聖痕のクェイサー×真剣で私に恋しなさい! (みおん/あるあじふ)
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プロローグ

(・3・)まみ~ん。
アットノベルス様から引っ越ししてきました。
駄文ですが見て頂けると幸いです。


アトス総本山本部。

 

天井から神々しい光がステンドグラスを通し、巨大な聖堂内を色鮮やかに包んでいる。

 

聖堂の奥には大きな教壇。その教壇の前には右目に眼帯を着けた男……ユーリ=野田がいた。

 

そして、ユーリの前には銀髪の少年“致命者”サーシャ。

 

隣にはサーシャのパートナー“剣の生神女(マリア)”織部まふゆ。

 

赤銅(しゃくどう)の人形遣い”エカテリーナ=クラエと、パートナー“雷の携香女(マグダラ)”桂木華。

 

彼らはユーリからの連絡を受け、アトスの総本部に招集をかけられていた。

 

「―――――今日お集まり頂いた理由は他でもありません」

 

ユーリの声が反響して聖堂内に響く。

 

「任務だな」

 

サーシャの問いに、ユーリは躊躇いもなくええと頷いた。

 

「川神市に詳細不明の元素回路が流出し、被害が出ているとの情報が入りました」

 

元素回路(エレメンタル・サーキット)

 

紋章屋(クレストメーカー)が元素番号0の「賢者の石」を使って編み出された、力を持った紋様の事で、身に着ければ様々な力を得ることができる代物である。

 

その元素回路が川神市内で流出し、所有した人間が悪事に利用して暴行や窃盗が頻繁に行われていると、アトスの調査部隊から一報が入ったという。

 

「調査の結果、元素回路の流出先が川神学園周辺にある可能性が極めて高いと判断しました」

 

『川神学園』。

 

 

川神市内を代表する大規模な学校で、特徴的な行事・授業が行われている有名校である。

 

調査部隊の報告によると、元素回路の流出が学園周辺に集中していることが判明した。しかし、出所は一切不明。

 

川神院の人間や学園関係者にも協力を依頼しているが、危険な代物であるため、知っている人間は極一部のみ。調査は難航していた。

 

「あなた方は川神学園に生徒として潜入し、元素回路の調査に当たってもらいます」

 

大事にならないよう速やかに処理をする、それがアトスの決定だった。

 

「―――致命者サーシャ、織部まふゆ。エカテリーナ=クラエ、桂木華。川神学園に潜入し、元素回路の流出先を捜索、及び破壊するのです」

 

サーシャ達の、新たな任務が始まる。

 

 

 

――――――――――――――――。

 

 

 

関東の南に位置する政令指定都市、川神市。季節は夏。

 

 

江戸時代から栄え、武士の屋敷等、歴史的建造物がとても多い。

 

そんな歴史ある街の中に……『川神学園』はある。

 

その川神学園を繋ぐ、大きな橋が多馬大橋。橋の下には多馬川が流れ、喉かな風景が続いている。

 

また個性豊かな生徒が多いことから、通称“変態の橋”と呼ばれていた。

 

その橋を渡り、川神学園へと向かう生徒たち一行、風間ファミリー。

 

ファミリーのリーダー、キャップ。参謀役の直江大和。

 

島津岳人、師岡卓也。川神一子、川神百代、椎名京に黛由紀江。そして、クリスティアーネ=フリードリヒ。

 

仲の良いグループで、何をするにも一緒。新しく参入したクリスもすっかり溶け込んでいた。

 

「ああ……突然空から美少女でも降ってこないだろうか」

 

と、唐突に空を仰ぎながら幻想を抱く百代。向かう所敵なし。百戦錬磨の武神。

 

「何言ってんだよモモ先輩は。美少女なんて周りにいくらでもいるじゃねーか。俺にも分けてほしいくらいだぜ……」

 

恨めしそうに溜息をつく岳人。現在告白連敗中である。

 

「ダメだやらんぞ。あれは全部私のものだ。悔しかったら奪い取ってみろ。はっはっは」

 

勝ち誇ったように、高らかに笑う百代。当然それは自殺行為なので手を出せるわけがない。

 

「くっそ~……ああ、突然可憐な美少女(年上限定)が告白してこねぇかな~」

 

「大丈夫。それは天と地が引っくり返ってもあり得ない」

 

岳人にとどめの一言を入れる京。岳人はしゅんと肩を落とすのだった。

 

 

何気ない会話に花を咲かせる風間ファミリー一行。いつもの光景。いつもの日常。

 

そして――――。

 

「……あれ?みんな、前見て」

 

卓也が指差した先に………奴らはいた。

 

風間ファミリーに立ちはだかる柄の悪い、黒の革ジャンとジーパンに身を包んだ輩が4人。

 

そう、百代に挑む挑戦者達だ。この橋では、百代に挑む者達が後を絶たない。

 

「川神百代。俺たちに出会った不幸を嘆くがいい!」

 

不気味に笑う、スキンヘッドにサングラスをかけた男。その背後に金髪に染めた不良が3人。

 

「何だお前。ハゲの兄弟か?道理で似てると思った」

 

「それ、似てる所は頭だけだからね」

 

すかさず突っ込みを入れる卓也。ちなみにハゲというのは2−Sの井上準の事である。

 

「呑気な顔をしているのも今のうちだぜ。俺たちはそこいらの人間とは訳が違う!」

 

不良Bが気味の悪い笑みを浮かべる。

 

「俺たちは“クェイサー”。元素を操る力を持つ能力者だ。俺は元素番号113番、俺の元素はウンウントリウム!」

 

不良Aがダガーを手に構える。

 

「俺は元素番号114番。俺の元素はウンウンクアジウム!」

 

不良Bがメリケンサックをはめた拳を振るう。

 

「俺は元素番号115番、俺の元素はウンウンペンチウム!」

 

不良Cが鉈を振りかざす。

 

「「「俺たち、化学のイケメン貴公子“ウンウン☆マイスリー”!!」」」

 

不良A・B・Cがそれぞれポーズを取って、呼び名を叫んだ。

 

「そして俺はヘリウム3兄弟、5番目の弟!」

 

脇にいたスキンヘッドが、おまけのように自らの名前を誇示する。

 

 

…………………。

 

風間ファミリー全員、沈黙していた。

 

「おおっ!何かかっけえな!」

 

ただ1人、キャップを除いて。キャップは目を輝かせながら感動していた。

 

「どうした。恐怖で何も言えなくなったか?それは当――――」

 

「いや、知らん」

 

不良達の渾身の自己紹介も虚しく、百代はあっさりと言い切ったのだった。

 

「な、何だと!?俺たちクェイサーを前にして驚きもしないとは………貴様、何者!?」

 

「知らんものは知らん。そもそもなんだ“くぇいさー”って。新しい芸人グループか何かか?おい大和、知ってるか?」

 

百代の側にいた大和に尋ねる。大和は悩む様子もなく首を振った。

 

「いや、全然。聞いたこともないね。みんな知ってる?」

 

後ろにいるメンバーに聞いてみるも、全員首を横に振るだけだった。

 

「みんな知らないそうです。それと、もう少しセンスのいい芸人名にした方がいいですよ。ウンウンなんとかはちょっとね……」

 

と、大和。その返答にウンウン☆マイスリー一同の表情が歪む。

 

「何か一発屋芸人にいそうだよね。それに、3兄弟なのに5番目の弟って……」

 

「それにイケメンってほど美系でもねぇよな。ちなみにイケメンってのは、俺様みたいな人間の事を言うんだぜ!」

 

「ガクトに言われたらおしまいだね」

 

卓也・岳人・京の連携突っ込みが炸裂する。スキンヘッドの頭に血管が浮き上がった。

 

「貴様ら、さっきから聞いていればごちゃごちゃと!……まあいい、俺たちの力を見れば、そんな口は叩けなくなるだろうからな!」

 

スキンヘッドがファイティングポーズを取った。

 

「ここをお前の墓場にしてやるぜ、川神百代!」

 

「貴様を倒した後は、まずはそのけしからんおっぱいを晒してもらおう!」

 

「そして聖乳(ソーマ)をたっぷりと吸わせてもらうぜ!」

 

不良3人組+スキンヘッドが一斉に飛びかかり、百代に向かって突進する。

 

「“そーま”?何だそりゃ……まあいいか、軽く遊んでやろう」

 

彼らの挑戦を受ける百代。だが百代は構えない。ただ向かってくる敵を待つのみ。

 

「「「「沈めぇーーーーーーーーーーーー!!!!」」」」

 

挑戦者達は勝利を確信していた。勝てる、と。だが彼らは知らない。百代の圧倒的な強さを。

 

そして次の瞬間。

 

 

―――――――――――――――――――――――。

 

 

戦いは、既に終わっていた。

 

スキンヘッドと不良3人組は、ボロ雑巾のように転がっている。百代は傷一つ負っていない。

 

勝負は、百代の圧勝で終わった。

 

「ば……バカな……俺たちが、負けるはず……」

 

スキンヘッドが朦朧とする意識の中、今起きた現実を受け入れられずにいた。たった一人の小娘相手に一瞬にして全滅するなど、信じられる筈がない。

 

「意外だ。私の攻撃を受けたヤツは大抵意識を失うんだが……お前、結構タフだな」

 

感心する百代だったが、突然ニヤッと笑みを浮かべた。スキンヘッドの背筋が凍りつく。本能が逃げろと警告しているが、戦闘によるダメージで身体が動かない。

 

「褒美だ。眺めのいい場所に連れて行ってやる」

 

百代がニヤニヤしながら手をボキボキと鳴らし、スキンヘッドの胸倉を掴む。

 

「ひっ……ま、待て悪かった。今日の所は見逃しておいてやってもいい。だから……」

 

「ん~、聞こえないなぁ」

 

「だ、だから悪か」

 

「あ、そういや私のおっぱいがどうとかって言ってたよな」

 

「え、それは俺じゃ――――」

 

「問答無用!そーーーら、飛んでいけ!」

 

命乞いも虚しく、百代はそのままスキンヘッドを空に向かって投げ飛ばした。スキンヘッドは断末魔と共に、空の彼方へと消えた。

 

「ほら、お前たちも置いていかれるぞ。そーーーれ!」

 

続いて不良3人組も投げ飛ばした。3人+1人とも星になった。

 

「……こうしてモモ先輩に挑んだ芸人たちは、空へ旅立ちましたとさ」

 

めでたしめでたし、と最後に締めくくる京。しかも彼らは最後まで芸人扱いだった。

 

「このやり取りもすっかり見慣れてしまったな」

 

「そうですね……」

 

『いやあ、慣れってのはコワいぜー』

 

クリスと由紀江、そして由紀江の掌にいる馬のストラップ・松風。

 

最初は驚いていたが、今では日常の光景の一つとなっていた。百代に挑戦しては敗れ、空を飛ぶ者もいれば、川へ落ちる者もいる。

 

正式な試合であれば川神院へ運ばれ手当てを受けるのだが、最近は非公式で挑む者たちが多い。

 

「流石はお姉さま!あたしも頑張らなくちゃ!」

 

熱心にダンベルでトレーニングをするのは一子。百代を目標に日々鍛錬に明け暮れている。

 

「そうかそうか。可愛いやつだな、お前は。なでなでしてやろう」

 

百代は一子を抱き締め、頭を撫でる。一子は気持ちよさそうに甘えていた。

 

「それにしても、ここ最近変な人増えてない?」

 

この橋には変な人間が多いのは元々だが、日に日に増えている気がする、と卓也。メンバー全員も薄々と感じていた。

 

「しかも、姉さんを倒そうとする輩ばかり。命知らずだよな、可哀想に」

 

大和はやれやれと肩を落とす。

 

「おまけにどいつもこいつも弱過ぎて退屈凌ぎにもならないから困る。今日の連中も“くぇいさー”だの“そーま”だの訳が分からん」

 

百代は自分と対等に戦える人間と出会えず、満たされないでいた。

 

「こんな時は、弟を弄るに限るな♪」

 

咄嗟に大和を捕獲し、大和の頭を自分の胸に埋めさせる百代。

 

「ね、ねえさん苦しい……」

 

「ほ~ら大和。私の“そーま”を吸え。なーんてな。はっはっは」

 

百代と大和はいつもこんな感じでじゃれ合っていた。一方的に弄られているのは大和なのだが。

 

「……おっ、そろそろ急がねぇと遅刻するぜ?みんな」

 

キャップが腕時計を見ながらメンバー全員に伝える。

 

「珍しいね。いつもならそんなこと言わないのに」

 

いつもは時間を気にせず、常にフリーダムなキャップには珍しい発言だ、と大和。

 

「なんか今日は、すっげぇ面白い事が起きそうな気がしてウズウズしてるんだよな!」

 

キャップは今日に限って異様にテンションが高かった。

 

当然根拠はないが、こういう時のキャップの勘は良く当たる。というより外れた試しがない。

 

本人曰く、“風の知らせ”だとか何とか。

 

「こうしちゃいられねぇぜ!早速教室までダッシュだ!ひゃっほーーー!」

 

言って、キャップは風のように走り出した。こうなるとキャップは誰にも止められない。

 

「あ、待てキャップ!」

 

クリスが続いてキャップを追いかける。

 

「む、クリに先を越されるわ!クリ、どっちが先に着くか勝負~!」

 

一子が勝負勝負と連呼しながら走り出す。

 

「なんだかよく分かんねぇけど、俺たちも行こうぜ!」

 

「あ、待ってよ岳人!」

 

「皆さん、待ってください~!」

 

『オラもいくぜ~!』

 

岳人、卓也、由紀江、松風も後に続く。

 

「はっはっは。キャップは相変わらずだな~、私も混ぜろ~!」

 

百代もキャップ達を追いかけていく。

 

「みんな子供みたいに……しょーもない」

 

京はキャップ達には着いていかず、あくまでマイペースだった。

 

「私たちは大人だから、こうしてイチャイチャしながら愛を育む……ね、大和♪」

 

そしてあくまで大和に一途だった。大和の腕に絡み、身体を密着させてセックスアピール。

 

「おっと、遅刻したらやばいから俺も行かないと」

 

大和は京から逃げるように走り去っていく。

 

「……ち、逃げられた。照れなくてもいいのに~。もう、大和ったら可愛い♪」

 

京も大和の後を着いていく。どこまでも一途だった。

 

こうして、彼ら風間ファミリーのいつも通りの日常は、穏やかに始まりを告げた。

 

 

しかし、彼らはまだ知らない。これから起こる数多の出会いと、決して忘れることのできない………サーシャ達との物語を。




文章の修正、若干のリメイクが入る予定です!


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第1章「百代編」
1話「川神学園、潜入」


川神学園、応接室。

 

サーシャ、まふゆ、華はHRの時間が来るまで待機していた。

 

一方カーチャは別行動のため、まだ合流していない。

 

本部でユーリから任務を受けた数日後、サーシャ達は川神市へ移動し、現在に至っている。

 

任務の間は川神院へ滞在し、表向きは学園で通常の生活を送り、裏では元素回路の捜索に当たる。それが今回の任務内容だった。

 

「うちの制服もいいけど、ここの制服も結構可愛いわね」

 

白で統一されたデザインの川神学園の制服に、まふゆはすっかり気に入っていた。

 

「市を代表するってくらいだから凝ったもん想像してたけど、割とシンプルだよなー」

 

華も満更ではない様子である。

 

「はしゃぐのは勝手だが、忘れるなよ。俺たちは遊びに来ているわけじゃない」

 

忠告するサーシャ。サーシャはいつも通り私服姿でソファに座り、読書に耽っている。

 

「そんな事分かってるわよ……それよりサーシャ。どう、似合う?」

 

まふゆが制服の感想を求めてくる。

 

いつもとは違う、まふゆの制服姿。妙に意識してしまい、サーシャの顔が僅かに赤く染まった。

 

「……し、知るかそんな事!」

 

照れ隠しなのか、サーシャは目を逸らし、ボソッと呟くのだった。可愛くないんだから~と思わず苦笑いするまふゆと華。

 

「しっかし、よかったよな~サーシャ。ここが“女子高”じゃなくてさ」

 

華がソファに寄り掛かりながら嫌味ったらしく、そして“女子高”を強調しつつサーシャに言った。読書をしていたサーシャの身体がビクッと震える。

 

それは『私立翠玲学園』での出来事。

 

 

1年前、サーシャが女装をして任務を遂行していた自分を思い出してしまい、とうとう顔を真っ赤にしながら華を睨み付けた。

 

「華、お前……嫌な事を思い出させるな!」

 

「まあまあ、そう怒るなよ。アレはアレで結構似合ってたんだぜ?」

 

華に太鼓判を押されて、サーシャは更に顔を真っ赤にさせるのだった。

 

ちなみに任務の前日―――――。

 

 

 

『そう言えば、言い忘れていました。サーシャ君』

 

本部を立ち去る時、ユーリに呼び止められる。

 

『何だ?』

 

『潜入先の川神学園についてですが……』

 

『ああ』

 

『男女共学です』

 

『それがどうした?』

 

『翠玲学園の時と同様、女装しても構いませんよ?』

 

『……ふざけるな』

 

『私としては、是非ともそちらを希望したいのですが……』

 

『するかっ!!!!!!!!』

 

 

 

こんなやり取りがあった。サーシャは全力で拒否した。ユーリ曰く“非常に残念です”との事。

 

(サーシャが女装ねぇ……)

 

まふゆは女子制服姿のサーシャを思い浮かべてみる。

 

銀色に輝く、サラサラとした長髪。碧色の瞳。川神学園の制服に身を包み、凛としていて、それでいて優雅で美しい。

 

 

『――――初めまして。私、聖ミハイロフ学園から転入してきました、アレクサンドル=ヘルといいます。宜しくお願いしますわ。皆さま』

 

 

まふゆ達が女性としての自信を失くしそうな程、恐ろしく似合っていた。

 

「……結構、アリかも」

 

ぽか~んとした表情で、まふゆは思わず声を漏らす。

 

「だろ?ほら、織部もああ言ってる事だし、今からでも遅くねーから、女子制服に着替えてこいって。メイクは任せとけ!」

 

華はノリノリでサーシャに絡んでくる。

 

「誰がするか!考えただけでも身の毛がよだつ!!」

 

サーシャは本気かつ全力で嫌がっていた。翠玲学園の一件から、もう二度と女装はごめんだと心に決めている。

 

と、二人がそんなやり取りをしている間に、ようやく応接室に教師が1人やってきた。

 

2−Fの教師こと、小島梅子。

 

梅子も今回の一件を知っている数少ない人間の一人である。

 

サーシャ達はソファに座り、梅子と向き合った。

 

「待たせてすまないな、君たち。話は学長とユーリ殿から聞いている。それと、学長なんだが……生憎と立て込んでいてな。また後程挨拶に来られるそうだ」

 

話を進めながら、資料をサーシャ達に配る梅子。資料の内容はユーリから説明を受けているので、大方サーシャ達は把握している。

 

「学園の校則・行事についてはその資料に全て記載されている。目を通しておいてくれ」

 

梅子は一通り話を終えると、間を置いて話題を切り換えた……任務についてだ。

 

「早速本題なんだが……元素回路(エレメンタル・サーキット)だったか。残念ながら、報告の通り進展はない」

 

申し訳なさそうに、梅子は話を切り出した。

 

元素回路は麻薬のように販売目的で出回っているわけではないようだった。

 

 

その為、実際に物自体を見たという目撃情報はなく、被害者、または加害者が気絶した状態で発見されるケースが殆どである。

 

さらに、被害者及び加害者はその時の記憶を一切失っていて、手掛かりが全く掴めずにいるのが現状だと、調査に当たった関係者は全員手を焼いているという。

 

「私達だけでは解決できない状態にある。もはや、君たちだけが頼りだ。私たちも出来る限り助力を尽くそう」

 

力を貸してほしいと、梅子はサーシャ達に頭を下げる。解決の糸口が見つからない今、皆縋る思いであった。

 

「無論だ。必ず見つけ出す」

 

「私たちも全力で解決致します」

 

「任せてください」

 

必ず解決する……そう受け答えるサーシャ、まふゆ、華。梅子は3人を見て安堵したように笑うが、すぐに表情を引き締めた。

 

「しかし任務とはいえ、この学園に転入した以上はしっかりと勉学に励んでもらうからな。特別扱いはしないものと思え。もし怠けようものなら……」

 

ジャケットの懐から鞭を取り出し、強烈な鞭裁きを披露する梅子。

 

「教育的指導だ」

 

威圧的な態度で、梅子は宣告した。思わず、サーシャとまふゆの腰が退ける。

 

(む、鞭……あれで叩かれたら、はぁ……はぁ)

 

華は逆に興奮していた。空気が固まったので鞭をしまい、コホンと咳払いをする梅子。

 

「それで君たちのクラスなんだが……」

 

ユーリ経由で、聖ミハイロフ学園からサーシャ達の成績データを受け取っていた。

 

梅子はそれぞれのクラスをサーシャ達に言い渡す。

 

「まずは、桂木華。君はFクラスだ。ミハイロフ学園での成績はあまり宜しくないようだな。ちなみにFクラスの担任は私だ。みっちり扱いてやるから覚悟しておけよ」

 

ニヤリと笑いながら、梅子は華に言った。

 

「は、はいぃ……!」

 

華は非常に悦んでいた。この変態が……と、サーシャが侮蔑の意味を込めて呟く。

 

「次、アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル。織部まふゆ」

 

次にサーシャ、まふゆのクラスが言い渡される。

 

「アレクサンドル。君は飛び級しただけあって、成績は申し分ないな。素晴らしい」

 

思わず梅子が賞賛する程、サーシャの成績は良績だったらしい。

 

「当然だ。どこかの馬鹿とは違う」

 

サーシャは華に対して言うように吐き捨てた。

 

「う、うるせーよ」

 

と、華。否定はしない分、馬鹿である事は自覚しているらしい。

 

「織部、君の成績も優秀だな。君たちは2人ともSクラスに入る権利がある」

 

Sクラスは中でも特別なクラスであり、優秀な生徒、また名声ある家柄の生徒がいると梅子は話す。ただし編入は任意であり、優秀かつ志願した者だけしか入れないという特進クラスだった。

 

「もちろん希望するのは君たちの自由だ。どうする、志願してみるか?」

 

特進クラスを進める梅子だったが、サーシャは迷うことなく、

 

「いや、俺は華と同じクラスでいい」

 

華と同じFクラスを志願したのだった。

 

「特進だとかえって目立つ。できるなら、問題児の多いクラスに紛れたほうが動きやすい」

 

サーシャはあくまで任務を優先した。Fクラスは問題の多いクラスだと、学園の生徒が話していた事を耳にしている。

 

Fクラスの担任の梅子にとっては、耳の痛い話なのだが。

 

「私もサーシャの意見に賛成です。折角のご厚意ですが……今回は辞退させていただきます」

 

まふゆも同意見だった。

 

梅子は少し考え込んだが、サーシャ達がFクラスに入る事で、生徒達にとって良い刺激になるかもしれない……そう思った。

 

「ふむ、そうか。君達がそう言うのなら、是非とも私のクラスに歓迎しよう。それに、君達のような生徒を受け持つ私としても鼻が高い」

 

これで、サーシャ達のクラスは梅子が担当する2−Fに決定した。後はHRの時間が来るのを待つばかりである。



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2話「波乱の幕開け」

その頃、2-F。

 

Fクラスの生徒達は、HRまでそれぞれ雑談をしながら過ごしていた。

 

「でさ、チカリン。そいつがあの女と付き合ってた系で……」

 

「うんうん、それでそれで?」

 

チカリンこと小笠原千花と、羽黒黒子は恋愛絡みの話題で持ちきりだった。

 

「ねぇ、スグル。○○の新作どうだった?」

 

「地雷確定。あんなものはクソゲー以外の何物でもない。ストーリーも演出も××のパクリ。新作が聞いて呆れる」

 

オタクの大串スグルと卓也はPCゲームの話で討論中。

 

「さっきの競争はアタシの勝ちだわ!負けを認めなさいよクリ!」

 

「いいや、僅かに自分の方が早かったぞ。負けを認めるのはお前だろう、犬!」

 

一子とクリスは登校途中での競争で、勝ち負けを言い争っていた。

 

皆それぞれ他愛のない話に花を咲かせている。変わらないいつも通りのFクラスの日常である。

 

しばらくして、HRを知らせる予鈴のチャイムが鳴る。

 

「おーい、もうすぐウメ先生が来るぞー!」

 

Fクラスの生徒の一人が全員に告げる。すると、今まで雑談していた生徒達は自分の席に戻り、教室内は何事もなかったかのように静まり返った。

 

梅子は厳しい……もしお喋りをしようものなら、鞭による教育的指導が待っている。

 

廊下からカツカツと厳めしい足音が聞こえ、梅子が教室に入ってきた。

 

「起立!礼!」

 

委員長である甘粕真与の号令と共に、クラスの生徒達が元気よく挨拶をする。

 

「おはよう諸君!着席して良し」

 

全員が着席すると、梅子は早速話を切り出した。

 

「朝のHRを始める」

 

いつものように、梅子のHRが始まった。

 

「突然だが、今日付けでこのクラスに転入する事になった生徒達がいる」

 

梅子の突然の朗報に、クラス全員がざわめき始めた。

 

「静粛に!」

 

梅子の鞭が床を叩き、ざわめきが一気に消える。梅子は続けた。

 

「これから諸君に紹介しよう。よし、入っていいぞ」

 

梅子が教室の扉に向かって声をかけた。クラス全員の視線が扉に集中する。

 

「「し、失礼します!」」

 

扉がゆっくりと開く。最初に入ってきたのはまふゆと華。2人は緊張しながら、黒板に自分達の名前を書き、これからクラスメイトとなる生徒達に振り返った。

 

「あの、聖ミハイロフ学園から転校してきました、織部まふゆです。よろしくお願いします!」

 

「お、同じく桂木華です。よろしくお願いします!」

 

まふゆと華が自己紹介を終えると、クラス中の生徒……特に男子が騒ぎ立て始めた。

 

「うおおっ、マジ可愛くね!?」

 

岳人が鼻の下を伸ばしながら、まふゆたちを見て興奮している。

 

「こりゃ嬉しいサプライズだぜ!あ、やべぇ、勃ってきた………」

 

福本育郎は彼女らを眺め、妄想に耽っていた。

 

「ふん、また女子が増えたか……」

 

不機嫌そうにまふゆ達を一瞥するスグル。反応は皆様々だったが、とりあえず歓迎はされていた。

 

「こら、静かしろ貴様らっ!」

 

また鞭を床に叩きつけ、ざわめきを鎮める梅子。このやり取りに馴染めるのだろうか……まふゆは少し不安になった。

 

「実はな、もう一人いる。織部と桂木と同じく、聖ミハイロフ学園からの転入生だ。アレクサンドル、入れ」

 

梅子がもう一度、教室の扉に向かって声を出す。

 

「…………」

 

サーシャは無言で教室に入ってきた。クラス全員がサーシャを見て目を丸くする。

 

黒板に自分の名前を書き、緊張していないのか、表情を変えずに淡々と自分の名前を告げた。

 

「アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘルだ」

 

自己紹介を終えるサーシャ。変わって、梅子が代弁してサーシャの説明を始める。

 

「彼はロシアから飛び級で留学してきた実力のある生徒だ。勉強で分からない事があれば、彼に教えてもらうといい」

 

サーシャがよほど珍しいのか、クラス全員がサーシャに釘付けだった。

 

「急な話だが、みんな仲良くしてやってくれ。3人の席は先程伝えた場所の通りだ。以上、朝のHRを終了する」

 

HRが終わり、サーシャ達が席に座ったのを確認すると、梅子は教室を後にした。

 

それと同時に、

 

 

「お…………男の子キターーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

 

千花を筆頭に、一部の女子(殆ど)が歓声を上げた。一斉にクラス中の生徒達がサーシャ達によってたかる。

 

「ねぇねぇ、アレクサンドル君だっけ?あたしは千花。小笠原千花よ。チカリンって呼んでね♪」

 

「あたいは黒子。ってかアレクサンドル君、マジ美形~。あ~ちょ~抱かれてぇ!」

 

「まふゆちゃん、彼氏は!?彼氏はいるの!?」

 

「桂木さん、よかったら川神市内を案内しようか!?」

 

Fクラスの生徒達に囲まれ、怒涛の質問攻めが始まり、戸惑うサーシャ達。

 

「こ、こら。3人とも困ってるじゃないですか!ここは順番に……」

 

真与が生徒達を纏めようと試みる。しかし誰もがサーシャ達に夢中で、その声は届かなかった。

 

その一方で、彼らを観察する大和とキャップ。

 

「な?だから言ったろ?面白い事が起きるってよ!」

 

キャップの勘は当たっていたが、今日まで転入生が来るという情報は一切なかった。大和はそれが気がかりになっていた。

 

(……まあ、いいか。こういう事もたまにはあるさ)

 

深く詮索しても仕方がないので、大和はあまり気にしない事にした。

 

その後もクラスメイト達の質問攻めは1時限目の授業が始まるまで続き、初日早々、大変な思いをしたサーシャ達なのだった。

 

 

 

1時限目の授業終了のチャイムが鳴り、サーシャはすぐに教室から出ようと席を立ち上がる。これ以上、クラスメイトの質問攻めに合わない為である。

 

「あ、待ってよアレクサンドル君!もっとお話し聞かせてよ~!」

 

千花や他の女子達を無視し、サーシャは教室を後にした。

 

 

 

「…………」

 

教室を出たサーシャは壁に凭れ、疲れを吐き出すかのようにふぅと溜息を洩らす。

 

(……思った以上に、騒がしいクラスだ)

 

元々賑やかな雰囲気が嫌いなサーシャだが、ミハイロフに転入してからは徐々に慣れつつあった。

 

しかし、このクラスはそれ以上に賑やか過ぎる。任務が終わるまでの間、このクラスの生徒と付き合うのだと思うと先が思いやられる………と、サーシャは肩を落とす。

 

しばらく壁に凭れて休んでいると、生徒が数人、サーシャに近づいてきた。

 

「――――お前が例の転入生か?」

 

話しかけてきたのは、着物を着た女子生徒の不死川心。その隣には葵冬馬、井上準、榊原小雪と他数名。全員、2-Sの生徒達である。

 

「……何の用だ?」

 

「2-Fに転入してきた生徒がいると聞いたので、どんな方なのか気になりましてね……ああ、私は葵冬馬。2-S所属です」

 

冬馬が自己紹介を始める。1時限目の授業で、既に噂は流れていた。

 

「わ~、銀髪だ。銀髪だ~!」

 

まるで珍しい物でも見るかのように、小雪がサーシャをジロジロと観察し始めた。サーシャはあからさまに鬱陶しいという表情をする。

 

「こら、ユキ。困ってるからやめなさい……悪いな。こいつ、留学生があんまり珍しいもんだからはしゃいでんだよ」

 

準は詫びを入れながら、うーうー言いながら駄々を捏ねる小雪を連れ戻した。

 

「それにしても変わった奴じゃのう。飛び級で留学してきたと聞いたが、何故このようなFクラスにいるのじゃ?」

 

心の質問に対してサーシャは、

 

「俺がどこに行こうが俺の勝手だ。お前には関係ない」

 

目もくれず、淡々と答えた。そのサーシャの態度が気に食わなかったのか、心は食ってかかる。

 

「ふん、生意気な奴じゃ。高貴な此方がわざわざ足を運んでやったというのに、随分と偉そうな態度じゃのう」

 

「お前を呼んだ覚えはない」

 

「ぐっ……お前、此方が誰だか分かっておるのか?」

 

「知ったことか。お前が誰だろうと興味はない」

 

「い、イラつくのじゃ~!」

 

サーシャと心が言い争い(心が一方的に振った上、サーシャは全く相手にしていない)をしていると、戻ってこないサーシャが気になったまふゆと華が教室から出てくる。

 

「サーシャ、どうかしたの?」

 

「別にどうもしない」

 

と、サーシャ。まふゆと華は周囲の状況を確認する。どう見ても何もないわけがなかった。

 

「なんじゃ、お前たちも転入生か。ふん、見るからに野蛮な顔立ちをしておるのう」

 

サーシャでは相手にされないと分かると、今度はまふゆと華に因縁を付け始めた。華は舌打ちをすると、心を睨み付ける。

 

「何だお前、やんのかよ?」

 

「おお、怖い怖い。これだから2-Fは野蛮な山猿が多くて困るのじゃ」

 

扇子を広げ、口元を隠しながら嘲笑う心。冬馬と準、小雪以外のSクラスの生徒達も小馬鹿にするように笑っている。

 

するとまふゆ達に続いて、Fクラスの生徒達もぞろぞろと見物しにやってきた。

 

「関わらない方がいいよ、まふゆっち。あいつは2-Sの不死川心。学園中の嫌われ者よ」

 

心は名家に生まれたSクラスの生徒の一人。名家に生まれたが故、偏った選民思想を持ち、周囲の人

間を庶民として見下す嫌な奴だと千花が話す。

 

もちろん心だけではない。2−Sの生徒達は皆2-Fを見下していて、Fクラスの殆どがよく思っていなかった。どうやら2-Sと2-Fは対立関係にあるらしい。

 

まふゆは、2-Sに志願しなくてよかったとホッと胸を撫で下ろした。

 

「2-Fの山猿どもがゾロゾロと……あ~、嫌じゃ嫌じゃ。馬鹿がうつるわ」

 

ここぞとばかりに心は嫌味を放ち、2-Fから反感を買っている。

 

「言いたい事はそれだけか?馬鹿がうつるならさっさと教室に戻ったらどうだ?」

 

黙っていたサーシャが顔を向けず、視線だけを心に向けて言い放った。

 

「ふん、身の程を弁えよ。此方は不死川家の息女。やんごとなき身分なのじゃ。たかが飛び級して留学したくらいで、いい気になるでないわ!」

 

散々嫌味をぶつけて機嫌の良くなった心は余裕の笑みすら浮かべ、サーシャを見下した。

 

そんな心の姿を見てまふゆと華は、

 

(なんか、昔の美由梨を思い出すわ……)

 

(なんか、昔の美由梨を思い出すぜ……)

 

同じ学園のクラスメイト――――辻堂美由梨の事を思い出していた。今でも、あの高笑いが聞こえているような気がする。

 

しかしサーシャは心の言葉に動じることなく、

 

「――――見苦しいな。他人の威を借るしか能がないのか」

 

かつて、辻堂美由梨に放った言葉を口にした。

 

「な……なんじゃと!?」

 

思わず動揺を隠せない心。今の今まで、そんな言葉で返されたのは初めてだった。

 

「自分では靴一つ磨けない無能者が、偉そうな口を叩くな」

 

「……い、言っておくがの、Sクラスに入ったのは、此方の実力じゃ!」

 

今のクラスにいるのは家の銘柄だけではない、と心は言い張る。意外に努力家だった。

 

「お前のクラスには成績一つで威張るような連中しかいないのか。特進クラスが聞いて呆れる」

 

「な、なななななななな…………!」

 

心はとうとう言葉を失ってしまった。プライドを傷つけられ、ショックを隠せないようである。それも、相手が2-Fの生徒ならば尚更だ。これ以上の屈辱はない。

 

Fクラスの生徒達から“いいぞー、アレクサンドル!”と、エールが送られた。

 

これ以上反論しないと分かると、サーシャは自分の教室へと戻っていく。

 

「……とうじゃ」

 

ふと、心が小さく呟いた。サーシャの足が止まる。

 

「何?」

 

「……決闘じゃ!此方はお前に決闘を申し込む!!!」

 

心は懐からバッジを取出しサーシャに突き付け、高らかに宣言した。

 

決闘………学生の間でいざこざがあると、学生同士で戦って決着をつけるという、生徒の自主性・競争意識を尊重した川神学園独特のシステムである。

 

「ちょ、ちょっとサーシャ。まさか受けるの?もし受けたりしたら……」

 

まふゆが耳打ちをする。当然、決闘を受ければさらに目立つ事になるだろう。ただでさえ留学生という理由で有名人扱いなのに、これ以上目立てば任務に差し支える可能性がある。

 

「くだらん。お前の相手をしている暇はない」

 

サーシャは申し出を拒否した。面倒を起こせば任務に影響が出る……当然の判断だった。

 

「なんじゃ、怖気づいたか?あれだけ威勢のいい事を言っておきながら、所詮は口だけじゃったか。ほっほっほ、とんだ腰抜けじゃのう」

 

心はサーシャを罵り、嘲笑う。他のSクラスの生徒達からも笑い声が聞こえる。

 

ここまで馬鹿にされては黙っていられない。流石のサーシャも頭に血が上り、心に振り返った。

 

Вы можете либо дрожь?(お前は、震えた事があるか?)

 

サーシャが感嘆してロシア語を口走り、心に敵意の眼差しを向ける。

 

「その決闘、受けて立つ!」

 

サーシャもバッジを突き付け宣戦布告し、決闘を受理した。

 

「決まりじゃな。場所は校庭、時間は昼休みじゃ。逃げ出すでないぞ」

 

時間と場所を指定し、心とSクラス一行は自分達の教室へと戻っていった。

 

「おい、聞いたか?アレクサンドルと不死川が決闘だってよ!」

 

「マジかよ、こりゃ見物だぜ!」

 

「どっちが勝つんだろうね!」

 

「あたしはアレクサンドル君に勝ってほしいわ!」

 

決闘が決まり、2-Fの生徒達が盛り上がり始めた。これで、サーシャ達の事が一気に学園中に知れ渡る事になるだろう。

 

「お、おいサーシャ。いいのかよ!?」

 

心配そうに尋ねる華。しかし受けてしまった以上、もう後には退けない。

 

「すぐに片づける、問題ない」

 

「そういう問題かよ……」

 

「目立たなければいいんだろう?」

 

言って、サーシャは教室へ戻っていく。

 

「あの馬鹿……何考えてんのよ、もう」

 

予想だにしない事態が起きてしまったと、まふゆは肩を落とした。この決闘で任務に影響が出ない事を、ただ祈るしかない。

 

 

結局、勢い余って決闘をすることになったサーシャ。こんな調子で、無事に任務を終える事ができるのだろうか。まふゆと華の不安は、さらに高まるばかりだった。

 

 

――――不死川心との決闘まで、後数時間。



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サブエピソード1「Fクラスの番長、誕生!?」

2時限目終了後の休み時間。

 

(ん、風を感じる……)

 

風が吹く予兆を感じ取った福本はカメラを身構えた。

 

ターゲットはもちろん、千花。千花はまふゆとすぐに打ち解けていた。今はまふゆと話に夢中になっていて、こちらには気づかない。

 

(まふゆちゃんまでセットなんて……今日の俺はツイてるぜ!ぐへへ、こいつはいいアングルが取れそうだ)

 

涎を垂らしながら、まふゆと千花のスカートが捲れる瞬間を、今か今かと待ち続けている。

 

ズーム機能を使い、まふゆと千花の後ろ姿を捉え、スタンバイOK。退路確保。

 

(3・2・1……)

 

「きゃっ」

 

「わっ」

 

風が吹き、まふゆと千花のスカートが捲れ上がる。今こそシャッターチャンス。

 

「よっしゃいくぜ!ファイ―――――」

 

「何やってんだ、お前」

 

カメラのシャッターを切る直前、通りすがった華がカメラを取り上げた。

 

「アーーーーッ!!!俺の今日のオカズがーーー!!」

 

シャッターチャンスを逃してしまい、悲痛な叫びを上げるヨンパチ。

 

「あ、わりぃわりぃ。邪魔したか?」

 

どうやら華は悪気があったわけではなく、ただ純粋に興味本位でカメラに触れただけだった。

 

パンチラを撮ろうとした事は悟られてはいないと、福本はホッと息を漏らす。

 

「で、何やってたんだよ?」

 

「そりゃあ……そう、あれだ。俺は女性の美を追求してたんだよ!」

 

と、うっかり核心に迫るような発言をしてしまい、思わず福本は口元を押さえた。

 

「は……?女性の美?追求?」

 

華はカメラで写そうとした方角を確認する。

 

そこには、スカートを押さえているまふゆと千花の姿があった。

 

「って、盗撮じゃねぇかよ」

 

まふゆと千花のパンチラを盗撮しようとしたのだと、華は一目でわかった。

 

「俺は盗撮なんてこそこそするような真似は絶対にしねぇ!……ああ、でもたまにするかも」

 

「堂々と撮りゃいいってもんじゃねぇだろ……」

 

開き直る福本の態度に、華は呆れてものも言えなかった。

 

「華、どうかしたの?」

 

話している間に、まふゆと千花がやってきた。華は持っていた福本のカメラを2人に見せて、

 

「こいつ、織部とチカリンのパンチラを盗撮しようとしてたんだよ」

 

盗撮していた事を暴露する。福本は絶望した。

 

それを聞いたまふゆと千花は顔を真っ赤にし、福本を睨み付けた。

 

「また盗撮!?ホント凝りないよね、このエロザル!!」

 

「ちょっと福本君、どういうつもりなの!?」

 

まふゆと千花に責め立てられ、逃げ場をなくす福本。華はそれを面白がって見ていた。

 

「まあ、その辺にしとけよ。ほら、カメラ返すぜ」

 

言って、華はカメラを福本に投げ返す。

 

「好きにしてもいいけどよ、アタシの目の黒い内は絶対撮れねぇと思ったほうがいいぜ?」

 

くっくっくと笑い、華は警告する。華がいる以上、女子の撮影は困難になるだろう。

 

「さっすが華。頼りになるぅ♪」

 

千花もすっかり華と仲が良くなっていた。

 

「く、くそぉ……見てろよ、お前の目を掻い潜って、絶対撮りまくってやるからな!」

 

福本は懲りることなく宣戦布告をするのだった。華はやれるもんならやってみろと鼻で笑う。

 

 

こうして2-Fに、番長的な存在が誕生した。



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サブエピソード2「まふゆの実力」

3時限目の休み時間の事。

 

まふゆはすぐクラスに馴染み、生徒達と打ち解けていた。教科書を机の中にしまっていると、クリスに声をかけられる。

 

「聞きたいんだが、まふゆは剣道をやっているのか?」

 

クリスはまふゆの荷物にあった竹刀袋が、ずっと気になっていたようだ。

 

「うん。昔剣道部に入ってたんだけど……色々あって、今は辞めちゃったの。でも稽古はちゃんと自分で続けてる」

 

「そうか……もし差し支えなければ、自分と手合わせ願いたい」

 

是非まふゆと一戦交えてみたい、とクリス。

 

「それって……まさか、決闘?」

 

「いや、単なる腕試しだ。自分は、まふゆの強さが知りたい」

 

決闘ではなく、純粋な勝負の申し出だった。サーシャに続いて決闘を起こせば、もう任務どころではなくなるだろう。

 

それなら……と、まふゆは承諾した。

 

「いいけど……私、あんまり強くないよ?」

 

「そうか?自分は、まふゆにただならぬ“何か”を感じるんだが」

 

まふゆに興味を抱くクリス。確かに、まふゆは剣の生神女(マリア)である……少なくとも普通の人間とは違う。任務とはいえ、やはり隠し事をするのは気が退けた。

 

「なになに?何の話?」

 

すると、一子が話の輪に入ってくる。

 

「今度、まふゆと手合わせをすることになった」

 

「え、そうなの!?それならアタシとも勝負してほしいわ!」

 

目を輝かせながら、まふゆに懇願する一子。先程の心といい、この学園は好戦的な生徒達が多いなとまふゆは思った。

 

「何か、2人とも強そうだよね」

 

思わず感想を漏らすまふゆ。

 

「まあね。ま、クリはアタシの次ってところかしら」

 

強いと言われ、すっかり機嫌を良くした一子はえっへんと胸を張る。

 

「む、それは聞き捨てならないな。どちらかというと2番目はお前だろう、犬」

 

「違うわよ、2番目はあんたでしょ!?」

 

「いいや、お前だ!」

 

互いに火花を散らすワン子とクリス。まあまあ二人とも……と2人を宥めようと声をかけるまふゆ。しかし、今の2人の耳には届かない。

 

「クリよ!」

 

「お前だ!」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

暴走する2人を前に、どうしていいかあたふたするまふゆ。

 

「何よ、じゃあ勝負する!?」

 

「望むところだ!」

 

「だから……」

 

このままだと、決闘になりかねない。まふゆは言う事を聞かない2人に痺れを切らし、

 

「だから……やめなさいって言ってるでしょうがぁ!!」

 

竹刀袋から竹刀を取り出し、聞く耳持たない一子とクリスの頭に面を食らわせた。

 

「あうわっ!?」

 

「ぐっ!?」

 

まふゆの一撃をもらい、一子とクリスはようやく落ち着きを取り戻した。

 

「………」

 

「………」

 

キョトンとした表情でまふゆを見る一子とクリス。クラス中の視線がまふゆに集まった。

 

やばっ……と、まふゆは我に返る。

 

「ごご、ごめん!つい……」

 

サーシャと接する時の感覚で、つい手が出てしまったとまふゆは謝罪した。

 

「……見切れなかったわ」

 

「自分もだ」

 

しかし、2人とも怒っている様子はなかった。むしろ逆に感心しているようである。

 

「驚いたわ、まふゆも結構やるじゃない!」

 

早く戦ってみたいわ、と一子はさらに闘争心を燃やす。

 

「只者ではないと思っていたが……自分はますます興味が湧いたぞ、まふゆ!」

 

手合わせをするのが楽しみだ、とクリスは笑う。

 

何はともあれ、喧嘩に発展しなくてよかったとまふゆは安堵した。

 

「口より先に手が出るのは相変わらずだな」

 

一部始終を見ていたサーシャに、痛いコメントを貰うまふゆ。

 

「う、うっさいわねこのツンドラ坊主!」

 

図星を突かれ、まふゆは顔を赤くしながらサーシャに食ってかかる。

 

本当に仲がいいなぁ、とFクラスの生徒達はサーシャとまふゆを暖かく見守るのだった。



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サブエピソード3「男達の推察」

同じく、3時限目の休み時間。

 

キャップ、大和、岳人、卓也の4人は、サーシャと心の決闘の話で持ちきりだった。

 

決闘まで後数時間を切っている。当人のサーシャはというと、

 

「………」

 

席に座り、静かに読書をしていた。

 

「アレクサンドル君、随分余裕だよね」

 

卓也はサーシャを見て思う……余程自信があるのか、読書で緊張を紛らわしているのか。

 

どちらかというと、前者に見えた。

 

「なあ、大和はどう思うよ?」

 

決闘でどちらが勝つか……キャップが大和に意見を求める。

 

「う~ん……今の時点では何とも言えないなぁ」

 

突然転入してきた留学生、サーシャ。大和はサーシャに興味を持っていた。

 

彼の事は未だ未知数。今の段階で結論は出せないが、今まで男子と女子の決闘では、男子の殆どが負けているのが現状である。

 

従って、統計学的に言えば勝利するのは心という事になる。

 

それに心は、意外にも全国区の実力を持つ程の柔道……主に関節技の使い手であり、並大抵の人間ではまず勝てないだろう。

 

決闘の形式は喧嘩だけでなく、スポーツ、論争等の様々なジャンルを選ぶ事が可能。にも関わらず、サーシャは直接対決を選んだ。という事は戦闘経験を積んでいると推測ができる。

 

「ま。考えても仕方ねぇし、決闘の時間になるまで待とうぜ」

 

と、岳人。しかし、サーシャは心の戦闘スキルを知らないはずだ。一応知らせておいた方がいいだろうと、大和は席から立ち上がった。

 

「俺、ちょっとアレクサンドル君と話してくるわ」

 

言って、大和はサーシャの席へと近づいた。

 

「決闘まで後少しだけど、緊張とかしてない?」

 

「ん?いや、別に緊張はしていない」

 

 

サーシャは読書を中断し、大和に顔を向ける。

 

「対戦相手の不死川心は柔道の使い手で、全国に通用する程の実力者だよ」

 

心について、知っている限りの情報を提供する大和。ただ教える為ではない。これはサーシャとのコミュニケーションを取る切っ掛けにする為である。

 

サーシャという人物を、より良く知る為に。

 

すると、話を聞いたサーシャは読んでいた本を閉じて立ち上がる。余計なお世話だっただろうか……しかし、サーシャから返ってきたのは意外な言葉だった。

 

спасибо(感謝する)

 

ロシア語でいう「感謝」の意味であると大和は理解する。第一印象は無愛想だが、意外に話の分かる奴かもしれないと大和は思った。

 

それだけ大和に言って、サーシャはまふゆのいる席へと向かっていく。

 

 

「口より先に手が出るのは相変わらずだな」

 

「う、うっさいわねこのツンドラ坊主!」

 

 

サーシャにはまだ謎が多い。だからこそ、大和の好奇心がそそられる。

 

(アレクサンドル、か……)

 

面白い奴がやってきた……と、大和はサーシャという人物にさらなる興味を抱くのだった。



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サブエピソード4「女帝の来校」

サーシャ達がFクラスに転入した同時刻。

 

 

カーチャも学園に到着し、転入先のクラスは1-Cに決定した。

 

 

サーシャと同様、飛び級で学園に転入してきたという手筈になっている。

 

「初めまして。エカテリーナ=クラエといいます。“カーチャ”って、呼んで下さい♪」

 

カーチャはスカートを広げ、とびきりの笑顔でクラス全員に一礼する。まるで妖精のようなその容姿は、1-Cの男子生徒全員の目を釘付けにした。

 

女子生徒達もカーチャのあまりの可愛らしさに、思わず抱き締めたいという生徒もいれば、いけない妄想に走ろうとする生徒もいる。

 

転入して早々、カーチャは1-Cのアイドルの座を獲得した。

 

「凄いですね……あんなに小さいのに、飛び級で留学だなんて」

 

感心し、カーチャに尊敬の念を抱く由紀江。

 

『何言ってんだよ。まゆっちだって成績優秀で、色々と頑張ってるじゃんかー』

 

松風が由紀江に励ましのエールを送る。と言っても、実際に喋っているのは由紀江なのだが。

 

そんな中、カーチャは松風と喋っている由紀江に視線を注いでいた。

 

(……ふーん)

 

ニヤリとカーチャの口元が吊り上がる。この瞬間、由紀江が奴隷候補にあがった。

 

 

 

そして昼休みの時間。

 

昼食を食べ終えた由紀江は、友人である大和田伊予と一緒にいた。

 

「というわけでイヨちゃん。私、カーチャさんに声をかけてみたいと思います!」

 

カーチャと友達になるきっかけを作る為に意気込む由紀江。まだ声すらかけていないのに、まゆっちは緊張して顔を強張らせていた。

 

ちなみに由紀江の友達100人計画は、まだ続いている。

 

「落ち着いてまゆっち。ほら、深呼吸深呼吸」

 

『そうだぜー、まゆっち。ここで挫けたら前に進めねぇー』

 

私も一緒に声をかけてあげるから、と伊予や松風も応援してくれていた。

 

「すー、はー、すー、はー……で、では、参ります!」

 

深呼吸して息を整え、由紀江はカーチャのいる席へと足を運ぶ。

 

「――――こんにちは、お姉さま方♪」

 

由紀江の視線の先には、無垢な笑顔を浮かべたカーチャの姿があった。

 

突然のカーチャの訪問に、由紀江の心臓が飛び跳ね、バクン、バクンと音を立てる。

 

「あ、あああ、えええっと、あのその……こここここここんにちは!!」

 

先に挨拶をされ、緊張が極限までに達したまゆっち。辛うじて挨拶は返せたが、顔は緊張して強張ったままであった。

 

そんな由紀江を見兼ねて、伊予が助け船を出す。

 

「こんにちはカーチャちゃん。私は大和田伊予。こっちは黛由紀江と松風。よろしくね」

 

『おう、よろしくなー』

 

「はい、よろしくお願いします。伊予お姉さま、由紀江お姉さま、松風♪」

 

カーチャは自己紹介の時のように、礼儀正しく一礼する。

 

(ほら、まゆっち)

 

伊予が肘で由紀江の脇を突く。本当ならば伊予が伝えてしまえば済む話だが、それではまゆっちの為にならない。

 

『いけー、チャンスだまゆっち。やるなら今しかねぇ。大人の階段を登るんだ!』

 

松風に後押しをされる。由紀江は意を決して大きく息を吸い込み、カーチャに伝えた。

 

「あ……ああああの、わ、わわわわたしとお友達に――――」

 

「聞いてくれ!転入してきたFクラスの留学生と、Sクラスの不死川先輩が決闘だってよ!」

 

同じクラスの男子生徒が声を張り上げる。クラス全員が一斉に教室を飛び出し、決闘の場である校庭へと向かう。おかげで、由紀江は言いそびれてしまった。

 

2-Fの留学生……それはサーシャの事だとカーチャはすぐに分かった。

 

(決闘……?はっ。(ジェレーザ)の奴、目立った行動はしないって言ったくせに、ほんとお子ちゃまね。ま、いいわ)

 

決闘のシステムはカーチャも知っている。いい退屈凌ぎになりそうだわと、心の中で笑った。

 

「カーチャ様、校庭へお連れ致します。行きましょう」

 

カーチャの前に現れたのは、男子生徒と女子生徒が数名。腕を後ろに組み、頭に『カーチャ様☆LOVE』と書かれた鉢巻きを巻いている。

 

カーチャのファンが増え、ついには親衛隊まで結成されていた。カーチャにとっては迷惑な話だが、今後役に立ちそうなので好きにやらせておく事にしている。

 

「ごめんなさい。カーチャ、呼ばれてるみたいだから行かなくちゃ」

 

カーチャはもう一度だけ由紀江達に一礼し、

 

до свидания(またね)

 

ロシア語で言う、「またね」と言って、親衛隊と一緒に教室を出て行った。

 

「うう……言いそびれてしまいました」

 

せっかく勇気を出したのに……由紀江はガックリと肩を落とす。

 

『うわー……今のはさすがに切ねーよ、まゆっち』

 

同情する松風。

 

「だ、大丈夫だよまゆっち。まだチャンスはあるから」

 

元気を出して、と由紀江の肩を叩く伊予。しかし由紀江のショックは大きかった。

 

「ほら、私達も決闘を見に行こうよ。何か面白そうだよ!」

 

由紀江の手を引っ張る伊予。落ち込んでいても仕方ない……由紀江は気持ちを切り替える。

 

(そうです……ここで諦めてはダメ。よし、頑張れ私!)

 

決闘が終わったら、もう一度カーチャに声をかけよう。その決意を胸に、由紀江は伊予と共に教室を出て行くのだった。



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3話「対決」

ついに、サーシャと心の決闘の時間がやってきた。

 

学園の校庭には大勢の生徒達や教師が集まり、決闘の始まりを待っている。

 

その中には、ここぞとばかりに弁当を売って稼ごうとする者や賭けをする者、カメラで撮影をする者等、様々な人達でごった返している。校庭はもはやイベント会場と化していた。

 

その大勢のギャラリーの中心に、対戦者―――サーシャと心がいる。

 

「逃げなかった事だけは褒めてやるのじゃ、アレクサンドル」

 

まるで自分の勝利を確信しているように、心は余裕の笑みを見せていた。一方のサーシャは無言のまま、心を睨み付けている。

 

二人の試合が始まろうとしている……そのサーシャの行く末を、心配そうに見守るまふゆと華。

 

「……とうとう始まっちゃったわね」

 

まふゆはサーシャの姿を眺めながら呟いた。

 

「そういや、同じクラスの直江から聞いたんだけどよ。あの不死川心って奴、全国レベルの柔道の使い手なんだってよ。結構ヤバいんじゃないのか?」

 

華は念の為、クラスの人間から情報収集をしていた。不死川心……決闘を申し込むだけあって、戦闘スキルは高い。

 

「い、一応、私の聖乳(ソーマ)を吸ってあるし……っていうか、勝たなかったら絶対に許さないんだから」

 

顔を真っ赤にしながら、胸を隠す仕草をするまふゆ。決闘前、まふゆとサーシャの間でこんなやり取りがあった。

 

 

 

誰もいない、Fクラスの教室。

 

決闘まで後数分。サーシャはまふゆを呼び出した。

 

『まふゆ。念の為だ、お前の聖乳を吸わせてくれ』

 

『え……こ、ここで!?』

 

『お前が必要だ』

 

『う……わ、分かったわよ。その代わり、やるからには絶対に勝ちなさいよね!』

 

そう言ってまふゆはワイシャツとベストをたくし上げ、ブラジャーを外す。

 

да(当然だ)

 

そしてサーシャはまふゆの胸にゆっくりと口を近づけて………。

 

『んっ……!?あっ、うっ……!!』

 

 

――――――――――――。

 

 

聖乳は既に補給済みだった。恥ずかしそうに話すまふゆを見て、華は思わず苦笑いした。

 

しばらくして、周囲にいた生徒達がざわめき始める。いよいよ決闘開始だ。

 

現れたのは威厳のある老人……学長の川神鉄心である。鉄心はサーシャと心の間に歩み寄る。

 

「これより川神学園伝統、決闘の儀を執り行う!」

 

鉄心の声が校庭中に響き渡り、校庭中から一気に歓声が上がる。

 

「と、その前にじゃ……アレクサンドリャ……ニコビチョ、言いにくい名前じゃのう」

 

サーシャの名前が言いにくいのか、髭を弄りながら苦笑いする鉄心。

 

「サーシャで構わん」

 

先に進まないので、サーシャは鉄心にそう促した。

 

「ふむ、そうか……ではサーシャよ、先程は挨拶が出来なくてすまんかったの。ワシは川神学園の学長を務める、川神鉄心じゃ」

 

自己紹介を簡潔に終わらせると“後程ゆっくりと話そう”と意味深な言葉を口にする鉄心。鉄心はサーシャ達の滞在先である川神院のトップであり、任務の一件を知る重要人物だった。

 

「では、2人とも前へ出て、名乗りを上げるが良い!」

 

鉄心の掛け声と共に、サーシャと心が一歩前に出る。

 

「2-F、アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル」

 

「2-S組、不死川心!」

 

心も名乗りを上げ、サーシャと対峙する。

 

「ワシが立ち会いのもと、決闘を許可する」

 

基本的な判定は、勝負がつくまでは何があっても止めない。ただし、勝負がついたにも関わらず攻撃を行えば、ワシが介入して戦闘を止めると鉄心が付け加えた。

 

「問題ない」

 

「心得たのじゃ」

 

サーシャと心は同意し、戦闘態勢に入る。

 

(……さて。アトスの秘蔵“致命者サーシャ”とやらがどれほどのものか、見せてもらうぞい)

 

鉄心はサーシャの戦いぶりを期待していた。派遣されたクェイサーがどれ程のものか、この決闘はそれを知る良い機会である。

 

「いざ尋常に、はじめいっ!!!」

 

鉄心の合図と同時に、サーシャVS心の決闘の火蓋が切って落とされた。

 

「いくぞっ!!」

 

「すぐ楽にしてやるのじゃ!」

 

互いに衝突し、体術のぶつかり合いが始まる。

 

近接戦闘は、心の必殺の間合い。心はサーシャの手を絡め取ろうと手を伸ばした。が、サーシャはそれを払い落し、蹴りで反撃する。

 

「ふん。当たらぬわ!」

 

ひらりと身を躱す心。2人とも隙を一切見せず、激しい攻防を続けている。

 

「すっげぇ……アレクサンドルの奴、あんな強かったのかよ」

 

観戦していた岳人が思わず声を漏らす。勿論岳人だけではない……観戦している人間の殆どが、ハイレベルな戦いを前に度肝を抜かれていた。

 

(一筋縄ではいかないか)

 

サーシャは反撃と防御を続けながら、心の力量を測っていた。

 

 

近接戦闘においては、サーシャも退けを取らない。だがそれ故、心に対して迂闊な真似はできなかった。関節技を一度でも食らえば、こちらが不利になる。

 

(だが――――それなら!!!)

 

サーシャは動きを変え、防御を捨てて攻撃に徹した。殴り、蹴りを雨のように浴びせ、怒涛の攻撃で心を攻め立ていく。

 

「うっとおしいのじゃ!そらっ!!」

 

「――――――!!」

 

心はサーシャの腕を掴み、勢いよく背負い投げた。視界が反転し、空へと高く投げ飛ばされる。

 

しかしサーシャは空中で体制を整え、受け身を取ることなく着地に成功した。

 

「―――畳みかけてやるのじゃ!」

 

心の反撃は止まない。急接近して、サーシャに再び攻撃を仕掛ける。

 

「――――舐めるな!!」

 

サーシャは地面を強く蹴り上げた。周囲に砂埃を発生させると同時に、蹴り上げた砂が心の視界に舞い込む。

 

「ふん、甘いわ!」

 

心は視界に飛んできた砂を、扇で全て叩き落した。

 

心の切り札である鉄扇。飛び道具や武器から身を守るための手段で、常に携帯していた。つまり、心に真正面からの小細工は通用しないという事である。

 

「ほっほっほ。此方にそのような小細工など通用せんのじゃ」

 

心は口元を扇子で隠しながら、サーシャを嘲笑った。

 

(あの扇……鉄か)

 

だが、それはサーシャにとって勝機だった。鉄の元素を自在に操るサーシャなら、あの鉄扇を利用しない手はない。

 

クェイサーの力は目立つが、大鎌(サイス)のようなの大きな武器を練成するわけではない。短剣程度の練成なら、許容範囲だ。

 

こんな所でクェイサーの力に頼る事になるとは……心を甘く見ていた自分を呪う。だが、サーシャは負けるつもりはない。

 

もう一度だけサーシャは地面を蹴り上げ、砂を心の視界に向けて飛ばした。

 

「何度やっても無駄無駄無駄なのじゃ」

 

同じように、鉄扇を広げて砂を叩き落す心。サーシャはその隙を狙い、鉄扇に手を伸ばした。だが、サーシャの動きに気付いた心は一歩退いて距離を取る。

 

「なるほどのぅ。此方の扇子を奪うという寸法か。所詮は猿の浅知恵じゃ―――――な!?」

 

そして心は気付いた。自分の持つ鉄扇の大きな異変に。

 

心の鉄扇は、見事に一部がごっそりと抉り取られていた。心は何が起きたのか理解が出来ず、冷静さを失っている。

 

「こ、こここここ此方の扇子が!?な、何がどうなっておるのじゃ!?」

 

その瞬間が、心の最大の隙だった。サーシャは心の背後に回り込み、腕を捻り上げて身動きを封じる。そしてついに……。

 

「――――――まだ続けるか?」

 

心の首元には、鋭利な刃を持った短剣が突き付けられていた。心の鉄扇の一部を奪って、サーシャが練成した物である。

 

「ひいいいいいいいぃぃぃぃいいいいい!?」

 

命の危険を感じ、血の気が一気に引いていく。心は恐怖で力が抜け落ち、地面に崩れ落ちた。

 

「そこまで!」

 

心が戦意を喪失したものと判断し、鉄心は右手を上げて、

 

「勝者、サーシャ!!」

 

サーシャの勝利を、高らかに宣言するのだった。



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4話「日常の終わり、非日常の始まり」

激しい戦いの末、心に勝利したサーシャ。

 

「すっげぇ、不死川心に勝ったぞ!」

 

「アレクサンドル君、超カッコイ~!!」

 

「ざまあみろ不死川!」

 

校庭にいる生徒達から歓声が上がる。生徒達の声は、サーシャ一色だった。体術は互角だったが、サーシャは傷一つ負っておらず、尚且つ心に身体的なダメージすら与えていない。

 

総合評価的に言えば、サーシャの圧勝だった。

 

「うぅ……何なのじゃ。一体何がどうなっておるのじゃ……」

 

心は未だに状況が飲み込めていなかった。地面に座り込み、泣きべそをかきながら無残に変形した鉄扇を見つめている。

 

「………」

 

勝者となったサーシャは無言のまま心に近づき、心の目を覗き込むようにしゃがみ込んだ。

 

「ひっ……」

 

びくっと身体を震わせて、怯え切った表情でサーシャを見る心。

 

「………」

 

サーシャは表情一つ変えないまま心をじっと凝視する。そして次の瞬間、

 

 

………………。

 

 

右手を心の左胸に手を伸ばし、触れた。

 

 

――――――――――。

 

 

校庭中……否、全ての時間が一瞬だけピタリと止まったような気がした。先程まで騒いでいた生徒達も急にしん、と静まり返っている。

 

「………あ」

 

心は自分の胸に置かれているサーシャの右手に視線を下ろす。

 

「………」

 

数秒間沈黙が続く。そして心は今の状況を理解し、ようやく我に返った。

 

「にょわああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

胸を触られ、赤面しながらサーシャから後退りする。同時に、校庭中の生徒や教師達が騒ぎ始めた。特に男子生徒達が性的な意味で騒ぎ立てている。

 

「………」

 

サーシャは心の胸に触れた自分の右手を数秒間見た後、怯えている心を見下ろし、興味が失せたと言わんばかりの表情で、

 

『В вашей груди, сердце мое непоколебимое(お前の胸では、俺の心は震えない)』

 

ロシア語で吐き捨てた。心は言われた意味が分からず、近くにいた冬馬に翻訳を頼む。

 

「……葵君、アレクサンドルは何と言ったのじゃ?」

 

しかし、冬馬は言いにくそうに苦笑いを浮かべていた。聞かない方がいいですよと忠告するが、それでも心は知りたいと言って頷いた。

 

「“貴方の胸では、私の心は震えない”だそうです」

 

サーシャのロシア語を、丁寧に訳して伝える冬馬。心にはイマイチ意味が分からなかったが、とりあえず分かった事は明らかに貶されているという事だけだった。

 

「もう色々と悔しいのじゃ!うわ~~~~~~~~ん!!」

 

負けた挙句に侮辱を受け、それに耐え切れなくなった心は泣き出してしまった。

 

するとまふゆと華がギャラリーを掻き分け、怒りを露わにしながらサーシャの前にやってきた。

 

「一体何考えてんのよ、アンタはっ!!!!」

 

まふゆは竹刀で、サーシャの頭を力一杯ぶっ叩いた。

 

「ここはミハイロフとは違うのよ!無闇に女の子のおっぱいを触らないの!っていうか、普通は私達の学園だろうと何だろうと基本的にアウトだから!!」

 

「吸ったわけじゃないから問題はない」

 

竹刀で叩かれた頭部を擦りながら、反省する様子もなくただ本心を述べるサーシャ。

 

「そういう問題じゃねぇだろ!ただでさえ目立ってるのに、これ以上問題起こすんじゃねぇよ!バカかよお前は!?」

 

流石の華もこれには激怒した。サーシャは後先考えずに直情的に行動する時がある事は知っていたが、今回のは取り返しがつかない。

 

「――――こりゃ!何と言う不埒な真似をするでおじゃる!」

 

まふゆ、華に続いて後からやってきたのは、顔の白い、まるで平安時代にでもいるような人相の教師……綾小路麻呂だった。麻呂の言う事に対し、サーシャは反論する。

 

「勝ったのは俺だ。その俺が何をしようがお前には関係ない」

 

「だまりゃ!これは由々しき問題でおじゃる!アレクサンドルとやら、お前には処分……」

 

「まあまあ綾小路先生、その辺にしておきなさい」

 

鉄心がこの場を納めようと、サーシャと麻呂の間に入って割り込んできた。しかし麻呂は納得がいかず、鉄心に抗議を求める。

 

「し、しかし学長……」

 

「いわゆるカルチャーショックと言うやつじゃ。兎に角、この件はワシが一旦預かろう。後でサーシャにはキツク言っておくわい」

 

鉄心はそう言って、一旦この騒ぎを納めたのだった。これ以上揉めると家柄的にも厄介なので、学長がそう言うならと麻呂も身を退くことにした。

 

こうして決闘は終わり、生徒や教師達がそれぞれの教室へ戻っていく。決闘が終わってもサーシャの話題が消える事はなかった。

 

自分達の教室にはとてもではないが戻れない……そう思うまふゆと華だった。

 

そんな中肩を落とし、教室へと戻っていく心の後ろ姿をカーチャは興味深そうに眺めていた。

 

(………決めたわ)

 

カーチャの口元が吊り上がる。まるで獲物を狩るような狡猾で扇情的な瞳。くすくすと静かに笑いながら、カーチャは校庭を去るのだった。

 

 

 

重い足取りで、教室へと戻るまふゆと華。サーシャは特に気にする様子もなく廊下を歩き、2人の先頭を切ってFクラスへと向かう。

 

廊下からは、別のクラスの生徒達の視線を感じる。サーシャはある意味で有名人になった。今日から“おっぱいソムリエ”等と変な仇名を付けられても可笑しくはない。

 

(……ああ、入りづらいなぁ)

 

とうとうFクラスの教室に辿り着く。まふゆは大きく溜息をついた。

 

きっとドアを開けば、サーシャは女子生徒達の敵になっているだろう。どうフォローすればいいかまふゆと華は悩んでいたが、もうフォローのしようがないことは明らかだった。

 

そんな2人の気持ちを余所に、堂々と教室のドアを開けるサーシャ。教室のクラスメイト達が、一斉に視線をサーシャに向けた。そして、

 

「アレクサンドル、いやサーシャ!お前は最強だ、神と呼ばせてくれ!」

 

「なあサーシャ、どうやったらあんな風に堂々と掴めるんだ!?」

 

「頼む、俺にもその技を教えてくれよ!」

 

「不死川の胸、どんな感触だった!?」

 

男子生徒達の殆どがサーシャに集まってきた。サーシャの勝利よりも、公然の場で堂々と女性の胸を掴んだ英雄として崇められていた。

 

サーシャは返答に困り、群がる男子生徒を掻き分けてその場から脱出する。しかし、今度はサーシャの戦いぶりを見て目を輝かせている一子とクリスが待ち構えていた。

 

「見たわよ!サーシャってめちゃくちゃ強かったのね!今度はアタシと勝負しなさい!」

 

「サーシャ。お前の強さ、しかと見せてもらったぞ。が……しかしだ。さっきの行為だけは頂けないな。今後は自粛しろよ」

 

一子はサーシャに勝負をふっかけ、クリスはサーシャの戦闘能力を賞賛しつつ、辛口のコメントをするのだった。

 

(面倒な事になったな……)

 

自分の行いを今になって後悔するサーシャ。だがまふゆや華に助けを求めた所で、“自業自得よ”とあしらわれるのは目に見えている。

 

「あ、あの……アレクサンドル君。ううん、サーシャ君」

 

今度は千花が話しかけてくる。決闘での出来事があったのか、少し態度が控えめだった。

 

まずいと思ったまふゆと華は、サーシャの前に出て千花に弁解を始める。

 

「あ、あのね千花ちゃん!あれはなんていうかね……その、悪気があったわけじゃないの!」

 

「そ、そうなんだよ!こいつの癖って言うかさ……だから――――」

 

「―――よかったら、アタシのも触ってみる?」

 

千花から返ってきた言葉は批判でもなければ敵意でもなく、ただ純粋な好奇心だった。意外過ぎる返答を前に、まふゆと華、サーシャまでもが絶句していた。

 

「え、マジで!?スイーツの胸揉んでもいいのか!?」

 

千花の言葉を聞いて真っ先に反応した福本が、興奮して息を荒げながら前に出てくる。

 

「誰がアンタみたいなエロザルに触れって言ったのよ!?アタシはサーシャ君に言ったの!」

 

福本を追い払い、千花は再びサーシャを見る。

 

「サーシャ君、アイツの胸を触った時……何て言うか、不思議と嫌らしさを感じなかったのよね。その……純粋っていうか」

 

だったら触ってもらうのもいいかな、と千花は顔を赤らめて、自分の胸をサーシャに近づけた。

 

「た、だだだだだだだだだだダメよサーシャ!い、い、いいくら相手がいいって言っても、ダメなものはダメなんだからね!!」

 

顔を真っ赤にしながらサーシャに注意するまふゆ。恥ずかしさからなのか、それともヤキモチなのか。気持ちが焦り、まふゆの頭の中はもうごちゃごちゃだった。

 

そんなまふゆの様子を見て、千花はくすっと笑う。

 

「な~んてね、冗談冗談。まふゆっちも本気にしないの、こんなに顔真っ赤にしちゃって」

 

林檎のように赤く染まったまふゆの頬を、指先で突いてからかう千花。まふゆは「もう!」と、頬を膨らませた。

 

ともあれ、少なくとも千花達はサーシャの事を悪く思ってはいないようだった。それどころか、むしろサーシャを愛称で呼ぶ程親しみを持つようになっている。

 

これはこれで良かったのだろうと、まふゆはとりあえず安堵したのだった。

 

 

こうして、波乱の学園生活一日目は終わりを告げる。

 

 

しかし、こうしている間にも正体不明の元素回路は、今もどこかで出回り続けている。それを根絶しなければ、川神市に明日はないだろう。

 

守るべき人達が、ここにいる。だからこそ戦わなければならない。

 

この川神学園の生徒達………否。川神市の人々から、平和を取り戻すために。

 

 

 

放課後の事。

 

心は壊れた鉄扇を強く握り締めて、苛立ちながら廊下を歩いていた。

 

サーシャに敗北した挙句、その上胸まで触られ、終いにはサーシャにはお咎めなし。当然納得のいかない心は抗議を試みたが、学長権限により一時保留となった。

 

サーシャが留学生とはいえ、女性の胸を触る文化など聞いた事がない。

 

「悔しいのじゃ、悔しいのじゃ、悔しいのじゃ……」

 

負けたおかげでFクラスの生徒からは馬鹿にされ、“震えない胸”(要するにダメおっぱい)という屈辱的な烙印を押され、プライドをズタズタにされた心は悔しさと怒りで満ちていた。

 

今度は絶対にリベンジしてやる……そんな事を考えながら歩いていると、

 

「にょわ!?」

 

「きゃっ!?」

 

廊下の曲がり角で、誰かと鉢合わせする。勢いよくぶつかり、心は豪快に尻餅をついた。

 

「いたた……どこを見ておるのじゃ!?」

 

ただでさえ苛立っているというのに、一体どこの無礼者だ……半分八つ当たりも含めて、心はその相手に怒鳴り散らした。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

ぶつかってきた相手はカーチャだった。カーチャも尻餅をついたのか、お尻を擦りながら、涙目かつ上目遣いで心を見上げていた。

 

 

その瞬間、心のハートは射抜かれた。

 

(か、かかかかかかかかかかかかわゆいのじゃ………)

 

無垢な瞳で、まるで妖精のような可愛さに心は心を奪われていた。立ち上がり、倒れているカーチャに手を貸す心。

 

「ま、まあ分かれば良いのじゃ……ところでお前、見かけない顔じゃのう」

 

「はい。私、聖ミハイロフ学園から転入してきました、1-Cのエカテリーナ=クラエといいます。“カーチャ”って呼んで下さい。お姉さま」

 

カーチャはスカートを広げ、礼儀正しく心に一礼する。礼儀作法も美しく、由緒正しい家に生まれたのだろうと心は理解した。

 

「此方は2-Sの不死川心。由緒ある不死川家の息女じゃ。覚えておくが良いぞ」

 

「はい、心お姉さま♪」

 

元気良く返事をして、心を敬うカーチャ。そんな素直で可愛いカーチャを、心はますます気に入ったのだった。

 

「あ、あの、心お姉さま。カーチャ、この学園の事がよく分からなくて……だから、心お姉さまに案内して欲しいの。ダメかな?」

 

上目遣いで、カーチャは心に眼差しを送る。

 

「良いぞ。カーチャがそこまで言うのであれば、此方が案内してやろう」

 

すぐに帰るつもりでいたが、カーチャに会ってすっかり機嫌を良くした心は、快く承諾した。

 

「本当?ありがとう、心お姉さま!」

 

カーチャは飛びきりの笑顔を浮かべて、心に抱き付いた。心の顔が慈愛に満ちていく。

 

心は早速カーチャの手を引き、学園を案内するのだった。

 

 

 

しばらく心とカーチャは学園中を一通り回った。放課後の学園内はあまり生徒がいない分、心はとても気が楽であった。

 

「~♪」

 

可愛らしく回りながら廊下を楽しそうに歩き、無邪気にはしゃいでいるカーチャ。そのカーチャの姿を見て、心は和んでいた。

 

「……?ここは何の教室かしら」

 

廊下の片隅にある教室がカーチャの目に入る。カーチャは扉を開け、中へと入っていった。

 

「カーチャ、そこは物置じゃ。入っても何もないぞ?」

 

好奇心が旺盛な年頃なのだろう。心は肩を落としながらも、表情は笑っている。まるで自分に妹が出来たみたいで、嬉しく思った。

 

カーチャの後を追い、物置部屋に足を踏み入れる心。中は薄暗く、少し不気味である。

 

カーチャの姿はまだ見えない。きっと隠れて自分を脅かそうとしているのだな、と心は思った。

 

が、その直後。

 

「―――――!?」

 

突然、物置部屋の扉が勢いよく閉まった。変に思った心は扉に手をかける。

 

「あ、開かないのじゃ……」

 

力強く扉を引くが、固く閉ざされたままでビクともしない。

 

薄暗く気味の悪い物置部屋に閉じ込められ、心に不安が生まれる。早くカーチャを見つけてこの部屋を出よう………そう思った時だった。

 

ギィ………。

 

背後から物音が聞こえる。カーチャだろうか、それとも……心は恐る恐る背後を振り返る。

 

「―――――――――――」

 

暗闇の奥で光る、2つの不気味な目。それは徐々に近づき、心の前に姿を現した。

 

「ひっ……!?」

 

小さく悲鳴を上げる心。現れたのは赤一色に染められた大きな人形だった。

 

――――“断罪天使・アナスタシア”。

 

アナスタシアが心を見下ろすようにして立ち塞がっていた。

 

「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!?」

 

見たこともない化け物のようなアナスタシアの姿を前に、腰を抜かして後退りする心。しかし扉は閉ざされたままで、心に逃げ場はない。

 

アナタスタシアは沈黙したまま、心との距離をゆっくりと縮めていく。

 

「―――――медь(銅よ)

 

一瞬、暗闇の奥から声が聞こえた。その声に反応するように、アナスタシアは両手を上げ、無数の銅線を心に向けて放つ。

 

「にょわ~~~~~~~~~~~~!?」

 

無数の銅線は心の身体に絡み付き、心を引っ張り上げて逆さ吊りにする。

 

「うわ~~~~~ん!誰か、助けて……助けるのじゃ~~!!」

 

銅線は心の身体の自由を奪い、身動き一つさえ許さない。心の思考が恐怖に染まっていく。

 

すると、暗闇の奥……声のした方向から人影が心に歩み寄ってくる。

 

それはカーチャだった。カーチャ妖精のような笑顔とは打って変わり、鋭い目付きと、そしてサディスティックな表情を浮かべている。

 

心が放課後に出会ったカーチャとは、まるで別人だった。

 

「――――光栄に思いなさい。今日から私が、お前の主人になってあげる」

 

自ら主人を名乗り、心を奴隷呼ばわりにするカーチャ。

 

「な、何をわけの分からぬ事を……そんな事より、さっさと降ろすのじゃ!!」

 

自由の利かない身体を揺さぶり、カーチャを睨み付けて抗議する心。しかし、返ってきたのはアナスタシアの銅線による痛烈な拷問だった。銅線を鞭のように、心の身体に叩き付ける。

 

「い、痛い、痛い!痛いのじゃ!?」

 

「それが主人に対する口の聞き方かしら?“どうか降ろしてください、女王様”でしょ?」

 

まあ、降ろすつもりは無いけどねと付け加え、カーチャは嘲笑う。

 

「こ、こんな事をして、ただで済むと思うでないぞ!此方は由緒ある不死川家―――」

 

「お前がどんな身分だろうと、私の前ではただの雌犬よ」

 

動揺する様子もなく、カーチャはたった一言で一蹴する。サーシャと同じく、カーチャには家柄や名声は全く通用しなかった。

 

名門である不死川家―――自分の誇りが、一瞬にして崩されてしまった。

 

「まだ立場と言うものが理解できていないようね。主人に逆らったらどうなるか……じっくりとその身体に刻み込んであげるわ」

 

氷のように冷たい笑みを浮かべながら、逆さ吊りにされた心の頬を撫でるように触る。

 

「ふふ……覚悟なさい」

 

そして心の耳元で、優しく、まるで誘惑するように囁いた。

 

あの無垢で可愛かったカーチャは幻だったのだろうか。今ここにいるカーチャが本物なら、今日という日を迎えた事を心は心底呪った。

 

悪夢ならすぐにでも覚めて欲しいと切に願いたい。が、この鞭打ちのような痛みは、紛れもない現実だと言う事を認識させる。

 

心の地獄のような放課後は、カーチャと言う女王の欲望が満たされるまで続くのであった。



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サブエピソード5「川神院にて」

関東三山の一つ―――それが川神院。

 

厄除けの寺院として名高い有名な寺であり、サーシャ達の滞在場所である。

 

また鍛錬場所としても使われているため、住み込みで訓練をしている修行僧も多い。

 

初日の学園生活を終えて、サーシャ、まふゆ、華は鉄心に挨拶をする。

 

「よく来てくれたのう。では、改めて挨拶をさせてもらうぞい。ワシがこの川神院の代表を務める、川神鉄心じゃ」

 

「ワタシはここの師範代を努める、ルー・イーです。ようこそ、川神院へ」

 

鉄心の隣にいるのは、ルー・イー。川神院の師範代である。

 

サーシャ達は川神院の修行僧に部屋まで案内され、再び鉄心のいる部屋へと赴いた。

 

「――――あれ?サーシャにまふゆ、それに華も!?」

 

廊下を歩いている途中で、一子と遭遇した。一子は養子で、川神院で引き取られ、鉄心達とここで暮らしている。

 

どうしてここにいるのか疑問に思っているワン子に、まふゆが理由を説明する。

 

「私たち、しばらくの間ここでお世話になることになったの。よろしくね、一子ちゃん」

 

「え、そうなの!?じゃあ、じーちゃんの言ってた大切なお客さんって、サーシャたちのことだったのね。なんだか楽しくなりそう!」

 

一子は嬉しそうに、サーシャ達をマジマジと見る。鉄心から話は聞いていたようだが、深い事情までは知らないだろう。

 

「これならいつでも勝負ができるわね。手合せするのが楽しみだわ!」

 

 

明るく、エネルギッシュな一子の姿。一緒にいるだけで元気を与えてくれるような存在。

 

こういう人間は嫌いではない。サーシャは一子に視線を戻した。

 

「生半可な覚悟で俺に勝てると思うなよ、一子」

 

「望むところだわ、負けないわよサーシャ!」

 

サーシャと一子はライバル視し、火花を散らす。お互いに認め合い、そんな2人を見てまふゆと華は笑う。微笑ましい光景だった。

 

「……あ、アタシそろそろ行かなくちゃ!」

 

一子はこの後、日課である走り込みのトレーニングに行くらしい。サーシャ達にまたねと手を振って、廊下を駆けていった。

 

「一子ちゃんって、努力家だね」

 

一子の後ろ姿を見送るまふゆ。その直向きな姿勢を、今の自分自身と重ねていた。

 

「――――ああ、私の自慢の妹だからな」

 

突然、3人の背後から声をかけられる。まふゆと華はびくっと身体を震わせ、振り返るとそこには百代の姿があった。いつからいたのだろう、全く気配を感じなかった。

 

「あ、えっと……あなたは?」

 

「川神百代だ。3-Fに所属している」

 

百代はまふゆたちより一つ上の先輩だった。まふゆ達も会釈して自己紹介をする。

 

「織部まふゆです。よろしくお願いします、百代先輩」

 

「桂木華です。どうも……」

 

「モモ先輩でいい。まふゆに、華か……2人とも可愛いな。どうだ、今夜私の部屋に来ないか?私とイイ事をしよう」

 

ニヤッと笑いながら、まふゆと華の肩を抱き寄せる百代。冗談で言っているつもりだろうが、何故か冗談には聞こえないように思える2人である。

 

(うわ、おっきい胸………)

 

百代の大きな胸に目がいく。豊満かつ名前の如く桃のような胸に、思わず見惚れるまふゆ。

 

「…………」

 

当然、サーシャも百代の胸に興味を抱いていた。

 

確かめたい……心の時と同じように、百代の胸に手を伸ばすサーシャ。

 

が、

 

「おっと」

 

さっきまでまふゆと華の後ろにいた百代が突然姿を消したと思いきや、サーシャの背後に回り込んで腕を掴んでいた。

 

「そう簡単には触らせないぞ?サーシャ」

 

まるでずっとそこにいたかのように、百代は平然とサーシャの背後にいる。

 

(迅い……!いつの間に!?)

 

見えないどころか、気付くことすらできなかった。勿論、驚いていたのはサーシャだけではない。まふゆと華も一瞬の出来事に唖然とする。

 

「お前の戦い、全部見せてもらった。今度は私と勝負しろ」

 

サーシャの戦いを見て、闘争本能を刺激された百代はサーシャに興味を持っていた。

 

ただ純粋に強者を求めるという百代の闘気が、サーシャの身体を駆け巡る。

 

(こいつ……強い!)

 

サーシャは感じ取っていた。百代の異常なまでの強さを。その強さは、今まで戦ってきたアデプトの使徒とは比較にならない程だ。

 

クェイサーでもなければ軍人でもない、ただの女子生徒である。サーシャは戦慄した。

 

「……道理で来るのが遅いと思っとったら、モモ。お前が引き止めておったんじゃな?」

 

サーシャ達がいつまで経っても来ないので、心配した鉄心が迎えにやってきた。

 

「じじい、私を今すぐサーシャと戦わせてくれ」

 

「ならん。これからサーシャ達と話があるんでの、お前は部屋に戻っていなさい」

 

百代は不満そうに顔を顰めるが、しばらく悩んだ末、分かったよと素っ気ない返事をしてサーシャの腕から手を離した。

 

しかしその強者に飢えた瞳は、諦めてはいない。百代とはどんな形であれ、戦う事になるだろうとサーシャは理解する。

 

「まあ、いいさ。だが、いずれは私と戦ってもらう」

 

「構わん。俺は負けるつもりはない」

 

「いい返事だ。お前と死合う日が待ち遠しいぞ、サーシャ」

 

満足そうに笑いながら、百代はサーシャ達の前から去っていく。そんな百代の様子を見て、鉄心は重い溜息をついた。

 

「全く、仕方のないやつじゃのう………」

 

百代の戦いに対する執着心は、鉄心の悩みの種であった。戦っていないと生きている気がしないとまで言う始末。何か大きな趣味でも持っていれば……と、つくづく思う。

 

「あ、あの……あの人は一体?」

 

百代の事が気になった華が鉄心に尋ねた。

 

「ん?ああ、あれはワシの孫じゃ。まあ、ああいう奴じゃが、仲良くしてやってくれ」

 

そう言って、鉄心は苦笑いする。

 

「……さて。ここで長話もなんじゃから、そろそろワシの部屋に行こうかの」

 

鉄心が部屋へ来るように促す。これから、任務についての詳しい話を聞かなければならない。サーシャ達は鉄心と共に歩きだした。

 

(川神、百代……)

 

サーシャは百代が去っていった廊下を振り返る。

 

百代の力は計り知れない。少なくとも、本気で戦わなければ勝てない相手である事は確かだ。

 

“武神”川神百代。その圧倒的なまでの存在感は、サーシャの心を“震わせて”いた。



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サブエピソード6「百代の好奇心」

満月が夜空に上り、月明かりが川神院の道場を照らしている。

 

百代は1人佇み、目を閉じて精神を研ぎ澄ませていた。

 

勿論、百代が好きでやっているわけではなく、心の修行という一環で鉄心から強要されていた。

 

(サーシャ……ああ、早く戦ってみたい)

 

しかし修行の成果は出ない。むしろサーシャが現れた事により、一層心が荒ぶり始めていた。

 

ここ最近、サーシャのような強者に出会った事があっただろうか。

 

百代に挑戦する者は数秒持たず敗れ去り、満たされない日々が続いていた。

 

それ故に、サーシャはある意味で“救い”なのかもしれない。百代にあるこの飢えと渇きを、満たしてくれるかもしれないのだから。

 

「――――――いい月夜ですね、百代さん」

 

突然背後から声をかけられ、意識を引き戻された百代は後ろを振り返る。そこに立っていたのはユーリだった。

 

「……あなたは?」

 

百代は不信感を抱く。黒い服に身を包み、右目には眼帯。明らかに怪しかった。

 

そんな百代の不信感を察し、ユーリは答える。

 

「決して怪しい者ではありませんよ。私は極東正教会、第四管区巡回司祭・聖ミハイロフ学園付設聖堂責任者、ユーリ=野田です。お話は鉄心さんから聞いていますよ」

 

無駄に長い自己紹介が、百代の耳から耳へとすり抜けていく。とりあえず分かった事は学園の神父であるという事だけだ。

 

それともう一つ。聖ミハイロフ学園の聖堂と言う事は、サーシャ達の関係者だろう。

 

「……確か、サーシャ達もそこの生徒でしたね。お知り合いですか?」

 

「ええ。まあ、保護者みたいなものです」

 

ユーリは笑みを浮かべ、夜空を見上げた。本当に良い月ですね、と満月を眺めている。

 

保護者……容姿的な意味合いでは説得力がないが、世の中には色々な人間がいるという事で、百代はこれ以上の詮索をやめた。

 

(それにしても、全く気配を感じなかった。この人は一体………)

 

一体、何時からいたのだろう。百代が道場にいた時は誰の気配もなく、1人の筈である。

 

しかし、ユーリは百代の背後にいた。いくら精神を統一していたとはいえ、人の気配くらいは察知できる。仮に気配を消したとしても、百代なら微弱な気すら察知できるはずだ。

 

なのに、ユーリからは一切の気を感じない。あり得ない。まるで、初めから“そこ”にいなかったような、虚無の存在であるかのように。

 

「……おや?」

 

百代が険しい表情でユーリを見ていたので、気になったユーリが視線を向ける。

 

「どうなさいました?私の顔に、何かついていますか?」

 

「あ、いえ。別に……」

 

百代は慌てて目を逸らした。しかし、ユーリはそのまま問いかけを続ける。まるで、百代の抱いている疑問を見透かすかのように、答えた。

 

「それとも……私の気配を感じなかった事が、そんなにも不思議ですか?」

 

「………っ!?」

 

背筋が、ぞわりとした。

 

ユーリの問いに、百代は本能的に身構えていた。警戒をさせてしまったか、と思ったユーリは透かさずフォローを入れる。

 

「いやあ、どうも私は存在感が薄いようでしてね……周りからもよく言われるんですよ」

 

言って、百代に苦笑いで返すユーリ。あまりの余所余所しい態度に、百代は身構えていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、警戒を解いた。

 

「……ユーリさん、ちょっとお尋ねしたいのですが」

 

百代は思った。聖ミハイロフの関係者なら、サーシャの事を知っているかもしれない。

 

「構いませんよ。できる範囲でお答えします」

 

ユーリは快く承諾した。百代は早速答える。

 

「サーシャは、一体何者なんですか?」

 

――――――――――。

 

ほんの一瞬、沈黙が走った。だが、ユーリは表情を変えることなく受け答える。

 

「彼は留学生で、飛び級で進学してきた優秀な生徒だと聞いています。それ以外は何も」

 

「本当にそれだけですか?」

 

「ええ。私は聖堂を管理しているだけですので、学園の事はあまり詳しくないのです」

 

あくまで管理者であると、ユーリは答えた。

 

どことなくだが、白々しさを感じた百代は、更に追求を図る。

 

「川神学園のシステムはご存知ですか?」

 

「確か生徒の間で揉め事があると、決闘して白黒をつける……そう聞いています」

 

ユーリの表情は未だ変わらない。百代はついに、今日起きた決闘での出来事を切り出した。

 

「今日、昼休みに決闘がありましてね。戦ったのはうちの生徒と……サーシャです」

 

「――――――」

 

ユーリの表情が僅かに崩れたのを、百代は見逃さなかった。やはりユーリは何かを隠している。

 

「サーシャの並外れた戦闘力。見た所、ただの留学生とは思えません」

 

百代はサーシャと心が決闘した様子をユーリに説明する。

 

滑らかな動き、体術。そして、心の鉄扇を破壊したあの異能の能力。観戦していた生徒達の殆どは、手品か何か、もしくは誰も気にしてはいなかっただろう。

 

だが、百代だけは違った。あれは“普通”の人間が成せる技ではない。そしてユーリもその例外ではない事を確信する。

 

すると、しばらく沈黙を守っていたユーリが、ようやく口を開いた。

 

「仮に私が知っていたとして、あなたはどうするおつもりですか?」

 

「理由はないです。単なる好奇心ですよ。それにユーリさんもただの神父ではなさそうですが」

 

身構え始める百代。本能が叫ぶ……ユーリを強者と認識し、血が騒ぎ立てていた。

 

こいつは、強い―――戦って培ってきた武神の勘が、そう告げている。

 

「はっはっは、考え過ぎですよ。私はどこにでもいる、ただのしがない神父です」

 

当然、ユーリに戦闘の意思はない。それでも百代は諦め切れなかった。ようやく目の前に現れた強者を、ここで逃すわけにはいかない。

 

百代の心が、本能に浸食されていく。まるで、闘いに飢える獣のように。

 

「手合わせ願えますか?私が勝ったら、サーシャの事について教えてもらいます」

 

「断る、と言いましたら?」

 

ユーリの返答に、百代はニヤリと笑った。

 

「―――その気にさせるまでです」

 

瞬間、百代はユーリとの距離を縮め、正拳突きを放った。拳をユーリの腹にめり込ませながら、身体ごと吹き飛ばす。

 

―――――はずだった。

 

「―――――!?」

 

今まで自分の前にいたユーリの姿が、消えている。

 

百代は動揺した。手応えを感じない上、かすりもしない。まるで幽霊を相手にしているような、気味の悪い感覚に襲われる。

 

「血気盛んなのは結構ですが―――」

 

何時の間にか、百代はユーリに背後を取られていた。だがユーリは構えず、両腕を後ろに組んだまま、微動だにせず佇んでいる。

 

「―――女性が暴力を振るうのは、あまり宜しくありませんね」

 

完全に舐められている。今まであらゆる敵を倒し、武神と呼ばれた百代にとっては最大の屈辱だった。咄嗟に背後を振り返ると同時に、回し蹴りを放つ。

 

「はあああぁぁぁぁーー!!」

 

百代の鋭く、重い蹴りがユーリを襲う。ユーリは臆することなく、攻撃を難なく回避する。

 

「まだまだああぁ!!」

 

百代の攻撃は続く。怒涛の連撃でユーリを圧倒するが、攻撃は一度も当たらない。

 

まるで、手の内が全て読まれているかのように。

 

(くそっ……!)

 

後退し、体制を立て直す百代。一方ユーリは涼しげな表情をしたまま、百代を見据えている。

 

追い詰めているはずなのに、逆に追い詰められている―――百代は焦りを感じていた。同時に生きているという実感が身体中を震え立たせている。

 

百代は今、満たされつつあった。

 

「………ふふふふふふふふ、はははははははははははははははははははは!!!!」

 

歓喜のあまり、満月が照らす夜空にまで響くように、高らかに笑う百代。

 

「いいぞ……これで心置きなく本気が出せる――――!!」

 

百代は身体中の気を最大限まで引き出し、抑えていた力を解放する。闘気が身体を覆い、大気が、そして大地が震える。

 

(成程。報告の通り……確かに深刻ですね)

 

だが、そんな百代に対してユーリは冷静だった。このままでは流石に危険か……今度ばかりは避けられるどころか、命を落としかねない。

 

「全力でいくぞ……さあ、存分に死合おう!!!」

 

決断する。止めるしかない、と。ユーリは右目の眼帯に手をかけた。

 

「―――――私に、この眼帯を外させる気ですか?」

 

 

―――――ドクン。

 

 

刹那、空気が変わる。百代の本能が危険であると察知した。

 

それは、死の予兆。百代の心臓が激しく脈打ち、忘れ掛けていた感覚を思い出させてくれる。

 

(久方ぶりの感覚だ……震えが止まらない!!)

 

抑えきれない程に、闘争心が膨れ上がっていた。百代は全力を注ぎ、ユーリに再び挑む。

 

「いくぞ!!川神流―――――」

 

「―――やめいいいぃぃぃ!!!!」

 

百代が拳を突き出すと同時、百代とユーリの間に鉄心が割り込んでいた。百代の拳が、ピタリと鉄心の寸前で止まる。

 

「お前の気を感じて此処へ来てみれば……モモ。これは一体どういうことじゃ!?」

 

「どけじじい!邪魔をするな!!」

 

百代には、ユーリという目の前の敵しか見えていない。聞き分けの悪い百代に、鉄心は大きく息を吸い込み、

 

「―――いい加減にせんか!!!!!!!!」

 

闘気の入り混じった喝を百代に入れた。百代は我に返り、荒れ狂っていた獣のような心が徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

しばらくして、百代は拳を下ろした。反省しているのか、視線を地面に落としている。

 

平常心を取り戻したと分かると、鉄心は小さく溜息を漏らす。

 

「……もう良い。モモ、お前は部屋に戻っていなさい」

 

「……悪い、じじい。少し暴れ過ぎた。ユーリさん。先程のご無礼、お許しください」

 

百代はユーリに頭を下げて謝罪すると、背を向けて道場から去っていった。

 

「………孫がとんだ迷惑をかけてしまいましたな。誠に申し訳ない」

 

「いえいえ、おかげで良い運動になりました」

 

ユーリは特に気にしている様子はなかった。それよりも、百代と戦闘しているにも関わらず、ユーリは傷一つ負っていないという事実に、鉄心は驚きを隠せずにいた。

 

「しかし、驚きましたな。モモの攻撃を受けて無傷でいるとは」

 

「偶然ですよ。私も避けるのがやっとでした」

 

ユーリは苦笑いしながら答える。

 

「ふむ……それにしても、このままではいかんのぅ」

 

鉄心は顔を俯かせながら、眉間に皺を寄せ、独り言のように呟いた。

 

「百代さんの事ですね」

 

「うむ。最近のモモは戦いに囚われ過ぎておりましてな。今でも戦いに飢えておる………」

 

鉄心の心配は尽きない。百代の精神面は今、危険な状態にあった。このままにしておけば、何をするか分からない。

 

「その件についてはご心配なく。既に手は打ってあります」

 

ユーリはこうなる事を予測し、手を回していた。

 

百代が危険な相手である事は、鉄心から報告を受けている。それなら、百代と対等に戦える相手を用意すればいい。

 

それは、サーシャ達に危険が及ばないようにするのが本来の目的だが、同時に百代を更生させる為の手段でもあった。

 

「――――ほう。それでアタシを呼んだってわけかい」

 

道場に響く女性の声。鉄心とユーリが視線を向けたその先に、彼女はいた。

 

修道服に身を包んだ引き締まった体格の女性。彼女こそ、ユーリが手配した人物であった。

 

「ええ。厄介な仕事ですが、宜しくお願いします」

 

女性は拳を鳴らし、息を殺し、百代との戦いを待ち続ける。

 

 

―――――アトス最強の戦術教官が今、この川神市の大地に降り立った。



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サブエピソード7「女王様と心1」

カーチャからようやく解放された心は、無事に自分の家である不死川邸へと帰宅した。

 

(うぅ……身体のあちこちが痛いのじゃ……)

 

アナスタシアに捕縛され、鞭打ちを受け、身体中……特にお尻の部分を集中して叩かれていた。身体が痛みで悲鳴を上げている。

 

“いいこと心。今日から放課後、毎日ここへ来なさい。もし来なかったら……分かってるわね?”

 

帰り際に言われたカーチャの言葉が蘇る。心は毎日来るよう命令されていたのだった。

 

その場では頷くしかないと思った心だったが、当然行くわけがない。

 

(父上に言って、あの女狐を退学にさせてやるわ……ほっほっほ、此方を敵に回した事を後悔させてやるのじゃ!)

 

心の中で静かに笑いながら、心は機嫌を取り戻しつつ、家の玄関を開ける。

 

「今帰ったのじゃ」

 

心が帰宅すると、何人もの侍女達が整列し、心を出迎えていた。

 

「お帰りなさいませ、心様。お荷物をお持ちいたします」

 

「うむ」

 

侍女の一人に荷物を渡し、部屋に向かう心。今日の事は忘れ、早く眠りにつこう……そう思った時、別の侍女に声を掛けられる。

 

「心様。お客様がお見えになっています」

 

「客じゃと?此方にか?」

 

「はい。あちらに」

 

侍女が客間のある部屋を指し示す。一体誰だろう、と心は首を傾げつつ客間へ向かう。

 

すると客間の扉が勢いよく開き、不死川家を訪ねた“客”が姿を見せた。

 

「心お姉さま!!」

 

心の視界に飛び込んだのは、天使のような笑顔で出迎えるカーチャの姿だった。カーチャは心に飛び込むように抱き付いて、嬉しそうに頬を擦りつけている。

 

「な、ななななななななななななななな………」

 

放課後の出来事が、フラッシュバックして心の脳内から蘇ってきた。

 

まだ夢を見ているのだろうか。もしくは帰る家を間違えたのだろうか。どの道、心の現実逃避である事に変わりはない。

 

心に抱きついている彼女は、間違いなくカーチャである。

 

「ど、どどどどどういう事じゃ!?何故お前がここにいるのじゃ!?」

 

錯乱しながら、侍女に説明を求める心。すると、代わりにカーチャが答えた。

 

「カーチャ、しばらくここでお世話になる事になったの。それまでずっと心お姉さまと一緒!だから、カーチャすっごく嬉しい!」

 

カーチャの笑顔が眩しい、というか恐ろしい。心は滞在の話など全く聞いていなかった。

 

それが真実だというのなら、カーチャと一つ屋根の下で一緒に暮らすことになる……考えただけでもおぞましい。

 

「心様。この方はロマノフ家の末裔、エカテリーナ=クラエ様でございます。大切なお客様ですので、決して粗相のないようにと、旦那様が申しておりました」

 

と、侍女が補足して説明する。

 

“ロマノフ家”。ロシア帝国を統治していた皇室だと、世界史の授業で聞いた事があった。その末裔こそが、カーチャである。こんな幼い少女が……信じられない。

 

(………ふふ)

 

カーチャの天使の笑みが、悪魔の笑みに切り替わる。勿論、それは心にしか見えていない。

 

今すぐにでもカーチャを追い出してしまいたかった。が、父親の客である以上それは絶対にできない。尊敬する親に対する裏切り行為だ。

 

「くっ……」

 

こうなってしまっては心に決定権はない。渋々カーチャの滞在を認めるしかなかった。

 

「そ、そうか……此方も嬉しいのじゃ。ほ、ほっほっほ」

 

心にもない事を言う心。いっそこの場から逃げ出してしまいたかった。

 

「……カーチャの部屋は用意できておるのか?」

 

「はい、すぐにご案内致します」

 

侍女に確認を取ると、カーチャの荷物を運ぶように指示を出した。

 

とりあえず、カーチャの機嫌だけは取っておこう……少しでも機嫌を損ねれば、被害を受けるのは確実に自分である。

 

するとカーチャが心の着物の袖を引っ張り、何やら照れ臭そうな表情を浮かべている。

 

「あ、あのね。心お姉さま……」

 

上目遣いで心を見つめるカーチャ。何故だろう……心にはもう嫌な予感しかしなかった。

 

「な、なんじゃ?」

 

「カーチャね、心お姉さまと一緒の部屋がいい。カーチャ一人じゃ寂しいし……怖い」

 

カーチャの要望に、心の背筋が凍りついた。カーチャと一緒に過ごす上に、同じ部屋で寝るなど命がいくつあっても足りやしない。

 

(此方はお前と一緒にいる方が怖いのじゃ……!)

 

もし一緒の部屋になれば、カーチャの天下だ。それだけは死んでも避けたいと思った心は、必死になって阻止を試みる。

 

「そ、そ、それなら心配はいらないのじゃ!カーチャの部屋に侍女を側につけよう。それならば寂しくはな―――」

 

―――――ぎゅっ。

 

再び、カーチャが抱き付いてきた。すると、スカートのポケットから何かを取り出し、心にしか見えないように、“それ”をちらつかせた。

 

「なっ……!」

 

心は言葉を失った。

 

それは、心がアナスタシアに縛られ、鞭打ちされている時の写真だった。何時の間にか、カーチャに撮られていたらしい。

 

「主人がお前の部屋に行ってあげるって言ってるのよ。それともいいのかしら?このあられもない姿をしたお前の写真を、学園中にばら撒いても」

 

心にしか聞こえないように、静かに囁くカーチャ。

 

「う……うぅ……」

 

脅迫され、心は何も言い返せなくなった。ここでカーチャの頼みを断れば、この写真が学園内にばら撒かれ、心の評判は一気に変態の域に堕ちるだろう。

 

つまりそれは、不死川家に泥を塗る事を意味する。そんな事態になれば学園中の笑い者にされ、おまけにFクラスの生徒達からは永遠にネタにされることは間違いない。

 

心にとって、それはとても耐え切れるものではなかった。

 

「………カーチャの荷物を此方の部屋まで持っていくのじゃ」

 

心は自分の部屋にカーチャを入れる事を選択し、侍女に指示をする。これも自分の名誉……不死川家の名誉を守る為なら、致し方ない。

 

「かしこまりました。では、エカテリーナ様のお荷物をお運び致します」

 

侍女は心とカーチャに一礼をすると、この場から立ち去っていく。心は侍女の姿を見送った後、再びカーチャに視線を戻した。カーチャは目を輝かせながら、ニッコリと笑顔を見せる。

 

「わああああ……ありがとう心お姉さま!お姉さまとなら、カーチャ寂しくない!」

 

無邪気に喜ぶカーチャ。それとは対象に、心はガタガタと身体を震わせている。

 

この場に残っている侍女達には、微笑ましい光景に見える事だろう。だが、心には悪い夢としか思えなかった。

 

「早くカーチャを部屋まで連れていって……心お姉さま」

 

カーチャの声のトーンが低くなる。心は悟った、もう逃げ場はないのだと。

 

こうしてカーチャとの壮絶な一夜が、幕を開けようとしていた。



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サブエピソード8「ヨンパチの災難」

夕日が上る、ある放課後の日の事。

 

福本はカメラを持ち、プールサイドの隅で息を潜めていた。目的は勿論、水泳部の女子生徒のスクール水着姿を盗撮する為である。

 

(うっひっひ……ああ、いい眺めだぜ)

 

準備体操をする水泳部の女子生徒達を堪能しながら、はあ、はあ、と息を荒げていた。

 

スクール水着からくっきりと見える、女子の身体のボディライン。特に胸の部分が強調されている所が嫌らしく、男の本能を刺激する。

 

福本は思った。これは良い極上のオカズになると。

 

(さすがにアイツも外までは監視できねぇだろ)

 

華が番長役になったおかげで、クラスの女子生徒達の盗撮が困難を極めていた。

 

だが、クラス以外なら監視の目は当然届かない。女性の美を追求する福本に“諦め”という2文字は存在しなかった。

 

(よし………)

 

カメラを構え、盗撮のスタンバイをする。万が一の退路は確保済みである。後はアングルを決めて激写をするだけだ。

 

「それにしても、でっかいおっぱいだよなぁ……ああ真剣(マジ)でしゃぶりつきてぇ」

 

福本は水着の女子生徒の一人を見て、思わず感想を漏らす。

 

女子生徒は見事なまでに巨乳だった。水着がはち切れてしまいそうなくらいの大きな乳は、準備運動をする度に激しく揺れ動いている。

 

(―――きたあああぁぁぁ!!)

 

福本の目が光る。今こそシャッターチャンスの時。福本はカメラの照準を合わせ、巨乳が揺れた瞬間を、確実に狙い撃つ。

 

「――――ちょっと聞きたいんだが」

 

シャッターを押す寸前で後ろから声をかけられ、思わず福本はビクリと身体を震わせた。

 

盗撮がバレた……恐る恐る背後を振り向く福本。

 

「ひっ」

 

小さな悲鳴が上がる。福本の背後に覆い被さるようにして立っていたのは、黒の修道服に身を包んだ、シスターだった。

 

鍛え上げられた鋼の肉体。引き締まった服直筋。そして、福本の2倍以上はあろう背の高さ。どちらかと言えば、体格の良い巨漢と呼ぶ方が相応しいだろう。

 

その圧倒的なまでの存在感に、福本の腰が思わず退ける。

 

「え、あ……はい」

 

「この学園の職員室はどこにある?」

 

巨漢のシスターが尋ねる。どうやら学園を訪ねてきた客人らしい。

 

とりあえず、福本は職員室の場所を教えた。盗撮の事を気にしている様子はないが、一刻も早くここから立ち去らなければ、と福本の勘がそう告げている。

 

「じゃ、じゃあ俺はこれで……」

 

役目を終えた福本は、プールサイドから逃げるようにして立ち去ろうとする。が、

 

「まあ待ちな」

 

巨漢のシスターが背後から福本の制服の襟を掴み、引き止める。

 

「お前、そんなに女性のおっぱいが吸いたいのかい?」

 

巨漢のシスターは、福本が喋っていた一部始終を聞いていたらしい。福本は答える。

 

「そりゃあもう!揉みまくって、しゃぶりまくって、吸いまくってや――――あ」

 

またしても本音を漏らしてしまい、慌てて口を紡ぐ福本。やはり性の本能には逆らえない。

 

すると、巨漢のシスターは福本の襟から手を離し、解放する。

 

何やら不穏な空気が漂う……ヨンパチはそう感じた。

 

「そうか。そんなに吸いたいのなら、アタシが思う存分吸わせてやろうじゃないか」

 

そう言って、巨漢のシスターは胸を覆っていた服の部分を引き剥がし、

 

「さあ―――――お吸い!!!」

 

その筋肉質なボディを、福本の前で曝け出した。

 

「―――――――」

 

福本の目に映る、巨漢のシスターのむっちりとした、豊満な胸。まず、巨乳であることには間違いないだろう。

 

しかも素肌から直に見る“それ”は、男にとって誰もが夢見る(ゲイなど一部を除き)究極の理想郷。それなのに、興奮や性欲よりも恐怖が真っ先に支配していた。

 

ある意味で福本は、“それ”から目を逸らせずにいた。

 

まるで、蛇に睨まれた蛙のような感覚。恐怖で震え、固まったまま動けない。巨漢のシスターは両手で福本の頭をがっちりと掴み、自分の胸へと近づけていく。

 

「吸え!吸うんだよ――――――!」

 

「あ、あ……あ……」

 

恐怖で引きつった福本の顔とシスターの胸が、次第に距離を縮めていく。福本は抵抗できない。

 

 

そしてついに、

 

「――――――ンンア゛ア゛ァァァァイィィィィ!!!!!!!!!」

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

夕日が上る放課後の川神学園に、ヨンパチの断末魔が茜空に響いた。



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5話「川神市の中心で”ア゛ーーイッ!”と叫ぶ」

サーシャ達が転入してから数日が過ぎた。

 

川神市に流出している謎の元素回路(エレメンタル・サーキット)の手掛かりは未だ掴めず、進展はない。

 

サーシャ達が調査しているエリアは親不孝通り。その名の通り治安が悪く、如何わしい店やドラッグの密売が頻繁に行われている。しかし、元素回路に関しての情報は全くない。

 

サーシャ達の調査は、困難を極めていた。

 

朝のHR前、サーシャ、まふゆ、華の3人は現在作戦会議&現状報告の最中である。

 

「見つからないわね、元素回路」

 

まふゆは肩を落とし、窓の外を何気なく眺めていた。まふゆはサーシャと同行し、親不孝通りを見て回ったが、ドラッグの常習犯を一人捕まえただけで、それ以外何も進展はなかった。

 

「アタシもカーチャ様と周辺を探ったけど、進展なしだぜ……っていうかカーチャ様、てっきり川神院に来ると思ってたのに、滞在場所が別だなんて……」

 

華は別の意味で肩を落としていた。カーチャの滞在場所は別で手配したらしく(カーチャが勝手に決めた)、華に置き手紙を残して去っていったという。

 

ちなみに置き手紙の内容は、

 

 

『お・あ・ず・け☆』

 

 

と、カーチャの似顔絵とこの四文字だけである。要するに放置プレイという奴だ。

 

「我慢しろ。聖乳(ソーマ)なら俺が変わりに吸ってやる」

 

サーシャが腕を組み、真顔で答える。華はねーよ!と言って機嫌を損ねるのだった。

 

「ったく……お?」

 

ふと、華の目に留まったのは福本の姿だった。福本は自分の席に座ったまま、何もせず大人しそうに席に座っている。

 

いつもなら盗撮を図るのだが、今日はカメラを持参してない上にやけに物静かだった。

 

何か企んでいる……華はニヤリと笑い、早速からかいにいく事にする。

 

「やけに大人しいなヨンパチ。今日はカメラ持ってないのかよ?」

 

嫌味のように話かける華。しかし福本は黙ったまま、まるで電池の切れた機械のように無機質な表情を浮かべていた。無視されたような気がして、華は福本を睨み付ける。

 

「おい、聞いてんのか?」

 

「………」

 

それでも、福本の態度は変わらなかった。不思議に思った華は福本の顔を覗き込むように見る。福本の表情はまるで、感情のない人形のようだった。

 

「あれ、どうしたの桂木さん」

 

華に声をかけてきたのは卓也だった。側には岳人もいる。

 

「ヨンパチのやつ、声かけても何の反応もしないんだぜ?コイツどうしちまったんだよ」

 

無反応な福本の身体を指で突く華。しかしそれでも反応は返ってこない。すると、岳人がヨンパチの前に出てくる。

 

「昨日AV見て抜き過ぎたんじゃねぇの?ま、こいつを見りゃ元のヨンパチに戻るって。ヨンパチ、例のヤツ手に入れてきたぜ~」

 

岳人が手に持っていた紙袋の中に手を突っ込み、一冊の本を取り出した。

 

『豊作!美少女巨乳乱獲祭!~もぎたて夏の果実たち~』と書かれたタイトルの本だった。表紙には巨乳の水着美少女達が恍惚な表情をして写っている。要するに、エロ雑誌である。

 

岳人は早速雑誌をパラパラと捲り、特集ページを福本の目の前に突きつける。

 

「―――――――」

 

福本の表情が、僅かに動いた。目の焦点が雑誌に集中する。徐々に身体が震え、男としての本能が福本を震え立たせた。

 

「うわあああああああああああああああああああ!!!おっぱい怖いよ~!!!!!!」

 

そして恐怖と共に、悲痛の雄叫びを上げた。それと同時に卓也と岳人……クラス全員が驚愕し、揃えて声を上げる。

 

「ええええええっ!?ちょっと待ってよ、一体何があったのさヨンパチ!?」

 

福本の豹変が信じられず、卓也は驚きを隠せなかった。岳人も予想外の反応に面食らい言葉も出ず、持っていた雑誌を落として口をあんぐりと開けている。

 

女性の美を追求し続けてきた福本。24時間セックスしか考えていないと豪語していた福本。そんな彼から女性の胸に恐怖を抱くなどと、一体誰が予想できただろうか。できるはずがない。

 

「2人とも、何かあったの?」

 

騒ぎを聞いて京がやってくる。

 

「京、ヨンパチがおかしくなっちまった……」

 

岳人は福本を指差す。ヨンパチは恐怖に震えていた。

 

「ふーん」

 

興味なさそうに福本を見る京。すると、京は岳人が落としたエロ雑誌を拾い上げ、

 

「ほーれ」

 

再び特集ページを福本に突き付けた。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

福本は恐怖のあまり、机の下に隠れてしまった。

 

「うん、重症だね」

 

「京、それ面白がってやってるよね!?」

 

卓也の突っ込みが入る。京はくくく、と笑うと自分の席へ戻っていった。確信犯である。

 

「皆さん、もうすぐウメ先生が来ますよー!」

 

予鈴のチャイムが鳴り、真与が生徒達に声をかける。生徒達は席へ戻り、HRの体制に入った。

 

教室の扉が開き、梅子が入ってくる。委員長が号令をかけて挨拶をすると、いつものように朝のHRが始まりを告げた。

 

「おはよう諸君。朝のHRを始める」

 

梅子は一通りの連絡事項を手短に生徒達に伝え、早めにHRを切り上げた。咳払いをし、もう一つの連絡事項を生徒達に伝える。

 

「それと1時限目の体育の授業だが……今日は特別講師に来てもらっている」

 

と、梅子。クラス全員がざわつき始めた。梅子は「静粛に!」と鞭を捌き、場を沈める。

 

「その方は多くの戦場を潜り抜けてきた戦いのプロだ。存分に鍛えてもらうといい……では教官、宜しくお願いします」

 

梅子は教室の扉に向かって声をかける。

 

聞こえてきたのは足音。梅子とは違い、重苦しく圧し掛かってくるような威圧感があった。

 

教室の扉が勢いよく開く。現れたのは黒の修道服を着た、引き締まった体格を持った巨漢の女性。

 

そう、その正体はサーシャ達の師匠―――ビッグ・マムだった。ビッグ・マムは堂々と教室に入り、Fクラスの生徒達と向き合った。

 

「紹介しよう。この方はとある養成所から派遣された格闘及び戦術教官、ビッグ・マム講師だ」

 

「――――――――――」

 

クラスの生徒達は全員、目を見開いている。ビッグ・マムの圧倒的な存在感に声も出せずにいた。

 

「「「ビッグ・マム!?」」」

 

声を出して驚いていたのはサーシャ、まふゆ、華だった。

 

「久しぶりだねぇ、サーシャ、まふゆ、華。ここに転入したと聞いていたが……まさか最初の授業がお前達のいるクラスだとはねぇ」

 

これも因果か、必然かと言ってバキボキと拳を鳴らすビッグ・マム。反射的に、サーシャ達の背筋が一瞬で凍り付いた。

 

ビッグ・マムとの再会。喜ぶべきか、悲しむべきか。サーシャ達にとって複雑な心境である。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!出たあああああああああああああああああああああ!!!」

 

そしてもう1人、声というより悲鳴を上げていたのは福本だった。福本はビッグ・マムの姿を見て失禁し、恐怖に慄いていた。ビッグ・マムは福本の方へ顔を向け、ニヤリと笑う。

 

「ほう。お前は昨日の盗撮小僧じゃないか」

 

「ひいいぃいいいいい!!!許してええええぇぇぇぇえええええ!!」

 

福本の感情は恐怖に支配されている。もはやビッグ・マムがトラウマと化していた。

 

「福本、お前また何かやったのか!?」

 

梅子が問い質そうと鞭を構える。が、福本はおっぱい怖いと連呼するだけで、とても受け答えができるような状態ではなかった。

 

すると、ビッグ・マムが変わりに答える。

 

「なに、女性のおっぱいがどうしても吸いたいというもんだから、アタシのを思う存分吸わせてやっただけの話さ」

 

「は、はあ……」

 

ビッグ・マムは自分の胸を強調するように述べる。梅子もそれで納得するしかなかった。

 

一方、そんなビッグ・マムの姿を見た男子生徒一同に悪寒が走る。

 

あの巨漢に無理やり胸を吸わされて……男にとっては羨ましいシチュエーションの筈なのに、何故か真っ先に感じたのは恐怖だった。

 

「……さて」

 

ビッグ・マムが再び生徒達に向き直る。

 

「お前たち、何をぼさっと突っ立っているんだい!さっさと表へ出る準備をするんだよ!」

 

怒号のような声を撒き散らし、生徒達に指示をするビッグ・マム。生徒達は動揺し、どうしていいかおろおろしている。

 

「―――ん?」

 

ビッグ・マムは窓際の方へ顔を向けると、窓から身を乗り出そうとしているキャップの姿を発見した。キャップと目が合う。

 

「やべっ」

 

キャップは次の瞬間、そのまま窓から飛び出し、逃走を図る。授業の内申を捨てている、キャップにしかできない行為だった。

 

「こら、風間!……全く、仕方のないやつだな。教官、あれはもう放っておいて構いません。早く授業を―――」

 

「―――面白いじゃないか」

 

ビッグ・マムは両手を鳴らし、キャップが逃げた方角を見てニヤリと笑った。どうやらキャップを捕まえる気でいるらしい。

 

「度胸だけは認めてやろう。だが、所詮はヒヨっ子。このアタシから逃げようと思った事をたっぷりと後悔させてやる!!」

 

“ア゛ーイッ!”と声を上げて、窓ガラスを豪快に割って飛び出すビッグ・マム。梅子が止めに入るが時既に遅し。ただ呆然と見ている事しかできなかった。

 

「へっ。キャップがそう簡単に捕まるかよ」

 

腕を組みながら岳人が笑う。“気まぐれな風”と呼ぶだけあってキャップは早い。捕まえられる人間は百代ぐらいしかいないだろう。

 

捕まえられるはずがない……クラス全員もそう思っていた。

 

「……無理だ」

 

ボソッと、サーシャが呟く。サーシャはビッグ・マムの恐ろしさを知っているが故に、結果はとうに見えていた。

 

「なあ、サーシャ。あの人ってそんなにヤバイ人なのか?」

 

大和が訪ねると、サーシャはゆっくりと頷いた。あのクールなサーシャの表情が、恐怖の色で染まり切っている。

 

「例えどこへ逃げようと……ビッグ・マムは地獄の果てまで追ってくるぞ」

 

「キャップが捕まるとは思えないけどな。それにキャップが今まで捕まった事なんか――――」

 

 

大和とクラス全員がキャップの逃走劇を見物しようと窓から顔を出した次の瞬間、

 

「ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイッ!!!!!!!!」

 

ビッグ・マムの声と共に轟音が校庭に響いた。あまりの声の大きさに思わず耳を塞ぐ生徒達。何が起きたのだろうと再び窓を覗いた時には、キャップとビッグ・マムの姿はなかった。

 

何故なら、ビッグ・マムは既に教室の窓から乗り込んでいたのだから。

 

そしてその脇には……キャップが抱えられていた。顔には×印のような痣があり、ぐったりとした表情で力尽きている。

 

その光景に、クラス全員……梅子までもが驚愕していた。ビッグ・マムは抱えていたキャップを床へと投げ捨てる。

 

「うぇ……この人、強ぇ……」

 

キャップのかすれ声が聞こえる。キャップは逃げきれず、ビッグ・マムの制裁を受けていた。

 

「う、嘘だろ……キャップが捕まるだなんて」

 

岳人は信じがたい光景を前に唖然とする。あの風のようなキャップが捕まった……それはクラス全員を戦慄させた。

 

そしてビッグ・マムは生徒達を見て叫ぶ。

 

「いいかよく聞きな、ヒヨっ子ども!!アタシが来たからには、お前たちのぶったるんだ空気をぶっ飛ばしてやる!!!」

 

ビッグ・マムの喝が生徒達を震撼させ、Fクラスの空気を支配していく。

 

「分かったら準備をして外へ出な!!!」

 

「「「……は、はい!!!」」」

 

生徒達は声を揃え、ビッグ・マムの指示に従った。

 

キャップが捕まった以上、もうビッグ・マムから逃れる事はできない。それを見せつけられた生徒達は1時限目の授業の準備をすると、一斉に更衣室へと向かっていった。

 

「素晴らしい統率力です。感服いたしました」

 

ビッグ・マムの指導力を見せつけられ、教師としての未熟さを知った梅子。まだまだ自分も修行が足りないと痛感する。

 

「うむ。さて……まずはこの学園の生徒達がどれ程のものか、調べないといけないねぇ」

 

右手をわきわきと鳴らすビッグ・マム。川神学園のレベルが如何なるものか……戦術教官であるビッグ・マムとしては、興味があった。

 

 

もうすぐ、1時限目の授業が始まる。この学園に、早くも暗雲(別の意味合いで)が立ち込めようとしていた。



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6話「激突、武士娘!」

体操服に着替え、準備を終えたFクラスの生徒達は校庭に集まり待機していた。

 

「う……やっぱりこの格好恥ずかしい」

 

まふゆが恥ずかしそうに呟きながら、シャツを伸ばしてブルマを隠している。

 

「ってか、いつも思うんだけどよ。何で今時ブルマなんだよ。この学園は………」

 

華も自分の格好を見て肩を落とす。学長曰く“ワシがいる限りこの学校はブルマじゃ”との事。

 

鉄心が引退でもしない限り、この学園の女子の体操服は永遠に変わる事はないだろう。

 

「………」

 

サーシャはまふゆの体操服姿を眺めていた。そんなサーシャの視線を感じ取り、まふゆは自分の身体を隠すような仕草を見せる。

 

「そ、そんなにジロジロ見ないでよ……サーシャ」

 

「いや、俺は……別に」

 

照れ隠しをしているのか、サーシャは顔を赤くして視線を逸らす。何度も見ている筈なのに、まふゆのブルマ姿はとても新鮮に感じるサーシャなのだった。

 

「ア゛ーーーーーーーーーーイッ!!!」

 

すると、突然ビッグ・マムがサーシャとまふゆの間に割り込んできた(正確には降ってきた)。目を鋭く光らせ、二人を睨み付けている。どうやら惚気は禁止、という事らしい。

 

サーシャとまふゆは距離を置くと、ビッグ・マムはふんと鼻を鳴らし、集まったFクラスの生徒達の前へと歩いていく。

 

「さて……早速授業を始めるとしようか」

 

ニヤリと笑うビッグ・マム。生徒達全員が、ゴクリと唾を飲んだ。これから一体何をやらされるのか……そう思うと不安が募る。

 

「今日の授業は……アタシとの模擬戦闘を行う事にする」

 

そして、その不安は見事に的中した。生徒達の殆どが恐怖で震え上がる。

 

「その前にだ……サーシャ、まふゆ、華。お前たちは後まわしだ。まずはこの学園のレベルがどれ程のものか、お手並み拝見といこう」

 

サーシャ達はいつもビッグ・マムの訓練を受けている為、実力は把握している。

 

「さあ、アタシと戦いたいヤツは前に出るんだよ」

 

福本がトラウマを植え付けられ、キャップが捕まり、なおかつ心を負かしたサーシャでさえも震えてしまう最強の存在。

 

そんな人間に、太刀打ちできるわけがない。生徒達は誰も前に出ようとはしなかった。

 

そんな中、勇敢にも名乗りを上げる生徒が3人。

 

その生徒は一子、クリス、京だった。3人はビッグ・マムの前に堂々と出る。

 

「お前たち、名前は?」

 

「はい!2-F、川神一子!」

 

「同じく、クリスティアーネ=フリードリヒ!」

 

「同じく、椎名京」

 

3人とも力強い(京はそうでもないが)声を上げ、真剣な眼差しでビッグ・マムを見上げる。ビッグ・マムは腕を組み、他に挑戦者がいない事を確認すると、満足げに頷くのだった。

 

「ふむ、いいだろう。武器は好きな物を使って構わない」

 

言って、ビッグ・マムは武器のレプリカ(教室から勝手に持ち出した物)を用意する。

 

一子は薙刀を。クリスはレイピアをそれぞれ手にする。京は武器は取らず、素手で勝負に挑む。

 

武器を選び、戦闘の準備を整えた3人は改めてビッグ・マムと対面した。

 

「アタシが先に行くわ!」

 

一番手を先取る一子。

 

「いや、自分が先だ」

 

割り込むクリス。どちらが先に戦うか揉め出し、火花を散らしていた。一方の京はどちらでもいいらしく、言い争う2人を見て“しょーもない”と溜息を吐くのだった。

 

すると、ビッグ・マムが口火を切って宣言する。

 

「順番を決める必要はない。3人まとめてかかってくるといい」

 

そのビッグ・マムの言葉に、一子達……否、Fクラスの全員が驚愕した。

 

一子、クリス、京はクラスの中でも戦闘力の高い強者達だ。その3人を同時に相手をするのだから、ビッグ・マムには相当の自信を持ち合わせているのだろう。

 

(3人同時……なんか燃えてきたわ!)

 

ビッグ・マムという強敵を前に、闘争心を燃え上がらせる一子。

 

(随分と舐められたものだな……目にものを見せてやろう!)

 

挑発を受け、クリスはビッグ・マムを睨み付ける。

 

(ま、めんどくさくなくていいか)

 

京は相変わらず冷めたままだった。

 

「さあ、始めるとしようか」

 

両手を鳴らし、戦闘体制に入るビッグ・マム。まだ手を合わせていないというのに、この圧迫感。3人は思わず息を飲む。

 

しかし……戦士として、武人として、そして騎士として引き下がるわけにはいかない。3人は構えて、ビッグ・マムと対峙する。

 

周囲の生徒達も息を飲み、その様子を見守っていた。

 

―――――数秒間、沈黙が訪れる。そして、

 

「――――いざ!」

 

「――――参る!」

 

「――――いくよ!」

 

3人の掛け声と同時に、一子達とビッグ・マムとの戦いの火蓋が切って落とされた。

 

「はあああああぁぁーーーー!!!」

 

まずは一子が先陣を切り、持ち前のスピードでビッグ・マムに接近する。薙刀を振り上げ、その一撃をビッグ・マムに叩き込む。

 

だが、

 

「遅いっ!!!!」

 

ビッグ・マムはあっさりと身を躱す。薙刀を掴み、片手で一子の身体ごと投げ飛ばし、そのまま地面へと叩き付けた。

 

「あぐっ!?」

 

まるで鈍器で殴られたような重い衝撃がワン子の身体を襲った。ワン子は怯み、しばらく身動きが取れない程のダメージを負う。

 

「はっ――――!」

 

続いて京の攻撃。京は遠距離専門ではあるものの、体術はある程度体得している。

 

だが、あくまで“遠距離専門”であり、肉弾戦でビッグ・マムとやり合うには到底及ばない。ビッグ・マムも体術で牽制し、京の腕を掴んで背負い投げる。

 

「うっ!?」

 

うまく受け身は取れたものの、反動と衝撃が大きく、京の身体中に痺れが走った。

 

「――――もらったっ!!」

 

さらに、クリスの弾丸のようなレイピアの一撃がビッグ・マムの身体を狙う。ビッグ・マムは舌打ちをすると、紙一重で攻撃を回避した。

 

「まだまだっ!!!」

 

クリスの攻撃はさらに続く。常人の動体視力では捉えられない程の高速連続突きを放ち、ビッグ・マムを追い詰める。

 

だがマシンガンのような怒涛の攻撃さえも、ビッグ・マムは見事に躱していく。

 

さすがは戦いのプロ……戦術教官を名乗るだけはある。だからこそ目の前の強敵を倒したいと、騎士としての血が騒いでいた。

 

(だが――――次で決める!!)

 

クリスはビッグ・マムが反撃を始めるまでの僅かな瞬間を狙っていた。

 

1、2、3―――連撃のカウントと同時に、腕に力を溜めていくクリス。徐々に距離を縮め、必殺の間合いへと入った。

 

クリスは身体を捻り、バネのように反動を利用する。そして、

 

「零距離――――刺突!!!!」

 

渾身の一撃を、ビッグ・マムの身体目がけて放った。距離は技の如く、零に等しい。避けられる道理などありはしない。

 

レイピアの一撃はビッグ・マムの腹部にめり込み、致命的なダメージを与える。

 

「――――!?」

 

その筈、だった。

 

クリスは突きの構えをしたまま動かなかった。否、正確には動けずにいる。

 

正面にビッグ・マムの姿はない。レイピアを持つ手首はビッグ・マムに掴まれ、クリスは身動きを完全に封じられていた。

 

「動きのキレ、隙のなさ。なかなかやるじゃないか。太刀筋も悪くない。だが、お前の攻撃は“真っ直ぐ”過ぎる。それじゃあ、相手に攻撃する場所を教えているようなもんさね」

 

「くっ―――!」

 

レイピアを突き出した僅かな瞬間、ビッグ・マムは攻撃が当たる正確な位置を把握し、攻撃を回避していた。クリスは腕を振り解こうと力を入れるが、石のように硬くピクリとも動かない。

 

「次はこっちの番だ」

 

腕に力を込めこみ、拳を強く握り締めるビッグ・マム。身体の自由を奪われ、もはやクリスに逃げる術はない。

 

「ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイッ!!!!!!」

 

ビッグ・マムは強烈なアッパーをクリスの腹にめり込ませ、身体ごと打ち上げた。クリスの身体が空高く吹き飛んでいく。

 

「がはっ……!?」

 

まるで大砲のような強力な一撃だった。クリスは立ち上がろうと身体に力を入れるが、予想以上にダメージが大きく、そのまま地面に崩れ落ちて気絶した。

 

クリス、ダウン。

 

「クリスが一撃!?マジかよ……」

 

全貌を見ていた岳人が絶句する。クリスの強さを知っているが故に、一撃で沈黙した事実が信じられなかった。他の生徒達も同じである。

 

「ううっ……まだやれるわ!」

 

薙刀を杖代わりにし、ようやく立ち上がる一子。身体中のあちこちが悲鳴を上げているが、戦いに支障がある程ではない。京も起き上がり、戦線に復帰する。

 

「ほう。なかなかしぶといねぇ」

 

こうでなくては面白くないと、ビッグ・マムは笑う。

 

「はあああああぁぁーー!!」

 

反撃を開始する一子。フルスピードで再び突貫し、空高く飛び上がった。

 

「川神流奥義・大輪花火!!!」

 

薙刀を振り上げ、全力を注いで攻撃を叩き込む。

 

「ふん、隙だらけだ!!」

 

ビッグ・マムは薙刀の猛攻をフットワークで掻い潜り、攻撃が大振りになった瞬間を狙ってアッパーカットを放つ。

 

「京―――!」

 

そして一子の掛け声と共に、その瞬間を京が狙う。

 

京は手に隠し持っていたパチンコ玉を弾き、ビッグ・マムの身体に向けて狙い撃った。パチンコ玉は見事ビッグ・マムの身体に直撃する。

 

(当たった!これで……え?)

 

だが、ビッグ・マムが怯む事はなかった。

 

「うわあああああっ!?」

 

ビッグ・マムの攻撃が一子に直撃する。咄嗟に薙刀で防御したものの、それも虚しく薙刀ごと折られ、攻撃は見事に貫通した。一子の身体が勢いよく吹き飛び、地面に叩き付けられる。

 

(そんな……あり得ない)

 

確かに、京の攻撃は当たっていた。なのに、まるで効いていない。今の今までこんな状況に出くわした事のなかった京は冷静さを失い、再びパチンコ玉を取り出して応戦する。

 

「――――攻撃の隙を突き、狙撃して怯ませるという考えまではよかったが」

 

「!?」

 

京の背後に、何時の間にかビッグ・マムの姿があった。

 

「相手が悪かったね――――アミン」

 

最後の祈りを捧げ、京の首筋に手刀を叩き込んだ。京は“しゅん……”と言って気を失い、地面に崩れ落ちる。

 

日頃から鍛えているビッグ・マムの肉体には、パチンコ玉のような小細工は無力であった。

 

京、ダウン。

 

クリス、そしてついには京までもがやられ、戦局は絶望的だった。

 

残るは一子のみ。一子は傷だらけの身体に鞭を打つように、ゆっくりと立ち上がる。

 

「はぁ、はぁ……まだまだ」

 

口では強がっていても、身体は殆ど動かないに等しかった。それでも、一子の戦いの意思は消える事はない。

 

 

たとえ身体が悲鳴をあげようと壊れようと、ワン子は絶対に諦めなかった。ここで諦めたら、きっと前に進めない。

 

川神百代……自分の目標に少しでも近付く為に、ここで倒れる訳にはいかなかった。

 

「――――――」

 

そんな一子の姿を見て、努力の天才だとビッグ・マムは思う。だが、努力をしても超える事のできない壁がある。

 

少なくとも、今の時点では。

 

「川神一子。お前は―――」

 

ビッグ・マムは告げる。一子に現実を突き付ける為に。だがその直後、

 

「その勝負、待った―――――!!」

 

突然、校庭に声が響いた。正確には、ビッグ・マムの頭上からだった。そして、その声の主は華麗に地面に着地してい現れる。

 

ビッグ・マムの前に降り立った、川神学園の生徒が一人。

 

その正体は……武神、川神百代であった。



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7話「最強と最凶」

1時限目の授業の時間に乱入し、ビッグ・マムの前に現れた百代。

 

戦いを教室から眺めていた百代は闘争本能を抑えきれなくなり、授業を抜け出していた。

 

Fクラスの生徒達も、百代の突然の登場に騒然とする。

 

「お……お姉さま?」

 

戦いでボロボロになった身体で、よろよろと百代に歩み寄る一子。

 

だが、百代の目に一子の姿は映っていなかった。百代にはビッグ・マムしか見ていない。

 

「ワン子、こいつはお前が勝てるような相手じゃない。下がれ」

 

「で、でも……」

 

「姉の言う事が……聞けないのか?」

 

「う……」

 

大人しく、百代の言う通り引き下がる一子。この時の百代の目がまるで獣のように見えて、一子は百代に対して恐怖を覚えた。

 

「ビッグ・マムと言ったな。私は3-F所属、川神百代だ。今から貴方に決闘を申し込む!」

 

百代は早速宣戦布告する。それに対し、ビッグ・マムはニヤリと笑う。

 

「お前が川神百代かい、噂は聞いているよ……いいだろうその決闘、受けて立とうじゃないか」

 

躊躇いもなく、決闘を承諾するビッグ・マム。ビッグ・マムはFクラスの生徒達に向き直った。

 

「お前たち、今日の授業は自習だ。各自1時限目の授業が終わるまで、好きにするといい」

 

何ともむちゃくちゃな講師だと、Fクラスの生徒達全員がそう思った。だが、生徒達の取る行動は一つしかない。

 

百代とビッグ・マムの対決を、見過ごす訳にはいかなかった。

 

 

 

「うっ……」

 

「ん……」

 

ビッグ・マムの一撃を受け、倒れていたクリスと京が意識を取り戻す。大和、キャップ、卓也、岳人が駆け寄り、2人を介抱する。

 

「クリス、大丈夫?」

 

卓也と岳人がクリスに肩を貸す。クリスはゆっくり立ち上がると、唇を噛み締めながら、地面を視線に落としていた。

 

「手も足も出なかった……あの教官、思った以上に強い」

 

まるで赤子扱いにされたような戦いだった。クリスは自分の未熟さを思い知らされる。

 

「京、しっかりしろ」

 

ぐったりした京に肩を貸し、大和が声をかける。京は意識が朦朧としていて、今にも倒れてしまいそうだった。

 

「大和……私、もう……」

 

「どこか痛むのか?なら、保健室に……」

 

「大和がキス、してくれたら……私、もう何も怖くない」

 

「よし、分かった。とりあえず保健室に行こう」

 

「もう、大和のいけず」

 

半分(殆どが)仮病だった。大和を引き付ける為の。

 

「ワン子、よく頑張ったな」

 

キャップが一子の肩を叩く。ワン子はえへへと笑い、急に力が抜けて、地面に崩れてしまった。キャップは一子を背負い、大和達のいる方へと歩く。

 

(お姉さま……)

 

一子は思う。あれは百代の姿をした“何か”だ。自分の闘争本能を満たしてくれる相手を、常に探し求めている。

 

まるで、戦いに飢えた獣のように。

 

一子の知っている百代は、もう帰ってこない……そんな気がして、一子は胸が締め付けられるような思いだった。

 

 

 

その一方で、百代はビッグ・マムという強者と対峙し、歓喜していた。

 

あの一子、クリス、京ですら手も足も出ないとなれば、相手にとって不足はない。

 

サーシャといい、あのユーリといい……戦いに震え、鼓動が高鳴る日をどれだけ待ち望んでいたことか。百代は武者震いし、闘争心を燃やしていた。

 

「さて……楽しませてもらうぞ、ビッグ・マム!」

 

「いい気になるんじゃないよ小娘が。川神百代、お前のその天狗っ鼻をへし折ってやる!」

 

互いに火花を散らし、闘気をぶつけ合う2人。もはやこれは決闘というレベルでは収まらないだろうと、ここにいる誰もがそう思った。

 

百戦錬磨の武神と、ワン子達を軽くあしらう程の圧倒的な戦闘力を見せつけた戦術教官。

 

今、最強と最凶の戦いが始まろうとしていた。

 

「この戦い、ワシが立ち会わせてもらうぞい」

 

2人に向かって歩いてきたのは鉄心だった。鉄心は真剣な表情で両者を見る。

 

「モモ。授業を抜け出すのは感心せんが、今回だけは特別じゃ」

 

「やけに聞き分けがいいな、じじい。まあ、止めたとしても無駄だがな」

 

百代は腕を鳴らし、笑いながらビッグ・マムをまじまじと凝視する。今すぐにでも戦いたいと言わんばかりに。

 

すると、学園中から他の生徒達や教師たちも決闘を見たいが為にやってきた。校庭が、あっという間にギャラリーで覆い尽される。

 

ちなみに授業は中断し、決闘の見学は鉄心の学長権限により許可が降りている。

 

「では両者、名乗りを上げるがよい!」

 

「3-F、川神百代!」

 

「川神学園特別講師、ビッグ・マム!」

 

両者とも名乗りを上げ、互いに顔を向き合った。校庭中にいるギャラリー全員が息を呑む。

 

(ビッグ・マム殿……モモを頼みましたぞい)

 

心の中でビッグ・マムに託した鉄心は、決闘開始の合図を告げる。両者は睨み合い、拳を構えて戦闘体制に入る。

 

この戦い、真剣(マジ)にならなければ勝てない。究極の対決が実現されようとしていた。

 

「いざ尋常に―――はじめぃ!!」

 

鉄心が合図をした次の瞬間、百代とビッグ・マムは同時に動き出して突貫する。

 

「――――川神流奥義・無双正拳突き!」

 

百代は拳を突き出し、強烈な一撃を繰り出した。ビッグ・マムもそれと同時に拳を突き出し、ストレートを打ち込む。

 

互いの拳と拳がぶつかり合い、その反動で凄まじい衝撃が巻き起こった。地面が揺れ、いかに強力な一撃かを物語っている。

 

「ふんっ!!」

 

ビッグ・マムは即座に反撃し、百代の左上腕に回し蹴りを打ち込んだ。あまりの速さに百代は回避できず、打撃で骨が軋む。

 

(早い!?……だがこの程度!)

 

百代もすかさず反撃し、さらに正拳突きを放つ。ビッグ・マムも避けきれず腹部に直撃を受ける。

 

「ぐっ……!?」

 

ビッグ・マムは後退し、体制を立て直した。腹にダメージを負ったものの、鍛え上げられた鋼の肉体で衝撃はある程度軽減されていた。もしもそれがなければ、一撃で沈黙していただろう。

 

(あの一撃でこの威力かい……さすがは武神と言った所か)

 

ビッグ・マムは心の中で感心する。今まで戦ってきた中で、百代は格段に強い。少しでも気を抜けばやられるのは自分だ。

 

(こいつは……久しぶりに本気を出さないといけないねぇ)

 

にも関わらずビッグ・マムは全力ではなかった。力量を測るため、様子を伺っていたのだ。

 

だが、もうその必要はない。百代は計り知れないスペックを持つ化物と認識したビッグ・マムは、精神を集中させて再び構える。

 

その様子を、百代は興味深そうに眺めていた。

 

(ようやく本気を出したか……なら、こちらも出し惜しみはなしだ!)

 

百代も同じく、ビッグ・マムの力量を測っていた。百代は抑えていた闘気を身体中から放出させ、これまでとは比べ物にならない程のパワーを漲らせている。

 

「―――さあ、いくぞ!」

 

「―――来い、川神百代!」

 

戦闘続行。両者が接近し、体術による激しい攻防が始まった。互いに互角の戦いを繰り広げ、リードを譲らない。

 

2人の戦闘を見ていた多くのギャラリーは、誰も声をあげなかった。人の領域を逸脱したハイレベルな戦いを、ただ呆然と眺めている。

 

「すごい……あの姉さんと、互角でやりあうなんて」

 

大和も思わず魅入ってしまっていた。

 

それもそのはず。何故なら今まで百代と戦ってきた相手は、互角どころか決闘以前の問題であり、10秒も立たないうちにやられてしまうのを何度も見てきたからだ。

 

それが今、百代と対等に渡り合えている人間がここにいる。その光景は新鮮極まりない。

 

「はははははは!楽しいぞ、貴方のような強者を、待ち望んでいた!!」

 

「小娘にしてはやるじゃないか!ここまでアタシが本気になったのは久しぶりだよ」

 

強さを認め合い、拳と拳で会話を交わす。百代もビッグ・マムもこの戦いを心底楽しんでいた。

 

「だが、そろそろ決めさせてもらうぞ!!川神流奥義・星殺し――――」

 

「やらせないよ!!!」

 

百代が気を練り上げる僅かな瞬間を狙い、ビッグ・マムは百代の四肢に打撃を打ち込んだ。ダメージを負い百代は体制を崩すが、身体の細胞を活性化させてダメージをリセットした。

 

“瞬間回復”―――百代が修行の末に獲得した能力である。

 

「お返しだ――――禁じ手・富士砕き!!」

 

百代が反撃し、強力な正拳尽きがビッグ・マムを襲う。ビッグ・マムも正拳突きで迎撃して攻撃を相殺させた。が、思った以上に衝撃が大きく、反動で身体が大きく後退する。

 

(身体の細胞を活性化させてダメージを無くした……随分と厄介な能力だね)

 

末恐ろしい小娘だ、とビッグ・マムは笑う。これではいくら攻撃をしても無意味で、体力を削られて力尽きるのを待つばかりだ。

 

しかし、その規格外の相手を如何に倒すかこそが、戦術教官の腕の見せ所である。

 

百代は強い……だからこそビッグ・マムは知りたかった。百代の中にある、戦いの真意が。

 

「……川神百代。お前に一つ聞きたいことがある。お前は何のために戦う?」

 

何故戦いに執着するのか、何故強さを求め続けるのか。百代の心を震わせて、突き動かす程の理由があるはずだ。

 

しかしその質問に対し、百代は小馬鹿にするように笑う。

 

「愚問だな……決まってるだろう。戦いたいから、戦うんだ!」

 

百代の回答は単純明快な物だった。ただ、本能の赴くままに戦う。そこに理由などありはしない。ひたすら強者を求め、倒してはさらに強者を求める……果てのない歪んだ欲望だった。

 

それを聞いたビッグ・マムは深く目を閉じて、考えに耽る。鉄心の依頼通り、このままの状態で百代が戦い続ければ精神が狂い、もはや人間ではなくなってしまうだろう。

 

それ以前にビッグ・マムは哀れに思った。強者の果てにあるのは、孤独しかないというのに。

 

「嘆かわしいねぇ。それがお前の答えか」

 

「そうだ、それの何が悪い?私は強い者を求め、打ち倒す。ただそれだけだ――――そしてビッグ・マム、貴方も私が倒す!!」

 

ビッグ・マムに突進し、正拳突きを放つ百代。しかしビッグ・マムは微動だにせず、ただ静かに目を閉じ、佇んでいた。

 

何かを企んでいるのか。それとも、勝てないと知り戦意を喪失したのか。どの道、百代に止まる理由などない。

 

どんな策があろうが、全て打ち砕くのみ―――百代に迷いはなかった。

 

「我が(しゅ)よ――――」

 

ビッグ・マムの目が開く。右腕に力を溜めながら、突進する百代を迎え撃つ。

 

「――――愚かなる愛し子に哀れみを」

 

百代との距離が零になる寸前、正拳突きをしゃがんで回避し、ビッグ・マムは百代の腹部に渾身の一撃を放った。

 

「ごっふ――――!?」

 

ビッグ・マムの拳が深々と百代の腹にめり込み、衝撃で胃液が逆流する。おそらくこれが、ビッグ・マムの全力だろう。それが身体中に伝わってきた。

 

だが……百代はニヤリと笑っていた。こうなる事を予測していたかのように。

 

(……!?拳が抜けない!?)

 

百代の腹に減り込んだビッグ・マムの拳は、まるで接着剤か何かでくっつけたように、ビクともしなかった。百代はビッグ・マムを捕縛するため、この攻撃を意図的に受けたのである。

 

「これで終わりだ!!」

 

百代から発する膨大な気のエネルギーが、ビッグ・マムの拳を通して伝わる。エネルギー量は次第に膨れ上がり、百代の身体が異常な熱を帯び始める。そして、

 

「川神流奥義・人間爆弾―――――!」

 

百代の周囲に大爆発が起こり、ビッグ・マムもろとも巻き込んだ。爆風で砂嵐が巻き起こり、ギャラリーが砂が入らないよう目を腕で隠し、後退っていく。

 

やがて爆風は収まり、砂埃から2人の影が飛び出してきた。百代とビッグ・マムである。二人は距離を取って着地し、体制を立て直した。

 

百代は自身を爆発させた事によりダメージを受けたが、瞬間回復により完治している。

 

一方のビッグ・マムは爆発による傷を負っていたものの、戦闘に支障はなかった。しかし、その差は歴然。百代は無傷であり、ビッグ・マムが圧倒的に不利なのは明らかである。

 

「この攻撃を受けてまだ立っていられるとはな……驚いた」

 

「見くびるんじゃないよ。あれくらいの爆発じゃ、アタシには響かない」

 

「ふっ、そうこなくてはな」

 

満たされていく。ビッグ・マムは今まで百代が出会った中で、最強の戦士であろう。ここまで渡り合える人間はそうはいない。

 

「さあ、戦闘再開といこう―――ビッグ・マム!!」

 

百代は再び構えた。だが、ビッグ・マムは構えず、腕を組んで百代を見つめていた。その目に闘志は宿っていない。

 

そして、ビッグ・マムは静かにこう答えた。

 

「いや――――もう詰みだ」

 

詰み―――つまり勝敗は決したという事だろう。その言葉を聞いたギャラリーがざわめき始める。

 

それは、ビッグ・マムが負けを認めたと解釈すべきだろうか。状況からすれば、そうとしか考えられないだろう。当然百代は納得するはずがなく、ビッグ・マムに問う。

 

「……それはどういう意味だ?」

 

「自分の身体によく聞いてみるといい」

 

「身体……?一体何を言って―――うぐっ!?」

 

突然百代は自分の腹を抑え込み、地面に崩れ落ちて膝をついた。身体中から汗を噴き出し、千切れそうなくらい強烈な痛みが襲う。

 

あまりの痛みに耐えきれず、とうとう地面に倒れて蹲くまってしまった。

 

そして身体からみるみる傷口が開き始めていた。一体何が起きたのか百代は理解できずにいる。

 

百代が地に伏している……ギャラリーや大和達は目の前で起きている事が信じられず、ただ呆然と見ている事しかできなかった。

 

「く……あ、どうなって……」

 

「決まってるだろう。お前は文字通り“自爆”したのさ」

 

ビッグ・マムは眈々と告げる。

 

「じ、ばくだと?……でも、私は」

 

人間爆弾を使用した際、瞬間回復で傷は完治したはずだった。自爆など、断じてあり得るはずがない。もしあるとするなら、瞬間回復が使えなくなったとしか考えられない。

 

だが、それこそあり得る話ではない。瞬間回復を潰せる術など、ましてや初見の相手ができる技ではないのだから。

 

「何を、した……」

 

「お前の考えている通りだ。“瞬間回復”とやらを潰したんだよ」

 

百代の考えている事を見透かすように、ビッグ・マムは答えた。

 

「なんだ、と……どうやって」

 

「お前の体内に流れる気のエネルギーの起点に、直接(けい)を打ち込んだのさ。これでしばらく瞬間回復は使えまい」

 

勁とは、中国武術における力の発し方の技術である。主に発勁と呼ばれ、ビッグ・マムはそれを応用した形で百代の起点に打ち込み、気の流れを一時的に止め、瞬間回復を封じたのだ。

 

百代が突進し、ビッグ・マムの攻撃を受けたあの瞬間である。

 

たった一度手を合わせただけで、ビッグ・マムは戦いの最中で百代の身体に流れる気を察知し、起点を見つけ出していた。

 

「瞬間回復に頼りすぎたね……それがお前の敗因だ」

 

純粋な力という面では、ビッグ・マムは百代より下回るだろう。しかし、知略と戦術はビッグ・マムが遥かに上回っていた。

 

「負ける、だと……この私が」

 

敗北という文字が、百代の心を苛立たせる。それは武神としてのプライドが許せなかった。百代は傷でボロボロになった身体を無理やり起こし、立ち上がる。

 

「ほう。その身体でまだ戦うつもりかい?」

 

「あ……たりまえだ。まだ、私は戦え……うぐっ!?」

 

身体に痛みが走り、再び地面に崩れ落ちる百代。四肢が悲鳴を上げ、もはや動かす事すらままならなくなっていた。

 

「人間の身体の傷は、普通は完治までに時間がかかるものだ。瞬間回復がない今、お前の身体は人並みだ。当然、他の傷口も開くってもんさね」

 

アタシがなんの考えもなしに攻撃をしていたと思っていたのかいと、ビッグ・マムは悟る。百代との戦闘でも常に先を読み、こうなる事を予測して四肢に攻撃を入れていた。

 

百代は瞬間回復という絶対の能力を持つが故に、それが同時に弱点でもある事を思い知らされた。完全に、ビッグ・マムの手中であることに気付けなかった。

 

「……モモ、もう決着はついた。お前の負けじゃ」

 

戦いを見ていた鉄心が、百代に諭す。瞬間回復が封じられている今、これ以上誰がみても戦えるような身体ではない。

 

「まだだ……」

 

「何?」

 

「まだだ、じじぃ!!」

 

敗北など認めない。百代は立ち上がり、残った気力を練り上げる。身体が傷だらけになっても戦いを望む百代の姿は、痛々しかった。

 

そこまで突き動かしているのは、やはり本能なのか。それとも……ビッグ・マムはもう一度問う。

 

「もう一度聞こう。お前は何のために戦う?」

 

「……何度も同じ事を言わせるな!戦いたいから、戦う、ただそれだけだ!」

 

百代は叫び、残る力を振り絞ってビッグ・マムに攻撃を仕掛ける。だが、最初の時よりも勢いはない。スピードも格段に落ちている。言うならば、単なる悪足掻きだった。

 

ビッグ・マムは難なく攻撃を避け、カウンターで蹴りを百代の身体に打ち込む。

 

「あ……がっ!?」

 

吹き飛ばされ、地面を転がっていく百代。だが、それでも立ち上がろうとするそれは、もはや修羅であった。

 

「はっきり言わせてもらおう。川神百代、お前は武神失格だ」

 

「なん……だと?」

 

地面に這いつくばるようにしながら、百代はビッグ・マムを睨み付ける。

 

「戦いたいから戦うだって?笑わせるんじゃないよ。それはもはや狂気でしかない。そんなものは理由がないのと同じだ。お前は戦う時点で、既に心が負けているんだよ」

 

力と精神は、常に等しくなければならない。どちらかが欠ければバランスが崩れ、綻びが生まれてしまう。戦いに執着し、自分の心を制御しきれない百代はまさしくそれだった。

 

「心が……負けている……」

 

打ちひしがれ、地面に視線を落とす百代。百代の瞳から、次第に戦意が失われていく。自分の色が、敗北の色に染まるのが分かる。

 

ああ、自分は負けたのだとはっきりと理解した。悔しさで叫んでしまいたかった。認めたくはない、しかしそれが現実であった。

 

百代が戦意喪失したと認識した鉄心はゆっくりと右腕を上げ、勝者の名を高らかに宣言する。

 

「勝者―――ビッグ・マム!」

 

戦いに勝ったのは、ビッグ・マムであった。しかし校庭で見物していたギャラリーに歓声はなく、あるのはただ静寂のみ。

 

勝利するのは百代であろう……誰もがそう思っていたが、結果は予想だにしないものだった。

 

ビッグ・マムは百代から背を向けて立ち去っていく。その去り際に、鉄心がビッグ・マムの元に歩み寄った。

 

「……世話をかけましたな、ビッグ・マム殿」

 

「随分と手間がかかってしまいましたがね。あの子が戦う意味を見つけられない限り、立ち直る事はないでしょう」

 

後は、百代次第ですとビッグ・マム。ちょうど1時限目の授業が終わるチャイムがなる頃合いになり、ビッグ・マムはFクラスの生徒達に教室に戻るよう号令をかける。

 

そんな中、大和たち風間ファミリーは傷ついて倒れた百代に駆け寄っていた。

 

「姉さん!」

 

「お姉さま!!」

 

大和や一子たちが心配して声をかけるも、今の百代には届かない。

 

百代は、これまでにない敗北を味わっていた。

 

“自分”という名の、敗北に。

 

「くそ……負けた。私は……私は……くそ、くそおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

校庭中に、百代の悲痛な叫びが響き渡っていた。



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8話「失ったもの」

川神百代が敗北した……その噂は、学園中に知れ渡った。

 

ビッグ・マムとの決闘後、百代は救護班に運ばれた。現在は保健室で眠り、傷が癒えるのを静かに待っている。

 

勁を打ち込まれ、封じられた瞬間回復も徐々に機能し始め、戦いの傷跡も完治しつつあった。

 

ただ心に受けた傷跡は未だに消える事なく、今も百代を戒め続けている。

 

“――――お前は戦う時点で、既に心が負けているんだよ”

 

ビッグ・マムに言われたあの言葉が、百代の頭の中で繰り返し再生される。心の弱さ……百代は薄々とは気付いていた。

 

だが、こうして向き合わなければならない日が来ようとは思わず、どうしたらいいか答えを出せずにいるのだった。

 

(戦いの………理由……)

 

今まで考えた事もなかった自分が戦う“意味”を、天井を仰ぎながら自分自身に問う。当然、答えは返ってこなかった。

 

戦いたいから戦う。本能のままに戦い続けてきた百代。それは理由ではないと否定され、始めて自分の戦いの在り方を再認識する。

 

やはり、それでも答えは出ない。考える度にまるで出口のない迷路に迷い込んだように、百代の思考は深い溝へと落ちていくのだった。

 

「目、覚めたみたいだね」

 

ベッドの周囲を覆っていたカーテンが開き、ここの保険医であろう人物が顔を出す。

 

「貴方は……?」

 

「アタシは及川(うらら)。聖ミハイロフ学園から臨時で赴任した保険医だ。よろしくね」

 

グラマーな身体に、私服の上に白衣を着込んだ女性の名前は、及川麗。聖ミハイロフ学園の保険医で、川神院で出会ったユーリと同様、サーシャ達の保護者的存在である。

 

「私は、いつからここに?」

 

「3時間……かな。それにしても随分と怪我の回復が早いじゃない。若いっていいわね」

 

そう言って、麗は部屋の窓を開ける。ポケットからライターとタバコを取り出し、外を眺めながら喫煙を始めた。

 

「――――――あ」

 

百代はふと、ベッドの横に飾ってある花に視線がいく。花だけではない、お菓子や手紙が山のように置かれている。

 

「百代ちゃんが寝てる間に、ファンの子達が来て置いていったよ」

 

モテモテだね、と麗は笑う。百代を心配したファンの生徒達がお見舞いに来てくれていた。

 

純粋に嬉しいと感じた百代だが、今の心境ではあまり喜べなかった。喜べないというよりは、虚ろで何も感じないという方が正しい。

 

しばらくして、保健室の扉が開く音が聞こえ、生徒達が数人入ってきた。

 

「お、本命が来たか」

 

麗はタバコをやめて、彼らを出迎える。

 

やってきたのは大和、キャップ、卓也に岳人。一子、京。そしてクリスと由紀江。

 

いつもの風間ファミリーのメンバーだった。

 

「姉さん、具合はどう?それと、これ差し入れ」

 

大和はお土産の入った袋を百代に渡す。中に入っていたのは、百代の好物の桃だった。

 

「……さすが私の舎弟だ。気が利いてるな」

 

嬉しそうに受け取って笑う百代だったが、どこか活力を感じなかった。

 

まるで何かが抜けてしまったように、百代としての存在感が欠けているように感じる。

 

「凄かったよ、モモ先輩。あんな戦い始めて見たよ」

 

卓也は負けた事はあえて言わず、当たり障りのない話題を振る。しかし百代は気を遣われていると察したのか、思わず苦笑いした。

 

「気遣う必要はないぞモロロ。私は負けたんだ、はっきりとそう言ってくれたほうがいい」

 

「あ、いや。僕は……」

 

口籠ってしまい、狼狽えてしまう卓也。気まずい空気が流れ始める。すると、ここぞと言わんばかりにキャップがフォローを入れた。

 

「モモ先輩らしくないぜ?一回や二回負けたくらいで、そんなくよくよすんなって」

 

「……そうか。そうだったな……」

 

素っ気ない返事で返す百代。キャップなりに励ましてくれているのだろう。百代は気持ちは嬉しく思ったが、それでも気持ちは晴れない。

 

負けた事に関してはあまり気にはしていなかった。ただ、ビッグ・マムに言われた言葉がどうしても心にしこりを残している。

 

「モモ先輩。ど、どうか気を落とさずに……」

 

『そうだ、まだまだ人生これからだぜ!』

 

由紀江と松風も元気を出すよう声をかける。クリスや岳人、京も気持ちは同じだった。

 

しかし今の百代には耳から耳へと抜けていくだけ。どんな言葉も響かない。

 

「た、確かに負けたけど、お姉さまはすごいわ!アタシなんか手も足も出なかったし……」

 

一子は百代を賞賛するが、その顔には影が射していた。やはり、百代が負けてしまった事がショックなのだろう。

 

自分の目指すべき人が敗れてしまった……それでも一子は姉であり、目標である百代が好きだった。その気持ちが、痛いほど大和達に伝わる。

 

「はっはっは、ワン子は可愛いな。さすが自慢の妹だ」

 

そう言って百代は窓の外を眺め始める。そんな百代の表情には覇気がなく、例えるなら魂の抜けた人形のように、虚無に沈んでいた。

 

「なあ……みんな」

 

ぼそっと百代が大和達に呟く。視線を向けず、窓の外をひたすら眺めながら。

 

「私は今まで……なんのために戦っていたんだろうな」

 

その百代らしからぬ台詞に、大和達は言葉を失った。返す言葉がない。

 

 

すると、大和達の様子が気になった麗が顔を出す。

 

「もう少しで授業の時間よ。そろそろ教室に戻りなさい」

 

次の授業の時間まで後数分。大和達は仕方なく保健室を後にする事にした。

 

「じゃあ姉さん……また来るから」

 

大和達は百代に手を振ると、それぞれの教室にへ戻っていく。百代はその後ろ姿を、声もかけずに見送っていた。

 

「……さて、百代ちゃんはこれからどうする?身体の方はだいぶ良くなったし、授業には出れると思うけど、まだここで休む?」

 

再び喫煙を始め、麗は壁に寄りかかりながら百代に尋ねる。

 

次の授業はなんだったかと、思考を巡らせる百代。しかし、こんな気持ちでは授業に身が入らないだろう。状態はどうあれ、どの道勉強する気が起きないのは変わらない。

 

「もう少し、休みます」

 

「そう、分かった。ま、気の済むまでココにいなさい」

 

そう言って麗はカーテンを閉めると、自分の机へと戻っていった。

 

(…………)

 

身体を倒し、天井を見上げる百代。自分の中の答えを探すように、ただ天井を眺めている。

 

未だに心は晴れない。百代はしばらく、自分自身に問い続けていた。

 

自分が戦い続ける本当の理由、そしてその意味を。



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9話「葛藤」

百代とビッグ・マムとの決闘から数日後。

 

大和達(キャップと一子を除いて)風間ファミリー一行は、多馬川が緩やかに流れる土手を歩きながら、学園へと向かっていた。

 

ちなみにキャップは朝から急に京都へ行くと言い出しそのまま外出。

 

一子は早朝から走り込みのため、多馬大橋の辺りで合流するとの事である。

 

「はぁ……昨日もまたフられちまったぜ」

 

「ガクトも懲りないよね……」

 

前日に駅でナンパに失敗し、肩を落としながら歩く岳人。卓也はその隣で苦笑いしている。

 

「今日こそカーチャさんに話しかけて、お友達になります!」

 

『頑張れまゆっち。お前ならできる』

 

「なあまゆまゆ。転校してきてから、随分経ってないか?」

 

「クリス、それは言わないでおこうよ」

 

今日の意気込みを胸に、松風と会話をして歩く由紀江。そんな由紀江を、京とクリスは遠目で見守るのだった。

 

一方、大和と百代はというと。

 

「キャップ、今度は京都だってさ。お土産何がいい?今のうちに決めてメールしておくよ」

 

キャップにお土産を頼もうと、携帯をいじってメールを送る準備をする大和。

 

「―――――」

 

百代は聞こえていないのか、反応がない。ただ空を眺め、見ての通り上の空であった。意識が完全にどこかへ飛んでしまっている。

 

「姉さん、聞いてる?」

 

大和は声を少し張り上げて呼びかけた。すると百代はようやく気付き、大和の方へ視線を戻す。

 

「……ああ。すまん、大和。えっと……なんだっけか」

 

「だからさ、キャップの京都土産、何がいい?」

 

もう一度大和は説明する。百代なら“舞妓さんのねーちゃん土産に持ってこい!”と無謀な注文をするに違いない。冗談ではなく本気で。

 

しかし、返ってきた百代の返答は素っ気ないものだった。

 

「……特にないな。別に何でもいい」

 

「あ……そう」

 

大和は頷くことしかできなかった。会話が途切れて、気まずい空気が流れる。いくらコミュニケーションの高い大和でも、流石に百代がこの調子ではとても絡み辛かった。

 

しばらく歩くと、多くの女子生徒達が百代に向かって走ってきた。ファンの生徒達である。

 

「モモ先輩!今日は私を、お姫様だっこしてください!」

 

「ダメよ、今日は私なんだから!」

 

「いやいや、今日こそ私が!」

 

寄ってたかり、百代に要求をせまる女子生徒達。

 

百代は気に入った女子を抱き上げてはファンを増やし、男子が羨望(特に岳人)するようなシチュエーションを吟味するという……これもいつもの日常風景だ。

 

だが百代の表情は無気力で、あまり気乗りするようには見えなかった。

 

「……悪いな、また今度にしてくれ。今はそんな気分じゃないんだ」

 

言って、百代は前へと歩き出した。女子生徒達が道を開けて、悲しそうに視線を向けながら、百代の後ろ姿を見送っていた。

 

 

そんな百代の様子を、大和達も心配していた。ビッグ・マムと戦ってからずっとあの調子で、何をするにも無気力になっている。

 

(どうしちゃったんだよ、姉さん……)

 

やはりビッグ・マムに負けてしまった事が相当応えているのだろうか……と大和は思う。

 

無敗の記録が破られ、ついに完敗してしまった百代。だが、それなら百代は自分を負かした強敵が現れたと喜び、今まで以上に闘争心を燃やすはずだ。

 

それなのに、今の百代にはそれがない。武神としての魂が消えてしまっている。どうしてそうなってしまったのか……大和達には理由が未だに分からずにいた。

 

 

 

多馬大橋に差し掛かり、大和達は一子と合流する。一子はタイヤ付きロープを身体に巻き付け、引きずりながら走ってきた。

 

「はぁ、はぁ……みんな、おはよー!」

 

だいぶ走ってきたのだろう、身体中汗だらけだった。が、それでも疲れている様子がないのは一子が元気な証拠である。

 

「相変わらず元気だよなー、ワン子は」

 

岳人も一子の活力には感心せずにいられない。一子はえっへんと胸を張り、鼻息を鳴らす。

 

「これくらい余裕だわ!どんどん鍛えて、お姉さまみたいに強くなるの。ね、お姉さま!」

 

百代に声をかける一子だったが、百代は心ここにあらずと言った感じで、一子声をかけられたのことに気付いたのは数秒経ってからだった。

 

「ん……おお、そうか。頑張れよ、ワン子」

 

百代の気のない返事が返ってきて、一子も調子が狂っていた。いつもなら頭を撫でて褒めてくれるのだが、百代は何もせず、ただ力なく笑うだけだった。

 

大和達も百代の調子にすっかりお手上げ状態で、何を言ってもこんな感じだという。

 

(お姉さま……)

 

虚ろで、まるでガラスのような魂の宿らない百代の瞳。一子の目にはそう見えていた。

 

「―――――」

 

百代は再び空を仰いだ。この空のどこかにある、答えを探し求めるように。

 

百代の心にある迷いは、未だ消えずにいる。

 

 

 

授業の内容も頭に入らないまま(元々する気はないが)時間が過ぎ去り、気が付けば下校の時間になっていた。

 

特にする事もない百代は一足先に川神院へと戻り、自分の部屋へと続く廊下を歩く。すると、

 

「―――まだ迷っているのか?」

 

背後から突然声を掛けられる。振り返ると、そこにはサーシャの姿があった。サーシャは腕を組み、壁に寄りかかっている。

 

「迷ってる……か。きっと、そうなのかもな」

 

「………そうか」

 

サーシャはそれ以上何も言わなかった。百代は再び自分の部屋へと歩き出す。

 

――――が、ふと足を止め、百代は再び振り返った。

 

「……なあ、サーシャ。聞きたい事がある」

 

「なんだ?」

 

「お前は……何のために戦う?」

 

もしかしたら、自分の探し求める答えのヒントになるかもしれない。だから、百代はサーシャに聞き出そうとしていた。戦う理由を。

 

するとサーシャはその翠色の瞳で、百代を睨み付けた。

 

「俺に聞いてもお前の探している答えは見つからない。知りたければ、自分で探せ」

 

サーシャの返答は、とても厳しいものだった。完全に見透かされている……だが道理である。他人に聞いたところで、理由は人それぞれだ。当然答えを得る事はできない。

 

「そう、だよな……悪い、変な事を聞いた」

 

「…………」

 

サーシャは無言のまま百代に背を向けて歩きだすが、途中で足を止めて百代に振り返った。

 

「百代。お前の心は、震えているか?」

 

「え………?」

 

「お前の心が震えたなら……その答えは見つかるだろう」

 

意味深な言葉を残し、サーシャは遠ざかっていく。

 

(私の、心……)

 

自分の胸に手を当てる百代。自分の心臓の鼓動が、手を通して伝わってくる。だが、それ以外は何も感じ取れない。

 

何もかもが、空っぽに思えた。

 

「はは……震えてないな、全然」

 

百代は思わず自嘲する。魂の鼓動が、戦いの本能が、何もかも失われているように感じる。

 

これ以上何を求めても無駄という事なのか。それともまだ希望はあるのだろうか。

 

(それなら、答えは……)

 

今導き出せる答えは一つしかない。百代は心の中で決意した。自らのけじめをつけるために。

 

そして、新たな自分として生まれ変わるために。



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サブエピソード9「一子とビッグ・マム」

夕日が登り始め、空が茜色に染まる下校の時間。

 

 

生徒達が帰宅し、校門を出てそれぞれの家へと帰っていく。

 

その中には百代の姿もあった。一人で帰り歩く百代の後ろ姿は、どこか寂しげだった。

 

そんな百代を、学園の屋上から見下ろしている人物が1人。

 

臨時講師、ビッグ・マムだった。

 

「さて、どうしたもんかね」

 

独り言のように、ビッグ・マムは呟く。

 

百代と対決してからもう数日が経つ。あの日以来、百代の様子を観察していたビッグ・マムだったが依然と百代に変化はなく、無気力というより諦めに近いものを感じる。

 

やはり、答えはまだ見つけられていないようだった。

 

「…………」

 

腕を組み、目を閉じて考えに耽る。このまま百代が何も変わらなければそれまで……と、鉄心には宣告をしている。

 

手助けをするつもりはない。これは、百代自身が乗り越えなければ意味がないのだから。

 

(もう少し、様子を見るか)

 

変わって欲しいと思う気持ちは、ビッグ・マムも同じ思いだった。

 

彼女には、気持ちの整理をする時間が必要なのかもしれない。ビッグ・マムは大きく空気を吸い込み、静かに息を吐くのだった。

 

「――――そこにいるのはわかっている」

 

屋上の入り口に背を向けたまま、ビッグ・マムは声を上げる。

 

「隠れているつもりだろうが、アタシにはバレバレだよ。さっさと出てきな……川神一子」

 

「………」

 

屋上の扉がゆっくりと開く。現れたのは気まずそうな表情を浮かべた一子だった。

 

一子はビッグ・マムに近づくと、早速話を切り出した。

 

「ビッグ・マム講師。相談があります」

 

一子の目は真剣であった。ビッグ・マムは百代の事だろうと理解する。

 

「川神百代のことだろう?」

 

振り返る事なく答えるビッグ・マム。一子は頷いて、今の百代の様子について話し始めた。

 

「はい。講師と決闘してから、ずっとあの調子なんです。なんていうか、いつも何かを求めているみたいで……だから、アタシに何かできる事があれば―――」

 

「ほう。それで、アタシのところに相談に来たってわけかい」

 

ようやくビッグ・マムは一子の方へと振り返る。だがその表情は厳しかった。

 

「ダメだ。手を出す事は許さない」

 

「え……ど、どうして!?」

 

「これはあの子の問題だ。あの子が一人で乗り越えなければ、成長にならないからだよ」

 

ビッグ・マムの厳しい言葉に、そんな……と小さく声を漏らす一子。

 

しかし、自分の大切な姉であり、目標である百代の為だ……ここで引き下がる訳にはいかない。一子はビッグ・マムに食い下がった。

 

「アタシは、それでもお姉さまの力になりたい」

 

「お前の気持ちは分かる。だがね、そっとしておくのも一つの思いやりだよ。分かるね?」

 

時にはそっと見守る事も大切だと一子に諭した。しかし、一子は納得のいかないような表情でビッグ・マムを見上げている。

 

「ふむ………」

 

ビッグ・マムは腕を組み、しばらく一子を凝視し始める。すると突然右手を伸ばし、一子の右胸を鷲掴みにした。

 

「ひゃうっ!?」

 

いきなり胸を揉まれ、思わず身体をビクッと震わせる一子。ビッグ・マムは、じっくりと揉みほぐしてはうんうんと頷いて、何かを感じ取っているようだった。

 

散々揉み倒し、満足げに頷いたビッグ・マムはようやく手を離す。一子は突然の出来事にあわわわわと声を上げ、ぶるぶると胸を隠すようにして震えている。

 

「なるほどねぇ……そういうことか」

 

一子の胸を触った手を見ながら、ビッグ・マムは一子の中にある本質を見抜いていた。

 

ビッグ・マムの異名である“地獄の乳揉み師”……そう呼ばれるだけあって、女性の本質が分かるその腕は本物である。

 

「お前は本当に姉思いのいい妹だ、感心するよ」

 

ビッグ・マムは一子を賞賛した。しかし次の言葉に、一子は驚愕する事になる。

 

「だがあの子を心配しているその裏で、自分の目標が失われる事を恐れている………違うかい?」

 

「―――――!」

 

薄々と感じていた本心を見抜かれてしまい、一子は声も出せなかった。

 

百代は自分の目標である。ここで百代が答えを見つけられないまま“終わって”しまえば、自分の目指すべき目標が失われる……それは一子にとって、何よりも恐怖だった。

 

「あ、アタシは……」

 

何も言い返せず、拳を握りしめ、地面に視線を落とす一子。

 

その瞳には、本心に気付かされてしまった恐怖と悔しさで震え、今にも泣き出してしまいそうな程に弱っていた。

 

ビッグ・マムはそんな一子の様子に同情する事なく、さらに残酷な一言を口にする。

 

「川神一子。はっきりと言わせてもらうよ、お前には武術の才能は……殆ど皆無だ」

 

初めて一子達と手を合わせたあの時に、ビッグ・マムは感じていた。

 

彼女は努力の天才ではあるが、百代や鉄心のような、並外れた武術の才能は殆どない。

 

それを諭す事で、百代に対する思いがどれ程のものか、見極めようとしていた。ビッグ・マムはさらに続ける。

 

「お前が目標にしているものは、水に写った月を掴み取るようなものだ。少なくとも、アタシから見ればお前の今持つ才能が開花する可能性は、ほぼゼロに等しい」

 

一子が目指す目標。いくら努力をしても、届かない領域がある。百代に執着して助けになったとしても、いずれは一子が傷付くだけである。

 

「それでもお前は……お前の目標である川神百代の力になると言い切れるのかい?」

 

ビッグ・マムは問う。一子が失う事を恐れる、川神百代という目標を。届かないと分かっていてもなお力になるか……その覚悟を。

 

だが一子に迷いはない。たとえ力になれなかったとしても、その目標が叶わぬ夢だとしても。その結果、自分が傷つく事になろうとも。

 

一子の答えは、一つだった。

 

「アタシはそれでも……お姉さまを助けてあげたい!」

 

一子は再びビッグ・マムを見る。真剣で、覚悟のあるその眼差しは本物であった。

 

(ふっ……この子は)

 

ビッグ・マムは心の中で微笑む。一子の気持ちを揺さぶったつもりだったが、最初から答えは決まっていたらしい。それなら、わざわざ自分の所へ来る必要はないだろうに。

 

もしかしたら一子も百代と同じように、確かな“答え”が欲しかったのかもしれない。

 

「そうか。お前がそこまで言うなら、好きなようにするといい。アタシは止めないよ」

 

背を向け、さっさと百代の所へ行きなとビッグ・マム。その言葉に一子は思わず涙した。

 

「はい……ありがとうございました!」

 

流した涙を拭い去り、深く礼をすると、一子は屋上の扉に向かって走り出した。その様子を、ビッグ・マムはただ静かに見送っている。

 

(川神百代……いい義妹を持ったじゃないか)

 

ここまで思ってくれる人間がいる……幸せ者だとビッグ・マムは思った。きっと彼女なら百代を変えてくれるきっかけになるかもしれない。

 

(しかし、妙だねぇ……)

 

本人には言わなかったが、一子の胸を揉んだ時、ビッグ・マムはほんの僅かに妙な違和感を感じ取っていた。

 

一子の中に表現できないような、ただならぬ“何か”を。



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10話「百代の決意(前編)」

大和達の住む、川神市の一角。

 

多馬川の付近にある廃ビルの中に、風間ファミリーの秘密基地はある。

 

場所は5階。中は綺麗に掃除され、私物を持ち込み、もはや一つの部屋と化していた。

 

大和達はこの基地を使い、毎週金曜日に”集会”を行っている。

 

大和、卓也、岳人、一子に由紀江、京と百代はいつものように集まり、他愛の無い雑談に花を咲かせていた。

 

リーダーであるキャップはまだ京都から帰ってきておらず、未だに連絡はない。時間を忘れ、京都を満喫しているのだろう。

 

