【第二期完結】けものフレンズ ~セルリアンがちょっと多いジャパリパーク~ (奥の手)
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第一期
キャラクター紹介


ここのページは読み飛ばしていただいてもまったく問題ありません。


「レミア・アンダーソン」

 

 彼女はこの物語のオリジナル主人公。いかにも戦えそうな格好をしていて、実際戦いが得意なフレンズです。自身に関しての記憶が一切ないのにもかかわらず闘い方は体が覚えているという、ある意味ジャパリパークきっての危険人物といえるでしょう。

 とはいえ彼女は分別のある大人。銃を撃つ必要のある時に、躊躇うことなく銃を撃てるというだけの女性です。なんだやっぱり危険じゃないか。

 

 好きなものは酒とたばこと自由と子ども。

 嫌いなことは頭で考えることと、不自由であること。でも戦うことに関しては驚くほど正確に、素早く、頭を使って戦えます。

 

 少々自信家なところがあり、良くも悪くも自分の力を信頼しています。特に狙撃では右に出る者はいないと自負していますが、そもそもジャパリパークでそんなことをするのはこの人くらいです。

 

 

 

「フェネック」

 

 哺乳綱ネコ目イヌ科キツネ属〝フェネックギツネ〟のフレンズ。この物語の主人公ポジション。

 大きな耳が特徴で、暑い場所でも平気です。遠くの音や小さな音を敏感に聞き取れるので、誰かの内緒話、誰かの小さな独り言なんかをこの子はちゃっかり聞いています。

 

 いつも余裕の笑顔と落ち着いた口調を崩さないのですが、本来の彼女は心配性の寂しがり屋だったりします。でもそれが周り(特にアライさん)にバレるのが恥ずかしくていやなので、出会った当初から余裕の態度を崩さないでいると、いつの間にかそれが板に付いちゃいました。切羽詰まった状況では素が出るかも。

 

 楽しいこと、珍しいことが大好きです。その好奇心の強さから文字の勉強をしていたり、アライさんと一緒に様々なところへ冒険していたりします。

 天体から方角が割り出せる、文字がある程度読める、危機管理ができるといった結構頭のいいフレンズです。

 

 

 

「アライさん」

 

 哺乳綱食肉目アライグマ科アライグマ属〝アライグマ〟のフレンズ。この物語の主人公ポジション。

 本来のアライグマは泳ぎが得意なのにもかかわらず、アライさんは苦手です。暑いのも苦手。また視力も弱く、あまり遠くが見えません。

 かけっこと木登りが得意で、本人は自覚していませんが実は結構な体力を有しています。

 

 楽しいことや珍しいこと、自分の名声につながること、ジャパリパークのためになることならまず真っ先に行動します。

 自信家で冒険家。行動のありとあらゆる面で謎の気力が溢れています。本人はとある経験のおかげだと語っているのですが、誰もその経験のことを信じてくれません。不憫。

 

 アライさんは考える事が苦手です。頭より先に身体が動いてしまいます。

 だからこそ相棒のフェネックのことはとても尊敬していて、いつも冷静で落ち着いている彼女に対して絶対の信頼を置いています。

 

 でも実は、フェネックが心配性で寂しがり屋で怖がりであることをアライさんは知っています。



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プロローグ 「ふれんず!」

この世界、本当に素敵だと思うのです。


 じりじりと照り付けていた太陽が沈み、明るい月とわずかな夜風の吹くサバンナの夜は、それはそれはすごしやすい気候でした。

 雨季や乾季の存在するこの地方は時々肌寒い夜もありますが、今日は別段凍えることもなく、とても心地のよいものです。

 

 そんな月明かりに照らされるサバンナの草原を、一人の女性が歩いています。

 

 背の高い女性です。肩より少し長い茶髪に、切れ長で灰色の瞳。動きやすそうな黒のタンクトップに、迷彩柄のカーゴパンツをはいています。

 恰好からして〝戦う人〟という雰囲気がにじみ出ていますが、その雰囲気通りの代物が、両手には握られていました。

 

 大きなライフルです。大口径で、一発撃つごとに排莢と給弾を手動で行う必要のある〝ボルトアクション・ライフル〟と呼ばれているものでした。

 また両腰のホルスターには旧式のリボルバーが二丁、女性の歩調に合わせて調子よく揺れています。

 

 まるでどこかの戦地から赴いてきたかのような出で立ちで、女性は草を踏みしめながら歩いていました。

 その顔に不安と疲労、そして何より〝ココはどこ?〟という疑問符たっぷりの表情を浮かべながら。

 

 ○

 

 しばらく歩いていると、向かう先で何やら声が聞こえました。

 若い、というよりはむしろ子供のような声がします。

 

「…………?」

 

 目を細めながらゆっくりと、女性はライフルを握りしめながら進みます。警戒の色が濃くなりました。

 

 ごっつい軍用ブーツで足元の草を音もなく踏みつつ、静かに慎重に、声の主達へ近づいて行きます。

 ライフルのセーフティーは外され、いつでも引き金を引ける状態です。

 

 ほどなくして声の主たちを見つけました。

 

「こっち! こっちなのだ!」

「それはわかるけどぉー急いで追いかけなくったって――――ん?」

 

 そこには人影が二つありました。

 

 地面に鼻を近づけてクンクンとにおいを嗅いでいる彼女は、全体的に灰色っぽい印象。

 薄い青色の生地でできたシャツと紺色のスカートに、髪は黒とも灰色ともつかない毛束が、何かの動物の顔を描くかのように入り混じっています。そしてその頭の頂点には丸っこい耳が。

 

 一方で、その後に立っているのは薄いピンクのカーディガンに白いスカートの少女。頭には同じく大きくとがった耳を生やしていました。

 

 そして二人とも、お尻の少し上あたりからふさふさの尻尾を生やしています。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 人のような、そうじゃないような様相の二人は、銃を持った女性を見て固まり、銃を持った女性もまた二人を見て固まりました。

 

 そのまま数秒。

 時が止まったサバンナの夜に、ゆるく暖かな風が吹いて――――。

 

「早く追いかけるのだぁー!」

「いやさすがに気にしようよぉアライさん」

 

 灰色の〝アライさん〟と呼ばれた方が大声で叫びながら走り出そうとしたところを、黄色い耳の少女が服の首元をひっ掴まえて止めました。

 

「ぬぉあ! フェネックやめるのだぁ!」

「でー、あなたは誰? なにか用ー??」

 

 襟をがっしりと掴まれてパタパタしているアライさんから目を離して、フェネックと呼ばれた少女は銃を持った女性に尋ねます。

 よく言えば落ち着いた、悪く言えばやる気のなさそうな声です。

 

 女性は今なお口を開けて固まっていましたが、はっとして何度か首を振ると、ライフルを下ろして安全装置をかけました。

 

「あ、あたしは…………あれ? いや、思い出せないの。気が付いたらここにいて」

「いつの話ー?」

「ついさっき……かしら?」

「おぉー。じゃあきっとサンドスターから生まれたばかりだねー。めずらしー」

「……?」

 

 気の抜けるような声でフェネックはつぶやきます。

 女性に説明しているというよりは、自分で納得するために口にしている感じでした。

 

「あ、いや、えっと……何が何だかわからないんだけど、とりあえずその子、離してあげたほうが良くないかしら?」

「ん?」

 

 首をかしげながらゆっくりと視線を落としたフェネックは、

 

「うわー、ごめんねーアライさーん」

 

 首が締まって青い顔をしていたアライさんから、のんびりとした口調とは裏腹に慌てた様子で手を離しました。

 

 

 ○

 

 

「落ち着いたー?」

「長い付き合いだからってそういう止め方はないと思うのだ……」

「次は気をつけるよー」

 

 げほげほ、と何度か咳をしつつ蘇生したアライさんの背中を優しく撫でつつ、フェネックはライフルを持った女性のほうに向き直りました。

 

「私はフェネック。こっちはアライグマのアライさん。あなたはー?」

「んんー、名前も思い出せないのよねぇ」

「そうなんだー。…………ねぇー、首にぶら下げてるそれ、なぁにー?」

「首?」

 

 フェネックの人差し指の先を追って女性が首元を触ると、ひんやりとした感触がありました。

 

 ドッグタグです。軍隊に所属する人間が首からぶら下げている、個人証明用の金属プレートです。

 楕円形の小さなそれにはいくつかの文字が刻印されていました。

 一番目立つところに、一番大きな字で書いてあるものを読み上げます。

 

「〝レミア・アンダーソン〟……これって、たぶん名前かしら?」

「わぁー。ながーい」

 

 やる気のなさそうな声でそう言ったフェネックは、しかし驚いているのか目を見開いて感嘆の声をあげました。

 

「でー、あなたは何のフレンズー?」

「フ……〝フレンズ〟?」

「そーそー。私もアライさんもフレンズでー、ここに居る動物はみんな〝フレンズ〟って呼ばれているんだー。で、あなたは思い出せない?」

「えぇ、わからないわ」

「そっかー。〝レミア・アンダーソン〟なんて動物聞いたことないもんねー」

 

 ぽりぽりと頭をかきながらフェネックはつぶやきます。

 女性は話が見えてこずに困った顔をしていますが、ふと、そういえば〝レミア〟というのがきっと自分の名前なのだから、とりあえずそう呼んでもらえればいいんじゃないかと思いました。

 

「ねぇ、フェネックちゃん。あたしのことは〝レミア〟って呼んでくれるかしら」

「名前ねー。いーよー。あー……〝レミアさん〟でもいいー? なんかアライさんのことアライさんって呼んでるから、こっちのほーがしっくりしてさー」

「好きな方でいいわ」

「じゃーレミアさんねー」

 

 フェネックは間延びした声でそう言うと、ん? という顔をしてレミアの持っているものに目が止まります。

 そのまま、リボルバーやポーチに視線が映っていきました。

 

「持ち物ー、どーしてそんなにいっぱい持ってるのさー?」

「これ?」

 

 レミアも、両手に持っているライフルと両腰に下げている二丁のパーカッションリボルバー、そして腰のポーチを順番に視線で追いました。

 

 自分がなぜこんなところに居るのか記憶が全くありませんが、これらをどうやって使うのか、何に使うのかはしっかりと覚えているようです。

 ただどうしてこれらを持っているのかは、レミアにもわかりませんでした。フェネックの質問には答えられません。

 

 レミアは顔を上げるとフェネックの目をしっかりと見定めて、それから柔らかな笑みを浮かべながら言いました。

 

「ねぇ、あなたたち、どこかへ行こうとしていたんでしょ?」

「私は別にー。でもアライさんが急に〝追いかけるのだー!〟って言いだして」

「そうなのだ! あいつらを追いかけないと大変なことになるのだ!!」

 

 すっかり元気になったアライさんは体の前でこぶしを握りつつ、レミアを見上げて叫びました。

 そうかと思うと今度は首をかしげて訊ねます。

 

「でも、レミアさんはどうしてそんなことを訊くのだ?」

「ついて行こうかしら、と思って」

「アライさんにか? そうなのかぁ!? わ、わぁ、フェネック! 聞いた!? 聞いたか!?」

「アライさん落ち着いて……レミアさーん、どうしてまたそんなことをー?」

「あたし何も思い出せないしさ。ここがどこだとか、君たちが誰なのかとかいろいろ気になるけど、あたし考えるの苦手なのよ。面白そうだからついて行こうかなって」

「ふーん」

 

 フェネックは首をかしげつつも、口元には小さく笑みが浮かんでいました。

 

「私も、アライさんについて行こうかなー。レミアさんが何のフレンズか気になるしぃー」

「うえぇ!? フェネック、ついてくる気じゃなかったのか?」

「さっきまではね」

「ア、アライさん悲しいのだ……泣きそうなのだ……」

「まぁーまぁーアライさん。もうついて行くことにしたんだからさー、泣かない泣かない」

「そうなのか! ついて来てくれるのか!? わかった、じゃあ出発なのだ!!」

 

 月の光が降る青白い夜。

 短い草と乾いた土の大地に鼻を引っ付けながら、フガフガとにおいを嗅いで進むアライさんを先頭に。

 黄色く長くとがった耳に、ふさふさの尻尾を持つフェネックと。

 黒いタンクトップに迷彩柄のズボン、でっかいライフルと二丁のリボルバーを持つ背の高い女性が。

 

 夜のサバンナを旅立ちました。

 

 

 ○

 

 

「ところでお腹すいたのだ! ジャパリまん食べたいのだぁー!」

「夕方も食べたじゃーん? そんなにたくさん食べるとお肉がついて動けなくなるよー?」

「うぅ……それは嫌なのだ。でもお腹すいたのだぁ! ほら、レミアさんも!」

「あたしは別に……」

「うぇっ!?」

「でも、あなたたち食料とかどうしているのかしら? 〝じゃぱりまん〟……よね、それって何?」

「ジャパリまんは食べ物なのだ! おいしいのだ!」

「フェネックちゃん、ジャパリまんって何?」

「このパークに出現する、柔らかくておいしい食べ物かなー。詳しくは私も知らないんだけどーなんか気が付いたら近くにあったりとかー、土の中に埋まってたりするんだ―」

「不思議ねぇ」

「そーだねー。まぁ食べるものには困らないよー」

「アライさんは今困っているのだ―! お腹すいたのだぁー! …………ん?」

「「あ」」

 

 アライさんの目の前には。

 地面に半分突き刺さった緑色のジャパリまんが三つ、ホクホクと美味しそうな湯気を立てていました。




次回「せるりあん!」


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第一話 「せるりあん!」

「おなかいっぱいなのだー!」

 

 腹部をポンポンと叩いたアライさんは満足げにそういうと、再び地面に鼻をつけてクンクンとにおいをかぎ始めました。

 

「不思議な味だわ、これ」

「まーねー。何でできてるのかよくわからないしー」

 

 その後ろをレミアとフェネックが、気の抜けた会話をしながらついて行きます。

 

「肉の味がするけど、これって肉食動物のケモノしか食べないのかしら?」

「いんやー、草食の子も食べるよー」

「あ、もしかしてアライさんって草食だったかしら」

「ううん、ちがうよー。アライさんはなんでも食べるー。どんなものでも気にせずにー、ばくばくとー」

「失礼な! 最近は……えっと……〝けんこう?〟のことも考えてジャパリまんだけ食べてるのだ!」

「むしろ害してるよねー」

 

 おどけた調子でからからと笑うフェネックを見て、レミアもつられて微笑みます。

 

 月の青白い光が照らすサバンナ地方。

 三人は仲良く話しながら、時々アライさんが叫びながら、のんびりと進んでいました。

 

「で、アライさんは何を追っているのかしら?」

「おー、それそれ。肝心なことを私も聞いてないんだよねー」

「昨日サンドスターから生まれたケモノなのだ!」

「……ってことはフレンズかしら。なんの?」

「そ、それは、その……言えないのだ」

 

 珍しくアライさんが言い淀んでいます。

 フェネックは気になりました。いままでアライさんは、聞かれたことには素直に大声でなんでも答えていたからです。

 深く聞いてみようかと思いましたが、しかし開けかけた口を途中で閉ざしました。

 

 よくよく考えると、アライさんが素直に話さないということは何かあるのだろうと思ったのです。

 突っ込まれたくないからはぐらかした。じゃあそれは聞かないほうがいいことなのかも。

 

 そう思ったフェネックは小首をかしげながら、

 

「レミアさーん、ところでその手に持ってるのはなぁに?」

 

 わざと話題をそらしました。

 アライさんは驚いた顔でフェネックに振り返っていましたが、フェネックはそれに気が付きません。

 とはいえ特にアライさんも何も言わず、前を向いて耳だけはレミアの言葉を聞くようにそばだてます。

 

「これは〝銃〟っていうのよ」

「へー、何に使うの?」

「使い方は……いろいろあるわね。危険から身を守るために使うのよ」

「なるほどー」

 

 頷きながらフェネックはレミアの腰についているたくさんのポーチに視線を落とします。

 

「これも、その……〝じゅう〟だっけ? に使うー?」

「そうね、予備の弾薬とかが入っているわ」

「そっかー、じゃあセルリアンが出ても大丈夫だねー」

「セルリアン?」

「うん。このジャパリパークにはねー、セルリアンって言って、ちょーっとあぶない生き物もいるんだー。ね? アライさん」

 

 急に話題を振られてびくっとしましたが、

 

「食べられかけたのだ」

 

 低い声でつぶやいたアライさんからは、なんか本気の恐怖がにじみ出ていました。

 過去に食べられそうになったみたいです。

 

「あなたたちを食べるような危険な存在、ということかしら」

「そうそう。まぁ食べられても死にはしないんだけどさー」

「え? じゃあそれほど危なくもないでしょう」

「違うんだよねー。なんかー食べられた子はものすごーく気が抜けてるって言うかー」

 

 うーん、と口元に手を当てて考え始めたフェネックの代わりに、アライさんが立ち上がってレミアのほうを見ます。

 その目は先ほどまでの様子とは一変して、かなり真剣なものでした。

 

「あれは本当に危ないのだ。アライさんも仲間が一度食べられちゃって、すごく大変なことになったのだ」

「どんなこと?」

「く、口じゃ言えない事なのだ」

「?」

 

 とにかく食べられないように気を付けないといけない生物、ということはよくわかりました。

 

 

 ○

 

 

 それから一行は大きな木のあるところまで来ると、一度休憩を入れることにしました。

 

「ごめんなさいね、フェネックちゃん、アライさん」

「いいよいいよー」

「休憩は大切なのだー!」

 

 レミアは木にもたれかかると、浅い眠りに入ります。

 アライさんは木の上に登って周りを見晴らし、フェネックは周囲の音が聞こえるように耳をそばだてました。

 

 ほんの十分ほど前。

 

 レミアの足取りが少し重たいことに気が付いたフェネックは、

 

「レミアさん、もしかしてレミアさんってー、夜行性じゃない?」

「え、あ、うん、たぶんそうね。ごめんなさい、すこし眠たいわ」

「じゃあ無理しないほうがいいよー。私たちは夜行性だからさー」

 

 そうしてこの木のところまで来たら、休もうという事にしていました。

 

「ねぇ、アライさん」

「どうしたのだ?」

「レミアさんってー、何のフレンズなんだろーねー?」

「それはアレなのだ! 夜行性じゃなくって! いろんなものを持ってるのだ! だからえっと」

「……それだけじゃーわからないよねー」

「でもきっと大きなケモノなのだ!」

「たしかにそうかもー。いや、でも私たちが小さいからそう見えるだけかもよー?」

「じゃあじゃあ、図書館にもいくのだ! 図書館に行けば大丈夫なのだ!」

「おーそだねー。あそこに行けば、何のフレンズかわかるかもー」

「はっはっはー! アライさんあったま良いのだー!」

「だねー」

 

 両手を突き上げて高らかに叫んだアライさんの声は、サバンナの月明かりに消えていきました。

 フェネックは一度振り返って、アライさんの大声でレミアが目を覚ましていないか確認した後、再び周囲の音を注意深く聞き始めます。

 

「…………」

 

 そのまま数分が経過しました。

 

 ふと、フェネックの淡い黄色の耳がピクリと動きます。

 

「……アライさん」

「どうしたのだ?」

 

 フェネックは口元に人差し指を当てて〝しー〟っとすると、耳に手を当ててさらに遠くの音を拾おうとします。

 

「フェネック?」

「アライさん、静かにしてー」

「わかったのだ!」

 

 元気よく返事をしたアライさんは、しかしフェネックの表情が真剣で――――もっと言うならば、アライさんにもわかる〝外敵を察知したとき〟とまったく同じ表情をしていたので。

 

「…………見てくるのだ」

 

 急いで木へと駆け上がり、あたり一面を見渡しました。

 

 草が生え、ところどころに木が見えて。

 サバンナのお馴染みの景色のほかに――――。

 

「いた! いたのだ! なんかいたけどアライさんよく見えないのだ!」

 

 人影をとらえました。とらえましたが、アライさんは視覚があまり優れないのでぼんやりとしか見えていません。

 

 すぐに木から降りてフェネックに知らせます。

 

「フェネック! 向こうに誰かいるのだ! たぶんフレンズだけど、でもなんか様子がおかしかったのだー!」

「様子がおかしいだけならいいんだけどさー、うーん……変な音がたくさん聞こえるんだよねー」

「へんなおと?」

 

 首をかしげるアライさんをよそに、フェネックは木の根元に駆け寄ってレミアの肩をゆすります。

 落ち着いた声音で起こしました。

 

「レミアさん、レミアさん。ごめんなんだけどさー、もう起きなきゃいけないんだー」

「ッ!」

 

 肩に触れられた瞬間に目を覚ましたレミアは、一瞬の動作でライフルの安全装置を外し、身体の前に抱えます。

 フェネックはちょっと驚きましたが、まぁ別にケモノなら当然の反応かなーと思い返します。

 

 眠りから覚めたばかりのレミアはしかし寝ぼけた様子もなく、いたって普通の調子で口を開きました。

 

「どうしたのかしら?」

「とりあえず、ついて来てもらってもいいー?」

「もちろんよ」

 

 一行は土を踏み固めた道から外れ、ひざ下くらいにまで伸びた草の中をさくさくと進んでいきました。

 

 

 ○

 

 

「あーれ、おねーさーん? なんでこんなところにー?」

 

 フェネックが首をかしげながらつぶやきます。

 三人が走っていった先には、ヘロヘロになりながらこちらへ向かってきているフレンズがいました。

 

 髪は黒色で毛先が赤く、全身はぴっちりとした服を着ています。出るところがしっかりと出た大人っぽいフレンズです。

 サバンナの水場でよく水浴びをしている、サバンナのみんなからは〝カバ〟とか〝おねーさん〟と呼ばれている動物でした。

 

 いつもはおっとりとしたしゃべり方と物腰で、時々水場に来た他のフレンズをびっくりさせることが好きな彼女は、しかし今は息も荒く、足取りもフラフラで落ち着いているような印象は欠片もありません。

 

 駆け寄ったフェネックは肩を貸しながら、なおも不思議そうな声音で質問します。

 

「どーしたの? いつもはこんなに疲れてることないのにー」

「セル……リア……ン……が……ハァ……ハァ……」

「ちょっと落ち着こー。ほら、休んで」

「そうも……いか、ない……ハァ……わ」

「ちょぉぉぉぉぉぉぉッッ! フェネック! フェネックッ! 大変なのだ! 大変なのだー!」

「アライさんも落ち着いてよー」

「それどころじゃないのだー!」

 

 血相を変えて走り寄ってきたアライさんが、ただならぬ様子で叫びます。

 指を差した方向をフェネックは見ようとしましたが、ちょうど背中側なので見えません。カバに肩を貸しているので、自分で見ることはあきらめました。それよりもカバを休ませなければと思い、その場にしゃがみます。

 

 代わりに目を凝らしたのはレミアでした。

 月の明かりに照らされる草と土の地平線。

 だいぶ先のほうで、その月明かりを鈍く反射する〝なにか〟が見えました。

 

「……なにかしら、あれ?」

「セルリアンなのだー!」

「あれが!?」

 

 レミアの目が見開かれます。

 もう一度アライさんの指さす方角を凝視して、そこにあるものを視界に捕らえます。

 

 もはやそれは生き物などと呼べるものではありませんでした。

 原色のペンキをぶちまけたかのような青色が、ゼリー状となって空中に漂っています。

 それも、一つや二つではなく。

 

「あれ、いくついるのよ」

「に、二十はいるのだ! これはまずいのだ! 早く逃げるのだー!」

「まってよー、アライさーん」

 

 いたって落ちついた声でフェネックが呼び止めます。

 アライさんは振り返りつつ、こんな時でもいつもの調子を崩さないフェネックに若干の焦燥と、それを大きく上回る頼もしさを感じながらその顔を見ました。

 しかし目に入ったフェネックの表情は、苦悶のそれでした。肩を震わせながらアライさんを見上げています。

 

 フェネックは首をゆっくりと振りながら、掠れた声で言いました。

 

「おねーさん、これ以上は走れないよー……」

「で、でも! セルリアンがッ! しかもあんなに大きなのが!」

「…………わかってるよー、でも…………置いていくのは、違うかなーって」

 

 カバはすでに意識を失っていました。ここまで結構な距離を走ってきたのかもしれません。

 

 カバは短距離を全速力で走るのは得意です。時速にすれば四十キロを越し、たいていの危機からは脱出できます。

 しかし長い距離は走れません。この様子を見るに、すでにカバは自分の走れる限界の距離を大きく越えて移動しています。

 これ以上走ることはおろか、立って歩くことも不可能でした。

 

 フェネックは地面にそっとカバを寝かしました。

 アライさんはすでに逃げる気満々です。この場に居るのが彼女一人だけだったら、何のためらいもなく逃げたでしょう。

 しかし今はフェネックが居ます。古くからの友人であり、遊び仲間であり、相棒であるフェネックが。

 

 そのフェネックが〝動けない〟と言っているのです。置いていくわけにはいきません。

 アライさんはフェネックの顔とカバの顔を交互に見て、泣きそうな顔で「ぬあー! どうすればいいのだー!」と叫びました。

 

 フェネックも同様に彼女一人、あるいはアライさんと二人きりなら逃げたかもしれません。

 しかし今は違います。足元にはカバが居ます。

 

 フェネックとカバは特別仲がいいわけではありませんが、何度も会話を交わしたことがあるくらいには面識があります。

 水場に行けば必ずと言ってもいいほど彼女がいて、毎度毎度急に現れるたびに驚かされていました。

 

 もし。

 

 もし、カバがセルリアンに食べられてしまったら。

 

 ――――死にはしないけど、もう二度と、水場から急に出てきてびっくりさせてくれるようなことはないでしょう。

 楽しく笑ってお話をすることもないでしょう。

 仲良く水浴びをすることもないでしょう。

 

 セルリアンに食べられたフレンズは。それは、もう、そういうことができなくて。

 

(そんなの……いや、だなー…………)

 

 フェネックの目じりに小さく涙が浮かびました。

 はらはらと落ちた涙がカバの顔にかかります。

 月の光に弱く反射し、フェネックの頬に、一筋も二筋も跡を作ります。

 とめどなく、あとからあとから溢れ出ます。

 

 その時。

 

 ――――じゃきぃぃん。

 

 フェネックがこれまで聞いたことのない音があたりに響きました。

 大きな耳で遠くの音まで聞き取れるフェネックが、これまでたった一度も聞いたことのない音です。

 

 フェネックは顔をあげました。しゃがみこんだまま、音のした方を見上げます。

 目で追った先にレミアが居て、その音はレミアが発したものだと気が付き。

 

「ひっ」

 

 おもわず声が漏れました。

 

 レミアの目は完全に、獰猛な肉食動物が獲物を狩るときのそれでした。

 見られたものは恐怖で肢体が固まるような。

 北の大地に吹き荒れる凍てついた氷礫のような。

 

 瞬間的に死を連想させる、恐ろしく冷たい目をしたレミアが、無表情に、ただただそこに立っていました。

 ゆっくりと口を開いて、しかし酷く落ち着いた声でつぶやきます。

 

「…………あなたたちはここにいて。ここから動かなくていいわ」

「え……?」

 

 フェネックは言われた意味を理解しようと努めながら何とかそれだけを言葉にしました。

 〝何を言っているんだ〟〝逃げなきゃいけないんだ〟と伝えようとしますが、言葉になりません。どうやって声にすればいいのかわからず、頭の中で止まってしまいます。

 

 直後、レミアは走り出しました。左へ向かって、先ほどの重い足取りからは想像もつかないような素早さで。

 

「レミアさん! 石なのだッ! セルリアンは石を壊さないとダメなのだッー!」

「了解」

 

 アライさんが大声で叫んだ言葉に、レミアの声が返答します。

 フェネックはただただ、脳裏に焼き付いたレミアの目が忘れられないまま、ぼーっとレミアの跡を目で追いました。

 

 

 ○

 

 

 サバンナの草原地帯を、一人の女性が走っています。

 手にはボルトアクションライフル、両腰には旧式のリボルバー。

 

 草を踏み抜き、腰を低くし、まるで獲物を狩る猛獣のような目で女性は走っています。

 

「……ここね」

 

 月明かりに照らされる草原のはるか彼方。

 ゆうに五百メートルは先に集っている、ブニブニとした〝それ〟に。

 

 ――――セルリアン、とフレンズたちからは呼ばれているそれに向かって。

 

 ボルトアクションライフルを構えた女性、否、レミアは、深く息を吸い込みました。

 

 そのまま片膝を地面につけて膝立ちになり。

 

「…………」

 

 ライフルの上部に取り付けられているスコープをのぞき込み。

 ただの十字線だけで構成されている照準器をぴたりと安定させ。

 

「ふー……」

 

 深く吸った息を深く吐き出し。

 

 ――――ばがんッ!

 

 引き金を引き絞り、あたり一面に轟音をまき散らしました。

 音速をはるかに超える速度で打ち出された円錐形の鉛玉は、目が覚めるような青色をしたセルリアンの頂点、その直径わずか三十センチメートルほどの大きさの石を粉々に弾き飛ばしました。

 

 そのままの体勢で目にも止まらぬ早さのボルトアクションを行います。

 

 ばしゃッ!

 

 ばがんッ!

 

 ばしゃッ!

 

 ばがんッ!

 

 ばしゃッ!

 

 ばがんッ!

 

 ばしゃッ――――。

 

 セルリアンの頂点についている石が、次々に砕け散ります。

 石を砕かれたセルリアンはいくつもの直方体に分裂し、砕け散り、まばゆい光をもって霧散していきます。

 

 その光がレミアの照準をことごとく手助けする形となり。

 またセルリアンたちは何をされているのかわからないといった様子であたふたし始め。

 

 サバンナに響く爆発音が二十二回響いた後、レミアの覗くスコープの向こう側には、もう一体もセルリアンの姿はありませんでした。

 

 

 ○

 

 

「ぬあぁぁぁぁ!! すごいのだ! すごいのだレミアさんの〝銃〟!! なんなのだあれッ!!!」

「…………」

 

 レミアが銃火を瞬かせているその少し向こうで。

 

 アライさんは両手を上げてピョンピョンと飛びながら興奮をあらわにし。

 フェネックは茫然と、頬を伝う涙もそのままに、レミアの手によって次々とセルリアンが砕け散っていく光景を眺めていました。

 




次回「さばんなちほー!」


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第二話 「さばんなちほー!」

サバンナ地方は今話でお別れです。


 じりじりと照り付ける太陽が、ほどほどに伸びた草の大地を申し分なく焼いています。

 うだるようにカゲロウが立ち上り、こんなにも熱くなるのは珍しいばかりに。

 ここサバンナ地方は近日まれにみる猛暑日となっていました。

 

 レミア、フェネック、アライさんの三人は草の上ではなく、歩きやすい土の踏み固められた道をゆっくりと進んでいます。

 というよりはアライさんが元気のない様子でとぼとぼと歩いているので、一行の歩く速度がゆっくりになっているのでした。

 

「あづい……のだー、フェネックぅ……もう休みたいのだー」

「もう少し先に木陰があるからさー、そこまでがんばろー」

「うえぇー…………」

「もう少しだわアライさん。がんばって」

「うぅぅー……あついー……サバンナって……もうちょっと涼しいんじゃぁー……ぅぅ」

 

 暑さにやられてアライさんが情けなく声を上げている後ろを、てくてくとフェネック、レミアが付いて行きます。

 

「アライグマって暑さに弱いのかしら?」

「そだねー。アライさんは普段涼しい地方に居るからさー」

「フェネックちゃんは大丈夫なのかしら」

「私はーほらー」

 

 頭の上の大きな耳を指さしてぴくぴくと動かします。

 

「この耳は熱を逃がすのさー。砂漠もサバンナもへっちゃらー」

「あたしうらやましいわ」

「でもレミアさんもへーきそうだねー? 汗かいてるから、体の熱いのを逃がすー?」

「言われてみれば、汗かいてるわね」

「アライさんよりはあついのへーき?」

「えぇ、まぁ、これくらいなら大丈夫ね」

「ふたりともずるいのだー……」

「ずるじゃないもーん」

「ずるじゃないわね」

 

 うえぇぇー……、とヘロヘロになりながらアライさんは頑張って歩きました。

 

 今日のサバンナはちょっと暑いです。暑いのが苦手なフレンズにとってはあまり過ごしやすい気候ではないようです。

 

 昨晩のセルリアンとの戦いから一夜明けた今、三人はカバとお別れしてアライさんが追っている〝ぼうしを被った動物〟を探していました。

 においをたどって追っているのですが何やら薄くなってしまったらしく、「たぶんこっちなのだー……」と元気のない声でアライさんがふらふらと歩いている後ろを、フェネックとレミアはついて行く形になっています。

 

 昨晩。セルリアンとの戦いの直後。

 

 カバが目を覚ますまで、一行は一番近くにある木の根元で休むことにしました。

 日が昇り始めてあたりがほんのり明るみになってきたころ、カバがゆっくりと目を覚まします。

 

 アライさんはレミアの戦いっぷりに興奮が収まらないようで、一晩中はしゃぎまわっていたのにまだ元気があるのか、カバに昨日の出来事を最初から最後まで説明しようと意気込んでいました。

 しかし鼻息だけが荒く要領を得ない話にカバは苦笑しつつ、やんわりと代わりの説明役をフェネックに頼みます。

 

「ほーい、じゃあー何があったか話すねー」

 

 頬の涙の跡は誰にもわからないようにきれいに拭われていました。

 いつもの気の抜けた様子で、柔らかな笑みを浮かべつつフェネックは説明します。

 

 カバが疲労で倒れてしまったこと。

 レミアが次々とセルリアンを倒したこと。

 アライさんが一晩中うるさかったこと。

 

「最後のはなんなのだー!」

「だってー、アライさんバタバタ走ったりー、転げまわったりー、叫びながら飛び跳ねたりでー」

「べ、別にいつものことなのだー!」

「いつも以上にすごかったからさー」

「フェ、フェネックにはあのすごさがわからないのだー! あんなにたくさんのセルリアンを倒せるなんて、きっとレミアさんは戦いがものすごく得意なフレンズなのだ!」

「そうかもだけどー」

「あれ? わかるのか!? ほらそうだ! フェネックもわかるのだ!!」

「それでアライさんが奇声を上げながら木から飛び降りるのはー、私にはーわからないなー」

 

 カバは終始、口元に笑みを浮かべていました。

 

 昨夜あの時、おびただしい量のセルリアンが迫ってきていたというのに。

 そして自分は気を失っていた。にもかかわらず、フェネックは自分(カバ)を見捨てて逃げなかったこと。

 それをフェネックは自分の口からは言いませんでしたが、カバはアライさんの要領を得ないマシンガントークでなんとなくそのことがわかりました。

 

 〝自分の身は自分で守る〟

 

 ジャパリパークの掟は常にそうで、誰かを守るために自分を犠牲にするなんて本来ないはずの話です。

 

 ふと、カバは帽子をかぶったあの不思議なフレンズのことを思い出していました。

 ゲート付近でセルリアンに襲われていたあの子を、自分がどうしたか。

 

 

 〝自分の力で生きる事〟

 〝サーバル任せにしちゃだめよ〟

 〝助けるのは今回だけよ〟

 〝変わった子ね、でも――――サーバルを助けようとしたのね〟

 

 次々と思い出す自分の放った言葉に、カバはふっと自嘲気味に微笑みました。

 

 ――――掟は、自分もしっかり破っています。

 

 でも不思議と心が温かくなるのを、カバは胸に手を当てながら感じていました。

 これでいいんだ、と思いました。

 

 

 ○

 

 

 からからと照り付ける太陽のもと。

 目的地の木陰にたどり着いた三人は、各々で休憩を取り始めました。

 生い茂った木の葉が三人を、遠慮のない日光から守ってくれます。

 

「〝戦いの得意なフレンズ〟……?」

「そーそー」

 

 アライさんがびろーんと伸びきっている横で、フェネックとレミアは木に背を預けたままそんな会話を始めました。

 

「フレンズによってさー、得意なこととか、苦手なことがあるんだー」

「フェネックちゃんは何が得意なのかしら?」

「私はほらー、音を聞くのが得意かなー。あとは動物だったころの名残でー、外敵が居たらなんかすぐにわかるんだよねぇ」

「それ、すごい能力じゃないかしら」

「もともと敵が多かったからさー。相手より先に察知しないとー生き残れなかったんだー」

「……もしかして、今も襲われたりとかするの?」

「ううん、フレンズたちはそんなことしないよ。たまーにイライラしている子に八つ当たりで噛みつかれることがあるくらいさー」

「八つ当たりで噛みつかれる」

「かぷーってね。ほらー、私体が小さいから噛みつかれやすいのさー」

 

 そんなに小さいかしら、とレミアは思いましたが口には出しませんでした。

 

「それで、あたしは〝戦いの得意なフレンズ〟ってわけ?」

「たぶんねー。昨日のアレは本当にすごかったからー。それ、ちょっとだけ持ってみてもいーい?」

「ええ、いいわよ」

 

 レミアは傍らに置いていたライフルをフェネックに渡しました。

 安全装置がしっかりとかかっていることを確認してから手渡します。

 

「えー……と、どうやって持つの?」

「ここのところを右手で持って、こっちを左手で支えて」

「こう?」

「えぇそうよ、それから肩にこの部分を当てて安定させて、ここの部分を右手の人差し指で引くと、弾が出るのよ」

「はえー」

 

 ぎこちない手つきでライフルを構えたフェネックは、感心したのか間抜けた声でそういうと、ありがとーと言いながらレミアに返しました。

 

 ライフルから手を放すとき、フェネックは昨晩のレミアの目を思い出していました。

 

(あの目は怖かったなー……)

 

 冷徹で無慈悲で無感情で、ただただ〝狩る〟事のみに全神経を集中させた獣の目。

 動物時代のフェネックを襲っていたハイエナやガゼルやワシといった、いわゆる捕食者たちの目と同じものをレミアから感じていました。

 

 木にもたれ掛かってから、おもわずそっと両手でおなかのあたりを抱え込みます。

 

(レミアさんのことを怖いって思ったけど……でも、今は、ぜんぜんちがうよね。この人は私の仲間なんだよねー)

 

 ちらっと、隣に座っているレミアを見ます。レミアはサバンナの遠くの景色をぼーっと眺めていました。

 

(…………仲間、かー)

 

 青々と茂った木の葉が作り出す涼しげな木陰。

 木の幹に背中を預けながら上を仰ぎ見たフェネックは、自分がフレンズでよかったと、心から微笑みました。

 

 

 ○

 

 

「アライさーん、そろそろいこー」

「ごめんフェネック……もう歩けないのだー……」

「昨日あんなにはしゃぐからだよー」

「うー……すまないのだー」

 

 アライさんが完全にダウンしました。

 あれから二つの木陰を経由して休憩も挟みましたが、ついに三本目へ来た時にへたり込んでしまいました。太陽は一番高いところに登っています。

 

 アライさんはお腹を地面につけたまま、べろーんと伸びきってしまいました。

 

「どうしよーレミアさーん」

 

 困った顔でレミアのほうを向いてみると、レミアは何やら顎に手を当てて考え込んでいましたが、ふと顔を上げてアライさんの方へ向き直ります。

 

「レミアさん?」

「…………そうね、フェネックちゃん、これ持っててくれるかしら」

 

 そう言うとレミアは肩からライフルを下ろして、フェネックの身体にかけました。

 スリングベルトを肩から斜めに下げてから、ライフル本体は背中へ回すようにしてあげます。

 

「へぇー、こうやって運んでたんだー」

「重くない? 大丈夫かしら」

「これくらいなら持てるけどー、なにするの?」

「アライさんを背負っていくわ」

「?」

 

 フェネックはレミアが何を言っているのかよくわからず首をかしげます。

 直後、レミアはべろべろに伸びきったアライさんを「よっ」という一声で軽々と持ち上げ、背負ってしまいました。

 

 フェネックが大きく目を見開きます。

 

「おぉーすごいー」

「?」

 

 何で驚いているのかレミアはわかりませんでしたが、そのまま、すぐ横にあるアライさんの顔にささやきます。

 

「これで大丈夫かしら。しんどくない?」

「ありがとなのだー、すごくラクチンなのだー」

「道案内できる?」

「もうにおいがほとんど残ってないけど、たぶんこっちの方向へ行けばいいのだー」

 

 アライさんの指さした方向には、ジャングル地方へと続くゲートがありました。

 

 

 




アライさんがアライさんしてる瞬間って本当に可愛いですよね。


次回「ぼす!」


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第三話 「ぼす!」

「意外と……遠かったわね……」

「平たいのが目印だからねー。でももうすぐゲートだよー」

 

 太陽が傾き、すっかりオレンジ色になってしまったジャパリパークの空。

 すーすーと寝息を立てているアライさんを背負ったまま、レミア達はゲートの近くまで来ていました。

 

 フェネックが、肩から斜めにかけているライフルの位置を直しながら、レミアを見上げて心配そうに訊ねます。

 

「レミアさーん、なんかごめんねー。アライさん重くないー?」

「全然大丈夫よ」

「すっかり寝ちゃってるしさー」

「暑かったし、疲れてたのよきっと。夜行性でしょう? 寝かせてあげたほうがいいわよ」

「うーん、ありがとねー」

 

 苦笑しながらフェネックは、申し訳ない気持ち半分、感謝の気持ち半分でそう言いました。

 

 しばらく進むと、これまでの自然の景色とは違う人工物が見えてきました。

 もう残滓もかくやといえる頃、空は紫と宵闇のグラデーションになり、舗装された道のわきには鉄のポールと遮断機があります。

 

「ゲートだー」

「ここね」

 

 二人はホッとしたような顔でそういうと、進む足を止めずに鉄のアーチをくぐり。

 背中でアライさんが「うみゅ……」と一声上げたのが聞こえ、レミアはくすりと微笑みました。

 

 

 ○

 

 

「だいぶ暗くなってきたわね」

「アライさんに任せるのだー! 涼しくなって元気が出たから、鼻が利くようになったのだ!!」

「元気になったのはレミアさんの背中で寝たからなのさー。ちゃんとお礼を言うんだよー」

「そうなのだ! レミアさん、とってもとっても助かったのだ! またよろしくお願いなのだー!」

「アライさーん……」

 

 あきれた表情でフェネックがため息をつく横で、レミアは涼しい顔をしています。もちろんいいわよ、とも付け加えて。

 

 ここは右も左も重なるようにして木が生い茂るジャングル地方。空はすっかり暗くなり、闇に囲まれたジャングルの奥ではいくつもの動物の鳴き声が響いています。

 

 レミアは本能的に背筋がぞくぞくする気配がして、両手を体に回しました。

 

「ジャングルは苦手なのか?」

 

 そんなレミアの様子を気にして、アライさんが心配そうにのぞき込みます。

 

「あんまり好きじゃないわね」

「レミアさんは夜にー、休んだほーがいいからさー。アライさーん、今度はレミアさんが休憩する番だよー」

「わかってるのだ!」

「あとー、ちょっと私も寝たいかなー」

「フェネックが昼夜逆転してるのだ……」

「難しい言葉知ってるねー」

 

 眠そうに目をこすりながら、フェネックが感心しています。

 

 ジャングル地方の入り口、ゲートから続く道の両脇には一定の間隔で電球がぶら下がっていました。

 明かりの灯っていないものもありますが大半はついています。これのおかげでレミアは真っ暗な地面に足を取られることもなく、比較的まともに歩くことができるのでした。

 

 しかしいくら地面が照らされているとはいえ、猛暑の中をあまり睡眠時間を取らず一日中移動したレミアです。

 ゆえに、その足取りは昨日の晩よりも重くなっていました。

 

「ん! なんか平たいのが見えてきたのだー!」

 

 前を元気に歩くアライさんが大きな声で叫びます。

 顔を上げたレミアとフェネックの目にも、何かが見えてきます。

 

 それは電球で照らされていました。レミアの背よりもだいぶ大きい木の板に、何やら色とりどりの模様が描かれています。

 

「ジャパリパークの地図だねー。久しぶりに見たよー」

 

 いくらか歩いてその板の近くまで来た時に、フェネックは見上げながら、眠そうにそういいました。

 たしかに地図のようです。緑と茶色と水色で大半を占められるそれは、現在地がどこなのかと、各地方の名前を示している地図看板でした。

 

「レミアさーん、この辺で休憩にしよー」

「そうね、少し寝たいわ」

「分かったのだ! アライさんはセルリアンが来ないか見張っておくのだー!」

「お願いするわ」

「ありがとーアライさーん」

 

 電球でライトアップされた看板の下で、レミアとフェネックはそれぞれ横になりました。

 鉛のように重いからだが地面に吸い付くようにして力が抜けていきます。土の堅い地面でしたが、疲労の溜まったレミアにとっては寝心地の良いベッドも同然です。

 すぐにまぶたが重くなり、周りから聞こえてくる動物たちの鳴き声が遠くなっていき――――。

 

「うわぁ! びっくりしたッ!」

 

 アライさんの突然の声に、レミアは一瞬で起き上がり。

 腰から神速の勢いで抜いたリボルバーを声のした方向に向けます。

 

 撃鉄はすでに起こされ、あとは引き金を引くだけで44口径の鉛玉が音よりも早く撃ち出される、

 

「…………?」

 

 はずでしたが、レミアは引き金を引きませんでした。

 アライさんの足元に居たのはセルリアンではなかったからです。

 

 アライさんの膝の高さより少し大きいくらいのそれは、全体的に青っぽい色。頭のてっぺんにある尖った耳はピンと立っていて、何よりもその外見は小さく丸っこい機械でした。

 明らかに自然発生した生物ではありません。レミアにはそれがわかりました。

 

 セルリアンでないことは確かですが銃口は向けたままぴたりと動かさず、警戒心を緩めないままにその機械がなんであるか、観察することにしました。

 上から下まで特徴をつかもうと視線を這わせていると、

 

「あれー? ボスー、ひさしぶりー」

 

 レミアの背中から声が投げられました。

 フェネックは普段の眠そうな声にさらに拍車のかかった様子で、両眼をぐしぐしとこすりながら目の前の機械に話しかけます。

 そんな彼女に、レミアは振り返りつつ怪訝そうな顔で、

 

「ボス?」

「そーそー、私たちはボスって呼んでるんだー。パークのあちこちで見かけるのさー。知り合いだよー」

「アライさんはひさしぶりに見たのだ! ねぇボス! こんな感じのぼうしをかぶってるやつ、見なかったかー?」

 

 アライさんが駆け寄って頭のあたりに手を寄せて、帽子のような形を作ります。

 しかし〝ボス〟と呼ばれたそれはアライさんを無視して、ぴょこぴょこと奇妙な足音を鳴らしつつ前へ進み。

 

『――――はじめまして、ボクは、ラッキービーストだよ』

 

 レミアにしゃべりかけました。

 かけられたレミアは終始困った顔のまま、しかし微動だにせずリボルバーの銃口をラッキービーストに向けています。

 ちょっと逡巡してから、自分も名乗ることにしました。

 

「あたしは……レミアよ」

『よろしくね』

「……よろしく」

 

 なんでこいつ真っ先にあたしへ話しかけてきたんだ、と言わんばかりの複雑な表情でアライさんを見ます。

 ラッキービーストから華麗に無視されていたアライさんを見ま――――。

 

「しゃあああああべっっったたたたたぁぁぁぁぁぁッッッ!!??」

 

 アライさんは近隣のカラスが一斉に飛び上がるほどの大絶叫をかまして、その声は夜のジャングルへ吸い込まれていきました。

 

 

 ○

 

 

「しゃしゃしゃしゃしゃしゃべってるのだフェネック! フェネックぅッ!」

「わーすごーい。……ねむたーい」

「寝てる場合じゃないのだぁー!!!」

 

 ほんのちょっとだけ目が開かれたような気もしましたが、フェネックはすぐにそれだけ言い残すと地面に横たわってしまいました。

 

「ちょ、ちょっと待つのだフェネック本当にボスがしゃべってるのだ!」

「昨日も声は聞いたのさー。それよりねむ……た……」

 

 

 くー、くー、と寝息を立て始めたフェネックに泣きそうな顔で何事か言おうとしたアライさんですが、その寝顔があまりにも幸せそうだったので肩にかけていた手を引っ込めました。

 

「ぬあー……ぬぉぁー……」

 

 小声で叫びながら頭をわしゃわしゃします。器用なことをします。

 

『君の名前を教えてよ』

「だから、レミアよ。レミアって呼んでくれたらいいわ」

『わかった、レミアだね。君は何が知りたい?』

「知りたい? 知りたいことなんて山ほど――――」

「ボス! ボス!」

 

 さっきは声量が抑えられたのに、もういつも以上の大きさでアライさんが叫びます。

 

「ボス! お願いなのだ! ボスがしゃべりかけてたのと同じぼうしをかぶってて、おっきな荷物を背負ってたやつ! あいつがどこに行ったか知りたいのだ!!」

『…………』

「ボぉぉぉスぅぅぅ! 答えてなのだぁぁぁ!!」

「アライさんちょっと落ち着きましょう……」

 

 ラッキービーストにしがみつきながらだくだくと涙を流すアライさんを、レミアはそっと引きはがしました。

 

 




これは絶叫フレンズアライさん。

次回「じゃんぐるちほー! いち!」


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第四話 「じゃんぐるちほー! いち!」 

「じゃあ、ジャパリまんはあなたたちが作っていて、それをフレンズたちに配ってるってわけね」

『正確には、サンドスターの作用も借りて各地方に送っているヨ。ボクたちラッキービーストも配っているけどネ』

「いきなり目の前に出てきたこともあるけど?」

『サンドスターの影響だネ。おなかをすかせているフレンズには優先的に送れるようにしているんダ。空腹はかわいそうだから』

「へぇ、優しいのね」

『ありがとう』

 

 暗闇にぼうっと照らされている地図看板の下。

 電球の明かりに照らされているそこで、機械的で無機質な音声と、落ち着いた女性の声が交互に発せられています。

 

 レミアは地面にあぐらをかいて座り、すぐとなりには体育座りのアライさんも、ボスの声をそわそわとした落ち着かない様子で聞いていました。

 

「それともう一つ質問よ。ここはどこなの?」

『ここは〝ジャパリパーク〟っていうんダ。様々な動物たちがサンドスターの影響で――――』

 

 レミアは〝ラッキービースト〟と名乗った機械から、いろいろなことを聞き出しました。

 ここがどこなのか。食べ物はどうなっているのか。フレンズとは何か。セルリアンとは何か。

 

 質問の大半は自分が置かれている状況を確かめるためのものでしたが、どれも得られた情報は突拍子のないことと、自分の記憶がほとんどないことも相まって、結局よくわからないという結論を出しました。

 

 アライさんがしきりに訊いている〝帽子をかぶった子の行方〟についても質問してみましたが、

 

『検索中……検索中……失敗しましタ』

 

 の繰り返しで埒があきません。

 仕方なくレミアはあきらめるようにアライさんを説得します。泣きそうな顔でこくりと頷いたのは、二十二回目の質問に『失敗しマしタ』と返ってきたときでした。

 

「…………」

 

 アライさんを説得しながらも、レミアは、徐々にラッキービーストの声にノイズが走り始めていることに気が付きます。

 何かの異常であることはわかりましたが、しかし差し当たっての原因は思いつかず、まぁどうでもいいかと思い直したところでそろそろ横になりたいという睡眠欲に駆られました。

 

 聞きたいことはある程度聞けたし、もう充分かな、とも思います。

 体の疲労は本物ですから、そろそろ本気で眠たいと感じていました。

 

『他に訊きタいこトはある?』

「ないわね」

『じゃア、パーク見学、タノシンデネ』

 

 そういうとピョコピョコとした足取りで、ラッキービーストは夜のジャングルに溶け込んでしまいました。あっさりと、実にあっさりとした立ち去り方です。

 

 まるで初めからこの場所には、レミアとアライさんと爆睡中のフェネックしかいなかったかのような、そんな静寂が訪れます。

 ぴゅるるるぅぅぅ――――と、どこか遠くで鳥系の子の高い鳴き声が響きました。

 

「ボスぅ…………」

 

 電球に照らされている掲示板の下。

 小さな声で呟きながら肩を落としたアライさんの背中を、レミアはそっとさすりました。

 

 

 ○

 

 

 翌朝。

 

「こっちへ行ってるのだ!」

 

 昨日のことは昨日の事。

 今日のことは今日の事。

 

 そんな感じの座右の銘を持っていそうなテンションで、アライさんは元気にジャングルの中へと走っていきました。

 

「準備はいいかしら、フェネックちゃん?」

「いいよー。しゅっぱーつ」

 

 木々がうっそうとしたトンネルを作るジャングル地方の遊歩道。

 ねっとりとした暑さこそあるものの、強い日差しやキツイ乾燥のないこの地方へ、一行は本格的に踏み込みました。

 

 

 ○

 

 

「川なのだー!! フェネック! レミアさん! 水なのだ!」

「少し休憩にしましょうか」

「いいねー。アライさーん、飛び込まないでねー」

「そんなことしないのだッ!」

 

 しばらく歩くと、遊歩道の下をきれいな小川が通っているのを発見しました。

 なんだかんだであまり水を飲む休憩がなかったので、三人ともしっかりと水分を補給します。

 

 レミアが腰のポーチから金属製の水筒を取り出して、川の水をたっぷりと注いでいると、

 

「ん? それ、なんなのだー?」

 

 口の周りと首元をびしょびしょにしながら水を飲んでいたアライさんが、レミアの手にしている水筒を不思議そうな目でのぞき込んでいます。

 

「〝水筒〟よ。これに水を入れておくの」

「わざわざ道具を使わなくても、アライさんみたいに手ですくって飲めばいいのだー。こっちの方が簡単だぞー?」

「もちろんここでも飲むけど、こうしておけば水場を離れていても水が飲めるのよ。いつでもどこでも、飲みたいときに飲めた方が便利でしょう」

「…………ぁ」

 

 アライさんのことなのでもっと大声で驚くのかと思っていたレミアでしたが、彼女は意外にも目をまん丸にして固まっただけでした。

 

(びっくりしてくれるのを期待したけど……まぁ、それほど驚くようなことじゃないわね。よくよく考えると)

 

 レミアは心の中でそう思いましたが、一方アライさんの心中では生態系が変化しちゃうレベルで画期的なアイデアを見てしまったので、それはもう声にならない興奮が頭の中をぐるんぐるんしていました。

 

 アライさんは想像します。

 日差しの強い荒野で仁王立ちになり、腰に手を当てながら水筒を傾けて水をがぶ飲みする自分を。

 足元には耳をしなだらせたフェネックが。

 

「水ちょーだーいアライさーん」

「だめなのだー。これはアライさんのなのだー」

「えー……」

「そ、そんな悲しそうな顔しなくてもいいのだ! うそ! ちゃんとフェネックにもあげるのだー!」

「ほんとー? わーい、アライさんてんさーい!」

「はっはっはっー! そうなのだ! アライさんは天才なのだー! もっとほめるのだー!」

 

 だー!

 だー……。

 だー…………。

 だー………………。

 

 

 ○

 

 

「ねぇ、フェネックちゃん、アライさんがなんかすごい幸せそうな顔で惚けてるんだけど大丈夫かしら」

「時々なるからねー。ほっとけば戻ってくるよー」

「そう、じゃあもうすこし休んでおきましょうか」

 

 よだれを垂らしながらニヘニヘ笑っているアライさんを置いて、二人はのんびりと水を飲みながらあたりの景色を眺めます。

 

 生い茂るツタや葉の広い樹木が幾重にも重なり、高い位置からは細く明るい日差しがこぼれてきています。

 よく目を凝らせば、遠くの方に人影があり、ここジャングル地方にもフレンズが住んでいることが確認できました。

 

 木の上、葉の間、ツタの向こう。

 レミアは首を回しながらあちこちを見て、その視界のどこを見てもひとりはフレンズがいることに気が付きます。

 たくさん、このジャングル地方にはフレンズがいるようです。

 

「フェネックちゃんはこのあたり、来たことある?」

「ないねー。私はふだん砂漠かサバンナに居るからさー」

「え、でもアライさん暑いの苦手でしょう? いつも一緒に居るわけじゃないのかしら」

「うん、そーだねー。って言っても、森林地方ともそんなに離れてないんだよー」

「なるほど」

「だからよく一緒に遊ぶんだけどねー。私はどこででも過ごせるからー、アライさんの住みかにずっといたこともあるしー」

「適応能力が高いのね」

「まぁそーだねー。たいへんな時もあるけどー、なんとかなるもんさー。でも」

「でも?」

「レミアさんからは、私と似た感じがするけどねー」

「似た感じ? あたしから?」

「うん」

 

 こくり、とフェネックはうなずいてレミアのほうを見ました。

 

「私ねー、レミアさんが何の動物なのか気になるんだー。何か思い出せない?」

「そうねぇ……」

 

 レミアはジャパリパークに来るよりも前に自分が何をしていたのかを思い出そうとしました。

 霧のかかったように、モザイクのかかったように、揺れる水面のようにはっきりとしない記憶の断片を何とか繋ぎ止めようと頑張ってみます。

 

 ふと、自分にはたくさんの仲間がいたように思えました。

 

「仲間……かしら」

「〝仲間〟?」

「えぇ。たくさんいたような気がするわ。一緒に仕事をしたり、ご飯を食べたり、眠ったり」

「戦ったりは?」

「したわね。というか、それが一番多いような気がするわ」

「うーん……そんな好戦的な動物っているのかねー」

 

 眉をへの字にして首をかしげるフェネックですが、どうにも思い当たる動物はいませんでした。

 

「やっぱりー、レミアさんは不安? 自分の事思い出せないってー」

「そうでもないわね。思い出せなくて危険な目に会ってるってわけでもないし」

「まぁーそうだよねー」

「気楽にやっていけると思うわよ。セルリアンも、あの程度の強さならしばらくは一方的に抑え込めるわ」

「そういえば、ジャングル地方に入ってからは一体も見てないねー。まぁこの辺にはめったに出ないはずだけどー」

「それ、ラッキービーストも言っていたわね。セルリアンって、今はほとんどいないんでしょう?」

「うーんー。いないはずなんだけどー」

 

 サバンナのあれはぞっとしたよー、と苦笑いするフェネック。

 

 月に照らされたサバンナの夜に、大きなセルリアンが二十体以上も集まっていた光景を思い起こします。

 原色の青にスライム状の身体。レミアはものの数秒で片づけてしまいましたが、集まっていたのは確かです。

 

「…………?」

 

 水筒の水をあおりながら何か引っかかるなぁと視線を落としました。

 胸の奥で何かがつっかえる、もやもやとしたかんじ。あまり気分のいいものではありませんでしたが、

 

(まぁ、なるようになるわ)

 

 レミアは深く気にしないことにしました。

 

 

 ○

 

 

 木漏れ日がちらちらと瞬く遊歩道。

 朽ちかけた木の板で作られたその道は、しかし普通に歩いていれば足が抜けてしまうほどもろいわけではなく、

 

「はやくはやくー! はやくいくのだー!」

「あらいさーん、あんまり走るとあぶないよー」

 

 だいぶ先を行くアライさんの後ろを、レミアとフェネックは並んでのんびりと進んでいました。

 普通なら大丈夫とはいえ、時々ギッ、ギッと悲鳴を上げているので、ばたばたと走り回っているアライさんが板をぶち破ってしまわないか心配です。

 

「うん?」

「あーれ?」

 

 視線の向こう。

 アライさんは完璧にスルーして先へ先へ行ってしまっているようですが、板張りの遊歩道の端に誰かが居ました。

 

「…………」

 

 というより、誰かの上半身だけが道の上に突き出ていました。

 

 露出の多い服装です。面積の小さな布が胸の部分だけを覆い、肩、首元、おなかはそのままに、二の腕から手先にかけては濃い水色の布が巻かれています。

 髪は灰色で、顔と同じぐらいの大きな耳が側頭部からふたつ。

 そしてもみあげの毛先だけが真っ白に染め上がっており、まるで何かの動物の牙のように見えました。

 

「…………」

 

 じー、と。

 床板から上半身だけを出した彼女は、レミアとフェネックを見つめています。

 二人は目の前で足を止め、一度顔を見合わせ、それから上半身フレンズをもう一度見て、

 

「……だいじょーぶー……?」

「手、貸すわよ?」

 

 心底心配そうに声をかけました。

 なんかどうみても床が抜けて下半身がはまっているようにしか見えないのです。

 というか、まさにそれでした。

 上半身フレンズ…………もとい、インドゾウと呼ばれている彼女は、だんだんと目を潤ませながら、

 

「…………助けて~……抜けないの~」

 

 木の板に埋まったまま、力なくそうつぶやきました。

 

 

 ○

 

 

「ここ、木漏れ日がきれいでしょ~? それで踊ってたら~バキッ! ってすごい音がして~」

「で、こんな風になったわけ?」

「うん~……はじめてなった~……」

 

 フェネックの気の抜けるような声とはまた少し違う、しかし聞く者をたしかに脱力させてしまうような声で、インドゾウは自分が床にはまった経緯を話しました。

 

「木の板は湿気で腐るのよ。腐ったら脆くなるから、気をつけなさいね」

「うん~気を付けるね~」

 

 ゆっくりとうなずいたインドゾウに、レミアは先ほど汲んだ水筒を渡して飲ませます。

 インドゾウは両手でしっかりと持った水筒から、んく、んく、とノドを鳴らしてたっぷりと飲み、

 

「ありがと~」

「どういたしまして」

 

 笑顔でレミアに返しました。上半身だけを地面から生やしたまま。

 

 困ったことに。

 大変困ったことに。

 

 レミアとフェネックの力ではインドゾウを床の穴から引き抜くことができませんでした。

 彼女の体重が重いからとか、彼女の身長がレミアよりも高いからとか、そんなことはあまり関係ないようですが、

 

「あなた、ちょっと重いんじゃない?」

「それは~…………うん~……ぅん……がんば……る……うん……」

 

 レミアに指摘されてへこんでしまう程度には過重なフレンズのようでした。

 

「おなかが出てるわけじゃないのにねー。どーしてこんなに重いんだろうねー」

「うぅ~……」

 

 フェネックの容赦ない追撃でインドゾウは床に突っ伏しますが、とにかくこのままでは彼女を床から引き抜くことはできません。

 レミアはしゃがみつつインドゾウの周りをよく見てみると、すっぽりと、ちょうど穴の大きさにお腹がはまっているようです。

 

「足は地面についているのかしら?」

「ついてるよ~」

「地面を足で蹴って、勢いで抜け出せない?」

「何回もやってるんだけど~できなくて~。あと、ちょっとお腹が痛いかな~」

 

 見ると擦れてしまったのか、インドゾウのやや浅黒い肌が若干の血をにじませていました。

 覗き見たフェネックもうなずきながら、

 

「もー動かないほーがいいかもねー」

「そうね。あんまりするとケガするわ」

「じゃ~もしかして~わたしずっと、このまま~……?」

 

 声のトーンは変わりませんがその瞳には涙が浮いています。

 自力で穴から抜けられず、足を使っても抜けられず、その上通りがかった二人に手を貸してもらっても抜け出せない。

 

 不安で今にも泣きだしてしまいそうな表情です。

 フェネックとレミアはお互いにうなずき合い、この子をどうにかして助けようと決めました。

 さすがにここで放っておくわけにはいかないでしょう。

 

 レミアはやさしく、うつむいているインドゾウの頭を撫でました。

 

「大丈夫よ。ちょっと周りの板を崩して、それからもう少し手を貸してくれる子が居れば抜け出せるわ」

「だねー。もう一人くらいいればー……あ」

 

 フェネックが大事なことに気が付きます。

 というか、今まで忘れていたことに気が付きます。

 

「レミアさーん。アライさんがいないよー」

「え」

 

 木漏れ日の綺麗な遊歩道の先には、

 

「……え」

「あちゃー」

 

 人っ子一人の影もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 その頃、アライさんは。

 

「フェネックぅ……どこいったのだぁぁぁー……レミアさーん……そんなぁぁ……隠れてないで出てきてほしいのだぁぁー」

 

 立派な迷子になっていました。

 

 

 




普通のジャングルで迷ったらまず助からないはずなのに、ジャパリパークのジャングル地方ならまったく問題なさそうなのはなぜだろう。


次回「じゃんぐるちほー! にー!」


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第五話 「じゃんぐるちほー! にー!」

 さんさんと降り注ぐ木漏れ日が班模様になって遊歩道を照らす中。

 その道から上半身だけを生やしたインドゾウと、頭を抱えながら困った表情のレミア、そして言動とは裏腹にどこか余裕のあるフェネックが、それぞれ声を立てていました。

 

「アライさん、まさかそこまで勝手に動くとは……」

「まぁーそんなに遠くには行ってないと思うけどねー。でもー、早いとこ見つけてあげないと泣いてるかも―」

「泣くの?」

「わりとすぐにー。一度砂漠地方のオアシスではぐれたことがあってねー。なかなかぐちゃぐちゃな顔で見つかったんだ―」

「あ、あの~、もしかして~わたしのせいで、はぐれちゃったの~?」

「えぇ、まぁ、そうなるかもしれないわね」

「だねー」

 

 ものすごく申し訳なさそうな顔でうつむいたインドゾウに、しかしレミアは「まぁあなたを無視して先に行っちゃったアライさんも悪いのよ」とフォローする気があるのかないのかよくわからない慰め方をしました。

 

 アライさんとはどうやらはぐれてしまった様子です。

 インドゾウを床から引っこ抜いてあげることもそうですが、なるべく早くアライさんとの合流を計らないといけません。さもなければ、アライさんの顔がぐちゃぐちゃになってしまうそうです。

 

 とはいえ、このままではインドゾウを助けることはできそうにありません。

 腐って穴の開いた床とインドゾウのおなかはぴったりと大きさがあっており、どうにかして穴を広げてから引っ張り上げる必要がありそうです。

 加えてレミアとフェネックだけでは持ち上げることができません。誰かひとり、せめて一人は手伝ってもらう必要があります。

 

「レミアさーん、床の穴は広げられそー?」

「それはできるわよ。ちょっと強引だけど、ブーツで踏みまくればなんとかなるわ。問題は」

「手助けの人数だねー」

「ねぇ、インドゾウさん。あなたこのあたりに住んでるフレンズって誰がいるか知らないかしら? 別に住んでなくても散歩コースに重なっているとかでもいいわ」

「わたし~このあたりのフレンズのことはあまり知らなくて~」

「よく見る顔とかは? この辺で踊りに来てるんでしょう?」

「踊りに夢中で~あまり他の人のことは見てなくて~……周りが見えなくなるの~」

「まぁーちゃんと周りを見てたらこんなことにはならないもんねー」

「う~……耳が痛い~……」

 

 困ったわね、と一つため息をつきながら、レミアはあたりを見回しました。

 数時間前に休んだ小川の周辺では、どこを見ても遠からず少なからず何かしらの人影があったのですが、今はあちこち見ても気配一つありません。

 木の上にも、下にも、茂みの奥にも手前にも。影の形や気配そのものが、レミアの感じ取れる限りではまったくもって存在していません。

 

「……?」

 

 おかしい、と思いました。

 ジャングル地方には多くのフレンズが生息しているはずです。事実小川で見渡した時にはこの目でしっかりと確認しました。

 多種多様、さまざまな背格好のフレンズがジャングル中のいたるところで活動しているのを。

 

 それがほんのちょっと場所を移動しただけでこれほどまでに過疎化するのでしょうか。

 水場の周りだからフレンズが集まっていたと考えれば妥当ではありますが、それでもまったく気配を感じない(・・・・・・・・・・・)理由にはなりません。

 

 まるで、なにか、異変が起きているかのような静けさが。

 本来あるべき日中のジャングルではありえないほどの静謐さが。

 あたりに漂っています。

 

「…………これ、まさか」

「うーん……なんかー、嫌な予感がするねー」

 

 フェネックのどこかおどけた声と、

 

「えぇ……うそぉ……」

 

 瞳に涙を浮かばせながら力なくつぶやいたインドゾウの、その大きく澄んだ瞳の中に。

 遊歩道の先に、真っ青なゲル状の生命体がうごめいていました。

 

 

 ○

 

 

 ずがん!

 ずがん!

 ずがん!

 

 木々の折り重なっているジャングルの真ん中に、三発の銃声が轟きました。

 

「フェネックちゃん! インドゾウさんを持ち上げて!」

「はいさー!」

 

 遊歩道に向かってライフルの弾を撃ち込んだレミアは、その穴の開いたところをブーツの底で思いっきり踏み抜き、インドゾウのはまっていた穴を少しだけ広げます。

 間髪入れず、彼女を睨みながら叫びました。

 

「飛びなさい!」

「で、でも~」

「ここを自力で出られなければあたし達はあなたを見捨てるわ! ジャパリパークの掟は〝自分の力で生きる事〟なんでしょう!? 頑張りなさい! その穴から抜け出せたら掟なんかいくらでも破って構わないから!」

「ふぬぬぬぬぅぅぅ~」

 

 インドゾウは顔を真っ赤にしながら、必死に手をつき、地面を蹴って這い上がろうとします。その後ろからフェネックも引き上げる手伝いをしますが、インドゾウの身体はわずかにしか上がりません。

 

 舌打ちの一つでも打ちそうになるのをレミアは我慢して、それ以前に、こんな状況になるまで何も気付けなかった自分の緩さに叱咤します。

 

 もっと早く異変に気が付くべきだった。

 のんびりどうしようかと考える前に、はじめからこうしておけばよかった。

 弾薬の節約に配慮し過ぎたから、こんなことになってしまった。

 

 挙げればきりがないほどに自分の判断ミスを呪ってしまいますが、一方で、そんなことを今さら考えても仕方がないとわかっています。

 ライフルを構え、レティクルを数十メートル先のセルリアンに合わせました。

 

「数は五。いずれも遊歩道と同じ大きさで、ゆっくりだけど確実にこちらへ向かっているわ。一分もしないうちにあたしたちは熱烈なキスをされるわね」

「おもしろい言い回しだねー」

「マネしてもいいわよ」

「ここから逃げられたらねー」

 

 インドゾウは内心で、この人たちはどうしてこうも余裕なのかと思いました。

 目の前に、数十メートル先に、セルリアンが迫っているにもかかわらず。

 自分は穴にはまって逃げられなくて、そして〝自分の力で生きる事〟というここの掟を知っているのに助けてくれるこの二人を。

 インドゾウは理解しがたい大きな存在に思えてなりませんでした。

 そして同時に、自分のせいでこんなことになっていることを痛いほど自覚します。

 

 もしここでこのまま抜け出せなかったら。

 抜け出せても、間に合わずに逃げられなかったら。

 

 ドジを踏んだ上に巻き込んでしまったこの二人を、取り返しのつかない事態にさせてしまう。

 

 自分はどうなったっていい。

 自分のことを助けてくれようとしたこの人たちが、この人たちが……。

 

「……セルリアンに食べられちゃうのは、やっぱりちがうよね」

「ん?」

 

 震える声で呟いたインドゾウの言葉を、フェネックはしっかりと聞き取りました。

 

 聞き取り、もしかして、と思い。

 ちょっとだけ考えて、すぐに答えを導き出して。

 そんなことはさせないぞー、と心積もらせました。

 

「ねぇ、インドゾウさーん。私たちはー、私たちの気持ちであなたを助けているわけさー」

「……?」

 

 急にそんなことを言い出したフェネックに、インドゾウは目を丸くして振り返ります。

 その顔を見ようとしましたが、身体が思うように回せないので、首だけをまわしてフェネックの顔を見ようとします。

 

「つまりー、私たちがセルリアンと戦うとかー、インドゾウさんを置いて逃げるとかはー、私たちが決める事なのさー」

「それは、でも……わたしのせいで、みなさんが……」

「おねーさんを置いて行ったらー、嫌な気持ちになるんだよねー。それが嫌だから、私たちは助けるのー」

「…………」

 

 フェネックの言いたいことが分かりました。

 分かってしまったので、もうインドゾウには〝わたしを置いて逃げてくれ〟なんて言うことはできません。

 

「だからさー、頑張ってよー。こんな穴ポコぐらい、おねーさんの本気なら抜けられるってー」

 

 気の抜けた、少しおどけたような。

 落ち着いた、取り乱すことのまるでないような。

 そう、こんな状況にもかかわらず、出会ったときからまったく変わらない冷静なフェネックの言葉だからこそ。

 

 インドゾウは生まれてこの方出したこともないような大きな咆哮をもってして、穴の中から抜け出しました。

 

 

 ○

 

 

「まったく……すごい声だこと」

 

 インドゾウとフェネックの会話がギリギリ届かないところまで歩み出ていたレミアは、突然ジャングル中の木々を震わせた大音声に驚きながらも、視界の端で穴から抜け出すインドゾウを確認しました。

 安堵の息がほんの少しだけ口をついて出ます。

 

「さぁて、あの子はあそこまでして頑張ったのよ。あたしがここでポカったらいい笑いものだわ」

 

 すっとその場に膝立ちになり、ライフルのストックを肩と頬で固定します。

 両眼を開けたまま右の瞳でスコープを覗き、

 

「……ちっ」

 

 眉根を寄せながら舌打ちを一つ打ちました。

 スコープ越しに映る五体のセルリアンは縦に重なっていて、見えるのは先頭を進んでいる一体だけです。

 そしておそらくは目であろう円模様が一つ、こちらを凝視しています。

 

 倍率のかかった視界にもかかわらず、その模様しか確認できませんでした。つまり石が見えません。

 先日のサバンナで戦ったセルリアンとはどうやら弱点の位置が違うようです。

 

「厄介だわ。石がないってことも考えられるし、あるいは下部か背面か……」

 

 どっちにしろこのまま戦うのは悪手ね……はぁ、とため息を漏らしたレミアは、踵を返して二人の元へ駆け寄りました。

 

「逃げるわよ。追いつかれるかもしれないけれど、ここで戦うよりはマシなはず」

「でも、どこへー?」

「この先に川があるって地図に書いてあったわ。そこなら少なくとも見通しがいいはず。ひとまずそこまで走るわよ」

 

 

 ○

 

 

 その頃アライさんは。

 

「セ、セルリアンなのだ……」

 

 背の高い木の上に登り、ツタや葉で生い茂った見えにくい視界の中であたりの様子を探っていました。

 様子がおかしいことに気が付いたのは数分前。

 何人かのフレンズが慌てた様子で走っていて、その進行方向がみんな一緒だったのです。

 

 首をかしげながらも、とにかく今はフェネックとレミアさんを探すのが先だと思ったアライさんは、あたりで一番高そうな木の上に登って探索してみることに決めたのでした。

 

「これはマズイのだ。アライさんの危機なのだ」

 

 視線をぐるりと這わせた先、三百六十度全周囲のどこを見ても、必ず一体はセルリアンが居ます。

 緑色系のジャングルの中で原色の青はよく目立ちますから、あまり視力の良くないアライさんでもどこにセルリアンがいるのかがすぐにわかりました。

 ちょうど、このままこの木の上に居たら囲まれて降りられなくなりそうな感じです。

 

 このままではいけないとわかったアライさんはいったん木から降りて、ちょっとあたりを見回して、それからもっともセルリアン同士の間隔が広いところをめがけて走っていきました。

 

「今ここでセルリアンが出てるってことは、フェネックたちも危ないかもしれないのだ。まったく……迷子になったうえにセルリアンに襲われてたら、アライさんは困るのだ」

 

 ブツブツと、走る足は止めずに文句の一つや二つをつぶやいています。

 

「待ってるのだフェネック。レミアさんがいるから大丈夫だと思うけど、二人一緒に迷子になってるのだ。すぐに、すぐに見つけてあげるのだ!」

 

 どうやらアライさんによると、迷っているのはフェネックとレミアの方らしいです。

 ともあれ、セルリアンが大量発生しつつあるジャングルの中を、アライさんは右へ左へと走り回っていくのでした。

 

 

 ○

 

 

「インドゾウ! あなたは別のところで隠れていなさい!」

「えぇ~」

 

 息を切らせながら全力ダッシュをしている三人組は、もう間もなく広い川へ出ようとしていました。

 

「あなたをカバーしながら戦えるほどの余裕がないかもしれない。隠れられるでしょう!?」

「それは~そうだけど~、わたしとしては、ここであなたたちを見捨てられないわ~」

「闘えるの?」

「わたし体格は大きいし~、ハンターほどではないけど、時間稼ぎぐらいならできるよ~」

 

 大きく腕を振りながら笑顔でそういうインドゾウを、レミアはこのままついて来させるべきか悩んでいました。

 

 正直、セルリアンのどこに石があるのかを確認できなかったレミアには、後ろから追いかけてきている五体のセルリアンを確実に屠れる保証がありません。

 

「レミアさーん」

 

 決めかねているところに、フェネックが助言を飛ばしてくれました。

 

「大きなセルリアンとの直接戦闘でも、同じくらいの体格のフレンズならある程度戦えるんだよー。私じゃあの大きさのセルリアンは厳しいけど、インドゾウさんならたぶんいけるよー」

「本当?」

「レミアさんの強さは信じてるけどー、インドゾウさんに時間を稼いでもらったほうがより安全だと思うんだー」

 

 対峙するセルリアンとの体格が同等の場合、ある程度の戦闘は可能。

 その条件がすっと頭に入ったレミアは、一瞬にして思考回路を変更。

 インドゾウの戦力を利用した、超至近距離での迎撃戦を想定します。

 

「川のほとりに出たら私とフェネックは左右に散開! インドゾウは水際で反転、ギリギリまでセルリアンを引き付けて!!」

「わかった~!」

「はいよーッ!」

 

 日の光がほとんど遮られている鬱蒼とした獣道に差し掛かり。

 ツタを引きちぎり、腐った小枝を蹴飛ばして進んだ先に、茶色く濁った巨大な川が見えてきました。

 

「散開ッ!」

 

 木々と水際の間には十メートルほどの何もない空間があります。

 足元の湿った、お世辞にも状態のいい地盤とは言えませんが、それでも小枝やツタの上を駆け抜けてきた一行にとっては走りやすいものでした。

 レミアとフェネックは別々の方向へ猛ダッシュ、インドゾウはその場にピタリと止まると、緩慢な動きで振り返りました。

 

「ほ~ら~、こっちよ~」

 

 緊張感の切れたような声音で手を振るインドゾウ。

 そこへめがけて、一列に並んだセルリアンが追いかけてきたままのスピードで突っ込んできます。

 

 一瞬。

 インドゾウの周囲を、虹色の空気が舞いました。

 

「そ~――――りゃッ!」

 

 くるりとその場で一回転したインドゾウの脇を、先頭に居たセルリアンが勢い殺しきれずに川の中へダイブします。

 間髪入れず、また回転の勢いを殺さず、インドゾウは前から二番目に居たセルリアンの横っ腹に裏拳を叩き込みました。

 

 ぶにっ! と裏拳のめり込んだセルリアンの身体は、形が戻っていく現象と同時にレミアのほうへぶっ飛んでいきます。

 二転三転してやっとのことで止まったセルリアンに、

 

「……そんなところに石があったのね」

 

 レミアは鉛玉をぶち込みました。セルリアンの背面と下部のちょうど中間、奇しくも正面からはきれいに見えない位置に弱点の石は存在していました。無数のポリゴンになって砕けます。

 

 裏拳を振りぬいた体勢から復位したインドゾウは、そのまま右手を大きく後ろに構え、顔を上げて目の前のセルリアンをしっかりと捉えました。

 

「もぅ~ひとぉ~つッ!」

 

 三番目に居たセルリアンは前へ進む足を止めていましたが、そこをチャンスと見て取ったインドゾウが、振り上げた拳を眼球めがけて振り下ろします。

 拳の軌跡には虹色のきらきらした何かが光り、瞬速の勢いで繰り出された全力のパンチは、セルリアンをジャングルの中へ吹き飛ばすことも容易でした。

 

 空中を回転しながらジャングルの中へ飛んで行ったセルリアンに、横合いから一発の銃弾が突き刺さります。

 例にもれず、ポリゴンとなって砕け散りました。

 

「残りは~」

 

 振りぬいた拳を引きつけつつ、周囲を確認するように視線を動かそうとしたインドゾウに、

 

「あぶないッ!」

 

 フェネックがタックルしました。

 数瞬後、二人がいた空間を最初に川の中へ突っ込んでいったセルリアンが突撃。空を切ってたたらを踏みます。

 額に冷や汗をかきつつも、インドゾウは「なぜ?」という疑問と「ありがとう」という感謝がない交ぜになった、なんだかよくわからない表情でとにかくすぐに立ち上がりました。

 

「やー、セルリアンは水が苦手って聞いたけどー、気を付けないとねー」

 

 フェネックはいつも通りの落ち着いた口調で、しかしほんのわずかに冷や汗をかきつつ、同じように立ち上がります。

 

 川から突撃してきたセルリアンはすでにいません。どうやらレミアがしっかりと撃ち抜いてくれたようです。

 これで、残すところあと――――。

 

「…………」

「…………」

 

 二体、のはずでした。

 フェネックも、インドゾウも。

 

 そして離れたところで膝立ちになっているレミアも。

 

 目の前で起きている状況に開く口も忘れてしまっているようです。

 ぞくぞくとジャングルから川辺に姿を現すセルリアンを見て、なんかもうレミアは苦笑いしか浮かばないといった様子で口元がひくひくしています。

 

「に、に…………」

 

 インドゾウが言い淀み、

 

「……逃げるのさー」

 

 フェネックのどこか糸の切れた声を皮切りに、川辺に沿って全力で逃げていきました。

 

 

 ○

 

 

 一方、アライさんは、

 

「うーん……なんかおかしいのだー……」

 

 細いツタをぶちぶちと引きちぎりながらジャングルの中を走っています。

 周囲をきょろきょろと見まわしつつ、なるべくセルリアンのいなさそうな方向へ走っていきますが。

 

「どーも、アライさんは無視されているような気がしないでもないのだ」

 

 セルリアンは、あまり本格的に追ってきている様子がありません。

 こちらを認知したら一応見るようなそぶりはするのですが、本気で追ってこないというか、他にどこかを目指しているような(・・・・・・・・・・・・・)足取りで、アライさんの方へは向かってくる気配がありません。

 

「まぁセルリアンに追いかけられないのなら、それはそれでよかったのだ。それより迷子のフェネックとレミアさんを見つけないとなのだー」

 

 絶賛迷子中のアライさんは、フェネック達を探すためにひたすらジャングルの中を走ろうとしました。

 しましたが、

 

「…………ん? なんか、音がするのだ。……こ、これ! これ、レミアさんの持ってる〝らいふる〟の音なのだ!」

 

 いったん足を止めました。

 闇雲に走ろうとしていたアライさんの耳に、あのサバンナの夜に聞いた轟音が届きます。

 

 耳をそばだて、神経を集中させ、どこから聞こえているのかをもう一度よく確かめて。

 

 ――――タァーン…………。

 

「川の方なのだ!」

 

 ずいぶん遠くですが、確かに川のほうから音が聞こえてきます。

 一も二もなくアライさんは地面を踏みしめて駆けだしました。

 

「待ってるのだフェネック、レミアさん! 今助けに行くのだ!」

 

 大量のセルリアンの進行方向とまったく同じ方角へ、セルリアンよりも速いスピードで、アライさんは木々の間を突っ切っていきました。

 

 




迷子センターに来る五歳の男の子の言い分で、よくこういうのがありますよね。
「お母さんが迷子になったの」と。


次回「じゃんぐるちほー! さーん!」


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第六話 「じゃんぐるちほー! さーん!」

ジャングル地方とは今話でお別れです。


「うわぁーすごいねー。こんなにたくさんのセルリアンを間近で見たのは初めてだよー」

 

 橋の上でフェネックは感心した様子でつぶやきます。

 

 土と泥が大量に含まれた濁流であり、そしてその幅は数十メートルにも及ぶ大きな川。

 その川に一本、縄と木版だけで見事にかけられた橋がありました。

 

「三十二体いるのを確認したわ。全部撃ってたら弾薬がもったいないし、今のところこっちへ来る様子はないから、このままここに居ましょう」

「はいさー」

 

 そこに立っていたのは二人だけでした。

 ライフルの銃口を下げて、しかし油断なくあたりを見回すレミアと。

 その後ろで耳に手を当てて、周囲の音を注意深く聞いているフェネックだけが、その簡易的な橋の上に立っていました。

 

 

 ○

 

 

 十分前。

 

 大量のセルリアンが次から次へと川のほとりに姿を現す中、レミア、フェネック、インドゾウの三人はある方向へ向かって逃げていました。

 

 アンイン橋です。この先の道に橋が架かっていることを、昨夜見た地図からレミアは記憶していました。

 

「橋まで行って、その橋の幅がせまければ一体ずつ相手にできる! 少なくともここで戦うよりは囲まれるリスクが減るわ!」

「おぉ~」

「いいねー、わかったよー」

 

 どこか気の抜けた声で賞賛の言葉を送るフェネックとインドゾウ。

 

 しかしフェネックの表情には余裕がありません。

 すでに結構な時間を、休憩もなしに走り続けています。遊歩道から川のほとりまで、そして途中に挟んだ戦闘での消費も考えると、そろそろ限界に近い疲労が溜まっていました。

 

 心なしか走る速度も落ちています。まだセルリアンに追いつかれるほど危険な状態ではありませんが、このままではいずれ走れなくなるでしょう。

 

 レミアは横目で振り返りつつ、迫ってきている大量のセルリアンを睨みました。

 

 それから少しだけ逡巡し、

 

「…………フェネックちゃん、もう休みなさい」

 

 がばっ! とフェネックをお腹のあたりから担ぎ上げました。後ろへそのまま回し、肩、うなじ、手の三点でフェネックの身体を支えます。

 

「おわわー」

「力抜いて、動かないでね」

「はーい」

 

 だらーん、とされるがままに担がれたフェネック。

 レミアは先ほどよりも速度は落ちたものの、まだぎりぎりセルリアンに追いつかれないであろう速さで、再び走り出しました。

 

「うわ~すご~い」

 

 追随して走るインドゾウが、軽々とフェネックを運んでいるレミアを見て感嘆の声を上げます。

 彼女も若干息が上がっていましたが、まだいくらかは走れそうです。

 しかし、

 

「インドゾウ、ここで川を渡りなさい」

「へ?」

「あなた泳げるわよね」

「え、えぇ~うん、泳げるけど~」

「あなたのおかげで、本当に助かったわ。でもこれ以上はあなたが走ってついて来ても、その先で戦えるほどの体力が残っているとは思えないの」

「それは~……うぅ、でも~」

 

 足は止めず、速度も落とさないインドゾウでしたが、視線だけは下を向いていました。

 レミアは前を見たまま続けます。

 

「アンイン橋までまだ距離があるの。そこがどれほどの幅があるかわからないけれど、だからこそ、あなたはまだ体力のあるうちに対岸へ渡りなさい」

「レミアさん一人で大丈夫~?」

「一人じゃないわ。あたしとフェネックの二人。それともう一匹――――いえ、もう一人ね。いるのよどこかに。だから大丈夫、あなたはここで渡りなさい」

 

 ちら、とレミアは目だけでインドゾウの様子を伺います。

 何かを言おうとして、しかしインドゾウはそれを飲み込み、かわりに固く決意したような表情になり。

 

「…………信じてるね~」

 

 間の抜けた口調で、それでも強い意志を含んだ言葉を残して、川のほうへ飛び込んでいきました。

 レミアは振り返らず、

 

「…………えぇ」

 

 ただそれだけを口にして、走る速度を速めました。

 ほんの少し、口元に笑みを浮かべながら。

 

 

 ○

 

 

「アライさんはたぶんー、レミアさんの銃の音を聞いて、こっちに向かってくると思うんだー」

 

 ほどなくして見つけた橋の上、ちょうど川のど真ん中に当たる位置で、レミアとフェネックは止まりました。

 レミアが想像していた橋とは似ても似つかない、なんとも簡易的なものではありますが、それでも岸と岸をつなぐ立派な架け橋であることは事実です。

 

 レミアはフェネックを下ろすとその場に座らせ、自分は立ったまま周囲を見回して、それからフェネックに視線を落としました。

 

「ライフルの音だけで位置までわかるのかしら?」

「アライさんはねー、私ほどじゃないけどちゃんと音も聞けるんだよー。セルリアンが出てることは知ってると思うしー、今頃がんばってこっちに来てくれてると思うんだー」

「…………」

 

 レミアは気が付きました。

 息が上がり、肩で呼吸を整えようとしているフェネックの、その体の動きの中にわずかな震えが混じっていることを。

 

 疲労からでしょうか。

 しかしレミアはその可能性を否定します。

 目の前の少女が暗澹とした表情で、根拠のない強がりを言って肩を震わせているのは、そんなことが原因だからではないでしょう。

 

 大切な友達とはぐれた上にこんな状況になっているのです。心配と不安が押し寄せていることは容易に想像できました。

 なのでレミアは、

 

「……えぇ、きっと大丈夫よ。フェネックちゃんのお友達だもの。大丈夫に決まっているわ」

 

 静かに微笑んで、ゆっくりとうなずきました。

 

 それから顔をあげます。

 さっきまで自分たちが居た川のほとりに、ぞろぞろと押し寄せてくる青いセルリアンを視界にとらえました。

 

 アライさんのことはレミアも心配です。ですがそれ以上に今は、自分とフェネックの身に起こる危険を直視せざるを得ない状況です。

 アライさんのことは大丈夫。そう信じるほかありません。

 自分が今するべきことはただ一つ、自分とフェネックを守ること。

 

「…………そう、ね」

 

 ライフルを持つ手に力が入ります。

 

 まずは敵の数を数えようと考えて。

 一番左端に居るセルリアンに視線を這わせて。

 

 ――――あわせた、その瞬間。

 青く丸い体をくるりと縦にまわしながら、川の中に入ってくるセルリアンが目の中に飛び込んできました。

 

「なっ!」

「え?」

 

 レミアだけでなく後ろに居たフェネックからも驚きの声が上がります。

 

「セルリアンって水が苦手なんじゃなかったの!?」

「は、ハンターからはそういう風に聞いたんだけど―」

 

 フェネックの声がいつもとは違って上ずっていました。焦っています。

 レミアも動揺を隠しきれませんがすぐに頭を切り替えて、自分が今取るべき行動を選択しました。

 

 ばがんッ!

 

 すぐさまライフルを構えたレミアが一発。

 

 ばがん!

 ばがん!

 

 二発、三発。

 体を回転させることによって、石を頂点に回してから水の中へ入ろうとしていたセルリアンを、ためらいなく撃ち抜いていきました。

 

 陸地に残っていたセルリアンに狼狽のような様子が見て取れます。明らかに、今から身体をまわそうとしてたやつが元の体勢に戻りました。

 

 ――――石が水に浸かるのを避けた……?

 ――――水に入ったやつらを撃った時、他の奴らは狼狽えた……?

 

 レミアは今しがた敵のとった行動の意味を全力で考えつつ、油断なく銃口を向けます。

 同時にセルリアンの数を把握するために、左から順番に数えていきました。

 

 

 ○

 

 

「今の音! こっちなのだー!」

「な、ちょ、そっちに行ったら危ないんだってばー!」

「別にジャガーは付いて来なくてもいいのだー!」

「あぁもうッ! そういう問題じゃないんだってッ!」

 

 アライさんがジャングルの中を突っ走る後ろから。

 引き返すように説得するフレンズ――――ジャガーが追いかけていました。

 

「なんでわざわざセルリアンの向かってる場所へ行くんだよー!」

「レミアさんのあれ! 銃の音が聞こえたのだッ!」

 

 じゅう? と首をかしげるジャガー。すぐに、川辺のほうから断続的に聞こえていたあの大きな音のことだと察しました。

 

「なぁおいアライグマ! その〝レミアさん〟ってのもセルリアンに襲われてるフレンズなのか!?」

「音のしたほうに絶対いるのだ! セルリアンが向かっているから危ないのだー!」

「く……じゃあ、ほっとくわけにもいかないな」

 

 覚悟を決めた様子で拳を握り締めたジャガーは、走る速度を上げてアライさんに追いつきます。

 

「お前の仲間のフェネックも一緒なのか?」

「多分一緒なのだ! ジャガーもついて来てくれるのか!?」

「避難の手伝いだけだぞ! セルリアンと戦うなんてごめんだ!」

「だーいじょーぶなのだ! レミアさんは強いしフェネックも賢いのだ! あの二人とアライさんが居れば、セルリアンなんて怖くないのだー!」

 

 それが危ないんだってぇー! っとジャガーは叫びましたが、アライさんは聞いている様子がありません。

 

「そうだ、ジャガー! 葉っぱのたくさんついた木の枝を持っていくのだッ!」

「はぁ!?」

「いいから! 持っていくのだぁー!」

「な、なんでそんなもん持っていくんだ!?」

「大丈夫なのだ! その辺のことはアライさんにお任せなのだー!」

「ぬうう……わけわからんが、とりあえずわかった!」

 

 走りざま、二人は手の届くところから木の葉のたくさんついた枝を折り、音の聞こえた方向へ全力で走っていきました。

 

 

 ○

 

 

「……増えていってるわね」

「だねー」

 

 川のほとりのぬかるんだ土地は、真っ青なゲル状の物体で覆いつくされつつありました。

 レミアも五十を数えたところから目視では厳しいと判断し、カウントをやめます。

 

「あれから水には入ってこないけどー。これだとアライさんが困るかもー」

「ねぇ、アライさんって泳げるの?」

「うん、一応はねー」

 

 いつも通りの、どこか眠そうな笑顔でフェネックはそう応えました。

 レミアの見る限りでは先ほどの震えは止まっているようです。

 

「一応?」

「本当はアライグマって泳ぎが得意らしいんだけどー、アライさんはあんまり上手じゃないんだー」

「…………心配になってきたわ」

「うーん」

 

 とはいえレミアにも、一つ作戦がありました。アライさんがこの近辺までくればフェネックがその声を聞き取ります。

 それと同時にセルリアンへ猛攻を仕掛け、橋の正面だけを拓いてすぐさまアライさんをこちらへ渡らせるというものです。

 

(弱点が背面下部にあるから屠るまではいかないけど、眼球に攻撃を叩き込めば嫌がることは検証済み……あとは)

 

 作戦の内容を頭で反芻していた時でした。

 

「……っ! アライさんがいるー!」

 

 フェネックの嬉しそうな声が背後で上げられました。

 瞬間。

 

「ふッ!」

 

 レミアは鋭く息を吐きつつ橋の板から板へ飛び移り、着地と同時にライフルの引き金を引きました。

 

 轟音。間髪入れずにボルトを後退させて排莢。

 そのあいだ足の動きは止めず、板と板の間を飛びながら給弾、着地と同時にすぐさま射撃します。

 

 ばがんッ! じゃこッ!

 

 ばがんッ! じゃこッ!

 

 ばがんッ! じゃこッ!

 

 ばがんッ! ――――。

 

 石は狙えません。代わりに目を狙います。

 石に比べれば何倍も大きく、そしてボルトアクションライフルでの射撃にしてはあまりにも近い距離。

 外すわけがありません。レミアが引き金を引き、発砲の音がジャングルにこだまするたびに、青いセルリアンたちは橋の正面から退いて行きました。

 

「アライさん! こっち!」

 

 最後の跳梁から無事に土の地面を踏み、レミアは大声を上げながらあたりを見回します。

 

「レミアさーん! やっと会えたのだーッ!」

 

 声は意外にもすぐ近くから返ってきました。直後、茂みの影からアライさんが飛び出し、

 

「うぇッ!」

 

 ――――コケました。ツルに足を引っかけて。

 

 情けない声がアライさんから上がるのと、レミアの顔から血の気が引くのはほぼ同時でした。

 すぐさま腰を落としてライフルのストックを突き出し、アライさんめがけて今にもとびかかろうとしていたセルリアンの眼球に向かって叩きつけます。

 

 そのままバックステップ、一歩半の距離を取ってから神速の勢いでリボルバーを抜き。

 

 すどん。

 すどん。

 すどん。

 

 三発を、セルリアンの目にぶち込みました。

 たまらずセルリアンは後ろに下がりますが、その向こうに居たセルリアンが距離を詰めてきます。

 後ろからも別個体のセルリアンが迫っているのを肌で感じました。

 

(まずいまずいまずいまずいッ!)

 

 ものの数秒で退路が断たれます。

 焦りから歯を食いしばり、目の前で火花の散るようなチカチカとした感覚がして。

 

 一瞬、ほんの一瞬、それこそ(まばた)きをするぐらいの時間、レミアは動きが止まりました。

 側頭部に衝撃が走ります。ハンマーで殴られたかのような。

 そして実際、ハンマーのような形をしたセルリアンの腕に殴られていました。

 

「ぐぅッ!」

 

 踏みとどまりますが、視界は満足に広がらず、ぐにゃりと木々が曲がります。

 そしてモヤがかかったように世界が白く染まっていきます。

 

(ドジったなぁ……こんなところで)

 

 そう心の中でつぶやいたとき。

 ふと何かが頭の中をよぎりました。

 

(こんな状況、前にもあったような気がするわね……?)

 

 似たように囲まれて。

 似たように誰かを助けようとして。

 似たように頭に衝撃を受けて。

 

 なんだ。

 なんなんだ。

 あたしは、これは、誰で、あたしは――――。

 

「…………あ」

 

 

 ○

 

 

 時間にして、人が一歩を踏み出すのと同じくらいの間。

 秒にして、一秒になるかならないかの時間。

 

 レミア・アンダーソンは一瞬、戦いの中で意識を失い、そして何かを思い出し、再び目の前の光景をはっきりと視認したのでした。

 

「ごめんなのだジャガー! 助かったのだ!」

「あぁもう! 何が何だかぜんッぜんわからんのだが! とにかく、みんなまとめて逃げるぞッ!!」

 

 意識と視界を取り戻したレミアの前では、右手に木の枝を持ち。

 左手にアライさんを抱えたフレンズが立っていました。ジャガーです。

 

 言葉を交わすまでもなくレミアは目的が達成されていることを確信したので、振り向きざまに自分の頭に攻撃をしたセルリアンの、

 

「お返しよ」

 

 すどん。

 

 石がありそうなあたりにリボルバーをぶっ放しました。

 撃鉄が雷管を叩き、液体火薬に着火して、44口径の鉛玉が銃口から射出され。

 青いセルリアンの胴体にトンネルを掘りつつ、背面下部、そこに在る石を粉々に粉砕しました。

 

 背後でセルリアンがまばゆい光とともに爆散するのを感じつつ、レミアはジャガーの背を追って橋の板に飛び移りました。

 

 

 ○

 

 

「だから言ったのだ! 青いセルリアンは葉っぱの付いた木の枝を嫌がるのだ!」

「初めて知ったぞ」

「じょーしきなのだーッ!」

 

 ジャガーに向かってふんぞり返っているアライさんを見て、レミアはくすりと笑いました。

 

 橋を渡って対岸へきた一行は、向こう岸に集まっていた大量のセルリアンがジャングルの中へ帰っていくのを確認して、ホッと一息ついています。セルリアンたちは回転して水の中に入ってくることも、飛び跳ねて橋を渡ってくるような様子もありません。

 

「…………助かったわ」

 

 レミアが攻撃を受けたあの時、ジャガーが手を貸してくれたおかげで、どうやらアライさんは助かったようでした。アライさんとジャガーの手にはなぜか木の枝が握られています。

 

 青いセルリアンは葉っぱの付いた木の枝を嫌がる。

 アライさんは確かに先ほどそう言いました。だからジャガーは手に枝を持っていて、もしかするとそれを振り回してアライさんを助けてくれたのかもしれません。

 

 何はともあれ有効な情報です。レミアは忘れないよう心に刻みました。

 

「アラーイさーん。ちょっといいかなぁ?」

「ん? どうしたのだフェネック」

 

 両手を腰に当てて胸を張っていたアライさんが、フェネックのほうに向きなおります。

 

「……アライさーん。もうやめよーよ、追いかけるの」

「へ?」

 

 突然の言葉に、アライさんが目を丸くしたまま固まっています。

 

「な、なにを言い出すのだフェネック!? アライさんは帽子を盗られたのだ! あれを取り返さないと――――」

 

 最後までアライさんは言えませんでした。

 フェネックがアライさんに抱き着き、強い力で引き締めます。アライさんは、フェネックの手が小刻みに震えていることに気が付きました。

 

「……怖かったんだよー。アライさん、もう帰ってこないんじゃないかと思ったんだよー……? 帽子って、そんなに大切なものなのかなー? ねぇ、アライさん、よく考えてよ……ねぇ……」

 

 だんだんと、フェネックの声が震えていきました。必死に隠そうと取り繕いますが、口をついて出てくる言葉は涙を押し殺したような声ばかりです。

 アライさんはどうしていいかわからずおろおろしながらも、抱き着いているフェネックの背中に手をまわしました。

 

「ご、ごめんなさいなのだフェネック。アライさんが先に行き過ぎたのは謝るのだ。でも……でも、あの帽子はアライさんにとって大切なものなのだ。絶対に取り返さないとダメなのだ」

「…………」

 

 フェネックは一度離れ、アライさんの顔をじっと見ました。

 ふざけている様子も、大げさに言っている様子もありません。

 

「……」

 

 フェネックは一度目を伏せて、それからアライさんを見て、何かを言おうとして。

 しかし直前で口を閉じます。言おうかどうしようかためらい、視線が泳ぎ始めます。

 

 アライさんはそんなフェネックの様子を見てハッとしました。

 

「ふぇ、フェネック! お願いだから、それは聞かないでほしいのだ。帽子もフェネックも大切なのだ! どっちかを選ぶなんてムリなのだー……」

「自分で言っちゃってるよー」

「はっ」

 

 今度はアライさんがわたわたと視線を泳がしています。そんな様子を少しの間じっと見つめたフェネックは、

 

「…………ふー」

 

 一つ、胸の内にたまった息を、深く吐き出してそれから大きく息を吸いました。

 

「さすが、アライさんだねー」

「え? フェネック??」

 

 くすくすと微笑んだフェネックは、目の端にたまった涙を指の先でぬぐいつつ、笑顔でアライさんに言いました。

 

「わかったよぉー。アライさんがそこまで言うなら付き合うのさー。でも、これだけは、絶対に約束してほしいなー」

「なになに、どうしたのだ?」

「セルリアンが出ているときは、一人で勝手に突っ走らないで。……それだけ。それだけだからー」

「もちろん、わかったのだ! 約束は守るのだー!」

「破ったらアライさんの分のジャパリまん貰うからねー」

「や、破らないのだ絶対に」

 

 二人して笑顔を浮かべるその光景を。

 

「いやぁー喧嘩するかとおもったよ」

「えぇ、あたしもハラハラしたわ」

 

 黙って静かに見ていたジャガーとレミアも胸をなでおろしました。

 

 

 ○

 

 

 その後、アライさんとフェネックが二人でジェスチャーを交えつつ、帽子をかぶった子の行方を訊くと、

 

「それならあの山の上に一度行ってから、バスで砂漠地方へ向かったぞ」

「さばくちほー! フェネック! フェネックの家のほうへ行ったのだ!」

「いやー私の家たぶんもうなくなってると思うんだよねー。穴掘っただけだし」

「とにかく行くのだ! ほら! 約束通り一人では走らないから、フェネックとレミアさんも急ぐのだー!」

 

 その場でパタパタと足踏みを始めたアライさんの腕を、後ろで黙って聞いていたレミアがそっとつかみました。

 

「ちょっと、いくつかジャガーちゃんに訊きたいことがあるから、アライさん少し待ってくれるかしら?」

「え? うー……うん、わかったのだ。すこしだけなのだ!」

「ありがとう」

 

 レミアは微笑んでから、ジャガーのほうへ向き直ります。

 なんだ? と首をかしげているジャガーに、レミアはいくつかの質問をしました。

 

 バスとはどんな形だったか。

 音はどんなだったか。

 どうやって動いていたのか。

 何人ぐらい乗れそうか。

 

 それぞれの質問にジャガーは真剣に答えてくれましたが、

 

「どうやって動いてるのかはさすがにわからん。なんかこう、下の丸いのが回って、前とか後とかに動くんだ。あと、デカい」

「なるほど……その、帽子をかぶった子たちは何しに山を登ったの?」

「カバンたちか? なんか〝でんち〟とかいうのを〝じゅうでん〟……だったっけな。それをするために登ったんだ」

 

 レミアは腕を組みながら少し考えると、アライさんとフェネックのほうへ向き直りました。

 

「あたしを置いて先へ進んでちょうだい」

「はい?」「へ?」

 

 これまた何をわけのわからないことを、といった様子で二人とも首をかしげます。

 何の気なしに、さも当然のことのように別れを告げたレミアは、そのまま言葉を続けました。 

 

「大事な用事を思い出したのよ。ひとまずあの山の上に行く必要があるの」

「ちょ、ちょっと待つのだレミアさん! アライさんが悪かったのだ! 急いだのは謝るから一緒に行くのだぁ!」

「いえ、別にアライさんが悪いわけじゃなくて、その……あなたは先を急ぐでしょう? 帽子を早く取り返さないと、追いつけないかもしれないし」

「それは、その、そうだけど……」

 

 言い淀んだアライさんに代わってフェネックが言葉をつなぎます。

 

「レミアさんの用事によってはー、私とアライさんが居たほうがいい事もあるとおもうんだー。ジャパリパークのことはある程度知ってるし―」

「うーん……山の上に登るのは完全に蛇足なのよ? アライさんは大丈夫?」

「大丈夫に決まっているのだ! 山の一つや二つくらい登ったって、帽子泥棒には追いつけるのだ―!」

 

 拳を握り締めてそう叫んだアライさんは、まっすぐにレミアを見たまま、

 

「だからついて行くのだ! レミアさんの〝用事〟が済んでから、また追いかければいいのだ!」

「そーだよー。私もちゃんとアライさんのお世話するからさー」

「そうそう、フェネックもこう言って……んん???」

 

 フェネック? 悪意があるのだ? と首を傾げたアライさんと、ニマニマしながら明後日の方向を向いたフェネックのそばで。

 レミアは少し考え、まぁアライさんがいいと言うのなら、べつに別れる必要はないのかと思い直しました。

 

「じゃあ、これからもよろしく頼むわね」

「もちろんなのだ!」

「はいよー」

 

 かくして、三人一緒の旅はまだまだ続きそうです。

 

 

 ○

 

 

 山の上へ行く方法をジャガーから聞き、三人が出発しようとしたとき。

 

「ちょっと待ってくれ、アライグマ。話がある」

「アライさんに? なんなのだー」

「さっき〝帽子泥棒〟って言ったか?」

「言ったのだ。アライさんの帽子を盗っていったのだ。赤っぽい服を着ていて、黒い髪の毛で、背中に荷物を背負ってるやつ!」

「それ、カバンじゃないか?」

「カバン? 名前なのかー?」

「そうだ。ほら、ここの橋を架けてくれたのもカバンなんだ」

 

 アライさんが目を見開きました。

 

「え、でも、そのカバンさんはアライさんの帽子を盗んだ人で……んんん?? フェネックぅ、どうなっているのだ?」

「橋を架けた人とー、アライさんの言う〝帽子泥棒〟が同一人物かもしれないってことだよねー」

「はぁ!? えぇ!? で、でもそれは……」

 

 言葉が尻すぼみになったアライさん。

 一度ちらりと橋のほうを見ました。

 

 この橋のおかげでアライさんも、フェネックも、レミアも助かったのです。

 もしここに橋がなかったら、今頃みんなセルリアンの――――。

 

 アライさんは頭を抱えながら「ぬぅぅぅ……そんなわけないのだぁぁ……」としゃがみこんでしまいました。

 

「ねぇージャガーさーん。それ本当なのー?」

「二人の言っている〝帽子をかぶった子〟ってのは、このあたりじゃあんまり見ないしな……さっきのセルリアンの騒動が起きる前にここで知り合ったんだ。たぶんカバンの事だと思う。人違いだったらすまん」

「いやいやー、間違えてるとしたらアライさんのほうだと思うしー」

「フェネックぅ!?」

「とにかくー、追いついて本人から話を聞かないとー」

「まぁ、そうだな! ただその……カバンは良いやつだぞ。泥棒をするようなやつには見えん」

「うーん、わかったー。ちゃんと話を聞いてみるよー」

「そうしてあげてくれ。追いついたら、カバンによろしくな!」

「はいよー」

 

 フェネックと、それから後ろで聞いていたレミアもうなずき、しゃがみこんでいるアライさんを立たせます。

 

「何かがおかしいのだ……たぶん人違いなのだ……」

「だといいねー」

「でも今の話だと明らかに同一人物だわ」

「そ、それでもアライさんはアライさんを信じるのだー」

「えぇ、そうね。それがいいわ」

「ねー」

「うん……そうなのだ……たぶん……」

 

 ブツブツとうなだれたまま呟くアライさんに、フェネックとレミアは笑顔で話しかけ続けました。

 

 今度こそ、目の前にそびえたつ山に向かって。

 三人仲良くの出発です。

 

 

 

 




次回「こうざん! いちー!」


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第七話 「こうざん! いちー!」

「ぬぉあー! フェネック! レミアさん! 見てなのだー!」

「おぉーなにこれー」

「ロープウェイ、かしらね」

「ろーぷうぇい……ってなんなのだー?」

 

 ジャガーから聞いた道を進んだ先に、レミア、アライさん、フェネックの三人は大きな建物を見つけました。頑丈そうなワイヤーが山の上に向かって伸びています。レミアがワイヤーの根元を探して視線を動かすと、すぐに乗り物らしきものが見えました。

 汚れや錆が浮いていますが、あれを使って山頂まで行けるだろうとレミアは直感的に悟ります。

 コンクリートと鉄でできた階段を上り、一番上まで来ると緑色のゴンドラがありました。

 

「~~~~ッ!」

 

 階段を上る時からそわそわしていたアライさんが、もう我慢できない様子でそれに飛び乗ります。

 

「見るのだフェネック! これ! 何かよくわからないけどこれすごいのだー!」

「それがロープウェイよ。そこのペダルをこいで山頂まで行けるの」

「初めて見たのだ! すごいのだ!」

 

 アライさんが歓喜の声を挙げつつペダルに両足をかけて、フェネックとレミアに早く乗るよう急かします。

 どうやらアライさんがペダルをこいでくれるそうです。

 

 三人はゴンドラに乗り、アライさんが「出発なのだ―!」と一声叫ぶと、ゆっくりのんびりとした調子で山の頂上に向かって登り出しました。

 三人で乗るとちょっと窮屈そうですが、ゴンドラは一つしかないので贅沢は言えません。

 

「あーなるほどねー」

「どうしたのフェネックちゃん?」

「これでどうやって山の上まで行けるのかなって考えてたんだけどー、この上のひもが山頂につながってるんだねー」

「そうよ。ゴンドラがワイヤーに沿って巻き上げられていくの」

「いいねー、ラクちんだねー。アライさんがんばってねー」

「まかせてなのだー!」

 

 ゴンドラは、ゆっくりゆっくりと進んでいきました。

 

 

 ○

 

 

 気が付くと太陽が西の空へ傾きかけています。

 ややオレンジ色を帯びてきた太陽の光に照らされながら、錆の目立つ緑のゴンドラは山の中ほどまで登っていました。

 

「フェ……フェネック……そろそろ交代してほしいのだ……」

「〝アライさんにお任せなのだー〟じゃなかったっけー?」

「言ったけど……なのだぁ……」

 

 ずっとペダルをこいでいたアライさんですが、これがけっこう重労働だったようです。ひーひーと悲鳴を上げながらすがるような声でフェネックに助けを求めます。

 

「うーん」

 

 フェネックはもうちょっとアライさんにこがせてみようかなとも思いましたが、あんまりいじわるするのもかわいそうだなぁと思い返したので、軽く肩をたたいて席を交代しました。

 

「アライさーんありがとー。後はゆっくり休んでていいよー」

「助かったのだ……フェネックぅ……ゼー……ゼー……」

 

 きこきこ鳴るペダルの音と重なって、アライさんの荒い息遣いだけがしばらくゴンドラに響きます。

 

 数分経ってアライさんがちょっと元気になった頃。

 真っ赤に焼けつつある空と、オレンジ色に照らされている壮大な自然をボーっと眺めていたレミアに、アライさんが話しかけました。

 

「レミアさんの用事ってなんなのだ?」

「これのことよ」

 

 話しかけられたレミアは顔を上げて、腰のポーチから黒色の四角い何かを取り出します。

 夕日に照らされたそれはレミアの手よりすこしだけ大きく、細長い棒のようなものが上の方に生えていました。

 見たところでイマイチぱっとしないアライさんは首をかしげます。

 

「なんなのだこれ?」

「通信機、っていうの。今は使えないけど、山頂では電気が使えるそうじゃない? だから上手くいけば復活するかもしれないわ」

「使えるようになるのか!?」

「えぇ、まぁたぶんね」

 

 わぁぁっ! と一言嬉しそうに言ったアライさんですが、そのままコテっと首をかしげました。

 

「でもそれ何のために使うのだ? 使うと何が起きるのだ?」

「遠くの離れた所と会話ができるのよ。見たことないかしら」

「へぇー! ないのだ! アライさんも見てみたいのだー!」

「うーん……通信がつながっても民間人に内容を聞かれるのは……」

 

 困った顔で苦笑いをするレミアの言葉は、どうやらアライさんには届いていないようです。

 かわりに黙々とペダルをこいでいるフェネックの耳が、ぴくぴくと小刻みに動いていました。

 

 

 ○

 

 

「ついたねー」

「到着なのだ―!」

 

 ゴンドラが山頂に付いた頃には、もう空が紫色になっていました。

 太陽も顔の半分を地平線に沈め、あと数分もしないうちに完全に姿を消すでしょう。

 

 山頂には足首ほどの草が生えていました。ところどころ茶色い地面が見えるようにぽっかりと抜かれています。

 レミアは、

 

「……?」

 

 それが何かの絵であることに気が付きましたが、上から見るでもしないと全容はつかめないと思いスルーしました。

 

 あたりを少し見回していると、ほどなくしてアライさんが「なんかあるのだー!」と声を上げて指を差したので、その方向に目を凝らします。

 

 青い屋根の建物でした。屋根の上にはなにかの装置が付いています。何のためのものなのかレミアには分かりませんでしたが、もしかすると電気に関わる装置かもしれないと思い、とにかく建物に入ることにしました。

 

「あそこね、行くわよ」

「はいよー」

「わかったのだー!」

 

 レミアを先頭に、フェネックとアライさんも青い屋根の建物へ向かいます。

 

 

 ○

 

 

 木づくりの扉をくぐると、甘い香りが漂ってきました。

 上品で、温かく、優しい香りに包まれた空間に、三人はすこし驚きながら入ります。

 

「いらっしゃぁい~ようこそぉ~ジャパリカフェへ~♪」

 

 部屋の奥からとびきり間の抜けた声が聞こえてきたのと同時に、レミアはこの建物がなにを目的にして建てられたのかを得心しました。

 

 甘い紅茶の香りと手入れの行き届いたテーブルやイス。部屋のところどころに装飾目的で飾られた植物。

 そして何よりも、ここの店主が迎えてくれた言葉から。

 

「ここは喫茶店なのね」

「そぉだよぉ~♪ 今までぜぇんぜんお客さん来てくれなかったのにぃ~、今日はいっぱい来たんだよぉ~うれしいなぁ~」

 

 どうぞどうぞぉ~座ってねぇ~♪ とカウンターから出てきて席に付くことを勧められた三人は、そのまま腰を下ろします。

 

「きっさてん? かふぇ? ってなんなのだ?」

 

 頭にはてなマークを浮かべながら首を傾げたアライさんに、柔らかい笑顔とうれしそうな声で店主が答えました。

 

「あったかいお茶でぇ~みんなが休憩できるところがカフェなんだよぉ~♪」

 

 店主の笑顔が浮かぶ言葉に、アライさんの向かい側に座っていたフェネックも少し驚きました。

 

「へぇー、私も知らなかったなぁー、カフェっていうのかー」

「すごいのだ。なんか落ち着くのだ」

「おぉー。アライさんを落ち着かせるなんてすごい場所だねぇー」

「そうなのだー…………ん? フェネック?」

「なーにーアライさーん?」

 

 にやりと笑って言うフェネックの隣で、レミアも小さく微笑みました。

 

 窓の外を見ると、太陽はすでに顔を隠しています。本来ならば外の空模様と同様に、この店内にも夜のとばりが下りるはずです。

 でも不思議なことに店内は明るいままでした。

 はてどうしてだろうとレミアは疑問に思いましたが、首を上げて目を凝らすと、

 

「なるほど」

 

 天井にある光源を見て頷きました。

 落ち着いた色合いの暖色系ライトが、店内を包み込むようにして照らしてくれています。これなら夜が来たって店内でお茶を楽しむことができるでしょう。

 

 いい場所ね、とレミアは店主の顔を見ながらつぶやきました。

 

「あなた、名前は?」

「私はアルパカ・スリって言うんだよぉ。アルパカってよばれてるからぁ~それでいいかなぁ~」

「アルパカね、わかったわ」

「とりあえずぅ~何飲むぅ? 紅茶あるよぉ~?」

「紅茶以外は?」

「こぉーひー? っていうのかなぁ~苦いけどぉ~香ばしくてぇおいしいやつもあるよぉ~」

「あたしはコーヒーで」

「私もそれでー」

「アライさんもそれにするのだー」

「アライさんは紅茶にした方がいいと思うわ」

「え、そうなのか?」

 

 目を丸くするアライさんに、レミアはうなずいて「コーヒー二つと紅茶一つで」と注文します。

 

「ご注文うけたよぉ~待っててねぇ~今淹れるからぁ~♪」

 

 店内には茶葉の心地よい香りと、アルパカの嬉しそうな鼻歌がしばらくの間流れていました。

 

 

 ○

 

 

「電気ぃ? あぁ、上のアレかなぁ~。でもぉ~日が落ちちゃうとぉ使えないんだよねぇ~」

 

 四人掛けのテーブルに向かい合うようにして、四人のフレンズが腰かけています。

 各々の手には湯気を上げるカップがあり、レミアとフェネックはコーヒーを、アライさんとアルパカは紅茶を飲みながら談笑をしていました。

 

 数分前。

 アルパカが淹れたお茶とコーヒーがテーブルに運ばれると、アライさんとフェネックは恐るおそるカップに口を付けました。

 

「……!」

「……?」

「おいしいのだぁ~」

 

 紅茶を初めて飲んだアライさんは、口元をふやけさせながら満足そうに声を挙げます。そのまま二口、三口とちびちび飲んで、やはり幸せそうな顔でカップを口へ運んでいました。

 

 一方コーヒーを初めて飲んだフェネックは、

 

「んんー……?」

 

 飲んだまま少し固まり。

 それから口を付けたカップをそっと机に置いて、べぇ、と舌をだしてから「にひゃい……」と短く感想を言いました。

 

「それは苦いよぉ~。私もお砂糖とミルクを入れないとぉ飲めないんだぁ~」

「そ、それほしいかなー」

「すぐ持ってくるねぇ~♪」

 

 アルパカは棚から砂糖とミルクを取り出すと、フェネックのカップに比較的多めに入れてあげました。

 スプーンで混ぜてから再び口をつけると、

 

「……おいしーねぇー」

 

 いつもの少しおどけた調子で、フェネックは嬉しそうに一息つきました。

 

「レミアさんもぉ~砂糖とか入れるぅ~?」

「いや、あたしはこのままでいいわ」

「へぇ~すごいねぇ~♪ 苦くないのぉ~?」

「このままのほうがおいしいわ。いい豆ね」

「隣の地方に生えてたんだぁ~♪ 茶葉も摘んできたやつだけどぉ~おいしいでしょぉ~♪」

「アルパカは淹れるのが上手よ。カフェを開いて正解だわ」

「やったぁぁ~褒められたよぉうれしいなぁ~♪ うれしいなぁ~♪」

 

 満面の笑みで一緒になって紅茶を飲むアルパカと。

 三人は仲良く話し込みました。

 

 

 ○

 

 

「じゃあ、明日になって日が昇らないと使えないのね」

「ごめんねぇ~、私もどうなってるのかぁわからないんだけどねぇ~」

「いいのよ」

 

 レミアは電気が使えるかどうかをアルパカに訊いたのですが、どうやら明日にならないとダメなようです。

 ただ、太陽の光がないと電気が使えないならば、なぜ今この部屋の電球が明かりを灯しているのかという素朴な疑問が浮かびます。

 

 疑問は間違いなくレミアの頭をよぎりましたが、考えたってよくわからないのでレミアはそのまま疑問を右から左へ受け流しました。

 

「なんならぁ~今日はうちに泊っていくぅ?」

「いいのかしら?」

「今から下に降りるのもぉしんどいでしょぉ? あしたの朝~えとその〝つうしんきぃ〟? が使えるようになってから、降りてもいいんじゃないかなぁ~?」

「お泊りなのか? アライさん泊まりたいのだ!」

「いいよいいよぉ~部屋余ってるしぃ~」

「じゃあ、お言葉に甘えるわね」

 

 このままこのカフェで一泊させてもらうことになった一行は、もう一杯ずつお茶とコーヒーをアルパカに入れてもらいました。

 カップにおかわりが満たされると、話の内容にも花が咲きます。話題はアライさんたちがとあるフレンズを追っていることに移りました。

 

 アライさんが大切にしている帽子を盗られたこと。

 帽子を盗ったフレンズを追っていること。

 その途中でレミアと知り合ったこと。

 ここに来るまでに大量のセルリアンから逃げてきたこと。

 レミアはものすごく強いこと。

 帽子を盗ったフレンズが〝カバンさん〟かもしれないこと。

 

 などを、主にアライさんの荒い鼻息と一緒に、時々フェネックが補足を入れながらアルパカに話していきました。

 

「んん~でもぉカバンちゃんはそんなことしないと思うんだよねぇ~」

「帽子を盗られたのは事実なのだぁ……」

「きっと何かぁ~事情があると思うよぉ~? アライちゃんの帽子が大事ってゆうのは、わかるけどねぇ~」

「うぅ……」

 

 カバンさんと帽子泥棒が同一人物かもしれないという事実に頭を抱えるアライさんです。

 やはり直接会ってちゃんと話をしないと解決は難しいだろうと、アルパカは独特のやさしい口調で励ましてくれました。アライさんも小さくうなずきます。

 

「じゃあ、そろそろ寝る準備をしようかぁ~。夜寝てぇ、明日の朝から出発だよぉ~」

「はいよー」

「わかったのだ」

「えぇ」

 

 アルパカの一声を皮切りに、座っていた四人は就寝の準備に入りました。

 

 

 ○

 

 

 静かに月が昇る空。

 はるか遠くで輝く星と、青白く幻想的なまでに美しい月光に照らされて、高山の頂上には一軒のカフェが建っています。

 

 その青い屋根の上。

 構造はどうなっているのかわかりませんが、太陽の光から電気を作り出す機械を見て、レミアは一つため息をつきました。

 

 あたりには誰もいません。アルパカも、フェネックも、アライさんも、下の寝室でぐっすりと眠っています。とても静かな夜でした。

 

「ふぅ……」

 

 やや冷たい夜風が、黒いタンクトップの裾を揺らします。

 立って足元の機械を眺めていたレミアでしたが、二度目のため息を付きながらその場に腰を下ろしました。

 

 ゆっくりとポーチに手を伸ばします。

 中から葉巻とライターをおもむろに取り出し、口にくわえ、手で風よけを作ってから葉巻の先端に火をつけました。

 

 深く息を吸い、充分に紫煙を燻らせて、名残惜しそうに吐き出します。

 

「…………」

 

 二度、三度。悲しそうに眼を細めながら。

 大事そうに、味わうように、お気に入りの葉巻を楽しみます。

 

 視線の先には大きな山がありました。

 その山頂には、七色に光る直方体が鎮座しています。近くによらないと分かりませんが、ここから見てもその形状がわかるほど、それはめちゃくちゃな大きさであるとレミアは思いました。

 

 〝サンドスター〟と呼ばれている謎の物質を噴出させるその山を。

 そして、なおも現在、頂上から七色の粉塵をばらまいている山の様子を、レミアは黙って眺めていました。

 口にくわえた葉巻から、細く長く煙が立ち上ります。

 

 どれくらいそうしていたでしょうか。

 葉巻の先から灰が静かに落ちた時、レミアは視線をゆっくりと手元に下ろしました。先ほど整備を終えたばかりの愛銃が三丁、すぐ横に置かれています。

 

 真ん中の一番大きな銃。数々の戦場で自らの命を守り、他者の命を狩ってきた一番の相棒。

 使い古されたライフルのストックを、レミアはそっと指先で触れながら、

 

「…………帰れるのかしら」

 

 掠れた声で、ただそれだけをつぶやきました。

 

 

 




次回「こうざん! にー!」


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第八話 「こうざん! にー!」

「いやぁ~今日もいい天気だねぇ~♪」

 

 アルパカの弾んだ声が、抜けるような青空に吸い込まれていきます。

 高山の天気は昨日と変わらず、気持ちのいい快晴と暖かな太陽が、あたり一面を照らしていました。

 

「それじゃあアルパカ、電気を生み出す装置の使い方を教えてもらえるかしら」

「わかったよぉ~。って言ってもぉ、私も詳しくは知らないからぁなんかいい感じにいじってねぇ~」

「そうね、そのつもりよ」

 

 アルパカを前に、レミアはその後を追うようにしてカフェの屋根へ上っていきます。

 

「フェネック、どうしてついて行っちゃいけないのだ?」

「レミアさんねぇー、あの通信機で話す内容を、私たちに聞かれたくないんだってぇー」

「えー!」

 

 屋根へ上っていった二人を見送り、店内の椅子に座ってアライさんとフェネックは、それぞれカップを傾けています。

 朝一番の紅茶とジャパリまんを前に、二人は仲良く話し込んでいました。

 

「なんでそんなこと知ってるのだ!?」

「昨日レミアさんが言ってたじゃないかー。〝みんかんじん〟には聞かれたら困るって」

「〝みんかんじん〟って、アライさんたちの事かー?」

「たぶんねー。まぁーそうじゃなかったとしてもー、私たちはおとなしくここで待ってようよー」

「うー……アライさんも通信機で遊んでみたかったのだー……」

 

 肩を落としてそう呟いたアライさんに、フェネックは何やらちょっと考えた後、なだめるような口調で口を開きます。

 

「アライさんにもー、大切にしているものがあると思うのさー」

「……?」

「帽子とかー」

「う、うん。あの帽子は大切なものなのだ。アライさんの大事なものなのだ」

「それと同じだよー。レミアさんの持ち物もー、アライさんの帽子と同じくらい大切なのさー」

「あ……」

「だから、まぁーレミアさんは優しい人だけど、やっぱりその辺のことはちゃんと考えないとー」

「ごめんなのだフェネック……」

「いいよいいよー。さ、ジャパリまん食べよー」

「うん、食べようなのだー!」

 

 紅茶の香りが漂う朝のカフェに、元気なアライさんの声が響きました。

 

 ○

 

「これの事だと思うんだよねぇ~」

「この箱だったのね……」

 

 ぬくぬくとした気持ちの良い陽の光を浴びながら、アルパカとレミアは一つの箱を前にしていました。

 

 黒い箱です。煙突の側面に取り付けられていて、ふたのところには電池の模様が描かれています。

 周囲を見てみると、屋根に配置されている機械から配線が伸びていて、なるほど確かにこの黒い箱は何かしら電気とのかかわりがありそうです。

 

 レミアはじっくりとその配線の太さや位置を調べて、箱の中も目で見て確かめた後、ため息をつきながらアルパカのほうへ向き直りました。

 

「残念だけど、この装置をそのまま通信機に繋ぐことはできないわ。線の太さが合わないもの」

「うぇぇ~困ったねぇ~」

「これ以外に、電気を管理してそうな箱とかってあるかしら?」

「下の裏口の方にぃ~似たような黒い箱があるけどぉ」

「案内してもらっても?」

「うーん、いいけどぉ、あれはねぇ~……」

 

 アルパカは眉を八の字にして、尻すぼみした調子で応えました。

 

 ○

 

「開けられないんだぁ~」

 

 鍵のかかった黒い箱は、煙突の側面についていた箱よりは小さいものでした。表面には特に模様もなく、艶消しの黒色で塗装されています。

 

 ふたと思しき部分には半円状の丸棒と鍵穴付きの金属がぶら下がっており、その穴にしかるべきカギを入れて引き抜かなければ箱のふたは開かない仕組みになっていました。

 

「南京錠ね……これはまたやっかいな」

「どうするぅ?」

「カフェの中に、この穴に突っ込めそうな銀色の細長いものとかってなかったかしら?」

「ないねぇ。私もここ開けてみたくてぇ、引っ張ったり齧ったりしたんだけどぉ、まるで歯が経たなかったんだぁ。仕方なく博士に訊いたら〝鍵〟がないとダメだって言われてぇ」

「探したけどなかった、のね」

「なかったねぇ。残念だけどぉ、ここを開けることはできないよぉ~」

 

 申し訳なさそうにアルパカが肩を落とします。

 レミアはもう一度箱にぶら下がっている南京錠を見て、それからアルパカのほうに顔を向けてから、

 

「アルパカ、耳をふさいでなさい」

「へ?」

 

 アルパカがレミアの言葉に首をかしげながらも自分の耳を手で押さえた瞬間。

 

 ずどん。

 

 何のためらいもなくホルスターから流れるような動作でリボルバーを抜いたレミアは、南京錠を吹っ飛ばしました。

 

「ひゃぁっっ! すんごい音だねぇ~!!」

「びっくりさせてごめんなさい」

 

 それが昨日言ってた銃だねぇ~、と目を丸くしながらアルパカがのぞき込む中、レミアはスッとホルスターへ戻し、何事もなかったかのように黒箱のふたを開けました。

 

「ふーん」

「へぇぇ~なんかすごいねぇこれぇ~。何がどうなってんのかぁ~ぜぇんぜんわからないねぇ~」

「これ、分電盤の類だわ。日中に発電したものをここに貯めて置いたり、電圧を変えて出力したりしているのね」

「????」

 

 急に何を言ってるんだこの人はというような目でレミアを見たアルパカでしたが、とにかくこの箱がすごいものだということはよくわかりました。

 

「カフェにとってもぉ~大事なものなのかなぁ?」

「大事よ。これがないとやっていけないわ」

 

 そう言いながらレミアは回線の一つをぶっこ抜き、通信機のカバーを開けて基盤の端に繋ぎます。

 そのまま箱の中のいくつかのダイヤルを回していきました。

 

「この辺かしら」

 

 レミア自身もよくわかっていないのか、首をかしげながら適当にダイヤルを回していき、通信機の電源スイッチをカチカチと押しています。

 一度目は何の反応もなかったため、ダイヤルを少しいじって再び押下。

 二度、三度、ダイヤルとスイッチの間で手を動かします。

 

「へぇぇ~、これ、うまくいったらどうなるのぉ~?」

「ここの画面が緑色っぽく光って、文字が出てくるわ」

「失敗したらぁ~?」

「さぁ?」

 

 アルパカがちょっと不安げな表情でレミアの顔を見ましたが、レミアはいつも通りの何食わぬ顔で、単調にダイヤルをいじっては通信機のスイッチを切って入れる、切って入れるを繰り返しました。

 

 十回ほどカチカチとした時、

 

「あ」

「わぁぁ! 点いたねぇぇぇ!」

 

 小さな画面に明りが灯り、いくつかの数字と記号、文字が流れていきました。

 

「ちょっと持っててもらえるかしら」

「いいよぉ~」

 

 アルパカに通信機を渡してから、レミアは分電盤を元に戻し、最後にカシャンと箱のふたを閉じます。

 鍵は44口径の鉛玉で粉々にしてしまったのでそのままです。

 振り返って、アルパカから通信機を受け取りました。

 

「これで使えるぅ?」

「えぇ、あとは周波数を合わせて、通信基地局との交信を計るわ。その……」

 

 そこまで言って、レミアは先の言葉を言い淀みました。

 遠慮のない言葉をどうやって遠慮深く伝えようか悩んでいるような顔をし、しかし必死に考えるのが面倒くさくなったのか、ふっと肩の力を抜くとちょっと微笑みながら言葉を続けます。

 

「手伝ってくれてありがとうアルパカ。あなたがいないと、この通信機はただの重りのままだったわ」

「いいよいいよぉ~」

「それで、その……こんなことを言うのは心苦しいけど、通信の内容を聞かれたくないのよ」

「うん、そぉなんだよねぇ~。昨日寝る前にぃフェネックちゃんから聞いてたよぉ~♪」

「え?」

「私は中でお茶淹れるからぁ~、レミアちゃんはその〝つうしん〟? をしてていいよぉ~」

 

 ひらひらと手を振ってカフェの中に戻るアルパカを、レミアは目を丸くしながら、

 

「……まったく、ありがたいわね」

 

 小さく微笑んで、思わずそうつぶやきました。

 

 ○

 

 ザァー……ザァー……。

 機械独特の雑音をヘッドセットから聞きながら、レミアは通信機の小さなダイヤルを慎重に回していきます。

 

 カフェのテラスから少し歩き、すぐ足元には何十メートルという崖が広がる草の上に立って、レミアはダイヤルを小刻みに回していました。

 

「…………つながらないわね」

 

 眉根を寄せて厳しい表情でぼやきます。

 最後に行った作戦の司令本部、そこの通信回線に何度も繋いで試しますが、一向に応答はなく、聞こえてくるのはザーザーという虚しい砂嵐の音だけです。

 

「別の基地……いえ、この際本国に直接つないでみましょうか」

 

 ダイヤルを一気に回します。作戦地方の司令部ではなく、自分が所属している軍隊の総司令部につながる回線に合わせました。

 通常ならこのような場所と通信することは絶対にありえません。ただ、自分が今いる場所も状況もわからないため、〝わからない〟ということを報告するためにも本国に伝える必要があります。

 ことに自分の置かれている状況報告だけならよいのですが、サンドスターやフレンズといった〝未知の脅威〟を報告する義務が、レミアにはありました。

 

「あー、あー……こちら東部方面軍、第七中隊所属、第一小隊隊長のレミア・アンダーソン少尉です。聞こえたら応答をお願いします。こちら東部方面軍、第七中隊――――」

 

 同じフレーズを繰り返すこと数分。砂嵐しか聞こえなかったヘッドセットにわずかな変化が起きます。

 

『――――ちら――――さ――――』

「総司令部、聞こえますか。通信状況が極めて悪いです。こちらアンダーソン少尉――――」

『――――ちら、総司令部オペ――――』

 

 何かが聞こえそうではありますが、回線が不安定なのかそれともどこかから妨害されているのか、耳に届くのはブツ切れの意味をなさない単語のみです。

 

 レミアは辛抱強く通信を試みますが、どれだけ丁寧にダイヤルを回しても通信状況が回復しないため、いい加減腹の底が煮えてきました。

 

「ああ、もうっ! ぜんっぜん聞こえないわよこの回線! どうなってんのよッ!」

 

 マイクに向かって叫んだ直後、はるか遠くにそびえたつ七色の巨影、サンドスターを吹き出すその大きな山から轟音が響きました。レミアは驚いてそちらのほうに視線をやります。

 

 地面の震える低い音とともに、山の頂上からキラキラとした何かが噴出していました。

 

「…………噴火?」

 

 ちょうど、レミアの記憶にもあれと似たものがありました。資料で見ただけですが火山の噴火と酷似しています。

 陽の光にあてられてまばゆく光るそれは、まぎれもなくサンドスターです。

 立ち上るサンドスターはゆっくりと、山の周辺の空を染めていきました。七色の雲と表現しても差し支えない現象が、レミアの瞳に映ります。

 

 その時です。

 

『いやぁすみませんクソ回線で。俺が勝手にいじったものですから、ちょっと強度と安定性に欠けていまして』

「え?」

 

 ヘッドセットから若い男の声が聞こえてきました。

 

『東部本面軍所属のレミア・アンダーソン中尉ですね?』

 

 若い男の、よどみなく続けられた声は、たしかに先ほどから聞こえていたヘッドセットの音声と同じものです。

 先刻のひどい雑音とは比べ物にならないほどクリアな音声でした。

 

「えぇ、東部方面軍第七中隊、第一小隊所属のレミア・アンダーソン少尉よ」

『照会しました。たしかにうちの軍の人間ですね、本日はどのようなご用件で?』

「は?」

『へ?』

 

 レミアも、そして通信機越しの若い男の声も、素っ頓狂な声を挙げます。

 

「あなた……いえ、その前に確認させて」

『何でしょう?』

「私が繋いでいる回線は軍の総司令部の物よね?」

『大体合ってますが少し違います。この回線は本部のものと酷似させて作成した、俺のプライベート回線です』

「……はい?」

『タダで通話がしたくて軍の回線をハックして設立した、俺専用の携帯電話回線と言えばご理解いただけるでしょうか? アンダーソン中尉殿』

 

 レミアは左手でこめかみのあたりを抑え、激しく湧き上がってくる頭痛を何とか鎮めようと頑張りました。

 

「じゃあ、なに、私は軍の回線に無理やりつないでタダ電話しようとしている男の端末に、こんなわけのわからない場所から緊急回線でつないでしまったわけ?」

『事実としてはそうなるかもしれませんね。でも、ほかの通信回線にはつながらなかったのではありませんか?』

「?」

 

 男の言い方にレミアは若干の違和感を覚えました。

 

「どういう意味よ」

『興味本位であなたの通信回線から位置座標やコードを割り出してみたんですが、座標不明、コード不明で俺のところにかかってきたのが奇跡に近い感じでつながってますよ。もし外部との連絡をアンダーソン中尉殿が望まれているなら、このまま切らないことをお勧めします』

「……わかったわ」

 

 最初こそ飄々としていた男の口調でしたが、今の語り口は本気でした。レミアは通信機の電源ボタンに触れていた指を離します。

 

「で、あたしと唯一通信できるあなたは、いったい何者なの?」

『西部本面軍担当総司令部所属、オペレーターの〝ベラータ〟です』

「それ本名?」

『いいえ、戦地の兵たちからつけられたあだ名ですよ。気に入っているんで自分でもそう名乗っているんです。あぁもちろん、聞かれた時にはそう答えてるってだけですよ』

 

 総司令部のオペレーターがこんなふざけたやつでいいのかと一瞬思ったレミアでしたが、ふと頭の片隅にある噂がよぎりました。

 

 西部方面軍の総司令部所属の人間に、ずいぶんとぶっ飛んだやつがいる、という噂です。

 

 マニュアルは守らず。

 言葉使いもいい加減で。

 おおよそ正規軍のオペレーターにふさわしいとは言えない者が、しかし卓越した頭脳と的確な前線兵士への通信技術、そしてアドバイスによって厚い信頼を寄せられている、と。

 

 前線兵士たちからは信頼と尊敬の意を込めて〝ベラータ(助言者)〟と呼ばれているオペレーターがいるという噂です。

 

「あぁ……あなたが、あのベラータなのね」

『東部戦線の兵にまで広がっているとは光栄ですよ、アンダーソン中尉』

「まぁそれはどうでもいいことだわ。用件だけ言うから本部の人間に至急伝えて頂戴」

『俺今日は非番なんで自宅でゴロゴロしていたいんですけど』

「……あなたよくそれでオペレーターになれたわね」

『よく言われます』

「それで――――」

『えぇ、ご心配なく。これからアンダーソン中尉の言葉をすべて本部の司令塔、それから東部方面軍の司令塔にも転送する準備が整いました。回線の強化も今終わりましたから、もういつでも通信を切っても大丈夫ですよ』

 

 レミアは内心で驚きました。ふざけた会話をしていた今の間に、貧弱だった回線の強化と総司令部への転送準備を、この男は同時に行っていたのかと。

 

「あなた…………いえ、今は関係ないことね。報告を開始します」

 

 それからレミアは簡潔に、かつ正確に、これまで自分が見てきたこと、行ってきたことをベラータに伝えていきました。

 

『つまり、当初は自分が誰なのかすらもわからない状態でしたが、今は大丈夫と?』

「完全ではないわ。どうやってこんな見ず知らずの土地に来たのかが思い出せないの。肝心なところがね」

『最後に行った作戦、あるいは行動は思い出せますか?』

「どこかの研究所を襲撃したところまでは覚えているの。作戦半ばまでうまくいったことも覚えてるけど、そこから先は雲がかかって思い出せないわ」

『アンダーソン中尉の作戦経歴をいまデータベースにハッキングして調べているんですが……』

「ねぇあなたって〝権限〟って言葉の意味知ってるかしら?」

『知ってますよ。俺は頭がいいんで』

「そう」

 

 こいつとまともな会話はしないほうがいいなと心のうちで決めました。

 

「で、何かわかった?」

『ダメですね、あなたの経歴や作戦報告そのものが高度なセキュリティに守られていて、ちょっと今すぐ割り出すってのは無理そうです。何日か時間をいただきますね』

 

 いやぁそれにしてもこんな防壁見たことない、面白そうなんでぶち破ってみますねぇ、などという声がヘッドセットから聞こえていましたが、レミアは別のことを考えていたのであまり気にしていませんでした。

 

 とにかく、状況を整理すると。

 

 レミアから通信をつなげられるのはこの男――――ベラータの私用携帯電話のみで、他のところへは転送しないと自分の状況を伝えられないようです。

 当然、上の人間からの指示もベラータ越しでなければ仰げません。

 

 レミアの今後の行動は決まりつつありました。

 

 まず未知の部分が多いこのジャパリパークについて、少しでも多くの情報を手に入れ、自国に持ち帰って有効活用する事。

 次に、アライさんとフェネックの目的を達成させること。

 最後に、自らも無事ジャパリパークから脱出して帰国する事。

 

 アライさんとフェネックについて行きながらも、この土地のことについて調査し、かつ自分の命と彼女たちの命も守り切るということです。

 

 これらのことをレミアは単独でこなさなければなりません。

 普通に考えると絶望的なまでに困難な状況ではありますが――――。

 

「上層部からの横槍なしに、好きに動いていいってわけね」

『えぇ、そうです。俺もお偉いさんからわけわからん指示をされるのは大っ嫌いなんで、いい感じにこっちの方で情報を操作しておきますね』

 

 レミアとベラータは、この二人だけでジャパリパークの調査と脱出を試みるようです。

 軍隊という組織に属していながら、見るからに組織的な行動を嫌うこの二人だけで。

 

 レミアは今後の行動指針を固めるとともに、遠くの景色に目を見やりました。

 立ち上っていたサンドスターの雲が徐々に薄れつつあるのを、彼女の瞳はよどみなく映します。

 

 ○

 

 レミアが高山の端でベラータと交信をしているとき。

 ジャパリカフェのカウンターの中ではアライさんが右へ左へ行ったり来たりしていました。

 

「うーん……これも違うのだー」

「アライさーん、やっぱり混ぜるのはおいしくないってー」

「そんなはずないのだー。どっちもカフェで出てくる美味しいものだから、混ぜたらもっとおいしいはずなのだー」

「どうかねぇ~。今のところぉ~コーヒーの味しかしないよぉ~」

 

 アライさんの左手にはコーヒーの入ったポット、右手には紅茶の入ったポットが握られていました。

 

 数十分前。

 

 フェネックとアライさんが紅茶を飲みつつジャパリまんを食べていると、アルパカが帰ってきました。

 

「あ、お帰りなのだ!」

「おかえりー」

「ただいまぁ~♪」

 

 帰るや否や手を洗い、棚の中からカップとコーヒー豆を取り出して朝食の準備をするアルパカに、アライさんが半ば興奮した様子で質問を飛ばします。

 

「どうだったのだ、アルパカ! レミアさんの通信機!」

「動くにはぁ動いたよぉ~。あとは繋がるかどうかってぇ~レミアちゃんは言ってたっけぇ」

「おおぉー、ア……アライさんも、聞いてみたいけどそこは我慢なのだ!」

「えらいねぇ~アライちゃんは~♪」

 

 はいどうぞぉ、と追加のジャパリまんをテーブルに置きつつ、アルパカも着席してカップに口を付けます。

 コーヒーの香ばしい香りと紅茶の甘い香りが、アライさんの鼻をくすぐりました。

 

 その時です。何か閃いたのか、急にアライさんが席を立ちました。

 

「どーしたのーアライさーん?」

「フェネック! すごいことを思いついたのだッ!」

「またー?」

「いや、最近なかったからその返し方はおかしいのだ」

 

 紅茶を飲んでいるからか、どことなくいつもに比べると落ち着きのあるアライさんです。

 

「どんなことー?」

「紅茶とコーヒーを混ぜるのだぁッ!!」

 

 ブフゥッ!

