白銀と黄金 (彩夜華三鳥)
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 そろそろこの一話を描き上げてしまおう。

 スレが音をたてている。何かつやつやした巨大なものが体をぶつけているかのような音を。

 二次創作の海を泳ぎきったところでわたしを見つけられはしない。

 いや、そんな! あの野菜は何だ! 畑に! 畑に!


 私を端的に定義するならば、よくいるそれなりに優秀な人間だろう。家庭は金持ちではないが生活に困らない程度には裕福であり、事実として中学から私学に進学させて貰っている。

 地方に一つはある名ばかりの私立などではない。中高一貫の私立学校。高校となれば県内でもトップクラスの進学校で通っているような立派なところだ。となれば集まる生徒も小学校ではトップをひた走ってきたような連中ばかり。当然プライドも相応に高く、私も例に漏れず無駄に選民意識を持ったガキの一人だった。

 

 が、残念な事に私は「本物」ではなかったらしい。

 

 地元では並ぶ者ない神童扱いであったが、中学で初めての定期テストの結果は上位に入る程度。言い訳かもしれないが、ベストを尽くしたつもりだった。部活は無論、評価を上げるために最低限参加している。限られた時間の中で、ほぼ娯楽を廃して徹底的に勉学に打ち込んだと言っていい。

 

 それでも上位の壁は越えられない。

 

 次の定期テストでも、二学期になってもだ。

 

 ここで私は初めて挫折を知った。勉学に関しては、だが。運動に関しては正直、小学校の時点で諦めがついていたので楽なものだった。あればかりは本当に生まれ持った才能なのだ、と。故にこそ、後天的な要素に支配されていると思い込んでいた勉学での敗北は認めがたいものとなった。端的に言えば衝撃的であり、屈辱的だったのだ。

 自棄にならなかったのにも理由がある。私の足元にいる残り八割程の、元天才たちを見下ろす光景は屈辱の中での救いであったから。15に満たぬ子供が不良にならなかった理由がそれなあたり、私の人格も大概歪んでいるのだろうが。

 

 有象無象の中に私が含まれる事など我慢ならない。諦めが悪いというのならばその通り。開き直ることの便利さを知った瞬間でもある。

 

 まだまだ子供らしい傲慢さと、目の上のたんこぶである本物の秀才、天才達への嫉妬心が私の原動力だった。それだけの話だ。

 

 とはいえ、アニメに限らず、フィクションの世界で頭のいい役柄の人間が何故悪い性格で描かれたりするかよく理解できようというものだ。何せ自分というあまりにも身近な実例が証明している。中途半端な秀才というのは、徹底して性根が歪んだ救い難い存在なのだ、と。

 

 本物の秀才ならば自己の承認欲求を満たせるだろう。

 本物の天才ならば自分の知的好奇心を追い求めるだろう。

 

 だが、私を含む世間一般でのエリート、つまりは公務員や大企業へ入る程度のサラリーマンはそうはいかない。常に自分では敵わない存在と比較され、内心では煩悶しながらも自己の有用性を示し続けねばならない故に。

 まぁ、世にオタクも増えようというものだ。かく言う私もオタクでね、とでも言えばいいのだろうか。数少ない友人相手ならば吝かではないが。

 

 ああ、失礼した。

 一社会人とは思えない自分語りを聞かせてしまい心苦しい限りだが、どうか許して欲しい。重ねて汚れた格好であることを謝罪しよう。

 常ならば恥にならない程度には清潔さを保っている気に入りのコートも汚れてしまっている。現状は確かに見苦しいだろうが、逆に言えばそれ程追い詰められていると言っていい。何せ眼前には未だ速度が落ちきっていない通勤電車。死を前にした人間が残す未練か、あるいは走馬灯となれば憐れんで聞いてくれるものだろう?

 まぁ、憐れまれるなどさっぱりごめんな訳だが。

 

 だってそうだろう?

 

 内心は兎も角、私の経歴も人生も、表に通っているものはなんら恥じるものない立派な社会人のそれだ。少々友人は少なく、三十路を前にして彼女もいないがまぁ今時は珍しくもない。思想の自由は憲法で保証されているのだからとやかく言われる筋合いはない。

 学生は部活と勉学に打ち込んだ勤勉な学生であり、大学は全国に名の通った私立大学。サークルは風聞が悪くはない文化系の真面目なものであり、講義もしっかりと受けていたからOBやOGからの評判も非常に良い。極めつけに都内に本社を置く大企業(無論、一部上場企業だ)へ新卒入社、今は人事部だ。

 誰憚る事もない程度には社会的に成功していると言っていい。少々自慢に聞こえるかもしれないが、上司の憶えも良好だ。

 

 そんな私が憐れまれるなど、あっていい事ではない。

 いや、それを言うならばこんな事態を作り上げた原因こそが存在してはならないという話だ。

 やけに遅く感じられる時間の中、数瞬前まで私がいたホームへとどうにか目を向ける。ああ、やはり。諦めにも近い納得が胸を支配する中、視界に写ったのはいかにも愚鈍といった風な冴えない男だった。

 覚えている。ああ覚えているとも。何せ正しく今日、リストラした対象なのだから。

 大企業に寄生しようとする社会のクズ。端的に表するならば、そう言うしかない人材だった。会社に貢献できるような要素はなく、実際彼が所属している事そのものが弊社の損害だっただろう。

 

 遅刻。

 この時点で既に社会人としてはあり得ないが、まぁ年に一、二度ならば仕方ないだろう。都内ともなれば電車の遅延などもあるし、時計が止まっていたといった事故も有り得る。

 だがこの男は常習犯だ。

 

 無断欠勤。

 社会人としては失格と言っていいだろう。これが携帯電話も高価な時代で、雷雨で停電などが発生していたと言うならば別だが。現代においては携帯電話を持っていない社会人を探す方が余程難しいのだ。

 報連相という社会人の基本理念すら理解できない無能。

 

 多重債務。

 どうやら社会人としてだけではなく、そもそも人間としてどうしようもないらしい。会社がプライベートに口を挟むのは確かによろしくないが、それは一企業人としてやるべきことをやっている場合だ。職場どころか、社名に泥を塗りかねない存在となれば会社とて組織なのだから自衛はする。

 つまり、ただいるだけで長年かけて築いてきた弊社のブランド価値を下落させるようなクズはパージすべし。

 

 コミュニスト並に存在そのものが害悪だ。

 

 故に彼がリストラの対象に選ばれるのは必然だった。仕事に私情を挟むつもりはないが、纏められた情報を読んだ時は呆れのため息すら出た程だ。

 私に落ち度があるとすれば。そういった社会の下に位置する人間が存在することは知っていても、実際に理解していなかった点だろう。今以って理解しようと思えないし、現在進行系で殺されている状況となっては理解したくもないが。

 

 「……呆れるよ。あなたたち、ほんとに人間?」

 

 暗転。電車に轢かれ、死んだ筈だった。しかし声が聞こえ、意識は未だ存在した。咄嗟に顔を守るように構えた腕を恐る恐るといてみれば、眼前には眠たげな少女が。

 

 「失礼、どちら様だろうか?」

 

 問いながらも私の頭脳は常の如く、どうにか状況における最適解を出そうと足掻く。例えば、そう。奇跡的に生き延びて、眼前の幼女は、幼女は……さて、なんだろうか。

 

 腰どころか足元まで伸びたぼさぼさの白い髪に対し、その頭上で輝いているのは王冠とでも言うべきものだ。あまりにもチグハグ過ぎる。

 単純に、今私が見ているのは幻想の類なのだろうか。

 否定材料はないが、であれば私の服装が汚れたままというのは物悲しいものがある。登場人物が私と少女だけというのも問題だ。ロリータ・コンプレックスには罹患していない。。

 

 「面白いことを考えるね。馬鹿みたいだけど」

 

 私の問いに答えず、少女は呆れ果てたように呟く。面白い事なのだろうか。私自身としては至極真面目なつもりなのだが。というより、私は先程からの思考を口に出したつもりもない。

 まさかとは思うが、読心かその類ならば問題だ。プライバシーの保護と思想の自由に対する脅威である。

 

 「察しは悪くないんだね。他人の感情を読むのはダメダメなのに」

 

 科学技術が発展した現代でも、読心は人間にとって超常の出来事だ。物理法則を超越できるものといえば人外、特に神や悪魔といったものだろう。

 仮に万能なる唯一神がいたとすれば、自分だけで完全である存在が人間如きに干渉するなどあり得ない。であれば眼前の存在は多神教の神か、あるいは悪魔や邪神の類か。神道と仏教が平気な顔で仲良くやっていた国家の一市民としては神と邪神の違いすら曖昧ではあるが。

