ、予想がついていたというより、そう仕向けたと言った方が正しいか。

 内科学が劣っているこの世界だからこそ、私の手を汚さずに阿呆(ベナウィ)を排除できる。

 

 

 とても簡単な話しである。何週間も飲まず食わずの人間が、いきなり食事をしたらどうなるか……ふむ、そんなことは歴史が教えてくれる。

 長期間の飢餓状態が人体にどんな影響を及ぼすか、そんなことをこの世界の人間が知っているとは思えない。

 私が残した食事をあの男に渡せば、それはつまりそういう結果を招くのである。

 

 

 ベナウィに教団のことを話されても困るし、かと言って私が殺しては怪しまれてしまう。

 故に、ここは彼女自身の手で処理してもらおう。

 拷問好きの彼女には悪いが、私も危ない橋を渡っているのでね。

 

 

 それに、彼女自身の手でベナウィを殺すというのが、ここにきてとても重要な要素となってくる。

 私は地下室へと向かいながら、これからどう動くべきか確認する。

 既に弾丸は私の手元を離れ、真っ直ぐプライドの元へと向かっている。

 後はその弾丸が奴の頭に命中するか、もしくは跳ね返ってくるかの違いでしかない。

 

 

「おや、これはまた……」

 

「違う、私じゃない!

 私はただ、あんたの食事を彼に与えて……それで、それで――」

 

 

 地下室へと入った私が目にしたもの、それは必死に否定する英雄の姿だ。

 隣には激しく痙攣する馬鹿と、鼻を突くような臭い……なるほど、飢餓状態で食事をしたらこんな風になるのか。

 今にも死にそうな馬鹿を必死に抱え、可愛い英雄は助けを求めていてね。

 

 

 ただ、残念ながらこうなってはもう手遅れである。

 私に医療に関する知識はないし、そもそもこの世界には医療器具すら存在しない。

 二人の茶番劇を見ながら私は微笑み、持っていた食器をテーブルに置いたのさ。

 

 

「違う、私は本当になにもしていない!

 彼に言われるがまま、ただあんたの食事を与えただけで――」

 

 

 ああ、わかるよ。君が言いたいことはとてもわかる。

 君は善意から彼を助けようとし、その善意によって彼を殺してしまった。

 たとえ彼を拷問する予定であったとしても、人間というのはそう割り切れるものでもない。

 

 

 玩具を壊そうとして遊ぶのと、玩具を直そうとして壊すので全く違う。

 今の彼女は後者であり、状況に頭が追いついていないのだろう。

 私にはわかる。私がこの世界に来た時もそうだった。あの地獄のような光景の前で、私は教皇様という救いを見出したのである。

 

 

 

「わかった、君がそう言うなら私はその言葉を信じよう」

 

 

 魔道具の中から剣を取りだすと、私はその言葉を肯定しながら歩み寄る。

 英雄という置物が彩を添えて、石畳の軽快な音に心が震えたよ。

 目の前には利用価値のなくなった阿呆、そしてプライドを殺す銀の弾丸、私は彼女に微笑みながら剣を振るう。

 

 

 突然のことに彼女は慌てただだろう。私がどうして剣を持っているのか、その切っ先に恐怖を感じたはずだ。

 しかし、これも全ては計画のためである。既に物語は次のステージへと移り、彼はその役目を全うしてくれた。

 私にできることは彼の死を利用して、今よりも更なる高みへと昇ることだ。

 

 

 辺りが真っ赤に染まり、歪なボールが私たちを祝福する。

 呆然とする彼女を見下ろしながら、私は持っていた剣を床に突き刺してね。

 それはセシルを引き入れたときと同じ、とても魅力的でくだらない茶番劇だった。

 

 

 

「君は彼を殺してはいない。ただ、言われるがまま彼に食事を与えただけだ。

 彼が死んだ理由は、私が復讐心にかられて剣を振るったからだ。

 君はなにも心配しなくていい……なに、私という異常者が勝手に行動しただけだよ」

 

 

 心理学の中に、秘密の共有による仲間意識の芽生えがある。

 それはある種の秘密を共有することによって、相手のことを意識するようになるからだ。

 その秘密が大きければ大きいほど、仲間意識は強くなり同調圧力が生まれる。

 

 

 今の彼女は混乱している。突然のことにどう対処したらいいかわからず、気がつけば私がその罪を背負っていた。

 そこにある種の罪悪感が生まれ、彼女はその負い目から私を意識するようになる。

 要するに簡単なことだ。私は彼女に怨まれることなく、あの阿呆を殺すことができた。

 

 

 私たちの間にあった大きな隔たり、それを排除しただけではなく、処分に困っていたベナウィも殺した。

 まさに一石二鳥だな。未だに混乱している彼女を尻目に、私は次の段階へと物語を進める。

 彼女が冷静になる前にさらに一歩、戻れないところまで前進しよう。

 

 

「ごめんなさい、私のせいであんたが――」

 

「悪いが、こうなってはあまり時間がない。

 私に言いたいことがあるなら後日聞くし、なにより私が勝手にやったことだ」

 

 

 突き刺さった剣を引き抜くと、そのまま踵を返して口を開く。

 最初からこのゲームの結末は決まっている。全ては台本通りのマッチポンプ、ベナウィの話しが嘘だったとしても関係ない。

 なぜなら彼女たちが手に入れた裏帳簿を、他ならぬ私が持っているのである。

 

 

 

「今日の夜、ベナウィが言っていたギルド支部を襲撃する。

 君はこの屋敷で私の帰りを待っていればいい。彼が嘘の情報を教えた可能性もあるし、なにより君は私みたいに汚れていない」

 

 

「そうね……いや、私も着いて行くわ。

 あんたに優しくされるほど、私だって綺麗なわけじゃないもの。

 混乱してしまってごめんなさい。もう大丈夫だから――ええ、私もこんなとこで立ち止まるわけにはいかない」

 

 

 そう言って立ち上がった彼女は、どことなく雰囲気が違っていたように思う。

 別に私が帰ってくるまでの間、屋敷で休んでいてもよかったのだがね。

 彼女が着いてくるということは、半端な真似はできないということだ。

 

 

 サラマンダーギルドの諸君には悪いが、これで穏便に済ませるという選択肢はなくなった。

 怨むなら、目の前にいる彼女を怨みたまえ。私たちはお互いに微笑むと、そのまま地下室を後にする。

 全ての準備が完了し、ここからプライドとサラマンダーギルドの殲滅が始まる。

 学生対抗戦の時からずっと考えていた計画、あの馬鹿(プライド)を引きずり下ろすとしよう。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 王都のはずれにあるギルド支部、日中は多くの冒険者が出入りしていたが、今ではその喧騒も失われていた。

 ある者は大げさに笑い、ある者は酒を飲みながら涙を流す。

 建物の一階は酒場となっており、多くの冒険者がそこで一日の疲れを癒す。

 

 

「いらっしゃいませ!」

 

 

 私のような見ず知らずの他人が入っても、ここの人間は興味すらいだかない。

 日中に比べてその人数は減っていたが、それでも全くいないというわけでもなかった。

 可愛らしい女の子が私に声をかけて、周りがそんな彼女に笑顔を向ける。

 

 

「初めての方ですか?本日はどういったご用件でしょう?」

 

 

 目の前の彼女はとても可愛らしく、愛嬌のある顔はとあるメイドを彷彿とさせた。

 一部の冒険者が野次を飛ばし、それを肴に他の者が下品に笑う。

 目の前の女の子は困ったように笑い、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

「お伺いしたいのですが、貴女はこのサラマンダーギルドの関係者でしょうか」

 

「はい、このギルド支部の管理を任されておりますイレイダ=ミレイです!」

 

 

 自己紹介をする彼女はどこか嬉しそうで、どうしてこんな辺鄙な場所にあるギルドに、こんな遅くまで人がいるのかわかったような気がした。

 緋色の剣士には外の見張りを頼んでいたが、この様子だと彼女の出番はないだろう。

 こんなところで彼女の経歴を汚し、英雄としての評価を下げたくはないしね。

 

 

 見張りを頼んだ時はかなり嫌がっていたが、私が綺麗なままでいてほしいと伝えると、彼女は何も言わずに踵を返していた。

 やはり、あの時の会話が響いているのだろう。どことなく不満そうな態度だったが、その顔が赤かったのはなぜだろうか。

 ふむ、体調が悪いならあまり待たせるのもよくないな。

 

 

 

「そうか、では君にここの案内をしてもらおう」

 

 

 私がそれを願うだけで、世界はセピア色に染まるのである。

 全てが制止した空間の中で、私は剣を振るいながらその感触を楽しむ。

 大きな水たまりの中で、冒険者たちはその生涯を終えたのである。

 

 

 ある者は笑いながら真っ赤に染まり、ある者は酒を持ったまま血だまりに沈む。

 もはや元々の色がなんだったのか、それすらも分からないほどに汚れた空間の中で、私は目の前の女の子に微笑みかける。

 着ていた服は水分を含み、その頬は返り血で赤くなっていた。

 

 

 

「えっ……な、なんで――」

 

 

 突然のことに混乱する彼女は、やはりあのメイドに似ていたと思う。

 恐ろしい光景を目の当たりにしながら、それでも意識を失わない姿は称賛に値する。

 赤く染まった前掛けを握りしめ、必死に踏みとどまる姿は好感がもてたよ。

 

 

 私はそんな彼女の肩を掴むと、できるだけ優しい口調で要件を伝えた。

 こんな茶番に意味などないが、それでも物語には起点が必要である。

 

 

 

「申し訳ないが、ギルドマスターの書斎まで案内してくれないか。

 ああ、奴がいないことは知っているから大丈夫。

 用事があるのはギルドマスターではなく、その書斎に関してだからね」

 

 

 冒険者たちの肉片を踏み越えて、私は彼女の首元に剣を突きつけた。

 こんな状況でも気丈に振舞い、悲鳴をあげずに睨んでくるとはね。

 血を見慣れているのか、それともなにか考えでもあるのか。

 

 

 ふむ、少なくとも私には関係のないことだ。

 二階へと続く階段を指さしながら、彼女はその瞳に涙を溜めていた。

 その涙が誰に対する涙だったのか、それを私が知ることはないだろう。なぜなら、ここにいた冒険者たちが何者で、どんな生活を送っていたのかを私は知らない。

 

 ああ、たとえこの肉片に名前があったとしても、肉片は所詮肉片でしかないのだ。



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緋色の剣士と歪な真実

「こっ……こちらです」

 

 

 震える足取りで二階へと上がる彼女に、もはや先ほどまでの余裕はなくなっていた。

 真っ赤な足跡が彼女の存在を主張し、月明かりが彼女という人間を優しく包む。

 頬を伝う一筋の雫が光に照らされ、時折聞こえてくる嗚咽が彩を添える。

 

 

 彼女は前掛けの中から錠前を取りだすと、そのまま廊下の突き当たりで止まった。

 細やかな装飾が施された分厚い扉、頑丈そうなそれを前にして振り返る。

 まるでここにはなにもないと、そう言わんばかりに彼女は固まっていた。

 

 

 ふむ、どうやら勘違いしているらしい。

 たとえこの部屋に帳簿がなかったとしても、そんなことはどうでもいいのである。

 私がこの部屋に入ったという事実、それさえ満たせば物語は進む。

 

 

 

「な……なにが目的ですか。あなたがなにを探しているかは知りませんが、ここにはお金なんてありません」

 

 

 困ったものだ。今更そんな風に質問されても、私は友達でもなければ教師でもない。

 そんなくだらない質問に答える必要はないし、なにより下の惨状が物語っている。

 私が持っていた剣に力を入れると、彼女はなにも言わずに踵を返してね。

 

 

 分厚い扉がゆっくりと開かれ、私の視界に無数の本が飛び込んでくる。

 なるほど、彼女が不安がるのも無理はない。

 なぜなら本当にただの書斎であって、それこそ特別なものなど見当たらないからだ。

 

 

 探せば出てくるかもしれないが、生憎と知り合いを待たせているのでね。

 私は部屋の中央まで進むと、彼女にちょっとしたお願いをした。

 それはもしも魔法が使えるなら、この部屋を燃やしてほしいというものだ。

 

 

 

「あなたの言うことを聞いたら……その、私のお願いも聞いてくれますか」

 

 

 脅えている彼女が精一杯の勇気を振り絞り、放たれた炎が私たちを包む。

 周囲の炎はその勢いを増していき、月明かりはその存在価値を失った。

 ふむ、こんな状況でも諦めていない辺り、意外と大物なのかもしれない。

 

 

「お願い……お願いか。なるほど、こんな状況でなにを望む?

 いや、この質問に理由などないのだがね。ただの好奇心だとでも思ってほしい」

 

 

 私は彼女という人間に興味を持ち、この空気を少なからず楽しんでいた。

 それは純粋なる好奇心から、ただの興味本位で口を開いたに過ぎない。

 突きつけていた剣をゆっくりと下し、私はその理由を聞いたのである。

 

 

 

「一応忠告はしておくが、自分だけは助かりたいなんて言わないでくれよ?」

 

「ははは、やっぱりだめですよね。

 だったら――そうだな、私の命をあげる代わりにお金を貰えませんか」

 

 

 それは本当に予想外だったというか、とても面白い内容だった。

 彼女がこんなギルドにいる理由、遅くまで働いているのは単純なことだ。

 ただ単純にお金が必要だったから、幼くして両親を失った彼女は、たったひとりの妹を養うためにここを管理している。

 

 

 それこそなんてことはない、とても簡単で分かりやすい理由だ。

 自分が助からないと言うなら、少しでも妹のためにお金を残したい。

 とても単純で清々しいほど人間的な……ああ、とても面白い内容だったよ。

 

 

「まさか、この状況で強請られるとは思わなかった。

 そうか……金か、君は私の周りにいる誰よりも人間らしいよ」

 

 

「そうですね、私だってこんなこと言いたくはなかった。

 でも……しょうがないじゃないですか――だって、私なんかが逆立ちしたって勝てそうにないんですから」

 

 

 そう言って笑う彼女はどこか満足気で、頬を伝う涙がとても綺麗だった。

 もしかしたら……いや、今更こんなことを言っても仕方ないか。

 彼女は私の計画に協力し、その見返りに金銭を要求したのだ。

 

 

 たとえその生い立ちがどんなものであれ、私には全く関係ない。

 彼女がこんなところで働いている理由も、どうしてこの支部を管理する者がひとりなのかも、全ては私という個人の想像に過ぎない。

 少なくとも彼女はその命と引き換えに、ある種の幸福を買ったとも言えるだろう。

 

 

 

「そうか、それならその願いを叶えてやろう。

 君の妹が大人になるまでの間、私が金銭的な援助を行う。

 君がどれだけ働いても稼げない金額を、君を殺す慰謝料として妹に支払おう」

 

 

「ふふふ、あなたって意外と良い人なんですね」

 

 

 その言葉を最後に私の顔が汚れ、彼女はそのまま炎の中へと消えた。

 剣に付着したそれを拭いながら、私はゆっくりと書斎を後にする。

 気がつけば建物中が炎に包まれ、黒い煙と嫌な臭いが充満していた。

 

 

 全てが燃える臭いと木材が爆ぜる音、それはまるで私を祝福する拍手のように、どこまでも温かくて虚しいものだった。

 これでプライドの奴も気づくだろうが、既に物語の主導権は私が握っている。

 今更動いたところで状況は変わらないし、なにより私がここに来た時点で手遅れである。

 

 

「結局、全員殺したのね」

 

 

 私が一階へと降りてきたとき、彼女は死体を抱えながら呟いた。

 今にも崩れ落ちそうな建物の中で、強烈な熱気に包まれながら口を開く。

 まるで私の行いを非難するかのように、その姿はどこまでも歪んでいた。

 

 

 全く、そんな視線を向けられても困るのだがね。

 おそらくは一人残らず殺したせいで、自分の楽しみがなくなったと言いたいのだ。

 相変わらず狂っているというか、もう少し我慢という言葉を覚えてほしい。

 

 

 彼女の性格を失念していた私のミスではあるが、まさかこれほどとは思わなかった。

 私にそういった趣味はないが、次からはそういう部分も考慮しよう。

 彼女を怒らせるのは得策ではないし、そもそも長い付き合いになるのだ。

 