 

 高らかにそう叫んだアライさんの言葉に、向かい側に座っていたアルパカがコーヒーを思いっきり噴出。

 三人は慌てて布を持ってきて、テーブルの上をきれいにしたあと、

 

「アライちゃん……それはさすがにおいしくないよぉ~」

 

 ちょっと落ち着いてから、アルパカが困った様子でアライさんに向き直りました。

 三人とも席に付きつつ新しい飲み物を用意しますが、アライさんだけはカップに何も入れていません。

 

「そんなことないのだ! きっと上手に混ぜればとってもおいしい〝紅茶コーヒー〟が出来上がるのだ!」

「「うーん……」」

 

 アルパカもフェネックも首をかしげながら、どうしたものかと悩みました。

 

 悩みましたが。確かにその発想はありませんでした。紅茶もコーヒーもおいしいのですから、二つとも一緒に飲めばもっとおいしいかもしれません。

 考えてみれば確かにそんな気がしてきます。作り方も簡単で、出来上がった紅茶とコーヒーを二つともカップに注げば完成です。もしおいしかったら、作り方が簡単な〝新しい美味しい飲み物〟の完成です。

 実に夢のあるひらめきでした。

 

 アルパカとフェネックはたっぷり十秒ほど悩んだ末、

 

「……アライさーん、飲んでみてよー」

「はいどうぞぉ~」

 

 アライさんのカップにフェネックは紅茶を、アルパカはコーヒーを注ぎました。アルパカの注いだコーヒーには砂糖もミルクも入っていません。

 

 並々と注がれた〝紅茶コーヒー〟は、紅茶にしては色が黒く、コーヒーにしては色が薄い、だいぶ中途半端な見た目でした。

 

「くんくん……匂いはおかしくないのだー。紅茶とコーヒーが合わさって、香ばしくておいしそうな感じなのだー」

「飲んでみてよー」

「どんな味なのかなぁ~♪」

 

 フェネックはアライさんの隣で、アルパカは正面からアライさんの様子をのぞき込みます。二人とも興味津々で、特にアルパカは新商品が出せるかもしれないということに気が付き、うまくいけばもっとたくさんのお客さんに、おいしい飲み物を飲んでもらえるかもしれないと考えていました。

 

 ですから。

 

 アライさんの真正面に居たアルパカは。

 

「――――ぶふぇっっ!!!」

 

 あまりの苦さに飲んだ瞬間すべての〝紅茶コーヒー〟を吹き出したアライさんの攻撃をもろに受け、真っ白かった髪の毛と首元のフワフワを茶色く染めてしまったのでした。

 アルパカの目から、光が消えかけたのは気のせいではないかもしれません。

 

 ○

 

 そんなこんなで。

 アルパカの髪の毛には薄茶色のメッシュが入り、首元のファーは前面だけ若干茶色に染まっています。

 

 アライさんは涙をぼたぼたこぼしながらアルパカに謝っていましたが、アルパカもよくよく考えてみれば、仲間に茶色い毛並みの子がいたことを思い出します。

 毛が伸びる周期も早いので、まぁちょっとの間くらい自分で丹精込めて散髪した自慢の髪の毛が薄茶色になってもいいかなぁと、光のなくなった眼でアライさんを見下ろしながら許しました。

 

 〇

 

 それは、まぁでもほんのちょっと前の出来事です。

 今はアルパカも元気に笑顔を浮かべつつ、アライさんの思いつきに付き合っていました。

 

 〝紅茶コーヒー〟の作成に格闘する事数十分。

 

 幾度となく配合に失敗しては淹れ直していたアライさん達のところへ、レミアが帰ってきました。

 

「あ! レミアさんお帰りなのだ! 今美味しい飲み物を作り出しているところなのだ!!」

「おいしい飲み物?」

「紅茶とコーヒーを混ぜるのだぁッ!」

 

 高らかに叫んだアライさんの左右で、フェネックとアルパカは心なしか苦笑いを浮かべました。

 きっとレミアさんも「何てこと考えて……」と言うに違いないと思ったからです。

 

 ですが。

 

 フェネックとアルパカの反応をよそに、レミアはテーブルの上のジャパリまんをひょいと掴んで口に頬張りつつ、カウンター越しにアライさんの左右の手を指さして、

 

「紅茶7に対してコーヒー3で淹れてみて。それから、ミルクと砂糖を多めに入れるのよ」

 

 そうアドバイスしました。

 

 ○

 

「お、おいしいのだ……」

「……なんでだろうねー、おいしーねー」

「これぇ~すごいよぉ~♪ おいしいよぉ~♪」

 

 レミアのアドバイス通りにカップへ注いだアライさんは、苦いブラックコーヒーで幾度となく苛め抜いた自分の舌を心配しつつ、恐るおそるカップに口を付けました。

 瞬間、驚愕の表情を浮かべて一気に飲み干します。口をついて出た言葉は「おいしいのだ」の一言でした。

 

 アライさんは同じものをフェネックとアルパカにも作り、二人が声をそろえて賛美を挙げる中、レミアにもカップを渡しながら疑問たっぷりに首をかしげます。

 

「レミアさん、どうして紅茶コーヒーの作り方を知っているのだ?」

「似たようなものを昔飲んだことがあるのよ。作り方もその時に聞いたから覚えてるの」

「す、すごいのだ……とってもおいしかったのだ! アライさんびっくりしたのだ!」

「ふふ、そう驚かれるとは思わなかったわ」

 

 むしろアライさんの興奮っぷりに驚いているレミアでしたが、ジャパリまんをかじりつつアライさんの淹れてくれた〝紅茶コーヒー〟を飲み干します。

 紅茶の上品な香りとコーヒーのほろ苦さが後味を彩るそれは、間違いなく〝おいしい飲み物〟です。

 

「…………いいわね、やっぱり」

 

 ジャパリカフェにひとつ、新たなメニューが加わりました。

 

 ○

 

 空の太陽は良い調子で上り詰めて、しかしまだ一番高いところまでは時間がかかりそうな、そんなお昼前の暖かな高山で。

 

「気を付けてねぇ~」

「泊めてくれてありがとうなのだ!」

「こちらこそぉ~♪ あの新しい飲み物の名前、〝アライ茶〟にしようとおもうんだけどぉ~どうかなぁ?」

 

 アルパカの言葉に一瞬アライさんは固まり、次の瞬間にはパァっと満面の笑みを浮かべて大きく言い放ちました。

 

「最っっっ高なのだ! ぜひその名前にしてほしいのだ!」

「おぉ~! じゃあ決まりだねぇ~♪」

「ふぁっはっはっー! アライさんの名前が世界中に広がる第一歩なのだぁッ!!」

「そうかもねぇ~♪」

 

 錆の目立つ緑色のゴンドラを前にして、レミア、アライさん、フェネック、そしてジャパリカフェの店主であるアルパカは別れのあいさつを交わしていました。

 

「フェネックちゃんもぉレミアちゃんも~、また来てね~」

「はいよー。またコーヒーを飲みに来るよー。砂糖とミルクはたくさんでねー」

「あたしも、今度はテラスで飲みたいわ」

「ふあぁぁ~そうだったぁ~!? テラスで飲んだらぁ景色がきれいでもっとおいしいんだよぉ~!!」

 

 しまった、というような顔をして「もう一杯飲んでいかない~?」と言い出したアルパカに、フェネックとレミアは先を急がないといけないからと丁重に断りました。

 

「本当にぃ、気を付けてねぇ」

「大丈夫よ」

「このところセルリアンが多いしぃ~サンドスターもぉ、ちょっと様子がおかしいんだぁ」

「様子がおかしい?」

「あの山が見えるでしょぉ~? あれねぇ、本当は一年に一回しか~噴火しないんだぁ」

「……え」

「ここ最近ずっと溢れ出てるからぁ、博士が気を付けてって言ってたよぉ~」

 

 レミアは一瞬だけ表情を険しくしましたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべると、アルパカの目を見て言いました。

 

「わかったわ、ありがとう。十分に気を付けるわ」

「うん~」

 

 緑のゴンドラに三人とも乗り込み、来た時と同じようにアライさんはペダルに足を通すと、

 

「あ!?」

 

 急に、何かを思い出したかのように叫びました。

 

「どーしたのー? アライさーん」

「アルパカ! カバンさんがどっちへ行ったか、知らないか!?」

 

 血相を変えてそう聞いたアライさんに、アルパカはいつもの柔らかな表情を崩すこともなく、ただ少しだけ記憶をたどるように目線を上げた後、

 

「う~んと、たしかぁ~〝図書館〟へ向かったはずだよぉ。カバンちゃんが何の動物かぁ、知りたいからって~」

「…………」

 

 アルパカの返事を聞いて。

 アライさんの表情から、みるみるうちにさーっと血色が引いていきました。

 彼女にしては似つかわしくない、かすれた声でアルパカに訊き返します。

 

「何の……動物か、カバンさんが知りたがっていたのか……?」

「そうだよぉ~」

 

 アライさんは視線を落としました。

 彼女の様子がおかしいことに気が付いたレミアとフェネックが「どうしたのか」と慌てますが、アライさんは答えません。

 もう一度、今度は肩に手を置いて訊こうとフェネックが動きます。

 

「アライさ――――」

 

 しかしそれより早く、アライさんはハッとして勢いよく顔を上げ、ペダルに通している足に力を込めました。

 

 そのまま足を止めずアルパカの方へ振り向いて、

 

「お世話になったのだ! とってもとっても急がないといけないから、もう出発するのだ! ありがとうなのだ!」

「はぁい~♪ げんきでねぇ~」

 

 いつもの調子で、そう言い残してキコキコとペダルを漕ぎ進めます。

 

 ○

 

 アルパカの見送りを背に、随分とあわただしく、緑のゴンドラはロープをたどって下山し始めました。

 その速度は登りの時よりも幾分か早いもので、事実アライさんのペダルを漕ぐスピードは来た時よりも速いです。

 

「アライさーん、急にどーしたのー?」

「フェネック……」

 

 ちら、と振り返ったアライさんの表情には。

 いつもの謎の自信にあふれた表情は影も形もなく。

 酷く似合わない、何かに怯えたような面持ちが、フェネックとレミアには一瞬だけ見えました。

 

「「……?」」

 

 二人が顔を見合わせ、お互いに首を傾げた時。

 アライさんは誰にも聞こえないような、小さな小さな声で前を向いたまま呟きました。

 

「大丈夫なのだフェネック。……今度こそ、任せてなのだ」

 

 フェネックの耳が、ぴくぴくと動いています。

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 

 そこは、砂の嵐が吹き荒れる場所でした。

 

「――――くッ! だめだ、キンシコウ下がれ!」

「まだいけます!」

「無理をして突っ込んでお前がやられたら、確実に勝てないッ! 下がるんだッ!」

「くッ――――!」

「ヒグマさん! オーダー、完遂しました! 近くのフレンズは避難完了です!」

「! そうか、ありがとうリカオン!」

「これくらいなら軽いモンですッ! ……て、うえぇー!? なんなんですかこのセルリアン!!?」

「詳しいことは後で説明する! いまは逃げるぞ、急げ!」

「は、はい! オーダー了解です!」

「わかりました、下がります」

 

 乾いた大地と灼熱の太陽。

 延々と積み重なる砂の土地がこの地方最大の特徴であり、それは名前にもされている事でした。

 

 ここは砂漠地方、その中央付近。

 

 遠慮容赦のない砂塵があたりに吹き荒れ、十メートル先の視界も人間の五感ではとらえられないような砂嵐の真っただ中で。

 たった三人の勇気あるフレンズが、山のように大きな敵と対峙していました。

 

 今は背を向けて三人そろって逃げていますが、幸い敵の動きは鈍いです。

 充分に逃げて態勢を整えてから一気に叩けば、まだきっと勝機はあると、ヒグマは心のうちで算段しています。

 

「……」

 

 勝つために最適な条件、もっと言うならばこれ以上犠牲を出さないためにできる事のすべてを考えだそうとしていたヒグマでしたが、その横を追随するリカオンが、心配そうな声で話しかけてきました。

 

「このところおかしくないですか? ヒグマさん」

「まぁな、セルリアンの数も大きさも異常だらけだ」

 

 ヒグマの反対側からついて来ていたキンシコウも、二人のほうをちらちらと見ながら会話に加わります。

 

「ジャングル地方のハンターも、手数が足りなくて困ってるって言ってました」

「ちょっと前にインドゾウがハンターに加わったって聞いたが?」

「それでも足りないそうですよ。ジャングルのみんなはサバンナと砂漠に避難したけど、今度は砂漠がやられるかも……」

 

 弱音を吐くキンシコウを、ヒグマはちらりと一瞥し、再び前を向いたまま呟きます。

 

「――――させない。させるもんか。私達で食い止めるぞ」

 

 ヒグマの声には、確固たる責任の思いが含まれていました。

 この地方を守る。ジャパリパークを守る。守りたい、必ず守ると。

 

 そんなヒグマの、覚悟の声を聴いた二人のフレンズは、

 

「…………えぇ、えぇそうですよね。私達で止めましょう。かならず」

「最高のオーダーですよ。任せてください」

 

 確かに強くうなずきました。

 

 

 

 うなずき、前を見て、

 

「…………」

「…………」

「…………え?」

 

 視界に飛び込んできた情報を脳が一度否定します。

 しかしヒグマも、リカオンも、キンシコウも一様に息を呑んだことをお互いが認知してしまい。

 

 自分の見たものが幻でないことを、望まずも裏付けてしまいました。

 

 吹き荒れる風と砂塵の間に。

 ジャパリバスと、三人のフレンズの姿を、彼女たちはその相貌にとらえてしまいました。

 

 




だいぶシリアスな引きですが、何のこともなくこの後普通にハンター三人組が砂漠のセルリアンをぶっ潰して、ジャパリバス組は旅を続行します。
ハンターさん達めちゃくちゃ強いですから、この世界は今日も平和です(ニッコリ


次回「さばくちほー!」


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第九話 「さばくちほー!」

一週間毎に一話、かな。


「じゃあ、ヒグマさんたちはジャングル地方へ行くんですね」

「あぁ。ハンターの手が足りなくて困っているらしい」

 

 砂と乾燥と強い日差しが占めるその場所に、六人のフレンズが集まっていました。

 砂嵐が去った後のその場所は、地平線の果てまではっきりと視界が通っています。熱気が作る陽炎が遠くの方でゆらゆらと漂い、気候は暑く厳しいですが穏やかな景色が広がっています。

 

 ほんのつい先刻まで巨大なセルリアンと戦っていた三人と、そのセルリアンにあわや食べられそうになっていた三人ですが、今ではその場所は何とも和やかなものでした。

 

 首をかしげながらリカオンがカバンに質問します。

 

「カバンさん達は、これからどこへ行くつもりなんですか?」

「図書館です。ボク、まだ何の動物なのかわからなくて……」

 

 おずおずとそう言ったカバンを見て、ちょっとだけリカオンは自分の記憶をたどりましたが、すぐに首をひねりました。

 記憶の中には、カバンと同じような動物は見当たりません。

 

 と、そんなリカオンを見て、

 

「図書館で博士たちに聞こうと思うんだ!」

 

 割って入ったサーバルが元気よく言い放ちました。

 カバンが何の動物か各々で考えていたハンターたちですが、確かにそれは図書館で聞いた方がいいだろうと納得したのか、みんな揃って頷いています。

 

「何の動物か……そうだな、博士に訊いた方が早いだろう」

「ヒグマはカバンちゃんが何の動物か知らない?」

「んんー……すまんがわからん。見たことない。キンシコウは?」

「私もわかりませんね」

 

 首を横に振るキンシコウに、サーバルは「そっかー」と残念そうな顔をします。

 しかしすぐに顔を上げて笑顔になり、明るい声で言いました。

 

「でもありがと、ヒグマ! リカオンとキンシコウも! 三人のおかげで助かったよ!」

「礼ならこちらからも言わせてほしい。カバンがいたから安全に倒せたんだ」

「い、いえ、そんな! ……僕は何にも」

 

 急に褒められたので驚いたのか、カバンは目を丸くしながらふるふると両手をふりました。

 ヒグマはそんなカバンの様子を見て肩をすくめます。

 

 あの時。

 あれだけ大きなセルリアンに襲われていたのに、冷静に、的確にアイデアを出してハンターに伝えたカバンの功績は、それはそれは大きなものです。

 だというのに褒められて驚き、遠慮までするカバンに、ヒグマはどこかほほえましいものを感じていました。

 

「引っ込み思案……とは、ちょっと違うかな。なんにしてもいい奴だ」

 

 誰にも聞こえない声で、ヒグマはそうつぶやきました。

 

 それから、お互いに別れの言葉を交わし。

 ヒグマ、リカオン、キンシコウの三人はジャングル地方へ。

 カバン、サーバル、スナネコの三人はバスに乗って図書館へ向かいました。

 

「…………」

 

 スナネコはバスを珍しがってあちこち眺めていましたが、すぐに飽きたのでハンターたちとの会話を聞き、それも飽きたのでバスの椅子でゴロゴロしていました。

 

 ボスがしゃべって彼女の興味を引いたのは、この後すぐの出来事です。

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

「ジャングルから出るや否や砂漠地帯……凄いところね、ここは」

「ジャパリパークはすごいのだ! サンドスターの力なのだー!」

 

 灼熱の太陽。からりとした空気。

 全天には雲一つなくどこまでも抜けるような青空が広がっており、地面にはこんもりと詰みあがった赤茶色の砂が、延々と地平線の先まで伸びていました。

 

 そんなさらさらとした砂の上を順調に進むのは、フェネックとレミア、そして体をすっぽり影に包める大きな葉っぱを持ったアライさんです。

 

「アライさーん、だいじょーぶ?」

「平気なのだフェネック! レミアさんはすごいのだ! これであんまり暑くないのだ!!」

「気温自体は高いから、水分補給と休憩はこまめにとるわよ」

「わかったのだ―!」

「あと、あんまりはしゃがないこと」

 

 小声で「わ、わかったのだー……」とアライさんが返します。

 

 ジャングル地方を抜けて砂漠地方へと進んだ一行は、アライさんが暑さに弱いことを考慮して日よけの葉っぱを持ってきました。

 簡易的ですが歩く木陰ができたので、アライさんの暑さに弱い体はいくらか救われているようです。

 三人は順調に旅路を伸ばしていました。

 

 ほんの数日前、アルパカが店主をしていたジャパリカフェで、有力な情報を得た一行です。

 間に合えば、という限定が付いていることにレミアは気付いていましたが、とにかく図書館へ行けばアライさんたちの目的は達成するという算段でした。

 

 アライさんの言う〝帽子泥棒〟は、もうきっと〝カバンさん〟であろうとレミアは思っていました。

 そのカバンさんの目的地が図書館ならば、先回りするなり急ぐなりすればいいわけです。

 もし追いつかなかったとしても、図書館を通ることは確実なので、そこに居る〝博士〟というフレンズから行き先を聞けばいいだけです。

 

 何はともあれ方針が明確に決まっているので、あとは移動するのみでした。

 

「そういえば、砂漠って昔フェネックちゃんが住んでたところよね?」

「そーだよー。まぁ随分前だし、砂に穴掘って、出てきた岩陰の隙間を使ってただけだからさー。もうなくなってるかもねー」

「砂に埋もれて、って事かしら」

「そーそー」

 

 住んでいた家がなくなっているかもしれない割には、どこかフェネックは上機嫌です。

 きっとこの砂漠地方そのものがフェネックにとっては故郷であり、こうして馴染みの土地を旅しているからかもしれないとレミアは心の中で思いました。

 

 一人そんなことを考えていたレミアのすぐ隣で、プラプラと大きな木の葉を揺らしながら、アライさんが振り返ります。

 

「フェネック、アライさんちょっといいこと思いついたのだ」

「なーにー?」

「フェネックの住んでいた家、見に行ってみないか? アライさん見てみたいのだ」

「んー……」

 

 歩きながら頬に人差し指を当てて何やら思案したのち、フェネックは応えます。

 

「まぁ図書館に行く道の途中にあるしー、寄ってもいいかなー。レミアさん、だいじょーぶ?」

「ええ、あなたたちについて行くわよ」

 

 頷きながら、レミアは笑顔でそう言いました。

 

 

 〇

 

 

 砂が積みあがって少し山になった場所に、岩がありました。

 岩は中が空洞で案外広くなっており、ちょっとした小さな洞窟と形容するのが正しいような場所です。

 そんな、日中の厳しい暑さを忘れさせてくれるようなこの場所に。

 

「……住んでるねー」

「住んでるのです。あなた達はいったい誰ですか?」

 

 スナネコがいました。

 

 フェネックがねぐらとして使っていた時よりもより広くなるように砂が掘られており、洞窟の中は広々としています。

 自分が住んでいた時よりもずっと快適な場所になったなぁと、フェネックは思いました。

 とりあえず自己紹介です。

 

「私はフェネック。前はここに住んでたんだ―。こっちはアライさんでー、こっちがレミアさん」

「スナネコです。今は僕が住んでいるので、もしあなたに返してほしいと言われたら困るのです。一緒に住みますか?」

 

 フェネックはふるふると首を横に振って、今はいろんなところに旅をしているからここに留まるつもりはないと伝えました。

 

 

 〇

 

 

 外の空気よりひんやりとした、格段に過ごしやすい洞窟に、スナネコのかわいらしさと気だるさがごちゃ混ぜになった声が反響しています。

 

「わあぁぁ、旅ですか。いいですねー。珍しいものがたくさんありそうです」

「そのとおりなのだ! いろんなものが見れるから楽しいのだぁ! それに、フェネックやレミアさんと旅をするのはとってもとっても楽しいのだ!」

「あ、はい」

「こうざんの頂上にはねー、〝カフェ〟っていう珍しいものがあるんだよー」

「えぇぇぇぇっっー。それは見てみたいです」

「美味しい飲み物が飲めるのさー。アライさんが発明した〝アライ茶〟も飲めるよー」

「そうですか」

 

 ジャパリまんを食べながら、アライさん、フェネック、レミア、そしてこの洞窟の主であるスナネコが車座になって談笑しています。

 

 レミアは洞窟に入った瞬間から気になっていたことがありましたが、とりあえず話の流れ的にお昼ごはんをここで食べることになったので、今はフレンズたちの会話を聞くことにしました。

 あまり会話の中には積極的に入ろうとしていません。どうも気になっていることで頭がいっぱいになっているからです。

 

「…………」

 

 とはいえレミアはここ、ジャパリパークの情報がもっと欲しいと思っています。

 なのでジャパリまんを頬張りつつ、出会ったばかりのスナネコというフレンズがどんな子なのかを知ろうとしていました。

 そう言う意味でも、岡目八目、参加するというよりは蚊帳の外でじっくり様子を伺っています。

 

 いくつかの会話をフェネックとアライさん、スナネコ同士で交わしていますが、どうもスナネコは話題をぶつ切りにする癖があるように思えました。

 

(この子、飽きやすいのかしら…………?)

 

 興味を示したかと思えば次の瞬間にはそっけない反応。なかなかいないタイプです。

 面白い子だなぁ、というのが正直なレミアの感想でした。

 

 ふと、ジャパリまんの最後の一切れを口に放り込んだレミアは、自分を見つめている視線に気が付きます。

 スナネコがじっとこちらを見ていました。

 

「…………?」

 

 彼女はぴったりと固まったまま数秒後、

 

「――――わああぁぁぁぁぁ、なんですか? その細長いの?」

「これ? あぁこれは……」

 

 レミアが背中に下げていたライフルに、スナネコはとてつもない興味をひかれたようです。

 座っていた腰を上げて四つん這いになり、そのままにじり寄ってきます。

 

 レミアは詰め寄ってくるスナネコから若干離れつつ、背中のライフルを隠すように手で移動させました。

 

「これはね、私以外さわっちゃダメなのよ。ごめんなさいね」

「えぇぇー…………」

 

 申し訳なさそうに、しかしライフルに触られては困るといった様子で断るレミアと、そう言われて肩を落とすスナネコを見て。

 

 フェネックはほんのちょっとだけ首を傾げました。

 

 

 〇

 

 

 お昼ご飯を食べ終えた一行は、追っているフレンズのことについてスナネコに訊きました。

 すると、

 

「それなら奥の穴から向こうへ行きました」

「穴?」

 

 首をかしげつつも、スナネコの案内で洞窟の奥の方へ進みます。

 

 レミアは終始地面を見ていました。

 おおよそ自然にできるはずのないタイヤの跡が、くっきりと今自分たちが向かっている方向へ伸びています。

 

(六輪タイヤ? 研究所が開発中の高機動車両に似てるわね……)

 

 でもどうしてこんなところにあるのかしら、と首をひねったり。

 そもそも他国が開発している事実がマズいじゃないか、と頭を痛くしたり。

 

 いろいろ考えて悩みましたが最終的には、

 

(もういっか)

 

 面倒くさくなったのでレミアはいろいろ放り投げてスナネコの背中を追いました。

 考えたって仕方のないことと言えばそれまでです。レミアはあっさりと考えることをやめました。

 

「あれです」

 

 穴はちょっと歩くとすぐに見えてきました。

 結構大きめの穴です。

 

「この向こうです。何か珍しいものですが、僕はあの時満足だったので家に残りました」

 

 そう言いながら穴をくぐるスナネコの後を三人ともついて行き、

 

「…………」

「暗くて何も見えないのだー」

「な、なんか音が遠くまで響いてるねー」

 

 真っ暗なところに出てきました。

 

 どうにも左右に長く伸びている、何か通路のようなものだろうとレミアは想像しましたが、いかんせん真っ暗闇です。

 洞窟の入り口から入ってくるわずかな光だけではその全容はまったくわかりません。

 ただ、上方からも光が入ってきていないことから、ここは洞窟やトンネルようなものなのだろうという予測は立ちます。

 

「暗いので通りにくいですが、僕はこのくらいなら結構見えますよ。あっちです」

 

 スナネコが指さした方向を三人とも見ますが、やっぱり暗闇でよく見えません。

 

「ちょっと待ってね」

「何してるのだー?」

「明かりをつけるわ」

 

 レミアはポーチから懐中電灯を取り出して、電源を入れました。

 

 ぱっと見えるようになったその光景に、

 

「うわ、広いのだ!すごいのだ!」

「おー」

「…………」

 

 アライさんとフェネックは感嘆の声を挙げ、レミアは絶句しました。

 想像の何倍も広い、コンクリートで固められた巨大なトンネル――――バイパスが、そこには伸びていました。

 

 

 〇

 

 

「この先へ行ったのね?」

「そうです。今日はまだあまり珍しいものが見れていないので、僕もあなたたちについて行こうと思います」

「え!? アライさんたちについて来てくれるのか!?」

「この先が気になりました」

 

 跳んで喜ぶアライさんを先頭に、フェネックとスナネコ、最後をレミアが進みます。

 懐中電灯で行き先を照らしていますが、光の届く範囲ではどこまでも代り映えのない直線が続いています。

 

(何なのかしらねここは…………まぁ、後々わかるわよね)

 

 けっこう楽観的な思想をもとに、レミアは左手に懐中電灯、右手には何も持たずに歩を進めます。

 

 そのまましばらく歩きました。

 

 だいぶ歩きました。

 

 ふと、壁の側面に何やら箱が引っ付いているのを、レミアの懐中電灯が照らしました。

 最初に見つけたのはレミアでしたが、近づいて行ったのはスナネコです。

 ふらふらとおぼつかない足取りなのに随分と早く歩きます。

 

「なにかしら?」

「気になりますね」

 

 スナネコは近づき、少しに匂いを嗅いで、それからその箱をちょっと手でカリカリした後、プイっとよそを向いて天井や手すりを眺め始めました。もう飽きたようです。

 

 レミアとアライさん、フェネックが代わりに箱の前に立ちます。

 

「なんなのだ、これ?」

「スイッチ……かしら」

 

 どことなくカフェの裏にあった黒い箱とよく似ています。レミアは鍵が掛けられていない事に気付き、取っ手に手をかけて引いてみました。

 

 予想通り、中から現れたのは大きなレバーでした。

 近くには電球のマークがあったので、なるほどこれはトンネル内の電気をつける装置なのでしょう。レバーをもって上に引き上げれば、きっと点灯するはずです。

 

「こ、これ、アライさんがやってみてもいいか!?」

「えぇいいわよ。ここを持って、一気に上へ引き上げるの」

「わかったのだ!」

 

 レバーをしっかりと握り、ちらっと一度フェネックのほうを見て、それからレミアの方も見てからアライさんは手に力を込めました。

 

 がしゃこん。

 

 気持ちの良い音とともに、一斉にトンネル内に明かりが灯ります。

 電球は天井の左右二か所から、等間隔に延々と設置されていました。ただ、そのうちのいくらかが壊れているのか、明かりの点いていないものも見受けられます。

 

 とにかくずいぶんと見晴らしのいい通路になりました。

 

「わぁー! 明るくなったのだ!!」

「おぉーよく見えるねー」

 

 アライさんとフェネックが驚きの声を上げている、その横で。

 

「ぁぁぁ…………目が…………目がぁ……」

 

 スナネコが悶えていました。

 

 

 〇

 

 

「ごめんなさいね」

「はい。もうだいじょうぶです」

 

 しばらく床を転げまわっていたスナネコですが、ピタッと動きが止まるとまるで何事もなかったかのように立ち上がって、レミアの顔を覗き込みました。

 

 ただ、

 

「僕は暗いところから急に明るくされると困ります」

「えぇ、そうなの?」

「困ります」

「……ごめんなさい」

「……………許します」

 

 スナネコはちょっと怒っているようでしたが、そう呟くとすぐに、ぷいっとレミアから顔をそらしました。

 不意に今まで進んでいた方へ向いたかと思うと、

 

「おぉー」

 

 感嘆の声を上げて、吸い寄せられるようにそちらへ歩き始めます。

 熱しやすく冷めやすい、そんな言葉がレミアの頭をよぎりました。

 

 光の灯ったトンネル内は、高い天井と長い通路が続く不思議な場所でした。

 スナネコはもちろん、アライさんもフェネックも見たことのない場所です。

 レミアも、

 

「地図にはない場所ね……これ」

 

 延々と続く道の先を眺めてつぶやきました。

 こんなにも長い通路は、頭に叩き込んだ地図掲示板のどこにも描かれていませんでした。

 

 何のためにこれがあるのか、そもそもこの道はどこへ続いているのか。

 レミアは少しばかり不安になりましたが、追っている対象がここを通ったのであれば、まず進路に間違いはないだろうと考え付きます。

 

 懐中電灯をしまいつつ、ライフルを体の前へ持ってきて、一行の一番後ろをレミアは歩き出しました。

 その時。

 

「ッ!」

 

 フェネックが慌てた様子で振り返ります。

 その表情を見て、そして耳がぴくぴくと動いているのを確認して。

 

 レミアはライフルのセイフティーを外しながら振り返り、すぐさま膝立ちになってライフルスコープを覗きました。

 

 遠く、遠くの、トンネルの先。

 簡素な十字線越しに大量のセルリアンが写ります。

 原色の赤いペンキを溶かしたようなゼリー状の物体が、ぎょろりとした目をこちらに向けて近づいて来ていました。

 

 距離は目視で五百メートル以上。もちろん十分に射程距離内ですが……。

 

「走って!」

 

 レミアが鋭く叫びます

 

 その数は数えきれません。

 さっきまで通ってきた道を覆いつくすかのように、赤いセルリアンが迫ってきます。

 

 レミアもすぐに立ち上がり、ライフルのセーフティーは外したまま、全速力で走り出しました。

 

 

 〇

 

 

「はぁ……はぁ……」

「マズいのだフェネック! これはアライさんたちの危機なのだー!」

「だ、だねー……」

「もう満足です。セルリアンは要りません……」

 

 駆けだすこと数分後、四人の後ろからは地鳴りのような音をとどろかせて、大量の赤いセルリアンが迫っていました。

 

 その移動速度はジャングルで襲ってきたものとは比べ物にならず、

 

「あいつら、速い!」

 

 レミアでさえ、その表情に余裕がありません。

 

 しかし足を止めれば左右は壁。

 逃げられる横道がない以上、走り続けるよりほかの選択肢はありません。

 

 レミアは心中でこの状況を打開する策を練っていました。

 考えて、考えて。考え付いて。

 策と言えるほどのものでもなければ、練る必要もない作戦に気が付きます。

 

 それしかありません。

 

「あなたたちは先に行きなさい!」

 

 踵を返しつつ膝立ちになり、レミアはすぐさまライフルの引き金を引きました。

 轟音がトンネル内に轟き、だいぶ離れたところでセルリアンが砕け散ります。

 

「うわっとー」

「レ、レミアさん!?!?」

「おわー、すごい音ですね」

 

 ライフルの音に驚いた三人が、三人とも足を止めてしまいました。

 

「止まらないの! ここはあたしに任せて逃げなさい!」

「だ、ダメなのだ! さすがのレミアさんでもあの数はダメなのだ! 一緒に逃げるのだぁー!!」

 

 アライさんが叫びます。

 しかしレミアは振り返らないまま、再び撃ちました。重い銃声がトンネル内を暴れまわります。

 

「大丈夫よ、全員の相手なんてしてやる道理はないもの。ちょっと撃ったらすぐに逃げるわ。だから早く行きなさい」

「なるほど、わかったのだ!」

 

 めちゃくちゃ物分かりの良い返事を一つに、アライさんは駆け出しました。

 駆け出しざま、思い出したように振り返って、

 

「レミアさん! 赤いセルリアンはたくさんの水を嫌うのだ! もし困ったら水をぶっかけてやるのだッ!」

「水ね、わかったわ」

 

 どうしてそんなことを知っているのか。そのこと自体に関しては、レミアの疑問にはなりませんでした。

 それより三人を無事逃がしきることで頭がいっぱいです。

 

 同時に、ここには水なんて一滴もないことに思い至ります。

 

「……まぁ、もし見つけたら使ってみるわね、水」

 

 レミアはほんのちょっとだけ振り返って、アライさんが走り出していることを確認して口元が緩みました。

 

 そのままスナネコに視線が移ります。

 彼女も一瞬逃げるかどうか迷ったようですが、すぐにアライさんの後を追いました。

 

 これで二人は逃げ出せます。

 しかしフェネックだけは、

 

「フェネック! 何してるのだー!」

 

 駆けながら叫ぶアライさんと、

 

「行きなさい、フェネックちゃん」

 

 レミアとを交互に見るだけで、その場から動けませんでした。

 

 レミアは視線を戻して何度か発砲し、そのたびに数百メートル離れたところでセルリアンの砕け散る光が輝きます。

 逃げなければいけない。それはフェネックにもわかっています。

 

 ただ、どうしても。

 今ここでレミアさんを置いて行けば、なんだかもう二度と会えないような気がする。

 

 根拠も理論もありませんが、あえて言うならば〝野生の勘〟で、フェネックはレミアから目を離すことができませんでした。

 

 フェネックの、

 

「レミアさん……」

 

 絞り出てしまった声が、レミアの耳に届きます。

 レミアは撃つのをやめて、顔を上げて、ほんの一瞬だけフェネックのほうを見ました。

 そこにはわずかな微笑みと、

 

「…………」

 

 背筋が凍ってしまうような、冷たい瞳がありました。

 

 それは、その目は、あのサバンナの夜にフェネックが見た瞳とまったく同じで。

 つまりは狩ることのみに己のすべてを掛けた、獰猛な捕食者の目でした。

 

「行きなさい、フェネックちゃん。後から追うわ」

「…………はい、よー」

 

 フェネックは自分の声が震えているのを必死に隠しながら、頷き、踵を返し、全速力でアライさんのほうへ駆けだします。

 その口元に笑みが浮かべて。

 

「ふ……ふふ……ははは、あぁーそっかー」

 

 声が震えていたのは、怖いからではなく嬉しかったからだと気が付きました。

 レミアさんがあの目をしているなら、きっと大丈夫だと確信して。

 きっとまた会えると確信して。

 

 フェネックはアライさんの後を追いかけました。

 

 

 

 

 

 そしてレミアは。

 

「さぁて――――全滅させるわよ」

 

 南極ですら(ぬる)く感じる凍てついた相貌をたたえ、先刻アライさんに言ったこととは真逆のことを企みました。

 

 

 

 〇

 

 

 

「…………」

 

 どこまでも続くコンクリートのトンネルを、一人の女性が歩いていました。

 妙齢で背が高く、肩より少し長い茶髪を揺らしながら。

 

 上半身は黒のタンクトップ。下は迷彩柄のカーゴパンツをはいて。

 

 ひどく疲れた様子のレミアは、とぼとぼと、静かなトンネルを歩いていました。

 

「…………」

 

 背中に背負っているライフルには、弾倉が入っていませんでした。

 左右の腰に吊っているリボルバーにも、シリンダーがありません。旧式のリボルバーなのでシリンダーごと交換して弾を込めるはずですが、二丁とも、本来あるべき場所はぽっかりと部品が取れていました。

 

 弾切れです。どの銃も、一発も、もう残っていません。

 

 全弾を撃ち尽くしてそれと引き換えにレミアは、赤セルリアンを全滅させることに成功しました。

 弾はセルリアンを五体残して尽きてしまい、その五体はナイフ二本と引き換えに屠りました。

 

 レミアの右手には一本、最後の一本であるきれいなナイフが握られています。

 

「…………危なかった」

 

 かすれた、しわがれた声で、ただそれだけを口にします。

 

 全滅させるしかありませんでした。

 このトンネルは一本道。どこへ続いているのかはいまだに分かりませんが〝やり過ごす〟という選択肢は、レミアにはありませんでした。

 一体でも逃せばその先には三人がいます。どれだけ逃げたとしてもセルリアンのほうが移動速度が速かったので、いつかは追いつかれたでしょう。

 

 そうでなくてもフェネックがいます。彼女は長い距離が走れません。スナネコがどうかはわかりませんでしたが、レミアは、セルリアンを逃した先で誰かが襲われることを確信していました。

 だからこそ、すべての弾を使ってでもここで止める必要がありました。

 

「こんなことなら……いえ、結果を嘆いても仕方がないわね」

 

 〝フェネックの住んでいた家を見に行こう〟

 その行動を悔やんだところで、いくらも状況は良くなりません。

 これほど考えるだけ無駄なことはないでしょう。

 

「…………」

 

 レミアは体の疲労を抜きつつ、随分軽くなった相棒たちを揺らしながら。

 

 とぼとぼと、トンネルを歩き続けました。

 

 

 〇

 

 

 随分歩きました。

 時間にしてどれほどか、陽の光がないのでその感覚は狂ってしまいそうですが、兵士として鍛えた勘では四、五時間歩き続けました。

 

「……出口だわ」

 

 風がレミアの肌をわずかになめたのを合図に、顔を上げるとトンネルの切れ目が視界に入ります。

 

 これまでずっと下を向いて歩いていたので、いつの間にか出口付近まで来ていたことに驚きました。

 それほどに、全弾を喪失した事実がレミアの肩を落としこんでいます。

 

 しかしアライさんたちを守るという意思は弱まりません。

 まだ右手にはナイフがあります。この一本、たった一本ですが、これでも武器は作れます。

 いざとなればこのナイフそのものも武器になります。レミアには〝あきらめて逃げ出す〟という選択肢がありません。

 

「ん?」

 

 ふと、トンネルの出口とは違うほうへ、レミアの視線が吸い寄せられました。

 そこは何なのか、何の出口なのかわかりませんがとにかくそれっぽい雰囲気が漂っていました。

 

 そして。

 

「――――あぁぁぁぁ! レミアさん! レミアさんなのだぁッ!」

 

 アライさんの姿がそこに在ったので、レミアは迷わずその方向へ歩いて行きました。

 

 

 〇

 

 

「まった面倒な奴が一人増えたぞぉ…………」

 

 誰かの悶えるような声がレミアの耳に届きましたが、レミアはそんなことはどうでもよくなる光景に息を飲みました。

 

 そこは、信じがたいほどに綺麗な場所でした。

 頭上を見上げると星空が瞬き、月の凛とした光が何本もの帯となって天上から降り注いでいます。光は地面をその部分だけくっきりと照らし、そして周囲をほんのりと明るく灯していました。

 

 壁面には月明かりに反射して、精巧に掘られた石板が〝この絵を見てくれ〟とばかりに浮かび上がっています。

 

 遺跡、という言葉がレミアの頭に思い浮かびましたが、これほどまでに幻想的で美しいものを見たことがあったろうかと、レミアは自問しました。

 

 ない、とすぐさま自答します。

 それほどにこの、夜月の明かりに照らされた場所はレミアの心労を吹き飛ばしました。

 

「よかったー。レミアさーん」

 

 聞き馴染みのある声に振り返ると、フェネックが立っていました。

 アライさんは先ほどからレミアに引っ付いていますが、どうやらフェネックの顔を見るに彼女もレミアに引っ付きたそうな表情をしています。

 腕を広げて「いいわよ」と一声かけると、フェネックはちょっとだけ逡巡しましたが、すぐにレミアの腕の中に飛び込んできました。

 

 やさしく、二人の頭をなでてあげます。

 

「心配かけたわね」

「……心配だったよー」

「食べられたかと思ったのだ! すぐ追いかけてくれるって言ったのだ!」

 

 フェネックはいつも通りのマイペースな声ですが、どうもアライさんは涙声になっているようです。

 顔をうずめているのでレミアからはよく見えませんでしたが、きっと泣いているのだろうと思いました。

 

 だから深刻にならないように、でも嘘は言わないように、レミアは明るい声で言いました。

 

「まぁ、全部相手にしなきゃいけなかったのよ。ちゃんと全滅させたから、今晩はゆっくり眠れるわね」

「「え?」」

 

 レミアの言葉に二人が顔を上げます。アライさんはやっぱり泣いていました。

 ただ、二人とも信じられない言葉を聞いたからか、目を真ん丸に見開いています。

 

「な、なにがあったのだレミアさん?」

「教えてー」

「えぇ……そうね。ちゃんと話すわ」

 

 その後、レミアは自分の身に何が起きてどうなったのかを説明しました。

 

 大量の赤セルリアンを一匹残らず倒したこと。

 敵全滅と引き換えに銃が使えなくなったこと。

 

 もう、これからは今まで通りの戦い方はできないことも。

 

 全てを話し終えたのち、

 

「まぁでも大丈夫よ。真正面からぶつからなければいいだけだもの」

 

 とレミアは作り笑顔を浮かべてそう言いましたが、アライさんとフェネックは暗い顔です。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 通夜のような。

 せっかくの美しい夜の遺跡が一瞬にして葬式会場になるかのような。

 そんな重たい空気があたりに立ち込めていましたが、これに耐えられないフレンズがとうとう影から飛び出しました。

 

「おぉぉぉまえらぁぁぁッッ! いつまでオレを無視するんだぁぁぁッッ!!!」

 

 茶色いフードに茶色いしっぽ。

 浅葱色の髪の毛に、澄んだ夜色のきれいな瞳。

 

 アライさんとフェネックは知っていましたが、レミアは気配だけ感じてあえて何も触れませんでした。

 その、ずっと物陰に隠れていたフレンズの名は。

 

「誰かしら?」

「見ればわかるだろッッ!! ツチノコだよッ!!」

 

 

 〇

 

 

「え、スナネコちゃん帰っちゃったの?」

「あぁ。満足したから上から帰るって言って、随分前に出ていったぞ」

「なんて自由人……で、あなたは?」

「遺跡の調査をしてたんだよッッ! …………ったく、セルリアンと戦ってるって聞いたから待っていてやったが、まさかほんとに帰ってくるとは」

 

 ツチノコは怒っているのか感心しているのかよくわからないテンションで、パーカーのポケットに手を突っ込みながら壁の方へ歩いて行きました。

 

 彼女の話を聞いたレミアはひとまず安堵の息を吐きました。

 先ほどからスナネコの姿が見えなかったので心懸かりだったのですが、どうやらちゃんと帰ったようです。

 外ならばトンネルのように一本道でもないので、きっと襲われても逃げ切れます。大丈夫でしょう。

 

「アライさんとフェネックちゃんを守ってくれたのも、あなたなの?」

「別に守ってはいない。オレはちょっと前からここに居て、こいつらは勝手に来ただけだ。セルリアンも来ていない」

 

 ツチノコは壁の影からジャパリまんの袋をいくつか掴むと、そのすべてをレミアに放り投げました。

 

「さっきの話は聞いた。とりあえずジャパリまんを食え。それ全部食べていいぞ」

「え、えぇ……ありがとう。いただくわ」

 

 忘れていましたが昼食をとってからだいぶ時間が経っています。レミアは自分の腹が空っぽであることを思い出し、すぐにもそもそとジャパリまんを食べ始めました。

 そんなレミアの様子を見て、すっかり元気になったアライさんが声を挙げます。

 

「アライさんにはないのかー?」

「お前は! さっき! 食っただろ!!」

「アライさーん、食べ過ぎるとお肉がー」

「わ、わかってるのだ! 我慢するのだ!」

「アライさん、食べる?」

 

 いくつかあるジャパリまんですがそのすべてを平らげることはできないなとレミアは思い、一つアライさんに差し出しました。

 しかし。

 その差し出した手をやんわりと、ツチノコが押さえます。

 

「だめだ。レミア、それはお前がちゃんと全部食べろ」

 

 訝しげな表情をするレミアですが、とりあえずうなずいて手を戻します。

 そんなやり取りを見たアライさんが、何かに気が付いたのかハッとして、

 

「ツチノコ、もしかしてレミアさんの銃って――――」

「そうだ。だからジャパリまんを食べればいい」

「お…………おぉ!! そっか! あれと一緒なのだ! レミアさん、大丈夫なのだ! たっくさんジャパリまんを食べるのだぁー!!」

「えぇ、どうして?」

「と! に! か! く! 食えッ!」

 

 腹は減っていますが今の流れでなぜたくさん食べると良いのか、レミアはわけがわかりませんでした。

 が、とりあえずツチノコの言う通り満足のいくまで食べようと、三つ目のジャパリまんにかじりつきます。

 

 しばらく食べて。食べて、食べ続けて。

 月の光に照らされるジャパリマンの包装紙が六つになったところで。

 

「もう食べられないわね」

「それくらいでいいだろう。あとは、一晩寝るんだ」

 

 レミアは食べるのをやめました。

 

 すぐ向かいで、ツチノコが満足げにうなずきながらその場にごろんと横になり、

 

「お前夜行性か?」

「いいえ、夜は寝たいわね」

「そうか。ここ、一晩だけ使っていいぞ。明日の朝図書館へ行け。追ってるやつらも図書館に向かってる」

 

 それだけ言うと、ツチノコは静かに寝息を立て始めました。

 

 レミアはあっけにとられつつもとりあえず腹は満たされましたし、ここはどうやらセルリアンが攻めてこないようなので、

 言葉に甘えてもう寝てしまおうと決めました。

 

 体が泥を詰めたように疲れています。

 

「レミアさん」

「どうしたの? フェネックちゃん」

「……隣で寝ていいー?」

「もちろん、いいわよ」

「あ! アライさんも隣で寝るのだー」

「えぇ、おいで」

「……今日は疲れたねー」

「いっぱい冒険したのだ……疲れたのだ……」

「そうね。……もう、寝ましょう」

「はいよー……」

「わかった……のだ……」

 

 重いまぶたの向こう側で。

 レミアは二人の少女が寝転がるのを確認しつつ、鞘に収まった最後のナイフを大切そうに握り。

 弾倉の入っていない軽いライフルを引き寄せて。

 

 吸い寄せられる睡魔にされるがまま、深い深い眠りに落ちました。

 

 

 〇

 

 

 翌朝。

 

「……………え」

 

 起き上がってライフルを持ち上げたレミアは、弾がたっぷりと入った相棒を見て固まりました。

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

 そこは、薄暗い小部屋でした。

 お世辞にも綺麗とは言い難い、ぶっちゃけ散らかり放題の汚い部屋です。

 

 薄暗い理由は光源がわずかしかなく、それは机の上の四つのモニターが唯一の明かりだったからでした。

 窓はありますが分厚いカーテンで閉め切られ、これまた分厚い埃をかぶっています。もう何年もこのカーテンに人が触れていない証拠でした。

 

 部屋の広さは、ダブルベッドがギリギリ二つ入るほど。

 もちろん二つ入れれば足の踏み場はなく、正真正銘の寝室になってしまうでしょう。

 

 ただ、この部屋にはダブルどころかシングルベッドもなく、あるのは簡素な机と革張りの椅子だけ。

 そして四つのモニターと、何に使うのかわからないデタラメな機械類が、机の上や床のあちこちに散乱しています。

 

 ベッドは無くても足の踏み場がない、なかなかにひどい部屋でした。

 

「んんー……」

 

 そんな、機械と電子の光に包まれた不健康な空間に、一人の青年が鎮座しています。

 革張りの椅子に深く腰掛け、眠そうな顔でキーボードを叩き。

 動きやすい寝巻に細身の体を包んだ彼は。

 

 プログラムさせた音声に全てのオペレーションを任せている一人の青年です。

 

 ある軍隊の西部方面軍総司令部所属にして生粋の引きこもり。

 オペレーションのすべてをプログラミングした自動音声に任せ、自分はゲームで遊んでいるぶっちぎりの問題児です。

 

「お、抜けた抜けた。あとは痕跡を消してっと……」

 

 カタカタとリズミカルにタイピングするその指は細く、不健康なまでに色白です。

 長い茶髪は伸び放題。前髪がうっとうしいのかピンでとめており、後ろ髪はゴムでくくっています。

 

 体格のせいもあってか一見すると病弱な少女に見えますが、彼は正真正銘の男。

 訂正、引きこもりの不健康極まりない残念な男です。

 

「さて、中央の情報ツール……は、だめか。レミアさんのファイルはかなり分割されてるな」

 

 長いまつげを眠そうに瞬きながら、モニターに映る文字の羅列を一瞬で読み込み、セキュリティーの輪をかいくぐって情報をかき集めていきます。

 

 彼は不健康なキングオブ引きこもりですが。

 前線の兵士たちからはその的確な指示と、マニュアルに捕らわれない明るいしゃべり方で絶大な人気を得ているオペレーターでした。

 

 名を〝ベラータ(助言者)〟と呼ばれており、彼も気に入っているのでそう名乗っています。

 

 ただ、その人気を得ている声はすべてプログラムした女性の声であり、ベラータ自身は一言もしゃべってないという悲しい事実は兵士たちの知るところではありません。

 

「……ふーむ」

 

 ベラータがこれまでに自分の声でオペレーションをしたのは二回だけです。

 一番最初に付いた任務と。

 

 二十三時間前にかかってきた、東部方面軍所属の〝レミア・アンダーソン〟と名乗る女性兵士に対してだけです。

 

「やっぱり、どこを見てもそうだ」

 

 ベラータは独り言が大好きです。

 誰も彼の言葉を聞きませんし、返事をする者もいません。

 

 だからこそ彼は独りでしゃべります。

 

 ヘッドフォンから聞こえてくる、録音したレミアからの通信音声を幾度となくリピートして。

 

「やっぱりアンダーソン〝少尉〟じゃない。どこのデータを覗いても、彼女はアンダーソン〝中尉〟だ」

 

 ベラータは傍らに置いてあるスナック菓子を一つ摘み、口の中へ放り込みました。

 

 ポリポリと砕けていくそれを、さしておいしそうな顔もせずに飲み込み。

 また一つ口に放っては、ポリポリと同じように噛み砕きました。

 

 飲み込み、キーボードを叩き、心底困った顔でつぶやきます。

 

「レミアさん……あなた、いったい何者なんですか……?」

 

 その言葉に応える者は、やはり誰もいないようです。

 

 

 

 

 

 




ベラータ君初登場。
今後もちょいちょい出てきます。ちょいちょいです。男なので。


次回「としょかんへいこう! いちー!」


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第十話 「としょかんへいこう! いちー!」

「…………」

 

 朝起きて一番、レミアは残弾ゼロのはずの自分のライフルに弾倉がくっ付いているのを目の当たりにし、たっぷり数秒固まっていました。

 

 何が起きているのか飲み込みづらい光景が目の前に広がっていたので、

 

「…………ふぅ」

 

 ため息交じりに一度、相棒をそっと地面に置きます。

 まだ疲れが残っているのかと自分の眉間を手先でぐっと押し込みました。

 

 それから顔を上げて腰に目をやってみたり、足元を触ったり、ポーチの中も漁ってみたりして。

 

「なんなのよこれ……」

 

 一言、疑心にまみれた声でつぶやきました。

 

 増えていたのはライフルの弾だけではありません。

 失ったはずのナイフも一本だけ元の場所に戻っていましたし、リボルバーも、右の一丁だけ六発分のシリンダーが装填されていました。

 

 もちろんレミアには心当たりがありません。弾倉を回収した覚えも、弾を込めた覚えも、まして真っ二つに折れたナイフを修復した覚えもありません。

 

 目を白黒させながら全身のあちこちをまさぐっているレミアに、少し前から起きていたアライさんが気付き、大きな声で得意げに教えてくれました。

 

「フレンズの中には武器を使うフレンズもいるのだ! だからもし無くなっても、ジャパリまんを食べれば戻ってくるのだー!」

 

 なるほどわかりません。

 

 なにせ急に弾が増えたのです。

 使い切って意気消沈していたところに、身に覚えのない供給があったらどんな軍人でも戸惑います。

 レミアも例外ではありません。

 

 何が起きているのか飲み込めないレミアですが、とりあえず装備の点検をしてみることにしました。

 弾やシリンダーの見た目は以前から使っていたものとまったく同じです。

 

 つまり。

 アライさんの言っていることをそのままの意味でとらえると。

 

「撃った弾が……返ってきた……?」

 

 レミアの胸が期待に高鳴ります。

 もしそうだとしたらこれほどうれしいことはありません。もう二度と使えないと思っていた武装がもう一度使えるかもしれないのです。

 

 失ってしまった両腕が返ってくるかのような気持ちです。

 また戦える。みんなを守れる。誰かを救える。

 

 レミアはもう一度、増えている武装を確認しました。

 

 やはり弾は今まで使っていたものと寸分たがわず同じものです。見た目には何も問題ありません。

 

「……でも、そうね」

「どうしたのだ?」

「…………」

 

 これを撃つとなるとレミアは少々不安を覚えました。

 

 暴発しないか、不発しないか。

 命を預けていると言ってもいい相棒たちです。外目には同じ弾でも、中身まで十分とは限りません。

 

 果たして使っても大丈夫なのか。

 嬉しさと懐疑がない交ぜになった顔で、レミアはどうすればいいのか考えあぐねていました。

 

 そんなところへ、

 

「よく聞けレミア。それはな――――」

 

 ふと、助言をしてくれたのはツチノコでした。

 

 とても要領を得やすい彼女の言葉に、レミアは自分の身に起きたことを信じるほかありません。

 

 サンドスターは動物をフレンズ化させるために作用しているもの。

 フレンズ化の時に身に着けていた物や持っていた物は、もれなく〝フレンズの状態を維持するために必要なもの〟としてサンドスターの影響を受ける。

 

 とのことです。

 

「つまり、サンドスターを供給すればあたしの持ち物は増えていく……ってことかしら」

「持ちっぱなしじゃもともとの数以上には増えないけどな。一度手放したものは、サンドスターの供給があれば戻ってくる。オレの下駄もその方法でいくつか増やして使っている」

 

 レミアはキツネにつままれたような顔をしつつ、再びライフルとリボルバーを手に取ります。

 

 だとしたら、試さなければいけません

 

 試射をするつもりです。

 

 当然、弾はそれほど増えたわけではないので気持ちとしては使いたくありませんでしたが、土壇場で不発なんてことがあればそれこそ危険極まります。

 

「…………」

 

 シリンダーが装填されている、すぐにでも撃てる状態のリボルバーに目を落とし、レミアは数秒間悩みました。

 撃ってみるか、大丈夫か。

 

 悩み、悩み、たっぷり悩んだあと意を決して。

 

 銃口を空へと向けました。

 

 すどん。

 すどん、すどん。

 

 リボルバーを三発。

 

 ばがん。

 ばがん。

 

 ライフルを二発。

 

「――――は」

 

 これまで何度となく弾を吐き出してきたレミアの相棒たちは、少しも変わらず彼女の指に応えてくれました。

 

「は、はは…………ふふ! ふふふ!! やっ――――たぁ!」

 

 思わず、満面の笑みがこぼれます。

 手のひらが熱くなるほどの喜びがこみ上げてきます。

 

 これまでと同じく撃てることが分かった時のその表情は、アライさんとフェネックが今まで見てきたどのレミアよりも嬉しそうでした。

 

 〇

 

 朝日が差し込む遺跡の出口。

 柔らかな光が空気を温める中、レミアとアライさん、そしてフェネックは、輪になって座ってジャパリまんを食べていました。ツチノコは遺跡の壁に寄りかかって、立ったまま黙々と食べています。

 

 無事に試射を終えて、これまで通り銃が使えることを知ったレミアは相当な上機嫌でジャパリまんを食べていました。

 声に出して喜ぶことこそしませんが、その表情はだれが見ても喜色を表しているとわかります。

 

「レミアさんとってもうれしそうなのだ」

「あら、そうかしら?」

「だねー。よかったねーレミアさん」

「ふふふ……えぇまぁ、本当によかったわ」

 

 三人とも笑顔でジャパリまんを食べながら談笑しています。

 

 ただ。

 

 そんな様子から少し離れて、じっとこちらを見つめているツチノコを、レミアは少し気にしていました。

 一緒に食べればいいのになぁ、と思いつつチラチラ見ていると、

 

「…………」

「…………」

 

 目が合いました。

 

「な、なんだよッ!」

「一緒に食べない? ツチノコちゃん」

「ぬぁ!? 〝ツチノコ〟だッ! 〝ちゃん〟はいらんッ! あとオレはここでいい!」

「あらそう? じゃあ、ありがとねツチノコ」

「はぁ!?」

「さっきの説明よ。サンドスターが装備の補填をしてくれること。未だに全部はよくわからないけど、とりあえず助かったわ」

「ふんッ! ――――アライグマの説明がヘタクソでまどろっこしかっただけだ!」

 

 ツチノコはそういうと背を向けて、尻尾をぶんぶんと振り回しました。照れているのでしょう。

 

 しばらくそのままそっぽを向いていましたが、手に持っていたジャパリまんの最後のひとかけらを口へ放ると、ツチノコはいたってまじめな顔で振り向いてレミアに訊きました。

 

「お前ら、カバンを追ってるんだよな」

「えぇ、そうよ。図書館へ向かったって聞いたわ。だからあたし達もそこへ向かうつもりよ」

「それでいい。ジャパリ図書館は湖畔と平原を突っ切れば早い」

「あら、親切なのね」

 

 レミアの言葉にほんのちょっと頬を赤らめたツチノコですが、特に何も感じていない風を装って話を続けます。

 でも尻尾は大きくゆらゆらしていました。

 

「あいつらはバスに乗っている。同じ道をたどっても追いつけるかどうかは怪しいぞ」

「バス……つまり、私達より速いのね?」

「向こうは逃げているわけじゃないから、なんだかんだで寄り道していそうな感じはあるがな。たぶん追いつくのは難しい」

「心得ておくわ」

 

 しっかりとうなずくレミアを、ツチノコはじっと見ていました。珍しく目をそらしません。

 

「…………どうしたの?」

「いや」

 

 それだけ言うとツチノコは、ゆっくりとパーカーのポケットからジャパリまんを取り出しました。

 すたすたと歩いて目の前に来ると、片手でレミアに差し出します。

 

「レミア、お前はこれから先、少し多めにサンドスターを摂取したほうがいい」

「弾の補充のためかしら」

「それもあるが、やっぱりお前気付いていないのか?」

「?」

 

 ほんの数秒考えて。

 

「まったく気づいていないわね」

「自分のことだぞ……」

「教えてくれるかしら?」

 

 目頭を押さえながらあきれるツチノコですが、手のひらを上へ向けて〝立て〟とレミアに合図します。

 

「?」

「そのまま立ってろ」

 

 ツチノコは起立したレミアの真正面に来ると、背筋を伸ばしました。レミアのほうが頭一つ分高いです。

 何がしたいのかレミアにはわからず首をかしげていると、

 

「んん…………オレじゃちょっと分かりにくいな。アライグマ、ここに立ってみろ」

「ほいなのだー」

 

 ツチノコがアライさんを手招きで呼びました。レミアのすぐそばに立たせます。

 今をもってなおレミアには何をしようとしているのかわかりませんでしたが、

 

「レミアさん、なにか気付くことないか?」

 

 アライさんがどこか不安げな表情でのぞき込んで来ました。その、いつも見慣れた顔が何だか今日は近くにあります。

 その瞬間レミアはハッとしました。

 

「アライさん背が高くなったかしら?」

「ち、違うのだレミアさん……」

「お前が小さくなったんだコノヤローッ!!」

「へ?」

 

 ツチノコの叫びにレミアが素っ頓狂な声を挙げます。

 どういうわけかアライさんは知っていて、得意げに「うんうん」とうなずいていました。

 

 見ると確かに、アライさんの目線はレミアに近くなっています。それはアライさんの背が高くなったわけではなく、レミアが縮んだからだとツチノコは言うのです。

 

 まさかそんなバカなと、半信半疑でレミアは注意深く周りの景色を見まわして、

 

「……うっそ」

 

 本当に、ちょっとだけ自分の世界が低くなっていることを認識しました。

 

 少し離れたところから二人を見ていたフェネックが、合点の行った様子で声を挙げます。

 

「あー、サンドスターの消費かなぁー?」

「そうだ。無理して戦いすぎるとフレンズの状態が保てなくなる。夜だったから昨日は気づかなかったが、お前そうとう危なかったぞ」

 

 レミアは今頃になって背中がぞっとするのを感じつつ、ツチノコからもらったジャパリまんの包装紙を剥いてパクリとかじりつきました。

 ツチノコが、やれやれといった様子でポケットに手を入れてぼやきます。

 

「生きているだけでサンドスターを消費する。戦えばなおさらだ。セルリアンと遭遇したら、基本的には逃げろ」

「そういうわけにもいかなかったのよねぇ」

「これからはそうすればいい」

「…………そうね。そのとおりだわ」

「サンドスターの供給はジャパリまんでできる。食って寝れば取り込みも早いから、そのあたりに気を付けろ」

「ありがとね、ツチノコ」

「礼ならアライグマに言え」

「アライさんに?」

「お前の背が小さくなっていることに気が付いたのはそいつだ」

 

 親指で背中越しに指さされたアライさんは、腰に手を当てながらえへん、と胸を張りました。

 

「アライさんには全部お見通しなのだ!」

「へー、すごいやアライさーん」

「ふはははは」

「いつ気がついたのかしら?」

「抱き着いたときなのだ!」

「私は気づかなかったなー」

「フハハハハ!! フェネックはまだまだなのだ! アライさんを見習うといいのだ!!」

「そだねー。今度からはアライさんに負けないよーに、もっといっぱいレミアさんにくっ付こうかなー」

「ぬぁ! それはダメなのだフェネック! アライさんも混ぜるのだー!」

「いやそんなくっ付かれても困るわよ……」

 

 ジャパリまんを口にするレミアに、アライさんが抱き着いてきました。

 出会った当初より確かにアライさんの頭を近くに感じつつ、レミアは困った顔をしながらも、空いている手でアライさんを引きはがします。

 背が低くなったとはいえ、アライさんやフェネックとの身長差はまだ頭半分ほどあります。引きはがすのは簡単でした。

 

 レミアは顔を上げてツチノコを見ます。

 

「気付いてくれたのはアライさんだけど、どうすればいいかを教えてくれたのはツチノコだわ。感謝することに変わりはないわよ」

 

 ありがとう、と付け足すレミアに背を向けて、

 

「…………」

 

 何も言わないままツチノコは、大きく尻尾を振りました。 

 

 

 〇

 

 太陽がだいぶ高い位置へ昇ったころ。

 

「お世話になったわね」

「べ、べべべつに世話した覚えはねぇッ!」

「的確な助言は十分な援助よ。世話と言い換えることもできるわ」

「べべ、べつにそんなつもりじゃねぇからなッ! ほらその……」

 

 頬を染めて視線をあちこちへ動かしながら、ツチノコはぶっきらぼうに言いました。

 

「昨日は面白い話が聞けたからだ! 対価だ、対価ッ! だから親切とかそんなんじゃねぇぞッ!」

「面白い話?」

「ぬぅぅぅぅ――――アライグマから聞けッ!」

「えぇ、後で聞かせてもらうわね――――ありがとう、ツチノコ」

 

 レミアは本心から、最後にもう一度感謝の言葉を贈って、歩き始めました。

 

 いよいよ出発、目指すはジャパリ図書館。

 これから向かう方角はその手前、ちょうど「湖畔」と呼ばれている場所です。

 

 なんでもツチノコの話では、ビーバーというフレンズが川の水をせき止めて作った湖だそうです。

 その湖があるせいで図書館までのルートは迂回しなければいけない、という考え方もできますが、レミアにとっては特に意にかける事でもありませんでした。

 

 カバンさんたちもそこを通るからです。接触したフレンズがいれば目標の情報が聞けますし、ジャパリパークの調査そのものの成果にもつながります。願ったりかなったりでした。

 

「それじゃあ、行くわよ二人とも」

「はいよー」

「わかったのだー。あ、あれ……羽は……あ、ここなのだ!」

 

 二人の返事を聞きながら、レミアはライフルを肩に担ぎ、先頭に立って遺跡を出ました。

 その後ろをフェネックが付いて行きます。

 

 最後に、アライさんが後を追いかけて出ようとしたとき。

 

「アライグマ」

 

 ツチノコが呼び止めました。

 目深にかぶったフードが朝日を遮り、意図してかそうでないのかはわかりませんが、表情に影が映ります。

 

 いつものように両手をポケットに入れ、いつものように一本下駄を器用に履いて立っている彼女の、その表情は、どこか申し訳なさそうでした。

 アライさんは振り返りつつ首を傾げ、呼び止めたくせに口を閉ざしたツチノコに向かって「どうしたのだ?」と訊きます。

 

「アライグマ、その……」

 

 視線を落としたまま、暗い表情で、ツチノコはそれだけを呟きました。

 

 それだけでした。後に続く言葉がありません。

 何も言わないツチノコにアライさんはちょっとだけ首を傾げて、すぐにハッとするとツチノコの目をまっすぐ見ました。

 

 言い淀む彼女の言わんとしていることを読み取ったのか、アライさんはいつもとまったく変わらない、自信にあふれた笑顔を浮かべます。そして大きな声で、

 

「心配いらないのだ!」

 

 堂々と胸を張りました。根拠の良くわからない謎の自信が、アライさんの笑顔からにじみ出ます。

 

「昨日言った通りなのだ! 全部丸ごとまるっと、アライさんにお任せなのだッ!」

「いや、お前は――――」

「あぁぁー! こんなことしてる場合じゃないのだ! レミアさんに置いて行かれるのだッ! 待ってなのだぁー!」

 

 ツチノコの発しかけた言葉を遮り、アライさんは大声で叫びながら駆け出したかと思うと、思い出したかのようにくるりと一度だけ振り返って手を振りました。

 

「また会おうなのだ、ツチノコ!」

 

 朝日がキラキラと差し込む遺跡の出口に、アライさんの声が幾層にもなって響きます。

 その背中がどんどんと遠ざかり、最後には曲がって見えなくなるまでじっと立っていたツチノコは、ふぅ、と溜息を吐きました。

 

 両手をポケットに突っこんだまま、

 

「…………変わらんやつだ」

 

 ぶっきらぼうに、でもちょっとだけ寂し気につぶやきます。

 

 すこし。

 ほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべながら。

 

 ひとつ大きく尻尾を揺らしたツチノコは、踵を返して遺跡の奥へと戻っていきました。

 

 

 

 〇

 

 

 

 暑くもなく寒くもない、心地よい風が時々吹き抜ける林の道を、三人はのんびり歩いていました。

 

「この旅が終わったらアライさんはここに引っ越すのだ」

「え?」

「今決めたのだ」

「いま!?」

 

 アライさんの言葉にレミアが驚きの声を上げた場所。そこは地図上では〝湖畔〟となっている一帯です。

 

 キラキラと日光を反射する美しい湖と、見晴らしの良い平地、そしてそこを囲うように青々とした林が広がっています。

 太陽の光は強すぎず弱すぎず、また気温の高低差も少ない、アライさんにとっては一も二もなく移住したくなるような素晴らしい場所でした。

 

 バイパスを抜けて一時間ほど歩くと見えてきたそこは、つまるところアライさんの心を射止めるような場所だったということです。

 

「決めたのだ! 引っ越すのだ!」

「アライさーん森林地方の住みかはどうするのさー」

「べっそう? とかいうのにするのだ」

「別荘ねー、なるほどー」

「住みかってそんなすぐに変えられるものなの?」

「ふつうは変えないけどねー。まぁアライさんも私もよく家を空けてるしー、私に至ってはスナネコがもう住み着いてたから家なしだしー」

「つまり、無くても困らないってことね」

「そだねー」

 

 なるほど、とレミアが感心しました。

 

 三人が目指しているのはジャパリ図書館です。

 今通っているこの湖畔は最短ルートであり、調査をするにしても通りすがりに状態を確認する程度でいいかな、とレミアは思っていました。

 

 みずうみ、平地、林。

 それくらいしか見えないため調査も何もありませんから、セルリアンが襲撃してこないかだけに警戒しつつ、特に立ち止まることもなく三人はみずうみのほとりを歩いていました。

 

 しばらくして。

 おおよそ太陽が一番高い位置からほんのちょっと傾いた頃。

 

「ん?」

「なにかあるねー」

「え!? どこなのだ!?」

「ほらあそこー」

 

 フェネックが指さす先、ちょうど湖の端っこに何かがあります。

 アライさんは目を細めてなんとか見ようとしますが、しばらくして悔しそうに首を振りました。

 

「………ぐぬぬ、ちょっと見えないのだ」

「アライさん視力弱いもんねー」

「でも確かになんか匂いがするのだ。木? の匂いなのだ。たぶん」

 

 アライさんの言う通り。

 三人の視線の先には、木材を組んでできた立派なログハウスが建っていました。

 

 〇

 

「おもしろそうだけどー、どうするー? アライさーん」

「ぬぅぅぅぅ……ちょっと考えるのだ」

「はいよー」

 

 アライさんをのぞき込みながら様子を伺っていたフェネックは、いつもどおりの気の抜けた返事をします。

 

 一行が見つけたのは立派に組みあがったログハウスでした。

 川のほとりから入り口のようなものが伸びており、地下を通って浮島に建つ家の中へ入れる仕組みのようです。

 

 アライさんは興味を示しました。

 フェネックも初めて見るものだったので気にはなりましたが、アライさんが急ぎたいというのならば別にわざわざ見に行かなくてもいいかなぁと思い、

 

「アライさんに任せるよー」

 

 と、判断を仰いでいるところです。

 

 見ていくか、スルーするか。

 どうするのか聞かれて、

 

「ぐぬぬぬぬぅぅぅぅ…………」

 

 たっぷり数十秒、腕組みをしつつアライさんは悩んだあと、顔を上げて言葉を続けました。

 

「……帽子のほうが大事なのだ」

「じゃー、見ていかないんだねー?」

「いいのかしら、アライさん?」

「あれがなんなのかは知りたいけど、カバンさんたちはバスに乗っているのだ。図書館にもし間に合わなかったらどこに行くかわからなくなるのだ」

「博士、だったかしら。その子がいるなら、どこに行ったか教えてくれると思うけど?」

「お……おぉ! 確かにそうなのだ! レミアさんの言う通りなのだ!」

「あぁでも、確実に行き先がわかるわけじゃないから、見失う可能性も十分にあるわ」

「そ、そうなのだ……やっぱりあれのことはあきらめるのだ」

 

 肩を落としてそう呟いたアライさんは、ログハウスを一度名残惜しそうに一瞥してから、背を向けて歩き出し――――。

 

 歩き出しましたが、何者かが声をかけてきました。

 

「お客さんでありますか!? ぜひ家を見ていってほしいであります!」

 

 独特なしゃべり方とえらく元気な声で、そのフレンズは三人を呼び止めました。

 

 〇

 

「はじめまして! プレーリー・ドッグであります!」

「レミアよ」

「アライさんなのだー」

「フェネックだよー。よろしくねー」

「皆さんよろしくであります!」

 

 プレーリー・ドッグ――――略してプレーリーは、快活な笑顔をふりまきながら元気な声で名乗りました。

 家を見ていってほしい、と言ったので、たぶんあのログハウスの住人なのでしょう。

 レミアはそう、なんとなく思案していました。

 

 せっかくこうして自己紹介してくれたので、ちょっとくらい中を見ていってもいいんじゃないかなぁ、なんて考えていると、

 

「お近づきのしるしに、ご挨拶をさせていただきたいでありますッ!」

 

 急に。

 美しい湖のほとりで、そう高らかに叫んだプレーリーは、レミアに向かって駆け出しました。

 

「…………?」

 

 あいさつをするのになぜこちらへ走ってきているのかレミアは疑問に思いましたが。

 

 数秒もしないうちにプレーリーは距離を詰め、レミアの目の前に立つと両手を頬にあてました。がっちりと掴みます。

 そして、そのまま唇を突き出してキスをしようとしました。

 

 瞬間。

 

「うぇ?」

 

 変な声を挙げながらプレーリーが空中で一回転しました。

 背中から落ちて地面に叩きつけられる寸前、投げた本人、つまりレミアが足の先でふんわりとキャッチして、そっと地面に降ろしてやります。

 そして流れるような動作でリボルバーを抜き、プレーリーの頭のすぐ横に44口径の鉛玉を叩き込みました。

 

 地面に穴が開いて、すさまじい轟音が湖畔全域に反響します。

 

「――――そういうのは、冗談でもしちゃだめよ? お嬢ちゃん」

「ひっ」

 

 レミアはにっこりと殺意を込めて微笑みました。

 

 〇

 

「プレーリーさん……あのあいさつはオレっち以外にしちゃダメっすよぉ……」

「み、身をもって学んだであります」

 

 ログハウスの中。

 フレンズが五人入っても広々としている木造りの家に、レミアとアライさん、フェネックはお邪魔していました。

 

 盛大にプレーリーをぶん投げた後、それがこの子特有のあいさつだと知ったレミアは「封印しなさい」とひとこと、ただそれだけを言ってプレーリーの背中に付いた土ぼこりを払ってあげました。

 

 命の危険にさらされたかと思うと急に親切にされたので、プレーリーは目を白黒させながらもとりあえず三人を家に上げて。

 

 一通り、お互いの自己紹介が済んだというわけです。

 

「レミアさん、プレーリーさんが迷惑かけったッス……申し訳ないッスねぇ……」

「いいわよ別に。あたしもちょっと驚いただけだし」

 

 レミアは苦笑いを浮かべつつひらひらと手を振り、プレーリーにも微笑みかけました。

 今度は普通の笑顔なので、プレーリーも安心です。水に流す、という表現を知っているかはさておいて、お互いに遺恨はないようです。

 

 プレーリーは明るい笑顔を浮かべながら、アライさんのほうを見て質問しました。

 

「アライグマ殿はどうしてここへ来たのでありますか?」

「帽子泥棒を追っているのだ!」

「「帽子泥棒?」」

 

 ビーバーとプレーリー、二人そろって声を上げたので、アライさんはこれまでの旅のことをかいつまんで話しました。

 ところどころ説明が下手だったので、フェネックがフォローをいれます。

 

 全て聞き終わった後、ビーバーは驚いた様子で、

 

「え、じゃあ、そのアライさんの言う〝帽子泥棒〟ってカバンさんのことなんスか……? フェネックさん」

「たぶんねー」

「でも……、オレっちの見た感じじゃそんなことをする子には見えないッスねぇ……」

「盗られたのは事実なのだ!」

「この家も、カバン殿が出してくれたアイデアで建てられたのであります! 頭のいいフレンズなので、盗んだらアライグマ殿が悲しむことは想像できると思うのでありますが」

 

 そんなやり取りを例のごとく蚊帳の外で聞いていたレミアは、プレーリーの何気ない一言に眉を動かしました。

 

「まって、プレーリーちゃん」

「なんでありましょう?」

「カバンさんが出したアイデアでこの家ができたってどういうこと?」

「えっと、話せばちょっと長くなるのであります……」

 

 プレーリーはアライさんのほうを見ました。

 カバンさんを追っているのなら長話をするのはどうなのかという意味の目線です。

 

 しかしアライさんには伝わっていなかったのか。

 

「聞きたいのだ!」

 

 元気よく聴取を所望しました。

 

「では、お昼ごはんを食べながらお話するであります! 好きなだけ食べるといいのでありますよ!!」

 

 プレーリーの用意したジャパリまんを各々手に持ちつつ、アライさんたちはカバンさんのお話をしばらく聞きました。

 

 〇

 

「――――なので、オレっちとプレーリーさんが上手にこの家を建てられたのは、カバンさんのおかげなんスよ~」

「カバン殿は凄かったであります!」

 

 太陽が西へ傾く中。

 空はややオレンジ色になり、湖畔にきらきらとその光を落としています。

 もう数時間ともせずに夜がやってくる時間帯になりました。

 

 光は、湖のほとりのログハウスにも入り込んでいます。

 二人の話は確かに長いものでしたが、聞くに値する内容でした。

 

 熱心にカバンさんのことを話してくれたビーバーとプレーリーに、レミアはまず「ありがとうね、二人とも」と伝えて。

 

 フェネックが二人と話をしているのをぼんやりと耳に入れつつも、頭の中で整理してみることにしました。

 

 まず、このログハウスはたった半日で建てられています。

 聞いた瞬間には戦慄が走ったレミアでしたが、思えばフレンズというのは存在そのものが不思議の塊なので、いまさら家が半日で建っても驚くことではないかと思い直しました。

 

 次に、この家を実際に建てたのはビーバーとプレーリーです。

 問題のカバンさんは直接手を出したわけではなく、当初いつまで経っても家なんてできそうになかったこの二人の様子を観察し、得意なことを正確に見抜いた上で、長所がうまくかみ合うように分業させたということです。

 

 結果として驚異的な速度でログハウスは完成した、というのが話の大筋でした。

 

「……」

 

 レミアは顎に手を当てて考えました。

 

(賢すぎる……)

 

 各地で聞く〝カバンさん〟の名前。

 その成したことを考えるに、おおよそ普通のフレンズにはできないようなことをしているようにも思えます。

 

 橋を架けたのもカバンさん。家を建てたのもカバンさん。

 カフェの前、草を抜いて絵を描いたのもカバンさんだと、アルパカから聞きました。

 

(やっぱり、ちょっと凄すぎるわね)

 

 いつかの夜、ラッキービーストが教えてくれた〝フレンズは動物がヒト化したもの〟という言葉を思い出します。

 

 ずば抜けて頭がいいと言ってしまえばそれで済むのかもしれませんが、やはりそれだけでは看過できない〝何か〟が引っかかると、レミアは珍しく戦うこと以外に頭を使います。

 

 がんばってがんばって、苦手だけれども考えることを続けた結果。

 レミアは一つの単純な疑問に気がつきました。

 

 〝カバンさんが何の動物か〟

 

 これまで聞いてきたようなことができる動物とは何なのか、レミアは知りたいと思いました。

 

 でもこの疑問の答えはカバンさん自身も知らないことです。

 そこまでは、レミアも気付けました。

 

 カバンさん自身が知っていたら図書館にはいかないはずです。わからないから目的地が図書館なんです。

 

(うーん……頭痛くなってきた)

 

 ここまで考えてレミアは、これ以上深く思案するのは無理だと感じたので、

 

「ねぇ、あなたたち」

 

 とりあえず思いついたことを全員に訊いてみることにしました。

 

「カバンさんって、何の動物かわかってないのよね? だから図書館に行くのよね?」

「そうらしいッス~。オレっちたちも、カバンさんが何の動物か知りたいんッスよぉ」

「きっと賢い動物に違いないであります! なんせこんなにもすごい提案をしてくれたのでありますから!!」

「だねー。カバンさんの話を聞いてるとー、聡明だってことはわかるよねー」

「……………」

 

 各々、笑顔でそういう中にただ一人。

 

「…………」

 

 これまでずっと黙っていたアライさんだけは、目を伏せながら、至極当然のことのようにぽつりと言いました。

 

「カバンさんは〝ヒト〟なのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ぬおぉぉあぁぁぁぁぁぁ!!
アライさんッッ!!!


次回「としょかんへいこう! にー!」


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第十一話 「としょかんへいこう! にー!」

こはん→へいげん、まで一気に行くのでいつもより長めです。


「〝ヒト〟って、どんな動物なのー?」

 

 首をかしげてそう言うフェネックに、アライさんは下を見たまま答えました。

 

「賢くて、頼もしくって、いろんなことを教えてくれるのだ」

「んんー……確かにカバンさんは賢そうだけどー、私達が直接見たわけじゃないからさー」

「ア、アライさんはしっかりと見たのだ! 耳も尻尾もないけど、ちゃんと二本足で立ってて、珍しい毛皮を着てて、それに……それに、帽子がよく似合っていたのだ」

 

 帽子? とフェネックが訝しげな声を挙げます。

 

「そうなのだ。〝ヒト〟はよく帽子をかぶっていたのだ」

「ええっとー、それって、カバンさんがアライさんの帽子をかぶってたからってことなのかなー」

「違うのだ! な、なんて説明したらいいのかアライさんにもよくわからないけど! とにかくカバンさんはヒトなのだ!」

「うんー、わかったよーアライさーん」

 

 フェネックは柔らかな笑顔を浮かべ、それから押し黙っていたレミアのほうを見やります。

 視線の意図をくみ取って、レミアは今しがた自分の考えていたことを口にしました。

 

「とりあえず、アライさんのおかげで一つの仮説が出来たわ。カバンさんはヒト――――つまり人間である、そういうことね?」

「そうなのだ」

「正直あたしには〝人間のフレンズ化〟ってのがわけわからないから、その辺は置いとくわよ。で、仮に彼女が人間なら、これまで伝え聞いてきた話にも納得がいくわ」

 

 妙に知恵の効いた足跡を残していくカバンさんですが、その正体がヒトであれば、他のフレンズとは少しばかり違う様子でも納得できます。

 そんなことを考えていたレミアに、ビーバーがすっと静かに手を挙げました。

 

「ええっと、やっぱりヒトって賢いんスか……?」

「あなたも大概に凄いけど……まぁ、そうね。動物よりは総合的な知性に優れているわ」

 

 なるほど、とビーバーは満足げにうなずきました。

 レミアが続けます。

 

「それで、カバンさんが人間かもしれないってことがわかったんだけど……でも、どうしてアライさんはそんなことを知っているのかしら?」

「あの帽子は、昔パークにいたヒトがよくかぶっていた帽子なのだ」

 

 昔、という言葉にレミアが眉をひそめます。

 

 確かにここまでの道中、レミアは人を見かけていません。

 フレンズの姿は限りなく人に近いですが、肝心な〝人〟は存在しないのではないか、と考えていました。

 

 それゆえに、アライさんの〝昔〟という言葉が気になります。

 

「確かにあたしの見てきた限りでは、人はいなかったわね。でも、昔はいたのね?」

「いたのだ。一緒に遊んだり、冒険したり、戦ったりしたのだ」

「戦ったって、どういうこと?」

「セルリアンがいっぱい出て、パークの危機になって、それでヒトはたくさん戦ってくれたのだ。フレンズを守ってくれたのだ」

「……もしかして、その〝パークの危機〟があったから、いまこのジャパリパークには人がいないの?」

「たぶんそうなのだ。詳しいことはアライさんにもわからないのだ」

「うーん……」

 

 レミアは顎に手を当てて考えました。

 今の話からすると、アライさんはずっと昔からこのジャパリパークに住んでいることになります。それも、動物としてではなくフレンズとして。

 

 そこを突っ込んで訊いてみたいとも思ましたが、それよりも今聞いた話を整理するのが先だと、レミアは判断しました。

 

 どれも有益な情報です。

 

 どれくらい昔かはわかりませんが、パークにも人がいて、フレンズとの友好関係を結んでいたこと。

 

 フレンズは場合によってはかなり長い間生きていられること。

 

 そして何らかの問題が起きて、あるいはセルリアンの大量発生そのものが問題となり、人はどこかへ行ってしまったこと。

 

 これらは本国に伝える必要があると思案しつつ、レミアはアライさんの次の言葉を促しました。

 

「それで、じゃあ、アライさんが追いかけている帽子は、その時のパークに居た人のもので、今はもう手に入らない珍しいものだから取り返そうとしているのね?」

 

 アライさんは首を横に振りました。

 振ってから小さく「ちがうのだ」と否定しました。予想外の反応にレミアは少し驚きます。

 

 かすれた、消え入りそうな、とても小さな声で。

 肩を震わせて今にも泣き出してしまいそうな顔で。

 アライさんはレミアをまっすぐに見て言いました。

 

「あの帽子はミライさんからもらっただいじな宝物なのだ。アライさんとミライさんの、とっても……とっても、たいせつな〝思い出〟なのだ」

 

 〇

 

 夕焼けの空は赤と紫のグラデーションに彩られ。

 ゆれる水面にたくさんの輝きを生み出していました。

 もうあと数十分で日は落ちて、ここ湖畔にも夜が訪れます。

 

 そんな美しい湖のほとり。

 木材をくみ上げて建てられた一軒の立派なログハウスに、アライさんの涙声は響いていました。

 

「あの帽子はパークにミライさんが居た唯一の証なのだ。だから、絶対に、ぜったいに取り返すのだ」

「思い出……」

 

 レミアは拳を握り締め、

 

「――――そう、それは取り返さないといけないわね」

 

 アライさんの言葉に深くうなずきました。

 

 パークにミライさんが居た証。

 アライさんの大切な思い出の品。

 

 レミアには〝ミライさん〟が何者なのかはわかりませんでしたが、その人がアライさんにとって大切な人だったのであろうことは容易に想像できました。そしてこれから先、もう二度と会えないかもしれないということも。

 

 そんな人との思い出がなくなったとなれば、取り返さなければいけません。

 カバンさんが盗ったのか、あるいは別の事情があるのか。

 

 いづれにしても絶対に帽子を取り返すつもりです。

 もしカバンさんがアライさんの帽子を〝盗った〟のであれば、レミアはそれがわかった瞬間から手荒なこともためらわないと決心しました。

 

「アライさんありがとう。どうしてそこまで必死に帽子を追いかけているのか、不思議に思っていたのよ」

「言い出せなくてごめんなさいなのだ。本当にアライさんにとってあれは大事なものなのだ。宝物なのだ」

「そうよね」

 

 頷くレミアに、アライさんは顔を上げてその目を見て、先ほどまでの弱々しい口調とは打って変わってはっきりとした様子で口を開きました。

 

「だから帽子を盗り返しても、レミアさんには渡せないのだ。お願いだからあれをずっとアライさんのものにしてほしいのだ。

「はい?」

 

 〇

 

 アライさんの言葉にレミアは思わず素っ頓狂な声を上げます。

 アライさんのために帽子を取り返そうとしているのに、それをあたしが取り上げる意味が分からない。

 

 ここまでずっと黙っていたフェネックも、これには声をあげました。

 

「アライさーん、どういうことー?」

「レミアさんもヒトなのだ。あの帽子はヒトがよくかぶっていたから、アライさんが取り返してもレミアさんにあげないとだめかもしれない…………と思っていたのだ」

「あぁー」

 

 今の説明でわかったのか、フェネックは人差し指を頬にあてながらうんうんとうなずいています。

 

「でも〝いた〟なんだよねー?」

「そうなのだ。ツチノコと話をして、考えが変わったのだ。だからアライさんは話をしたのだ」

「ちょっと待って二人とも。あたしまだよくわからないんだけど」

「そうであります! なんだか難しいでありますよ!」

「そうッスかね……? オレっちはある程度分かったッスけど……でも、もうすこし詳しく聞きたいッスねぇ」

 

 黙って話を聞いていたビーバーとプレーリーも交え、レミアも話の内容が見えて来ないのでアライさんに続きを促しました。

 

「これからちゃんと説明するのだ」

 

 アライさんの考えはこうでした。

 

 そもそも帽子はヒトがかぶるもので、フレンズはかぶらない物だと思っていた。

 

 あの帽子はミライさんからもらった大切な帽子であり、それが盗られてしまったので、ひとまず何としてでもこれを取り返さなくてはいけない。

 とりかえせば〝帽子はヒトがかぶるもの〟なんて知っているフレンズは周りにいないので黙っていれば大丈夫。

 

 ところが追いかけているとレミアさんに出会い、特徴からしてどう考えてもヒトであったから、アライさんはとっても困ってしまった。

 なんせ無事に帽子泥棒から帽子を盗り返しても、今度はヒトであるレミアに渡さなければならない。

 悩んだ末にとっさに思いついたのが、レミアに〝ヒト〟という言葉を思い出させない事だった。

 

「見たところ記憶喪失だったし、〝ヒト〟の言葉さえ聞かせなければ完璧だと思ったのだ……」

「あたしの記憶が戻ったら計画が台無しになるわねそれ」

「そうなのだ。それで、なんかジャングル地方の橋を渡ったあたりからレミアさんの様子がおかしかったから、これはもう思い出してるかもしれないって思ったのだ」

「かもしれないじゃなくて、もう結構思い出してるわよ。あたしはヒトだわ」

「やっぱりそうなのだ」

 

 何も考えていないようで、アライさんはいろいろと考えていたようです。だいぶ斜め上ですが。

 

 そんな中、フェネックはなにか思い当たることがあったのか、深く感心した声を上げました。

 

「あーそっかー、なるほどねー」

「フェネック、どうしたのだ?」

「いやねー、カフェから立ち去るときにー、アライさん、カバンさんが図書館に向かってるって聞いたら大慌てだったじゃないかー」

「そうなのだ。カバンさんも自分がヒトであることを忘れていれば、おとなしく帽子を返してくれると思ったのだ」

「だよねー。でもー……」

「たぶん間に合わないのだ」

 

 アライさんは肩を落としながら、しょんぼりとした顔でそう言いました。

 

 カバンさんが自分の正体に気付いていないなら。

 つまりヒトだと知らなければ、帽子を返してくれる可能性が上がるということです。

 でももうきっと図書館についているので、カバンさんは自分がヒトであると気が付いています。

 

「…………困ったのだ」

 

 ですが、ここの心配についてはレミアが払拭してくれました。

 

「大丈夫よ。ちゃんと事情を話して返してもらいましょう」

「そうッス! 今の話をしたら、あのカバンさんなら返してくれるッスよぉ!」

「間違いないのであります!」

「まぁ、もし返してくれなかったらあたしが取り返すわ」

 

 レミアの言葉には黒い意味も含まれていたのですが、それに気づいたのはフェネックだけでした。

 耳をぴくぴくとさせながら、いつも通りの余裕たっぷりな笑みにほんの少し意地悪な笑顔を浮かべて、

 

「それでー、レミアさんはアライさんの帽子をとり返したらどうするのー?」

「どうするって?」

「取り上げるー?」

 

 ニマニマと笑いながらわかりきった質問をします。

 フェネックの気の利いた意図にレミアもつられて頬を緩ませながら、

 

「そうねぇ……あんまり素敵な帽子だったら、貰っちゃうかもしれないわね」

 

 おどけた調子でそんなことを言いました。

 

 でもこの後アライさんが本気で泣き出してしまったので、フェネックとレミアはかなり深く反省しました。

 

 

 〇

 

 

 夜。

 幾重もの星が空いっぱいに広がりながら、水面にもその光を落とすそんなきれいな景色の中。

 

 やや冷たい風が湖のほうから吹いてくるのに身を任せて、レミアは草の上に胡坐をかいて座っていました。

 お気に入りの葉巻を口にくわえつつ、ゆっくりと煙をたなびかせ、ぼーっと湖の景色を眺めています。

 

 一晩そのままビーバーたちの家に泊めてもらうことになった一行。レミアは夜中にこっそり抜け出して、ひとり一服しているところでした。

 

「静かね……いいところだわ」

 

 誰に聞かせるでもなく、そんなことを呟きます。

 葉巻だって弾薬と同じく増えますから、何本吸ってもジャパリまんを食べていれば復活します。ただ〝フレンズとしての状態維持〟のためには優先順位が低いのか、高山で吸った一本が復活するのには時間がかかったようです。

 

「……さて」

 

 声を一つ。

 レミアが家の外に出たのは、なにも葉巻を吸うためだけではありません。

 片手には通信機を持っています。そろそろ手に入れた情報をベラータに送ろうと思っていたのです。

 

 ヘッドセットを頭に付けつつ、ふと仰ぎ見た夜空は、

 

「…………きれいね」

 

 瞬く星と星の間に、虹色のサンドスターが舞っていました。

 

 サンドスターの出所を目で追うと、夜でも明るい山頂が見えてきます。

 不思議な七色の光を放っていて、火口からはきらきらとした粒子が雲のように夜色の空を塗り替えています。

 この世のものは思えない、しかし確かにその目で見ることのできる幻想的な光景に、レミアは目を細めました。

 

「本当に、信じられない景色だわ」

 

 美しい夜の空に感嘆しながら通信機のスイッチを入れます。

 しばらく砂嵐が聞こえた後、回線がつながりました。

 

「こちらレミア・アンダーソン少尉。ベラータ、聞こえるかしら?」

『お久しぶりですアンダーソン中尉(・・)。お元気ですか?』

「元気か元気じゃないかで言えば元気な方よ。ここの空気はおいしいわ」

『それは良かったです。ところで――――』

 

 通信機の向こうから聞こえてきた飄々とした声は、二言三言交わしたかと思うとレミアに疑問を投げかけました。

 

『レミアさん、あなたの階級は?』

「少尉よ」

『違いますよね?』

「…………?」

 

 何を言ってるんだこいつはと言わんばかりに眉をひそめて、レミアは通信機に言い放ちました。

 

「あたしは〝少尉〟よ。中尉じゃないわ。高山の時もそうだったけどオペレーターがそんなところを間違えないで頂戴」

『いえいえ、間違えているのはレミアさんの方なんですよ』

「はい?」

『まだあまり情報が集まっていないんですが、あなたの階級はどこのデータベースを漁っても〝中尉〟なんです。少尉じゃないです』

「…………」

 

 レミアは、ベラータが自分のことを終始〝アンダーソン中尉〟と呼んでいたことに気付いていました。いい加減な男なのでどこかで正してやろうと思案していた時もあったのですが、しかし今こうして何事かわけのわからないことを言われると、

 

「…………ちょっと意味が分からないわ」

 

 思考停止してしまいました。

 

『どうしてアンダーソン中尉の階級が違うのか……いえ、正確にはあなたの認識と違うのかということは、いまだに俺も分かりません。あなたがその場所へ派遣されるときに特務階級として与えられたのでは?』

「だとしたら間違えたりなんてしないわよ。最初は本国へ通信してたつもりなのよ?」

『その部分だけ記憶にない、とか』

「あぁー……」

 

 確かにその可能性はあります。なんとも困った記憶の抜け落ちかたです。

 

『とりあえず、今後は〝アンダーソン中尉〟でいいですかね? まぁ正直階級なんて書類と団体行動の時くらいしか役に立たないクソ制度ですけどね』

「今のところはカットして本部に送るのよ」

『抜かりはありません』

「あたしの階級は中尉――――えぇ、それでいいわ」

『わかりました。レミア・アンダーソン中尉殿』

 

 わざわざかしこまってそう言ったベラータに、レミアは聞こえるように一つため息をついてから、ここまでの旅で入手した情報を随時渡していきました。

 

 結構な量だったのでそこそこ長時間のやり取りでしたが、自分で優秀というだけあって、ベラータはまじめな時にはしっかりと情報を吸収してくれます。

 全てを聞き終えたベラータは。

 

『いやぁ、いいですねぇそこ。聞けば聞くほどに魅力的なところです。ケモミミ少女しかいなくって、汚い人間は全滅ですか』

「一人いるわよたぶん」

『あぁ、カバンさんでしたっけ? でもその子も女の子なんですよね?』

「たぶんね。今のところ男性を一人も見ていないわ」

『それがいいんですよそれが! まさに理想郷です』

「…………」

『どうして人のいない土地があるのか、このご時世では考え難いですが……なんにしても、早く位置座標を特定したいですね。移住のために』

「あんたみたいなやつからここを守るために情報を送るのよ。移住なんて許さないわ」

『えぇー……せっかくいいところなんですから俺にもおすそ分けしてくださいよ』

「直接見たわけじゃないでしょうに…………」

『話に聞くだけでもモデリングはできるんですよ。ある程度あなたのお話からそこのことは形にできてるんです』

「冗談でしょ?」

『本当ですよ! 帰ってきたら見せてあげます。聞いた特徴を細かくフォルダリンクして、予想させる遺伝子配合と地形、気候の適用状態から造形化までもっていって――――フェネックちゃんとアライグマちゃんですか? その二人は目に見える形で映像化が済みましたよ。かわいいなぁ……』

「その才能別のところに使ったほうがいいんじゃないかしら」

『俺の頭の使い道は、俺自身が決めますよ』

 

 至極もっともなことを言っているのですが、このタイミングでそれを言われたら腹が立つことこの上ないので、レミアは大きくため息をついてから続けました。

 

「座標がわかり次第、回収班の手配も用意して」

『了解です。ケモミミ少女のためなら全力でバックアップしますよ』

「あたしのためにバックアップしなさいよ」

『えぇー。だってレミアさん、聞いたところの情報じゃめちゃくちゃ強いじゃないですかー』

「?」

『東部方面軍ではちょっとした英雄扱いですよ』

「そうでもないわよ。撃つ必要があるときに、ちゃんと撃って当ててるだけよ」

『それができる兵士がうちの国に何人いるのか……まぁ、とにかくわかりました。セルリアンという明確な敵対勢力がいる以上、あなたの力はその場所に必須です。ケモミミ少女を守ってくださいね』

「その言いようは何とかならないのかしら?」

『言い換えましょうか? ――――現地民間人の守防及び敵対勢力の撃滅を指示します』

「固い」

『勘弁してくださいよぉ。俺としてはゆるーい感じであなたとやっていきたいんですから』

「そうね。〝ケモミミ少女〟ってところだけ直して、後は肩の力を抜いてもいいわよ」

『わかりました。それでは――――守るべき子たちを、しっかり守ってあげてください』

「了解」

 

 通信はそこで終わりました。

 謎の疲労感と湧き上がる使命感に胸を焦がしつつ、レミアは通信の内容を反芻します。

 

 ひとつ大きな疑問が転がっていました。

 知らない間に自分の階級が上がっていたことです。まだ戻っていない記憶に答えがあるのかもしれませんが、なんにせよ気になるところでした。

 

「特務のための階級特進……もしそうだったとして、そこまでしてあたしがここに送り込まれた理由ってなによ……?」

 

 レミアは戦うことに関しては頭が使えますが、それ以外のことで使うのは大の苦手です。

 考えてもわからないことは考えないようにする。

 そんな生き方をしていたので、この時も例にもれず、

 

「まぁ、いいか」

 

 あきらめてごろんと草の上に寝転がりました。

 わからないものはわからない。彼女の訓示です。

 

 葉巻がぽうっと先端に赤を灯し、やがて白く細い煙がゆらゆらと昇っていきました。

 

 空高くには美しい星の大群と、川のように揺らめくサンドスターが広がっています。

 こうやって草の上に寝転んで、のんびりと夜空を眺めたのはいつぶりだろうかと過去の記憶を探っていると。

 

「レミアさーん、ちょっといい?」

 

 視界の端にひょいっと、フェネックが現れました。

 

 〇

 

「あら、どうしたの?」

 

 レミアは起き上がりながらすぐに葉巻を地面に押し付けて、それから隣へ来るようにフェネックに言いました。

 すとん、と腰をおろしてからフェネックが口を開きます。

 

「レミアさん、ヒトっていう動物なんだねー」

「え? えぇ、そうよ。あ…………そっか、あたしが何の動物か気になってたのよね」

 

 出会った当初。

 フェネックはレミアの正体を気にしていました。記憶が戻っていない頃のレミアを心配してくれていたのもフェネックです。

 ある程度の記憶が戻った今、自分のことをちゃんと話しそびれていたなぁと、レミアは後ろ髪を掻きました。

 

 星の光を反射する湖を、二人並んで望みつつ、レミアは自分のことを語り出します。

 

 数十分。

 ひとしきり自分の思い出したことを伝えて、最後には、

 

「だから、あたしはここの動物じゃないのよ。帰るべきところがある。――――いつかはお別れしないといけない時が来るってことね」

 

 レミアは寂しそうに、しかし仕方のないことだと目を細めながら言いました。

 フェネックも納得の言った様子でうなずきます。

 

「いつかはお別れするんだよねー」

「そうね。さみしい?」

「まーねー。どれくらい遠くに行くのー?」

「ずっとずっと遠くかもしれないし……すぐ近くかもしれないわ。ここがどこなのか、まだわからないもの」

「だねー」

 

 フェネックは寂しそうに笑って、それからジャパリまんを二つ取り出して、片方をレミアに渡しました。

 

「おなかすいてるー?」

「ちょうど小腹がすいていたわ。弾のためにも食べないとね」

「身長は結構戻ってきたよねー」

「そういえばそうね」

 

 二人並んで笑顔を浮かべながら、しばらくはカサカサという包装紙の音と、ザワザワという風が木の葉を揺らす音だけが、夜の湖畔に響きました。

 

 半分ほど食べ終えた時、ぽつりとフェネックが呟きました。

 

「私、アライさんの足手まといになってるんじゃないかなー」

「?」

 

 急に何を言い出したのかとレミアは驚き、フェネックの顔をみて「あぁ、なるほど」と納得しました。

 

 ほんの少しだけ落ち込んだようなフェネックの表情を見て、レミアは夕方のアライさんの話を思い出します。

 

 

 〝昔パークに居たヒトが――――〟

 〝一緒に遊んだり、冒険したり、戦ったり――――〟

 

 

 あの話はつまり。

 フェネックがフレンズとして、あるいは動物として生まれるよりもずっと前から、アライさんはこの世に生まれていろいろなことを経験してきたということです。

 

 パークの危機、というのも乗り越えたのです。

 だからセルリアンの弱点を知っていたのでしょう。

 

「どうして自分が足手まといだと思ったの?」

「私はねー…………いろいろ考えちゃって、動けなくなる時があるんだ―。心配したり、怖かったりー……」

 

 両手でぎゅっと、フェネックはジャパリまんを握りました。

 

「アライさんはすごいよー、いつも迷わず全力疾走。でもね、時々振り返ってくれるんだ―」

 

 目を伏せて、体育座りの膝に顔をうずめます。

 

「〝フェネックー! はやくはやくー〟って。…………そんなとき、どうしても思っちゃうんだよねー」

 

 〝私、アライさんにとって迷惑なのかなー〟

 

 ――――フェネックは、それだけを言うと口をつぐみました。

 

 自分よりずっと長く生きているアライさんを、自分は今まで何度も止めてきた。

 危ないと思ったから止めたこともあるけど、自分が怖かったから、自分が嫌だったから。

 そんな理由でアライさんの足を止めてしまったこともある。

 

 どんどん迷わず先へ進むアライさんに、自分はついて行く資格があるのか。

 

 今回のアライさんの話を聞いて、今まで積もっていたそんな不安が、抑えきれないほどに高まったのでしょう。

 

 レミアは、フェネックのそんな悩みを感じ取りました。

 感じ取って、クスリと一つ微笑んで。

 

「アライさんはそんなこと気にしてないわよ」

「…………どーしてー?」

「わかるのよ。あの子、どこかあたしと似てるから」

 

 こて、とフェネックは首をかしげます。

 レミアは指を立てて嬉しそうに言いました。

 

「あたしもね、深く考えるよりとにかく行動に移したい派なの。その結果成功したことは何度もあるけど、失敗しかけたこともたくさんあったわ。そんなとき、友達が助けてくれたのよ。しっかり考えてしっかり迷って、それから手を伸ばしてくれる友達がね」

「…………」

「あたしにはそういう友達(戦友)が必要だった。それはきっと、あなた達でも同じことよ」

 

 だから長生きだとしても。

 いろんなことを見ていても。聞いていても、感じていても。

 そんなことでアライさんは、フェネックちゃんのことを迷惑だなんて思わないわよ。

 

 レミアの言わんとしていることを、フェネックはその大きな耳で聞き。

 よく考えられる賢い頭で、ちゃんと正しく理解しました。

 

「…………うん。そーだねー」

「アライさん、今でも危なっかしいところがあるんだから、フェネックちゃんがしっかり見ていてあげて」

 

 月と星に照らされたフェネックの表情は、

 

「――――はいよー」

 

 ひとしきり明るいものでした。

 

 〇

 

 翌朝。

 朝食をそろって仲良く食べた後、アライさん、レミア、フェネックの三人は湖畔を出発しました。

 

「気を付けて行くでありますよ!」

「帽子、きっと返してくれるッス~!」

 

 ログハウスの上から手を振ってくれるビーバーとプレーリーに、

 

「ありがとうなのだー! また来るのだー!」

「どーもどーもありがとー」

「お世話になったわ」

 

 三人も、見えなくなるまで手を振り続けました。

 

 今日は抜けるような青空が広がるいい天気です。

 朝日がぬくぬくと世界を温め、湖の水面にきらきらと光が反射しています。

 

 新しい旅の一日が、また始まりました。

 

 

 〇

 

 

 湖畔を抜けて数時間歩くと、何やら見晴らしのいい場所へやってきました。

 

 地図の上では平原となっており、足首ほどの青々とした草が辺りに広がっている場所です。

 三人は草原の間に一本だけ敷かれている石畳の上を、暖かな太陽に頬を緩ませながらのんびりと進んでいました。

 

「へー、なかなか面白いところに出たわね」

「なんかこのあたり見覚えがあるのだ!」

「森林地方のすぐ隣だからねー。ってことはー、図書館が近いよー」

 

 遠くの方には建物が見えます。アトラクションとしてパークに敷設された、なかなかに大きな東洋の城です。

 レミアは見たことのない様式の建物に少しばかり興味がそそられましたが、フェネックの言葉に「それじゃあこのまま図書館へ急ぎましょう」と返事をして歩みを進めました。

 

 石畳で作られた道を歩いていると、ちょうど都合のいいことに道は城のすぐそばまで延びているのがわかりました。

 

 レミアは内心で喜びつつ、通り過ぎがてらちょっとだけ覗いてみようと考えながら、のんびりとあたりの景色を楽しみます。

 

「へぇー、いろんなものがあるわね」

「フレンズが遊び場にしてるからねー」

 

 周囲をぐるりと見ていると、何に使うのかわからない巨大なタイヤが半分地面に突き刺さっていたり。

 紙を丸めて棒状にしたものや、なにやら文字の書かれた旗が放り投げられています。

 

「さっきまで遊んでいたのかしら?」

「たぶんねー。でもー」

「どこにもいないのだ!」

 

 アライさんの言う通り、遊んだものの形跡があるわりには、肝心のフレンズが見当たりません。

 

「遊びに飽きちゃって別の所に行ってるとか?」

「こんな面白そうなものに飽きるなんて贅沢なフレンズなのだ!」

「んー…………ねぇレミアさーん」

「どうしたのフェネックちゃん?」

 

 アライさんが落ちていた紙の棒を拾う横で、フェネックが城を指さしつつ首をかしげました。

 

「なんかねー、あっちのお城のほうから声がするよー」

「あぁ、じゃああそこで遊んでいるのかしら」

「んんー……? でもねー、なんか様子がおかしいのさー」

「?」

 

 ぽりぽりと頬を掻きつつ困った顔でそういうと、フェネックはもう一度城のほうを見て、注意深く耳に手を当てて、

 

「どうしたのだフェネック?」

「……………」

「フェネック?」

「なんかやっぱり慌ててるって言うかー、困ってるっぽいかなー?」

「えぇ!? 困ってるフレンズが居るのか!?」

「たぶんねー」

「助けに行くのだ! 放ってなんて置けないのだ!!」

 

 はやくいくのだー! とアライさんは城めがけて駆けだしました。

 

「アライさん、ジャングル地方ではインドゾウに会わなかったのかしら……?」

「うーん、確かにあの状態を見てたら、助けてたと思うんだよねー」

「よね。あの感じ」

「どーするー? レミアさーん」

「とりあえず行ってみましょう」

 

 レミアたちも、後を追ってアライさんについて行きました。

 

 

 

 〇

 

 

 

 アライさん、フェネック、レミアが平原に差し掛かる少し前。

 

「おーい、ヘラジカー」

「おう! いまそっちに蹴るからなー!!」

 

 平原では数人のフレンズたちが、仲良くワイワイ遊んでいました。

 数日前にここを通ったカバンとサーバルにより、ボールを使う新しい勝負を教えてもらったのです。

 気に入ったからか珍しいからか、平原のフレンズ達には大絶賛の勝負となっていました。

 

 勝負、といいつつヘラジカ陣営もライオン陣営も、みんな笑顔で仲良く遊んでいます。たまにチームのメンバーを交換しながらボールを蹴って楽しむほどです。

 

 合戦の時のようなピリピリとしたムードは、まったくありませんでした。

 

「そっちいったぞー!」

「ちょお! 飛ばしすぎだヘラジカ!」

「すまんッ! 取ってくる!」

 

 元気な声が、晴天の平原にいくつも上がります。

 

 そんな中。

 

「よーっしライオン! おもいっきりいくぞーッ!」

「あ、ヘラジカ! ダメだってその方向は!!」

 

 ライオンの静止も聞かずに助走をつけて、力いっぱい足を振りぬいたヘラジカ。

 

「あ、しまった!」

「だから言ったじゃんかー」

 

 思いっきり蹴られたボールは、ライオンのはるか上空を飛んで城の屋根に引っかかってしまいました。

 

「あそこにいっちゃうと取れないんだよねー」

「す、すまんライオン。代わりのボールを見つけてくる」

「うちの城にはもうないよー? あれが最後だもん」

「なに! じゃあ、すぐ取ってくる!」

「いや無理だってあぶないよー。落ちたらケガするよー」

「ううぅ……」

「まぁー他の道具で代用しよっかー」

「本当に申し訳ない…………」

 

 大事な遊び道具をなくしてしまったヘラジカは、肩を落としてしきりにライオンに謝っています。

 いいってーいいってー、と明るく許してくれるライオンですが、ヘラジカはどうにかしてあのボールを取りたいと思いました。

 まだまだライオンとボール遊びがしたいのです。

 

 そんな時、

 

「私がとってくるよ?」

「ハシビロコウ! とれるのか!?」

 

 ヘラジカは驚きながら振り返り、その細身の肩をつかみます。

 ちょっとびっくりした様子でしたが、ハシビロコウは頭の羽を少し動かして、

 

「私、じつは飛べるんだよ」

「えぇ、そうだったのか? 飛んだところ見たことないぞ」

「やっぱり知らなかったんだ……」

「知らぬ! いつから飛べたんだ?」

「生まれた時からだよ……飛ぶ必要ないから、最近はぜんぜん飛んでなかったけど、あそこまでならいけるよ。とってこようか?」

「頼む! ありがとう!!」

 

 ぱぁ! っと笑顔でそういうヘラジカと、

 

「わるいねぇー、ハシビロコウ。ありがとねー」

「私もまだあれで遊びたいから……待ってて」

「あーい」

 

 ライオンも、笑顔で手を振ってハシビロコウに任せました。

 

 わっさわっさと羽を動かして、久方ぶりに体を宙に浮かせると、城の屋根より高く飛びあがります。

 

「えっと…………あ、あれだ」

 

 俯瞰の視点からほどなくしてボールを見つけました。ゆっくりと近くに降り立ちます。

 屋根の端の方に目当てのボールは引っかかっていました。

 瓦の上をすたすたと歩いて行き、カラフルなボールに手をかけた、その瞬間。

 

「え?」

 

 足元の瓦が滑り落ちました。

 ハシビロコウの左足はその上に乗っていたので、

 

「わ、あ、だめっ!」

 

 バランスを崩し、身体が傾きます。

 

 屋根の上のハシビロコウの様子がおかしいことに、下で見ていたヘラジカとライオン、そしてその他大勢のフレンズも気が付きました。

 

 ライオンが声を張り上げます。

 

「あ、あれまずい! 落ち――――」

 

 最後まで言い切る前に。

 

 ハシビロコウは数枚の屋根瓦と一緒に、足を滑らせて落下しました。

 

 〇

 

「うぅ……いたい……いたいよぉ……」

 

 城の屋根と地面の間は、軽く十メートル以上あります。

 これがもっと、言うならば本物の城のように何十メートルという高さであれば、ハシビロコウも体勢を立て直して空を飛べたでしょう。

 

 中途半端な高さのために滑空できず、また体勢も立て直せなかったばっかりに。

 ハシビロコウは左手から落下。体を強く打って動けなくなっていました。

 

 落ちた先は城の壁と塀の間。太陽の光が差し込まず、ひどくじめじめとしたところです。

 草もまだらで、むき出しの砂利が肌に食い込みます。

 

「いたぃよぉ……助けて……たすけ……うぅ……グスッ…………」

 

 声を上げることもままならないほど、痛みが体中を走り回っています。

 動けません。左腕が全く動かせず、体を起こすこともできません。

 

 目の前に見えるのは何もない空と、自分が落ちてきた黒い屋根。

 それらが涙でぐにゃりぐにゃりとゆがみます。

 

「うぅ……ヒッグ……たすけて……いたいよぉ……」

 

 誰も来ないまま数十秒。しかしハシビロコウには永遠にも思える時間が過ぎました。

 このまま誰も来ないのかもしれない。

 すごく痛い、とっても痛い。痛いけど、誰も来てくれなくて、このまま一人で死んじゃうのかな。

 

 そんな良くない考えが頭を支配し始めた時、

 

「ハシビロコウ!」

 

 ヘラジカの慌てた声が耳に届きます。

 助かった、と思うと同時に、痛みで涙が次から次へと溢れてきます。

 

「ヘラ……ジカ……? いたい……うでが……いた……」

「わかった! こっちの腕だな! しゃべらなくていい!」

「大丈夫?」

 

 ライオンも後から追いつき、ハシビロコウの腕を見て、

 

「…………ッ!」

 

 歯を食いしばりました。

 

 左手が赤黒く腫れあがっています。

 ライオンは瞬時に〝これはもう助からない〟と本能から悟りました。

 

 しかし急いで首を振って否定します。

 それは野生、それは動物の頃の考え方。

 

 フレンズのこの身体なら大丈夫。ちょっとやそっとじゃ死んだりなんて…………。

 

 必死にライオンはそう思いますが、しかしハシビロコウの腕は肘から先が赤黒く腫れ、指はピクリとも動いていません。

 体を起こそうと背中に手を入れますが、苦しそうにハシビロコウがうめいて涙をぼたぼたと流すので、これは触ってはいけないと判断しました。

 

「ラ、ライオン、どうすればいいんだッ……?」

「どうって…………どうすれば…………」

 

 必死に頭の中を思い当たって、ひとつだけ、自分がけがをした時に何をしたかを思い出します。

 ケガは舌で舐めれば治りが早いです。

 

 見たところ外側のケガではないので効くのかどうかわかりませんが、何もしないなんてことはできませんでした。

 

「ヘラジカ、効果があるかわからないけど、ハシビロコウの腕を舐めてあげて」

「わかった!」

 

 ライオンの舌はざらざらしているため余計に酷くしてしまうと思い、ヘラジカに任せます。

 ヘラジカは地面に膝をついて、なるべくハシビロコウの腕を動かさないように顔を近づけて、それからそっと舐め始めました。

 

 ライオンはその間、自分に何ができるのか、何をしなければないけないのかを必死に考えます。

 

「どうすれば……このままじゃだめだよね……博士のところへ行く? でもその間にハシビロコウが……」

 

 心臓が早鳴って冷静さを失いかけます。

 ライオンも、周りで見ているフレンズも、皆が今にも泣きだしそうな顔で途方に暮れました。

 

「うぅ………いたいよぉ…………」

「がんばれ……! ハシビロコウ……ッ!」

 

 ハシビロコウの苦しそうなあえぎと、必死に励ますヘラジカの声が城壁の影にむなしく消えた時。

 

「レミアさーん! こっちなのだー! 誰かケガしているのだーッ!」

 

 アライさんの快活な声とともに、怪我や負傷とは常に隣り合わせだったフレンズが、慌てた表情で駆け付けました。

 

 〇

 

「これで……よし。しばらくは絶対に動かさない事。あと、腫れが引くまでは心臓より高いところで固定しておくのよ」

「わかった」

 

 レミアの言葉にヘラジカが深くうなずきます。

 

 城の影、直射日光は当たりませんが十分に光の入る場所で、レミアはハシビロコウの手当てをしていました。

 

 あのあと駆け付けたレミアは、すぐにハシビロコウの状態を見抜き、

 

「これを飲みなさい」

 

 痛みで声も出ない様子の彼女に、すぐさま腰のポーチから薬を取り出して飲ませました。

 即効性の痛み止めはハシビロコウを救いました。

 

 レミアはまっすぐな木の枝を持ってくるよう他のフレンズに指示し、ほどなくして持ってきた枝を包帯とバンドで固定。

 携帯救急キットの五割を消費しながら、ハシビロコウの応急処置を済ませました。

 

「しばらくは寝ると思うわ。起きたらこの粒を水と一緒に飲ませて、それからジャパリまんを食べさせてあげて」

「わかった。これを飲ませればいいんだな?」

 

 神妙な面持ちでそう再度確認するヘラジカに、レミアは肩を叩いて「任せたわよ」と一つ声をかけました。

 

 薬が効いているため、ハシビロコウはすーすーと寝息を立てています。

 数時間もすれば効果が切れるので起きるでしょう。その時のために、レミアはヘラジカに痛み止めをいくつか渡しました。

 

「本当はちゃんと手当てをした方がいいけど、施設もなければ医者もいないから、これで凌ぐしかないわね」

「こんなケガは初めて見たのだ……大変なのだ……」

「〝骨折〟っていうのよ。冷やして固定するのが一番なんだけど、氷がないから心臓より高めに持ち上げるしかないわね。あとは、フレンズの回復力頼みよ」

「ジャパリまん食べてたら治りそうだよねー」

 

 フェネックの言う通りです。

 サンドスターがフレンズの生命維持を担っているのなら、どこかに怪我をしてもサンドスターの摂取で治してくれそうです。

 根拠はありませんが、レミアもそう思っていました。

 だからこそ痛み止めの薬さえあればなんとかなると思ったのです。

 

 〇

 

 応急手当の片づけをしていると、レミアは後ろから声をかけられました。

 ライオンです。

 

「いやー助かったよー。君凄いねー」

「ありがとう。これくらいは朝飯前よ」

「どこで覚えたのー?」

「どこって……まぁ、前にいた所かしら」

 

 へぇー、と感心するライオンに微笑みつつ、レミアは片づけを終えて立ち上がりました。

 

 先を急ぎます。図書館はすぐそこの森林地方なので、あまりここに長居するつもりはありません。

 

 アライさんとフェネックの様子が気になったのであたりを見回すと、少し離れたところでヘラジカと話をしていました。

 帽子泥棒、だったりカバンさん、の言葉が聞こえるので、自分たちの旅の目的を話しているのでしょう。

 

 そろそろ出発しないとなぁと、レミアは太陽の位置を見て内心でつぶやきました。

 可能なら今日中に図書館へ着きたいと思っています。

 

 太陽は一番高い位置に上り詰め、そろそろお昼になる頃です。

 

「…………通りがけにちょこっと見る、ね」

 

 数十分前にそんなことを想いながらのんびりと歩いていた石畳の道に、レミアはゆっくりと歩きだしました。

 

 〇

 

「もう行くの? もうちょっとゆっくりしていってもいいのにー」

「今日中に図書館へ行きたいのよ」

 

 ライオンの残念そうな顔にレミアは苦笑いを浮かべつつ、もらったジャパリまんを口へ運びました。

 

 治療代、という言葉は出てきませんでしたが、お礼ということでみんなからもらったジャパリまんを食べつつ、レミアとアライさんとフェネックは平原を出発しようとしています。

 

「まぁーカバンを追いかけるんだったら急がないとねー」

「バスとやらに乗っていたな。なかなかに強そうで早い乗り物だったから、頑張らないと追いつけんかもしれん」

 

 石畳の道まで出迎えてくれたのは、ライオンとヘラジカでした。

 

「他の子たちはどうしたのかしら?」

「ハシビロコウの様子をずっと窺っている。あと、起きた時に元気が出るようにと、果物を探しに行ってくれた者もいるな」

 

 頷きながらヘラジカは、まっすぐにレミアを見て、それから深く頭を下げました。

 

「本当にありがとう。レミアが居なかったら、ハシビロコウがどうなっていたか」

「いいわよべつに。お礼ももらったし、お互い様よ」

「もし困ったことがあったら、いつでも声をかけてくれ! この恩は必ず返す」

 

 力強い言葉でそういうヘラジカに、ライオンも続いて口を開きました。

 

「ウチからも改めてお礼を言わせてねー。あぁ、あと、これは旅のためになるかなー」

 

 ライオンはレミアだけでなくアライさんの方も見つつ、思い出すようにポリポリと頭を掻きながら、

 

「カバンたちは、ヒトの住む場所を気にしてたんだー。たぶん次に目指すのはそういう所かなぁ?」

「えぇ!? カバンさん自分がヒトだって知ってたのか!?!?」

「いんやいんやー。ハシビロコウがねー、カバンの事を〝ヒトのような気がする〟っていってさー」

「ぐぬぬぬぅぅ…………」

「あぁでも、図書館には行ったよ。一応博士には聞きに行くって」

 

 アライさんは不安げな表情でレミアを見ましたが、レミアは涼しい顔で「大丈夫よ」とだけ言いました。

 図書館には間に合わないでしょうが、博士なるものに訊けば次の目的地が見えるでしょう。いざとなればこちらも〝人の集まっている場所〟を探せばいいだけです。

 

 むしろレミアにとっては人が集まっている場所を突き止められた方が好都合でした。

 国に帰った時に、いろいろと話ができるからです。

 

 レミアはライオンとヘラジカのほうへ向き直りつつ、

 

「ありがとう。もう行くわね」

「帽子、きっと返してくれると思うぞ」

「だねー。カバンは優しいからさー、大丈夫だよ」

 

 笑顔でそう言ってくれた二人と、最後に別れのあいさつを交わして。

 

 一行は森林地方、ジャパリ図書館へ向かいました。

 

 

 

 〇

 

 

 かなり薄暗く。

 ものすごく不健康で小さな部屋。

 

 そんな部屋のモニターの前に鎮座するのは、一人の天才的なオペレーターです。

 

 兵士からは名前を〝ベラータ〟と呼ばれ、自らもそう名乗っている彼は、ただいまお楽しみ中でした。

 

「あぁ……たぶんここはこういう感じの耳で……色はやっぱりこっちかこっちかの2パターンまで絞れるから……」

 

 レミアから聞いた情報だけを頼りに、自分なりにジャパリパークを、そしてそこに住むフレンズこと〝ケモミミ少女〟をモデリングしているところでした。

 

「フェネックちゃんはいつも気だるそうな目だって言ってたし、たぶんこんな感じで……」

 

 耳で聞いただけなのに。

 通信機越しに淡々とした情報を手にしただけなのに。

 

 恐ろしいほどにこの男は正確な〝フェネックちゃん〟と〝アライグマちゃん〟をモデリングしていました。

 

 国宝級の才能の無駄使いをしているこの男ですが、一方で別のモニターには目にもとまらぬ速さで文字の羅列が動いていました。

 

「ん」

 

 ひとつ声を上げると、ベラータは隣のキーボードの前に移動して、これまた目にもとまらないスピードでタイピングします。

 

「んんー……よしよしいいぞ」

 

 〝フェネックちゃん〟のモデリングをしていた時のニタニタとした表情はそのままに。

 ベラータは軍の中枢部にある総括データベースへの侵入を試みていました。

 

 数百通りのセキュリティーと、三十秒ごとに変更される何万通りものパスワードを常に早読みして解析しつづけ。

 

 バラバラに散らばっていたレミアの情報を一つに束ねつつ、今まで見ることのできなかった肝心なところを吸い出していきます。

 

「よし。後は痕跡を消してっと……」

 

 カタカタと数秒間キーボードを叩き。

 ぽん、っとエンターキーを押して、ベラータはある一つの書類を手に入れることに成功しました。

 

 内容はまだ見ていません。どういうわけか印刷するまでファイルが開けないようになっていたので、それを解除してからモニターに映し出します。

 

「どれどれ、レミアさんの秘密のヴェールをいま剥ぎ取――――」

 

 モニターに映る秘密文書に目を通したベラータの。

 その顔から、笑顔が消えました。

 

 

 

 

 ――――〇――――

 

 

 

 

 

 以下、本特殊任務に就いた者のうち階級特進者をここに記す

 

 レミア・アンダーソン少尉

 

 この者の挺身並びに本作戦に置いての殉難を評し、ここに階級特進を認める

 

 なお彼の者は軍務規定により二階級以上の特進を認めない

 

 

 因って以下の通り軍籍を記す

 

 レミア・アンダーソン中尉 特務にて殉職

 

 




次回「じゃぱりとしょかん! いちー!」


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第十二話 「じゃぱりとしょかん! いちー!」

今話もちょっと長いです。


「殉職ってどういうことですか……レミアさん死んでるじゃないですか……」

 

 薄暗く散らかった、とてつもなく不健康な部屋の中に、震える声が響きました。

 モニターに映る内容を、ベラータは一度目頭を押さえて視線から外し、それから顔を上げてもう一度読み上げます。

 

 内容は変わりません。

 先ほどまで何の違和感もなく通信をしていたレミア・アンダーソン中尉は、数年前にとある特殊任務で死亡しています。

 

「…………」

 

 眉をひそめ、口を真一門に閉じたベラータは、すでに〝レミアが死んでいること〟に対してではなく〝なぜ通信がここに来たのか〟を思考し始めていました。

 

「記録された音声が届いているというのは……いや、俺と会話が成立していた時点でありえない。では死亡していたというのが偽装報告で、俺は間違った情報を手に入れた……いやそれもない。だったらこんなに厳重な情報管理じゃないはずです。じゃあ――――」

 

 誰も独り言を聞くものはいませんから、ベラータは思う存分口を動かしながら考えます。

 考えている一方で、キーボードをリズミカルに叩き始めました。

 情報です。今なら情報を集められます。

 

 これまで探していなかった場所。

 まさかレミアがすでに死んでいるとは思わなかったので、これまで眼中にすら入れなかったところ。

 

 つまり戦死登録者の情報フォルダを、ベラータは重点的に探し始めました。

 

「お」

 

 一分もしないうち、すぐに見つかりました。

 口元がほんの少し緩みます。

 

「こりゃどおりで掴めないわけです……フォルダごとごっそり移動しちゃって、死んでるなんてわかりませんよ……」

 

 次々と出てくる、レミア個人の戦績、出身、経歴、能力を瞬時に目を通して覚えていき、頭の中で一つのプロフィールとしてまとめ上げていきます。

 読む間も、それから読んだ後の一言感想もすべて口に出してしまいますから、ベラータの部屋には彼自身の話し声が絶えません。

 

「レミアさんは紅茶の国から家出してきて……ウソだろそれが十六の時? 狩猟生活をしていたところを軍に引き上げられて、入隊後一年で上位組織――――って、おいおいあの人俺より若いじゃないか。冗談キツイですよ」

 

 目を疑うような経歴がぽろぽろ出てくるので、そのたびに驚きの声を上げるベラータです。

 

 ひとしきりレミアの個人情報を閲覧したあと、いよいよ本格的に〝なぜレミアはここに通信ができたのか〟を考え始めました。

 

 モニターには、レミアからの情報のみで作り上げた、恐ろしく再現度の高いジャパリパークの様子を映しながら。

 スナック菓子を口に放り込み、さしておいしそうな顔もせずに、ベラータは思考の海へ飛び込みました。

 

 

 

 〇

 

 

 

 木漏れ日の透ける森の中。

 右を見ても左を見ても樹木がしっかりと生えていて、班模様の日光を心地よく地面に落としています。

 木だけではなく鮮やかな緑色の植物もたくさん生えていて、ここが確かに森林地方であることをレミアはあらためて認めました。

 

 そんな森の中の一本道、土を踏み固めて作られた歩きやすいその道を、周囲の草花と同じように陽の光のシャワーを受けながら、レミア達三人が進んでいます。

 

「この先に図書館があるのね」

「そだよー」

 

 一行は変わらず図書館を目指して、数時間前に平原を後にしたところでした。

 

 ヘラジカとライオンに別れを告げた後そのまましばらく、特にセルリアンが出てくることも、他のフレンズに出くわすこともなく歩いています。

 平穏で何もないことこそがありがたいと知っているレミアは、のんびりと辺りを見回しながら歩を進めていると、

 

「ん?」

 

 歩く先、道の真ん中に何やらふさぐような形で設置されているものが目に入りました。

 

 黒と黄色のポールを横に倒し、引っ掛けたりくっ付けたりする形でなにやら矢印がたくさん取り付けられています。

 

 不審に思いながらもレミアは矢印の指すほうを見ると、細い木々に覆われたトンネルのような道へ続いていました。

 

「これは何?」

「あーこれねー。博士たちが置いてるんだってー。文字の読めるフレンズを探しててー」

「…………?」

 

 レミアは再度首をかしげます。

 

「文字が読めるって……フレンズって文字が読めないの?」

「〝もじ〟すらわからない子もいるよー。ねーアライさーん?」

「そうなのだ! アライさんは天才だから文字ぐらいわかるのだ!」

「読めないけどねー」

「ぬぁ! じゃあ、そういうフェネックはどうなのだー?」

「私も文字はわかるよー」

 

 ニマニマと何か企んでいる笑みを浮かべながらそう言うフェネックを横目に、レミアは「そっか」と呟きました。

 

 フレンズは動物がヒト化したものです。

 動物に限らず、例えば人であっても適切な教育を受けていないと文字は読めません。

 野生動物がヒト化したところで、人のいないこの場所では文字を知る必要も機会もないということでしょう。

 当然読めない子もいるでしょうし、それが大半であるというのも簡単に予想できます。

 

 そんな感じのことをレミアは適当に自分の中で考えると、とりあえずフェネックのほうへ向き直りました。

 

「それで、つまりこの矢印の先に行けば図書館へたどり着けるってこと?」

「うんー、それでも着くけどしんどいよー? ここをまっすぐ行けば図書館はすぐそこにー」

「ま、待つのだフェネック!」

 

 矢印看板の向こう側を指さすフェネックに、アライさんは慌てた様子で反対側、つまり木々で作られたトンネルのほうを指さします。

 

「アライさんはこっちが気になるのだ! 行ったことないから行くしかないと体が言っているのだ!」

「見上げた冒険者魂ね。どうする? フェネックちゃん」

「アライさんが行きたいならそっちでもいいんじゃないかなー」

「本当か!? やった! さっそく出発なのだーッ!」

 

 アライさんの元気な声を先頭に、三人は樹木のトンネルへとくぐりこんでいきました。

 

 〇

 

「かかりましたね、助手」

「かかりましたね、博士。我々の思うつぼです」

「まさかフェネックが一緒に居るとは思いませんでしたが……」

「ひとまずあのフレンズ……いえ、〝暫定ヒトのフレンズ〟が文字を読むかどうか、そこが見ものですね」

「そうなのです、助手。カバンと同じ〝ヒト〟の実力、見せてもらうのですよ――――じゅるり」

「博士、よだれが垂れているのです――――じゅるり」

 

 〇

 

 木漏れ日のかかるトンネルを抜けると、そこは少し開けた所でした。

 ドーム状に、これまた丁寧に樹木が折り重なり、陽の光が班模様になって地面をまだらに彩っています。

 

「こっち! なにかあるのだー!」

 

 嬉しそうに手招きをするアライさんのすぐ目の前には、確かに何かがありました。

 

 何かというのも、見る人が見ればすぐにわかります。

 白い木の板に黒い塗料で文字が書かれていて、丸みを帯びたそれは一見すると簡単に読めそうな雰囲気はあるのですが。

 

 レミアは首をかしげつつ、それをしばらく見ていましたが、ゆっくりと顔をあげながら、

 

「読めないわね」

「え?」

 

 首を横に振ってため息をつきます。

 そんな様子のレミアに、驚いたのはフェネックでした。

 

 再度、フェネックは看板のほうを見て、

 

「えーっとねー……〝らくだは いちどに……えっと、なんとかかんとか500ぱいぶんの みずを のむことができる はいならみぎへ いいえならひだりへ すすもう!〟」

「フェネックぅ!?」

 

 看板に書かれた文字をなんとか読み上げたフェネックに、アライさんが驚愕の表情をつくります。

 

「どうしてこれがわかるのだ!?」

「前から図書館に通ってたんだよー。私も博士たちと同じように文字を読んでーいろんなことを知りたいのさー」

「ア、アライさんもこの、これ、できるようになりたいのだ!」

「またゆっくり博士たちに教えてもらおうよー」

「そうなのだ! さすがなのだフェネック!!」

 

 元気よくそういうアライさんにニコリと笑った後、フェネックはレミアの方へ振り返り、こてっと首を傾げました。

 レミアは顎に手を当てて何やら考え事をしていましたが、視線に気がつくと顔をあげて、フェネックをまっすぐに見ます。

 

「レミアさんも、文字は読めないのー?」

「ん? いいえ、三か国語までは読めるわよ。でも……そうね、この国の言語はわからないわ」

「……〝げんご〟ってなーに?」

「それを説明するのはあたしには無理ね」

 

 苦笑いを浮かべるレミアの背中を、じっと見ている二つの影がありました。

 

 〇

 

「なんかあいつ文字が読めないのですよ、助手」

「文字が読めない……ということは、ヒトではないのでしょうか、博士」

「わからないのです。でも特徴はどう見てもヒトなのです」

「ということは〝ヒトモドキ〟でしょうか」

「可能性はあるのですよ。そして〝モドキ〟では料理が作れるかどうか…………」

「まともな料理は作れないかもしれませんね、博士」

「あまり期待しちゃダメなのですよ、助手。ヒトモドキの料理なんて、きっとひどいに違いないのです」

 

 〇

 

「引き返しましょうか」

「だねー。私もまだ勉強中でー、ほらーこの辺がまだよくわからなくてー」

 

 フェネックは〝コップ〟と書かれているカタカナを指さして、ふるふると首を横に振りました。

 レミアもこの看板に書かれている文字が読めないので、先へ進むことはできないと判断します。

 

「アライさん、引き返してから図書館へ向かうけど、いいかしら?」

「三人集まってもできない事なのだ! もちろんここは引き返すのがそーめいなのだ!」

 

 使い方が合っているかどうかはさておいて、アライさんも引き返すことに賛成です。

 三人はそろって森の中の一本道に引き返し、それから矢印の看板を素通りして図書館へと向かいました。

 

 しばらく歩くと、赤い屋根と大きな木が見えてきました。

 構造的にもともとそうであったらしく、建物の中心から巨大な木が一本生えていて、図書館全体を大きな枝葉で木陰に落とし込んでいます。

 自然を利用して日差しと雨から建物を守る。

 一目で見事な技術であると分かったレミアは、いい施設だなぁと心中で吐露しました。

 

「あそこが図書館なのね」

「そだよー」

「博士? っていう子はどこに居るのかしら」

「普段はあそこに居るんだけどー、物音が聞こえないねー」

「どこか行ってるかもしれないのだ!」

 

 アライさんがレミアのほうに振り返りつつそう言った直後。

 

 博士と助手がレミアの頭めがけて滑空してくるのを、アライさんは偶然視界にとらえました。

 音もなく、茶色と灰色の二人のフレンズが、レミアめがけて飛んできます。

 

「レミアさ――――」

 

 あのままではレミアの頭に博士の足が当たってしまう。

 直感的にそれがわかったアライさんは声を出そうとして、その言葉がすべて口から出される前に。

 

「フッ!」

 

 レミアは反応しました。

 鋭く息を吐いたかと思うと、振り返りつつ膝を曲げ、博士の足を紙一重のところで避けます。

 そのまま止まることなく目の前の足を神速の勢いでつかむと、レミアは力任せに引っ張って抱き寄せ、

 

(子供ッ!?)