「うぅ……今日もカーチャさんに話しかけられませんでした」

 

『挫けんな、まゆっち。まだ明日がある』

 

ソファに座り、がっくりと肩を落としているのは由紀江。そしてそれを慰める松風。

 

今日もカーチャと友達になるため話しかけようと勇気を以って挑んだが、その寸前で親衛隊に割り込まれて失敗。結局友達どころか、話しかけることすらできていない。

 

「運が悪いというか、不器用というか……しょーもない。ちなみに明日は学校休みだから」

 

京もほとほと呆れている様子。しかしちゃんと突っ込みを入れていた。

 

「今度の日曜日、まふゆたちが寮に来てくれるそうだ。ああ、日曜が待ち遠しい!」

 

クリスは嬉しそうに顔を綻ばせる。いつかまふゆと手合わせをする……その日程が決まり、サーシャ、まふゆ達が島津寮を訪れるらしい。

 

ついでに言うと、マルギッテも付き添いでクリスの側にいるのだとか。

 

「慌ただしい日曜になりそうだな……」

 

折角の日曜だから、飼っているヤドカリを観察しながらまったり過ごそう……そう考えていた大和だったが、早速その予定はなくなってしまうのだった。

 

卓也は岳人のナンパ失敗談をうんうんと頷きながら聞いていた。

 

「――――――」

 

一方の百代はその光景を眺めながら、いつ話題を切り出そうかを考えていた。

 

ビッグ・マムとの戦いで自分が導き出した、一つの答え。考えて、考え抜いて、そしてようやく辿り着いた百代の答え。

 

それが正しいかどうかは正直言って分からない。ただ、自分のけじめをつけるには十分な回答である事を理解していた。

 

きっとみんな分かってくれるだろう……百代の表情は、以前より晴れやかではあった。

 

その隣で、一子は百代の様子を暖かく見守っている。

 

(お姉さま……答え、見つけたんだね)

 

今まで活力のない百代を見るのは、正直辛かった。それでも一子は百代に付き添い、稽古や組み手をして、少しでも力になれるように勤め続けていた。

 

それが実ったのか、それとも百代自身が乗り越えたのか。どんな結果であれ、一子にとっては喜ばしい事であった。

 

(――――よし)

 

しばらくして、百代はゆっくりと立ち上がる。自分の決意を大和達に伝えるために。

 

「……みんな、聞いてくれ」

 

百代の一声に、大和達が反応して百代を一斉に見る。百代はひと呼吸おいてから話し始めた。

 

「ビッグ・マムとの決闘から、ずっと色々考えていた。私の何がいけなかったのか、私の……何が足りなかったのか」

 

百代の話を、大和達は静かに聞いている。自分の答えを待ってくれている、百代は嬉しく思った。

 

「それをふまえて……私は自分にけじめをつけようと思う。私は―――――」

 

百代はすっと静かに息を吸い、自分の決意を大和達に告げる。

 

「もう戦いを……引退しようと思う」

 

それが、百代の出した答えであった。

 

 

百代は考えた末に、自分の中で結論を出す事ができなかったのだ。

 

戦う意味がなければ、戦えない。戦う理由がなければ、拳は震えない。戦いそのものに意味を出さずに戦い続けていた自分に対する罰であると、百代は自粛するという選択を選んだ。

 

当然迷いはある。だが、今の自分にはこれしかない。

 

大和達は百代の決意に驚きを隠せず、それに対する返事すら出せずにいた。勿論、側にいた一子も笑顔が消えている。

 

全員、百代の答えに納得がいくはずもなかった。

 

「やめるって………どういうこと、お姉さま?」

 

今までやってきた自分の行為が裏切られたようで、一子は動揺していた。そんな一子に対し、百代は悲しみの入り混じった笑顔で一子の頭を優しく撫でる。

 

「ごめんな、ワン子。私を元気付けようとしてくれたのは、すごく嬉しかった。でも……もう決めた事なんだ」

 

今更答えは変えられないと、百代は諭す。一子はショックのあまり、声も出せなかった。ただ悲しそうに目を見開いている。

 

「ちょっと待ってくれよ、姉さん!」

 

次に声を張り上げるように出したのは大和だった。百代の決意に納得がいかず、怒りを露わにしながら百代に反論する。

 

「戦いをやめるって……ビッグ・マム講師に負けたからか!?一度負けたくらいで――――」

 

「違うんだ、大和。負けたとか……そういうのじゃないんだ。私には―――――戦う理由が、見つからなかったんだ」

 

分かってくれ、と百代はまた悲しそうに笑う。大和はそんな百代の態度に苛立ちを感じ始めた。

 

「だから戦いをやめるってのかよ!?そんなのおかしいだろ!?」

 

大和はバンッとテーブルに手を叩きつけ、百代を責め立てる。すると、黙っていた卓也や岳人も反論を始めた。

 

「大和の言う通りだぜ。モモ先輩らしくもねぇ」

 

「そうだよ。考え直す事はできないの!?」

 

卓也と岳人の説得も虚しく、百代は首を横に振るだけだった。

 

「自分も納得がいかない!詳しく説明してくれ、モモ先輩」

 

「私もそう思う。いくらなんでも安易すぎるよ」

 

「わ、私もです。何があったかは知りませんが、どうか考え直してください」

 

クリス、京、由紀江も百代の説得を試みた。

 

きっと分かってくれると……そう思っていた百代の表情も次第に影が差し、受け入れてくれない悲しみが怒りに変わる。

 

「何が……分かる」

 

怒りでわなわなと身体を震わせながら、百代は大和達全員を睨み付けた。

 

「お前たちに……私の何が分かる!!!?」

 

怒号のような百代の叫びが、部屋全体に静寂を呼ぶ。

 

百代の苦しみは、百代にしか分からない。大和達は何も言い返せず、ただ黙っている事しかできずにいた。こんな感情を剥き出しにした百代を見たのは……初めてだった。

 

気まずい空気が漂う。怒鳴り散らした百代は我に返り、表情が悲しみに消えていく。

 

「……すまない、怒鳴るつもりはなかった。外で頭を冷やしてくる」

 

冷静になり、謝罪した百代は屋上へ行こうと部屋を後にする。それは頭を冷やすという名目の、逃避だった。今は自分はいない方がいい、空気が淀んでしまうと判断し、立ち去っていく。

 

「待って、お姉さま!」

 

と、百代を引き留めたのは一子だった。

 

「お願い、考え直して!アタシ、アタシ……何でもするから!」

 

涙を流し、百代を説得しようとする一子。

 

目標が消えてしまうという恐怖と、自分の知っている百代がいなくなってしまうという恐怖が入り乱れ、一子の思考がぐちゃぐちゃになる。

 

それでも、一子は百代が好きだから……どうしても諦められなかった。

 

「本当にごめんなワン子。出来の悪い姉を――――許してくれ」

 

百代はそう言って、一子を横切ろうとする。一子は何も言ってはこなかった。さすがに諦めたのか……本当に悪い事をしたと、百代は自分を責め立てる。

 

それでも、自分が選んだ道を引き返す事はできない。これは自分自身への贖罪なのだから。

 

だがその時、百代に予想だにしない出来事が起こった。

 

「―――――――!?」

 

百代の頬に何ががあたり、勢いで身体が吹き飛びソファに叩きつけられる。百代は何が起きたのか分からず、目を見開いていた。

 

それは、大和達も同じである。全員が口を開け、あり得ない光景に動揺を隠せずにいた。

 

何故なら……一子が百代を、自分の拳で殴りつけていたのだから。

 

一子は身体をぶるぶると震わせながら視線を落とし、ゆっくりと口を開く。

 

「よく分かったわ。もうお姉さまは……アタシの知ってるお姉さまはもう……いないんだって」

 

一子の涙がぽたぽたと床に垂れ、カーペットに染み込んでいく。そして、一子はいつもの元気な表情とは違った……怒りと悲しみに満ちた表情で百代を睨み付けた。

 

「今、アタシの前にいるのは……自分から逃げた、ただの腰抜けよ!!」

 

本気で怒りを露わにする一子の姿を見るのは、大和達にとって複雑だった。大和は一子を宥めようと声をかけようとするが、今の一子には有無を言わせないオーラが漂っている。

 

「何が最強よ!何が武神よ!こんな……こんな腰抜けがアタシの目標だったなんて……ホント、どうかしてたわ」

 

自分から湧き上がる感情が、まるで溢れ出るように一子の口から吐き出されていく。もう、自分の怒りを鎮める事はできなかった。

 

「もう……アンタをお姉さまとは呼ばない!アンタみたいな腰抜けは……アタシが、アタシが倒してやるわ!」

 

一子は倒れている百代に歩み寄り、胸ぐらを掴んで言い放つ。

 

「立ちなさいよ川神百代!アタシは………アンタに決闘を申し込む!」

 

決闘し、百代を倒す。できるはずがないと分かっていても、今の一子には関係なかった。一子の思考は怒りで支配されている。

 

散々一子に罵倒され、流石の百代も黙ってはいられない。百代は胸ぐらを掴んだ一子の手を払いのけ、ソファから立ち上がって一子を睨みつける。

 

「……知った風な口を聞くな」

 

仲の良い姉妹に、亀裂が入った瞬間だった。互いに睨み合い、敵意をむき出しにしている百代と一子を、止める術はない。

 

「表へ出ろ」

 

百代は顎で屋上を指し示す。誰にも予想できなかった、姉妹の対決が始まろうとしていた。



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11話「百代の決意(後編)」

廃ビルの屋上で決闘する事になった百代と一子。

 

2人の決闘はすぐに始まり、激しい奮闘が繰り広げられていた。

 

大和達は心配そうに見守るが、その戦いは一方的だった。一子は百代に手も足も出ず、一子に攻撃させる暇すら与えない。ただ殴られ続けるのみだった。

 

「く……あ、まだまだ」

 

怒涛のような連続攻撃を受けてなお、一子はボロボロになった身体で立ち上がる。その瞳に戦意は消える事はなく、立ち上がる度に百代を睨みつけていた。

 

百代は、当然無傷である。幾度となく立ち上がり、向かってくる一子の姿が気に入らなかった。

 

「もうやめろワン子。お前じゃ私には勝てない」

 

「……そんなの、やってみないと、分からないわ!」

 

百代の制止の声に一子は耳を傾けず、身体を引きずるようにしながら百代に突貫する。

 

だがスピードは明らかに遅く、誰が見ても悪足掻きにしか見えない。百代は舌打ちすると、向かってきた一子の腹部を殴りつける。

 

「あ……がっ!?」

 

身体が勢いよく吹き飛び、一子は地面に転がり落ちた。もはや虫の息にも等しく、まともに戦える状態ではない。

 

それでも、一子は自分の身体に鞭を打って立ち上がった。その不屈さが百代を更に苛立たせ、それと同時に、妹に手をあげているという罪悪感が襲う。

 

「もういい加減にしろ。それ以上は……お前の身体が壊れる」

 

百代の言葉には、一子を気遣う気持ちが込められていた。しかし一子はゆっくりと百代に向かって歩き始める。

 

まだ、一子には戦う意志は消えていなかった。

 

「くっ……心が壊れたアンタなんかに、情けなんて……かけられたくないわ!」

 

「この―――――!」

 

一子の言葉に逆上した百代は、一子の身体を蹴り上げようと足を構える。

 

「もういい加減にしろよ二人とも!なんでったって、姉さんとワン子がこんな事しなきゃならないんだよ!?」

 

2人の決闘に見るに耐えられなくなった大和が叫ぶ。しかし、一子は首を横に振った。

 

止めるな……と目で訴えている。これはただの決闘ではない。真剣な戦いなのだと大和は悟る。

 

この姉妹の戦いに、誰かが介入する余地はないのだから。

 

「アンタは……川神百代は、アタシが倒――――」

 

「――――黙れ!!!」

 

百代の叫びと共に、正拳突きで一子を殴り飛ばした。一子は地面に再び倒れ伏せてしまう。

 

百代は静かに、一子の側まで歩み寄った。

 

「この際だ、はっきり言ってやる。ワン子―――――お前には武術の才能がない」

 

怒りに任せ、百代は本心を一子に叩きつける。

 

一子のパワー、スピード、技術……人並み以上の能力はあるが、師範代を目指す者としては全てにおいて劣っていた。それは、いくら努力を重ねても超えられない壁。

 

生まれながら持つ“才能”という名の壁である。一子はそれに恵まれなかった。それは仕方のない、変えようのない事実だった。

 

「……そんなの、自分でも、分かってるわ……」

 

百代の身体にしがみ付き、縋りつくように立ち上がろうとする一子。一子は、自分には才能がない事を、薄々と感じていた。

 

百代のようには、なれないかもしれない。師範代は夢のまた夢かもしれない。

 

それでも。

 

「でも、アンタには才能がある……アタシには、ないものを……たくさん持ってる……!」

 

一子は怒り……否、表情はいつしか悲しみに染まっていた。貯めていた涙を溢れさせ、百代の顔を見上げながら訴える。

 

それは怒りでもなければ軽蔑でもない。百代を……姉を慕う、純粋な妹としての気持ち。

 

「だから……戦いをやめるなんて言わないでよ。アタシの知ってる、川神百代は……こんな。こんな事じゃ絶対に諦めない!」

 

あの時百代を殴った一子の行動は、単なる失望ではなく、普段の百代に戻って欲しいという一子の思いであった。

 

「答えが見つからないなら……大和達と一緒に探せばいいじゃない。もっと頼ってよ……アンタは……お姉さまは、一人じゃないんだよ?」

 

「ワン子……」

 

百代の戦意が徐々に失われていく。そして、一子は張り裂けそうな気持ちを百代にぶつけた。

 

「だから……だから、お願い……!帰って来て、お姉さまああああああああ!!!!」

 

一子の嗚咽が夜空に響き、そのまま泣き崩れる。百代はそんな一子の姿を見下ろし、ただ立ち尽くしていた。

 

すると、様子を見ていた大和達が百代の元へと歩み寄る。

 

「……姉さん、一人で悩むなよ。姉さんのためなら、いつでも相談に乗るぜ?」

 

その為の舎弟だろと、笑う大和。

 

卓也や岳人、クリス、京、由紀江も頷いた。皆同じファミリーとして、仲間を思う気持ちは何よりも掛け替えのない物。大和達はそれを、百代に改めて教えてくれた。

 

空虚が支配していた百代の心が、“川神百代”としての心を取り戻していくのが分かる。

 

今、川神百代の心は確かに“震えて”いた。

 

「……はは、まったく。お前たちは」

 

百代は微笑み、泣き崩れる一子を優しく抱き締める。暖かい、百代の温もりが一子の身体を通して伝わっていた。

 

「お……お姉、さま?」

 

「ごめんなワン子。おかげで目が覚めた」

 

自分の為に、身体を張ってくれた一子。そんな一子が愛おしく感じた。

 

「うぅ……お姉さま、よかった……ふえぇ……」

 

自分の知っている百代に戻ったと感じた一子は、嬉しさのあまりに泣き始め、百代の身体に顔をうずめている。暖かくて微笑ましい、姉妹が仲直りした瞬間だった。

 

百代は大切な仲間―――大和達の方へと向き直る。

 

「みんなにも迷惑をかけたな。私は、もう大丈夫だ」

 

百代の求めている答えは、未だ見つからない。

 

 

今はまだ見つからなくとも、これから仲間達とゆっくり探せばいい。仲間達と歩いて行けばいい。百代は戦っている内に、大切なものを忘れかけていた。

 

「おーいみんな、今帰ったぜ!」

 

聞き覚えのある声。屋上の扉が開き、キャップが京都から帰ってきていた。両手には京都土産が大量に抱えられている。

 

「……って、あれ?なんかあったのか?」

 

百代と一子、大和達の様子を見て首を傾げるキャップ。

 

「ああ、キャップ。実はね……」

 

何があったか卓也が簡単に説明する。百代の事。一子の決闘の事。キャップはうんうんと聞きながら頷き、そうかと言って笑った。

 

「ま、たまにはそういう時もあるさ。それよりお前ら、約束の京都土産だぜ!」

 

キャップは大量の土産袋をかかげてはしゃいでいる。

 

「おいキャップ。京都土産と言えば、舞妓さんのねーちゃんだろ」

 

百代もいつものように振る舞い、冗談を言って笑う。キャップも勘弁してくれよと言って苦笑いするのだった。

 

 

 

一子との決闘を終え、百代は大和達と部屋へ戻り、キャップの土産話で盛り上がりながら会話を楽しんでいた。

 

いつも集まっている筈なのに、久々にファミリー全員が勢揃いした……と、百代は感じた。

 

(………そうか)

 

そこでふと、百代は気づく。大和達が仲間達と笑い合う光景の中、“それ”がそこにあったのだと改めて認識する。

 

(なんだ……ちゃんと、あるじゃないか)

 

それは、百代の探し求め続けていた答え。こんなに近くにあるのに、何故今まで気が付かなかったのだろうか。

 

或いは、身近過ぎてそれが当たり前のように思えてしまい、見えていなかったのかもしれない。

 

百代の答え―――それは身近にあって、気付きにくいもの。百代の心を震わせた確かな理由。

 

百代はこの時、初めて自分の戦う意味を知った……そんな気がしていた。

 

 

 

そして数日後。

 

ある昼休みの時間。校庭には多くの生徒達が集まっていた。

 

それは、百代とビッグ・マムの再戦が行われようとしているからである。百代とビッグ・マムは対峙し、再び互いに火花を散らしていた。

 

「少し見ない間に、随分といい顔になったじゃないか。川神百代」

 

腕を組み、堂々と立ち尽くしているビッグ・マム。百代には、あの飢えた獣のような表情はもうどこにもない。百代の瞳に宿るのは、純粋な武人としての魂のみである。

 

川神百代という“武神”が復活した瞬間であった。

 

「ああ、お陰様でな……今度こそ勝たせてもらうぞ、ビッグ・マム!」

 

百代は構え、戦闘体制に入る。ビッグ・マムは腕組みを解き、両手の拳を鳴らす。

 

そして、あの時百代に問いかけた言葉を、もう一度投げかけた。

 

「……今一度聞こう。川神百代、お前の戦う理由はなんだ?」

 

ビッグ・マムの問いに、百代は静かに目を閉じる。

 

百代の導き出した答え。脳裏に映るのは――――大和達、風間ファミリーの姿。大切な仲間。

 

そして目を開き、この大空に響き渡るくらいの声で答えた。

 

「大切な仲間を―――――守る為だ!!!!」

 

今の自分なら自信を持って言える。大和達を守る……この力は、その為にあるのだと百代は思う。

 

ただ戦い続け、強くなるのではない。仲間達がいるからこそ強くなり、戦えるのだから。

 

その解答に満足したのか、ビッグ・マムは笑みを零した。そして拳を構え、百代を見据える。

 

「いい返事だ。それじゃあ――――覚悟はいいかい?」

 

「望むところだ――――いくぞ!」

 

決闘の合図が鳴り、百代とビッグ・マムは互いに接近し、距離を縮める。

 

――――百代は仲間の為に、もう一度拳を振るう。

 

――――ビッグ・マムは百代の答えを確かめる為に、もう一度拳を振りかざす。

 

今再び、両者の拳が勢いよく衝突した。

 

 

 

―――――――――――。

 

 

 

「―――――?」

 

目を覚まし、意識を取り戻した時には、百代は保健室のベッドに仰向けで横たわっていた。

 

ビッグ・マムに再戦を申し立て、自分の戦う意味を伝え、対戦が始まり……それ以降、記憶が曖昧になっている。

 

あの戦いから、一体どうなったのだろうか。ただ、百代の身体には包帯や絆創膏があちこちにあり、治療が施されていた。

 

とりあえず、この現状から読み取れる事は一つ。百代は、

 

「私は……負けたんだな」

 

敗北したのだと、すぐに悟る。よく覚えていないが、互角にやりあえていたものの、結局ビッグ・マムに勝つ事は出来なかった。

 

なのに、敗北したにも関わらず百代の心は清々しかった。戦いに対する執拗な感情も、虚ろな感覚も、今は何も感じない。

 

これが“答え”を見つけた百代の結果なのだろう。それ故に、百代は満足している。

 

心も、身体も。これ以上ないくらいに満たされていた。

 

「お目覚めのようですね、百代さん」

 

男の声がした。百代のベッドを覆う、カーテン越しに映る一人の影。不気味なくらいに気配を感じない……この感覚、百代はあの男であるとすぐにわかった。

 

カーテンが開く。そこには眼帯の男、ユーリがいた。

 

「ユーリさん……どうしてここに?」

 

「貴方にお伝えしたい事がありましてね」

 

ユーリは百代に全ての全貌を伝えようと、ここへやってきていた。

 

鉄心が百代を更生させる為に、ビッグ・マムを派遣した事。百代に戦う意味を見つけさせる事で、精神を鍛えてもらおうとした事。

 

全ては、鉄心の孫を思う気持ちがあってこその配慮だったとユーリは語る。百代はただそれを黙って聞いていた。

 

「なるほどな……全部じじいが仕組んでたって事か」

 

溜息をつき、天井を見上げる百代。しかし、腹は立たなかった。むしろ、強者を連れてきてくれた事に感謝しているくらいだ。

 

「えぇ……それにしても驚きましたね。あのビッグ・マムをあそこまで追い詰めてしまうとは。さすがです」

 

百代とビッグ・マムとの戦いは、今まで以上に接戦であったとユーリは話す。

 

百代はビッグ・マムの勁によって瞬間回復を封じられつつも、持ち前の体術でビッグ・マムをギリギリまで追い詰めていた。

 

だが、瞬間回復を失った百代の体力に限界が訪れたため、決闘はビッグ・マムの勝利に終わった。

 

しかし前回の戦いよりも盛り上がり、ビッグ・マムと敗北した百代も称えられ、決闘は盛大に幕を閉じたという。

 

「追い詰めたつもりだったんだがな……まあ、次はこうはいかない。もう動きは見切ったからな。さて、次の決闘が楽しみだ」

 

世界は広く、まだまだ強い奴がいる。ビッグ・マムという強敵に出会い、百代の好奇心は高鳴るばかりだった。

 

「百代さん。その事についてなんですが……」

 

申し訳なさそうに、ユーリが答える。

 

「……?」

 

「ビッグ・マムは、たった今養成所へ帰還しました」

 

ユーリ曰く、養成所から連絡があり、急遽帰還せよとの事で、ビッグ・マムはすぐに飛行機で飛び立ったらしい。

 

「な―――――」

 

百代は目を見開き、ぽかんと口を開けていた。ビッグ・マムはここにはいない。ユーリは仕方ありませんねと、ニコニコ笑っている。

 

やられたと……百代は拳を震わせ、

 

「あ……あいつ、勝ち逃げしやがったなーーーーーーーー!!」

 

ベッドから飛び上がる様に身体を起こし、思いっきり叫んだ。しかし怪我が完治しておらず、身体中に痛みが走り、ベッドに蹲ってしまう。

 

「い、いたた……ふ、まあいいさ。今度は私から出向いてやる。待ってろよビッグ・マム!」

 

百代は高らかに笑う。ビッグ・マムと戦える日を、楽しみに待ちながら。

 

(やれやれ。本当に更生したんですかねぇ……)

 

懲りない人だと、肩をすくめるユーリ。だが以前の百代と対峙した時よりは、だいぶマシにはなったと感じている。

 

(しかし、これで問題は一つ解決……ですか)

 

ユーリは心の中でほっと息を吐く。そして、窓の外を眺めながら思う。

 

川神市に蔓延している元素回路は、未だ根絶の目処はたっていない。問題は山済みであった。

 

(頼みましたよ―――――サーシャ君)

 

ユーリは祈り続ける。川神市の平穏を。そしてサーシャ達の任務が、無事に終わる事を。



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第2章「一子編」
12話「災厄の予兆」


とある夕暮れ時の事。

 

ポニーテールを靡かせて、腰にタイヤを結びつけたロープを引き摺りながら、一子は多馬川が流れる土手道を駆け抜けていた。

 

「ゆー、おー、まいしん!ゆー、おー、まいしん!」

 

自ら掲げる言葉を掛け声にしながら走り続ける一子。百代という目標のため、今日も走り込みという名の鍛錬に明け暮れていた。

 

いつか、百代のようになる。そんな強い願いを胸に秘めて。

 

 

 

“川神一子。はっきりと言わせてもらうよ、お前には武術の才能は……殆ど皆無だ”

 

 

 

鍛錬の最中に、ビッグ・マムの言い放った言葉が頭を過ぎる。一子はそれを振り切るように、ただひたすら走り続けた。

 

才能がない……自分でもそれは分かっていた。けれども諦めきれない自分がいる。

 

 

 

“この際だ、はっきり言ってやる。ワン子―――――お前には武術の才能がない”

 

 

 

一子を苛むように、百代の言葉が脳裏に蘇る。認めたくないと一子はがむしゃらに走り続けた。

 

土手道を走って走って、走り続けて……どこへ向かうわけでもなく駆け続ける。

 

やがて次第にスピードが落ち、そして……とうとう一子は足を止めた。地面に視線を落とし、誰に問うわけでもなく小さく声を漏らす。

 

「アタシ……こんな事してる意味、本当にあるのかな」

 

このまま修行と鍛錬を続け、何かが変わるのだろうか。百代のようになれるのだろうか。もしなれなかったら……そう思うと、不安で押し潰されそうになる。

 

自分に自信がなくなっていく……一子の中で、大きな迷いが生まれ始めていた。

 

 

 

夕日が落ち始める頃。タイヤを椅子代わりにして座り、一子は茜色に染まる多馬川を眺めていた。まるでその向こうにある何かを求めるように、切なげに眺め続ける。

 

“勇往邁進”。恐れる事なく、自分の目標に向かって前へ進む。その決心が揺らぎ始めていた。

 

こんな気持ちで鍛錬に集中などできない。今までこんな事はなかったのに……葛藤が生まれ、一子の迷いが大きくなっていく。

 

強くなりたいのに、なれない。やはり才能がない人間には無理なのだろうか。夕日と共に心が沈み、諦めようと思ったその時だった。

 

「――――もう走られないんですか?」

 

突然、背後から声をかけられる。一子は振り返ると、そこには背の高い、黒いスーツを来た金髪の男が立っていた。金髪の顔は優しく微笑み、ワン子に声をかける。

 

「すみません。貴方があまりに直向きに走っていたもので、つい見入ってしまいました」

 

金髪の男が苦笑いしながら答える。少なくとも、悪い人ではないだろうと一子は思った。

 

「えっと……お兄さんは?」

 

「私は観光でやってきた者です。それにしても……ここは良い所ですね」

 

緩やかに流れる多馬川の風景を見て、金髪の男は思わず感服する。旅が好きで、今回は川神市に旅行へ訪れたのだと言う。

 

「貴方はよくここへ来るのですか?」

 

「え……はい、鍛錬のコースにしてるんです。いつも走るのが日課で――――」

 

と、そう言いかけて一子は口を閉ざしてしまった。悲しげに、視線を川の向こう側へと向ける。

 

また明日も続けられるだろうか。自分の目標に向かう事ができるだろうか。今の一子には、できると言い切れる程の自信はなかった。

 

そんな一子の様子が気になったのか、金髪の男は一子の隣に腰掛ける。

 

「何かお悩みのようですね。差し支えなければ……お話しいただけませんか?」

 

これも何かの縁です、と金髪の男は笑う。一度は考え込む一子だったが、今の気持ちを吐き出せば、少しは気が紛れるのではないか……そう思った一子は、今の自分の心境を話し始めた。

 

自分の自信が失いかけている事。自分の目標に辿り着けないのではないか、不安でいる事。迷っている事……一子は胸に秘めた思いを全て曝け出す。

 

「アタシ、どうしたらいいか分からなくなっちゃって……やっぱり、アタシじゃ無理なのかな」

 

独り言のように呟く一子。金髪の男は一子の方に顔を向けながら、それを黙って頷きながら聞いていた。すると金髪の男は再び多馬川に視線を戻し、一子にこう告げる。

 

「大丈夫ですよ。貴方ならきっと、ご自身の願いを叶えられます」

 

「え……?」

 

一子は金髪の男を見る。まるで、そこに救いを求めるかのように視線を向けていた。例え根拠がなかったとしても、その一言は嬉しい。

 

「信じる者は救われます。だから貴方も、自分を信じてください」

 

金髪の男はポケットから何かを取り出し、一子の手のひらにそっと手渡す。

 

それは、黒い石に金属の装飾品が施されたアミュレット……お守りだった。一子は、そのアミュレットをまじまじと見つめている。

 

「これは……?」

 

「ただのお守りです。気休め程度にしかならないかもしれませんが……どうか、貴方の願いが叶いますように」

 

アミン、と金髪の男は右手で十字架を描くような仕草を取り、一子に目標の成就を祈る。

 

「―――――」

 

諦めかけていた一子の心が次第に晴れていき、笑顔が戻っていく。

 

限界を自分で決めてはいけない。たとえ道程が困難であろうとも、目標を―――百代のようになるためには、こんな事で立ち止まってはいられないのだから。

 

“自分を信じる”。金髪の男の言葉に心を打たれ、一子は自分の目指すべきものを改めて再認識したのだった。

 

一子は自分の頬をパンパンと叩き、気合を入れて立ち上がる。

 

「お兄さん、ありがとう!おかげで迷いが吹っ切れたわ!」

 

活力が戻り、金髪の男に蔓延の笑みを返す一子。金髪の男は何よりですと言って笑う。

 

「よし、それじゃあ、もうひとっ走りいってくるわ!またね、お兄さん!このお守り、大切にするからーー!」

 

一子は金髪の男に手を振ると、再びタイヤを引き摺って走り去っていく。手渡されたお守りを、大切に握り締めながら。

 

その様子を、金髪の男は微笑みながら見送っていた。

 

「―――――」

 

一子の姿が遠くなり、次第に見えなくなると、金髪の男は懐からカードを取り出した。

 

それは、1枚のタロットカード。

 

そのカードには“運命の輪”の逆位置を示す絵が記されていた。

 

「別れ」「すれ違い」「情勢の悪化」……まるで、一子のこれからの未来を示しているかのように、不吉なオーラを漂わせている。

 

「どうか、そのまま前へとお進み下さい――――貴方の欲望を満たす為に」

 

タロットカードを投げ捨て、金髪の男――――フールは不気味に笑うのだった。



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13話「呼び覚まされた衝動」

ある日曜日の朝。

 

サーシャ、まふゆ、華はクリスに招待され、大和達の住む島津寮へとやってきていた。

 

サーシャ達だけでなく、一子と百代も寮に集まり、いつもの風間ファミリーのメンバーも何人か顔を出している。

 

それもそのはず、何故なら今日は待ちに待ったまふゆと手合わせをする日だからである。

 

皆庭に集まり、まふゆとクリスの対決を観戦しようと縁側に集まっていた。

 

「この日をどれだけ待ち詫びていたことか……まふゆ、早速手合わせ願おう!」

 

模造品のレイピアを構え、まふゆに宣戦布告するクリス。クリスは朝からやる気満々で、5時起きでウォーミングアップをするくらい、楽しみにしていたという。

 

一方のまふゆも、いつもより気合を入れているのか、表情は真剣そのものだった。

 

アトスの生神女(マリア)になるために修行を積み、サーシャと肩を並べられるくらいに強くなる……そう決意したまふゆの目に炎が宿る。

 

まふゆは竹刀を構え、その切っ先をクリスに向ける。

 

「負けないわよ、クリス!」

 

自分の実力はまだまだ劣るかもしれないが、戦う以上は何がなんでも負けられない。何よりもサーシャが見ている。剣道部で培ってきた実力と、修行の成果、今こそ見せる時。

 

「「いざ、尋常に―――――」」

 

まふゆとクリス―――2人の声が重なり合い、周囲の空気が張り詰めていく。戦士として、好敵手として認め合い、互いに武器を構えて対峙する。そして、

 

「「勝負―――――!」」

 

かけ声と同時に、武器と武器が衝突する。鍔迫り合いが始まり、互いにリードを譲らない。

 

まふゆの武器は竹刀であり、模造品と言えどもレイピアの硬度には耐えられない。

 

だが、まふゆはクリスの攻撃を受け流す事により、衝撃を防いでいる。これを見る限りでは武器による優劣は見受けられなかった。

 

しかし、クリスの鋭い連撃は早く、とても避けきれるものではない。受け流すにも限界がある。徐々にだがまふゆは押されつつあった。

 

「まふゆ……押されてるな」

 

サーシャは顎に手を当て、冷静に分析する。その横で、百代は興味深そうにまふゆの戦いぶりを堪能していた。

 

「まふゆのヤツ、結構やるじゃないか。だが、クリスが一枚上手ってとこだな……さて、どうする?まふゆ」

 

この戦局をどう切り抜けるか……後はまふゆ次第である。

 

「この攻撃、見切れるか!」

 

レイピアの連続攻撃が速度を増していき、まふゆも次第に後退し、追い詰められていた。

 

クリスは強い。今のまふゆでは防御するのが精一杯だ。だが、どこかに勝機は必ずある。まふゆは攻撃を受けつつも、この状況を覆す方法を模索していた。

 

「どうしたまふゆ!お前の力、こんなものではあるまい!」

 

「くっ――――!?」

 

この戦い、クリスが圧倒的に優勢だった。このままクリスの連撃を受け続ければ、いずれはまふゆが押し負けるだろう。

 

何かないのか……まふゆの中で必死に突破口を見つけようとするが、見つからない。

 

まふゆの体力にも限界が近づいていた。息が荒くなり、反応も鈍くなっていく。

 

その瞬間を、クリスは見逃さなかった。

 

「もらったぁ――――!」

 

「しまっ……!?」

 

クリスはレイピアでまふゆの竹刀を叩き落とした。これでまふゆは丸腰も同然。これで決着はついた……そう確信するクリス。

 

竹刀が地面へと落ちていく。しかしこの瞬間クリスは勝利を確信して、油断している筈だ。

 

(これなら……!)

 

まふゆは竹刀が地面につくその直前、足で竹刀を蹴り上げた。宙に浮いた竹刀を手に取り、クリスのレイピアを弾き飛ばす。

 

「何……!?」

 

レイピアは回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さる。クリスがまふゆに視線を戻した時には既に、決着が着いていた。

 

クリスの目の前には、まふゆの竹刀の先。クリスは身動きが取れず、身体を硬直させている。

 

まふゆの咄嗟の判断が、逆転へと導いた結果だった。まふゆはクリスに告げる。

 

「あたしの勝ちね」

 

「……見事だ、まふゆ。自分の負けだ」

 

戦いが終わり、まふゆは竹刀を降ろして、クリスと熱い握手を交わす。ここに熱い戦友としての絆が生まれた。

 

するとそこへ、観戦していた百代が2人に近づいてくる。

 

「最後の最後で油断したな、クリ」

 

百代がクリスに対してフィードバックする。クリスが有利であったが、その有利さが故に生まれた僅かな驕りが勝敗を分けていた。

 

「まさか武器を蹴り上げて反撃するとは……恐れ入った」

 

クリスも流石に予想できなかったのだろう。もし油断していなければ、その行動は予測できていたかもしれない。負けを認め、勝利したまふゆを称えるのであった。

 

「――――良い戦いでした、お嬢様」

 

庭の茂みから女性の声。茂みから出てきたのは、左目に眼帯を付け、黒い軍服を身に纏った赤髪の女性だった。

 

マルギッテ=エーベルバッハ。軍人の家計に生まれた生粋の軍人である。その素質を買われフリードリヒ家に修行に出され、現在に至っている。

 

マルギッテはまふゆとクリスの戦いを、茂みから隠れてずっと見ていた。最もサーシャと百代はとっくに気付いてはいたが。

 

「マルさん!」

 

クリスは姉のように、マルギッテを慕っている。まるで姉妹のようであった。その一方で、まふゆと縁側で見物していた華は“変な人が出てきた……”と心の中で感想を漏らす。

 

すると、マルギッテはまふゆを射抜くように鋭い眼光を突きつけた。

 

「織部まふゆ、貴方の戦いも見事だった。褒めてやろう、喜びなさい」

 

褒められて悪い気はしないが、上から目線のマルギッテの態度に、思わずムッとするまふゆであった。しかし、反論しても通じなさそうなのでやめておく事にする。

 

「…………」

 

壁に寄り掛かって腕を組むサーシャに視線を向けるマルギッテ。その視線に気付いたサーシャも視線を向ける。マルギッテは意味深に笑うと、サーシャから視線を外した。一体何だったのだろう……少なくとも、サーシャに興味を持たれた事に間違いはなかった。

 

しばらくして、縁側に座っていたワン子が立ち上がる。

 

「じゃあ次はアタシと勝負よ、まふゆ!」

 

一子がまふゆに手合わせを申し込む。しかし、まふゆはクリスとの対戦で体力を消耗していた。当然、連戦などできるわけがない。

 

「ワン子、織部さんは疲れてるんだ。後にしろ」

 

と、大和。はしゃぎ過ぎた……一子はえへへ、ごめんと笑いながらまふゆに言うのだった。

 

「それなら私が相手になろう。感謝しなさい」

 

マルギッテが一子の前へと出る。日頃の修行の成果を見せるいい機会だ……一子にとって願ってもない事である。

 

「いいわ!覚悟しなさい、マルチーズ!」

 

「マルチーズではない。撤回しなさい」

 

マルギッテは両手にトンファーを持ち、構える。一子も模造品の薙刀を手に、マルギッテと向かい合った。

 

両者睨み合い、互いの出方を待つ。まふゆは縁側に座り、対決を観戦する。するとサーシャがまふゆに声をかけてきた。

 

「また強くなったな、まふゆ」

 

「え……あ、ありがと」

 

思わぬサーシャの言葉に戸惑うまふゆだったが、またサーシャに一歩近づいたような気がして、素直に嬉しく思うのだった。

 

 

 

「―――――はああぁぁぁ!!」

 

一子とマルギッテの睨み合いが終わり、マルギッテが先手を切り、トンファーを高速回転させながら一子に突貫する。

 

一子は間合いを取られないように距離を取り、薙刀で応戦する。

 

薙刀のような長い武器を使うには、寮の庭ではスペースが狭い。故に、この環境では一子は限りなく不利である。

 

「負けないわ――――!」

 

襲いかかるトンファー攻撃に防戦一方の一子だが、それでもマルギッテと渡り合えている。

 

とはいえ、それも長くは続かない。マルギッテは攻撃のペースを上げ、トンファーと蹴りの連撃で一子を追い詰めていく。

 

この戦いは状況も、能力もマルギッテが有利であった。一子は手が出せず、何もできないまま攻撃を受けるのみ。

 

やはり、才能という壁は超える事ができないのだろうか。戦う最中、一子に迷いが生じる。

 

“才能”のある人間が生き残る。“才能”のない人間はいくら努力しても報われない。取り残されて、そこで終わるだけ。

 

――――そんな理屈、認められるはずがない。

 

「終わりだっ!!」

 

ついにラストスパートをかけるマルギッテ。攻撃に拍車をかけて、ついには一子の薙刀を豪快に破壊した。無防備になった一子は成す術もなく、マルギッテの攻撃を生身で受けるしかなかった。

 

 

 

―――――“強くなりたい”。

 

 

 

マルギッテの攻撃を受ける直前、一子の心に訴えかけるように声が聞こえた気がした。

 

その声は、一子の内に秘める自身の叫びなのか、それは分からない。ただ言える事は一つ……純粋に強くなりたいという憧れの感情。

 

「――――何っ!?」

 

マルギッテは驚愕する。今目の前で起こった事象……一子の取ったあり得ない行動が理解できなかったからだ。

 

「―――――っ……ああああああっ!!」

 

一子が、トンファーを素手で叩き壊したのである。マルギッテの武器は訓練用の木製トンファーだが軍で支給された特注品であり、滅多な事では絶対に壊れない。

 

そのトンファーが真っ二つに叩き割れ、ただの木片となり果てる。あり得ない……マルギッテは動揺を隠せなかった。

 

そして一子はマルギッテが動揺している隙を突き、胸倉を掴んで地面へと投げ飛ばす。

 

「ぐあっ!?」

 

地面に叩きつけられたマルギッテは、油断していたのか受け身に失敗し、身体に大打撃を受けた。あまりの力の強さに全身に痺れが走り、しばらく身動きが取れなかった。

 

つまりはこの勝負――――一子の勝利である。

 

「……………」

 

この光景を見ていた大和やまふゆ、クリスや由紀江、京や華も驚きを隠せず、言葉も出ない。

 

不利な状況で勝ち目は薄いと思っていた分、この予想外の結果は驚愕の一言であった。

 

「マルさんが……負けた?」

 

最初に声を出したのはクリス。仰向けに倒れているマルギッテを見て口をあんぐりと開けている。マルギッテは、自分の顔を覗くようにして見るクリスに向かって答える。

 

「申し訳ございません……お嬢様。油断しました」

 

言って、ゆっくりと立ち上がるマルギッテ。折れて使い物にならなくなったトンファーを見る……百代の戦闘力ならともかく、素手で破壊された事が未だに信じられなかった。

 

「見事だ……川神一子、賞賛に値する。誇りなさい」

 

一子の戦いぶりを称えるマルギッテ。一子を一人の戦士として認めた瞬間だった。すると、大和や京達が一子に駆け寄る。

 

「すげぇよ、ワン子!見違えたぜ!」

 

「うん、びっくりだよ」

 

一子の頭をポンポンと軽く叩きながら、喜んで褒め称える大和と京。しかし、一子は自分がした事がよく分かっていないのか、何がなんだかさっぱりな表情を浮かべている。

 

「一子ちゃん、強いね!あたしびっくりしたよ」

 

「トンファー叩き壊すなんて、無茶苦茶なことするぜ」

 

「はい、すごいです。一子さん」

 

『いやあー、イイもの見せてもらったぜ。やべぇよ、まゆっち。こいつはきっと化けるぜ』

 

まふゆと華、由紀江、松風も一子の戦いぶりに驚いていた。一子は大和達に囲まれ、自分が置かれているこの状況をようやく再認識する。

 

自分は勝った―――そう分かった瞬間、一子の表情に次第に笑顔が生まれていく。

 

「やった――――勝った。アタシ、勝ったんだ!」

 

一子は勝利を喜び、嬉しさのあまりに飛び上がる。今は才能がなくても、努力をすれば必ず報われる。強くなれる……そしていつかは、目標である百代に辿り着ける。

 

信じ続けた一子の思いが、ほんの僅かだが、今確かに届いたのだった。

 

 

そんな一子の様子を、静かに見守るサーシャと百代。

 

しかし、2人は感動とは程遠いような険しい表情で一子を見ていた。見守るというよりは、どちらかというと疑念に近い。

 

(確かにワン子のアレには驚いた……けど、なんだったんだあの感覚は)

 

一子がトンファーを破壊したあの瞬間……百代はほんの僅かだが、何かを感じ取っていた。

 

刺々しく、まるで泥のような黒い闘気。口では説明できないような禍々しい“何か”。

 

百代は腕を組み考え込んだが、感じたのは一瞬だったので、気のせいだと言う事にして、考えるのを辞めるのだった。

 

その一方、サーシャは。

 

(あの瞬間、俺のサーキットが一瞬だけ反応したような気がしたが……)

 

サーシャも百代と同じように、一子から何かを感じていた。一子がトンファーを砕いたその直後、サーシャのイヤリングが僅かに赤く光出し、反応した……そんな気がしてならない。

 

サーシャの持つイヤリングは元素回路が組み込まれた物で、クェイサーの能力、元素回路に反応すると発光する仕組みになっている。

 

それが反応したと言う事は……例の元素回路の手掛かりがあるのでは、とサーシャは思う。

 

解決の糸口が見つかるかもしれない。しかしそれっきりなんの反応もなく、まるで何事もなかったかのようにイヤリングは静寂していた。

 

気のせいか……どうも引っかかるが、これ以上はサーシャは考えるのをやめた。不確定要素を考えるだけ無駄である。

 

「―――――お」

 

「―――――む」

 

ふと、サーシャと百代の視線が合う。互いに色々と考えていた所為もあり、何を話したらいいか気まずい空気が流れる。すると、

 

「お~い!サーシャ、姉さん。そろそろメシにしようぜ」

 

大和がランチの時間を、2人に告げるのだった。もうそんな時間か……百代とサーシャも居間へと移動する事にする。

 

 

 

百代とサーシャが感じた“何か”。それは分からないままだが、特に気にする事はないだろう。色々な出来事があり、過度に敏感になっているだけなのかもしれない。

 

もし本当にそれが“気のせい”であるのなら……だが。



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サブエピソード10「致命者VS猟犬」

“アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル。昼食後、多馬川の土手道へ来なさい”

 

島津寮の廊下で、すれ違いざまにマルギッテに告げられたサーシャは、マルギッテの言う通り多馬川の土手道にやってきていた。

 

面倒な話だが特に断る理由もなく、散歩もかねて土手道を歩くサーシャ。

 

しばらく歩いていると、サーシャの視界に多馬川を眺めるマルギッテの姿が目に入った。

 

マルギッテはサーシャの気配を察知し、サーシャへと視線を向けてニヤリと笑う。

 

その眼光は鋭く、まるで獲物を見つけた獣のようだった。サーシャもマルギッテを睨みながら、早速呼び出した理由を聞き出す。

 

「俺に何の用だ?」

 

サーシャの問いに、マルギッテはただ笑うだけであった。島津寮の時と全く同じ表情で。

 

「…………」

 

ピリピリとした空気が漂い始める。何か来る……サーシャは身構え、マルギッテに対してある種の敵意を抱いた。

 

あの獲物を狩るような獣の目。間違いなく、サーシャは狩りの対象とされている。

 

そしてマルギッテは左目につけた眼帯を外し、ようやく口を開く。

 

「待っていたぞ、アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル―――“致命者サーシャ”!

 

瞬間、マルギッテはトンファーを両手に持ち構え、サーシャに突貫した。

 

「震えよ――――!」

 

サーシャはクェイサーの力を使い、大鎌(サイス)を錬成して応戦する。大鎌の刃とトンファーがぶつかり合い、火花を散らす。互いの武器を押しつけながらの鍔迫り合いが始まった。

 

(こいつ……さっきよりもパワーとスピードが格段に違う!)

 

一子と戦っていた時よりも、パワーとスピードが桁違いに増している。サーシャが見る限り、マルギッテが左目の眼帯を外している事から、島津寮での戦いは本気ではなかったという事が伺えた。

 

あの眼帯は抑制か何かか……少なくとも分かっている事は、マルギッテが本気でサーシャに戦いを挑んでいる事だけである。

 

「――――!」

 

鍔迫り合いが終わり、サーシャとマルギッテは後退して距離を取り、体制を立て直す。

 

「貴様、一体何の真似だ!?」

 

大鎌の切っ先をマルギッテに向け、真意を問うサーシャ。しかしマルギッテは答えないまま、ただ不気味に笑っている。

 

この戦いを、心底楽しんでいるかのように。

 

それにあの口ぶりは“サーシャ”を知っている。だとするならアデプトの人間か、もしくは今回起きている元素回路の事件の関係者か……憶測をすればする程、キリがなくなる。

 

だが、今現時点でサーシャにできる行動は一つ。目の前の敵に集中する事だけだ。

 

再びマルギッテがサーシャ目掛けて疾走する。

 

「Hasen Jagt!」

 

感嘆するように叫び、回転させたトンファーをサーシャに叩き付けるマルギッテ。サーシャは大鎌の柄で攻撃を受け止めた。

 

衝撃で柄は真っ二つに折れ、力の反動でマルギッテの体制が前屈みになる。この瞬間を、サーシャは狙っていた。

 

トンファーが自分の身体に直撃する刹那、バックステップをして攻撃を回避する。そしてサーシャは両手に持つ大鎌の鉄片を再錬成し、刀剣とダガーに変化させた。

 

「うおおおおっ!!」

 

「はああああっ!!」

 

マルギッテの隙を狙い、刀剣とダガーを突き出すサーシャ。

 

出遅れながらも体制を戻し、身体を捻らせながらトンファーを振りかざすマルギッテ。

 

両者の攻撃が――――ほぼ同時に交差した。

 

 

 

「――――――」

 

サーシャの持つ剣の刃先が、マルギッテの喉仏の直前でピタリと止まっている。急所をつかれ、マルギッテは身動きを封じられていた。

 

「――――――」

 

マルギッテのトンファーもサーシャの首の側で止まっている。下手な動きをしていれば、サーシャの首は今頃吹き飛んでいただろう。

 

しばらく睨み合いが続いたが、ようやくマルギッテはサーシャの首に突きつけたトンファーを放す。同時にサーシャも、マルギッテの喉仏から刀剣の切っ先を退き……互いに武器を収める。

 

この戦いの結果は、一時引き分けという形となった。

 

「さすがだ、致命者サーシャ。アトスの秘蔵と言われるだけの事はある」

 

試させてもらったとマルギッテはサーシャの強さを認め、称える。

 

「………」

 

どうやら敵ではないようだが……そんなサーシャの疑問に、マルギッテは先立って答えた。

 

「元素回路……私もこの一件に関わっている。決してお前の敵ではないと理解しなさい」

 

マルギッテも、今回の事件を知る関係者の一人だった。アトスからの協力要請があり、軍の命令で動いているとの事だ。しかしサーシャ達と同じく、詳しい情報は掴めていないという。

 

「互いに進展はなし……か」

 

川神学園に転入してから随分と経っているというのに、まるで進展がない。軍の介入があるにも関わらず、捜査が難航するのはアトス側にしても、サーシャとしても焦りを感じるのだった。

 

話を終えたマルギッテは左目に眼帯を装着すると、自分の腕時計を確認していた。どうやら何か用事があるようだ。

 

「すまないが、私はこれにて失礼させてもらおう。お嬢様に買い物を頼まれている」

 

言って、サーシャの前から立ち去ろうと踵を返すマルギッテ。いきなり勝負を挑み、そして突然帰っていく……どこまでも勝手な奴だとサーシャは思った。

 

「致命者サーシャ」

 

足を止めて、サーシャに振り返るマルギッテ。

 

「今日は存分に楽しめた。感謝するぞ」

 

またいつか手合わせ願おうと、そう言い残してマルギッテは立ち去っていった。サーシャはその背中を見送りながら、思う。

 

マルギッテ―――サーシャと渡り合えるほどの実力者。あれが敵であったなら、相当厄介な相手になっていただろう。

 

(俺もまだまだ……か)

 

百代といいマルギッテといい、ここは強い人間が多い。自分の未熟さを戒めつつ、サーシャは島津寮へと戻っていくのだった。



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サブエピソード11「まふゆのボルシチ」

夕暮れ時。

 

サーシャ達は、大和達と島津寮で夕食を取る事になった。

 

ちなみにマルギッテは軍の命令で帰還し、華は用事があるとの事で今回は同席していない(おそらくカーチャに呼び出されたのだろう)。

 

「~♪」

 

鼻歌を弾ませ、台所で料理をするまふゆ。島津寮へと招待してくれたお礼に、まふゆが料理を振舞うと張り切っていた。

 

鍋の中でグツグツと煮えるまふゆの得意料理……そう、サーシャの好物であるボルシチである。

 

「ん~めちゃくちゃいい匂いがするわ」

 

鼻をきかせ、まふゆのボルシチを今か今かと待ち続ける一子。リビングにはボルシチの香りが漂い、大和達の食欲をそそらせる。

 

(そろそろ煮えたかな……)

 

まふゆは鍋の蓋を開け、味見をすると満足気に頷き、鍋をテーブルの前に置いた。

 

「はい、おじ様直伝・本格派特製ボルシチの出来上がりだよ♪」

 

自信満々に出来上がったボルシチを、胸を張って披露するまふゆ。

 

大和達は感激の声を上げながら、鍋の中を覗き込んだ。鍋の中で具材がよく煮え立ち、大和達の食欲をより一層かきたてる。

 

「たくさん作ったから、熱い内にどんどん食べてね」

 

ボルシチを皿に分け、仕上げにサワークリームとデイルをつけあわせて大和達に配膳する。

 

「うまそうだな。それじゃ早速――――」

 

「もぐもぐ……вкусный(うまい)!」

 

大和の隣で、既にサーシャはボルシチを美味しく頂いていた。よほど好物なのか、食べる事に集中している。しょうがないなあ、とそんなサーシャを見てまふゆは苦笑いした。

 

「じゃあ俺達も、いただきます!」

 

早速大和達も、まふゆのボルシチを頂く事にする。

 

「おお……こりゃうまい!」

 

「ほんと、何杯でもいけちゃうわ!まぐまぐ……」

 

まふゆのボルシチの味に、大満足する大和と一子。

 

「うむ、うまい!毎日食べてもいいくらいだ」

 

「はい、とても美味しいです。私も作ってみようかな……」

 

『伝授してもらえよ、まゆっち。このボルシチ、男に食わせたらイチコロだぜ?これで一気にポイントアップだ!』

 

「わわわわわわわわ!何を言うんですか松風!」

 

バクバクとボルシチを口に運ぶクリス。そして一人漫才(?)をする由紀江と松風。

 

「うん。確かにおいしいけど、ちょっと辛さが足りないかな」

 

京は瓶に入った『ウルトラデストロイドソース』をドバドバと自分の皿に注ぎ込んでいる。こうして京のボルシチは、激辛カスタム仕様へと変貌を遂げた。

 

「大和もソースいる?」

 

「いるかっ!!」

 

大和は自分の皿を京から遠ざけた。いる?と聞きつつも、大和の皿にソースを入れ込もうとしている仕草は、何とも京らしい。

 

「こいつはうまいな……まふゆ、私の嫁になる気はないか?」

 

ボルシチの味(というかまふゆ本人)を気に入り、まふゆの肩を抱き寄せる百代。まふゆは反応に困り、戸惑っていた。冗談で言っているつもりだろうが、やはり冗談には聞こえない。

 

ともあれ皆ボルシチを気に入ってくれたようで、まふゆは嬉しく思うのだった。

 

おかわりをするペースが早く、ボルシチは鍋の中からあっという間になくなっていき、とうとう残り1人分となった。

 

「残りはアタシがもらうわ!」

 

一子はいち早く最後の一杯を狙い、おたまに手を伸ばす。

 

「――――!?」

 

一子がおたまの取っ手を掴むと同時に、サーシャもおたまを掴んでいた。互いに視線を合わせ、その手を離せと目で訴えている。

 

「……ちょっとサーシャ、アタシが先よ」

 

「僅かに俺の方が早かった。手を引くのはお前だ、一子」

 

互いに譲らず、バチバチと火花を散らす二人。

 

「“れでぃーふぁーすと”よ、黙ってアタシに譲りなさい」

 

反論する一子。“あ、ワン子が珍しく難しい単語使ってる”と京が小さく呟いた。

 

「知った事か。そんな理屈では俺の心は震えない、諦めろ」

 

サーシャも譲る気はさらさらないらしい。一見カッコいい台詞に聞こえるが、女子からして見れば割と最低である。

 

「何よ、じゃあ勝負する?」

 

「いいだろう。表へ出ろ」

 

サーシャと一子は合意し、決闘を受諾する。こうして、一杯のボルシチをかけた壮絶なバトルが始まろうとしていた。

 

「こら、サーシャ!」

 

「やめろ、ワン子」

 

まふゆと大和が同時に声を上げ、サーシャの頭にはおたま、そして一子の頭には大和のチョップによる制裁が入っていた。

 

2人はしゅん、と反省する。当然バトルはなし。そんな事でいちいち決闘に持ち込むなと、2人に説教をするまふゆと大和なのだった。

 

『みんな、マスターのお帰りだよ』

 

「おう、今帰ったぜ!」

 

説教の最中に、タイミングよくお手伝いロボット・クッキーがリビングへとやってくる。その隣にはキャップがいた。バイトの帰りだったらしい。

 

「いや~バイトが長引いちまってさ。腹減ったなぁ……お、なんかうまそうな匂いがするな」

 

鼻をきかせて、キャップはテーブルに置かれた鍋に視線を落とす。

 

「お、なんだこれ。うまそうだな……いただきま~す!」

 

何の躊躇いもなく、キャップは鍋の中のボルシチを一瞬で平らげる。

 

そして、鍋の中は空になった。

 

「これ、ボルシチだよな?すっげーうまかったぜ!一体誰が作ったんだ?」

 

キャップが周囲を見回すと、まふゆがそっと手を上げる。

 

「あ、あたしだけど……」

 

「マジで?織部、お前料理うまいな。俺旅してて色んな店のボルシチ食ったけどよ、こんなうまいボルシチ初めて食ったぜ!」

 

ボルシチの味がすっかり気に入り、また作ってくれよとキャップは笑うのだった。

 

――――――。

 

次の瞬間、悪寒と殺気がリビングの中を包み込んだ。キャップもただならぬ何かを感じ取り、後ろを振り返る。その後ろには、殺意のオーラを纏ったサーシャと一子の姿があった。

 

「キャップ………」

 

「貴様…………」

 

ボルシチを食された事への怒りを抑えきれず、サーシャと一子はキャップに詰め寄った。

 

どうやら食べてはいけない物だったらしい……身の危険を感じたキャップは、

 

「な、何かヤバそうだから……とりあえず逃げるぜ!」

 

ダッシュでリビングを脱出し、外へと逃走を測った。キャップが逃げた事で怒りのボルテージがMAXになり、サーシャと一子は逃げたキャップを追いかける。

 

「待ちなさいキャップ!アタシのボルシチをよくも~!」

 

「俺のボルシチを奪った罪は重い………生きて帰れると思うな!!」

 

2人はそのまま外へと繰り出した。その光景を見て、やれやれと肩を落とす大和達。

 

ちなみにキャップ達が戻ったのは、日が沈んでから2時間後だったという。

 

食べ物の恨みは、本当に恐ろしい……それを改めて思い知らされた大和達なのであった。



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サブエピソード12「協力者」

川神市にある歓楽街、通称『親不孝通り』。

 

いくつもの風俗店が立ち並び、看板のイルミネーションが夜を彩るように光を放っている。

 

そこは言わば不良達の溜まり場であり、覚醒剤等の密売が日々行われ、川神学園の生徒達には迂闊に近寄らないよう、教師達や教育委員会が呼び掛けている。

 

その場所に1人、川神学園の生徒がいた。

 

源忠勝。Fクラスの生徒である。かつては孤児であったが、代行業者の雇い主に引き取られ、今では雇い主の右腕として日々活動を続けている。

 

今回の依頼内容は、川神市に蔓延る元素回路という物の調査である。その辺で使われている薬よりもたちが悪いらしく、また詳しい情報が一切掴めていないのが現状である。

 

忠勝は調査の為、今日も親不孝通りを歩いていた。

 

(……ん?)

 

しばらく歩いていると、人気の少ない路地に見覚えのある人影が2人。そしてその2人を取り囲む、柄の悪い不良達が数名。

 

物陰に隠れながら、目を凝らす忠勝。2人の人影の正体は同じクラスの華と、一年に転入したカーチャであった。

 

(桂木?それに、あいつは一年の……何でこんなとこにいやがんだ)

 

同じクラスの生徒と、一年……それも幼い留学生である。どういう経由でこの場所を訪れたのかは知らないが、厄介な事に巻き込まれているのは確かだ。

 

しかも相手は数が多い。華は男勝りな性格だが、留学生を守りながら相手をするのは分が悪い。

 

このままでは危険だ……特に留学生は、何をされるか分かったものではない。

 

(ああくそっ。仕方ねぇ――――!)

 

人数は5、6人。これなら何とかなるだろうと、忠勝は華達のいる方へと突貫した。

 

「―――――!?」

 

次の瞬間、忠勝は足を止めた。何故なら、今自分の目の前で起きている事態が、あまりに異様な光景だったからである。

 

華とカーチャの前に、突然赤い人形が空から降ってきたと思えば、気がつけば華達を取り囲んでいた不良達が銅線に縛られ、一網打尽にされていた。

 

華とカーチャは別段驚いているわけでもなく、まるでいつも見ている光景であるかのように、平然としている。

 

(なんだあのバケモンは……まさか、あいつらが元素回路ってやつの――――)

 

忠勝が後退ろうと、足を動かしたその時だった。赤い人形……アナスタシアから突然銅線が伸び、忠勝の右腕に巻き付いた。

 

「!?」

 

抵抗しようと力を入れるが予想以上に力が強く、カーチャ達の方へとと引きずられていく。

 

「それで隠れていたつもりかしら?舐められたものね」

 

忠勝の元に、カーチャと華が歩み寄る。カーチャは捕縛した忠勝を見て嘲笑っていた。

 

「げっ!お前……源!?」

 

カーチャとは対象に、華は忠勝を見て気まずい表情を浮かべている。

 

同じクラスの人間に見られてはならないような事をしているのだろうか……忠勝は臆することなくカーチャ達を睨みつけた。

 

「……てめぇら、こんな所で何をしてやがる?」

 

「お前には関係のないことよ」

 

カーチャは忠勝をまるで相手にしない。だが忠勝も引き下がらず、反論を続ける。

 

「なるほどな……言えねぇ事情があるってわけだ。まさか、元素回路をばら撒いてるのもてめえらの仕業か?」

 

忠勝から出た言葉に、カーチャと華が反応を示した。今まで嘲笑うような態度を取っていたカーチャの表情が変わる。

 

「元素回路……何か知ってるのね?」

 

「だったらどうだってんだ?」

 

忠勝が挑発するように笑うが、カーチャはニヤリと笑みを返し、宣告する。

 

「洗いざらい吐いてもらうわ――――ママ!!」

 

カーチャの呼びかけに応え、アナスタシアが反応する。先端を尖らせた鋭利な銅線が伸び、忠勝に向けられた。

 

“答えなければ命はない”。カーチャの死の宣告が、忠勝を追い詰める。

 

逃げられない……これまでか、と忠勝がそう思った時だった。

 

「―――おい、ちょっと待った!」

 

遠くから男性の声。カーチャ達が視線を向けた先にいたのは、くたびれた中年の男性―――宇佐美巨人であった。宇佐美はカーチャ達に駆け寄り、アナスタシアと忠勝の間に介入する。

 

「親父……?」

 

突然の宇佐美の登場に、一瞬戸惑う忠勝。

 

「宇佐美、どういうことかしら?」

 

不機嫌な態度を取りつつ、カーチャが尋ねる。

 

「こいつは俺の連れでな……とりあえず、手を引いちゃくれねぇか」

 

宇佐美は忠勝が自分の代行業の従業員であると説明する。するとカーチャは小さく溜め息をつき、忠勝をアナスタシアの束縛から解放するのだった。

 

「……説明しろ親父。こりゃ一体どういう事なんだ?」

 

ようやく自由の身になった忠勝だが状況が飲み込めず、宇佐美に説明を求める。

 

宇佐美は頭をかきながら、カーチャとアイコンタクトを取る。カーチャは好きにしなさいと目で訴えていたので、宇佐美は話を切り出した。

 

「この2人は、アトスから派遣された調査員だ」

 

カーチャと華がアトスの人間である事を明かす宇佐美。

 

「こいつらが……?」

 

こんな幼い少女と女子学生が……信じられないような目で、カーチャと華を見る忠勝。

 

にわかには信じ難い話であったが、先程のアナスタシアを見れば一目瞭然、普通の人間ではない事が分かる。もう信じざるを得ない。

 

少なくとも、敵ではない……事を願う忠勝だった。

 

すると、話を横で聞いていたカーチャが痺れを切らし、話に入ってくる。

 

「……話は終わりかしら?で、宇佐美。何か見つかったの?」

 

元素回路の調査の事だろう。カーチャが訪ねると、宇佐美は苦笑いして首を横に振った。

 

「相変わらず進展なしだ。そっちは?」

 

「ダメね。あそこで眠ってるゴロツキも、全員シロよ」

 

カーチャは背後で気絶している不良達を顎で指し示す。全員それらしいものは所持しておらず、強いて言うならばドラッグを少量持っている事ぐらいか。宇佐美もそうか、と言って肩を落とした。

 

「まあ、いいわ。ところで……」

 

視線だけを忠勝の所へと向けるカーチャ。見下されているようで、忠勝は無性に腹が立った。

 

「源忠勝……お前もこの一件に関わっているわけね」

 

「ああ、そうだ……なんか文句でもあんのか?」

 

生意気な態度に喝を入れようとカーチャを睨みつける忠勝。しかしカーチャは少し忠勝を眺め、侮蔑の意味を込めて笑う。

 

「ま、せいぜい私の足を引っ張らないことね……いくわよ、華」

 

「は、はい。カーチャ様」

 

 

言うだけ言って、カーチャはまた調査を再開する。宇佐美と忠勝の前から立ち去り、路地裏の暗闇へと消えていった。アナスタシアもドロドロに溶けて、赤い液体状になって消えていく。

 

「……クソ生意気なガキだぜ。ったく」

 

舌打ちをし、忌々しげにカーチャ達を睨む忠勝。幼い少女だと思えば、とんだ女狐である。

 

それにカーチャに対する華の態度。カーチャに頭が上がらないような理由でもあるのだろうか。忠勝にとってはどうでもいい話なのだが。

 

「まあ、そう怒るなよ……それより忠勝。分かってるだろうが、あの2人が潜入操作してるって事は他の生徒の連中には秘密だからな」

 

と、宇佐美。当然、カーチャ達の素性がバレれば今後の活動に影響が出る。忠勝は勿論分かってはいるが、協力関係とはいえ、カーチャとは絶対に組みたくはないと思った。

 

「にしても、あの2人がな……って事は、織部とアレクサンドルもか」

 

同じクラスに転入してきた、サーシャとまふゆ。

 

あの2人もアトスから派遣されたのだろう。サーシャが心と決闘したあの時の戦いぶりは、どう見ても戦い慣れし過ぎている部分がある。

 

何かあるとは思っていたが……そう言う事かと忠勝は理解する。

 

「アトス……あいつら一体何者なんだ」

 

同時に疑問も生まれていた。サーシャやカーチャのアナスタシア……どうにも異端過ぎる。すると宇佐美が忠勝の疑問に答えるように、まるで独り言のように呟いた。

 

「……“クェイサー”」

 

宇佐美の聞き覚えのない言葉に、忠勝は耳を傾ける。

 

「クェイサー?」

 

「詳しい事は知らないが、アレクサンドルとエカテリーナの2人はそう呼ばれてるんだとよ」

 

ユーリから一部話を聞かされたと宇佐美。しかしどのような能力なのかは定かではない。

 

ユーリ曰く“知るべきものが知っていればいい、奇跡です”だとか。

 

「よくわかんねぇな……アトスの人間は」

 

考えれば考える程ややこしくなっていく。思考を打ち切り、忠勝は宇佐美と共に路地裏から離れ、調査を再開する。

 

(クェイサー……とんだ人間が舞い込んできたもんだぜ)

 

夜空を見上げ、そんな事を思いながら忠勝は再び本通りへと戻るのだった。



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14話「目覚めた感情」

何もない暗闇の中で、ワン子は夢を見ていた。

 

“アタシ、お姉さまみたいに強くなるの”

 

“アタシハ、オネエサマヲコエタイ”

 

聞こえる。自分の中に眠る、心の声が。

 

“お姉さまは、アタシの目標だから!”

 

“アタシハ、オネエサマニカチタイ”

 

自分の中にある、強さを求める感情。それは偽りのない、純粋なる欲望。

 

“お姉さまは、アタシにないものをたくさん持ってるわ!”

 

“デモ、アタシハソンナオネエサマガガユルセナイ”

 

何故だろう、百代に対する感情が次第に歪んでいく。あんなに自分の姉を慕っているのに。

 

“アタシも修行を積んで、もっともっと強くならなきゃ!”

 

“モットツヨイチカラデ、オネエサマヲタオシタイ”

 

力が足りない。才能がない。ただそれだけで決めつけられる人生なんか、認めない。

 

“だからアタシは、お姉さまを―――――”

 

 

“アタシノチカラデ、ネジフセテシマイタイ”

 

全ては己が望む欲望の為に。その為ならば、何もかも失っても構わない。

 

何故ならば、どんな犠牲を払ってでも、手に入れなければならない物なのだから。

 

 

 

――――――――。

 

 

 

ジリリリリ…………。

 

目覚まし時計のアラームが一子の頭を刺激する。一子は目を覚まし、欠伸をしながら時計のアラームスイッチを止める。

 

「また何か変な夢を見たわ……」

 

目を擦り、ふわああとまた欠伸をかく一子。眠気が取れず、まだウトウトしていた。

 

ここ最近夢を見る事が多い。その所為か眠りが浅く、身体に怠さを感じていた。

 

まるで、自分の中にいる何かに呼びかけられるような感覚。それが夢なのか現実なのか、判断すらつかないくらいのリアリティがある。

 

呼びかける声は夢を見る度に次第に大きくなり、一子の心を浸食していくような錯覚に陥る。

 

日常生活には問題はない。ただ唯一変わった事といえば、自分が修行を重ねる毎に、強くなっているという実感が湧いている事だけだ。

 

それは一子にとっては非常に嬉しい事なのだが、自分の中で確かな違和感を感じている。

 

(ん~まあいいや。力がついてるから、そう感じるだけかもしれないし)

 

これ以上考えても仕方がない。というより考え事は一子には似合わない。首を振って眠気を吹き飛ばし、頬を両手で叩く。

 

気持ちを切り替え、早速朝の鍛錬の準備に取り掛かろうと布団から飛び起きる一子。

 

「今何時かしら……」

 

何気なく目覚まし時計の時間を確認する。現在の時刻は………。

 

『8:05』

 

時計の針は、無慈悲にも登校時間(大和達が登校する時間帯)を指していた。しかも大和達との待ち合わせ時間まで、後僅かしかない。

 

そして一子は気づく。昨日の鍛錬でだいぶ疲れが溜まり、ウトウトしながら目覚まし時計をセットして眠ってしまった事を。

 

これはつまり………。

 

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!!遅刻だわーーー!!!」

 

一子は絶叫し、大慌てで制服に着替え始めた。大和達が待っている事や、何故百代やルー師範代が起こしにきてくれなかったのか。色々頭の中で駆け巡ったが、結局は自分が悪い。

 

「ん……むにゃ……どうしたワン子。そんなに慌てて」

 

一子の部屋の障子が開き、そこから眠そうな顔をした百代が中を覗いていた。おまけに、寝巻きのままである。

 

「だだだって今日は学校だよ!お姉さまも早く支度しないと遅刻しちゃうわ!!」

 

一子は制服に着替え終え、バッグの中に教科書、ダンベル、葡萄と砂糖を詰め込んでいる。

 

百代もこんな時間なのに何を呑気に構えているんだろうと思いつつも、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。

 

「学校ってお前……今日は祝日で休みだぞ?」

 

「………え?」

 

一子は動きを止める。考えてみれば、金曜日に梅子が“月曜日は祝日だ、間違ってこないようにな”と言っていた気がする。

 

段々と冷静さを取り戻した一子は、その場にへなへなと座り込んでしまった。そんな一子を見て、可愛いやつだなと百代は笑う。

 

「疲れが溜まってるんじゃないのか?鍛錬もいいが、たまには休めよ……ふわあああ……」

 

もう一回寝直そうと、百代は自分の部屋へと戻っていく。一子はしばらく放心していたが、力が抜けて布団の上へ仰向けに倒れこんだ。

 

「何だ……休みか……」

 

はあああ~と大きくため息をつく一子。このまま眠ってしまおうかと思ったが、目が冴えてしまい、眠ろうにも眠れなかった。

 

「ん~……」

 

最近疲れが目立つ。たまには休むのも悪くないだろう……一子は横になり、目を閉じようとした時、ふとある物に目が入った。

 

「あ………」

 

それは、夕暮れの土手で出会った金髪の男性から譲り受けたアミュレットだった。一子は大事に、いつもそれを側に置いている。

 

何気なく手に取り、ぎゅっとそれを握り締めた。何故だろう、力が漲ってくるような気がした。

 

(休みも大事だけど……やっぱり、じっとしてなんかいられないわ!)

 

一子は飛び起き、制服を脱ぎ捨てて体操服に着替えると、身体にタイヤ付きのロープを結びつけ、鍛錬に出掛けるのだった。

 

「さて――――今日も“ゆーおーまいしん”よ!!」

 

 

 

多馬川の土手を走り、鍛錬を続ける一子。

 

しばらく走っていると一子の目の前に見覚えのあるような、ないような人物が待ち構えていた。

 

黒の革ジャンとジーパンに身を包んだ不良―――そう、いつしか学校へ向かう途中に現れ、そして百代にあっさりと敗れ去ったウンウン☆マイスリーとヘリウム5男であった。

 

彼らは絆創膏や包帯をしていて、以前会った時よりは威勢がないように感じる。

 

「貴様……あの川神百代の仲間だな?」

 

金髪の不良1がへっへっへと下品に笑いながら尋ねる。しかし一子は首をかしげ、

 

「えっと……おじさん達、どこかで会ったっけ?」

 

覚えてないや、と笑うのだった。おまけにおじさん扱いされ、不良達の怒りが大爆発する。

 

「いや会っただろうがよ!俺達は川神百代に勝負を挑んだ、“ウンウン☆マイスリー”と」

 

「そしてこの俺ヘリウム3兄弟、5番目の弟!」

 

忘れ去られていた自分達の存在を、必死に一子に思い出させようと説明する不良達。

 

一子は腕を組み、う~んと唸ってしばらく考え始める。そして手のひらをポンと軽く叩き、ようやく彼らを思い出した。

 

「あっ!あの時の……!」

 

「ようやく思い出したか。ふっふっふ……俺たちの恐怖が脳裏に――――」

 

「お笑い芸人!!」

 

一子の言葉に、不良達は大ショックを受けた。確かに、一子の中で彼らの存在が記憶に残っていたようだ……お笑い芸人という形で。

 

不良達の怒りは最高潮に達し、それぞれ武器を構えて一子と対峙する。

 

「貴様……よくも俺達をコケにしたな!」

 

「あの時は油断したが、今日は勝たせてもらうぜ!」

 

「いくぜ、野郎ども!」

 

「フルボッコにしてやんよ!!」

 

前触れもなく一斉に襲いかかる不良達。一子は微動だにせず、ただ彼らの攻撃を待つのみ。

 

以前の一子なら、さすがに4人相手……特に鍛錬した人間とでは無理があっただろう。しかし、今の一子は自身に満ち溢れていた。

 

何にも負けない、“自分を信じる”という力。超えなければならない目標があるからこそ、強くなり続けるのだから。

 

不良達との距離が縮まっていく。武器が一子の身体に触れる僅かな瞬間、一子は腰に結びつけていたロープを引っ張りあげ、そして括り付けていたタイヤを、

 

「せりゃあああああああああああああああ!!」

 

力を込めて不良達に叩きつけた。タイヤの重みと衝撃が不良達の身体を直撃し、ドミノのように綺麗に並び、倒れて吹き飛んでいく。

 

不良達は川へと転落し、戦闘不能。そのままプカプカと気絶したまま流されていった。

 

一子はふぅと息を吐くと、自分の手のひらを見つめる。

 

「アタシ……強くなってる」

 

自分の成長を実感し、少しずつだが百代に近づいていると喜ぶ一子なのだった。

 

「見てたぞ、ワン子」

 

後ろから声をかけられ、背後を振り返ると百代が立っていた。散歩の途中で一子の姿を見つけ、一子の戦いぶり(と言っても一瞬で終わったが)をずっと見ていたらしい。

 

百代が見ていてくれていた……一子は素直に嬉しく思った。

 

「どうお姉さま?アタシどんどん強くなってるわよ!」

 

自分の成長している姿を、胸を張って誇らしげに語る一子。百代は一子の頭を撫で、よくやったなと褒め讃える。

 

「確か、いつしか私に挑んできた奴らだよな……まあ、対して強くもなかったからな。あいつらを倒したからって、浮かれるなよワン子」

 

ちょっと姉らしく、厳しい事を言ってみたと百代は笑った。

 

「―――――」

 

その何気ない百代の一言に、一子は一瞬言葉を失う。まるで、自分が否定されたように感じ取った。今まではそんな風に思った事は一度もなかったのに……と、複雑な気分になる。

 

「ワン子、どうかしたのか?」

 

一子の様子を変に思ったのか、百代が心配そうに尋ねる。一子は我に返ると、ぶんぶんと首を振るのだった。

 

「う……ううん。なんでもないわ!」

 

「そうか……ならいいんだが――――ん?」

 

何かを察知したのか、百代は視線を別の方向へと向ける。その先には、麗しき美少女という名の女子学生の姿があった。どうやらナンパをする気らしい。

 

「私好みのタイプだな――――よし、今日はあの子で決まりだ!」

 

一子に鍛錬、頑張れよと励ましのエールを送ると、百代はターゲットを定め、女子学生に向かって駆け出していった。一子はそれを手を振って見送っている。

 

百代のナンパ癖は相変わらずだな……と、一子は苦笑いしながらそう思うのだった。

 

“ソウヤッテ、イツモヒトヲミクダスコトシカシナイノネ”

 

「うっ……!?」

 

急に激しい頭痛に襲われ、ワン子は頭を抱えて蹲る。

 

“コンナニガンバッテイルノニ、ドウシテミトメテクレナイノ”

 

何かが一子の中で呼びかけ続ける。頭が割れるような痛みが続き、膝をついて苦しみ出すワン子。

 

“ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ。ゼッタイニ”

 

徐々に頭痛が引いていく。一子は膝をついて蹲ったまま、動かない。

 

「……め、させなきゃ」

 

声を震わせながら、一子は小さく呟いた。頭を抱えながら百代のいる方角を睨みつけている。

 

その目は、今までの一子とは別人のような……闇色に染まった瞳がそこにあった。

 

「認め……させなきゃ」

 

百代に自分という存在を認めさせる。一子の心に、確かな“黒い感情”が宿り始めていた。



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15話「歪み」

「はっ―――!はっ!はっ!」

 

川神院の野外道場で何人もの修行僧が並び、拳を突き出し、鍛錬に明け暮れていた。

 

時期は夏休みに突入し、休暇を過ごす者もいる。が、殆どの修行僧はここに留まり、川神流を極めるため日々修行を重ねていた。

 

その光景を鉄心とルーが微笑みながら、修行僧達の成長を見守っている。

 

「……ふむ、皆よくやっておるのう」

 

モモも少しは見習って欲しいものじゃ、と鉄心は髭を弄りながら呟く。だが以前に比べて、少しは精神も落ち着いてきていると感じていた。

 

これもビッグ・マムの指導のおかげだ……心配の種が取り除かれ、鉄心は嬉しく思うのだった。

 

「そういえば、百代も今は現地に到着している頃でしょうネ」

 

青空を見上げながら、ルーは言った。

 

百代は現在、七浜にあるスタジアムに赴いている。

 

普段は野球の試合で使われている場所だが、今回は模擬戦闘を行う為の決闘場となっていた。百代と一度手合わせしたいという人物が現れ、喜んで七浜へ飛んでいったのだという。

 

「うむ……相手は身の丈以上もある大剣の使い手だそうじゃのう」

 

「ええ。それも小柄な少女がです……信じられませんネ」

 

鉄心やルーが聞いた話では、今回百代が会う人物は大剣を軽々と振り回す少女と、サポート役をするシスターの2人らしい。

 

詳細はよく分かっていないが、百代に挑戦してきた相手の中では、かなりの実力者であるという事だけは判明している。

 

「ワシらも決闘を見にいきたいのじゃが……今はそんな事を言ってられんからのう」

 

鉄心の表情が険しくなる。元素回路の調査が困難を極める中、ここを動く訳にはいかなかった。

 

今回の事件の責任者である自分がここを離れれば、何か起こった時に対処ができない。ルーもそうですネ、と肩を落とした。

 

また、サーシャ達も一旦川神市を離れている。戻るのは今日の夕方になると、ユーリから伝達を受けていた。

 

サーシャ達のいない今、自分達にできる事をしよう……鉄心とルーはそう思うのだった。

 

「――――じーちゃん、ルー師範代!」

 

鍛錬から帰ってきた一子が手を振って、腰にタイヤのついたロープを引きずりながら鉄心達の元へやってくる。

 

「おー、おかえりなさい一子」

 

ルーが一子を出迎え、鉄心が微笑む。やはり、孫が頑張っている姿はいつ見ても眩しい。

 

「一子も夏休みだというのに、よく頑張っておるのう」

 

「うん。アタシ、鍛錬する度にどんどん強くなっていくのを感じるの!だから、もっともっと鍛えなきゃ!」

 

この前の挑戦者(ウンウン☆マイスリー+ヘリウム5男)も一撃で倒したんだから、と胸を張る一子。そんな一子を見て、鉄心はそれは何よりじゃ、とまた微笑むのだった。

 

「ねぇ、じーちゃん。お願いがあるんだけど……」

 

一子がおねだりするような眼差しを鉄心に送りながら、言い難そうに答える。鉄心は何でも聞いてやるぞいと、ニコニコと笑っている。

 

すると、一子はホント!?と目を輝かせながら答えた。

 

「アタシ……じーちゃんと手合わせがしたい!」

 

一子の願い……それは鉄心との模擬戦であった。鉄心とルーは一瞬言葉を失ったが、すぐに答えを返す。返事は勿論、ノーだった。

 

「一子や、ワシに挑むにはまだ早いぞい。その為にはまず師範代を目指さんとのう」

 

その時が来たら、全力で相手をしてやるぞいと鉄心。やはり、今の一子では力不足だと感じる部分があったのだろう……あはは、そうだよねと一子は苦笑いする。

 

「学長、そろそろ時間です」

 

ルーが時計を指し示す。今日は川神学園で元素回路事件についての会議に出席しなければならなかった。鉄心はうむ、と頷いてルーと共に早速川神院を出ようと足を運ぶ。

 

「ワシは学園に少し用事があっての。一子、留守を頼むぞい」

 

そう言い残し、川神院を出て学園へ向かっていく鉄心とルー。一子はいってらっしゃいと手を振って、2人を見送った。

 

「…………」

 

やがて2人の姿が見えなくなると、手を下ろし、しばらくその場に立ち尽くす一子。

 

「―――やっぱり認めてくれないのね」

 

まるで別人のように声のトーンが低くなり、一子は踵を返すと、野外道場を通り抜けて川神院の中へ入っていく。

 

廊下を歩き、一子が辿り着いた先……そこは武器置き場だった。部屋の中には模擬戦闘で使用する為の武器が保管されている。

 

刀剣、短刀、弓……レプリカだけでなく本物も存在する。種類が豊富であり、もはや武器庫と呼ぶ方が相応しい。

 

「…………」

 

一子は静かに、一歩一歩部屋の奥へと進む。周囲を見回しながら、自分が探し求めている“モノ”を探し出していた。

 

しばらくして一子は足を止め、壁に立てかけられたある武器に視線を向ける。

 

それは、一子の愛用している武器である薙刀だった。しかも、レプリカではなく本物である。薙刀の先端の刃は丁寧に手入れされ、刃こぼれ一つない。

 

「―――――」

 

一子はゆっくりと手を伸ばし、置かれた薙刀を手に取る。柄の部分をぐっと握り締め、薙刀を自分の一部になる感触を体感しながら、一子は薙刀を一振りした。

 

瞬間、薙刀の一閃が風を切り、周囲にあった武器を切断して破壊する。部屋中にあった武器という武器が無残に散り、もう見る影もない程に粉々になった。

 

薙刀の刃は触れてすらいない。斬ったのは刃ではなく、一子が作り出した“気”の刃であった。

 

悪くないわ……と一子は心の中で呟きながら、普段の一子とは思えないような歪な笑みを浮かべ、残骸と化した武器置き場を後にするのだった。

 

 

 

学園で会議を終えた鉄心とルーは川神院へ戻る道程を歩き、今後の対応について考えていた。

 

「ふむ、事態は深刻じゃのう」

 

眉間に皺を寄せ、どうしたものかと髭を撫でる鉄心。元素回路は未だ消える気配を見せず、被害者は増える一方であった。

 

「痕跡がないとなると、かなり厄介ですネ」

 

ルーも腕を組み、この現状を打破できる策はないかと頭を抱えている。

 

元素回路は使用された後に消滅し、欠片すら残らない。そもそも、それらしき物を見た人間すらいないのだ。せいぜいあるのは、一部の記憶喪失という症状のみである。

 

このままでは根絶するどころか、被害を食い止める事すらできない。もはや頼りになるのは、サーシャ達アトスの人間しかいなかった。

 

情けない話だが鉄心達にとって、サーシャ達の知識は必要不可欠なのだから。

 

「――――む?」

 

川神院まであと少し……の所で、ふと鉄心は足を止めた。

 

気の流れに、違和感を感じる。それはルーも同じように感じ取っていた。

 

川神院の修行僧の“気”が、ない。30人近くの人数が鍛錬を行っていたにも関わらず、ただの1人も気配を感じなかった。

 

仮に休憩をとっていたとしても、多少の気配を感じるはずだ。それなのに、何も感じ取れないのはおかしい。不自然すぎる。

 

「学長」

 

「うむ」

 

鉄心とルーは急ぎ足で川神院へと向かう。一体何があったのだろうか……それに、一子の気配も感じ取れない。

 

様々な不安が脳裏をよぎるが、考えていても仕方がない。現状を確認するのが最優先である。

 

川神院の前まで来た鉄心達は、門を潜り抜けて野外道場へと辿り着く。

 

「――――なんと!?」

 

「――――これは!?」

 

声を揃える鉄心とルー。そこには、想像を絶するような光景が広がっていた。

 

鍛錬をしていた修行僧が全員、傷を負って倒れている。この惨状に、鉄心とルーは言葉を失う。

 

まるで大型のハリケーンにでも巻き込まれたかのように、場外に投げ出された修行僧や、場内には修行僧達の身体が転がっていた。

 

「どうしたんじゃ!?一体何があった!?」

 

鉄心が近くに倒れている修行僧の頬を叩く。しかし反応はなく起きる気配はないが、気絶しているだけで死んではいないようだった。

 

「なんて酷い……一体誰がこんな事を」

 

ルーは修行僧の一人を抱きかかえながら、苦悶の表情を浮かべる。

 

とにかく、一人ずつ中へ運ぼう……鉄心達が修行僧達を抱えたその時だった。

 

「あ、じーちゃん。ルー師範代、おかえり!」

 

2人の背後から聞き覚えのある声。振り返ると、薙刀を持った一子の姿があった。この惨状をまるで何事もなかったかのように、いつもの元気な笑顔のまま鉄心とルーを出迎えている。

 

それは、あまりにも異質。この状況で一子が笑っているその光景は、不釣り合い過ぎた。

 

鉄心とルーはある疑念を抱く。

 

“まさか、これは全て一子がやったのではないか?”

 

それはあり得ない。あって欲しくない。一子がこんな酷い事を、平気な顔でできるはずがない。それは鉄心とルーが一番よく知っている。だから、鉄心は一子に問いかけた。

 

「一子……一体、何があったのじゃ?」

 

恐る恐る一子に話しかける鉄心。一子の仕業なのではないかという、信じたくないような返答がこない事を祈りながら。

 

そして一子は笑みを絶やさず、ゆっくりと口を開く。

 

「凄いでしょ。これ全部――――――アタシが倒したのよ」

 

一子から返ってきた言葉は、鉄心とルーが予想していた通りの“悪夢”である事を告げていた。



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16話「侵食する力」

荒れ果てた川神院に、修行僧を一人残らず全滅させたという一子。

 

そして、信じ難い現実を突き付けられている鉄心とルー。

 

悪夢を見ているのだろうか……否、これは悪夢であると思いたい。自分の家族のように修行僧達を慕っていた一子が刃を向けるなど、あっていいはずがない。

 

しかし、この状況が真実を肯定している。故に、鉄心達が目の前にしている現実はあまりにも残酷過ぎていた。

 

「一子……本当にお前がやったのか?」

 

鉄心がもう一度真偽を問う。すると一子が顔をしかめながら再度返答する。

 

「そうよ……あ、もしかして信じてない?ひどいなぁ、アタシだって日々成長してるのよ?」

 

一子の返ってきた言葉は同じだった。冗談だと言うのを期待したが、やはり一子がやった事は真実である事に変わりはない。

 

「一子、どうしてこんな事を……」

 

真意が知りたい……ルーは一子に問いかける。

 

「だって、アタシが強くなった所を見せれば、じーちゃんが戦ってくれると思って……」

 

それは、純粋なる一子の願望だった。ただ鉄心と戦いたいと言う理由のみ。

 

たったそれだけの理由で、一子は修行僧達に手を出したのだ。

 

あの時、少しでもいいから一子と手合わせをしていれば……鉄心は自分のした選択を呪った。

 

「む………」

 

険しい表情をしながら一子を見つめる鉄心。

 

一子がどういう心境の変化でこんな事をしたのかは定かではない。しかしこの事態を招いてしまったのは、少なくとも自分自身にある。

 

もう選択の余地はない。一子は鉄心との戦いを望んでいる。けじめをつけるため、鉄心は一子のいる方へ進み、拳を構えた。

 

「学長!?」

 

鉄心の行動にルーは思わず叫ぶ。一子と戦う事を選んだのだ。自分のした過ちを正すために。そして、一子の真意を問う為に。

 

「こうなってしまったのもワシの責任じゃ。ワシのけじめは、ワシがかたをつけよう」

 

鉄心がルーに下がっておれと伝えると、一子と再び向き合った。

 

「一子……お前の気持ちはようわかった。じゃがお前のした行いは、いくら孫といえども許してはおけん。今からお灸を据えてやるわい!」

 

瞬間、鉄心の闘気が爆発した。身体中から闘気が溢れ、周囲に風が巻き起こる。同時に鉄心の気の威圧が、一子の精神に重圧感を与えた。しかし一子は、

 

「―――――」

 

その闘気に怯む事なく、ただ笑っていた。鉄心との戦いを、心待ちにしていたかのように。そして一子も薙刀を構え、鉄心と対峙する。

 

「……では、ワタシが立ち会いましょう」

 

ルーが審判として両者の間に立つ。鉄心も一子と戦う覚悟を決めている以上、自分もそれを見届けなければならない。

 

例えこれが、望まれぬ戦いであったとしても。

 

「西方――――川神鉄心!」

 

「うむ」

 

ルーの掛け声と同時に、鉄心が一歩前へと出る。

 

「東方――――川神一子!」

 

「はいっ!」

 

一子も一歩、前へ出た。

 

これから始まる二人の戦い……ルーは思わず息を呑む。空気が重い。何故か分からないが、一子という存在が、まったく別の人間であるように思えた。

 

「では――――はじめっ!」

 

ルーの始まりの合図と共に、鉄心と一子の戦いの火蓋が切って落とされた。鉄心と一子は同時に走り出し、衝突する。

 

「川神流奥義――――無双正拳突き!」

 

先手は鉄心。拳を突き出し、強烈な正拳突きを一子に放つ。しかし相手は一子。強くなったとはいえ、本気は出せない。ある程度は力を加減する必要があった。

 

が、その考えは甘かったと思い知らされる事になる。

 

「川神流奥義――――無双正拳突き!!」

 

一子は薙刀をバトンのように空高く投げ、鉄心が使った技を、同じ動きと、同じタイミングで拳を突き出した。

 

「―――むっ!?」

 

拳と拳がぶつかり合い、二人の周囲に衝撃波が発生する。鉄心は加減をした分、力負けして全身が軋みを上げた。

 

「馬鹿な!?一子、その技をいつ体得した――――」

 

一子の攻撃に、動揺を隠せない鉄心。しかしその問いに対し返答を待つ暇もなく、一子の次の攻撃が襲ってきた。

 

一子は投げて落下してきたた薙刀をタイミングよく掴み取り、鉄心を追撃する。

 

「我流奥義――――真空十七連撃!!」

 

豪雨のような薙刀の突き攻撃が鉄心に襲いかかる。鉄心は連撃を千里眼を使い、見切り、それを全て躱していく。

 

「何――――!?」

 

鉄心の頬や衣服に切り傷が入る。十七の連続攻撃を全て躱した筈だ……攻撃を当たるはずがない。

 

鉄心は一度後退し、一子から距離を取り体制を立て直した。

 

そして―――気づく。一子の薙刀の異変に。

 

(まさか……気の刃!?)

 

鉄心は全ての攻撃を躱してはいた。ただし、躱したのは薙刀の刃であって、纏っていた気の刃までは避けられなかったのである。

 

まさか、一子がここまで強くなっていたとは……鉄心は考えを改めなければならない。

 

その強さが一体どこから来るのかは分からないが、少なくとも加減をしていては勝てないということだけは理解した。

 

「成る程のう……確かにお前は強くなった。一子よ、お前を一人の戦士として認めねばならん」

 

一子の強さを体感し、一子を戦士として認識する鉄心。だがそれは同時に、鉄心が本領を発揮する予兆でもあった。

 

覚悟はいいな――――鉄心は再び構え、反撃を開始する。

 

「はああああああっ!!」

 

鉄心の怒号と共に、正拳突きの雨を一子に浴びせた。先程よりスピードが上がり、本気で戦っている事が見受けられる。

 

一子も回避をするものの、全ての攻撃を避けきれず、身体中に打撃を受けた。衝撃で身体が吹き飛ばされ、地面を転がっていく。

 

「ぐっ………!?」

 

傷を負った身体を抑え、地面に蹲る一子。立ち上がれず、咳き込みながら藻掻いていた。

 

そして鉄心が一歩一歩、一子に歩み寄る。

 

「まだまだじゃな、一子。少しは腕を上げたようじゃが……それではワシには勝てんぞ」

 

思い上がるな、と言わんばかりに鉄心は現実を一子に叩き付けた。孫と言えども戦士と認めた以上、情けは無用である。

 

今の一子では鉄心には届かない……力の差を見せつけられた瞬間だった。一子は地面に爪を立てて、掴むように拳を握り締めながらゆっくりと立ち上がる。

 

しかし、一子はもう立ってなどいられない状態だった。薙刀を杖代わりにしてようやく立っているくらいに、体力を激しく消耗している……鉄心にはそう見えた。

 

「もうやめるんだ、一子。勝負はついた。これ以上は身体が持たない……」

 

ルーが一子を心配し、戦いを止めるよう促す。これ以上戦えば身が持たない……それだけ、鉄心は強い存在なのだ。

 

しかし、一子はルーの言葉に耳を傾ける事はなかった。ただ静かに、顔を地面に俯かせながら立ち尽くしている。そして、

 

「――――まだ、戦えるわ」

 

 

“――――マダ、タタカエル”

 

一子が言葉を発したその刹那、鉄心とルーはただならぬ殺気を感じ取った。

 

まるで、背中からずぶりと鋭利な刃物で串刺しにされたような感覚。それは間違いなく、一子から発せられていた。

 

一子は何事もなかったかのように体制を立て直し、薙刀の切っ先を鉄心に差し向ける。

 

「一子、お前は一体――――」

 

鉄心が声をかけた時には、もう一子の姿はなかった。そして、同時に右肩が熱くなる。

 

次の瞬間、鉄心の右肩から血が勢いよく噴出した。鉄心は右肩を抑えながら苦痛に顔を歪ませる。

 

一子は……鉄心の背後にいた。鉄心の右肩を背後を取る瞬間に斬りつけたのである。今までの一子とは違う、俊速の一撃だった。

 

「まだまだいくわよ!」

 

再び攻撃を仕掛ける一子。薙刀を振り回しながら突貫し、鉄心に斬りかかる。

 

「ぐっ――――!?」

 

鉄心は肩を抑えつつ、攻撃を躱す。一子は本気だ……仮にも親である鉄心に対し、刃を向けている。それも、何の躊躇いもなく。

 

「せやああああ――――!」

 

一子が薙刀を振るう度に、薙刀が纏う気の刃が炸裂し、鉄心の体力と身体を削っていく。スピードは次第に増していき、鉄心はもはや手を出せずにいた。

 

(一子、まさかこれ程まで……)

 

一子は戦えば戦う程強くなっていく……鉄心はそう感じていた。

 

一体一子の何がそうさせているのか、分からない。ワン子の真意が見えない。

 

もし、それが“純粋な強さ”を求めているものだとするなら、それはかつての百代と同じになる。このままでは、一子の精神が危険に晒されかねない。

 

それなら――――鉄心は止むを得ないと、ある決断を下した。攻撃を躱しつつ気を練り上げ、精神を集中させる。

 

「とどめぇ――――!!!」

 

一子は渾身の薙刀の一撃を、鉄心に向けて放つ。

 

「甘いわっ!」

 

鉄心は瞬間、一子の背後に回り込んだ。一子の一撃が空振りに終わる。だが一子はそのまま身体を回転させ、振り返りながら薙刀を振るった。

 

これで終わり……一子は勝利を確信する。じーちゃんに勝てる。これでまた一歩百代に近づけると、期待に胸を膨らませながら。

 

しかし、それも夢想に終わる事になる。

 

なぜならそれは、

 

「――――顕現の参・毘沙門天!」

 

決して避けることのできない最強の一撃が、一子に降り掛かったからである。

 

「――――!?」

 

一子が頭上を見上げた時には、既に身体は地面に伏していた。

 

何かに踏み潰されたような……否、実際に踏み潰されたのだ。鉄心が具現した毘沙門天によって。

 

それは、0.001という一瞬の出来事。一子が振り向いた直後、毘沙門天の巨大な足が一子の身体を踏み潰していた。

 

避けられる隙などありはしない、毘沙門天の一撃。それは、一子の戦いが“終わっている”事を意味していた。

 

やがて毘沙門天が消える。踏み潰された一子は、地面に食い込み倒れ伏せて気絶していた。薙刀は無残に折れ、身体中は傷だらけであり、闘気はもう感じられない。

 

「終わったか……」

 

鉄心は膝を突き、大きく溜息を着く。一子から受けたダメージと毘沙門天を具現化した事によって、体力を大幅に消耗していた。また鉄心の年のせいもあり、これ以上戦うには無理がある。

 

「が、学長!いくらなんでもあの技は……」

 

鉄心に駆け寄るルー。一般の人間に対して毘沙門天は危険であり、下手をすれば命の危険すらある。相手が百代でもない限りは、使うのはタブーである。

 

「今の一子は昔の百代と同じじゃった。このままでは二の舞になる……止むを得んかったのじゃ」

 

鉄心も危険である事は重々承知していた。しかし、鉄心が追い込まれていたせいもあり、鉄心自身も危険であったのだ。

 

もし毘沙門天を使わなければ、今度は右肩を斬られただけでは済まされなかったかもしれない。それだけ今の一子を危険視していた。以前の百代のようにならない為には、あれが最善策だと鉄心は判断したのである。

 

「……とにかく、一子と修行僧達を運ぼう。話はそれからじゃ」

 

「……そうですネ」

 

戦いは終わった。鉄心は負傷した一子と修行僧達を院内へ運ぼうと動き出す。ルーも頷き、ひとまず鉄心に従うのだった。

 

傷が癒え、一子が目を覚ましたら話を聞かなければならない。一体一子に何があったのかを。

 

――――と、動き出したその時に、それは起こった。

 

「「――――!?」」

 

鉄心とルーに再び殺気が襲いかかった。今度は先程感じた殺気よりも濃くなっている。

 

まるで、どす黒い何かが鉄心達の身体を、内側から浸食していくような感覚だった。鉄心達は殺気を感じた方角――――一子へと視線を向ける。

 

「―――――」

 

一子の身体から、いくつもの黒い煙が立ち上っていた。その煙に操られるような形で、一子はゆっくりと、俯いたまま立ち上がる。

 

一子の身体は徐々に傷が回復していき、鉄心から受けたダメージを全てリセットする。

 

“瞬間回復”――――百代が使う奥義を、一子は体得していた。

 

「な……瞬間回復じゃと!?」

 

驚愕する鉄心。瞬間回復は、百代にしか使う事のできない奥義であるはずだ。

 

それを一子は体得している……あり得るはずがない。だが百代とは違い、負の感情を増幅させたような歪んだ回復であった。

 

「……アタシは、ここで止まるわけにはいかない」

 

トーンの低い、一子の声がする。だが、もはやそれは一子の声ではない。ワン子の声をした“何か”である。

 

「……アタシは、お姉さまを――――あいつを必ず倒す」

 

一子は俯いていた顔を上げ、鉄心達を睨みつけた。その瞳の奥は、完全に闇に染まっている。目付きも鋭くなり、表情から笑顔が消えていた。

 

一子の全ては、“憎しみ”に塗り潰されている。

 

そして――――一子の体操服の胸元が少し破れ、そこから“あるもの”が見えた。

 

鎖骨の下の辺りに着いた、黒い紋章。その紋章は一子の肌に根を張り巡らせ、身体の一部になっているかのように張り付いている。

 

「……一子、まさかそれは!?」

 

鉄心は確信する。一子が異常なまでに強くなった理由を。一子の胸に装置されたものは、川神市を震撼させている“元素回路”であった。

 

「―――――川神流奥義」

 

一子は気を集中させ、静かに瞑想を始めた。身体中からは黒く禍々しい闘気が溢れ出し、周囲に暴風が巻き起こる。鉄心達は身の危険を感じ取った。

 

このままではやられる……目の前の一子という名の“敵”によって。

 

「―――――星殺し!!!!!」

 

一子は両手を突き出し、黒い闘気と化した禍々しいエネルギー砲を鉄心達に向けて解き放った。



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サブエピソード13「空に轟く咆哮」

七浜中華街本通り。

 

百代は七浜スタジアムでの模擬戦闘を終え、中華街で買った(殆ど通りすがりの女性に奢ってもらった)お土産を片手に、中華まんを頬張りながら通りを歩いていた。

 

「もぐもぐ……戦った後の中華まんはうまいな」

 

中華まんを一つ食べ終えてはまた一つ頬張り、中華街の食べ歩きを満喫する百代。ご機嫌な足取りで中華街をしばらく歩いていると、ふとある店の宣伝看板に目が入った。

 

『今だけ!期間限定ボルシチまん 発売中!』

 

ボルシチまんと書かれた看板の横に、蒸し器に大量に盛られたボルシチまんが、ホカホカと湯気を立たせながら店頭に並んでいた。

 

ボルシチまんは組み合わせ的にどうかと思う百代だったが、人集りが少し出来ているだけあって、思いの外売れているらしい。

 

(そういや、サーシャがボルシチ好きだったな……)

 

島津寮で、サーシャがボルシチにがっついていた時の事を思い出す。

 

同じ川神院で暮らしている仲だ、まふゆ達に買っていってやるか……百代はボルシチまんを購入しようと、人集りの中へ足を進めた。

 

『~♪』

 

百代の携帯の着うたが鳴り響く。ポケットから携帯を取り出し、画面を確認すると大和の名前が表示されていた。百代は早速携帯に出る。

 

『―――もしもし、姉さん?』

 

受話器からは大和の声。

 

「大和か、どうした?」

 

『もう模擬戦は終わったの?』

 

「ああ、ついさっきな……もぐもぐ」

 

大和と会話しつつ、また中華まんを頬張る百代。食べるか喋るかどっちかにしてくれ……と大和がボソッと呟いていた。

 

「もぐ……ごくん、すまんすまん。いやぁ、中々に楽しめたぞ」

 

模擬戦闘の感想を、楽しそうに百代は語る。

 

百代の対戦相手は、大剣を使う少女だった。分子振動による高周波を発生させ、物質を両断する剣を振るい百代を圧倒したが、太刀筋を見切られ、最後は百代の一撃で幕を閉じたという。

 

戦闘時間は5分程度。百代との戦いにしては、長い方である。

 

『そりゃよかった……ところで、姉さんはいつ戻るの?』

 

「もう少し中華街を歩き回ろうと思ってる。ああ、そうそう。ボルシチまんってのが売っててな、サーシャが好きそうだから買って――――」

 

瞬間、空が震えた気がした。

 

「――――!?」

 

黒い咆哮が、七浜の空に響き渡る。

 

そして百代の耳に聞こえてくる、嘆き、憎しみ、妬み、蔑み……様々な負の感情が、百代の身体を襲った。あまりの負の濃度に、吐き気さえ覚えるくらいに。

 

しかし、周囲の人間は何も感じてはおらず大通りを歩いている。感じたのは百代だけだった。

 

『うっ……ぐ……』

 

受話器の向こう側で聞こえる、大和の呻き声。大和もこの感覚を感じ取っていたのだろう。百代は大和に呼びかける。

 

「大和どうした。一体何があった!?」

 

『わ、分からない……急に吐き気が……』

 

「私も感じた。何なんだ、この禍々しい気は……けど、どこか懐かしさを感じる」

 

禍々しさの中に、まるで不純物のように入り混じった懐かしい感覚。何故だろう……それが思い出せない。

 

『この感覚……川神院の方角からだ……』

 

「川神院!?」

 

川神院……大和のその言葉に、百代は驚愕した。強大な気の強さに大和も感じ取れたのだろう。

 

川神院に何があったのだろうか。あそこには鉄心やルー、修行僧。そして……一子もいる。不安が一気に押し寄せ、百代はいても立ってもいられなかった。

 

「待ってろ大和、すぐに戻る!」

 

『ま、待って姉さ―――』

 

百代は一方的に電話を切り、持っていたお土産を放り出し、最寄駅へと駆け出した。

 

 

 

近くの駅に辿り着いた百代は、早速改札の入り口の中へ入る。しかし、中は大勢の人でごった返していた。駅員が中にいる人達を誘導し、何かを説明している。

 

『只今人身事故の影響で、運転を見合わせております――――』

 

駅の中でアナウンスが入る。電話は人身事故により、運転を停止していた。

 

「くそっ――――!」

 

こんな時に……百代は舌打ちをすると、踵を返して駅を後にする。

 

電車は使えない。タクシーを呼ぼうにも、持ち合わせが足りない。それならば、走るしか手立てはないだろう。

 

道路沿いを走り、百代は川神院を目指す。

 

 

少し時間はかかるかもしれないが、体力は十分にある。気がかりなのは川神院の安否だ。あの禍々しい気はただ事ではない。間違いなく何かが起こっていた。

 

しばらく走っていると、百代と並ぶようにバイクが道路を走っていた。するとバイクは急に加速し、角を曲がった所で百代の前に止まり、立ち塞がる。

 

バイクの乗り手はヘルメットを外し、その素顔を晒す。その正体は保険医の麗だった。

 

「乗って、百代ちゃん!」

 

麗はバイクの後ろに掛けられたヘルメットを百代に投げる。どうしてここに……と問う暇はない。百代は頷き、ヘルメットを被りバイクに跨る。

 

百代が麗の背中に捕まった事を確認すると、麗は再びバイクを発進させた。

 

 

 

――――その一方。サーシャ達も車を使い、川神院へと急いでいた。

 

「まずい事になりましたね」

 

ハンドルを握りながら、ユーリは目を細める。助手席にはサーシャ。後ろにはまふゆ、華。そしてカーチャ。

 

川神市から川神院で異変が起きているとの報告があり、連絡を受けたサーシャ達は途中で訪れていた七浜をすぐに出発した。

 

「俺のサーキットが異常な反応を示している……くそっ、目の前に手掛かりがあるというのに!」

 

サーシャは唇を噛んだ。サーシャの左耳に着いているイヤリングが、真っ赤に発光している。

 

サーシャ達も禍々しい気を感じ取っていた。イヤリングが反応している以上、元素回路が関っている事は明白である。

 

それも、現在地の七浜から反応しているという事は、それだけ強大な力があるという事だ。川神市に近づくにつれ、サーシャのイヤリングが大きく揺れ動き、発光がさらに強くなっていく。

 

「でも、あの感覚……どこかで感じた気がする。それも最近」

 

う~ん、と腕を組んで考えるまふゆ。まふゆもあの気の中に、何かを感じている。だが、思い出せなかった。

 

『~♪』

 

まふゆの携帯が鳴り出す。取り出して確認すると、画面には麗の名前があった。まふゆはすぐに電話を取る。

 

「もしもし、麗先生?」

 

『―――その声、まふゆか?私だ、百代だ!』

 

電話の相手は麗ではなく、百代だった。

 

「モモ先輩!?どうして……」

 

『今麗先生のバイクで川神院に向かってる!聞いてくれ、川神院の様子がおかしいんだ!』

 

焦燥しきった百代の声が電話を通して伝わってくる。百代も麗と共に向かっているらしい。

 

「私たちも今向かってます!鉄心さん達、無事だといいんだけど……」

 

『ああ……とにかく、川神院で落ち合おう。切るぞ!』

 

通話が途絶える。まふゆは携帯を閉じると、ユーリとサーシャが座る席の間に顔を出した。

 

「麗先生とモモ先輩も向かってるみたいです。ユーリさん、急いで!」

 

「ちょ……お、押すなよ織部!」

 

「ちょっとまふゆ、ただでさえ狭いのに――――!」

 

まふゆは身を乗り出した。同席していた華とカーチャともみくちゃになり車が揺れ動く。

 

「あまり揺らさないでくださいよ。それに……急いでいるのは私も同じです」

 

ユーリは車のアクセルを踏み、スピードをあげて走行する。

 

(鉄心さん……無事でいるといいのですが)

 

一抹の不安を抱え、ユーリは川神市へと車を加速させるのだった。



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17話「悲劇の爪跡」

嘆き、憎しみ、妬み、蔑み。

 

一子の闘気に宿る様々な感情が、黒い咆哮となって鉄心達を襲う。

 

それはまるで、負の重圧。鉄心達は避ける術もなく、その咆哮に飲み込まれた。

 

瞬間、一子の放った闘気が暴発し、道場全体に凄まじい爆発を起こす。爆風が巻き起こり、砂埃が周囲を覆った。

 

やがて爆風が収まり、砂埃が消えていき、次第に視界が鮮明になっていく。

 

「―――――」

 

そこには、身体が壁にめり込んだ鉄心の姿があった。その側にルーの身体も横たわっている。

 

3人は一子の星殺しの直撃を受けて重傷を負い、意識を失っていた。死んではいない。だが、2人の受けたダメージは深刻である。

 

「……はぁ、はぁ」

 

星殺しで相当の気力を使った一子は息を荒げ、鉄心達の倒れた姿を眺めていた。

 

川神院総代である鉄心と、師範代のルーを倒したという事実。一子にとって、それは大きな進歩であった。

 

これでまた、百代に近付いた。だが一子は笑わない。笑う必要がない。何故ならそれは、これもまた“小さな一歩”に過ぎないのだから。

 

(お姉さまの気だわ……)

 

百代の気を感じ取る一子。徐々に気配が大きくなり、川神院へ向かっているとすぐに理解した。

 

今の自分の置かれた状況を再確認する。鉄心とルー、そして修行僧達も意識を失っている。一子が倒したと悟られるのは、今の段階では都合が悪い。

 

隠れなければ……一子は気配を消し、野外道場から院内へと戻っていった。

 

 

 

「着いたわ」

 

七浜からバイクで直行した百代と麗は、ようやく川神院の前まで辿り着いた。正門には何人もの人集りが出来ていて、皆何事かと外から様子を伺っている。

 

百代と麗はヘルメットを外してバイクを降り、早速川神院の中へ入っていく。

 

「―――姉さん!」

 

「―――モモ先輩!」

 

途中で大和達と合流する。キャップや岳人達も川神院の異変を感じ取り、駆けつけていた。

 

「何があるか分からないわ。みんな気をつけて!」

 

麗と百代を先頭に、大和達は奥へと進み、異変が起きている野外道場で足を止める。

 

そこに広がっていたのは、想像を絶するような惨劇の光景だった。

 

「な……何だ、これは」

 

惨状を目の当たりにして、大和は言葉を失う。他のメンバーや麗も悪夢を見ているようで、むしろ夢ではないかと錯覚を覚えるくらいに。

 

修行僧達が、気を失って倒れている。道場の周囲も酷い有様で、まるで嵐にでもあったように荒れ果てていた。

 

「しっかりしてください!何があったんですか!?」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

倒れている修行僧達に駆け寄り、介抱する由紀江とキャップ。他のメンバーも修行僧達の介抱を始める。麗は携帯で病院に連絡し、救急車の手配を要請していた。

 

「…………」

 

この惨状に、何よりもショックを受けているのは百代だった。瞳孔を震わせ、言葉を失い、目の前で起きた現実を受け入れられずにいる。

 

自分の家が。大切な人達が。そして道場の奥に……鉄心とルーの無残な姿があった。

 

「じじぃっ!!!」

 

百代は一目散に鉄心とルーの所に駆け寄った。壁にめり込んだ鉄心の身体を剥がし、何度も鉄心やルーに呼びかける。

 

「しっかりしろじじぃ、ルー師範代!何があった!?」

 

「「―――――」」

 

何度呼びかけても、鉄心とルーが目を開き、意識を取り戻す事はなかった。死んではいないようだが……身体の傷からして、重傷である事は見て取れる。

 

鉄心は誰かと戦っていた……が、鉄心を負かせる人間はそうはいない。

 

だが、今の百代にとってはどうでもいい事だった。大事な家族を傷付けられ……百代は守れなかった悔しさと悲しみに打ち拉がれ、項垂れていた。

 

「モモ先輩――――!」

 

百代の背後から声がする。駆け寄ってきたのはまふゆとユーリだった。ユーリ達もたった今到着し、サーシャ、華、カーチャに別れて状況を確認している最中である。

 

だが百代は、まふゆの呼びかけに対して全く反応を示さない。身体を震わせ、気を失った鉄心の身体を、そっと横たわらせた。

 

百代の中の悲しみと悔しさが、次第に怒りへと変わっていく。鉄心やルー、そして修行僧達に手をかけた者への、抑えられない程の怒りが爆発する。

 

「……誰だ……一体誰がこんな事をした!?」

 

拳を地面に叩きつけ、百代は憤慨し、叫ぶ。やがて手をかけた者に対する殺意が芽生え始めた。

 

「くそ……くそ、くそくそ!!殺してやる!!出てこい!私が相手になってやる!」

 

百代の身体から闘気が溢れ出す。行き場のない怒りが、百代を復讐へと駆り立てていく。今にも暴走してしまいそうな程に。

 

「落ち着いてください、百代さん。今は鉄心さん達の救助を優先しましょう」

 

怒り狂う百代を、ユーリが制する。そのユーリの冷静な態度に、百代はさらに激情する。

 

「落ち着いてなんかいられるか!じじぃがやられたんだぞ!?川神院の修行僧達もだ!!」

 

今の百代は怒りで周りが見えていなかった。冷静さを失い、怒りに身を任せてしまっている。それだけ、鉄心達がかけがえのない存在なのだろう……自分の大切な家族なのだから。

 

「あれ……?」

 

ふと、まふゆは今になって気付く。もう一人、ここにいない人間……一子がいないという事に。

 

「そういえば、一子ちゃんは……!?」

 

一子がこの場所にいない。まふゆの言葉を聞き、百代の血の気が引いていく。冷静さが戻り、不安が百代の怒りを凍りつかせた。

 

この時間帯なら、一子は既に川神院へ戻っているはず。それなのに一子の姿がない。百代の不安が焦りへと変わる。

 

「そうだ……ワン子はどこだ……ワン子ーーーーー!!」

 

じっとしていられなくなった百代は、一子の名前を叫びながら院内へと駆け込んでいった。続いてまふゆとユーリも後を追う。

 

百代は虱潰しに部屋中を駆け回り、がむしゃらに部屋の中を探す。

 

あの部屋も、この部屋も、まるで見つからない。一つ一つ部屋を探す度に、不安と焦りがどんどん大きくなっていく。

 

そして、最後の部屋に差し掛かった―――一子の部屋である。ここにいなければ……百代は血眼になって一子の姿、気配を探る。

 

「―――――?」

 

すると、ガタ……と押し入れから僅かに物音が聞こえた。百代は押し入れに視線を向ける。

 

「ワン子……?」

 

そこにいるのか、と小さく呼びかける。返事はない。だが、僅かに気を感じる。恐る恐る襖に近づき、そっと手をかけた。

 

もし、中に潜んでいる人間が一子ではなく、川神院を襲った人物であったら……百代は迷う事なく拳を突き出しているだろう。もう自分を抑えられる自信がない。

 

しかし、一子であって欲しいという希望もある。どちらが出るか――――百代は勢いよく、押し入れの襖を開けた。

 

「ひっ……!」

 

小さく悲鳴が上がる。中にいたのは一子だった。小さく座り込み、頭を両手で覆いながら蹲るようにして震えている。

 

「ワン、子………」

 

一子は無事であった。一子の姿を見て安堵し、力が抜け落ちて膝をつく百代。すると、百代の声に反応した一子が顔を上げる。

 

「お姉………さま?」

 

震えた声で、百代を見上げる一子。百代の瞳に涙が浮かび、ああと頷いて、一子の身体を引き寄せ抱き締めた。一子も百代にしがみついて泣き叫ぶ。

 

「お姉さま……ごめんなさい、アタシ、何もできなかった……!」

 

「いい……いいんだワン子。お前だけでも、無事でよかった……!」

 

震える一子の頭を、優しく撫でる百代。よっぽど怖い思いをしたのだろう……一子の身体の震えがひしひしと伝わってくるのが分かる。

 

「じーちゃんが急に、危ないから隠れてなさいって……そしたら……じーちゃんとみんなが倒れてて、アタシ、怖くなって……」

 

「もう何も考えるな……お前は休め。後は私が何とかする」

 

よく頑張ったな、と百代。二度と離れる事のないよう、一子の身体をずっと抱き締め続けていた。

 

しばらくして、追いついてきたまふゆとユーリが一子の部屋を訪れる。

 

「……!!よかった、一子ちゃんが無事で……」

 

安堵の息を漏らすまふゆ。ユーリも一子の無事を確認すると、部屋を後にして左耳に装着したインカムのスイッチに手をかけた。

 

「――――サーシャ君、聞こえますか?一子さんの無事を確認しました。そちらの状況は?」

 

サーシャに連絡を入れ、応答を待つユーリ。返事は直ぐに返ってきた。

 

『―――たった今、負傷者全員の搬送を確認した』

 

「ご苦労様です。では、引き続き調査を行って下さい。それともう一つお願いがあります」

 

『なんだ?』

 

「野外道場に武器の傷跡がないか、念入りに調べてもらえますか?」

 

『傷跡?』

 

そんなものを調べて何になるのか……そのサーシャの疑問に対し、ユーリはさらに続ける。

 

「院内の武器置き場が、何者かによって荒された形跡がありました」

 

百代の後を追う最中、武器置き場に目を止めたユーリは中へと入り、現場を確認したという。

 

「少し調べてみたのですが……“ある武器”だけがありませんでした」

 

ある武器が、武器置き場から消えていた……ユーリはその武器の詳細をサーシャに告げる。

 

「彼女も注視しつつ、調査を進めてください」

 

と、再び命を下すユーリ。サーシャはしばらく無言だったが、

 

да(了解)

 

そう言って、ユーリとの通信を切るのだった。



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サブエピソード14「手掛かり」

川神院での一件から数時間後。

 

サーシャはユーリの指示通り、野外道場周辺の調査を行っていた。

 

壁や地面にできた傷の痕跡を、念入りに調べ上げ、手掛かりになるものを探している。

 

武器置場が破壊され、ある武器が中から持ち出されていた。ユーリの推理が正しければ、不確定要素ではあるが犯人は特定できる。

 

後は本人から聞き出す他ない……話してくれればの話だが。

 

「………?」

 

ふと、サーシャは壁につけられた傷跡に目が留まる。まだ真新しく、ついたのはつい最近……いや、“ついさっき”と言った方が表現が正しいか。

 

それは、鋭利な刃物で深く斬り込まれたような傷跡だった。このまま斬り込めば壁は真っ二つに斬られてしまっただろう。相当な斬れ味である。

 

それも“丹念に洗練されて手入れされて”いなけば、ここまでの斬れ味は出ない。サーシャはその傷口を指でなぞった。

 

(この傷の形……やはりそうか)

 

サーシャは確信する。ユーリの調べた通りだった。この傷跡はあの武器の形状と一致する。

 

「サーシャ、何か見つかった?」

 

院内からまふゆが戻ってくる。すると、サーシャは調べた傷跡をまふゆに指し示す。

 

「これを見ろ」

 

「見ろって……傷跡?」

 

「ああ。それもついたのは最近だ……この傷跡、何の武器で傷付けられたか分かるか?」

 

サーシャの問いに“そんなの専門家じゃないから分かるわけないでしょー”とまふゆは頬を少し膨らませた。それに、一体何の関係があるというのか……サーシャは静かに答える。

 

「薙刀だ」

 

「薙刀……?ああ、一子ちゃんがいつも使ってるやつね」

 

「そうだ。刃渡り、斬り込み具合……間違いない」

 

サーシャが言うのだから、間違いはないだろう。だが、薙刀だから一体何だと言うのか……まふゆは腕を組み思案する。

 

「サーシャ……もしかして、一子ちゃんを疑ってるの?」

 

まさか、一子を疑っているのだろうか……幾らなんでも安易過ぎる。それに、一子は短い付き合いだが、こんな事をするような人間だとは思えない。

 

その疑問に答えるように、サーシャは続ける。

 

「ユーリから武器置き場が破壊されたのは聞いているだろう?」

 

「え……うん。知ってるけど、でもだからって――――」

 

「武器置き場は、川神院の人間と今回の一件の関係者しか知らない筈だ」

 

武器置き場はレプリカと本物も保管している為か、知っている人間は一部。仮に部外者が侵入したとしても、武器置き場まではすぐに辿り着けない。

 

その前に修行僧に捕まるか、もしくは何らかの形で外に異変が漏れているはずだ。それにも関わらず、外には漏れていない。修行僧達も抵抗した跡はなかった。

 

「修行僧達は抵抗しなかった……いや、出来なかったんだ」

 

サーシャは目を細める。川神院を襲った相手は修行僧達にとって馴染みのある人物であり、また同じ家族のような人物であったからだ。

 

そんな人間が、自分の私利私欲の為に奇襲をかけるなど夢にも思わなかっただろう。

 

だからこそ、彼らは“抵抗を許されなかった”のである。

 

「じゃあ、まさか本当に……」

 

まふゆは信じられず、動揺を隠せない。

 

「ああ………川神院を襲ったのは――――一子だ」

 

それが、サーシャがこれまでの推理を纏めて導き出した結論であった。

 

もちろん、理由はそれだけではない。島津寮以来、一子が突然異常に強くなったという事。そして反応したイヤリングの事。

 

それはつまり、一子自身が元素回路に関わっている可能性を意味していた。まだ推測の段階だが、今までの出来事を整理すると、全てが一致する。

 

しばらくしてサーシャは一通り調べ終えると、まふゆに向き直った。

 

「まふゆ、一子から目を離すな。今のあいつは何をするか分からない」

 

「う、うん……分かった」

 

まふゆは未だに納得していないような顔をしていたが、渋々と頷くのだった。

 

 

“何か”が起ころうとしている……この川神市に潜む闇が、確かに動き出そうとしていた。



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サブエピソード15「女王様と心2」

夏休み前半。今日は川神学園の登校日である。

 

皆それぞれ、夏休みを満喫していた。旅行や部活、海水浴……過ごし方は様々で、どのクラスもそんな話題が殆どである。

 

そんな中、Sクラスに不機嫌な態度で教室にいる生徒が1人。

 

そう、心である。心は自分の席へ座り、小指でトントンと机を叩きながら過ごしていた。しかも、珍しく今日は着物ではない。川神学園の制服を着用している。

 

「おや。不死川さん、今日は制服ですか?珍しいですね」

 

話しかけてきたのは冬馬であった。どういう心境の変化ですかと尋ねると、

 

「こ、此方の気分じゃ。たまには制服も良いなと思っての………ほ、ほっほっほ」

 

心はそう言って笑うのだった。笑うと言うよりはもう苦笑いに近い。

 

「そうでしたか……制服姿の不死川さんも、かわいいですよ」

 

と、冬馬はニッコリと笑って心の前から去っていった。

 

「………」

 

好きで着ている訳ではない。心は自分の制服姿にうんざりしながら、溜息をつく。

 

心が制服を着ている理由……それは数日前の出来事がきっかけである。

 

 

 

 

数日前、不死川邸。

 

カーチャが心の部屋に過ごす事になってからというもの、心の予想していた通り、カーチャの天下となっていた。

 

心は夜な夜なアナスタシアに縛られ、服を脱がされては鞭打ちの毎日である。

 

そしてこの日の夜も、地獄の夜が始まっていた。

 

「あっ!?痛いっ、痛い!痛いのじゃ!?」

 

アナスタシアによって身体を逆さ吊りにされた心は、銅線による鞭打ちを受けている。しかも、お尻を集中的に。

 

その滑稽な光景を優雅に、かつ愉しそうにカーチャは眺めていた。ふふ、と笑みをこぼしながら心に近づき、心の頬を指で撫で回す。

 

「随分いい目になってきたじゃない。やっぱり私の見込んだ通りね」

 

「こ……こんな事をしていられるのも今の内じゃ!ただで済むと思――――」

 

瞬間、カーチャは文句を垂れる心の頬を抓り上げた。

 

「口の聞き方」

 

「い……いらい、いらい。もうひわへ、ふぉさいまふぇんれひた……ひょおうひゃま」

 

涙目で訴える心。カーチャの前では敬語を使わなければならない。何で自分がこのような事を……と思うが、逆らえば更なるお仕置きが待っている。もう服従するしかなかった。

 

カーチャはそれでいいのよ、と心の頬から手を離す。

 

「うぅ……痛いものは痛いのじ……いえ、痛いのです」

 

もうやめてくれと、懇願する心。アナスタシアに叩かれる毎日は、耐えられない。しかし、そんな用件を軽々しく呑むようなカーチャではなかった。

 

「嘘ね。本当は叩かれて感じてるんでしょ?この変態」

 

「なっ……ち、ちが……」

 

ない。そんな事は断じてあり得ないと、心は首を横に振って否定する。

 

「――――ママ」

 

カーチャは指をパチンと鳴らす。すると、心の身体を縛っていたアナスタシアの銅線が解け、心は床へと落下する。

 

「いたた……」

 

ようやくアナスタシアから解放された心。お尻を摩りながら、助かった……と安堵する。同時に、切なさも感じていた。

 

(……!?な、何故此方がこのような気持ちに……)

 

心は激しく動揺した。この理不尽な境遇に切なさを感じるなどと……高貴な身分である自分に限って断じてある筈がない。

 

カーチャはそんな心を見て、くすくすと笑っていた。隠れていた心の本質を引き出し、徐々に従順になっていく瞬間こそが、カーチャにとって極上の快楽である。

 

「そろそろお前の聖乳(ソーマ)が欲しいわ」

 

カーチャは心の着物に手をかける。また脱がすつもりだ……心はひい、と叫び声を上げた。

 

聖乳……最初は意味がわからなかったが、用するに“乳を吸う”という事である。

 

叩かれては何度も吸われ続け、もう聖乳と聞いただけで身体が震え出すくらい、心には大きなトラウマとなっていた。

 

「ま、待つのじゃ!こ、こここ此方の心の、準備が……」

 

心は胸元を両手で覆い隠す。しかしカーチャはそういう態度を取るのね、とポケットから例の写真(心の凌辱セレクション)を見せつけた。それを出されては、従うしかない。

 

「うぅ………」

 

心は泣く泣く着物を脱ぎ、自分の胸をカーチャに差し出した。カーチャは心の小さな胸を散々弄んだ後、ゆっくりと口を近づける。

 

「―――――んっ!!」

 

自分の胸に、カーチャの唇が触れるのを感じ取る。身体を強張らせながら、心はこの時間が終わるまで必死に耐え続けた。

 

 

――――――――。

 

 

カーチャの聖乳タイムが終わり、心はぐったりとした表情で腰を落としていた。まるで魂ごと胸を吸われたように、放心している。

 

「…………」

 

カーチャが滞在し続けている限りこの夜が終わる事はない。心は正直、疲れ切っていた。

 

しかし何故だろう。この“非日常”に満たされていると感じている自分がいる。

 

「――――心、明日から制服を着なさい」

 

カーチャの声に、放心していた心はようやく我に返る。

 

「………え?」

 

「学園の制服で登校しなさいって言ってるのよ」

 

「――――――」

 

制服を着用するというカーチャの提案。それは、断固としてできない相談だった。

 

学園に多額の金を払い、着物の着用を許されている心にとって、庶民と同じような服を着るなど耐えられる筈もない。

 

「な……何故じゃ!何故此方が制服を――――」

 

「言葉遣い」

 

「う……な、何故、制服を着なければならないのでしょうか?」

 

「決まってるでしょ。制服の方が脱がしやすいからよ」

 

何とも無茶苦茶な理由だった。心が着物を着ていると脱がしにくい、ただそれだけである。

 

制服を着れば庶民と同じような目で見られてしまう。不死川家としての威厳が損なわれる気がしてならなかった。流石の心も反論を始める。

 

「いや……嫌です。それだけはやめて欲しいのじゃ」

 

「主人が着なさいって言ってるのよ。言う事が聞けないの?」

 

「こ、此方は……制服を着る事だけは絶対に嫌なのじゃ!」

 

今まで散々カーチャにいいようにされてきたが、これだけは譲れない。心はぶるぶると身を震わせながら、カーチャを睨み付けた。

 

「………そう、よく分かったわ」

 

するとカーチャは何を思ったのか、ポケットから全ての写真を取り出す。まさかばら撒くつもりかと心は思ったが、カーチャの取った行動は意外なものだった。

 

「これはもう必要ないわね」

 

カーチャはその写真を、心の前に放り投げる。

 

「ど………どういうつもりじゃ?」

 

「出ていくのよ。もう“何もしてあげない”し、指一本触れない。蔑む言葉もかけないわ」

 

強情な心に興味を失い、スーツケースを持って心の部屋から出て行こうとするカーチャ。心はただその姿をただ呆然と眺めている。

 

「さようなら、心」

 

「あ……あ……」

 

カーチャが自分の前から消えていく。もうお仕置きをされなくて済むのに……これ以上、カーチャの写真に怯えなくて済む筈なのに。

 

それなのにおかしい。どうしてこんなにも――――、

 

「ま――――待って、ください」

 

カーチャに対して、切ない思いをしてしまうのだろう。

 

「なに?」

 

カーチャが足を止め心に振り返る。心は顔を真っ赤にしながら、カーチャに訴えかけた。

 

「……こ、に……て下さい」

 

「聞こえないわ」

 

「………ここに、いて、下さい」

 

自分でもよく分からない。何故こんな事を言ってしまったのだろう。心は自分のプライドを投げ捨て、カーチャに懇願していた。

 

その姿を見て、カーチャはニヤリと笑う。まるでこうなる事を予想していたように。

 

「……頼み方が違うでしょ?私、頭の悪い子は嫌いよ」

 

「う……こ、ここに、此方を置いてください……カーチャ様」

 

心が初めて、カーチャに服従した瞬間だった。カーチャは満足したのか心に歩み寄り、心の顎を手で持ち上げる。

 

「そうよ、分かってるじゃない。じゃあ私の言う事、ちゃんと聞けるわね?心」

 

制服を着て学園に登校する事……もう一度心に命令するカーチャ。心はゆっくりと頷いた。

 

「はい……明日から制服を着ていきます……女王様」

 

 

 

――――――。

 

 

 

こんな経緯があり、心は今日から制服で登校する事になった。今思えば、あの時の自分に一言馬鹿と言ってやりたい。

 

「…………」

 

周囲の視線が気になる。制服で来ている……それだけで馬鹿にされているような気がして、心の苛立ちは徐々に増していった。

 

「――――――へえ、そうなんだ!」

 

「――――――でね、アタシは……」

 

隣のFクラスからやたらと五月蝿い声が、自分のクラスに響く。忌々しい……心はギリギリと奥歯を噛み締めた。

 

(何故じゃ……何故此方がこのような不愉快な思いをしなくてはならないのじゃ!)

 

苛立ちが募っていく。思えばサーシャがやってきてから不幸が続いている。

 

サーシャには負け、カーチャには弄ばれ、周りには馬鹿にされ……不運続きの日々。不死川の人間である自分が、こんな思いをするのは理不尽でならない。

 

「―――――!」

 

とうとう怒りが爆発した心は机を勢いよく叩くと同時に、席から立ち上がった。周囲のクラスメイト達の視線が集まる。

 

(こうなったのも全部……全部あいつらのせいじゃ……!)

 

許せない。教室をズカズカと歩いて出て行く心。

 

その怒りの矛先は当然……Fクラスへと向けられていた。



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18話「宣戦布告」

川神学園、夏休み登校日。

 

Fクラスでも夏休みの話題で盛り上がっていた。

 

「あたい、この夏休みでぜってーイケメンゲットする!」

 

「あはは、無理よ無理!」

 

千花と黒子は相変わらず恋の話に花を咲かせている。

 

「スグル。8月の夏コミ、◯◯のキャラの抱き枕が出るよね」

 

「即買いだ。早急に並ばないと完売確実だからな。殺してでも奪い取るぞ」

 

「あはは、気合入ってるね」

 

卓也とスグルは、8月に開催される夏コミの話に夢中だった。

 

そんな夏休みを満喫している話の中で、サーシャ、まふゆ、華は3人で集まり、クラスメイトと話している一子を観察していた。

 

特に変わった様子はない。普通に、いつものメンバーと楽しく会話をしている。

 

「特にいつもと変わんねぇな」

 

華は腕を組み、一子の様子を伺っている。華から見れば、別段異変は感じない。いつも通り、一子は活き活きとしていた。

 

「……ううん、変だよ」

 

そんな華に対し、まふゆは変だと言う。まふゆは一子にある違和感を感じていた。

 

確かに一子は元気そのものである。変わらずに明るく話をしていた。

 

そう――――“いつもと変わらず”に。

 

鉄心やルー達が襲われてから数日が経つ。にも関わらず、一子は暗い表情を全く見せていない。まるで、何事もなかったかのように。

 

もっと悲しみ、落ち込んでもいい筈なのに……あまりにも明るすぎる。空元気にしても妙である。それでも一子は笑っていた。それも気味が悪い程に。

 

「やっぱり織部さん達もそう思うか」

 

サーシャ達の前にやってきたのは、大和とキャップだった。大和とキャップも、一子の異変に気付いていたらしい。

 

「ワン子のヤツ、どうもおかしいんだよな。元気すぎるっつーか……」

 

キャップは頭をボリボリと描きながら、一子の様子を懸念する。

 

もちろん、大和とキャップだけではない。クリスや京、卓也と岳人もクラスメイトと話しつつ、一子の様子を気にしている。

 

長い付き合いだ……仲間の事は大和達が一番よく分かっていた。

 

「………」

 

すると、黙っていたサーシャが席から立ち上がる。

 

「サーシャ?」

 

「面倒だ。直接聞く」

 

「えっ!?ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

まふゆの制止も振り切り、サーシャは一子の前へと進んでいく。大和、キャップ、まふゆ、華も続いてサーシャの後を追った。

 

「へえ、そうなんだ!」

 

「でね、アタシは……」

 

「おい、一子」

 

サーシャは、クラスメイトと話している一子に声をかける。

 

「え、何?サーシャ」

 

「お前に聞きたい事がある」

 

サーシャは冷たく、鋭く光る碧色の瞳で一子を睨み付けた。一子の表情が思わず強張る。

 

「あ……えっと、アタシ何か悪い事した?」

 

サーシャに何かをした覚えはない。何故あんな怖い顔をしているのだろう……一子には分からなかった。サーシャは静かに答える。

 

「俺と来い。話はそれか――――」

 

「――――いつもいつも、ぎゃーぎゃーと五月蝿いのじゃ!」

 

怒鳴り声と共に教室の扉が開かれる。やってきたのは心だった。こんな時にタイミングの悪い……サーシャは溜息をつく。

 

突然の心の乱入に、クラス中からブーイングの嵐が吹き荒れるとともに、心の制服姿に誰もがツッコミを入れた。だが心には関係ない。教室の中を進み、怒りを爆発させる。

 

「お前たちが騒ぐと、迷惑なのじゃ!隣にいるこっちの身にもならぬか山猿ども!」

 

自分の不運を嘆き、それを不満と共ににぶちまける心。一子はそれをアタシに言われてもなぁと困った表情を浮かべる。

 

Fクラスのブーイングがさらに大きくなっていく。すると心はクラスの生徒全員を睨みつけ、

 

「ええい、五月蠅い黙らぬか!!!」

 

声が潰れるくらい全力で叫んだ。ブーイングが消え、一気に静まり返る。

 

「身の程を弁えよ愚か者ども!此方は不死川家の息女。此方が一声かければ、お前たちを退学にさせる事ぐらいわけないのじゃ!」

 

不死川家という権力を使い、生徒達を黙らせる心。自分は不死川家の人間。これこそ、本来あるべき自分の姿なのだと体感する。

 

Fクラスの生徒達は反発はしないものの、敵意の視線を送っていた。

 

(……ほっほっほ、此方が本気を出せばざっとこんなものじゃ)

 

今まで溜め込んでいた鬱憤が晴れていく。Fクラスの生徒達が黙っているのを見て心は気を良くしたのか、嫌味にさらに拍車がかかる。

 

「此方とお前たちと何が違うか分かるか?それは“格”じゃ。所詮は無能の集まり。無能は無能らしく、大人しくしていれば良いのじゃ」

 

心は言うだけ言って、すかっとした表情で教室から立ち去ろうと踵を返す。これだけ言えば、しばらくは大人しくなるだろう。

 

そもそも、これは殆ど八つ当たりのようなものなのだが。

 

「―――――待ちなさいよ」

 

ふと、静かな怒りを込めた低い声が心を呼び止める。心はやれやれまだやるか……と不憫に思いながら、背後を振り返った。

 

「なんじゃ、まだやる気か?懲りないやつじ――――」

 

振り返った瞬間、まるで突き刺さるようなその視線が心の身体を凍てつかせた。その視線は一子からだった。一子は鋭く冷たい視線を、敵意と共にに向けている。

 

こいつもこんな目をするのか……心は一子の豹変に驚いていた。

 

もちろん、心だけではない。一子の周囲にいた生徒達も、まるで別人ではないかと思う程に驚きを隠せないでいた。

 

一子は詰め寄るように心に一歩近づき、口を開く。

 

「“無能”って、言ったわね?」

 

「……そ、それがどうしたというのじゃ?無能を無能と言って、何が悪いのじゃ!!」

 

心の反論に対し一子は睨みつけたまま、何も言い返さない。すると、一子は突然ポケットからバッジを取り出し、心の前に突き付けた。

 

決闘。心に対する挑戦状である。

 

「決闘よ、不死川心。今すぐアタシと勝負しなさい」

 

一子は表情を変えないまま、心に決闘を申し込んだ。だが心は、何を言い出すかと思えばと扇子を広げ、口元を覆いながら笑う。

 

「ふん、此方と決闘?やめておけ。お前が恥をかいて、惨めな思いをするだけじゃ」

 

勝てるわけがないと、心は声高らかに笑い出す。しかし一子は挑発に眉一つ動かさず、まるで心を小馬鹿にするようにクスリと笑う。

 

「何よ、怖いの?世間知らずの箱入りお嬢様」

 

「な……!?」

 

挑発をする筈が逆に挑発を受け、激情して一子を睨み付ける心。こうなっては心も黙ってはいられず、ポケットからバッジを出し机に叩きつけた。

 

「……そんなに恥をかきたいのなら、望み通りにしてやるのじゃ!」

 

心は決闘を受諾した。一子もバッジを心のバッジに重ねる。

 

一子と心の決闘……周囲が騒然となった。

 

「すぐに始めるわ。校庭へ来なさい」

 

一子と心はそのまま、教室を出て校庭へと向かう。

 

「ワン子、急にどうしちゃったんだろう……」

 

「あんな一子さん始めて見たよ」

 

「ちょっと怖いかも……」

 

皆一子の変わり様に戸惑いながらも、決闘見たさに一斉に教室を出た。決闘の情報はあっという間に広まり、全学年の生徒達が校庭に集まり始めていた。

 

「俺たちも行くぞ」

 

サーシャ達も校庭へ向かう。何かが起こるという、胸騒ぎを抱えながら。



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19話「牙を剥く者」

校庭にギャラリーが集まり、その中央で一子と心が向き合っていた。

 

「ほっほっほ。皆の前で辱めてやるのじゃ!」

 

心は自身に満ちた表情で、一子を見下している。

 

一子の力量は把握済みであった。川神の人間であっても、血の繋がりはない。養子である事も知っている。規格外の戦闘力を持たない、一般クラスの人間だ。

 

それならば自分の柔術のレベルが確実に上である……実力も才能も、心は確信していた。

 

一子は、決闘を前に燃え上がっている――――と、一子を知る人間ならば誰もがそう思うだろう。

 

「…………」

 

だが、今の一子にその闘志は感じられなかった。ただ静かに決闘の時を待っている。

 

周囲にいるギャラリーがエールを送る中、梅子が立会いの為、一子達の前へとやってきた。

 

「今日は学長が不在の為、この決闘は私が代理で立会わせてもらう」

 

梅子は向かい合う2人を見て、決闘の準備はいいか?と視線で合図を送る。2人は頷き、問題がない事を梅子に伝えた。

 

学長は未だ意識が戻らない。こんな時に決闘などしている場合かと、ふと思う梅子だったが、規則は守らなければならない。梅子は早速、決闘の儀を執り行う。

 

「2人ともへ出て名乗りを上げよ!」

 

梅子の合図に合わせて、両者一歩前へと出る。

 

「――――2-S組、不死川心!」

 

「――――2-F組、川神一子」

 

心は構え、一子は薙刀を持って静かに切っ先を向けた。戦闘体勢に入った事を確認した梅子は、早速決闘の合図を告げる。

 

「いざ尋常に――――はじめっ!」

 

梅子の合図と同時に、両者の激突が始まった。

 

「――――川神流奥義・蛇屠り!」

 

先手は一子。薙刀で心の足元を狙い、狩り取るように鋭い一撃を繰り出す。しかし、心は見え見えだと言わんばかりに攻撃を躱し、一子の右腕を掴み取る。

 

「投げ飛ばしてやるのじゃ!」

 

掴んだ右腕を引っ張り、一子の身体を勢いよく背負い投げた。だが一子は空中で体勢を立て直し、地面に着地する。

 

「休む暇は与えぬぞ!」

 

心の追い討ちが一子を襲う。一子に反撃する暇も与えない程の、隙のない攻め手であった。捕まれば関節技が来るだろう……一子は避けるのに精一杯で、徐々に後ろへと押されていく。

 

「そら、どうした!?逃げてばかりでは張り合いがないぞ!」

 

「くっ―――!?」

 

自分のペースを掴んだ心は余裕の笑みすら浮かべ、一子を窮地へと追い詰めていく。一子は未だ反撃出来ず、心の攻撃を避けるばかりである。

 

その試合を見守っている大和達は、押されている一子の様子を心配して見ていた。

 

 

「犬のやつ、随分と押されているな……」

 

「うん、正直まずい展開だね」

 

と、クリスと京。卓也や岳人達も同じ思いだった。このままでは、一子が押し負けてしまうのは目に見えている。

 

しかし、そんな中でサーシャは腕を組み、一子の戦いぶりを冷静に観戦していた。

 

(違う……押されているんじゃない)

 

何かが違う……戦ってきた戦士としてのサーシャの勘が、そう告げている。

 

(あいつ、対戦相手を“弄んでいる”)

 

それが、サーシャの導き出した回答だった。一子は劣勢しているように見えるが、実は違う。逆に心を、まるで子供を相手にするかのように弄んでいたのである。

 

他の人間の目を誤魔化せても、サーシャの目にはそう写っていた。

 

 

「ほっほっほ、逃げてばかりで芸がないのう」

 

永遠と避け続ける一子を挑発しながら、心は笑う。一子は身動きが取れず、とてもではないが反撃できるような状況ではなかった。

 

「――――っ!!」

 

一子の動きが徐々に鈍っていく。これでは捕まるのも時間の問題。一子のスタミナが切れるのを待つばかりである。

 

「やはり所詮は山猿。此方に一矢報いる事も出来ぬ、無能でしかないのじゃ!」

 

「――――――」

 

心が一子に腕を伸ばそうとしたその時、それは起こった。

 

「――――!?」

 

心の動きが止まる。否、正確には止められていた。心の伸ばした腕が、逆に一子によって捕らえられていたのである。

 

周囲のギャラリーも、まさかの形成逆転に騒然となっていた。

 

「また、無能って言ったわね」

 

一子は怒りを込めた鋭い眼光で睨みつけながら、掴んだ心の手首をギリギリと締め上げる。心は痛みに耐え、腕を振り解こうとするが……できない。

 

「――――アタシは、」

 

手首を締める力が強くなる。今にも潰してしまいそうな程に。血の巡りをせき止められ、心の手が徐々に白くなっていく。

 

「――――その言葉が、一番嫌いなのよ!」

 

一子は空いている腕に力を込め、強烈な正拳を心の身体に打ち込んだ。一子の拳は心の腹部にめり込み、内臓を抉り取るような一撃を与える。

 

「か――――はっ!?」

 

衝撃で胃液が逆流した。心は咽せながら打たれた腹を押さえ、地面に崩れ落ちそうになる。

 

「休む暇なんかないわよ!」

 

一子は皮肉めいた言葉を心に差し向けながら、さらなる追撃を始めた。殴りと蹴りを連発し、心の体力を削っていく。

 

 

心は防御する余裕もなく、ただ攻撃を浴び続けていた。それはもはや決闘ではなく、一方的な暴力にしか見えない。

 

 

 

一方、それを見ている百代は。

 

「―――――」

 

一子の戦いを、ただ黙って見守っていた。

 

 

動きといい、スピードといい、確かに一子の言っていた通り、驚異的な成長を遂げている。このままいけば、師範代クラスにまで上り詰める事ができるだろう。

 

だが同時に、百代は気付いてしまった。できる事なら気付きたくなかった事実に。

 

 

 

一子の攻撃は止まない。まるで機械のように、無表情のまま繰り返し打撃を入れ続けている。

 

このままでは殺されてしまう……心の本能がそう叫んでいた。

 

「ま、待て……待つのじゃ。此方は、不死川家……これ以上危害を加えれば……」

 

自らの危険を感じ取った心は、残る力を振り絞り一子に言った。それはもはや降参の合図だった。心は負けましたと言いたくないが故に、回りくどい言い回しをしている。

 

すると一子はあっさりと攻撃を止めて、心と距離を取った。

 

「そう、わかった」

 

「わ……分かれば、よいのじゃ」

 

一子の攻撃が止むと、心はほっと胸を撫で下ろした。だが次の瞬間、

 

「――――ぐっ!?」

 

心の身体に、強い衝撃が走った。まるで鈍器に殴りかかられたような衝撃だった。心の身体が勢いよく吹き飛んでいく。

 

「―――――」

 

一子は攻撃を止めたと思わせ、追撃で鋭い蹴りの一撃を放っていた。

 

「い、た……」

 

心は力なく地面に横たわっていた。制服も砂埃で汚れ、身も心もボロボロである。辛うじて蹴りを防いだ左腕に激しい痛みを訴えながら、右手で優しく摩った。

 

「――――え」

 

ふと、違和感を感じる心。痛む左腕に触れた瞬間、変な方向へ屈折している事に気づいた。

 

左腕の骨が、ぽっきりと折れ曲がっている。目で確認してようやく認識した。折れたと知った心は次第に痛みが増し、さらに恐怖が思考を支配する。

 

「うっ……うぅ……ぐすっ……」

 

痛みと恐怖で涙が止まらなくなり、ついに戦意を喪失した。梅子は心に戦う意思がないと判断すると、一子の勝利を高らかに告げた。

 

「勝者、川神かず―――――?」

 

決闘が終わり、梅子が一子の勝利を宣言しようとした時だった。一子は倒れ伏せている心に、ゆっくりと歩み寄る。

 

「―――――」

 

心を見下ろす一子の姿は、どこか冷め切っていた。自分が勝ったという事実など、どうでもいいように、つまらないという顔をしている。

 

何をする気だろうか……すると一子は動けない心に対し、

 

「―――――うっ!?」

 

心の頭を、右足で思いっきり踏み付けた。一子の思いも寄らない行動に梅子が、大和達が、そして周囲の生徒達が驚愕する。

 

一子は地面に押し付けるように、体重をかけて心の頭をぐりぐりと踏みにじった。そしてその冷め切った表情のままで口を開く。

 

「地面に這いつくばる気分はどう?」

 

「い、いたぃ……やめ……」

 

啜り泣き、一子に許しを乞う心。もはや自分が受けている屈辱など、もうどうでもよかった。痛い、助けて欲しい……身も心も潰れかけ、立ち上がれない程に弱りきっている。

 

「やめろ川神!!もう勝負はついた!!」

 

梅子が怒鳴るように声を上げた。しかし、一子はやめるどころか梅子を睨みつけ、敵意を露わにしながら反抗する。

 

「うるさい!!先生は黙っててよ!!」

 

「なっ――――!?」

 

今まで見た事のない一子の殺気立った態度に、思わず梅子は言葉を失った。

 

一体一子に何があったのだろう……審判を無視してまで反抗する事は今までになかった。

 

 

一子は心に視線を戻し、汚いものでも見るかのように見下ろしている。

 

「アタシが無能なら、アンタはクズよ。何が不死川家よ、何が格よ。一人じゃ何もできないくせに。結局は名前だけじゃない」

 

「うっ……うぇぇ……う……」

 

無能と言われ、自分の怨嗟を吐き捨てながら、一子心の頭に足を擦り付けた。

 

――――いつもなら泣いて”覚えておれー”とヘタレっぷりを見せる心。しかし、今の心は本気で泣いている。ここにいる生徒達の誰もがそう思った。

 

すると生徒達を掻き分け、大和達と、忠勝までもが一子の所へとやってくる。

 

「ちょっとやり過ぎじゃねぇのか、ワン子」

 

「一子、勝負はお前の勝ちだ。もう十分だろ」

 

いつになく、キャップの表情が真剣だった。忠勝も、大和も、京やクリス達も……一子のしている事に度が過ぎていると感じている。

 

何があったのかは分からないが、キャップ達の言う事なら一子も少しは冷静になるだろう。

 

しかし、一子が大和達に対して言い放った言葉は、

 

「邪魔しないで」

 

氷のように冷たい一言だった。ファミリー一同、一子の態度に絶句する。まるで別人だった。だがそれで引き下がる大和達ではない。

 

「……か、一子さん。わわわ、私ごときがでしゃばるのも大変恐縮に思うのですが、これ以上は不死川さんが可哀想です。ですから、もう……」

 

『そうだぜ。敗者を辱めるのは勝者のすることじゃねぇよ、一子さん』

 

手の平に松風を乗せた由紀江が、一子の前へ出てくる。

 

由紀江も一子の知らない一面に少し狼狽えていたが、同じファミリーとして、仲間として言わなければならない……そう思った。

 

そんな由紀江に対し何を思ったのか、心から離れ、由紀江に歩み寄る。

 

そして一子は由紀江の手の平の松風を、

 

「――――え」

 

片手で払いのけるようにして弾き飛ばした。一子は激情する。

 

「“私ごときが”……?馬鹿にしてるの!?」

 

「え……あ、私は……」

 

「アンタいっつもそうだよね!?何よ、楽しい?そうやって、下手に出て人を見下すのがそんなに楽しい!?ムカつくのよ、そういうの!!」

 

詰め寄るように、由紀江を責め立てる一子。由紀江はとうとう何も言えなくなり、その場で泣き崩れてしまった。それがさらに一子の激情を煽る。

 

「この、泣けばいいと思っ――――」

 

「やめないか、犬!」

 

仲裁に入るクリス。一子はクリスを睨みつけ、どきなさいよと目で訴えていた。

 

その目は黒く淀み、憎しみの色に染まっている……クリスにはそう見えた。ここにいる一子は、本当に一子なのだろうか――――そう錯覚する程に。

 

「――――――ワン子」

 

周囲のギャラリーがさっと退いていく。その奥から、百代が歩み寄ってきた。すると一子の態度が変わり、ニッコリと笑って百代に向かって走っていく。

 

「お姉さま!今の戦い見てた?すごいでしょ、アタシすっごく強くなったよ!」

 

「―――――」

 

一子の話を、百代はただ黙って聞いている。一子は百代に認められたいという、その一心で見せたかったのだ……自分が強くなった姿を。

 

するとしばらくして、今まで黙っていた百代がようやく口を開いた。

 

「ワン子」

 

「何?お姉さま」

 

一子は百代の答えを笑顔で待っている。しかし、それに対して百代は無表情のままだった。

 

そして、百代は静かに告げる。

 

「―――――じじぃをやったのは、お前か?」

 

「――――――」

 

その言葉に、大和達が、周囲が驚愕する。それはつまり、一子自身が川神院を襲った張本人だと疑っている事を意味していた。

 

七浜の帰り道で感じた禍々しい闘気と、今の戦いで一子が形成逆転した瞬間に感じた闘気……この2つの気が酷似している事。

 

そしてマルギッテとの模擬戦闘で僅かに感じた黒い闘気。百代の中で全てが一致した。

 

一方一子は苦笑いしながら、困った表情を浮かべていた。

 

「人聞きの悪い事言わないでよ、お姉さま……だって、じーちゃん」

 

そして、百代はもっとも聞きたくなかった言葉を、一子から告げられる事になる。

 

「―――――ちゃんと“生きてる”でしょ?」

 

百代を挑発するかのように、一子は笑う。川神院を襲ったのは自分であると。次の瞬間、

 

「ワン子ーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

 

百代の理性が、弾け飛んだ。



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20話「憧れが憎しみへ変わる時」

百代が叫び、一子目掛けて全力疾走する。

 

「はああああああああーーーーー!!」

 

百代の内にあるのは行き場のない怒りと、裏切られた事への悲しみだった。

 

鉄心やルーに手をかけた事や、今まで仲間を騙していた事。

 

信じていたのに……百代はその思いを、拳という形で一子に叩き込む。

 

「――――ごふっ!?」

 

百代の正拳が、一子の腹にめり込む。防御する暇すらなく、一子はまともに攻撃を受けた。神速の一撃が炸裂し、一子は身体に致命的なダメージを負う。

 

だが、

 

「か、はっ………すっごい、効いたわ」

 

それにも関わらず一子は笑っていた。こうして百代と戦える日を、待ち望んでいたのだから。

 

自分の強さを確かめるように、一子は受けた痛みをじっくりと噛み締めた。

 

一子は確信する。今の自分なら、百代と互角――――それ以上に渡り合える事ができると。

 

一子は薙刀を投げ捨て、百代の顔面を右手で鷲掴みにする。

 

「川神流――――」

 

一子の右手に膨大な気のエネルギーが収束していく。これは危険だ……と、百代は距離を取ろうと離れようとした瞬間、

 

「零距離・致死蛍―――――!!!」

 

収束したエネルギーが複数の気弾となり、百代の顔面に直撃した。文字通り零距離で発射された気弾はバルカンと同等の速度で連続射出し、百代の顔を焼き尽くす。

 

「せやぁーーーーー!」

 

そして百代の腹部に鋭い蹴りを入れ、衝撃で百代の身体を勢いよく吹き飛ばした。

 

「ぐっ………!?」

 

地面で踏ん張りを入れ、衝撃を和らげる百代。腹部を抑えながら、目の前の一子という“敵”を睨み付けていた。

 

額からは血が流れ、頬を伝いながらポタポタと雫を垂らしている。

 

威力も、スピードも、技も。今までとは比べ物にならない程に、一子は強さを増していた。

 

百代でさえも、反応する事ができない……一子の異常とまで言える成長は、もはや驚愕を通り越して不気味であった。

 

「…………瞬間回復」

 

気を集中し、身体に受けた傷を瞬時に回復する。百代は傷を完治させると、一子に抱いていた疑念をぶつけ始めた。

 

「何で……何でじじぃやルー師範代達を襲った!?」

 

「――――――」

 

百代の問いに対し、一子は答えない。ただ黙って、百代を静かに視線を送っていた。一向に答えない一子に苛立ちを覚えた百代は、

 

「答えろ、ワン子おおおおおぉぉ!!」

 

校庭中に響くくらいに声を張り上げた。すると、沈黙を守っていた一子がようやく口を開く。

 

「――――瞬間回復」

 

一子は目を閉じ、気を集中させる。すると、一子の身体中とその周囲に、黒い霧のようなものが立ち込め始めた。

 

霧は徐々に一子を包み込むように揺らめき、一子の受けた傷を塞いでいく。

 

瞬間回復……百代が使うものと、全く同じだった。だがどこか歪で禍々しさを感じる。

 

「瞬間回復!?お前、何で……」

 

思わず声を漏らす百代。短期間で瞬間回復を体得する事など、万に一つもあり得ない。それにワン子の放った『致死蛍』もそうだ……自分が使う技を、一子は使用している。

 

 

一子の異常すぎる成長ぶりに、百代は戦慄していた。

 

「――――じーちゃんやみんなには、酷い事をしたと思ってるわ」

 

一子が静かに呟く。鉄心達に手を掛けた事への罪悪感……それは一子自身も感じているのか、少し戸惑っているようにも見えた。

 

「だったらどうして――――!」

 

百代には理解できなかった。罪悪感を感じるくらいなら、最初から手を出さない筈だ。養子として受け入れ、親子同然に育ててくれた人間に対してする事ではない。

 

「だって、じーちゃん達を倒したらきっとお姉さまも認めてくれると思って………」

 

全ては百代に近づく為……一子にとって、鉄心達は布石でしかなかった。

 

そこには善意も悪意もない。一子を突き動かしているのは、百代に対する”純粋な強さの憧れ”でしかないのだから。

 

「……そんな事のために、じじぃたちに手をかけたのか」

 

百代は地面に視線を落とし、身体を震わせながら一子に問いかける。一子は答えなかったが、その沈黙は肯定を意味している―――そうとって間違いないだろう。

 

一子は捨てた薙刀を手に取り、その先を百代に向ける。

 

「決闘よ、お姉さま。今のアタシなら、お姉さまと対等に戦えるわ!」

 

百代との決闘。それは一子が待ち焦がれていた夢。それが今、実現されようとしている。

 

一子は歓喜していた。百代と戦えれば何もいらない。何を失っても構わない。どんな犠牲を払っても構わないと……身体が疼いていた。

 

「…………」

 

一子が自分との決闘を望んでいる……しかし百代は視線を落としたまま立ち尽くしている。

 

いつかは妹と戦う日が来る、そう思っていた百代。

 

本当なら嬉しいはずなのに、喜べない。喜べるはずがない。こんな形での決闘は望めない。百代の出す答えは、必然的に決まっていた。

 

「―――――断る」

 

「え………?」

 

百代は冷静さを取り戻し、答える。返事は否だった。予想外な答えに一子の表情が消える。

 

「断ると言ったんだ」

 

百代はもう一度意思表示し、一子との決闘は受けないと返答する。当然、百代の出した答えに一子は納得する筈もない。

 

「なんで……何でよ。だってアタシ、お姉さまと並ぶくらい、強くなったんだよ?」

 

鉄心達を倒し、ここまで頑張ってきた一子の努力が、たった一言で否定された……認めない。認められない。認められる筈がない。

 

「確かにお前は強くなった。見違えた……まるで、」

 

百代が一子との決闘を拒否した理由。その決定的な一言を、一子に告げる。

 

「ワン子じゃない、誰かだ」

 

「!?」

 

百代は一子の努力を否定しているわけではなかった。だが、今の一子は百代や大和達の知っている一子ではないと断言する。

 

「なに……言ってるの?アタシは、アタシだよ?」

 

「いいや、違うな。私が知っているワン子は、どんな理由があってもじじぃやみんなに手を出すような人間じゃない」

 

首を横に振って、一子の目をしっかりと見据えながら答える百代。

 

「ワン子、今のお前は昔の私と同じだ。私には分かる」

 

百代を―――戦いを求める一子の姿は、どこか以前の自分を見ているようだった。明確な理由もなく、ただ強くなる為に強者と戦い、戦って戦って戦い続けた自分の行いを。

 

「……私が言えた義理じゃないが、戦いに囚われば、周りが何も見えなくなる。私はビッグ・マムと戦って、それを思い知らされた」

 

だからこそ、一子には自分自身の過ちに気付いて欲しかった。今だから言える……戦いに執着し過ぎてはならない、と。

 

「私は、今のお前との決闘は望まない――――だから目を冷ませ、ワン子」

 

百代ははっきりと言い切り、それ以上は何も言わなかった。

 

強者を求め、いかなる相手でも挑戦を受け続けてきた百代。その百代が、初めて決闘を拒否した瞬間でもあった。

 

「……あ………あ……」

 

一子は動揺する。自分の目標である百代に否定された……全てを失ったも同然であった。

 

「ぐっ!?………あ、うぅ……!!」

 

突然、酷い頭痛に襲われる一子。頭が割れるような痛みに耐え切れず、頭を抱えてその場に蹲ってしまった。

 

 

“どうして、どうして認めてくれないの?”

 

 

一子の心の声が聞こえる。

 

 

“お姉さまに近づく為に、こんなに努力をしたのに!!”

 

 

悲痛な心の叫び。心配して声をかける百代や、大和達の声すらも今は届かない。

 

 

“許せない。こんなの絶対に認めない!!!”

 

 

感情が高ぶり、思考がぐちゃぐちゃになっていく。こんな事、あり得ない。あっていい筈がない……頭の中でいくら否定しても、現実は変わらず、何も変えられない。

 

故に、百代という目標の存在が、酷く忌々しく思えた。許せなくなった。

 

 

“どうしても戦わないというなら、アタシはお姉さまを、川神百代を………”

 

 

一子の中で、百代に対する憧れが憎しみへと変わる。

 

心は深い闇に染まっていき、一子の黒い感情が剥き出しになっていく。

 

川神百代を“潰す”という、憧れとは程遠い感情に。

 

「―――――」

 

頭痛が消えた一子はゆっくりと立ち上がった。顔を上げ、百代を睨み付ける。その目は憎しみの色に染まり、もう“川神一子”としての面影は感じられない。

 

「お姉さまは、大切な仲間を守るために戦う……そう言ってたわよね?」

 

感情のこもらない声で問いを投げる一子。

 

「そうだ……それがどうした?」

 

不審に思う。一子の気が、一切感じられなかった。次は何をしてくるか分からない……百代は咄嗟に身構える。

 

一子は薙刀を構えて、切先が後ろになるよう居合いの形を取る。同時に、一子の身体から黒い闘気が溢れ出していた。

 

「だったら―――――」

 

一子の黒い闘気が、薙刀の刃に集まって収束していく。

 

「守ってみせなさいよ……守れるものならね!」

 

刃に暴発する風が纏い、大地が、大気が震える。一子は薙刀を振りかざし、風を纏う切先から風の塊を百代――――ではなく、大和達の方に向けて解き放った。

 

風の塊は弾丸となって加速を始め、地面を削りながら大和達目掛けて奔っていく。

 

「やめろおおおおおぉぉぉーーーーーーーーーー!!!!」

 

百代は大和達を守ろうと駆け出した。だが、加速した風の弾は止まらない。もう大和達の目前まで迫っている。いくら百代が全力を上げ、スピードを出したとしても間に合わない。

 

風の弾が大地を裂きながら大和達に迫る。当たればただでは済まない。身体中を切り刻まれ、バラバラにされてしまうだろう。

 

だがその刹那、

 

「―――――震えよ!!」

 

大和達を庇うように、サーシャが大鎌(サイス)を錬成した状態で割り込んだ。そして迫る風の弾丸を、大鎌で真っ二つに斬り裂く。

 

斬り裂かれた風の弾丸は行き場を失い、空に溶けるように消えていった。

 

「サーシャ………!」

 

忌々しげにサーシャを睨み付る一子。

 

「答えろ。お前の持っている元素回路はどこだ?」

 

単刀直入に、元素回路の在処を聞き出すサーシャ。サーシャの耳についたイヤリングが赤く強く光り出し、異常な反応を示している。

 

この反応……間違いなく一子は元素回路を所持し、使用している。一般の人間が扱えば、悪影響を及ぼす事になる。一刻も早く回収しなければならない。

 

「元素回路……?何の事だ」

 

百代には一体何の事なのか、理解出来なかった。聞き慣れない単語に戸惑いを隠せない。

 

一子と元素回路と、一体何の関係があるのだろうか。百代が疑問を抱いたまま、サーシャと一子の話は続く。しかし一子は、

 

「元素回路……?知らないわ」

 

サーシャに冷めた視線を送る。”お前に興味はない”そう目で訴えるように。だが、その口ぶりからして、本当に知らないようだった。

 

(こいつ……まさか無意識下で元素回路を?)

