カルデアのレストラン (赤目のカワズ)
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GUEST.1 ジャンヌダルク・オルタ様

 燃え盛るような憎悪が私を蝕む。

 磔を出自とし、凌辱を礎とし。身を包み込む業火のもとに、私は生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「サーヴァント、アヴェンジャー。召喚に応じ参上しました。……どうしました。その顔は。さ、契約書です」

 

 鳩が豆鉄砲食らったような間抜け面を見れたものだから、ジャンヌダルク・オルタはようやく溜飲を下げた。フランスからこっち、この男には毎度の如く苛立ちを募らせていたものだから、してやったりである。

 しかし、出来る女ジャンヌダルク・オルタはそれをおくびにも顔には出さない。彼女はさも平然を装ってマスターたる男に話しかけた。

 

「……何時まで固まっているのです。私が何のために字の練習をしてきたと思っているのですか」

 

『――あ。そうだね、ごめん。改めて、来てくれてありがとうジャンヌ!』

 

「ふん。別に貴方のためではありません。いけ好かない聖女様に何時までもでかい顔されてたら、こっちの立つ瀬がないのよ。極めて個人的な都合によるものだから、挨拶なんていらないわ」

 

『せっかく二人はジャンヌちゃんなのに……』

 

「ほんと一言多いわねアンタ!」

 

 大方の予想通り、ルーラージャンヌダルクはとっくの昔にカルデアに来ているようだった。

 ジャンヌダルク・オルタを諌めつつも、人類最後の希望は沸点を見極めた上で彼女を煽りたてる。後輩が顔を曇らせるのも頷ける話だ。

 

 さて、さっそく暴れて壊して燃やし尽くそうと企てていたジャンヌダルク・オルタ通称邪ンヌであったが、どうもマスターには考えがあるらしい。

 話を聞くに、初めてカルデアを訪れるサーヴァントには歓迎会を開くらしく、邪ンヌの参加は必定であった。

 

「アンタ馬鹿ァ? サーヴァントに食事なんて必要ないのよ」

 

『心の贅肉を削ぎ落としてばっかじゃ苦しいでしょ。たまにははしゃがなきゃ』

 

「……ハァ。聞く耳は持っていないようですね。いいですか? 私は馴れ合いをするためにここに来たわけではありません。貴方は戦いの時にだけ私を呼び出せばいいのですから」

 

『もう準備出来てるから早く早く。あとは邪ンヌのリクエスト待ち』

 

「ちょ、貴方何を考えて…離しなさいったら!」

 

 不躾に手を握ってくるマスターに、邪ンヌは驚く。

 無論、サーヴァントの怪力をもってすれば、容易く振りほどく事は可能だ。勢い余って壁に叩きつける事も難なくやってのけるだろう。しかし、突然のアクションが邪ンヌの動揺を誘った。彼女は悪辣を装う事を好んだが、この時ばかりはマスターの言いなりになってしまったのだ。

 

「――ん。なんだマスターか。どうやら召喚は無事成功したらしいな」

 

 男に手を引かれ辿り着いた場所は、近代的なキッチンの備え付けられた部屋だ。清潔に維持されているらしく、汚れ一つ見当たらない。

 まるで牢名主の如く待ち構えていた浅黒の男をマスターは認めると、途端に喜色を含んだ笑みを浮かべる。

 

『準備ありがとうエミヤ』

 

「この程度礼には及ばんよ。さて、君があの聖女の……」

 

「あの女と一緒くたに語られるのだけは我慢なりません。長生きしたいなら、それなりの節度というものを学ぶ事ですね」

 

「これはまた、難儀な英霊をつれてきたものだ……」

 

 素知らぬ振りで、男は調理の準備を続けている。およそ女の戦場には似つかわしくない風貌と図体だ。腹に巻かれたエプロンだけが、申し分ばかりにらしさをアピールしてくる。

 男はエミヤと名乗った。異端の英霊邪ンヌをして与り知らぬ真名である。

 

「しかし、良かったのかね? こんなこじんまりとした所で歓迎会とは。いっその事食堂にでも移動して盛大にやらかすのが、君の好む趣向だろうに」

 

『……今日は荒ぶる消毒神が居るからね』

 

「ナイチンゲールか……彼女も悪気があっての事ではないんだろうが、一度皿や調理器具を見ると当分放そうとしないからな」

 

 マスターとエミヤは親しげな風で会話を交わすと、用意されていたテーブルと椅子の方へ彼女を促した。

 

『さ、座って座って! 今日はエミヤが料理を作ってくれるんだ! エミヤの料理は絶品だし、きっと邪ンヌも美味しいって感じるよ!』

 

 男はマスターの信頼を勝ち取っているようだった。その顔つきたるや、一切の猜疑心が見当たらない。

 邪ンヌはマスターの事も主従関係もどうでも良かったが、悪意の一欠けらもない繋がりだけは心底気に入らなかった。その身は恩讐の彼方より来たりしものであれば。いやに眩しさを覚えて、邪ンヌは知らず窒息しかかった。この場は、この空間は、私を拒絶している。まるで淡水に放り込まれた海の魚のようにも思えた。両者は同じ空間で共存出来るが、内部構造が異なる事に変わりはない。邪ンヌは孤独な海の魚だった。

 ならば、自分の方から拒絶してやろう。有無も言わさず席を立った邪ンヌは、目を丸くするマスターを尻目に部屋を出ようとする。

 何時ぞやの盾の英霊とばったり出くわしたのはその時だ。感知式の扉が開かれたかと思えば、通せん坊するかのようにマシュ・キリエライトが立っている。彼女もまた淡水魚だった。

 

「あ、ジャンヌダルク・オルタさんですね。私はマシュ・キリエライトです」

 

「……ふん、アンタの事なんか知らないわよ」

 

「今日は歓迎会との事で、微力ながらお手伝いに来たのですが……」

 

「あいにく歓迎会はもうお開きよ。誰がそんなものに出るものですか」

 

 邪ンヌは歯に衣着せぬ態度でマシュを切り捨てた。何時か、何処かの記憶の残滓が、邪ンヌの脳裏を過ぎる。まるで泡沫のような記憶が、邪ンヌの苛立ちを悪化させるに至った。

 次いでマシュの顔つきが曇る。そうだ。こういう反応が欲しかったのだ。

 満たされた欲求に耽溺するのも束の間、後ろからマスターが呼び止めにかかる。邪ンヌの愚かしい失態だった。さっさと外に逃走を図ればよかったものを、彼女は己の享楽に酔いしれてしまった。

 

「っ……! だから気安く触るなと……!」

 

『待ってよ。邪ンヌに、食べてほしいんだ』

 

「貴方の言葉に従う必要性がありません。貴方はマスターで、私はサーヴァント。共に戦う以外で接点なんて必要ないのよ」

 

『一緒に戦ってはくれるんだ』

 

「それは、そうでしょう。そういうシステムですし、そのために、来たのですから……不本意ですけれど」

 

『じゃあ、色々話した方が、戦闘にも有利になると思う。邪ンヌはそう思わない?』

 

「全く思わな……」

 

 目だ。

 邪ンヌはマスターの、透き通った青い瞳が大嫌いだった。どこまでも続く青空のような、それでいてみなもに映る月のように淡い光を放っている。その瞳に見つめられると、何故か、何も言えなくなる。頭のどこかの誰かが、輪郭を帯びて浮き上がってくる。

 邪ンヌは苦虫を噛み潰したような表情をしばし続けたが、やがて観念したかのようにテーブルに戻った。マシュと顔を見合わせたマスターはそれまでの態度が嘘のように喜色を浮かべると、再度エミヤシェフに言葉をかける。

 ここからが本題であり問題でもあった。人理を巡る戦いを経て成長しつつあるものの、マスターは日本の一学生に過ぎない。知識がないのは当然の事であった。

 

『よし! それじゃあ何食べようか! やっぱりフランス料理?』

 

「あー、マスター……。言いにくいのだが、世間一般的なフランス料理が出来たのは16世紀からの事だ。ジャンヌダルクはその時代より前の人間だから、当然彼女もフランス料理を食べた事はない」