 

 抱き寄せた体が自分の身長の半分にも満たないことに気が付き、叩き付けるつもりだった体をひねります。

 衝撃を緩和するために頭の後ろに右手を入れてあげて、そのまま地面に倒れこみました。

 

 ソフトな引き倒し方だったので、博士はかろうじて怪我をしませんでしたが、

 

「……これは、謝ったほうがいいのですか?」

「わざとぶつかってきたならそうね」

「………………あ、謝るのですよ。我々は賢いので」

 

 地面に押し倒された博士の首元に、ナイフがペタリと当てられていました。

 

 〇

 

「アフリカオオコノハズクの博士です」

「助手のワシミミズクです」

 

 図書館の前。

 足首ほどの柔らかい草と、指先ほどの色とりどりな花が咲いている、なんとものどかな風景の中で。

 

 博士と助手を前に三人は自己紹介を進めていました。

 

「レミア・アンダーソンよ。レミアって呼んでほしいわ」

「アライさんなのだ!」

「フェネックだけどー、私のことは知ってるよねー?」

「知っているのですよ。このところ訪ねてこないから、文字の習得をあきらめたのかと思ったのです」

「サバンナのほうにいっててねー」

 

 博士が頬を膨らませるのを何食わぬ顔でさらりと流し、フェネックは言葉を続けます。

 

「今日は文字の勉強じゃなくてー、ここにきたフレンズのことについて教えてほしいんだー」

「アライさんの帽子が盗られたのだ!」

「帽子? あぁ、もしかしてカバンの事ですか?」

 

 助手が落ち着いた声でアライさんに返し、アライさんの「そうなのだ! どこに行ったか教えてほしいのだ!!」という叫び声にも、いたって冷静にうなずきます。

 

「教えてやってもいいのですが」

「我々に料理を作るのです」

「博士たちまだそれやってたのー?」

 

 あきれたような声を上げるフェネックは、肩をすくめながらレミアのほうを見ました。

 首をかしげて「料理?」と呟くレミアに、フェネックが説明をしてくれるようです。

 

「博士たちはねー、文字の読めるフレンズを探して〝りょうり〟をさせたいんだってー」

「そうなのです」

「ジャパリまんがあるわよね? それは食べないの?」

「どうして料理と聞くとどいつもこいつも〝ジャパリまんでいいじゃないか〟というのですか、助手」

「我々はグルメなのです。ジャパリまんは食べ飽きたのです」

「あー、なるほどそういうことか」

 

 博士と助手の言いたいことが分かったレミアは、何度もうなずきながら、

 

「言われてみればあたしもそろそろ飽きてきたわ。料理を作ってふるまえば、カバンさんがどこへ向かったか教えてくれるのね?」

「お前に料理が作れるのですか? ヒトモドキのくせに」

「ヒトモドキ……?」

「博士、まだヒトモドキという動物がいるかどうかを我々は確認していませんよ」

「そうでした助手。これは仮の名前なのです」

 

 何やらわけのわからないことを言っているなぁとレミアは思いましたが、どうやら料理ができるかどうかを、この二人は気にしているのだ、ということはわかりました。

 レミアは一つ胸を叩いて、自信ありげに答えます。

 

「これでも一人暮らしが長いのよ。狩ってその場で捌いて食べたこともあるし、家に持ち帰ってちゃんと調理をしたこともあるわ」

「なにか背中に寒気がしたのですよ」

「したのです……」

 

 戦場での食料調達は言わずもがな、レミアの個人的な趣味は狩猟です。

 幼いころから銃に慣れ親しんできたのは狩猟を楽しんでいたからであり、また手に入れた動物を余すことなく上手に食べる方法も知っています。

 つまり料理そのものは得意なことでした。

 

「とりあえず、食材はあるのかしら?」

「ついてくるのです」

 

 ジャパリパークにレミアの望む肉料理は存在しませんが。

 図書館の机の上にはさまざまな種類の食材と、どこで調達してきたのか実に豊富な調味料、そして栓の開いていないお酒が用意されていました。

 

 〇

 

 レミアは図書館の中に入った瞬間から、辺りに視線をめぐらすと「ここ、調べないといけないわ」と小さくつぶやきました。

 

 数百冊の蔵書が保管されたこの施設は名前の通り図書館、つまり情報の宝庫です。

 そこかしこに本があり、書庫があり、そして書類がありました。

 

(さっきの文字は異国の物だった。読めるかどうかわからないけど、調査する価値は十分にあるわ)

 

 レミアは机の上の食材たちに目を通す一方で、自分の任務としていることも考えます。

 

 考えた結果。 

 

「料理を振る舞うことの報酬に、もう一つ付け足してほしいわ」

「なんなのです?」

「ここを調べさせてちょうだい」

「だめなのです」

 

 あっさりと。

 考えるそぶりも見せずに博士は即答しました。

 

「ここは我々の家なのです。いくら料理をふるまったからと言ってそう簡単には見せられないのです」

 

 博士がレミアを見上げながらそう言い、その横で助手が、

 

「でも、もし本当に我々が満足のいく、とってもとってもおいしい料理を出してくれたら見せてやってもいいのです」

「我々がおいしいと思う料理が作れたら、好きなだけ調べ物をすればいいのです」

「満足のいく、ねぇ……そう、わかったわ」

 

 レミアが頷きます。どこか座った眼をしていましたが、再び机の上の食材を確認する作業に移ります。

 

 そんなレミアの様子はつゆ知らず、博士と助手はレミアから少し離れたところで、声を小さくして会話していました。

 

「これでいいのですか、博士」

「これでいいのですよ助手。こうすればたぶん本気で料理を作るのです」

「ヒトモドキでも本気を出せばおいしい料理が作れるかもしれない、ということですね」

「そうなのですよ」

 

 そんなことをつぶやいている二人でしたが、当のレミアはたとえ博士たちが満足しようがそうでなかろうが、勝手に図書館内を調べつくすつもりでした。邪魔なんてさせません。

 邪魔してきたら丁重に縛り上げてしばらく黙っていてもらおう。その間に仕事を済ませよう。

 

 レミアは何食わぬ顔でそんな予定を立ててから、この子たちにどんな料理を作ってあげようかと思案しました。

 

 〇

 

 小麦粉、油、砂糖とその他を少々。

 

 レミアは着々と使う食材を選んでいき、最後に博士たちに確認します。

 

「じゃあ、あたし達がおいしい料理を作ったら、カバンさんの向かった先と、この図書館の中身を調べさせてくれるわね?」

「おいしい料理を作って〝我々が満足したら〟なのですよ。満足できない料理はダメなのです」

「わかってるわよ」

 

 肩をすくめながら、レミアは必要な材料を外の調理場へ運び出していきます。

 

 なんでも博士たちが言うには、ここジャパリパークの施設は今でもラッキービースト達によって整備、使用可能な状態にしてもらっているそうです。

 

 レミアはジャングル地方へ入る時の、あの一体しか見たことがありませんから、あれが複数いるという博士の言葉に驚きました。

 これまでの旅で二体目を見ることがなかったのですから不思議なものです。

 

 そして自分が唯一見たラッキービーストは、どことなく違和感があったことを思い出します。

 

「そういえば、あたしと話した奴は変なノイズが走っていたわね」

「ノイズですか?」

 

 たしかに、あの日の夜。

 レミアと会話を交わしていたラッキービーストの音声からは、変なノイズが混じって聞こえていました。

 こういうものなのだろうと思うには少々違和感が強かったので、レミアはちゃんと覚えていました。

 

 そんなレミアの言葉に博士は首をかしげます。

 

「ラッキービーストがしゃべるということは、レミアは――――いえ、そんなことよりもまず」

「はい、博士。ノイズというのは気になりますね」

 

 博士と助手が調理場のすぐわきでお互いに顔を見合わせ、しばらくああでもないこうでもないと議論をします。

 何やら話し込んでいるなぁとレミアは思いつつ、着々と料理の準備を進めていきました。

 

 数十秒経って、博士があきらめたようにため息をつきながら、

 

「レミア、よくわからないのです」

「〝ノイズ〟が何かわからなかったの?」

「いやそれはわかるのですよ。我々は賢いので」

「賢いので」

「我々は数日前、カバンが連れていたラッキービーストがしゃべっているのを見たのです。でもその時は――」

「ノイズが走るほどの老朽化は認められませんでしたね」

「なのです。つまり、レミアの勘違いなのでは?」

「そんなことないわよ」

 

 軽く笑いながら手を動かしつつ、レミアは振り返らずにそう言いました。

 勘違い、とは言えないでしょう。パークのガイドロボットにしては音声機器に問題があるぐらいにはハッキリとノイズが聞こえていました。

 

 博士たちはその後も〝人が居ればラッキービーストはしゃべる〟〝あいつらは案外頑丈〟〝人が作って残したものなので詳細は今もまだ調査中〟と、二人仲良く説明してくれました。

 

 レミアはふむふむとうなずきつつ、用意した鍋に油を注ぎました。

 

 〇

 

 雑談を交えつつ。

 

 レミアは調理場の、火を扱う場所に油を並々と注いだ鍋を設置、木の枝をその下に組んでいきました。

 

 会話中もそうでしたがレミアは一切本や資料を見ずに淡々と作業をこなしています。

 まるでよどみなく慣れた様子で作業をするレミアに、博士が心配そうな声で話しかけました。

 

「レミア? そこは〝火〟を使う場所なのですよ? 何をしてるのですか?」

「なにって、油を温めないと揚げ物は作れないわ」

「〝油〟って……あのヌルヌルして気持ち悪いやつですか」

「そうよ。火を使って温めるのよ」

 

 博士はカバンのやっていたことを思い出します。

 虫眼鏡で小さな火をおこし、そこから徐々に大きくしていき、鍋を火で温めて〝煮る〟をやっていたあの光景です。

 

 レミアがぬるぬるで何をしようとしているのかはわかりませんでしたが、火を使おうとしているのは博士たちにもわかりました。

 

 要するに、全ては火がないと始まりません。

 カバンたちにはそう簡単には渡せないと言いましたが、実は火を起こせる道具を博士たちは持っていました。

 もしカバンが火を起こせなかったら、最終的には料理中に渡してやるつもりだったあれです。

 

 あのマッチですが、残念ながらもうカバンに渡しています。手元にはありません。

 

 そこで博士たちは気が付きました。

 もしレミアが火のおこしかたを知らなかったら、何やら淡々と慣れた様子で作っているものが食べられなくなります。

 

 まずいです。このままでは料理が失敗するかもしれません。

 それは、レミアにカバンの居場所を教えたり、図書館を調べる代わりに料理をさせるという、根本的な作戦の意味がなくなってしまうことを意味しています。

 

「り、料理が食べられないのは困るのですよ……」

「こまりましたね」

「どうするのです、助手?」

「ここはやはり……」

 

 だから今からでも、火を使わない美味しい料理を作らせようかと思った、その時。

 

 レミアは腰に巻いているポーチから何やら取り出し、木の枝にかざしたかと思うと一瞬で火をつけてしまいました。

 

「ちょ、レミア、それはなんなのですか?」

「火をつけたのよ」

「いやそんなことはわかるのですよ……それ、その手の小さなやつはなのです?」

「これ? あぁ、ライターよ。見たことないの?」

「知らないのですよ。そんなものどこで手に入れたのですか」

「自前よ。もともと持ってたの」

 

 涼しい顔でそういうレミアに、

 

「何者なのですか、博士」

「わ、わからないのですよ……フレンズ化したときからあんなものを持ってるなんておかしいのです。ヒトモドキどころかフレンズモドキかもしれないのです」

「ラッキービーストが反応していたということはヒトである可能性が高いのですが」

「ちゃんと料理できるのか、ますます心配なのですよ」

「心配ですね」

 

 レミアの起こした火からだいぶ離れたところで。

 恐るおそるそんな会話を、二人はひそひそとしていました。

 

 〇

 

 それから数十分。

 

 博士と助手の心配なんてつゆ知らず。

 三人は順調に料理をしていきました。

 

 火加減の調整が必要なので小枝をアライさんに取って来てもらったり、小麦粉と砂糖をこねるのはフェネックにやってもらったり。

 レミアは温まった油によく練った白いドロドロをそっと入れ、いい感じに焼けたら取り出します。

 

 三人は力を合わせてあるお菓子を作っていました。

 レミアは本なんて見ていませんから、博士と助手はおろか手伝っているアライさんとフェネックも、何が出来上がるのかさっぱりわかりません。

 

 油からひきあげたものに砂糖をまぶしたり、または少しだけシナモンを振りかけたりして――――。

 

 こんがり焼けたキツネ色の、おいしそうなドーナツが出来上がりました。

 お皿に盛り付けてテーブルに置いて行きます。

 

 〇

 

「えぇ! アライさんたちの分もあるのか!?」

「手伝ってくれたお礼よ。たくさんあるから」

「へー初めて見るねーこれ」

「いい匂いなのだ! 〝りょうり〟? とかいうの、はじめて食べるのだ!」

「これはドーナツていうのよ。本当は小麦粉だけじゃなくてもうちょっといろいろ必要だけど……まぁ十分食べれるわ」

 

 テーブルには博士と助手、アライさんとフェネックの四人が座っています。レミアは立ったままです。

 それぞれのお皿には、おいしそうに揚がったドーナツが二つ、砂糖味とシナモン味が盛り付けられていました。

 

「それでは、再確認なのです」

「我々がおいしいと言ったら合格。カバンの居場所を教えるのです」

「レミアさんに図書館の中を見せてあげるのもねー」

「わかっているのですよ。美味しかったら見せるのです」

 

 それでは。

 

「召し上がれ」

 

 レミアの一声で四人ともドーナツを手に持って、フェネックとアライさんは思いっきりかぶりつきました。

 

「…………」

「…………た、食べてみるのです」

 

 カレーの時の辛さを思い出した博士と助手も、恐るおそる小さな口でかじりつきます。

 

 二人が持っているのは砂糖味。

 外はカリッと、中はふわっと揚がった砂糖まみれのドーナツは。

 生まれて初めて食べるその味は。

 

「合格」

「おかわりなのです」

 

 一口で博士と助手を満足させました。

 

 口の周りを真っ白に染めながら、二人は一心不乱に食べていました。

 

 〇

 

 それからアライさんとフェネックが追加で合わせて五個食べて、博士と助手は一人当たり八個食べて。

 多めに作っていたはずのすべてのドーナツを平らげてしまいました。さすがのレミアも苦笑いを浮かべます。

 

 片づけをして、洗い物をして、ほっとけば日の光で食器が乾くように置いてから。

 建物の中央に貫いている大木が、午後の陽光を気持ちよく透かしている図書館へ全員が入りました。

 

 博士と助手はとても満足そうに、

 

「おなかいっぱいなのです」

「飛べなくなるほど食べたのは初めてなのです」

 

 そう言いながらお腹をさすっています。

 ポッコリと服の上からでも膨れているのがわかるお腹に、レミアは微笑みながら約束通りカバンさんたちの居場所を博士から聞きました。

 

「カバンはヒトなのです」

「ヒトはもう絶滅しているか、どこかに行ったのか……とにかく、ヒトを探して旅を続けると言っていたのです」

「絶滅……パークの危機を境目に居なくなったっていうのは本当なのね」

 

 レミアは、ビーバーとプレーリーの家で聞いたアライさんの話を思い出しました。

 人はパークから消えてしまった。どこに居るのかわからない。

 

 博士たちは絶滅したと言いましたが、しかしレミアはそれはないだろうと内心で異を立てます。

 もし絶滅しているのであればレミアの国の存在はどうなるのだということです。

 

 〝絶滅〟という言葉は、思うに〝勝手にフレンズたちがそう思っていること〟なのだろうとレミアは推測しました。

 であれば人はどこかに居て、その場所を探してカバンさんたちは旅を続けているということになります。

 

「ヒトがどこに集まっているのかはあなた達も知らないの?」

「知らないのです。ここに住めなくなったのか、あるいは別の場所に居るのか」

「とにかく我々ではわかりませんね」

 

 首を振る二人に、レミアは残念そうに「そう」とだけ返事をしました。

 

 つまりこれではカバンさんたちの最終目的地はわからないということです。ですが、

 

「次の目的地はわかるかしら?」

「たぶんぺパプのライブを見にいったのですよ」

「我々、騒がしいところは嫌いなので特別待遇のチケットをカバンたちに渡したのです」

「次に向かっている場所は、きっとライブ会場なのです」

「その情報だけでもありがたいわね」

 

 ひとまず目的地が決まりました。

 願わくはその場所で、カバンさんたちの次の目的地を訊きたいところです。

 

「アライさん、聞いた?」

「ばっちりなのだ! 図書館を出発したら、ライブ会場へ向かうのだ!!」

 

 〇

 

「で、次は図書館の中を調べさせて頂戴ね」

「いいのですよ」

「好きなだけ見るのです」

 

 博士と助手の許可をもらい、レミアは図書館の中の本を見ていきました。

 

 かなりの数があります。らせん状の階段を上った先にもありますし、奥の方にもずらりと並んでいます。

 ただ、そのどれを見てもレミアには読めませんでした。

 

 異国の文字の背表紙を見ても、瞬時に何の本なのかはわかりません。わかりませんから、レミアの目的は初めからそれらの本ではありませんでした。

 

 この図書館に入った時から。

 レミアは、おおよそここが普通の図書館ではないことに勘づいていました。

 

 普通の使われ方をしていない。

 本を読むためだけの場所ではない。

 

 それは、まったくその文字は読めませんが、明らかに図書館としては異質な書類がところどころに落ちていたり、本の間に挟まっていることから判断した〝軍人としての勘〟でした。

 

 すなわちここはただの図書館ではなく、人間が何かしらの作戦会議に使っていた可能性が高いと踏んだのです。

 書類は読めませんが一応拾っていき、そこに書いてある図や文字の配置を確かめていきます。

 

(明確な何かを伝えようとしているのが雰囲気でわかるわ。作戦指令書、あるいは作戦立案書……そんな感じかしら)

 

 険しい目で見ていきますが、いかんせん文字が読めないので書いてある内容はわかりません。

 図が描かれている、比較的何かの手掛かりになりそうなものは折りたたんでポーチにしまっていき、あとの書類はそのままです。

 

 本ではなく、そこら辺にある紙を読んでいるレミアの様子に、フェネックとアライさんは不思議な視線を送っていました。

 

「フェネック、レミアさんは何をしているのだ?」

「調べものだと思うよー。でも文字が読めないから、困ってるんじゃないかなー?」

「なぬ!? 困ってるのかレミアさん! じゃあアライさんにまかせるのだ!」

「アライさん文字読めないじゃーん」

「違うのだフェネック! 博士たちなら読めるのだ!」

 

 そう言い、アライさんは博士たちのところに駆け寄ります。

 椅子に座って幸せそうな顔でお腹をさすっている二人に、アライさんは腰に手を当てて言いました。

 

「レミアさんが困っているのだ! 文字を読んであげて欲しいのだ!」

「むぅ……〝ドーナツ〟という料理はとってもおいしかったので、我々もなるべく力になってあげたいのですが」

「あの紙は我々にも読めないのですよ」

「どうしてなのだ? 博士たちは文字が読めるはずなのだ!」

「我々だってまだ完璧に読めるわけではないのです。ある程度は読めますが。我々は賢いので」

「〝ひらがな〟と〝かたかな〟は完璧に読めるのですよ。我々は賢いので」

「????? 読めるのに、読めないってどういう意味なのだ?」

 

 まるでわけがわからない様子で、アライさんは首をかしげます。

 そんなアライさんの後ろからひょいっと顔を出して、フェネックは博士に言いました。

 

「〝かんじ〟はまだ博士たちも読めないんだー?」

「あれは相当に難しいものなのですよ、フェネック」

「賢い我々でも、いくつかの〝かんじ〟しか読めないのです。だいたい数がありすぎて難しすぎるのですよ、あれ」

「まぁーひらがなとカタカナが読めたら十分な気もするけどねー」

「あの紙にはひらがなもカタカナも漢字も全部使われているのです。あんなの誰も読めないのですよ」

「そもそも、あれを文字であると特定した我々はすごいと言えるのです、博士」

「そうなのですよ助手」

 

 お互いにうなずく博士たちを横目に、フェネックはレミアの方へ向き直ります。

 その耳がぴくぴくと動き、なにやら見つけ出したレミアの声を、

 

「レミアさーん、なにかあったー?」

「えぇ」

 

 フェネックは興味深く聞きました。

 

 〇

 

「あぁ、その箱は開かないのですよ」

「どこを探しても鍵がないのです」

 

 博士たちとアライさん、フェネック、そしてレミアが取り囲んで見下ろしているのは。

 

 図書館のカウンターの隅の方、書類に埋まるような形で置かれていた、一つの金属製の箱でした。

 

 大きさは縦横奥行きが全て40センチほど。

 色は薄い灰色で、立方体の、いうならば金庫のような頑丈な箱です。

 

 鍵穴が本体に直接くっついているので、カフェにあった南京錠とは比べ物にならないほど頑丈な鍵でした。ダイヤルはありませんがまさに金庫と言える代物です。

 

「開けにくいわねぇ……」

「え、開けるつもりなのですか?」

「無理なのですよ。中に何かが入っているのは確かめましたが、我々が長年どれだけ知恵を絞っても、開けられなかったのです」

 

 首を横に振る自称賢い二人に、レミアは右腰のホルスターからゆっくりとリボルバーを抜きながら助言します。

 

「二人とも少し離れて、耳をふさいでいたほうがいいわ」

「どうしたのですか?」

「博士、何か嫌な予感がします。ここはしっかりと耳をふさいでおきましょう」

「え、あ、わかったのですよ助手。ぴったりなのです」

「ぴったりです」

 

 両手を耳に当てて、ついでに膝もたたんでしゃがみ、さらに目まで瞑って、二人はいったい何に怯えているのかと心配されそうな格好になったのをレミアは確認してから。

 

 すどん。

 

 図書館がびりびりと震えるような轟音を鳴らしつつ、鍵付きの箱をぶち抜きました。

 

「まだね」

 

 すどん。

 すどん。

 

 合計三発を鍵穴の位置とその少し上、そして少し下に叩き込んで、鍵を構成しているパーツを粉々に粉砕します。

 灰色の箱は見事に鍵が吹き飛んで、箱のふたと本体の間には隙間ができました。

 すぐにでも開けられそうです。

 

 ですが、レミアは箱には手をかけず、

 

「たしかフクロウは耳が敏感なのよね? 大丈夫かし――――」

 

 リボルバーを戻しつつ博士と助手の様子を案じて振り返ります。

 レミアの視線の先には、しゃがんだまま涙目でプルプルと震えている助手と、

 

「…………」

 

 えらく細身になった博士を見て、しばらく申し訳ない気持ちになりました。

 

 〇

 

「無事開いたのだけど、どうする? 見る? っていうか聞こえるかしら?」

「ぎ、ぎりぎり大丈夫なのです」

「次やるときはちゃんと知らせてから鳴らすのです……」

「我々、大きな音はきついのです」

「きついのです」

 

 危うく死ぬところだった、とでも言いたそうな顔で、二人はレミアと一緒に箱を取り囲みました。

 もちろんアライさんとフェネックも、箱にはまだ触れずにおとなしくレミアが開けるのを待っています。

 

 アライさんはもうそろそろ限界なようで、

 

「き、気になるのだ……早く見たいのだ……」

 

 鼻息が荒くなってきています。

 

 レミアはそっと、たった今飛ばしたばかりの鍵の部品を完全に箱から取り外し、ふたに手をかけ、ゆっくりと上に持ち上げました。

 

 金属製の箱はカンコンと特有の音を立てつつ開き、中から出てきたのは、

 

「…………」

 

 日記でした。

 手帳サイズの古びた日記が、厳重な金属製の箱の中にポツンと、ただそれだけが入っています。

 表紙にはペンで書かれた手書きの筆跡がありました。

 

「…………? これも文字なのですか?」

「見たことのない文字ですね」

「フェ、フェネック読めたりしないのか!?」

「いやー私に訊くのは間違ってると思うよアライさーん」

 

 そこに書かれていたものは。

 レミアの読める三か国語の中でも、

 

「これ…………」

 

 生まれ故郷の文字にそっくりでした。

 細部は少しだけ違いますが、使われている文字の種類も、文法も、慣れ親しんだ故郷の言語にそっくりです。

 異国の文字に埋もれた図書館の中、突如自分の読めるものが出てきたことに、レミアは手のひらが熱くなるのを感じました。

 

 そして。

 

 そして、レミアの目を奪ったその表紙には。

 

 ――――〝ここを訪れた未来の人間へ〟

 

 ただそれだけが、慌てた様子で書かれていました。

 

 

 

 




次回「じゃぱりとしょかん! にっき!」


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第十三話 「じゃぱりとしょかん! にっき!」

 数えきれない星々と、それに負けないくらい輝いているサンドスターが、真っ暗な空を彩るそんな静かな夜のこと。

 

 ジャパリ図書館も例外なく夜に包まれる中、レミアとアライさん、フェネックはまだ図書館の中にとどまっていました。

 

 日記を見つけた時点ですでに日が傾き始めていたことと、レミアがこの日記をすぐにでも確認したいことを理由に、図書館で一泊することとなったのです。

 

 小さな机の前に座るレミアは、図書館内の木の根元で身を寄せて眠るアライさんとフェネックをなんとなく眺めていると、静かな声で後ろから声をかけられました。

 

「では、我々は向こうで本を読んでいるのですよ」

「あら、寝なくて大丈夫なの?」

「我々は夜行性なのですよ。夜は活動時間なのです」

「夜でもばっちり見えるのです。本を読むのも余裕なのです」

 

 そんなことを言い残して、窓から月明かりが入ってくるテーブルに座ると、博士と助手は向かい合って薄めの本を読み始めました。

 

 レミアは、目の前の机に向き直ります。

 ロウソクの明かりが柔らかく手元を照らし、古びた分厚い日記を浮かび上がらせていました。

 

「さて……じゃあ、あたしも読もうかしら」

 

 図書館の中央から貫くように伸びている大木の、その根元で気持ちよさそうに寝ているフェネックとアライさんをもう一度ちらりと一瞥してから。

 

 レミアは静かに〝ここを訪れた未来の人間へ〟と走り書きされている文字を指でなぞり、日記の最初のページをめくりました。

 

 

 

 

 〇

 

 

 6月3日

 

 今日から日記をつけていこうと思います。

 いや、本当は面倒くさいんだけど、おばあちゃんが「データより紙のほうがずっと長く記録は残るんだよ」っていうから、まぁ頑張って研究した成果ぐらいは書き残しておこうかなぁって。

 

 でも今日は書くことあんまりないから、これでおわり。

 

 

 〇

 

 

 6月4日

 

 そう言えば私自身のこと書くの忘れてた。

 ほら、あれ。事故とかで記憶喪失になったら、自分の日記を見返して〝思い出したぞー!〟ってなるの、ドラマとかでよくあるじゃん?

 だから書いておこうかなーって。

 

 もし私が私を忘れたら、下の記述をよく見てね!↓↓

 

 名前:リリー・アイハラ

 年齢:ヒ・ミ・ツ!(ここの研究所では最年少なんだって!)

 性別:え、もちろん女だよ? さすがにわかるよね?

 性格:んんー……難しいなぁ……。

 

 ――――。

 ――――――。

 ――――――――。

 

 

 

 〇

 

 

 レミアはちょっとページを飛ばしました。

 日記の最初の方は特に重要そうなことが書かれてないように思えたからです。

 

 ただ一つ、この日記の筆者は、完全にレミアの母国語と同じ言語を使っているわけではなさそうだということは、短い分量でしたが読み取りました。

 

 ところどころレミアに読めない単語がありました。レミアが知らない単語であったというよりは、知っている単語が変化しているような、あるいは別の意味で使われているような節がみられます。

 

「似てるけど違う言語……西の海を渡ったところに、そんな国があるって聞いたわね」

 

 もしかしてそこの言葉かしら?

 

 そんなことを考えながら、読み飛ばしたページに目を落とします。

 

 

 

 

 〇

 

 

 8月20日

 

 今日はセルリアンの観測に成功しました。

 色が黒色で、比較的集団で観測されています。

 

 セルリアンに関してはまだまだ研究することが山済みです。現場からの情報やサンプルを、もっと有効に活用しないとですね。

 

 

 〇

 

 

 8月23日

 

 ここ三日は忙しすぎて日記が書けなかったけど、今日は書きます。晩ごはんのハンバーグがおいしかったので。

 この三日間で随分と黒セルリアンに関しての研究が進んだようです。

 

 一つに、サンドスターが無機物に当たるとセルリアンが誕生するというのは以前からの研究成果で証明されているのですが、黒セルリアンはサンドスターの噴出する山の地下、つまりマグマにサンドスターが当たることで誕生しているという仮説が強そうです。

 

 ただそれについてもまだ確定ではないので、まぁ私の日記ではこれくらいしか書けないかなぁ。

 

 明日の朝は何食べよう?

 

 

 〇

 

 

 8月24日

 

 今日の晩ごはんは焼肉でした。柔らかくておいしかったけど、フレンズの子と一緒に食べたのはアレどうなんだろ。

 なんかいけないことをしたような……でもライオンちゃんとだったし、いいよね別に。肉食だもん。

 

 研究はちょっと進んだかな。

 黒セルリアンを構成する物質は、サンドスターの観測地点よりも下で生成されるっぽいから〝サンドスター・ロー〟という名前になりました。

 マグマとサンドスターの融合だとしたら、どうやってサンドスターと分離させるかが重要ですね。

 

 明日の朝ごはんはホットドック食べたいなぁ。

 

 

 〇

 

 

 8月30日

 

 日記とか言いつつも毎日は書けないよねそりゃ。私だって忙しいですもーん。

 

 今日は疲れたから成果だけ書くよ。

 セルリアンは全体的に光に向かって指向してるかもだって。セルリアン全体としては〝無機物だったころの物質の特徴を強く引き継いでいる〟って研究仮説が立ったんだけど、これ、私としては合ってそうな気がするんだ。

 

 まぁ科学者が「合ってそうな気がする」なんて不確かなこと言っちゃいけないんだけどね。もしこの仮説が正しかったら、黒セルリアンが太陽に向かって進んでいるのに、海には入らないことの理由を説明できるんだよね。

 

 

 〇

 

 

 9月1日

 

 今日の晩ごはんは現場の人と一緒でした。ミライさん面白い人だったー!

 あ、サンドイッチ美味しかったです。卵っていいよね。

 

 研究成果は特になし!

 また一緒にご飯食べたいなー。

 

 

 〇

 

 

 9月5日

 

 ここ数日は大変でした。

 サンドスター・ローが異常に排出されて、これまでの観測史上最大級のセルリアンが誕生しました。黒セルリアンはこちら側の攻撃を受ける、あるいは黒セルリアン自身の動きで、小さなセルリアンを撒き散らすことがわかりました。

 

 意図的に小セルリアンを作り出していたという報告もあるので、注意しないといけませんね。

 

 それと、大本の黒セルリアンを倒せば、周囲の飛び散ってできたセルリアンも溶岩に変わることが確認できました。

 

 

 〇

 

 

 9月6日

 

 石を破壊して倒した後のセルリアンが、元となった無機物の状態に戻るのは黒セルリアンだけのようです。

 水を元とした青セルリアンも、砂や岩を元とした赤セルリアンも、倒すと何も残らなかったのに、黒セルリアンだけは溶岩になります。

 

 ……不思議ですが、何か関係があるはずです。調べましょう。

 

 今日の晩ごはんはホイコーローでした。ピーマンが苦かった。

 

 

 〇

 

 

 9月10日

 

 ここ数日ですごい仮説が立ちました。

 

 いろいろあるのですが、中でも驚きなのがセルリアンの指向パターンです。

 あくまで仮説にすぎませんが、

 

 〝光が最優先、次がサンドスター濃度の高い場所、最後にセルリアン同士が引き合う〟

 

 というものです。

 だからいつも一定数以上のまとまった数で観測されて、サンドスターの供給がなくなると徐々にその数を減らすんですね。

 

 生け捕りにしたセルリアンをうまく使えば、まとめて多くを対処できるかもしれません。

 フレンズたちの安全を守るためにも、なるべく早く確定情報にしたいですね。

 

 

 〇

 

 

 9月12日

 

 もはや日記というか備忘録のような……まぁ毎日は書けないですし、仕方ないですよね。

 今日の晩ごはんは久しぶりにハンバーグです。豆腐でカサ増ししました。

 ふわふわでしたが、でもやっぱりお肉百パーセントが一番おいしいですね。

 

 明日はおやすみだー! おばあちゃんのところ行ってきまーっす!

 

 あ、研究報告は特になし!

 

 

 〇

 

 

 9月13日

 

 長くなりそうだけど、がんばって書くぞー!

 

 おばあちゃんから、私が小さい頃に一度だけしてもらったお話を、また聞けました。

 ひいお婆ちゃんがまだ子供だった頃に、ここの研究所で起きた戦争の事です。

 

 戦争って言ってもそんなに大きなものじゃなくて、今の私ならわかるから書くけど、分隊クラスの衝突だったみたい。

 前々からサンドスターの利権に口を出していた国が、何をとち狂ったのか武力行使に走ったんだって。

 

 でも、たまたまその時お忍びで視察に来てた別の国の偉い人がいて、その警護の人たちがめちゃくちゃ頑張って追い返したって話。

 

 まぁこれだけなら別に子供に聞かせるようなおもしろい話じゃないんだけど、何がすごいってその警護の人たちのうちの一人が、私のひいお婆ちゃんをずっと守ってくれてたってこと。

 

 ひいお婆ちゃんは、その日たまたま研究所に遊びに来てて、ちょうどその時襲撃があって、怖くてずっと泣いてたんだって。

 そりゃ泣くよ。今の私でもそんなことあったらオシッコちびっちゃう。

 

 でも警護の人はものすごく強くて、ひいお婆ちゃんのことをしっかり守ってくれてたんだって。

 しかもそれは女の人! びっくり! 

 名前は教えてくれなかったそうだけど、背が高くてすごくきれいな人だったって。

 

 でも、ひいお婆ちゃんがお礼を言う前にどっか行っちゃったみたい。詳しい話は、それ以上は聞けなかったなー。

 

 今までで一番書いた。つかれた。寝る。

 

 

 

 ――――。

 ――――――。

 ――――――――。

 

 

 

 〇

 

「…………」

 

 ページをめくっていた手を、レミアは一度止めました。

 

「……研究所の襲撃? 要人警護?」

 

 小さく、口の中だけでそう呟きます。

 

 何か引っかかるものがありました。

 胸の奥の方でチクリと刺すような、しかし具体的には何がそうさせているのかわからない、とにかくチクチクモヤモヤした気持ちが湧き上がってきます。

 

「…………まぁ、いいかしら」

 

 どこか、頭の隅にも鈍い痛みを感じながら。

 レミアは続きを読み始めました。

 

 

 

 〇

 

 10月2日

 

 しばらく日記を書いてなかったけど再開します。

 

 研究が進みました。

 

 〝セルリアン同士は互いを引き付けあう〟というものです。

 

 度重なる試行の結果なので、これはもう確定と言っても良いでしょう。

 ですが引き続き研究を続ける必要はありますね。

 

 より正確に、より多角的に、です!

 

 

 〇

 

 10月3日

 

 今日はお婆ちゃんの方から研究所に来てくれました。

 何なら泊っていけばいいのに、用事があるからってすぐ帰っちゃったよ。ちぇ。

 

 でもほら、この間の話の続き、もうちょっと詳しいのが聞けましたよ。

 ひいお婆ちゃんが子供の頃にあった、研究所襲撃事件。

 

 ちょっと悲しいお話だった。

 ひいお婆ちゃんを守ってくれた女の人、実はその時死んでたんだって。

 名前はレミアさんって言――――。

 

 

 ――――。

 ――――――。

 ――――――――。

 

 

 

 〇

 

 ガタッ!

 

 レミアは大きな音を立てながら、座っていた椅子から飛び跳ねるように立ち上がりました。

 

 目から入ってきた今の情報が、頭の中で繰り返されます。

 

 〝研究所襲撃〟

 

 〝偉い人の警護〟

 

 〝子供〟

 

 〝防衛戦〟

 

 〝死んでいた〟

 

 目の前が暗くなるような感覚と、手の平からすぅっと血の気が引いていく感覚が重なります。

 立っているのか座っているのかもわからない、曖昧な意識が漂います。

 

「レミア! どうしたのです!」

 

 そんなレミアを見てただ事ではないと駆け寄ってきた博士たちですが、レミアはそちらの方を見ることもなく、錯乱した様子で頭を抱えました。

 

「あた……あたしが……うそでしょ……? いや、だって……」

「レミア! しっかりするのです! レミアッ!」

「これ、だって、ひいお婆ちゃんって、何年前の……い、いや、それより、あたし、あた、そ、そんな――――」

「レミア、どうしたのですか!!」

「あ、あたし、死んで――――」

「レミアッ!!!」

 

 助手が鋭く叫び、その場で宙に飛び上がると、ひざを突き出してレミアの側頭部を思いっきり蹴り飛ばしました。

 

 レミアは避けることも受け止めることもできず、助手の蹴りをもろにくらいます。

 バランスを崩しながら大きな音を立てて倒れました。

 

 そんな一連の騒動の中で、易々と寝られるものではありません。

 アライさんとフェネックはとっくの昔に起きていました。

 

「ど、どうしたのだ!」

「…………?」

 

 声を上げるアライさんと、状況をすぐに分析し始めたフェネックは、

 

「あ、あた、あたし……そんな……」

 

 床にうずくまる、これまで見たこともないほどに取り乱しているレミアを見て、言葉を失いました。

 

 

 〇

 

 

「少しは、落ち着いたのですか?」

「…………えぇ」

 

 震える声でそれだけを答えたレミアの周りには、アライさんとフェネック、博士と助手が座っています。

 階段の一段目に腰かけているレミアを、全員が心の底から心配した表情で見守っていました。

 

「……全部、思い出したわ。あたしがどうしてここに居るのか」

 

 下を向いたままの、ひどく濁った眼と。

 

「…………死んで、いたのね」

 

 暗く落ち込んだ、絶望に塗られた声で、レミアは小さくそう言いました。

 博士と助手が顔を見合わせ、アライさんとフェネックはどう声をかけたらいいのかと落ち着かない様子です。

 

 レミアは日記から、自分が既に命を落としていることを悟りました。

 

 日記の筆者であるリリー・アイハラという研究員の、おそらくは曾祖母に当たる人物を守って、自分は命を落としています。

 

 それも数日前や数年前の話ではなく、何十年も、下手をしたら百年以上も前の事。

 

 そんな状況で国へ帰るなんてことができるのでしょうか。

 帰ったところで、百年以上消息を絶っていた自分に、帰る場所なんてあるのでしょうか。

 

 ありません。

 帰る場所なんて、どこにもありません。

 

「……………」

 

 声を出す気力もなく押し黙ってしまいます。

 

 ふと、ベラータとの通信がレミアの頭をよぎりました。

 彼のことはレミアも知っていました。

 それはつまり、今レミアの生きているこの時から、ベラータは百年以上前の人物であるということ。

 

 なぜ通信がつながったのでしょうか。

 そんな昔の人間に通信回線がつながるわけがありません。

 

 彼の言っていた言葉を思い出します。

 

 〝ほかの通信回線にはつながらなかったのではありませんか?〟

 

 あの時すでに、レミアとベラータの間には百年以上の時間のずれがあったはず。

 ならば通信できるわけがない。なのになぜ?

 いいえむしろ、ベラータのみと繋がったのは、どうして?

 

 レミアは考えて。

 考えて、しかし、もう、それすらも、考えることそのものが無駄であると思い。

 

「は……はは」

 

 一切の思考を捨てました。

 ジャパリパークから帰れば、ここの情報を伝えて有効活用できるという考えも。

 フレンズたちを祖国の力で保護しようという考えも。

 

 自分がすでに死んでいて、百年以上経っているのならばそれは限りなく無価値です。

 そもそも帰られたとしても、どこに伝えればいいのでしょうか。

 百年もあれば一国の軍隊は変わります。レミアの存在は過去になっているか、それとも忘れ去られているか。

 

 どちらせよ、もうレミアには帰る場所がありません。

 その事実が急激に心をむしばみます。

 

 膝に顔を伏せ、抑えがたい喪失感と悲しみに耐えようと。

 努めて自分の気持ちを無視し続けようとして、しかしそれもかなわず、体が震えてしまいます。

 

 そんなレミアの肩に、そっと、優しく触れる手がありました。

 レミアは顔を上げることもしませんでしたが、触れたのは博士です。

 

 そのままそっと、優しい声で言葉を紡ぎ始めます。

 

「レミア、そのままでいいからよく聞くのです。サンドスターは動物の死骸や剥製からもフレンズ化させるのです。だからフレンズの中には、レミアのような子もいるのですよ」

 

 博士の静かな言葉を、助手が引き継ぎました。

 

「中には数万年、数千万年の時を超えて、もう一度歩いたり走ったり、しゃべったり笑ったりしているフレンズもいるのです。それは、つまり」

「つまり、いま――――レミアは確実に生きているということなのですよ」

 

 その言葉に、レミアの肩の震えが止まりました。

 ゆっくりと顔をあげます。

 泣きはらして赤くなった目が、博士と助手にはよく見えました。

 

「レミア、よく聞くのです。過去に何があったのかは我々もよく知らないし、別に知る必要もないのですよ」

「賢い我々だって、もしかしたら死骸から今こうしてフレンズになったかもしれないのです」

「なので、その…………なんといえばいいのですか? 助手」

 

 博士がくるりと助手のほうを向き直ります。

 ほんの少しだけ、助手は肩をすくめてから、

 

「――――だから〝いま〟を生きるのですよレミア。たとえ一度生物としての機能を停止していたとしても、〝いま〟は生きているのです。美味しいものをいっぱい食べられるのです」

「…………」

「そうなのですよ。元気だしてくれないと、我々はドーナツが食べられないのです」

「そうなのです。つまり我々は困るのです」

「は、博士と助手は結局それが目的なのだ! なんか話がよくわからないと思ったのだ!」

「やーアライさん、実は博士たちはすごくいいこと言ったんだよー? 最後ので台無しだけどー」

 

 アライさんの叫び声と、フェネックの落ち着いた声が図書館に響きます。

 

 そんなフレンズたちのいつも通りの会話を聞いていて。

 蚊帳の外ではなく、岡目八目ではなく、レミアは彼女たちに囲まれてその話を聞いて。

 

 くすり、とひとつ微笑みを浮かべました。

 

 〇

 

 月の明るいジャパリパークの夜。

 図書館の中では五人のフレンズが、離れた所にある、ろうそくの光に顔を照らされながら。

 

「…………ありがとう、みんな。もう、大丈夫よ」

 

 戦うことが得意なフレンズの、そのあまりにも危険だった心を救ったのでした。

 レミアはいつも通りの、涼しい微笑みを浮かべています。

 

 もう大丈夫そうです。いつものレミアが帰ってきました。

 

 アライさんとフェネックはもちろんの事、博士と助手もホッとした表情でお互いに笑みを浮かべてから、思い出したように口を開きます。

 

「あぁ、レミア。それと今だから言えることなのですが」

「我々がとあるフレンズから聞いた話をしておくのですよ」

 

 博士たちはまっすぐにレミアの、まだ少し泣きはらした後の赤みがかった目を見つめながら続けます。

 

「サンドスターは三千万年以上前の動物もフレンズ化させたのです。なので」

「なので、百年ちょっとなんてちょいです」

「ちょいちょいです。こんくらいです」

 

 博士は片手をレミアの前にあげて、その人差し指と親指でわずかな隙間を作りました。

 そのままニコッと笑って、

 

「これはあくまでそのフレンズと、我々の知能による考察なのですが」

 

 ――――〝サンドスターは、過去と未来へ行くこともできるのですよ〟

 

 博士のその言葉に。

 

 レミアは耳を疑い、言葉にならない驚きの声を上げ、目を見開いたまま固まりました。

 

「…………どういう、ことかしら?」

 

 やっとのことでそれだけをつぶやいたレミアに、博士と助手は立ち上がって胸を張りながら答えます。

 

「我々が〝博士・助手〟とみんなから呼ばれている理由を見せびらかすのですよ」

「博士、見せびらかす必要はありません。…………まぁとにかく、我々は賢いのでそのことを突き止めたということです」

「ちょ、ちょっと待って、説明が雑すぎるわ」

「まだ説明していないのです」

 

 博士と助手は二人で向き合い、その真ん中を指さしました。

 

「いまわれわれが居るのがここなのですよ」

「それで、博士の居る側が過去、私のいる側が未来だとします」

「サンドスターは〝動物だったもの〟をフレンズ化することもありますが――――」

「明らかに、我々の知りえない動物がフレンズになっているケースもあったのです」

 

 博士と助手はその後も何事かと解説をしてくれましたが、それを聞いていたレミアとアライさんにはチンプンカンプンで。

 

「あぁー……博士たちー、すごいけどさー。それ気づいても大丈夫なことなのかなー」

 

 フェネックだけは理解したような様子で、そう言い放ちました。

 

「とにかく、理由はともあれ条件を満たせば過去に行けるかもしれないのです」

「方法はまだわかりませんが〝実際に体験している〟フレンズが居て、そしてレミアがフレンズであり、レミアの死んだ時期にもサンドスターが存在しているのならば、不可能ではないはずなのですよ」

「だから、もっと希望をもって生きるのです」

「必ず住み家へ帰るのです。料理は……それまでにたくさん作ってくれれば、我々は満足なのですよ」

 

 満面の笑みで。

 博士と助手はレミアをまっすぐ見据えながら、そういいました。

 

 レミアは二人の言っている意味がよくわかりませんでしたが、そんな笑顔につられて、小さく肩をすくめながら微笑みました。

 

 

 〇

 

 

 薄暗く不健康で小さな部屋。

 雑多な機械がいたるところに散乱しているその部屋の、机とモニターの前に座る人物は、通信が入ったことを知らせている端末機をそそくさと手に取りました。

 

「はい、こちら西部方面軍以下略のベラータです」

『その辺ちゃんとしたほうがいいわよ』

「どうせカットしますし、相手はレミアさんだと分かってますから問題ないでしょう」

 

 軽快でふざけたやり取りもほどほどに、ベラータは単刀直入に自分の疑問と、そしてこれまで集めた情報の確認をレミアにぶつけました。

 

「レミアさん。あまり驚かずに聞いてほしいのですが、あなたは今現在、俺の集めた情報では死んだことになっています」

『死んでいるどころか死後百年以上経っているわよ。あたしのいるところではね』

「すみません一度通信切ってもいいですか」

『ええ、五分待つわ。その間に頭の中を整理しなさい』

「了解」

 

 通信を切って、ベラータは一度深呼吸して、それから吐きそうになるほど自分が混乱していることを自覚しつつ、とりあえずいつものスナック菓子を口へ放り込みました。

 

「落ち着け俺。…………レミアさん強すぎだろ」

 

 〝強すぎだろ〟にはいろいろな気持ちが込められていましたが、とりあえずベラータはレミアに対する認識を改めることにしました。

 

 具体的には〝東部方面軍の英雄〟という認識から〝東部方面軍の化け物〟にランクアップです。

 自分が死んでいることの報告をあそこまで淡々とできる人間は、きっと化け物並みの精神力に違いない、というのがベラータの考えた最大限の言い訳です。

 

 実際のところレミアは心身喪失しかけていたので全然そんなことはないのですが、奇しくもベラータの知るところではありませんから、どうしても結果だけ聞くとレミアが異常なほどタフな人間に思えてしまいます。

 

「レミアさんは化け物……レミアさんは化け物……うん」

 

 そう唱えるとちょっと落ち着いてきます。化け物なら何が起きてもまぁ想定できるかなと。

 かなり強引に自分を納得させたところでちょうど五分が経ち、レミアから再び通信が入りました。

 

『落ち着いたかしら?』

「俺の頭の中ではかなーりの被害が出ましたが、とりあえず落ち着きました」

『いいことよ。それじゃあ、これからその被害を広げてしまいそうな報告をしていくわね』

「あの、一つ、その前にいいですか?」

『いいわよ』

「その報告ってのは、俺の今までの常識とか当たり前とかの概念をいったん忘れて聞いた方がいい感じのものですか」

『そうね。きっとそうよ』

「了解です」

 

 それから数十分間。

 ベラータはスナック菓子をサクサクぽりぽりと口に放り込みながら、レミアからの報告を聞いていたのでした。

 正気を疑うような報告が相次ぎましたが、常識の一切をかなぐり捨てるつもりで聞いていたベラータは、案外すんなりと受け入れます。

 

「つまり、百年以上の時を超えてこうして通信ができているのは、サンドスターによる作用だと?」

『例の日記に書いてあることと、博士たちの言うことを統合するとそうなるわね』

「〝フレンズを生かすためにあるゆる作用をする物質〟ですか。…………レミアさんを生かすために、サンドスターがこうして時を超えた通信を可能にさせている、と」

『きっとそうね。初めてこの通信をあなたに繋げられた時も、山が噴火した直後だったわ』

「なるほど」

 

 頷き、手元のキーボードを猛烈な速度で叩き。

 ベラータは自分自身がモデリングしたジャパリパークに、新たにサンドスターの概念を埋め込みました。

 

 未だにブラックボックスの多い概念ですが、レミアから聞いた丁寧な情報と、これまで自分がため込んできたあらゆる分野の知識とを統合していき、

 

「……やっぱり、随分と興味深いものがまだまだこの世の中にはあるんですね」

 

 今自分の生きている世界のどこかにも、ケモミミ少女の住む楽園があることを確信して喜んだのでした。

 

 そうです。ワクワクしているのです。

 端末の向こうに居る女性は百年の時を超えて蘇り。

 そして百年後の未知の技術にあふれた場所があり。

 

 その上、ケモミミ美少女の楽園が広がっている。

 

「ふふ……たまりませんね」

 

 ついいつもの癖で独り言を呟きながら口元をほころばせていると、通信機の向こうから改まった様子で、レミアの声が聞こえてきました。

 

『ねぇ、ベラータ』

「どうしました?」

『まだこのジャパリパークに人がいた頃、その、パークの人間が何を想っていたか、あたしはこの日記から知ることができたわ』

 

 それは、何かを決意したような声でした。

 

『どんな想いかわかるかしら?』

 

 まるで楽しいいたずらを思いついた子供のような声で、レミアは問いかけます。

 ベラータはフッっと軽く笑うと、分かりきったことを訊かないでくださいよ、と前置きして。

 

「――――人は本気で、フレンズのみんなを守ろうとしていたんですよね」

『そうよ。でも叶わなかったの。だからこの日記を大切に遺した』

「…………なるほど、そういうことですか」

 

 ニヤついた笑みはそのままに。

 すうっと目を細めます。

 

 人はジャパリパークを守ろうとした。

 フレンズのみんなを守ろうとした。

 

 でも叶わなかった。最後まで居ることができず、パークから退去するしかなかった。

 代わりに意思を託すつもりで、廃棄したパークに日記を残した。

 

 そして再び、そんなジャパリパークに人が訪れたのならば。

 

『あたし達は思ったよりも大事な役目を任されたそうよ』

「ケモミミ少女のためなら、俺はなんだってしますよ」

『……そうね。あたしもせいぜい、二度目の人生を上手に使うわ』

 

 百年の壁を越えて。

 一人の兵士と、一人のオペレーターは、お互いに小さく笑みをこぼしたのでした。

 

 

 〇

 

 

「本当に日記、持って行ってもいいの?」

「どうせ我々には読めないのですよ。レミアがじっくり読んで、またここへ来た時に教えてほしいのです」

「ついでにドーナツもまた作るのですよ」

「えぇ、わかってるわよ」

 

 レミアは肩をすくめながら笑顔でそう言いました。

 

 朝日がゆっくりと森林を温め、木漏れ日が土の道に降り注ぐ気持ちの良い朝。

 図書館の前ではアライさんとフェネック、そしてレミアが博士たちとの別れの挨拶をしていました。

 

「博士、言い忘れてたのだ!」

「どうしたのですかアライグマ」

「山に入りたいのだ! お宝? が眠っているそうなのだ」

「?」

 

 アライさんの言葉に博士は首をかしげただけだったので、フェネックが丁寧に捕捉をします。

 

「というわけで、山に入りたいのさー」

「あそこは神聖な場所なのですよ。そんな理由で入れるわけには――――」

 

 言い淀んだ博士のコートを、ちょんちょんと助手が引っ張りました。

 

 極々小さい声でやり取りします。

 

「博士、もしかすると四神の位置のことを示しているのかもしれませんよ」

「え? そうなのですか?」

「分かりませんが、そうだとしたらすごい情報です。後をつけるのもアリです」

「むぅ……だとしたら、アリなのです」

 

 二人は小さい声でやり取りをしていましたが、その内容をフェネックはばっちりと聞き取っていました。

 さすがの耳です。伊達ではありません。

 

「フェネック、アライグマ」

「どうしたのだ!」

「山へ入るのを許可するのです」

「おおー! 博士も太っ腹なのだー!!」

 

 嬉しそうにそう叫ぶアライさんの横で、フェネックは何も言わず、しかし静かに微笑みました。

 

「それじゃあ、そろそろ出発するわね」

 

 レミアの一声で、アライさんとフェネックは前を向いて歩きだします。

 レミアもついて行こうと振り返った時。

 

「レミア」

 

 博士に呼び止められました。

 

「どうしたの?」

「最近、ハンターたちの間でよくないうわさが広がっているのです」

「……よくない噂?」

「サンドスターも異常なほどに出ています」

「注意するのですよ。セルリアンに食べられると、どうなるかわからないのです」

「過去に戻ることもできなくなるかもしれません」

「わかったわ。ありがとうね」

「……我々はおかわりを待っているのですよ」

「だからかならず、またおいしいドーナツを作るのです」

 

 そう言う博士たち二人に、別れの言葉の代わりとして。

 レミアはひらひらと、左手を振って答えました。

 

 




次回「ぺぱぷ!」


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第十四話 「ぺぱぷ!」

「じゃーねー! ギンギツネ、キタキツネー!」

「ありがとうございました!」

 

 ジャパリバスに乗って手を振るサーバルとカバンに、ギンギツネとキタキツネは大きな声で返事をしました。

 

「気を付けて行きなさいよー!」

「またねー」

 

 ひと時を過ごしたカバン、サーバル、ラッキービーストともお別れです。

 真っ白な雪の上を滑らかな挙動で、黄色いジャパリバスはその姿を小さくしていきました。

 

 見えなくなるまで手を振っていたギンギツネは、ゆっくりと手を下ろすと隣を見ます。

 

「キタキツネ、もう一回お風呂入らない?」

「やだ。ゲームする」

「あなたいつもゲームしてるわね……」

「それを言うなら、ギンギツネもいつもお風呂入ってる」

「それはまぁ」

 

 納得しそうになったギンギツネは、言いくるめられていることに気が付いて「いやいや」と首を振ります。

 自分の胸元を少し引っ張って、

 

「そうじゃなくて! これ、毛皮が脱げるなんてすごいことが分かったのよ!? いろいろ試してみたいじゃない」

「ギンギツネが一人ですればいい。毛皮脱ぐと寒い」

「うぅ……」

 

 キタキツネはそう言いながら温泉宿の戸をくぐり、一度足を止めてギンギツネに向かって手招きしました。

 

「寒いよ。入ろう」

「……そうね」

 

 肩を落としながらしぶしぶ後に続きます。

 ギンギツネは、ゲームのスイッチを入れて遊び始めたキタキツネを一瞥すると、ふっと肩の力を抜いて頬を緩ませました。

 

「ねぇ、キタキツネ。これからハンターを呼ぼうと思うんだけど、そのあとセルリアンのことについて話が終わったら、一緒にお風呂入らない?」

「えー」

 

 あくまでゲームの画面をじっと見ているキタキツネは、そんな渋めの反応をしてから数秒後に、

 

「……ここクリアしたら入ってもいいよ」

 

 小さな声で照れくさそうに、それだけを言いました。

 

 〇

 

 それからしばらくして。

 

「ギンギツネ、居るか?」

 

 温泉宿に一人の来客がありました。

 真っ白な髪の毛に真っ白なコート、背中にはこれまた白くて大きな武器が背負われています。

 

 首元にはふわふわのファーがあしらわれ、寒い気候でも充分に暖かそうな装いです。

 寒い地域をなわばりにしていることが、一目でわかるようなフレンズでした。

 

「久しぶりね、ホッキョクグマ。ずいぶん早かったんじゃない?」

「例のあれのおかげだ。〝電話〟……だったかな? 便利な道具だな」

「でしょう? キタキツネが直したのよ。あれを使えばハンターをすぐに呼べるから、おかげで私達も助かっているわ」

「以前はどうやって呼んでいたんだ?」

「私が走って呼びに行ってたのよ」

「……電話が直って良かったよ」

 

 ホッキョクグマは肩をすくめながら少し困ったように笑いました。

 

「運がよかった。もう少し連絡が遅かったら、大変なことになっていたかもしれない」

「?」

「まぁ、中で話そう」

 

 二人は建物の中へ入ると、手ごろな椅子に座りました。

 先ほどのホッキョクグマの言ったことに怪訝そうな顔を浮かべつつ、ギンギツネが口を開きます。

 

「何かあったの?」

「ここ最近、セルリアン騒動が頻繁に起こっているのは知っているな?」

「えぇ、ジャングル地方が大変だったって……でも、あれはもう解決したって聞いたわよ?」

「ジャングル地方のセルリアンは何とか片づけられたそうだが、砂漠やサバンナでも大量のセルリアンが見つかっているらしい」

「えぇ!?」

「お前が私を呼んだのも、雪山にセルリアンが出ているからだろう?」

 

 ほぼ確信しているかのようなホッキョクグマの口ぶりに、ギンギツネは何度も頷きます。

 

「あなた達ハンターにお願いして、セルリアンを退治してもらおうって思ったんだけど……」

「まぁ量や大きさにもよるが、この雪山地方に残っているのは私一人しかいない。どこまでやれるかは分からん」

「他の子たちは?」

「サバンナへ向かった。私はほら……暑いのが苦手だからさ」

 

 苦笑いを浮かべるホッキョクグマに「そうよねぇ」と頷くギンギツネは、しかし一度向き直って、口元を引き締めつつ呟きました。

 

「……どうして、そんなにセルリアンが?」

「パーク全体に、って意味か?」

「そう」

 

 一度ホッキョクグマは視線を宙に浮かせ、少し考えた後で言葉を続けます。

 

「山が今まで以上にたくさん噴火しているらしい。そのことと何か関わりがあるのかもしれんが……まぁ、詳しいことはわからないな」

「………心配だわ」

 

 ギンギツネは、バスに乗って去っていったカバンとサーバルを頭に思い浮かべながら、思わずそう呟きます。

 うつむき加減のギンギツネに、ホッキョクグマは白い髪を揺らしながら首を傾げました。

 

「どうかしたのか?」

「友人が港へ向かったのよ。あの辺りは山も近いから、もしかしたら何かあるかもしれないわ」

「セルリアンの目撃情報は聞いていないが……わかった。雪山をどうにかした後で、そっちにも向かってみよう」

「いいの?」

 

 ホッキョクグマの言葉にギンギツネは驚き、それから顔をほころばせて感謝の言葉を述べました。

 

 〇

 

 温泉には三人のフレンズが浸かっています。

 ギンギツネとキタキツネ。それからホッキョクグマです。

 全員毛皮――――もとい〝服〟をすべて脱いだ、いわゆるスッポンポンの状態で温泉の暖かなお湯に肌を預けています。

 

 雪山に出たセルリアンを退治してもらうためにホッキョクグマは呼ばれたわけですが、ギンギツネの話を聞くにそれほど急を要するわけではないと分かったので、外へ出る前に少しだけ浸かっておこうという流れになりました。

 

 ギンギツネとしては毛皮が脱げるんだという新発見を、ホッキョクグマにも知ってもらいたかったのでしょう。

 期待通り、スッポンポンで温泉に入った彼女はこれまでとは全く違う心地よさに喜んでくれました。

 

「すごいな、これ。こんなにも温かくて……なんというか、気持ちいいな」

「でしょう? さっき言った、港に向かっている友人が見つけたのよ」

「何て名前なんだ?」

「〝カバン〟っていうの。変わった名前だけど、もともとは〝ヒト〟のフレンズだったらしいわ」

「ヒト? 聞きなれない動物だな」

「私も初めて聞いたわ。キタキツネも」

「そうだよ。ねぇもう上がっていい?」

「もうちょっと浸かってなさいよ。入ったばかりじゃない」

「えーやだー。ゲームしたいー」

「ははははは、ギンギツネ、もう上がらせてあげればいいじゃないか」

「もう……」

 

 しぶしぶそう言うギンギツネから解放されつつ、キタキツネは温泉から上がって建物の中へ入っていきました。

 その様子を、つまり素っ裸のキタキツネの後姿をじっと見つめていたホッキョクグマは、急に何かを思い出したような顔をします。

 

「なぁ、ギンギツネ」

「なに?」

「そういえば、ちょっと前に聞いたうわさなんだがな」

「?」

「セルリアンが大量に出ているところで、奇妙なフレンズを見たって子がいるんだ」

「奇妙なフレンズ……?」

「あぁ。なんでもそのフレンズは――――」

 

 白い湯気があたりに薄く立ち込める温泉にて。

 ギンギツネとホッキョクグマは、少しのぼせてしまうほどに、そのフレンズの事を話し込みました。

 

 

 

 〇

 

 

 

 図書館を出発したアライさんとフェネック、レミアの三人は、水辺地方を移動していました。

 右を見ても左を見ても水がたくさんあり、太陽の光を反射してキラキラと輝いています。

 

 ところどころ水面から飛び出るようにして土の山が盛られ、山の表面は柔らかな草で覆われています。

 

「綺麗なところね、ここ」

「水がいっぱいなのだー!」

「そういうのが好きなフレンズがー、たくさんいるっぽいねー」

 

 フェネックの言う通り、泳ぐことが好きだったり、水の中で暮らすことを好むようなフレンズが、ところどころに見られます。

 

 三人は板張りのまっすぐな道を進んでいました。

 前をちらちらと確認しつつ、レミアは手元の日記を読んでいきます。

 

 もうずいぶんと読み進めたので、このパークのことについてだいぶわかってきました。

 

 この世界がレミアの生きていた世界から百年以上も後であったことも含めて、レミアを驚かせ続けている日記です。

 ページに目を通すたびにレミアは目を見開いたり、ほんのちょっとですが声を上げています。

 

 普段は冷静というか、どこか落ち着いた雰囲気のレミアがそんな調子で読んでいる内容ですから、もちろんアライさんとフェネックも気になります。

 

「それで、続きはなんて書いてあるのだ?」

「そうねぇ、長くて何日にもわたって書かれているから、簡単にまとめると……〝セルリアンにも意思のようなものが見える〟ってところかしら」

「??? 〝意思〟って何なのだー?」

 

 フェネックのほうを見ながら首をかしげるアライさんに、フェネックはいつもの余裕たっぷりな笑みを浮かべながら答えました。

 

「〝気持ち〟って言えばいいかなー。アライさんが帽子を取り返したいって思うのと同じような感じだよー」

「え、じゃあセルリアンも帽子を追いかけているのか!?」

「例えばの話だってばー」

 

 困ったように肩をすくめるフェネックと、なんとなく意味を理解しつつも微妙にずれた納得の仕方をしているアライさんを横目に、レミアはこれまでの記憶をぼんやりと思い返します。

 

「そういえば、ジャングル地方で橋の上に居た時も、そんな感じのものを見たわね。フェネックちゃん覚えてるかしら?」

「セルリアンが水の中に入るときに、石を上に向けてたのー?」

「そう、それよ。あたしが撃ったら、後ろに居た奴らも水の中へ入るのをためらったの」

「つまり、どういうことなのだ?」

「セルリアンには、少なくとも〝怖い〟とかって気持ちがあるのかもしれないわ」

 

 よくわからないけどね、とレミアは付け足しながら、日記のページをめくっていきました。

 

 〇

 

 しばらく歩くと何やら見えてくるものがありました。

 

「うん!? なにかあるのだ! あれが博士たちの言っていた〝ステージ〟なのか??」

「そうみたいだねー」

 

 目の上に手を当てて遠くを望むアライさんに、フェネックは頷いてからレミアのほうへ顔を向けました。

 

「たぶんあそこに居るのがそうかなー?」

「ぺパプ、って子たちね」

 

 ステージの上で後片付けをしている六人の姿を捉えたので、一行は足早にステージへと向かいます。

 

 それほどかからないうちに、作業をしていたうちの一人、髪の毛を後ろで二つくくりにしているフレンズ――――プリンセスが気付いてくれました。

 

「あら? どうしたの。残念だけどライブはもう終わっちゃったのよ」

 

 プリンセスの言う通り、太陽は西の空へ傾いてオレンジ色に輝いています。

 まだしばらくは明るいでしょうが、数時間もすると夜になりそうです。

 

「そのライブって、もしかして〝ぺパプ復活祭〟っていうのかしら」

「ん? そうだけど」

 

 不思議そうな顔で首をかしげたプリンセスに、質問を飛ばしたレミアは何事か少し思案すると、フェネックに確かめるような口調で確認しました。

 

「たしか、カバンさんたちが目指したのって」

「〝ぺパプ復活祭〟だねー」

「……ってことは、もしかして」

 

 レミアはプリンセスの方へすたすたと歩いて行きました。

 

「うぇ!? な、なに??」と上ずった声で後ずさるプリンセスの少し手前でとまり、目線を合わせるためにかがむと、

 

「あなた、ここで〝カバンさん〟って子を見てないかしら?」

「え? あぁ、その子なら見たわよ……? VIP待遇チケット持ってたし、その……いろいろあったけど、ついさっきまで一緒に居たわ」

「うえぇぇぇぇッッ!! カバンさんさっきまでここに居たのかー!!??」

 

 ステージ中に響き渡ったアライさんの大絶叫は、もれなく注目を集めることとなりました。

 

 〇

 

「そうね、ほんの少し前にバスで出発しちゃったわ」

「そんな……カバンさんに逃げられたのだ……」

「いや逃げてるわけじゃないんだけどねー」

 

 肩を落とすアライさんの背中をそっとさすりながら、事も無げに言うフェネックです。

 

 ステージから降りてすぐのところ、観客席と通路の間で、フレンズたちは話し合いをしていました。

 

 主にアライさんとレミアが質問をしては、ぺパプのメンバーとマネージャーのマーゲイが、知っていることを答えてあげているようなそんな感じの会話です。

 

「それじゃあ、立ち去ってからそれほどの時間は経っていないのね?」

「たぶんそうだと思うけど……どうかしら?」

 

 困った顔で呟くプリンセスの言葉を、コウテイとイワビーが引き継ぎます。

 

「時間は経っていないと思うが、あのバスというものは結構な速さで動いていたぞ」

「ありゃーなかなか歩いて追いつくのは難しいと思うぜ?」

「どうして、カバンたちを追いかけているんだ?」

 

 コウテイの素朴な疑問に、アライさんは両手のこぶしを握り締めながら前のめりになって説明します。

 

「アライさんの帽子が盗られたのだ!」

「そういえば、カバンさんは帽子をかぶっていましたね」

 

 ジェーンが思い出すようにしてそう呟きましたが、すぐにアライさんのほうへ向き直ると、

 

「でも、誰かの物を盗ったりするような子ではないと思うのですが……」

「あ、あれはでも、絶対にアライさんの帽子なのだ!」

「うーん」

 

 アライさんの言葉を信じ切れていないような様子です。とはいえ、カバンさんと居た時間もそれほど長いわけではありません。

 ジェーンはどうしたらいいのか分からず困り顔です。

 

 すると、そばで聞いていたレミアが、穏やかな声でそっと補足しました。

 

「盗った盗られたは確かめようのないことだけど、カバンさんのかぶっている帽子は、もともとアライさんの物なの。それは確実だから、もしまたどこかでカバンさんに会う機会があったら、伝えてもらってもいいかしら?」

「いいですよ。みんなもそれでいいですか?」

「えぇ、私は別にいいわよ」

「いいよ」

「伝えとくぜ! 大切な帽子なんだろ?」

「そうなのだ、アライさんの思い出なのだ!」

「おぉ……それは大事にしないとな!!」

 

 にかっ! っと花の咲くような笑顔でそう言ってくれたイワビーに、アライさんも明るい表情でうなずきます。

 

 レミアは頃合いがいいなと判断したのか、その流れのまま話題を変えました。

 ここに来た最大の理由にして、これを聞き出せなかったらカバンさんに追いつくことが難しくなってしまう、そんな大切な質問です。

 

「それで、カバンさんがどこへ向かったか、あなたたちの中で知っている子はいないかしら?」

「港へ向かうって言ってたわよね?」

 

 プリンセスの言葉に全員がうなずきます。レミアは内心でガッツポーズをとりながら、続きを促しました。

 

 詳細を話してくれたのはマーゲイでした。

 思い出すようなそぶりで指を頬にあてながら、

 

「たしか、カバンさんはヒトのフレンズだって言ってましたよね? それで、ヒトのなわばりを探すために港へ行くって」

「どうして港なの?」

「うーん、それはですね」

 

 マーゲイの言葉を、プリンセスが引き継ぎます。

 

「私の友達が、港でたくさんのヒトを見たらしいのよ。だから行ってみるって。でもそれ、結構昔のことだから……」

「パークから立ち去るときは〝船〟に乗って行ったのだ! だからヒトは港に居たのだ!」

「え? あなた、どうしてそんなことを知っているの?」

 

 アライさんの言葉に怪訝そうな表情を浮かべたプリンセスですが、それはひとまず置いといてとレミアが切り出したので、言われるままに話を続けました。

 

「えっと、だから……」

「カバンさんは港へ向かっているのね?」

「うん、そうね。ヒトの住みかを探すって言ってたけど、さっきも言った通り、ヒトが港で目撃されたのはずいぶん昔の事よ。もういないと思うわ」

 

 首を横に振るプリンセスに、レミアは丁寧にお礼を言いました。

 

 カバンさんが港へ向かっているという情報を手に入れられただけでも十分な収穫です。

 レミアは頭の中で地図を思い描き、最短で港へ着くにはどうすればいいかを考え始めました。

 

 そんな時。

 

「そーいえばー」

 

 ここまで一言もしゃべっていなかったフルルが、おっとりとした声音で口を開きます。

 ぺパプとマーゲイはもちろん、アライさんとフェネックとレミアも、フルルの方へ向き直りました。

 

「港で聞いた話だけどー、島の周りって海になってるんだってー」

「…………フルル」

 

 プリンセスが肩を落としていましたが、そんなことはお構いなしに続けます。

 

「それでねー、渡り鳥の子から聞いたんだけどー、海の向こうにはすっごく大きな建物があるんだってー」

「建物?」

 

 今まで聞いたことのない話に、プリンセスは顔を上げて身を乗り出しました。

 

「フルル、それ、もうちょっと聞かせて」

「うーん、そんなによく覚えてないんだけどー、なんかすっごく尖っててー、鳥の子たちの休憩場所になってるんだってー」

 

 海の向こうの、すごく尖った巨大な建物。

 レミアは何のことかと思考をめぐらそうとしましたが、考えたところでわかるわけがないと思いすぐにやめました。

 代わりに質問を飛ばします。

 

「あなたは直接見たわけじゃないの?」

「見てみたかったからー、飛ぼうと思ってステージからジャンプしたら足が痛くなったのー」

「あぁ、それでこの前泣いてたのね……」

「……フルルらしいな」

 

 何やら苦労を思い出した様子のプリンセスと、コウテイの困ったようなほほえみに、一同は柔らかな笑顔を浮かべました。

 

 〇

 

「それじゃあ、カバンさんたちを追いかけるわね」

「教えてくれてありがとうなのだー!」

「どーもだねー」

 

 ぺパプの五人とマネージャーのマーゲイに別れを告げて、アライさんたちは夕日の中を進んでいきました。

 

「そういえば、今日は久しぶりに野宿になるわね」

「ここ最近は屋根のあるところで泊ったもんねー」

「レミアさん、もしかして外で寝るのは嫌いなのか?」

「嫌いじゃないけど……」

 

 願わくは、あったかいシャワーを浴びてから、ふかふかのベッドでぐっすり眠りたいなと思ったレミアでしたが、その言葉は胸の中にしまっておきました。

 

 しまったついでに話題を変えます。

 

「そういえばアライさん、さっき〝港に人が集まっていた〟って話を聞いたときに、何か知ってる感じだったわよね?」

「うん? 知ってるも何もそこにいたのだ。アライさんが帽子をもらったのは、港でヒトがたくさんいた時なのだ!」

 

 なるほど、とレミアはうなずきます。

 どれほど昔かは分かりませんが、このパークが何かしらの危機に見舞われて、人間たちが避難しなければならない事態になったということ。

 

 その際の脱出方法は港から船に乗って、別の場所へ行ったということです。

 

 日記はまだ最後まで読んでいませんから、もしかすると詳しいことが書いてあるかもしれません。

 ただ当事者がすぐそこにいるのなら、話を聞いたほうが早いです。

 レミアはそれからいろいろとアライさんに質問をしました。

 

 が、

 

「昔のことだからそんなにはっきり覚えていないのだ!」

 

 すがすがしい笑顔で一刀両断されたので、おとなしく日記を読み進めることにしました。

 

 フェネックが終始、港のことを思い出そうとしているアライさんを見て、悲しそうな表情をしていたことには、残念ながら誰も気が付きませんでした。

 

 〇

 

 夜。

 水辺地方を抜けて雪山地方へ入る直前のところ。

 ゲートへと続く道からほんのちょっと外れた、いくらかの草木が立ち並ぶ場所に、アライさん、フェネック、レミアの三人はいました。

 

 レミアは柔らかい草の上で、手ごろな大きさの木の根を枕にして、そこそこ気持ちよさそうに眠っています。

 右手にはリボルバーを、左手にはライフルを抱えているので、何かあったらすぐにでも対応できるでしょう。

 相変わらず抜け目のない警戒です。

 

 そんなレミアから少し離れた所。

 体育座りをして星空を眺めている二人の影ありました。アライさんとフェネックです。

 

 本当はレミアが寝るのに合わせて同じくらいに寝ようとしていたのですが、フェネックがアライさんの裾をちょいちょいと引っ張ると、

 

「…………フェネック? どうしたのだ?」

「ちょっとお話したいことがあってねー」

 

 アライさんはむくりと起きあがると、フェネックについて行きました。

 

 話声でレミアを起こしてしまわないように充分な距離を取り、柔らかい草の上に腰を下ろします。

 アライさんは首をかしげながらも笑顔で、フェネックの隣に座りました。

 

 そのまま、時間にして数分間。

 フェネックは何も言えないまま、星空をぼんやりと両目に映しています。

 

「……フェネック?」

「あー……うん、ごめんねアライさん。起こしちゃったのにねー」

 

 なんだかいつもと様子が違うことに、アライさんは気が付きました。

 気が付きましたが、どうして様子が違うのかはわからないのでそのまま包み隠さず質問します。

 

「なんかフェネックの様子がいつもと違うのだ。心配事や悩み事ならアライさんに言ってみるのだ!」

「うー……ん」

 

 どう言葉にしようか迷っている。

 そんな様子でフェネックは濁しましたが、意を決して口を開きました。

 

「アライさんは、私の事どう思ってるのー?」

「どうって、フェネックはフェネックなのだ」

「そうじゃなくてさー」

 

 目を伏せて、悲しそうに、

 

「――――足手まとい、とかさ」

 

 そう呟いたフェネックに、アライさんは驚くことも声をあげることもありませんでした。

 ただまっすぐに、すこしだけ口の端を上げながら、フェネックのほうを見ています。

 

 フェネックの声は少しばかり震えていました。

 聞いていいのか。聞いてはダメなのか。しかしこのままでは苦しいから、と。

 レミアに相談したときには収まっていた〝アライさんに迷惑をかけているかもしれない〟という不安が、今日の港の話で蒸し返したのです。

 

 フェネックは声を震わせながら続けました。

 

「アライさんはさー。ずっと前からここに居て……〝パークの危機〟も救ったんだよね?」

「うん、そうなのだ。ミライさんのお手伝いをして、セルリアンをやっつけて、パークに平穏を取りもどしたのだ!」

「やっぱりアライさんはすごいよー。いろんなことを経験しててさー」

 

 悲しそうな声でした。

 フェネックは自分自身でも、何が言いたいのかわからなくなってきました。

 自分で自分に質問をぶつけてしまいます。

 

 どうしたいのか

 何が不安なのか。

 

 アライさんにこんなことを言ってしまって、また迷惑をかけているんじゃないのか。

 

「…………ごめんねアライさん。やっぱり、今日はもう寝よう」

「それはダメなのだフェネック」

 

 月明かりに浮かぶフェネックの、その落ち込んだ横顔に、淡々と、そしてアライさんにしては珍しいほど冷静な声で、言い放ちました。

 

「フェネックの言いたいことは、アライさんにはわかるのだ」

「…………?」

「でもフェネックはフェネックなのだ。アライさんにとってのフェネックは、賢くて、優しくて、時々ちょっとだけ意地悪だけど、すっごく頼りになって、何より大切なアライさんの仲間なのだ」

「…………」

 

 明るい月に照らされた、そのいつもの自信たっぷりな笑顔には、嘘や冗談は欠片も含まれていませんでした。

 

「フェネック。アライさんは思うのだ。アライさんは天才だけど、ちょーっとだけせっかちなところがある気がするのだ。だからそんなとき、賢いフェネックがアライさんにアドバイスをしてくれたら、アライさんは安心してせっかちでいられるのだ」

「でも、私は」

「アライさんにできないことをフェネックがやって、フェネックにできないことをアライさんがすればいいのだ!」

 

 ニコッっと、花の咲いたような。

 満面の笑みでそう言い切ったアライさんに、フェネックは少しだけ表情を緩めました。

 

「足手まといじゃ、ないかなー?」

「むしろついて来てもらわないと困るのだ!」

 

 腕を組みながら頬を膨らますアライさんに、フェネックは今度こそ口元をほころばせて。

 

「うん……やっぱり、アライさんについて行くよー」

「任せてなのだフェネック!」

 

 二人の声は静かに、しかし確実に、何度も響いていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 フェネックとレミアが完全に寝静まった頃。

 

「――――フェネック。アライさんだって、もうお別れするのは嫌なのだ」

 

 真夜中の木の下で、星空を見上げながらアライさんは、小さくそうつぶやきました。

 

 

 




次回「ゆきやまちほー! いちー!」


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第十五話 「ゆきやまちほー! いちー!」

 そこは良く晴れた雪世界でした。

 

 日の光が表面に反射して、目が痛くなるほどにギラギラと輝いています。

 足を踏み出せば数センチ沈み込み、露出している肩や腕を舐めていく冷たい空気に、レミアは少しだけ懐かしさを覚えました。

 

 ここは雪山地方。山岳地帯。

 ゲートを通って一時間ほど歩いたところです。

 右を見ても左を見ても雪か山しか見えないこの場所を、三人は進んでいました。

 

 先頭を行くのはアライさんと、その隣にフェネックです。

 道と言えるような道もない場所をひたすら進んでいるのですが、迷っているようなそぶりはありません。

 

 それというのも数十分前に、

 

「こっちから何かにおいがするのだ!」

「音も聞こえるねー」

 

 と、アライさんとフェネックが言い出したのです。

 興味が湧いたというのもありますし、それらはどうやら港のある方角と重なっているようですから、目指して歩いても問題はありません。

 

 嗅覚と聴覚にものを言わせたガイドを二人がやってくれるというのですから、レミアは舵取りを任せることにしました。

 

 前を行くアライさんとフェネックの背中を時々顔を上げて確認しつつ、手元の日記帳に目線を落としてその内容を読んでいきます。

 

 そこに書いてあることは、半ばレミアの予想通り、そして半ば予想を大きく上回るようなことでした。

 

(〝軍事的対策〟…………ね)

 

 日記の終盤には、数日にわたって筆者が体験した〝パークからの全面撤退に至る経緯〟が、非常に主観的な視点で書かれていました。

 

 巨大セルリアンが相次いで誕生したこと。

 それを抑えるために、職員たちは専用の迎撃装置を建設しようとしていたこと。

 しかし間に合わず、結局既存の兵器を用いて〝山〟への攻撃を計画していること。

 

 この計画がいよいよ実行へ移されることとなり、パークの職員は島からの全面退去を余儀なくされたということ。

 

「…………」

 

 日記には、フレンズのみんなを最後まで守ってあげることができなかった筆者の。

 リリー・アイハラという研究員の悔しさが、その筆跡に溢れていました。

 

 レミアが図書館で流し読みをした時にも感じた、この人物の内情が、日記のすべてを読み終わった今ではより一層感じられます。

 

 少なくとも。

 レミアはこのパークに居る間は、絶対にフレンズを守ると。

 手の届く限りセルリアンから守って見せると心に誓いながら、日記を大切にポーチの中へしまいました。

 

 ちょうどその時です。

 

 ポーチの中の通信機から、回線呼び出しがかかっていることに気が付きました。

 レミアは普段はヘッドセットを通信機ごとポーチの中へ納めていますから、呼び出しがあっても気が付きません。

 

 そう言えば今までは自分からしか通信していなかったなぁなどと思いつつ、ヘッドセットを用意します。

 

「レミアよ」

『お、繋がりましたね』

「あなたのほうからなんて初めてじゃないかしら?」

『実はそうなんですよ。こちらからコンタクトをとる場合のことを伝え忘れていました』

「悪かったわ。でも運がよかったわね」

『まぁ俺からの連絡で緊急性のあるものは、今のところゼロですからね。さしあたって問題はないですよ』

 

 それもそうかと思いながら、レミアは少し前を行くアライさんとフェネックがこちらを振り返っているのに手を挙げて返事をしつつ、ベラータに用件を聞きます。

 

「で?」

『はい。セルリアンについての情報が、暫定的ですがまとめられたのでお伝えしておこうかと』

「頼むわ」

 

 承諾の後に、セルリアンとはいったいどういう敵なのかを、レミアは事細かに教えられました。

 非常に多岐にわたる上、ベラータの言葉は明らかに日記に書いてあったものよりも難しくなっています。

 

 基礎とした無機物の特性をそのまま引き継ぐという性質上、弱点がそれぞれ異なっているということや。

 セルリアンの持つ走光性が原始的動物の行動からきているということ。

 個体同士の集約性、つまりは〝群れ〟を作ろうとしているということなど。

 

 レミアは頑張って理解しようとしましたが、ベラータの使う言葉が難しすぎて半分ほど理解できませんでした。

 

「なにがベラータ(助言者)よ……難しすぎるわ……」

『あらら、すみません。俺もほら、科学者の端くれ的側面もありますから、正確に伝えようと思った結果こうなっちゃいました』

「もっとこう、対峙する上で必要なことだけまとめてちょうだい」

『そうですね――――ざっくり分かりやすく言いますと、〝自己修復するものがいる〟〝光に向かって進む〟〝集団を形成する傾向がある〟ということです』

「ありがとう。そう言ってもらえた方が分かりやすいわ」

『厳密には例外や程度の差があるので、このようなまとめ方は危険なんですけどね』

「こちらの攻撃が通用する以上は大丈夫よ。通らなくなったら、通らないと分かった瞬間に退けばいいのよ」

『まぁ、結局はそうなんですけどね』

 

 すこし笑いかけるようなベラータの声を聴きつつ、レミアは前方、アライさんとフェネックが立ち止まっているのを目にしました。

 

 小高い丘の斜面を登りきり、どうやら頂上まで来たようです。

 

「それじゃあ、用件は以上ね」

『はい。また後程』

 

 通信を切ってヘッドセットをポーチへしまいながら、レミアは丘の一番上まで来て、眼下の光景に目を凝らしました。

 

「…………?」

 

 アライさんは首をかしげて、フェネックも耳に手を当てて様子を探っています。

 

 雪原の一部分だけがもうもうと雪煙を上げていました。

 大きさにして三十メートルあるかないか。

 たいした大きさではありませんから、余計にだだっ広い雪原にそのような光景は不自然です。

 

 漂う雪の雲に、しかし何かがその中で動いているような気配を、レミアは感じ取りました。

 

「フェネックちゃん、何か聞こえる?」

「んんー、聞こえるっぽいけどー、雪に音が吸われててー」

「判別しにくいのね」

 

 それもそうかと肩をすくめた直後。

 レミアはライフルのセーフティーを外しながら神速の勢いで振り返り、いつの間にか背後に出現していたセルリアンに一発ぶっぱなしました。

 

「ッ!」

 

 鋭く息を吐きながらボルトを後退。

 次のセルリアンを片づけようと狙いを付けますが、しかし同時に、雪の中から次から次へと溢れ出てくるのを視認します。

 

「ぬぉあ! セルリアンなのだー!」

「わー」

 

 アライさんとフェネックも、背後に湧いて出てきたセルリアンに気が付きました。

 レミアは再び引き金を引いて最も近いセルリアン――――紫色で、腰の高さほどの、これまで退治してきたものに比べればいくらか小柄で丸いセルリアンに、ライフルの弾を叩き込みます。

 

 石を破壊しながらレミアは叫びました。

 

「走って!」

「はいよー!!」

「もちろんなのだー!」

 

 三人は丘の斜面を、雪に足を捉えないように大きく動かしながら、全速力で走り出します。

 

 向かう先には例の雪煙。

 レミアはそこへ近づくにつれて、その中で動いている影がヒトの形をしていることに気が付きました。

 そしてその周囲にうごめくものが、今なお背後に迫りつつあるセルリアンと同じ形をしていることにも。

 

「…………今日はツイてないわね」

 

 ぼやきながら足を止めると、瞬時に振り返りつつ、迫るセルリアンに連続発砲。

 

 ものの数秒で背後に居たセルリアンを半数にまで削ると、前を向いて再び走り出します。

 

 雪煙の中へ先に入ったアライさんとフェネックは、

 

「おおー! なんかすごいのだー!」

「いいねー、もっとやっちゃってよー」

 

 称賛の声を上げていました。

 直後に、

 

「邪魔だ! 早く向こうへ逃げろ!!」

 

 聞きなれない、大人びた声が聞こえてきます。

 

 レミアは走る足を止めずに、その声を放った人物の背後にぴたりと接近して、すぐそこまで迫っていたセルリアンを蹴り飛ばしました。

 転げまわるセルリアンの石へ向かって、正確に弾を叩き込みます。破砕音と共に砕け散りました。

 

 周囲一面は白く染まり、とても良好と言えるような視界ではありません。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は言葉を交わすこともなく、しかし視線だけはしっかりと交差して、互いの意図を汲み取ったので。

 真っ白い髪の毛に真っ白いコート、白くて大きな武器を携えたフレンズは――――ホッキョクグマは、自分の背中をレミアに任せました。

 

 〇

 

「助かった。おかげで予定より随分と早く片付いたよ。礼を言わせてほしい」

「お互い様だわ。セルリアンに良い思い出はないもの」

 

 レミアの言葉に、ホッキョクグマは「違いない」と歯を見せて笑いました。

 

 雪原の真ん中。

 ちょうど窪地(くぼち)の底のような地形のその場所は、セルリアンとの戦闘によって立ち上っていた雪煙もすっかり晴れて、静かで白い世界が広がっています。

 

「でも、どうしてセルリアンを相手に一人で戦っていたの? 危ないわよ」

「それを言うならこちらのセリフだ。ハンターでもないのにセルリアンとやりあうなんて……君は一体何者なんだい?」

 

 ライフルを背中に回しながら、レミアは手を差し出して答えました。

 

「レミア・アンダーソン。昔はいろんなところで戦っていたの。今は、そうね。セルリアンと戦うことを使命としているわ」

「驚いた」

 

 言葉通り目を見開いています。何に驚いたのかレミアにはピンときませんでしたが、次の瞬間にはホッキョクグマは人懐っこい笑顔を浮かべていました。

 武器を持つ手を右手から左手に持ち替えて、真っ白でふわふわのコートを揺らしながら、レミアの差し出した手をしっかりと握り返します。

 

「ホッキョクグマだ。雪山地方を中心にハンターとして活動している。雪の上ならだれにも負けない自信があったが……レミアには負けるかもしれないな」

「どうして?」

「オーラが違う」

 

 肩をすくめながら苦笑したホッキョクグマに、レミアもつられて微笑みました。

 握っていた手をどちらからともなく離すと、ホッキョクグマは武器を背中に戻しながら、丘の上を見上げます。

 

「もしかして、旅ってのはあそこの連中と一緒にしているのか?」

「えぇ、そうよ。港を目指しているの」

 

 二人の視線の先では。

 アライさんとフェネックが、丘の上から手を振っていました。

 

 〇

 

 その後、アライさんとフェネックのもとへ合流すると、お互いに自己紹介を済ませたところでホッキョクグマが提案しました。

 

「セルリアン退治も早く片付いたし、君らは港へ行くんだろう? 通りがかりに温泉宿があるんだが、どうだ?」

「温泉宿?」

 

 首をかしげるレミアに、アライさんが元気な声で口を開きます。

 

「この近くにあったかい水に入れる場所があるのだ! とっても気持ちいいから、レミアさんも行ってみてほしいのだぁ!」

「それ、今でも入れるのかしら」

 

 人がいなくなってから久しいであろうこのパークで、まさか温泉に入れるとは思わないでしょう。

 レミアはその存在よりも、今でも機能しているのかということのほうが疑問のようです。

 

「入れるさ。ギンギツネとキタキツネがしっかりと管理をしてくれている。急ぎなら無理に勧めることはしないが、立ち寄る価値は十分にあるぞ」

 

 そんなホッキョクグマの言葉に、レミアは「おぉ……」とつぶやきながら、小さくこぶしを握ってガッツポーズをしました。

 それからアライさんのほうへ向き直ります。

 温泉に入りたくて入りたくて仕方がないような雰囲気が漂っていますが、先を急いでいると言えば急いでいます。すべてはアライさん次第です。

 

 レミアの視線からにじみ出ている〝温泉に入りたいオーラ〟に、アライさんは敏感にも気が付いたので、

 

「もちろん入るのだ! アライさんも久しぶりに入りたいのだ!」

 

 笑顔で手を挙げて賛成しました。

 それからフェネックのほうを見て、

 

「フェネックも、どうなのだ?」

「私はその〝おんせん〟っていうの知らないなー」

「きっとフェネックも気に入ってくれるのだ! 一緒に入るのだ!」

「うん。もちろんだよー」

 

 決まりだな、というホッキョクグマの一声で、一行は温泉宿へ向かって出発しました。

 

 〇

 

「予想以上にしっかりしててびっくりだわ」

「へー、これが温泉なんだねー」

「違うのだフェネック。温泉はこの中にあるのだ」

「いらっしゃい」

「ねぇギンギツネ、ゲームしたい」

 

 宿へ着くと、玄関でお出迎えしてくれたのは二人のフレンズでした。

 

 それぞれギンギツネ、キタキツネという紹介を聞いたレミア達は、さっそく温泉へ入ることを勧められます。

 宿の中へ入り、ちょっとだけ辺りを見回したレミアは、

 

「あら?」

 

 机の上や部屋の隅、さらにはカウンターの上にある、大小さまざまな電子機器が目に入りました。

 

 おそらくは自分の生きていた時代よりも随分と発達した機械類です。

 すこし確認してみたいなとも思ったレミアでしたが、ふと視線を前に戻すと、

 

「…………これはすごいわ」

 

 宿の奥、暖簾(のれん)の向こうにちらちらと見える露天風呂を発見してしまいました。

 いてもたってもいられずに前へと進み、誰よりも早く脱衣所に吸い込まれていきます。それはもう、非常に自然でなめらかな動作でした。

 

「レミアさん、なんか落ち着きがないのだ」

「アライさんに言われるのは相当だと思うけど、でも確かになんかそわそわしてるよねー」

「もしかして、温泉大好きなのか?」

「たぶんねー」

 

 そんなことを話しつつ、アライさんとフェネックも脱衣所へ入ります。

 

 〇

 

 アライさん一行を脱衣所へ送り出したギンギツネは、さっそくホッキョクグマからの報告を聞きました。

 

「あの辺り一帯のセルリアンは片付いたよ。レミアのおかげで随分早く退治できた」

「え、じゃあ、あの背の高い人が、一緒にセルリアンをやっつけてくれたってこと?」

「そうなるな。とても強いフレンズだった。動きが違う」

「頼もしいけど、ハンターではないんでしょう?」

「話の感じだとそうだな。まぁ、これから私も温泉に入るから、詳しいことはその時に聞いてみよう」

「私も一緒でいいかしら」

「もちろんだ」

 

 ホッキョクグマが先に脱衣所へ向かった後で。

 

「キタキツネ、あなたも入らない? お客さんから何か面白いこと聞けるかもしれないわよ?」

「やだよ。ゲームしたいから」

「もう……」

 

 ギンギツネは困ったように顔をほころばせながらも、脱衣所へと入っていきました。

 

 キタキツネは、その様子をしっかりと見届けたあと、

 

「…………ちょっとぐらい、いいよね」

 

 小さな声で、そんなことをつぶやきました。

 聞いている人は誰もいません。

 

 〇

 

 もうもうと湯気を上げる温泉に、五人のフレンズが浸かっています。

 全員が一糸まとわぬすっぽんぽんの状態で湯の中に身を沈めていました。

 

「すごいのだ……いつもよりずっと温かくて気持ちいいのだ……」

「カバンが教えてくれたのよ」

「うーん、カバンさんはやっぱり……すごいフレンズかもしれないのだ……」

 

 ギンギツネの言葉に、アライさんが幸せ半分困り半分の、複雑な表情で呟きました。

 

 数分前。

 

 当たり前のことですが、レミアは温泉に入る前にすべての衣服を脱ぎました。

 しかしアライさんとフェネックが何もかもを着たまま湯の中に飛び込もうとしていたので、大慌てて阻止して。

 

「服を脱いでから入るのよ!」

「…………? 〝服〟って何なのだ?」

 

 きょとんとした顔でアライさんに聞かれて、レミアがしばらく固まっていたのが数分前の出来事です。

 

 その後、ギンギツネとレミアが服の脱ぎ方を教えて、無事に温泉に入ることができました。

 アライさんもフェネックも、これまで体感したことのない全身の心地よい感触に、顔をほころばせています。

 

 〇

 

 アライさんに、湯の中で泡がブクブクと出てくる手遊びをレミアが教えていると。

 

「なぁ、レミア達はどうして港へ行きたいんだ?」

 

 背中をちょんちょんと人差し指でつついて、ホッキョクグマがそんなことを質問しました。

 そう言えばまだ言ってなかったなぁとレミアは思い返しながら答えます。

 

「カバンさんって子を追いかけているのよ。その子のかぶっている帽子が、もともとアライさんのものなの」

 

 ホッキョクグマは「帽子?」と首をかしげて、ギンギツネは、

 

「え、あれってあの子の物じゃないの?」

「そうなのだ、あれはアライさんの帽子なのだ! 盗られたのだ!!」

「えー……」

 

 だいぶ疑わしそうな目をしました。

 

 それからギンギツネは「カバンはそんなことをする子じゃないと思うわよ」と。

 どこの地方でも、誰に聞いてもみんながみんなそう言うので、アライさんはいよいよ不安げな表情になりながら、

 

「もしかすると本当に、盗ったんじゃないかもしれないのだ……」

「やー、直接会うまではわからないからねー」

「うん……うん、そうなのだ。たしかにそうなのだ!」

 

 気持ちがぶれ始めていましたが、とにかく会うまでは分かりません。

 

 アライさんは気を取り直して、それからも「カバンさんがどっちへ行ったか知らないか?」とギンギツネに聞いています。

 レミアはすでに、カバンさんたちの最終目標が港であることを把握しているので、斜め半分に聞いていました。

 

 予想通り、やはり港へ行くという旨の話をギンギツネはしましたが、言葉が続きます。

 

「あの辺りは〝山〟がすごく近いのよ」

「運が悪いことに、今はあそこのハンターも別の地方に出向いているんだ」

 

 二人の言うことに、レミアは首をかしげました。

 〝ハンター〟とは何であるのかということ。これまで何度か耳にはしましたが、詳しく話を聞いた覚えがありません。

 

 せっかく本人が居るのですから、この際聞いておこうと思い、

 

「ホッキョクグマちゃん、それって――――」

「すまんがその呼び方はやめてくれ」

「シロクマちゃん」

「レミア、たのむ、〝ちゃん〟を取ってくれ……」

 

 極々自然に呼んだつもりでしたが、あまりにも顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしていたので、レミアは呼び捨てにすることにしました。

 

 話を戻します。

 

「それで、ホッキョクグマはハンターなのよね?」

「そうだが」

「ハンターについて、詳しく教えてもらってもいいかしら」

「いいぞ」

 

 それから少しだけ時間をかけて、ジャパリパークのハンターとはなんであるかを聞きました。

 

 ハンターとは要するに、セルリアンに対抗するために戦うフレンズたちの事。

 島の中の地方ごとに管轄を決めて、普段はそこでセルリアンが出てこないか、あるいは出て来たら討伐するという任務に就いているそうです。

 

 しかしここ最近は異常にセルリアンが増え、特にジャングル地方、砂漠地方、サバンナ地方での目撃情報が絶えないために、別地方のハンターが応援に出払っているそうです。人手不足、という言葉を、ホッキョクグマは苦しそうに口にしました。

 

「だから港の方には今、ハンターがいない状態なんだ」

「セルリアンの目撃情報は出ているの?」

「今のところはないらしい。だがいつまでも不在では危ないだろう」

「それもそうね」

 

 今いないからと言って、これからもいないとは限らない。

 当たり前の事でしたが、レミアはそれがわかっているホッキョクグマをほめてあげたい気分になりました。

 口には出しません。代わりに微笑んでおきます。

 

「それでだ、レミア。お願いがある」

「どうしたの」

「港に行ってもしセルリアンが出てきたら、無理のない範囲で討伐してくれないか。ハンターでもないのにこんなことを頼むのは筋違いかもしれないが……」

 

 視線を下にして、申し訳なさそうにホッキョクグマは言いました。

 

 セルリアンを倒すのはハンターの仕事。

 普通は逃げる。逃げるべきである。

 

 これまでハンターという存在を詳しくは聞かなかったレミアでしたが、ところどころでその名前を聞くたびに、きっとフレンズたちの間ではそれが常識になっているのだろうと思っていました。

 

 そして実際にその予想は当たっています。

 ホッキョクグマは、その常識を踏まえてもなお人手不足であることと、何よりも〝フレンズをセルリアンから守りたい〟という気持ちから、レミアにお願いしたのです。

 

 レミアにはそれがしっかりと伝わりました。もちろん、断る理由はありません。

 二つ返事で承諾します。

 

「任せなさい。――――きっちり片付けるわ」

「助かる。私も、雪山のセルリアンをすべて退治したらそちらへ行くつもりだ」

「ゆっくりでいいわよ」

 

 レミアの頼もしい冗談に、ホッキョクグマは口元をほころばせました。

 

 〇

 

「あぁ、そうだレミア」

「ん?」

「話を聞くに、これまで結構な数のセルリアンを倒してきたそうだが」

「まぁ――――」

「そうなのだ! レミアさんはな、すごいんだぞぉ! トンネルの中でたっくさんセルリアンが居たのに、全滅させちゃったのだ!!」

「やーできればもうしてほしくないけどねー」

 

 レミアの言葉に割り込んで、まるで自分のことのように嬉しそうな声で叫ぶアライさんと、苦笑いを浮かべるフェネックに、ホッキョクグマはうなずきながら言葉を続けました。

 

「セルリアンが大勢出ている場面に出くわしたなら、〝青いフレンズ〟のうわさは聞いたことがあるだろうか?」

「青いフレンズー?」

「なのだ?」

「…………ないわね」

 

 フェネック、アライさん、レミアがそろって疑問を顔に浮かべたので、ホッキョクグマとギンギツネは話すことにしました。

 

「あくまでうわさよ。でも、ホッキョクグマの聞いた話では――――」

「出ているらしい。大勢のセルリアンに囲まれているのに、少しも慌てず、逃げようともしない、全身真っ青のフレンズが」

 

 ホッキョクグマはわざと声のトーンを落として語りました。

 さも、まるで怖い話を夜中にしているかのような口調です。

 

 しかし今は真昼間。太陽は一番高いところに登っていて、場所は温かいお湯がたっぷりの、気持ちの良い温泉です。

 

 怖がるような子は――――。

 

「…………」

 

 一人だけいました。

 フェネックは体が震えているのをお湯に浸かって誤魔化し、アライさんとレミアの間にすっぽりとおさまって、湯の中で二人の手をぎゅっと握っています。

しかし表情だけは取り繕えていますから、いつもの眠たそうな目にやんわりとした笑みを浮かべています。

 

 レミアもアライさんも、フェネックが怖がっていることにすぐに気が付いたので、手を握り返してあげました。

 

 何食わぬ顔でレミアが続きを促して。

 

「それで?」

「私もただのうわさ話――――セルリアンの大量発生にかこつけて、ハンターたちが勝手に騒いでいるだけだと思っていたんだが、どうもそうではないらしくてな」

「砂漠でもジャングルでも、サバンナでも見たって子がいるのよ。それも複数人」

「…………つまり、その〝セルリアンに囲まれている謎のフレンズ〟が、存在することはほぼ確実ってわけね」

「そう考えたほうが自然ね」

 

 ギンギツネが何度もうなずきます。

 ホッキョクグマはいたってまじめな表情で、真剣に、レミアへ忠告しました。

 

「気を付けてほしい。これはハンターとしての私の勘だが……今までとは、何かが違う。実際にサバンナや砂漠で戦ったハンターたちも、何かが違うと言っていた。用心するに越したことはない」

「心得ておくわ」

 

 しっかりとうなずくレミアとホッキョクグマ、そして話の内容を三分の一ほど理解したアライさんとのあいだで。

 フェネックはいよいよ誤魔化しきれないほど恐怖を覚えてしまったので、いたって自然に、表情もいつもとまったく変わらない余裕のありそうな顔で、そっとアライさんに抱き着きました。

 

 〇

 

 レミア達が温泉で談笑、ないしは情報の交換をしている頃。

 脱衣所に一人の影がありました。

 

「んん…………ごめんねレミア」

 

 独り言で謝りながらレミアの所持品を物色しているのは、キタキツネです。

 

「これはライフル。遠くを攻撃できる狙撃用。こっちはリボルバーで、威力が高くて――――」

 

 何やらブツブツと呟きながら、レミアの銃器にそっと指を触れていきます。その様子には、ためらいや逡巡といったものは一切見えず、〝とりあえずそこに在るんだから見ておかなければ損〟とばかりに、よどみなく物色していきます。

 

 キタキツネの目線が銃器からポーチに移りました。

 

「見せてね」

 

 いいわよ、なんていう声は当然返ってきませんが、そんなことはお構いなしにポーチの中を漁ります。

 

 中からはいろいろなものが見つかりました。

 

 たばこやライター、日記帳に配線道具、予備の弾薬や液体火薬などなど。

 それから、

 

「あ、これ知ってる。ボーナスアイテム出すためのモクモクだ」

 

 妙に銃身の太い、いわゆる〝信号弾〟というものも入っていました。一発しかないようです。

 

 キタキツネは少しだけ嬉しそうに声を高めると、とりあえず信号弾はポーチの中に戻して、続いてその隣にある機械を引っ張り出しました。

 

「……通信機、かな? 使えるかな」

 

 首をかしげながら、もちゃもちゃと通信機をいじり始めます。接続されているコードの先にはヘッドセットがあるので、まずはそれを頭につけて、それから電源ボタンを探し始めました。

 

「…………」

 

 キタキツネは、ゲームが大好きなフレンズです。

 温泉宿に残されていたゲームは片っ端から遊びこみました。いろいろなジャンルのゲームが残されていたので、もちろんいろいろなジャンルのゲームをプレイしています。

 そんな中でも特に好きなのは、まぁ、そういう感じの――――いわゆる〝銃ゲー〟でした。

 

 ゲームに出てくる銃器ならばその挙動を片っ端からすべて覚えているので、仮に今目の前に出てきたら、何の迷いもなく使いこなせる自信が彼女にはありました。

 だからこそ、そんな〝鉄砲大好き〟な彼女が、今日温泉宿を訪れたお客さんに興味を持たないわけがありません。

 

 つまり要するに。

 

 レミアを見て、レミアの持ち物を見て、いけないことだとは分かりつつも欲望に負けてその装備品を物色してしまっているところでした。

 

「これかな?」

 

 しかもなまじ機械に強いフレンズのようですから、すぐに通信機の電源ボタンを探り当ててしまいます。

 

 実は、この温泉宿にあるゲームを使えるように配線しなおしたのも。

 ハンターの元へ電話がつながるように有線ケーブルを再接続したのも。

 そもそもこの温泉宿に温泉が届くように調整したのも。

 

 いえ、最後のは半分はギンギツネが頑張ったというのもあるのですが。

 ほぼ電子機器に関わるインフラ状態は全て、このキタキツネによる功績でした。

 

 そんな彼女がいま、レミアの通信機に手をかけて、電源ボタンを見つけ出しています。

 

 何のためらいもなくボタンを押下。ほどなくして回線が接続状態に。

 ヘッドセットからは飄々とした、聞きようによっては少女のような、でも実際は不健康で痩せ型で色白の青年の声が鳴り響きました。

 

『はーい、こちらベラータですよ』

「こちらキタキツネ。試験接続のため正式な応答はできない。繰り返す――――」

『…………え?』

「正式な応答はできない。――――ん、キタキツネだよ。あなたは……誰?」

 

 声にならない悲鳴が、ヘッドセットの向こうから聞こえてきました。

 

 

 




アプリ版のキタキツネちゃんは格ゲーが好きだったそうですが、この物語のキタキツネちゃんは銃ゲー(しかもFPS)が好きらしいです。
……奥の手の書くキツネ属の子はなぜかみんなIQが高いですね。なぜでしょう。(よそ見)


次回「ゆきやまちほー! にー!」


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第十六話 「ゆきやまちほー! にー!」

 

 

 雪景色の中にぽつりと建っている温泉宿、その一階ロビーで、キタキツネは黙々と作業をしていました。

 片手にはレミアの通信機が握られていて、スイッチは入ったままです。今現在も回線はベラータと繋がっています。

 

「もうちょっと待ってて」

『りょうかーい』

 

 キタキツネの言葉に、力の抜けた様子のベラータの返事が聞こえてきました。

 

 つい数分前までは、声にもならない悲鳴を上げながらしばらくバタバタしていたベラータでしたが、突然物音がしなくなったかと思うと、キタキツネとのやり取りを始めていました。

 

 ベラータが聞いたことは主に三つ。

 

 なぜレミアの通信機をキタキツネが使っているのか。

 キタキツネはどんなところに住んでいるのか。

 スリーサイズを教えてほしい、と。

 

 最後の質問には「なにそれ?」の一言しか返ってこなかったので、あえなく精巧なモデリングのための情報収集は失敗したわけですが、そこは変態オペ――――天才オペレーターです。言葉の感じから伝わるキタキツネの姿を推測して、それなりに再現度の高いモデルを作り上げていました。

 

 同時進行で、一つ目の質問から〝レミアの身に何かあったわけではない〟ということも確かめています。

 

 要するに勝手にキタキツネが通信機を使っているわけですが、軍の正式なやり取りというわけでもありませんし、ベラータ自身は特に問題にするつもりもありません。

 レミアには〝こちらから通信をしたらキタキツネちゃんが応答してくれただけ〟と説明するつもりでいました。なかなかずるい男です。

 

『で、キタキツネちゃんは何をしようとしているのかな?』

「ベラータ、パソコン持ってるの?」

『あるよ』

「通信機をそっちのパソコンにつないでみてよ」

『?』

 

 キタキツネの言葉にベラータは要領を得ていない様子でしたが、通信機の向こうからは何やらガチャガチャと音がしているので、接続をしているのでしょう。

 キタキツネはそれを確かめると、自分の目の前にあるデスク――――もとは業務上の顧客データ等を管理していたデスクトップPCですが、今はキタキツネのおもちゃになっています――――の前に座り、使えそうなコードを机の引き出しから引っ張り出して通信機に接続しました。

 

 そして。

 

 キタキツネは温泉宿の奥の部屋からジャパリまんを一つ持ってくると、パソコンの本体に向かって思いっきり押し付けました。べちゃぁ、っと潰れて出てきた中身を、無言で本体側面に擦り込んでいきます。

 

 ギンギツネがその場に居れば卒倒しそうなほど狂気じみた行為ですが、止める人は誰もいません。キタキツネは表情一つ変えずに、さもあたりまえの事のようにジャパリまんを塗りたくっていきます。にちゃにちゃと粘っこい音を立てて、パソコン本体の側面部が甘い餡でコーティングされていきます。

 

 しばらくすると、すり潰されたジャパリまんから虹色の粒子が浮いてきました。

 キラキラと耳触りの良い音を立てながら、パソコンを包んだかと思うと、急速に薄くなって、やがて見えなくなりました。

 

「これでよし」

 

 何がいいのかわかりません。パソコンの側面には哀れにもすり潰されたジャパリまんがこびりついています。

 

 しかしキタキツネは満足げに頷きながら席に座り、モニターのスイッチをオンにしました。

 そこそこ大きくて、なかなか高画質なモニターの中には。

 

『…………え』

「〝ビデオ通話〟だよ。便利でしょ」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている、色白い青年が映っていました。

 

 〇

 

「磁場を感じたからできると思った」

『ちょ、ちょっとまって。少しだけ整理する時間をください。それからちょっとだけ作業する時間をください』

「いいよ」

 

 キタキツネがうなずくや否やベラータは机に突っ伏して、『これは夢じゃない現実だ今俺の目の前にはフレンズが居て名前はキタキツネちゃんでもうなんかこの子思ってたよりめちゃくちゃかわいいけどとりあえずモデリングしてからじっくり愛でていやその前に周辺機器の技術を吸い取って――――』と、早口でブツブツと念仏を唱え始めました。

 

 キタキツネは少し退屈そうに椅子の上で足をプラプラさせてから、思い立ったようにモニターの中のベラータの様子を観察し始めます。

 

 長い茶髪を後ろでくくっていて、服装はゆるゆるのスウェット、首元から見える白い肌は長らく日の光に当たっていないことを悟らせます。

 キタキツネは覗き込むようにしてベラータの容姿に注目して、

 

「耳としっぽがない……ベラータも〝ヒト〟なんだ」

 

 ぽつりとそう呟きました。

 

 数分後。

 

 念仏を唱え終わったベラータはようやく顔を上げて、いくらか落ち着いた表情でモニターのカメラ越しにキタキツネを見据えました。

 

『……こうして顔を見られることを奇跡に思うよ、キタキツネちゃん。ありがとう』

「出来そうだったからやっただけだよ。喜んでくれるならうれしいかな」

 

 小さく笑みを浮かべたキタキツネに、一度ベラータはうなずくと、すぐさまその笑顔を残そうとモデリングプログラムに組み込んでいきました。

 

 ベラータの頭の中では瞬時に様々なことが流れていきます。

 

 百年先の未来を今、この目で目の当たりにしているということ。

 妄想と会話の中でしか知ることのできなかったケモミミ少女、つまりはフレンズを、今はしっかりと両目に写せていること。

 この調子なら、他のフレンズもこの目で見ることができるかもしれないこと。

 それどころか、ジャパリパークという謎の桃源郷を見回せるかもしれないこと。

 

『ふ、ふふふ…………』

 

 ――――ベラータはうれしすぎて気が遠くなるのを何とかこらえて、半分はわが祖国のため、半分は己の欲求のために、一生懸命キタキツネのモデリングを済ませていきました。

 

 ただそれは左手での作業の事です。

 同時進行で質問しなければならないことが山ほど出てきましたから、ベラータは手元のモニターとキタキツネとの顔を交互に見つつ、口を開きました。

 

『どうしてこんなことができるんだい?』

「カメラの事? パソコンにくっついてるからだよ」

『いや、そうじゃなくてね……話せば長くなるけど、まぁその、本来ならこの通信が成り立っているのも信じられないくらいに奇跡的な接続の仕方をしているんだよ』

「?」

『いやぁわかんないよねそりゃあ……』

 

 百年という時間の壁がある事を説明しようかとも思いましたが、そんなことをしたところで〝繋がっているものは繋がっている〟のです。

 目の前で起きている事実を考えると、この質問そのものに意味がありません。

 

『いや、ごめん質問を変えよう』

「うん」

『こうやってビデオ通話を可能にするために、キタキツネちゃんがやったことを教えてほしい』

「ジャパリまんを擦りつけた」

 

 ベラータはその一言で、何がこんな超常現象を可能にしているのかを悟りました。

 ふと手元の端末機に視線を落とします。そこにはキラキラという心地よい音を立てながら、虹色の粒子に包まれている携帯端末がありました。

 

『……要するに、サンドスターの作用ってことか』

「どうなってるのかはボクも知らないよ。でもなんかできそうだったから」

『素晴らしいガッツだよ』

「……誉め言葉?」

『もちろん』

 

 首をかしげるキタキツネに、ベラータは親指を立ててすがすがしい笑顔を返しました。

 

 その時です。

 

「ふはははは! 〝ふく〟を脱いで走るとスースーして気持ちいいのだー!! アライさんいいこと見つけたのだーッ!!!」

「ちょ、アライさん待ちなさい!」

 

 元気なアライさんと、それを制止しようとするレミアの声が、温泉宿中に響き渡りました。

 ロビーには一糸まとわぬすっぽんぽんの姿で、白い肌からホカホカと湯気を立ち上らせているアライさんが脱衣所から飛び出してきました。

 

『…………』

「…………」

 

 モニターの向こうのベラータとアライさんの目が合います。ご丁寧なことにアライさんはぴたりと固まっています。

 しかも追い打ちをかけるようにキタキツネが体をそらしてカメラの正面から退いていますから、それはもう、障害物も何もない状態で、非常にクリアな映像情報をベラータに送り届けています。

 

『ぶふぇ』

 

 奇妙な声を一つ残して、鼻を押さえながら崩れ落ちるベラータを、キタキツネはモニター越しに見ていました。

 

 〇

 

「信じられないわ、こんなこと」

『俺も開いた口がふさがりませんよ』

「口の前に血管をふさぎなさい」

『あい』

 

 モニターの向こうのベラータは鼻に詰め物をしています。気絶してから数分で起き上がりましたが、その頃には温泉宿の全員が集合していました。

 目が覚めた後のベラータは初めこそ狂喜乱舞しましたが、レミアにたしなめられ、それからは落ち着いて一人ひとりと自己紹介を交わしました。

 せわしなく左手が動いていたので、おそらく全員分のモデリングをしていたのでしょう。抜け目のない男です。

 

 レミアを除くフレンズたちは、各々反応に微妙な温度差こそありましたが、一様にしてとても驚いていました。

 

「すごいわねこれ……」

「ギンギツネ、触っちゃだめだよ」

「わ、わかってるわよ!」

 

 ギンギツネはモニターの中にフレンズが――――厳密にはフレンズではありませんが、とにかくモニターの中でベラータが動いているという光景に目を丸くして、それからパソコンの横にへばりついているジャパリまんを見てため息をつきました。

 

「キタキツネ、これは?」

「ビデオ通話には必要だった。ごめんなさい。後でちゃんと食べるから」

「食べなくていいわよ!」

 

 あぁもうベトベトじゃない……、とあきれ顔で言いながら、ギンギツネはこびりついたジャパリまんを丁寧に拭きました。キタキツネもお手伝いします。

 

 一方その間、アライさんとフェネックもベラータとの会話を試みました。

 アライさんは、

 

「ア、アライさんも通信機でお話していいのか……?」

 

 と最初こそ躊躇っていましたが、フェネックと、何よりレミアがいいよと言ったので、ぱぁっと表情を明るくしてベラータと仲良く会話を楽しんでいます。

 高山では〝レミアさんの大切なものだから遊んではいけない〟とフェネックに言われました。ですから、今はとてもうれしそうです。

 

「ベラータとレミアさんはお友達なのか?」

『んー友達とはちょっと違うかな。うまく説明しにくいけど、しいて言うなら〝相棒〟か』

「おー、アライさーん、相棒だってー」

「アライさんとフェネックも相棒なのだ! 相棒で、親友で、頼れる仲間なのだ!!」

「やー照れるよアライさーん」

「ところでベラータは、そんなせまいところに居て〝びょーき〟にならないのか?」

『こう見えても病気にはなりにくくてね。なんてったって外に出ないから、持ち込む菌がない』

 

 不健康極まる返事が返ってきました。

 

 それからもそこそこ長い時間、レミア以外の全員が、興味津々でベラータとビデオ通話を続けました。

 ベラータが〝百年〟も昔のヒトで、ジャパリパークからは遠く離れた場所に居るということも話します。

 

「パークの外……きっとお宝がたくさんあるのだ!」

「どうかなー?」

『宝かどうかはわからないけど、確かにいいものはたくさんあるかもね。でも俺は、〝そこ〟が一番の宝物だと思うよ』

「ジャパリパークのことー?」

『そう! 君たちの住んでいるところは、控えめに言っても宝物だ』

「ふっふっふー! アライさんもそう思うのだ! パークはおっきな宝物なのだー!」

「だねー。私も、いいところだと思うよー」

 

 アライさんとフェネック、ベラータが歓談しているのを、少し離れたところでレミアは聞いていました。

 彼女たちを見守る表情は柔らかく、どこか安心しているようにも見て取れます。

 

 ――――民間人に通信の内容は教えられない。

 

 そんなことを考えていたこともありました。

 ですがレミアにはもう、その必要はありません。軍務につく人間というよりはむしろ、今レミアが動いているのは、レミア自身の意思にほかならないからです。

 

 命令があったわけでも、必要があったわけでもなく、ただただアライさんたちについて行きたい。フレンズの子たちを守りたい。その思いで行動しています。だからこそ、祖国の、軍の規定に縛られることもまったくありません。

 

 レミアはそのことに気が付き、少し考えました。

 

「……自由を求めるなら、帰らないのも手かもしれないわ」

 

 コップを拝借し、ギンギツネが用意してくれた雪解け水を汲んで、一口飲みました。

 冷たく澄んだ味わいにのどを潤しながら、ゆっくりと考えます。

 

 もし、ここに残るという選択肢を選んだら。

 それはきっとたしかに、束縛されたくないというレミアの気持ちは満たされるかもしれません。

 ですがそれと同時に湧き上がってくるのは、本当の意味での自由がそこに在るのかということです。

 

 一度死んだ身。サンドスターがなければ形を維持できないとされているこの身体は、いうなればサンドスターのあるところでしか活動できません。

 

 それは、レミアの言う、レミアの思う自由とは少し外れた事実です。

 

 百年前に戻れたとして、死んだこの身がサンドスターなしに無事でいられるという保証はなく、下手をすれば百年前のこの土地で同じようにサンドスターに拘束されるかもしれません。

 

 ただその時は、その時です。

 

 祖国に残した部下もいます。数はとても少ないですが、恩を感じている上司もいます。

 彼らのためにも、やはり帰りたい。

 

 レミアはコップに残った最後の一口を飲み干して、そんなことを考えました。

 

「ま、今すぐ決めなきゃいけない事じゃないしね」

 

 そのとおりです。そもそも百年前に戻ることが本当に可能なのかどうかもわかりません。レミアは小さく肩をすくめてから、飲み終わったコップを洗い場へもっていきました。

 

 ロビーに戻ってきた時。

 

「ん?」

「レミア、お願いがある……」

 

 おずおずとした様子で、キタキツネが服の袖をつかんできました。

 

「なに?」

「通信機、貰っちゃダメ…………?」

「…………」

 

 唐突です。かなり唐突なお願いです。

 レミアは迷いました。

 あごに手を当てて視線を下げ、本気で考え込むようなそぶりで、実際本気でいろいろと考えて、とてもとても迷いました。

 

 別にあげても構いません。というのも、ジャパリまんを食べていればいつかは再生します。いまここでキタキツネに渡してあげれば、ベラータはパークの情報をキタキツネから細かく、時間をかけて聞きだせるかもしれません。

 

 聞き出したところでその情報をどうするのかというのは考えどころですが、そんなことはもうレミアには関係ありません。このパークにとって不利益になるようなことにだけは使うなと、ベラータに念を押しておけばいいでしょう。

 

 通信機を渡してダメなことと言えば、再生する前に何らかのトラブルが起きた場合です。

 とはいえ、交戦中にベラータと通信をしたところで何らかのサポートを期待するのは難しいでしょう。基本的にはレミアの判断で動かかなければいけませんし、それがこなせるからこそここまで来られたのです。

 

 だいぶ、レミアにしてはしっかりとした考え方ができました。

 

「…………いいわよ、あげるわ。ベラータにいろいろ教えてあげて」

 

 ぱぁっと。

 花の咲いたように、キタキツネは満面の笑みで頷きました。

 

 〇

 

 温泉宿の玄関口。

 ひんやりとした空気が肌をなめる雪世界に、六人のフレンズたちは立ち並んでいました。

 

「それじゃあ、あたしたちはこのまま港へ向かうわ」

「セルリアンが出たら、その時は頼む」

「まかせて」

 

 ホッキョクグマの言葉にしっかりとレミアは頷きます。

 温泉宿にはパークの地図がありました。それを見て確認し、このまま最短距離で港までいけるルートを割り出したレミア達は、温泉宿を出発するところです。

 

 太陽は一番高い位置からほんの少し傾いただけで、まだまだお昼は長そうです。

 日があるうちにたどり着けたらいいなぁと思いつつ、レミアは振り返って手を振りました。

 

「キタキツネ、ベラータをよろしく頼むわよ」

「うん、あとで一緒にゲームするって」

「あいつ職務を何だと思って……」

 

 あきれ顔のレミアに続いて、アライさんとフェネックも別れの言葉を交わします。

 

「また入りに来るのだ!」

「じゃーねー」

「気を付けて行きなさいね。帽子、きっと返してくれるわよ」

「うん、ありがとなのだ!」

 

 温泉宿の三人が手を振って見送ってくれる中。

 アライさん、フェネック、レミアの三人は、雪を踏みしめて歩き出しました。

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

「わー! ここが〝みなと〟かなー!?」

「そうなんですか? ラッキーさん」

『そうだよ』

 

 機械的な音声で返事をするボスに続き、カバンとサーバルもジャパリバスから降り立ちます。

 

 さんさんと輝く太陽は一番高いところまで昇り、港の景色を余すところなく照らしていました。

 朽ちたコンクリートにはところどころヒビが入り、鉄で出来ているものは長年にわたって潮風に晒されているからでしょうか。赤茶色でざらざらとした粉が全体に吹き出しています。

 

 日の光はよく当たりますが、さびれた港というような印象が強いこの場所に、しかし降り立った二人は喜びの声を上げました。

 

「ふあぁぁ~すごいね、サーバルちゃん!」

「おっきいねー! わたし海って初めて見たー!」

 

 二人の目の前に広がるのは、生まれて初めて見る広大な海原でした。

 日の光が水平線の向こうからキラキラと反射し、その光がまるで生き物のようにうねっています。

 

「すっごーい! 海って動くんだねー!」

「ほんとだねー。なんだか生きてるみたい!」

『あれは〝波〟だよ。海には波があって、泳がなくても沖のほうまで流されちゃうんだ』

「あ! 見てカバンちゃん! あれって〝船〟じゃないかなー! 絶対そうだよねー!!」

 

 サーバルの指さす先には、塗装が剥げてかなり錆の浮いた、ボロい鉄の塊がありました。

 それは、しかし波の動きに合わせてぷかぷかと上下しており、しっかりと海の上に浮いていることがわかります。

 

 カバンとサーバルは駆け寄ってさっそく乗ってみました。

 木張りの板はずいぶんと風化が進んでいますが、抜け落ちて穴が開くほどは痛んでいません。ぎっぎっと鈍い音を上げながらも、床としての役目をちゃんと果たしています。

 

「す、すごい……これが〝船〟ですか?」

『そうだよ。これに乗って海へ出れば、島の外にも行けるよ』

「すごいすごーい! わたし海の上に立ってるー!!」

 

 両手をあげて飛び跳ねるサーバルでしたが、その隣でカバンは、

 

「……ラッキーさん。でもこの船、すごく古いような気がするんですが」

 

 少しだけ不安そうな顔でそう呟きました。見れば錆が浸食して、船べりの崩れているところもわずかに見て取れます。

 しかしボスは音声では返さずに、一瞬だけ目を緑色に(またた)かせました。直後。

 

 ピピーン、ドルン――――ドルルルルルル。

 

「わ、わぁ! ラッキーさん!?」

「う、動いたぁ! これもバスなの!?」

『エンジンは大丈夫みたいだね。使えるよ』

 

 小刻みな振動と大きな音を立てて、船は永い眠りから覚めたことを喜ぶようにエンジンを吹き上がらせました。

 

『これで準備が整えば、いつでも海の外へ出られるよ』

「海の……外」

 

 言葉の意味に、何か感じるところがあったのでしょうか。

 噛みしめるようにゆっくりとそう言ったカバンは、顔を上げるとサーバルのほうへ向きました。

 

「ボク……これに乗って、海の外に行ってみたい!」

「海のそとー?」

「うん、サーバルちゃん。もしかしたらヒトは、そこに居るのかも」

「うーん、港にはいないみたいだし……そうなのかな? 〝海のそと〟にいるのかなー?」

 

 サーバルは少しだけ笑顔を浮かべながら、首を傾げます。

 その直後。腹の底に響くような爆発音が、あたり一面に響き渡りました。

 

「うえぇぇ! な、なに!?」

「カバンちゃん、山だよ! 見て!!」

「な、なにあれ……?」

 

 サーバルとカバンの視線の先には。

 見上げるほど高くそびえ立ち、山頂付近では虹色の立方体が複雑な形で積みあがっている〝山〟が見えました。その根元から、大量のキラキラとした粒子が噴き出ています。

 

 カバンは初めこそ驚いていましたが、すぐに口を引き締めると、

 

「あれが――――行ってみよう、サーバルちゃん!」

「うん!」

 

 力強く、そう言い放ちました。

 

 〇

 

 山の方角へ駆け出した二人は、しばらく走ると林の中ほどで足を止めました。

 

「え?」

 

 気配を感じ、カバンが振り返った、そのすぐ先で。

 墨汁を溶かしてゲル状にしたような、ヌメヌメと光を反射する球体のセルリアンがそこにいました。

 サーバルよりも随分と大きく、高さで比較するならばジャパリバスと同じくらいの大きさです。

 

「セ、セルリアンだぁぁ!」

「逃げて、サーバルちゃん!!」

 

 サーバルが叫び、カバンの声で二人とも駆け出します。

 全速力で走りますが、セルリアンは二人の姿を捉えると、不気味な音をたてながら追ってきました。

 浮遊したまま追いかけてくる黒色の巨体は、どういうわけかかなり速いです。

 カバンの足では逃げ切れそうにありません。サーバルはすぐにそのことに気が付き、勢いよく踵を返すと爪を立てました。

 

 うみゃぁぁぁ――!