 何せ祀れば神で、死ねば仏だ。

 眼前の存在Xはそういった人外の類ということだ。他人の呼称にするには無礼ではあるが、まぁ他人の心を読むような無礼な相手だ。お互い様だろう。

 

 血が通っていないと思う程の白い肌と毛髪を持つ少女は驚いたのだろう、僅かに表情らしきものを浮かべてみせた。眉毛やまつ毛すら白いあたり、アルビノの類なのだろうか。

 カラーコンタクトを入れているかのように瞳孔と虹彩の縁以外が白い目が奇妙なものを見るような視線と共に私に向けられる。

 

 「……すごいね。創造主に悪口、しかも直接だよ?」

 

 創造主。

 

 成る程成る程。では宗教において語られる、人類を作り給うた創造主は私のような異教の民に一体どんな用事があるというのだろうか。信心を試したいならば基督教あるいはその元になった金貸しの多い宗教、または最新版へのアップデートができない宗教の信者でも呼んで存分に試されればよいのではないか。

 どんな宗教だろうと祭日であればとりあえず祝って楽しむ妙ちきりんな国家の一員に話があるようにも思えない。あるいは、私が死んだというのであれば天国か地獄かの審判なのだろうか。個人的には閻魔大王からの判決だと思っていたのだが。

 むさ苦しい髭面の老翁(私の勝手な閻魔大王のイメージだ)と奇妙な少女、どちらが良いかというのはあまりにも答えにくいが。勘違いしてほしくない点として、私は別に仏教徒という訳でもない。

 ただ一神教よりは思考や思想的に自由度の高い多神教の価値観は受け入れやすいという、程度問題に過ぎないのだ。

 

 「……最近の人間さんは物事の理非を知らなすぎるよね。

  知識としては知ってはいても身につけようとはしてないっていうか。

  輪廻から解脱したり、涅槃に至ったりに興味はないの?」

 

 少なくとも一神教には涅槃という概念はなかったように思うが、あるいは天国がそれなのだろうか。死後の世界が良きものであるというのは、成る程、生きる事すら困難であった時代には確かに心の救いたになり得ただろう。

それにしても聞く限りでは彼らの教義における天国はやたらと人間らしい欲求に溢れている気はするが。

 

 涅槃ということは煩悩からの解脱なのだから、つまりは悟りではないのか。いや、あるいは私が覚者に対してあまりにも清廉なイメージを懐き過ぎているだけなのだろうか。何にせよ、私は悟りには至っていない普通の一般市民だ。そういった場合はどうなるのか。

 

 「転生かなぁ。」

 「実に結構です。では、よろしくお願いします。」

 

 単純にして明瞭。情報のやり取りとはかく有りたいものだ。人外にしてどうにも話が通じているか不安な存在Xだが、それはそれとして私がここにずっといるのもよろしくないだろう。

 私と同様に死んだ人間がここを通って輪廻転生をするのならばそれこそ大変だ。何せ今の地球上の人口は少なく見積もっても70億人以上。一日の死亡数は統計でも15万人以上なのだから、一秒あたり二人程度死んでいても不思議ではない。

 待合所があったとしてもパンクしてしまうだろう。周囲は靄がかかったようにどこか不明瞭で、しかし広大に感じるこの不可思議な場所でも時間の流れが同じならばだが。

 

 「もうちょっと信仰しようよー。」

 「……は?」

 

 せめて来世では背後に気をつけるべきだろうか。あるいは、現場で働く技術者を参考に危険予知に務めるべきか。

 安易な考えは、少女の呟いた言葉に吹き飛んだ。

 

 「信仰。昔はすっごい信仰してくれてたよね。どーして今は信仰してくれないのかな」

 

「……端的に言えば、社会の進歩が原因でしょうな。文明の発展、科学技術の向上。

 加えて集団的自衛権の発展により、先の大戦から大きな戦争は発生せず、世界は平和なものです。

 テロや犯罪は未だ頻発していますが、暮らしやすさという点で言えば段違いでしょう。

 神にすがれば救われた気分になれた時代はとっくに終わっているのですよ」

 

 人類の歴史が即ち社会の歴史と等しい以上、社会全体の幸福を重視するというのは必然である。現代への倫理や道徳の進歩を考えるにあたり宗教の業績は否定できない。個人としては唾棄すべきものと思うが、その歴史的功績まで否定しようとは思わない。

 そうすると宗教的な倫理から功利主義を元にした社会倫理への発展にあたり重要であったのはその通りだが、逆に言えばその時点で役割の大半は終えていると言える。

 ロールズの正義論へ至り、規範倫理学となった事で、大半の人間にとってはなくても生きていく事はできるというものになったのだ。

 実際はより複雑であり、社会も完璧ではない以上全く無価値という訳ではない。そこもまぁ、拒絶はしない。

 私もその点を専攻していた訳でもないので理論的に間違っている部分がある可能性もあるのだ。

 が、少なくとも私個人にとっては信仰など不必要だ。

 

 「70億もいるんでしょ?それでも信仰は大赤字。魂って信仰してるのが普通の筈なのに、びっくりだよね」

 

 信仰とは利益だったのか。絶滅危惧種であろう敬虔な宗教家が聞いたら卒倒するであろう新事実だ。あるいは、自らの信仰が神の利益になっていたと知れば喜ぶのか。

 

 知らせる方法がない以上妄想以上にはなり得ないが、それでも一つだけ言える事がある。

 

 「それは、ビジネスモデルの欠陥では?」

 

 あるいはマーケティング不足だろう。科学文明の発展した世で信仰が芽生えにくいのは言うまでもないのだから。

 全世界レベルの信仰低下という事は、それだけ神に縋れば生きていけない人が減っているという事でもある。

 文明的、文化的生活を送れている人間が増えるのは良いことではないだろうか。それはそれで食糧不足や自然破壊等の諸問題が発生するのも事実だが、公害については先進国は既にクリア済みという点に目を向ければいい。

 科学技術による解決。実にスマートであり、論理的だ。神に祈らず、妙なまじないや魔術に頼らずとも自己救済が可能な世界で信仰が減るなど当然ではないか。

 

 「さっきから思ってんだけど、一応上位の存在に対してすっごい口のききかたをするね。

  あれだよ、新入社員が社長にがっつり意見してるのと同じだよ?」

 

 だが事実だ。痛いところをつかれたのか存在Xは若干引いた顔をしている。話の方向性を変えてくるあたり言われたくない所だったのであろう。上位存在と自分で口にするあたり、精神性も話の逃げ方もやはり子供か。

 

 「うわぁ、もっとやばいよこの人!

  勝手に会社に入ってきた浮浪者が社長にお説教してる感じ!」

 

 流石にそこまで言われる謂れはない。というより話しかけてきたのはそちらでは?

 

 「だーかーらー、本来なら信仰してる魂が普通なんだよ?

  信仰心がないから、君は勝手にこっちの領域侵してる浮浪者と同じなんだって」

 

 故に話しかけてきたことを感謝しろと?無茶苦茶にも程がある。

 何故だ。私は平和な国の模範的市民、エリートであった筈だ。社会的に成功した、誇りある立派なサラリーマンであった。

 訳の分からない存在Xに理不尽に絡まれる程悪辣な事をした記憶など一切存在しない。加えて、一応は会話しているのにどこからともなく取り出した布団に入るのはどうかと思う。

 

 「超常の力を持っててー、ボッチでー、君に言わせれば子供だよ?

  多少コミュニケーションとれるだけマシって思わないと」

 

 唐突にマジレスをされても、その、困る。

 布団に潜り込むあたり、寝るつもりというのならば私をさっさと転生さればよいではないか。

 

 「そもそも、神なんて人間さんからすれば理不尽極まりないって創作でもよく書いてるじゃない。

  そりゃ自分の中で色々完結しちゃうよね。ようは、おっきな力を持った感性子供のご老人」

 

 一般的にはそれは悪夢というのでは?