 

 

「ああ、それでもそれだけの価値はあったよ」

 

 

 そう言いながら魔道具を起動させ、私は彼女へと裏帳簿を渡してね。

 それは殲滅戦の際に奪ったものであり、私の計画が成功した瞬間でもあった。

 震える手で裏帳簿を受け取る彼女と、それを見ながら微笑む私、これで全ての条件は整ったのである。

 

 

 彼女は涙を流しながら裏帳簿を見つめ、目の前の真実を必死に受け入れる。

 私から見れば一年前からの記憶であり、彼女からすれば殲滅戦からの記憶である。

 そこにいたのはどこか儚げな女の子、どこまでも弱弱しくて今にも倒れそうな――そんな、年相応の女の子が立っていた。

 

 

「それともうひとつ、帳簿と一緒にこんなものが置かれていた」

 

 

 そう言って小さな指輪を取り出し、私は赤く染まったそれを彼女に渡した。

 あの日、あの惨劇の夜にとある男から奪ったもの、トライアンフの紋章が刻まれた指輪である。

 それはギルドマスターの証であると同時に、私が正しかったことの証明へと繋がる。

 

 

 たとえその全てが仕組まれていたとしても、たとえその全てが私の思惑だったとしてもだ。

 目の前の彼女は都合のいい真実に飛びつき、私という人間を信用するのである。

 全てはあの夜に決まっていたのだ。彼女にフォールメモリーを使ったときから、私たちの関係はここからは始まるのだ。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 その声はとても小さかったが、それでも私にはハッキリと聞こえた。

 指輪を握りしめながら嗚咽を漏らし、炎の中でその事実を彼女は受け入れた。

 裏帳簿の存在とギルドマスターの指輪、このふたつが私たちの関係を決定づけたのである。

 

 

 人の信頼を勝ち取るのに必要なもの、それは誠実さだと私は思っている。

 しかし誠実さとは酷く曖昧で、言うなれば簡単に壊れてしまう存在だ。

 だったらもっとわかりやすくて丈夫なもの、それこそ絶対の悪意で補強すればいい。

 

 

「気にするな、誰にだって辛いときはある」

 

 

 極上の悪意で誠実さを上塗りすれば、その信頼は絶対に壊れないのである。

 これで私と彼女の関係は対等となり、ギルドを運営する際の障害もなくなった。

 後はプライドを殺して奴のギルドを解体し、そして彼女を利用して組織を大きくする。

 

 

 今にも倒れそうな彼女を支えて、その頭を優しく撫でながら私は微笑む。

 彼女の人生には少なからず同情するが、今更教団と敵対した事実は変わらない。

 私が出世するための道具として、彼女には可能な限り道化を演じてもらおう。

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 私は勘違いしていたかもしれない。彼という人間を見極めようとして、気がつけば振り回されている自分がいた。

 地下室でのやり取りだってそう、全ては私の失敗でしかなかった。

 あの日のことは今でもハッキリと覚えている。突然苦しみだしたベナウィに、私は子供のように慌てていただけだ。

 

 

 彼が現れてベナウィを殺した時だって、私は見ていることしかできなかった。

 自分でも情けなくて笑えるというか、彼がいなければここまでこれなかったと思う。

 それこそ裏帳簿の場所を知ることや、ギルドマスターの証である指輪を見つけることもね。

 

 

 彼のやっていることは間違っている。ええ、それくらいは子供にだってわかるわ。

 でも、その行動力に私は救われていたと思う。それはサラマンダーギルドを襲った時もそうだった。

 彼がいなければこんなにも早く糸口を見つけて、そしてこの子の前に来ることだってできなかった。

 

 

 

「お姉さま!」

 

 

 ターニャ=ジークハイデン。私の冒険者としての功績が認められた時、王宮に招待された際に知り合った女の子。

 アルのクラスメイトで私の妹的な存在、久しぶりに会った彼女は昔と変わらなくて、そんな雰囲気に私は少しだけ安心した。

 

 

「良かった、アルは来ていないようね」

 

 

 王立コスモディア学園。ここは学園に設置されたカフェテラスであり、アルを通してターニャちゃんと待ち合わせをしてた。

 それは私というよりは彼の考えだったけど、今の私たちにはこれしか方法がなかった。

 

 

「お姉さま、どうしてこの男とお姉さまが一緒にいるのですか」

 

 ターニャちゃんは不満そうだったけど、私の話を聞く内にその表情が変わった。

 私たちの於かれている状況について、あまりにも大きな内容に戸惑っていたわ。

 

 

 

「これがサラマンダーギルドの裏帳簿、ここに教団との関わりが記載されてる」

 

 

 私やアルと仲が良いこともあって、この子は人魔教団のことをよく知っている。

 何度か関わらないよう釘は刺したけど、私が何度言っても聞かないから苦労した。

 正直、この子の情報で仲間が助かったこともあるから、私としても強く出られないのが本音だったりする。

 

 

「その……これは本当なんでしょうか。いえ、お姉さまのことを疑うわけではないですが――」

 

 

 私は自分の記憶が曖昧であることと、この王都に来てからのことを説明したわ。

 できるだけわかりやすいように話したけど、足りない部分や曖昧なとこは彼に任せた。

 全てを話し終えて彼女に帳簿を渡したとき、その手が震えていることに私は気づいた。

 

 

「ゆっくりでいいの。ターニャちゃん、私はあなたの考えを聞かせてほしいだけ」

 

 

 私はターニャちゃんに微笑みながら、その手を優しく握りしめた。

 彼と一緒にいるせいで忘れていたけど、この子は成人すらしていない学生だ。

 彼女のような反応が普通であって、彼が特別だということを忘れてた。



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緋色の剣士と悪意の塊

「私は――この国の王族として、クリストファー=ドレイクは裁かれるべきだと思います。

ギルドを大きくするために多くの者を騙し、陥れていたなんて絶対に許せません。

たとえサラマンダーギルドがなくなったとしても、それで助けられる人がいるなら、私はどんなことだって手伝います」

 

 

 裏帳簿には本当にいろいろなことが書かれていた。それこそ暗殺に奴隷売買、貨幣の偽造や冤罪の斡旋なんかもあってね。

 その中でも特に許せなかったのが、ギルドメンバーへの仕打ちと黒い夜の真実、たぶんターニャちゃんが怒っているのもそれが理由。

 

 

 サラマンダーギルドはその規模を大きくするため、多くの者をスカウトしながらお金を貸していた。

 それ自体は特に問題ないけど、そう言った者はギルドに加入したと同時に、例外なくある種の依頼制限がかけられている。

 それはお金にならないような依頼だけを振り、お金が返せないようにしてギルドに縛るためだ。

 

 

 

「こいつらは……人間じゃない!」

 

 

 しかもそのほとんどが新人(ルーキー)と呼ばれる人たちで、お金が返せなくなると奴隷のよう扱われる。

 ある者は冤罪の証人に利用されて、ある者は辺鄙なギルド支部の管理に回される。

 そうして使い物にならなくなれば、本当に奴隷として売るのが屑(ギルド)の方針らしい。

 

 

 貴族や商人たちの慰みものになったり、闘技場で殺し合わせたりと、あまりにも酷い内容に許せなかったのを覚えてる。

 ターニャちゃんの言う通り、ドレイクの奴は人間じゃないと思った。

 そして、それだけでも十分許せないのに、他にも絶対に許せないことがそこには書かれていたわ。

 

 

 

「黒い夜――あの惨劇が不幸な事故ではなく、教団の実験によるものだったんですね」

 

 

 私の故郷であるヴァルブッキー領で起こった惨劇、黒い夜になにが起こったのか私は知った。

 多くの人間が犠牲となったあの夜の真実、それは領主による魔道具実験の失敗ではなく、教団による人体実験の結果だった。

 人の魂を魔力に変換したうえで、それを特定の個人へと移植する内容、喰人魔造(ホムンクルス)と呼ばれる人間を生み出すための生贄だった。

 

 

「ええ、人の魂を魔力に変換するなんて、どこまでも下衆な考え方だわ」

 

 

 あの事件で多くの者が大切な人を失い、住む場所と生きる気力を奪われた。

 国王様は領主であるヴァルブッキー家を糾弾し、彼らの身分と財産を取りあげすらした。

 あの事件で一族のほとんどが死んだけど、確か領主の一人娘だけは生きていたはずだ。

 

 

 トライアンフの人たちは初めから領主ではなく、他に黒幕がいると思っていたけど、これで彼女たちの名誉も回復できる。

 ヴァルブッキー家。当時の私はそこまで関わりがなかったけど、ギルドでグリフォンさんが話してくれたのを覚えてる。

 誰に対しても優しく温厚な人で、領民のことを第一に考えてくれる人。ヴァルブッキー領で生まれたことを、グリフォンさんは誇りに思うべきだと言っていた。

 

 

 

「さて、これで私たちの状況も理解してくれただろう。

 感情的になっているところ悪いが、あまり時間もないので単刀直入に聞こう」

 

 

 ずっと黙っていた彼がその口を開くと、途端にターニャちゃんが不機嫌そうにする。

 理由はよくわからないけど、この二人は仲が悪いのかもしれない。

 そもそもアルに頼まなくても、クラスメイトである彼なら簡単に呼べたと思う。

 

 

 それをわざわざお願いする辺り、なにかしらのトラブルがあったのだろう。

 こんなことを言うのも変だけど、そういうとこは苦手なのかもしれない。

 人付き合いがうまそうには見えないし、なにより彼自身が嫌がっているような気もする。

 

 

「その資料を国王様に渡して、ドレイクの奴を捕まえるまでにどのくらいかかる?」

 

 

「悪いけど、そんなことは私にだってわからない。

お父様には会えると思うけど、証拠があるからと言ってすぐには動けない。

あんたにこんなことを言ってもしょうがないけど、相手は貴族派の重鎮なのよ。

サラマンダーギルドの後ろには門閥貴族がいて、中途半端に動くとこっちが痛い目をみる」

 

 

 そう言ってターニャちゃんはこの国の現状、そして貴族派の内情を説明してくれた。

 私はその辺りのことに詳しいけど、彼はこの国の三大派閥すら知らないと思う。

 ターニャちゃんが話し終わる頃には、さすがの彼も面倒臭そうに舌打ちしてた。

 

 

「わかった、それならば少し方針を変えよう。

 すぐには動かないと分かった以上、ここに私たちがいては危険だからな」

 

 

 そこからの決断は早かった。全ての証拠をターニャちゃんに渡して、私たちは別々に行動しようと提案してね。

 一緒にいると襲われる可能性も上がるし、なにより無関係の人にも迷惑がかかる。

 王党派が門閥貴族を黙らせるまでの間、私たちは逃げ続けないといけない。

 

 

 さすがの教団も王族は襲わないけど、私たちはいつ攻撃されても不思議じゃない。

 一緒に行動するのはまずいだろうし、彼の屋敷にはセシルさんとシアンちゃんがいる。

 最低でも半月……いや、一カ月は覚悟した方がいいかもしれない。

 

 

「約束はできないからね。できるだけ頑張るけど、もしかしたら一カ月以上かかるかもしれない」

 

 

「君なら大丈夫だろう。こう見えても君のことは認めているし、なによりあの頃とは別人のようだからな。

 随分と成長したじゃないか、今の君なら安心して任せられる」

 

 

「うっ……うっさいわね!」

 

 

 こうして私たちは二週間に一度、このテラスに集まることだけを決めて、そのまま別々の道を歩き始めた。

 ターニャちゃんは学園にいたほうが安全だし、彼は少しのあいだ王都を離れると言ってた。

 私は彼の提案でスラム街に拠点を置き、彼の屋敷を見張りながら生活する予定だ。

 

 

 彼女たちを連れて王都を離れるのは目立つし、なにより彼がいなければ教団も手が出せない。

 最悪の場合は私が身代わりとなって、あの二人だけでも助ければいい。

 教団の人間が諦めるとも思えないけど、それでも二人を連れて行くのは危険すぎる。

 

 

「それじゃあ、二週間後に集まるとしよう」

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

 それからの私は……どこか退屈した日々を過ごしていたと思う。スラム街の安宿を借りて、あいつの屋敷を見張った後に部屋へと戻る。

 最初の一週間は緊張していたけど、意外にもドレイクの方に動きはなかった。

 私の情報源は王都の新聞くらいしかなかったけど、それでも特別なことはなかったと思う。

 

 

 夕方ごろに準備をしてから宿を出て、明け方まで彼の屋敷を見張る毎日。

 冬空の冷たい空気が私を包み、綺麗な夜空が私を励ましてくれる。

 時折聞こえてくる大きな声は、おそらくセシルさんのものだと思う。

 

 

 夜中まで勉強をしているちびっこに、彼女は何度も注意しているようだった。

 まるで本当の家族みたいに、その姿を見ながら思わず苦笑いしてしまう。

 私たちにもあったかもしれない未来、夜中まで勉強しているアルを怒り、それをお母さんが宥めてくれる光景。

 

 

 

「私って……どこで間違えたんだろ」

 

 

 私の両手は赤くに染まっている。それは教団と戦うことを決めたときから、日常に戻れないことは覚悟していた。

 それこそ、全ての原罪司教を殺して教団を潰したら、私は全てのことを打ち明けようと思っている。

 それは私という犯罪者が自首するために、アルやターニャちゃんに迷惑をかけないためだ。

 

 

 たとえどんな理由があったとしても、人を傷つける理由にはならないもの。

 私にあいつを責める権利なんてないし、ここにいるのもちょっとした罪悪感からで、彼の役に立ちたいと思ったからだ。

 今思えば私なんかじゃ力不足だったと、そう思えるほどにあいつは凄かった。

 

 

 

「全く、あいつといると調子が狂うのよね」

 

 

 そんなことを考えながら毎日を過ごし、一日……また一日と時間が流れていく。

 相変わらず教団側に動きはなくて、少し退屈な日々を送っていたと思う。

 それが一番いいことだとわかってはいたけど、あまりにも普通過ぎる毎日に、私は言いようのない不気味さを感じていた。

 

 

 それは大きなことが起こる前触れというか、ある種の予感だったように思う。

 事実、スラム街で生活するようになってから丁度二週間目、私は外からの悲鳴によって目覚めた。

 激しい揺れと共に響き渡る音色、それは教会の鐘によく似ていたと思う。

 

 

「ああ……そう、やっぱりそう簡単にはいかないわよね」

 

 

 スラム街の中に現れた巨大な門、窓から見えるそれが私の心をかき乱す。

 そしてその門がゆっくりと開くと、中から黒い塊が一斉に飛び出した。

 なにが起こっているかはわからないけど、それでもあの塊には見覚えがある。

 

 

 

「嘘でしょ……あいつら王都の中でなに考えてんのよ――」

 

 

 気がつけば唇から血が流れ、その拳を振り下ろしていた。

 虚しい音が部屋の中に響き、無数の悲鳴が窓の外から聞こえてくる。

 大きな地鳴りと建物が崩れる光景、私は剣を片手に部屋を飛び出した。

 

 

 

「私の見間違いでなければ、あの影は全部魔物だった」

 

 

 夕焼けが黒く染まると同時に、そいつらは人間へと牙を剥いた。

 通りにいた人は必死に逃げるが、あまりにも数が多すぎるせいで、あっという間に呑み込まれてしまう。

 一部の人間は武器を持って応戦するが、あの魔物は冒険者でも手こずる相手で、最低でも中級魔法が必要になってくる。

 

 

 私は無数の術式を展開すると、周囲にいた人を一か所に集めてね。

 あいつが聞いたら怒りそうだが、それでもこのまま見ているだけなんて嫌だった。

 黒い濁流へ向かって無数の剣を放ち、勢いが収まった瞬間に動けない人を助け、多くの人を扇動しながらスラム街を離れる。

 

 

 スラム街の中はその造りから兵士が少なく、応援が来るとしても時間がかかる。

 それならば助けを求めるためにも、一旦スラム街を出るべきだと考えた。

 国王様もこの状況を知っているだろうし、すぐに応援が来るとは思うけど、それでも今は一分一秒すら惜しい。

 

 

 術式を展開しながら魔物を牽制し、一人でも多くの人を助けようと剣を振るう。

 この攻撃が教団によるものだとしたら、おそらく私を狙っているはずだ。

 

 

「本当に、私ってば損な性格よね」

 

 

 それなら私が囮となって、できるだけ多くの人を逃がせばいい。

 私のせいで襲われている人がいるのに、自分だけ逃げることなんてできない。

 

 

 たとえ魔力が尽きても剣を振るい、腕が千切れても噛みつけばいい。

 今の私にできることは、それこそ一人でも多くの人を救うことだから――




赤い月編に関してですが、最後まで完成しているので連日投稿を行う予定です。感想をくれたら更に頑張ります!