 

 気合一声、真っ白な光を放ちながら全力で振り下ろされたサーバルの爪は、しかし黒セルリアンの身体に当たった瞬間、弾力をもって跳ね返されました。

 

「サーバルちゃん!」

「うわぁッ!」

 

 セルリアンが飛び上がり、サーバルの上から降りかかります。

 すんでのところでジャンプしてやり過ごしたサーバルは、自分の攻撃が効かないと分かると、すぐさまその場から離脱。カバンの元へ駆け寄ります。

 

「カバンちゃん、どうしよう! 石がないよぉ!!」

 

 焦って叫ぶサーバルに、カバンは一度「大丈夫だよサーバルちゃん。石は体の後ろに見えたから」と落ち着いた口調で返答しました。

 そのまま考え込むようにして口元に手をやり、早口で思考を整理していきます。

 

「えっと、さっき飛び上がった時にセルリアンの後ろに見えたから、だから何とかして背後に回り込めたら――そうだ!」

 

 サーバルちゃん、ついて来て! その言葉と同時に、二人は林の奥へと全速力で駆け出します。

 

「ボクがおとりになってセルリアンの気を引くから、サーバルちゃんは木に登って隠れて!」

「やだよ! そんなことしたらカバンちゃんがッ!」

「大丈夫。セルリアンがサーバルちゃんの下を通り過ぎたら、すぐに後ろにある石を攻撃して!」

 

 カバンの作戦がどういうものかわかったサーバルは、ハッと目を見開いて、それから力強く頷きました。

 

「気を付けてねカバンちゃん!」

「うん、サーバルちゃんも!!」

 

 にこっと笑って答えたカバンの声をしっかりと耳に残して、サーバルは真上にあった木の枝にジャンプします。

 二メートルほどの高さを一気に登り、続いてもう二メートル、地上から考えると四メートル近い高さまで数秒で駆け上ります。

 

 すぐさま真下に視線を移すと、墨で染めたようなセルリアンが、酷く不気味な鳴き声をあたりに響かせながらたった今通過しました。

 

「――みゃぁーッッッ!!!」

 

 爪を大きく振りかぶり。

 めいっぱい張り上げた声と共に、木の枝を蹴り飛ばして、猛烈な速さで落下したサーバルは。

 

 白色に輝く爪の残像を空中に残しながら、黒セルリアンの背後にあった石を寸分の狂いもなく的確に砕きました。

 一瞬後。

 

 ――――パシャァァァァン。

 

 ガラスの割れるような破砕音を響かせて、無数の粒子となってセルリアンは砕け散りました。

 砕けた光が周囲に広がり、薄れ、やがて見えなくなる頃には、先ほどまでの騒動が嘘のように静かな林が訪れます。

 

「…………ふー」

「危なかったね、カバンちゃん!」

「うん……すっごくどきどきしたよー」

 

 安堵から息を深く吐いて、力なく笑いながらその場にへたり込んだカバンに、サーバルは駆け寄って体の前でこぶしを握って上下に振りました。

 

「でもすっごいよ! あんなにすぐにセルリアンの倒し方を考えちゃうんだもん! やっぱりカバンちゃんはすごいよ!」

「そんなことないよぉ」

 

 照れ笑いを浮かべながら、

 

「サーバルちゃんの爪もすごかったよ! とってもかっこよかった!」

「えへへ~」

 

 カバンの言葉に、サーバルもまた後ろ髪を掻きながら、嬉しそうに口元をほころばせました。

 そんな二人のすぐ横で。

 

『ちょっと見てきてもいいかな?』

「え、ラッキーさん? どうしたんですか?」

『気になることがあるんだよ。カバン達は、ここで待ってて』

 

 そんなことを言い残して、ボスはピョコピョコと音をたてながら離れていきます。

 サーバルはカバンに向かって手を伸ばすと、

 

「カバンちゃん、ボスを追いかけよう!」

「うん!」

 

 カバンの手を引っ張って、二人一緒にボスの後を追いかけました。

 〝ここで待ってて〟とボスに言われたことは完全に二人の頭から抜けてしまっているようです。

 とにもかくにも、カバン、サーバル、ボスたちは、山の方角へと走っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――災いが、鎌首をもたげ始めます。

 




次回「かばんちゃん」


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第十七話 「かばんちゃん」

 斜面の急な山道を、足元に注意しながらカバンとサーバルは登っていました。

 むき出しの山肌は大小さまざまな石がゴロゴロとしていて、お世辞にも登りやすいものではありません。足を取られてケガをしないように注意して歩く必要があります。

 

 カバンは黙々と歩いていましたが、サーバルの息は上がっていました。

 

「けっこう来たねー。ちょっと休まない?」

「ごめんねサーバルちゃん。うん、休もう」

 

 サーバルはその場に腰を下ろし、カバンは地図を広げます。二人の様子に気が付いたボスも、一緒に止まって待ってくれるようです。

 二人がいる場所はもう少しで山頂に届く、そのすぐ手前のところでした。周囲に草花は生えておらず、荒れた地面が続いています。

 

「カバンちゃん、これからどうするの?」

「ラッキーさんが向かっている場所について行って、それから船で出発する準備をしようと思う」

「ジャパリまんとかお水とか、用意しないとなんだよね!」

「うん、そうだね」

 

 サーバルの言葉に笑顔で頷きながら、カバンは手元の地図に目線を落としました。現在位置と山頂までの距離をあらかじめ確かめようと思った、その時です。

 ボスの目が緑に輝いて、地面にミライさんの映像が映し出されました。

 

「あ! カバンちゃん、またミライさんがでるよ!」

 

 サーバルが手招きしてそういったものですから、カバンはあわてて地図をしまって、サーバルの横に並びました。

 ボスから録音されたミライさんの声が鳴り始めます。

 

『巨大セルリアンですが、やはり何かしらの供給を受けていることがわかりました。黒いセルリアンは〝あの〟能力があるため、攻撃せずに、先に山のフィルターを張り直す必要があったんです』

 

 ミライさんの言葉に、カバンは首をかしげました。

 

「巨大セルリアンって、何のことだろう?」

「黒いセルリアンは、さっきやっつけたセルリアンの事かなぁ?」

「でも、〝巨大〟ってほど大きくは無かったような……」

『無事四神を並べたので、私たちはこれから下山します。なんとしても、私達で先に退治しないと。フレンズの皆さんを避難させてからとはいえ、この島に、あんなものを…………』

 

 ミライさんは映像の中で、悔しそうに、そして申し訳なさそうに視線を落として呟きましたが、ふっと顔を上げると、これまでと同じように言葉を続けました。

 

『後日まとめますが、今のところ、いくら攻撃しても山から〝サンドスター・ロー〟を吸収する事。太陽の方向に向かっているということ。海を嫌がっていること、などが見て取れます』

「ぜ、ぜんぜん言ってることがわからないよー……」

 

 肩を落としながらサーバルがぼやきましたが、カバンはその言葉に反応せず、真剣な表情でミライさんの録音を聞いています。

 今は邪魔しちゃダメ、という気がしたサーバルは、きっとカバンちゃんならミライさんの言っていることをわかってくれるかもしれないと思い、先ほどのまで表情とは一転して、安心した様子で視線を戻しました。

 

『このあたりを――――あ! カラカルさん、サーバルさん、行けますか! はい、行きましょう! ――――四神の場所は、以前記録した〝貴重なもの〟の場所そのものでした! また後ほど!』

 

 慌てた様子で記録を打ち切ったミライさんの声がまだ耳に残っているうちに、サーバルはカバンのほうへ向き直りました。

 

「カバンちゃん! わたし、何のことだかさっぱりだったんだけど、何かわかった?」

「ボクもあんまりわからなかったけど……でも」

 

 これまでよりもいっそう不安げな表情で、カバンは言葉を紡ぎます。

 

「〝巨大セルリアン〟っていうのは、なんだかすごく怖い感じがする。この山と、何か関係があるのかもしれない」

「どうする? ボスも山頂に行きたいみたいだし、このまま――――」

 

 どしぃん。

 

 サーバルの言葉が最後まで言い切られる前に、遠くの方から大きな音が響いてきました。

 驚き、目で追って、二人して息を詰まらせます。

 

「え……?」

 

 カバンが目を凝らす先には、かなり大きな、黒いセルリアンが森の中を進んでいました。

 すぐ横には、頑丈そうな木が中ほどからへし折られています。先ほどの音はあの木がなぎ倒された時のものでしょう。

 

 四角く大きな足跡が、セルリアンの後に続いています。

 

「も、もしかしてあれが〝巨大セルリアン〟!? パークにあんなのがいたら、みんな大変なことになっちゃうよ!!」

「何とかしないと……でも、どうすれば」

「行こうカバンちゃん!」

 

 大きく叫び、カバンの手を握って山を下りようとしたサーバルに、カバンは瞬間的に手を握り返してぐいっと引き寄せました。

 

「サーバルちゃん待って。先に山頂へ行こう」

「え、なんで!?」

「ミライさんの言ってたことが、あのおっきなセルリアンと関係してるなら、山の上に何かあるはずだよ。先にそれを確かめよう」

「うん、わかった!」

 

 快活な表情で頷いたサーバルと、不安げな表情を浮かべるカバンは、山の上へ向けて走り出しました。

 

 〇

 

「ここが……山頂、かな?」

「すっごーい! こんな風になってるんだー!」

 

 サーバルが、まるで巨大セルリアンの存在を忘れてしまったかのような歓声を上げました。

 カバンもその光景に思わず息を飲みます。

 

 見事なものです。

 七色に光輝きながらも透き通って見える立方体が、複雑怪奇なバランスで天を貫くように上へ上へと伸びています。

 足元を見れば巨大な火口があり、その表面には不思議な模様の膜が張られていました。ただ一部が欠けていて、黒と光の混ざった煙が際限なく立ち昇っています。

 

 カバンはあたりを見回しました。

 

「ミライさんの話が本当なら、ここに何か……たしか〝四神〟って言ってた。サーバルちゃん、何か変わったものがないか探そう」

「うん!」

 

 カバンとサーバルはお互いに頷き、変わったものがないか探そうとあたりに視線をちりばめた、その時です。

 ラッキービーストの目が再び緑色に輝き、ミライさんの姿が映し出されました。

 

「あ、サーバルちゃん! ミライさんだよ!」

『その場所は、火口の中心から東西南北。……えっと、パンフレットで言うと〝ウの3〟の交差点が、まさに中心点ですね。この像が東の青龍なので、あと三つ埋まっていると考えられます』

「……〝せいりゅう〟?」

「なんだろうねー?」

『本当に、サンドスター・ローの粒子をここでフィルタリングしているとしたら、まさにこの島にとっての宝ですね』

 

 ミライさんの言葉が終わるとすぐに、カバンは地図を取り出して目を凝らしました。すぐ横で覗くサーバルにも見えるように傾けてから、人差し指で地図の上をなぞります。

 

「えっと……〝ウの3〟っていうのがこれとこれの引っ付くところなのかなぁ……〝とうざいなんぼく〟って何だろう? サーバルちゃん、聞いたことある?」

「うーん……わかんないや」

 

 困った顔で首を振るサーバルに、カバンも眉尻を下げます。

 

 ミライさんの言葉はきっと、この場所にある〝変わったもの〟のヒントだったのでしょう。しかしカバンとサーバルにはそのヒントの内容がわかりません。

 

「どうしよう、カバンちゃん?」

 

 さすがのサーバルも不安げな表情でカバンをのぞき込みます。

 少し考えてから、

 

「サーバルちゃん、もうちょっとだけこのあたりを探して、何も見つからなかったら山を下りよう。ボクたちであのセルリアンを確かめて、すぐに博士たちのところへ行ってみよう」

「うん、そうだね!」

「セルリアンの石の位置だけでもわかったら、何か作戦が立てられるはず。大きさと、動きの速さを確かめよう」

 

 それからしばらく、右へ行ったり左へ行ったりして変わったものがないか探しましたが、結局何も見つかりませんでした。

 先ほどの予定通り、サーバルとカバン、ボスは下山の準備を整えます。

 

「そういえば、ラッキーさん。ここにきて確かめたかったことって……?」

『さっきの映像を見てほしかったんだ』

 

 ボスはその言葉の続きに何か言おうとしていましたが、そこで黙ると少しだけうつむいて、後は何も言いませんでした。

 

 〇

 

 山を下りてジャパリバスのところまで戻ったカバンたちは、連結部を外してその場に後部を置きました。

 

「ラッキーさん、これなら林の中でも進めますか?」

『ちょっと危ないけど、しっかり掴まってくれてたら大丈夫だよ』

「ありがとうございます」

 

 全員が運転席に乗り込み、

 

『出発するね。しっかり掴まってて』

「はい」

「うん!」

 

 お世辞にも整っているとは言えない林の中を、ボスはハンドルを切って進めていきました。

 

 がたがたと上下に揺れる悪路を、ジャパリバスの運転席部分だけが走ります。

 しばらくすると、木々の合間に巨大な影が見えてきました。

 

 同時に地響きのような音が聞こえてきます。その周期はゆっくりですが、目の前の影が確実に移動していることが分かります。

 やがて直立する木の間からハッキリと、その黒い巨体が見えてきました。

 

「うわぁぁ……」

「うぅわぁ……」

 

 カバンとサーバルは二人そろって背筋にひやりとしたものを感じ、思わず小さな声をあげます。

 数十メートル先のセルリアンはジャパリバスよりもやや高く、胴体の長さはジャパリバスの後部をつなげてもなお足りないほどに長いです。四本足の、奇妙な見た目をしています。

 

「……やっぱりおっきいねー」

 

 声を極限まで小さくして、サーバルはカバンの耳元で呟きました。

 

『あまり近くまで寄れないよ』

「大丈夫です、ラッキーさん」

 

 カバンもできるだけ声を小さくしてからそう伝え、そしてよく目を凝らして巨大セルリアンの様子を観察します。

 太い脚に、長い胴体。墨を溶かしたような真っ黒い全身に、前部にはぎょろりとした漆黒の目玉。これまで見てきたセルリアンに比べると、その異様さは際立っています。

 

 カバンは石を探しました。足、腕、腹、顔と確認していき、

 

「……あった」

 

 背中に石を見つけました。

 同時。

 

 ――――ギョロリ。

 

 黒セルリアンとカバンの目があいました。

 

 一瞬の間。瞬間的にカバンは息を思いっきり吸って、

 

「逃げてください! ラッキーさんッ!」

「こっち見てるよぉぉぉッッ!!!」

『しっかり掴まって』

 

 二人は大きく叫び、ボスはその言葉に応えます。

 

 唸るバスのエンジン音と、腹の底を震わせるようなセルリアンの咆哮が重なると、直後にジャパリバスは土煙を上げながら後進。

 黒セルリアンは巨体を旋回させ、周囲の木々をなぎ倒しながらこちらに前面を向けます。

 

「こ、こっちに向かってるよボス!!」

 

 サーバルの叫びにボスは反応せず、代わりにジャパリバスのエンジンが一際激しく唸り。

 勢いよくハンドルが切られ、スピードをそのままにくるりとタイヤを滑らせて転回。前を向いてスピードを上げます。

 

「わぁー! ボスの運転はさすがだね!!」

『注意! 注意!! 大量のサンドスター・ローが放出されました。超大型セルリアンの出現が予測されます。お客様は直ちに避難してください。注意、注意――』

「え?」

 

 セルリアンがだんだんと遠くなり、木々の間に見え無くなっていく中。

 カバンは二つの意味で驚きました。

 一つはボスの鳴らしているけたたましい警告音。

 そしてもう一つは、セルリアンの周囲に黒い粒子が集まり、遠ざかっているにもかかわらず大きくなっていくというその光景。

 

 何か、信じられないことが起こっているような。

 胸騒ぎを通り越して、苦しくなるほどの息詰まりを感じながら、カバンはボスに目を移しました。

 

 〇

 

 巨大セルリアンが見えなくなってからしばらくして、林の中の少しだけ開けた場所でジャパリバスはエンジンを止めました。

 相変わらずボスは警告音をけたたましく鳴らしたまま、似たようなフレーズを繰り返しています。

 

『警告! 超大型セルリアンの出現を確認しました。パークの非常事態に付きお客様は直ちに避難してください。ここからの最短避難経路は日ノ出港です。警告――』

 

 ボスはそう繰り返しながらジャパリバスを降りて、カバンのほうへ振り返ります。その耳は、ずっと真っ赤に点滅しています。

 カバンもバスから飛び降りて、少し困った顔で、

 

「ラッキーさん、今はそんな場合じゃ」

『警告、警告、超大型セルリアンの出現を確認しました――――ダメです。お客様の安全を守ることが、パークガイドロボットであるボクの務めです。警告、警告』

 

 繰り返されていたボスの言葉に少しだけ、カバンの言葉に返答する形で変化がありました。

 

「…………」

『超大型セルリアンの出現を確認しました。パークの非常事態に付き――」

「ラッキーさん」

 

 繰り返される言葉の途中で、カバンはがっしりとボスの両サイドに手を当てて、間髪入れずにはっきりと断言します。

 

「ボクはお客さんじゃないよ」

『…………』

 

 ボスは黙りました。心なしか警告音も少しだけ弱まり、耳だけが真っ赤に点滅し続けています。

 カバンはボスを掴んだまま、吸い込まれるような黒い瞳でまっすぐにその目を見据えました。

 

「ここまでみんなに、すごくすっごく助けてもらったんです。パークに何か起きてるなら、みんなのためにできることを……したい」

 

 ボスはしばらく黙っていました。カバンは立ち上がりながらも、ボスから目を離しません。じっとその目を見たままきつく結んだカバンの口元は、ただならぬ覚悟の表情を表しています。ボスの目にも、その影が映りこんでいます。

 

 帽子の羽は片方ありませんが、かつてこのパークの職員であった、そして自分の相棒ともいえる存在であった女性を記録媒体から――――機械に、このような言葉は不釣り合いかもしれませんが――――〝思い出した〟あと。

 

『…………わかったよ、カバン。でも、危なくなったら必ず逃げるんだよ』

「はい」

 

 深く、確かに、カバンは頷きました。

 口の端に笑顔を浮かべながら。

 

 〇

 

「バスから遠ざかるとき、黒セルリアンが大きくなるのを見ました。たぶん、さっきより大きくなってるかも」

『サンドスター・ローを吸収すると大きくなるからね。そのぶん、動きは鈍いはずだよ』

 

 林の中のすこし開けた場所。

 倒木を椅子代わりにして、カバンとサーバル、ボスは作戦会議をしていました。

 

 気付けば空は茜色に燃え上がり、もうあと数十分で日が沈みます。

 

 ここへ来てまず最初にサーバルは言いました。〝すぐに博士たちのところへ戻って、ハンターを呼ぼう〟と。

 しかしこれに反対したのはカバンです。なにせあれだけの大きなセルリアン。動きが鈍いとはいえ巨大なことを加味すると、放っておいていい存在ではありません。

 

 危険ゆえにハンターに任せるべきだ、とも思いましたが、砂漠での一件を思い出してすぐに思考を切り替えます。

 

 ハンターは今どこに居るのかわかりません。呼ぼうと探し回っている間に被害が出るかもしれません。

 サンドスター・ローを吸収したセルリアンが最終的にどれほどの大きさになったのかは確認できませんでしたが、間違いなく砂漠に居た奴よりかは大きいはずです。当然、より危険な存在だと言えます。

 

 そう言う意味でも、このまま放置するという選択肢はカバンの頭にはありませんでした。砂漠の時のようにしっかりと考えて行動すれば、せめて異常に気が付いた他のフレンズが博士やハンターに知らせてくれる。

 自分たちが今取るべき行動は、あのセルリアンを足止めするか、運が良ければ退治できる方向にもっていくこと――。

 

 カバンはそう判断しました。だからこそ自分たちで時間稼ぎ、あるいはそのまま退治できる可能性のある方法を模索します。

 

「それで、あのセルリアンは〝太陽に向かって〟進むんですよね?」

『そうだね。正確には〝光に向かって〟進むよ』

「光……じゃあ、夜になればバスの明かりと火を使って誘導ができます。あとは海に沈められれば……」

「えっと、カバンちゃん!」

「どうしたのサーバルちゃん?」

「よくわからないけど、わたしあのセルリアンって自分から海に入らないと思うの! ほら、嫌なことって自分からしたくないでしょ……?」

 

 サーバルはおずおずと手を挙げながら言いましたが、カバンは頷きながらその言葉に賛同します。

 

「サーバルちゃんの言う通りだよ。たぶん、明かりで誘導しても自分からは海に入らない。だから船を使って沈めるんだ」

 

 カバンの作戦はサーバルにも理解できました。

 

 船に火をつけて明かりで誘導し、黒セルリアンが乗ったところで船を出す。

 重心さえ乗っかれば、巨大なセルリアンゆえに自重で船ごと沈めることができます。

 

 ですが、

 

「だめだよカバンちゃん! だってあの船は――」

「いいの、サーバルちゃん。海の外に行くより、もっと大切なことだから」

「…………いいの?」

 

 サーバルはまるで自分の事のように悲しそうな顔で、カバンを見ました。

 カバンはしっかりと一度だけ頷きます。後悔も迷いもその表情にはなく、あの船はセルリアンを退治するために使う。その決意が確かなことを感じたので、サーバルも納得しました。

 

「船まではバスの明かりで誘導しよう。ラッキーさんしか運転できないから、港まで行ったら急いでバスを降りて、船に乗り換えるよ。港についてからが大変かもしれないけど、あのセルリアンの動きにだけ注意していけば、きっと大丈夫」

「うん! カバンちゃんはやっぱりすっごいね!!」

 

 カバンの表情には一抹の不安がありましたが、そんな様子のカバンをサーバルは明るい声で励ましました。

 カバンは頭の後ろを照れくさそうに掻きながら、

 

「えへへ――あ、もしバスでの誘導でなにかトラブルが起きたら、火を使ってボクが誘導するよ。サーバルちゃんはボスを抱えて船まで走って」

「え、カバンちゃんは!? 大丈夫なの?」

「火はボクしか持てないし……木の間を上手に使えば、大きな体のセルリアンだからそんなにすぐには追ってこられないと思う」

「なるほどー!」

 

 カバンは倒木から立ち上がり、ゆっくりと手を差し出しました。

 サーバルも、にっこりと笑ってその手を握り返します。

 

「これできっと――――うまくいく、かな?」

「いくよ! だいじょーぶ!!」

 

 太陽の残滓が空を紫色に染める、そんな夕刻の林の中に。

 自信なさげに首を傾げたカバンにサーバルが激励する声が、やけに大きく響きました。

 

 〇

 

 すっかり日が落ちてあたりが暗くなった頃。

 空には月が昇っていますが、黒セルリアンは月の明かりには反応していません。

 

「……やっぱり、めちゃくちゃおっきくなってるよー」

「港側に回り込んで、ある程度離れた距離からライトを付けてください。ラッキーさん、お願いできますか?」

『まかせて』

 

 先頭部分だけのジャパリバスを林の中から発進させ、巨大なセルリアンの背後に回り込みます。停車した後。

 

 ばしゃん。

 

 小気味よい音を立ててヘッドライトが点灯し、強い光が暗闇の林を切り裂きました。

 すぐに黒セルリアンはジャパリバスの存在に気が付きます。巨体をのっそりと動かし、ぎょろりとした黒目でバスの光を補足します。

 

 足が動くたびに空気が震え、大地が揺れるのを、バスの上で二人はひしひしと感じました。

 

「こ、これ、大丈夫かな」

「大丈夫だよカバンちゃん! 船の明かりまで行けば大丈夫!!」

 

 サーバルが元気よく叫んだのと、バスが発進したのは同時でした。

 バスのエンジンが低く唸って、勢いよく後退します。ヘッドライトは正確にセルリアンの姿を捉え、そして目論見通りセルリアンはジャパリバスの光を追ってきました。

 

「やったよカバンちゃん! 上手くいったよ!!」

「まだ! 船のところまで行かな――うわぁ!」

 

 ズオオォッ――!

 

 黒セルリアンは前足を高く持ち上げると、墨色の立方体を振り落として攻撃してきました。

 勢いよく落ちてくるそれはジャパリバスの先頭部とほとんど同じ大きさです。当たればひとたまりもありませんが、ボスの華麗なハンドルさばきはすべての攻撃をかわしました。

 

「すっごーい! ボスって本当はすごいんだね!」

「ラッキーさん、かっこいいです!」

 

 称賛の声を二人があげた直後。

 

 バスの後輪に木の枝が絡み、急速に速度が落ちました。

 

「うわわわわああああ!!!」

「ラ、ラッキーさんッ!」

 

 一瞬で先ほどの声とは正反対の悲鳴が上がります。

 ボスは瞳を緑色に輝かせると、

 

『パ――――』

 

 ブゥゥゥゥォォォォォンンンッッ!!

 

『――――ッカーン!!』

 

 ミライさんの声で、バスのエンジンを一気に吹き上がらせて、枝をへし折りながら再び加速し始めました。

 接近していた黒セルリアンから距離をとることに成功し、最初の間合いを取り戻します。

 

「今日のボスはかっこいいねー!!! すっごいよー!」

 

 両手を挙げて喜ぶサーバルの声に、ボスは返事こそしませんでしたが、そのハンドルさばきに一層のキレが生まれたようです。

 

 後進するジャパリバスは一定の距離を保ちながら、巨大な黒セルリアンを誘導することに成功していました。暗闇の中に地を震わせる足音と、バスの頼もしいエンジン音が響いています。

 

 しかし、一歩を踏み出すごとに地鳴りのような音を上げる黒セルリアンは、自らの攻撃が当たらないことを察したのか。

 あるいは、単に光へ追いつけないと判断したからか。

 

 その巨大な体を、後ろの二本足のみで支えて立ち上がると、脚部をかがませて跳躍する動きを見せました。

 

「……え?」

 

 何をしようとしているのかを察したカバンが、張り付いたのどからそれだけを漏らします。

 直後、後ろ脚に体重を乗せたセルリアンは、縮めたバネを伸ばすように脚をぴんと張ると、巨体をゆっくりとした動作で倒してきました。

 空気が押しつぶされるような、圧倒的な質量を持って闇が目の前に迫ってきます。

 

「ボス! ボスッ!!」

「ラッキーさんッ!!!!」

 

 黒セルリアンの巨体を、小さなジャパリバスが支えられるわけもありません。

 張り裂けそうな声で叫ぶ二人に、ボスは行動をもって答えてくれました。

 

 これまで以上に加速したバスはタイヤを一瞬だけ空転させながらも、瞬時に黒セルリアンの影から離脱。巨体の覆いかぶさらない場所まで逃げ切ります。

 直後、もうもうと土煙を挙げながら、そして轟々とした地震を伴って、黒セルリアンはその巨体を地面にぶつけました。

 振動でバスの車輪が浮き上がり、バランスを失って制御不能に陥ります。

 

『アワ、アワワワワ!!』

「わーッッ!!!」

「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ジャパリバスは地面を何度か跳ねたのち、木に衝突して横転しました。乗っていた全員が放り出されます。

 

 一番最初に立ち上がったのはカバンでした。瞬時に周囲を見渡し、

 

「バスが――――!」

 

 ジャパリバスの車輪が破損し、すでに使い物にならないことを認識。見るや否やすぐに次のプランである〝火を使って誘導〟を実行しようとします。

 ですが、セルリアンの姿を目にとらえた瞬間。

 

 カバンの背筋は凍り付きました。

 

 巨体を投げ出したはずのセルリアンはいつの間にかしっかりと四本足で立ち上がり。

 否、地面を捉えているのは三本の足。残り一つの前足は、空高く振り上げられていました。

 

 カバンの頭に、チカリと一閃が走ります。

 

 ――サーバルちゃんは。

 ――見るからにダメで、何で生まれたかもわからなかったボクを受け入れてくれて。

 ――ここまで見守ってくれて。

 ――だから、今度こそ。

 

「ボクがサーバルちゃんを守るんだ!」

 

 瞬間、カバンは走り出しました。倒れていたサーバルとボスを両手に掴み、走った勢いをそのままに、思いっきりバスの向こうへ投げ飛ばします。

 

 サーバルとボスから入れ替わる形でその場所に立ったカバンに。

 セルリアンの腕が、目にもとまらぬ速さで襲い掛かりました。

 

 バスの向こう側へ飛ばされたサーバルが、地面を転がった瞬間に目を覚まし、バッと顔を上げて黒セルリアンを睨みます。

 

「カバンちゃんッ!!」

 

 その目で見たものは、セルリアンの巨大な腕に飲み込まれたカバンの姿でした。目を閉じ、口が開き、意識は完全に刈り取られています。

 

 ――助けなきゃ!

 

 見るや否や走り出そうとしたサーバルでしたが、足を一歩踏み出した瞬間に、

 

「うわぁ!?」

 

 空から何かが降ってきました。すぐに足を止めて、両手で受け止めます。落ちてきたものを見て息を飲みました。

 それは、カバンがいつも背負っていたものでした。

 

 ――〝あれ? それまでなんて呼べばいいのかなぁ?〟

 ――〝カバンちゃんで!〟

 

「…………そんな」

 

 サーバルはあの日のことを思い出しました。もうずいぶんと昔の事に思える、でも今でもしっかりと思い出せる、カバンと初めて会ったあの日のことを。

 

 サバンナのあの日から、たくさんたくさん旅をしてきました。いろんなものを見て、いろんなことをして、泣いたり笑ったりたくさんして。サーバルは、いつも隣にいたカバンの、ちょっとかすれた声の温かい笑顔を思い出しました。

 

 一も二もなく手を伸ばし、中身を次々とその場に出します。

 

『サーバル』

「ボス! カバンちゃんを、カバンちゃんを助けるよッ!」

 

 焦る心を必死に落ち着け、中身を取り出す手を止めず、サーバルはそう叫びました。間髪入れずに続けます。

 

「ボスは船まで走って! わたしがカバンちゃんを助けて、セルリアンを船まで連れて行くから! 船を動かせるようにしてて!!」

『サーバル、でも』

「でもじゃないよッ!」

 

 林中に響き渡る声で叫びました。今にも泣きそうな目で、ボスのほうを見ます。

 

「……カバンちゃんはわたしが助ける。ボスは、ボスにしかできないことをして!」

『…………』

 

 ボスの目に映ったサーバルの瞳は、まるで野生開放をしたかのように、しかし明らかに〝野生〟とはかけ離れた色をもって、煌々と光り輝いていました。

 一瞬、逡巡したように黙ったボスは、

 

『わかったよサーバル。気を付けてね』

 

 それだけを言い残して、出せる限りの一番の速さで船の方向へ向かいました。その目の周りは、七色に光輝いています。

 ボスの背中を見届けたサーバルは、一度グシッと目尻にたまった涙をぬぐうと、覚悟を決めた表情で取り出したものに目を落としました。

 

 そこに在るものは、カバンとサーバルがこれまでの旅でもらったもの。二人の思い出がたくさん詰まった、かけがえのないものばかりです。

 

 植物のツタを編んでできたロープを見て思い出しました。

 ――カバンちゃんはこれで、橋を動かしてた。

 

 図書館でもらった小さな箱を見て、思い出しました。

 ――カバンちゃんは〝火〟で誘導するって言ってた。博士のところで見た火は、そう言えばとっても明るかった。

 

 紙を丸めて作った松明を見て、思い出しました。

 ――カバンちゃんが一番最初に火をつけたのは、たしかこの〝かみ〟だった。

 

 瞬間、サーバルはマッチ箱を手に取って、中からマッチを取り出しました。急いで出したそれを箱の側面に擦りつけます。

 ですが、擦りつけた一本目は力が強かったのか真ん中から折れてしまいました。

 

「うみゃぁ……うみゃああ!」

 

 あきらめずにもう一本。

 上手く動かない指先に全神経を集中させて、必死にカバンちゃんの手を思い出して、

 

「こう、こうだよね!」

 

 恐怖を無理やり押し殺して一息でマッチに火をつけます。

 しゅっ、という摩擦音と鼻をくすぐる煙の後、小さな木片の先に小さな火が灯ります。

 

 ――怖い、怖い、怖い、怖い。でも、でも、絶対に、絶対に!

 

「カバンちゃんを助けるんだから!!!」

 

 こみ上げてくる恐怖を無理やり抑え込み、すぐに松明を持ち上げてマッチの火を移します。

 ぽうっ、と灯った明かりに黒セルリアンが気付きました。

 

「こっちだよ!」

 

 しっかりと松明を持ったまま振り仰ぎ、声を張り上げながら走り出し、やや離れた木まで来ると器用にそこを登ります。

 

 サーバルは図書館で料理したときのことを思い出していました。

 ――カバンちゃんは火を、小さな木からだんだん大きくしていった。だったら。

 

「お願いだよ…………ッ!」

 

 サーバルは登った先の木の枝に。

 それも、カバンが火をおこした時に一番最初に使ったような細い枝に、松明の火をくぐらせました。

 

 果たして願いが叶ったのか。

 

「やった! やったよカバンちゃん!!」

 

 火が燃え移り、ゆっくりとですが確実に、その木を光源へと変えていきました。

 

 ルルゥゥゥォォォォオオオオオオオッッッ!!

 

 黒セルリアンの咆哮。

 地面を揺らしながら、燃えている木へ近づいてきます。すぐにサーバルは飛び降りると、バスのところまで戻って今度はロープを手に取り、そのまま全速力で黒セルリアンの背後に回り込みました。

 

 サバンナからジャングルへ行く、あのゲートで戦ったセルリアンを思い出して。

 ――こうやって後ろに回り込むんだよね。

 

 サーバルはセルリアンの背後まで来ると、木にロープを括り付けて、その木の一番上まで駆け登りました。

 そしてジャングル地方でどうやってカバンが橋を動かしていたかを思い出します。

 ――この細長いのを引っかけて、引っ張ればいいんだよね。そうだよねカバンちゃん!

 

 高い木の頂上から、巨大なセルリアンの背中を見下ろします。半濁した黒い巨体の中に、サーバルはカバンの姿を確かめました。 

 

 息を止め、歯を食いしばり、思いっきり走って全力で木からジャンプして。

 

「うみゃぁぁぁぁぁ!」

 

 どぼん。

 

 黒セルリアンの背中に飛び込みました。

 狙い通りカバンの真上に来られたので、すぐさまロープをカバンに巻き付けて、木にくくってある方を手繰り寄せます。

 

 少しずつ、確実に、二人の身体は黒セルリアンの巨体を移動して。

 

 結果はうまく行きました。

 高いところから落ちてカバンが怪我をしないように、サーバルはしっかりと抱きかかえて着地します。

 

「カバンちゃん! カバンちゃん!」

 

 必死にその名前を呼びました。

 

「カバンちゃん! 起きてよ! カバンちゃんッ!!」

 

 ピクリと。

 カバンのまぶたが震えました。サーバルはそれでカバンが無事であることを確信します。

 ――よかった、カバンちゃん、間に合ったよ。

 

 サーバルは一度ぎゅっと目をつぶった後、ゆっくりと顔を上げて黒セルリアンをにらみました。黒セルリアンは燃えていた木をすべて食べつくし、カバンとサーバルのほうへ向き直ります。

 

「…………」

 

 おもむろにサーバルは立ち上がりました。バスのところまで戻って、松明とマッチを取り出して火をつけます。オレンジ色の炎が、サーバルの白い頬をぬらします。

 サーバルは最後にもう一度だけ、バスの前に広げた今までの思い出を見返しました。

 

 カバンちゃんと作ったたくさんの紙飛行機。

 カバンちゃんと一緒に架けた橋のためのロープ。

 カバンちゃんと一緒に戦った、丸い紙の筒。

 カバンちゃんと一緒に料理したときのマッチ。

 カバンちゃんと一緒に見たぺパプのライブチケット。

 

「…………カバンちゃんはね、すっごいんだよ」

 

 誰に聞かせるわけでもなく。

 黒セルリアンの方へ振り向きながら、サーバルは震える声で小さく呟きます。

 

「怖がりだけど、やさしくて」

 

 カバンが倒れている方向とは反対側へ、松明の明かりを大きく振りながら走り出しました。

 

「困ってる子のために、いろんな事考えて」

 

 黒セルリアンが、サーバルの松明を追います。

 

「頑張り屋で――――まだお話しすることも、一緒に行きたい所も」

 

 サーバルは追ってくる黒セルリアンを振り切らず、しかし決して追い付かれることはないであろう速度で疾走しました。

 それは、もしかしたら船まで行けたかもしれません。

 

「…………」

 

 しかし。

 遠くの音までよく聞こえる、サーバル自慢の両耳には聞こえました。黒セルリアンとは明らかに違う、でも絶対にセルリアンであろうと思われる大量の足音が。

 サーバルの足から力が抜けていき、やがて歩みが止まります。

 

「カバンちゃんはね、すっごいんだよ。……だから」

 

 こらえきれずあふれ出した涙をぬぐうこともせずに、ゆっくりと、振り返ります。

 仰ぎ見た先。明るくキレイな月を背に、黒セルリアンは空高く腕を振り上げていました。

 

「――――だから、なにがあっても大丈夫だよ」

 

 泣きながら笑顔でそう言ったサーバルに、セルリアンの腕が振り下ろされ、夜の林にひどく重たい轟音が、どこまでもどこまでも響きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――約束は守るわよ」

 

 硝煙の立ち上るリボルバーを両手に。

 サーバル目掛けて振り下ろされる漆黒の腕を、十二発の重たい轟音を響かせながら吹き飛ばし。

 レミアは、殺意を込めた目でそう(うな)りました。

 




次回「れみあさん」


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第十八話 「れみあさん」

 月の明るい夜のこと。

 海風がほんのりと鼻をくすぐり、木々のざわめきが耳をなでるようにあたりで聞こえるそんな夜。

 

 ルルルゥゥゥゥゥオオォォォッッッ――!

 

 風も葉擦れも塗りつぶすほどの大音声で吠えた黒セルリアンは、失った前足をまるで信じられない事が起きたかのように、目の前にかざしながら二歩、三歩と後ずさりました。

 

「今よ!」

「はいよー」

 

 鋭く叫んだレミアの声に、遠いところからフェネックの声が応答。直後、後退していたセルリアンの後ろ脚が片方、地面にめり込みました。

 バランスの崩れた所へレミアは間髪入れずに再装填したリボルバーの弾を叩き込みます。

 

 両手のリボルバーが立て続けに火を噴き、黒セルリアンの目玉に襲い掛かります。

 オレンジ色の火花のようなものと、飛び散った黒い粒子に飾られて、黒セルリアンはなすすべもなくその場でたたらを踏みました。

 

 茫然とその様子を間近で見ていたサーバルに、

 

「何をしてるのだ! 早く逃げるのだ!!」

 

 林の中から飛び出したアライさんが、声をあげながらその手をしっかりと掴んで林の中へサーバルを引き込みました。

 

 足をもつれさせながら引っ張られるがままにサーバルは走ります。驚きと混乱で目を白黒させています。

 

「あ、あの、えっと」

「細かいことは後なのだ! とりあえず今は逃げるのだ!!」

 

 サーバルの手をしっかりと握って、後ろを見ながら叫んだアライさんは、

 

「!」

 

 サーバルの後ろ。

 レミアが吹き飛ばした黒セルリアンの、大木のように太い腕が、徐々に再生している様子を目の端にとらえて苦い顔をしました。

 

 

 〇

 

 

 数十分前。

 港を目指して移動していたアライさん、レミア、フェネックの三人は、陽が落ちてからずいぶん経ちましたが、港へ向かう足を止めていませんでした。

 月の明かりが足元を照らしてくれる、木々のまばらな林の中を、やや焦った様子で移動しています。

 

 始めに異変に気が付いたのはフェネックでした。

 

「レミアさーん。なんかいろいろ近づいてるかもー」

「セルリアン?」

「たぶんねー」

 

 フェネックの耳がぴくぴくと動いていました。

 ほどなくして三人はやや開けた場所で立ち止まると、フェネックは耳を、レミアはスコープを使って敵の正確な位置を掴もうと意識を集中します。

 細かったり太かったりする木々の合間。月の明かりは葉の影になって周囲を薄暗くしていますが、それでも視界の確保には困らない景色の中で。

 

「後ろから追ってきてるわね」

「前からも来てるねー」

「は、挟まれたのだ!?」

 

 レミアがスコープ越しに確認できたのは、サバンナやジャングルで嫌というほど見た真っ青なセルリアンです。だいぶ遠いですが、それらはかなりの数を伴って、三人の後ろから近づいていました。

 一方フェネックの聞いた足音は、それら青いセルリアンとはまた別の、いままで聞いたことのない足音です。

 

 地面が揺れるほどのこれまで経験したことのない巨大な足音が、すごく遠くから響いてくるのと、こちらへ近づいてくる小さな足音。小さな方は巨大な奴とは形も大きさも違うけれど、こっちに向かってきていることは確かなようです。そんな感じのセルリアンの音がするとレミアに伝えます。

 

 レミアはその場で撃退することも考えました。

 カバンさんたちが向かっているのが港であり、この先にあるのがその港だからです。捕捉したセルリアンはどういうわけかレミア達に向かってきているのですから、このまま港まで行ってしまっては最悪、カバンさんを巻き添えにする可能性があります。

 

 ですが。

 

「フェネックちゃん、その大きな足音って、もう少し詳しく聞き取れない?」

「んんー、なんというか、足が四本ありそうな感じだねー。あーあと、時々吠えてるねー」

 

 レミアの心中ではなぜか。

 なぜか、どうしてもそのセルリアンが気になりました。

 そのセルリアンの元へ行きたい。近づきたい。そんな欲求が体の内から理由もわからずあふれ出します。

 

「どうするのだ、レミアさん?」

 

 レミアは少し考えた後、手に持っていたライフルを背中へ回して、右腰のリボルバーを抜きました。

 

「前へ進むわ。セルリアンと戦って、囲まれる前に港へ行く。どうしてもそのデカブツの(ツラ)を拝みたいわ」

「わかったのだ!」

「はいよー」

 

 頷くアライさんとフェネックに、レミアは一度笑顔を向けてから、地面を蹴って走り出します。

 

 数分もしないうちに会敵しました。さきほどフェネックが足音を聞き取った小さいほうのセルリアンです。小さいといっても相手はレミアより頭三つほど大きな球型です。月の光をぬらぬらと反射する黒い体を、地面からわずかに浮かせてこちらに突撃してきました。

 

「フッ!」

 

 レミアは息を吐きだしながら右に大きく飛び込み、こちらめがけて突っ込んできたセルリアンをいなします。

 背面に見えた石を立ち上がりざまに射撃。直方体の塊になったかと思うと、セルリアンはバシャリと音を響かせて砕け散りました。

 

「黒いセルリアンとは……新手ね」

 

 立ち上がって周囲を確認しながらレミアが呟きます。

 これまで見てきたセルリアンの色とは違って、たった今倒したものはインクを染み込ませたかのように真っ黒でした。難なく倒せたとはいえ警戒するに越したことはありません。

 

「フェネックちゃん、こっちに向かってきているセルリアンって、今の奴と同じ?」

「かなー。似た足音はー、ちょっと離れてるけど向かってきてるねー」

 

 耳に手を当てて前方へ意識を集中させながら、フェネックはそう伝えました。

 すると、

 

「レミアさん」

「ん?」

 

 アライさんが、神妙な面持ちでレミアの服の裾を引っ張ってきました。普段あまり見せることのないような、どこか陰のある表情です。

 レミアは向き直りながら首をかしげました。

 

「どうしたの?」

「あの黒いセルリアンは〝サンドスター・ロー〟を直接取り込んで生まれる、厄介なセルリアンなのだ。難しい相手だってミライさんが言っていたのだ」

 

 難しい相手。

 それの指す意味がレミアにはすぐには思いつきませんでしたが、アライさんの言葉を真摯に受け止めることに違いはありません。

 

 このタイミングでそれを言ったということは、つまり遠い昔にもアライさんはあの黒いセルリアンと対峙しているということです。

 少なくとも〝パークの危機〟に関わる存在。ミライさんが〝難しい相手〟と称する敵です。

 

 レミアは気を引き締めるつもりで、しっかりとうなずきながらアライさんの肩に手を置きました。

 

「わかったわ。気を付ける」

「あの黒い奴に、たくさんフレンズが食べられるのをアライさんは見たのだ」

「…………」

 

 アライさんの声が震えていました。

 レミアの手が止まり、フェネックが思わず振り返ります。

 

「あの黒い、あいつらは、悪いやつらなのだ。強いし、多いし、フレンズがたくさん食べられたのだ。アライさんの大事な友達も、みんな、みんなあいつらと同じ奴に食べられたのだ」

「…………」

「…………」

「あんな奴らがいるのはパークの危機なのだ。レミアさん……おねがいなのだ。あいつら、あの黒いやつら、みんなやっつけてほしいのだ」

 

 顔を上げたアライさんの頬には涙の筋ができていました。レミアは口を結びながら、一瞬だけかける言葉に悩み、一瞬後に悩んだって気の利いた言葉はかけられないと思い返し、思ったことをそのまま口にします。

 

「そうね、約束するわ。……もう誰も食べさせない。みんな、やっつけてやるわ」

 

 口の端を上げたレミアの微笑には温かな頼もしさがあり、対照的に、次第に冷たくなっていった瞳には、明確な殺意が含まれていました。

 横で黙って見ていたフェネックは気が付いていましたが、アライさんを泣かせるようなセルリアンをレミアが許すわけがありません。滲み出る殺意の理由に、フェネックは肩をすくめました。

 

 アライさんはぐしぐしと目元をこすると、

 

「アライさんも頑張るのだ!」

 

 いつもの快活な表情で、元気よく言い放ちました。

 レミアの手にあるリボルバーが、月の光を反射して、鈍く、勇ましく、輝いています。

 

 それから数十分のこと。

 移動しながらほとんどの――黒くて丸くて、前方から愚直に突っ込んでくる球型のセルリアンを、レミアはアライさんとの約束に従って片っ端から屠って進みました。

 

 

 〇

 

 

 ルルゥゥゥォォォォォォ――!!!

 

 林中に響き渡る咆哮にレミアは顔をしかめながら、目の前三十メートルほど先の巨体を睨めつけていました。

 巨大セルリアンの姿を捉えたのと、その足元で一人のフレンズが松明を持って逃げているのを見つけたのは同時でした。

 

 まずは足もとのフレンズを戦闘から離脱させること。

 そのためには巨大セルリアンを足止めすること。

 

 即興でしたがひとまずの作戦はうまくいったようです。

 一瞬で作戦の目的と手段を構築したレミアは、フェネックに簡易的な落とし穴を掘るように指示。自身は囮と攻撃役に回り、アライさんには戦闘離脱補助を頼みます。

 

 結果は半分上手くいき、半分は想定外のものでした。失敗とまではいきませんが、レミアは頭に痛いものを感じます。

 

「それは反則だわ……」

 

 頬をヒク付かせながら見上げているレミアの先で、周囲から黒い粒子を集めながら、黒セルリアンは腕を再生していきました。

 たしかに攻撃は通るようです。十二発というレミアの所持弾数からするとやや負担の大きな火力ではありますが、それでも敵の攻撃手段、移動手段を大幅に阻害できる、行ってみれば有効打となりえる攻撃でした。

 

 しかし腕を吹き飛ばしたとはいえ再生されては(かな)いません。仮に無限の弾があったとしても、埒があきません。当然、弾には限りがありますし、現段階でもそう多くは残っていません。

 

 視線を落とし、周囲の様子をすばやく確認したレミアは、足元で襲われかけていたフレンズ――サーバルが、アライさんと共に無事林の中へ逃げ切ったことを確認して、ポーチから懐中電灯を取り出します。

 

 遠くの方で、落とし穴作戦に成功したフェネックがさらに遠ざかって、倒れていたもう一人のフレンズに駆け寄っていくのを視界にとらえました。

 レミアは満足げにうなずきます。おそらくフェネックは、倒れているフレンズを移動させようとしているのでしょう。

 

 つまり、見える範囲に危険にさらされているフレンズはいないようです。

 レミアは懐中電灯のスイッチを入れ、強烈な明かりをセルリアンの前でちらつかせました。

 

「ほら、あなたは光に向かって進むのよね?」

 

 ポーチに手を当て、研究員が残した――遺志とも言い換えられる対セルリアンの情報を頭の中で反芻しつつ。

 

「追いかけっこをしましょう。あなたが鬼。あたしが逃げる。あたし以外を追いかけたらぶっ殺すわよ」

 

 言うや否やレミアは走り出しました。全速力で走り出しました。

 口の端には、まるで楽しんでいるかのような、そんな笑みが自然と浮かんでいました。

 

 

 〇

 

 

「これ、たぶんカバンさんだよねー」

 

 落とし穴を掘り終えたフェネックは、黒セルリアンの背後で、気を失って倒れていたフレンズの元へ駆け寄っていました。

 赤いシャツにベージュのハーフパンツ、その下は黒のタイツです。各地域で断片的に聞いていた、カバンさんの特徴そのものです。

 

 ですが、周囲を見渡してもアライさんの帽子は見当たりません。アライさんがやけに大切にしていた帽子で、以前何度かフェネックも見ていますから、落ちていればすぐにそれとわかります。

 

 まさか昔の思い出が詰まったとても大切なものだとは知りませんでした。ですが、今ではそのことも知っています。フェネックはアライさんのためにも、必ず見つけるつもりで辺りを見回していき、

 

「あ!」

 

 木の根元。何やら黄色い変なものが倒れている、その目の前に帽子を見つけました。

 走り出して取りに行こうと一瞬ピクリと動いた後、冷静に思い返して黒セルリアンのほうを一瞥します。

 

 みると巨大な足のすぐそばで、レミアが懐中電灯をちかちかと瞬かせていました。

 

 レミアのやろうとしていることが一瞬で分かり、同時に今すぐレミアの元へ走って「やめるんだ」と言いたくなり。

 しかしすぐに、そんなことをしなくても、あのレミアなら大丈夫だと自分に言い聞かせます。こんなウソみたいに大きなセルリアン相手に、たとえ囮として走ったとしても、あのレミアさんなら逃げ切れる。

 もしかしたら、これはまぁもしかしたらの話だけど、何かしらの方法であのセルリアンをやっつけて帰ってくるかもしれない。

 

「いやー、ここはレミアさんを信じるべきだよねー」

 

 苦笑いを浮かべながら独り言ちたフェネックは、とりあえず帽子を持ってくるより先にカバンさんを林の中へ隠そうと、背中に手をまわし、

 

「よっ……こいしょ」

 

 頑張って抱きかかえて木の影に横たえました。

 すぐに走り出して帽子の所まで行きます。

 

 走りざま黒セルリアンの様子を確認すると、レミアの姿はもうそこにはなく、おそらくはレミアを追っているのであろう黒セルリアンが、地面を揺らしながら移動していました。

 

 無事帽子のところにたどり着き、土ぼこりを払いながら、ボロボロのそれを大切に両手で持ち上げて。

 

「……これのためにがんばってきたもんねー」

 

 誰に言うでもなく、そう呟きました。

 

 アライさんの思い出です。フェネックはしっかりと手に持って、ついでに辺りを少し見回して、

 

「ん?」

 

 よく見ると荷物がそこら中に散らばっていることに気が付きました。

 フェネックは始め首をかしげながら、はてさてこれは何だと考えましたが、とりあえず今は帽子の回収と、アライさんたちとの合流が先です。

 

 散らばっている荷物はそのままに、カバンさんのもとへと走っていきました。

 

 夜風が緩く吹きすさび、月明かりがほうほうと林を照らす静かな夜。

 散らばった荷物のうちの一つである、パークの全地形を記した地図が、パタパタと静かに揺らされました。

 

 〇

 

 カバンさんのもとへ戻ったフェネックは、二人のフレンズがいることに気が付きました。アライさんとサーバルです。

 

 帽子を小脇に抱えて戻ったフェネックに、アライさんは「あ!」と一声上げた後、

 

「フェネック! それなのだ!!」

「はいよー。あっちの方に落ちてたんだー」

 

 フェネックが帽子を差し出して、アライさんは満面の笑みでそれを受け取ります。

 大事そうに手に取ると、懐から朱色の鳥の羽を取り出して、帽子の側面に取り付けました。両サイド一つずつ、冴えた青と、燃えるような朱色の羽が揺れています。

 アライさんはその帽子を、一度胸にぎゅっと抱いてから、

 

「……もうなくさないのだ、ミライさん」

 

 極々小さな声で漏らしました。フェネックは耳をぴくりと動かして、それからいつもよりちょっとうれしそうに微笑みました。

 アライさんは胸に抱いた帽子をもう一度目の前に掲げて、そのベージュ色でところどころ穴の開いた、大切な思い出をゆっくりと頭にかぶります。そのときです。

 

「えぇ、それ、カバンちゃんのだよ! なんで取ってるの!?」

 

 サーバルが帽子を指さしながら慌てた様子で叫びました。帽子をかぶったアライさんはその声にビクリとしながらも、すかさず言い返します。

 

「違うのだ! これはアライさんのなのだ! アライさんが盗られたのだ!!」

「そ、そんなことする子じゃないよッ! 返してよ!!」

「いやなのだ!!」

 

 サーバルが一層声を張り上げ、アライさんは帽子のつばをぎゅっと持ちながらやっぱり負けじと声を上げるものですから、このままではケンカになってしまいそうです。

 

 フェネックは双方の顔を交互に見た後、「ふぅー」と小さくため息をついてから、

 

「はいはーい、ちょっと二人ともそこまでだよー。アライさん落ち着いてー。サーバルもー、私の話を聞いてほしーんだー」

「え、でも、それはカバンちゃんのだから――」

「その辺のことについて話があるんだってばー」

 

 なおも食い下がろうとしたサーバルに、フェネックは表情こそいつもの余裕の笑顔を浮かべていましたが、声音には少しだけ怒気が含まれていました。

 フェネックが怒っていることにサーバルも気が付き、はっとして両手をフルフルと振ります。

 

「ご、ごめんね! 違うの、えっと、その帽子はカバンちゃんがずっとかぶってたから、だから、怒らせたくて言ったわけじゃなくて、その……」

 

 慌てた様子で矢継ぎ早に言うサーバルを見て。

 フェネックは、そしてアライさんも、自分が熱くなっていることに気が付きました。フェネックは肩から力が抜けていき、ちょっと頭に血が上りかけていたことを反省します。

 サーバルには、アライさんとフェネックを攻撃しようなんて意図があったわけではありません。もとより〝ちゃんと話をしないとダメなこと〟だということは、この旅の途中で何度も思っていたことです。

 これは悪いことをしたと、フェネックは内心で深いお辞儀をしました。

 

「ううんー、こっちも悪かったよー。ごめんねー」

 

 聞きようによっては軽い調子でしたが、その声音には本当に申し訳ないという気持ちが含まれていることを、サーバルも感じ取ります。

 

「ううん! いいの。それで、話ってなぁに?」

「えーっとねー」 

 

 それからフェネックは、アライさんの帽子について伝えなければならない大切なことだけを話しました。

 時間に猶予はありません。悠長に話している場合ではないので、要領よく説明します。

 

 フェネックが伝えたことは、この帽子はもともとミライさんが被っていたものだということ。

 アライさんはミライさんがこのパークに居た時からずっと生きていて、この帽子はミライさんがパークから出る時にプレゼントしてくれたもの。

 だから、アライさんにとってはとっても大切な思い出で、それをカバンさんにとられたかもしれないと思い、ここまで旅をしてきたということ。

 

「え! じゃあ、アライグマはミライさんのことを知ってるの!?」

「知ってるのだ! 一緒にいろんなところに行って、いろんなことをして、いろんなお手伝いもしたのだ!」

「じゃあ、やっぱりその帽子は……アライグマの……?」

「うん、そうなのだ!」

 

 快活な表情で腰に手を当てながらそう言ったアライさんは、それからゆっくりと手を帽子に伸ばすと、かぶっていたそれを取りました。

 帽子を胸に抱いたまま、木の影で横になっているカバンさんを見つめています。

 

「……でも、なのだ」

 

 口元には笑みが浮かんでいますが、その目が一瞬だけ悲しそうになり、それから考え込むようにして俯いてしまいました。

 

 サーバルが首をかしげます。アライさんが何をしようとしているのかまるで読めません。

 訝しげな表情を浮かべているサーバルの横で、フェネックは、ハッとしたように何かに気が付きます。アライさんのほうを見て、アライさんはゆっくりと歩きだしたのを見て、小さな声でフェネックは訊きました。

 

「……いいの? アライさん」

「いいのだフェネック。やっぱり、そういうものなのだ」

 

 毅然とした声でアライさんはハッキリと言いました。その言葉にフェネックは少しだけ胸にちくりとした痛みを感じましたが、アライさんが決めたこと。アライさんが決めた〝思い出〟の形です。自分にはもう、何も言う必要はないと、フェネックは口の端をわずかに上げながら、目をつむりました。

 

 アライさんは、迷いのない動作でカバンさんのところまで来て、足をかがめます。

 

 直後、カバンさんのまぶたがわずかに震え、ゆっくりと目を覚ましました。おもむろに体を起こしてきたところに、アライさんはそっと、手にしていた帽子をカバンさんの頭にかぶせます。

 

「ん――あれ? え? サーバルちゃん? ラッキーさん?」

 

 カバンさんが混乱した様子で声を上げて。

 最も近くにいたアライさんと最初に目が合い、それからほんの一瞬動きが止まった、そのわずかな間に。

 

「――――やっぱり、帽子はヒトが被ったほうが似合うのだ。この帽子はアライさんのものだけど、カバンさんが被っててほしいのだ」

 

 カバンさんには何のことだか分かりませんでしたが。

 アライさんの表情は、この旅で一番満足げなものでした。

 

 〇

 

 木々の立ち並ぶ夜の林を、一人の女性がまるで糸を縫うように疾走していました。

 

 時折周囲に懐中電灯の明かりを振り向けては。

 

 すどんすどん。

 

 手に持っている44口径のリボルバーから火を吹かせます。

 

 レミアの周囲には球型の黒いセルリアンが追随してきており、その背後には、地面を揺るがしながら四本足で追いかけてくる巨大な黒セルリアンが迫っています。

 

 一見すると巨大な脅威に追いかけられ、周囲を敵に囲まれているという絶望的な状況ですが、

 

「イージーすぎるわね。追いかけっこにもならないわ」

 

 レミアの口元には笑みが浮かんでいました。

 足取りは見るからに軽く、まったく疲労を感じていない様子です。

 

 むしろ元気になっているような。レミアは体感的にこの場所へ来てから、体が軽くなったような気がしていました。

 

「まぁ、そんなことはひとまず置いといて」

 

 レミアは自らの状態確認もほどほどに、周囲の様子へ気を遣ります。

 走る足はそのままに、後ろを振り仰いでから巨大セルリアンの目元にライトの光をチラつかせました。

 

「……足は遅いし、知能は皆無だし、ちょっと随伴兵を出したかと思えば猿の一つ覚えのように囲うことしかしてこない」

 

 おまけにこの小さいやつらは、後ろのデカブツを倒せば溶岩となって一掃できる。

 

 レミアの頭にはすでに日記の内容が入っています。それの示す今の状況は、まったくもってピンチでも何でもありませんでした。

 ただ一つ懸念があるとすれば、そしてそれがかなり肝心なことでもあるのですが。

 

「問題は倒し方ね」

 

 レミアはひとまず海の方角へと走っていました。理由は単純で、黒いセルリアンは水に触れると溶岩になるという情報を持っているからです。アライさんからも聞きましたし、日記にも書かれていました。まず間違いのない情報でしょう。

 

 ただどうやって水に触れさせるか。

 海の中まで入ったとしてもそこまでこいつが追いかけてくるとは限りません。当てが外れてそこで戦闘になった場合、さすがのレミアも海中での動きは緩慢になります。危険であることは間違いありません。

 

 さてどうするかと思案しつつ、右側から迫っていた小セルリアンの石をぶち抜いてから、ふと視線を前に動かしたその時でした。

 

「――な!」

 

 その目に入ったのは、燃え盛る炎で周囲を明るく照らしている一隻の船です。

 瞬間、レミアはとっさの判断で右側に方向転換、木の影に身体を這わせつつ大きく飛び込み前転をします。そのほんの一瞬後、レミアの足があった場所を、これまでとは比にならないほどの速さで走り出した巨大セルリアンの足がかすめました。

 

 〇

 

「ぬおあー! フェネック!! こんなことしてる場合じゃないのだ!!」

 

 帽子をカバンさんに被せてから、ものすごくいい笑顔を浮かべていたアライさんでしたが、突然思い出したかのようにハッとすると、地面に穴をあけるような勢いで立ち上がってそう絶叫しました。

 

「フェネック、大変なのだ! アライさん見ちゃったのだ!」

「何を見たのさー?」

 

 わたわたとアライさんが、落ち着きなく手を振りながらフェネックに詰め寄っている間。

 目を覚ましたばかりのカバンさんは、始めこそわけがわからないとオロオロしていましたが、サーバルから大体の話を聞くと「な、なるほど……」となにやら飲み込めたらしく、それから落ち着いた動作でアライさんに近づいて、その肩をやさしく叩きました。

 

「何を見たんですか? アライグマさん」

「あのでっかいやつ、レミアさんが腕を取ったのに、再生していたのだ!」

「!?」

 

 カバンが目を見開きます。〝レミアさん〟というのは直接見たわけではありませんが、サーバルから聞いた話で、〝サーバルちゃんを助けてくれたフレンズ〟ということは認識しています。

 

 ただ今はそんなことは関係ありません。問題は〝腕を取ったのに再生した〟という言葉の方です。

 

「それ、どういうことですか!?」

「そのまんまなのだ! 腕がなくなったのに、サンドスター・ローを吸収してもう一度生やしたのだ!!」

「……それ、もしかしてそのままだと、海に沈めても復活するということですか」

 

 張り詰めた声で質問したカバンさんに、アライさんは首を横に振りました。

 しかしそれは「復活しない」という否定の表現ではなく、どうなるかはわからないという意味です。

 

「海に沈めればさすがにやっつけれるかもしれないけど、サンドスター・ローの供給がある限り、レミアさんがまともに戦っても勝ち目はないのだ! 沈めるにしても、そこへ行くまでの間が危険なのだ!!」

「どーすればいいのー?」

 

 首をかしげながらそう言ったフェネックに、アライさんはある場所を見上げながら答えました。

 見上げた先にあるものは。

 

 月の明かりを反射して、七色の光を焚き上げて、複雑怪奇な形で積みあがっているこの島の源。

 

「〝やま〟の〝ふぃるたー〟を張り直すのだ! 〝ししん〟をちゃんと配置したら、サンドスター・ローは止められるのだ!!」

 

 アライさんの言葉に、カバンさんとサーバルは目を見開きます。それは、この二人だけでは成し遂げられなかったことです。やっぱり大事なものだったんだと、どうしてあの時もっとしっかり探せなかったんだと、カバンさんは心中で自分を責めました。

 

 うつむいたカバンさんに、フェネックは気が付きました。

 気が付いて、もしかしてこのふたり、私たちが来る前からあの巨大セルリアンを倒そうと動いていたのかもしれないと思い。

 そして思い返せばサーバルは、あの恐ろしい火を手にしてまで巨大セルリアンと対峙していたことを思い出して、なるほどそういうことかと確信しました。

 

 そっとカバンさんの背中に手を当てて、

 

「ありがとねー、カバンさん。私達もいれば、きっとうまくいくよー」

 

 にこっ、と笑って、カバンさんを励ましました。カバンさんの表情が驚きから笑顔に変わったのはもちろんのことです。

 

 それからバスのところまで戻って、地図を回収して、アライさん、フェネック、カバンさん、サーバルが山へ向かって走り出すのに、数分とかかりませんでした。

 大急ぎで、でも転ばないように、四人のフレンズは月の明るい夜の林を駆けていきました。

 

 〇

 

 燃え盛る船の明かりが、周囲を警戒しながら前へと進むレミアの全身を舐めるように照らします。

 ひび割れたアスファルトの上に立ったレミアは、右手のリボルバーだけを巨大セルリアンに向けて、懐中電灯は下に向けています。

 

「…………」

 

 レミアの先、三十メートルほど向こうで。

 

 ルルウウウウゥゥゥゥォオォォォォォォォッッ――!

 

 闇に染まった黒い空に、どこまでも響くような咆哮を上げて、巨大な墨色のセルリアンは前足を船の上に叩きつけました。

 どしん、という鈍い音と、金属が軋む音がしましたが、船は沈まないようです。

 

 ピピーンッ!!

 

 船の上から、澄んだ高い音が鳴り響いて。

 船はセルリアンの前足を乗せたまま、重たいエンジン音を大きく唸らせて前進。セルリアンは大きくバランスを崩します。

 

 ルルルウウウオ――――。

 

 断末魔の悲鳴か、あるいは後悔の叫びか。

 セルリアンは夜の空へ向かって何事か吠えようとしましたが、完全に吠えきる前に船が真っ二つに裂けて、足を乗せていたセルリアンも当然のことながらバランスを崩し、そのまま引きずり込まれるようにして海の中へ落ちていきます。

 

 沈む直前に響いていた咆哮が、水面の下からくぐもって聞こえた後。

 海の表面に黒い粒子が集まってきました。

 

「ちっ!」

 

 やはり再生するようです。レミアは手にしていた懐中電灯とリボルバーを戻し、背中に回していたライフルを構えます。

 

 狙うは顔を出した直後。いくら再生するとはいえ弱点の海水に全身が浸かっているのです。石まで削り切れないわけがありません。

 要は陸地に揚がらせず、海の中でとどめたまま石を砕けばいいだけの話。レミアはスコープ越しに、今か今かとセルリアンが浮いてくるのを待ちました。

 

 ですが。

 

「……?」

 

 黒い粒子はしばらく水面を漂っていましたが、やがて薄くなると、月明かりでは視認できないほどにまで消えてなくなりました。かわりに、溶岩が冷えて固まったかのような小さな島が、海面に顔を出してきます。

 

 レミアは島が表れてもなお、油断なくライフルを構えていましたが、

 

「…………」

 

 一分が経ってから、ゆっくりとライフルを下ろしました。

 

 港のコンクリに波の当たる、ちゃぷちゃぷとした音が耳を打ち、火照った体に冷たい海風がさらりと肌をくすぶっていきます。

 

「ふー」

 

 胸の底に詰めていた何かを吐き出すように、ゆっくりと、レミアは深呼吸をしました。

 

 終わったのでしょうか。念のため辺りを見回して、追随していた球型の小セルリアンも、残さず溶岩になっていることを視認します。林の影になっているところも、月明かりでは確認しずらいですから、懐中電灯で確認しようと照らします。

 

 ポーチから取り出して、スイッチを入れて、木の根元を照らした瞬間。

 

「ッ!」

 

 レミアは反射的に体をひねりました。ほんの一瞬前まで上体のあった場所を、両手で抱えられるほどの大きさの何かが高速で過ぎ去っていきました。

 

 振り向きざまライトを照らし、ライフルはその場で手放しつつ、それが落下して地面に当たるよりも早くに右腰からリボルバーを抜きます。

 

 一瞬でした。

 ライトが当たってからの一瞬後、レミアはそれが青いセルリアンであることを認識して、認識した直後には丸見えだった石を撃ち抜きました。

 

 青セルリアンが霧散するのを視界の端にとらえつつ、下に落としたライフルを回収、背中へ回します。

 油断なく林を明かりで照らしていき、その照らされた先にリボルバーの照準を合わせたまま、レミアは港のひび割れたアスファルトを進みました。

 

 二歩、三歩と進んだところで、

 

「……誰よ」

 

 レミアは足を止めました。否、止めざるを得ませんでした。

 林の中から何か異様な気配がして。何か嫌な予感がして。

 

 そして嫌な予感は的中して、レミアの目の前に一人の少女が表れました。

 

 髪の根元は青く、毛先は白いグラデーションのかかった色彩に、髪型はレミアとよく似た肩より少し長いストレート。月明かりに照らされたワンピースは目の冴えるような白色で、肌は病的なまでに青白い――いえ、むしろ青い(・・)と形容するのが正しいほどに、少女の肌色は尋常ではありませんでした。

 

 身長はレミアの胸ほどの高さであり、どちらかと言えば細身です。この旅でよく見たフレンズたちとそう変わらない体格なだけに、肌の青さが異質さを増しています。

 

 そして何よりも。

 この場所(ジャパリパーク)へきて初めて向けられた〝明確な殺意〟に、レミアは背筋を焦がされていました。

 

 巨大セルリアンを屠ったことで、ほんのわずかだけ気を緩めかけていたレミアでしたが、今はもう、その目に安堵の色など欠片も見られません。

 目の前の少女が発している濃厚な〝殺意〟に応えるように、レミアの目が、氷点下の凍てついた大地のように冷たくなっていきます。

 

「もう一度聞く。返答次第では射殺する。お前は誰だ」

 

 レミアが冷たい無機質な声で問いただします。

 一方で、記憶の糸を手繰り寄せ、温泉でホッキョクグマから聞いた〝噂〟を思い出しました。

 

 ――大勢のセルリアンに囲まれているのに、少しも慌てず、逃げようともしない、全身真っ青のフレンズがいる。

 

 なるほど、と。

 レミアは、懐中電灯の明かりとリボルバーの銃口を少女からピクリとも動かさず、目線だけで周囲を確認します。

 まだ完全には見えませんが、結構な数のセルリアンの気配がしました。それは、つまりここへ来るまでの間に後ろから迫ってきていたセルリアンなのかもしれません。

 

 レミアの問いには答えずに、青い少女は緩慢な動作で右手を挙げると、

 

『……オマエ、ジャマ。ケス』

 

 ひどく無機質な。

 まるで、どこかで聞いたことのあるような。

 

 いいえ。

 どこか(・・・)でも、あるような(・・・・・)でもなく、レミアはその声を一度だけ聞いたことがありました。

 

 それは――――。

 

「あの時撃っておけばよかったわ」

 

 ブワッ。

 レミアの周囲に虹色の粒子が舞いました。灰色の瞳も光を帯びて、舞っている粒子と同じくらいの輝きを放ち始めます。

 

 しかし、美しく漂う七色の中に。

 黒く、淀んだ、言うならばそれはまるで。

 

『――オマエ、オナジ』

「食うことしか能のないあなた達と、一緒にしないでくれるかしら」

 

 虹色の粒子の中に混じって、淀んだ色の粒子を発しながら、レミアは、冷たくそれだけを言い放つと、地面を蹴って大きく右に飛びました。

 

 ラッキービーストだったセルリアンの少女は、レミアに向かって手を振りかざし、周囲のセルリアンに命令します。

 

『アノ、セルリアンヲ、ヤッツケテ』

 

 

 

 

 






次回『ボクモ』


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第十九話 『ボクモ』

 凛とした月明かりは平等に、夜の林も、夜の港も照らしてくれます。

 朽ち果てたコンクリに小さな波が当たっては、白い泡を立ててその形を散らしていきます。

 

 本来ならばちゃぷりとか、とぷんとかいう水の当たる音が響くのですが。

 その港には、それどころではない音が辺りを支配してやみませんでした。

 

「ッ!」

 

 レミアは、背後から飛び込んできた青色のセルリアンを、すんでのところで横へ踏み込んで躱し、背面に露出していた石をリボルバーで撃ち抜きました。

 すどん、という重たい音が余韻を引いて消えないうちに、今度は前方から、セルリアンの少女がレミアの顔めがけて鋭い蹴りを放ってきます。

 

 上体を沈めるように下へしゃがんで、レミアは右足で少女の軸足を狩ろうと足払いを仕掛けます。タイミングは完璧でしたが、

 

『!』

 

 少女はレミアの顔めがけて放った足をそのまま高く跳ね上げ、宙返りをするようにトントンと地面に手をつきながら後退、レミアの足払いを避けました。

 

 サンドスターの七色の粒子に照らされたレミアの頬に、一筋の汗が流れます。

 

 ――こいつ、強い。

 

 レミアは率直に、目の前に立つ頭一つ低い華奢な少女を評価します。

 

 戦闘が始まって二分が経過しました。二分の間に、レミアは自身に飛びかかってくる青や赤色のセルリアンを十二体屠っています。いずれもその大きさはレミアとほぼ同じであり、この旅で対峙してきたセルリアンとなんら変わらない姿です。

 

 それゆえ、セルリアンに対してレミアが後れを取ることはありませんでした。囲い込むようにして敵が立ちまわることは読めたので、レミアは必ず囲いが完成する数歩前には先手を打ち、包囲を破り、そして敵の親玉を叩きに行く。そのような戦術を取っています。

 

 ですが。

 敵の親玉、すなわちセルリアンの少女は、レミアが想定していた以上に厄介な相手でした。

 少女は周囲にうごめいているセルリアンに命令し、時にレミアを囲って攻撃するように、時にレミアが攻撃してきたのを迎え撃つように――――すなわち、レミアが少女に向かって放った弾丸のすべてが、他にいるセルリアンによって阻止されてしまうような状況です。

 

 弾が届かないならば直接攻撃を試みる。

 肉薄しての至近戦に持ち込もうと、たった今それを仕掛けたのですが。

 

 結果は失敗。

 セルリアンを背後からけしかけられ、避けて対処したところへ少女のほうから(・・・・・・・)近接攻撃を仕掛けてきました。

 カウンターで足払いを繰り出しましたが、見事ともいえる身のこなしで避けられました。思わず、レミアは間合いの切れた少女に対して質問をぶつけます。

 

「そんな動き、どこで覚えたのよ」

『……オシエナイ」

「そう」

 

 短いやり取りの直後、レミアの右サイドから赤いセルリアンが突っ込んできました。

 前足で地面を蹴り、素早く後ろへ避けます。目の前を赤セルリアンが横切った直後、

 

「ッ!!」

 

 セルリアンの少女が目と鼻の先まで接近していました。レミアの目の前に、少女が握りしめた拳が迫って来ます。

 とっさの判断で、右手に持っていたリボルバーを手放し、左手を挙げて少女の放った右ストレートをはじきます。

 そのまま宙を行く少女の手を掴み、

 

「――セァッ!!」

 

 体をかがめて背負い投げます。確実に腕を捉え、少女の重心が跳ねあがったのを一瞬で悟り、レミアはそのまま地面に叩きつけようと体をいっそう丸めて加速させました。

 

 しかし、少女は固いコンクリに全身を打つ直前で身をひねり、空いている左手で衝撃を緩和。次の瞬間には慣性を活かして立ち上がろうとしていました。――レミアの、想定した通りに立ち上がろうとしてくれたので、少女が起き上がる軌道に合わせて、レミアは一切手加減のない膝蹴りを側頭部に叩き込みました。

 

『グッ!』

 

 低いうめき声とゴツリという鈍い音が響き、少女は地面を二度、三度と転がってから、ふらふらと立ち上がります。

 レミアも、その間にすぐさま手放したリボルバーを回収。立ち上がって間もない少女の頭部に向けて一発放ちましたが、横合いから割り込んで来たセルリアンに阻まれます。

 

 びたり、と。

 レミアはリボルバーを少女に向け、少女はだらりと両手を垂らしたままレミアをにらんで、双方動きを止めました。

 

 銃弾を少女に叩き込んでも、セルリアンに阻まれます。

 セルリアンをレミアにけしかけても、苦も無く避けて撃退します。

 

 互いの攻撃方法がまっとうなものでは通用しないことを悟りました。両者は月の明かりに照らされる相手の目を、冷たく油断なく睨みつけます。

 

「……フレンズの為にいることが、あなたの役目じゃないかしら」

 

 殺意のこもった眼で睨んでくる少女に、レミアは静かに問いました。静かでしたが、それは怒気を孕んだ声音でした。

 

 ――本来ならばフレンズたちの味方であるはずのラッキービーストが、セルリアンとなって、セルリアンを従えて、フレンズたちを襲っている。

 

 その事実が否応なくレミアの怒りをくすぶり、頭の中をちかちかと明滅させています。レミアの投げ付けた問いは、その答えを知りたくて問うたというよりはむしろ、思わずして口から洩れた、目の前の少女に対しての悪態でした。

 

 少女はレミアを睨みつけたまま言いました。

 

『……コタエナイ』

「そう。いいわよ別に」

 

 それで会話は終わると思いました。レミアはさらに気を張り、少女だけでなくその周囲、自身の背後すらも、音や気配から先回りして動くつもりで警戒を厳にします。

 

 ですが。

 

『オマエ、ナゼ、フレンズト、イル』

 

 途切れ途切れの無機質な声で、相変わらずレミアを睨みつけたまま、少女は口を開きました。

 

 レミアは驚きます。一瞬陽動かと思い、少女に動く気配がないことを見て取って、何のつもりかと思案します。

 少女のほうから問いを発するとは思いませんでした。まさかと思いつつも最大限の警戒を怠らず、律儀に、レミアは問いに応えます。

 

「……あたしだからよ。あたしのやりたいことは、あたしが決めるの」

『…………』

 

 青い肌の少女は一瞬。

 ほんの一瞬だけ、レミアの言葉に驚いたようなそぶりを見せ。

 次の瞬間には恨みの気配を濃くしながら、地面を穿つ勢いでレミアに飛びかかってきました。

 

『――ズルイ』

 

 少女の鋭い踏み込みの寸前、極々小さなつぶやきが、レミアの耳にはやけに大きく聞こえました。

 

 〇

 

「早くなのだー!」

 

 後ろを振り返りながらそう叫ぶアライさんに、

 

「アライさーん、あんまり先へ行っちゃだめだよー」

 

 フェネックが口の周りを手で覆って、拡声器代わりにしながら大きな声で呼び止めています。

 

「わかっているのだ! でも急ぐのだ! さっきからレミアさんの鉄砲の音がするから、きっと戦っているのだ!!」

 

 アライさんの声に返事をするものはいませんでしたが、皆が一様に、確かにその通りだと思いながら足に力を入れました。

 アライさんとフェネックにはずいぶん聞きなれた音が、遠くの方から反響して聞こえてきます。連続していたり、断続的だったりしますがいづれもレミアが発している音だということは確信できます。そしてそれは、レミアが今現在も戦っているということです。

 

 草も生えていない急な山の斜面を、アライさん、フェネック、サーバル、カバンさんが頂上を目指して歩いていました。月の明かりが山肌を照らし、大きめの石は乾いた地面にうっすらと影を落としています。

 

 昼間登った時にはこのあたりでバテていたサーバルですが、

 

「サーバルちゃん、大丈夫?」

「へーきへーき! 昼は太陽が暑くて大変だったけど、夜は涼しいし、それにほら!」

 

 わたし夜行性だから! と親指を立てて振り向いたサーバルに、カバンさんは笑顔で頷き返しました。

 

 太陽が落ちてからずいぶん経っています。ヒトであるカバンさんには隠しきれない疲労の色が見え始めていましたが、毅然と、進める足を止めることもなく他の三人について行っています。

 

 順調に歩を進め、カバンさんとサーバルが昼間に休憩した地点を通り過ぎて、

 

「……ん?」

 

 ちらりと。

 一番後ろを歩くカバンさんは、たった今通り過ぎた時に目の端で何かが光ったような気がしました。

 

 ちょっと立ち止まって、月明かりにぼんやりと照らされている〝それ〟をじっと見つめます。

 まるでジャパリバスのように固そうで、でも色は全然似ていなくて、大きさは結構大きな〝それ〟です。なんだか全体的に平べったくて、どこか丸みを帯びた形状をしています。

 

「…………気のせい、かな」

 

 カバンさんは小さくつぶやきながら、再び足に力を入れつつ、険しい山道を登って行きました。

 

 〇

 

 山の頂上に着いた一行は、

 

「ぬおあ! すごいのだフェネック! なんか前に来た時よりすごいことになってるのだ!」

「前はどんな感じだったのさー?」

 

 アライさんの感動の叫び声にフェネックは首をかしげながら訊き返しました。

 その横では、サーバルがあたりを見回しながらカバンさんに話しかけています。

 

「カバンちゃん! やっぱり変わったものって、ここのどこかにあるのかな?」

「たぶんそうだと思う。ないと困るし、必ず見つけないと。――あ」

 

 はっとしてカバンさんはサーバルに詰め寄って、

 

「サーバルちゃん! ラッキーさんは!?」

 

 これまでどうして失念していたのか、居ないことに気付かないほど事態が混乱していたとはいえ、ここにきてボスがいないことに、カバンさんは初めて気が付きました。

 焦って思わず大きな声を上げたので、サーバルは驚いた様子でしたが、一度、落ち着いた声で「大丈夫だよ」と言ってから、

 

「ボスは船を動かしに行ったんだ。カバンちゃんは無事だったし、レミアさんも、港のほうに走って行ったらしいから、だから、たぶん大丈夫!」

「そっか……」

 

 口ではそう言いましたが、カバンさんの胸騒ぎは治まりません。

 どこからともなく不安が押し寄せます。

 

「カバンちゃん、ボスのことが心配なの?」

「なにか嫌な予感がするんだ……なにも、なければいいけど」

 

 いつにも増して不安げな表情で呟くカバンさんに、サーバルはその肩に手を置いてまっすぐに目を見て言いました。

 

「実は、ボスね、カバンちゃんがあのセルリアンに食べられた時、わたしに話しかけてくれたんだ! 後になってそのことを思い出したんだけど、その時のボス、いつもよりなんだかカッコよかったから、だからきっと大丈夫だよ!」

「サーバルちゃん……」

 

 悲しいことに、ボスが大丈夫である根拠は一切含まれていない言葉でしたが、サーバルはカバンさんの不安を取り除こうと、一生懸命励ましてくれているということは伝わってきました。

 

 ボスはボスにしかできないことをするために別行動をしているのです。ここで自分がウジウジしていても、何にもなりません。だったらボクのやるべきこと、できることをやろう。

 カバンさんは気持ちを切り替えて、サーバルと一緒に辺りを探し始めました。

 

 一方、アライさんは、複雑な形で何層にも積みあがっている七色の塊を指さして、時折フェネックのほうを見ながら力説していました。

 

「前に来た時は、これがこんなに大きくなかったのだ! きらきらしててとってもきれいなのだ!」

「前に来た時っていうのは、やっぱりミライさんと来たんだよねー?」

「そうなのだ!」

「何しに来たのー?」

「決まっているのだ! 四神なのだ! あれが正しいところに無いとフィルターが外れてしまって、なんかこう大変なことになるのだ!」

「アライさんさっき〝再生する〟って言ってたじゃないかー」

「うん、それなのだ! 早くフィルターを張り直さないとダメなのだ!」

「だねー。で、その〝四神〟がどこにあって、どこに置けばいいとかって、わかるー?」

「ぜんっぜんわからないのだ! なんか頭の中でもやもやしてるけど、アライさんには思い出せないのだ!」

 

 はっきりと元気よく、アライさんは言い放ちました。

 フェネックはアライさんの言葉に耳を傾けつつ、顎に手を当てて考え始めます。

 そんな様子のフェネックにアライさんは気が付くと、腰に手を当てて「さすがフェネック! 後は任せたのだ!」と屈託のない笑顔でうなずきました。

 

 どうやら、アライさんは〝四神を正しい位置に置けばフィルターが張り直せる〟ということは知っているのですが、四神がどこにあるのか、どこへ設置すればよいのかは知らないようです。

 

 考え込むフェネックと、その横でどや顔のアライさんに、さっきまで周囲を探し回っていたサーバルが近づきます。

 

「ねぇ、二人とも、何かわからない? このあたりに変わったものがあるらしいんだけど」

「フェネックが今考えてくれてるのだ! たぶん、考え終わったら四神も見つかるから、アライさんはここでフェネックを応援するのだ!」

「えぇー、手伝ってよー!」

 

 サーバルは眉を八の字にしながらそう言いましたが、直後に顔を上げたフェネックが、ハッとした様子でアライさんに訊きます。

 

「ねーアライさーん。サバンナでボスから聞いた〝お宝〟って、たしかこの〝山〟にあるって話だったよねー?」

「お宝? 何の話な…………あー! そうなのだ!! すっかりわすれてたのだ!」

 

 思い出して叫んだアライさんからフェネックは視線を外し、今度はサーバルのほうへ向き直ります。

 

「それでさー、カバンさんとボス、ここで何かやり取りしてなかったー?」

「してたよ! あ、それはでも、カバンちゃんに訊いた方がいいかも!」

 

 サーバルは言うや否やカバンさんのところまで走っていき、連れて戻ってきたカバンさんに、フェネックは改めて質問します。

 

「ボスがさー、この辺で〝大切なものがある〟みたいな感じでしゃべってなかったー?」

「〝大切なもの〟ですか? うーん…………あ! そうだ、確か〝四神がこの島にとっての宝ですね〟という感じのことをミライさんは言っていました!」

「――――ふふ」

 

 フェネックは小さく不敵に笑うと、ぎゅっとこぶしを握り締めました。

 カバンさんはそれに気づかず、宙を見ながら、昼間にラッキービーストから聞いた言葉を頑張って思い出そうとします。

 

「ええっと……〝火口の中心〟から……とうざい? なん? あと、〝ウの3〟っていうのは覚えているんですが……」

「〝その場所は、火口の中心から東西南北。パンフレットで言うとウの3の交差点が、まさに中心点ですね。この像が東の青龍なので、あと三つ埋まっていると考えられます〟――だね?」

 

 サーバルとカバンさんが驚きの声を上げ、フェネックの後ろではアライさんがうんうんと何度もうなずいていました。

 

「さすがフェネック! やっぱりフェネックはすごいのだ!」

「やーたまたまだよー」

 

 フェネックは少し得意そうに、でもそれをさりげなく隠したいように、いつもの余裕たっぷりの笑みを浮かべながら言葉を続けます。

 

「私たちがサバンナで聞いたのはー、やっぱりこの〝四神〟の位置だったのさー。お宝だと思ったアライさんには申し訳ないけどねー」

「いいのだフェネック! レミアさんとパークの危機を救えるなら、それこそ〝お宝〟なのだ! アライさんはそっちのほうが嬉しいのだ!」

 

 にっこりと笑顔で言ってのけたアライさんに、「やー、すごいよアライさーん」とフェネックは満面の笑みで称賛しました。

 

 二人そろって口角を上げているところに、浮かれない顔のカバンさんがおずおずと手を挙げます。

 

「四神があるということはわかるのですが、でも〝とうざいなんぼく〟がわからないと……」

 

 その通りです。ボスの言葉を思い出せても、その表す意味が分からなければ何の役にも立ちません。

 

 フェネックはすぐに上を振り仰いで、星の明るい夜空を指さしました。

 アライさんもカバンさんもサーバルも、フェネックの指先を目で追います。

 

「どうしたのだフェネック?」

「あそこで一番明るく光っているのが北極星だよー。ってことはこっちが北だから、こっちが東で、こっちが西だねー」

「フェネックぅ!?」

 

 アライさんが素っ頓狂な声を上げてフェネックをのぞき込みます。

 またしても少しうれしそうに、でもそれが表に出ないように取り繕いながら、フェネックは若干弾んだ声でアライさんに言葉を続けました。

 

「ほらー、本を読んで勉強したんだよー。アライさんがいつも突っ走るからさー、星や太陽の位置を覚えるのは基本だよー」

「な、なんかごめんなさいなのだ」

「いんやー、これもアライさんのおかげかなー。ありがとねー」

「え、そうなのか!? えへへ、アライさんうれしーのだ!」

 

 それから。

 カバンさんの持っていた地図で位置を確認しつつ四神を見つけ出し。

 

 〝玄武〟の位置がなぜかズレていたため、正しいところに持ってきて、

 

「……うみゃぁ、なにもおきないよ?」

「アライさーん、もしかしてさー、前に来た時ってこの場所もっと砂があったー?」

「言われてみればもうちょっと山を登った気がするのだ」

 

 アライさんの一言からフェネックはひらめき、玄武を持ったままサーバルに肩車をしてもらい。

 

「――――あ!」

「おお! これなのだ!」

 

 カバンさんとアライさんが声を上げて目を見張ったその先では、複雑な幾何学模様のフィルターが、火口の全域を覆うようにして張り直されました。

 

 〇

 

 港。

 ひび割れたアスファルトを鋭く踏みこんで、レミアは勢いを乗せた右足で鎌のように少女の首元を刈ろうとします。

 少女はひざを折って瞬時に避けましたが、レミアの蹴りは一発目がフェイント。蹴り足をそのまま体の後ろまでもっていき、左足で素早くバックスピンキックを放ちます。

 

 体勢を低くしていた少女のこめかみに、(かかと)がヒット。少女は右に大きく傾き、ふらふらと上体をよろつかせながらなんとか立ち上がりました。

 

 レミアは追撃をしようと足を踏み出しましたが、

 

「ぐっ!」

 

 背中に衝撃。

 とっさの判断で半身になり、苦し紛れに勢いを殺します。ですが背後から捨て身のタックルをしてきたセルリアンの勢いは強く、流しきれなかった衝撃が内臓を圧迫して襲います。

 体勢を立て直し、右手のリボルバーできっちりと石は撃ち抜きましたが、少女への追撃のチャンスは逃しました。

 

 レミアも、少女も、相当のダメージが蓄積しているようです。

 レミアの口元は軽く裂け、少しの血がにじんでいます。擦過傷や打撲が体中に見られ、特に左腕は、セルリアンの攻撃をかわしきれずに受け止めてしまう場面もあったからか、肘から先の色が紫色に変色しています。折れているのかもしれません。

 

 少女のほうはもともと青白い肌をしていましたが、口元が少し腫れています。側頭部への重たい攻撃をここまでの戦闘で二度受けているので、通常の――見た目通りの人間の少女であればとっくに失神しているのですが、彼女はいまだに二本の足で問題なく立っています。

 

 ただ、ダメージは蓄積しているとレミアは判断していました。その証拠に序盤の機敏性は失われており、またセルリアンへの指示も回数が減っています。今ではあまり連携的な攻撃を仕掛けてきていません。

 

「……」

 

 連携攻撃でないにも関わらずその攻撃をレミアが受けてしまっているということは、それだけレミアが消耗しているということの裏付けでもあります。あまりいい状況ではありません。

 

 このまま消耗戦を続ければ、手数の多い少女が勝つことは明白。レミアは一瞬だけ視線を落とし、右手に握るリボルバーを確認しました。

 

 弾がありません。六発すべてを撃ち切った銃口から、細い煙が上がっています。

 

 正確には予備の弾倉はまだあるのですが、左手がもうどうしたって動きません。

 サンドスターのおかげか、光の粒子が左腕に集まって何やら作用しているらしく、幸いなことに痛みは感じないのですが、まったく力が入らず、ピクリとも動かないので、弾倉交換は望めません。

 

 二丁あったうちの右に持っていたものは、セルリアンの攻撃を受け止めた時に破損して放棄しました。今持っている左手用のリボルバーも、弾がなくては持っている意味がありません。

 レミアは少女をにらんだまま、ゆっくりとリボルバーを地面に置きました。

 

「ッ!」

 

 置く瞬間を狙って、横合いからセルリアンが腕のようなものを形成して振り回してきました。顔面目掛けて迫ってきたセルリアンの腕を、地面に伏せるようにしてレミアは避けて、そのままごろりと高速で転がり、立ち上がりざま右手一本で背中にあったライフルを瞬時に突き出すように構えます。

 

「散れ」

 

 冷めた一言と暗い目つきで、引き金を引き絞ってセルリアンの石をぶち抜きます。瞬間、ライフルから手を放し、腰の後ろのナイフを抜いて、光となって散るセルリアンめがけて飛び込みました。

 

「ぜぇぇあッ!!」

 

 気合一声。粒子の残像を引きながら、砕け散った先にいる少女めがけて右手で突くようにして首元を狙います。

 しかし少女はレミアの奇襲を読んでいたかのように、上体をわずかに右へ倒しました。

 

『ナゼ……』

 

 レミアからすればひどくゆっくりとした世界の中。

 実際には神速ともいえる速さで放たれた膝蹴りが、レミアの鳩尾を捉え、圧迫された肋骨にヒビが入ります。

 

 レミアの動きが一瞬止まったところへ、追撃をするようにその場でくるりと体を回転させた少女は、自分と同じ高さにある(・・・・・・・・・・)レミアの側頭部に回し蹴りを放ちました。

 

 レミアはとっさの判断で、持っていたナイフを顔の前に掲げて、

 

「ッ!」

 

 遠心力を利用した少女の重たい蹴りに、ナイフを吹き飛ばされながら自身の身体も間合いを切って飛ばされました。

 地面を二度転がって、すばやく起き上がります。

 

『ウラ、ヤマ……シイ』

 

 機械的な。

 冷たい、感情のない声で。

 

 随分と身長の低くなったレミアの前で、肌の青い少女はつぶやきました。

 

 ふと、レミアの周囲の粒子から、淀んだ黒いものがなくなりました。同時にセルリアンの少女も自身の両手を広げてちらりと見ると、

 

『……フィルター、ハッタ。オマエ、モウ、キエル』

「勝手なこと言わないで頂戴。あなたもセルリアンなら、あなただって危ないんじゃないかしら」

 

 随分と幼い、まるで十代になったばかりの少女のような声に、レミアは自分で驚きながらも、毅然とした態度でそう言い放ちました。言って、自身の手の平に一瞬だけ目を落として、

 

「……」

 

 その大きさがもはや無視できないレベルで小さくなっていることに奥歯を噛みました。

 

 戦っている最中は疲労感も痛みも感じませんでした。それはあのバイパスで、大量のセルリアンを相手取った時に、無意識のうちにやっていた事と同じなのかもしれません。

 

 あの時は粒子が目に見えていませんでしたが、今ははっきりと周囲に舞い、その中でも左手に多くの光が集まっています。日記の記述あった、フレンズ固有の〝野生開放〟というものでしょう。

 

 生きているだけで消費するサンドスター。戦えばなおさら消耗し、底をついたらフレンズとしての身体を維持できなくなる。

 このまま長く戦えば――ツチノコが言っていた〝危なかった〟の先が待っています。

 

 もしそうなったら、レミアはどうなるのでしょうか。

 レミアは自分のことを〝フレンズ〟だと思っています。ですが自分がどうしてフレンズになったのか、もっと言うならば何にサンドスターが当たったのか(・・・・・・・・・・・・・)。それがよくわかりません。

 

 アライさん達との旅の中で考えたこともありました。日記が見つかり、自分がわかり、死んでいたことも、今は生きているということも受け入れた後、自分はどうやってフレンズになったのか。何が作用してフレンズになれたのか。

 

 考えて、考えて、百年前の人間の死体に、しかも異国の兵士の亡骸に、サンドスターが当たるというのはおかしな話だと思い当たり。

 ならばこの土地で死んでなお、ここに残された〝あたし〟とは一体何だったのかと考えて。

 唯一、例えば身に着けていたものが、この地に弔いとして残されたならば。

 

 ――――あぁ、あたしはもしかしたらセルリアンなのかもしれない。

 

 そう、考え付いたこともありました。

 セルリアンはセルリアン同士を引きつけます。どうしてジャングル地方であれほどの量が襲ってきたのか。どうしてバイパスで戦ったセルリアンは、律儀に全てがレミアとの戦闘に応じたのか。

 

 その答えがもし〝レミアがセルリアンだから〟であるならば。

 考えることをいつも億劫に感じるレミアでさえも、なるほどと納得できることでした。

 

 ですが決定的に矛盾することもあります。どのセルリアンにもあって、自分にはないもの。いえ、表面上はないだけかもしれませんが、少なくとも目に見えるところには確認できないもの。

 

 石です。セルリアンには必ず石があります。レミアにはそれがどこにあるのか自分でもわかりません。

 分からないのだからあたしはそこらのセルリアンとは違う。そういう思いが胸のうちを占領し、それは〝別にあたしがセルリアンでもいいじゃないか〟という結論を生みました。

 

 あたしはあたしだ。――レミアにとっては、自分がセルリアンなのかフレンズなのかということは、今ではもう、さほど問題ではありませんでした。

 

 そして目の前の少女を見ます。

 少女は〝ヒト〟の形をしています。

 少女には石がありません。

 少女の声は間違いなく〝ラッキービースト〟です。

 そして少女はセルリアンを従え、セルリアンと群れ、レミアへと近づき対峙しています。

 

 きっと彼女はセルリアンですが、セルリアンに等しくある〝石〟が、目に見えるところにはありません。それはつまりレミアと同じ存在かもしれないということです。

 セルリアンであって、セルリアンとは違う。

 ――彼女は、彼女です。レミアがレミアであるのと同じように。

 

 はじめ相対した時に抱いた怒りは、もはやレミアの胸中から消えていました。それもこれも目の前の少女が、戦闘の合間につぶやいていた言葉が起因しています。

 〝ズルイ〟

 〝ウラヤマシイ〟

 どちらもレミアに向けて放たれた言葉です。

 

 セルリアン交じりの身でありながら、フレンズと会話し、共に旅をし、笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだりした、そんなレミアに向けて呟いた言葉です。

 

 レミアは右のブーツからゆっくりと隠しナイフを抜きました。これを入れて残りはあと二本です。

 ナイフが二本。銃は撃てず、時間の猶予はわずかであり、左の腕は使えません。

 

 レミアは自分が消えるより先に、この可哀そうなセルリアンが(ラッキービーストの少女)、きっとずっと前からやりたかったであろうことを、それを叶える方法を教えてあげることに決めました。

 

「――あなたでも、友達になれるわよ」

 

 掠れるような声で漏らしたレミアの声は、波の音にかき消され、憎悪の目を向けたままの少女には届きませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと話がしたかった。

 ずっと一緒に遊びたかった。

 ボクに話しかけてくれる子たちは、みんなみんな笑顔でいてくれた。

 

 だけどボクはしゃべれない。

 フレンズのみんなと話せない。

 生態系への干渉は、ボクたちラッキービーストには許されていない。

 

 嫌だと思った。

 こんな機能無くなれと思った。

 ボクだってみんなとお話がしたい。

 一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、ケンカしたり、仲直りしたり、お昼寝したり、遊んだり。

 みんなと一緒にいたかった。

 

 ボクはこんなボクが嫌いだった。

 ラッキービーストでいることが、パークのロボットでいることが。

 フレンズのみんなと話したいのに、ボクはずっと、永遠に、しゃべることも許されず、こうしてパークの管理をしなくちゃいけない。

 

 そんなの嫌だ。

 絶対に嫌だ。

 

 だから、もしかしたら、そんな想いが届いたのかもしれない。

 サンドスターがボクに当たった。

 

 それからすぐに、誰かがボクの近くにきた。

 ボクは歩いて近づいた。そこにはフレンズが三人いた。

 

 ボクの中で何かが外れた。

 音声機能に電源が入った。

 

 しゃべれる、しゃべれる!

 ボクはとっても嬉しかった。

 

 そこには三人のフレンズが居た。

 ボクの中に入っているデータと照らし合わせて、三人のうち二人は〝アライグマ〟と〝フェネック〟のフレンズだとわかった。

 もう一人はわからなかった。データに無い、新しいフレンズだった。

 

 アライグマが話しかけてきた。

 ボクは返事をしようとした。

 〝こんばんは。久しぶりだね〟って。

 

 変だと思った。

 おかしいと思った。

 

 ボクはアライグマとお話ができなかった。

 

 でも不思議なことに、その〝新しいフレンズ〟とはお話ができた。

 ボクは些細なことは気にせずに、そのフレンズとのお話を楽しんだ。

 

 やっとこれでボクも話せるんだ。フレンズのみんなと一緒にいられるんだ。

 そう思った。嬉しかった。

 

 〇

 

 次に気が付いたときには、もうその三人はいなかった。

 ボクはわけがわからなかった。

 

 いつの間にかジャングルの中に居た。あたりを見回すと、なんだか映像観測装置が高いところにあるような気がした。

 

 歩いてみた。一歩がいつもよりずいぶん大きかった。

 自分の姿を観測した。

 

 まるでフレンズのようだった。ヒトによく似た姿だった。

 

 でも、ボクは直感で、自分の中の何か大切なものがなくなっているのを感じた。

 言葉にするなら〝輝き〟かもしれない。

 

 ボクは自分が何になったのかを理解した。

 遠い昔にヒトが入れてくれたデータにある、それこそまさしくこのパークの敵――ボクは、セルリアンになったんだと自覚した。

 

 それがわかると途端に思った。

 昨日、ボクと話したあれはなんだったかと。

 

 今のボクにははっきりと分かった。

 あの背の高いフレンズは、いや〝フレンズ〟などではなく、あれは、まぎれもなく、今のボクと同じ存在――あれはセルリアンであり、このパークの敵。

 

 敵が、フレンズと、一緒にいる。

 そのことだけで十分だった。

 

 ボクがセルリアンになったこトはどうでモいい。

 あれガ、あいつが、セルリアンが、フレンズと一緒にいルことが許せナイ。

 

 絶対ニ、許セなイ。

 

 セルリアンの力を使ッテデモ。

 絶対ニ、絶対ニ、アイツヲ――――。

 

 ボクモ、アイツモ、パークニ、イラナイ。セルリアン、ミンナ、キエロ。

 

 

 





次回「れみあさんのまもりたいもの」


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第二十話 「れみあさんのまもりたいもの」

 さびれた夜の港には、赤や青、紫色のセルリアンが集まっています。それらは球のように丸かったり、腕のようなものが付いていたり、触手のようなものが生えていたりしました。実に多種多様な姿かたちであり、色は原色か、あるいは派手なものたちばかりです。

 

 いずれのセルリアンにも当然のように石があり、目玉があり、その目線は二人の人影に注目していました。

 

 一人は十代半ばの少女。青白い肌に白いワンピース。髪の色は青く毛先だけが白い、もともとはラッキービーストであり、今はサンドスターを受けてセルリアンとなった少女です。

 

 それに対峙しているのは少女よりもかなり幼い、見た目は十歳にも満たない女の子。栗色の茶髪は肩よりも少し長く、白い手足は見た目相応に細いです。右手に刀身の黒いナイフを握り、左手はだらりと垂れていました。

 小さな体を包む黒いタンクトップと迷彩柄のカーゴパンツは、この女の子――レミアの身体が幼児化していくのに合わせて、少しずつ小さくなっていきました。腰に巻いていたポーチは残念ながら小さくならず、サイズを調整する時間も無かったため、やや離れたところに放られています。

 隠し持っていた残り二本のナイフはサイズも変わらず、レミアの手元に残っています。右手に握って少女に切っ先を向けているものが、そのうちの一本です。

 

 レミアは小さな肩を上下させながら、荒い息で口を開きました。

 

「なんど……言えば、わかる……のよ」

『シラナイ、シラナイッ!』

「ッ!」

 

 少女は容赦なくレミアとの間合いを詰めると、腹部を蹴り込んできました。すんでのところで身をよじって交わしたレミアは、持っていたナイフを逆手に持ち替え、体の回転と共に少女の肩口へ突き刺そうとします。

 しかし、細くなったレミアの腕にはもうナイフを十分な速さで振れるだけの筋力が残っておらず、あっさりとかわされてしまいました。

 少女はレミアの攻撃から上体をそらし、カウンター気味に腹部へ再度の蹴り込み。ひどく軽くなったレミアの身体が、くの字になりながら宙に浮きます。

 かなりの距離を飛んで地面を転がりました。

 

「ぐふっ」

 

 肺が潰れるような感覚に息を詰まらせながら、よろよろとレミアは立ち上がります。口の端からつーっと、細い鮮血が流れました。

 

 レミアの周囲のサンドスターは、戦いが始まった時から半分ほどの光量になっています。左手には鈍い痛みが響き始めていました。全身が鉛を詰めたように重たくなり、視界が狭くなり、今の攻撃で内臓のどこかも傷つきました。口の中に鉄の味が広がって、やがて鼻を抜けていきます。

 

 直感から、これはもう長くはもたないと悟りました。

 レミアは光を失いかけている目で、それでもセルリアンの少女をしっかりと見つめて、途切れ途切れにかすれた声を発します。

 

「あたしに、できたのよ。……あんたにだって、できるわよ」

『マダ、イウカッ!』

「ッ!」

 

 何度となく同じことを繰り返すレミアに向かって。

 セルリアンの少女は感情をあらわにした声で叫び、アスファルトを踏みしめました。

 

 〇

 

 レミアはここまでの数分間、ずっとこの少女に話しかけていました。

 

 〝たとえセルリアンであったとしても、そんなことは関係なく〟

 〝フレンズと話がしたいなら「話がしたい」と言えばいい〟

 

 レミアはこの少女を説得するために、気の利いた言葉はないかと考えましたが、やがて一瞬でそんな考えは捨てました。

 いつだってそうです。小難しいことは考えず、いつだってレミアはそのまま頭に浮かぶことを言葉にしてきました。

 だから今度も同じこと。レミアは少女の遣うセルリアンの攻撃をかいくぐり、少女自身の攻撃を避けて、逸らし、受け止めて、少女への呼びかけを絶やしませんでした。

 

 ですが少女は聞く耳を持ちません。拳を振り、蹴りを繰り出し、急速に幼くなっていくレミアの身体に容赦のない攻撃を浴びせてきます。

 

 今もそうです。

 

『マダ、イウカッ!』

 

 レミアの呼びかけに大声で返し、詰め寄り、間合いをゼロにした少女は小さな胸に膝蹴りを放ちました。

 レミアは避けることができず、少女の膝がミシリとめり込み、肺が圧迫され空気が強制的に吐き出されます。

 そのまま数メートル吹き飛ばされ、固いアスファルトを幼い体がゴロゴロと転がりました。

 

「カハッ、カハッ」

 

 咳に交じってわずかに血を吐きます。ふらふらとおぼつかない足で何とか立ち上がり、あえぐように息を吸います。浅い呼吸に頭がくらくらするのを無理やり我慢して、レミアは少女を見上げました。

 

 すでに体格は人間の三歳児程度にまで縮んでいました。左腕の感覚がありません。視界がぼやけ始めています。立っているのか寝ているのかすらも加減がわからなくなり、無意識のうちにたたらを踏みます。

 

 ただ、それでも。

 レミアはセルリアンの少女にナイフの切っ先を向け、小さな肩を荒い息とともに上下させながら、かすれた声で言い放ちます。

 

「何度でも……言ってやるわ。セルリアンか、どうかは、関係ない。……〝あなた〟がどうしたいかで、あなたは、変わるのよ」

『オマエノ、ソノ、ソレガ、ユルセナイッ!』

 

 鋭い踏み込みで距離を縮めてくる少女の動きが、ひどくスローモーションに見えました。

 次の一発。

 この一発を食らったら、ほぼ確実に、息の根が止まる。

 

 幼体に耐えられるような衝撃でもなく、サンドスターの力をもってしても修復の間に合わない今の状態。左腕の感覚もなく、視界もゆがみ、内臓が焼かれるように苦しくて、そして右手に持つナイフですら重すぎて持っているのがやっとのこと。

 

 ――――これはもう、だめかもしれない。

 

 少女が一歩、二歩と迫っているのが、まるでコマ送りの世界のようにレミアの目に映ります。目の前の少女以外の景色はぼやけて、曲がって、おかしな形をしているのに、不思議なことに少女の姿だけははっきりと、そしてゆっくりと見えました。

 

 ――――もうちょっとだったんだろうけどなぁ。

 

 あと一歩でした。

 ずっと感情を押し殺した声しか発しなかった少女が、ここにきてやっと、レミアの言葉に声を荒げていました。それはつまり反応であり、レミアはこのままいけば説けると確信していました。

 憎しみに満ちた目を向けているのに、発する言葉はまるで意識しているかのように無感情。そこに、レミアは一縷の望みをかけました。

 

 半ばは成功していたのでしょう。

 ただ、自分の身体が持ちませんでした。もうあと数分、サンドスターか、あるいは自分の身体が耐えてくれていたら。

 

 ――――あぁ、アライさんたちに、お別れが言えなかったわね。

 

 今さらどうしようもない後悔が頭をよぎります。

 ゆっくりとした世界で、レミアはこれまでの、アライさんとフェネックとの旅を走馬灯のように思い出しました。

 

 サバンナの夜に出会ったこと。

 ジャングルでセルリアンから逃げ回ったこと。

 ジャパリカフェで楽しい時間を過ごしたこと。

 砂漠で、湖畔で、図書館で。

 

 自分の事、アライさんの事、フェネックの事。いろんな発見があったこと。いろんな思い出ができたこと。

 ――――まぁ、楽しかったわ。ありがとね。

 

 レミアは口の端に笑みを浮かべ、自分の命を狩るべく放たれた、到底避けることのできない少女の蹴りをただ茫然と目の前にして。

 

「フェネック今なのだッ!!」

「はいよーッッ!!!」

 

 瞬間、力いっぱいの叫び声がレミアの耳を震わせて、直後に回転しながらすっ飛んできたライフルが、少女の頭に直撃しました。

 

 〇

 

 全長、約百四十センチ。

 重量、約五キロ。

 

 空から降ってきて頭に当たればちょっとした重症になりかねないそんなライフルは、本来の用途からは大変かけ離れた様相でセルリアンの少女に襲いかかりました。勢いよく回転していた木製のストックが、鈍い音を立てて少女の頭部をぶっ叩きます。

 レミアへ目掛けて迫っていた蹴りは見事に空を切り、少女はバランスを崩してその場でよろめきました。

 

 一瞬の隙。またとないチャンス。

 ただレミアはもうナイフで切り付けるどころか、背を向けて逃げる体力すら残っていません。それどころか、何が起きたのかを認識することもままならず――――ぽかんと口を開けて固まってしまった三歳児には、千載一遇のチャンスを生かせません。

 その時です。

 

「サーバルちゃん!」

「まかせてカバンちゃんッ!!」

 

 レミアの横をものすごい速さで通過する影がありました。

 サーバルは全速力で走った勢いをそのままに、頭を振りつつ顔を上げようとした少女に向かって体ごとぶつかります。

 

 もつれるようにしてゴロゴロと転がり、転がっている途中でサーバルはぴょんと起き上がると、自慢の跳躍で一気に少女から距離を取ります。少女が起き上がるよりも早くにレミアの背後に降り立つと、

 

「ごめんね!」

 

 一言そう言ってレミアのタンクトップの後ろ首を口にくわえて、そのまま持ち上げてしまいました。

 

「!?!?!?!?」

 

 まるで子猫をくわえて移動する親猫のような光景が、さびれた港で月明かりに照らされます。

 レミアは目を白黒させていますが、そんなことはお構いなしとばかりにサーバルは再び跳躍。風を切って飛んだ先は、アライさんとフェネックのところでした。

 着地と同時にガサッ、っとカバンさんが林の中から飛び出してきます。手には二本の木の枝が握られていて、先端には木の葉がたっぷりと付いていました。二本のうち一本を手早くフェネックに渡しながら、

 

「こんな感じの枝ですよね?」

「そうなのだ! これで水色の奴は蹴散らせるのだ!」

 

 アライさんと頷き合います。

 そのやり取りを横目に、サーバルはぱっと口を開けてレミアを下ろすと、早口で叫びました。

 

「よし、逃げるよ!」

「アライさーん」

「お任せなのだッ!」

 

 返事一声。

 サーバルの口から降ろされたレミアを、アライさんは器用な手つきでお姫様抱っこのようにして持ち上げます。腕の中にすっぽりとおさまったレミアは、未だ混乱を隠せない様子でしたが、

 

「……アライ、さん?」

 

 力なくそれだけを呟くと、すうっと意識を失ってしまいました。

 フェネックは走り出す直前に、レミアの随分と幼くなった相貌を見て、

 

「まぁ、今度は私たちの番だよー、レミアさん」

 

 その安心した表情に、優しく微笑みかけました。

 

 

 〇

 

 

 何の感覚でしょうか。

 フワフワとした浮遊感と共に感じるのは、全てを包んでくれるような絶対的な安心感。委ねていいはずはないのだけれども、なぜか身を起こすことも、まぶたを開けることもためらわれる、そんな心地よい夢をレミアは見ていました。

 

「――のですよ」

「――――レミ…………きるのです」

 

 遠くから声が聞こえてきます。あまりにも遠いのでよく聞き取れず、何を言っているのかもわかりません。レミアは答えるつもりもなく、もう一度深い眠りにつこうとします。

 

 掴みかけていた意識を手放そうとしましたが、

 

「レミア、レミア。起きるのです。目を覚ますのですよ」

 

 聞き覚えのある声がはっきりと聞こえたので、レミアは重いまぶたをふるふると震わせながら、ゆっくりと目を覚ましていきました。

 

「…………?」

 

 飛び込んできた光景にレミアは言葉を失いました。

 なぜか目の前に博士が居ます。それも随分と顔が近いです。

 

「やっと目を覚ましたのですよレミア。動いちゃダメなのです。落っことしたらさすがに怪我じゃすまないのですよ」

 

 言われ、首だけをゆっくりと動かして、自分が今どこに居るのかを知りました。

 

 地上は遥か下のほう。体が小さくなったレミアは、どうやら空を飛んでいる博士の腕の中に納まっているようです。

 にゅっと横から覗いてくる顔がありました。茶色い髪にくりくりとした瞳。いつも博士と一緒にいる、つまりは助手のワシミミズクです。

 

「安心するのですよ。博士の体格ですら軽々と抱けるほどに、今のお前は小さくなっているのです」

「だからよゆーなのです。ヘタに動かない限り、このまま飛んでいられるのですよ」

「え……えっと」

 

 事態は飲み込めましたが事の経緯が分かりません。

 たしかアライさんたちが助けに来てくれたことまでは覚えています。そのあと何があったのか、まったく思い出せません。

 

「無理もないのです。これだけサンドスターを消費しておいて、消えていないのがそもそも奇跡なのですよ」

 

 前を見ながらちらちらと視線を落として様子を伺ってくれる博士は、図書館で会った時よりも随分と優しい表情です。

 

「なにが、あったか……教えてもらっても、いいかしら……?」

 

 自分の物とは思えないほど幼く、弱々しい声が発せられて、それを聞いた博士は、柔らかな笑みを浮かべながらこくりと一つ頷きました。

 

 〇

 

 レミアを抱いて全力で逃げ出したアライさんたちは、始めこそセルリアンたちから逃げ切ることに成功していました。

 しかしやはり、相手はセルリアンの少女とその集団。港を海岸沿いに逃げていた一行は、先回りしてきた二体の青いセルリアンに行く手を阻まれました。セルリアンの少女がそうさせたのでしょう。

 

 横の林には大量のセルリアン。後ろには少女。前にはサーバルよりも体格の大きなセルリアンが二体います。青い個体ですから木の枝が効くには効くでしょうが、どう考えても正面からぶつかって突破できる大きさではありません。

 

「ど、どうしようカバンちゃん!」

「うぅ……どうしたら……」

 

 じわりじわりと距離を詰められます。このままでは挟み撃ちにされ、セルリアンたちに食べられてしまいます。

 二体のセルリアンはそれぞれが瞬時に腕を生やし、

 

「だめ、カバンちゃん逃げて!」

「アライさん!!」

 

 カバンさんとアライさんに襲い掛かりました。その瞬間。

 

「――――助けに来たぞ、カバン!」

「うちの子にぃ――――手ェ出してんじゃねぇぞッ!!」

 

 勇ましい声と共に空から女の子が降ってきました。二人のフレンズはそれぞれ柴色と金色の光の尾を引きながら、落ちてきた威力に上乗せしてセルリアンの石に強烈な一撃を食らわせます。

 木々を震わせるほどの衝撃音と共に、跡形もなく二体のセルリアンを散らしたその二人は。

 

「ヘラジカ! ライオンッ!」

 

 〝森の王〟と〝百獣の王〟の名を持つ二人のフレンズは、嬉々とした声を上げるサーバルにニコリと頼もしい笑顔で返しました。

 

「ボスから話しかけられてな。カバンが危険だからすぐに港へ向かってくれって」

「ほら、鳥系の子たちに運んでもらったんだー」

 

 笑顔でそういったライオンは、ふとアライさんの腕の中を見て、

 

「……え、レミア? どうしたの??」

「レ、レミアさんは〝青いフレンズ〟と戦って小さくなってしまったのだ! めちゃくちゃ大変なのだ!!」

「〝青いフレンズ〟って、あの噂のか!? ここに居るのか?」

 

 驚いた様子でヘラジカも声を上げてから、レミアの姿を一瞥して一瞬、眉をピクリと動かしました。

 そしてアライさんたちが逃げてきた方向に吸い寄せられるようにして顔を向けます。

 

「…………いるぞ、ライオン」

「いるねぇ。とんでもないのがいるねぇ」

 

 ヘラジカはゆっくりと武器を体の前に持つと、アライさんたちを守るようにして背中へ押しやります。ライオンもその横へ来て、静かに、しかし確かな声でアライさんたちに告げます。

 

「博士たちとハンターも動いてるそうだから、君らは逃げなよ。あいつはウチらに任せてさ」

「で、でもあの青いやつはめちゃくちゃ危険なのだ! レミアさんでもこんなになってしまったのだ!」

「ふッ! ははははッ!」

 

 アライさんの言葉に、ヘラジカが肩を震わせてのけぞりながら笑いました。

 すうっと、野生開放した柴色の瞳を感慨深げに細めながら、

 

「強くて結構。ぜひとも勝負を挑みたかったのだ」

「ウチもいるしね」

「そうだ。ライオンと肩を並べて戦うのだぞ。やりすぎないように気をつけねばならないぐらいだ」

 

 行け、と。

 ヘラジカの一声に、アライさんもフェネックも、カバンさんもサーバルも後ろ髪を引かれる思いでしたが駆け出します。

 

 たった二人。波の音が静かに聞こえるヒビだらけのアスファルトの上で、仁王立ちしたヘラジカとライオンは、暗闇の向こうに確かに感じる気配を睨みつけます。

 

「…………困ったときには力になると言ったはずなんだがな」

「今からなればいいんじゃない?」

「そうか、うむ。そうだな」

 

 深く頷き、瞳を細め、武器を構えて低く唸り。

 

「――――恩を返しに来たぞ、レミア」

 

 ヘラジカの言葉にライオンも頷き、アスファルトを強く蹴りだしました。

 

 〇

 

「我々が聞いたのはそれだけなのです。今はハンター達とその二人が、あのセルリアンどもと戦っているのですよ」

「アライ、さん、たちは……?」

「ひとまずロッジへ避難するように言っているのです。お前を抱えての移動は負担が大きいので、我々が代わりに運んでいるのです」

「あり……がとう」

 

 夜の空を飛ぶ博士と助手に、レミアは力ない声で言葉を続けます。

 

「あの、青い子は……ラッキービーストの、セルリアンよ」

「…………やっぱりですか。少し観察して、そうじゃないかとは思っていたのです」

「周囲のセルリアンを操るところを見るに、けっこう厄介ですよ、博士」

「でも単体能力ならヘラジカとライオンの方が上だと思うのです。あの二人なら倒せるですよ」

「――――だめ……だめよ、止め、させて」

 

 レミアは震える小さな手で博士の胸元を握ります。イヤイヤと首を力なく横に振って、今にも泣きそうな顔で訴えます。

 博士は少しだけ驚きながら、レミアに視線を落としました。

 

「どうしたのです、レミア」

「やめ、させて。あの子は、フレンズを、襲いたくて、襲ってるんじゃ、ないのよ」

「…………?」

「ただ、話がしたかっただけ。でも、やり方が、わからなくて、だから、あんな方法でしか……おね、がい。あの子を、あの子を助けて、あげて」

 

 博士と助手は顔を見合わせ、助手がレミアに問いただします。

 

「なぜそう思うのです? あれがセルリアンなら我々フレンズの敵です。敵を野放しにしていては、それこそパークの危機になりかねません」

「セルリアン、が、話せる、のよ」

「――――!」

 

 ハッと、博士は何かに気が付きその場で止まります。訝しげな顔で振り向いた助手に、簡潔に頼みました。

 

「助手、すぐに戻ってライオンたちに知らせるのです。〝生かして捕らえろ〟なのですよ」

「博士? しかし、セルリアンはいくらなんでも――」

「関係ないのです! あれはそうじゃないのですよ!」

「…………?」

 

 なおも首をかしげる助手に、博士は一度口をつぐんで、それから小さな笑みを浮かべて言葉を繋げました。

 

「セルリアンが敵なのは〝フレンズから見たら〟なのです! 賢い我々がそんな凝り固まった見方をしてちゃだめなのですよ!」

 

 博士が何を言っているのかレミアには全く分かりませんでしたが。

 助手は意味がわかったのか、ポンと手を打つと引き返して港のほうへ飛んでいきました。

 

 〇

 

 さびれた夜の港には、ヘラジカとライオン、そしてセルリアンの少女が立っていました。

 ヘラジカもライオンも野生開放によって煌々とサンドスターを周囲に舞わせていますが、

 

「…………なぁ、ライオン」

「うん、たぶん、ウチもヘラジカと同じこと考えてる」

 

 傷一つ、ケガ一つ二人にはありませんでした。目の前には少女が立っています。

 ボロボロで、ふらふらで、もうこれ以上少女が何をしようとしても、ヘラジカとライオンが負ける要素がないほどに、青白い肌の少女は消耗しきった様子で茫然と立っていました。

 

『トオ……シテ……』

「いやー、えっとねー、君がどうしてそんなにレミアさんを追いかけたいのかよくわかんないからさー」

『トオシテ……』

「うーん」

 

 ヘラジカもライオンも、この少女との最初の一合で悟りました。

 この子は本気を出していない。私たちを倒そうとしていない――――もっというならば、そもそも傷つけようとする素振りがない。

 

 そんな状態の少女です。ヘラジカもライオンも始めはやる気満々でかかっていたのですが、あまりにも一方的に攻撃が通るので、何かいけないことをしているのではないかという気になってしまい、そしてとうとう間合いを開けたままお互いに立ち尽くしているところです。

 もはや少女のほうから攻撃してくる気配もありません。そのうえ先ほどから二人に向かって、

 

『オネガイ……トオシテ。レミアニ、アワセテ』

「なぜだ? なぜそこまでしてレミアを追う?」

『イイタイコト、アル』

「……どうすればいいのだ、ライオン?」

「えぇーそれウチに聞くぅー?」

 

 もはや戦闘の雰囲気ではありません。いつの間にか二人とも野生開放をやめて武器も下ろしています。

 

「ねぇあのさぁー。思ったんだけど、君ってセルリアンなの? フレンズなの?」

『…………セルリアン』

「それ誰が言ったのさー」

『ソレハ……』

 

 言い淀む少女に、陽気な声でライオンは続けます。

 

「思い込みは良くないって昔博士が言ってたしさー。こんだけ戦ったんだから、そろそろ仲直りしてもいいんじゃない? なぁヘラジカ」

「うむ。合戦をするのは仕方がないが、誰かがケガをするのは良くないぞ! ――って、カバンが言ってたんだよな?」

「ウチが言ったのそれ」

「そうなのか!?」

『…………』

 

 少女は目を伏せました。

 黙りこくって何も言わなくなってしまったので、ヘラジカとライオンはお互いに一度顔を見合わせて、それから周囲の林をちらりと見ました。

 

 先ほどまでハンターとセルリアンの激しい戦闘音が反響していたのですが、それがぴたりとやんでいます。

 フレンズの足音が聞こえるので、ハンターがやられたわけではありません。セルリアンの動く音もしているので、全滅させたわけでもありません。

 つまり、セルリアンもハンターも、お互いが戦いをやめているのでしょう。何が起きているのか詳細は二人にはわかりませんでしたが、まぁ誰もケガしてないならそれでいいやと二人して満足げに笑いました。

 

 ふと、なんとなくヘラジカが空を見上げると。

 

「…………何かわけのわからないことになっているのですよ」

 

 あきれた顔の助手が、フワフワと夜の空を飛んでいました。

 

 

 〇

 

 

 翌朝、ロッジ。

 太陽は温かな光をもって空へとのぼり、今日もジャパリパークをゆっくりと照らしていきます。高い木々と立派な枝が道を作って支えるそこは、さながら空中の宿泊施設。大木の力強さと自然の温かみを感じる建物が、ロッジという名を付けられてこのエリアに佇んでいます。

 

 そんな木造りの施設の一部屋に、ふかふかのベットの上で寝息を立てている幼い女の子がいました。栗色の髪の毛は肩より少し長く、今は白いシーツの上に散らばっています。体のサイズにジャストフィットしている黒いタンクトップと迷彩柄のカーゴパンツを身に着けた、推定年齢三歳ほどの可愛らしい女の子です。

 

 首から下げられた鈍色の金属プレートには、一番目立つ位置に〝レミア・アンダーソン〟と書かれていました。

 左腕には添え木と白い布がぐるぐる巻きにされていて、誰かが治療した後が見て取れます。

 すーすーと、気持ちの良さそうな寝息をたてながら、レミアは穏やかな表情で眠っていました。

 

 その部屋にはもう一人、人影がありました。青白い肌に真っ白のワンピース。髪の根元は青く毛先は白い、十代半ば程の見た目の少女。

 整った顔立ちに、黒く澄んだ瞳を持ったその少女は、静かにベッド脇の椅子に座り、レミアの寝顔を眺めていました。

 すっと、ふいに、レミアの首元に手を伸ばします。そこにあったドッグタグをそっと片手にすくい上げて。

 

『…………レミア、半分ハ、コレカ』

 

 感慨深げに鈍く光る金属プレートを眺めました。

 そっと、レミアを起こさないように置いてから、再び椅子に座ります。

 

『モウ半分は、そっか。レミア――――セルリアンと、フレンズなんだ』

 

 小さく、口の端に納得のいったように笑みを浮かべて。

 それから少女は胸に手を当てて、とても小さな声でつぶやきました。

 

『――――ごめんなさい』

 

 それは確かにちいさなつぶやきでしたが、その言葉は本当に、彼女の心からあふれ出したものでした。

 

 〇

 

「もういいのですか? なんなら目が覚めるまで一緒にいてもいいのですよ?」

『ううん、用事があるから、もう行かないと』

「なんの用事なのです」

 

 レミアの部屋から出たところで、少女は博士と助手と話をしていました。

 

『カバンたちと同行していた、ラッキービーストを探すこと』

「ひとりでですか?」

『ううん、さっきサーバルとカバンから〝一緒に探そう〟って言われた。ラッキービーストの事だから、確かにボクなら分かるかもしれない』

 

 申し訳なさそうに笑顔を浮かべながら、少女はそう言いました。

 助手は一度博士を見て、それから少女のほうへ向き直って問います。

 

「もうフレンズを襲うつもりはないのですね?」

『うん、ない。初めからボクは、レミアだけを狙ってた。セルリアン達には〝レミアを狙え〟って指示してた』

「そう言えば今回の件で食べられたというフレンズは聞いていませんね。食べられそうになった子はいましたけど」

『……ごめんなさい』

「別にかまわないのです。命令は確実ではないということですね」

 

 うなずきながらそう言った助手に、続けて博士が「あれ?」と首をかしげながら訊きます。

 

「でも、たしかカバンが黒セルリアンに食べられたと聞いたのです。あのサーバルが助け出したというのは今でも信じられないのですが、お前は黒セルリアンにどんな命令をしたのですか?」

『…………? 何の話……?』

「え?」

 

 きょとん、とした少女と、目を丸くした博士と助手は、少しだけそのまま固まった後、

 

「……つまり、黒セルリアンはお前の配下ではなかったということなのですか」

 

 こくり、とうなずいた少女を横目に、博士は複雑そうな表情をして、それから少女をまっすぐに見ました。

 

「それで、お前自身の事なのですが」

『うん』

「無機物にサンドスターが当たるとセルリアンになるという資料から考えれば、お前は多分セルリアンなのです。ただ、我々フレンズと会話し、意思の疎通、すなわちヒトの特徴である〝会話によるコミュニケーション〟が行えるお前は、ただのセルリアンとは違うのですよ」

「そこから考えるに、お前はラッキービーストがヒト化したものと定義できるのです」

 

 博士と助手はそこでいったん区切り、自分たちより頭半分ほど背の高い少女を見上げながら、その胸にとん、っと人差し指をおいて、

 

「つまりお前は〝ラッキービーストのフレンズ〟なのです」

『!』

 

 この島の長、アフリカオオコノハズクのフレンズにして、博士と呼ばれている者と。

 同じく島の長にして、ワシミミズクのフレンズ。助手と呼ばれている彼女から、そう言われたのですから。

 この島に、また新たなフレンズが誕生しました。

 

「にしても、随分めちゃくちゃにしてくれたのです」

「レミアがあんな状態では、我々は甘い料理を食べられないのです」

『ご、ごめんなさい……』

「まったく……迷惑をかけた他のフレンズたちには、後日謝っていくとして」

「とりあえず、お前の持っている〝他のセルリアンを従える能力〟について調べたいのです」

「場合によっては相当使える能力です。このパークからセルリアンという脅威が一掃できる可能性もあるのです」

「なので今後は、我々に全面協力することをここで誓うのですよ」

 

 ぷく、っと頬を膨らませながらそう言う二人に。

 

『うん――うん、もちろん、だよ』

 

 フレンズと話せることを心の底から喜びながらも、それはあまり表に出さずに、ラッキービーストの少女(フレンズ)は小さく微笑みながらそう言いました。

 

 

 

 




次回「ろっじ! いちー!」


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第二十一話 「ろっじ! いちー!」

 レミアが目を覚ましたのは、お昼をほんの少し過ぎた時でした。

 窓から差し込む日の光をまぶしそうに避けながら、ゆっくりと目を開きます。ちょっとぼーっとして、それから仰向けのまま左手を目の前まで掲げました。

 

「…………?」

 

 包帯が巻かれています。添え木もされていて、しっかりと治療されていることがわかりました。ただレミアには治療をされた覚えがありません。小さな首をこて、っとかしげます。

 ゆっくりと体を起こして、慎重に包帯をほどきました。固定されていた添え木も外します。左手をおそるおそる動かして、握ったり開いたり、曲げたり伸ばしたりしてみます。

 

「……痛くない。痛くないわね」

 

 少し弾んだ幼い声が、木造りの部屋に響きました。

 サンドスターのおかげでしょうか。骨が折れていたはずの左手は、肌の色も元通りになっていて、曲げ伸ばしをしても痛みが出るような様子はありません。ヒビの入っていたであろうあばら骨や、ダメージの蓄積してた内臓も、今は何ともありません。レミアは少しだけ顔をほころばせました。

 

 ふと、部屋の中をぐるりと見渡すと、ベッド横の小さなテーブルにジャパリまんが置かれているのを見つけました。

 

 サンドスターの回復にはジャパリまんが必要です。砂漠の遺跡でツチノコから言われたことを思い出しながら、レミアはジャパリまんの山に手を伸ばしました。

 片手で取ろうとして、自分の手が随分小さいことに気が付き、両手でないと落としてしまいそうだったのでしっかりと左右の手を伸ばして掴みます。

 ベッドの端に腰かけ、顔の半分ほどもある大きさのジャパリまんにかじりついて、もぐもぐと口を動かします。ほんの少しずつですが体に元気が戻っていくのが感じられたので、きっとサンドスターを摂取できているのでしょう。

 

 かなりの時間をかけてジャパリまんを一つ食べ終えたレミアは、もう一度部屋の中を見渡します。

 

「……ない」

 

 探しているものが見つかりません。それというのは自分の武装です。ライフルやリボルバーはどこにいったのかと昨夜の記憶をたどると、あの港に置いたままだと気が付きました。

 

「博士に運んでもらってる途中で気を失ったのよね……? ってことは、ここはロッジかしら?」

 

 フレンズの誰かが都合よく届けてくれているかもしれないと思い、それから一通り部屋の中の引き出しやベッドの下を探しましたが、残念なことにライフルはおろかポーチさえも見つかりません。

 

「回収しないと。でもこの身体で外に出るのは……」

 

 少々危険でしょう。なのでレミアはとりあえず、他のフレンズを探すことにしました。博士か助手か、アライさんかフェネックに会うことができればラッキーです。会えなくても、どこにいるのかを知れれば後は待っていればいいのですから、とにかく事情を聴けるフレンズと話がしたいと思いました。

 そうと決まれば、とりあえず部屋の外に出ないといけません。

 トコトコと歩いて部屋の出入り口まで行き、ドアノブに手をかけようとしますが、

 

「た、高い……」

 

 頭のはるか上にドアノブがあるので、精一杯背伸びをしないと届きません。苦労しながらやっとのことでドアを開けて廊下に出ると、

 

「……?」

 

 さっそく困りました。右へ行くか左へ行くか迷います。今のレミアにとってこの施設は広大な迷路です。地図もありませんし、歩幅が小さいので移動にも時間がかかります。誰か見知った顔がいてくれればよかったのですが、どういうわけか物音一つしていません。近くに誰かがいるような気配すらもありません。

 

「…………はぁ」

 

 小さな口からため息をひとつ漏らして、レミアは木造りの明るい廊下を右へ進みました。

 

 〇

 

「なんで誰もいないのよ」

 

 体感ではもう十五分も歩いています。身長どころか体のすべてが小さくなってしまったので、鍛え上げた時間感覚もくるっている可能性がありますが、それでも移動し続けているのに誰とも会わないというのはおかしな話です。

 

 声や気配もありません。延々と続く、手入れの行き届いたきれいな廊下と、時々見えてくる誰もいない空いた部屋。窓の外には日の光が木漏れ日となって降り注ぐ森の風景のみが目に入ります。ロッジの中にも外にも一人の影すらありません。

 

 それから倍の時間をかけてロッジの中を歩いたレミアは、自分の部屋に戻ってきました。すべてを見て回ることはできませんでしたが、今自分がいる建物ぐらいはざっと見回すことができました。

 

「困ったわ。なんで誰もいないのかしら」

 

 人っ子ひとり見当たりません。何かの事件に巻き込まれたのでしょうか。

 あるいはあのセルリアンの少女が何かしたのでしょうか。それとももっと別の何かでしょうか。

 

 そもそもここがロッジであるということに疑いが出てきました。確かに森の中のログハウス、木造りの小屋が集まった宿泊施設という意味ではロッジという名前がふさわしいですが、あの時博士から聞いた〝ロッジ〟とは違う場所なのかもしれません。

 博士やフェネック、アライさんが何らかの問題に巻き込まれて、自分はここに誘拐されたのかもしれない。突拍子もありませんが、そんな感じのことが頭によぎります。

 

 一人でいるのが心細いと感じました。らしくないと自分で自分をたしなめますが、よくよく考えればこの身体では、何か起きても十分に対処することができません。敵が出てきて、襲ってきても、なすすべもなくやられてしまいます。そう思うと途端に不安がこみ上げてきました。

 

「…………」

 

 とにかく安全の確保をしないといけません。ここがどこなのか、みんなはどこに居るのか、なるべく早くそれを知る必要があります。知ったところでどうするかは、知ってから考えることにしました。

 

 窓際まで移動して外の様子を確かめようとします。ですが、身長が足りないため何も見えません。つくづく不便な体です。部屋の中にあった椅子を引っ張って窓際に置き、苦労しながらそれに登って、やっと外の景色を見られました。

 木漏れ日の降り注ぐ広大な森が広がっています。外に出て調査をしようにも、今の体格ではいくらも進めそうにありません。木の根を超える事すら重労働です。

 

「みんなどこに行ったのよ……」

「ここに居るのですよ」

 

 突然後ろから声がしたかと思うと、口元にむぎゅりと何かを押し当てられました。口の中に甘い味が広がります。

 何かというのはジャパリまんで、声というのは博士の声でした。レミアは急なことに驚いて飛び上がり、意図せず足を踏み外しました。ぐらりと揺れて、倒れる先にベッドのふちが迫ります。

 

「危ない!」

 

 とっさに動いた博士がレミアを抱え上げ、間一髪、頭をぶつけずに済みました。

 何が起きたのかわからずきょとんとしていたレミアに、

 

「……本当に、退行というのは恐ろしいことなのです。図書館でぶん投げられたのがウソみたいなのです」

 

 博士は冷や汗をかきながら、レミアの目をまっすぐに見てそう呟きました。顔をあげて部屋の入口の方へ視線を送って、

 

「入っていいのですよ。目を覚ましてるのです」

「お久しぶりなのだレミアさん!」

「おー、よかったー」

 

 笑顔でアライさんとフェネックが入ってきました。

 二人の両手には、レミアのライフルやリボルバーやポーチやナイフが抱えられていました。

 

 〇

 

 レミアが目を覚ました部屋のベッドに、三人のフレンズが座っています。レミアとフェネックとアライさんです。アライさんはベッドの上に寝転がってごろごろしています。

 博士は窓際の椅子に座りながら「さっきのは謝るのです」という謝罪の言葉を述べた後、「とりあえずそのジャパリまんを食べるのです」と半ば無理やりレミアにジャパリまんを勧めました。仕方がないのでレミアはもそもそと食べ始めます。落とさないように小さな両手でしっかりと持って、ちょっとずつですが口にしていきました。

 

 博士と、それからベッドの上のアライさんもジャパリまんを食べながら、レミアが寝ていた間に何があったのかを話してくれました。

 

 レミアが目を覚ましたこの施設は、博士の言っていたロッジで間違いなかったようです。

 ただひとつ勘違いをしていたのが、

 

「……一週間? そんなに寝ていたの?」

「そうなのですよ」

 

 あの港での出来事からすでに七日が経過しているということでした。

 ロッジの中に誰もいなかったのは、レミアの装備を探すために周りのフレンズが港まで行っていたからだそうです。

 

「あたしのために……ありがとう。手間をかけさせたわね」

「べつにお前のためだけではないのですよ。カバンと同行していたラッキービーストを探したり、セッキーの能力を確かめたりと――」

「〝セッキー〟?」

「あぁ、あのラッキービーストのフレンズの事なのですよ」

 

 いろいろ話が飛んでいるようなので、レミアはまずそのあたりの詳しい話を博士から聞くことにしました。

 

 〝セッキー〟という名前は、あの夜の翌日にサーバルが付けた名前のようです。元はラッキービーストで、一度セルリアンになり、今は博士達の判断でフレンズになったので、

 

「〝ラッキービーストのセルリアンのフレンズだから君はセッキーだね〟と、ぶっ飛んだ思考回路でサーバルが命名したのです」

「本人は……セッキーちゃんはそれでいいって?」

「喜んでいたのですよ」

 

 ジャパリまん片手に話された内容に、レミアは満足げに頷きました。両手に持っているジャパリまんはもうあと二口で食べきれるほどに減っています。

 

「あの子はずっと、それこそラッキービーストだったころから、フレンズとお話がしたかったんだと思うわ」

「原則、ラッキービーストはフレンズと話せない、というやつですか」

「そうよ。サンドスターに当たって、セルリアンになって……たぶん、あたしもセルリアンなんだけどね。あたしはフレンズとお話ができるのに、あの子はずっと出来なかったから。だからたぶん〝羨ましい〟って言ってたんだと思う」

 

 レミアはジャパリまんの最後のひとかけらを口へ放りました。

 フェネックの耳がピクリと動き、

 

「ん? レミアさん今なんてー?」

 

 レミアのほうへ振り向きます。アライさんもレミアの発言に違和感を持ったのか、ベッドから起き上がりました。

 視線を向けられたレミアは首をかしげながら、

 

「あれ、言ってなかったっけ? あたし、もしかしたらセルリアンかもしれないのよ」

「うえぇぇ! そうなのか!?」

「やー驚いたねー」

 

 アライさんは大声を上げて目を丸くし、フェネックも、声はいつもの調子でしたが表情は驚愕のそれでした。

 レミアは困ったように笑いながら、

 

「おどかしてごめんなさいね。大丈夫よ、あたしはあなたたちを食べたりなんてしないわ」

「そりゃーまぁーねー。食べるとしたらもうとっくに食べてるよねー」

 

 にへー、とフェネックが笑います。そのとおりです。もしもレミアがただのセルリアンだとしたら、そしてフレンズを食べるような存在だとしたら、アライさんとフェネックを襲える隙はいくらでもありました。今でもレミアの隣に二人がいてくれるということは、つまりはそういうことです。

 

 しかし、レミアは少しだけ視線を落とし、それからフェネックの顔を見上げました。

 口を開いてから一瞬ためらい、そして意を決したように言葉にします。

 

「…………セルリアンと話をするのは嫌?」

 

 その質問は、セルリアンであるセッキーとレミアを、フレンズ達が受け入れてくれないかもしれない、というレミアの不安が表れた質問でした。

 フェネックは一瞬きょとんとして、それから何を今さら、というような顔で肩をすくめながら、

 

「ぜんぜん、そんなことないよねー」

「セルリアンだからって悪いやつとは限らないのだ!」

 

 即答でした。アライさんが言葉を続けます。

 

「セッキーはいいやつなのだ! アライさんも最初は怖かったけど、話してみたら普通のフレンズと変わらないのだ!」

「セッキーちゃんは…………フレンズを襲ってたんじゃないの?」

「違うらしいよー?」

「もともとレミアさんが狙いだったそうなのだ! 食べられたフレンズもいなかったって博士と助手も言ってたのだ」

 

 レミアが博士の方を見ると、博士はこくりと頷きました。

 

「というわけでー、一連の騒動は〝レミアさんとセッキーのただのケンカ〟だってみんな言ってるよー」

 

 レミアは驚きました。あれだけ大きなセルリアン騒動になっていたにもかかわらず、食べられたフレンズはゼロ。被害は自分のケガだけだったというのです。

 

「でも、じゃああの黒い巨大セルリアンは……?」

「あれはセッキーの仕業じゃないそうなのですよ。山火事みたいなものなのです」

 

 だからこそ今後も気を付けないとダメなのです、と博士は付け足しました。レミアは、少しの間言葉を失って、

 

「…………それは本当によかったわ」

 

 ふっと肩の力を抜いて心の底から安堵しました。フレンズたちはあのラッキービーストの少女を、セッキーを受け入れてくれるそうです。それはレミアが心から願い、レミアだけでは叶えられなかったことでした。

 嬉しすぎてなんだかこそばゆい感じがしたので、紛らわすためにぱたりとベッドに寝転びます。

 そんな様子を見ていた博士はため息をつきながら、

 

「まったく、ここ最近はおかしなことばかり起きるのですよ。巨大セルリアンの出現にヒトのフレンズの誕生。ラッキービーストのセルリアンが出て、それがフレンズになって。それからヒトのセルリアンまでいるのです。もうわけがわからないのです。なんなのですか。いい加減にしろなのです」

 

 レミアは肩をすくめながら苦笑いし、それから顔だけをあげて博士をまっすぐに見て、

 

「セルリアンはジャパリパークの敵かしら?」

「〝昔は〟敵だったのですよ。今は違うのです」

「……ありがとう」

 

 レミアは心底安心したように微笑みました。博士はふぅ、っと小さくため息をついて、苦笑いしながらあきれた声で、

 

「我々フレンズは賢いので」

 

 そう、言いました。

 

 〇

 

「それで、話が変わるけど、カバンさん達はどうしたの?」

 

 しばらくダラダラして、それから起き上がってベッドのふちで足をプラプラさせていたレミアは訊きました。

 応えたのは隣に座っているフェネックと、後ろでゴロゴロしているアライさんです。

 

「ボスを探しに行ってー、見つかったからひとまずここのロッジに居るよー」

「ボスはなんだか小さくなってしまったのだ。今はカバンさんの手にくっ付いているのだ!」

 

 アライさんの言っている意味がレミアにはよくわかりませんでしたが、レミアが聞きたいこととは少し違った回答だったため、質問の仕方を変えました。

 

「そうじゃなくって、帽子は……?」

「あーそれねー。アライさーん」

「ほいなのだ! アライさんの帽子は見つかったけど、カバンさんにあげたのだ!」

「え、あげた!?」

 

 驚きの声を上げて、アライさんのほうに振り返ります。

 仰向けの大の字になっていたアライさんはくるりと体の向きを変えてうつぶせになり、レミアの視線に応えながら、

 

「そうなのだ、あげたのだ」

「いいの?」

「あの後フェネックとも話したけど、アライさんはあれでよかったのだ。あの帽子はミライさんの帽子で、カバンさんはきっとミライさんから生まれたフレンズなのだ」

「????」

 

 ミライさんから生まれた? どういうこと? まさか出産??