 

 エミヤの言葉に、マスターは驚きを隠せない。マーリンのヒゲという奴だ。

 脳裏に描いた豪華絢爛、鮮やかな彩りで食欲を煽り立てる極上の虚像達が、見るも無残に崩れ去っていく。

 

『ええ!? 邪ンヌそれって本当!?』

 

「知識だけならありますけどね……」

 

 砂上の楼閣に縋りつくマスターに対し、邪ンヌは仏頂面で頷いた。

 聖杯が勝手に送り続けてくる知識は虚像そのものだ。片田舎の少女の一生では手に入れられぬ程の英知を彼女は蓄えたが、その全てがあまりにも空しい。

 彼女は生涯フランスを知らずに死んだ。しかして、ジャンヌダルク・オルタの霊基にフランスという概念はある程度植え付けられている。そのギャップが彼女を尚更苛立たせた。

 

『じゃああのソースが凄いのとか、なんか見た目が凄いのを邪ンヌは知らない……!?』

 

「恐らくはマリー・アントワネットの領分だろうな」

 

『邪ンヌにかこつけてフランス料理を食べようとしたのが間違いだったか』

 

「ふむ……さも当然のように、私がフランス料理を振舞えると考えているな?」

 

『出来ないの?』

 

「……ふっ。任せたまえ、マスター。和洋中、全てを再現してみせよう」

 

『これが無限の料理製……!』

 

「語呂悪すぎです、先輩!」

 

 邪ンヌの苦悩を知ってか知らずか、外野のがなりたてる騒音は無価値にして有害だ。

 ありがたくも椅子に座りなおしたにも関わらず、マスター達は自分そっちのけでフランス料理がどうのこうのとわめき散らしている。

 邪ンヌはマスターの事などどうでもよかった。他のサーヴァントとの関係など論外だ。しかし、淡水魚どもが群れを成しているのは、どうにも気に障った。

 

「――ああもう、煩いわね! そんなに言うなら、私に一番似合うフランス料理を作ってみなさいよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャンヌダルク・オルタ様からのご注文――【私に一番似合うフランス料理】

 

 

 

 

「ジャンヌダルク。百年戦争に舞い降りた聖女にして英傑。アルザス=ロレーヌにて生まれた彼女は神の声に導かれるまま、軍を率いたと言われています。オルレアンの開放、それに伴うシャルル七世の戴冠やイギリス軍駆逐など、彼女の功績は留まる所を知りません」

 

『ありがとうマシュ。いつも助かるよ』

 

「いえ、そんな……」

 

 英霊知識に乏しいマスターにとって、マシュは外付けハードディスクだ。泉のごとく湧き出てくるそれは、言葉をもって歴史を物語る。かつてフランスの地に立った聖女の生き様が脈々と受け継がれているという証左でもあった。

 しかし、マスターの顔は杳として優れない。事態が単純であったならば、彼もどれだけやりやすかったか。戦場での閃きもこの時ばかりは舞い降りず、彼はむつかしそうに首を捻った。

 

『ジャンヌダルク・オルタだもんなぁ』

 

 行儀よく席に座って待機中の彼女は、見てくれこそジャンヌダルクそのものだ。生前の彼女を模したそれは、絵画に勝り伝聞を凌駕する。しかし、その内包する魂は別人と言っていい。

 燃え盛る黒炎に臓腑を焼かれ、苦悶の末に復讐を誓ったそれは――とある男の妄執によって生み出された虚像に過ぎない。『彼女の最期』に涙した人々の想念を喰らい、一人歩きを始めたもう一人のジャンヌダルク。それがアヴェンジャーたる彼女の正体だ。

 本来の聖女であれば、干草の臭いを嗅いで往昔に思いを馳せたかもしれない。

 だが、邪ンヌには何もない。あるのは復讐心だけだ。コンピエーニュの戦いで捕虜になり、尋問され、強姦され、遂には火炙りの刑に処された。聖女はそれさえも良しとしたが、邪ンヌは未来永劫忘れる事はないだろう。それが彼女の在り方なれば。

 問題は、ジャンヌダルク・オルタにとって生前の記憶など無いも等しいという事だ。当然、15世紀のフランス料理など知る由もなければ、食べた経験すらないだろう。製作者達が望んだのは、食に感謝する女ではなく、何もかもを燃やし尽くす悪鬼なのだから。

 

「ふむ……とりあえずフレンチでも作ってみるかね? 16世紀から始まったそれは、今や世界中にその根を下ろしている。フランスを代表する文化体系である事には違いあるまい」

 

『んー、でも邪ンヌってそんなにフランス好きじゃなさそうなんだよな……なんでこんな注文したんだろ』

 

 マスターの慧眼は正しく真実を見つめていた。今や邪ンヌは針のむしろ、つい勢いで言ってしまったが故に、後悔先に立たず。今更訂正するのも恥ずかしいし言いづらいしで、なんとも言えない顔で明後日の方向を向いている。結論から言おう、邪ンヌはフランスを食べたくなかったし、どうでもよかった。

 しかし、自分から言ってしまった以上引き下がれないというめんどくさい矜持が彼女を縛り付ける。口を開けば煽りの言葉しか吐き出さない。

 

「ふん。何が料理好きですか。客の注文の一つもマトモに取れないなら、看板を下ろした方が身のためですよ」

 

「邪、邪ンヌさん! エミヤシェフの前でその台詞は……!」

 

 しかし、マシュの動揺を余所に、鉄人シェフの顔色に焦りは見受けられない。彼は余裕をも垣間見せる態度で邪ンヌに立ち向かう。

 

「さて、本来の聖女は生来ベジタリアンだったようだが……よもや君はそうではあるまい?」

 

「ハッ! あんなクソったれた宗教に私が殉死するとでも? あんな経験一度すれば十分よ!」

 

「だ、そうだマスター……。どうやらレパートリーを考慮する必要はないらしい」

 

 間隙を縫うようにして、ちゃっかり料理へのヒントを戴いてくるのだから、正にいぶし銀の活躍だ。この器用かつ柔軟な思考、生前はさぞモテたに違いない。

 エミヤはあくまで脇役に徹する腹積もりのようだった。指先が紐解く人類史の軌跡はありとあらゆる料理の形をもって顕現するが、その手は未だ包丁すら握っていない。よもや何も思いつかないという訳ではないだろうが、その視線は調理器具ではなくマスターに向けられている。これもマスターの責務という事だろう。一人の英霊の要望すら答えられないでは、人類史を救うなど口に出すのもおこがましいという訳だ。

 

『肉、魚、卵……うーん、逆に選択肢が広がりすぎた気もしないでもない』

 

 しかし、当のマスターにしてみればかなりの無理難題だ。彼は料理人ではない。古今東西、日本から始まった旅はとうとう神代くんだりに達さんとするが所詮食べてきただけだ。作った例など数えるほどしかない。

 マスターの窮地を救うのは、何時だってマシュの助け舟だ。マスターが頭を悩ませているとくれば、即座に口を出し、歩み寄る。その姿勢に揺るぎはない。

 

「中世ヨーロッパでは穀物が主流だったそうです。主の祈りで言うところの、我らの日用の糧ですね。主にパン食が好まれ、中世社会では非常に重要な役割を担いました。それと野菜や果実も多く摂取されていました」

 

『ジャガイモとか?』

 

「いえ、ジャガイモはもっと後の時代に登場します。またヨーロッパへの伝来当初は悪魔の根っこと呼ばれ、人々から忌み嫌われていたようです」

 

『ダ・ヴィンチちゃんを思わせる博識ぶり……! マシュ、一体いつそんな知識を』

 

「あ……その、何時か先輩のお役に立てるのではと思いまして」

 

『マシュ……!』

 

「よ、喜んでもらえて何よりです。先輩」

 

 突如繰り広げられるラブ&コメディには目も当てられなかった。日ごろ慣れ親しんだエミヤはともかく、邪ンヌからしてみれば堪ったものではない。かくしてここに、ラブ臭を敏感に嗅ぎ取った清姫を筆頭とするカルデア勝手にマスターのベッドに潜り込んで委員会の襲来が確定したのである。