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赤い月(粛清編)
邪教の幹部は都市を眺める


「本当に、ありがとうございます」

 

 

何度スラム街を往復しただろう。無数の魔物を殺しているが、それでもその数が減っているとは思えない。

気がつけば雪がちらつき始め、綺麗な星空が私を照らしてくれる。

通りは無数の死体で溢れかえり、冷たい空気が私の頬を赤くする。

 

 

感覚を研ぎ澄ませながら、私はスラム街を走り回った。

どんな魔物であろうと戦い、ただがむしゃらに剣を振るう。

多くの人をスラム街から連れ出し、多くの魔物をあの世に送った。

 

 

できるだけ動ける人を優先して、一部の人は見殺しにするしかなかった。

罪悪感がなかったかと聞かれれば、私は迷わずに否定すると思う。

だって、今の私には罪悪感しかなかった。怪我や痛みに苦しんでいる人に、私はただ謝ることしかできなかった。

 

 

ええ、助けた人たちは私に感謝してくれた。ありがとう――なんて、そんな優しい言葉までかけてくれた。

 私のせいでみんなが苦しんでいるのに、あの人たちは何度も励ましてくれた。

 自分たちも力になりたいと言い、慣れない剣を必死に振るってくれたわ。

 

 

 傷だらけの私を助けようと、多くの人が魔物に立ち向かってくれた。

 多くの人が怪我人に肩を貸して、あの地獄から抜け出そうと努力した。

 そんな姿を見ながら私は剣を振るい、無数の術式を展開しながら応えたわ。

 

 

「あなたのおかげです、本当にありがとうございました」

 

 

 だから、私は感謝されるたびに心が痛んだ。気がつけばあれだけ聞こえていた悲鳴がやみ、私は誰もいない通りを歩いていた。

 空では無数の魔物たちが旋回し、ちらつく雪が辺りを赤くする。

 肌を突き刺すような冷たい風と、時折聞こえてくる地響きに私は笑う。

 

 

 それは私という存在に対する憐れみ……いえ、それは怒りだったかもしれない。

 あまりにも自分勝手な行いに対する、ただの怒りでしかなかった。

 周囲の建物が燃えあがり、辺りを無数の瓦礫が支配する。

 

 

大鬼(オーガ)――全く、また随分と大物が来たわね」

 

 大鬼(オーガ)。そいつは餓鬼と呼ばれる魔物の変異種で、その特徴は見上げるほどに大きな体と凶暴性だ。

 魔物の中でも上位種と呼ばれるタイプで、私もギルドからの依頼で討伐したことがあった。

 どちらかと言えば個人ではなく、チームとして戦うべき相手だ。

 

 

 周囲の瓦礫を蹴散らす姿に、気がつけば苦笑いしていたと思う。

 地響きの原因はこいつだったのかと、私は剣を構えながら呆れていた。

 どうやら想像以上に疲れていたようで、手足が鉛のように重かった。

 

 

「悪いけど、私はまだ死ぬわけにはいかない!」

 

 

 巨体から振るわれる拳は私より大きく、あまりの威力に地面が割れていた。

 オーガが攻撃するたびに辺りは崩れ、あれほど密集していた建物も、気がつけば更地へと変貌している。

 私もその攻撃に合わせて剣を振るうが、オーガの分厚い皮膚に阻まれてしまう。

 

 

 本来であれば前衛が攻撃を防いで、その隙に後方が魔法で攻撃するものだ。

 しかし、今の私には頼りになる仲間もいなければ、逃げることすら許されない状況だった。

 

 

「緋色の剣士の本気、特別に見せてあげるわ」

 

 

 ここでこいつを止めなければ、もっと大きな被害がでてしまう。

 私は周囲の地形すらも利用して、できるだけオーガの動きを封じ込めた。

 人型の魔物であるということは、その弱点も人間と似ているはずだ。

 

 

 私は相手が魔物であることを忘れ、一人の人間と戦うつもりで剣を振るう。

 たとえどれだけ分厚い皮膚であっても、場所によっては効果があると思った。

 剣の投擲により敵の視界を塞ぎ、その隙に剣を突き刺しながら移動する。

 

 

 足首を重点的に狙うことで、少しずつ皮膚を削ってダメージを与える。

 オーガが嫌がるように足をあげれば、その隙を狙って術式を展開した。

 私の狙いはその視界を完全に奪うこと、両目を潰せば後はどうにでもなる。

 

 

 無数の術式が浮かびあがり、その中から剣の切っ先が顔を出す。

 こいつを倒すのに時間をかければ、それだけ大勢の人が苦しんでしまう。

 たとえどれだけの魔力を消費したとしても、この一撃でオーガを殺さないといけない。

 

 

 放たれた剣はオーガの両目を潰し、そこから全身を針鼠のように包んだ。

 オーガがバランスを崩して倒れれば、すぐにその喉を切り裂いて剣を振るう。

 血の雨を降らせながら雪を溶かし、暴れる体が周囲の建物を破壊する。

 

 

 辺りは異様な熱気に支配されて、真っ赤な雪が通りを埋め尽くす。

 喉を切り裂かれても暴れる姿は、もはや最後の悪あがきでしかなかった。

 さすがの生命力に私も苦笑いしたが、それも心臓に突き刺した一振りによって、やっとスラム街にささやかな平穏が訪れた。

 

 

「ははは、さすがの私も疲れちゃったみたいね」

 

 

 突き刺した剣を支えにしながら、私はオーガのそれを全身に浴びていた。

 かなりの魔力を消費してしまったが、それでも殺せたなら安いものだ。

 強烈な血なまぐささに包まれながら、私はできるだけ呼吸を整える。

 

 

 まだ戦いは終わっていない。あの門はまだ閉じていないし、魔物の群れはその強さを増している。

 たとえ生きている人がいなかったとしても、私がここを離れるわけにはいかない。

 誰もいないというなら壁となり、生きている人がいるなら迎えに行く、私にはこの惨状を招いた責任がある。

 

 

「あれって――」

 

 

 私が顔をあげた瞬間、スラム街の中心部で火柱が上がった。

 それは魔物の攻撃というより、どちらかと言えば人間に近かったと思う。

 私はオーガから剣を引き抜くと、重い体を引きずりながら走る。

 

 

 私の予想が正しければ、あれは魔物を倒すというより助けを求めていた。

 これだけの魔物に襲われながら、それでも戦っている人がいるなら、私はその人のために剣を振るいたいと思った。

 上空からの攻撃を躱しつつ、剣を振るいながら駆け抜ける。

 

 

 もはやどれだけの魔物を殺して、どれだけ走ったかも覚えていない

 ただがむしゃらに私は戦い、そして火柱の元へと辿り着いた。

 無数の魔物がその身を焼かれ、無数の魔物がその建物を包囲している。

 

 

 私が剣を振るいながら向かった先に、その孤児院と彼女たちがいた。

 ええ、この状況で一番会いたくなかった人物、絶対に関係ないだろうと思っていた人間だ。

 どうしてここにいるのか、なんでこんなことをしているのかわからない……でも、確かにあの子たちはそこで戦っていた。

 

 

「ベル姉!」

 

「えっ、お姉さま!?」

 

 

 その二人は私よりも酷かったと思う。体中を傷だらけにして、持っていた剣も刃こぼれしてた。

 私は目の前の魔物を切り伏せると、そのまま二人の前で術式を展開する。

 魔力なんてほとんどなかったけど、それでも私たちには時間が必要だった。

 

 

「なんでここにいるのか、後で話してもらうわよ」

 

 その孤児院はスラム街の中でもかなり大きく、建物の周囲は高い壁で覆われていた。

 隣接する建物はそれ以上の高さがあり、そこは守りながら戦うのに向いた地形だった。

 この二人がこんな地獄の中でも、なんとか戦えていた理由はそれだと思う。

 

 

 入り口さえ守っていれば、周囲から魔物に襲われる心配はない。

 孤児院の方に視線を向ければ、ガラス越しに大勢の人が見えた。

 ここがなんなのかは知らないけど、それでも二人が戦っている理由はわかったわ。

 

 

「さて、これはどういうことかしら」

 

 最後の一匹を切り殺すと、私は踵を返して二人を問い詰めた。

 ここは子供がいていい場所じゃないし、なによりあまりにも状況が悪い。

 気がつけば私の右腕が動き、アルはその頬を抑えていたわ。

 

 

「お姉さま違うんです!アルは私を助けに来ただけで、全部私が悪いんです!」

 

 

 ターニャちゃんが私たちの間に入り、必死にアルのことを庇っていた。

 自分も傷だらけだと言うのに、彼女は泣きながら説明してくれたわ。

 どうしてふたりがここにいるのか、この孤児院がどういうものかもね。

 

 

 それは本当に彼女らしいというか、あまりにも軽はずみな行動だった。

 ターニャちゃんは少し前にこの孤児院を建てて、スラム街の子供を助けていたらしい。

 それはこの国の王族として、恵まれている自分がやるべきだと思ってね。

 

 孤児院ができてからは定期的に来て、ここの子供たちとよく遊んでいた。

 そして、今日はそんな彼女が孤児院に来ていた日……そう、気がつけば魔物の群れに囲まれていたのよ。

 

 

 最初は子供たちを助けるために戦っていたけど、気がつけば大勢の人が助けを求めてきた。

 人が増えればそれだけ魔物も増えて、危ないところをアルが助けに来たらしい。

 そして、孤児院にいる人を見捨てるわけにもいかず、ここで助けが来るのを待っていたそうだ。

 

 

 

「そう……わかったわ」

 

 

 だけど、今の私にはそんなことうでも良かった。彼女の行いは確かに素晴らしいけど、それはその命を危険に晒してまで、行う必要があるとは思えない。

 ターニャちゃんの命はここにいる誰よりも重い。それはここにいる私たちは当然として、孤児院にいる誰よりも大切なのだ。

 そんな彼女が護衛も連れずに孤児院を訪れ、更には戦っていることの方が問題だった。

 

 

 ターニャちゃんの近くにいたアルなら、そんなことは初めからわかっていたはずだ。

 万が一彼女の身になにかあったら、それこそ孤児院の人は処罰されてしまう。

 だから私はターニャちゃんの頭を撫でて、そのことをもう一度説明した。

 

 

 私たちの命と彼女の命は同等ではないこと、ターニャちゃんを止めなかった弟にも責任があるとね。

 ターニャちゃんは必死に否定していたけど、それでもアルを許すわけにはいかなかった。

 私はアルに視線を移すと口を開き、ただ有無を言わさず一方的にこう伝えた。

 

 

「ターニャちゃんを守りなさい。たとえどんなことがあっても、あの孤児院から出てはだめよ」

 

 

 私が言っていることの意味を、この子ならわかってくれると信じていた。

 それはアルに対する罰であり、ターニャちゃんに対する優しい嘘でね。

 既に私の魔力は残っていないし、追い払ったはずの魔物が再び集まっていた。

 

 

「いい?王都からの応援が来るまで、絶対に孤児院の中から出てはダメ」

 

 二人は傷だらけで戦えないし、今の私にはそういう選択しかなかった。

 アルはなにか言いたそうに口を開き、私の顔を見て泣きながら笑っていたわ。

 だぶん、今の私は酷い顔だったと思う。まるで幼い子供を注意するように、ただアルに対して辛い選択を押しつけていた。

 

 

 ターニャちゃんのやったことは間違っている。ええ、誰が聞いても同じように答えると思う。

 だけど、そんな王族がいてもいいのではないかと、どこかでそう思っている自分もいた。

 アルの取った行動は間違っていたけど、それでも褒めてあげたい私がいたの。

 

 

「ごめんなさいお姉さま、本当にごめんなさい」

 

 だから……たぶんこれは演技なんだと思う。いきなりアルの頬を叩いたのも、強い口調で言い聞かせたのだって全部――そう、駄目な子供を守るための演技だった。

 涙を流しながら謝り続ける彼女に、私は一度だけその体を抱きしめて伝える。

 

 

 

「泣かないの、そんな風に泣いてたらアルに嫌われるよ?

 私のことは大丈夫だから……だからあんたは安心して待ってなさい」

 

 

 そう言って彼女を突き飛ばすと、全てをアルに任せて剣を握る。

 可愛い弟は瞳に涙を溜めてうなずき、ターニャちゃんはその手を伸ばしていた。

 彼女は声にならない言葉をあげて、アルは肩を震わせながら歩いていく、私はそんな二人に小さく手を振ったわ。

 

 

 まさか、あの子がこんなにも成長していたなんて、気がつけば彼女との出会いを思い出していた。

 王宮の中でいつもひとりぼっちだったあの子を、私が王宮の外へ連れ出したあの日のこと。

 友達を欲しがっていた彼女にアルを紹介した日のこと、そして再び出会ったあのテラスでの会話。

 

 

 その全てを思い出しながら、私はもう一度力強く剣を握った。

 どこまでもつかはわからない。だけど、私がいなくなったとしても彼がいる。

 あの男がいればあの子たちは大丈夫、きっと教団の攻撃から二人を守ってくれる。

 

 

「さあ、トライアンフの実力を見せてあげましょう」

 

 

――――――――――――――――――

 

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邪教の幹部は死体を見下ろす

冬空を照らす無数の光、それはその時折によって表情を変える。

 王都は真っ白な雪に包まれ、輝く光は悲鳴をあげながら蹂躙されていた。

 この世界は相変わらず狂気じみており、その理不尽さはテロリストもびっくりである。

 

 人間の命が消耗品のように扱われ、その重さはちり紙よりも軽い。

 スラム街は血と悲鳴が蔓延し、無数の死体が通りを埋め尽くす。

 もはや王都の一部はその機能を失っており、誰もがその状況を受け入れていたように思う。

 

 

「それで?俺は言われた通りやったが、これからどうするつもりだ」

 

 スラム街の中心に現れた巨大な門、そこから無数の化物が現れる。

 それはあの殲滅戦を彷彿とさせ、この状況に多くの人間が困惑しただろう。

 事実、この状況に王都の兵士は混乱し、未だに化物たちが暴れていたよ。

 

 

「勿論、あの女を殺しに行きます。

 お忘れですが、今回の情報は私が教皇様にお伝えしたのです」

 

 

 そう言って私は目の前の男、クストファー=ドレイクに視線を向けた。

 彼こそがこの状況を作りだし、あれほどの魔物を召喚した人間である。

 私の言葉に彼は舌打ちしたが、おそらくプライドも不安なのだろう。

 

 

「けっ、あの方のご命令じゃなければ、俺はお前なんかとは組まなかった。

 トライアンフの時もそうだが、お前のやり方は気に食わねぇ」

 

 

 私たちは教皇様の命令により、王都のスラム街を徹底的に攻撃している。

 全ては緋色の剣士をおびきだし、彼女とその仲間を殺すためである。

 これだけ大勢の者が死ねば、たとえその中にトライアンフの生き残りがいても、そこに疑問を持つ者はいなくなる。

 

 

 木を隠すなら森の中というが、同じように人を殺すなら大勢を殺せばいい。

 そうすることで本来の狙いがなにか、本当に殺したかった相手を隠せるのである。

 つまり、私たちは彼女を殺すためだけに、スラム街にいた人間も殺しているのだ。

 

 

「あの女と一緒にいたのもそうだが、この件が片付いたらベナウィのことも説明しろ。

 教皇様はお前のことを気にいってるが、俺やエンヴィーは認めちゃいねぇ。

 クロノスの時もそうだったが、原罪司教(ラース)になる奴は信用できねぇからな」

 

 私が教皇様に彼女の居場所を伝えた結果、敬愛する上司はスラム街への攻撃を命じてね。

 全ての発端であるプライドを呼び、そして地獄(ソロモン)の扉が使用されることとなった。

 私の役目は扉の使用による混乱に乗じて、彼女たちトライアンフの生き残りを殺すことであり、それは教皇様が私に与えた罰であるともいえた。

 