 

 「おーけー?」

 

 全く持って良くない。こちらに顔だけを向けて眠そうな顔をしても、私とてそうすぐ寛容な気分になれる訳ではないのだ。

 

 「ふーん?」

 

 そんな外見だけは可愛らしいと言えなくもない存在Xの気配が一瞬で変わる。立っている事すら困難に思える程の重圧と共に、癖だらけだった長髪が意志を持ったかのように動き始める。

 どこからか聞こえてくるのは、太鼓と言うにはあまりにも下劣すぎる殴打の音。

 不明瞭でこそあるが十分に明るかった空間は光源を失ったかのように暗く、か細く不快なフルートの音が空間を満たしていく。

 

 呼吸が、できない。

 

 いや、死んだ以上呼吸など不要な筈だ。であればこれは、恐怖。

 布団だったものは膨張と収縮を繰り返す、見る事すら不快な混沌とした色合いの泡と化している。

 小さな頭に乗っていた王冠は既にない。どころか、顔が存在しない。

 

 「Kyぅ制てキnい畏怖sAセてτアケ”teもぃいkE℃」

 

 止めてくれ!喋らないでくれ!目を、目を閉じさせてくれ!

 いや、ダメだ。目を閉じるなど、この存在を視界から外すなどあってはならない。何をしでかすか解らない恐怖に比べたらどれ程冒涜的でも見続けた方がマシだ!

 

 「SANチェックしっぱ~い、ってね。あんまり魂を汚染しちゃまずいし、このぐらいにしておくよ」

 

 口、いや、口ですらない穴からこぼれ落ちてきていた脳を壊しかねない言語がようやっと終わる。

 存在Xはおぞましい姿からつるりとした一つの塊へと姿を変えるが、この身を震えさせる恐怖は未だ続いていた。

 ああ、なんという事なのだろう。

 人外や創造主などという、「まだ」かわいらしい存在であったと信じ続けられたらどれ程幸せだったことか。

 まるで、ですらない。眼前の存在は邪神そのものなのだと理解させられてしまう。自分が立っている事すら信じがたい程の、精神的足場の崩壊とはこの事か。

 悲劇作家ですらこんな酷い話は描かないに違いない。この、私が存在する世界を作ったのが邪神の気まぐれだなどと!

 

 「まぁ、でも有意義だったよ。

  科学だけじゃなく魔法があって、平和じゃなくて戦争があって、サラリーマン?ああ、男だもんね。

  女になって、しかも追い詰められれば君みたいな人間さんでも信仰に目覚めるんだね。

  答えが出た!やったね!」

 

 無茶苦茶だ、などとは言えなかった。

 屈辱だ。屈辱だが、しかしこのまま見逃されそうな状況に私は欠片程の希望を見出してしまっている。元の、白い少女の形へと戻っていく存在Xを見れば尚更だった。

 

 だが、やはり外見を取り繕ったところで中身は邪神なのだろう。最後の最後になってとんでもない事を存在Xは口走る。

 

 「でも一人だけだと変な考え方して余計拗らせちゃいそうだから。

  私のこと信じてくれた人間さんも一緒に送っておくね、ちゃんと見張ってね?」

 「主の御心のままに」

 

 何時の間にいたのだろうか。私の後ろから響く声に振り返れば、一人の男が立っていた。

 驚きに言葉を出す暇もない。そして唐突に訪れた浮遊感は落下へと変わり、私と男は落ちていく。

 

 「いってらっしゃーい」

 

 どこまでも不遜な存在Xは暢気にそんな事を言う。

 ……クソッタレめ。忌まわしき存在Xに災いあれ。それはそれとしてどうか、二度と関わることのないことを。

 

 

 

 

 「あれを信じるとか貴方正気ですか?」

 「あれもまた、八百万の神の一柱と言えるのじゃないかな、と」

 

 ある意味においてそれは、大通りで繰り広げられるデモ活動よりもはるかに異様な光景だった。

 狭く、汚れた細道から通りを眺める二人の子供はどこまでも冷めた目と表情をしている。まだまだ幼い、本来ならば舌っ足らずな言葉で喋るであろう幼児が、である。

 

 「というか悪魔だろうと明らかに超常の力を持っているのは見ればわかるだろうに。

  むしろ、なんであそこまで頑なに挑発を続けたのかがわからない」

 

 壁によりかかる金髪碧眼の男の子はあり得ないというように手をひらひらとさせながら女の子へと言い放った。存在Xに遣わされた彼ではあるが、あくまで数多存在する神の一人として信仰しているのだろう。

 邪神を信仰する人間のそれとはとても思えない、理性的な言葉遣いだった。

 

 「あの胡散臭い……どころか冒涜的な存在を信じ、その言葉に甘んじろと?」

 

 対し、放置されていた木箱に腰掛ける金髪碧眼ではあるが白すぎる肌と見ているだけで吸い込まれるような目をした少女は毒を吐く。取り繕う事もなく、表情は苦々しいと語っている。

 元男が強制的に女に転生させられたというだけでも屈辱的なのに、苦境に立たされると解りきっていればこうもなろうという話ではあった。理不尽ではあるが、自分の言葉は安易に過ぎる挑発であったと社会人として理解できるために余計に、である。

 

 「普通に転生する筈だったんだがなぁ。誰かさんのせいでなー、巻き添えだわー」

 「……私にも過失があったことは、認めましょう」

 

 故に、少年に一切非がないという観点から被害者である。認めざるを得なかった。

 少女が存在Xなる悍ましいなにかとの間に波風を立たせなければこの場にいなかった人物ではあるのだ。

 あの邪神を神の一人と認める程度には滅茶苦茶な価値観をしている時点で真っ当ではないが、少なくとも彼自身に過失はない。元サラリーマンとしての矜持と、曲りなりにも法を守って生きてきた人間としての多少の罪悪感とて存在する。

 他人に罪悪感を抱く。そんな当たり前のことが前世において少なかった彼女からすれば、その時点で完全に放置という訳にはいかなかった。経験の少ない罪悪感という感情をそのままにするのはどうにも座りが悪かったのだ。

 今生においてはターニャ・デグレチャフという名前を持つに至った少女はため息をつくと仕方がないとばかりに首を振った。加えて、悲しい話だが実際問題として悪い話ばかりでもない。

 

 「こうなった以上は協力するとも。ああ、まずは餞別だ」

 

 未だ幼いが、それでも年齢の割に恵まれた体躯を持つ少年は取り出したパンをターニャへと投げ渡した。

 硬く乾燥したライ麦パンである。が、幼く、小遣いを未だもらったことのない子供が入手するのは難しいものでもある。庶民ならば普通に入手できるものではあるが、孤児故の悲しみだった。

 もしこの場に他に孤児がいれば、どこで手に入れてきたのだと驚いたことだろう。庶民ならば普通に入手できるものではあるが、孤児故の悲哀だった。

 

 「ととっ……ハイドリヒ、これは?

  食料の余裕はないはずでは」

 

 歴史と経済に対し造詣の深いターニャにとっては尚更だった。孤児院の経営は極端に悪い訳ではないが、余裕がないことは生活で理解できる。

 子供達の世話にその身をすり減らす老シスターには申し訳ないが、帳簿すら覗いた事もある。そこから見えるのは、雀の涙程の国からの援助と厳しい中でどうにかやりくりしている現状だ。

 彼らの住むこの帝国が新興国としては非常に強靭な国力を持っている事も、だからこそ周辺国との軋轢で軍事費にかなりの国費を注がざるをえないのは理解できる。が、健全なる国家経営として福利厚生がお粗末というのはどうなのか。

 ましてや次の世代を担う子供達へのものである。孤児院への援助は治安の向上や公衆衛生の観点からはそれなりに意義があるものの筈だ。

 端的に言えば、帝国は経済的にも社会的にも閉塞的になりつつある。そんな状況ですら他国が実際に感じている経済的な行き詰まりや社会不安に比べればマシと言えるあたり、既に戦争の火種は出来上がっていると言っていい。

 

 ともあれ、孤児院の食生活はその余波もあってか酷いものなのだ。ぶっちゃけ、シスターの私財すら切り崩している。彼女の財布もほぼ空なのだから、パンか、その元となる金をどこで手に入れてきたというのか。

 教会経営である以上清貧を良しとするのは組織的方針として理解できるが、清貧と飢えに苦しむことは流石に別だとターニャは思う。

 味の悪いパンと粗末なスープのみの食事。最低限度の栄養は確かに取れているだろう。肥満とは無縁であり、生きるに必要なラインを少し越えた程度。

 娯楽になるとは間違っても言えない食生活だ。飢える事はない程度に裕福で、かつ食事に底知れぬ情熱をかける国出身の身としては過酷に過ぎる環境である。

 

 「ウチの食事じゃ禄に成長もできんだろ。カツアゲしてる糞ジャリから逆にぶんどってきた」

 

 硬いパンをどうにか小さく千切り、礼を言ってからもそもそと口へと運ぶターニャを見ながらハイドリヒは平然とそう言った。自慢をしている訳ではない。淡々と事実を報告しているという口調に、ターニャも流石に冷や汗をかかざるを得ない。

 

 「貴方は、随分とその。アグレッシブな方のようで」

 

 一歩引いたのは身の安全を考えれば当然だった。納得はしていないが、事実として今のターニャは力のないただの幼女なのだ。同じ年齢とはいえ男で、既に身長に差がある存在が暴力に迷いがないと知って安穏としているほど暢気でもない。

 

 「まぁ、人一倍、人を殴った経験はある。

  その挙句にパンチドランカーでふらふらしているとこを事故って死んだわけだが」

 「ボクサーかなにかでいらっしゃった?」

 「そんなとこだ」

 

 口にこそ出さないが、野蛮だと思いながらもターニャは再びパンを口に運ぶ。自分も恩恵に預かる以上、明確に批判する気はない。

 ハイドリヒの言う糞ジャリもハイドリヒ自身もどっちもどっちではあるが、実際問題として空腹は辛いのだ。

 

 「この食料の出所についてはわかりましたが、何故私に?