 閑話休題。マスターは突然穴があくかといった具合で視線をマシュに送り出したものだから、彼女は知らず顔を赤らめた。

 

「ど、どうしましたか。先輩」

 

『そういえば、マシュは一番何が好き?』

 

「私、ですか? ……おまんじゅう、チョコレート……すいません。すぐに決められそうには……」

 

『そっか。そうだよね』

 

「……?」

 

 何かしらの着想を得たのか、マスターは早速エミヤに声をかけた。彼に料理の腕はまだない。だが、その構想を具体化させてくれる頼もしいサーヴァントなら確かにいる。

 かくしてエミヤは調理にとりかかった。その背中たるや、正にキッチンの守護者。クッキングガーディアンである。材料、良し。まな板、良し。包丁、良し。その他調理道具良し。染み付いた料理人の血潮が、エミヤの腕を滾らせる。マスターの描いた空想を具現化せしめるのは、正にこの男を置いて他にはいないだろう。

 

『むぅ…あの動きは…』

 

「ご、ご存知なのですか、先輩!?」

 

『うむ――――固有結界浪費拳。その源流は日本の一都市での出来事に端を発する。固有結界を無駄遣いして作った複製品は、当代一の逸品と寸分違わぬ性能を示したという。ちなみに「弘法筆を選ばず」ということわざは、一流は自ら道具を作れという固有結界浪費拳の極意が誤って伝わったものである。愚堕愚堕書房刊「冬木虎聖杯史」』

 

「一体どこからそういうネタを仕入れてくるんだ、君は……」

 

 遥か彼方、何時か訪れたカッティングに思いを馳せつつも、エミヤの包丁捌きに淀みはない。

 流石は仕事人といったところか、マスターの下らない話が終わるころには、もう料理を出せるところまでに来ていた。カルデアの料理人様様である。これで時折来襲するエリちゃんズの防衛も担っているというのだから、泣ける話だ。

 

 曰く、料理とは、皿の上に宇宙を描く事により極致に至る。

 あらゆる要素を内包し、森羅万象を着飾って無限の味わいを提供する。料理人とは、ある意味において根源に接続しているといっても過言ではないだろう。

 しからば、この逸品もまた宇宙を体現するが如し。スープに浸かったそれの触感たるや滂沱の涙を流すに至り、その風味は脳細胞に突き刺さる。

 詰まるところ――カツオブシベースのスープに口をつければ、体の温まる事間違いなし。口に含めばそのシコシコ感は、邪ンヌを新たな味覚の境地に誘うだろう。今ここに、極上の一品が舞い降りた――――

 

「で? これは一体何なのかしら?」

 

『うどん』

 

 ――――つまり、それはうどんだった。

 しかし、ただのうどんではない。フランス生まれへの配慮だろうか、一つまみずつ等間隔で皿に並べられたそれは、まるでパスタのようにくるりと巻いて飾り付けられている。細麺を使っているからだろうか、見た目もそれほど嫌らしくない。

 勿論、邪ンヌがそれを知るはずもなかった。それどころか、フランスかぶれの日本料理なんてどっちつかずの贋作は、彼女が最も唾棄すべきものだった。つい、この間までは。

 

「うどん……? 成る程、これが貴方の考えるフランス料理という訳ですね」

 

『いや、バリバリ日本料理だよこれ。見た目はそれっぽいけど』

 

「アンタ私をバカにしてるのかしら!? この……」

 

 邪ンヌの怒りは留まるところを知らない。怒髪天を衝く勢いはテーブルを引っ繰り返さんとしたが、次第に彼女にも冷静さが戻ってくる。マスターの目に嘲笑は見受けられず、邪ンヌは出掛かった悪罵を寸での所で引っ込めた。

 

『ま、とりあえず食べてみてよ』

 

「……いいでしょう。そこまで言うのであれば。ですが、もし私の要望通りのものでなければ……その時は分かっていますね?」

 

 邪ンヌの怒りを余所に、皿に盛り付けられたうどんは暖気を纏って待ち構えている。うどんを着飾っているのはテリーヌだろうか、キャラメリゼで炙った表面が香ばしい焼き色を放ち、肉の臭いが鼻腔をかどわかす。

 邪ンヌはこの期に及んで食事に及び腰だったが、マスターの手前、これ以上の躊躇は自身の矜持が許さなかった。

 意を決して口に含んでみると、なるほど、毒ではない。甘味を内奥した複雑な味わいは、スープの働きかけが強いのだろう。麺にもよく味が染み渡っており、テリーヌとの合わせ技で食感も一塩だ。口の中で咀嚼するたびに、豚肉の濃厚な味わいが飛び込んでくる。

 喉元をするりと抜ける食べやすさは細麺の面目躍如といったところか。それでいて、フォークに巻き取ったそれを口に含めば、確かなコシを邪ンヌの舌と歯に訴えかけてくる。結論から言えば、悪くはない。

 だが、だからといって邪ンヌの注文に答えたという事にはならないだろう。

 

『どう? といっても、作ったのはエミヤなんだけど』

 

「……まあ、美味しいのは、確かですね。けど、説明にはなってないわね。これのどこが、私に一番似合うのかしら?」

 

『うん。確かに、証明は出来ない』 

 

 マスターはあっさりとその事を認めた。まるで最初からそう言うつもりであったかのように。

 

『うどん仕立てにしてもらったのは、識ってないものを食べてもらいたかっただけだよ』

 

「ハッ、余計なお世話ね。本当に」

 

 邪ンヌは腹の底から笑いたくなった。初めての勝利である。何時から始まったかも定かでないマスターとの腐れ縁は長らくに渡り、その度彼女は敗北の味をかみ締めてきた。加えて、自分もそれをどこかで納得しているのだからタチが悪い。それは、邪ンヌが無意識にもマスターを認めている事の証左でもある。

 しかし、それとこれとでは話は別。勝利の味は格別で、復讐は承認欲求の塊だ。邪ンヌは釣りあがりそうになる口角を抑えきれない。

 マスターの次なる言葉を聞き逃さなかったのは、あの日あの時結んだ縁が所以か。はたまた今この場にある霊基の気まぐれか。上機嫌だった邪ンヌにとって、初めそれはただの負け惜しみにしか聞こえなかった。

 

『じゃあ今度の食事の時は、俺の料理を食べてみてよ。まだまだ下手だからエミヤに作ってもらったけど、次はきっと、邪ンヌに一番似合う料理を自分で作って見せるよ』

 

「……ハァ。貴方は私の注文に答える事が出来なかった。それでいて、もう一度作るからまた食べてほしいと? それも、今度は数段腕前の劣るであろう貴方の手作りで? フフフッ、厚顔無恥もここまでくると一級品ね。褒めてあげます」

 

 邪ンヌは冷たくあしらったが、なおもマスターは食い下がる。

 

『でもさ、邪ンヌ。一番似合うフランス料理っていうけど、邪ンヌは他のフランス料理を食べた事あるの? 比べられないよね?』

 

「ッ、お前という奴は」

 

 それは、今をもってなお、邪ンヌを激情に陥れるには十分な言葉だった。

 ジャンヌダルク・オルタには歴史がない。ジャンヌダルク・オルタは空気だ。人類史に刻み込まれ、誰も彼もがその怨念に肩入れしたが、その実像には重みがない。聖女ジャンヌダルクの人生と彼女のそれは重ならないのだ。

 故に、ジャンヌダルク・オルタは無知である。たとえ聖杯が知識を与えようと、彼女は何も見た事がなく、聞いた事もない。

 だから、マスターは彼女に向かって手を差し伸べた。

 

『――だから俺と探しに行こう。ジャンヌに一番似合うフランス料理を。ここを最後のレストランにしちゃうなんてさ、もったいないよ。だって――ジャンヌはまだ、始まったばかりなんだから』

 

「…………」

 

 さし伸ばされた手を、ジャンヌは素直に握る事が出来ない。

 彼女は苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

『人理も確かに大切だ。けど俺は、ジャンヌと一緒に色々なものを見てみたいとも思ってるよ』

 

「…………私は別に」

 

『駄目、かな』

 

「――――――――――」

 

 目だ。この、声だ。取るに足らない一マスターに過ぎないくせに。簡単に燃えてしまうくせに。いつもいつもいつも、ずかずかずかずかずかと人の心の中に入り込もうとしてきて。

 ムカつく!!