 

「その件なら既に説明していますし、なにより教皇様はその罰として私に命じました。

 貴方がスラム街を攻撃している間に、私が緋色の剣士とその仲間を殺すようにとね

 個人的にはその……クロノス?ですか、その方に興味はありますが、まずは与えられた仕事を終わらせるとしましょう」

 

 

 どんな理由があったとしても、私が彼女と行動していたのは事実であり、プライドの部下を見殺しにしたのも本当だ。

 そして、そのことで教皇様は私のことを疑い、今回の作戦を命じたのである。

 私に彼女たちを殺させることで、その真意を確かめるつもりなのだ。

 

 

 この件には保険としてスロウスも参加しており、表向きは王都の兵士を混乱させる役目だ。

 だが、おそらくは私の行動を監視するためだろう。事実、プライドはこの件に関して彼の参加を求めていた。

 それは私という個人に対する感情か、それともラースという役職に起因するかはわからない。

 

 

「まあ、精々頑張ってこいや」

 

 

 しかし、それでも彼はその設定を信じたのである。

 私は持っていたクロノスの感触を確かめると、そのままなにも言わずに踵を返す。

 今もどこかで見ているだろう同僚(スロウス)に、私は心の中で微笑んだのである。

 

 

 全てがスローモーションのように動き、クロノスの刃が全てを終わらせる。

 研ぎ澄まされた悪意が肉を切り裂き、周囲の雪はその輝きを失っていた。

 気がつけば暖かい空気が私を包み、彼は驚きながらひざまずいていたよ。

 

 

「あん?どうし……!?」

 

 

 それは私が待ち望んだ瞬間であり、彼にとっては最悪の結末だった。

 突然のことにプライドは困惑し、私は仮面を外しながら手元を動かす。

 引き抜かれた刃が周囲を汚し、プライドは震えながら私を見上げている。

 

 

 あれだけ切望した瞬間だというのに、終わってみれば酷く呆気なかった。

 言葉にならない声をあげながら、必死に抗おうとする彼を見下ろし、私はもう一度だけクロノスを振るう。

 まるで某宗教団体の教祖様のように、彼の体は地面に縫いつけられ、その背中にはクロノスが突き刺さっていた。

 

 

「こ……こんなことをして――」

 

 

「こんなことをして?まさか、こんなことを教皇様が許すはずないと、本気でそう思っているのですか?」

 

 

 この状況で彼が口にした言葉は、本当にどうしようもないものだった。

 これだけ出血しているにも関わらず、その口を開いたのにも驚いたが、それでも今更そんなことを言うとは思わなかった。

 まさかこの粛清が私の独断であり、この惨状をスロウスだけで治められると、彼は本気でそう思っているのだろうか。

 

 

 これだけの惨状を作りだし、これだけの人間を殺したにも関わらず、それでも自分の立場は安泰だと……ああ、本気でそう思っていたならどうしようもない。

 そもそも、少し考えれば気づきそうなものである。

 まあ、まさかあの教皇様がプライドの粛清を許可し、更には全ての惨劇を利用して王族に取りいろうなどと、そんな風に考えているとは夢にも思わないか。

 

 

「せっかくですから、貴方にもわかるよう説明してあげましょうか。

 この命令の裏でなにが行われていたのか、私の計画とその先の未来についてもね」

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

「おや?待たせてしまったかな。

 ハイブに言われて大急ぎで来たんだけど、その様子だと面白い話が聞けそうだね」

 

 

 あの日、学園で彼女たちと今後の方針について話し合った後、私はハイブを通してスロウスを呼んでいた。

 既に私の計画は最終段階へ進んでおり、彼の協力さえあればいつでも始められる。

 この計画にはスロウスの力が必要であり、今回はあの時とは違って彼にも利益(メリット)があった。

 

 

 私たちと対立していたあの馬鹿を排除し、そのカテドラルを私が吸収するのである。

 その力さえ手に入れれば、これまでのように彼を頼る必要もなくなり、私の方から人材支援や資金提供も可能となる。

 そしてこれは私たちだけでなく、人魔教団という組織的にも有意義といえる。

 

 

「ターニャ=ジークハイデン、まさか私たちのことがバレるとはね。

 確かにトライアンフの件はかなり強引だったけど、緋色の剣士と御姫様が知り合いとは思わなかった。

 これはさすがの教皇様も庇えないというか……うん、君の話が本当なら試す価値はあるだろうね」

 

 

 私はこれまでの経緯を話すことで、スロウスにこの件に関する協力を求めた。

 それは私という人間が裏切ったのではなく、あくまで教団のために行動したと主張(アピール)するためでもある。

 

 

 いずれ私が彼女と行動を共にしていたこと、そしてベナウィを殺した事実は知られるだろう。

 それならば先に全てを話すことで、スロウスを味方にすべきだと考えた。

 だから私は彼女が屋敷を訪れた経緯、その真意と情報を得るために行動を共にしたこと、そして御姫様との接触を話したのである。

 

 

「私にも非はあるでしょうが、緋色の剣士がどこまで知っているかわからなかった以上、簡単に殺すこともできませんでした。

 彼女に協力する王族が誰なのか、そしてその王族がどこまで知っているのか探る必要があったのです。

 結局、緋色の剣士が私たちとの戦闘で記憶の一部を失い、その王族がこの国の御姫様であることまでは突きとめましたが、その代償としてプライドの部下と彼の素性が知られました」

 

 

 ベナウィを殺したのは教団の秘密を守るため、彼女を殺さなかったのは協力者を見つけるためだと説明したよ。

 そして、プライドの素性が既に知られていること、王族が動き始めていることを伝えてね。

 無論、その過程や時系列については変更させてもらったが、結果としてプライドの素性が王族に知られたのである。

 

 

 この国最大のギルドが人魔教団の子会社であること、そのマスターがあの惨劇に関与していることが知られた。

 こうなっては残された道は二つしかない。王族と緋色の剣士を皆殺しにするか、もしくは全ての罪をプライドに着せて殺すかだ。

 ここまで話せば私が考えていること、スロウスを呼びだした理由もわかるだろう。

 

 

 つまり、あくまで私は教団を守るためにプライドを殺すのだ。

 その後は御姫様を通じて国王へと近づき、プライドを殺した報酬としてギルドを要求する。

 ギルドマスターには緋色の剣士を推薦し、冒険者としてサラマンダーギルドの者を使えばいい。

 

 

 教団は王族への関係(コネクション)を獲得し、サラマンダーギルドは名前を変えて存続する。

 表向きは教団と敵対するギルドであり、その価値は従来のそれとは比較にならない。

 教団にとって不利な情報は握り潰し、敵対する人間をリストアップすることも可能だ。

 

 

 

「わかった。君がそこまで考えているなら、私も全面的に協力してあげよう。

 教皇様の御考え次第だけど、おそらくプライドを排除する方向で決まるだろう。

 私からも一言いっておくから、君はそのつもりで動くといい」

 

 

 そう言って楽しそうに笑う彼に、私はもう一つの要件を伝えてね。

 それはあの森でベナウィが発した言葉、緋色の剣士と相対したときに口走ったものだ。

 当時はそこまで気にならなかったが、今思えばあまりにもおかしいのである。

 

 

 私がこの計画を進めていく中で、それは突然湧いてきたある種の疑問だった。

 どうしてあの男は彼女の付けていた仮面、私の屋敷にあったそれを見て脅えていたのか。

 今でもハッキリと覚えている。彼が口走ったクロノスという言葉と、そして暴食(グラトニー)が殺したはずだという言葉だ。

 

 

 

「お聞きしたいのですが、クロノスとは誰のことですか」

 

 

 部屋を出ていこうとする彼に、私はその言葉を投げかける。

 それはちょっとした好奇心というか、あくまで雑談のようなものだったが、その瞬間空気が変わったのである。

 

 

 

「どこで――その話を聞きました?」

 

 

スロウスはドアノブに手をかけたまま、振り向かずにその口を開いた。

普段の彼からは想像できないような雰囲気に、改めて彼が原罪司教の一人だと気づかされたよ。

今にも攻撃してきそうな状況に、私の方が困惑したほどである。

 

 

「ベナウィが私の屋敷にあった仮面を見たとき、まるで死人にでも会ったかのように脅えていました。

 グラトニーが殺したはずだと言って、あからさまに動揺していたのです」

 

 

 だから……というわけでもないが、私はその人物にとても興味を抱いてね。

 彼をここまで警戒させる人物が何者なのか、グラトニーが殺したという話もそうだが、教皇様の命令を無視したという点も気になる。

 今更ベナウィを拷問してでも聞くべきだったと、そう思ってはいたがしょうがない。

 

 

 あの時はそこまでの余裕がなかったし、なにより彼女がいたので聞くこともできなかった。

 地下牢に閉じ込めたときもそうだが、あんな約束さえしなければよかったと、私はスロウスを見ながら後悔したのである。

 

 

「そうか……それじゃあ、今回の件が片付いたら少しだけ教えてあげよう。

 君にも関係することだから、たぶん教皇様も許してくれるだろうしね。

 ただ、個人的にはそのことについて詮索することはお勧めしない。君もプライドのような末路だけは――嫌だろう?」

 

 

 そう言って部屋を出ていく彼を見ながら、私は大きなため息を吐いてね。

 ひとり残された部屋の中で、私はあの時のことを思いだす。

 それはベナウィが口走った言葉であり、私がもっとも気になっていたことだ。

 

 

「原罪司教でありながら粛清された人間。どんな実験を繰り返していたのか気になるが……まあ、今は教皇様を説得する方が先決だろう」

 

 

 優先順位を間違えてはならない。私がやるべきことは決まっており、先ほどの話は所詮雑談に過ぎない。

 私はハイブに教皇様との面談を頼むと、そのまま屋敷へと戻り今後のことを考える。

 スロウスが協力してくれるのであれば、もはや私の計画は達成されたも同然である。



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邪教の幹部は歴史の真相を知っている

「まさか、貴様の方から私を呼びだす日がくるとはな」

 

 黒円卓間。そこは本社にある巨大な会議室であり、全ての計画が始まった場所。

 ここから全ての惨劇が始まり、地図上から一つの都市が消えたのである。

 全ては私という人間が出世するため、プライドを排除するためのものだ。

 

 

「そんなに脅えずとも、私は怒っているわけではない。

 むしろ、怒りとは真逆の感情を貴様に抱いている。

 話はスロウスから聞いているが、私はそんな建て前などどうでもいいのだ」

 

 

 部屋の中心に置かれたテーブルを囲むように、七つの墓標(モノリス)が私を見下ろしている。

 視線の先には一人の青年が座っており、私はその方の一挙手一投足に注意していた。

 

 

 私は今でも鮮明に覚えている。この御方と初めてお会いした時、彼は童女の見た目で私を見下ろしていた。

 そして次にお会いした時、この御方は今と同じ姿で笑っていた。

 まるで私の驚く姿を楽しむように、それは私の中である種の価値観が崩壊した瞬間でもある。

 

 

 この御方からすれば、我々のように顔を隠すことなど邪魔でしかない。

 顔を見られたところで問題ではないし、そもそも我々は年齢どころか性別すらしらないのだ。

 求められるのは圧倒的な成果であり、見返りとして目もくらむような報酬が与えられる。

 

 

 

「私は知りたいのだよ。スロウスの口からではなく、貴様の口から直接聞きたいのだ。

 私の最高傑作がどんな風に踊るのか、誰を殺してなにに成りたいのかが知りたい」

 

 

 人魔教団という複合企業(コングラマリッド)を統率し、おそらくは王族と同等以上の権力を持っている御方。

 私の敬愛する上司にしてある種の怪物、この計画における絶対的な人物である。

 

 

 教皇(パーブスト)。人魔教団というカテドラルを従え、この御方の手足が我々原罪司教である。

 それぞれがこの国の中枢を掌握しており、その影響力は国王すらも凌駕する。

 この国最大のギルドから始まり、奴隷契約(ギアススクロール)による無尽蔵の兵隊、私の予測では王党派にもその力は及んでいるはずだ。

 

 

「承知致しました。教皇様の御気に召すかはわかりませんが、私の計画をお聞き頂ければと思います」

 

 

 だからこそ、私はこんなところで躓くわけにはいかない。

 私の目標はあくまで本社勤務(ホワイトカラー)になることであり、安心安全な生活を目的としているのだ。

 こんな綱渡りばかりをしていては、いずれ破滅するのは目に見えている。

 

 

 まずは教団内の邪魔者を排除したうえで、全ての情報を私が収集し管理する。

 私はスロウスに話したものと同じ内容を口にし、重要な部分ではその理由と見解を示す。

 やっていることはサラリーマン時代となんら変わらない。メリットとデメリットを提示したうえで、その有用性を細かく説明すればいい。

 

 

 教皇様は私以上の合理主義者であり、私にはこの御方を納得させるだけの武器があった。

 ペンは剣よりも強しというが、この時ほど前世の経験を誇りに思ったことはない。

 もしも神様とやらが本当にいるなら、ピーナッツバターをその御前に捧げてもいい。

 

 

「我々の手で英雄を造り、そして飼いならす……か」

 

 

 既にプライドの情報は国王にも伝わっており、遠くないうちに奴は捕まるだろう。

 教団の情報をもたらしたことは評価されるが、それも評価されるだけであって、いずれは優秀な人間という認識しか残らない。

 私が求めているのはあくまで英雄であり、あの国王と直接会話ができるような立場である。

 

 

 

 そのためにもプライドには踊ってもらおう。……なに、あいつがやることは至極単純だ。

 王都の中でソロモンの扉を開き、できる限り大勢の人間を殺してもらう。

 そうすることで人々はあいつのことを忘れないし、その惨劇が風化することもないだろう。

 事件が風化しないのであれば、それを解決した英雄も生き続ける。

 

 

 最強のマッチポンプだよ。教皇様の命令で奴に王都を襲わせて、ある程度暴れたら奴を殺せばいい。

 プライドの能力が魔物を召喚するものであり、ギルドマスターという地位も魅力的といえる。

 敵が大きければ大きいほど、それは絶大な評価と信頼に繋がるのである。

 

 

「そこまで言うなら貴様に任せよう、奴には私の方から指示を出しておく」

 

 こうして、哀れなプライドの運命は決まったのである。

 

 

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

「どうですか、その名前を歴史に刻んだ気分は?」

 

 

 既に言葉を発することもできないのか、彼はうつろな瞳で見上げていたよ。

 今のプライドは人魔教団の大司教ではなく、ましてやサラマンダーギルドのマスターですらない。

 この国で百年後まで語られるであろう罪人、その名前は多くの人間が口にするだろう。

 

 

 鬼畜。悪魔。人殺し。私にわかることは彼という人間が死に、新しい歴史が生まれるということだけだ。

 私は彼が死ぬまでの間、ただなにもせずにその姿を見下ろしていたよ。

 時折聞こえてくる悲鳴を肴に、血と硝煙の匂いにその頬を歪ませる。

 

 

 プライドの能力に関して、私は教皇様から幾つかの助言を頂いてね。

 それは彼が死んでもソロモンの扉が消えるだけで、召喚された魔物は消えないという点と、そして今回の惨劇に伯爵(バルバトス)を参加させないというものだ。

 王都のスラム街を場所に選んだのも教皇様だが、これに関しては別に不思議な点もないだろう。

 

 

 緋色の剣士は私の提案でスラム街に隠れており、たとえ魔物に襲撃されても彼女ならば逃げられる。

 スラム街は大勢の人間が生活しており、人を殺すのにも最適な場所といえる。

 王都の警備兵が来るのにも時間がかかるし、なによりスロウスも監視しやすいだろう。

 

 

「ありがとうございます……本当に、貴方が見た目通りの無能で安心しました」

 

 

 ソロモンの扉から無数の光が発せられ、それは冬空を冷たい光で包み込む。

 降り続く雪がその光に反射して、まるで惨劇を覆い隠すかのように幻想的だった。

 鳴りやまない怒号に耳を傾けながら、私は消えてしまったそれに思いを馳せる。

 

 

 あれが消えたということは……つまり、そういうことなのである。

 血だまりに沈む元同僚を見下ろしながら、私は全く別のことを考えていたように思う。

 それはあの日から続く違和感であり、プライドが口にした言葉でもあった。

 