  しかも態々他の子供から隠れて。

  同郷のよしみとでも言うつもりですか?」

 

 一方で、大企業という社内政治も考慮しなければ生き抜いてこれなかった経験がただより高い物はないと警告を鳴らす。同じ転生者であり、おそらくは自分と同じようにある程度年を取った人間である。

 境遇としては近いが、だからこそ相手を出し抜く可能性もない訳ではない。

 多少の不利益でも要求されれば飲まざるをえない、ターニャの方が巻き込んでしまったという後ろ暗さもある。前世の同僚にも弱みにつけこまれて苦労している者はいたのだ。

 当時は愚かなことをと馬鹿にしていたものだが、当然の心理として自身がそうなるのは避けたかった。

 

 「いや、取引だ。あんたは、性格が悪い。」

 「……えぇ、自分の人格が歪んでいるのは理解していますとも。

  そうも真正面から無遠慮に指摘されたことは、生前では終ぞありませんでしたが」

 

 ターニャの警戒心を知ってか知らずか、ハイドリヒは容赦なく言い切った。流石にターニャも自身の顔が引きつるのを感じつつ、眼前のおそらくは馬鹿にもわかるよう婉曲さを控えた表現で反論する。

 

 「だが、頭はいい。俺よりは確実に」

 

 どうやら、お前は無遠慮だぞという指摘は通じずに終わったらしい。

 少年の名前であるラインハルト・ハイドリヒという名前で馬鹿とか嘘だろお前と言いたいが、チョビ髭伍長殿なら兎も角。パンチドランカーになるほどの殴り合い好きが教科書に出てこない人物を知っているとは思えなかった。

 

 「はぁ、それで?」

 「お目付け役として、どうせあんたの面倒は看ないといかん。

  けど渋々やるよりは。

  率先してあんたの言うこときいて気にかける方が、あんたも得だろう?」

 「幼女の身体では何かと不便です。

  未だ幼いはずなのに屈強なその身体が自由な手足となってくれるなら、そうですね、得でしょう」

 

 教養はないし馬鹿ではあるが、下衆ではない。ハイドリヒが示したのはシンプルな構図だった。

 

 「俺があんたの手足になる。だからあんたは俺の頭になってくれ」

 「はぁ……何を言われるかと思えば。

  とどのつまり、これから先の指示を示せと。貴方自身の考えのもとには動かないので?」

 

 肉体労働と頭脳労働。

 よくある区分けであり、肉体的には弱者もいいところのターニャとしては諸手を挙げて歓迎したい内容だった。だからこそ無警戒に飛びつきはしない。契約の詳細を詰めるのは社会人としてはマナーに近い。

 コンプライアンス的にも、契約内容の確認は身を守るという観点からも重要だ。

 

 「あんた、もうこれからどうすれば良い生活が出来るか思いついてるんだろ?」

 

 その言葉にターニャは納得する。現代人から考えれば、一世紀は前の生活水準などお粗末もいい所なのだから。ハイドリヒが求めるのは良い生活。提供するのは労働力。

 突き詰めてしまえば上司と部下の関係だ。

 方針を示し、業務内容を教えて実行させる。前世ではそろそろ課長も見えていたターニャにとって部下を持つというのは経験済みでもある。

 

 「魔導適正、確か貴方もあったはずですね?」

 「軍か」

 

 幼児に対しても行われる健康診断の一環として、魔導適正の検査は組み込まれていた。自身の目指す所とハイドリヒの求める所に齟齬がない事を確認すべく、ターニャは解りやすい言葉を選ぶ。ハイドリヒもターニャの意図を誤る事なく理解できていた。

 

 「ええ。適正があるならいずれ徴兵対象となる。

  なら自ら志願したほうが受けはいいでしょう。士官学校は給与も出ますし。

  それに、先を行けるなら行くべきです。

  戦端が開き泥沼化する前に、安全な後方勤務ができるよう、努力する」

 

 頷くハイドリヒを見て、ターニャの中での評価が定まっていく。

 生前は本人の言う通り、喧嘩か格闘技あたりにでも明け暮れて頭脳労働をしなかったのだろう。教養はなく自己評価も低いが、地頭は悪くない。

 カツアゲの対象に奪いやすい他の孤児ではなく、ヘイトの向いている子供を狙う手腕やターニャに迷いなく分前を出すことがそれを示していた。一見すれば単なる損失だが、営業活動への投資と見れば実に妥当。接待とはメリットがあるから行われるのだ。

 加えて、子供の範疇ではあるが幼年とは思えない恵まれた肉体をしていた。大きな手足と、まだ鍛えてもいないのにがっしりとした骨格。

 ゴツいという程ではないが、成長すれば平均など目ではない立派な体躯となるだろう。存在Xの加護か偶然かはわからないが。

 ハイドリヒ自身、存在Xを妄信している訳ではないのも評価を高める。

 

 存在Xの差し金であることを差し引いても、結論として使える。

 

 優秀な人材の確保にどれ程の労力と金が必要か理解している元人事部としては逃す手はない。

 就活をする方だけではなく、運営する側でも多大な負荷がかかるのだなと己が身で実感済みのターニャである。

 現在の境遇は間違いなく不運ではあるが、手近に転がっていた素晴らしい人材の発見ににやけながらも判断を下した。

 その様子を見ながら黙ってにやけるターニャに何してんだこいつという思いを浮かべているあたり、ハイドリヒも中々にいい性格をしているが。

 

 「いいでしょう、乗りました。では共に軍で出世コースを歩もうではありませんか」

 

 そう、ハイドリヒとて自身で考えることのできる人間なのだ。加えてターニャが評したように無教養ではあるが愚かではない。

 言ってはいないが、存在Xと生前のターニャのやりとりを聞いてすらいる。一部の性癖という名の病気を持つ人種にとってはあれやそれやの対象になりかねない幼女が油断ならない存在であるというのはよくわかっていた。

 俺を裏切って自分だけ後方に行こうとしたら、足首を掴んででも絶対に闘争に引きずりこんでやる。

 秀麗な少年の顔の裏でそう決意したのはハイドリヒなりの決意か、あるいは実際にとんでもない状況に巻き込まれた事への多少の恨みがあるのか。

 

 「なにか?」

 「いや、なんでも?」

 

 ではよろしくと握手をするも、互いの笑顔が表面上だけのものだとは双方理解している。それはいつ破綻するかも解らない不安定な協定ではあるが、互いが互いの利となる間は間違いなく有効なものだった。

 一見すれば、貧しい少年少女が互いに協力をすることとなった心温まる場面なのだが。

 

 もし未来の各国魔導師が見れば、観客一同阿鼻叫喚の地獄絵図となっただろう。

 謎の多かった戦争に浪漫を求める人間が観客であれば、伝え聞く伝説からはあまりにも遠い貧相な光景にブーイングが出たかもしれない。

 

 いずれにせよ、こうして将来「ラインの比翼の悪魔」とアダ名される帝国軍人コンビが誕生してしまったのである。

 




尚、キャベツ氏や織部庵の要請あれば本作品は削除される旨注意されたし。

2017/2/26
改定。改行等が適当だった部分を修正しました。
内容も一部追加。


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2-1:努力(物理)

Q:どうしてやたらと元ネタのものより変更が加えられてるの?馬鹿なの?タヒぬの?