 

「…………ふん」

 

『ん』

 

「……いいですか。別に、別に! 貴方の考えに賛同した訳ではありませんから! それと、下手なもの食べさせたら承知しないわよ!」

 

 そっぽを向いたままの邪ンヌの握手に、マスターは満面の笑みを返す。

 それからしばらく、邪ンヌの機嫌はなかなか直らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、今度は君か」

 

「ええ、彼女がこちらに伺ったと聞きまして」

 

「すれ違いだな。マスターとマシュがカルデアの案内をしている所だ。何、いずれどこかのタイミングで出くわすだろうさ。何を言われるかまでは定かでないがね」

 

 一人料理の片付けをしていたエミヤを、聖女ジャンヌダルクが訪れる。

 思うところがあるのだろう、彼女は特に邪ンヌを気にかけているようだった。邪ンヌに振舞った料理の話を聞いて、その顔を綻ばせる。

 

「まあ、そのような事が。所でエミヤ。貴方なら、邪ンヌが欲しい料理もすぐに分かったのでは?」

 

「何のことやら。私はしがないサーヴァント……もとい、ただの料理人だよ。さて、せっかくここに来たんだ、君も何か食べていくかね? もっとも、今からでは軽いものしか作れないだろうが」

 

 エミヤの提案を、ジャンヌは最初断ろうとした。

 しかし、ふと思い直すと、にっこりと彼女は微笑む。

 

「そうですね。それでは、シュークルートをお願い出来ますか? ああ、そうそう電子レンジを使うと早く作れるそうですよ」

 

「……? ふむ、何か思い入れでもあるのかね?」

 

 エミヤの問いかけに、ジャンヌダルクは笑顔で答えた。

 

「ええ、何時か、ここではない場所での、思い出の味です」

 

 






















料理は食べるのは好きだけど作ったことはないので、妄想こみこみの変なものになる予定。
ロベスピエールとかいう畜生にはダブルジャンヌシステムに孔明使ってたなぁ。今は孔明マーリンマシュが一番鉄壁なんだろうか。アステリオスの宝具回転率あげまくればもっと効率良さそう。


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GUEST.2 ニトクリス様

「サーヴァント・キャスター。天空の神ホルスの化身、ニトクリス、召喚に応じました。このようにファラオではありますが、私はあまりに未熟の身。故に、今回だけ特別に貴方を「同盟」の相手と認めましょう。……ですがその前に、言うべき事は言っておきます。こほん。頭を垂れなさい。不敬ですよ!」

 

 ニトクリスがその高圧的な態度を貫けたのは数分である。

 神のきまぐれか、はたまたカルデアの曖昧模糊とした召喚システムに由縁するのか。ニトクリスに呼応するかの如く召喚サークルに現れた男は、開口一番にこうのたまった。

 

「余が太陽王オジマンディアスである!!!!!!!!!!!!!」

 

 偉大なるファラオの顕現にマスターは色めき立ったが、ニトクリスの反応は対照的だった。

 まるで黄門様にひれ伏す悪徳代官さながらに閉口したかと思えば、その腰は低く、また及び腰だ。驚きは勿論の事、先に召喚されてしまったという事実に罪悪感を抱いているようだった。

 ニトクリスとファラオの物語はここから始まったと言えるだろう。ファラオを主賓とした歓迎会の只中にあってなお、彼女の顔は曇ったままだった。戦いを繰り広げていく中でマスターとニトクリスは絆を深め合ったが、心に残ったしこりは依然暗い影を落とす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女がマスターのもとに召喚されて、もうかれこれどれほどの月日が経っただろうか。もはや何度目かも分からぬ事案発生に、彼女はほとほとあきれ返った。ニトクリスが激怒するのも当然である。彼女は、必ずやこの軽佻浮薄の同盟者を叱り付けねばならぬと決意した。

 

「まったくもう! 何度言ったら分かるのですか! 部屋は小まめに掃除するように口酸っぱく言っているでしょう! 仮にも私の同盟者なのですから、それらしい立ち振る舞いをですね!」

 

 御自ら掃除機を手繰るその様からは、王としての威厳は見受けられない。ニトクリスはファラオであったが、決して優れたファラオという事ではなかった。

 ニトクリスは導く者としてはあまりに感情的過ぎた。生来の人間性を捨てきれず、胸の内から湧き上がってくる情動を抑える事が出来ない。

 己の苛烈さを恥じている限り、その人間性を美徳と捉える事は叶わないだろう。彼女にとってそれは、欠陥の象徴に他ならないからだ。

 

 彼女がマスターのもとに召喚されてから、いくばくの日が過ぎた。標とした縁に導かれ、ニトクリスは今日も今日とてマスターを律する。

 彼女はそれを、ふがいない同盟者が故に不承不承に仕方がなくといつもぼやく。しかし傍目から見れば、甲斐甲斐しくお世話をする母親のそれだ。縦横無尽に掃除機をかけた彼女はふとマスターの方に向き直ると、

 

「少し、そのままで、ええ、そうです……ええ、肩にゴミがついていましたので」

 

『ありがとうニトクリス』

 

「礼など要りません。不出来な後進を生暖かい目で見守るのは、偉大なる先達の義務ですから……しかし、不敬である事には変わりません! 同盟者とはいえ只人であるならファラオへの畏敬の念を持ちなさい! ほら! ぐだっとしないでベッドから立つのです! そこに座られると掃除が出来ません!」

 

 マスターは遥か彼方、極東での生活を思い出した。青い瞳とは正反対の激情ぶりが雷の如く降り注ぐ日々は、母親と紡いだ確かな絆だ。ニトクリスの性格は母と似ても似つかないものだったが、その裏に隠された思いは共通していた。親愛である。

 およそファラオ離れした人間性がニトクリスの魅力だった。太陽王が人類をあらゆる意味で超越し、征服王が人の器に収まらない事を考えれば、大分親しみやすい部類のそれと言えよう。皮肉な事に、彼女は人間と近しいファラオでもあった。

 勿論、マスターもお世話されてばかりではない。彼はどこか抜けていたが、さりとて義理を疎かにするような人間でもなかった。

 

『いつもお世話になってるし、ニトクリスには何かお返しがしたいな。最近料理に凝ってるんだけど、何かリクエストってある?』

 

「料理、ですか? ――――ファラオへの供物という事であれば、何時でもいただきましょう。しかも我が同盟者手作りというのなら尚更です。あまーいお菓子でも良いのですよ」

 

『もしかして、茨木のがうつった?』

 

「そうそう彼女の持ってくるチョコレイトは中々の美味で……! な、何を言わせるのですか、全く。そもそも! いい加減部屋はいつも綺麗にしておきなさい! もう耳にタコが出来るぐらいには言っている筈です!」

 

『しまった、藪を突いたらファラオが』

 

 間隙を縫う一撃に、ニトクリスはまんまとしてやられたようだった。褐色の頬に、わかり易いくらいありありとした朱が差す。誤魔化すようにして声を荒げるのがいつもの彼女の癖だった。

 

「と、ともかく。貴方がそう言ってくれるのでしたら、喜んで受け取りましょう。ファラオとしては勿論の事、私としてもその申し出はありがたいです。本来なら慎むべき事なのですが、かつてのエジプトとはまた異なる、それでいてほっぺたが落ちそうになる料理が現世には沢山あるようですから」

 

 ニトクリスはそう言って微笑む。

 しかし、その約束は長らく果たされる事がなかった。何を隠そう、原因は太陽王オジマンディアスとニトクリスの卑屈さにある。

 

「余が太陽王オジマンディアスである!! 以上!!」

 