 

一子自体、元素回路を意識的に使っているようには見えない。しかし、あり得ない事ではなかった。経緯は分からないが、恐らく一子は元素回路の力で異常に強くなっているのだろう。

 

「一子、お前の強さは紛い物に過ぎない。サーキットの影響で力があると錯覚しているだけだ」

 

夢から覚めろと言わんばかりに、サーシャは告げた。一子には残酷な一言かもしれないが、このまま一子から元素回路を取り除かなければ、どんな悪影響を及ぼすか分からない。

 

「……アタシの力が偽物?あんた、アタシの何を知ってるっていうの?たかだか数週間たったくらいで、知ったような口を聞かないでよ!!」

 

サーシャの一言に、逆上して憎悪を剥き出しにする一子。

 

「事実だ。もう一度だけ言ってやる。お前の力は紛い物だ。いい加減目を覚ませ、一子」

 

その時一子の理性が、音を立てて弾けた。

 

「サーシャああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

感情を爆発させた一子が、サーシャ目掛けて薙刀を勢いよく振り下ろし、サーシャに叩きつける。サーシャは大鎌の柄でガードするが、予想以上に力が強い。

 

サーシャは押し負けそうになるも、押し返して大鎌を振り、一子の身体を切り裂いた。

 

「――――っ!?」

 

一子は舌打ちをすると、後退して大鎌の一撃を回避する。その剣圧で一子の服の胸元が敗れ、素肌が露わになった。

 

そこには……黒い紋章があった。まるで一子の身体を浸食するかのように、細い根が肌に根付いて侵食している。

 

「そこにあったか……!」

 

一子の身体に張り付く元素回路……サーシャ達が探し求めている、川神市に巣食う正体不明の元素回路に間違いなかった。

 

「ワン子、それは何だ……お前、何をした!?」

 

百代が真意を確かめる為、一子に歩み寄る。元素回路が何なのかは知らない。だが一子の身体に異常がある事だけは理解できた。

 

すると、一子は百代から逃げるようにしてその場から離れ、高くジャンプしながら壁を伝い、学園の屋上へと上がっていく。

 

そして一子は校庭全体に響くように、百代に告げる。

 

「――――川神百代。アタシはアンタを……アタシを否定したアンタを許さない」

 

百代を見下ろしながら、抱いた憎悪の念を吐き出す一子。

 

「待て、ワン子!私は―――――」

 

「川神院」

 

「何……?」

 

「川神院に午前0時。アタシはアンタに決闘を申し込む。もし来なかったら……」

 

一子は視線を大和達に向ける。もし決闘に応じなければ、大和達にも手を下す……百代の大切な仲間を、自分の大切な仲間さえも、見境なく手をかけると百代に脅迫した。

 

「ワン子、お前……」

 

「川神百代、アタシはアンタを倒すわ。そしてアンタを武神から……引き摺り下ろしてやる」

 

それだけ言って一子は屋上を飛び降りると、他の建物の屋根から屋根へと飛び移り、百代達の前から姿を消した。

 

「………逃げられたか」

 

大鎌の柄を地面に突き立て、遠ざかっていく一子の姿を睨むサーシャ。

 

「ワン子……」

 

遠くなる一子の姿を、百代はただ見ている事しか出来なかった。

 

 

一子の豹変。突然の決闘。そして、サーシャが言っていた”元素回路”。考えれば考える程、混乱を招くばかりだった。

 

決闘は深夜行われる。戦わなければならない……百代の中で葛藤が始まっていた。



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21話「仲間として」

一子の騒動が起きてすぐ、学園の全校生徒は強制的に下校となった。

 

それから数時間後、サーシャ達一行は鉄心達が入院している、川神市最大の病院である葵紋病院へと足を運んでいた。

 

 

鉄心の意識が戻ったとの報告を受け、サーシャ、まふゆ、華、ユーリの4人は病室を訪れ、面会へと赴いている。

 

「何という事じゃ。まさか、一子が……」

 

学園での騒動の一報を耳にする鉄心。ベッドから上半身だけを起こし、鉄心は表情を険しくした。事態はさらに深刻化している状況である。

 

「サーキットを装着してから、かなり浸食が進んでいます。一刻も早く取り除かなければ、彼女の身が危険です」

 

我々がもう少し早く気づいていれば……とユーリ。

 

サーシャが見た一子の元素回路は、黒い紋章のようなものだった。それは、一子の身体と同化するように根を張り巡らせている。

 

詳細が不明なである以上、どんな作用をもたらすかは分かっていない。だが、一子の人格の変化と戦闘力の向上は異常である。

 

このままサーキットが浸食すれば一子はさらに力を増し、暴走を続けるだろう。

 

そしていずれは以前の百代……否、それ以上の存在になる。そうなってしまってからでは遅い。

 

「どうにかして、一子から元素回路を引き剥がせないかのぅ」

 

と、鉄心。一子から元素回路を取り除くにはそれしかない。強行手段だが、それには誰かが暴走する一子を止めなければならない。

 

「いえ、元素回路は無理に引剥がせば人体に害が残り、最悪死に至る可能性があります」

 

ただ剥がすだけでは危険だ、とユーリ。

 

「一子を助けてやりたいが、今のワシには何も出来ん。すまんが、後は頼めるかの」

 

鉄心には、元素回路の知識がない。その上、この怪我では動こうにも動けない。後はサーシャ達に頼る他なかった。ユーリは頷き、一子を止める事を約束する。

 

「後は私たちが対処致します。ですが――――」

 

目を細め、鉄心に何かを訴えかけるユーリ。鉄心は思わず息を呑んだ。

 

「万が一最悪の事態になった場合、その時は……」

 

「…………」

 

万が一……それは一子の身は保証できなくなる、という事を意味していた。

 

サーシャ達の役目は“川神市から元素回路を取り除く”事である。

 

一子の症状が悪化し、川神市に危害を加える可能性も考慮しなければならない。そうなれば当然、一子を“異端者として討伐”しなければならない。

 

最も、そのような事態になればの話だが。

 

すると、

 

「――――話は聞かせてもらったぜ」

 

男性の声と同時に、病室の扉が開く。そこにいたのは、キャップ率いる風間ファミリーのメンバーと忠勝だった。壁越しに話を聞いていたらしい。

 

「お前たち……聞いておったのか」

 

気を感じ取れる程身体が回復していないのだろう、鉄心は彼らの存在に気付けなかった。迂闊であったと自分を責める。

 

「じじぃ。元素回路って何なんだ?ワン子に何が起きてる?」

 

百代が鉄心の前へ出て、話が見えないと説明を求める。百代だけではない。大和も、キャップも。卓也や岳人。京、由紀江、クリスもである。

 

「………」

 

鉄心は躊躇していた。確かに、一子は彼らにとって大事な仲間である。だができる事なら、無関係の生徒達を巻き込みたくはない。

 

話していいものか……鉄心が悩んでいると、しばらく黙っていたユーリが口を開く。

 

「構いません。こうなった以上、彼らには知るべき権利があります」

 

「ユーリ殿……」

 

一子が巻き込まれてしまった以上、もはや彼らが無関係とは言えない。鉄心は頷き、承諾した。

 

「では、場所を移します」

 

詳しい話は、鉄心に変わって私が説明するとユーリは告げた。

 

 

 

 

川神院へと移動し、客間を借りて大和達、サーシャ達は向かい合うように座る。

 

ユーリは全員を見渡すと、少し間をおいてから話を始めた。

 

「では、鉄心さんに変わって私が説明しましょう」

 

これから語られる、川神市の今の真実。

 

川神市に蔓延る、謎の元素回路。そして、サーシャ達の正体と任務の事を。

 

 

鉄心がサーシャ達、アトスを派遣した事。

 

サーシャ達が川神学園に潜入し、謎の元素回路を根絶しようとしている事。

 

今も、その元素回路が川神市内で出回っている事。

 

 

「鉄心さんと川神市長の依頼で、我々は派遣されました。そして元素回路に対処できる唯一の存在が、サーシャ君達――――クェイサーなのです」

 

サーシャが能力者“クェイサー”である事。まふゆ、華が生神女(マリア)である事。

 

そして一子が元素回路が渦巻く事件に巻き込まれている事、その全てを。

 

「くぇいさー……?その言葉、どこかで……」

 

百代には聞き覚えがあった。思考を巡らせ、記憶を辿る。

 

「あ、確かあの時やつらもそんな言葉を……!」

 

先に思い出したのは大和であった。多馬大橋で出会った、百代に挑んできた挑戦者達。ウンウン☆マイスリーとヘリウム5男。彼らもクェイサーと口にしていた事を思い出す。

 

まさか、彼らも今回の事件と関係あるのでは……と思う大和だったが、

 

「それはない。そいつらはただの野良クェイサーだ」

 

サーシャが雑魚だと一蹴して終わった。

 

「お前らがクェイサーだってのはわかった。それより、一子に何が起きてるんだ?」

 

本題は一子の事だ、と忠勝。忠勝にとって一子は孤児院で一緒に育った仲であり、それ故に心配でならなかった。そうでしたね、とユーリはさらに話を進める。

 

「あなた方が見た通り、一子さんの胸に張り付いてるものが元素回路です。彼女が豹変したのも、恐らくあれが原因でしょう」

 

一子に装着されている元素回路。それは性格、能力をも変えてしまう代物であるという事は大和達にも理解できる。

 

それと同時に、親不孝通りに出回っているような薬より、危険な存在である事も。

 

「……率直な話、犬は助かるのか?」

 

誰もが口にし辛かった一言を、クリスは尋ねた。するとユーリは目を閉じ、静かに語る。

 

「……我々の目的は、川神市から元素回路を取り除く事にあります。このまま一子さんを放っておく訳にはいきません」

 

放っておけば元素回路の力がさらに一子を浸食し、暴走する可能性がある……なんとしても一子を止めなければならない。

 

だが、元素回路を直接剥がす訳にはいかないとユーリは説明を付け足した。

 

「一子さんを止める方法は―――――」

 

そしてユーリは、彼らにとって最も残酷な現実を突き付ける。

 

「元素回路ごと、破壊するしかありません」

 

場の空気が一瞬で凍りついた。すると岳人が立ち上がり、ユーリの胸倉をつかんで叫ぶ。

 

「てめえ、ワン子に死ねってのかよおおぉ!?」

 

激情し、怒鳴り散らす岳人。一子を異端者として殺す……それがユーリの判断であった。大和達も立ち上がってユーリに講義する。

 

「何か方法があるはずだろ!?何でワン子が死ななきゃなんないんだよ!」

 

「認めねぇぞ!一子は殺させねぇ!」

 

絶対に死なせないと、大和と忠勝。しかしユーリは動揺せず、あくまで冷静に受け答える。

 

「ですが一子さんを放っておけば、多数の被害が出ます。そうなっては遅いのです」

 

たった1人の人間の為に、市内の大勢の人間を巻き込む訳にはいかない。川神院で起きた惨状をあなた達も見たはずですと、ユーリは反論する。

 

すると今度は百代がユーリに詰め寄り、説得を試みる。

 

「ワン子は私との決闘を望んでいる!私が勝って、ワン子を止めれば――――」

 

「――――仮に止めたとしても、彼女が暴走しない保証などどこにもありません」

 

ユーリはどこまでも冷静だった。そしてさらに、

 

「――――我々とは別に、神罰執行部(メテオラ)という組織が存在します」

 

神罰執行部(メテオラ)。一年前、サーシャ達が闘争を繰り広げた組織である。それが何だと百代は一蹴するが、ユーリは構わず話を続けた。

 

「彼らは元素回路に関わった者達を、一人残らず“神の御身(みもと)へ送ります”。この意味が、お分かりになりますか?」

 

「なっ――――!?」

 

百代だけでなく、大和達の思考が凍りつく。何故なら一瞬で意味が理解できたからだ。元素回路に関わったもの全てを殺す、という事である。

 

メテオラは本来、特級秘積に指定された始原の回路(ハイエンシェント・サーキット)を見た者、知る者を罪人として消し去るのが主である。

 

 

しかし今回は正体不明の元素回路。この事が知れ渡れば、メテオラが動かない筈はない。

 

「―――――――」

 

百代はそれ以上何も言えなくなり、床に膝を突き俯いた。もう一子は助からないと分かり、絶望感に襲われる。

 

どうにもならない。どうする事も出来ない。大和達も黙っている事しかできなかったが、ただ1人だけは諦めていなかった。

 

「俺は認めないぜ」

 

そう、キャップである。

 

キャップはユーリに向かってそう言った。絶対に一子を助ける、と。ユーリは微動だにしないまま、ほっと息を漏らした。それは呆れから来るものなのかは分からない。

 

「―――――と、ああ言っていますが。いかがですか、サーシャ君」

 

視線を向けず、サーシャに話を振った。大和達の視線が、サーシャに一斉に注がれる。

 

それに対しサーシャが言った一言は、

 

「―――――犠牲にしていい命など、ない」

 

一子を助けるという意志が込められていた。大和達とそして、まふゆ達にも笑顔が戻っていく。

 

「まふゆの剣の生神女の力を使えば、ワン子の身体から元素回路を“切断”できる」

 

まふゆの持つ“切断”を司る剣の生神女の力があれば、如何なるものでも断ち切る事ができる。それが一子を救い出せる唯一の方法であった。

 

「しかし、一子さんのサーキットは詳細が不明のままです。どんな影響を及ぼすか分かりません。それでもあなたは――――彼女を救い出せると?」

 

サーシャの方法で一子が確実に救い出せるのかと、覚悟を問うユーリ。だが、サーシャの決心は揺るがなかった。

 

「当然だ。どの道、お前はこうなると分かっていたんだろう?」

 

サーシャは横目でユーリに問う。当の本人は何の事ですかと、笑ってとぼけるだけである。

 

「私も忘れないでほしいわね」

 

聞き覚えのある声。客間に入ってきたのは、カーチャだった。意外な人物の登場に、思わず声を失う大和達。

 

「か、かかかかかかかかかカーチャさまあああ!!!!」

 

そして、華はとても喜んでいた。

 

「あれ、君って一年の………エカテリーナ、さん?」

 

「確か、まゆっちと同じクラスだったよね」

 

と、カーチャに声をかける卓也と京。何故ここにいるのか……すると、代弁するようにユーリが代わりに答える。

 

「ああ、いい忘れていました。彼女もクェイサーです」

 

「「「えぇっ!?」」」

 

大和達は驚愕した。こんなに小さい子が……信じられない。忠勝は知っているから驚かないが。

 

『まゆっちー、チャンスだー!友達宣言いっとこーぜー!』

 

「えぇっ!?そそそそんな松風、このような状況でそれは……」

 

『しゃらくせー!そんな事言ってたら、いつまでたってもダチは作れねーべよ!』

 

現れたカーチャを前に、松風と相談し始める由紀江。それを眺めながらカーチャは溜息をつき、

 

「言わせてもらうけど、私は友達は作らない主義なの。ましてや、独り言が激しい知り合いなんて死んでも願い下げだわ」

 

ズバッと、そして突き刺すように吐き捨てるのだった。

 

「ガーン!!ショックです、松風……」

 

『うわー!遠回しにオラの存在否定された!っていうかクラスにいる時と全然性格ちげー!』

 

心に多大なダメージを受け、カーチャ友達計画は失敗に終わった。由紀江と松風を一蹴したカーチャは、早速話を本題に戻す。

 

「川神一子、だったかしら?あんたたちと協力するつもりはないけど、私の奴隷に手を出した以上、見過すわけにはいかないわ」

 

カーチャは私情で、一子自身に用があるらしかった。おそらく心の事だろう。知っているのはカーチャだけなのだが。

 

しばらくして、

 

「――――よっしゃ、決めたぜ!」

 

突然、キャップが何かを決心したように意気込み始めた。全員がキャップに視線を向ける。

 

「聞いてくれみんな!俺から重大な発表がある」

 

急に何を言い出すのだろう。疑問に思うサーシャ達だったが、大和達は何となく察していた。

 

そう。それは、

 

「サーシャ、まふゆ、華、カーチャ、ゲンさん。今日から俺達、風間ファミリーのメンバーに任命するぜ!」

 

サーシャ達と忠勝を、ファミリーのメンバーとして迎え入れる事だった。まふゆや華は何がどうなのか、訳が分からずにいる。

 

「ふぁ、ファミリー?」

 

「……えと、どういうこと?」

 

疑問だらけの華とまふゆに対し、京が答えてくれた。

 

「まあ、簡単にいうと私たちの仲間って事。ちなみに毎週金曜には集会があるからね。これ以上人数が増えるのは賛成できないけど……キャップがああ言ったら聞かないから」

 

しょーもない、と京。歓迎しているのかしないのか、よく分からない華とまふゆだった。

 

「好きにしろ。俺は構わない」

 

サーシャは相変わらずの反応。

 

「は?冗談じゃないわ。私はお断りよ」

 

明らかに嫌な表情を浮かべるカーチャ。しかし、キャップはそんな事は気にしない。

 

「もう決めたもんね!お前がなんて言おうと今日からファミリーの一員だ!」

 

もはや強制だった。カーチャは調子が狂い、キャップから視線を外す。

 

「勝手にすればいいわ。いくわよ、華」

 

そう言って、カーチャは華を連れて客間から出ていく。まるでゲンさんみたいなヤツだなと、キャップは思った。

 

「ってか、俺もかよ。めんどくせーな」

 

何時の間にかメンバーに入れられ、めんどくさそうに腕を組む忠勝。

 

「んなこと言うなって、ゲンさん。俺、前々から誘おうと思ってたんだぜ?」

 

忠勝と肩を組み、スキンシップを図るキャップ。忠勝は仕方ねぇと諦め、ファミリーとして迎え入れられる事に同意した(ほぼ強制)。

 

「さっすがゲンさん。話が分かるぜ!」

 

「勘違いすんな。断ってギャーギャー騒がれるのがうぜぇだけだ」

 

重かった空気が、次第に晴れやかになっていく。サーシャもややこしい事になったと思いながらも、悪くない……そう感じていた。

 

するとそこへ、大和がサーシャの前へとやってくる。

 

「直江?」

 

「大和でいい。改めてよろしくな、サーシャ」

 

そう言って大和は手を差し伸べ、握手を求める。躊躇うサーシャだったが、照れを隠すように視線をそらし、そっと自分の手を延ばして握手を交わす。

 

こうして、サーシャ達は風間ファミリーの一員となった。

 

 

 

百代と一子の決闘まで、後数時間。



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サブエピソード16「約束」

風間ファミリーに任命されたサーシャ達と忠勝は、早速秘密基地へと案内された。

 

 

百代と一子の決闘まで後少しだと言うのに、こんな時に時間を潰している暇はないとは思う。

 

だがこんな時だからこそ、大和達はここに集まるのだ。いつも通りに。一子がいつ帰ってきてもいいように。暖かく出迎えよう……そんな思いを胸に秘めて。

 

 

 

 

「――――――」

 

基地の廃ビルの屋上で、百代は静かに夜空を眺めていた。一子との決闘を控え、緊張を冷ますように夜風に当たっている。

 

「…………」

 

首にぶら下げたホイッスルを手に取る百代。これを吹けば10分以内で一子が駆けつけてくれる……そう一子は大和達に躾けられていた。

 

「…………」

 

百代はそれ口に加え、息を吸って勢いよく音を鳴らした。夜空にホイッスルの音色が響き渡る。

 

もしかしたら、一子が来てくれるかもしれない。またあの元気な笑顔を見せてくれるかもしれない。そんな淡い期待を、百代は抱いていた。

 

―――――――。

 

しかし、一子が駆けつける事はなかった。ホイッスルの音色が虚しく木霊するだけである。

 

「やっぱり………こない、か」

 

何やってるんだろうな、と自分で自分を笑う。もう何度も笛を鳴らしているが、結果は変わらない。分かっているというのに、諦めきれない自分がいた。

 

しばらく夜の光景を眺めていると、

 

「――――来たか」

 

気配を感じ取り、百代は背後を振り向く。そこにはサーシャとまふゆの姿。百代は2人をここへ呼び出していた。

 

「……モモ先輩、用って何なんですか?」

 

早速まふゆが呼び出した理由を尋ねる。察するに、一子の決闘についてだろう。百代はサーシャとまふゆをしばらくじっと凝視した後、静かに口を開く。

 

「お前たちに頼みがある」

 

「頼み……?」

 

急な話だな、とサーシャ。その表情はいつになく真剣だった。

 

「もし………もしもだ。私がワン子と戦って倒れたら――――後は、頼む」

 

万が一、自分が倒れたら一子を止めてくれ……そうサーシャ達に思いを託す百代。

 

「俺はお前が負けるとは思えないがな」

 

と、サーシャ。ビッグ・マムと互角にやりあえるような人間がやられるとは到底思えない。百代は言ってくれるな、と苦笑いする。

 

「まあ、もしもの話だ。それに、ワン子についてる元素回路とやらを取り覗けるのは、サーシャ達にしかできないんだろう?」

 

確かに、元素回路はまふゆの剣の生神女の能力でしか取り除く事はできない。百代はサーシャ達を信用していた。だからこそ、彼らに託したのである。

 

本当なら大和達にも協力を仰ぐべきだろう。しかし、大和達を危険な目には合わせられない。ましてや自分達の大切な仲間である。戦うのは、自分1人で十分だとサーシャ達に告げる。

 

それに。一子がああなってしまった責任は、自分にあると感じている――――その事は、あえて口にはしないが。

 

「私が隙を作る。その間にワン子から元素回路を取り除いてくれ」

 

一子が百代との決闘に集中している隙に、サーシャが一子の元素回路を狙って攻撃を仕掛ける……それが百代の作戦だった。単純だが、それ以外に方法はない。

 

「……無理、しないでくださいね。モモ先輩」

 

まふゆは百代を心配していた。今の一子は、鉄心を倒せる程の戦闘力がある。そう簡単に止められる相手ではない。だが百代は笑って、まふゆの肩を抱く。

 

「私を心配してくれるんだな。じゃあ、無事に戦いが終わったら私とイイ事しような」

 

「なっ!?……も、もう。からかわないで下さい!」

 

顔を真っ赤にしながら、頬を膨らませるまふゆ。怒るな怒るな、と笑う百代。それを見て呆れ、サーシャは溜息をつくのだった。

 

しばらくして時間が経ち、

 

「そろそろ下に戻るとするか」

 

大和達が寂しがってるだろうからなと上機嫌に笑いながら、屋上を去っていく。人を呼び出しておきながら、結局何がしたかったんだろうと思いながら百代についていくまふゆ。

 

百代が屋上の扉へ向かう際、すれ違い様にサーシャに呼び止められる。

 

「百代」

 

「ん、どうした?」

 

「死ぬなよ」

 

「…………」

 

ほんの一瞬だけ、沈黙が訪れた気がした。だが百代は、お前も心配性だなぁと笑って、

 

「私は死なないぞ。お前とも戦いたいからな」

 

約束する、とサーシャに言った。サーシャはそうかと言ってそれ以上は何も言わず、百代とまふゆと共に屋上を後にした。



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サブエピソード17「女王様と心3」

大和達と時を同じくして、カーチャと華は葵紋病院を訪れていた。理由は一つ、一子との決闘で負傷した心の様子を見にいく為である。

 

カーチャは心の病室へ入ると、華を病室の外で待つようにと命令して追い出した。

 

病室には、心が苦しそうにベッドの上で眠っている。カーチャはベッドの側の椅子に腰掛け、心の様子を静かに見守っていた。

 

「……全く。無茶をするからこういう事になるのよ」

 

バカな子ねと呆れながら呟くカーチャ。表には出さないが、心の事を気にかけているようだった。

 

左腕は骨折したものの、幸い大した怪我にはならず、2、3日で退院できるだろうという医師からの診断を受けている。

 

だが、一子からあそこまでの侮辱を受け、精神へのダメージは相当なものだろう。立ち直れるかどうかは分からない。

 

 

身も心もボロボロになってしまった心。今、どんな夢を見ているのだろう……カーチャには知る由もないが、その表情はまるで魘されているようで見るに堪えなかった。

 

「……う、うぅ……」

 

突然、心が小さく苦しそうにうめき声を上げる。カーチャは心の頭を、そっと優しく撫でた。

 

「……さ、ま」

 

「――――?」

 

心の声が、微かに聞こえる。誰かの名前を呼ぶ声を。

 

「……ちゃ、さま……。カー…チャ、さま……」

 

眠りながら、カーチャの名前を繰り返していた。まるで助けを求めるかのように。心の目から一筋の涙が零れ出す。カーチャはその涙を、指で掬って拭い去る。

 

本当にバカな子と、小さく微笑みながら。

 

カーチャは心の様子をしばらく見届けた後、立ち上がって病室を後にする。病室から出ると、華が待ち侘びていた。何故だか、少しだけ微笑んでいるようにも見える。

 

「華」

 

「……は、はい?」

 

「覗き見、したでしょ?」

 

華を睨みつけて、問い質すカーチャ。図星だったのか、あたふたしながら華は言い訳を考えている。すると、カーチャは華の脚をぐりぐりと踏みつけ始めた。

 

「いたっ……ああ!痛いです、カーチャ様……!」

 

「私は待ってなさいって言ったわよね?事が済んだらたっぷりとお仕置きしてあげるわ」

 

「は、はいぃ………!」

 

カーチャはそれだけ言って足を離すと、カーチャに痛ぶられて、幸せいっぱいの華を連れながら病室前を後にする。

 

そして一子が降り立つ川神院へと足を進めながら、カーチャは笑みを浮かべていた。

 

(私の奴隷に手を出したらどうなるか……身をもって知りなさい。川神一子)

 

残酷で、歪で、女王の名に相応しい、その笑みで。



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22話「川神一子」

深夜0:00。

 

百代と一子との決闘の時間が、ついにやってきた。百代は目を閉じ、この場所で一子が現れるのを静かに待っている。

 

客席には大和達と、サーシャ、まふゆ、華、カーチャが待機していた。

 

一子に会えると言う期待と、憎しみに染まった一子と向き合うと言う不安。相反する両局面の感情を抱きながら、彼らは一子を待ち続ける。

 

「――――――」

 

気を沈めながら、百代は精神を研ぎ澄ませ、気配を探る……一子は徐々に近付いてきていた。

 

気配が近付くに連れ、次第に川神院が黒い気配に包まれていく。

 

禍々しく、そして憎悪に満ちた気配に。

 

「―――――来たな」

 

一子の気を完全に察知し、目を開ける百代。その直後、百代の目の前に黒い闘気を纏った一子が降り立った。

 

一子は、笑っていない。怒りと憎しみに満ち、敵意を剥き出しにしていた。

 

百代に否定され、彼女の目標は消えた。今の一子は、百代を倒す為だけに存在している。

 

 

どうしてこうなってしまったのだろう……こんな戦い、望んでいないというのに。

 

「ワン子、私は――――」

 

「前置きはいいわ。アタシ達に言葉なんていらない」

 

百代の言葉を遮る一子。もう語るつもりはない、後は拳で語るのみだと。

 

「アタシはアタシを否定したアンタを許さない。アタシはアンタを倒して、アンタを超える」

 

断言する。百代は相槌もしなければ動揺もせずに、ただ黙って聞いている。

 

すると、立会いをする為大和が2人の間に入ってきた。大和は2人の顔を見た後、声高らかに、真剣に宣言する。

 

「―――――これから、決闘の儀を行う。二人とも、前へ出て名乗りを上げよ!」

 

大和の声と共に、百代と一子が一歩前へと出る。

 

「――――2-F、川神一子」

 

「――――3-F、川神百代」

 

互いに名前を交わす。一子は薙刀を構える。百代は構えない。百代の様子が気になり、声をかける大和だったが百代は始めてくれと促した。

 

大和は頷いて、決闘の合図を送る。

 

「いざ尋常に―――――始め!」

 

決闘の狼煙が上がる。大和は百代に危険だから下がっていろと言われ、客席へと戻っていく。

 

「――――――」

 

「――――――」

 

2人は睨みあったまま、微動だにしない。互いの動きを待ち、様子を伺っていた。

 

「―――――ワン子、これだけは言わせてもらうぞ」

 

「――――――」

 

一子は答えない。百代は沈黙を承諾したという意味で受け取り、話を続ける。

 

「私は決闘をするつもりはない。私はお前を―――――止める」

 

決闘という形であっても、あくまでこれは決闘ではないと告げる百代。是が非でも、一子との決闘は望まない。一子を止めるという一心で、百代はこの戦いに身を投じていた。

 

“この力は、大切な仲間を守る為にある”

 

 

大和達を守り、一子も救い出す。甘ったるい正義かもしれない。それでも、仲間として、姉として一子と向き合う為に拳を振るう……そう覚悟を決めたのだから。

 

それに対し一子は、

 

「………どこまで、」

 

歯を食い縛り、侮辱を受けたと感じ、怒りで身体を震わせていた。身体から滲み出る黒い闘気が、さらに濃度を増していく。

 

憎しみが彼女を強くする。百代を倒せと命令する。一子は負の感情によって支配されていた。

 

「どこまでアタシをバカにすれば気が済むのよ、アンタはああああぁぁぁ!!!!」

 

闘気を爆発させ、猛スピードで突貫する一子。先手を取り、薙刀の連撃を繰り出した。百代は回避行動を取るが、

 

(くそっ、思った以上に早い……!)

 

神速で繰り出される一子の攻撃を前に回避しきれず、身体中に切り傷を負う。だが、この程度で怯む百代ではない。

 

「川神流奥義――――――」

 

気を高めながら、拳に力を込めて反撃を開始する。

 

紅色の波紋(ルビーオーバードライブ)―――――!!」

 

最後の斬撃の隙をつき、懐に潜り込む様に、一子の身体を殴りつけた。殴った箇所から波紋が広がっていき、一子の身体を内側から破壊する。

 

「がっ―――――ごっほっ!?」

 

身体中を破壊され、ごぶりと血を吐き出しながら吹き飛ばされていく一子。道場の壁に叩きつけられ地面に伏すが、よろよろと立ち上がり、口に溜まった血を吐き捨てる。

 

「―――――瞬間回復!」

 

気を集中し、身体中に受けた傷を回復させた。禍々しい闘気が、一子の身体を食いつぶすかのように不気味に揺らめいている。

 

百代は構え、更なる反撃に移ろうと試みる。だがその刹那、

 

「―――――!?」

 

百代の視界から、一子の姿が消えていた。周囲を見渡すが、どこにもいない。どこから仕掛けてくるのか、その気すらも読み取れない。

 

「後ろよ―――――!」

 

百代の背後から一子の声。振り向いた時にはもう、薙刀の一撃が腹部にめり込んでいた。衝撃で百代の身体が吹き飛ばされていく。

 

「川神流―――――」

 

一子の攻撃は終わらない。薙刀を投げ捨て両手に気を集め、

 

「―――――星殺し!!!」

 

エネルギー砲を百代に向けて発射した。憎悪で膨れ上がった紫色の砲撃が百代を襲う。あれをまともに受ければ、いくら百代でも瞬間回復では補いきれないだろう。

 

吹き飛ばされた体勢で回避できない。それなら……と、百代の取る行動は一つしかなかった。

 

「川神流―――――」

 

百代はそのままの体勢で(・・・・・・・・)両手に気を集め、精神を集中する。そして、

 

「―――――星殺し!!!」

 

繰り出された同じ技を、一子のエネルギー砲に向けて解き放った。互いの闘気と闘気がぶつかり合い、相殺した衝撃で爆発が起きる。

 

「はあああああーーーー!!」

 

「はあああああーーーー!!」

 

爆発と同時に、百代と一子が衝突する。体術と体術による高速戦闘が始まり、どちらも全くリードを譲らない。

 

激しい攻防が続く中、流れを先に掴んだのは百代だった。百代は一子の左腕に掴みかかる。

 

「――――川神流・炙り肉!!」

 

自らの気で右腕を紅蓮の炎に変化させて反撃にかかる百代。高温の炎は一子の体力を徐々に奪う。

 

だが、一子は動じない。紅蓮の炎と化した百代の右腕を掴み、

 

「――――川神流・雪達磨!!」

 

気で右腕を絶対零度の冷気に変化させて、百代の右腕を凍りつかせようと攻撃を仕掛けた。

 

炎と氷。相性は明らかに百代が有利である。一子が冷気で対抗したとしても、炎で溶かされてしまうのが道理。

 

「―――――な!?」

 

一見、有利に感じていた百代。だが右腕の異変を感じ取り、危険を察知して一子の腕を振り払って後退した。

 

百代の右腕を包んだ紅蓮の炎が、消えている。まるで死んでいるように右腕の肌は青ざめ、ぶらりと力なく垂れ下がっていた。

 

(こいつ………内側から凍らせて(・・・・・・・・)きやがった……!)

 

冷たくなった右腕を庇うように押さえる百代。そう、一子は直接冷気を放ったのではない。狙ったのは百代の右腕の内部であった。

 

内部の細胞組織を冷気で一時的に活動を停止させ、百代の炙り肉を無効化したのである。

 

「―――――瞬間回復」

 

気を熱に変え、機能を失った右腕を修復する百代。ここまで互角……否、それ以上に戦う事になるとは予想していなかった。百代は一子の歪んだ強さを改めて再認識する。

 

だが、それでも。

 

これを決闘として認める事はできない。一子がどれだけ強くなったとしても、元素回路によって得た強さなど、紛い物に過ぎないのだ。

 

一子を止める。一子を救い出す。そして、一子と真っ向から向き合う。だからこそ、ここで倒れるわけにはいかない。

 

「はああああーーー!」

 

地面を蹴り上げ、百代は一子に向かって走り出す。同時に一子も走り出し、百代を迎え撃つ。

 

距離が次第に縮まり、2人が衝突するその直前、一子は地面に投げ捨てていた薙刀を蹴り上げ、手に持ち構えて百代を刺突する。

 

「くっ……!?」

 

百代は僅かな殺気を感じ取り、紙一重で攻撃を回避した。薙刀の切っ先が、百代の喉を掠める。一子の攻撃はそこで終わらず、突きの雨を百代に浴びせていく。

 

一子の一つ一つの動作を、百代は見極める。一撃、二撃、三撃……攻撃にできた綻びを探し、反撃の隙を伺う。次の瞬間、

 

「見切ったぞ!!」

 

百代は指で一子の刺突を止めてみせた。一子は切っ先を退こうと力を入れるが、薙刀はピクリとも動かない。そして、

 

「目を覚ませ、ワン子―――――禁じ手・富士砕き!!」

 

百代は渾身の一撃を一子の身体に叩き込んだ。一子は衝撃で吹き飛び、地面を転がっていく。

 

「―――――」

 

一子は、まるで糸が切れた人形のように動かない。これで終わりだろう……と、息を切らしながら一子の様子を伺う百代。

 

が、しかし。

 

「瞬間、回復………」

 

一子はまたしても立ち上がり、再び受けた身体の傷を全て塞いでいく。もはやその姿は、修羅そのものであった。

 

「川神百代……アタシは、アンタが憎い」

 

薙刀を百代に向けながら、溜め込んだ怨嗟を吐き出す一子。百代は一子に対して、始めて恐怖を抱いていた。

 

一子をここまで駆り立てているものは、一体何なのだろう……ただの憎しみとは思えない。元素回路の影響とはいえ、あの闘気には“川神一子としての闘気”が色濃く残っているように感じた。

 

「ワン子、お前……どうしてそこまで……」

 

百代は問う。一子の内に秘めた思いを。一子は忌々しげな表情を浮かべながらその問いに答えた。

 

「何度も同じ事を言わせないで。アンタを倒すためよ。アンタを倒して、アタシが武神になる」

 

百代を倒して、自らが武神になる。“百代と肩を並べられるくらいに強くなる”……そんな彼女の願いは、いつしか歪んでいた。

 

「アタシは……アンタを許さない。アタシを認めてくれなかったアンタを」

 

「ワン子………」

 

何故だろう。一子の言葉にある憎しみの中に、認めてくれなかった事への悲しみが、百代の胸に伝わってくる。

 

「……ずっと、アタシは憧れてた。アンタみたいに強くなるって。だから、アタシはどんな辛い修行にも耐えてきた。いつか、アンタと対等になれる……そう信じてた」

 

「…………」

 

百代はもう何も答えない。ただ黙って、一子の言葉に耳を傾けていた。

 

「でも、結局認めてくれなかった。アタシには武術の才能がないって知ってて……アタシを期待させておきながら……最後は突き落とした!!!」

 

「………!!」

 

百代は思い出す。百代が戦いをやめると言って、一子に勝負を挑まれた時の事を。

 

“お前には武術の才能がない”

 

あの時は怒りに任せ、感情的になり言ってしまった言葉。

 

それが、どんなに心無い言葉だったか。どんなに一子を傷付けたか。

 

「アンタには川神の血が流れてても、アタシにはない!アンタに分かる!?才能のない人間がどれだけ這いつくばっても、届く事のないこの苦しみが!?そうよ分かるわけがない!!分かって溜まるもんか!!!!」

 

秘めていた叫びは百代だけでなく、由紀江や京、クリス。サーシャ達にも向けられていた。

 

「もう一度言うわ。アタシは……川神百代、アンタを倒す!絶対に許さない!!」

 

一子の抱えていた苦しみが、憎しみとなり、全てを百代に向けて吐き出した。それは、一子が決して表に出さなかった、負の感情だった。

 

「そう、か……お前は……そんなにも……」

 

一子の気持ちが、痛い程に、胸を貫きそうなほどに伝わってくるのがはっきりと分かる。こんなに近くにいたのに、何でもっと早く気付いてやれなかったのだろう。

 

百代は悔しくて、自分で自分を消してしまいたかった。一子がこうなってしまったのは、自分の責任だ……百代にとって、それは何よりも重い罪だった。

 

百代は身体中の闘気を収め、一子に戦う意思が無い事を伝える。

 

「………どういうつもりよ?」

 

戦いを放棄した百代を睨み付け、薙刀を握りしめる一子。すると、百代はそのまま、一子に向かってゆっくりと歩き始めた。

 

「ずっと………苦しんでたんだな」

 

百代はうっすらと笑いながら、一子との距離を縮めていく。何のつもりなのか……一子には全く理解ができなかった。

 

「何よ……またそうやってバカにするの!?構えなさいよ、川神百代おおぉぉ!!!」

 

一子は薙刀に気を纏わせ、気の斬撃を百代に向けて放つ。だが、百代は避けようとはしなかった。斬撃は百代の右肩に直撃し、勢いよく血が吹き出す。

 

どうせまた瞬間回復を使うだろう……一子はそう思っていたが、その期待は裏切られる。

 

百代は、何もしなかった。傷付きながらも、一子に向かって歩み続けている。一子はそんな百代に対し、恐怖した。

 

「何よ……何なのよ。わけがわかんない……」

 

一子の声は震え、さらには薙刀を持つ手までもが、震えていた。

 

「私は……何も、気づいてやれなかった……最低だな……最低の、姉だ……」

 

自分を罵りながら、百代は歩を進める。

 

「いや……来ないで……」

 

一子の思考は、憎しみよりも恐怖が先に支配していた。戦意を失った百代に、何故ここまで恐怖を抱かなければならないのだろう。

 

「ワン子……私は……」

 

百代と一子との距離が無くなっていく。ワン子は次第に追い詰められていた。そして、

 

「来ないでっていってるでしょおおおおおおおおおおおぉぉ!!!!」

 

薙刀の切っ先を前に突き出し、百代に向かって駆け出した。

 

 

 

――――――――。

 

 

 

一瞬、時間が止まったような気がした。一子は、ゆっくりと目を開ける。

 

「―――――え」

 

一子の目の前には、百代の姿があった。一子の身体は強く、優しく抱きしめられている。

 

一子は周囲を見渡した……誰もが目を見開いていた。大和も。キャップも。卓也も。岳人も。忠勝も。京も。由紀江も。クリスも。

 

そしてサーシャ、まふゆ、カーチャ、華までもが言葉を失っている。

 

「…………」

 

一子の持つ薙刀は、百代の身体を貫いていた。百代の制服から血が滲み出し、ポタポタと血を滴らせている。

 

百代は一子の思いを、全てを受け入れた。それが、百代の“罪の形”だった。

 

「……ごめん、な……ワン、子。お前の苦しみに、気付いてやれなくて」

 

全部私のせいだと、口から血を吐き出しながら、一子に囁く百代。一子は何が起きているのか分からず、動揺を隠せずにいる。

 

「……ごほっ、卑怯だと、思うかもしれない……こんな事で、許して、もらおうだなんて……思ってない。けど………」

 

一子の背中にそっと手を回しながら、百代は力なく笑う。

 

「私が、できることは、これしか……思い浮かばな、かった。はは、かっこ、悪いよな……」

 

百代の意識が、徐々に消えていく。一子は何も言えず、ただ百代の声をずっと聞いていることしかできない。

 

「……本当に、…本当に、ごめん。ごめんな、ワン子……不器用な、姉で……さ」

 

百代は最後に微笑み、意識の灯火が消えた。一子を抱きしめる手が、力なく落ちる。一子はよろよろと後退っていく。

 

百代の身体を貫いていた薙刀が抜かれ、その傷口から血が零れ出していた。

 

そして百代は……一子の目の前で、地面に倒れ伏せた。地面に夥しい血が広がっていく。

 

「―――――」

 

一子の制服は、百代の返り血で赤く染まっていた。一子は、百代の血で真っ赤になった掌をまじまじと眺める。

 

「あ………あ……」

 

“―――――自分が、百代を倒した。”

 

“―――――自分が、百代を殺した。”

 

その現実が、一子の頭の中を駆け巡った。

 

孤児院から引き取られてから、何をするにも、百代と一緒だった。厳しい修行の毎日だったが、百代と一緒なら、どんなことでも乗り越えられた。そんな思い出が走馬灯のように蘇る。

 

百代という目標が、側にいたから今の自分がある。何故今まで、そんな大切な事を忘れてしまっていたのだろう。

 

その百代に、手をかけた自分がいる。憎んでいたのに。百代の……姉の本当の優しさに触れ、一子の黒い感情がすぅっと、消えていった。

 

それと同時に、自分のした行いが、感情の波となって押し寄せる。そして、

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

一子の絶叫が、川神院に響き渡った。

 

 

 

 

決闘を見届けていたサーシャは席から立ち上がり、まふゆに顔を向ける。

 

百代との約束を果たす。一子を救い出すという約束を。

 

「まふゆ!」

 

「うん!」

 

まふゆは胸を曝け出し、サーシャに聖乳を与える。サーシャはそっと乳房に口付けをした。

 

そして聖乳を吸い終えたサーシャは大鎌を錬成し、戦闘体勢に入る。

 

「行くぞ、まふゆ!」

 

「うん。一子ちゃんを、助けよう!」

 

サーシャとまふゆは進む。一子を助け出す為に。

 

「―――――震えよ!畏れと共に跪け!!」

 

サーシャ達の戦いが、始まった。



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23話「憎しみの果てに(前編)」

アットノベルスで掲載した内容を、大幅にリメイクしました。
ですが、ストーリー自体に変更はありません。


激闘の末、姉である百代に手をかけてしまった一子。憎しみが消滅し正気に戻った一子だが、負の感情は元素回路の影響によって身体に残留したままだった。

 

 

鉄心やルー、修行僧達に手を掛けた事。仲間に刃を向けた事。学園の生徒を傷付けた事。

 

 

そして、百代。姉であり、自分の目標。これまでしてきた事への罪悪感が、一子を苛ませていた。

 

 

「あ……あ、アタシ……お姉さまを……あ、どうして、こんな……あ、ああああああああああああああああああああああ……!!!」

 

 

負の感情に押し潰されそうになる。一子はただひたすらに叫び続けていた。一子の身体を纏った黒い闘気は消える事はなく、膨れ上がる一方である。

 

 

怒り、憎しみ、悲しみ。罪の意識はさらなる闇を呼び、彼女の精神を狂わせていた。

 

 

一子が“壊れて”しまう……サーシャとまふゆは彼女の下へと駆け出した。

 

 

(まずい……サーキットが暴走している!)

 

 

くそ、と舌を打つサーシャ。

 

 

一子の胸に装着されている元素回路が、バチバチと音を立てながら火花を散らしている。

 

 

元素回路の暴走。恐らく一子の精神状態が不安定になってしまい、一子の身体とリンクしていた元素回路自体が、壊れかかっているのだろう。

 

 

元々破壊が目的である為に好都合だが、同時に一子の身体にも影響する。一秒でも早く元素回路を取り覗かなければ……サーシャは一子に向かって突進する。

 

 

だが次の瞬間、一子に更なる変化が起こった。サーシャは寸前で足を止める。

 

 

「………ああ……うぅ……」

 

 

叫び続けていた一子の声が、次第に静寂を帯びていく。頭を抱えながら地面に俯き、彼女の表情は見えない。

 

 

「うぅ……ふ、ふふ……ふふふ」

 

 

悲痛な叫び声から、次第に笑い声に変わっていく。サーシャは戦慄した。

 

 

そして彼女の闇は、予想もしない形で現れる事になる。

 

 

「ふふ……あは、あははははははははははははは!!!」

 

 

夜の空に向かって、突然歓喜し始めたのである。まるで何かを勝ち取ったかのように。否、勝ち取ったのだ、自分の目標である百代をこの手で、倒す事が出来たのだから。

 

 

「やった……アタシは……お姉さまに勝った。今までずっと越えられなかったお姉さまに!」

 

 

百代を倒し、百代を超える。一子の夢見ていた事が実現した。それは彼女に取って何よりの喜びであった。もう自分が犯した罪など、もはやどうでもいい。些細な事だと切り捨てている。

 

 

全ては自分の願いの為。それならば、どんな手段や犠牲も、厭わない。たとえそれが、大切な仲間であったとしても。

 

 

一子は自分の目の前に横たわる百代の姿を見下ろした。そして、

 

 

「お姉さま……いつもこうして、アタシを見下ろしてたのね。でも今度はアタシがお姉さまを見下ろす番よ。今なら……誰にも負ける気がしない……!」

 

 

願いは果たした。ならば次は更なる高みへと昇るのみ。より強き者を求め、戦い続けるという終わりの見えない闘争心が、今の一子を震えたたせていた。

 

 

今なら誰にも負ける気がしない。それは以前の百代と同じ、本能がままに戦う獣。百代を倒してしまった事で、さらに歪んでしまった彼女の姿。

 

 

元素回路を取り除かない限り、一子の正気は戻らない。姉に対する思いは、彼女の闇によって埋れてしまっている。

 

 

なら、呼び覚ますしかない。サーシャの手で。

 

 

 

 

一方、百代と一子の戦いを見届けていた大和達は、傷付いた百代を助ける為に観客席から身を乗り出し、動き出していた。

 

 

一子はサーシャとクリス達、女性陣に任せるしかない……後は自分達にできる事をしよう。

 

 

だが百代の横たわる道場に乗り出そうとした瞬間、異変は起こった。

 

 

「………何だよ、これ!?」

 

 

客席と道場の間を隔てるように、見えない壁のような物が大和達の行く手を阻んでいたのである。戦いが始まるまではこんな物はなかったのに……大和は見えない壁に何度も拳を叩きつける。

 

 

しかし、幾度繰り返してもその壁が割れる事はなかった。まるで最初からそこにあったように立ち塞がっている。

 

 

壁の向こう側には百代がいるというのに……何もできないもどかしさが大和を苛立たせていた。

 

 

「くそ、何なんだこの壁は!?」

 

 

「大和、こっちもダメだぜ。びくともしねぇよ!」

 

 

クリス、岳人も壁に向かって攻撃を試みるが、壁は一向に壊れる事はない。京や由紀江、カーチャ達も同じである。

 

 

一体何が起こっているのだろう。このままでは先へ進めない……そう思っていた矢先だった。

 

 

「―――――彼女は、より高みへと登ろうとしています」

 

 

離れた観客席から聞こえる、男性の声。それは大和達に向けられていた。大和達は声のする観客席へと視線を向ける。

 

 

その先には、サーシャと一子の戦いを見届ける男……フールが立ち尽くしていた。

 

 

「僕達にはそれを見届ける義務がある……そうは思いませんか?」

 

 

この戦いに介入すべきではないとフールは大和達に問う。

 

 

突然現れた謎の男。明らかに普通の人間ではない。一体何物なのだろう……するとフールの姿に見覚えがあるのか、カーチャ、華が反応を示す。

 

 

「フール……そういう事。この結界もあんたの仕業ね」

 

 

面倒な事をしてくれたわね、と舌打ちをするカーチャ。カーチャの口振りから、この見えない壁はフールが作り出した物のようだ。

 

 

そして、その異能の能力……カーチャ達が知っている存在。フールはクェイサーの類であると大和達は理解した。

 

 

「てめぇ……今すぐこの壁を消しやがれ!」

 

 

怒号のような岳人の叫びが道場に響き渡る。しかしフールは岳人の言葉を一蹴するように、静かな笑みを浮かべた。

 

 

「言った筈です。彼女は今高みへ登ろうとしていると。僕達に彼女を止める権利はありません」

 

 

肯定せず、否定もしないフールの曖昧な返答。それは岳人だけでなく他のメンバーにも憤りを感じさせた。邪魔をするな、という事だろう。

 

 

そんなメンバーの中、結界の事など気に掛けず静かに怒りを燃やす男がいた。キャップである。

 

 

「あんた……ワン子に何した?」

 

 

一子が変貌してしまった原因。それはフールである事をキャップは確信していた。それに対しフールはまさか……と白を切るように返答する。

 

 

「僕は彼女にきっかけを与えただけですよ。それに、力を望んだのは彼女自身……そう。彼女の意思なのですから」

 

 

全ては一子が選び、一子が望んだ事。更なる強さを求めるという歪んだ欲望が、一子を突き動かしているとでも言うのだろうか。

 

 

しかし、それが事実だとしても、大和達は一子を止めなければならない。大切な仲間として。

 

 

「それでも、私は一子さんを止めます―――――!」

 

 

仲間を救う為に剣を取る。抜刀し闘気を身に纏う由紀江。由紀江は疾走しながら、神速ともいえる一閃をフールに放った。距離は一瞬で縮まり、反応する隙すら許さない由紀江の一撃。

 

 

だが、

 

 

「―――――!?」

 

 

その攻撃は、空振りに終わった。由紀江の前にフールの姿はない。攻撃が触れる直前までは、確かにフールは存在していた筈だ。

 

 

「流石は黛十一段のご息女……見事な剣捌きです」

 

 

由紀江の背後からは、賞賛と侮蔑の意味を込めたフールの声。フールはいつの間にか由紀江の後ろに立っていたのである。由紀江の攻撃に、フールは汗一つすらかいていない。

 

 

「貴様――――!」

 

 

続いてクリスがレイピアを突き出し追撃をかける。すると、フールは懐から数枚のタロットカードを取り出し、その内の1枚を突貫するクリスに向けて投擲した。

 

 

タロットカードは綺麗に円を描きながら回転し、クリスのレイピアの切先に接触する。次の瞬間、突然紋章のようなものが浮かび上がり、攻撃を防ぐと同時にクリスを身体ごと吹き飛ばした。

 

 

由紀江、クリスすらも軽くあしらう程の圧倒的な力。フール……予想以上に強い相手である。

 

 

「お前、何が目的だ!?」

 

 

睨み付ける華。しかしフールは相変わらず意味深な笑みを浮かべるだけである。そして、

 

 

「全ては……サルイ・スーの導きのままに」

 

 

残りのタロットカードをフールの立つ右側に翳した。するとタロットカードが怪しく発光し、空間が歪みゲートが出現する。恐らく逃げるつもりだろう。

 

 

「逃がさない――――!」

 

 

遠距離から、京の放った矢がフール目掛けて飛んでいく。しかし京の攻撃も虚しく、フールはゲートの中へと姿を消した。後に残るは数枚のタロットカードが散らばるのみである。

 

 

「……カーチャ。この結界を破る方法は?」

 

 

フールを取り逃がしてしまったが追い掛けるわけにもいなかい。大和は思考を切り替え、まずこの現状を打破する事を最優先とした。

 

 

「どこかに結界を作り上げている元素回路がある筈よ。それを一つ一つ潰すしかないわ」

 

 

面倒だけどね、とカーチャ。それが分かっただけでも十分だ……大和は他のメンバーに告げる。

 

 

「聞いての通りだ。手分けして元素回路を探すぞ、みんな!」

 

 

この結界を解いて、一子達の所へと急ごう……メンバーは力強く頷くと、それぞれ一斉に動き出すのだった。



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24話「憎しみの果てに(後編)」

結界を解く為に大和達が奮闘する中、サーシャと一子は激闘を繰り広げていた。刃と刃が鍔迫り合い、力と力がぶつかり合う。

 

 

「一子……お前は何も感じないのか!?」

 

 

互いの剣戟が衝突する度に火花が散り、激しい攻防戦を繰り返すサーシャと一子。サーシャは戦いながら問う。百代を倒した――――手にかけた事への罪の意識を。

 

 

「感じてるわ、アタシはお姉さまを倒した……!今まで弱かったアタシが……!もう誰にも、才能がないだなんて言わせない!」

 

 

一子の目は負の感情に駆られながらも、純粋であった。

 

 

強さへの憧れ……一子が何よりも求めていたもの。一子は百代を倒した事で、高みを登り始めようとしていた。フールの言っていた通りに。

 

 

だが果たして、それは百代を手にかけてまで手に入れたいものだったのか……否、違う。彼女の求めていたものは、そんな歪んだ欲望などではない。

 

 

サーシャは今一度一子に問いかけた。その一振りの剣戟と共に。

 

 

「本気か!?お前の求めていた強さは、百代を……仲間や家族を傷付けてまで、手に入れたかったものなのか!?」

 

 

一撃と同時に浴びせられる、サーシャの言葉。しかしその言葉は一子の感情を逆上させた。

 

 

「そうよ!お姉さまもじーちゃんも、みんな傷付いて当然よ!だって……一番傷付いてるのは、アタシなんだから!」

 

 

「何……!?」

 

 

「アタシは……昔からいつも、みんなの中で一番弱かった。ずっとそれを負い目に感じてた……だから……!」

 

 

幼少時代から弱虫で、大和達から守られてばかりだった一子。鉄心に引き取られてからは、武術に励み、百代のように強くなる為日々修行に励んでいた。

 

 

それは、養子として引き取りを申し出た百代に恩返しをする為だけではない。弱い自分……守られている自分と、決別する為でもあった。

 

 

努力に努力を重ねてきた一子にとって、百代達のような武術は憧れだった。

 

 

だが、その力の差を見せつけられる度に、自分がどれだけ軟弱であるかを思い知らされてきた。一子はずっと、それを抱えながら過ごしてきたのである。

 

 

そんな一子の気持ちを、百代達は知らなかっただろう。何故ならそれは力無き者だけが知る、苦悩の叫びなのだから。

 

 

「もうアタシは昔のアタシじゃない!だからアタシは……誰よりも強くなってみせる!!」

 

 

サーシャの剣戟を弾き、薙刀による渾身の一撃をサーシャに向けて振り下ろした。

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

一子の一撃は強烈な一撃だった。まるで、巨大な鉛に押し潰されたような感覚。その衝撃はサーシャの大鎌(サイス)を破壊し、軽々とサーシャの身体を吹き飛ばした。身体は道場の壁にめり込み、どれだけの衝撃だったかを物語っている。

 

 

「……そうか。それを聞いて、安心した」

 

 

サーシャは咳き込みながら、ゆっくりと立ち上がる。そのサーシャの意味深な言葉に、一子はどういう意味と眉をひそめた。

 

 

「お前はとっくに……正気に戻っていたんだな、一子」

 

 

サーシャは理解した。百代を倒したその時から、一子は徐々に正気を取り戻していたのだ。

 

 

元素回路(エレメンタル・サーキット)によって一子が今まで閉じ込めていた心の叫び……負の感情。それが表に出てしまっている。しかしその感情は、サーシャの心を確かに震わせていた。

 

 

後は彼女を元素回路……否、彼女自身から救い出すのみ。

 

 

「勇往邁進……それがお前の口癖だったな」

 

 

ふと、一子が言っていた言葉をサーシャは口にする。何事も恐れずに進むという、彼女の信念。だが今の一子には、それが感じられない。

 

 

「だがお前は恐れている……自分自身に」

 

 

「―――――!?」

 

 

何故なら、彼女自身が恐怖を抱いてしまっているから。

 

 

「本当は気付いているんだろう?お前のその力が……紛い物である事に」

 

 

サーシャの確信に一子は表情を強張らせ、動揺した。元素回路で得た一子の力。一子は正気を取り戻した瞬間、理解していたのだ……自分の力が借り物である事を。

 

 

彼女は恐怖していた。この力が無くなれば……全てを失ってしまうのではないかという恐怖に。

 

 

「今、お前の心は震えているか?俺は震えているぞ……一子!!」

 

 

再び大鎌を再錬成し、サーシャは一子に告げるのだった。

 

 

「……る、さい」

 

 

一子の震える声が、サーシャの耳に届く。一子は視線を落としながら肩を震わせ、薙刀を血が滲むくらいに握りしめている。

 

 

そして彼女は力任せに、サーシャに向かって感情のままに泣き叫んだ。

 

 

「……うるさい、うるさい!うるさいうるさい!!!聞きたくない!アタシは……アタシはあああああーーーーーーー!!!」

 

 

一子は再び、サーシャに向かって走り出した。

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

ぼやけた視界がゆっくりと鮮明になり、百代は取り戻した。身体は道場の壁際にもたれかかるようにして横たわっている。

 

 

一子と戦い、最後には薙刀で身体を貫かれて……そこから先の事は覚えていない。

 

 

なら、傷は……百代は刺し貫かれた自分の腹を触る。しかし、血は流れていない。布のようなものが巻かれ、止血されていた。

 

 

「モモ先輩……気がついたんですね」

 

 

百代の側には、まふゆの声。まふゆはサーシャと一子の戦いが始まる直前、傷付いた百代の手当てと看病をしていたのだ。まふゆの制服には、破いた跡がある。

 

 

「まふゆ……?私は……いや、それよりもワン子は……?」

 

 

「今、サーシャが戦ってます。一子ちゃんは……」

 

 

まふゆはサーシャと一子が戦う道場の中央へと視線を向ける。サーシャと一子は、まだ戦い続けていた。一体どれだけ戦っていたのだろう、互いに傷だらけである。

 

 

そんな2人の戦う姿を、百代はただ眺める事しかできない自分に腹が立った。そして、戦い続ける一子の異変に気付く。

 

 

「ワン、子……どうして……」

 

 

百代の視線の先には、一子の姿。一子は……泣いていた。泣きながらサーシャと戦いを続けている。自分の家族であり、妹である一子が悲しむ姿は、見たくなかった。

 

 

「……瞬間、かいふ―――うっ!?ごほっ、ごほっ!?」

 

 

体内の細胞を活性化させようと気を練った瞬間、胃に圧迫感を覚えた百代は口元を抑え、むせ込みながら吐血した。

 

 

「モモ先輩!?無理しないで!」

 

 

咳き込む百代の背中を摩りながら介抱するまふゆ。一子に与えられた一撃は、瞬間回復が使えなくなる程に、身体に深刻なダメージを受けていた。

 

 

一子を助けなければ……その思いが、百代を突き動かしていた。だが、今の状態では助けるどころか動く事すら困難である。

 

 

(サーシャ……ワン子を……助けて、くれ……)

 

 

百代はサーシャに託す。一子を、救ってくれと願いながら。

 

 

 

 

 

「うわああああああーー!!」

 

 

薙刀を振るい、泣き叫ぶ一子。それを迎え撃つサーシャ。傷だらけでボロボロになりながらも、2人の戦いはなおも続いている。

 

 

「うおおおおーー!!!」

 

 

交差する二人の刃。互いの力が尽きるまで、幾度となく繰り返される剣戟。

 

 

その最中、一子は感情に任せて薙刀をサーシャに叩きつけながら攻撃を重ね続ける。攻撃を繰り返す事で、一子の中にある恐怖を拭い去ろうとしていた。

 

 

「アタシにだって、そんな事くらいわかるわ!この力が……借り物だって事くらい!」

 

 

知らなかったわけではない。一子の中にある自分とは違う力。それは、元素回路による紛い物。そして、この力によって自分の身体が蝕まれていくという事実も彼女は理解していた。

 

 

だが、一歩も引き返す事はできない。一子にはもう戦う事しか選択肢はないのだから。

 

 

「なら何故だ!?何故そうまでして偽物の力を守ろうとする!?」

 

 

戦いながら一子を問い詰めるサーシャ。失う事への恐怖……自分の力ではないと知りながらも、彼女は今必死に守り続けている。

 

 

「だって……だって、今この力を失ったら……」

 

 

恐怖で押し潰され、何もかも壊れてしまいそうな一子の心。そうまでして元素回路の力に縋り、守らなければならない物。

 

 

そう、それは一子自身の。

 

 

「アタシの夢が……師範代になる夢が、全部終わっちゃう……お姉さまにも、じーちゃんにも、もう一生届かない!」

 

 

“夢”、そのものなのだから。

 

 

夢を失う事は、一子にとって全てを失うのと同義である。それが彼女が抱いていた恐怖。

 

 

一子はサーシャ……この戦いを見ている大和達に向けて叫び続けた。

 

 

「この力が偽物でもいい……それでもアタシは……夢を諦めたくない!!もう誰も……アタシから夢を奪わないでえぇぇ!!!」

 

 

その叫びは更なる力となり、一子の薙刀の一振りが長い剣戟に終止符を打った。サーシャは再び弾き飛ばされ、地面を転がっていく。

 

 

夢を守りたい……その信念が一子をここまで突き動かしていた。

 

 

元素回路の力で手にした力。それが偽物でも構わない。自分の身体がどうなってもいい。彼女が掲げる夢は、それ程までに失ってはならないものなのだから。

 

 

「違う……お前が本当に恐れているのは、“夢を失う事”じゃない」

 

 

再びサーシャは立ち上がる。一子が失いたくない大切な物。夢である事には変わりはない。しかしサーシャは見抜いていた。本当に守りたいものは、夢のその先にあると。

 

 

傷だらけで意識が消えてしまいそうになる……それでも諦めない。

 

 

「お前が失いたくないもの……それは、お前自身の“居場所”だ」

 

 

「―――――!!」

 

 

一子がいるべき場所。それは百代や鉄心達家族がいる家。そして大和達のいる学園。それがお前の恐怖の正体だとサーシャははっきりと断言した。

 

 

元素回路の力がなくなれば、師範代の道が閉ざされるだけではない。百代達……川神院にいる資格さえ失ってしまうのだ。力を失う事は、夢も自分がここにいる意味も全て消えてしまう。

 

 

本当は夢よりも、仲間達といる居場所が欲しかったのではないか。居場所がなくなるのは、一子にとっては何よりも辛い。

 

 

「お前は、自分が傷ついたと……そう言っていたな。それはお前の苦しみを分かって欲しかった……聞いて欲しかったからじゃないのか?」

 

 

一子の抱えていた苦しみ。自分の弱さを負い目に感じていた事。言いたくても、言う事ができなかった。才能がないという認めたくない現実が、返ってくる事を理解していたから。

 

 

きっと、ここにいる意味もなくなってしまうだと思っていたから。

 

 

「たとえどんなに力があったとしても、居場所がなければ意味を成さない。守るべきものがないからな。それに……力だけが全てじゃない」

 

 

“力とは、大切なものを守る為にある”。それは百代がビッグ・マムとの戦いで導き出した答えである。

 

 

「俺は昔の事は知らない。だが、お前を引き取ってくれたのは、決して武人として見極める為じゃなかった筈だ。思い出せ……お前が川神一子になった時の事を」

 

 

一子が養子として迎え入れた時の事。岡本一子が、川神一子になったあの日。

 

 

 

――――それはとても暖かくて。毎日が輝いていた。そんな日々を送るようになった一子。百代達に可愛がられ、血の繋がりはなくとも本当の家族のような繋がりがそこにあった。

 

 

それからである。一子が百代を支え、師範代になるという夢を持つようになったのは。

 

 

「アタシ……は……」

 

 

一子はサーシャに言われてようやく気付く。自分を迎え入れてくれたのは……自分が川神院を選んだのは、師範代になる為ではない。

 

 

 

―――――一子が大切な仲間であり、家族だから。

 

 

―――――自分がただここにいたいと、そう思ったから。

 

 

 

どうしてこんなに大切な事を、忘れてしまっていたのだろう。最初から深い理由などない。家族として一緒にいたいという純粋な気持ちが一子の心を震わせ、本当にあるべきものを呼び覚ました。

 

 

「…………」

 

 

一子はサーシャの言葉を受け、構えていた薙刀をゆっくりと降ろす。彼女から戦意が消え、顔を俯かせ、立ち尽くしたまま沈黙を守っていた。

 

 

そしてようやく、彼女は静かに口を開く。

 

 

「……サーシャ、ひとつだけお願いがあるの」

 

 

その声からは憎しみも悲しみも感じない。優しく、今にも消えてしまいそうな一子の声。サーシャは返答せず、黙って一子の言葉に耳を傾ける。

 

 

「みんなに、伝えて……」

 

 

そう言って、一子は自分の胸元についた元素回路にそっと手を当てる。元素回路は、まるでシールのように剥がれかけていた。

 

 

そして、

 

 

「―――――ありがとう。ごめんなさいって」

 

 

ゆっくりと俯いた顔を上げる。そこには涙を浮かべながら優しく笑う一子の笑顔。その瞬間、何かを悟ったかのようにサーシャの表情が一瞬にして凍り付いた。

 

 

一子はサーシャの目の前で、胸元の元素回路を……強引に引き剥がしたのである。

 

 

「一子ーーーー!!!」

 

 

サーシャが叫んだ時には、もう既に遅かった。引き剥がした元素回路は音を立てて弾け、黒い塵となって消える。元々暴走していた元素回路だ……一子の手で引き剥がす事など造作もない。

 

 

一子は自分自身の手で、元素回路から決別した。だが元素回路を無理に取り除いたとなれば……当然、使用者の身体に悪影響を及ぼす事になる。

 

 

一子は膝をつき、地面に崩れ落ちた。サーシャは駆け付け、一子の身体を抱きかかえる。

 

 

ぐったりとした一子の身体は、まるで空の人形のように思えた。殆ど力は入っていないが……少なからず、まだ息はある。

 

 

「ワン……子!」

 

 

百代がまふゆに支えられながら駆け付ける。同時に周囲に道場を覆っていた結界が解除され、大和達もサーシャの所へと駆けつけた。

 

 

百代はサーシャに抱えられた一子を優しく……自分の腕の中で強く抱きしめた。

 

 

「ワン子……ごめん……全部……全部私のせいだ……私が……私がお前を追い詰めた……!」

 

 

知る事のなかった一子の気持ち。全てを知った百代は悔い、声を震わせ泣いていた。

 

 

百代や鉄心のように力のある者を尊敬する人間もいれば、同時に恨みや妬みをもつ人間もいる。ましてやそれが……身近にいる一子だとは、思いもしなかった。ずっとそれを抱え、打ち明ける事もできず苦しんでいたのだ。

 

 

百代は戦闘を放棄し、身を犠牲にしてまで一子とわかり合おうとした。しかし本当は何も分かってなどいない。そしてそれは、一方的に一子を追い詰めてしまう結果になった。

 

 

なんて、自分勝手。自分には一子の姉を名乗る資格はない。

 

 

「私は……ホント、最低だ。何が姉だ……何が武神だ!!お前を苦しめるくらいなら……お前を追い詰めるくらいなら……武神になんか……!!」

 

 

武神になんか、ならなければよかった。自分の力は大切な人間を守る為にあると誓ったのに、結局は傷付けてしまっている。ならこんな力はいらないと、そう言いかけた時だった。

 

 

「ダ、メ……それだけは……言わないで……」

 

 

消えてしまいそうな小さな声。それは一子から発せられていた。一子は朦朧とする意識の中、百代に手を伸ばす。その震えて崩れてしまいそうな手を、百代はそっと掴んだ。

 

 

「ワン子……?」

 

 

「お姉さまは、アタシの……目標だから……お姉さまは……今のお姉さまのままでいて……」

 

 

そう言って、一子は力なく笑った。一子が誇りに思い、一子が目指す川神百代でいて欲しい……それは基地の屋上で交わした約束。百代はもう一度、またごめんと言って涙するのだった。

 

 

すると百代に抱き抱えられながら、一子はゆっくりとサーシャの顔を見上げる。

 

 

「サーシャの言う通り、アタシは……居場所がなくなるのが、怖かった。でも……もう……」

 

 

溢れんばかりの涙が、一子の頬を伝う。

 

 

「アタシ……お姉さまやじーちゃん……大和達みんなに、ひどいことして……夢も……居場所も……全部なくなっちゃったよ……」

 

 

これまで自分がしてきた事。拭いきれない罪。元には戻れないと一子は絶望する。力を失い、戻る居場所さえもなくなってしまった。今更こんな自分を、誰が受け入れてくれると言うのだろう。

 

 

しかし、そんな彼女の頭を優しく叩いたのは大和だった。

 

 

「勝手に決めつけるなよワン子。お前の居場所は、ちゃんとここにある。だから泣くな」

 

 

そう言って大和は笑う。一子には俺達がついていると、暖かく彼女を受け入れた。どんなに変わってしまっても、仲間である事は変わらない。“川神一子”である事に変わりはないのだから。

 

 

キャップや忠勝、岳人と卓也。京、由紀江とクリス。大切な仲間達がいる。そして百代と、サーシャ達……新しい仲間。掛け替えのない存在。

 

 

「みんな……ありが、とう……」

 

 

ここにいてもいいんだ、と一子の心が満たされていく。一子は百代の腕の中で、安らかな表情でゆっくりと目を閉じた。まさか……と大和達に最悪の事態が脳裏に浮かぶ。

 

 

「気絶しただけだ、問題ない」

 

 

安心しろと、サーシャ。後は彼女の手当てをして、身体の回復を待つばかりである。

 

 

 

 

こうして百代と一子、サーシャとの戦いは終わりを迎えた。

 

 

だが全て終ったわけではない。アデプト、そして謎の元素回路。全てに決着をつけるその時まで。

 

 

サーシャ達の戦いは、まだ終わらない。



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サブエピソード18「和解」

戦いから数日後、一子の傷はすぐに回復した。

 

その後、一子は一人葵紋病院へと訪れていた。勿論、心の見舞いへ行く為である。

 

決闘で心をボロボロにし、さらに身体的にも精神的にも傷を負わせてしまった一子。一子の罪悪感は、未だに消えていない。

 

だが、自分のした事は事実として受け止めるしかない。今の自分にできる事は、心に謝りにいく事だと一子は判断した。

 

当然、許してもらおうなどとは思っていない。大和達も付き添ってくれると言ってくれたが、一子は断った。1人で行くと。

 

「―――――」

 

心の病室の前に辿り着く。1人で行くと決めたとはいえ、不安で足が震え、今にも逃げ出してしまいたかった。

 

自分が傷つくのは、とても苦しい事だから。

 

だが、それは卑怯だ。心を傷付けて、自分だけ逃げる事なんてできない。

 

逃げれば、ずっと自分の中に後悔だけが残る。自己満足に過ぎないかもしれないが、ただ一言謝ろう……そう決めたのだ。自分が犯した過ちを。罪を。

 

一子は病室のドアをノックすると、そっと手をかけてゆっくりと扉を開いた。

 

「―――――あ」

 

病室には、先客がいた。ベッドの上で上半身を起こしている心の隣には、額にバツ印の痣がついた男とメイドが1人。

 

2-Sの生徒――――九鬼英雄とそのメイド、忍足あずみである。

 

「おお、一子殿ではないか!」

 

英雄は一子に向けて蔓延の笑みを浮かべる。正直、一子は英雄が苦手であった。一子は苦笑いしながら返事を返す。

 

「…………!」

 

心は一子の姿を見て、表情を一変させる。顔色は青ざめ、まるで怖いものでも見るかのように怯え切っていた。

 

だからと言って、止まっていては始まらない。一子は心の側まで歩き出した。

 

「あ、あの……不死川さ――――」

 

「近寄るでない、化け物!!!!」

 

心の拒絶の言葉に、思わず足を止める。だが、それでも一子は必死に声をかけようとする。

 

「アタシ……ただ、その……謝りに――――」

 

「今すぐ出ていくのじゃ!お前の顔など見たくもないわ!!」

 

心は一子に対する苛立ちと恐怖で表情を強張らせていた。もう話すつもりなどない、今すぐ出て行けと、一子を拒み続ける。

 

すると、一子の前にあずみがやってきて、

 

「……出て行け。それと、今後一切英雄様に近寄るな。あたいらのクラスにもだ」

 

拒絶の視線を向けるのだった。やはり、あの時の一子を見ているからか、少なからず警戒しているに違いない。

 

もう、そう言う目でしか見られないという事なのか……どうしたらいいか戸惑っていると、

 

「待て、あずみ」

 

英雄があずみを制止し、下がれと命令を下した。あずみは一子に小さく舌打ちをすると、英雄の側へと戻っていく。

 

「一子殿は、不死川に謝罪に来たのであろう?」

 

「あ……うん」

 

「そうか。なら、我は一子殿の意思を尊重しよう」

 

英雄は一子を迎え入れてくれた。英雄には、拒絶もなければ畏怖もなかった。一子の目に希望が戻っていく。だが心は納得がいかず、身を乗り出すようにしながら英雄に反論する。

 

「な、何故じゃ九鬼!此方は出ていけと――――」

 

「許せとは言わん。だが、一子殿はこうしてお前に謝罪に来ているのだぞ?ならば、せめて聞くのが筋であろう」

 

「う―――――」

 

英雄の言う事は最もであった。言い返せず、押し黙ってしまう心。確かに、このまま一子を返してしまえば、不死川家としての器が問われる。心は渋々謝罪を聞く事にした。

 

「――――ふん、好きにするが良い。だが、お前が何と言おうが此方は赦しはせぬぞ」

 

それだけ一子に念を押すと、心はそれ以上何も言わなくなった。英雄はしっかりと思いを伝えるのだぞと一子に言って、あずみを連れ病室を後にした。

 

一子は深呼吸して、心を真っ直ぐに見据えながら、そっと口を開く。

 

「……あの時、アタシ、不死川さんに酷いことして、本当に悪かったって思ってるの。だから――――本当に、本当にごめんなさい!!!」

 

一子は深々と礼をして、心に謝罪の言葉を述べる。一子の心から本当の、真剣な気持ちで。

 

すると一子の気持ちが伝わったのか、心は少しだけ、許してもいいと思った。

 

だが、やはり自分が受けた仕打ちは許し難い侮辱である。ここで許したらつけ上がる……心はふん、と一子から顔を反らした。

 

「言いたい事はそれだけか?ならさっさとここから――――」

 

「心お姉さま!!」

 

突然病室の扉が開き、カーチャが会話に割って入るようにやってきた。カーチャの突然の登場に、驚きを隠せない一子。

 

当の本人である心はひっ……と、反射的に身体をビクリとさせた。だが同時に、カーチャが来てくれた事に喜びも感じている自分がいる。

 

「か……カーチャ……」

 

様……と言いかけて、心は言葉を止めた。他人の前でそんな事を口にすれば、後々面倒な事になる。カーチャは心の身体に抱き付きながら、上目遣いで訴えかける。

 

「心お姉さま、お願い!一子お姉さまを許してあげて!」

 

「な……し、しかし此方は――――」

 

許す訳にはいかないと言いかけた途端、カーチャにギリギリと脇腹を抓られる。痛い……それなのに、何故喜びを感じているのだろう。心は頷いて、仕方なく承諾をする。

 

「……分かったのじゃ。此方も少し言い過ぎた部分があるからの。まあ許してやらんでもない」

 

捻くれた言い方で、一子にそう告げる心。カーチャは心お姉さまは優しい、大好き!と心の身体に頬を擦りつけていた。

 

「あ……うん……ありがとう!」

 

一子には、一筋の涙。一子の勇気の一歩が、今形となって現れていた。

 

 

 

 

「カーチャ!」

 

心の病室を出て、一子はカーチャを追いかけて呼び止める。

 

「……何よ?」

 

「さっきは、その……ありがとう!」

 

心を説得してくれた事に礼を言う一子。カーチャは、何だそんな事と言って軽くあしらった。

 

「勘違いしない事ね。こっちの都合が悪くなるから、しただけの事よ」

 

それだけ言って、カーチャは一子の前から消えていく。それでもワン子は笑顔で手を振りながら、カーチャを見送っている。

 

(そう……私の奴隷が登校拒否なんてされたら、困るもの)

 

ふふ、とカーチャは小さく笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

こうして、彼女の一つの物語が終わりを告げる。

 

否――――或いは、これは始まりの予兆だと言う事を、一子はまだ知らない。



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サブエピソード19「ワン子、限界突破!?」

川神院、野外道場にて。

 

サーシャは鉄心とユーリの監督の下、道場を借りて百代と模擬戦闘を行っていた。側にはまふゆと一子。大和もその戦いを観戦している。

 

もちろん模擬戦闘とはいえ互いに本気であり、激しい攻防を繰り広げていた。

 

「――――そこまで!」

 

立会いをしていた鉄心が声を上げ、模擬戦の終了の合図を告げた。サーシャと百代は戦いを止め、お互いに一礼して挨拶をする。

 

「……さすがに瞬間回復なしはキツいな。っていうか、血液操るとかお前チートだろ」

 

サーシャの能力に対して文句を垂れる百代。

 

―――――そう、サーシャは鉄のクェイサーである。

 

 

人間の血液中の鉄分も操る事ができ、百代が瞬間回復を使用した瞬間、血液中の鉄分を操作され細胞の活性化を止められてしまうだろう。そうなってしまえば圧倒的に不利になる。

 

「お前の瞬間回復も似たようなもんじゃわい」

 

と、百代達に近付きながら苦笑いする鉄心。

 

鉄を操るクェイサーと、瞬時に回復する力を持つ最強の武神。どちらも負けず劣らずである。

 

「いい試合だった」

 

サーシャが百代に握手を求める。百代は笑って、

 

「ああ。次も頼むぞ」

 

互いに握手を交わすのだった。

 

「すごい、2人ともやっぱり強いわね!」

 

一子が百代に向かって抱きついてくる。百代は可愛い妹だと、優しく一子の頭を撫でていた。

 

――――あの戦い以来、しばらく一子の相手をしていない。一子自身も気を使っているのか、あまり手合わせを申し出てはこなかった。

 

「………なあ、ワン子。たまには組み手でもしないか?」

 

「えっ……」

 

百代の突然の申し出に、目を丸くする一子。本当にいいのだろうか……一子は鉄心を見る。鉄心は快く承諾してくれた。一子の表情が、みるみる笑顔になっていく。

 

「うん、するする!」

 

「よし。そうと決まったら早速やるか……じじぃ、立会いを頼む!」

 

鉄心にそう伝えると、百代と一子は向かい合って一礼する。

 

「さあ、来い。ワン子!」

 

「はいっ!」

 

2人の手合わせという名のスキンシップ。少しでも一子の傷を癒してやりたい。少しずつ、ゆっくりと時間をかけて。

 

「はああああ――――!」

 

先手は一子。一子は持ち前のスピードで百代に向かって疾走し、蹴りの一撃を与える。

 

――――その時、それは(・・・)起こった。

 

「―――――!?」

 

いつもなら身を躱す百代であったが、条件反射で身体が防御行動を取った。百代は左腕で一子の蹴りを防いでいる。

 

防いでいるまではいい。しかし、百代の防御した左腕の骨が衝撃に耐えきれず、軋みをあげて折れ、赤く腫れ上がっていた。

 

「あ……あれ?」

 

一子自身も驚いている。もちろん立会いをしていた鉄心や、サーシャ達もである。

 

「………瞬間回復」

 

百代は無表情のまま、自分の身体に受けた傷を回復させた。折れた左腕が元に戻っていく。

 

 

そして、

 

 

「………ワン子、組み手はなしだ」

 

「え?」

 

「――――今から死合うぞ!」

 

百代にスイッチが入り、一子を押し切るように怒涛の攻撃を繰り出した。拳と蹴りの嵐が一子を追い詰める。こうなってしまっては手も足も出ない。

 

だが、

 

「―――――!!」

 

一子は百代の動きを読み取りながら回避し、全ての攻撃を払いのけていた。

 

(この動きのキレ、威力。これじゃまるで―――――)

 

百代は驚愕する。元素回路を装着したあの時の一子と戦っているような感覚だった。

 

 

いつの間にこんなに強くなったのだろう。威力は劣るかもしれないが、強さは十分である。黒い闘気は感じられない。純粋な、一子としての強さであった。

 

だからこそ、百代は歓喜する。一子とこうして、互角に戦えるこの喜びを。

 

「面白くなってきたぞ!!川神流―――――」

 

とうとう心に火がつき、ヒートアップした百代は拳を突き出してカウンターを狙う。

 

「―――――?」

 

異変を感じ取った百代は拳を引っ込めた。一子の気が急に消えたからである。

 

「――――――」

 

一子の身体がふらつき始め、ついには糸が切れた人形のように、力なく地面へと倒れ伏せた。

 

「ワン子!?どうした、しっかりしろ!」

 

一子の身体を抱き起こし、必死に呼びかける百代。だが返事はない。意識はなく、身体中から大量の汗をかいている。

 

思わぬ事態にサーシャ、鉄心達が駆け寄り、一子は川神院の休憩室へと運び込まれた。

 

 

 

 

―――――川神院、客間。

 

「後遺症だね」

 

一子の急変に呼ばれた麗が、客間に集まっているサーシャ達に告げる。

 

後遺症。それは、装着した元素回路によるものであった。

 

症状はこうである。一子が装着した元素回路によって身体能力が限界以上まで引き出され、取り除いた後も能力は一部を除き(星殺し等のデタラメな技)そのままの状態になっているらしい。

 

だが、身体が自身の能力についていけず、力尽きて倒れてしまう……それが、麗が診断して出した結果だった。

 

「……戦えたとしても、あの状態だとせいぜい一分が限界ってところかな」

 

煙草を吹かす麗。もう一子は戦える身体ではない……その現実が受け入れられず、大和や百代が何とかならないかと講義した。

 

すると、麗の代わりにユーリが前に出て答える。

 

「残念ですが、もう一子さんの身体は元に戻る事はないでしょう。元素回路は元々、一般人が使用すると危険な代物ですからね」

 

一子は何らかの形でサーキットを装着し、その力を行使した代償として、本来引き出される事のなかった力を扱い切れていないのです、とユーリは説明する。

 

日常生活に支障はないが、少なくとも今のままでは戦う事はおろか、トレーニングすらも難しいだろう。無理に実行すれば、症状がさらに進行して悪化するばかりだ。

 

「そん、な―――――」

 

項垂れ、絶望する百代。一子はもう戦えない。修行も組み手も、何一つできない。あんなに師範代を目指すと、ここまで頑張ってきたというのに。

 

「……お、姉さま」

 

休憩室で眠っていた一子が目を覚まし、身体をふらつかせながら部屋に入ってきた。顔色も悪く、今にも倒れてしまいそうな程に。

 

「ワン子……聞いてたのか」

 

「……うん、ごめん」

 

百代は一子の身体を、そっと支える。聞かれていた以上、一子はきっと絶望するだろう。しかし、一子はそんな素振りなど微塵も見せず、百代に笑顔を向けるのだった。

 

「……いいの。こうなったのもアタシのせいだし。きっと、バチが当たったんだね」

 

「違う……私のせいだ。私のせいで……」

 

「謝らないでお姉さま。ほらアタシ、元々才能なかったみたいだし……だから、もういいんだ」

 

師範代は諦める、と百代や鉄心達に伝える一子。鉄心は何も言わず、ただ一子の出した答えを受け止めていた。

 

「―――――諦めるんじゃないよ。川神一子」

 

突然部屋の襖の扉が開く。中へ入ってきたのはビッグ・マムであった。何故ここにいるのか……すると、ユーリがにこやかに笑みを浮かべて理由を説明する。

 

「実は、頼んで来て頂きました……一子さんのリハビリの為に」

 

ええっ!?と声を揃えるサーシャ達一行。ユーリは予め、一子の為の手配をしていたのだ。

 

「いいかい?よく聞きな、一子。今のままじゃお前は満足には戦えない。だがお前さえよければ、アタシが鍛えてやろう」

 

リハビリと言う名の戦闘訓練……一子の承諾さえあれば、ビッグ・マムが付きっ切りで訓練をしてくれるのだという。それを聞いた一子の目が、少しずつ輝きを取り戻していくように見えた。

 

「アタシ……を?」

 

「そうとも。最初に言っておくが、アタシの修行は並大抵の物じゃない。中途半端な覚悟じゃあ乗り切れないよ。もちろん、断っても構わないが……どうする?」

 

ビッグ・マムの修行は、ギリシャにあるスコーレと言う養成所で行われる。そこで数ヶ月間滞在し、鍛錬を行うというのが修行の内容だった。

 

一子が今まで川神院で受けた修行よりも、ずっと辛い物になるだろう。しかし強制ではない。戦う事を諦め、普通に学園生活を送るのも一つの選択だ。

 

だが、一子の答えは一つ――――考える余地もない。何故なら既に覚悟は決まっていたから。

 

「アタシ――――やります!もっと強くなりたい!」

 

力強く、そしてビッグ・マムをしっかりと見据えながら答えた。ビッグ・マムは一子の目に迷いがない事を悟ると、満足げに頷くのだった。

 

「よく言った。日程は決まり次第知らせる。今はゆっくりと身体を休めておくといい」

 

「はい!ありがとうございます、ビッグ・マム講師!」

 

一子の目には一筋の希望。それは一子が目指していた師範代という道が、百代と肩を並べて戦えるという道が、開けたという事。

 

「よかったな……よかったなワン子!」

 

「うん!アタシ、絶対強くなるから!それまで待ってて、お姉さま!」

 

喜びを分かち合い、約束を交わす一子と百代。それを見守る大和達と鉄心。そしてサーシャ達。

 

―――――一子の物語は、まだ始まったばかり。



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サブエピソード20「集う異端者」

川神市内、某地下研究所。

 

薄暗い大きな部屋の中に、カプセル装置がいくつも立ち並び、カプセルを照らすライトがより一層不気味さを演出している。

 

その部屋で1人の男がパソコンに向かい、誰かと連絡を取っていた。

 

「――――そうですか。では、引き続き頼みます」

 

そう言って男は通信を切ると、デスクにあったコーヒーを啜り、ニヤリと笑う。

 

白衣を羽織った眼鏡の男……尼崎十四郎。彼は九鬼財閥の研究員である。

 

武士道プラン――――九鬼財閥が現代の人材不足を解消する為に提唱された、偉人クローンを生み出すという計画。尼崎は武士道プランの研究員の1人だった。

 

「――――計画は順調のようですね、ドクター尼崎」

 

尼崎の背後から男が一人。アデプト12使徒を統括する人物、フール。フールはタロットカードを眺め、壁に寄りかかりながら不気味に笑う。

 

「ええ。結局は破壊されてしまいましたが、意外なデータが取れたので良しとしましょう」

 

尼崎はパソコンの画面を眺めながら、マウスをスクロールしてデータを確認している。

 

「武士道プラン……ドクターの技術には驚かされます」

 

「いや、貴方の資金援助のおかげですよ。こうして私は私自身の研究ができる……マープルの提唱した武士道プランなど、もはや茶番でしかない」

 

尼崎は正規のプランには興味がない。偉人クローンを生み出した所で、何が変わるというのか……それでは時代は動かない。変わらない。だからこそ彼はアデプトと手を組んだのだから。

 

「ドクターの技術は、我々の計画に必要です。もちろん――――彼女もね」

 

言って、フールは彼女のいる方向へと視線を向ける。その先に“彼女”はいた。ブロンドの長い髪を靡かせ、コツコツと靴音を立てながらフールと尼崎の前へやってくる。

 

「ご気分はいかがですか?クイックシルバーの魔女――――いえ、エヴァ=シルバー」

 

フールが声をかけた人物、それはかつてサーシャによって倒された、水銀を操るアデプト12使徒の一人。エヴァ=シルバーであった。エヴァはふふ、とフールに微笑みかける。

 

「悪くないわ。それにしても、まさか生きていた記憶ごと蘇らせるなんて……日本の技術も捨てたものじゃないわね」

 

と、日本の技術に感心を持つエヴァ。そう、エヴァは武士道プランの技術によって蘇っていた。

 

1つは、フールの持つ元素回路。

 

”再生怪人”の異名を持つ能力によって、意思の宿らないエヴァのクローンを精製。

 

もう1つは、サーシャとの戦いでバラバラになったエヴァの身体の一部を精製していた水銀の一部を、フールが回収。

 

最後は武士道プランの技術。尼崎との協力によって、エヴァのクローン体に水銀の一部にある遺伝子情報を取り込み、欠陥した部分を補填。さらに肉体の強化。

 

これにより、記憶と能力を完全なものとし、エヴァを現世に舞い戻したのである。

 

もはやエヴァはクローンではなく、“エヴァ=シルバー”そのものであった。

 

「私の――――いえ、我々の計画には貴方の技術が必要なのです」

 

尼崎にはエヴァの技術が必要不可欠だった。より強く、より完璧なクローンを作り出す為に。

 

エヴァの持つ、第三帝国のクローン技術――――パラケルスス機関。彼女はその技術を使い、自らのクローンを作り出し、自分の身体に取り込み若さを90年以上保ち続けている。

 

「勿論生き返らせてくれた以上、協力はするわ。武士道プラン――――なかなか興味深いわね」

 

エヴァは武士道プランに興味を示していた。

 

自らの技術と武士道プランの技術――――これを利用しない手はない。

 

「協力はするけど、それ以外は私の好きにさせてもらうわよ?それに……あの坊やとも久しぶりに会えるのだから、楽しまなくちゃね」

 

エヴァの表情が冷たく、殺意を帯びた笑みを浮かべる。

 

エヴァを倒した鉄のクェイサー・サーシャ。その感情は復讐の色に染まっていた。そして殺戮、解体、虐待……エヴァの持つ芸術と言う名の感性が、自身を震えたたせる。

 

するとそこへ、

 

「――――全てはお母様と、ご教団の皆様の為に。私たちは身も心も捧げる、なのです」

 

「――――裂かれて、焼かれて、嬲られて………皆様に喜んでもらう為に、私たちは存在しているのでございます」

 

エヴァの背後に現れた、桃色の髪の少女が二人。彼女らも、エヴァが生み出した物である。

 

(テー)と、そして(ユー)。エヴァの技術と尼崎の技術で生まれた、エヴァの作品クローン。何度殺されても蘇る再生者(リザレクター)

 

そして、やがてエヴァの一部となる存在。今まで作られた(アー)から(ペー)(クー)(エル)(エス)のように。

 

「早速研究所の施設を使わせてもらったわ。もうじき、この子達の妹も生まれる事だし……」

 

と、エヴァ。彼女が復活した今、尼崎の計画は新たな段階に突入する。

 

最強のクローンを生み出すという、尼崎の計画が。

 

「これで役者は揃った、という事ですか」

 

フールはタロットカードを懐にしまい込み、静かに笑う。彼もまた、尼崎とは別に目的があった。それはフール自身しか知らない、彼自身の計画。

 

 

 

こうしてフール、尼崎、エヴァの3人が集結した。尼崎は眼鏡を指で持ち上げ高らかに告げる。

 

「さて、我々も動き出すとしましょう―――――“プロジェクトQ”成就の為に」

 

陰謀が蠢く川神市で、さらなる闇が動き出す。



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25話「含鉄泉の夜S~真剣で吸ったら驚いた~ 1」

夏休みも後半に突入したある日の事。

 

川神院にサーシャ達の姿はなかった。強化合宿で外出しているため、今は不在である。

 

サーシャ達だけではなく、修行僧達も殆ど帰省している。蝉の声だけが、院内に響き渡っていた。

 

そんな中、川神院の客間でユーリと鉄心が将棋を打ちながら休暇を過ごしている。

 

「なるほど……百代さん達は温泉旅行ですか」

 

ユーリは涼しげな顔で、将棋の駒を将棋盤に打ち込む。その度に鉄心がむぅ、と小さく呻き声をあげていた。

 

「夏休みも残り僅か。今頃は、旅館で骨を休めているでしょうな」

 

一子の一件から数週間が経ち、キャップが旅行に行こうぜと急に言い出したのである。勿論、ファミリー一同は大賛成した。

 

一子を心配して大和達が企画してくれたのだろう……良い仲間を持ったなと、鉄心は思う。

 

「場所は確か……“ちちがしら温泉”、じゃったかな」

 

ちちがしら温泉―――含鉄泉と呼ばれる、鉄分を多く含んだ泉質の温泉がある事で有名な旅館である。何でも飲用すれば胃酸の分泌が高まり、鉄を吸収しやすくする効果があるらしい。

 

特に、貧乳が気になる女性達が豊乳な身体を求めてやってくるのだとか。

 

「ちちがしら温泉………」

 

ユーリにはその旅館の名前に聞き覚えがあった。含み笑いをしながら、将棋盤を吟味する。

 

(これは……面白い事になりそうですね)

 

何かが起こる……心の中でそう呟きながら、一手を落とし込むユーリなのだった。

 

「王手です」

 

「むぅ……」

 

そして、鉄心は相変わらず将棋が弱かった。

 

 

 

 

夏休みも後半になり、ちちがしら温泉を訪れた大和達風間ファミリー一同。

 

大和達は部屋に集まり、ここまでの長旅の疲れを癒していた。

 

「たまには温泉も悪くねぇよな。ゲンさんも来ればよかったのによ~」

 

畳の上で寝転がりながら、身体を伸ばすキャップ。ちなみに忠勝は仕事で行けず、温泉旅行には同行していない。

 

「この温泉は鉄分が豊富で身体にも良いと聞いている。うむ、流石サムライの国だな」

 

「サムライはあんまり関係ないと思うけどね」

 

クリスはうんうんと頷きながら温泉を賞賛している。その隣で京が突っ込みを入れていた。

 

「温泉といえば若いねーちゃん達だな。さて、生きのいい食べ頃の娘を探すとするかな」

 

「何か、約1名危ない人がいるよ!」

 

目をギラギラさせながら危険な発言をする百代。そして、隣にいた卓也は相変わらずのキレのいい突っ込みであった。

 

皆それぞれ、思い思いの目的を持っているようである。

 

そしてもう1人、今日という日を待ち望み、心に炎を宿す男がいた。

 

「この日を待っていたぜ……俺様の恋が実る日が!」

 

そう、岳人である。筋肉質な身体が災いして(本人は自覚していない)告白に失敗し、フられ続けて未だ記録更新中の岳人は、この温泉で彼女を作るという目標を掲げていた。

 

岳人はこの日の為に、毎日のトレーニングを通常の倍近くこなし、プロテイン、プロテイン、プロテイン(ry………。

 

こうして岳人は、準備万端でこの旅行に望んでいたのであった。

 

余談だが何があってもいいように、大人なグッズを一式持参している始末である。

 

「ここに宣言するぜ。俺様は今日で……キメる!」

 

男岳人、必ず彼女をゲットすると大和達の前で豪語する。そんな岳人を、暖かく応援する風間ファミリー一同。

 

彼の戦いは、今始まったばかりだ――――――。

 

 

…………………。

 

 

そして全員がスルーという結末である。応援どころか、声をかける者もいない。いるのは精々、何をどう声をかけていいか戸惑う由紀江と、生暖かい視線を送る百代だけである。

 

「っておい無視かよ!何か反応しろよ!?」

 

宣言が台無しになり、せめて一言くらいかけてもいいだろと講義する岳人。それに対し、大和達の返ってきた言葉は、いつも通り冷ややかなものだった。

 

「いや、だってお前いつも失敗してるだろ」

 

「うん。おまけに成功した試しもないし」

 

「先が見えてるからなぁ」

 

何度も岳人の連敗記録を見ている百代にとっては見慣れていて、特に気にかける様子もない。一子も百代に同じ。大和はもはやパターン化していると岳人に悟る。

 

「まあ、ガクトがフられるのはいつもの事だしね」

 

「うむ、何というか諦めが悪いぞガクト」

 

「ほんとしょーもない」

 

ダメだしを押す卓也、クリス、京。

 

「わわわわわ、私は、その、頑張ればきっといつかは―――」

 

『いいんだぜ、まゆっち。はっきり言ってやるのも友達ってもんだ』

 

由紀江は応援しているつもりでいるが、松風を通してもう無理だと感じているようである。

 

「俺は別に興味ねーからなぁ」

 

キャップは恋愛にはまるっきり興味なし。

 

全員、岳人の恋は実らないと満場一致して終わった。岳人は怒り、拳をわなわなと震わせる。

 

「くっそ~、さっきから聞いてりゃ人の事バカにしやがって!見てろよ、ぜってー彼女……いや巨乳な彼女をゲットしてやるからな!」

 

必ず彼女、しかも巨乳という自らハードルを上げ、岳人は怒りながら部屋を後にした。

 

 

 

 

旅館の廊下を歩きながら、岳人は1人途方にくれていた。

 

「ああは言ったものの……巨乳の美女なんて早々いるわけねぇよなぁ」

 

肩を落としながら、当てもなく廊下を歩き続ける。それもそのはず、すれ違い様に出会う人は女性ではあるが、老人や子連れが殆どだからである。巨乳はおろか、美女すら出会わない。

 

このまま部屋に戻ってもいいが、戻れば百代達に“やっぱり戻ってきたか”とからかわれて笑われるのがオチだろう。それもそれで、負けた気がして気が退ける。

 

ようするに、岳人は戻るに戻れずにいた。

 

「あ~……突然巨乳の美女が現れたりしないだろうか……」

 

ありもしない妄想を抱きながら、岳人はまたいく宛もなく廊下を歩く。もう何回同じ場所を歩いただろう……すれ違う旅館の従業員や客の視線が痛い。

 

と、岳人が廊下の曲がり角を曲がった、その時だった。

 

「―――うおっ!?」

 

「―――きゃっ!?」

 

曲がった瞬間に誰かとぶつかり、床に尻餅をつく岳人。今日はとことんついていなかった。

 

「いてて……どこ見てんだよ、コラ!?」

 

自分の不運さに八つ当たりするように、ぶつかった相手に怒鳴る岳人だったが、その怒りは一瞬にしてかき消された。何故なら、

 

「ご、ごめんなさい……」

 

岳人にぶつかってきた相手が、美少女だったからである。

 

――――軽くパーマをかけた長い髪。童顔。まさに美少女と呼ぶに相応しい。

 

そして極めつけはその胸である。メロンのような豊満な胸は、岳人の視線を釘付けにした。

 

(な、なんという……ビッグマウンテン!!)

 

岳人は美少女から目が(特に胸が)離せなかった。しかも、上目遣いでこちらを見ている。

 

これは一世一代のチャンス。キメるしかない。岳人はすっと立ち上がると、さっきまでの態度とは一変、紳士的な対応で倒れた美少女に手を差し伸べる。

 

「いえ、こちらこそすみませんでした。お怪我はありませんか、お嬢さん」

 

「え……あ、はい。ありがとうございます」

 

美少女は岳人に微笑み、差し伸べられた手を取り、ゆっくりと立ち上がる。その反動で乳が揺れるのを、岳人は見逃さなかった。

 

これは、真剣(マジ)で落としたい。

 

「俺は島津岳人です。お嬢さんのお名前は?」

 

「えっと、私は山辺(とも)です。よろしくね、岳人さん」

 

燈の笑顔が眩しい。おっとりとした表情からして、天然系だと岳人は睨んだ。岳人はさらに燈に食いついていく。

 

「燈さんですか、いいお名前ですね。今日はお1人ですか?」

 

「ううん、お友達と一緒。ずっとトレーニングしてて、今は休憩中」

 

燈は友達と訓練合宿に参加しているらしい。トレーニングという言葉を聞き、これはキタと岳人は心の中でガッツポーズを取る。趣味が合う……イケると確信し、早速告白をする。

 

(……おっといけねぇ。俺様とした事がつい。焦るな焦るな、ここは慎重に)

 

その直前で言葉を飲み込んだ。何度もフられているだけあって、学習はしているようである。

 

「トレーニングですか。いいですよねぇ、汗を流して身体を鍛え抜く……燈さん、俺達趣味が合いますね!!」

 

まずは前置きで責める。燈の反応は笑っている……好感触だと岳人は判断した。

 

次は全力で押し切る。そして、

 

「どうですか燈さん。俺と一緒に、愛のトレーニングをしませんか!」

 

趣味が合い調子に乗った岳人は遠回しで卑猥な表現を、燈に告白してしまったのだった。その言葉を受け取った燈の返事はというと、

 

「うん、いいよ」

 

ほんのひと返事だけで終わった。

 

(ああ、だよなぁ……いつものパターンだぜ………え?)

 

いつもフられている事が多かった岳人は、自分がOKを貰っている事に気づくのに時間がかかった。燈の言葉が、何度も自分の頭の中で木霊する。

 

―――――ついに、岳人の時代がやってきた。

 

「あ、でも……」

 

と、燈が何かを思い出したかのように天井に視線を向ける。何か問題でもあるのだろうか……岳人の表情が一気に曇る。

 

「すっごく……キツイよ?」

 

燈のその言葉を一体どのように解釈したのか、鼻の下を伸ばし、目をギラつかせながら岳人はこのチャンスを逃すまいと全力で答えた。

 

「お、OKっす!むしろ、キツイ方が全然イケます!」

 

岳人はもう目の前の燈しか見えていない。その岳人の答えが嬉しかったのか、燈はニッコリと笑顔を見せる。

 

「本当?そっかぁ~、それなら私も安心。じゃあ、私が迎えにいくから岳人さんの部屋の場所を教えてもらってもいいかな?」

 

「は、はい!」

 

岳人は燈に部屋の場所を教え、また会おうと約束を交わした。しばらくして、燈がそろそろ行かなきゃ、と岳人に背を向けて、

 

「じゃあまたね、岳人さん。後で一緒にやろうね♪」

 

そう言い残して走り去っていった。それをニヤニヤと笑いながら見送る岳人。

 

「“一緒にヤろうね”、か。く~~~!」

 

ついに連敗記録に終止符が打たれた。告白がついに成功したのである。岳人は嬉しさのあまり、人目を気にせず大声で叫んだ。

 

 

「俺様の時代が、キターーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

数十分後、誇らしげな表情で部屋へと戻る岳人。

 

「聞いてくれ!ついに俺様にも春が来たぜ」

 

自慢げに答える岳人の表情は、一片の曇りもなかった。

 

次こそは……とそんな岳人を見てきた大和達。当然、微塵も信じてはいない。

 

「そうか……とうとう二次元に走ったか。モロロ、お前に仲間ができたぞ」

 

「いや、そこまで絶望してないから!」

 

岳人がフられすぎて、ついにアニメキャラに手を出したかと百代は面白半分に嘆く。卓也は二次元好きなのは否定はしないが、少なくとも末期ではないと断言する。

 

「そう言ってられるのも今のうちだぜ。今日の俺様は真剣だ。もう勝ちしか見えねぇ」

 

岳人は上機嫌で胡坐をかくと、部屋の襖の扉を眺めながら、今か今かと覗き込むようにして見ていた。終いにはバックの中の、大人なグッズを弄る始末だ。

 

これから数十分後、岳人がゲットした彼女(?)が部屋を訪ねてくるらしい。メンバーの殆どが騙されていると思っているだろう。

 

来るわけがない……大和達の誰もがそう思っていた。

 

が、その予想は大きく外れる事になる。

 

トン、トン。

 

突然、襖を叩く音がする。大和がどうぞと声をかけると、部屋の襖がそっと開いた。

 

そこにいたのは、

 

「あ~、いたいた。岳人さ~ん!」

 

笑顔で手を振る燈の姿だった。その姿に岳人以外の誰もが言葉を失った。

 

現れたのは、巨乳童顔の美少女。しかも岳人の事を呼んでいるという事は、間違いなく岳人がナンパしてきた彼女である。

 

つまり、岳人が告白に成功したという事だ。

 

信じ難い現実に、ある者はショックで啜っていたお茶の湯のみを落とし(クリス)、ある者は燈の胸の大きさに驚愕して絶望し(一子)、そしてある者はツッコミを入れたくても状況がありえなさすぎて思わずタイミングを逃し(卓也)、なんかもうみんな無茶苦茶だった。

 

そんな中、岳人は鼻の下を伸ばしてキリっと立ち上がる。

 

「はい!待ってました、燈さん!それじゃあ早速、」

 

「うん、一緒にトレーニングだね~♪」

 

燈は大和達に挨拶をすると、早速岳人を連れて部屋から出て行く。大和達は声をかけられないくらいに衝撃を受けているのか、一向に黙ったままだった。

 

「……じゃあな、大和。モロ。そしてヨンパチ。俺は先にいくぜ――――!」

 

彼らに別れを告げる岳人。これでついに、童貞を卒業できる……岳人の果てしなく続いた恋物語がこうしてハッピーエンドとなり、終わりを告げたのだった。

 

「―――――川神流ハンマーラリアットオオォォ!」

 

「ごげふっ!?」

 

そして、終わらなかった。

 

突然岳人の首に百代のラリアットが炸裂し、燈と引き離される形で吹き飛んでいく。そして百代は燈の手を取り、ぐいっと肩を抱いて自分の所へ引き寄せた。

 

「君、なかなかいい乳してるな。どうだ?私と一緒に温泉でも」

 

岳人から燈を奪いとる百代。燈はどう反応していいか、というか何が起きたのか分からずオロオロしている。すると、ラリアットを食らった岳人が起き上がった。

 

「ひ、卑怯だぞモモ先輩!燈さんは俺が――――」

 

「残念だガクト。お前の青春は今終わった」

 

はっはっはと百代は笑う。その横暴ぶりには、岳人も手も足も出ない。出したとしても、返り討ちに合うだけである。

 

こうして岳人の甘い青春は、儚く終わった。すると、

 

「――――アタシの訓練を受けたいというヤツは、どこのどいつだい?山辺燈」

 

豪快な足音とともに、聞き覚えのある声が廊下から聞こえてくる。

 

「あ、コーチ。こっちで~す」

 

燈が視線を向けた先――――足音が徐々に近づき、大和達の前にやってきたのは、川神学園の特別講師として赴任してきたビッグ・マムであった。

 

「び……ビッグ・マム講師!?」

 

何でここに、と驚愕するファミリー一同。

 

「ほう、お前たちもここに来ていたのかい」

 

偶然だねぇ、とビッグ・マム。

 

「コーチ、お知り合いですか?」

 

「うむ………そうか。なるほど、こいつは丁度いい」

 

ビッグ・マムがニヤリと不気味に笑う。その何かを企むような笑みに、大和達は戦慄する。

 

「で、アタシの訓練を受けたいというヤツは……お前かい?」

 

棒立ちして固まっている岳人に視線を向けるビッグ・マム。岳人はびくっと身体を震わせた。

 

「あ、えっと俺様は――――」

 

「いいだろう。これからみっちり扱いてやる……無論、お前たちもだ」

 

断る隙すらなく、ついでに大和達も巻き込まれてしまった。

 

誰も逆らおうとはしない。できない。ビッグ・マムの圧倒的な強さは、既に熟知している。逃げようものなら……いや、もう逃げようという思考すら許されない。

 

「さあ、早速準備をして表に出るんだよ!」

 

“ア゛ーイッ!”という、ビッグ・マムの掛け声が部屋に響く。こうして、大和達の残り僅かな夏休みという名の休暇は、瞬く間に終わりを告げたのであった。



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26話「含鉄泉の夜S~真剣で吸ったら驚いた~ 2」

ビッグ・マムと遭遇してしまった大和達は、岳人の青春という名の勘違いによって地獄の訓練へと招かれる羽目になった(岳人はその後、百代達によってボコボコにされた)。

 

現在、ちちがしら温泉付近の海岸へと連れて来れられている。そこには驚いた事に、サーシャ達の姿があった。

 

「……で、何であんた達がここにいるわけ?」

 

最初に不機嫌な口調で声を発したのはカーチャである。だが誰がどう見ても、不運にもビッグ・マムに出会って巻き込まれた……という感じにしか見えない。

 

するとビッグ・マムがうむと頷き、早速説明を始める。

 

「今日はこの子達と合同訓練をする。まずは、走り込みから始めるよ」

 

いきなり訓練を始めようとするビッグ・マム。しかし、納得のいかない大和が反論を始める。

 

「ちょっと待ってください、ビッグ・マム講師。何で俺達まで訓練を―――」

 

「ほう。アタシに意見するとはいい度胸だ………直江大和」

 

右手をわきわきと鳴らしながら、ビッグ・マムは大和に威圧をかける。大和は負けじと反論を続けようとするが、この人には何かもう論理そのものが通用しなさそうなのでやめた。

 

「……じゃあせめて、理由を教えてください」

 

とにかく、訓練をする理由が知りたい。その問いに対しビッグ・マムは高らかに宣言する。

 

「決まってるだろう。アタシがルールだからだよ!」

 

もう、聞くだけ無駄であった。

 

こうして大和達は明確な理由も明かされないまま、サーシャ達と共にビッグ・マムの地獄の訓練の開始を迎えたのである。

 

 

 

 

合同訓練その1、走り込み。

 

「川神〜、ファイッア゛アアァァァーーーイ!!」

 

ビッグ・マムを先頭に、大和達とサーシャ達は続いて掛け声を発しながら砂浜をランニングする。しかも長い距離を走る為、普段から運動をしていない人にとってはまさに地獄であった。

 

「はぁ、はぁ……僕、もう、ダメ……」

 

走り込み。卓也、ダウン。

 

 

 

合同訓練その2。腹筋&スクワットetc……。

 

2人組で腹筋を行い、さらに連続でのスクワット。

 

「198、199、200!ふっ、普段から鍛えてる俺様にはこれくらい朝飯前だぜ!」

 

常に鍛え上げている岳人にとっては、まだまだ余裕が見える。しかも燈の事をまだ諦めていないのか、必死に自分はできる!とアピールしていた。

 

その様子を見ていたビッグ・マムはニヤリと笑い、岳人に近づいてくる。

 

「そうか。それなら島津岳人、お前は特別に追加20000回だ」

 

「に、20000回!?」

 

何という無茶ぶり。岳人は必死にスクワットを20000回まで継続を試みたが、とうとう途中で力尽きてしまった。

 

腹筋&スクワットetc……。岳人、沈黙。

 

 

 

合同訓練その3、長距離走。

 

「ぎゃーーー!何か後ろから来るーーー!!」

 

+アナスタシアの洗礼。

 

キャップは迫り来るアナスタシアから必死に逃げ回っている。大和や百代達も、伸びる銅線を避けながら走り続けた。

 

「あっ!あはっ……も、もっと!もっと叩いてください!カーチャ様ああぁ!!」

 

そして華はお尻を叩かれながら悦んでいた。もはや趣旨が違っている。

 

「いつまで逃げ切れるかしら――――ママ!!」

 

アナスタシアにライドしたカーチャが叫び、攻めが激しさを増し、痛烈な攻撃を浴びせていく。そしてとうとう大和、キャップがアナスタシアに捕縛され、

 

「「ぎゃあああああああああああ!!」」

 

いい感じにお仕置きされて力尽きてしまった。

 

長距離走+アナスタシア。大和、キャップ、リタイア。

 

華、快楽により勝手に絶頂してダウン。

 

 

 

こうして、ビッグ・マムの地獄の訓練メニューは続き、耐え抜き生き残ったのはサーシャ、まふゆ、カーチャ。そして百代、一子、クリス、京、由紀江だけである。

 

一方、リタイヤしたメンバーは海岸の隅の休憩所で燈に看病されている。

 

「学園の男どもは全滅……全く情けないねぇ。これぐらいで根を上げるようじゃまだまだだ」

 

腕を組み、溜め息をつきながら、男子のヘタレ具合を嘆くビッグ・マム。そもそも普段鍛えている人間でさえ耐えられない訓練メニューを、最後までやるというのが無理な話である。

 

百代達もついてきてはいるものの、今までとは比べ物にならない無茶苦茶な訓練をしているだけあって、少しばかり疲れが見えていた。

 

そんな百代達を余所に、ビッグ・マムは次の訓練を始めようとする。

 

「さて、じゃあ次のステップだ」

 

一体次は何をするのやら……すると、ビッグ・マムは一子に視線を向けた。

 

「川神一子」

 

「は、はい!」

 

一子は息を切らしながら返事をするも、目はやる気そのものだった。

 

今の自分の身体では、満足に戦えない。戦えるようになる為には鍛えなければならない。それも、ビッグ・マムが指導してくれるのだ……ここで根を上げてしまったら、武道の道は永遠に閉ざされてしまうだろう。

 

修行どころか日課のトレーニングですら難しいと言われていた一子。だが少しずつ、一子はトレーニングができるようになるまで日々努力を重ねていた。

 

絶対に諦めない……そう一子は決めたのだから。

 

「少し休憩したら、お前には模擬戦をやってもらう」

 

それは突然の提案だった。今の一子に模擬戦は危険すぎる……それを承知の上で言っているのだろうか。心配した百代が声を出す。

 

「ちょっと待ってください、ビッグ・マム!今のワン子の身体は――――」

 

「お姉さま、いいの。アタシ、やる!」

 

一子の目に迷いはなかった。これ以上の心配は無用。後は一子の戦いだ……百代はこれ以上は何も言わず、無理はするなよと一子にエールを送るのだった。

 

一子は力強く頷くと、ビッグ・マムと向き合う。

 

「ビッグ・マム講師、よろしくお願いします!」

 

「うむ、いい返事だ。休憩が終わったらすぐに始めるよ。他は観戦してよく見ておくんだね」

 

そう言って、ビッグ・マムの地獄の訓練は一時休憩となった。

 

 

 

 

休憩が終わり、一子は気合を入れて、薙刀(サーシャが錬成したもの)を持って模擬戦に挑む。周囲には、サーシャ達と大和達がいる。

 

ビッグ・マムは準備が整った事を確認すると、一子の側に立ち、対戦相手の選抜を始めた。

 

「それじゃあ、始めるとしようか。対戦相手は――――」

 

空気が緊迫する。一体誰なのだろう……一子と周囲の誰もが息を呑んだ。そしてビッグ・マムが選んだ、一子と戦う対戦相手は、

 

「エカテリーナ、お前だ」

 

何とカーチャであった。呼ばれたカーチャは一子の前へと出る。

 

カーチャは“赤銅の人形遣い”と呼ばれる程のクェイサー。百代に勝負を挑んでくるような挑戦者達とはレベルも能力も訳が違う。

 

一子は本能的に身構えていた。それに対し、カーチャは余裕の笑みすら浮かべている。

 

「安心しなさい。手加減ぐらいはしてあげるわ」

 

言って挑発するカーチャだが、実際のところ全力を出されては勝ち目はないと一子は思った。

 

だが、

 

「いいや、その必要はない」

 

ビッグ・マムの予想だにしない言葉に、ここにいる誰もが驚愕するのだった。

 

「エカテリーナ。川神一子を――――全力で追い詰めろ」



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27話「含鉄泉の夜S~真剣で吸ったら驚いた~ 3」

(・3・)ノノどうも、みおん/あるあじふです。
アットノベルスの掲載されたものと戦闘描写を変更しました。
ストーリー自体に変更はないですっ


一子を全力で追い詰める……ビッグ・マムの提案に、大和達は耳を疑った。

 

 

今の一子の身体は不完全な状態である。いつ何が起きるか分からない。それ対し、カーチャは全力である。結果は見えている所か、一子の身に危険が及ぶだろう。

 

 

大和達は抗議しようとした。しかし一子はそれを止めた。一子自身も全力で挑むつもりでいる。

 

 

するとビッグ・マムの要望を聞いたカーチャはくすりと笑い、

 

 

「そう。それなら全力でやらせてもらうわ―――――華!」

 

 

華を連れ出し、戦闘の準備―――聖乳(ソーマ)を補充する。華の乳を貪り吸うその姿は、まさしく女王。

 

 

(私の奴隷に手を出した罪――――ここで償ってもらうわ)

 

 

奴隷に手を出した罪、それは万死に値する。カーチャは全力で一子を叩き潰すつもりでいた。

 

 

「―――――始めましょう。川神一子」

 

 

聖乳の補充を終えたカーチャがアナスタシアと共に一子の前へと立ち塞がる。一子も薙刀を構え、かつてない強敵と対峙する。

 

 

立会いの下、ビッグ・マムは両者を交互に見てうむと頷き、

 

 

「それじゃあ―――――はじめっ!」

 

 

模擬戦開始の合図を、高らかに告げた。

 

 

瞬間、アナスタシアの身体から無数の銅線が一子目掛けて伸び始めた。

 

 

「―――――くっ!?」

 

 

無数に降り注ぐ銅線の雨。それを一子は薙刀で払いのけながら回避する。だが、同時に自分の中にある“力”が一子の体力と精神力を容赦無く奪っていた。

 

 

元素回路によって引き出されてしまった、膨大な力。このまま戦っていれば先に力尽きるのは間違いなく一子だろう。

 

 

カーチャの容赦ない攻撃の最中ようやく一子は隙を見つけ出し、反撃を開始する。

 

 

「川神流奥義―――――大車輪!!!」

 

 

今の一子が持つ、川神流の最大の技である『大車輪』。

 

 

薙刀を高速旋回させ、その運動を利用して降り注ぐアナスタシアの銅線を薙ぎ払っていく。長期戦は自殺行為。それなら全力で渾身の一撃を与え、勝負を決めるしか手立てはない。

 

 

「ふふ……そんなに全力を出していいのかしら?」

 

 

小馬鹿にしたようなカーチャの挑発……しかし耳を傾けない。一子はアナスタシアの攻撃の嵐を潜り抜け、

 

 

「とどめぇ―――――!!」

 

 

ありったけのパワーで薙刀を振り下ろした。その衝撃でアナスタシアがガラクタのように、バラバラになって吹き飛んでいく。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

大車輪を使い、一気に体力を消耗した一子。威力は絶大だが、その反動は凄まじかった。

 

 

だがこれでカーチャの攻撃手段はない。今の所、この戦局は一子が有利である。

 

 

「これで攻撃できない……アタシの勝ちだわ!」

 

 

アナスタシアという攻撃手段がいなければ、もはやカーチャに戦う術はない。降参するなら今の内よとカーチャに告げる一子。

 

 

しかし、相手はクェイサー。それ如きで倒せる相手ではない。

 

 

「――――медь(銅よ)

 

 

カーチャが静かに呟いた瞬間、バラバラになったアナスタシアがカーチャの下へと集まっていき、本来あるべき元の姿へと再生する。

 

 

「そ、そんな……」

 

 

破壊した筈のアナスタシアが目の前に現れる。倒した筈なのに……一子は愕然とした。

 

 

「ママは私がいる限り何度でも復活するわ。だから言ったでしょう――――全力を出していいの?って」

 

 

カーチャの嘲笑と共に、アナスタシアの無数の銅線が鞭のように、無防備になった一子の身体を打ちのめした。一子は勢いよく吹き飛ばされ、砂浜を転がっていく。

 

 

「うっ……くっ…………どうしたら……」

 

 

立ち上がりながら対策を考える。相手は何度破壊しても蘇る不死身の銅人形。弱点は、本体を操るカーチャのみ。

 

 

カーチャに攻撃ができれば勝機は見えるが、アナスタシアがいる以上、近付く事はできない。

 

 

「余裕してていいの?何か対策を考えているようだけど、そんな暇を与えてあげる程、私は優しくないわよ―――――!!」

 

 

カーチャの追い討ちが一子を襲う。今は避けるのが精一杯で、反撃できるかすらも怪しい。

 

 

(……これ以上は、もう)

 

 

戦えない。一子は心の中で弱音を吐く。奥義を使い、体力も続かない今、カーチャに勝てる術など見つかる筈もない。

 

 

それでも負けたくないという気持ちもある。だがどうにもならない。そう思っていた時、

 

 

「川神一子。これが模擬戦でなかったら、エカテリーナは本気でアンタを殺しにかかるよ?学園でやってる決闘とはわけが違う。生きるか、死ぬかの戦いだ。それを意識するんだよ」

 

 

ビッグ・マムの言葉が一子の耳に届いた。そう、百代との手合わせや学園の決闘……今まで戦ってきたものとはまるで違うのだ。

 

 

相手はクェイサーであり、命をかけた戦いを潜り抜けてきた戦場のプロである。一子は今、そういう相手と戦っているのだと改めて再認識する。

 

 

もしもこれが模擬戦でなく、あの時アナスタシアの攻撃を浴びていたら、

 

 

(――――――!!)

 

 

一子はアナスタシアの銅線によってバラバラに引き裂かれた自分の身体を想像し、全身に悪寒を走らせた。今頃は死んでいる……そう思うと身の毛がよだつ。

 

 

一子は戦いというものに対し、これまでにない恐怖を覚えた。

 

 

「生きるか……死ぬか……」

 

 

諦める、という選択だけでは済まされない。諦める事はすなわち死を意味する。生半可な気持ちで戦いに望んでいては勝てない。

 

 

これはビッグ・マムに与えられた最初の試練。もう既に修行は始まっていた。

 

 

一子は今、試されている。

 

 

(……生きなきゃ……絶対に!)

 

 

絶体絶命の最中、一子の中で何かが芽生え始めた。体力は後僅か。力の制御もまともにできない。さらには、生きるか死ぬかの危機的状況にある。

 

 

攻撃を避けながら一子はさらに思考する。勝つ為の方法ではなく、生き延びる為の手段。

 

 

戦力で劣っているのなら、戦術で補えばいい。こんな状況なのにも関わらず、意外にも冷静な自分自身に驚いていた。

 

 

結論……今のままでは勝てない。今の戦術では勝てない。

 

 

つまり、今の力の使い方では勝てない(・・・・・・・・・・・・・)と言う事。

 

 

それなら、制御できていない力を制御してしまえば済む話。ただがむしゃらに戦うのではなく、“自分を制する”事、それが一子が導き出した最善の策であった。

 

 

 

 

 

一方、一子とカーチャの模擬戦を観戦していた百代達は。

 

 

「……!ワン子のヤツ……」

 

 

百代は一子の変化に気付いた。一見変わらないようにも見えるが、一子から伝わる気の流れが、さっきまでとは明らかに違う。

 

 

「ワン子の気の流れが……」

 

 

京も変化に気づく。由紀江、クリス、サーシャ達も僅かな変化を感じ取っていた。

 

 

「あいつ、自分で気をコントロールしている……!」

 

 

百代の言う通り、一子は自分の気をコントロールし始めていた。

 

 

それは一子の生きるという、人間が本来持ち合わせている本能。その本能が、一子を僅かな時間で成長させたのである。

 

 

 

 

 

(なんとなくだけど、気の流れは掴めたわ。後は―――――)

 

 

制御はできた。これである程度体力の消耗は抑えられる。だが、状況が逆転したわけではない。むしろ押されている一方だ。

 

 

アナスタシアに近付く度に、止む事のない攻撃が一子を襲う。これでは拉致が明かない。このまま体力に限界がやってきて、力尽きるのを待つばかりだ。

 

 

カーチャに勝つには遠距離かつ、アナスタシアが二度と再生できないくらいの……もっと強力な攻撃が必要になる。

 

 

――――――そう。例えば、

 

 

(例えば………ものすごい雷撃、とか……)

 

 

何故かは分からない。ただ、一子は急にありもしないような事を思い浮かべていた。百代や鉄心のように、そんな次元を超えた技など出せるわけがない。

 

 

あまりに非現実的。それなのに、どうしてそんなイメージが湧いてくるのだろう。

 

 

だが次の瞬間、一子の“非現実”は“現実”へと成り代わる。

 

 

(え………?)

 

 

突然、薙刀を握り締める一子の右手が、電気を帯びた気がした。気のせいか……もう一度だけ気を込めてみる。

 

 

すると右手から蒼色の電気が、音を立てて帯び始めた。気のせいではない……一子の中で眠る力が、今形となって現れていた。

 

 

(これなら―――!)

 

 

まだ、手はある。一子は決心すると、アナスタシアから後退して大きく距離を取った。

 

 

「あら、もう諦めたの?」

 

 

カーチャは余裕を崩さない。アナスタシアも健在している。距離を取ったところで、一体何になるというのだろうか……しかしその余裕こそが、一子にとって最大の勝機となる。

 

 

「――――――」

 

 

大きく息を吸い、目を閉じ集中を始める一子。瞬間、一子の周囲に風が巻き起こり始める。

 

 

それは、一子の本来目覚める事のなかった力。

 

 

薙刀が、一子の身体を通して蒼色の電気を帯びていく。一子は残った気力全てを薙刀に注ぎ込んだ。薙刀は電撃を纏い始め、青白く発光する。

 

 

それは、まさしく“雷”。天を焦がす蒼の鉄槌。一子によって生み出された武の体現である。

 

 

一子は目を開けると青白く雷を纏った薙刀を構え、カーチャに向かって突進した。

 

 

「受けてみなさい、カーチャ。これがアタシの全力よ!!」

 

 

地面を蹴り、疾走する一子の姿はまさに一つの閃光。しかし、真っ向から攻撃を通す程カーチャは甘くはない。

 

 

「はっ、何をするかと思えば……ただの悪足掻きじゃない。全力が聞いて呆れるわ!」

 

 

戦略もなければ芸もない。ただの正面からの攻撃……まるで猪である。どう見ても自暴自棄にしか見えない。電気を帯びた所で、今更何が出来るというのか。

 

 

もう相手にする価値もない。そう判断したカーチャ―――アナスタシアは、一子に向けて銅線を放つ。これで終わり……そう思った時、

 

 

「――――せぇえええい!!」

 

 

一子と銅線が接触する瞬間、一子は足に力を入れて踏み止まり、薙刀を振り上げ銅線を打ち払ったのである。電撃を纏った薙刀は衝撃で爆発を起こし、周囲に砂嵐を巻き起こす。

 

 

砂埃で一子の姿は見えない。目くらましのつもりだろうが……所詮は数秒の時間稼ぎ。往生際の悪さに、カーチャは苛立ちを覚える。

 

 

「ちっ………いちいち面倒ね―――――!?」

 

 

砂埃が消えていく。しかし、そこに一子の姿はなかった。周囲を探すがどこにもいない。

 

 

まさか……とカーチャが空を見上げた時には、全てが遅かった。

 

 

一子は、カーチャを見下ろすように空中へ飛んでいた。アナスタシアの攻撃を打ち払った直後に空へ飛び上がり、カーチャを欺いたのである。

 

 

戦術と呼べるかどうかは疑わしい。だが、今は一瞬の隙さえ作れればいい。カーチャに一矢報いる渾身の一撃を。

 

 

そして一子は見上げるカーチャに向け、薙刀を槍のように投擲した。

 

 

これこそ、一子が編み出した全身全霊の一撃。

 

 

「――――武の起源ノ一・建御雷神(たけみかづち)!!」

 

 

放たれた薙刀が、青の閃光となって疾走する。予想だにしなかった攻撃にカーチャは反応できず、ただ立ち尽くすのみ。

 

 

「な―――――」

 

 

飛来した薙刀が、カーチャの立つ地面へと突き刺さる。雷を帯びた薙刀が強く発光し、召喚された電撃が周囲に爆発を巻き起こす。

 

 

閃光がカーチャとアナスタシアを包み込んでいく。姿は見えない……だが、一子は確信する。この一撃で決定的なダメージを与えられる事ができた筈だ。

 

 

さすがのカーチャも、アナスタシアを再生させる程の気力は残っていないだろう。

 

 

これで、形成は逆転した。

 

 

「あ……は、くっ……」

 

 

気力を使い果たし、一子は地面へと崩れ落ちる。視界が霞み、意識が薄れ始めていた。限界まで気力と体力を使い切り、さらには大技で莫大な精神力を消費してしまっている。

 

 

もう、一子はこれ以上戦えない。意識を保ち続けるのがやっとである。視界が霞みゆく中、目の前のカーチャの様子を確認する。

 

 

一子の一撃で砂埃が舞い、次第にそれが消えて行き、徐々に視界がクリアになっていく。

 

 

(これで、アタシの―――――)

 

 

一子の意識が消えてかけていく中で、カーチャとアナスタシアの姿を見る事なく地面へと倒れ伏せるその直前、

 

 

「うっ……ぐ……!?」

 

 

一子の首を、締め上げるかのように何かが掴みかかった。それは確認するまでもない、アナスタシアの右腕である。

 

 

 

「……やってくれたわね、川神一子」

 

 

意識がなくなりつつある中で聞こえる、カーチャの声。声色は低く憎悪さえ感じた。その目は、純粋な怒りの色に染まっている。

 

 

カーチャとアナスタシアは、未だ健在であった。一子の一撃も虚しく彼女らには届かなかったのである。しかしカーチャの額からは、一筋の血が流れていた。

 

 

これは傷付けられた事への怒りなのか………しかしそれでも、カーチャは笑っていた。

 

 

「私に血を流させた事だけは褒めてあげるわ。これは私からのご褒美よ……受け取りなさい」

 

 

アナスタシアは一子の首を掴みながら、さらに背中から銅線を伸ばす。銅線の先端は鋭く尖り、それは一子の身体に向けられた。

 

 

鉄をも貫く程の鋭利な銅の槍。このままでは一子の身体は串刺しになる。

 

 

カーチャは手加減する気はない。危険だ……見物していた大和達に悪寒が走った。カーチャを止めようと一斉に立ち上がる。

 

 

だが次の瞬間、カーチャはもう遅いわよと言わんばかりにニヤリと笑い、指を警戒に鳴らすと、アナスタシアに処刑開始の合図を送るのだった。

 

 

間に合わない。一子の身体はあらゆる箇所を串刺しにされ、アナスタシアの餌食となるだろう。大和達は思わず目を瞑った。

 

 

 

―――――――――――。

 

 

 

再び目を開く大和達。アナスタシアの銅線は……ピタリと止まっていた。銅線の先端は、一子の身体のギリギリの位置で停止している。

 

 

一方一子は、眠ったように意識を失っていた。力を使い果たし、身体に限界が訪れたのだろう。一子が無事だと分かると、大和達は脱力しその場に崩れ落ちる。

 

 

その様子を見てカーチャは呆れたわね、と溜息をついた。

 

 

「殺す訳ないじゃない。これは模擬戦よ?まあこれが模擬戦じゃなかったら……話は別だけど」

 

 

ふふ、と笑みをこぼすカーチャ。考えてみれば、本気で殺そうとするならビッグ・マムやサーシャ達が止めに入っていただろう。

 

 

もしこれが本当の戦いなら……大和達はこれ以上の思考を打ち切った。想像もしたくない。

 

 

「…………」

 

 

そして程なく、アナスタシアが一子の首から手を放す。すると立会いをしていたビッグ・マムが力尽き地面に倒れ伏した一子を担ぎ上げ、観戦していた大和達に歩み寄る。

 

 

「ビッグ・マム講師、ワン子は大丈夫なのか!?」

 

 

大和が一子の安否を確認する。ビッグ・マムは頷き、心配いらないよと大和達に言った。

 

 

「それにしてもワン子のヤツ、すげぇ………まるでモモ先輩みてぇだ」

 

 

一子の使用した技に見惚れ、岳人は感心する。

 

 

「あれがこの子の眠っていた力だよ。まあ、少々扱いには困るだろうがね」

 

 

と、ビッグ・マム。すると戦いを終えたカーチャもビッグ・マムの下へやってくる。

 

 

「そうね。おまけに燃費もかなり悪いみたいだし………今の段階じゃ、せいぜい戦っても5分が限界ってところかしら」

 

 

戦えたとしても5分。それが、今の一子の戦闘時間の限界点。カーチャに放った大技を使えば、さらに時間は減るだろう。

 

 

 

これから先武人を目指すのなら、効率的な力の使い方をしていかなければならない。一子にとって辛い道程になるだろうが、一子ならきっと乗り越えられるだろう。

 

 

きっとここにいる誰もが、そう思っているだろうから。



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バトルエピソード1「swallow’s encount」

こちらのエピソードも戦闘描写を大幅にリメイクしました。


模擬戦が終わり、しばらく時間が経ったある夕暮れ時。

 

 

一子は夕暮れの砂浜で一人座り込みながら、海へと沈む太陽を眺めていた。

 

 

後に聞いた話だが、模擬戦はカーチャの勝利に終わったらしい。

 

 

一子の放った最大の技、建御雷神(たけみかづち)の一撃はカーチャに擦り傷を負わせただけで、決定的なダメージを与えるには至らなかった。

 

 

その後は一子が意識を失い敗北。大和達は一子を賞賛していたが、正直な所喜べなかった。

 

 

気絶していた所為か、細かい事は覚えていない。ただ分かっている事は、自分が負けたという事実だけである。

 

 

「………ぐすっ」

 

 

悔しい。悔しくて悔しくて、涙が止まらない。一子は涙を腕で擦りながら、悔しさを誤魔化すように夕日をただ眺め続けていた。

 

 

すると、

 

 

「ここにいたか」

 

 

聞き覚えのある声が、一子の背後から聞こえる。振り向くとサーシャが立っていた。一子は慌てて残った涙を拭う。

 

 

「さ、サーシャ……?」

 

 

「大和達が心配している。そろそろ戻るぞ」

 

 

そう言って、サーシャは手を差し伸べた。迎えに来てくれたのだろう、そんなサーシャの気持ちが、一子は嬉しかった。

 

 

「あ……うん。ありが、と」

 

 

サーシャの手を取り、立ち上がる一子。そして直ぐにサーシャは一子に背を向けて歩き出した。一子も黙ってその後を追う。

 

 

「――――一子」

 

 

突然サーシャが立ち止まり、背を向けたまま一子に話しかける。

 

 

「お前の戦いは、俺の心を震わせた。だから――――」

 

 

サーシャはゆっくりと振り返り、一子に向かって言った。

 

 

「今度は俺とも戦ってくれ。もちろん、手加減なしでな」

 

 

それは、サーシャが一子を戦士として認めてくれた瞬間だった。一子は途端に嬉しくなり、嬉し涙でいっぱいになるも、サーシャに向かって微笑むのだった。

 

 

「……うん!アタシ、負けないわよ!」

 

 

「その意気だ」

 

 

大和達の待つ旅館へと戻っていく二人。一子は思う。今はまだ未熟だとしても、認めてくれる人達がいる。それが支えになるから、歩いていけるんだ、と。

 

 

 

 

 

その一方、サーシャと一子の動向を観察する一人の少女がいた。

 

 

黄色いフリルのブラウスにジーンズ。誰がどう見ても、普通の少女である。

 

 

だが、その少女は普通でありながら異質であった。少女は少し離れた建物の屋上でライフル型の機械を構え、スコープ越しにサーシャ達を伺っている。

 

 

そして、両手には黒いカラーリングの手甲を装着。腰にはスイッチが4つついた機械仕掛けの黒いベルト。明らかに普通ではない。

 

 

The target acquisition(目標を補足しました)

 

 

ベルトから聞こえる機械音声。人工知能を持ち合わせたデバイスが少女に語りかける。

 

 

「いや、ロックは外しといて。うっかり殺しちゃマズイからね」

 

 

そう言って少女はもう一度スコープを覗き込む。サーシャと一子は海岸を離れていく。そろそろかなと言って、ライフルのトリガーに手を掛けた。

 

 

「………風速、気温、温度確認。照準修正、っと」

 

 

ライフルの照準をサーシャと一子の位置に固定する。本体を狙うつもりはない。少女は心底楽しそうにしながら鼻歌を歌っている。

 

 

「初弾装填、安全装置解除」

 

 

Cartridge load(カートリッジロード)

 

 

ライフルから機械音が鳴ると同時に、デバイスの音声が響く。

 

 

そして、

 

 

「――――――撃・発♪」

 

『Plumbum Shooter』

 

 

少女――――松永燕はニヤッと笑い、ライフルのトリガーを引いた。

 

 

 

 

 

「―――――!?一子、伏せろ!」

 

 

遠方から殺気を感じ取ったサーシャは一子に声を掛ける。一子も察知していたのか、二人は即座に地面へと伏せた。

 

 

突然感じた殺気。その正体はサーシャの直ぐ側に、煙を上げながら砂浜に埋れていた。サーシャはそれを拾い上げる。

 

 

(銃弾……?いや、違う。こいつは―――――)

 

 

サーシャはそれが何なのか直ぐに理解できた。正体は銃弾……ではなく、鉛である。

 

 

遠方からの狙撃。音もなければ硝煙の匂いもしない鉛で生成された銃弾。サーシャの戦いの記憶が、鮮明に蘇る。

 

 

かつてサーシャが戦ったアデプト12使徒の一人、鉛のクェイサー。一“激”必殺的胡狼(いちげきひっさつのジャッカル)。倒した筈の敵が、どこかに潜んでいる。

 

 

「サーシャ、今のは!?」

 

 

一子も状況を把握できていない。ただ分かっている事は、サーシャと一子が狙われているという事だけである。

 

 

「気をつけろ。どこかに狙撃手がいる……それも相手は恐らくクェイサーだ」

 

 

「えっ!?」

 

 

クェイサーがいる……一子は周囲を見回しながら警戒を始めた。

 

 

(馬鹿な……奴は、この手で……)

 

 

ジャッカルはサーシャとの戦闘で倒されている。何故生きている……と思考に耽る暇はない。まずは狙撃手のいる位置を把握する事が最優先である。

 

 

現状で戦えるのはサーシャのみ。今の一子は模擬戦で体力を消耗している為、まともには戦えない。一子もそれを承知している。

 

 

それでも、一子はサーシャの足手纏いにはなりたくなかった。

 

 

「サーシャ……今のアタシじゃ、まともに戦えない。でも、敵の位置くらいだったら探れるかもしれない……!」

 

 

今の一子なら、敵の気配を察知できる。しかし、それには気の集中が必要……その間に狙撃されてしまえば意味はない。

 

 

ならば、一子が集中している間にサーシャが降り注ぐ銃弾を防ぎ切ればいい。サーシャは近くにあった鉄の破片を剣に練成させた。

 

 

「一子、俺が時間を稼ぐ。その間に敵の位置を探ってくれ」

 

 

「わかった、やってみる!」

 

 

互いに頷く二人。一子は気の集中を始め、サーシャは狙撃手の攻撃から一子を援護する。

 

 

未だ姿の見えない狙撃手は、身を潜め、サーシャと一子を狙っている。付近にいる筈だが、どこから狙撃されているかは分からない。少しでも気を抜けば鉛の銃弾の餌食となる。

 

 

今は一子が狙撃手の位置を察知するまで、この場を凌ぐしかない。

 

 

(―――――来る!)

 

 

再び銃弾がサーシャ達に向けて発射される。サーシャは軌道を読み取り、銃弾を打ち払う。

 

 

続いて第二射、三射……執拗なまでの狙撃。サーシャは一発も外す事なく銃弾を叩き落としていく。

 

 

(………妙だな)

 

 

その最中、サーシャはある異変に気付いた。これまで打ち続けられている銃撃は、どれもサーシャ達から僅かに離れた地点を狙っている。狙撃手にしては、的外れな射撃である。

 

 

ただがむしゃらに撃ち続けているのか。それとも、あえて外している(・・・・・・・・)のか。真意は見えないが、狙われているという事実だけは動かない。まずは敵を引き摺り出さなければ。

 

 

すると、敵の気を察知した一子がようやく狙撃手の居場所を突き止めた。

 

 

「――――!!サーシャ、感じ取れたわ!あの建物の屋上に誰かいる!」

 

 

気を察知し、敵の居場所を突き止めた一子が指差した先は……古びたビルだった。あの場所に、サーシャ達を狙う狙撃手がいる。サーシャは剣を再錬成し、ブーメラン状の武器へと再構築した。

 

 

一子の言う通り、ビルの屋上には小さな人影があった。サーシャの目でも視認はできたが、一子がいなければ気付く事はなかっただろう。

 

 

「震えよ―――――!」

 

 

ビルの屋上に向け、サーシャはブーメランを投擲する。狙いはほぼ正確。弧を描きながら回転するブーメランは次第に遠くなり、ビルの屋上にいる標的へ飛んでいく。

 

 

たとえ距離があろうと、姿を現した狙撃手など所詮は只の的でしかない。

 

 

ブーメランが屋上に到達した瞬間、その屋上で小さな爆発が起きた。攻撃は命中したが、敵がどうなったかまでは確認できない。仮に逃げられたとしても、そう遠くまではいけない筈だ。

 

 

「様子を見てくる」

 

 

言って、サーシャはビルに向かって走り出す。謎の元素回路の手掛かりが掴めるかもしれない。相手がアデプトなら尚更である。

 

 

 

……しかしサーシャはまだ気付いていなかった。その狙撃手が今、間近に迫っている事を。

 

 

「サーシャ、後ろ!!」

 

 

危険を感じ取った一子の声が、サーシャを引き留める。背後を振り返った瞬間、既にそれは(・・)サーシャとの距離を詰めていた。

 

 

「な―――――に、」

 

 

僅か一瞬。気付く暇も与えない程の速度。迸るブースターの稼働音。飛来した一人の影。

 

 

彼女―――燕という招かれざる来訪者が、サーシャ達の前に降り立っていた。

 

 

「一撃、必倒―――――!」

 

 

燕による強力な拳の一撃が、サーシャに叩き込まれる。装着された手甲は炎を纏い、腰に取り付けられた小型ブースターを加速させながら、サーシャの身体を押し出し吹き飛ばした。

 

 

サーシャの身体は海岸の堤防に減り込み、その衝撃で壁の一部が崩壊して崩れ去っていく。

 

 

「サーシャ!!」

 

 

呼びかける一子の声。百代クラスの凄まじい一撃……そして、堤防が破壊される程の衝撃。サーシャは無事だろうか。壁が崩壊して砂埃が上がり、その姿は見えない。

 

 

次第に砂埃が消え、サーシャの姿が見えるようになる。

 

 

「……貴様、何者だ」

 

 

サーシャは無事であった。先程の攻撃で多少の傷は負っているが意識はある。口にこびりついた血と砂を腕で拭い、燕を睨みつけた。

 

 

恐らく、彼女が狙撃手の正体。

 

 

「人に名前を尋ねる時はまず自分から………といっても、君の事は知っているんだけどね。“致命者”サーシャ君」

 

 

意味深に笑う燕。サーシャの事を知っているようだが……その陽気な表情からは、敵意も殺気も何一つ読み取れない。

 

 

危険な相手だ……サーシャは身構えると、大鎌(サイス)を練成し燕と対峙した。燕もそうこなくちゃね、と拳を構える。

 

 

「―――――松永燕。突然で悪いんだけど、手合わせしてもらえる?」

 

 

 

突如として現れた謎の少女、燕。二人の戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。



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バトルエピソード2「エレメンタル・ギア」

「……松永燕、と言ったな。お前の目的は何だ?」

 

 

燕の目的。サーシャ達を狙撃し、出会って早々いきなり手合わせを申し込んできた。何か他に目的があるようだが……すると燕はふふ、と笑いながらその理由を答える。

 

 

「戦いながら、熱く語り合いたいなって思ってさ」

 

 

「ふざけるな」

 

 

茶化そうとする燕を一言で一蹴するサーシャ。燕はう~んと腕を組みながら唸っている。緊張感がまるで感じられない。

 

 

「あ!じゃあ君と私は戦う運命にあった……ってのはどう?」

 

 

「意味がわからん」

 

 

即答で一蹴。相手にするだけ時間の無駄である。ノリが悪いなぁと燕は苦笑いしていた。

 

 

張り詰めていた空気が、燕によって一気にぶち壊されていく。その上、気勢を削ぐ燕の言動。油断すればペースに飲まれてしまう。

 

 

故に、隙がない。詮索すればする程深みに嵌っていく。彼女の動向からは本性がまるで見えなかった。サーシャの額に僅かに汗が浮ぶ。その表情を、さも楽しそうに燕は眺めている。

 

 

松永燕――――全てが未知数。クェイサーである事だけははっきりしているが、それが果たして本当なのかすらも疑わしい。

 

 

「ま、冗談はさておいて」

 

 

サーシャの張り詰めたような表情に満足したのか、燕はようやく話題を切り替えた。

 

 

「乙女座……じゃないけど、うお座の私にも運命じみたものを感じるよ。この気持ち、まさしく愛だよね」

 

 

この出会いは偶然か必然か。否、違う……これは仕組まれた運命。燕は何者のかがサーシャに仕向けた刺客であると考えた方が妥当である。

 

 

それはアデプトか、それとも……どちらにせよ、立ちはだかる敵は倒すのみ。サーシャは大鎌(サイス)の切っ先を燕に差し向けた。

 

 

「なら、貴様の運命とやらもここで終わりだ。松永燕―――――貴様は俺が狩る!」

 

 

見るもの全てを凍てつかせるような、サーシャの鋭い視線が燕に突き刺さる。そして、サーシャの宣戦布告……燕は震えるどころか、武者震いさえ感じていた。

 

 

「いいねぇ、その目。ますます興味が湧いてきたよ………サーシャ君!!」

 

 

瞬間、サーシャと燕は両者ともに地面を蹴り上げ動き出した。サーシャの大鎌と燕の手甲が衝突し、激しい鍔迫り合いが始まる。

 

 

(くそ……なんて力だ!)

 

 

押し負ける……と、舌打ちをするサーシャ。燕の手甲が徐々にサーシャを押しのけていた。

 

 

それは燕だけの力ではない。燕の腰に装着された小型ブースターの運動エネルギーも加わり、さらに威力が増している。しかも地面は砂である分、足場が悪い。いくら足で踏ん張りを入れたとしても、後数分が限界である。

 

 

今は燕の力が圧倒的に有利。このままでは……と対策を考えていた矢先、燕がサーシャの思考を読み取ったかのようにニヤッと笑みを浮かべた。

 

 

「ブースター、出力最大!」

 

 

All right.(了解しました)

 

 

燕の掛け声と共にデバイスが反応し、ブースターが咆哮のように唸りを上げる。ブースターは出力を増大させながら前進。サーシャをさらに押し出していく。

 

 

そして、

 

 

Na(ナトリウム)シフト・フルドライブ!」

 

 

『Phoenix Duster』

 

 

燕の手甲から炎が噴出し、手甲を覆った。その灼熱の炎は、サーシャの大鎌を溶かしていく。

 

 

炎による強化攻撃。かつて鳳慎一郎が行使した元素―――ナトリウムを思わせた。

 

 

(複数の元素を操るクェイサーだと!?)

 

 

あり得ない、とサーシャは驚愕した。クェイサーが操れる元素は例外を覗き一つのみである。

 

 

鉛による射撃。ナトリウムによる接近戦……次は何を繰り出してくるか分からない。かと言って黙って倒されるサーシャではない。

 

 

これまで数多のクェイサー達を相手にし、倒し、そして成長してきたのだから。

 

 

「―――――震えよ!」

 

 

サーシャは燕の攻撃を受け止めつつ、大鎌の一部を鎖状の武器に再構築し、燕のブースターに向けて投げ付けた。鎖はブースターに複雑に絡み巻き付いていく。

 

 

(ブースターさえ剥がしてしまえば………!)

 

 

サーシャは燕の手甲を弾き、鎖を引きながら脇へと逃げ込み攻撃範囲から逃れた。

 

 

(―――――!?しまっ―――――)

 

 

しまった、と燕が思った時には既に遅かった。ブースターは最大出力。急な方向転換はできない上、ブレーキもかけられない。鎖が絡みついている。加速力があるが故に、利用されたのだ。

 

 

燕のブースターの運動エネルギーが、サーシャの鎖によって燕の腰から強引に引き剥がされる。鎖が絡んだブースターは、バチバチと音を立てながら爆散した。

 

 

片方のブースターを失った燕はバランスを崩し、砂浜にぶつかりながらも体制を立て直す。燕は服についた砂を払い、片方のブースターを取り外した。

 

 

もうこのブースターは使えない……後は陸上戦になるだろう。

 

 

「………流石だねぇ。ま、ぶっつけ本番だし、今のは無理ないかぁ」

 

 

まいったまいったと、燕は呑気に笑っている。ブースターを破壊されてもこの余裕ぶり……それに聖乳(ソーマ)が尽きかけている様子もない。燕には、限界というものがないのかとさえ思う程に。

 

 

(今ので聖乳が尽きたか……)

 

 

ビッグ・マムの訓練と、さらに燕の襲撃で体内の聖乳を使い果たしてしまったサーシャ。これ以上戦うには、かなり無理がある。

 

 

まふゆを呼ぶにも時間がない。燕から聖乳を吸うわけにもいかない。だとするならば、残るは……とサーシャはある人物に視線を向ける。

 

 

「へ?」

 

 

そう、一子である。燕との戦いを見ていた一子はサーシャの視線を感じ取り、間の抜けたような声を上げていた。サーシャは一子に駆け寄り、

 

 

「一子、時間がない。お前の聖乳をもらうぞ」

 

 

いきなり一子の身体を抱き寄せ、一子の服をたくし上げようと手をかけた。

 

 

「ぎゃーーーー!?何するのよーーーー!!」

 

 

エロいのはダメ、と叫び声をあげる一子。抵抗を試みるも、カーチャとの戦いで体力を使い果たした一子には、そんな気力さえも残っていない。

 

 

一子はサーシャのされるがままに服と下着をたくし上げられ、サーシャは露わになった一子の胸に、そっと口付けをした。

 

 

「あっ……んんっ!?」

 

 

小さくも柔らかい一子の胸。豊満ではないが、まだまだ発展途上であるその乳房にサーシャの唇が触れる。そして自分の中にある何かが、サーシャによって吸われていくのを感じた。

 

 

(あれ……エッチな事、されてるのに……どうして、こんな……)

 

 

こんなにも優しく、暖かいのだろう。これがクェイサー……サーシャの優しさなのだろうか。一子は聖乳が吸われていく中でそんな事を感じながら、地面に崩れ落ちて方針状態になる。

 

 

(これが、お前の聖乳か……)

 

 

一子の聖乳が、サーシャの身体の中に流れていく。暖かく、活力を与えてくれる“勇ましき”力。その力が、サーシャの力となり糧となる。

 

 

「震えよ――――畏れと共に跪け!」

 

 

サーシャは武器を―――一子の武器である薙刀を錬成し、その手に掴み取った。手にした薙刀を回転させながら構え直し、その矛先を燕に向ける。

 

 

「さて、第二ラウンド……いや、これで終わらせてもらうよ」

 

 

燕からの最終宣告。燕は背中に背負っていた機械を手に取り、サーシャの前に突き出した。

 

 

――――燕の持つそれは、柄しかない剣のような機械だった。武器には見えない。しかし、燕の宣告通りならば、この武器は燕の最強の切り札である事は間違いない。

 

 

「いざ―――――!」

 

 

瞬間、その機械の先端から蒼白い透明な刃が生成される。

 

 

ICP(誘導結合プラズマ)ソード。アルゴンの元素を用いたアルゴンガスによるプラズマで構成された粒子の剣。その刃はいかなる物をも両断する元素の刃である。

 

 

Ar(アルゴン)シフト・フルドライブ!」

 

 

『Lightning Slash』

 

 

燕は粒子剣を構え、居合の形を取った。粒子剣にプラズマが収束し、より一層光を帯び始める。

 

 

魂を宿し、生きているかのような光が増幅したそれは、夜空に瞬く星の如く。

 

 

「来い―――――!」

 

 

燕の全力全開の一撃を受け止めんとするサーシャ。こちらも全力を出さなければ勝ち目はない。一子の力を形にした薙刀を握り締めながら、サーシャは燕を見据える。

 

 

二人の戦いが今、終わりを迎えようとしていた。

 

 

そして、

 

 

「うおおおおおおおおおおおお―――――!!」

 

 

「せええぇぇぇい――――――!!!」

 

 

サーシャと燕は掛け声と同時に地面を蹴り、武器を構えて走り出した。

 

 

 

――――――――。

 

 

 

刃と刃を交え、背中が向かい合わせになる二人。互いの沈黙がこの戦いの決着を物語っていた。

 

 

「うっ……」

 

 

燕がよろめきながら地面に膝をつく。粒子剣はバチバチと音を立てながら、やがてその元素の刃は形状を失い、静かに消滅していく。

 

 

一方のサーシャは……倒れる事なく立ち尽くしていた。燕の一撃は受けたものの、サーシャを倒す決定打にはならなかったのである。

 

 

戦いは、サーシャの勝利で幕を閉じた。

 

 

そして、同時にサーシャは確信する。燕はクェイサーではないと言う事を。戦いの中で薄々とは気付いていた。鉛の生成や、ナトリウムによる攻撃……手甲と腰のベルトによって人工的に能力を生み出したものだろう。

 

 

恐らくは元素回路を組み込まれた機械か……だが、今の燕を見るからに、もうあの機械を使って戦う事はできない筈だ。

 

 

しばらくして、燕がゆっくりと立ち上がり、壊れてしまった粒子剣の機械を見ながらうわ~と、頭を抱えている。

 

 

「あちゃ~……壊れちゃったぁ」

 

 

はぁ、と溜息をつく燕。その表情からは、サーシャに負けた悔しさも危機感も伺わせない。むしろ機械が壊れてしまった事がよほど残念なようである。

 

 

しかし、サーシャにはそんな燕の事情など知った事ではない。彼女がクェイサーではないと知った今、問い質さなければならない。一体彼女が何者で、何の目的でサーシャ達を襲ったのかを。

 

 

「単刀直入に聞かせてもらうぞ。お前はアデプトの人間か?それとも……」

 

 

燕を刺客として差し向けたのはアデプトなのか、または別の組織か。サーシャが燕に歩み寄ろうとしたその時、

 

 

「――――う~ん。お急ぎの所悪いんだけど、そろそろ時間みたい」

 

 

「何?」

 

 

プロペラの轟音が空に響いた。その音は徐々に海岸へと近づいている。

 

 

サーシャが空を見上げた先……空にはヘリコプターが燕に向かって降下を始めていた。

 

 

ヘリコプターは降下の途中で留まり、ドアから簡易梯子が投げ出される。燕はその梯子に捕まると、ヘリコプターはすぐに上昇を始めた。逃げるつもりだろう。

 

 

「待て、話はまだ―――――!」

 

 

「今日は楽しかったよ。また会おうね、サーシャ君!」

 

 

燕を引き上げながら、ヘリコプターは上昇していく。追いかけようにも、空に逃げられてはどうしようもない。サーシャは遠くなっていく燕の姿を、ただ眺めていた。

 

 

「何だったんだ、あいつは……」

 

 

突然現れた少女、燕。そして複数の元素を操る機械。謎は多いままであるが、サーシャを知っている事から、何となくだが誰かの差し金のような気がしていた。

 

 

しばらくして、

 

 

「さ……サーシャ……」

 

 

顔を真っ赤にした一子が、サーシャに吸われた胸を覆い隠すようにしながら声をかける。おまけに声は震え、涙まで貯めている始末。

 

 

「どうした?」

 

 

「すった……アタシの胸……吸った……」

 

 

胸を吸われた、と何度もそれを繰り返す一子。聖乳が吸われた事がショックだったのだろうか……表情には戸惑いが見える。嫌ではなかったらしい。好きと言うわけでもなさそうだが。

 

 

サーシャは動揺する様子もなく、さらりと答える。

 

 

「お前の聖乳には底知れぬ活力を感じた。お前がいなければ、あいつには勝てなかった」

 

 

「えっ?」

 

 

「……さっさと戻るぞ」

 

 

そう言ってサーシャは歩き出し、旅館へと向かっていく。一子は待ってよ~、とサーシャを追いかけていくのだった。

 

 

松永燕――――またどこかで出会うような気がする。



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28話「含鉄泉の夜S~真剣で吸ったら驚いた~ 4」

ビッグ・マムの地獄の特訓を終えてから数時間。

 

 

夕食後、大和達とサーシャ達は大広間に集められていた。何でも、ビッグ・マムから大事な話があるらしい。

 

 

ビッグ・マムが来るまでの間は、それぞれの時間を過ごしていた。

 

 

「うぇ……疲れたぜ……さすがの俺も限界だ。こりゃゲンさん来なくてよかったかもな」

 

 

特訓がよほど堪えたのか、普段から活発なキャップもお膳に突っ伏して伸び切っていた。ちなみに隣では卓也が意気消沈している。

 

 

(とも)さん。お近づきの印に、メアド交換しませんか?後電話番号も」

 

 

岳人は懲りずに燈にアタックを続けていた。燈は喜んで承諾してはいるが、本人は恋愛対象とされている自覚はない。

 

 

「まだ言ってるよこの人。しょーもない」

 

 

その横で、京は生暖かい目で岳人を眺めていた。

 

 

「ところでサーシャ。お前、さっき誰かと戦ってただろ?凄まじい気を感じ取ったぞ」

 

 

百代が興味津々にサーシャに話しかける。恐らく海岸で遭遇した燕の事だろう。

 

 

「……よく分からん奴だった」

 

 

としか言いようがない。突然現れてサーシャに勝負をふっかけ、複数の元素を行使し、やるだけやって帰っていった燕という少女。

 

 

どこからどう説明すればいいというのだろう……サーシャは説明に困っていた。

 

 

しばらくして大広間の襖が勢いよく開き、ようやくビッグ・マムが中へと入ってきた。話がピタリと止み、しん……と部屋が静まり返る。

 

 

「待たせたね、お前達」

 

 

言って、大和達とサーシャ達の間に入るように、どしっと腰を下ろす。

 

 

「こうしてお前達を集めたのは他でもない。今後の活動について、話しておこうと思ってね」

 

 

今後の活動……サーシャ達の事だろう。謎の元素回路の一件はまだ終わっていない。

 

 

しかし、それなら大和達を呼ぶ必要があるのだろうか。その疑問に答えるかのように、ビッグ・マムは話を続ける。

 

 

「何故お前達がここに呼ばれたのか、疑問に思っているんだろう?まあ、その前にだ。まずはアタシたちアトスがどういう事をしているのか、知っておいてもらう必要がある」

 

 

サーシャ達が所属する組織『アトス』。そして聖乳(ソーマ)の力を得て、特定の元素を操る奇跡の存在『クェイサー』。

 

 

今一度、サーシャ達について知っておくべきだとビッグ・マムは語る。一体それが何を意味するのかは分からないが、同じファミリーの一員として彼らをの事をもっと知りたいという気持ちも大和達にはあった。

 

 

「さて。まずは、アタシたちが何と戦っているか……話しておこうかね。まふゆ」

 

 

ビッグ・マムがまふゆに視線を向ける。これはまふゆの意識の再確認でもあった。まふゆは頷くと、大和達の方へと顔を向ける。ゴクリ、と唾を飲む大和達。

 

 

「あたしたち……サーシャ達は、アデプトっていう組織と戦ってるの」

 

 

アデプト。それは、アトスと対立している異端者のクェイサー達が集まる組織。サーシャ達、クェイサーは歴史の裏でアデプトと戦いを繰り広げ、常に暗躍してきたのである。

 

 

 

 

事の発端は、サルイ・スーの生神女という、新約聖書の福音記者ルカによる史上最初の聖像を巡る争いから、全ては始まった。

 

 

聖ミハイロフ学園で平和に暮らしていたまふゆと燈。そんな平和な日常の中で現れた、アデプトのクェイサー。そしてその中で最強に位置する、アデプト12使徒。

 

 

 

「パイロマニア」「コリオグラファー」の異名を持つマグネシウムのクェイサー・水瀬文奈。

 

 

文奈は学園ではまふゆ達の親友を装い、裏では聖乳を得るために通り魔事件を起こし、サルイ・スーの生神女を探していた。

 

 

そして、サーシャが初めて交戦したクェイサーである。

 

 

 

「ガス・チェンバー」「浄化者クレンズクロア」と呼ばれた塩素のクェイサー・クロア。

 

 

かつて紛争において、自らの快楽のために何人もの人間を虐殺してきた殺人狂。とある教会を襲撃して虐殺を行った経歴を持つ、非人道的存在。

 

 

「……その教会の話、父様から少し聞いた事がある。確かそれは、疫病が蔓延して全員亡くなっていると聞いているが?」

 

 

と、クリスが疑問を投げかける。

 

 

「それは表向きの話だ。だが実際は、クロアが撒いた致死性の塩素ガスで全員中毒死している……これがお前たちの知らない、裏の真実だ」

 

 

と、サーシャ。クロアは仲間を率いて民族浄化という名目で虐殺を行い、塩素ガスで教会の人間の命を全て奪い尽くしたのである。

 

 

それだけではない。中にいた若い女性は皆犯され、子供も塩素ガスで無慈悲に殺されている。もはや私利私欲による、“虐殺”。

 

 

「なんて……卑劣な……!」

 

 

その話を聞いたクリスは憤慨し、歯ぎしりをしながら拳を握りしめていた。

 

 

クロアに対する怒りと、自分が真実を知らずに生きていた事への正義の怒り。無理もない、そうやってクェイサーは歴史から隠されていたのだから。

 

 

「……話を、続けるね」

 

 

まふゆが本題に戻し、話を継続する。

 

 

 

「双面の大気使い(アトミス)」の異名を持つ、酸素のクェイサー・朽葉悠。

 

 

酸素を操り、対象周辺の酸素を無くして窒息させ、さらには物質を強制的に酸化・燃焼させることができる、アトミスと呼ばれたクェイサーの一人。

 

 

アトミスとは大気使いに与えられる称号で、人間の活動圏にほぼ無尽蔵にある元素である事から、階梯によらずクェイサーの中でも最強の部類に入る。

 

 

特に酸素は金属を腐食させる事ができ、サーシャやカーチャにとってまさに天敵であった。

 

 

 

「鮮血の女王」「クイックシルバーの魔女」と呼ばれた水銀のクェイサー・エヴァ=シルバー。

 

 

自らのクローンを作り、予備パーツとして自分の身体に取り込み、若さを保ち続けて95年もの時を生きてきたクェイサー。

 

 

聖ミハイロフ学園に潜入し、まふゆを襲っている。そしてこの戦いが、サーシャが第四階梯へと登るきっかけとなった。

 

 

 

「一“激”必殺胡狼」の異名を持つ、鉛のクェイサー・ジャッカル。

 

 

鉛を銃弾の形に変形させ、遠距離からの狙撃を得意とするクェイサー。エヴァとの戦いで一時的な記憶喪失となってしまったサーシャを襲い、窮地にまで追い詰めた。

 

 

 

γ-ω(ガンマ―オメガ)」と呼ばれたコバルトのクェイサー・ゲオルグ=タナー。

 

 

指輪からガンマ線レーザーを自在に放つ事ができ、サーシャの鋼鉄をも撃ち抜き、苦しめた。

 

 

 

「グラウンド・ゼロ」と呼ばれた男。珪素のクェイサー・汪震(わんちぇん)

 

 

珪素は大地がある限り無限に取り込める事ができ、異名の通り陸上戦では部類の強さを誇る。

 

 

私立翆令学園での事件。始原の回路(ハイエンシェント・サーキット)を破壊するための回路“魔女の碑(ウィッチ・クラフト)”を使い、サーシャ達と対峙した。

 

 

 

「黒いダイヤモンド」と呼ばれた炭素のクェイサー・ジータ=フリギアノス。

 

 

炭素というレアな能力を持ち、汪震とともに翆令学園での任務に赴いていた。事件後は、アトスの捕虜となっている。

 

 

 

そして、彼らを束ねるアデプトの首領・黄金のクェイサー。

 

 

サーシャの拠り所であったオーリャを殺し、サーシャの顔に傷を残した張本人。

 

 

ありとあらゆる物質を元素分解する事ができる最強のクェイサー。彼は燈の身体を乗っ取り、サーシャ達と激闘を繰り広げた。

 

 

その他にも、紋章屋(クレストメーカー)や鳳慎一郎、かつてない強敵と、サーシャ達は命をかけて戦ってきたのである。

 

 

 

『あれ?アデプト12使徒なのに、何人か省かれてね?』

 

 

「そこは突っ込まない方がいいと思うよ。たぶん長くなるから」

 

 

的確な松風のツッコミに対し、すかさずコメントを挟む京なのだった。

 

 

その後も、まふゆはこれまで遭遇した出来事、そしてサーシャ達が何を思い戦い続けてきたか。包み隠さず、全てを話し尽くした。サーシャ達を知ってもらうために。

 

 

「……これがあたし達が戦ってきた敵、アデプトなの」

 

 

一通りの話を終えるまふゆ。大和達は、ただ黙ってそれを聞き続けていた。すると、今度はビッグ・マムが変わって大和達に投げかける。

 

 

「これで分かっただろう?今アタシ達が相手にしている敵は、そういう連中だ」

 

 

サーシャ達が敵対している人間は同じクェイサーであり、普通の人間ではない。しかも川神学園の決闘とは訳が違い、負けはつまり死を意味する。だからこそサーシャ達は負けられない。

 

 

「ちょうどいい機会だ。お前たちに言っておく事がある」

 

 

少し間を置き、大和達を見据えるビッグ・マム。大和達はただビッグ・マムの返事を待った。

 

 

そして、

 

 

「謎の元素回路……この一件から手を引け」

 

 

大和達にこれ以上、サーシャ達の任務に関わるな……そう言い渡したのだった。今後も関われば必ず命に危険が及ぶだろう。一子の事もあり、大和達はそれを十分思い知らされている。戦いに巻き込まれれば、単なる怪我では済まされない。

 

 

大和達は真剣に、ビッグ・マムの言葉に耳を傾けていた。反論もなければ相槌もない、あるのはただ静寂のみ。

 

 

このままサーシャ達と関われば、今までの日常は、非日常へと変わるだろう。後戻りはできない。もし手を引くのであれば、いつもの日常が待っている。

 

 

平和で仲間達と学園へ通い、金曜日に集会をして、休日を楽しく過ごす暖かな日常が。

 

 

だが、大和達の答えは既に決まっていた。大和達は視線を合わせて頷き、ビッグ・マムに視線を向けて答える。

 

 

「そんな話を聞かされちゃ、なおさら引けねぇな」

 

 

まずはキャップの第一声。

 

 

「上等じゃねぇか。アデージョだか何だか知らねえが、俺様が全部ぶっ飛ばしてやるぜ」

 

 

岳人が頼もしい一言を言うが、勿論燈に対してのアピールも忘れない。

 

 

「僕もみんなと同じだよ。それに、もうサーシャ達は僕たちの仲間だしね」

 

 

サーシャ達は仲間だから、と卓也は笑う。

 

 

「自分も同じだ。アデプトのような輩を野放しにしておく事はできないからな。協力するぞ」

 

 

自らの正義に誓うクリス。

 

 

「わわわわわ、私のような者でよろしければ力になります!」

 

 

『オラも助太刀するぜ!』

 

 

皆の力になりたい……友のために戦うと宣言する由紀江と松風。

 

 

「アタシも戦うわ」

 

 

もう、自分のような犠牲者は出したくない。一子は戦う事を決意する。

 

 

「私もみんながそう言うなら」

 

 

協力的なのかそうでないのか、京も協力はしてくれるらしい。

 

 

「私も引く気はないぞ、ビッグ・マム。仲間に……ワン子に手を出されたんだ。このまま黙って見ているつもりはない」

 

 

力を貸すぞ、と百代。一子が巻き込まれたのだ……今更無関係にはなれない。

 

 

「……こういうわけだ、ビッグ・マム講師。俺達は何を言われようが、引く気はないぜ」

 

 

最後に大和が締めくくり、サーシャ達と戦う事を意思表示したのであった。もう、サーシャ達は風間ファミリーの一員。同じ仲間である以上、引き下がる理由はない。

 

 

ビッグ・マムはうむ、とまるでこうなる事を予め分かっていたように、満足げに頷くのだった。

 

 

「俺は構わない。だが、もう後戻りはできないぞ?」

 

 

大和達に警告するサーシャだったが、彼らの返答は変わらない。揺るがない。サーシャはそうか、と言ってこれ以上は何も言わなかった。

 

 

「みんな……ありがとう」

 

 

「頼りにしてるぜ」

 

 

大和達がいるなら心強い、とまふゆと華。一般の人を巻き込みたくないとは思うが、百代達のような戦力が増えるのは嬉しい。

 

 

「好きにするといいわ。けど、自分の身は自分で守る事ね」

 

 

と、カーチャは大和達に釘を刺す。だが戦力としては認めてくれているらしい。

 

 

これで、大和達はサーシャ達と任務を共にする協力者となった。

 

 

「よかったねぇ、サーシャ君。良いお友達ができて」

 

 

サーシャの隣にいた燈が微笑み、サーシャの仲間が増えた事を心より喜んでいた。サーシャは照れ臭そうに燈から視線を逸らしている。

 

 

微笑ましい、仲間達の光景。この先どんな事があろうとも、大和達となら戦っていけるだろう。仲間というのはきっと、そういうものなのだから。

 

 

「………?」

 

 

しばらくして、まふゆはある異変に気づく。そう……一子だ。さっきからあまり会話に参加せず、いつになく消極的だった。サーシャをちらちらと目で伺いながら、もじもじしている。変に思ったまふゆは一子に話しかけた。

 

 

「一子ちゃん、どうかしたの?」

 

 

まふゆの声に反応し、ビクッと体を震わせる一子。一子は言葉をどもらせながら、何やら顔を真っ赤に染めていた。

 

 

まふゆは思考する。ここに集まるまでは、普段と変わらない様子だった。サーシャが一子を迎えに行き……様子が変になったのはそれからだ。

 

 

“サーシャが迎えにいってから”。それが引っかかり、ある結論に辿り着く。

 

 

「サーシャ、あんたまさか……一子ちゃんの聖乳を!?」

 

 

恐る恐る、サーシャに尋ねるまふゆ。するとサーシャは悪びれた様子もなく答える。

 

 

「変な奴に勝負を挑まれてな……その時に聖乳が切れたから、吸わせてもらった」

 

 

瞬間、一子の頭が沸騰して赤面したと同時に、空気が一瞬にして凍りついた。

 

 

「ほう……ワン子の聖乳を吸ったのか。私の可愛い妹に手を出すとはいい度胸だなサーシャ」

 

 

百代がゆっくりと立ち上がり、腕をばきぼきと鳴らしながら、サーシャを今にも殴りかかりそうな勢いで、殺意のオーラを放っていた。

 

 

「サーシャ……貴様と言う奴は……!」

 

 

続いてクリスが立ち上がり、どこから取り出したのかレイピアを構えてサーシャを見下ろし、戦闘体制に入っている。

 

 

「あーあ。こうなったらもう止められないよ……と、言うわけで面白そうだから私も参戦」

 

 

何がどう言うわけなのか京も面白がって立ち上がり、弓を構えてニヤリと笑う。

 

 

「あああ、ええええええええと、私は――――」

 

 

『まゆっち。ここは空気的な意味で立ち上がんないとKYだぜ』

 

 

戸惑っていた由紀江だったが、松風に押され、立ち上がり“ごめんなさい、サーシャさん”と言って日本刀を抜く。

 

 

「サーシャ……あんたってどこまでデリカシーがないの……!」

 

 

ついにまふゆまでもが立ち上がり、怒りを露わにしていた。

 

 

百代、クリス、京、由紀江。そしてまふゆが殺気を放ちながら、サーシャに少しずつ距離を縮め出した。さすがのサーシャも危険を感じ取ったのか、立ち上がり後退っていく。

 

 

「ま、待て話を聞け!あれは、敵に襲われたから仕方なく――――」

 

 

「「「「問答無用!!!」」」」

 

 

サーシャの弁明も虚しく、怒りをMAXにした百代達が一斉に襲いかかる。サーシャは危機を脱すべく大広間から抜け出し、逃亡を図るのだった。

 

 

 

こうして、含鉄泉の夜―――最後の夏休みは更けていく。サーシャの命と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ちなみにサーシャは死んでいません。とりあえず、まあ一応生きてます。 by 京」



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第3章「京編」
29話「復活の魔女」


温泉旅行から帰ってきたファミリー一同は、それぞれ残り僅かの夏休みを過ごしていた。

 

 

夏休みも後一日。日も沈み、夜空に星々が彩る中、由紀江は寮へと戻る帰り道を歩いている。

 

 

由紀江は一日中、同じクラスの伊予と遊びに出かけていた。

 

 

遊びに夢中になった由紀江は時間を忘れ、気が付けば夜間になっていた。余程伊予と過ごすのが楽しかったのだろう。

 

 

「すっかり遅くなってしまいました」

 

 

『成長したなまゆっち。また大人の階段を登ったぜ。昔のまゆっちだったら、夜遊びなんてしねーもんな』

 

 

「な、何を言うんですか松風!?私はただ伊予ちゃんと遊んでただけですよ!」

 

 

松風と話しながら夜道を歩く由紀江の姿は、まるで独り言のようで(というか完全に独り言)とても怪しく見えた。幸い、帰り道に人気はない。

 

 

(何だか人気が少ないですね……)

 

 

由紀江は周囲を見渡す。確かに人気が少ない。というより、ないと言った方が正しいか。まるで由紀江意外、誰もこの世にいない……そう思える程に不気味なくらい静かだった。

 

 

『いや、まゆっち……こいつは普通じゃねーぜ』

 

 

危険を感じ取ったのか、松風が由紀江に警告をする。感じる……静かな闇で蠢く、敵意という名の気配が。

 

 

由紀江は常備していた刀を抜いて、周囲を警戒する。だが、感じる敵意は未だ微動だにせず、静かに由紀江の動きを待ち続けている。

 

 

「―――――――」

 

 

静かに目を閉じ、精神を研ぎ澄ませる。目で見えぬのなら気配を辿り察知するまで。

 

 

やがて敵の気配が大きくなり、由紀江の身体にピリピリと殺気が伝わってくる。そしてその殺気は由紀江の背後へと忍び寄ってきた。由紀江は目を開き、

 

 

「―――――そこです!!」

 

 

振り向き様に刀を振り、横一文字に一閃した。

 

 

「………?」

 

 

だが斬れたという感覚はなく、手応えはなかった。形のない液体を斬ったような感覚。

 

 

否……由紀江の斬ったものは、“液体そのもの”であった。斬られて飛び散った液体が、由紀江の視界に入る。

 

 

(これは………?)

 

 

目に映るは、銀色に輝く液体。そう――――水銀であった。すると、斬った筈の飛散した水銀の粒が針状に変形し、由紀江に向かって降り注ぐ。

 

 

「―――――!!」

 

 

由紀江は後退しながら水銀の針を躱していく。水銀の針は地面に無数に突き刺さっていた。避けていなければ、今頃は串刺しにされていただろう。

 

 

「いるのは分かっています!一体何者ですか!?」

 

 

再び刀を構え、未だ姿を表さない敵に訴えかける由紀江。しかしその呼びかけも虚しく、返ってくるのは静寂だけである。

 

 

だが次の瞬間、

 

 

「―――――フフフ」

 

 

由紀江の背後から、不気味な笑い声が聞こえてくる。由紀江は咄嗟に後ろを振り向いた。いつの間に近付いていたのだろう、一人の女性が立っていた。

 

 

ブロンドの長い髪を靡かせ、ニヤリと冷徹な笑みを浮かべる女性。この女性が気配の正体……由紀江は女性を睨みつけ、刀を構える。

 

 

「初めまして、ミス・ブシドー。いえ――――黛由紀江さん」

 

 

会いたかったわ、と言って女性はまた笑う。由紀江を知っている……この女性は、一体何者なのだろうか。

 

 

だが、由紀江にもこの女性に思い当たる節があった。旅館でまふゆから聞いた、水銀を自在に操るクェイサー、アデプト12使徒の一人。

 

 

「“クイックシルバーの魔女”、エヴァ=シルバー……?」

 

 

独り言のように、由紀江は呟く。すると女性は意外そうな表情を浮かべたが、すぐに邪悪な笑みへと戻した。

 

 

「あら、私も随分と有名になったものね」

 

 

肯定。女性はエヴァ=シルバーであると認めた。だが、そこで疑問が生まれる。エヴァはサーシャによって倒されている。それなのに、何故生きているのか理解できない。

 

 

「……貴方は、サーシャさんによって倒された筈です」

 

 

由紀江がサーシャの名前を出した瞬間、エヴァの表情が冷酷で歪な笑みに変わる。その笑みは、復讐の色に染まっていた。

 

 

「そうね……確かに私は死んだわ。でもそんな事は些細な問題よ」

 

 

言って、何故生きているのかは語ろうとはしない。だが、どちらにせよクェイサーという強敵が由紀江の目の前にいる事は確かだ。

 

 

「目的は何ですか?」

 

 

警戒を解かず、真意を問う。エヴァは長い髪をかきあげながら答えた。

 

 

「ただのご挨拶よ。私達の出会いの、ね。それとも――――」

 

 

水銀ロッドを構え、エヴァが由紀江にカツ、カツと足音を立てながら近付いてくる。

 

 

「――――“別れの挨拶”の方がいいかしら?」

 

 

瞬間、由紀江にエヴァの殺気が迸った。エヴァは水銀ロッドを振りかざし、その先端から鞭のような形状の液体水銀が襲いかかる。

 

 

「――――――せやぁ!!」

 

 

由紀江は迫り来る水銀を、剣戟で薙ぎ払った。一度に繰り出される無数の斬撃が剣圧を発生させ、水銀の鞭を跡形もなく斬り刻んでいく。

 

 

「――――な!?」

 

 

斬り刻んだ、筈だった。しかし水銀はこうなる事を予想していたかのように霧散し、気体となって昇華されていく。

 

 

気化水銀――――高密度の水銀が蒸気となり、まゆっちの視界を奪った。

 

 

水銀は性質上、一度吸えば人間の身体に害を及ぼす有毒性がある。由紀江は息を止め、剣戟による剣圧で気化した水銀を吹き飛ばした。視界が一瞬でクリアになる。

 

 

だが、由紀江の目の前にエヴァの姿はなかった。

 

 

(消えた!?一体どこに――――)

 

 

気配が探れず、見えない敵に由紀江は焦りを覚えた。相手はアデプトのクェイサー、一瞬でも気を抜けば命を奪われる。

 

 

「――――貴方のその恐怖に満ちた表情、とっても素敵よ」

 

 

エヴァの声が聞こえる。前にいるのか、後ろにいるのか、気配を感じ取れない。

 

 

そして、

 

 

「――――いっそ、綺麗に解体(バラ)してしまいたいくらい」

 

 

由紀江の耳元で、突然エヴァの声が囁かれた。これまでに感じた事のない悪寒と恐怖が、背筋を凍り付かせていく。

 

 

由紀江は背後から離れて距離を取り、振り向き様に剣戟を放った。その瞬間に無数の水銀の針が襲いかかるも、剣戟で全てを振り払う。

 

 

「……さすがは黛十一段の娘ね。隙がまるでないわ」

 

 

由紀江の剣捌きを、エヴァは賞賛しながら興味深そうに笑う。褒めているのだろうか……否、遊ばれている。それ程までに強いと由紀江は体感した。

 

 

「……貴方も相当の使い手とお見受けしました。貴方のような方と剣を交える事ができるのは、とても光栄です」

 

 

「随分と律儀なのね。それとも皮肉で言っているのかしら?」

 

 

「本心です。ですが……私は殺し合いは望みません」

 

 

エヴァを強者と認めるも、命をかけるような戦いはしないと由紀江は訴える。それは戦士として、武士として。その志を持つ者としての信念だった。

 

 

するとエヴァは何を思ったのか、急にくすくすと笑い出した。

 

 

「貴方、本当に優しい子なのね」

 

 

殺さずして戦う……由紀江の考えの甘さに呆れ返るエヴァ。だが、そんな生半可な意志で戦う事は死に繋がる。

 

 

「もういいわ。そんなに死ぬのが嫌なら、生きたまま壊してあげる――――!」

 

 

エヴァの殺意と共に水銀の鞭が舞う。鞭はウォーターカッターの様に地面を削りながら、由紀江に向かって迫り来る。

 

 

「黛流剣術―――――」

 

 

由紀江は目を閉じて精神を集中する。敵の攻撃を見切り、そこから生まれた僅かな隙を突く。戦いで焦りは命取りとなる。だからこそ冷静にならなければならない。

 

 

そして水銀の鞭が自分の範囲に入った瞬間、由紀江は目を見開いて刀を捌いた。

 

 

「―――――“朧月”!!」

 

 

由紀江の繰り出した斬撃が満月のような軌跡を描き、水銀を弾き飛ばす。

 

 

だが、エヴァの水銀操作によって水銀は個体となり、無数の針となって由紀江に襲いかかる。針は容赦なく由紀江の身体に突き刺さっていった。

 

 

「―――――?」

 

 

おかしい、とエヴァ。水銀の針は確かに由紀江に命中してはいるが、由紀江は微動だにしない。むしろ姿が霞んで見え、水の波紋が広がるように歪んでいる。

 

 

(まさか、斬撃による幻影……!?)