A:気付いたらこうなっていた。そして2の筈が二分割せざるを得なくなっていた。

  すいません、許してください!
  (元ネタの方々の依頼ならシーン追加は)なんでもしますから!


 例えば、あなたが現代日本における成人男性として平均の身長、体重だと仮定する。身長170センチメートル、体重64キロ半ばだ。

 仮に木製のバットのような約1キロ程度の棒を持った所で、軽く振り回すぐらいは何ら支障はないだろう。それをもう少し重い物、日本刀にしても少しの間ならば問題はない筈だ。

 

 では、更に重いものではどうだろうか?

 

 コードレス掃除機ともなれば約4キロ程。これを振り回すとなると短時間ならば兎も角体力の消耗は激しいだろう。

 もっと増やしてみよう。自分の体重の約5分の一程度。成人男性の平均から見れば十数キロの非常に重い棒を振り回してみろと言われて容易くできる人間がどれ程いるのだろうか。ただの荷物として運搬するだけでも疲れるに違いない。

 ターニャの行っていることは正しくそれだった。どころか、より条件を悪くしたと言っていい。女性故の根本的な筋肉の少なさと、子供故の単純な体力不足。

 8歳程度の子供が4キロ近くもあるライフルを思い通りに扱える訳がないのだ。棒の長さが下手をすれば自身の身長を超えるとなれば尚更である。

 

 「実銃は重い重いと生前では散々ネットで書かれていたが、成る程。

  これは、確かに……いや、そもそも子供が持つことなど前提にされていないか」

 

 ターニャにとっては重く、使いにくい悪夢のような道具だ。引き金を引けるかと言われればかなり疑わしい。

 彼女の小さな手ではグリップから引き金までの僅かな隙間もかなりの距離に感じられる。純然たる肉体的なハンディキャップはそれほどまでに大きい。

 流石にこれを責めるわけにもいかないと教官ですら目を逸らす始末。無理なものは無理なので、理不尽な指導がないのは素直に感謝すべきことだった。

 

 「だからといって、はいそうですかとサボるのもな」

 

 性根として、根っこの部分はやはり真面目な人間なのだろう。単にライフルを構えるというだけだが、肉体的には凄まじい重労働をどうにかこなそうとターニャは努力を続ける。

 ライフルの銃口を持ち上げるよりは下がらないのに必死になっているあたり、もはや先は見えていたが。数発はどうにか撃てたが、そこが純粋な体力の限界となってしまっていた。

 

 一端呼吸を整えようとライフルを下ろし、半ば硬直してしまっていた肩を解す。

 

 なんとなしに目線が逸れた先にいたのは同年代とは思えない程に成長したハイドリヒだった。周囲の、年齢だけで言えば倍近い少年たちと比較しても彼の背は謙遜ない。

 それだけ立派な肉体であればだろう。ハイドリヒは涼しい表情でライフルを構え、標的へと向けていた。

 ターニャの目線を感じたのか、ハイドリヒが笑いを浮かべる。

 無表情だと冷徹という概念を彫り刻んで美男子にしたかのようなハイドリヒだが、笑うと思いのほか人懐っこい顔つきになる。これでターニャが無邪気な乙女であれば頬を赤らめただろうが、中身が中身だ。

 あれは笑いではなく嗤いなのだと本能で理解する。怒りを容易く表すなど社会人としては失格であるという自制心が表情に出すことこそ防いだ。

 内心は既に怒りの炎が燃え上がっている。声を出すと力が出やすいだったか、と前世ではそこまで使うことのなかった運動関連の知識を引っ張り出す。

 本人としては意気込んでいるつもりで、声を出しながらライフルを構えようとする。

 

 「ふぬぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 どう控え目に表現してもうめき声を出しているようにしか聞こえず、周囲の他の者達が脱力しただけだった。当然、ライフルも前回と同程度にしか持ち上がらない。

 自己申告をさせれば数センチは上に持ち上がったのだと主張するだろう。教官が聞けば、憐れみの篭った目線で「そうか、頑張ったな」とでも言うかもしれない。

 

 「ぐ……ぬぬぬっ」

 

 自分でもまぁ無様な姿だろうとはターニャとて理解しているのだ。背後から感じる、ハイドリヒが口だけを動かして馬鹿にしきった声なき声援を送っているのを感じられるから止めようなどとは毛頭思えないが。

 

 「上司になったら絶対に、絶対にだ。前線送りにしてやる!」

 

 食いしばった歯の間から漏れる声は誰も聞き取る事はなかったが、構いはしない。屈辱に対する宣誓なのだ。ターニャが、自身の決意として口にしたという事実が大切だった。

 ハイドリヒが自分だけ前線送りにされたならば道連れにせんと考えている現状、二人ともの言葉が実現するなら仲良く揃って前線送りになる。それを知ればやはり、仲良く二人揃って苦虫を噛み潰したような顔になるのだろう。

 存在Xが士官学校にでもいれば読心でそういった現象が発生したかもしれないが、誰にとっても幸いな事に怠惰な白痴の王は士官学校になど過去現在未来を通して現れはしなかった。

 

 そう、士官学校である。

 ターニャとハイドリヒは見事、帝国が誇る士官学校への入学を果たしていた。戦時特例扱いで本来四年間かけての教育となるべき所を二年で行うため、無事士官学校の二号生となったことになる。

 数えにして若干八歳。貴重な魔導師の士官に際し、同じく戦時特例扱いで年齢制限は撤廃されている。

 

 若かろうとも十分な実力があるならば良しとする、というのは聞こえは大いに結構ではある。

 若く優秀な人間を集めるには適しているし、才能ある魔導師は早熟である事も多いので理に適ってすらいる。

 実際、幼いと言える年齢で配属される魔導師とて最近はそれなりにいるのだ。制度として成果が出ている以上、魔導師の才能ある者が試験を突破出来さえすれば年齢は気にしないという風潮が出来上がっていた。

 

 ターニャとハイドリヒの思惑だけで考えれば両手を挙げて歓迎できる事態では、ある。児童に戦争の作法を叩き込むという明らかな人権的問題に目を潰れば。

 現実問題として帝国は四方全てが仮想敵国であり、世界情勢そのものが不安定化している。なのに、二人の前世における第一次世界大戦に類する戦争は発生していない。

 大戦において直接的とは言えないが、大きな要因であるサラエボ事件すら起きていないのだ。

 

 二人がそうした、帝国の現状を知ったのは孤児院でシスターの蔵書を借り、前世と違いがあるのかと調査していた時のことだ。ハイドリヒは直後は平和な世であることを無邪気に喜んで見せた。

 どのような因果によるかは不明だが、大戦を回避できたのだと。

 対し、ターニャは憮然とした表情で存在Xを罵る言葉を吐いた。疑問を顔に浮かべるハイドリヒにターニャは答える。

 

 「奴の言葉を忘れたのですか?

  あの思い出すのも嫌な存在Xは戦争があり、追い詰められればと言ったのですよ。

  世界大戦を回避したのではありません。世界大戦はこれから起こる……いえ、起こされる」

 「ちょっと信じがたい話だが」

 「別におかしい話ではありません。

  そうですね……ああ、貴方には通じますか。飲みかけのペットボトルを真夏の部屋に放置したらどうなるか、ご存知で?」

 「まぁ、飲んだら腹を壊すな」

 「……ええ、知ってました、貴方が無教養であることは知ってましたとも。

  そもそも飲むなという話ですが、続けます。端的に言えば腐る訳です。飲み物が」

 

 頷くハイドリヒは深く理解している訳ではなさそうだが、腐ると腹を壊すが脳内で繋がる程度には理解できているようだった。

 当たり前のことを説くというのも時間の無駄に感じられるが、上司と部下の共通認識をすり合わせるのは大切であるとターニャは前向きに考える。

 替えのきかない人材ではあるのだ。であれば、効率主義の信徒であるターニャとて教育というものを試みざるをえない。

 

 「腐ると、ガスが発生します。ではこの時、ペットボトルの蓋を閉めたままにしていると?

  逃げ場のない狭い空間にガスが延々と溜まっていきます。それこそ、破裂するまで。

  人間の社会も同じです。不平不満というガスが社会という閉じた容器の中で延々と溜まっていく。戦争という、破裂の瞬間まで。」

 「だけど、世界大戦は起こらなかったんだろう? 蓋が開いたり、亀裂から漏れたりすれば破裂はしないんじゃないのか?」

 

 否定はせず、ターニャは頷いた。討論という程ではないが、会議において意見の否定はご法度だ。効率的な会議とするならば尚更に。

 

 「ですから、逆です。存在Xが蓋が抜けたりといった隙を見逃すと思いますか?