 その言霊、大気を震わす。森羅万象を語って憚らぬその姿は、正に全人類の頂に相応しい。傲岸不遜を体言するその口調も、成る程太陽王ともなれば納得出来る話だ。変に着飾った物言いもしないものだから、どこぞの英雄王より素直な印象を受ける。

 一般的にラムセス2世として語られる彼の軌跡は、正にファラオとして相応しいものだ。建築王としての活躍目覚しく、その戦いぶりは勇猛果敢にして剛強無双。民の幸福を一手に担ったその生き様は、正しく天より世界を見守る太陽そのものだ。

 しかしその輝かしい偉業は、ニトクリスにとっての毒だった。御身を象るは復讐譚なれば。眩しすぎるオジマンディアスの存在が、まるで断罪するかのようにニトクリスの体を焦がす。

 オジマンディアス自身も己が真のファラオであると言って憚らなかったので、ニトクリスは尚更萎縮してしまった。こうなってしまっては、料理を振舞う事など到底出来そうにもない。

 

『ニトクリス、大丈夫?』

 

 約束がお流れになりつつあった、とある昼下がり。沈み込んだ表情でカルデアの回廊を歩く彼女を、マスターは捕まえた。緊急のレイシフトが重なった事もあって、久方ぶりの邂逅だ。

 

「ああ、マスター……どうやら、気取られてしまったようですね。ええ、少し、ブルーになっているようです」

 

 ニトクリスがしょんぼりして見えるのは気のせいではないだろう。その表情には覇気がなく、いつもの苛烈さも陰を潜めている。

 物憂げな彼女を心配してか、メジェド神もどこか不安げだ。真っ黒な双眸からは何の感情も窺えないが、母親に群がる子犬然とした様子からして、マスターと共通の思いを抱いている事は容易に見て取れた。

 

『同じファラオなんだから、そこまで自分と比べなくても』

 

「いえ、あのお方は別格なのです。太陽の如く燦然とするあの光輝さは、私には眩しくて……いえ、あのお方だけではありません。征服王や、クレオパトラもそう。彼らの残した功績の前では、私は、その……自分が恥ずかしくなってしまいます」

 

 ファラオというコミュニティにあって、ニトクリスは常に自分を下に見ていた。復讐しか果たせなかった生涯故か、彼女の自尊心はあまりにも低い。

 しかし同時にそれは、いずれファラオ同士が解決するわだかまりでもあった。餅は餅屋にという奴だ。事実どこぞのカッティングを覗き込んでみれば、そこではファラオ達が一同に介し、英雄王の酒で宴に洒落込んでいる。

 ――――しかし、いつ来るかも分からないものを待つほど、マスターは気が長くはなかった。

 男は、サーヴァント・ニトクリスのマスターである。彼女が困っているなら、悩んでいるなら、たとえどう思われようとも手を差し伸ばしたい、前に進みたい――――それが彼の信条だった。

 同時に、未だ果たされていない約束に思い当たった彼は、沈み込むニトクリスと視線を合わせると、

 

『ニトクリス。今、何か食べたいものはある?』

 

「……マスター。いえ、今は、お料理は別に……」

 

『ちょっと気分転換になると思うしさ。それに前にも言った通り、ニトクリスに恩返しがしたいんだ。駄目かな?』

 

 最初は断ろうとしたニトクリスであったが、マスターの再三の説得にとうとう折れざるをえなくなった。

 しかし、こんな精神状態ではリクエストもままならない。彼女は呆けたように口を開いていたが、終ぞ具体的な料理名は浮かんでこなかった。

 彼女は当代の料理を知っていた。豪華絢爛、様々な色合いをもって味覚を刺激するそれは、まさに人類史の歩みの顕現だ。料理とは、人類と共に成長してきたと言っても過言ではない。

 しかし現代を代表する様々な料理を押しのけて、結局彼女が立ち返ったのは己の原点だった。

 

「そう、ですね。なら、私は……ファラオに近づくための料理を。この未熟なる身が、真なる意味でファラオに至るための料理を所望します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニトクリス様からのご注文――【偉大なファラオに近づくための料理】

 

 

 

 

 

 

 

「ニトクリス。エジプト第六王朝最後のファラオにして女王。ペピ2世の娘として生まれた彼女は、本来ファラオに就く事なくその人生を終える筈でした。しかし、兄弟が謀殺された事により、空位期間を埋める形でファラオとなります。在位期間は極端に短く、その実在を疑問視される事すらあるようです。」

 

「さて、魔術的な解説はこのダ・ヴィンチちゃんにお任せあれー! マシュの言ったとおり、彼女は歴史書における記述が少ない偉人だ。まるで意図的に隠蔽されたかのようにね。しかしその軌跡が途絶えた一方で、二十世紀になって突如その名が世に広まった事がある。魔術世界でね。噂では『創造』を起源とする異端の魔術師によってその遺品が持ち出されたとの事だよ。何でもマインクラフトに愛を注ぐ鬼才だったとか。いやはや、天才と何とやらは紙一重とよく言ったものだね」

 

『ダ・ヴィンチちゃん大丈夫? なんかチェック失敗してない?』

 

 ニトクリスの注文を受けたマスターは、マシュとダ・ヴィンチちゃんに助けを求めた。頼れる後輩として適切な助言をくれるマシュは勿論の事、ダ・ヴィンチちゃんの存在はあまりにも大きいと言えるだろう。流石は万能の天才というやつで、その守備範囲は料理の世界にまで及ぶというのだから驚きで声も出ない。

 しかし呼び寄せたは良いものの、ダ・ヴィンチちゃんに話を纏めさせる気は更々なかった。彼女の話ではないが、馬鹿と何とやらは紙一重というやつだ。彼女にまかせっきりではどんなものが出てくるか検討もつかない。

 自然、マスターはマシュの手助けのみで今回の事態を解決しなくてはならなかった。明らかな人選ミスだ。また彼にしてみれば、今更聞くに聞けない疑問に、改めて顔を向き合わされた形でもある。

 

『そもそも、ファラオって何なの?』

 

「一般的に考えればかつての古代エジプトを支配した君主という事になりますが……」

 

「まあもっと包括的な意味で捉えるべきだろうね。オジマンディアス王なんて特にそうさ。彼、ファラオって言っておけば大体通ると思ってる節あるでしょ」

 

 ダ・ヴィンチちゃんの発言は、聞く者によっては卒倒モノのそれだ。クレオパトラは泡を吹き、ニトクリスであれば目を白黒とさせて正気を失うだろう。ただ一人イスカンダルは例外で、呵呵大笑でオジマンディアスを弄りに行くに違いない。

 詰まるところ、ファラオとは偉大かつ寛大かつ支配的かつ太陽であり更に付け加えれば勇猛で最強で傲慢だが時に優しく民の事を常に考え只人の尊敬を一心に集める古代エジプトの君主という事なのだろう。その他ポジティブな意味合い全てひっくるめて、ファラオという概念は構成されていると思って間違いはない。

 

『それを踏まえた上での、ファラオに近づくための料理か……』

 

「マシュの言ったとおり、ファラオとは君主であり王だ。であれば、他の王様サーヴァント達を思い浮かべてみるのも一つの手かもしれないね」

 

 エジプトに限らず、カルデアには多くの王が召喚されている。原初の英雄王は勿論の事、インドの大英雄に竜殺しの喧嘩屋とその種類は幅広い。

 中でも特異なのがブリテンの王だろう。円卓を侍る王は、その逸話の豊富さからか各種バリエーションが揃っており、正に騎士王の宝石箱といった所だ。青も白もいれば、黒だっている。どこぞの宇宙からの来訪者はなんか別次元の人っぽいのでとりあえず除外でいいだろう。

 ともかく、彼女達は総じて全員がアルトリア・ペンドラゴンなのだ。その事に気付いたマスターがマシュにたずねる。

 

『マシュ。もし複数のアルトリアが同じ場所を統治しようとしたら、どうなるのかな』

 