 

 

と、エヴァが気付いた時にはもう遅かった。エヴァが攻撃した由紀江の幻影が消え、眼前には本物の由紀江の姿がある。

 

 

“朧月”――――それはぼんやりと夜空に浮かぶ、霞んだ月の如く。

 

 

初撃で気を纏った斬撃を放ち、自らの幻影を作り出す。そしてその隙に敵の懐に入り込み、二撃目を放つという黛流の奥義。

 

 

「終わりです!」

 

 

由紀江はエヴァの懐に入り、踏み込みで一撃を放つ。殺さない……だが、峰打ちなら気絶させる程度の威力はある筈だ。由紀江の刀が、エヴァの脇腹を狙う。

 

 

「―――――なっ」

 

 

その時、それは起こった。

 

 

由紀江の攻撃に対し、エヴァは身体を捻らせ、刀の刃の部分にわざと身体を食い込ませたのである。刃はエヴァの脇腹に深々とめり込み、バターのように綺麗に裂かれていく。

 

 

これが、人を斬るいう感触なのだろうか……肉が斬れていくという生々しい感覚が、刀を通して由紀江の身体に伝わり、手がぶるっと震え出した。

 

 

だが次の瞬間、エヴァの身体が風船のように膨れ上がり、破裂して水銀となり周囲に拡散した。由紀江は即座に後退するが、飛び散った水銀が由紀江の左腕を斬り裂いた。

 

 

「うっ……!?」

 

 

負傷した左腕を抱えるように押さえながら、痛みを堪える由紀江。傷口が深い……血が指まで伝い、ポタポタと流れている。

 

 

完全に予想外の行動だった。否、由紀江が殺せないと分かった上での行動だったのだろう。その甘さに付け込まれた結果である。

 

 

エヴァの身体の水銀爆発。恐らく本体ではない。エヴァであった水銀体は、跡形もなく消え去っている。由紀江はエヴァの気を探るが……何も感じなかった。

 

 

“――――また会いましょう。今日は楽しませてもらったわ”

 

 

エヴァの声が聞こえる。気配はない。恐らく逃げたのだと由紀江は察した。

 

 

(エヴァ=シルバー……手強い相手でした)

 

 

エヴァと戦った時の感触、あれは本気ではない。本気であったなら、由紀江も左腕の負傷だけでは済まなかっただろう。下手をすれば、今頃は四肢を解体されていたかもしれない。そう想うと、身体の奥底から恐怖が湧き上がってくる。

 

 

『まゆっち………こいつはマジでやべぇよ』

 

 

「はい……サーシャさん達に知らせましょう」

 

 

由紀江は左腕にハンカチを巻きつけて止血しながら、足早に寮へと戻っていった。

 

 

 

 

クイックシルバーの魔女、エヴァ=シルバーの復活。彼女の真意は未だに分からない。ただ一つ言える事は、この川神市に大きな異変が起きているという事だ。

 

 

謎の元素回路、アデプトのクェイサー。川神市に潜む闇が音を立てて動き始めた。



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30話「京の過去」

小学校の頃から、“椎名菌”と言われ凄惨なイジメを受け続けていた。

 

 

その理由は、母親が男遊びに明け暮れ、淫売の娘として忌み嫌われていたからである。

 

 

誰も触れようとしない。誰も話しかけようともしない。イジメは日を追う毎にエスカレートしていくばかりの日々。

 

 

誰も手を差し伸べようとはせず、哀れもうと思う人すらもいない。

 

 

だからいつも一人だった。毎日が孤独だった。

 

 

そんなある日、一筋の光が差し込んだ――――それは決して忘れる事のできない、希望の光。そして初めて仲間と呼び合える友達。

 

 

そう、風間ファミリー。キャップや卓也、岳人、一子。そして大和。

 

 

彼らが全ての始まり。彼らがいたからこそ今の自分がある。

 

 

だから決心した。仲間を……彼らとの絆を守ろう。絶対に離れる事のないように、ずっと守り続けよう。

 

 

それ以外には、何もいらない。何も望まない。何にも干渉しない。ただ今ある仲間が……大和がいてくれればそれでいい。

 

 

そう彼女――――京は誓ったのだから。

 

 

 

 

―――――――。

 

 

 

 

 

「……………」

 

 

名残惜しくも夏休みが終わり、学園生活が再スタートした。その中で京は休み時間を使い、一人机に座りながら読書に耽っている。

 

 

京が読書をしている時は、Fクラスの生徒達は誰も話しかけたりはしない。そもそも、京が拒絶的なオーラを出している為、大和達以外近付こうとすらしない。

 

 

京もそれが分かっているのか、読書に集中できる時間ができて好都合だと思うのだった。

 

 

「おい、京」

 

 

そんな中、京オーラをもろともせず話しかけてくるのは華である。折角集中していたのに……京は渋々本を閉じると、華に顔を向けた。

 

 

「何か用?」

 

 

「今日放課後、千花たちとカラオケ行くんだけどよ、京も行かねぇか?」

 

 

華からのカラオケの誘い。千花達と行くらしいが……京には全然興味がなかった。

 

 

カラオケなんてあまり歌わない。それに仲間以外と関わるのも面倒だ。

 

 

だから、京は関わらない。

 

 

「私はパス。行かない」

 

 

それだけ言って、京はまた読書に戻り始めた。付き合い悪いなぁと華は苦笑いする。

 

 

すると千花が華の元へとやってきた。また人が増えた……面倒だと京は思った。

 

 

「誘ってもダメだと思うよ華。その子いっつもそうだから」

 

 

千花も京の性格を知っているのか、誘おうとはしない。京は親しい人間以外とは全く関わりを持たないと言う。

 

 

「ん~……ま、いいんだけどよ。んじゃ、気が向いたら電話くれよな」

 

 

それだけ言い残して、華と千花は京の前から去っていく。

 

 

これで落ち着いて本が読める……と京は再び読書に集中するのだった。

 

 

 

 

風間ファミリー、秘密基地。

 

 

ある日の放課後、華は基地にある漫画を読みあさりながらソファに座って寛いでいた。

 

 

風間ファミリーの一員となってからは、秘密基地の出入りを許されている。それも今日は特別集会をするらしく、キャップから招集がかけられていた。

 

 

華はクッキーが出してくれたポップコーンとコーラを口に入れ、我が物顔で居座るその姿は、カーチャの奴隷だとは到底思えない。

 

 

『ちょっと華、ポップコーンこぼしすぎだよ!後で掃除するの大変なんだからね!』

 

 

と、寛いでいる側で訴えているのはクッキーだ。クッキーは華のこぼしたポップコーンを掃除しながら怒りを露わにしている。

 

 

「悪りぃ悪りぃ。そんな怒んなって。ってかロボットの癖にやけに感情的だよなぁお前」

 

 

クッキーの感情機能に感心しながら、ポップコーンを頬張りゲラゲラと笑う華。

 

 

すると華の態度が気に入らなかったのか、クッキーは変形機構を使用してクッキー2(戦闘形態)へと姿を遂げた。

 

 

『貴様、どうやら斬り刻まれたいらしいな』

 

 

クッキー2の持つビームサーベルがキラリと光る。華はさすがに身の危険を感じ、小さく悲鳴を上げてクッキー2から後退りした。

 

 

「わ、悪かったって!冗談だよ、真剣(マジ)になるなよ!」

 

 

ビームサーベルで斬り刻まれては堪らない。このままでは本気で殺されかねないので、華はとりあえずクッキー2のボディ磨きをして機嫌を直してもらう事に。

 

 

『しっかりと磨けよ』

 

 

「はいはい……」

 

 

何やってんだアタシは、と心の中で思いながらクッキー2のボディを拭く華なのだった。

 

 

ボディ磨きをしてからしばらくして、部屋に卓也が入ってくる。

 

 

「あれ桂木さ……って、何やってるのさ」

 

 

入って早々、卓也がクッキー2を磨く華を目の当たりにし(ビームサーベルを突き付けられている)、コメントに困っていた。

 

 

「見ての通り、クッキーのボディ磨きだよ……」

 

 

泣きながら磨く華の姿は、とても痛々しかった。仕方ないので卓也はクッキー2を説得して華をボディ磨きから解放する。

 

 

「いやぁ、死ぬかと思ったぜ」

 

 

ずっと身体を強張らせていたのか、急に力が抜けた華はソファに凭れこんだ。ちなみにクッキーには基地周辺の掃除に出てもらっている。

 

 

「あんまりクッキーを怒らせない方がいいよ。キャップも酷い目にあってるからね」

 

 

卓也曰く、キャップも部屋を食べ散らかしてクッキー2に殺されかけたらしい。これに懲りて華は二度とここでポップコーンをこぼさないと胸に誓った。

 

 

「ところで、今日はお前一人かよ?」

 

 

「後からみんな来るって。それに、今日はまゆっちから大事な話があるみたいだし。あ、桂木さんは―――」

 

 

「華でいいぜ」

 

 

名字で呼ばれると違和感を感じると、華。卓也も同じ仲間とは言え、照れ臭いと感じていたらしい。卓也は改めて華の名前を呼ぶ。

 

 

「華こそ、今日は一人?」

 

 

「ああ。織部とサーシャは後から来るってさ。カーチャ様は……」

 

 

と、そこでガックリと肩を落とす華。様子から察するに、相変わらずの放置プレイを受けているらしかった。思わず卓也も苦笑いする。

 

 

「あ……そういや、モロ」

 

 

ふと思い出したかのように、俯いていた顔を上げる華。

 

 

「何?」

 

 

「京の事なんだけどよ……」

 

 

華は数日前の京の様子を語る。カラオケに誘った事。断られた事。何度か誘ったものの、乗った試しが一度もない。

 

 

――――椎名京。風間ファミリーの中でも一風変わった存在。仲間以外の人間は殆どつるまない。華にとっては、どこかミステリアスだった。

 

 

「アイツって、いつもああなのかよ?」

 

 

京の事が気になり、何気なく卓也に訪ねてみる華。卓也はう~んと唸り、何やら言い難そうな表情を浮かべた。

 

 

「まあ、色々あってね」

 

 

結局語らずお茶を濁す。華はふ~ん、とだけ返事をしてそれ以上の追求はしなかった。

 

 

「実は昔、イジメを受けてたりしてな」

 

 

腕を頭の後ろに組み、適当に推測した事を口にする華。京はどちらかというと根暗っぽいイメージがある。ただ、それだけの理由だった。

 

 

すると、部屋の空気が途端に重くなった気がした。卓也も黙りこくって何も言葉を発しない。マズイ事を言ってしまったか……と失言を気にする華。図星だったらしい。

 

 

「わ、悪りぃ。まさか、本当だったとは思わなくてさ……」

 

 

「あ……いや、いいよ別に。それにしても華って割と鋭いんだね」

 

 

人は見かけによらないねと卓也。遠回しに言えば鈍感でガサツと言っているような物だ。

 

 

悪かったな、と悪態をつくつもりの華だったが、空気を和ませてくれようとしたのだろう、華は何も言い返さなかった。

 

 

「……もう、話してもいいかな」

 

 

卓也が独り言のように呟く。恐らく京の事だろう。いつかは聞かれるだろうと思ってはいたが、話すか話さないか迷っていた。

 

 

だが、華ももう仲間である。きっと京を心配してくれているのかもしれない。それなら……と、卓也は話す事にした。

 

 

「華の言う通り……京は昔、イジメにあってたんだ」

 

 

 

 

京の過去――――それは小学校時代のイジメから全ては始まった。

 

 

京の母親が転々とするように男に手を出し、淫乱な女性として知れ渡り、京もその淫乱な親の娘としてイジメを受けていたのである。

 

 

当時の京は何を言われても言い返さず、ただ物静かにポツンと席に座っているだけ。

 

 

何も言わない。喋らない。気持ち悪い。そうやってクラスの人間はつけあがり、イジメは徐々にエスカレートしていった。

 

 

そんな中で、京を救う為に立ち上がったのが大和達である。最初は見て見ぬ振りをしていたが、大和は自分自身の過ちを断ち切り、京に救いの手を差し伸べた。

 

 

結果京のイジメは無くなり、京はファミリーの一員となった。そして大和の心のケアもあり、今の京がある。そのおかげで大和一筋になっちゃったけどねと卓也は付け足した。

 

 

これが大和達と京の出会いの始まりであると、卓也は包み隠さず話してくれた。華はそれを黙って聞いている。

 

 

そして、思い返していた。思い出してしまった。忘れていた自分自身の過去を。

 

 

「…………」

 

 

聖ミハイロフ学園で、美由梨と吊るんでまふゆと燈にイジメをしていた事。

 

 

今は仲良くやっているが、サーシャ達がやってこなければ今頃どうなっていただろう。きっと自分はイジメを続けていたはずだ。そんな自分に、華は負い目を感じるのだった。

 

 

「華、どうかしたの?」

 

 

心配した卓也が声をかける。華は我に返り、

 

 

「あ、いやぁ……何でもねぇよ」

 

 

そう言って苦笑いしながら答えるのだった。きっと卓也は華を信用してくれたから話してくれたのだろう。今更自分もイジメていた側の人間だったなんて、言えるわけがない。

 

 

しばらくして、部屋に京とクリスが到着する。噂をすれば……だ。

 

 

「む……何やら私の話をしていたようなこの空気」

 

 

何かを察知したのか、寛いでいる卓也と華に視線を向ける京。空気だけで感づく京も鋭いと、卓也と華は思った。

 

 

「あ……いや、その。ほら!京達が来るの遅いなぁって、二人で話して――――」

 

 

華が慌てて説明をしながらジェスチャーをしてしまい、その表紙にポップコーンの入れ物が肘に当たって中身を床にぶちまけてしまう。

 

 

そしてタイミングの悪い事に、掃除を終えたクッキーが戻ってきてしまった。

 

 

この惨状を見たクッキーは、

 

 

『やはり斬り刻むしかないようだな』

 

 

クッキー2に変形し、ビームサーベルを片手に華へと視線を向ける。

 

 

「ま、待てよクッキー!これは不可抗力で――――」

 

 

『貴様の言い訳はもう聞き飽きた―――――全力で粛正する!』

 

 

「ひいぃ!?」

 

 

クッキー2は全力で華を襲撃し、華は全力でクッキーから逃亡を図った。部屋から華とクッキー2がいなくなり、静かになる。

 

 

『綺麗事では世界は変えられない!!』

 

 

「わけわかんねーよ!あっ!?いた、いたい!で、でもそれがいいぃぃぃ!!」

 

 

部屋の外で聞こえてくるクッキーの怒号と、華の断末魔というか絶頂。卓也もこれは流石に、ご愁傷様と言わざるを得ない。

 

 

「華の性格は、相変わらずよく分からないな」

 

 

難しい表情を浮かべ、華の性癖が理解できないのでう~んと唸るクリス。

 

 

「ホントだよね。一般人の私には理解できないよ」

 

 

「それ京が言える台詞じゃないから!」

 

 

京のコメントに対し、すかさずツッコミを入れる卓也なのだった。

 

 

 

 

緊急集会が、もうすぐ始まる。



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31話「緊急集会」

風間ファミリーのメンバーが基地に集まり、キャップが全員揃った事を確認すると、早速緊急集会を始める為に号令をかけた。

 

 

「というわけで、これから新生・風間ファミリーの緊急集会を始めるぜ!」

 

 

勢いよく耳が痛いくらいに叫ぶキャップ。キャップらしいと言えばキャップらしいが、部屋が狭い分反響してかえって煩い。

 

 

何故ならメンバーにサーシャ達に加えて忠勝も参入した為、密度が高くなったからである。

 

 

「全く何が緊急集会よ。こんな所まで連れてきておいて、一体何を始めるっていうの?」

 

 

不機嫌そうに声を上げるのはカーチャ。下校途中にキャップに引き止められ、その勢いに断り切れず(断る暇さえなかった)基地へと連れ込まれていた。

 

 

この後は心をじっくりと調教する筈だったのに……予定が大幅に狂わされた。キャップのような自由人とは反りが合わない。

 

 

とは言いつつも、ソファに座り込みクッキーが出してくれたローズティーを啜りながら寛いでいた。満更でもなさそうじゃんと、誰もがそう思っただろう。

 

 

「そりゃあ決まってるだろ。エラメンタル……ん?エルメントラだったっけか?」

 

 

元素回路の事を言いたいのだろう。しかし中々言葉が出てこないのか、キャップは必死に思い出そうとしていた。そこで隣にいたクリスが助け舟を出す。

 

 

「キャップ。それはエルメントリアの事だろう」

 

 

「違うわクリ。エラマントルよ」

 

 

その横から一子。

 

 

「違うぞワン子。エリアントスだろ?」

 

 

さらに百代。

 

 

「おいおい、お前ら全然違うぜ。エロメルヘンだろ……おっ、何かいい響きだな」

 

 

「何か怪しい単語になってるよ!?あきらかに間違いでしょ!」

 

 

何やら偉い勘違いをして鼻の下を伸ばしている岳人。そしてツッコミを入れる卓也。

 

 

全員、何もかも違っていた。すると痺れを切らした忠勝が溜息混じりに答える。

 

 

元素回路(エレメンタル・サーキット)だ。ったく、どうやったらそんなに間違えるんだよ」

 

 

嫌々答えてはいるが、何だかんだ答えてくれる忠勝なのであった。

 

 

「そう!それだ、元素回路!俺たちがやるべき事はこの元素回路の根絶だ。そこで提案なんだけど……と、その前に」

 

 

キャップはそこで一旦話を止め、由紀江の方へと視線を向けた。他のメンバーも由紀江に視線がいく。由紀江の表情はどこか暗い面持ちだった。

 

 

「まゆっち、みんなに報告があるんだろ?」

 

 

「は、はい……」

 

 

この場を借りて、どうしても話さなければならない事がある。それは今後にも関わる事であった。そして由紀江はサーシャに視線を向ける。

 

 

「サーシャさん。一つお聞きしたいのですが……」

 

 

「何だ?」

 

 

「まふゆさんが話してくれた、アデプト12使徒の人達は……その、死んだんですか?」

 

 

恐る恐る尋ねる由紀江。ちちがしら温泉で語られた、アデプト12使徒。彼らは一部を除きサーシャ達の手によって倒されている。

 

 

しかしそれが何だと言うのか。疑問が残るサーシャだがとりあえず質問に答える。

 

 

「そうだ。俺が戦ってきたアデプトのクェイサーは、もう死んでいる」

 

 

全てこの手で葬ったとサーシャ。そう、生きている筈がない。にも関わらず、あの夜に由紀江は出会ってしまった。あれは夢か幻か、それとも……。

 

 

信じてもらえるかはさて置いて、伝えなければならない。アデプトのクェイサー、エヴァ=シルバーと遭遇した時の事を。

 

 

「実は、先日の夜襲撃を受けました。クイックシルバーの魔女―――エヴァ=シルバーに」

 

 

その由紀江の発言に、大和達は驚愕した。いや、一番驚いているのはサーシャ達であろう。倒した筈の敵が、由紀江を襲ったというのだから。

 

 

「そ、そんな!だってあいつはサーシャが……!」

 

 

まふゆも真近で見ているから鮮明に覚えている。エヴァはサーシャとカーチャに敗れ、二度と再生できないように斬り刻まれた。

 

 

存在するはずがない。見間違いではないかと思ったが、由紀江が嘘を言うとは思えない。

 

 

「私がエヴァ=シルバーの名前を口にした時、彼女は否定しませんでした。それに、水銀も自在に操っています。まふゆさんから聞いた話の通りなら、間違いないと思います」

 

 

『そうだぜ!まゆっちが嘘はつかねぇべよ』

 

 

言って、由紀江は左腕に巻かれた包帯を少しだけ解いて、傷口を見せた。

 

 

これは、エヴァと戦闘した時に受けた傷である。水銀爆発により肌を裂かれ、完治しつつあるが傷は生々しく残っていた。

 

 

エヴァ=シルバーの復活。これはサーシャ達にはかなり厄介な敵である。

 

 

「水銀の分身体。電子レベルの元素による疑似細胞生成でなければ完全な分身なんて作れない筈よ。まさか、これって……」

 

 

そこでカーチャは気付いてしまった。極微量の元素の精密な操作。そして、水銀による擬似体を作る為の細胞生成。これはつまり、

 

 

「第六階梯――――という事か」

 

 

エヴァが第六階梯に上り詰めている事を意味していた。サーシャの目が険しくなる。

 

 

――――第六階梯。至高の座とも呼ばれる、クェイサーの能力値を6段階に分けた内の最上位。極小の電子レベルからの元素を行使する事ができるクェイサーの到達点である。

 

 

エヴァが復活した経緯は分からない。だが、由紀江の言っている事が事実ならば、サーシャ達にとって危険な存在となる事は間違いない。

 

 

また、何故由紀江が狙われたのだろうか……理由は分からない。彼女を襲撃するメリットがあるならば話は変わるのだが。

 

 

(謎の元素回路、エヴァ=シルバーの復活……)

 

 

サーシャは一連の事件を記憶から掘り起こした。

 

 

 

まずは、一子が謎の元素回路を装着していた事。ワン子はアミュレットをフールによって譲り受け、元素回路が発動した。

 

 

後に一子から回収した物には、僅かだが元素回路の反応が見受けられた。この時点で、アデプトがこの一件に関わっている事は断定できる。

 

 

次に、エヴァ=シルバーの行方についてだ。由紀江を襲撃して以降姿を表していない。今の所学園周辺には異変はないが、謎の元素回路と同様に調査が必要になるだろう。

 

 

何故彼女が復活を遂げる事ができたのか……しばらく考えに浸っていると、さっきまで黙っていた大和が口を開いた。

 

 

「なあサーシャ。そのエヴァ=シルバーってやつは、自分のクローンを使って再生してたんだろ?なら、まだクローンがどこかで生きてて、また再生して復活した可能性はないのか?」

 

 

「その可能性はゼロだ。エヴァ=シルバーの身体は燃えて完全に消滅している」

 

 

エヴァの再生能力……確かに、それならば理屈は通る。だが、サーシャとの戦いでエヴァの身体は欠片も残されていない。再生など、できる筈がない。

 

 

「もしかして、死者を操る能力者とかいたりしてね。ほら、ゲームとかいるでしょ?そういう敵」

 

 

と、冗談混じりで発言する卓也。そんな能力者は現実には存在しないだろう。そんな卓也に対し大和達は失笑したが、サーシャ、まふゆ、カーチャ、華は卓也の言った言葉に注目するのだった。

 

 

死者を操る能力者……それはフールである。

 

 

フールはタロットカード型の元素回路を使い、サーシャによって倒された12使徒の面々を意思が宿らぬ傀儡として蘇らせている。

 

 

文字通り、“再生怪人”の異名を持つ男。彼ならば、12使途を復活させるなど造作もない。恐らく、エヴァを蘇らせたのは彼だろう。

 

 

「まさかあいつがアタシ達の敵だったなんて……よくもアタシを騙したわね!今度あったらぶちのめしてやるわ!!」

 

 

土手で優しく接してくれた外人の男性が、まさかサーシャ達の敵であったとは夢にも思わなかっただろう。一子は怒りを露わにしていた。

 

 

「知らない人から物をもらったお前にも責任はあるんだからな。反省しろワン子」

 

 

一子の頭をグリグリと拳で押し付けながら躾をする大和。

 

 

「うぇぇ~ん……ごめんなさい~」

 

 

そして一子は半泣きで大和に躾られるのだった。

 

 

 

 

まずやらなければならない事。一つは謎の元素回路の捜査。これは変わらない。

 

 

次にフール、エヴァの捜査。川神市に出没が確認できた今、彼らはまだ潜伏している可能性が高い。念入りに調査が必要だった。

 

 

それに伴い、土地勘のある大和達の協力も必要になってくる。危険と隣り合わせの調査だが、大和達は同じ仲間として身体を張ってサーシャ達を援護すると約束してくれた。

 

 

それに戦力も増えている。クェイサーではないが、十分に戦える戦力。

 

 

クリス、由紀江。一子、京。そして“武神”百代。彼女らという戦力が得られた事は大きい。

 

 

「そこでだ。話を戻すんだが……軍師大和、説明を頼む」

 

 

キャップが本題に戻し、大和に話を降る。大和は頷き、メンバー全員に説明を始めた。

 

 

「今後の活動においても、こういう作戦会議は必要になってくる。敵はどんな手を打ってくるか分からないし、対策を取らずに行動するのは自殺行為だ」

 

 

大和達が相手にするのは、平気で人の命を奪う異端者だ。そんな連中と戦うのだから、慎重に行動しなければならない。いくら百代やサーシャ達がいるとはいえ限界がある。

 

 

「キャップと話して考えたんだけどさ、この一件が片付くまで、いつもやってる金曜集会を取りやめて、作戦会議に使いたいと思うんだけど……どうかな?」

 

 

大和の提案はこうだ。毎週金曜にここへ集まり、月曜から木曜、そして土曜と日曜で集めた情報を整理し、対策を取る時間に当てる為の会議にするという事だ。

 

 

要するに金曜集会は形だけは残り、中身がごっそり変わるというだけである。

 

 

その提案に対し、ファミリー一同の反応はと言うと、

 

 

「自分は賛成だ」

 

 

「私も賛成です」

 

 

『オラもだぜっ』

 

 

何の迷いもなく、クリスと由紀江、松風は賛同した。

 

 

「私も賛成だ。面白くなってきたな……」

 

 

「アタシも賛成よ!待ってなさい、フール!」

 

 

百代はまだ見ぬ敵と一戦交えたいと心を踊らせ、一子はフールを討伐する為に闘争心を燃やしていた。何か違うような気もするが、目的は変わらない。

 

 

「俺様も賛成だぜ!」

 

 

「僕も。いつもの集会はなくなるけど、今は非常時だしね」

 

 

「好きにしろ。俺は構わねぇ」

 

 

快く承諾する岳人、卓也。そして忠勝。

 

 

「みんな……ありがとう」

 

 

大和達の協力に感謝するまふゆ。共同戦線……これほど頼もしい仲間はいない。金曜集会は作戦会議に一時的に変更……満場一致したかに見えた。

 

 

何故なら――――。

 

 

「私は……私は反対!」

 

 

声を荒げながら、立ち上がり、全員に反論するメンバーが一人。

 

 

――――――京だった。



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32話「孤独な蝶」

京の反論。それはここにいる誰もが驚愕した。反対するとは思わなかったからである。

 

 

いつもは冷静で感情的にならない京だが、いつになく激情に近しい程の感情を露わにするのは珍しかった。

 

 

「京、どうしたんだ?」

 

 

余程の理由があるのだろう。今の京は感情的で唇も震えていた。大和は京をこれ以上刺激しないように声をかける。

 

 

「どうしたって……集会がなくなるなんて、そんなの嫌だよ!」

 

 

京は大和の肩を掴みながら、必死に訴えかけていた。金曜集会……京にとって、それがなくなるのは耐えられない。

 

 

「落ち着け京。別に金曜集会自体がなくなる訳じゃない。ただ、一時的に作戦会議に変わるだけだ」

 

 

京は金曜集会がなくなる事に不安を感じているのだろう。それは誤解だと宥める大和。

 

 

大抵は大和が言えば大人しくなるのだが、京は引き下がらなかった。

 

 

「そんなの他の日だってできるよ!何も金曜集会をなくさなくったっていいでしょ!?」

 

 

内容が変わる。京はそれだけでも耐えられなかった。

 

 

いつもみんなが集まる京の“居場所”が消えてしまう……そんな気がして。

 

 

「わがまま言うなよ京。ワン子とまゆっちが……仲間が被害に合ってるんだ。それに、これから先どうなるか分からねぇしよ。これでも大和と頭捻って考えたんだぜ?」

 

 

珍しく、キャップの表情は真剣だった。いつもフリーダムな雰囲気は感じられない。仲間を思う、リーダーとしての顔である。

 

 

一子、由紀江という身近な人間が狙われた今、次に狙われるのはクリスや卓也、岳人達かもしれない。金曜集会は解散時間が遅く夜になる事が多い。帰り道が危険だ。

 

 

それにこの場所にサーシャ達がいる事が知れれば、敵は真っ先に基地を叩く事だろう。

 

 

それでも金曜集会はファミリーにとって大切な行事であり、全員の為にもなくす事はしなかった。だからこそ、大和とキャップはこうして集会という形を残したのである。

 

 

「京、分かってくれ。俺は誰にも傷ついて欲しくないんだ」

 

 

ちょっと臭い台詞だが、仲間を危険な目に合わせたくないというキャップの気持ちが伝わってくる。キャップが言う以上、結論は曲げられないだろう。京がどうこうした所で、何も変わらない。やるせない思いが、京を苛ませていた。

 

 

「………!」

 

 

気持ちが有耶無耶なまま、京は逃げるように部屋から出て行き、屋上へと駆け出す。引き止めようとする大和達の声は、今の彼女には届かなかった。

 

 

 

 

風間ファミリー秘密基地、屋上。

 

 

京は屋上の外を眺めながら、一人思いに耽っていた。

 

 

「…………」

 

 

気持ちの整理が、未だつかない。頭の中はごちゃごちゃで、居場所が消えてしまうのではないかという、環境の変化に対する不安と焦り。そして今のままがいいという防衛本能。

 

 

京にはイジメの経験がある。だから変わるという事がどれだけ不安で、どれだけ恐い事か。彼女には、それが大きな心の傷となっていた。

 

 

しかし、今は仲間がいる。大和がいる。だから何も怖くない。いつもの仲間と遊び、笑い合い、集会をして過ごす平和な日々。

 

 

これがいつまでも続けばいいと、そう思っていた。でもそれは叶わない。いつかはそれも消えてしまう。その現実から逃げているのかもしれない……そんな甘えた自分がいる。

 

 

そして、こうしていれば大和が来てくれるという期待の気持ちも甘えなのだろうが、京はそれに縋るしかないのだった。

 

 

「京!」

 

 

後ろから京を呼ぶ声。振り返るとやはり、大和が駆けつけてくれた。京は縋り付くように、大和に抱きついた。

 

 

「大和……集会はなくさないでほしい」

 

 

変わってしまう事が怖い、京はその事を大和に訴えかける。大和は京の肩を抱いた。

 

 

「京……」

 

 

京の肩は、震えている。イジメを受けた時の記憶がそうさせているのだろう。長年付き合ってきた大和になら分かる。このまま金曜集会をなくせば、京の不安はさらに大きくなる。大和も、京を昔のような思いにさせるのは嫌だった。

 

 

やはり、金曜集会は続けるべきだろうか。考えてみれば、緊急集会ならやろうと思えばいつでもできる。わざわざ金曜集会をなくす必要はないのかもしれない。

 

 

キャップともう一度話し合って決めよう……そう思ったその時だった。

 

 

「―――――おい!」

 

 

突然、屋上の扉が勢いよく開く。やってきたのは華だった。華は京を睨みつけながら近づき、大和から引き剥がして京の胸ぐらを掴む。

 

 

「お前、そうやってずっと甘えてりゃいいと思ってんじゃねぇだろうな!?」

 

 

京の気持ちも確かに分かる。だが折角大和やキャップが考えてくれた事を、自分の都合だけでどうにかしようとする京の根性に華は苛立ち、気に入らなかった。

 

 

「いきなり何なの?私は甘えてなんか――――」

 

 

「甘えてんだろ!お前だけの都合で仲間を巻き込むんじゃねぇよ!ワン子とまゆっちが狙われたんだぞ!?少しは考えろよバカ!」

 

 

京の反論を遮り、一方的に怒鳴り散らす華。すると今度は京が華の腕を払い、迫るようにして華に喰ってかかる。

 

 

「そんな事分かってる!でも、集会は……私にとって大切なものなの!華には分からないだろうけどね!」

 

 

「てめぇ、いい加減に――――!」

 

 

聞き分けの悪い京に対し、我慢できなくなった華が手を上げようとするが、大和が二人の間に割って入り止めた。

 

 

「二人ともやめろ!」

 

 

二人を引き離し、冷静になれと諭す大和。京と華も落ち着いたのか冷静さを取り戻した。

 

 

しばらく二人の沈黙が続く。そしてその沈黙を先に破ったのは京だった。

 

 

「華に……私の何が分かるの?」

 

 

京は静かなる怒りを胸に秘め、華を睨みつけた。先ほどの感情的な怒りよりも深い、憎悪にも似た怒りが。

 

 

「分からないよね。分かる訳ないよね。私の気持ちなんて……イジメを受けていた側の人間の気持ちなんて」

 

 

「―――――!」

 

 

瞬間、華の心を抉られるような感覚が襲った。京に全てを見透かされたかのように、華は激しく動揺する。

 

 

そんな華に対し、追い詰めるように京は話を続けた。

 

 

「私知ってるよ。華……あっちの学校でイジメやってたんだってね」

 

 

一体どこから知り得たのだろう。京は華がイジメをしていた事を知っていた。

 

 

「そ、それは……」

 

 

京から目をそらす華。大和も知らなかったのか、華を見て驚いている。

 

 

「楽しかった?弱い人間をいじめて楽しかった?私には全然理解できない。そんなの理解したくもない」

 

 

冷え切った声で京は華を責め立てる。華は何も言い返せず動揺するばかり。

 

 

「私には偉そうな事言って、自分はどうなの?楽しいからいじめてきたんでしょ。結局は自分の都合なんじゃないの?“自分の都合で、クラスのみんなを巻き込んでイジメに参加させた”くせに」

 

 

「………」

 

 

全部、知っている。知られている。何もかも。胸が痛い。華はすぐにここから逃げ出してしまいたかった。京はまるで汚いものでも見るかのように華を一瞥し、

 

 

「―――――二度と話かけないで」

 

 

そう耳元で囁き屋上を後にするのだった。華はそのまま膝を尽き、地面にうな垂れる。

 

 

「アタシは……アタシは……」

 

 

自分の罪。いつかは向き合わなければならなかった罪。それが今、華に重くのしかかっていた。

 

 

 

 

京は屋上を去り、階段を降りながら思う。そして決意する。

 

 

(もういい。私の居場所は――――私が守る)

 

 

京の居場所。それを守る為なら、どんな事をしても構わない。変わる事が怖いなら、自分が守り続けるしかない。

 

 

たとえそれが、どんな結果になろうとも。



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サブエピソード21「背中合わせの二人」

川神院――――まふゆの部屋。

 

 

月明かりが照らす夜空の下、まふゆは縁側で星々が煌めく夜空を眺めていた。

 

 

「―――――」

 

 

縁側にある柱に背を預け、考え事に耽るまふゆ。京と華の事である。

 

 

緊急集会の途中で、京と華の間にトラブルがあったらしい。きっと屋上へ行った時に何かあったのだろう。

 

 

あの後、戻ってきた京の表情は険しく、後から来た華は元気がまるでなかった。

 

 

何があったのかは大方まふゆには察しがついていた。京と華――――彼女らの境遇が、あまりにも対象的過ぎたから。

 

 

「――――眠れないのか、まふゆ」

 

 

ふと、まふゆの後ろから声をかけられる。振り向いた先にはサーシャがいた。何時の間に部屋に入ったのだろう、そう言う所は本当にデリカシーがないなぁと心の中で思った。

 

 

それでも、まふゆは彼を……そんなサーシャを慕っている。

 

 

「……ちょっとね」

 

 

「……座っていいか?」

 

 

「うん」

 

 

サーシャは、まふゆと背中合わせになるように柱に寄り掛かった。それから少しだけ沈黙が続く。

 

 

サーシャと二人でいると、どうもこの沈黙がもどかしく感じる。耐え切れないまふゆは、サーシャに話しかけた。

 

 

「考え事、してた」

 

 

「京の事だろう?」

 

 

「……やっぱり、サーシャには分かっちゃうんだね」

 

 

「お前の事だ、それくらい分かる。それに京の境遇は……あまりにお前に似ているからな」

 

 

京のイジメ。集会の後、大和からその事をサーシャは聞いていた。その過去が、京の人間関係を限定的にさせている。

 

 

身内以外の人間の関わりを持たない。これ以上の人間関係は築かない。今のままでいい。そこまで京の心は依存してしまっていた。

 

 

そして、大和の存在。京にとって彼は救いであり、想い人である。

 

 

「京の依存は異常だ。いつまでも他人の行為に甘え続ければ、いつかは壊れる」

 

 

他者への依存。それは結果として絶望しか生まない。その相手がいなくなれば、一体何を糧にして生きていけばいいのだろうか。生きたまま苦しい人生を強いられる事になる。

 

 

しかしまふゆは、

 

 

「……でも、あたしは京ちゃんの気持ちが分かる気がする」

 

 

京の依存が自分の面影と重なっていると感じていた。

 

 

「サーシャは知ってるでしょ?あたしが(とも)の叔父様に引き取られて育った事」

 

 

まふゆは語る。幼い頃飛行機の事故に巻き込まれて両親を亡くし、その後燈の父―――山辺雄大に引き取られて育った。

 

 

全てを失い、絶望の淵にいたまふゆにとって彼は救いであり、命の恩人である。

 

 

他人の行為に縋り、他人を信じてきたまふゆ。だからこそ、京の気持ちが彼女には少しだけ分かる気がした。

 

 

唯一まふゆと違うのは、仲間以外の他人を信じない事。ただそれだけである。

 

 

「京ちゃんにとって、大和君は救いだったんだよ。あの時ミハイロフに転入してきた……サーシャみたいに」

 

 

「…………」

 

 

まふゆは思い出す。雄大の失踪と共に、美由梨や華に痛烈なイジメを受けている最中、サーシャがやってきた時の事を。

 

 

始めは嫌な奴だ、と思っていたまふゆ。しかし、次第にサーシャという存在に惹かれていた自分がいた。

 

 

そしてアデプトとのサルイ・スーの生神女を巡る戦いに身を投じ、様々な経験を経てアトスの生神女(マリア)―――剣の生神女となり、今に至っている。

 

 

「今こうして……あたしがあたしでいられるのは、サーシャがいてくれたからだよ」

 

 

「まふゆ……」

 

 

こうして改めて感謝されると、反応に困るサーシャ。しかし逆もまた然り、サーシャもまふゆの存在がなければ、今の自分はない。もし出会わなかったなら、今頃は戦うだけの復讐鬼と成り果てていただろう。

 

 

「サーシャ、あたしは――――京ちゃんを助けてあげたい」

 

 

言って、夜空に浮かぶ満月を見上げるまふゆ。聞こえは自己満足に過ぎないかもしれないが、それでもまふゆは京に変わって欲しかった。

 

 

“信じる事から始めてみよう”

 

 

確かに世の中はいい人ばかりではない。ただ、疑うだけの人生なんて寂しすぎる。

 

 

知ってもらいたい。人の心の暖かさを。優しさを。

 

 

「人の心は、そう簡単には変わらないぞ?」

 

 

「確かにそうかもしれない。けど、いつかきっと心を開いてくれるはず。だからあたしは京ちゃんを信じたい」

 

 

必ず変わる。まふゆの思いは何があろうと変わらない。相変わらずだなと、サーシャは思う。

 

 

先の事を考えない。無鉄砲な性格のまふゆ。けれどもそんなまふゆという存在に、自分自身も変わったのだ。

 

 

きっとまふゆならできるだろう。サーシャは振り返り、まふゆに顔を向けた。視線が合い、まふゆの胸の鼓動が高鳴る。

 

 

「お前がそう言うなら、きっと京の心は“震える”はずだ。お前は、俺が認めたパートナーだからな」

 

 

「えっ……」

 

 

急に突拍子もない事を言われて、まふゆは戸惑いを隠せない。

 

 

それでも、サーシャのその一言はまふゆにとって支えであった。サーシャは続ける。

 

 

「だから俺は、お前を信じる」

 

 

「サーシャ……」

 

 

信頼関係。互いにパートナーとして。そして―――いや、これ以上はいいとまふゆは考えるのをやめた。そもそも考える必要はない。その答えはもう、自分の中にあるのだから。

 

 

「……なあ、まふゆ」

 

 

「ん?」

 

 

サーシャが珍しく、視線を逸らしながらまふゆに話しかける。

 

 

「――――お前の聖乳(ソーマ)が、吸いたい」

 

 

「なっ………」

 

 

何を言い出すのかと思えば……まふゆは思わず言葉を失った。というより呆れ返る。

 

 

やっぱりサーシャはデリカシーというものがない。まふゆは溜息をついて、

 

 

「あんたって………本当にデリカシーがないんだから」

 

 

といいつつも、服をはだけさせながらサーシャに素肌になった胸を差し出すのだった。

 

 

「……サーシャ」

 

 

「……何だ?」

 

 

「強くなってね」

 

 

「――――ああ」

 

 

まふゆの願いを聞き入れ、サーシャはまふゆの乳首にそっと口付けをする。そして、まふゆに流れる聖乳をゆっくりと吸い出した。

 

 

「あっ!?んうぅぅ……!!」

 

 

こうして二人の………パートナーの夜は更けていく。



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サブエピソード22「ベスト・パートナー」

サーシャとまふゆが過ごす一方、カーチャと華はホテルの一室で夜を過ごしていた。華はカーチャのアナスタシアによって縛られ、身体を銅線の鞭で存分に陵辱を受け続けている。

 

 

「あっ!いた……いたい、です。カーチャ、さま……」

 

 

久々の主人からのご褒美。奴隷の華には至上の悦びである……が、どこか声に張りがない。いつもなら絶叫し、快楽に浸る華。しかし、今日の華は様子がおかしかった。

 

 

「……ちょっと華。せっかく主人が貴重な時間を裂いて、わざわざお前の相手をしてあげているのよ?もっと悦びなさいよ」

 

 

「は、はいぃ……」

 

 

カーチャもいつもとは違う華に苛立ちを覚えていた。アナスタシアによるカーチャの調教タイムから約2時間。それだというのに華はこの調子である。一向に変わる気配がない。

 

 

まるで、魂の抜けた人形。主人の呼びかけに答えようとしない華に、カーチャはさらに調教に拍車をかける。

 

 

「―――――медь(銅よ)

 

 

カーチャの声に反応したアナスタシアが、縛っている華の身体をさらに締め付けた。銅線がありとあらゆる身体の部分に食い込み、華の感度を揺さぶっていく。

 

 

「ああ……ああーーー!いい、いいです……カーチャ、さま……」

 

 

一度は絶頂しかけたものの、華のテンションはすぐに元に戻った。結局何度やっても変わらない。カーチャの苛立ちは最高潮になっていく。これでは、物言わぬ人形を相手にしているのと同じだ。

 

 

そしてとうとう痺れを切らしたカーチャは、

 

 

「………やめよやめ。もういいわ」

 

 

呆れ果てて指をパチンと鳴らすのだった。すると華の身体を縛っていた銅線が緩み、解けてベッドの上へと落下する。

 

 

「全く、時間の無駄よ」

 

 

完全に興醒めしたカーチャは仰向けに倒れている華の背中に座り、足を組みながら華を見下ろすように視線を向けた。

 

 

「―――――」

 

 

華は何も答えない。目は虚ろで、感情が一切ない。きっと、カーチャにされている時もずっとこの状態だったのだろう。

 

 

華と京……このトラブルがあってからこの調子である。何があったのか、カーチャは聞き出したりはしなかった。というより、興味がなかった。

 

 

何があったかは知らない。ただ、ああ。そういう事……と、察しはついている。

 

 

「――――椎名京。成る程ね、お前が生意気にも説教を説いたものの、イジメをやってた事が露見して何も言い返せなくなった。そんな所かしら」

 

 

「―――――」

 

 

やはり、華は何も答えない。図星ね……とカーチャは確信する。華の様子がおかしいのはそれが理由か、と。

 

 

かといって、慰めるようなカーチャではない。奴隷に優しい慰めは要らない。慰めは時として人を傷つける。一時の甘い蜜であり、毒である。

 

 

「自業自得よ。お前はそれだけの行いをしてきた。隠そうとしてもいつかは必ず暴かれる。今更自分の罪から逃れようなんて、醜いだけよ。犬以下だわ」

 

 

「…………」

 

 

カーチャの侮蔑を込めた罵りが、華の心を追い詰めるように棘を刺していく。いつもなら快楽に感じるのに、今は痛みしか感じなかった。

 

 

ああ、自分は隠そうとしていたのか……今になって気付く。隠し続けて、向き合わなかった自分。それが今報いとなってのし掛かっている。

 

 

―――――“楽しかった?弱い人間をいじめて楽しかった?私には全然理解できない。そんなの理解したくもない”

 

 

京の言葉が、華の脳裏に浮かぶ。虐めていた人間に、虐められていた人間の気持ちなんて分からない。その痛みは、受けた人間しか分からないのだ。

 

 

まふゆと燈を虐めた時も、ただ面白いからという私利私欲でやってきた自分。その行為が、どんなにまふゆや燈を傷付けたか。自分には分かるはずもない。そんな資格すら、ない。

 

 

「………う、だよな」

 

 

小さく、弱々しく華が声を漏らした。声は震え、そしてその目には涙。

 

 

「華……?」

 

 

「そうだよな……当然だよな。アタシが……アタシみたいなヤツが、あいつの気持ちを分かってやる資格なんて、ねぇよな」

 

 

独り言のように呟く華。まるで自分自身を苛むように、華は話を続ける。

 

 

「ずっと……ずっと、アタシは楽しんでたんだ。織部も、山辺も。父親が失踪してるって、知っててアタシは……ずっと、最低だ……これじゃ犬にもなれねぇよ。はは、笑えるぜ」

 

 

泣きじゃくりながら、自分がしてきた一つ一つの事を、悔やむように思い返していた。カーチャはそれを黙って聞いている。

 

 

「……なあ、笑ってくれよ。アタシは犬になれない上に、小さい女の子が好きで、虐められて感じる変態なんだぜ……考えてみりゃ、アタシが虐められればよかったんだ……いたぶられて、ヘラヘラしてさ……アタシは―――――」

 

 

「華」

 

 

突然、カーチャの冷たい声が華の言葉を遮った。カーチャは華の首に付けた首輪を引っ張り上げ、後ろから華の乳首に手を延ばし、指で思いっきり抓り上げた。

 

 

「ひゃううううううううううううううぅぅ!?」

 

 

「自分で自分を罵るなんて、随分と生意気になったものね。言っておくけど、あんたを罵っていいのは、主人の私だけよ」

 

 

「か、カーチャ、様……」

 

 

華は涙を拭い、カーチャを見る。カーチャは笑っていた。いつものように、自分を蔑むような、女王の高貴なる笑みで。

 

 

「それで、結局お前は何がしたいの?まあ、聞くまでもないでしょうけど」

 

 

華が一番しなければならない事。それは自分自身がよく分かっているとカーチャは諭す。

 

 

「アタシは……アタシは、京に一言……謝りたい」

 

 

京に謝って和解したい。それが華の気持ちであり、やらなければならない事だった。

 

 

それは、自分がしてきた罪と向き合うためでもある。

 

 

「偽善ね。謝ったら、それで終わり?虫がいいにも程があるわ。そんなものはただの自己満足よ」

 

 

あえて厳しく接するカーチャ。京に今更謝った所で、何かが変わるわけではない。華が今までしてきた事が、消えるわけではない。

 

 

「んな事分かってる。けど、何もしないよりは………ずっといい」

 

 

自己満足かもしれない。偽善者かもしれない。それでも、ただ何もしないのは、逃げているのと同じだ。華は、もう逃げたくはないと誓う。

 

 

それを聞けたカーチャはふぅん、とつまらなそうに笑い、

 

 

「お前がそう思うなら、好きにするといいわ………それより、」

 

 

華の顎を掴み、ぐいっと自分の顔に近付けた。

 

 

「今の口の聴き方は何?私に向かってタメ口なんて、奴隷の分際で生意気よ」

 

 

「あ、そ、それは……」

 

 

ついカーチャの前だった事を忘れ、うっかり敬語を使わなかった華。言い訳を頭の中で探し出そうとするが……いや、探す必要はない。

 

 

むしろ今の華にあるのは、痛ぶってほしいという、マゾヒズムな感情。

 

 

「華。お前は私の奴隷なんだから、さっきみたいな腑抜けた声で欲しがるなんて許さないわ。余計な事は考えないで、今は私だけを見てればいいの」

 

 

雑念はいらない。ただ主人であるカーチャを見ていればいいと、華に言って聞かせる。それはカーチャなりの愛情表現なのだろうと華は理解した。

 

 

「か、カーチャ……様!」

 

 

カーチャの心遣い(勝手な解釈)が嬉しく思ったのか、突然カーチャに抱きついてキスを迫ろうとした。その目は、まさに獣と呼ぶに相応しい。

 

 

「ちょ、ちょっと離れなさいよ!この……どうしようもない雌犬ね―――――ママ!」

 

 

カーチャの呼び掛けに、再びアナスタシアが動き出す。アナスタシアはキスを迫る華を捉え、宙吊りにして銅線で身体を鞭打ちする。華は絶頂し、喘ぎながら快楽に溺れていた。

 

 

「ああっ!あああああぁぁぁ!す、好きです!カーチャさまあああああああぁぁ!!!」

 

 

さっき落ち込んでいた華はどこへいったのやら。単純な上にどうしようもない変態だとカーチャは思った。

 

 

でも、それでこそ“桂木華”。それでいいのよと、心の中で笑うカーチャ。するとカーチャは立ち上がり、宙吊りにされた華を見上げた。

 

 

「変態でどうしようもない桂木華には、お仕置きが必要ね――――ふふふ。このまま、朝まで打ち続けてやるわ!」

 

 

カーチャのその手には、鞭。ニヤリと笑うその姿は、まさに女王。

 

 

これから長い長い、二人の夜が始まろうとしていた。

 

 

 

 

「あーーーーーー!いい!いいです!もっと、カーチャさまああああああああああああああああああああ!!!」



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33話「変わる心、過去との決別 1」

緊急集会から数日後。

 

 

授業が終わってからの休み時間、京は普段と変わらず読書に耽っていた。

 

 

やはり、この時の京には誰も近付かない。そもそも、好き好んで京に近付く人間はファミリーを除いて誰もいない。

 

 

だから京は関わらない。誰も関わろうとしない。

 

 

そんな中、話しかけてくる勇気ある生徒が一人いた。

 

 

「よ……よう、京」

 

 

ぎこちなく京に挨拶をするのは華である。京は華に視線を向けると、直ぐに読んでいる小説へと目を戻した。話す気はないらしい。

 

 

「この前の事なんだけどさ……」

 

 

屋上での出来事。京にどうしても伝えなければならない。ただ一言、謝罪がしたい。華は話を切り出した。

 

 

「アタシも言い過ぎたっていうか、京の気持ちも知らないで――――」

 

 

「二度と話しかけないでって言ったよね?」

 

 

京は視線を本に向けたまま、声のトーンを落として答える。明らかに拒絶されている……しかし、ここで怯んではいられない。

 

 

「アタシは……ただ、一言謝りに――――」

 

 

すると、華の話を遮るように京は席から立ち上がり、華をまるで空気か何かのように扱い、無視をして通り過ぎていく。

 

 

「あ、おい。待てって……」

 

 

立ち去ろうとする京の肩を、呼び止めるように華は触れる。だが次の瞬間、京の肩に触れた華の手を叩き払った。そして一言、

 

 

「触らないで」

 

 

「………!」

 

 

それだけ言って京は教室を後にする。華は話しかけるどころか、触れる事すら許されなかった。華は叩かれた手を擦る。

 

 

もう、分かり合う事はできないのだろうか。華の表情に影が指す。華はただ京が去っていく姿を、見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

昼食時。

 

 

京は珍しく学園の食堂を利用していた。いつもは激辛カスタマイズ弁当なのだが、今日は気分的に食堂……というより大和達がいるのだ。なら行かない理由はない。

 

 

席には大和、クリス、一子、サーシャ、まふゆ。そして、京がいる。

 

 

今日もいつもの雑談……京はそんな他愛のない日常が好きだ。そんな変わらない毎日が、本当に好きだった。

 

 

しかし、大和達が話している事はいつもとは違う。内容は緊急集会がらみの事だった。表情もいつになく真剣である。

 

 

「アデプトのクェイサー……どう戦えばいいんだろうな」

 

 

大和はエヴァやフールに遭遇した時の対策を考えていた。ありとあらゆる戦略の過程を立てながら、最善策を導き出そうと思案する。

 

 

「やはり、真っ向から挑むべきだろう」

 

 

「そうよ。アタシの建御雷神(たけみかづち)なら一撃で仕留められるわ!」

 

 

クリス、一子の意見は正面切っての勝負だった。さすがは武士娘と言った所だが、これでは戦略もへったくれもない。

 

 

「姉さん一人ならともかく、リスクが高すぎる。クリスの攻撃は確かに強いが、攻撃が読まれやすい。それに、」

 

 

「今の一子は一発の攻撃力は絶大だが、外したらそれまでだ。後がなくなる」

 

 

正面攻撃の案を大和とサーシャが却下する。反論したいが事実は事実。二人ともう……と黙ってしまった。まふゆもその光景を見て思わず苦笑いする。

 

 

そんな彼らの会話を、京は黙って聞いていた。

 

 

京の過ごしていた日常が変わっていく。京はただ、大和達と学生生活を楽しく過ごしたいだけなのに、それが叶わない。

 

 

京の日常が……ようやく手に入れた日常が黒く塗りつぶされていく。

 

 

京は焦りを感じた。取り戻さなきゃ――――焦りを振り払うように、大和に話題を振る。

 

 

「ねえ大和。私のウルトラデストロイドソースかける?」

 

 

「ん?」

 

 

かけると言いつつ、大和のお昼のうどんに赤い液体が降り注いでいた。そしてうどんは血のように染まり、もはや食べ物とは呼べない代物になる。

 

 

「あーーー!俺の昼飯がーー!」

 

 

昼ご飯を台無しにされ、絶叫する大和。これだ……京は安心感を覚える。これが本来のあるべき姿なのだと。しかし、

 

 

「――――ちょっと京。いくらなんでもふざけすぎじゃない?」

 

 

先に口火を切ったのは一子だった。思わぬ反応に、京は驚きを隠せない。

 

 

「そうだぞ京。今はそんな事をしている場合じゃない」

 

 

一子だけではなく、クリスもである。しかし京は狼狽える様子もなく眈々と答える。

 

 

「別にふざけてないよ。これは、私と大和のコミュニケーションだから」

 

 

「勘弁しろ!」

 

 

京はふふふと笑い大和の腕に絡みつく。その横で大和は呆れたように溜息をついていた。

 

 

これで会議は中断、かに見えた。すると黙っていたサーシャが京に視線を向ける。

 

 

「お前の悪ふざけに付き合ってる暇はない。するなら別の場所でやれ、京」

 

 

真面目な話に水を刺すなと、サーシャが忠告をする。京は何よと目を細めた。

 

 

「だからふざけてないってば。私はただ大和と――――」

 

 

「分かった。それなら少し大人しくしていろ」

 

 

拉致が明かないと分かったサーシャはそこで話を打ち切った。自分だけ仲間外れにされたようで、少し苛立ち――――いや、それよりも恐怖が勝った。京はサーシャの態度が気に入らず、喰ってかかる。

 

 

「ファミリーに入って間もないのに、随分偉そうだね。サーシャ」

 

 

「立場を弁えろとでも言いたいのか?」

 

 

「別に……」

 

 

つーんとそっぽを向く京。険悪なムードになり、まふゆと大和が仲裁に入ろうとする。が、今度は一子が会話に割り込んできた。

 

 

「別に、じゃないでしょ!?京、緊急集会の日からずっと変よ!アタシたちの命に関わる事なのよ、大和やサーシャ達だって真剣なの。だから京も――――」

 

 

「ワン子も変わったよね」

 

 

「え?」

 

 

周囲の変化。京の周りで、どんどん変わっていく。京の知らない、誰かに変わっていく。耐えられない。京の中に不満という気持ちが爆発する。

 

 

「今までは武術の才能なんてなかったもんね。あの事件で才能が開花してからは、今は戦いたくてしょうがないんじゃないの?」

 

 

「―――――!!」

 

 

その刹那、京は殺気を感じ取った……一子からだ。一子は怒りが入り混じった闘気を纏い、京を睨み付けている。

 

 

「一子ちゃん!」

 

 

「落ち着け一子!」

 

 

まふゆとクリスが立ち上がり、一子を抑制する。一子は落ち着きを取り戻したのか、床に視線を落とすのだった。そして、

 

 

「……きで、……ったわけじゃない」

 

 

震えるような一子の声。身体を震わせ、涙を流しながら一子は胸の内を語る。

 

 

「好きで……こんな、身体になったわけじゃない……」

 

 

一子の手に入れた力。確かに強い力だが、一子自身が望んで手に入れたものではない。一子は顔をあげ、涙を拭って京と向き合う。

 

 

「でも……それでもアタシは受け入れたわ。もう、身体は元には戻らない。みんな知らないだろうけど……アタシは、ずっとずっと、身体が慣れるまで鍛錬を続けてるのよ」

 

 

元素回路によって変化した一子の身体は、長時間戦う事が出来ない。本当なら日課のトレーニングでさえ危ういと言うのに、それでも仲間の足を引っ張りたくないと言う思いで、無理をしてでもトレーニングは欠かさなかった。

 

 

「気を失いかけた事だってあったわ……でも、それでも。アタシはみんなの足を引っ張るのだけは絶対に嫌!」

 

 

自分の手の平を、一子はじっと見つめる。その手は、震えていた。変わってしまったという恐怖に、震えていた。

 

 

けど、それでも。

 

 

「師範代の夢だって諦めたくない。みんなの力になりたい。だからアタシは……アタシは……」

 

 

込み上げる涙を抑え切れず、一子はまた泣き崩れてしまった。さすがに周囲も何事かと思い、ざわめきが起こる。一子はまふゆとクリスに付き添われて、食堂を後にした。

 

 

「ワン子のヤツ……そんな事も知らずに、俺は――――」

 

 

大和は悔やんだ。一子の新しい道が開けた一方で、そういう事態になっていた事を知らずにいた自分自身を。

 

 

そんな様子が気になった京が、大和に話しかける。

 

 

「大和……?どうし―――」

 

 

「悪い京。ワン子に付き添ってくる」

 

 

言って、大和は表情に影を落としたまま食堂から去っていく。京は後を追おうとするが、できなかった。大和の背中から、“ついてくるな”と無言で訴えていたから。

 

 

「―――――変わる事がそんなにも恐ろしいか?」

 

 

呆然と立ち尽くしながら大和を見送る京に、サーシャは問いかける。しかし、京の答えは変わる事はない。

 

 

「私は……ただ今の日常を守りたいだけ。変わらない日常、私はそれを望む」

 

 

京には失いたくない、今がある。守りたい、今がある。だからこそ譲れなかった。そんな京の返答に、サーシャはこう告げた。

 

 

「人はいつか変わる。俺も京も。大和達も。お前はいつまで過去に縛られているつもりだ?いつまで甘え続けているつもりだ?今のお前は、過去に囚われ続けている、救いようのない臆病者だ」

 

 

それだけ言い残し、サーシャも食堂から立ち去って行った。最後に一人取り残される京。彼女は一体、何を思うのか。

 

 

(……みんな変わっていく。もう私にはどうにもならない。私の知ってるみんなが、どんどんいなくなっていく)

 

 

京の周りで、変わっていく仲間。そこから生まれる不安が京の心を押し潰していく。

 

 

辛い。苦しい。悲しい。虐めを受けてきた記憶が蘇る。またあの頃に戻るのだろうか。もう、彼女に残された選択肢は一つ。彼女を救った、彼の存在。

 

 

(やっぱり、私には……大和しかいない)

 

 

彼女の“依存”は、ますます酷くなっていく一方だった。



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34話「変わる心、過去との決別 2」

放課後。

 

 

(大和……大和はどこ!?)

 

 

京は校内中、大和の姿を探し続けていた。京の大和に対する依存はますます強くなっていき、それは狂信的にも見える。仲間が変わっていく今、京には大和しかいなかった。

 

 

だが大和は見つからない。いくら探してもいない。学園はさほど広くはないと言うのに、焦りがそうさせているのか、大和を見つけられない。

 

 

救いを求めるように、大和を探し続けた。大和がいなければ、自分が自分でいられない。自分を保てない。京の心は、そこまで追い詰められていた。

 

 

見つけなくては……自分の心の拠り所であり、希望の光である直江大和を。

 

 

 

一方、放課後の屋上。

 

 

屋上で一人、華は空を見上げながらひたすら時間を潰していた。

 

 

「―――――」

 

 

壁に寄り掛かりながら座り込み、華は流れゆく雲を目で追い続けている。

 

 

京の事を、ずっと引き摺っていた。

 

 

過去と向き合い、京に謝ろうした華。だが京は拒絶した。これ以上話す気はない……気持ちが晴れないまま、華は無力感に苛まれていた。

 

 

(何やってんだかなぁ……アタシは)

 

 

自分は何をやっているのだろう。ただ屋上へ逃げているだけだ。何の解決もしないまま、自分はここにいる。こうして時間が過ぎ去るのを待っている。

 

 

全ては時間が解決してくれると言うが……後悔だけは永遠と残り続ける。華は本当はこの苦しみを、ただ逃れたいが為に京に謝ろうとしているのではないだろうか。だとするならば、カーチャの言う通り偽善者なのかもしれない。

 

 

そんな事を考えながらしばらく時間を過ごしていると、

 

 

「ほらよ」

 

 

「―――――うわ!?」

 

 

突然、華の頬に冷たい何かが触れる。見ると、缶コーヒーが差し出されていた。差し出してやってきたのは大和である。

 

 

「や、大和……」

 

 

「おう」

 

 

大和は華に缶コーヒーを手渡し、華の隣に座り込むと、缶コーヒーを開けてぐいっと煽り、空を眺め始めた。そして、

 

 

「……京が言ってた事、本当なのか」

 

 

早速華に疑問をぶつける。あの時屋上で聞いてしまった、華のイジメの過去。華の様子からして、恐らく事実なのだろうが、大和は敢えて聞いた。

 

 

すると華は地面に視線を落とし、思い返すようにしながら語り出した。

 

 

「……ああ、そうだぜ。京の言う通り、アタシはミハイロフでイジメをやってた」

 

 

観念するように、華は全てを語る。今更隠しても意味はなかった。

 

 

「クラスの連中を巻き込んで、イジメやって……アタシは楽しんでた。誰もアタシに逆らわなかった。アタシは浮かれてたんだ。まるで、女王か何かになったみたいに」

 

 

逆らえばお前もイジメの対象にすると、クラスの生徒を脅し、イジメを繰り返していた華。楽しんでいた自分がいた。だが、今となっては後悔だけが残留し続けている。

 

 

「京に言われて始めて気付いた。アタシには、虐められていた人間の苦しみなんて分からないって。そりゃそうだよな、アタシなんかに分かるワケねぇよ。そんなアタシが京に説法解くなんて、超ウケるぜ」

 

 

大和に貰った缶コーヒーを開け、気を紛らわすようにぐいっと飲み干す華。遠い目をしながら、大和に胸の内を話し続ける。

 

 

「アタシは、あいつに一言謝りたい。けど、それだけで今までやってきた事がチャラになるわけじゃねぇし……結局アタシは、ただ楽になりたいだけなのかもしれねぇな」

 

 

京に謝れば、自分は楽になれる。肩の荷が下りる気がするという自己満足。自分自身と言う人間が、つくづく嫌になる。華は大和に顔を向け、力なく笑うのだった。

 

 

「……これで分かっただろ?イジメをして平気な顔してるような最低な人間、それがアタシなんだ」

 

 

溜まっていたものが、抑えきれなかった思いが一気に吐き出されていく。自分はこういう人間であり、薄汚い存在だと。しばらく大和は、黙ったまま空を見上げていた。そして、

 

 

「ああ、よく分かった」

 

 

ようやく華に視線を向ける。一体どんな言葉をかけられるのだろう……華は息を呑んだ。

 

 

「華がロリコンで、ドMで、カーチャの変態雌奴隷だって事が」

 

 

「―――は!?」

 

 

大和が返した思いがけない言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げる華。大和はその反応を見て笑っていた。からかわれたと思い、華は立ち上がる。

 

 

「お、お前なぁ!こっちは真面目な話してんのに……」

 

 

「悪い悪い。でも、これで少しは落ち着いたろ?」

 

 

「……あ」

 

 

華はようやく気付く。さっきまで虚ろな気持ちだったのに、今は少し和らいでいる気がした。大和はそんな華の気持ちを察して、わざとからかったのだろう。

 

 

「……別に俺は、華の事を最低だなんて思わない。俺も同じだったからな」

 

 

思い返すように、大和は遠い日の記憶を辿る。昔は自分も華と同じ……華は疑問を抱く。

 

 

「同じ……?だってお前、京を助けたんじゃないのかよ?」

 

 

「結果的にはな。けど、それまでに随分と時間がかかった。最初はずっと見て見ぬ振りをしてたからな」

 

 

大和は小学校時代の自分を語る。京のイジメは知ってはいたものの、初めから助けようとはしなかった。イジメには参加しなかったが、傍観者としてただ眺めていただけ。

 

 

それは結局イジメをしているのと変わらないと言うのに、気付かなかった自分がいた。

 

 

「それに、助けられたのは俺だけの力じゃない。キャップ達がいてくれたから、京を救えたんだ。もしキャップ達がいなかったら、ずっと傍観者のままだったかもしれない」

 

 

京を助けられたのは、大和の周りにいる仲間―――キャップ達がいたからこそ出来た事。それでも、大和の一歩踏み出す勇気がなければ、できなかった事でもあった。

 

 

自分自身の罪を認める。それは、嫌な自分と向き合うという事。大和は諭す。今の華には、それが出来ているという事を。

 

 

「お前は自分の行いを認めた。それを踏まえて京に謝ろうとしてるんだ。だから……そこまで自分を思い詰めるなよ。お前らしくないぜ」

 

 

華の肩を叩き、優しく言葉をかける大和。華も少し気が楽になったのか、肩の力が抜けた気がした。大和の仲間を思う優しさに触れ、暖かい気持ちになる。

 

 

「あ、ありがとうな大和……」

 

 

涙腺が緩み、華はうっすらと涙を浮かべていた。涙を腕で擦るように拭く華の表情を見て、大和は慌てふためく。

 

 

「お、おいおい。泣くなって!」

 

 

「う、うるせーな!別に泣いてなんかねーよ」

 

 

自分の弱い一面を隠すように、強がる姿勢を見せる華。華もこんな表情を見せる事もあるのか……そんな華が、少し可愛らしく感じる大和なのだった。

 

 

しばらくして時間が経ち、

 

 

「じゃあ、アタシはそろそろいくわ」

 

 

「おう、俺も行くよ」

 

 

と、屋上を後にしようとした時だった。振り返った瞬間、屋上と学園内を繋ぐ扉が開く。

 

 

そこへ現れたのは、京だった。

 

 

「み、京……」

 

 

突然現れた京。華は表情を曇らせた。一方の京は華には目もくれない……が、今回は違った。大和と華を見て表情を強張らせている。

 

 

「何……してるの?」

 

 

恐る恐る口を開き、大和と華に問い掛ける京。誰もいない屋上で、大和と華二人きり。何やら妙な誤解を招いたかもしれない。誤解を解くため、華が弁明を始める。

 

 

「み、京!アタシたちは別に……その……な、なあ大和?」

 

 

うまく説明ができず、華は結局大和に話を丸投げしてしまった。突然話を振られるも、大和は冷静に京に説明をする。

 

 

「ああ、別に何もないぜ。ただ華がロリコンでドMでかつ素直になれないカーチャの変態雌奴隷になった理由を、聞いてただけだ」

 

 

真剣かつ、真面目に応える大和。

 

 

「ちょっと待てよ!?そんな話してねーだろ!いや、したかもしれないけどよ、ってか素直じゃないは余計だっつーの!」

 

 

隣で聞いていた華が激しいツッコミを入れる。

 

 

「華、隠さなくていいんだ。誰だって色々な性癖を持ってる人間がいる。だから、何も恥ずかしがる事はない!!」

 

 

と、ガッツポーズを取りながら大和は豪語するのだった。華はアホか!と隣で叫んでいる。

 

 

きっと、場を和ませる為の大和なりの配慮なのだろう(方向性は間違っているが)。これで京も絡んでくれる……が、今の京は違った。

 

 

(大和……華とあんなに仲良く……)

 

 

ふざけあっている大和と華の姿。京は嫉妬よりも、先に悲しみが思考を支配していた。

 

 

それは“大和という存在を奪われる事”ではなく、“自分の拠り所だった大和が変わっていく”、“自分の知らない大和に変わっていく”という恐怖だった。大和や仲間が、どんどん遠い存在になっていく。

 

 

もう、京には何もできない。周囲の変化についていけず、まるで自分だけが取り残されてしまったような感覚。行き場のない感情が、京の中でとうとう爆発した。

 

 

「――――――!!」

 

 

京は踵を返し、抑えきれない涙を何度も拭い去りながら屋上から消えていった。

 

 

「お、おい京!」

 

 

呼び止めようとする大和の声は、もう彼女には届かない。

 

 

話の輪に入ろうともしなければ、大和を強引に奪おうともしなかった京。こんな事は今までになかった。

 

 

嫌な予感がする……大和と華は走り去っていく京の後を追うのだった。



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35話「変わる心、過去との決別 3」

「うぅ……ぐっ……んっ……」

 

 

誰もいない廃ビルの屋上。京は一人、金網のフェンスを握り締めながら泣き崩れていた。

 

 

大和と華から逃げるように走り去り、学園を抜け、ただがむしゃらに走り続け、もうどこをどう走ったのかさえ、覚えていない。気か付けば、どこか分からない廃ビルの屋上にいた。日は沈みかかり、オレンジ色の空が切なげに夕暮れを知らせている。

 

 

全て、失った。自分の知っている大和はもういない。最後の救いだった大和さえも、何もかもが変わってしまった。

 

 

泣いた。泣き続けた。涙が枯れるまで。変わるという恐怖と大切なものを失った悲しみに。

 

 

「うっ……大和……大和……」

 

 

何度も大和の名前を呼び続ける。しかし、もう京の声は大和に届く事はない。イジメから手を差し伸べてくれた大和は、もういない。

 

 

「…………」

 

 

泣き疲れた京はフェンスに寄り掛かり、何をする事もなく放心していた。

 

 

(私、とうとう一人になっちゃった……)

 

 

自分しかいない。仲間も、大和もいない。京の心が、深い闇へと沈んでいく。

 

 

消えてしまいたい。もう生きていても意味がない。いっそここから飛び降りてしまおうか……しかし、何もする気が起きない京には、自殺をする気力すらなかった。

 

 

時間だけが過ぎていく。今頃大和達は、自分を探し回っているだろう。

 

 

否、探していないかもしれない。京の我儘に振り回され、愛想を尽かしているに違いない。今の京には、そんなネガティブな想像しかできなくなっていた。

 

 

(………あ)

 

 

今更になって気付く。結局は自分も、周りを巻き込んでいた事を。自分の都合で、自分の居場所を守る為に。自分の事で頭がいっぱいで、周囲に気を配れなかった。

 

 

“自分の都合で他人を巻き込んだ”……華に言い放った言葉が蘇る。自分も華と同じ事をしていた。何故それに気付かなかったのだろう。

 

 

京はイジメを受けていた。それをずっと引き摺り続けていた自分がいる。それに甘え続け、過去と向き合う事をしなかった。ある意味、イジメをしていた人間よりもたちが悪い。

 

 

華はそんな自分に謝ろうとしてくれた。それなのに、京は拒絶してしまった。だが今更後悔しても遅い。

 

 

まさに、自業自得。これが自分自身が招いた結末なのだから。

 

 

しばらくして、廃ビルの屋上の扉が開いた。やってきたのは、まふゆとクリスだった。

 

 

「京ちゃん!」

 

 

「京!」

 

 

息を切らしながら、泣き疲れた京に駆け寄るまふゆとクリス。

 

 

「……どうして、ここが?」

 

 

何故この場所が分かったのだろう。自分でさえも、ここがどこの場所なのか分からなかったというのに。

 

 

「大和が京を見かけたら連絡をくれと、友人に頼み回ってくれたんだ」

 

 

それでも探すのに苦労したぞ、とクリス。大和の人脈ネットワークで、京の目撃情報をかき集めて探し回っていた。

 

 

大和だけではない。キャップや卓也、岳人に忠勝。サーシャとまふゆ、華。由紀江、クリス、百代。それに一子も。京を心配してくれていた。

 

 

「……みんな心配してるよ?早く帰ろう、京ちゃん」

 

 

まふゆは京に手を差し伸べる。理由も聞かずに、優しい笑顔で。

 

 

だが、京にはまふゆのその笑顔が眩し過ぎた。京は目を逸らし、その手を拒む。

 

 

「……もういい」

 

 

「え?」

 

 

「帰るなら、二人で帰って。私の事はもういいから」

 

 

きっと、京の居場所はもうない。それに、あれだけ自分の我儘で仲間を振り回し、華までも傷付けてしまったのだから。もう、皆に合わせる顔がない。

 

 

「馬鹿を言うな。みんなお前の事を探して―――――」

 

 

「みんなって……誰?」

 

 

京のその質問に、クリスは難しい表情を浮かべる。というより、理解に苦しんでいる。答えるまでもない、大和達の事だ。何故そんな質問を投げかけてくるのだろう。

 

 

「大和達に決まってるだろう。他に誰がいるというんだ?」

 

 

当たり前の事を聞くな、とクリスは言う。だが次の瞬間、京は感情に任せて叫んだ。

 

 

「嘘!!私の知ってる大和達は、もういない!!」

 

 

まふゆ、クリス。そしてここにはいない、大和達に向けるように言い放つ。

 

 

「みんな変わった!キャップもモロも!クリスやワン子達も。大和も。みんな私の知らない誰かになっていく!私は……私はただ、変わらないみんなとの時間が欲しかっただけなのに!」

 

 

変わる事への怖さ。また小学校時代の時のように、一人になってしまうのではないかという怖さ。京は自分の身体を抱くように、声を震わせながら怯えていた。

 

 

今の自分には、“心の支え”がない。そう思い込んでしまっている。

 

 

「…………」

 

 

まふゆはそれを、まるで自分の事のように受け止めていた。京の心の叫びを。

 

 

「……そうだよね、怖いよね。周りがどんどん違う誰かに変わっていく。その気持ち、あたしにも分かるよ」

 

 

まふゆの過去が、鮮明になって蘇っていく。燈の父親が失踪してからイジメが始まり、それまで仲良くしていたクラスの人間が、変わっていく姿を。

 

 

京は、自分と似ている。まふゆは京と自分を重ね合わせていた。

 

 

だから、今の彼女に手を差し伸べたい。

 

 

「でもね京ちゃん。大和君達が変わっても、仲間である事は変わらないよ。だから――――」

 

 

「――――じ、られない」

 

 

震えて掠れるような京の声が、まふゆの話を遮った。そして京の枯れ果てた目から、また涙が零れ落ちる。

 

 

「信じられないよ……誰を信じたらいいか、私分からない。まふゆに分かる?イジメを受けてきた私には、もう疑う事しかできない。辛いよ……もう、嫌だよ」

 

 

京には、他人だけでなく、仲間でさえも信じられなくなっていた。それが苦しくて、どんなに辛く、悲しい事か。

 

 

「私はずっと一人だった。あの頃から、私だけが変わらなかった……結局これからも、死ぬまで一人なん―――――」

 

 

「――――――!!」

 

 

京の頬に、確かな衝撃が走った。痛い……痛くてジンジンする。京は、自分が頬を叩かれた事にようやく気付いた。

 

 

叩いたのはクリス、ではなくまふゆだった。まふゆは真剣な眼差しで、涙を浮かべながら京の肩をぐっと掴む。

 

 

「違う!それだけは、絶対に違う!」

 

 

深く闇に沈んだ京の心を呼び戻すように、まふゆは必死に彼女に呼びかける。京は叩かれた頬を押さえ、目を見開きながらまふゆを凝視していた。まふゆは続ける。

 

 

「京ちゃんは一人じゃない!大和君達がいる!あたし達がいる!だから、自分を見失っちゃダメ!!」

 

 

そう京に言い聞かせる。それは、京の力になりたいという気持ちが強かったから。

 

 

「京ちゃん、あたしに京ちゃんの気持ちが分かる?って言ってたよね……分かるよ。あたしだって――――イジメを受けていたから」

 

 

まふゆは告白する。自分が聖ミハイロフで受けていたイジメの事を。

 

 

イジメが始まり、クラスの友達がまふゆの元から離れていく……そして、イジメを見て見ぬふりをする生徒達。つまりは傍観者。それはイジメよりも怖くて、辛かった。

 

 

(まふゆが……?じゃあ、もしかして……)

 

 

ふと、京の脳裏に華の姿が浮かび上がる。華がイジメの対象にしていたのは恐らく、まふゆの事だとすぐに分かった。

 

 

「あたしだって最初はくじけそうだった。でも、サーシャが来てからは変わった。あたしも、サーシャも。クラスのみんなも。京ちゃんだって、大和君達がいてくれたから今の自分があるんでしょ?」

 

 

掛け替えのない存在。仲間がいたから、変わる事ができた。まふゆは京に諭す。

 

 

“変わる事は、何も悪い事ばかりじゃない”。

 

 

「変わる事を怖がらないで。確かに、世の中いい人ばかりじゃないし、イジメをする人間だっていっぱいいる。でも、人を疑って生きるのは、すごく悲しい。だから―――――」

 

 

まふゆは悲しみにくれる京の身体を、

 

 

「―――――まずは“信じる事”から、始めてみよう?」

 

 

そっと、優しく抱きしめた。暖かい、まふゆの温もりが京の身体に伝わってくる。同時に、目に熱いものが一気に込み上げてきた。

 

 

「でも……でも、私は、やっぱり怖い」

 

 

震える声で、まふゆに訴えかける京。まふゆはそれを、優しく受け止める。

 

 

「大丈夫、みんながいるよ。少しずつでいい、一歩一歩踏み出していこ……京ちゃん」

 

 

まふゆの言葉に、何度も頷く京。まふゆの優しさに触れ、京の心が少しずつ動き出し始めていた。側にいたクリスも、自分の出番はなさそうだなと微笑ましく見守るのだった。

 

 

ほんの一握りの勇気。それは“信じる”という事。裏切られるかもしれない。傷付くかもしれない。それでも、疑うだけの人生よりはずっと生き生きとして、輝いている事だから。

 

 

しばらくして、後から大和と華が合流する。二人とも汗だくで、息を切らしていた。きっと、京の事を駆け回って探し続けていたのだろう。

 

 

「はあ……はあ、京!」

 

 

疲れ切っていたが、京を見つけられたという安堵の表情で大和は笑った。

 

 

「大和……」

 

 

「……ったく。随分探したんだぜ?心配かけさせやがって」

 

 

ほら、と手を差し伸べる大和。心配してくれた……大和も、みんなも。変わっていない仲間との絆。ああ、やっぱり何も変わってなかったんだなと京は実感する。

 

 

嬉しかった。心が張り裂けそうなくらいに。京の心の闇が、晴れ渡っていく。暖かい光が、京を包んでいた。

 

 

でも、もう甘えたりしない。今ある幸せをもっといいものにする為に。京は、

 

 

「――――いい。自分で立てる」

 

 

自分で立ち上がり、涙を腕で拭い去ると、京の表情は何かを決意したような凛々しい顔つきになっていた。

 

 

そして、

 

 

「みんな、心配かけてごめん。早く帰ろう。私お腹すいた」

 

 

吹っ切れた表情で、京は笑った。

 

 

夕日が沈みかけたこの日。京は確かな一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 

 

それから数日後。

 

 

休み時間になり、京はいつものように自分の席に座り読書―――をしなかった。立ち上がり、華のいる席へと向かう。

 

 

ちょうどその時、華も京の所へ行くつもりだったのか、席から立ち上がり、ばったりと京と遭遇する。

 

 

「あ、京……」

 

 

気持ちの準備が整わず、どきまぎする華。早く話を切り出さなければ……そんな事を考えていると、京から思いがけない言葉が聞こえた。

 

 

「この前は、ごめん」

 

 

「……え?」

 

 

華は思わず言葉をつまらせる。京から、謝ってきたのだ。本当なら自分が先に謝るはずなのに。華も慌てて言葉をようやく絞り出す。

 

 

「あ、あたしの方こそ、ごめん。お前の気持ちも知らないで……」

 

 

申し訳なさそうに、京に謝罪を述べる華。しかし、京は首を横に振るのだった。

 

 

「もういいの。私も自分の事ばかりで勝手な事言って、華を傷付けてたから」

 

 

「京……」

 

 

京も華と同じく、自分の過去と向き合い、変わった。長かったが、ようやくお互いに分かり合えた気がした。

 

 

「華の気持ち、伝わったよ。ありがとう」

 

 

華を仲間として、友達として。京は改めてもう一度受け入れた。今度は本当の形で。

 

 

「―――ついでに華が素直になれないカーチャの変態雌奴隷だってこともね」

 

 

「――――は?」

 

 

クククと笑いながら、とって付け足すように言って京は教室を後にした。あの時の大和との会話を、ちゃっかり記憶に残していたらしい。どうやら京の本質的な部分は変わっていないようだった。

 

 

弱みを握られた華は思わず、うわーー!と叫びたくなったが、それよりも京と仲直りできた事が嬉しくて、その後ろ姿を見送りながら微笑んでいた。

 

 

 

 

そして昼休みを終えて。

 

 

京は昼食を済ませた後、教室を出ようと席から立ち上がる。

 

 

「おい、京。どこへ行くんだ?」

 

 

気になった大和が声をかける。普段なら昼食を終えた後は、読書か大和に絡むかのどちらかなのだが、今日は違った。

 

 

「うん。ちょっと部室にね」

 

 

京は弓道部の部員である。が、部活には殆ど出ておらず、出たとしても気分で月に一、二回程度。ようするに幽霊部員だった。

 

 

そんな京が部活に顔を出そうとは、どんな心境の変化だろう。しかし、大和達にはもう分かっていた。京が、少しずつ変わろうとしている姿に。大和は何の理由も聞かず、

 

 

「おう、行ってこい!」

 

 

京の背中を押すように、笑顔で見送るのだった。京も笑顔でうんと頷き返し、教室を後にしようとする。その時、まふゆとすれ違った。

 

 

「あれ、京ちゃんどこ行くの?」

 

 

「うん、これから部活」

 

 

京の表情は、いつになく凛々しく逞しかった。ただ少しだけ、不安の色がある事にまふゆは気付く。きっと、ずっと部活に行っていなかったから、今更受け入れてもらえるのかどうか心配なのだろう。

 

 

しかし、これは京の戦いだ。自分自身を変える為の。

 

 

「……そっか。いってらっしゃい!」

 

 

笑顔で見送るまふゆ。まふゆに出来る事は、彼女の背中をそっと押してあげる事だけ。

 

 

「――――うん。行ってくる。ありがとう、まふゆ」

 

 

少しずつ変えていこう。今はまだ小さな一歩だけれども、いつか必ず変わる日が来る。傷付く日もあるだろう。苦しい日もあるだろう。変わる事は痛みを伴うのだから。

 

 

けれども、京はまふゆや仲間の本当の優しさに触れ、その暖かさを知る事ができた。

 

 

“信じる事から、始めてみよう”

 

 

まふゆのかけてくれた優しい言葉。その言葉を胸に、京は歩き出した――――。

 

 

 

 

“――――私は、もう一人なんかじゃない。さよなら、昔の私。”

 

 

 

 

弓道部部室。京は部室を訪れていた。

 

 

理由は一つ。川神学園の弓道部部員として、本当の意味で復帰するためである。

 

 

「お願いします。もう一度、部活に参加させてください!」

 

 

部員達のいる前で、頭を下げる京。しかし、これまで部活をサボり続け、幽霊部員扱いだった京を易々と信用するはずもない。

 

 

京は腕は立つが、人間性としてはどうか……部員たちには懸念の声が広がっていた。

 

 

「今更部活に参加させてと言われてもねぇ。プレミアムに信用できませんよ、椎名先輩」

 

 

部員の中の一人、一年の武蔵小杉が京の前へ出てくる。今まで何も教えてもらえず、いてもいなくても変わらないような京を、今更部員として受け入れられるはずもなかった。

 

 

しかし京も、ただ復帰できるとは思っていない。そんな甘い考えは全部捨てている。京は食い下がった。

 

 

“全部、一から始めるんだ”

 

 

「掃除でも雑用でも、何でもする!だから、私にもう一度部員としていさせてほしい」

 

 

部員として復帰できるなら、何でもする覚悟でいる京。すると、部員達の中から一人、ロングヘアに眼鏡をかけた女性部員―――弓道部の主将である矢場弓子が京の前へとやってきた。

 

 

「私は賛成よ。椎名さん」

 

 

弓子の判断に、他の部員達からは良い声が上がらない。しかし、弓子には分かっていた。京が変わろうとしている姿を。その気持ちを。

 

 

「主将……」

 

 

「けど、椎名さんの言う通り、まずは掃除から雑用まで何でもやってもらうわ。特別扱いはしないつもりよ。それでもいいのね?」

 

 

「は……はい!ありがとうございます!」

 

 

弓子は笑って、京を迎え入れてくれた。京はもう一度、弓子や部員達に深く頭を下げる。

 

 

信用を取り戻すのはそう容易くはない。それでも、変わろうとしている自分を受け入れてくれた人がいる。だからこそ頑張れる。

 

 

これが京が変わるための、新たな一歩なのだから。

 

 

 

 

「――――その前に、私の授業に付き合ってもらいたいんだけど、いいかしら?」

 

 

突然京の背後から女性の声が聞こえる。何故だろう、本能的に京には悪寒が走っていた。

 

 

京が振り返ると、そこには―――――。

 

 

 

 

一方、Fクラスでは。

 

 

「なあ、織部」

 

 

「ん?」

 

 

華はまふゆが座る席の前で、真剣な面持ちで立ち尽くしていた。そして、

 

 

「―――――ごめん!」

 

 

突然深々と、頭を下げたのであった。まふゆは何が何だか分からず、困惑している。

 

 

「アタシ……織部と山辺の事、ずっといじめてただろ。お前らの気持ちも知らずに、酷い事したって思ってる」

 

 

「華……」

 

 

ふと、華と美由梨にイジメをされていた時の事を思い出してしまった。それが今、華から謝ってくれるとは思わなかったから。

 

 

けど―――――まふゆはすごく嬉しかった。

 

 

「今更許して貰おうだなんて思ってない。でもアタシも心入れ替えるから、だから――――」

 

 

「いいよ。あたしは、別に怒ってないから」

 

 

もう過ぎた事だから、とまふゆは華に向かって微笑んだ。

 

 

それが、華にとってどんなに嬉しかった事か。

 

 

「なんか華らしくないな。でも、ありがとう。華の気持ち、ちゃんと伝わってきたよ」

 

 

言って、まふゆはもう一度華に向かって微笑む。華も涙を堪えながら、照れ臭そうに笑顔を返すのだった。

 

 

するとサーシャが華の側を横切り、

 

 

「今日は雨でも降りそうだな」

 

 

と、嫌味を残して教室を後にする。サーシャの後ろから、華の“どういう意味だー!”と怒鳴り声が聞こえていた。

 

 

何気なく教室を出るサーシャ。しかし出た瞬間、サーシャの左耳のイヤリングが真紅のように、赤く発光し始めた。

 

 

(反応している……?一体どこから――――)

 

 

嫌な予感がする。サーシャが教室へ戻ろうとした時、それは起こった。

 

 

「な―――――」

 

 

教室という教室の扉が、勢いよく一斉に閉まったのである。サーシャはFクラスの扉に手をかけるが、まるで石のようにビクともしない。

 

 

「おい、何が起きた!?」

 

 

ドン、ドンと扉を叩き、中にいる生徒達に呼びかける。

 

 

「分からない!急に扉が閉まって、ビクともしないのよ!」

 

 

まふゆの声が聞こえる。扉に手をかけても、まったく開かないのだという。

 

 

一体何が起こっているというのだろう……思考を巡らせていると、廊下中に異様な気配を感じ取った。

 

 

否、気配だけではない。廊下の隙間という隙間から、銀色の液体が湧き出てくる。そして、銀色の液体は幾つもの個体となって集まっていき、人型の物体を作りあげた。

 

 

水銀。サーシャは一目で理解した。サーシャは大鎌(サイス)を錬成し、戦闘体勢に入る。

 

 

やがて人型の形状をした水銀は、より一層形を成していた。

 

 

剣を持った騎士。斧を持った戦士。犬、獣。様々な水銀人形(シルバードール)が、サーシャに敵意を放っている。

 

 

「――――きゃああああああ!?」

 

 

教室から悲鳴が聞こえる。恐らく、教室内部でも同じ現象が起きているのだろう。

 

 

一刻も早く助けに向かいたいが、扉は水銀のコーティングによって妨害され、さらには複数の水銀人形に囲まれている。これでは身動きが取れない。

 

 

「……くそっ!」

 

 

今はこの状況から脱出し、次なる打開策を見出す事が先決だ。サーシャは大鎌を振りかざし、水銀人形の群へと疾走するのだった。



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36話「銀の籠城」

サーシャの前に現れた、無数の水銀人形(シルバードール)。水銀人形は武器を構え、サーシャという“侵入者”を排除しにかかる。

 

 

「うおおおおぉぉぉ!!」

 

 

襲いかかる水銀人形を、突貫しながら大鎌を振りかざし、薙ぎ払った。水銀人形の身体はバターのように切り裂かれ、水銀が血のように飛び散って崩れていく。

 

 

騎士、戦士、狂犬……サーシャは次々と人形を破壊し尽くした。

 

 

だが、飛散した水銀は再び収束を始め、水銀人形へと形成して再生される。終わる事のない無限再生が、幾度となく繰り返す。

 

 

(くそ、キリがない……!)

 

 

いくら水銀人形を倒しても、一向に終わりが見えない。消耗戦へ持ち込まれるだけである。そうなればサーシャの聖乳が切れる事は目に見えていた。

 

 

恐らく、この水銀人形は大規模な元素回路の術式によって動いている。そのコアを潰さない限り、水銀人形は無限に再生を繰り返すだろう。

 

 

まずはコアを探し出さなければならない。ここは強行突破するしかないだろう……サーシャは大鎌を構え、水銀人形が群れる廊下を突っ切ろうとした時だった。

 

 

「―――――避けろ、サーシャ!」

 

 

廊下の奥から声が聞こえる。何か大きな気配を感じ取ったサーシャは廊下の隅へと退避した。そして次の瞬間、

 

 

「か・わ・か・み・波ーーーーー!!!」

 

 

膨大なエネルギー砲が、一直線に廊下を突き抜けていった。廊下に群れていた水銀人形はエネルギーに焼かれ、次々と蒸発して消えていく。

 

 

その廊下の奥にいた人物―――――それは百代だった。

 

 

「今の内だ、逃げるぞ!」

 

 

ここから抜け出さなければ、また水銀人形が再生し増殖を始める。サーシャは頷いて、百代のいる方角へと駆けていった。

 

 

 

 

百代と合流したサーシャは学園内を駆け回り、襲い掛かる水銀人形を蹴散らしながら前へと進んでいく。

 

 

「サーシャ。一体何なんだこいつらは!?」

 

 

走り抜け、水銀人形を拳で弾き飛ばしながら百代は問いかけた。

 

 

「見ての通り、意思の宿らない水銀の傀儡人形だ。元素回路を使った大規模な術式で動いているんだろう。恐らく、こいつらをし掛けたのは――――」

 

 

水銀を操る能力。そして大規模な術式。心当たりがある人物は一人しかいない。以前、ミハイロフでも同じような状況に遭遇した経験があった。

 

 

クイックシルバーの魔女と呼ばれた、水銀のクェイサー。

 

 

「まさか、まゆまゆを襲ったエヴァ=シルバーって奴の仕業か!?」

 

 

緊急集会で明らかになったエヴァの存在。百代の問いにサーシャは頷いた。

 

 

彼女がこの学園に潜入し、どこかに潜伏している……となれば、まずこの大規模術式を破壊し生徒達を救出し、エヴァ=シルバーを倒す事が最優先である。

 

 

「まずは、この術式を作動させているサーキットのコアを探し出す」

 

 

走り、水銀人形を薙ぎ払いながら百代に提案するサーシャ。コアを見つけ出し、それを破壊できればこの術式を解除される。

 

 

同時に学園内に仕掛けられたトラップ、そして水銀人形の機能は全て停止する筈だ。

 

 

「で、そのコアとやらはどこにある?」

 

 

「こっちだ」

 

 

サーシャは左耳のイヤリングが強く反応を示す方向へと足を進める。進む度に、イヤリングの反応が強くなっていく。

 

 

そして、強い反応を示しているエリアに辿り着いた先に、待ち構えていたように水銀人形が出現し、サーシャと百代を取り囲むように包囲した。

 

 

これ程の数が配置されている……この先に、サーキットのコアがある事は間違いない。だが、囲まれている以上、下手な動きはできない。

 

 

「……なあサーシャ。水銀の弱点ってなんだ?」

 

 

拳を構え、サーシャと背中合わせになりながら話しかける。

 

 

「水銀の凝固点はマイナス38.83度だ。それで水銀は固体になる」

 

 

水銀の凝固。固体にして攻撃をすれば水銀人形は砕け散り、再生すらもできないだろう。だが、数が多くサーシャの鉄による分子振動で熱を奪ったとしても水銀を凝固させる範囲には限界があった。

 

 

「なるほど。よく分からんが、ようするに凍らせればいいんだな!」

 

 

百代は拳を鳴らしながら、目の前の水銀人形を見据えている。そういう事か、とサーシャは察した。

 

 

「――――百代。俺が分子振動で周囲の熱を奪う。その瞬間に打て」

 

 

技を放つタイミングを伝えるサーシャ。サーシャの意図に、百代はすぐに気付いた。

 

 

「分かった。じゃあお互い――――派手にいくぞ!」

 

 

「ああ!」

 

 

互いの合図と共に、百代は気を集中させ、サーシャは鉄を操作して分子振動を発生させる。次第に周囲の温度が低下し、サーシャ達に迫ってきた水銀人形が凍り付き始めた。

 

 

だが背後から襲いかかる水銀人形は止められず、武器を構えてまるで銀の波のように押し寄せてくる。そして水銀人形とサーシャ達の距離が近付き、武器を振りかざした瞬間、

 

 

「―――――行け、百代!」

 

 

サーシャの合図で気を溜めていた百代が動き出す。百代は左腕の拳を床に叩きつけた。

 

 

「くらえ!川神流―――――“万華鏡・雪達磨”!!!!」

 

 

絶対零度の冷気が波動となり、周囲の水銀人形を次々と固体にした。さらにサーシャの分子振動も加わり、凝固を加速させながら気で作り上げた氷柱上の槍を生成し、水銀人形の身体を貫いていく。

 

 

貫かれた水銀人形の身体は即座に凝固点に達し、その場で凍り付き砕け散った。

 

 

氷の槍は広範囲に及び拡散し、サーシャ達を包囲した水銀人形は、一瞬にして全て氷の彫刻と化していた。その表面からはサーシャ達の姿が反射して映し出されている。まるで、万華鏡のように。

 

 

故に、万華鏡・雪達磨。絶対零度の、大地に返り咲く雪の花。

 

 

「―――――はあああっ!」

 

 

そしてサーシャの大鎌が、二度再生できないように水銀人形を一閃した。氷の彫刻となった水銀人形は粉々に砕け散る。

 

 

「先へ進むぞ、百代!」

 

 

「ああ!」

 

 

止まってなどいられない……サーシャと百代は再び先へと進み出した。



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バトルエピソード3「Silver Twins」

川神学園、校庭裏庭前。

 

 

福本は駆け足で学園へと戻っていた。

 

 

本日発売のアダルトBlu-rayを買いに走り、満足感に浸っていたら昼休みの時間がすっかり終わってしまっていた。当然、午後の授業は遅刻寸前である。

 

 

ビッグ・マムの制裁によっておっぱいがトラウマと化していたが、彼のエロに対する欲望はそんなトラウマさえも打ち砕いた。故に彼は復活を遂げていた。

 

 

が、相変わらず馬鹿である事に変わりはなく、今の状況に至っている。

 

 

一刻も早く教室へと戻らなければ梅子の教育的指導が待っている。鞭で打たれたら、溜まったものでは……いや、打たれたいと福本は思った。

 

 

ともかく誰にも見つからないように戻らなければならない。教師に見つかったら終わりだ。そんな事を考えながら裏庭を走っていると、

 

 

「あの~、すみません」

 

 

背後から突然声を掛けられた。見つかってしまった……ビクッと体を震わせ、福本は恐る恐る後ろを振り返る。

 

 

「………え?」

 

 

目の前にいたのは、桃色の髪の少女だった。あまり見かけない顔である。少なくとも、この学園の生徒でない事は確かだ。

 

 

それにしても、何て幼い顔をしているのだろうか。そして極めつけは小柄な割に大きな胸。思わず福本の目が釘付けになる。

 

 

(ま、マジかよ!ロリで巨乳と来てやがる。ああ、今すぐセックスしてぇ……あ、やべえ勃ってきやがった!)

 

 

童顔巨乳。福本の性的欲求が反応し、下半身を疼かせた。男としての欲望が止められない。思わず、持っていた袋が落ちBlu-layが散乱した。

 

 

「………?」

 

 

Blu-rayのパッケージが少女の足元に落ちる。少女は興味本位でそれを拾い上げ、パッケージの表紙を確認する。そこには、

 

 

『陵辱!打って射精(うた)れて嬲られて』

 

 

女性が陵辱を受けている内容の物だった。少女の目が点になり、無言になる。

 

 

(ま、まずい……!)

 

 

福本の経験が危険信号を告げていた。少女が叫び、“エッチなのはいけないと思います!”と平手打ちが来て、最後には教師に見つかりバットエンド……死を覚悟した。

 

 

しかし、少女の反応は極めて意外なものだった。少女はパッケージを見ている内に、次第に表情がうっとりとしていく。

 

 

「まあ……もしかしてご主人様、欲求不満なのでございますの?」

 

 

でしたら、と少女は座り込み始めた。シートを広げ、下げていたカバンから何かを取り出し、福本の前に披露する。

 

 

それは―――――大量のSMグッズだった。福本の思考が止まる。SMというよりは、むしろM要素の高いグッズしかない。

 

 

「さあ、ご主人様。お好きな物をお使いくださいまし。(ユー)を虐めて、貫いて、何も考えられなくなるくらい、壊してください、なのでございます」

 

 

Uと名乗った少女が目を輝かせながらヨンパチに求めていた。

 

 

虐められたいというマゾヒズムを、彼女は欲している。Uの予想だにしない行動に、福本は動揺を隠せなかったが、その動揺は僅か数秒で終わった。

 

 

(来た……俺の欲望が、解き放たれる日が!)

 

 

今の福本には欲望というのエロスしか見えていない。それは彼が求めていた理想郷。

 

 

これはもうキメるしかない。正直な話、野外でというのは恥ずかしい気もするが、見られるかもしれないという背徳感を味わうのも悪くないというか興奮する。

 

 

それに彼女が求めているのだ……誰かが来て避難したとしても、こちらに非はないし、なにより彼女の欲求に応えなければならない。

 

 

よって、肯定。福本の息が荒くなり、そして理性が、音を立てて弾けた。

 

 

「じゃあな、モロ。スグル。ガクト。そして大和。俺は……先にいくぜ」

 

 

誰に言うわけでもなく呟き、福本はズボンのベルトに手をかける。そして、Uの元へ――――理想郷へとダイブした。

 

 

「いっただっきま~す!!!!」

 

 

これで福本の童貞は終わる。Uと交わる事によって。福本は夢へと飛び込み、

 

 

「―――――トンファーキック!!」

 

 

そして鋭い蹴りと共に身体を鞭打ちにされ、現実へと引き戻された。福本はガクガクと身体を震わせながら、あられもない姿で地面に倒れ伏せている。

 

 

「公共の場で堂々と破廉恥な行動を取る事は許さない……恥を知りなさい」

 

 

性行為に走ろうとした福本に鉄槌を下したのは、Sクラスのマルギッテだった。その後ろにはクリスも付き添っている。

 

 

「いたいけな少女に手を出すとは……貴様は恥ずかしくはないのか!」

 

 

福本の軽率な行動に、厳しい視線を送るクリスとマルギッテ。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!俺は承認の上でヤろうとしたんだぜ?俺は悪くねぇ!」

 

 

福本もさすがに反論する。そもそもUが頼んできたのだから、罪はない。しかし、クリスとマルギッテは当然信用する筈もなく、

 

 

「この期に及んで言い訳とは見苦しいぞ」

 

 

「救いようのない男だ。歯を食い縛りなさい」

 

 

福本に対してさらなる不信感を買い、ついにはそれぞれ武器を構え始めた。

 

 

「ぼ、暴力反対!そんな事より、早く教室戻んないと遅刻しちまうぜ?ってか、なんでお前らまでここにいるんだよ!?」

 

 

と、福本。確かに、この時間帯に生徒がいるのはおかしい。自分もそうなのだが。

 

 

すると、マルギッテは勝ち誇ったように笑った。

 

 

「私はお嬢様と昼食のいなり寿司を買いに行っただけだ。“一日30個限定の幻のいなり寿司”。貴様のようなくだらない慰み物とは訳が違う。格の違いを知りなさい」

 

 

要するに限定のいなり寿司を買いに行く為にわざわざ学園を抜け出したのである。どちらにせよ自分と同じじゃないかと思った福本だが、口にしたら殺されかねないので止めた。

 

 

「―――――ここにいやがったか」

 

 

すると、福本とUの背後からもう一人――――桃色の髪にツインテールの少女が、不機嫌そうにSMグッズを広げているUを見下ろしていた。

 

 

顔立ちは、Uそっくりである。恐らく双子であろう。

 

 

(ファオ)……?」

 

 

Uはその少女をVと呼んでいた。まるでアルファベットのような名前である。

 

 

(双子どんぶり!?ああ、やべえ滾ってきたああぁ!!!)

 

 

福本は制裁を受けてなお、懲りずに性行為を迫ろうと考えていた。呆れる程に、欲望に従順な男であった。

 

 

「おい、そこのブタザル」

 

 

「は……?」

 

 

Vが横目で福本を睨み付ける。

 

 

「キモい目でこっち見んな。てめぇのタマすり潰すぞ?」

 

 

Vは男に対して悍ましい言葉を向け、福本を一撃で撃沈させたのだった。福本はひぃ!と悲鳴を上げている。Vは再びUへと視線を戻す。

 

 

「チョロチョロすんなっつたろ!?どんだけ探したと思ってんだよ、この豚姉!」

 

 

突然Uの背中を足で踏みつけ、ぐりぐりと踵を食い込ませるV。Uはうっ、と痛々しく埋めく。その光景にクリスとマルギッテ、福本は目を見開いた。

 

 

「お、おい、お前。喧嘩は――――」

 

 

クリスが声をかけようとした時、Uの様子がおかしい事に気づいた。何故なら、

 

 

「あっ、いたっ……こ、こらV!お姉ちゃんに向かってそんな……ああ、でも、いいぃぃ!!感じるので、ございますううぅ!!」

 

 

表情をうっとりさせながら、気持ち良さそうに快感に浸っていたからである。

 

 

「ほらほらぁ!痛ぶられて感じるんだろぉ!?どうしようもねークソマゾがぁ!!!」

 

 

Vの行為は次第にエスカレートしていき、終いには鞭まで使い、Uの身体を容赦なく激しく叩いていた。Uはそれでも嫌がろうとはせず、それを受け入れている。

 

 

つまりUは真性のマゾヒストなのだ。それを呆然と眺めているクリス、マルギッテ。

 

 

(やべえ、俺も叩かれてぇ!!ああ……)

 

 

色々な意味で救いようのない福本。するとマルギッテが小さく溜息をつき、

 

 

「戻りましょう、お嬢様」

 

 

「……そうだな」

 

 

クリスと共に、彼女らから背を向けて立ち去っていく。

 

 

世の中には、様々な性癖を持った人間がいる。あまり関わらない方がいいと二人は思った。背後からはUの喘ぐような声と、Vの罵りと鞭打つ声が未だに聞こえている。

 

 

叩いて、叩いて、叩き続け、それを繰り返す。

 

 

「だめ、だめええぇ!!!それ以上されたら、Uはもう、もう―――――」

 

 

叩かれ続けていたUが絶頂を迎える。身体は震え、虐められる事への快感が、Uを至高の快楽へと導く。そして、

 

 

「イっちゃうので、ございますううううううううううううううううううぅぅぅぅぅ!!!」

 

 

Uの絶頂の叫びと同時に、ニヤリと、Vの口元が三日月状に吊り上がった。

 

 

 

 

「―――――!?」

 

 

只ならぬ殺気を感じ、マルギッテとクリスは背後を振り返る。

 

 

「危険です、お嬢様!」

 

 

振り返った瞬間、マルギッテは即座にクリスを抱きかかえて回避行動に移った。二人は飛び込むように地面に転がり込む。

 

 

「……マルさん、一体何、が――――」

 

 

何が起きたのだろう……クリスは目の前で起きた光景に絶句した。

 

 

さっきまでクリス達がいた位置の地面には―――――大量の水銀。もしもマルギッテの行動が少しでも遅ければ、今頃はあれに飲み込まれていただろう。

 

 

クリスとマルギッテは武器を構えて立ち上がり、UとVのいる方向へ視線を向けた。

 

 

「ああ……」

 

 

Uは座ったまま動かず、絶頂して快楽に浸っている。が、その地面には夥しい水銀が溢れ返り、変形を繰り返しながら蠢いていた。

 

 

「―――――はっ。トロそうな顔してる割に、意外と早ぇじゃんかよ」

 

 

ちっ、と唾を吐き捨て、鞭を片手に嘲笑うV。隣にいた福本は得体の知れない恐怖で震え上がり、身動きが取れずにいる。

 

 

「水銀使い……まさか、こいつがエヴァ=シルバーなのか?」

 

 

警戒し、身構えるクリスとマルギッテ。この少女が、まゆっちを襲ったアデプトのクェイサーなのだろうか。すると、Vが表情を歪めた。

 

 

「……ああ、あのババァの事か。あたしらはババァに産み落とされたクローンだ。あんな奴と一緒にされたら、反吐がでるわ」

 

 

言って、Vは忌々しげに吐き捨てるのだった。

 

 

エヴァが作り出したクローン体。UもVも、エヴァによって作られた分身。水銀を操る能力。かなり危険な相手である。

 

 

「―――――福本、今の内に逃げろ」

 

 

ここは危険だ、とクリス。これからクリス達はこの訳の分からない連中と戦うつもりだ……福本は躊躇った。性欲に任せ、こんな事になってしまった事は少なくとも自分にある。

 

 

「……分かった。今助けを呼んでくるからな!」

 

 

震える身体に鞭を打つようにして立ち上がり、福本は一目散に駆けていく。

 

 

「あ、ご主人様――――」

 

 

「ほっときな。どうせ、“助けなんざ呼べねー”んだからよ」

 

 

切なそうに福本に声をかけるUを、Vは制した。そして意味深に呟いたその言葉。クリスは眉間に皺を寄せる。

 

 

「Vと言ったな……それは、一体どう言う意味だ?」

 

 

クリスの問いにVはしばらく黙っていたが、急に狂ったように笑い出した。そしてギロリと、獲物を捉えたような獣の瞳でクリス達を睨みつける。

 

 

「決まってんだろ。てめえら全員―――――」

 

 

Vの周囲に、湧水のように水銀が生成されていく。水銀は踊り狂い、Vの身体を渦巻きながら不気味に揺らめいていた。

 

 

次の瞬間、

 

 

「――――――死ぬってことだよおおぉぉぉおぉおお!!!!」

 

 

Vの生成した水銀が、無数の槍となってクリスとマルギッテに向けて解き放たれた。



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バトルエピソード4「Silver Twins2」

(ファオ)の放った無数の水銀の槍が、クリスとマルギッテに向けて放たれた。水銀の槍は二人を串刺しにしようと、鋭くその切っ先を尖らせている。

 

「くっ―――――!」

 

マルギッテが前線に立ち、トンファーを高速回転させながら前進して水銀の槍を払いのけた。そして徐々にVに接近し、トンファーで反撃を仕掛ける。

 

「―――――ぶった斬れろおぉぉ!!」

 

マルギッテが接近する直前、Vは地面を力強く踏み付けた。するとマルギッテとVの間に、水銀の幕がシャッターのように地面から出現する。

 

「―――――!?」

 

マルギッテは殺気を感じて後退した。あのまま突っ込んでいれば、今頃は身体を真っ二つに綺麗に裂かれていただろう。

 

そしてVの銀幕が降り、隠れていたVが再び姿を表す。

 

だが次の瞬間、Vの次なる攻撃がマルギッテをさらに待ち構えていた。

 

「ぎゃはははははははは!!!」

 

無数の水銀の針が地面から隆起し、マルギッテを襲う。

 

それは大地を削る銀の牙。回避行動を取ってから僅か数秒。マルギッテも全て回避する事は不可能に近い。

 

しかし、マルギッテは迫り来る水銀の針を待ち構えていた。トンファーの回転速度をさらに上げ、極限まで高速回転させたトンファーを拳と共に突き出し、

 

「トンファーショット!!」

 

瞬発力の高い風圧を発生させ、水銀の針を跡形も無く吹き飛ばした。トンファーの高速回転によって発生した風力が衝撃波となり、爆発的なエネルギーを生み出すマルギッテの技である。

 

「……ち。手間かけさせんじゃねぇよ、眼帯女」

 

ウザってぇ、と忌々しくマルギッテを睨みつけ吐き捨てるV。マルギッテは鼻で笑い、

 

「この程度の攻撃、造作もない。本気を出すまでもなさそうだ」

 

挑発じみた言葉をぶつけたのだった。Vは挑発に乗ったのか、突然下品な笑い声を出し始めた。

 

「………決めた。てめぇは、ぜってー嬲り殺す。穴から孔まで犯して、肉体(からだ)の隅から隅までぶっ壊してやるよ!!」

 

強気な相手ほど凌辱し、自らの手で服従させ、破壊したい衝動に駆られる。それが、Vというサディストのサガなのだろう。するとVは側で放心していた(ユー)の胸倉を掴み、

 

「おい豚姉、聖乳(ソーマ)よこせ」

 

着ていた服の胸元を無造作に引っぺがした。Uの乳房が露わになり、引き剥がした反動で乳が揺れる。Vは搾り取るようにUの胸を掴み、聖乳を貪り始めた。

 

「はぅ!?あ……ああああああああああああああ!!」

 

絶頂したばかりだと言うのに……吸われるという快感がUを壊していく。

 

自分の中にある全てが、しかも妹によって吸われている上に、他人に見られているのだ……この屈辱的な仕打ちは、Uにとってこの上ない快楽だった。

 

「あ……ダメ、トんじゃう……トんじゃ……ああああああああ!!?」

 

さらに絶頂しUは程なくして気絶した。Vは聖乳を吸うだけ吸い終え、Uの身体を投げ捨てる。

 

「―――――まずは、」

 

持っていた鞭を捨て、腰につけていた水銀ロッドを手に取るV。構えるマルギッテを見据えながら、ニヤリと狂気の笑みを浮かべた。

 

「てめえの■■■にコイツをぶち込んで、■■が破裂するまで、あたしのを流して孕ませてやるよ。斬り刻むのはそれからだ!!」

 

汚い言葉を連発して、Vは水銀ロッドを振りかざした。水銀は宙を舞い、Vの周囲に渦巻いている。聖乳を得た影響か、先程よりも濃度が上がっていた。

 

(こいつ、さっきよりも殺意が……!?)

 

先程とは違う危険を感じる。このままではクリスも更なる危険が及んでしまうだろう。マルギッテはクリスの身を優先した。

 

「下がっていてくださいお嬢様。ここは私が―――――」

 

と、次の瞬間、マルギッテの正面にはVの姿があった。マルギッテと目が合った瞬間、Vがまたニヤリと不気味に笑う。

 

「―――――余所見してんじゃ、ねぇよ!!」

 

Vは水銀ロッドの先端を鞭状に変化させ、マルギッテの顔に叩き付ける。マルギッテは辛うじてトンファーで防御しつつも、発生した衝撃波で吹き飛ばされてしまう。

 

「マルさん!?この―――――!!」

 

クリスが応戦し、レイピアでVに攻撃を仕掛ける。

 

「―――――!?」

 

だがクリスの攻撃の間際、割り込むように水銀の槍が迸った。殺気を読み取ったクリスはギリギリで攻撃を回避するも、右腕に軽い傷を負う。

 

「くっ……今のは、一体……」

 

負傷した右腕の傷口を抑えながら、水銀の槍が飛んできた視線の先を確認するクリス。そこには、聖乳を吸われて気絶していたUが、水銀を纏いながら立っていた。

 

「はぁ……はぁ…!ああ、また、トんじゃいそう……」

 

息を荒げ、目は虚ろになり、まるで失禁しているように下腹部から水銀を滴らせ、ふらふらとクリスに向かって歩いてくる。

 

Vに散々罵られ、嬲られ、聖乳を吸われ、ついには“壊れて”しまったU。マゾヒズムを求めに求め続けた、彼女の末路。

 

「もっと……もっと、欲しいのでございま、す。ああ、欲しい!欲しいぃぃ!!もっとUを……いたぶって……そのレイピアで……Uを貫いて、奥まで……無理矢理ねじ込んで……!」

 

だがそれ故に、危険。絶頂して快楽に溺れているUの攻撃力は、通常の倍。もっと危険なのはUの歪んだ性癖である。

 

 

クリスは激しい嫌悪感を覚えると同時に、絶対に倒さなければならない敵だと再認識する。

 

「貴様は……狂っている!」

 

クリスはUという敵を迎え撃つ。そしてUの要望に応えるつもりはないと、目で訴えていた。それを感じ取ったUは、

 

「……そう、それは残念なのでございます」

 

快楽で蕩けていた笑みが、一瞬にして冷たく、冷徹なものに変わる。

 

「あなたはご主人様、失格なのでございますね。失格の人は―――――」

 

Uの周囲に渦巻く水銀の形状が、無数の鋭い切っ先の槍に変化していく。口から水銀を零し、それをペロリと舌で舐めると、怒る事も笑いもせず、ただ無感情のままに、

 

「死ぬのでございます―――――!!」

 

殺意という名の矛先を向けて、クリスに槍を解き放った。

 

自分を虐めない人間は、即座に“失格”と見なし、無慈悲に殺すという歪んだマゾヒズム。クリスは臆する事なく、Uに戦いを挑むのだった。

 

 

 

ついに本気になり、猛攻撃を繰り出すV。クリスを守りながら戦うマルギッテ。

 

そして、快楽で壊れてしまったUとそれを迎え撃つクリス。

 

――――――二人の命をかけた真剣な戦いの火蓋が、切って落とされた。



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37話「抵抗する意志」

弓道部の部室にやってきた京。そして背後に感じる得体の知れない気配。京が振り返ったその先には、ブロンドの髪を靡かせた女性の姿があった。

 

「……誰?」

 

京には一切の見覚えがない。学園に新しく赴任してきた教師だろうか……学園に赴任する教師は、そう少なくはない。

 

それなのに。京がこの女性から感じているこの邪気は、一体何なのだろう。

 

「椎名京さん、だったかしら?」

 

女性はうふふと笑いながら、カツカツと靴音を立てて京に歩み寄る。京の名前を知っている……この女性に名前を教えた覚えはない。気味が悪かった。

 

「あの……すみませんが。どちら様ですか?」

 

間に入るように、弓子が女性に尋ねる。弓子も怪しいと感じているのか、少し警戒している様子が見て取れた。

 

すると、女性は弓子やその他の生徒達を見渡し、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は今日から川神学園弓道部顧問として赴任した、エヴァ=シルバーといいます」

 

言って、エヴァは自分の名前を告げた。弓道部の顧問……弓子や他の部員達も、そんな話は聞いていない。戸惑うばかりだった。

 

しかしただ一人、京だけがエヴァの名前に心当たりがあった。思考を巡らせながら、エヴァという名前を検索する。

 

嫌な予感しかしない。京の心が、“思い出すな”と危険を警告している。

 

そしてしばらく思考した末、ある結果に辿り着く。まゆっちを襲った人間も、確かそんな名前ではなかったか………。

 

(………!アデプトのクェイサー、クイックシルバーの魔女……!)

 

瞬間、京の背筋が凍りついた。京の目の前にいるのは、紛れもないサーシャ達の敵。異能の力を持つ水銀のクェイサー。

 

(……?椎名、さん?)

 

京の表情が余程険しく見えたのだろう、隣で見ていた弓子の警戒が確信に変わった。

 

この女性は、危険だ。本能がそう告げるようになる。急に部室にやってきて弓道部顧問を名乗り、何より本心が見えない。仮面で素顔を隠している。

 

それに、弓道部の顧問になるならば、梅子も一緒にいるはずだ。ますますこの女性が怪しい。弓子はエヴァに向き直った。

 

「……事情は分かりました。では、まず前顧問(・・・)を呼んできますね」

 

梅子に事実を確認しなければと、エヴァを横切って部室を出ようとする弓子。これが本当ならエヴァに対して失礼だが、もし虚実ならば……一体エヴァは何をしにやって来たのだろう。

 

そんな疑問を抱えながら、弓子は歩み進む。

 

「――――あら、ダメじゃない」

 

小さく、そして悪意の篭ったエヴァの声が、微かにに聞こえた気がした。

 

この時、京はただならぬ殺気を感じ取った。

 

「主将、逃げて――――!」

 

危ないと、危険を告げる京。え?と、弓子は間の抜けたような声を出し、背後を振り返る。

 

だが振り返った時には既に遅く、弓子の身体は吹き飛ばされていた。

 

「うっ―――!?」

 

身体を壁に打ち付け、衝撃で弓子は気絶して倒れ込んだ。同時に他の部員達の悲鳴が上がる。

 

そして、弓子を吹き飛ばしたエヴァ。その手には水銀ロッド。

 

「――――もう授業は始まっています。勝手に出て行くのは、校則違反よ?」

 

さも当然のように、水銀ロッドを振るうエヴァ。弓子は気絶していて動かない。壁に身体を打っただけで大した怪我ではなさそうだが……教師のやる事ではない。

 

「け、警察……!」

 

部員の一人が携帯を取り出し、警察に電話をかけようと番号を入力する。

 

しかし、番号を入力してコールした瞬間、見えない銀の糸が迸った。部員の携帯がバラバラになり、一瞬にして鉄屑と化す。

 

「授業中は携帯禁止です。もし言う事が聞けないのなら、次はそのバラバラになった携帯が―――あなたたちの身体に変わります。言ってる意味が理解できるかしら?」

 

水銀ロッドの尖端を舐め、不気味に微笑むエヴァ。部員達は“ひぃ!”と悲鳴を上げた。殺される……これまで味わった事のない恐怖と危機感が、部員達を震え上がらせていた。

 

「さて――――」

 

“調教”を終えたエヴァは再び京に向き直る。恐怖で足が竦みそうになるが、京は堪えた。

 

「――――椎名京。椎名流弓術継承者。そして天下五弓の一人……こんな小娘がそれ程の実力者だなんて、にわかには信じ難いわね」

 

言って、京を小馬鹿にするように笑うエヴァ。口調は変わり、教師という仮面を剥がした殺戮者へと変貌していた。

 

何もかも知られている……本当に気味が悪い。

 

「エヴァ=シルバー。まゆっちを襲ったのも、全部………」

 

京は怯える部員達を庇うように、エヴァを睨み付ける。するとエヴァはまた不気味に笑う。

 

「あら、あの子のお友達かしら?ふふ、残念ね。貴方にも見せてあげたかったわ………あの子が恐怖に染まった顔を」

 

大切な仲間を傷付けた……京の怒りを誘うエヴァ。しかし、そんな挑発に乗る京ではない。怒りは狙いを鈍らせる。集中力が重要な弓術にとって、感情の揺らぎは致命的である。

 

京は側にあった弓一式を手に取ると、あくまで冷静にエヴァという敵を見据えた。

 

(もうすぐ助けが来る。それまで私が時間を稼げば……)

 

状況は時間が経てば変わる。しばらくすれば、異変を感じ取ったサーシャや百代達が駆け付けてくれるだろう。

 

だがしかし、エヴァはそんな京の思考を読み取ったように、

 

「助けが来るなんて――――思わない事ね」

 

指を警戒にパチンと慣らした。すると部室の入口が、窓が、水銀の幕で覆われていく。

 

完全なる密室空間。外界からの干渉は不可能。全てが遮断される。

 

「今頃は私の可愛い人形達と戯れている頃かしらね……」

 

「―――――!」

 

不吉な言葉が、密室の中で告げられる。それは学園が異常に包まれている事を意味していた。

 

 

 

――――2-F教室。

 

水銀によって密閉された銀幕の空間の中。まふゆ達のいる教室では、突然出現した水銀人形(シルバードール)と戦い続けていた。

 

倒しても倒しても復活する人形から逃げ惑う生徒を、まふゆ、一子、忠勝、岳人、キャップが全力で守っている。

 

「……くそっ!これじゃキリがねぇ!」

 

迫り来る水銀人形を殴りつけながら、舌打ちをする忠勝。幾度も蘇る不死の人形……まるで悪夢でも見ているかのようだった。

 

「はあああああーーーー!!!」

 

一子は薙刀を振るい、風圧で水銀人形を吹き飛ばす。もう何体倒したかは覚えていない。気力を消耗し、次第に疲れが見え始めていた。

 

「無理すんな一子!お前の身体は……」

 

一子と背中合わせになりながら、身を案じる忠勝。このまま続ければ、一子の気力が底を突いてしまうだろう。

 

「はぁ……はぁ……あたしなら、まだ大丈夫。たっちゃんは――――」

 

突然、一子の足元から狂犬の人形が出現し、一子に襲いかかった。気力を消耗して反応速度が低下し、反応できず身構える事すら許されない。

 

「―――一子ちゃん!!」

 

一子の頭が噛み砕れる間際、まふゆの竹刀の一閃が狂犬の人形を真っ二つにした。人形は水銀を飛び散らせながら壁にべとりとへばりつく。間一髪で、一子は水銀人形の凶刃から免れた。

 

「はぁ……はぁ……助かったわ、まふゆ」

 

「一子ちゃん、無理しちゃダメ。ここはあたし達が……!」

 

次々と襲いかかる水銀人形を、まふゆは蹴散らしていく。サーシャがいない今、このクラスの生徒達を守れるのはまふゆと、一子達だけである。

 

恐らく、サーシャは今この仕掛けを解く為に学園内を奔走しているはずだ。それまで何としても守り抜かなくてはならない。

 

信じてるから……まふゆはサーシャを信じ、全てが終わるまで剣を振り続けた。

 

 

 

――――1−C教室。

 

由紀江とカーチャのいるクラスも、戦える生徒達数人が、水銀人形と戦っていた。

 

『まゆっち、後ろだ!』

 

「はいっ!」

 

由紀江の剣捌きで、水銀人形を打ち倒していく。だが、数が多すぎる。おまけにどこから出て来るか予測できない。

 

或いは壁から。或いは床から。或いは天井から。まさに神出鬼没。

 

「みんな、カーチャ様をお守りするんだ!」

 

「「「はい!」」」

 

カーチャの親衛隊がカーチャの盾になり、それぞれ武器を構えて水銀人形に挑む。

 

が、しかし。

 

「うわーーー!!!」

 

「ぷぎゃーー!?」

 

彼らは想像を絶する程弱かった。親衛隊達は次々と倒れていく。

 

「――――!?いけない、カーチャさん!」

 

カーチャの危機を察知し、由紀江が飛び込み水銀人形を薙ぎ払うが、切り払ったのも束の間、次なる水銀人形の魔の手が忍び寄る。

 

「由紀江お姉さま、危ない!」

 

カーチャが由紀江の身体に体当たりし、由紀江は衝撃で仰向けに倒れ込む。カーチャは由紀江の身体に覆い被さるような体勢になっていた。

 

「か、カーチャさん。ありが―――」

 

「―――お前の聖乳(ソーマ)を貰うわ、黛由紀江」

 

「えっ」

 

どさくさに紛れ、カーチャは由紀江の制服を引き剥がした。下着を外し、色白の胸が揺れて剥き出しになる。

 

「わーーー!?ちょ、ちょちょちょちょ!ななな何をするんですかいきなり!!」

 

強姦まがい(ほぼ強姦)な事をされ、顔を真っ赤にしながら戸惑う由紀江。いくら他の生徒が見ていないからと言って、これはやりすぎである。

 

しかし、カーチャは有無を言わさない。女王であるが故に。

 

「他の連中じゃ始末に追えないみたいだし、ママを使って持ちこたえるわ。でもあいにくと聖乳が切れてるのよ、だから力を貸しなさい」

 

平然と言ってのけるカーチャ。確かに由紀江と他生徒数人だけでは守り切るのに限界がある。カーチャの言っている事は正論だった。

 

「たたたたた確かにそそそうですがなんというかそのそんな破廉恥な行為は道徳に反するというか私初めてというか!!」

 

『そうだそうだ!まゆっちの始めてを捧げるのは生涯愛を誓った人だけだz――――』

 

「―――――」

 

由紀江と松風の制止も虚しく、カーチャは華麗にスルーして由紀江の乳を吸い始めていた。

 

「あっ!?は―――――んんっ!んううううううぅぅぅぅ!?」

 

悩ましい声を出しながら、なるべく叫ぶのを堪える由紀江。自分の中のものが、カーチャによって吸い出されていく。誰も見ていない事を祈るしかない。

 

カーチャは乳首から口を離し、口の周りについた聖乳をペロリと舐め取る。

 

「ふふ……凄い聖乳の量ね。それになんて濃厚なのかしら」

 

意外と感じやすいのねとカーチャに言われ、由紀江はさらに顔を赤くした。本当に誰も見ていない事を説に願いたい。

 

「―――――!?カーチャさん、後ろ!!」

 

由紀江の視線の先には、カーチャの背後に迫る水銀の騎士の姿があった。剣を振り上げ、カーチャに向けて剣を振り下ろす。

 

「―――――медь(銅よ)!」

 

刹那、水銀人形は無数の銅線に串刺しにされ、最後には引きちぎられるように身を引き裂かれて消滅した。

 

――――アナスタシア。液体化して建造物の隙間を掻い潜り、銅を再構成して出現した。

 

これでしばらくは持ち堪える事ができるだろう。アナスタシアは銅線を射出し、複数の水銀人形を破壊していく。

 

(ち……教室の外に出られれば!)

 

教室から脱出できれば、この仕掛けを作動させているコアを探し出して破壊できる。しかし、仮に教室を出れたとしても、その間に生徒達が水銀人形の餌食になるだろう。

 

(ああ、もう。めんどくさいわね―――――!)

 

舌打ちをするカーチャ。今はアナスタシアを操作し、この場を凌ぐ他なかった。

 

 

 

――――川神学園大会議室。

 

サーシャと百代は水銀人形の群れを掻い潜り、大会議室へと辿り着いた。

 

「この場所だ」

 

サーシャの左耳のイヤリングが強く発光している。この場所に、仕掛けのコアである元素回路が組み込まれているはずだ。

 

「……?サーシャ、もしかしてあれか?」

 

百代が天井を見上げる。その場所に、サーシャ達の求めているコアが存在していた。

 

天井の中心に根を張り、不気味に発光する黒い紋章。その紋章はまるで人間の心臓のように強く脈打っていた。

 

これが恐らく、川神市を騒がせている“謎の元素回路”。一子に根付いていた時と同じ波動が、サーシャ達の身体を通して伝わる。

 

間違いない……サーシャは大鎌(サイス)を構え、張り付いた元素回路を破壊を試みる。

 

だが、

 

「――――!?」

 

大きな気配を感じ取り、サーシャは後ろに大きく後退した。会議室全体に水銀が満ち始め、サーシャと百代の前に収束していく。

 

やがてそれは人の形――――否、巨人のような異形の姿へと変貌した。その姿は、まるでゴーレムを連想させる。これを倒さない限り元素回路は破壊できない、ということだろう。

 

無数の水銀人形。そしてトラップ。さらには水銀の巨人(シルバーゴーレム)。謎の元素回路にはここまでの力があるというのだろうか。

 

「なるほどな……こいつがここの門番ってわけか」

 

腕をバキバキと鳴らしながら、百代は目の前の強敵を前に武者奮いしていた。

 

もう一刻の猶予も許されない。この巨人を倒し、エヴァ=シルバーを探し出し倒さなければ。

 

「百代―――――」

 

「―――――サーシャ」

 

互いに息を合わせ、サーシャと百代は水銀の巨人を迎え撃った。

 

「「―――――一瞬でかたをつけるぞ!!!」」

 

 

 

――――弓道部部室。

 

学園で起きている異常。サーシャ達も巻き込まれているという事は、応援はまず来ない。絶体絶命だが、京には確信があった。

 

それは、仲間を“信じる”という事。たとえ何が起きようとも、必ず大和達やサーシャ達が助けにやってくるだろう。

 

「私は……仲間を信じる。だから戦う。エヴァ=シルバー、お前は私が撃つ!!」

 

戦う意思は消えない。だからこそ京は武器を取る。信じる思いを力に変えて。その揺るぎない意思が、京を突き動かしていた。

 

それに対してエヴァは滑稽ねと、クスクス笑っている。同時に彼女の殺意が――――京に対する嗜虐という名の殺意が膨れ上がっていた。

 

「そう――――なら遊んであげる。椎名流弓術、どれほどのものか見せて貰うわ」

 

水銀ロッドを振り翳し、エヴァの周囲に水銀が渦巻き始めた。全てを切り裂く銀の刃が、怪しく蠢いている。

 

京は臆さず力強く弓を引く。敵を撃つ、希望の矢となりて。

 

「――――川神学園2−F、椎名京。参る!」

 

「――――弾けなさい!至上の快楽と共に!」

 

京とエヴァの刃が、激突した。



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バトルエピソード5「反撃開始」

マルギッテとクリスは今も(ユー)(ファオ)の猛攻に苦戦を強いられていた。

 

水銀ロッドを変化させな、長剣、鞭、鎌、槍……変則的に武器を繰り出すV。そして何度攻撃を受けても再生し、攻撃を受ける度に自身の能力を高めるU。

 

聞いた事も遭遇した事もない未知の能力。UとVはパンドラの箱そのものであった。

 

 

「おらおらああぁ!!動きが鈍ってんぞ!?雌豚やろおぉぉ!!」

 

ゲラゲラと狂気の笑みを浮かべながら、水銀ロッド―――――長剣を振るうV。

 

「くっ――――!?」

 

長剣の切っ先が、マルギッテの髪を掠める。だが銀の斬撃を躱してすぐ次の一手が牙を剥く。

 

「ぎゃははははははは!!!泣き叫べ!!」

 

長剣が鞭に変化する。長剣よりもさらにリーチが伸び、攻撃範囲が広がり、さらにマルギッテを追い詰めていく。

 

防戦一方のマルギッテ。変幻自在に武器を繰り出すVの攻撃に、手も足も出せずにいた。

 

否、“手も足も出さない”と言った方が正しいだろう。何故なら、マルギッテはこの危機的な状況の中で、楽しんでいた。表情からは分からないマルギッテの中で闘争心が燃えている。

 

Vは気付いていない。マルギッテがまだ、本気ではないという事を。

 

 

 

「失格!失格!!虐めてくれない人は失格なのでございます!」

 

死の宣告を何度も繰り返しながら、Uは生成した水銀の槍をクリスに向けて投擲する。クリスは投げられた槍の軌道を読み取りながら、回避して反撃の隙を伺っていた。

 

無数に降り注ぐ槍の雨。次第に反応が鈍り、槍がクリスの身体を掠め、体力を削っていく。

 

(うっ……このままでは……!)

 

やがて串刺しになるのは目に見えている。その結末は文字通り“失格”を意味していた。

 

いくら攻撃を与えても、復活して蘇る魔の再生能力。そして、ダメージを受ければ受ける程攻撃力が上がる怪異。

 

仮に決定的なダメージを与えられたとしても、それは決定打にはならない。むしろ逆にリセットされる。それも相手が優位な状態で。

 

攻撃をしてもUを悦ばせるだけで意味は殆どない。かと言って何もしなければ死が待っている。クリスは手詰まり状態であった。

 

(―――――?待てよ……)

 

ふと思案するクリス。

 

確かにUは、攻撃を与えれば与える程強さを増す。その上、再生者の能力でダメージを回復。百代の瞬間回復よりもたちが悪く、クリスにとっては不利極まりない。

 

だが、果たして本当に不利なのだろうか。Uはただ痛みを欲しているだけで、攻撃する意思は殆どないのではないかというクリスは推測する。

 

Uの原動力はマゾヒズム。攻撃をする意思はない。ただし、拒否すれば失格と見なし攻撃を仕掛ける……それがUの行動原理。

 

(……そういうことか!)

 

思考の末、クリスに一つの打開策が浮かぶ。目には目を。歯には歯を。ならば、とレイピアを構え、Uに攻撃する意思を見せつけた。Uの攻撃がピタリと止まる。

 

「まあ……もしかしてご主人様、Uを虐めてくださるのでございますの?」

 

冷酷な表情から一変、欲望を求める快楽者と化す。そしてクリスはふっと、笑う。

 

「ああ。望み通り―――――気の済むまで相手をしてやろう!」

 

 

 

一方、Vと対峙するマルギッテ。マルギッテはVの攻撃を退け、一旦大きく距離を取った。

 

「おいおい、さっきの威勢はどこへいったよ?まさか降参とか言わねぇよなぁ?」

 

くくく、と舌舐めずりをしながらマルギッテを嘲笑うV。圧倒的優位に立っているVは、余裕の笑みさえ浮かべている。

 

しかしマルギッテも吊られるように笑っていた。もはや笑うを通り越して歓喜である。

 

まるで、恰好の獲物を捉えた猟犬のように。

 

「……てめえ、何がおかしい?」

 

不快に思ったVが問いかける。この状況下で、何故笑っていられるのだろうか。気に食わない。虫唾が走る。その表情がVを苛立たせる。

 

すると、マルギッテがニヤリと笑いながら口を開いた。

 

「Vだったか。どうやら貴様の戦闘力を見誤っていたようだ。ここから先は――――全力で狩らせてもらう」

 

言って、マルギッテは左目の眼帯を外す。瞬間、Vは空気が張り詰めたような錯覚に陥った。だが眼帯を外したから何だというのか。Vには御託にしか聞こえない。

 

嬲り、犯し、壊し尽くす。如何なる事が起きようと、Vのする事は変わらない。

 

「は――――!笑わせんなよ雌豚が。さっさとかかってこ―――」

 

「既に来ている」

 

何時の間にか、Vの前にはマルギッテの姿があった。まるで瞬間移動でもしたように、Vの眼前に、ほぼ零距離に等しい間合いにいる。

 

「な―――――」

 

Vが声を上げようとしたその刹那、トンファーの一撃がVの腹部にめり込んでいた。

 

「ご、ふ―――――」

 

重い一撃だった。まるで、鉄の塊に潰されたかのように。Vの身体中の骨が、粉々に砕かれていくのが分かる。

 

反応できなかった――――いや、Vは油断ししてしまったのだ。マルギッテが本気ではなかった事を、甘く見過ぎていた。

 

あまりの衝撃に意識が飛びそうになる。その間際、マルギッテの勝ち誇った表情が目に写った。

 

「――――――」

 

気に食わねえ……と心の中で呟きながら、Vは校舎の壁に身体を叩きつけられていた。

 

 

 

「いくぞ―――――!」

 

レイピアの切っ先をUに向けて、クリスは疾走する。もはや迷う余地などない。全力で攻撃を叩き込む――――それがクリスが導き出した選択である。

 

「はああああ!!!」

 

一度に繰り出される、クリスの刺突の連撃が雨のようにUに降り注いだ。Uはその一撃一撃を、噛み締めるように身体で受け続ける。

 

「あぁん!?いい、いいのでござぃます!Uの身体、ぞくぞくしてるのでござぃます!!もっと、もっと切り刻んでえええぇぇぇぇ!!!!」

 

傷だらけになりながらも、Uは攻撃を受け続け、快楽に浸る。感情が高揚し、狂ったように身体を差し出し、また再生者(リザレクター)の能力でダメージを回復する。

 

しかしクリスは攻撃を止めない。むしろ連撃の速度、そして精度を徐々に上げていく。

 

「そうか。だが次は、快楽に浸る暇も与えないぞ―――――!!」

 

クリスの連撃の速度がさらに上昇する。その速度はもはや加速を超えて神速である。

 

速度の限界を超えた領域。加速を重ね、動体視力では捉えられない程の連撃。

 

レイピアを持つ腕の筋肉がつれ、腱が焼き切れそうになる。痛みが限界を超える。だからこそ、クリスは到達する。神速の領域に。

 

加速も、音速さえも凌駕するクリスの神速の一撃。それは、

 

 

「――――――限定解除・神速刺突剣!!!」

 

無数に繰り出される刺突の連続。技という名の芸術。限定解除の名に相応しい。

 

Feuer(連射)Feuer(連射)!!Feuer(連射)――――!!」

 

攻撃を受けても再生し続ける怪異能力。それならば、再生する隙も、そして暇さえも与えないような攻撃を与え続ければいい。クリスの攻撃を、Uはなおも受け続ける。

 

攻撃、再生、攻撃、再生。無限ループ。しかし、それもクリスの速度には追いつかない。回復が徐々に遅れ、ダメージが蓄積されていく。

 

「ああっ!?すごい!すごい!すごいいぃ!!!からだじゅう、いたみが――――きもちいいいので、ございます、あたまが、はじけ、とびそおおおおおおお!!!!」

 

クリスの攻撃を前に狂い叫び、下腹部から水銀を大量に漏らすU。しかし、もはや致死量。再生者としての、クェイサーとしての機能が破壊される。

 

そして、

 

「とどめだぁ―――――!!!」

 

クリスの最後の刺突が、Uの身体に終止符を打った。Uの快楽もついに限界が訪れる。

 

「うあああああああああああああぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

Uの体内から水銀という水銀が排出され、何もかもが限界を迎える。いくら再生者としての能力を持ってしてもクリスの神速を上回る程の力は、持ち合わせていなかったのである。

 

これがUの欲望の果て。マゾヒズムの執着点。

 

「………あ、は。ごうかく、です。ごうかくなので、す。ごしゅじん、さまぁ」

 

視点が空を仰ぎ、Uの身体がふらりと、水銀の水溜りに倒れ伏す。身体をピクピクと痙攣させながら、Uの意識は快楽の奥底へと沈んでいった。



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38話「揺るぎない信頼」

(・3・)まみ~ん。
ちょっとリメイクが入ります。弓道部の部員達が……!


“信じたい”という自身の決意。椎名京はその意思を貫き、守りたい人達の為に弓を射る。

 

対峙するは嗜虐を芸術とし、無慈悲に人間を切り刻む魔女、エヴァ=シルバー。

 

水銀(シルバー)ロッドを振りかざし、その先端から伸縮する水銀。水銀は宙を舞い、噴水のように軌跡を描く。

 

それはまるで“銀の芸術”。だが、その美しさとは裏腹に、触れた物全てを切り裂く変幻自在の悪魔の元素である。

 

「バラバラにしてあげるわ!」

 

エヴァの振るった水銀は蛇のようにうねり、獲物である京に襲いかかる。

 

「――――――」

 

京は迫り来る水銀を、僅かな時間で冷静に観察し分析する。

 

動き。速度。範囲。弓兵の動体視力は通常の人間よりも鋭く、敏感である。目を凝らし、相手の攻撃を見切り、そして最も適切な行動を選択する。

 

(―――――見えた!)

 

うねる銀色の蛇の中にある、ほんの僅かな隙間。京は弦を引き、集中して一点に狙いを定めて矢を放つ。矢は一直線にエヴァの攻撃を潜り抜け、目標―――エヴァの肩に向かって疾る。

 

右手に握られた水銀ロッド。右肩を打ち抜き、武器を落としてしまえばこちらが優位。

 

 

だが、その京の算段は見事に打ち砕かれる事になる。何故なら、

 

「………な、」

 

エヴァの右肩を狙っていた京の矢が、突然現れた水銀の鎧によって阻まれたからである。

 

エヴァは何もしていない。否、する必要がなかった。

 

自動防御(オートガード)。エヴァの身体は、主を守る意思を宿した、絶対防御の砦によって守られていた。京の放った弓が水銀によって溶かされ、無残に散っていく。

 

「残念だったわね。その程度じゃ、この銀の鎧(シルバー・メイル)は破れなくてよ」

 

銀の鎧(シルバーメイル)

 

水銀の微粒子一つ一つを操作し、あらゆる攻撃を遮断する“見えない鎧”を生成。さらに攻撃を感知し、自立防御を可能にしたエヴァの術式である。

 

(こ、これじゃあ……)

 

全方位の攻撃封鎖。どこから攻撃を仕掛けても、銀の鎧によって弾かれてしまう。どのような物理攻撃も一切通用しない。

 

どうすればいい……しかし、考えている暇はない。京は再び弓を構え、

 

「―――――遅いわ!」

 

「―――――!?」

 

腕を持ち上げた瞬間、僅かに殺気を感じ取った。身体を捻らせ、その殺気を回避する。

 

「くっ……!?」

 

持ち手が突然痺れ、弓が手から零れ落ちる。左腕の肩から肘にかけ、まるで鎌鼬か何かに切られたような切り傷が刻まれていた。出血し、生々しい赤い液体が床に滴り落ちる。

 

動体視力でさえも捉えられなかった、水銀の一撃。いや、切り傷で済んだだけでも幸いだろう。後一歩反応が遅ければ、左腕ごとばっさり斬られていたかもしれない。

 

とはいえ、弓を握る腕を負傷したのは致命的である。このままでは戦えない上、出血多量で命の危険に晒される事になる。

 

「いや……もういやああああああああ!!」

 

突然、部室内に響く悲痛な叫び声。それは弓道部の部員の一人であった。頭を抱えるように、身体を縮こませながら震えている。

 

「なんで……!?なんでよ!?なんで私たちがこんな目に合わなきゃならないの!?もう嫌!嫌よ、こんなの!!」

 

未知の恐怖に怯え、精神的に追い詰められ、とうとう感情が爆発する。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き叫び続けた。他の部員達も、不安の色を隠せない。

 

「心配……しないで。私が、絶対みんなを守るから」

 

傷口を右手で止血しながら、部員達に言い聞かせる京。傷口の痛みが伴うせいか、額からは大量の汗が吹き出ていた。

 

「守るって……そんな弓も握れないような傷で、どうやって守るっていうんですか!?無責任な事言わないでよ!!」

 

京の言葉に激情する弓道部部員。死と隣り合わせの緊迫な状況が続き、精神が擦り切れ、気が狂ってしまっていた。その不安と恐怖が、さらに周りの部員に伝染する。

 

「そうよ、私達は関係ないじゃない。用があるのは椎名先輩でしょ?私達を巻き込まないで!」

 

「そもそも椎名先輩が来なかったら、こんな事にはならなかったのよ!」

 

「帰してよ……私たちを帰してよ……!」

 

一人は怒り、また一人は泣いて訴え、京に対して非難の声を浴びせていた。その光景を前に、絶句する京。そして愉快に笑うエヴァ。

 

「あっはっはっは!自分が助かるなら他人を犠牲にしてでも助かろうと縋りつく。たとえそれが、親しき友人であっても」

 

それが人間であり、醜い存在であるとエヴァは語る。それは90年以上行き続け、何度も見てきた人間の生に対する欲望。その現実を、京に容赦なく叩きつける。

 

「信頼、絆、仲間……いくら綺麗事を並べても、結局最後には裏切られる。あなたの守るべきものなんて、そんなものよ?そうだと知ってなお、守る価値があるというのかしら?」

 

ニヤリと不気味に笑うエヴァ。それは人の心を天秤にかけた、拷問そのものだった。

 

「…………」

 

過去に何度も裏切られ続け、何もかもが信じられなくなった京。今は信じられる仲間がいても、いつかは裏切られる時が来るのだろうか。そしてまた、孤独な日々が訪れる。

 

永遠に繰り返される、負の連鎖。また壊れてしまう儚い物のために、自分の命を投げ捨てる必要性はない。僅かな希望を抱いて傷つけられるよりも、絶望を抱いたまま傷つけられる方が気持ちが和らぐという、一種の毒。

 

なら、いっそ期待しない方がいい……京の中で、様々な感情が渦巻いていた。

 

そして、最終的に京が取った行動は、

 

「……うっ……」

 

左腕に受けた傷の痛みに耐えながらも、弓を拾い、戦う意志を示したのだった。手を震わせ、額に汗を浮かべながら、弦を引いてエヴァを睨みつける。

 

その表情は、もう苦痛しかない。それでも諦めない。京の中にある確かな強い感情が、京を突き動かしていた。

 

「……私は、何度も裏切られ続けてきた。だから、期待もしなかった。だって期待すればするほど、傷付く毎日だったから……」

 

――――それは、暖かくて、優しい感情。

 

「でも……教えてくれた。仲間が……みんながいたから。もう、一人で苦しまなくていいんだって。信じてもいいんだって」

 

――――それは、何よりも大切で。何よりも尊いもの。

 

「確かに、あなたの言う通りだよ。人間は裏切る生き物。醜い存在かもしれない……」

 

――――それは身近にあって、けれども意識しなければ気づかない。当たり前の感情。

 

「だけど、もう疑うだけの人生なんて嫌だ!私は……疑って傷付くよりも、信じて傷付く事を選ぶ!どんなに裏切られても、傷ついても構わない!」

 

――――そう、それに京は一人じゃない。仲間がいる。本当の意味で信じられる仲間が。

 

それが……京が思う“信じる”という事なのだから。

 

エヴァはつまらなそうに溜息を漏らした。死に損ないの分際でおめでたい人間だと鼻で笑う。

 

だが、気に食わない。あの希望と勇気に満ちた眼差しが。椎名京という存在が。

 

「……まあいいわ。もう“用事は済んだ”事だし、せいぜいその甘ったるい希望を抱いていなさい。私がその希望ごと、綺麗に壊してあげる」

 

エヴァの水銀ロッドが再び牙を剝く。このまま京の身体はバラバラにされてしまうだろう。ただ、それでも怯える部員達の盾になる事くらいは出来る。京は、死を覚悟した。

 

だが次の瞬間、一筋の矢が京の頬を横切った。矢はエヴァの顔面に向かって飛んでいく。

 

 

「――――――!?」

 

 

だがその狙いも虚しく、矢はエヴァの頬を掠めただけであった。矢の摩擦により、エヴァの頬に切り傷ができる。

 

 

京は後ろを振り返った。エヴァに矢を放ったのは……部員の一人である、武蔵だった。武蔵は恐怖で手を震わせながらも、弓を構えてエヴァを見据えている。

 

 

しかしその眼は凛々しく、エヴァという敵と立ち向かう意志が宿っていた。

 

 

「ビビッてる暇はないわ!みんな、椎名先輩を守るのよ!」

 

 

怯える部員達に声をかける武蔵。部員達は驚いたが、その行動に一番驚いたのは京だった。

 

 

「ムサコッス……?」

 

 

「私が援護します。椎名先輩は、プレミアムな大船に乗った気でいてください……っていっても、弓道の腕は未熟ですが」

 

 

そう言って苦笑いする武蔵。そして、

 

 

「椎名先輩。これが終わったら……ちゃんと弓教えてくださいよ?教えて欲しい事、まだまだいっぱいあるんですからね!」

 

 

これからも、弓を教えて欲しい。部員として、後輩として京を慕う武蔵。京の心が満たされていくのが分かる。

 

 

これが“信じる”という事。変わろうとした京の行動が、部員達を突き動かしたのだ。

 

 

すると、怯えていた部員達も立ち上がり、それぞれ弓を構えて京を庇うように前線に出る。その足は恐怖で竦み、震えていた。

 

 

「椎名先輩。さっきは、勝手な事言ってごめんなさい……」

 

 

「戦力にならないかもしれませんけど、先輩の盾になる事くらいはできます!」

 

 

「私、本当は怖いです。でも、椎名先輩が死ぬのは、もっと怖い事だから――――!」

 

 

それでも、京を守りたいという彼女らの意志。それは京の心を確かに“震わせ”ていた。

 

 

「みんな……ありがとう!」

 

 

京は思う。“信じる”という事がこんなにも暖かく、優しい気持ちになれる……まふゆが教えてくれた事は、京自身を大きく成長させた。

 

 

今なら胸を張って言える。自分は今、変わる事が出来たと。

 

 

「……よくも……よくもこの私の顔に……!!」

 

 

予想だにしていなかった弓の一撃。頬を掠めた程度でどうという事はないが、美貌を傷つけられたという事実が、エヴァをこの上なく逆上させていた。

 

 

エヴァは立ちふさがる部員達を睨みつけ、

 

 

「纏めて千切れてしまいなさい!!」

 

水銀ロッドを振るい、再び水銀を展開した。水銀は無数の触手へと変化する。触手は周囲を切り裂きながら部員達へと襲い掛かった。その水銀を迎え撃つ武蔵と部員達。

 

 

すると次の瞬間、

 

 

「「うおおおおおおおーーー!!!!!!!」」

 

怒号と共に水銀で閉ざされていた部室の扉がぶち破られた。エヴァの攻撃がピタリと止まる。

 

「え………」

 

京は破られた扉の先を見る――――そこには、京の仲間の姿があった。

 

「京、無事か!?」

 

「ようみんな、助けにきたぜ!」

 

大和、キャップの姿と、

 

「間に合ったか……!」

 

「京ちゃん!」

 

「京、よく頑張ったな。後は私達に任せろ!」

 

傷だらけのサーシャと百代、そしてまふゆの姿だった。京は一瞬だけ放心したが、今までずっと耐えてきた不安と恐怖が一気に解放され、溜めていた涙が一気に溢れ出した。

 

「大和、みんな……」

 

助けにきてくれた……きっと来てくれると信じていた。力が抜け、京は床に座り込む。大和、キャップは京に駆け寄り、京の無事を確認し安堵した。

 

「大和……私、信じてたよ!ずっと来るって信じてた!」

 

大和に縋りつくように京は大和の身体に顔を埋めた。大和は京の頭をそっと撫でる。

 

「ああ……お前が無事で本当によかった。今、止血してやるからな!」

 

「クラスのみんなは無事だぜ。後は俺らに任せろ!」

 

大和は京の応急処置を、キャップは監禁されていた部員達の誘導を始めたのだった。

 

これで全員、無事にエヴァの凶刃から救われた。後は本体を倒すのみ。

 

 

 

「……クイックシルバーの魔女、エヴァ=シルバー。何故貴様が生きている?」

 

サーシャは大鎌(サイス)の切っ先を向けながらエヴァに問う。

 

「貴方に答える義務はないわ。それよりも楽しんでもらえたかしら?私の最高傑作、銀の籠城(シルバー・パレス)は」

 

エヴァが仕掛けた大規模な水銀トラップ。まるでアトラクションのオーナーにでもなったように、歓喜している。

 

「相変わらず悪趣味ね……あんたのせいでどれだけの人が傷ついたか……赦せない!」

 

「京が世話になったみたいだな。京に変わってたっぷりとお礼をさせてもらうぞ!」

 

大勢の生徒を傷つけ憤怒するまふゆ。仲間を傷つけられ、静かなる怒りを胸に秘める百代。

 

そして、サーシャ。再び蘇ったエヴァを倒すために剣を振るう。

 

「どちらにせよ貴様を屠る事に変わりはない。エヴァ=シルバー、貴様はもう一度俺が狩る!」

 

「はっ!こちらの台詞よ。私を殺した罪、死をもって償いなさい!!」

 

以前倒され、復讐の炎を宿したエヴァがサーシャたちに牙を剥く。

 

「―――――震えよ!畏れと共に跪け!!」

 

鉄と水銀がぶつかり合う。サーシャ達とエヴァ、壮絶な死闘が幕を開けた。



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39話「鮮血と水銀」

「うおおおおおおおおお!!!」

 

「はあああああああああ!!!」

 

エヴァという元凶を断つ為、サーシャは武器を手に、百代は己の拳で立ち向かう。

 

しかしエヴァは微動だにしないまま、突貫する二人を見下しながら余裕の笑みを浮かべていた。

 

二人の攻撃がエヴァに届く直前、水銀による自動防御(オートガード)が発動する。水銀はエヴァの側面に幕を生成し、挟み撃ちを仕掛けたサーシャと百代の攻撃を拒絶した。

 

「自動防御だと……!?」

 

「そう、私が作り出した究極の芸術品。それに―――――」

 

そしてエヴァは水銀(シルバーロッド)を、横一線に振り翳した。すると同時に周囲の水銀が剣に生成され、エヴァの動きと連動するようにサーシャと百代を薙ぎ払う。

 

「自動防御だけじゃないわ。攻撃も防御も変幻自在。貴方達には私に触れる事すらできない」

 

攻防一体の水銀の鎧。これを突破しない限り、エヴァに一撃を与える事は皆無。また攻撃を仕掛ければ水銀の膜に阻まれ、さらには迫り来る敵を排除する刃となる。

 

「ならば―――――!」

 

攻撃を阻む膜を、水銀を凍結させればいい。固体になれば突破するのは容易。サーシャは分子振動で周囲の温度を下げ、エヴァを防護する水銀を固体化させる。

 

だが、水銀は一向に凍る気配がなかった。

 

あり得ない。サーシャは疑問を抱くが、その疑問はすぐに解けた。

 

「そうか……水銀の温度を一定化させているのか」

 

エヴァの能力は第六階梯。だとするならば、水銀の温度を一定に保つ事など造作もない。

 

「だったらその水銀ごと、ブチのめせばいいだけの話だ!!!」

 

百代が疾走し、エヴァを防護する水銀に向けて強烈な正拳突きを叩き込んだ。

 

次の瞬間水銀の膜が変化し、まるでハリネズミのような針の筵へと変わる。危険を察知した百代はピタリと拳を直前で止めた。

 

「言ったでしょう?貴方達では、私に触れる事すらできないとね」

 

針の筵が弾け飛び、無数の針の嵐となって百代に襲いかかる。

 

「―――――舐めるなぁ!!」

 

降り注ぐ銀の針を、百代は拳で千本、万本単位の針を纏めて全て撃ち落とす。さらに前進し、押し進むようにエヴァに接近。気を溜め込み、渾身の一撃を放つ。

 

「何―――――!?」

 

突然、百代の動きが止まる。否、止められていた。百代の身体が、まるで何かに縛られているように動かない。

 

百代の身体中には、ピアノ線のような水銀の糸が絡みついていた。打ち払った水銀の針が変化したものだろう……百代の動きを封じ込めている。

 

「やってくれたな……だが、こんなもの――――!!」

 

百代は身体中に気を巡らせ、気の波動を発生させる。波動は絡み付いた水銀の糸を、まとめて強引に吹き飛ばした。

 

 

次の瞬間、

 

「――――ぐっ!?」

 

百代の足下から、無数の銀の針が隆起した。反応が遅れた百代は直ぐに後退するが、鋭く尖った針の先端は、百代の身体の皮膚を容赦なく抉っていた。

 

「くそ……瞬間回復!」

 

気を活性化させ、受けたダメージを回復する百代。自分の攻撃が通じない、鉄壁の能力。そして次から次へと連鎖の如く繰り出される攻撃。これまでにない強敵である。

 

なのに、今は喜べない。目の前にいるのは、仲間を傷付ける敵でしかないのだから。

 

サーシャもこれまでとは違うエヴァの能力に、苦戦していた。全てを退ける防御力。そして第六階梯の力。たとえ鮮血の剣を持ってしても本体にダメージを与えるのは難しい。

 

(……今ので聖乳(ソーマ)が切れた)

 

サーシャの聖乳も底を尽きかけていた。学園内での水銀人形との戦いで、殆ど消耗してしまっている。これ以上戦うには限界があった。

 

「サーシャ、今すぐ聖乳を――――!」

 

聖乳を補充させる為、まふゆはサーシャに駆け出した。

 

「―――――させると思って?」

 

エヴァは水銀の塊をサーシャとまふゆの間に放った。塊から水銀人形が数体出現し、まふゆの前に立ちはだかる。

 

「これじゃあ、聖乳の補充が……!」

 

この水銀人形を倒さなければ、サーシャに聖乳を与えられない。倒したとしても、また復活してまふゆの行く手を阻むだろう。

 

「くっ……」

 

サーシャの表情には、疲労の色が浮かんでいる。このままでは防戦するのが精一杯……下手をすればそれすらも叶わない。

 

すると、

 

「サーシャ!」

 

突然、京がサーシャの元へ駆け寄ってきた。サーシャは京へと視線を向ける。

 

そして京はワイシャツのボタンを外し、さらに下着を捲り、素肌が露わになった乳房をサーシャに差し出した。

 

「私の……私の聖乳を吸って!」

 

「な……?」

 

京の決断はサーシャだけでなく、まふゆや大和、キャップ達も驚愕した。あの京が、心を開かなかった京が、出会って間もないサーシャに聖乳を差し出した……驚くべき事である。

 

「私が力を貸すから……だからあいつを、エヴァ=シルバーを倒して!」

 

仲間に心を突き動かされた京。助けられた京。今度は私が助ける番だ……京の気持ちに応えるべく、サーシャは頷き身体をそっと抱き寄せる。

 

「分かった。力を借りるぞ、京!」

 

京の決断を、その思いを受け止めるように、差し出された京の乳房に口付けをするサーシャ。舌で乳房を触れ、吸い寄せるように聖乳の吸引を始めた。

 

「あっ……あうぅぅあ!?あ、は……う……んんぅ!!」

 

顔を真っ赤に染め上げ、悩ましい声を上げる京。感じる。サーシャに自分の中にある何かが吸い出されていくのが分かる。

 

力強く、そして優しいサーシャの口付け。身体が心地良さで震え、果てる頃には聖乳の補充は終わっていた。力が抜け落ち、京は床に座り込む。

 

「お前の決意……お前の力。確かに受け取った」

 

サーシャの傷口から溢れ出る、赤き鮮血。鮮血はサーシャの周囲を揺らめき、異端を滅ぼす鮮血の剣へと姿を変えていく。

 

左頬に刻まれた証が形を成す。サーシャは形成した鮮血の剣を掴み取ると、赤く研ぎ澄まされたその刃をエヴァに向けた。

 

 

京から譲り受けた聖乳の力。それは“仁”という彼女の掲げる思いの形である。

 

 

「―――――俺の心は今、震えている!!」

 

聖乳を補充したサーシャの反撃が始まる。しかし戦況は未だ変わらないままだ。

 

だが、力を与えてくれた京の為にも負けられない。エヴァの水銀が阻むのならば、無理にでも切り開けばいい。

 

そう、この鮮血の剣で。

 

「斬り裂け!我が血の刃よ!!」

 

サーシャが剣を振るう。分子振動によって発生した赤い斬撃が、残像のように連続する。斬撃はエヴァの自動防御を瞬く間に切り裂いていく。

 

しかし斬り裂かれる度に水銀の障壁が再構成され、エヴァを防護する。やはり攻撃は届かない。

 

「あっははははははは!無駄よ、いくら攻撃を加えても――――」

 

「無駄かどうかは、この一撃を食らってから言え!!」

 

サーシャと入れ替わるように、百代がエヴァに急接近する。

 

「川神流・無双正拳突き乱れ打ち!」

 

百代は強力な正拳突きを乱射し、エヴァの水銀に叩き込んだ。障壁を叩き、破壊し、さらに叩き、破壊して前へと突き進む。

 

無駄だと言うのに、何故それが分からないのか……サーシャと百代の執拗な攻撃に、エヴァは苛立ち始めていた。

 

「うっとおしいガキ共が!二人まとめて失格よ!!!」

 

エヴァが水銀ロッドを再び振るう。エヴァの周囲に六本の十字剣が生成され、サーシャと百代に向けて放たれた。サーシャと百代は後退し、迫る六本の剣を弾き、破壊する。

 

何か打開策はないのか……このままではエヴァを倒せない。

 

「とどめを刺してあげるわ!!」

 

エヴァの身体の側面に水銀の外殻が現れる。恐らく、次の一撃でサーシャたちを葬るつもりだろう。サーシャと百代は身構えた。

 

 

 

一方、サーシャ達の戦いを見ていた京は。

 

(サーシャとモモ先輩でも、歯が立たないなんて……あの自動防御、本当に無敵―――あ)

 

ふと、ある事に気づく京。エヴァに攻撃を与える際、京は右肩を狙っていた。しかし、その攻撃は自動防御によって妨害されている。

 

ただ、一度だけエヴァ自身にダメージを与えた箇所があった。

 

それは、武蔵がエヴァに対して放った一撃―――正面である。あの時自動防御は発動せず、外れたもののエヴァの頬を掠めていた。

 

自動防御ならば、エヴァが意識しなくても発動する筈である。ならば何故、正面からの攻撃は自動防御が発動しなかったのか。

 

答えは一つ、正面からの攻撃には自動防御は作動しないという事だ。

 

つまり自動防御は不完全。無敵ではない。

 

「―――二人とも正面を攻撃して!正面からの攻撃なら、あの自動防御は働かないはず!」

 

京の助言に、耳を傾けるサーシャと百代。実際、京はエヴァと一戦交えている。サーシャは百代と視線を合わせ、互いに頷いた。

 

後は仲間を――――京を信じて立ち向かうのみ。

 

「何をごちゃごちゃと!千切れてしまいなさい!!」

 

エヴァを覆う外殻から出現する、無数の触手。触手は暴れ狂うように、周囲を切り裂きながらサーシャたちに迫り来る。あれに巻き込まれれば、今度こそ終わりだ。

 

だが終わらせない。百代が先陣を切り、切り裂く触手の群れに向け、

 

「食らえ、川神流・致死蛍!!!」

 

全身全霊をかけて、エヴァの“正面”に気弾を撃ち放った。気弾は触手の群れを纏めて蒸発させていく。しかしそれでもエヴァには届かない。一度目の攻撃を食い止めるのが限界だ。

 

だがこの僅かな瞬間にこそ、勝機はある。

 

「今だ、行けサーシャ!!」

 

百代の合図と共に、サーシャがエネルギーが拡散した空間へと全力疾走する。そう、致死蛍はフェイク。サーシャがエヴァに一撃を与える為の布石。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!!!!!!!!!」

 

今なら届く。拡散する気の空間を潜り抜け、サーシャは剣を槍へと再錬成し、エヴァの正面へと斬り込んだ。奇襲のような予想だにしない攻撃に、エヴァは驚愕に顔を歪ませる。

 

(正面から!?まさか、さっきの気弾は囮――――!)