  あの手の手合は、他人に不利益を与える場合は全力であらん限りの手を尽くすものです。であれば、破裂の瞬間が遅れているだけです」

 

 遅れているだけ、溜まったガスも増えていることだろうとはターニャをしても怖くて口にできなかった。些細な衝撃で破裂するような極限状態を引き伸ばされていたとすれば、それこそ最悪だ。

 極限まで圧力の増した容器と、ある程度の圧力がかかった状態の容器。破裂するときにどちらの破壊力が優れているかは言うまでもない。

 社会という、人間が生きるには必須となるプラスチック容器が跡形もない程の勢いでなければいいが。戦争を生き延びた所で、その後の社会がなければ待っているのは悲惨な生活だ。

 第一次世界大戦ですら、当事国はその後の立て直しに苦労したのだ。それ以上の大戦とは一体どのような惨事を引き起こすのか、ターニャにしても想像がつかない。

 

 「……ヤバい?」

 「ヤバい。割と本当に、心折れそう」

 

 地頭とターニャの醸し出す危機感で理解したのだろう。

 ハイドリヒの問いに、ターニャは唯でさえ白い顔色を更に白くしながら端的に答える。人格は別として眼前の少女の能力は間違いないと思っている彼からすれば、それは難易度ベリーハード開幕の宣言に他ならない。

 

 「なら、どうすればいい?」

 「とにかく偉くなります。できれば、勝ちたいですが。

  かと言って戦争犯罪に関わるような戦果や行動はご法度です」

 

 戦争犯罪に関わる行為というものがどのようなものかは不明だが、ハイドリヒはとりあえず頷いた。方針が決まるだけでも万々歳だった。

 

 「幸い、魔導師は規定の年齢まで達しなくても士官学校に入学できます。

  ……というか、既に戦時特例扱いになっているようで。義務教育が終了する前に入らないと魔導師の強制徴募対象となります。

  ええ、笑える事につまりです。さっさと試験を通過し、早めに取れる手段を増やさないと幼年学校に強制入学。兵として前線で死ぬ確率が雲を越えて上空へ垂直発射されます」

 

 

 そう、取れる手段を増やさなければならない。

 ターニャは誰もいない射撃場で一人、再びライフルを構えようとしていた。周囲は薄暗く、同期である二号生達は既に宿舎へと戻っているのだろう。

 幼い肉体で士官学校に入ればどうなるかは理解していたのだ。自身が天才でないことなど知っていた。前世で既に、嫌というほど理解させられたのだから。

 

 年齢に関わる差で肉体的にも優位な天才に追い縋る手段は一つしかない。肉体を限界まで、それこそ潰れる直前まで酷使し、努力を積み上げる。

 現在主席である二号生が10の努力をするならば15の努力を。一日一日では小さな差だが、継続する事で積み上がった分は間違いなく己の力となるのだから。

 主席殿は魔導師ではないので、教官におかれましてはそのあたりをご考慮頂きたい。許されるならば、ターニャはそう言っていただろうが。

 

 喜ばしい点があるとすれば、全く忌まわしい事に転生者であるという事だった。

 前世で青春を勉学に捧げてまでも得た勉学、学問の知識は単純な差として現在を生きる若者との間に存在する。勉学へ向ける時間を削れる所ではない。単純に目の前の事に集中しなければならない他と比較して、ターニャの知識はこの時代の成人が持つそれすら越えているのだから。教育の効率化と様々な知識が手に入りやすい現代社会万歳と言うべきだろう。

 

 かといって、そんな事で存在Xへと感謝を捧げる訳もない。

 

 怪我の巧妙どころか、毒物を飲まされたら副作用で肩こりが治ったようなものだ。根本的な問題は一切解決していない。帝国言語を理解するのが異様に楽だったりと多少手を加えられている気はするが、その程度の贈り物を以って感謝しろと言われても断固拒否するだろう。

 故にターニャは何度であろうと思うのだ、存在Xに災いあれ、と。

 

 「とはいえ、身体を壊してしまえば元も子もないか」

 

 士官学校に入学して以降、栄養状態は劇的に改善している。孤児院にいる時もハイドリヒとつるむことで他の孤児達よりはるかに栄養状態では恵まれていたが、身体が資本の軍人の食事は比べるのもおこがましいものだった。

 

 尚、ランチである軍用レーションは覗くものとする。

 

 無論、それでも日本と比べれば舌を見せたくなる程度には不満がある。それでも嗜好品として珈琲があるのは格段の進歩だ。

 ミルクと砂糖を加えたドリップコーヒーを口にした時は感涙すらおぼえたものだと、ターニャは入学直後を思い出す。

 流石にブラックは幼い身体故飲まないが、文明的なマイルドなコクと苦味は間違いなくコーヒーのそれ。孤児院では当然、口にできるものではなかった。悲しいかな、煮沸した水が精々である。

 

 「食事もしっかり取らねばな」

 

 故に、娯楽という意味でもしっかりと食事を取ろうとは思えるのだ。

 努力は尊い。が、それで食事を忘れて翌日の体調が崩れては意味がない。

 未だ10歳にすら満たない身、まだまだ不安定ではあるのだと戒めをあらためる。一度風邪を引いた時にシスターとハイドリヒにこれでもかと世話を焼かれたという屈辱があればこそだ。

 テキパキとライフルを所定の場所にしまい、宿舎へと足を向けた所でターニャの視界を白いタオルが遮る。

 

 「わぷっ」

 

 少々浮かれて、足を早めていたターニャの顔に着弾。直後、ハイドリヒの抑えた笑いが耳へと入る。

 

 「……何のつもりかね、ハイドリヒ二号生?」

 「これはこれはデグレチャフ二号生。栄光ある帝国士官学校生が汗と泥まみれというのはよろしくないのでは?」

 

 その体格と外見故に、ハイドリヒのもったいぶった仕草は様になる。もし彼が孤児だと知らない第三者が見れば、どこぞの良家の子息かと思える程だ。

 

 「その煽りは通じんなぁ。何せ貴方にそういった仕草を教え込んだのはこの私だ」

 「教育の成果を見せてるんだ。中々のものだろう?」

 

 仰々しく片腕を広げてみせるハイドリヒにターニャは頷く。外見だけのものとはいえ、礼儀作法は大事だ。体面というものがある軍隊、それも士官ともなれば尚更だった。

 実力が重視される士官学校の試験にも面接があるのはそういうことだ。建前としては人格や試験で見れない諸々を考慮するためとあるが、ようは集団に馴染めないものを排除するためにあるのだ。

 魔導師ならばそれでも通る可能性はあるが、出世という面では絶望的だろう。前線で酷使されるのがオチだ。

 故に、ターニャ直々の教育によってハイドリヒは目上の人間に対する口の聞き方や態度を。更には他人を不快にさせない社会人としての立ち振舞を叩き込まれている。

 

 「タオルには感謝するよ。確かに、汚れたままで食堂に行くにはよろしくない」

 「そうかい、どういたしまして。ちなみに今日のメニューはだなぁ」

 「ええい、止めんか! 数少ない楽しみを奪う気か」

 

 違和感なく二人揃って宿舎へと帰る様子はさながら兄妹にも見えなくはない。幸いと言うべきか、指摘する人間はいなかったが。

 

 

 翌日、翌々日になっても二号生がやるべきことは対して変わらない。例え短期促成のハードスケジュールと云えどか。あるいはだからこそか、陸戦の叩き込みは基礎として繰り返し行われる。

 もう少し経てば今度は体力育成も兼ねた野外演習を徹底的にやることになるが、入学直後のライフルを構えた事すらない二号生を野外演習に叩き込んでも糞の役にも立たない事を鑑みれば妥当と言えた。

 それでも許して頂けるならば、本人と教官あるいは指導して頂ける一号生の誰かには文句を言いたいものだ。ターニャの内心は割りと切実である。

 

 「餓鬼じゃねぇか」

 「軍はお遊戯の会場じゃねぇんだぞ」

 

 逆説的に、魔導師の才覚のない他の二号生は本来入学する年齢の者たちばかりとなっていた。彼らからすれば、如何に魔導師の才能があるとはいえ歳のかなり離れた妹のような童女がいることがどう見えるか。

 

 軍人を志すからにはよくも悪くも生真面目で、柔軟な考えというよりは頑固なタイプが多いのだ。明らかにターニャの存在は異質であり、集団において異なるものは爪弾きに合う。

 

 「年齢や外見で判断するのは非効率的だとは思うが、流石になぁ」

 

 彼らの目線から見れば解らないでもないのだが、せめて、せめて言うならば聞こえない所で言ってくれまいか。そう思うのは不自然だろうか?