「アルトリアさんが、ですか? 英霊はあくまで生前のコピー。それでいてクラスや反転によって抽出される側面もまた異なってきますから――――簡単にはまとまらないと思います」

 

『俺もそう思う。けど、きっと、悪い事ばかりでもないんじゃないかな』

 

「そう、ですね。……アルトリアさんは、青い普通のアルトリアさんもオルタさんもリリィさんもランサーさんもランサーオルタさんもアーチャーペンドラゴンさんも、素敵な方ですから」

 

 ――――アルトリア・ペンドラゴンは、国を滅ぼした王である。それはもはや覆す事の出来ない事実だ。内紛の果て、ブリテンは王の死と共に衰えた。しからば、幾らアルトリア・ペンドラゴンが揃った所で必ず国は滅ぶだろう。それが、彼女の運命であるのだから。

 しかし、結果は変わらずとも――――そこには意味が残るに違いない。成る程、彼女達は最良の王ではなかった。勿論、最優の王でもない。だが、彼女達が総じてブリテンを救おうとしたのは事実である。マスターのため、人類がためにカルデアに集結しているのがその証左だ。各々の違いはあれど、その意思に差異はあるまい。

 

「ふーむ、何か閃いたのかな。こういう時の君の瞳は輝いて見えるから、すぐに分かるよ。うんうん、大変素晴らしい! それでこそカルデアのマスターだ!」

 

 ダ・ヴィンチちゃんの賞賛に思わず顔を赤らめつつ、マスターは早速行動に移る事にした。

 了承を得るのも惜しいのか、ニトクリスの私室に飛び込むようにして無断入室を果たす。

 ベッドの上で足をぶらぶらさせていた彼女は、マスターの突然の登場に酷く驚いた様子だった。

 

『ニトクリス!』

 

「ど、どうしたのですか、我が同盟者よ。そんなに急いで」

 

『何も言わず、これ読んどいて!』

 

「は?」

 

 ニトクリスに手渡されたのは書物の山だ。どこから取り揃えたのか、その全てがある種の方向性を帯びている。大々的に張り出された料理の写真達は見るものを見移りさせるが、ニトクリスにしてみれば突然のアクションだ、思わず反応が遅れる。

 

「マスター、一体これはどういう……」

 

『絶対! ちゃんと読んどいて!』

 

「はぁ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体、私は何をやっているのでしょうか……」

 

 ニトクリスの疑問は当然のものである。彼女は律儀にもマスターから渡された本を熟読したが、その目的については皆目見当もつかなかった。今も、マスターに呼ばれるがままにキッチン備え付けの部屋に呼ばれ、極東仕込の丸テーブルの前に座り、流されるままに事態の推移を見守っている。

 忙しなく準備にとりかかるマシュとマスターを尻目に、ダ・ヴィンチちゃんもまた成り行きに身を任せていた。サボっていると言い換えてもいいだろう。あるいは手出しを禁止されたか否か。

 ニトクリスの前には、大きな陶器が我が物顔で居座っていた。コンロの上におかれたそれは、今か今かと着火の時を待っている。隣で鎮座する食材の山々は、処刑を待ち望むようになった罪人のようでもあった。

 

「マスター、これは一体何なのでしょう……?」

 

『鍋』

 

 つまるところ、それは鍋料理だった。最も、食材は未だ遥か遠く。灯火さえもないとあっては誰も口にする事は出来ない。ニトクリスの前に置かれたそれは準備段階の代物だった。どうやらマスターは、ニトクリスに準備を手伝わせる腹積もりらしい。

 事実、先日彼女に手渡されたのは「サルでもわかる鍋料理」をはじめとするHOW TOモノだ。今や彼女の頭脳は、聖杯の教えてくれない無駄知識で溢れかえっている。

 

「マスター、確かに私は『偉大なファラオに近づくための料理』を注文しましたが……これが一体どうつながってくると言うのです?」

 

 困惑気味のニトクリスに対し、マスターは対照的だ。彼はほがらかに微笑むと、

 

『まあまあ。とりあえず、今は一緒に鍋の準備をしようよ』

 

「…………我が同盟者たっての望みとあれば、仕方ありませんね。ですがマスター、準備という割にはあまりにお粗末に過ぎる気がしますが」

 

『ん? なんの事?』

 

 素知らぬ風を気取って首を傾げるマスターに、ニトクリスは困惑した。まさか、そんな馬鹿な。彼女の抱いた危惧を余所に、マスターが突然コンロに火を灯し、鍋に具材を投入し始めたではないか!

 

「な、なんという事を。具体的に言うなら水炊きにも関わらず昆布や鶏がらで出汁を取らないだなんて……。ああ、マスター、面取りをしないままで大根を入れては煮崩れしてしまうというのに! それに、隠し包丁も入れないのですか!? それでは味が染み込まないではないですか!」

 

 思わずファラオ然とした態度を脱ぎ捨てる程に、ニトクリスは動揺した。それほどまでに、マスターのそれは愚かしい失策だった。鍋の決め手は出汁と具材とタイミングである。その全てを台無しにしてみせたマスターの短慮さに、ニトクリスは悲鳴を上げそうになった。

 ニトクリスの驚きを尻目に、マスターは楽観的な態度を崩さない。

 

『大丈夫大丈夫、こういう時のダ・ヴィンチちゃんだから』

 

「パッパカパッパーパッパカパッパパー! 化学調味料~! 勿論ダヴィンチちゃん謹製の一品モノだぜ? これさえぶちこんどけば鍋の味なんて楽勝さ。そもそも、料理とは科学と同義である。イチプラスイチが二であるが如く、あらゆる旨みは数値化が可能なのさ」

 

 ダ・ヴィンチちゃんの言葉は確かに真理である。たとえ鍋の出来がお粗末であったとしても、それを補って余りある程にまで人類は進歩してきた。否、してしまった。後はテキトーにポン酢でもキメとけばある程度の味には収まるだろう事は容易に想像出来る。

 しかし、その合理的な判断をどうしても許す事の出来ない人物がここにいた。ニトクリスである。彼女は面前で繰り広げられる料理トークに激怒した。必ずこの無味乾燥な愚か者達を叱り付けねばならぬと決意した。

 鍋とは、一つの宇宙である。肉、野菜、時には魚。本来出会う筈のなかった者達でさえ惹かれあうそこは、強大な引力を発生させる特異点だ。

 色彩を持って見る人の目を楽しませるそれが、今正に見るも無残に簡略化の憂き目にあいつつあるという現実に、一人のファラオが立ち上がる。

 

「同盟者よ! このファラオ・ニトクリスが、真の鍋料理というものを教えて差し上げましょう! 貴方も共にハンマーを持つのです!」

 

 かくして、ファラオは御自らハンマーを手に取った。褐色の肌にエプロンが映えるというのは、カルデアではもはや常識である。

 ニトクリスの料理技術は生兵法とは思えぬものであった。鶏がらの汚れを取る手際は様になっているし、手羽中を切り取る姿といったら職人級である。この手間と丁寧さこそ上手い出汁をとるための秘訣なのだ。

 無論、手すきの者がいるとなればそれを見過ごさない。

 

「マシュ! 貴方は薄く輪切りにした人参で可愛く彩るのです! 鍋に最も重要なのは色彩なのですから!」

 

「は、はい!」

 

「それではマスター、私達も作業に移りましょう。えい! えい! えい!」

 

 マシュに支持を出す傍ら、ニトクリスとマスターは下処理を終えた鶏がらにハンマーを振り下ろす。濃厚な鶏白湯を作るというのであればこの工程は外す事は出来ない。

 ついで寸胴鍋に鶏がらを入れようとしていた矢先、待ったをかけたのがダ・ヴィンチちゃんである。

 

「ちょっと待った! 料理にかけるその思いは勿論好ましいものだけれど、たまには現代ってやつを信頼してみてはどうかな? カルデアのキッチンにはこういう便利なものだってあるんだぜ?」

 