 

銀の鎧(シルバー・メイル)は、京の言う通り正面からでは自動防御は作動しない。故に不完全。エヴァ自身で防御し補わなければならない。

 

僅かな時間で弱点を見抜かれた。エヴァは第二射の攻撃を中断、防御体制を測ろうとするが……間に合わない。サーシャの攻撃は自分の間近に迫り、

 

「が――――あっ!?」

 

そして、サーシャの赤き槍の一撃がエヴァの身体を貫いた。エヴァの身体は衝撃で貫通した槍ごと吹き飛ばされ、壁に打ち付けられて張り付けになる。

 

瞬間、まふゆを阻んでいた水銀人形が効力を失い、水のように崩れて弾け消える。

 

「まふゆ―――――!」

 

「うん!」

 

次の攻撃で、決める。サーシャは鮮血の剣を錬成、そして――――真紅の弓へと姿を変えた。

 

元素回路励起(サーキットエンゲージ)――――!」

 

さらにまふゆの剣の生神女(マリア)の加護が加わり、サーシャの武器が強化されていく。

 

エヴァは再生能力を持つクェイサー。細胞全てを打ち抜き、二度と復活はさせない。

 

サーシャは弓の弦を引いて狙いを定め、必殺の一撃を与える。

 

「――――罪人に贖いを」

 

まふゆは祈る。異端の者に魂の浄化を。そして贖罪を。

 

「――――終わりだ、エヴァ=シルバー!!」

 

サーシャの弓から、真紅の矢が放たれる。矢は無数に分裂を始め、エヴァの身体のありとあらゆる箇所に命中。剣の生神女の加護を受けた一撃は、エヴァを構成する細胞を全て破壊した。

 

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!?」

 

断末魔と共に、エヴァの身体は赤く燃え上がり、大量の水銀を垂れ流して絶命した。これが復活したエヴァの、焚刑(ふんけい)という名の末路。

 

狂気の魔女の復讐は、結果として同じ末路を辿った。

 

「――――地獄へと還れ、哀れな魔女よ。お前にはやはり焚刑が相応しい」

 

サーシャは手向けの言葉を告げ、燃え上がる魔女の亡骸に背を向ける。全て終わった。もう蘇る事はないだろう。これでエヴァは完全に消滅した。

 

――――消滅した、かに見えた。

 

「ふ……ふふ、ふふ」

 

燃え盛る業火の中から聞こえる、魔女の嘲笑。サーシャはもう一度魔女の亡骸へと振り返った。

 

 

 

川神学園裏庭前。

 

つい(ユー)(ファオ)を倒したマルギッテとクリス。

 

Vは身体を壁に打ち付けられ、血の入り混じった水銀を大量に吐き出し地面に伏している。

 

Uも身体を小刻みに痙攣させながら、意識を失っていた。もう彼女らは戦えまい。熾烈な戦いにようやく終わりが見える。

 

だがそんな事はVが許さなかった。水銀を吐き出し、むせながらゆっくりと立ち上がる。

 

Vの保有している再生者(リザレクター)の能力が発動する。身体に受けた傷が回復していく。

 

何度も攻撃を受けても幾度となく再生を繰り返す、不死身の力。だが、その能力はVにとっては耐え難い屈辱に他ならない。

 

何故なら彼女は、サディストであるから。

 

「――――ろす」

 

吐き出した水銀を揺らめかせながら、Vは独り言のように呟く。先程とは様子が違う……身構えるクリスとマルギッテ。

 

そして、身体を怒りと憎しみで震わせたVの感情が、弾けた。

 

「――――ころす。殺す!殺ス!殺す!殺す!殺す殺す殺す殺す殺ス殺す殺ス!!!」

 

まるで怨嗟のように、マルギッテとクリスに殺意を向けながら絶叫する。Vの怒りの感情に呼応するように水銀が荒れ狂い、ドリル状の鋭利な狂気に姿を変えた。

 

ダメージを受けた事によりVの能力が格段に上がる。その力、第四階梯を上回る程に。

 

「ブチ殺す!抉り殺す!!嬲り殺す!てめぇらまとめて失格だ!!!」

 

Vが再び牙を剥く。ドリル状の凶器が二人に狙いを定めていた。獲物を狙う生き物のように。

 

また戦わなければならないのか……二人は連戦を覚悟した。

 

「――――そこまでよ、V」

 

突然、Vを呼ぶ声が聞こえる。呼び止めた声の正体は、さっきまで意識を失っていたはずのUの姿だった。Vは忌々しげにUを睨み付けるが、直ぐに表情を変える。

 

「おかあ……さま……」

 

瞳を震わせながら、Uの事を“おかあさま”と呼ぶV。

 

しかし、Uは意識を失ったままであった。無感情で、虚ろな瞳。腹話術で命を吹き込まれた人形のようである。Uの向こう側にいる別の誰かが、Vに語りかけていた。

 

Uは無感情のまま、ただ用件だけをVに伝える。

 

「退却よ」

 

「退却!?で、でもおかあさま――――!」

 

「用事は済ませたわ。ここに留まる理由はなくてよ。それとも私の言う事が聞けないのかしら?」

 

「くっ……」

 

目の前に獲物がいるというのに。しかし、命令には逆らえない。しばらくして、Vは背後に控えていた水銀を、ロッドに収めた。

 

同時にUの身体がふらりと、地面に倒れ込みそうになる。VはUの身体を拾い上げ、二人に背を向けて退却を図る。

 

「待てっ!」

 

後を追おうと駆け出すクリスとマルギッテ。しかしVは学園の壁を軽々と伝い、次第に姿は見えなくなっていた。

 

(あの双子……先程とはまるで別人だった)

 

今のは確かにUではない、別の人格であった。恐らく、あの双子を送り込んだ主犯格だろうとマルギッテは睨んでいる。

 

戦いが終わる。しかし、根本的な解決には……至らなかった。

 

 

 

「な、に………」

 

サーシャは燃え盛る魔女の亡骸に振り返った瞬間、目を見開き絶句した。

 

そこには確かにエヴァ=シルバーの死体があった。それなのに、サーシャが今目にしているのは、肉体が水銀となって崩れた“エヴァだったもの”だった。

 

肉体が崩れ去り、その本体が姿を表す。現れたのは、小柄の少女であった。

 

「……はず、れ。なのです」

 

桃色の髪の少女は、真っ二つになりながらも、ニヤリと笑いながらサーシャ達を嘲笑う。やがて少女の肉体は水銀の塊となって溶け、周囲に蔓延していた水銀とともに消えていった。

 

「馬鹿な……身代わりだと」

 

驚愕するサーシャ。倒したのはエヴァではない。察するに、エヴァが作り出したクローンで自分に擬態させたものだった。

 

今まで戦っていたエヴァは偽物……否、クローンを通じてエヴァと戦っていたと言った方が表現が正しいだろう。

 

「……やったのか?サーシャ」

 

百代の表情は晴れない。百代も感じていた。まだ、終わってはいない。

 

「あれはクローン体だ。だが、俺達が戦っていたのは、確かにエヴァ=シルバーだった」

 

エヴァのクローン。以前(クー)(エル)という双子のクローンがいた。恐らく、それと同じ類のものである事は間違いない。つまり、あれはクローン体で作られた分身。

 

そして実際のエヴァは今戦ったクローンと同等の強さ、もしくはそれ以上である。ようやく戦いが終わりを告げたというのに……周囲に不穏な空気が流れ出す。

 

だが、それを拭い去るように声を上げたのはキャップだった。

 

「そう暗くなんなって。みんな助かったんだ、ひとまずはそれでいいだろ?サーシャ」

 

言って、笑いながらサーシャの肩を叩く。確かにキャップの言う通り、危機は去った事に代わりはない。まずはその事を喜ぶべきだろう。サーシャはああと言って頷くのだった。

 

しばらくして、外からパトカーのサイレンが学園全体を包んだ。ユーリが手配したのだろう……今回の一件も、うまく誤魔化して隠蔽するつもりらしい。

 

 

 

こうして、学園全体を巻き込んだエヴァの襲撃事件は幕を閉じた。だが、これはまだ“始まり”に過ぎない事を、サーシャ達はまだ知らない。



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サブエピソード23「京、明日への大きな一歩」

エヴァの襲撃事件から数日が経ったある日、サーシャと大和は弓道部へ見学に訪れていた。

 

あの一件依頼、京は弓道部の部員達と打ち解ける事ができたようである。

 

京は熱心に、後輩に自分の弓術を教え込んでいた。後輩達はうんうんと頷きながら、真剣に聞いている。その光景を、サーシャと大和は眺めていた。

 

「ここ数日で随分変わったな、京は」

 

真面目に部活動をしている京を、大和は暖かく見守っている。サーシャも成長した京の姿を見て、ほんの少しだけ笑みを見せるのだった。

 

(確かに、初めて会った時とはまるで別人だな……)

 

サーシャは川神学園に潜入し、京と出会った時の事を振り返る。

 

仲間以外の人間には誰とも関わらず、いつも教室で本を読んでいた京。どこかミステリアスで、何をするにも自由気まま。そして大和一筋。

 

それが今では、Fクラスの生徒とも積極的に話すようになり、こうして部活にも参加するようになった。誰とでも心を赦すようになった。

 

きっと、まふゆがきっかけを作ってくれたお陰だろう。

 

だから京は、どんな事でも信じる事から始めている。新しい自分へと少しずつ歩み始めていた。

 

彼女の誓いに祝福を――――サーシャは心の中で祈りを捧げる。

 

しばらく京に視線を注いでいると、サーシャの視線に気付いた京が顔を上げる。サーシャと京……視線と視線が重なった。

 

「………っ」

 

すると、京は顔を合わせづらいのか、頬を赤く染めてサーシャから視線を反らすのだった。

 

今までに見た事ない、貴重な京の照れ臭そうな表情。大和もそれに気付く。理由はサーシャに聖乳(ソーマ)を吸われた事だろうとすぐに分かった。

 

「なあ、サーシャ」

 

大和は突然、真剣な表情でサーシャに向き合った。そしてサーシャの肩をがっちりと掴み、

 

「京の聖乳は、一体どんな味なんだ?」

 

どうでもいいような事を、サーシャに尋ねるのだった。サーシャは首を傾げる。

 

「やっぱり男としては気になるんだ。京だけじゃない、ワン子もまふゆも。頼む教えてくれ!」

 

一体どのような物で、どのような味なのか。男として興味があると大和。

 

真剣な眼差しで何を話すかと思えば……しかし、サーシャも男である。男として真剣な回答をしなければならない。

 

「奇跡と神秘、そのものだ」

 

「して、その心は?」

 

「その味は――――クェイサーだけが知っている」

 

それが、サーシャの答えだった。

 

クェイサー―――“震わせし者”。その力の源となる存在、聖乳。ようするに、味はクェイサーにしか分からない、という事である。

 

「よかったら大和も私の聖乳吸ってみる?」

 

突然サーシャと大和の間に割って入るように、京がひょっこりと顔を出した。二人の話を聞いていたらしい。京の胸が、大和の顔に迫る。

 

「か、勘弁してくれ!」

 

半ば冗談で言ったつもりだったが……このままでは本当に吸わされかねない。大和は逃げるように部室から走り去っていった。京は照れ屋さんなんだからと言って、大和の後ろ姿を目で追い続けている。

 

やはり、根本的な所は京は変わっていなかった。大和に一途なのは今も変わりない。

 

やれやれ、と思いながらサーシャも部室を後にする。

 

「サーシャ」

 

サーシャを呼び止める京の声。サーシャは後ろを振り返る。

 

そこには、頬を赤らめながらも、優しい笑みに包まれた京の表情があった。

 

「また危なくなったら……私の聖乳、遠慮なく吸っていいからね」

 

言いたい事はそれだけだから、と言って京は後輩達の元へと戻っていく。また力を貸してくれる、という事らしい。

 

それ以外の意味合いも含まれていたような気がしたが……気のせいだろう。サーシャは踵を返し、部室から去っていくのだった。

 

 

 

これで彼女の……京の物語は終わり、そしてまた、新たなスタートを切る。

 

新しい一歩を、踏み出して―――――。



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サブエピソード24「最強の刺客」

川神市某地下研究所。

 

エヴァはいつになく上機嫌であった。椅子に腰掛けながら、紫色に輝くドロップ型のペンダントを弄んでいる。

 

黒と紫が混ざり、濁り切ったような邪悪な混色。そのペンダントのトップからは、禍々しくドロドロしたオーラが放たれていた。

 

これこそが、川神市内を騒がせている謎の元素回路である。

 

名を、『欲望の紋章(アンリミテッド・サーキット)』という。通常の元素回路とは違い、元素回路の二倍の効力を発揮する代物。装着した者が願えば願う程、力が膨れ上がっていく。

 

人間の中にある底無しの欲望。尽きる事のない感情。故にこの名がついている。

 

だが作成工程は不明。唯一分かっている事は、それを流出している闇の売人がいるという事だけ。

 

“第二の紋章屋(クレストメーカー)”と呼ばれているが、正体は分からないままである。

 

「――――サンプル回収は順調ですかな?ミス・エヴァ=シルバー」

 

エヴァの背後からやってきたのは尼崎。エヴァはペンダントをしまい、椅子を回転させて尼崎の方へと身体を向ける。

 

「ええ、おかげでパーツを一つ失ってしまったけどね。保険はかけておいて正解だったわ」

 

エヴァが体得した、第六階梯の能力……それは分身体の生成である。

 

自ら作り出したクローン体をベースに、身体に装着させた元素回路で精神を共有し、ほぼ同じ能力を保有した状態でエヴァ=シルバーとして再構成する……つまりクローンがいる限り、エヴァの身体はいくらでも代えが効く。わざわざエヴァ自身が戦う必要性はない。

 

分身体を利用した最強の戦術。階梯を上がり、エヴァはクェイサーとしての頂点の座を欲しいがままにしていた。

 

「――――じゃあお母様、(テー)を……Tを身代わりしたって言うんですか!?」

 

室内に高らかに響く、少女の声。やってきたのは(ファオ)である。Vはエヴァに対しての怒りを最小限に抑えながら、姉であるTを使い捨てたという事実に激情を隠せずにいた。

 

そう、サーシャ達が倒したあれはクローン体のTであった。Vの問いに、エヴァは悪びれた様子もなく淡々と答える。

 

「ただ身代わりになった訳じゃないわ。サンプルの回収は予定通りよ……それよりもV、私に対してその反抗的な態度は何かしら?」

 

エヴァは冷たく笑い、指でなぞるように宙を描く。瞬間、Vは頬をまるで平手打ちをされたような衝撃を受けた。頬は赤く腫れ上がり、ナイフで切りつけたような切り傷ができる。

 

水銀による、虐待という名の“お仕置き”であった。

 

「も……申し訳、ございません、でした。おかあ……さま」

 

声を震わせながら、目を俯かせたまま答えるV。エヴァは満足げに笑うと、研究室から出ていくよう命令する。Vは何も答えずに部屋の入口へと歩き出した。無言のまま尼崎の隣を横切っていく。

 

すると尼崎がVを横目で舐めるように眺めながら答える。

 

「いけませんね。母親の言う事は聞かないと」

 

嫌味のように、憎らしく呟く尼崎。しかしVは尼崎には目もくれず、ただ冷淡に返答する。

 

「……汚ねえ口でしゃべんな。ぶち殺すぞ、ゲス野郎」

 

それだけ言い残し、Vは研究室から消えていく。尼崎はその背中を眺めながらと力なく笑う。

 

「私も嫌われたものです」

 

別に好かれたいわけでもないのだが……年頃の娘は感情的になるから困ると苦笑する尼崎。

 

エヴァのクローン体はマゾヒストの性質を持つ筈だが、Vはエヴァと同じ性質のサディスト。欠陥品であると認識せざるを得なかった。

 

「そうかしら?あれはあれで最高の作品よ。ふふ……楽しみだわ。あの子の意識を奪い、身も心も屈服させる日が来るのを」

 

舌舐めずりしながら、いつかVを分身とする日を待ち望むエヴァの表情は、これまで以上に不気味でかつ冷酷だった。

 

エヴァは、V以上にサディストである。常人には理解できない、歪んだ芸術。化物め……と尼崎も心の中で軽蔑する。協力者とはいえやはり異端者。気味の悪い事この上ない。

 

「……ところでドクター。私の研究室に来たという事は、完成したのかしら?貴方の作品が」

 

話を変えて椅子から立ち上がり、エヴァは尼崎に問いかける。尼崎はくくくと不気味に笑い、背後を振り向き、研究室の入口へと視線を送る。

 

「ええ。私の最高傑作―――――最強のクローン、第一号がね」

 

かつ、かつと足音を立て、徐々に近付く影が一つ。尼崎が作り出した、最高の作品。

 

“それ”はエヴァと尼崎の前で立ち止まり、無言のまま立ち尽くしていた。エヴァは姿を眺め、悪くないわねと評価する。

 

「それで、これをどうするつもりなの?」

 

「頃合いを見て市内へ送り込みます。さぞ面白い事になるでしょう」

 

「ふふふ、期待してるわ」

 

二人は笑う。これから起きる、更なる戦いの予兆に。

 

 

 

――――“最強の刺客”が、川神市に舞い降りる。



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第4章「由紀江編」
40話「帰省」


川神市にある、多くの店々が立ち並び賑わう商店街。

 

サーシャ、まふゆ、岳人、卓也は授業の帰り道に喫茶店へと足を運んでいた。

 

それぞれお茶を飲みながら(そのうち一人は持参したプロテインをジュースにぶち込みカスタマイズしたもの)、至福のひと時を過ごしている。

 

「……和み過ぎだ」

 

腕を組み、ティータイムの時間に呆れ返っているのはサーシャだ。こんな事をしている間にも、謎の元素回路(エレメンタル・サーキット)やエヴァ達がどんな策略を企てているか分からないというのに。

 

「たまには休息も必要よ。それに、あんな事があってからみんな疲れてると思うし……」

 

と、まふゆは視線を落とした。

 

エヴァの襲撃事件から数日。学園は何事もなく授業を続けていた。

 

今回の事件は、学長の鉄心が不在の所を狙われ、このような事態が起きてしまったらしい。

 

それ以降、事が収まるまでは鉄心は川神市内を離れないようにして対応している。また、同じような事が起きる可能性があるからだ。

 

「ま。あんな雑魚い化け物、俺様の敵じゃなかったけどな」

 

筋肉を強調し、余裕を見せる岳人だったが、

 

「その割に、最初はワン子の後ろにずっと隠れてたよね」

 

鋭い卓也のツッコミに撃沈するのだった。内心、得体の知れない化物にビビっていたらしい。

 

そんな他愛のない話をしながら放課後を楽しむ岳人達。本来の学生のあるべき姿。

 

時にはこんな風に過ごすのも悪くはないか……サーシャは岳人達を見てそう思うのだった。

 

「……そういえばまゆっちのお父さん、大丈夫なのかな」

 

ふと、思い出したように卓也が呟く。するとさっきまで話していた雰囲気が少し暗くなった。

 

事件が終わってすぐ、実家に住んでいる由紀江の父親が大怪我を負い、連絡を受けた由紀江は急遽実家に戻る事になった。

 

今、メンバーに由紀江はいない。父親の容態が良くなるまでしばらく実家に留まるらしい。

 

「まゆっちの奴、かなり落ち込んでたからな……」

 

岳人も由紀江の事が気になっていた。仲間が落ち込むのを見ると、自分達まで暗くなる……岳人はその気分を拭うように、プロテイン入りのジュースを飲み干すのだった。

 

「――――ええ。本当に心配ですね」

 

すると聞き覚えのある声が、というよりサーシャ達の席の中で、何時の間にかユーリが紅茶を啜りながら寛いでいた。

 

一体何時からいたのだろう。サーシャとまふゆは驚き、卓也は心臓が飛び跳ね、岳人は飲んでいたジュースを吹き出した(サーシャの顔にかかった)。

 

「が、眼帯のおっさん!?どっから出てきたんだよ!?」

 

「神出鬼没なものですから」

 

驚いて身をたじろいでいる岳人に対し、にこやかに答えるユーリ。

 

「神出鬼没ってレベルじゃないですから!まるで幽霊か何かかと思いましたよ!寿命が5年くらい縮んだ気分です!」

 

激しくツッコミを入れる卓也。もはや幽霊じみた存在感と言わざるを得ない。

 

「一体何のようだ、破戒神父」

 

岳人に吹きかけられたジュースをおしぼりで拭き取りながら、サーシャはユーリに理由を訪ねる。ユーリは伝えておきたい事がありましてと、急に真面目な表情へと変える。

 

 

そして、

 

「謎の元素回路をばら撒いている人物の名前を、特定しました」

 

事件の進展を示す重要事項が、サーシャ達に告げられた。

 

 

 

 

「マロード……聞いた事ない名前だな」

 

次の日の登校時間。学園へと続く土手を歩きながら、大和は思考を巡らせていた。

 

サーシャ達がユーリに告げられたのは、謎の元素回路をばら撒く黒幕的な存在。“マロード”と呼ばれ、合法ドラッグを密売する闇の商人として、川神市の裏で暗躍している人物らしい。

 

 

しかし誰も顔を見た事がなく、知っていたとしても名前だけ、という情報が殆どである。

 

「第二の紋章屋(クレストメーカー)。これじゃあまるで……」

 

また“第二の紋章屋”を名乗っている事から、まふゆはある人物を思い出していた。

 

双頭の紋章屋の異名を持つ、フリードリヒ・タナー。紋章による空間転移を得意とする、欧州のテロリストである。また彼のような敵が現れたという事なのだろうか。

 

川神市の奥で潜む謎の人物、マロード。エヴァやフールもまた、そのマロードと手を組んでいる可能性が高い。

 

しかし、アトスが調査して得る事ができた情報はマロードと言う名前と、マロードが川神市内に潜伏している可能性があるという事だけだ。探し出すには、かなりの時間を有するだろう。ファミリー一同はこの僅かな情報を共有し、行動に移す他なかった。

 

「……む?この気配は……」

 

誰かの気配を感じ取り、百代が周囲を確認する。するとファミリー達の後ろから全力疾走してやってくる、一人の影が。

 

「はあ……はあ……皆さん、おはようございます!」

 

やってきたのは、父親の元へと帰省していたはずの由紀江であった。由紀江は息を切らしながら、ぜぇ、ぜぇ、と胸を抑えている。

 

「まゆっち!?お前実家に行ってたんじゃなかったのかよ?」

 

突然帰ってきた由紀江。驚く華とファミリー一同。由紀江は息を整え、大きく深呼吸をしてから説明を始める。

 

「はい……実は、父上の言い付けで戻って参りました」

 

由紀江は、父親に普段通り学園へ通うように言われて戻ってきていた。

 

父親は何者かの襲撃に会い、持ち前の剣術で退けたものの重症を負ってしまい、現在も病院で休養を取っているとの事である。命に別状はないが、完治するまではかなりの時間がかかるらしい。

 

由紀江はしばらくの間滞在すると父親に相談したが、“私の事は心配するな、お前は今まで通り学問に励みなさい”と言って断ったのである。

 

折角友人が出来、学園生活も慣れ始めたと言うのに……自分の事で心配をかけさせたくないという、父親の愛だった。

 

それでも……と悩む由紀江であったが、自分の為を思って言ってくれた父親の気持ちを無下にはできない。悩むに悩んだ末、川神市へ戻る事を決断したのだった。

 

父親が言ったから……ではなく、由紀江自身の意志で。

 

そして今、現在に至っている。

 

「私は自分の意志で、こうして舞い戻りました。父上の事は確かに心配ですが、私だっていつまでも子供じゃありません。自分の事は自分で決めます。それに私……」

 

一瞬だけ目を閉じ、心を落ち着かせる由紀江。そしてファミリー達に真剣な眼差しを向け、

 

「―――――変わらなきゃって、そう思ったんです」

 

胸の内に秘めていた決意を打ち明けるのだった。由紀江はそのまま続ける。

 

「一子さんや京さん達を見ていて気付きました。あんな事があっても前向きで、すごく強いんだなって……だから私も、もっと強くなりたい。変わりたい」

 

由紀江が打ち明けた思いを、大和達、サーシャ達は黙って聞いている。

 

「私はエヴァ=シルバーに襲われてから、ずっと怯えていました。正直怖かったんです。でも皆さんは、恐れる事なく立ち向かっていて……それなのに、私だけこんな気持ちで皆さんと戦うのは、嫌です!」

 

エヴァと遭遇してからずっと、由紀江は怯え続けていた。得体の知れない未知なる力に。

 

そんな気持ちを抱えながらも、学園内で水銀人形(シルバードール)と戦い続けた由紀江。だが、それでも立ち向かう一子達やエヴァと対峙した京を見て、私も強くなりたい。今のままじゃ駄目だと、そう思ったのである。

 

由紀江はもう一度仲間を見据えて、そして決意を表明する。

 

「私強くなります!少しずつですが……一歩一歩進みたいと思います。ダメでしょうか?」

 

勢いよくは言ったものの、後々になって恥ずかしくなり、俯き加減で全員をチラ見する由紀江。これが彼女の覚悟。彼女の意志。その思いをファミリー一同は受け止める。そして、

 

「まゆっち。お前が――――」

 

「お前がそう決めたのなら、それでいい。お前の思う道を進め」

 

キャップが諭す所を、サーシャが割り込むように由紀江に告げたのだった。側で“このやろー!俺の台詞取るんじゃねー!”と喚くキャップの声が聞こえる。

 

少しずつ、前へと進もうとする彼女の気持ち。その由紀江の決意を、ファミリーは彼女の背中をそっと押すように応援するのだった。

 

 

 

1-C、由紀江の教室。

 

休み時間、カーチャは側にいる親衛隊(護衛)にうんざりしつつ、何気なく由紀江を眺めていた。

 

相変わらず友達100人という馬鹿げた計画を夢見て、それなのに生徒には話しかけられずにいてもどかしい思いをしている由紀江の姿は、酷く滑稽である。

 

だが、今日の由紀江は違っていた。同じクラスの生徒達と、楽しく会話を弾ませている。

 

一体どういう心境の変化だろうか。あれだけ人前で緊張し、ろくに笑顔も作れず喋る事すらままならなかった由紀江。これまでにない事だった。

 

それも、“話かけた”のは由紀江の方である。“話しかけられた”のならまだしも、由紀江からと言うのだから驚く。

 

人間はそう簡単に変わるものなのだろうか……普通ならば時間がかかる、もしくは変わらない。カーチャはその事を一番よく知っている。

 

だからこそ、由紀江の行動が自然過ぎて、何よりも不快だった。カーチャは親衛隊に猫かぶりの挨拶を交わすと、一人教室を出て廊下の壁に寄りかかった。

 

息苦しい上に不愉快だ……少し外の空気を吸って気分転換をする。

 

「……不快だわ」

 

ボソッと、息と共に不満を漏らす。由紀江の変わり様が気に食わないのか、それとも別の何かからなのか。どちらにせよカーチャは不機嫌なままだった。

 

「……どうかしたの?カーチャちゃん」

 

カーチャの名前を呼ぶ声がする。声をかけてきたのは伊予であった。面倒なのが来た、と心の中で溜息をつく。カーチャは笑顔を作り、普段通りの振る舞いで対応する。

 

「ううん、何でもないの。伊予お姉様。ちょっとお外の空気を吸いたくて――――」

 

「もうそんな喋り方はしなくていいよ」

 

言って、カーチャに笑顔を向ける伊予。あり得ない、今の今まで完璧な振る舞いであったのに……どこで気付いたのだろう。とりあえず適当に誤魔化しておこうとするが、それを察するかのように伊予は続けた。

 

「カーチャちゃんを見ている内に、何となく分かっちゃったんだ。多分、今のカーチャちゃんは本当のカーチャちゃんじゃない。もしよかったらだけど……素直なままを見せて欲しいな」

 

別に素性を見たわけでもないのに、伊予は全て気付いていた。カーチャの本当の素顔を。それは偶然なのか、それとも伊予の直感なのか。どちらにせよバレているのなら隠す必要もない。カーチャは猫かぶりの笑顔を捨て、普段の女王の顔に戻る。

 

「ふぅん……子供の割には、随分と賢いのね」

 

「一応私、カーチャちゃんより年上なんだけど……」

 

カーチャの大人のような発言に思わず苦笑いする伊予。カーチャの変貌にはあまり驚いていない。どうやら本質を見抜く目はあるようだとカーチャは思った。

 

「それにしても……なんか変わったよね、まゆっち」

 

伊予も由紀江の変化には驚きを隠せずにいた。人見知りだった由紀江が急に他の生徒達と話し出した所を見た時は、別人かと思ったくらいである。

 

「気味の悪い程にね。どういう風の吹き回しかしら」

 

どこかで頭でも打ったのかしらねとカーチャ。それは言い過ぎだよとまた苦笑いする伊予。

 

「でも……今のまゆっちは、すごく前向きだと思う」

 

伊予は今日の由紀江を見て思う。彼女は、少しずつ前へ前へと進もうとしている。あんなにも人前で話す事が苦手だった由紀江が、今では積極的に話そうと……友達を作ろうとしているのだ。

 

きっと、本当は緊張して逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだろう。それでも、由紀江は慣れようとしている。親友として、応援してあげたい……それが伊予の気持ちなのだから。

 

しばらくして、教室から出たまゆっちが、伊予とカーチャに声をかける。

 

「伊予ちゃん、カーチャさん。ここにいたんですか」

 

由紀江はいつになく笑顔だった。緊張して引き攣るようなぎこちない笑顔はどこにもない。

 

「うん。ところでまゆっち、クラスのみんなとはうまく話せた?」

 

「はい。おかげですぐ友達になれました!この調子でどんどんお友達を作ります!」

 

「その意気だよ、まゆっち!」

 

頑張ろうと意気込みをする二人。由紀江は目標の為に進み、伊予は親友としてそんな彼女を支えていく。二人の友情は、いつまでも消える事なく輝き続ける。

 

そんな二人の様子を見て、馬鹿馬鹿しいと溜息をつくカーチャ。友情、友達……青臭くてとてもついていけない。

 

「まあ、精々好きにする事ね」

 

言って、カーチャは興味なさそうに教室へ戻ろうと踵を返す。すると、何やら慢心気味に笑っている一人の人物が、廊下の奥で存在を主張していた。

 

「このクラスの連中も大した事なかったわね……まあ、これでここの制圧は完了したわ。これでプレミアムな野望にまた一歩近付いた……!」

 

武蔵である。自尊心が高く、何でも自分が一番でなければ気が済まない、Sクラス所属の生徒である。何でも、1年のクラスを回っては強い生徒に勝負をふっかけて片っ端から潰し、1年全体を掌握しようと動いているのだとか。

 

カーチャからしてみれば、身の程を知らないただの子供にしか見えない。おまけに無駄に耳障りで、カーチャの不機嫌はさらに高まっていく。

 

今度は武蔵を奴隷にして、跪かせてやろう……カーチャはどんな風に調教しようか考えていると、ふと由紀江に視線がいく。

 

「――――――」

 

由紀江の視線は、武蔵の方へと向いていた。由紀江は伊予とカーチャに“ちょっと行ってきます”と言葉を残し、そしてそのまま武蔵の所へと足を進めていく。

 

「今度はアレとお友達にでもなるつもりかしら?本当におめでたいわね」

 

物好きにも程があるとカーチャ。誰とでも友達になれる訳ではない。中には必ず嫌いな人間もいる。馬鹿げた理想だと、笑いを通り越してもはや呆れていた。

 

(頑張れ、まゆっち)

 

そんな中、伊予は由紀江の背中を暖かく見守っていた。由紀江の目標達成を祈って。

 

「―――――あの、Sクラスの武蔵小杉さんでしたよね?」

 

何の躊躇いもなく、武蔵に声をかける由紀江。武蔵は何か用?と返答する。そして由紀江は笑顔で、武蔵に告げた。

 

「はい!私と――――――」

 

 

 

一方、Fクラス。

 

サーシャ、岳人、卓也の三人は窓際に集まっていた。岳人はサーシャと向き合い、真剣な眼差しを向けている。

 

「サーシャ、実は頼みがある」

 

「なんだ?」

 

サーシャは岳人に呼び出されていた(卓也は付き添いというか巻き添え)。大事な話があるらしいが……一体何を話すつもりななだろうか。サーシャは黙って岳人の言葉を待つ。

 

「俺様を―――――クェイサーにしてくれ!」

 

……………。

 

一瞬だけ、時間が止まったような気がした。何を話すかと思いきや、何とも無謀な頼みだった。クェイサーはそう簡単になれるものではない。

 

「……ねぇ、ガクト。一応聞くけど、理由は?」

 

何となく卓也には予想がついていた。が、敢えて聞いておく事にする。

 

「決まってるだろ!女のおっぱいを吸い放……じゃなくてこの川神市を悪の手から守る為だ!」

 

「なんか今さらりと本音が零れたけど!?」

 

本音を言いかけたが、ようはあくまで戦う為だと岳人は言う。あからさまに私利私欲であった。当然、卓也はツッコミを入れる。

 

つまり岳人は、クェイサーになれば女子に手を出し放題、正当化されると思ったらしい。岳人らしい考え方である。

 

「仮にお前がなれたとしても、相手は確実に拒むだろうな。悪い事は言わない、クェイサーは諦めろ。お前には向いていない」

 

サーシャの的を射た解答に、岳人は精神的なダメージを受けて挫折したのだった。これが現実。受け入れるしかない。

 

「ああ……俺様の元素、精子のクェイサーの夢が……」

 

「そもそもそれ元素じゃないからね!」

 

一体、岳人達はクェイサーを何だと思っているのだろう。サーシャは呆れ、疲れ切ったように溜息をつくのだった。

 

しばらくして、学園内が急に騒がしくなり始める。

 

「おい、今から1年の奴が決闘が始まるぞ!」

 

「相手はS組の武蔵小杉と……」

 

どうやら、また決闘が始まるらしい。本当にこの学園は騒がしいなとサーシャは思った。決闘の間は授業中でも見にいってもいいらしいが……もう飽き飽きしていた。

 

1-Sの武蔵小杉。またSクラスかと肩を落とす。そしてその対戦相手は、

 

「1-Cの黛由紀江だってよ!」

 

風間ファミリーのメンバーの、由紀江であった。



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41話「疑念と異変」

由紀江が決闘と聞き、ファミリーのメンバーは驚愕した。グラウンドに集まり、武蔵と由紀江の対戦を待ち続けている。

 

グラウンドの中央には対面する武蔵と由紀江がいた。武蔵は由紀江を見下し、堂々と構えている。一方の由紀江は見下しもしなければ構えもせず、ただ静かに武蔵を見据えていた。

 

「ふん。この私に挑もうなんて、命知らずもいいところね!」

 

武蔵は勝利を確信していた。相手はいつも挙動不審で、携帯ストラップと会話をするような生徒である。おまけに強そうに見えない。退屈な試合になりそうだと武蔵は思った。

 

この生徒を倒した所で、自分の格が上がるわけではないのだが……とにかく敵は捻り潰すのみ。

 

しばらくして、鉄心がやってきて決闘の儀を行う。由紀江と武蔵は向かい合い、

 

「――――1-S、武蔵小杉!」

 

「――――1-C、黛由紀江!」

 

互いに名乗りを上げて決闘の合図を待った。鉄心は双方を見て、決闘開始の火蓋を落とす。

 

「いざ尋常に――――はじめぃ!」

 

鉄心の合図と同時に、武蔵が先に動き出した。由紀江は動かずにいる。

 

こっちの反応についていけないのだろうか……ならばさっさと終わらせてしまおう。武蔵は由紀江に接近し、拳を伸ばして渾身の一撃を与える。

 

「―――――え」

 

そして、勝負は一瞬にしてついた。

 

武蔵の一撃は、由紀江の懐にめり込んでいた。これで幕引き。勝負は武蔵の勝利に終わった。

 

―――――その、はずだったのに。

 

武蔵の拳は、由紀江の寸前で止まっていた。あと一歩で届かなかった。

 

その代わりに、由紀江の手刀が武蔵の首筋に入っている。まるで刀のような鋭い一撃。この一撃を受けたと認識するまで、少しだけ時間がかかった。

 

何故なら……武蔵自身が負けたという事実を、認めたくなかったから。

 

どうしてこうなってしまったのか。何が起きたのか分からないまま、武蔵の意識は深い闇へと落ちていった。

 

「―――――勝者、黛由紀江!!」

 

勝者の名前が上がる。しかし、周囲からは歓声がない。あまりにも呆気なさすぎて、そしてあまりにも一瞬過ぎて。声も出せずただ呆然と勝負の末を見届けていた。

 

「……う。うそ、私が、負けるなんて……」

 

意識を取り戻した武蔵が立ち上がろうと膝をつく。すると由紀江が面前に立ちはだかった。そして武蔵にそっと手を差し伸べる。

 

余裕のつもりか……気に食わない。武蔵は唇を噛みながら手を振り払う。それでも由紀江は何も言わず、そのまま顔を武蔵の耳元へと近付けて、

 

「――――――」

 

そっと小さく、耳打ちをしたのだった。当然武蔵は聞き入れないつもりだが、敗者にそんな権利はない。黙って従うしかなかった。

 

こうして二人の戦いは終わりを迎える。そして武蔵の1年制圧もここで幕を閉じた。

 

 

 

数日後、秘密基地。

 

カーチャは基地へと訪れていた。我が物顔でソファに座り込み、足を組みながら紅茶を啜る。

 

「クッキー、紅茶のおかわり」

 

紅茶がなくなり、側にいたクッキーに空になったティーカップを差し出した。クッキーは紅茶を淹れるが、何だかティーポッド扱いされているようで苛立ちを覚える。

 

『……カーチャ。言っておくけど、僕はティーポッドでもなければ瞬間湯沸かし器でもないからね!』

 

「あんたの機能に興味はないわ。っていうか、どっちも同じじゃない」

 

完全にクッキーをただの機械としか見ていない。お代わりの紅茶に口を付け、優雅に過ごすカーチャ。そんな態度が気に入らず、クッキーは第二形態に変形する。

 

『あまり図に乗るなよ。次に淹れる紅茶に鉄の味が混じる事になるぞ』

 

ビームサーベルを片手に、脅し文句をかけるクッキー。しかしカーチャは驚く様子もなく、

 

「機械の分際で私に盾突くつもり?生意気よ、クッキー」

 

クッキーを横目で睨み付け、殺意と侮蔑を込めた視線を送っていた。クッキーも無言のままカーチャと睨み合い、基地内の空気が凍りついていく。

 

一触即発。この戦い、誰にも止められない。

 

「いや、ここでされても困るから」

 

基地へやってきた京が、この空気を拭い去りつつ誰というわけでもなくツッコミを入れていた。クッキーは第一形態に戻ると、京に泣きつくように縋りついた。

 

『ちょっと聞いてよ京!カーチャが僕の事をティーポッド扱いするんだよ!?おまけに瞬間湯沸かし器とか――――』

 

京はうんうんと頷きながらクッキーの愚痴を聞いている。そもそもロボットが愚痴を言うというのも、不思議な話だと今更ながら思う京である。

 

しばらくしてクッキーは長い愚痴を終えると、機嫌が治ったのか外の警備に出掛けるのだった。

 

「いちいち面倒な機械ね」

 

はあ、と溜息をつくカーチャ。そこがクッキーのいい所だからと京はフォローを入れる。

 

「ところで、私に話があるんでしょ?まあ、話したい事は大体想像つくけど」

 

カーチャが話を本題に戻す。カーチャは京に呼び出されていた。恐らく、由紀江の事で何か聞きたいのだろう。

 

「うん。察しの通り、まゆっちの事だよ」

 

由紀江とカーチャは同じクラスだから、由紀江の様子を教えて欲しいと京は言う。京も彼女の異変が気掛かりであった。

 

「確かに、変わったと言えば変わったわ。気味の悪いくらいにね」

 

カーチャは教室での由紀江の様子を事細かに話した。

 

人見知りが消え、誰とでも仲良くなり、突然明るくなった由紀江。彼女の性格からして、切り替わりがあまりにも早過ぎる。人の元の性格は、そう簡単には変わらない。

 

しかし、カーチャにとってはどうでもいい事である。それだけの為に呼ばれたのなら、迷惑な事この上ない話だった。しかし、京の話はまだ続く。

 

「この前のまゆっちの相手は、私の部活の後輩なんだけど……まゆっちと決闘して負けてからずっと、学園に来てないの」

 

由紀江と対戦した相手、武蔵は弓道部の部員だった。由紀江と対戦した後、部活にも学園にも顔を見せていないのだと言う。

 

「今まで負けた事がないから、塞ぎ込んでるだけでしょ?いい気味ね。この際だから、身の程を知るといいわ」

 

ああいう高飛車で負けず嫌いは、一度挫折を味わった方がいいとカーチャは笑う。しかし京は笑わなかった。さらに話を進める。

 

「決闘が終わってすぐ、ムサコッスに耳打ちをしてたのを見たの。後から後輩に聞いた話だけど、放課後まゆっちに呼び出されたみたい」

 

戦いが終わった後、京は二人の様子を見ていたのだ。弓道を志すだけあって京の観察眼は鋭く、僅かな動きさえも見逃さない。当然見ていたのも京だけである。

 

そしてカーチャは気付く……京は、由紀江に疑念を抱いていると。

 

「つまり、疑ってるのね。黛由紀江を」

 

「私はまゆっちを信じたい。ただそれだけ。同じクラスのカーチャなら何か知ってると思って」

 

京は否定もせず、肯定もしない。ただ由紀江を、仲間を信じたかった。そんな京をつくづくおめでたいわねとカーチャは鼻で笑う。

 

「知ってるも何も、さっき言った通りよ」

 

カーチャが知っているのは、由紀江の性格が変化した事だけである。これ以上詮索しても意味がない事を京に告げた。京はそれだけ聞いて満足したのか、それならいいんだと言って頷いた。カーチャも用件が済むと、残った紅茶のを飲み干し、ソファから立ち上がり踵を返す。

 

すると、京が最後にカーチャを呼び止める。

 

「来てくれてありがとう。それと私、カーチャの事もちゃんと信じてるから」

 

「………」

 

仲間だから、と京は言った。立ち止まり、京の言葉を黙って聞き届けるカーチャ。仲間、信頼……どこまでも青臭い。本当におめでたい連中だと、笑いを通り越して呆れてしまうくらいに。

 

そして、最後にカーチャは去り際にこんな言葉を残した。

 

「一昨日の決闘―――――先に勝負をふっかけたのは、黛由紀江よ」

 

「え?」

 

「私のコアに反応はなかったわ。少なくとも、例のサーキットを装着していない事は確かね。今の所はだけど」

 

それだけ言って、基地から消えていくカーチャ。別に助言をしたというわけではない。ただの女王(エンプレス)の気まぐれである。

 

そっけなく、まるで興味なさそうな態度を取るカーチャだが、何だかんだ言って、協力してくれているんだなと嬉しく思う京なのだった。

 

 

 

一方、カラオケ店前。

 

華と千花達は放課後にカラオケ店で散々歌い倒し、ちょうど解散してそれぞれの帰路へと向かい歩いていた。周囲はすっかり暗くなっている。

 

「あ~、歌い疲れたぁ。たまにはカラオケも悪くねぇな」

 

大きく背伸びをしながら呟く華。楽しい時間ほど、過ぎていくのは早いものである。華は心地よい疲れと同時に切なさを感じていた。こうでもしなければ、息が詰まるというもの。

 

任務を忘れ、学生らしい事をするのも悪くないと染み染み思う。っていうか、そもそもアタシ学生だったっけな、と華は心の中で苦笑いするのだった。

 

しばらく通りを歩き続ける。今日は人気が多い。ガヤガヤした喧騒も、華にとっては聞き慣れたものであり、これが何よりも好きだった。

 

「……ん?」

 

ふと、奥が暗く細い脇道に目がいく。一瞬、何かが見えた気がしたが……気になった華は人気の外れた脇道へと入り、奥へ奥へと進んでいく。

 

次第に視界が暗闇に慣れ、うっすらと周囲のものが見え始める。

 

「………!?」

 

華の表情が凍りつく。華の目の前には、見慣れた服装――――川神学園の制服を来た女子生徒が倒れていた。華は女子生徒に駆け寄り、身体を起こして意識を確認する。

 

「おい、しっかりしろ!何があった!?」

 

身体を揺さぶるが、全く反応がない。しかし息はしている……死んではいない。意識を失っているだけだった。ともかく、助けを呼ばなければ。

 

華は女子生徒を背負い、助けを求める為に繁華街の通りへと戻っていった。



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42話「出動!風間ファミリー」

2−F教室。

 

 

「――――以上でHR(ホームルーム)を終了する」

 

 

号令を促す梅子。いつものように、真与の号令で締めくくられHRが終わりを告げる。

 

 

「……皆も知っているとは思うが、ここ最近学園近辺で通り魔事件が発生している。学生は夜遅くまで外を出歩かないように。以上」

 

 

釘を刺すように、梅子はそれだけ言い残して立ち去っていく。生徒達はガヤガヤと騒ぎ始め、通り魔事件の話題で持ちきりであった。

 

 

通り魔事件。先日、川神学園の女子生徒が意識を失った状態で発見された。

 

 

怪我はないものの、意識が戻った女子生徒はその時の記憶がないのだという。その為、現在解決には至っていない。

 

 

次の日もその次の日も……学園の女子生徒ばかりが次々と狙われ、警察が警備に当たっているが、通り魔の犯人は目撃されておらず、調査は困難を極めていた。

 

 

もう、警察は当てにならない。このままでは被害者が増える一方である。

 

 

そんな中、川神市の危機から救うために立ち上がる人物達がいた。

 

 

危険を省みず、ただ学園の平和を守りたいがために悪に立ち向かう彼らの存在。

 

 

そう―――――キャップ率いる風間ファミリーであった。

 

 

 

 

「ってなわけで、これから通り魔事件解決の為の作戦会議を開く!」

 

 

キャップが中心となり、会議を始めるファミリー一同。通り魔事件の犯人を捕まえる為に、全員招集をかけられていた。

 

 

正義を行い、悪を断つ。ファミリーは明日を勝ち取る為に、今日も駆け回る。

 

 

「……まあ、結局お目当ては報酬の食券なんだけどな」

 

 

「しかも食券300枚。しばらくお昼には困らない」

 

 

『これがホントの食券(職権)乱用!』

 

 

華と京、そしてクッキーの連携ツッコミがシリアス(?)な空気をぶち壊した。それでも立派な会議ではあるのだが。

 

 

とにかく、依頼を受けた以上は必ずこなさなければならない。被害者が出ている以上、真剣に対処すべきである。

 

 

「まずは作戦の内容を説明する。大和、頼む!」

 

 

キャップが軍師に促した。すると、大和は犯人捕獲作戦の手順の説明を始める。

 

 

決行は人通りの少ない、夜の時間帯。場所は川神市商店街。この場所が一番頻発しているらしく、犯人が潜伏している可能性が最も高い。

 

 

そこでメンバーを2人1組に編成し、それぞれ定位置に配置して犯人を捜索、捕獲するという作戦を決行するというのが今回の内容である。

 

 

大和とキャップは司令塔となって各グループを動かし、包囲網を作り退路を断つ。最終的に犯人を追い込んでいく……しかし、その為には犯人を誘き出すための囮が必要だ。

 

 

しかも狙われているのは女子生徒のみ。つまりか弱い女性でなければならない。

 

 

となると、まず百代達のような武士娘は基本的に論外。警戒され逃げられてしまう可能性がある。そもそも以前に、オーラ的な意味合いで犯人が寄り付かない。

 

 

まふゆもイメージ的にお淑やかとは言えない(本人の前で言ったら殺されるので言わない)。華は言うまでもなく論外。

 

 

ならば、やはりカーチャしかいない。だがカーチャは別行動でいない上に、頼んだとしても引き受けてくれる確率はほぼ0%だろう。

 

 

残るは消去法でただ一人のみ。それは、

 

 

「モロ、お前しかいない!」

 

 

大和が卓也の肩を叩き、囮役として指名するのだった。

 

 

「そうだね。確かに僕ならぴったり……ってちょっと待ってよ!!何で僕なのさ!?」

 

 

納得がいかないと反論する卓也。しかし大和はお前ならできる!と親指を立てた。

 

 

百歩譲って、囮役だけならまだいい。ただし囮がか弱い女子生徒。つまり卓也が女装をするということである。

 

 

確かに、卓也の体系からなら女装は可能かもしれない。しかしまだ他にもいるだろうとメンバー全員に意見を求めた。

 

 

「うむ、体型的にはありかもな」

 

 

「ナヨナヨ感がちょうどいいよね」

 

 

頷くクリスと京。

 

 

「私もモロロの女装姿がみたいぞ」

 

 

「なんか面白そうだわ!」

 

 

「きっと似合うと思います!」

 

 

卓也の女装に期待する百代と一子と由紀江。

 

 

「アタシは大賛成だぜ」

 

 

「あたしもちょっと気になるかな……」

 

 

面白がる華と、興味を示しているまふゆ。

 

 

以上が、女性陣の意見である。一方男性陣はというと、

 

 

「まあ、別にいいんじゃね?俺だったら嫌だけどな」

 

 

「好きにしろ」

 

 

いいような、悪いような曖昧な返事をするキャップと忠勝。

 

 

「モロ、もしかしたら目覚めるかもしれねぇぞ?」

 

 

「お前の体格なら問題ないだろう」

 

 

意外と卓也の女装姿に期待をかけている岳人と、とりあえずOKを出すサーシャ。

 

 

これで全員の意見が出揃った。一致団結。卓也にもう逃げ道はない。女装せざるを得ない状況に追い込まれた卓也は肩を落とし、しぶしぶ承諾するのだった。

 

 

「これで一つは決まったな。次はモロの護衛役だ」

 

 

囮は危険が伴う。当然卓也を一人夜の街に放り出すわけにはいかない。その為には卓也を守るパートナーが必要になる。

 

 

しかし男性では意味がない。カップルと思われ犯人が近寄らなくなってしまう。やはりここも女性なければならない。

 

 

「そこでだ。ここは一つ投票で決めたいと思うんだが……みんなそれでいいか?」

 

 

大和は投票で卓也の護衛役を推薦するらしい。異論はなく、全員一致で頷くのだった。

 

 

 

 

そして結果発表。

 

 

「………なんだ、これは」

 

 

膝をつき、その結果を愕然とした表情で項垂れているのはサーシャだ。まるでこの世の絶望を味わったかのような、そんな苦悶の色すら伺える。

 

 

そしてこれが今、サーシャが目の当たりにした結果である。

 

 

 

 

☆投票結果☆

 

 

大和:サーシャ

 

キャップ:サーシャ

 

岳人:サーシャ

 

卓也:サーシャ

 

忠勝(代理・華):サーシャ

 

百代:サーシャ

 

一子:サーシャ

 

京:サーシャ

 

クリス:サーシャ

 

由紀江:サーシャ

 

まふゆ:サーシャ

 

華:サシャ子(笑)

 

サーシャ:百代

 

 

 

サーシャを除く全員が、サーシャを推薦していた(約一名は悪意ある投票)。こんな事が、こんな事態があっていいのかと自問する。

 

 

だが結果ならば仕方がない。サーシャは諦めて納得……いや納得なんてできなかった。どう考えてもこれは大和の策謀である。

 

 

「大和……貴様、謀ったな!?」

 

 

テーブルを叩き、サーシャは身を乗り出すようにして大和に詰め寄った。

 

 

「人聞きの悪い事を言うな。これは正当な結果だ。決して俺は、みんながサーシャの女装をどうしても見たいからといって細工をするような事は断じてしていない!」

 

 

言って豪語する大和。もはや確信犯。サーシャは頭を抱え、ロシア語で絶叫する。

 

 

これは神の悪戯か。どちらにせよ、サーシャにとっては苦痛以外の何者でもない。

 

 

「諦めろ、サーシャ。これも運命だ」

 

 

うん、と腕を組んでサーシャを諭す百代。

 

 

「ま、まあいいじゃないサーシャ!あたしも見てみたいと思ってたし」

 

 

まふゆは気に病まないでとサーシャを励ます。しかし、やっぱりサーシャの女装姿が気になって仕方がないらしい。

 

 

また翠玲学園で潜入したような格好になれというのか。あの銀色の百合姫――――“アレクサンドラ=ヘル”に。サーシャは恥ずかしくて死にたくなるのだった。

 

 

「よし。じゃあ明日の夜、作戦開始だ!」

 

 

大和が高らかに声を上げた。明日の夜、ファミリー達の犯人捕獲作戦が決行される。



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43話「通り魔捕獲作戦」

私は、“私”である。それ以上でも、それ以下でもない。

 

 

故に憧れていた。自分自身が描いた理想を。常に求め続けていた、私自身を。

 

 

だから私は、夢に見ていた“私”になる事ができた。これは私にとって何よりの喜びである。私が私を超えた確かな証。

 

 

それなのに、満たされない。満たされている筈なのに、いつも心の中に(うつろ)が巣食っていた。

 

 

まるで深い孔ができたような黒い蟠り。満たしても満たしても埋まらない、永遠の渇望。

 

 

全て手に入れた筈なのに、何かが足りない。何度求め続けても、手を延ばしてもそれは遠ざかっていく。

 

 

私はいつ満たされるのだろう。私はいつ癒されるのだろう。問いかけても答えは出ない。

 

 

今も渇きを訴えている。成さねばならない。この消える事のない欲望を満たす為に。

 

 

 

 

作戦決行日、夜の商店街。

 

 

大和とキャップ、百代は商店街近辺のビルの屋上でPCを広げ、2人1組で編成したペアの位置情報を確認していた。

 

 

ペアにはそれぞれ通信機(インカム)を支給し、それによって位置情報を把握できるようになっている。ちなみに通信機とPCのシステムを貸与したのはユーリだ。

 

 

“まさかサーシャ君の女装姿をまた見る事ができるとは思いませんでした。お礼と言っては何ですが、今回の一件に限り大和さん達を全力でバックアップさせて頂きます”

 

 

と、蔓延の笑みで貸し出しをOKしてくれた。今回のみ、本来任務とは関連性がない大和達の依頼に手を貸してくれるのだという。よほどサーシャの女装姿が見たかったらしい。

 

 

そのおかげで、大和達は万全な状態にある。これなら犯人を捕まえられるのもそう難しくはないだろう。

 

 

「―――こちら参謀。Aチーム、聞こえるか?」

 

 

大和はインカムを使い、早速通信を行う。

 

 

まずはAチーム。チームメンバーはクリス・由紀江。

 

 

『こちらAチーム。聞こえるぞ、大和』

 

 

『こちらも問題ありません』

 

 

クリス、由紀江は共に通信良好。現在周囲を警戒中。

 

 

「了解。Bチームは?」

 

 

続いてBチームに連絡を取る。Bチームは一子と忠勝。

 

 

『あ、えっと……あわわわ、これどうやって使えば……』

 

 

『貸してみろ。耳にこうつけるんだよ……こっちは二人とも問題ないぞ』

 

 

一子が何やら手間取っているようだが、忠勝がいるので問題はないだろう。通信はとりあえず繋がっているようだ。

 

 

「OK。次はCチーム、Dチーム」

 

 

今度はC、Dチームに連絡を入れ、通信状況を確認する。

 

 

Cチームは京と華。Dチームはまふゆと岳人。

 

 

『うん。私と華は大丈夫』

 

 

『問題ないぜ』

 

 

Cチーム京と華、共に問題なし。

 

 

『こっちは大丈夫だよ』

 

 

『ちゃんと聞こえるぜ大和……にしても、何か俺様達、デートしてるみたいじゃね?いっそこのま―――』

 

 

『ふざけないの!』

 

 

インカムの奥から岳人の痛々しい叫びが聞こえてくる。抑止力として、まふゆを選んで正解だったと大和は思った。色々と問題はあるようだがDチームも心配はないだろう。

 

 

百代はいざとなった時の切札として導入する為、大和達の行動を共にし待機している。退屈だぞーと駄々を捏ねているが、ここは我慢してもらうしかない。

 

 

これで捜索チームの連絡確認は完了した。残りは後一組。そう、囮チームだ。

 

 

「―――続いて、囮チーム。サーシャ、モロ。状況は?」

 

 

 

 

商店街中心部。

 

 

サーシャと卓也、囮チーム。

 

 

「うん。今の所、怪しい人は見かけないよ」

 

 

卓也は周囲を見回しながら、現在の状況を伝える。今の所、異常と言える程の異常は見受けられない。

 

 

「ところでさ……大和」

 

 

唯一の異常があるとするならば、卓也の今の女装姿である。何故なら街中で、女装をしているのだから。

 

 

川神学園の女子制服を見に纏い、髪の毛を可愛らしく結んでいる卓也。スカートを手で押さえながら周囲の視線を気にしていた。

 

 

「下の辺りがスースーするんだけど……なんか、変な感じだよ」

 

 

『……モロ、目覚めても俺らは何も言わない。自分の思った道を進んでくれ』

 

 

「目覚めないから!」

 

 

からかう大和の声がインカム越しに聞こえてくる。複雑な心境の卓也だったが、悲しいかな存外様になっているのかもしれないと、心のどこかで思う自分がいるのだった。

 

 

『まあこの作戦が終わるまでの辛抱だ……そうだろ?サーシャ』

 

 

大和がサーシャのインカムに向けて通信を入れる。サーシャはインカムのマイクを口元に近づけながら、

 

 

「大和……いつかお前を殺す」

 

 

この屈辱と恨みは決して忘れないという感情を込めて言い放った。サーシャの表情には影が差し、俯き加減のまま地面に視線を向けている。

 

 

それもそのはず。何故なら今のサーシャはサーシャではない。“銀色の百合姫”、アレクサンドラ=ヘルなのだから。

 

 

夏の夜風に靡く銀色の髪。一点の曇りもない、宝石のように輝く翠色の瞳。白一色に染まった川神学園の制服。白と青のプリーツスカートが愛らしい。

 

 

誰がどう見ても、女性としか見間違いようのない可憐な容姿であった。ファミリーのメンバーがあまりにも綺麗過ぎて言葉を失ったくらいである。

 

 

メンバーの殆どが驚愕し、一部メンバーからは食べていいか?と暴走を始め(百代)、今すぐ抱かせてくれと血迷い出し(岳人)、サーシャは最悪極まりないシチュエーションを味わっていた。

 

 

『そう言うな、サーシャ。これも任務だ。後、俺も惚れかけた。いいや惚れた!』

 

 

豪語する大和。ガッツポーズを取りながら言う姿が目に浮かぶ。

 

 

『おい大和。退屈だ、何とかしろー』

 

 

インカムから百代のじゃれ合う声と大和の呻き声が聞こえてきた。どうやらヘッドロックをかまされているらしい。サーシャは小さくため息を付く。

 

 

『……ゲホッ、ゲホッ。そろそろ作戦の時間だ。みんな、準備はいいか?』

 

 

通信を切り替え、チームに作戦開始の合図を送った。全員、問題なしと回答が来る。

 

 

『よし。それじゃあ―――作戦開始だ!』

 

 

大和の合図と同時に作戦が開始された。サーシャは一旦通信を切り、卓也へと視線を送る。

 

 

「さあ、行きましょう。ボヤボヤしてると、置いていくわよ」

 

 

そう言って足早にスタスタと前へと進み出す。卓也はその後ろ姿を眺めながら後を追う。

 

 

歩き方と、そして姿勢。どこから見ても女性にしか見えない。女装を極めるわけではないが、思わず尊敬してしまう。

 

 

それともう一つ。

 

 

(何だかんだ言って、結構ノリノリだよね……)

 

 

喋り方も女性である。卓也は心の中で呟いた。口にしたら多分、逆鱗に触れ、生きて帰ってこれないような、そんな気がして。

 

 

 

 

作戦開始から数十分。

 

 

Bチーム、捜索を続けるも今の所怪しい人物はなし。

 

 

CチームとDチームも同様、異常はなく、特に問題なし。

 

 

そしてAチーム。

 

 

クリスと由紀江は、いかにも怪しそうな裏路地を探索していた。しかし、一向に怪しい人物は現れず、動きも気配も感じ取れない。

 

 

「………?」

 

 

しばらく周囲を警戒していると、クリスは路地裏に人影があるのを確認した。見覚えがある……クリスと由紀江が人影にゆっくりと近付いていく。

 

 

そこにいたのは、エヴァのクローンの一人である(ファオ)の姿だった。

 

 

Vは煙草をふかしながら夜空を見上げていたが、クリスたちの視線に気がつくと、一瞬驚いたような素振りを見せたが、すぐに興味を示さなくなった。

 

 

「……んだよ、誰かと思ったらおめぇかよ」

 

 

うぜーと呟きながら再び煙草をふかすV。クリスはレイピアを構えて警戒する。

 

 

「貴様、こんなところで何をしている!?それと未成年の喫煙は禁止だぞ!」

 

 

「真面目かよ、うぜーな。あたしが何しようと関係ねーだろ………それより、今日は連れはいねーのかよ?あの眼帯女」

 

 

きっとマルギッテの事だろう。Vからは、期待とそして復讐に満ちた表情が伺える。戦闘で敗れた事が気にかかっているようだ。

 

 

Vはまあいいかと話を終わらせると、煙草を加えたままクリスたちに顔を向ける。

 

 

「おめぇらこそ、ここで何してんだよ?売春?」

 

 

「なっ……断じて違う!ここで通り魔事件が頻発しているから、自分達はその犯人を追っているだけだ。まさか、これもアデプト……お前たちの仕業か!?」

 

 

身構えるクリスと由紀江。Vがここにいると言う事は、アデプトも通り魔事件に関わっている可能性がある。

 

 

「通り魔?………ああ、そういう事かよ」

 

 

クリス達を見てひひ、と意味深に笑うV。何か知っているらしい。するとVは吸っていた煙草を投げ捨て、足で火を消すとクリス達に背を向けた。

 

 

「ま、せいぜい頑張んな。それと通り魔はあたしじゃねーよ」

 

 

指の先から水銀を出現させ、まるでロープのように壁を伝って逃げ去っていく。

 

 

「待て!ポイ捨ては禁止だ!」

 

 

後を追おうと走り出すクリス。しかし相手は壁を伝って逃げている。到底追いつけない。

 

 

「クリスさん、私が追います!」

 

 

刀を手に、由紀江が疾走する。壁を蹴り上げながら、壁と壁を伝いながらVの後を追っていく。まさに超人的な技である。

 

 

「あ、待てまゆまゆ……く、仕方ない。とりあえず大和に連絡だ」

 

 

追跡は由紀江に任せよう。クリスはインカムのスイッチを押し、大和に連絡を入れた。

 

 

 

 

一方、司令塔チーム。

 

 

クリスからVがいたとの情報を得た大和。今回の通り魔事件、アデプトが絡んでいる可能性が浮上した。

 

 

しかしVは通り魔の犯人ではないという。だがVの反応からして、何か情報を知っている事は確かである。

 

 

と言う事は、犯人はエヴァ本人か。それにしては、川神学園の女性ばかり狙う理由が分からない。それに前回の戦いで、クローン体に化けている事から少なくとも本人が前線には出てくる事はないだろう。

 

 

(俺の考え過ぎか……?)

 

 

エヴァとの一件以来、敏感になり過ぎている事もある。もしかすると、思い過ごしなのかもしれない。Vがいたからと言って直接的に関わっているとは限らないのだから。

 

 

「こちら参謀。モロ、サーシャ聞こえるか?Aチームがエヴァのクローン体に遭遇」

 

 

『……Aチームの状況は?』

 

 

「今まゆっちが追ってる。けど、クローン体が今回の通り魔に関わってるかどうかは正直今は判断できない。とりあえず、引き続き囮操作を進めてくれ」

 

 

Vの追跡も気になるが、囮調査を中断するわけにはいかない。犯人は複数いる可能性もある。大和はサーシャに通達した。

 

 

『ええ……でも、もうその必要はないみたい』

 

 

静かに返ってきたサーシャの返答。それはつまり、通り魔事件の犯人が今、サーシャたちの目の前にいる事を意味していた。

 

 

 

 

人気のない商店街の路地裏で、サーシャと卓也の前に突然現れた怪しげな4人の男達。男達はギラついた目でサーシャ達を眺めながらニヤニヤと笑っている。

 

 

「よう、こんな夜中に二人で散歩かい?なんなら俺達と一緒に楽しい散歩しようぜ」

 

 

下品に笑う男A。

 

 

「銀髪のねーちゃん。俺達といいことしね?」

 

 

酒で酔っているのか、気色悪い笑みを浮かべて男Bがサーシャに視線を送る。

 

 

「おぉ……そこの小柄な嬢ちゃんガチで俺の好みだぜ。ああ孕ませてぇ」

 

 

男Cが息を荒げながら卓也をロックオンする。どうやらロリコンのようだった。何やら色々と危険である。

 

 

「くっくっく……そこの女子学生二人。大人しくしていたほうが身のためだ。抵抗しなければ、悪いようにはしないぞ」

 

 

恐らく男達のグループのリーダーであろう、男Dがサングラス越しに威嚇の視線を送る。スキンヘッドにサングラスの男。いかにもという人相であった。

 

 

(あれ?この人達どこかで会ったような……)

 

 

そういえば、以前にこのような風貌の男達と出会わなかっただろうか。見覚えがあるような、ないような……記憶が曖昧だと言う事は、さほど印象になかったのだろうと卓也は思考を打ち切った。

 

 

男達の恐喝。悪党の決まり文句にサーシャはもう聞き飽きたと言わんばかりに、大きく溜息を付いた。

 

 

そのサーシャの仕草に、癇に障ったのか男達の表情が険しくなる。

 

 

「貴様、何だその態度は!俺達をバカにしてるのか!?」

 

 

男Dがスキンヘッドに血管を浮かせながら怒りを露わにする。サーシャは冷めた表情でさらりと答えた。

 

 

「いいえ、別にバカにはしてないわ。そもそも、貴方達にそんな価値があるなんて到底思えないのだけれど」

 

 

「てめぇ……!」

 

 

激情した男達がそれぞれ武器を構えてサーシャ達に立ちはだかる。メリケンサック、ダガー、鉈……構えかたからして素人には見えない。戦い慣れしているようだが、サーシャにはそんなものは関係ない。目の前の敵は倒すのみ。

 

 

サーシャは地面に転がっていた鉄パイプを手に取り、くるくると手で弄ぶように回しながら持ち構えて、男達に先端を突きつけた。

 

 

「貴方達は――――震えた事があるかしら?」

 

 

その透き通るような、凛々しくも麗しい翠色の瞳で。

 

 

男達とサーシャが同時に駆け出し、両者激しく激突した―――――。

 

 

 

 

数分後。

 

 

商店街中にパトカーのサイレンが鳴り響いていた。商店街の中心部には何事かと多くの人集りが出来ている。

 

 

そこには風間ファミリー達の姿があった。サーシャ達もいる。

 

 

サーシャ達を襲おうとした通り魔事件の犯人達は、サーシャにあっさりとボロ負けして終わった。サーシャいわく、あの男達はクェイサーであったらしい。

 

 

男達は通り魔事件の主犯として逮捕され、手錠をかけられ警察官達に連行されている。

 

 

「ってか、こいつらまだいたのか」

 

 

百代は哀れみの視線を逮捕された男達に向けている。百代達は彼らの事を知っていた。以前、登校中に橋で出会い、百代が一瞬で葬り去ったクェイサー集団、ウンウン☆マイスリーとヘリウム三兄弟五男である。

 

 

彼らは百代にぶち殺され、さらには一子に吹き飛ばされてしばらく経った後、聖乳(ソーマ)補給の為に商店街で川神学園の女子生徒を立て続けに襲っていたらしい。

 

 

「一応聞くが、こいつらはアデプトとは関係……なさそうだな」

 

 

クリスがサーシャ達に尋ねようとして、途中でやめた。アデプトはサーシャ達が苦戦するような難敵だ。こんなにあっさりとやられる筈がない。

 

 

「この兄弟、一体何人いるのよ……」

 

 

ヘリウム三兄弟四男、五男……何度も会っているのか、まふゆにとっては馴染みの雑魚キャラである。この分だと六男、七男、まだいそうな気がする。

 

 

「ま、これで犯人は捕まったし、作戦成功だな!」

 

 

キャップがその場を締めくくり、作戦は無事に終了した。これで全員、食券300枚という報酬を勝ち取ったのだった。

 

 

しかしその中で一人、由紀江だけが浮かない顔をしている。それも当然、途中で遭遇したVを追跡し、結果として取り逃がしてしまった。そんな由紀江を大和が諭す。

 

 

「気にすんな、まゆっち。とりあえず犯人は捕まったんだ」

 

 

大和の気遣いが嬉しい……由紀江の重い気持ちが、少し和らいだ気がした。

 

 

「はい……そうですね。ありがとうございます。大和さん」

 

 

表情はまだ少し暗いままだが、由紀江は何とか笑顔を作る。何せアデプトの動きが掴めたかも知れないと言うのに、それを逃してしまったのだから。

 

 

 

これで通り魔事件の犯人は捕まり、事件は解決した。これで商店街に平和が戻る。作戦を終えた大和達は満足げに基地へと戻っていった。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ、げほっ、げほっ!」

 

 

商店街の外れ。川神学園の女子生徒が激しく息を切らし、民家の塀の壁に背中を預けもたれかかっている。

 

 

額には玉汗をかき、激しく高鳴る心臓を手で押さえるように、鼓動に静寂が訪れるのをずっと待ち続けていた。

 

 

まゆっちの親友、伊予である。伊予もファミリー達同様、商店街を訪れていた。

 

 

深夜の商店街には近付くな……無論、裏路地や人気のない道を通る気はない。ただ単純に買い物にやってきただけだった。

 

 

その帰り道、伊予は商店街の細道でよく見知った人影が見え、何事だろうと後を付けていた。何故こんな時間にいるのだろう……危ないから近付くなと言われている筈なのに。その影を、さらに追い続ける。

 

 

そして、後を付けたその先に、伊予は見てしまった。

 

 

「………!」

 

 

思わず、悲鳴のような声を上げそうになり口元を抑える伊予。伊予はにわかには信じられないような光景を目の当たりにした。

 

 

「ん……は、あぁ……う……」

 

 

壁に押し付けられ、制服を無造作に剥かれ、乳房を露わにした川神学園の女子生徒が一人。そしてその生徒を飢えた獣のように、身体中を舐め回す、見覚えのある女子生徒。

 

 

女子生徒は、今にも意識が飛んでしまいそうなくらい、苦悶と快楽の表情を浮かべていた。それに対し、もう一人はお構いなしに何度も舐め続けている。

 

 

まるで男女の淫行を見ているようだった。ただそれが女同士だけの事。しかし伊予には刺激が強過ぎた。

 

 

否、そんな事はどうでもいい。何故、どうして“彼女”がここにいるのか理解できない。ましてや女子生徒を襲うなど考えられない。

 

 

まさか、一連の通り魔事件の犯人は彼女なのだろうか……考えたくもないような憶測が伊予の頭を苛ませる。

 

 

違う。何かの間違いだ……足が震えが止まらない。その時、

 

 

「……誰かいるの!?」

 

 

女子生徒の身体を舐めていた彼女が伊予の存在に気付く。視線が合い、伊予ははっと我に返り、反射的に踵を返しその場から走り去っていった。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

心臓の鼓動が落ち着きを取り戻す。伊予はその場に座り込み、大きく息を吸い、酸素をいっぱいに取り込んだ。

 

 

(違う、よね……私の見間違いだよね……)

 

 

きっとそうに違いないと、何度も自分に言い聞かせる。彼女があんな事をする筈がない、それは自分が一番よく知っていると。

 

 

(そうだ……明日、本人に聞いて確かめれば……)

 

 

それが最も適切な手段であり、確実な方法。伊予は明日、彼女を尋ねる事にした。

 

 

疑っている訳ではない。彼女を信じたい。いや、信じているからこそどうしても聞かなければならなかった。

 

 

自分の親友である――――黛由紀江に。



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44話「魔性宿りし者」

1−C教室。

 

 

登校時間、伊予は教室に入ってすぐ、由紀江の姿を見つけた。由紀江は相変わらず、楽しそうにクラスの生徒と話をしている。

 

 

「あ!伊予ちゃん、おはようございます!」

 

 

伊予が挨拶を交わす前に、伊予の姿を見つけた由紀江が笑顔で手を振っている。いつもと変わらない由紀江の笑顔。

 

 

「あ……お、おはよう」

 

 

昨日の一件があってか、思わず挨拶がぎこちなくなってしまう。由紀江は伊予の様子が少しおかしい事に気付き、心配そうに声をかける。

 

 

「……伊予ちゃん?どうかしたんですか?」

 

 

「あ……ううん、何でもないの」

 

 

本当は聞きたい事があるのに、うまく切り出せない。由紀江が、あんな事をするなんて……到底思えない。思えないのなら聞いても問題はない筈。それなのに躊躇いが邪魔をする。

 

 

それでも、聞かなければ。

 

 

「あ、あのさ……まゆっち」

 

 

「はい?」

 

 

「昨日の夜――――」

 

 

言いかけた途端、丁度チャイムの鐘が鳴ってしまう。由紀江はまた後でと言って自分の席へと戻っていく。

 

 

結局、聞きそびれてしまった。もうすぐ担任の先生が教室へやってくる。やりきれないままHR(ホームルーム)を迎える伊予。

 

 

「みんな、おはよう」

 

 

教室に入ってきたのは担任の先生……ではなく保険医の麗だった。何でも、担任が風邪で休んだらしく、代理で引き受けたらしい。麗はHRをさくさく進めていく。

 

 

「……と、これでHRを終了します。後、黛由紀江ちゃん。ちょっと話があるの。一緒に職員室へ来てもらえる?」

 

 

HRが終わり、麗は由紀江を呼び出した。一体何の用だろう……由紀江ははい、と返事をして立ち上がり、麗と教室から出て行った。

 

 

そして二人が出て行ってすぐ、クラスが騒然となり始める。

 

 

「……ねぇ、呼ばれたのって、もしかしてSクラスの武蔵さんの事じゃない?」

 

 

「なんか、決闘の後に呼び出してエッチ迫ったらしいよ」

 

 

「武蔵さん身体中触られて、色々ヤバイ事されたみたい」

 

 

「ええ!?嘘でしょ!?」

 

 

「気持ち悪……」

 

 

「そりゃ武蔵さん、不登校になるわな」

 

 

「大人しいフリして、やる事結構怖いよねー」

 

 

クラス中が、由紀江の妙な噂で塗りつぶされていく。伊予は突然過ぎて耳を疑った。そんな話、どこから流れてきたのだろう。

 

 

確かに武蔵との決闘後、由紀江は武蔵を呼び出している。その次の日、武蔵が不登校になった事も耳にしていた。だからといって、由紀江がそんな事をするとは思えない、こんなものは根も葉もない噂だろう。

 

 

「もしかして、通り魔の犯人も黛さんだったりして」

 

 

「ああ、そうかも」

 

 

「でも、もう犯人は捕まったんでしょ?」

 

 

「実は、捕まった後も一人襲われたんだって」

 

 

「え!?じゃあ本当に……」

 

 

クラスの由紀江に対する不信感は収まらない。一体由紀江の何を知っているんだ……伊予はたまらず耳を塞いだ。

 

 

自分の親友が疑いをかけられている。もういい、やめてと心の中で叫び続けながら、時間をやり過ごす。

 

 

しかしもう限界。クラスの空気に耐えられなくなった伊予は、逃げ出すように教室を飛び出した。廊下を走り抜け、生徒達を追い抜き、ひたすら走り続ける。

 

 

(違う……まゆっちが、そんな事するはずない!)

 

 

伊予が向かう先は、麗と由紀江のいる職員室。もう躊躇ってなどいられない。今度こそ、由紀江から真偽を確かめなければ。

 

 

 

 

息を切らしながら職員室の前まで辿り着く。伊予はドアに手をかけようと手を伸ばした瞬間、先にドアが開く……伊予の前には由紀江の姿があった。

 

 

「伊予ちゃん?」

 

 

何でここに、と由紀江。伊予は早速話を切り出した。

 

 

「あの、まゆっち……聞きたい事があるの」

 

 

「聞きたい事?」

 

 

「……昨日の夜……商店街にいなかった?」

 

 

昨日見た由紀江の姿。あれはきっと見間違いだろう。まずは商店街に由紀江がいたかどうか、それを聞けばいい。

 

 

いなければ、それで終わり。もう余計な心配する事なんてないのだから。

 

 

「はい。確かにいましたよ」

 

 

―――――。

 

 

伊予の心臓が、止まったような気がした。さらりと答える由紀江。伊予の不安が一気に膨れ上がっていく。

 

 

「何……してたの?」

 

 

恐る恐る訪ねる伊予。由紀江は続けた。伊予は思わず息を呑む。

 

 

「大和さん達と通り魔事件の犯人を捕まえる為に、商店街を警備していたんです」

 

 

由紀江が商店街にいた理由。それは学園から依頼された任務の一環からだった。仲間同士でペアを組み行動し、張り込みをしていたのである。麗に呼ばれたのも、その件についての事だったらしい。

 

 

「そっ……か」

 

 

伊予の肩の力が、一気に抜け落ちた。そうだ……心配する必要なんて始めからなかった。とんだ取り越し苦労だと自分自身を笑う。

 

 

「い、伊予ちゃん?」

 

 

「ううん、何でもないの!早く教室に戻ろ?」

 

 

由紀江の手を取り、二人は自分達の教室へ戻っていく。

 

 

二人で廊下を歩きながら、伊予はクラスでの噂を由紀江に話そうか迷った。しかし噂は噂。わざわざ言う必要はない。所詮は根拠のないもの。

 

 

それに、誰が何と言おうと伊予にとっての由紀江は、由紀江のままなのだから。

 

 

「あ……」

 

 

そういえばと、伊予は気付く。由紀江に変化があってから、見かけなくなった物の事を。

 

 

「ねぇ、まゆっち」

 

 

「はい?」

 

 

「最近見ないね、松風」

 

 

そう、松風の事である。いつも由紀江の手の平で喋っていた馬のストラップ。父親から貰ったという大切なもの。と言っても、実際に喋っているのは由紀江なのだが。

 

 

あれだけ由紀江の側にいたのに、今はいない。由紀江があまりにも自然過ぎて、その存在に気付かなかった。何気なく由紀江に訪ねてみる。

 

 

「松風……?」

 

 

一瞬、由紀江は首を傾げたが、ああと思い出したように相槌を打つ。

 

 

「あれなら、もう捨てました」

 

 

「えっ」

 

 

捨てた。その言葉に、伊予は言葉を失った。

 

 

「いつまでもあんなものに頼っていたら、父上に笑われてしまいます」

 

 

そう言って、くすっと苦笑いする由紀江。そうなんだ、と伊予は返す事しかできなかった。由紀江がそう決めたのなら、仕方が無い。伊予がとやかく言う事ではない。

 

 

「そうだ、伊予ちゃん」

 

 

由紀江が立ち止まる。伊予もそれに合わせて足を止めた。すると、由紀江は伊予と向き合うように顔を合わせた。

 

 

そして、

 

 

「大事な……大事な話があるんです―――放課後、私と一瞬に来てくれませんか?」

 

 

大切な親友、由紀江からの頼みだった。そんな由紀江からの頼みだ、きっと本当に大切な事なのだろう。伊予は頷いて承諾するのだった。

 

 

 

 

夜、公園見晴台前。

 

 

由紀江と伊予は見晴台で、複数の星が煌めく夜空を、二人で眺めていた。

 

 

「うわぁ、きれい……」

 

 

まるでプラネタリウムのような星空を、食い入るように眺める伊予。星空を眺める伊予の横顔はとても満足げで、由紀江も嬉しく思うのだった。

 

 

「私のお気に入りの場所なんです。伊予ちゃんに、ずっと見てもらいたくて」

 

 

学園の帰り道、偶然この場所を見つけたらしい。あまり人気のない古びた公園。こんな場所があったんだ、と伊予は思った。

 

 

星空が照らす見晴台の下。二人はしばらく星々の煌めきの鑑賞を続ける。

 

 

「その……喜んで頂けましたか?」

 

 

聞きにくそうに、伊予に言葉をかける由紀江の姿はどこか初々しい。伊予は由紀江に顔を向けて、にっこりと微笑むのだった。

 

 

「うん。こんな場所があるなんて知らなかった。ありがとう、まゆっち」

 

 

親友からのプレゼント。これほど嬉しい事はない。感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

 

しかし本命は違う。由紀江からの大事な話。伊予はその話題を切り出す。

 

 

「まゆっち………大事な話って、何?」

 

 

「…………」

 

 

由紀江はただ黙って、伊予の目を真っ直ぐ見る。由紀江の目には何かを決意したような、そんな感情が伺える。何度か深呼吸を繰り返し、息を整えてゆっくりと口を開いた。

 

 

「伊予ちゃん、私――――伊予ちゃんが、好きです」

 

 

それは、彼女からの突然の告白だった。伊予は状況が飲み込めずに目を丸くするが、よくよく考えてみれば友人同士。

 

 

「あ……えっと、それって友達としてって意味だよね?うん、私も好きだよ」

 

 

友達として。親友として好き……それは互いを認め合う事。それは伊予も同じ気持ちである。だが、由紀江は首を横に振った。

 

 

「違います。私は伊予ちゃんを――――一人の女性として愛したい。そういう意味です」

 

 

「え……あ……」

 

 

伊予は言葉を失った。つまりそれは、もっと特別な感情で、想い人として伊予を好きだという意味である。

 

 

いきなり何を言い出すのだろうか……何と返事をしたらいいか迷い、頬を赤く染めながら由紀江から視線を逸らす。

 

 

「あ……で、でもそういうのってさ……なんというか、ほら!私たち女の子同士だし。だからその、愛してるとか、愛してないとかは違――――」

 

 

伊予の目の前に急接近する由紀江。伊予の両手を握るように取り、由紀江は迫った。

 

 

少し恐怖を感じる……伊予は後退り、背中が側にあった樹にぶつかる。

 

 

「ま……まゆっち?」

 

 

「伊予ちゃん……」

 

 

由紀江の息が、伊予にかかる。初めて、優しい由紀江の表情が“怖い”と感じてしまった。由紀江は伊予に迫ったまま続ける。

 

 

「伊予ちゃん、大好きです。優しい所も、小動物みたいに和菓子を食べる所も、全部……」

 

 

由紀江の手がまるで蛇のように動き、伊予の胸元に優しく手を置く。そして伊予の耳元でそっと囁いた。

 

 

「全部―――――私だけのものにしたい」

 

 

「―――――!?」

 

 

伊予の胸元に置かれたまゆっちの手が爪を立てて、無造作に伊予の制服を引き剥がした。下着ごと剥がされ、素肌が露わになる。

 

 

独占欲。伊予の心が恐怖で支配されていく。悲鳴を上げることすらできず、震えることしかできない。

 

 

「すごい……綺麗な肌。それに、こんなにも柔らかい……」

 

 

伊予の肌に触れ、焦らすように愉しむ由紀江の姿は、まるで獣だった。

 

 

 

“なんか、決闘の後に呼び出してエッチ迫ったらしいよ”

 

 

“もしかして、通り魔の犯人も黛さんだったりして”

 

 

 

クラスでの由紀江の噂が、ふと頭を過る。伊予は何度も思考を拭い去った。認めない、由紀江がこんな事、するはずがない。

 

 

しかし現に今の由紀江がここにいる。信じ難い状況が、ここにある。

 

 

「―――武蔵さんは、あんまり触らせてくれませんでした」

 

 

折角親睦を深めようと思ったのに、と撫でるように肌に触れながら、由紀江は独り言のように呟く。武蔵の決闘後に呼び出した時の事である。それはクラスで言っていた噂が、本当である事を意味していた。

 

 

「じゃあ……通り魔で、女子生徒を襲ったのも、全部……」

 

 

一番聞きたくない事を、恐る恐る伊予は口にする。由紀江は否定する事なく答えた。

 

 

「襲うだなんて……私はただ確かめたかっただけです。でもどの人達も違った……やっぱり、伊予ちゃんじゃないとダメです」

 

 

肯定。由紀江は武蔵の事も、通り魔の事も全て認めた。認めざるを得ない残酷な現実。

 

 

「う、そ……」

 

 

これが、伊予の信じていた黛由紀江。由紀江の本性。由紀江はふふと笑い、伊予の素肌を舐め始めた。生暖かい感触が伊予に伝わる。

 

 

「伊予ちゃん……れろっ……これが私。本当の私なんです。伊予ちゃんが好きで好きでたまらなくて。もう自分を抑えられない。伊予ちゃんの隅から隅まで全部、私色に染めてあげたい」

 

 

「…………」

 

 

なす術もなく、ただ無抵抗に。あるがままを受け入れる伊予。身体中が由紀江に染められていく。これが、自分が由紀江という人間を信じてしまった結末。

 

 

それだというのに。

 

 

「………違う」

 

 

震えながら、伊予は声をようやく絞り出した。由紀江の動きが止まる。

 

 

「違うよ……あなたは、まゆっちじゃ、ない」

 

 

目の前にいるのは、由紀江ではない。本人の前で本人を否定するというのもおかしな話だ。こんな時に自分は何を考えているのだろうと、伊予は心の中で笑う。

 

 

けどそれでも。伊予には分かる。由紀江の事は、自分が一番よく知っている。だから、この“黛由紀江”は違うと、はっきり認識出来た。

 

 

何故なら、伊予は由紀江の事を信じているから。すると、由紀江の表情から徐々に笑顔が消え始める。

 

 

「どうして………どうしてそんな悲しい事言うんですか?私は私です、黛由紀江です」

 

 

自分自身を否定され、深い悲しみにくれる由紀江。認めて欲しいとせがみ続けるも、伊予は首を横に振り続けるだけだった。

 

 

「だって、私の知ってるまゆっちは……こんな事しない。それに松風だって、簡単に捨てたりなんかしない」

 

 

おかしいって思ったんだと伊予。いつも大事にしていた松風。父親から貰った大切なもので、あんなに可愛がっていたのだ。仮に松風を使わなくなったとしても、決して捨てるような真似は絶対にしない。

 

 

それに、由紀江はもっと友達を大切にする。いつも相手の事を優先し、こんな風に一方的な感情を押し付けたりはしない。

 

 

「姿形は、確かにまゆっちそっくりだよ。でも……ごめんなさい。あなたは違う。やっぱり、私の知ってる本当のまゆっちは―――」

 

 

口下手で、寂しがりで。寂しいから友達が欲しくて。そのために精一杯努力する頑張り屋。

 

 

最初は気付かなかった。由紀江があんなにすぐに変わってしまった事を、不思議に思わなかったから。

 

 

「私の言ってる事、めちゃくちゃだよね……自分でもよく分かんない。でも、これだけは言える。あなたは、まゆっちじゃない」

 

 

伊予の目から、一筋の涙が零れ落ちる。それは目の前にいる“黛由紀江”に対する哀れみなのだろうか。伊予は無理に笑って、彼女に告げる。

 

 

「あなたは……だれ?」

 

 

―――――。

 

 

その瞬間。“黛由紀江”は、伊予の肩を千切れるくらいに掴みかかった。俯いたままで、表情は伺えない。ただ一つ分かるのは、彼女は怒りで身体を震わせている事だけである。

 

 

「……がう」

 

 

ギリギリと、伊予の肩に爪を立てながら声を漏らす“黛由紀江”。そして顔を上げると、刃のような鋭い眼光の、怒りに満ちた表情があった。

 

 

「―――違う。私は……私は黛由紀江だ!認めろ、私は私なんだ!それ以上でも、それ以下でもない!」

 

 

“黛由紀江”の爪が肩に食い込む。まるで獣か何かに噛みつかれたかのように、じわじわと痛みが伊予を襲う。

 

 

先程とはまるで別人のように変貌した“黛由紀江”。伊予は苦しみと痛みに耐えながら、ある事に気付く。

 

 

“黛由紀江”の左肩に見え隠れする、黒い痣のようなもの。

 

 

否、痣にしては繊細すぎる。そう、まるで紋章のような跡。これは一体何なのだろう……そんな事を考えていた時だった。

 

 

「―――――!?」

 

 

突然“黛由紀江”が伊予から離れ、刀を抜いて戦闘態勢に入った。誰かいる……気配を察知した“黛由紀江”は刀を構えて警戒する。

 

 

「――――伊予ちゃんに、これ以上手は出させません」

 

 

公園の暗闇から聞こえる、女性の声。やがてその声の主は、暗闇から姿を現した。

 

 

刀を手にし、凛々しく立つその姿。清らかな闘気を纏いし、“黛由紀江”の前に現れた一人の少女。

 

 

そう―――――それは正真正銘黛由紀江こと、由紀江の姿だった。



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45話「複製剣豪」

“黛由紀江”と伊予の前に現れた由紀江。本物の黛由紀江である。

 

 

由紀江は正面にいる敵―――“黛由紀江”と対峙する。街灯に照らされ、互いの顔がよく見えるようになる。

 

 

「ま……まゆっちが、二人?」

 

 

伊予は、夢でも見ているような気分だった。由紀江が二人いる……驚きを隠せない。

 

 

そして同様に、由紀江本人も驚いていた。

 

 

「わ、わわわわわわ!!ままま松風、わた、わた、わたしが二人います!二人います!」

 

 

『さすがのオラもびっくりだぜ。まゆっち、実は生き別れた双子の妹なんじゃね?こいつはまさかの運命の再会だ!』

 

 

「えーーー!そんな、父上に限って隠し子だなんて!」

 

 

このあり得ない状況にも関わらず、一人と一匹でもめだしていた。そのやり取りを見て、安堵する伊予。

 

 

(ほんものの……本物のまゆっちだ。よかった……)

 

 

伊予が知っている、いつもの由紀江がそこにいる。口下手で、松風と会話をするその姿。間違っていなかった。あれが本物の由紀江。伊予の親友であると。

 

 

一方、“黛由紀江”は冷め切った視線を由紀江に送っていた。そこからは殺意に似た冷酷な感情が読み取れる。

 

 

視線に気付いた由紀江はやり取りを止め、刀を構えて黛由紀江に向き直った。

 

 

(やはり、カーチャさんの言っていた通りでした……)

 

 

由紀江は川神市へ戻る前、カーチャからある連絡を受けていた。正確には、戻るというより呼び出されたと言う方が正しい。

 

 

何故ならばこの時この瞬間まで、由紀江はずっと実家にいたからである。

 

 

 

 

数日前、黛家。

 

 

家の電話が鳴り出し、一人の少女が受話器を取る。全ては、この一本の電話から事態が発覚した。

 

 

「はい、黛です」

 

 

『もしもし、こんにちわ!私、黛由紀江さんのクラスメイトのエカテリーナ=クラエといいます。あの、由紀江さんはいらっしゃいますか?』

 

 

電話をかけてきたのはカーチャだった。電話を撮った少女、沙也佳は由紀江の妹である。沙也佳は少々お待ちくださいと言って、姉の名前を呼ぶ。

 

 

「お姉ちゃん、電話だよ!」

 

 

沙也佳の声を聞き、走ってやってくる由紀江。大和さん達だろうか……川神市を離れてから数日が経ち、電話が来ないから忘れ去られたと思っていた。よかったと心の中でホッとする。

 

 

「誰からですか?」

 

 

「お姉ちゃんのクラスの、エカテリーナ=クラエさんって人から」

 

 

その名前はカーチャの正式名称だった。カーチャから電話なんて珍しい、というよりカーチャからの電話は始めてだった。

 

 

(カーチャさんから……?)

 

 

由紀江は受話器を受け取り、早速電話越しのカーチャに声をかける。

 

 

『へい!オラを呼んだかい?フェイスキャッツ』

 

 

『ストラップに用はないわ』

 

 

『すんません』

 

 

言って一蹴するカーチャ。一応、松風の事は認めてくれているらしい。多分。

 

 

「す、すみませんでした。松風がとんだご無礼を……」

 

 

由紀江が松風に変わり謝罪をする。傍から見ればとんだ一人芝居である。

 

 

しかし、カーチャは怒る事もなければ呆れる事もしなかった。

 

 

『……やっぱりね』

 

 

一人納得したように、カーチャは呟く。疑問に思う由紀江。

 

 

『黛由紀江。あんたは帰省してからこっちには戻っていない、それで間違いないかしら?』

 

 

父親が倒れ、急遽帰省した由紀江。帰省してからは一切学園には戻っていない。由紀江はそう説明する。するとカーチャは無感情な声で答える。

 

 

『それが――――いるのよ、川神市(ここ)にも黛由紀江が』

 

 

「え―――」

 

 

呼吸が一瞬、止まる。つまり今カーチャはこう言った。帰省し、いるはずのない由紀江が市内にいると。しかも、普通に学生生活を送っているというのだ。

 

 

まるでホラー小説のような展開。成る程、それが仮に本当だとしたら大和達から連絡が来ないのも納得がいく。何故なら、由紀江は大和達のすぐ側にいたのだから。

 

 

「あ……それは、つまり……」

 

 

『つまり、あんたの偽物がいるということよ。あんたの名を騙って、色々としているみたいだけど』

 

 

「…………」

 

 

もう、言葉が出ない。由紀江でない黛由紀江が、大和達と一緒にいるのだ……現実離れしたような状況が思考を混乱させる。今の自分は一体何をどう対処すればいいか分からずにいた。するとカーチャは由紀江の心境を察したように、

 

 

『迷っている暇はないわ。さっさと戻ることね。でないと、面倒な事になるわよ』

 

 

それだけ言って、カーチャは電話を切った。由紀江は受話器を持ったまま取り残される。お姉ちゃん?と呼びかける沙也佳の声も聞こえない。

 

 

川神市にいる、もう一人の自分。本当にいたのだとしたら、笑えない冗談だろう。

 

 

所謂ドッペルゲンガーというやつだ。出会ってしまったら……恐怖がじわじわと由紀江の心を責め立てる。

 

 

そんな時、由紀江の心の声が聞こえた気がした。

 

 

『おうおうおう、ビビってる場合じゃねーべよまゆっち!』

 

 

「は、はい!?」

 

 

心の声、というより松風だった。

 

 

『まゆっち、考えてみろよ。まゆっちがもう一人いるわけねーじゃん。常識的に考えて』

 

 

「ま、松風……」

 

 

松風の言葉が由紀江の胸に響く。由紀江はそれを噛みしめるように受け止める。

 

 

『いいかよく聞けまゆっち。まゆっちは世界中のどこを探してもまゆっちは一人しかいねーんだぜ。オンリーワンなんだぜ!』

 

 

「――――!」

 

 

由紀江はこの世で一人。どこを探しても同じ人間はいない。松風の最後の言葉が、由紀江の迷いを消し去り、震え立たせた。由紀江は受話器を置き、決意を露わにする。

 

 

「松風。私、父上の所に行って参ります!」

 

 

『決めたんだな、まゆっち』

 

 

「はい!大和さん達の所へ戻ります!」

 

 

『その意気だぜ!』

 

 

由紀江と松風は父親のいる部屋を目指す。大和達のいる、川神市へ戻るために。由紀江の名を騙る偽物を、探すために。

 

 

「………」

 

 

そして、冷たく、尚且つ哀れみの視線を由紀江の後ろから送る沙也佳。お姉ちゃんがあの腹話術を卒業する日はいつだろう。そんな思いを秘めながら見送るのだった。

 

 

 

 

つまり今まで大和達と接していた由紀江は偽物。今現れた由紀江こそが本物である。

 

 

これで誰が本物で、誰が偽物かはっきりした筈。だというのに。

 

 

「……松風」

 

 

『おう』

 

 

「あれは、偽物なんですよね?」

 

 

『おう』

 

 

「見事なまでにそっくりなんですが……」

 

 

『……そんな日もあるぜ』

 

 

由紀江の前には同じ顔。同じ剣の構え。まるで鏡を見ているようで気味が悪い。

 

 

いくら本人の偽物が由紀江を騙っていたとはいえ、ここまで似ているとなると驚きを通り越して不気味である。変装の類でもあそこまで似せることはできない。そもそも由紀江ならば、“気”で正体が分かる。

 

 

にも関わらず、

 

 

(私の気と全く同じ……どういう事でしょうか)

 

 

全てにおいてが同一。完全なる複製。自分と同じ存在だと錯覚する程に。

 

 

しかし、自分が本物である以上、今目の前にいるのは偽物。それに本物ならば親友の伊予にあんな事はしない。だから問わねばならない、彼女の真意を。

 

 

「貴方は……何者ですか?」

 

 

“黛由紀江”に問い質す由紀江。緊張で刀の柄を持つ手が強くなる。すると“黛由紀江”はふ、と静かに笑う。

 

 

「決まっているだろう。私は黛由紀江(・・・・)だ」

 

 

“私は私だ”。そう答える黛由紀江。本人の前で、そんな事は許されるはずがない。

 

 

「黛由紀江は私です。貴方は私の名を騙る偽物……その正体――――暴かせて頂きます!」

 

 

あくまで自分を騙るのなら、実力行使するまで。必ず何か仕掛けがあるはずだ……由紀江は全身全霊をかけ、“黛由紀江”に挑む。

 

 

「私が……偽物か」

 

 

嘲るように、“黛由紀江”は静かに笑う。しばらくして彼女が笑いを止め、刃のように冷たく光るその視線を由紀江に投げつけた。

 

 

「なら」

 

 

次の瞬間、“黛由紀江”は由紀江との距離を一気に縮めていた。

 

 

「――――試してみるか?」

 

 

「――――!?」

 

 

由紀江の本能が危険だ、と告げる。由紀江は反射的に刀を振り上げ、高速で繰り出された“黛由紀江”の斬撃を払いのけた。第二撃が来る間際に後退し、態勢を立て直す。

 

 

この速度。そして斬撃。一瞬でも気を抜けば、命はない。そう覚悟する。

 

 

「せやああああーーー!」

 

 

再び接近し反撃に出る由紀江。敵は自分と同じ剣使い。しかも、由紀江と互角に渡り合える強豪である。

 

 

ならば、相手にとって不足はない。己の剣術をもって倒すまで。連続した斬撃を“黛由紀江”に叩きつける。

 

 

だが、

 

 

「なっ!?」

 

 

“黛由紀江”は由紀江が繰り出した斬撃全てを、まるで由紀江の攻撃自体を読んでいたかのように、打ち払った。“黛由紀江”はさらに追撃し、由紀江を斬り込む。

 

 

「くっ……!」

 

 

火花を散らしながら、ぶつかり合う刃と刃。それは、互いの剣技を競い合うように……いや、競い合うという例えはおかしい。何故なら何もかもが“同じ”なのだから。

 

 

(同じ黛流の剣技を!?)

 

 

“黛由紀江”が行使している剣技のそれは、まさに自分と同じ流派の黛流である。幼い頃から修行を重ね、ずっと肌で感じてきたものだ……手に取るように理解できる。

 

 

同じ流派、そこまではいい。だが解せないのは、構えも剣技も、動きも全く同一だという事である。まさに鏡。自分と戦っているに等しい感覚。現実味を帯びない白昼夢のよう。

 

 

「はああああっ!」

 

 

その思考を振り切るように、“黛由紀江”の刃を押しのけ、再び刀を振るう。しかしその度にまた弾かれてしまう。

 

 

何度も攻撃を繰り返す。また弾かれる。繰り返され続ける終わらない輪廻。これでは埒が明かない。ただの消耗戦になるだろう。

 

 

終わらせなければ……相手は自分と同じといえど、やはり偽物。必ず、どこかに綻びが存在する筈だ。

 

 

自身の攻撃は、何をしても全て読まれてしまう。その先を、さらにその先を読んでも、先回りされるのならば、さらにその先を超えるまで。相手が自分を騙るなら、その自分を騙るのもまた自分自身。

 

 

それならば、自分が絶対に取らないような行動を―――“黛由紀江”が予想できないような行動を取ればいい。相手の意表を突く攻撃を仕掛ければ、この無限は狂い出す。

 

 

「黛流剣術――――」

 

 

刀を持ち構え、由紀江が反撃へと躍り出る。“黛由紀江”は出方を待った。そして、

 

 

「――――十二斬!!!」

 

 

繰り出された高速の斬撃が、“黛由紀江”を圧倒した。だが、“黛由紀江”も同じ剣術を繰り出して全ての攻撃を弾いていく。

 

 

一、二、三、四………。

 

 

斬撃をカウントしながら、由紀江は静かに待つ。予測できないような行動を。先の先の、さらにその先へ。

 

 

五、六、七、八………。

 

 

七撃目も八撃目も、全てが読み取られている。焦ってはならない。時を待ち続ける。

 

 

九、十、十一………。

 

 

十一連撃目。由紀江はそこでピタリと攻撃を止めた。“黛由紀江”も異変に気付く。だがそれも一瞬、由紀江は刀の向きを変え、横一線に、薙ぎ払うように斬撃を放った。“黛由紀江”は予測が外れて反応できない。

 

 

由紀江の予想外の行動。それは十二斬の斬撃を十一連撃目で止め、その僅かな一瞬で斬り込むという無謀なものだった。下手をすれば反撃されてしまうだろう……一種の賭けのようなものでもあった。自分で自分を騙す。これが由紀江の選択。

 

 

そして由紀江の刃は、横一文字を描くように、“黛由紀江”を一閃した。

 

 

 

――――――。

 

 

 

互いに後退し、距離を取る二人。

 

 

「う………」

 

 

地面に滴り落ちる、赤い液体。その左脇腹から滲み出るそれは、由紀江のものだった。大量の汗が顔から噴き出し、表情は苦痛で歪んでいる。

 

 

隙をついた筈だった。十二斬の斬撃を直前で中断し、斬り込むという離れ技は、確かに“黛由紀江”の意表を突いている。そこまでは由紀江の想定の範囲内。

 

 

だが、さらにその先は由紀江の想像を遥かに超えるものだった。

 

 

由紀江の目の前には、無傷でいる“黛由紀江”の姿。そして彼女の周囲に渦巻いている、銀色の液体。

 

 

由紀江には見覚えがあった。以前、あれを使った敵と一戦交えている。

 

 

「すい……ぎん。まさか……貴方は、」

 

 

水銀。“黛由紀江”が行使しているのは、まさしく水銀に他ならない。左手に持つ銀の杖(シルバーロッド)がその証拠である。それが意味するものは、つまり。

 

 

「―――クェイサー。それが私とお前の決定的な違いだ」

 

 

“黛由紀江”。黛流の剣術の使い手であり、水銀を操るクェイサー。自分と同一である中で、唯一の違い。ますます理解ができない。

 

 

だが一つはっきりした事は、“黛由紀江”は偽物だという事か。しかし、そんな由紀江の思考を読み取るのように、“黛由紀江”は話を続けた。

 

 

「私が偽物だと言ったな。それは大きな間違いだ。この力の差が全てを物語っている。本物は私だ。いや、お前を消してこれから私が本物になる……と言った方が正しいか」

 

 

一体、彼女が何を言っているのか分からない。由紀江を消して本物になる……これが一体、何を意味しているのかも。

 

 

状況は負傷した由紀江が圧倒的に不利。傷は思った以上に深い上、相手は無傷。さらにはクェイサーである事から、戦術も戦力も劣っている。

 

 

(でも、伊予ちゃんを……助けないと)

 

 

絶望的かもしれないが、伊予を、親友を助けなければならない。由紀江は身体に鞭打つように、刀を再び構えた。その痛々しい姿を見て、“黛由紀江”は笑う。

 

 

剣術と水銀。この戦力差は、どうあっても覆す事はできないのだから。

 

 

右手に刀。左手に銀の杖。“黛由紀江”は由紀江(自分)を殺すと、冷徹に微笑んでいた。

 

 

「お前の血は――――私が銀色に染めてやる」



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サブエピソード25「武士道プラン」

九鬼家、屋敷客間。

 

豪華な装飾とシャンデリアが部屋の中を鮮やかに彩り、ただの客間とは思えない程の立派な空間が広がっている。

 

そこには背の高い長髪の美女、そして額の×印。九鬼英雄の姉―――九鬼揚羽が腕を組み、窓の外を眺めていた。誰かを待っているのだろう、時々腕時計を確認する仕草を見せている。

 

しばらくして、客間の扉をノックする音が部屋内に響いた。

 

『揚羽様、お客様をお連れしました』

 

「通せ」

 

揚羽の一言で、扉が開く。入ってきたのはメイドのあずみと、揚羽を訪ねた客人―――心とカーチャだった。あずみは失礼しますと言って部屋を去っていく。

 

心は客間の椅子に腰掛ける直前、カーチャに呼び止められた。

 

「心、おすわり」

 

「………」

 

だろうと思った、と心。きっとまた屈辱プレイをするつもりなのだろう。しかもあの九鬼財閥の人間の目の前で。耐えられない……心は無言で否定を訴える。

 

しかし、当然それで引き下がるカーチャではなかった。

 

медь(銅よ)

 

「――――!」

 

カーチャが小さく呟いた瞬間、心の身体がビクッと急に震え出した。頬を真っ赤に染め、何故か気持ち良さそうに溜息をつきながらへなへなと崩れ落ち、膝をついて四つん這いになる。

 

カーチャは心の背中を椅子変わりにし、足を組み座り込んだ。相変わらず、揚羽は背を向けたままである。

 

 

そしてようやく、溜息混じりに話を始めるのだった。

 

「……わざわざ不死川家の人間を動かさずとも、直接我を訪ねればよいものを」

 

カーチャは九鬼家を訪れる際、心を使って英雄に姉に会えないかと話を取り付けるよう命じていた。だが取越苦労だったようだ。揚羽の言葉にショックをうける心。

 

「関係ないわ。これはただの奴隷よ」

 

そしてカーチャの一言にさらに心はショックを受けるのだった。もはや立ち直れない……が、この主従関係も慣れた気がする。

 

「か、カーチャさま……そろそろ降りていただいてもよろし―――」

 

これ以上こんな格好をさせられれば、心が折れる(というよりもう折れている)。しかし心の精一杯の抵抗も虚しく、カーチャによってお尻を抓られた。

 

「にょわーーーー!!痛いのじゃーーーーーーーー!?」

 

あまりの痛さに絶叫する心。

 

「今のお前は椅子よ。椅子が言葉を発していいのかしら?それとも“ここは魔法とお菓子が飛び交うおとぎの国です”とでも言いたいの?心」

 

「あ……うぅ……」

 

次に口答えすれば今以上のお仕置きが待っている。しかも誰がいようがお構いなしに。心は何も言えずもどかしさを感じたが、従わざるを得なかった。そのやり取りを背中越しに聞きながら、揚羽は呆れ果てている。

 

「……そろそろ本題に入ってもらおうか。よもや、お前の奴隷とやらの躾けを披露しに来たわけではあるまい?アトスのクェイサー、いや―――」

 

長い髪を靡かせながら、揚羽はカーチャ達にようやく身体を向けるのだった。

 

「赤銅の人形遣い、エカテリーナ=クラエ」

 

凛々しく威厳のある眼光がカーチャたちを射抜くように視線を送っている。さすがは九鬼家の長女、思わず身がすくむ心だが、カーチャは動じない。ふん、と興味なさげに堂々としているだけだ。

 

そう、カーチャは九鬼家に興味はない。あるのはただ一つ。

 

「あんたに聞きたい事はただ一つよ、九鬼揚羽」

 

カーチャの視線に感情はない。ただ、そこからは冷酷な感情が伺える。しかし揚羽の態度は変わらない。

 

「いいだろう。申してみよ」

 

そう言って、揚羽はカーチャの回答を待つ。そしてカーチャは、この瞬間を待っていたようにニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。

 

「――――“武士道プラン”」

 

「………!」

 

その言葉に、揚羽はほんの一瞬だけ表情が変えた。当然、カーチャはその一瞬を見逃さなかった。しかし、揚羽は隠すつもりはなく肯定する。

 

「……何故それを知っている?あれは九鬼の人間と関係者意外知らない筈だ」

 

目を細めながら質問を返す揚羽。現代の人材不足を解消する為にマープルが提唱した偉人や英雄のクローンを誕生させる計画。アトスの情報網ならば、その程度の情報をつかむ事くらい造作もない。

 

「あのババアが一体何を企んでいるか知らないけど、私にはそんなもの興味ないわ。私が知りたいのは武士道プラン元研究員―――尼崎十四郎の事よ」

 

カーチャが望む情報。武士道プランの研究に携わっていたとされる人物、尼崎の事だった。

 

ここにいるんでしょ、本人に合わせなさいとカーチャは催促する。しかし揚羽から返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「尼崎は正規のプランのチームから外され数日前に退職している。もうここにはいない」

 

尼崎はチーム内で口論を起こし、その末に、マープルに抗議した結果チームを追われてしまったのである。意にそぐわなかったのだろう……それを期に自己退職し、研究所を去ったらしい。

 

「その後の行方は?」

 

執拗に質問を重ねるカーチャ。しかし揚羽はそこまでは知らないと首を横に振るだけだった。

 

「……何故そこまで尼崎十四郎に拘る?」

 

何故カーチャは尼崎に拘るのだろう。疑問が浮くのは当然である。武士道プラン、尼崎十四郎。一体何を聞き出したいのか真意が分からない。カーチャは静かに答えた。

 

「おそらく尼崎は、今回の事件の主犯格の一人よ」

 

「な……」

 

つまり例の元素回路事件に関わっているという事である。さずかの揚羽も言葉が出てこない。何故彼が……理由はどうあれ、もしそれが本当ならば一大事だ。

 

すると、カーチャのポケットから携帯が鳴り出す。カーチャは携帯を取り、

 

「……そう。思ったより早かったわね」

 

軽く舌打ちをして電話を切ると、心の背中から降りて、行くわよと心のお尻を引っ叩いた。心は反応してピンと背筋を伸ばす。もう調教済みである。

 

「待て!どういう事だ、一体何が起きている?」

 

呼び止める揚羽。カーチャは振り向かぬまま立ち止まり、

 

「知りたいのなら、その目で確かめる事ね」

 

ただ一言だけ言い残していくのだった。真実を知りたければ、ついてこいという事だろうか。どちらにせよ、揚羽は黙って見ている訳にはいかない。九鬼家の人間として見過ごせぬ話ではないのだから。

 

「……ならば、我も出向こう」

 

その目で真実を確かめる……揚羽はカーチャに同行を求め、カーチャは好きにすればいいわと承諾した。

 

 

武士道プランの裏側で何かが起きている……揚羽は立ち上がった。真実をこの目で見定める為に。



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46話「銀色に染まる夜」

水銀による不意打ちで負傷した由紀江。そして剣術、クェイサーの能力で翻弄した“黛由紀江”。

 

戦局は互角だった。同じ剣技と剣技の読み合いが続いたが、想定外な攻撃に足元を救われた結果、今の状況に至っている。

 

目の前にいるのは自分を騙る偽物である、鏡のような存在。相手が自分だというのならば、自分が取るあらゆる行動を想定し、その裏をかけば良いだけの事。だが、その行動は思いも寄らぬ形で裏切られた。

 

「お前の脇腹を抉り取るつもりだったが……少し浅かったか」

 

悠長に笑う“黛由紀江”。反応が遅ければ、言葉の通り内臓ごと持っていかれた事は間違いない。由紀江は唇を噛み、自分自身の下した判断を悔やんだ。

 

そもそも、由紀江という存在は一人しかあり得ない。変装の類だと思うのが普通である。それを知ってなお、由紀江は油断してしまったのだ。

 

クェイサーとしての能力という思わぬ隠し腕。気付ける筈もない。だが、致命傷を追わなかったのは幸いと言っていいだろう。

 

「貴方がクェイサーである事は、分かりました。でも……」

 

でもおかしいと、脇腹からひしひしと伝わる痛みに堪えながら由紀江は答える。おかしいと言うより、理解できなかった。

 

“黛由紀江”が使用した黛流の剣術。剣術どころか、動きや速度、構えが全て同一である。自分が剣使いなのだから感覚で分かる……次に来る一手も、技も全て。

 

そんな由紀江の疑問を余所に、“黛由紀江”は眈々と答える。

 

「おかしいも何もない、私は黛由紀江であり、同時にクェイサーでもある。つまりお前は、私以下の存在と言うわけだ」

 

見下している“黛由紀江”の視線が由紀江に突き刺さる。

 

「どういう……意味ですか?」

 

「弱肉強食……弱者が消えるのは自然の摂理。それに黛由紀江は二人といらない。当然生き残るのは私だ。何故なら私は、お前の望むもの全てを手にしているからな」

 

由紀江が望む物……それはたくさんの友人。積極的で明るく、誰からも好かれる……今の由紀江にはない、由紀江の描いていた自分自身の理想像。それを、“黛由紀江”は全てを手にしている。

 

由紀江の目の前にいる“黛由紀江”は、“理想そのもの”だとでもいうのだろうか。信じられない……だが由紀江の剣を持つ手は、かすかに震え始めていた。

 

“ならば自分は、欠陥品なのだろうか”、と。

 

「そんな、事……」

 

頭の中では否定する。しかし、由紀江の理想がそれを許さない。追い打ちをかけるように、“黛由紀江”は続ける。

 

「お前が今どう思おうと、周りはそれを望んでいる。もうお前は必要ない」

 

「………」

 

自分が示した理想に追い詰められていく。由紀江の求めていた理想そのものに。

 

――――口下手で、なかなか友達ができない自分。

 

――――厳しく育てられ、周りからは畏敬の念で見られてきた自分。

 

――――そんな自分を変えたくて。それでも中々上手くいかない、もどかしい自分。

 

「私、は……」

 

結局何も変わってはいなかった。由紀江の思考が、絶望の色へと染まっていく。

 

しかしそんな時こそ、松風がいつも励ましてくれたのではないか。由紀江は救いを求めるように、松風に手をかけようとした。

 

(………!)

 

はっと気付く由紀江。友達ができない寂しさを紛らわす為に、いつも話相手になっていてくれた松風。だがそれと同時に、理想から逃げている事に気付かされた。

 

そう思い込んでしまうくらいに、由紀江の心は弱り切っていたのかもしれない。その上、ほんの一瞬だけ松風の存在を否定してしまった自分が、堪らなく許せなくなった。

 

さらに思考が闇へと落ちていく。友達ができないのは松風のせいなのではないか?と少しでも思ってしまう。自分は最低だ、と由紀江は視線を落とした。

 

………自分から逃げ出したくせに。“黛由紀江”が自分が必要のない存在だというのにも納得がいく。由紀江は自分がますます嫌いになり、酷い罪悪感に苛まれていた。

 

「やっぱり……私、何も変わってない……」

 

悲しみに震えながら、由紀江は涙した。刀を持つ力が抜け、戦意と共に心も失い、深い闇へと落ちていく。しかしそんな時、

 

「――――しっかりしなさい!黛由紀江!」

 

そんな由紀江の心を呼び戻した声の主は、伊予であった。伊予は由紀江に駆け寄り、肩を掴んで真っ直ぐ視線を合わせる。伊予はこれまでにないくらいに、怒りを露わにしていた。

 

「何弱気になってるの!?まゆっちはまゆっちでしょ!?」

 

「い、伊予ちゃん……」

 

伊予の言葉の一つ一つが、由紀江の心に喝を入れ、同時に光を呼び戻していく。

 

「確かにまゆっちは口下手で、なかなか人前じゃ話せなくて不器用な所もあるけど、それでもまゆっちは必死に頑張ってる!今はまだ理想に近付けなくても、少しずつ前に進んでるじゃない。だって―――」

 

そして笑顔で、彼女にこう伝えるのだった。

 

(親友)が――――ちゃんとここにいる。そうでしょ?まゆっち」

 

それは、由紀江にとって何よりの救いであった。親友が、側にいる。何も変わっていないわけではない。少しずつ、前へ前へと進んでいるのだから。

 

由紀江の心は、彼女に暖かく包まれていた。嬉しくて、涙が止まらなかった。そんなの二人のやりとりを眺めながら、“黛由紀江”は小さく肩を落とす。

 

「……何故そいつの肩を持つ?私の方が優れているのは明らかだ。欠陥品を選ぶ理由が、私には理解できないな」

 

心ない“黛由紀江”の言葉。伊予は振り向かず、押し殺したような声で答える。

 

「……貴方という人が、やっと分かったよ」

 

静かな伊予の怒りが、伊予の背後にいる“黛由紀江”へと向けられた。伊予の背中から、突き刺すような視線が伝わるような気がした。伊予はそのまま“黛由紀江”に語りかける。

 

「貴方は明るくて、すぐ友達もできて、お喋り上手で……確かにまゆっちの理想だね。でも、」

 

ゆっくりと振り返り、彼女の胸の内の怒りを、そして同時に、“黛由紀江”自身を憐れむように視線を向けた。

 

「簡単に手に入れた理想なんて、そんなの本物じゃない。貴方はまゆっちがどれだけ変わりたくて、今までずっと努力してきたか知ってる?自分の思い描いている理想は、簡単には手の届かないものなんだよ」

 

だからこそ、由紀江は一歩一歩進んでいるのだと、“黛由紀江”を諭すように話を続ける。

 

「まゆっちの事を欠陥品って言ったよね?人は誰でも欠点はある。私にも、貴方にも」

 

人間には必ず欠点がある。誰にでもある……言い換えれば人の個性に他ならないのだから。

 

「“完璧な人間なんていない。人間は常に欠陥を抱えて生きるもの”だって、教えてくれた人がいるの。貴方がどうして、まゆっちにならなきゃならないのかは分からないけど、貴方は絶対にまゆっちにはなれない」

 

最後に伊予は“黛由紀江”の目をまっすぐに見据えて、

 

「たとえ貴方が……まゆっちの複製だったとしても」

 

まるで確信をついたような回答だった。いくら由紀江を模倣しても、伊予が由紀江と過ごした時間や思い出は、誰にも真似はできない。伊予の知っている親友の由紀江はたった一人しかいない、かけがえのない存在なのだから。

 

「―――――」

 

すると、今まで黙して聞いていた“黛由紀江”に変化が訪れた。顔を俯かせ、刀を、血が出るくらいに握り締めている。その彼女からは、憎しみと怒り……悲しみさえも感じ取れた。

 

「複製……だと?」

 

押し殺した怒りが声に現れている。俯いていた顔を上げると、憎悪に満ちた瞳が覗いていた。

 

次の瞬間、

 

「――――私の目の前で、二度とその言葉を口にするなああぁぁ!!」

 

“黛由紀江”が動き出した。憎しみの対象となった伊予に向かって地面を蹴る。刀の鋭利な刃と、水銀の牙が交差して襲いかかった。

 

まるで風のような速度。一瞬にして距離が縮まった。避ける術はない。

 

「伊予ちゃん!」

 

“黛由紀江”の攻撃が伊予に触れる寸前、由紀江が二人の間に入り、刀で攻撃を抑え込んだ。攻撃の重圧が、由紀江のわき腹の傷に響く。受け止めた刀が、“黛由紀江”の力で押し戻されていく。

 

「伊予ちゃん……にげ―――!?」

 

逃げて……と、言いかけたその時だった。突然“黛由紀江”の身体が動かなくなる。指一本すら、満足に動かせない。

 

一体何が起きたのか……目を凝らした由紀江は事態をようやく理解する。

 

街頭の光に浮かぶ、由紀江の刀に絡まる水銀の糸。刀だけではない。身体中、巻きつけられた糸によって束縛されていた。身動き一つ、彼女は取れない。何時のにか由紀江は“黛由紀江”に捉えられていたのだ。

 

すると、“黛由紀江”は歪んだ狂気のような笑みを零し、まるで釣り上げるかのように水銀(シルバー)ロッドを引き上げ、由紀江の身体を投げ飛ばした。由紀江は街灯に直撃し、身体中に強い衝撃が走る。

 

「がっ……は……!?」

 

地面を転がり、血を吐き出しながら咳き込む由紀江。直撃した街灯はぐにゃりとひしゃげている。さらに、“黛由紀江”から受けた傷が広がり、出血量は酷くなっていた。

 

「まゆっち!?まゆっち……!」

 

伊予が駆け寄り、半ば動かない由紀江の身体を抱き起こす。由紀江の意識は朦朧とし、殆ど失いかけていた。伊予は何度も由紀江を呼び続けたが、反応が薄い。

 

「あ……あ……」

 

掠れた声で、由紀江は何かに手を伸ばそうと、残った力で必死に動かしていた。

 

その手の先には―――地面に放り投げられた松風。先程の衝撃でポケットから転がってしまったのだろう。松風はまるで苦しいと訴えているかのように、冷たい地面に横たわっていた。

 

「まつ……か……ぜ……」

 

松風の名前を呼び、由紀江は手を延ばし続ける。父親から譲り受けた、大切なもの。否、由紀江の傍にいる大切な友達。

 

「これが松風か。まるでくだらないおもちゃだな」

 

それを、“黛由紀江”が拾い上げる。詰まらなそうに松風をながめながら彼女は嗤う。由紀江は抵抗もできず、声も出せない。そんなボロボロの由紀江を強く抱きしめながら、伊予は“黛由紀江”を睨みつけていた。

 

しかし、その時“黛由紀江”に異変が起こった。

 

「うっ……!?」

 

突然吐き気が“黛由紀江”を襲う。拾い上げた松風を落とし、口元を抑えている。彼女の異変に伊予は驚きを隠せない。

 

「うぇ……うぅ……!!」

 

膝をつき、激しく苦しみ出す“黛由紀江”。むせ返りそうな感覚が彼女を蝕む。原因は分からない。“黛由紀江”でさえ、この事態を予想していなかったのだから。

 

(今なら……にげ………)

 

今ならば、由紀江を抱えて逃げられるかもしれない。だが伊予の足は恐怖で竦みきっていた。けれども逃げなければきっと殺される……本能が必死にそう叫んでいた。

 

そんな時、

 

「―――黛、大和田!」

 

夜の公園に響く、由紀江と伊予を呼ぶ女性の声。伊予が振り返った背後から、見覚えのある女性が息を切らしながら走ってくるのが見えた。暗がりから、徐々にその姿が見えてくる。

 

「及川、先生……?」

 

伊予達の前に現れたのは、保険医の麗だった。麗は弱った由紀江と伊予を守るように前に立つ。そして、麗は懐から拳銃を取り出し、“黛由紀江”にその銃口を向けたのだった。

 

「大人しくしてもらうわよ、“黛由紀江”。いや―――クローン黛」



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47話「暴かれる真相」

麗は拳銃を突きつけ、“黛由紀江”をクローン黛と呼んだ。それは一体どう言う意味なのか、伊予には分からなかった。

 

「こいつは黛の血液を媒介にして作られたクローン体よ。武士道プランの研究データを元にエヴァ=シルバーのクローン技術で生まれた“最強のクェイサー”。お前たちには……あまり関わって欲しくはなかったがね」

 

伊予の疑問に応えるように言葉を漏らす麗。伊予は弱り切った由紀江を守るように抱きながら、麗の向こう側にいる黛由紀江―――クローン黛に視線を向けた。

 

クローン。つまりは由紀江と“同じ”なのだ。信じられない……が、信じざるを得ない。武士道プランとエヴァ=シルバー。伊予の頭が混乱を始める。

 

「大和田、立てるかい?お前は黛を連れて逃げろ」

 

「え……?」

 

ここはアタシが引き受ける、と麗は伊予に促した。戸惑う伊予だったが、麗が駆けつけてくれた安心感からか、どうにか立ち上がる事ができた。今の由紀江は負傷している。一刻も早く手当をしなければ……由紀江の身体を抱えながら、伊予は歩いていく。

 

当然、クローン黛はそれを許す筈がない。襲いかかる吐き気に抵抗しながらも、水銀(シルバー)ロッドを振るおうと身体を動かす。しかし、麗がそれを阻む。

 

「お前の相手はアタシだ」

 

麗の銃口がクローン黛を捉える。伊予達の姿が遠くなっていく。クローン黛も原因不明の吐き気が収まり、徐々に体調も回復しつつあった。

 

クローン黛はくふふ、と不気味に笑っている。その態度に、麗は不快感を覚えた。

 

「……何が可笑しい?」

 

忌々しげに問いを投げる麗。クローン黛はまるで蛇のような妖気な瞳で、口元を釣り上げた。

 

それは狂気。目の前に恰好の獲物が現れた時のような、獣の眼だった。同時に感じ取れるのは、純粋な殺人衝動。そして、彼女自身の邪なる欲望。

 

「――――憂さ晴らしだ。お前の全てを犯してやる」

 

「――――!」

 

瞬間、クローン黛が走り出した。麗は舌打ちし、拳銃のトリガーを引く。銃撃音と共に発射された弾丸がクローン黛に向かって伸びていく。

 

だがクローン黛は剣技で弾丸全てを撃ち落とした。距離を詰めながら、麗の懐に入り込んで刀を一閃する。

 

「くっ……!?」

 

迸る金属音。麗は拳銃を投げ捨て脇差しで刀を受け止める。刀身にはルーンが刻まれていた。

 

対能力者用特殊礼装。麗が持つもの中では強力な部類に入るが、相手が純粋な剣技では意味を成さない。クローン黛も危険を察知したのか、クェイサーの能力は使わない。

 

全て、読まれている。

 

(くそ、純粋な剣技じゃこちらが不利か……!)

 

このままでは押し切られるのは目に見えている。武人相手では分が悪い。麗は脇差しで受け流すように刀を払いのけ、後退しクローン黛から距離を取る。

 

しかし、それを許すクローン黛ではない。麗が体制を整える前に、すぐに距離を詰めて襲いかかった。麗は脇差しで受け止めにかかる。

 

(速い……!)

 

連続するクローン黛の剣技。麗は防戦を強いられた。クローン黛の刀は、振るう毎に速度を増していき、容赦のない刃が麗の脇差しを打ち付けていく。

 

麗も攻撃一つ一つを見切り、後退しながらも全てを打ち払い捌いていく。我ながら自分の動体視力でよくついていけるなと、自身に呆れてしまう程に。

 

だが、それも長くは持たない。限界が訪れる。

 

「せやああああっ!!」

 

「――――!?」

 

クローン黛の最後の一撃が、麗の脇差しを弾き飛ばした。脇差しは宙を舞い、地面へと突き刺さる。しまった……と思った時にはもう、麗の喉元にクローン黛の刃の切っ先が突きつけられていた。

 

「いい腕だ。まさか脇差し一本でここまでやりあうとはな」

 

感心するように嗤うクローン黛。麗はそりゃどうもと、忌々しげにそう吐き捨てる。

 

「ふふふ……」

 

舐め回すように麗を眺めるクローン黛。刃を麗の首にピタリと当てがう。一度でも動けば首がゴトリと地面に転がり落ちるだろう。

 

さらに麗の胸を撫で回すように触り、その感触を愉しんでいた。

 

「殺す前に抱いてやろう。泣き叫びながら犯されるお前の姿を想像すると……自分の欲望を抑えられなくなりそうだ」

 

今のクローン黛は獣だ。ただ獲物を狩り、犯す為の。だが麗は怯む様子はない。

 

「……子供にアタシの相手が務まるとは思えないがね」

 

自分が命の危機に晒されているというのに、強気に挑発する麗。クローン黛は挑発には乗らず、気に入ったと邪悪な笑みを浮かべた。

 

「身動き一つ取れないというのに随分と強気だな。だがその反抗的な態度も、そそられる」

 

だからこそ屈服させがいがある。勝者の余裕が彼女を歓喜させていた。殺す前に、じっくりと身体の隅から隅まで犯し尽くすと、狂気に満ちた目を麗に向けながら。

 

しかしこんな状況に置かれながらも、麗は静かにただ笑っていた。クローン黛を嘲笑うように。

 

追い詰められて狂ったのか……理由はどうあれ、それはクローン黛にとって不快だった。

 

「……何が可笑しい?」

 

彼女から笑みが消える。目を細めて、麗に問い質す。麗は顔を上げ、

 

「―――身動き一つ取れないというのに(・・・・・・・・・・・・・・)随分と強気だね(・・・・・・・)

 

クローン黛が放った言葉を、鸚鵡返しするように答えるのだった。クローン黛の背筋が凍りつく。だが気付いた時にはもう、全てが手遅れだった。

 

「!?――――身体が、」

 

身動きが取れない。石像にでもなったように、身体中指一本動かす事ができなかった。

 

まるで、見えない何かに拘束されたような奇妙な感覚。正体不明の何かが、彼女を完膚無きまでに捉えていた。

 

「悪いな、こいつは生まれつきでね。まあ、一種の金縛りのようなもんだ」

 

言って、身動きの取れなくなったクローン黛から離れていく麗。煙草を白衣のポケットから取り出して、ふうと一服しながら夜空に煙を吐く。

 

クローン黛は刀を振り上げようとするが、やはり身体は言う事を聞いてくれない。一体何が起きたというのか……辛うじて動かす事ができたのは、目だけであった。視線だけを上げて、煙草を悠々と吹かす麗を凝視する。

 

「な――――」

 

言葉を失うクローン黛。そこには説明のしようがない、まさに“神秘という名の暴挙”が彼女の視界に入り込んでいたからだ。

 

―――怪しく蒼と翠の光で彩られる、麗の両眼。まるで吸い込まれてしまいそうなくらいに、美しく、そして妖気に輝くその光は、暴挙と言わずしてなんと言おう。

 

妖術でもなければ、気の圧力でもない。そもそもこの拘束の正体が“気”であるならば、麗自体から闘気が肌に感じる筈である。だが麗にはそれがない。言うなれば、気は人並みで武人レベルではない。

 

ならばこの得体の知れない拘束は、あの麗の光る目は一体何だというのか。

 

「く、そ……」

 

無理にでも束縛を解こうと力を入れる。しかし、今だに指一本びくともしない。麗は二本めの煙草をふかし、彼女の悪足掻きに対して呆れ顔を見せた。

 

「やめときな。いくら足掻いても――――!?」

 

殺気を感じ取り、麗は反射的に身構える。その殺気はクローン黛ではない、別の何かからだった。突然空から落ちてくるようにクローン黛と麗の前に現れた一つの影。それはV(ファオ)であった。

 

Vはニヤリと嗤い、水銀ロッドの先端を麗に向けた。

 

「――――あばよ、雌豚あぁぁ!!!」

 

ぎゃはははははは、と品のない笑い声が夜空に木霊する。同時に先端から水銀が槍のように、麗に向かって伸び始めた。

 

僅か数秒の出来事。麗は避ける術もなく、銀の槍に串刺しにされるのを待つしかなかった。

 

その時、

 

медь(銅よ)―――――!!」

 

槍が麗の身体を貫く寸前、背後から銅線によって作られたバリケードが麗を包み込んだ。槍は見事に弾かれ、原形を失いドロドロに溶けて崩れ落ちる。

 

「……遅いぞ」

 

間一髪だったよと、麗は腕を組み呆れ果てる。銅のバリケードが消えて、麗の背後へと戻っていく。その先には駆けつけたカーチャとアナスタシア、聖乳を吸われ放心する心。そして揚羽の姿があった。

 

カーチャ達が現れ、タイミングが悪いと舌打ちをするV。すると水銀ロッドを振りかざし、麗とVの間を隔てるように水銀の壁を作り出した。

 

「お前、何を……」

 

束縛が溶け、ようやく自由が聞くようになったクローン黛。Vは別に助けにきたわけじゃねぇよと目を合わさぬまま答える。

 

「ババァの命令だ、退けってよ」

 

「……く」

 

敵を目の前にしての撤退。納得のいかない態度を取るクローン黛だったが、刀を収めた。悔しい話だが、Vが来なければこの状況は打開できなかっただろう。あの麗の奇怪な能力には対抗する術はなかったのだから。

 

「うっ……」

 

吐き気がまたぶり返す。思えば、松風を拾った瞬間おかしくなり始めた。ならば原因はあのストラップにあるとでも言うのか。

 

Vはそんなクローン黛を、さも愉快な表情を浮かべながら一瞥し、水銀ロッドを再び振りかざした。二人の周囲に大量の水銀が浮かび上がる。

 

すると、揚羽が逃げようとするクローン黛達を追いかけようと走り出した。

 

「待て!尼崎はどこだ!?何を企んでいる!?」

 

揚羽の拳に気が宿る。逃すわけにはいかない。そんな揚羽をVは嘲笑う。

 

「はっ、答えるかよバーカ!」

 

Vたちと揚羽の距離が縮まった瞬間、湧き出した水銀が突然爆発を起こし、巨大な壁となって揚羽の行く手を阻んだ。危険を感じた揚羽は飛び退いて回避する。

 

瞬発的に作り出された銀幕はVとクローン黛を覆い、壁が消えた頃にはもう、二人の姿はなくなっていた。くそ……と表情を苦痛にゆがませる揚羽。

 

「黛由紀江が二人?まさか、やつは………」

 

救助した由紀江と伊予。そして逃亡したクローン黛。揚羽の脳裏に嫌な予感が過る。

 

「想像した通りよ。あれは黛由紀江のクローン。おまけにクェイサーときてる」

 

厄介ね、と眉を潜めるカーチャ。揚羽―――否、これは九鬼家にとって最悪の事態である。目を背けたくなるような現実が、揚羽に突きつけられていた。

 

 

だが、これでハッキリとした事は三つ。尼崎がアデプトと手を組んでいる事。武士道プランのデータを悪用し、クローンを作り出したという事実。

 

そして……黛由紀江のクローンが現れ、クェイサーの能力を保持しているという事。

 

尼崎とアデプト。ついに彼らの陰謀が本格的に動きだそうとしていた。

 

 

 

 

葵門病院病室。

 

曖昧な意識の中、重い瞼を開けると、白い蛍光灯の眩しい光が視界に入った。手で光を隠しながらゆっくりと目を開け、由紀江はようやく目を覚ます。

 

「ここ、は……?」

 

周囲を見回す。誰もいない、殺風景な病院の個室。包帯だらけの自分の身体。

 

ああ、そうだ。公園で戦い、負けて……そこから先は、よく覚えていない。ただ確かな事は、伊予を守る事に必死だった事だ。

 

あれからどうなったのだろう。伊予はどこへ……と、自分のベッドの傍に、すやすやと眠る伊予の姿があった。ずっと、看病してくれていたのだろう。

 

「ん……」

 

続いて伊予が目を覚ます。目を擦りながらあくびをすると、目を覚ましていた由紀江が視界に入った。伊予は涙を浮かべながら、由紀江の意識が戻った事を喜んでいた。

 

「まゆっち!よかった……気がついたんだね!」

 

よかった、と何度も言いながら由紀江の手を握る伊予。目の下には隈ができている。由紀江の看病をしている間、殆ど眠っていないに違いない。

 

「私、は……?」

 

「あの後、及川先生が助けにきてくれたんだよ」

 

由紀江がクローン黛との戦いで倒れ、それから麗が助けにきてくれた一部始終を話す。あれから由紀江と伊予は麗の手配で、葵門病院へと運ばれてから丸一日が経っていた。それまでの間、由紀江はずっと眠っていたらしい。

 

「私……伊予ちゃんを、守れませんでした……」

 

結果として、伊予を守る事ができなかった事を悔いる由紀江。本当なら意地でも守り通すべきだった。自分は友人失格だと視線を逸らす。しかし伊予はううんと首を横に振る。

 

「守る事だけが、友達じゃないでしょ?それに、まゆっちはちゃんと守ってくれたよ。だから自分を責めないで」

 

「伊予、ちゃん……」

 

ありがとう、と涙ぐみながら笑みを浮かべる由紀江。由紀江はしばらく伊予の手を握りしめていた。その手から伝わる暖かい彼女の温もりが、今の由紀江には何よりも大切な時間だった。

 

 

突然現れたもう一人の自分。今後何が起きるかは分からない。だが今は、伊予の無事を喜ぶべきだろう。後の事は、それでもいいと由紀江はほんの僅かな安堵の時間を噛みしめるのだった。

 

 

 

 

その頃、麗は缶コーヒーの入ったビニールを片手にぶら下げながら、由紀江と伊予のいる病室に向かって歩いていた。

 

もう片手には、クローン黛との戦いで由紀江が落とした松風のストラップがある。

 

(人間は欠陥を抱えて生きてる、か……)

 

松風を眺め、そんな事を呟きながら麗は足を進めていた。麗の古き友人がふと漏らした言葉である。もう会う事はないと思っていたが、この川神市内で偶然の再会を果たした。またどこかで、飲み交わしたいものだとしみじみ思うのだった。

 

「―――おや。及川先生ではありませんか」

 

後ろから呼ぶ声が、麗の足を止める。振り返ると、2−Sの葵冬馬の姿があった。麗は学園内でちやほやされている彼の姿を何度か目撃しているので、冬馬であるとすぐにわかった。

 

「確か、2−Sの葵君?」

 

何でここにと尋ねる麗。すると、冬馬はニコッと微笑みながら答える。

 

「ここは私の父の病院です。私がいても、なんら不思議はありません」

 

悪意も、善意もない純粋な冬馬の笑顔。なるほど、これで川神学園の女子達も口説かれるわけだと納得するが、麗にはその真意の読めない表情に少しだけ嫌悪感を抱いた。特に関わる気もないが、一応挨拶だけは交わし、冬馬を横切っていく。

 

横切ったその刹那、冬馬が小さな声で彼女に呟いた。

 

「……ところで貴方は、一体何者ですか?」

 

「―――――」

 

冬馬の質問に、麗はまた足を止めた。まるで見透かされているようだった。だが麗は冷静に動揺する事もなく答えを返す。

 

「アタシはどこにでもいる、ただの保険医だよ。後、頼りがいのあるみんなのお姉さん……ってところかな?」

 

なんてね、と大人の女性の笑みを浮かべる麗。すると、冬馬はそうですかと残念そうに肩をすくめたが表情を崩すことはなかった。

 

「私にはそうは見えませんが……まあいいです。ミステリアスな女性も私は好きですよ」

 

納得はいっていないようだが、冬馬はあっさりと身をひき、これ以上の追求をすることはなかった。何を勘ぐっているのか知らないが、これ以上深入りさせないように念を押しておく。

 

「……君の今後の為に、忠告しておくよ。女の秘密にはあんまり足を踏み入れない事だね」

 

麗は最後に、冬馬に釘を刺すようにそんな言葉を残す。女には秘密が多い。一度足を踏み入れれば引き返せないかもしれない、と。それは怖いですね、と冬馬。

 

「ええ、肝に命じておきます」

 

冬馬もまた、麗に笑みで返す。つくづく食えない男だ、と心の中で思いながら麗は病院の廊下を歩いて行った。冬馬はその後ろ姿を眺め、笑みが消え無表情になっていた。

 

(……驚きましたね。まさか本当に存在するとは思いませんでした)

 

麗の忠告の際、彼女の両目が一瞬魔を帯びたように怪しく光り出したような気がした……否、冬馬の目には間違いなくそう写った。あんな目をする人間がいるとは、流石の冬馬を驚きを隠せない。

 

「“魔眼”、ですか……」

 

それは、異質な能力。もしそれが事実ならば、本当にこれ以上関わる事はやめておこうと冬馬は歩を進めながらそう思うのだった。



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サブエピソード26「不完全な者、散りゆく野望」

(ファオ)とともに地下研究所へと帰還したクローン黛は、研究室の壁に背中を預けながら深夜の公園で起きた出来事を思い返していた。

 

(私は……完璧な、はずだ)

 

心の中で、何度も肯定を繰り返すクローン黛。自分はあらゆる面でオリジナルを凌駕している。現に由紀江との戦闘は自分が勝利を収めているのだ、これでそれが証明された筈だ。

 

………それなのに。

 

“あなたは、絶対にまゆっちにはなれない”

 

あの時伊予が言った言葉が、耳から離れない。自分が本物になれないとは、どういう事だろうか。否定される道理が理解できない。彼女はオリジナルよりも優っている自分の姿を、すべてを目の当たりにしている。

 

何故、否定されなければならないのか。自分にはない、何かがあるとでもいうのか。それは考えられない。何故なら由紀江にはない全てを、手にいれている筈なのだから。

 

唯一違いがあるとすれば、あのストラップの松風という存在。あれを見た瞬間、酷い吐き気に襲われた。戦えなくなるくらいの嫌悪感が、クローン黛にとって予期せぬ最大の想定外だった。

 

永遠と自分に問いを投げ続ける。答えを見出せない苛立ちと、不完全という現実を突きつけられた絶望感が、彼女の心を板挟みしていた。

 

「ご気分が優れないようですね」

 

クローン黛にかけられた声と、気配のない一人の影。タロットカードを眺めながら、何時の間にかフールがクローン黛の側に立っていた。善意も悪意もないフールの笑みが堪らなく気に入らない。

 

「……私は、黛由紀江だ。何もかもが、完璧なはずなのに……」

 

誰に向ける言葉でもなく、独り言のように自問自答を繰り返す。するとフールは静かに、

 

「本人はこう言っていますが……ドクターの意見をお聞かせ願いたいですね」

 

もう一人の訪問者に投げかけた。尼崎である。側にはエヴァの姿もあった。尼崎の姿を目にしたクローン黛は目の色を変え、まるで縋り付くかのように訴える。

 

「尼崎!私は完璧じゃなかったのか!?黛由紀江を超えた、最強の存在じゃないのか!?」

 

オリジナルを超えた最強の存在として作られた、武士道プランの試作体。だがその最強という名は、伊予、そして松風というちっぽけなストラップによって崩されてしまった。

 

何故だと問いかけ続けるクローン黛に対し、尼崎はふむと静かに思考して、

 

「お前は私が作り上げた最強のクェイサーだ。私の研究に失敗はない」

 

あくまで研究成果を肯定した。当然、そんな解答ではクローン黛の納得がいく筈もない。

 

「じゃあ、あのストラップはなんだ!?あれを見た途端、私はおかしくなった!」

 

松風を目にした時の衝動。あれをどう説明すると尼崎に訴えるクローン黛。だが、尼崎から返ってくる言葉は変わらなかった。

 

「もう一度言おう。私の研究に失敗はない。確かにお前は最強だが、精神面では不完全という結果が生まれた。それだけの話だ」

 

『不完全』。尼崎から告げられる、冷たく鋭利で残酷な言葉。クローン黛が、もっとも聞きたくなかった言葉である。

 

「なん、だと……」

 

愕然とするクローン黛。そんな彼女を、尼崎は安心したまえと言って歪に笑う。

 

「お前は十分に役だった。この結果が、不完全要素を取り除くデータとなるだろう。これでより完璧なクローン体を作る事ができる」

 

最後に、これが研究というものだと付け加えた。より完全なものへ。より高みへと目指す尼崎の研究。それは同時に、不完全なものは不必要だという事を意味していた。

 

「つまり私は……もうお払い箱というわけか」

 

クローン黛の表情が歪む。不完全の烙印を押され、さらには不要なものとしてボロ雑巾のように捨てられる、哀れな存在。尼崎は何も言わない。つまりクローン黛の言葉通りだった。

 

「お前の役目は終わった。だがその戦闘スキルをただ処分するには惜しい。私の新たなクローンの対戦相手になってもらうとしよう」

 

お前にできる事はせいぜいそれくらいだと、尼崎は告げる。

 

“黛由紀江としての存在を否定された”クローン黛は、この時点で何もかも失ってしまった。彼女に与えられたのは、戦うだけの道具という、意思も存在意義もないただの人形という役割だった。

 

(私は……私は……!)

 

クローン黛の感情が、頭の中で渦巻き始める。否定された事への怒り、悲しみ。そして、自分は一体何者なんだろうという不安。

 

自分が“黛由紀江”でなければ、一体自分は誰なんだろう。誰でもない自分。存在への疑問。自分のイメージが、音を立てて崩れていく。そして、

 

「ぁ………あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

言葉にならない感情が、ついには彼女の精神を押し潰した。悲痛な叫びを上げながら、クローン黛は部屋を抜け出し、ただがむしゃらに走り去っていく。

 

「……ふふ、追い掛けなくていいのかしら?」

 

クローン黛の悲劇の末路を楽しみながら、エヴァが口を開く。

 

「好きにさせておきましょう。どの道あのクローンに居場所などない」

 

どこへでもいけばいいと、尼崎は他人事のように言った。彼にとって、不完全なものには興味がないのだろう。尼崎の研究は、更なる段階へと進むのだから。

 

「さて、これでデータは揃った。次の段階へ進むとしましょう」

 

次なるクローン体を作り出すために、尼崎は再び動き出す。自らの野望を叶えるために。

 

しかしそれは、フールの一言によって打ち砕かれた。

 

「確かにデータは揃いました。ですがドクター―――貴方の役目もここで終わりです」

 

一瞬、聞き間違いだろうと尼崎は誤認識したのだと思った。だが彼は“貴方の役目もここで終わり”と言った。それはどういう意味なのだろうか。尼崎の疑問に、フールの変わりにエヴァが受け答える。

 

「武士道プランの技術……このデータは私達が責任をもって使わせてもらうわ。だから貴方は安心して休暇を過ごしなさい」

 

エヴァの持つ水銀(シルバー)ロッドから垂れる銀の液体が、まるで生きているように地面にのた打ち回る。そしてエヴァは悪意に満ちた笑みを尼崎に投げつけた。

 

「――――“永遠”という名の休暇をね」

 

瞬間、銀の液体が殺意と共にうねり、尼崎の右肩を引き裂いた。悲鳴を上げる尼崎。

 

どうしてこうなると動揺が始まる。だが、考えても今は混乱するばかりだ。とにかく身の危険を感じた尼崎は気が付けば部屋から抜け出し、全力疾走していた。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

息を荒げながら、肩から溢れ出す血を抑え、尼崎は施設内を走り続ける。向かう先は地上へと上がるエレベーター。フールとエヴァは追いかけてこない。地上へ上がれば、助けを呼べるはずだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

エレベーター前まで辿り着き、落ち着きを取り戻す尼崎。裏切られた……アデプトに。奴らと手を組むべきではなかったと後悔する。

 

結局は異端者、人間ではないのだ。信用した自分が如何に愚かであったかを思い知らされる。

 

(だが……データはまだこちらにある)

 

それでも、尼崎は研究を諦めていなかった。こういう事態が起きた時の保険として、研究データの全てをUSBにバックアップしていた。彼の研究に対する執着は、もはや狂気である。

 

不気味に笑いながら、エレベーターのロックを解除しようと手をかけた時だった。

 

「―――おじさま、どこへ行かれるのでございますか?」

 

背後から、幼い少女の声。恐る恐る振り返ると、(ユー)(ファオ)の姿がそこにあった。

 

「そ、それは……」

 

言葉が見つからない。正直に逃げると言えば、当然エヴァとフールに知らされるだろう。言い訳を考えていると、状況を察したVがニヤリと笑う。

 

「決まってんだろ。このオッさん、お前を凌辱して死ぬまで狂わせてやりてぇんだとよ」

 

「な――――」

 

そんな事は一言も言ってないと言いかける尼崎。Vには逃げようとしている事は見抜かれていた。故に、Uのマゾヒストとしてのスイッチを入れたのだ。Uの表情がみるみる明るく、そして恍惚になっていく。

 

「まあ……おじさまったら。それならそうと、言って頂ければいいのでございますのに」

 

そう言うと、Uはポーチの中からアダルトグッズを広げ、上目遣いで尼崎におねだりを始めた。だが尼崎は命の危険に晒され、逃げる事で精一杯なのだ。できるわけがなく、首を横に振る。

 

すると今度はVが前に出てきて、

 

「じゃあ、アタシがてめぇをめちゃくちゃにいたぶってやるよ。アタシが満足するまでな」

 

凌辱される側になれと要求してきた。それこそできるわけがない。そんな事をされれば満足する前に体をバラバラにされてしまうだろう。尼崎はまた首を横に振り、

 

「む……無理だ、そんな事、できるわけがない!」

 

と全力で言い切るのだった。Uは残念そうに肩を落とし、Vは根性なしと尼崎を罵る。

 

だが……その選択は、彼女達にはタブーである事を尼崎は知らなかった。尼崎に突然、悪寒が襲い始める。

 

「とても……とても残念なのでございます。じゃあ、おじさまはご主人様―――」

 

「まあ、どの道てめぇは―――」

 

UとVの周囲に、銀の凶器が浮かび上がる。それは、目の前の尼崎えものを食らいつきたいと言わんばかりに渦を巻いていた。

 

尼崎は気付いてしまった。これが、尼崎の下してしまった人生の最後の選択である事に。

 

「―――失格なのでございます!!」

 

「―――失格ってことだよなぁァァァァァ!!!!!」

 

尼崎の視界には、勢いよく噴き出される水銀。最後には下品に笑うVの笑い声と、尼崎の声にならない断末魔が、研究所内に虚しく響いていた。



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48話「プロジェクト“Q”」

サーシャとまふゆ、カーチャと華はユーリと共に九鬼家を訪れていた。揚羽に事の真相を聞くためである。

 

彼らは九鬼家の客間で、揚羽がやってくるのを待ち続けていた。

 

「武士道プラン……由紀江ちゃんのクローン……もう、何が何だかわかんないよ。一体どういう事なの?」

 

まふゆにも現状を把握し切れていない。まふゆだけではない。サーシャも、華もだ。知っているのはユーリとカーチャだけである。

 

「事態は深刻です。由紀江さんのクローンが現れたという事は、アデプトも本格的に動いているという事でしょう」

 

テーブルに肘をつき、手を組むユーリの表情は険しかった。最強のクローンを作り出すという尼崎の目的はユーリ達にも情報が届いている。そして、その裏でアデプトが潜んでいるという事も。

 

「けどよ、何でまゆっちのクローンが……」

 

華の素朴な疑問だった。確かに由紀江も四天王の一人で、かなりの強さを誇るが、もし選ぶとするならば百代の筈である。

 

「恐らく尼崎は、研究の第一段階として手始めにあいつのクローンを作り出したんだ……俺達と戦わせ、クローン自身の戦闘データを取るためにな」

 

つまりは、実験体だとサーシャは推測する。由紀江の前にエヴァが現れたのも、全ては由紀江の血液と細胞の一部を採取する為だと考れば、話しは全て繋がる。

 

最強のクローンを完成させるための布石。それだけの為の存在として生を与えられた。酷い……とまふゆは唇を噛む。

 

現在の所、クローン黛の行方は不明。由紀江、麗との戦闘以降姿を見せていない。アデプトと尼崎の情報も絶たれたままである。事態を知った九鬼財閥が、全総力で尼崎の操作を行っているが……その結果は、これから揚羽が全てを話してくれるだろう。

 

しばらくして、揚羽がようやく姿を表した。揚羽の表情は一段と険しい。揚羽は待たせてすまないと一言詫びを入れ、

 

「調査した結果、詳細が判明した。まずはこれを見てくれ」

 

これまで不明だった尼崎の情報が判明したと言う。すると部屋の証明が突然薄暗くなり、サーシャ達の前に巨大なスクリーンが天井から降りてくる。そこに映し出されたものは、尼崎の真の目的と、計画の詳細が記されていた。サーシャ達は一斉にスクリーンへと視線を向け、驚愕する。

 

「これが尼崎のクローン計画……プロジェクト(クェイサー)だ」

 

揚羽から出たワードこそが、尼崎の真の目的であった。

 

“プロジェクトQ”。武士道プランを応用したクローン計画。現存している武士娘の血液と細胞を培養し、さらにクェイサーの遺伝子を組み合わせクローンを誕生させる。これにより、正規のプランよりも人材不足の解消が促進するという計画内容である。

 

「表向きは……ね。けど実際はそうじゃない」

 

カーチャの言葉に、揚羽はうむ頷いた。スクリーンが切り替わり、別の情報が映し出される。映し出されたのは尼崎が残した研究記録だった。

 

「我々九鬼財閥を潰す事が、奴の本当の目的だった……誕生させた、クローンのクェイサーを使ってな」

 

この情報から読み取れるのは、尼崎の個人的な復讐。考えを認めてくれなかった上層の人間に対する報復である。

 

「成る程。彼らとどんな利害が一致したのかは分かりませんが、九鬼からの資金源を失った尼崎にとって、アデプトの財力は必要不可欠だったのでしょう」

 

それでアデプトと手を組んだ、とユーリが推測した。本来クローン自体は誕生させるのに数十年もの時間を有するが、アデプトの技術を持ってすれば造作もない。九鬼を潰す事も早い段階で行なう事も可能である。

 

「尼崎の計画は分かった。だが当の本人は今どこにいる?」

 

サーシャ達が知らなければならないのは尼崎の研究施設、そして潜伏先である。だが肝心な尼崎の居場所は未だ掴めていない。アトスと九鬼財閥の情報網をもってしても分からないのだ……恐らくアデプトが手を回して目暗ましをしているに違いない。

 

一刻も早く計画を止めなければ、取り替えしのつかない事になる。いくら九鬼の最強の従者部隊でも完成したクローンのクェイサーの大群と、アデプトのクェイサーを相手にすればただでは済まされない。どんな結果にせよ、九鬼財閥への大打撃は免れないだろう。

 

サーシャ達の取る行動は、ただ一つしかない。

 

「クローン黛を探して、情報を吐き出させるしかなさそうだな」

 

まずは、クローン黛と接触しなければならない。捕縛して尼崎の居場所を聞き出すしか手立てはなさそうだ。

 

これで用は済んだ……とサーシャ達が部屋を出ようとしたその時、あずみが駆け足で部屋に入り、揚羽の側までやってくる。

 

「揚羽様、ご報告です!尼崎十四郎を発見致しました」

 

思わぬ朗報だった。だが表情は暗い。あまり良い情報ではないようだが……揚羽やサーシャ達に緊張が走る。

 

「尼崎の身柄は?」

 

「それが……既に事切れていました」

 

言って、あずみは状況の説明を始めた。九鬼従者部隊が捜索した所、親不孝通りの裏路地のゴミ捨て場で尼崎を発見したのだという。ただし遺体という形で。

 

尼崎は身体中を切り刻まれ、水銀が至る所に付着していた。死因は出血多量によるショック死。死後数時間が経過していたらしい。

 

「どういう事だ……?首謀者の尼崎がなぜ……」

 

事態が急変し、混乱する揚羽。尼崎が死んだ……これは一体、何を示しているのだろうか。

 

だがサーシャ達には理解できる。付着した水銀……考えられる可能性は、一つしかあり得ない。

 

「……裏切られたわね、アデプトに」

 

カーチャが目を細める。アデプトが最初から欲しかったのは武士道プランのデータ……尼崎は利用されていたのだ。用済み扱いされ、エヴァによって始末されたのだろう。狂気の研究の果てに辿り着いた、哀れな結末である。

 

これで全てが振り出しに戻ってしまった。尼崎が死んだ以上、後はアデプトの人間を追う他ない。それにアデプトの目的も、まだ判明していないのだから。

 

静まり返った空気の中、ユーリの携帯が鳴り始める。ユーリは失礼と言って携帯を耳に当てた。電話の相手は麗である。

 

『逃亡したクローン黛の手掛かりを突き止めたわ』

 

連絡の内容は、クローン黛の居場所である。不良達の溜まり場で賭博決闘があるらしく、そこにいる出場者にクローン黛の姿を見たものがいたようだ。決闘中に浮浪者の如く突然現れ、刃向う挑戦者全てを斬り倒しているらしい。

 

ユーリは電話を切り、サーシャ達に全てを託す。

 

「皆さん、後は頼みます」

 

場所は工業地区周辺に位置する廃墟ビル跡。決闘は深夜に行われている。

 

その場所にクローン黛がいる……サーシャ達は早急に動き出した。

 

 

 

 

川神市工業地区、廃墟ビル内。

 

鉄骨を剥き出しにしたコンクリートの壁が立ち並ぶ、殺風景な工業地区。その薄暗いビルの下で、何人もの不良達の喧騒が響いていた。

 

そこに不良達が囲っている大きな広間に、一人の不良とクローン黛の姿があった。不良達の間で行われている決闘である。

 

クローン黛は刀の切っ先を、怯え切って尻餅をついている不良の喉元に突き付けていた。

 

「ひっ……ま、待ってくれ、殺さないでくれ!」

 

不良はクローン黛との決闘に敗れてしまい、必死に命乞いをしていた。だがクローン黛は微動だにせず、刀を突きつけたまま不良を見下ろしている。

 

その瞳に、もはや感情はない。虚ろで色の宿らない濁った瞳。ただ挑戦者を倒し続けるだけの、機械的な日々。

 

しばらくして興ざめしたのか、クローン黛が刀を退き、つまらないものでも見るように、

 

「……行け」

 

ただそれだけを不良に言い残し、背を向けてビルの奥へと消えていった。不良はすぐ立ち上がると、一目散に逃げていく。

 

決闘が終わった後も、不良達の喧騒は耐える事なく続いていた。

 

 

 

 

廃墟ビルにある個室で、一人の男が手に持った札束を数えてはニヤニヤと笑っていた。

 

無精髭を生やした人相の悪い男……彼の名は釈迦堂刑部。かつて川神院の門下生であったが、とある理由で追放された人物である。

 

「今日もたんまりと儲けさせてもらったぜ。こりゃ剣士様様だわな……」

 

ひひ、と不気味に笑う釈迦堂。釈迦堂は突然ふらりと現れたクローン黛を決闘に招き入れた。不良達が集まって行われる“賭博決闘”。彼女をチャンピオンに仕立て上げ、彼女に挑む挑戦者を倒させては不良達から金を巻き上げていた。

 

「おかげでこっちは懐があったまってしょうがねぇわ………なぁ、黛由紀江ちゃんよ」

 

釈迦堂は個室の壁に静かに背を預けている、クローン黛に話しかけた。釈迦堂自身、クローン黛を本物の黛由紀江であると思い込んでいる。無理もない、姿形も瓜二つなのだから。

 

「……興味ない」

 

素っ気なく力のない言葉を返すクローン黛。彼女の返答はいつもこうだ。つれねぇなあオイと苦笑いする釈迦堂。

 

クローン黛は小さくため息をつくと、個室から出ようと踵を返す。

 

「おい、どこ行くんだ?今日はもう決闘はお開きだぜ?」

 

釈迦堂の言葉に、ピタリと足を止めるクローン黛。そして、

 

「……どこでもいい」

 

まるで他人事のように呟き、ふらりと個室から出て行った。まあいいかと釈迦堂は特に気にする様子はなく、彼女の背中を見送っていた。

 

(……にしても、まさか黛十一段の娘が転がり込んでくるとは思わなかったぜ。理由はわからねぇが相当ヤんでやがる)

 

釈迦堂は再びほくそ笑んだ。今の彼女は自暴自棄になり、何もかも無関心である。精神的に大きな打撃でもあったのだろうか……だが、釈迦堂にとっては好都合だった。この嬢ちゃんはいい金づるになると。

 

最も、釈迦堂には心当たりが無くもなかった。何故なら黛十一段を襲ったのは、他でもない彼だからである。

 

(ま……しばらくは一儲けさせてもらうぜ)

 

釈迦堂は嗤う。今夜はいい酒が飲めそうだと、ギラついた目で巻き上げた金を眺めていた。



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49話「二人の由紀江」

深夜帯、サーシャ達は工業地区周辺の廃墟ビル前に辿り着いた。周囲には賭博決闘の参加者、及び観戦者の不良達が集まっている。

 

不良達はサーシャの姿を見つけると敵意を剥き出しにし、サーシャ達の前に立ち塞がる。

 

「なんだぁ、テメェらは!?」

 

「ここはガキのくるとこじゃねぇんだよ。俺たちの目が黒いうちに消えな!」

 

さっさと失せろと、サーシャ達を追い払おうとする不良達。どうやら歓迎されていないようだが……しかしサーシャには関係ない。サーシャは不良達を睨み返し、

 

「そこをどけ。雑魚共」

 

まるで眼中にないと言わんばかりに、彼らの敵意を一蹴した。バカにされた不良達は挑発に乗り、サーシャ達を囲い始める。

 

「……おいガキ。調子こいてんじゃねぇぞコラ」

 

「言っとくがな、俺たちは女だろうと容赦はしねぇぜ!」

 

「穴から孔まで犯されてぇか?あぁ!?」

 

不良達から感じる、静かな怒り。嵐の前の前兆。だがサーシャ達は動じない。

 

サーシャはその翠色の瞳を向けて、彼らに問い質した。

 

それは不良達への、死の宣告である。

 

「――――お前達は、震えた事があるか?」

 

次の瞬間、不良達の殆どが地面に倒れ伏せていた。何が起きたかも分からず、そして状況を確認する暇さえもなく、彼らは一瞬にして意識を失った。残った不良達がサーシャ達を見て怯えている。

 

「……もう一度言う。そこをどけ」

 

サーシャの手には、古びた外灯に照らされて光る漆黒の大鎌(サイス)。不良達を葬った処刑と言う名の武器。次はお前達の番だと、大鎌の刃がそう訴えるように鈍く光っている。

 

残された不良達は身の危険を感じ取り、廃墟ビル内へと逃走していった。

 

「ここに……由紀江ちゃんのクローンがいるんだよね」

 

廃墟ビルを見上げるまふゆ。彼女は、ここに潜伏している。

 

「……先へ進むぞ」

 

サーシャは迷う余地もなく、先へと進み続ける。待ち受けるクローン黛の元へ。

 

 

 

「おい、やべぇよ!外の連中が他所もんにぶちのめされた!」

 

「四人のガキで、なんか知らねぇけどエラく強いみてえなんだ。外のやつらが一瞬で……」

 

「じょ、冗談じゃねぇ、殺される!」

 

「逃げるぞ!」

 

ビルの広間で不良達が慌ただしく動いていた。挑戦者と観戦者の殆どがビル内から退散していく。そんな彼らの動向を、クローン黛は傍観していた。

 

だが、彼女にとってはどうでもいい事だ。何が起きようが、関係ない。興味がない。ただ向かってくる敵を斬るだけの道具。それ以外の何者でもない。

 

しばらくして、広間に不良達の姿はなくなっていた。入れ替わるように現れたのは、サーシャ、まふゆ、カーチャと華の姿である。

 

「見つけたぞ、クローン黛」

 

サーシャの大鎌の刃先が、クローン黛に向けられる。クローン黛は何も答えぬまま、虚ろな瞳でサーシャに視線を向けていた。

 

(どういう事?公園であった時とは、まるで……)

 

不審に思うカーチャ。公園で遭遇したクローン黛とは打って変わり、まるで別人である。

 

人形のように無感情で、魂のない瞳。空っぽのような存在。本当にこれが、あの時のクローン黛なのかとさえ、疑う程に。

 

「お前に聞きたい事がある。お前を作り出した研究施設はどこだ?」

 

まずは彼女から聞き出さなければならない。サーシャは質問を投げた。最も、そう簡単に答えてくれるとは微塵も思っていないが。

 

だが、クローン黛から返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「……私は、もうあいつらとは無関係だ」

 

アデプトとはもう関わり合いがないと、クローン黛は答える。サーシャ達にとって予想外の返答だった。どういう意味だと、質問を続けるサーシャ。

 

すると、クローン黛は視線を落とし、自分を蔑むように小さく呟いた。

 

「私は……捨てられた」

 

全てを失い、行き場を無くした。失敗作の烙印を押され、生きる意味も、存在する意味も、何もかも失ったクローン黛。尼崎とアデプトからも用済み扱いされ、クローン黛は自分を見失っていた。

 

否、始めから自分自身などなかったのかもしれない。否定され、自暴自棄になった彼女に残されたものは、もう何もありはしない。

 

「理由はどうあれ、洗いざらい吐いてもらうわ」

 

お前の境遇に興味はない、とカーチャ。知りたいのはアデプトの情報である。自分を捨てたアデプトに今更知った事ではないが、立ちはだかる敵は切り捨てるのみ。

 

「お前達も私の前に現れた以上、斬るしかない」

 

それが、彼女の存在を証明する唯一の手段なのだから。

 

戦うしかない……そのつもりでここへ赴いている。サーシャが大鎌を構え、クローン黛との距離を詰めようとした、まさにその時だった。

 

「……待ってください、サーシャさん」

 

サーシャを呼ぶ声が、廃墟ビル内に木霊する。その声の正体は、由紀江であった。

 

由紀江は身体をふらつかせながらサーシャ達の所へ歩み寄る。見た所、傷が完治しない状態で病院を抜け出したのだろう。

 

「まゆっち!?お前なんで……」

 

何でここに、と華。いつの間にサーシャ達をつけて来ていたのだ。気付ける筈もない。由紀江は今の今までずっと気配を消し続けていたのだ。

 

「……お話は及川先生とユーリさんから聞きました」

 

入院中、由紀江の元へお見舞いにやってきた麗とユーリ。そしてクローン黛に関する知る限りの情報の全てを彼女に伝えていた。

 

彼女には、全てを知る権利がある。由紀江自身も、クローン黛の事が気掛かりであった。

 

彼女との戦闘で、薄れていく意識の中。伊予に否定された時の激情したクローン黛の表情だけは、鮮明に覚えている。

 

その時由紀江は思った。もしかしたら彼女は、心の奥で誰かに自分の存在を認めて欲しかったのかもしれないと。

 

「サーシャさん、お願いです。彼女と、話をさせては頂けないでしょうか?」

 

由紀江が望むのは、クローン黛との対話。どうしても伝えておきたい事があります……そこには覚悟の眼差しがある。サーシャはわかった、と身を退いた。

 

「……何をしにきた」

 

捨てられた私を憐れみにでも来たのか、と由紀江に視線を向ける。瞳は虚ろだが、その奥からは憎しみが蠢いているように見えた。

 

由紀江はしっかりと、その視線を受け止めるようにクローン黛を見据える。

 

「貴方は……どうして私になりたいのですか?」

 

始めて会った時から、クローン黛は執拗に“黛由紀江”として存在する事を望んでいた。それも由紀江にないもの、全てを手にして。

 

そこまでして黛由紀江(自分)で有りたい理由は何なのだろうか。由紀江は疑問を投げる。

 

「……決まっているだろう。そうでないと、私のいる意味がないからだ」

 

私は黛由紀江()を倒して本物となる。その為に彼女は生み出された。より高く、そしてより強い黛由紀江となる為に。そうでなければ、自分のいる意味がない。

 

「だが結局、黛由紀江(お前)になる事は叶わなかった。お前にないものを全て手に入れたというのに……お前の友達は、認めてはくれなかった」

 

そして、その果てに待っていたのは……不完全と言う名の現実であった。より完全なものを作る為の仮定としての実験体。最初から利用され捨てられる運命だった。

 

それを知らぬまま躍起になり、最後には本物になれなかったという結果だけが残った。

 

なら、自分は何の為にいるのだろう。黛由紀江でなければ、一体自分は誰になればいい。逃げ場のない自分への苦しみが、クローン黛を追い詰めていた。

 

由紀江はクローン黛の抱える闇を、一つ一つ受け止めていく。自分と向き合うように。

 

「貴方は……私にはなれません。でも、私は貴方にはなれない」

 

伊予が言ったように、同じ言葉を投げかける由紀江。だが逆もまた同じであると諭す。

 

「私、あの時……貴方が羨ましいって思ったんです。同時に自分が凄く嫌だとも思いました」

 

由紀江にはなくて、クローン黛にある物。それは明るくて、積極的で。誰とでも友達になれる、まさに由紀江の理想。自分にはないものを全部持っている。

 

それに比べて自分は口下手で、奥手で消極的。友達も少ない。どうして自分はこうなんだろうと自己嫌悪になった。

 

しかし、同時に気付いた事もあった。それは由紀江の個性……つまり自分は自分という事。伊予が言ってくれた言葉である。

 

「……今の貴方を見てて、気づきました。変わらなきゃって」

 

傷だらけの身体にも関わらず、由紀江はクローン黛を気遣っていた。それは自分よりも、彼女が一番傷付いているのではないかという思いからだった。

 

自分から逃げず、全てを受け入れる。由紀江は目の前の自分を救う為に変わる事を決意する。

 

「私は……貴方がいてはいけないだなんて、思いません」

 

クローン黛になくて、由紀江にあるもの。それは誰にでも思いやるという、本当の優しさ。たとえ敵であろうとも、怒りも憎しみもなく思いやれる由紀江の優しさは、由紀江にしかない個性である。

 

「確かに、貴方は私のクローンかもしれません。だけど、私にならなきゃいけないなんて事はないと思います」

 

誰かになりたい……生まれたばかりの彼女には、それしか分からないのだ。由紀江は知ってほしかった。もう、他の誰かにならなくてもいい。誰でもない新しい自分になればいいと。

 

「もし、貴方が悩んで、苦しんでいるなら、私と一緒に探しましょう。私なんかでよかったら……いえ、見つかるまで、私がずっと手伝いますから」

 

クローン黛に向けて、手を差し伸べる。差し伸べられたその手は、由紀江の優しさそのもの。そして、由紀江はクローン黛に伝える。由紀江が一番、言いたかった言葉を。

 

「私と――――お友達になってくれませんか?」

 

由紀江の勇気が……変わった瞬間が形となって現れていた。貴方はもう一人じゃないと、クローン黛を友人として迎え入れる。それが由紀江の望み。彼女を助けたいという純粋な優しさだった。

 

「………わせるな」

 

クローン黛の、小さく掠れた声。顔を俯かせ、肩を震わせながら怒りを露わにしている。

 

そして―――彼女の虚ろだった感情が爆発した。

 

「笑わせるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

全身から噴き出されるクローン黛の闘気。結んでいた髪留めが解け、長髪が不気味に揺らめく。

 

さらには彼女の首筋から怪しく光る黒い刻印。それは彼女に埋め込まれた元素回路(エレメンタル・サーキット)。サーシャ達はあれが何なのか直ぐに理解できた。

 

「まさか……例の元素回路!?」

 

面倒ねとカーチャは吐き捨てる。クローン黛の感情に反応し、サーキットが暴走を始めていた。自分の存在を示すという感情が、クローン黛の動力源となる。

 

「お前に私の何が救える!?自惚れるなよ、下衆があああ!!」

 

クローン黛の左手のロッドからは水銀が勢いよく吹き出し、周囲に蛇のように渦巻き始めた。まるでクローン黛自身の感情を表すように、激しくうねりを上げている。

 

「剣を取れ黛由紀江!!お前は私が倒す!どちらが本物か……ここで決着をつけてやる!!」

 

今度こそクローン黛は本気で殺すつもりでいる。生半可な感情は一切なく、ただあるのは黒い殺意。その殺意は由紀江の肌に伝わってきた。同時に、彼女の苦しみも一緒に感じ取っていた。

 

クローン黛を、救わなければ。由紀江はサーシャに顔を向けた。

 

「……サーシャさん、今の私では戦えません。でも、私にもできることはあります」

 

今の由紀江では、まともに剣すら取れない。できる事は一つ……由紀江は上着のボタンを外し、下着をはだけさせ、素肌になった胸をサーシャに差し出した。

 

「私が力を貸します。だからサーシャさん、どうか――――」

 

由紀江は願いを託す。サーシャの力になると。これが由紀江の選んだ覚悟という名の選択。

 

彼女()を――――倒して(救って)ください」

 

彼女を救う……由紀江の思いがサーシャに伝わる。その覚悟を受け取ったサーシャは、由紀江の乳房を手に取り、そっとその乳首に口を近づけた。

 

「あっ……うぅ、んん!?あ………はぁ、あぁあああっ!」

 

感応する由紀江の悩ましい声。サーシャによって、由紀江の中にある力が吸われていく。その濃厚な聖乳(ソーマ)が、サーシャの中に流れる。由紀江の思いも覚悟も、決意も全て。

 

聖乳を吸い終えたサーシャは、脱力した由紀江の身体をそっと傍に置いた。

 

「お前の覚悟……確かに俺に伝わった」

 

サーシャの持つ大鎌が再構築され、由紀江の使う日本刀へと形を変えていく。

 

由紀江と共に戦う……サーシャは日本刀を構え、クローン黛へと身体を向ける。彼女と戦い、彼女を救い出す為に。

 

――――願いが今、刃となる。

 

「……カーチャ、お前達は下がっていろ」

 

ここからは俺達の戦いだとカーチャに告げる。カーチャはふん、と鼻で笑った。もとより加勢するつもりはないらしい。

 

「言われなくても加勢する気はないわ。それに……私もそろそろ手が放せなくなりそうだし」

 

言って、カーチャは背後を振り向いた。その先にいたものは、釈迦堂であった。釈迦堂はニヤリと口元を釣り上げながら笑っている。

 

「何かと思ってきてみりゃ……嬢ちゃんが二人、不良共は誰一人いやしねぇ。おまけにガキ共が四人。どうなってやがんだ?」

 

不機嫌そうに周囲を見回すが……まあいいわと釈迦堂は唾を吐く。こいつ、普通じゃないと警戒する華。しかしカーチャは動じない。そんなカーチャを見て、釈迦堂はおもしれぇと再び笑う。

 

「そう………あんたがいるって事は、この賭博決闘もあんたの差し金ね」

 

口振りからして、カーチャは釈迦堂を知っているようだった。俺も随分有名になったもんだと感心する釈迦堂。その目は、笑っていない。

 

「おかげで金づるがみんな逃げちまって商売上がったりだぜ………こりゃ、責任とってもらわねぇとなぁ」

 

釈迦堂が闘気を纏う。吐き気を感じるほどの邪気は、釈迦堂という人間がどれ程の強敵かを物語っている。だが、カーチャには関係ない。立ちはだかる敵は殲滅するのみ。

 

「場所を移しましょう――――釈迦堂刑部」

 

「……いいねぇ、その目。言っとくが俺はガキだろうと容赦しねぇぜ」

 

カーチャと華、釈迦堂は外へと消えた。

 

 

 

――――サーシャとまふゆ、そしてカーチャと華。両者の戦いが今、幕を開ける。

 

サーシャは戦う……託された願いを胸に。全霊を掛けて。

 

「―――――震えよ!畏れと共に跪け!!」



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バトルエピソード6「瓦礫に降り立つ女帝」

ビルを抜け、廃墟が広がる工場跡地の中心にカーチャ、華。そして釈迦堂が互いに睨み合っていた。冷たい風と漆黒と呼べる程の夜空が、より廃墟跡を一層不気味に仕立て上げている。

 

「やり合う前に聞きてぇんだが……嬢ちゃん、あんた一体何もんだ?」

 

どうも普通の子供には思えないと釈迦堂の勘がそう告げている。見た目は可愛らしい幼女にしか見えないが、釈迦堂には彼女の背後にある何かが潜んでいるように見えた。

 

――――この女は、化け物の類だ。何かを隠し持っていると本能が警告している。

 

「生憎だけど、下郎に名乗る名前は持ち合わせていないの」

 

まるで汚いものでも見るように、カーチャは蔑みの眼差しで釈迦堂を一蹴した。最近のガキは可愛くねぇな、と歪に顔を歪ませる釈迦堂。

 

「か、カーチャ様……あいつは?」

 

ずっと疑問を抱いていた華が耳打ちする。カーチャは釈迦堂が何者なのか知っているようだが……華はただならぬ気配を感じ取っていた。

 

「釈迦堂刑部……川神院元師範代。川神院から破門されたはぐれものよ」

 

強さしか求めない、ただの戦闘狂とカーチャは述べる。圧倒的な強さを持つが、精神面を克服できなかったが為に川神院を追放された男である。

 

「好き放題言ってくれるじゃねぇか。一応俺にも事情ってもんがあるんだぜ?」

 

釈迦堂は笑みを崩さない。常に、飄々としている。この男からは何も読み取れない。まるで隙がないのだ……構えもしなければ緊張感もない。むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ、思える。

 

しかし否定はしない。何故ならば、それが釈迦堂自身の本性であり生き甲斐であるから。

 

「……まあ、戦闘狂ってのはあながち間違ってねぇかもな。お前みたいな奴を見ると、血が騒ぐんだよ。だって俺はぁ――――」

 

空気が、がらりと一変する。背筋が一瞬にして凍り付くような緊張感。戦いの予兆。カーチャでさえも、悪寒を覚える程に。そして、

 

「――――戦いが、好きで好きでたまんねぇんだよ!!」

 

瞬間、釈迦堂が動き出した。釈迦堂はカーチャと一瞬にして距離を詰め、正拳突きを叩き込む。

 

(速い―――!?)

 

僅かな時間での先制攻撃。カーチャが気付いた頃には、既に釈迦堂が間近に迫っていた。それは刹那の如く、カーチャに襲いかかる。

 

だが、

 

(……何だ?手応えがねぇ)

 

この距離からの攻撃なら逃げられない。そう踏んでいた釈迦堂。しかし殴り付けた感触に手応えを感じない。無機質で冷たい何かが、釈迦堂とカーチャの間を隔てている。

 

それは紛れもない、銅であった。無数の銅線が集束して障壁となり、釈迦堂の正拳突きを防いでいた。銅の壁は衝撃でぐにゃりと曲がり、歪に変形している。

 

まだまだね、とカーチャは笑みを零す。冷たい微笑み―――その高貴なる微笑みはまさしく女王。

 

「さあ、始めましょう。女王の輪舞曲(ワルツ)を―――ママ!」

 

カーチャの叫びと共に、カーチャの操る銅人形―――アナスタシアが瓦礫の地面を破るようにして現れ、カーチャ、そして華を抱きかかえて空中へ高く飛び上がる。

 

「華!」

 

「はいっ!」

 

抱えられたまま、華はカーチャに胸を差し出した。空中に浮いた状態で、カーチャはアクロバティックに華から聖乳(ソーマ)を補給する。夜空には、華の喘ぐ声が響いていた。

 

アナスタシアが地上へと舞い降りる。絶頂した華を下ろし、カーチャとアナスタシアが釈迦堂の前へと歩み出る。釈迦堂はアナスタシアを興味深そうに眺めていた。

 

(見た感じは人形遣いってとこか。一体どんな武術を使ってるか知らねぇが……こいつは面白くなってきやがったぜ)

 

釈迦堂の中の血が騒ぎ出す。敵を倒せ、強い敵を倒せと本能が命令する。更なる強さを求めて。高みへと登り続ける為に。

 

釈迦堂は地面を蹴り、カーチャとの距離を詰め始めた。だが、それを易々と許すようなカーチャではない。カーチャに二度目は通用しないのだから。

 

медь(銅よ)―――――!!」

 

アナスタシアから射出される、複数の銅線。銅線は突貫する釈迦堂を捉えようと伸びていく。

 

「はっ、見えてんだよぉ!!」

 

迫り来る銅線を一つ一つを全て躱していく釈迦堂。否、実際に読んでいるのだ。攻撃から伝わる殺気を。釈迦堂はアナスタシアの猛攻を潜り抜けながら、徐々にカーチャへと距離を縮めていく。

 

「そう。じゃあ――――これは躱しきれるかしら?」

 

攻撃はさらに続く。釈迦堂のいる地面から複数の銅線が突出した。カーチャのさらなる追撃が行く手を阻む。鉄をも貫く程の鋭い銅線の尖端が、容赦無く釈迦堂に襲いかかる。

 

避ける隙間さえ与えない、アナスタシアの攻撃。釈迦堂は舌打ちをすると、再び距離を取ろうと地面から飛び退いた。

 

「逃がさないわ――――ママ!」

 

必ず仕留める……銅線が狙いを定め、執拗に釈迦堂を追い掛けていく。防戦一方の釈迦堂だが、このまま黙っている筈がない。

 

「付け上がるなよクソガキがあぁぁ!!!」

 

地面に着地した釈迦堂が、迫る銅線を迎え撃つ。無数の銅線全てを拳で弾き、捌いていく。そしてさらに、反撃するべく釈迦堂は両手で包むように気を込め始めた。

 

気は次第に形を成し、リング状の気弾となる。

 

まるで、天使の輪を思わせるかのような神々しい光。だがそれは、敵を断つ為の魔の光。

 

「いけよ、リング!!!」

 

形成したリング弾を、釈迦堂はアナスタシアに向けて放った。リング弾はアナスタシア本体に向かって飛んでいく。攻撃後の隙を狙った反撃……回避は、当然間に合わない。

 

「くっ……!?」

 

やられた、とカーチャ。リング弾はアナスタシアの右腕を直撃し、その熱量によって粉々に吹き飛んでいた。再生してしまえばどうという事はないが……釈迦堂がそんな暇を与える筈がない。

 

「まずは一本!」

 

右腕は破壊した。次に狙うはどこだと、釈迦堂は上機嫌にリング弾を作り出す。カーチャに反撃させる暇を与えないように、次々とリング弾を発射していく。

 

体制を崩されたアナスタシアは、リング弾から逃れようと回避行動を取り続けた。

 

「どうしたぁ?逃げてばかりじゃ芸がねぇぞ!!」

 

下品に笑う釈迦堂。リング弾は無慈悲に瓦礫のビルのコンクリートを破壊していく。連続する釈迦堂の攻撃に、カーチャは未だ反撃できずにいた。

 

しかし、いつまでも逃げられるわけではない。釈迦堂の攻撃頻度がエスカレートし、カーチャを追い詰める。

 

「そろそろ終わりにしようぜ、嬢ちゃんよぉ!!」

 

釈迦堂はリング弾の生成を繰り返す。一、二、三……複数のリング弾を同時に放ち、カーチャの逃げ場を奪い尽くしていく。

 

「しつこいわね……!」

 

瓦礫を破壊し向かってくるリング弾を避けながら、苦戦を強いられるカーチャ。反撃の隙を見つけなければ……正面を向いたその瞬間、待ち伏せしていたかのように別のリング弾が飛来する。

 

回避しきれない……辛うじて本体への直撃は免れたが、その代償としてアナスタシアの左腕が切断された。さらにリング弾は、追い打ちをかけるようにアナスタシアを補足する。

 

このままでは追いつかれるのも時間の問題だ……カーチャは両腕を失ったアナスタシアを使い、高く飛び上がると背部に残った銅線でリング弾を迎撃を試みた。

 

しかし、

 

(な――――)

 

カーチャは、その光景に目を疑った。リング弾は意思を持っているかのように銅線の隙間をすり抜け、掻い潜ってきたのである。

 

この男は、そんな芸達者な事さえも可能なのだろうか……もしくは、釈迦堂にしかできない荒技なのか。リング弾はアナスタシアとの距離を縮め、胴体に触れた直後、眩い光と共に爆発した。

 

「うっ……!?」

 

夜空に空中分解する、アナスタシアの断片。アナスタシアはリング弾の餌食となり、無残にも爆砕していく。

 

操っていたカーチャは……健在だった。地面に着地したカーチャ自身は幸いにも無傷である。

 

「勝負あったな」

 

勝利を確信した釈迦堂がカーチャの姿を見て笑う。アナスタシアを失った今、カーチャには戦う術がない。一方カーチャは悔しさで表情を歪ませる事なく、釈迦堂に冷めた視線を送っていた。

 

あくまで強気の姿勢を見せるか……ますます可愛げのないガキだぜと釈迦堂は思った。

 

「まあ、安心しな……楽に逝かせてやるからよぉ」

 

そう言って、釈迦堂は衣服の懐から何かを取り出す。取り出したそれは拳銃だった。銃口をカーチャに向け、トリガーに手をかける。

 

「――――こいつでな」

 

覚悟しな、と釈迦堂。釈迦堂の向けた銃口は、しっかりとカーチャを捉えている。一歩でも動けば、命はない。凶器と言う名の銃弾がカーチャの身体を貫くだろう。

 

「カーチャ様……!」

 

カーチャの命が危ない、と隠れて見ていた華が身を乗り出そうとする。だがカーチャはそれを許さなかった。カーチャの視線が“黙って見ていなさい”と訴えている。

 

釈迦堂には、そのカーチャの姿勢が酷く滑稽で、潔く見えた。そろそろ終わりにしてやろう……この戦いに、幕を引こうと撃鉄を下ろす。

 

「あばよ、嬢ちゃん」

 

瞬間、拳銃のトリガーが引かれ、火薬の爆発する音と共に銃弾が発射された。銃弾は真っ直ぐカーチャへと伸び進んでいく。

 

カーチャは微動だにせず、ただ待ち続けていた。それは死に対する諦めなのかは分からない。目を逸らす事もなく、向かってくる銃弾を見つめている。

 

スローモーションのような時間が、カーチャと釈迦堂の間に流れていた。銃弾がカーチャまで辿り着くまでの時間が、酷く長く感じられる。

 

そして、銃弾は。ゆっくりとカーチャとの距離を縮め………。

 

か弱き少女の運命は、儚く散っていった。

 

――――――。

 

そう、その筈だった。

 

「……おい、どうなってんだよ。そりゃあ」

 

釈迦堂からは笑みが消えている。何故なら、釈迦堂の前で起きている現象が、あまりにも非現実的でありえないと思ったからである。

 

確かに、銃弾は完全にカーチャに狙いを定めていた。照準は完璧だった。外れる筈がない。

 

そう、外れてはいない。

 

だが。何故放った銃弾が、カーチャの差し出した手の平で止まっているのだろう。手の平で止められた鉛の弾は勢いを失い、ゆっくりと回転しながら減速していき、そして最後には虚しくカーチャの足下へと転がり落ちた。

 

「フルメタルジャケットを覆うのは銅の合金。つまり――――」

 

カーチャの口元が、歪に釣り上がる。銃の弾丸には、貫通力を増加させるためのジャケットが施されている。使われているのは銅。アナスタシアも銅である。

 

それが意味するものは、

 

「私の元素(しもべ)よ――――!」

 

銅のクェイサーであるカーチャに、銅を含む武器は通用しないという事である。

 

そしてカーチャが指を軽快に鳴らした瞬間、カーチャの周囲にあった瓦礫で埋まった地面が、突然盛り上がり始めた。地面からは大量の瓦礫が集まり、それぞれの形を成していく。

 

それは、先程の戦闘で破壊した瓦礫の山。それらの素材には銅が大量に含まれている。カーチャはその一つ一つを操っていた。

 

そしてそれが釈迦堂の目の前で醜く変貌する。最初から、こうなる事を分かっていたのだ。

 

自分が描いた、終焉という台本(シナリオ)に。

 

やがて瓦礫は、壊されて放置された自身の存在を主張するかのように、上半身だけの人の姿へと形を変えていく。

 

その姿は、巨人。瓦礫で作られた化け物。身体中コンクリートと鉄骨で剥き出しになっている。

 

まさに瓦礫の銅巨人(スクラップ・ゴーレム)と呼ぶに相応しい。醜く、苦痛と怨嗟に歪んだ巨人の顔が、釈迦堂という獲物を捉えていた。

 

「こりゃ、何の冗談だよ……」

 

釈迦堂を覆い尽くす、銅の巨人。その下には冷徹に微笑むカーチャの姿。まるで映画の中のワンシーンに放り込まれたような状況に釈迦堂が冷や汗をかきながら、叩きつけられた現実に表情を引きつらせていた。

 

「光栄に思いなさい。そして平伏しなさい――――」

 

そして、カーチャは高らかに告げる。釈迦堂に自ら審判を下すために。

 

「――――今から私が下す、女帝(エンプレス)の鉄槌を!!」

 

終幕のベルが、鳴り響く。



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50話「願いを剣に変えて」

由紀江に思いを託されたサーシャと、存在を示そうと妄執に駆られたクローン黛。二人の刃が激突し、激しく火花を散らす。

 

 

「私は……私は黛由紀江だ!本物は――――私だ!!」

 

 

私が本物になると、自分の存在意義の為に剣を取るクローン黛。その目にはもう何も映らない。彼女は“黛由紀江”としての生を欲している。

 

 

だが由紀江が―――サーシャが望むのは、“クローン黛自身”としての新しい生である。その為には、クローン黛を縛るしがらみを断ち切らなければならない。

 

 

それはサーシャにしか出来ない。だからサーシャは戦う。願いを、剣に変えて。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

クローン黛の斬撃を払い除け、サーシャが反撃に映る。サーシャが繰り出す剣技は、クローン黛と引けを取らない程に互角の戦いを繰り広げていた。

 

 

「「――――っ!?」」

 

 

サーシャとクローン黛の最後の斬撃が衝突し、反発して互いに吹き飛ばされていく。

 

 

地面には、凄まじい剣圧で抉られた痕跡が残されていた。その衝撃が、威力の大きさを物語っている。

 

 

「“致命者サーシャ”………知っているぞ、鉄の元素使い!」

 

 

クローン黛の敵意が一層強さを増す。アデプトによって生み出されたクェイサーだ……知っていても不思議はない。

 

 

クローン黛は左手に持つロッドを振りかざし、周囲に水銀を発生させた。術者の殺意が込められた、液体金属という名の悪魔がサーシャに襲いかかる。

 

 

だが、エヴァと戦闘しているサーシャは水銀の特性は知り尽くしている。対処はできるが、相手はそれに加えて由紀江そのものなのだ……油断はできない。

 

 

何故なら、エヴァと由紀江を同時に相手にしているようなものなのだから。

 

 

「――――貫け!!我が血の楔よ!」

 

 

サーシャの血液で錬成された楔が、迫り来る水銀を迎え撃つ。楔は水銀に突き刺さり、水銀は固体となって砕け散る。

 

 

「見切ったぞ!」

 

 

その瞬間、次なる一手が待っていた。まるでサーシャの錬成から生まれる隙を狙っていたように、クローン黛の姿がサーシャの眼前に現れる。

 

 

その疾風の如き斬撃が、サーシャの頭を両断しようと振り下ろされるが……サーシャは寸前で受け止めた。斬撃の衝撃と重みで身体が軋みを上げる。

 

 

それでもクローン黛の攻撃は終わらない。一撃、また一撃と剣戟を叩きつけ続ける。反撃の隙すら与えない彼女の技は、クローンといえども―――否、クローンであるが故に黛流そのものを体現していた。

 

 

(くそ……隙がない!)