 本人に直接私が言うと角が立つならば、せめて教官か一号生が注意しろよとターニャは切実な気持ちを抱いていた。

 理屈では無論、理解できている。立身出世を思えば他人の雑談などに気を払っている余裕はない。

 教育が未だ中途半端であり、年齢的に見ても精神が育ちきっていない連中だ。ターニャの脳内スケジュールでは既に余裕が殆ど無い現状、気を払うよりも自らの鍛錬に集中すべきなのだから。

 悲しいかな、頭ではそう思っても簡単にいかないのが人間である。ターニャの場合、更に悲しい事実がある。

 

 前世と比較し、異常と思える程の細かく感じるのだ。他人の視線を。

 

 自身のどこに目を向けられているか、その目線がどのような意志のものか。大まかにではあるが、なんとはなしに理解できてしまう。

 転生した当初は男のちら見は女のガン見というネット上の格言はこういう意味だったのかと感心したりもしたものだった。

 

 孤児院の生活では、町中をハイドリヒと歩き回る時に悪意を感知しやすく便利であるとすら思っていた。

 だが、今までにない男だらけの中で生活するという体験でターニャはそれを憎悪すらしていた。

 向けられる目線は侮蔑やさげずみのもの。それはそれで大変気味が悪いが、欲情の目線であればまだ耐えられただろう。最悪、ハイドリヒを盾にするなり多少の恥ずかしさ覚悟に憲兵に頑張ってもらえば良い。

 お前は無能だと言わんばかりの見方をされるのは、なんとしても我慢できない。

 

 屈辱なのだ。自分の精神が否定されるかのように。

 

 「ぐっ!」

 

 まだ発展途上の肉体は精神の影響を如実に表わしてしまう。思うように力の入らない肉体でどうにかライフルを構え、必死で引き金を引いても弾が向かうのは明後日の方角だ。

 数発撃てば肩はじくじくと痛み、ライフルを構える事すら困難となる。

 魔導師は宝珠を持つようになれば大人に劣らない程の動きができるようになると言うが、ターニャからすれば一日でも早く渡してくれと叫びたい程だ。

 少なくとも、こんな惨めな思いをすることはなくなる。ただその日を夢見てターニャは休憩までライフルを構え続けた。




ドイツも結構コーヒー国家。

2017/2/26
改行等を改定。誤字修正は確認、修正を予定しています。


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2-2:努力(物理)

2-1の続きのため若干短いです。
5000字を越えてしまったため、一端投稿。2-3まで行くかなぁこれは。

どうして獣殿(ガワのみ)がそのような行動に出るのか、を理由付けしたいがために独自設定っぽくなってしまいました。これが私の実力の限界。



 ラインハルト・ハイドリヒは自身が馬鹿であることを理解していた。

 前世は子供の頃から腕白であり、ガキ大将扱いされる程には子供らしい我儘さを持っていた。

 成長してからは我儘さは鳴りを潜めたが、その分なのだろうか。肉体は思いの外立派に成長した。

 格闘技だろうが、喧嘩だろうが無理の効く肉体。風邪をひいた記憶すら数える程度という頑丈な体は正しく男らしいものだ。勉学に励むより、自身の体を思うままに動かす方が楽しい。

 

 家庭は貧乏であり、塾に行けというような勉学の事についても細かく言われなかった。結果は誰もが予測できるように、単純な人間が出来上がった。

 あるいは、だからこそだろうか。彼にとって陰口の類は忌むべきものだ。そんなものは卑怯者の手段に他ならない。男ならば、堂々とするべきだ。

 加えて、男とは子供や女性を守るものである。古い価値観かもしれないが、通すべき筋として彼の中には存在していた。

 

 最初は神の命令故にだった。

 

 見た目はインテリヤクザか何かかお前という30前後の男性。彼がどう考えても超常の存在と言うべき白い少女を煽るような言動をしていた時、ラインハルトは本当に焦ったものだ。それ以上に、こんな向こう見ずな男を守らなければならないのかと考えると辟易するが。

 

 夢枕に立つ白い少女がしっかりと女性に転生させたので守ってねと言ってきた時は安堵半分、諦め半分といったところだった。ご丁寧に同じ孤児院に捨てられたあたり、子供の頃から守れということなのだろうとラインハルトは理解する。

 それ程貧弱そうには見えなかったが、いかにも頭の良いエリート然とした風体であったのだ。暴力には慣れていないだろう。力のない女性で、この貧しい中を生きていくのは大変だろうと思えば否応はない。

 

 ラインハルトのそうした、自分より弱い存在を守るという考え方はすぐに粉砕された。カツアゲや盗みを働いている子供を対象とした食料の強奪という彼からすればよくある手段をターニャはあっさりとより有効で、かつ有意義なものへと変えてみせたのだ。

 しょぼいと言えるレベルの、大した事はない盗みやゴミ漁りをしている子供は脅すか多少の食料を施す事で味方につける。それができずとも最低限、中立にする。加えて自身を中心とした情報網に組み込んだのだ。

 ラインハルトを後ろに従えた実質武力外交だったとはいえ、子供達の情報網の中核に居られっるようになったのだから大したものだろう。

 

 言うまでもなく、そこで止まるようなターニャではない。得た情報を活かし、今度はたちの悪い子供達をラインハルトの力で物理的に鎮圧し始めた。時にはトラップや地理を活かし、徹底的に追い詰めて縛り上げれば食料を巻き上げてから警察に突き出すあたりなんというか、徹底している。

 ターニャに言わせれば限られたリソースの最大活用なのだが、ラインハルトは内心ドン引きだった。

 中々に質、量ともに良い食料が手に入る事と警察官に素直に感謝されるので止めはしないが。

 

 加えて周囲の人間も止めない。悪ガキという言葉すら生ぬるいようなとんでもない子供がどんどん警察に突き出されていくのだ。治安の向上という利益がある。幼い子どもが道義的、正義的に正しい行いをしているのだから尚更に。

 

 社会的に評価を良くし、自らの利益にもなる。成る程、馬鹿な自分では考えつかなかっただろうとラインハルトは認めざるをえなかった。

 指示にしても明瞭にして的確。友人として信じるに足りる事はすぐに解った。

 ひねくれているし他人を信じるということをしないが、少なくともターニャ・デグレチャフという少女はただ守られているだけの存在でなかったのだ。

 

 ちなみに、彼らが知る由もないことだが。これでターニャだけならば善良なるご婦人方は心底心配し、あるいはあなたがそんなことをやる必要はないと説いただろう。

 が、隣にいるのは幼くして立派な肉体を持つラインハルトである。多弁というよりは寡黙で、無表情がちながらもターニャと食料を分け合ったりする様を見ていれば主婦の皆様もにっこりだ。

 

 女で、子供で、友人。加えて実力を競い合うという意味においてライバルでもある。前世においてラインハルトには縁のない濃い存在だったが、不快感はない。

 

 「おら、来いよ。こちとら8歳のガキなんだ。まだまだやれるだろう?」

 

 故に、大切な友人を馬鹿にする連中が我慢ならない。

 

 どこでもそうだが、そういう連中は口で言っても聞きはしないのだ。ならば盾でもある自分は、連中がターニャに悪意を向ける暇もないようにするだけだった。

 迷いなくそう考えたラインハルトは特にターニャを見下していた連中を格闘訓練に誘う事にした。

 生真面目過ぎる帝国国民である彼らならば同期からの誘いは断らないだろうと。ターニャ仕込みの煽り文句を使うまでもなく、所詮は年下と侮った彼らは容易くそれに乗るのだから楽なものだ。

 

 とはいえ実際問題として、予想以上に年齢差は深刻な問題だと思いながらも繰り出されたパンチをどうにか受ける。

 口はまだ動くしターニャのためにもまだまだ挑発はできるが、ラインハルト自身をして中々に辛い状況だった。見積もりが甘すぎたあたり、自分もまだまだ甘いと反省。

 ジャブで牽制しながら、稼いだ時間でどうにか呼吸を整える。

 許されるならば、士官学校の備品とは思えない程お粗末なボクシング用のグローブや格闘訓練用のプロテクターに文句をつけたかった。お陰である程度以上重い打撃を受ける度、ラインハルトの肉体にはアザやコブが増えている。

 