 そう言ってダ・ヴィンチちゃんが取り出したのは圧力鍋だ。真に出汁を欲するとなれば五時間以上の長丁場が前提となってくるものだが、現代の最新機器は時間さえも支配する。

 合理的判断を否定したニトクリスも、この時ばかりは寛大にダ・ヴィンチちゃんの提案を受け取った。ファラオは全てを頭ごなしに否定する訳でもないのである。それにただでさえ時短料理をわざわざ一から作り上げようとしているのだ。マスターには一早く料理を食べて欲しいという気持ちが少なからずニトクリスにはあった。

 さて、水炊きは出汁さえとってしまえば比較的簡単な部類にあたる料理だ。スープから立ち昇り始めた美味なる香りは、煮込んだ手羽先と鶏がらによるものである。生臭さを消すために入れたネギが一仕事を終えており、口に含めば食肉由来のあっさりとしていて、それでいて濃厚な旨みがダイレクトに味覚に直撃する。

 当初から沸騰したお湯に鶏がらを入れたのも英断であった。鶏がらの表面はたんぱく質であり、これを熱で固める事によって旨味成分の流出を出来る限り防いでくれている。灰汁取りに四苦八苦するニトクリスを眺めつつダ・ヴィンチちゃんは顎をさすると、

 

「鶏がらは旨みの宝庫だからね。グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸と、人間の脳を刺激する成分が沢山入っている」

 

『だ、ダ・ヴィンチちゃんが料理漫画並みの解説をっ』

 

「ふふん。万能の天才とは料理漫画の様式美にさえ明るいものなのさ」

 

「二人とも、喋っている暇があったら手伝ってください!」

 

 野菜をカットするマシュの腕も中々のものだ。日ごろブーディカやエミヤといった料理の鉄人に師事を受けている賜物か、その腕さばきによどみはない。大根に忍ばせた十字の切れ込みはスープを受け入れさせるための一工夫であり、その暁にはほろりと口どけ良く、また味の染み込んだ具材が完成するだろう。

 

『あ、ハート型に、星型の人参だ。これマシュが? 可愛いね』

 

「そ、そうですか? 先輩にそう言っていただけると、なんだか嬉しいです……」

 

「はいはい、はいしどうどう。そこ、二人だけの世界に入り込もうとしない。ニトクリス、スープの方はどうかな?」

 

「ファラオ直々に下ごしらえをしているのです。当然、完璧であると言ってよいでしょう」

 

 気付けば、鶏がらは白濁とした液体の中に呑み込まれていた。漉したそれを口に含んでみれば、成る程時間をかけただけはある、クリーミーな甘みが口内を蹂躙する。とろみのついたそれを舌先で弄べば、濃厚な味わいが口いっぱいに広がり、その風味と味わいをもってニトクリスを甘美なる世界に導こうとする。

 しかし、まだ終わりではない。ようやく完成した出汁に続々と具材を投入しようとするマスターを寸での所でニトクリスは引き止めた。

 

「マスター! 先ほどから言っているでしょう! 鍋を美味しく食べるコツは具材を入れる順番! 最初は熱の通りにくい鶏肉を入れ、同時に出汁を取るのです! それから調理時間のかかる野菜を投入し……同盟者よ、野菜はくたくたな方がお好きですか? ええ、ではその通りに。また水炊きは本来、鶏肉の味わいを楽しむために具材はシンプルにすべきですが……私は、色彩こそが鍋の真骨頂であると感じています。ゆえに、きのこや人参、白菜も投入し糸こんにゃくも……ええ、こんにゃくは肉を固くしてしまいますから、出来るだけ離して……あとは中火でことこと煮込めば」

 

 ニトクリスとマスター達の戦いは長きに渡った。それこそ当初の予定からは随分ずれこんでしまったものの、時間をかけた分の価値はあったと誰もが認めていた。

 鍋の蓋をあければ、鶏白湯で煮込まれた具材達がその姿を現す。ふわりとした湯気が立ち昇り、マシュが声を上げるのも当然の反応であった。

 

「見ませい! これこそニトクリス特製の水炊きです! あ、一口めはポン酢につけず具材の味を楽しむのがファラオ的です!」

 

 鍋とは、いやさ料理とは五感で味わいを楽しむ所に極意がある。

 その点、この料理は完璧に近い水準を保っていた。ぐつぐつと聴衆を引き寄せるは、鍋の引き起こす一大センセーションだ。

 次いで視覚。白いスープの中で円状に並べられた具材が折々の色彩を放つ。小さく形を象った人参が星星のように散りばめられ、くたくたに煮込まれた白菜が見るものの目を奪う。

 鼻腔をかどわかすスープの臭いは食欲をそそり、きのこ独特の山の香りが、鍋全体に深い味わいを与える。箸で鶏肉を掴めば、成る程ほろほろになるまで煮込まれたのがよく分かる柔らかさだ。それでいて箸を押し返すような弾力があり、ぷりぷりの皮はてかりを放つ。

 

『……ごくり』

 

「ふふっ、良いのですよ、マスター……。ニトクリスの鶏肉、たっぷりといただいてください……」

 

 ニトクリスに勧められる通り、ポン酢につけずありのままの具材をいただく。鶏肉には出汁の味わいがよく染み込んでおり、これだけで十分すぎるほどだ。先に煮込んでいたためか、コラーゲンが溶け出た鶏肉はほどよい柔らかさであり、一噛みでその食感の違いが瞭然と明らかになる。

 鶏肉ばかりでない。根菜をはじめとする他の具材も負けず劣らずの魅力を放っており、熱が通っていないものは一つもない。箸に吸い寄せられるようにくたりとした白菜を口に放り込めば、瑞々しさとそのたまらない食感が一気に飛び込んでくる。

 ここで登場するのがポン酢だ。エミヤ謹製のオリジナルブランドに肉を浸せば、柑橘系由来の酸味と昆布だしが味を引き締める。濃厚かつ甘さの深い鶏白湯と組み合うだけでなく、一度に二種類の味が楽しめるというのだから、マスターをはじめとする面々の顔つきは当然綻んだ。

 

『うん! 美味しい!』

 

「はい、とっても美味しいです!」

 

「うんうん、効率的には落第だが、それをするだけの価値はあったという訳だ。インスタントでは出せない深みというものを感じるよ」

 

 料理本を食い入るように見つめ、時には練習と称し鉄人達に付き合ってもらった甲斐があったというもので、ニトクリスの表情も自然と緩まる。

 だが、遅まきながらニトクリスは重大な事実に気付いた。いつの間にか、主賓であるはずの自分が料理を作っているという現実に。

 

「……ハッ!? わ、私は一体何を……!? 何故私が料理を作っているのですか!?」

 

 あまりにも状況把握が遅いニトクリスに畳み掛けるように、あるいは誤魔化すようにして。

 マスターは取り皿によそった鍋をニトクリスに渡す。取り皿の中でひしめく具材のオンパレードは、サーヴァントであろうと引き寄せる魅力を放っていた。

 

『こんなに美味しい鍋が食べられるなんて、ニトクリスのお陰だよ。はいこれ』

 

「あ、ありがとうございます」

 

 自分で一から作ったという事もあるからだろう、特製の水炊きは確かにニトクリスの口元を緩ませた。しかし、疑問はつきず、困惑は解消されない。美味しさが口いっぱいに広がっているというのに、その表情にはどこかかげりが見える。

 

「……美味しい。で、ですが、私の注文の答えにはなっていないような……? ぶっちゃけ作ってる時は頭から抜け落ちていましたが」

 

 マスターはあえて答えを明瞭にしようとはしない。

 だが、感謝の気持ちだけはありありとその表情に浮かんでいた。

 

『こんなに美味しいのは、ニトクリスが鍋奉行……いや、違うか。鍋ファラオをやってくれたからだよ』

 

「な、鍋ファラオ?」

 

『うん、本当に美味しかった。全部、ニトクリスが頑張ってくれたからだよ』

 

 ストレートに感謝の意を告げられ、ニトクリスの顔に赤みが走る。

 ニトクリスの動揺を誘ったのはそれだけではなかった。突然部屋の扉が開け放たれたかと思えば、そこには光り輝く威光を放つ英霊が立っている。

 奇妙な井出達だ。その体、その存在感、どこをとっても太陽王に相違ない筈なのに、どこか違う。

 男はどこかで見た事がある、というかアマデウスマスクV3を装着しておりその正体も杳として判然としない。ニトクリス自身その正体を掴み損ねていたが、いずれ名のあるファラオである事だけは手に取るように分かった。

 マスターが驚きの声と共に立ち上がる。

 

『まさか聖闘士(セイント)ファ――』

 

「余が太陽王オジマンディアスである!!!!!!!!!!!!!!」

 

 瞬間、男は装着していた仮面を剥ぎ取る。ニトクリスが驚くのも当然だ、マスクをした謎の男の正体は、かの太陽王オジマンディアスであったのだから!