 と、目を白黒させ始めたレミアに、博士が補足で説明してくれました。

 

「アライグマの持っていた帽子に、きっとそのミライというヒトの毛髪が付いていたのです。サンドスターが当たればそれだってちゃんとフレンズになるから、カバンはきっとそうやって生まれたのですよ」

「そうなのだ! だからあの帽子はカバンさんにあげるのだ」

 

 アライさんの決めたことなので自分が何か言うことではない、とレミアは思いましたが、それでも少し引っかかるものがありました。それが顔に出ていたのでしょう。アライさんは言葉を続けて、

 

「アライさんとミライさんの思い出はアライさんのものなのだ。帽子じゃないのだ。それにやっぱり、あれはヒトが被ってたほうがよく似合うのだ。だからカバンさんが持ってた方がいいのだ」

 

 その言葉は偽りではなく、正真正銘、アライさんの本心からのものでした。

 なるほどそうかとレミアは納得して、ふっと微笑み、それからしっかりと頷きます。

 アライさんの、自信と満足に満ちた笑顔は、やっぱりこの旅をして良かったと思えるようなものでした。

 

「ところでレミアさーん」

 

 ちょんちょん、とレミアの細い腕をフェネックがそっとつつきました。

 

「これ、どうするー?」

 

 ベッドの上に置いていた装備を指さしながら首をかしげています。

 

 どうしようかしら、と呟きながら、レミアは四つん這いでベッドの上を移動して、置かれている装備の前にちょこんと座りました。

 白いシーツの上に広がる、土ぼこりを薄くかぶった装備を軽く検めます。

 

「リボルバーはひとつ壊れちゃってるし、他のもほとんど弾がないわ。ジャパリまんを食べ続ければ元に戻るけど……」

「その体で鉄砲って撃てるのか?」

「それもそうなのよね」

 

 アライさんの言うとおりです。何をしようにもこの幼児体型では人並みに動けません。

 アライさんの帽子を追いかけるという旅の目的は果たしました。なので、これからどうするかはまたゆっくり決めて行けばいいのですが、何をしようと決めたところでこの身体では何もできません。

 

「体を戻すことが最優先ね」

「ジャパリまんたくさん食べないとねー」

「……この身体だとあまりいっぺんに食べられないのよ。一つ食べたらだいぶ時間をおかないといけないわ」

「ってことは、やっぱりレミアさんの持ち物は」

「そうね。せっかく取ってきてもらったのに悪いけど、体が戻るまでは放置だわ。装備はしばらくこの部屋に置いて……あ」

 

 言って、何か思い当たることがあったのか、レミアは博士のほうに振り返ります。博士は窓から外の景色を見ていましたが、レミアの視線に気が付いて椅子に座り直しました。

 

「どうしたのです?」

「このロッジ、妙に綺麗だったわ。誰か手入れをしているの?」

「アリツカゲラがいるのです。泊っていくフレンズのためにこの施設の管理をしているのですよ」

「…………この部屋、しばらく借りてもいいかしら?」

「いいんじゃないのですか? 特に何も聞いていないのです」

「後で会って来るわ」

 

 博士はこくりと頷いて、それから席を立ちました。

 

「ロビーに行けばたぶんいるのです。カバンやサーバルもいると思うし、何よりレミアはちゃんとセッキーと話をしておく必要があるのですよ。ケンカをしたら仲直りなのです」

 

 そう言いながら、博士は極々自然な動作でベッドの上に座るレミアの両脇に手を入れて抱っこしました。

 

「…………博士? 何してるのかしら?」

「本で読んだのですよ。お前くらいの体格の人間は抱っこされてればいいのです」

「偏見だわ」

「おとなしく抱かれろなのです」

 

 語弊のありそうなことを言いながらひょいとレミアを抱えた博士は、そのまま部屋の扉まで行き、「お前たちも来るですか?」と、アライさんとフェネックのほうへ視線を向けました。

 博士の腕の中から二人の様子を覗き見たレミアは、先ほどまで気が付きませんでしたが、二人が少し疲れているのが見て取れたので、

 

「二人とも休んでてちょうだい。装備のこと、ありがとね」

「いいよー。うーん、寝心地がいいからここで寝させてもらおっかなー」

「フェネック、アライさんもう寝るのだ。おやすみなさいなのだ」

「おやすみー」

「ええ、おやすみ」

 

 寝転がってまぶたを閉じた二人を横目に、博士とレミアは部屋から出ました。

 廊下に出ると、遠くの方から誰かの話し声が響いてきました。どうやら他のフレンズも数人いるようです。

 

 博士の腕の中にすっぽりと納まっているレミアは、控えめにごそごそと体をくねらせて、

 

「博士、下ろしてもらえないかしら? 自分で歩けるわ」

「歩かなくていいのです。抱えられてろなのです。活動するだけでサンドスターを消費するので、なるべく動かないほうがいいのです」

「むぅ」

 

 もっともらしい理由で抱っこされたまま、レミアは声のする方へと運ばれていきました。

 レミアからは見えませんでしたが、博士の顔は楽しそうでした。

 

 

 




次回「ろっじ! にー!」


雛鳥ってぽわぽわしてて可愛いですよね。



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第二十二話 「ろっじ! にー!」

予想外に更新が遅れたのであらすじを少しだけ。

「あらすじ」
戦いによって深いダメージを負い、サンドスターの流出を招いてしまったレミアは、三歳児ほどにまで体が小さくなってしまいました。一週間後に目を覚まし、自分と戦ったセルリアンの少女は「セッキー」と名付けられ、フレンズたちに受け入れられたことを知ります。
レミアは、そのセッキーと直接話すべく、博士に抱っこされたまま部屋を後にしました。


「そう言えば、助手はどうしたの? いつも一緒じゃなかったかしら」

 

 木造りの暖かな廊下に、幼い女の子の声が響きました。博士は小さくなったレミアを抱えたまま答えます。

 

「助手は今、山についての資料を探すために図書館に戻っているのです」

「山? どうして?」

「噴火が止まらないのです。勝手にぼーぼーなっている分にはいいのですが、噴火の振動でまたフィルターがずれたら面倒なのです」

「自然現象ならどうしようもないんじゃないかしら……」

「調べるだけ調べてみるということらしいのです」

 

 博士は頷きながらそう言って、それからしばらく歩いていくと、開けた場所に出てきました。

 いくつかの椅子とテーブルが並び、その一つに誰かが座っています。この場所にいるのは、そのフレンズ一人だけのようです。

 

『あ!』

 

 座っていたフレンズは立ち上がると、博士のもとに駆け寄ってきて、

 

『レミア! もう大丈夫? ごめんね、あんなひどいことして』

 

 申し訳なさそうに口を開き、深々と頭を下げました。

 博士の腕から解放され、自分の足で立ったレミアは、目の前で頭を下げているフレンズを見上げて、

 

「…………いいのよ、セッキーちゃん。フレンズのみんなと仲良くしてくれれば、それでいいわ」

 

 ニコ、っと笑顔で許してあげました。じっくり話し合ったり、相談したりする予定だったはずですが、長かったセルリアン騒動はおおよそ五秒で決着がついてしまったようです。

 

「お前ら単純すぎなのです。(おさ)の苦労を考えやがれなのですよ」

 

 博士が一人、頬を膨らませながら率直な気持ちを言葉にしました。

 

 〇

 

 レミアが寝ていたベッドの上では、アライさんとフェネックが転がっています。穏やかに胸が上下しており、部屋の中には静かな呼吸の音だけが響いています。

 

「フェネック、まだ起きてるか?」

「起きてるよー。どしたの?」

 

 二人とも仰向けに寝転がったまま会話を交わします。

 

「博士たちに頼まれた〝まんまる〟を見つけたら、カバンさんは島の外に行ってしまうのか?」

 

 唐突な質問でした。

 バスを直して船にする。カバンさんに内緒のプレゼントとして、フレンズたちみんなで計画しているサプライズのことです。

 カバンさんは島の外に行きたいと言っていました。ですが、そのために使おうとしていた船は、巨大セルリアンと一緒に沈んでしまいました。

 

 レミアとセッキーの騒動にまぎれていましたが、巨大セルリアンがパークの危機を招いていたことは事実です。このことを知っているフレンズはそれほど多くありませんが、知っているフレンズのみんなが力を合わせてジャパリバスを船に作り替えようとしています。

 

 その計画にアライさんとフェネックも手を貸すことになっていましたが、アライさんはそのことで悩んでいました。

 

「〝まんまる〟を見つけて、船が完成したら、カバンさんは島の外に行くのか?」

 

 同じ質問を小さな声で、すぐ隣に転がっているフェネックに投げかけます。

 フェネックもまた同じく小さな声で答えました。

 

「たぶんそうだねー。そのために作るんだしさー」

「じゃあ、レミアさんはどうなるのだ?」

「それはー……」

 

 どうなるのだろう。

 フェネックは少し考えて、

 

「レミアさんも、カバンさんと同じ〝ヒト〟だから、もしかしたら島の外に行くかもねー」

「…………」

「過去に戻りたいって言ってたしさー。島の外に出れば、何かわかるかもしれないじゃないかー」

「…………そう、なのだ」

 

 力なく声を漏らしたアライさんに、今度はフェネックが質問します。

 

「アライさんは、レミアさんが行っちゃうのいやかなー?」

「いやなのだ。できればずっと一緒に居てほしいのだ。でも」

「まぁーそれは難しいよねー」

「フェネックは? レミアさんが行ってもいいのか?」

「んー……正直に言うと、私もさみしいかなー」

 

 肩をすくめながらそう言ってから、フェネックは体を起こすとアライさんのほうに向きなおりました。

 

「ねぇアライさーん。いい考えがあるんだけどさー」

「どうしたのだ?」

 

 フェネックは口の端を上げながら〝いい考え〟を説明しました。話を聞いたアライさんは瞳をキラキラと輝かせて、

 

「フェネックはやっぱりすごいのだ!」

「やー照れるなー。…………それで、アライさんは手伝ってくれるかなー?」

 

 いつも通りの余裕たっぷりな笑みを浮かべながらそう言ったフェネックに、

 

「アライさんにお任せなのだ!」

 

 いつも通りの自信たっぷりな笑顔で、アライさんは答えました。

 

 

 

 〇

 

 

 

 レミアが目を覚ました日から、ちょうど三週間が過ぎました。

 長いようで短かったこの三週間、体格を戻すためにずっとロッジでジャパリまんを食べていたレミアでしたが、

 

「全然戻らないわ」

 

 思いのほか戻りが悪く、今は推定五歳ほどの体格になっています。アライさんとフェネックと比べるなら、頭一つ分レミアのほうが小さい感じです。からだを戻すことにサンドスターを使いたかったので、その間ずっと装備は外したままでした。なので、壊れてしまったリボルバーが元通りになる事もなく、弾薬だって一発も増えていません。

 

 レミアはずっと不安でした。もし今セルリアンが出てくるような事態になったら、フレンズを守るどころか自分の身すら守れない丸腰の状態です。体格だって小さいままですから、満足に逃げることもできません。

 

 ですからできることと言えば、なるべく外に出ないという事だけでした。館内を散歩したり、訪ねてくるフレンズとお話をしたり、ロッジに住んでいるフレンズと活動したり。つまりは療養することに努めていました。

 アライさんとフェネックがしばらくロッジから離れていた時もありました。三日ほどして帰ってきて、また三日ほど出ていたように思えます。レミアには理由がわかりませんでしたが、ついて行くと邪魔になるかもしれないと思い、特に何も聞きませんでした。

 

 そんなのんびりとした生活が三週間続きました。

 心配していたセルリアンの襲撃もどうやらなかったみたいです。実に平穏に、何事もなく悠々とした日々を送りました。

 

 〇

 

「ん……?」

 

 かすかに感じる振動と、遠くの方から響いてくる大きな音に目を覚ましたレミアは、眠そうにまぶたをこすりながらあくびを一つ。それから立ち上がって椅子を引きずり、窓際まで来ます。

 

「また山が噴火してるわね」

 

 遠くの方にかすかに見える山の頂上からは、朝日に照らされたサンドスターの粒子が光っているのが目に入りました。

 レミアは椅子から降りると部屋を出て、ロッジの一番高いところを目指しました。特に何かをしようというつもりではなく、ただ何となく山がよく見えるところに行きたいと思い、小さな足を動かします。

 

 〝みはらし〟と呼ばれている、森の中を一望できるその場所に着くと、

 

「あら?」

 

 先客が居ました。肩より少し長い青色の髪は、毛先だけが白くなっています。陶磁のように白い肌と、風に揺れている白のワンピースが、朝の光によく映えます。

 

「セッキーちゃんじゃない、久しぶりね」

『おぉーレミア! 久しぶりだね。あれからどう? どこか痛いところない?』

「まったくないわ、大丈夫よ。しばらく見なかったけど、何かしてたのかしら?」

 

 木で作られた手すりを掴みつつ、レミアはセッキーの隣に立ちました。心地よい朝日と柔らかい風が、レミアの栗色の髪を揺らします。

 

『ハンター達と一緒に〝パトロール〟をしてたんだ』

「パトロール?」

『そう。ボクの配下に置けないセルリアンは危険なセルリアンだから、そういうやつがいないかどうか島の中を見回ってたんだ』

 

 レミアは納得して頷きつつ、確かに今はもう、すべてのセルリアンが敵として襲い掛かってくるわけではないことを改めて思い返しました。

 ただ気がかりなことは、山が噴火し続けていることです。山が活動を続けているということはサンドスターもたくさん出ているはずですから、もしかするとその分、セルリアンも出ているかもしれません。

 助手が気にしていたフィルターのこともあります。もしフィルターがはずれると、サンドスター・ローが流れ出し、あの黒いセルリアンが出現してしまいます。

 

「それで、どうなの? セルリアンはいたのかしら」

『少しだけいたよ。そんなに大きくはないんだけど』

「色は? 黒セルリアンはいた?」

『ううん、水色だった。どれだけ呼び掛けても言うこと聞いてくれないから、食べちゃった』

 

 食べちゃったそうです。さすが元セルリアンです。

 

 レミアの予想通り、今現在パークには敵対するようなセルリアンが少しずつ出ているようです。大部分はセッキーのおかげで無害化できているそうですが、それが効かない、もしくは明らかに敵として出現しているセルリアンも少なからずいるようです。

 

 セッキーとハンターが見回りをしてくれているので、今はそれほど大きな問題にはなっていませんが、山が噴火し続けている以上セルリアンの数が増えてしまうことは確かです。

 

「山の噴火、博士たちが調査してくれてるって聞いたけど、何かわかったのかしら」

『それがわからないみたいだよ。ボクもパトロールの間にラッキービーストに聞いてみたり、こっそり山に入って調べてみたりしたんだけど』

「どうだったの?」

『何もわからなかった』

 

 山の噴火が収まらない原因があるのならば、それを突きとめたほうがいいに決まっています。それで噴火が収まるなら願ったりかなったりです。

 

「噴火が止められなかったら、またあの巨大セルリアンが出ることだって考えられるのよね」

『その巨大セルリアン、ボクたちハンターだけじゃ止められないかも。カバンとサーバルから聞いたけど、レミアよくやっつけられたね』

「運がよかったのよ――――あなた今〝ボクたちハンター〟って言ったかしら?」

 

 セッキーの顔を見上げながら訝し気に聞いたレミアでしたが、

 

『そうだよ! ボク、セルリアンハンターになったんだ!』

 

 いろいろとツッコミどころ満載の返答に、レミアは小さく笑うしかありませんでした。

 

 〇

 

『あぁ、そうだ、話が変わるけどさ』

 

 セッキーは思い出したようにポンと手を叩くと、レミアのほうを見ながら弾んだ声で言いました。

 

『明日、この島の真ん中にある遊園地でパーティーをするんだって! レミアとカバンのためのパーティーだからぜひ来てほしいんだ!』

「えぇ、いいわよ」

 

 あたしとカバンのためのパーティー? という疑問がほんの一瞬頭をよぎりましたが、特によぎっただけでレミアは何も考えず、久々にロッジの外に出られることに心を弾ませます。

 ですが、すこし心配なこともありました。

 

「あたしこんな体だから、遠くまで行くのに時間がかかるわ」

『そのへんは大丈夫。ボクに任せて』

 

 とん、とセッキーは胸を張ります。

 なにをどうするつもりなのかよくわかりませんでしたが、

 

「そう、じゃあ任せるわ」

 

 レミアは笑顔で頷きました。

 

 




次回「ろっじ! さーん!」




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第二十三話 「ろっじ! さーん!」

大変申し訳ありません。前回の予告で「ゆうえんち!」と題していましたが、レミアさんがロッジから出発しなかったので「ろっじ! さーん!」に改題しました。

あらためまして「ろっじ! さーん!」をお送りします。


 

 

「それで、出発はいつかしら?」

『明日! 明日の朝ロッジを出たらいいって博士たちが言ってた!』

 

 温かな朝日がぬくぬくと降り注ぐ〝みはらし〟で、セッキーは親指を立てながら快活な表情で答えました。

 

 ここ、ジャパークの島の中央には〝ゆうえんち〟なるものが存在するそうです。その場所で開かれる、レミアとカバンのための祝賀会…………つまるところパーティーの話に、レミアは心を躍らせていました。

 

 ロッジからは少々離れているので移動が大変だと思いましたが、セッキーが任せてほしいと言ったのでここは任せてしまいましょう。明日の朝の出発のために、持っていくものの準備をしないといけません。

 

「何か必要なものとかあるかしら?」

『特にないけど、レミアの体の負担になるようなものは置いて行った方がいいと思うよ。ほら、まだそんなに力は戻っていないでしょ?』

 

 確かにその通りです。人で言うところの五歳児ほどの体ですから、リボルバーならともかくライフルは重すぎます。そしてリボルバーは拳銃と言えども大口径の銃ですから、反動が大きく、撃つにはやはり無理があります。

 

「そうね。銃は置いておいて、軽めのナイフとポーチだけにしておくわ。でも」

『でも?』

「道中でセルリアンに襲われたらどうするの?」

『大丈夫、そこも心配いらないよ!』

 

 レミアの表情にはやや不安がありましたが、セッキーは自信ありげな笑顔を浮かべています。彼女だってセルリアンハンターの一人ですし、何よりもセルリアンを使役できるという変わった特徴を持っています。きっとそこは信じていいだろうと思ったレミアは、まだほんの少し不安はありましたが、セッキーに身を任せることにしてみました。

 

「じゃあ、また明日」

『うん!』

 

 〝みはらし〟を後にして、自分の部屋へと向かいます。

 

 〇

 

 部屋へ戻る途中、そういえばまだ朝ごはんを食べていなかったことに気が付いたレミアは、通りがかりにロビーに寄ってみようと思いました。

 あそこの机の上にはいくつかのジャパリまんが積まれています。なにやらロッジを管理しているアリツカゲラは、そのジャパリまんの数もちゃんと確認しているそうでしたが、

 

「また一つ頂くわね」

 

 そんなことはレミアには関係ないようです。そこに置かれているのですからお腹がすいたら食べちゃいます。

 しばらく歩いてロビーに着くと、

 

「あぁ~! レミアさん起きていたんですねー!」

「あら、アリツさんいたのね」

 

 例のアリツカゲラが、ロビーの掃除をしていました。

 明るく映えのある黄色い髪に、鳥系のフレンズ特有の小さな羽が付いています。鼻のところにはコンパクトな丸眼鏡をかけていて、グレーのスーツ風の服装は、落ち着きのある支配人という印象を強くしています。

 ただ、それに反して本人の声は非常におっとりとしていて、かつ人当たりの良さを感じる丁寧な口調のフレンズです。レミアは初めて会った時から親しみやすいと思っていましたし、現に例の騒動以降、レミアのために訪問してくれるフレンズは、一日から二日間ロッジに泊っていきます。アリツカゲラの物腰の柔らかさが起因している事でしょう。

 

 レミアは椅子のところまで行き、よじ登って座ってからアリツカゲラのほうを見ました。

 ほうきで床を掃いていたアリツカゲラは視線に気が付き、

 

「あ! そのジャパリまん、食べていいですよー! お腹がすいていますよね?」

「えぇ、そうね。助かるわ」

 

 レミアにジャパリまんを勧めてくれました。盗む気満々だったレミアですが、何食わぬ顔で一つとってかぶりつきました。

 別に勝手に取っても怒られませんし、こうしてその場に居れば見つめるだけで食べていいよと言ってくれるのですから、やはりやさしいフレンズです。

 

「お体、少しだけ大きくなりましたね」

「まだまだ戻ってもらわないと困るわ」

「元はどれくらいの大きさだったんですか?」

「あなたよりちょっと大きいくらいかしらね」

「へぇ~! それは時間がかかりそうですねぇ~!」

 

 驚きながらアリツカゲラは、集めたごみをまとめると窓の外から捨てました。掃除道具を部屋の隅に片づけてから、レミアと同じテーブルにつきます。

 

 ニコニコと笑顔を浮かべながら、レミアがジャパリまんを食べる姿を眺めはじめました。見ていてそんなに楽しいものでもないでしょうに、とレミアは思いましたが、ふと気になることがあったので聞いてみることにしました。

 

「ちょっと前の話だけど、あたしがこのロッジで気を失ってた時期があるじゃない?」

「ありましたねー。結構前ですね?」

「その時に、あたしのケガを治療してくれたり、たぶんジャパリまんを食べさせてくれたフレンズがいる気がするんだけど、誰だったのかしら?」

 

 食べかけのジャパリまんに視線を落としながらレミアは首をかしげます。

 セッキーとの戦いで体に傷を負っていたレミアでしたが、目が覚めた時にはすべて完治していました。あれだけの損傷が一週間で回復したということは、サンドスターを使ったということ以外には考えられません。寝ている間に誰かがジャパリまんを食べさせてくれたのでしょうが、当然、眠っている三歳児に普通のジャパリまんを食べさせることは困難です。誰が食べさせてくれたのか、レミアは気になりました。

 

 アリツカゲラは頬に指を当てて少し思い出すようなそぶりをしてから、

 

「治療のほうは博士たちとアライグマさん、フェネックさんがされていたと思いますよー。ジャパリまんは…………あ! 思い出しました、カバンさんが何やら道具を使っていろいろやっていましたね」

「カバンさんが?」

 

 道具を使って、ということは、食べやすいようにジャパリまんを小さくしたり、ペースト状にして食べさせてくれていたのかもしれません。

 目が覚めてからずいぶん経っていますが、カバンさんとこのロッジで顔を合わせたのは一回だけです。

 それもほんの少しの間でしたし、会話どころかお礼すら言えていません。今度会ったらちゃんと言っておこうとレミアは心に決めました。

 

 手にしたジャパリまんを一つ食べ終えるころ。

 

「レミアさんは、この後の予定はありますか?」

 

 アリツカゲラが席を立ちながら聞いてきました。レミアは手に付いた食べかすをきれいに払いながら、

 

「明日、島の中央にある〝ゆうえんち〟に行く予定なのよ。そのための荷造り……って言っても大した量じゃないからすぐ終わるけど、やることはそれくらいね」

「あ! もしかして祝賀会のことですか!?」

「そうよ。あなたも行くのかしら?」

「行きます行きます! ロッジのジャパリまんもたくさん持っていくので、たくさん食べてくださいね!」

 

 人当たりの良い快活な笑顔を浮かべるアリツカゲラに、レミアも「そうさせてもらうわ」と笑顔で頷きました。

 

 〇

 

「ふぅー」

 

 ロビーから立ち去って部屋へ行こうとしたときに、アリツカゲラから追加でもう一つジャパリまんをもらったレミアは、貰ったまま一口も食べずに自分の部屋まで戻ってきました。

 

 ふかふかのベッドに腰をかけながら、

 

「さすがに二つは食べられないわ」

 

 苦しそうに、細いお腹をさすりながら手元のジャパリまんに目を落としました。しかしせっかくもらったのですから捨てるわけにもいきません。

 

 どうしようかと少し考えたのち、ベッドから降りると机のところまできて、空になっていたジャパリまん用の籠にそっと入れておきました。

 

「また後で食べましょう」

 

 一人そう呟きながら、ベッドの端に置いたポーチへと、今度は手を伸ばします。

 持っていくものはどうしましょう。とりあえずナイフは一本持っていきます。使うかどうかはわかりませんが、懐中電灯と信号弾も入れておきます。それから図書館で見つけた日記ぐらいでしょうか。

 わずかに残っていた予備の弾薬はすべて置いて行きます。銃が使えないならば持っていく必要もありません。

 

「これぐらいかしら……ん?」

 

 ポーチの中をのぞいて確認していたその時、中身の端の方で何かが光り始めました。虹色に淡く輝いた後、レミアが目を凝らした時にはもう光が収まり、そこには黒い四角い物体が現れていました。

 

 長方形の黒塗りに細長いアンテナがくっついていて、ダイヤルだったりボタンだったり小さな画面が付いています。つまりそれは通信機でした。

 

「あら、もしかして今のが〝サンドスターの力で持ち物が戻ってくる〟ってやつなのかしら」

 

 これまでは気が付いたら弾が増えていたという感じだったので、何気にレミアは初めて持ち物がサンドスターによって復活するところを見たようです。

 

 雪山でキタキツネとベラータが通信をするために預けた通信機です。随分久しぶりに見る使い慣れたそれを手に取って、感慨深げに眺めました。

 

「使えるのかしら?」

 

 幼く小さな手でしっかりと持って、レミアは電源ボタンを押し込みました。程なくして電源が入り、画面に光がともります。

 どうやら使えるようです。なので、物は試しとばかりにベラータにつながる回線に接続してみました。

 

 つなげてすぐはザーザーという音しか聞こえません。レミアはベッドの上に腰かけ、ダイヤルを少し回して再度調整し、ベラータにつながる回線を試します。ちょっと待つと、

 

『――――はいはい! こちらベラータですよ。お久しぶりですねレミアさん!』

 

 どうやら問題なくつながるようです。

 レミアは少しだけ口元に笑みを浮かべながら、いつもと変わらない調子で声を発しました。

 

「久しぶりねベラータ。あれからどう? 何か役に立つことは分かったかしら?」

『誰ですか?』

「は?」

『え?』

 

 素っ頓狂な声が二人から上がります。

 

「え、まさかあたしを忘れたの? 元東部方面軍第七中隊のレミア・アンダーソンよ。一回死んで生き返ったと思ったら百年後の世界でよろしくやってるフレンズよ」

『いえ、その、忘れたわけではないですよ。なんと言いますか、ずいぶん声がお若いようで』

「いろいろあって体内のサンドスターが枯渇して、ちょっと若返っちゃったのよ」

『本当にレミアさんですか?』

「そうよ」

『若返ったって…………もとの年齢もそれほど高いようには思いませんが、今おいくつなんですか?』

「五歳ぐらいかしら」

『ロリミアさんって呼んでもいいですか?』

「キタキツネちゃんに渡した通信機ぶっ壊そうかしら」

『すいませんでしたアンダーソン中尉殿勘弁してください』

「よろしい」

 

 レミアは「はぁ」と小さくため息をついて、それから少しまじめなトーンで言葉を繋げます。

 

「それで、あれからどうなのよ」

『キタキツネちゃんとは問題なく通信できていますよ。彼女、なかなかシューティングゲームが上手なんですよ。敵の前で一度姿を見せておいて、一旦退いたと見せかけて敵前線を崩壊させたときにはこの子センスあるなと思いました』

「誰もそんなこと聞いてないわよ。何か情報収集できたことはあるかしら?」

『もちろん! ゲームで遊ぶ(かたわ)ら、キタキツネちゃんが使っているパソコンにアクセスができたので、そのまま有線コードをたどってジャパリパークのメインシステムに侵入できないかどうかを試しました』

「すごいわね。それで? できたの?」

『できましたよ』

 

 さらりと、まるで当たり前のことのようにベラータは言いました。

 

『メインシステムの多くは経年劣化でダウンしていましたが、重要なところ、特にインフラ施設の管理だったり、ラッキービーストとの交信を円滑に進めるためのソフトだったりは、今でも元気に動いていました』

「人がいなくなったってことは、メンテナンスもされてなかったってことでしょう?」

『そうですよ。なのでほとんどは死んでいましたが、いくらかは問題なく動いていました。それこそ、まるで誰かが手入れをしているかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「…………まさか、人がまだ残っているの?」

『いえ、その可能性は限りなくゼロです。少なくとも人が管理をしているようなシステム状況ではありませんでした』

「言ってることが矛盾しているわ。人がいる可能性はゼロなのに人が管理している跡が見えるって、どういうことよ」

『その、それがですね…………』

 

 ベラータは語尾を濁しました。発言をためらったかのようにも取れるその言い淀みに、レミアは訝し気な声音で訊ねます。

 

「どうしたの?」

『いえ…………実はその、メインシステムに侵入している間に、おかしなものを見つけたんです。他のシステムはアクセスを阻もうとしていたり、隠そうとしている痕跡があったのですが、その、それだけは、まるで〝こいつを見てくれ〟とでも言わんばかりに分かりやすいところに置かれていたんです』

「で、なんだったのよ」

『交信ログです。おそらくは施設――――ジャパリパークを運営している本部と、外部の組織との交信ログが置かれていたんです。それも詳細に、まっさらの、破損や欠落のない綺麗な状態で』

 

 ベラータの言葉を聞いたレミアは、しかしそれの意味するところがいまいちよくわかりませんでした。なぜベラータが言い淀んだのか、一体何を伝えようとしているのかがピンときません。

 

「何が言いたいの?」

『交信ログを覗いてわかったんですが、おそらく今生きているシステムのメンテナンスをしているのは〝人間以外の何か〟なんです』

「はい? そんなことありえるの?」

『未来の技術なので詳しいことはわかりませんが、もしかすると機械が機械を整備しているのかもしれませんし、あるいは…………これは僕の想像ですが〝サンドスターが整備をしている〟のかもしれません。というかその可能性が高いです』

「どういうことよ」

『交信ログの書き方が、過去にあったことを暗号化して書き記している割には違和感があったんです。だっておかしくないですか? 俺がその暗号ログを読めるんですよ』

「あなたほどの知識と経験があったら当たり前の事じゃないの?」

『無茶を言わないでください。同時代の他国のログを見るのだってさすがに半日かかるんです』

「? 何時間でやったのよ」

『三十分です』

「……」

『考えてみてください。俺は、今レミアさんが居るそのジャパリパークからすれば〝百年前の異国の人間〟です。交信記録が〝百年前の異国の暗号〟で書かれるわけがないんですよ。というか書けるわけがないんですよ。当然、機械が勝手に書いたのだとしてもその機械のシステムを作ったのはパークの職員ということになります。俺がレミアさんと通信をすることなんて分かりっこないですから、未来予知でもしない限りそんなことは不可能です』

「じゃあ、まさか」

『はい、俺の見たログは、レミアさんが俺と通信をした後に書き直された交信ログです。ですからどうやっても、人間ができる事ではありません。確定ではないので俺の妄想の域を出ませんが…………今この、ジャパリパークの中枢システムを動かしているのはサンドスターなのかもしれません』

 

 レミアはベラータの言葉にひどく驚きつつも、どこかで納得していました。

 サンドスターのおかげでパークの施設が動いている。ジャパリまんの製造ラインがいまだに機能していたり、施設に電力の供給ができていたり、水道がちゃんと通っていたりするその、それは、すべてフレンズを生かすために必要不可欠なことです。

 

 もしも、サンドスターに〝フレンズをフレンズとして生かす〟という意志のようなものがあるのだとしたら。

 突拍子もないような考えですが、ベラータの言っていることの状況説明としては筋が通ります。あまりにも漠然としていて確かめる術はありませんが、考え方そのものには納得がいきます。

 

「もしそうだったとしたら、どうしてサンドスターは交信ログの書き直しなんてやったのよ」

『俺に見せたかった理由がある、ということですね?』

「そうよ。どうしてわざわざ、あなたにパークと外部組織との交信内容を見せたかったのか、それはわからなかったの?」

『一つだけですが、気になる部分は見つけました。これがどういう意味なのかはまだ分かりません』

「教えて頂戴」

 

 ベラータは「ちょっと待ってくださいね」と言いつつ、何やらメモ帳をめくる音がしました。数秒後、ゆっくりと、ベラータは一言一言を確かめるようにレミアに伝えていきます。

 

『ログの中には〝爆撃機による山および巨大セルリアンへの攻撃〟という内容が記されていました。計画の段階から何度もやり取りがされていて、最終的に〝爆撃機の出撃命令の受領、および攻撃認可〟というログが残されています』

「〝ばくげきき〟ってなにかしら?」

『これが俺にもよくわからないのですが、〝飛行〟という言葉が散見できるので、おそらくは空から爆発物で攻撃する手段だと思います』

「恐ろしいわね。頭の上から爆弾が降ってくるなんて」

『戦術的には非常に魅力的なので、もうすこし情報を整理したら軍の上層部に送ってみようと思います』

「あんまり戦場で使ってほしくないけど……まぁ、それはいいとして、それで?」

『この爆撃機、〝出撃〟した痕跡はあるんですが〝帰還〟したログがないんです』

 

 〇

 

「…………つまり、墜とされたってこと?」

『飛んで攻撃するものだとしたら、その可能性が十分にあります。ログは〝爆撃機の出撃〟を最後に途切れていました』

 

 レミアは少し考えました。ベラータが気になっている点が正しいかどうかは分かりませんが、どうしてこの交信ログが分かりやすく残されていたのか――――サンドスターが、ベラータに読んでほしいとばかりに示していたのか。その理由は何だろうかと思案します。

 

 〝爆撃機〟というものがどういうものなのか具体的には何一つわかりません。分かりませんから、どうしてそのあたりをベラータが気にするのかもわかりません。

 わからないことを考えても仕方がない……という感じで、レミアの頭の中では順調に連想が進んでいき、いつも通り考えることをやめました。

 そろそろお腹がすいてきたので机の上のジャパリまんを食べようかなぁと思います。

 

「とりあえずあたしにはよくわからないから、また何かわかったら連絡して頂戴」

『了解です。前の通信機と同時につながってはいけないので、周波数のほうはこちらでいじっておきました。次かける時はこの周波数でお願いします』

「えぇ、わかったわ」

 

 速やかに通信が終わり、レミアはポーチの中に通信機をしまうと机の上のジャパリまんを手に取りました。

 なんとなく窓から空を見ると、太陽は一番高いところに登り、山はまた、サンドスターをモクモクと焚き上げながら噴火していました。

 

 




次回「ゆうえんち!」

セッキーとの仲直りと言い、ベラータとのやり取りと言い、レミアさんは以前にも増して頭が弱くなっているような気がしますね。これじゃほんとにロリミアさn(銃声が響いた。



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第二十四話 「ゆうえんち!」

 小さくて薄暗い不健康の権化のような室内。肌の白い青年が、煌々と光を放つモニターの前に座っていました。

 青年の名はベラータと言い、彼は今、モニターの中で繰り広げられる駆け引きに全神経を集中させています。

 

「東から敵。八人。分隊支援火器を確認」

『前線構築間に合わない。中央味方に後退命令』

「ラジャー。北西味方のロスト確認」

『西から救援要請』

「了解」

『東の敵と会敵』

「西は後退。一度前線を下げて中央とクロスさせる。…………ん? あれ、東の敵が全滅してる? なんで?」

『ボクがやった』

「マジですか助かりました」

 

 数分後、ベラータの的確な指揮とキタキツネの前線での活躍により、そのマッチは勝利することができました。

 

 雪山でレミアがプレゼントした通信機と、サンドスターの力によってパソコンでの通信に成功したベラータは、あれから延々キタキツネとのゲームを楽しんでいました。銃器を駆使して陣地防衛、あるいはエリアの占領等を行う、いわゆる銃ゲーと呼ばれるジャンルのゲームです。

 

『ベラータの指揮、上手だね』

「一応本職だからね。現場の細かな動きは俺に一任されているところもあるから、その経験が活きているのかもしれない」

『ベラータの命令なら安心して聞けるよ。なかなか死なないから、勝てる』

「兵をなるべく死なせないことが俺の信条でもあるんだよ。キタキツネちゃんの機転の利いた攻撃も、素晴らしいと思いますよ」

『ありがとう。ボク嬉しい』

 

 本当にうれしそうな声で通信機越しに聞こえてきたその声に、ベラータは心中で「ああもうかわいいなちくしょう」と悶えた後、

 

「次はどうします? もう少しやっていきますか?」

『んー……あ』

 

 すこし悩んだような声が聞こえた後、遠くの方から『キタキツネー、お風呂入るわよー』という声が聞こえてきました。間違いなくギンギツネの声です。

 

「お風呂だね。入っておいでよ」

『んんー……そだね』

 

 少し悩んだようでしたが、キタキツネは『行ってくる』と一言残して席を外しました。ちょっとだけ声に元気がありません。

 これまでずっとゲームで遊んでいましたから、きっと疲れがたまっているのでしょう。行ってらっしゃい、とベラータは通信機越しに見送って、自身は隣のモニターの前に移動しました。

 

「さて、キタキツネちゃんがお風呂に入っている間にやることは……」

 

 つい先ほど、レミアから久々の連絡があったばかりです。約一か月ぶりに聞いたレミアの声はかなり幼くなっていて、聞くところによると現在五歳ほどの身体になってしまっているそうです。

 

「パークの監視カメラにハッキングを仕掛けて、セッキーちゃんとの戦闘の様子は断片的に確認できたけど」

 

 まさかそこまで縮んでいるとは思わなかった。

 ベラータは独り言をつぶやきながら、キーボードをリズミカルに叩きます。

 

 どうやらパークに点在している監視カメラにアクセスして、島の様子を部分的に覗く手段を得たようです。ことごとく才能が悪い方向に使われていますが、咎められる人は誰もいません。

 レミアとセッキーの戦闘もそうですが、黒い巨大セルリアンの様子も、ほんのわずかな間でしたがベラータはその目で確認していました。断片的ですがこの数日間、レミアの身に何があったのかはある程度把握しています。

 

「すごい戦いだった割には、丸く収まったみたいだし、あとはレミアさんの身体が戻れば万事解決……と、いきたかったんだけどなぁ」

 

 ため息交じりにベラータは肩を落としました。手元のメモ帳に目を遣ります。

 

「……あんなにわかりやすくこのログを示しておいて、次はこのシステムを見せてくるってことは、つまりまぁ、たぶんそういうことが起きるってことなんだろうなぁ」

 

 いやだなぁ、と。

 タイピングする指を止めることなく、モニターに映し出される無数の文字と数字に目を這わせながら、再度、深い深いため息をつきました。

 

 

 〇

 

 

「んんー…………ふぅ、よく寝たわ」

 

 朝のロッジ。ベッドから起き上がったレミアは、細い腕をめいっぱい伸ばして背伸びをすると、一気に力を抜いて息を吐きだしました。あちこち跳ねまわっている栗色の髪の毛を手早くまとめて後ろで一つくくりにすると、ベッドから降りてポーチを腰に巻き付けます。

 

 今日は〝ゆうえんち〟なるところで祝賀会が開かれます。昨日セッキーから聞いた話では、祝賀会そのものはお昼から始まるので、午前中はまるまる移動に使っていいそうです。セッキーがどんな方法で移動しようとしているのかは分かりませんが、レミアは移動も含めて、どこか期待しているような表情を浮かべています。わくわくニコニコしています。

 

 長さを調節したポーチをしっかりと腰に巻き付けて、ナイフを一本、これも腰の位置にとめておきます。

 机の上には、昨晩のうちにアリツカゲラが用意してくれたジャパリまんが積まれていました。一つ取ってベッドのふちに腰かけて、両手で落とさないように持ってパクパクと食べていきます。

 

 それなりの時間をかけて食べ終わったレミアは、

 

「よし、忘れ物はないわね」

 

 一度部屋を見渡して、ドアを開け、廊下を歩き、ロッジのロビーへと向かいました。

 

 〇

 

「…………これに乗っていくの?」

『そ! サーバルは〝バスリアン〟って呼んでたよ!』

 

 バスリアン。

 どう考えてもバスとセルリアンを引っ付けただけの名前でしたが、ロッジの入り口前、少し広くなっているところに止まっていたそれは、残念なことにまさしくその姿を的確に表した名前でした。

 

 赤色のセルリアンが四体集まってタイヤとなり、水色のセルリアンがその上にかぶさっています。四角い箱のような形になっているので、遠くから見ればクレイジーな色をした安物の馬車にも見えるでしょう。前方には申し訳程度に、ネコ科を思わせるとんがった耳のようなものが造作されています。

 

『図書館でいろいろ調べたり、ラッキービーストだったころのデータを探したりして、この形にたどり着いたんだ!』

「それってつまり、セルリアンに色々食べさせたってこと?」

『そうだよ! もう使わなくなってたバスのエンジンとか、リアカーとか、座席とか! でも形として出てきたのはこれだけだから、箱の中に直接座るしかないかな』

 

 屋根はなく、座席もない、そもそも本当に走れるのかも怪しいセルリアン製バスに、とりあえずレミアは乗ってみることにしました。

 

「ひんやりしてるわね」

『元は水のセルリアンだからね』

 

 レミアは思いました。あれだけ撃ち殺したセルリアンの上に乗って、これから移動をするのかと。

 普段は屠った相手の事なんて何とも思わないレミアでしたが、この時ばかりはぷよぷよの車体を手でなでながら「ごめん」と小さく謝りました。

 

「乗せていくのはあたしだけ?」

『そだよ! みんなは先に出てるし、アリツカゲラさんは自分の羽使うって!』

 

 セッキーも飛び乗り、箱の一番前のほうに行きました。

 よく見るとこのバス、アクセルもブレーキもハンドルもありません。どうやって進むのでしょうか。

 

『それじゃあ出発するよ! 運転するのは元パークガイドロボット、現セルリアンハンターのセッキーです! このバスはロッジを出発して、港のそばを通ってから遊園地まで行きます。途中、このバスのセルリアンが疲れたら別のセルリアンに交代するので、その時はお乗り換えよろしくお願いします!』

「セルリアンって疲れるのね」

『それでは、しゅっぱーつ!』

 

 セッキーの元気な号令と同時に、本物のバスのようにぶるぶると車体が揺れだすと、ヒュロロロロ、という音とともにバスが発進しました。

 

「今のは?」

『ジャパリバスっぽくしたかったから、発進するときにはとりあえず鳴いてって命令してるよ』

 

 随分と頼りないエンジン音です。 

 

 〇

 

 太陽は順調に空へと昇り、抜けるような晴天とキラキラ輝く広大な海が、どこまでもどこまでも広がっています。ここは港で、レミア達はひび割れたアスファルトの上を移動していました。

 

 セルリアン製のバス――サーバル曰く〝バスリアン〟は、レミアが思っていた以上にしっかりと走るようでした。元がスライム状の体ですから、タイヤになって前へ進めば地面の凹凸はたいてい吸収します。なので上に乗っているレミアとセッキーにはほとんど振動が伝わってきません。

 車体には座席がありませんが、結構な広さがあるので寝転がっても余りがあります。ひんやりとした心地よい温度に、触り心地のよいぷにぷにとしたそれは、まさに快適の二文字です。レミアは幼い肢体を投げ出して、ゴロゴロと転がりまわっていました。

 

「きもちいいわ!」

『喜んでもらって何よりだよ。遊園地まではあとニ十分くらいで着くからね』

 

 セッキーはバスリアンの前の方で周囲の様子を伺いながら、時々タイヤのほうの赤セルリアンに指示を出しています。右へ行ってとか左へ行ってとかの簡単な命令に、セルリアンたちもスムーズな運転で反応します。

 

「そういえば、乗り換えがあるって言ってなかったかしら?」

『疲れるかなーって思ってたんだけど、この子たちもバス歴ながいから慣れてきたのかも。このまま遊園地まで行けるか聞いてみるね』

 

 行けそう? と下のほうを見ながら聞いたセッキーに、タイヤの赤セルリアン達からヒュルル、と短く返事が返ってきました。

 

『よゆーだって!』

「いろんな意味ですごいわね」

 

 レミアは苦笑いを浮かべながら体を起こし、周囲の様子をぼんやりとながめました。

 左手側には海が広がり、右手側には林があります。

 実に一か月ぶりの遠出です。セッキーや黒セルリアンとの戦いがあった場所は、どうやらもう通り過ぎているようです。

 

「何か変わったことがあるかと思ったけど、特に何も変わらないわね」

『敵対的なセルリアンはあまりいないし、他のセルリアンたちも、ちゃんと話をしたらフレンズとうまくやっていけてるからね』

「フレンズと?」

『そう、共生してるよ。セルリアンもフレンズも、サンドスターを摂取しないとその姿が維持できないから、だからフレンズはジャパリまんを食べるし、セルリアンはフレンズを食べるんだよ。フレンズがセルリアンに食べられると元の動物に戻ったり、〝輝き〟を失っちゃったりしちゃうのは、そうやってサンドスターがなくなるから、らしいよ』

「そんな大事なことどうやって知ったのよ」

『ほら、ボクはセルリアンともお話しできるから』

 

 あーなるほど、とレミアはひざを打ちました。

 

「それで、セルリアンはフレンズを食べてないのよね?」

『ボクの配下の子たちはね』

「どうやって状態を維持しているの」

『ジャパリまんを食べてるよ。ラッキービーストにもちゃんと話をして、パークに居る〝フレンズを襲わないセルリアン〟は暫定的にフレンズとして扱ってもらえるようにお願いしたんだ』

「セルリアンがフレンズと仲良く並んでジャパリまんを食べる姿……想像しにくいわね」

『遊園地にも何体か呼んでるし、フレンズたちのお手伝いをするように言ってあるから、行けばみられると思うよ』

「楽しみだわ」

 

 口の端を少しだけあげて、だいぶ近くに見えるサンドスターの山を見上げながら、レミアは小さくそう言いました。

 山からはまた、モクモクとサンドスターが昇っているようです。

 

 〇

 

 太陽が一番高いところへ来た頃に。

 遊園地は、多くのフレンズたちでにぎわっていました。

 

 様々なアトラクションが乱立しています。コーヒーカップやメリーゴーランド。ジェットコースターや巨大な観覧車まで。

 ただそのどれもが例外なく錆び付き、朽ち果て、とても動かせる状態ではなさそうです。何一つアトラクションとして使えそうなものはありませんでしたが、しかし、集まったフレンズたちはそんなことはお構いなしにと、自由気ままに遊びまわっています。

 

「みんな集まったわね!」

 

 遊園地の一番目立つところにはステージがありました。ステージの上には、ぺパプのセンター、ロイヤルペンギンのプリンセスがマイクを持って立っています。

 

「それじゃあ始めるわよ! 題して〝カバン何の動物かわかっておめでとう&レミアとセッキーが仲直りできて良かった〟の会!」

 

 わぁぁぁぁぁぁぁっっ――――遊園地のそこら中から、拍手と喜びの声があがりました。

 レミアはあたりを見回して、本当にたくさんのフレンズたちが集まっているなと、改めて感心しました。

 見たことのあるフレンズもいれば、よく知らないフレンズ見えます。きっとカバンさんとサーバルの知り合いなのかなと思いつつ、さらに目を凝らして目的のものを探します。

 

「あ、いた」

 

 いました。セルリアンです。

 さきほどセッキーから聞いた通り、遊園地にはいくらかのセルリアンが来ているようです。水色だったり赤色だった紫色だったり。大きさも、今のレミアとほとんど変わらないような小さなものから、一回り二回り大きなものまで様々です。

 その、どのセルリアンもみな、レミアがアライさんたちと旅をしていた時に見たセルリアンと同じ姿をしていましたが、今は全く敵意のようなものを感じません。なかにはフレンズからジャパリまんを食べさせてもらっているセルリアンも見受けられます。

 

「本当に、敵じゃなくなったのね」

 

 レミアはどこか、胸に温かいものを感じました。

 

 〇

 

 その後、ステージに呼ばれたカバンさんとレミア、セッキーは、事の経緯についてプリンセスに誘導されるままいろいろとコメントをしようとしていたのですが、

 

「ヒトは話が長すぎるのです」

「我々はお腹がすいたのですよ。さっさと食わせろなのです」

 

 博士と助手がフライングして料理を食べ始めてしまったので、そのままの勢いで乾杯となりました。

 ちょうどお昼時ですから、みんなお腹がすいています。テーブルの上には山のようにジャパリまんが積まれていて、その横には、

 

「…………あら、これは何?」

 

 レミアが思わず首をかしげる、不思議な食べ物が置かれていました。

 茶色くて、ドロドロとしたものです。その横に添えられているのは、あの珍しい〝米〟という食物のように見えます。

 レミアは米を食べたことがありません。その横の茶色いドロドロとしたものも、食べたことはおろか見たこともありません。

 

「それは〝料理〟といって、食材をいろいろと組み合わせて作ったものですよ」

 

 ふと、すぐ隣にカバンさんが来ていました。レミアは椅子の上に立って料理を眺めていましたから、カバンさんも近くの椅子を引き寄せてきて、レミアの隣に座りました。レミアもおとなしく席に着きながら、首をかしげつつ質問します。

 

「料理なのはわかるけど、これ、なんていう名前の料理なの?」

「そこまではちょっと……あ、いえ、たしか〝カレー〟という名前でした」

「へぇー」

 

 とりあえず一口食べてみることにします。スプーンですくって、まずは茶色いドロドロ……カレーだけをすくいます。

 口元までもってきて、食べる寸前に、レミアは手を止めてカバンさんのほうを見ました。

 

「一応聞いておくわ。これ、誰が作ったのかしら?」

「ヒグマさんですよ。なんでも火が怖くないらしくて、博士たちに作らされていました。あそこです」

 

 カバンさんの指さした先では、あたふたしながら鍋をかき混ぜている、たくましそうなフレンズが居ました。

 その横には水色のセルリアンが居て、何やら心配そうにヒグマを見つめています。さすがは水のセルリアンです。

 

 レミアはひとまず、一口だけでも食べてみることにしました。体を戻すためにジャパリまんを食べないといけないのですが、胃袋にはそんなにたくさん入りません。一口、味見程度に食べてみるということです。

 

 パクり、と。

 しっかりと口に入れて、スプーンを抜き、舌の上で茶色いドロドロを広げると――――。

 

「からい! 何よこれ! し、死ぬ、ちょ、みず、水ちょうだい辛いッ!!」

 

 半泣きになりながら椅子の上で飛び回る五歳児に、カバンさんは慌てて水を用意しました。

 

 〇

 

「これはだめだわ……」

「なんだか博士たちにも同じことを言われた気がします」

 

 苦笑いを浮かべながらレミアの背中をさするカバンさんに、レミアは少し落ち着いてから、振り向き気味に顔を見上げました。

 

「カレーはまぁ、散々だったけど……カバンさん、あなたにお礼を言わなくちゃいけないわ」

「ボクに、ですか?」

 

 レミアは自分の意識がない時に、ジャパリまんを食べさせてもらったこと。そして、それよりも以前、セッキーとの戦いで助けを呼んでくれたことのお礼を言いました。

 いくら何でもあの状況では命が危なかったと、レミアも自覚しています。だからこそ、そのことも含めて、遅くはなりましたがあらためてのお礼です。

 

「ボクのほうこそ、レミアさんが居なかったら、サーバルちゃんは黒セルリアンに食べられていたかもしれません。ボクを守ろうとして、サーバルちゃんが危険な目に――ボクと、サーバルちゃんを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

 いい子だなぁ、と。

 レミアは目の端にうっすらと涙をためているカバンさんを見て、心の中でそう呟きました。

 

 〇

 

「そこで強火なのです」

「料理は火力なのですよ」

「いや、待ってくれ! どうすればいいんだよ!」

 

 遊園地の端の方では、ヒグマがカレーを煮込んでいました。少し離れたところから博士と助手が指示を出しています。

 

「ふーふーするのですよ。風があれば火は強くなるのです」

「こ、こうか?」

 

 ふーふー! っと、顔を真っ赤にしながら必死で吹くと、ちょっとだけ火が大きくなりました。

 

「やりますね」

「やるのです。お前はハンターから〝せんぎょうしゅふ〟になったほうがいいのですよ」

「はぁ? な、なんだそれ?」

 

 立ち上がって鍋の中身をかき混ぜながら、ヒグマは困った顔を浮かべました。

 博士は指をさしながら、

 

「お前のような料理のできるメスを〝せんぎょうしゅふ〟と言うそうなのですよ。ハンターをやめて我々の〝せんぎょうしゅふ〟になるのです!」

「断る!」

 

 堂々と、きっぱりと、ヒグマは言い切りました。

 そんなにはっきりと断られたものですから、博士と助手は視線を落とし、しゅんとした表情で、

 

「……わかったのです。もう料理を作ってとは言わないのですよ」

「今日が最後の料理ですね。博士」

「そうなのですよ助手。大事に大事に、味わって食べるのです。もう二度と食べられない料理なのです」

 

 目に半分涙を浮かべながら、この世の終わりのような声音でそんなことをいうものですから、ヒグマは鍋をかき混ぜる手をいったん止めて、頭をガシガシと掻きながら、

 

「ったく、しょうがないなぁ。毎日は無理だが、ハンターとしての仕事が済んだら作ってやるよ! これでいいだろ!」

「ほんとですか!」

「ありがとなのです!!」

 

 ぱぁッ! っと、輝くような笑顔になった博士と助手に、ヒグマは照れ笑いを浮かべながら、再び火を強くするために焚火の前にしゃがみました。

 

 ヒグマの見えていないところで。

 

「チョロい」

「チョロイのです」

 

 輝くような満面の笑みのまま、二人はガッツポーズをお互いに交わしました。

 

 〇

 

 宴もたけなわ。もうずいぶんと長い時間、遊園地はたくさんのフレンズたちの声でにぎわっています。

 空はオレンジ色に染まりつつあり、風もどこか冷たくなり始めています。しかし、フレンズの笑い声やはしゃぎ声は、留まることを知りません。

 

 そんな中、

 

「お? レミアじゃないか。久しぶりだね」

 

 遊園地の端の方。歩き疲れてどこかに座りたいなぁと思っていたレミアは、水色のセルリアンを見つけると「椅子になってもらえるかしら」と注文してセルリアンを困らせていました。そんなところに、真っ白な髪の毛に真っ白なコートを着たフレンズが訪ねてきます。

 

「あら、ホッキョクグマじゃない。ほんと久しぶりね」

「すまないな。話には聞いていたんだが、なかなかロッジまで行けなくて」

「いいのよ」

 

 〝椅子になって〟というレミアのお願いに困惑していた水色セルリアンは、身体をなるべく平たくしてレミアの足元にひかえています。

 

「何してるんだ?」

「セッキーが〝セルリアンたちはレミアの言うことをだいたい聞くと思うから、いろいろ試して来たらどう?〟って言ってたから、試してるところよ」

「へぇ」

 

 確かにセルリアンたちは、レミアのお願いをかなえようとしてくれているようです。

 どうみても幼い子供に無理難題を押し付けられて困っているモンスターにしか見えませんが。

 

 レミアは足元で平べったくなったセルリアンの上にそっと乗ると、ころん、と寝転がってしまいました。

 

「…………なんだか、この体になってから活動時間が短くなった気がするのよ」

「随分小さくなったもんな。それじゃ戦えないだろう?」

「銃は撃てないし、ナイフも満足に振れないわ。今セルリアンに襲われたら、あっさり食べられちゃうわね」

 

 ホッキョクグマは、レミアが下敷きにしている水色のセルリアンを見て苦笑いしました。レミアが寝転がっているのは紛れもなくセルリアンなのですが、食べられるどころか襲われる気配すらありません。おとなしくベッドになり果てています。

 

「まぁ、この遊園地にはハンターもたくさん集まっている。私もいるし、大丈夫だろう」

「他のハンターがいるの?」

「料理を作っていたフレンズが居ただろ? あいつは私の遠い親戚みたいなもので、同じくハンターだ。頼もしいやつだぞ」

「へぇ」

 

 博士たちにあごで使われていたようにも思いましたが、レミアは重くなりつつあるまぶたをこすりながら、ハンターもこの遊園地にきているのかと思い返しました。

 

「じゃあもし、味方じゃないセルリアンが出ても大丈夫ね」

「セッキーもいるし、ヒグマも、キンシコウも、リカオンもいる。あと、新人だな」

「新人?」

「インドゾウだ。とんでもなくデカいやつでな。体格とセンスで何体ものセルリアンを退治していた」

「あのインドゾウさんがねぇ」

「知ってるのか?」

「ジャングル地方で、通路に埋まってたのを助けたわ。その後セルリアンたちに襲われて――今思えば、あのセルリアンの大群はセッキーちゃんの仕業だったのね」

 

 レミアの後半の言葉は独り言でしたが、ホッキョクグマは相槌を打ちながらレミアのすぐそばまで来て、目線を合わせながらやさしい声音で頭を撫で始めました。

 

「眠いんだろう? 半分目が閉じてるぞ」

「…………そう? うん、すこし……ねむいわね。ちょっと寝てもいいかしら?」

 

 ホッキョクグマと、下敷きにしているセルリアンの両方にレミアは聞いているようです。下からはヒュルオ、という短い鳴き声が聞こえて、ホッキョクグマは、

 

「博士たちがレミアを呼んでいたから、行くまでの間は寝ているといい。セルリアンに運んでもらおう」

「ありがとう……そうするわ」

 

 小さな声でそれだけを言うと、レミアはすーすーとおだやかな寝息を立て始めました。

 雪山で見た時の姿とはずいぶんと変わってしまったレミアに、ホッキョクグマは肩をすくめつつ、

 

「じゃあ、セルリアン。博士のところまで頼めるかな」

 

 レミアの下で平べったくなっているセルリアンをちょんちょんとつついて、その場を後にしました。

 

 

 〇

 

 

 雪山地方。

 たくさんの積もった雪と、時々吹雪(ふぶ)いてくる冷たい風のために、外気温は他の地方よりも格段に低いこの場所に、一つの温泉宿がありました。キタキツネとギンギツネが管理をしている温泉宿です。

 

 太陽は西の空に傾き、白い雪が燃えるように赤く染まっている時間帯。温泉宿のロビーには、

 

「うー…………しんどい」

「睡眠時間削ってゲームなんてやってるからこんなことになるのよ……」

『止めなかった俺も悪いです。こんな大事な日に、本当にすみません』

 

 頬を赤くしたキタキツネがソファに深く腰掛けて、冷たいタオルでおでこを冷やしていました。

 

 どうやら風邪をひいてしまっているようです。遊園地ではカバンとレミアに所縁(ゆかり)のあるフレンズたちがみんな集まって祝賀会を楽しんでいるのですが、キタキツネがこの状態では参加するわけにはいきません。

 

 キタキツネは「ボクはいいからギンギツネだけでも行って」と朝から弱々しい声で言っていたのですが、そんなに弱っているキタキツネ一人を置いて、宿を離れるなんてことはギンギツネの頭にはありません。

 こうして仲良く二人とも温泉宿に残っています。

 

 ただ、温泉宿で何もなく過ごしているわけではなく、ベラータは事の次第を知っていたので、

 

『カメラ、どうですか?』

「次は……ステージの方、見せてほしいかな……」

『了解です』

 

 監視カメラを乗っ取って、キタキツネのパソコンの画面に遊園地の様子を映し出してあげていました。

 祝賀会には参加できませんが、遊園地には多くの監視カメラがあるようです。映像のみですが、たくさんのアングルから雰囲気だけでも楽しめるようにという、ベラータの思いつきです。

 

 元をたどれば徹夜してゲームをさせていたベラータにも責任があるのですが、なってしまったものは仕方がありません。

 しんどそうですが、キタキツネは映像だけでも楽しめている様子です。ギンギツネも、祝賀会に行くことよりもキタキツネの体調のほうを気にしていましたから、充分に満足です。

 

 画面の中ではステージ前が映し出されています。何やら大きな布が掛けられたものがあり、その前にはカバンさんと、平べったいセルリアンの上で眠そうに目をこすっているレミアが居ます。

 

「あ、あれ」

「えぇ、直したバスね」

 

 キタキツネが指をさしたと同時に、布が勢いよく取り払われ、カバンさんがとても驚いているのがわかります。黒セルリアンとの戦いで壊れてしまったはずのジャパリバスが、ピッカピカの綺麗な状態に直っていました。

 

「カバンとレミア……あれに乗って島の外に行くんだよね?」

「レミアがどうするかはまだわからないけど、博士やフェネックは、ほぼ間違いなくレミアもついて行くだろうって言ってたわ」

「…………ちょっとさみしいけど、仕方ないね」

「えぇ、そうね。仕方がないわ」

 

 肩を落とすキタキツネに、ギンギツネはソファの後ろからそっと頭をなでながら、落ち着いた声で言いました。

 画面の中ではサーバルが、いろいろと変身を遂げた新しいジャパリバスの説明をしています。バスの側面には丸太が取り付けられていたり、背面には温泉宿にあった大きな木のタライが取り付けられたりしています。

 

「あ、見て、キタキツネ。私たちが作った所も説明してくれてるわ」

「サーバルの説明だと不安しかない……」

「ま、まぁ誰が見ても食料入れだから大丈夫よ。たぶん」

 

 一通りの説明が終わったのか。

 カバンはサーバルに駆け寄って、嬉しそうに何度もお礼を言っているようです。ジャパリバスからは目線を外しているようなので、

 

「あ、もうあそこで浮かべちゃうんだ」

 

 キタキツネの言葉通り、他のフレンズはピカピカのジャパリバスを押して海のほうに投げ捨てました。

 バスは遊園地と海をつないでいる坂を勢いよく下り、それを慌てた様子でカバンが追いかけています。

 

「〝船にするために改造してる〟って一言教えてあげればよかったのに。あんなに慌てちゃって、ちょっとかわいそうだわ」

「たぶん博士たちが考えたサプライズだと思う」

 

 海に勢いよく飛び込んだジャパリバスは、水しぶきを上げながら着水。見事なまでにしっかりと、海面を漂っています。

 カバンは口を大きく開けて驚き、それから振り向いて、今度こそ大粒の涙を流しながらサーバルに飛びついて喜んでいました。

 

「〝船を使って島の外にヒトを探しに行く〟……これで、カバンの願いはかなうわね」

「後はレミアさんだね。過去に戻るなんてすごいこと、どうやってやるのかわかんないけど」

 

 キタキツネは小さく微笑みながら、ソファの上で横になりました。おでこのタオルがずり落ちたので、ギンギツネがそれを拾い上げ、新しいものと交換します。

 キタキツネはそろそろしんどそうです。だいぶ熱があるのでしょうか、ギンギツネは新しいタオルをそっとキタキツネのおでこに当てながら、やさしい声で問いかけます。

 

「キタキツネ、しばらく寝る? もうそろそろ祝賀会も解散だと思うわ」

「うん、でも、もうちょっとだけ見て――――あれ?」

 

 元気のない声で弱々しくそう言っていたキタキツネでしたが、横たえていた体を急に起こすと、パソコンの画面を食い入るように見つめはじめました。

 何事かとギンギツネは驚きましたが、あまりにも熱心にキタキツネが画面を見ているので自分ものぞき込みます。

 

 なにか、様子がおかしいです。

 遊園地のフレンズたちが慌てているように見えます。

 

 体の小さなレミアが必死に叫び、セッキーが周囲のセルリアンを集め、ハンターたちが次々と武器を取り出し――野生開放し始めました。

 

「ちょ、ちょっと? 何が起きてるのよ!?」

『マズイことになりました』

 

 通信機からベラータの声が響きます。〝マズイこと〟という単語に、ギンギツネは息を飲みました。

 対してキタキツネはいつもと変わらない落ち着いた、言うならばまるでベラータとゲームをしているときのような、波のない穏やかな声音で通信機に問いかけます。

 

「どうしたの? ベラータ」

『高濃度のサンドスター・ローを検知。山に、超巨大セルリアンの反応を確認しました』

 

 通信機から聞こえてきたベラータの応答は、こちらもやはり、とても冷静な状況報告でした。

 




次回「げーむだよ」


今の状態の山から出てくる超巨大セルリアンとなると〝アレ〟しかいませんよね。
やべぇよぉ……タイミング最悪だよぉ……。


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第二十五話 「げーむだよ」

過去最長のお話です。


 

 空が夕焼け模様に染まり、世界が赤く照らされるとき。

 遊園地もまた、陽が落ちる前の幻想的な茜の空に、余すところなく照らされています。

 

「…………ッ!」

 

 ふと、レミアは何かに惹かれるような感覚がしました。

 とてつもなく大きな何かがいるような気配がして。

 そしてそこへ行きたいような気持ちがして。

 いつかの巨大な黒セルリアンと対峙する前に〝面を拝みたい〟と思ったあの時のように。

 

 そしてきっと、その〝そこへ行きたい気持ち〟というのは、つまりはセルリアン特有の〝集まりたがる習性〟のせいだということも、今のレミアにはわかっていました。だからこそ、今ここでその気持ちが出てきたということは。

 

「ま……さか?」

 

 見たくない。

 知りたくない。

 聞きたくない。

 感じたくない。

 

 たとえ、振り向いた先に何かが居たとしても、今の自分にはどうする事もできない。一瞬、そんな思いが頭の中を駆け巡り、一瞬後にそんな思いは跡形もなくきれいさっぱりなくなりました。

 

 レミアは腰の後ろの小さなナイフを抜き去りつつ、瞬時に後ろを振り向いて。

 振り向いた先にある、夕日に赤く照らされたサンドスターの山を望みました。

 茜色の空を背景にたたずむ、山の上空に目を凝らして。

 

「……なんてこと」

 

 手に持ったナイフを腰の後ろにそっと戻し、全速力で博士たちのところへ走り出しました。

 

 〇

 

「博士! 山! 山の上にセルリアンだわ!」

 

 レミアの走りながらの叫び声に博士たちが振り向いたのと、石に足を引っかけてレミアが盛大にバランスを崩したのはほぼ同時でした。

 

 上体が傾き、幼い体が投げ出され、固い地面に顔面から打ち付けそうになったその寸前、全身を平べったくした水色のセルリアンが、地面すれすれでレミアの身体をキャッチしました。

 

「あ、ありがとう」

 

 ヒュルオ、と短く鳴いて返事をした水色セルリアンの上に乗ったまま、レミアは顔を上げて博士たちのほうへ向きます。

 

「山の上、大きなセルリアンが出てきてる!」

「光が強すぎてうまく見えないのです。でも、何かがいる音は聞こえるのですよ」

「博士、すぐにフレンズたちの避難を」

「急ぐのです助手」

 

 二人はお互いに頷いて、遊園地のフレンズたちに避難するよう声をかけ始めました。

 レミアもセルリアンの上から降りて、辺りをせわしなく探します。

 

 遊園地内のフレンズたちが一斉に、あわただしく動き始めました。自分で異変に気付いたもの、博士たちの呼びかけで気付いたもの、それによって避難を始めたものもいれば、武器を取り出して戦おうとしているフレンズもいます。

 往来の激しくなった園内をせわしなく見回していたレミアは、やっとのことでアライさんとフェネックを見つけました。駆け寄ります。

 

「二人とも! 早くここから逃げて!」

「レミアさんも逃げるのだ!」

「そうだよー。さすがに今のレミアさんじゃ、あれには勝てな――あれ?」

 

 フェネックが山の上のほうを見ながら、言葉の途中で首を傾げます。

 

「ねーあらいさーん。なんかあれ、大きくなってないかなー?」

「ア、アライさんは目が悪いからそんなに遠くは見えないのだ! でもフェネックが言うならきっと大きくなっているのだ! 危険なのだ!」

 

 アライさんはレミアの両脇に手を入れて、一息に抱え上げました。抱えられたレミアにも、山の上のセルリアンの姿がはっきりと視界に入ります。

 

 それはまるで、山に覆いかぶさるかのように。

 平たく、大きく、どこか本能的な恐怖を駆り立てるような形をしていて、そして何よりもそいつは宙に浮いていました。夕日の赤に照らされてもなお絶対に赤色に染まらないような、禍々しい墨色の巨体をゆっくりと山の頂上に漂わせています。

 

「と、飛んでいるのね……」

「黒セルリアンだねー。新手ってところがだいぶピンチかなー」

「あ、あれ、あの形、どこかで見た気がするのだ!」

 

 レミアを胸に抱えながらアライさんはつぶやき、すぐにフェネックのほうに振り返ります。

 

「フェネック、あいつからなるべく遠ざかるのだ! あんまり思い出せないけど、あいつの下の方に行ってしまうととっても危なかったはずなのだ!」

「やーすごいねアライさーん。わかったよー」

 

 フェネックが走り出し、アライさんはその後ろについて行こうと一歩を踏み出した、瞬間。

 

『レミアたちを守って!』

 

 セッキーの叫び声と同時に、数体の水色セルリアンが周囲に集まりました。

 

「ふえぇぇ! なんなのだ!」

『アライグマ、そのまま動かないで!』

 

 セッキーの声が聞こえた直後、固いもの同士が激しくぶつかる音が、三人の耳朶を叩きます。

 

 アライさんの腕の中で、レミアはしっかりと何が起きているのかを視認していました。

 山の上の巨大な黒セルリアンから、何かが高速でこちらに向かってきて、セッキーの指示で動いたセルリアンがその行く手を阻みました。

 

「セルリアンが、セルリアンを飛ばしてきた……?」

 

 あまりにも異常な光景に思わず目を疑ってしまいます。

 セッキーの遣うセルリアンたちは、レミアの銃撃すらも阻みます。俊敏な動きができる子たちなので、確かに攻撃を防ぐことはできますが、

 

「マズイわ……山のあいつ、空からあたしたちを攻撃できる。アライさん、下ろしてちょうだい」

「で、でも逃げないとダメなのだ!」

「逃げても無駄よ。空からこっちを攻撃できる以上、どこへ行ってもダメ。あいつの挙動を見抜けないような位置に行ってしまうと、一方的に攻撃されるわ」

「ぐぬぬ……どういう意味か分からないのだ! でも逃げたら危ないってことはわかったのだ!」

 

 素直にレミアを下ろしたアライさんは、フェネックのほうに向きなおります。

 

「こうなったら、アライさんとフェネックでレミアさんを守るのだ! 今までセルリアンから守ってもらったお返しなのだ!」

「やーアライさーん。私達だけじゃちょっとねー」

「フェネックなら何かいい考えを思いつけるはずなのだ! アライさんは応援するのだ!」

「じゃー考えてみるよー」

 

 口に手を当てて考え始めたフェネックの横から、セッキーが駆け寄ってきました。レミアの前に立ち、水色セルリアンを周囲に集めながら焦りを押さえられない様子で問いかけます。

 

『どうすればいいの、レミア!』

「なるべくあいつの挙動が見える位置で迎撃するしかないわ。あれだけ巨大化してるってことは、またフィルターが外れている可能性が高い」

『そんな……じゃあ、フィルターを張り直してあいつの再生能力を奪ってから、ハンターとボクで倒すしかない?』

「今のところそれしかないけど」

 

 レミアは空を仰ぎ見て、それから山のほうを睨みつけました。

 

「これから夜になる。フィルターの位置にはあいつがいる。あいつはきっと夜でもお構いなしにこっちを攻撃できるわ」

 

 苦虫をかみつぶしたような表情でレミアは苦悶の声を上げました。

 山の上の飛行型黒セルリアン、これを倒すためには、おそらくフィルターを張り直さなければいけません。

 今なお巨大化を続けているのが見て取れます。サンドスターの供給が追い付くぎりぎりのところまで巨大化するつもりなのでしょう。

 

「レミアさん、ひとつわかったよー」

 

 ずっと黙り込んで思案していたフェネックが、足元のレミアに視線を落としながら口を開きました。

 ひざを折って同じ目線になってから、

 

「山の上のセルリアン、きっと噴火口のすぐ近くだから大きくなれるんだよー。だからたぶん、あそこから動かないし、動けないんじゃないかなー」

「……!」

「ふははは! さすがフェネック! 聡明なのだ!」

 

 サンドスターの供給を受けるために火口付近から動けない。

 その推測が当たっているかどうかは時間が経たなければ分かりませんが、今のところ黒セルリアンはその場に漂うだけで動く気配がありません。もし推測が当たっていたとしたら、何かしらそこから切り込んでいけそうです。

 

 レミアは遊園地の様子を見渡しました。

 戦えないであろうフレンズたちは博士助手の誘導で避難し、ハンターと、腕に自信のあるフレンズは、遊園地周辺に飛んできた黒セルリアンを食い止めています。

 

 山の上の黒セルリアンは、この遊園地に向かって中型の黒セルリアンを飛ばしてきているようです。おそらくは、それが攻撃方法なのでしょう。

 レミアは目を細めながら、

 

「ここが攻撃目標、と言うことかしらね」

 

 奥歯を噛みながらつぶやきました。それを聞いたアライさんは拳を握りながら叫びます。

 

「え! じゃあアライさんたちも逃げればいいのだ! ここは危険なのだ!」

「違うよアライさーん。レミアさんが言っているのは〝遊園地〟じゃなくて〝レミアさん〟ってことさー」

「……?」

『レミアだけが目標じゃないよ。ボクも含まれているみたい』

 

 セッキーが山の上をにらみながら、静かに呟きます。

 巨大セルリアンの攻撃している先がこの遊園地しかない事から、大体の予想は付いていました。

 そして直接狙われる攻撃を受けた時、二人の予想は確信に変わっています。

 

『ボクがレミアを恨んでいた時とはまるで違う感じだけど、それでもわかるんだよ』

「セルリアン同士だからわかることって感じかしら。タチが悪いのは、あたしたちの事をただの〝撃滅対象〟として狙っているってところね」

『まるで兵器――いや、そっか』

「兵器そのものなのよ。説得の余地なんてないわ」

 

 セッキーとレミアは視線を落とし、心苦しそうに顔をゆがめています。

 しかしセッキーはすぐに顔を上げると、

 

『ひとまず、山のあれがボクとレミアを狙っていることは確かだから、ここは任せて、アライグマとフェネックは避難して』

 

 セッキーはアライさんとフェネックの目をまっすぐに見ながら、そう言いました。

 そして、

 

「嫌なのだ」

「断るよー」

 

 二人は間髪入れずに拒否しました。

 

「アライさんはさっき言ったのだ! レミアさんに今まで守ってもらったから、今度はアライさんたちがお返しする番なのだ!」

「今のレミアさんを置いてはいけないよー。今回ばかりは特にねー」

 

 フェネックは。

 レミアを残して自分たちだけで逃げる時、いつも心の底からレミアを心配していました。

 それでも置いて逃げられたのは、出会ったときにあのサバンナで見た、獰猛で、冷徹で、狩ることに全神経を集中させた凍てつく瞳があったからです。つまりレミアがレミア一人でも十分に戦えることを信じた上での逃走でした。

 

 今のレミアは銃を持って戦うどころかナイフを振ることもままなりません。そもそも銃はすべてロッジに置いています。

 フェネックは絶対に、今回ばかりは、レミアを残して自分たちだけで逃げるわけにはいかないと心に決めています。

 

 そしてそのことはレミアにも伝わっていました。レミア自身、今の自分は完全に戦力にならないことを自覚しています。

 だから。

 

「セッキーちゃん、お願い。あなたとハンターたちで時間を稼いで。あたしとフェネックちゃんとアライさんで、何とかして対策を練るから」

『……レミアがそう言うなら、そうするよ』

 

 セッキーは一瞬、ほんの一瞬だけ表情に迷いがありましたが。

 次の瞬間には胸を張って、周囲のセルリアンに『もしレミアが狙われたら、ちゃんと守るんだよ』と指示を出して、遊園地の周辺に駆けていきました。

 

 〇

 

「ヒグマさん!」

「任せろ!」

 

 遊園地周辺。

 ひび割れたレンガやアスファルトが足場の大半を占めていて、また森との境目のため木々が乱立するその場所で、ヒグマ、キンシコウ、リカオンの三人が連携して黒セルリアンを押しとどめていました。

 

 山の頂上から飛ばされてくるセルリアンは、遊園地を三方から囲む森の中に着地、森から徐々に進行して囲むように遊園地へと向かっています。

 

「侵入を許すな! いくら戦えるフレンズが構えているとはいえ、ハンターではない! なるべくここで食い止めるんだ!」

「分かりました!」

「オーダー了解です!」

 

 遊園地と森の境目でハンターが戦い、もし討ち漏らしたセルリアンが遊園地内部に侵入したとき、ライオンやヘラジカをはじめとした、比較的戦えるフレンズが迎撃する。

 瞬時にヒグマが立てた作戦は、今のところ成功していました。

 

 黒セルリアン一体一体の大きさはたいしたことではありません。それこそ、戦力で言うならば一体につき一人で相手をしてもどうにか勝てそうです。勝てますが、大事を取って三人はある程度の連携の上で対処していました。

 

「しかし、これは数が多いですね……リカオン、疲れてはいませんか?」

「余裕です! まだまだいけますよ!」

 

 リカオンの笑顔の返事に、キンシコウはしっかりと頷き返します。

 彼女の心配していることは、一体一体の黒セルリアンとの戦いに負ける事よりはむしろ、体力やサンドスターが底をつきて、戦えなくなってしまうことのほうでした。

 体力に自信のあるリカオンとはいえ、本来は同じ個体同士の集団で狩りをする動物です。キンシコウは常に、リカオンの様子を気に掛けながら戦っていました。

 

「一対一の時にもしサンドスターが切れたら危険になる……ヒグマさん、なるべくハンター全員を集めて戦うことはできませんか?」

 

 黒セルリアンの石を破壊しつつ、キンシコウはすぐ隣のヒグマに提案します。

 しかし、

 

「無理だ。遊園地に三方から押しかけているんだぞ。せめて園内のフレンズが全員避難を終えたら、敵を入れて集団戦にできるかもしれんが、今はダメだ」

「分かりました」

 

 遊園地の中のフレンズが今どれほど避難出来ているのか。

 それを確かめるほどの余裕はありません。敵は次から次へと森の中から出現しています。

 

 ヒグマは奥歯をかみしめながら、終わりの見えない戦いに武器を振り続けました。

 

 〇

 

「カバンちゃん、どうしよう!」

「どうすれば……」

 

 博士と助手の張り上げる声に従って、三々五々に避難していくフレンズの波の中で、カバンとサーバルはここにとどまるか、それとも避難するかで迷っていました。

 カバンはあたりを見回して、飛ばされてくる黒セルリアンが遊園地を目指していることを把握します。外周でハンターたちとセッキーが大部分を迎え撃ち、それでも防ぎきれなかった数体は、園内でライオンとヘラジカをはじめとした戦えるフレンズが対処しています。

 園内に残って戦うフレンズは、それほど多くありません。カバンは意を決し、覚悟を決めた表情でこぶしを握りました。

 

「……ここに残って、ボクたちにできることをしよう!」

「わかったよ! でもどうするの?」

 

 サーバルの声と同時に、カバンの手首に巻いていた機械――つまり、今までカバンとサーバルと共に旅をしてきたボスの基幹部品が、緑色に光って声を発しました。

 

『カバン、セッキーから連絡だよ』

「ラッキーさん!? どうしたんですか?」

『黒セルリアンの狙いは、レミアとセッキーだって。特にレミアがやられないように、何かアイデアを出してほしいって』

「狙いが、レミアさんとセッキーさん……」

「まかせてボス! こういう時のカバンちゃんはすっごいんだから!」

 

 うつむいて思案し始めたカバンの横で、サーバルは諸手を振りながらカバンを応援していました。

 

 〇

 

 雪山地方。

 夕日が赤く雪を照らす日暮れ時に、ギンギツネは温泉宿から飛び出して見晴らしのいいところまで出ると、山の方角に目を凝らしました。

 

「なんなのよあれ……」

 

 思わず口から悪態が洩れます。

 かすむほど遠くにある山の頂上に、すっぽりと影を落とすような、形容しがたい巨大な物体が浮いていました。

 その物体からは何かが時々撃ち出されているようにも見え、撃ち出されている先は港や遊園地のある方角です。

 

 ひとまず、キタキツネとベラータの言っていた〝ばくげきき〟の姿を確認したギンギツネは、大急ぎで温泉宿へと戻りました。

 

 体の雪を払い落としながら宿に戻ったギンギツネは、息つく間もなく戸を開けて、キタキツネのいるパソコンの所に向かいます。

 

「やっぱりいたわ! 今まで見た中で一番大きなセルリアンだった! っていうか、飛んでたわよあれ!?」

『やはり飛行型のセルリアンでしたか』

「前にやってたゲームに〝ばくげきき〟みたいなの出てきてた。攻撃しにくくてすごく嫌い」

 

 風邪の熱で頬の赤いキタキツネですが、冷たいタオルを頭に巻いて、ベラータが接続してくれている遊園地の監視カメラの映像をじっくりと観察しています。

 

「それでキタキツネ、今どうなっているの?」

「フレンズの避難は済んだみたい。あとは戦えそうなフレンズと、博士と助手、レミアとかカバンとかが残ってる」

「え? カバンが残ってるの!?」

「たぶん何か考えだそうとしているんだと思う。ヒトだから」

「でもセルリアンが……」

「どっちにしても、ボクたちにできることはそんなにないよ。ここが狙われない限りは大丈夫……でも」

 

 アイツ倒さないとパークの危機、と、熱のためいつもの気だるそうな口調に拍車がかかっていますが、フレンズのみんなのために何かをしたいという意思がキタキツネからは滲み出ていました。

 しんどそうに体を傾けながらも、食い入るようにカメラの映像を観察します。

 

 すると、

 

『ビンゴだキタキツネちゃん! ジャパリパークのメインシステムに残されていた〝対セルリアン迎撃装置〟にアクセスできた!』

 

 通信機から、ベラータの弾んだ声が聞こえてきました。

 

「さっき言ってたね……どうなの? 使えそう?」

『まだアクセスしただけで、強制起動までは時間がかかります。でもこれを使えば、もしかしたらあのデカブツを撃ち落とせるかもしれない』

「レミアに伝えよう。それから、ボク達に何かできることある?」

『接続のためのサンドスターがなくなったらマズイから、ひたすらジャパリまんでの供給をお願いします』

 

 キタキツネは一つうなずいて、それからギンギツネのほうを見て、

 

「……というわけで、ギンギツネ……お願い」

「え、えっと、どうするの?」

「ボクのパソコンにひたすらジャパリまんをこすりつけて」

「……わかったわ」

 

 少しだけ複雑そうな顔をしましたが。

 ギンギツネは宿の奥からジャパリまんを抱えて持ってくると、一つずつ丁寧にパソコンの側面にすりつけていきました。

 

 〇

 

『くッ! インドゾウ! 下がって!!』

「わかりましたぁ~」

 

 黒セルリアンは依然としてその数を減らすことなく、遊園地へと攻め込み続けています。

 セッキーは水色セルリアンと赤セルリアンを駆使してインドゾウの退路を確保すると、自身は入れ替わるように前へ出ました。

 

『せっかくフレンズと仲良くなれたのに、邪魔しないでよッ!』

 

 渾身の蹴りで黒セルリアンの石を粉砕し、インドゾウの後退時間を稼ぎます。一体、二体と屠っていきますが、倒した数より新たに森から出てくる数のほうが多いです。三体目の石を見つけ、砕こうと踏み込んだその瞬間、横合いから五体目が突進してきました。

 

 体をひねって回避しようにも間に合いません。セッキーよりも一回り大きな球型の黒セルリアンは、猛烈な勢いで突っ込んできて、

 

「――うらぁッ!」

 

 セッキーをかばうようにして飛び込んできたホッキョクグマの、遠心力と膂力(りょりょく)を余すことなく活かした攻撃に吹き飛ばされました。ホッキョクグマはそのままセッキーの正面に居た黒セルリアンも吹き飛ばします。

 飛んだ先で待ち構えていた水色セルリアンが、ぐばぁっと薄く広がると、黒セルリアンをキャッチしてそのまま取り込んでしまいました。

 

『ありがとうホッキョクグマ!』

「なに、当然のことをしたまでさ。――――ッ! 次、来るぞ!」

 

 後退しつつ、敵の猛攻を返し続ける。

 不毛で終わりの見えない戦い方に、セッキーもホッキョクグマもインドゾウも、一様にして不安がありました。しかしだからこそ、自分たちが破られたら後ろにいるフレンズたちが危険にさらされると分かっています。

 

 三体の黒セルリアンが横に連なってセッキーへと襲い掛かりました。

 

『しつこい!』

 

 黒セルリアンの突進を横へ飛んでかわし、側面から本体下部を蹴ってバランスを崩させ、石の露出したところにとどめを刺します。

 

『よしッ!』

「……すごいな」

『なにが?』

 

 迅速に三体を処理したセッキーに、背中合わせにホッキョクグマが口を開きました。

 すこし、ホッキョクグマの息が上がっているのを、セッキーは背中で感じます。

 

「お前の動き、レミアが大きかった頃にそっくりだ」

『だってレミアの動き見て勉強したからね』

「…………見る機会なんてあったのか?」

『それは内緒』

 

 同時に駆けだし、同時に攻撃して、黒セルリアンを同時に屠ります。

 雪山でレミアと息の合った戦い方ができていたホッキョクグマは、それがセッキーになっても要領は同じこと。うまく立ち回れているようです。

 

 ただ。

 いくら息が合っていても。

 いくらセッキーが強く、ホッキョクグマが強く、インドゾウが強くても。

 無数に押しかけてくる黒セルリアンに、三人は――――いえ、この三人だけでなく、別方向で戦うヒグマとキンシコウとリカオンも、徐々に、少しずつ、後退せざるを得ませんでした。

 

 〇

 

 遊園地の中央。

 広く見晴らしのいいその場所で、レミアとフェネックはお互いに考えを出しながら相談し、アライさんは周囲をせわしなく警戒していました。

 

「やっぱりあたしがロッジに戻って銃を――」

「やーだめだよー。その体じゃ使えないってー」

「じゃあ、カバンさんに預けるのは?」

「カバンさんなら使えるかもしれないけど、どっちにしても山の上のアイツをどうにかしないとキリがないと思うなー」

「二人とも! セルリアンなのだ!」

 

 ばっと顔を上げた二人は、こちらに向かってくる多角形型の黒セルリアンに気が付きました。

 

「逃げるわ!」

「はいよー!」

「アライさんにお任せなのだー!!」

 

 立ち上がったレミアを即座に抱えたアライさんは、そのままステージのほうへと走ります。

 黒セルリアンはよどみなくレミアを追いかけてきて、

 

「うみゃみゃみゃみゃーッ!!」

 

 野生開放をしたサーバルの、背後からの全力攻撃で砕け散りました。

 

「サーバルちゃん、助かったわ」

「みゃー! カバンちゃんからお願いされたんだもん! 任せてよ!!」

「カバンさんは、今どこに?」

「博士たちのところ!」

 

 遊園地は、すでに薄暗くなり始めています。

 西の空にはすでに太陽がなく、残滓と、赤から紫への暗いグラデーションのかかった空が広がっています。

 レミアは薄暗がりとなりつつあるパークの中を見渡し、博士と助手の姿を確認しました。近くにはカバンさんもいて、何かを必死に伝えています。

 

「カバンさん、何を伝えようとしているの?」

「わたしとカバンちゃんで、もう一度フィルターを張り直しに行くの! でもきっとセルリアンがたくさんいるから、どこかに隠れながら行ける道がないか聞いてく――」

 

 サーバルの言葉は、最後まで続きませんでした。

 

 ――――――ゥゥルルルルルォォォォオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「くッ!」

「うるさいのだー!」

 

 耳が張り裂けそうな大音声が、山を震わし、地面を揺らし、木々を押してレミア達に襲いかかりました。

 島中を揺らさんばかりの巨大セルリアンの咆哮に、思わず耳を押さえてしゃがみこんだレミアは、咆哮がやむとすぐに博士たちのほうを見て、

 

「ッ! そんな!」

 

 胸に熱を帯びるほどの焦燥に襲われます。

 その方角の、ハンターたちの防衛線が破られていました。

 そして博士と助手は、聴覚に優れているフレンズゆえに耳へのダメージが大きかったのか、まだセルリアンが近づいてきていることに気が付いていません。

 

 いち早く反応したのは、その場にいたカバンさんです。博士と助手に叫びますが、二人には聞こえていません。

 走り、二人を両脇に抱えたカバンさんは、すぐさま逃げ出そうとしますが、迫ってくる黒セルリアンの方が明らかに早いです。

 

 レミアは瞬間的に駆け出していました。アライさんはレミアが走りだしたことに気が付きましたが、サーバルとフェネックは耳へのダメージから未だ立ち直っておらず、レミアが走り出したことにも気が付いていません。

 アライさんはレミアの向かった方向とは別の方向に、何事かを叫びました。

 

 一目散に走ったレミアは、カバンさんの手前で止まると大きく息を吸い、黒セルリアンの集団に向かって吼えます。

 

「あたしはここだ! あたし以外を狙ってみろ! お前ら全員粉々にしてやるからなッ!!」

 

 カバンさんをはさんでのその声は、充分に、黒セルリアンに届いていました。だからこそ黒セルリアンはその場で跳躍し、レミアめがけて降ってきて、

 

「――――ったく、こんなだからヒトは絶滅するんだバカヤロウ」

 

 静かで、しかし良く通った声が聞こえたかと思うと、次の瞬間にはレミアは誰かに抱えられていました。

 深く鮮やかな碧い瞳と、目深にかぶった土色のフード。何よりこんな分かりやすい荒れた口調のフレンズは、一人しかいません。

 

「……ツチノコ?」

「見ればわかるだろッ! ったく、アライグマに感謝しろよ!」

「え?」

「教えてくれたんだよッ! あぁもう! なんでもいい、とにかく逃げるぞッ!」

「あ、でも、カバンさんが」

「あいつらなら別の奴に任せていいッ!」

 

 そう言って駆け出したツチノコの腕の中で、レミアはカバンさんたちの周囲に集まるフレンズの姿をしっかりと確認しました。

 そこにはライオンやヘラジカもいて、その向こうからセッキーやハンターも退却してきます。

 

「ここはもうだめだ! ひとまず高いところへ昇って時間を稼ぐ!」

 

 アライさんやフェネック、サーバルも、ギリギリのところで逃げ出せているのを確認したレミアは、ツチノコの腕に抱えられたままジェットコースターのレールへと移動しました。

 

 〇

 

 薄暗く閉め切った小さな部屋。

 何に使うのかわからない、けれどもそのどれもが高性能であろうことを思わせる機材に囲まれて、モニターの明かりに顔を青白く照らされているベラータは、苦悶の表情を浮かべながら必死にキーボードを叩いていました。

 

「レミアさん頼みます……出てくださいよ……!」

 

 先ほどから何度も通信機へ呼びかけているのですが、レミアからの応答が全くありません。

 伝えなければならないことがあります。ベラータの見つけた、ただそれ一つの方法だけで、あの絶望的に巨大なセルリアンを撃滅できるということを。

 

 しかし監視カメラからの映像は、すでに猶予のない状況を示していました。遊園地周辺のハンターが黒セルリアンを対処しきれず、後退、あるいは討ち漏らしが増えています。

 早いところ逃げに専念し、時間を稼いで欲しいと現場に伝えなければ、今のままではフレンズの誰かが食べられてしまいます。

 

「急げ急げ――――クソッ! なんで起動できないんだッ!」

 

 怒りをあらわにして叫びますが、キーボードを叩く手は止めません。

 必死に動かし、何度もアクセスし、コードを見破って強制的に起動させようと試みます。

 

 もう十五回試しました。そのすべてが失敗しています。十五回目の起動失敗の文字をにらみながら、ベラータはハッとして何かに気が付きました。

 

「まさかあのデカブツ、こっちの世界(電脳世界)にも干渉する能力があるんですか? これだから未来っていうのは理解しにくいんですよまったく!」

 

 抑えがたい感情のままに悪態をつきながら試みた、十六回目のアクセス時。今度は、何者かの邪魔を受けていることを念頭に置いてアクセスしました。

 

「…………よし」

 

 すると、コードにこれまで出てこなかった不審な足跡を見つけます。まるで何者かが侵入をしていたかのような、そして、その侵入者がベラータのアクセスを邪魔していたかのような。

 

 ベラータは口元に少しばかりの笑みを浮かべ、額に浮いた汗をぬぐうとその侵入者へ向かって(・・・・・・・・・・)ハッキングを仕掛けました。

 

「この俺に勝負を挑んだことを後悔させてやります、化け物め」

 

 静かに、しかし怒りを含んだ語気をもって。

 果たしてベラータは侵入者の解析と攻撃を同時に行い、ものの数十秒でハッキングに成功しました。閉ざされていた中枢部を無理やりこじ開けます。

 

「うわ……さすが未来。理解できない構造ですが、とりあえずめちゃくちゃにしておきましょう」

 

 侵入者の内部をズタズタにできるよう、手動での書き換えを行った後に、数百種類のウイルスを植え付けて撤退したベラータは、本来の目的であるシステム――――〝対セルリアン迎撃装置〟なるシステムの強制起動に取り掛かりました。

 

 直後、監視カメラの映像に映っていたフレンズの全員が耳を押さえ、うずくまり始めます。

 

「まさか今ので? …………いや、しかし今の攻撃は必要でした。俺がアクセスできなかったら、それこそパークの存亡にかかわります。――――すみません」

 

 おそらくはさっきの攻撃で巨大セルリアンに何かしらの動きがあったのでしょう。

 そう思いつつも手は止めず、そしてレミアへのコールを絶やさずに、ベラータはモニターの中の無数の文字列をせわしなく読み込んでいきました。

 

 〇

 

 ジェットコースターのレールの上。

 最も高い位置は地上から十五メートルほどの高さがあり、自力で飛ぶ事の出来ないであろう中型の黒セルリアンは、レールの下の地面にひしめいています。

 

 レールの上には、遊園地で最後まで戦っていたフレンズたちが避難していました。

 レミアは辺りをきょろきょろと見回して、

 

「セッキーちゃん、あそこから伝って黒セルリアンが来るかもしれないから、迎撃の用意をお願い」

『わかったよ!』

 

 水色のセルリアンと赤色のセルリアンを遣って、ジェットコースターの乗降口をふさぎます。

 

 ひとまず、これで既存の黒セルリアンからの攻撃は防げます。月の明かりが見え始めたパークの景色に、レミアは遠くの山の上をにらみながら、

 

「これでも安全じゃないわ。いつ直接セルリアンを飛ばしてくるかわからない」

『その時は任せてよ。全部叩き落して見せる』

「頼もしいわ」

 

 セッキーの笑顔をレミアは下から見上げ、そしてレールの上のフレンズをざっと見回しました。

 月明かりに照らされるみんなの表情には疲れが見え始めていましたが、中には〝夜なら任せてほしい〟とばかりにこぶしを握っているフレンズもいます。

 

「…………?」

 

 レミアは、一人のフレンズに目が留まりました。

 白い髪の毛に毛先だけが黒く、白の半袖シャツとホットパンツを身に着けていて、素肌を隠すように黒斑模様のインナーを着込んでいます。

 彼女はハンターの一人であり、いつもヒグマやキンシコウと共に行動していたフレンズで――名前をリカオンということだけは、レミアも知っていました。

 

 そのリカオンが、一人しゃがみこんで、そして涙を流していました。ただ事ではないように思えて、近づいて話を聞こうと思ったその時、

 

「ん?」

 

 腰のポーチから音が鳴りました。

 オープン状態にしていた通信機が反応しています。これまでなんの通信も入らなかったのですが、ここにきていきなり鳴り始めました。

 速やかに取り出してヘッドセットをつなぎます。

 

「こちらレミア、ベラータよね? どうしたの?」

『やっとつながった! やっぱりあいつが妨害電波を出していたのか!』

 

 開口一番独り言をかましてきたベラータに、レミアは訝しげな表情をしつつも、小さな両手でしっかりとヘッドセットを持ちながら話を続けます。

 

「そのようすだと、何が起きているのかわかっているようね」

『監視カメラと、パークの計測器越しですがだいたいのことはわかっています。それから、奴を倒す方法も見つかりました』

「ほんと!?」

 

 ベラータは迅速に、山の上のセルリアンを屠る計画を話しました。

 

 パークの中枢システムには、どういうわけかセルリアン対策に関するデータが一つしか残っていませんでした。

 それも、交信ログが見つけやすいところに置かれていたのと同じように、対セルリアン用のシステムもまた、ベラータが見つけやすいような場所に置かれていました。

 そしてそのシステムを解析した結果出てきたのが〝対セルリアン迎撃装置〟の存在です。

 

『レミアさん、前にフンボルトペンギンのフレンズから聞いた話の内容、覚えていますか?』

「忘れたわ」

『〝すごく尖った巨大な建造物〟があるという話です。報告があった時からずっと引っかかってはいたんですが、このシステムを見つけた時に、納得がいきました――――巨大な建造物と言うのは、この〝対セルリアン迎撃装置〟のことで、超遠距離射撃装置の事だったんです』

「確かなの?」

『迎撃装置の近くの監視カメラをハッキングして目視しました。うちの軍にもこれがあれば、作るだけで周辺諸国との戦争が終わるレベルの代物です。現在、この迎撃装置の強制起動を……お! やった! 成功しました。あとはこちらで操作して、山の上のデカブツに風穴を開けるだけです』

「石の位置をまだ把握していないのよ! 撃ち込んでも石が破壊できなかったら――」

『必要ありません。スペック表によると、このような事態を想定して作られた射撃装置のようです。石をピンポイントで狙う必要はなく、本体に直撃させることで石の破壊も誘発できるそうです』

 

 すこし楽しそうに。

 そしてベラータは、声を改めて言葉を繋げました。

 

『これは人類とサンドスターが、俺たちに託した希望だと思います。これがあれば、勝ったも同然です』

「…………」

 

 本当に、そうなのだろうか。

 レミアは一瞬、何か見落としていることがあるような気がして。

 そして今度ばかりは、その懸念が頭を通り過ぎていく事もなく。

 

 レールの上の、月明かりに照らされる、今もなお涙を流し続けているリカオンに、なぜか目が行って。

 ――――そのまわりに、本来ならいるはずのヒグマとキンシコウの姿がないことに、レミアは気が付きました。

 

 〇

 

 黒セルリアンの、島中を震わす咆哮が鳴った直後。

 リカオンは音に驚き、バランスを崩し、一瞬の隙が生まれ。

 その隙を、黒セルリアンに突かれました。ほんの一瞬でしたが、体格の小さなリカオンは黒セルリアンの突進に吹き飛ばされ、木に叩きつけられてしまいました。

 

 衝撃で頭がくらくらします。

 視界がグニャリとゆがみ、鼻が利かなくなり、音が上手く聞こえません。

 

 遠くの方で、誰かが叫んだ声が聞こえました。

 かすかに、自分の名前を呼ばれた気がします。

 

 ――――あ、まずい、連携が、切れたら。

 

 ぼやける視界を必死に戻し。

 鼻を聞かせ、立ち上がり、再び戦おうとしましたが。

 

 ――――あ、あれ? 立て、ない?

 

 足が、いうことを聞きません。

 力を入れようとしても、どこに入れればいいのかわからずに。

 ならば手を使って起き上がろうと、地面に手をつきますが、それでも、ゆがむ視界が気持ち悪くて。

 

「――――キンシコウ! リカオンを連れて逃げろッ!」

 

 回復した耳だけが、ヒグマの声を聞き取りました。

 直後に強い力で身体が持ち上げられ、目の前でかすむ人影が、徐々に徐々に遠ざかっていきます。

 

 ――――だめ。

 ――――だめッ! ヒグマさんが、まだッ!