 

「おめでとう、全て君の計画通りだ。

 これでそいつの役目も終わり、後はサラマンダーギルドを引き継げばいい」

 

 

 気がつけば仲が良い方の同僚が現れ、彼は嬉しそうにその死体を見下ろしていた。

 スロウスは死体を確認したうえで頷くと、その首を刎ねて胴体を蹴り飛ばす。

 哀れなそれは地面へと落ちていき、眼下には見慣れた光景が広がっていた。

 

 

 残念ながら彼の粛清(リストラ)を決定した時点で、もはやその価値はなくなったのである。

 それこそ国内最大級のサラマンダーギルド、その管理をするマスターとは思えないような最期だ。

 私はプライドの首を彼から受け取ると、その口を開いて彼に質問してね。

 

 

「この件が落ち着いたら、クロノスのことを教えていただけますか」

 

「勿論だとも、こう見えても私は嘘をつかないタイプだからね。

 ただ……急いだほうがいいかもしれないよ?君に言われた通り緋色の剣士を監視していたけど、彼女はいつ死んでもおかしくない状況だ」

 

 

 スロウスの言葉に思わず動揺してしまう。彼女の監視を彼に頼んだのは私だが、それはあくまで念のためでしかなかった。

 彼女ほど残忍で頭の回る人間ならば、それこそ襲撃された時点で逃げているはずだ。

 それがどうして死にかけているのか、思わず自分の耳を疑ってしまう。

 

 

「どうやら、君も関係しているあの孤児院に御姫様がいたようでね。

 大勢の人間があそこに逃げたせいで、同じように周辺の魔物も集まっている。

 彼女が一人で戦っているようだけど……多勢に無勢、いつ突破されてもおかしくない感じだ」

 

 

 スロウスはどこか楽しそうに話しているが、私としてはそれどころではなかったよ。

 ここで彼女が死んでしまえば、私の計画が大幅に狂ってしまう。

 ただの学生でしかない私にとって、彼女という存在はとても重要である。

 

 

 

 ここで彼女という駒がいなくなれば、ギルドの運営に支障をきたしてしまう。

 スロウスの言葉を聞きながら舌打ちし、私はクロノスを片手に踵を返してね。

 ここで彼とゆっくりしている時間もないし、なによりスロウスもどことなく楽しそうだった。

 

 

「それじゃあ、私はここで君の活躍を応援しているよ。

 サラマンダーギルドの掃除も残っているし、なにより新しい英雄が生まれる日だ。

 君の言葉を借りるなら、それこそ少しくらい劇的なほうがいいだろう?」

 

 

 その言葉はどことなく私を意識したような……なんというか、酷く演技じみていたように思う。

 相変わらずなにを考えているかはわからないが、それでも彼のおかげで私はここにいるのだ。

 せっかく用意してくれたのだし、その茶番劇に付き合うのもいいだろう。

 

 

 結局のところ、スロウスも含めて大勢の人間が私の舞台を楽しんでいるのだ。

 ある者は首を失い、ある者は楽しそうに微笑む。これは私たちだけが知る歴史の真相であり、最終的にこの物語はこう締めくくられるだろう。

 

 その日、英雄が生まれたのだ……と――



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邪教の幹部は英雄を創りだす

「あの馬鹿、一体いつになったら助けに来るのよ」

 

 どれだけ剣を振るっただろう。もはや体の感覚どころか、自分の存在すらもあやふやに感じる。

 無数の死体が私の感情を揺さぶり、降り始めた雪があっという間に解けていく。

 ああ、昨日の私がこの光景をみたらどう思うだろう――なんて、そんな他人事みたいに私は考えていた。

 

 

 気がつけばため息がこぼれて、私は持っていた剣を投げ捨てた。

 根元から折れてしまったそれが、甲高い金属音と共に消えていく。

 私はハリネズミのようになった魔物に近づくと、その体から新しい剣を引き抜いてね。

 

 

 こんなことを言うのも変だけど、この動作にしたって何回目だろうか。

 少なくとも積み上げられた剣と、そして死体の数だけ繰り返したとは思う。

 それは例えるなら流れ作業のような……そんな、どこまでも辛い時間だったのは覚えている。

 

 

 着ていた服は元が何色だったのか、それすらもわからないほど汚れてた。

 私の周りだけ異様な熱気に包まれて、もはや季節という言葉すら忘れていた。

 降り始めた雪を目にして、そこで初めて今が冬だと気づかされたわ。

 

 

 触れた瞬間に解けてしまったけど、その一瞬の冷たさがちょっぴり気持ちよかった。

 見渡す限りの赤色の中で、その小さな白色は私の心を癒してくれた。

 まだやれる……あともう少し、あいつはきっと来てくれる――はは、これじゃあただの夢見がちな少女ね。

 

 

 こんなに汚れてしまったら、きっと王子様だって引いてしまう。

 そういう趣味があるなら別だけど、それでも今の私はやりすぎてると思う。

 袖から滴り落ちる赤色、髪の毛を濡らす赤色、そして頬を伝う赤色。こんなところを見られたらと思うと、さすがの私もどうすればいいかわからない。

 

 

 まあ、あいつがそんなことを気にするとも思えないけど、どうせ――ふむ、汚れたなら洗ってくればいいじゃないか……とか、そんな当たり前のことを言うにきまってる。

 よし、これが終わったらあいつに色々言ってやる。

 私は重い体を引きずりながら、もう一度だけ両手の感触を確かめる。

 

 

「これが終わったら、少しの間冒険者を休業する!

 いい?まずはあったかいお風呂に入って、その後は美味しいご飯をいっぱい食べる!」

 

 

 目の前にいた魔物の腕を切り落とし、返す動作でその頭に剣を突き立てる。

 生暖かい空気が私を更に汚し、その足取りを重くするが関係なかった。

 今止まればどうなるかくらい、それこそ子供にだってわかる。

 

 

「国王様にお会いして全てのことを話し、トライアンフの復興に力を貸してもらう!

 シアンちゃんの修行に付き合いながら、あいつにその借りを返してもらう!」

 

 

 魔物の攻撃を剣で防ぎつつ、そのまま足を切り落として片目を潰す。

 剣が折れれば近くの死体から引き抜き、そいつが動かなくなるまで突き刺した。

 側面から巨大な炎が私を襲い、それを魔物の死体で防ぎつつ距離を取る。

 

 

 私が倒れればアルやターニャちゃんも含めて、孤児院にいる人間は酷い目にあう。

 少しは抵抗して時間を稼ぐだろうけど、それでも私と違って彼らには経験がない。

 あいつが異常なだけであって、学生であれば魔物を倒すのだって難しい。

 

 

 だから私が倒れるわけにはいかない。折れた剣を目の前の死体に投げつけて、私は再びハリネズミからそれを引き抜いた。

 とっくの昔に魔力なんてなくなってるし、今の私にできることなんてこれだけだもの。

 ただがむしゃらに走って、ただ斬って、ただ突き刺して、そして最後に剣を引き抜くだけだ。

 

 

「アルとターニャちゃんに説教して、それが終わったら一緒にご飯を食べる!

 そして……えーっと、それで――遅れたあいつも誘って一生分の文句を言う!」

 

 

 どれだけの魔物を殺しただろう。もはや数えるのも嫌になるくらい、私は魔物の返り血を浴びていた。

 それこそ空から突然襲ってくる奴に、礼儀正しく玄関から入ってくる魔物。

 孤児院の外壁を突き破ってくる奴に、極めつけは外壁の外から攻撃してくる化物もいた。

 

 

 ギルドの仕事でダンジョン攻略に行ったことがあるけど、それもここまで酷くはなかったと思う。

 敵が雑魚ばかりであれば問題なかった。ゴブリンとかオークとか、そう言った奴等であれば私も余裕だった。

 だけど、目の前の巨体を見上げながら私はため息をこぼす。

 

 

「あんたに言ってもしょうがないけど、オーガとか上位種は群れないものなのよ。

 わかる?……まあ、群れてるあんた等は知らないでしょうけどね」

 

 

 外壁を突き破って現れたそいつらに、私には文句をいう権利があると思った。

 それぞれが大きな瓦礫なんかを持って、それを盾にしながら近づいてくる。

 本当に……たまらないわね。こっちは既に満身創痍なのに、こんな奴らが現れたらどうしようもない。

 

 

 見上げるほどに大きなそいつ等に舌打ちして、私はそれでもボロボロの剣を振るった。

 その足を切り落として動きを止め、一秒でも長く時間を稼いだ。

 この時点で私はもう諦めていたように思う。周りが徐々に明るくなり始め、それに伴って兵士の雄叫びも聞こえてくる。

 

 

 その声はまだまだ遠い場所だったけど、それでも私が諦めれば間に合うかもしれない。

 私という人間の命を諦めて、ただアルたちを守ることだけ考えれば――きっと……ううん、それなら間に合わせる自信があった。

 もはやオーガの攻撃を避ける力も、ましてや防ぐ気力すら残っていない。

 

 

「いいわ、特別に私の片腕をくれてあげる。

 だけど、その代わりあんたの命は貰うわよ」

 

 

 もうどうすることもできないないならば、死なない程度に諦めるしかない。

 最初は片腕を諦めて、それでも足りなければ禁忌を解放する。

 どのみち死ぬつもりなのだから、後で誰に言われようと関係ない。

 

 

 私の全てを代償に、あいつ等にはとっておきを見せてあげるわ。

 迫りくるそれを前にして私は苦笑いする。その衝撃と痛みを覚悟しながら、それでも剣だけは握り続けていた。

 全ては一秒でも長く足止めするために、だけど――そう、いつまでたってもその衝撃が来ることはなかった。

 

 

「遅いじゃない、私がどれだけ待ったと思うのよ」

 

 

「申し訳ないが、私も全速力でここまで来たのだ。

 少しくらいは感謝してほしいが……まあ、その様子だと本当に遅かったようだな」

 

 

 目の前のオーガがゆっくりと倒れて、その影から一人の男が姿を見せる。

 そいつはどこか不満そうな態度だったけど、それでも少しだけ喜んでいるようだった。

 こいつにもう少し可愛げがあったなら、私だってこんな言い方はしなかったと思う。

 

 

 だけど、なんだか素直になれない自分がいた。彼はその手に持っていたなにかを投げ捨てて、今まで見たこともないような顔で笑う。

 私にはそれがなんなのかわかっていたし、彼が誇らしげにするのも理解できた。

 

 

 だって、あの巨大な扉が一瞬で消えたんだもの。それを見た瞬間に、私は彼がやったのだとすぐに気づいた。

 魔物の数が少し減っているのにも気づいていたし、なにより兵士の声がかなり近づいてる。

 

 

「クリストファー=ドレイクの首だ。一応断っておくが、私もわざと遅れたわけではない。

 君なら脱出できると思っていたし、なによりこんなところで戦っている方が異常なのだ。

 どうしてかは知らないが、私にだって貴女に思うところはある」

 

 

 本当に可愛くない奴だ。この男に少しでもアルのような可愛らしさがあったら、たぶん私の態度だって違っていたと思う。

 でも……まあ、こいつとはなんだか長い付き合いになりそうね。

 彼の人間性は不合格だけど、こんな状況で来てくれたのは嬉しかった。

 

 

「取りあえず、この魔物を排除してからゆっくり話そう。

 疲れているなら近くで休んでいてもいいが、どうする?」

 

 

「冗談?悪いけど、弟と同い年のあんたに心配されたくないわ。

 むしろ、私の足を引っ張ったら承知しないからね」

 

 

 本当に可愛くない奴だと思う。だけど、彼が来てから少しだけ体が軽くなった。

 それは肉体的なものではなくて、おそらく精神的なものだと思う。

 相変わらず私の体は言うことを聞かないけど、それでもあの気怠さはなくなっていた。

 

 

 体が軽い――それは私も初めての経験だった。お互いに背中合わせに剣を振るい、気がつけば周囲の魔物を圧倒していた。

 これといって言葉を交わすわけでもなく、ただそこに彼がいて私がいるだけなのに、なぜか魔物たちはその数を減らしていった。

 

 

 私の死角をあいつが補ってくれて、あいつのミスを私が防いでた。

 目の前のオーガを圧倒して、それでも止まらずに前へと進んだ。

 前へ…前へ――っと、気がつけば私たちの背後が大変なことになってた。

 こいつと一緒に戦うのは二回目だけど、その二回目がこんなにも楽しいなんて――

 

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

 

「なんであんた、私よりも年下なのよ」

 

 

 だから、この言葉にしても特に意味はない。こいつの困った顔が見たくて、ただその言葉を口にしただけだ。

 だって、今の私はとても疲れているもの。これだけの魔物と戦い、そして大切な人を守り抜いたんだもの。

 だからこれはただの嫌味でしかない。そこに特別な感情などないし、こいつの困った顔が見れただけで十分だった。

 

 

「奇遇だな、私も同じことを考えていた。

 君が私と同じ学園に通っていたなら、きっとこれ以上ないというほど最高だった」

 

 

 魔物が血だまりに沈む。私たちの剣は魔物の頭を切り裂き、最後の一匹がその巨体を震わせた。

 私たちはそんな光景を眺めながら、自然と背中合わせに座り込む。

 今の私は酷いありさまだったけど、こいつも私と同じくらい汚れてた。

 

 

 私はここで大切な者の為に戦い、彼も違う場所で同じ目的の為に戦っていた。

 それがなんだか嬉しくて、朝日の光がどことなく綺麗に見えた。

 こいつはどうしようもないくらい最低だけど、それでもこうしてみると少しだけカッコいい気もする。

 

 

 

「ふふふ」

 

「ははは」

 

 きっと私が疲れているせいだと思うけど――今、この瞬間はとてもカッコよかった。

 私たちは背中合わせに座りながら、気がつけば笑っていたわ。

 それはなにに対してものか、そもそもどうして笑っているのかもわからない。

 だけど、それでもなんだか笑いたい気分だった。

 

 

「私があんたを変えて見せる。あんたが自分を好きになれるその日まで、私があんたを監視してあげる」

 

 

 どうしてそう思ったのかはわからない。崩れた外壁から見える大勢の兵士も、孤児院から聞こえてくる歓声も、今の私にはどうでもよかったと思う。

 ただなんだかこいつの笑顔が嘘くさくて、とても嫌だったからその言葉を口にした。

 彼は少しだけ驚いたように眉を吊り上げ、とても小さな声でこう答えたわ。

 

 

「その日が来ることを、私も楽しみにしているよ」

 

 

 私たちは剣を掲げる。孤児院からの歓声に応えるように、兵士たちに私たちの無事を伝えるように、誇らしくそのボロボロの剣を掲げていた。

 朝日に照らされたそれが綺麗な輝きを放ち、空気を震わせるほどの歓声に包まれる。

 まるで私たちのこれからを示すように、気がつけば掲げた剣が重なり合っていた。

 

 

 この男は英雄になると思う。なんの根拠もなかったけど、私は彼の横顔を見ながらそう思った。

 とても個人的でどうしようもない理由だけど、それでもその隣で彼の活躍を見ていたい。

 シアンちゃんの言葉が脳裏をよぎり、私は彼女の言う通りだったと心の中で謝った。



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邪教の幹部は三大派閥を観察する

 何事も、成功するまでは不可能に思えるものである。

 この言葉は、南アフリカのとある政治家が残した言葉だ。

 彼は若くして国家反逆罪に問われて、その後終身刑となった人間だ。

 

 

 しかし、釈放された後はその地位を確立して、最終的にはその国の大統領に上り詰めた。

 その活動によって多くの賞を受賞し、その中にはあのダイナマイトおじさんも含まれている。

 数十年にわたる獄中生活の中で、彼がなにを思い、なにを考えていたかは私にもわからない。

 

 

 しかし少なくとも彼があの賞を受賞し、大統領になるとは思わなかっただろう。

 この言葉は彼という人間を表しており、その人生はある種の芸術ともいえる。

 

 

 何事も、成功するまでは不可能に思えるものである……なるほど、あの地獄のような空間で生まれ、多くの人間を殺した私が今ここにいる。

 この国で最も高貴な男に謁見し、周りにはその重鎮たちが並んでいる。

 誰がこの状況を想像しただろうか、私の計画はこの時点でその本質を遂げていた。

 