 

「お、オジマンディアス様!?」

 

「うむ。息災であるか、ニトクリスよ」

 

太陽王オジマンディアスの登場にも関わらず、マスターはどこか不満げだ。脚本の破綻を目の当たりにしたためか、その口からは思わず文句が飛び出る。

 

『ここは謎の男が颯爽と現れる形でいきたかったのに。それに、仮面渡した時はめちゃくちゃノリ気だったのに』

 

「余の光輝たる姿を仮面などで隠すとは笑止! 太陽とは常にその身を知らしめるからこそ太陽然としてあるのだ!」

 

 そう言ってずかずかと入り込んできた太陽王は、空いていたスペースに御身の腰を下ろした。傲岸不遜でありながら堂に入った佇まいは、ファラオをしてファラオの中のファラオと言わしめるだけの事はある。

 

「許す。余に差し出すがいい」

 

『こちらでございます』

 

 オジマンディアスはまず、小分けされた取り皿から出汁を口に含んだ。次いで野菜、鶏肉を味わい、噛み締めるようにして瞳を閉じる。

 再び開かれたまなこは、この世の真理を見通しているかのようだった。

 

「ふむ……味がよく染み込んでいる。それでいて風味も良い。出汁を取る時にニンニクを使ったか。途中に入れたであろう香味野菜も味の深みに助力している。だが、灰汁を取りすぎたな。ほんの少し、鶏肉の旨味が消えてしまっている」

 

「お、オジマンディアス様も鍋ファラオであらせられたのですか!?」

 

「万物万象は我が手中にあり! 当然、鍋料理も我が掌の上よ!」

 

 ニトクリスは驚愕と共に、またもや申し訳のない気持ちになった。鍋料理においても至上の存在であるオジマンディアスに、またしても拙いものをお見せしてしまったのだ。自然、その表情に暗がりが広がり、太陽王の顔を窺う事が出来ない。

 しかし、その時暗雲を切り裂き、一筋の光明が差した。それはまるで、大地を分かつ英雄の一矢が如く。オジマンディアスはさして表情を変える事もなく、

 

「だが――――この鍋は、良く出来ている。卑俗に過ぎるのはともかく、味にまとまりがある。どこぞの庇護下にあって初めて見出せる味わいだ――――喜ぶがいい、ニトクリス。お前は確かに、この鍋を、この一つの小宇宙を支配してみせた。余の代わりにファラオとしての職務を全うした事に、誇りを持つがいい」

 

 この鍋は、ニトクリスの支配の結果である。時に高圧的に、時に寛大に。まさしく王としての振る舞いをもって彼女は一つの鍋を作り上げて見せた。

 無論それは、鍋ファラオオジマンディアスが作り上げるものとも、鍋ファラオイスカンダルが作り上げるものとも形は違うであろう。しかしこの時、確かに彼女は一人のファラオとして皆を幸福に導いたのだ。その意思に、違いはない。

 

「お、オジマンディアス様……」

 

「無論、余以外のファラオなど有象無象に過ぎん。真たる鍋ファラオ……もといファラオであろうとするならば、今の気持ちをゆめゆめ忘れるな」

 

 オジマンディアスはそれだけ言って部屋を後にする。

 後に残されるのは呆然自失とした表情のニトクリスと、それを囲むマスターたちだ。鍋から湯気が立ち篭る最中、ニトクリスはようやく再起動を果たすと、マスターのほうに顔を向けた。

 

「マスター……もしかして、いえ、もしかしなくとも、貴方は……」

 

『結局オジマンディアスの力を借りたから、何だか言い辛いんだけど……俺は、ニトクリスらしいやり方でやれば、それでいいんだと思う。ニトクリスはオジマンディアスとも、イスカンダルとも、クレオパトラとも違うけど、確かに偉大なファラオなんだ。俺達に、美味しい料理を振舞ってくれたみたいにさ』

 

 その言葉はニトクリスの胸を突き、甘く菓子のように溶け込んだ。つくづくカルデアのマスターは魔術師らしくない人間だ。否、ただの一般人であるからこそ、こうまでしてサーヴァントと付き合えるのだろうか。

 暫くマスターと見つめあったニトクリスであったが、やがて一つ咳払いをすると、

 

「……マスター、先に謝っておきます。えい」

 

『あた』

 

「全く……ファラオを担ぐとは何事ですか。本来であれば、不敬につき裁かなければならない所です」

 

 愛用の杖でマスターの頭を軽く小突く。言葉こそ不穏な空気を醸し出しているものの、ニトクリスの表情はどこか晴れ晴れとしていて、まるで母親のような視線を携えていた。

 今回の一件は全て、この落としどころに辿り着くためのものであったのだろう。マスターがらしくない失態を繰り返すのも、ニトクリスが鍋料理についての知識を学ぶことになったのも、全て。

 見方によっては、マスターはいいようにニトクリスを操ったとも見て取れる。ここまで騙くらかした事に罪悪感を覚えたのか、マスターは素直に謝罪の言葉を口にした。

 

『まあ、勿論バレてるよね、ごめんニトクリス』

 

 しかし、ニトクリスには怒る気など更々なかった。それどころか、どこか優しげな表情が目立つ。彼女は空いたマスターの取り皿に鍋を再びよそうと、笑顔と共にそれを手渡した。

 

「いえ……今回は特別に許しましょう。ただ、伝えておきたいことが一つ。今度、私の部屋に来ていただけますか? このニトクリスが、ニトクリスらしい、それでいて真なるファラオのあり方というものを教授して差し上げましょう。ええ、勿論、ゆっくり、存分に、じっくりと。ふふふっ、ええ、楽しみです。本当に」 

 

 マシュがどこかもやもやした表情になったのは、女の直感かはたまたシールダーとしての能力故か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所で。

 オジマンディアス王のあまりのスケールのでかさに最初は誰も気付かなかったが、実は一緒に来ていたのがクレオパトラである。彼女はオジマンディアスが去った後もマスター達のところに居残り、鍋パーティーに参加している。

 

 (一体何時から彼女はここに……?)

 

 (クレオパトラさん、いらっしゃったんですね……)

 

 ニトクリスはそう思いつつも、あえて口には出さなかった。何故なら、せっかく同席しているというのに彼女が一向に鍋に口をつけない事のほうが気になったからである。心配になったマスターが声をかけるも、その挙動不審ぶりは一向に直らない。

 

『どうかした? もしかして、こういうの嫌い?』

 

「そんな事はありません。ただ、ただ……ちょっと確認しておきたいのだけれど! 口に含んだ途端めっちゃ辛いとか、妾的にはそういう不測の事態が起きうる可能性をそこはかとなく感じるのだけれど!?」

 

『ハバネロとか?』

 

「は、ハバネロ!? うっ、頭が……」

 

 クレオパトラがようやく口をつけたのは、それからしばらくしてからの事である。

 どこか手間のかかる妹分に、ニトクリスは困ったように笑った。

 

 

 





















Q.このお話はどういう物語なの?
A. 悩んでたりする人を、烈海王なみの勢いで有無を言わさず料理食わせて解決策を導くss。
フレンチ日本料理もどき、日本料理と来ているので、次はそろそろ……。あんまり料理知らないから作品的に幅が狭くなりそうで怖い。
飯テロタグをつけたいが、これが飯テロになっているのかどうか分からないジレンマ。もっと精進します。



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