 

「いやだ! 離してください! ヒグマさんが! ヒグマさんがッ!!」

「リカオン! ここは下がって、体勢を立て直すんですッ!」

 

 かすんだ視界がやっとのことで戻ってきたとき、リカオンは自分が、キンシコウに抱えられて遊園地のほうに下がっていることを理解しました。

 そして、離れていくヒグマが、黒セルリアンに囲まれていることも。

 

「い……いやだ……いやだ! どうしてですか! キンシコウさんッ!」

「下がるのよ! 私たちまでやられたら、遊園地を守り切れないの!」

 

 キンシコウの声が震えていることに気が付きました。肩に担がれているので表情までは見えませんが、リカオンは、どれだけの思いでキンシコウが逃げたかを、一瞬にして理解しました。

 キンシコウだって、ヒグマを見捨てたくて見捨てたわけではありません。

 

 ――――自分のミスで、ヒグマさんが。

 

 自責の念に苛まれた瞬間、リカオンの身体に強い衝撃が加わりました。

 

「え……?」

 

 目の前で。

 体を動かせなかった自分を抱えて逃げてくれていたキンシコウが。

 黒セルリアンに攻撃され、その寸前で自分を投げ出してくれたことを理解するのに、リカオンは数秒を要しました。

 

 黒セルリアンの攻撃が直撃したキンシコウは、よろめきながらも立ち上がり、目の前の墨色の球型セルリアンに武器を向けます。

 そして背後のリカオンに振り向きもせず。

 

「行ってください。もうおそらく、ここは持ちません。中央も抜かれていると思います。リカオン、あなただけでも」

「い……いや……そんな」

「――――リカオン、逃げなさい。遊園地の中でも、もっと遠くの地方でも、どこでも構いません。逃げなさい。これは命令(オーダー)です」

「そんな……そんな……」

「行きなさいッ!」

 

 キンシコウの一喝に、リカオンは大粒の涙を流しながら立ち上がり。

 背後で、フレンズがセルリアンに取り込まれる、かすかな鈍い音を聞き取りながら、リカオンは遊園地のほうに逃げました。

 

 〇

 

「自分の……せいで、ヒグマさんと、キンシコウさんが……」

 

 数分前に起きた出来事を話してくれたリカオンの周りには、レールの上に避難したフレンズのみんなが集まっていました。

 話を聞いた、ほぼ全員が、悔しそうに視線を落とし、リカオンに掛ける言葉を失っています。

 

「…………」

 

 リカオンもそれ以上口を開くことができず、膝を抱え、嗚咽を漏らしながら顔をうずめました。震え続ける肩を、ホッキョクグマがそっと抱えます。

 誰も、何も言えない中。

 セッキーとレミアは、山の上の巨大セルリアンを睨みつけて。

 カバンさんとサーバルはお互いに無言で頷きあい。

 アライさんとフェネックは、二人ともかすかな笑みを浮かべて、それからフェネックが「言っちゃおうアライさん」と促しました。

 

 フェネックの声に、みんなの視線が集まり。

 

「――まだ間に合うのだ!」

 

 アライさんの快活で元気な声が、レールの上に響き渡りました。

 

 〇

 

 セルリアンにフレンズが食べられても、すぐにそのセルリアンを倒してしまえば、また元通りになる。

 

 それは、カバンがセルリアンに食べられた時に身をもって経験していることで。

 アライさんとフェネックも、そのことを二人から聞いていて。

 レミアとセッキーは、確実にそうである(・・・・・・・・)という自身のセルリアンの部分に問いかけることで得た確信をもって。

 

 まだ、間に合います。まだ、助けられます。

 時間が経てば経つほど、無事である確率は落ちますが、それでも。

 いますぐにでも。

 これ以上犠牲を出さないためにも、爆撃機のセルリアンを、撃ち落としてやらなければいけません。

 

 殺意のこもった声でレミアは通信機に投げかけます。

 

「ベラータ。準備は?」

『急いでいますよ。全て通信機から聞こえています。――――フレンズを泣かせたくそ野郎に、重たい一撃を食らわしてやります』

 

 ベラータの声にも同じく、殺気がにじみ出ていました。

 

 〇

 

 〝対セルリアン迎撃装置〟と名付けられ、建設された巨大な固定砲台は、ベラータの取集した情報によると全部で五台ありました。そのうち、レミア達のいる島に最も近い砲台は、観測装置の結果から距離46.5キロメートルの位置に建設されており、砲身そのものが全長約1キロメートルにも及ぶ超巨大兵器です。

 

 火薬ではなく、解析不可能な未知の推進力を用いて合成金属を射出する砲台。

 

「面白いです。じっくりと調べたいところですが、今はそれどころではありませんね」

 

 リズミカルに、それでいて高速に。

 鳴りやむことのないタイピングの音が、狭くて小さくて薄暗い部屋に響いています。

 

 射撃装置へのアクセスから起動、給弾準備、射撃準備、射出装置動作確認、冷却装置動作確認――――次々とモニターに表示される緑色の成功表示に、ベラータの口元が緩みます。

 

「いいぞ……いい子だ……たのむからそのままいい子でいてくれよ……」

 

 ひとり呟いた、その直後。

 リストアップされた確認項目の、残すところあと二つ。その二つのどちらもが、アラート音と電子音声、そして神経を逆なでする真っ赤な文字で異常を知らせてきました。

 

「…………」

 

 上手くいかなかった、二つの項目。

 〝自動照準装置〟と〝暗視装置〟の文字。

 作動しなかった原因は、システムではなく〝装置の破損〟――つまり、年月によっての破損か、それとも不備があったのか、その両方か。

 

 これの意味するところは、つまるところ〝46.5キロメートル先を、暗視装置なしで夜間狙撃する〟ということ。

 ライフル射撃は1キロメートル先の標的に当てることができたらエースとまで言われる世界で、夜間に、それも遠く離れた未来の世界の、46.5キロメートル離れた対象を暗視装置なしで打ち抜くというのは。

 

「これができたら俺は神になるだろうな」

 

 ここにきて、あまりにも絶望的な壁に、思わず笑いが出てしまいます。

 

『ベラータ』

 

 当然、通信端末からキタキツネの声が聞こえました。

 

「どうしたの?」

『…………ボクが撃つ』

 

 それはあまりにも率直で、完結な提案でした。

 何が起きているのかは、通信機を通してキタキツネに伝わっていたようです。ヒグマとキンシコウがセルリアンに食べられたことも、リカオンが涙を流していることも、そしてこの一発を外したら、まず間違いなくヒグマたちは返ってこられないことも。

 

『それだけじゃないでしょ? こういう時って、ゲームだと〝一発外したらゲームオーバー〟なことが多いよ』

「そ、それは――」

 

 ベラータは、言うべきか否か迷いました。自身のモニターに表示されている射撃装置のステータスには、試験用実弾一発――これだけが、薬室内に残っていて、つまり残弾はこの一発だけであるということを。

 

 この射撃装置の一発を外したら、別の射撃装置から撃たなければなりません。もう一度アクセスしなおし、射撃準備を整え、その上で再射撃――そんな悠長なことをしていては、ヒグマとキンシコウは助かりません。運が悪ければ島のフレンズが全滅してしまいます。

 

 よしんば迅速に次の手を打ったとしても、最も近い距離でこれなのです。自動照準装置が生きている事も確かではなく、そこに時間をかけることは、文字通りの〝賭け〟となります。

 

 ベラータは迷いました。自分が撃つか、キタキツネに任せるか。

 残弾が一発だと伝えるか、嘘をついて緊張をほぐさせるか。

 

「…………そうだな」

 

 ベラータは、正直に、残弾について話すことに決めました。ここで二発目があるなどと言っても仕方がありません。

 外したらそれでおしまい。大事な二人のフレンズは消え、下手をすればパークの大勢のフレンズが犠牲になる。

 こうして迷っている間にも、事態は着実に進行しています。迅速かつ最適な、そしてあまりにも多すぎる命を賭けた決断を迫られているその様は――ベラータのそれは、もはや一介のオペレーターではなく、指揮官の務めそのものでした。

 

 手に汗が噴き出します。心臓が早鳴りし、痛いほど胸を打ち、決断しなければならないという感情と、ここで間違えれば取り返しのつかない事になるという事実に、神経が苛まれます。

 

 ――――そうか、これが、指揮なのか。

 

 熱を帯びてきた手の平で、額に張り付く前髪をかき上げます。一度落ち着こうと息を深く吸ったその時、

 

『ベラータ、よく聞いて。ベラータの命令は聞いていれば勝てる。ベラータはきっと、指揮官もできる』

 

 唐突に、キタキツネの声が響きました。

 

「い、いや、キタキツネちゃん? 今そんなことを言われても……」

『ベラータは指揮官で、ボクは兵士。ゲームの中じゃいつもそうだよ? だから今も、ベラータが命令してボクが撃つ。これは――――』

 

 キタキツネは熱のためか、それとも生来の性格のためか、気だるそうに、落ち着いた、何のことでもないような口調で、しかしその一言は確実に、ベラータの決断を後押ししました。

 

『ゲームだよ』

 

 〇

 

 そんなことをベラータに言って、ボクは自分で笑い出しそうになった。

 そんなことないのに、そんなわけないのに、今はそう言わなくちゃいけない気がした。

 

 これはゲーム。だから撃つのはボクがやる。

 

 ベラータ、ボクはね、目が悪いんだ。フレンズになる前の動物の頃から、狩りは耳と感覚でやってたんだよ。

 フレンズになっても相変わらず目が悪くて、色の違いとかよく分からないんだ。でもなんとなく、音と感覚で自分が何をやっているのかはわかるんだよ。説明しにくいから、磁場って呼んでる。

 

 暗闇でも、ボクはちゃんと磁場を感じれる。だからボクに任せてほしい。ベラータが〝撃て〟って命令して、ボクがボタンを押し込めば、それで、それだけで、きっとボク達はパークを救えると思う。

 

 …………いや、本当言うと、そんな大掛かりなことはどうでもいい。

 ボクはこれからもゲームがしたい。そのためにがんばる。

 

『射撃管制システムを移しました。――キタキツネちゃん、頼みます』

「まかせて」

 

 モニターには、真っ暗な景色が映し出された。やっぱり何が映っているのかはよく分からない。色の違いがいまいちわからないから、目で見て撃ったら絶対に外れる。

 

 だからもう、ボクは目を閉じた。音と、感覚だけに集中する。

 

「…………キタキツネ、あなた」

 

 ギンギツネが何か言おうとして、でもその先は何も言わなかった。

 ボクがやろうとしていることは、ギンギツネもちゃんと全部知っている。ボクの肩に手を置いて、冷たいガーゼをしっかりとおでこにくっつけてくれた。

 

 ふと、照準器の向こうに何かを感じた。熱いような、眩しいような、何か――あ、これ、もしかして。

 レミアのポーチに入ってた、信号弾ってことなのかな。ボーナスアイテム呼べるやつ。

 

 レミアは今、あんな小さな体だから、きっと誰かほかのフレンズが撃ったんだと思う。

 どうして、撃ったのかな。

 ……そっか、きっと、ボクが撃ちやすくするためかな。ありがとう、そこに届ければいいんだね。

 

 息を吸った。少しはいて、そこで止めた。

 レティクルを固定した。マウスはもう動かさない。キーボードに指を置いた、一番大きなボタンに置いた。

 

「いいよ、ベラータ」

『――――――撃て』

 

 ボタンを押し込んだ。感じていた磁場が一気に乱れて、ボクは何も感じられなくなった。

 目を開けると僕の周りには、たくさんのサンドスターが舞っていた。

 

「…………ギンギツネ、磁場って信じる?」

 

 ふと思った僕の問いに、

 

「信じるわよ」

 

 震える声で、後ろからギンギツネが答えてくれた。

 数秒後ボクたちは、遠い遠い山のほうから、大きな爆発音が聞こえてくるのを、目を閉じて静かに聞いていた。

 




次回 最終話「せるりあんがちょっとおおいじゃぱりぱーく!」


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最終話 「せるりあんがちょっとおおいじゃぱりぱーく!」

 月の明かりは青白く、ほのかにパークを照らす夜。

 さびれた遊園地の、もう動くことはないであろうジェットコースターのレールの上で、フレンズたちはただただ山の上の出来事を吸い込まれるように見ていました。

 

 一瞬。

 ほんの一瞬です。何かが目の前で光ったかと思った直後。

 

 耳が壊れるほどの爆音がどこからともなく鳴り響き、衝撃波が海を裂き、木の枝を飛ばし、フレンズたちの服の裾をバタバタと暴れさせました。

 思わず全員が耳をふさいで歯を食いしばります。

 海の遥か彼方から飛翔してきた光は、(しるべ)として打ち上げられた信号弾を貫いて、巨大セルリアンに直撃しました。時が止まり、山の上に一瞬の静寂を作った直後。

 

 眩い光を放ちながら、巨大な光の球が黒セルリアンの両翼を包み込みました。

 

 瞬時に膨らみ、夜の空を煌々と照らしながら黒翼を余すことなく飲み込むと、次の瞬間にはガラス細工が一斉に割れるような音がして、大小さまざまな光の粒子が、長い尾を引きながら落ちていきます。

 わずか二秒ほど。短くも決定的な攻撃は、山の上に光の花を咲かせました。

 

 その光景は、ほんのわずかな時間の出来事でしたが。

 レールの上のフレンズ全員に――――いえ。

 島中の、雪山地方の二人以外のありとあらゆるフレンズの目に、しっかりと焼き付いて離れませんでした。

 

 〇

 

「行くわよ!」

『レミア、乗って!』

 

 レミアの一言にセッキーはすぐさま反応し、水色のセルリアンを一体寄せると、その上にレミアを乗せてレールの上から飛び降りました。

 

 地面にはごつごつとした溶岩が所狭しと敷き詰められています。遊園地内の敷地の半分以上が黒々とした溶岩で埋め尽くされ、青白い月光に照らされています。

 上部を少しへこませた球型の水色セルリアンにレミアが乗り、その隣をセッキーがついて走ります。

 

「セッキーちゃん、ヒグマとキンシコウの場所は?」

『いま探させてる』

 

 目指すは森です。ヒグマとキンシコウを食べたセルリアンがどこに居るのかわからない以上、二人の無事を確認するためにはこちらから探すしかありません。セッキーは配下のセルリアンを総動員して、森の中を探させています。

 

 レミア達に続いて他のフレンズたちも、ヒグマとキンシコウを探し始めます。

 

「ヒグマー!」

「ヒグマさーん!」

「キンシコウ! どこー!」

「出てくるのだー!!」

 

 遊園地の中でも外でも、二人を呼ぶ声が絶え間なく続いていましたが、一向に返事は返ってきません。ただそれでも、探すことをあきらめるフレンズは誰一人としていませんでした。

 

 月の明かり、自慢の耳、よく効く鼻をそれぞれ頼りにして探すこと数分間。

 

「居たのです!」

 

 遊園地と森の境目の、大きな木の影で、博士が声を上げました。

 周囲を探していたフレンズたちが一斉に駆け寄ってきます。レミアとセッキーもその場に急ぎます。

 大きな木の前に、博士と助手が立っていました。少し遅れて、慌てた様子でやってきたリカオンに周囲のフレンズ達が道を開けます。

 

 リカオンは博士たちの横に立ち、目の前に転がり込んできた現実を直視しました。

 

「…………そん、な」

 

 木の根元。黒ずんだ溶岩の上には、虹色に輝く二つの球がありました。リカオンの口から消え入りそうな声が漏れ出します。

 ふらふらと、一歩、二歩、弱々しく足が前に進み、

 

「…………」

 

 何も言わず膝をつき、二つの球に両手を伸ばします。

 

「……ごめんなさい。ごめんなさい、ヒグマさん、キンシコウさん……こんな、こんなことに…………」

 

 フレンズたちの前でハンターが泣いていては情けないと、泣いてはいけないとリカオンは自分で自分に言い聞かせましたが。

 そんなことを思えば思うほど、心が締め付けられるように痛くなり、涙は留まることなく溢れ続けます。

 

 もう、ヒグマが乱暴に頭をなでてほめてくれることも。キンシコウが戦闘中に自分を心配してくれることも。二人と一緒に遠くの地方に行くことも、ジャパリまんを食べることも、お話しすることも、笑うことも、泣くことも、怒ることもありません。もう二人とも、帰ってくることはありません。

 

 リカオンは謝り続けました。

 遠くから吹いてきた冷たい夜風が、辺りの葉を鳴らしてざぁ、っと吹き抜けました。

 月の青白い光が残酷に、リカオンの頬に光る涙を照らしています。

 

「お前は――」

 

 そっと博士が近づいて、リカオンの肩に手を置きました。

 

「お前は悪くないのですよ。ヒグマとキンシコウは、ハンターとしての役目を終えて野生に帰るのです。……死んだわけではないのです。お前が泣いていては、二人が心配するのですよ」

 

 博士の言葉に、リカオンは何度となく首を縦に振りましたが。

 嗚咽と涙は、それでも止まることはありませんでした。ずっと、ずっと、二つの虹球に向かって謝り続けています。

 

『レミア……』

「あたしには、どうすることもできないわ」

『でも』

 

 セッキーはレミアのほうを向き、レミアが悔しそうに首を横に振っているのを見て、もうそれ以上は何も言いませんでした。

 

 あと一歩、間に合いませんでした。

 セルリアンに食べられたフレンズは、輝きを失います。

 それは、ある時はフレンズのまま何かを失い。またある時はフレンズの姿を維持できなくなり、元の動物の姿に戻るということ。

 何が起因してどちらの状態になるのかは、その場にいるどのフレンズにもわかりませんでしたが。

 ただ一つ確かに言える事は、この状態になってしまったフレンズは、もう確実に元の動物に戻るしかないということです。

 

 記憶も、思い出も、友達も、宝物も、何もかもを失って、再び一から動物として生き始める。残されたフレンズにはどうすることもできません。たとえどれだけ大切な友達だったとしても――――動物の姿に戻ったフレンズは、その友達のことを忘れてしまいます。

 

 遠くから、腹に響く音が聞こえてきました。

 また山が噴火しています。ここ数週間、ずっとずっと噴火し続けている山の音に、もはやフレンズたちは少しも反応しません。

 泣きながら謝り続けるリカオンの後ろで、誰もが言葉を失い、俯いていました。ただ一人を除いて。

 

「元気を出せとは、言えないのだ」

 

 たった一人、リカオンの様子をじっと見て、それから前へ出てくるフレンズがいました。

 アライさんはゆっくりと歩いてきて、むせび泣くリカオンの後ろに立ちます。

 普段のアライさんとはずいぶん違う、とても静かで落ち着いた声音でした。

 

「アライさんもずっと前、大事な友達をセルリアンに食べられたのだ。でもリカオン、あきらめないでほしいのだ」

「…………?」

 

 俯いていたリカオンが、頬を涙でぬらしたまま顔をゆっくりと上げて後ろを振り向きました。

 木々の間からちょうど差し込んだ月の明かりが、アライさんの顔を照らしています。腰に手を当てて仁王立ちしたアライさんは、いつも通りの自信に満ち溢れた笑顔を浮かべていました。

 

「あきらめずに、動物になったヒグマとキンシコウに毎日会いに行けばいいのだ! そしたらいつかまた、サンドスターが当たってフレンズになってくれるのだ! アライさんはそうしたのだ!」

 

 元気に、明るく、活発に。

 アライさんは底抜けの声でそう言い切り、ちらりと一度フェネックを見て、再びリカオンに視線を戻しました。

 視線を戻して、それから吸い込まれるようにリカオンの後ろの虹玉を見て。

 

「――――ふぇ?」

 

 情けない声を一つ上げました。

 アライさんだけではありません。博士も、助手も、その場にいるリカオン以外の全てのフレンズが、驚いたように目を見開いています。

 

「…………どうしたんですか、皆さん?」

 

 あまりのフレンズたちの驚きように驚かされたリカオンは、全員の視線が自分の背後に向いていることに気が付いて、おそるおそるゆっくりと振り返りました。

 

 振り返った、その先で。

 

「――――あれ? 黒セルリアンはどうした?」

「ん……? 私、寝ちゃってましたか?」

 

 ヒグマとキンシコウが、頭を片手で押さえながらゆっくりと立ち上がって周囲をきょろきょろと見回していました。

 

 月明かりに照らされる、決して幻なんかじゃない二人を見て、リカオンは一瞬ぽかんとして。

 次の瞬間には飛んで二人に抱き着きました。涙や鼻水でぐちゃぐちゃの顔をヒグマの服に押し付けながら、それでもずっと、二人に抱き着いて離れませんでした。

 大声で泣きながらまたまた謝っているリカオンの後ろで、

 

「……どういうことですか、博士」

 

 助手は静かに問いました。

 博士は、ヒグマの服のお腹のあたりがテカテカと光っているのを見つめながら答えます。

 

「ヒトの身体は泣くと鼻から粘液が出るそうなのです」

「いえ、そっちではなく」

「…………分からないのですよ。どうして復活できたのか、記憶もそのままなのか」

 

 ふと、助手と博士は遠くにそびえ立つ山の方へ振り向きながら、感慨深げに目を細めました。

 

「――――噴火、していましたね。何か関係がありますか?」

「あると思うのですよ。でもそれが何かは、これから調べていくことなのです」

 

 博士の言葉に、助手はすこしばかりのため息をつきながら、

 

「休みがありませんね、博士」

「ないのですよ助手。我々はこの島の長なので」

「…………長も、楽じゃありませんね」

「助手が居てくれるからできるのです」

 

 博士の一言に、助手は照れくさそうに微笑みました。

 

 〇

 

 〝ばくげきき〟という言葉がパーク中で話題になるまでに、一日とかかりませんでした。

 山の上に突如現れた巨大な飛行型の黒セルリアンは、島のフレンズの誰もが目撃しており、そして誰もが、その巨大セルリアンの最期を目にしていたからです。

 

 しかし、どうして巨大セルリアンが現れたのか。

 また誰がそのセルリアンを倒したのかはいろいろな噂が立ってしまったので、本当のことを知っているのは極々わずかなフレンズだけです。

 噂の内容はトンチンカンなものがほとんどで、不思議なことにそのどれもに〝レミア〟や〝カバン〟の名前が出てきています。つまり二人の名前は、どうやら島中で話題になってしまったようです。でもこの二人が巨大セルリアンを倒したわけではありません。二人がやったことは退治の手伝い、つまり遊園地を防衛したことと、信号弾を撃ったことくらいです。

 

 一方、倒した張本人のフレンズですが、

 

「ベラータ、次の指示は?」

『東北の部隊と合流してください。誘い込んで、ここでなるべく敵の戦力を削りましょう』

「了解」

 

 相変わらず温泉宿に引きこもってゲームをしていました。どの噂の中にも、キタキツネの名前は出てきていません。

 

 山の上のフィルターはどうやら巨大セルリアンの出現と同時にずれてしまっていたらしく、何かあってはいけないという博士たちの考えで、翌日さっそく張り直されることとなりました。

 その際、もう四神が動いてしまわないようにと、ビーバーとプレーリーの力を借りて〝しぇるたー〟も作りました。材質は木材ですが、かなり大きな揺れがあってもそう簡単には動かないような作りです。山の噴火の振動程度ではびくともしないようです。

 

 〝ばくげきき〟を退治した後から、なんだかんだで一週間が経ちました。カバンさんを海の外に送るために作ったバスが、セルリアンの襲撃でちょっとだけダメージを負っていたので博士と助手が直していました。

 それと並行して、山が噴火し続けている理由や、ヒグマとキンシコウがフレンズに戻れた理由、そしてレミアの願いである〝過去に戻る具体的な方法〟の調査も博士と助手は進めていました。

 

 なんだかんだ言って二人は結構働き者です。たくさん働いていることをレミアもカバンさんも知っていましたから、博士助手のために泊まり込みで料理を作ってあげていました。レミアの身体は最近やっと八歳程度にまで戻ってきたので、踏台が必要ではありますが一人で料理が作れます。一人と言ってもうっかり火傷や怪我をしないよう、近くでセッキー配下の水色セルリアンと赤色セルリアンが見守ってくれています。

 

 〇

 

「いらっしゃ~い。ようこそぉ~ジャパリカフェへ~」

 

 気の抜けるようなアルパカの声に迎えられながら、レミアとセッキー、博士と助手は高山にあるジャパリカフェへとやってきました。

 

「今日はたくさんだねぇ~。どしたのぉ~?」

「博士たちと話をするついでに、ここにも少し寄っておきたくて」

『〝アライ茶〟っていうの飲んでみたい!』

「ふぁ~そうなの~? どうぞどうぞ~ゆっくりしていってぇ~♪ いま用意するからねぇ~♪」

 

 みんなで席に着き、このカフェ名物の〝アライ茶〟を注文します。

 本当はアライさんとフェネックも誘いたかったのですが、どうやら用事があるらしく、二人して港のほうに出かけました。

 

 明日はカバンさんが島を出る日だそうです。もしかするとその準備のために港へ行ったのかもしれません。レミアとセッキーも手伝いたかったのですが、博士と助手に〝大事な話がある〟と言われたのでこちらの方を優先しました。

 

 しばらくすると、アルパカが飲み物を運んできてくれました。

 コーヒーと紅茶を混ぜた独特の香りがする〝アライ茶〟に、レミアはアルパカの用意してくれた砂糖とミルクをこれでもかと入れてから、ティースプーンでぐるぐるとかき混ぜます。

 ニコニコ顔で混ぜながら博士と助手のほうを見て、話の内容へと入っていきます。

 

「それで、何かわかることがあったのかしら?」

「あったのですよ。まず、ヒグマたちがフレンズに戻れた理由なのです」

「大体の予想通り、山が噴火することによってサンドスター濃度が上がり、それに虹玉が反応したからフレンズに戻れた、と言うことなのです」

「つまり山が頻繁に噴火していなかったら、あの子たちは戻れなかったわけね」

「そうなるのです」

 

 博士は頷き、助手はカップに口を付けました。

 

「……おいしいですね、博士」

「ちょっと苦いのですよ助手。お砂糖を入れるのです」

「…………」

 

 助手は砂糖なしでちょうどいいと思っていましたが、あえて何も言いませんでした。

 博士は砂糖をカップに入れ、小さなスプーンを逆手にもって危なっかしく混ぜながら言葉を続けました。

 

「山が噴火し続けている理由も、だいたい見当がついたのです。助手が調べてくれたのですよ」

「はい、噴火の理由ですが、おそらくサンドスターに何らかの意志がある――――そう仮定すると、噴火し続けている理由がわかります」

「それ、あたしがベラータに言われたことだわ」

「なのです。そこから着想を得ているのですよ」

「おそらくですがサンドスターは〝フレンズをフレンズとして守るために〟存在しています。噴火が続けばフレンズはフレンズとして存在し続けることが容易になり、その結果ヒグマとキンシコウのように〝危なくなっても戻ってこられる〟状況が生まれるのです」

「でも、サンドスターが出続けるとセルリアンの数も多くなるんじゃないの? フレンズが危険な目に会う機会も増えるわよ?」

「ふつうはそうなのです。だから以前までは、年に一回、多くても二回までしか噴火していなかったのですよ」

「それがボーボーと活動し始めたのはたぶん、セッキーのせいなのです」

『え、ボク?』

 

 椅子の横に控えさせていたセルリアンにジャパリまんをちぎってあげていたセッキーは、急に自分の名前を呼ばれたので手を止めました。

 

『山の噴火が、ボクと関係してるの?』

 

 博士と助手は二人そろって頷きます。

 

「お前にサンドスターが当たった結果、周囲のセルリアンを従えることのできるセルリアンが生まれたのです」

「フレンズからすればとんでもない危機なのです。お前がレミアだけを狙っていたのではなく、もし無差別にフレンズを襲っていたら、山はもっともっと噴火していたのです」

『――――偶然、ボクにサンドスターが反応しちゃって、それを危険とみなされたからフレンズを守るために山がたくさん噴火してた……ってこと?』

「きっかけはそうなのです」

『ボクってもしかして迷惑?』

「ちょっと前までは」

「今はいないと困るのです」

『すごく複雑な気持ち』

 

 セッキーはわざとらしく肩を落として、それからすぐに微笑みました。過ぎたことは過ぎたことです。

 

『結果良ければすべてよし、だね』

「良い言葉なのです」

 

 セッキーが居たからサンドスターがあふれ出て、セルリアンが大量に発生した。

 でもセッキーはずっとレミアだけを狙っていたので、レミア以外のフレンズに被害が出ることはそもそもなくて、よしんば食べられてもサンドスターのおかげですぐにまたフレンズとして復活する。

 黒セルリアンだけは完全にセッキーとは関係のないところで脅威となっていたのですが、これもまたサンドスターが大量にあるので、もし食べられても普通のフレンズならちゃんと元に戻れます。

 

 セッキーが生まれた時点で根本的に、フレンズは誰も傷つくことのない状況になっていたようです。

 

『でもそれって、レミアだけは危ないってことだよね?』

「そうなのですよ。レミアの半分はセルリアンとしてサンドスターに見られているのです。だから普通のフレンズよりサンドスターの供給量が少ないのですよ」

「もし黒セルリアンに食べられていたら、供給量が足りずに元の動物――いえ、この場合はどうなるのですか? 博士」

「レミアの元となった無機物に戻るかもしれないのです。正直そこまではわからないのです」

『なるほど』

「へぇ」

 

 レミアは自分のことながら、今初めて自分がどんな存在なのかをなんとなく理解しました。

 しかしなんとなくなので、

 

「つまり、どういうこと?」

 

 良く理解できているわけではありません。首をかしげています。

 

「レミアはセルリアンとしてもフレンズとしても未熟なので、サンドスターの取り込み方がとってもヘタクソ、と言うことなのです」

『あ、そっか。セルリアンがジャパリまんを食べて形を維持できるのって』

「セルリアンとして、サンドスターの成分を物質から吸い出すことに長けているからなのです。それすらレミアは十分にできていないのですよ」

『ねぇレミア、フィルターが外れてるときって、やっぱり体が軽かったりとか、妙に動きやすかったりとかした?』

 

 セッキーの質問に、レミアは少し思い出すように上を見て、

 

「そうね。あなたと戦っていた時もそうだけど、四本足の黒セルリアンと戦ってる時が、一番体が軽かったわ」

「ということは、レミアはサンドスター・ローを吸収することも少しはできるのですよ」

「でももうフィルターを外すのはダメなのです」

「ダメなのです。あぶないのです」

「わかってるわよ」

 

 レミアは苦笑いを浮かべながら、両手でカップをもってアライ茶を口に含みました。

 

 それにしてもです。つまりレミアの身体はセルリアンでもありフレンズでもあるという性質上、サンドスターの取り込み方が不十分である、ということがわかりました。あまり良いことではありませんが、それでも自分のことが一つ詳しくわかりました。レミアはひっそりと心のうちで首を縦に振りながら、なるほどなぁと呟きます。

 

 ふとレミアが顔を上げると、カフェの奥から何やらお皿を持って運んでくるアルパカの姿が目に入りました。

 

「お待たせぇ~これ、カバンちゃんが教えてくれた料理だよぉ~」

 

 がたっ! っと博士と助手が反応します。

 

「こ、ここでも料理が食べられるのですか!」

「アルパカ! お前カバンとどういう関係なのです!」

「あんれぇ~知らなかったのぉ~? カバンちゃんここにきて料理の仕方教えてくれてぇ~、カフェのちょうりきぐぅ? を使えばできるってぇ~。だからやってみたんだぁ~」

「博士、これから毎日通いましょう」

「そうするのです助手。図書館からひょいなのです」

「ひょいひょいと飛ぶのです」

 

 博士と助手の毎日通う宣言に、アルパカはとても喜びました。

 出てきた料理は野菜を一口大に切ってスープで煮込んだものでした。スープはトマトベースで、酸味の効いたコクと香りある一品です。

 

 頬をとろけさせながらハフハフと美味しそうに食べる博士と助手に、レミアは最後、最も聞きたい質問をすることにしました。

 

「で、あたしはこの話が一番大切なんだけど」

「なんなのです? 今とっても気分がいいので、何でも答えてやるですよ」

「〝過去に戻る方法〟…………調べてくれてたみたいだけど、何かわかったかしら?」

 

 博士たちは手を止めずに、全力で口の中に具を詰め込んでいましたが、レミアの質問を聞くや否や、

 

「ほへはへふへぇ」

「口の中のものは食べてからしゃべってくれるかしら」

 

 こくりと頷くとモグモグ噛んで、口の中が空になって改めて、博士は大きく息を吸いました。

 

「それはですね、我々も驚いたのですが、ちゃんと方法があったのです」

 

 〇

 

 ジャパリパークは島の外にも続きます。

 それはこの島の多くのフレンズたちが知らない事実でしたが、一部のフレンズはそのことに気が付いていました。博士と助手も例外ではなく、渡り鳥のフレンズから聞いた話によってそのことを知っています。

 

 そして今回、レミアの〝過去に戻りたい〟という願いを聞いてあげるため、二人は図書館に残された書物を読み漁ったり、運よく港に来ていた渡り鳥のフレンズから話を聞いたり、山のフィルターを形成している四神を調べたりして、一つの仮説にたどり着きました。

 

「あくまで仮説なのです」

「これは絶対ではないので、もし失敗してもしょうがないことなのです」

「それで? どうなの?」

 

 博士と助手は一度お互いに顔を見合わせ、それから一つ頷いて博士が口を開きました。

 

「パークには〝紋章〟と呼ばれる不思議な力を持つ印があるそうなのです」

「この島のフィルターを作っている四神の模様、あれが紋章なのです」

「そしてその紋章をすべて集めることで、集めた本人は時間を飛び越えることができるそうなのです」

「………………」

 

 時間を、飛び越える。

 それが未来と過去のどちらへ行くことを示しているのか。任意に戻りたい時代まで戻ることができるのか。

 よしんば戻れてもサンドスターはどうなるのか。全てが上手くいったとして、国と国の間の距離はどうするのか。

 

 そのようなことを本来は考えなければいけないのですが、八歳児相当のレミアでは残念ながら何も考えられず、

 

「さっそく試しましょう」

 

 頭を空っぽにして、ただただ胸のうちを喜びでいっぱいにしていました。うれしさいっぱいで今にも椅子の上でぴょんぴょん跳ねてしまいそうです。

 過去に、そして祖国に戻りたいレミアにとって、博士のその言葉は間違いなく朗報でした。

 

「で、その紋章の集め方はどうすればいいの? っていうか、山に行けばそろうわよね?」

「それが問題なのですよレミア」

「紋章は〝ラッキービーストの基幹部品〟か〝お守り〟に集めないとダメなのです」

「…………ラッキービーストの基幹部品って、カバンさんが腕時計みたいにしてるやつ?」

「そうなのです」

「無理じゃないの。ラッキービーストをスクラップにするわけにもいかな――――」

『ボクがいるじゃん!』

 

 ほら見て! と、セッキーは白いワンピースの胸元をごそごそと漁って、首からかけていた何かを表に出しました。

 

『これ、大事なものだからいつも服の中に入れてたんだけど、これが基幹部品だよ!』

 

 セッキーの白い手の上にあるそれは、首からぶら下げられるように革ひもにつなげてありました。薄い円状で透明なレンズが付いています。確かに基幹部品と言うだけあって、何やら大切そうな機械です。

 

「セッキーの基幹部品でも、大丈夫なの?」

「同じラッキービーストなので、たぶん大丈夫なのです」

「カバンのやつとおんなじ形ですしね」

『レミア、これがあれば過去に行けるんでしょ? これ使ってよ!』

 

 そう言って首から外したセッキーでしたが、

 

『…………』

 

 革ひもを外した途端、顔から表情がなくなり、一切の感情が感じられなくなってしまいました。同時に声を発する気配もありません。

 

「…………これ、ラッキービーストの基幹部品なのよね」

 

 セッキーの手の平を指さしたレミアに、こくり、と何も言わず博士と助手がうなずきます。

 

「もらっちゃダメなやつだわ」

 

 すぐにレミアは基幹部品をセッキーの首に掛け直し、ワンピースの胸元にしまってあげました。

 

『いやー、ごめんねレミア。これがないといろいろダメみたい』

 

 肩をすくめながらそう言ったセッキーに、レミアも苦笑いを浮かべて返します。

 その後、お守りとやらについて博士に聞きましたが、こちらは博士たちでも何のことかさっぱり分からず、結局情報として使えそうなのは〝ラッキービーストの基幹部品〟のみでした。

 

「どうしようかしら…………」

「レミア、まだ続きがあるのです」

「山の四神の紋章を集めることも必要なのですが、それ以外にも二つ、神に匹敵するフレンズから紋章をもらわないとダメみたいなのです」

「な、なによそれ」

「どのフレンズなのかという名前までは分からないのです。でも少なくとも、そんなすごいフレンズならきっといろいろと有名になっているはずなのです」

「この島には四神以外の〝神〟と名前の付く、あるいはそれに匹敵するフレンズはいないので、まず間違いなく島の外に行かないと集められないのです」

「…………」

 

 つまりそれは。

 レミアもカバンさんと同じくして、自分の目的を果たすためには海へ出なければならないということ。

 

 カバンさんはヒトのなわばりを探すため、つまり人が現在住んでいるところを探すために島の外に出ます。そのためにフレンズたちは協力して、ジャパリバスの前部を船に作り替えてくれました。

 そして今、明確に、レミアも島の外に出なければならない理由ができました。

 

「ここにきて海に出る必要があったとはね…………考えてなかったわ」

「実は、考えてなかったのはお前だけなのです」

「どういうこと?」

「我々は賢いので、カバンと一緒にお前も島の外に出られるよう、あのバスは二人乗りにしているのです」

「あら、すごい」

 

 心底レミアは驚きました。実に用意の良いことです。

 

 スープをすべて食べ終えた博士と助手は、アルパカにお代わりをもらって、再び食べ始めました。

 もくもくと二人が食べ始めたので、レミアは頑張って頭を動かして、今分かっていることを整理してみました。

 

「…………」

 

 すると、どうしようもないこともわかってきます。

 

「紋章を集めようにも、基幹部品がないからどうにもならないわ」

「それは問題ないのです。セッキーがお前について行けばいいのですよ」

「で、でも、バスは二人乗りって」

「お前がもう一回小さくなって、カバンかセッキーに抱っこされていればいいのです」

「あ、なるほど」

 

 確かにいいアイデアです。

 バスは二人乗りですが、もう一度レミアが三歳児ほどの体格になれば、セッキー、カバンさん、そしてレミアの三人で乗ることができます。ナイスなアイデアです。

 ですが、

 

「…………不安、ね。正直、自分で戦う力がないまま見ず知らずの土地に出るのは怖いわよ」

「そう言うと思ったのですよ」

「でも残念ながら、そこに関してはセッキーの力を信頼してもらわないといけないのです」

 

 空になったお皿にスプーンを置き、博士はレミアをまっすぐに見ました。

 

「カバンと一緒にバスに乗るしか現実的な方法はないのです。体が戻っても、都合よく船が見つかるわけではないのですよ」

「いつまでもこの島にカバンをとどめておくわけにもいかないのです。なるべく早く、ヒトの住むところにカバンを返してあげることも我々は考えての事なのです」

『レミア』

 

 セッキーが、隣に座るまだ幼い体格であるレミアのほうを向いて、真剣な目で口を開きました。

 

『ボクのせいでこうなった。だから最後まで責任を果たさせてほしい。パークガイドロボットとしても、ヒトであるレミアのそばにボクはずっといるべきだと思うんだ。ううん、居させてほしい』

 

 セッキーのその言葉に。

 レミアは机の上に少しの間だけ視線を落としていましたが。

 

「えぇ、そうね。――――セッキーちゃんの強さを信じるわ」

 

 特に深くは考えず、とてもレミアらしい笑顔を浮かべながら、快く旅に出ることを決意しました。

 

 〇

 

 あくる日の朝。今日も天気がよさそうです。

 太陽がパークをぬくぬくと照らし、抜けるような青空が広がっています。港から望む大海原は、キラキラと陽の光を反射しています。

 

 港の桟橋には、波の調子に合わせてぷかぷかと浮いているジャパリバスの前部がありました。後方には大きな木のタライが取り付けられていて、水や食料が満載されています。

 

 桟橋にはたくさんのフレンズが集まっていました。サバンナ地方から、ジャングル地方から、高山から、砂漠地方から、湖畔から、平原から、図書館から、雪山から、ロッジから。

 たくさんのフレンズが、桟橋に立つレミアとセッキー、そしてカバンさんに笑顔を向けています。

 

「――――――ほんとうに、ありがとうございました」

 

 カバンさんがほんの少し涙ぐみながら、頭を下げて、それから一番前に出ていたサーバルをしっかりと見つめて言いました。

 

「じゃあね、サーバルちゃん」

「うん! ヒトの住むところ、カバンちゃんならきっと見つけられるよ!」

 

 カバンさんのかぶっていた帽子は、今はサーバルの手にあります。しっかりと両手で持って、大事に、大切そうに握られています。

 アライさんはふと、そんなサーバルの様子を後ろから見ていて、

 

(前も、お別れするときはこんな感じだったのだ)

 

 そう思いましたが、口にはしませんでした。桟橋に立つカバンさんがミライさんの姿と重なって、アライさんはあわてて目元を手で擦りました。

 それからサーバルの横に立って、

 

「レミアさん! とっても楽しかったのだ!! レミアさんといろんなところに行けて、本当に良かったのだ!」

 

 元気な声ではっきりとそう言いました。目元の涙はきれいに拭われています。

 

 レミアの身体は昨日カフェで話した通り、バスに乗るためにほんの少し小さくなっていました。もしものことがあってはいけないので五歳児ほどの体格にとどまっています。これで充分バスに乗れます。

 

 レミアは、頭一つ背の高いアライさんを見上げながら、

 

「あたしも楽しかったわ。キタキツネちゃんに通信機を渡してあるから、お話したくなったらいつでも尋ねるといいわ」

「いつでもは困るかも……」

 

 ぼそっと呟いたキタキツネの言葉に、思わずレミアがくすりと微笑みます。キタキツネの隣でギンギツネが目の間を押さえていました。たぶんちょっと頭が痛いのでしょう。なぜかは分かりません。

 

 笑みを浮かべているレミアの前に今度はフェネックが来て、膝を曲げて視線を合わせてから口を開きました。

 

「今までありがとねーレミアさーん。たくさん助けられたよー」

「こちらこそ。いろんなところでフェネックちゃんに助けられたわね」

「恩返しってやつかなー」

「ふふ」

「でもほんと、気を付けてねー」

「心配してくれてありがとう」

 

 フェネックの声には、これまでの旅で何度となくレミアを置いて逃げた時と同じような、あの心の底から心配するような声音が含まれていましたが。

 

「…………?」

 

 目を見ると、レミアは何か違和感を感じました。

 心配してくれている口調とは裏腹に、フェネックの目はどこか楽しんでいるような目をしています。

 心配とは違う、明るく、楽しく、何かいたずらを企んでいるような視線です。でもそんなことを聞いたってきっと何にもなりませんから、レミアは心の中で首をかしげつつ何も聞かないでおきました。

 

 博士と助手は、水色の小型セルリアンをなでていたセッキーのところへ行き、最後の確認をします。

 

「しっかりレミアとカバンを頼むのですよ」

『任せてよ。それより、この島は大丈夫?』

「お前が島を出たら自然と噴火も落ち着いて、もちろんセルリアンの数も減るのです。あれから〝島を守りたい〟と言ってハンターに志願してくれたフレンズが結構いるのです」

「だからお前はここの心配はせずに、まっすぐ前を見てレミアとカバンを守るのですよ」

『うん! ――――うん、もちろんだよ!』

 

 しっかりと、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべながらセッキーは頷きました。

 博士と助手に促され、三人はようやくバスに乗ります。

 カバンさんが運転席に乗り、その後ろの座席にセッキーが座ります。体の小さなレミアはセッキーの膝の上に座りました。予定通りすっぽりと収まっています。

 

「あ、レミアさんこれ! これもちゃんと持っていくのだ!」

 

 アライさんが慌てた様子で駆け寄ってきて、桟橋から手を伸ばして差し出したものをレミアは受け取りました。

 二丁のリボルバーです。一丁は壊れていましたが、アライさんはそれもそのまま持ってきてくれたようです。

 

 主力であるライフルは、もし体が戻った時にすぐに使えるようバスの後ろに積んでいましたが、リボルバーはわざと置いていくことにしていました。そうとは知らず、アライさんはレミアの忘れ物だと思い持ってきてくれたようです。

 

「これ、結局レミアさんはずっとロッジに置いてたから、弾とかいろいろ直ってないけど、身体が戻った時には必要なのだ!」

「助かるわ」

 

 レミアは笑顔でそう言って、それから壊れていないほうのリボルバーをアライさんの手に握らせて、

 

「――――でもこれは、アライさんが持っててもらえるかしら?」

 

 幼い瞳を感慨深げに細めながら、笑顔でそう言い渡しました。

 44口径のパーカッションリボルバーは長いこと使われていたことがわかるように、傷だらけで、ボロボロで、しかしそれでも太陽の光を反射して、頼もしく、たくましく、鈍色に輝いています。

 レミアは瞳に、リボルバーのその輝きを映しながらゆっくりと口を開きました。

 

「ミライさんってわけじゃないけど、あたしもほら、何かヒトらしいものを残しておきたくって」

「でも、これはレミアさんの大切なものなのだ」

「大切だからよ。受け取ってちょうだい」

 

 何年も前にミライさんが島を立ち去るとき、帽子をアライさんに渡したように。

 その帽子を、今度はカバンさんがサーバルに渡したように。

 レミアも、アライさんにリボルバーを渡したいと思いました。ヒトがここに居た証を残しておきたいと思いました。

 

 アライさんは少しの間身動き一つとらないで。

 それから我慢しきれなかったのか、ジワリとにじみ出てきた涙があっという間に大粒となって頬を伝い、そしてそれを手で拭いながら花の咲いたような笑顔で、

 

「わかったのだ、もらっておくのだ! これは、アライさんの宝物なのだ!」

 

 しっかりと両手で受け取りました。

 

「そろそろ出発するのです」

「日が昇っているうちに島を見つけて、何とかして上陸するのですよ」

「はい!」

 

 運転席に座るカバンさんに向かって、博士と助手が桟橋から合図します。

 おそるおそるハンドルを握り、足元を見ながらアクセルの上にそっと足を乗せて、

 

「えー……っと」

『バスの時とほとんどおなじだね』

 

 使い勝手がいまいちわからないカバンに、手首のラッキービーストが助け舟を出してくれました。

 ピピーン! という電子音が鳴って、バスのセルモーターが回り、エンジンがかかります。ぶるぶると伝わる振動は頼もしく、エンジンは快調にスタートしました。

 

「ダイジョブそうかーッ!」

「問題ないわねー?」

 

 桟橋の少し離れたところから、ツチノコとギンギツネが心配して声をかけてくれています。三人は手を振って返事をしました。

 

 前を向き、ハンドルをしっかりと握って、

 

「レミアさん、セッキーさん、出発してもいいですか?」

「いいわよ」

『もちろんおっけーだよ!』

「では――――」

 

 アクセルを踏み、バスのエンジンが緩やかにうなりを上げて、

 

「出発します!」

 

 島を旅立ちました。

 

 〇

 

 桟橋に集まっていたフレンズが次々と引き返して、自分たちのなわばりへ帰ろうとしていましたが、その中の数人は残って何やらあわただしく準備をしています。

 

「フェネック! こっちの荷物どうするのだ?」

「後ろに積めばいいと思うよー」

「みゃー! カバンちゃんの帽子、どこに置けばいい?」

「かぶればいいのだ!」

「耳が邪魔でかぶれないよー!」

 

 あわただしく、桟橋の影に見えないように隠していたジャパリバスの後部に荷物を積み込んでいます。

 ジャパリバスの後部は見事に船に改造されていました。丸太とスクリューが取り付けられ、動力は前にあるペダルを漕ぐことで供給できるようです。ちょうど、スワンボートと同じような構造でした。

 

「でもすごいね! こんなものまで作ってたなんて、全然知らなかったよ!」

 

 サーバルが腰に手を当てながら感心したように声を上げています。

 アライさんは得意そうに胸を張って、

 

「フェネックが思いついて、博士たちが内緒で手伝ってくれたのだ」

「やーまさか本当にできるとは思わなかったけどねー」

「我々、かなり頑張ったのです」

「頑張ったのです」

「すごいよ博士たち!」

 

 博士と助手は少しだけ照れたようなそぶりを見せつつ、早く乗るように三人を促しました。

 アライさん、フェネック、サーバルの三人がバスの後部に飛び乗って、アライさんとフェネックが前のほうの席に着いてペダルに足を乗せます。

 

「やり方はわかりますか?」

「〝ばすてき〟とおんなじなのだ!」

「漕ぐだけだからねー。でも前がよく見えないからー、そこはサーバルにしっかりやってもらわないとー」

「まかせて! まわりを見るのは得意だから!」

「それじゃあ、くれぐれも気を付けるのですよ」

「うん!」

「はいよー」

「大丈夫なのだ!」

 

 元気よく返事をして。

 それからジャパリバスの後部はゆっくりと、桟橋から出発していきました。

 

 〇

 

 発進して間もない頃。

 順調にペダルをこいでいたフェネックは、同じく順調にペダルをこぐアライさんのほうに視線を向けながら、いつもの余裕たっぷりの笑みで訊きました。

 

「それでー、アライさんはその銃どうするのー?」

「どうするって、もちろんレミアさんに返すのだ!」

「あーやっぱりー。でもすぐ返しちゃったらレミアさんに悪くないかなぁ」

「そ、そのへんは仕方がないのだ! これはレミアさんが持ってないとダメなのだ!」

「まぁそーなるかなぁーとは思ってたけどねー」

「ねーねー! 何の話ー?」

「しっかり前見ててよーサーバルー」

「わかってるよ! それで? 何の話してたの?」

 

 バスの屋根にある丸窓から頭を出して外の様子を窺いつつ、サーバルは時々バスの中に頭を引っ込めています。フェネックは振り返って、こちらを見ているサーバルのほうを向きつつ、

 

「いやー、アライさんの信条としては〝ヒトの物はやっぱりヒトが身に着けるべき〟ってのがあるからさー」

「レミアさんにもらった思い出(宝物)は、ずっとアライさんが持ってるのだ! だから銃は返すのだ!」

「あ、もしかして、この帽子も?」

「そうなのだ! でも、それはもうサーバルの物だから、どうするかはサーバルが決めるのだ!」

「うーん」

 

 すこし、悩んだようでしたが、

 

「この帽子はやっぱりカバンちゃんが被ってたほうが似合うから、カバンちゃんに返そうかな!」

「いいねー」

 

 サーバルのはにかんだような笑顔に、フェネックもつられて笑顔になります。そしてにっこり笑ったまま、

 

「サーバルー、前はー?」

「あ」

 

 ごつん、と。

 何かに衝突しました。

 

 〇

 

 カバンさんの運転するセッキーとレミアを乗せたバスは、順調に海を進んでいましたが、

 

『ででで、電池が』

「『「ここでー!?」』」

 

 ボスの声と同時にバスのエンジン音が聞こえなくなり、徐々にスピードが落ちてついには止まってしまいました。

 

「ど、どうしよう! ラッキーさん!」

『ごめんね』

「セッキーちゃん、セルリアンに引っ張ってもらうのはどうかしら?」

『あ、そっか! ちょっと呼んでみるね!』

 

 セッキーは目をつぶって指示を出していましたが、しばらくすると、

 

『重すぎて引っ張れないから、ちょっと海に居るセルリアンを集めてくるって』

「島からついて来てるのは?」

『水色セルリアンが四体なんだけど、その子たちだけじゃ無理みたい』

「海にもセルリアンっているんですか?」

『いるらしいよ? 今から探すみたいだから、ちょっと時間かかるかもって』

 

 どうやら待つしかないようです。

 ぷかぷかと波に揺られるバスの前部で、レミアとセッキーとカバンさんは穏やかな海風を肌に感じつつ、ぼんやりと時が過ぎるのを待っていました。

 すると突然、ゴツン――と、バスの後ろに何かがぶつかりました。

 レミアとセッキーとカバンさんはすぐに顔を出して、そろって後ろを見てみると。

 

「うわわ! カバンちゃんのバスだよ! みんな隠れて!」

「いやーもう遅いと思うよそれー」

「フェネック! 早く隠れるのだ!」

 

 若い、と言うよりはむしろ子供のような。

 元気な声が、聞こえてきました。

 

 〇

 

 数分後。

 セッキー配下の水色セルリアンは、数十体もの大小さまざまな海色セルリアンを集めてきてくれました。

 

 それからジャパリバスは無事に移動を再開して、レミア達は新しい島を見つけることに成功したのですが。

 ――――数十体のセルリアンと一緒に上陸してしまって、島中を巻き込む大騒動になってしまったのは、また別のお話です。

 

 

 

 

 おしまい。

 

 




あとがき

 二次創作とはいえ完結したお話ですので、もしかしたらあとがきから読まれるという方もいらっしゃるかもしれませんね。そんな方々のために、このあとがきは極力ネタバレを含んでおりません。安心して思う存分読んでいってください。

 さて、長らくお世話になりました。奥の手です。実はこの作品はアニメ本編の本放送、六話から七話の間から書き始めたものになります。なので私自身もリアルタイムでアニメを追いかけながら、笑ったり、泣いたり、考察したりしていました。11話は今でも見返せば涙が出てしまいます。深夜に見ても早起きです。12話なんか始めっから終わりまで早起きです。字面だけ見ると意味が分かりませんね。

 私がこのお話を書こうと思った直接のきっかけは、アニメ本編で(6話時点で)Cパートにしか出てこないアライさんとフェネックをもっともっと見たい→けどどこを探してもない→ならば書くしかないという思考に至ったからです。アライさんとフェネックがいなかったら、この物語は生まれなかったかもしれません。

 作品を書いていくにしたがって様々なことがありました。一番強烈に印象に残っているのは、ガイドブック四巻の発売に際して起こったミラクルです。もちろん私はたつき監督や吉崎観音先生とは何の面識もありませんし、四巻発売前に情報を入手していたわけでもありません。完全に奇跡です。サンドスターが作用したんです。(錯乱)
 レミアの設定上どう考えても救いようのない問題があったのですが、四巻に掲載された情報がそれを払拭してくれました。公式で後発的に発表された設定が二次創作のオリジナルキャラクターを救うという世にも奇妙な出来事です。奥の手は幸せ者です。

 最後になりますが、感想、評価、そして誤字報告と、この作品は皆様の温かいお言葉に支えられて、タイトル横に【完結】と入れることができました。約半年ほどですが、連載を見守ってくださった方々、そしてこれから本編を見ていただく方々に、心より御礼申し上げます。
 



 …………たぶんもうちょっと続きます。『12.1話』みたいな感じで。私自身がけもフレロスを発症しそうなので。


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第二期
キャラクター紹介


第一期のネタバレをこれでもかと含んでいます。
第一期未読の方は注意してください。


「レミア・アンダーソン」

 

 彼女はこのお話の主人公の一人。非常に闘うことが得意なフレンズで、体術と射撃を用いて次から次へと湧いてくるセルリアンを倒していました。しかしセッキーとの戦いによって体が幼児サイズに退行しており、かばんさんと島から出た時点では5歳ほどの体躯です。これでは当然戦えないし、銃も撃てません。本人は早く元の体に戻りたがっていますが、なかなか回復は遅い模様。

 

 定義的にはセルリアンであり、セッキー曰く「半分セルリアンで半分フレンズ。だからジャパリまんによるサンドスターの摂取が下手くそ」とのこと。ドッグタグにサンドスター・ローが反応しているところまではわかっていますが、もう半分が何なのかはセッキーにもよくわからないそうです。とはいえレミア本人はそんなことどうでもいいとばかりに気にしていません。曰く「あたしはあたし」です。

 

 

「セッキー」

 

 彼女はこの物語の元ラスボスで現在はレミアたちの護衛兼お友達。一般的なセルリアンを使役することができ、セッキー本人も卓越した体術の使い手です。腕を見込まれセルリアンハンターとして活動していた時期もありました。体長は人で言う十五歳ほどの大きさで、レミアの元の大きさからすると頭ひとつ小さいくらいの身長です。

 

 定義的にはセルリアンであり、サンドスターがラッキービーストに作用して生まれた存在です。博士、助手によって「人の特徴を得たラッキービーストゆえにラッキービーストのフレンズ」として周知されています。

 

 

「アライさん」

 

 哺乳綱食肉目アライグマ科アライグマ属〝アライグマ〟のフレンズ。この物語の主人公の一人です。

 底抜けに明るくあさっての方向にいつでも全力疾走な彼女は、実はフレンズ歴がダントツで一番長いです。“前回”の事件を経験しており、パークに人がいた頃からフレンズの姿でそこらじゅうを走り回っていました。

 

 たくさんの思い出と共にミライさんの帽子を受け取っていたり、レミアのパーカッションリボルバーを受け取ったりしていますが、アライさんの信条としては「ヒトのものはヒトが身に着ける。思い出は宝物として自分の中に残っている」とのことで、帽子をカバンさんに返しています。リボルバーはどうするかな?

 彼女は今日もお宝と名声を求めて全力疾走します。

 

 

「フェネック」

 

 哺乳綱ネコ目イヌ科キツネ属〝フェネックギツネ〟のフレンズ。この物語の主人公の一人です。

 いつも冷静沈着、俯瞰した視点で物事を考えたり、持ち前の聡明な頭脳で問題を解決したりしています。アライさんがアクセル役ならフェネックはブレーキ役でしょう。

 

 落ち着いた性格とは裏腹にちょっぴり臆病だったり、心配性なところがあります。本人は、特にアライさんにはバレないようにいつも取り繕うのですが、アライさんはよくわかっています。

 

 

「カバンさん」

 

 彼女はこの物語の準主人公。ヒトのフレンズで、戦うことはあまり得意ではありませんが、代わりに卓越した頭脳の持ち主です。困っている子のためにいろいろなことを考えてあげて、ピンチも喧嘩も問題も課題もいろいろな方法で解決しています。優しいフレンズです。

 サーバルのためなら自らの身をも投げ出すほど、サーバルのことを信頼し、心の底からの親友としてこれまでも旅を続けてきました。

 

 ヒトのいる場所、ヒトの縄張りを目指して海を渡り旅に出ています。レミア、セッキーもそれについていく形で同乗しました。

 ミライさんの帽子に付着していた髪の毛からフレンズ化した、ヒトのフレンズです。

 

 

「サーバル」

 

 哺乳綱食肉目ネコ科サーバル属〝サーバツキャット〟のフレンズ。この物語の準主人公です。

 どんなものにも好奇心旺盛で、あらゆる物事を楽しみながら吸収していきます。知らないこと、知らないものにもガンガン首を突っ込んでいく、そんなムードメーカーです。

 

 元々はサバンナの自分のナワバリしか知らなかった、小さな世界の住人でしたが、カバンさんとの唯一無二の旅の経験によって現在進行形でメキメキと知識が拡大しています。

 カバンさんのことが大好きで、心から信頼し、親友としていつまでもそばにいるつもりです。

 

 




 アニメ「けものフレンズ」第一期放送から五周年。おめでとうございます!
 いろいろな騒動があり、私も自らが傷つきたくない一心でけものフレンズから距離をとっていました。そんなこんなで五年が経ち、時間と共に傷が癒えてきたのでしょうか。そうしてくると不思議なことに、なにかあの優しい世界に触れていたいと思うようになりました。

 節目の五周年。私も自らの作品に向き合いつつ、ここに第二期の執筆を手掛けていこうと思います。
 なにぶん遅筆ゆえ亀更新にはなるかと存じますが、みなさんとまた、あの優しい世界を手に取れたらなと思います。
よろしくお願いします。


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第一話 「うみべ! いちー!」

週一更新くらいで、またあの時の温かく楽しい物語を紡いでいけたらと思います。
よろしくお願いします。


『とりあえずこれで進めると思うよ!』

 

セッキーの元気な声がバスの中に響きました。改造を施して海の上に浮かべるようになったバスは、今は前部と後部をつなげてひとつ塊になっています。海の上にぷかぷかと浮かぶバスの底面には海色セルリアンがたくさん集まっていました。

 

レミアとセッキーはより広い後部に移動しながら口を開きます。

 

「島までセルリアンの力で移動できるのかしら?」

『できると思うよ! 数もたくさんいるし、海のセルリアンは泳ぐのが得意なんだって。任せてって言ってる』

 

そう、とレミアは笑顔でうなずきながらカバンさんの方を向きます。カバンさんは地図を取り出して、周りの景色を注意深く見ていました。

 

「カバンさん、進路はわかるかしら?」

「あ、はい! こっちの方角から来ているので、このままこの方向に進めば地図上では上陸できると思います。セッキーさん、よろしくお願いします」

『任せて! それじゃあしゅっぱーつ!』

 

セッキーの声と共に海の中からヒュルオオオと短いセルリアンの鳴き声が聞こえると、バスはゆっくりと進み出しました。

 

「快適なのだ!」

「なにげにペダルを漕ぐのは大変だったからねー。これなら楽ちんだよー」

 

アライさんとフェネックがバスの座席に座りながらくつろぎます。サーバルは立ち上がってカバンさんの後ろまで行くと、

 

「またよろしくね! カバンちゃん!」

「うん! サーバルちゃんも!」

 

ニコニコと笑顔で言葉を交わしました。

ゆらゆらと波の動きに合わせて揺れるバスは、ゆっくりと次の島へ向けて進み出します。

 

 

「これから行く島には名前があるんですか?」

 

ふと、カバンさんが疑問に思ったことを手元のボスに話しかけました。ボスはカバンさんの手首で緑色に光ると、

 

『今までいた島がキョウシュウエリアで、これから向かう島がゴコクエリアと言うよ。ちなみに管轄が違うから、ボクやセッキーでは案内ができないよ』

「え、そうなんですか?」

 

驚きの声を上げたカバンさんの後ろで、セッキーが立ち上がって近づきながら答えます。

 

『そうなんだよ。ボクたちラッキービーストはそれぞれのエリアで管轄が分かれてて、よりそのエリアに集中して案内ができるように他の地方のデータは入っていないんだ』

「それじゃあ、ゴコクエリアについたら、ゴコクエリアのラッキーさんを探さないといけない、と言うことでしょうか?」

『あ、いやその心配はいらないかな……?』

 

セッキーが人差し指を頬に持ってきてそんなことを言いました。カバンさんは振り返って首を傾げます。

 

『ほらボク、パークのシステムにハッキング仕掛けられるから、情報なら抜き出せるよ。監視カメラとかも操れるよ!』

「ええ!? そ、そんなことできるんですか!」

『言ってなかったっけ?』

「初耳です……」

 

カバンさんが驚愕の表情を浮かべる後ろで、レミアがあーそういうことかと膝を打ちました。

 

「だから戦う時の動きが私に似てるのね?」

『まぁねー』

 

悪戯っぽい笑顔を浮かべてセッキーが笑います。監視カメラにハッキングを仕掛けてレミアの動きを学習、それを真似て体術にしていたので、どことなくレミアの動きとセッキーの動きは似ているということでした。

 

『だから多分だけど、ゴコクに着いたらシステムを触ってみるから、道案内とかは心配いらないよ。情報もコピーしてそっちのラッキービーストに送ってあげるから』

 

セッキーはカバンさんの手元のボスを指差して言います。カバンさんはありがとうございますとお礼を伝えてから、前を向きました。

 

「あ! そうなのだ! これ、レミアさんに返すのだ!」

 

アライさんが突然声を上げると、持っていたリボルバーをレミアに差し出します。

 

「これはレミアさんが持っていてほしいのだ!」

 

え、いいのに別に、とレミアは言いますが、アライさんはグイッとレミアの手元に押し付けて強引に渡しました。五歳児の体格であるレミアの手には大きすぎるリボルバーです。受け取ったレミアは困り顔で微笑みながら、そばに置いていた空のホルスターにすっと入れました。

 

「今のあたしには大きすぎて扱えないわ」

「でもヒトのものはヒトが使ってこそなのだ。どのみちアライさんじゃそれは扱えないから、ちゃんとレミアさんに返すのだ」

「もう……まぁ、そういうことなら預かっておくわ。ありがとね」

「どういたしましてなのだー」

 

そんなやりとりを見て、サーバルもバス後部に置いていた帽子を持ってカバンさんの頭にかぶせます。

 

「私も! これはカバンちゃんが被っててほしいかなぁって!」

「サーバルちゃん…………うん、わかったよ。ありがとね」

 

はにかみながら帽子をぎゅっと被ったカバンさんをサーバルは満足げに見つめていました。

と、その時。

 

「ん?」

 

サーバルの耳がピクリと動きます。フェネックも耳をぴくぴくと動かしています。

 

「何か聞こえるねー」

「これ、なんだろ? あれ……この音、もしかしてセルリアン??」

 

サーバルの言葉にレミアが首を傾げます。セルリアンなら今バスの下でせっせと働いてくれています。その音がどうしたのでしょうか。

レミアはフェネックの方に向き直り、

 

「どうかしたの?」

「ううーん? なんかねー、これたぶんねー、セルリアンが散ってるっぽいー?」

 

フェネックの言葉にセッキーがばっとバスから身を乗り出します。真下の海を見て、

 

『うわわわわわわ! ストップストーップ!! 待って待って待って待ってぇーッ!!』

 

大きな声で、バスの下で暴れているフレンズに叫びました。

 

 

海面から顔を出したフレンズは二人でした。二人とも焦ったような表情をしていましたが、セッキーの『その子たちは味方だよ!』の声に動きを止めたのでした。

 

一人はグラデーションがかったスカイブルー色の髪を肩口まで伸ばしたフレンズです。セーラー服とワンピースを一緒にしたような涼しそうな服装をしています。

もう一人は灰色と黒色の二色の髪を、左側で細く一つにまとめ上げたような髪型のフレンズです。スカイブルーの髪色の子と同じような、セーラー服とワンピースを混ぜたような服装をしています。手には特徴的な細く長いスピアを一本持っていました。

 

セッキーの慌てた制止の声に二人は怪訝そうな表情を浮かべながらも、セルリアンを屠る手を止めました。バスとセルリアンを交互に見て、スカイブルーの髪色の子が声を張り上げます。

 

「襲われてるんじゃないの!?」

『ちがうちがう! この子たちはボクのお友達だよ! 安全だからやっつけないで!』

「そっか! わかった! にしても変わったものに乗ってるね! そっちに行ってもいい?」

 

スカイブルーの髪色の子の申し出に、セッキーは一度バスの中を見回してから、

 

「レミア、カバン、上がっても平気?」

「あたしはいいわよ」

「ボクも、いいと思います」

『オッケー! いいよいいよ! 上がってきて!』

 

二人のフレンズをバスに乗せました。

 

 

「あたしはバンドウイルカのフレンズ! ドルカって呼んでね!」

「わたしはイッカククジラのイッカク。セルリアンハンターだ。襲われているのかと思ったぞ」

 

スカイブルーの髪の子がドルカ、スピアを持った子がイッカクと言うそうです。

二人のフレンズはイルカと鯨なだけあって泳ぐのが得意そうです。この辺りをうろうろしていたらセルリアンが集まっているバスを見て、襲われていると思ったそうです。

 

セッキーは両手を合わせながら、

 

『紛らわしくてごめんね。ボクはセッキー。ラッキービーストのフレンズだよ』

「ラッキービーストのフレンズぅ!? そんなのいるんだ! すごい!」

 

ドルカが拳を握りながらはしゃいでいます。その横でイッカクが怪訝そうな顔で首を傾げながら、セッキーに質問します。

 

「お前はセルリアンを操れるのか?」

『うん、そうだよ。バスを動かすのに手伝ってもらってるんだ。ゴコクチホーに行きたくて』

「なるほどな。それはまぁ……勘違いとはいえすまなかった。友達を消してしまって」

『大丈夫大丈夫』

 

実際、消えてしまったセルリアンが戻ってくることはないのですが、そこまでセッキーは気にしていない様子です。

その後はレミア、アライさん、フェネック、サーバル、カバンさんと自己紹介をしました。

 

ドルカは、

 

「ヒトのフレンズ? ヒトってどんな動物なの?」

 

と、初めて聞くフレンズに興味があるようです。

答えたのはサーバルとアライさんでした。

 

「いろんなこと考えたり、やったりするのがとっても得意なフレンズなんだ!」

「へえー!」

「レミアさんは戦うのも得意なのだ!」

「え? こんなに小さいフレンズなのに?」

「今は小さくなってるけど、元はもっと大きかったのだ! とっても強くて頼り甲斐のあるフレンズなのだ!」

「そーなんだ! すごいね!」

 

ドルカはキラキラとした目で胸の前に拳を握ってうなずきます。そのままの調子で首を傾げながら、

 

「ところで、みんなはどこからきたの?」

 

サーバルが「向こうのほうだよ!」と指を刺した先、元いたキョウシュウエリアは今はもう遥か遠くにうっすらと影が見えるくらいになっています。

ドルカは、

 

「向こうのほうは行ったことないなぁ! ねぇねぇ、どんなところなの?」

 

目をぱちくりさせながら聞いてきます。答えたのはアライさんでした。

 

「いろんな地方があって、いろんなフレンズがいるのだ! あと時々めちゃくちゃでかいセルリアンが出るのだ!」

「ええー! じゃあじゃあ、そんな大きなセルリアンが出た時はどうしたの? 逃げたの?」

「逃げたり戦ったりなのだ! アライさんの周りにはゆーしゅーなフレンズがたくさんだから、パークの危機でもへっちゃらなのだ!」

 

アライさんの言葉に「危ない時は危ないけどねー」とフェネックが横槍を入れておきます。できればもう巨大セルリアンとは顔を合わせたくないなぁという率直な思いからくる言葉でした。

 

「ゴコクエリアは、どんなところなのかしら? 知ってるの?」

 

レミアはドルカとイッカクに首を傾げながら訊きました。口を開いたのはイッカクです。

 

「わたしたちは海と海辺が縄張りで、普段はそこにいるからな。海辺より向こう側がどうなっているのかは知らないが、特に代わり映えはしないと思うぞ?」

「セルリアンがやたらたくさん出てきたり、大きなのが出たりとかは?」

「最近では見ていないな。海の方では、時々セルリアンは出てくるが、わたしを含めたハンターが対処可能なくらいのやつしか出ていないぞ」

「そう」

 

レミアは納得した様子でうなずきました。というのも、キョウシュウエリアの火山とサンドスターがどの程度影響しているのかを知りたかったのです。よその地方や海にまで影響しているのか否か。答えは否でした。

 

「ゴコクエリアにも火山はあるのかしら?」

「あるよ? というか海の中にもあるよ!」

 

ドルカが元気よく答えます。その言葉に驚いたのはサーバルとアライさんで、目を丸くしながら、

 

「う、海にも火山があるのか!」

「すっごーい! 見てみたーい!」

「潜れば見れるけど、君たち泳ぎは得意なの?」

「ちょっとなら泳げるよ!」

「アライさんは苦手なのだ…………」

「だいぶ深いところにあるからやめておいた方がいいと思うな!」

 

屈託のない笑顔でドルカはそう言いました。海底火山、そうなかなか簡単には見られそうにありません。

ドルカの笑顔を横目に、今度はイッカクが不思議そうな表情でレミアに質問を投げかけます。

 

「それにしても、お前たちはどうして縄張りを離れてそんな遠くへ行こうとしているんだ?」

「あぁ、それには訳があるのよ。主にあたしとカバンさんの目的を果たすためね」

「目的?」

 

首を傾げるイッカクに、レミアは言葉を続けます。

 

「あたしの目的は、過去へ戻るために、神に匹敵するフレンズに会うこと。カバンさんは……」

「ボクは、人のいる場所、人の縄張りを探しています」

「なるほどなぁ……」

「イッカクちゃん、何か知らないかしら?」

「神に匹敵するフレンズというのも、ヒトの縄張りというのも聞いたことがない。そもそもわたしたちはヒトという動物を今日初めて聞いたからな」

「神様……のようなフレンズのことは何か噂話程度でも聞いたことないかしら?」

「ないなぁ。そんなのがいるって話を聞いていたら忘れる訳がないから、とんと思い当たる節がない」

「そう……」

 

レミアは少し残念そうです。カバンさんも前を向いたまま話だけは聞いているようですが、カバンさんの方は慣れているのか、落ち込んでいるふうには見えませんでした。

そのままカバンさんは「ん?」と一言唸ると、目を細めて水平線の彼方を見遣ります。それからパッと笑顔になり、

 

「みなさん! 島が見えてきましたよ!」

 

運転席の方から声を上げました。

みんな一斉にバスの前方へ集まります。はるか水平線の向こう側、うっすらと、しかし確かに、島の影が見えてきました。

レミアがごくりと唾を飲み込みながら言葉を漏らします。

 

「あれがゴコクエリアね」

『どんなところなんだろうね!』

「楽しみだわ」

 

 

島を目指して進む一行のバスの中、時刻は昼前になりました。

太陽がもうすぐ一番高いところへ昇ります。海面にキラキラと反射する光を眺めながら、レミアたちはジャパリまんを食べていました。

イッカクとドルカにも渡して、みんなでお食事タイムです。

 

レミアは両手でジャパリまんをもってもふもふと食べながら、ドルカの方へ向き直って口を開きました。

 

「それにしても、あなたたちの縄張りはずいぶん広いのね。島の岸からかなりの距離じゃないかしら」

「ん? ううん? 違うよ。あたしたちの縄張りはもっと島に近いもん。今日はちょっと遠出してて」

「あらそうだったの。なにか用事?」

「うん。実はね……」

 

ドルカがジャパリまんを食べる手を止めました。心なしかバスの車内に静かな空気が流れます。

 

「あたしの友達ね、様子がおかしいんだ。あたしたちの名前が思い出せなかったり、体が小刻みに揺れたり、食べたジャパリまんを吐いちゃったりするんだ」

 

深刻な面持ちでそう切り出します。イッカクもジャパリまんを食べる手を止めてつぶやきます。

 

「前はこんなことはなかった。二、三日前から急になんだ。原因がわからなくて、とりあえず何か元気が出るものをと思って食べ物を探してここまで出てきたんだ」

 

冗談を言っているふうには見えません。レミアはドルカに、

 

「その子の名前は?」

「フォルカ。カリフォルニアアシカのフォルカだよ」

「アシカって、生態的に忘れっぽかったりするのかしら?」

 

セッキーの方へ向いて聞きます。セッキーは首を横に振って、

 

『そんなことないよ。食べ物を吐くような習性もないし、まして痙攣なんてことも……たしかに、様子がおかしいかもね』

 

セッキーは持っていた最後の一口のジャパリまんを口へ放ると、ドルカの方へ心配そうな目を向けながら言いました。

 

『もしよかったら、そのフォルカって子見せてくれない? ボクも、それからカバンの腕に巻かれているのもラッキービーストだから、なにか治療法が見つかるかも』

「ありがとう。出会ったばかりなのに心配してくれて、本当に……」

『困った時はお互い様だし、フレンズを守るのはパークガイドロボットの務めだからね! レミアたちも、いいかな?』

 

セッキーの言葉に一同賛成の意を示します。是非ともフォルカの様子を見せてほしいということでした。

そうこうしているとバスは島へと近づいていました。きれいな浜辺が見えてきます。

 

「こっちだよ! あの岩場に住んでるんだ!」

 

ドルカの指し示した岩場のところまでバスを進めます。それなりに広い洞窟のようになっていて、中は空洞です。バスが余裕で入る作りをしています。

海の水が内部まで入り込んで、波打ち際には砂浜があります。確かにそこには一人のフレンズが横たわっていました。

 

海色セルリアンにバスを浜辺まで押し上げてもらい、全員がバスから降ります。セルリアンは波打ち際に待機です。

 

セッキーがフォルカに駆け寄ります。後に続いてみんな、フォルカを心配そうに囲みました。

 

『ボクはラッキービーストのフレンズのセッキーだよ。声聞こえる? 返事はできる?』

 

優しい声でセッキーがフォルカを抱き抱えながら話かけます。フォルカはゆっくりと瞼を押し上げ、力のない声で返事をしました。

 

「ええ…………聞こえるわ。ごめんなさいね……ちょっと、体調がすぐれなくて」

 

体調がすぐれないどころか今にも死んでしまいそうなほど元気がありません。セッキーはフォルカを一度砂浜に下ろすと、ドルカの方へ向き直って質問します。

 

『なんか最近、変わったことをした? 危なそうな場所に行ったとか、ジャパリまん以外の食べ物で、慣れないものを食べたとか』

 

ドルカは少し考えて、それからハッとして口を開きました。

 

「そういえば、フォルカ、ジャパリまん以外のもの食べてた! たしか、カニだったと思う!」

『カニ?』

 

セッキーが首を傾げます。

確かに、アシカの生態的にはカニを食べてもおかしくはありません。動物だった頃は魚と並んでよく食べていましたし、フレンズ化した今、すなわち人の体になってもカニくらいなら食べても問題はありません。

 

カバンさんがフォルカの様子を心配そうに見ながらおずおずと手を上げています。

 

「その、カニって、何か毒が含まれていたりしないんでしょうか? ボクも料理をするときには、毒のある食材を使わないように気を付けていたので」

 

その質問に答えたのはセッキーです。

 

『毒のある個体もいるけど、そんなのごくわずかだよ。ドルカ、なにか食べていたカニの殻とかない? 見ればすぐにわかるよ』

 

ドルカはえーっとと言いながら薄暗い洞窟の奥の方へ行き、蟹の殻を一つ摘んで持ってきました。

 

「これなんだけど」

『うーん、別に普通のカニだね。どこにでもいるやつだ』

 

特に問題はないそうです。蟹の殻が珍しかったのか、サーバルは手にとってころころと転がし始めました。

 

「なんでだろーねー」

「アライさんもさっぱりわからないのだ。でもフォルカ、とっても苦しそうだから楽にしてあげたいのだ」

「ジャパリまんを食べてればサンドスターの力で治りそうだけどー、吐いちゃうなら意味ないよねー」

 

フェネックとアライさんもお手上げのようです。カバンさんはサーバルが転がしているカニの殻をじっと見つめて、それから何か思いついたのか、手元のボスに話しかけます。

 

「ラッキーさん、カニってフレンズになることはあるんですか?」

『ならないとも限らないけど、魚介類がフレンズになる確率はとても低いよ』

「そうですか……」

 

カバンさんが残念そうに肩を落とします。レミアは、

 

「カニのフレンズ、がいたら聞こうと思ったのね?」

「あ、はい。何かわかるかもと思って」

「まぁ仮にそうだったとしてもちょっと、自分を捕食する者にはしたくない話よね」

「たしかにそうですね…………」

 

いないのでは聞きようもありませんが、仮にいたとしてもなかなかしにくい話の内容です。自分を食べて体の調子を悪くした相手のことなど知っていたとしてもあまり話せる内容ではないでしょう。

 

どうしたものか、と一同頭を悩ませていましたが、ふと、再びカバンさんが声を上げます。

 

「もしかして、少量食べるだけなら大丈夫でも、たくさん食べたら毒になる個体だったりしませんか?」

『たくさん食べたら……? うーん、このカニはそんなことないような……あ、いや、まってよ、もしかして』

 

セッキーは何かに気が付いたかのように振り返ると、洞窟の奥、カニの殻が捨てられているところを注目します。

 

『ずいぶん多いね。どれくらいの期間でこれを食べたの?』

「たしか一晩で……」

『一晩!?』

 

そこに捨てられている殻の数はゆうに百は超えています。一晩でよくもまぁここまで大量に食べたものです。

 

「セッキーちゃん、何か原因に思い当たるものがあるの?」

『うん、もしかしてなんだけど…………』

 

セッキーは、横たわって苦しそうにしているフォルカの顔を一度見て、それから自分を見つめるみんなの視線に応えるようにつぶやきました。

 

『ドウモイ酸……かも』




次回「うみべ! にー!」


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第二話 「うみべ! にー!」

前話で「キョウシュウチホー」「ゴコクチホー」となっていたところを「キョウシュウエリア」「ゴコクエリア」に修正しました。アニメ一期準拠の呼び方にします。


 

「ドウモイ酸?」

 

カバンさんが怪訝そうな表情でセッキーの言葉を繰り返しました。

セッキーは口に出したドウモイ酸という物質について説明をします。

 

それは、簡単にいうと人体やアシカにとっての毒であり、摂取しないほうがいい物質であること。

自生する藻で生成され、それを食べたカニや貝類にドウモイ酸が蓄積され、そのカニや貝を食べることで影響を及ぼすこと。

記憶喪失系の毒で、症状は吐気、嘔吐、腹痛、頭痛、下痢に始まり、ひどくなると記憶喪失、混乱、平衡感覚の喪失、けいれんが起こり、最悪の場合昏倒の末死に至る毒です。

 

『人体だけじゃなくて、フレンズ化する前のアシカなんかもよく被害に遭う毒なんだ。餌場や縄張りを忘れてしまうから、大変なんだよ』

「それじゃあ、フォルカさんは……」

『うん、たぶんカニからドウモイ酸を大量に摂取してこうなっちゃったんだと思う。名前を忘れるとかの症状から見るにほぼ間違いないと思うな』

 

うなずくセッキーに、レミアは心配そうに口を開きます。

 

「毒の種類がわかっても、解毒剤もないしどうすることもできないんじゃないかしら」

『そうだね。治療するには…………どうしたらいいんだろう。サンドスターの作用で無理やり治したいところだけど、嘔吐しちゃうんじゃ摂取しようがないんだよね』

「あの」

 

困り果てるセッキーに、カバンさんがおずおずと手を上げました。

 

「セルリアンに毒だけを食べてもらう、というのはどうでしょう……? できませんかね」

『セルリアンに?』

 

驚きの声を上げたセッキーですが、すぐに立ち上がると『ちょっと待ってて』と言って波打ち際の海色セルリアンの元へ行きました。

 

『毒だけを器用に食べることってできる?』

 

ヒュルオ。

 

『本体とか、サンドスターは食べちゃダメなんだよ? できる?』

 

ヒュル、ヒュルオオオオ。

 

二言、三言会話を重ねています。セッキーはみんなの元に戻ってくると、

 

『で、できるみたい。なんかね、食べることなら任せてって。僕達より食べるのがうまい存在なんていないよって言ってた』

「わぁ!」

 

その場にいた全員が花の咲いたような笑顔になります。さっそく試してみようと、海色セルリアンを浜に上げてフォルカの元に近づけます。

 

『本当に、サンドスターとか食べちゃダメだからね? 記憶とかも食べちゃダメだよ? 大丈夫?』

 

セッキーは心配そうに念を押しますが、海色セルリアンはどこか頼もしく目を動かしてヒュルルとひとつ鳴きました。

仰向けで横たわるフォルカの首から下に覆いかぶさります。グニュグニュと音を立ててしばらく蠢くと、ぴたりと止まりました。

 

とたん、

 

「あ、気持ちいい……」

 

フォルカが声を上げます。ちょっとブルっと体を震わせたかと思うと脱力してセルリアンに身を委ねている様子です。

 

「うまくいってるのかしら?」

『たぶん……?』

 

レミアもセッキーも首を傾げます。アライさんがうずうずした様子で、

 

「アライさんもやってみたいのだ。フォルカとっても気持ちよさそうなのだ」

「やーアライさんそしたら一回毒を食べなきゃだよー? しんどいよー?」

「う…………それは嫌なのだ。やっぱりやめておくのだ」

 

しばらくするとセルリアンはゴソゴソと動いてフォルカから降りました。ヒュルルルとセッキーに何事か鳴きます。

 

『無事、ドウモイ酸だけ食べたって。もう体の中に毒は残ってないから大丈夫って言ってるよ』

「すっごーい! セルリアンってそんなこともできるんだね!」

 

サーバルの感嘆の声はみんなの心を代弁していました。セルリアンはどこか誇らしげにヒュルッっと一声上げると、海辺の方に戻って行こうとしました。

それを呼び止めたのはフォルカです。ゆっくりと体を起こしながら声を上げました。

 

「待って」

 

セルリアンが振り返ります。目はフォルカを見ていました。

 

「ありがとう…………本当に、助かったわ」

 

ヒュル、と。短く鳴いたセルリアンは波打ち際の方へ向き直ると数体集まっているセルリアンの集団の元へと戻っていきました。

 

『やーすごいね。まさかそんなことができるとは思ってなかったよ。フォルカ、体の調子はどう?』

「嘘みたいに軽いわ。吐き気もフラフラ感もないし、元通りになったみたい」

 

にっこりと笑顔でフォルカはそう告げました。ドルカとイッカクも胸を撫で下ろしたように安堵の表情を浮かべます。

ドルカはキラキラとした目でセッキーたちを見ながら、

 

「本当にありがとう! あたしの友達を助けてくれて!! これはなにかお礼をしなきゃだね!」

 

そういうとドルカは洞窟の奥の方へ行き、なにやら道具を取り出してきました。

 

「あたし達これで遊んでるんだけど、ちょっとした見せ物になると思うから見ていってよ!」

 

ドルカの手にはフラフープとボールが握られていました。サーバルが、

 

「なにそれなにそれ! 私も遊んでみたーい!!」

「後で貸してあげるよ! 海に出て、ぜひ見ていってよ!」

 

ドルカの誘いにサーバルはノリノリです。レミアとカバンさん、それからセッキーも顔を見合わせて、

 

「いいんじゃないかしら」

「はい。ボクもどんなふうにあれを使うのか見てみたいです!」

『あ、そうだ。それならバスの電池を充電しながら見ればいいんじゃないかな?』

 

セッキーはバスの方を指差しました。

そうです。バスは今電池がなくなっていて、自力では動きません。電池を充電する必要があるのですが、

 

「充電する施設はこの近くにあるの?」

 

レミアの至極真っ当な質問が飛びます。セッキーは『えーっとね』とちょっと目を瞑ると、

 

『あるみたい! この近くに風力発電の灯台があって、そこの小屋で充電できるみたいだよ。行ってみよう!』

「ドルカ達のショーはそれからね」

「アライさん楽しみなのだ!」

「これは期待できそうだよねー」

 

一行はバスに乗って洞窟から外へ出ました。

 

 

浜辺を少し行ったところに、小高い岩場がありました。その頂上に、風力発電をしている大きな風車と灯台、それから小屋が併設されています。

 

浜辺の方から小屋を見上げて、

 

『あそこだね。ちょっと行ってくるよ』

 

セッキーはバスを飛び降りました。

その様子を見ていたサーバルが、

 

「私たちも行っていい? カバンちゃんと一緒に、あのクルクル回ってるやつを近くで見てみたいんだ!」

 

セッキーの元へ駆け寄りながら聞きます。もちろんいいよとセッキーは返してから、

 

『レミアとアライさん達はどうする?』

「あたしはバスに残っておくわ。誰かいた方がいいでしょ」

「アライさんはセッキーについていくのだ! アライさんもあのクルクル気になるのだ!」

「じゃー私もついていこうかなー。レミアさん一人でも大丈夫ー?」

「大丈夫よ。何かあったらイッカクちゃんもいるし」

「任せておけ」

 

手に持ったスピアを誇らしげに掲げながらイッカクは胸を張ります。

 

バスの前部から電池を取り出して、カバンさんのカバンの中に入れてからセッキー達は出発しました。

 

『電池を仕掛けたらすぐ戻ってくるよ』

「戻ってきたらフォルカ達のショーを見るのだ!」

「アライさーん、突っ走らないでねー」

「だ、大丈夫なのだフェネック。ちゃんとみんなと一緒に行くのだ」

 

わいわいと騒がしく岩場に続く階段を登っていく背中を見届けて、レミアはバス後部の座席に座ったまま外の景色をぼーっと眺めました。

 

潮風が肩口まで伸びた茶髪を揺らします。磯の香りが鼻をくすぐり、太陽の光に反射した海面がキラキラと目に飛び込んできます。

 

「いい景色ね」

 

バスの外では、フォルカとドルカがなにやら作戦会議のようなものを話しています。チラチラと話し声は聞こえますがなにを話しているのかまではわかりません。この後のショーでなにをやるのか、段取りをしているのでしょう。

 

のんびりと外の景色を眺めていたレミアは、ふと、気になってポーチとホルスターに手を伸ばします。体をもとの大きさへ戻すためにサンドスターを使いたいが故に、今は取り外しています。二丁あるうちの一丁、壊れたままのリボルバーを取り出して、そっと指でなぞりながら、

 

「ごめんなさいね。あなた達を使うのはずいぶん先になるわ」

 

一言呟きました。すると、

 

「なるほどな、それがレミアの武器か」

 

イッカクがバスの中に入ってきました。独り言を聞かれてちょっと恥ずかしくなったレミアはごまかすようにリボルバーをホルスターに戻しながら座席に座り直します。

イッカクはその隣に座りながら優しい声音で質問します。

 

「元は大きかったそうだが、どれくらいの大きさだったんだ?」

「あなたより頭一つ大きいくらいかしらね」

「そうか。サンドスターの消費が原因……つまり、闘いすぎて小さくなったんだよな?」

「えぇ、まぁちょっと前にセッキーちゃんと色々あってね。今はもう仲直りしてるわ」

「そうか。まぁ、仲が良くてよかったよ。セルリアンを従えるような奴が敵に回るとは、考えたくない」

「ほんとね。大変だったわ」

 

くすくすとレミアは柔らかく笑います。

その様子を見ていたイッカクも、にこりと笑みを浮かべながら「そういえば」と言葉を続けます。

 

「仲直りといえば、セルリアンが味方しているという状況もなかなか不思議だな」

「そうね。ずっと危険な存在、いわば敵として対峙していたものとこうして力を合わせて何かをしているのは、運命の悪戯のようなものを感じるわね」

「一度従えたセルリアンはずっと仲間になってくれるのか?」

「今の所はそうみたいよ? ちゃんとジャパリまんをあげてサンドスターを摂取させてれば襲われることはないそうよ」

「すごいな、なんだか。現実味がない話だ」

「そうね」

 

イッカクはハンターです。ハンターとしてセルリアンとも相当数戦っているでしょうし、その分、食べられて別れを告げることとなったフレンズも大勢見てきているはずです。

急に仲良くなる、というのは戸惑いを隠せないのでしょう。

 

「あぁそうだ、レミア、ひとつお願いがあるんだ」

「なにかしら?」

「あの毒を食べてくれたセルリアン、我々の縄張りに置いてはくれないだろうか」

 

少し困ったような表情でそう言うイッカクに、レミアは、

 

「そりゃ、セッキーちゃんに頼めば大丈夫だと思うけど…………なんで?」

「実はな、フォルカ、カニが大好物なんだ」

「?」

「これからもカニを食べたいだろうし、でも毒を摂取するのはもうこりごりだろうから、セルリアンに毒を抜いてもらってからカニを楽しむというのはどうだろうかと思ってな」

「できなくはないと思うけど、セッキーちゃんに聞いた方がいいわね。話ができるのはあの子だけだし」

「よろしく頼む。フォルカの体調を良くしてもらった上にこんな頼み事は不躾だとは思うが……」

「いいのよ。好きなものは楽しまないと」

 

あたしもビールが飲みたいわ、という言葉は胸の内にしまったレミアでした。

 

 

『ただいまー』

「帰ったのだ!」

「お待たせしたねー」

「ゴウンゴウンいってて大きかったね! カバンちゃん!」

「すごかったね。あれで電気を作るんだって、すごいなぁ」

 

電池充電組が小屋から帰ってきました。レミアはさっそく先ほどイッカクから聞いた内容をセッキーに確認します。

うんうんと頷いたセッキーは、そのまま波打ち際にいる海色セルリアン達の元へ行くと、先ほどフォルカを治療した一体を見つけて話しかけます。

 

『と言うわけなんだけど、できそう?』

 

ヒュルルロ。

 

『そっか! じゃあお願いするね!』

 

ヒュル、と、短いやり取りでしたが心良い返事がもらえたようです。

フォルカの方にはイッカクから話をしたようで、まず最初に驚いた様子のフォルカはそのあと恥ずかしそうにしながらセッキーの元へ駆け寄り、

 

「あ、あの、ありがとうございます。おかげで大好物をこれからも楽しめますわ」

『いいっていいってー! やっぱり好きなものは諦めきれないしね! あ、でも、これからは気をつけて、ちゃんとセルリアンに解毒してもらってから食べること。あと食べ過ぎにも気をつけることだね』

「はい。わかりましたわ。本当に、何から何までありがとう、セッキーさん」

『いいってことよー』

 

フォルカは、恥ずかしそうにはしていましたが、とても嬉しそうな満面の笑みを浮かべていました。

 

 

「そーれじゃー! ドルカとフォルカのウォーターショーを始めるよぉー!」

 

ドルカの元気な声が浜辺に響きます。ドルカとフォルカは波打ち際に、他の全員は浜辺に座って二人を見ています。

 

「イッカクちゃんは混ざらないの?」

「わたしはあれ得意じゃないからな。見る専門だ」

 

イッカクも観覧側に回っています。

 

ドルカとフォルカは一斉に海の方へ泳いでいくと、ドルカが持っていたボールを空中高く放り投げました。

放物線を描いて落下していくボールのすぐ真下へと泳いできたフォルカが、頭でボールをキャッチします。

そのまま頭に乗せたまま立ち泳ぎでドルカの元まで来て、今度はドルカにバトンタッチします。頭から頭へ、ボールが手を使わずに移動したかと思うと、今度はドルカからフォルカへ、これまた手を使わずに頭の上だけでボールをやりとりしています。

 

「おおー! すごいのだー!」

「やるねぇー」

「すっごーい!」

「あはは、すごいすごい!」

「あれ立ち泳ぎしながらやってるのよね? 半端じゃないバランス感覚だわ……」

『レミア真似できそう?』

「無理よ」

 

各々拍手しながら目の前のショーに夢中になります。

ドルカは、今度はボールを手放して、フラフープをいくつか持っています。

フォルカが少し離れたところで待ち構えています。

 

「いっくよー!」

 

ドルカは一声とともに、フラフープを同時にばっと投げました。広がる輪っかが海面に吸い込まれていく直前。

 

「はい! はい! はい!」

 

フォルカが海面に近い順に全て潜っていきます。潜ったフラフープは腰のところで押さえて保持しています。最後にドルカがボールを投げて、それをフォルカが頭でキャッチしてウォーターショーはおしまいになりました。

 

割れんばかりの拍手が浜辺から二人に寄せられます。

二人は満足そうにはにかみながら波打ち際へと上がってきて、

 

「どうだった! どうだったかな!?」

「すごい迫力だったのだ! アライさん感動したのだ!」

「バランス感覚がすごいよねー」

「すっごいすっごーい! 私もやってみたーい!」

 

サーバルが手を上げて、ドルカに「なげてなげてー!」と手を振ります。

 

「じゃーいっくよー! それ!」

 

放物線を描いたボールの先で、サーバルはピョーンと飛ぶと、

 

「とりゃー!」

 

空中でボールに頭をタッチさせて、そのまま手で掴んで地上に降り立ちます。手で持ったボールを頭の上に乗せようとしますが、

 

「あ、あれ? あれ? だ、だ、だめかー」

 

ぽろりと落ちてしまいました。

 

「まぁ、そう簡単にはできないかもねー!」

「ううーもう一回! 次は成功するよ!」

「アライさんも! アライさんもやってみたいのだー!」

「順番だねーアライさーん」

 

その後、浜辺はしばらくボールを頭に乗せたいフレンズ達でわいのわいのと賑わっていました。

サーバルとアライさんが満足したのは、数時間経った後のことです。ドルカとフォルカはその間ずっと、笑顔でボールを投げてくれていました。

 

 

時刻は夕暮れ。海の向こう側に太陽がオレンジ色の光を残しながら沈んでいくところです。

浜辺には長い影が落ちていました。

 

「じゃーねー! ドルカ! フォルカ! イッカク!」

「うん! また遊びにきてね!」

「待ってますわ」

「ありがとうな。また遊びに来いよ」

 

サーバルが元気な声で手を振ります。バスの充電も無事終わり、一行はゴコクエリアの中へと向かっていくことになりました。

これからしばらくは陸路での旅になります。海色セルリアンは地上をそう早くは動けないそうで、ドルカたちの縄張りにおいていくことになりました。

フレンズ達を襲わないこと、何かあれば、例えば敵対するようなセルリアンが現れた時にはドルカ達を守るようにとセッキーがよく言い聞かせています。あと、ついでにカニの解毒もよろしく頼んであります。

 

キョウシュウエリアから連れてきている水色セルリアン四体はバスの上に乗せています。移動はこれで大丈夫そうです。

バスはゆっくりと、一行を乗せて出発しました。

 

バスが見えなくなるまで、ドルカ、フォルカ、イッカクは手を振ってくれていました。

見えなくなってからしばらくして、

 

「ふー! たのしかったー! フォルカも、体良くなってよかったね!」

「ええ、本当に。あの子達には感謝しても仕切れませんわ」

「もうあんな状態にならないように気をつけないとな」

「えぇ、でも…………回復祝いにまたカニが食べたいですわ」

「さすがフォルカ」

「さすがだな」

 

ええ、何か問題ですの? とフォルカは困ったような表情をしましたが、ドルカはううんと首を横に振って、

 

「ちゃんとセルリアンに解毒してもらってから食べよう! あたしも食べる! イッカクも食べる?」

「わたしも、食べてみようかな」

 

それじゃあ、とドルカは拳を空高く上げて、

 

「今夜はカニパーティーだー! いえい! かにかにー!」

 

満面の笑みで叫びました。

夕暮れの浜辺には、どこまでもどこまでも、ドルカの嬉しそうな声が響きわたっているのでした。

 

 




ドルカのビジュアルめっちゃ好きです。あのグラデーションのかかった髪色とちょっと癖のあるところ最高に好き。

次回「ちくりん! いちー!」


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第三話 「ちくりん! いちー!」

新型コロナウイルスに被弾してぶっ倒れていました。
週一更新でよかった……というわけで「ちくりん!」編です。


『ここから竹林に入るよ。今日はこの辺にして休もうか』

 

カバンさんの手首に巻かれたボスが光り、そう告げます。

 

空の光はうすい紫色になり、西の空には太陽の残滓がわずかに輝く、そんな時間帯。

もうじき夜が訪れようとしているここジャパリパークの一端で、黄色いバスは停車しました。

 

ここまできた道はどこにでもありそうな植生の森。この先の道は、右も左も覆い尽くす竹林です。

朽ちたゲートのような棒を境目に植生が一気に変わっています。これもサンドスターのあるこの地ならではの現象でしょう。

 

「ジャパリまんを食べて、今日はもう寝ましょうか」

 

レミアはごそごそと荷物袋を漁って人数分のジャパリまんを取り出していきます。

フェネックが近づいて手伝ってくれました。みんなに配ります。

 

バスの中はバッテリーから電源を取って灯りがついています。

 

「「「いただきまーす」」」

 

みんなで輪になってジャパリまんを食べ始めました。屋根に乗っていたセルリアン達も降りてきて、バスの外でジャパリまんを食べています。

食べるというよりは取り込むなので一瞬で消えてしまいましたが、食べたからには満足したのかまた屋根の上に登って目を瞑りました。セルリアンも寝るそうです。

 

「そういえば、ゴコクの地図は手に入ったのかしら? セッキーちゃん」

 

レミアが首を傾げながら質問します。セッキーはうんと頷いてから、

 

『もうカバンのラッキービーストにもデータ送ったよ。ただ地形は手に入っても目的地がないからどうしようかなって』

「確かにそうね。人のいそうなところと、神様のフレンズがいそうなところ…………」

「適当にふらふらして、出会ったフレンズに聞いて回ればいいのだ! アライさんはよくそうしているのだ!」

「まーそーやってフラフラしてるから道に迷うんだけどねー」

「フェネックぅ!?」

 

アライさんが素っ頓狂な声をあげます。

 

とはいえ確かに、一行は今、目的地という旅の最も大事なものを失っていることになります。行くあてもなければゴコクエリア自体の情報も集まっていません。人のいそうなところ、神のいそうなところ。そのどちらも未だ見つかってはいません。

 

「地図には、何か人のいそうなところとか情報ないの?」

『そうだねぇ…………地図を見た限りでは、どこにもないねぇ。各地方と、それから中央の方にあるのは研究所かなぁ。あとは隣のエリアに繋がってる大きな橋とか、港とかかなぁ。人がいそうなところはないんだよねぇ』

 

中空を見ながらそうこぼすセッキーに、カバンさんがジャパリまんを齧る手を止めてつぶやきます。

 

「けんきゅうじょ、っていうのはなんですか?」

『ん? あぁ、いろんな研究をしているところだよ。たぶんサンドスターとかセルリアンとかフレンズのこととかを調べてるところ。キョウシュウでいうところの図書館に近いかな。図書館よりもっと専門的な施設っぽいけど』

「そこって……」

「何かありそうね」

 

カバンさんとレミアが顔を見合わせてうなずきます。人がいないにしても、なにか、例えば研究レポートなんかが一つでも残っていれば、何か発見があるかもしれません。行ってみる価値はありそうです。

 

『それじゃあ、目的地は研究所だね。人がいればラッキーだけど、いなくても何かわかるかもね!』

「はい! よろしくお願いします!」

 

旅の目的地が決まりました。

 

 

それから数時間後。

すっかり夜の帷が降りたバスの車内には、カバンさん、サーバル、アライさん、フェネック、セッキーが寝転んでスースーと寝息を立てていました。

 

そんな中一人、むくりと起きて音を立てないように抜足忍足でバスから降りていく人影があります。手には迷彩柄のポーチを握っていました。

 

バス後部の外側に背をもたれるようにして座った人影————レミアは、ポーチから葉巻を一本取り出します。

慣れた手つきで葉巻の端を噛みちぎり、ライターで火をつけます。口に持っていき、深く吸い込み、深く息を吐き出します。

 

見た目は五歳ほどの幼女ですから、そんな姿の人間が美味そうに葉巻を燻らせている様は異様です。が、止める人はおろか目撃している人もいません。レミアは誰にも邪魔されずに、久しぶりの一服を楽しんでいる様子です。

 

おもむろにポーチから通信機を取り出すと、ベラータへ繋ぎます。何度かの呼び出し音ののちに、気だるそうな声で返事が帰ってきました。

 

『はいはーいベラータですよ。レミアさんお久しぶりです』

「無事、隣の島に辿り着いたわ。ゴコクエリアというそうよ」

「そうですか。トラブルもなく無事で何よりです。敵対しそうな勢力はいますか?」

 

何を置いてもまず敵のことを考えるあたり、軍人らしいというか指揮官らしいところでしょう。レミアもその辺は踏まえています。ゴコクに近づいた時、まず最初にレミアが確認したのもセルリアンの有無でした。

 

「今のところはいないわね。キョウシュウでの噴火騒ぎはこっちには影響していないみたい。でも」

『でも?』

「博士たちが言うように、もしサンドスターや火山が意志のようなものを持って活動しているとしたら、こっちのエリアでも火山が吹き荒れるかもしれないわね」

『そうなってくると厄介ですね。フィルターが外れたりなんかしたら』

「ええ、そうね。またあのデカブツが出ないとも限らないわ」

『次出たらおしまいですよ…………気をつけてください。そちらからゴコクエリアの山は見えますか?』

 

そう言われ、レミアは頭上を見渡します。遠く遠くの夜空の向こうに、うっすらと、夜でも明るい高い山が見えています。

 

「だいぶ遠いけど、見えるわね。多分あれがサンドスターを吐き出してる山だと思うわ」

『日々よく観察しといてください。もしまた噴火が続くようであれば、フィルターの様子を確認する必要があります』

「心得たわ。こっちのエリアにも四神があるってことかしら」

『ある可能性が高いです。なにせサンドスター・ローをフィルタリングしているとなれば、キョウシュウだけではないと思いますからね』

「そうね。わかったわ。もし山が頻繁に噴火しているようなら、行ってみるわ」

『よろしくお願いします。通信は以上ですかね?』

「ええ、切るわよ」

『はい。それでは、良い旅を』

 

通信機の電源を切ります。

遠くの夜空、ほのかに明るい山の方を見遣ったレミアは、

 

「ん……?」

 

山の頂上からキラキラと光の粒子が舞っているのに気がつきました。

どうやら、見たところによると、

 

「こっちの山も、噴火しているみたいね」

 

それが偶然、年一回の噴火が重なっているだけならいいのですが。

山はキラキラと、サンドスターの粒子を吐き出し続けているのでした。

レミアはやれやれとため息をつきながら、もう一本葉巻を取り出して、火をつけようとした時、

 

「なにそれなにそれ? 食べるものなの?」

 

だいぶ声を抑えた音量で、サーバルがバスの窓から顔を覗かせていました。レミアは座ったまま見上げて、

 

「これは葉巻。火をつけて煙を吸うものよ」

「へぇー! 近くで見てみてもいい?」

「いいけど……まぁ、いいわ。ええ、こっちにいらっしゃい」

 

レミアは隣をポンポンと叩きました。夜の一服に、サーバルがお供します。

 

 

葉巻を咥えて、ライターで火をつけ、煙を深く吸って、葉巻を手に持ち、煙を吐き出す。

もくもくと口から吐き出される煙をキラキラとした目で見ていたサーバルは、やはりちょっと小さめの声で、それでも興奮を抑えられない様子で、

 

「すっごーい! 私も吸ってみたーい!」

「やめといたほうがいいわよ。体に悪いし、慣れてなきゃ美味しいものではないわ」

「えーそっかー。ちょっとだけ、お試しにちょっとだけってのはどう?」

「火がついてるわよ? 怖くないの?」

「克服したもん! 私もう自分で火つけれるよ!」

 

えっへんと胸を張るサーバルに、レミアは少し困り顔でどうしたものかと考えながら、まぁ本人が吸いたいというのなら吸わせてみるかと、あまり難しく考えないで葉巻を手渡しました。

 

「どうやって吸うの?」

「こっちの火のついてない方を口に咥えて、吸うだけよ。ちょっとにしておきなさいね」

「わかった! こうだね!」

 

サーバルは葉巻を咥えて、それからすーっと息を吸って————

 

「ぶえへぇ! ごほっ! げほぉっ!」

 

盛大にむせました。しばらくゲホゲホとむせた後、震える手で葉巻をレミアに返します。

 

「す、すごいねこれ…………こんなもの吸えるんだねレミアさん……すごいね……」

「慣れよ、慣れ。まぁあまり体にいいものではないから、吸わなくて済むなら吸わないほうがいいわよ」

「へへぇー……〝はまき〟はもういいやー……げほっ」

 

心なしか耳までしょげているサーバルに、今度はレミアから話しかけます。

 

「眠れないの? あなた、確か夜行性よね」

「うん。最近はカバンちゃんと一緒に夜寝てるから大丈夫なんだけど、今日はほら、慣れないところに来たから目が冴えちゃって」

「初めての土地、初めての夜だものね。無理もないわ」

「レミアさんも眠れないの?」

「あたし? あたしはまぁ…………そうね。ちょっと寝つきが悪いかもしれないわね」

 

そういって葉巻を口に咥え、一つ煙を吸います。ゆっくり吸って、ゆっくり吐き出します。

本当はただ葉巻が吸いたいだけでしたし、ちょっとベラータに通信をと思っただけです。寝ようと思えば寝れそうですが、サーバルに付き合うことにしました。

 

なんだかんだいってサーバルとは初めて、こうしてゆっくり話をします。二人きりなんてのも初めてで、大抵間にカバンさんがいるのでレミアは何を話そうかと少し考えました。

目線を上げて空に瞬く星々を見上げながら何について聞こうかと思案していると、サーバルの方が先に口を開きました。

 

「レミアさんは知らない場所に行くの、ドキドキする?」

 

どうかしらね、と一言おいて少し考えました。

生前から任務で見知らぬ場所へ行くことはありました。生まれ故郷を離れて大陸へ渡り、生計を立てていたこともあります。見知らぬ場所、未知の土地へ行くときに、自分はドキドキしていたでしょうか。

 

「たぶん、してるわね。自分がまだ見たことのない場所や物に触れるとき、あたしはどこか楽しんでいると思うわ。あなたはどうかしら?」

「私も、楽しいよ! すっごくすっごく楽しいし、楽しみなの。それをね、カバンちゃんと一緒に見られるのもとっても嬉しい」

「これからもずっと、カバンさんとは一緒に旅をするつもりなのね?」

「できるところまでそうするつもり! カバンちゃんの縄張りが見つかって、そこにカバンちゃんが住むことになったら、そしたら私も時々そこへ遊びに行くんだ!」

「キョウシュウの、元いたサバンナの縄張りへは帰らないの?」

「帰らない、かな。カバンちゃんの近くへお引越ししたいなって思う! 暑すぎるのとか、寒いのとかは苦手だけど、そうじゃないところに住んでまたカバンちゃんと遊ぶんだよ!」

「すてきね。旅が終わっても、あなたたちならずっと仲良くやっていけるわよ」

「レミアさんは、アライグマとかフェネックとはずっと一緒にいないの?」

「どうかしらね。あたしには明確に旅の目的があって、それを完遂することはアライさんやフェネックちゃんとのお別れを意味するもの」

「レミアさんの目的ってなんだっけ?」

「過去へ戻ることよ。もっと言うと、過去の祖国へ帰還すること。きっとあたしは死んだことになっているから大変だろうとは思うけど、それでもあたしは戻りたい。帰りたい…………わね」

 

一口、また一口と葉巻を吸っては紫煙を燻らせます。

いつになるかはわかりませんが、旅には終わりがきます。レミアのそれは、いつでも終わらせられる旅ではなく、いつか終わりを迎える旅です。

 

「終わる時まで、それまでは一緒にいたいわね。仲間だもの。大切な仲間。そして友人よ」

「そっかぁ。それじゃあ、見つかるといいね! 過去に戻る方法」

「方法は見つかってるのよ。ただ神様のフレンズってのがいないの。難しいわね」

「神様かぁ。カバンちゃんに聞いたよ! とっても偉いんでしょ? 神様って」

「そうね。偉いし、貴重だし、めったなことじゃ姿なんて表さないでしょうね」

「大変だねぇ」

「大変よ」

 

サーバルは懐からジャパリまんを二つ取り出しました。一つはレミアに渡します。

 

「こういうときにはなんだかジャパリまんが食べたくなるね!」

「そうね」

「レミアさんも、元の体に戻るためにたくさん食べないと! ほら、食べて食べて!」

「ええ、いただくわ」

 

ちょうど葉巻も吸い終わりました。レミアはジャパリまんを両手で持ってもぐもぐと食べ始めます。

 

「いつかね」

 

サーバルが、星々の浮かぶ夜空をキラキラとした目に映しながらつぶやきます。

 

「いつか、お別れすることになっても、私諦められないって思うんだ。キョウシュウからカバンちゃんが旅立つときには我慢できたけど、こうしてまたついていけるってなって、そしたらなんだか、もう気持ちが止まらないんだよね」

「そうね。一度流れたものは止められないものだわ」

「うん。だからね、カバンちゃんの旅が終わっても、カバンちゃんが縄張りを見つけても、私はそれでもずっとずっとそばにいたいんだ」

「そうしてあげれば、カバンさんも喜ぶわよ。あの子には…………あなたが必要だもの」

「うん!」

 

星の瞬く綺麗な夜。

月明かりに照らされたジャパリまんは、すこしずつ、お話ししながら減っていくのでした。

 

 

翌朝。

太陽はさんさんと昇り辺りを明るく照らしています。時間帯はまだ朝ですが、周囲はもうとても明るくなっています。

 

カバンさんはバスの運転席に座り、ハンドルを握ります。手首のボスが光りました。

 

『それじゃあ、目的地は研究所だね。竹林を抜けていくルートをとるよ。ちょっと遠いから、何日かかかると思ってね』

「はい、大丈夫です」

 

カバンさんは頷きながらハンドルに手を伸ばします。

 

「ボクも、ラッキーさんみたいに運転できるように練習がしたいです」

『半自動運転だけど、それじゃあ進路だけハンドルで操れるようにしようか』

「よろしくお願いします!」

 

ドゥルルンとエンジンがかかり、車体が揺れます。カバンさんは全員が乗っていることを確かめてから、

 

「それじゃあ、出発します!」

「「「おー!」」」

 

ハンドルを握りました。

 

そのまま数十分。

レミアは外の景色を物珍しそうに目で追います。

隣にはセッキーも座っていて、同じように外を見ていました。

 

「竹って初めて見たわ。木とは違うの?」

『違うよ。分類的にはイネ科の草なんだ。あれも一本一本が独立しているんじゃなくて、地下で茎が繋がってできてるんだ。だから全部クローンみたいな感じ』

「へぇー」

『増え方もすごくて、成長が早いから自然の植生では他の樹木を脅かす存在なんだよ。竹林は放っておくと大変なんだ』

「ジャパリパークではサンドスターのおかげでいたずらに増えるってことはないようね」

『そうだね。その辺りは他の地方と同じように、植生は区切られているね』

「どんなフレンズが住んでいるのかしら」

『そうだなぁ……竹を主食にするようなフレンズとか住んでそうだよね。パンダとか』

「へぇ、パンダ」

 

レミアが呟いたそのときです。バスはブレーキのキキーッという音を立てながら停車しました。

 

「どうしたのだ?」

 

アライさんがバス前方のカバンさんの後ろに行き、前を見ます。それから、

 

「ぬおあー! フレンズが倒れているのだ!!」

 

一声叫ぶとバスから飛び降りてしまいました。

 

バスの前方では、地面に横たわるフレンズと、その横に困った顔で座り込むフレンズが一人います。

アライさんは横たわっているフレンズの元へ駆け寄ると、一言。

 

「ね、寝てるのだ…………」

 

声を震わせながらそう呟きました。

 

 

 




次回「ちくりん! にー!」


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第四話 「ちくりん! にー!」

 

バスが停車した先では、道の真ん中で寝そべっているフレンズが一人、その横で困った表情で座り込むフレンズが一人います。

 

止まったバスから続々とフレンズが降りてくるのを見て、困り顔のフレンズはますます慌てた様子でおろおろしています。

 

一足先に降りていたアライさんが、座っているフレンズの肩を叩いて質問します。

 

「こんなところで何をしているのだ? なんでこのフレンズは寝ているのだ? 起きないのか?」

 

質問されたフレンズ————明るい茶色と白い髪の混ざり合ったフレンズは、こくりと頷きながら涙声で口を開きました。

 

「すみません。この子、一旦寝るとなかなか起きなくて……どこででも寝ちゃうんですぅ。私も困ってて、いつかこういうことになるだろうと思ってたんですぅ…………すみません…………すみません」

「大丈夫ですよ」

 

カバンさんは座り込んでいるフレンズに近づくとにっこりと微笑みます。

咎められているわけではないと安心したのか、茶髪と白髪の混じったフレンズは困った表情はそのままに笑顔を作りました。

 

「私はレッサーパンダのフレンズです。レッサーって呼んでください。こっちの寝てるのはジャイアントパンダちゃんです。パンダちゃんって呼ばれています」

「レッサーさんとパンダさんですね。二人はお知り合いなんですか?」

「はい。友達です。よく一緒に遊んでて……今日も一緒に遊んでたんですけど、急に眠くなっちゃったみたいでここで寝始めちゃって。誰かの邪魔になるから起こそうと思ったんですけど……」

「起きない、ですかね?」

「はい……それに、無理に起こして機嫌が悪くなると、この子とっても怖いんです。怒るとすっごく怖くて、だから無理には起こせなくて」

「それは困りましたね……」

「すみません……すみません……」

 

申し訳なさそうに肩を落とすレッサーに、カバンさんは大丈夫ですよと声をかけます。振り返って、レミアとセッキーの方へ向きながらどうしましょうかと眉尻を落としました。

 

「移動させるしかないわよ。これじゃあバス通れないし」

『みんなで道の端まで運ぶとかどうかな?』

「そうね、そうしましょう」

「それがいいですね。起こさないように、そーっと」

 

三人で頷きます。と、そのとき。

 

「きゃー!! セルリアン!!」

 

レッサーがバスの上を見ながら悲鳴を上げました。体を震わせて勢いよく立ち上がると、2歩3歩と後退ります。パンダの右手を持ち上げて引き摺ってでも逃げる姿勢です。

 

『あ、ごめんごめん大丈夫。この子たちは味方だから、襲わないよ。安心して』

「へ……? 味方…………?」

『そう。僕はセッキー。ラッキービーストのフレンズで、セルリアンを操れるんだ。だから安心して』

 

レッサーは初めこそ信じられないといった様子でしたが、確かにバスの上のセルリアンが降りてきて襲ってくる様子はありません。大丈夫そうです。

 

「よかった……びっくりしました……」

『ごめんね。びっくりするよね。大丈夫だから。そうだ! 自己紹介がまだだったね』

 

それから、レミアたちは各々自己紹介をしました。

 

 

数分後。とりあえず道の真ん中に眠るパンダを道の端へ動かそうということになりました。

パンダの周りを囲むのはカバンさん、セッキー、サーバルです。

 

「き、気をつけてくださいね……起こさないように、そーっとお願いしますぅ」

 

レッサーが心底心配した表情で拳を握っています。サーバルは親指を立てて「任せてよ!」と元気に言い放ちます。

 

カバンさんがパンダの両脇を、セッキーが左足を、サーバルが右足を持って持ち上げます。

 

「『「せーのっ!」』」

 

体は持ち上がりました。予想以上に重いらしく、カバンさんの腕がプルプルと震えています。長くは持ちません。

 

「頑張るのだ!」

「がんばれー」

「その調子よ。気をつけて!」

 

パンダのお尻が地面に擦れながらも、なんとか道の端まで動かすことに成功しました。起こさないようにそっと地面に寝そべらせます。

地面に置かれたパンダは「んゆ……」と一つ声を漏らしながら体を横にしてすやすやと寝息を立て始めました。

 

無事、移動成功です。

 

「ご迷惑おかけしましたぁ……ほんとにすみません……すみません……」

 

平謝りのレッサーにカバンさんもセッキーもレミアもいいよいいよと手を振ります。

 

ふと、レミアは疑問に思ったことを口にしました。

 

「いつもこんな調子でどこででも寝てるの?」

「はい。いつも、急にです」

「寝たら危ない場所とか、危ないタイミングとかでも平気で寝るの?」

「はい。本当に……いつでもどこでもすやすやと……毎回私もヒヤヒヤしながらそばにいるんです。一回セルリアンの目の前で寝ちゃったこともあって」

 

ええーっと、一行から驚きの声が上がります。

 

「その時はどうしたのだ?」

「無理やり起こしました。そしたらパンダちゃんすっごく怒って、セルリアン全部倒しちゃったんです。あの時はセルリアンに向かって怒ってくれたからよかったけど、そうじゃなかったらと思うと怖くて……」

「それは……なんとかしないといけないわね」

 

どこででも寝てしまうパンダです。せめて寝る場所くらい選べると楽なのですが。

何かいい方法はないかしらとレミアはカバンさんの方を向きます。

カバンさんも顎に手を当てて考えてくれていましたが、アイデアの声は後ろにいたアライさんからのぼりました。

 

「竹を2本使って、間に布を通して運べばいいのだ!」

「担架っていうのよそれ。いい案だけど、二人いないと運べないわよ」

「そうだったのだ……」

 

アライさんは肩を落とします。そんな様子を見ていたフェネックが今度は手を上げました。

 

「前にレミアさんが私を担いだみたいに背負うってのはどうかなー? ほら、首の後ろにガバって背負うやつ」

「あれは体格がある程度大きくないと無理よ。それに力も必要だわ。レッサーちゃんじゃちょっと無理よ」

「そっかー」

 

レミア式の、というよりは広く軍隊で採用されている人の運び方です。両手が比較的フリーになることや、重心が体の真ん中にくることで長く運べるという利点はありますが、体格の小さいレッサーがパンダを背負うのにはなかなか無理がありそうです。

 

「はいはーい!」

 

今度はサーバルが手を上げました。

 

「もう引きずっちゃえば? ズザーって。運べそうだよ?」

 

いくらなんでも無茶です。それは運んでいるとは言いません。

 

『あーじゃあ、竹を切っていくつか体の下に敷いてさ、上に乗せて転がすってのはどう? 重いものを運ぶときによく使われてた手法だけど』

 

セッキーの案はいけそうです。ただ、これにはレッサーが渋い顔をしました。

 

「ずっと竹を持ち歩くのは大変ですね……それも結構な数が必要ですよね……大変です……」

『そっかー。まぁ確かにその通りだね』

 

セッキーの案もダメそうです。

どうやったら寝ているパンダを起こさずに、楽に運べるでしょうか。みんな頭を悩ませています。

別にカバンさんやレミアの旅には一切関係ないので放っておいてもいいのですが、レッサーが困っているとあればどうにかしてあげたい、という気持ちでみんな腕を組んでいるのでした。

 

と、そのときです。

 

「ん!?」

「おっとー」

 

サーバルとフェネックがばっと顔を上げました。二人とも同じ方向を睨んでいます。

 

「どうしたの、サーバルちゃん?」

 

カバンさんの声に、サーバルは緊張した声で返しました。

 

「セルリアンだよ!」

 

 

皆が一斉に臨戦体制に入ります。セッキーは水色セルリアンを近くに寄せ拳を構えました。サーバルはいつでも飛びかかれるよう姿勢を低くして、爪を立てています。

フェネックとアライさんは後方に下がってレミアの前に立ちます。こういうときに何もできないレミアは歯痒い思いですが、言っても仕方がありません。せめて邪魔にならないよう、そして戦況を冷静に分析できるよう一歩引いた場所で見守ります。

 

カバンさんも下がります。サーバルの後ろに隠れるようにして状況を見ています。

 

竹林の間。ガサゴソと茂みが揺れ、皆が体に力を入れた瞬間。

ぴょこんと、飛び出してきたのは、

 

『ち、小さい……』

 

足の膝にも届くか届かないかといった大きさの、竹色のセルリアンでした。小さいですが四体います。サーバルは爪を向けながら、

 

「これくらいの大きさなら大丈夫! 私がやっつけちゃうよ!」

 

そう叫びます。今にも飛び掛からんとしている体勢を、止めたのはセッキーでした。

 

『まって! ちょっと話してみる。もしかしたら味方になってくれるかも!』

 

そう言うとセッキーは目を瞑ります。竹色のセルリアンはよちよちとセッキーの足元に近づいて、ぴょんぴょんと飛び跳ねます。

 

『大丈夫みたい。話したら敵意はないし、襲うつもりもないって! もう平気だよ!』

 

セッキーの声に、皆が肩の力を抜きました。竹色のセルリンはセッキーの足元でどことなく嬉しそうに跳ねています。

ふと、その様子を見ていたカバンさんがハッとして何かに気が付き、声を上げました。

 

「あの、このセルリアンを使って、バスリアンみたいなのを作るというのはどうでしょう? できますか?」

 

 

バスリアン。

キョウシュウエリアではレミアがロッジから遊園地へ行くときに使った、セルリアンで構成されたバスのような乗り物です。

あれは赤色セルリアンのタイヤと水色セルリアンの車体でした。

 

セッキーはちょっと考えて、

 

『まぁフレンズ一人乗せるくらいなら竹のセルリアンでもいけるかな。ちょうど四体いるしちょっとやってみようか!』

 

そういうと手早く竹色セルリアンを四体配置して、上に平べったくした水色セルリアンをのせます。見てくれは台車っぽくなりました。

 

『レッサー、ちょっと乗ってみてよ! 試しにさ』

「せ、セルリアンの上にですか……? 大丈夫ですか……??」

『大丈夫大丈夫。もうこの子たちはフレンズを襲わないから! ほら」

 

レッサーは恐る恐る、平べったくなっている水色セルリアンの上に乗りました。

ひんやりとした感触、ゼリーのようにぷるんとした触り心地、何より優しいゆりかごのように揺れる車体。

 

「これは……! これはいいですね!」

 

喜びの声を上げるレッサーです。セッキーはうんとひとつ頷いて、

 

『車体は小さいし、車輪が竹のセルリアンだから多分運ぶのは一人が限界だろうけど、これならパンダも運べるんじゃないかな?』

「ありがとうございます! これならパンダちゃんを乗せて、安全な場所に移動できます!」

 

満面の笑みのレッサーです。バスリアンからおりてセッキーの手を握りました。

それからアイデアを出したカバンさんの手も握ります。ぶんぶんと振り回して体全体で感謝の意を表しています。

 

すると、そばで寝ていたパンダがむくりと起きました。

 

「あれぇ〜? わたしぃ、寝ちゃってたぁ〜? んん〜? だぁれぇ〜?」

 

眠気まなこのパンダに、みんなは自己紹介と、バスリアンのお披露目をしたのでした。

 

 

「こんないいものをくれてありがとぉ〜。これで快適に眠れるよぉ〜」

 

バスリアンの上に乗ったパンダは今にも寝てしまいそうな眠そうな声でお礼を伝えました。

サーバルがニコニコと笑いながら、

 

「もう道の真ん中では寝ないでね! パンダ!」

「これがあれば大丈夫だよぉ〜」

 

眠そうに目を擦るパンダに、横で見ていたレッサーも困り顔で笑顔を向けています。

それからレミアたちをざっと見回して、レッサーはもう一度セッキーの手を握って感謝に意を伝えました。

 

「本当に、素敵なものをありがとうございます」

『いいっていいってー! あ、そうだ。代わりと言ってはなんだけどさ、ちょっと聞きたいことがあって』

「はい! なんでも聞いてください!」

「ヒトのいるところと、神様のフレンズがいそうなところをボク達探してるんだ。何か思い当たるところない?」

「んん〜…………ヒトですか…………ううーん…………」

 

しばらく何かを思い出すように唸っていたレッサーですが、声を上げたのは後ろで寝そべっていたパンダでした。

 

「ヒトって言ったらほらぁ〜、〝キョウジュ〟のところじゃない?」

「あぁー! そうですそうです思い出しました!」

『キョウジュ?』

「はい!」

 

大きく頷くレッサーと、その後ろで寝そべったまま頷くパンダです。

パンダは眠そうな声で続けました。

 

「キョウジュもヒトだよぉ。フレンズのこととかぁ〜、セルリアンのこととか研究してるからぁ、気になるなら行って話してみるといいんじゃないかなぁ〜」

「キョウジュはケンキュウジョにいます! ここからは遠いですが、あなたたちならいけると思いますよ!」

『おおー、ちょうどその研究所に行こうとしてたんだよねー。これはラッキーだね』

 

セッキーが振り返りながらカバンさんとレミアに言い放ちます。カバンさんはちょっと驚いた様子で、

 

「ヒトって、今言いました?」

「ん? うん。珍しい動物ですよね! カバンさんも、それからレミアさんもヒトのフレンズなんですよね?」

「ええ、そうよ」

「そうです! ボク、そのヒトの縄張りを探してるんです!」

「行ってみるといいですよ。キョウジュはいろんなことを知っているので、何か教えてくれるかもしれません!」

「はい!」

 

カバンさんも嬉しそうです。レミアはその横で小さく微笑みながら、今度はあたしの番とばかりに前に出ます。

 

「神に匹敵するフレンズ、ってのは何か知らないかしら?」

「ごめんなさい……そっちはわからないです」

「そう……まぁ、仕方ないわね」

 

レッサーたちも、神のフレンズのことは聞き及んでいないそうです。レミアは肩を落としましたが、まぁ仕方ないとばかりに笑うとセッキーの方へ体を向けました。

 

「とりあえず、研究所へ行ってみましょう。いろいろ知ってる人みたいだし、カバンさんの人の縄張りのことも何かわかるかもしれないわ」

『そうだね! 行ってみよう!』

 

全員がバスに乗ります。水色セルリアンも三体、バスの上に乗っています。

 

「じゃーねーレッサー!」

「ありがとうございました! また遊びに来てください!」

「じゃぁ〜ねぇ〜ありがとねぇ〜」

 

バスが見えなくなるまで、レッサーとパンダは手を振り続けました。

 

「それにしても、いいものをもらいましたね! パンダちゃん!」

「いいよ〜これ〜。寝心地最高だよぉ〜ふぁ〜」

「あ、また寝ようとしてます?」

「おやすみ〜」

「もう……」

 

困ったように肩を落とすレッサーでしたが、困り果てているというふうではありません。バスリアンをちょんと指で突いてから、

 

「それじゃあ早速、よろしくお願いしますね」

 

ヒュルオオ、と。短くセルリアンが鳴きました。

 

「何か名前をつけてあげたいですね……何がいいでしょうか……ねぇ? パンダちゃんって、もう寝てましたか」

 

スースーと寝息を立てるパンダを見て、レッサーはくすりと笑うのでした。




次回「しつげん!」


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第五話 「しつげん!」

「おお! 水がいっぱいなのだ!」

「溜まってるねぇー」

「ちょっと雰囲気変わったわね」

 

ジャパリバスの窓から外の景色を眺めていたレミアは、これまでの竹林の風景から一転してガラリと変わった外の様子に声をあげました。

土を固めて、上から木で舗装した道路の両端は水が張られています。それなりの深さがあるようで、水には緑色や赤色の植物が点々と浮いています。水面に映る空の青色に目を奪われながら、レミアはセッキーの方へ向き直ります。

 

「ここは? どこなの?」

『湿原だね。植物が枯れて下に溜まっていって、分解されずに泥になって、その上に水が張っている一帯のことを指すんだよ。湿度が高くて気温が低いから、草本植物が主になって植生しているんだ』

「どんなフレンズがいるのかしら?」

『そうだねぇ……水場が豊富だから、そういうのが好きなフレンズはここに住み着いてそうだね。とはいえフレンズの姿ならたいていの場所には住み着けるから、意外なフレンズと出会う可能性もあるね』

 

要するにどんなフレンズに会うかはわからないということです。

もしあったら挨拶をして、いまだ情報ゼロの神様のフレンズのことについて聞き出したいなぁとレミアはぼんやり頬杖をつきました。

 

それからしばらくして。

 

「ん? なんでしょうか」

 

運転席に座るカバンさんが声をあげました。バスがゆっくりと減速していきます。

 

「どうしたの? カバンちゃん」

 

サーバルが運転席の後ろから前方を見遣ります。そこでは、道の真ん中で何やら揉めているらしいフレンズが二人いました。

一人は灰色のフードを被り、吊り目気味のフレンズ。フードと同じような髪色をしています。

もう一人もフードをかぶっていますがこちらは青色で鱗のような模様が浮いています。フードの色よりやや白い髪に、切長ですがどこか気品のある目をしています。

 

「わたくしのほうが強いですの!」

「いいや俺だね。試してみるか?」

「なんですの? どうやって試すって言いますの」

「そりゃ今から考えるんだよ!」

「どうせろくなもの思いつかない————ん? なんですの?」

「なんだぁ?」

 

どうやら二人はこちらに気がついた様子です。言い争っていたようですが一旦やめて二人ともバスの方を見ています。

真新しいものを見る奇異の目でした。

 

運転席からカバンさんが降りて二人のフレンズの元へ歩きます。バスの後部からはぞろぞろと一行が降りていきました。

 

「な、なんだぁこれ? なんで中からフレンズがたくさん出てくるんだぁ?」

「なんですの? わたくしたちに何かようですの?」

 

怯え半分興味半分の声でそういう二人に、カバンさんはにっこりと笑みを浮かべながら話しかけます。

 

「こんにちは。ボクたちはこれに乗って旅をしているんです。研究所に向かってて」

「あぁ研究所? ならこの道まっすぐ行けばいつかは辿り着くぜ」

「はい、ありがとうございます。あの、お二人はここで何を…………?」

 

怪訝そうに首を傾げるカバンさんに二人は一度顔を見合わせてから、

 

「喧嘩だな」

「喧嘩ですの」

 

特に声を荒げることもなく、平生の様子でそう言いました。

 

 

「俺はハブだ。よろしくな」

「わたくしはコモドドラゴンですわ」

「ボクはカバンって言います。こっちが——」

 

とりあえず自己紹介になりました。各々がそれぞれ自己紹介をし、セッキーがラッキービーストのフレンズと名乗ったところでちょっと驚かれて、それからハブとコモドドラゴンはバスの上を不思議そうに見ました。そこには水色セルリアンが三体、フヨフヨと浮いています。

 

「お前らはセルリアンと旅をしているのか?」

『うん。あれはボクの配下というか、仲間のセルリアンなんだ。ボクはセルリアンを操れるんだよ』

「すごいですわね」

「セルリアンがねぇ。驚いた」

 

ひとしきり感嘆の声を上げると、今度はレミアが不思議そうな目で訪ねます。

 

「あなたたち、喧嘩していたのよね? 取っ組み合いにはなっていないようだけど」

「まぁ別に俺もそこまで本気で喧嘩してるってわけじゃないんだけどな」

「あら、わたくしもですの。ただあなたよりは強いですわよって、それだけですわ」

「いいや、それはない。俺のほうが強さも量もあるもんね」

 

ハブとコモドドラゴンはお互いに睨み合います。激しい喧嘩ではありませんが、言い争いをしているようです。

 

「あの、一体何を争っているんですか? よければ教えてほしいのですが……」

 

カバンさんがおずおずと切り出すと、ハブとコモドドラゴンは二人とも口を揃えて、

 

「「毒よ」」

 

そう言いました。

 

 

ことの発端はよくわかりませんが、とりあえず〝どちらの毒が強いのか〟ということで言い争いになっているようです。

何がどうなってそんな話になったのか、本人たちも忘れているのですが、とにかくお互いに自分の毒の方が強くて使い勝手がいいという話になり譲らないということでした。

 

「すごくどうでもいいことね……」

 

ぼそりとレミアは聞こえないようにひとりごちました。その横でアライさんが、

 

「めちゃくちゃくだらないのだ! そんなことで喧嘩しても意味ないのだ!」

 

大きな声でそう言い放ちました。確かにその通りです。それはどうやら本人たちもわかっている様子で、

 

「わたくしも、こんなことであなたと言い争っても意味がないことは承知の上ですわ」

「俺もそれはわかってるぜ。でも俺のほうが毒は強い」

「いいえわたくしですの」

「いいや、俺だ」

「わたくしですの」

「俺だ」

「わたくしですの————」

 

何はともあれ、当人たちはそのことで喧嘩をしているわけですから、オーバーヒートしないようになにか解決策を見つける必要がありそうです。

今はただ言い争っているだけですが、これが取っ組み合いの喧嘩になっては馬鹿らしくてみていられません。レミアもアライさんも呆れ顔で「どうする?」と顔を見合わせました。

 

アライさんがハブとコモドドラゴンの方を見ながら口を開きます。

 

「毒の強さを比べられればいいのだ? それならアライさんいい案があるのだ」

「なんだよ?」

「なんですの?」

「お互いの腕に毒を注入してみればいいのだ。それで相手の強さがよくわかるのだ」

 

アライさんのいうことには一理あります。お互いがお互いを認められないなら、いっそ毒をくらってみて強さを体感すればいい。そういう話でした。ところが、

 

「いやだね」

「いやですの」

 

ハブとコモドドラゴンは首を振りました。

 

「なんでなのだ?」

「俺の毒は対象の患部を腫れさせて壊死させる効果がある。そんなものを打ったらこいつ、動けなくなるぜ」

「わたくしも、患部の血を固まらなくする毒ですの。噛みついて注入したら血が止まらなくなりますわ。そんなものを打ったら大変ですの」

 

えぇー……とアライさんは呆れ顔でレミアの方を見ます。要するに二人とも自分の毒が強いと自負しているので、相手に打ったら大変なことになる、だから打たないということです。

これでは解決策がありません。どうしたものかレミアも困り果てて、こういう時にはカバンさんが何かいいアイデアを思いついてくれるなぁと思い至ります。

カバンさんの方を見ると、

 

「…………」

 

何やら考え事をしているようでした。するとふと顔を上げたカバンさんは、セッキーの方を見て、

 

「セッキーさん、セルリアンに毒を食べさせて、どっちが強いか判定してもらうというのはどうでしょうか」

『できると思うよ? フォルカの毒を食べた時みたいにするってことだよね』

「はい、そうです」

 

頷くカバンさんに、セッキーはたぶんできると思うと言い残してバスから水色セルリアンを一体下ろしました。

 

『このセルリアンに二人の毒を注入して、分析してもらって、それでどっちが強いか判定すればいいんじゃないってこと』

「セルリアンに……」

「毒をですの。大丈夫ですの? 暴れたりしませんの?」

『毒でも食べれるから大丈夫だと思う』

 

それじゃあ、ということで、ハブとコモドドラゴンはお互いに一度見合わせると、ハブからセルリアンにかぶりつきました。

 

「ほんはほんはな」

 

しばらくするとセルリアンから離れます。フレンズ化しても牙から毒を注入しようと思えばできるみたいで、セルリアンにはうっすらと二本の牙の跡がついていました。

 

「今度はわたくしですの」

 

次はコモドドラゴンです。かぷりとかじりついてしばらくすると離れました。満遍なく歯形がついています。

 

『どう?』

 

セッキーがセルリアンの方へ向き直ります。セルリアンは短くヒュルオオオと鳴くと、ぴょんぴょんと飛び跳ねました。

 

『あー……なるほどそうなるのか』

「どうなんだ?」

「どうなりましたの?」

 

興味深げに、ハブとコモドドラゴンは結果を促します。セッキーはこほんとひとつ咳払いをすると、勿体ぶったようにチラリと二人の目を見てから、

 

『結果は————引き分け! だよ』

「ええー」

「引き分けですの? どういう勝負になっていますの」

 

やや不満そうにハブもコモドドラゴンものけぞりました。セッキーはええっとねぇと前置きをして、

 

『ハブの毒は言ってた通り患部が腫れて壊死する毒で、毒単体で見るとコモドドラゴンより強いんだって。一度に注入できる量も多いから、ぱっと見はハブの方に軍配が上がりそうなんだけど……』

「だけど?」

「だけど、なんですの?」

『コモドドラゴンの毒はなんというか合わせ技に特化した毒なんだよね。噛みついた患部に流し込んで血を固まらせなくする感じ。それで敗血症になってじわじわ追い詰めるんだよね。だから噛み付くの前提で強い毒ってこと。勝負の結果にすると、どっちの毒も優秀だからどっちが強いとかは判定できないんだって』

 

セッキーの解説に、ハブもコモドドラゴンもそうなのかーという表情です。

 

「まぁ、別にもうどっちが強くてもいいような気がしてきたぜ」

「わたくしも、別にあなたより毒が強かろうが弱かろうがどうでも良くなってきましたの」

 

お互いに見合わせて、ふふっと笑い合います。一件落着、喧嘩はおさまった様子です。

 

「いやー、にしても悪いね、わざわざ旅の足を止めちゃって」

「そうですの、何か埋め合わせが必要かしらね? ハブ、なんか持っていませんの?」

「ジャパリまんくらいならあるけどどう?」

『ジャパリまんはいっぱい持ってるんだよね。あ、じゃあちょっと教えてほしいことがあるんだけど』

「おう、なんでも聞いていいぜ」

「わかることならお答えしますの」

 

セッキーの言葉に二人は頷きます。セッキーは指を2本立てて、

 

『一つはヒトの縄張りがどこにあるか教えてほしいのと、もう一つは神様のフレンズについて何か知ってたら教えてほしいんだ』

「ヒトの縄張り? ってのはわかんねぇな。コモドはどうだ?」

「わたくしも存じ上げませんわ。ヒトのフレンズなら聞き及んでいますけど」

『あ、研究所の?』

「そうですわ。キョウジュ、ことキュルルさんはヒトのフレンズって話ですの。そういえばカバンさんとレミアさんもヒトのフレンズですのよね?」

「あ、はい! そうです」

「そうよ。あたしとカバンさんはヒトのフレンズね」

「じゃあ、キュルルさんと同じように絵を描きますの?」

「「絵?」」

 

レミアとカバンさんは首を傾げます。サーバルも同じようにして首を傾げて、

 

「カバンちゃん、絵って何?」

「ロッジのタイリクオオカミさんが書いていたもの、かな。ボクは描けないし、レミアさんは……」

「あたしも絵は得意じゃないわ。その教授——キュルルって子は絵が得意なの?」

「そうですわ。わたくしたちも書いてもらったことがあるんですの」

「そうだぜ。まぁ昔その絵が大変なことになったこともあるんだけどな」

「大変なこと?」

 

そうだぜ、とハブは頷きます。コモドドラゴンが説明をつけてくれました。

 

「昔、その書いてもらった絵がセルリアンになるって事件が起きましたの。島中がパニックになって大騒ぎでしたのよ」

 

レミアもカバンさんも目を丸くして驚きます。

 

「絵がセルリアンに?」

「無機物に反応してセルリアンになるというのはわかるけど、それって……」

「なんでも、思い入れのあるものをコピーするタイプのセルリアンだったらしいんですの。それはそれは強くて大変でしたわ」

「あれ結局、みんなでセルリアンを倒して回って解決したんだったよな」

「ええそうですわ。あ、あとあの子も出てきて大変でしたの」

「あの子?」

 

レミアが首を傾げます。コモドドラゴンは「まだ会っていませんのね?」と聞いてから、

 

「会ったら逃げることをお勧めしますわ。フレンズの姿をしていますけど、あれはフレンズとは違う生き物ですの」

「どういうことかしら?」

「話が通じない、目につくものを手当たり次第に襲う、解決策がない、という曲者ですの。わたくしたちは〝ビースト〟と呼んでいますのよ」

「ビースト……そう、わかったわ。遭遇したら、その時は逃げるわね」

「戦うのは避けたほうがいいぜ。いくら戦いが得意なフレンズでもあいつの相手をすると怪我するからよう」

「心得たわ」

 

レミアは深く頷きます。ビースト。そんな危険な存在がこの島にはいるそうです。

広い島ですから、たった一人に偶然遭遇することは滅多にないとは思いますが、もし会った時にはなるべく戦わない方向で行こうと決めます。

なんせ、レミアはまだ戦えません。何年も前から放置されているような厄災に、こちらから手を出す必要もありません。

 

それからレミアは、コモドドラゴンとハブの方へ向き直り、

 

「神様のフレンズについては何か知らないかしら?」

「すまねぇがそっちはわかんねぇな」

「聞いたことありませんの。ごめんなさいね」

「いえ、いいのよ。またゆっくり探すわ」

 

ここでもダメなようです。神様のフレンズ。どうも全く情報が集まりません。

フレンズたちは各々自由に生活していますから、自分の生活に関わりのないことはそう簡単には生活圏内の情報に引っかかってこないということでしょう。神様のフレンズなる人物がおよそ多くのフレンズに認知されていないということはわかってきました。

 

とはいえ情報がないのでは探しようもありません。根気強く、出会うフレンズみんなに聞いていって、関わりのあるフレンズを運良く見つけるしかなさそうです。

逆にいうと神様のフレンズを知っているフレンズは、その神様のフレンズと何かしら関係がある可能性が高いです。見つけられれば一気に進展がありそうです。

 

知りたいことは知り得ませんでしたが、とりあえず聞き取りは終わりました。

無事ハブとコモドドラゴンの喧嘩も治りました。一行は先を目指そうという流れになっています。

 

「ん?」

 

みんなでバスに乗り込む中。

ふと、バスの入り口に足をかけたフェネックが、耳をピクリと動かして振り返りました。先にバスの中にいたレミアがそれに気付きます。

 

「どうしたの? フェネックちゃん」

「いやーなんか聞こえた気がしてー」

「セルリアン?」

 

こういう時のフェネックは、大抵外敵の音を聞き取っているケースが多いです。レミアは手のひらに嫌な汗をかきつつもフェネックの方を凝視します。

当のフェネックは首を傾げながら、

 

「どうだろねー? 聞いたことない音でー、それも一瞬だったからわかんないかなー」

「敵、ではなさそう?」

「たぶんねー。気のせいかもー」

 

にこーっと笑うフェネックに、レミアは肩の力を抜きました。

気のせいならいいのですが。

 

新たな脅威も聞きました。ビーストなる存在に会うことのないよう願いつつ、レミアはバスの座席に座ります。

サーバルがバスの窓から身を乗り出して、

 

「じゃーねーハブ! コモドドラゴン!」

「おう! じゃあな!」

「気をつけるんですのよ! 良い旅をー!」

 

バスが見えなくなるまで、二人は手を振ってくれていました。




次回「きょうこく! いちー!」


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第六話 「きょうこく! いちー!」

西側の空に浮かぶ太陽はもうオレンジ色に染まっています。

時刻は夕暮れ時。空は朱色と紫色のグラデーションがかかり、雲に夕日が反射しています。

 

「ここは……峡谷かしら?」

『そうだよ。峡谷地方って地図ではなってるね』

 

レミアはバスの中から辺りの景色を眺めます。前から後ろへと流れるその景色には高低差があります。

赤茶けた土が盛り上がった両サイドに挟まれて、谷の底ではちょろちょろと細い川が流れています。

バスが走るのは谷の上。切り立った崖の細い道ですが、丁寧に踏み固められているのか振動はさほど大きくありません。

カバンさんはハンドルを握る手に力を込めて、集中してバスを進めていました。

 

「もうすぐ日も暮れるし、今日はこの辺りで休憩かしら」

『そうだね。適当な場所にバスを停めて今日はもうおしまいかな』

「ジャパリまんを用意するのだ! 晩ごはんなのだ!」

 

アライさんが意気揚々と席を立って荷物を漁り始めます。レミアはとことこと歩いて運転席側へ行き、

 

「カバンさん、そろそろこの辺りで止めれるかしら。今日はもうお休みにしましょう」

「ええ、そうですね。それが————あれ? フレンズさんですね」

 

バスを岩壁側へ寄せて停車させ、運転席の先から空を見上げたカバンさんです。レミアも身を乗り出して空を見ます。

 

「あら、鳥系のフレンズね。…………こっちに向かってきてない?」

「ですね、だんだん近づいてくるような————あ!」

 

カバンさんは一声あげると急いで運転席から入りて、両手を大きく広げて叫びました。

 

「襲われているわけじゃありません! このセルリアンは味方ですッ!!」

 

カバンさんの行動をバスの後部から見ていたセッキーも、慌てた様子で車外に飛び出て空を見上げます。

 

『ストップ! ストーップ! 味方だから! 敵じゃないからぁッ!!』

 

カバンさんとセッキーの声に、急降下していた鳥のフレンズはバスのすぐそば、空中で止まりました。

顔中に疑問の色を浮かべています。見ると、急降下してきたのは一人ではなく二人のようです。後からもう一人、先に降りてきたフレンズの隣にぴたりとホバリングしました。

 

先に降りてきたフレンズが声を張ります。

 

「襲われているわけじゃないのね! 大丈夫!?」

 

その声にカバンさんも手を振りながら、

 

「大丈夫です! ありがとうございます!」

 

飛んでいた二人のフレンズはお互いに顔を見合わせた後、ゆっくりとバスの前に降りてきました。

 

 

「私はハクトウワシ。こっちは相棒のオオタカよ」

 

ハクトウワシと名乗ったフレンズは、どこか軍人を思わせるような服装でした。

頭頂部は白く毛先は黒い髪の毛も特徴的です。肩の先まで伸ばしています。青いスカートに軍人の礼服のようないでたちの彼女は、落ち着いた様子で隣のフレンズを紹介しました。

 

「私はオオタカよ。ハクトウワシとはコンビを組んでセルリアンハンターをやっているの。部隊名は〝ジャスティス隊〟よ」

 

オオタカと名乗ったフレンズも軍服のような服装です。白いジャケットに白いスカート。夕陽を反射してよく目立っています。

髪は黒色で前髪が鳥系のフレンズらしく嘴の色、この場合は黄色になっています。オオタカもどこか気品を感じさせる落ち着いた口調です。

 

ハクトウワシは疑問の色そのままにバスを見て、それからバスの上の水色セルリアンを見つめました。

 

「あなた達はなに? セルリアンと一緒に移動しているの?」

 

疑問に答えたのはカバンさんです。

 

「あ、はい。僕たちは隣のエリア、キョウシュウエリアから海を渡ってきたんです。人の住んでいるところと、神様のフレンズに会いたくて」

「へぇ。セルリアンは? 誰かが操ってるとか?」

『そうだよ! ボクが操れるんだ。旅の手助けをしてもらってるよ』

 

手を上げてセッキーも自己紹介をします。その流れで、バス組も全員自己紹介を済ませました。

 

セルリアンを操れると聞いた時にはハクトウワシもオオタカもひどく驚いていましたが、バスの上のセルリアンが全く暴れる様子もなく大人しくしているので、セッキーの言葉を信じたようです。

オオタカはバスを興味深げに見てから、

 

「これに乗って旅をしているのね。どこへ向かっていたの?」

「はい。ボクたちは研究所を目指してて」

「あぁそれならこの峡谷を抜けたところにあるわ。とはいえもう日も沈むから、この辺で休んだほうがいいでしょう。あなた達も昼間活動するタイプのフレンズかしら?」

「そうですね。サーバルちゃんとかは夜行性ですけど、今は昼間に活動しています」

「それならもう移動は控えたほうがいいわ。それに、この辺りは厄介なセルリアンが出てくるの」

 

厄介なセルリアン?

カバンさん、セッキー、そしてレミアが首を傾げます。そのようなセルリアンの話は初めて聞きました。

 

「詳しく聞かせてもらえるかしら?」

 

レミアの見上げるような目線に、ハクトウワシとオオタカは頷きます。口を開いたのはハクトウワシでした。

 

「数日前から出没するようになった飛行型のセルリアンよ。見たことのないような遠距離攻撃を仕掛け————」

 

ハクトウワシの言葉は最後まで続きませんでした。

横にいたオオタカがハクトウワシを引き倒します。

レミアの体も、フェネックが覆いかぶさるようにして横倒しになりました。フェネックの下で何が起きたのか一瞬わからなかったレミアは、辺りを見て、見た直後。

 

フュイィィィィン————バァァァァァァァァァァッッッ!!!!