 

 後は目の前の男と取引を行い、横にいる女を巻き込めば終わりである。

 あの阿呆(プライド)と対立した時から……いや、あの学園に入学した時から考えていた計画が終わり、ここから新しい計画が始まるだろう。

 私は私という人間がどうなってしまうのか、数十年後にこの国でなにをやっているのか考え、その未来に思いを馳せながら笑ったのだ――

 

 

「あの日以来か、ヨハン=ヴァイス君。元気そうでなによりじゃな」

 

 

 では改めましてごきげんよう。社内トラブルを合法的に解決し、更には大口の取引を任された男とは私のことです。

 おかげさまで社内での評価も上がり、夢のデスクワークに一歩近づいたといえる。

 私が危惧していた他の同僚についても、スロウスの話ではあまり気にしてはいないそうだ。

 

 

 元々横の繋がりが薄い組織ではあったが、古参の人間が殺されたことで反発もあると思ったがね。

 しかし予想に反して事務的な反応である、そこまで気にする必要はないとのことだった。

 要するに殺される方が悪いのであって、新入社員に蹴落とされた無能は不要とのことだ。

 

 

 さすがはこの国の一大企業、合理主義者の集まりはこうでなくはならない。

 結局のところ大義名分さえあれば、各個人が対立しても問題ないのである。

 最終的な判断と確認さえ仰いでおけば、後は会社がサポートをしてくれるのだ。

 

 

「それと緋色の剣士……いや、ここでは名前で呼んだ方が良いかの。

 イザベルも、今回は王都を守ってくれて本当に感謝しておる」

 

 

 巨大なステンドグラスから差し込む光、それが大理石の床に反射して、その空間はある種の神秘性を帯びていたように思う。

 左右には屈強な兵士がその警備にあたり、赤い絨毯が敷かれた先には階段と、そしてこの国の玉座がその存在感を放っていた。

 兵士たちから感じる好奇な視線と、その背後で騒いでいる無数の貴族たち、軍人と思しき人間は私たちに拍手を送る。

 

 

 王党派。貴族派。軍閥派。それぞれがそれぞれの反応を示し、この空間はこの国の異常さを示しているようにも見えた。

 あれだけのことがあったにも関わらず、それでもまとまらないとは意外だった。

 各派閥がそれぞれの利権を守ろうと動き、それを他の派閥が牽制でもしているのだろう。

 

 

 私たちにしてもそうだ。あの孤児院で保護された私たちは、休む間もなくここへと連れてこられた。

 着ていた服もそのままに、おかげさまで酷い有様である。

 貴族派の罵声が更に強くなったが、私たちも好きで来たわけではない。

 

 

 

「全く、これでは見世物小屋の動物だな」

 

 

 可能であれば今すぐご飯でも食べて、一日休みたかったがしょうがない。

 呼ばれた理由は子供でもわかるし、私にしてもこういうのを望んでいた。

 大勢の前でこの男と言葉を交わすこと、それが私という人間を高めてくれる。

 

 

 横にいる彼女はどこか不機嫌そうだったが、ここで暴れるほど馬鹿でもない。

 私たちはこの異常な空間の中心で、ただ男の言葉に頷くのである。

 

 

「あれだけのことがあったにも関わらず、すぐに来てもらったのは他でもない。

 昨日、あそこでなにが起こったのか、それを当事者である御主たちから聞きたかったのじゃ。

 疲れているのはわかるが、話してほしい。これは御主たちを守るためである」

 

 

 貴族派の声が強くなり、それを兵士たちが押さえ込んでいる。

 どうしてここまで必死になるのか、是非とも教えてほしかったがね。

 しかし、それも男の言葉によって納得したというか、本当にこの国は度し難いと思ったよ。

 

 

「サラマンダーギルドのマスター、クリストファー=ドレイクがなにをやったのか。

 君たちの口から真実を聞かねば、おそらくここにいる者は納得せぬじゃろう。

 それこそ万が一ということも考えられる。余の周りや軍属の者は別として、よからぬことを考える者は多いからの」

 

 

 もしかしたらプライドという人間は、貴族派の重鎮だったのかもしれない。

 そう考えればこの状況も納得できるし、なにより私たちが呼ばれたのもわかる。

 仮に貴族派が彼を支援していたなら、これほどまずい状況もないのである。

 

 

 既に御姫様を通して裏帳簿の存在と、そして彼が何者であったのかは知られている。

 国内最大級のギルドが教団の配下であり、そんなギルドを彼らは支援していた。

 たとえ貴族派が知らなかったとしても、それを証明することは難しいだろう。

 

 教団がミスをするとは思えないし、そもそもこの状況は最初から決まっていた。

 プライドが王都を襲うことも、それを私たちが殺すことも決まっていたのだ。

 それならば教団に繋がる証拠や、その関係者を殺していても不思議ではない。

 

 

 むしろプライドの襲撃に合わせて、邪魔な人間を積極的に排除するだろう。

 そうなると残された証拠は裏帳簿と、そして当事者である私たちの証言だけだ。

 要するにあそこで騒いでいる彼らは、これ以上ないというほど危ういのだ。

 

 

「こんなにも綺麗な場所なのに、ここにいるのは相応しくない人ばっかりね」

 

 

 小さな声で呟く彼女を尻目に、彼らの喧騒は激しさを増していた。

 御姫様と交流があった彼女からすれば、こんな光景も珍しくはないのだろう。

 なんともくだらないというか、今更あがいてもその結末は変わらない。

 

 

 彼らに殺されるような私でもないが、せっかく用意してくれた舞台だ。

 ここは国王様に感謝しながら、もう一度この舞台で踊るとしよう。

 私以上に詳しいものなどいないし、なにより彼女を利用しない手はない。

 

 

「僭越ながら、私がお話しさせて頂きましょう。

 彼女はドレイクとの戦闘で疲れていますし、それに話すだけなら私にもできます」

 

 

 そうして語られるのは私の台本であり、主役は横にいるトライアンフと彼女であった。

 始まりは緋色の剣士が私の屋敷を訪れ、裏帳簿を奪還するまでの経緯であり、彼女が余計なことを喋らないよう先回りする。

 さすがの彼女もここで真実を話せばどうなるか、そんなことはわざわざ言うまでもないだろう。

 

 

 彼女が記憶喪失であったこと、裏帳簿を手に入れてからの行動、そして今回の王都襲撃へと物語は進む。

 この場に於ける私たちの役割と、そして各派閥の思惑は大方予想できた。

 おそらくここはドレイクの暴挙を利用した、貴族派の糾弾にこそ真の目的がある。

 

 

 即ち、私の言葉は王党派と軍閥派によって守られており、それが確定してしまえば最早覆すことはできない。

 それらならば私は両陣営のために動き、両者が庇いやすいように振舞おう。

 要するに責任の所在はどこにあるのか、それをわかりやすいように示せばいい。

 

 

「そして、ドレイクと対峙した彼女がその首を落としました。

 多くの人間を守りながら剣を振るい、トライアンフの刃はその目的を果たしたのです」

 

 

 最後の言葉に彼女が驚いていたが、今更その事実を覆すつもりもなかった。

 そもそもただの高校生がドレイクを殺したなどと、あまりにも現実的ではないし面白味に欠ける。

 仮に私が彼を殺したのだと喋れば、あのテラスでの忠告が真実味を帯びてくる。

 

 

 各派閥は挙って私の素性を調べあげ、その際に万が一という可能性も考えられる。

 この場で私に求められていることは、彼女という英雄を手助けした脇役であり、トライアンフは見事その復讐を果たしたのである。

 それこそが大衆が求めている真実であり、私は彼女のパートナーとして要求するのだ。

 

 

 彼女は人魔教団に復讐すると言っていた。それは彼女という人間の目的であり、この件でイザベル=ラインハルトは有名人となるだろう。

 しかし、彼女が求めているのはそんなものではないし、なによりその言葉を彼女が口にしてはいけない。

 それを口にすれば少なからず反発を招き、彼女という人間にも傷がついてしまう。

 

 

「国王様、個人的な発言をお許しいただけますか」

 

 

 それならばどこでその言葉を口にするか、そんなのは子供にだってわかる。

 この場にいるほとんどの者が私の味方であり、唯一の敵対者はもはや虫の息だ。

 だからこそ彼らの前で私が口にして、それをこの男がどう捉えるかが問題だった。

 

 

 私は彼という人間をとても評価している。どうしてこの男がいるにも関わらず、この国が野蛮なままなのか理解できないが、それでも彼という人間の能力は高いと思っていた。

 私は彼に与えられた役目をこなし、その言葉は王党派に大きな力をもたらした筈だ。

 それならばこれくらいのご褒美、ねだったところで何の問題もないだろう。

 

 

「よかろう、御主とは知らぬ間柄でもないからの」

 

 

「ありがとうございます。私のような人間が言葉にするのもおこがましいですが、可能であればトライアンフの再建をお許しいただけますでしょうか」

 

 

 本当に食えない人間である。言葉の中で私との関係性を強調する辺り、やはり御姫様と同列に考えない方がいいだろう。

 私の言葉に困ったように彼は笑ったが、それでも内心どう思っているかはわからない。

 ここからこの男がどういう反応を示すか、それによって彼という人間がわかりそうなものだ。

 

 

「なにを馬鹿な……小僧の分際で身の程をわきまえろ!」

 

 

 ただ、私の言葉で真っ先に反応したのは貴族派の人間でね。

 その言葉が予想通り過ぎて、思わず笑ってしまったのは言うまでもない。

 彼らを糾弾していた人間がギルドを作るなどと、そんなのは悪夢以外のなにものでもない。

 

 

 それはつまり貴族派の責任を認めることであり、それこそ敗北といっても過言ではない。

 私の提案したギルドが存続する限り、彼らは今回のことを責められるだろう。

 ギルドが活躍すればするほど、貴族派の立場は弱くなるのである。

 

 

 だからこそそんなものを認めるわけにはいかないし、真っ先に否定しようとするのもわかっていた。

 しかし、今この場に限って言えばそれは最悪である。なぜなら私の提案を否定するということは、教団との関係を認めることにも繋がるからだ。

 私はその罵声を聞きながら声を押し殺して、ただ目の前の男にその視線を向けていた。

 

 

「ほう、これはまた一介の学生が大きくでたの。

 まさか冒険者ギルドの再建を口にするとはな。しかし、それを余が許可したとして人はどうする?

 ギルドを運営する資金も含めて、あまり現実的ではないと思うのじゃがな」

 

 

 道化師は舞台で踊ることが仕事だ。この舞台に於ける道化は彼らであり、この瞬間の主人公は私といっても過言ではない。

 そしてその主人公にとって心強い味方、目の前にいるこの男が一番の問題なのである。

 

 

 彼を納得させるだけの手札は揃っている。これ以上ないというほど最高の舞台に、考えられないほどの功績も追加した。

 後は彼という人間がどの程度合理的であるか、ここで否定されては計画が狂ってしまう。

 



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邪教の幹部は逃げられない

「確かに、今の私はただの学生に過ぎないでしょう。

 しかし、私の将来はここにいる誰よりも価値がある……そうは思いませんか?」

 

 

 既に、私はこれ以上ないというほど結果を残している。それは学園代表戦から始まり、四城戦では その力を全ての派閥に示し、そして今回の件を通して無視できない存在となった。

 王党派からすれば有望な人材であるとともに、他の派閥からすれば脅威でしかないはずだ。

 学生という身分でこの国最大のギルドを潰し、更には人魔教団にダメージを与えたのである。

 

 

「確かに、御主をただの学生扱いするのは無理があるかの」

 

 

 私はこの男が馬鹿ではないと知っている。むしろ、私よりの人間だとすら思っていた。

 今回の件を通して彼がどのような行動をとるか、そんなことは今更言うまでもない。

 

 貴族派の勢力を削ぐのは当然として、魔術師協会にもその矛先を向けるだろう。

 あの裏帳簿を持っているなら、あの事件を利用して協会を責めることも可能だ。

 

 

 この場に魔術師協会の人間がいないのも、もしかしたらその布石かもしれない。

 魔術師協会に黒い夜の責任を負わせ、王党派はあくまで知らなかったというために、これだけの事件にも関わらず敢えて呼ばなかった。

 この場にいないということはサラマンダーギルドとの繋がり、延いては人魔教団との関係を疑われるだろう。

 

 

 たとえ協会側が否定したとしても、それをあの裏帳簿が肯定するのである。

あの事件以降ブラヴァツキー家を冷遇したこと、そしてこの場にいないことが彼らの立場を悪くする。

 結局のところ周りがどう思うのか、どう感じてどう広まるかが一番重要なのだ

 

 

「宜しい、それならば余の方で一度預からせてもらおう。

 なに、悪いようにはせぬから安心するがよい。

 どのみちトライアンフを放置するわけにもいかぬし、なにより幸いにも人手不足は解決できそうじゃからな」

 

 

 そう言って笑う彼を見ながら、私は試されていたのだと確信した。

 この男の言う通りトライアンフを潰すわけにはいかない。なぜならこの事件の被害者は彼らであり、決してサラマンダーギルドや門閥貴族ではないのだ。

 いつの時代も正義が勝つと決まっている。王党派がサラマンダーギルドと門閥貴族を処罰して、トライアンフは王都を救った英雄となるのである。

 

 

 どうしてこの男が派閥の台頭を許しているのか、個人的にはそちらの方が気になった。

 この短時間で私の考えを推測し、そのうえで対応して見せたのもそうだが、彼はどう考えてもこちら側の人間だ。

 先ほどの発言にしても、暗にサラマンダーギルドのことを示唆している。

 

 

「そうですか、それでは私からはもうなにもありません」

 

 

「この後はどうするつもりじゃ?御主等さえよければ、一時的に王宮内で保護することも可能じゃが?」

 

 

 だから……というわけでもないが、この男に借りを作るのは得策ではないだろう。

 今は王党派にとって利用価値のある人間、その有用性を私は示している。

 貴族派・軍閥派・協会派、その全てに通用するカードとして重宝されるはずだ。

 

 

 しかし、どんなものにも使用期限というものがある。

 だから私はできるだけ距離を取って、静かに……それでいて冷静に待てばいいのである。

 四大派閥には属さない人間として、教団側の人間としてただ利用し利用されればいい。

 

 

「お気遣いはありがたいのですが、できればメディア=ブラヴァツキーに早く報告したいのです。

 黒い夜が彼女の両親ではなく、人魔教団による事件であったことを伝えたい。

 彼女の友人としてその名誉が回復されることを、誰よりも先に伝えたいのですよ」

 

 

 そう言って私は頭を下げると踵を返し、この場からゆっくりと歩きだしてね。

 先ほどの言葉に特に意味などないが、落ち着いたらあの女に会いに行くとしよう。

 魔道具の開発費用を援助しているが、その成果を見る機会がなかったからな。

 

 

 まあ、この場を離れる口実に使えただけでも十分だ。

 後のことは後ろの男に任せて、私は報告書でもまとめるとしよう。

 新しいギルドの設立に、各派閥への牽制と情報収集。会社に戻ったらスロウスからクロノスについて、彼の知っていることを教えてもらおう。

 

 

「さて、取りあえず私たちはここで一旦お別れだ。

 君も私の屋敷で生活するより、王宮で過ごした方が安心だろう。

 今日のことは後でゆっくり話すとして、今はその傷ついた体を癒すといい」

 

 これでこの異常者とも離れることができる。正直、それが今の私にとっては一番の魅力的だ。

 彼女と過ごしたこれまでの時間は、控えめに言っても楽しい日々ではなかった。

 巨大な不発弾を抱えて眠るような毎日を、それこそ楽しめるのは主人公君くらいだろう。

 

「なに言ってんの?私もここで過ごすなんて御免だし、なによりあんたから離れるつもりはないわ」

 

 すれ違いざまに彼女の肩を叩きながら、私はそのまま見世物小屋を後にする……いや、後にするはずだったというべきか。

 気がつけば私の手は強く握られ、引っ張られた反動で体勢を崩してしまう。

 突然のことに困惑する私だったが、目の前の彼女はどこか楽しそうだった。

 

 

「それに、どうしてあんたがメディア様と知り合いなのか、それも聞かせてもらわなきゃいけないしね。

あんたには悪いけど、大事な話を後回しにするほど我慢強くはないの」

 

 今頃神様はボルヴィックの飲みすぎで、それこそ痛風にでもなっているだろう。

 鎮痛剤(ロキソニン)をお菓子のように食べて、おそらくは大好きなジャンクフードも食べれられないはずだ。

 

 

「そうか、好きにするといい」

 

「ええ、好きにさせてもらうわよ」

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

※※※※※※※※※※

 

 

「お姉さま!」

 

 

 あのテラスでお姉さまと再会した時のことを、あの日の会話を私はハッキリと覚えている。

 お姉さまが生きていると教えられた時、思わずアルの前で泣いちゃったもの。

 だからお姉さまが私に話があると言われた時、たぶん私の……ううん、御父様の力を借りたいんだと薄々気づいてた。

 

 

 だけど、まさかこんなにも大きな話になるなんて、再会喜んでいた自分が恥ずかしかった。

 トライアンフ襲撃事件――通称赤い月、そして黒い夜との関係性、あまりの内容についていくのがやっとだった。

 お姉さまから裏帳簿を受け取った時なんて、手の震えが止まらなかったわ。

 

 

「ねぇ、あんたは怖くないの?」

 

 

 だから、そんな恐怖心を誤魔化すために口を動かした。お姉さまが強いのは知っているけど、その隣にいる彼は私たちと同学年、同級生であり冒険者ですらないもの。

 お姉さまがここにいるのはわかる。

 ええ、今回の事件の当事者でありアルのお姉さん――トライアンフ最強の冒険者がこの帳簿を持っていること、黒い夜と赤い月の真実を知り、それを私に相談する理由も理解できた。

 

 

 ただ、どうしてこの場に彼がいるのかが不思議だった。

 彼が強いのは知っていたけど、それはあくまで私たちを基準とした強さだ。

 決してお姉さまと対等に話せるような、そんな遠い存在ではないと思っていた。

 

 

「怖い?なにを怖がる必要がある?