 

 

防戦一方のサーシャ。クローン黛の剣の重みで、錬成した日本刀の耐久度が失われていく。それ程の威力なのだ、鋼の如き鉄にも限界がある。

 

 

「砕けろおおぉぉ!!」

 

 

ついに、クローン黛の最後の一撃がサーシャの日本刀を粉砕した。日本刀は真っ二つに折れ、無残にも砕け散っていく。サーシャは次なる武器を錬成するが……この間合いでは間に合わない。連続する剣戟がサーシャの身体を切り刻み、衝撃で地面を転がっていく。

 

 

身体中には、無数の切り傷。サーシャは吐血しながら地面に伏していた。

 

 

黛流……想像していた以上に強いものだった。その姿を見下ろすように、クローン黛が狂ったように笑い出す。

 

 

「く……く、くくははははははははははははははは!これが、これが本物の力だ!私こそが本物だ!黛由紀江だ!!!!」

 

 

サーシャに一矢報いた事により、強さを示したクローン黛。それはクローン黛にとって、同時に自分が黛由紀江である事の証明だった。強さこそが、その証であると。

 

 

「……違う」

 

 

サーシャが小さく呟きながら、口についた血を拭いゆっくりと立ち上がる。それは、間違いである……彼女の全てを正さなければならない。

 

 

「強さだけが――――あいつの……由紀江の全てじゃない!!」

 

 

サーシャは再び日本刀を錬成し、もう一度クローン黛に向き直る。身体中は傷だらけだが、戦う事はできる。まだ立ち上がるか……とクローン黛の表情が歪んだ。地面に倒れ伏せていればいいものをと、目障りに思うように。

 

 

「俺は……お前を救ってみせる」

 

 

サーシャは負けられない。由紀江と交わした、彼女を救うという約束を。そのサーシャの言葉にクローン黛は歯を食いしばり、怒りを露わにする。

 

 

「私は誰の救いもいらない。そんなものは――――必要ない!!」

 

 

誰の助けもいらないと激情するクローン黛。だがサーシャは感じ取っていた。その感情の奥に潜む、クローン黛の悲鳴が。

 

 

彼女は今、それを閉ざしている。こじ開けて壊さない限り、彼女は救えない。

 

 

「俺には聞こえるぞ………お前の心の叫びが。お前の悲鳴が」

 

 

「何……?」

 

 

サーシャの言葉が、クローン黛の表情を一変させた。まるで、心の内を見透かされたような感覚。何も思っていない……その筈なのに感じてしまう不快感。この不快感が、クローン黛をさらに苛立たせた。その苛立ちを、無理やり憎悪で塗り潰す。

 

 

「黙れ……それ以上喋るな!」

 

 

クローン黛の刀を持つ手は、怒りで震えていた。それは怒りだけではない、自分では気付かない恐怖から来るものであるとサーシャは勘付いていた。

 

 

自らが、黛由紀江という存在でなくなるという恐怖。彼女は、その目的意識を必死に守り抜こうとしている。

 

 

それがなくなれば、彼女は崩壊してしまうだろう。

 

 

だからこそ、終わらせなければならない。クローン黛をその呪縛から解放する為に。

 

 

「俺は、あいつの願いを……この剣にかけて戦うと決めた」

 

 

サーシャの左頬の聖痕が紅く発光する。今、サーシャの心は震えていた。由紀江に託された聖乳と思いが力となり、武器が、血が、そして心が研ぎ澄まされていく。

 

 

サーシャはもう一度日本刀を構え、再びクローン黛と対峙した。

 

 

「さらけ出せ……お前の心の震えを!」

 

 

彼女の閉ざされた心を開く……この一撃で、この刃で。全てを終わらせるべく、サーシャは走り出した。

 

 

「黙れええええええええええええええええぇぇぇええ!!」

 

 

感情を爆発させながら、クローン黛も疾走する。互いに渾身の一撃をぶつけ、この戦いに終止符を打つ。徐々に距離が縮まり、二人の刃が交差する。

 

 

「―――――おおおおおおっ!」

 

 

「―――――はあああああっ!」

 

 

 

――――――その最中。

 

 

 

クローン黛の視界に、思わぬものが写り込んだ。

 

 

「あ―――――」

 

 

ほんの一瞬だけ、サーシャの姿に、由紀江の姿が重なっているように見えた。幻覚か……ありえない。由紀江の聖乳を吸い、共に戦っているとでもいうのだろうか。

 

 

ただ一つ……クローン黛はそれを目にして、始めて“怖い”という感情が生まれた。何故なら、自分のなろうとしていた黛由紀江があまりにも遠過ぎて、手の届かないものだと感じてしまった自分がいたから。

 

 

その時にはもう、動揺して剣が鈍り始めていた。

 

 

 

―――由紀江の持つ、優しさ。

 

 

 

―――由紀江の持つ、思いやり。

 

 

 

―――由紀江の持つ、誰であろうと受け入れようとする心。

 

 

 

自分にはそれがあるだろうか……いや、ない。ただ一方的に本物を消し去り、黛由紀江であろうとしていた自分。

 

 

果たして、黛由紀江の本来の姿なのか……そうではない。それは決して、黛由紀江という存在ではない。クローン黛は、改めて自覚した。

 

 

――――自分は、黛由紀江にはなれない。

 

 

「―――――っ!?」

 

 

二人の刃が重なり合う。だがこの時点で、彼女は受け入れていた。この戦いは、初めからクローン黛の敗北であると確信する。

 

 

そしてサーシャの刃が迫る間際、クローン黛の脳裏にある言葉が浮かんできた。

 

 

“―――――変わらなきゃって、そう思ったんです”

 

 

ある日、黛由紀江になりすまし風間ファミリーに言った言葉。その言葉は、自分自身に向けてのものだったのかもしれない。

 

 

今ならば理解できる。本当の意味で変わりたい……生まれ変わりたいという、自分自身の心の叫びが。

 

 

(そう、か……)

 

 

自分は、“誰かになろうという事”以外を知らなかったのだ。他の誰でもない、新しい自分になればいい。それを教えてくれたのは由紀江。その敵であるクローン黛にも手を差し伸べようとする優しさが、サーシャを通してクローン黛の心を“震わせた”のだった。

 

 

 

 

「――――――」

 

 

「――――――」

 

 

サーシャとクローン黛の刃が交差し、背を向けるような形になる。互いに静止したまま動かない。廃墟ビル内に、冷たい風が吹き抜けていく。

 

 

しばらくこの間が続いたが、先に動きを見せたのはクローン黛だった。クローン黛は剣を落とし、力なく地面に倒れ伏せる。サーシャは彼女に背を向けたまま、

 

 

「――――――罪人に贖いを」

 

 

静かに、そう口にした。サーシャと、そして戦いを見届けていたまふゆは祈りを捧げる。彼女に巣食っていた呪縛が、解き放たれる事を願って。

 

 

この戦いはサーシャと――――由紀江の勝利に終わった。

 

 

 

 

 

一方、激戦を繰り広げていたカーチャと釈迦堂。この戦いにも終わりが見え始めていた。

 

 

カーチャが瓦礫に埋まった銅を操り作り上げた瓦礫の銅巨人(スクラップ・ゴーレム)と、それを呆然と見上げる釈迦堂。カーチャは巨人を従え、釈迦堂という敵を討ち滅ぼさんと、女帝(エンプレス)の裁きを下そうとしている。

 

 

巨人はまるで呻き声を上げるように、瓦礫でできた身体の節々をギリギリと、不快な音を鳴らしていた。

 

 

「……く、くくく」

 

 

戦局が絶望的にある釈迦堂。それにも関わらず、釈迦堂は笑っていた。それも心底楽しそうに。絶望さえも、快楽として楽しむように。

 

 

そして狂ったように、この状況に歓喜しながら。

 

 

「久々に身体中が震えたぜ……俺はこんなにも強えのに、周りはどいつもこいつも弱え奴ばっかりだったからなぁ」

 

 

瓦礫の巨人、そしてカーチャという強敵が釈迦堂を倒そうとしている。そう考えただけで、愉快で堪らない。相手が強ければ強い程、捻り潰したくなるその感情は、戦闘狂だからこそ持つ愉悦である。

 

 

そんな釈迦堂を、カーチャは笑わせないでと嘲笑う。

 

 

「自分が強い?ふん、どこまでおめでたいのかしら……身の程を知りなさい」

 

 

カーチャの声に反応した巨人が動き出す。巨人は口を開け、奥から四つの柱が突出した。

 

 

それは――――電磁放射砲(レールガン)の役割を果たす瓦礫仕掛けの兵器だった。主砲が徐々に放電し始め、電力のチャージを開始する。

 

 

それが意味するものは、まさに死へのカウントダウン。

 

 

「受けなさい――――女帝の鉄槌を!」

 

 

充填完了(フルチャージ)。莫大な電力エネルギーが収束し、圧縮されていく。もはや兵器の域を超えた裁きの光。全てを撃ち抜くイワンの雷撃。釈迦堂の命は、カーチャによって握られていた。

 

 

Вход(撃て)――――――――!!!」

 

 

カーチャの掛け声と共に、女帝の一撃が釈迦堂に向けて解き放たれる。

 

 

だがその直前、

 

 

「……と、いいたいとこだが」

 

 

釈迦堂が口元を吊り上げながら呟いた瞬間、カーチャのいる上空から、大きな気配が近づいてくる。カーチャが気付いた時にはもう、その気配の正体は巨人の首に致命的な一撃を与えていた。衝撃で電磁放射砲の砲撃が停止する。

 

 

「―――――オラオラオラァ!ぶっちぎれろぉおおお!!!!!!」

 

 

その一撃はまるでチェーンソーの如く、禍々しい気を纏った細長い金属棒が、回転しながら巨人の首を切断していた。

 

 

やがて巨人の首を繋いでいた瓦礫が粉々に破壊され、同時にごとりと巨人の頭が落下していき、最後には跡形もなく崩れ去った。

 

 

そして巨人を狩り取った一人の影が、釈迦堂とカーチャの前に降り立ち、姿を見せる。

 

 

現れたのはツインテールで、身長はカーチャより一回り上の小柄な少女だった。その手には首を切断したであろう、ゴルフクラブが握られている。恐らく釈迦堂の仲間か……余計な邪魔が入ったとカーチャは舌打ちをする。

 

 

「まあこういうわけだ。そろそろ潮時なんでな。ここいらで幕を引かせてもらうぜ」

 

 

残念だったなと、釈迦堂は笑う。このまま逃げるつもりか……それはカーチャが許す筈がない。するとツインテールの少女がカーチャの前に立ちはだかり、ゴルフクラブを回転させ始めた。

 

 

「なあ師匠。コイツぶったぎっていい?ウチの肩慣らしにはちょうどよさそうだし」

 

 

少女―――板垣天使(えんじぇる)の露出した左肩には紋章が刻まれていた。禍々しいオーラを纏った黒き紋章。世間を騒がせている謎の元素回路である。しかも今までとは違う……一子がつけていたものとは、力の濃度が明らかに増していた。

 

 

「余計なことすんじゃねぇ、さっさと引くぞ。そのうち思う存分暴れさせてやるからよ」

 

 

今日は楽しませてもらったぜ、とそう言って、釈迦堂はポケットから煙幕を取り出し、カーチャに向かって投げつけた。周囲に煙が広がり、一時的に視界が奪われる。煙が収まった頃にはもう、釈迦堂と天使の姿はなかった。

 

 

逃げられた……しかし、今更追った所で追いつけまいとカーチャは諦めた。またいずれ会う事になるだろうと、そう思いながら。

 

 

「………(ジェレーザ)のやつも終わったみたいね」

 

 

カーチャはサーシャ達のいる、廃墟ビルの方角へと視線を向ける。クローン黛との戦いも終わりを迎えたようである。カーチャは隠れていた華を連れ、廃墟地を後にするのだった。

 

 

 

 

突然、カーチャ達の前に現れた釈迦堂の存在。謎の元素回路を装着した天使。隠されていた謎が、徐々に明らかになる。

 

 

そして、由紀江とサーシャ達を巻き込んだクローン黛の事件。いずれは、大和達にも知らされる事になるだろう。

 

 

事態は静かに収束していく。束の間の安息へと。



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51話「救われた命」

閉ざされていた意識が、徐々に戻っていく。重い瞼を開けた瞬間、蛍光灯の眩しい光が視界に入ってきた。

 

 

思わず目を瞑り直し、その光に慣れ始めていく。和室のようだが……ここがどこで、どうしてここにいるのかは覚えていない。

 

 

身体は手当を受けている。首筋に装着されていた元素回路(エレメンタル・サーキット)は取り除かれていた。

 

 

ただ一つ分かっている事は、自分―――クローン黛がサーシャに敗北した事だけである。そこから先の記憶はない。状況を確認しなければと周りを確認すると、クローン黛の目に最初に飛び込んできたものは、

 

 

『お目覚めかい?オラだぜ』

 

 

「…………」

 

 

馬のストラップの松風だった。クローン黛も思わず目が点になる。一体何をどうコメントしたらいいか悩む。言葉が出てこない。そして次に飛び込んできたのは、

 

 

「うわわわ松風いけません!病人に対してそんな……っていうか彼女は松風が―――」

 

 

慌てふためきながら、松風と会話をしている由紀江の姿だった。どう見ても腹話術にしか見えない。松風を見て吐き気を覚えてしまった事は知っている筈だが、忘れていたらしい。

 

 

「別にいい……平気だ」

 

 

不思議と、今は松風を見ても吐き気はなかった。特に何も感じてはいないようで、由紀江も安心する。

 

 

何故、松風を見ても何も感じなくなったのかは分からないが……今はそんな事はどうでもよかった。とりあえず状況が知りたい。クローン黛は由紀江に訪ねた。

 

 

「ここは……どこだ?私は、どうしてここにいる?」

 

 

サーシャとの戦い以降、一体何があったのか。その後自分はどうなってしまったのか。由紀江は座り込むと、起きた事を事細かに説明を始めた。

 

 

サーシャに敗れたクローン黛は倒れ、丸一日間意識を失っていた。また、彼女が装着していた謎の元素回路は取り除かれ、アトスが解析を行っている。

 

 

一度はアトスに身柄を引き渡される事になっていたが、由紀江がそれを引き止めた。せめて身体が回復するまでとの約束で、現在は島津寮で看病を行っている。

 

 

彼女の話を黙って聞いていたクローン黛。だが、一つの疑問が生まれる。

 

 

「何故……私を助けた?」

 

 

何故敵である自分を、わざわざ周囲の反対を押し切ってまで看病をする必要があるのだろうか。そこまでする理由が分からない。すると由紀江は手の平に乗った松風を差し出した。

 

 

『オラが教えてやるよ。まゆっちは―――』

 

 

「松風、私から言います」

 

 

遮るように、手の平の松風を覆い隠す。ここから先は、松風の力を借りずに由紀江自身が話さなければならない。すぅと息を吸い、整えてからゆっくりと心の内を告白した。

 

 

「実は………私にもよくわからないんです」

 

 

「………は?」

 

 

由紀江から出てきた言葉は、もはや理由が理由ではなかった。ただ無意識に、クローン黛と向き合いたいのだと思って取った行動なのかもしれない。

 

 

言葉を失ったクローン黛だったが、小さくため息をつき視線を天井へと戻した。天井を眺め続けながら、ぼそりと由紀江に呟く。

 

 

「……私はどうなる?」

 

 

「体調が戻り次第、アトスの人達が身柄を保護するそうです。その後の事は分かりません」

 

 

先程話した通りである。クローン黛の体調が回復すれば、アトスに身柄を引き渡される。保護とはよく言ったものだとクローン黛は鼻で笑う。敵である以上、処罰は免れないだろう。

 

 

それに、クローン黛としての役目は終わっている。この際、どんな処遇を受けても構わなかった。逃げようにも、身体もサーシャとの戦闘で満足に動かない。もとより、逃げるつもりもないのだが。

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

しばらく長い沈黙が続く。クローン黛は無言のまま天井を見つめ、気まずい空気をどうにかしようと何か喋らなければ、と慌て始める由紀江。そして、

 

 

「あ、あの………お腹すいてませんか?」

 

 

迷いに迷った末、絞り出てきた言葉がそれだった。クローン黛も返答に迷う。それよりも、情報を聞き出すのが普通なのではないか。調子が狂う……クローン黛は反抗するように由紀江から視線を逸らした。

 

 

「別にいい。お腹は――――」

 

 

そう言いかけた時、腹の虫が部屋に鳴り響いた。それはクローン黛からのものであり、由紀江への返答だった。クローン黛は恥ずかしそうに、少しだけ頬を赤く染めている。

 

 

すると由紀江はにこっと彼女に微笑み、

 

 

「今、ご飯持ってきますね」

 

 

立ち上がって部屋を後にした。クローン黛は由紀江を見送った後、また視線を天井に戻し、目を閉じながら考えに耽る。

 

 

由紀江の優しさに触れたクローン黛。その裏に何かあるのではと、つい勘ぐってしまう。だが由紀江にそれは感じられなかった。純粋な彼女の優しさ……自分にはなかったもの。

 

 

しばらくして、由紀江が食事を持ってやってくる。暖かいお茶とおかゆが用意されていた。由紀江はこれから学校なので、と食事をおいて駆け足でまた部屋を後にした。

 

 

「………」

 

 

身体を起こし、由紀江の作ったおかゆを口に運ぶ……暖かい。空腹が満たされていくと同時に、空っぽだった心も満たされていく。そんな気がした。

 

 

 

 

 

由紀江が出てから数時間。

 

 

部屋の廊下側で、誰かの気配を感じ取った。由紀江と、もう一人は―――クリスである。

 

 

何か話し声が聞こえる。クローン黛は布団から這い出て、重い身体を引きずりながら襖から微かに聞こえる声に耳を当てた。

 

 

「――――本気なのかまゆまゆ。あいつはお前の命を狙った敵だぞ?」

 

 

クリスの声が襖越しから聞こえてくる。クローン黛の事件は、既に風間ファミリーにも知れ渡っていた。無論、由紀江の部屋にいる事も。

 

 

「はい。彼女の身体が回復するまで、私の部屋で看病します」

 

 

皆さんには迷惑をかけるかもしれませんが、と付け加える由紀江。

 

 

そう、この寮は由紀江だけの部屋ではない。大和やクリス達もいる。敵と同じ屋根の下で寝ているのだ、いつどうなるか分からない。その危険も、考慮しなければならない。

 

 

「自分達はいい。心配しているのはまゆまゆだ。また同じような事になれば―――」

 

 

「なりません。決して」

 

 

由紀江はクリスの言葉を遮り、きっぱりと自信を持ってそう言った。なら、その自信の根拠はどこから来ているのか……それは由紀江にしか分からない。真意を知る為、クリスはさらに問い詰めた。

 

 

「それは情報を聞き出すためか?それとも、まゆまゆ自身で―――かたをつけたいからか?」

 

 

「―――――」

 

 

クリスの問いに、しばらく由紀江は沈黙する。部屋で聞き耳を立てていたクローン黛も、当然だと納得していた。やはりどこかで敵だという認識があるのだろう。

 

 

ましてや自分のクローンだ……自分自身で決着をつけたいと、そう思っているに違いない。

 

 

そして由紀江の口からその真意が告げられる。クローン黛は耳を済ませた。

 

 

が、

 

 

「うっ……がはっ、ごほっ!?」

 

 

突然、咽るような咳がクローン黛を襲った。クローン黛は廊下にいる二人に聞こえないよう、必死で咳を抑え込む。

 

 

「――――――は、――――したいと思っています」

 

 

まるで肺が破裂してしまいそうな感覚。しばらく咳は止まらなかった。咳が収まった頃には、会話は終わっていた。由紀江の真意を聞いたクリスはそうか、と言って笑うのだった。

 

 

「まゆまゆらしい答えだな」

 

 

試した真似をしてすまなかったと謝罪するクリス。由紀江も分かってくれればと笑う。

 

 

結局由紀江が何を話したのかは、聞き取る事ができなかった。心に靄が残ってしまったが……いずれは由紀江自身から告げられる事になるだろう。

 

 

クローン黛は布団へと戻り、今はゆっくりと身体を休めるのだった。

 

 

その時、何気なく口を抑えた手の平を見る。そこには、

 

 

「あ――――」

 

 

僅かだが、数滴の血がこびりついていた。咳をした時に吐血したのだろうか。身体に異常が起きている。もう、限界がきているのかもしれない。これが報いか……と自分に下された罰を笑いながら。

 

 

この事は言わないでおこう。クローン黛は血がついた手の平を、握りしめた。



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52話「交わした約束」

数日後。

 

 

クローン黛の身体は、一向に回復の兆しを見せなかった。むしろ変わらない一方である。それでも由紀江は看病を続けていた。

 

 

由紀江だけではない。風間ファミリーの大和やクリス、京やサーシャ達がお見舞いにくるようになった。最初は警戒をしていたが、徐々に話しかけてくれるようになるまで、距離が縮まっている。

 

 

時にはキャップが大量の土産を置きに。クリスがいなり寿司を。岳人がプロテインを……殆どが食べ物のお土産だが、その気持ちは嬉しく思った。

 

 

そんなある日の事。

 

 

寝込んでいたクローン黛に、由紀江が清拭をしようとした時だった。

 

 

「……なあ、お前は」

 

 

側で布を絞っていた由紀江に話しかける。すると、

 

 

『おう、オラになんかようかい?』

 

 

「………」

 

 

由紀江は手の平に松風を乗せて、クローン黛の前まで近づけていた。由紀江を呼んだつもりだが……何故ストラップが出てくる、とクローン黛は言葉を詰まらせる。

 

 

「こ、こら松風……す、すみません。私ですか?」

 

 

どう見ても一人芝居にしか見えないが、あえて見送るクローン黛。だが、同時にクローン黛の疑問でもあった。由紀江が松風を通して話をする理由が、知りたかった。

 

 

「どうして、そのストラップを使って喋るんだ?」

 

 

「え……?」

 

 

思わぬ質問に、戸惑いを見せる由紀江。確かに周りから見れば、松風を通して喋っているようにしか見えない。出会ってからずっと、不思議に思っていたのだろう。そもそも、不思議と思わない方がおかしい。

 

 

しかし、松風は由紀江と共に歩いてきた相棒のようなもの。彼女にとっては、掛替えのないものだった。

 

 

「こ、これは松風と言って付喪神の宿った由緒正しいストラップ……いやいや、父上から貰った大切なものなんです」

 

 

『おう。しかも、オラは付喪神の中でも由緒正しい血統を次ぐサラブレッド中のサラブレッ………あれまゆっち、今さりげなくストラップって聞こえたぜ?』

 

 

「い、いえそんな、私は……!」

 

 

そんな由紀江と松風のやり取りを眺めるクローン黛。今の時点で理解できた事は、松風という存在が由紀江の支えであり、父から譲り受けた大切なものである、という事だ。

 

 

――――それと同時に、寂しさを紛らわすための感情の表れだという事も。そして、由紀江の心の声を通す為の手段なのだと。

 

 

だが、由紀江には大和達のような仲間がいる。伊予のような親友もいる。なのに、何故松風に頼らなければならないのか。するとその疑問に応じるように、由紀江が口を開いた。

 

 

「私は……小さい頃からなかなか友達ができませんでした」

 

 

胸の内を語る由紀江の表情は寂しげだった。武士の末裔として、剣士として育てられた由紀江。彼女は、周囲から畏敬の念をもって接されてきた。

 

 

昔から口下手で友達ができず、苦悩の日々を過ごしていた。そんな由紀江の寂しさを救っていたのが、松風である。

 

 

松風は由紀江の側で、いつでも、どんな時でも由紀江を励まし続けてきた。彼女がここまで来る事ができたのは、松風がいたからこそである。

 

 

故に、由紀江は松風を否定しない。そしてクローン黛の言いたい事は分かっていた。

 

 

もう――――松風は必要ないのではないかと。

 

 

「……お前には、仲間がいる。親友がいる。だから、もう―――」

 

 

「―――できません」

 

 

クローン黛の言葉を遮り、それはできないと顔を俯かせる由紀江。今まで苦難を共にしてきた松風を、簡単に否定する事はできない。松風とは、運命共同体なのだから。

 

 

『……まゆっち、もういいんだぜ?』

 

 

悟ったような松風の声。由紀江も、松風も。薄々と感づき始めていた。

 

 

由紀江には大切な仲間がいて、伊予という親友がいて。サーシャ達と出会い、少しずつ成長した。そして、クローン黛と向き合い、さらに大きな成長を遂げ、彼女に対し自分から友達になりたいと勇気の一歩を踏み出した……踏み出す事ができた。

 

 

今の由紀江は、一人でも前へと進む事ができる。もう、松風に頼る必要はない。その時が訪れていた。

 

 

「で、ですが松風……」

 

 

『成長したなまゆっち……見違えたぜ。もうオラにできる事はなんもねぇよ』

 

 

お前はもう立派に一人で旅立てると、由紀江の背中を押すように語りかける松風。だが、由紀江には決心がつけず、手の平の松風を悲しげに見つめていた。

 

 

「私は……私にはそんなの無理です!松風を、松風をそつ――――」

 

 

『甘ったれんなまゆっち!』

 

 

いつまでも躊躇し続ける由紀江を、一喝する松風。松風はさらに続けた。

 

 

『オラにまゆっちの背中を押させてくれ。これがオラにできる……最後の仕事だ』

 

 

「松風……」

 

 

松風の気持ちを無下にはできない。そしてこれは同時に自身の決意である事を理解する。

 

 

ここで決断しなければ、きっと由紀江はずっと今までのままだろう。何も変わらない。だからこそ、これから本当の意味で変わらなければならない。

 

 

ここが、彼女のスタートライン。

 

 

「………ありがとうございます。松風」

 

 

そう言って、由紀江は松風に別れを告げた。涙を見せず、松風を笑顔で見送る。これが由紀江にできる精一杯の笑顔だった。

 

 

『オラもまゆっちと一緒にいて楽しかったぜ……ありがとな』

 

 

さよなら……と松風も由紀江に別れを告げ、長年付き添った松風という役目を終える。

 

 

これで晴れて、由紀江は松風を卒業した。長い長い二人の時間は決して忘れはしないと、胸に留めながら。

 

 

するとクローン黛の手が、松風を持った由紀江の手を優しく掴んだ。その手は弱々しく、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 

 

「約束してくれ。もう、松風は使わないと……」

 

 

「はい、誓います」

 

 

そのクローン黛の手を、両手で包み込む由紀江。必ず約束は守ると。剣士として、そして他ならぬ“黛由紀江”として、彼女に誓った。

 

 

「この松風は……貴方が持っていてください」

 

 

その証として、由紀江はクローン黛に松風を託したのだった。これは御守りですと、クローン黛の身を案じるように。その優しさが彼女に伝わったのか、クローン黛は、

 

 

「……ありがとう。安心、した―――」

 

 

最後に、由紀江にそう微笑みかけたのだった。彼女の弱々しい手が、するりと由紀江の両手から滑り落ち、力なく畳へと投げ出される。

 

 

その手から、松風が虚しく転がっていく。松風には僅かだが、血がこびりついていた。

 

 

そしてそれ以上、クローン黛がしゃべる事はなかった。彼女は満足したように、安らかな表情で眠っている。

 

 

「え………」

 

 

状況が飲み込めない。クローン黛は死んだように由紀江の目の前で倒れ伏せている。眠ったのだろうか……否、由紀江は必死にそう思いたいと願っていた。彼女からは一切の気が感じられない。

 

 

知っている。分かっている。彼女に生気がないことも。呼吸がないことも。

 

 

それはつまり。クローン黛の死を意味していた。クローン黛は由紀江に願いを託し、由紀江の腕の中で、その命を散らしたのである。やがてその残酷な現実が、由紀江にどっと押し寄せてきた。

 

 

「う……あぁ……うぅ…………!」

 

 

由紀江の目からは、一筋の涙。抑えきれないほどの悲しみが、涙と共に溢れ出てきた。由紀江は力を失った彼女の手を両手で握りしめながら、彼女の死を嘆き、泣き続けていた。

 

 

 

しばらくして、大和とキャップ、サーシャが由紀江の部屋の襖を開けた。

 

 

「おーいまゆっち。差し入れ持ってきた………ぜ?」

 

 

勢いよく声を上げるキャップだったが、今の状況を目の当たりにして言葉を失う。そこには啜り泣く由紀江と、力なく眠っているクローン黛がいる。

 

 

一瞬何が起きているのか分からなかったが、キャップ達はすぐに理解できた。大和も絶句し、サーシャは目を細めている。

 

 

「………りに、して、ください」

 

 

掠れた由紀江の声が、咽び泣きながらキャップ達に訴えかける。彼女の表情は見えない。ただ彼女の背中は、ひどく寂しげだった。

 

 

「えぐっ……ひとりに……ぐすっ……してください!!」

 

 

今まで聞いたことのなかった、由紀江の荒れたような叫び。今は、気持ちを整理する時間が欲しいのだろう……キャップ達はただ黙って、由紀江の部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

日が沈んだ寮の庭にて。

 

 

キャップは縁側に座り込み、視線を地面に落とし、由紀江の気持ちの整理がつくのをただ待っていた。今のキャップにできる事は、それしかないと思ったからである。

 

 

サーシャはキャップの横で壁に寄りかかりながら、目を閉じ静かに瞑想を始めていた。

 

 

そんな中、

 

 

「くそ……くそっ!くそっ!」

 

 

大和は近くにあった木をひたすら殴り続けながら、自分の感情を吐き出していた。何度も叫びながら永遠と殴り続けている。

 

 

どれくらい殴っただろう……拳には血が滲んでいた。大和は拳を止め地面に視線を落とし、

 

 

「……みんな傷ついた」

 

 

ぼそりと、小さな声で大和は呟いた。そして大和の抱いていた怒りが爆発する。

 

 

「ワン子が後遺症を患った……京は死ぬ程怖い目にあった!まゆっちは心に傷を負った!」

 

 

また木を殴りつけ、力任せに叫ぶ大和。仲間を傷つけられた事への怒りは、もう既に限界を超えていた。

 

 

「サーシャ……俺はアデプトを絶対許せねぇ!こんな酷い事を平気でしやがって……俺は……!」

 

 

大和の拳はもう、皮膚が剥がれ血塗れになっていた。それ程、大和の怒りは凄まじいものなのだろう。大和が再び拳を上げたその時、その腕をキャップが掴んで静止する。

 

 

「……やめろ大和。悔しいのはお前だけじゃねぇ、俺達も同じだ。そうだろサーシャ」

 

 

言って、キャップは隣にいたサーシャに問い掛ける。サーシャは何も答えない。だが答えなくとも分かる。サーシャの左頬に刻まれた聖痕から血が滲み、怒りを象徴するかのように頬を伝っていた。

 

 

大和は悪い、と言って冷静さを取り戻し、拳をゆっくりと降ろす。

 

 

大和だけではない。キャップやサーシャ達も同じ思いをしているのだ。仲間に手を出された……彼らはアデプトを赦さない、と。

 

 

(オレの心は今、怒りで震えている……!)

 

 

夜空を見上げながら、サーシャは決意する。アデプトを倒す……そして全てを終わらせる、その時まで。



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53話「新しい自分へ……」

クローン黛が息を引き取ったという連絡を受け、ユーリはアトスの人間を派遣し、その遺体を一時的に川神院へと保管。後日司法解剖が行われる。

 

 

大和達もその事実を知り、悲しみにくれた。由紀江本人はショックのあまり、未だ気持ちの整理がついていない。その為学園も休み、現在は部屋から出ない状況であった。

 

 

大和達とも、今は話したくないと拒んでいる。クローン黛の死は、彼女にとってあまりにも大きな心の傷となってしまった。

 

 

今は、由紀江が立ち直るのを待つしかない……これは由紀江自身の問題なのだ。この悲しみを、乗り越える事ができるまでは。

 

 

 

そして、クローン黛の遺体が運ばれ時間が経ったその日の夜。それは起こった。

 

 

「う……ぐす……」

 

 

クローン黛の死を思い出してしまい、泣き続ける由紀江。本人は眠ってはいるが……夢でその出来事が繰り返されているのだろう、まるで魘されているように悲しみに暮れていた。

 

 

泣き続ければ泣き続ける程、由紀江の悲しみが膨れ上がる。傷は一生癒える事はない。悲しさで胸が締め付けられていく。

 

 

「ん……ん…ぐすっ……ん……」

 

 

悲しさが心が埋め尽す。そして同時に、身体の中の何かが、吸い出されるような感覚に襲われる。全身が痺れ、悶え、びくびくと身体を震わせる。

 

 

「ん……あっ……うぁ………!」

 

 

心を支配していた悲しさが、表現のしようがない何かに塗り潰されていく。身体……特に胸の当たりが過敏に反応し、思わず声を出さずにはいられない。

 

 

「うぁ……あ、あっ………あぁ!?」

 

 

夢でも見ているのだろうか。あまりの悲しさに、とうとう慰めに耽るまでに自分は堕ちてしまったのか。この何とも言えない感覚に耐えるように、布団のシーツを握りしめる。

 

 

それでも、この感覚は―――快楽は終わらない。

 

 

「あ……あぁ!うっ……ん!?」

 

 

快楽に責められ続け、身体が敏感に反応を示し始める。大量の汗をかき、必死に耐えようと我慢するが……もう耐えられない。彼女は絶頂を迎えようとしていた。

 

 

そして、

 

 

「あ……んんううううううううううううううううううぅ!?」

 

 

絶頂し、身体をびくんと震わせた。この甘い快楽という夢から覚めた由紀江は布団から飛び起き、今が現実である事を再確認する。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 

息を荒げながら、飛び跳ねるように鼓動を打つ心臓を押さえ、息を整える。酷い―――というより妙な夢だった。汗で衣服が肌に張り付いている。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

ようやく呼吸の乱れがなくなり、落ち着きを取り戻す。着ていた衣服は前のボタンが全て外れ、下着も取れ、素肌が露わになっていた。

 

 

「………え?」

 

 

そこで由紀江は気づく。何故、素肌が見えているのだろう。ボタンを外した覚えも、下着を取った覚えもない。

 

 

夢で魘されている内に自分で取り去ったのだろうか。あり得ない……事もないかもしれない。あんな夢を見ていたのだから。

 

 

「――――!?」

 

 

一瞬、由紀江の布団がもぞりと動いた気がした。身構える由紀江。誰か侵入したのか……それならば寮へ入った時点で気を感じる筈である。悲しみにくれていたとはいえ、気を感じる程度の事はできる。

 

 

「ひっ………!?」

 

 

布団は、やはり動いていた。何かいる。しかし気配は感じない。

 

 

では―――この布団でモゾモゾと蠢いている物体は一体なんなのだろうか。しかし、襲ってくる様子はない。由紀江は正体を確かめようと、警戒しながら部屋の電気をそっと……つけた。

 

 

そこには―――――。

 

 

「―――――うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

島津寮に、この世の物とは思えない程の由紀江の絶叫が響いたのだった。

 

 

 

 

「どうしたまゆっち!」

 

 

「まゆまゆ!」

 

 

由紀江の絶叫を聞きつけた大和とクリス、キャップと忠勝が由紀江の部屋へと駆け込んだ。ここは男性侵入禁止だが、そんな事は言っていられない。

 

 

由紀江の身に何か起きている……大和はノックもせずに、由紀江の部屋の襖を開けた。

 

 

「まゆっち!大丈夫………か」

 

 

部屋の惨状に言葉を失う大和。そこには泡を吹きながら気絶して伸びている由紀江の姿があった。由紀江は素肌を露わにしながら目を回して倒れている。忠勝は目を隠し、キャップは後ろを向き、大和は由紀江に釘付け。咄嗟に京が見ちゃダメと大和に目隠しをする。

 

 

何故由紀江が気絶しているのだろうか。そして、由紀江の布団の中で蠢く何か。その蠢く何かが由紀江を気絶させた元凶である事は、間違いない。

 

 

敵か……京は弓を、クリスはレイピアを構える。刺客か、アデプトか、それとも……部屋中に緊迫した空気が流れる。

 

 

やがて、布団を被っていた何かに動きが見えた。動いた表紙に布団がずれゆっくりと落ち、布団を被っていた何かの姿が現れる。大和達は息を飲んだ。

 

 

その正体は。

 

 

「「「「な―――――」」」」

 

 

思わず絶句する大和達。何故ならそこにいた人物は………。

 

 

「…………」

 

 

死んだ筈の、全裸状態のクローン黛だった。

 

 

 

 

「これがまゆっちの―――!」

 

 

「大和は見ちゃダメーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

数時間後、当事者と現場にいた大和達は川神院へと招集された。

 

 

川神院の客間には現場に居合わせた大和達と、由紀江。そして鉄心とユーリ。サーシャ達一行が集まっている。

 

 

そして、鉄心の前で正座させられているクローン黛(全裸だったので服を借りた)。

 

 

これは一体どういう状況なのか。何故死んだ筈のクローン黛が、由紀江の部屋に侵入したのか。ともかく、本人から聞き出さなければならなかった。

 

 

「ふむ……では、話を聞かせてもらおう。クローン黛」

 

 

咳払いして、早速クローン黛に問い質す鉄心。無論、クローン黛が妙な真似はしないよう、修行僧やサーシャ達は万全な状態である。もし危害を加えれば容赦はしないと、鉄心も目で訴えかけている。

 

 

しかし、クローン黛は特に敵意を向けているわけでもなく、怯えている様子も見られない。まるで人が変わったように、落ち着いている。

 

 

おまけに、何故自分がこんな状況にあっているのかさえ、分かっていないようだ。話が進みそうにないので、クローン黛は経緯の説明を始めた。

 

 

「……目が覚めたらここにいて。とりあえず“ゆっきー”の気を辿って寮に忍び込んだ」

 

 

……………。

 

 

全員、沈黙。ツッコミどころがあり過ぎて、どこを突ついたらいいか迷っていた。

 

 

「その……“ゆっきー”とやらは、一体誰の事じゃ?」

 

 

調子が狂う。鉄心は思いついた疑問をぶつけてみる。すると、クローン黛は隣にいた由紀江を指差した。どうやら由紀江の事らしい。

 

 

「気配を消して忍び込んだか。おい、狙いは何だ?まゆまゆの命か!?」

 

 

話を聞き、痺れを切らしたクリスがクローン黛を睨みつけながら声を荒げる。しかし、クローン黛から返ってきた言葉は、意外なものだった。

 

 

「……いや、ゆっきーの聖乳(ソーマ)だ」

 

 

「……は?」

 

 

平然と言ってのけるクローン黛の返答に、言葉を失うクリス、そして大和達。隣にいた由紀江は顔を真っ赤にして、恥ずかしさのあまり床に倒れている。

 

 

話を纏めると、クローン黛は突然息を吹き返し、聖乳補給の為に川神院を脱走。由紀江の気を辿り、島津寮に忍び込んだ。その後、夜這いでもするかのように由紀江の布団に潜り込み聖乳を吸った所を大和達に発見された……という事だった。

 

 

「妙だ……オレが戦った時のクローン黛と性格が違い過ぎる」

 

 

まるで別人だ、と声を漏らすサーシャ。サーシャと対峙した時のクローン黛は、もっと冷酷で残虐性のある人物であった。

 

 

しかし、今目の前にしているものとは明らかに違う。落ち着き過ぎている上に由紀江の聖乳を吸いましたなどと、巫山戯た行動をする始末。これが別人でなくてなんと言おう。

 

「……恐らく、ですが」

 

 

と、ユーリ。ユーリは一呼吸置いて、立てた推測の説明を始めた。

 

 

「確かに彼女は死にました。ただ……死んだのは彼女の別の人格でないでしょうか?」

 

 

ユーリの推測はこうである。クローン黛は確かに由紀江の前で息を引き取った。但し、死んだのはサーシャ達と戦っていた“クローン黛の人格”であり、一時的に仮死状態だったという事ならば一応説明はつく。

 

 

「この推測が正しければ、今の人格が彼女の本来の人格という事になります」

 

 

クローン黛に装着されていた元素回路(エレメンタル・サーキット)は一子がつけていたものと同じである。一子も現に人格変貌を起こしている事から、元素回路の影響で変貌が起きたとすれば納得がいく。

 

 

元素回路が取り除かれ、クローン黛の変貌した人格が死に、本来の人格に戻った……ここに居合わせている誰もが、あり得ないという顔をしている。そして由紀江自身も、今まで悲しんでいた私は一体……と、とても切ない思いをしていた。

 

 

「……ともかく。クローン黛が生きていると分かった以上、アトス本部へ引き渡さなければなりません」

 

 

クローン黛の処分は、それから下されるとユーリは告げた。このまま、川神院に置くわけにもいかない。明日にはアトス本部へと連行され、取り調べを受ける事になるだろう。

 

 

クローン黛も元素回路を装着していたとはいえ、全てを覚えているらしい。自分のした事を認め、罰を受けようという彼女の表情は潔かった。

 

 

すると、

 

 

「ま……待ってください!」

 

 

隣にいた由紀江が声を上げ、ユーリに抗議を始めた。そして、由紀江の口からとんでもない提案が告げられる事になる。

 

 

「彼女の事は……どうか、私に任せては頂けないでしょうか?」

 

 

無理なお願いだという事は分かっていますと、由紀江。つまりクローン黛を保護するという事であった。その提案は、当然受け入れられる筈がない。

 

 

それは無理な相談ですね、と眈々と答えるユーリ。それでも由紀江は食い下がった。

 

 

「私が……私が責任をもって彼女の面倒を見ます!身の回りのことも、全部!」

 

 

由紀江の決意は揺るがない。クローン黛の事を、一任してくれと頼み込む由紀江。その姿を見て困りましたね、とユーリ。しばらく考え込み、

 

 

「仮に貴方にお任せしたとして。もし、彼女が貴方や大和さん達に刃を向けたら……どうするおつもりですか?」

 

 

ユーリはその覚悟を問い始めた。クローン黛は一度敵として、由紀江やサーシャに刃を向けている。元素回路がないとはいえ、襲わないとは言い切れない。

 

 

クローン黛を預かるという事は、常に危険と隣り合わせという事だ。さらには周囲の人間にまで危害を加える可能性も否定できない。

 

 

それでも覚悟があるのならと、ユーリは言っている。それに対し由紀江はしっかりとユーリを見据えて、

 

 

「その時は――――私の手で、彼女の首を跳ねます!」

 

 

揺るぎない覚悟を、示したのだった。由紀江の目は本気である。もしクローン黛が刃を向ければ、迷いなく彼女の命を経つだろう。その真剣な表情から伝わる覚悟は、周囲の空気を凍りつかせた。

 

 

由紀江の覚悟を聞いたユーリは含み笑いをして、

 

 

「と、由紀江さんは言っていますが……どうでしょう。サーシャ君」

 

 

「だから俺にふるな破戒神父」

 

 

サーシャに最終決断を投げるのだった。サーシャにとっては鬱陶しい事この上ない。このまま任せるか、アトスに引き渡すか……どちらにせよ安全が保証されるわけではない。

 

 

それなら、とサーシャは由紀江に顔を向けた。

 

 

「お前の好きにしろ。だが妙な真似をすれば、俺は迷いなくそいつを斬る」

 

 

それだけは肝に命じておけとサーシャ。異存はないようである。

 

 

「まゆっちがそういうならいいんじゃね?ん……待てよ。って事は寮で暮らすって事だよな?何か面白くなってきたぜ!!」

 

 

一人で盛り上がるキャップ。忠勝は相変わらず好きにしろとだけ口にする。

 

 

「自分も構わんぞ。それに、今の彼女に悪意は感じなかった。ここは、彼女とまゆまゆを信用しよう」

 

 

と、クリス。

 

 

「私はOK。何か賑やかになりそうだね。あ、でも大和に手を出したら容赦しないから。もちろん性的な意味で」

 

 

京も同じく。但し大和には手を出すなと念を押して。

 

 

「俺も賛成だ。まゆっちの意志を尊重するよ」

 

 

大和も快く承諾してくれた。これで寮に住む全員と、サーシャ達の承諾を得る事が出来た。皆さん……と感謝する由紀江。ユーリも仕方ありませんとわざとらしく肩を落とす。

 

 

――――と、勝手に話は進んでいるが。クローン黛自身の意見を聞いていない。クローン黛が否と答えればそれまでだ。どちらを選ぶかは彼女に権利がある。

 

 

「……すまないが、紙をくれないか」

 

 

今まで黙って聞いていたクローン黛が紙を要求する。修行僧の一人が半紙を彼女に差し出すと、クローン黛は突然自分の親指の皮膚を噛み切り、半紙に血で文字を書き始めた。その行為に、誰もが目を見開く。

 

 

そこには、

 

 

 

 

 

“私は黛由紀江の保護の下、周囲に一切の危害を加える意志がない事を証明します。”

 

 

“また、今後は黛由紀江を護る剣となり、盾となり、この命を捧げる所存です。”

 

    

“もし、万が一この制約を破るような事があれば自らの手で自分の命を絶ちます。”

 

 

“黛由紀江には、決して手を汚すような事はさせないと誓います。”

 

 

 

 

 

血文字で書かれた、クローン黛の誓約書である。

 

 

敵である自分を、暖かく迎えてくれた。その恩義と決意を、ここに己の血で証明した。これに背く事は、決してないだろう。彼女の誓いは本物である。

 

 

「……どうか、よろしくお願いします」

 

 

由紀江に一礼して、誓約書を差し出すクローン黛。

 

 

彼女が生きていた事。彼女がここにいたいと言う事。様々な思いが由紀江の心を満たし、嬉しさのあまり感涙する。由紀江は震えた声で、クローン黛に返答した。

 

 

「はい。こちらこそ……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

川神院での一件後、一度寮へと戻った由紀江とクローン黛。最終的にユーリから許可を貰い、アトスによる一定期間の保護観察、そして今後の捜査に協力する事を条件に、島津寮で暮らす事を許された。

 

 

また、クローン黛の戸籍や、その他在学等の身の回りの手続きは全て、ユーリが手配してくれたらしい。

 

 

由紀江とクローン黛は部屋に入ると、正座して互いに面と向かいあった。

 

 

「先程ユーリさんからご連絡がありました。明日から川神学園に在学できるよう、手配してくれたそうです」

 

 

「そうか。何かと世話になるな」

 

 

明日から川神学園の生徒として、一緒に登校する事になる。ユーリ曰く、由紀江の双子の妹と言う形で口裏を合わせている。いずれは由紀江の両親にも、伝えなければならない。

 

 

「洋服とか、下着は私とサイズ一緒ですから大丈夫ですね。あ、あとそれから……」

 

 

これから一緒に、一つ屋根の下で暮らすのだ……生活用品は何かと必要になる。あれこれ考える由紀江の姿は、どこか楽しそうだった。

 

 

一通り話を終える由紀江。こほんと咳をしてから、今度は話題を変える。

 

 

「あの、昨日の夜の事ですが………」

 

 

昨夜、夜這いをして聖乳を吸われた由紀江。突然の事で抵抗できなかったが、今後ああいう事をされると対応に困る。

 

 

「聖乳を吸うなとはいいません。ただ、その……欲しい時は、言ってください」

 

 

恥ずかしそうに、そう答える由紀江。一言断りを入れれば、補給はしてもいいようだった。クローン黛もクェイサーなので少し安心する。

 

 

「分かった。今後は断りをいれよう」

 

 

約束する、とクローン黛は承諾した。してもらわないと困る……と、由紀江は心の中で思うのだった。

 

 

……………。

 

 

しばらく沈黙が続く。由紀江は何を言えばいいか、言葉を選んでいる。

 

 

それとは対照にクローン黛は真顔だった。それがプレッシャーになり、さらに慌てて目を逸らしてしまう。

 

 

すると、

 

 

「一つ、聞きたい事がある」

 

 

先に口を開いたのはクローン黛だった。何でしょうかと、クローン黛に姿勢を戻す。

 

 

「この前、実は廊下でゆっきーとクリスが話しているのを聞いてしまった。あの時、ゆっきーは……なんて言ったんだ?」

 

 

クローン黛が島津寮に来てから数日後、由紀江とクリスが話している所を、襖越しに聞いていたらしい。死んでしまった人格の記憶を残しているクローン黛が、一番気になっていた事である。

 

 

「あ……はい、私はあの時――――」

 

 

由紀江も、いつかは話さなければならないと思っていた。今がその時である。

 

 

由紀江は微笑んだ。彼女に伝えたかった事を伝える為に。

 

 

「――――“私は、彼女を家族にしたいと思っています。”って、そう言ったんです」

 

 

クローン黛を、友人ではなく家族として迎え入れたいと言ったのである。確かにクリスの言っていた通り、由紀江らしい答えだった。クローン黛は始めて、自分の居場所ができたと実感する。

 

 

そして、由紀江を……大切な人を必ず守ろうと誓うのだった。

 

 

由紀江の剣として、盾として。

 

 

「そういえば、私の名前は“黛由紀江”なのか?学籍上に問題はないだろうか……」

 

 

ふと、思い出したように疑問を抱くクローン黛。当然ややこしい事になるので、そんな事はしていない。由紀江は待ってましたと言わんばかりに、無邪気に笑う。

 

 

「それならもう決めています。貴方の名前は―――」

 

 

既に名前は決まっていた。クローン黛が、新しい自分になる瞬間。由紀江のクローンではない、由紀江の家族。

 

 

彼女の名前は――――。

 

 

「“由香里”………黛由香里です」

 

 

“黛由香里”。それが新しく与えられた名前。彼女のスタートライン。

 

 

「由香里……か。いい名前だな」

 

 

クローン黛は名前を気に入り、これから始まる新しい自分を祝福し、笑うのだった。

 

 

 

 

二人はそれぞれ歩き出す。由紀江は松風を卒業し、新しい自分に向かって。そして、彼女も今日から、新しい自分が始まろうとしていた。

 

 

 

クローン黛ではなく――――由紀江の家族、黛由香里として。



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54話「双子と聖乳と同性愛者 1」

待ちに待った由香里の初登校日の朝がやってきた。由紀江と由香里は制服に着替え、大和達と共に寮を出ていく。

 

 

多馬川の土手を歩く大和達一行。そして百代、一子。岳人と卓也。サーシャ、まふゆ、華と合流。いつもの朝が始まる。

 

 

当然注目されるのは由香里。風間ファミリーの新しい仲間である。

 

 

「しっかし……ホントそっくりだなお前ら」

 

 

岳人も改めて由紀江と由香里を見比べる。どこからどう見ても瓜二つだった。見分けが全くと言っていいほどつかない。

 

 

念の為見分けがつくように、由紀江は髪を二つに結び、由香里は髪は結ばずストレートにしている。それでもそっくりなのは変わらないのだが。

 

 

「まゆまゆにゆかりんか……まさに双子どんぶりだな。ふふふ」

 

 

由紀江と由香里を交互に見ながらニヤニヤする百代。

 

 

大和達やサーシャ達も、間近で見て目が釘付けになっていた。家族の構成上は双子という設定だが、ここまで似ていると言葉も出ない。

 

 

―――由紀江と、新しい仲間、由香里。

 

 

ファミリー全員から注目を浴びる二人。これからどんな日常になっていくのだろう。

 

 

しばらく学園へ続く道を歩いていると、ファミリー達の前にぞろぞろと不良達が集まってきた。百代に勝負を挑む、命知らずな挑戦者達である。

 

 

不良達は下品に笑いながら、金属バットや鞭、ハンマー、どこから手に入れてきたのかモーニングスター等の凶器を手に百代に立ちはだかっていた。

 

 

「川神百代!てめぇの首、貰いにきたぜっ!」

 

 

「フルボッコにして、俺達の肉便器にしてやんよ!」

 

 

「野郎どもやってやろうぜ、ひゃっはーーーーーーーーーーー!!」

 

 

打倒百代を掲げ、士気を高める不良達。邪な欲望を剥き出しにしながら百代に挑もうとしている。百代の強さを知らないのだろう……察するに田舎から出てきた不良達である。

 

 

百代は無謀な挑戦者達に向けてニヤリと、待っていたとばかりに笑うのだった。

 

 

「ちょうど退屈してた所だ……いいだろう、纏めて相手をしてやる」

 

 

百代にスイッチが入り、不良達と百代は戦いの場を土手の川沿いへと移す。その戦いを一目見ようと、登校中の川神学園の生徒達や百代ファンの女子生徒達がギャラリーとなって集まり始めた。

 

 

大和達も御愁傷様と心の中で憐れみながら、ギャラリーに紛れていつもの結末を見物しようと川沿いへ移動する。

 

 

――――だがしかし、この日だけは何かが違った。そしてこの戦いは、思いも寄らぬ形で幕を閉じる事になる。

 

 

「野郎ども、やっちまえぇ!!」

 

 

互いの名乗りを上げる間も無く、不良達が一斉に動き出す。それぞれ武器を構え、百代を倒そうと襲いかかる。百代は微動だにせず不良達を眺めていた。

 

 

不良達には、百代しか見えていない。百代を屈服させ、自分達の欲望の吐き出し口にしようとしている……だがそれは叶わない。何故ならこれから不良達は、百代によって一瞬で葬られてしまうのだから。

 

 

不良達と百代との距離が縮まっていく。不良達は勝利を確信する。一方の百代は、目を閉じ待ち続ける。

 

 

次第に距離が僅かになり、目と鼻の先に不良達が百代に近付いた瞬間、百代は目を開けた。今こそが動く時。

 

 

だが百代が目を開けた瞬間、間に割り込むように一人の影が舞い降りた。

 

 

「なっ――――」

 

 

思わず声を漏らす百代。それは不良達も同じである。両者との間に突然現れた影。

 

 

それは、

 

 

「―――――――」

 

 

なんと、由香里であった。由香里は百代の前に立ち、不良達に立ちはだかる。彼女が降り立ったその時にはもう、勝負の行方はついていた。

 

 

 

――――――――。

 

 

 

土手には、気絶して倒れている不良達の姿。不良達は身体を見えない糸で縛られ、身動きが取れないまま気を失っている。残るは由香里と呆然と立ち尽くしている百代。敗北した不良達。後には何も残らない。

 

 

由香里はつまらなそうに不良達の無残な姿を見下ろしていた。その左手には水銀(シルバー)ロッドが握られている。不良達が近付いた瞬間、水銀の鞭で強打して気絶させ、水銀を展開して身体を縛ったのである。

 

 

まさに、一瞬という名の芸術だった。その一部始終を見ていたギャラリーも、歓声を通り越して言葉を失っている。

 

 

これが、由香里のクェイサーとしての能力。片鱗ではあるがその力は本物である。由香里の強さを見せつけられた百代はしばらく見惚れていたが、戦いを邪魔された事に変わりはない。

 

 

不良達は再起不能。戦えないと分かった百代は不機嫌になり文句を言い始めた。

 

 

「おいゆかりん!こいつらは私の獲物――――」

 

 

と、文句を言う対象の由香里はいつの間にか百代の前から姿を消して、ギャラリーへと足を運んでいた。

 

 

由香里が運んだ先は……百代のファンの女子生徒達である。由香里は百代ファンの一人をお姫様のように身体を抱き上げ、優しく微笑みかけていた。

 

 

「すまない。君が可愛いから、思わず抱いてしまった」

 

 

「へ……?」

 

 

「私は黛由香里だ。君の名前は?」

 

 

「あ……えっと、御手洗です」

 

 

「御手洗さんか。放課後私とお茶でもしよう。もちろん、私の奢りだ」

 

 

由香里は女子生徒を口説き始めていた。抱きかかえられた女子生徒は由香里を前にどうしたらいいか分からず狼狽えていたが、徐々に表情をうっとりさせながら、最後には由香里に完全に口説き落とされた。

 

 

それは、舞い降りた一輪の百合の花。凛々しく、されど可憐な振る舞いを見せる由香里の姿は“大和撫子”と呼ぶに相応しい。

 

 

「は、はい……喜んで」

 

 

由香里の魅力にすっかり虜になってしまった女子生徒は、されるがままに身を委ねていた。周囲の女子生徒達も、由香里という存在に引き込まれていく。

 

 

「も……モモ先輩も素敵だけど、由香里さんも、素敵……」

 

 

「あたし……抱かれてみたい」

 

 

「私、頬ずりして欲しい!」

 

 

周りに一斉に伝染し、騒ぎながら由香里に群がる百代ファン達。由香里は笑顔を振りまきながら彼女らを慕う。百代とはまた違った魅力に、彼女らは刺激を受け心を動かされていた。

 

 

その由香里の行動に、誰もが―――特に風間ファミリー全員が驚愕していた。

 

 

予想だにしない由香里の一面。何よりも驚いていたのは由紀江である。自分が百代みたいな事をしているようで、羨ましいようで恥ずかしいような思いだった。

 

 

だが百代にとっては面白い筈もない。戦いを邪魔された上に自分のポジションを奪われてしまったのだから。

 

 

「ゆかりん。私の可愛い後輩に手を出すとは……いい度胸だ」

 

 

ニヤリと笑みを浮かべ、殺気を放ちながら由香里の側へと近寄る百代。由香里は動じない……百代に視線を向け、挑発的な笑みで返す。

 

 

「この子がモモ先輩だけの後輩と決まったわけではあるまい?まあ、キスマークでもあるなら話は別だがな」

 

 

すると由香里はさらに挑発をかけるように、抱きかかえていた女子生徒の顔を自分の頬に引き寄せると、すりすりと自分の匂いを刷り込ませるように頬ずりを始めた。女子生徒は由香里の柔らかい肌に頬を擦られ、恍惚な表情で夢でも見ているかのように甘い時間に浸っている。周囲の百代ファンも羨ましそうに眺めていた。

 

 

そうか……と静かに告げる百代。それが由香里の答えならば、取る行動は一つ。

 

 

「――――決めた。今からお前を潰す」

 

 

思わぬ由香里の挑発。挑戦状だと受け取った百代は拳を構え、由香里に戦う意志を見せた。由香里は抱いていた女子生徒を下ろし、受けて立つ言って背負っていた日本刀を手に百代と対峙する。

 

 

「――――世代交代だ。モモ先輩の時代は終わった!」

 

 

次は私の時代だと由香里は日本刀を抜く。百代と由香里。一触即発の戦いが今始まろうとしていた。周囲からも想定外の戦いに歓声が上がり始める。

 

 

「……ねえ、由香里ちゃんってもしかして」

 

 

由香里の行動を見ていたまふゆが苦笑いしていた。言いたい事は分かる。あれが、由香里の本来の性格。

 

 

「うん、百合属性ってやつだね」

 

 

まふゆの変わりに京が答えた。見ての通り、由香里は女性が好きなようである。

 

 

「ねえ京。百合属性ってどういう意味?」

 

 

隣りにいた一子が京に疑問をぶつける。京は面白そうに耳打ちをすると、一子は“ぎゃーーー!”と耳を塞いで絶叫した。京が変な事を吹き込んだようである。

 

 

そして二人の戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。

 

 

「――――私が勝ったら、ゆかりんは今日一日私のメイドになれ!」

 

 

百代が叫び、己の拳を振るう。自分の願望を掲げて。

 

 

「――――私が勝ったら、モモ先輩は今日一日私のペットだ!」

 

 

由香里は駆け出す。その剣に自らの願望を秘めて。

 

 

互いの拳と刃が、衝突する。

 

 

「―――――二人とも、やめてください!!」

 

 

衝突、しなかった。二人の間に由紀江が割り込み、戦いの仲裁に入る。

 

 

その表情は、もう真っ赤だった。由香里が女子生徒にあんな事をするとは夢にも思わず、ましてや百合属性があろうとは……初日早々驚きの連続である。

 

 

「止めるなまゆまゆ。これは私とゆかりんの戦いだ……それに私は一度手合わせ――――」

 

 

「――――わかった。ゆっきーが言うならやめる」

 

 

「は!?」

 

 

戦う気満々の百代とは対象に、由香里はあっさりと刀を収めるのだった。由紀江に対しては従順なようである。

 

 

焦らされたような気分を味わい、百代は納得がいかない様子だが……戦意がない相手と戦うのは不本意。調子が狂う奴だな、と顔を顰めていた。

 

 

「その……由香里。一つ聞きたいのですが、ゆ、百合属性というのは本当でしょうか?」

 

 

聞きたくはない。だが確かめておきたい。由紀江は恐る恐る由香里に尋ねる。

 

 

「ゆっきー……私は、」

 

 

由香里から告げられる真実。由紀江はどう捉えるのだろう。そして、

 

 

「――――――美少女が、好きだっ!!!」

 

 

堂々とカミングアウトしたのだった。瞬間、由紀江はショックを受けたと同時に、この一日が早く過ぎ去って欲しいと切に願った。

 

 

「ゆかりん……お前のその志、気に入ったぞ。私とお前は、これから同志であり、同時に好敵手(ライバル)だ」

 

 

自分と同じ何かを感じ取り、百代は私も美少女が大好きだと叫び出した。由香里もそれが通じあったのか、百代と向き合い同志としての格を認め合う。

 

 

「……認めよう。同じ志を持つ者同士、いずれは決着をつけるぞ」

 

 

互いに握手を交わす二人。それ祝福するギャラリー。妙な友情が芽生えた瞬間だった。

 

 

「これが……あの時戦ったクローン黛なのか」

 

 

サーシャ自身も呆れ顔である。あれと真剣に戦っていたと思うと、必死だった自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまうのだった。

 

 

 

初日からいきなり大暴走した由香里。まだ学園にすら着いていないと言うのに、こんな調子では先が思いやられる……そんな慌ただしい日常が、今幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

(うう……助けてください、松風……)

 

 

そして、由紀江はもう既に帰りたくなっていた。



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55話「双子と聖乳と同性愛者 2」

1-C教室にて。

 

 

「今日から転入した黛由香里だ。みんな、よろしく頼むぞ」

 

 

HRの時間。教壇の前に立ち、とびきりの笑顔で自己紹介を始める由香里。第一印象は完璧だが何を仕出かすか分からない為、由紀江には不安で仕方がなかった。

 

 

戸籍上は由紀江の双子の妹で、地元から転入したという事になっている。事情を知っている人間はごく一部だが……この情報が漏れる事はまずないだろう。

 

 

また保護観察と言う事もあり、由紀江とカーチャのいるクラスに転入している。それは、由紀江と由香里の要望でもあった。

 

 

「あ、あの子だよ!モモ先輩と戦おうとしてた子!」

 

 

「黛さんの双子の妹だって。すごいそっくり……」

 

 

百代との一件は既にクラス中に知れ渡っていた。今まで目立たなかった由紀江も注目を浴びる。悪い気はしないが、少しだけ恥ずかしかった。

 

 

―――もう由紀江の噂は、既に消え去っている。話題は由香里の事で持ちきりだった。

 

 

同志と認め合い、すっかり美少女好きと宣言してしまった由香里。百代と並ぶ程にまで人気を獲得した彼女だったが、これはまだ序の口に過ぎなかった。

 

 

これから由香里によって、由紀江は振り回される事になろうとは知る由もない。

 

 

 

 

HRが終わり、早速クラスメイト達が由紀江と由香里を囲うように集まり始めた。沢山のクラスメイトに囲まれ、由紀江はこれまでにない経験に戸惑っていた。いつかこんな日があったらいいと思っていたが、いざそれが現実になるとつい困惑してしまう。

 

 

一方の由香里はというと、由紀江と腕を組みながらニコニコと笑っている。自慢の姉ですと由紀江を賞賛していた。まるで有名人にでもなったような気分である。

 

 

「ねえ由香里ちゃん。お姉さんの事は何て呼んでるの?」

 

 

「“ゆっきー”だ」

 

 

「“ゆっきー”だって、可愛い!黛さん、私もゆっきーって呼んでいいかな?」

 

 

「え……はい。もちろんです!」

 

 

いつの間にか、由紀江もクラスに溶け込むようになっていた。

 

 

今までクラスに馴染めなかった由紀江。それがこうして話せるようになってきている……それは由紀江自身が成長した証なのか。それとも由香里がフォローしているからなのか。

 

 

しかし、どうにも緊張してしまう。手汗をかき、うまく言葉が出てこない。すると、そんな由紀江の心境を察したのか、由香里は由紀江の耳元に優しく息を吹きかけた。

 

 

「ひゃああああああああああああああああう!?」

 

 

教室中に素っ頓狂な由紀江の声が響き渡る。そんな由紀江の反応を見て由香里は笑う。

 

 

「な、なななななななにするんですか由香里!?」

 

 

「私なりに緊張をほぐしてみた」

 

 

由香里なりの気遣いだったらしいが、突拍子過ぎて対応ができない。他の方法でしてくださいと少しムッとする由紀江。

 

 

「む、そうか……じゃあ、耳たぶを甘噛みした方がよかったか?」

 

 

「み、みみみみみみみ耳たぶ!?」

 

 

そんな事をされれば先程以上のリアクションになるだろうが、クラス中どころか学園全体に由紀江の悲鳴が響く事になる。ある意味で有名人になれるだろう。

 

 

由紀江はもう、と顔を膨らませたが……不思議とおかしくなってしまい、自然と由紀江の表情が笑顔に変わっていく。周囲にいたクラスメイト達も、つられて笑い合った。

 

 

由紀江の自然の笑顔を間近で見たクラスメイト達は、こんな顔もするんだ……と、由紀江の新しい一面の発見に喜ぶのであった。

 

 

そんな微笑ましい光景を、自分の事のように見守る生徒がいた。伊予である。それとは逆に詰まらなそうに眺めているカーチャの姿もあった。

 

 

「由香里ちゃん、か。前にあった時とは全然雰囲気違うね」

 

 

ふふ、笑いながら感想を漏らす伊予。カーチャは別にどうでもいいわと興味を示さないが……内心はちやほやされて気に食わない部分があるのだろう。伊予はあえてカーチャに言わないでおく事にした。

 

 

―――伊予が出会った由香里は、元素回路の影響で作られた人格。半ば強姦紛いの行為をした事は、今の由香里の記憶に引き継がれていた。由香里はHR前に伊予と会い、謝罪をしたのである。

 

 

もちろん伊予は彼女を許した。そして由香里を迎え入れた。伊予の大事な友達として。

 

 

「――――伊予ちゃん!」

 

 

伊予を呼ぶ由紀江の声が聞こえる。人間として一回り成長した由紀江と、新しい友人の由香里。伊予も笑みを返しながら、二人の元へと歩き出すのだった。

 

 

 

 

昼食の時間になり、由紀江と由香里、伊予はクラスメイト達と一旦別れて教室を後にする。これから食堂へ行こうとした、その矢先だった。

 

 

「2-Fに行くぞ」

 

 

由香里が突然、そんな事を言い出したのである。これから大和達のいるクラスへ行こうと言うのだ……問題はないとは思うが、一年上のクラスに足を運ぶのは少し気が重い。

 

 

由紀江も伊予も遠慮しているようだが、由香里はどうしてもと頼み込んだ。

 

 

「心配するな。もし何かあったら私が全力で二人を守る!」

 

 

そこまで意気込まなくても……と由紀江と伊予。是が非でも行くつもりらしい。由紀江と伊予は仕方なく、由香里を先頭に大和達のいるクラスを目指した。

 

 

 

 

 

そして、2-F。

 

 

「たのもーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

((えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?))

 

 

声を張り上げ、大和達のクラスの扉を開ける由香里。後ろにいた由紀江と伊予が青ざめていた。これでは喧嘩を売りにきたようなものである。教室にいたクラスの全員が、一斉に由香里達に視線を向けた。

 

 

「おっ、珍しいな」

 

 

「まゆまゆにゆかりん?それにまゆまゆの友人の……」

 

 

「ってか、お前ら何しに来たんだよ?」

 

 

由紀江達に手を振る大和と、昼食のいなり寿司を頬張るクリス。プロテインをがぶ飲みする岳人の三人。

 

 

「たのもーって……」

 

 

「喧嘩じゃねーんだから……」

 

 

「アホだろお前ら」

 

 

しょーもないと冷たい視線を送る京と、苦笑いする華。呆れ返る忠勝。最もである。

 

 

「あ、まゆっちとゆかりんのお弁当だわ!」

 

 

「いや、そこじゃないから!」

 

 

「ああ、一子ちゃんはそっちなのね……」

 

 

持参したお弁当に反応する一子。ツッコミを入れる卓也。一子らしい、とまふゆ。

 

 

―――突然の由紀江達の来訪。歓迎する大和達だが、気に入らない人間もいるようだった。

 

 

一年生が堂々と、しかも喧嘩腰で入ってきたのだ……クラスの一人の羽黒黒子が立ち上がり、由香里を睨みつけながら近づいてくる。

 

 

「ちょっと、アタイらの教室に何しに――――」

 

 

すると、由香里は彼女の言葉を遮るように黒子を抱きかかえる。一瞬の出来事で、黒子自身は抵抗すらも許されなかった。

 

 

「そのチョコレートのような肌、素敵だ……君を、私の熱で溶かしてしまいたい」

 

 

戸惑う黒子に微笑みながら口説きに走る由香里。一見口説いているように見えるが、言っている事はほぼ変態に近い。由紀江と伊予は急いで由香里に駆け寄り、黒子から引き離して謝りを入れてから連れ戻した。

 

 

「…………」

 

 

呆然と立ち尽くす黒子。彼女は今放心状態である。千花が駆け寄り黒子に話しかけるが、反応がまるでない。

 

 

そしてしばらくして、

 

 

「……アタイ、あいつになら抱かれてもいい系」

 

 

「えぇっ!?」

 

 

何を血迷ったのか、黒子はそんな事を言い出したのだった。千花が隣で信じられない、というような表情をしている。

 

 

由紀江とは違った、積極的で行動力のある由香里。由紀江のクローンとは思えない程性格が正反対である。そんな由香里を見て、華は由紀江の肩を叩く。

 

 

「……なあまゆっち。お前少しはゆかりんを見習った方がいいぜ?」

 

 

「うぅ……返す言葉もございません……」

 

 

あんな風になれたら、と由紀江は思う。しかし、到底それはできそうになかった。

 

 

 

 

クラス内で騒動はあったものの、由紀江達は大和達と共に昼食を取る事になった。皆それぞれ昼食を取りながら賑やかな時間を過ごしている。

 

 

「……お前、一体何が目的だ」

 

 

サーシャは昼食を口にしながら由香里の真意を探る。由香里は未だ保護観察扱い。まだ完全に味方であると決めた訳ではないのだ……一体何を考えているか分かったものではない。

 

 

だが由香里自身も特に目的は無いらしかった。来たいから来た、ただそれだけである。

 

 

「ただのスキンシップだ。ほら、サーシャ。あ~んしろ」

 

 

言って、自分の弁当から卵焼きを箸でつつき、サーシャの口に近づけた。サーシャは自分で食べれるからいいと言って断る。

 

 

「面白そうだから私も参加する。はいサーシャ、あ~ん」

 

 

今度は京が箸をつついて、ミートボール(激辛仕様)を近づける。

 

 

「んじゃアタシからもやるぜ。ほらよ、あ~ん」

 

 

続いて、華が面白がって唐揚げを差し出し始めた。

 

 

「アタシもサーシャに少し分けてあげるわ!はい、あ~ん!」

 

 

さらに一子までもが自分のおかずをサーシャの口元へ。

 

 

「ふふ、じゃあこれは私とまゆっちから。あ~ん♪」

 

 

「え……あ、あの。よかったら、その、どうぞ。あ、あ~ん………」

 

 

由紀江と伊予からも手作りのおかずが。

 

 

「む。何か自分だけあげないと言うのも義に反するな……サーシャ、自分からもいなり寿司をやろう。口を開けろ、あ~んだ」

 

 

そしてクリスからもいなり寿司のお裾分け。周囲から取り残されたまふゆ。負けてはいられない……先を越されたくない気持ちでいっぱいだった。

 

 

「さ、サーシャ。あたしからもあげる!ちゃんと食べなさいよね。ほら早く、あ~んして!」

 

 

最後にはまふゆのおかず。四方八方からのおかず責めである。断るに断れない……困り果てるサーシャ。

 

 

武士娘とまふゆ達の手料理。誰もが羨むシチュエーションだが、こんなに入らない。一体どれから食べようか迷っている間もなく、全員一斉にサーシャの口へと詰め込んだ。もごっと口を塞がれる。

 

 

最終的には美味しく頂いたが、サーシャは完全に沈黙した。

 

 

そんなやりとりをしながらランチタイムを楽しむファミリー一同。しばらくしてキャップが戻ったぜー!と声をあげながら教室へと入ってきた。

 

 

「何だ、お前らも来てたのか!俺もまぜろぉ!……お、そうだ。サーシャ、ボルシチ味のお好み焼き買ってきたんだけどよ、食うか?」

 

 

「………もういい」

 

 

 

 

 

放課後の夕暮れ時。

 

 

川が鏡のように夕日が照らし出される土手を、由紀江と由香里、伊予は歩いていた。たまには三人だけで帰るのも悪くない。

 

 

今日も一日、色々な事があった。長いようで短い一日が、ようやく終わる。

 

 

思えばどうなるかと思っていた由紀江だったが、何事もなく……いや、あった。由香里が美少女好きで、耳に息を吹きかけられ、大和達のクラスに乗り込み……数えたらキリがない。

 

 

大変ではあったが、今日と言うほど充実した一日はなかったと由紀江は思う。これからも、こんな毎日が続いたらいいなと願いながら。

 

 

すると、

 

 

「……ようやく見つけたぜぇ!」

 

 

由紀江達の前に、複数人の不良達が待ち構えていた。一体誰だろうか……よく見てみると、朝に遭遇した不良達であった。由香里にボコボコにされ、その復讐の為に現れたのだろう。表情は怒り狂っていた。

 

 

懲りない奴らだな……と由香里は溜息をつく。このまま無視しても構わないが、そうもいかない。仕方なく由香里は由紀江の身体を抱き寄せた。

 

 

「へ?」

 

 

「ゆっきー、聖乳(ソーマ)が足りない。力を貸してくれ」

 

 

「えぇえええ!?ままま待ってください、伊予ちゃんの前でそんな事――――」

 

 

心の準備ができていないと由紀江。由香里は一応断りは入れたぞと言って、由紀江の制服と下着をたくし上げ、露わになった乳に口付けをした。

 

 

「ちょ、ちょっと由香里ちゃ……うわわ……」

 

 

扇情的な光景に、目を覆い隠す伊予。だが好奇心がそそられ、思わず見てしまう。

 

 

「ん………あああぅ……!」

 

 

自分の中の聖乳が、由香里によって吸い出されていくのが分かる。力強くも優しい、由香里の吸引。由紀江も声を出さずにはいられなかった。

 

 

「んくっ……ん……よし。後は私に任せろ」

 

 

ぐったりした由紀江を伊予に預け、水銀(シルバー)ロッドを手に不良達へと視線を向けた。不良達は由紀江と由香里のやりとりを目の当りにし、鼻の下を伸ばしている。

 

 

由香里は目を細めながら、不良達に向けて宣言した。

 

 

「貴様ら、よくもゆっきーの乳を覗き見したな。その罪、死をもって償ってもらうぞ!」

 

 

「え!?ってかそっちが先に始めたんじゃ――――」

 

 

「酌量の余地なし!いざ―――――!」

 

 

由香里が疾走し、不良達に制裁を与えようと水銀ロッドを振るう。宙に舞う水銀が、まるで生きているかのようにうねり出した。

 

 

「――――お前達の血は、私が銀色に染める!!」

 

 

その処刑宣言とともに、不良達は一方的に水銀の餌食となり、死なない程度に叩きのめされていた。まさにずっと由香里のターン、とはこの事である。

 

 

「由香里ちゃん、すごい……」

 

 

由香里のクェイサーとしての戦いぶりに、思わず魅入ってしまう伊予。聖乳を吸われ気絶状態にあった由紀江も目を覚まし、伊予の腕の中でうっすらと笑う。

 

 

「はい……私の、自慢の妹ですから……」

 

 

由紀江にできた、もう一人の妹である由香里。少しエッチで騒がしい所もあるけれど、強くて頼り甲斐のある、由紀江の大切な家族。

 

 

由紀江と由香里との日常は、まだまだ始まったばかりだった。



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サブエピソード27「好かれてしまったお嬢様」

とある島津寮の朝。

 

 

今日は休日という事もあり、由紀江は珍しくぐっすりと眠っていた。由香里が転入した初日で疲れが押し寄せたのだろう、すやすやと寝息を立てている。

 

 

そんな中由香里は一人起きていた。由紀江の寝顔を堪能した後、庭へ出て鍛錬を始める。

 

 

「――――――」

 

 

静かに精神を研ぎ澄ませ、居合の形を取る由香里。彼女はクェイサーだが、勿論剣の鍛錬も欠かせない。いつもなら由紀江と練習試合をするのだが、今日は一人だった。

 

 

これも、全ては由紀江の剣となり盾となる為である。もっと強くならなければ、由紀江を守れない。命をかけて由紀江を守る……自分はその為に在るのだから。

 

 

「―――――?」

 

 

鍛錬中、気配を感じ取った。精神を研ぎ澄ませた彼女には、僅かな気配も感じ取れる。

 

 

「――――すまない、鍛錬の邪魔をしてしまったな」

 

 

現れたのはクリスだった。鍛錬をするつもりだったのか、模造品のレイピアを手にしている。

 

 

「……いや、今始めたところだ」

 

 

由香里は気にする事もなく、居合の形を解いた。熱心だな、と感心するクリス。だが由香里は首を横に振った。これは自分に課せられた当然の行為だと、そう言いながら。

 

 

「……私はゆっきーの剣であり、盾だ。その為だけに私はいる」

 

 

由香里は由紀江を守らなければならない……そう約束した。それはクリス自身も知っている。血文字で書いた誓約書の事も。

 

 

だが、クリスには狂信的に聞こえていた。確かにそれを貫くのは良い事だが、何か引っかかる。クリスは追求を始めた。

 

 

「なあ、ゆかりん。聞きたいんだが、どうしてそこまで守り抜く事に拘るんだ?それじゃあまるで、ゆかりん自身がどうなってもいいように聞こえるぞ?」

 

 

クリスが気になっているのは由香里自身だった。由紀江を守る事は構わない。ただ本人はどうなのだろう。由香里はクリスの質問に対して肯定した。

 

 

自分の事は、どうなってもいいと。

 

 

「そうだ、私はどうなっても構わない。ゆっきーさえ守る事ができれば本望だ」

 

 

それが、由香里の答え。由紀江を守る為ならば命すら惜しくないと、そう言ったのだ。

 

 

彼女の返答を聞いたクリスの表情が変わる。クリスは彼女を睨みつけた。

 

 

「お前……今までずっとそんな気持ちで鍛錬を行っていたのか」

 

 

怒りを抑えるかのように、静かに問い質すクリス。何故怒っているのか、由香里には理解できなかった。由香里はそうだ、と答えるしかない。

 

 

だがクリスはそんな彼女を許せなかった。クリスは由香里に詰め寄る。

 

 

「命を捨ててまで、まゆまゆを守り抜いて……それでまゆまゆが本当に喜ぶとでも思うのか!?」

 

 

クリスの叱責は続く。クリスは止めない。由香里が自分の大切さに気付くまで。

 

 

「お前が死んだら、取り残されたまゆまゆはどうなる?ずっと苦しんだまま生き続けるんだぞ?自分達も同じだ!それでもゆかりんは、まゆまゆを守り抜いたと堂々と胸を張って言えるのか!?」

 

 

「………!」

 

 

言われて始めて気付く。守り抜いて、死んで。それでも由紀江が笑顔でいてくれるだろうか……いや、それはきっとない。悲しみ続け、永遠に心に傷を背負って生きていくに違いない。

 

 

それでは本当の意味で由紀江を守り抜いたとは、言えないのである。そして教えられた。自分の命の大切さに。

 

 

同時に、怖いとも思った。もし由紀江に何かあって、自分が犠牲になってしまったら由紀江はどんな顔をするだろうか。

 

 

由紀江が悲しい顔をするのは、自分が死ぬよりも辛い。それに、自分が死んだら由紀江の顔や仲間の顔さえも見れなくなるのだ。

 

 

「………」

 

 

唐突に、自分が死ぬという事が恐ろしくなる。だがそれは誓約に反するのではないか……板挟みになった由香里の手は震えていた。

 

 

そんな由香里を、クリスはそっと抱きしめた。クリスの温もりが由香里を包む。

 

 

「……お前の言いたい事は分かる。それはゆかりんの義に反してしまうのではないかと、そう思っているんだろう?でもそれは違うぞ」

 

 

由香里を諭すように、優しく接するクリス。表情からは怒りが消えていた。

 

 

「まゆまゆの剣となり盾となる……それは、ゆかりんの人生を全うするまでだ。途中で死んでしまったら、それこそ誓約違反だろう?」

 

 

「クリス……」

 

 

思い掛けないクリスの本当の優しさが、由香里の心を震わせた。由香里は嬉しさで、目から込み上げる熱いものを抑える事ができなかった。

 

 

「わたしは……ゆっきーと一緒に生きたい……」

 

 

「ああ。まゆまゆもきっとそれを望んでいる。ゆかりんはもっと自分を大事にするべきだ」

 

 

自分自身を大切に。クリスの言葉の一つ一つが、由香里の心に響いていく。感情が次々と溢れ出し、涙が止まらない。

 

 

「うぇえ……ん……ひっく……」

 

 

「泣くな。そんな顔を見られたら、みんなに笑われるぞ」

 

 

泣き続ける由香里の頭を、そっと撫でるクリス。クリスは由香里が泣き止むまで、ずっと由香里の身体を抱き続けていた。

 

 

これが由香里が流した始めての涙であり、生きたいと願うようになった瞬間だった。

 

 

 

 

 

そしてこの日の朝。クリスは彼女を諭してしまった事を激しく後悔した。

 

 

何故なら。

 

 

「クリス、好きだ!もう自分を抑えられない!」

 

 

「やめろ、近寄るな変態!」

 

 

由香里がすっかりクリスに惚れてしまったからである。由香里はクリスを捕まえようと追いかけ、クリスは必死で由香里から逃げ回っていた。

 

 

よかれと思ってした事が、まさかこんな事態を招いてしまうとは……今更後悔しても遅い。できる事ならば、時間を戻してしまいたいと思う程に。

 

 

もう、彼女の更生はできない。クリスは泣く泣く、今の由香里とこの状況を受け入れるしかないのであった。

 

 

 

 

「クリスーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

「よーーーるーーーなーーー!!!!」



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サブエピソード28「クリスの正しい起こし方」

島津寮―――いつもの朝がやってくる。大和達は太陽の陽射しと共に目を覚ます。

 

 

それぞれ布団から身体を起こし、制服を着て登校の準備。そして美味しい朝御飯。彼らの日常は、ここから始まる。

 

 

……しかし、唯一未だに夢の中にいるドイツの留学生お嬢様が一人いた。

 

 

「すー……すー……」

 

 

そう、クリスである。

 

 

クリスは布団に包まりながら、無造作な浴衣姿で気持ち良さそうに眠っていた。

 

 

側には目覚まし時計。目覚まし時計のアラームは静かに止まっている。クリスは起きたものの、アラームを止めて二度寝してしまったらしい。

 

 

彼女はお嬢様である。故に一人では起きられない。これがクリスの朝。

 

 

そんな彼女を、いつものように起こす係が京と由紀江である。

 

 

「相変わらず起きないね、このお嬢様は。ホントしょーもない」

 

 

「はい……人の生活習慣というものは、なかなか変わりませんから」

 

 

もう救いようがないと言いたげな冷たい視線を送る京と、隣で苦笑いする由紀江。ありとあらゆる方法を試したが、クリスの寝坊癖は一向に治らない。

 

 

大和達もお手上げ状態なので、こうして二人がクリスを起こす担当になっていた。

 

 

「む、どうした二人とも。そんな難しい顔をして」

 

 

クリスの部屋に入ってきたのは由香里である。島津寮で由紀江と暮らし始めてから、一週間が経とうとしていた。

 

 

「あ、由香………ええぇ!?」

 

 

「何という大胆な……」

 

 

しかも、下着姿で。

 

 

堂々と黒の色っぽい下着を身につけ、腰に手を当てている姿は、とても由紀江のクローンであるとは思えない程大胆である。

 

 

まるで由紀江は自分の下着姿を見ているようで、死ぬ程恥ずかしくなるのだった。

 

 

「ゆゆゆゆゆゆ、由香里!?ななななんですかその格好は!?」

 

 

「見ての通り、下着だが?」

 

 

暑いからな、堂々と言ってのけた。由紀江はとにかく着替えてきて下さいと、部屋から追い返すように由香里の背中をぐいぐいと押し出した。

 

 

 

 

数分後。

 

 

「なるほど、クリスが起きないから困っているというわけか」

 

 

制服に着替えてきた由香里は、頷きながら今の状況を把握する。いつまで経っても起きないクリス。毎日のように起こす京と由紀江。

 

 

これは、何とかしなければならない。由香里はある提案を出す。

 

 

「クリスを確実に起こす方法なら一つだけある」

 

 

任せろ、と自信ありげに答える由香里。しかし由香里の性格上、もう嫌な予感しかしないのは気のせいだろうかと京と由紀江。

 

 

「……それで、クリスさんは確実に起きるんですね?」

 

 

「もちろんだ。というか、むしろ起きない方が都合が……いや何でもない」

 

 

何やら邪な考えがあるのでは、と思わず口を滑らせる由香里を見て思う。きっとろくな事にはならないだろう。

 

 

かといってクリスをこのままにはできない。京と由紀江は由香里に任せる事にした。

 

 

「よし、起こすぞ」

 

 

眠っているクリスにそっと近付き始める由香里。まるで夜這いするかのような体勢だが……京と由紀江はとりあえず由香里を見届けた。

 

 

そして――――――。

 

 

 

……………………………。

 

 

 

「――――ぎゃあああああああああああああああああああああ!?」

 

 

クリスが大声を上げながら、布団から飛び起きるように目を覚ました。どうやら、由香里の方法は成功したようだった。

 

 

「な、なんだ!?何が起きた!?」

 

 

今置かれている状況が理解できず、パニックに陥るクリス。確か、自分は眠っていたはず……部屋の中には由香里と、おおと驚いた表情を見せる京、そして顔を真っ赤にして目を回している由紀江の姿。

 

 

もう訳が分からない。とにかく何があったのか誰でもいいから教えてくれと訴える。

 

 

「ん~……聞かない方がいいと思うよ?」

 

 

と、京。由紀江は……答えられるような状態ではなかった。となると最後は、由香里しかいない。

 

 

嫌な予感がする……クリスは恐る恐る由香里に訪ねる。由香里は淡々と答えた。

 

 

「クリスがあまりにも起きないんでな。私がクリスの耳たぶをこう……はむっと」

 

 

「ひいぃぃぃいいいいいい!?」

 

 

声にならないような悲鳴を上げ、顔を真っ青にするクリス。ようするに、由香里はクリスの耳たぶを噛みした上に引っ張ったり舐めたりしたのである。

 

 

クリスは味わった事のない感覚に全身に鳥肌を立たせ、身体を震わせていた。

 

 

「クリスの味は、何というかこう……ほんのりと甘かったな♪」

 

 

「この変態があああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 

慌ただしく始まったクリスの朝。これを期にクリスは一切寝坊をしなくなったという。



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56話「まじこい☆くぇいさー 1」

沖縄行航空機内、上空。

 

 

「ふふ……上手く乗り込めたな、ゆっきー。私達に誰一人として気づいてないぞ」

 

 

由香里はサングラスをずらしながら、まるで悪戯に成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべている。

 

 

「……………」

 

 

それに対し由紀江はというと、この現実から目を背けるように、憂鬱な表情で窓の外を眺めていた。

 

 

窓の外からは、雲が一つ一つ流れるように空を泳いでいる。あの雲のように、何も考えず流され当てもなく泳ぎたい……そんな事を思いながら、由紀江は現実逃避を続けている。

 

 

「……皆さん、おはようございます。こんにちは。そしてこんばんわ。黛由紀江です。私達は今、沖縄に向けて飛び立っています」

 

 

誰にというわけでもなく由紀江は語り始める。今すぐこの空へとダイブしてしまいたい、そんな心境で。

 

 

 

 

「ゆっきーは誰と話してるんだ?」

 

 

「…………」

 

 

 

 

現在、由紀江と由香里は沖縄に向けて飛び立っていた。2年の修学旅行に紛れて忍び込み、今はファーストクラスで空の旅を満喫している最中である。ただし今の所楽しんでいるのは由香里だけだが。

 

 

2年生の修学旅行―――沖縄。学園に今、大和達はいない。本来ならば、由紀江達1年生は学園で授業を受けている筈だった。

 

 

ならば何故由紀江と由香里が同乗しているのか……話は数日前に遡る。

 

 

大和達をお見送りをする立場だった筈の由紀江と由香里。しかし、由香里はそれでは満足ができなかった。“私達も行きたい”と、とんでもない事を言い出したのである。

 

 

理由はない。ただ行きたいから行きたいだけだという、由香里の願望だった。その自由奔放ぶりは、キャップに似ていると由紀江は思った。

 

 

だが仮について行くとしても、沖縄行きのチケットと宿泊費はどうやって手に入れるのかが問題である。

 

 

自分達の所持金では到底賄えない。現実的に考えても難しい話だった。残念だが、由香里には諦めてもらうしかないだろう。

 

 

しかし、由香里の行動力の恐ろしさは群を抜いていた。由紀江はそれを身をもって知る事になる。

 

 

 

『二泊三日 沖縄旅行ペアチケット』

 

 

 

由香里は偶々行われていた商店街の福引で当選。しかも一発で。おまけに一等はハワイだというのに、ピンポイントで二等の沖縄旅行を当てる彼女の強運。ドヤ顔でチケットを入手。

 

 

だが、問題はそれだけではない。チケットは手に入れても、飛行機内では大和達と鉢合わせする可能性がある。変装してもサーシャ達にすぐ見破られてしまうだろう。ファーストクラスでもない限り、実現は不可能。さすがの由香里も諦めるだろうとそう思っていた由紀江。

 

 

しかし由香里はどこから手に入れてきたのか、ファーストクラスのチケットまで用意したのである。何でも街中で出会ったセレブな女性を口説き、デートに付き合った後貰ったらしい。恐ろしき彼女の執念。

 

 

ただ、それでも最後に残る問題がある。それは無断で授業を欠席できない事だ。当然旅行へ行くとなれば、何かしらの理由がいる。

 

 

二人揃って“病欠しました♪”などと、そんな嘘が通る筈もない。ましてや由香里は保護観察中なのだ……調べらればすぐに分かる。こればかりはどうにもならない。

 

 

もういい加減諦めるだろうと思っていた由紀江だが、由香里はとんでもない理由で申請した。

 

 

その内容は、

 

 

 

『アトスからの協力要請』

 

 

 

無茶苦茶である。自分の保護観察という立場を利用した虚偽申請。こんなもの通る訳がない。だが学園からはあっさりと許可が降りた。世の中絶対におかしいと由紀江は思った。

 

 

こうして全ての準備が整い、由紀江と由香里は沖縄旅行へ忍び込む事に成功した。そして今、ファーストクラス内で寛ぎ、現在に至っている。

 

 

「あうぅ……バレたら確実に停学処分ですよ……」

 

 

この事が露見すれば、二人揃って定学処分になる事は間違いない。由紀江は泣きたくなった。どうしてこんな事になってしまったのだろう。

 

 

「スリルがあるからこそ、そそられるものがある」

 

 

由香里自身は気にしている様子はなく、むしろこの状況を楽しんでいる。由紀江はそれどころではなかった。いつ見つかるか分からないような状況なのだ。楽しめる方がおかしい。

 

 

「む、あの張りのある乳……マルギッテ=エーベルバッハか!」

 

 

突然由香里は双眼鏡を使って、後ろの座席に遠く離れているマルギッテを眺め始めた。一体何をするつもりなのだろう……由紀江には気が気でない状態である。

 

 

「口説きに行きたい」

 

 

でしょうね、と由紀江は頭を抱える。相手は生粋の軍人であるマルギッテ。口説き落とせるような相手ではない。辞めた方がいいと諭す。しかし、由香里は既にマルギッテに近付いてしまっていた。

 

 

「もし、そこのお嬢さん」

 

 

「何でしょう」

 

 

「いいお天気ですね」

 

 

「……外は微かに曇っています。したがって貴方の意見は適切ではないと知りなさい」

 

 

「そんな事はありません。私の心は晴々としています。何故なら、貴方のような人と出会えたのですから」

 

 

「言っている意味が理解できません」

 

 

「では単刀直入に言わせてもららいます。あなたの―――」

 

 

「――――連れの者が大変ご迷惑をおかけしました失礼しますすみませんでした!」

 

 

由紀江は由香里に駆け寄りマルギッテに謝罪すると、腕を引っ張り、自分達の席へと連れ戻した。目立った事をすれば自分達の存在がバレてしまう。彼女に自覚はないのだろうか。

 

 

「い、一体何を考えているんですか由香里!」

 

 

「顔が赤いぞ、ゆっきー。もしかして妬いてるのか?可愛い奴め」

 

 

由紀江の頭を撫でる由香里。由紀江は思い知った。由香里は生粋の美少女好きであると。

 

 

「……そ、そんなに女の人の体が好きなんですか?」

 

 

「当然。きめ細かい肌。柔らかくて弾力のある胸。想像しただけでご飯三杯はいける!」

 

 

そして、彼女が度し難い変態である事も。登校当初から美少女大好き宣言をしている事は知っているが、ここまでとは想像していなかった。次第に由香里という人間の性格が理解できるようになっていた。

 

 

ようするに美少女なら誰でもいいという事なのだろう。それはそれで悲しい気がする。

 

 

「そ、それでは……私だけでは、物足りないのですか」

 

 

由紀江は寮で起きた出来事を思い出していた。夜這いをされ、聖乳(ソーマ)を吸われた事を。情けない事に、この時由紀江は抵抗をしなかった。否、抵抗できなかった。

 

 

ただ流されるままに。彼女のされるがままに。思い出しただけでも恥ずかしくなる。

 

 

すると、由香里は恥ずかしそうにしている由紀江を見て悪戯に笑い、急に由紀江の胸元に手を当て始めた。由紀江の心臓の鼓動が高鳴る。そして由香里は彼女の耳元でそっと囁いた。

 

 

「……少しゆっきーの聖乳が欲しいな」

 

 

「えっ!?あううぅ――――」

 

 

由香里に服を引き剥がされ、突然聖乳を吸われる由紀江。胸が、まるで掃除機か何かで力強く吸引されていく……身体中がびくびくと震え、思わず声を漏らしたい所だが、あいにくとここは航空機内かつファーストクラス。周囲に聞こえてしまえば羞恥プレイの何物でもない。

 

 

由紀江は自分で口を塞ぎながら堪え続けた。しばらくして吸引を終えた由香里は、由紀江の乳から口を離し、そっとその頬に口付けをする。

 

 

「物足りないだなんて事、あるものか。確かに私は美少女が好きだ。でも本当に好きなのは、ゆっきーだけだぞ」

 

 

まさに告白だった。聖乳を吸った際に由紀江自身の心理を読み取ったのだろう。ずるい……とも思った。それでも、その由香里の気持ちは少しだけ嬉しかった。

 

 

「由香里……って、話をうまく丸め込まないで下さい!」

 

 

「本心だ」

 

 

「ななななななななにが本心ですか!というか、ドサクサに紛れてキスまでしましたね!?見られたらどうするんですか!?」

 

 

「見られたら、とことん見せつけてやるさ♪」

 

 

忍び込んでいるというのに、由香里は大らかで能天気だった。バレたらどうしようという危機感は、彼女からは微塵も感じない。果たしてこんな調子で修学旅行を乗り切れるのだろうか。不安で仕方が無い。

 

 

 

 

もうすぐ目的地である沖縄へ到着する。どうか、この旅行が無事に終わりますように……と切に願う由紀江なのであった。



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57話「まじこい☆くぇいさー 2」

沖縄某旅館内。

 

 

旅館に到着した由紀江達はチェックインして、早速案内された部屋へと足を運ぶ。

 

 

部屋は旅館の中でも最高級の部屋で、二人で使うには勿体無いくらい贅沢な部屋だった。

 

 

風流漂う高級感溢れる和室。窓を開けると沖縄の海が見渡せる絶景スポット。

 

 

「そして、二人の愛を育む床の間……」

 

 

「いやいやいや」

 

 

由香里が布団を敷き始め、何か企みかけた所を由紀江がツッコミを入れた。ここ最近、由香里と生活を送っている内にツッコミのキレが良くなっているような気がする。

 

 

二人はもう一度部屋を見渡した。有名人御用達の最高級の寝室。二人で使うには些か分不相応な気がしなくもない。返って落ち着かないが、たまにはこういうのも悪くないと二人は思うのだった。

 

 

長い空の旅を終え、ようやく一息つける……由紀江は旅の疲れを癒そうとお茶を入れ、窓の景色を眺め始める。

 

 

一面に広がる海を見渡しながら、お茶を啜り和む由紀江。ああ、落ち着く……この時間を、どれだけ待ち望んでいた事だろう。状況に馴染んできたという事だろうか。とにかくこうでもしなければ正直やっていられない。

 

 

「さて、これからどうしたものか……」

 

 

由香里は腕を組み、これからの予定を立てようとしていた。2年生が旅館にチェックインするまで、かなり時間が余っている。今頃は沖縄の各地を観光している頃だろう。

 

 

かといって一緒についていくわけにもいかない………流石に気づかれてしまう。非常にリスクが高すぎる。

 

 

「少し休んだら、私達も外へ観光に出かけましょう」

 

 

色々と見てみたいですし、と由紀江。折角沖縄を訪れたのだ……楽しまなければ損である。由香里もそうだなと言って、お茶を啜りながらしばし休息の時間を堪能した。

 

 

大和達を追いかけ、ここまで来てしまった由紀江と由香里。もう後には退けない。

 

 

(ふふ……すっかり私も不良娘になってしまいました)

 

 

今まで真面目に生活をしていた由紀江。それが今はこうして由香里と学園を抜け出し旅行へと赴いている。だが、不思議と先程までの罪悪感は薄れていた。きっと、由香里が側にいるからかもしれない。

 

 

何故なら今、凄く楽しいと。そう思えているのだから。

 

 

 

 

 

休息を取った二人は、早速沖縄各地へと足を運んだ。大和達が戻る時間までの間ではあるが、それでも十分に観光できる。

 

 

 

まずは水族館。

 

 

巨大な水槽を自由に泳ぐ、何種類もの魚が観光客達を魅了する。由紀江と由香里は、スクリーンに映し出されたような光景を眺めながら、有意義な時間を過ごした。

 

 

 

「あの魚交尾してるぞ」

 

 

「感動ぶち壊しです」

 

 

 

続いて、硝子細工工場。

 

 

この工場は硝子加工の体験ができる。よく学生達が観光に訪れ、自分達だけの硝子細工を作り記念品として持ち帰るのだとか。

 

 

由紀江達は工場へ入り、早速硝子作りの体験。硝子の塊がついた棒を釜の中へと入れる。火に炙られ美しく輝く透明色の硝子が、熱で変形していく。

 

 

棒を回し、徐々に形作られる過程は見ていて楽しい。いい記念品になるだろう。

 

 

 

待つ事数十分。由紀江達が作り上げた硝子細工が完成し、お土産として手渡される。

 

 

「きれい……」

 

 

由紀江には琉球硝子のコップ。由紀江は目を輝かせながら、自分が作った硝子細工を太陽の光に当てた。光が翳された硝子は、一層その輝きを増している。

 

 

「ゆっきー、こっちも完成したぞ!」

 

 

由紀江を呼ぶ、はしゃいだような由香里の声。由香里も作った物も完成したらしい。由香里は早く早くと、由紀江に向かって手を振っている。周囲には人だかりが出来ていた。

 

 

一体何を作ったのだろう……由紀江は由香里の所へ足を運ぶ。

 

 

そこには、堂々と胸を張る由香里の姿と、由香里の作った硝子細工が出来上がっていた。

 

 

「…………由香里、何ですかこれは」

 

 

「FFのセフィ◯ス」

 

 

「いやいやそうじゃなくて!」

 

 

こんなもの一体どうやって作ったのだろう。しかも等身大で細かく再現されている。工場長もあまりの出来栄えに腰を抜かしたのだとか。おまけに作ったのはこれだけではないと言うのだから恐れ入る。

 

 

「そしてこれが、水の精霊ウンディーネ」

 

 

「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

 

第二の作品を前に、顔を真っ赤にしながら絶叫する由紀江。水の精霊、そこまではいい。まだ許される。だが、その精霊のモデルはクリスだった。

 

 

クリス(ウンディーネ)は、全裸で絶頂したような表情を浮かべながら空を仰いでいる。まさにエロスと言う名の芸術。

 

 

「すまないが、これをこの住所まで郵送願いたい」

 

 

「一体どこに置くつもりですか……」

 

 

「このウンディーネはクリスにプレゼントする」

 

 

きっと喜んでくれるはずだと、由香里は自信満々だった。クリス宛にこれが届き、怒り狂ったクリスが部屋に殴りこむ姿が目に浮かんだ。

 

 

ちなみに、もう一つの作品はとある財閥のお嬢様が一目で大変気に入り、高額な値段で買い取ったらしい。

 

 

由紀江、由香里。共におこずかいゲット。思わぬ報酬だった。

 

 

 

 

「やっぱり、ウンディーネは私達の部屋に置くべきだろうか。そしたら毎晩……」

 

 

「由香里っ!」

 

 

 

 

そして、最後は商店街で食べ歩き。

 

 

様々な店が立ち並ぶ商店街を練り歩き、沖縄のフルーツやサーターアンダギー、アイスクリームなどを食べてお腹を満たしながらお店を巡る。

 

 

お土産も買いたい所だが、それは旅行の最後に買う事にした。今は見るだけでも楽しめる。

 

 

賑やかな人通り。修学旅行で来たのであろう、他校の学生達。家族連れ。新婚夫婦。行く人々は様々である。

 

 

しばらく街道を歩いていると、あるお店の看板に目を奪われた。

 

 

『超人気商品!!豊胸バームクーヘン』

 

 

大きなロゴで書かれたその看板の前には、人だかりが出来ていた。特に胸の小さな女性達が。豊胸という文字に惹かれ集まったらしい。

 

 

しかし、食べただけで本当に胸が膨らむのだろうか。そんな簡単に大きくなれば誰も苦労はしないと、由紀江達は思った。

 

 

一応、店内を覗いてみる。店内には豊胸バームクーヘンであろう商品が大量に積まれ、しかもその商品を買って出て行く人が殆どだ。かなり売れているらしい。

 

 

「貴方達も気になっているようですわね」

 

 

後ろから、甲高い声が二人にかかる。そこには桃色の髪に、デラックスな乳。いかにもお嬢様を思わせるような女性が立っていた。

 

 

どこの制服だろうか。ネクタイに褐色系のデザイン。学生である事は確かだった。

 

 

その後ろには友人であろう生徒達がいる。一人は背の小さい、ショートヘアの女子生徒。ロングヘアでクールなイメージの女子生徒。

 

 

そしてもう一人は、由紀江には見覚えがあった。ちちがしら温泉で出会ったまふゆ達の友人の、山辺(とも)である。恐らく、この生徒達も修学旅行でやって来たのだろう。

 

 

「あれ?この人達どこかで……」

 

 

う~んと必死に思い出そうとする燈。万が一の為、帽子を被っておいて正解だった、と由紀江。燈は結局、最後まで思い出す事はできなかった。

 

 

「あ、あの……貴方は……?」

 

 

突然現れた女子生徒達。すると、お嬢様な女子生徒は申し遅れましたわと一礼する。

 

 

「わたくしは聖ミハイロフ学園所属、辻堂財閥の一人娘。辻堂美由梨、辻堂美由梨ですわ!大事な事なので二回言いました。以後お見知り置きをっ」

 

 

美由梨と名乗った少女は財閥の令嬢らしい。ショートヘアの女子生徒は御手洗史加。ロングヘアの女子生徒は柊弓江という。弓江はミハイロフで委員長をやっているらしい。

 

 

ミハイロフと聞いた由香里が、“おお、まふゆ達の……”と言いかけて、由紀江が慌てて由香里の口を塞いだ。ややこしい事になる。

 

 

「この店舗は辻堂財閥が展開しているチェーン店ですわ。そして、今人気の豊胸バームクーヘン“ダイナマイト☆クーヘン リリィすぺしゃる~嗚呼、乳の彼方。おっぱいに愛をつめて~”はわたくし自らが監修して開発したものですのよ」

 

 

そう言って、美由梨は甲高い声で笑うのだった。そしてやたらと名前が長い上に、要はそれが言いたかったのねと弓江は溜息を漏らしている。

 

 

何でも、この豊胸バームクーヘンには胸を大きくする為のありとあらゆる成分が含まれ、さらには胸の成長を促進させる効果があるらしかった。

 

 

「豊胸……もぐもぐ……!大きな、おっぱい……!」

 

 

その中で、史加はすでに目に炎を宿しながら、試食用の豊胸バームクーヘンを口に押し込んでいた。真剣(マジ)になっているようだ。何故なら彼女は貧乳だから。

 

 

美由梨が宣伝した所為もあり、次第に店に人が増え始める。胸の事で悩める女性達には、まさに救い……なのだろう。多分。

 

 

辻堂美由梨。彼女はある意味で、影響力のある人物なのかもしれない。

 

 

そして、そんな美由梨を早速口説きにかかる女子生徒がいた………由香里である。

 

 

「美由梨さんですか。良い名前ですね。私は黛由香里です」

 

 

「えっ?」

 

 

美由梨の手を取りながら、女王に仕える騎士のように膝をつく由香里。美由梨はそんな由香里の仕草に思わず困惑し、頬を赤らめてしまう。

 

 

「あ、貴方は……」

 

 

「罪なお人だ。貴方のその瞳が、私の心を掴んで離さない」

 

 

そして、由香里はそっと美由梨の手の甲に口付けをした。女王に忠誠を誓うようなキスは、美由梨の心を一気に震わせたのだった。

 

 

「な、なんて凛々しきお方……」

 

 

由香里にすっかり落とされた美由梨は、既に由香里の虜になっている。もう由香里しか見えていない。しかし相手は女性、これは許されない禁断の愛……美由梨は心の中で葛藤していた。

 

 

すると、聞き覚えのある声が由紀江と由香里の耳に届く。

 

 

 

「――――全く、誰だあんなものを作った輩は!」

 

 

声を荒げているのはクリスだった。隣には一子と京がクリスを宥めている。恐らくクラスで別行動を取ることになり、商店街へやってきたようである。何という運の悪い鉢合わせ。

 

 

「うん、あれは流石に驚いたね。クリスそっくりだったよ」

 

 

「気の毒だったわね、クリ」

 

 

と、京と一子。話から察するに、由紀江達が硝子工場を出た後、京、一子、クリス達が入れ違いで訪れたらしい。

 

 

工場の敷地内に入った瞬間、誰もがクリスに注目した。何事だろうと中に入ると、クリスがモデルの硝子細工が飾られていた。しかも裸体の上に絶頂顔で。

 

 

頭に血が登ったクリスは、その硝子細工を一瞬にして粉々にしたという。

 

 

その話の一部を聞いていた由紀江と由香里。まあ、当然の結果だろうと由紀江は思った。

 

 

「お気に召さなかったか……ウンディーネをモデルにしたのがいけなかったのか?」

 

 

「そっちですか!?」

 

 

クリスをモデルにしたのがそもそもの間違いである。もしただのウンディーネであれば、輝かしい作品となっていただろうに。

 

 

「……って、こんな事してる場合じゃありません!逃げますよ、由香里!」

 

 

「む、そうだな。では、またどこかで会おう美由梨さん。君の事は忘れな―――」

 

 

「由香里、早くっ!」

 

 

クリス達がこちらに向かって歩いてくる。このままでは見つかってしまう。由紀江は由香里の手を引き、美由梨達から離れると、商店街の奥の奥へと走り去っていった。

 

 

 

 

全力で疾走した由紀江と由香里は、そのまま歩きながら旅館へと向かう。商店街から旅館までの距離は、そう遠くはない。

 

 

観光して回って色々な事に出くわしたが、これはこれで充実している。由香里も満足してはいるようだが……どうも彼女には物足りないような、そんな表情が伺える。

 

 

「今日は少し疲れました。旅館に戻って温泉に入りましょうか」

 

 

旅館には大きな露天風呂がある。そこで今日一日の疲れを癒そう、と由紀江。すると、由香里が何かを思い出したように目を輝かせなながらそうだ、風呂だと叫び出した。

 

 

「ゆっきー急ぐぞ!早く行かないと間に合わない!」

 

 

「ちょ、ちょっと由香里!?」

 

 

由紀江の手を引っ張り、一目散に旅館へと走る二人。何か嫌な予感がする……そんな不安を心に抱きながら、由紀江は由香里と共に旅館を目指すのだった。

 

 

 

そして、その由紀江の嫌な予感は見事に的中し、更に予想外の事態に巻き込まれる事になろうとは、今の二人には思いもしなかった。



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58話「まじこい☆くぇいさー 3」

足早に旅館へと駆け込み、部屋に戻る由紀江と由香里。

 

 

目的は……入浴だった。しかも、今はちょうど大和達のクラスが入浴する時間である。

 

 

そして由香里が急いで旅館へと戻った理由。それは、

 

 

「クリスの生まれたままの姿が見たい!!」

 

 

「理由が不埒過ぎますっ」

 

 

完全に由香里自身の邪なる欲望の為であった。一体どこから手に入れてきたのか、由香里はこっそり大和達の旅行のしおりを確認している。

 

 

そこには食事時間、入浴時間。事細かな詳細が記されていた。入浴時間の欄に赤いマジックでチェックされている。用意周到な由香里に由紀江は頭を抱えていた。

 

 

「で……でも、クリスさん達と顔を合わせたらまずいのでは?」

 

 

百歩譲って、覗くだけならまだ許される。だが顔を合わせれば終わり……言い訳のしようがない。バッドエンドを迎えるだけである。

 

 

「そのリスクを冒しても、私はクリスと裸の付き合いがしたい。性的な意味で!」

 

 

由香里は是が非でもクリスの裸体を見たいらしい。しかも、目的が更に危険な方向へと高みを登っていた。ちなみに寮ではクリスに警戒され、由香里と一緒に入る事は殆どない。

 

 

今の由香里には、何を言っても無駄である事を悟った由紀江。何としても入浴を実行するつもりである。仕方が無い……と、由紀江はある決心をした。

 

 

「それなら、提案があります」

 

 

「提案?」

 

 

「えぇ……ごにょごにょ……」

 

 

 

 

 

そして二人は温泉に入り、クリス達がやってくるのを待ち続けていた。大浴場には意外と人が少なく、ほぼ貸切状態に等しかった。

 

 

学園の顔見知りと鉢合わせしてしまうのではないか……と内心ヒヤヒヤしてはいたが、今の所誰とも会っていないので安心する。

 

 

「先に温泉に入って待ち伏せとは、ゆっきーも随分と大胆だな」

 

 

由香里は由紀江の背中を洗いながら、耳元で囁く。由紀江の提案、それは待ち伏せだった。同時に、由香里が何か妙な事をしないかという心配も兼ねての監視である。

 

 

「由香里が変な行動をしないように見張るだけです。それに私は……あっ、あふ」

 

 

由香里が由紀江の胸に手を伸ばし、石鹸で泡立てた腕で撫で回してきた。泡だらけの身体で密着され、更に滑った由香里の手先が嫌らしく動く。

 

 

「やっ!?……は、やめ……」

 

 

「ゆっきーは感じやすい体質だな。ほら、もうこんなに………」

 

 

由紀江の身体をあちこち触りながら弄ぶ由香里。その度に身体が敏感に震え出し、声を出さずにはいられない。声が周囲に聞こえてはいないだろうか……そんな心配も掻き消えてしまう程に由紀江は感じ続けていた。

 

 

「あっ、い……あ……!」

 

 

「ふふ、可愛いぞゆっきー……」

 

 

由香里の行動はエスカレートしていく。手先が這いよるようにまゆっちの身体を触り、肩、胸、腹、そして下半身へと手が伸び始めていく。

 

 

「あっ!だめっ……そこは……ゆか、り……」

 

 

「ここも洗ってやろう」

 

 

由香里の手は止まらない。由紀江も抵抗したいが、それもできない。由香里の手が由紀江の下半身に届きそうになった時、入口から声が聞こえてきた。

 

 

「―――おお!これはまた広いな」

 

 

「―――さすが沖縄だわ」

 

 

「―――いや沖縄は関係ないと思うよ」

 

 

入ってきたのはターゲットであるクリスと一子、京だった。

 

 

「おお、ようやくターゲットが来たか!」

 

 

由香里は由紀江から手を放す。最後の一線を越えられずに済み、ほっと胸を撫で下ろす由紀江。同時に切ない気持ちになった事は由香里には死んでも言えなかった。

 

 

「続きは夜に持ち越しだ」

 

 

夜が楽しみだと由香里は言って、由紀江の頬にキスをすると、クリス達のいる方へ向かっていった。しばらく放心状態が続く由紀江。

 

 

「…………はっ!」

 

 

こんな事をしている場合ではない。由香里を止めなければ、大変な事になる。我に返った由紀江は身体中の石鹸を洗い落とし、急いで由香里を追いかけた。

 

 

気持ちに焦りが生じ始める。由香里はクリス達を眺め……ていなかった。岩影に隠れてがっくりと項垂れている。何があったのだろう。近づいてクリス達を覗く由紀江。

 

 

「……そういうことですか」

 

 

由紀江は由香里が落ち込む理由に納得した。二人の前に広がる光景。それは一子、クリス、京の生まれたままの姿……が、タオルに包まれていた。

 

 

「これでは視姦すらできない」

 

 

「しないでください」

 

 

眺めて楽しむ事すらできないと、由香里は本気で落ち込んでいる。可哀想だが、諦めてもらうしかないと由紀江は思った。彼女らの楽しげに聞こえる会話は、由香里にとってはさぞ切ない気分だろう。

 

 

「しかし、覗きが出たとは許し難いな」

 

 

「おかげでタオル巻かなきゃいけないし……なんかめんどくさいわねぇ」

 

 

「うん。ちなみに私の裸は、大和以外の男には見せられない」

 

 

三人の話からすると、どうも覗きがあったらしい。幸い覗きの犯人は途中で捉えられ制裁を受けたらしいが、念の為という事で女子生徒全員はタオル着用になったという。

 

 

それを聞いた由香里は、

 

 

「今から覗き魔を斬り伏せにいく!」

 

 

クリスの裸を拝むという予定を狂わされ、怒り狂っていた。当然却下に決まっている。このままだと本当に二年生の所に乗り込みかねない。

 

 

「戻りましょうか」

 

 

「くそ……こうなったら無理にでもタオルを剥がして、」

 

 

「戻りましょうね」

 

 

埒が明かないと判断した由紀江は、由香里を引きずるようにして大浴場を後にした。

 

 

 

 

 

大浴場を出た二人。由紀江は落ち込む由香里を励ましながら、渡り廊下を歩く。

 

 

結局、由香里はタオル着用のクリス達を覗きながら生殺し。大浴場から出て着替えた後も何度か覗こうと試みたが、最後までタオルが外れる事はなかった。

 

 

「元気を出してください由香里。まだ明日がありますから」

 

 

由香里の肩をポンポンと叩き、励まし続ける由紀江。肩を落としていた由香里だったが、由紀江に励まし続けられる内に、徐々に元気を取り戻していく。

 

 

まだ終わったわけではない。チャンスはある……由香里は再び目を輝かせた。

 

 

「そうだな。じゃあ今日はゆっきーときゃっきゃ、うふふ♪するとしよう」

 

 

由香里の解答に苦笑いする由紀江。立ち直りが早い分、厄介だった。性的な意味で。

 

 

「…………?」

 

 

しばらく歩いていると、大広間に差し掛かる入り口に大きな立掛札が目に入った。団体用の宴会場だろうか……達筆で堂々とした筆文字でこう書かれている。

 

 

『万国乳房研究会 宴会場』

 

 

怪しい響きの名前だ、と由紀江は思った。きっと危ない宗教の類に違いない。どんな人間がいるか分からない……迂闊に近付かないほうがいいだろうと、由紀江は看板を無視して歩こうと足を進めた。

 

 

「万国乳房研究会……気になる。特にこの乳房の部分が」

 

 

しかし、由香里は興味津々に看板を眺めていた。彼女は女性の事になるとよく反応する。由紀江は立ち止まり、食い入るように看板を見る由香里を連れ戻そうと引き返す。

 

 

「近付かない方がいいです。何だか怪しいですよ」

 

 

「乳房と聞いては黙っていられない」

 

 

由香里はこの怪しげな集団の宴会を覗く気でいる。そんな危険な事はさせられない。得体の知れない宗教に勧誘されると色々と面倒である。

 

 

散々由香里に振り回されてきたが、今回ばかりは譲れない。由紀江は帰りますよと由香里の服を引っ張る。すると由香里は由紀江に顔を向けて、ゆっきーがそう言うならと肩を落とすのだった。

 

 

由紀江は由香里の保護者としての責務がある。気になるだろうが、由香里の為だと心を鬼にしなければならない。二人は大広間の入口から離れ再び廊下を歩いた時、一人の女性とすれ違った。

 

 

「―――――!?」

 

 

すれ違いざまに、由香里は女性から禍々しい何かを感じ取った。

 

 

口では表現できないような何か。だがそれは、由香里に以前装着していた謎の元素回路と同じ波動であった。その波動が、肌にピリピリと伝わってくる。

 

 

由紀江も同じように波動が肌に伝わっていた。気味の悪い感覚が寒気を感じさせる。

 

 

女性はそのまま大広間の扉を開けて入っていく。あの宗教団体に所属している人間である事は間違いない。

 

 

「……ゆっきーも感じたか?」

 

 

「ええ……あの人からは、血の匂いがしました」

 

 

背後を振り返る二人。謎の元素回路……アデプトと関わっている可能性がある。大和達のいる旅館で、何をしようとしているのか。放っておくことはできない。

 

 

「今すぐサーシャさん達に連絡を―――!」

 

 

「その必要はない」

 

 

由紀江が連絡を入れようとした所を、由香里がそれを遮った。

 

 

「私だけで何とかする」

 

 

由香里が今しようとしている事。それはアトスから信頼を得て、保護観察を解いてもらう事にある。これまでしてきた行いを。罪を。自分自身の手で贖うために。

 

 

故に、由香里は一人で立ち向かおうとしているのだ……そんな彼女の覚悟を、由紀江は受け止めた。

 

 

「私も行きます」

 

 

そして、由紀江も共に行く事を選んだ。それは、由香里の保護者という理由ではない。由香里が大切な家族だから、守るべき存在であるからという、確かな思いがあるからである。由紀江の眼差しからは、止めても無駄ですと訴えていた。

 

 

どちらも退けない……しばらく互いに見つめ合い、そして笑うのだった。

 

 

 

 

 

「皆様、今日は万国乳房研究会再々建の宴にお集まり頂き、誠にありがとうございます!」

 

 

額に十字の傷を持つ万国乳房研究会の所長が、大勢の会員達のいる前で演説を行っていた。由紀江と由香里はというと……大広間の天井裏に忍び込み、様子を観察している。

 

 

やはり思った通り、如何にも怪しい団体であった。会員達に混じり複数の黒服SPが待機しながら、周囲の様子を伺っている。

 

 

「一度ならず、二度までも不当な弾圧に屈した我々ですが、皆さま会員の願いに応え、もう一度再建することを決意致しました!」

 

 

所長の宣言と共に、会員達の歓声が上がる。会員達の熱気と狂信的なオーラが大広間を包んでいた。所長はさらに続ける。

 

 

「そして“万乳研”改め“宇乳研”を称し、さらに我々は新しく生まれ変わります!その名は――――――!」

 

 

所長の背後に『万国乳房研究会』と書かれた張り紙が剥がれ落ち、改名された命名が記された看板が姿を表す。瞬間、所長の魂の叫びが会場内に響き渡った。

 

 

「“銀河乳房研究会”!!!」

 

 

所長の発表と同時に、会員達のテンションが最高潮に達する。この時を待っていた……彼らは願っていたのだ。万乳研が再び復活を遂げる日を。

 

 

「銀河乳房研究会……銀乳研だわ!!」

 

 

「そうよ、銀乳研!」

 

 

「所長!所長!!」

 

 

激しい所長コールの中、会員の女性達が突然服のボタンを外し、乳房を露出させる。羞恥心など彼女らにはない。彼女達にあるのは万乳研を崇拝するという狂信だけである。

 

 

故に彼女らは全てを差し出す。胸を、聖乳(ソーマ)を。

 

 

「我々銀乳研の再建と繁栄、未来の栄光を祝し、今宵は宴を楽しみ、喜びを分かち合いましょう!!」

 

 

会場が更なる熱気に包まれ、会員達が所長に声援を送る。そして所長は両手を掲げ、銀乳研を支える全ての者達に、告げた。

 

 

「全てのおっぱいが揺れる時、大地が……そして世界が揺れ動くのです!我々は示さなければなりません。我々が世界を救う救世主……いや、乳世主である事を!」

 

 

所長の言葉が、銀乳研を導く始まりの序曲となる。そして会員達は崇める。所長という存在を。新しく誕生した銀乳研を。

 

 

「さあ皆さんご一緒に……おっぱい・グッパイ・デトックス!」

 

 

 

『おっぱい・グッパイ・デトックス!』

 

 

『おっぱい・グッパイ・デトックス!』

 

 

『おっぱい・グッパイ・デトックス!』

 

 

 

会員が一斉にコールする。

 

 

永遠と繰り返すそれは、狂信的と言わずしてなんと言おう。二人が思った以上に、怪しい団体であった。

 

 

「……………」

 

 

「……………」

 

 

その光景を、終始無言で覗いていた二人。言葉も出ない。あまりにも馬鹿馬鹿しく、そしてあまりにも拍子抜けだった。確かに怪しい団体ではあるが、脅威は感じられない。

 

 

「……一旦部屋に戻ろう」

 

 

「……そうですね」

 

 

無駄な時間を過ごしてしまった。この集団を弾圧しようと意気込んでいた由香里も、この阿呆らしい光景を見て一気に気力が削がれてしまっていた。

 

 

あの女性の殺気が気になるが、放っておいても害はなさそうだ……天井裏を後にしようとした時、ふと由香里はある光景に目が止まった。

 

 

所長が、会員の女性の乳房を貪るように吸っている。由香里は足を止めて、それを間近で見ようと目を近づけ始めた。

 

 

「おおっ……あの女性、なんて形のいい乳房……!」

 

 

「ゆ、由香里!あまり近付き過ぎたら……」

 

 

天井とはいえ、気付かれるかもしれない……釘付けになっている由香里を、必死に制止する由紀江。しかし、由香里はさらに覗こうと身を乗り出そうとしている。

 

 

由香里は今も熱心に覗きを続けている……止められない、と由紀江は頭を抱えた。

 

 

「………え?」

 

 

突然、ミシミシと軋むような音が由紀江の耳に届く。由香里は気付いていない。何故だろう、とてつもなく嫌な予感がしていた。

 

 

確か、この旅館は九鬼財閥が古くから経営している旅館だと聞いている。となれば建物にも年季が入っている筈である。

 

 

それはつまり、築何十年もの歳月が過ぎているという事。だとすれば、内部構造にもどこか脆くなる部分も出てくる可能性がある。

 

 

由紀江と由香里が長い間天井裏に留まれば、当然建物も軋みが上がる。いつ壊れてもおかしくはない。床が抜けてしまうかもしれないのだ。

 

 

次第に軋みが段々と音を立て始める。まずい、と思った時にはもう遅かった。由紀江は悲鳴を上げる間も無く、次の瞬間には二人のいた天井裏に穴が空き、そのまま会場へと真っ逆さまに落下した。

 

 

勢いよく豪快に天井が割れ、由紀江と由香里は尻餅をつく。会場内にいた会員達は突然現れた二人に騒然としていた。

 

 

「な、何事だ!?」

 

 

驚愕する所長。驚くのは当然だろう、天井裏からいきなり現れたのだから。

 

 

そして、会場のど真ん中で大注目を浴びている由紀江と由香里。非常に危険な展開である。ともかくこの場をやり過ごさなければならない。

 

 

「あ……あの、これは、その。べ、べべべつに覗き見してたわけじゃなくてですね……ねえ由香里?」

 

 

「そ、そうだ。別に私たちは万国乳房研究会の乳房の部分が気になって、覗き見したら全然対した事なくて、弾圧してやろうだなんて思ったけど興醒めしただなんてこれっぽっちも思ってないからな!」

 

 

「えーーーーーーーーーーーーーっ!?」

 

 

由香里は見事なまでに暴露していた。ワザとなのか、それとも緊張からなのか。どちらにせよ状況は悪化したのは確かである。

 

 

その上、彼らを小馬鹿にしたとなっては会員達も黙ってはいない。怒りの視線が突き刺さるように、由紀江達に注がれている。

 

 

「小娘共が何を小癪な……知られたからには仕方ない。この二人を取り押さえろ!」

 

 

所長の傍にいた何人もの黒服SPが二人を取り囲み、一斉に銃を取り出し銃口を向ける。二人は背中合わせになり、一瞬にして身動きが取れなくなった。

 

 

「うん、絶体絶命だな」

 

 

「原因を作ったのは由香里ですよ!」

 

 

意外にも由香里は冷静だった。勿論由紀江もである。

 

 

相手は銃。武器があれば現状を打破できるが、生憎と武器は持ち合わせていない。複数の黒服SPを相手には、体術のみでは限界がある。

 

 

「何か武器があれば……」

 

 

由紀江は部屋周辺を見回す。何かあるかもしれない。すると、ある物に視線が止まる。

 

 

(………!)

 

 

目を付けたのは、部屋の奥に飾られている模造刀。あれならば太刀打ちできる。由香里もそれを察したのか、小声で由紀江に指示を出した。

 

 

「ゆっきー、カウントと同時に分散するぞ」

 

 

「わかりました」

 

 

打ち合わせをする二人。まずは静かに相手の動きを再確認する。相手は複数。まだ動きは見られない。

 

 

「抵抗は無駄です。大人しく投稿しなさい。投稿すれば悪いようにはしませんよ、くっくっく……!」

 

 

所長は余裕の笑みで、取り囲まれた二人を眺めていた。そして側にいた会員の一人に耳打ちをすると、会員は頷き、部屋の奥から台車に載せられた何かを持ってやってくる。

 

 

それには布がかけられていた。そして所長が手をかけ、布を引き剥がす。

 

 

「ではこうしましょう。お二人には、デトックスマシン“OPIウルトラダイナマイトフロンティア・ハイパーエクセレントスペシャルマークⅢ”の記念すべきユーザーになってもらいましょうか」

 

 

やたら名前の長いバイクのような形の豊胸マシンがベールを脱ぐ。要するに、これを買わされた上に豊胸マシンのテスターとして見せしめにするのだろう。

 

 

だが、その要求は飲めない。由紀江と由香里は互いに頷き、

 

 

「断る。貴様らは私達が――――!」

 

 

「――――必ず成敗します!」

 

 

頃合いを見計らって分散した。瞬間、動きを見せた由紀江達と同時に、黒服SPが一斉に射撃を開始する。銃弾を潜り抜けながら模造刀へと手を伸ばす二人。

 

 

「――――届け!」

 

 

由香里はスカートの中に隠し持っていた水銀(シルバー)ロッドを取り出した。ロッドを振りかざしながら糸状の水銀を発射し、飾られた模造刀に絡ませる。

 

 

「ゆっきー、受け取れ!」

 

 

模造刀を引っ張り上げ、由紀江に向かって投げつけた。銃弾の嵐の中で模造刀を受け取り、由紀江は鞘から刀を引き抜いた。

 

 

「参ります!!」

 

 

刀を手にした瞬間、由紀江の動きが変わる。動体視力では追えない程の高速の斬撃が銃弾を弾き、同時に黒服SPにもダメージを与える。

 

 

気が付いた時には全てが終わっていた。あるのは気を失い倒れている黒服SPと、無残に転がる銃弾のみ。

 

 

「峰打ちです。ですが、これでしばらくは動けないでしょう」

 

 

由紀江の剣捌きに、会場内にいた会員達が一斉に会場から逃げていく。残ったのは由紀江と由香里。そして所長だけになった。

 

 

「なかなかの剣捌きだったぞゆっきー。さすが私の嫁!」

 

 

「よ、嫁じゃありません!」

 

 

由香里に褒められて悪い気はしないが、恥ずかしいと由紀江は思った。

 

 

―――これで相手の戦力は一気に失われた。もう所長には戦う術は残されていない。形成を逆転されてしまい、所長は表情を歪ませている。

 

 

「お、おのれ……まさか、貴様もアトスのクェイサーか!?」

 

 

所長の問いに、由香里はふふと笑う。そして人差し指をつきつけ、こう言い放った。

 

 

「通りすがりの美少女愛好家だ。覚えておけ!」

 

 

決め台詞のつもりなのか……通り名がかっこいいのか悪いのか、ツッコミ所が満載である。だが由紀江はあえてツッコミを入れなかった。入れていたらキリがない。

 

 

「何を訳のわからない事を……だが、これで終わったと思うなよ!こちらには最強の切り札がある!!」

 

 

所長が叫ぶと、突然会場内の天井を破り、人影―――否、機械が由紀江達の前に現れた。

 

 

その姿は、クッキー第二形態であった。九鬼財閥が作り上げたロボットである。

 

 

だが、大和達といるクッキーとは違う。青一色で染められたボディ。右手に持つ凶器という名のビームセイバー。背中にはバックパックのような装置が取り付けられていた。

 

 

『お呼びですか、マスター』

 

 

クッキーから発せられる機会音が響く。あれは本当にクッキーなのか……由紀江達の問いに答えるかのように、所長が代弁をする。

 

 

「ふっふっふ……これはただのクッキーではない。九鬼財閥と辻堂財閥が結集して開発した究極の兵器―――その名も“GNクッキー”だ!」

 

 

GNクッキー。次世代の名を冠する殺戮機械。同じクッキーな筈なのに、この機体からは悍ましい程に殺気が感じられる。

 

 

ロボットの三原則を捨て去り、ただ敵を倒すためだけに作られた兵器……由紀江と由香里は身構えた。

 

 

「さあGNクッキーよ、あの小娘共を始末しろ!」

 

 

『イエス、デトックス!』

 

 

GNクッキーが敵と認識した由紀江達に向かって突貫する。

 

 

「来るぞ!」

 

 

「はい!」

 

 

 

由紀江、由香里とGNクッキー。二人と一機の戦いの火蓋が、切って落とされた。



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59話「まじこい☆くぇいさー 4」

GNクッキーはビームセイバーを振りかざし、由紀江と由香里に襲いかかる。

 

 

クッキーとは異なる未知の機械……どんなギミックが搭載されているか分からない為、迂闊に手出しはできない。

 

 

かと言って、手を拱く訳にはいかない。由香里が先手を打ち、見えない糸状の水銀を瞬時に張り巡らせた。接近すれば最後、対象がバラバラに切断されるという仕掛けだ。

 

 

だが相手は機械……無数の糸が絡まり、一時的に身動きを封じるのが限度である。

 

 

GNクッキーは止まる気配を見せない。やはり機械でも、このピアノ線を見切る事はできないのだろう。

 

 

しかし、次に取ったGNクッキーの行動に、由紀江達は驚愕する事になる。

 

 

GNクッキーは仕掛けられた糸の寸前で立ち止まり、ビームセイバーを振り上げた。瞬間、背中のバックパック―――加速装置が作動するエンジン音が鳴り響く。

 

 

『GN―――クッキー・ダイナミック!!』

 

 

加速装置により出力が上がったビームセイバーが振り下ろされる。ビームセイバーは容易く見えない糸を斬り裂き、由紀江達の防衛ラインを突破した。

 

 

小細工は通用しない……今度は由紀江が前衛に出て、模造刀の一閃を入れ込む。

 

 

だがGNクッキーは由紀江の攻撃に即座に反応し、その一閃を振り払い、左腕による正拳突きのカウンターで由紀江を容易く吹き飛ばした。

 

 

「あぐ……っ!?」

 

 

『無駄な足掻きだ。貴様らの剣は見えている!』

 

 

水銀のトラップを突破し、剣聖黛の剣技すらも容易く受け止める反応速度。GNクッキー……パワーもスピードも二人を凌駕していた。百代に次ぐ強敵であると言っていい程に。

 

 

「よくもゆっきーを―――!」

 

 

由紀江に手を出され、感情的になった由香里は怒りに任せてロッドを振りかざし、先端から射出された水銀をGNクッキーに叩きつけた。

 

 

怒りに任せた攻撃は荒く、容易くGNクッキーに避けられてしまう。冷静さを失えば、このGNクッキーに勝ち目はない。

 

 

「由香里……ダメです。もっと冷静にならないと……!」

 

 

由紀江はよろめきながら模造刀を構える。状況は劣勢。攻撃は完全に読まれていた。

 

 

『隙を見せたな――――!』

 

 

「――――!?」

 

 

GNクッキーはビームセイバーの柄を、隙だらけになった由香里の腹部に捩じ込んだ。胃の中が逆流しそうな衝撃を受ける。そして動きが止まった由香里の首を左腕で掴み上げた。

 

 

「ぐっ………あ……!」

 

 

『くっくっく……どうした?もっと足掻いて見せろ!』

 

 

首を締め上げながら嘲笑うGNクッキー。由香里は苦しみもがきながら抵抗を試みるが……何もできない。

 

 

「由香里っ!!」

 

 

由香里が危ない……助けようと走り出す由紀江。冷静になる時間さえも許されない危機的状況の中、目の前で由香里が死にかけている。落ち着いて等いられない。

 

 

――――あのクッキーは、本気で人を殺す。

 

 

「黛流・十二斬!!」

 

 

十二回繰り出される斬撃をGNクッキーに放つ由紀江。しかしGNクッキーはもろともせず、右手のビームセイバーで斬撃を捌いていく。

 

 

初見で十二斬を見抜くGNクッキーの性能……あり得ない、と由紀江は戦慄した。

 

 

『そんなにこいつが大事か?ならばくれてやろう―――!』

 

 

GNクッキーは左腕で掴み上げている由香里の身体を、豪快に由紀江に向けて投げつけた。由紀江と由香里は衝撃で投げ飛ばされ、床へと叩き付けられる。

 

 

「か……ごほっ、ごほ!?」

 

 

「つ、強い……」

 

 

激しく咳き込み項垂れる由香里。GNクッキーの強さに半ば絶望しかけている由紀江。圧倒的な戦力差に追い込まれている……一体あの化け物に、どう勝てばいいのだろうか。

 

 

「流石はGNクッキー。これならば我々銀乳研の時代が来るのも近い!」

 

 

勝利に酔う所長。全てはマスターの思いのままにと服従するGNクッキー。さらにGNクッキーの宣告が由紀江達を更なる窮地へと追いやる事となる。

 

 

『先に言っておく……私は自分の能力の50%しか出していない。よって、貴様らが私に勝つ事は万に一つもあり得ない!』

 

 

今までGNクッキーの戦闘力は約50%。まだ半分である。それにも関わらず、二人は手も足も出ないのだ。由紀江も由香里も、これが精一杯であると言うのに。

 

 

しかし、それでも由紀江は諦めなかった。立ち上がり、再び模造刀を構える。

 

 

「……まだ、です。私達が負けると決まったわけでは……」

 

 

由紀江の模造刀を持つ手は、微かに震えていた。目の前の強敵に、恐怖していた。

 

 

怒りや恐怖は刃を鈍らせる。虚勢を張っているようなものだ……その由紀江の心境を、GNクッキーは読み取っていた。

 

 

『貴様はもう理解している。決して私に勝つ事はできないと。その震えこそが……何よりの証拠だ!!』

 

 

「―――――!」

 

 

図星を突かれた由紀江の手の震えは止まらなくなり、激しく動揺し始めていた。

 

 

勝てない。勝てない……そんな言葉が由紀江の心を蝕んでいく。すると震える由紀江の手に、由香里の手が添えられた。

 

 

「由香里……?」

 

 

「気をしっかり持て。私達二人なら……何だってできる!」

 

 

由香里の励ましが、由紀江の恐怖を取り除いていく。その優しい言葉が、由紀江にどれだけの心の支えになる事か。

 

 

由紀江は力強く頷き、今までの迷いを拭い去り―――GNクッキーを見据えた。

 

 

その瞳には一点の曇りもない。ほう、と声を漏らすGNクッキー。状況が変わったわけではないと言うのに。人間と言うのは理解できないなとGNクッキーは思った。

 

 

「そろそろ演舞再開といこうか、木偶人形!」

 

 

由香里も再びロッドを構える。二人は気力を取り戻し、GNクッキーと改めて対峙する。

 

 

二人なら何でもできる……その思いが由紀江と由香里を突き動かしていた。

 

 

『思い上がるなよ。今更貴様ら二人に何ができる?』

 

 

勝利を確信するGNクッキーにとって、今まで絶望しかけていた由紀江達の根拠のない気力の回復は不可解であった。理解できない、機械であるが故に。

 

 

「決まっています。私達にできる事は――――」

 

 

「―――お前を倒す、ただそれだけだ!」

 

 

二人はGNクッキーに向かって走り出す。死に急ぐようなものだ、とGNクッキーは笑う。だが敵は斬り捨てるのみ。せめて楽に死なせてやろうとビームセイバーを振りかざす。

 

 

「せやああああ!!!」

 

 

由紀江の斬撃がGNクッキーの攻撃を弾き返す。そして、次なるGNクッキーの一手が繰り出される。

 

 

瞬間、

 

 

「ゆっきー、下がれ!」

 

 

由香里の呼び声と同時に、由紀江は後退した。GNクッキーの攻撃は空振りに終わる。二人の攻撃はまだ終わらない……由香里の水銀攻撃がGNクッキーに向けて放たれた。

 

 

『またピアノ線か。馬鹿の一つ覚え………む?』

 

 

GNクッキーは異変に気づく。放たれた水銀が分散し、霧状の気体へと変化する。

 

 

気化水銀……形のない毒素。機械であるGNクッキーに害はないが視界が悪い。ビームセイバーの斬撃と剣圧で霧を吹き飛ばす。

 

 

『ふん、ただのこけおどしか……それでは私に―――――何!?』

 

 

そして、GNクッキーはもう一つの異変に気付く。身体中の関節が、まるで縛られているように動きが鈍くなっていた。ピアノ線が絡まっているのか……それはない。だが次第に身体の自由が効かなくなっている。

 

 

「外側がダメなら内側、と言うやつだ!」

 

 

かかったな、と笑う由香里。由香里の気化水銀の粒子がGNクッキーの内部へと入り込み、中で再構築した後、関節と言う関節を糸のように縛り上げたのである。

 

 

『き、貴様………!』

 

 

迂闊だった、とGNクッキー。由香里の能力を侮った結果、身動きを封じられてしまっていた。ボディには何も入り込まないよう隙間という隙間は塞がれている……だが、分子レベルの元素までは防ぎきれない。

 

 

これ程までに元素を操る力。先程の由香里の戦い方とはまるで違う。

 

 

「ば、馬鹿な……まさかその力、第六階梯――――!」

 

 

あり得ない、と所長は表情を引きつらせた。

 

 

由香里のクェイサーとしての能力は第四階梯であった。そして、彼女は僅かなこの戦闘で、クェイサーの頂点である第六階梯へ上り詰めたのである。

 

 

「ゆっきー、今だ!」

 

 

「いきます!」

 

 

GNクッキーは水銀による拘束によって身動きが取れない。ならば今こそが好機。由紀江は三度GNクッキーへと突貫した。

 

 

「これが私の全力です!黛流剣術―――――」

 

 

由紀江の構えが、抜刀の形に変わる。模造刀に由紀江の闘気が注ぎ込まれ、暴風の如く荒れ狂う風を纏い始めた。

 

 

由紀江が日々の鍛錬を重ね、編み出した黛流剣術。それが今ここに具現する。

 

 

「―――――嵐翔一閃(らんしょういっせん)!!」

 

 

抜刀した瞬間、暴風の塊が嵐を巻き起こし、GNクッキーに向けて疾走する。嵐を翔ける……まさにその名に相応しい剣技であった。

 

 

暴風はGNクッキーを直撃し、会場の壁まで吹き飛ばした。GNクッキーの身体は壁にめり込み、内部構造にダメージを受ける。

 

 

『グ………ガ………!?』

 

 

だが、致命傷にはならなかった。GNクッキーは身体を支えるようにビームセイバーを床へと突き刺している。倒せはしなかったが、今までのような動きはできないだろう。

 

 

恐怖を克服した由紀江と、第六階梯へ成長した由香里。戦局は覆された。

 

 

 

――――だが、由紀江達は失念している。GNクッキーがまだ本気ではないという事を。

 

 

『―――――システム起動。Code:Lily-alize(リリィ=アライズ)

 

 

突然、GNクッキーのバックパックから緑色の粒子が放出し、ボディ全体が赤褐色に変化した。否、発光していると表現した方が正しいか。

 

 

床に突き刺したビームセイバーを引き抜き、GNクッキーは由紀江達を見据えている。そのビームセイバーは禍々しく紫色に輝き、瞑想するように静かに立ち尽くしていた。

 

 

GNクッキーからは何も感じ取れない。殺意も。何もかも、全て。静止状態であるそれは、動かざる狂気と呼べる程に不気味であった。

 

 

危険だ……と再び身構える二人。そう感じ取った矢先、GNクッキーは既に二人の前から姿を消していた。

 

 

まさに一瞬の出来事。瞬間移動の如く跡形もなく消え去っている。気配を探る由紀江と由香里だが、探るまでもなく、身体に衝撃が走った事により証明された。

 

 

「うぁっ……!?」

 

 

「くっ……!?」

 

 

GNクッキーは、既に由紀江達の背後を取っていた。動きを悟られる事もなく、秒単位で距離を詰めて襲撃したのである。二人は吹き飛ばされ、壁へと叩きつけられた。

 

 

由紀江達が気付けない程の超速移動。それはGNクッキーが有する最強にして最速の能力。

 

 

Lily-alize System(リリィ=アライズ・システム)”。システムが起動する事でGNクッキーのリミッターが解除され、限界を超えた高速戦闘を可能する攻撃プログラム。

 

 

早過ぎて、反応さえも許されない。由香里はロッドから水銀を放ち、反撃を試みる。分子レベルまで研ぎ澄まされた水銀は避けられる数ではない。分子の一つ一つが銀の針となってGNクッキーに降り注ぐ。

 

 

しかし、

 

 

「なっ――――」

 

 

GNクッキーは、その分子さえも避けて見せた。高速接近し由香里にビームセイバーで斬りつける。由香里は辛うじて回避したものの、剣圧で服が破け散り、肌に切り傷を負う。

 

 

「由香里!」

 

 

加勢しようと由紀江も動き出した。まだ戦う力は残っている……由紀江はGNクッキーに向けて模造刀を一閃する。

 

 

『止まって見えるぞ!』

 

 

その一閃を、GNクッキーが薙ぎ払う。ビームセイバーの最大出力による斬撃は、由紀江の攻撃を止めただけでなく模造刀をも破壊した。模造刀は虚しく折れ、刀としての意味を成さなくなる。

 

 

もはや二人に戦う術はない。GNクッキーはビームセイバーを握り締め、

 

 

『くらえ――――リリィ=アライズ・クッキイイィィィィィ・ダイナミック!!!』

 

 

全身全霊の一撃を、由紀江達に向けて放った。音速を超えた一閃が二人を薙ぎ払う。さらに発生した凄まじい剣圧が暴風となり、周囲のものを破壊した。あとに残るのは、惨状という名の残骸のみである。

 

 

 

―――――――――――。

 

 

 

「あ、く……」

 

 

「う……あ………」

 

 

その惨状の中心に、二人の姿が横たわっていた。身体中は傷だらけで、もう戦う力は残されていない。GNクッキーによる攻撃で、立ち上がる事もできない程に弱り切っていた。

 

 

その光景を眺めながら、所長は勝利に歓喜する。

 

 

「くっくっく……勝負あったな。GNクッキーよ、トドメを刺せ!」

 

 

『イエス、デトックス!』

 

 

GNクッキーが二人を葬ろうと歩み寄る。今度こそ、二人の命を狩るつもりだろう。

 

 

逃げなければ……だが、今の由紀江達には立ち向かうどころか、立ち上がる事もままならない。精々意識を保つのが精一杯だった。

 

 

……徐々に死の足音が近づいてくる。意識はあるのに、逃げられない。このまま、GNクッキーの凶刃によって殺されるのを待つばかりだ。

 

 

「あ……だめ、だ……」

 

 

動かない身体に鞭を打ちながら、由香里は由紀江に向かって這いずり出す。そして由紀江を覆い被さるように、自分の身を挺して守ろうとしていた。

 

 

守ると決めた……たとえこの身体がボロボロになろうとも。由紀江だけは死なせはしない。その由香里の強い意思が、傷だらけの身体を突き動かしていた。

 

 

『終わりだ。姉妹で仲良くあの世で後悔するがいい』

 

 

GNクッキーが由紀江達の前で足を止める。ビームセイバーを振り上げ、由紀江と由香里に終焉を与えようと見下ろしていた。

 

 

ここまでか……逃げる事のできない由香里は由紀江を守るように蹲り、目を瞑った。

 

 

が、

 

 

『むっ!?……なん、だ……!?』

 

 

突然、金切り声のような不快音がGNクッキーのボディから聞こえてきた。

 

 

由香里はそっと目を開ける……GNクッキーがビームセイバーを振り上げたまま、錆び付いたように小刻みに震えて動かない。さらには身体中に放電が発生していた。

 

 

『ば、馬鹿な……オーバーヒート、だと!?』

 

 

システムによるオーバーヒート。限界を超えた高速戦闘は、GNクッキーのボディに負荷を与え続け、内部構造に支障をきたしていた。

 

 

しかも由紀江達による戦闘ダメージも蓄積されているとなれば、当然の結果である。

 

 

認めない。認められない。ここまで追い詰めておきながら……GNクッキーはビームセイバーを振り下ろそうと必死に力を入れる。動かなくなった手腕が、奇怪な音を立てながら徐々に下がっていく。

 

 

そしてビームセイバーの先端が、由香里の身体に届こうとした時だった。

 

 

『ガ――――アァァァ!?』

 

 

GNクッキーの強固な装甲を、飛来した薙刀が貫いていた。反動でGNクッキーは後ろへと後退する。薙刀からは電撃が発生し、GNクッキーの身体をショートさせる。

 

 

最後には一人の影が由紀江達の前に降り立ち、GNクッキーの身体を、バターのように真っ二つに切り裂いていた。

 

 

『―――――ニンゲン……人間、風情があああアアアアアアアアア!!』

 

 

断末魔を上げ、GNクッキーは爆発と共に砕け散った。殺戮機械の無残な最期である。

 

 

「……無事か、二人とも」

 

 

「間に合ってよかったわ……」

 

 

由紀江達を救うべく現れた二人の影。薙刀による雷撃の召還、そして聞き覚えのある声。由紀江達には、彼らが誰であるかすぐに理解できた。

 

 

そう……現れたのは、一子と大鎌(サイス)を手にしたサーシャだった。現れた二人に、由紀江と由香里は戸惑いを隠せない。

 

 

「一子、奴は?」

 

 

「……この部屋にはもう気配がないわ。逃げられたみたい」

 

 

所長を探しているのだろう。しかし、所長はいつの間にか姿がなくなっていた。

 

 

GNクッキーが破壊される直前に逃亡したのである。遠くへは行っていない筈だが……今は由紀江達が最優先である。

 

 

サーシャ達が来てくれたお陰で、危機は去った。来なければ今頃は……そう思うと背筋に悪寒が走る。由紀江達は安堵の息を漏らし、自分達がこうして生きている事を改めて実感するのだった。

 

 

 

 

「それで、どうしてお前達がここにいる?」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

サーシャの最もな疑問であった。見つかってしまった以上、言い訳のしようがない。

 

 

次に待っているのは尋問と制裁である……由紀江と由香里はそう覚悟しながら、今は命がある事の喜びを噛み締めるのだった。



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60話「まじこい☆くぇいさー 5」

GNクッキーとの死闘を経て、由紀江と由香里は更なる死地へと赴く事となった。

 

 

サーシャ達が駆け付けた後、騒ぎを聞きつけた生徒達が押し寄せ、さらには警察とマスコミが来る始末となった。

 

 

あまり大事にするわけにはいかないので、九鬼財閥と辻堂財閥。そしてアトスが圧力をかけた事により、騒ぎはすぐに鎮圧した。

 

 

その後、発見された由紀江と由香里は立って歩ける程に回復した。しかし二人がここにいる時点で可笑しい……何故学園で授業を受けている筈の一年生がいる、という話である。

 

 

二人は説教部屋と言う梅子の部屋に正座させられ、そして現在に至っている。

 

 

梅子は笑いもしなければ怒りもしない。ただじっと、無表情で二人を交互に見ていた。

 

 

「弁解の余地を与えてやる」

 

 

静かに口を開いた梅子は鞭を手にしながら、二人の返答を待つ。

 

 

……空気が重い。今にも押し潰されてしまいそうな程に。早くこの場から逃げ出してしまいたいと二人は思った。

 

 

すると、先に口を開いたのは由紀江だった。

 

 

「……わ、私が悪いんです!私が由香里を止めていれば、済んだ話だったんです。ですから、由香里を責めないであげてください!」

 

 

この一件は、全て自身の責任であると由紀江。最初から旅行に行きたいという由香里の願望を止めれば事は済んでいた。

 

 

由香里の保護者は由紀江である。保護者としての責任を問われるのは当然であった。それを聞いた由香里は、

 

 

「何を言うんだゆっきー。もとあといえば、私のわがままから始まった事だ。私が悪い。先生、ゆっきーは悪くない。指導を受けるのは私だけでいい!」

 

 

由紀江を庇い始めた。由紀江の制止を振り切り、無理矢理旅行へと連れ出したのだ……自分の我儘に巻き込んだのだから、由紀江は無関係だと弁護する。

 

 

気持ちは嬉しい。だがやはり責任を問われるべきなのは私だと、由紀江は譲らない。

 

 

「由香里、悪いのは私です。由香里が気負う必要はありません!」

 

 

「違うゆっきー、悪いのは私だ。だから自分を責めなくていい!」

 

 

何度も自分の責任であると、互いに庇う事を繰り返す。

 

 

「いえいえ私が……」

 

 

「いやいや私が……」

 

 

そんなやり取りをしていると、次第に梅子が痺れを切らし、ついに、

 

 

「――――二人とも同罪だ、馬鹿者!!!」

 

 

とうとう鞭裁きで一蹴した。鞭の強烈な音と共に、二人の動きがピタリと止まる。

 

 

それだけ、梅子には制止力があるのだ……2−Fを纏める存在なだけあって、その迫力には思わず恐怖を覚える。

 

 

「学園を抜け出し、修学旅行に忍び込むなど言語道断!おまけに虚偽の理由で休暇を取るとは、呆れてものも言えん!!」

 

 

当然といえば当然だった。学園に提出した、アトスの協力要請……嘘っぱちもいい所である。返す言葉はおろか弁論の余地すらもない。

 

 

二人がした事は、校則違反どころでは済まされない重大なものである。罰則は停学、下手をすれば退学……二人はそう覚悟していたが、梅子からの解答は予想外だった。

 

 

「本来なら停学処分……と言いたい所だが、先程の一件については御苦労だった。したがって、今回は大目に見ようと学長から通達が入ったぞ。理由が虚偽とは言え、どうやら事実になりつつあるようだしな」

 

 

お前たちは運がいい、と梅子。停学もしくは退学処分は免れるようだった。嘘から出た誠とはこの事である。

 

 

学長曰く“結果オーライで何よりじゃわい”と連絡があったらしい。二人は安堵の息を漏らすのだった。

 

 

「それと、もう一つ通達がある。黛由香里。この一件で保護観察を解除すると、ユーリ殿から連絡があった」

 

 

保護観察の解除。つまり今後は自由、という事である。由紀江と由香里は目を丸くした。その表情を見て梅子はうむ、と笑う。

 

 

「どうやら完全に味方として認めてくれたようだな……これで晴れてお前は自由の身だ」

 

 

万乳研との一件。アトスは由香里がした行動で、味方として判断したのだ……もう危害を加える事はないだろうと。

 

 

「そ、そうか……」

 

 

由香里も嬉しかったのか、思わず照れ隠しをする。由紀江はよかった、と自分の事のように喜んでいた。

 

 

 

二人の戦いは終わりを迎える。これで無事に明日を迎えられると安堵しながら。

 

 

これで一件落着……と思っていた矢先、梅子がその空気を壊すように咳払いをする。話はまだ終わっていないらしい。

 

 

「しかし、だ。今回の一件と修学旅行の件については話が別だ。学長もああは言っていたが、処分に関しては任せるとの事。よって、学園に戻ったら一週間の奉仕活動だ。いいな?」

 

 

無事に終わる、訳がなかった。何事もなく……というのは甘い考えである。

 

 

ただ、奉仕活動で済んだのは幸いと言っていい。二人は処罰を受け入れるのだった。

 

 

「……ともかく、まずは怪我の手当をしないとな。隣の部屋に及川先生が待機している。怪我の具合を診てもらうといい」

 

 

長々とすまなかったなと梅子は付け足し、話は以上だと指導を終わらせた。今度こそ終わりだ……治療してもらった後、ゆっくりと身体を休めようと思った時、

 

 

「先生、奉仕活動について提案があります!」

 

 

突然由香里が手を上げた。奉仕活動の具体案を出すらしい。何故だろう、由紀江にはすごく嫌な予感がしていた。

 

 

「許可する。言ってみろ」

 

 

感心だな、と梅子。

 

 

「私は………梅子先生を奉仕したいと思います!」

 

 

由香里は梅子自身を奉仕するのだと言う。酷く嫌な予感がした。何故なら、由香里が言うと意味合いが酷く違ってくるからである。

 

 

「む、それはどう言う事だ?」

 

 

当然、梅子には分からない。分からない方がいい……由紀江はこの場から逃げ出したくなった。そして嫌な予感は、次の由香里の一言で確信へと変わる。

 

 

「毎晩私たち二人で、梅子先生を慰みます。どうでしょう?」

 

 

(あわわわわわわわわわわわわわわわ………)

 

 

要するに、梅子に色んな事(・・・・)で悦んでもらうという事である。

 

 

さすがの梅子も意味を理解したのか、鞭を持つ手を震わせながら、恥ずかしさと怒りで真っ赤になっていた。

 

 

そして、

 

 

「――――また傷を増やしたいか、この俗物がああぁ!!!!!」

 

 

由香里が余計な事を口走ったおかげで、二人は更なる教育的指導を受ける事になってしまった(身体的な意味で)。

 

 

 

 

こうして二人は死地という説教部屋から帰還し、麗の待つ部屋へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 

「うぅ……何がいけなかったんだ………はっ!もしかして、私達が慰められる側の方がよかったのか!?」

 

 

「いやいやだから………」

 

 

「――――聞こえているぞ!!!」

 

 

「「ひぃ!?」」



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サブエピソード29「祈りは優しさと共に」

「こりゃまた……随分と派手にやったわね」

 

 

麗の寝室にて。麗は正座した由紀江と由香里の傷具合を目にして半ば飽きれていた。仕方ないねとピンセットを手に取り、由香里の傷口に消毒液のついた綿を軽くあてがう。

 

 

「い……いたっ!?」

 

 

消毒液が傷口に染みる。痛みに耐えきれず、思わず声を出してしまう由香里。

 

 

「これくらい我慢しなさい……由紀江ちゃんは大丈夫?」

 

 

手当を終えた由紀江に声をかける麗。由紀江はというと……意識は上の空だった。反応がない。床に視線を落としながら静かに沈黙を守っていたが、ようやく麗の声に気付いた。

 

 

「え……あ、はい」

 

 

「…………」

 

 

考え事でもしていたのか、由紀江の表情はきょとんとしている。その様子を見て、麗はその原因は何であるかすぐに理解できた。由香里の手当を終え、話題を切り替える。

 

 

「話は小島先生から聞いたよ。二年生の修学旅行に着いてきたんだって?」

 

 

たいしたもんだよ、と麗。アトスの協力要請と嘘をついてまで忍び込んだのだ……その二人の度胸が気に入ったのか、麗は呆れるどころか笑っていた。アタシも学生の頃は素行が悪かったからねぇ、と昔の事を染み染みと思い出している。

 

 

何があったかは知らないが、麗の性格からして相当な問題児であった事は間違いない。

 

 

「しかしとんだ騒動に巻き込まれたね……あんた達もついているんだかいないんだか」

 

 

万乳研の一件に遭遇し、二人の折角のお忍び修学旅行は一瞬にして幕を閉じた。すぐにでも川神市に強制送還……される事はなく、鉄心の計らいで同行を許された。ただし制限付きではあるが。

 

 

「けどまあ………」

 

 

すると、麗は由紀江と由香里を自分の胸元に抱き寄せ、優しく抱擁を始めた。二人の頭をわしわしと撫でる。

 

 

「よく頑張ったね、二人とも」

 

 

傷だらけの二人を労う麗の抱擁は暖かく、二人の傷だけでなく、心をも癒してくれた。由香里はこういうのも悪くない、と身を委ねている。

 

 

しかし由紀江だけは身体を震わせ、麗の胸に顔をうずめ、これまで溜め込んでいた感情を爆発させるように泣き出し始めた。

 

 

「うぁ……ああ……ひっく……うううう……!」

 

 

何度も咽び泣く由紀江。GNクッキーという強敵を相手にして、死を目前にして戦い抜いたのだ……怖くないわけがない。もし一歩間違えば自分の命を落とすだけでなく、由香里さえも失っていたかもしれないのだから。

 

 

それだけ、家族を失いたくないという強い意思が由紀江にはあった。

 

 

「…………」

 

 

由香里は……声をかける事ができなかった。何故なら今の自分にそんな資格はないと、そう感じていたから。

 

 

 

 

 

麗の部屋のベランダで、由香里は海が広がる夜景を眺めていた。夜風が由香里の長い髪を靡かせている。

 

 

考えに耽っているわけではない。ただ意味もなく、視線の先は遠い海の果てにあった。

 

 

風が潮の匂いを運ぶ。そしてそれに混じるように、咽るような煙草の匂いが由香里の鼻を刺激した。気がつけば由香里の隣には麗が煙草を加え、夜空に向けて煙を吐いていた。

 

 

「戻らなくていいの?」

 

 

気になったのか、麗が様子を見にやってきていた。由紀江は既に部屋へ戻っている。

 

 

由香里はもう少しここにいると言って、麗の部屋に残っていた。由香里は答えず、視線だけを麗に向けてすぐに海の方へと戻す。

 

 

「……煙草は聖乳(ソーマ)に悪いぞ」

 

 

「それ、サーシャも同じ事を言ってたよ」

 

 

善処はしてるんだけどね、と麗。そう言いつつも煙草に火を付ける姿は、善処どころか一向に止める気はないらしい。麗はもう一度夜空に向けて煙を吐いた後、海の向こうに語りかけるように呟いた。

 

 

「いくら武士娘って言っても、女の子だからね……」

 

 

由香里の心境を察した麗の答えだった。由紀江の事だろう……守る事ができなかった自分を悔いているに違いない。

 

 

由紀江は“剣聖”として厳しく育てられた。しかしそれ以前に人間なのだ……死への恐怖がないわけではない。そんな由紀江に、由香里の身勝手で怖い思いをさせてしまい、その上守る事さえままならなかった。

 

 

麗の察した通り、由香里は自分自身を追い詰めていた。

 

 

「……家族失格だな、私は」

 

 

誰に向かって言うわけでもなく自嘲する由香里。自分の無力さを嘆きながら、拳を強く握り締めた。爪が食い込み、血が滲み出してしまうくらいに。

 

 

麗はそんな由香里の肩に手を回し、自分の傍らにそっと優しく抱き寄せた。

 

 

「守る事だけが、家族じゃないでしょ?」

 

 

そう思い詰めないで、と諭す麗。言葉通り、守るばかりではない。側にいるだけでもいいのだ……きっと由紀江も、同じ事を言うに違いない。守れなかった事を許せずにいた自分にとって、麗の言葉は由香里の心を震わせていた。

 

 

こうして、由紀江と一緒に無事に生きているという大切な事に、気付かされた。由香里の目から、涙が押し寄せてきそうになる。由香里は泣くまいと必死に堪え、腕で無造作に涙を拭い去った。

 

 

泣かないと、そう決めたのだ。

 

 

自分の情けない表情を麗に見られないよう、麗から離れてベランダから踵を返し、もう戻るとだけ言って立ち去ろうとする。すると麗は素直じゃないねぇと小さく笑い、

 

 

「受けには弱いと見た」

 

 

的確かつ個人的な由香里への感想を述べて、煙草を思い切り吹かした。受けに回ると捻くれる性格のようである。由香里は振り向きざまに麗を睨み付けたが……何かを言い返そうとして止めた。認めるようなものである。

 

 

廊下へ出る扉に手をかけ、何も言わぬまま出て行こうとする由香里は、もう一度だけ麗に振り返って、

 

 

「……ありがとう。少し、元気が出た。言いたい事はそれだけだ」

 

 

そう言い残し、逃げるように麗の部屋を後にした。麗は本当に素直じゃないなと、吸殻に吸い終わった煙草を押し付けた。

 

 

「……ふふ、若いっていいわね」

 

 

今の世の中を担っていく彼女達が、麗には眩しく見えた。それに、あの二人はどことなく放っておけないような、そんな気がして。

 

 

だから自分がいる間は、彼女らを見守っていこう……二人の歩む道に祝福を、と柄にもないような事を祈りながら、麗は再び新しい煙草に火をつけるのだった。



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61話「まじこい☆くぇいさー 6」

由紀江と由香里の部屋には風間ファミリーが集合していた。

 

 

部屋のテーブルの上には一台のノートパソコン。その画面上から、ユーリの笑顔が写っている。アトスとの通信手段で結果報告が行われていた。

 

 

『いやぁ、お手柄でしたね。由紀江さん、由香里さん』

 

 

感情の裏を読み取らせないようなユーリの笑顔が皮肉にしか見えない。そもそも所長は逃亡した上にGNクッキーを実質的に撃退したのはサーシャと一子である。お手柄も何もない。

 

 

「呆れた奴だ。くだらん目的で旅行に忍び込むとはな」

 

 

「相変わらず由香里ちゃんは大胆だよね……」

 

 

「まあ、よくやるわな」

 

 

サーシャは腕を組み、部屋の壁に寄りかかりながら溜息交じりに声を漏らす。まふゆと華は苦笑いしていた。

 

 

「くそ~、俺も潜り込みたかったぜ!」

 

 

キャップは相変わらず、羨ましいぜと由紀江と由香里を羨望している。ちなみにキャップが修学旅行に忍び込んでも意味がないのだが。

 

 

「まさか修学旅行に忍び込んでたなんてね……」

 

 

「おかげでクラス中が大騒ぎだ。静かに眠れやしねぇ」

 

 

「なんという大胆。さすがゆかりん」

 

 

「ったく、無茶しやがるぜ」

 

 

特に驚きもせず、あははと笑う卓也と睡眠を妨害され不機嫌になっている忠勝。そして京と岳人は呆れていた。

 

 

「む……?旅行に忍び込んだという事は、まさかあの硝子細工はゆかりんの仕業か!?」

 

 

クリスは顔を真っ赤にしながら由香里をじろっと睨みつける。由香里はやっぱり生が一番だとクリスを眺めながら、目の保養にしていた。ちっとも反省していない。

 

 

「まあ、でも二人とも怪我がなくてよかったよ」

 

 

「ほんと、心配したわ」

 

 

大和と一子も二人の無事に安堵していた。ご迷惑をかけましたと由紀江は謝罪する。

 

 

『逃亡した所長は我々が後を追っていますので……時期に捕まるでしょう』

 

 

交戦に紛れて逃亡した所長は、現在アトスの調査員が追跡しているという。捕まるのも時間の問題だとユーリ。これで万乳研も壊滅する……といいのですが、と最後にユーリは苦笑いするのだった。きっとまた、しぶとく復活するには違いないだろう。

 

 

由紀江が見ている、いつものファミリーの光景。まるで暫くぶりに戻ってきたようで、思わず安堵した。

 

 

ファミリー一同は今日起きた出来事と軽い雑談をして、一時解散となった。

 

 

 

 

 

夕食の時間。ようやく一段落つける時間がやってくる。

 

 

「少し遅くなったが、夕食の時間だ!さて、食べるとしよう」

 

 

由香里は嬉しそうに、目の前に並べられた豪勢な食事に目を輝かせていた。

 

 

「……………」

 

 

食欲をそそられる色取り取りの料理が、二人の前にずらりと食べ切れないくらいに並べられている。

 

 

まずはゴーヤチャンプルー。沖縄を代表する料理。ちなみに山羊肉入り。

 

 

続いてラフテー。これも沖縄を代表する料理。

 

 

うなぎの蒲焼きに、トロロとオクラの和え物、すっぽんの雑炊。極めつけはティラミスパフェ。もはやフルコースである。

 

 

「……由香里。ひとつ聞いていいですか」

 

 

「ん、どうした?」

 

 

「どうしてこんなに精のつく料理ばかりなんですか」

 

 

「今日の一件で旅館側が特別にサービスしてくれてな。私が好きな精力のつく沖縄料理をオーダーした!」

 

 

所長の一件で活躍した二人。おかげでテレビや雑誌の取材が殺到して旅館はますます有名になったとかならないとかで、二人にお礼を兼ねての振る舞いらしい。

 

 

「いやいや沖縄料理二つしかないじゃないですか!というか何気にゴーヤチャンプルーに山羊肉が入ってますよね!?これもアレですか、陰謀ですか!?」

 

 

この料理の品々を見る限り、どう考えても本番前としか思えない。由香里の事だ、何をするかは……想像がつく。寝取られてもおかしくはない。

 

 

「まだ本番前なのに、今日のゆっきーは突っ込む気満々だな♪今夜は激しくなりそうだぞ」

 

 

喜びながら、頂きますと食事を始める由香里。ヤバイ今夜はやられると、由紀江は覚悟を決めるしかなかった。

 

 

波乱が続いた沖縄修学旅行。ようやく一日の終わりが見えてきたというのに、もう既に怪しい影が差し込み始めていた。

 

 

 

 

今日という一日は、とても終わりそうにない。

 

 

 

 

時間が過ぎ、就寝時間になった。由紀江と由香里は布団をしいて寝る準備をする。

 

 

「では、明日に備えて寝―――」

 

 

「今夜は寝かさないぞ」

 

 

「あうぅ………」

 

 

最も、やる気に満ちている由香里が何事もなく寝かしつけてくれる筈はないのだが。恐らく由香里は是が非でも実行するつもりらしかった。

 

 

もう、覚悟を決めるしかない。

 

 

「よし、行くぞゆっきー」

 

 

由香里との激しい夜が始まる。由紀江は“父上ごめんなさい。私は汚れてしまいます”と心の中で嘆きながら目を瞑った。

 

 

「…………?」

 

 

由香里は、襲ってはこなかった。聖乳(ソーマ)を吸おうともしない。それどころか、由紀江の背中を指で押しながらマッサージを始めていた。

 

 

「あ、あの……これは?」

 

 

「うん?マッサージだが?」

 

 

見てわからないか、と首を傾げる由香里。由紀江は目を見開きながら言葉を失っている。

 

 

「……もしかして痛かったか?」

 

 

「そ、そんなことないです!気持ちいいですよ」

 

 

由香里の指圧がちょうど良く背中に食い込み、ゆっくりと揉みほぐしている。由紀江は目をつむりながら身を任せていた。

 

 

「……ありがとう、ゆっきー」

 

 

「えっ?」

 

 

突然、由香里から感謝の言葉が告げられる。急にどうしたのいうだろうか……由香里はそのまま続けた。

 

 

「ゆっきーがいてくれたから、今の私がある。あの時庇ってくれなかったら……今頃私はアトスの捕虜で、何をされていたか分からない」

 

 

「由香里……」

 

 

ずっと言いたかった、自分を家族として受け入れ、救ってくれた由紀江への思い。しかし改めて感謝をされると、由紀江も何を言っていいか分からず言葉に迷ってしまう。

 

 

それでも嬉しくて、由香里がすごく愛おしく感じていた。

 

 

しばらくマッサージを堪能する由紀江。もう少しこのままでいようと思ったその時、

 

 

「よ!お前らまだ起きてるか!」

 

 

部屋の扉がいきなり開き、キャップが川神水の瓶を片手に入り込んできた。もちろんキャップだけではない。大和達やサーシャ達も一緒である。

 

 

「み、みなさんどうして……」

 

 

由紀江が尋ねると、キャップ達は由香里の歓迎会を開きたいらしかった。だから、皆で盛り上がろうぜと差し入れなどを大量に持参している。強引にでも行うようだ。

 

 

由紀江と由香里は互いに笑い、立ち上がり歓迎会に参加し大いに盛り上がるのだった。

 

 

 

 

 

歓迎会の最中、由紀江と由香里はベランダに出て外の光景を眺めていた。他のメンバーは飲み食いしながら騒いでいる。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

しばらく夜景を眺める二人。お互い黙っていたが、先に口を開いたのは由香里だった。

 

 

「……その」

 

 

「はい?」

 

 

由香里に視線を向ける由紀江に対し、照れ臭そうに視線を逸らす由香里。次第に顔が真っ赤になっていく。そして、

 

 

「……う、嬉しかった」

 

 

喉の奥から、ようやく絞り出した言葉。歓迎されるのは慣れていないらしく、いつものような勢いは感じられない。これは意外な一面を見たと、由紀江は少し得をした気分になった。

 

 

「それは何よりです。由香里が嬉しいなら、私も嬉しいです」

 

 

そう言って笑顔で返答する由紀江の表情は、今の由香里にはとても直視できなかった。ますます照れ臭くなってしまう。

 

 

すると、

 

 

「おいおい、何だよ二人して。アタシも混ぜろよ!」

 

 

二人の肩を抱きながら割り込んできたのは華だった。二カッと笑いながら絡んでくる。片手には川神水の瓶。酔っているようだ。

 

 

川神水はノンアルコールだが、酒を飲んだように酔ってしまう不思議な水である。

 

 

できあがっていたのは華だけではない。クリスは何やらよく分からない事を叫んでいた。突然脱ごうとしている所をまふゆと一子が止めている。

 

 

「お」

 

 

外からは歌が聞こえる。夜景の向こう側で、イベントでも始まっているのだろうか。そして次の瞬間、

 

 

「わぁ……」

 

 

「おお……」

 

 

漆黒の夜空に、大きな爆発音と共に巨大な花火が打ち上げられた。由紀江と由香里は目を輝かせながら、その光景に目を奪われている。今まで騒いでいた他のメンバーもベランダに駆けつけ、巨大な花火を前に歓声を上げていた。

 

 

「……由香里」

 

 

花火を見ている中で、由紀江は由香里に視線を向けた。

 

 

「今日は、楽しい一日でした」

 

 

優しく微笑みながら、そう由香里に伝えるのだった。由香里もいたずらに笑みを返す。

 

 

「ああ、満足だ」

 

 

こうして由紀江と由香里の一日が終わる。改めてよろしくと合図を交わしながら。

 

 

 

 

 

一方、別の部屋では。

 

 

そこにはカーチャが足を組みながら、不機嫌丸出しの表情でイスに座っていた。背後にはアナスタシアもいる。

 

 

何故カーチャがここにいるのか。理由はアトスの任務で駆り出されていたからである。

 

 

「任務だからわざわざ沖縄まで来てみれば、どういうわけかとっくに事件は解決……おかげで私の出番なしじゃない。ああ気に食わない、ホント気に食わないわ」

 

 

カーチャの目の前には、アナスタシアの銅線によって吊るし上げられた心の姿。カーチャにお尻を突き出すような形で吊るされ、もう恥じらいもへったくれもない。

 

 

「うぅ……どうして、此方が……いだあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁい!?」

 

 

銅線の鞭による強烈な一撃が心のお尻にヒットする。

 

 

「喜びなさい心。今日はお前を飼い慣らしてあげる。だから、せいぜいいい声で泣きなさい………私の気が済むまでね」

 

 

「理不尽過ぎるのじゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

 

 

修学旅行の裏側で、心の壮絶な夜が始まっていた。



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第5章「クリス編」
62話「運命の決闘」


川神学園、グラウンド。

 

 

土埃が吹き抜け、荒野の如く広がる校庭に二人の生徒が佇んでいた。

 

 

その二人の生徒はクリスと―――そして、サーシャであった。それぞれ武器を構えて、互いに睨み合っている。

 

 

この二人の中心を囲うように、学園の全校生徒達がその様子を見守っていた。誰一人として言葉を発しない。それだけ空気が張り詰めているのだ……クリスとサーシャから発せられる闘気は、周囲の喧騒すらも制圧している。

 

 

一触即発。今まさに、二人の決闘が始まろうとしていた。

 

 

「……サーシャ。いや、アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル。この剣にかけて、お前を倒すと誓う!」

 

 

クリスはレイピアを掲げ、目前のサーシャに向けて自身の覚悟を示す。その目には一点の曇りすらない。迷いなき闘志がクリスには宿っていた。

 

 

「いつかはこんな日が来ると思っていたが……どうやらお前とは剣を交えるしかないようだな、クリス」

 

 

対するサーシャはレプリカの剣の先端をクリスに向ける。彼にも迷いはない。ただ眼前のクリスという敵を倒す為に己の闘志を振るう。

 

 

互いの視線がぶつかり合い、運命づけられた戦いへと身を投じる。

 

 

全ては、自らの信念の為に。

 

 

しばらくして、鉄心が立会いに二人の下へ現れる。問いかけるまでもなく、クリスとサーシャの準備はできていた。二人の闘気が鉄心にもピリピリと伝わる……この戦い、今まで以上に激しいものになるかもしれないと感じ取っていた。

 

 

鉄心は決闘の儀を執り行うと、決闘開始の合図を高らかに告げるのだった。

 

 

「それでは………はじめぃ!」

 

 

鉄心が合図した瞬間、二人の身体はほぼ同時に動き出した。どちらも先制を狙っている。

 

 

だが、僅かに早かったのはクリスであった。クリスはレイピアを突き出し、高速の刺突攻撃を繰り出す。

 

 

「はああああああーーーー!!!」

 

 

クリスの剣技が、弾丸のように奔る。常人ならば避ける事すら敵わない。しかし、サーシャはその一つ一つを難なく躱していく。躱しながらクリスの攻撃が終わるタイミングを伺う。

 

 

(クリスが連続刺突できる回数は約20回。最後の一撃を放った瞬間に隙が生まれる……!)

 

 

クリスが繰り出す連撃を、カウントしながら躱していく。今まで体感してきたクリスの刺突は約20回。それを踏まえて行動すれば反撃は容易。サーシャは連続するクリスの攻撃を躱し、最後の刺突が終わった瞬間にクリスの懐に入り込む。

 

 

読み通り、クリスは20回目の刺突で僅かだが動きを止める瞬間を見せていた。その隙を突き、剣の柄をクリスの腹にめり込ませる。

 

 

「ご、あっ……!?」

 

 

しまった、とクリス。衝撃で身体の内部が圧迫され、胃液が逆流する。この至近距離からでは避けきれない……あまりの衝撃で気を失いそうになる。

 

 

理解してはいたが、サーシャは本気だ。だがクリスも真剣である。それ故に、ここで倒れる訳にはいかない。

 

 

「ぐ……まだ―――――!」

 

 

クリスは腹にめり込んだ剣の柄をサーシャの腕ごと叩き落とし、身体を回転させながら回し蹴りを放ち反撃する。サーシャは舌打ちをすると、身体を反らしギリギリの所で躱してみせた。クリスの足がサーシャの顔をかすめていく。

 

 

「やああああーーーー!」

 

 

クリスの攻撃は終わらない。回し蹴りの後、さらにレイピアを突き出し刺突で追撃する。サーシャは後退して距離を取り、体制を立て直した。

 

 

「――――――」

 

 

サーシャの頬には僅かに切り傷ができている。刺突による風圧だろう……クリスの一撃がどれだけ凄まじいかを物語っていた。だが距離を取ったのも束の間、次なるクリスの攻撃がサーシャに襲いかかる。

 

 

「まだまだいくぞ!!」

 

 

クリスはレイピアを突き出しながらサーシャに疾走した。弾丸のようなそれは、まさに神速と呼ぶに相応しい。一瞬にしてサーシャとの距離を詰める。

 

 

「見切ったぞ、クリス!」

 

 

レイピアの切っ先がサーシャの身に届く寸前、サーシャは僅かに身体を傾けた。迫り来るレイピアの細身に剣の刃を押し付け、そのまま滑らせるようにクリスの攻撃を受け流す。

 

 

それも、ただ受け流したのではない。レイピアの攻撃範囲から逃れ無防備な根元部分へと滑りこむ為である。

 

 

レイピアの基礎は両刃であるが、突きを重視した武器。攻撃の重点はその尖端にある。威力は絶大だが、見切れてしまえばどうという事はない。

 

 

サーシャは先程攻撃したクリスの腹に、もう一度柄の一撃を入れ込んだ。

 

 

「ぐっ―――――!?」

 

 

柄が食い込み、クリスの全身に衝撃が走る。レプリカとはいえ、その一撃は大きい。さらにダメージまで追っている分、クリスには致命傷となり得る。

 

 

立ちくらみが起こり、クリスの視界がぼやけていく。まだ負けられない……クリスはレイピアを強く握りしめ、自分の意識を強引に保った。サーシャを突き放そうと蹴りを入れる。

 

 

「む――――!?」

 

 

サーシャは咄嗟に両腕で防御をするが、蹴りの衝撃で突き飛ばされた。再びクリスとの距離が開き、レイピアの反撃を許してしまう。

 

 

「もらったぞ、サーシャ!」

 

 

クリスはこの好機を逃す筈がなかった。レイピアを突き出しサーシャ目掛けて突進する。

 

 

スピードど一点の攻撃に集中させたレイピアの刺突……あの一撃を真面に受ければ、ただではすまない。サーシャも剣戟で応戦。衝撃で身体が軋みを上げた。

 

 

一撃では終わらない。レイピアの連撃はサーシャの体力と剣の耐久度を奪っていく。

 

 

クリスは追い詰めようと限界を超え、さらに加速させる。そのスピードは、もはや動体視力で捉える事は困難。辛うじてサーシャは殺気だけで捉えているようなものである。

 

 

防戦一方が続く中、それも終わりを告げようとしていた。

 

 

「終わりだっ!!」

 

 

クリスの最後の一撃が、サーシャの剣を弾き飛ばした。サーシャの剣は宙を舞い、回転しながら地面に突き刺さる。

 

 

これでサーシャに武器はない。断然にこちらが有利だと判断したクリス。

 

 

仮にクェイサーの能力で武器を錬成したとしても、錬成には僅かに時間を要する。そんな暇など与えはしない。錬成を始める前にケリをつければいいだけの事。

 

 

クリスは勝利を確信していた。クリスは渾身の一撃を、サーシャに向けて放つ。

 

 

――――だがサーシャから武器を落とした瞬間、クリスが勝利するという確信が大きな隙となってしまった事を、クリスはまだ気づいていない。

 

 

もしも、

 

 

「―――――!?」

 

 

サーシャがわざと剣をクリスに弾き飛ばさせ、渾身の一撃で大振りになった瞬間になる状況を誘発させたのだとしたら。

 

 

 

 

それは、クリスが敗北するという事実に他ならない。

 

 

 

 

サーシャはクリスの攻撃の軌道を読み取り、紙一重だが躱して見せた。さらにクリスの攻撃の重心を利用し、レイピアを突き出した右腕に掴みかかり、クリスを背負い投げる。

 

 

車と同様、身体の勢いは急には止まれない。クリスは成す術もなくそのまま投げ飛ばされ、地面へと叩きつけられた。

 

 

「うあ――――!?」

 

 

受け身は取れたものの、先程負ったサーシャの攻撃が衝撃に追い打ちをかける。衝撃に耐えられなかったクリスは立ち上がる事なく、視界の中に写るサーシャの姿を最後に意識を失った。立会いをしていた鉄心はクリスが戦闘不能である事を確認すると、

 

 

「勝者、サーシャ!」

 

 

右手を上げ、サーシャの勝利を高らかに宣言するのだった。瞬間、周囲のギャラリーから歓声が上がる。いい勝負だったと勝者と敗者を讃えている。

 

 

「く………」

 

 

しばらくして意識が戻ったクリスは目を開ける。その瞬間、自分は負けたのだと理解した。悔しいが事実である。認めるしかない。

 

 

サーシャがクリスの元へと歩み寄る。クリスの視界にサーシャが逆さに写っていた。

 

 

「立てるか?」

 

 

倒れているクリスに手を差し伸べるサーシャ。クリスは手を伸ばそうとして……躊躇った。まだ認められない部分が残っているのだろう。かといって、このまま意地を張るのは子供同然である。クリスは渋々手を伸ばし、サーシャの手を借りてゆっくりと立ち上がった。

 

 

「お前の剣捌き、見事だった。少しでも気を抜いていたら、負けていたのは俺の方だった」

 

 

「世辞はいい、負けは負けだ。素直に認めよう。ただ……」

 

 

決闘では負けた。それは強者を称え、自分の未熟さを改めて認識する良い機会である。

 

 

だがそれでも、クリスには譲れないものがあった。たとえ決闘に負けようとも、どうしても譲れないものが。

 

 

それは、サーシャとクリスが決闘をする事になった大きな理由に他ならない。

 

 

そう―――――――。

 

 

「―――――自分のいなり寿司を横取りした事だけは、断じて許す事はできない!!」

 

 

「…………」

 

 

サーシャとクリスとの間で起きた小さな出来事がきっかけになった事を、決闘を見ていた全員が知る事になろうとは。



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63話「回想と騎士のプライド」

クリスとサーシャが決闘をする事になった発端は、二日前に遡る。

 

 

この日、放課後を迎えたクリスは教室を飛び出し、ある場所へと足を運んでいた。

 

 

それはクリスが毎日のように通っている、いなり寿司で有名なチェーン店である。この日はいなり寿司の新作の発売日だった。クリスはいち早くその新作を食べてみたいと、心を踊らせながら店へと向かう。

 

 

「新作のいなり寿司……ああ、楽しみだ♪」

 

 

クリスはいつになく上機嫌であった。いなり寿司が好きなクリスにとって、新作は見逃せない。待ち遠しくなり、クリスの足取りが早くなっていく。

 

 

そして店についた時、クリスは絶句した。何故なら、

 

 

「うっ……」

 

 

予想以上に、長蛇の列ができていたからである。確かにこの店は有名だが、この状況は想定していなかった。ざっと20人くらいは並んでいる。待つのは嫌いだが致し方ない。クリスは渋々、列の最後尾へと並ぶ。

 

 

すると、クリスの前に見覚えのある後ろ姿があった……サーシャである。

 

 

「サーシャ……?お前も来ていたのか」

 

 

奇遇だな、とクリス。サーシャも新作が気になったのか、足を運んでみたらしい。

 

 

「ああ。新作のいなり寿司とやらを食べてみようと思ってな」

 

 

「そうか。サーシャもいなり寿司が好きか!うん、やはりいなり寿司はいいものだ!」

 

 

同志だなと満足げに語るクリス。意外な共通点が見つかり、よほど嬉しかったのだろう……目を輝かせながら喜んでいた。

 

 

「いや、別にそういうわけじゃないんだが。ただ………」

 

 

サーシャは特別、いなり寿司が好きという訳ではない。配られた店のチラシを眺めている。それは、新作のいなり寿司の宣伝広告だった。

 

 

『新作!ボルシチ風いなり寿司』

 

 

ボルシチと聞いては黙っていられない、とサーシャ。

 

 

ああ、なるほどとクリスは納得したと同時に肩を落とした。骨の髄までボルシチが好きなのだろう……むしろ、ボルシチだけで生きているのではないだろうかとさえ思うくらいに。クリス自身も人の事は言えないのだが。

 

 

 

時間が経つにつれ、列が段々と店頭へ流れていく。サーシャとクリスは今か今かと列から遠く離れた店頭を覗き込んでいた。

 

 

新作のいなり寿司まで、後数(メートル)

 

 

「いなり寿司は……いなり寿司はまだか!?」

 

 

「少し落ち着いたらどうだ」

 

 

念願の新作が近づくにつれ、クリスの様子が段々とおかしくなり始める。もはやその目は獣に近い。サーシャも落ち着くよう話しかけるが、聞く耳すらも持たないようである。

 

 

 

そして、さらに列は進む。

 

 

サーシャとクリスの列まで後数人。クリスにはいなり寿司しか見えていない。狂信的と言わざるを得なかった。何を言っても効かないのでサーシャは放っておく事にする。

 

 

 

そしてようやく、サーシャの順番がやってきた。

 

 

サーシャの会計が終れば、次はクリスの番だ……新作はもう目の前にある。クリスは財布を用意しながら待ち続けた。

 

 

 

サーシャの会計が終わり、クリスの番がやってくる。クリスは早速新作のいなり寿司を注文した。至福の時が訪れる……長く並んだ甲斐があった。これで自分の努力が報われる。

 

 

だがしかし、クリスに待っていたのは残酷な結末であった。店員が申し訳なさそうにクリスの表情を伺っている。

 

 

「大変申し訳ございません。前のお客様の時点で、全て売り切れてしまいました……」

 

 

「なんだとっ!?」

 

 

売り切れたという衝撃な展開に思わず絶叫するクリス。新作のいなり寿司は、サーシャが購入したもので最後だったのである。

 

 

「い、いなり寿司が…………」

 

 

クリスの頭の中が真っ白になる。ここまで並んでおきながら、最後の最後で売り切れるという惨い仕打ち。今までの苦労と期待は何だったのだろう……クリスは絶望し項垂れた。

 

 

(俺ので最後だったか……)

 

 

運よく購入できたサーシャは項垂れるクリスに、気の毒だと心の中で呟いた。しかもラスト一個が自分だから尚更だ。運が悪いとしか言いようがない。

 

 

「…………」

 

 

クリスが何かを訴えるようにサーシャに視線を送っている。その視線はサーシャではなく、サーシャが手に持つ新作のいなり寿司である。

 

 

分けてくれと言っているようなものだ……分けても良いのだが、クリスはお嬢様。何でも頼めば欲しいものが手に入るというわけではない。このままでは彼女は成長しないだろう。

 

 

「クリス」

 

 

「分けてくれるんだな!さすがサーシャ―――」

 

 

「お前に現実を教えてやる」

 

 

サーシャはクリスの目の前で、新作のいなり寿司を食べてみせた。しかも丸々一口で。クリスの期待の表情が、一瞬にして凍り付く。

 

 

待ち望んでいたいなり寿司が、サーシャの井の中へと消えていく……まさに弱肉強食という厳しい現実を思い知らされた瞬間であった。

 

 

クリス、撃沈。

 

 

「ふむ………」

 

 

すっかりいなり寿司を完食したサーシャ。しかし、表情はあまり浮かばれなかった。

 

 

そして、

 

 

「イマイチな味だった。新作が聞いて呆れる。ボルシチ風にしようが何をしようが、所詮いなり寿司はいなり寿司だな」

 

 

これでは俺の心は震えない、と新作に対して辛口な評価を下すのだった。

 

 

だがそれは、いなり寿司を愛するクリスに取って禁句だったという事を、サーシャは今になって思い知る事になる。

 

 

「サーシャ……貴様……!」

 

 

いなり寿司を侮辱した事への怒りが、ふつふつとクリスの中で煮え滾る。

 

 

目の前でいなり寿司を食べられてしまった事なら、百歩譲ってもまだ許せる。だが、いなり寿司自体を侮辱する事は、断じて許せない。

 

 

クリスの怒りが、爆発する。

 

 

「今、いなり寿司を愚弄しただろう!?“所詮いなり寿司”とは何だ!?貴様にいなり寿司の何が分かる!?」

 

 

感情に任せサーシャを責め立てるクリスだが、内容が内容なだけあって反論する気にもなれない。まるで子供だな、とサーシャはあくまで冷静に対処する。

 

 

「いなり寿司如きで感情を乱すとはな……騎士の名が泣くぞ」

 

 

サーシャのその鋭い一言は、クリスを一瞬にして黙らせた。正論過ぎて言い返せない。

 

 

しかし何か言い換えさないと気が済まない……何でもいい、とにかく適当に思い付いた事をサーシャにぶつけた。

 

 

「ふんっ!サーシャこそ、ボルシチのどこがいいんだ!?あんな野菜スープ、ビーフシチューと変わらないではないか!」

 

 

だがクリスも知らない。その一言が、サーシャの逆鱗に触れてしまったという事実を。

 

 

「……ボルシチとビーフシチューが同類だと?」

 

 

冷静でいたサーシャの態度が変わり、ギロリとクリスに視線を向けた。ボルシチを侮辱した罪は何よりも重い。

 

 

今度はサーシャの怒りが、爆発した。

 

 

「貴様、俺の前でボルシチを侮辱したな!!」

 

 

「サーシャこそ、自分の前でいなり寿司を愚弄しただろう!しかも自分の目の前でいなり寿司を頬張りおって……それが男のやる事か!」

 

 

互いに怒りの炎を燃やしながら、火花を散らしている。周囲の人間が何事かと見物に集まっていた。だがもうそんな事は気にしない。

 

 

しばらく視線だけの会話が続き、そしてサーシャとクリスは同時に口を開く。

 

 

「「決闘だ!!」」

 

 

こうしてサーシャとクリスは互いの信念を胸に、決闘を行う事になったのである。

 

 

 

 

 

「「子供かっ」」

 

 

秘密基地で、声を揃えてツッコミを入れたのはまふゆと京だった。

 

 

決闘後、サーシャとクリスはまふゆと京に基地まで強制連行。視線を落とし、ソファに座り反省させられている。

 

 

決闘後、周囲のギャラリーの熱は一気に冷め、誇りある決闘は一瞬にして台無しになった。良い戦いであったのに、理由があまりにもくだらな過ぎる。

 

 

「もうしょーもなさ過ぎて突っ込む気も起きないよ。でも友達としてこれだけは言わせてもらうね……もう少し大人になりなさい、クリス」

 

 

「はい………」

 

 

京に説法を説かれ、しゅんと縮こまるクリス。もはや返す言葉もない。

 

 

「サーシャ、あんた少しは思いやりってものがないの?」

 

 

「いや、俺はクリスに現実を……」

 

 

「だからって何も一口で食べる事ないじゃない。半分くらい分けてもバチは当たらないでしょ?反省しなさい!」

 

 

「む………」

 

 

まふゆにそこまで言われると何も反論できない。確かに、本人の前で全部平らげるのも酷な話だ。サーシャも落ち込むというわけではないが、少なからず反省はしているようである。

 

 

「よくもまあ、いなり寿司一つでよく決闘まで発展したよね……食べ物の恨みは恐ろしいって言うけど」

 

 

理由が小さい、と言いかけて京は言葉を飲み込んだ。火に油を注ぐ結果になる。

 

 

「この事さえなければ、すごい決闘だったのに……」

 

 

まふゆは肩を落としながら、非情に惜しいと溜め息を漏らした。この理由がなければ、学園の歴史に刻まれていたかもしれない。

 

 

「……今回は負けたが次は勝つ。このいなり寿司の恨み、決して忘れはしない!」

 

 

「まだ言ってるよこの人……」

 

 

再戦を申し込み、打倒サーシャを掲げるのだった。余程いなり寿司の一件を根に持っているようで、京もしょーもないねと小さく息をついていた。それに対しサーシャはいつでも受けて立つと、クリスに返答する。

 

 

そしてさらに、

 

 

「なら、俺が勝ったその時は……お前の聖乳(ソーマ)を貰うぞ」

 

 

「なっ!?」

 

 

それだけ言い残し、サーシャは部屋を後にした。次の決闘で勝てなければ、クリスは胸を吸われてしまう……考えただけでも恥ずかしい。クリスの顔は真っ赤に染まっていた。

 

 

「ふん、次に勝つのは自分だ。聖乳など吸わせるものか!自分が本気を出せば、クェイサーといえども――――」

 

 

「ところでクリス、気付いた?」

 

 

クリスが意気込みを入れていた所を、京が口を挟む。

 

 

「む?……気付いた、とは?」

 

 

「さっきの決闘の事だよ。サーシャは一度も、クェイサーの能力を使わなかった」

 

 

「あ………」

 

 

ふと、言われて気付く。サーシャはクリスとの決闘で、一度もクェイサーの能力を使用していない。決闘が終わるまでずっと、純粋な剣術と体術で戦っていたのである。もちろん京だけでなく、まふゆも気付いていた。

 

 

能力に頼らず、クリスと互角に戦いを挑んでいたサーシャ。決して手加減したのではない。あくまま術技との戦いを選んでいたのだろう。

 

 

それでもサーシャの力量は、クリスより一枚上手であった。

 

 

「つまり……サーシャは本気じゃなかったというのか?」

 

 

「ううん、サーシャは本気だったよ。私を助けに来てくれた時と同じ目をしてたから……」

 

 

エヴァに襲撃された時の事を京は思い出す。もうダメかと思った時、仲間が―――サーシャが助けに来てくれた。あの時のサーシャの目は、真剣そのものだった。

 

 

そして、聖乳を吸われたあの感覚も、脳裏と身体に焼き付いている。

 

 

「…………」

 

 

聖乳を吸われた時の事が一気に蘇り、頭の中で再生される。今思えば、とても恥ずかしい事だったかもしれない。京は目を泳がせながら、少しだけ頬を赤らめていた。京にしては、稀に見ない珍しい態度である。

 

 

すると、外の警備から帰ってきたクッキーが京の様子に気付いた。

 

 

『あれ、京顔が赤いよ。熱でもあるの?あ、もしかしてこれはもしや新しい恋の予感!?』

 

 

大和以外にもフラグが立ったね、とクッキーは自分の事のように喜んでいた。そして危機感を覚えるまふゆ。

 

 

まさか……と真意を確かめる為、まふゆは京の表情を伺う。

 

 

「み、京……ちゃん?」

 

 

「誤解しないでまふゆ。私は大和一筋………うん、かな?」

 

 

「何で最後は疑問詞なのよ!?」

 

 

追求するまふゆから、目を逸らす京。サーシャに助けられて以来、京の心境に大きな変化があったようだ。少しずつ、サーシャの事を意識し始めている。

 

 

『まふゆももたもたしてたら、京にサーシャ取られちゃうかもしれないよ?』

 

 

「もう!クッキーもからかわないで!」

 

 

顔を真っ赤にしながら、クッキーを追いかけ回すまふゆ。京もからかわれるまふゆを見て笑っていた。

 

 

サーシャ達と出会い、本当に京は変わった。良い傾向だとクリスは微笑ましく見守りたい……所なのだが、今はそれどころではなかった。先程京に言われた事が気にかかっている。

 

 

サーシャはクェイサーの能力を使わずに戦っていた。手加減されたわけではない。

 

 

それでも、クリスは友人として、戦友として同等に見て欲しいと言う気持ちがあった分、少しだけそれが悲しかった。

 

 

(……いなり寿司……くそ……)

 

 

そしてやっぱり、いなり寿司の事はどうしても許せなかった。



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64話「異国のナイト・レディ」

数日後、クリスは休憩スペース一人、千花が働く和菓子屋で団子とお茶を啜りながら至福のひと時を過ごしていた。

 

 

川神院の仲見世通りにある和菓子屋は、クリスの行きつけのお店である。店が立ち並ぶ賑やかな通りを眺めながら過ごすこの時間は、クリスにとって何よりの安らぎである。

 

 

「うむ。やはりここで食べる団子は最高だな」

 

 

手作り団子を噛み締めながら人通りを眺めるクリス。落ち着く……これこそ日本たる風習。クリスは日本の文化に浸り、すっかり馴染んでいた。

 

 

ゆるりと流れゆく時間。クリスは目を閉じながらゆっくりとお茶を啜った。

 

 

「…………」

 

 

ふと、サーシャとの決闘が頭に過る。今は忘れようと思いつつも、どうしても離れない。それだけクリスの記憶に深く残っているのだろう。

 

 

サーシャに悪気はないのかもしれない。ただ、対等に見て欲しかった。もういなり寿司の事など、どうでもよくなっていた。

 

 

(サーシャのヤツ……クェイサーだからって……)

 

 

食べ終わった団子の串を握りしめながら、クリスは苛立ちを募らせる。クェイサーだから特別だとでもいうのか。否、そうではない。

 

 

確かにサーシャは全力だったのかもしれない。だが相手であるクリスには不服なのだ……本当の意味で全力で勝負してこそ、騎士が望む本望である。

 

 

今になって急に腹立たしくなった。クリスは店員を呼び、団子のおかわりを催促する。

 

 

「団子のおかわりを頼む!」

 

 

「ねぇクリス、ちょっと食べ過ぎじゃない……?」

 

 

やってきた千花が止めたら?とクリスに話しかける。クリスの側には食べ終わった団子の串と皿の山。相当に食べている……ほぼやけ食いに近かった。

 

 

すると突然、

 

 

「きゃーーーーーーーーーーーーーーー!ひったくりよ!!!!!!!」

 

 

お店の通りに、大きな女性の叫び声が響き渡った。クリスは叫び声の方向に視線を注ぐ。

 

 

その方向からは、全速力で逃走を図るバイク乗り。その手には鞄が握られている。見ての通り、ひったくりである。

 

 

ひったくりは見過ごせない悪。非行は自分が成敗しなければ……クリスが立ち上がろうとしたその時、

 

 

「――――すまないが、借りるぞ」

 

 

「え?」

 

 

近くに座っていた客が立ち上がり、クリスが食べ尽くした団子の串を数本手に取った。黒髪の男性……女性だろうか。どちらとも取れる。顔立ちからしてクリスと同じ外人であろう。

 

 

そして次の瞬間、その女性は団子の串を数本、迫り来るバイク乗りに向けて投擲した。

 

 

投擲した串の標的はバイク乗りだが、串程度ではびくともしないだろう。だが、その女性が狙った場所は、バイク乗りが乗るバイクの車輪であった。串は見事車輪に命中。串は車輪に絡まり、走行していたバイクを強制停止させた。

 

 

「――――うおっ!?」

 

 

同時にバイク乗りが投げ出され、通りをゴロゴロと転がっていく。衝撃でバイク乗りの手から離れた鞄は宙を舞い、それを女性がキャッチした。

 

 

しばらくして、鞄を取られたであろう主婦が息を切らしながらやってくる。女性はその姿を見つけると、

 

 

「この鞄は貴方のですね?」

 

 

奪われた鞄を差し出すのだった。主婦はありがとうございますと何度もお辞儀をしながら感謝の言葉を述べている。一部始終を見ていた周囲の人達からは、歓声と拍手が上がっていた。

 

 

ほんの一瞬の出来事。クリスが出る間もなく事件は幕を閉じた。たった串数本で、全てを終わらせてしまったのだから。

 

 

「ちっ……やりやがったな!」

 

 

転がっていたバイク乗りが立ち上がると、ポケットからナイフを取り出し、ひったくりの邪魔をした女性の背中に向かって突進した。

 

 

今度は自分の番だとクリスは立ち上がり、突進するバイク乗りに向かって、

 

 

「せいっ!」

 

 

「がはっ!?」

 

 

強烈な回し蹴りを放った。蹴りはバイク乗りの首を直撃。バイク乗りは地面に倒れ伏せてそのまま気絶する。

 

 

「往生際が悪いぞ。 人様の物を盗むなど、言語道断だ!」

 

 

ふん、と鼻息を鳴らしドヤ顔するクリス。クリスにも周囲から歓声と拍手が上がった。

 

 

程なくして、警察が到着。バイク乗りは逮捕され、ひったくり事件は終わりを迎える。クリスは今日一日、良い事をしたと満足しながら和菓子屋を後にしようとした時、

 

 

「先程の蹴りは見事だった」

 

 

急に誰かに呼び止められた。振り返ると、そこには先程串を投げてひったくり事件に協力した女性がいた。

 

 

「いや、そちらも良い腕をしている。思わず見とれてしまったくらいだ」

 

 

自分の出る幕は殆どなかったな、とクリス。互いに賞賛し認め合う二人。

 

 

その女性はクリスと雰囲気が似ているせいか、きっと自分と気が合うだろうな……と、そんな気がしてならなかった。

 

 

「その制服……成る程、川神学園の生徒か」

 

 

「そうだ、自分はクリス。貴方の名前は?」

 

 

この女性は、武道を心得ている。そうに違いないと、クリスには興味が湧いていた。女性は快く、自らの名前を名乗る。

 

 

「私はジータ――――――ジータ=フリギアノスだ」



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65話「クリスの苦悩、強さへの憧れ」

(・3・)お待たせしました!
まじこい×クェイサー「クリス編」の最新話です。更新は相変わらず遅いです……ですが遅くても自分は良い文章を書いていきたいと思っております(良い文章かどうかは疑問ですが)。
読者の皆様には、気長に待って頂けると幸いです。

では、どうぞ。



ひったくりの一件後、和菓子屋を後にしたクリスとジータ。二人は会話を弾ませながら多馬川の土手道を歩いている。

 

 

ジータ=フリギアノス。武道を極め、現在は武術を伝える為に各地を旅しているという。ジータは事情があって川神市を訪れていた。用事が済むまでしばらくは川神市に滞在するつもりでいるらしい。

 

 

「ジータはどんな武術を使うんだ?」

 

 

「私の武術は……槍術、棒術、棍術……色々だな。混合術と呼べばいいか」

 

 

ジータの武術は、棒術を中心とした総合術らしい。何でも、ジータの師から叩き込まれたのだとか。今でも師からの教えを受け、日々鍛錬に明け暮れているとジータは話す。

 

 

「自分は主にレイピアを使った剣術だ。混合術か………興味があるな。ジータがよければ、自分と手合わせ願いたいのだが」

 

 

武術を学ぶ者として、武道を極める者として。クリスはジータと一戦交えてみたい、と思った。するとジータは笑って、

 

 

「奇遇だな。私もクリスの剣術には興味がある……クリスとは気が合いそうだ」

 

 

快く承諾するのだった。クリスも楽しみだと心を弾ませる。

 

 

偶然出会った、気の合う二人。土手道を歩きながら会話をする二人の姿は、まるで始めから親友であるかのようである。出会って間もなく、クリスとジータはすぐに打ち解けていた。

 

 

「これからジータはどこに?」

 

 

「ああ……寄りたい場所があってな。もし時間があるなら、少し付き合ってくれないか?」

 

 

少し歩いた先に、目的の場所があるとジータ。また、手合わせをするにはうってつけの場所だという。

 

 

クリスは迷わずジータと同行する事にした。幸い時間もある。何よりもジータと手合わせができるのだ……このチャンスを逃す訳にはいかない。

 

 

高まる期待と緊張を胸に、クリスはジータと共に歩き出した。

 

 

 

 

クリス達がついた場所は、小さな道場であった。古くから建てられているのか、壁と屋根はボロボロで今にも崩れてしまいそうなくらい所々朽ちかけている。

 

 

しかし、中からは掛け声と打ち合いの音が聞こえる……まだ使われているようだ。

 

 

「ここだ」

 

 

戸を開けるジータ。開けた先には広々とした道場に、子供達が練習試合をしている最中だった。子供達はジータに視線を向けるとすぐに、笑いながらジータに駆け寄ってきた。

 

 

「わー!お姉ちゃんだ!」

 

 

「ジータお姉ちゃん!今日もお稽古して~!」

 

 

「お姉ちゃん勝負勝負!」

 

 

駆け寄ってきた子供達が我先にとジータの周囲に集まり始める。慕われているようだ……ジータは苦笑いしながら、子供達の頭を優しく撫でる。

 

 

「そう慌てるな……今日は先生と師匠はいないのか?」

 

 

道場の周囲を見回すジータ。すると、子供達の一人が首を振る。

 

 

「先生はお姉ちゃんが来るから買い物。タバコのおばちゃんならまだ来てないよー」

 

 

「おいおい。おばちゃんなんて言ったら殺されるぞ」

 

 

無邪気に笑いあう子供達と、まるで我が子のように接するジータ。その姿は暖かくて、絵になるとクリスは思った。

 

 

日本に来訪したジータは、師匠からこの道場の事を知り、滞在している間は師匠と共に稽古をつけているらしい。

 

 

「よし――――それじゃあ先生が戻るまで、試合再開だ。しっかりやるんだぞ」

 

 

「「「はーーーい!」」」

 

 

子供達は元気の良い返事をすると、道場に散らばり練習試合を再開するのだった。

 

 

 

 

クリスとジータは道場の片隅に座り込むと、試合をする子供達を観戦する。

 

 

子供達はこうして武器を交えながら、日々鍛錬を重ねている。こういう子供達が武術を学び、育ち、ゆくゆくは武人として羽ばたいていくのだろう。

 

 

「皆真剣だな……それに、よく鍛られている」

 

 

洗練された動き、立ち回り、太刀筋。まだ幼く未熟な部分はあるものの、どれをとっても申し分ない技術。両親もさぞ鼻が高いだろうとクリスは賞賛した。

 

 

するとジータの表情に、少しだけ影が刺した。

 

 

「……この子達に両親はいない。皆孤児院で引き取られた、身寄りのない子供達だ」

 

 

「え……」

 

 

この道場にいる子供達は、全て孤児院出身であるとジータは話す。両親を病気で亡くし、または捨てられ……様々な事情で孤児となった子供達の現実。クリスは自分の失言に、すまないと視線を落とした。

 

 

「……いや、いいんだ。私もそれを聞いた時には、正直驚いた。この子達の境遇は………私とよく似ている」

 

 

ジータは子供達を眺めながら、ふとそんな言葉を口にした。寂しげで、遠い昔を思い出すような黄昏の表情。

 

 

「……ジータも両親を?」

 

 

クリスの問いに、ジータは首を縦に振る。物心ついた時には両親は既にいなかったという。

 

 

しかし、代わりに4人の兄妹がいた。兄が家事をこなし、親のようにジータ達兄妹を育ててくれていた。

 

 

両親はいなくとも、小さな村で貧しくも幸せに暮らしていた、幼い頃の日々。あの暖かかった頃が懐かしい、とジータは語った。

 

 

だが……それも長くは続かなかったとジータは続ける。紛争が起こり、ジータの住んでいた村は焼かれ、村の人間の殆どが命を落としてしまった。

 

 

「生き残ったのは私と……兄だけだった」

 

 

兄に助けられ、辛うじて生き残る事ができたジータ。だが弟や妹達は……とジータは言葉を止めた。ジータはまるで自分と重ねているように、道場の子供達を眺めている。

 

 

突然語られたジータの過去。クリスはどう声をかければよいか戸惑っていた。するとジータが我に返り、気を悪くさせたとクリスに向き直る。

 

 

「すまない。つい昔を思い出してしまってな」

 

 

「……いや……」

 

 

問題ないとクリス。両親もいて、不自由なく育った自分。それが当然だと思っていた自分が、少しだけ許せないと感じていた。

 

 

しばらくして、買い物を終えた道場の先生が戻ってくる。子供達は練習試合を中断し、先生の元へと駆け寄っていく。どうやら休憩の時間らしい。

 

 

「よし……ちょうどいい。あの子達の休憩が終わったら、私とクリスで試合をしよう」

 

 

子供達にも見せてやりたい、とジータ。クリスもそうだなといって立ち上がると、試合の準備を整えるのだった。

 

 

 

 

休憩の時間が終わり、クリスとジータの練習試合が始まろうとしていた。

 

 

二人は互いに一礼をすると、それぞれ武器を手に向かい合う。

 

 

クリスはレイピアを構え、ジータは道着に着替え木製の薙刀を手にしている。周囲には目を輝かせる子供達。これから始まる二人の戦いに期待を膨らませていた。

 

 

試合の立会いの為、先生が二人の間に入る。互いの準備を確認すると、うむと頷いて試合開始の合図を取った。

 

 

「では――――――はじめっ!」

 

 

先生が合図をした瞬間、先に動いたのはクリスだった。先手必勝。刺突による攻撃で先に切り込み、流れを掴めば勝機は見える。

 

 

「ここは……自分の距離だ―――――!!」

 

 

ジータの武器は薙刀……一子と同じ中距離による戦闘であると予想できる。間合いではジータが有利だが、先に距離を詰め、間合いを消してしまえばクリスの独断場となる。

 

 

しかし、クリスとは対象的に、ジータはただ静かにクリスを待ち受けていた。薙刀は構えたままである。

 

 

仕掛けてこないのか。それともクリスの速度に反応できなかったのか。どちらにせよ、今更警戒して留まる気はない。クリスはレイピアを突き出しジータの懐を狙う。恐らく薙刀で迎撃をするつもりだろうが……間に合う筈もない。

 

 

だが、

 

 

「見えたぞ!」

 

 

ジータはレイピアが触れる直前に攻撃の軌道を読み取り、身体を僅かに逸らしただけでクリスの攻撃を避けてみせた。

 

 

無駄のない動き。そして回避力。しかしそれだけではない。さらにクリスの移動速度によって生まれた運動を利用し、薙刀の柄の部分をクリスの腹に減り込ませたのである。

 

 

「が――――はっ!?」

 

 

衝撃で胃が逆流してしまいそうになる。だがこの程度で倒れるわけにはいかない。初手で距離を詰める事ができたのだ……距離を取ればこちらが不利になる。

 

 

クリスは減り込んだ薙刀を払いのけ、ジータに向けて再び刺突を放つ。

 

 

(一度は読まれてしまったが、次こそは―――――!)