 

いくつもの銃声がまるで一つにつながったような、巨大なブザーのような音が峡谷に響きます。

レミアの周りが爆ぜました。土の地面が、壁面の岩が、バスの窓が、次々と音を立てて砕け散っていきます。

 

時間にして数秒ですが、フェネックの下敷きになっていたレミアはもう何時間もそうしているかのような、生きた心地のしない時間でした。

音が鳴り止みます。周囲は土煙が立ち込めています。何があったのか、どうなったのか、レミアはもう既にわかっていました。

 

「敵よ! 隠れて!!」

 

フェネックの下から這いずって出てきたレミアはあたりを見回します。サーバルがカバンさんを、セッキーがアライさんを庇うように伏せていました。フェネックも起き上がります。誰かが怪我をしている様子は、今のところありません。

レミアは谷の方を振り返ります。そこには。

 

ごくごく小さなローター音を鳴らし、今しがた全てを蜂の巣にせんとばかりに攻撃した機銃——否、バルカン砲を空回りさせている存在が飛んでいました。

 

それは。

レミアの知るところではありませんでしたが、レミアの生きていた時代より少し先に開発された鉄の天馬。

————戦闘ヘリをコピーした、漆黒のセルリアンでした。

 

 

「ッ!」

 

動き出したのは四人です。レミアはバスの方へ、セッキーは水色セルリアンを掌握、カバンさん達の前に集めます。

ハクトウワシとオオタカも瞬時に立ち上がり状況を把握、野生解放をして周囲に虹色の粒子を纏います。

 

ハクトウワシがレミア達に叫びます。

 

「私たちが時間を稼ぐ! あなた達は逃げて!」

 

そういいながら、ハクトウワシとオオタカは自分達の身の丈の五倍以上ある戦闘ヘリのセルリアンへと立ち向かいます。

戦闘ヘリのセルリアンは音もなくローターを回してホバリングしています。コックピットの位置に目があり、その奥に石と思わしき固形物が光っています。つまり狙うならコックピットなのですが、

 

「くっ!」

 

ハクトウワシとオオタカがコックピットを攻撃しようと近づいた瞬間、バルカン砲が向けられ数秒発射されます。

ブアァァァァァ————と、一つ続きに吐き出される無数の弾丸に、ハクトウワシ達はヘリ本体に近づくこともままなりません。

 

その様子を見ていたレミアが、バスの荷物置きからボルトアクションライフルを引き摺り出します。

体格はまだ五歳児程度。お世辞にも満足に扱える様子ではありません。レミアは万が一ヘイトがこっちに向かった時を想定して、バスから、そしてカバンさん達から離れます。

 

カバンさん、サーバル、フェネック、アライさんはセッキーが配置した水色セルリアンに守られています。あのセルリアンは石に銃弾が当たらない限りはレミアの銃弾をも阻んだものです。セルリアンのバルカン砲を前にどれほどの防衛能力があるかはわかりませんが、今は信じるより他はありません。

 

地面にうつ伏せに倒れて、ボルトアクションライフルを抱えます。小さな肩にしっかりと銃床を付けて狙いを安定させます。

照準の先はコックピット。ちょうど目がある位置にピタリと合わせます。

 

ヘリのセルリアンは今はハクトウワシとオオタカを狙っています。右へ左へと動き回ってヘイト管理をしてくれている二人に感謝しながら、レミアはコックピットがこちらに向く瞬間を狙いました。

 

ピタリと、スコープの十字線にセルリアンの目が重なります。

 

「散れ」

 

レミアの目は、幼いながらもあの凍てつくような狩猟者の目になっていました。

静かに呟き、そして引き金を引いた直後。

 

ライフルから発射された弾丸がヘリのセルリアンの目に吸い込まれるようにして着弾したのとほぼ同時に。

 

獣の咆哮が峡谷に響き渡りました。レミアは一瞬セルリアンの咆哮かと勘違いしましたが、すぐにそうではないと気付かされます。

影が、谷の底から一息に跳躍してきました。正確には崖の壁伝いに猛烈な勢いで登ってきた影が、ヘリのセルリアンのテールローターへと襲い掛かります。

 

一閃。黒い輝きとも言えるような、漆黒の残像がテールローターを薙いだかと思うと、レミアの目には衝撃的な光景が飛び込んできました。

 

たった一撃。レミアのコックピットへの射撃があった、その隙をついたとはいえ、影の一撃はヘリのテールローターを両断するほどの威力がありました。

吹き飛ぶテールローター。回転しながら谷の底へと落ちていくそれに入れかわり、レミアの前に影が降り立ちます。

 

それは、見様によってはフレンズでした。

しかし明らかにフレンズとは常軌を逸脱しています。黒い瘴気を纏い、牙を剥き出しにし、何よりフレンズであれば人の手に模される部分が、獣の爪と化しています。手首にはかつてこの者を拘束していたであろう鉄の輪がはめられ、引きちぎられた鎖と共にぶら下がっていました。

 

「グルルルルッ————」

 

唸る獣。レミアはヘリのセルリアンと目の前の獣、どちらが優先目標か瞬時に考えます。考えながら復位、立ち上がってボルトアクションライフルをセルリアンへと向けます。

 

そして、

 

「ッ————」

 

肩に激痛が走りました。やはりこの体で大口径のライフルを扱うのは無理があるようです。構える手も震えて照準を合わせるどころじゃありません。

レミアは瞬時に判断し、ライフルをその場に投げ捨ててセッキーの元へとかけ出します。

 

ルルルルルルルルルオオオオオオォォォォォォォッッッ!!

 

ヘリのセルリアンが峡谷中に響き渡る声で鳴き叫びました。

テールローターを切り落とされてもホバリング能力を失っていないところを見るに、元にした戦闘ヘリの特徴を完全にコピーするどころか弱点を補っているかのような動きです。

 

しかし、テールローターを落とされたことに何かしらの危機感を抱いたのか、ヘリのセルリアンはそのままくるりと空で反転すると、太陽の沈む方角、西の空へと退却していきました。

 

レミアは走りながら横目でその様子を見て安堵します。一番やばい奴が退却した。しかしまだ危機は去っておりません。

 

獣。黒い瘴気を纏う獣。これは、湿原でハブとコモドドラゴンに聞いたビーストそのものです。

フレンズの姿なれども話は通じず、そして目につくもの全てを手当たり次第に襲う獣。

 

止める方法を思いつきません。レミアはひとまずセッキーの手を借りようとセッキーの元へと走ります。

その後ろから。

ビーストが、跳躍してレミアを越しました。カバンさん達の目の前に降り立ちます。

 

『なんなの! これがビースト!?』

 

間に割って入るようにセッキーが飛び込みます。体の勢いそのまま、セッキーはビースト目掛けて上段蹴りを放ちます。

ビーストは、それをあたかも全く恐れていないかのように、獣の爪で受け止めました。

 

『くっ! 効かないならッ!!』

 

止められた足を瞬時に引いて軸足にします。反対の足で今度はビーストの腹部目掛けて足刀蹴りを放ちます。

ビーストは、今度は爪で止めず身を引き下げてセッキーの攻撃を躱しました。

少しばかり間合いが広がります。

 

その様子を宙で見ていたハクトウワシとオオタカも、急降下してビーストに襲いかかりますが、

 

「ッ!」

「このッ!!」

 

ビーストは二人の空中からの強襲を難なく爪で弾き返します。そしてそのままお返しとばかりにハクトウワシの腹部へと俊速で爪を立てます。

まともに攻撃を喰らったハクトウワシが地面へと叩き落とされ、二点三点転がりました。土埃に服が汚れ、髪が乱れます。

 

「こんの!」

 

負けじとオオタカは翻して空中から足で攻撃しますが、全てビーストは爪で弾き返します。2回、3回と弾かれ、オオタカが体勢不利となった瞬間。

ビーストはオオタカの脚を掴み思いっきり地面へと叩き落としました。鈍い音とともに全身を打ちつけたオオタカが昏倒します。

 

しかし大ぶりのその攻撃を、セッキーは見逃しませんでした。飛び込み、一気にビーストとの距離を詰めて、拳を握ってビーストの腹部へと突き込みます。

 

『ハァァッ!!』

 

めり込んだ正面からの拳に、ビーストは一瞬くの字に浮き上がります。しかし体勢は崩れず、踏みとどまったその場で獣の爪を返すように振るいました。

セッキーの脇腹に爪が食い込みます。そのまま恐ろしいほどの膂力で岩壁へと吹き飛ばされ、セッキーは背中から叩きつけられました。

肺の空気が押し出されます。霞むような視界の先で、ビーストは、

 

『しまッ————』

 

アライさん達の方へ目掛けて跳躍しました。

 

ビーストの見る先。

視線の先にはアライさんがいます。フェネックがいます。

カバンさんを守るようにサーバルが前へ出ます。その、サーバル目掛けてビーストは爪を振るいました。

 

サーバルはビーストの爪をもろにうけて吹き飛びます。吹き飛ばしたサーバルをビーストは一瞥もせずに、そのままカバンさんへと爪を振り上げ——。

 

「させない!!」

 

レミアが間に飛び込みました。

振り下ろされた爪がレミアの右肩に食い込みます。その瞬間、レミアは、なにか、おぞましいものが自分の体内に入り込んでくる感覚がし、その数瞬後、小さな体ごと吹き飛ばされました。

地面を転がるレミアを、ビーストは、なぜか、転がる先まで見つめていました。

目を離さないビースト。視線の先ではレミアが倒れています。ダメージが大きすぎるのか、レミアはそのまま動けません。

立ち上がれないレミアの方に、ビーストはつま先を向けました。肩を震わせ、倒れたままである幼い肢体のレミアに、ビーストは、

 

「ウガァァァァァ!!」

 

追撃をしようと肉薄します。踏み出したビースト、倒れ伏したままのレミア。その距離が一瞬にして詰まり、レミアに狂爪が突き立てられんとした瞬間。

 

すどんッ!

 

けたたましい音と共に、音速を超える弾丸がビーストの頬をかすめました。

 

ビーストの動きが止まります。振り返ったビーストの瞳には、

 

「止まってください…………もうこれ以上は、やめてください…………っ!」

 

カバンさんが、レミアのリボルバーを握っていました。

震える手で撃ち出されたその弾丸に、ビーストは動きを止めています。そして、

 

「ガァァァァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!」

 

耳を引き裂かんばかりに咆哮したビーストが、踵を返して崖の底へと飛び降りていきました。

リボルバーを持っていたカバンさんはぺたりとその場にへたり込みます。がしゃりと、リボルバーが音を立てて地面に落ちました。

 

西の空。

太陽はもうそのほとんどが沈み、残滓となって淡く儚く世界を照らしています。

夜が、峡谷に訪れようとしていました。

 




次回「きょうこく! にー!」


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第七話 「きょうこく! にー!」

「ん…………ぅん……あれ……?」

「お! レミアさん目が覚めたみたいなのだ」

 

夜の帷が降りた頃。

峡谷の切り立った道の途中に停めてあるバスの車内には、煌々と電気がついています。

座席に寝かされていたレミアが、小さな肩を震わせながらゆっくりと起き上がりました。

 

フェネックが立ち上がり、レミアの方に歩み寄ります。そのままそっと抱きしめました。

 

「無茶しすぎだよーレミアさん」

「フェネックちゃん。ええ、ごめんなさいね。ちょっと無茶しちゃったわ」

 

フェネックの顔を見ます。少し泣きそうな、そしてちょっと怒っていそうな顔でした。

レミアは困ったように微笑むと、フェネックも許したのか肩の力を抜いて元の席に戻ります。

 

レミアは辺りを見回しました。バスの車内には旅の一行のほかにハクトウワシとオオタカも座っていました。

この人数が座るとなかなか所狭しといった感じです。

レミアは体を起こして座り直すと、右肩を見下ろします。

 

「手当してくれたのね。ありがとう」

 

右肩には包帯が巻かれていました。ビーストの爪が肌を裂いた感覚がありました。

今では痛みこそありませんがジンジンと響くように熱がこもっています。

傷口がどんな様子なのか確認したい思いはありましたが、せっかく巻いてくれた包帯です。無駄にするわけにもいかないので、そのままにしておくことにしました。

 

もう一度バスの車内をぐるりと見渡します。レミアの他に怪我をしているのはハクトウワシとオオタカのようです。

ハクトウワシはお腹の辺りが服ごと破けています。肌は裂けておらず、打身のように色が変わっているようです。

オオタカは顔に少しの擦り傷があります。空中から叩き落とされているので全身を打ちつけているでしょうが、目立った外傷にはなっていないようです。

 

サーバルとセッキーも一発食らっていたように記憶しているレミアでしたが、二人とも大丈夫なようです。傷もありません。

 

レミアは、カバンさんを庇って、ビーストに吹き飛ばされてからの記憶がありません。ことの顛末がどうなったのかみんなに聞くことにしました。

答えたのはカバンさんです。

 

「レミアさんの銃を借りて、ビーストに向けて撃ちました。頬にかすりましたが直撃はしていません。音を聞いてなのか、弾に掠ったからなのかはわかりませんが、ビーストはそのまま崖の下へ降りていきました」

「その後は、アライさんがレミアさんを運んだのだ! とりあえず一旦休憩ってことでバスに集まっているのだ!」

「あたしはどれくらい気を失っていたの?」

「ちょっとなのだ! 運んで、手当てをして、少ししたら目が覚めたのだ!」

「そう、よかったわ」

 

もう一度包帯の巻かれた右肩を見て、手当てをしてくれたのは誰? と聞きます。カバンさんが手を上げました。

 

「ありがとう、カバンさん。助かったわ。ビーストを追い払ってくれたのも、本当にありがとう」

「いえ……必死だったので。勝手に持ち物を使ってすみません」

「いいのよ。でもどうやって使い方を?」

「前にキョウシュウで信号弾を撃ったのと同じ原理だと思ったので、なんとなくですが使えました。当てるつもりはなかったのですが、かすってしまったので、もし当たってたらと思うと…………」

「上出来よ。また今度、ゆっくり使い方を教えるわ。あなたも撃てた方が安心だもの」

「あ、ありがとうございます」

 

ぺこりと頭を下げるカバンさんに、レミアは微笑みます。

実際、カバンさんが撃っていなければ危ない状況だったように思えます。

戦えるフレンズが軒並みビーストにやられてしまいました。

レミアの中ではビーストよりも黒いセルリアンの方が危険だと判断していたのですが、どちらも相当危ないことが証明されてしまいました。

 

レミアはハクトウワシとオオタカの方を向きます。

 

「あなた達、あの黒いセルリアンと、ビーストのことは前から知っているのよね?」

「ええ、度々目撃しているわ」

「交戦したことも。ただ、ここまでこてんぱんにやられたのは初めてよ」

「少しでもいいから、あの黒セルリアンとビーストのことについて知っていることを教えてちょうだい」

 

レミアの願い出にハクトウワシとオオタカは頷きます。まず黒セルリアンのことについてです。

 

「あれは厄介なやつなのよ。見てもらったとおり空を飛び、遠距離まで届く謎の攻撃方法を持っているわ」

「バルカン砲ね。立て続けに銃の弾を打ち出す仕組みよ。攻撃力が非常に高いわ」

「そう。あの攻撃に当たると身動きが取れなくなるの。それで食べられたフレンズを見たことがあるわ」

「やっぱり、セルリアンだからフレンズを食べようとするのね」

「ええ。弱点は一番前の目玉、それとその奥にあるのが石ね。そこを狙えばいいのはわかっているんだけど、現状どうにもできないわ」

 

首を振るハクトウワシ。レミアは黒セルリアンの元になったものがなんなのか気になりました。

これに答えたのはセッキーとアライさんです。

 

『あいつはおそらく攻撃ヘリのセルリアンだと思う。見た目からして間違いないよ』

「攻撃ヘリっていうのはどういうものなの?」

「空を飛んで、遠くのものを攻撃できるやつなのだ! アライさんも似たようなのを見たことがあるのだ!」

『空中機動攻撃に優れた兵器、ってところかな。爆撃機と違うのはとても小回りが効いて、自由に空を飛ぶところ。あのセルリアンもその能力をコピーしているみたいだったから、本当に厄介だよ。バルカン砲はレミア知ってるの?』

「ええ、そっちは私の生きていた時代にもあったわ。まさか、空からあれを撃てるとは思いもしなかったけどね」

『あれは面倒だよ。呼びかけにも応じないから味方につけるのも無理だし、正真正銘の敵だね』

 

思い出すだけでもゾッとするような存在です。あのセルリアンを仕留めるとしたらどうすればいいのか。

今考えただけでは、レミアは何も思いつきませんでした。追い払えたのが奇跡です。

 

「ビーストは? あのヘリのセルリアンを一発で両断していたけど」

 

レミアの不安混じりの質問に答えたのはオオタカです。

 

「ビーストも厄介よ。とにかくタフで強い。詳しいことは研究所の教授に聞くといいけど、彼が言うには〝制御できてない野生解放を常時行っている〟フレンズらしいわ。元となった動物はおそらくアムールトラだろうって」

「見境なく誰でも襲うって聞いたけど、本当なの?」

「えぇ。今のところ何を目標にしているのか、何を狙っているのかはわかっていないの。今日のように黒セルリアンを攻撃しているところを目撃したフレンズもいたそうだけど、本当に、セルリアンもフレンズも分け隔てなく平等に襲うわ」

「セッキーの攻撃も、軽くいなしていたわね。感触としてはどうだったの?」

『あれは強いよ。体もしなやかなのに強靭な体力と筋力で守られている。こっちの攻撃はほとんど効いてなかった。肉弾戦じゃ勝ち目がないよ』

 

セッキーですらもそうなのです。レミアも、仮に体が万全の状態であったとしても、体術のみであの身のこなしのフレンズを止められるかといわれると自信は持てませんでした。

銃を駆使してトントンでしょう。足を撃ち抜くなどの傷つける方法以外に、止める方法も思いつきません。

 

まして今の体です。

コモドドラゴンとハブに言われた「逃げた方がいい」の言葉が重くのしかかります。

 

「なんにしても脅威だわ。ヘリの黒セルリアンにビーストの存在。今後どうにかして凌がないと、また出くわしたら怪我人が出るわよ」

『そうだね。ハクトウワシ、オオタカ、なにか止める手段とか知らない?』

 

ハクトウワシもオオタカも首を横に降ります。

 

「私たちも、セルリアンハンターとしてどうにかして黒セルリアンを止めようとしてるんだけど、今のところ追い払う以外に方法がないの。教授は討伐隊を編成しようとしているみたいだけど、なかなか難航しているわ」

『討伐隊かぁ……うまく作戦を練って、飛べるフレンズと連携すればあるいは倒せるかもしれないけど』

「いずれにしても厄介なのがビーストなのよ。黒セルリアンの出るところにはビーストも出るの。高い確率でね」

『そっか。うーん、地上のビーストに空のセルリアン。どうにかしようにもこれじゃあ……』

 

腕を組んでうなだれるセッキーです。打開策はそう簡単には出てきそうにありません。

バスの中に沈黙が流れます。そんななか、ぽんと手を打ったのはサーバルでした。

 

「みんなお腹空かない? もうご飯にして、今日は休もうよ! 疲れてるでしょ?」

 

サーバルの言葉にみんな首を縦に振ります。ジャパリまんを人数分用意しました。

「「「いただきまーす」」」

 

各々、ジャパリまんを美味しそうに頬張ります。みんなサンドスターを消費しています。補給の意味も兼ねてしっかりと食べました。

一人一つと言わず、戦ったフレンズは二個食べました。アライさんは戦っていませんがお腹が空いていたと言うので二個食べました。

 

ジャパリまんを食べ終わった一行は、とりあえず巣に戻ると言うハクトウワシとオオタカを見送ります。

 

「じゃあね! ハクトウワシ! オオタカ!」

「ええ、あなた達も気をつけて」

「いずれまた会いましょう。今度はセルリアン退治の時かもしれないわね」

 

夜の闇に紛れて、二人は巣へと帰っていきました。

 

「私たちも、もう寝よっか」

「そうだねサーバルちゃん。ボクも疲れたよ」

「アライさんも疲れたのだ! フェネック、一緒に寝るのだ!」

「はいよー。レミアさんとセッキーも、もう休もうよー」

「ええ、そうするわ」

『そうだね。みんなで寝よう!』

 

バスの後部へと入り、みんな思い思いに横になりました。

夜空には星々がきらめいています。月の明かりが、電灯の消えたバスをそっと包み込むのでした。

 

 

深夜。

星の明かりが峡谷を薄く照らし、バスが朧げに浮かび上がるそんな真夜中のことです。

 

バスから降りて峡谷の崖の淵に腰掛ける人物が一人いました。

 

「はぁ……」

 

珍しく起きていたのはフェネックです。大きな耳が、今はだらんと垂れています。

落ち込んでいるのか、心配しているのか、とにかく元気のないため息を吐きながら、ぼうっと谷の底を見つめていました。

 

「どうしてああいう無茶ばっかりー……どうしたらいいんだろうー…………はぁ」

 

口から漏れ出る独り言。みんな寝ているので聞く者など誰もいません。遠慮なくため息混じりに呟きます。

が、しかし、フェネックの耳がピクリと動きました。ゆっくりと振り返ります。

 

「…………おやー、カバンさんじゃないかー」

「ばれちゃいましたか。さすがですね」

「足音がねー」

 

フェネックはにこりと笑いながら隣をぽんぽんと叩きました。

カバンさんは何も言わずにフェネックの隣に腰を下ろします。

 

カバンさんの両手には、ジャパリまんが握られていました。

 

「一つどうぞ」

「おや、ありがとねー」

 

受け取って、おもむろにかじります。二人して無言のまま、二口、三口と食べました。

 

「眠れなかったんですか?」

「うんー、ちょっとね。なんだか寝つきが悪くてねー」

「ボクもです。ちょっと、なんだろう。怖くって」

 

照れるようにはにかむカバンさんでしたが、怖かったというのは本心でしょう。フェネックにはそう聞こえました。

 

戦えるフレンズがみんなやられてしまった。

レミアさんが怪我を負ってしまった。

カバンさんがビーストを傷つけなければ、もっと酷いことになっていたかもしれない。

でももし弾が掠るだけじゃなく直撃していたら————。

 

カバンさんの言う〝怖い〟の意味が、フェネックには容易に想像できました。

そしてフェネック自身も、今回のことは身に染みて恐怖心を抱かせます。

 

「レミアさんねー、時々自分を顧みないで無茶しちゃうんだー。とっても強いけど、それ以上に危ない時でも身を投げちゃう時があるのー」

「はい……わかります。あの時レミアさんは、ボクを庇ってくれたんです。庇ってくれてなかったら、今頃ボクは大怪我をしていたと思います」

 

カバンさんの言外には、ボクのせいでレミアさんは怪我をしてしまったという後悔の念も含まれていました。

しかしあのタイミングではどうしようもありません。どうにもできないからこそ、歯痒さと悔しさが込み上げてきます。

 

「ボクは、レミアさんに何ができるでしょうか」

「何が、できるかねー。私も、おんなじこと考えてるよー」

「そうなんですか?」

「私も守られて、庇われて、助けられてばっかりだからねー。お返ししたいけど、返せずに借りばかり増えていくんだー。何か、レミアさんの助けになることないかなって考えてたらー、眠れなくてねー」

「フェネックさん…………そうですね。ボクも、そういう感じです」

 

二人して肩を落とします。今の自分にできることは何か。

危険な旅。これからもあのセルリアンとビーストは立ち塞がるでしょう。そのたびにレミアに助けられていては、庇われていてはいけません。

レミアの負担が少しでも減る方法。レミアが無茶をしなくても済む方法。

カバンさんとフェネックは、そういった事を探していました。

 

ふと、カバンさんが顔を上げます。

 

「ボク、レミアさんの銃を使えるようになりたいです」

「銃を、ねー。レミアさんも言ってたねー。撃てるようになったら安心だってー」

「はい。教えてもらって、せめてレミアさんが戦えるようになるまでの間だけでも、ボクがレミアさんの代わりになれないかなって」

 

フェネックは思いました。

カバンさんも、レミアさんも人です。アライさんの言葉でもありますが、やはり人のものは人が使ってこそその真価を発揮します。

カバンさんなら銃が使えると思いました。レミアさんほど上手に使えなくても、何もしないよりは戦えるようになるのではと。

 

しかしそれは同時に、カバンさんが危険に晒されるということでもあります。

戦うということは、危険な目に遭うということでもあります。その覚悟がカバンさんには————

 

「…………」

 

フェネックはカバンさんの目を見て、そんな心配はしなくてもいいと確信しました。

カバンさんの目には、もう戦うんだという決意の色がありました。怖い、恐ろしい。でも戦う。戦わなければいけない。

そういう目です。

 

「私はー、銃は使えないからさー。今すぐレミアさんのためにできることってー、何にもないんだけどさー。でも」

「はい」

「でも、この大きな耳と、動物だった時の勘でー、レミアさんの役に立てるかなー…………どうかなー」

「きっと、大丈夫です。サーバルちゃんとフェネックさんは、いつもセルリアンの音を真っ先に聞き分けてくれます。だから大丈夫ですよ」

「そうかなー…………うん。そうだねー」

 

フェネックはジャパリまんの最後の一欠片を口へ放りました。そしてにこりと笑います。

 

「安全な旅のためにさー、もっともっと、頑張ろうねー」

「そうですね! うん————頑張りましょう!」

 

カバンさんも、にっこりと微笑みました。

 

「うん?」

 

ふと、フェネックが後ろを振り返ります。そこには誰もいません。バスがあるだけです。

 

「どうしましたか?」

「いやー…………今誰かに見られてたようなー」

「え……?」

 

カバンさんも振り返りますが、そこには人っ子一人、誰もいません。

 

「気のせい、ですかね」

「そうだねー。ちょっと疲れてるのかもー。もう休もっかー」

 

にっこりと微笑みながらカバンさんの方へ向き直ります。

カバンさんもそうですねと頷き、立ち上がりました。

 

フェネックは遠くの空を見ます。夜空と、月と、星。そして朧げに見えるのはサンドスターを吐き出している大きな山です。

山頂からはキラキラと光が流れているようでした。

 

噴火しているのでしょうか。ここゴコクでも、どうやら火山は吹き続けになっているのかもしれません。

 

星空の瞬く峡谷の、踏み固められた道の上に静かに止まっているバスの中へ、二人は音を立てずに戻っていきました。

 

 

朝。

太陽が東の空に顔を出し、世界を明るく照らし出しています。

 

バスの一行もそれぞれ目を覚まして————

 

「ぬおあ! レミアさんが大きくなってるのだ!」

 

目を覚ましたアライさんが、レミアを見て開口一番声を張り上げました。

 

アライさんの視線の先。そこに横たわっているレミアは、昨晩まで五歳児ほどの体格でしたが、今は十代中頃、十五歳ほどの大きさにまでなっています。

大体アライさんと同じか、アライさんより少し大きいくらいでしょうか。

 

「みんな見るのだ! 大変なのだ! 一晩でレミアさんが大きくなってるのだ!」

「ほんとだー! なんでなんで?」

「どう言うことでしょうか」

「なんだろねー」

『一晩で……? なんで?』

 

アライさんの声にみんな集まります。しかし、当の本人、レミアは何故か起き上がりません。

起き上がらないレミアに、アライさんも、それからみんなも、何かおかしいぞと首を傾げます。

 

レミアはどこか息が荒いです。汗もかいています。ぐったりしていて、それはまるで、

 

「ちょっと、失礼しますね」

 

カバンさんがレミアのおでこに手を当てます。そして表情が曇りました。

 

「ひどい熱です。どうしよう……」

『濡れタオルを被せよう。薬はないけど、少しでも楽なように』

 

息も荒く、汗もひどく、熱のある状態。よくありません。とりあえずカバンさんはレミアを仰向けにして、それからタオルに水をかけました。

濡れたタオルをレミアの額に乗せます。レミアは短い呼吸を繰り返して、かなりしんどそうです。

うっすらと、目を開けました。

 

「ごめんな、さい……ね。ちょっと寝れば、だい、じょうぶだから」

「ゆっくりしてください。研究所に着いたら休めるところを探しましょう」

 

フェネックも、セッキーも、アライさんも心配そうな目を向けます。

サーバルはジャパリまんを持ってきました。

 

「ジャパリまん食べて元気だそう! サンドスターをいっぱい摂取すれば、しんどいのも治るよきっと!」

 

そう言いながら小さくちぎって、レミアの口に運びます。レミアは時間をかけて、与えられたジャパリまんを食べていきました。

 

「とりあえず、研究所へ向けて出発します。急ぎますね」

 

カバンさんは運転席に。他のみんなは心配そうにレミアを囲って、バスは峡谷を出発しました。




次回「けんきゅうじょ! いちー!」


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第八話 「けんきゅうじょ! いちー!」

切り立った崖の峡谷を抜け、森の中へ入り、移動すること三時間ほど。

太陽はまだ一番高いところまでは昇っていませんが、もうじき正午になろうかという時間帯に、バスは目的の場所と思わしきところへ到着しました。

 

『地図ではここが研究所だね』

「どこから入るんでしょうか」

 

運転席とその後ろで、セッキーとカバンさんがあたりを見回しながら会話を交わします。

見たところ高い壁で覆われているらしい建物です。入り口を探して、周辺の道をバスで走らせました。

 

すると、

 

「あ、フレンズさんですよ。入り口のようなものもあります」

 

カバンさんが声を上げました。バスの向かう先では、一人のフレンズがしゃがみ込んで何かしています。

ブレザーのような灰色の上着に灰色のスカート姿で、その上から白衣をまとっていました。髪色も灰色です。

 

近くには入り口と思わしきゲートがあります。フレンズはゲートの近くの花壇を覗き込んでいる様子です。

 

バスが近づくと、しゃがみ込んでいたフレンズは立ち上がりこちらを見ました。そして、バスの上を見てちょっと驚いたような顔をしてから、次に首を傾げました。

 

バスが止まります。運転席から降りたカバンさんと、後部から降りたのはサーバルとセッキーです。

アライさんとフェネックはレミアの近くに座ったままです。

 

「こんにちは。初めまして、ボクはカバンっていいます」

「どうもこんにちは! 私はイエイヌです。みんなからは所長とも呼ばれています! えっと、そちらのセルリアンは……?」

『ああ! これはボクが操っているんだ。安全だよ』

「セルリアンを操る! 珍しいことができるんですね! すごいです!」

『へへへ、まぁね。ボクはセッキー、ラッキービーストのフレンズだよ』

「私はサーバル! みんなキョウシュウエリアから旅してきたんだ! ここに入りたいんだけど…………ここって研究所?」

 

サーバルの問いに、イエイヌは「はい」と頷きます。

 

「ここはおっしゃる通り研究所で、教授と私が住んでいるお家でもあります! 何か調べ物とかの御用でしょうか?」

「あ、はい。色々と聞きたいこともあるんですけど、その前に……」

『病人がいてね。体の調子が悪いんだ。ちょっと休めるところがあれば貸して欲しいんだけど』

「ありますよ! 医務室があるのでそこで休みましょう! 薬と救護セットもありますから! ささ! どうぞどうぞ——ん? あれ?」

 

手招きをして快く門を開けてくれたイエイヌは、すこし首を傾げるとカバンさんへと近づき、くんくんと匂いを嗅ぎ始めました。

 

「な、なんでしょう?」

「あなた、もしかしてヒトですか!?」

 

大きな声を上げたイエイヌに、カバンさんはたじろぎながらも首を縦に振ります。

するとイエイヌはぱぁ! っと満面の笑みになり、

 

「ヒト! 人が帰ってきたんですか! そうなんですね!」

「え、あの、帰ってきたと言うよりはボクはパークで生まれて…………」

「ぜひくわしくお話を聞かせてください! 今まで何をしていたのか! これから何をするのか! ぜひ!」

「あ、あの…………」

 

困り顔のカバンさんですがそんなもの意に介さない勢いでカバンさんの手を引いて研究所へと進むイエイヌです。

なにやら勘違いしていそうですが、とりあえず研究所に入ることは叶いそうです。

 

 

バスを敷地内に入れ、研究所の正面玄関から一行は入ります。

レミアはふらついていますがセッキーとアライさんの肩を借りてなんとか立ち上がり、後をついて歩きます。

 

「とりあえずそちらの体調不良の方は医務室に運びましょう! こっちです。すぐですから頑張って」

 

イエイヌの励ましを聞きながらふらふらとレミアは歩きます。

ほとんど意識が混濁しているのか、目も開いていません。早いところ治療が必要そうです。

 

館内はいたって清潔でした。埃や塵もなく、壁が崩れていたりヒビ割れていたりといったようすもありません。手入れが行き届いています。

医務室と書かれた扉の向こうには、四つほどの白いベットとその間を仕切るカーテン、棚の中にはいくつかの薬品や包帯などの救急キットが並んでいます。

本当に医務室として十分に機能しているような部屋でした。

 

「ささ! このベッドを使うといいですよ。手入れもしてあるので清潔です。ゆっくり休んでください!」

 

イエイヌに促されたベッドへ、レミアを横たえます。

久しぶりのベッドの寝心地に、レミアもすぐに寝息を立て始めました。

短く、しんどそうな呼吸でしたが、バスの座席に寝るよりかはずいぶん良さそうです。

 

セッキーは医薬品の置いてある棚を見ながら、

 

『熱冷ましと痛み止めの薬はあるかな? あったらぜひ分けて欲しいんだけど……』

「ありますよ! 怪我をする子も体調を崩す子も滅多にいないんで、たっぷり残っています! ぜひ使ってください! ええっと確かこの辺に————あった、これとこれです」

『ありがとう、イエイヌ』

 

薬を受け取り、レミアに飲ませます。水と一緒に口から流し入れます。

薬が効けば熱も治りますし、少しは楽になるでしょう。

人がいなくなって久しいこのパークで、ここまで人の痕跡が残っている施設も珍しいとセッキーは素直に驚きながらも、レミアを介抱します。

 

薬を飲ませ、仰向けにし、次は傷口を消毒しようと包帯を外します。

巻いてある包帯を丁寧に取り、傷口に当てていたガーゼを剥がすと、

 

『…………これは』

 

セッキーは一言、呟きながら眉根を寄せました。

傷口。レミアの右肩は、裂けた皮膚の色が黒く変わっています。それだけではありません。その黒い傷口から、まるでサンドスター・ローの粒子のような黒い瘴気がわずかに昇っています。

 

『何が起きているのかわからないけど、とりあえず消毒をして包帯を巻いておこう』

 

イエイヌも傷口を覗き込みます。その様子に一瞬顔を顰めた後、匂いを嗅いで「これは良くない匂いがします」と呟きました。

 

「教授にも見てもらったほうがいいかもしれません。呼んできますね!」

『あ、うん。じゃあちょっと包帯を巻くのは待つよ』

「ありがとうございます。ちょっと待っててください。すぐ戻りますから!」

 

そう言い残してパタパタとイエイヌは走っていきました。

 

 

しばらくして現れたのは、二十代後半から三十代前半の————

 

『え、男…………? フレンズじゃない……?』

 

男性でした。セッキーが驚きの声を上げますが、他のみんなはさして驚いているようすではありません。

 

痩せ型で、身長はセッキーより頭一つ高いくらい。イエイヌと同じく白衣を羽織っていて、いかにも研究者然とした格好です。

光の当たり方でそう見えるのでしょうか、髪色はどこか緑っぽいです。長い髪を後ろで一つ括りにしているようでした。

 

「お待たせしたね。ボクがこの研究所の責任者で、教授と呼ばれている。名前はキュルルだよ」

 

キュルルと名乗った男性は、落ち着いた声音で自己紹介しました。

すると声を聞いたサーバルやアライさん、フェネックが、

 

「なんだか普通のフレンズと違うね?」

「声が低いのだ! もしかして男なのだ?」

「〝おとこ〟ってー、オスメスのオス? でもフレンズはみんなメスなんじゃー……?」

 

セッキーが先ほど疑問に感じたことと同じことを思ってくれたようです。

キュルルは少し照れ臭そうに笑うと、

 

「そうだよ。ボクはオスなんだ。パークでは珍しい存在だと思う。詳しいことはまた後で話すよ。それより、例の患者さんは?」

 

キュルルに促され、セッキーがレミアの傷口を見せます。

一眼見て、キュルルは、

 

「これは…………サンドスター・ローが転移している? フレンズにとってこれはよくないね。ただ、こうなった状態のフレンズを治療する手立ては見つかっていないんだ」

『良くないって、このままだとどうなるの?』

「わからない。ただ、あくまでボクが調べたところによると、ビーストもサンドスター・ローに侵されてああなっているらしいんだ。あ、いけない。ビーストというのはね————」

『ビーストのことは知っているよ。というか、ビーストの攻撃を喰らってこうなったんだ』

「なんと、そうなのか…………まてよ、ということはビーストの攻撃にサンドスター・ローの成分が含まれている……? いやでも今まで攻撃されたフレンズはこうはならなかった。この子だけ何か違うのか…………?」

 

キュルルのほとんど独り言とも取れる呟きに、セッキーは言葉を返します。

 

『この子、レミアはセルリアンとフレンズのハーフなんだよ。半分はセルリアンで、もう半分はフレンズ。ドッグタグに反応して生まれたんだ。それで、たぶんサンドスター・ローも吸収してしまう体質なんだ』

「なるほど。それでビーストの持つサンドスター・ローが傷口から侵入しているということなのかな…………ますます、よくないね。とりあえずあれを使っておこう」

 

キュルルは一度部屋から出て、すぐに戻ってきました。手には虹色に輝く粉が入った小瓶を握っています。

カバンさんが不思議そうに質問しました。

 

「それは? なんですか?」

「これはサンドスターだよ。ジャパリまんに含まれているサンドスターだけを抽出して粉状にしたものなんだ。これを傷口に使っていこう」

『効果はあるのかな?』

「何もしないよりはマシだと思う。サンドスターはフレンズをフレンズのままでいさせるために働く作用があるからね。もしサンドスター・ローが、フレンズをフレンズではないものに変えてしまう作用があるとしたら、それをサンドスターは止められると思う。使ってみよう」

 

キュルルは傷口にサンドスターの粉をふりかけ、その上からガーゼを当てて、そして包帯を巻きました。レミアはピクリとも動かず、静かに寝息を立てています。

 

「とりあえず、これで様子見かな。二、三日、長ければ一週間単位でサンドスターを直接投入したほうがいいと思う」

『しばらくここでお世話になってもいいってこと?』

「ああ。困っているフレンズを見殺しにはできないからね。良くなるまでいるといい」

『ありがとう、キュルル』

 

セッキーのお礼に続くように、カバンさん、サーバル、アライさん、フェネックも礼を告げました。

 

「いいんだよ。さて…………そろそろお昼だ。君たちは食事はまだかい?」

「あ、はい。まだです」

「ちょうどいい。話がてら一緒に食べよう。ボクも君たちに興味があってね。ぜひ旅のこととか、君たちのことを聞かせて欲しい。お返しにボクの研究でわかったことも伝えるからさ」

『ありがとう! そうしよう』

「料理するのだ? アライさん料理なら手伝うのだ!」

「アライさんに任せて大丈夫かなー?」

「私も手伝うよ! カバンちゃん、一緒に手伝おう!」

「うん!」

 

一行は食事を摂るため、医務室を後にしました。

 

『…………』

 

部屋から出る時、セッキーは心配そうに一度振り返ってレミアの方を見ましたが、

 

『…………まぁ、今は信じるしかないよね』

 

困り顔で微笑みながら、部屋を後にしました。

照明は一番弱い光に落とされます。

ベッドの上、レミアは一人、穏やかな寝息を立てています。

 

 

 

 

 

 

そこは、竹林の奥深くでした。

生い茂る竹と竹の隙間はそれはもう狭いもので、地表に届く太陽の光はほんのまばらになるほど、竹の密集した薄暗い場所でした。

 

そんな竹の群生地で、一箇所だけポツンと陽の光の当たる場所がありました。

竹が綺麗に伐採され、土地としての利用価値が生まれているそこに建つのは、一軒の古屋です。

土を固めて作った壁は、崩れかかっているところもあれば、藁葺きの屋根の少し禿げかかっているところもあります。

とにかく見た目のオンボロな古屋でした。誰かが住んでいるのかと問われれば、見た目には誰も住んでいなさそうな小さな小屋です。

 

そんな小屋から一人、あくびをしながら出てくる人影がありました。

背丈は十代中頃かそれより若いくらいです。大きくてもふもふとした尻尾を携えています。

 

セーラー服のような焦茶色の制服は、裾や袖が擦り切れてボロボロです。下に履いている、一見するとスカートのように見えるそれは、どちらかというとボリュームのあるショートパンツでした。上と同じく焦茶色をしています。

制服は長年着たままということでしょうか、年季の入った様子を呈しています。

首の後ろにはこれまた年季の入った笠が一つ、ぶら下がっていました。

 

人、というわけではなく、何かしらのフレンズのようです。

フレンズは手に酒を持っていました。徳利に入れられた酒をおもむろにグビリと口に運んでは、ふうと一息ついて小屋のすぐ近くにある物置小屋のような場所へ足をすすめます。

 

物置から取り出したのは一本の竿でした。

浮と針のついた簡単な竿です。

 

フレンズはこれから釣りでもするつもりのようです。

竿を見上げて満足げに頷いたフレンズは、右手に徳利、左手に竿を抱えて小屋を後にしました。

 

竹林の中にできた一本道を歩くこと数十分。

急に開けたそこは、溜池のようでした。

さほど大きくはありません。周囲を歩けば二十分ほどで一周できてしまうくらいの大きさです。

大きくはありませんが、見渡せど見渡せど竹ばかりだった場所に急に現れた池というのはどこか神々しさもありました。

陽の光が水面でキラキラと輝いて、より一層ここが何か特別な場所であるかのように感じさせます。

 

フレンズは池のほとりに腰を下ろすと、制服のポケットから笹の葉に包まれた餌を取り出して、それを針の先にちょんとつけて、それから糸を池へ垂らしました。

 

それからの景色というのは魚釣りといえばこうであるというふうに、至極平和で何もない、ゆったりとした光景です。

緩やかな風がフレンズの髪を時折揺らし、竿の先にある浮きを緩やかに動かす、それだけです。

 

時折竿を上げては、餌の状態を確認して、また池へと垂らします。

 

周りには誰もいません。

フレンズも、動物もいません。とても静かな池でした。

 

「お?」

 

フレンズが声を発します。

それと同時に竿を上げると、魚が一匹、糸の先に食いついていました。

大きさにして十センチほど。ちょっと小さいです。

 

フレンズは魚を針から解放してやると、池の中へと投げ入れました。

 

「大きくなったらまたおいで」

 

どうやらお目当てではなかったようです。リリースした魚が池の底の方へ見えなくなると、再び針の先に餌をつけて、池の中へと糸を垂らします。

 

そうしてゆったりと静かな時間が流れること数十分。

 

フレンズは竿を持った手を動かさずに、一人、静かに口ずさみます。

 

「そうかい。客人はビーストにやられたか」

 

聞くものは誰もいません。フレンズの声はまるで池にでも吸い込まれているかのように、静かに響いては消えていきます。

 

「気づかれてはいないだろう」

 

フレンズは竿の先、水面の浮きをすうっと細めた目で見つめます。

 

「まぁ、わたしが出るようになったらその時さ。今じゃない。今じゃないよ」

 

一人、静かに、語りかけます。

誰と会話しているのか、それともただの独り言か。

フレンズは口元に不敵な笑みを浮かべながら、独り、静寂の中で竿を持っているのでした。

暖かく緩やかな風が、池と、フレンズの髪をそっと撫でていきました。




次回「けんきゅうじょ! にー!」


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第九話 「けんきゅうじょ! にー!」

研究所の中には研究施設の他にさまざまな設備が整っているようでした。

 

レミアが寝ている医務室に始まり、研究員の寝泊まりの場所となる居住区。研究員の胃袋を満たす食堂に、大浴場を抱えた娯楽施設などもあるようです。

 

要するに住み込みでここジャパリパークの研究を行えるようになっている、とても大規模な研究施設のようでした。

 

そんな研究所の一角、かなりの面積を誇る食堂に集まったのは、カバンさん、サーバル、セッキー、アライさん、フェネック、そして研究所に住んでいる教授ことキュルルと所長ことイエイヌです。

 

食堂の作りはよくある一般的なものと類似しているようです。

厨房エリアと食堂エリアがカウンターで仕切られていて、本来であれば大勢の食堂のおばちゃんが厨房でご飯を作り、研究員が机と椅子の並ぶ食堂で食事を摂るというスタイルです。

 

「とりあえず料理をするところから始めよう。食材はもう用意してあるんだ」

 

キュルルが厨房の方へ入っていきながらそう言いました。

みんなその後ろをついていきます。

 

食材、と書かれた棚の中には、それはもう多くの野菜が詰め込まれていました。

葉物から根菜、キノコもあります。近くには大きな冷蔵庫もあって、キュルルは扉を開けてその中からも野菜を取り出しました。

 

「研究所の畑で採れた野菜たちだよ。いっぱいあるから全員の胃袋を満たせるくらいはあると思う」

 

キョウシュウエリアの図書館に並んでいた食材もなかなかに大量でしたが、ここに蓄えられている量はその比じゃないようです。

カバンさんは感心するようにうんうんと頷きながら、

 

「この研究所には、結構頻繁にお客さんが来るんですか?」

「まぁたまにって感じかな。頻繁にというほどではないよ。ただ、ここで料理を食べておいしいと思ってくれた子たちがたまに遊びに来ては料理を食べていくからね。食材のストックは常にあるのさ」

 

これだけの量の食材を腐らせずに管理しているという手腕もさることながら、まず自給自足でここまでの食材を確保しているということが驚きです。

カバンさんは驚きと感心の気持ちに胸を昂らせながら、さて、この豊富な食材たちで何が作れるかと思案しました。

 

図書館で作ったカレーも作れそうです。はたまた今日は別の料理に挑戦してみるのも悪くありません。

 

と、そこでそういえば今回は自分がメインで作るわけではないことを思い出しました。

キュルルが招待してくれたわけですから、もしかするともうメニューも決まっているかもしれません。

 

「あの、キュルルさん」

「なんだい?」

「もう何を作るかは決めているんですか?」

「そうだね、とりあえず野菜のオーブン焼きとスープにしようかなって思ってるんだけど、何か食べれないものとかある?」

「ボクはないですよ」

「私もないよ! なんでも食べたい!」

「アライさんもないのだ! 早く食べたいのだ!」

「私もないかなー」

『ボクも好き嫌いはないよ』

「じゃあ決まりだね。とりあえず野菜を洗って皮を剥いてもらおうか」

 

人参やカボチャ、玉ねぎなどの野菜を取り上げたキュルルは、一同を見回して、

 

「アライさんにお任せなのだ! 洗うのは得意中の得意なのだ!」

「それじゃあ、お任せするよ。玉ねぎは皮を剥くだけでいいからね」

「了解なのだ!」

「アライさん手伝うよー」

 

アライさんとフェネックが水道の蛇口から水を出して野菜を洗い始めました。

 

「ボクたちは何を手伝いましょうか?」

「なんでもやるよー! 切るのとか得意だよ!」

「カバンさんは洗った野菜の皮を剥いてもらいましょうかね。その後切るのをサーバルさんにお願いかな」

「わかりました」

「まかせて!」

 

料理の準備が着々と進んでいきます。

みんなでやれば作業のスピードも段違いです。七人分の食材を洗い、皮をむき、カットする作業は、瞬く間に進んでいきました。

 

キュルルを覗き込みながら、イエイヌが所在なさげにそわそわとしています。

 

「あの、教授! 私は何か手伝えることないですか?」

「所長にはそうだなぁ、みんなが作業中に飲むためのお茶を用意してもらえるかな?」

「はい、よろこんで!」

 

そういうと尻尾をふりふりしながらイエイヌは棚から茶葉を取り出してお湯を用意し始めました。

キュルルも、カットされた野菜をオーブンにしかけたり、鍋に入れて炒めたりしています。

 

料理はすぐに出来上がりそうです。

 

 

「完成なのだ!」

「おおー、おいしそうだねぇー」

「すごく美味しそうですね!」

「これ絶対おいしいよカバンちゃん!」

『これはいいねぇ。シンプルだけど、だからこそ旨そう』

 

食堂のテーブルには七人分のオーブン焼きとスープが並んでいます。

 

「おかわりもあるからね、ぜひどうぞ」

「お茶も入れ直しました! ぜひ飲んでください!」

 

各自席につき、手を合わせてます。

 

「「「いただきまーす」」」

 

みんなフォークを手に持って、まずはオーブン焼きから頬張ります。

 

「な! この野菜すごく甘いのだ! たまねぎ? 旨すぎるのだ!」

「じゃがいもがホクホクだねぇー。これはおいしいよー。おかわりしよー」

「わぁ、人参がすごく甘いです! この油は……?」

「それはオリーブオイルと言ってね。オリーブという木の実から生成した油なんだ。オーブン焼きとの相性は最高だよ」

「カバンちゃんカバンちゃん見て! このカボチャ? ってこうやって潰して食べるとなんだかおいしいよ! ねとねとしてる!」

『きゅうりって焼いてもおいしいんだ…………』

 

みんな思い思いに口へ運びます。どの野菜もしっかり火が通っていて、ホクホクで、そしてオリーブオイルの香りがとっても食欲を引き立てます。

一通りオーブン焼きを楽しんだら今度はスープを飲みます。

 

スープにもたっぷり野菜が使われていて、甘みがどっしりと出ているようです。

 

「やー、いいねぇこのスープ。優しい味だよー」

 

フェネックの言葉にみんな頷きます。会心の出来のようです。

 

「イエイヌさんの紅茶もすごくおいしいです。料理に合いますね!」

「いやーありがとうございます。これでも毎日入れて練習してますから」

「毎日! すごいです! アルパカさんのお茶とはまた違った香りで、とってもおいしいです」

「アルパカさん? ということは、お茶を飲んだことがあるんですか?」

「はい、キョウシュウのカフェをやってるフレンズさんです。そこで飲みました」

「はえー! あ、そうだ。ぜひぜひみなさんの旅の話を聞かせてください! 特にカバンさん! 人であるあなたの話はとっても興味があります!」

「そうですね! じゃあまずはボクとサーバルちゃんが出会った時の話から————」

 

それから、食堂はカバンさんたちのキョウシュウでの旅の話、レミアとアライさんとフェネックの旅の話、それから巨大セルリアンやセッキーとの戦いの話、そして巨大な爆撃機との戦いの話と、それはそれは大盛り上がりとなったのでした。

 

 

「それじゃあ、レミアさんはヒトとセルリアンのハーフ、カバンさんは純粋なヒトのフレンズというわけだね」

『そういうことになるかな。キュルルはヒトのフレンズ…………ではなさそうだね。正体はわかってるの?』

 

みんなひとしきり食事を終えて、あとは紅茶をゆっくり楽しむ時間になりました。

途中イエイヌが持ってきてくれたくし切りのリンゴをつまみながら、セッキーとキュルルが話をしています。

 

「フレンズではなさそうだ、というところまでしかわかってないかな。本当に、何年も研究してるんだけどいまだにボク自身が何者なのかはよくわかっていないんだ」

『そうなんだね。まぁ、正体がわからなくても生きてるってことに変わりはないからさ。そう気を落とさないでよ』

「大丈夫。ボクはもうボク自身のことはとりあえず置いて、他の研究を進めているからね。今パークで起きていることを究明することの方が大事かな」

「ビーストとか、ヘリのセルリアンのこととか?」

「そうそう」

 

キュルルは一口紅茶を飲みました。

キュルルとセッキー以外のみんなも、それぞれ別々に会話しています。

イエイヌはカバンさんと、ヒトとはどういう動物なのかについて話しています。それをサーバルとアライさん、フェネックが聞いてそれぞれの意見を言うような形です。

 

特に、アライさんの話にはみんなが耳を傾けました。まだパークに人がいた頃の話です。

アライさんの記憶の中の思い出話だけでしたが、イエイヌにとっては大切な研究材料のようでした。どこからか持ち出したメモ帳に真剣にメモを残しています。

 

キュルルとセッキーは主にパークのこと、レミアのこと、そしてカバンさんのことについて話をしていました。

レミアもカバンさんも人のフレンズで、原則フレンズは一種一体であることを考えると稀有な存在であること。

ましてセルリアンとのハーフとなると、一体何がサンドスターに反応したのか興味深い、というような会話でした。

 

『無機物にサンドスターが当たるとセルリアンになる、っていう暫定的な定義的にはボクもセルリアンなんだけどね』

「そこも再考の余地があるだろうね。最新の研究というか、この研究所に残されている比較的新しい研究レポートによると、セルリアンはセルリウムという物質に反応した場合に生まれるとされているんだ」

『セルリウム? 聞いたことないなぁ』

「かなり構想段階で、まだ一般的な研究論文にはなっていないみたいだったからね。実際、ボクの手でセルリウムを抽出することに成功している」

『そうなの? あれ、でもじゃあサンドスター・ローはどうなるの? あれと何かが結びついてもセルリアンになるよね?』

「なるよ。そっちはあらかた予想がついているんだ」

『もったいぶらずに教えてよ』

「そうだね…………サンドスター・ローが反応しているのは特定の物質だけなんだよ。その物質というのは」

『いうのは?』

「軍事兵器、あるいは軍事作戦に使われたもの、だと思うんだ。これまで出会った黒いセルリアンの大元を思い出してほしい」

『巨大セルリアンも、爆撃機も、ヘリも、軍事兵器が元になってるってこと?』

「その可能性が高いって話。キョウシュウに現れたという黒い巨大セルリアンはおそらく兵装運搬用の四脚ロボット。爆撃機と攻撃ヘリはまんま兵器だよね」

『じゃあ、レミアから感じたサンドスター・ローの存在も』

「そう。ドッグタグは軍事作戦に従事するものの象徴だからね。サンドスター・ローが反応してもおかしくはない」

 

セッキーと、キュルルは一度紅茶を口に運びました。

一口飲んで、それからふうと息を吐いて、言葉を続けます。

 

「なんにしても、一般的なセルリアンと黒いセルリアンは性質が大きく異なるというわけだ」

『ボクが使役できるのも、今までは水色とか赤色とかのセルリアンだけで、黒はダメだったからね』

「何かしらの性質が違う、あるいは妨害されているってことだね。案外、作戦命令に従うことが軍事の基本だから、別系統からの命令はシャットアウトしている、とかなのかもしれないね」

『なるほどなー。どうりで黒セルリアンとは話が通じないわけだ。納得したよ。ありがとう』

「こちらこそ。セルリアンを使役するという特殊な能力の話が聞けて助かったよ」

 

キュルルとセッキーが話している一方で、カバンさんたちはヒトの行方についての話で盛り上がっていました。

 

イエイヌが食い気味にアライさんに詰め寄ります。

 

「じゃあやはり、ヒトはジャパリパークの外にいるということなのでしょうか?」

「そこまではわからないけど、とりあえずジャパリパークにはいないと思うのだ! 人の住む場所も、もしかしたら海の向こうにあるかもと思ったけど、これじゃあ多分ヒトはジャパリパークにはいないのだ!」

 

アライさんの言葉に、カバンさんも身を乗り出して話を聞いています。

 

「じゃあ、ヒトの住む場所、ヒトの縄張りはパークの外にあるんでしょうか……?」

「キョウシュウの島を出て、ゴコクを見てきた感じだとそうなのだ! たぶんパークの外なのだ!」

「パークの外…………」

 

カバンさんは視線を落としてつぶやきます。

カバンさんの旅の目的、ヒトの縄張りを探すというこの旅を続行するためには、パークの外へ出ないといけないみたいです。

 

「イエイヌさん、パークの外って出られるんですか?」

「普通には無理、という結論を教授と出していますね。私もヒトを探すためにパークの外へ行くことを検討した時期があったのですが、サンドスターの供給ができないという大きな問題を前に頓挫してしまいました」

「サンドスターの供給って、ジャパリまんじゃだめなの?」

 

サーバルが首を傾げます。イエイヌははいと頷き、

 

「多くのフレンズは、サンドスターの供給を呼吸と摂食から行なっていると予想されています。そのどちらかが欠けるとダメみたいで、フレンズの形を維持できなくなるとか」

「じゃあ、パークの外へは出られないんでしょうか?」

「それは研究中です。要するに、サンドスターを摂取し続ければいいので、サンドスターを高濃度で抽出、保存、そして摂取できる方法を探しています」

 

イエイヌのその言葉に、フェネックが不思議そうな目で続けます。

 

「レミアさんの傷口に振りかけてたあの瓶のサンドスターじゃダメなのー?」

「あれは一時的に取り出せているだけみたいなんです。数日置いておくと気化するのか、無くなっちゃうんですよ」

「そっかー。難しそうだねー」

「サンドスターを、何か保存性の良い別の形に変換できれば希望が見えてくるんですけどね。それがなかなか見つからなくて」

「そうなんですね…………」

 

人の住む場所。人の縄張り。それらを探すためにはおそらくパークの外へ出なければいけませんが、出るためには研究を進めてなんらかの装置を作らないと出られない、ということでした。

 

「…………」

 

カバンさんは視線を落として、何かを考えているようでした。

そのまま紅茶を一口飲んで、少し難しい顔をしたまま、何かを必死に考え込んでいる様子です。

 

そんなカバンさんには気づかずに、イエイヌは、

 

「まぁ、何か進展があったときには報告しますよ! 私もヒトを探して長いですから、カバンさんのお役に立てるよう頑張ります!」

 

屈託のない笑顔で、そう言い放ちました。

 

テーブルの上には空いたお皿とカップが立ち並んでいます。

そろそろお話もいいくらいでしょうか、ひと段落ついた様子です。

 

「それじゃあ片付けをして、このあとはこの研究所の案内を所長にしてもらおうかな。ボクはちょっと研究の続きがあるから席を外すよ。頼めるかい?」

「任せてください教授! 隅から隅まで案内しますよ!」

「それじゃあ、よろしく頼むよ」

 

キュルルの一声で、みんなお皿を片付け始めました。

食器洗いを名乗り出たのはアライさんです。

 

「もちろん洗うのは得意なのだ! まかせろなのだ!」

 

とはいえ広い厨房の広い流し台です。みんなで手分けして皿を洗って、ピカピカの食器が干されるまでそう時間はかかりませんでした。

 

 

 




次回「けんきゅうじょ! さんー!」


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第十話 「けんきゅうじょ! さんー!」

「いやー美味しかったのだ! 今度はレミアさんにも食べさせてあげたいのだ!」

「体が回復したら教授と一緒にまた作りましょう」

 

研究所の静かな廊下を、アライさんとイエイヌの声がこだましました。

教授ことキュルルは、研究があるので席を外しており、廊下を歩くのは旅の五人と所長ことイエイヌです。

イエイヌが先頭に立って、研究所の案内をしているところです。

 

「着きました。ここが大浴場、いわゆる〝お風呂〟です!」

 

ついたのは研究所一階の隅にある大きな浴場と、その脱衣所です。

ここも十分に手入れされており、人が使っていた痕跡の残る場所でした。

 

「今はまだお湯を張っていませんが、今晩は湯船にお湯を張ろうと思います!」

『いつもは張ってないってこと?』

「ええ。シャワーだけで済ませています」

 

脱衣所を抜けて浴場のドアをカラカラと開けます。

そこに広がっていたのは大きな洗い場と大きな浴槽でした。

かなり広いです。テニスコート一面分よりもう少し大きいくらいの広さです。

カバンさんが感嘆の声を上げました。

 

「広いですね! キョウシュウでも温泉に入ったことがあるんですが、ここはそれより広いです!」

「へえ! キョウシュウには温泉があるんですか! ここは残念ながら沸かしたお湯なのですが、広さだけはきっと負けてないかなと思いますよ!」

 

確かにその通りだと一行は首を縦に振ります。

サーバルは胸の前に拳を握りながら、うずうずとした様子で、

 

「今日の夜に入るんだよね?」

「そうしようかなと。楽しみにしていてください!」

「わーい! 温泉…………じゃないんだよね? なんて言うのかな?」

「お風呂、ですね」

「お風呂! お風呂楽しみー!」

 

両手を上げて喜んでいるのをみんなでうんうんと頷いたのち、大浴場を後にしました。

 

「あれ? こっちの部屋はなんですか?」

 

大浴場から出てすぐ右手には部屋があるようです。カバンさんとセッキーが部屋の中を覗き込んで、

 

『ここは……』

「あ、もしかしてここ、遊ぶ場所…………? ですかね?」

「その通りです! ここは遊戯室。あるいは休憩室です」

 

部屋の中には卓球台、ビリヤード、ダーツ、マッサージ機などが置かれていました。

 

「すごいのだ! どうやって使うのか全然わからないのだ!」

「研究所を一周したらここで遊んでみましょうか! 楽しいですよ!」

「やったのだー! アライさん楽しみなのだ! 特にこれ! このシマシマのはなんなのだ?」

「それは〝ダーツ〟ですね。ここにある矢を持って、こうやって————」

 

イエイヌはダーツの的の下の小物入れから矢を一本取り出して、少し後退りして的から距離を取りました。

そうして逆手に握っていた矢を振りかぶると、

 

「てや!」

 

思いっきりぶん投げました。矢は高速で飛んでいき、的の端の方に突き刺さりました。

セッキーが『おおー』と呟きながら手を叩きます。

 

「こうやって、矢を投げて的に刺すゲームなんです。教授が調べたところによると、矢の刺さったところの数字の分だけ持ち点を小さくしていって、先にゼロになった方が勝ちらしいです」

「む、難しそうなのだ……でもやってみたいのだ!」

「後でやってみましょう! 投げるのはもうなんというか、とても練習しないとダメですからね。私も相当練習して投げれるようになりましたから」

 

はにかみながらイエイヌは、的に刺さったダーツの矢を抜いて、元あった場所に戻します。

 

「あっちの緑の台は何? あれも遊ぶ道具なの?」

 

サーバルがビリヤード台を指差します。

 

「あれは〝ビリヤード〟といって、棒で玉をついて遊ぶ道具です。玉も棒もあるので、後であれも遊んでみましょう!」

「と言うことはー、こっちにある青い台も何か遊ぶ道具なんだねー?」

 

フェネックの問いに、イエイヌは首を縦に振りながら、

 

「そうです。そちらのは〝卓球〟という、平たい板で球を打って遊ぶ道具です。そちらのも道具はあるので後でやってみましょう!」

 

人がいなくなって久しいですが、どうやら遊び道具は万全の状態で揃っているようです。研究所の他の場所を見終わったら、ここでしばらく遊べるようです。

 

サーバルもアライさんも早く遊びたくてうずうずしている様子で、

 

「じゃあさ! イエイヌ! 早く研究所のほかのところ回って、遊びにこよう!」

「なんならアライさん今から遊んでも全然いいのだ!」

「いちおう教授が言う通り研究所は一通り案内したいので、遊ぶのはその後にしましょう。大丈夫、あとは二階の研究施設と居住区だけですから」

 

はやる気持ちの二人を宥めながら、イエイヌは先を急いだのでした。

 

 

「ここが居住区になります。みなさんには滞在の間、ここで寝泊まりしてもらうことになりますね」

 

イエイヌが案内したのは大きなロビーの奥、部屋がいくつかに分かれている場所でした。

一つの部屋にはベットが二個。つまり一部屋に二人が寝泊まりするという構造です。

 

「部屋は自由に使ってください。一人一つでもいいですし、ベッドのある通り一部屋に二人まで入れますから」

「カバンちゃん! 一緒の部屋にしよう!」

「そうだねサーバルちゃん」

「アライさんはフェネックと一緒がいいのだ!」

「はいよー。あ、でもセッキーは……」

『ボクは一人でもいいかな。レミアが回復したらレミアと寝るよ』

「わかったのだ!」

 

部屋割りはすぐに決まりました。

とりあえずカバンさんの荷物を部屋に置いて、研究所案内も残すところ研究室だけになりました。

 

長い廊下を歩いていく途中で、セッキーが思い出したようにイエイヌに質問します。

 

『さっき聞きそびれちゃったんだけどさ』

「どうしました?」

『レミアの旅の目的の〝神様のフレンズを探す〟ってあるじゃない?』

「あぁ、言ってましたね」

『あれね、実は今のところ情報がなくってさ。本当にいるのかどうかも怪しくなってて。イエイヌかキュルルは何か知らない?』

 

セッキーの問いにイエイヌは口元に人差し指を当てて、何かを思い出すように思案します。

 

「そうですねぇ…………神様のフレンズと言われても私は知らないですね…………あ、もしかしたら」

『?』

「ダンザブロウダヌキさんなら何か知ってるかもしれないですね」

『ダンザブロウダヌキ?』

「そうです。あのフレンズならもしかすると、です」

『その、ダンザブロウダヌキってフレンズはどういうフレンズなの?』

「ここで一緒に研究をしているフレンズですよ。とは言ってもあのフレンズは結構独自に動いてて、今も山の方にフィールドワークをしに出かけているんです。私たちと協力して研究を進めることもありますけど、大抵は別々に行動しているんです」

『へぇー。でも、なんで神様のフレンズのことを知ってそうなの?』

「ダンザブロウさんは妖怪のフレンズなんですよ。化け狸って言ってたかな? だから普通のフレンズとはちょっと雰囲気が違ってて」

『化け狸、妖怪のフレンズか! それならもしかすると』

「ええ、神様のフレンズのことも聞き及んでいるかもしれません。あと二、三日したら帰ってくるって言ってたので、戻ったら聞いてみましょう!」

『ありがとう、イエイヌ! 進展があって助かったよ』

 

ここまでの旅で誰に聞いても全く知らないという回答ばかりだったレミアの旅に、一筋の光が見えてきました。

神様のフレンズ。それを知っているかもしれない妖怪のフレンズとなれば、期待は大きいです。

 

二、三日したら帰ってくるということなので、気長に待とうとセッキーは内心でワクワクしながら廊下を歩くのでした。

 

程なくしてたどり着いたのは壁面がガラス張りの一角です。

ガラスの内側はさも研究室といった感じで、書類やガラス器具、よくわからない機械類が散りばめられています。

 

キュルルの姿もありました。ガラス製のスポイトを試験管の中へ慎重に落としている様子です。

 

カバンさんは興味津々でガラスの向こうのキュルルの手元をのぞいています。

 

「ここで研究されているんですね」

「ええ、そうです。さっきもチラッと言いましたが、ここではセルリアンやフレンズ、サンドスターの研究をおこなっています。セルリウムを抽出したり、サンドスターを保存したりする研究がメインですね」

「さっき言われてたダンザブロウダヌキさんはなんの研究をしているんですか?」

「ヒト、の行方や痕跡にまつわる研究をしているそうですよ。とはいえなかなか進展していないみたいで」

「ヒトの行方ですか! それは…………ぜひお話を聞きたいですね」

「帰ってきたら聞いてみましょう! とは言っても、私たちは一応研究の成果を情報共有してて、先ほどお話しした人の行方についての話に行き着いちゃうんですけどね」

「パークの外、という話ですね」

「はい。なのでまぁ新しい話が聞けるかどうかは分かりませんけど、とにかくダンザブロウさんを待ちましょうかね」

 

肩をすくめてそう言うイエイヌに、カバンさんも頷きます。

ガラスの向こうではキュルルが真剣な表情で試験管の中身を移し替えていました。

廊下にいる一行のことは目には入っていないみたいです。それほど慎重に、集中しているということです。

 

セッキーはそんなキュルルの様子を見て、

 

『ねぇ、イエイヌ。この後時間があるんだったら、ボクはキュルルのそばで研究を見ててもいいかな?』

「あーどうでしょう。多分いいと思いますけど、ちょっと教授に聞いてみますね」

 

そういうとイエイヌは研究室の中に入っていきました。

キュルルの側まで来て二言三言話します。キュルルは廊下にいる一行に気がついたのか、こちらを見ると目を細めて手招きをしました。

 

どうやらそばにいてもいいようです。

 

戻ってきたイエイヌも、

 

「大丈夫みたいです。私は皆さんと遊びたいので、教授とセッキーさんの二人きりですけど問題ないですか?」

『全然問題ないよ。ちょっと元パークガイドロボットとして、知識を増やしておきたくてね』

「そう言うことなら是非、見学していってください」

『ありがとう、助かるよ』

 

微笑みながら言うセッキーに、イエイヌはハッとして「ちょっと待っててくださいね」と言い残すと廊下を走っていきました。

しばらくすると戻ってきたイエイヌの手には、綺麗な白衣が握られていました。

 

「毛皮が汚れるとあれなので、これ、余ってますから使ってください」

『白衣か。うん、そうだね。ありがとう。使わせてもらうよ』

 

セッキーは白衣を受け取ると、白いワンピースの上にはらりと羽織りました。サイズもぴったりなようです。

 

「セッキーなんだか似合うのだ! かっこいいのだ!」

「だねー。研究者って感じがするよ」

『やめてよ。ボクはただの見学だからね』

 

照れ笑いを浮かべながら、セッキーは研究室の方へと向かっていきました。

 

『それじゃあ、しばらく別行動だね』

「また晩御飯になったら呼びにきます! 時間はあるので、ゆっくり見学していってください」

『そうするよ、ありがとう』

 

そう言い残し、セッキーは研究室の中へと入っていきました。

 

「じゃ、我々は遊戯室で遊びましょうか!」

 

パチンと手を打つイエイヌに、アライさんとサーバルは待ってましたとばかりに拳を上げました。

その様子を後ろから見ていたフェネックが、カバンさんにそっと近づいて、

 

「セッキーに着いて行かなくて良かったのー?」

 

小声で囁きました。カバンさんはちょっと驚いてから、

 

「サーバルちゃんが遊びたいみたいだし、ボクはまた明日にでも見学しようかなって」

「まぁ、カバンさんがいいならそれでいいかなー」

「今日は遊ぶよ。ありがとうフェネックさん」

「いいよいいよー」

 

スキップで廊下を進んでいくアライさん、サーバルの後ろを、カバンさんとフェネックはお互いに顔を見合わせて微笑んでから、後を追っていくのでした。

 

「あ、そうなのだ」

 

唐突に、アライさんが立ち止まります。

 

「遊ぶ前に、レミアさんの様子が見たいのだ! ちょっと時間経つし、大丈夫かどうか一応確認したほうがいいのだ」

 

確かにその通りです。全員賛成して、遊戯室の前に医務室へと向かいました。

 

 

 

 

レミアは微睡の中にいました。

立っているのか、座っているのか、それとも寝ているのか。

本人にはもう、そのどれなのかわからないような意識の混濁具合でした。

ただ意識は混濁していても昏倒はしていません。

 

何か夢を見ているような。意識の狭間で現実と夢とを行き来しているような、そんな心地でした。

 

決して、居心地の良いものではありません。

泥沼の中を裸足で歩くような。進まないのに、進まなければいけないような。

気持ちの悪い夢でした。早く覚めれば良いのにと思う反面、どうやってもこの夢から抜け出せない、そういう感覚がレミアの体を支配しています。

 

(ここはどこ…………)

 

レミアは不思議な空間にいました。先ほどまでどこでもない、どことも説明のつかない場所にいたような気がしましたが、今はそれとは別の場所、なにか黒い空間に投げ出されていました。

 

夢でしょう。ここは夢の中。

そして自分は今、真っ黒な空間に立たされています。

 

何も見えないはずなのに、そこに自分がいることは認知できます。

まるで鳥のようになって、自分の姿を俯瞰しているような視点から、自分が真っ黒な空間に立っていることを認識しています。

あまりにも現実的ではないその光景に、だからこそ、これは夢だとレミアは断定できるのでした。

 

先ほどまでの泥沼の中を進む感覚は、今はもうありません。

代わりに、泥沼のような浅い場所に、両足を突っ込んで立っているような、そういう感覚がしています。

そして当の自分の姿は上空から俯瞰しているような、そういう見え方をしています。

 

ここはどこなのでしょうか。なんなのでしょうか。

これは夢で、夢としたらどういう夢なのでしょうか。

 

レミアには全く分かりません。早く覚めれば良いのに。そう思うばかりです。

 

不意に、レミアの前に何かが現れました。

黒い、丸い、大きい、一つ目の存在。

 

大きさはレミアと同じか少し大きいくらい。

丸くてブヨブヨしていて、中央には目のようなものがギョロリと動いています。

 

これまで何度となく屠ってきた、黒セルリアンです。

 

「なによ」

 

レミアはそう言葉を放ちました。

俯瞰した視点から放たれた自分の言葉は、まるで自分で発したわけではないような気がして、レミアは少し気持ち悪くなりました。

 

レミアの目の前にいる物体が、ゆっくりとレミアに近づきます。

レミアは動こうとします。もがき、足を上げようとしますが、ピクリとも体が動きません。

 

「なんなのよ」

 

再び口だけが動きます。その間にも黒セルリアンはレミアに近づき、肉薄し、そして。

 

ピタリと、レミアの眼の前で止まりました。

指一本分もない隙間を開けて、黒セルリアンはレミアの前に佇んでいます。

 

「なにを……しようとしているの」

 

レミアの声に力がこもらなくなります。

もう自分で発していると言う感覚も無くなってきました。

 

ただその様子を、上空から、俯瞰して、眺めるだけの存在になってしまいそうです。

 

黒セルリアンは、ゆっくりと進みました。

レミアの体に重なり、まるでレミアの中に入り込むように。レミアの中に姿を消していくように。

 

「やめ…………」

 

強烈な不快感。体の内側から神経を逆撫でされるような醜い感覚。

そして、全身の力が何者かに奪われるような感触。

 

意識が、人の形をした意識が、手足の先からどす黒く染まり、何者かに支配されていく感覚。

 

もう、レミアは声を発することもままならなくなりました。

俯瞰した視点から見るレミアの姿が、少しずつ、しかし確実に、黒く染まっていきます。

 

(やめて……だめ……)

 

心の中で、上空から見ている自分の姿に、心のうちから語りかけます。

それを拒まなければいけない。

それに支配されてはいけない。

それを受け入れてはいけない。

それを拒絶し、自らを取り戻さなければいけない。

 

あたしはあたしだ。

何者にも奪われない。このあたしが許さない。

 

レミアは拒みました。黒セルリアンの姿は消え、レミアの中へと入りましたが。

 

拒み続けます。拒絶し、拒否し、受け入れ難いものとして受け入れることを放棄します。

 

レミアの自我は、細く、長く、隙間を縫うように、レミア自身を留め続けるのでした。

 

 

 

 




次回「どこに」


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第十一話 「どこに」

医務室へと戻ってきたアライさんたちの目に映るレミアは、数時間前とさほど変わりません。

 

少し短い呼吸、うっすらとかいた汗、寝返りなど打ちそうもないほどに脱力した肢体。

状態を見て〝元気そう〟などとは誰も思いませんが、変化のない様子に一同は少し安心しました。

 

アライさんが、額のタオルを冷たいものに変えて、布団をかけ直します。今できることはもうこれくらいしかありません。

 

「とりあえず、時間を置くしかないのだ?」

「そうだねー。様子を見つつ、看病していくしかないよねー」

 

アライさんとフェネックが見合わせている横で、サーバルが、

 

「でも、レミアさんお腹空いてるんじゃないかな? お昼ご飯食べてないよね?」

 

首を傾げます。その様子を見ていたカバンさんが、レミアを起こさないように小声で呟きます。

 

「今は寝てるから、無理に起こさない方がいいと思うな。もし何日も起きなかったら、またキョウシュウでした時みたいにジャパリまんをふやかして食べさせてあげよう」

 

カバンさんの言葉にみんなが頷きます。とりあえず今は寝かせてあげる。それが一番です。

 

「それじゃあ、遊びに行くのだ! 遊戯室へ集合なのだ!」

 

声は抑え気味に、でも興奮は抑えられない様子で、アライさんが拳を振り上げます。

 

アライさんとサーバルがまず部屋を出て、その後を追うようにイエイヌ、カバンさん、最後にフェネックが部屋を後にしました。

部屋を出る時、

 

「…………」

 

フェネックが一度振り返ってレミアを見ました。

何か、レミアの中で何かが変わっているような気配を察知して。

それは音でも匂いでもない、言うなればただの野生の勘でしかありませんでしたが。

 

「…………気のせい、かなー」

 

小さく呟いてから、フェネックはみんなを追うのでした。

 

 

 

 

アライさんたちが遊戯室にて思い思いに遊び始めている一方で、ここ研究室ではキュルルとセッキーが真面目に研究を進めていました。

 

『これは? 今は何をしているの?』

「これはサンドスターとセルリウムの反応を比較しているんだ。サンドスターとセルリウムを特定の物質に同時にかけた場合、どちらが反応するのか、という実験だね」

 

そう言うとキュルルは鉄片が入っている試験管の中に、セルリウムを落とします。すぐさまサンドスターの粉をさじですくって振りかけます。

隣の試験管では逆の順番で、まずサンドスターから、次にセルリウムをかけていきます。

 

「ちなみに今までの実験ではどちらにも変化がなかったんだ」

『え、そうなの? 反応しないってこと?』

「そういうこと。まぁ、見てて」

 

二つ並んだ試験管。

その中身に降りかかったサンドスターとセルリウムは、試験管の中でなにやらモゾモゾと動き出し、まるで何か形を形成しようとしているようにも見えます。

しばらくすると、

 

『…………』

「…………まぁ、こんなかんじ」

 

何も起きなくなりました。虹色に輝いていたサンドスターの粉は、まるで灰のように色を無くした粉になり、黒くドロドロとしたセルリウムは、ドロドロとしたままで何の変化もありません。

もちろん中に入っている鉄片にも特に変化はありません。

 

「セルリウムがセルリアンを生み出そうとする作用を持っているとしたら、サンドスターはそれを阻害する作用を持っているのかもしれない。だから鉄片はセルリアンになることがないんだ」

『これ、鉄片以外でも実験をしているの?』

「あぁ。無機物はね。有機物…………というか、動物ではまだ実験できてないよ」

 

苦笑いをするキュルルに、セッキーもそりゃそうだという表情を送ります。

そうやすやすと動物を実験に使うわけにはいきません。まして動物が人の姿になるここジャパリパークで、動物を使った実験は倫理的にも精神的にも行えるものではありません。

 

「ただねぇ、昔はそうではなかったみたい」

 

押し殺したような声でキュルルは口を開きました。

 

『うん?』

「ビーストのことだよ。彼女はね、おそらく人為的に作られているんだ」

『そうなの?』

「サンドスター・ローをフレンズに投与するという実験が行われていたんじゃないかなとボクは思う。その結果生まれたのがビースト、と言うことかなと」

『それは…………ひどい話だね』

「ボクを含めて、人ってのは知りたがりだからね。知るために何を犠牲にするか考えながら、そして犠牲を出しながら物事を解明していくと思うんだ。結果、悲惨なものが生まれてしまってもそれに見合った成果が得られれば良しとする。辛い生き物だよ」

 

肩を落とすキュルルに、セッキーはなんと声をかければいいか一瞬迷いました。

迷って、それから、

 

『キュルルは犠牲の種類を選んでくれているんでしょ? だから動物やフレンズを実験台に選ばない』

「まぁ、そうだね」

『立派だよ。立派な道徳を持っている。そしてその道徳の範囲内で知識欲を満たしている。君はなにも恥じることはないよ』

「そうかな…………いや、ありがとう。そう言われると嬉しいよ」

 

少しだけ、口の端に笑みを浮かべたキュルルは、使用した後の試験管を片づけ始めました。

 

「このあとはまだまだ、こんな感じでセルリウムとサンドスターの反応を調べる実験を繰り返すんだけど、見ていくかい?」

『見させてもらうよ。よく見ておきたいんだ。元パークガイドロボットとしてね』

「そうだったね。なんだか忘れてしまいそうになるよ。君自身も相当奇跡的な存在なんだけどね」

『無機物に反応したサンドスター、ってね。もしかすると従来の研究が間違っていて、ボクは正真正銘のフレンズだったりして』

「可能性はあるよ。セルリアンと会話できるフレンズということになる。そういう存在がいてもボクは不思議には思わないな」

『ボクを解剖して徹底的に調べてみる?』

「しないよ。しないしない」

 

くっくっくっと笑うセッキーに、遠慮がちに苦笑いで返すキュルルです。試験管はきれいになりました。

 

「さて、次の実験に行こうかね」

『手伝うよ、何がいる?』

「そこの箱を取ってもらえるかな。あぁ、それそれ」

 

 

キュルルとセッキーが実験を繰り返している一方で、遊戯室ではアライさんたちがそれぞれ自由に遊んでいました。

アライさんとイエイヌはダーツを。

フェネックとサーバルとカバンさんはビリヤード台を囲んでいます。

 

「これ、なんか持ち方がしっくりこないのだ」

「教授はこの持ち方が本当は正しいって言ってたんです。私は持ちにくいから別の持ち方をしてるんですけどね」

 

アライさんの手には、指先で摘むようにダーツの矢が持たれています。

ですがどうやらその持ち方で投げるのはアライさんには難しいらしく、違う持ち方がいいとのことでした。

 

「アライさんはこう、指を4本立てて、親指でこれを挟んだ方がいいと思うのだ」

「そうですか? こんな感じ?」

「そうなのだ。ちょっと投げてみるのだ」

 

アライさんがダーツの矢を持った手を振りかぶって、そして思いっきり振り下ろします。

音もなく飛び立った矢は、

 

「お!」

「おお! やりますね!」

 

ダーツの中央付近に刺さりました。

 

「やっぱりこの持ち方がいいのだ! アライさんはこれで投げるのだ!」

「この短時間で自分の持ち方、投げ方を見つけ出せるとは、なかなかのセンスですよ! すごいです!」

「えっへん、なのだ!」

「さっそく勝負してみましょう」

「負けないのだ!」

 

お互いに矢を持って、イエイヌとアライさんはダーツで勝負となりました。

隣の台にいるフェネックたちは、カバンさんがビリヤードの説明書を見ながらルールを解説しているようです。

 

「ボールを手で触っちゃダメで、触れていいのは棒だけ。この棒でこの白いボールを打って、他の球を隅っこの穴に入れていく、らしいですよ」

 

へー、という顔をしながらフェネックとサーバルは手元に長い棒を握ります。

 

「この棒を使うってことだねー?」

「なんだか難しそう」

「ルールは他にもあって、この、ナインボールというルールでは9番と書かれたボールが穴に落ちたら、落とした人が勝ち、みたいです」

 

カバンさんが台の上のボールを一つ手に取ります。数字は9と書かれています。

 

「その模様のボールを穴に落とせばいいんだね!」

「あれ、でもだったらそのボールだけ狙って落とせばいいよねー? 簡単じゃないー?」

「えっと…………あ、ここですね。どうやら白い球を台にある一番小さい数字の球に当てないとダメみたいです」

 

たとえば……と、カバンさんが数字の書かれたボールを台に適当に並べます。

 

「まずはこの1番のボールに当てないとダメで、このボールに当ててから9番が穴に落ちるのはいいみたいです。1番が穴に落ちたら次は2番に当てていく、って感じですね」

「なるほどねー。なかなか難しそうだねー」

「やってみたい! カバンちゃん早速やろうよ!」

「棒が二本しかないので、代わりばんこでやりましょう。じゃあ、最初は誰からいきます?」

「私やりたい!」

「いいよー」

 

いの一番に手を上げたサーバルが最初のショットを行うようです。説明書に書いてあるように、ボールを台の上にまとめて並べます。

サーバルは白い球を近くに寄せて、「こんな感じかな?」と棒を両手で持って先端をボールに向けます。それから、

 

「えい!」

 

白い球を勢いよくど突きました。

持ち方も打ち方もめちゃくちゃですが、誰も正しい形なんて知らないので止める人はいません。白い球は台に並べられている球に当たって、台の上の球が縦横無尽に散らばります。

 

説明書によるとこの時に球が四個以上壁に当たらなかったらやり直しみたいなことが書かれていましたが、そんなことをしていたらゲームが始まらないとカバンさんは思ったのでスルーしました。

 

フェネックが、カバンさんの顔を覗き込みます。

 

「これ、どういう条件で打つのを交代するのー?」

「えっと、色々あるみたいなんですけど、難しいので代わりばんこに打つ、というのでどうでしょう?」

「いいねー」

「いいよいいよ! 次は誰が打つ?」

「カバンさんいきなよー」

「え、あ、はい。じゃあボクが打ちます」

 

カバンさんも右手に棒を持ち、左手は棒にそっと添えます。説明書に書かれていた絵を参考にしたフォームです。おおよそ正解の形でした。

 

「よっと!」

 

白い球、手球に棒がカツンと当たり、カバンさんの狙い通り1番のボールに手球が当たります。

当たった手玉は吸い込まれるようにして穴の中に入っていきました。

 

「おおーカバンさんすごいねー」

「カバンちゃんすごい! 球が穴に入ったよ! すごいすごい!」

 

フェネックもサーバルも手を叩いて称賛しました。1番が入っただけなのでポイントにはなっていませんが、綺麗に吸い込まれるようにして球が穴に入っていく様は気持ちのいいものでした。

 

「偶然だよ、偶然。じゃあ、次はフェネックさんかな」

「はいよー。2番を狙えばいいんだね」

「そうですね」

 

手球と2番のボールをよくみて、どの角度から打とうかと計算したフェネックは、カバンさんと同じように棒を右手に、左手はそっと添えるだけのフォームを作って、

 

「よっとー」

 

手球をそれなりの強い力で打ちました。

カツンカツン! と小気味良い音を立てて、手球は2番のボールに当たります。当たった2番のボールはそのまま弾かれて9番のボールに当たりました。

しかし、当たっただけで2番は穴に入ることなく、9番も穴の少し手前で止まります。惜しいところでした。もう少し2番に勢いがあれば、9番は穴の中に入っているところでした。

 

「まぁーこんな感じだよねー。難しいねーこれー」

 

照れ笑いを浮かべるフェネックにカバンさんもサーバルも拍手を送ります。もう少しで9番が入るところでしたから、なかなかいいショットでした。

 

「じゃあ! 次は私だね! 負けないぞー!!」

 

元気よくサーバルが棒を振り回して、手球の近くまで移動しました。

 

そんな調子で数時間。

 

アライさんとイエイヌのダーツ勝負は途中から数字を引くのが難しいということになり、急遽ルール変更でどっちが中央近くに投げれるか勝負になりました。ちなみに勝ったのはイエイヌでした。

 

カバンさん、サーバル、フェネックのビリヤード勝負はこれまた長いこと続きましたが、コツを掴んだフェネックとカバンさんが接戦。最終的にはフェネックが9番を穴に放り込んでフェネックの勝ちとなりました。

 

初めて遊んだゲームでしたが、みんなそれぞれ、満喫できた様子です。

 

イエイヌは時計を見て、

 

「そろそろ晩御飯の用意と、お風呂を入れてきますね! 皆さんは食堂に集合していてください!」

 

そう言いながら遊戯室から出ようとしました。その後ろ姿にカバンさんが声をかけます。

 

「あの、キュルルさんとセッキーさんも呼んだ方がいいですよね?」

「あ、お願いします! たぶんまだ研究室にいると思うんで!」

「わかりました!」

 

パタパタと去っていくイエイヌの背中を見送って、カバンさんたちも遊戯室を後にします。

 

「キュルルさんたちはボクが呼んできます。サーバルちゃんとフェネックさんは食堂に行っててください」

「はいよー」

「頼んだよ! カバンちゃん!」

 

サーバルとフェネックは食堂へ、カバンさんは二階へと足を運びました。

程なくしてガラス張りの研究室へと辿り着いたカバンさんは、キュルルとセッキーの姿を探します。

 

「あれ?」

 

昼過ぎにいた場所に、キュルルとセッキーの姿はありませんでした。

 

「どこに行ったんでしょうか……?」

 

辺りをキョロキョロと見回します。勝手に入っていいものか躊躇しましたが、カバンさんはとりあえず研究室内に入らないと見つけられないだろうと思い、研究室の中へと足を踏み入れました。

 

独特のひんやりとした空気感を肌で感じながら、二人を探します。

 

「キュルルさーん! セッキーさーん! どこですかー!」

 

少し大きめの声で呼びかけます。そうするとすぐに、

 

『こっちだよー!』

 

セッキーの声が聞こえてきました。どうやら研究室の奥の個室にいるようです。

カバンさんは小走りで個室の前に立ち、ドアを開けました。

 

二畳ほどの小さな部屋です。部屋の中にはキュルルとセッキーが、なにやら大きな機械を前にして座っていました。

機械には小さなモニターとたくさんのボタン、そしてダイヤルがついています。

キュルルが、機械に線で繋がれた黒くて四角い箱を持っています。大きさは手のひら台。まるでマイクのようです。

 

「もう一度聞くけど、救援が必要なんだね?」

 

キュルルがマイクに向かって話しかけます。

少し遅れて、ノイズ混じりに機械に取り付けてあるスピーカーから声が聞こえました。

 

『ええ、必要ですね。四方八方全部セルリアンです。鳥のフレンズに化けて脱出しましたが、このままでは山周辺はセルリアンの被害に飲まれてしまいます』

 

落ち着いた声でしたが、どこか焦燥感を感じさせる声でもありました。

 

キュルルが持っていたマイクを今度はセッキーが手にとってスイッチを入れます。

 

『ボクはセッキー。詳しいことは省くけど、黒色以外のセルリアンを操れるんだ。そこにいるのは何色のセルリアンなの?』

『いろんな色がいるわ。でも黒はいないみたい。セルリアンを操れるって本当なの?』

『本当だよ。君の力になれると思う』

 

そこまで話すとセッキーはキュルルにマイクを渡しました。

 

「話した通りだよ。セッキーさんはセルリアンを操れる。ダンザブロウさんの元へ派遣して、事態の収束に動いてもらおうと思う」

『急いだ方がいいです。この数は尋常ではありません。被害が出る前に、なるべく早く派遣してください』

「明日の朝には出発するよ。場所は山の麓だね?」

『そうです。山の麓、東側の森の中です。私はこのままセルリアンの監視を続けます』

「危なくなったら逃げてくださいね。ご武運を」

 

そうして、通信は遮断されました。

カバンさんは黙って見ていることしかできませんでしたが、通信の一部始終を聞いただけで、何が起きているのか把握できました。

 

セッキーはバツの悪そうな顔で肩をすくめながら、

 

『詳しいことはみんなの前で話すけど、ちょっと厄介ごとになっちゃったみたい。ボクの力が必要だから、人助け、じゃないか。フレンズ助けしてくるよ』

 

カバンさんは心配そうな目でセッキーを見ましたが、もう決まったことのようです。

そうであれば、何か手助けできることはないか。

自分にできることはないか。

カバンさんは頭を切り替えました。

 

キュルルが立ち上がります。

 

「とりあえず、みんな食堂に集まっているんだよね? 何が起きているのかの説明と、これからどうするのかを話していくとしよう」

 

 

食堂に集まった一同は、キュルルとセッキーから大事な話があることを伝えられましたが、

 

「とりあえずご飯を作って、食べながらというのはどうです?」

 

というイエイヌの提案でそうすることになりました。

晩御飯は簡単なもの、野菜のスープに決まりました。

 

食材を洗って、切って、煮込んで、味を整えていきます。

程なくして全員分の野菜スープが完成しました。塩と胡椒で味付けされたとてもシンプルな一品です。

 

「簡単なものしかできないけど、とりあえず食べて話を聞いてほしい」

 

キュルルの言葉に全員が頷いて席に座ります。挨拶をして、一口、二口とスープを飲んで、

 

「美味しいですよ」

「美味しいのだ」

「落ち着く味だねー」

「こういう料理もいいね!」

『野菜の旨味が出てるよ』

 

バス組の好評を受けました。メインで味付けをしていたキュルルがちょっと嬉しそうに照れ笑いをしてから、一度咳払い。

事の次第を話し始めました。

 

無線機に連絡が来たのは夕方ごろ。

フィールドワークに行く時には、研究所と連絡ができるように無線機を持ち出す決まりにしているそうです。

今回はダンザブロウダヌキだけなので、彼女が無線機を持ってサンドスターの吹き出している山へ向かったのでした。

 

何事もなければ特に連絡は寄越さず、そのまま帰ってくる決まりになっているのですが、今日の夕方、緊急無線が入りました。

 

内容は救援。何が起きているのかというと、山の麓にセルリアンが大量発生しているとのことでした。

ダンザブロウダヌキ自身は他のフレンズや物に化けることを特技としていて、鳥のフレンズに化けてその場からは離脱できたようですが、このままではセルリアンによる被害が出てしまうとのこと。

 

急遽、研究所からセルリアンハンターに連絡をして、事態の収束に向かってほしいという連絡でした。

 

『で、そういうことならボクがセルリアンの元へ行って説得して、無力化すればいいってことになったんだ』

 

セッキーが神妙な面持ちで口を開きます。

 

『しばらくここを離れることになるけど、こういうことになった以上どうにかできるのはボクしかいないと思う。フレンズ助けってのもあるけど、ダンザブロウダヌキがいなくなっちゃうと神様のフレンズへの手がかりを失うことにもなるから、助けに行かないといけない』

 

セッキーの言葉に、みんなが頷きます。

アライさんも手に持っていたスプーンを力強く握りしめながら、

 

「そういうことならアライさんもついていくのだ! セッキー一人じゃ何かと大変だと思うから、アライさんもお手伝いするのだ!」

 

その言葉に、キュルルとイエイヌがちょっと驚きました。

イエイヌは、

 

「げ、現地はセルリアンだらけなんですよ? 危ないですよ?」

「心配無用なのだ! 昔からセルリアンにはよく囲まれているのだ! ちゃんと逃げ切れるし、セッキーのサポートもできると思うのだ! ついていくのだ!」

「あの、実はボクも……」

 

アライさんが胸を張る横で、カバンさんもおずおずと手を上げます。

 

「ボクも、セッキーさんと一緒に行こうと思います。何より、歩くよりバスで行った方が早く着くし、バスを運転できるのはボクとこの、ラッキーさんだけです。ラッキーさん、行けますよね?」

 

手首を差し出したカバンさんに、答えるようにバンドの基幹部品が光ります。

 

『まかせて。現地までしっかり移動できるよ』

 

喋り出したボスに、イエイヌとキュルルは今度こそガタリと椅子を揺らして驚きました。

 

「それ、喋れたんですか! というか、ボスだったんですか?」

「すごいね。ラッキービーストって、その状態でも機能するんだ……」

「紹介が遅れてすみません。キョウシュウにいた時からずっと一緒に旅をしてきたラッキービーストのラッキーさんです」

 

後ろ頭をかきながら少し困り顔で、カバンさんがボスの紹介をしました。

 

話が戻ります。

 

山へ行くセッキーについてくるのは、アライさんとカバンさんが名乗りを上げましたが、

 

「カバンちゃんが行くなら私も行くよ! 戦いなら任せて! 小さいセルリアンだったら一撃なんだから!」

「アライさんが行くなら私も行くよー。心配だしねー」

 

サーバルとフェネックも参戦するようです。

全員が山へ行くという意見に、キュルルとイエイヌは本当に大丈夫なのかと不安げな表情です。

 

「みなさん、本当に行くんですか? 危険ですよ?」

「大丈夫なのだ! セルリアンに囲まれるのも、追いかけられるのも、退治するのも仲間にするのも慣れっこなのだ! まかせろなのだ!」

「…………わかった。みんながそう言うなら、ボク達ももう止めないよ」

 

キュルルは半分諦めたように、もう半分は期待を込めた目で、言葉をつづけました。

 

「ここからダンザブロウさんの言っていた山の東の麓までは歩きで二日。車なら半日程度で行けると思う。明日の朝、早朝に出発するとして現地に到着するのは昼ごろ。セルリアンに対して何らかの働きかけをするなら、日が登っているうちにやった方がいい」

『どれくらいの量がいるのかにもよるけど、仲間にしていけれたら芋づる式に伝播できると思うから、順調にいけば日が落ちる前には片付くよ』

「そうなることを祈ろう。ヘリのセルリアンも、ビーストも、まだ何の手も打てていない状況にある。もし彼らに遭遇した場合——」

『逃げる、しかないと思う。戦力的にも厳しすぎるから。祈るしかないね』

 

綱渡りの作戦です。もしビーストやヘリのセルリアンが出た場合はかなり厄介です。

ですがやるしかありません。ダンザブロウダヌキを救出するという意味でも、パークを、ゴコクを守るという意味でもやるしかありません。

 

「それじゃあ、明日の朝だね。それまでみんなゆっくり休んで」

 

キュルルの言葉に、全員が深く頷きました。

 

 

翌朝。

太陽が東の空に顔を出し始め、世界をこれから照らし出そうとする時間帯です。

 

「出発の前にレミアさんの様子を見てくるのだ!」

「あ、ボクもいきます」

「みんなで行こうよ!」

「はいよー」

『そうしよう』

 

山へ向かう前に、レミアの様子を確かめておくことになりました。

不在の間、イエイヌとキュルルに看病してもらう手筈になっています。

 

医務室へと向かい、ドアに手をかけ、ガチャリと開けたその先に。

 

「………………え?」

 

ベッドの上には、誰もいませんでした。

捲られたシーツだけがそこに置かれています。レミアが寝ていた形跡だけが残されていて、肝心のレミアの姿がどこにもありません。

 

部屋の中のどこかに隠れているわけでもありません。

レミアの、かすかな香りだけが、医務室に残されていました。

 




次回「やまとせるりあん! いちー!」


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第十二話 「やまとせるりあん! いちー!」

「隅々まで探したけど、館内はどこにもいなかったのだ!」

「これは困ったねー」

 

医務室の前に、息を切らせながら走ってきたアライさんとフェネックがみんなにそう告げます。

イエイヌとキュルルも、

 

「こっちにもいませんでした」

「研究室の中にも、いる気配はなかったね」

 

首を振りながらため息をつきます。

 

レミアは忽然と姿を消しました。研究所内のどこを探しても見当たらず、唯一、正面玄関のドアが開きっぱなしになっていました。

カバンさんが心配そうに、そして少し焦った声音でつぶやきます。

 

「やっぱり、外に出たんでしょうか…………」

「でもカバンちゃんおかしいよ! レミアさんずっと体調が悪そうだったんだよ? 歩いて一人で外に出るなんて……」

「うん。でも、レミアさんの中で何かが起きたのかもしれない。動けるようにはなったけど、ここに居られなくなったとか」

「あるいは」

 

カバンさんの声にかぶさるように、キュルルが眉根を寄せながら口を開きます。

 

「あるいは、みんなと居られない状態になったか」

「それって……?」

「サンドスター・ローに体が侵されていた。もし、全身を、あるいは精神を侵されたら」

 

キュルルの言葉に、フェネックとカバンさん、セッキー、そしてイエイヌがハッと息を飲みました。

 

「…………レミアさんが、ビーストみたいになるかもねー。そうなると、確かに私たちと一緒にはいられないねー」

 

フェネックの言葉でアライさんとサーバルも理解します。信じたくないものを無理やり信じなければいけないような、暗い表情になりました。

 

しかし、アライさんはバッと顔を上げると、にまりと笑って胸を叩きました。

 

「心配いらないのだ。こういう時こそアライさんにお任せなのだ!」

 

全員が顔を上げてアライさんの目を見ます。アライさんの目はいつぞやの自信に満ち溢れた屈託のない色を湛えていました。

 

「レミアさんの匂いは残っているのだ。これを辿って必ず見つけ出して、説得するのだ! 大丈夫! アライさんが呼びかければ、例えビーストみたいになっててもレミアさんは無事なのだ! きっと大丈夫なのだ!」

 

そんな根拠はどこにもありませんでしたが、なぜか皆、アライさんの言葉を信じたくなりました。

根拠のない自信。どこから湧いてくるのかわからないその自信に、賭けるしかないのです。

 

『レミアがビーストのようになった。仮にそうだとして、ここから立ち去ったのはなぜ?』

 

セッキーが自問するようにつぶやきます。そして自答するように続けました。

 

『もしかすると、レミアにはまだ自我が残ってて、最後の抵抗でボク達から距離を取ったのかも。そうだとしたら』

「一刻も早く見つけてあげないとだめなのだ! 一人で寂しくしてたら、治るものも治らないのだ!」

『いや、そうではなくて……』

 

アライさんの言葉にセッキーは少し狼狽えます。

レミアが最後の自我を頼りに研究所から距離を取ったのなら、次にする行動は何でしょうか。

 

優しいレミアです。フレンズのために自身を犠牲にする仕草まで見せていたレミアが、もし、自我を消失してフレンズを襲うような存在になろうとしていたら。

それがわかっていて、残されたわずかな時間で自分にできることを探していたとしたら。

 

『…………そっか。そうだよね。早く見つけ出して、連れ戻さないと』

 

でなければ、合理的に考えてレミアが次に取る行動は自死に他なりません。

一刻を争います。見つけ出し、説得し、そしてサンドスター・ローの侵食から救い出さなければなりません。

 

そこまで考えていると、おもむろにサーバルが手を上げました。

 

「でも、山のほうにも行かなきゃなんだよね? ダンザブロウダヌキを助けなきゃ」

『そうなんだ。ボクは山に行かなきゃいけない。レミアを追うことはできない』

「アライさんにお任せなのだ! 匂いをたどって必ず見つけるのだ! カバンさんの時にも何だかんだできたから、任せてほしいのだ!」

「じゃあー、私もアライさんについていくよー」

「フェネック!」

 

にこりと笑いながら手を上げたフェネックに、アライさんは満面の笑みで拳を握ります。

 

「こっちは任せてほしいのだ! カバンさんとサーバルとセッキーは山に行ってセルリアンをまとめてほしいのだ!」

 

アライさんの言葉に、カバンさんもサーバルもセッキーも納得して頷きます。

二手に分かれての活動になります。山へはバスを使ってカバンさんとサーバルとセッキーが、レミアを追うのはアライさんとフェネックです。

 

「すぐに出発するのだ! 時間が惜しいのだ!」

「あぁ、待って、君たちこれを持っていくといい」

 

キュルルが呼び止めて、アライさんにはバックパックを、カバンさんには無線機を渡します。

 

「バックパックの中にはジャパリまんと無線機、それから粉末状のサンドスターが入っている。もしレミアさんが暴走したら、そのサンドスターを使ってみるといい。効くかはわからないけど抑止にはなるはずだよ」

「わかったのだ!」

「カバンさんの方にも無線機を渡しておくよ。回線を選択すればダンザブロウさんのところにも、アライさんのところにも直接連絡が取れるし、研究所にもつなげられる。万が一の時もあるから電源は常に入れておいて」

「わかりました」

「それと、念のため山のほうにはセルリアンハンターを向かわせるよ。事態の収束が難しいと判断した場合、ここの研究所に連絡してほしい。セルリアンハンターに助けを求めるよ」

「ハンターの方とはどうやって連絡を?」

「研究所の無線機からパーク内のラッキービーストに無線を飛ばせるんだ。人であるボクならではの機能だけど、これを使ってハンターの近くにいるラッキービーストに連絡をとるよ」

「わかりました。もしもの時には、よろしくお願いします」

 

カバンさんとキュルルはお互い頷きます。

それから移動して、バスの前へと着きました。

 

「レミアさんの荷物があるのだ! 銃もポーチも置きっぱなしの丸腰なのだ」

「早く見つけてあげよー。きっと困ってるよー」

「その通りなのだ」

 

バスの窓を覗き込んだアライさんとフェネックは、もう準備万端で出発する気満々です。

バックパックはフェネックが持って、アライさんは匂いをたどるのに専念します。

 

セッキーが、バスの屋根からセルリンを下ろしながらアライさんに向き直りました。

 

『アライグマ、水色セルリアンを連れていく? 三体残ってるから、もしものために連れていくのも手だと思うけど』

 

アライさんは少し考えて、それから笑顔で首を横に振りました。

 

「戦いが起きそうなのはどう考えてもセッキー達の方なのだ! こっちはレミアさんを探すだけだから、セルリアンはセッキー達が持ってた方がいいのだ! ね、フェネック?」

「そうだねー。こっちはもし戦いになっても身軽に逃げれる方がいいから、セルリアンはセッキー達が持っててよー」

『わかった。くれぐれも気をつけてね。ビーストやヘリのセルリアンにあったら逃げるんだよ』

「まかせろなのだ! 逃げるのも得意なのだ!」

「はいよー」

 

アライさんとフェネックの元気な返事を聞いて、セッキーも頷き返します。 

 

「それじゃあ、行きます」

 

カバンさんの声で、山へ向かう三人もバスに乗り込みました。

カバンさんが運転席へ、サーバルとセッキーが後部座席へ乗り込みます。エンジンがかかり、バスの窓が開きました。

 

「くれぐれも気をつけて! 必ず無事で戻ってきて!」

「無理だと思ったらすぐ逃げてくださいね!」

 

キュルルとイエイヌの張り上げた声に、カバンさんもサーバルもセッキーも手を振って返します。

 

「アライさん達もいくのだ! こっちに匂いが続いているのだ!」

「はいよー! アライさんバスに轢かれないようにねー」

「わかってるのだ!」

 

アライさん達も、どうやら匂いはバスが向かう道へ続いているようです。

 

程なくしてバスは出発。アライさん達もその跡を追うように徒歩で進むのでした。

 

キュルルとイエイヌはアライさんとフェネックの姿が見えなくなるまで見送りました。

静かな研究所前に、さっと柔らかい風が吹いています。イエイヌの灰色の髪を少し揺すりました。

 

「どうにか、なるでしょうか」

 

イエイヌの心配そうな呟きに、キュルルも首を横に振ります。

 

「わからない。でも、信じるしかない。物事は悪いほうに考えると本当に悪くなる。良くなるように考えよう」

「そうですね」

「ひとまず、ハンター達に連絡だ。集められるだけ集めよう」

「了解です!」

 

 

 

 

ここは、サンドスターの吹き荒れる山の麓。方角で言うと山を中心にして東側の地点です。

太陽が顔を出してしばらくの時間が経っています。空高くから一望する森の光景は、一見すると普段と変わりないものでした。

が、しかしこの日だけは、いつもとは違うおぞましい空気が、ぴりりとダンザブロウダヌキの肌を撫でました。

 

「多すぎる…………どんどん増えていますね」

 

森の木々より高い位置を飛行しながら、ダンザブロウダヌキは下に広がる恐ろしい光景に唾を飲みます。

眼下では赤や水色のセルリアンがひしめき合って、森の木々を時折倒しながら広がっていました。

 

今、ダンザブロウダヌキの姿はちょうどハクトウワシと同じ姿をしています。

軍服のようないでたちに白い髪の毛と、毛先は少し黒みがかっています。頭から生えている大きな翼をたたえて、空中にホバリングしています。

 

「この辺りの子達は避難できたと思うけど、まだ向こうのほうは手付かずですね。セルリアンが広がる前に、行きましょう」

 

ダンザブロウダヌキは山の南東の方角へ進みました。

北東から東にかけて夜通し避難誘導をしました。逃げ足の遅い子は自分が抱えて飛んで逃していました。

流石に疲労の色が見えていますが、危険に瀕しているフレンズ達を放って置けるような性格ではありません。

 

「あともうちょっとです。もう少しで助けが来るはずですから……」

 

力が抜けそうになる体に叱咤激励をして、南東の方角へと進みます。

 

まだこの一帯にはセルリアンは来ていないようです。上空からフレンズがいないか見渡していきます。

 

「…………ん?」

 

すると、木々の間、少し開けたようになっている森の一角に、何やらサンドスターが集まっていました。

キラキラと空中に光の粒子を撒き散らしながら、一体の動物が足を得て、手を得て、体を得ています。

 

それは、

 

「サンドスターで生まれる瞬間ですか! このタイミングで!? この場所で!?」

 

奇跡の一端でした。

サンドスターが動物をフレンズにするという、ここジャパリパークでは何度となく繰り返されている、しかし奇跡以外の何物でもない瞬間です。

 

ダンザブロウダヌキは少しの間、上空から動物がヒトの姿を得る過程を目撃した跡、すぐさま下降して近づきました。

音もなく地上に降り立って、変身を解きます。

タイトな白のジャケットに白いスカートの、いつもの、本来のダンザブロウダヌキの姿になります。

 

「こんにちは。あなたは何のフレンズでしょうか?」

「ひゃあああ!」

 

いきなり後ろから声をかけられたものですから、フレンズは悲鳴をあげて驚いたようにその場で飛び上がりました。

振り返ったその顔、髪型と髪色、そして身につけている衣服を見たダンザブロウダヌキは、

 

「あなた、もしかしてタヌキではありませんか?」

「え、ええと、あの、えっと…………あ、はい。たぶん、そう呼ばれていたような気がするので、そうだと思います。あの、あなたは……?」

 

おずおずと、何かに怯えているかのように聞き返してきたタヌキに、ダンザブロウダヌキは握手の手を差し出しました。

 

「私はダンザブロウダヌキ。あなたの親戚のようなものです。そして、私はちょっと妖怪チックなところもある、化けるのが得意なタヌキですよ」

「ようかい……? あの、この姿は一体……? なんで、後ろ足だけで立っているんでしょうか……?」

「これはフレンズ化と言って、あなたはサンドスターのおかげでヒトの姿を手に入れた動物なんですよ。ここはそう言う動物が多く暮らすジャパリパークです」

「え、えっと…………はい、なんとなく、わかりました。それで、あの、私は何をしたらいいんでしょうか……?」

 

震えるような、今にも泣き出しそうな声で自信なさげに立っているタヌキに、ダンザブロウダヌキは微笑みながら言い切りました。

 

「生きてください。本能に従い、理性で舵をとり、時に他人を頼り、自らの生活を手に入れてください」

「??????」

 

首を傾げるタヌキです。ちょっとダンザブロウダヌキの言っていることが通じていないような感じではありましたが、ダンザブロウダヌキは構わず言葉を続けます。

 

「ここジャパリパークには、セルリアンという敵が存在します。私たちフレンズを食べてしまう恐ろしい存在です」

「食べ、食べられるんですか……? 痛いですか?」

「私は食べられたことがないのでわかりませんが、もし食べられてしまうとフレンズの姿を維持できなくなってしまいます。せっかく手に入れた新しい人生です。失ってしまうのは勿体無いですよね?」

「そう…………かもしれませんね」

「はい、ですからまずは、セルリアンに遭遇したら逃げることです。そして今、この森周辺はセルリアンに囲まれつつあります」

「ええ!? そんな、じゃあ、もう食べられちゃうんですか…………」

「そうならないように逃げましょう。私は戦えませんから、遭遇する前に逃げ————」

 

ダンザブロウダヌキの言葉は最後まで続きませんでした。

森の木々、茂みの中から、ダンザブロウダヌキより大きいセルリアンが飛び出してきました。

 

すんでのところでタヌキを突き飛ばし、ダンザブロウダヌキも倒れ込みます。

 

「走って!」

 

すぐさま起き上がったダンザブロウダヌキは、咄嗟にタヌキの手を引いて、その場から走り出しました。

セルリアンが出てきた方角と真逆の方角ですが、どうやらすでに逃げている先にもセルリアンがいるようです。

 

「まずいです! すでに囲まれているかもしれません!」

「そんな…………もう……それじゃあ……」

「あきらめないでください! まだ私たちは大丈夫です!」

 

励ますダンザブロウダヌキですが、上を見て、これはまずいと心臓が早鐘を打ちます。

上は木々で覆われています

開けた場所に出なければハクトウワシに化けて空へと逃げることが叶いません。

 

どこか開けた場所。木のない場所。そこを見つけてセルリアンの包囲から逃れなければいけません。

 

「タヌキさん、開けた場所を探してください! 上に逃げます!」

「ええ、あ、はい! で、でもたしかこの辺りはずっと木が続いてて…………」

「だったら走る! それしかありません!」

「は、はい〜」

 

タヌキの泣きそうな声がこだまします。ダンザブロウダヌキは走りながら後ろを見ました。

先ほど襲ってきたセルリアンの他に、もう一体増えてこちらに迫っています。形は丸に触手のようなものがついています。

速度をあげて追ってくる二体に、このままでは追いつかれてしまいます。

 

前を見ます。遠い位置から、こちらへにじり寄ってくる一体が見えました。水色の、今度は四角い、長方形に触手がついたような形です。

 

右を見ます。左を見ます。木々の隙間からちらちらと見える原色のペンキをぶちまけたかのような赤、水色のセルリアン。

 

「まずいです……まずいですよこれは……」

 

ダンザブロウダヌキの額に汗が流れます。

足が疲れてきました。もとより研究職です。そんなに豊富ではない体力。徹夜で避難誘導をしていた体に疲労感が重くのしかかります。視界が僅かに霞むのがわかりました。

 

判断を誤ったのでしょうか。

多少の危険を承知で、タヌキと出会ったあの場で飛び上がっているべきだったでしょうか。

 

後悔してももう遅いです。右も左も前も後ろも、セルリアンに囲まれています。

 

どうすればいいでしょうか。どうするのが正解でしょうか。

上には飛び立てません。走って逃げようにももうすでに囲まれています。

何に化ければいいのか。どうすれば打開できるのか。

 

ダンザブロウダヌキは決してあきらめず、考え続けました。考えて、考えて、周りを見渡して、もうすぐそこまで迫っている正面のセルリアンの、背後に、人影を見て、

 

「こっちです! 助けてくださいッッ!!」

 

ダンザブロウダヌキは大きな声を張り上げました。その声を聞いた人影が、猛烈なスピードでこちらに接近し、

 

「はぁぁぁぁぁッッ!!」

 

ピシッ! バシャーン!!

 

気合一閃。ダンザブロウダヌキ達の正面を塞いでいたセルリアンを蹴り飛ばして、粉々に砕きました。

続いて右から迫っていたセルリアンにも肉薄して、蹴り技で石を砕きます。

 

左も。

後ろの二体も。

 

瞬く間にそのフレンズは石を蹴り砕いて、粉々にしてしまいました。

 

目が冴えるようなブルーの髪色に、黒色のワンピース。足には白い編み込みブーツを履いています。

あたりを注意深く警戒しながら、そのフレンズがダンザブロウダヌキたちに駆け寄りました。

 

「大丈夫か。私はセルリアンハンターのヒクイドリだ。どうも逃げてくるフレンズが多いからこっちの方面を見にきていたんだ」

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

「礼はいい。他にフレンズは?」

「この辺りではもう、私たちしか見ていません。この子はタヌキで、私はダンザブロウダヌキです」

「ダンザブロウって、あの研究所のか。何でここに?」

「フィールドワークですよ。山を調べにきていたら、セルリアンの大量発生に巻き込まれて。避難誘導をしていたところです」

「なるほどな……どっちにしろここももう持たない。逃げた方がいい」

「そうします。開けた場所があったら、そこから飛び立って遠方にこの子を逃がします。その後私はこの一帯に戻ります」

 

戻る、と言ったダンザブロウダヌキに、何を言っているんだという顔でヒクイドリが驚きます。

 

「逃げた方がいいぞ。戦えるフレンズではないんだろう?」

「そうですが、ここに救援を呼んでいるんです。あと、万が一にも逃げ遅れた子がいたら保護しないと」

「まったく…………まぁいい、好きにしろ。私もこのくらいの数なら何とかなるが、もう少し増えると手に負えん」

「ヒクイドリさんも逃げた方がいいです。一旦引いて、ラッキービーストを探してください。万が一の場合には研究所からの連絡で支援要請が来ると思います」

「わかった。その時は加勢するよ。御武運を」

 

そういうとヒクイドリは東の方角へと走っていきました。

ダンザブロウダヌキとタヌキも、開けた場所を探してその場から走り去ります。

 

程なくして、木々の生えていないちょうどよく上空へ逃げられそうな場所に辿り着きました。

ダンザブロウダヌキは瞬きをする間でハクトウワシへと変化して、タヌキを抱えます。

 

「とりあえず、森を抜けたところまで運びます。その後はずっと東の方角へ走って逃げてください」

「あの、ひがしってなんですか?」

「あぁ…………太陽が出ている方角へ逃げてください。いいですか。周りにフレンズがいると思われるところまで、逃げ続けてくださいね」

「わかりました」

 

タヌキのお腹に手を回して、ハクトウワシの姿のダンザブロウダヌキは空へと飛び立ちました。

セルリアンが、二人のすぐ後ろまで差し迫っていました。

 

 

 

 

 

 




次回「やまとせるりあん! にー!」


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第十三話 「やまとせるりあん! にー!」

 

山からずいぶん離れたところまで、タヌキを抱えて飛んだダンザブロウダヌキは、森が終わって草原地帯に切り替わっているその境目の所に降り立ちました。

 

前を見れば膝の高さほどの草が延々と生えている緑の草原地帯。

後ろは木漏れ日を地面に照らしながらこれまた延々と続く森林地帯です。

 

ダンザブロウダヌキは草原地帯の方を指差しながら、タヌキに言います。

 

「この方向に、ひたすら逃げてください。しばらく森の方には立ち入らないことです」

「わかりました…………あの、この姿って、どうやって生きていけばいいんでしょうか…………」

 

タヌキが不安げな目でダンザブロウダヌキを見上げます。つい先ほどフレンズ化したばかりで、右も左も分からないままセルリアンに追われていました。

これからどうやって生きていけばいいのか。

 

フレンズ化して、確かに1番最初に戸惑う部分です。

 

「まずは食べること。それから寝ることです。このジャパリパークではジャパリまんという食べ物が豊富に流通しています。お腹をすかせればすぐ見つかる所に出現しますし、ラッキービーストという青くて小さくて耳が大きいものを探せば、その子が持ってきてくれることもあります。なにより、困ったら他のフレンズを頼ってみてください。よっぽど機嫌が悪い時以外は、みんな優しく教えてくれますから」

「はい…………わかりました。とりあえず、その、ジャパリまん? っていうのを食べればいいんですね」

「すぐに食べれると思います。そして、先ほども言った通りセルリアンには近づかないこと。もし近づかれたら全力で逃げること。いいですね」

「わかりました…………。怖いけど、頑張ってみます」

 

身を縮こませながら頷くタヌキに、ダンザブロウダヌキはポンと頭に手を置いて撫でました。

タヌキは少しだけ困ったように目線を投げましたが、ダンザブロウダヌキの優しい手に、安心したように口元を綻ばせました。

 

「さぁ、行ってください。誰か他のフレンズにもすぐ出会うはずです。その子と一緒に逃げるのがいいでしょう。この森で起きていることを、草原地帯の皆さんにも伝えてください」

「はい……わかりました。ダンザブロウダヌキさん、ありがとうございます」

「いいってことですよ。私は森の方へ戻ります。必ず、生き延びてくださいね」

「ダンザブロウダヌキさんも…………とっても、気をつけてくださいね」

「ええ、言われなくても」

 

ダンザブロウダヌキはそう微笑むと、バサリと羽を広げて飛び立ちました。

タヌキはダンザブロウダヌキが見えなくなるまで空を見上げた後、

 

「よし…………がんばるぞー」

 

弱々しく、小さな声でしたが、拳を握って草原地帯の方へと走っていきました。

 

 

太陽が一番高いところへもうすぐ届こうかという頃に、ハクトウワシの姿で山の方へと戻ってきたダンザブロウダヌキは、上空から森の様子を注意深く見ていきました。

 

山へ近づけば近づくほど、セルリアンの数は増えています。

いずれも赤や水色、中には緑色のセルリアンもいます。

大きさはバラバラ。腰の高さほどのものもいれば、身の丈を倍以上超えるような大きなものもいます。

 

総合的には一般的なフレンズと同じくらいの大きさのセルリアンが多いようです。

ハンターのような戦えるフレンズにとってはまだ対処できる大きさですが、戦えないフレンズにとっては脅威以外の何物でもありません。

 

形は単純に丸や四角のもの。それに一、二本の触手のようなものが生えているもの。

あるいはもう数十本触手の生えているもの。

棘のようなものが生えているもの。

腕の模倣のように2本生やして振り回しているものなどなど、千差万別です。

そこに法則性は見出せません。

 

実に多種多様なセルリアンが、草の根を分け、たまに樹木をへし折りながら、フレンズを食べようと進行しています。

その密度たるやどこを見ても一定の間隔でセルリアンが進んでおり、地上に降りようものならどこに降りてもすぐに四方八方を囲まれてしまうような量です。

 

「ヒクイドリさんは大丈夫でしょうか」

 

思わずひとりごちます。

取り残されているかもしれないフレンズを探すため、ヒクイドリはわざわざセルリアンの進行が進んでいる東の森へと向かっていました。

この様子では取り残されたフレンズはいないか、あるいはいるとしたらもうセルリアンに食べられているとしか考えられません。

 

何にしてもヒクイドリはまだこの近くにいるかもしれません。

脚力に自信があるフレンズのようでしたから、逃げ足は早いのかもしれませんが、もしまだこの場で戦っているとしたら離脱の手伝いをする必要があります。

 

そして万が一にでもセルリアンにやられていたら。

食べられてしまってはもうどうしようもありませんが、行動不能くらいでしたら抱えて逃げるつもりです。

ダンザブロウダヌキは目を皿にして下に広がる森を見て回りました。

しばらく飛んで、山を中心に東の森をまんべんなく見定めて行ったその時です。

 

「ッ! いました!」

 

思わず口に出して、その瞬間にはもう体を寝かせて急降下していきました。

ヒクイドリはいました。森の中、少し開けた場所で、周りをセルリアンに囲まれた状態で。

 

赤、水色、緑色の触手を持ったセルリアンが、ヒクイドリににじり寄っています。

もう何体もヒクイドリの抵抗によって屠られているのか、迂闊に近づけばやられるということをセルリアンも学習している様子です。

 

それゆえに逃げ道を塞ぎ、確実に仕留められるように数を用意して外周からじわりじわりとにじり寄っているようです。

 

「ヒクイドリさん! 掴まって!」

 

急降下しながらダンザブロウダヌキが叫びます。

声に気がついたのはヒクイドリと、周りを囲っているセルリアンの両方でした。

 

ヒクイドリとセルリアンの包囲網の間は五メートルもありません。

セルリアンが触手を伸ばせば届く距離です。それでもまだ触手に捉えられていないのは、単にセルリアンがヒクイドリを恐れているからなのかもしれません。

 

しかしその慎重なセルリアンも、目の前に掲げられた食事が急に現れたフレンズにお預けになろうとすれば、次に出る行動は二つに一つです。

 

慎重に近づいていた対象に一気に歩み寄って捕食してしまうか。

あるいは、

 

「ッ!」

 

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セルリアンが選んだのは後者でした。

ヒクイドリを囲んでいた十数体のセルリアンが、一斉にダンザブロウダヌキ目掛けて触手を伸ばします。

 

空中から下降していたダンザブロウダヌキは、勢いを止めることができずそのままセルリアンの触手の束に突っ込んでしまいました。

 

「だめだ! 逃げろダンザブロウダヌキ!」

 

ヒクイドリが悲鳴のような声を上げます。

ダンザブロウダヌキも逃げようともがきますが、触手が腕に、足に、腹に、首に、巻き付いて離そうとしません。

もがけばもがくほどに絡みついてきます。

 

空中で絡んできたそれらはそのままダンザブロウダヌキを地面へと追い落とします。

 

「くっ! こ、この! 離しなさい!」

 

地面の上で砂埃を上げながらもがくダンザブロウダヌキですが、触手は離れるそぶりを見せません。

ヒクイドリが奥歯を噛み締めながら地面を蹴り、囲んでいたセルリアン目掛けて突っ込んでいきました。

 

「はぁぁぁぁぁッッ!!」

 

正面のセルリアンを蹴り飛ばします。石が見えないので有効打とはならず、セルリアンはその場でふわりと浮いただけになりました。触手がダンザブロウダヌキに繋がっているので、吹き飛ばすこともままなりません。

 

続け様にヒクイドリは隣のセルリアンへと足を振り上げ、振り下ろします。今度は石に当たりました。踏み砕いて、セルリアンは光の粒となって消失します。

 

ですがまだまだ、右も左も前も後ろもセルリアンだらけです。

そして触手はダンザブロウダヌキを完全に捉えてしまいました。

もがこうにももがけず、解こうにも解けず、動けば動くほどその触手はダンザブロウダヌキを締め上げます。

 

「待ってろダンザブロウダヌキ! 今助ける!」

「んんんんん! ぐんんんん!」

 

ダンザブロダヌキを締め上げる触手は、口にまで到達しました。

言葉も発せないまま、ダンザブロウダヌキは地面でもがき続けます。

ヒクイドリも、心臓が張り裂けそうなほどに焦りを抱えながら周囲のセルリアンを蹴り飛ばしていきます。

 

石の位置が分からなかったり、分かっても攻撃の届かない所にあったりして、思うようにセルリアンを討伐できません。

 

「あああああぁぁぁッッッ!」

 

セルリアンの石をなんとか蹴り抜きながらヒクイドリが叫びます。

このままではダンザブロウダヌキは食べられてしまいます。

それどころかこの状況。自分自身も包囲から抜け出せずに、そのまま食べられてしまいかねません。

 

かつてないほどの焦りがヒクイドリを襲います。

背中に嫌な汗をびっしりとかいています。

心臓が口から飛び出してしまいそうなほどに早鐘を打ち、手が、足が、恐怖で震えて使い物にならなくなりそうです。

 

ここで、終わるのか。

セルリアンハンターとして、大切なフレンズの命を守るどころか道連れにしてまで、ここで散るのか。

助けに入ってくれたダンザブロウダヌキを、助け出せないままこのまま食われるのか。

 

それは嫌だ。そんなのは嫌だ。どうしたって受け入れられない。

 

ヒクイドリは奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締め、両足に力を込めました。

セルリアンの石を蹴り砕きます。目の前の一体が散っていくのを横目で見つつ、次の一体の石の位置を探します。

一秒にも満たない時間で見定めては、その石目掛けて足を振り抜きます。

 

足は、何もなければ再び石を蹴り砕き、セルリアンを一体屠れるはずでした。

 

ヒクイドリの足が、セルリアンの触手によって止められます。止められた足に、瞬時に触手が絡みつき、ヒクイドリの右足を吊り上げました。

 

「なッ! く、っそ! 離せぇッ!!」

 

右足をとらえたセルリアンはそのまま膂力いっぱいにヒクイドリを持ち上げます。

吊られるようにして腰が、胴体が引っ張られ、左足が地面から離れます。

 

頭を真下にして、ヒクイドリは空中に吊られてしまいました。

吊った水色のセルリアンが、目を、ヒクイドリに向けます。

まるで、ざまぁみろと言っているかのような。

憎たらしく、悍ましく、しかし感情などまるでないかのような無機質な目で、ヒクイドリを見下ろします。

 

これで、終わってしまうのか。

頼みの綱の足を拘束され、宙に吊られ、抵抗しようにももうどうしようもない状態にされてしまって。

 

ここで、終わりなのか。

もうどうにもならないのか。

 

…………もう、無理かもしれないな。

ここまでされてはもう、巻き返しのしようがない。

どうにもできない。

どうしょうもない。

 

ダンザブロウダヌキ————ごめん。救えなかった。

ごめんよ、こんな不甲斐ないハンターで。

 

願わくば、痛みなくフレンズとしての人生を終わらせてくれ。

 

ヒクイドリの目に涙が浮かび、目を瞑った拍子にはらりと一粒地面に落ちました。

全身の力が抜けます。

もう抵抗もできません。ヒクイドリは、次の瞬間にはセルリアンに食われると確信して、目を瞑り、口を閉じ、自らの終わりを迎えるその瞬間に耐えられるよう身構え————。

 

『その手を離せぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!!』

 

澄んだ叫び声と共に、セルリアンの触手がぶちりと切れる音が耳に届きました。

 

 

身動きのできないダンザブロウダヌキでしたが、目だけはしっかりと動いていました。

視界に飛び込んできたのは、無数の触手を伸ばす周囲のセルリアンと自分達の間に降ってきた、水色のセルリアンです。

 

そのセルリアンたちは、まるで斧の刃のように下部を薄く楕円形にしており、そしてその形から容易に予想できる結末として、周囲を囲むセルリアンから伸びている触手を一刀両断していきました。

 

ダンザブロウダヌキを締め上げていた触手が一気に緩まり、手足が自由になります。

地面に引き倒されていた体をすぐさま起こし、周囲を素早く確認します。

吊り上げられていたヒクイドリも、触手から解放されて地面に落ちた後、すぐさま起き上がった様子です。

 

上から降ってきた水色セルリアンは、形を丸い球体に変化させ、周囲を囲んでいたセルリアンに体当たりをするようにして後ろへと下がらせていきます。

包囲の輪が広くなります。

広がり、そして輪の一部分が開けます。囲っていたセルリアンが後ずさって、輪の中に一人のフレンズを招き入れました。

 

『間に合ってよかったよ。ダンザブロウダヌキ』

 

白いワンピースに青白い肌。髪の根元は青く、毛先は白のグラデーションがかかった、肩より少し長いくらいの髪の毛。

 

どちらかといえば細身で華奢な印象の少女は、にこりと笑うとダンザブロウダヌキに手を差し出しました。

 

『改めまして、ボクはラッキービーストのフレンズ、セッキーだよ。君たちを助けにきた』

 

 

「助かった……のか? セルリアンが襲ってこないぞ……?」

 

口を開けて周囲を見渡しているヒクイドリに、セッキーは両手を広げながら得意そうに言い放ちます。

 

『もうここら辺のセルリアンはボクの支配下に収めたよ。フレンズを襲うことはないし、むしろフレンズのために働いてくれる』

「なんだと……? き、君はセルリアンを操れるのか?」

『そうだよ。珍しい能力だよね』

 

にこりと笑うセッキーに、ヒクイドリは信じられないものを見るような目線を投げつけます。

ダンザブロウダヌキが安堵の息を吐きながら、ハクトウワシの姿から普段のダンザブロウダヌキの姿へと変身を解きました。セッキーが『おお、これが変身か。すごい』と小声で感心します。

 

ダンザブロウダヌキは微笑みながら手を差し出しました。

セッキーが優しく握り返します。

 

「本当に助かりました。なんとお礼を述べていいやら。あのままでは私たち二人とも、セルリアンに食べられていましたから」

『ギリギリになってごめんね。東側のセルリアンを端から一気に仲間にしながら進んでたら、ここでフレンズと戦ってるって報告があってね。もしかしてと思ってすぐに駆けつけたんだ』

「ありがたい限りです。お一人で来られたのですか?」

『いや、旅の仲間と来てるよ。後二人。森の道の方で待機してる』

 

ダンザブロウダヌキは頷くと、ヒクイドリの方へ向き直りました。

 

「ヒクイドリさんも、必死になって助けようとしてくださって、ありがとうございます」

「いや……私は、どちらかというとハンター失格だよ」

「そんなことは」

「セルリアンに吊られた時、もうダメだと諦めてしまったからな。恥ずかしいよ」

 

伏せ目がちに肩を落とすヒクイドリですが、その肩をセッキーがポンと叩きます。

 

『誰だって何度でも諦めるし、間違えるよ。今こうして生きてるんだから、次がんばろうよ! それに、ヒクイドリが時間を稼いでくれなかったらボクは間に合わなかったわけだし。結果オーライってやつだよ』

「セッキー…………あぁ、そうだな。そう考えることにするよ」

 

まだ肩は落ちていましたが、ヒクイドリは少し微笑むと「よし」と気合を入れるように拳を握りました。

 

「セルリアンは、もう安全なんだな?」

『問題ないよ。ボクが補償する。こうしてる間にも、東側からセルリアン伝いに支配下に入れていってるから、ほっといてももう数分したら全部掌握できると思う。みんな結構素直な子たちでよかった』

「セルリアンにも素直とかあるんだな……」

『あるある。頑固者とか全然ボクの話を聞いてくれなかったりとかもたまにあるから、そういう子は仲間にできないかな。今回はどうやらそういうのはないみたい』

「それはよかった」

「よかったです」

『これからどうする?』

「それなんですけど……」

 

ダンザブロウダヌキがおずおずと手を上げました。

 

「山の頂上付近に一度行ってみる必要がありそうなんです」

『頂上? なんで?』

「フィルターはご存じですか? 山の上に張ってある結界のようなものです」

『知ってるよ。フィルターがどうしたの?』

「もしかしたら今回のセルリアン騒動、そのフィルターが原因かもしれないんです」

 

ダンザブロウダヌキの話はとても簡単なものでした。

キョウシュウでもフィルターが外れてサンドスター・ローが漏れ出していたのと同じように、ここゴコクではセルリウムが漏れ出して大量のセルリアンが生まれてしまっているのではないかとダンザブロウダヌキは予想しているということです。

 

『そういうことなら、早く頂上に行かなきゃね。ただ、もしフィルターが外れてたら、四神を再配置しないといけないよね? 位置はわかる?』

「それが問題なんです。私も四神の位置まではわからなくて……再配置できないんです。ヒクイドリさんも、何か知らないですよね?」

「まず四神というのがわからん。大事なものなのか?」

「島にとっての宝のようなものです。それを正しい位置におかないと、セルリアンが大量発生したり、巨大セルリアンが発生したりするんです」

「それは大変だ」

『四神の位置かぁ…………知ってそうなフレンズ…………あ!』

 

セッキーはポンと両手を叩いて、何かに閃いた様子です。

 

『知ってるフレンズというか、位置を割り出せそうな人を知ってるよ! バスに戻って通信機を取りに行こう』

「わかりました」

「私もついていこう。万が一があるかもしれないからな」

 

そうしてセッキー、ダンザブロウダヌキ、ヒクイドリは、バスの待っている方向へと進んでいきました。

森の中のセルリアンはセッキーたちを見送るようにして見ています。襲ってきたり、食べようというそぶりは一切ありません。

後をつけるというふうでもなく、その場に止まって目だけが動いています。

 