 私にはトライアンフ最強の冒険者がいるし、君という心強い味方もできたのだ。

 むしろ、これ以上ないというほど安心している」

 

 どうしてあんたはそんなにも強いの?……なんて、そんな言葉を口にすれば、きっと彼はいつものように苦笑いするだろう。

 あの日から私は目の前の男を追いかけて、少しは距離が縮まったと思ったのに、気がつけばその背中すら見えていなかった。

 

 

「なっ……なに恥ずかしい事言ってんのよ!」

 

 だからこれはそんな焦りを知られないための、ただの強がりでしかないと思う。

 だけどここで強がらないと追いつけない気がして、私は渡されたそれを強く握りしめた。

 

 

 これを御父様に渡したとしても、すぐに捕まえることができないのはわかってた。

 相手はこの国最大のギルドであり、貴族派の連中が支援している人間だ。

 たとえ御父様が直接動いたとしても、多くの人間がそれを許さないだろう

 

 

 だから今の私にできることは一日でも早く、一秒でも正確に伝えることだけだった。

 情けないのかもしれない。同世代の男の子が活躍している陰で、私はこんなことでしか役に立てないもの。

 だけど、頼られたからにはやり遂げたい……今の私はどうしようもなく無力だけど、そんな私にもできることがあるなら、それはきっと私自身の成長に繋がると思った。

 

 

「お前の方から話があるとは珍しい。最近は政務が忙しくて会うことも少なかったが……どうした? そのようにかしこまらずとも、二人でいる時は楽にしてよいのだぞ?」

 

 

 あのテラスで話したその日の内に、私は御父様に全ての事を伝えた。

 サラマンダーギルド、人魔教団、赤い月と黒い夜。お姉さまとあの男が話してくれた真実、最初は穏やかな顔をしていた御父様も、話が終盤に差し掛かると表情が変わった。

 私が裏帳簿を渡したときなんて、大きなため息を吐いて苦笑いしていたもの。

 

 

 普段の凛とした態度からは想像もつかないような、そんな御父様の人間らしい姿を見たような気がした。

 だから全て話が終わった時、私は御父様がその口を開く前に言ったの。

 それはお願いというにはあまりにも不器用で、もしかしたら懇願に近かったかもしれない。

 

 

「お願いです、私の大切な人たちを助けてください」

 

 そう言って頭を下げようとした私を、御父様は驚きながら止めてくれた。

 王族が頭を下げる時は、国が危ない時と結婚式だけだ。……なんて、そんな冗談じみたことを笑いながら言っていた。

 

 

「そもそもお前は重要なことを忘れておる。子が親に助けを求めるなら、親は無条件でその願いを聞き届けるじゃろう。

 それとも余のような老いぼれでは頼りないと、お前はそう言いたかったのか?

 

 そう言って微笑みかけてくれる御父様に、私は言葉を返すことができなかった。

 確かに、いつだって御父様は私の味方でいてくれた。それこそ、私があの孤児院を設立した時だってそうだ。

 御父様から頂いた剣を手放したにも関わらず、私を責めるのでもなく楽しそうに笑っていた。

 

 

「少しここで待っていなさい、せっかくだから少しばかり面白いものを見せてやろう」

 

 

 そう言って御父様から渡されたのは、私が気にかけている人の報告書、彼の出生からのその生い立ちに関する記録だった。

 どうしてこんなものを持っているのか、そんなことは言われなくてもわかっている。

 私は王党派の中でも彼をどう扱うか、その意見が分かれていたことを知っていた。

 

 

 彼という存在があまりにも大きすぎて、一部の人からは疎まれていたもの。

 だからこの報告書にしてもそんな意見を、疑惑を払拭するために調べたんだと思う。

 事実、報告書の最後は御父様の言葉で終わっていた。

 

 

「お前の気にしている彼についてだが、余が調べた限りでは――」

 

 ただ、そんなことよりも私はその一文が気になっていた。

 それは目の前に御父様がいるにも関わらず、思わず叫びだしてしまいそうなほどに、それこそ私を動揺させるには十分すぎた。

――定期的に孤児院の支援を行っている模様、娘の相手としてはこれ以上ないというほど優秀である



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御姫様は英雄を知る

「御父様!これはどういう意味ですか!」

 

「あっ、それは……な?余の老婆心というか、可愛い娘に変な虫を近づけるわけにもいくまい。

 要するに……あれじゃよ。仮にお前が彼を選んだとしても、余が反対することはないということじゃ」

 

 

 たぶん、今の私は顔が真っ赤だろう、自分でもわかるほどに、体温が上がるのを感じたもの。

 でも、それは照れているとかそういった感情ではなくて……むしろ、御父様の勘違いに怒っているだけだと思う。

 うん、怒っているだけ――怒っていると言いきれる。私のタイプはアルみたいな人だし、あいつみたいな男はこっちから願い下げだ。

 

 

 たとえ彼が私を助けてくれたとしても、この感情だけは変わらない。

 そもそも、私の孤児院を支援している? その文字を見たときから私はもやもやしている。

 心当たりがないわけじゃない。むしろ、彼が援助しているなら納得できることもあった。

 

 

 定期的に孤児院へと届く寄付金、それは世間知らずな私でもおかしいと思うほど、あまりにも多かったから戸惑っていた。

 さすがに多すぎるお金を返そうと、周りに相談したこともあったけど、結局誰が寄付をしたのかはわからなかった。

 まさか、こんな形で知ることになるなんてね。嬉しいような、悲しいような……少なくとも、次に会った時どんな顔をすればいいか、私はそんなことばかり考えていた。

 

 

「あーもう、こんなことなら知らない方がよかったわよ」

 

 その言葉が誰に対してのものなのか、私自身もよくわかっていない。

 気がつけば頭を抱えている自分がいて、御父様はそんな私を見ながら微笑んでいた。

 できれば今すぐ訂正したいけど、それすらも憂鬱なほどだったわ。ええ、私と彼の関係を表現するとしたら、たぶんこの光景がその答えだと思う。

 

 

 憂鬱。一番わかりやすくて便利な言葉、おかげさまで御父様は勘違いしているし、私自身それからのことはあまり覚えていない。

 酷く疲れてしまったことと、あいつのことばかり考えていた。

 それは御父様と別れた後も、学園にいる時だって同じだったわ。

 

 

 唯一の救いはあいつが学園にいないことだけど、それもあと数週間もすれば関係ない。

 御父様との話し合いがどうなったか、私はあの二人に伝えないといけないもの。

 

 

「ねぇ、私どんな顔してあいつと会えばいいのよ」

 

「そんなの簡単じゃないか、会ってお礼を言えばいいだけだ。

 ターニャだって彼のことを……その、あの時ほど嫌ってるわけじゃないだろう?

 だったら君がすべきことはひとつだよ。彼と会った時にお礼を言う、とても簡単なことだと僕は思うけどね」

 

 

 だからその日もアルの横で悪態をついていた。この時の私は学園が終わった後に、あの孤児院へと向かうのが日課だった。

 スラム街に行くのを御父様には止められたけど、自分一人では行かないことを条件に許してくれたもの。

 だから今日も隣にはアルがいて、少し遠回りしながら安全な道を通っている。

 

 

「無理!絶対に無理よ!あの男にお礼を言うなんて、あいつと戦う方が現実的だわ!」

 

 

「どうしてそうなるのさ。本当に素直じゃないというか、ターニャが無理なら僕から言ってあげようか?」

 

「それも嫌よ!」

 

 

 子供たちと遊びながらそんな風に悩み、アルはそんな私に苦笑いをしていた。

 それはこの数週間繰り返されてきた光景で、その日もいつもと変わらない毎日だった。

 

 孤児院の中を子供たちが走り回り、そんな光景を見ながら私たちはあいつのことを話す。

 いつもと変わらない……そう、あの音が聞こえるまではいつも通り、代わり映えのない日常だったと思う。

 

 

「あれ?なんだろうこの音?」

 

 

 それは本当に突然のことで、大きな鐘の音が響いたかと思えば、それがスラム街の中心に現れたの。

 気がつけば孤児院にいた人は全員、アルも含めてそれを見上げていた。

 とても気持ち悪くて大きな扉。それがなんなのかはわからなかったけど、妙な胸騒ぎを感じたのは覚えている。

 

 

「みんな、すぐに逃げて!」

 

 絶対に見たことなんてないはずなのに、自分でも不思議なくらい焦っていた。

 私が叫ぶのと同時に扉がゆっくりと開き、中から黒い塊が飛び出してくる。

 始めはなんなのかわからなかったけど、すぐにその答えを知ることとなった。

 

 

「そんな……まずい、あれは魔物だ!」

 

 

 外にいた子供たちを避難させて、私たちは武器を片手に向かい合う。

 スラム街を一瞬にして轟音が包み、無数の悲鳴が辺りを支配する。

 これ以上ないというほど最悪だった。子供たちを守ろうと剣を振るい、時折やってくる魔物と戦うけど、それもただの時間稼ぎにしか過ぎない。

 

 

 時間が経つにつれて大型の魔物が現れ、その数も泣きたくなるほど多かった。

 一人でも多くの人を受け入れて、一匹でも多くの魔物を倒そうと剣を振るった。

 ボロボロになりながら逃げてきた人、助けを求めている人もできるだけ助けた。

 

 

 だけど、私たちは魔物との戦いに慣れていないし、全ての人を助けられるほど強くもない。

 ええ、少しは成長していたつもりだったけど、私もアルも酷い状態だったのは覚えている。

 終わりの見えない戦いと悲鳴に、見た目以上に私たちはボロボロだったの。

 

 

「ベル姉!」

 

「お姉さま!」

 

 だから、お姉さまと会えた時は涙がでそうだった。

 私たちと同じくらいボロボロで、それでも凛としているその姿が眩しくて、ここが戦場だということを忘れそうになった。

 

 

 私たちがあれだけ苦戦した魔物を、それこそ一瞬でお姉さまは倒してしまう。

 まるで幼いころに憧れた英雄のように、お姉さまは魔物を相手に剣を振るっていた。

 疲れを感じさせない動きに鋭い一閃、お姉さまが剣を振るうたびに魔物は倒れていった。

 

 

「さて、これはどういうことかしら?」

 

 私たちも負けていられない。お姉さまを助けようと私たちも頑張ったけど、最後の一匹を倒した瞬間表情が変わった。

 気がつけば目の前にお姉さまがいて、突然私たちを乾いた音が包んだの。

 呆然とする私と頬を抑えるアル、あまりのことになにが起こったのか、私だけでなくアルも混乱しているようだった。

 

 

「お姉さま違うんです!アルは私を助けに来ただけで、全部私が悪いんです!」

 

 今更言っても仕方ないかもしれない。それでも、アルは私のわがままに付き合っただけだ。

 御父様との約束を守るためにアルを連れて、子供たちを守ろうと剣を振るった。

 それからは一人でも多くの人を助けようと、私たちは多くの人を受け入れた。

 

 

 その全てが私のわがままであって、悪いのは彼を振り回してしまった私の方だ。

 だからこれ以上お姉さまが怒るのは……ううん、そんな風にアルだけを責めてほしくなかった。

 たとえ私が王族であったとしても、たとえアルが普通の身分であったとしても、こんな風に彼だけが怒られるのは嫌だった。

 

 私だけが特別扱いされるなんで、そんなのは死ぬよりも嫌だった。

 

 

「そう……わかったわ」

 

 

 そこから私がなにを言ったのか、どんな風に説明したかは覚えていない。

 気がつけば私の頬が濡れていて、お姉さまが優しく頭を撫でてくれた。

 まるで本当の御母様のように、どこまでも温かく優しい瞳だった。

 

 

「ターニャちゃんを守りなさい。たとえどんなことがあっても、あの孤児院から出てはだめよ」

 

 

 だから、その言葉にしても頭では理解できた。ただ、理解できても認めたくはなかった。

 私は子供のように泣きじゃくり、お姉さまの優しさに縋るしかなかったの。

 たとえ掴んでくれないとわかっていても。私は必死にその手を伸ばした。

 

 

「泣かないの。そんな風に泣いてたらアルに嫌われるよ?

 私のことは大丈夫だから……だからあんたは安心して待ってなさい」

 

 

 微笑むお姉さまが私を突き放し、アルが私の手を掴んで走りだす。

 お姉さまから遠ざかる彼に、私は声を枯らしながら言い続けた――まだ戦える、お姉さまを見殺しにしたくない。

 だけどアルは黙ったままでなにも喋らず、孤児院に入ってからも放してはくれなかった。

 

 

 私を近くの部屋に押し込めて、自分も部屋に入ると出口を塞いだ。

 まるでこの部屋からは出さないと、そう言わんばかりの態度だった。

 

 

「私は行く、お姉さまが戦っているのに私だけ休むわけにはいかない。

 たとえ足手まといだったとしても、ここで行かないと私は私でなくなる」

 

 

「ターニャには悪いけど、僕は絶対に行かせないよ。

 それがベル姉との約束だし、君を無駄死にさせるわけにはいかない」

 

 

 それは初めてのことだったと思う。いつも付き合ってくれる彼が、苦笑いしながら受け入れてくれるアルと対立した。

 理由はわかる。アルの言いたいことも理解はできた。だけど、やっぱり理解するのと認めるのは違うと思う。

 気がつけば剣を彼に向けて、私はアルに対してもう一度言ったの。

 

 

「そこをどいて、どかないなら強引に通るわよ」

 

「たとえ殺されたとしてもどかない、今回ばかりは僕も譲る気はないよ」

 

「あっ……あんたは!」

 

 

 私は彼の真っすぐさが好きだった。どこまでも真っすぐで、決して曲がったことを許されない……そんな彼の生き方が好きだった。

 だから、今もこうして私の前に立つ彼を、どこか羨ましいと思う自分がいた。

 アルのように真っすぐ生きられたらなんて、そんな馬鹿げたことを考えたこともある。

 

 

 だけど、それを私ではなく私の周りが許さない。この国の王族である限り、私はターニャ=ジークハイデンとして生きられない。

 そんなことはわかっていた。誰よりも私自身がわかっていたし、今更それを嘆くつもりもなかった。

 だけど……いや、だからこそ私は剣を向けている。彼がどいてくれることを信じて、私は剣を振るうしかない。

 

 

「彼と出会ったことで、僕も少しだけ成長したんだ。

 みんなを救えるなら僕はなんだってやるよ。たとえ死ぬことになったとしても、それで助かるならどうなっても構わない。

 だけど、僕が死んでも救えるのが一握りなら、僕は僕が大切な人に生きてほしいと思う」

 

 

 この時間が永遠に続くと思っていた。一秒が一分に、一分が一時間に感じるような空間の中で、私は自分自身と向き合っていた。

 目の前にいるのは昔から知っている男の子、私の憧れであり一緒にいたいと思っている。

 私はそんな彼に剣を振りあげ、そしてこの感情をぶつけようとしている。

 

 

 微笑む彼はどこまでも真っすぐで、私の方が震えていたかもしれない。

 彼の首筋へと向かっていくそれに、たぶん意味なんてないと思う。

 だって、初めからわかりきっていたことだ。私に殺すつもりがないなんて、そんなことは出会った時からわかっている。

 

 

「おい、あんたたちなにやってんだ!