 

 

次は読み取る暇さえも与えない程のスピードで繰り出してしまえばいい、目では追えない程の連続刺突がジータを襲う。

 

 

(見事な剣捌きだ……だが!)

 

 

目で追えなければ……とジータは突然目を閉じ、クリスの攻撃の感覚だけを頼りに一つ一つを避けきっていく。

 

 

(くっ……どうしてこうも攻撃が当たらない!?)

 

 

幾度となく攻撃を躱され、次第にクリスは苛立ちを覚え始めていた。

 

 

ジータは未だに反撃をしてこない。舐められているのかとさえ思う程に。決してそれはないだろうが、その衝動は焦りを生み、さらに苛立ちを募らせていく。

 

 

(あの時も………)

 

 

そしてふと、サーシャと決闘した時の事が脳裏に蘇る。

 

 

全力で挑んだ自分と、クェイサーの能力を使わずに戦ったサーシャ。また、手加減をされているのではないかと疑念が生まれてしまう。相手にはそのつもりがなかったとしても、クリスにはそう感じてしまう……疑念が雑念となり、剣技が僅かに鈍った。

 

 

その瞬間を、ジータは見逃さなかった。レイピアの先端が触れる寸前に目を見開き、その刀身を指二つで挟み止めてみせる。

 

 

白羽取り――――しまった、クリスが思った時にはもう、薙刀の反撃がクリスの腹に直撃していた。薙刀の尾の先端がクリスの身体を押し出し、ジータとの距離を広げていく。

 

 

距離は取った……それはつまり、ジータの本当の意味での反撃を意味していた。

 

 

「次は―――――こちらからいくぞ!」

 

 

ジータが床を蹴り動き出す。薙刀を構え、高速の連続突きをクリスに放った。カウンターからの蓮撃……クリスは防戦一方どころか、ジータに接近する事もできない。

 

 

隙のないジータの槍術。そこには一切の無駄がなく、全てにおいて研ぎ澄まされている。

 

 

しかもただの槍術ではないのだ……ジータの言う通り、槍術だけではなく様々な武術がジータの動きを完成させているといっても過言ではない。

 

 

邪道といえば聞こえは悪いが、ジータの強さは本物である。先の読めない戦術は、クリスにとってこれ程怖いものはないのだから。

 

 

ジータの攻撃を目で置いながら、辛うじて避けているクリスにも徐々に限界が訪れていた。反撃すらもできない状態が続く中、クリスはこの状況を抜け出す方法を模索する。

 

 

(………ダメだ、隙がなさ過ぎる……!)

 

 

圧倒的だ、とクリス。接近を許されない今、クリスには攻撃手段がない。つまりは完封状態。クリスにできる事は、ジータの攻撃を避け続ける事だけである。

 

 

完全にジータのペースに呑まれてしまったクリス。現場を打破できる策はないかと思考を続けるが、既に心のどこかで感じ取ってしまっていた。

 

 

 

 

“――――――勝てない”、と。

 

 

 

 

自分の敗北を自覚した瞬間、思考が止まり、そしてクリス自身の動きも、僅かに止まる。それは戦いにおいて致命的な敗因。諦めという名の境地。

 

 

「うっ!?」

 

 

瞬間、ジータの蓮撃がクリスの身体に打ち込まれた。まるで機関銃のような槍の蓮撃は、クリスの体力を削り取っていく。

 

 

そしてジータの最後の一撃――――薙刀の刺突がクリスの腹に入り、クリスの身体は勢いよく吹き飛ばされた。持っていたレイピアが投げ出され、クリスは床を転がっていく。

 

 

自ら勝てないと、少しでも戦いを放棄してしまった事が招いた結果だった。自分自身の甘さを呪う。再び戦いを再開する為に立ち上がろうとするクリスだったが、

 

 

「―――――まだ続けるか?」

 

 

ジータの薙刀の木製の切っ先が、突き付けられていた。クリスの動きが止まる。

 

 

続けるかと言われては望むところだが、圧勝と言わざるを得ない程の決定的な差を目の当たりにしては、続けたとしても結果は同じだろう。

 

 

「いや……自分の負けだ」

 

 

クリスは首を横に振る。すると、先生が試合終了の合図をかけた。周囲の子供達からは歓声が上がる。勝敗に関係なく、ジータもクリスも賞賛されていた。

 

 

――――完敗だった。いつもなら負けず嫌いで納得するまで続けるクリスだが、今回ばかりは納得せざるを得ない。

 

 

ジータに一矢報いる事なく、手も足も出せず、一方的に負けてしまったのだから。

 

 

「いい太刀筋だった」

 

 

ジータが手を差し伸べる。クリスはすまないと言って、ジータの手を取り立ち上がった。

 

 

「ジータの武術も、見事なものだった。それに比べて自分はまだまだだ」

 

 

互いに賞賛しあい、笑う二人。微笑ましい光景である。

 

 

「クリス。少し気になったんだが……」

 

 

「………?」

 

 

突然、ジータから笑顔が消え、真剣なものへと変わる。クリスはどうしたと首を傾げた。ジータはクリスの目をまっすぐに見据えながら、答える。

 

 

「クリスの剣に、迷いが見えた」

 

 

「…………!」

 

 

ジータの疑問……否、それはまさに確信だった。心の内を読まれたようで、クリスの表情が強張ってしまう。

 

 

それはジータとの戦いで感じ取ってしまった雑念。それが剣を鈍らせてしまった事。ジータは、既に気づいていたのだ。

 

 

クリスが抱えている、戦いへの迷いに。

 

 

「…………」

 

 

しばらくして、クリスはようやく口を開いた。

 

 

「………ジータ。実は、聞いてほしい事があるんだ」

 

 

ジータになら、話せる。相談に乗ってくれるかもしれない。 クリスは苦悩している自分の思いを、打ち明けるのだった。



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66話「強く有る為に」

模擬戦を終え、道場を出て多馬川の土手に座るクリスとジータ。

 

 

日は落ち始め、オレンジ色の夕暮れが空を彩っていた。

 

 

「……対等でありたい、か」

 

 

ジータは夕暮れを眺めながら、クリスの話に耳を傾けている。

 

 

 

―――戦いとは、互いの力を全力で発揮し、ぶつかり合いながら競うものである。

 

 

手加減は一切せず、自分の持つ全てを出し切る。それがクリスの思う戦いであり、クリスが掲げる“義”であった。

 

 

全力を出しても勝てなかったのなら本望。それならば納得もいく。だが、出し惜しみや手加減をされて負けたのなら、それは対等ではない。相手に対する侮辱である。

 

 

だからこそ、クリスは対等に見てほしかったと……サーシャとの戦いで感じた事を全て、ジータに打ち明けた。

 

 

そして同時に、もっと強くなりたいという事も。

 

 

溜めていた事を話し終えたクリス。表情は清々しかった。肩の荷が降りたような感覚。

 

 

「……話したら、いくらか楽になった。すまないなジータ」

 

 

付き合わせて悪かった、と付け加えてクリスは笑った。ジータはいいやと首を振る。むしろジータには、クリスの境遇に共感さえ覚えていた。

 

 

自分も強さを求め、修行を重ねてきたジータ。クリスの強くありたいという気持ちは、かつての自分を思わせていた。

 

 

今でも修行は続けているが、それに終わりはない。人はどこまでも強くなれる……ジータにはそう思う事ができるのだから。

 

 

だからこそ、クリスに手を差し伸べたかったのかもしれない。

 

 

「クリス。時間があるなら、また道場へ来るといい……いつでも相手になる」

 

 

突然のジータからの誘い。クリスも思わず目を丸くした。暇があれば、今後は道場で相手をしてくれると言うのだ。

 

 

圧倒的な強さと、優れた武術を持つジータ。少なくとも、今のままではジータには勝てない。しかしジータと戦えば、必ず何か学べるものがある筈だ。

 

 

もっと強くなり、変わりたい。クリスの中の向上心が強くなっていく。クリスには、断る理由などなかった。

 

 

「ジータ、自分を鍛えてくれ……いや、鍛えて下さい。よろしくお願いします!」

 

 

クリスは敬意を払い、深々とジータに一礼した。気合の入ったクリスの意気込みにジータは気に入ったのか、こちらこそと言って笑うのだった。

 

 

 

 

 

数日後、川神学園2-F。

 

 

クリスは放課後、毎日のように道場へ通い、ジータからの稽古を受け続けている。

 

 

勿論手も足も出なかったが、クリスの心は充実感で満たされていた。

 

 

そして放課後。クリスは今日も、稽古の為に道場へと向かおうと教室を出る。

 

 

すると、後ろからクリスの名前を呼ぶ生徒がいた。まふゆと一子である。

 

 

「クリ、今日集会来れそう?」

 

 

クリスを金曜集会に誘う一子。ジータの稽古が始まってからというもの、放課後はファミリーのメンバーと顔を合わせる事が少なくなった。

 

 

当然、集会も来れない。申し訳ないとは思っているが、これも鍛える為だ……クリスは首を横に振った。

 

 

「すまない、一子。今日も用事があってな……みんなによろしく伝えてくれ」

 

 

クリスの返答に、そっかあと残念がる一子。一体クリスが何をしているのか……しかし一子はそれ以上の詮索はしなかった。信頼してくれているのだろう……隠し事をしているわけではないのだが、断るのは心苦しかった。

 

 

「最近、クリス忙しいみたいだからみんな心配してるみたいなの……何か困った事があったら、相談してね」

 

 

まふゆも何も聞かず、クリスを心配してくれていた。まふゆだけでなく他のメンバー達もである。クリスはありがとうと二人に告げ、挨拶を交わすと教室を後にした。

 

 

ある程度稽古が済んだら集会に顔を出そうと、そう思いながら。

 

 

 

 

 

クリスがジータのいる道場に向かうその一方、密かにクリスを尾行する者がいた。

 

 

その人物は気配を消し、物影に隠れ、草むらに擬態し、段ボールに隠れる等を駆使しながら後をつけている。

 

 

(…………)

 

 

そう、由香里である。由香里は最近見なくなったクリスを心配(クリスを拝めないからついに耐えきれなくなって尾行に走った)し、どこへ行くのかを調べていた。由香里は段ボールに隠れ、小さな穴を覗き込みながら、クリスの後ろ姿を追い続ける。

 

 

尾行を続けて数分が経過。一体どこまで行くのだろうか。クリスの行く先に一体何があるのだろう。由香里の中で様々な妄想が働き始める。

 

 

アルバイト、遊び……しかし、いくら思考してもクリスには結びつかない。

 

 

となると、一体何なのだろう。由香里は段ボールに隠れながら、う~んと唸り始めた。

 

 

そして考えるに考えた末、ある考えに辿り着く。それは学生にはよくある事で、由香里にとっては信じたくないもの。

 

 

そう、それは………。

 

 

「はっ……!ま、まままさか、クリスに男ができたのでは―――」

 

 

「……何やってんだ、お前」

 

 

由香里を覆っていた段ボールが、突然引き剥がされる。しまったと、思った時にはもう遅かった。由香里は後ろを振り替える。

 

 

そこにいたのは呆れ返った表情をした百代の姿であった。誰かと思えば……由香里はほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「まあその、なんだ……メタル○ア・ソリッ○を少々」

 

 

「……よくわからんが、とりあえずバレバレだったぞ」

 

 

他にもっと方法があるだろうと百代。時々だが、由香里は天然の気があるようだ。

 

 

「クリの後をつけてたのか」

 

 

百代の問いに、由香里はこくりと頷いた。放課後クリスが殆どいない事に痺れを切らし、とうとう尾行するという手段に出たのだのだという。

 

 

百代は暇なヤツだなと溜息をついた。むっとした由香里は百代こそ、ここで何をしているのかと訪ねると、

 

 

「無論、私もクリスの尾行していたところだ」

 

 

「…………」

 

ここにも同じ暇人がいる事が発覚した。百代もクリスを尾行している最中、段ボールに身を隠していた由香里を見つけたらしい。

 

 

同じ目的を持つ百代と由香里。しばらく沈黙が続いた後、何かが通じ合ったのか、お互いに握手を交わすのだった。

 

 

「よし、二人でクリを尾行するぞっ」

 

 

「うむ」

 

 

由香里と百代。二人は気配を消し再びクリスの尾行を開始した。

 

 

 

 

 

クリスを尾行してから更に数分後。

 

 

二人が辿り着いた先は、古びた道場の建物であった。クリスがその中へ入っていくのを確認した百代と由香里は建物の裏に回り込み、その窓から中の様子を覗き込んだ。

 

 

中には練習試合をしている子供達と、そしてクリスがいた。クリスは道場の壁に寄りかかり、子供達の試合を眺めながら誰かを待っているようである。

 

 

しばらくして、一人の女性―――ジータがやってきて、クリスに挨拶を交わす。クリスも挨拶を返すと、子供達に混じり道場の中央に移動し、一礼。それぞれ武器を構え、模擬戦を開始した。

 

 

互いに激しく武器をぶつけ合うクリスとジータ。ジータの動きからして、相当な熟練者である事が見て取れる。

 

 

それに対しクリスは苦戦を強いられ、殆どが防戦一方であった。しかしそれでも、クリスは諦めずジータに向かい続けている。

 

 

何度も打ち負かされ、身体がボロボロになりながらも、根を上げる事なく立ち上がるクリス。そのクリスの姿を見て百代と由香里は、小さく微笑むのだった。

 

 

「……そろそろ大和達の所に戻るか」

 

 

あいつらも私がいないと寂しがるからなと百代。由香里もそうだなと言って、道場から立ち去ろうと踵を返した。

 

 

二人は、これ以上関わろうとはしなかった。

 

 

今、クリスは更に強くなろうとしている。そのクリスの意志を、邪魔する訳にはいかない。武人として。そして仲間として見守る事を選んだ。

 

 

「おいゆかりん。基地まで競争するぞ。負けたら明日一日、お前は私のおもちゃだ」

 

 

「望むところだ。ならモモ先輩が負け――――なっ、フライングとは卑怯な……!」

 

 

全力疾走する百代と、それを追いかける由香里。二人は基地へと続く帰り道、を全速力で駆け抜けていくのだった。

 

 

 

 

 

次の日の午後。

 

 

クリスはいつもの道場へ足を進めていた。今日も鍛錬に付き合ってくれるという。

 

 

ジータと稽古を重ねてから随分と日が断つ。まだまだジータには届かない。だが、ジータに打たれる度に自分の欠点が見えてくる……少しずつだが、稽古が身になりつつあった。

 

 

しばらく歩き、道場の前へと辿り着く。今は弱くても、いつか必ずジータに届いてみせる……クリスはよしと心の中で意気込みながら、道場の扉をそっと開けた。

 

 

「………え」

 

 

クリスは、道場の中の光景に絶句した。目の前には、信じ難い惨状が広がっている。

 

 

道場には―――ジータも、子供達もいなかった。あるのは練習用の薙刀が散らばっているだけである。床や壁には傷。まるで、争ったような跡。

 

 

一体、何があったのだろう……周囲を見回す。誰か残っていないだろうか。クリスは道場の休憩室の扉を開ける。

 

 

「―――――!」

 

 

休憩室の中には、頭から血を流し、壁に横たわる先生の姿があった。クリスは先生に駆け寄り、安否を確認する。まだ意識はあるようでクリスは安堵した。

 

 

一体何があったのか。先生に訪ねると、

 

 

「子供達が……怪しいヤツに……」

 

 

「何……!?」

 

 

子供達が、何者かに攫われたらしい。先生は抵抗したが、手も足も出なかったという。ジータはまだ来ていないようだが……これでは稽古どころではない。

 

 

「……私なら、大丈夫だ。それよりも、子供達を……」

 

 

先生が手紙をクリスに手渡した。クリスはそれを受け取り、手紙を広げる。

 

 

“――――――子供達を返して欲しければ一人で来い”

 

 

それは犯人からの脅迫状だった。子供達が囚われている場所の詳細も書かれている。

 

 

幸い、先生の怪我は軽傷だった。まずは子供達を助けにいかなければ……クリスは手紙を先生に返すと、足早に道場を後にした。

 

 

本当ならジータを待つべきだが、事態は一刻を争う。それに相手は一人で来いと要求している。後は自分だけで何とかするしかない。

 

 

 

不安と焦りを覚えながら、クリスは走り出した。子供達の元へ。



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バトルエピソード7「狂気という名の“銃弾”」

クリスが向かった先……それは街の外れにある、使われていない朽ちた小さな工場跡だった。日が沈み、空が夜の闇に包まれ、周囲がより不気味さを演出している。

 

 

この場所に、子供達がいる……クリスは息を呑み、ゆっくりと工場の扉を開けた。

 

 

扉は錆び付いているのか、酷く耳障りな音がした。音が内部に反響するが、中は暗く人気は感じられない。虚しく金属音が木霊するだけである。

 

 

周囲は見えない。クリスはゆっくりと工場内に足を踏み入れ進んでいく。足を踏む度に床が軋んだ。相当に古い建物なのだろう。

 

 

すると突然、工場内に明かりがつき始め、周囲が照らし出された。まるで、誰かが来るのを待っていたかのように。

 

 

「………!」

 

 

工場の奥の奥。そこには道場の子供達の姿があった。子供達は口を塞がれ、身体はロープで巻かれ横たわっている。意識はない。眠らされているようだ。

 

 

だがまだ、死んではいない。クリスは子供達に駆け寄ろうとした時、

 

 

「………!?」

 

 

一発の銃声が鳴り響いた。銃弾はクリスの足下―――床に向けて放たれ、減り込んだ穴から硝煙が立ち上っている。

 

 

気配を消し、暗闇に身を潜めた人間。子供達を攫い、人質にした張本人である。クリスは敵意と共に、その犯人の姿を睨みつけた。

 

 

「……おっと。それ以上近づくなよ?」

 

 

犯人は椅子に座りながらクリスを見据え、くくくと笑っていた。茶色の髪に、身なりの良い白のスーツを身に纏っているが、身体中は包帯で肌という肌が一切遮断されている。まるで、ミイラのような不気味な男だった。

 

 

そしてその手には、拳銃という凶器が二丁。クリスは携帯していたレイピアを構える。

 

 

「……ところで、あの女はどこにいる?それに僕は一人で来いって言った筈だけど……誰だよ、お前」

 

 

お前に用はないと、男は不機嫌そうに吐き捨てる。恐らくジータの事だろう。ジータの知り合いだろうか……少なくとも、友人の類ではない。

 

 

「生憎と自分一人だ。それと、貴様のような輩に名乗る名前はない」

 

 

侮蔑の意味を込めて、返答するクリス。すると男は何を思ったのか、突然狂ったように笑い始めた。何が可笑しいとクリスが再び言葉を投げ返す。

 

 

「……何が可笑しいって?そりゃ笑わずにはいられないよ。アイツをおびき寄せた結果、お前みたいな命知らずのガキが釣れたんだからなァ!」

 

 

男はそう叫ぶと、椅子から立ち上がりクリスに拳銃を突き付けた。男からは苛立ちと殺意がクリスの身体を通して感じ取れた。

 

 

どうやら戦いは避けられないようだ……もとより、それは覚悟している。クリスはレイピアの切っ先を男に向けた。

 

 

「へぇ……まあ、暇潰しにはちょうどいいか。それじゃあ―――遊んでやるよォ!」

 

 

瞬間、男が動き出した。男は二丁の拳銃のトリガーを引き、クリスに向けて乱射する。

 

 

(ふん、その程度――――!)

 

 

クリスは乱射された銃弾の軌道を読み、容易く躱していく。銃弾よりも早い攻撃など、嫌と言う程体感している。そのまま銃弾を躱しつ前進。徐々に男との距離を縮めていく。

 

 

「ちっ……!」

 

 

だが、男も銃を乱射するだけが脳ではない。男は接近したクリスを蹴り上げようと動き出す。

 

 

「見えたぞ!」

 

 

クリスはその足を潜り抜け、そのまま肘を男の腹に食い込ませた。男はごふ、と胃液を逆流させたが、直ぐに体制を立て直し、クリスの足下に向けて銃弾を放つ。

 

 

「くっ………!?」

 

 

ばら撒かれていく銃弾の嵐を、クリスは後退しながら避けていく。一撃は与えたものの、これでまた距離が開いてしまった。

 

 

男に取っては有利だが、銃弾の装填数には限りがある。空にしてしまえばこちらの物だ。

 

 

「いい加減死ねよ、ガキがァ!」

 

 

一発も当たらない事に激情し、がむしゃらに乱射を続ける男。一体どれだけ撃ち続けたのだろう、薬莢が床に大量に散らばっていた。

 

 

クリスは銃弾を避け、さらにレイピアで撃ち落とす。クリスには傷一つついていない。当然、それが永遠に続くわけではない。何れ終わりを迎える事となる。

 

 

「……!?クソ、弾ぎれかっ!」

 

 

拳銃の弾がなくなり、ポケットからマガジンを取る男。だが、装填させる隙を与えるつもりはない。クリスは男に接近。レイピアで拳銃とマガジンを落とし、粉々に破壊する。

 

 

そして、男の首にレイピアの切っ先を突き付けた。

 

 

――――勝負は、ここに決した。男に攻撃手段がない今、勝ち目はない。クリスはまだ続けるかと目で訴えている。

 

 

すると男は両手を上げ、まるで命乞いをするように、途端に弱気になり始めた。

 

 

「ひっ……!わ、わかった。許してくれ。僕が悪かった……子供達はすぐに解放する。だから、命だけは……!」

 

 

さっきの傲慢な態度はどこへいったのだろう。勝ち目がないと分かったのか、男からは戦意が消えていた。

 

 

クリスはレイピアを構えたままであったが、男に全部武器を捨てろと指示を出した。男が何も持っていない事を確認すると、クリスはようやくレイピアを下ろすのだった。

 

 

男はクリスから解放され、力なく膝をつき、がっくりと項垂れている。

 

 

(よし、まずは子供達を……!)

 

 

男の身柄は警察に任せればいい。今の男に逃げる気力は残っていないだろう。男から離れ、子供達の所へ駆け寄るクリス。子供達に怪我はない。一安心したクリスは子供達からロープを外そうと手をかけた。

 

 

だが、しかし。

 

 

「うっ――――!?」

 

 

その選択がよもや間違っていようとは、クリスには思いもしなかっただろう。

 

 

 

 

 

焼け焦げたような臭いが、クリスの鼻をつく。そして背中に感じる、異様な熱。クリスは膝をつき、うつ伏せになりながら床に倒れ伏せた。

 

 

背中が熱い……まるで焼かれたような感覚。否、実際に背中を焼かれているのだ。未知なる“何か”によって。

 

 

「……最初に忠告した筈だよ。それ以上近づくな(・・・・・・・・)って」

 

 

不気味に笑う男の声。あり得ないと、クリスは思った。男に攻撃する手段はない筈である。拳銃は破壊した。それ以外の武器も持っていない。

 

 

なら何故、攻撃する事ができたのだろう……クリスの背中を焼いた拳銃以外の何か。その正体は、クリスの視界にすぐに入ってきた。クリスは男を凝視する。

 

 

「な……んだ、ソレは」

 

 

クリスの視界に入った物。それは、男の右手の薬指にはめられた装飾品のようなものだった。包帯が剥がれ、銀の光沢が剥き出しになっている。

 

 

分からない。一体この男が何をしたのか……クリスには理解できなかった。

 

 

「……本当に自分が勝ったとでも思ったのか?銃弾避けたくらいで、粋がるなよこのクソガキがァ!」

 

 

男はうつ伏せになったクリスの腹を、思いっきり蹴り上げた。

 

 

「ごっ、ふ……!?」

 

 

衝撃で胃液が逆流する。意識がシャットアウトしそうになるも、僅かだが意識を保っていた。もしもここで意識を失ってしまえば、自分はおろか子供達まで命を落としてしまう。

 

 

だが、それに追い打ちをかけるように、男は足でクリスの頭を踏みにじった。

 

 

「ちょっとは楽しめると思ったけど、蓋を開けたらこのザマか。ガキは調子に乗るからムカつくんだよ……!」

 

 

散々クリスをいたぶった後、もう飽きたと言わんばかりに、指につけた装飾品をクリスに向けた。その瞬間、装飾品の宝石が発光し、光が収束していく。

 

 

クリスはようやく理解した。背中を焼いたあの一撃は、この光によるものだったのだと。

 

 

(ダメだ……もう、意識が……)

 

 

これ以上意識が保てない。身体に蓄積されたダメージはすでに限界を超えていた。クリスの朦朧とした意識が、視界が、徐々に消えていく。

 

 

意識が闇へと落ちる。クリスが最後に見た光景は子供達と、男の歪んだ笑みだった。

 

 

 

 

 

「――――――待て」

 

 

工場に響く、クリスでも、男でもない。もう一人の声。男は手を止めると、その声の主に顔を向けた。

 

 

入口に立つ、一人の影。それは紛れもない――――ジータの姿だった。



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バトルエピソード8「ダイヤモンド・ストレングス」

(・3・)ノノどうも、作者です。
小説を執筆中、色々とスランプがあり停滞しておりましたが……何とか復活しました。

完結を目指して、心を震わせ頑張りたいと思います!
では、最新話をどうぞ。



子供達、そしてクリスを救う為に工場へと駆け付けたジータ。

 

 

男はジータの姿を見て、ようやくお出ましかと言わんばかりにゲラゲラと笑う。クリスには興味がなくなったのか、踏みつけていた足を離した。

 

 

(子供達は無事か。だが……)

 

 

ジータは子供達が無事である事に安堵したが、今のクリスの状態を目の当たりにし、自分の不甲斐なさを呪った。

 

 

道場へ辿り着いた時には既にクリスの姿はなく、クリスがこの場所へ向かってからだいぶ時間が経過していた。もう少し到着が早ければ、こんな目に合わせる事はなかっただろう。そもそも、こんな事に巻き込まれる事もなかった筈だ。

 

 

クリスは意識を失い動かない。心の中ですまない、と呟くジータ。そしてジータは子供達を攫い、クリスに手を出した男の顔を睨み付けた。

 

 

――――ジータは知っている。この男の正体が、誰なのかを。

 

 

「一体どういうつもりだ………コバルト使い――――ゲオルグ・タナー」

 

 

ジータが口にした“ゲオルグ”という名前。そう、男の正体はかつて同胞だった人物。アデプト12使徒の一人。

 

 

γ-ω(ガンマ・オメガ)の異名を持つ、ゲオルグ・タナーである。ゲオルグはジータに対し、分かり切った事を聞くなと嘲笑った。

 

 

「決まってるだろ……裏切り者の始末さ」

 

 

ゲオルグが道場を襲い、子供達を攫った理由。それはジータを誘き寄せる為であった。

 

 

アデプトを抜けた人間は大罪であり、それは即ち死を意味する。ゲオルグはアデプトの命により、ジータの始末の任務を与えられていた。

 

 

何で僕がお前の始末をしなきゃならないんだと、不愉快に吐き捨てるゲオルグ。だが任務である以上、断る訳にもいかなかった。

 

 

……何れはこんな日が来るだろうと思っていたジータ。だが、不思議と焦りは感じない。今は落ち着いている自分がいる。

 

 

アデプトにいた頃は、感情的になる事が多かった。しかし今は違う。様々な出会いや別れ、そして経験を経て成長した。

 

 

それ故に、ジータには余裕すらあった。目の前にいる敵を、挑発できる程に。

 

 

「成る程、私を殺す為にわざわざ日本へと足を運んだわけだ。そんなボロボロの身体で」

 

 

ご苦労な事だな、とジータ。一瞬、ゲオルグの眉が釣り上がり表情を歪ませたが、すぐ狂気の笑みへと戻した。

 

 

「おかげで僕の身体はぐちゃぐちゃさ……けど、僕の能力は少しも衰えちゃいないよ」

 

 

ゲオルグは以前サーシャ達と戦い、彼らによって退けられた。死んではいないものの、身体は焼け爛れ崩壊寸前。再起不能かに思われたが、見事復帰し現在に至っている。

 

 

そして今、こうしてジータの前に現れている。これも因果か必然か……どちらにせよ、ゲオルグとの決着はつけなければならない。

 

 

「そうか………なら、ここでお前との―――いや。アデプトとの因果を断ち切ろう」

 

 

ジータは決意する。因果を断ち切り、新しい自分として旅立つ為に戦う事を。

 

 

そして、子供達やクリスを救い出す為に……今、彼女は剣を取る。

 

 

「――――我、生の中で死に臨む」

 

 

目を閉じ、精神を集中する。それは彼女が力を行使する、始まりの言霊。

 

 

「――――土は土に。灰は灰に。塵は塵に」

 

 

彼女の両手から、元素が生成されていく。これが、彼女の持つ力。

 

 

「迷い出でし魔女の使い魔よ………我が主の御名の下、塵へと還れ!!」

 

 

生成された元素は形を成し、黒い三日月状の剣へと姿を変えていく。彼女の手に握られているそれは、彼女の起源に他ならない。

 

 

それは――――炭素。如何なる金属よりも高い硬度を誇る、“黒いダイヤモンド”の異名を持つジータの元素である。

 

 

ジータは武器を構え、目の前のゲオルグと対峙した。

 

 

「子供達とクリスは返してもらうぞ、ゲオルグ」

 

 

子供達とクリス。そして、自らの因縁を断ち切る為に剣を取るジータ。その目に憤怒の感情は宿らない。宿すのはただ一つ、大切な人間を守り抜くという信念のみ。

 

 

故に彼女は戦う。クェイサーとしてではなく、ジータ=フリギアノスとして。

 

 

「はっ――――ほざくなよ、第二階梯止まりのクズがああぁぁ!!」

 

 

瞬間、ゲオルグの両手に嵌められた指輪から閃光が迸った。閃光は電光石火の如くジータに向かって高速接近する。

 

 

コバルトによって生み出されたガンマ線レーザー。如何なるものをも切断するそれは、いくら硬化した炭素でも防ぎきれない。

 

 

ジータは閃光の雨を掻い潜り、ゲオルグに接近。近距離で攻撃を仕掛けようと試みた。だが、接近を易々と赦す程ゲオルグは甘くはない。

 

 

「―――――!?」

 

 

ゲオルグに接近した瞬間、ジータは四方から殺気を感じ取った。その場から飛び上がり距離を取るジータ。

 

 

ジータが立っていた地面には、無数の穴が空いていた。

 

 

その殺気の正体。それはゲオルグが放ったガンマ線レーザーであった。レーザーは初撃の時点で回避している筈である。

 

 

レーザーによる更なる追撃。コバルトを操るゲオルグならば造作もないが、ここまで精密に対象を狙える攻撃は難しい。一体何が起きたというのだろう。

 

 

「“反射板”………そういう事か」

 

 

ジータはすぐに理解した。ジータ―――否、建物の空間に鈍く光る硝子の破片は、ジータを囲うように張り巡らされていた。

 

 

反射板――――レーザーを反射、屈折させ対象を焼き払う殺人空間が、既に出来上がっていた。ゲオルグは大正解と歪に笑う。予め仕組んでいたのだ……ジータを確実に殺す為に。

 

 

「完璧だろう?僕の作り出したコバルトの結界は。お前はもう籠の鳥ってわけさ――――だから、大人しく消えろおぉぉ!!」

 

 

もう、どこへも逃げられない。死の宣告という名のコバルトの光が、再びジータに向けて放たれる。ジータは再び迫り来るレーザーを回避する。

 

 

しかし、避けても次なる一手が待ち構えている。更には子供達やクリスにも被弾する可能性もあるのだ……それも考慮しなければならない。

 

 

角度も、位置さえも計算された正確無比な全方位攻撃。切り抜けるしかない……もとより、それしか道はないのだから。

 

 

「―――――炭素よ!」

 

 

ジータの持つ三日月剣が、先端から糸のようにほどかれワイヤー状へと変化していく。何本も生成されたワイヤーは宙を舞い、ゲオルグの周囲を包囲する。

 

 

「バカが!そんな手芸程度の攻撃で、この空間から逃げられると思うなよ!」

 

 

指輪から再び放たれたレーザーは反射板を伝い、ジータに向かって正確に発射される。僅か数秒……一瞬一瞬が命取りとなる。

 

 

「くっ……!?」

 

 

降り注ぐレーザーを退けるも、防ぎ切る事は不可能。身体中にレーザーが掠り肌を抉る。だが致し方ない。これはただの布石なのだ。

 

 

ジータの狙いは最初からゲオルグ本体ではない。ジータは空中へ飛び上がると、ワイヤーを空中へ拡散させた。拡散したワイヤーは蝶の羽根のように広がっていく。そう、あるものを捉える為に。

 

 

それは、ゲオルグが展開しているコバルトの反射板である。

 

 

ワイヤーによる空間掌握……拡散させたワイヤーで反射板を空間ごと抉り出してしまえば、どの場所に隠れようとも破壊できる。一つでも破壊できれば、攻撃に計算に狂いが生じるとジータは睨んだ。建物内に隠された反射板――――これならば破壊するのは容易。

 

 

「まとめて破壊させてもらう!」

 

 

繰り出されるジータの反撃。しかし、その意図を予想していたようにゲオルグは歪に笑った。お前の行動は想定済みだと、そう訴えるように。

 

 

「な――――」

 

 

その時、ジータは言葉を失った。何故なら壁に設置されていた無数の反射板が、意思を宿すかのように突然動き出したからである。

 

 

反射板はジータを取り囲いながら空中を漂っている。そして、

 

 

「焼き消えろ、ゴミ屑が」

 

 

ゲオルグの宣告と共に、獲物を焼き払う光がジータの目に映った。光は反射板を伝いながら何度も行き来を繰り返し、ジータの身体を容赦無く焼き払っていく。

 

 

逃げ場などない。取り囲まれた反射板の中で暴れ狂うコバルトの光を、この狭い空間で止める事は皆無に等しい。

 

 

ジータの悲鳴は聞こえない。廃工場内で木霊するのは、ゲオルグの笑い声だけであった。

 

 

―――――――――。

 

 

しばらくして光の反射攻撃が止み、ジータは身体に傷を負いながらも、倒れ伏せる事なく立ち尽くしていた。衣服は光によって切り裂かれ、額からは流血し、立っていられるのが奇跡なくらいである。

 

 

「ちっ……炭素の防御壁で身を守ったか。だけど、もうお前は終わりだよ」

 

 

往生際の悪い奴だとゲオルグ。無数のレーザーを浴び、仮に戦う力が残っていたとしても既に虫の息であろう。

 

 

とどめを指してやると、ゲオルグは両手の指輪をジータに向けて翳す。

 

 

これで終わり――――否、違う。ジータはまだ負けてはいない。

 

 

「………晒したな。反射板を」

 

 

突然、大気が震え出した。大気中に含まれた二酸化炭素が波動によって渦を巻き、ジータの周囲に漂い形を成していく。

 

 

それは、全てを切り裂く炭素の刃。微粒子によって生成された刃は、ジータを囲っていた反射板を瞬く間にして切り裂いた。

 

 

反射板は移動する間も無く粉々に砕け散り、大気中の散りと消えゆく。

 

 

「な―――――あり、」

 

 

あり得ない……とゲオルグは絶句した。大気中の二酸化炭素……それも、僅かな微粒子を操作するなど第二階梯レベルのできる技ではない。

 

 

ましてや、第二階梯止まりのジータが行使できるとは思えない。

 

 

しかし、ゲオルグは失念していた。ジータはもう“ゲオルグの知っているジータ”ではない。今のジータは階梯を上がり、数多の戦いを乗り越えた戦士である。

 

 

「第二階梯止まりの屑……確かにお前はそう言ったな」

 

 

ゲオルグが動揺した隙をつき、ジータは一瞬にして距離を詰めていた。ジータに纏われた炭素の刃が、ゲオルグの身体を掠めていく。

 

 

だがそれも束の間。避ける反応すらも、攻撃を受けた事も許されない神速の一撃が、ゲオルグを襲う事になろうとは、

 

 

「一体、いつの話をしている(・・・・・・・・・)?」

 

 

当の本人には、知る由もない。

 

 

「が―――――は、」

 

 

ゲオルグの視界が霞む。覚えているのは横切っていったジータの姿。気がついた時には、身体中は炭素の刃で切り裂かれていた。がくりと膝をつき、身体に走る痛みに表情を苦痛に歪ませている。

 

 

苦痛だけではない。ジータに負けたという事実が、受けた苦痛をさらに加速させていた。幸いな事に、致命傷ではないが……戦える程の気力は残っていない。

 

 

「―――――退け。そして二度と、私たちの前に現れるな」

 

 

ゲオルグの背後にはジータの声。ジータは、わざと急所を外していた。殺さずして逃がすというのか……ゲオルグにとってはこの上ない屈辱である。

 

 

しかし形成が逆転された今、返り討ちに合うのは目に見えている……それこそゲオルグには耐えられない。

 

 

ゲオルグは血を吐き捨てゆっくりと立ち上がり、

 

 

「クク………いつか後悔するぞ」

 

 

歪に笑いながら廃工場を後にした。ジータは振り返る事なく、ゲオルグが消え去るのを待つばかりである。

 

 

だが、アデプトはまた刺客を差し向けてくるだろう。裏切り者(ジータ)を始末する為に。

 

 

「……くっ……」

 

 

受けた身体の傷が痛み出す。まだ立っていられるとはいえ、受けたダメージは大きい。いくら階梯を登り強くなったとはいえ、やはりまだまだだなと自分の未熟さを噛み締めた。

 

 

 

 

こうして、かつての同胞との戦いは終わる。またいつ襲撃が来るか分からないが、少なくとも子供達とクリスは無事であった事にジータは安堵の息を漏らすのだった。



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67話「忌まわしき力」

(・3・)お待たせしました。最新話です!


誘拐事件が起きた翌日。

 

 

ジータの活躍により、子供達とクリスは無事保護された。子供達は眠らされていただけで怪我もなく、元気に過ごしている。幸いな事に、誘拐された時の記憶は覚えていないらしい。

 

 

一方クリスはゲオルグのレーザーによって背中を焼かれたものの、掠めた程度で済み、大事には至らなかった。但し念の為、数日は通院するようにと医師から告げられ、現在も治療を継続している。

 

 

「…………」

 

 

診療を終えたクリスは夕日でオレンジ色に染まった風景を、病院の廊下の窓から眺めていた。額には包帯が巻かれ、怪我をした背中は制服で見えないが、焼け跡は治療を受けてもなお、生々しく焼き付いている。しばらくは残る事になるだろう。

 

 

夕日が沈みゆく空の色がクリスの頬を照らす。しかし、クリスの表情には影が射していた。子供達は無事で怪我もなく、負傷したものの、こうして生還を果たしていると言うのに……気持ちは晴れないままであった。

 

 

「…………」

 

 

クリスの中で、様々な思考が交錯する。子供達を守る事ができなかったという自責の念。そして、一人でどうにかできるだろうという過信が、このような結果を招いてしまった。もしジータの到着が少しでも遅ければ、子供達はおろかクリスまで命を落としていただろう。

 

 

軽率な行動だったのかもしれない。しかし間違ってはいない。だが、誘拐した相手が異端の能力者であった事は予想できなかった。否、最後まで油断しなければ、まだ出来る事があった筈である。

 

 

最低だ……と、クリスは唇を噛んだ。無力感と、何もできなかった悔しさだけが、心の中を渦巻いていた。

 

 

―――――しかし何よりも。

 

 

クリスには、ある光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 

ゲオルグの攻撃によって気絶状態にあったクリス。しかし徐々にだが、一時的に意識を取り戻す事ができていた。無論、戦えたわけではない。目を開けられる程度である。

 

 

戦いの最中、意識が戻りクリスの目に写し出されたもの。そこには、対峙するジータとゲオルグの姿。そして、知ってしまった真実。

 

 

それは、

 

 

「――――――っ」

 

 

ジータもまた、異端の能力者だった事である。保っていた意識の中で見る事ができたのはほんの僅かだった。ジータを覆っていた真空の刃がゲオルグの身体を斬り裂き、一瞬にして退けた瞬間を、クリスは確かに覚えている。

 

 

ジータが起こした不可解な現象。ジータだけではない。サーシャやカーチャ、そして由香里……彼らもまた異端の力を持つ能力者達。そう、それは何度も目にしている。

 

 

特定元素を操る力………考えるまでもない。ジータは元素を操るクェイサーであるとクリスは理解した。

 

 

(また、自分は……)

 

 

そしてまた、どうしても思い込んでしまう。手を抜かれていたのではという懸念。それは、今までのクリスの気持ちを裏切るという事である。

 

 

ジータは、クェイサーである事を隠していたのだろうか。しかし、ジータは全力で向き合ってくれた。クリスの気持ちを踏みにじるような事をするとは思えない。

 

 

なら、何故……そうしばらく考えに耽っていると、

 

 

「クリス」

 

 

後ろからクリスを呼ぶ声が現実へと引き戻した。振り返るとジータが立っていた。クリスは返事を返そうと口を開けたものの、うまく言葉が出ずそのまま黙り込んでしまう。

 

 

「怪我の具合はどうだ?」

 

 

クリスが受けた傷が心配で病院を訪ねたのだろう、お見舞いだと言ってクリスの手に缶コーヒーが手渡される。

 

 

「……ありがとうございます。怪我の方は、別段問題ありません」

 

 

ジータの表情が、直視できない。ジータを見る度に考えていた事が更に複雑さを増していく。クリスは目を逸らし、窓の外に目を戻した。

 

 

「……浮かない顔だな」

 

 

クリスの様子が気にかかり、ジータは声をかける。子供達を助ける事が出来なかった事を悔いているのだろう。だが相手は異端者、しかもアデプトの人間である。最も、その事についてはクリスには伏せておくのだが。

 

 

「………」

 

 

だが、知っている。知ってしまったのだ。今更見なかった事になどできない。このまま何でもないと言えばそれまでだが、自分の気持ちに嘘をついたままジータに関わることはできなかった。

 

 

クリスは口にする。彼らの―――ジータの正体を。

 

 

「ジータ……貴方は……」

 

 

窓の外から視線を外し、真っ直ぐにジータと対面する。クリスの表情は沈み行く夕日のように暗く、悲しげであった。

 

 

そして、

 

 

「……クェイサー、だったんですね」

 

 

「―――――」

 

 

瞬間、クリスとジータの時間だけがピタリと止まる。ジータは言葉を失ったが、驚きもしなければ否定する素振りも見せなかった。ただ潔く、自らがそうであると認めるように、ゆっくりと頷いたのだった。

 

 

 

 

 

病院の屋上にて。

 

 

夕日が沈み、空は夜の色に染まっている。その空の下で、クリスとジータは屋上から見える町の夜景を眺めていた。

 

 

互いに言葉は交わさない。ただ、二人の視線の先は景色の向こう側である。

 

 

しばらく沈黙が続く中、先に口を開いたのはジータであった。

 

 

「………見ていたのか」

 

 

「……はい。一瞬だけでしたが」

 

 

「……そうか」

 

 

二人の会話は、それで途切れた。再び沈黙が訪れる。屋上から吹く小風が、まるで今の二人の心境を表すかのように冷たく吹き抜けていく。

 

 

ジータは自らがクェイサーであると肯定した。クリスは視線を徐々に落としながら、告げられた事実を受け止めている。

 

 

一体、クェイサーの存在をどこで知ったのだろう……だがしかし、ジータはそれを問う事はなかった。

 

 

クリス自身、ジータがクェイサーである事など気にはしていない。対等に見てくれなかったという、ジータへの疑念がクリスの中で渦巻いているのだろう。

 

 

「クリスの言いたい事は分かっている。私がお前の気持ちを裏切ったのではないか……そう思っているんだろう?」

 

 

「―――――」

 

 

ジータの問いに対し、クリスは答えない。その沈黙こそがクリスの返答であった。

 

 

手合わせの後で語った、“対等でありたい”というクリスの思い。クリスは出し惜しみする事無く、ジータに全力で挑んだ。しかし彼女がクェイサーだと分かった今、クリスにあるのは裏切られたのではないかという思いだけである。

 

 

しかし、ジータも好きでクェイサーである事を隠し続けていたわけではない。

 

 

ジータにも、理由があるのだから。

 

 

「確かに……クリスの言う通り、私はクェイサーだ。だが、もう二度とこの力は使わないと決めた」

 

 

ジータは忌々しげに自分の手を見つめていた。まるでその手が血塗られているかのように。

 

 

――――遠い過去の記憶。ジータがクェイサーとなり、戦い続けた己が歩んできた道。

 

 

幾度となく繰り返される戦いに身を投じ、異端の力で人々を傷付け、命までも奪ってきた罪。それはもう背負い切れないくらい程に、膨れ上がっている。

 

 

いくら悔いて、嘆いたとしても、決して許されない。ならば、二度とクェイサーの力は使うまいと、心に決めたのだ。

 

 

もう、誰も傷付かないように。もう誰も命を奪い会う事のないように。それ以来、ジータはクェイサーの力を忌むべき力だと思うようになり、心に深くしまい込んだ。同時に自分がクェイサーである事も隠して。

 

 

「…………」

 

 

ジータの過去を知ったクリス。思い違いであった事に少しばかり安堵を覚えた。行き過ぎた力は人を傷付ける……それは彼女なりの、これまでしてきた事への償いなのかもしれない。

 

 

助けに駆け付けた時も、本当ならば使いたくはなかった筈だ。相手が相手だ、やむを得なかったのだろう。

 

 

そして、同時に気付いてしまう。彼女が自らの……クェイサーとしての過去から目を背けようとしている事を。

 

 

だがそれは、本来あるべき形の償いではない。たとえ力を使わなかったとしても、過去の全てをなかったことにはできないのだから。

 

 

今まで沈黙を守っていたクリスの口が、ようやく開いた。真剣な眼差しで、彼女と真っ正面から向き合う。

 

 

「貴方の過去に何があったかはわかりません。けど、貴方は逃げています……全てをなかった事には、できない」

 

 

クリスの一言が、重くジータに突き刺さる。ジータはそれを黙って受け止める。

 

 

「クェイサーは、人を傷付ける事ばかりではないと思います。ジータは自分を……子供達を助けてくれました。それは、ジータにとって誇れる事ではないでしょうか?」

 

 

それは、これまでクリスが目の当たりにしてきたクェイサーという存在への敬意。

 

 

サーシャやカーチャ達のように人々を守る側の人間もいれば、アデプトのように人を傷付ける人間もいる。決して忌むべき力ではない。使い手次第では、善にも悪にも変わると、そう彼女に気づいて欲しい……それがクリスの切実なる願いであった。

 

 

すると、

 

 

「……お前のいう事は最もだ、クリス。確かに私は、逃げていたのかもしれないな」

 

 

ありがとう、とジータは笑った。

 

 

クリスに言われて初めて気付く。クェイサーとしての自分を律する事で、全ての過去から目を背けていたのかもしれない。

 

 

誰も傷付けたくない……それは、自分が傷付かない為の口実。結局は偽善でしかない。それでは、何も変わらないのだ。もしもクリスに諭されていなければ、自分は間違った道を進んでいた事だろう。

 

 

この力は人を傷付けるかもしれない。しかし同時に、大切な人を守る事もできるのだから。

 

 

すると屋上の隅から、パチパチと小さな拍手が二人の耳に届く。

 

 

「実に微笑ましい光景ですね。マグノリアにいた頃とは、まるで別人のようです」

 

 

二人の前に突然現れたのは、アデプトの統括者、フールであった。フールはゆっくりとクリス達に歩み寄っていく。

 

 

「貴様……どうしてここに!?」

 

 

フールを睨み付け身構えるクリス。それに対し、フールは相変わらず元気なお嬢さんですねとため息交じりに笑う。

 

 

クリスはフールを知っているようだが……今はそんな事はどうでもいいと、ジータは思考を打ち切った。

 

 

目的は恐らくジータだろう……ゲオルグを退けた程度で、手を退くとは思えない。

 

 

「ゲオルグの次は貴様か……私を殺しに来たのか?」

 

 

「まさか……ですが、貴方を討つのは僕ではなく彼女――――あるいは、貴方が彼女を討つと言ってもいいでしょう」

 

 

フールの視線の先には、クリス。どういう意味だとジータは問い質す。するとフールはタロットカードをめくり、意味深に笑ってみせた。

 

 

「運命は時に残酷なものです。いや、運命というよりは……因縁、と言うべきか」

 

 

まるで何かを悟っているように、遠回しに語るフール。二人に一体何の因縁があるというのか……だが、その答えはすぐに明らかになる。

 

 

「貴方はフランク=フリードリヒをご存知ですか?彼女はそのフリードリヒ家の人間……貴方の村を見捨てた、あの男の実の娘です」

 

 

フールの言葉から出て来た、クリスの父親の名前。クリスの表情が困惑と驚愕の入り混じった色に染まっていく。

 

 

否――――最も驚愕していたのはクリスではなく、ジータだったに違いない。

 

 

戦果に焼かれ、村人や弟達が命を落としたあの惨劇の記憶が蘇る。ジータは言葉を失い、頭の中が真っ白になっていく。

 

 

そして、その紛争を見て見ぬ振りをしたフランクという男の存在。彼女にとっては因縁と言わずして何と言おうか。

 

 

「……村を見捨てただと?父様は誇り高き軍人だ、民間人を見捨てるような真似など絶対にしない!」

 

 

出鱈目を言うな、と感情的になるクリス。フランクはクリスの誇りであり、尊敬に値する人間である。その父親が侮辱されたのだ……黙っていられる筈がない。

 

 

「では、直接本人に会って聞いてみるといいでしょう……最も、それまで貴方が無事でいられればの話ですが」

 

 

そう言って、フールは踵を返した。逃がすものか、とクリスは追いかけようと駆け出す。

 

 

だが、

 

 

「―――――!?」

 

 

駆け出したその直前、クリスの行く手を阻むように一本のレイピアが地面に突き刺さった。レイピアを携帯していた覚えはない。

 

 

しかしよく見ると、そのレイピアはレプリカではなかった。

 

 

純正の金属……否、炭素である。そしてクリスの背後からは、ただならぬ殺気。振り返ると、そこには憎悪と殺意に満ちたジータの姿があった。

 

 

「そうか。お前が、あの男の……」

 

 

――――もしも、村を見捨てられなければ、弟や村人達は生きていたのかもしれない。

 

 

兄や弟達と一緒に、平凡な暮らしを送れていたのかもしれない。

 

 

そして自分がこうして、アデプトのクェイサーであった事も……血塗られた運命を背負うことも、なかったのかもしれない。

 

 

その怒りが、憎しみが……根源であるフランクを通し、クリスに向けられていた。

 

 

「―――――我、生の中で死に臨む」

 

 

瞬間、ジータの手元に三日月剣が練成される。それは、復讐という名の決闘。過去の因縁に終止符を……それが今、予期せぬ形で始まろうとしていた。



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68話「黒いダイヤモンド」

「剣を取れ、クリス……いや、クリスティアーネ=フリードリヒ!」

 

 

ジータの手にする三日月剣の切っ先が、突き刺さったレイピアに向けられる。

 

 

戦えと……そう訴えかけるように。

 

 

その一方、クリスは困惑したままであった。誇るべき父親の知られざる真実、そして決闘。思考が混濁している。

 

 

戦う事は、できない。クリスは首を横に振った。

 

 

「自分には……できません!こんな形で決闘など―――――!」

 

 

できる筈がない。父親がジータの村を見捨てた……クリスの知っているフランクはそんな父親ではない。きっと何かの間違いだ、そうに決まっている。

 

 

しかし、ジータはクリスの弁明の余地すらも与えてはくれなかった。

 

 

「もし貴様が剣を取らぬと言うのならば、私はフランクを……貴様の父親を討つ。元・アデプト12使徒の一人、ジータ=フリギアノスとしてな」

 

 

戦わぬのならばと自らの正体を明かす。そしてクリスの父親を殺すと、断言した。

 

 

「……そんな、ジータがアデプト……」

 

 

ジータがアデプト12使徒……サーシャ達の敵。今はそうではないようだが、アデプトに所属していた事は紛れもない事実。

 

 

そう、“黒いダイヤモンド”の異名を持つ、炭素を操るクェイサー。

 

 

以前サーシャ達から聞いた話の中で、彼女の名前があった事を、皮肉にもクリスの記憶が呼び起こした。クリスの信じていたものが、徐々に崩れ落ちていく。

 

 

クリスと出会い、武術とは何たるかを教えてくれたジータ。だが、今はクリスの憎むべき敵として……父親を殺そうとする敵として立ちはだかるとは、思いもしなかっただろう。

 

 

思考している時間はない。もとい、思考できるほどクリスは冷静ではいられなかった。

 

 

父親への疑念。そしてジータがアデプトのクェイサー。真実が真実を呼び、クリスの頭の中が渦を巻いて更なる混乱を招く。

 

 

――――ジータとは戦いたくない。しかし戦わなければ殺される。仮に殺されなかったとしても、ジータはフランクに手をかけるだろう。

 

 

剣は取れない。取らなければ父親の命が危ない。逃げられない。何故ならジータは、アデプトであり敵だから。それでも、ジータは出会った最高の友人である。

 

 

戦えない。逃げられない。大切な父親を守らなければ。アデプトという敵から――――友人のジータから守らなければ。

 

 

友人。敵。父親。疑念……クリスのやりきれず、抑えきれない程の感情が、爆発した。

 

 

「―――――うわああぁぁああああああぁぁああああああああああああああ!!!」

 

 

瞬間、クリスは地面に突き刺さったレイピアを抜き取り、ジータ目掛けて突進した。戦略も何もない。感情に身を任せた、無謀とも言える先制である。

 

 

今のクリスではジータに届かない。だがそんな事はどうでもいい。戦うしかないのだ……今の二人には剣を交えるしか、手段はないのだから。

 

 

「隙だらけだっ!」

 

 

当然、クリスの刺突攻撃はジータによって読み取られた。ジータは剣先を払い、三日月剣を振りおろし反撃する。

 

 

感情的になっているとはいえ、クリスも持ち前の反応速度で剣戟を受け止める。しかし、ジータの攻撃は重くクリスにのし掛かり、身体中が軋みで悲鳴を上げる。

 

 

「―――――炭素よ!」

 

 

攻撃を受け止めたのも束の間、ジータは左手から三日月剣を練成し、クリスに追い討ちをかけるように剣戟を叩きつける。

 

 

何度も、何度も。クリスの武器が、クリス自身が粉々に砕け散るまでそれを繰り返す。ジータもクリスと同じように、感情に身を任せたがむしゃらな攻撃だった。その感情は剣戟を通してクリスにひしひしと伝わってくる。

 

 

だというのに、まるで隙がない。反撃を許さない程の怒涛の連撃は、ついにはクリスの身体を吹き飛ばした。衝撃でクリスの身体は勢いよく地面を転がっていく。

 

 

「く……あっ……」

 

 

レイピアの切先を地面に突き立てながら、ゆっくりとクリスは立ち上がる。まだ、戦える。負けられない。父親の命がかかっているのだ。地に伏してなどいられない。ジータも立ち上がれと、戦意のこもった眼差しで訴えていた。

 

 

けれども、戦いたくはない。ジータは大切な友人である。その思いが、クリスの感情に冷静さを取り戻していた。

 

 

「ジータ……聞いてください。父様は、今まで多くの人々を救ってきました。それは今も変わりません。だから、自分は父様がそんな事をするとは、どうしても思えないんです!」

 

 

フランクは軍人として活躍し、多くの人々を救っている。その父親の背中を見て育ってきたのだ……フランクの事はクリスが一番よく知っている。そんな父親が、人々を見捨てるような事は考えられないと、クリスは必死に訴えかけた。

 

 

するとジータは何を思ったのか、突然クリスに問い始めた。

 

 

「クリス……お前は軍人が何の為にいるか、知っているか?」

 

 

「え………?」

 

 

問われた軍人という意義。つまりはフランクの存在を、クリス自身がどう捉えているのかを聞き出そうとしているのだろう。

 

 

だが、答えは自ずと決まっている。迷う必要などない。

 

 

「国を守り、人々を守る……それが軍人の義務です!」

 

 

そう。軍人とは国を守り、紛争を止め人々を救う為の義務を背負っている。それはフランクの持つ軍人として掲げる、正しき道を歩む強さを持つ“正義”。義を重んじるクリスの憧れ。

 

 

だが、それが何だと言うのか。何を示しているというのか。

 

 

クリスの言うことは間違ってはいない。間違ってはいないからこそ、尚更許せない。ジータは三日月剣を強く握りしめる。

 

 

「そうだ……国を助け、紛争や人々を救う事が義務だ。その為ならば、些細な犠牲も厭わない。私達の村を見捨てるのと同じように(・・・・・・・・・・・・・・・・)な!」

 

 

そして、自らが抱えている怨嗟をぶつけるかのように、ジータは吐き捨てた。

 

 

小さな村で幸せに暮らしていたあの日々は、もう戻らない。戦果に焼かれ、何もかもが灰になった。村も、家族も、思い出さえも。

 

 

全てを奪ったのは紛争である。しかし誰も助けに来てはくれなかった。見捨てられたのだ……小さな村だという、ただそれだけの理由(・・・・・・・・・)で。

 

 

そして後に判明した。紛争を止める為に介入していた軍が、フランク率いるフリードリヒ家の軍隊であった事を。

 

 

故にジータは許さない。見て見ぬ振りをした、あの男に。

 

 

「確かに紛争は鎮圧した……貴様の父親の活躍でな。だが、代わりに私達の村は殺された……私は決して許しはしない。あの男を――――正義を騙る偽善者を!」

 

 

ジータの憎悪は、時を刻む毎に膨れ上がっていく。抑えきれない程の憎悪。運命を変えられたかもしれないという、希望に対する絶望と怒り。

 

 

フランクの過去。聞けば聞く程、クリスのフランクへの理想像が壊れていく。クリスは耳を塞ぐように、その幻想を振り払う。

 

 

自分の誇れる父親が、そんな事をする筈がないと言い聞かせながら。

 

 

「違う、父様は人殺しではない!それ以上、父様を愚弄するというのならば、ジータ……貴様でも許しはしない!」

 

 

もう、ジータには自分の声は届かない。負の感情(ノイズ)によって全てを遮断している。そして父親に対する侮辱。相手がジータであれ、それは許す事はできない。

 

 

父親の名誉の為、そして父親が掲げる“正義”の為に。クリスはもう一度剣を取る。

 

 

「せやああああああああああああ――――――!!!」

 

 

もう迷いは晴れた。今のジータは友人ではなく、父親を侮辱するだけの敵である。情けは無用。全身全霊をかけ、クリスは疾走する。

 

 

ジータもそれでいいと、三日月剣を構えクリスの刃を受け止める。レイピアと三日月剣が火花を散らしながら交じり合い、激しい剣戟が繰り広げられる。

 

 

クリスの攻撃も、先程よりも鋭さが増していた。ジータの攻撃は重いが、速さではこちらが若干有利。ならば手数で攻めればと、連続で刺突を叩き込む。

 

 

「くっ………!?」

 

 

クリスの攻撃に防戦を強いられるジータ。押されている……左手に持つ三日月剣を盾にしながら攻撃を凌いではいるが、それも時間の問題。硬度の高い炭素であれ、クリスの持つレイピアも自分が錬成した物。それも一点集中する攻撃ならば、その重心で先に朽ち果てるのはジータの武器である。

 

 

「はあああああああああああ!!!!」

 

 

クリスの覇気と共に、渾身のレイピアの一撃が繰り出される。そしてついに、ジータの三日月剣に亀裂を入れ、粉微塵に破壊した。

 

 

今が勝機――――クリスは身体中に力を溜め込み、その姿勢でジータの脇腹を狙い撃つ。

 

 

“零距離刺突”。至近距離からでの攻撃ならば、逃れる事は不可能。だが殺さない。急所は外している……少なくとも、立ち上がれない程のダメージなら与えられる筈だ。

 

 

終わりだ―――――と、クリスは確信した。

 

 

「零距離、刺―――――」

 

 

だが、次の瞬間。

 

 

クリスの足に、鎌鼬が迸った。切り刻まれ、身体のバランスが大きく崩れていく。

 

 

「―――――忘れたか。私はただの剣士ではなく、炭素使い(クェイサー)だと言う事を」

 

 

身体が倒れるその直前、ジータの乾いた声が聞こえてくる。クリスは、最後の最後まで失念していたのだ。

 

 

今のジータはクェイサー。復讐の炎を宿した、アデプトのクェイサーであった事を。

 

 

クリスの足を刻んだのは紛れもなく、大気中に含まれていた、微粒子の炭素で生成された刃であった。

 

 

「はあああっ!!」

 

 

ジータの三日月剣の一閃はクリスのレイピアを弾き飛ばし、さらにはクリスの身体を吹き飛ばした。クリスは再び地面を転がっていく。

 

 

今のがジータの最大の一撃だったのだろう……衝撃がまだ身体に残っている。幸い、足の切り傷は擦り傷程度で済んでいるものの、戦える程の気力は残っていない。

 

 

結局は、ジータに勝つことは出来なかった。

 

 

「……人を殺さずして国を守る軍人など、そんなものはただの幻想だ」

 

 

ジータが徐々にクリスの元へと歩み寄っていく。ジータには未だに殺意が消えていない。このままでは確実にクリスを殺すだろう。

 

 

クリスは、立つ事ができなかった。辛うじて上半身だけは起こすことができたが……ジータのあまりの気迫に、悲鳴を上げそうになる。

 

 

それは気力の問題ではない。殺されるという、今までに経験した事のない未知なる恐怖に、身動きができずにいた。

 

 

まるで、蛇に睨まれた蛙のよう。逃げ出したくても、逃げられない。

 

 

「―――――終わりだ」

 

 

ジータの三日月剣が、振り上げられる。クリスに向けられた死の宣告。ジータに迷いはない。振り下ろされれば、三日月剣はクリスの頭を真っ二つに両断するだろう。

 

 

死ぬ………想像するだけで身の毛がよだつ。クリスの呼吸が徐々に荒くなっていく。

 

 

嫌だ。嫌だ。死にたくない。そう心が訴えている。言葉が出てこない。何も言えない。身体が言う事を聞かない。ただこうして、死ぬのを待つばかりなのか。

 

 

しかし、時間は待ってはくれなかった。ジータは何の躊躇いもなく、クリスの頭部に向けてその刃を、振り下ろした。

 

 

クリスは目を閉じた。目の前の恐怖から目を背けるように。死ぬという受け入れ難い現実から、逃避するように。

 

 

復讐の刃が、振り下ろされる。

 

 

 

 

 

―――――――――。

 

 

 

 

 

ポツ、ポツと。

 

 

クリスの額に、二粒の水滴が滴り落ちた。それは自分の返り血なのか、それとも自分の涙なのか、判別がつかない。

 

 

そもそも死んでいるのだから、肌に触れた感触も、考える事も出来ない筈なのに……状況が判断できない。クリスは恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。

 

 

「―――――あ」

 

 

目を開けると、更にポツポツといくつもの水滴。真っ暗な空の色と、苦悶の表情を浮かべたジータの姿が視界に入る。

 

 

やがて水滴は激しさを増し、クリスとジータを叩きつけるかのように降り注ぎ始めた。

 

 

雨が―――――降っている。そう感じ取る事ができた。おかしいと思った次の瞬間、クリスは自分の頬を横切っている何かに気付く。

 

 

それは、ジータが振り下ろした三日月剣。クリスの頭を両断しようとした凶刃。

 

 

その刃はクリスの頭部から逸れ、クリスの頭のすぐ側で突き刺さっていた。その衝撃からか、地面に亀裂ができている。

 

 

クリスは………生きていた。

 

 

「………くそっ!」

 

 

ジータはそう吐き捨てると、三日月剣を抜き、分解して空気中に霧散させた。

 

 

クリスを殺す事はできなかったのだ。その目には、一筋の涙が流れていたような気がした。それは雨の水滴なのか、本物の涙なのかは分からない。ジータはクリスに背を向け、

 

 

「………ここでお前を殺してしまえば、また同じ怨嗟が繰り返れる。それは結局、何一つ変わりはしない」

 

 

それだけ言い残して、屋上の出口へと歩き出した。ジータが段々と遠ざかっていく。クリスは待ってくれと声をかけるつもりが、今だに声が出せない。

 

 

ただ、ジータの背中からは、

 

 

“―――――もう、私達は会わないほうがいい”

 

 

そう、訴えているような気がして。クリスは、彼女を呼び止める事ができなかった。

 

 

或いは……呼び止める資格など、自分にはないと自覚したのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

一方、島津寮。

 

 

寮の入り口にて、由香里は手を組みながらじっと誰かの帰りを待っていた。

 

 

そう、クリスである。病院へ出かけてから、日が沈んでいるにも関わらず帰ってきていない。

 

 

すると、そんな由香里の様子を見兼ねた大和、忠勝、キャップや京、そして由紀江が様子を見にやってくる。

 

 

「おい、いつまでそうしてるつもりだ?黛妹。晩飯が冷めちまうだろうが」

 

 

さっさと戻れと、忠勝。忠勝なりの気遣いなのだろうが……由香里は首を横に振った。

 

 

「……こんな気持ちじゃ、ご飯も喉を通らない」

 

 

珍しく、由香里はいつになく落ち込んでいた。無理もない、いつもいる筈のクリスがいないのだ。勿論、由香里だけではない。大和も、由紀江も、キャップも京も同じように彼女を心配している。

 

 

「お前達も知っているだろう……私は……」

 

 

由香里はクリスに懐いて……いるのか、溺愛しているのかは定かではないが、少なくとも人一倍心配はしている筈だ。それは全員が重々承知している。

 

 

何故なら、

 

 

「私は………私のご飯のおかずは、クリスなんだぞ!?」

 

 

由香里が極度の変態であるから。分かってはいたが、何故だろう、妙な脱力感が大和達の肩を落とした。しかも、自信かつ真剣に言うのだから何とも言えない。

 

 

「クリスは今頃病院で一体何を……はっ!?まさか、女医と深夜の診察とかしちゃってたりするのでは!?し、しししかもオペとか言っておきながら、寝台で■■■■――――」

 

 

「ゆ、由香里!これ以上は禁則事項です、やめてください!」

 

 

由香里が放送禁止用語を喋り兼ねないので、由紀江が直前で口を塞ぎ押さえ込んだ。まあ、こんなもんだろと溜め息をつく大和。

 

 

「エロゲのやり過ぎだね、しょーもない」

 

 

と言って、京は由香里の部屋から数本のエロゲを拝借していた。余談だが由香里はエロゲ(百合物)をプレイしているのだとか。この後、由紀江に没収されたのは言うまでもない。

 

 

「少しでも見直した俺がバカだったぜ……」

 

 

呆れたと言わんばかりに、忠勝が踵を返そうとしたその時だった。寮の玄関の戸がガラガラと開き、その音で全員が玄関に注目する。

 

 

玄関の外には……クリスがいた。傘を持っていなかったのか、クリスは雨でびしょ濡れになり、前髪も水の重みで垂れ下がっていた。

 

 

そしてクリスが帰ってきた事で、由香里の表情が一気に晴れ渡っていく。

 

 

「おおっ!水も滴るいい美少………クリス?」

 

 

クリスは終始無言のまま、喜ぶ由香里を横切っていく。おまけにその表情は暗い。何かあったのだろうか。

 

 

「おい、クリス。一体どうし………お前、その足どうした?」

 

 

クリスの異変に気付いたのはキャップだった。足には無数の切り傷がある。病院へ行ったというのに、怪我をして帰ってくるというのも変な話である。

 

 

「……少し、転んだだけだ。大した事はない」

 

 

クリスは着替えてくると言って、そのまま2階へ上がろうと足を進める。転んだだけであんな不自然な傷がつくものか……何かあったに違いない。

 

 

「んなわけあるかよ!何があった、ちゃんと話せ、クリス!」

 

 

仲間だろ、と大和がクリスを呼び止める。しかし、クリスが帰ってきた返答は、

 

 

「すまない大和……しばらく、一人にさせてくれ……」

 

 

何も話したくないという、拒絶の言葉だった。様子がおかしい……だが今のクリスには、何を言っても聞かないだろう。

 

 

それでも大和は、クリスの事が気にかかっていた。

 

 

「……落ち着いたら、ちゃんと話せよな」

 

 

「………ああ」

 

 

気のない返事だが、一応は大和の言葉を受け入れてくれたのだろう。クリスはゆっくりと階段を上がり、自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

「…………」

 

 

クリスは自分の部屋へ戻ると、自分の心を閉ざすように、ピシャリと襖の戸を閉めた。

 

 

張り詰めていたものが解放され、その場に崩れ落ち、襖に凭れ掛かる。そして、意味もなく畳を見つめながら、今日あった出来事を思い返していた。

 

 

フールとジータが言っていた事は、本当なのだろうか。未だ信じられないクリスは困惑するばかりだった。

 

 

「……とう……さま……」

 

 

尊敬する父親――――フランク=フリードリヒ。信じたいと思う中で、父親に対する疑念が徐々に大きく膨らみ始めていた。



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secret episode「再会の杯」

公開期間【制限解除】

これは以前にじファン様とアットノベルス様で投稿した期間限定のエピソードです。ゲストとして「まじこい×クェイサー」とは異なる原作のキャラが登場します。
このエピソードはあっても無くても本編に支障はありません(ない方がいいと思われる方は、このエピソードを無視しても構いません)。

時系列は、本編の44話~47話の間に起きた出来事が描かれています。また、及川麗(聖痕のクェイサー)がクローン黛と対決して使用したスキルと繋がりがあります。


それでは、どうぞ。


川神市内、某繁華街。

 

 

時間は深夜0時を過ぎようとしているというのに、まだ人通りがある。飲み会や残業の帰宅途中のサラリーマンや、彷徨い歩くホームレス。これからさらに二次会へ赴く会社員……行く人々は様々だ。

 

 

そんな人達で賑わう夜の繁華街の一角に、古びれたBARがある。中にはコップを丁寧に拭く初老のバーテンダーと客が一人。

 

 

水で割られたウイスキーを頼み、飲み干しては煙草を吹かす。それを永遠と繰り返している客の正体は麗だった。

 

 

川神市に来てから、どこかいい雰囲気で飲める場所はないかと探していた麗は偶然この店を見つけ、以来ここに通い続けている。

 

 

客は殆ど入らず、不気味な程に静かな酒場。今にも潰れてしまいそうな場所だが、この物静かな雰囲気は麗にとって好ましい環境だった。チェーン店の酒場のようにガヤガヤした騒音はなく、ジャズの音楽がゆったりと流れている。音楽を聞きながら酒と煙草に浸るこの時間は、麗の最高の安らぎだった。

 

 

しばらくして再び何本目かの煙草に火をつけようとした時、来客を知らせるドアのベルが店内に鳴り響いた。殆ど客が来ない店に客とは珍しい、と麗は思った。マスターにはだいぶ失礼な話なのだが。

 

 

「――――何年経っても、この店は変わらんな」

 

 

現れた来客は、オレンジのコートに大きな鞄を持ったスタイルの良い、赤みがかった髪の女性だった。

 

 

女性はこの店のマスターと面識があるのか、いつものヤツを頼むと言って、カウンターに向かってかつかつと歩み寄る。

 

 

そこで女性はようやく、麗の存在に気付いた。

 

 

「……この店に客とは珍しい」

 

 

と、麗と同じような感想を述べるのだった。麗は着け損ねた煙草に再び火をつけながら、こんな古びたBARにやってきた物好きな客人に顔を向ける。

 

 

「この街に来て偶然見つけてね。その口ぶりだと、アンタもここの常連――――」

 

 

麗と女性が顔を合わせた瞬間、ほんの僅かの間だけ、時間が止まったような気がした。女性はぽかんと口を開け、麗はうっかり煙草を落としてしまいそうになる。

 

 

そして空白の時間が終わりを告げ、ようやく2人の口が開く。

 

 

そうそれは予期せぬ、

 

 

「――――橙子」

 

 

「――――麗か」

 

 

2人の、何年かぶりの再会だったのだから。

 

 

 

 

 

「……驚いた。まさか、橙子が封印指定を受けてるとはね」

 

 

ウイスキーを煽りながら、麗は橙子との再会を喜んでいた。彼女の名は蒼崎橙子。かつてロンドンで知り合った同期である。

 

 

彼女は魔術師であり、一流の人形師と呼ばれているが、その行き過ぎた技術が仇となり、魔術協会から追われる身となっている。現在は追手から逃れ隠匿しているらしい。

 

 

「お前こそ、中退してから何をしているのかと思えば学校の保険医か。まあ、昔から面倒見がよかったからな。素行は最悪だったがね」

 

 

「もう魔術はたくさん。大体、アタシには合わないのよ」

 

 

学生時代の話に花を咲かせる麗と橙子。思えば、学院を中退してから橙子とは一度も顔を合わせていない。またこうして出会う事になろうとは、予期していなかっただろう。

 

 

いつも飲む酒が、一層より深く味わいが増す。

 

 

「マスター、ビールくれ」

 

 

「あんたホントよく飲むわね……あ、マスター。ウイスキー追加で」

 

 

「お前もな」

 

 

際限なく飲み続ける橙子と麗。酒と煙草が進み、酔いに浸りながら偶然という名の時間を堪能していた。

 

 

しばらくして、酒を飲み終えた橙子が煙草に火を付けながら、静かに口を開く。

 

 

「―――ところで麗、お前本当は何をしてるんだ?ただの保険医にしては、随分と物騒な物を持ち歩いているな」

 

 

「…………」

 

 

見透かすような橙子の視線。否、実際に見透かされているのだ。麗は観念したのか、溜め息交じりに笑い出した。

 

 

「うまく隠してたつもりなんだけどね」

 

 

麗が隠していた物は、コートの袖に折り畳み式の脇差が一本。脇には小型の拳銃が一丁。ブーツの中には痺れナイフが一本ずつある。

 

 

どう見ても一般の保険医が持っているものではない……マスターの表情が険しくなったので、橙子が危険はないとフォローする。

 

 

「まさか、それが治療の道具だとはいうまいな?」

 

 

「ただの護身用よ。これでも一応減らしてる方だけど」

 

 

「いっそ手品師にでもなれ。それなりにウケるぞ」

 

 

言って煙草の煙を吹かす橙子。保険医の手品師も悪くないか、と冗談交じりに麗は笑うと、グラスの残りのウイスキーを一気に飲み干すのだった。表情から笑顔が消え、空になったグラスを見つめながら、

 

 

「……少なくとも、魔術がらみじゃない事だけは確かだね」

 

 

静かにそう答えた。察するに保険医というのは名目上で、本当の仕事は人に言えるようなものではないようだ。橙子は追求する事もなく、それ以上は何も追及はしなかった。

 

 

互いの沈黙が続く中、先に口を開いたのは麗であった。

 

 

「――――橙子、完璧な人間っていると思う?」

 

 

麗がふと口にしたその疑問は、黛由紀江と関係していた。彼女のクローンの存在が、唐突に気になったのだ。橙子が何を哲学的な事を言い出すかと思えば……とタバコの煙を吐く。

 

 

「……人間は常に欠陥を抱える生き物さ。もし全ての欠陥を克服した人間がいるのなら、そいつは人間を捨てた何かだ」

 

 

と、哲学的な疑問を哲学的に返す橙子。麗はカウンターテーブルに膝をつき、納得いったような、いかないような表情で橙子を白い目で眺めていた。何か言いたげな表情である。

 

 

「……おい、何だその目は。まるで私を化け物か何かみたいに」

 

 

そんな麗の視線が気にいらなかったのか、橙子はやたらと不機嫌であった。いや、そうじゃないんだけどさと苦笑いする麗。

 

 

――――ただ、遠くを見るような目でカウンターを眺めながら、昔を思い出すように。

 

 

「それ、橙子が学生時代に言ってた言葉だよね。でもさ―――」

 

 

それでも。麗から見れば学生時代の橙子は何もかもが完璧で。人間としても、魔術師としても優秀であった。だから、

 

 

「アタシは……そんな橙子が羨ましくて、憧れだった」

 

 

麗は橙子の背中を、追いかけていたのかもしれない。それは今も変わっていない。

 

 

学院を中退した身分が何を言っているんだかと、自分で自分を笑う麗。そんな事を思っていたのか……と橙子は意外に驚き、思わず失笑してしまう。

 

 

「皮肉に聞こえるかもしれないが、生憎と私はれっきとした人間だよ。欠陥だらけさ」

 

 

「封印指定が言う台詞とは思えないわね」

 

 

互いに皮肉っぽい事を言い合い、笑う二人。二人は最後の一本になった煙草を吸い終え、吸殻に押し付けてからゆっくりと立ち上がった。もう夜も遅い……夢のような再会の時間が終わりを告げる。

 

 

「さて、そろそろ出るか」

 

 

「そうね……ところで橙子、性格変わった?」

 

 

「ん?……ああ、これはスイッチのようなもので―――お?」

 

 

言いかけて、橙子はオレンジのコートのポケットに手をいれ、何かを取り出した。

 

 

その手に握られているのは、装飾の多いコンパスだった。コンパスの針は、異常なまでに勢いよく回転している。

 

 

「橙子、それは?」

 

 

「ああ、知り合いからの貰い物でな。まあ私が使う事はないんだが……それにしても、何だこの異常な反応は?」

 

 

止まる事なく永遠と回転を続けているコンパスを眺める橙子。何でも魔術か何かに干渉すると反応を示す代物なのだが……橙子曰く周囲に魔術の反応はないらしい。魔術でなければ一体なんだと言うのか。

 

 

(………!)

 

 

そこで麗はある事に気付く。麗の勘が告げる……それは紛れもなくクェイサーの力。恐らくクローン黛が動き出したのだろう。

 

 

それは、黛由紀江本人に危険が迫っているという事に他ならなかった。

 

 

「橙子、それ借りてく!」

 

 

「え―――」

 

 

橙子の手からコンパスを取り上げ、麗はBARの入口の扉を開けて走り去っていく。呼び止めようとしたが……あまりにも急だったのでそんな暇さえなかった。

 

 

「あ………」

 

 

そして同時に橙子はある事に気付く。自分の置かれている状況がいかに深刻であるかを。

 

 

「くそ、やられた……!麗のヤツめ」

 

 

そう、BARの飲み代を押し付けられたのだ。麗にその自覚は……あるに違いない。本当に学生時代から変わってないなと腹を立てるが、どこか憎めなかった。仕方なく橙子は麗の料金も一緒に払う事にする。

 

 

「やれやれ……」

 

 

BARから出た橙子は、ただ意味もなく夜空を見上げる。今度飲む時は、殺してでも返してもらうとするかと企みながら。

 

 

そして、ふと思う。

 

 

学生時代から素行が悪く、学院で名を馳せた橙子とは別の意味で有名だった麗。それでも面倒見が良く、自由奔放で“何にも囚われない”彼女の姿。だから、

 

 

「……羨ましかったのは、むしろ私の方さ」

 

 

そんな麗に憧れていた自分が、あの頃にはあったのかもしれない。それは、きっと今も変わらない。橙子は新しい煙草を取り出し、火をつけ加えながら繁華街を歩いていった。

 

 

 

 

 

麗は橙子から借りたコンパスを片手に、携帯を耳に当てながら走っていた。

 

 

「カーチャ、クローン黛が動き出した。今現場に向かってる!」

 

 

『……そう。思ったより早かったわね』

 

 

それだけ言って通話を切り、コンパスの反応を頼りに走り続ける。クローン黛……そして黛由紀江のいる場所へと。

 

 

 

 

 

――――これは誰も知る事のない、麗と橙子の物語。ほんの小さな再会と別れ。いずれは消えゆく小さな物。

 

 

きっとまたいつか。こんな事があるかもしれないと、そう願って。

 

 

 

どうか、束の間に起きた奇跡に祝福を。

 

 

 

 

 

 

 

そして読者の皆様と――――この場所で数多の物語を紡ぐ人々に……未来への祝福を。



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69話「理想は儚く消えゆく」

(・3・)ノノどうも、作者です。
だいぶ遅くなってしまいましたが、最新話書き上げました。
また「secret episode」はそのまま残す事に致しました。消えないかもしれないし、消えるかもしれません(笑)


それでは、本編をどうぞ。


ジータとの一戦から翌日。

 

 

授業を終えた放課後、クリスは大和とサーシャ、まふゆと帰り道を歩いていた。

 

 

「昨日は何塞ぎ込んでんのかと思ったら……そういう事かよ」

 

 

大和はクリスが塞ぎ込んでいた理由を聞き、拍子抜けしていた。

 

 

昨夜、偶然知り合った友人と試合をした結果、手も足も出ずボロボロに負けてしまったらしい。最も、勝つ見込みなど最初からなかったのだがとクリスは苦笑いする。

 

 

放課後は学校を出てすぐ、道場で稽古をつけてもらい、鍛えてもらっていたと話すクリス。怪我もその時にできたものだと言う。

 

 

「ふ~ん、武術の達人か……どんな人なんだろう」

 

 

会ってみたいな、とまふゆは関心を寄せる。クリスが手も足も出ない程、腕の立つ人間なのだ……百代がいたなら、すぐに勝負だと飛んでいった事だろう。

 

 

「まあ、そんなわけだ。昨日は心配をかけてしまったな……本当にすまないと思ってる」

 

 

そう言ってクリスは謝罪した。今まで黙っていたのも、強くなった自分を見せて驚かせたかったという思いからだった。余程サーシャに負けた事が悔しかったのだろう、クリスの負けず嫌いな性格が伺える。

 

 

「………」

 

 

しかし、サーシャはクリスに違和感を覚えていた。

 

 

理由はきっとそれだけではない。何かを隠している……聖乳を吸えばすぐに分かるが、用もないのにそんな事をしたら、クリスが激怒する上、まふゆが何をするか分かったものではないので、これ以上の詮索は辞めることにした。

 

 

「――――すまないが、自分はこれで」

 

 

しばらくして、クリスが用事があると言って大和達に別れを告げる。これから父親のフランクと会う約束をしているらしい。

 

 

フランクは日本を視察する為、不定期に来日しているのだとか。最もそれは名目上で、本当はクリスの様子をチェックをしにやってきているのだが。

 

 

クリスは大和達と別れ、フランクのいる所へと歩き出した。久方ぶりの父親との外食である。会うのが楽しみな反面、不安と疑念がクリスに恐怖を抱かせていた。

 

 

それは、真実を知ろうとする恐怖。フールが言っていた真実が虚偽だとするならば、ただの思い過ごしで済むだろう。尊敬する父親なのだ、何を迷うとクリスは自分に言い聞かせる。

 

 

だが、もし本当であったなら……自分が今まで信じてきた父親の理想が崩れ消えてしまう。あの時のジータの目は、憎しみに駆られていた。嘘を言っているとも思えない。

 

 

(……考えていても、仕方がない)

 

 

クリスは思考を打ち切った。フールの言う通り、真実を知りたければ直接フランクから聞けばいいだけの話だ。それで全てが解決する。

 

 

たとえそれが、クリスの知る真実ではなかったとしても。

 

 

 

 

 

某高級ホテル、レストラン一室。

 

 

天井に吊るされたシャンデリアの照明が煌びやかに一室を照らし出し、より一層豪華な演出を引き立てていた。部屋の中央には、純白のクロスのかかったターンテーブル。その上には色とりどりの料理が並べられている。

 

 

ターンテーブルを囲うように座っているのはクリス、マルギッテだ。

 

 

そして二人の間に座る、威厳のある男――――クリスの父親でありドイツ軍の中将、フランク=フリードリヒである。

 

 

三人は料理に舌鼓をしながら、久しぶりの外食を楽しんでいた。

 

 

「こうして食事をするのは久しぶりだな」

 

 

料理を口に運びながら、クリスとの食事を喜ぶフランク。クリスもそうですね、と笑う。

 

 

外食はクリスの提案である。フランクもクリスから誘われた事が余程嬉しかったのか、勢い余って高級レストランまで予約をしていた。クリスは普通の店でいいと言ったのだが、そのフランクの気持ちは嬉しかった。

 

 

「ところでクリス、怪我の具合はどうかね?」

 

 

クリスが負傷した事は、当然フランクの耳にも届いていた。クリスは軽傷で済んだと説明しているのだが、フランク自身、心配で夜も眠れないのだとか。

 

 

「怪我の方は、なんとも……」

 

 

日常生活に支障はない、とクリス。フランクもそうかと言って納得したものの、内心はまだ心配しているに違いない。自分の娘が傷を負ったのだ、親ならば黙っていられるわけがない。そもそも、自分の過信が招いた事なのだ……クリス自身にも責任はある。

 

 

「お前の様子については、マルギッテから報告を受けている。学園生活の方は上手くやっているようだな」

 

 

「ええ、まあ……」

 

 

クリスが学園生活を満喫している事に何よりだと喜ぶフランクだが、それに対し、クリスは生返事をするばかりだった。折角父親との外食だというのに、楽しめない。

 

 

(…………)

 

 

唐突に、ジータとフールの言葉が蘇る。クリスの視線は食べかけの料理に向けられていた。食欲がないというわけではないのだが、思わず手が止まってしまう。

 

 

「浮かない顔だな、クリス。何かあったのか?」

 

 

クリスの様子が気になったフランクが声をかける。食事が口に合わなかったのだろうか……クリスはフランクの声に気づき、ようやく返事を返す。

 

 

「あ……いえ、何でもないです」

 

 

考え事をしていたのか、フランクの声がかかるまでクリスの意識は上の空だった。学園生活で何かあったのか……それ以外考えられないとフランクは解釈する。

 

 

「まさか……学園でイジメを受けているのか!?許せん!クリスを泣かせる外道は、我が軍が殲滅する!!!」

 

 

激昂したフランクは携帯を取り出すと、ドイツ軍本部へ連絡し、日本へ派遣命令を下そうと立ち上がろうとした所、クリスとマルギッテがが引き止めた。イジメなどない。そもそもあったとしても、クリスの戦闘力と性格からしてそれはあり得ない。

 

 

「………ならば、一体どうしたというのだ?」

 

 

学園生活も充実し、何不自由なく生活をしているというのに。クリスに何があったというのか。だがクリス自身、その理由がうまく言い出せずにいた。

 

 

知っている。分かっている。ただフランクを食事に誘ったわけではない。その本当の理由は、別にあるのだから。

 

 

ジータとフールから聞かされた、紛争で起きた出来事。それが真実なのか否かを、直接フランクに聞き出す為に、クリスはここにいる。

 

 

勿論、それが真実とは思えない。思いたくもない。だが聞かなければ、フランクへの疑念が晴れることはない。自分の父親に疑念を持ったまま接するのは、堪らなく嫌だった。

 

 

だからこそ、問わなければならない。二つの国で起きた紛争の真実の全てを。

 

 

「……父様、聞きたい事があります」

 

 

意を決し、クリスは重い口を開いた。真実を知る事に恐怖し、僅かに唇が震える。

 

 

言葉にしようとする度に、ジータの顔が脳裏をよぎる。あの憎しみに染まった、彼女の顔を。

 

 

間違いだ――――間違いに決まっている。フランクから全てを知り、間違いだったとジータに伝えればそれでいい。それで何もかもが解決する。

 

 

「父様は昔、二つの国で起きた紛争の事は……知っていますよね」

 

 

それは銃弾と兵器が飛び交い、多くの人々の命が失われた、二つの国の大きな紛争。無論、軍人であるフランクが知らない筈がない。フランクはうむと首を縦に振ると、まるで遠い過去の記憶を掘り起こすように、思い返す。

 

 

「ああ、勿論だとも。あれは本当に悲劇と言わざるを得なかった。あの業火に焼かれた光景は、今でも覚えているよ」

 

 

まだクリスが幼かった頃の話。

 

 

フランク率いるドイツ軍は、紛争の鎮圧に赴いていた。燃え盛る業火の中で、そこで多くの人々を救い、犠牲者も最小限で済んだとフランクは話す。もう二度とあんな紛争は起きてはならないと、そう切に願いながら。

 

 

そう。それが紛争の――――フランクの真実。だが、そこまではいい。クリスが知りたい真実は、更にその先にある。

 

 

緊張と恐怖からか、クリスの心臓の脈が速くなる。このまま話を終わらせてしまいたい。それならばどんなに楽な事だろう。

 

 

しかし、それでは意味がない。逃げてはならない。クリスには娘として、家族として。真実を知る義務がある。

 

 

「では……その二つの国の間の小さな国に……村があった事も、知っていますか?」

 

 

ようやく口から出す事ができた言葉。ジータの村で起きた出来事。するとフランクは意外に思ったのか、少し驚いたような表情を見せたが、すぐに表情を戻した。

 

 

そして、クリスが最も聞きたくなかった言葉が、フランクの口から聞かされる事になる。

 

 

「ああ……村は殆ど焼かれてしまったよ。だが村の住人の殆どは、奇跡的に助かったがね」

 

 

―――――――。

 

 

ほんの一瞬だけ、クリスの時間が止まった気がした。

 

 

気のせいだろうか。フランクの口からは村人は殆ど助かったという。おかしい。何か引っかかる。何故ならジータの村の住人は、紛争で亡くなっているからだ。

 

 

真実が矛盾する。クリスの中で混乱が起きる。落ち着けと自分に言い聞かせながら、冷静に全ての情報を整理する。

 

 

フランクは村の住人は殆ど救助されたという。しかし、ジータの話では皆亡くなり、生き残ったのはジータの兄と、ジータを含んだ二人だと聞かされた。どちらが真実なのだろうか。

 

 

クリスはさらに質問を投げかけた。

 

 

「……人、ですか」

 

 

今にも消えてしまいそうなクリスの小さな声。視線は自分の足元へと注がれていた。ここから先は、もう後戻りできない、そんな気がして。

 

 

「………?すまない、クリス。よく聞こえなかったんだが」

 

 

フランクの顔を直視できない。今まで気を使い、親子の会話を黙って聞いていたマルギッテも、クリスに呼びかけている。

 

 

これが最後の質問だ……クリスはすぅと息を吸い、震えた声でもう一度フランクに投げかけた。

 

 

「……何人、助かったんですか?」

 

 

―――――――。

 

 

その瞬間、室内に沈黙が訪れた。クリスはもう、フランクの表情を見る事ができなかった。ただ視線を落とし、フランクの回答を待つばかりである。

 

 

そもそも助かったのならば、何を躊躇う必要があるのだろう。全員助かったと言えば済むはずだ。フランクが何かを隠そうとしているのではないか。沈黙が続けば続く程、クリスの中で疑念が膨れ上がっていく。

 

 

そして、その長く感じていた沈黙がようやく破られた。

 

 

「クリス……何故そのような事を聞く?」

 

 

フランクの声色が少しだけ低くなっている事を、クリスは感じ取った。これでクリスは確信する……フランクは何かを隠している、嘘をついていると。

 

 

自分の尊敬する父、フランク。誇り高き軍人。信じたかった。それなのに……裏切られた。今のクリスには恐怖よりも、怒りが勝った。父親に対し、初めて怒りの感情が芽生え始める。

 

 

もはや躊躇いも、恐怖心も拭い去られた。あるのはただ純粋な怒り。クリスの感情が、徐々に静かな怒りを露わにしていく。

 

 

「……父様こそ、どうしてすぐに答えてくれないのですか?」

 

 

怒りに震えたクリスの声。もはや、この怒りは止められない。抑えきれない。尊敬していた父親だけに、これ以上ないくらい許せなかった。俯いていた顔を上げ、クリスはフランクを睨み付ける。

 

 

「あの村の住人達は……皆、業火に焼かれて命を落とした!助かったのは……本当は二人だけだった!違いますか!?」

 

 

声を荒げ、テーブルに手を叩きつけながら問い詰めるクリス。感情が荒ぶったクリスを……何より父親に対し怒りを露わにするクリスを見るのは、フランクも、マルギッテも初めてであった。

 

 

「お嬢様、落ち着いて下さい!一体どうしてしまったのですか!?」

 

 

突然の事に戸惑いを隠せないマルギッテ。だがしかし、フランクは冷静であった。

 

 

「クリス、何故その事を……」

 

 

「自分は、あの紛争で生き残った人物から話を聞きました。あの村は――――あの村の人達は、父様に見捨てられたと!」

 

 

クリスはさらに声を荒げる。フランクの口ぶりからして、ジータから聞かされた事はほぼ事実に違いない。だが、その事がさらにクリスの感情を高ぶらせていく。

 

 

何故、隠そうとしていたのか。何故本当の事を話してくれないの、分からない。

 

 

だがその反面、クリスはフランクを信じたかった。嘘だと言ってくれと心が叫んでいる。クリスの中で、どこかで希望を求めていたのかもしれない。

 

 

だが、その希望さえも。こうも簡単に消えてしまおうとは。

 

 

「――――残念だがクリス。その件については軍事機密だ。いくら親子といえども、これ以上話す事はできない」

 

 

「え―――――」

 

 

フランクからの回答は、それで終わった。“軍事機密”という、ただそれだけの理由で。

 

 

今まで渦巻いていた感情の全てが、真っ白になって消えていく。怒りも何もかも、全て。そして、父親に対する感情さえも。クリスはそのまま力なく、椅子に座り込んでしまった。

 

 

しばらくしてフランクは腕時計を確認し、すまないが時間だと言って席を立った。クリスとマルギッテに背を向け、部屋から出ようと足を進める。

 

 

「あ、待って―――――」

 

 

遠ざかっていくフランクの姿を追おうとクリスは席を立とうとするが、力が入らない。

 

 

すると、フランクは最後にこんな言葉をクリスに残した。

 

 

「クリス――――――これは大人の問題だ」

 

 

それは、クリスとフランクの家族関係ではなく、子供と大人という越えられない関係を示した言葉だった。要するに、大人の話に口を出すなという事だろうか。どちらにせよ、拒絶された事実だけは動かない。

 

 

フランクが出て行き、クリスとマルギッテだけが残される。ただあるのは静寂のみ。

 

 

「お嬢様……」

 

 

意気消沈してしまったクリスに声をかけるマルギッテ。だがクリスには反応がなく、まるで魂の抜け殻のようにも見えた。

 

 

「マルさんは……マルさんは何か知っているんですか」

 

 

突然、ぼそりと小さく呟くクリス。そして急にスイッチが入ったように立ち上がり、マルギッテにすがり付き始めた。

 

 

「教えて下さい!父様は……父様は本当に……あの村を見捨てたのですか!?」

 

 

何度も、何度も。クリスは救いを求めるようにマルギッテに訴える。その目には父親に裏切られた悲しみと、父親を信じたいという気持ちが入り混じっていた。マルギッテは口を開こうとしたが……フランクの言葉が脳裏を過る。マルギッテはクリスから目を逸らし、

 

 

「申し訳ございません、お嬢様……軍事……機密です」

 

 

フランクが口にした事と、同じ言葉を口にしたのだった。クリスは絶望し、マルギッテにつかみかかっていた手を話すと、がっくりと膝を崩して項垂れた。

 

 

フランクも。そしてマルギッテさえも。真実を教えてはくれなかった。それはジータとフールの言う通り、本当に村を見捨てたという事なのだろうか。

 

 

クリスの理想が……誇りが、何もかもが消えていく。父親への思いが濁り、真っ黒になっていく。何色もの色が混ざり、もう何の色なのかさえ、分からないほどに。

 

 

 

 

――――――全てが、儚く消える。クリスの信じる、己の“義”の心と共に。



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70話「侵された学園」

”――――貴方はフランク=フリードリヒをご存知ですか?彼女はそのフリードリヒ家の人間……貴方の村を見捨てた、あの男の実の娘です”

 

 

唐突に聞こえ出す、言葉の断片。

 

 

”――――確かに紛争は鎮圧した……貴様の父親の活躍でな。だが、代わりに私達の村は殺された……私は決して許しはしない。あの男を――正義を騙る偽善者を!”

 

 

言葉は一向に止まない。耳を塞いでも、頭の中へと流れ込んでいく。

 

 

”――――残念だがクリス。その件については軍事機密だ。いくら親子といえども、これ以上話す事はできない”

 

 

その言葉の一つ一つが、空虚になった心に反響する。これは贖罪なのだろうか。それとも。

 

 

罰を与えるように、何度も繰り返し再生される。もうそれ以外は何も聞こえない。

 

 

今、残されているものは虚無。空っぽの心。もはや何を信じればいいのか、分からない。

 

 

全ては、深い深い闇の中。

 

 

 

 

 

「―――――おい、クリス!」

 

 

「―――――!?」

 

 

クリスを呼ぶ華の声が、クリス自身の意識を呼び戻した。一体どれ程の時間が経ったのだろう。どうやらクリスは椅子に座ったまま、何をする事もなく放心していたらしい。

 

 

「あ……その………すまない」

 

 

考え事をしていたと、クリス。しかし今のクリスの状態からして、とても考え事をしていたようには見えなかった。

 

 

「お前……大丈夫かよ?今日一日、ずっとその調子じゃんか」

 

 

「そ……そう、なのか?」

 

 

クリスの反応に、華ははぁと溜息をついた。意識がまだ追い付いていないようだが……かといって、クリスが居眠りするとも思えない。

 

 

「まあ、いいや……ところでさ、さっき千花から妙な話を聞いたんだよ」

 

 

「妙な……話?」

 

 

「ああ、実はさ―――――」

 

 

 

 

 

放課後、場所をファミレスへと移した華とクリス。クリスは千花から聞いた華の話に、耳を傾けていた。

 

 

「学園で……怪しい奴が?」

 

 

華の話によると、深夜に学園内で変質者が現れ、女子更衣室のロッカーを荒らすという事件が発生しているらしい。偶然学園を通り掛かった女子生徒が、学園から怪しい人影が出て行ったのを目撃したのだとか。

 

 

そしてその翌日、女子行為室のロッカーが荒らされていたのだという。

 

 

幸い盗まれたものはないが、その日を境に頻繁になっている為、生徒達は不安を隠せないようだ。

 

 

「女子更衣室を荒らすとは………許せんな」

 

 

何が目的かは知らないが、不法侵入した上に物色とは許せない行為。すぐに対処すべきだ。すると、華が一つ提案があると話を切り替える。

 

 

「そこで、だ。アタシ達でその犯人をとっ捕まえようぜ!」

 

 

犯人を捕まえる為に、協力して欲しいのだと言う。ちなみに依頼も受けてしまったらしい。これも世の為人の為と豪語する華だったが、クリスの目は誤魔化せなかった。

 

 

「どうせまた、報酬目当てだろう?」

 

 

「あ、いやその………別にアタシは、ケーキバイキングの無料券が欲しくて、請け負ったわけじゃないんだからな!」

 

 

要するに、報酬目当てだった。飽きれた奴だとクリスは肩を落とすが、変質者を野放しにするわけにはいかない。クリスは快く華と協力をする事にした。

 

 

「――――話は聞かせてもらったぞ」

 

 

突然、どこからともなく声が聞こえてくる。声はクリス達の席の向かい側からだった。

 

 

現れたのは変装のつもりなのか、サングラスと帽子を被った由香里と、申し訳なさそうに畏まる由紀江。そして、何やら面白そうと興味を示している京の姿だった。

 

 

「ゆ、ゆかりんにまゆっち!?京まで……!」

 

 

都合が悪そうな表情を浮かべる華。察するに、この依頼は少人数の方が良いらしかった。だが話を聞かれてしまった以上、引き下がるとは思えない。特に由香里と京は。

 

 

「華。もしかしてそのチケット、最近できた美味しくて有名な店の奴だよね?」

 

 

私も行きたいと思っていたんだ、とニヤニヤ笑う京。

 

 

「す、すみません!聞くつもりはなかったんですが………」

 

 

頭を下げる由紀江だが、その割りにはちゃっかりと聞いているじゃないかと、この場にいる誰もが思っただろう。

 

 

「私はチケットに興味はないが……クリスが行くなら是非私もイキたい、いや行きたい!」

 

 

協力しようと言いつつも、何やら危険な事を考えている由香里。どうやら是が非でも参加するつもりでいるようだ。

 

 

このまま追い返したら京の事だ、何をするか分からない。断った次の日には“華は虐められて罵られて感じて濡れてしまう、超変態ロリコン雌豚奴隷です。皆さん、可愛がってあげて下さい”と学園中に変な噂を流されかねない(ちなみに間違いではない)。

 

 

「わ……分かったよ!けど、これ以上は誰にも言うなよ?」

 

 

報酬が少なくなるからなと華は念を押し、渋々承諾したのだった。貰える報酬は分割されてしまったが、クリスに加え由香里と由紀江、京がいるとなると心強い。

 

 

これで華を筆頭に、クリス、由紀江と由香里。京が加わった。依頼決行は深夜。夜の学園を舞台に、彼女達は今動き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

そして決行時間、深夜帯の学園内玄関。

 

 

華と京、クリス、由香里は川神学園へと忍び込んだ。そもそも真夜中に学園に侵入する事自体、変質者と見られてもおかしくはない。これで自分達が捕まれば笑い話だなと華は苦笑いする。

 

 

「私達はともかく、華は元々変質者だから捕まっても大丈夫だと思うよ」

 

 

だから心配ないよ、と京。

 

 

「まあ、そうだよな。実際アタシはカーチャ様に叩かれて蔑まれると興奮して、そりゃあもう身体が毎日疼いてさ――――って、何言わせんだよ京!?」

 

 

京の直球発言に、顔を真っ赤にしながらツッコミを入れる華。一瞬認めてはいるもの、考えてみれば人に知られてしまうとやはり恥ずかしい性癖である。とはいえ、変態である事には変わりないのだが。

 

 

「よ、よし。んじゃあ気を取り直し……ってあれ、まゆっちは?」

 

 

今更になって気づく華。そういえば、由紀江の姿が見当たらない。出遅れたのだろうか……真面目な性格の由紀江に限って、それは信じられない話なのだが。

 

 

すると、由香里がその事についてなんだがと話を切り出した。

 

 

「ゆっきーなら、その……寝込んでしまった」

 

 

由香里の話によると、出発する前に寝込んでしまい、とても外出するような状態ではなかったので同行できなかったのだという。京とクリスも寮が同じなので事情を知ってはいるが……一体何があったのかを訪ねると、由香里は言いにくそうにしていたが、ようやく説明を始めた。

 

 

「じ、実はだな……」

 

 

 

 

 

出発前の出来事。

 

 

部屋で学園へ向かう準備を整え終えた由紀江と由香里。準備は万端、後は時間を見て寮から出るばかりである。

 

 

「ゆっきー。準備には念を入れた方がいい」

 

 

正座して待機していた由香里が腕を組み、この準備では物足りないと言わんばかりに由紀江に抗議する。由香里の表情は真剣そのものだった。

 

 

「この先、一体何があるか分からないし……何があってもおかしくはない」

 

 

それは、サーシャ達が敵対するアデプトの事だろう。学園にどんな敵が潜んでいるかわからない。万が一相手がクェイサーだとしたら、返り討ちどころか命を落とすかもしれないのだ……由香里の言う事も最もである。

 

 

「由香里……そうですね。でも、他にできる準備は――――」

 

 

突然、由紀江の身体が由香里によって、敷いてあった布団へ仰向けに押し倒される。由紀江は何が何だか分からず困惑していたが、これから何が起ころうとしているのか……何となくだが想像はついていた。

 

 

「あ、あの……由香里?」

 

 

「もちろん、聖乳(ソーマ)の補給だ!」

 

 

「えっ!?あの、ちょ、ちょっと待って………由香―――あうぅっ!?」

 

 

由紀江の制止も虚しく、由紀江の着ていた服は剥かれ、下着も取り去られた。露わになった乳房に由香里の唇が触れる。その瞬間、彼女の聖乳の吸引が始まった。

 

 

激しく吸われていく由紀江の聖乳。いつにも増して由香里の吸引は激しかった。そして由紀江は吸われれば吸われる程、さらに意識ごと吸われていくような不思議な感覚に襲われる。

 

 

由紀江の全てが吸われていく。由紀江の中にあるものが、由香里の身体に取り込まれていく。この感覚に耐えきれず、由紀江は暴れ狂いそうになるが、僅かな理性がそれを制止させる。

 

 

 

しばらくして、由香里の聖乳の補給がようやく終わる。由紀江にとっては、とても時間が長く感じたに違いない。

 

 

「んく……これだけ吸っておけば、しばらくは保つだろう。よし、そろそろ出ぱ―――ん?」

 

 

口についた聖乳を手で拭いながら、放心している由紀江を見下ろす由香里。だが、肝心の由紀江は放心どころか、頬を赤らめながら意識を失っていた。身体を小刻みに震わせ、何度も小さな息を漏らしている。

 

 

「あ……ゆっきー?」

 

 

気を失った由紀江に、恐る恐る声をかける由香里。しかし反応はない。身体を揺さぶっても、頬にキスをしても、何をしても起きる気配はなかった。

 

 

「…………」

 

 

由香里は考える。この状態の由紀江が同行させるわけにはいかない。何より由紀江に危険が及ぶ。ここは休んでもらった方が安全だろう。そう思った由香里は由紀江の洋服を元に戻し、そっと布団をかけると、小さくすまないと言って部屋を後にするのだった。

 

 

 

 

 

「―――――とまあ、こんな所だ」

 

 

一通りの説明を終えた由香里。都合が悪くなるような肝心な部分の説明が省かれている。少なくとも分かった事は、由紀江が聖乳を吸われ過ぎて絶頂し気絶してしまったという事実だけである。

 

 

由紀江が来なくなった原因はそれかと呆れ返る京とクリスだったが、華だけは身体――――特に胸の辺りが敏感に何かを感じ取った。同じく吸われる身であるが故の共感作用という奴だろう。

 

 

「と、とにかくここにいてもしょうがねーし、早いとこ変質者をとっ捕まえ――――おっ?」

 

 

突然、何かが落ちたような音が校舎内に鳴り響き、華達のいる場所まで反響する。華達は音がした方角へと顔を向けた。

 

 

廊下の奥へと続く暗闇。照らしているのは緑色に点灯した非常口のランプのみで、それがかえって不気味さを演出している。

 

 

変質者が現れたのかもしれない……華達は互いに頷くと、懐中電灯のスイッチを入れ、廊下の奥へと足を踏み入れた。

 

 

薄暗い廊下を進み、周囲を見渡しながら警戒して歩く華達。程なく歩き続けると、男子トイレと女子トイレの入り口が見えた。

 

 

「………?」

 

 

それは、ほんの一瞬だった。人影のようなものが女子トイレへと駆け込んでいく。その姿は僅かだったが、華達は見逃さなかった。人相は暗くて見えないが、間違いなく人間である。

 

 

「見つけたぜ、変態野郎!」

 

 

「あ、待って華――――!」

 

 

逃がすかよと言わんばかりに、華が一目散に駆け出した。声をかける京だったが、今の華には変質者=報酬しか見えていないだろう。耳を傾ける筈もない。

 

 

本当に変質者かは定かではないが、こんな時間帯に、しかも女子トイレに駆け込むとなるとますます怪しい。華は勘を頼りに女子トイレへと入っていく。

 

 

が、次の瞬間。

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああ!?」

 

 

女子トイレから華の絶叫が鳴り響いた。言わんこっちゃない、と京とクリス、由香里。まだ変質者とも決まっていない上、相手がどんな人間かすらも判断できないのだ。迂闊に飛び込めば、何が待ち受けているか分からないというのに。

 

 

華に続き、京達も女子トイレへと駆け込んでいく。華に危険が迫っている……中へ入ると、華が持っていた懐中電灯が床に転がっていた。

 

 

そして、女子トイレの奥で京達を待ち受けていたものは―――――。

 

 

「……………」

 

 

宙吊りにされ、赤い人形らしき物体に身体を縛られた華の姿だった。その異様な光景に、京達も思わず言葉を失った。恐怖とはまた違う、別の意味で。

 

 

何故なら危機感もなければ緊張感もない、華の本質的な姿がそこにあったからである。

 

 

「あーーーーー!!た、助け………いや、やっぱり助けないでぇ!やっ!?あんっ!?痛いっ!?叩かないで!あ、でもやっぱり、叩いてえええぇぇぇぇぇえーーーーーーー!!!」

 

 

痛みと快楽の狭間を行き来しながら叫ぶ華は、幸せそうであった。人形から伸びる、赤い線状のものによって身体中に鞭打ちを受け悦びを得ている華を、変態と言わずしてなんと言おう。もういっその事、華が変質者ですと突き出して終わりにしてしまいたいと京達は思うのだった。

 

 

そして、華を捉えているあの赤い人形。京達には見覚えがある。そう、見間違える筈がない。カーチャの操るアナスタシアである。アナスタシアがいるとなれば、当然カーチャも近くにいる筈だが、カーチャの気は感じられない。

 

 

「一体誰かと思えば………何してるのよ、あんた達」

 

 

背後から聞こえてくる、幼き少女の声。京達が振り返った先には、女子トイレの入り口に立つ小さな少女の影。気配を消して何かを待っていたのだろうか……そこにはカーチャの姿があった。

 

 

 

 

 

カーチャと華達はその後、女子トイレから空き教室へと移動する。

 

 

「それで?お前はくだらないチケットの為に、変質者とやらを捕まえるつもりでいたわけ?笑わせるじゃない。誰が一番変質者か分かってるくせに。ほら、答えなさいよ。変質者は一体どこにいるのかしら?」

 

 

アナスタシアに捕縛された華に手にした鞭を放ちながら、さらに罵倒を浴びせるカーチャ。その度に華は歓喜して恍惚の表情を浮かべる。

 

 

「は、はい!ここです!!ここにいます!あたしが変質者です!!ど、どうかカーチャ様、あたしにご褒美……じゃなくて罰を与えてくださいぃぃ!!!」

 

 

もはや傍観している京達の視線すらも気にならない。カーチャのご褒美という名の罰を身体に受けながら、華はただ悦びを貪り続けている。彼女のマゾヒズムは、止まる事を知らない。このまま変質者として捕まえられてもいいと思うくらいに。

 

 

すると、痺れを切らしたクリスがカーチャと華のやり取りに割って入る。

 

 

「二人ともこんな事をしている場合か!こうしている間にも、変質者が校内に潜伏しているかもしれないのだぞ!?」

 

 

少しは気を引き締めろ、と叱責するクリス。カーチャはふんと鼻であしらうと、鞭をしまい机の上にポンと座り込んだ。

 

 

「まあ、あんた達がいるのは予想外だったけど、雌奴隷が使えなくなったからちょうどいいわ」

 

 

このまま華を連れていくと、カーチャ。どうやらカーチャもマリア(奴隷)も同行させるつもりだったらしいが、何か事情があったのか、現在はカーチャ一人である。恐らくだが、カーチャの奴隷も由紀江と同じような境遇にあったに違いないと、京達の勘がそう働かせていた。

 

 

「ところで、“変質者”とやらを探しているようだけど……仮にその“変質者”を捕まえたとしても、根本的な解決にはならないわよ?」

 

 

先に忠告しておくわ、とカーチャ。まるで何か知っているかのような口ぶりである。

 

 

否、実際には知っているのかもしれない。それにカーチャがいるという事は、少なからずアデプトが絡んでいる可能性が高い。

 

 

知っているのならば、詳しい状況を聞きたかった……だがそれも束の間、この空き教室の外から感じる気配によって打ち切られる事になる。

 

 

空き教室の扉が開き、その気配の主達がニヤニヤと笑いながら入り込んでくる。肩に刺青の入った人相の悪い男達が数人。恐らく学園に侵入していた例の変質者達だろう。

 

 

「ようよう。こんな夜中に何してんの?」

 

 

「もしかして、肝試しとか?んなことよりさ、俺達ともっとゾクゾクする事しね?」

 

 

ひひひ、と下品に笑う男達。漫画やドラマに現れるような、いかにも悪人である彼らはカーチャ達を舐め回すように眺めている。どうやら男達は彼女らに手を出すつもりでいるようだ。

 

 

「一応聞いておくが……お前達の目的はなんだ?」

 

 

もうこの手の悪党は見飽きたと言わんばかりに、クリスは腕を組みながら男達に問いかけた。すると、男達の内の一人がゲラゲラと笑いながら答える。

 

 

「何だ何だオイ、答えたらパンツでも脱いでくれんのかよ?」

 

 

その解答に、どっと笑い出す男達。そして呆れて怒りの感情すらも湧き上がらないクリスとカーチャ達。もはや酌量の余地もない。そしてこの時点で、彼らが変質者であると断定した。

 

 

後は、粛清するのみ。

 

 

「――――いや、その答えだけで十分だ」

 

 

これで裁きを下す理由ができたと、先に動いたのは由香里だった。由香里はいつの間にか男達の背後に回り、男達が遅れて後ろを振り向いた時にはもう、全てが終わっていた。

 

 

男達は断末魔もあげないまま、床に倒れ伏せている。由香里が手刀で首筋を打ち、気絶させたのだろう。僅か数秒足らず。粛清は一瞬にして終わりを告げた。

 

 

「武器を取るまでもないな。パンツを被って出直してこい!」

 

 

「何というひどい決め台詞……」

 

 

決め台詞を放ってドヤ顔をする由香里と、ツッコミをいれる京。余計な一言で何もかもが台無しであるが、由香里の活躍によって事件は解決した。

 

 

後はこの男達を警察に突き出して、依頼終了。あっけない終わり方であった。これで事件は完全に解決……したかに見えた。

 

 

「………な」

 

 

突然、さっきまで倒れ伏せていた男達が立ち上がり出したのである。加減が甘過ぎたかと少し驚く由香里だが、そう簡単に意識を戻すとは思えない。

 

 

しかし男達の様子は先程とは違い、表情は一変し、まるで理性を無くした獣のような目で由香里を睨んでいた。涎を垂らし異様な気を漂わせているそれは、まさに獣という一言に尽きる。

 

 

「……パンツ……ぐへへ……よこせぇ!」

 

 

「女……犯す……!」

 

 

精神状態が明らかに異常を起こしている。元々異常ではあったものの、さらにその異常さが増していた。これは普通ではないと、気を緩めていた京達は身構える。

 

 

そして、男達の首筋や肩に光り出す怪しげな紋章。紋章は黒と紫の入り混じったような色の煙を揺らめかせ、まるで男達の欲望を表すかのように怪しく光を放っていた。

 

 

怪しげに光る紋章。あれは間違いなく、川神市に蔓延る謎の元素回路(エレメンタル・サーキット)である。

 

 

「例のサーキットね……しかも操られてる」

 

 

ち、と舌を打つカーチャ。男達は本能のままに動いている。元素回路の影響で、本能が更なる欲望を呼び、もはや人間としての知性さえも失ってしまった獣の成れの果て。カーチャ達には彼らがそう見えてならなかった。

 

 

今の男達は普通ではない。それ以上に、“異端”である。その現実がカーチャ達に突きつけられていた。元素回路によって狂気と化した彼らには、話し合う余地すらもないだろう。

 

 

もとより、カーチャ達は話し合うつもりもない。立ちはだかる敵は、全て打ち倒すのみ。

 

 

「肩慣らしにはちょうどいいかしら――――華、いくわよ!」

 

 

「は、はい!」

 

 

カーチャの呼び声に答え、縛り上げていた華を下ろしアナスタシアが動き出す。

 

 

「お前達の血は―――私が銀色に染める!」

 

 

「クリスティアーネ=フリードリヒ、参る!」

 

 

「椎名京、行くよ!」

 

 

由香里、クリス、京もそれぞれ武器を手に戦いへと身を投じる。負けるわけにはいかない。自分達が過ごす学び舎を……日常を、守る為に。

 

 

深夜の学園を舞台に、異端との対峙が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

一方、学園の別の教室。

 

 

薄暗い闇に包まれた伽藍堂の教室。唯一の照明は、窓から照らし出される月明かりだけである。

 

 

その教室の教卓に足を組んで座り込み、不気味に笑う少女が一人。少女の人差し指には糸が巻き付けられ、糸の先には不気味な濃い紫色の光を放つクリスタル―――ペンデュラムがゆらゆらと揺れている。そのクリスタルの中には黒い紋章が浮かんでいた。

 

 

「あっはっはっは……!マロードって奴も、なかなか面白い玩具(おもちゃ)くれんじゃん!」

 

 

まるでプレゼントに喜ぶ子供のように、ペンデュラムを何度も揺らしながら無邪気に笑う少女。否、無邪気という言葉は似つかわしくない。“邪気”と呼ぶ方が何よりも相応しいだろう。

 

 

「さぁて………せいぜい楽しませろよな、雌豚どもおおぉぉ!!」

 

 

そう、彼女―――エヴァのクローン体であるV(ファオ)にこそ、与えられるべき称号なのだから。



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71話「異形-Variant-」

元素回路(エレメンタル・サーキット)によって狂化された男達が一斉にカーチャ達に襲いかかる。男達にはもう、目の前の獲物しか視認できていない。

 

 

捉え、暴力でねじ伏せ、そして犯し尽くし、更なる欲望を生み出す獣。力の象徴であり、そこには人としての理性はなかった。

 

 

だが、たとえ力を得たのだとしても、カーチャ達に敵う道理などありはしない。

 

 

「バカの一つ覚えね―――――ママ!」

 

 

何の戦略もなく、猪突猛進に向かってくる男達。その姿は酷く滑稽だと嘲笑うカーチャ。カーチャが操るアナスタシアは男達を迎え撃ち、無数の銅線で輪舞曲(ロンド)と言う名の洗礼を浴びせながら次々と葬っていく。

 

 

「近づくんじゃ―――――ねぇ!」

 

 

男の顎に強烈な蹴りを入れる華。男はそのまま勢いよく吹き飛ばされ、泡を吹きながら倒れ伏せる。ミハイロフ学園のある街で不良グループのリーダーをしていただけあり、喧嘩も人並み以上に慣れきっていた。

 

 

しかし迎撃してもすぐに、華の背後を狙う男が襲いかかる。華が振り返った時はもう、男は眼前まで接近していた。

 

 

だが、

 

 

「――――させないっ!」

 

 

京の放った矢の一撃が男の横顔に直撃し、男は華に一撃報いることなく沈黙した。華の接近戦と京の遠距離攻撃。隙のない連携である。

 

 

「いくぞ、クリス!」

 

 

「ああ!」

 

 

由香里とクリスも互いに背中を預けながら、剣戟で男達を薙ぎ払う。反撃すらも許さない程の彼女達の攻撃は、男達を一瞬にしてねじ伏せたのだった。

 

 

 

 

”――――――ほら、寝てないでさっさと立ちな”

 

 

 

 

倒れていた男達が再び立ち上がる。その表情は酷く虚ろで、感情の宿らない人形に命を吹き込まれ、ただ敵を倒す為だけの機械と化す。もはや彼らの動物的本能は既にない。

 

 

そして身体で不気味に光を放つ元素回路。その光は更に禍々しさを増しているように見えた。

 

 

考えられる事は一つ。男達を操っている何者かが、元素回路を使って使役している……それも、男達の意志とは関係なく、生命活動が停止するまで。まるで使い捨ての道具のように。

 

 

「く、これじゃあ………」

 

 

キリがない、とクリス。倒しても再び立ち上がり、何度もそれを繰り返す。身体が傷付いたとしても、そこに男達の意志はない。何故なら彼らは人形でしかないのだから。

 

 

「完全に息の根を止めるか、四肢でも切断しない限り止まりそうにないわね」

 

 

カーチャの冷酷な発言に、凍り付く京達。しかし、そうでもしなければ解決しない事もまた事実。ゾンビを相手にしているような物である。

 

 

「!?こいつら、さっきよりも力が………!」

 

 

男達の猛攻を受け止めつつ、再び剣戟で打ち払っていく由香里。だが、男達の力は先程よりも強さを増していた。恐らく元素回路の影響だろう。一子と同様、強制的に限界以上の力を引き出されているに違いない。

 

 

このままでは男達の身体が悲鳴を上げ、破壊されていくのは目に見えている。仮に拘束できたとしても、腕を引きちぎってでも立ち上がるだろう。操られている以上、彼らも被害者なのだ。変質者とはいえ、殺す道理はない。

 

 

「ここから出て、本体を探し出すわよ」

 

 

止めるには、それしかないとカーチャ。このまま戦いを繰り返していても時間の無駄である。ならば本体を探し出すしかない。カーチャ達は一度男達を全て殲滅させると、教室から脱出し学園内を奔走するのだった。

 

 

(…………ん?)

 

 

その最中、クリスはふとある物に気づく。この教室を出る直前、窓の向こうにある向かい側の学園の窓が一瞬だけ光ったような気がした。遠い距離からでの視認であった為定かではないが、何かあるとクリスの勘がそう告げていた。

 

 

「自分は向こう側から調べる!」

 

 

廊下へと出たクリスはカーチャ達と離れ、別行動を取る事を選択した。この状況を打開できる突破口を見つけられるかもしれない。

 

 

「なら、二手に分かれよう!」

 

 

一人じゃ危険だ、と由香里。状況が把握できていない今、単独行動は自殺行為である。何が起こるか分からない上、傀儡された男達が追いかけてくるのだ………クリスは頷くと、由香里と共に廊下を走り出した。カーチャ達もそれと同時に反対の方向へと足を向ける。

 

 

クリスと由香里。そしてカーチャと華、京はそれぞれ動き出した。サーキットを傀儡している本体を探し出す為に。

 

 

 

 

 

一方、学園に潜伏していたV(ファオ)

 

 

教卓に座り込みながらペンデュラムを弄んでいた。しかし飽きがやってきたのか、大きく溜息をつくと持っていたペンデュラムを首にかける。

 

 

「………やっぱつまんねぇわ」

 

 

直接痛ぶるほうが相に合う、とV。Vの性格上、他者を操作する戦い方は気に入らなかったらしい。興味本位で使っては見たものの、面白かったのは最初だけのようだった。

 

 

後は何もせずとも、勝手に男達を傀儡するだろう。ペンデュラムへの興味は完全に失せてしまっている。Vはつまらなそうに教卓から投げ出した足を動かしていた。

 

 

「―――――随分と退屈そうだな」

 

 

だが、空き教室内に響いたV以外の声と気配によって、その退屈は打ち破られた。

 

 

Vは教室の入り口へと目を向ける……そこにいたのはクリスと由香里であった。手分けして居場所を嗅ぎつけてきたのだろう。しかしVは驚きはしなかった。むしろ彼女らが現れた事により歓喜している様子である。

 

 

ようやく退屈を殺せると、彼女の欲望が疼いた。

 

 

「あっははは!餌が掛かったと思えば、騎士様気取りのお嬢様とババアの出来損ないかよ!」

 

 

狂い笑いながらクリス達に侮蔑の意味を込めた暴言で名指し、吐き捨てる。明らかに挑発としか思えない言動がクリス達を苛立たせた。しかし、挑発に乗ってしまえば相手の思う壺である。

 

 

「……あの男達を操っているのはお前の仕業か?V」

 

 

常に抜刀出来るように構え、Vに問いかける由香里。するとVはああ、これねと首にかけたペンデュラムのクリスタルを見せつける。

 

 

元素回路によって作られたペンデュラム。クリスが窓越しから見た光の正体。月明かりでクリスタルが乱反射して見えた物。Vの居場所も、その光のおかげで突き止める事ができた。

 

 

もう逃がさない――――クリスと由香里は身構え、Vを包囲する。

 

 

だが、何の目的で学園で騒ぎを起こしているのだろうか。少なくとも、エヴァやフールから何らかの指示を受けている筈である。

 

 

「貴様の目的は何だ?」

 

 

レイピアの先端を突きつけながら質問を投げるクリス。尤も、これで素直に答えてくれれば苦労はしないのだが。Vは相変わらずうざってぇと吐き捨てると、予想だにしない解答をクリス達に投げかけるのだった。

 

 

「はぁ?目的?んなもんねぇよ」

 

 

ただの暇潰しだと、そう答えたのである。目的はなく、自分の都合で他者を利用していたに過ぎないと。欲望を満たす為の玩具として。

 

 

あまりにも身勝手な理由で、心の底まで歪み切った欲望。クリスは自分の中で、憤怒の感情を煮えたぎらせた。彼女の行いは、決して許される事ではない。己が正義を以って、斬り伏せなければ―――クリスはレイピアの切っ先を向け、Vに宣告する。

 

 

「V……貴様の起こした非道、許しはしない!己が義を以って、成敗する!」

 

 

闘気を迸らせ、クリスの本能が叫ぶ。戦士として。騎士として。正義を貫く為に。

 

 

正義……聞くだけで虫酸が走るとVは吐き捨てた。正義感の塊であるクリスの存在自体が、彼女にとっては気に食わない。同時に、彼女の本能が潰せと命令する。

 

 

「正義正義って……マジでうっとおしいわ。正義だの悪だの、そんなくそ見てーな哲学に興味なんざねーんだよ!」

 

 

誰が正義で、誰が悪なのか。Vには興味はない。本能の赴くままに潰したいから潰し、犯したいから犯す。Vにあるのは、ただそれだけである。

 

 

クリスとは相反する存在のV。もはや諭す猶予もない。理解できないのならば、その身に刻み込むまで………そう、クリスの正義の刃によって。

 

 

「ならば、教えてやろう。自分の正義を!父様の正―――――」

 

 

その言葉を口にしようとした瞬間。クリスの思考が停止した。まるで息が詰まるような感覚がクリスを襲った。それはあまりにも突然過ぎる静寂の訪れ。その訪れは、クリスの闘気さえも、戦う意思さえも奪い去っていく。

 

 

"フランクの正義"。それはクリスの誇りであり、信念でもある。思考を止める理由などない。ただ、それを貫き通せばいい。

 

 

それなのに――――どうして。

 

 

「父……様の………」

 

 

クリスの心に、迷いが生まれてしまっているのだろう。迷いだけではない。追い打ちをかけるように、さらに恐怖心がクリスを塗りつぶしていく。

 

 

レイピアの持つ手が、震え出す。息が急に荒くなる。おかしい。こんな事、今までの一度もなかった筈なのに。

 

 

「クリス……どうした?」

 

 

クリスの異変に、由香里が声を掛ける。動揺しているようにも見えるが……一体クリスに、何が起こっているのだろう。

 

 

当然、Vも異変に気付いていた。闘気に満ちていたクリスからは、戦意が消えている。理由は分からないが、恐怖と動揺に染まったクリスの姿は酷く滑稽で、Vにとって愉快でならなかった。

 

 

「……はあ?父様ぁ?父様がどうしたって?」

 

 

クスクスと笑いながら、何度もVは繰り返す。まるで甘い蜜を啜るように。そして、じわじわと追い詰めるように。

 

 

このままでは、剣を握れない。戦えないという不安に支配される。クリスは強引に渦巻く感情を振り払い、Vに向かって力任せに叫んだ。

 

 

「父様の……軍人である、父様の"正義"と、"誇り"だ!」

 

 

信念を口にした事で、いくらか不安が和らいだような気がした。迷いと恐怖は消えたわけではないが、少なくとも戦う事はできる。これで剣を振るう事ができる。

 

 

すると突然。何を思ったのか、Vは吹き出しながら笑い転げた。

 

 

「……あっははははははは!マジ傑作!騎士様の父親が軍人かよ!!」

 

 

クリスの言葉に涙を浮かべながら笑いつづけるV。よほどおかしかったのか、腹まで抱えている始末。そのVの巫山戯た態度に、クリスは何がおかしいと怒号する。

 

 

「何がおかしいって?これが笑わずにいられるかよ!だってさ――――」

 

 

ふと、彼女の笑いが止まり、彼女のあどけない少女のような表情が悪魔へと切り替わる。そして、クリスを射抜くように視線を向けながら、

 

 

「軍人って―――――”人殺し”じゃん」

 

 

クリスにとって、最も致命的で残酷な言葉を向けるのだった。

 

 

軍人は人殺し。その言葉は、フランクに対する侮蔑の意味が込められ、クリスの掲げていた信念さえも容易く打ち砕いた。

 

 

まるで、正義は犠牲の上に成り立っていると。そう訴えかけているように。

 

 

「ち、違う!父様は人殺しなんかじゃない!」

 

 

否定をするも、クリスの信念は揺らいでいた。不安が一気に膨れ上がっていく。同時に、フランクに対する思いも、変わっていく。

 

 

Vの言葉はクリス―――フランクへの許し難い侮辱である。沸き起こる感情は怒り。それなのに、ある迷いがクリスの邪魔をし剣を鈍らせる。

 

 

そして、今まで思いもしなかったフランクへの感情が、心の奥底へ眠っていたかのように、疑念となってクリスへ訴えかけた。

 

 

 

”軍は……父様は、本当に―――――”

 

 

そこから先を、頭の中で強引にシャットアウトした。それは、フランクを人殺しと認めてしまうようなものだ。違う、違うと何度も自分で自分を抑え込み続けた。しかし、迷いや疑念は未だに消えないまま、クリスを苛ませている。

 

 

その一方、苦しむクリスを眺めるのは愉快でならないと笑うV。まだ苦しませたい。それ以上に苦しみを味合わせたいと、サディストの本能がVの感情を昂らせた。

 

 

もっと、彼女に苦しみを。Vは更なる行動に出る。

 

 

「だったらさぁ――――証明してみせろよ」

 

 

Vが掲げたペンデュラムが発光した瞬間、教室の天井、床。その隙間から湧き出るように銀色の液体―――水銀がVの背後へと収束する。水銀は銀に輝く光沢が月明かりに照らされ不気味に光り、収束を繰り返しながら徐々に形状を整えていく。

 

 

それはようやく形を成し、"異形"となってクリス達の前に姿を現した。

 

 

目や鼻。表情のない、人のような頭。異常に伸びた両腕。針のように尖った指。細い胴体と足。背中にはヒレのような物体が生えている。形状が不完全なのか、身体中は水銀が垂れ落ち、溶けているようにも見えた。

 

 

「なんだ………そいつは」

 

 

これがVが生み出した異形。それを目の当たりにし、クリスと由香里は言葉を失う。

 

 

今目の前にいるのは、人でもなければ動物でもない。そもそも、生物と呼べるのかさえも怪しい。あるのは殺意の塊。生けるもの全てを殺しつくす化け物である。

 

 

「―――――」

 

 

異形は何も言わず、ただVの背後で佇んでいる。Vの命令を待っているのだろうか。異形には目がないのにも関わらず、クリス達には見られているような気がした。まるで、獲物を狩る飢えた獣のように。

 

 

Vは証明して見せろと言った。それが何を意味するのかは分からない。だがこの異形を倒し、Vを退けない限りこの状況は変わらない。

 

 

迷っている暇などないのだ―――――クリスはレイピアの柄を強く握りしめた。今は戦うしか、開ける道はないのだから。

 



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72話「銀を穿つ雷《イカヅチ》」

「――――いけ!」

 

 

V(ファオ)の命令に、異形が反応を示す。異形は錆び付いた機械を無理に動かすように、身体を引き摺り動き出した。異形は長く伸びた右腕を高く上げ、鉤爪をクリスに向けて振り下ろす。

 

 

「そんなもの―――――!」

 

 

クリスは後ろへ後退し、異形の攻撃を回避する。異形の攻撃は大振りで、周囲にあった机が木屑鉄屑に変わっていく。あの攻撃に巻き込まれれば、只では済まないだろう。

 

 

しかし、見かけによらず動きは鈍く、避けるのは容易かった。攻撃が大振りな分だけ、その軌道も読み取りやすい。

 

 

相手は得体の知れない水銀の化物だが……勝機は十分にある。

 

 

「次はこちらの番だ!」

 

 

異形の攻撃の隙を突き、由香里が動き出す。床を蹴り上げ、異形との距離を一気に詰める。由香里の反撃は距離を詰めた時点で、既に始まっていた。

 

 

その神速の斬撃は、瞬く間に異形の右腕を斬り落とした。斬り落とした右腕は宙を舞い、形を崩して飛散していく。

 

 

あまりにも容易く、脆過ぎる。だが相手は水銀の塊で、しかも元素回路(エレメンタル・サーキット)によって強化された存在。それも自分と同じ元素なのだ……これで終わる筈がない。

 

 

「せやああああ―――――!」

 

 

しかし、攻めない道理はない。続けてクリスがレイピアを突き出し、異形の左腕目掛けて斬撃を放つ。異形は抵抗する様子もなく――――否、抵抗する時間さえも許されなかった。左腕は引きちぎれるように容易く切断され、飛散して消えていく。

 

 

両腕を無くした異形に、攻撃手段はない。それどころか反撃する様子もない。このままなら、とクリスは勝てると確信した。何もしないというのも怪しいが、考えている暇はない。

 

 

敵は倒す――――クリスにあるのは、ただそれだけである。

 

 

そして、クリスの渾身の刺突が異形の胴体を貫こうとしたその直後、

 

 

「―――――ああ、そうそう。言い忘れてたけど、そいつ一応人間(・・・・)だから」

 

 

悪意の篭ったVの言葉が、クリスの攻撃を停止させた。レイピアの刺突がピタリと止まる。

 

 

異形の正体は、人間。クリスにはその事実が理解できなかった。この異形―――人間である要素が一体どこにあるというのだろうか。クリスは恐る恐る、異形を見上げる。

 

 

そこで見たものは、先程の異形には"ない"ものが、人間である事を思わせる何かが、確かにそこにあった。

 

 

「な、に―――――」

 

 

突然、呼吸を奪われたような感覚に襲われる。クリスが見たもの。それはまさに、"異形の中の異形"と呼べる程に酷く歪で、悪い夢でも見ている心地だった。

 

 

何故なら、今まで表情のなかった異形の顔から、苦悶の表情を浮かべた"人間の顔"が浮かび上がっていたからである。異形は苦しみ悶えながら、切断された両腕の痛みに耐えるように呻き声を上げた。金属同士が擦れ合うような金切り声は、聞く者全てを不快にさせる。

 

 

『――――ギギ、ギ。あ……グル、シイ……!!』

 

 

異形が初めて、言葉を口にする。言葉を発する事さえも、この異形には苦しみでしかない。これが本当に人間だというのか。クリスは驚愕を通り越し、戦慄さえ覚えた。

 

 

だが、何よりも驚いていたのはクリスではなく由香里だった。あの異形に浮かんだ表情。由香里には見覚えがあった。忘れる筈もない。あれは紛れもなくあの男。

 

 

「まさか………尼崎!?」

 

 

由香里を生み出し捨てた狂気の研究者。エヴァ達によって悲惨な死を迎えた哀れな人間。

 

 

そう、あの面影は尼崎十四郎に他ならなかった。輪郭も目付きも、何もかも全てが似ている。似ているというより、尼崎そのものだと言っても可笑しくはない。

 

 

すると、Vがご名答と高笑いした。

 

 

「こいつはアマザキの意識だけを取り込んだ水銀体――――アタシのおもちゃだ。まあもっとも、操作した遺伝子をぶち込んだモノに強引に意識を貼り付けたんだ……正気じゃあいられねーだろうけどな」

 

 

この異形はVが作り出した物。確かにそう言った。様々な遺伝子を組み込んだ水銀体に、尼崎の意識だけを貼り付けた、中身は人間で身体は完全なる化物。意識を引き剥がされ、化物の肉体に宿らされ、実験道具と成り果てた彼の姿。

 

 

意識は人間でも、身体は完全なる化物。意識と肉体が強引に繋がり、腕も、足も、臓器も何もかもが違う。全てが彼にとっては異物でしかないのだ、正気を保てるわけがない。

 

 

(こいつ………!)

 

 

狂っていると、由香里はVに対して激しい嫌悪感を覚えた。Vという存在―――もはやサディストとしての枠を超えている。エヴァ以上に性質が悪い。

 

 

「じゃあ早速だけど―――――証明してもらうかなぁ、お騎士様」

 

 

Vのペンデュラムが再び光る。その瞬間、異形……アマザキの切断された両腕の根元から、大量の水銀が流れ落ちる。そして斬り落とされた腕を形作るように、生成し、再生されていく。

 

 

『ギ………ギャアあああアアアァァアアア!?』

 

 

耳を劈く程のアマザキの苦痛の叫びが、教室内に響き渡った。自分の身体が意識とは関係なく再生される。それは、自分の身体に異物が流れ込み、身体中を掻き乱されるような痛み。自分の身体ではない何かが、僅かに保ち続けている意識をズタズタに引き裂いていく。

 

 

生き地獄。これなら、死んでしまった方がどんなに楽であろうかとさえ思うくらいに。

 

 

「お父様は人殺しじゃねーんだろ?だったら、こいつを殺さないで救ってみせろよ。お得意の正義とやらでなぁ!」

 

 

Vが叫ぶと同時に、アマザキが狂ったように動き出す。まだその身体に慣れていないのか、動きは未だ鈍い。これならば、まだ反撃できる余地はある。

 

 

「あ……あ……」

 

 

迫り来るアマザキを前に、クリスは激しく動揺していた。

 

 

あれは、化物ではなく人間。そう思ってしまうと、手が麻痺してしまったように震えて動かない。たとえ化物の姿でも、Vによって犠牲者となった人間なのだ……それも苦しいと助けを求めている。

 

 

倒してしまうのは簡単だ。だが、もしも殺してしまったら、自分の正義―――フランクの正義と矛盾してしまう。Vの言った通り、人殺しの烙印を押されてしまう。

 

 

「惑わされるなクリス、尼崎はもう死んだ!私達の目の前にいるのは、ただの化物だ!」

 

 

由香里が必死に訴えかける。そう、相手は化物。何を迷う必要があると自身に言い聞かせる。

 

 

だが本当に、自分自身の手で人間に手をかける事ができるのだろうか。しかし、人の命が奪う奪われるというこの状況下で、そんな悠長な事は言っていられない。戦わなければ、殺されるのはクリス自身だ。

 

 

(自分は……自分は……)

 

 

戦え、戦えとクリスは自分自身に鞭を打つ。震え出す手に力を入れ、目の前の敵を見据える。アマザキの苦悶に満ちた顔がクリスの心を凍りつかせ、あれは人間だと再認識させられる。なら、どうやって救ってやればいい。意識だけになった人間をどう助ければいいというのか。

 

 

「ほーら、やっぱりできない。結局てめぇの父親の正義は、返り血で染まってるんだよ」

 

 

戸惑っているクリスを、Vはさらに責め立てる。フランクはやはり人殺し。偽善者であると。クリスの信じる正義などそこにはない。あるのはただ血に汚れた犠牲だけ。ジータの村を見捨てたように。そして、何人もの敵の命を奪ったその血がクリスにも流れている、そう言われている気がした。

 

 

(違う……違う違う違う違う違う違う違う!!)

 

 

何度も、何度も否定を繰り返す。間違ってなどいない。ただ自分の信じる正義を行えばいい。クリスは雑念をねじ伏せて、戦う事だけに集中した。レイピアの柄を、血が滲むくらいに握り締める。この痛みが次々に生まれる雑念を麻痺させてくれた。

 

 

この剣に誓って。クリスが自分の腕に視線を下ろした瞬間、あってはならない……ありえないものが映り込んだ。

 

 

「―――――え」

 

 

それは、血だった。クリスの両腕とレイピアが、赤黒い血で染まっている。誰かを殺した覚えはない。しかし、罪悪感がクリスの心を支配していた。

 

 

「………ひっ!?」

 

 

まるで汚い物を捨てるかのように、クリスは小さく悲鳴を上げレイピアを投げ捨てた。Vによって精神的に追い詰められていたのだ、幻覚を見てしまったのだろう。

 

 

理由はそれだけではない。フランクの一件によって、クリスの信じていたもの全てが裏切られた。気がつけば、もはや何を信じて戦えばいいか、分からなくなってしまっていた。

 

 

フランクは軍人。軍人は人殺し。人殺しの娘。偽善。罪悪感。渦巻く負の連鎖はついに、クリスの戦意を完全に喪失させる。あるのは不安と恐怖。目の前にいるのは異形であり人間。どうすればいいかわからない。まさに、蛇に睨まれた蛙。

 

 

『―――――ギィィィィィ……ガ、ガアアアアアアア!?』

 

 

アマザキが雄叫びをあげ、様子が急激に変化を始める。意識が身体に取り込まれ、心と身体が完全に同化していく。ついに人ではなく、ただの異形へと成り下がったのだ。

 

 

そして先程まで鉛のように鈍かった身体が突然速度を増し、クリスがアマザキに視線を戻した時には既に、鋭利に尖った爪が間近まで迫っていた。

 

 

逃げる手段はない。アマザキはクリスの頭を抉り取るように、その凶爪を振り下ろした。

 

 

 

 

――――――。

 

 

 

 

気がつくと、クリスは残骸となった教室の備品の散らばる床に倒れ伏せていた。記憶にあるのは、直前にアマザキの攻撃が迫っていた事だけである。

 

 

幸い、打ち身程度だけで済んでいた。あの攻撃を受けてなお、クリスは無事でいる。そもそも、本当に攻撃されたのだろうか。避ける余裕すらもなかったというのに。

 

 

クリスは周囲を見渡す。状況が理解できない。一体何が起きたのだろう……しかし、クリスの側で横たわっている何かが視界に入ったその瞬間、クリスはようやく全てを理解した。

 

 

「あ……え……」

 

 

クリスの側で倒れていたのは、傷だらけになった由香里の姿だった。服は派手に切り裂かれ、頭から血を流して倒れている。由香里はクリスを庇い、アマザキの攻撃を真正面から受けたのである。

 

 

死んではいない。辛うじて意識はあるようだが、既に戦えるような状態ではなかった。意識がある事さえ、不思議なくらいに。

 

 

「クリ、ス……逃げ………」

 

 

声を絞り、クリスに逃げろと伝える由香里。今のクリスでは戦えないと悟った上での行動だった。クリスの迷いと恐怖が仲間を傷つけてしまったという現実に、動揺と罪悪感が膨れ上がる。

 

 

「余所見してんじゃねーぞ!」

 

 

その刹那、Vの声と共にアマザキがバネのように床を蹴り上げ、クリスに急接近。右手でクリスに掴みかかり、そのまま廊下側へと投げ飛ばした。衝撃で教室の壁が破壊され、クリスの身体はそのまま廊下に弾き出される。

 

 

「う……あっ……」

 

 

身体中が痛みで悲鳴を上げる。クリスは立ち上がろうとするも、打ち所が悪かったのか、うまく足が上がらない。いや、力が入らないと言った方が正しいか。恐怖で足が竦み、逃げる事すらもままならない。

 

 

助けを呼ばなければ、とクリスはポケットから携帯を取り出そうとした時、教室からアマザキの腕が伸び、クリスの身体を捉えた。クリスの身体が握り潰されるように締め上げられ、次第に呼吸が苦しくなっていく。

 

 

「………ところでさぁ、知ってる?塩化第二水銀の致死量は約0.2〜0.4g。それも、気化したものは超有毒」

 

 

塩化第二水銀。水銀塩化物の一つ。皮膚に触れるだけでも危険で、一滴でも体内に入れば生命に関わる猛毒性を持った物である。

 

 

「って事で、いまから高温で気化したやつをてめえの身体にぶち込んでやるよ。ゆっくりじわじわと――――隅から隅までなぁ!」

 

 

クリスの身体を締め上げているアマザキの表情が真っ二つに割れ、巨大な口へと変化する。その大きさは、人間の頭をひと飲みできてしまうくらい、大きく広がっていた。

 

 

アマザキの口が、ゆっくりとクリスに近づいていく。身体を拘束されたクリスは動けず、ただ死の訪れを待つしかない。あれに飲み込まれた上、大量の気化水銀を身体中に流し込まれるのだ。一体どうなってしまうのか、想像もしたくない。

 

 

クリスはもう、声すら出なくなっていた。助けも呼べない。死にたくないと心が泣き叫ぶ。クリスの怯え切った表情は、Vからして見ればさぞ滑稽で愉快に違いない。

 

 

避けられない死の宣告。きっと、おぞましい苦しみを味わいながら死ぬのだろう。終わりだ……クリスは思わず目を瞑った。

 

 

 

 

 

一方、別行動を取っていたカーチャと京、華。

 

 

幾度となく追いかけてくる男達を退けながら、学園中を駆け回り手掛かりを探し続けていた。

 

 

途中、カーチャは一人で離脱し、京と華で行動する形となったが、今の所男達が襲ってくる気配はない。京と華は廊下を走りながら移動していると、廊下の窓の外―――クリス達のいる反対側の校舎から物音が聞こえてきた。京と華は窓越しから身を乗り出すように確認する。

 

 

「………!!クリス!?」

 

 

京達が視線を向けた先。教室の壁が破壊され、そこからクリスの身体が投げ出された瞬間が見えた。華にはよく見えないかもしれないが、弓道を志す京の視力ならば、間違いはない。

 

 

そして教室から出てきた水銀の化物と、ツインテールの少女、V。サーシャ達が言っていた、アデプトの刺客。クリスは水銀の化物に捉えられていた。

 

 

「くそ、こっからじゃ間に合わねぇよ!」

 

 

このままではクリスが殺される。一刻を争う事態。しかし、華達のいる距離とクリスのいる場所はあまりにも距離が離れ過ぎている。当然、間に合うはずも無い。

 

 

「それなら――――!」

 

 

京は窓を開けて弓一式を用意し、矢を構えて照準を水銀の化物へと向ける。ここから攻撃をするつもりなのだろう。

 

 

確かに可能だが、距離がある上に風向きも悪い。仮に命中したとしても、向こう側の窓を貫通して本体へと当てる事ができるかどうかも難しい。

 

 

もっと強い力があれば、と京は唇を噛んだ。このままクリスがやられる様を、黙って見ている事しかできないのか。

 

 

「―――――方法ならあるぜ、京」

 

 

方法なら、あると華。華は目を閉じると意識を集中させ、身体に宿す力を解放した。すると華の身体を覆い尽くすように、円状の回路が出現する。その姿は神秘的で、ある種の女神を思わせた。さらに華の身体からは電気が生成され、右腕には光り輝く手甲が具現化する。

 

 

それは、自然の法則を無視した絶対の力。古代魔術を宿す大いなる伝説。絶対の奇跡。

 

 

そう、それは華の持つ始原の回路(ハイエンシェント・サーキット)。電気を操る力。"雷の携香女(マグダラ)"である。華は手甲を纏った右腕を、弓を持つ京の左手に添えた。暖かく、頼もしさを感じる華の強さが京に伝わる。

 

 

「アタシの力をお前に貸す。ちょっとビリビリするけど―――我慢してくれよ!」

 

 

これならあの化物を倒せると、華。始原の回路。京は初めて間の当たりにする。人知を超えた未知なる力。だが京は躊躇う事なく頷いた。何故なら京は華を、心から頼れる仲間であると信頼しているから。京はゆっくりと弓の弦を引き、向こう側にいる化物へと狙いを定める。

 

 

「――――元素回路(サーキット)充填(フルチャージ)!」

 

 

華の手甲が眩い程に輝きを増し、その力が京の身体に流れ込む。

 

 

電子を司る雷の携香女。身体中に流れる血流が、まるで電気になったかのような感覚。機械のコードにでもなった気分だった。ただ、未だに感じた事のない力が京を奮い立たせている。仲間を助け、敵を討てと心を震わせていた。

 

 

「……っ!くっ……!?」

 

 

膨大すぎる程のエネルギーは、京の身体に負担をかける。身体が痺れ、照準にブレが生じる。京はその力に抵抗しながら、弓をしっかりと握りしめた。

 

 

そして次第に視界が安定し、呼吸も落ち着き始め、身体が力に馴染んでいく。今自分とマグダラが一つになっていると、そう感じながら。

 

 

回路、充填完了。照準固定。最大出力。京の矢が電撃を纏い、摩擦音を立てながら光を放っていた。更にその矢の先端にはマグダラの紋章が具現し、円形の回路となって軌道を作り上げる。

 

 

それは、全てを穿つ閃光。魔を断つ神の雷。京と華――――二人の力が今一つの魔弾となり、敵を貫かんと咆哮を上げる。

 

 

「椎名流、長距離混合弓術―――――」

 

 

そう、その名は。

 

 

「―――――”鳴神(なるかみ)”!!!!」

 

 

京が叫んだと同時に、電撃の矢が解き放たれた。爆発とも呼べる反動で京と華の身体は吹き飛び、壁へ打ち付けられる。その衝撃が、いかに強力であったかを物語っていた。

 

 

まさに砲撃と呼べるに相応しい、黄金の光。法則性を無視した音速を超える一撃は、軌跡すら描くことなく、解き放たれた瞬間に対象を撃ち抜いていた。

 

 

 

 

 

「―――――!?」

 

 

突然、殺気を感じ取ったV。だが時既に遅し。気がついた時にはもう、その殺気は窓を貫通し、アマザキの身体を撃ち抜いていた。突如として飛来した一撃で、アマザキの水銀体が弾け散る。クリスを捉えていた腕も消し飛び解放され、クリスは廊下の壁際に寄り掛かる形で投げ出された。

 

 

残されたのは下半身のみとなったアマザキの身体と、床に散らばる窓ガラスの破片と液体水銀。そして電撃の摩擦で灰となった矢と、電撃の名残だけである。

 

 

Vは飛来した方向へと視線を向けた。狙撃手の姿はないが、長距離の狙撃スキル。水銀体が弾け飛ぶ程の桁違いのパワー。クリスの仲間によるものと、そして元素回路による力。やってくれやがったなとVは舌打ちをする。

 

 

「くそが!おいモタモタすんなクソドクター!さっさと再生し―――」

 

 

「――――その必要はないわ」

 

 

Vの背後から聞こえる、冷たく月刺さるような少女の声。振り返るとその廊下の奥にはカーチャとアナスタシアが立ち尽くしていた。

 

 

その両腕には、砲撃用の武器を思わせる、長距離射程武装"電磁放射砲(レールガン)"が装備されている。学園内部の電力を供給したのだろう、充填は既に完了していた。敵を撃つ雷帝の一撃が、Vを捉えている。逃げられないとそう語りかけるように、その銃口が向けられていた。

 

 

「再生する時間なんて与えない。お前達は―――――」

 

 

そして、この先の未来を予言するかの如く。カーチャは彼女らに宣告する。

 

 

смертная казнь(死刑よ)

 

 

その宣言と同時に、アナスタシアの電磁放射砲が発射される。銃口から発射された高出力の電撃はカーチャの宣告通り、Vとアマザキを無慈悲に焼き払った。もはや彼女の審判の前には、灰すらも残らない。あるのは静寂だけである。

 

 

「…………」

 

 

何もかもがなくなった廊下を、カーチャは無言で歩く。V達がいた場所にクリスが横たわっていた。気絶しているようである。安否を確認してすぐ、床に落ちていたあるものに気づく。

 

 

それは、Vの身につけていたペンデュラムであった。輝きは失われ、ひび割れてしまっている。もう見る影も無い。カーチャのサーキットが反応しないという事は、既にこの元素回路は機能していないという事だろう。

 

 

(……逃げられたわね)

 

 

小さく舌打ちをし、カーチャは持っていたペンデュラムをポケットにしまい込んだ。アマザキは倒したが、Vはギリギリの所で逃げられたようである。

 

 

だがこれで、男達の傀儡は恐らく溶けた筈だ。後は男達の元素回路を取り除けば、この一件は解決する。

 

 

 

 

Vが所持していたペンデュラム。これを作り出したのは恐らく……と、カーチャは確信を持ち始めていた。そして、その正体が誰なのかも。

 

 

漆黒の夜空に、徐々に光が差し込み始める。学園に入ってから随分と時間が経過したのだろう。もうじき、夜が明けようとしていた。



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サブエピソード30「奇跡の代償」

※注意!シリアスぶち壊し回。


シリアスな話が続いているので、ここで一服……。


V(ファオ)との一件後、負傷したクリスと由香里はカーチャの計らいで病院へと搬送された。損害を受けた川神学園はすぐにでも再開できるよう、ユーリと鉄心が手配を進めている。

 

 

その一方、京と華は打撲と打ち身だけで済んでいた。身体には異常も見られず、一日二日安静にすれば問題ないとの事である。

 

 

そう、医師からして見れば、一般的な知識上では何の問題もない。ただ一つ、京の身体の中で起きている見えない異常を除いて―――――。

 

 

 

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

京と華は由香里が眠っている病室を後にする。由香里の怪我は命に別状はないものの、しばらくは動けないとの事らしい。病室の中では由紀江が付きっ切りで、今も看病を続けている。

 

 

「………まゆっち、ずっと泣いてたね」

 

 

ぼそりと呟く京。由香里が負傷したと知ってすぐ、由紀江は寮を飛び出して病院へと駆けつけた。その時の表情は不安一色と言わんばかりに青ざめ、由香里の姿を見た瞬間、溜め込んでいた感情を爆発させながら泣き崩れた。その後は目が覚めるまでここにいますと言い、現在に至っている。

 

 

きっと、由香里の意識が戻るまで眠らないつもりなのだろう。京と華はこれ以上、由紀江に声をかけるつもりはなかった……否、かけられなかった。そもそも自分達の都合で、こんな事に巻き込んでしまったのだから。

 

 

 

 

病室を後にした京と華は、待合室のソファに座り込む。早朝の待合室に、人気は殆どなかった。もうすぐ大和達が合流する……すると華が俯き加減に、小さく声を漏らした。

 

 

「アタシのせいだ。みんなを誘わなけりゃ、こんな事には……」

 

 

もし、京達を誘っていなければ、こんな大惨事にならずに済んだ。自分の我儘で仲間を巻き込んでしまった事に、華は罪悪感を感じていた。

 

 

しかしそんな華に対し、京はううんと首を振る。

 

 

「華のせいじゃないよ。だって、V(あいつ)がいるなんて誰も思わなかったもん」

 

 

自分を責めないでと京は華の肩にそっと手を置く。京の手は暖かく、そしてとても優しかった。京はそのまま続ける。

 

 

「それにもし、私達を誘ってくれなかったら……きっと華とクリスはもっと酷い目にあってたと思う。私はその方が、ずっと嫌」

 

 

「京……」

 

 

京にとって本当に怖い事。それは自分が傷つく事ではない。大切な仲間が傷つく事。それは自分が傷つく事よりも、たまらなく苦しい。仲間だから……と、その京の優しい気持ちが、華の胸の中を熱くさせた。

 

 

「……ありがとうな」

 

 

涙を堪えながら、照れ臭そうに華は笑ってみせるのだった。

 

 

出会った頃は無愛想だった京。互いの境遇はあまりにも正反対で、過去の事で喧嘩もした。すれ違いもあった。しかし、今では信頼し合える親友と呼べる間柄である。本当に不思議なものだ、と華はしみじみ思うのだった。

 

 

(……それにしても)

 

 

そんな中、京は身体に違和感を感じていた。医師の診断では異常はないと言っていたが……身体中が這い寄られているようなこの感覚は、一体何なのだろう。

 

 

(何か、身体中が……ずっと、ビリビリしてる……)

 

 

思えば、異変を感じるようになったのは、華が雷の携香女(マグダラ)の力を行使した時からだ。身体の痺れは一時的なものですぐに収まったが、病院へ来てから時間が経つに連れ、次第にまた痺れの症状が出るようになった。

 

 

うまくは表現できない。身体の内側から、常にくすぐられているような感覚。何と言うか、むず痒い。内側から来る痺れは、やがて肌を通して感じるようになっていた。

 

 

痺れる。力がうまく入らない。風邪をひいた時と似ている。この感覚が止まらない。

 

 

「お……おい、京。さっきからお前何か変じゃないか?」

 

 

大丈夫かよ、と京の肩を叩く華。そして、華が京の肩に触れた瞬間。

 

 

「ひゃうううううううぅぅ!?」

 

 

突然、ウサギのように身体を跳ね上がらせ、素っ頓狂な声を上げたのである。一気に身体の力が抜け落ち、座位が取れなくなり、京はソファに凭れかかる。

 

 

触れられただけなのに。ただそれだけで、まるで電流を流し込まれたような……いや、実際に流し込まれている。マグダラの加護を受けた京の身体の中に、まだ余力が残っているとでも言うのだろうか。少なくとも、今の京の身体が非常に敏感になっている事だけは理解できた。

 

 

しばらくして、京と華を呼ぶ声が二人の耳に届いた。現れたのは大和とユーリだった。

 

 

「おう。二人とも怪我は……って、京?」

 

 

大和が最初に目にした光景は、腑抜けになった京の姿と、京の異変に驚いている華。いったい何があったのか。

 

 

「そ、それが、京の肩を触ったら急に……」

 

 

華は京との一部始終を大和達に説明する。京の肩に触れた途端、京の身体が飛び跳ね、へたれ混んでしまったのだという。しかし、説明を受けた大和は困惑していた。何が何だか理解できない。理解できないのは華も同じなのだが。

 

 

「―――――サーキットの影響ね。華がマグダラの力を使ったのよ」

 

 

話に割り込み、現れたのはカーチャだった。つまり、華のマグダラの力による一時的な後遺症だと大和に説明する。華も若干の心当たりはあったのか、う、と小さく声を上げた。

 

 

雷の携香女。始原の回路(ハイエンシェント・サーキット)。そもそも元素回路(エレメンタル・サーキット)の類は、一般の人間が使用すれば人体に危険が及ぶ代物。それが始原の回路ならば、危険の度合いは更に増す。

 

 

「で、でもカーチャ様。もしあの時使わなかったら、クリスが……」

 

 

あの時、マグダラの力を使わなければクリスは水銀体の餌食となっていた。やむを得なかったと華。しかし、カーチャはそんな事はどうでもいいわと首を振る。

 

 

「華が誰に使おうと、興味ないわ。私が許せないのは―――――」

 

 

そう言ってカーチャは足で華の顔を踏み、踵で頬をぐりぐりと抉るように押し付けた。

 

 

「――――主人に黙って、マグダラを使った事よ!」

 

 

カーチャが気に入らない事。それは京にマグダラを使った事ではない。何よりもカーチャに何の許可もなくマグダラを……自分の所有物を無断で使われた事に腹を立てていた。

 

 

「自分の立場は弁えているとばかり思ってたけど、馬鹿でどうしようもないド変態の桂木華には、まだまだお仕置きが必要みたいね!」

 

 

カーチャの踏み付けがより一層強さを増す。華の頬は押し潰され、痛みに耐えながらもその表情は恍惚で染まっていた。しかも、大和達にまで見られている。そう思うと更に興奮し、華の全てが快楽へと変わる。

 

 

「あ……い、痛い!?ああっ、そ、そこ!すみませんすみません!物覚えの悪い雌犬でごめんなさい!だからもっと……もっと強く、アタシを痛めつけてくださぁい!」

 

 

反省しているのか、悦んでいるのか。もう大和達にとってはどちらでもよかった。それよりも、心配なのは京だ。マグダラの加護を受けた京の身体。一子の一件が脳裏に蘇る。

 

 

「後遺症なら心配いりませんよ、大和君。そもそも京さんは普通じゃないようですし」

 

 

それは京が武士娘だからなのか。それとも性格的な意味合いなのか。ユーリはにこやかに答えた。ユーリが言うのだから、確証はある。それに言われてみれば……と思わず納得してしまう大和だが、それでも心配なのは変わりない。

 

 

しかし、次の京の取った行動が、その心配を跡形もなく打ち砕く。

 

 

「や……大和……」

 

 

京は大和の足に絡み、縋り付きながら上目遣いで大和を見上げていた。目は明らかに誘っている。いつもの京だと安心したと同時に、とてつもなく嫌な予感がよぎった。

 

 

「今すぐ私を抱いて……身体が痺れて、何かすごく気持ちいいの。こうして大和にしがみ付いているだけでも……ああ、もう私、死んでもいいかも!」

 

 

何故か幸せそうにうっとりしている京。マグダラの後遺症をもろともせず、寧ろそれを楽しんでいる。そして呆然と見下ろす大和。別の意味で心配が増えてしまったと頭を抱えた。

 

 

「大和~……私を……あっ、身体が痺れ……早く抱いて……」

 

 

「あはっ!?痛いっ!気持ちいい!も、もももっと奥まで!奥まで!アーーーッ!!」

 

 

心配して病院に駆け付け、早々に目の当たりした現実。カーチャに痛めつけられ、快楽の海に溺れる華。マグダラの後遺症に酔い痴れ、ひたすら大和に求め絡み続ける京。

 

 

これが奇跡の代償だとでもいうのか。だとしたら奇跡なんか糞食らえだと、大和はこの光景を目に焼き付けながら思うのだった。

 

 

 

 

 

「大和君、今の心境を一言」

 

 

「俺、もう帰っていいかな」



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73話「迷える騎士」

(・3・)どうも、作者です。
気が付けば、お気に入りが100件を超えていました。
読んでくださっている皆様に感謝です、本当にありがとうございます!


葵紋病院の一室。

 

 

学園で起きた一件で負傷したクリスは、ふとようやく目を覚ました。頭が重い。頭を抱え、ゆっくりと身体を起こす。

 

 

「うっ……!?」

 

 

身体を起こした直後、身体中に痛みが走った。その痛みが、昨夜学園で起きた出来事を思い起こさせる。あれから、一体どうなったのだろう。事件は解決したのだろうか。

 

 

すると病室の扉がガラガラと開く。入ってきたのはサーシャ、まふゆ、大和だった。

 

 

「クリス!」

 

 

気がついたんだね、とまふゆ。手にはお見舞いに持ってきたのだろう。果物などの品々の入った袋が握られている。

 

 

「話はカーチャから聞いている……派手にやられたみたいだな」

 

 

深夜の学園で起きたV(ファオ)の襲撃の一件は、当然サーシャの耳にも届いていた。情けない話だと、クリスは肩を落とす。

 

 

Vは華と京、そしてカーチャによって退けられた。操られていた男達も無事保護され、現在はVが所持していたペンデュラムを回収し、アトスで調査が進められているとの事である。

 

 

「身体の具合はどうだ?」

 

 

大和が声をかける。水銀体の攻撃によって負傷したものの、傷は浅く、問題はないとクリス。一日病院で様子を見た上で、数日後には退院できるという。最も、由香里が身を挺して庇っていなければ、どうなっていたか分からない。

 

 

「……あ」

 

 

ふと、クリスを庇い倒れた由香里の姿が脳裏に蘇る。あの後、由香里はどうなったのだろう。水銀体に襲われてから意識を失い、その先の記憶が全くない。京と華の安否もわからないのだ……クリスが不安を募らせていると、その心境を察したのか、大和が心配ないと答える。

 

 

「ゆかりんは無事だ。京と華もな……ぶっちゃけ、あの二人は心配して損したくらいだ」

 

 

思い出したくないのか、急に顔色を悪くする大和。サーシャは溜息をつき、まふゆは苦笑いしていた。大和に過剰な看病を要求する京と、カーチャにSMプレイで看病を迫る華の姿が目に浮かぶ……ともかく、この二人は問題はなさそうだった。

 

 

由香里は水銀体の攻撃を受けて重傷を負ったものの、命に別状はないとの事だった。若さ故か、回復力も早く、現在は意識もはっきりしているようである。

 

 

由香里や京達が無事で安堵したと同時に、自分は何一つできなかった事を悔やむクリス。

 

 

そう、何もできなかった……心の迷いが剣の迷いへ繋がり、仲間を傷付けてしまった事への罪悪感がクリス自身を押し潰す。

 

 

あの時迷わず剣を振るっていれば、由香里は傷付かずに済んだのかもしれない。それに、あんな幻覚さえ見ていなければ―――――。

 

 

(…………!!)