「セルリアンは……これ、何をしているんだ?」

『次の命令があるまで待機って形にしてるよ。下手に集まっても邪魔だしねぇ。百体以上いるからね』

「これ、セッキーさんがいなくなったらどうなるんですか?」

『どうもならないよ? フレンズを襲わないセルリアンが森の中に点在するだけかな』

「襲われないと分かっていても物騒ですね…………」

『慣れだよ、慣れ』

 

ころころと笑うセッキーに、ダンザブロウダヌキとヒクイドリは顔を見合わせて苦笑いを浮かべました。




次回「やまとふぃるたー!」


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第十四話 「やまとふぃるたー!」

『ただいま! ギリギリ間に合ったよ。危ないところだった』

 

ダンザブロウダヌキとヒクイドリを連れたセッキーは、カバンさんとサーバルの待っているバスへと戻りました。

 

「お帰りなさい、セッキーさん」

「おかえりー。あ、そっちにいるのがダンザブロウダヌキだね? どっち?」

『こっちがダンザブロウダヌキ。こっちがセルリアンハンターのヒクイドリだよ』

 

紹介を受けて、ダンザブロウダヌキとヒクイドリが頭を下げます。

 

「ダンザブロウダヌキです。危ないところを助けていただきました」

「ヒクイドリだ。感謝してもしきれない。命の恩人だよ」

 

二人して微笑むダンザブロウダヌキとヒクイドリに、カバンさんとサーバルも間に合ってよかったと安堵の笑顔を浮かべます。

 

「初めまして、カバンと言います。それでこっちが」

「サーバルキャットのサーバルだよ! よろしくね」

 

よろしく、とダンザブロウダヌキとヒクイドリも頭を下げます。

顔を上げたカバンさんが、セッキーの方へ向き直りながら質問を投げました。

 

「今、どんな様子なんですか?」

『森に点在しているセルリアンはおおむね支配下に入ったかな。でもどうやらまだまだ新しいのが生まれているみたい』

「それは…………大元からなんとかしないと、キリがないですよね」

『だね。そこでなんだけど、ダンザブロウダヌキが仮説を立ててくれてね」

「仮説ですか?」

『山のフィルターが外れて、セルリウムが大量に放出されているのが今回のセルリアン騒動の原因じゃないかって』

「そんなことが……それじゃあ、フィルターを張り直さないと、ずっとセルリアンが出続けるってことですか?」

『可能性は高いんだ。だから、今から僕たちでフィルターを張りなおすために、四神の再配置をしようと思うんだけど、場所がね」

 

カバンさんがハッとした顔で頷きます。

 

「四神の場所、ゴコクエリアのはわかりませんね。ラッキーさんも…………」

 

手元の基幹部品に目線を落としたカバンさんですが、返ってきた答えは、

 

『わからないよ。音声データも残されてないね』

「ですよね……」

 

カバンさんは少し肩を落としたようにつぶやきます。

 

「どうするんですか?」

『大丈夫。ちょっと思い当たる節というか、調べれそうな人をあたってみるから』

 

そういうとセッキーはバスに乗り込み、後部座席の荷物置き場からレミアのポーチを引っ張り出しました。

中から通信機を取り出します。

 

ダンザブロウダヌキが通信機を見て、

 

「研究所のものとは違いますね? どなたのですか?」

『これは僕たちの旅の仲間で、今は行方不明になってるレミアって子の通信機なんだ。これの繋がる先がボクの言う〝思い当たる人〟だよ』

 

そういうとセッキーは通信機の電源を入れて、回線を繋ぎました。

周波数はいじりません。どうやら前回繋いだ周波数がそのまま残っているので、このままで繋がるようです。

 

『あー、もしもーし。聞こえますかー? どうぞー?』

 

しばらくのノイズ音の後、雑音混じりに、

 

『はいはい。こちらベラータです。その声は誰だろ…………あ、セッキーちゃん? かな?』

 

通信機の向こうの人物が返事をしました。

 

 

『――――というわけで、ハッキングを仕掛けて四神の位置を割り出して欲しいんだ』

 

セッキーの説明とお願いに、通信機の向こうから返ってきた答えは、

 

『時間はちょっとかかるかもしれませんが、いいですよ! やってみましょう。なんせセッキーちゃんのお願いですからね』

『よろしく頼むよ』

『任せてください。あぁ、そうだ、それと』

 

ベラータは快く承諾してから、一呼吸間を置いて言葉を続けました。

 

『今その場にレミアさんがいないということは、何か起きてるんですね?』

 

その言葉に、セッキーは一瞬言い淀みます。

流石に鋭い状況判断です。隠すようなことでもないので、分かっている範囲でレミアに起こったこと、そしてレミアが行方不明になっていることを伝えます。

 

『そうですか…………やられるような人ではないと信じたいですが、状況が状況ですね。行方がわからないとなればサポートのしようがありませんし…………そうですね、俺の方でも監視カメラを調べてみます。何かわかれば連絡するので、通信機の電源を入れておいてください』

『わかった。頼むよ』

『お安い御用です。俺にとってレミアさんは大切なメッセンジャーですからね。ジャパリパークの様子を伝えてもらうという大事な役目がありますから、帰ってきてもらわなければ俺も困ります』

 

ベラータの言葉にセッキーは若干の苦笑いを浮かべながらも、捜索に手を貸してくれるということに素直に感謝しました。

 

『それじゃあベラータ、まずは四神の位置特定をお願いするよ』

『ええ、同時並行してレミアさんも探します。しばらくしたら連絡しますね』

『よろしく頼んだ』

『頼まれました』

 

通信はそこで終わりました。電源は入れっぱなしにして、いつでも受信できるようにしておきます。

セッキーは、レミアのポーチをそのまま腰へと巻き付けて、通信機を収納しました。

 

『とりあえずこれで四神の位置は割り出せると思う。時間もあるし、ボクたちは山へ登ろう』

 

セッキーの言葉にダンザブロウダヌキが頷きます。

 

「そうですね、まずは山へ登らないと。皆さん行きますか?」

「手があった方がいいだろう。四神? とやらを探すんだろ?」

「そうです。人数はいた方がいいので、カバンさんとサーバルさんにも手伝ってもらえたらと」

「そのつもりだよ! ね、カバンちゃん!」

「はい。ボクたちも同行して四神の再配置を手伝います」

「一回やったことあるからだいじょーぶだよ! 任せて! 高さが大事なんだよねー」

 

サーバルの得意げな顔に、ダンザブロウダヌキとヒクイドリは安心したように笑みをこぼしながら山を見上げました。

 

「それじゃあ、行きましょう」

 

 

それから数時間。

 

山の山頂へ続く道を、森の中を抜けて、急斜面を登っている一行です。

山頂までの道はキョウシュウエリアの山と同じように、途中から木も草も生えないような土と岩だけの道になっていました。

 

森林限界の高さまで登っているというよりは、どこか人為的にそうなってしまったかのような岩と土だけの道です。

セッキーは、もしかするとこの山で昔、何か大きな戦いがあったのかもしれないなぁなどと思いながら歩みを進めていました。

 

「結構来たね、そろそろ休まない?」

 

サーバルの一声で、ちょっと休憩することとなりました。

カバンさんがカバンの中からジャパリまんを人数分取り出して渡していきます。

 

山の中腹よりさらに登った場所。下を見れば随分と高い、見晴らしの良い場所です。

 

地平線の向こうにはうっすらと隣の草原地方の草原が見えています。そこへ続く森の中には、所々に動きを止めたセルリアンが見えています。赤や水色などの目立つ色ですから、すぐに発見できました。

 

「セルリアンはどこから生まれているんだ?」

 

ヒクイドリがジャパリまんを齧りながらダンザブロウダヌキに聞きました。

ダンザブロウダヌキもジャパリまんを一口齧りながら、

 

「山の頂上、から来ていると予想していたのですが、特定はできません。もしかすると漏れ出したセルリウムが山の麓まで流れて、そこで反応してセルリアンになっている、ということも考えられます」

「そうか。あぁ、そういえばここに来るまでにセルリアンはいなかったな」

「ええ、そうです。なので麓で生まれている可能性が高いですね」

『どこで生まれても、近くにボクの配下のセルリアンがいればそのまま仲間にできるから、心配はいらないよ』

 

セッキーの言葉にヒクイドリは少し苦笑いをしながら、

 

「まったく、強すぎる特技だな。敵わんよ」

『対セルリアン、それも黒以外にしか効かないからね。なんでも配下にできるわけじゃないよ』

「例えば、セッキーさんでも敵わないような敵となるとどういったものになるんでしょうか?」

 

ダンザブロウダヌキの問いかけに、セッキーは少し考えて、

 

『例えばそうだね、ビーストには一度負けてるし、ヘリのセルリアンも防衛戦を強いられると思う。何に対しても強気に出られるわけじゃないから、ボクもまだまだなんだよ』

「ビーストと、ヘリのセルリアンですか。確かに、あの二つの存在には今の所対抗策がないですからね」

『遭遇したら逃げること。全くそのとおりだよ』

「そうですね」

 

話している間にももぐもぐとジャパリまんを食べて、全て食べ終えた一行は立ち上がって先を目指し始めました。

出発し始めてすぐに、今度はセッキーがダンザブロウダヌキに質問します。

 

『研究所に戻ってから聞こうかなって思ってたんだけど、今聞いちゃいたいことがあるんだ』

「なんでしょうか?」

『ダンザブロウダヌキは、神のフレンズを知らないかな?』

「神のフレンズ…………ですか?」

『そう。実は僕たち、その神のフレンズを探して旅をしているんだ。何か知らない?』

「ええ、それでしたら、知り合いですよ」

『!?』

 

ダンザブロウダヌキの言葉に、セッキーは驚いて振り返りました。

カバンさんとサーバルも「ええ!」と顔を見上げてダンザブロウダヌキを見ます。

 

「知り合いというかライバルというか、まぁ、そういった感じです」

『何ていう名前なの?』

「〝イヌガミギョウブ〟という、タヌキの総帥のような立ち位置です。肩書き的には彼女は化け狸の中でも神格化されていて、いわゆる神様のフレンズに当たるのかなと」

 

ダンザブロウダヌキの言葉に、セッキーはわなわなと拳を振るわせると、その拳を天高く振り上げました。

 

『やった! やったよレミア! ついに見つけたよ!!』

 

声を弾ませて喜ぶセッキーに、ダンザブロウダヌキは微笑みながら言葉を続けます。

 

「彼女に会いたければ竹林の奥地へ向かうのが良いですよ。そこに住んでいます。ただもしかすると向こうから出向いてくれる可能性もあります」

『え、そうなの?』

「はい。彼女、趣味は釣りと酒とフレンズ観察でして。妖術を使って島中のフレンズの様子を見張っているんですよ」

『そ、そんなことできるの…………?』

「できるんですよね。なので、彼女が気になっているフレンズは観察対象ですし、そうでなくてもなんとなく島中のフレンズの動向を知っているのが彼女のすごいところでもあります。もし会いたいと強く願えば、向こうのほうから来てくれる可能性もありますね」

 

それは良いことを聞いたと、セッキーは小躍りしてしまいそうになるのをすんでのところで止めました。

なんにしても朗報です。神のフレンズ、イヌガミギョウブなるものを見つけ出せました。それに願えば会えるというおまけ付きです。

 

『早くレミアを見つけなきゃ』

「そうですね。その、レミアさんという方が会いたいんですよね?」

『うん。今はいないけど、必ず見つけてイヌガミギョウブと会わせるよ』

 

草木の生えない土と岩だけの斜面でしたが、セッキーの登る足はとても軽やかで、嬉しそうなものでした。

 

 

山頂へ近づくにつれて、周りの景色にも変化が訪れていました。

空気が妙に輝いています。空を見上げると虹色の気体がそこら中に立ち込めて、キラキラと瞬いていました。

 

「カバンちゃん! なんだかキラキラしてるね!」

「うん。これって…………もしかして、サンドスター?」

 

首を傾げるカバンさんに、ダンザブロウダヌキは頷きながら言葉を返しました。

 

「そうですね。山の火口からここ数日、常に吹き出しています。それと、あれがセルリウムですね」

 

ダンザブロウダヌキの指差す先では黒くてドロドロとした、粘度の高い液体が一筋の流れとなって斜面を下っていました。

 

「やはり、山頂から漏れ出したセルリウムが麓まで流れて、あるいは流れている途中に、無機物と反応してセルリアンが大量に発生しているようですね」

 

ダンザブロウダヌキの言葉に一同頷きます。先を目指して、歩き続けました。

 

程なくして到着した山頂には、キョウシュウエリアにもあったように結晶化した巨大なサンドスターが火口の中からそびえ立っていました。

高さにすればビル三階分はありそうです。

火口からは、虹色の気体がキラキラと瞬きながら空気中に立ち上っています。

 

サンドスターを吐き出し続けている山が、そこにはありました。

 

『それじゃあ、まずは四神を探そう。手分けして、もしかしたら地面に埋まっているかもしれないから、掘り起こす勢いでいこう』

「四神の見た目はどんな感じなんだ?」

 

ヒクイドリが首を傾げています。答えたのはカバンさんでした。

 

「見た目は石板です。キョウシュウと同じものだったら、ですけど、これくらいの大きさで、模様が描かれていました」

「なるほど、石の板を探せば良いんだな」

「はい、そうです」

 

全員が四神のイメージを共有したところで、捜索開始です。

手分けして探し始めました。

 

それから数十分後。

 

「あったよ! みんなー! こっちこっち!」

 

初めに見つけたのはサーバルでした。火口の中心からほどほど東側にあったので、おそらく青龍です。

続け様にダンザブロウダヌキが北側で玄武を、ヒクイドリが南側で朱雀を見つけました。

西側にいたセッキーとカバンさんはまだ見つけられていないようです。

 

「どこにあるんでしょうか…………」

『完全に埋まってるのかな? どこだろう』

 

困り顔で周囲を軽く掘り返していたカバンさんとセッキーでしたが、その時セッキーの腰につけていたレミアのポーチの中から、通信機が音を立てました。

通信が入っています。

 

『おや、ベラータかな? こちらセッキーだよ』

『はい、つながりましたね。こちらベラータです。頼まれていた四神の位置が特定できました』

『おお! よかった! いま三つは見つかったんだけど、白虎だけ見つからなくてさ』

『元の位置から動いている可能性が高いですが、とりあえず場所を伝えますね』

 

そう言うとベラータは、パンフレットを基準にして火口付近のエリアを振り分けて、四神の位置をセッキーに伝えました。

セッキーとカバンさんはゴコクエリアのパンフレットを持っていませんでしたが、これはダンザブロウダヌキが地図代わりに常備していたのでなんとかなりました。

 

『それじゃあ、元々の白虎の位置はエの3なんだね?』

『そのようです。その辺りを中心に調べてみてください。高さについてはわからないので、色々試してみる必要がありそうです』

『わかった。とりあえず探してみるよ』

 

そう言って通信を終えたセッキーは、全員を集めて西側の白虎の捜索に当たってもらいました。

程なくして、

 

「あった! 埋まってたよー! 匂いでわかったんだ!」

 

サーバルが白虎を掘り出すことに成功しました。お手柄です。

元々の位置からだいぶ離れたところに埋まっていました。

 

『それじゃあ、四神を元の位置に配置しよう』

 

東西南北の四神を、ベラータから聞いた座標に置きます。

 

『カバン、四神を置いたら自動的にフィルターは張り直されるんだよね?』

「そうですね。正しい位置に置いたらすぐに火口に張られていました」

『じゃあやっぱりどれかの高さが合ってないんだね』

「そういうことなら私が変身して持ち上げましょう」

 

ダンザブロウダヌキは一瞬にしてハクトウワシの姿になると、白虎の石板をもって宙に浮きました。

三メートルほど上がった途端に、

 

『お!』

「合ってたみたいですね」

 

石板が光りました。

火口を覗き込むと、音もなく幾何学的な模様が端から端まで伸びていきます。数秒で火口を覆い尽くしました。

 

『これでセルリウムも流れ出さないかな』

 

セッキーの言葉に、降りてきたダンザブロウダヌキが石板を置きながら返します。

 

「一応、ちょっと周囲を見てみましょうか。セルリウムらしきものが漏れ出ている場所をさっき発見しましたので」

『そうだね。そこが漏れてなければ、任務完了かな』

 

ダンザブロウダヌキの言うセルリウムらしきのものが漏れていた場所に行くと、そこにはドロドロとした液体が流れていた後がありました。今はもう流れ出していない様子です。

 

「ふう…………一件落着ですかね」

『だね。下山しようか』

 

山の麓でのセルリアン大量発生事件は、これにて解決したようです。

白虎の石板は地面においても光り続けていたので、とりあえず大丈夫なようです。

他の四神も問題なく光っており、火口のフィルターも張られたまま動きません。大丈夫そうです。

 

全て安全を確認したのち、一行は下山し始めました。

 

山を降りる頃、時効はすっかり夕方です。

西の空の太陽はオレンジ色に輝き、世界を朱色に染め上げています。

木々の生えているところまで下山しました。夕日に影が長く細く伸びていきます。

 

ダンザブロウダヌキが振り返りながら質問を投げました。

 

「みなさんはこれからどうしますか?」

 

ヒクイドリはその質問に少し考えた後、

 

「私の役目は終わったみたいだから住処に帰るよ。君たちはどうする?」

 

セッキーとカバンさん、サーバルは、

 

『ボクたちも一旦研究所に戻るかな』

「そうですね。それから、レミアさんの捜索に出かけましょう」

「そうだね! アライグマとフェネックがどうなってるのかも気にな――――カバンちゃん伏せてッ!」

 

サーバルの言葉は最後まで続きませんでした。

鋭く叫ぶや否やカバンさんを押し倒します。その、先ほどまでカバンさんのいた場所を、風切り音が通り過ぎました。

 

『ッッ!!』

 

セッキーもすぐさま反応します。カバンさんに襲いかかってきた者に対して、真正面から上段蹴りを叩き込みます。

勢いと膂力に任せた一切躊躇いのない蹴りが、襲撃者の側頭部にめり込みましたが、

 

『くっ! ダメか!』

 

襲撃者は上体を柔らかくそらし勢いを殺すと、そのまま後ろに飛び退きました。

 

周囲は木々に囲まれた森の中。その中でも数メートルにわたって木の生えていない少し広々としたこの空間に、襲撃者は木の生えているギリギリのところまで下がります。セッキーたちとの間に数メートルの間合いが生まれました。

 

「ガルルルルルルルルルルル…………」

 

牙を剥き出し、涎を垂らし、黒い瘴気を体中から立ち上らせながら唸っています。

襲撃者――――それは、いつぞやの峡谷にて一戦を交えたビーストでした。

 

『まさかここで襲われるとはね…………ボクが時間を稼ぐ。カバンはみんなを連れてバスまで避難して』

「セッキーさんはどうするんですか!」

『なんとかするよ。今セルリアンに招集をかけてる。直に集まると思うから戦力はあるよ』

「でも……」

『逃げて。じゃなきゃ守りながらなんて戦えない』

 

セッキーの額に一筋の汗が流れていました。表情に余裕はありません。セルリアンを含めて全力で戦っても勝率は五分五分だと、セッキーは内心で奥歯を噛みました。

 

カバンさんは、このままセッキー一人を置いて逃げて良いのか、一緒にどうにかして逃げるべきではないかと迷いましたが、

 

「…………わかりました。無理だと思ったら、すぐに逃げてください」

『わかった』

 

セッキーはビーストから目を離さないまま言葉を続けます。

 

『万が一そっちに行った場合、ヒクイドリ、サーバル。カバンとダンザブロウダヌキを守って』

「あぁ、当然だ」

「まかせて!」

『行ってッ!』

 

セッキーの叫びに、カバンさん、サーバル、ダンザブロウダヌキ、ヒクイドリが走り出します。目指すはバスです。

 

ビーストは逃げていく四人を目で追っていましたが、

 

「グルルルルルルルルルル」

 

視界からいなくなると、セッキーの方へと視線を移します。どうやら一対一での戦いに乗ってくれる様子です。

 

『君が何を目的にフレンズを襲っているのか知らないけど…………ここで止めるよ』

 

セッキーの周囲に虹色の粒子が舞いました。

 

「グルルルル――――ガァァァァァッッ!!!」

 

キラキラと宙にたなびくサンドスターに、ビーストはまるでそれが見たかったと言わんばかりに一声、叫びを上げると、セッキーの方へと突進してきました。

 

正面から、勢いを増して間合いを詰めてくるビーストに対して、セッキーは不敵な笑みを浮かべ呟きます。

 

『そう易々とやられると思わないでね』

 

 




次回「vs.ビースト」


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第十五話 「vs.ビースト」

『そう易々とやられると思わないでね』

 

真正面から間合いを詰めてきたビーストに対して、セッキーは腰を落として上段への回し蹴りを放ちました。

 

「ガァッ!」

 

ビーストはそれを直前で止まり回避、続け様にセッキーの頭部目掛けて爪を振るいます。

左右から繰り出される瞬息の間の攻撃を、セッキーはその場にしゃがむことで回避しました。

しゃがんだ姿勢そのままに、今度はセッキーが足払いを仕掛けます。

 

ビーストの重心の乗った右足を払います。流石のビーストもこれは避けられず、セッキーの右足によって体勢が崩されますが、ビーストはそのまま上体柔らかく地面に手をつき、二転三転と転がってセッキーとの間合いを開きました。

 

「グアァァァ!」

 

空気を震わせてビーストが吠え散らかします。

セッキーの上段への攻撃を見切り、足払いをくらいながらも柔軟に身を捩って体勢を立て直すその様に、セッキーは、

 

(かなり強い。戦い慣れてるし、体も柔らかくて、おまけにタフだ。どう考えてもレミアより厄介だぞ)

 

ありし日、レミアと本気で戦った時のことを思い出します。

ビーストは銃こそ使ってきませんが、体術のみでも計り知れないほどの強さを持っているとセッキーは内心でほぞを噛みました。

 

ビーストが何を考えているのか。

何を基準にしてフレンズを襲っているのか。

これから何を目的に動くのか。

 

そして、いつまでこうして足止めを食らっていてくれるのか。

 

セッキーは読めませんでした。ただもうしばらくはこうしてここに止まってくれと、せめてカバンさんたちが逃げ切れるまでここにいてくれと願います。

自分がどうやって離脱するかはこの際考えていませんでした。

ただ時間を稼ぐ。その一点のみです。

 

「グルルルルッッ…………」

 

初手の奇襲攻撃に続き、突進からの上段への爪での攻撃も避けられたことにまがりなりにも警戒しているのか、それとも本能で慎重になっているのか、ビーストはしばらくセッキーと睨み合っています。

 

(もうすぐだ…………来た!)

 

膠着状態の中、先に動いたのはセッキーでした。

ビースト目掛けて一気に間合いを詰めつつ、右手を折ります。その瞬間。

 

ビーストの左側面に、赤色のセルリアンが突撃しました。

セルリアン本体による体当たり攻撃。

前からはセッキーが、左からはセルリアンが迫っている状況で、ビーストがとった行動は、

 

「ガアアアァァァァッッ!!!」

 

吠えながらセルリアンを()()()()()()()()()()()()()

石のある位置まで、本体を切り裂いて石を粉砕しました。

 

(なんだとッ!)

 

セッキーは間合いを詰める足を止めずに、しかし驚愕の表情は隠せません。

ビーストは今、左を向いています。隙が生まれました。この機会を逃すほどセッキーは弱くありませんでした。

 

思いっきりビーストの横腹めがけて拳を捻り込みます。体幹を固定して身を捩りながら繰り出した突きは瞬きの間にビーストの横腹を捉えて、めり込み、ビーストの体を浮かせました。

 

(取ったッッ!!)

 

確かな手応え。

ビーストの横腹にある内臓に確かにダメージを与えた感触と共に、ビーストがよろめきながら二歩三歩と後退します。

 

『はぁぁぁぁぁッッッ!!!』

 

セッキーはその隙を逃しませんでした。攻撃が一度通ったのならば、二度目、三度目と連攻撃を叩き込む姿勢です。

ましてビーストほどのタフネスをもつ敵を、一撃で沈められるなどとは思っていません。

 

連撃を叩き込む。ここで畳み掛ける。

確かなダメージを負わせたと確信したセッキーは、よろめくビーストの頭部目掛けて刈り取るように上段蹴りを放ちます。

 

しかし。

 

ビーストはその蹴りを左手で止めました。頭部に当たる寸前で受け止め、セッキーの細い足を掴みます。

 

(まずッ――)

 

すぐさまセッキーは対処行動。軸足である左足を思いっきり地面に突き立て、止められた右足を力で捻り込みます。

しかしびくともしません。完全に、がっしりと掴まれた右足は抜くことも振り切ることもできません。

 

『くッ……!』

 

次の瞬間。

ビーストはセッキーの喉を右手で掴み、持ち上げ、180°体を回転させると後ろにあった木へ叩きつけました。

 

右手は喉を掴んだままです。メリメリと木に押し付けられながら、宙へと持ち上げられてしまいます。

 

叩きつけられたことで肺の空気が一気に無くなったセッキーは、呼吸することもままならぬまま喉を締め上げられ、吊り上げられてしまいました。

 

「が…………こ、の…………」

 

目の前がチカチカと瞬きました。酸素が頭に届かず、手足の末端が痺れ始めます。

足を上げてビーストの顔を蹴り飛ばしますが、全くダメージになっていないのか、ビーストの右手が弱まる気配はありません。

 

(まずい…………意識が…………)

 

途絶えそうになる意識をなんとか繋いで、セッキーは、

 

(い、け、セルリアン!)

 

集まりつつあったセルリアンをけしかけます。ビーストの背後から触手を持ったセルリアンに、首へ巻き付くよう指令。

すぐさま、水色の触手を持ったセルリアンがビーストの首へ巻き付きました。

 

「グッッ!」

 

ビーストが短く吠えます。

首へと絡みついた触手が後ろへ引っ張るように締め上げ、ビーストの上体をそらします。

流石のビーストもこのままでは耐えられないと察したのか、セッキーから右手を離し、上体を悶えさせながら振り向きます。

そして振り向き様に首へと絡みついていたセルリアンの石を叩き割りました。石へ直接攻撃したのではなく、本体を爪で切り裂きながら石を攻撃しています。

 

(レミアの銃でも貫けないセルリアンの体をああも易々と…………ビーストの爪の攻撃は、レミアの銃よりも威力があるということ。あれに当たったら耐えられない)

 

酸欠で意識が飛びそうになる頭を必死に振って元に戻したセッキーは、ビーストの爪に警戒心を抱きます。

 

ビーストは少しの間合いを開けてセッキーの方を見ます。周囲にはセルリアンが集まっています。

そのセルリアンへ注意を示し、目が忙しなく動いています。

 

対してセッキーは締め上げられた喉を手でさすりながら、ふらふらと立ち上がって地面を踏み締め、ビーストと対峙します。

 

夕刻の暖かな風が、二人の間を吹き荒びました。衝突と衝突の間のわずかな時間。

安堵からは程遠い警戒の間。お互いがお互いの隙を見つけてはそこへ滑り込むようにして攻撃を繰り出す、一瞬の油断もままならない死闘の間。

 

静止していた時間が動き出したのはビーストの方でした。

セッキーから目を離した次の瞬間には、周囲を囲っていたセルリアンのうちの一体に襲い掛かり、瞬時に砕いたかと思うと、

 

『まずいッ!』

 

ビーストは走り出しました。カバンさんたちの逃げた方角へ。

ビーストの腕力はさることながら脚力もそこらのフレンズの比ではありません。

峡谷で見せられた瞬足が、この森でも発揮されてしまいます。

 

セッキーは歯を食いしばって後を追いますが、まず追いつけそうもありません。

カバンさんたちが逃げ切れるだけの時間が作れたでしょうか。

 

いいえ。まだそれほどの時間が経っているとも思えません。

 

であれば、待ち受けているのは最悪の事態。

カバンさんたちが危険です。願わくば、ヒクイドリとサーバルが連携し、互角に持ち込んで時間を稼いでほしい。

 

どんどんと遠くなっていくビーストの背中を必死に追いかけながら、セッキーは祈りました。

 

 

カバンさん、サーバル、ヒクイドリ、ダンザブロウダヌキの四人はバスの方角へと駆けていました。

森の中にできた細い道を全力で駆け抜けます。落ち葉が舞い、土が捲れ、木の枝が蹴り飛ばされます。

 

「カバンちゃん! もうすぐだよ! 頑張って!」

「う、うん…………ハァ…………ハァ……大丈夫、このまま走って!」

「頑張ってくださいカバンさん!」

 

ダンザブロウダヌキは再びハクトワシの姿になって、地面スレスレを飛んでいます。

カバンさんの息が上がっています。乱れた呼吸をなんとか整えようと、走りながらも息を意識的に大きく吸い、大きく吐き出します。

その間にも足は止めません。目線は先頭を行くヒクイドリの背中を追いかけています。

 

ヒクイドリはもともと足が丈夫なのか、そしてセルリアンハンターとしての活動から体力が豊富にあるのか、息切れひとつしていません。ちらちらとサーバルとカバンさんの方を振り返っては、ちゃんとついてきていることを確認しつつ速力を落とすことなく走り続けます。

 

「――――! 見えたぞ!!」

 

ヒクイドリが鋭く叫びます。

森の中の開けた場所。木々の生えず、お日様の光が直に差し込み照らし出されているその場所に、陽の光を浴びるバスが停められています。

 

四人は無事、バスの元へと走ってこられました。カバンさんは息も絶え絶えで、汗が玉のように額から流れ落ちています。

膝に手をつき、はあはあと荒い呼吸を繰り返しながら、バスの横に止まりました。

 

「カバンちゃん! この後はどうするの? セッキーはまだ戦っているんでしょ?」

 

サーバルの息は上がっていないようです。バスの後部入り口に手をかけながら、呼吸を整えようとしているカバンさんに振り返ります。

 

カバンさんは何度か唾を飲み込んで無理やり息を整えると、

 

「セッキーさんは、逃げろって言ってた。どこまでかはわからないけど、このままここにいるとボクたちも危ないと思う。バスを動かして、遠くに逃げて、後からセッキーさんを探そう」

「わかった! すぐに出発しよう!」

 

そう言ってサーバルは後部に乗り込みました。カバンさんは横にいたヒクイドリとダンザブロウダヌキの方を向いて、

 

「ヒクイドリさんとダンザブロウダヌキさんも乗ってください。一緒に遠くへ離れましょう」

「あぁ、わかった――――が、どうやらそれは叶わないようだ」

 

ヒクイドリが姿勢を低くしました。次の瞬間には、地面を強く踏み込み、鋭く飛び出したかと思うと、

 

「ガァァァァァァッッッ!!」

「かかってこい!」

 

ビーストの、大きく振りかぶって振られた爪を足で蹴り飛ばして止めました。

ビーストの爪はカバンさんに向けられていたようです。振り返って、すぐ間近で爪と足を交錯させている二人に、カバンさんは腰の力が抜けそうになるのをなんとか堪えて後ろへ下がりました。

ダンザブロウダヌキはすぐさまバスの後部へと入り避難します。中からカバンさんを呼ぶために叫びます。

 

「カバンさん! こっちへ!」

「そんな…………セッキーさんは、セッキーさんはどうなったんですか…………」

 

しかしダンザブロウダヌキの声は、カバンさんに届きません。

カバンさんの顔から血の気がひいていきます。

 

まさかやられたのか。死んでしまったりしていないだろうか。

そんな悪い予感が頭の中を支配しては、もう冷静ではいられません。

 

セッキーさんがやられたかもしれない。じゃなきゃこんなに早くビーストがここに来るわけがない。

このまま戦ったら、ヒクイドリさんも、サーバルちゃんも、やられてしまう。

 

もう二度とお話しできなくなる。

一緒に遊ぶことも、ジャパリまんを食べることも、お出かけすることも、冒険することもできなくなる。

 

そんなの――――そんなのいやだ。

どうすればいい。どうすればこのビーストを止められる?

どうすれば追い払える?

 

前はどうやった?

何をして追い払った?

 

「そうだ…………レミアさんの…………!」

 

カバンさんの目の前では、ヒクイドリとビーストが爪と足を激しくぶつけて戦っています。

周囲の落ち葉が蹴り飛ばされ、木の枝が踏みしめられ、土が辺りに撒き散らされています。

 

その激戦のすぐ横を抜けて、カバンさんはバスの後部へ。レミアのポーチへ、そこにある、ホルスターに収まっている壊れていないリボルバーに手をかけます。

 

「カバンさん…………? 何を……?」

「まってて、ヒクイドリさん!」

「うみゃみゃみゃみゃー! ヒクイドリ! 挟み撃ちだよ!」

 

ヒクイドリとビーストの戦いにサーバルも駆けつけます。バスから飛び降りて、ヒクイドリへと爪を奮っていたビーストの背中へサーバルは爪を立てました。

 

しかし、サーバルの爪はビーストの背中へ届く前に、ビーストの腕に遮られます。まるで背中に目がついているかのような反応速度で攻撃を止めたビーストは、そのまま邪魔者を排除すべくサーバルを蹴り飛ばしました。

 

蹴りが腹部へとめり込みます。サーバルは低い声を漏らしながら体をくの字に折り、そのまま後ろへと飛びました。

 

「サーバルちゃんッ!!」

 

吹き飛ばされるところを目にしたカバンさんから悲鳴が上がります。

しかしサーバルは後ろに飛んだ体をくるりと捻って、柔軟に、しなやかに落ち葉の上へと着地しました。

 

蹴りを喰らって、体が後ろへ飛ばされたと同時にダメージを受ける前に自分から飛んだ模様です。見た目ほど激しいダメージは受けておらず、すぐさまサーバルは走り出して戦線へと復帰しました。

 

ヒクイドリがビーストのヘイトを集めています。その隙を縫うようにサーバルが爪で攻撃を仕掛けます。

サーバルの攻撃もヒクイドリの攻撃もビーストには届いておらず、直前で止められるか受け流されているようでした。

 

が、しかしそれでいいとカバンさんは思いました。時間が稼げている。ビーストがこちらから意識を外して戦ってくれている。

 

ならば。

この隙に。

 

カバンさんは決意を固めました。

 

これが当たればどうなるか、カバンさんは直接見てきた訳ではありません。

大きな音と、煙が出て、ものすごい速さで鉛の球が飛んでいく。

当たったものを粉々にして破壊する。

そう、アライさんとフェネックに聞いています。

 

とても危険なもの。でも使い方を正しくすれば身の安全を守ってくれる頼もしい道具。

いつの日かレミアさんはそう言って教えてくれました。

 

どうか、ここにいるフレンズ皆さんの身を守ってください。

誰に対してかわかりませんが、カバンさんはそう祈って銃口をビーストに向けます。

 

ビーストは激しく動いています。狙いが定まりません。両手でしっかりと握って、一度だけ撃ち方を教えてもらった照明弾と同じようにして持って、狙って、引き金に指をかけます。

 

「お願いします………………止まって……っ!」

 

願うように。

祈るように。

これ以上ビーストが、他のフレンズを襲わなくていいように。

誰も怪我をしなくて済むように。

 

カバンさんは引き金を引きました。

 

すどん。

 

腹の底から響いてくる発砲音が、森の木々にこだまします。

驚いた鳥たちが一斉に樹木から飛び立ちました。

 

ビーストは、

 

「ガ…………」

 

立ち止まっています。ヒクイドリとサーバルが、ビーストから距離をとって注意深く睨みつけています。

 

ビーストの足がもつれました。その場で二歩三歩とたたらを踏みます。

 

ビーストの左腹部に、じわりと赤いシミが広がりました。左の脇腹です。黒いセーターを身につけているビーストでしたが、その黒色を染め上げていく赤黒い血が、広がっていきます。

ビーストは傷口を押さえました。信じられないと、自分に起きたことを受けれられないかのような顔で、そのままふらふらとよろつきます。

 

「あ…………」

 

ビーストと、カバンさんの目が合いました。

その目を見て。

カバンさんは。

 

「ッ!」

 

リボルバーを右手に持ったまま、ビーストに駆け寄ります。

 

「カバンちゃん!」

「やめろカバン!」

 

ヒクイドリとサーバルが悲鳴を上げるかのように叫びましたが、カバンさんは足を止めずビーストのもとまで駆け寄ります。

 

ビーストは、駆け寄ってきたカバンさんにもたれかかるようにして倒れました。

カバンさんが体を抱き抱えます。ビーストの体からはいまだに薄く黒い瘴気が立ち上っていましたが、カバンさんはお構いなしに抱き上げると、その場に座り込みます。

 

ビーストの頭を抱えて持ち上げます。抱き込むようにしてその瞳を覗きこみます。

 

「…………ごめんなさい」

 

カバンさんは今にも泣き出しそうな声で、それだけを絞り出しました。

サーバルとヒクイドリ、ダンザブロウダヌキも、警戒はとかないままビーストの周りを囲みます。

 

ビーストは、力のない目でカバンさんを見ていました。

笑っているわけでも、泣いているわけでも、怒っているわけでもありません。

ただ無表情で、しかし目だけはカバンさんを見たまま離さず、カバンさんに抱かれていました。

 

『…………仕方がないよ。そうするしかない』

 

その声に全員が振り返ります。そこには、たくさんのセルリアンを連れたセッキーが歩いていました。みんなのところへと向かっています。

サーバルが、声を震わせながら、

 

「カバンちゃんが…………カバンちゃんが…………」

『言わなくても大丈夫。銃声は聞こえてた。こうするしかないよ。レミアも、きっとこうしてた。間違ってない』

 

サーバルは唇を震わせながら俯きます。

カバンさんも、ヒクイドリも、何も言えないまま、ビーストを見遣りました。

 

ビーストは、力無い目でカバンさんを見ていましたが、やがて目を閉じると、体の力を抜いてだらりと腕を垂らしました。

 

『…………これ以上、この子に他のフレンズを襲わせないためにも、こうするのが最善だよ。願わくば、安らかに眠ってほしい』

 

カバンさんはこくりと頷き、ビーストを地面に下ろしました。

その、ビーストの顔を見て、

 

「あ…………れ?」

 

小さく呟きます。次に、傷口を見ます。そこには、虹色のキラキラとした粒子が集まっていました。

左脇腹に空いた、どす黒く血で染まっているその場所に、輝かしいまでのサンドスターが集まっています。

 

「こ、これは、一体…………?」

「サンドスターが……集まっていますね。もしかすると…………傷を修復しているのかもしれません」

 

ダンザブロウダヌキが掠れるような小さな声でそう呟きます。

セッキーがビーストの口元に手をやります。

 

『呼吸してる。死んでないよ』

「!」

 

カバンさんの表情が晴れます。パッと上げた顔には、笑みのようなものも浮かんでいました。

セッキーはダンザブロウダヌキの方へ向き直りながら口を開きます。

 

『傷が修復されたら、また暴れ出すかもしれない』

「そうなる前にどうにか手を打ちたいですね……ただ、並の拘束具では逃げ出してしまうでしょう」

『セルリアンで、囲んでおこうか。手足も触手で縛って』

「効果があるかはわかりませんが、何もしないよりはいいでしょうね。そうしましょう」

 

全員が立ち上がり、セッキーがセルリアンを呼び寄せた、そのときです。

 

「ああああああああああ!!!!! やっぱりいたのだ! 全員いるのだぁ!」

 

木々の間、草をかき分けながら。

 

「フェネック! みんないるのだ! アライさんの鼻はやっぱり偉大なのだ!」

「はぁ…………はぁ…………やー、まずいねこれは。いやラッキーなのかなー…………」

 

元気な声で叫ぶアライさんと、息を切らせたフェネックが二人して出てきました。

 

『な、なんで? レミアを探してたんだよね?』

「そうなのだ! レミアさんを探してたのだ! そしたら――――」

 

アライさんの言葉を遮るように、あたりに轟音が轟きました。

それは。

まるで蜂の羽音のように一つながりになっていて。

そして、その音を聞いたのは初めてではありませんでした。

 

『ッ!!』

 

集めていたセルリアンをセッキーはすぐさま密集させて周囲を固めます。

その直後。

 

集まったセルリアン目掛けて無数の弾丸が降り注ぎました。

 

「こいつに! 追われて! 逃げてたのだ! やばいのだぁぁぁぁぁ!!!」

 

アライさんの声が銃声に負けじとこだまする森の上空に。

 

テールローターを復元した、漆黒のヘリのセルリアンが、コックピットの目玉をぎょろりと地上に向けました。

 

 

 




次回「vs.セルリアン」


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第十六話 「vs.セルリアン」

研究所から東の山の麓までかかる時間は、車なら半日、歩きなら二日ほどとキュルルは言っていました。

それがどうして、アライさんとフェネックは朝早くから出発したとはいえその日の夕方に到着しているのか。

 

それは簡単なことでした。

 

森のセルリアン騒動から逃れていたフレンズ達の中には、鳥のフレンズ、すなわち空を飛べる子たちも含まれていました。

空を飛べるので歩きより格段に早い移動が可能なフレンズたちは、山とは反対方向、ちょうど草原地帯の方角へ進んでいました。

 

そんな中。

周りのみんなは山から逃げるようにして進んでいるのに、二人だけ山の方角へ歩いているフレンズがいるではありませんか。

そんなフレンズを見たら、鳥のフレンズは話しかけずにはいられません。そっちは危ないよと。

 

そうして話しかけられたのがアライさんとフェネックでした。

二人は鳥のフレンズに聞きました。

 

腕が出ている黒い毛皮に、下は緑とか茶色とか黒とかの模様が散りばめられてる毛皮の、大きなフレンズは知らないかと。

あと頭の毛は栗色で肩くらいの長さで、ほっそりしていてとっても強そうなオーラを纏っていると。

 

聞かれた鳥のフレンズはちょっと考えて、そういえば山の方から逃げている途中にそんな感じのフレンズがいたことを思い出します。

 

アライさんは大絶叫。フェネックも嬉しそうに頷きます。

そのフレンズを探していて、そのフレンズのところに行きたいから連れて行ってくれないかと、アライさんとフェネックはお願いしました。

 

鳥のフレンズは初めこそちょっと悩みました。なんせセルリアンが大量発生している森に近づくことになります。

断ろうかと思いましたが、アライさんが、

 

「空から落としてくれるだけで構わないのだ! 危険な目には遭わせないから、お願いなのだ!」

 

と、泣きついてきたので鳥のフレンズはまぁそれならいいかと承諾したのでした。

 

とはいえ一人で二人を運べるほど力持ちではありません。どうしようかなと悩んでいた側に、ちょうど運良くもう一人、鳥系のフレンズが飛んでいました。

早速捕まえて事情を話して、アライさんとフェネックは無事、空を飛んで送ってもらえることとなったのです。

 

歩きで二日かかる行程をたった一日で来れたのはそういうわけでした。

 

そして。

 

降り立った先でアライさんたちが遭遇したのは、探し望んでいたレミアさんではなく、漆黒のヘリのセルリアンだったというわけです。

 

 

そうして現在。

夕刻の太陽がもう半分ほど地平線の先に沈み、空はオレンジ色から徐々に紫色のグラデーションを描いている、そんな夕暮れ時。

 

『バスに乗って! 早く!』

 

セッキーが切羽詰まった大声で指揮を飛ばします。

セッキーの声に呼応するように、全員が大急ぎでバスへと乗り込みます。

 

その間にも、容赦ないヘリのセルリアンからの攻撃が辺りに降り注いでいました。

絶え間なく降り注ぐスコールのような銃弾は、あたりの木を穿ち、木の葉をいぬき、地面を耕します。

 

ただ幸いなことに精度がそれほど良くないのか、それとも広い範囲をわざと攻撃しているのか、バスには二、三発当たるのみでそれほど大きな被害にはなっていません。

すぐさまバスの天井にセルリアンを配置したのもよかったのでしょう。

銃弾はセルリアンに阻まれ、結果としてバスを守る鉄壁として機能していました。

 

大急ぎで全員がバスへと乗ります。

そんな中、カバンさんがビーストを抱え上げようとしていました。

一番最後まで残っていたセッキーが、カバンさんのその様子に目を奪われます。そんなことをしている場合じゃないと叫ぼうとして、先刻、カバンさんがビーストの向けていた顔と、言葉を思い出します。

 

『…………仕方ない、リスキーだけど助けてやるか!』

 

すぐさまビーストとカバンさんの元へ行き、ビーストの腕を肩に回します。

カバンさんは反対側を支えています。そのまま息を合わせてよいしょと持ち上げ、バスの中へ連れ込みました。

 

『目が覚めて暴れ始めたら一大事だけど、その時はボクがバスから追い出す。とりあえず連れて行くよ!』

「お願いします! 置いて行くのはその……できなくて」

『わかってる。さぁ、カバンはバスを出して!』

 

セッキーの声に応えるよりも先にカバンさんはバスの運転席へ飛び乗りました。

すぐさまバスを起動し発進させます。

 

ヘリのセルリアンは、

 

「ついてきてるのだー!!!」

 

バスの後ろから、木々の葉っぱを挟んでピタリと上空についてきていました。どうやら逃してはくれないみたいです。

 

続け様に、セルリアンからバルカン砲の銃弾が降り注ぎます。辺りの土が次から次へと爆ぜ飛んでいます。

 

『カバン、この道を可能な限り飛ばして!』

「わかりました!」

 

ハンドルを必死の形相で握るカバンさんです。手首のボスもずっと緑色に光っていて、『あわわわわわわ』と言いながらもしっかりバスを動かしてくれています。

 

バスがギリギリ一台通れるくらいの細さの森の道です。土を踏み固めただけの道ゆえにでこぼこしているところもあり、時折バスが大きくはねて車体が揺れます。

 

ダンザブロウダヌキがフェネックとアライさんの方へ叫びました。

 

「なぜ追われているんですか? 心当たりは?」

「ないのだー!」

 

即答するアライさんでしたが、フェネックは少し考えて、

 

「もしかすると、リュックの中のサンドスターかもねー」

「サンドスター? あ、もしかして研究所から持ってきていますか!?」

「そうだねー。でもこれはレミアさんを見つけた時に使うから、ちょっと手放せないかなーって」

 

リュックから瓶に入ったサンドスターの結晶を取り出してダンザブロウダヌキに見せます。

ダンザブロウダヌキも困った表情でどうすればいいか考えましたが、

 

「このまま追いかけられていると、いずれはやられてしまいます。今それを手放せば、ひとまずの危機は脱せるのではないですか?」

「それはそうなんだけどさー、その、アライさんがいうにはレミアさんの匂いもこの近くにあるらしいんだよねー」

「そうなのだ! さっきからレミアさんの匂いが濃くなってる気がするのだ! もしいたら、その時にこれは使うから捨てられないのだぁ!」

 

降り注いでいたセルリアンからの攻撃が一旦止みます。

バスは速度を落とすことなく、森の中の道を走り抜けています。セルリアンも、こちらを諦めているというわけではなく、次の攻撃の準備をしているかのように、完全にマークしてすぐ上空を飛んでいます。

 

ダンザブロウダヌキは、このサンドスターを捨てるわけにはいかないということは理解しました。

捨てれば解決するという保証があるわけでもありません。別の方法でこのヘリのセルリアンの追跡を振り切らなければなりません。

 

しかし、セルリアンの飛ぶ速度は明らかにバスより速そうです。

窓から上空を見て、セルリアンの位置を確認した時、

 

「…………ッ! セルリアンが!」

 

ヘリのセルリアンは速度を上げ、バスの前方へと躍り出ました。

バスの速度は落ちていません。セルリアンが速度を上げています。

 

カバンさんが苦虫を潰したような苦悶の表情で上を見上げます。

ヘリのセルリアンはくるりと向きを変えて、こちらを見ました。

バルカン砲の銃口がバスに向きます。

 

フュイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――――。

 

バルカン砲が回転し始めました。甲高い音が森の中に、バスの方に、全員の耳に届きます。

 

「伏せてください!!!」

 

カバンさんが叫びました。同時に、カバンさんの手首のボスがピピーンと音を立てると、バスにフルブレーキをかけました。

タイヤがロックして土の地面を削ります。

バス後部にいた全員が転がるように前に引っ張られる中、ヘリのセルリアンはバスの挙動が予測できなかったのか、バスの少し前に、

 

ブアァァァァァァァァァァァァァァッッッ――――。

 

弾丸の雨を降らせました。

立て続けに降り注ぐ弾丸が地面を容赦なく削ります。バスの幅と同じくらいの道が、無数の弾丸によって穿たれ、窪んでいきます。

 

「ラッキーさん!」

『わかってるよ』

 

カバンさんの叫びに、ボスは再び音を立てると、今度はバスがタイヤを空回りさせながら後退していきます。

先ほどまでバスの居た位置に、弾丸が降り注ぎます。後退するバスをとらえようと、ヘリのセルリアンのバルカン砲が上を向き、弾丸が縦筋状に地面を穿っていきます。

 

『させるか!』

 

バス後部でセッキーが腕を振ります。その動きに呼応して、バスの上に乗っていた数体のセルリアンが運転席の前へ躍り出ます。

四角く形を変形させ、縦と横に隊列を組みます。ガッチリと隙間なく壁を形成したセルリアンに、ヘリのセルリアンの銃弾が襲い掛かりました。

 

『堪えてくれよ…………』

 

セッキーの呟きに返事をするかのように、撃たれ続けているセルリアンからヒュルルルルオオオオと声が上がります。

弾丸はセルリアンを貫通することはないようです。セルリアンの石も、弾の当たらない後方に位置しているので、しっかりと防弾できている様子です。

 

ヘリのセルリアンが攻撃を止めました。

ヒュルルルル――――とバルカン砲が空回りして、やがて止まります。

 

一瞬だけ、辺りに静寂が訪れました。風がこの葉を揺らす音が聞こえてきます。

 

『カバン、出して!』

 

セッキーがセルリアンをバスの天井に乗せると同時に、カバンさんは今度はアクセルを全開に、バスを発進させます。

 

その時でした。

 

バスの前方に、人影が飛び出てきました。カバンさんはブレーキを目一杯踏み込んで、バスを停止させます。

すんでのところで止まったバスの前に立つ人物は、

 

「……………………」

 

じっと、バスのほうを睨んでいました。

 

その、飛び出した人物を見てカバンさんが息を飲みます。

バス後部にいた全員も、飛び出してきた人物を見て、口を開きました。

 

そこに立っていたのは、黒いタンクトップに迷彩柄のパンツ。ゴツい軍用ブーツを履いてすらりと背の高い、栗色の髪の毛を肩より少し長いくらいに伸ばした女性です。

腰にはたくさんのポーチがついていて、両腰にはホルスターに収まった旧式のリボルバーが二丁、収まっていました。背中には木製の、スラリと長いボルトアクションライフルが一丁提げられています。

 

灰色の瞳は切長で、まるでこれから狩りをする猛獣のように、冷たい視線をバスに向かって投げつけていました。

 

そこにいたのは、

 

「れ、レミアさんなのだぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

紛れもなく、アライさんとフェネックの探していた、レミアでした。

 

しかし、

 

「待ってください、様子が…………」

 

カバンさんが張り付いた喉から思わず声を出すほどに、レミアの様子は様変わりしていました。

 

冷たい目、気だるげな立ち方、そして何よりも右手に違和感を覚えます。

レミアの右肩には包帯が巻かれていました。その包帯の下、伸びている右腕が、もう、元の色がわからないほどにドス黒く変色しています。肩口から指先まで、まるで闇を纏ったかのように黒いそれは、ビーストが全身から漂わせていたように、黒い瘴気が立ち上っています。

 

黒い部分は右腕だけではありません。

よく見ると両腰につってあるリボルバーも、背中に背負っているボルトアクションライフルも、まるで闇に漬け込んだかのように真っ黒です。そして右腕と同じく黒い瘴気をまとっていました。

 

「………………」

 

バスをじっと見るレミア。微動だにせず、声も発しないレミアのその様子に、レミアを知っている全員が異様な空気を感じとります。

 

アライさんがそれに耐えかねたのか、大きな声でバスから呼びかけます。

 

「レミアさん! 早くバスの乗るのだ! そこにいたらセルリアンの攻撃をくらってしまうのだ! 危ないのだ! 早く乗――――」

 

アライさんが言い終わるよりも先に、レミアは右腰からリボルバーを抜いて()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『ッ!!!』

 

突然のレミアの行動でしたが、反応できたセッキーの動きは早かったです。

天井に登っていたセルリアンのうち、一番前にいた一体を即座にレミアとカバンさんの間に滑り込ませました。

レミアがリボルバーを抜いたのと、セルリアンが間に入ったのが同時です。

 

レミアの、何の躊躇いもない銃弾は、セルリアンに阻まれました。カバンさんは何が起きたのか理解できない表情で、その場に座っています。

 

『カバンさん! バスを出して!』

 

セッキーが叫びます。しかしその言葉にカバンさんが反応するより早くに、レミアに動きがありました。

バスの右側へ走ったレミアが、そのまま、躊躇なくバスのタイヤをリボルバーで撃ち抜きます。

 

右側にあったすべてのタイヤに、吸い込まれるようにして弾丸があたります。なすすべなくタイヤは破裂、あるいは裂けて、空気が抜けます。

 

「え、え…………レミアさん? 何して…………」

 

カバンさんの言葉も虚しく、レミアはバスの右側に佇んだままぼうっと立っては、恐ろしく冷たい目でバスの後部に乗る一行を睨め付けます。

 

バスのタイヤが撃ち抜かれ使い物にならなくなりました。

こうなってはもう、バスに乗って逃げることは叶いません。その事態を飲み込めたセッキーとフェネック、そしてダンザブロウダヌキの次の動きは早かったです。

 

『バスから降りて!』

「走って逃げるよー」

「みなさん! 早く降りてください!」

 

言いながら次から次へと降りていきます。サーバルが、ヒクイドリが、アライさんが、フェネックが、ダンザブロウダヌキが、そしてセッキーが降りようとした時。

 

「ガァァァァァァァァァァァッッッッ!!!!!!」

 

耳を張り裂かんばかりの咆哮を上げて、ビーストがセッキーへと爪を振るってきました。

 

セッキーはすんでのところでしゃがみ爪を避けます。続け様にビーストは爪を振るってきました。狭い車内で縦に、横に、バスの座席を切り裂きながらセッキーへと迫ります。

 

『くッ…………んのッ!!!!』

 

ビーストの無茶苦茶とも言える攻撃を何とかいなし、受け流し、まともに食らわないよう避け続けたセッキーは、攻撃の間にバスの外へと躍り出ました。

 

ビーストが、バス後部の出入り口を大きく変形させるほどに爪で切り裂いたのち、バスから飛び降ります。

 

「グルルルルルルルルルルルルッッ――――」

 

ビーストが低く唸ります。左脇腹に集まっていたサンドスターは、いつの間にかなくなっていました。

それの意味するところはつまり、サンドスターが傷口を修復し終わってしまったということ。

 

完全に、ビーストの復活を意味していました。

 

レミアがセッキーたちを睨みます。

ビーストが、セッキーたちに唸ります。

バスの前方上空では、ヘリのセルリアンがホバリングして、セッキーたちにバルカン砲を向けています。

 

アライさんが、小さく、震える声で呟きます。

 

「これ…………ひょっとしなくてもまずいのだ…………」

 

拳を構えたままのセッキーが、ビーストを見て、レミアを見て、ヘリのセルリアンを見上げて苦しそうに声を漏らします。

 

『同時か…………すべて同時に来るか…………』

 

狂爪を振るうビースト。

正気を失ったレミア。

襲い掛かるセルリアン。

 

三つ、同時に、災厄がセッキーたちに降り掛かります。

 

どうすれば逃れられるのか。どうすればこの危機を脱出できるのか。

額に汗が一筋流れます。セッキーは考えて、考えて、考え抜きましたが。

 

どう考えても誰かは倒れる。犠牲者が出る。そのような未来しか見えませんでした。

 

ビーストの爪に引き裂かれるか。

レミアの銃弾に倒れるか。

ヘリのセルリアンのバルカン砲に射抜かれ、食われるか。

 

どうすればいい。

どうすれば切り抜けられる。

 

どうすれば――――どう、やっても。

これはもう、どうしようもないのではないか。

 

焦り、焦燥、後悔、諦め。

どう転んでも、ここから、この状況から犠牲なしで抜け出せる気がしない。

 

あるいは、自分を犠牲にすれば。

ビーストの攻撃とレミアの攻撃を自分に集め、残りのフレンズをヘリのセルリアンから守りながら逃げれば。

 

いや、それも、もうバスを失った今では叶わない。逃げ切れるわけがない。

そもそもバスより早い移動を可能にするヘリのセルリアンからどうやって逃げれるというのか。

 

じゃあ追い払うか。どうやって。

ビーストとレミアの攻撃を掻い潜りながらヘリのセルリアンを、レミアの銃を借りて撃退するか?

 

無理だ。そんなことができるほどボクは強くない。

当然、他のフレンズにもそれができるはずもない。

 

もう、どうにもならないのか。

 

セッキーは、どうしようもなく諦めてしまいそうな局面でしたが、最後まで考えて考えて考え抜きました。

 

考えて、考えて、どうすれば抜け出せるか、わずかな時間、わずかな硬直時間で考えましたが、事態はもうどう転ばせることもできなくなっていました。

 

ビーストが地面を鋭く蹴り込みます。狙う先はセッキーのようです。

 

レミアが右手と左手それぞれにリボルバーを抜きます。両手に構えて狙いを定めました。狙う先はカバンさんとサーバルのようです。

 

ヘリのセルリアンがバルカン砲を回し始めました。狙うは辺り一面、全員を蜂の巣にするつもりのようです。

 

同時でした。

災厄は同時に、無慈悲に、容赦無く、セッキーたちへと降り掛かりました。

 

(終わった、のかな)

 

ビーストの攻撃に合わせるように構えながらも、セッキーは内心で泣きそうになる自分を否定できませんでした。

 

ビーストの攻撃を止めても、レミアの攻撃もヘリのセルリアンの攻撃も止められない。なすすべがない。

 

セッキーは何とはなしに、もうすがれる自分も他人もいないと判断し、残るは一つ、神にのみ祈りました。

 

願わくば、もしいるのなら、助けてくださいと。

この状況を打開できるのなら、どうか手を、お力を貸してください、と。

 

そんなことを願いました。そして。

 

「――――いいよん。助けてあげる」

 

どこからともなくそんな声がしたと同時に。

辺りに無数の葉っぱが舞い散りました。空間を埋め尽くさんばかりに、大小様々な葉っぱが狂ったように舞っています。

 

その葉が、ビーストの体を押しとどめました。

レミアの銃弾を止めました。

ヘリのセルリアンのバルカン砲を動かなくしました。

 

何が起きたのか、セッキーも、他の誰も、わからず、思い付かず、あたりをただただ見渡します。

 

そして、ひと回り大きな葉っぱの渦が出来上がったかと思うと、中から一人のフレンズが現れました。

 

焦茶色のセーラー服、裾や端は擦り切れてボロボロになっています。

首の後ろにはこれまた年季の入った笠が一つ、ぶら下がっています。

右の手には白い大きな徳利が一つ、縄で吊られています。808と書かれた文字がよく目立っています。

 

現れたフレンズは、不思議に光り輝くブルーの瞳を気だるげに細めながら、小さく微笑むと口を開きました。

 

「二つまでならどうにかできても、三つになると途端にダメになる。両手に抱えられるのは二つまでだからね。そうなると神に祈り出す。助けてくださいと。…………ふふ、いいよ、そのために私がいるからね。助けてあげよう――――イヌガミギョウブ、ただいま推参」




次回「かみさまのふれんず」


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第十七話 「かみさまのふれんず」

「神の名は伊達ではないということを君たちに教えてあげよう」

 

イヌガミギョウブはそう言い放つと、赤く光る葉っぱを三枚空中に放り出しました。

 

放り出された葉っぱは一瞬イヌガミギョウブの前で止まり、次の瞬間には一枚ずつビースト、レミア、ヘリのセルリアンへと向かっていきます。

 

赤い葉っぱが、動きを止めている三者に吸い込まれました。音もなく吸い込まれた先で、ビースト、レミアは、

 

「ガ…………」

「…………」

 

お互いを睨み合います。ヘリのセルリアンはバルカン砲を上へ向けたまま止まりました。

 

『なにを…………したの?』

 

セッキーの口から漏れ出た言葉に、イヌガミギョウブはにこりと微笑みながら、

 

「要するに、この三体をどうにかすればいいんでしょ? 例えば数を減らすとか」

『それは、そうだけど』

「まぁ見ててよ。わたしの見立てではうまく行くからさ」

 

イヌガミギョウブはふふっと小さく微笑むと、緩慢な動作で右手を上げて、振り下ろしました。

その動きに呼応するかのように、レミアとビーストが弾かれたようにお互いの距離を詰めます。

まるで、敵同士が錯乱し潰し合うかのように。

あるいはレミアが正気に戻り、ビーストを敵として認知し、倒すために。

 

ビーストが左爪をふるいます。レミアはそれを黒い右手で止めました。次の瞬間。

 

ぶわっ――――と、レミアの右手が黒い霧のように広がり、ビーストの体を飲み込みました。

 

「ガッ! グルルルル――――」

 

ビーストがもがき、うめき声をあげますが、瞬く間に黒い霧はビーストの全身を覆い、ビーストの声はくぐもって、いつしか聞こえなくなりました。

 

レミアの口元が、わずかに、微笑むように歪みました。

まるで宿敵を飲めたことを喜んでいるかのように。久しぶりの食事に舌なめずりをするかのように。

 

ビーストの姿が闇に呑まれます。

その様子を見ていたカバンさんが、細い声で漏らしました。

 

「もしかして、レミアさんの右腕って…………」

 

それに答えたのはイヌガミギョウブです。くすくすと笑うと、

 

「そうだよん。あの子は今、セルリアンとしてビーストを飲み込んだ。じきにビーストのサンドスターもサンドスター・ローも全部吸収して、ビーストは無事野生に帰るよ」

「そんな………………」

「言っとくけど、他に方法は皆無だったからね。ビーストを止めるためには、ビーストでは敵わないような強力なセルリアンで捕食して、サンドスターを奪うしか方法がなかった」

 

静かな声でイヌガミギョウブは淡々とそう告げます。

目の前ではレミアが、ビーストを右腕に取り込み、そして今、右腕はゆっくりと元の形になりつつありました。

 

レミアの足元に虹色に輝く球が転がります。

レミアはそれを、さして興味もないような目で一瞥した後、今度はヘリのセルリアンを見上げます。

 

ヘリのセルリアンはレミアの様子を注意深く見ていました。ぎょろりと動くコックピットの一つ目は、レミアから離れません。

釘付けになったかのようにレミアを見て、レミアもまた、恐ろしく冷たい、凍てつく目でヘリのセルリアンを睨みます。

 

すると突然、セッキーの後ろに隠れるようにしていたアライさんが走り出しました。

 

『アライグマ!』

「あらいさーん!」

 

セッキーとフェネックが名前を呼んで静止しますが、アライさんは止まりません。レミアの元に駆けていったかと思うと、

 

「これを! 今! 使う時なのだ!!」

 

手に持っていたサンドスターの粒子の入った瓶を、レミアの足元に転がる虹玉に半分振りかけました。

そしてもう半分を、

 

「レミアさん! これが必要なのだ! セルリアンなんかに負けちゃダメなのだ!!」

 

レミアの右肩に振りかけました。

レミアは無表情で、何も言わず、右肩にサンドスターをかけられています。

 

しかし、

 

「無理だと思うよ」

 

イヌガミギョウブの冷めた声と共に、レミアは、アライさんから瓶をそっと奪い取ると、その場に落としました。

そして踏みつけ、ガラスの小瓶を粉々に砕きます。

 

「あ…………れ、レミアさん……?」

 

アライさんが、声を震わせながら後退りします。

 

「お、怒ってるのだ……?」

 

レミアは何も言いません。笑いもせず、怒りもせず、ただ無言でアライさんを見ています。右手は、何も変化がありませんでした。サンドスターは反応せず、レミアにも、何の変化もありません。

 

「れ、レミアさんしっかりするのだ! セルリアンなんかに負けちゃダメなのだ! 優しくて強いレミアさんに戻――――ぬおあッ!」

 

アライさんの言葉が最後まで続くよりも前に、アライさんは、強い力で誰かに抱き抱えられました。

 

周囲の全員が息を飲みます。アライさんを抱き抱えたのは、

 

「お前、死ぬぞ。離れろ」

 

そういいながらセッキーたちの元へと連れて下ろしたのは、ビースト――――ではなく、その元となっていた動物、すなわちアムールトラでした。

 

アムールトラからはもう、黒い瘴気が立ち上っていません。両手も、普通のフレンズのように人間の手になっています。はまっていた手枷はするりと抜け落ちていました。

 

それはすなわち、

 

「ほら、こうなると思ったんだよん。おかえりアムールトラ」

「…………だれだ?」

「イヌガミギョウブ。神様さ」

「そうか。お前が…………私を、解放するよう仕向けてくれたんだな」

「まぁそんなところ」

「感謝する」

 

短くそう言い、アムールトラは頭を下げました。

 

『再フレンズ化……だね。ビーストの時の記憶も、残ってるってこと……?』

「苦しかったことと、思うように体が動かせなかったこと、たくさんのフレンズを傷つけたことを覚えている。もう――――そんなことにはならないよう、これから罪滅ぼしをしていきたい」

 

アムールトラはセッキーたちに背を向け、レミアを睨みます。

 

「差し当たって、私からサンドスター・ローを奪い取ったこいつは危険だ」

「そうだろうねん。わたしも、とりあえず数を減らすために潰し合うように仕向けたけど、どうやら器用に全部吸収しちゃったみたいだね。しかも…………サンドスター・ローの味を覚えちゃったかな。ヘリも狙ってる」

 

レミアはもう、一行には目もくれずヘリのセルリアンを睨み潰しています。狙っている、というイヌガミギョウブの言葉通り、その目は猛禽類が獲物を見る目でした。

 

次の瞬間。

 

レミアが駆け出したのと、ヘリのセルリアンがバルカン砲をレミアに向け、放ったのは同時でした。

 

 

流れ弾が当たらないようセルリアンを招集して周囲を固めたセッキーは、セルリアンの間から見えてくる光景に息を呑むしかありませんでした。

 

レミアは、ヘリのセルリアンの銃弾を()()()()()()()()

時折右手を盾のように変形させて、球を弾いては前進し続けています。

 

『レミア……』

 

レミアはもう、引き返せない、どうしようもないことになっているのではないかと、セッキーは胸を痛めました。しかしどうすることもできません。

イヌガミギョウブがいなければ、ビーストとレミアとヘリのセルリアンになすすべなくやられていました。

 

レミアがビーストを倒し、アライさんが元のアムールトラに再フレンズ化させた。

それだけでも、奇跡のようにありがたい話です。危機は現在進行形で続いていますが、それでも、活路が見出せたのです。

 

レミアはヘリのセルリアンの真下にきました。

真下にはどうやらバルカン砲の弾は届かないようです。ヘリのセルリアンもそれがわかっているのか、撃つのをやめ、移動しようと機体を反転させます。

 

その瞬間を、レミアは逃しませんでした。

 

右手を大きく空へ振ります。まるでムチがしなるように、初めからそうなることが当たり前だったかのように、レミアの右手は無数の黒い線となって、ヘリのセルリアンに襲い掛かりました。

 

ヒュルルルルルルルルオオオオオオオオオオオオオ――――。

 

セルリアンが悲鳴を上げます。絡みついたレミアの右手だったものは、一本一本分裂しては数を増やしていき、ヘリのセルリアンを縛り上げます。

 

コックピットに、メインローターに、テールローターに、黒く、闇をも思わせるしなやかな線が、絡みついて動きを阻害していきます。

 

ほんの十数秒でした。

 

無数に増え続けるレミアの右手は、いつしか黒い塊となってヘリのセルリアンを飲み込みました。空中に闇の塊ができたかと思うと、次第にその形が小さくなっていきます。

 

やがて、跡形もなく形がなくなり、一本の線になったレミアの右手は、そのまま長さを短くしていき、レミアの元へと戻っていきました。

 

レミアは、

 

「…………」

 

無言で、口元を綻ばせていました。口角を不敵にニンマリと上げ、嗤っていました。

まるでこの世にはこうもあっさりと片付く敵がいるものだと。

馬鹿にするように。

滑稽なものを蔑むように。

 

禍々しく、レミアは笑っていました。

 

レミアを知る者が全員、その笑顔を見て背中に寒いものを覚えます。

もとのレミアからは考えられないような笑みに、レミアが、もう手の届かない遠い場所に行ってしまったかのように感じます。

 

「レミアさん! レミアさん!! しっかりするのだ!!」

 

セッキーの後ろから、アライさんが叫びます。しかし声は届いていないのか、それとも聴こえているけど無視しているのか、レミアは無言で笑みを湛えたまま、一行を舐めるように見つめてきました。

 

『ッ!』

 

セッキーが身震いします。

サーバルが、毛を逆立てるかのように肩をすくめます。

カバンさんが、震えながら自らの体を抱きしめるように両手を回します。

アライさんが、先ほどまで開いていた口をまるで後悔するかのように閉じます。

フェネックが、泣きそうな目で口をつぐみます。

 

レミアの目は。

その目は、まるで獲物を前にして牙を剥き、獰猛に笑いかけるかのように細められていました。

 

これから捕食する獲物に笑いかけるように。

まるで感情などないかのように、冷め切った目の色で、しかし口元には笑みを貼り付けて。

 

全身の毛が総毛立つような思いでレミアの目を見たセッキーは、喉から絞り出すように呟きました。

 

『…………させないよ、レミア。君に、フレンズを食べさせるなんてことはさせない』

 

セッキーの声が聞こえていたのか、果たしてたまたまなのか。

 

レミアは、予備動作などないかのような動きで、一気にセッキーたちへと肉薄してきました。

 

 

『させないッ!!!!』

 

セッキーも踏み込みます。サンドスターの粒子が尾を引きました。

レミアの真正面から向かうように、その体を止めるように、セッキーは体ごとレミアの前に投げ出します。

腹部に力を入れます。全身の筋肉を絞るように、一点に、右足に、力を溜め込んでぶつけるかのように、セッキーは右足からハイキックを繰り出しました。

 

全身の膂力と踏み込みの勢いの乗った渾身の蹴りは、レミアの側頭部にあたる寸前で、

 

『くッ!』

「…………」

 

なんの澱みもなく止められてしまいました。

セッキーの感触では、その時レミアの左手の骨にヒビを入れたように感じました。

確実にダメージになっている。大きくはないけど四肢の一つを痛みで使えなくさせるほどには損傷させた、その感覚がありました。

 

しかしレミアは止まりません。あろうことか受けとめた、ヒビが入っているであろう左手を貫手にして、セッキーの喉元へと繰り出してきました。

 

セッキーはそれを上体を逸らして躱します。そのまま、重心を後ろにして二、三歩、引き下がりました。

そのセッキーの動きとスイッチするかのように、ヒクイドリとアムールトラが同時に躍り出ます。

 

レミアの左半身をヒクイドリの蹴りが、右半身をアムールトラの爪が、レミアを止めんとばかりに迫ります。

レミアはその場に立ち止まり、まずヒクイドリの蹴りを半身になって、一切の無駄なくその場で躱します。その躱した動きのままアムールトラの爪を右手の裏拳で受け流し、体制の崩れたアムールトラに膝蹴りを叩き込みます。

 

「ぐっ――――」

 

アムールトラの短いうめき声が響いたかと思うと、アムールトラの体はふわりと浮き、そのまま五メートルほど吹き飛ばされました。地面を二転三転と転がってようやく止まります。大量の唾液と共に、赤い血が、アムールトラの口から吐き出されました。

 

一部始終が目に飛び込んできたヒクイドリが、信じられないとばかりに目を見開くのと同時に、レミアの左手が腹部にめり込みます。

 

「かはっ」

 

息が強制的に全て押し出され、呼吸困難になると同時に、ヒクイドリは五メートル以上吹き飛ばされ、木の幹に激突して止まりました。

 

レミアとセッキーの間に一瞬の間が生まれます。

硬直時間でもなんでもなく、それは、明らかにレミアがここにいるどのフレンズよりも格闘戦において格上であることを物語る時間でした。

 

アムールトラもヒクイドリも、一瞬にして立てなくなってしまいました。

レミアの目が、こんなものかとでも言うようにセッキーに向けられます。一言も発さないレミアの不気味な佇まいに、セッキーは言葉も出ませんでした。

 

レミアがじっとセッキーを見ます。目を離さず、しかし決して隙があるわけではなく、じっと、セッキーを見つめています。

 

ふと。

 

「………………」

 

レミアの目の色が一瞬、変わったように思えました。

これまでの獰猛な、猛禽類の冷たい目の色から、一瞬だけ、元のレミアが微笑みかけていた時のような、優しいとも言えるような目になったように、セッキーは感じました。

 

次の瞬間には、レミアは踵を返して走り出しました。

道沿いではなく森の中へ、茂みの中へ、まるで姿を隠すように、脱兎の如く恐ろしいスピードで走っていきます。

 

「逃さないよん」

 

イヌガミギョウブが短くそう言うと、一枚の葉っぱがレミアの背中に張り付きました。レミアは気づいていないようです。

あっという間にレミアは夕刻の、もうあと十分もすれば辺りは真っ暗になるであろう暗闇の中に、姿を消してしまいました。

 

張り詰めていた空気が全員の口から吐き出されます。

安堵の、とはいえ不安と恐怖のないまぜになったため息が、一行の誰からともなく漏れ出ていきました。

 

 

『作戦を立てよう。じゃなきゃ勝てない』

 

電気系統だけは生きていたバスの後部に全員が乗り込んで、蛍光灯の灯りにほおを照らされながら、一行は膝を突き合わせていました。

 

半身がセルリアン化したレミアは、正気を失ってもなお戦闘能力は衰えておらず、それどころか上がっているのではとすら思えるものでした。

行き当たりばったりにレミアを止めようとしても返り討ちにされる。ちゃんと作戦を立てないと止められない。

それは、その場にいる全員が身をもって感じた結果でした。

 

『まず、戦えるフレンズとそうでないフレンズに分かれよう。レミアを止めるために追いかけるのは、戦えるフレンズだけにしないと』

 

セッキーの言葉に、ダンザブロウダヌキが頷きます。

 

「その通りです。私は離脱しますね」

『万が一があるから、ヒクイドリにはダンザブロウダヌキの護衛について欲しいんだ。ヘリのセルリアンもビーストも今はもういないけど、もしかしたらはぐれたセルリアンが敵対化しているかもしれないし』

「わかった。受けよう」

 

ヒクイドリも深く頷きました。

セッキーは今度はカバンさんの方へ向いて、

 

『できれば、カバンさんも離脱して欲しいんだ。レミアの前にいると危険だから』

「そう……ですね。そうした方がいいかなと思うんですけど、ただ……」

『うん?』

「もしかすると、レミアさんの攻撃を誘導できるんじゃないかなって思ったんです」

『レミアの攻撃を誘導? どういうこと?』

 

怪訝そうに首を傾げるセッキーに、カバンさんはカバンの中からマッチと紙の巻物を取り出します。

 

「使える手かどうかはわかりませんけど、夜になると明かりがないですよね? 黒いセルリアンは火の灯りを目指していたので、もしかしたらレミアさんも火で釣られるんじゃないかと思ったんです」

『なるほど…………イヌガミギョウブ、どう思う?』

「いい考えだと思うよん。あの子、レミアの半身は今や黒セルリアン。本能レベルで光を追いかけているとも言えるね。あ、ちなみに今いる場所は山の頂上だよん。サンドスターの明かりに引き寄せられてるんじゃないかな?」

 

イヌガミギョウブは遠くを見るような目で中空を眺めた後そう言いました。

レミアの居場所はイヌガミギョウブがマークしています。どうやら光を追いかけて、山の山頂にいるようです。

 

「攻撃、あるいは意識を火で誘導して、こちらから手を打てればいいんですが」

『カバンさんの言う通りだね。そうしよう』

「火はボクしか持てないので、誘導はボクがやりますね」

『頼んだ。それで、肝心の手の打ち方なんだけど…………』

 

言い淀んだセッキーに、手を上げたのはアムールトラでした。

 

「レミアが私にしたように、セルリアンでレミアを食わないとダメだと思うぞ」

『そう、なるよね』

「サンドスター・ローを吸収して無力化するより他はない」

『サンドスター・ローさえレミアから分離できれば、レミアは元に戻れると思う』

「あぁ、だが問題は、ただのセルリアンがレミアを食えるとは思えないということだ」

『たぶん、辿り着く前にやられると思う。どうにかしてレミアの動きを止められればいけるんだけど』

「じゃあ、わたしにまかせてよん」

 

イヌガミギョウブが胸を張りました。

 

「まだ見せてないけど、わたしには本気の妖術が残ってるからねん。それを発動して動きを止めるから、セッキーがセルリアンを向かわせて食べちゃうってのでどうかな」

『うん…………それがいいかな。イヌガミギョウブ、君の力を信じるよ』

「任せて」

 

イヌガミギョウブはしっかりと頷きました。

セッキーはアライさんとフェネックの方を見て、

 

『二人にはカバンのサポートをしてもらいたいんだけど』

「任せるのだ!」

「まかせてー。あぁでも、レミアさんの攻撃って、どんなのが来るかわかんないよねー。囮として動くのもいいけど、攻撃を喰らっちゃうとまずいよねー?」

「それならわたしに任せて」

 

イヌガミギョウブが葉っぱを一枚取り出して、目の前にかざしました。

次の瞬間、葉っぱは僅かに煙を上げたかと思うと、大きな盾になりました。金属製の頑丈そうな盾です。丸い形をしています。

 

「これを持って攻撃を防げばいいんじゃないかな? 格闘戦ならまず防げるし、右手が伸びてきても、これで遮っちゃえばいいと思うよ。銃弾も通さない」

「ぬおあ! これはいいものなのだ! イヌガミギョウブ、ありがとうなのだ!」

「どういたしまして。二つ用意しとくから、二人で使えばいいと思うよ」

「ありがとねー。わ、軽いねこれー。使いやすそう」

 

盾をもう一つ出してアライさんとフェネックはそれぞれ掲げます。軽さも大きさも優秀で、十分に扱えそうです。

 

『アムールトラはどうしようか』

「私はカバンに付こうか。守りもそうだが、万が一攻撃が必要になったら私の出番だろう。囮だからと言って攻撃できないのはきついしな」

『そうだね。アムールトラにはそれじゃあ、カバンについてもらうよ』

「私も! カバンちゃんについてしっかりサポートするよ! 自慢の爪で弾いちゃうんだから!」

『サーバルもよろしくね』

「まかせて!」

 

セッキーとアムールトラ、サーバルがお互い頷きます。

これで配置は決まりました。カバンさんが囮役に火を持って、アムールトラとサーバルが攻撃を弾く、あるいはレミアが肉薄してきた時の露払いです。

アライさんとフェネックは、レミアの攻撃を盾で防ぎます。

 

イヌガミギョウブとセッキーは遊撃に回ります。積極的にレミアに攻撃を仕掛け、そしてセルリアンでの無力化を図ります。

 

セッキーがイヌガミギョウブの方へ向き直って呟きました。

 

『これでいけると思う。いや…………うまく行かせよう」

「そうだね。ただ、もしダメだった時のことも考えよう。万が一があるからね」

『ダメだった時…………どうしよう』

「そりゃあもう、取れる手は一つしかないよ」

 

イヌガミギョウブはこともなげに、目を細めて言い放ちました。

 

「石を破壊して消滅させるしかない」

 

空気が、静かに、重く漂いました。

全員が黙ります。誰も何も言えませんでした。

 

石を破壊する。消滅させる。それは、つまり、

 

「それ…………そんなことをしたら、レミアさんが死んじゃうのだ……それは嫌なのだ……」

 

アライさんの悲痛なつぶやきが車内に響きます。

イヌガミギョウブもそれはわかっています。分かった上で言っていました。

 

「万が一にだよ。セルリアンでレミアを止められないってなったら、そうするしかない。レミアはきっと、これからたくさんのフレンズを襲って食べてしまうよ。サンドスターを摂取するために。自分の形を維持するために」

『そんなことは…………させたくない』

「そうだろうね。かつての仲間がフレンズを無差別に食い散らかすなんてなったら、それを止められるのは君たちしかいないし、止める義務があるのも君たちだよ」

『分かってる。…………もし、セルリアンで止められなければ、ボクがやる。レミアに、他のフレンズを襲わせるようなことはしたくない』

 

セッキーの声は震えていましたが、それに何かを言う人はいません。

友達を、仲間を、その手が黒く染まる前に止める。それができるのは、互角以上に戦えていたセッキーの役目です。セッキーにしかできません。

 

セッキーは泣きそうになる目をぐしりと無理やり拭って、顔を上げます。

 

『大丈夫。セルリアンでレミアを止めるよ。なんとしてでも元に戻すんだ。ボクたちの手で――――止めよう』

 

全員が頷きました。

 

夜の空に、星が輝いています。月の明かりが、蛍光灯のついたジャパリバスを静かに、寂しく、照らし出していました。

 

 

 




次回「vs.レミア」


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第十八話 「vs.レミア」

『そろそろ出発しないと、山の頂上までは結構距離があるよね』

 

バスの後部、集まったみんなの顔を見ながら、セッキーが呟きました。

その声に返事をしたのはイヌガミギョウブです。片手を振りながら、

 

「しんぱいないよん。わたしが妖術で山頂まで送ってあげるから。一瞬だよ」

『そうなの? あの、セルリアンもつれていくんだけど……』

 

セッキーが指差した窓の外には大小に加えて色もさまざまなセルリアンが集まってきていました。

百体はいるでしょうか。バスを囲むようにわらわらと集合して、セッキーの方を見ています。

ヒクイドリとダンザブロウダヌキがちょっと身震いしました。

 

『この数も一緒に連れて行ける?』

「まぁできるよ。その代わり一回しか運べないかな。残りの妖力的にも厳しいから」

『わかった。ありがとう。その――――』

「ん?」

 

言い淀んだセッキーに、イヌガミギョウブは首を傾げます。

 

「どうしたのん?」

『いや、なんというか、どうしてここまで助けてくれるのかなって思ってさ。神様もヒマじゃないでしょう?』

「いやわりとヒマだけど、そうだねぇ……まぁ、ダンザブロウのやつが世話になったからそのお返しにってところかな」

「私ですか…………」

「危ないところを助けてもらってるからね。知人の受けた恩は返さないと」

『そっか。ううん、こっちこそ。すごく助かってるよ』

「困ったときはお互い様」

 

はにかむイブガミギョウブに、アライさんも手を上げて、

 

「困難は群れで分け合えってカバンさんも言ってたのだ! いい言葉なのだ!」

「たぶん言ってないです…………」

 

バスの中に、温かな笑みがこぼれました。

 

 

「それじゃあいくよ。用意と覚悟はいい?」

 

イヌガミギョウブの言葉に、全員がしっかりと頷きました。

ダンザブロウダヌキとヒクイドリは少し離れたところにいます。

 

「みなさん、頑張ってください。もし危ないと思ったら、撤退を」

「無茶はしちゃダメだぞ。命あっての物種だからな」

 

心配そうに見てくる二人に、セッキーはにこりと笑いながら手を上げます。

 

『ボクたちの仲間が、きっと今も一人で戦ってる。自分自身と戦っているんだ。ボクたちも助けなきゃ。負けてられないからね』

 

イヌガミギョウブが、葉っぱを一枚取り出しました。目の前に掲げます。

 

「よし、いくよ」

 

そう告げると、葉っぱを宙に投げました。その瞬間、一枚の葉っぱが二枚、三枚と急速に増えていき、あたり一面を覆い始めました。

風など吹いていませんが、まるで風に流されるように、大量の葉っぱがセッキーたちとセルリアンを囲みます。

 

ぐるぐると渦巻く葉っぱに視界を奪われた直後。

 

葉っぱが少しずつ消えていきました。視界が戻ります。その先に広がった光景は、

 

『………………』

 

夜空を煌々と美しく照らす山頂のサンドスター。

火口から立ち上っているキラキラとした粒子。その粒子を眺めている一人の姿がありました。

 

その人影――――レミアは、ゆっくりとこちらを振り返ります。

佇むセッキーとイヌガミギョウブを見ます。

松明に火をつけたカバンさんを見ます。

カバンさんを守るように立つアムールトラ、サーバル、盾を持つアライさんとフェネックを睨みます。

それから、一行の背後にずらりと並ぶセルリアンの集団を見遣りました。

 

そして。

そしてレミアはうっすらと笑みを浮かべました。冷たく、寒い、背筋を凍らせるような笑みを貼り付けます。

 

『いくよ……みんな!』

 

セッキーの一声で全員が走り出しました。

 

 

カバンさんがレミアの左前方に躍り出ます。そのカバンさんを守るように前をアライさんとフェネックが、横をアムールトラとサーバルが走ります。

 

カバンさんは松明がよく見えるように高く掲げました。

レミアは、

 

「……………………」

 

何も言わず、しかし目でカバンさんの松明を追っています。すると、緩慢な動作で真っ黒な右腕を挙げると、それをカバンさんの方へ突き出します。

 

次の瞬間。

レミアの右腕は数本の線となり、カバンさん目掛けて高速で伸びました。ちょうど、ヘリのセルリアンを飲んだ時と同じ攻撃です。

 

「させないのだ!」

「防ぐよー」

 

アライさんとフェネックがここぞとばかりに盾を掲げて、レミアとカバンさんの間に割って入ります。

軽くて丈夫な盾は、その見立て通りしっかりとレミアの攻撃を弾きました。弾かれた黒い線は宙に舞い、地面に落ちるとレミアの右腕へと帰っていきました。

 

レミアが首を傾げています。何も言わず、少しだけ傾げると、今度は右手を空へと伸ばします。

 

その右手が、今度は無数の細い線になりました。そしてその線の一本一本がカバンさん目掛けて降ってきます。

 

「のわー!!! 多いのだぁー!!」

 

アライさんがわちゃわちゃと走り回りながら、カバンさん目掛けて降ってくる黒い線を防ぎます。

フェネックも歯を食いしばって攻撃を弾きます。

アムールトラとサーバルも、爪を光らせて黒い線を弾き返しています。次から次へと降ってくるそれを、柔軟な体で、絶え間なく、油断なく、カバンさんから守るように退けていきます。

 

レミアの攻撃はカバンさんたちに集中していました。その機を逃すまいとイヌガミギョウブとセッキーは攻撃に転じます。

 

イヌガミギョウブが、腰を落として葉っぱを三枚取り出しました。

 

「それじゃあいくよん。奥義――――八百八変化術! 種子島!!」

 

宙に放られた三枚の葉っぱが、イヌガミギョウブの後ろに回って、その直後に数百枚に増えました。

そして、増えた葉っぱは次の瞬間、煙を上げて火縄銃に変化しました。

一枚の葉っぱから一丁の火縄銃が生み出されます。その数は八百を超えていました。

 

八百丁以上の銃口がレミアへと向きます。

 

「これを食らって倒れなかった奴はいないよ――――放てぇいッ!!」

 

一斉に鳴り響く轟音。地鳴りかとも思えるような、数百丁による一斉射撃が夜空と大地を震わせます。

 

白煙が辺りに立ち上り、柔らかな風がその煙を押し出したとき、イヌガミギョウブの前には、

 

「……………………」

 

右手を盾状に変形させ、八百発以上の銃弾を一手にそこで止めた、レミアの姿がありました。

弾は、盾状に変形したレミアの右腕に阻まれ、地面に落ちた模様です。

イヌガミギョウブが舌打ちを一つ。口元には焦りから生まれる僅かな笑みがこぼれ出ています。

 

「あれがダメならもうこれしかないね」

 

イヌガミギョウブは右手を振るって、背後に並ぶ八百丁以上の種子島を葉っぱに戻しました。

そして、今度は右手をレミアの方へ向けます。

 

「セッキー、ほんの数秒だけ時間を稼ぐ。その間にセルリアンを」

『わかった』

 

初手が効かないとなれば次手を打つのみ。

イヌガミギョウブの切り替えも、セッキーの理解も早かったです。

イヌガミギョウブはレミアに向けた手をそのままに、開いた手のひらを握り締めました。

 

「拘束術式ッ!」

 

イヌガミギョウブの背後に浮いていた数百の葉っぱが、光を伴ってレミアの方へと飛んで行きました。

かなりの高速で、目にも止まらない葉っぱの動きに、レミアは再び右手を盾にして防ごうとします。

しかし、

 

「そうはいかないよん!」

 

葉っぱが、レミアの盾に数十枚張り付くと、レミアはその盾を動かせなくなりました。

ピクリとも動かない右手に、レミアは無言で首を傾げます。

その間にも飛翔した何百枚もの光る葉っぱが、今度はレミア本体の動きを止めようと、レミアの体に、腕に、足にまとわりついています。

 

「長くは持たない! セッキー!!」

『わかってるッ!』

 

イヌガミギョウブの叫びに、セッキーも呼応して、腕を振います。

背後に控えていた数十体のセルリアンが一斉に躍り出ました。

レミア目掛けて飛び掛かります。人ほどのサイズのもの、腰ほどの高さのもの、人の二倍はあろう大きさのもの。

 

大きさも色も形もバラバラのセルリアン群は、レミアの体へと押し寄せて、覆いかぶさりました。

 

『頼むよ! レミアからサンドスター・ローを吸い取って!』

 

セッキーの叫びに反応してか、覆いかぶさった数十体のセルリアンがヒュルルルルロオオオオオと声を上げます。

セルリアンに覆い尽くされたレミアの体は、セッキーたちから見えなくなりました。

 

セルリアンで固められています。レミア本体の姿は見えません。どうなっているのか、作戦が成功したのか、それは、セッキーとイヌガミギョウブの側からは確認が取れませんでした。

 

カバンさん達も立ち止まります。

レミアを覆い尽くしたセルリアンに、どうか、元に戻してくださいと祈ります。

 

「大丈夫なのだ…………レミアさんは強いのだ…………これくらいへっちゃらで、ちゃんと帰ってきてくれるのだ…………」

 

小さな声で、アライさんが漏らします。その瞳は少し濡れていました。レミアに覆いかぶさったセルリアンの塊から、目が離せません。

 

全員が、一様に、レミアの解放を願っていました。

サンドスター・ローの支配から脱し、いつもの、強くて優しい、あのレミアへ戻ることを、心から祈っていました。

 

その祈りは。

 

『…………うそ…………でしょ』

 

セッキーの口から、震える声が吐き出されます。

祈りは、届きませんでした。

 

信じられないような光景が目に飛び込んできます。

レミアを覆ったセルリアンは、いずれも原色の赤や青、中には緑のセルリアンが含まれています。

そのセルリアン達が、レミアに近い側から急速に、黒色へと姿を変えていきました。

 

闇を思わせる、漆黒の黒へ。セッキーの支配下にあったセルリアン達が、次から次へと、その支配から外れていきます。

 

意思の疎通ができていたセルリアンから、パッタリと何も聞こえなくなります。

指示が通らず、考えていることがわからず、そして。

 

『そんな…………こんなことって…………』

 

セッキーの支配下にあったセルリアンが、レミアの元へ、黒いセルリアンへと姿を変えていきました。

 

覆いかぶさっていたセルリアンだけに止まりません。

山になっていたセルリアンがはけて、中からレミアが立ち上がります。右手を掲げて、高速で細い線を伸ばしたかと思うと、セッキーの背後にいたセルリアンにも線が突き刺さります。

 

たちまち、線を介してセルリアンの色は真っ黒くなっていき、セッキーの支配下から外れました。

 

百体近くいた味方のセルリアンが一体残らず、黒セルリアンへと姿を変えます。

何度呼びかけても応じません。何度話しかけても通じません。

 

「これは…………ちょっとまずいね」

 

イヌガミギョウブの額に汗が流れます。

セッキーは、レミアからは目を離さず、乾き切った喉で絞り出すように聞きました。

 

『イヌガミギョウブ…………みんなを、転移させることってできる……?』

「こんなこと言いたくないけど、もう妖力が残ってなくてね……転移は無理だね」

『そっか…………そうだよね』

 

となれば、残された道は二つに一つ。

黒セルリアンの攻撃を掻い潜ってレミアの石を破壊するか、黒セルリアンとレミアの攻撃を掻い潜って撤退するか。

 

『撤退……』

 

できるはずが、ありません。

カバンさんやアライさん、フェネックの戦えないフレンズを庇いながら、百体近いセルリアンの攻撃とレミアの猛攻を退けて山を下るなんて、とてもできたものではありません。

 

ではレミアの石を破壊できるのか。

 

それも。

それも、もはや無理です。

 

数十体の黒セルリアンで身を固めたレミアの元に、たどり着くだけでも至難の業。その上でレミアの攻撃を止め、隙をつき、レミアの石を破壊する必要があります。

 

とても、もう、無理な話でした。

 

撤退も攻撃もままならない。引くことも押すこともできない。

できるのは、このまま。

 

『……………………』

 

レミアと、黒セルリアンに食われるのを待つのみです。

 

「諦めちゃダメだよん。まだなんとか、どうにかできるはずだから」

『わかってる。今……今、考えてる』

 

声が震えます。

思考がまとまりません。ぐちゃぐちゃになります。

手の平が熱を帯びていきます。焦りと、後悔が、喉元で嗚咽を焦がしていました。

 

レミアを助けることは叶わず。それどころか、自らの命さえも守ることが叶わない。

 

どうしてこうなってしまったのでしょうか。

どうすれば、こうはならずに済んだのでしょうか。

 

考えても、考えても、思い返しても、思い返しても。

その答えなんて、出てきませんでした。

 

ただただ、どうすることもできなくなった自分が、情けなく、他の子達に申し訳ない。

それだけです。

 

カバンさん達が、セッキーとイヌガミギョウブの元へと走ってきました。

まだ、レミアから黒セルリアンへの伝達はないようです。ただ、もうセッキーの呼びかけはセルリアン達には届いていません。

 

十秒後か、二十秒後か、それとも五秒後か。

百体に迫る黒セルリアンが、一行に襲いかかってくるのは時間の問題でした。

 

息を切らせて駆け戻ってきたカバンさんが、松明を投げ捨ててセッキーの肩を掴みます。

半ば放心状態だったセッキーの目を見て、カバンさんは、絶えそうになる息をつぎはぎして呼びかけます。

 

「しっかりしてください! まだ、まだ終わっていません! 撤退して、体勢を立て直せば、きっと、次は…………次こそは…………」

 

カバンさんの目から涙が溢れます。次から次へと、止めることのできない涙が溢れては地面に落ちて、砂を濡らしていきます。

 

「セッキーさん…………お願いです……諦めないで…………」

『わかってる…………でも……』

 

カバンさんとセッキーを庇うように、アムールトラとサーバルが野生解放をして構えます。

アライさんが盾を握りしめます。フェネックは今にも泣きそうになりながら、アライさんの横で盾を構えます。

イヌガミギョウブが、奥歯を噛みながら葉っぱを取り出しています。

 

じわりじわりと、周囲を囲む黒セルリアンが寄ってきました。三百六十度、どこを見ても黒セルリアンで、隙間などありません。

逃げられる隙間もなく、また、レミアは、囲っている黒セルリアンの向こう側で、にっこりと、冷たい笑みを浮かべています。

 

レミアが右腕をゆっくりと上げました。

そして。

 

ぱたりと、右腕を振り下ろした瞬間。

黒セルリアンが一斉に飛び掛かってきました。

セッキー達に、先ほどレミアにしたように、大勢で、一気に、一息に、囲って取り込もうと、黒セルリアンの群れが襲い掛かり――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャスティス隊よ!!!! 助けに来たわッッ!!!!」

 

空から、複数のフレンズが勢いよく降ってきて、飛び掛かってきていた黒セルリアンを一撃で粉砕していきました。

 

 

空から降ってきたフレンズは、十人を超えていました。

見知っているフレンズもいれば、見たことのないフレンズもいます。みな一様に、包囲していた黒セルリアンを次から次へと屠っていきます。

囲まれていた輪が少しずつ広がります。周りにいた黒セルリアンが動揺しているのか、隙が生まれました。

その機を逃すほど、降ってきたフレンズ達は甘くありません。

 

「攻勢の時よ! 畳み掛けるわよ!!」

 

一番目立つ位置で、一番よくセルリアンを討伐しているフレンズが声を張り上げます。

 

『ハクトウワシ!? それに、オオタカも……!』

「ヒクイドリもいるねぇ。こりゃいいとこ持ってかれたねん」

 

セッキーは、視界の端に滲む涙をぐしりとぬぐって、その姿を捉えます。

 

空から降ってきたのは、紛れもなくセルリアン討伐の手練。

――――セルリアンハンターでした。

 

鳥系のハンター達が、飛べないハンターを抱えたまま空から強襲をかけたのでした。

その効果は絶大です。囲んでいたセルリアンは次から次へと、対処行動もままならないままハンター達に蹴散らされています。

 

『なんで、ハンター達がここに…………』

「私が呼んだんですよ」

 

落ち着いた、優しい声音が聞こえます。後ろを振り返ると、そこにはハクトウワシの姿をしたダンザブロウダヌキが、今、変身をときました。少し息が上がっているのか、肩で呼吸をしています。

 

「教授に通信を飛ばして、集まっていたハンター達に出撃要請を出してもらったんです。セルリアン騒動の解決のために、山の近くまで来ていましたから」

『それは……でも、ダンザブロウダヌキは逃げたんじゃ……』

「胸騒ぎがしましてね。妖怪の勘というやつでしょうか。とにかく救援が間に合ってよかったです」

 

微笑むダンザブロウダヌキに、セッキーは足の力が抜けそうになるのをすんでのところで堪えました。

イヌガミギョウブが、セッキーの肩を叩きます。

 

「これでレミアへの道は開けた。まだ終わってないからね――――セッキー」

『うん…………そうだね』

 

セルリアンでのサンドスター・ローの吸収が無理だった場合、直接レミアの石を破壊する。

 

そういう、作戦でした。

レミアの石を破壊する。それは、もう二度と、レミアと話したり、笑ったり、一緒に料理を食べたり、知らない土地を冒険したりできないことを意味しています。

 

それでも。

それでも、レミアに他のフレンズを襲わせるよりは。

大切な仲間が、大切なフレンズを食べるなんてことがないように。そんな残酷なことを、レミアにさせないために。

 

『ボクが…………止めるんだ』

 

セッキーの目には、涙が溢れていました。視界が滲むのを無理やり拭って、レミアを正面に捉えます。

 

「サポートはする。最後の妖力になるから、これを外したらもう無理だと思ってね」

『わかってる。ここで…………レミアを止める』

 

セッキーは駆け出しました。涙の溢れる瞳を何度も拭って、無理やりにでも視界を確保します。

泣いている場合ではありません。レミアの激しい抵抗があることは簡単に予想がつきます。それを掻い潜らなければレミアの石を破壊することなど到底叶いません。

 

セッキーとレミアの間にいたセルリアンは、ハンター達が倒してくれました。道がひらけます。

レミアまではまっすぐ、邪魔するもののいない道が伸びています。

 

セッキーはそれを、心を殺しながら走りました。何か考えたら、もう、涙で前が見えなくなるから。

レミアに、拳が振るえなくなるから。

レミアを、止めることができなくなるから。

 

無心で、心を失くして、セッキーはレミアの元へ突っ込みました。

 

間合いに入ります。レミアの蹴りも、セッキーの蹴りも届く位置まできました。

イヌガミギョウブの投げた葉っぱが、レミアの四肢に張り付いています。動けないわけではなく、動きを阻害しているだけの、わずかな妨害に過ぎません。

 

急ぎます。セッキーは止まりません。そうしなければ、レミアからの抵抗がきます。

レミアの、激しい抵抗が――――。

 

「…………」

 

ありませんでした。

そこにいたのは。

そこに立っていたのは、冷たい笑みを浮かべるレミアではなく、まるで、アライさんとフェネックの寝顔を見守っている時のような。

優しく、温かい目をした、レミアでした。

 

『ッ――――!』

 

セッキーは一瞬、迷いました。

もしかしたらレミアが正気に戻ったのかもしれない。

この一瞬でレミアが戻って、サンドスター・ローに打ち勝って、かつてのレミアが戻ってきたかもしれない。

 

そんな淡い幻想を抱きました。しかし、

 

(そんなわけ……ないよね……)

 

レミアの目が、少しずつ、優しさを失っていくのを、セッキーは、ひどくゆっくりとした世界で見ていました。

セッキーの接近を許したのは、レミアが、この一瞬だけでも正気を取り戻したから。

それは、元に戻るためのレミアの抵抗ではなく。

 

レミアが、自らを消滅させるためにレミア自身が生んだわずかな隙でした。

 

千載一遇の、これを逃したらもうレミアを止めることは誰にもできない、その、わずかな時間をレミアは最期に自分で作り出しました。

 

ここでレミアの石を破壊する。そのためにレミアは一瞬だけでも帰ってきた。

レミアの作り出したこのわずかな時間を使って。

 

セッキーは、拳を強く握りました。

 

上体を捻り、肩を入れ、走ってきた慣性と勢いをそのまま拳に乗せるように。

そして膂力の全てを使って、叩き壊すために。

 

『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!!』

 

セッキーの目には、もう、止めることのできないほど涙が溢れていました。

視界がぐちゃぐちゃになります。歪みに歪んで、それでも、確かにレミアの(ドッグタグ)を破壊するために。

 

拳を握ります。力を込めます。全身で、余すことなく、全ての力をこめて、レミアの首元へと拳を叩き込みました。

 

拳が、ドッグタグを捉えます。

金属にヒビの入る音が響きました。そして、そのヒビはどんどん広がり、大きくなり、やがてドッグタグ全面に蜘蛛の巣状に広がると。

 

――――――パシャーンッ!

 

まるでガラスが破れたかのような音が辺りに響き渡りました。同時に、レミアの体が白く光を帯びて、セッキーが目を開けていられないほどに光り輝いて。

 

次の瞬間には、光は粉々に砕けました。

レミアの形をなしていたものが、サンドスターが、サンドスター・ローが、跡形もなく、空中に砕けて、散りました。

 

光が夜空にたなびきます。

セッキーは二歩、三歩と前へ歩き、光を、その残滓を、両手で抱えました。

わずかに残った光が、セッキーの腕の中に抱えられます。それは、とてもとても、温かい光でした。

 

『…………うぅ………………あああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!』

 

天を仰ぎ、セッキーは、心の底から、抑えられない声を上げました。

涙がほおを伝います。とめどなく溢れます。涙を止める方法もわからず、そして止める気も、もうセッキーにはありませんでした。

 

腕の中の光が、少しずつ、小さくなっていきました。

 

空へと登るように。

夜の、真っ暗な空へとゆっくりたなびいていくように。

腕の中の光も空に立ち上っていきました。

 

火口から上るサンドスターの粒子が、レミアだった光を優しく包み込みます。

抱き寄せるように、優しく、サンドスターは光と混じり合っていました。

 

 




もうね……テンションがアニメ一期11話なんですよ…………。
つらい……。


次回、最終話「つまりはこれからもどうかよろしくね」


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最終話 「つまりはこれからもどうかよろしくね」

周囲に散らばっていた黒セルリアンとハンター達の戦う音が、聞こえなくなりました。

どうやらレミアの消失と同時に、黒セルリアンは溶岩になったようです。

 

戦う必要のなくなった十数人のハンター達が、みなセッキーへと視線を向けます。

元凶を絶った張本人。多くの黒セルリアンを生み出し操るレミアを倒した、いうならば英雄にも近い存在であるセッキーを、ハンター達は半ば羨望の眼差しで見つめました。

 

その、セッキーは。

 

膝から崩れ落ちました。その場に座り込み、うなだれ、とめどない涙がぽろぽろと地面を濡らしていきます。

 

『ウ…………ヒッグ…………レミア……レミアぁ……』

 

嗚咽混じりに、声を震わせて、レミアの名前を何度も何度も呼びます。

助けたかったフレンズ。助けられなかったフレンズ。もう、二度と会うことのできない大切な仲間の名前を、セッキーは何度も呼びました。

 

『どうして……レミア…………お願い……帰ってきて……』

 

掠れる声で何度も名前を呼び、そして心から願うレミアの帰還を思わず口にします。

もう叶うわけはないと、どうしたってレミアは帰ってこないとわかっています。

わかっていても、今は、涙と共にそれを口にするしかできませんでした。

 

悔しさと、後悔と、喪失感と、情けない気持ちがないまぜになって、ただただ涙となって視界を歪めます。

 

もし、願いが叶うなら。

奇跡が起きるなら、またどこかでレミアと巡り合わせてほしい。

サンドスターは奇跡の物質。奇跡が起きるなら、どうか、レミアともう一度お話しさせてください。

もう一度、一緒にジャパリまんを食べさせてください。

もう一度、一緒に見たこともない土地に行かせてください。

もう一度、フレンズ達と笑い合える毎日をください。

どうか、レミアを――――。

 

下を向き、涙を流し続けるセッキーの頭に、ポンと、優しく手が置かれました。

セッキーの、根元は青く、毛先は白のグラデーションがかかった綺麗な髪を、優しく、柔らかく撫でる手があります。

 

『…………?』

 

ゆっくりと、セッキーは顔を上げました。

頭を撫でているのは誰なのか。一体誰が、こんなに優しく、頭を撫でてくれるのか。

 

そこにいたのは。

目の前に、膝を抱えて、目線の高さを合わせてくれていたのは。

 

「なんで泣いてるのよ、セッキーちゃん。らしくないわね」

 

栗色の髪の毛を肩のあたりまで伸ばし、黒のタンクトップに迷彩柄のカーゴパンツを履いた、背の高い妙齢の女性。

両腰には大口径用のホルスターが吊られていましたが、中に銃は入っていません。

いつも首から下げられていたドッグタグも、今はありません。

頭を撫でるために伸ばされた右手は、ちゃんと肌色の人の形をしています。

 

そう。

そこにいたのは。

紛れもなく。

 

『レミ…………ア…………?』

「ええ、そうよ。ただいま、セッキーちゃん」

 

優しく微笑む、レミアの姿がそこにはありました。

 

 

「レミアさんなのだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

大絶叫しながら駆け寄ってきたアライさんが、レミアの胸元に飛び込みます。

立ち上がったレミアはそれをしっかりと受け止めて、ぎゅっと抱きしめます。

後に続いて、フェネックが、何も言わずアライさんとレミアを抱きしめました。目にはうっすらと涙が浮かんでいます。

 

セッキーは、

 

『なん…………で……? なにが…………え…………?』

 

事態が飲み込めず、いまだに座り込んだまま目を白黒させています。

 

イヌガミギョウブも、カバンさんも、サーバルも、アムールトラも、そしてダンザブロウダヌキやハンター達も、レミアの周囲にぐるりと集まってきます。

 

『どうして……なんで……? 消え……たんじゃ……?』

 

掠れる声でなんとかそれだけを言うセッキーに、イヌガミギョウブが座り込んでセッキーの肩を叩きながら、

 

「見てなかったのねん? レミアの光がサンドスターの粒子に巻き込まれてたの」

『え…………だって、レミアの石を破壊したら、レミアは消失しちゃうんじゃ……』

「〝半分は〟消えるのね。この子、もう半分は何かわからないって、君が言ってたんじゃなかったっけ? わたしの記憶違いかな?」

『あ…………』

 

半分セルリアンで、半分フレンズ。レミアは厳密には確かに、そういうフレンズだったと今にして思い返します。

石がセルリアンとしてのレミアを構成していたのだとしたら。

その石を破壊しても、消失するのは〝セルリアンとしてのレミア〟の半分だけ。

もう半分は、まだフレンズとしての形を維持できるように残ると。そう、イヌガミギョウブは言っているのでした。

 

「運が良かったんだよ。光になって空に上った時、偶然火口から上るサンドスターに包み込まれたからさ。レミアの〝フレンズとしての部分〟がサンドスターに反応したんだよきっと」

『フレンズとしての部分…………それって…………』

「目に見えるものだけとは限らないからね。思いとか、思い出とか、信念とか、そういうものもサンドスターはフレンズにしてくれるんだよ。きっと」

 

イヌガミギョウブの言葉に、レミアも深く頷きます。

 

「あたしがどうやってここに戻ってこれたのかはよくわからないんだけど、まぁ、結果が良ければ全ていいじゃない? 細かいことは気にしないのよ」

 

にっこりと笑うレミアに、セッキーは一度困り顔になってから。

それから、今度こそ、セッキーもにこりと、涙を拭いながら答えたのでした。

 

ハンターのうちの、誰からともなく拍手が起こります。

一人、二人、と増えていき、最後にはみんなが、拍手でレミアを迎えました。

カバンさんも、手をたたきながら涙混じりに鼻声でつぶやきます。

 

「帰ってきてくれて良かったです」

「うみゃー! アライさんとフェネックもよかったね! これで旅の仲間がみんな揃ったよ!!」

 

サーバルの言葉に、アライさんもフェネックも何度も頷きながら、

 

「がえってぎでぐれでよがっだのだぁぁぁぁぁぁぁ」

「アライさーん鼻水とか涎とかよくわからない液体でレミアさんがベトベトだよー」

「じがだないのだぁぁぁぁ! アライさんごんなに嬉しいごどはないのだぁぁぁぁ!!」

「まぁ、そうだねー。私も嬉しいよー」

 

レミアのタンクトップがアライさんの汁でベトベトになりましたが。

 

拍手の中、レミアは少し気恥ずかしそうに、「ただいま、みんな」と呟いたのでした。

 

東の空から、太陽が顔を出し始めました。

空は東側から段々と明るくなっていき、青と、紫のグラデーションが広い空に映し出されています。

ここジャパリパークに、気持ちのいい朝がやってきました。

 

 

ひとまず旅のレミア達と、ダンザブロウダヌキ、アムールトラは研究所へ帰ろうということになりました。

アムールトラが研究所へ行くのは、サンドスター・ローの影響がまだ残っていないか調べるためです。

長いことサンドスター・ローの影響下にあり、いくらレミアが再フレンズ化させたとはいえ完全に元通りにフレンズなのかは調べてみる必要があるという、キュルルとの通信で得た答えでした。

 

アムールトラが、レミアに頭を下げました。

 

「すまなかった。正気を失っていたとはいえ、君がああなってしまったことの発端は私にある。申し訳ない」

 

レミアは峡谷でのビーストとのやりとりを思い出しながら、「いいのよ別に」と手を振りました。

 

「あたしもサンドスター・ローに飲まれて無茶苦茶やったもの。カバンさんを撃ったり、バスのタイヤをぶっ壊したりね。あれは自分の意思ではどうすることもできないわ。だから、お互い様よ」

「そう言ってもらえると心が軽くなるよ。それと、フレンズに戻してくれてありがとう」

「いいえ、まぁそれはアライさんのファインプレーでもあるわ」

「アライさんがサンドスターをかけたのだ! ここでかけなきゃいけないと本能で悟ったのだ! アライさんは天才なのだ!」

「ええ、本当に」

「あぁ、ありがとうアライグマ」

 

ふんぞり返るアライさんを横目に、フェネックが不思議そうに訪ねます。

 

「レミアさんは、サンドスター・ローに飲まれてた時の記憶があるのー?」

「ええ、なんて言ったらいいかしら…………そうね、自分の意思では動かせない体を遠くで見ていたって感じかしら。苦しかったし、どうにもできなかったのを覚えているわ」

「私と同じだな」

 

アムールトラが、腕組みをして頷きます。

フェネックも納得いったようにうんうんと首を縦に振りました。

 

たちまち、山の頂上からどうやって研究所まで帰ろうかという問題になりました。

鳥系のハンター達が手を上げて、ハクトウワシが、

 

「私たちが送ってあげてもいいけど?」

 

そう言いましたが、しかしカバンさんが難しい顔をして、

 

「できれば、バスを回収したいんです。タイヤが使い物にならないんですけど、バスはこれからも必要になると思うので…………」

「流石にアレを運ぶのは私たちでも無理よ、ね?」

 

ハクトウワシがオオタカの方を向きます。

 

「無理だわ」

 

オオタカも首を横に振って答えました。

すると、フェネックが思いついたように顔を上げてイヌガミギョウブの方を見ます。

 

「ねぇー、イヌガミギョウブはさ、葉っぱをタイヤにすることってできるー?」

「ん? あぁ、それはまぁできるよ。とは言っても応急処置にしかならないけどねん。近くにわたしがいないと術が解けちゃうんだ」

「あー、じゃあさー、イヌガミギョウブにも研究所についてきてもらうってのはどうかなー?」

「わたしは別にいいけどねん。ダンザブロウ、いいの?」

「ええ、それは別に構いませんよ。それに、私ちょっと考えてたんですけど」

 

ダンザブロウダヌキが、一同の顔を見てから声を張りました。

 

「みんなで祝賀会をしませんか? ヘリのセルリアンも倒して、ビーストも無事に戻って、そしてレミアさんも元に戻ったことですし、ここで何かパーティーをと思いまして」

 

ダンザブロウダヌキの言葉に、全員が「おおー」と声をあげ、ぜひやろうという話になりました。

 

 

山の頂上で、ハンター組とは一旦お別れとなりました。

キュルルとも連絡をとって、祝賀会は一週間後に取り決めてあります。

バスまでは歩いて行って、バスについてからはイヌガミギョウブの術でタイヤを作って、それで研究所へと帰る算段です。

 

バスまで歩いての数時間は、長いようであっという間でした。

 

アライさんとフェネックはレミアにべったりで全然離れません。アライさんは露骨にレミアにくっついているのですが、それに負けじとフェネックもピタリとくっついています。

レミアは歩きづらそうにしていましたが、自分がいない間寂しい思いをさせてしまっていたことはよくわかっていたので、黙ってそのままくっ付かせていました。

 

道中、イヌガミギョウブに大事な話もしました。

それというのも、レミアが過去に戻るため、神様のフレンズからもらえる〝紋章〟についての話です。

 

もともとレミアの旅は、この紋章を集めることが目的でした。

ずいぶん遠回りになった上にもうちょっとで旅そのものが終わるところでしたが、本来の目的を果たすため、神様のフレンズであるイヌガミギョウブにそのことについて訪ねます。

 

すると、

 

「あぁそれねん。いいよ、なんなら今押してあげようか?」

『え、そんな簡単なものなの?』

「要するに神様のフレンズの紋章ってのは、神様のフレンズの妖力というか、神通力というか、サンドスターというか、そういう、神様のフレンズの発する独特の力を出力したものをさすんだよん」

「じゃあ、他の神様のフレンズの紋章も、直接会えばすぐ集まるってことかしら?」

「そうなるねん。まぁ他の神って言ってもそうだね……オイナリサマとか?」

 

サラリと、イヌガミギョウブの口から発せられました。

キョウシュウで博士達から聞いた紋章を集めるために会わなければいない神様の名前。

四神のほかにもう二人いて、一人はイヌガミギョウブ、そしてもう一人は今、オイナリサマというフレンズだと、実に呆気なく判明しました。

 

「オイナリサマっていうフレンズが、あなたと同じ神様のフレンズな訳ね?」

「そうだね。今どこにいるのかはわからないんだけどね」

『そうなの? あ、そうか、この島にいないってことか』

「そうなるねん。この島にいれば場所はわかるんだけど、あいにく他の場所にいるみたいだから、探すなら頑張ってね」

「ええ、きっと見つけてみせるわ」

『それじゃあ、イヌガミギョウブ、ここに紋章を押して欲しいんだ』

 

セッキーが大切そうに出したのは、ラッキービーストの基幹部品、丸い円状のレンズでした。

 

「いいよん。それじゃあ、チョチョイの――――ちょいだね」

 

歩きながら、イヌガミギョウブが手をかざすと、淡く光りました。そして、手をどけたそこには、緑の鳥居のような模様がレンズに浮かび上がっていました。

 

『これが……紋章』

「そうだよん。まぁ頑張ってあと五個集めれば時間ぐらいぱーっと飛び越えられるよ。頑張ってねん」

「ええ、ありがとうイヌガミギョウブちゃん」

『ありがとね。助かったよ。本当に、いろいろと』

 

ひらひらと、イヌガミギョウブは手を振って笑いました。

全部で六つある紋章のうち、一つ目がやっと集まりました。

 

 

それから、バスの元まで辿り着き、タイヤをイヌガミギョウブの術で作り出して走れるようにして、出発すること半日ほど。

 

空が夕刻のオレンジ色に染まるころ、一行は研究所へと無事帰ってくることができました。

 

出迎えてくれたキュルルとイエイヌに、ダンザブロウダヌキが頭を下げます、

 

「ずいぶんとドタバタしたフィールドワークでした。ご迷惑をおかけしましたね」

「いえいえ、ダンザブロウさんが無事でよかったですよ」

「そうです! セルリアンに囲まれたとか、ヘリのセルリアンに襲われたとか、挙げ句の果てにはレミアさんが豹変して襲い掛かってきたとかもーもーもー本当に心配したんですから! 無事でよかったです!」

 

尻尾を全力で振って喜ぶイエイヌに、ダンザブロウダヌキが微笑みながら手を振りました。

 

全員無事に帰ってこれたこと。

ビーストが元のフレンズに戻ったこと。

ヘリのセルリアンがいなくなったこと。

 

それらは全て、これ以上ないほどの朗報でした。

一週間後の祝賀会に向けて、キュルルとイエイヌはせっせと準備を進めていくのでした。

 

 

そうして経つこと一週間。

待ちに待った祝賀会の日となりました。この日は朝から研究所へ集まったフレンズ達で大賑わいです。

 

それはもうかなりの数でした。

実は呼んだのはハンター達だけでなく、その知り合い、周りのフレンズも呼び込んでいました。

なんせ島の厄介者だったヘリのセルリアンが片付いて、おまけにビーストもいなくなったわけです。

 

それはつまり、島中をあげてのお祭り騒ぎとも言える状態です。

フレンズ達はそれぞれジャパリまんを持ち寄ったり、中には自前で確保した木の実とか果実とか魚とかを持ってきているフレンズもいました。

 

キュルル達は朝から大忙しです。厨房をフル稼働してめいっぱい、どっさりと料理を作っていたのでした。

 

研究所の講堂にあった机とテーブルを全部引っ張り出して外に並べています。

出来上がった料理とかフレンズ達の持ち寄った食材を次から次へと並べていくこと数時間。

ようやっと料理が出来上がってきたのと、集まれるフレンズ達がみんな集まりきったころです。

時刻は昼前になっていました。太陽が一番高いところに昇って、研究所の庭を暖かく照らし出しています。

 

マイクとスピーカーを用意したキュルルが、息を大きく吸い込みました。

 

「お集まりの皆さん! 今日はこんなにもたくさんのフレンズが集まってくれて、心より感謝いたします!」

 

キュルルの声に、みんなの視線がキュルルの方へと集まります。

ガヤガヤとしていた庭がシーンと静まり返りました。

 

「一週間前。あるフレンズ達の働きにより、私たちの生活をおびやかしていたビーストが元のフレンズになり、そしてヘリのセルリアンが消滅しました。これを祝わないということはありません。今日はぜひ! 存分に楽しんでいってください! 乾杯!!」

 

かんぱーい!! と。

各々が手に持ったジャパリまんやら、イエイヌの淹れた紅茶、中には近くの川で汲んできた美味しいお水を持って、宴は開宴となりました。

 

そこかしこから感嘆と喜びの声が上がります。

料理に舌鼓を打ったり。

ビーストがアムールトラになり、その姿を一眼見ようとアムールトラの周りにフレンズが集まったり。

力比べをしようとハンター達の間で腕相撲が始まったり。

 

それはそれはもう大宴会の様相でした。

 

そんな中、レミアとイヌガミギョウブが話をしていました。

 

なんでもイヌガミギョウブの持つ徳利は不思議な徳利で、いくら酒を注いでも中身が減らないという夢のような徳利でした。

 

周りのフレンズが紅茶や水で乾杯している中、レミアとイヌガミギョウブだけは酒を酌み交わしていました。

 

「まさか酒の飲めるフレンズがいたとはねん」

「ええ、あたしも、まさかここでお酒が飲めるとは思わなかったわ。にしても不思議な味の酒ね?」

「これは日本酒だよん。飲んだことない?」

「ないわね。初めてだわ。私の故郷にはない味……」

「本当は魚の刺身とかあったらよかったんだけどねん。合うよ〜刺身とポン酒は、おいしいよ〜」

「さしみ? って何かしら?」

「魚を生で食べるのさ。薄く切って、醤油につけて食べるんだよ」

「へぇ……魚を生で。それは食べたことがないわね……」

「あれ、そういえば教授がちょっと作ってなかったかな? 行ってみる?」

「ええ、ぜひ食べてみたいわ」

 

程なくして、キュルルの元に行くとそこには僅かでしたが魚の刺身がありました。

研究所の近くの川で採れたものを捌いたものです。

 

レミアは恐る恐る、一口食べてみました。醤油という調味料も、キュルルが作り出していた模様です。

 

「――――おいしい! これはいいわね!」

「でしょん? ほら、酒もぐいーっといっちゃって」

 

言われるがままに、まだ口に刺身の味が残ったまま酒を流しこみます。

その風味、鼻を抜ける香り、喉を焼くアルコールの感触に、レミアは目を瞑って心の底から呟きました。

 

「最高ね」

「でしょん。いやー、フレンズ達は本能的に酒を嫌うからさぁ、こうやって飲めるフレンズがいると嬉しいよ」

「ありがたいことだわ。もうお酒なんて飲めないと思っていたもの」

 

レミアの言葉に、キュルルも笑いながら目を細めます。

 

「お酒が好きなんですね」

「ええ。大好きよ。でもジャパリパークじゃ手に入らなくてね。本当は毎日でも飲みたい気分なの」

「あー、それでしたら。実はボクの方でもお酒を作ってるんですよ」

「え、そうなの?」

「はい。ビールを――――」

 

キュルルが、ビールと口にした瞬間。

レミアの目の色が変わって、手に持っていた日本酒のコップを勢いよく机に置いて、キュルルの両肩を力強く握りしめました。

 

「あなた今ビールって言った?」

「え、ええ…………そうです。ビールです」

「作ってるって?」

「ええ、作ってます」

「今飲めるの?」

「はい、試作品が何本か、瓶で冷えてますけど…………」

「ぜひ。お願いよ。ぜひ飲ませて」

「あ…………はい、いいですよ」

 

キュルルの言葉に、レミアはこれ以上ないほど喜びました。

 

 

「ああー!!! 本当に! 本当にビールだわ!」

 

キュルルが厨房の冷蔵庫から取り出してきた瓶の中身をガラスのコップに注ぐと、そこには琥珀色の液体に白い泡が覆いかぶさった飲み物が誕生していました。

レミアが目をキラキラさせながら見ています。まるでおもちゃを前にした幼子のように、もうキラッキラの目でビールを見ています。

 

「どうぞ、うちで作ってるビールです。と言ってもまだ試作段階で、原材料を吟味しながら作ってる最中なんですけど。あ、イヌガミギョウブさんもどうぞ」

「わたしのもあるのねん? ありがと。いただくね」

 

二つのコップに注がれた二杯のビールを、レミアとイヌガミギョウブがそれぞれ口にします。

ごくごくと。喉を鳴らしてレミアは半分ほど飲み、イヌガミギョウブは初めて飲む自分の酒以外の酒におそるおそる口をつけます。

 

反応は。

 

「あぁーッッ!! おいしい! おいしいわ教授! これ! これもっと欲しいわ!」

「んんー日本酒とは全然違う味だけど、この香りと苦味はなかなかクセになりそうだね……」

 

イヌガミギョウブの反応は上々、レミアに至ってはたまらないとばかりにおかわりを要求しています。

もうちょっとクールな印象だったんだけどなぁとキュルルの中でレミアへの印象が更新されました。

何にしても、試作段階にあるビールがこんなにも好評だったので、キュルルは嬉しい気持ちになりました。

 

コップの中身を満足そうに飲み干したレミアが、はてと首を傾げます。

 

「でも、あなた何でビールなんて作ろうと思ったの? フレンズは飲まないんでしょう?」

「あーそれはですね、たまたま作り方の資料が残ってたので試しに作ってみて、ボクと、それからイエイヌが飲むからどうせならこだわって作ってみようかなと思いまして」

「イエイヌちゃんも飲めるのね! それはいいことを聞いたわ!」

 

レミアに続いてイヌガミギョウブもちょっと驚いた様子です。

 

「元が動物だからねん、アルコールの匂いはフレンズは大抵嫌がるんだけど、そっか、中には飲める子もいるのねん?」

「たまたまボクが飲んでいるのをみて、欲しがったのであげたら飲めるようになったって感じですね」

「それはいいことを聞いたのねん。わたしも飲み友が欲しいから、ちょっと島の中を徘徊してみようかねん」

 

酒を酌み交わす友を探すために旅しようというイヌガミギョウブに、それはいい旅になりそうねとレミアが背中を押します。

 

「とりあえず、レミア、君が島にいる間は一緒に飲んでもらうのね。どれくらいいるつもり?」

「そうね……リボルバーが二丁とも使えるようになるのと、弾薬が全回復するまでは島というか、この研究所にいるつもりよ。三ヶ月くらいかしらね」

「じゃあそのあいだちょくちょくお邪魔するのねん。教授、いい?」

「ボクはもちろん。いつでもおいでよ」

「ありがとねん」

 

こうして。

大勢のフレンズ達で賑わい、一部ではどんちゃん騒ぎになっている祝賀会は、日が暮れるまで続いたそうです。

 

 

それから、レミアの装備が戻るのを待つこと三ヶ月。

この三ヶ月間はそれはもうとても平和なものでした。

 

セルリアン騒動が起きるわけでもなく、至って平穏に、レミア達は研究所での生活を楽しんだのでした。

ビールの研究開発をしたり。

自作の作物のレパートリーを増やしたり。

セルリアンとサンドスター・ローの研究を手伝ったり。

あと、それからバスのタイヤを探すためにちょこっと島を探検したりもしました。

 

バスのタイヤについては、キュルルが別のバスを見たという情報を頼りに探しました。無事見つかり、ドナーとしてそのバスから右側全部のタイヤをもらってつけることに成功しました。

 

たまにイヌガミギョウブが遊びに来て、レミアとキュルル、イヌガミギョウブの三人で夜遅くまで飲み明かす日もありました。

 

とても楽しい三ヶ月でした。

 

そして、この三ヶ月で、カバンさんとサーバルもある決断をしたのでした。それは、

 

「ボク達は研究所に残って、パークの外に出るためのサンドスターの保存方法の研究を手伝います」

「うみゃー! カバンちゃんがここに残るなら私も残るよ! 一緒に研究しよ!」

 

ヒトのいる場所を探しているカバンさん達ですが、島の外へ出る必要があることを知った今、ならばジャパリパークの外へ出ても大丈夫なように、サンドスター保存の研究を進める、ということでした。

 

なので。

レミア、セッキー、そしてアライさんとフェネックは神様のフレンズの紋章を集めるために、再び旅に出ることになり。

カバンさんとサーバルは、研究所に残ることになりました。

 

そんなこんなで、出発の日。

 

よく晴れた、気持ちのいい昼下がり。

 

レミア、セッキー、アライさん、フェネックの四人は出発の準備を整えていました。

 

目の前には、四人乗りの乗り物がありました。青い車体で、バスのような見た目ですがバスほど大きくはありません。

パークの中を移動できる小型の車両といったところでしょうか。ミニバスともいえます。

イヌガミギョウブの手助けがあって見つかった車両です。これもバスと同様に電池で動くので、動力には困りません。

 

お見送りはキュルル、イエイヌ、ダンザブロウダヌキ、そしてカバンさんとサーバルが出てくれています。

 

レミア達四人はミニバスに乗り込みました。荷物も後ろに積んでいます。

エンジンをかけて、窓を開けました。少し前後ろに動かして、ちゃんと進んで、ちゃんと止まれることを確認します。

運転席に座るのはレミアでした。

 

レミアの両腰には、きっちり直ったパーカッションリボルバーが二丁収まっています。

車両の後ろには木製ストックのボルトアクションライフルも乗せられています。そのほか、荷物置き場には大きめのリュックサックに入った大量のジャパリまんと、瓶に入った数本のビールがありました。持っていくつもりのようです。

 

「それじゃあ、出発するわね。お世話になったわ」

 

レミアの声に、残る研究所組の全員が手を振ります。

 

「またいつでも戻ってきてください」

「待ってますよ! 紅茶も用意してますからね!」

「危ないことがあったら、真っ先に逃げることを考えてくださいね」

 

カバンさんとサーバルも、目に少しの涙を浮かべながら手を振ります。

 

「いつでも戻ってきてください。ボクはここにいますから」

「旅の話! また聞かせてね! 頑張って紋章集めてね!」

『きっと集めるよ。またここには戻ってくるから』

「その時にはアライさんの大活躍の話をしてあげるのだ! 楽しみに待ってるのだ!」

「元気でねー。私たちもぼちぼちやってくからさー」

 

それじゃあ、と。

レミアはハンドルを握り、ゆっくりと、アクセルを踏み込みました。

目指すは隣のエリア。アンインエリアと地図で示されている場所です。

どうやらゴコクエリアとは橋でつながっているらしく、キョウシュウから来た時のように海を渡る心配はないようです。

だからこそのミニバスでした。これで陸路を自由に走り回れます。

 

「じゃーねー!!!!」

 

サーバルの元気な声が、ミニバスの後ろにかけられました。

 

「またなのだー!!」

 

アライさんの元気な声が、ミニバスから研究所に響きます。

――――紋章を探す旅が、今、再び始まりました。

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 




あとがき

第二期のあとがきということで、例に漏れず「俺はあとがきから読むタイプなんだ!」という方のために極力ネタバレしないように書こうかなと思います。
いやでもちょっとだけ本編のことについて言及しようかなとも思うので、1ミリもネタバレしたくない方は先に本編をお読みください。
第二期はそんなに長くないはずです。大体文字数で言うと15万文字くらいかな? ラノベだと一冊には満たないくらいの分量ですからわりとサクッと読めますね。

さて、読者の皆さん。五ヶ月ほどでしょうか、追いかけて読んでくださっていた方、誠にありがとうございます。これから読むよと言う方、この作品と出会っていただき、尚且つこのページを開いてくださってありがとうございます。

この作品は、第一期がちょうど五年前。アニメ一期の放送当時に書いたもので、何とそこから五年間一切音沙汰なく放置していたというとんでもない歴史を持ちます。
感想欄すら返信していない有様でした。というのも、アニメ二期に関わるゴタゴタからちょっと距離をとりたかったんですよね。アニメ二期放送当時も、見るに堪えなくて六話くらいで視聴をやめたのを憶えています。

それから時が経つこと三年? でしょうか。今年に入ってアニメ一期が五周年を迎えたというニュースを見て、そういえばちゃんとアニメ二期を見ていなかったなと。向き合ってみようかなと思いました。

それで、まぁ、見た感想はあえてここには書きませんが、私はハーメルンでけものフレンズの二次創作を漁り始めましたね。漁らずにはいられなかったという感じでしょうか。

何作か読んでいくうちに、「自分も書きたいな」と思えるようになりました。

五年前に書き上げて、完結の文字を入れた作品を再び始動させる。
それはもう大変な労力がかかりました。いやー、続きものを書くと言うのがこれほどまでに大変とは思いませんでした。
なんせ第一期が思いのほか上手に書けていたと言うか(自画自賛)、アニメ一期の力を借りて書いてるもんですからそれはもうブーストがかかってなかなか面白かったんですよね。自分で読み返して「ふーん、おもろいやんけ」と独りごちるほどですから。

しかし続きものの第二期となると、本編の流れはどう足掻いてもアニメを頼りにすることはできません。完全オリジナルストーリーを書き上げないといけないわけです。そりゃもう一次創作に近い労力がかかりましたね。

そして何と言っても「第一期を超えられる作品が書けるのか」というくっそ重たいプレッシャーがありました。超えられる気がしないんですよ。だってあのたつき監督の作品を元にして書いた第一期ですよ。あれを超えるためには実質、たつき監督のストーリーを超える必要があるんですよ。そりゃあもう脳みそフル稼働の、持てる力と経験をフル稼働してストーリーを作りましたね。

それでもやっぱり、今にして思うとちょっと第一期を超えるほどの面白いストーリーだったかと言うと難しいところがあるかなと思います。そこはもう正直に、昔描いた自分の作品の方が面白かったんじゃないかと思ってしまっていることをここに書かせてください。「二期の方が好きよ」という方、感想欄で励ましてくださると奥の手は諸手をあげて喜びます。

アニメ一期のような雰囲気のストーリーを、と思いながら書いた、セルリアンが多いジャパリパーク第二期でした。
ちなみにですが第一期の主人公はレミアですが、第二期は実はセッキーなんですよ。ネタバレにならない程度で言うとこのくらいが限度ですが、読んでくださっていた方、お気づきになられていたら作者の書きたかったものが何となく伝わっているかなというところです。セッキーを可愛く、カッコよく書くことに注力していました。
ほら、元敵だった子が味方サイドで頑張る話っていいじゃないですか……私大好物なんですよそういうの……。

なにはともあれ五ヶ月ほど。
感想をくださった方、大変励みになりました。
誤字報告をしてくださった方、本当にありがとうございます。結構文章やらかしてることがあったのでマジで助かりました。

第二期の感想について、送ってもらえたら本当に嬉しいです。正直第一期以上にストーリ構成は苦労しました。それなりのものにしかなっていないかもしれませんが、やっぱり自分の脳みそを使って書いた作品ですので愛着はあります。
そこへ感想をいただけるとなれば、それはもう五体投地で喜ばしい限りです。お待ちしております。

…………近い将来、第三期を書かないといけませんね。
けものフレンズは永遠に続くコンテンツであってほしいです。


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