 凄いぞ、変な男が来てから一気に押し返し初めた、もしかしたら助かるかもしれねぇ!」

 

 

 だから、突然現れた男に救われたわけじゃない。アルの首筋から流れる赤い雫も、結局のところそれ以上深くなることはなかった。

 ただ、男の言葉に私たちはあいつのことを想像して、そして部屋の中から勢いよく飛びだした。

 変な男。確かに、あいつは変な男だと思う。私を痛めつけるだけ痛めつけて、馬鹿にしたかと思えば道を示してくれる。

 

 

 今回だってそうだ。こっそり私の孤児院に寄付なんかして、更には私たちを助けに来てくれた。

 孤児院にいる大勢の人間が歓声をあげて、視線の先には一組の男女が剣を振るっている。

 それは物語に出てくる英雄のように、どこまでも近くて遠い存在だったと思う。

 

 

「あーあ、私もあんな風になりたいな」

 

 

 私の英雄とあの男が剣を振るっている。私に見せたことがないような笑顔で、二人は周囲の魔物を圧倒していた。

 悲鳴は歓声へと変わり、歓声は称賛へと変化していく。私もいつかあんな風に……なんて、そんな子供みたいなことを口にしていた。

 一人は二つ名を持つほどの冒険者で、その実績は御父様だって知っている。

 

 

 だけどもう一人の方は私たちの同級生。一部の人が知っているだけで、お姉様ほど有名でもなければ冒険者ですらない。

 ただの学生、私たちと変わらないはずの学生だった。それなのに、どうしてこんなにも遠いのだろうか。

 もしも私が……ううん、私たちが目指すべきものがあるとすれば、きっとあんな感じだろうと思った。

 

 

「遠いね」

 

「ああ、遠いかもしれないけど諦めたりはしない。絶対に追いついてみせる」

 

 

 その日、二人の英雄が生まれた。掲げられた剣が朝日に照らされ、その二人は楽しそうに笑っている。

 まるでお互いを分かり合っているかのように、ただ無邪気に、それでいて夜明けを噛みしめるように笑っていた。

 

 

 私はこの光景を一生忘れない。掲げられた剣の輝きだけでなく、二人を祝福する歓声も含めて忘れないと思う。

 だって、私は初めて目標にすべき相手を見つけた。それは私だけでなく私たちが目指すべき場所、二人で目指そうと心に決めたんだもの。

 

「うん、私もあいつに追いついてみせる」

 

――――――――――――――――――

 

――――――――――――

 

――――――

 

 

「そもそも、さっきのドレイクの件はどういうことよ!

 私はあんたの功績なんていらないし、なによりどうしてあんなことを言ったの!」

 

 二人の英雄がいた。一人は怒ったように口を尖らせ、もう一人は困ったように笑っている。

 まさかこんな光景を見る日が来るなんて、私はその二人にこっそりと近づくと、困ったように笑う彼に視線を向ける。

 

 

 どうせ私が聞いたとしても、こいつは絶対に認めないと思った。

 いつもみたいに適当な言い訳をして、さっきみたいに苦笑いするだけだろう。

 だから私はそんな彼に対して、一番反応に困るだろう言葉を口にしたの。

 

 

「ありがとう」




これで赤い月編は終わりになります。次回以降は新しい章に入りますので、ご期待ください。


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ギルド設立編(序)
試験官と愉快な受験者達


 さて、ごきげんよう諸君。

 

 そちらは今、木枯らしが吹きつける寒い冬だろうか?

 それとも、眼がくらくらするような夏の炎天下だろうか?

 こちらかい? こちらは新生活がスタートする季節とだけ言っておこう。

 

「新入生の皆さん初めまして、当学園の生徒会長を務めておりますニンファ=シュトゥルトです。

 まずは数ある魔導学園の中からここ、この王立コスモディア学園を選んで頂き――」

 

 

 真新しい制服に身を包んで興奮冷めやらぬ生徒たち、そんな子供たちの前に三十も中頃を過ぎた私が立っている。

 犯罪じゃないか?……失礼な。

 この状況を私自らが望んだなどと、そんな素敵すぎる勘違いだけはやめてほしい。

 

 私だって好き好んでここにいるわけではないし、なにより生徒会長様からのお願いでなければ、こんなところで彼らを見下ろしてもいない。

 去年までは彼らと同じくように座り、同じようにその説明を聞いていた私も、気がつけばこちら側に立っているのだ。

 この一年間、思い返せば色々なことがあったともいえる。

 

 

「皆さんも知っての通り、この学園はレムシャイトでも有数の名門校です。

 近年、この国で頻発しております凶悪な事件、それに対応するため当学園も本年度からその方針を変更しております。

 その例として挙げられるのが、従来の入学テスト撤廃に伴う新しいテスト方式の導入です」

 

 私がここにいる理由は数日前、生徒会長様のとある御願いが原因だった。

 あの事件以降、どこから情報が漏れたのか、彼女と共に戦っていたことを多くの人間に知られた。

 しかもその事をこの国の情報誌に掲載され、おかげさまで私は有名人の仲間入りである。

 

 

 闇ギルドの真実を暴いた英雄、王都の救世主、緋色の剣士と灰色の参謀。

 聞いているだけで恥ずかしくなるような、そんな言葉が今の私を包んでいる。

 全てはあの日彼女と共に戦ったこと、あの孤児院での戦いが原因である。

 

 

 彼女と共に王城へと向かったこと、国王(あいつ)とのやりとりも影響しているだろう。

 あそこには各派閥の人間がいた為、多くの者が私という人間を宣伝したはずだ。

 私自身がそれを狙っていたわけだが、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 

 

 おかげさまで私は行動を制限されて、国王(あいつ)からは身辺警護の名目で護衛がつけられた。

 むしろ、私の行動を監視する為にあの男が情報を流した可能性もあるが、今更後悔したところでおそいだろう。

 素性が知られたために気軽に外出することもできず、強引につけられた兵士が四六時中監視している。

 

 

 唯一の救いは屋敷の中には入ってこないことだが、そのせいで本社に行くこともできず、未だにスロウスとも話せていない。

 一度だけ中立者(ハイブ)が私の前に現れたが、それも状況が落ち着くまで待機とのことで、教皇様に報告すらできていないのだ。

 

 

 メディア=ブラヴァツキーがその身分を回復し、旧ブラヴァツキー領を与えられたこと。貴族派から接触を受けていることや、緋色の剣士が屋敷に居ついていることなど、報告しなければいけないことが山ほどある。

 そんな悩ましい問題が山積みの中で、突然生徒会長様はやってきたわけだ。

 

 

「ここには我が学園を代表する教職員と共に、学園内でも特別な地位にいる生徒が集まっています。

 受験生の皆さんには、実践により近い入学テストを受けていただきます」

 

 

 私の屋敷に来たかと思えば、今回の入学テストについて話し始めたのである。

 それはあの不気味女性、生徒会長様の母親である彼女の提案であり、今年度から導入される新しい入学テストについてだった。

 

 

「ここにいる私たちが持つ、この腕輪を手に入れてください。

 私たちはそれぞれが一定数の腕輪を持っていますので、それを奪い取れた方が合格というわけです。

 その方法について手段は問いませんが、武器については学園側から支給させていただきます。

 ここにいる私たちも同様ですが、最低限怪我をしないようにするための処置ですので、希望の武器があれば申し出てください」

 

 

 これまでは受験生同士の戦いであったが、今回から学園の教職員と戦鬼と呼ばれる一部の生徒、その者たちが採点を行う側となって、受験生の合否を判断する形式らしい。

 私たちはそれぞれが一定数の腕輪を持ち、見込みがあると判断した者にそれを渡せばいい。

 生徒会長様は奪い取ると表現したが、それはあくまでも方法の一種であって、それ以外の方法でも構わないのである。

 

 

 ここにいる私たちは、事前に生徒会長様からある程度の説明を受けている。

 それは実力が足りなくても見込みがある者、集団能力に秀でた者や交渉力に長けた者など、それぞれに秀でた能力があれば、たとえ負けたとしても腕輪を渡していいというものだ。

 

 

 従来のテスト方式では測れなかった能力、ふるい落とされていた逸材を拾うため、あの蛇に似た女性が決めたらしい。

 個人的には少なからず思うところはあるが、これまでの野蛮な方法と比べれば、確かにまともな方法と言えるだろう。

 生徒会長様の母親が提案したものでなければ……なるほど、おそらくはその者を評価したに違いない。

 

 

 

「御母様から、貴方を今回の入学テストに参加させるように言われました。

 入学テストで今話題の英雄を紹介すれば、受験生のやる気もあがるだろうと……ですが、御母様の考えはわかりますが個人的には反対なのです」

 

 

 屋敷にやってきた生徒会長様は、全ての事情を話すとうつむいていた。

 ただでさえも考えることが多いというのに、この時の彼女の言葉に混乱したことはいうまでもない。

 個人的には生徒会長様がなにを考え、私になにを求めているのかがわからなかった。

 

 

 彼女という人間を考慮するのであれば、おそらくは受験生の数人を見せしめに、その他大勢の奮起を促すべきだろう。

 しかし、あの蛇女が関わっているなら別である。

 この時の私はどう返答すべきか悩んでおり、突然聞こえてきたその言葉は幸運だった。

 

 

「久しぶりに誰か来たかと思えば、なに面白そうな話をしてるのよ?」

 

 

 久しぶりの来客にその姿を現したのは、あの日以降私の屋敷に住み着いている居候……いや、ここは敬意も込めてギルドマスターとでも呼ぶべきか。

 そう遠くない内に彼女は新しいギルドを設立し、その規模はこの国でも指折りのものとなるだろう。

 孤児院での戦い以降、私に対する彼女の態度は一変していた。

 

 

 一変したと言っても大きく変わったわけではなく、なにかというと私の行動に口を出すようになった。

 彼女の場合は私以上の有名人であり、外を歩けば人だかりができるほどで、あの日王城から戻って以降は屋敷に住み着いている。

 落ち着いたら新しい家を探すように言っているが、その度にはぐらかされているので対応に困っていた。

 

 

「本当に言ってるの? 彼に試験官のまねごとをさせるなんて、それこそオーガに任せる方が現実的だと思うけど」

 

 

 基本的には王城と私の屋敷を行き来して、これまでの経緯について再度王党派に説明している。

 暇なときはシアンの相手をしてくれるし、実力も申し分ないので道具としては有用である。

 貴族派の弾劾にも役立っているそうで、最近では私に接触しようとする人間も増えてはいた。

 

 

 しかし、彼女がいるせいで表立って会うわけにもいかず、兵士がこの屋敷を監視していることもあって、最近ではその存在がマイナスでしかなかった。

 だからこそこの時ばかりはその登場に喜び、少なからず彼女に期待していたのである。

 あわよくば私の代わりに断ってくれないかと、私自身が口にすると不評を買うかもしれない。

 

 

 蛇女の考えがわからない以上、生徒会長様の人間性だけを考慮するのは浅はかだろう。

 この状況下で問題が増えるのは好ましくないし、なにより人集めの道具はごめんである。

 彼女の登場に生徒会長様は驚いていたが、その瞳はどことなく輝いていた。

 

 

「はあ……仕方ないわね。

 それじゃあこういうのはどう? 彼には腕輪をひとつしか渡さず、そのことを受験生全員に伝える。

 前にアルから聞いた事があるけど、学年首席?だったかしら、こいつの腕輪を奪った者にはその権利をあげるの。

 その代わり……ってわけでもないけど、彼に認められることが条件とする。

 これならこいつに挑む馬鹿は減るだろうし、なにより貴女が考えている可能性もなくなると思う」

 

 私の知らないところで話が進み、気がつけば鋭い視線を向けられた。

 まるで私の窓口だと言わんばかりに、勝手に話をまとめようとするのだ。

 

 

 全く、本当に扱いづらい人間である。

 彼女を利用している立場上、無碍に扱うこともできない。

 メディア=ブラヴァツキーの件もそうだが、彼女との関係を追及されただけでなく、会いに行くときは同行すると言ってきた。

 

 

 

「ちょっと待て、私は――」

 

「それと、あんたも相手を見ればそいつの実力くらいある程度わかるでしょ?

 だったら、あんた自身が戦うのも一人だけ。それ以外は……まあ、適当にあしらっちゃいなさいよ。

 勿論、戦うといっても相手を無駄に痛めつけるのはダメだからね」

 

 

 まるで決まったと言わんばかりに、気がつけばこの私が押されていた。

 生徒会長様は彼女のことを見つめ、その視線は相変わらず輝きを帯びている。

 この光景をスロウスが見たらなんというか、想像しただけでため息がこぼれたよ。

 

 

「どう? これなら大丈夫だと思うけど?」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 こうして私はこの場に立つこととなった。生徒会長様が帰られた後、彼女からは謝罪の言葉を貰ったがね。

 もう少し人との付き合い方を考えたほうがいいと、出しゃばったことは悪かったと言われた。

 個人的にはどういう心境の変化か、その辺りを詳しく教えてほしいがね。

 

 

 もしも孤児院での戦いで言っていたあの言葉、それを実行する気なら面倒である。

 私を変えて見せるなどと、監視は国王の兵士だけで充分足りている。

 

 

 

「それでは、最後に我が学園の生徒である――」

 

 気がつけば生徒会長様が説明を終えて、遂に私の出番が回ってきたわけだ。

 これも彼女が提案したことであり、私という人間を知ってもらうべきだと、そう言って生徒会長様に提案したことでね。

 特にこれと言って話すこともなかったので、私はとある独裁者のまねごとを行ったのである。

 

 

「私は、私自身を特別などと思ったことはない。

 私は私自身にできることをやり、それを周りの人間が評価してくれただけに過ぎない。≫

 私自身は空っぽの人間であり、触れれば崩れてしまいそうな真鍮製(メッキ)だ」

 

 多くの偉人がそのスピーチを参考として、多くの人間がその研究を行った人間。

 彼は歴史的にみても特異な経歴の持ち主であり、その生涯は今でも語られている。

 

 

「私は私自身を英雄だと思ったことはないし、ましてや英雄と呼ばれる人間でないこともわかっている。

 だが、私はここにいる誰よりも高みを目指している。そして、おそらくは誰よりも高みへと上るだろう。

 触れれば崩れるようなメッキでも、人によっては黄金以上の価値があるからだ」

 

扇動の天才であり、その声には不思議な力があったのかもしれない。

 

「何度も言うが私は英雄ではない。だが、私は私自身の価値を知っているし、おそらく誰にもその価値はわからないだろう。

 だから、興味がある者はこの学園に入るといい。

 おそらくこれから先の二十年より、もっと価値のある二年間がそこにはあるはずだ」

 

 

まあ、ただのサラリーマンでしかない私にはこれが限界だろう。

 

 

「来い、話はそれからだ」

 

 響き渡る歓声の中で私は踵を返し、ただ求められた役を演じるだけである。

 これから始まるのはこの広大な学園を使ったテスト、時間は全ての腕輪が奪われるか陽が落ちるまで、私は背後から聞こえる歓声を尻目にため息をこぼす。

 どれだけの人間が来るか見当もつかないが、今日という日をさっさと終わらせよう。

 

 

 メディア=ブラヴァツキーとの会談、貴族派連中との付き合い方、ギルドの設立にクロノスの正体。

 緋色の剣士や今後の目標も含めて、私には考えることが多いのである。

 こんな些事に付き合っている余裕はないし、なにより時間の無駄でしかないのだ。



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