 技量で勝っているのはラインハルトだ。単なる打撃一つを取ってみても動きのキレが違う。

 純粋な背と体重の違いから未だダウンを取れるような一撃は入れられていないが、ジャブ一つを取っても観戦している二号生を唸らせる程だ。

 

 だが、純粋な技量だけで決まる世界でもない。何故ボクシングに限らず格闘技ではあれほど細かく階級分けされているか、ということだ。

 背や体重という単純なパラメータは、しかし覆しようがない数値なだけに絶対的。如何に発育が良いといっても限度というものがある。その差が如実にあらわれていた。

 

 「いい腕をしているな、ハイドリヒ二号生」

 

 相手の二号生はターニャを馬鹿にしていた連中の中でも実力のあるタイプ。戦ってみてわかるが、堅実に攻めてくるあたりそれなりに慎重な性格であることがわかる。

 

 「はっ、だったらダウンぐらいさせてみな」

 

 パンチドランカーになりたくないから顔は守るがな、と防御とカウンターに比重を変えながらラインハルトは戦い続けた。

 

 

 

 「最近はようやっと、マシになってきたか。しかし、あのレーションはもう少しマシにならんのか」

 

 訓練用のライフルを隣に横たえ、革長靴の泥をこそぎ落とす様は少女のものとは思えない程堂に入ったものだった。野外演習を終えたターニャは一人、宿舎への道で装具から汚れを落としていた。

 

 泥と汗にまみれて不快感は限界値を突破しているが、汚れたままで宿舎に入る訳にもいかない。疲れきった体でどうにか風体を整え、更にこの後にライフルの自主訓練が待っている。

 

 「宝珠があれば少しはマシになるらしいが」

 

 演算宝珠抜きの魔導師はさして人と変わらない。魔導理論と、何より過去の実績から導き出された純粋な常識として知れ渡っていることだ。

 魔力量、魔力放出量で見ればそれなりに上位にいるターニャにしても、演算宝珠抜きでは人体発火現象かスプーン曲げが精々だろう。唯一使いどころがあるとすれば肉体への干渉だが、それとて無いよりはマシという程度。

 ゲームであればバフはそれなりに便利なものなのだが、と人知れずターニャは落胆していた。

 

 肉体的には成る程、士官学校だけあってかなり追い詰められていると言っていい。

 それでもターニャがついていけているのは気力と、恐らくは回復力にも優れた肉体面での性能あってのことだ。

 ある種の極限状態に陥って初めてわかったことだが、肉体のスペックの高さにターニャ自身ある種の驚きを感じていた。

 肉体的に成長しきっていないために体力や力は不足しているが、回復力の高さや俊敏さに関しては本当に優れているのだ。前世の肉体とて、決して肉体的に劣っていた訳ではない。

 これがいわゆる天才が見ている世界かと考えれば、成る程違う訳だとターニャとて理解せざるを得なかった。女性であることは未だ不満だが。

 とはいえ、慢心する気は欠片もない。所詮、前世の肉体よりは優れている程度なのだから。それにしても辛い環境に身をおいて初めて実感するのだから、努力が無ければ才能とて花開かないということだ。

 

 「それにしても、最近はやけに周りが静かだが……餓鬼をからかうのも流石に飽いたか?」

 

 当初は自主練習を冷やかしに来ていた連中すらいたのだ。無視していたが、動物園の檻の中にいる珍獣でも眺めているような目線を向けられて愉快な訳もない。

 自身は、一人の人間として基本的人権ととれに伴う義務を忠実に果たしているのだ。であれば、個とは尊重されるものである。精神に至っては自由を許される。

 

 口にはしないが、とターニャは内心でマヌケ顔を晒していた同期を罵倒する。士官"学校"という名前で誤解しがちだが、既に軍衣を纏った公務員。

 野外演習や座学は決してぬるいものではなくしっかりと扱かれているのだが、同期を見ればどこか学生特有の緩さが未だあるように見える。

 行っている事は教育というよりは研修と表現すべきだろう。業務の一環である。

 

 親愛なる同期諸君が社会人としての自覚に目覚め、非効率的な行為を控えるようになったのであれば良し。不満はあるが、そこはこちらも社会人として腹の憶測に押し込んで表面上の仲直りすらしてもよいとターニャは考える。

 尤も、仮に連中が部下になった時には前線送りという報復を行うことはやぶさかではない。

 

 「よぅ、漸くマシになったか。魔導適正なかったら確実に門前払いだったな」

 「ハイドリヒか。そもそも、魔導適正がなかったらこの幼い身で軍に入る羽目になってなどいないがな。

  全く、忌々しい存在Xめ。」

 

 我が身を嘲笑した馬鹿共が前線で豚のごとき悲鳴をあげるのであれば、さぞ痛快に違いない。にやにや笑うターニャに声をかけてきたのは見慣れた金髪碧眼の男、ラインハルトだった。

 愉快な妄想から一転、悲しい現実を突きつけられてターニャの顔が不愉快そうに歪む。

 

 「しかし、最近顔を見ていなかったがどうした?

  あんなことを言っておいて約束を破り、愛想を尽かして手を切ったと思っていたが」

 

 意図的に表情を消し、装備に目を向けながらターニャは問いかけた。事実としてラインハルトとの会話は久しぶりだったのだ。

 無理もないことだと思う一方、約定破りは許容できないもの。事前説明があれば別だが、一方的な契約破棄がどれ程相手の信頼を損なうかと思えばそっけない態度を取らざるをえない。

 

 「体力が有り余って仕方ないからな。

  あんたの自主練習を見習って、こっちも自主的に余裕あるやつ誘って格闘訓練に励んでいただけだ」

 「……はっ、随分とまぁ、派手にやったようだな?

  魔導師としての評価において近接格闘の技術は大きくないというのに、御苦労なことだ。

  いや、余裕のあるお方はやはり違うな?」

 

 契約の不履行ではなく、自主的な研修のための有給取得とは実に勤勉と言える。事前に言ってくれればこちらも斟酌するのだが、しかし有給に関する規定を定めていない以上言いがかりに近いかとターニャは思い直す。

 とりあえず報連相の観点からは問題があるので苦言は呈する。

 それはそれ、これはこれというやつだ。

 

 「お前最初はもっと礼儀正しかったのによう……」

 

 ラインハルトからすれば、見た目は文句なしにかわいらしい少女が口から信じられない毒を吐き出しているのだ。中身がおっさんであったことは知っているし、性格も中々愉快にねじ曲がっているのも知っているが思う所は出てしまう。

 男とは本来、かくも単純な生き物なのだ。孤児院の時は内容は別として丁寧語を心がけてくれていたというのもあるが。

 

 「我々は未だ未熟ではあるがね、軍人だよ?

  時と場所と場合によって言動と態度は適切なものを選ぶさ。士官ともなれば体面もある。」

 

 ラインハルトのある意味健全な悩みなど心底どうでも良いと言わんばかりに、ターニャは言葉を続ける。

 

 「しかし私の生前と現在の目的を知っている同期の貴方に。

  そう、よりによって貴方に一体何を遠慮する必要が?」

 

 笑いと、普段の鉄面皮からは考えられない笑顔と共に放たれた言葉にラインハルトは頭を抱える。

 ぱっちりおめめを開いたにこやか笑顔と言えば、字面だけならばまぁかわいらしく思えない事もない。

 実際は喜びというよりは嘲りで極限まで見開かれた目は恐ろしく、三日月を連想させる口は覗いた八重歯が牙を連想させる。端的に言って、物騒すぎる表情だった。

 

 「ああ、そう……自主練も程ほどにな、飯遅れたらそのまま抜きだぞ」

 「おっと、もうそんな時間だったか。さっさと行くぞ。くそまずい帝国料理が待っている。」

 

 だが、憎まれ口を叩く程度には肉体的にも精神的にも余裕があるというのはよいことだった。自身の努力が多少なりとも報われていると知り、ラインハルトはターニャに見えない位置で僅かに顔をほころばせる。

 

装具の汚れ落としも終わったのだろう。ラインハルトの後ろを続くターニャの姿は料理への酷評からは考えらない程軽やかなものだった。




 1900年ぐらいにはボクシングや柔道は軍隊格闘技として西欧にも伝わっていたような記憶があります。
 当時、それ程近接格闘の技能は重要視されていないとは思いますが。

 私はボクシングの経験がないため、ほぼ妄想です。

 2-1に組み込んでしまうことも考えましたが、誤字脱字を修正した上で後日まとめる方向で検討しています。どちらにしろ2話相当部分を書き上げないとなぁ、と。


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