 

 

唐突に、あの幻覚が蘇る。血に塗れた自分の手。身体中に悪寒が走り、両手が震え出した。また同じものを見てしまうのではないか。そう思うと、自分の手を視認する事が堪らなく怖くなる。

 

 

父親は人殺し。人殺しの娘。人殺し人殺し人殺し人殺し。永遠と繰り返されるループ。それは吐き気を催す程に、クリスの耳に残り続ける。耳を塞いでも、その声からは逃げられない。

 

 

もう何も見たくない。何も聞きたくない。クリスの精神は、そこまで追い詰められてしまう程に磨り減ってしまっていた。

 

 

「クリス……?」

 

 

様子を変に思ったのか、サーシャが声をかける。余程クリスの表情が酷かったのだろう、サーシャだけでなく、まふゆと大和も心配していた。

 

 

心配をしてくれるのは嬉しい。しかし、今の心境を悟られる訳にはいかなかった。これ以上、仲間に迷惑をかけられない。そう、これは自分自身の―――家族の問題なのだから。

 

 

「……少し疲れているみたいだ。すまないが、横にさせてくれ」

 

 

色々な事があり過ぎて、気持ちの整理がつかないとクリス。顔色も悪くとても話せるような状態ではなかった。これ以上は、体調に負担をかけるだけかもしれない。サーシャ達はまた来ると言ってクリスの病室を後にする。クリスはサーシャ達を見送ると、ベッドに横たわり視界を閉じた。

 

 

何も考えたくない。ただ目を閉じていたかった。全てから目を背けていたかった。

 

 

意識が徐々に遠のいていく。疲れもあるせいか、眠りにつくまでさほど時間はかからないだろう。

 

 

 

目が覚めたら、由香里のところへ行こう……そう決めたクリスは身体の眠気に身を任せながら、ゆっくりと深い眠りへ落ちていった。

 

 

 

 

 

クリスが目を覚ました時には、窓の外は夕日を彩るように、オレンジ色の空に満ちていた。時間はもう夕方である。眠気で重く感じる身体に鞭を打ち、ベッドから起き上がりクリスは病室を出た。

 

 

すると病室を出てすぐ、お見舞いに来たのであろう、マルギッテと遭遇する。マルギッテはクリスを見て一瞬だけ動揺したような素振りを見せた。

 

 

フランクとの会食以降、お互いに話づらいのか、一言も口を聞いていない。

 

 

「お嬢様……怪我の具合は如何ですか?」

 

 

いつになく、マルギッテの態度は控え目に感じられた。クリスには優しく接するマルギッテだが、今はまるで怯えているようにも見える。

 

 

クリスは言葉を返そうとするも、父親への不信感が邪魔をする。もうマルギッテさえも、自分の味方ではないのだ……そう思うと、悲しみを通り越し怒りさえ覚えてしまう。

 

 

「………ゆかりんの病室へ行く。見舞いなら心配いらない」

 

 

帰ってくれ、と。そうマルギッテを冷たく突き放し、背を向けて歩き出すクリス。氷のような感情の込められた言葉が、マルギッテの心に深く突き刺さった。

 

 

無論、その理由は分かっている。クリスは今、軍そのものが信用ならないのだ。軍事機密というだけで、こんなにも距離が離れてしまうものなのか。それでも、マルギッテはクリスに声をかけようと口を開く。

 

 

だが、クリスは。

 

 

「あ、待って下さい。お嬢さ――――」

 

 

「今は………話したくない」

 

 

感情のない声で、マルギッテを完全に拒絶したのだった。一度も振り返る事なく、クリスは由香里のいる病室へと足を進めていく。

 

 

もう、クリスを呼ぶマルギッテの声は聞こえない。ただ、背中に視線を感じた。どんな表情をしているのかは分からない。

 

 

自分がしている事が、如何に筋違いかは理解している。マルギッテは軍人としての義務を全うしているに過ぎない。事実を言いたくても、言えない立場にいるのだ……だから、マルギッテは関係ない。それでも振り返る事はできなかった。

 

 

もし、振り返ってしまえば。何もかも許してしまいそうな気がして。クリスは逃げるように、歩を早めながら由香里のいる病室を目指した。

 

 

――――心の中で"ごめんなさい"と。そう呟きながら。

 

 

 

 

 

由香里のいる病室に着いたクリスはノックをすると、ゆっくりと扉を開ける。

 

 

そこには上半身を起こし、本を読んでいる由香里の姿と、側で眠っている由紀江の姿があった。由香里は読んでいた本を閉じ、クリスに向かって手を振る。

 

 

「おお、クリスか」

 

 

無事で何よりだと笑う由香里。頭や腕、胸の辺りには包帯が巻かれていた。状態からして如何に身体にダメージを負ったかは見て取れる。

 

 

由香里が生きている。無事である事を確認できた事で安堵するクリス。もしも無事でなかったなら、一生自分を許す事ができなかっただろう。怪我を負わせてしまった責任は自分にある……由香里に会わせる顔がない事は承知しているが、罪の意識がクリスを突き動かしていた。

 

 

どう声をかけていいか分からない。目を合わせる事さえも、できない。そもそも、自分にそんな資格があるのだろうか。

 

 

「その……怪我の具合は?」

 

 

ようやく振り絞り出てきた言葉。他に言葉が見つからない。すると由香里は両手を広げ、自分の身体をクリスに見せつける。

 

 

「まあ、見ての通りだ」

 

 

半分ミイラだな、と由香里は自分の身体を見て自嘲気味に笑う。怪我はしているものの、由香里は元気そのものだった。しかし、クリスには分かる。由香里は心配をさせないよう、無理をしているのだと。表情に映る疲れの色だけは、隠す事はできない。

 

 

怪我をしてなおも、クリスを気遣う由香里。罪悪感がクリスの胸を締め付けた。自分自身が許せなくて、叫んでしまいたかった。

 

 

由香里だけではない。大和達や、看病をし続けている由紀江にまで、迷惑をかけてしまった。クリスは眠っている由紀江の表情を覗く。由紀江は穏やかな表情で寝息を立てていた。しかし目下は赤く、少しだけ隈ができている。

 

 

由紀江は由香里の意識が戻るまで、ずっと看病を続けていた。泣きながら由香里の無事を祈り続け、目が覚めるのを待ちながら。

 

 

「私が目を覚ました途端に大泣きしてな………今はもうぐっすりだ。ずっと眠っていなかったから、疲れたんだろう」

 

 

困った姉だな、と由香里は由紀江の頭を優しく撫でる。親身になってくれる事は本当に嬉しい。しかし同時に、由紀江に心配をかけてしまった事実が由香里の表情を曇らせる。由香里が眠っている間はきっと身が削られるような思いだったに違いない。

 

 

無論、クリスも同じである。自分の所為でこの事態を招いたのだ。視線を床へと落とし、二人に対し謝罪の言葉を述べる。

 

 

「………すまない。全部、自分のせいだ……」

 

 

全ては、自分がした行い。それによって生まれた、仲間を死の危険に追いやってしまったという結果。クリスの中で大きく膨れ上がり、気がつけば償いきれない程の罪の形となっていた。

 

 

だがそんなクリスを、由香里は責める事はしなかった。思い詰めているクリスに、クリスの所為ではないと首を横に振る。

 

 

「クリスが悪いわけじゃない。だからそう気を落とすな。それに、みんな無事だったんだ」

 

 

皆が生きて無事でいるならそれでいい、と由香里。何もできなかった自分を咎めず、優しく受け入れるその気持ちは嬉しい。だがその反面、これ以上優しくしないでくれとクリスの心が揺らぐ。

 

 

身も心も軋み悲鳴を上げ、ボロボロになっている自分。家族の問題は自分で決着をつけなければと、そう思っていた。だが、戦いに支障をきたす程にまで追い込まれている。もう限界だった。

 

 

苦しい。辛い。解放されたいと心が助けを求めている。この不安を、何もかも全てぶちまけてしまいたい。クリスが口を開きかけた瞬間、

 

 

「―――――クリスは、一体何に迷っているんだ?」

 

 

唐突な由香里の疑問によって、それは遮られてしまった。確信をついた問いかけに、言いかけていた言葉がクリスの喉の奥へと消えていく。

 

 

迷っている……由香里の言う通り、今のクリスはまさしくそれだった。

 

 

ジータと戦い、父親の真実を知り、そして信じていた父親の正義さえも疑わしくなった。様々な感情が交錯し、何が真実なのか、そして何を信じて剣を握ればいいのかも分からなくなってしまったクリス。もはや何に迷っているのかさえも、分からない。

 

 

こんな今の自分を曝け出しても、迷惑をかけるだけだ。やはり、これは自分の問題なのだと改めて再認識する。

 

 

仲間を巻き込めない―――それは、仲間がまた傷ついてしまうのではないかという、恐れ。クリスは無理に笑みを浮かべながら、大丈夫だと返事を返した。

 

 

「……心配ない。これは、自分自身の問題だ」

 

 

自分の事は自分でかたをつける。本当はただの強がりに過ぎない。自分でも理解している。それでも、この心に残る迷いは、自分で晴らさなければならないと誓った。それは、ある種の強迫観念なのかもしれない。

 

 

由香里はこれ以上追求する事はなく、クリスがそう言うならと言って話を打ち切る。クリスもそろそろ病室に戻らなければと踵を返し、逃げるように由香里の病室を後にした。

 

 

心配する由香里の視線を、背中に感じながら。

 

 

 

 

 

病室へ入ろうと、クリスは扉に手を掛ける。扉を開くと、中にはフランクが両手を後ろに組み、窓の外を眺めながら背を向けて立ち尽くしていた。待っていたぞと、そう無言で訴えるように。

 

 

フランクがクリスの視界に入った瞬間、心臓を鷲掴みにされたような錯覚に襲われる。部屋の中が重い。呼吸すらも許されないような緊迫した空気が流れていた。見舞いに来てくれたようだが……それだけが理由ではない筈である。

 

 

マルギッテと同じく、会食以降フランクとは顔を合わせていない。ならば、今がチャンスかもしれない。もう一度フランクから真実を聞き出さなければ。でなければ、きっと後悔するだろう。今度は何を言われようとも食い下がる。たとえ、それが父親に逆らう事になろうとも。

 

 

「父様。もう一度言います。あの村で一体――――」

 

 

「――――謎の元素回路(エレメンタル・サーキット)の一件に関わっているそうだな、クリス」

 

 

クリスの言葉に被せるように話を切り出すフランク。謎の元素回路の一件は、フランク匹いる軍も関わっている事柄である。クリス達が協力している事を知っていてもおかしくはない。ただ、一体それがどうしたというのだろうか。

 

 

「……はい。仲間と一緒に、事件を追っています」

 

 

隠す必要などない。これはクリス自身が決めた事である。仲間達や住む人々を守る為に。フランクならば、きっと理解してくれる……そう思っていた。

 

 

だが、次のフランクの言葉がクリスに残酷な現実を叩きつけることになる。

 

 

「クリス……今後一切、謎の元素回路には関わるな。無論、アトスの人間にもだ」

 

 

今後は、謎の元素回路とは手を引けとフランク。そしてサーシャ達との関わり合いも許さないと、そう言った。クリスの身を案じての事なのだろう、父親としての配慮なのかもしれない。しかしそれならば、早い段階で忠告してくる筈である。

 

 

それが、何故今なのか……明らかにおかしい。何かを隠している。フランクに対し、ここまで憤りを感じたのは生まれて初めてかもしれない。今、クリスの中で怒りが渦巻いていた。納得のいかないクリスはフランクに反論を始める。

 

 

「それは、村の事と何か関係があるからですか?」

 

 

「お前が知る必要はない」

 

 

「答えないのなら、自分は父様の指示に従うつもりはありません」

 

 

クリスの思わぬ返答に、フランクはほんの一瞬だけ動揺し、言葉を失った。今まで自分を慕っていた娘が、逆らう事などなかったからだ。しかし引き下がる訳にはいかないと、フランクはクリスに振り向き、鷹のように鋭い視線を突きつける。

 

 

「……父親の言う事に逆らうつもりか?クリス」

 

 

それは、脅迫にも似た問いかけだった。見た事のないフランクの表情に身が竦むクリス。軍ではいつもこのような表情をしているのだろうか。けれども、ここは何があっても譲るわけにはいかない。本当の真実を確かめなければ。クリス自身の手で。

 

 

「………逆らいます」

 

 

小さく、決意を込めてフランクに言い放つ。もう一歩も退けない。クリスはフランクに対し反抗する事を選んだ。余程の決断だったのだろう、クリスの目は震えていた。

 

 

しばらく睨み合う二人。すると、フランクは再び窓の外の景色に視線を戻し、ポケットから携帯を取り出すと、どこかへかけ始めた。連絡を取っているようだが……一体何をするつもりなのだろう。予想がつかない。

 

 

「――――ああ、どうもお世話になっています。2年F組のクリスの父ですが」

 

 

電話の相手は川神学園のようだ。クラスの名前を口にしている。学園に連絡する理由が、ますます理解できない。

 

 

だが、その理由は次の一言で明らかとなる。

 

 

 

「……突然で申し訳ないが、退院後はすぐに娘を本国へ連れ帰りたい。手続きは明日そちらに伺うので、また後ほど」

 

 

そう言って一方的に電話を切る。相手に有無を言わさず、是が非でもクリスを―――ドイツへ帰国させる。それがフランクの下した最終決断であった。

 

 

何の意見も聞かず、何の理由も説明せず、ただ自分の都合で取り決めたフランクの行動。クリスは言葉を失った。こうなってしまった以上、止める事はできない。クリスを縛り付けてでも連れて帰るつもりだろう……当然、クリスが納得いく筈もない。

 

 

「どういうつもりですか父様!?自分は納得がいきません!」

 

 

声を荒げながら、フランクに食ってかかるクリス。しかし、フランクは決定事項だと言ってクリスを振り切り病室から立ち去ろうとする。もう、クリスの言葉に耳を傾けるつもりもないらしい。それでもなお、クリスはフランクを呼び止めようとした。フランクは立ち止まり、最後にこう告げる。

 

 

「今の内に友人達と別れの挨拶をしておくといい……後悔のないようにな」

 

 

もう、二度と川神(ここ)へは訪れない。そう言っているようにも聞こえた。それだけ言い残して病室を後にするフランクの背中を、ただクリスは見送る事しかできなかった。突き付けられた現実に絶望し、その場に崩れ落ちて床に膝をついた。

 

 

「そん……な……どうして……」

 

 

もう、大和達やサーシャ達とも会えない。父親とも、二度と分かり合えることもなく。何も分からないままドイツに帰還を余儀無くされた。

 

 

 

何も変える事もできないのか………今のクリスには、抗いようのない現実を、ただ噛みしめる事しかできなかった。



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74話「救う者、救われる者」

大和達が病室を後にし、クリスが病室で眠っていた時間帯。見舞いの為に病室を訪れたとある人物がいた。

 

 

それは、ジータである。風の噂でクリスの事を聞き付け、様子を伺う為に足を運んでいた。

 

 

病院の屋上で剣を交えて以来、クリスは道場に顔を出さなくなった。当然と言えば当然である。ほぼ決別した形で別れてしまったのだ、無理もない。

 

 

憎しみに狩られて剣を振るったジータだったが、クリスに対する負の感情は次第に薄れ、やがて後悔だけがジータの中で残留していた。

 

 

ジータの憎しみの対象は、フランクだ。考えてみれば、フランクの娘だという理由でクリスに刃を向けるなど、筋違いもいい所である。

 

 

それでも……自分の感情を抑える事ができなかった。そんな未熟な自分が、クリスに会う資格などない事は分かっている。しかしクリスは眠っていた。顔を合わせていたら、互いに気まずくなるだけだろう。幸いと言えば幸いだった。

 

 

「………」

 

 

クリスは寝息を立てて眠っている。表情は晴れない。むしろ苦しんでいるようにも見えた。自分が怪我を負わせたわけではないが、まるで自分がクリスを傷付けてしまったのではないかという錯覚さえ、覚える。

 

 

「………今更かもしれないが、すまない事をした」

 

 

クリスにした事を謝罪するジータ。卑怯である事は分かっている。だが実の父親であるフランクを侮辱したのだ、クリスは憎んでいるに違いない。そんな人間に、謝られても迷惑でしかないのだから。

 

 

 

クリスの病室を後にし、病院の入り口まで辿り着いた時。軍服を身に纏い、左眼に眼帯をつけた赤髪の女性とすれ違った。あれも軍の人間なのか……すれ違い様にその女性の姿を目で追う。

 

 

―――やはり、軍人は好きにはなれない。軽蔑の視線を送ると、ジータは病院から立ち去るのだった。

 

 

 

 

しばらく歩いていると、辺りはすっかり夜になっていた。

 

 

派手なネオンライトが煌びやかに彩る場所―――通称・親不孝通り。文字通り、治安が悪いと有名な場所である。宛もなく歩いていた為、何故ここへ来たのかは自分でもよく分かっていない。

 

 

すると、スーツを着たサラリーマン風の男が柄の悪い数人の男達によって強引に路地裏へ連れられていく姿が目に入った。誰がどう見ても悪事にしか思えない。

 

 

しかし、周囲の人間は見て見ぬふりである。仕方がない、関われば巻き込まれるのは自分だ。わざわざ火の中へ飛び込もうとする人間はいない。

 

 

暴力や権力で強者が弱者を喰う理不尽な世の中……嫌気が刺す、とジータは路地裏の奥へと向かっていく。

 

 

その奥では、案の定リンチが始まっていた。スーツの男性は地面に這い蹲り、男達によって暴行を加えられている。

 

 

「ぶつかっておいて謝るだけて済むと思ってんのかぁ!?」

 

 

ほら腕が折れちまった、と折れてもいない腕で殴りつけながらゲラゲラ笑う男。

 

 

「おい、さっさと慰謝料だせやコラァ!」

 

 

男の腹を蹴り上げ、慰謝料の催促をする男。スーツの男性は泣いて侘びながら許して下さい、許して下さいと懇願している。

 

 

見るに堪えない、醜悪な弱肉強食の地獄絵図。やれやれとジータは溜め息を尽きながら、男達の輪へと入り込んだ。

 

 

「そこまでにしておけ、下衆共」

 

 

ジータの声によって男達の手が止まり、振り返る。そして侮辱された事により機嫌を悪くした男達はジータを包囲し、睨みつけながら威嚇を始めた。

 

 

なんて単純な奴らだ、とジータは男達を鼻で嘲笑う。そのジータの態度にさらに機嫌を悪くしたのか、男の一人がジータの胸倉に掴みかかる。

 

 

「おいクソガキ。テメェ今なんつったよ?」

 

 

殺すぞ、と脅しをかける男。しかしジータは動じる様子もなく、冷めた視線を送っているだけだ。すると今度は別の男がニヤニヤと笑いながらジータの耳元で囁く。

 

 

「確か"下衆共"って言ったよなぁ?こりゃあ立派な侮辱罪だぜ?慰謝料払ってもらわねぇと………そこんとこ分かる?」

 

 

ジータの肩を叩き、慰謝料を請求する男。その言葉にどっと笑い出す男達。なんて耳触りな笑い声。これだから男は、と溜め息をつくジータ。もう少し挑発をするつもりだったが、付き合っていられない。ジータは肩を叩いた男の手を掴み取り、

 

 

「ぶつかって腕が折れた……確かに貴様はそう言ったな?」

 

 

握った男の腕をギリギリと締め上げながらニヤリと笑う。その仕草に男達は言葉を失い、表情を引きつらせていた。

 

 

そして、次の行動によって男達の表情が恐怖へと成り代わる。

 

 

「――――なら、望み通り現実(・・・・・・)にしてやろう」

 

 

瞬間、ジータに掴まれていた男の腕がおかしな方向へと折れ曲がった。腕を圧し折られた男は痛みと恐怖で悲鳴を上げ、地面をのた打ち回る。

 

 

あまりに滑稽過ぎて、笑いさえもおきないとジータは男を一蹴した。ジータの行動に、周囲にいた男達の表情が一気に青ざめていく。

 

 

こいつは危険だ……とジータから後退りするが、男達にもプライドがある。男達はポケットに隠し持っていたナイフを取り出すと、勝ちを確信したように笑みを零した。

 

 

凶器さえあれば勝機があるとでもいうのだろうか。だとするならば、あまりに浅はかだ。ジータは身構える事なく、ただ男達の反撃を静かに待つ。

 

 

男達は舐められていると悟ったのか頭に血が上り、ジータに向かってナイフを振りかざし襲いかかった。

 

 

しかし、次の瞬間。

 

 

「ぐはっ!?」

 

 

「ぷぎっ!」

 

 

突然、ジータと男達の間に一人の影が割り込み、ナイフを叩き落とし男達を一網打尽にして見せた。男達は泡を吹いて地面に倒れ伏している。本当ならば体術で応戦するジータであったが、割り込まれたのは予想外であった。

 

 

そして何よりも予想外だったのは、割り込んできた人物に見覚えがあったからだ。

 

 

そう、その人物は病院の入り口ですれ違った軍人の女性―――マルギッテである。マルギッテはトンファーを構え、倒れている男達をさもつまらなそうに見下ろしていた。

 

 

「か弱い女性に手をかけるなど、下衆の極みです。恥を知りなさい」

 

 

か弱い女性……ジータの事だろう。外見からして男性と見間違われる事が多いが、女性―――しかも、か弱い呼ばわりされてしまうと複雑な気分になる。

 

 

マルギッテはリンチされていたスーツの男性に手を貸すと、怪我はないかと話しかける。スーツの男性はありがとうございますと涙ながらに挨拶をした後、路地裏から走り去っていった。

 

 

「……ここは危険です、貴方も早く離れた方がいい」

 

 

言って、路地裏から退散するようジータに促すマルギッテ。いつの間にか守られる側になり、調子が狂うジータだったが、もうここにいる理由もない。礼を言うと言ってジータは踵を返し、マルギッテも路地裏から立ち去ろうとする。

 

 

「……はっ、軍人様が酷い事しやがるぜ」

 

 

背後から倒れている男の掠れた声。その言葉にマルギッテとジータの足が止まる。

 

 

「往生際の悪い奴だ。もう一度制裁して――――」

 

 

「軍人ってのはひでぇよなぁ。あんたもこうやって暴力振るって、人殺してんのかよ!?」

 

 

人殺しが、と男は笑いながらマルギッテを侮辱する。軍人は人殺し……クリスに言い放った言葉が、ジータに突き刺さった。ジータの表情が僅かに歪む。

 

 

そして何よりも態度を一変させたのはマルギッテだった。マルギッテは静かに、男の所へと歩み寄る。倒れている男の胸倉を掴み、怒りで染まった眼光で睨み付けると、力任せに男の顔を殴りつけた。

 

 

「ぶほぁっ!?」

 

 

男の顔面が血で染まっていく。鼻は折れ曲がり、歯はボロボロにかけてしまっている。男は衝撃で気絶していた。それでもマルギッテは殴るのを止めず、まるでサンドバッグにでもするように殴り続ける。

 

 

男にはもう戦意はない。にも関わらず暴行を繰り返すマルギッテ。もはや暴力を通り越して暴虐である。さすがにこのままでは、とジータが駆け寄り止めに入った。

 

 

「止せ!それ以上続けたら、その男が死ぬぞ!?」

 

 

やり過ぎだ、とマルギッテの右腕を掴み、制止するジータ。しばらくして、マルギッテは冷静さを取り戻したのか、胸倉を掴んでいた男から手を放す。男はぐったりとした表情で崩れ落ちた。まだ死んではいない。

 

 

マルギッテの拳には痛々しい程に血のりがべったりとついている。マルギッテはその拳を眺め何を思ったのか、突然壁を殴りつけた。壁はクレーターのような跡が残り、いかに力任せであったかを物語っている。

 

 

「……何が、軍人だ」

 

 

誰に問いかけるわけでもなく。ただ自分に問い始める。何かを悔やむように。その表情は後悔と悲しみの色に染まっていた。

 

 

「何が……軍事機密だ……私は……私は……!」

 

 

泣き崩れてしまいそうな程に、マルギッテは拳を震わせていた。このまま放っておけば、壁どころか建物が崩壊してしまうだろう。それにいつまた男に殴りかかるか分かったものではない。

 

 

「……とにかく、ここを離れよう。人目に付く」

 

 

事情はさておき、このままでは誤解を招く、とジータ。マルギッテもはい、と小さく返事をすると、ジータと共に路地裏を後にした。

 

 

 

 

ジータとマルギッテは親不孝通りを抜けて、近くの公園のベンチに腰掛けていた。マルギッテはようやく落ち着きを取り戻すも、表情は暗いままである。

 

 

そして、どういうわけか引率をしているジータ。落ち着いたら帰ってもよかったのだが……何故だろう、今のマルギッテを放っておくわけにはいかなかった。

 

 

我ながら物好きだとジータは心の中で苦笑いする。事情は分からないが、余程の事があったようだ。

 

 

しばらく沈黙が続く中、先に口を開いたのはマルギッテだった。

 

 

「……先程は、見苦しい所を見せてしまいました」

 

 

感情的になり、過剰なまでの暴行を加えてしまった事を後悔するマルギッテ。戦意を失った相手に攻撃を加えるなど、軍人としてはあるまじき行為。それこそ、下衆の極みですねと自嘲した。

 

 

軍人は好きになれないと、そう思っていたジータ。だが感情的になったあの行動を見る限り、マルギッテには年相応の未熟さが残っているようである。年齢は自分と同じくらいだろうか……自分に近い何かを感じ取っていた。

 

 

路地裏でのあの言葉を聞く限り、所属する軍で何かがあったらしい。彼女も、自分の中で苦しんでいるのだろう。

 

 

「いくら軍人とはいえ、それ以前に人間だからな………私が言えた立場ではないが、そう気に病むな」

 

 

人間は感情的な生物。どうにもならない事態や、理不尽な出来事に直面した時、冷静さを失い感情を爆発させてしまう。こういう時にこそ冷静であれと言うが、自分を殺す事はそう簡単に割り切れるものではない。

 

 

「軍人……ですか。私は今日という程、軍人が嫌だと思った日はありません」

 

 

視線を地面に落としながら、マルギッテは表情に暗い影を落とす。

 

 

軍人になり、今まで抱く事のなかった感情。軍人という立場は自分が思っている程甘くはないと、改めて実感した。軍人になった時から割り切っていたが、心の中ではその覚悟がまだできていなかった。

 

 

そう。それが確信できたのは、クリスとの一件である。

 

 

「……大切な人を、傷つけてしまったんです」

 

 

まるで遠い記憶を呼び起こすかのように、マルギッテは語り始める。気が付けば、ジータに胸の内を曝け出していた。大事な人間を、軍人という立場で傷つけてしまった事を。そして後悔の念に苛まれている事を。

 

 

姉妹のように、家族以上に親しみを持っていた二人。それが今、軍人と学生、ただそれだけで二人の間に深い溝ができてしまった。あの時のクリスの表情が今にも蘇る。

 

 

拒絶の色。失望感。クリスとの間に大きな距離が生まれる。もう元に戻る事はない、と。そう思えてしまうくらいに。

 

 

「………」

 

 

彼女の話を聞く内、ジータはクリスの事を思い出していた。大切な人を傷付けた―――それは、今のジータにも言える事である。

 

 

感情に身を任せ一方的に悪だと決めつけ、憎しみに囚われ我を失い、クリスに刃を向けた。軍人という憎むべき相手の娘だという理由で。真実はどうあれ、クリスは無関係な人間。刃を向ける道理はない。

 

 

マルギッテは軍人であるが故に、大切な人を傷付けた。ジータはクリスが軍人の娘であるが故に、クリスを傷付けた。マルギッテの悲しみが、クリスと重なる。クリスも、こんな思いをしていたのかもしれない。

 

 

「………軍人はやはり、人殺しなのでしょうか」

 

 

小さく、今にも消えてしまいそうなマルギッテの声。それはジータになのか、それとも自分に問いかけているのかは分からない。

 

 

何かを守るという事は、何かを犠牲にしなければならない。誰かを救う度に、誰かが犠牲になっていく。マルギッテの瞳の奥は暗く、虚ろであった。

 

 

「それは……」

 

 

違う。と、そう彼女に言葉をかけようとしたジータ。

 

 

しかし、ジータは答える事ができなかった。何故なら自分も軍人は人殺しだと、そう思っていたから。

 

 

それに違うと答えた所で、マルギッテの気持ちが晴れるわけではない。寧ろ、自身を追い込むだけだろう。その場凌ぎの安らぎは、返って人を傷付ける。

 

 

――――前にも、こんな事があったような気がする。いつだっただろうか。"彼女"と、こうして話したのは。

 

 

「貴方が軍人で、何をしたか私には分からないが………全てをなかった事にはできない。しかし、人を傷付ける事ばかりではなかった筈だ。守るべきものがある。国も、人々も。それは軍人の―――いや、貴方の誇りなのだとしたら、胸を張ってもいいと、私はそう思う」

 

 

それは、以前クリスから諭された言葉。自らの力を罪とするジータを救い、前へ向かせてくれた。ジータは気付いた。今、自分自身を見ているのだと。ならば彼女を救ってやれるのは、自分なのかもしれない。自分を救ってくれたクリスと同じように、マルギッテに手を差し伸べる事ができるのは、自分しかいないのだから。

 

 

軍人としての誇り。闇に蝕まれかけていたマルギッテの心から、闇が消えていく。確かに多くの人間を傷付けてきた。しかし守るべきもの……それは今も変わらない。

 

 

クリスを傷付け、拒絶され、自分を追い込む事でクリスから逃げようとしていたのかもしれない。軍人だからと理由づけて、いつの間にかクリスと向き合う事が怖くなっていた自分がいた。

 

 

もう一度、クリスと会って彼女と向き合いたい。その気持ちに嘘はつけない。もしも分かり合えないのなら、わかり合うまでぶつかればいい。ジータの言葉がマルギッテの心を震わせ、突き動かした。

 

 

「……柄にもなく、弱気になっていました。これでは軍人失格ですね」

 

 

俯いていた顔を上げるマルギッテ。その瞳に虚無は感じられない。彼女の表情は、少しばかり晴れ渡っていた。

 

 

もしもジータに出会わなければ、軍人の誇りどころか、もっと大切なものを失っていたかもしれない。偶然の出会いに感謝を―――マルギッテはジータと向き合い、改めて一礼をする。

 

 

「いつの間にか、私は臆病になっていたようです。貴方には礼を言わなければなりません」

 

 

大切な人だからこそ、傷つけたくないが故の思い。裏を返せば傷つきたくないという恐怖心。背を向ければそれまでだが、必ず後悔が残る。それも一生の傷となって。

 

 

生粋の軍人であるマルギッテ。しかし、それ以前に一人の人間。マルギッテはマルギッテ自身として、彼女と再び向き合う事を選んだ。もとより、マルギッテの答えは最初から決まっていたのかもしれない。

 

 

「……いや、礼を言うのはむしろ私の方だ」

 

 

マルギッテを諭した事で、ジータも自分自身の答えを見つけ出していた。今自分が何をすべきなのかを。

 

 

復讐の念に駆られ、クリスに刃を向けたジータ。このままでは終われない。このままで良いはずがない。互いに晴れない気持ちを抱えたまま、しかも一方的に別れを告げてしまったのだ……それこそ、ジータにとって一生の後悔となるだろう。

 

 

一度はクリスに背を向け、逃げるようにして病院を去ったジータ。次こそクリスと会って話がしたい。友として、クリスと分かり合いたいと、そう心に決めて。

 

 

二人は別れの挨拶を交わすと、それぞれの帰路へと進む。大切な人と、もう一度向き合う為に。

 

 

 

 

 

マルギッテが病院を後にした同時刻。サーシャは由香里に呼び出され、由香里のいる病室を訪れていた。ノックし病室の扉を静かに開ける。中では由香里が上半身を起こし、ベッドの上で本を読みながら過ごしていた。

 

 

来たか、と読んでいた本を閉じてサーシャに視線を向ける由香里。由香里はサーシャを上から下まで眺め見ると、ふむと顎に手を当てる。

 

 

「サーシャ。次の見舞いの時は女装して来る事が望ましい。バストは85前後。そして病室に入り一言、"お見舞いのメロンを持ってきました。大きいのが二つもあるんですけど、私ので良ければ……食べて下さい"。それも視線を逸らしつつ、恥ずかしそうに言えばなお良し」

 

 

「お前はもう少し入院した方がいいな」

 

 

呼び出して早々、何を言い出すのかと思えば……呆れを通り越して溜息さえもつかないとサーシャ。由香里は冗談だと笑うが、目は真剣そのものであった。間違いなく心の底からの願望である。

 

 

「……話を戻すが、お前が聞きたいのはクリスの事だろう?」

 

 

由香里の聞きたい事は察しがついている……クリスに起きている異変について事である。しかし、それは今に始まった事ではない。異変を感じたのは、ある日雨に濡れて寮へ帰ってきた時の話を聞いてからだ。

 

 

「クリスは何かを抱えている。それが何なのかは分からない。ただ……一つ気になる事があってな」

 

 

深夜の校内でアマザキと交戦していた時。クリスがアマザキを前にし、確かに怯えていた。普段のクリスなら、如何なる相手でも臆するような素振りは見せない。

 

 

だが相手は未知の化け物……無理もないと思ったが、その時のクリスは敵ではなく、別の何かに怯えているように見えてならなかった。

 

 

由香里の病室を訪れた時も、何かを伝えたかったようだが……結局は自分の問題だと言って立ち去っていった。その時は何も追求はしなかったが、きっと何かある。それもクリスだけでは解決できないような、大きな事情が。

 

 

「……クリスの事は俺も気になっていた。ここ最近、様子がおかしかったからな」

 

 

様子が変わっていくクリスに、サーシャは違和感を覚えていた。無論、サーシャだけではない。大和達もクリスの事を気にかけている。サーシャ達の見えない所で、クリスに一体何が起きているのだろうか。

 

 

「サーシャ」

 

 

小さな声で、由香里がサーシャに語りかける。

 

 

「クリスは変な所で頑固な性格だ。問い詰めても、本当の事を話してはくれないだろう。けど、うまくは言えないんだが………サーシャならきっと、打ち明けてくれる気がする。だから――――」

 

 

クリスを助けてくれ、と。由香里はそうサーシャに救いを求めた。サーシャなら、彼女を救えるかもしれない、と。

 

 

「無論だ………お前の願い、確かに受け取ったぞ」

 

 

ただ一言、サーシャは静かにそう答えて、由香里の病室を後にする。クリスの心の内を、真実を知る為に。

 

 

 

由香里の思いは今、サーシャに託された。



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75話「砕け折れた剣」

空が闇色に染まったその日の深夜。クリスは病室を抜け出し、ただひたすらに街道を走り続けていた。

 

 

目的などない。理由もない。こうしていれば何もかも忘れられ、全てから逃げられるような気がした。

 

 

走って、走って、走り続ける。できるだけ遠くへ。自分の体力が底を尽きるまで。限界が訪れるその時まで、彼女の奔走に終わりは訪れない。

 

 

(なんで……どうして、父様は……!)

 

 

フランクとの一件を思い出す。突然の帰国命令。それもクリスの意思を無視した強制送還。いくら反旗を翻しても覆らない残酷な現実。もうこの現実は変えられない。クリスには……どうする事もできない。

 

 

現実から逃げるように。出口のない迷路へと迷いこむように。息を切らし、クリスは逃避行を続けた。

 

 

 

 

一体どれだけ走ったのだろう。無我夢中で走り続けたのだ、覚えていない。心臓の鼓動が激しく脈打ちながら大量の酸素を欲していた。クリスは立ち止まると、近くにあった資材置き場へと足を運ぶ。

 

 

建物は長年使われていないのか、中へ入った途端、酸化した鉄の臭いが鼻につく。ともかく、ここで休もう……クリスは壁に寄りかかりゆっくりと腰を下ろした。

 

 

疲れ果てた身体を休め、身体を蹲るように縮めながら、地面に視線を落とす。

 

 

(……何をしているんだ、自分は)

 

 

何も考えずに病院を抜け出した自分に問いかける。全てから目を背け、逃げ出した自分に堪らなく嫌気が差す。

 

 

全てが信じられない。信じていた父親には裏切られ、誇りを失い、今は剣さえも、握れなくなった。剣を握れば、またあの幻覚が蘇る……そんな気がして。

 

 

(…………)

 

 

自分の手の平を、じっと見つめる。この手……この身体には、フランクと同じ血が流れている。軍人としての血が。"人殺し"と呼ばれた血が。違うと何度も心の中で否定し続けていたが、今はもうそれすらもしなくなった。受け入れたという言い方はおかしいが、フランクが真実を語らない以上、否定のしようがない。

 

 

正義……義を重んじる心。クリスの掲げていたものは、いつしか消え去っていた。何が正義で、何が悪なのか。今の自分にあるものは虚無。何もかもが色褪せていく。

 

 

こんな時、大和やサーシャ達に助けを求める事ができたら……と思う。しかし、これは家族の問題。自分の問題は自分で解決しなければならない。そう決めた以上、その意思を曲げる事はできない。

 

 

何より、これ以上迷惑をかけられないのだ……自分が原因で京や華、そして由香里。仲間が傷付いた。誰も巻き込みたくはない。自分の所為で仲間が傷付くのは、耐え難い事だった。

 

 

一体どれくらいの時間が経っただろうか。腕時計を見ると、まだ10分程度しか経過していない。ここへ辿り着き、随分時間が経過したように思えたのだが……クリスは再び立ち上がると、資材置き場の入り口へ向かって歩き出す。

 

 

病院を脱走した事が知られるのも、時間の問題である。もうすぐ大和達やサーシャ達が探しにやってくる筈だ。それに何より、フランクが黙ってはいない。明日にはドイツに連れ戻されてしまう……こうしていられるのも、今の内だけだ。

 

 

なら見つからないよう、もっと遠くへ逃げよう。どこまで行けるは分からないが、逃げられるのなら、どこへでも行こう。この身体が朽ち果てるまで。クリスが入り口へ向かって歩き出したその時、

 

 

「―――――どこへ行く?」

 

 

建物内からクリスを呼び止める声が聞こえた。驚いたクリスは周囲を見回す。おかしい、人の気配は全く感じなかった筈なのに。

 

 

すると、暗闇で支配されていた建物の内部に、ライトの光が照らし出された。その光は今にも消えてしまいそうで、点滅を繰り返すもまだ生きていた。どうやら辛うじて電源は通っているらしい。

 

 

そして光に照らされたこの場所で、クリスの前に一人の人間がその姿を現す……現れたのは、サーシャだった。サーシャは腕を組みながら壁に寄りかかり、ただ静かにクリスに視線を注いでいる。後をつけられていたか……どちらにせよ、今のクリスにとって仲間と遭遇するのは都合が悪い。

 

 

「……た、ただの散歩だ。それにどこへ行こうが、サーシャには関係ないだろう?」

 

 

見え透いた嘘。本当は宛てもなく逃げていたというのに。苦し紛れの言い訳は、当然サーシャには通用しなかった。

 

 

「随分と遠出だな……次は海でも渡るつもりか?」

 

 

遠回しに、どこまで逃げるとサーシャの目がそう訴えている。直視できない……クリスは視線を逸らし、黙秘を続けた。サーシャは返答を待ち続けていたが、一向に答えようとしないクリスに、強情な奴だと小さく溜息をつく。

 

 

「確かに、どこへ行こうがお前の自由だ……俺には関係ない。だが」

 

 

そう言って、クリスに向かって何かを放り投げた。それは、クリスの目の前に地面に突き刺さる。サーシャが投げたものは、鉄で錬成されたレイピアであった。

 

 

「先へ進みたければ、俺を倒してから行け」

 

 

サーシャからの突然の戦線布告。サーシャに勝たなければ、クリスの逃避行はここで終わりを迎える事になる。クリスの前に突き刺さったレイピアは、まるで抜けと訴えているかのように、その刀身を佇ませていた。

 

 

戦わなければ、進めない。勝たなければ、進めない。いつもならば受けて立つと意気込むのだが、今のクリスには戦うどころか、剣を持つことさえも躊躇いが生じている。同時にあの幻覚がフラッシュバックし、クリスの身体に悪寒が走った。

 

 

クリスは何かに怯えている。剣を取らない理由――――きっと何かある。だが、かといって情けをかける程サーシャは生易しくはない。

 

 

「……どうした、次こそは俺に勝つんじゃなかったのか?」

 

 

「…………」

 

 

サーシャとの決闘後に、次は勝つと言ったクリス。その目標さえも遠い過去の記憶となり、忘れ去られていた。あの頃のクリスはどこにもいない。誇りを胸に、騎士として剣を振るうクリスはもう消えた。

 

 

「……頼む。お願いだから……自分を行かせてくれ」

 

 

戦えない。剣を見る度に、手が恐怖で震え出してしまう。弱々しく懇願するクリスだが、それも虚しく、サーシャはなおも彼女の前に立ち塞がり続ける。

 

 

戦え、と。その瞳は決闘を望んでいた。

 

 

「なら剣を握れ。どの道、お前に選択肢はない」

 

 

戦う意思を今一度問いかけるサーシャに、クリスは戸惑いを隠せなかった。もう一度剣を握れというのか。動揺し呼吸が荒くなっていく。

 

 

戦いたくないのなら、その剣を取らなければいい。決めるのは簡単だ。しかしここで申し出を放棄すれば、病院へと連れ戻されるだろう。明日になればもう二度と、大和達やサーシャ達と会うことはない。そしてこの恐怖を一生背負いながら生きていくのだ。

 

 

この血塗られた手は、消える事はない。まさに生き地獄。これでは自分が本当に生きているのかさえも、実感できない。

 

 

「…………っ!」

 

 

逃げられないくらいならと、クリスは震えながらも手を伸ばし、レイピアの柄を握りしめた。戦えないと分かっていても、本当はどこかで救いを求めているのかもしれない。突き刺さったレイピアを抜き取り、サーシャを見据える。

 

 

サーシャも戦意はあると判断したのか、近くにあった鉄屑を拾い上げると、その鉄屑を剣へと再錬成した。その切っ先を向け、行くぞと静かに答えると、地面を蹴り上げクリスに向かって走り出した。

 

 

「――――はあああああっ!!」

 

 

サーシャの剣がクリスを捉えた。クリスはレイピアで応戦し、その剣戟を受け止める。早い……一瞬にして距離を詰められ、防戦を強いられてしまう。

 

 

(………っ!!)

 

 

心臓が跳ね上がり、恐怖で足が竦みそうになる。戦いへの恐怖がクリスの枷となり、サーシャから逃げるように後退りした。

 

 

しかし、サーシャはなおも容赦なく何度も剣戟を叩き込んでいく。その度にクリスは視線を逸らし、レイピアを盾代わりに身を守る事だけを繰り返す。

 

 

一方的な攻撃と、一方的な防御。これでは戦いとは言えない。それはクリス自身が一番よく分かっている筈なのに……クリスは体勢を立て直そうと視線を戻した。

 

 

だが、

 

 

(………ひっ)

 

 

レイピアの柄を持つ自分の手が視界に入った瞬間、心臓が止まったかのような感覚に陥り、激しい動揺が始まった。手の震えが強さを増し、呼吸が酷く荒くなる。

 

 

あの時見た幻覚はない。だが、また見てしまうのではないかという錯覚が恐怖を生み、戦う意思を蝕んでいた。

 

 

サーシャはその動揺を見逃さなかった。最後の一撃を繰り出し、クリスのレイピアを力任せに叩き割ると、蹴りを腹部に命中させ突き飛ばした。クリスは勢いよく吹き飛び、地面を転がっていく。

 

 

「う……がは、ごほっ……!」

 

 

咽込みながら腹部を抑え込むクリス。衝撃が重い……だが、戦えない程のダメージではない。しかし、今のクリスには十分過ぎる程に大きな一撃であった。クリスは立ち上がろうとはせず、地面に蹲ったままだ。

 

 

「………はは、やっぱり……サーシャには敵わないな」

 

 

渇いた笑いで、クリスは静かに語り出す。まるで戦いを投げ出したかのように、その瞳には闘志は宿っていなかった。サーシャは何も言わず、ただ黙ってクリスを待ち続けている。

 

 

「……もう、十分だろう?自分の負けだ……これ以上戦っても、結果は変わらない。だから――――」

 

 

だから、終わりにしようと。サーシャにそう言った。負けを認め戦う意思がない事を伝えるも、サーシャは首を横に振った。

 

 

「立て、クリス。まだ戦いは終わっていない」

 

 

認めない。立ち上がり、限界まで戦い続けろとクリスに告げた。戦い足りないのか、それとも……どちらにせよ、戦意がないのに戦えと言うのが無理な話である。

 

 

「サーシャも趣味が悪いな。自分は負けたと言った筈だ……それに武器だって――――」

 

 

サーシャが錬成したレイピアは、既に壊れ鉄屑と化している。武器がない以上、戦う事はできない。するとサーシャは鉄屑を拾い上げて再錬成した。鉄屑はレイピアへと姿を変え、錬成したレイピアをクリスの元へと投げ渡す。

 

 

「武器ならいくらでも作ってやる……何度壊れてもな」

 

 

クリスの前には。壊れた筈のレイピアが転がっている。何度壊れても錬成し、再び戦いを繰り返す――――これに何の意味があるのだろうか。

 

 

戦いたくない。怖い思いはしたくない。けれども逃げられない。再戦を余儀無くされたクリスはレイピアを握り、もう一度立ち上がる。身体は戦う事を覚えているのか、自然と身構えていた。

 

 

先の見えない二人の戦いの行方。それは終わる事なく続いた。

 

 

 

 

 

何度、繰り返しただろう。サーシャは幾度となくレイピアを破壊し、再練成。クリスに戦いを強要し、再び戦いを繰り返した。

 

 

一方的な剣戟。まるで負の連鎖。永遠に終わらない無限回廊。クリスは身も心もボロボロになり、動きも機械的になっていた。

 

 

「………うっ!?」

 

 

レイピアを破壊され、地面に投げ出されるクリス。何度目かはもう分からない。これで今度こそ終わる……だが、サーシャがそれを許さない。錬成されたレイピアがクリスの元へと渡される。レイピアを手に立ち上がり、また繰り返す。この意味のない戦いを。

 

 

しかし、クリスは身構えようとはしなかった。しばらく立ち尽くしていたが、突然力なく膝をつき、持っていたレイピアが手から零れ落ちた。金属音が虚しく鳴り響く。

 

 

そしてクリスの膝下に落ちる、小さな雫……クリスの目から滴り落ちる、数滴の涙であった。

 

 

「………戦えない」

 

 

声を震わせ、サーシャに訴えかける。俯いていて表情は伺えない。

 

 

「もう……戦えない。怖いんだ……戦う事が!怖くて、今は剣も握れない……!」

 

 

今まで心に秘めていた感情が、クリスの涙と共に溢れ出ていく。それはクリスが抱えていた、確かな恐怖への感情。

 

 

「剣を握ると、手が震える……動かないんだ。今の自分には何もない。信じるものも、誇りも全部失った!これから、自分は何を信じて戦えばいいか、分からない……!」

 

 

信じていたフランクの正義。騎士の誇り。それを胸に剣を握っていた自分。今は全てを失った。あるのは戦う事への恐怖のみ。彼女は、それほどまでに心を追い詰められていた。

 

 

信じていたものに裏切られた痛み。それは、クリス自身にしか分からない。故に、彼女は苦しんでいた。行き場のない思いが、彼女の感情を爆発させる。

 

 

「助けて……お願い……助けて、助けてくれサーシャ……!」

 

 

助けを請いながら、クリスはその場に泣き崩れてしまった。泣いている彼女は、凛々しく振舞っていたクリスとは思えない程に、弱々しく見える。

 

 

だが、これが彼女の本当の思いであり、心の震えなのだとすれば――――サーシャは何を思ったのか剣を投げ捨てるとクリスへと歩み寄り、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

クリスの両肩を掴み、真っ直ぐにクリスの目を捉える。クリスの視線とサーシャの視線が重なる。涙で滲んでよく見えないが、サーシャの瞳は宝石のようで、何よりも真剣であった。

 

 

そして、

 

 

「あ………え?」

 

 

クリスの制服のボタンと下着を引き剥がした。露わになった白く透き通った素肌。程よく大きな胸。クリスの思考が停止する。するとサーシャは唇を胸に近づけ、

 

 

聖乳(ソーマ)が尽きた。悪いが吸わせてもらうぞ」

 

 

「なっ……!?」

 

 

貪るように、彼女の胸を―――聖乳の吸引を始めるのだった。力強く吸われていくそれは、彼女の身体を敏感にさせていく。

 

 

「あっ!?う……うわあああああああああぁぁああああ!?」

 

 

 

今まで味わった事のない感覚。暴れて抵抗しようとするも、まるで力ごと吸い取られているようで、身体に力が入らない。ただ身を任せ、声を荒げ叫び続ける事しかできない。

 

 

(な……何だ、これ……変な……変な気分になる……!)

 

 

なおも吸われ続けるクリスの聖乳。しかし、不思議と嫌らしさは感じない。経験はないが、強姦をされているわけでもない。汚れなき神聖なる行為だと認識できる。彼女の表情はやがて恍惚になり、サーシャの授乳行為に身を委ねていた。

 

 

 

しばらくして聖乳の補給を終えたサーシャはふうと息をつくと、力が抜けたクリスの身体を抱きかかえ、ゆっくりと壁際に腰掛けさせた。サーシャも隣に座り込む。

 

 

クリスはしばらく放心していたが、聖乳を吸われていた事を思い出し、胸を両手で覆い隠すと、頬を赤く染めながらじろりとサーシャを睨みつけた。まだ余韻が残っているのか、身体は小刻みに震えている。

 

 

「………変態」

 

 

「聖乳を吸われたくらいでいちいち騒ぐな」

 

 

「うるさい!この痴漢!人でなし!変態!変態!お前は変態だ!」

 

 

「お前はそれしか言えないのか」

 

 

まるでバカのひとつ覚えだな、溜息をつくサーシャ。バカにされ頭に血が上ったのか、クリスは顔を真っ赤にしながら反抗を続けた。

 

 

「黙れこのへん…………あああああ、もう!バーカ!サーシャバーカ!バーカ、バーカ!!バーーーーーーーーーーカ!!!」

 

 

「…………」

 

 

子供のように何度も連呼するクリスを見て、やはりバカだと呆れるサーシャなのだった。クリスも気が済んだのか、ようやく落ち着きを取り戻す。

 

 

「………」

 

 

「………」

 

 

しばらく沈黙が続く。すると、その沈黙を先に破ったのはサーシャだった。

 

 

「信じてきたものに裏切られ、何もかも見失った……どうやら父親に対する疑念が、そうさせているようだな」

 

 

「………!!」

 

 

何故分かったのだろう。クリスは目を見開いた。

 

 

聖乳は人の感情そのもの。それによって味も質も変わる。そして、その人間の心さえも読み取る事ができるとサーシャは付け足す。

 

 

つまり、今のクリスの心境を悟られてしまったのだ。悔しい話だが、無抵抗になってしまった自分の責任である。しかしおかげで、心の荷が少し降りた気がした。

 

 

後は、自分の抱えている全てを打ち明けるのみ。

 

 

「もうお前はお前自身の心を曝け出した。一体何があった?全て話せ」

 

 

何も隠す必要はない。苦しいなら、助けを求めているなら、意地を張らず何もかも話してしまえばいい。もしかしたら、サーシャがどうにかして解決してくれるかもしれない……クリスの中で、僅かな希望が芽生えていく。

 

 

サーシャなら、きっと――――そう思った時、彼女の口は自然と開いていた。

 

 

「じ、実は――――」

 

 

「――――ようやく見つけたぞ、クリス」

 

 

サーシャでもなければクリスでもない、第三者の声がクリスの言葉を遮った。二人が立ち上がり確認しようと前へ進んだ瞬間、周囲から複数の気配を感じ取る。

 

 

周囲から現れたのは、軍服を身に纏い、銃を構えた軍人が複数人。胸のマークにはドイツのシンボル。間違いなく、フランク率いるドイツ軍であろう。

 

 

 

そして、サーシャとクリスの目の前に現れた一人の影―――――その正体は、クリスの父親こと、フランク・フリードリヒであった。

 



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76話「メフィストフェレス」

どうも、作者です(・3・)
長い間体調を崩しておりましたが、取り敢えず復活です。
また途絶えるかもですが、よろしくお願いします。


サーシャとクリスの前に突如として現れたフランク。そしてドイツ軍の軍隊。フランクは静かにサーシャ達に立ちはだかり、逃がさないと言わんばかりに軍隊の包囲網を張り巡らせていた。

 

 

「こんな夜中に出歩くのは関心しないな」

 

 

フランクの表情は変わらない。無表情と言った方が正しいか。それも声にも感情が感じられない。二人には分かる。軍人として感情を押し殺していても、フランクとしての尋常ではない、静かな怒りが確かに満ちていた事を。

 

 

クリスは父親に対し、初めて恐ろしいと感じた。こんなフランクは、今まで見た事がない。

 

 

「こんな夜中にわざわざ軍隊を連れ歩いて巡回とは、ご苦労な事だな」

 

 

皮肉の意味を込めて、サーシャはフランクに投げかける。しかしフランクはなおも表情を変えず、サーシャ

に視線だけを注ぐ。

 

 

「君の事は知っているよ。アトスのクェイサー……アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘルーーー致命者サーシャ」

 

 

娘が世話になったね、と。淡々とした口調で喋るフランク。フランクはそうサーシャに告げると、これ以上サーシャに興味を示す事はなく、すぐにクリスへと視線を戻した。

 

 

フランクの目的は逃亡したクリスを連れ戻す事だ……他の事など眼中にはない。

 

 

「アトスの人間にはもう関わるなと言った筈だが?」

 

 

腕を組み、フランクは今一度クリスに問いかける。病室で告げられたフランクの言葉。仲間達と別れ、サーシャ達アトスとの関わりを断つ。だが、そんなもの認められる筈がない。たとえフランクの娘であろうとも、クリスはクリスなのだから。

 

 

「……それは自分が決める事です。父様が何と言おうと、自分はここを離れるつもりはありません」

 

 

フランクに見せたクリスの意思は固く、そこに迷いはない。サーシャに諭された事で、クリスは現実と向き合おうとしていた。もう逃げない。真実を語らないのならば、語るまで抗い続けるのみ。

 

 

一方、フランクはこうなる事を予想していたのか、表情は冷静そのものだった。フランクは腕を組み直すと、静かにこう告げた。

 

 

「ーーーそうか。なら強引にでも連れて帰るまでだ」

 

 

瞬間、空気が一変した。フランクの一声で軍隊がクリス達に銃を向け、彼らの動きを束縛する。呼吸一つすら許さない程の完全包囲。逃走は無論、皆無。

 

 

だが、軍人とはいえこの人数を相手に戦えないサーシャではない。相手がいかに訓練と実戦を重ねてきた手練れであろうとも、サーシャは死地を潜り抜け、これ以上の敵と戦ってきたのだ……臆する理由などありはしない。

 

 

それに、フランクはクリスを連れ戻すのが目的である。殺してでも連れ帰るとなれば話は変わるが……軍人である以上、可能性は否定できない。そこまでするとは思えないのだが。

 

 

するとサーシャの思考を読み取ったのか、安心したまえとフランクが前置きをする。

 

 

「彼らの装備している銃に実弾はない。だが代わりにある特殊弾を装填してある……君達アトスがよく知っている、元素回路を組み込んだ特殊仕様だ。着弾すればサーキットが体内に進入し、クェイサーの力の源であるソーマエネルギーを破壊するーーーまさに悪魔を殺す”銀の弾丸”といったところか」

 

 

元素回路が組み込まれた対クェイサー用に支給された特殊弾。それは、サーシャがいるという事を予め想定した上での対策。この男、ただの軍人ではないとサーシャはあらためて痛感した。クェイサーに通じているという事は、異能力者とも交戦している事が理解できる。フランクの言っている事が事実ならば、着弾したら最後、サーシャはただの人間に成り下がる。ハッタリとも思えない。

 

 

ならば、どう戦う。特殊弾の嵐を掻い潜りながらクリスを守るのか。あまりにも無謀過ぎる。それに特殊弾をうまく退けたとしても、フランクがいる。フランクの戦闘力は未だ未知数。迂闊に手は出せない。

 

 

「……もう一度言おう。クリス、今すぐ手を退け。退かないのならば是が非でも連れ帰る」

 

 

二度はないぞ、とフランクの目がそう訴えていた。フランクは、どんな手段を駆使してでもクリスを連れ帰るつもりでいる。

 

 

「……父様、どうしてそこまでサーシャ達クェイサーを敵視するのですか?」

 

 

クリスからサーシャ達を引き離す理由。何かがある事だけは事実。フランクの意思が変わらないのなら、クリスも聞き出すまで動かない。するとフランクはようやくその真意を語り始めた。

 

 

「お前は彼らと関わり、そして理解した筈だ。クェイサーに関われば、一体どういう事になるのかを」

 

 

クェイサー……アトスと関わりを持つという事。それは常に危険と死の隣り合わせ。いつアデプトのクェイサーが襲撃してくるか分からない。娘の身を案じ、娘を思うフランクの気持ちはクリスにも痛い程伝わってきた。

 

 

だがそれでも、クリスには守りたい仲間達がいる。だからこそ、譲れない。

 

 

「危険に晒されるという事は重々承知の上です。しかし、今こうしている間にもアデプトの人間はーーー」

 

 

「ーーーそうではない!」

 

 

クリスの言葉を遮り、フランクが激昂する。それは、軍人としてではなく純粋な父親としての怒り。

 

 

「クリス、どうやらお前はまだわかっていないようだな。確かにクェイサーは強力な存在だ……だがその代価として必要なのは聖乳。つまり、それはーーー」

 

 

明かされるフランクの真意。クリスやサーシャ、隊員達もが息を飲んだ。そして今この瞬間、フランクから告げられた真実。それはーーー。

 

 

「私の愛しい娘が、クェイサーに聖乳を吸われるという危険に晒されてしまう事だ!そんな事は、たとえ神が許しても私が許さん!!」

 

 

…………。

 

 

場の空気が、沈黙した。

 

 

サーシャはもちろん、隊員達の誰もが言葉を失った。明かされた驚愕の事実。隊員達はなんとなく予想はついていたのか、動揺は見られない。しかし、これでサーシャのフランクに対しての警戒心が一瞬にして消え失せた。ようは、ただの親バカなのだ。

 

 

だが、それよりも驚愕を通り越し表情を真っ赤に染めているのはクリスである。何故なら、先程サーシャに吸引されたばかりだからだ。動揺が表情に現れ、言葉が出ない。

 

 

「む……?」

 

 

クリスの異変に気づくフランク。様子がおかしい。まさか……と、フランクの脳裏に不安が過ぎった。そんなはずはないと強引に不安を拭い去るフランクだったが、その不安はサーシャの一言で確信へと変わる。

 

 

「お前の考えている通り、そのまさかだ……一足遅かったな」

 

 

サーシャはまるで勝ち誇ったかのように、静かに笑って見せた。フランクの表情が、一瞬にして凍りつく。

 

 

そして、

 

 

「き………貴様ああああああああああ!」

 

 

フランクの怒りが、押さえ付けていた感情と共に音を立てて弾けた。周囲の空気が一変、肌を突き刺すような殺意がサーシャ達を襲う。恐らくこれが、フランク自身の戦闘力。サーシャの警戒心が再び警告する。この男は危険であると。

 

 

隊員達もフランクの気迫に触発され、サーシャ達に銃口を突き付けた。しかしフランクをそれを制し、銃を下ろせと命令する。

 

 

「お前達は待機だ、手を出すな。この少年だけはーーー私が直接手を下さなければ気が済まない」

 

 

大切な娘に手を出した、その代償は大きい。フランクは自らの手で鉄槌を下すとサーシャを睨み付けた。隊員達は銃を下ろすと、サーシャ達から離れ、廃工場内から消えていく。

 

 

これで銃撃される危険性はなくなった。状況は一変、フランクと一対一で戦う事ができる。少しは部があるかと判断したサーシャだったが、フランクは思い上がるなとその思考を一蹴する。

 

 

「これで戦局が有利になったと……そう思っているのだろう?だがそれは大きな間違いだ。見せてやろう、私の本来の力を」

 

 

フランクが目を閉じた瞬間、フランクの身体が徐々に変化を始めた。そして同時に放たれる得体の知れない気。それはクリスですらも知らなかった、フランクの力。肉体が活性化していき、表情もまるで若返ったように皺が消えていく。

 

 

否、実際に若返っているのだ。サーシャ達の目の前で、あり得ない事象が起こっている。次第にフランクの髪が伸び、銀幕のような銀色の長髪をなびかせながら、フランクはその姿を表した。

 

 

ーーメフィストフェレス。ドイツの一族に伝わる若返りの秘術。肉体を活性化させ、本来の力を引き出す人知を超えた力。

 

 

「と……父様が、若返った?」

 

 

見た事のない父親の姿を前に、驚きを隠せないクリス。それもその筈、今まで見せる機会など、これまでにはなかったのだから。

 

 

「メフィストフェレス……噂には聞いていたが、まさか本当に実在していたとはな」

 

 

サーシャもその存在を認知していたが、ここで目の当たりにするとは夢にも思わなかっただろう。しかしサーシャは驚いているようには見えなかった。何故ならその類の人物を知っていたから。

 

 

 

「かのミス・エヴァとは似て非なる技術だ。尤も、私の秘術は一時的なものに過ぎないがね」

 

 

フランクが持つ技術は一時的な肉体の活性化によるもの。エヴァは自らのクローンを糧に肉体を補い、若さを維持する技術。どちらにせよ、脅威である事に変わりはない。

 

 

「……さて」

 

 

フランクがサーシャ達の前へ、静かに一歩ずつ歩を進め、サーシャ達との距離を縮めていく。静かなる怒りと威圧感が、サーシャ達の精神に重圧をかける。

 

 

「クリス……お前は下がっていろ」

 

 

こいつは俺が倒すと、サーシャは歩み寄るフランクを睨み付けた。しかしクリスは首を横に振った。自分も父親と戦うと、新たに決意して。怯んでなど、いられない。

 

 

「ーーー少年、私の娘に手を出した罪、その身で償ってもらうぞ」

 

 

フランクとサーシャ、そしてクリス。彼らの戦いの幕が上がる。



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77話「騎士は未だ倒れず」

(・3・)まみーん。
約1年ぶりです。作者です。
前回の投稿でギャグ要素を投入した途端、話が進まなくなるという事態になり、しばらく滞っていましたが、今復活しました。これまで読んでくださっていた皆様、大変長らくお待たせ致しました。


また更新が長くなるかもしれませんが、これからも読んでくださると嬉しいです。よろしくお願いします。


静かに歩み寄るフランク。憤怒の如き闘志を身に纏うその姿は、サーシャとクリスに重圧を与える。

 

 

これがフランク本来の力ーーサーシャは鉄屑を拾い上げ、大鎌(サイス)へと錬成を始めた。

 

 

しかし、その時にはもうフランクが一気に距離を縮めていた。フランクの拳がサーシャの腹部に減り込む。

 

 

「かーーーはっ!?」

 

 

衝撃で意識が遠退く。早い……武器を錬成する前に先手を打つフランクの行動。クェイサーとの戦いに慣れている。フランクは更に追い討ちをかけ、サーシャの横腹に蹴りを入れる。サーシャの身体は吹き飛び、壁へと叩きつけられた。

 

 

「いかに強力な元素であろうと、武器を錬成する時間をゼロにはできない。その瞬間こそが、君達クェイサーの弱点だ」

 

 

クェイサーが持つ異能の力。だがそれは絶対ではない。元素を行使するには錬成が必要である。そして錬成するには時間がいる。その間はクェイサーは無防備。その隙を突いてしまえばどうという事はない。

 

 

「せやあああああ!」

 

 

クリスがフランクの背後を取り、攻撃を仕掛けた。首元に回し蹴りを放つも、振り向きざまに足を掴まれ阻止されてしまう。

 

 

「実の親に手をあげるとは……つくづくお前は悪い子だな」

 

 

流石は親と言うべきだろうか。クリスの戦闘力全てを熟知していた。クリスの動きは手に取るように分かる。フランクはクリスの腹部に正拳突きを放った。一撃で意識を失いかねない程の衝撃がクリスを襲う。

 

 

「が、ふっ……!?」

 

 

消えかけた意識を、強引に持ち直すクリス。付け入る隙がまるでない。これではかすり傷どころか、触れる事さえもままならない。ただ一方的に、洗礼と言う名の攻撃を受け続けるだけである。

 

 

「くそっーーー!!」

 

 

サーシャは足下の鉄片を苦無に錬成し、フランクに向けて投擲する。武器を錬成する時間がほぼ皆無という制約を受けたサーシャだが、ナイフ程度の物ならば僅かな錬成時間で済む。しかし、その苦し紛れの攻撃も虚しく、フランクの素手によって弾かれてしまう。

 

 

「確かにこの程度の武器ならば短時間で錬成できる。だが、その程度では私に傷ひとつ負わせる事はできんよ」

 

 

異能の力さえも軽くあしらうフランクの実力。飛び道具ですらその場凌ぎにしかならない。この男の前では、クェイサーとしての戦術は無意味だ……今の戦い方では勝てないどころか、一矢報いる事もできないだろう。

 

 

ならばーーー選択肢はひとつ。サーシャは地面に突き刺さっていたレイピアを引き抜き、その柄を強く握り締めた。

 

 

クェイサーとして戦えないのなら、能力に頼らず、純粋に戦士として戦うまで。ビッグ・マムからもそう学んだように。

 

 

フランクも、そうこなくてはなと笑う。サーシャの純粋な戦闘力は未知数で油断はできないが、戦闘経験は明らかにフランクが上。遅れを取るつもりはない。

 

 

「クリス、同時に仕掛けるーーー!」

 

 

「ああーー!」

 

 

サーシャとクリスの合図と同時に、フランクに攻撃を仕掛ける。繰り出されるサーシャの斬撃と、クリスの連続する刺突が、フランクに襲いかかる。

 

 

「遅いなーーー!」

 

 

フランクは余裕の笑みさえ浮かべ、二人の攻撃を捌いていく。サーシャ達の動きが止まって見えるとでもいうのだろうか。二人の迎撃も虚しく、反撃によるフランクの拳撃が二人の身体を弾き飛ばす。

 

 

それでもなお立ち上がり、フランクに食らいつこうと足掻くサーシャとクリス。勝算があっての行動か、それとも無謀という名の悪足掻きか。どちらにせよ、彼らをーーー彼らの闘志を打ち砕くのみ。フランクはサーシャに拳を放ち、蹴りでその身体を地面へと叩きつけ、さらにはクリスの武器をも粉砕した。

 

 

まるで赤子同然。超人的なまでのフランクの戦闘力に圧倒され、サーシャ達に為す術はないに等しかった。

 

 

「致命者サーシャ、君の力がその程度とは……残念だよ」

 

 

クェイサーとしての能力を封じられたサーシャの戦いを前に、フランクも拍子抜けだなと嘲笑する。サーシャの戦士としての力量を持ってしても敵わない。その力量と戦術は師匠であるビッグ・マムを思わせた。

 

 

「私の愛しい娘の聖乳(ソーマ)を吸った罪、その命をもって償ってもらう……と言いたい所だが、私も鬼ではない。大人しくクリスを引き渡せば、これ以上君に危害は加えないと約束しよう」

 

 

クリスから手を引けと、取引を持ちかけるフランク。その交渉は、サーシャとクリスには予想外であった。あれだけ激情していたフランクから出た言葉とは、到底思えない。

 

 

だがこれ以上戦闘を続ければ、フランクはどんな手段を行使してでもサーシャを排除するだろう。愛しき娘の愛故に。フランクを突き動かしているのは、まさしくその一点である。

 

 

クリスを危険に晒さない為に。クリスからサーシャ達を遠ざける為に。聖乳を吸われた事への怒りは、サーシャの想像を遥かに超えていた。

 

 

否ーーーー違う。本当の理由はそんな事ではない。確かに父親としての怒りは本物だ。サーシャには見えていた。フランクの激情の瞳の奥に眠る、もう一つの感情が。彼には、クリスを連れ戻さなければならない大きな理由が、別にある。でなければ聖乳の吸引を許し、サーシャ達を無傷で返す筈がない。

 

 

フランクの心理に潜む、感情の正体ーーーそれは、怒りではなく”畏れ”。それこそが、クリスの求めている答えだ。それを曝け出さない限りこの戦いは終わらない。

 

 

背を向ける事など、あり得ない。

 

 

フランクは戦場という名の地獄を潜り抜けてきた歴戦の猛者である。サーシャは今、この男に戦士としての力量を問われているのだ。超えなければならない相手。臆する道理はない。敵わない相手だと知ったならば……己が信念を貫き、戦い抜いて前へと進むのみ。

 

 

「……断る。クリスとの間に何があるのかは知らない。だが、クリスに疑念を抱かせているのは貴様自身だ。何故向き合わない?何から逃げている?」

 

 

クリスの持つ、父親への不信感。彼女がそうさせているのは、フランクの胸の内にある全て。それを払拭しない限り、クリスとフランクの溝は深まる一方である。

 

 

サーシャの問いに、フランクから余裕消え、苦悶に表情を歪ませた。まるで、触れてはいけないものに、触れられてしまったかのように。

 

 

「君が何を言いたいのかは知らんが、私は軍人として君をクェイサーであると知った上で、聖乳の吸引を許すと言ったーーただそれだけの事だ」

 

 

飽くまで軍人としての対処をしたまで、とフランク。私情は持ち込まないとでも言うのだろうか。サーシャは更に詰め寄った。

 

 

「本当にそれだけが理由なら、そもそもアトスと協力関係にはならなかった筈だ。聖乳を吸われた事への怒り……それは、真実を隠すための口実だ。違うか?フランク・フリードリヒ」

 

 

俺が気づかないとでも思ったか、とサーシャは投げ掛ける。アトスと協定を結ぶという事は、クェイサーと関わるという事。ならば当然、クリスの性格なら、聖乳を吸われる事を除けば協力を惜しまないだろう。

 

 

この少年に、見透かされている。フランクの中で焦りが生じ始める。軍人という仮面が剥がれ落ちそうになるも、フランクは感情を押し殺した。そして、目の前の敵ーーーサーシャを排除するという任務を遂行する為に思考を切り替える。それ以外を考える必要はない。手加減も必要ない。

 

 

全力で、サーシャを倒さなければ。

 

 

「ーーー前言を撤回しよう。致命者サーシャ、私の全力を以って君を排除する」

 

 

瞬間。爆発的な跳躍速度により、サーシャとの距離を縮め、正拳と蹴りの嵐を叩き込む。

 

 

(さっきよりも、早い……!!)

 

 

フランクの攻撃は初戦より速度も、威力も増していた。今までは本気ではなかったという事だろう。サーシャは防戦一方を強いられ、その怒涛の連撃は反撃はおろか、捉える事さえも許されなかった。

 

 

 

(これでは、もう………)

 

 

二人の戦いを、ただ見ている事しかできないクリス。このままでは……と、クリスの表情に焦りの色が見え始めた。消耗戦に持ち込まれるだけである。それに、フランクはまだ息が上がってすらいないのだ。

 

 

勝てない。そう自分の心が囁く。父親に一矢報いる事すらままならない自身の無力感が、クリスの闘志を奪う。サーシャの援護ができればとも思うが、今の自分では何もできない。

 

 

この先にあるのは、敗北。いくら足掻いても、勝てる道理がない。僅かに保たれていた闘志が今、蝋燭の灯火の如く儚く消えるように。

 

 

ーーークリスの思考が、止まる。思考が闇に包まれていく。

 

 

あるのは諦めという感情。これ以上自分の為にサーシャが傷つくのは、堪らなく嫌だった。全ては自分の弱さが招いた事。もっと自分が強けば………そう思っても、今は届かない。これがクリスの限界。ならばもう、自分自身の手で終わらせるしかない。

 

 

敗北という名の、結末に。

 

 

「もう……やめーーー」

 

 

 

 

”受け流すんだ。そして相手の力を利用してーーー切り返せ!”

 

 

 

戦いを終わらせようとクリスが声を出そうとした時、ふと脳裏にジータの言葉が浮かんだ。何故かはわからない。突然、ジータと手合わせをしていた時の記憶が蘇り始めた。

 

 

 

 

 

ーーーーとある日の道場にて。

 

 

「………また、負けた」

 

 

床に仰向けに大の字に倒れ、クリスは敗北を噛み締めていた。何度戦っても、ジータに勝てない。それどころか一撃すらも与えられていないのだ。

 

 

しかし何度負けても、この敗北感は心地よかった。クリスの額から汗が頬へ伝い、道場内に吹き抜ける風が程よく冷やしてくれる。

 

 

「以前より動きは良くなってきているな。しかし、力と力のぶつかり合いだけでは、相手を圧倒する事は難しいぞ」

 

 

ジータは倒れているクリスに、一息入れようとスポーツドリンクを手渡す。もう幾度も試合を繰り返し続けているのか、クリスの表情に疲労の色が見えていた。クリスは起き上がり、スポーツドリンクを受け取ると、一気に飲み干し、喉の渇きを潤した。

 

 

「……自分には、何が足りないのでしょうか」

 

 

ジータとの戦いの中で打たれる度に、クリスの欠点は少しずつ見えてきた。僅かだが実感はある。しかし、何かが欠けている。それも、それ自体が見えてこないのだ。

 

 

力でもなく。速さでもなく。では一体何が引っかかっているのか。尤も、ジータの戦術・技量と比べてしまうと、何もかもが足りていないのだが。

 

 

「クリスには、力も速度も十分に備わっている。しかし、時には相手の力を利用する事も必要だ」

 

 

相手の力を利用し、受け流す。力で敵わない相手なら、その力を逆手に取ればいい。力を振るうのではなく、戦いの流れを掴むのまた、戦術の一つだとジータ。力と力だけでは測れないものもある、という事である。

 

 

(相手の力を利用する……か)

 

 

クリスが初めてジータと試合をした時も、ジータは初見にも関わらずクリスの動きを見切り、一度も隙を見せる事なく倒してみせた。無論ジータの技量も勝ってはいたが、もしジータのような戦い方ができれば、ジータに届くかもしれない。

 

 

そしてサーシャにも。百代達にも勝つ事ができるかもしれない。どんなに倒れても、どんなに負けてもいい。強くなりたい、そしてその先を行きたい。クリスはレイピアを手に取り、再び立ち上がった。

 

 

「もう休まなくていいのか?」

 

 

「はい……引き続き、お願いします!」

 

 

今のクリスには、休む時間も惜しかった。それは焦りではなく、純粋にジータと戦いたいが故に。彼女と一戦交えれば交える程、自分の可能性が見えてくる……そんな気がしてならなかった。

 

 

そんな直向きなクリスを見て、まるで弟子ができたようだと、ジータは静かに笑う。彼女の闘志に応えなければ………ジータの全てを以って。

 

 

 

そして試合再開。クリスは迷う事なく剣を振るった。ジータは剣戟を払い、ことごとく打ち返す。打ちのめされてもなお立ち向かうクリスの姿に、ジータは投げかける。

 

 

「受け流すんだ。そして相手の力を利用してーーー切り返せ!」

 

 

お前の力はそんなものではない筈だ、と。それに応えるように、クリスの攻撃も鋭さを増していった。

 

 

 

ーーー超えてみせる。己自身に信じる物がある限り、”義”の心は決して消えない。フランクから受け継がれしその魂は、必ずクリスを導いてくれるだろう。

 

 

そう、必ず。

 

 

 

 

 

(ジータ、自分は…………)

 

 

不意に蘇った記憶。その記憶は迷えるクリスに再び闘志を宿していく。負けられない。ここで負けを認めればこの先一生、真実にたどり着く事も、自分を貫く事もできない。ジータとも分かり合えないままだ。剣を取る事も、自分自身がが許さないだろう。

 

 

父親への疑念によって、自分の中にある”義”は崩れた。戦う事にも恐怖を覚える程に。だが、背を向けていては、何も変わらない。ならば自身の手で道を切り開き、こじ空けるまで。今もサーシャは戦っているのだ……クリスの魂が叫ぶ。剣を取り、未来を掴めと。

 

 

戦いの葛藤の中で、クリスの心は確かに、”震えた”のだった。

 

 

クリスは地面に転がるレイピアを手に取り、フランクを見据えた。レイピアの先端は折れ、もはや武器としての面影はない。しかしクリスに戦う意思が折れない限り、その闘志こそが刃となる。

 

 

「ーーー終わりだ、少年よ」

 

 

フランクの渾身の一撃が、サーシャに迫る。嵐の連撃を受け続けたサーシャは、限界寸前だった。もはやサーシャにそれを受け止める程の余裕はない。だがその直後、

 

 

「させるかっ!!」

 

 

サーシャの目の前にクリスが現れ、フランクの一撃を払いのけた。フランクも彼女の復帰に予想外だったのか、反応が僅かに遅れ止めを刺す機会を逃してしまう。

 

 

「……来るのが遅いぞ、クリス」

 

 

一度は戦いに屈したクリス。しかし、サーシャは信じていた。必ず戻ってくると。彼女はここで終わるような戦士ではないと。

 

 

「もう、迷いなどない……この魂に闘志ある限り、自分は戦い続ける!」

 

 

迷いは晴れた。後は真実に立ち向かうまで。クリスは改めて父親と対峙する。サーシャと共に。



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78話「貫く信念」

(・3・)まみ〜ん。
久しぶりの投稿です。一年越しにならなくてよかった(汗
ではサーシャ&クリスvsフランク、スタート!


迷いを捨て、再びフランクの前に立ち向かうクリス。一体何が彼女を突き動かすのか……それは父親を信じたいという心と、真実を知りたいという確固たる意志である。

 

 

「何故だクリス。何故そうまでして、あの村に拘る……?お前には何の関係もないはずだ」

 

 

解せない。あの村で起きた事はクリスとは無関係だ。偶然あの村の生き残りに会い、それに共感したとでもいうのか。クリスはフランクの問いかけに、首を横に振った。

 

 

「自分はただ……真実を知りたいだけです」

 

 

真実への探求。フランクがクリスを欺いてまで隠さなければならなかった本当の理由。それを聞くまでは、引き下がれない。

 

 

これ程までに食い下がるか……だがフランクにも意地がある。ここで折れる訳にはいかない。例え娘に刃を向けられようとも。

 

 

そうーーー最愛の娘であるが故に。

 

 

「私の答えは変わらん。これ以上踏み込むというのならーーー」

 

 

誰であろうと、容赦はしない。フランクは地を蹴り急接近し、クリスへ向けて拳を振るう。まるで肉を抉るようなその一撃は、より鋭さを増していた。まともに受ければそれこそ致命傷になり兼ねない。

 

 

間違いなく、正真正銘の全力。同時に現れる焦りという感情。愛する娘への畏れ。クリスは瞼を閉じて五感を研ぎ澄ませ、力の流れを感じ取る。僅かに許された時間の中に、必ず突破口がある。

 

 

 

 

力を受け止めては意味がない。そもそも、受け止めるには個々によって限界もある。

 

 

だからこそ相手の力を利用し、受け流す。相手の動きを見切るだけではなく、身体で感じ取る事。イメージし、体現せよとクリスの中にある闘志が鼓動した。

 

 

(受け流し、そしてーーー切り返す)

 

 

脳裏に刻み込まれたジータの言葉。それは、これまで戦い抜き、辿り着いた答え。彼女が生きた証であり、クリスが超えなければならない試練である。

 

 

思い出せ、この身に受けた全ての感覚を。

 

 

呼び覚ませ、戦いの最中で見出し手に入れた術を。

 

 

手を伸ばせば、必ずこの身に届く。ジータのように凛々しく、強く在り続けたい。その思いと信念は、クリスの心を震え立たせた。

 

 

”ーーーー負けられない、絶対に!”

 

 

フランクの攻撃が迫り、正拳がクリスに触れるその直前ーーークリスは視界を閉じたまま、身体を僅かに動かしてみせた。拳はまるで拒むように、クリスの身体をすり抜けていく。

 

 

そしてすかさず、クリスはフランクの懐に折れたレイピアの柄を向ける。柄はそのまま吸い込まれるかのようにフランクの懐へ入り、

 

 

「か、はーーー!?」

 

 

鳩尾へと直撃した。衝撃でフランクから嗚咽が漏れる。カウンターによるクリスの一撃……ついにクリスの反撃が、フランクに届いたのである。

 

 

 

力と力は反発し相殺される。力の流れを読み、相手の力を利用し、それを攻撃の糧とする……ジータとの戦いで学んだ戦いの術は、クリスの身にしっかりと刻み込まれていた。

 

 

(ば……ばかな……)

 

 

自分の力が跳ね返り、衝撃で僅かに意識が揺らぐ。想定外のクリスの反撃に、フランクは動揺を隠せなかった。先程とは戦い方が違う。一体クリスの中で何が起きたというのだろうか。

 

 

しかし、考えている暇はない。一矢報いた所で優劣が逆転したわけではないのだから。

 

 

まだ、十分に戦える。フランクは体勢を立て直し、迎撃を再開。クリスに向けて蹴りを放つ。しかしクリスは動じる事なく、

 

 

「ーーー見えたぞ!」

 

 

身体を反らしフランクの攻撃を受け流した。追撃も躱しきり、僅かに生じた隙をつき、着実に一撃を与えていく。

 

 

力の流れが分かる。思考しなくても、身体が全てを知っている。ジータとの鍛錬で得た経験がクリスの力となり、今この戦いの中で最大限に引き出されていた。

 

 

 

この状況なら、押し負けることはない。だが、決定打がなければ、勝つ事はできない。フランクの攻撃を見切る事は出来たが、それもいつまで続くかは分からない。長期戦で疲弊すればする程、反射速度は鈍っていく。

 

 

そしていつか必ずーーー限界が訪れる。

 

 

「ぐっ……!?」

 

 

突然、腹部に抉られるような激痛が走った。最初に受けたフランクの一撃が効いているのだろう、クリスの表情が苦痛で歪む。ようやく戦える術を見つけたというのに……クリスの身体が悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。

 

 

後、もう少しだというのに。立ち上がろうとするも、身体が言う事を利かない。痛みで身体が軋みを上げ、クリスの行動を束縛する。

 

 

(こんな……ところで……)

 

 

痛みで視界が霞んでいく。保ち続けていた意識が、途切れ途切れになる。ここまでのようだなとフランクの声が聞こえた気がした。クリスの戦いは、ここで終わってしまうのだろうか。

 

 

その時、クリスの前にサーシャが現れ、

 

 

「交代だクリスーーー後は、任せろ」

 

 

レイピアを手にし、再び戦いに挑もうと立ち上がった。ボロボロになり、傷を負ってもなお、その背中は頼もしく感じられた。

 

 

だが、これはクリスが乗り越えなければならない戦いである。しかしそれはサーシャも同じ。何故ならば、

 

 

 

ーーーひとりの戦士として戦い抜く事が、サーシャの意志なのだから。

 

 

ーーーひとりの娘として信念を貫く事が、クリスの意志なのだから。

 

 

 

答えは一つ。共に戦い、フランクに勝つ事。クリスも痛みを堪え、再び立ち上がる。クリスの強靭な意思が、身体を蝕む苦痛をいくらか麻痺させてくれた。

 

 

サーシャとクリス。二人の心は未だ折れず。その不屈の精神に、フランクは立ちさえ覚えていた。冷静沈着という仮面が崩れ落ち、激情に駆られた表情が露わになる。

 

 

「何故だ……何故わからんのだ!勝ち目がないと理解してなお、まだ立ち上がるというのか!?」

 

 

もう戦える身体ではないというのに。サーシャとクリスを突き動かしているものは、それ程までに強い意志なのか。もはや無謀を通り越して愚行でしかない。しかし、二人は背を向けない。

 

 

「それでも、自分はーーーー!」

 

 

この信念がある限り、クリスは足掻き続ける。たとえ傷き、この身が砕けようとも。思いの丈をぶつけるように、フランクにレイピアの剣戟を放った。彼女の刺突に迷いはない。ただ一つの信念を貫く為に、その剣を振るう。

 

 

「必ず、お前にーーーー!」

 

 

この命がある限り、サーシャは挑み続ける。たとえ朽ち果て、この身が焼かれようとも。この者に、贖いと慈悲をーーー彼の一撃に曇りはなく、フランクの全てを暴き救い出す為に、その剣を放つ。

 

 

「「打ち勝ってみせるーーーー!」」

 

 

フランクの身に放たれた、二人の剣戟。二人の意識が同調して繰り出された、サーシャとクリスの渾身の一撃。だが、フランクからしてみれば苦し紛れの同然の攻撃に過ぎない。交わすことも容易であれば、いとも容易く捌ける筈である。

 

 

それなのに、何故。

 

 

(ーーーーーっ!?)

 

 

避けられない(・・・・・・)、と思ってしまったのだろう。動けない程の傷を負っているわけではない。見切れなかったわけではない。しかし、身体は蛇に睨まれたように身動き一つ取れないのだ。ただ全てを、受け止めるしかない。

 

 

 

ああ、そうかーーーと。フランクは一つの答えに辿り着く。戦術・技術では確実にフランクが勝っていた。この事実は揺るがない。しかし、二人の心の強さにだけは……勝つ事はできなかった。それに気づいてしまった。

 

 

己の心の未熟さが故の、敗北。否、フランクはもう既に敗北を認めていたのかもしれない。真実から目を背けていた事。クリスを欺き、真実から遠ざけ、それを是とした事。分かっていた。理解していた。

 

 

そう、それは紛れも無い罪の形ーーーフランクは娘の成長と、サーシャの戦士としての度量を見届けながら静かに目を閉じ、彼らの剣戟を受け入れた。

 



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79話「真実は業火の記憶の中で I」

(・3・)ノノどうもです。
続けて更新です。ここからはフランクの過去編となります。


激闘の末、サーシャとクリスの戦いは幕を閉じた。

 

 

フランクは衝撃で朽ちかけた壁に身体を叩きつけられ、ぐったりともたれ懸かり、表情を俯せていた。額からは血を流し、重症ではないものの、戦える程の力はもう残っていない。

 

 

「………私も、衰えたものだ」

 

 

何という様だと自嘲し、力なく笑うフランク。サーシャとクリスの攻撃を真正面から受けてもなお、メフィストフェレスの効力は維持されたままであった。だが、受け続けた傷までは回復が追いつかなかったようである。

 

 

もう、フランクに戦意は感じられない。クリスはフランクへと歩み寄った。クリスが求める真実を明らかにする為に。今一度、問わなければならない。

 

 

「父様……自分は、父様を信じたいのです。だから、真実が知りたい」

 

 

その真実の先に何がのあるかは、分からない。先にあるのは、フランクを信じたい気持ちを裏切る結果になり、残酷な真実となってクリスに突き付けられるかもしれない。

 

 

しかし、それでも。フランクの口から語られるまでは、今は信じて待つことしかできないのだから。

 

 

すると、フランクは遠い日の記憶を呼び起こすように思慮に耽った後、静かに口を開くのだった。

 

 

「………クリス。お前はあの村を見捨てたと言ったな。だが…………いや、これは言い訳だな。見捨てたと言われても、私に弁解をする資格はない」

 

 

「………?それは、どういう事ですか」

 

 

あの時病院の屋上で、ジータはクリスに村を見捨てたと言っていた。それをフランクは肯定した。しかし、弁解をする資格がないとは、一体何を意味しているのだろうか。フランクは後悔の念を吐き出すように、小さく声を漏らした。

 

 

「私は………救えなかったのだ」

 

 

救えなかった。その言葉が意味する事。これから語られるフランクの過去。それは、業火の記憶。紛争で起きた真実が、今明かされようとしていた。

 

 

 

そう、それは数年前に起こった紛争。フランク率いるドイツ軍は、紛争を止める為に派遣された。しかしフランク達を待ち受けていたのは、彼らの想像を遥かに超えるものであった。

 

 

 

 

 

ーーー数年前。某所軍事基地にて。

 

 

フランク率いるドイツ軍は、某国の依頼によりあるテロリストの行方を追っていた。フランクは会議室にて部下を集め、作戦会議を行なっている。

 

 

「今回の我々の最終目的は、テロリスト組織ーーーアンシャン・レジームの殲滅と、首謀者のフリードリヒ=タナーの身柄の拘束である」

 

 

アンシャン・レジーム。欧州で暗躍しているテロリスト組織であり、その目的は未だ不明である。判明している事は、戦争や紛争を誘発、特定の人物を抹殺……所謂死の商人のような存在という事だけである。

 

 

そして、フリードリヒ=タナー。その姿を見た者は少ない。彼は決して表舞台には立たず、変装の使い手、女性説、様々な噂が独り歩きしている。また、『双頭の紋章屋(クレストメーカー)』と言う異名で呼ばれているが、その意味は定かではない。ドイツ軍の情報網や九鬼財閥でさえも、その実態は不明。何らかの理由で秘匿されており、調査は難航を極めていた。

 

 

しかし、某国の諜報部の人間がスパイとして潜入に成功し、アンシャン・レジームの情報を掴んだとの報告があった。その情報を頼りにフランク達は派遣され、現在に至っている。

 

 

「情報によれば、ゲリラ部隊が和平派による平和宣言パーティーの襲撃する為に雇われ、近辺に潜伏しているようだ。恐らくこれを機に和平派の人間を始末し、紛争の引き金を弾くつもりだろう。まず我々は襲撃を阻止し、パーティー参加者全員の安全を確保しなければならない」

 

 

作戦内容を確認し、詳細を説明するフランク。最終目的は組織の殲滅と首謀者の確保だが、最優先事項は和平派及び参加者の人間全員の安全である。平和主義者はテロリストにとって邪魔な存在。彼らが殺されたとなれば、それは必ず争いの火種となる。それだけは絶対に避けなければならない。

 

 

「パーティーは明日行われる。君達は明日に備えて体調を万全にしておくように。私からは以上だ」

 

 

会議が終了し、この場は一時解散となった。部下達は敬礼し、会議室を後にしようとした時、フランクが彼らを呼び止める。もう一つ重要な任務を告げておかなければならない、と。

 

 

「ーーー必ず生きて戻れ。死ぬ事は許さんぞ」

 

 

それは、フランクが部下達を思う最大の任務であった。その思いは部下達に伝わり、もう一度彼らはフランクに敬礼するのだった。

 

 

何としてでも任務を遂行する。フランクの……ドイツ軍の誇りにかけて。

 

 

 

 

 

そして、平和宣言パーティー当日。

 

 

会場の外はドイツ軍の部隊が配置され、万全な体制が整われていた。そこに一切の死角はなく、最悪の事態を想定し、各チームが連携を取り行動できるよう警護に当たっている。

 

 

その一方で、会場内には主催者やパーティーの参加者が集い、場内は華やかな衣装と装飾で彩られていた。彼ら彼女らは、平和を願う者達の宴を今かと待ち続けている。

 

 

フランクは数名の部下と共に、会場内の警護任務を任されていた。今の所、不審な人間の姿はない。最も、入場者には全て念入りなチェックが行われており、また侵入の可能性がある場所は全て軍が警備している。外部からの武力介入は、まずあり得ないのだが。

 

 

「流石は中将殿が率いるドイツの軍隊。万全な体制ですな」

 

 

正装に身を包み、白髪に整った髭を生やした老人がフランクを賞賛する。彼はロベルト公爵。この平和宣言パーティーの主催者である。

 

 

「彼らはとても優秀な部下達です。公爵殿の安全は、我が軍が保証致します」

 

 

「はっはっは、これは頼もしい」

 

 

君達に依頼をして正解だった、とロベルトは笑う。フランク率いるドイツ軍の名は世界に知れ渡っている。希代の名将と呼ばれ、今やその名を知らない者はいないと言う。数々の功績をあげた彼らならば、必ず任務を遂行してくれるだろうと誰もが確信していた。

 

 

しばらくして、ロベルトとフランク達の前に、黒のスーツに身を包んだ身なりの良い男性と、白のスーツの青年が近づいてくる。ロベルトは彼らに手を振って合図をしていた。男性と青年は一礼して挨拶をする。

 

 

「紹介しよう。彼は私の秘書で、同志であるエドガー君だ」

 

 

ロベルトがフランクに紹介したエドガーという男性は、長年ロベルトの秘書を務めており、平和宣言パーティーに招かれていた。エドガーは改めてフランクに挨拶を交わす。

 

 

「お目にかかれて光栄です、中将殿。私は秘書官のエドガー=クリストフ。こちらは弟のゲオルグです」

 

 

「弟のゲオルグです。以後お見知り置きを」

 

 

エドガーとゲオルグ。どちらも礼儀正しく、気品のある男性と青年。由緒ある生まれなのだろうとフランクはすぐに分かった。彼らはフランクと同じドイツ人であり、フランクと出会える事を心待ちにしていたと言う。

 

 

「彼らは君のファンでね……特にゲオルグ君がどうしても会いたいとエドガー君に懇願したらしくてな。中将の立場にある君には、普段は滅多に会えないだろう?」

 

 

有名人に会える貴重な機会だぞとロベルト。隣でお恥ずかしい限りですと笑うエドガーとゲオルグ。確かに、フランクは多忙な日々を送っている。改めてこうして有名人扱いされると複雑な心境ではあったが、尊敬してくれる人間がいる事は、軍人として誉れである。

 

 

「エドガー秘書官に、ゲオルグ君だったね。君達の安全は必ず保証する。安心してパーティーを楽しんでくれ」

 

 

フランクの頼もしい言葉に、心強いですとエドガーとゲオルグ。フランクは彼らを見て思う。こういう若者達の為にも、未来ある時代を築き上げ、そして彼らに意志を受け継いでほしいものだと。

 

 

 

会話を弾ませている内に時間が経ち、エドガーは腕時計を確認すると、ロベルトにそっと耳打ちをする。

 

 

「公爵。そろそろ打ち合わせの時間です」

 

 

「おぉ、もうそんな時間か」

 

 

話につい夢中になってしまったとロベルト。ロベルトはまた後程と言ってフランクに手を振ると、エドガーとゲオルグと共にその場を後にした。フランク達も持ち場へ戻ろうしたその時、一人の女性に声をかけられる。

 

 

「すっかり有名人ですね、ミスター・フランク」

 

 

声をかけてきたのは、ブロンドの髪を靡かせ、銀の縁の眼鏡をかけた美女であった。フランクはこの女性を知っている。彼女は妻の友人、エヴァ=シルバー。以前妻の友人の結婚式に出席した時に紹介され、何でも科学分野での研究をしているらしい。

 

 

「これはミス・エヴァ。まさか、ここで会えるとは思いませんでしたよ」

 

 

「知り合いに招待されたんです。奥様とクリスちゃんはお元気ですか?」

 

 

「ええ。この前の結婚式では、娘が失礼を致しました」

 

 

「失礼……?ああ、あまり気になさらないで」

 

 

まだ子供ですしね、とエヴァは笑う。結婚式でクリスがエヴァと顔を合わせた時、人見知りをしたのかクリスは”おばさん、怖い”とエヴァの前で言ってしまったらしい。呆気にとられたエヴァは可笑しくなり思わず大笑いしたという。

 

 

「それより、警備も大変ですわね。このまま何も起きなければいいのだけれど……」

 

 

不安げにエヴァは表情を曇らせた。確かに、エヴァの言う通りそれに越した事はない。無事にパーティーが終わり、取り越し苦労だったと安堵ができればどれだけ良い事か。

 

 

だが、フランクの勘がこう告げている……良からぬ何かが起ころうとしていると。

 

 

「……申し訳ありませんが、そろそろ私共は持ち場へ戻ります。では素敵なパーティーを」

 

 

パーティー開催の時間が迫りつつある。フランクと部下はエヴァに一礼し、持ち場へと戻っていく。エヴァはありがとうと言って、彼らの背を見送った。

 

 

 

「ええ。きっとーーー素敵なパーティー(・・・・・・・・)になるわ」

 

 

 

何か深い意味が込められた彼女の言葉。その言葉がフランク達の耳に届く事はなかった。

 

 

 

 

開催時間まであと僅か。フランク達はそれぞれ待機し、厳戒体制で場内を警戒していた。各部隊に無線で連絡を取り異常がないか確認をするが、今の所周囲に不審な人物はいない。

 

 

しかし、あまりにも静か過ぎる。だが、この嵐の前の静けさのような状況は、数々の任務で何度も経験している。今更驚く事ではないのだが。

 

 

それからしばらくして、ついにパーティー開催の幕が上がろうとしていた。ロベルトが現れ演台に上がると、会場内が拍手喝采で包まれていく。

 

 

「皆様、本日は平和宣言パーティーにお越し頂き、誠にありがとうございます」

 

 

ロベルト公爵の演説が始まる。平和主義を掲げる者達が集う宴が、ついに始まりを告げた。

 



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80話「真実は業火の記憶の中で Ⅱ」

お久しぶりです、作者です(・3・)
気が付けば2年が経ち、クェイサーの漫画も連載が終わっていました……が、それでもひっそりと小説は書き続けていました。物語を考え、文章にするのは本当に楽しいです。クェイサーが終わっても、自分はまだ書き続けます!


争いのない世界。

 

 

それは多くの平和を願う人々達が望み、打ち砕かれてきた遠き理想。武力を棄て去り、憎しみも悲しみもない純白なる清浄の世界。その実現の為に、ロベルトは立ち上がった。平和を担いし者達の代弁者として。

 

 

「争いのない世界の実現……ここへ辿り着くまでに、我々はあまりにも多くの同胞を失いました。今こそ示さなければなりません―――戦争の愚かさを。血で血を洗う歴史に、終止符を打つ時が来たのです!」

 

 

ロベルトの演説に、人々から共感と称賛の声が上がる。完全平和への大きな一歩を、今踏み出そうとしているのだ。その彼等の意思を、踏み躙られるわけにはいかない。

 

 

演説から数分が経過し、フランクは携帯していた小型無線機を手に取った。周囲の状況はどうなっているだろうか……会場内部及び、外部の各箇所に警備をしている部下に連絡を入れる。

 

 

「―――こちらフランク。各部隊、状況を報告せよ」

 

 

何もなければそれに越した事はない。しかし、常に必ず何かある事を想定しなければならないのだ。連絡をして間も無く、各部隊から連絡が入る。

 

 

『こちらAチーム。会場内部、今の所異常はありません』

 

 

『こちらBチーム、各箇所、異常ありません』

 

 

『こちらCチーム、会場周辺にも、異常ありません』

 

 

『こちらDチーム。外部にも異常なしです。不審な人物は見当たりません』

 

 

各部隊から状況報告が入るも、周囲に異常は確認されなかった。まずは部下が全員無事である事に少し安堵する。最も、フランク率いる部隊がそう簡単に倒される筈はないのだが。

 

 

しかし、相手はアンシャン・レジーム率いるテロリスト。その背後にはフリードリヒ=タナー。実態が分からない以上、こちらの想定を上回る事態は起きる。どのような策を講じたとしても、戦場では必ず覆されてしまうのだ……それに淘汰されるか、生き延びるかは己次第である。

 

 

「各部隊、了解した。引き続き周囲に警戒し警備にあたってくれ」

 

 

そう言ってフランクは通信を切る。恐らくではあるが、会場内部・外部周辺には今の所は何も起こらないだろう。フランクの勘がそう告げていた。

 

 

さて、と再び通信機に手をかけるフランク。現在最も警戒すべきは会場内ではなく外部でもない。あり得ない盲点となりうる場所である。その為に用意したフランクの切り札の一つ―――。

 

 

「特殊部隊Xチーム、聞こえるか?」

 

 

そう、特殊部隊である。バイオテロ等の特殊兵器に対抗できるよう訓練を受けたプロフェッショナルであり、数多の戦場を生き抜いてきたドイツ軍が誇る最高の精鋭達。彼等は会場より遠く離れた場所で警備にあたっていた。

 

 

そこは現在使われていない、廃墟と化した作業所。その建物に以前から不審な動きがあったとの情報を掴んでいた為、フランクはそこに目をつけ、特殊部隊を配置していたのだ。

 

 

『特殊部隊Xチーム。先程廃墟内部に潜入し、潜伏していたテロリスト10名全員を拘束しました』

 

 

特殊部隊の報告に、やはり読み通りだったかとフランク。灯台下暗し……その逆である。敵は必ずしも近くにいるとは限らない。部下の命を預かる立場である以上、ありとあらゆる事態を想定し指揮を取らなければ、戦場では生き残れないのだから。

 

 

しかし、解せないのは拘束されたのが僅か10名だという事。しかも、遠距離で一体どうやって会場を襲撃しようというのか。謎は深まるばかりだ。

 

 

「ご苦労だった。周辺に何か異常はないか?」

 

 

『現在、建造物内部を捜索中ですが……ん、何だこれは?』

 

 

フランクの通信機の向こう側で、部下が何かを見つけたようだ。部下は通信を続ける。

 

 

『壁に巨大な円状の紋様(もんよう)が発光し、浮かび上がっています。それも、一ヶ所だけではないようです』

 

 

壁に浮かび上がる、発光する円状の紋様。しかも、一つだけではない。建造物の各箇所に複数存在しているようだ。一体何を意味しているのだろうか。魔術の類か――非科学的であり、何より根拠がない。だが、あり得ない事ではないかもしれない。詮索が詮索を招く。

 

 

『中将。テロリストの一人から情報を聞き出しました』

 

 

「何か分かったのか?」

 

 

『それが……"演説が始まり次第、この円状の紋様に向けて撃て"と命令されただけで、後は何も知らないようです』

 

 

部下が聞き出した情報によれば、紋様に向けて発砲しろと言う単純な指示を受けただけで、他は何一つ知らないと言う。所謂、雇われテロリストに過ぎなかった。彼らは例の組織から"和平派を潰すいい話がある"と持ちかけられ、言われるがまま行動したに過ぎない。

 

 

つまり考えられる結論は囮。まんまと作戦に乗せられたか……しかし仮に囮だとして、気になるのは部下達が発見した謎の紋様である。ただのフェイクだとは思えない。

 

 

(まさか………いや、だが可能性はゼロではないかもしれん)

 

 

状況、場所、テロリストの人数。そして壁に浮かび上がった謎の紋様。フランクにはある推論が頭に浮かんでいた。

 

 

万が一、紋様がどこか別の場所へ繋ぐ装置であり、奇襲をかける為にテロリスト達を待機させていたとしたら。一見子供じみたお伽話にしか聞こえないが、それが事実だとすれば説明がつく。

 

 

"元素回路(エレメンタル・サーキット)"―――奇跡を起こす、力を持った紋様。そんな都市伝説のような事を聞いた事がある。根も葉もない噂話だと思っていたが、フランクの脳裏によぎったのはまさしくそれだった。きっと心のどこかで、フランクは信じていたのかもしれない。可能性が少しでもあるならば、それに食らいつくまで。

 

 

たとえこれが杞憂であったとしても、火種は摘み取らなければならない。

 

 

「特殊部隊、各隊員に告ぐ。ただちに建造物を爆破し、拘束したテロリスト10名と共に離脱せよ」

 

 

『了解』

 

 

跡形も残すなと隊員達に告げると、フランクは通信を切った。少なくとも、これで一つ相手の手段が消える事になる。それと同時に、潜伏しているテロリスト達も動きがあるだろう。安心はまだできない。

 

 

 

―――ロベルトの演説から始まり数十分が経つ。演説も終盤に差し掛かり終わりを迎えようとしていた。それだと言うのに、何も起こらない。

 

 

「では……集いし同胞達と、平和を願う全ての人々に祝福があらん事を」

 

 

ロベルトがワインの入ったグラスを天へ掲げる。会場にいる人々もグラスを掲げ、ロベルトの乾杯の合図を待ち続ける。平和宣言まで、秒読みの段階に入っていた。

 

 

これで、戦争に塗れた歴史に新たな項目が刻まれる。平和という理想へ向けて。そう誰もが確信していた時だった。

 

 

「きゃ……な、何!?」

 

 

「じゅ……銃声だ!」

 

 

会場の廊下で突然銃声が鳴り響く。会場内には悲鳴が飛び交い、その悲鳴がさらなる混乱を招く。

 

 

やはり動き出したか、とフランク。警備をしていた部下達がテロリストと交戦しているようだ。

 

 

「皆様、落ち着いて下さい!皆様の安全は我々軍が保証します!」

 

 

フランクの呼びかけが、会場内に響き渡る。そうだ、私達にはフランク率いるドイツ軍がいると……人々は徐々に冷静になり落ち着きを取り戻し始めた。同時に警備をしていた部下達も動き出す。部下達は会場内にいた人達を全員避難経路へ誘導しながら、速やかに外へと脱出していく。

 

 

「ロベルト公爵、今の内にエドガー君と脱出を!後は我々にお任せ下さい!」

 

 

フランクが会場内に残っていたロベルトとエドガーに向けて声を張り上げた。テロリストの狙いは主催者のロベルトである。ここにいては危険ですと脱出を促す。

 

 

「し、しかし……」

 

 

「公爵、中将殿の言う通りです。ここで公爵に命を落とされては、それこそ戦争の火種になり兼ねません!」

 

 

主催者である自分が逃げるわけには、とロベルトだったが、ここで撃たれれば終わりですとエドガーの説得により、フランクに後は頼むと告げて二人は会場内を後にした。

 

 

 

 

しばらくして、鳴り響いていた銃声が止み、会場内に静寂が訪れる。どうやら部下達がやってくれたようだ。

 

 

『こちらAチーム、進入したテロリストの殲滅を確認』

 

 

『Bチーム。こちらも殲滅を完了しました』

 

 

『こちらCチーム。会場内にいた参加者の安否を確認。現在Dチームと共に安全な場所まで移送中です』

 

 

各チーム全員からの吉報の連絡が入る。進入したテロリストは迎撃し、壊滅。パーティの参加者も無事生存を確認。それも、隊員も誰一人欠ける事なく。お前達は最高の部下だ、と心の内で彼らを褒め称えた。

 

 

「皆、よくやってくれた。だが油断するな、まだテロリストの残党が潜伏しているかもしれん」

 

 

そう、気を緩めるのはまだ早い。この任務の最終目的……首謀者フリードリヒ=タナーの身柄を拘束しなければならないのだから。

 

 

―――とはいえ、ここまで制圧し打撃を与えていれば、相手もそれ故に慎重になる。これ以上不利が続けば撤退される可能性も有り得るのだ。

 

 

だが、決して逃しはしない……そう思った矢先だった。

 

 

『こ、こちらAチーム!テロリストの残党と思われる人物と交戦中―――う、うわあああああ!?』

 

 

突然、銃声と隊員の断末魔がフランクの通信機から流れ出す。

 

 

「どうした、Aチーム!?応答しろ、何があった!?」

 

 

通信機に何度も応答しろと繰り返すフランクだが、Aチームからの返答が帰ってくる事はなかった。恐らくは、もう……フランクの脳裏に一抹の不安が過ぎる。

 

 

「Bチーム、こちらフランク。応答せよ!応答せよ!」

 

 

Bチームの安否を確認の為に連絡を入れるが、応答はなかった。反応がないという事は、彼らも……だが、まだ死んだと決まったわけではない。フランクはホール内を出て、チームが警備している廊下へと走り出した。

 

 

 

 

AチームとBチームが警備していたのはホール内を囲うように設置されている西と東の大廊下である。まずはAチームが警備していた場所へと辿り着く。そこには目を覆うほどの惨状が広がっていた。

 

 

「こ、これは……」

 

 

あまりの惨状に、フランクは絶句する。大廊下は返り血と弾痕で荒れ果て、その周囲には部下と交戦したと思われるテロリスト達の死体が転がっていた。

 

 

そして、この前まで"必ず生きて戻れ"と誓いを交わしたばかりの部下達の姿。その部下達が、フランクの前で絶命している。信じ難いが、これが現実。彼らは抵抗するも命を落としたのだ。

 

 

「…………」

 

 

フランクは無言のまま、部下の見開いた目を手で覆い、安らかに眠ってくれと祈りを捧げるようにその瞼を落とす。一体誰がこんな事を……すると、フランクに近づく一つの足音が聞こえてきた。

 

 

「これは中将。会場の警備ご苦労様です」

 

 

悠々とフランクの目の前に現れた人物。その正体は秘書であるエドガーの弟、ゲオルグであった。



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サブエピソード31「少女が忘却(なく)した記憶」

連続投稿になります。
ここからは、ある人物の過去にオリジナルの設定が入ります。


ドイツ軍が任務を遂行している一方で、とある一人の少女が会場へ向かおうと足を運び、人通りの多い街を歩いていた。

 

 

ブロンドの髪を靡かせ、可愛らしいドレスを見に纏い、両手に収まるくらいの熊の縫いぐるみを抱きしめる可憐な少女。まだ年もいかない幼き少女の目的は、人探しである。

 

 

(とうさま……どこにいるんだろう)

 

 

街を歩き彷徨う少女。しかし、宛てがないというわけではない。場所は既に知っている。ロベルト公爵が主催である平和宣言パーティの会場に、少女の尋ね人がいる。

 

 

それは、父親であった。父親は軍人でとても偉い立場にあり、今は会場で警備をしているのだ―――その勇姿を見てみたいと少女はこっそり家を抜け出し、軍の車両に隠れ、父親の後を追い現在に至っている。

 

 

父親が任務へ赴く前日、少女は連れて行ってとせがんだものの、危ないから家にいなさいと断られた。当然と言えば当然である。これから戦場になるかもしれない場所へ行くのだから、大事な娘を連れて行くわけがない。

 

 

それでも少女は諦めなかった。自分が尊敬する誇り高い父親の姿を、この目で確かめたい。その純粋な気持ちが、少女をここまで突き動かしていた。

 

 

会いに行けば、きっと喜んでくれるだろう。否、叱責されるかもしれない。それでも構わなかった。父親に会いたい……その思いを胸に秘めながら、少女は歩き続けた。

 

 

 

出歩く人々に道程を聞きながら、少女はようやく会場へと辿り着く。会場の周囲には人だかりが出来ていて、さらにはドイツ軍が警備を行なっている。

 

 

このまま正門から通れば、警備している軍人に見つかってしまうだろう。何故なら今警備をしているのは全員、父親の部下だからである。しかも少女とは顔見知りで、黙ってついてきたと分かればすぐに家に返される。そうなっては父親の活躍を見る事ができない。

 

 

どこかこっそり入り込める場所がないだろうか。すると急に人だかりが騒がしくなり、散り散りになって会場から足早に離れていった。警備していた軍人も中へと消えていく。会場で何か起きたようだ。

 

 

(よし……いまなら!)

 

 

今だと言わんばかりに少女は駆け出し、正門を潜り会場へと入っていった。

 

 

 

会場へ入ってすぐに、銃声が聞こえてきた。今、父親の部下達が悪者と戦っているんだ……そう思えば思う程、早く父親に会いたいという気持ちがさらに強くなる。

 

 

ここは、戦場である。戦場は命のやりとりをする危険な場所だという事は、父親によく教えられていた。しかし、実際の所はよく分かっていない。

 

 

テレビで目にする、正義の味方が悪を倒す場面(ワンシーン)。今の少女が膨らませられるイメージは、それくらいだった。きっと父親や軍も悪と戦っているに違いない。少女は危険を省みず、先へと進む。

 

 

進むにつれ鳴り響く銃声が大きくなっていく。近い……そう感じた少女は次第に駆け足になっていき、気がつけば大きな廊下へと辿り着いていた。

 

 

それと同時に、銃声がピタリと止む。どうやら戦いが終わったらしい。廊下には銃を装備した軍人が数名、周囲を警戒していた。少女は彼らに見つからないよう、近くにあった大きな棚に身を潜める。

 

 

「こちらAチーム、侵入したテロリストの殲滅を確認」

 

 

軍人の一人が無線で誰かと連絡を取り合っていた。少女は棚の影に隠れながら、辺りを覗き込む。

 

 

そこに広がっていたのは、あまりにも残酷で、少女の想像していたものとはかけ離れた光景だった。

 

 

(……………………!!)

 

 

思わず悲鳴を上げそうになるも右手で口を塞ぐ少女。少女の目に写ったのは、血を流して倒れている人間の死体だった。それも一人ではない。辺りに何人も床に横たわっている。恐らく彼らは軍人達が倒した敵である。

 

 

これが、戦場。命のやり取りをする場所。少女は生まれて始めて、戦場が何であるかを目の当たりにした。テレビで見るような生易しいものではない。ここでは人が当たり前のように血を流し、当たり前のように死んでいく。そんな場所で、父親や軍は日々戦っている………いつ自分が命を落とすかも、分からないと言うのに。

 

 

(………………うっ)

 

 

幼い少女には刺激が強すぎたのか、口元を押さえ込み、喉の奥から胃液が込み上げそうになるのを必死に堪えていた。怖くない、と手にしている縫いぐるみを強く抱き締める。自分も父親の―――軍人の娘なのだ、こんな事で怖がっていてはいけないと自分に強く言い聞かせた。

 

 

時間が経つにつれ少し慣れてきたのか、次第に落ち着きを取り戻していく少女。だがそれも束の間、軍人達が銃を構え動き出した。廊下の奥から人が現れたようである。

 

 

現れたのは白いスーツを着こなし、両手に高価な指輪を幾つもはめた身なりの良い若い男性だった。見た所、避難に遅れたパーティーの参加者だろう。軍人達は銃を下ろすと、男性に近寄り声をかける。

 

 

「君、ここは危険だ!すぐに避難し―――」

 

 

だが、声をかけたその刹那。軍人の背中から一筋の光が直線状になって突き抜けた。まるでレーザーで撃ち抜かれたように、小さな穴が空いている。

 

 

「が…………あ…………」

 

 

声にならない、軍人の嗚咽。軍人は力なく膝を突き、男性の目の前で床に伏した。軍人の身体からは血が溢れ出し、海のように広がっていく。

 

 

「き…………貴様!!」

 

 

仲間が殺された。敵だと認識した軍人達は一斉に銃を構え男性に向けて発砲を始めた。しかし男性は慌てる様子もなく両手を掲げ、はめている指輪を軍人達に向ける。

 

 

次の瞬間。指輪が光を放ち、レーザー状の光線となって軍人達を次々と撃ち抜いていた。それも僅か数秒で。軍人達は成す術もなく倒れていく。

 

 

「こ、こちらAチーム!テロリストの残党と思われる人物と交戦中―――う、うわあああああ!?」

 

 

生き残っていた軍人が通信機に連絡を入れた直後、男性の放ったレーザーによって撃ち抜かれた。軍人は後退りしながら、そのまま少女の隠れていた棚の近くに倒れ込む。

 

 

「………………っ!!」

 

 

軍人が倒れた拍子に、少女の顔や服に何かが飛び散った。少女は恐る恐る顔についたものを手で拭い、掌をまじまじと見つめる。

 

 

「………………え」

 

 

それは、真っ赤な鮮血だった。召し込んでいたドレスや縫いぐるみにも、返り血が飛び散っている。

 

 

少女には、状況が理解できなかった。父親を探す為に会場へ入り込み、戦っている姿をこの目に焼き付けたい。ただそれだけの為にやってきたのに………どうしてこんな事になっているのだろう。

 

 

分からない。それとも、分かりたくないと思考が拒否しているのか。少女の抑えていたものが堪えきれなくなり、胃液が逆流し激しく嘔吐する。

 

 

「うぇっ………げほっ、げほっ!」

 

 

息ができないくらい、嘔吐が続き、胃の中の物が全て吐き出されていく。苦しい、助けてと心の中で少女は叫んだ。

 

 

「全く、人をテロリストの残党(雑魚)と一緒にしないで欲しいね――――ん?」

 

 

男性は少女の嗚咽に気付き、棚から覗き込む。少女は男性に気付くと、小さく悲鳴を上げ身体を震わせながら後退りする。今すぐ走って逃げてしまいたかったが、恐怖で足がすくみ立つことさえままならなかった。

 

 

「こんにちは、お嬢さん。迷子にでもなったのかい?」

 

 

男性は少女に笑みを浮かべる。優しく声をかけながら笑う男性の表情が、少女には堪らなく恐ろしいと感じていた。

 

 

「――――ちょっと。殺すなら、もう少し静かにやってほしいものね」

 

 

突然、少女の背後から女性の声が聞こえる。現れたのはブロンドの長い髪に眼鏡をかけた女性だった。男性はこれは失礼と軽快に笑う。

 

 

「仕留めるなら一瞬。そして音もなく綺麗に解体(バラ)す………それが真の芸術というものよ」

 

 

自分の美学を語り出す女性。人を殺める事が芸術………この人達は本当に同じ人間なのだろうかとさえ思うくらいに、少女の思考が恐怖で凍りついていく。

 

 

「ところで、このお嬢さんは迷子…………あら?」

 

 

女性が少女の顔を覗くと、一瞬驚いたような表情を見せた。心当たりがあるのか、突然くすくすと笑い出す。男性は知り合いかと訪ねると、女性はええと頷いた。

 

 

「それにしても………本当に偶然ね。まさか貴方がここにいるなんて」

 

 

女性はしゃがみ込み、少女と目線を合わせながら顔を近付けると、にっこりと少女に微笑む。

 

 

「――――おばさん(・・・・)の事、覚えてる?」

 

 

「………………っ!!」

 

 

今にも消えてしまいそうな、少女の小さな悲鳴。この瞬間、幼い少女の意識はそこで消えた。



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バトルエピソード9「異端者との遭遇」

お待たせしました。最新話を投稿させて頂きます。クリス編……思ってた以上に長くなりそうです 


フランクの前に突如として現れたゲオルグ。ゲオルグはフランクの行く先を阻むかのように立ち塞がっていた。

 

 

「君は、エドガー君の………」

 

 

何故ここに、と問いを投げる前にフランクは理解した。この状況から、部下達を殺したのは恐らくゲオルグであると。

 

 

彼が一般人ならば、この惨状を目にして動揺している筈だ。それなのに、ゲオルグは微動だにしない。このような光景を何度も目にしているのか、死体や血痕には目もくれず、悠々と笑みさえ浮かべている。

 

 

彼のような青年が、一体何故……認めたくはないが、この状況は彼が殺戮者である事を肯定していた。

 

 

「念のために聞いておくが、これは君がやったのか?」

 

 

フランクは感情を殺した声でゲオルグに問いかける。するとゲオルグは心外だなぁ、とわざとらしく肩を落とした。

 

 

「どう見ても僕はパーティーに参加していた一般人ですよ?避難中に兄とはぐれてしまっただけです。仮に、もし僕が彼らを殺したとして……丸腰で武器さえ持たない人間がどうやって?」

 

 

フランクを挑発するかのように返答するゲオルグ。確かに彼の言う通り武器は持っていない。しかも、僅かな時間で数人の軍人を相手に無傷で殺せるのは武器を持っていたとしても不可能である。

 

 

だが、フランクは彼の違和感に気付いていた。彼の身に潜む武器ならざる(武器)の存在に。

 

 

「確かに君の言う通りだ。では聞こう、ゲオルグ君………君の指輪からはレーザーでも出るのかね?」

 

 

フランクの視線の先。それはゲオルグの両手を装飾している指輪である。その回答にゲオルグはあり得ない、と思わず失笑してしまう。

 

 

「いきなり何を言い出すかと思えば……漫画(コミック)の読みすぎでは?」

 

 

「根拠ならある。殺された部下の身体から、レーザーで撃ち抜かれたような複数の小さな穴が見られた。それも急所を正確に狙っている。敵ながら見事なコントロールだ………しかし、詰めが甘かったようだな」

 

 

まだ若いな、と目の前にいる敵を賞賛しつつ失態を指摘するフランク。それに対し、ゲオルグの表情が僅かに歪む。仕組みは分からないが、凶器は指輪だとフランクは確信していた。その理由は、

 

 

「部下が暗号を残してくれていたよ……指輪のレーザーに気を付けろとな」

 

 

部下が残した血文字の暗号メッセージである。ゲオルグによって殺された部下は、絶命する間際に手掛かりを残していた。フランクに知らせる為だったのだろう………心の中で戦死した部下達へ敬意を払うとフランクはゲオルグを睨み付け、改めて彼が敵である事を再認識する。

 

 

するとゲオルグは静かに笑い、参ったねと小さく息をついた。

 

 

「希代の名将……名ばかりだと思っていたけど、恐れ入ったよ」

 

 

ご名答と、フランクに賞賛の言葉を送る。テロリストと言う名の殺人鬼。白いスーツを纏うその容姿は、まるで白い悪魔だとフランクは嫌悪感を抱いた。

 

 

初めて顔を合わせた時は、礼儀正しい好青年であった。しかしそれは、本性を隠す仮面。気づける筈もない。傷一つ負わず部下の命を奪い、悠々と立ち尽くしているこの男は、他のテロリスト達とは明らかに違う。

 

 

恐らく、ゲオルグにはこれまでの常識が通用しない何かを持っている。フランクは警戒心をさらに強めた。

 

 

「各チームに次ぐ。直ちにロベルト公爵秘書官、エドガー=クリストフを拘束せよ」

 

 

フランクの取った行動。それはエドガーの拘束だった。部下に通達して間もなく、エドガーを拘束し事情聴取を始めたとの連絡が入る。念には念を。ゲオルグがテロリストなら、兄であるエドガーもその一員である可能性も考慮しなければならない。

 

 

これで、ロベルト公爵や参加者の身の安全は確保された。後は目の前にいるゲオルグを拘束するのみ。

 

 

「テロリスト、ゲオルグ=クリストフ。非常に残念だが、君を拘束させてもらう」

 

 

フランクは腰のホルダーから拳銃を取り出し、ゲオルグに銃口を差し向ける。すると、ゲオルグはフランクの言動を可笑しく思ったのか突然笑い出した。

 

 

「僕を拘束するだって?ああいいさ、構わないよ。まあ最もーーー」

 

 

ゲオルグの表情が、変わる。殺気ーーそれは獲物を狩る獣のように。その射抜くような鋭利な眼光がフランクを捕らえ、

 

 

「ーーーできればの話だけどなアアァァァ!!」

 

 

荒々しくなった口調と共に、指輪からレーザー状の光線が迸った。レーザーは地面を抉り、フランク目掛けて疾走する。

 

 

(……む!?思った以上に早い!)

 

 

対処しきれない、そう思ったフランクは側にあった棚の影に隠れ身を潜めた。だが、レーザーは容赦なく棚をバターのように切り裂き、無慈悲に破壊。フランクの姿が露になる。

 

 

「隠れても無駄さ。僕のγ(ガンマ)線レーザーに、斬れないものはない」

 

 

γ線レーザー。それが彼の武器の正体。だとするなら、隠れるのは無意味。レーザーの軌道を読み、回避しつつ応戦するしか手立てはない。

 

 

「やらせはせん……!」

 

 

フランクは放たれたレーザーの軌道を掻い潜り、拳銃を構え反撃。ゲオルグに向け銃撃する。如何に強力なレーザーといえども、発射される時間、発射角度、軌道さえ把握してしまえば、避ける事はフランクにとって造作もない。

 

 

「くっ…………!」

 

 

僅かな時間で攻撃を読まれ、今まで優位に立っていたゲオルグの形勢が崩れ去る。銃弾を避けつつレーザーで反撃するも、軌道を読まれフランクに避けられてしまう。

 

 

レーザーによる精密射撃。常人ならば避けられないのが道理。しかしフランクは違った。ただの軍人ならともかく、常人離れした規格外の身体能力を持っているのだ、想定以上に相手が悪い。

 

 

押されている……軍人如きに。ゲオルグは次第に苛立ち始めていた。何の能力も持たない相手にここまで追い詰められている事実が、彼のプライドを傷つけていく。

 

 

あり得ない。負ける筈がない。選ばれた人間ーーークェイサーであるが故に。

 

 

「軌道を読んだぐらいで、僕に勝てると思うなよ!!」

 

 

再び指輪からレーザーが放たれる。フランクは軌道を読もうとした瞬間、異変に気付いた。レーザーは直線ではなく、上下左右に直角移動を繰り返しながら誘導弾のように飛来する。

 

 

今までと攻撃パターンが違う。身体を反らし回避するフランクだったが、避けきれずに右肩を掠め負傷。衝撃で拳銃が手から離れ、円を描きながら地面へと転がっていく。

 

 

攻撃を見誤ったか……フランクは右肩を庇うように抑えその場に膝をついた。ゲオルグは鼻で笑うと、地面へ転がった拳銃をレーザーで破壊しながら、静かにフランクへと歩み寄る。

 

 

「……随分と手こずらせてくれたね。だけど、そろそろ終わりにさせてもらうよ」

 

 

フランクの側で立ち止まり、指輪を翳すゲオルグ。この至近距離でレーザーを放たれれば、いくらフランクでも避けられる術はない。

 

 

これで邪魔者を始末できると、ゲオルグは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。同時に指輪の宝石が発光し、標的を撃ち抜かんとエネルギーの集束をを始めていた。

 

 

執行まで、あと僅か。これで終わる……だが、それが間違いだったと気付くのは、少し先の事であった。

 

 

「ーーーいや、まだ終わらんさ」

 

 

突然のフランク言葉に、耳を疑うゲオルグ。しかし次の瞬間、ゲオルグの前からフランクの姿が消えている。どこにいったとフランクを探し出そうと動き出した頃にはもう、ゲオルグの身体は勢いよく吹き飛ばされ、地面へ倒れ伏していた。

 

 

僅かな一瞬の出来事。一体何が起きたのか理解できず、衝撃を受けた身体を庇うようにして立ち上がるゲオルグ。彼のその先にはフランクの姿があった。

 

 

ぼやけていた視界が徐々にクリアになり、フランクがはっきりと見えるようになる。だが、ゲオルグはそれを目にした瞬間、自身の目を疑った。

 

 

「な……何だ……その姿は……」

 

 

あまりの有り得ない光景に、声さえも失う。彼の目の前にいるのは、さっきまで戦っていたフランク自身なのかとさえ思うくらいに。

 

 

驚くのも無理はない。何故なら今のフランクは゛フランクであってフランクではない″のだから。

 

 

「今後の教訓として一つ教えておこう……切り札は最後まで取っておくべきだとな」

 

 

表情の皺が消え去り、肩のしたまで伸びた銀の長髪。そしてより凛々しく、逞しく引き締まった身体。若々しいその姿は、まるで別人だった。

 

 

メフィストフェレス。肉体の細胞を極限まで活性化させる若返りの秘術。それがフランクの持つ最強の切り札である。

 

 

「くそっ……たかが若返ったくらいで……!」

 

 

姿形が変わった所で、優劣が揺らぐわけがない。ゲオルグは再びレーザーを発射した。変則的な動きを見せながらレーザーがフランクに襲いかかる。

 

 

だが、

 

 

「ーーー遅いな」

 

 

発射されたと同時に、フランクはゲオルグとの距離を詰めていた。まるで既にその場にいたかのように、ゲオルグの背後に佇んでいる。

 

 

「なーーーー」

 

 

呼吸すらも許されない、刹那という僅かな瞬間。彼の存在に気付いた時にはもう、ゲオルグの身体はフランクの剛拳をその身に受け、廊下の壁へと激突していた。



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81話「真実は業火の記憶の中で Ⅲ」

今年初の投稿です。文章表現というのは難しいですね……書いていて「何か変だな」と思うと手が止まってしまいますね(;^o^)


フランクの攻撃を受けたゲオルグは激突した壁から剥がれるように、床へと崩れ落ちる。壁にはクレーターが出来ており、いかに強烈な一撃であったかを物語っていた。

 

 

「う……嘘だ、僕が……負けるなんて……」

 

 

未だ自分が敗北した事を受け入れられず、動揺するゲオルグ。フランクの一撃を受けてなお、辛うじて意識は保っているようであった。

 

 

フランクは床に落ちている銃を拾い上げると、ゆっくりとゲオルグへ歩み寄る。今のゲオルグに戦意は感じられない。これから始まるのは尋問である。

 

 

「君には聞きたい事が山ほどある。まずは、私の質問に答えてもらおう」

 

 

無論、拒否権はないと銃を突き付けながらフランクは尋問を開始する。致命的なダメージを受け立ち上がる事すらままならないゲオルグに、抵抗する力は殆ど残っていなかった。

 

 

メフィストフェレスの能力に圧倒され、力の差を見せつけられたゲオルグは、返答の変わりにフランクを睨み付ける。気に入らないが、今は従う他に選択肢はないと悟ったのだろう、フランクはそのまま話を続けた。

 

 

「確認するが、君はテロ組織であるアンシャン・レジーム所属の人間に間違いはないかね?」

 

 

ゲオルグの正体。テロリストによる襲撃の裏にアンシャン・レジームが関わっている事は明白である。首謀者への手がかりになるかもしれないのだ、まずは彼から情報を聞き出さなければならない。

 

 

だが、ゲオルグからの返答は予想外なものだった。

 

 

「……答えは残念ながらノーだよ。生憎と僕はただの雇われの身でね」

 

 

テロ組織の一員ではないとゲオルグはそう否定する。白を切るつもりか……そう思ったが、嘘を言っているようにも見えない。ゲオルグの言っている事が事実ならば、情報はそこで途絶えてしまう。つまりそれは振り出しに戻る事を意味していた。フランクの表情が険しくなる。

 

 

そのフランクの表情を見て、ゲオルグは静かに笑い出す。

 

 

「くく……アンタが知りたいのはフリードリヒ=タナーの事じゃないのかい?」

 

 

フリードリヒ=タナー。ゲオルグの口から出たその言葉に、フランクの顔色が変わる。

 

 

「フリードリヒ=タナーを知っているのか?」

 

 

「ああ、知ってるとも……もちろん彼の素性もね」

 

 

未だ知る事のできなかったフリードリヒの素性。ゲオルグにはフリードリヒとの面識があると言う。その詳細を知る事ができれば、居場所を突き止められる重要な情報と成りうる。だが、ゲオルグがそう簡単に口を割るとは思えない。

 

 

ならば是が非でも、情報を聞き出すまで。フランクは銃のグリップを強く握り締めながら、ゲオルグへの尋問を再開する。しかし、それに対しゲオルグは、

 

 

「慌てなくても、すぐに分かるさ。そう……すぐに、ね」

 

 

まるで何かを暗示するように、そんな意味深な言葉を漏らすのだった。そして考察する間もなく、フランクの通信機が鳴り始める。

 

 

『ーーーこ、こちらCチーム!中将、ロベルト公爵とエドガー秘書官が突然、消失しました!』

 

 

「何っ!?」

 

 

それは、フランクにとって想定外の事態であった。ロベルトとエドガーが、何の前触れもなく突然、その場から″消えた″というのである。有り得ない、一体どうやって消失したと言うのか。ましてや厳戒態勢の最中、逃走など出来るわけがない。

 

 

仮にエドガーが何らかの手段で逃走を図ったとしても、護衛のいるロベルトを拘束しての逃走は不可能に近い。

 

 

だとするならば、考えられる推測は一つ…………今フランクの前にいる男。ゲオルグのような未知の特殊能力を使用した可能性が高い。フランクは怒りを顕にしゲオルグに詰め寄った。

 

 

「貴様、一体何をした!?」

 

 

「くく…………」

 

 

次の瞬間、ゲオルグを包囲するように円状の紋章が浮かび上がり、同時に閃光弾のように強く発光する。一瞬だがフランクは視界を奪われ、視界が回復した時にはもう、紋章もゲオルグの姿もなかった。

 

 

姿を消したゲオルグ。そして突然浮かび上がった謎の紋章。これもゲオルグが持つ未知なる力なのだろうか………しかし思考を巡らせる間もなく、フランクの通信機から再び連絡が入る。

 

 

『ーーーパーティーは楽しんでいるかな?中将殿』

 

 

通信は、部下によるものではなかった。声色は加工され、男性なのか女性なのかさえも判断がつかない。ただ、その相手が明らかにテロリストであるという事だけは理解できた。

 

 

「……貴様は何者だ?」

 

 

通信機の向こう側にいる謎の人物に問いかけるフランク。しかし相手は静かに笑いを漏らすだけで問いには答えない。

 

 

『……これから面白いものを見せてあげよう。会場の奥にある展示室で待っているよ』

 

 

それだけを言い残し、通信は一方的に通信は遮断される。通信機からは虚しくノイズだけが鳴り響いていた。

 

 

(………一体何が起きていると言うんだ)

 

 

突然消失したロベルトとエドガー。そして消えたゲオルグと謎の人物。一体、何者なのだろうか。しかし、今考えている時間はない。一抹の不安を抱えたまま、フランクは言われるがままに会場の奥にある展示室へと足を進めるのであった。

 

 

 

 

会場内、展示室入り口。

 

 

フランクは周囲を警戒しつつ、拳銃を構えながら展示室のドアをゆっくりと開ける。

 

 

「………………」

 

 

展示室内は動物の彫刻や骨董品などがいくつも飾られていた。今の所、人の気配は感じられないが、いつどこで襲撃されるか分からない。五感を研ぎ澄ませながら、静かに中へと入っていくフランク。

 

 

すると、室内の中央に見覚えのある人影が横たわっていた。嫌な予感がフランクの脳裏をよぎる。そこに倒れていたのは秘書のエドガーだった。

 

 

「エドガー君…………!?」

 

 

フランクはエドガーの下へ駆け寄り安否を確認するが、エドガーは既に息絶えていた。胸には銃弾を受けた跡があり、まだ身体も暖かい。銃撃されてから時間はあまり経っていないようである。

 

 

エドガーをテロリストの一員だと疑っていたが、殺されたとなれば一体誰がこんな事を………エドガーの死体を調べようとした直後、背後に僅かな気配を感じたフランクは振り向き様に銃口を差し向ける。

 

 

そこにいたのは、

 

 

「待っていたよ、中将殿」

 

 

エドガーと共に消失した筈の、ロベルトの姿だった。別段負傷しているわけでもなく、命に別状はないようである。それどころか、この状況でも笑みさえ浮かべていた。

 

 

本来ならば、ロベルトが無事であった事に安堵すべきだろう。しかし、フランクは銃口を下ろさずにいた。否、下ろせなかった。何故ならロベルトの左手には拳銃が握られフランクへと差し向けられていたのだから。

 

 

「一体、これは何のご冗談ですか。ロベルト公爵」

 

 

これは冗談であったなら、どんなに良い事だっただろう。しかし、ロベルトは銃を下ろさず笑みを絶やさなかった。まるで、これが冗談に見えるかねと言わんばかりに。

 

 

「全ては計画の内だよ。貴方をここへ呼んだのも、この平和宣言も。そして彼の死も、ね」

 

 

言って、視線だけをエドガーの亡骸へ注ぐ。それは、ロベルトがエドガーを殺した事を意味していた。同時に、ロベルトがテロリストであるという事も。

 

 

全ては、仕組まれていた。平和主義と言う仮面を被り、本性を剥き出しにしたロベルトによって。

 

 

「何故です!?誰よりも完全平和を願っていた貴方が、このような事を…………!」

 

 

今まで信じていた物を踏みにじられ、堪えていた怒りをぶつけ激昂するフランク。それに対しロベルトは愚問だなと鼻で笑い一蹴する。

 

 

「決まっているだろう、金になるからだよ。戦争というものはビジネスだ、争いのない世界に一体何の価値がある?」

 

 

ロベルトの完全平和とかけ離れた思想に、唖然とする。今目の前にいるのは本当にロベルトなのかとさえ思うくらいに。

 

 

「貴方は……本当に、あのロベルト公爵なのですか?」

 

 

未だ信じられず問いを投げるフランクだが、ロベルトは気が狂ったのかねと嘲笑った。そして彼のさらなる本性を、フランクは目の当たりにする事になる。

 

 

「残念だが、君の知っているロベルト公爵はもういない。今ここにいるのは、そうーーー」

 

 

ロベルトが口元を吊り上げたその瞬間、フランクの周囲に紫色の光の輪が出現し、縄で縛り上げるかのようにフランクの両腕と両足を拘束した。

 

 

反応すら許されない、僅か数秒足らずの出来事。身体の自由を奪われたフランクはバランスを失い、床へと倒れ伏せる。ロベルトはフランクを見下ろし、高らかにその名を告げた。

 

 

「″双頭の紋章屋(クレストメーカー)″、フリードリヒ=タナーだ」

 

 

明かされたロベルトの正体。それは、今フランクが追っているテロリストの首謀者、フリードリヒ=タナーその人であった。平和主義者から一転、争いと殺戮を是とする悪魔へと変貌したその姿は、もうフランクの知っているロベルトではない。信じていたものに裏切られ、フランクの目が絶望の色へと変わっていく。

 

 

「何ということだ……まさか、貴方が…………」

 

 

そして、同時に静かなる怒りがフランクを震え立たせていた。フランクは身体を縛る光の輪を破壊しようと力を入れる。

 

 

「無駄だ。いくらメフィストフェレスの力を持ってしても、このウロボロスの拘束から逃れる事はできん」

 

 

言って、ロベルトは右手を翳した。右手の指には紫色の指輪がはめられていた。指輪は怪しく発光し、同時にフランクを拘束していた光の輪がさらに身体を縛り上げる。

 

 

身体を真っ二つに引きちぎられてしまいそうな痛み。だが今は痛みよりも怒りが勝っていた。全身をかけめぐる苛立ち。血液という血液が煮え滾り、軍人としての正義がフランクを突き動かす。

 

 

ロベルトはもういない。目の前にいるのは、元凶であるテロリストなのだ。ここで食い止めなければ、また新たな争いが生まれる。

 

 

散っていった仲間達の為に。平和を願う人々の為に。そして愛する家族の為に。例えこの身が引き裂かれようと、必ず生き延びて任務を全うする………その誓いを胸に、フランクは全身に力を込めた。

 

 

「うおおおおおぉぉぉぉぉ……!!!」

 

 

フランクが叫んだ瞬間、拘束していた光の輪が砕け散り、粒子となって消滅した。予想していなかった展開にロベルトの表情が歪み、焦燥の色へと変わる。

 

 

「ば、バカな……ウロボロスの拘束を自力で破っただと!?」

 

 

あり得ない、と後退りしながらロベルトは再び指輪を翳すが、それを許すフランクではなかった。フランクは指輪に狙いを定め拳銃を発砲。銃弾は指輪を破壊し、光の拘束を無力化する。

 

 

「く…………おのれ……!」

 

 

指輪を破壊されたロベルトは拳銃を向けて反撃を試みるが、フランクは手刀で拳銃を叩き落とし、背後を取り一瞬の内にロベルトを拘束した。ロベルトの後頭部に拳銃を突きつけ、両手を上げろとロベルトに告げる。

 

 

「メフィストフェレス………力を見謝ったか……」

 

 

計算外だった、と自嘲気味に笑い両手を上げるロベルト。フランクは銃口を突きつけたまま、ただ静かに沈黙を守っていた。氷のように凍てついたその眼差しからは、何も感じ取れない。ただあるのは、テロリストを殲滅するいう意思だけである。

 

 

「ロベルト公爵ーーーいえ、フリードリヒ=タナー。貴方を拘束します」

 

 

怒りもなく、悲しみもない無機質な言葉がロベルトへと向けられる。この先に待っているのは断罪。その身を以て、裁かれなければならない。

 

 

それは、裁きと言う名の処刑宣告。多くの人々の命を奪い脅かした罪は、何よりも重く、消す事のできない罪なのだから。

 

 

だが、

 

 

「………私を裁くのかね?だが、それは無理な相談だよ」

 

 

「何…………?」

 

 

ロベルトの返答に、フランクの表情が僅かに険しくなる。この期に及んでまだ何かあると言うのだろうか。その言葉が合図であるかのように、部屋の奥から一人の影が現れる。

 

 

ロベルトとフランクの前に現れたのは、逃亡していたゲオルグと、

 

 

「なーーーー」

 

 

ゲオルグの手に抱えられた、傷だらけのーーー、

 

 

 

 

 

幼い、クリスの姿だった。



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82話「真実は業火の記憶の中で Ⅳ」

お待たせしました;
駆け足になりましたが、次話投稿します。
仕事が忙しい為、更新が難しい状況ですが、それでも見てくださっている方々、本当に感謝です。ありがとうございます。


ゲオルグの手に抱えられた、傷だらけのクリス。顔色は青く憔悴した様子だが、幸いにも生きていた。だが気を失っており、小さく呼吸をしているその姿は、今にも命の灯火が消えてしまいそうな程に弱りきっていた。

 

 

「中将殿の言った通りだったよ。切り札は最後まで取っておくものだってね」

 

 

ゲオルグは歪に笑いながら、皮肉を込めた言葉をフランクに投げつける。だが、フランクはゲオルグには目もくれず、ただクリスがこの場所にいるという現実に動揺を隠せずにいた。

 

 

何故クリスが此処に………その疑問に答えるかのように、ロベルトが静かに笑う。

 

 

「君の活躍を自分の目で確かめようと、軍の車両に忍び込んだそうだ」

 

 

健気な娘じゃないかと、感心するロベルト。クリスはフランクの活躍を見たいが為に、軍の目を盗み車両へと乗り込み、戦地へと赴いていたらしい。

 

 

何と言う不運。何と言う不覚。何故今まで気付く事ができなかったのか。自分の大事な娘を、テロに巻き込んでしまった自分自身を呪った。フランクの冷徹な表情が崩れ落ち、怒りを露にしていく。

 

 

「……………クリスを離せ!」

 

 

フランクはゲオルグに激昂した眼差しを、静かな怒りと共に差し向けた。フランクにはもう、冷静な判断はできなくなっていた。娘の命が脅かされているのだ、冷静でいられる筈がない。

 

 

「まずは公爵から手を退いてもらうよ?逆らえば、勿論……」

 

 

ゲオルグは右手の指輪を、クリスの頭の横に突きつける。従わなければ、娘の命はない。言葉のない脅迫に、フランクはロベルトから拳銃を下ろし、ゲオルグの足元へと放り投げた。

 

 

「実にいいタイミングだ、ゲオルグ。この男の能力は少々計算外だったが、全ては順調に進んでいる」

 

 

フランクの拘束から解放されたロベルトはポケットからスペアの指輪を取り出し、右手へとはめ直した。そして再びフランクを光の輪で拘束し自由を奪う。

 

 

「安心したまえ、殺しはせんよ。君には"役者"になってもらわねばならんのでね」

 

 

言って、右手の指輪を天上へ掲げるロベルト。指輪は紫色に発光し、天井に巨大な円状の紋様を描いていく。一体、何を始めようと言うのだろうか。

 

 

「―――パーティーにご参加された皆様、私の声が届いていますか?ロベルトはこの通り無事です!」

 

 

ロベルトが言葉を発したと同時に、その声は会場外からさらに市内へと響き渡る。紋様は発声機としての役割を果たしているようであった。聞いている人々は恐らく、ロベルトの無事に安堵している事だろう。その彼自身が、テロリストの首謀者である事も知らずに。

 

 

「まずはこのような事態を招いてしまった事に対し、同胞の代表として皆様に一つ申し上げたい。この度は、本当に――――」

 

 

尚も演説を続けるロベルトだったが、次の瞬間表情が一変、歪な笑みへと変わり、平和主義者から悪魔へと変貌した。

 

 

「――――愉快で、滑稽で、実に良い茶番劇でしたよ」

 

 

これまで平和を願ってきた者達への侮蔑と、裏切り。ロベルトの発言は一瞬にして、功績と信頼の全てを踏みにじったのである。ロベルトの本性………誰も信じられる筈がない。戸惑いと動揺の色に染まる人々の表情が、フランクの心に突き刺さる。

 

 

テロリストが目前にいるというのに、何もできない。しかし、下手に動いてしまえばクリスの命はない。黙って見ている事しかできない自分に苛立ちを覚えながら、フランクはロベルトとゲオルグを睨み付ける。それが今できる唯一の抵抗だった。

 

 

「平和という甘い蜜の味は如何でしたかな?さぞ甘美だった事でしょう。しかしながら皆様、パーティーのメインイベントはここがらが本番です」

 

 

演説は続く。誰もが耳を覆いたくなるような呪いの言葉が、ロベルトの口から人々へと放たれる。もうやめろ、喋るなとロベルトへの怒りがフランク自身に募っていく。だが彼は止まらない。

 

 

「では、改めて自己紹介をさせて頂きます。完全平和主義者・ロベルトは仮の姿、しかしてその正体は―――」

 

 

今、明かさようとしているロベルトの本性。ロベルトは声高らかにその名を宣言する。

 

 

「"フリードリヒ=タナー"。私こそが、アンシャン・レジーム率いるテロリストの首謀者です!」

 

 

平和主義者の実態。テロリストの首謀者、フリードリヒ=タナー。人々から希望を奪うには、十分すぎる程に残酷な真実だった。

 

 

平和主義を謳うその裏で、紛争を引き起こし、殺戮や略奪、血で血を洗う所業を繰り返していたロベルト。まさに悪魔と呼ぶに相応しい、戦争の火種を生み出す元凶である。

 

 

「いかがでしたかな?平和など所詮は夢幻。どうですか、裏切られた気分は?私はとても気分がいい。しかし、皆様の表情が絶望の色に変わる瞬間が見れないのは、非常に残念な事です」

 

 

ロベルトは用意していたワインボトルを片手に、グラスへと注ぎ込む。その液体は赤く、これから起きる新たな争いを暗示するかのように、グラスから溢れ出していた。

 

 

「では最後に。私の手の中で踊らされた、哀れな人々に血の祝福があらんことを――――」

 

 

ロベルトの手からワイングラスが離れ、床へと落ちる。グラスはその赤い液体と共に飛散し、無惨に砕け散った。床にはグラスの破片と、絨毯に染み込んだワインが、ただ虚しくそこに在るだけである。

 

 

「何とも素晴らしい……完璧な筋書き通りのシナリオだ」

 

 

ロベルトが演説を終えると同時に、天井の紋様が消滅する。これで全ての準備が整ったと、自身の所業に酔いしれながら静かに笑っていた。

 

 

「筋書き通り、だと……?貴様、一体何を考えている!?」

 

 

ロベルトの真意が理解できず、問い質すフランク。しかしロベルトはいずれ分かるとだけ言ってフランクに背を向け、展示室を後にしようとする。

 

 

「………ああ、すっかり忘れていたよ」

 

 

ふと、ロベルトは足を止め視線をゲオルグ―――クリスへと向ける。何か良からぬ事を察したのか、フランクの背筋が、一瞬にして凍り付いた。

 

 

「生憎、私の描いたシナリオの役者は君一人だけでね。これ以上のキャストは不必要だ。残念だが、あの娘には"舞台"を降りてもらわねばならん」

 

 

殺せ、とゲオルグに命令する。クリス生かすつもりなど、端からなかったのだ。フランクの表情が更に凍り付き、生気の色が消え青ざめていく。

 

 

テロリストの事など、信用できない。そんな事はフランクでも理解していた。それだと言うのにロベルトを止められず、最愛の娘の命さえ守れないというのか………行き場のない激しい怒りとクリスを失ってしまう事への悲しみの二つの感情が暴れ出していた。

 

 

クリスが、目の前で殺される………が、しかし。ゲオルグは手を出さず、表情を渋らせていた。

 

 

「それが公爵………あの女からの伝言で、"協力した代わりにこのガキには手を出すな"、だそうです」

 

 

何を考えているんでしょうね、と困り果てるゲオルグ。伝言を聞いたロベルトはしばらく顎に手を当て思考すると、

 

 

「………まあいい、奴に恩を売って損はないだろう。ゲオルグ、その小娘は置いていけ」

 

 

君は幸運だな、とフランクに残して展示室から立ち去るのだった。ゲオルグもそら、とクリスの身体をフランクへ向けて放り投げた後、ロベルトの後を追い消えていく。

 

 

彼らの姿が見えなくなってすぐに、展示室入り口の外から紫の光が発光した。恐らく紋様によって逃亡したのだろう。

 

 

同時に拘束していた光の輪が砕け、再び自由の身となったフランクはクリスの元へと駆け寄り、その身を抱き抱えた。

 

 

「クリス……!クリス……!」

 

 

傷だらけになった我が子を抱き締め、何度もすまない、怖い思いをさせたと自責の念に駆られるフランク。全ては自分の所為だ、と己の無力さを嘆きながらただ悔やむことしかできなかった。

 

 

 

 

 

程なくして、フランクの部隊が展示室へと駆けつけた。部下達もロベルトの演説を聞いていたらしく、未だに信じられないと耳を伺う者達が殆どである。無理もない、平和主義者として活動していた人間が転じてテロリストへと変貌したのだから。

 

 

クリスも応急処置を受けた後、市内の病院で手当てを受ける手筈となっている。幸いにも命に別状はなく、すぐに回復するだろうとの事だった。

 

 

しかし、ロベルトの演説によって事態は大きく変わってしまった。避難したパーティーの参加者の中にはショックで立ち直れない者や、裏切られ憎む者、ひどく悲しむ者と様々だ。この状態では平和宣言はおろか、やがてはロベルトに対する憎しみが大きくなるのも時間の問題だろう。

 

 

それこそが、ロベルトの真意なのかもしれない。人間の悪意の芽生え。戦争の火種。フリードリヒ=タナー……彼はフランクが思っている以上に、強大な敵である事を再認識するのだった。

 

 

「中将。秘書官エドガー=クリストフのご遺体の移送準備が整いました」

 

 

「……そうか」

 

 

担架に乗せられ、担ぎ込まれたエドガーの遺体。真実を知りさぞ無念だっただろうと、フランクは冥福を祈る。そして、必ずこの手でフリードリヒ=タナーを討つと近いながら。

 

 

だが、その決意は思わぬ形で裏切られる事になる。

 

 

「……!?エドガー君の身体が……」

 

 

フランクは目を疑った。突然、エドガーの遺体から紋様が出現し、外殻が溶けるように身体が塵となって霧散したのである。そして、そこに姿を表したのはエドガーではなく、ロベルトの姿だったのだ。

 

 

「ロベルト公爵!?何故、ここに………!?」

 

 

テロリストだった筈のロベルトが、ここにいる。それは、今まで退治していたロベルトが偽物である事を意味していた。

 

 

自らフリードリヒ=タナーを名乗ったロベルト。間違いなくそれは事実。フランクはこの時点で、彼が描いたシナリオを理解した。

 

 

彼は何らかの手段で変装し、ロベルトをテロリストとして演じる事で人々の憎しみを集中させた。そしてロベルトの遺体とフランクを現場に合わせる事で、テロリストを討った英雄として祭り上げられる。フランクをその"役者"として。

 

 

さらにロベルトに裏切られた事で人々の心に憎しみが芽生え、争いへと転じる最悪の結末を迎える………フランク達は最初から踊らされていたのだ、フリードリヒ=タナーによって。

 

 

全ては彼の計画で、テロリストとして演説したロベルトは偽物だと説明しても、平和という希望を失った今、人々は信じる筈もない。

 

 

真実を語ってくれ……そう懇願するフランクだったが、亡骸となったロベルトにはもう届かない。

 

 

真相は闇の中へと消える。フリードリヒ=タナーの筋書き通りに。



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サブエピソード32「紛争への結末(シナリオ)

敵サイドのエピソードになります。
クェイサーのキャラのタナー兄弟にスポットを当ててみました。


平和主義から反旗を翻し、テロリストの首謀者である事を明かしたロベルト。演説を終えて、ゲオルグと共に展示室を後にする。

 

 

斯くして、賽は投げられた。全ては予定した台本通りに。ロベルトは右手に嵌められた指輪を天へ翳す。瞬間、足下に巨大な紋章が出現し、強烈な発光と同時に二人の姿は消失した。

 

 

ーーー空間転移。ウロボロスの輪による移動手段であり、二人は会場外へと転送される。辿り着いた場所は、市内から遠く離れた何もない荒地。そこには予め手配していたのだろう、自家用小型ジェットが待機していた。

 

 

「やれやれ……平和主義者を演じるのも楽じゃないな」

 

 

溜め息混じりに、肩を落としながら笑うロベルト。役に成りきるのは容易い事ではないと、身を以て痛感する。

 

 

「名演技だったよ、公爵ーーーいや、兄さん」

 

 

ゲオルグはロベルト………否、自身の兄であるフリードリヒ=タナーの名を呼んだ。名字のクリストフは偽名であり、本名はゲオルグ=タナー。アデプトに所属するクェイサーの一人。

 

 

「そう言ってもらえると、演じた甲斐があるよ」

 

 

フリードリヒは静かに笑みを浮かべ、指を軽快に鳴らす。すると白髭の老人の姿が小さなブロック状の形へと分解され、ロベルトという″外殻″が徐々に崩れ落ちていく。

 

 

外殻が剥がれ、現れたのは男性ーーー秘書官エドガー=クリストフの姿だった。彼こそが正真正銘、フリードリヒ=タナーその人である。

 

 

テロリストはフランクによって粛清された(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)………これで平和主義を掲げていた連中も、直に争いの火種が芽吹く事だろう」

 

 

フリードリヒの真の目的は、ロベルト公爵を排除する事による紛争の誘発だった。

 

 

しかし、ロベルトを始末しただけでは意味を成さない。それでは平和主義を掲げる人々の心は動かないからだ。その為には、最も最悪な形でロベルトの築き上げた信頼と尊厳を崩壊させる必要がある。

 

 

 

 

 

まずは平和宣言を行うタイミングで会場を襲撃。だが、フランク率いるドイツ軍によってテロリストを制圧される。遠方にある廃墟にもテロリストを配備したが、恐らくフランクに読まれている筈だ。

 

 

程なくしてフランク達の活躍により、参加者の安全は確実なものとなる。全ては計算された一手だった。

 

 

希代の名将………頭の切れる人間程、行動心理は容易に予測できる。その名声に恥じぬ通りの動きをしてくれたとフリードリヒはほくそ笑んだ。

 

 

そもそも、参加者を殺す必要はない。殺さなければならないのは、平和を願う人々の″心″そのものなのだから。

 

 

「そして、僕がドイツ軍を襲撃してフランク中将と接触。あの能力には驚かされたけど、次に会った時は必ず………」

 

 

ゲオルグは憎しみと怒りを露にする。若返ったフランクに一撃を受け、プライドを傷つけられた………次は殺す、とフランクに復讐を誓いながら。

 

 

フリードリヒとは別に行動していたゲオルグ。避難すると見せかけて会場内へと戻り、フランクの部隊を殲滅し、駆けつけたフランクと交戦する………その予定の筈だった。

 

 

「しかし………偶然にもフランクの一人娘が会場に忍び込んでいたとはね」

 

 

嬉しい誤算だったよ、とフリードリヒ。計画にはなかったクリスの存在は、彼らにとって好都合だった。ゲオルグがフランクの部隊を始末した現場に居合わせ、恐怖で動けなくなっている所を拉致したのである。

 

 

彼女こそまさしく幸運の女神。フランクを完全に無力化できる最強の切り札(人質)を手にいれた今、計画は確実なものとなった。

 

 

その後、ゲオルグとフランクが交戦している最中、フリードリヒは避難したロベルトと共に展示室へと転移。ロベルトを射殺し、元素回路(エレメンタル・サーキット)によって秘書官エドガーに姿を変え、自身はロベルトに変装。

 

 

最後はフランクを展示室へ誘導し、テロリストの演説を人々に聞かせ、争いの引き金を引くという完璧な結末で幕を閉じたのだった。

 

 

 

「偽装した遺体も、そろそろ元に戻る頃合いだな」

 

 

言って、腕時計を確認するフリードリヒ。エドガーの遺体が、突然ロベルトに成り代わったのだ………今頃現場は混乱している事だろう。同時に、フリードリヒによって仕組まれた計画だという真実を知る事になる。

 

 

「けど、真相が分かった所であの男には何もできない。秘書官の身体が突然公爵に変わり、全ては偽装だったなんて………誰も信じないだろうからね」

 

 

愉快でならない、とゲオルグは笑う。全ては後の祭。絶望に染まった人々の心に、そんなおとぎ話を鵜呑みにする余裕などない。

 

 

ロベルトの正体はフリードリヒ=タナーで、フランクが彼を討った………そう信じざるを得ないのだから。

 

 

 

 

 

自家用ジェットに乗り込み、荒地から発つフリードリヒとゲオルグ。フードリヒは窓の外を眺めながら、計画成功の余韻に浸っていた。

 

 

(秘書官″エドガー″、か)

 

 

ふと、偽名だったエドガー=クリストフの名前を思い出す。愛着が湧いたのか、奇妙な感覚を覚えていた。

 

 

(………そういえば、肉体制御の仮想人格の名前をまだ決めていなかったな)

 

 

まだ使い道がありそうだーーーそんな事を考えながら、フリードリヒは静かに目を閉じ、束の間の休息を味わうのだった。



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83話「真実は業火の記憶の中で Ⅴ」

次話投稿しました!
果てしなく長かったクリス編も終わりを迎えようとしています………。



※クリスの過去にオリジナルの設定が入っています!


"―――――戦争だ!武器をとれ、俺たちは戦うぞ!"

 

 

怒り、争いの色に染まった人々の声が聞こえる。

 

 

"―――――私達は公爵に裏切られた!信じていたのに……絶対に許せない!"

 

 

信じてきたものを全て踏みにじられ、憎しみに囚われ、嘆き咽び泣く人々の声が聞こえる。

 

 

"―――――我らのフランク中将が、あの悪魔を討ってくれた!彼に続けぇ、悪を許すな!"

 

 

賞賛と、そして争いへと身を投じる人々の声が聞こえる。

 

 

鳴り止まぬ人々の憎しみ、悲しみ、怒り。負の感情が飛び交う中、フランクはロベルトを討った英雄として迎えられた。そして人々は平和主義を捨て去り、立ち上がり争いの狼煙を上げるようになった。

 

 

英雄とは、皮肉なものだと自分自身を嘲笑うフランク。結局は何も成せず、大事な娘さえも傷つけてしまったと言うのに。

 

 

"―――――とうさま、助けて"

 

 

聞こえてきたのは幼いクリスの声。気がつけば、フランクは真っ暗な闇の中にいた。その闇の中で、クリスは傷だらけで大粒の涙を流し、助けを請う。

 

 

「クリス……!?」

 

 

クリスに駆け寄ろうと走るフランク。しかし、距離は一向に縮まらない。これは夢か、それとも現実か。どちらにせよ、助けなければと無我夢中で走り続けた。

 

 

するとクリスの背後からロベルトが現れ、にやりと笑みを浮かべながらクリスの頭に銃口を突きつける。

 

 

「よせ……やめろおおおおおおぉぉ!!!!」

 

 

フランクが咆哮し、クリスの方向へと手を伸ばす。だが、届かない。目の前に自分を求め泣いている娘がいるというのに。

 

 

そして、最後にクリスは涙を無造作に拭い、精一杯の作り笑いを浮かべながらフランクに微笑んだ。

 

 

 

 

"さ   よ   な   ら"

 

 

 

 

「―――――!!」

 

 

目が覚めると、車両の窓際に寄りかかり、ガラス越しに疲れ果てた自分の顔が写っていた。軍事車両での移動中、フランクは眠ってしまったらしい。

 

 

酷い夢を見たな、と目頭を押さえるフランク。これが現実なら、絶望し自害を選んでいただろう。

 

 

「お目覚めでしたか、中将」

 

 

車内にいた部下がフランクに声をかけ、コーヒーを差し出す。受け取ったフランクはコーヒーを啜った。口の中に広がる苦味が、僅かに残った眠気を飛ばしてくれる。

 

 

「すまないな……眠ってしまったようだ」

 

 

「無理はなさらないで下さい。中将は仮眠すら取っていないんですから」

 

フランクを気遣う部下の配慮は嬉しいが、失態を重ねてきた自分に休む資格などない。

 

 

フリードリヒの計画を抑止できず、部下を失い、ロベルト公爵も命を落とした。結局何一つ守る事ができなかった自分に、フランクは自身を許せずにいた。

 

 

そして、最も許せなかったのはクリスをテロに巻き込んでしまった事だ。無事とはいえ、傷を負い人質にされたという現実は、幼いクリスの心に大きなトラウマを残してしまうかもしれない………そう思うと、身が引き裂かれてしまいそうになる。

 

 

何も守れず、何も成せずにいる自分。しかし、そんな後悔という海に浸り続ける時間はない。こうしている間にも戦火に焼かれ、人々が命を落としているかもしれないのだ……フランクは思考を切り替え、弱気な心に鞭を打つ。

 

 

(何としても止めなければ………命を落とした部下達や、ロベルト公爵の為にも)

 

 

今の自分にできる事。それは、紛争の鎮圧。平和宣言を目前にして命を散らしたロベルトの意志を継ぎ、テロリストの烙印を押された彼の無念を晴らすために。

 

 

必ず、全てを終わらせる……そう心に誓って。

 

 

 

 

 

日が経つにつれて、紛争はフランク率いる軍の活躍により徐々に鎮圧され、人々の心に植え付けられた火種も消えつつあった。長かった任務にも終わりが見え始める。

 

 

しかし、その犠牲と代償はあまりにも大きすぎた。救われた命もあれば、失われた命もある………戦争や紛争とはそういう物だと誰よりも理解しているフランクだが、この虚しさだけは年を重ねても拭う事ができずにいる。

 

 

もうこれ以上、尊い犠牲を出したくない………そう思っていた矢先、部下から通信が入った。

 

 

『―――――中将、この先の近くにある村で火の手が上がっています!』

 

 

「了解した。各部隊、村へ行き生存者の確認と負傷者の救助を行う。火災の規模が大きくなる前に急行せよ!」

 

 

フランクは現在、ある二つの国の間にある小さな村へと急行していた。この地域では今も紛争が続いており、いつ戦火に焼かれてもおかしくない、緊迫した状況にある。

 

 

村が近づくにつれ、車両の窓から火の粉と黒煙が見え始め、逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくる。一刻も早く村へ辿り着かなければ………焦る気持ちを押さえながら、フランクは村の住人の無事を祈る。

 

 

 

――――だが。現実は時として非情で残酷で、理不尽だという事を思い知らされる。

 

 

「――――――くっ!?」

 

 

車両内が激しく揺れ、同時に大きな爆発音が響き渡る。耳を塞ぎたくなる程の怒号のような爆撃。音が聞こえたのは今向かっている村の方角からだった。

 

 

嫌な予感がする………一抹の不安を抱えながら、フランクの車両はスピードを上げ急行。そしてようやく村の入り口へと到着する。

 

 

そこでフランク達が目の当たりした光景は――――。

 

 

「何、だ……これは………!?」

 

 

それは、"業火"という名の地獄だった。村は既に戦火に焼かれ、残っているのは燃え盛る炎の海と、瓦礫と化した建造物。もはや村の面影などどこにもなかった。

 

 

そしてこの村の住人であっただろう、住人が無惨な姿で横たわっている。何の罪もなく、静かに暮らしていただけなのに………突然、その平穏が争いによって奪われたのだ。

 

 

「中将、これ以上進むのは危険です。撤退しましょう!」

 

 

部下の一人がフランクに声をかける。炎はさらに勢いを増し、まるで村ごと飲み込むかのように、永遠と燃え続けていた。

 

 

(また………私は何もできないまま………)

 

 

また、目の前で命が失われる。犠牲を出さないと誓ったばかりだと言うのに………やりきれない思いがフランクの感情を支配する。

 

 

もうこれ以上、耐える事はできない。気がつけばフランクは車両から降り、火の海の中へと飛び込んでいた。背後から自分を呼ぶ部下の声を振り切り、無我夢中で生存者を探す。

 

 

「誰か……誰かいないのか!?」

 

 

燃え盛る炎の中、フランクは叫び続けた。もはや絶望的かもしれないが、一人でも生き残っている者がいれば………僅かな望みを抱きながら、村の奥へと突き進む。

 

 

すると、近くの瓦礫から小さく助けを求める声がフランクの耳に届いた。フランクは声を便りに瓦礫へと近づいていく。

 

 

そこには、木材に挟まれ身動きが取れなくなっている少年の姿があった。怪我をしているが、まだ息はある。フランクはすぐさま少年の元へ手を伸ばす。

 

 

「今助けるぞ!」

 

 

僅かな希望が生まれる。一人でも多く助けたいという信念が、フランクを強く突き動かしていた。

 

 

「熱い……熱いよ……」

 

 

今にも消えてしまいそうな少年の声。少年の目は虚ろで、それでも必死に手を伸ばす。

 

 

「もう少しだ……早くこの手に捕まれ………!」

 

 

こうしている間にも、瓦礫を焼く炎がフランクの身を焦がす。それでも、助けを求める少年の手を取るまでは退けない。たとえこの身体が焼き付くされたとしても。

 

 

「助け、て………」

 

 

少年の声が弱々しくなり、伸ばしている手に力が宿らなくなっていく。フランクは諦めるなと少年の意識を呼び戻そうとするが、

 

 

「助けて…………ジョ……シュア、お兄ちゃ―――――」

 

 

次の瞬間に木材が焼けて崩れ落ち、少年の姿は瓦礫と炎の中へ消えていった。もう、助けを呼ぶ声も聞こえない。フランクは絶望し、ただ呆然とその場に立ち尽くしている。

 

 

これが、この村で見た最後の光景。フランクは未だ燃え続ける炎の中で意識を失い、深い闇の中へと落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

「――――――ん」

 

 

意識が戻り、フランクはゆっくりと目を開ける。視界がぼやけ認識できたのは真っ白な天井。消毒液のような独特の匂い。察するに、ここは病室のようだった。視界が次第にクリアになっていく。

 

 

上半身を起こし、周囲を見渡すと部下が待機していた。部下達はフランクの意識が戻り、安堵の息を漏らしている。フランクは村で意識を失い病院へ搬送。手当てを受け、現在に至ると部下から説明を受けた。

 

 

単身で火の中へ飛び込み、少年を見つけ助けようとした事までは分かるのだが、そこから先は何も覚えていない。しかし、少年の救えなかった事への罪悪感だけが、フランクの心に残留していた。

 

 

「とうさま!」

 

 

突然、聞き覚えのある声がフランクの病室内に響く。病院を訪れたのは、クリスとフランクの妻であった。クリスはベッドに乗り、フランクの身体に飛び付き無邪気に笑っている。頭に包帯を巻いているものの、元気である事にフランクは安堵した。

 

 

「クリス……すまない。お前には本当に怖い思いをさせてしまった………全ては、私のせいだ」

 

 

クリスをそっと抱き締め、フランクは何度も謝り続ける。しかし、クリスは首を傾げ、何の事か理解していないようだった。不思議に思ったフランクは妻へと視線を向ける。

 

 

妻は表情を曇らせながら、医師からクリスの記憶が一部喪失状態にあると診断された事を明かした。テロに関する全ての記憶が失われ、一切身に覚えがないらしい。恐らくショックで一種の防衛本能が働き、その記憶だけが消えたのだろう。幸いといえば幸いだったかもしれない。

 

 

忌まわしい記憶など、無理に思い出させる必要はない。このままクリスが幸せに生きられるなら、それでいい。フランクは娘の温もりを感じながら、クリスが無事でいる事への喜びを噛み締めるのだった。

 

 

 

これが、業火の記憶の中で起きた真実。フランクの身に起きた過去の記録である。

 

 

 

 

 

「………これが、あの紛争で起きた真相の全てだ。私は何一つ救えず、紛争も止める事さえもできなかった」

 

 

希代の名将が聞いて呆れる、とフランクは自嘲気味に笑う。一方、真相を聞かされたクリスは言葉を失い、動揺を隠せずにいた。

 

 

「記憶、喪失………そんな………だって自分は何も………!」

 

 

フランクから語られた、紛争の真実と自身の過去。そんな記憶はない。思い出せない。思考が真っ白になっていく。全ては繋がっていたのだ――――現実が受け入れられず、クリスは苦悶の表情を浮かべる。

 

 

「フリードリヒ=タナー………まさかこんな形で繋がっていたとはな」

 

 

これも因果か、とサーシャ。こうして、三人を引き合わせたのは必然だったのかもしれない。そしてクリスもまた、記憶を失った紛争の犠牲者であった。

 

 

「………どうして、今まで黙っていたのですか。父様」

 

 

次第に冷静を取り戻し、隠していた事への疑念をぶつけるクリス。クリスの眼差しの先にあるのは、父親を信じたいという想いである。娘が向き合おうとしている以上応えねばなるまいと、フランクは話を続けた。

 

 

「私はずっと恐れていた………記憶が戻れば、お前の心が壊れてしまうのではないかとな」

 

 

フランクが真実を隠していた理由。それはクリスの忌まわしき記憶を封印する為だった。

 

 

あの時、クリスに何があったのかは分からない。ただ、記憶を忘却する程の事があったのだろう。もし記憶が戻れば、クリスがクリスで無くなってしまうのではないか………フランクにはそんな気がしてならなかった。

 

 

ならばいっその事、思い出さない方がいい。記憶など戻らなければいい。最初からクリスはあの場にいなかった。全ては悪い夢だったと、そう自分に言い聞かせて。

 

 

 

そして後に、フリードリヒがアデプトと協力関係にある事を知り、フランクはアデプト及びクェイサーに関わる全てを、クリスから遠ざけてきた。

 

 

だがそれも空しく、運命は過酷な現実を引き寄せる。川神市に謎の元素回路が蔓延した事により、サーシャ達アトスの人間が派遣された。そしてクリスは知ってしまったのだ、クェイサーやアデプトの存在を。

 

 

「できる事なら、知らないままでいてほしかったが………返ってお前を苦しめる結果になってしまった。父親失格だな………クリス、本当にすまない事をした」

 

 

全ては、クリスを忌まわしき記憶から守るために。その為ならばどんな手段も厭わない。たとえ最低な父親と思われ、軽蔑されたとしても。

 

 

「……………」

 

 

クリスは表情に影を落としたまま、フランクの言葉を黙って受け止めていた。感じたのは、娘を思う父親の愛情。クリスの心が、満たされていく。

 

 

疑念は晴れた。今クリスの前にいるのは、尊敬する父親の姿。否、最初からずっとそこにいたのだ――――そして側で見守ってくれていた。目頭が熱くなり、涙が溢れそうになるのをクリスは必死に堪えた。

 

 

「………父様。自分の事なら心配いりません。今の自分には、大切な友人が………仲間がいます」

 

 

もしも記憶が戻り、潰れてしまいそうになったとしても。サーシャや大和達となら乗り越えられる。一度は抱え込み自分を見失ってしまったが、サーシャと剣を交えた事で迷いは消えた。もう、一人ではないのだと。

 

 

そして何よりも、クリスの信じていた父親が此処にいる。娘を誰よりも愛する、フランク・フリードリヒの姿が。

 

 

「父様は………自分の誇りです」

 

 

"誇り"――――クリスはそう言ってフランクに微笑んだ。それはクリスにとって最も大切なもの。失いかけていた物を、この手に確かに取り戻したのである。

 

 

「………今まで蝶よ花よと育てていたが、いつの間にか大人になっていたようだ」

 

 

成長したな、とフランク。あの事件以来、今まで以上に愛情を注ぎ、過保護に育ててきたクリス。フランクの知らない間に、彼女は見違える程にまで変わっていた。父親として、こんなにも嬉しい事はない。

 

 

フランクはゆっくりと立ち上がり、クリスへと歩み寄る。そしてその身体をそっと、優しく抱き締めた。

 

 

「―――――クリス。生きていてくれて、ありがとう」

 

 

優しくて暖かい、フランクの抱擁。父親の温もり。娘への愛の形。クリスの今まで抑えていた感情が解き放たれ、堪えた涙が溢れ出した。フランクにしがみつくように、その場に泣き崩れる。

 

 

「…………めん、なさい………」

 

 

声を震わせながら、クリスは言葉を絞り出した。今にもかき消えてしまいそうな、小さな声。それは次第に大きくなり、心のままに泣き叫ぶ。

 

 

「ごめん…………なさい。とうさま、ごめんなさい…………自分、は………私は……うあああぁぁああ…………!!」

 

 

声にならない嗚咽。クリスは娘を想うフランクの深い愛情を知った。その涙は止めどなく、彼女の頬を伝う。溢れ出し、行き場をなくしたクリスの感情全てを、フランクは受け止め続けていた。

 

 

「サーシャ君………これが私の、父親としての愛情(すべて)だ。君には………歪に見えるかもしれないがね」

 

 

たとえ真実を虚構へ捻じ曲げ、手を汚したとしても。フランクはクリスを守り抜く。この命を捧げてでも。

 

 

しかしサーシャは首を横に振った。歪んでなどいない、と。

 

 

「フランク・フリードリヒ。お前は俺の心を震わせた。父親としてのその愛情に………偽りはない」

 

 

感銘と称賛が込められたサーシャの言葉。その言葉に救われたのだろう、フランクは静かに目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

父親と娘。二人の絆はより強く結ばれた。こうして真実は明らかとなり、全ては終わりを迎える。

 

 

クリスの失われた記憶はまだ戻らない。いずれ必ず、向き合う時が訪れるだろう。たとえその記憶がクリスを蝕もうとしても、乗り越えられる。

 

 

父親と、そしてクリスを支える仲間がいるのだから。



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サブエピソード33「けじめ」

長めのサブエピソードになります。
松風の再登場(?)と、まゆっちの心にも変化が現れます。



「ふっかーーーーーーつ!!」

 

 

病院の入り口で、声高らかに叫んでいるのは由香里だった。側には由紀江と京も付き添っている。

 

 

水銀体の攻撃からクリスを庇い全身を負傷し入院していたが、僅か数日で退院した。医師も驚愕する程の回復力で、もう病院にいる必要はないですと言われたのだとか。

 

 

「まあ他にも気になった看護師を口説いたりして問題になったから、半ば追い出されたような感じだったけどね」

 

 

本当にしょーもない、と京。入院中も病院で色々と問題を起こしていたようである。

 

 

「………………」

 

 

一方。由紀江はと言うと、笑いもしなければ喜びもせず、無表情のまま沈黙を貫いている。一見、普通の人から見れば特に何も感じないのだが、由香里と京は彼女の静かなる怒りを感じ取っていた。

 

 

「ほら。まゆっちもカンカンに怒ってるよ?」

 

 

京は由紀江を指差しながら由香里に耳打ちする。流石にまずいと思ったのか、由香里は透かさず由紀江にフォローを入れる。

 

 

「ゆっきー………白衣の天使に(うつつ)を抜かしてしまった事は謝る。しかしだ!私はゆっきーが一番―――――」

 

 

「別に私は怒っていません」

 

 

由紀江は感情のない声で由香里の言葉を遮り、これ以上の弁明を許さなかった。しかも、"由香里が可愛い女性に手を出すのはいつもの事ですから"と畳み掛ける始末。

 

 

普段は優しく、引っ込み思案な性格だった由紀江。由香里というもう一人の妹ができてから、由紀江は少しずつ変わっていった。

 

 

しかし、こんなに怒りを露にしている由紀江は今まで見た事がない。まるで別人だとさえ思うくらいに。由香里と京もこれはヤバい、と第六感が警告していた。

 

 

 

しばらくして、由香里達を呼ぶ声が聞こえてきた。遠方から三人のもとへと駆け寄る一人の姿。それはクリスだった。

 

 

「ゆかりん……その………退院おめでとう」

 

 

顔を合わせづらいのか、クリスは俯き加減のまま退院祝いだと言って由香里にケーキボックスを手渡した。由香里は目を輝かせながら品を受け取る。

 

 

「ああ、クリス………どんなに会いたかった事か!後、個人的に退院祝いはクリスの裸体にリボンを巻き付け″私の処女(すべて)を貴方に″とメッセージを添えたサプライズプレゼントがよかった!!」

 

 

「こっ、公共の場で恥ずかしい事を言うなこの変態!………とまあ一喝したいのは山々だが、今の自分にそんな資格はない」

 

 

本能の赴くまま接する由香里に対し、思わず反発してしまうクリス。いつもならこのまま説教するのだが、今は頭が上がらなかった。そもそも、説教した所で由香里の性癖は変わらないのだが。

 

 

「ゆかりん、本当にすまない。自分が不甲斐ないばかりに………それに、皆にも迷惑をかけてしまった」

 

 

恐れと迷い。それがクリスの足枷となり、こんな結果を招いてしまった。自分を庇い負傷してしまった事への罪悪感は、まだ消えていない。

 

 

「私はこの通り大丈夫だ、何も心配いらない」

 

 

気にするなと笑う由香里。そう言ってくれるとありがたい………クリスは力無く笑みを返した。

 

 

「私も大丈夫。クリスも色々大変だったみたいだね」

 

 

気付いてあげられなくてごめんね、と京。京は自分よりもクリスを気にかけていた。フランクとの一件をサーシャや大和達から聞き、一人で悩み抱えていた事を知ったのはつい先日の事である。

 

 

こんなに近くにいたのに気付けなかった………京の優しさが、クリスの胸を打つ。心配してくれている仲間がいるのに、自分は最低だと悔やみながら。

 

 

「………………」

 

 

そんな由香里と京に対し、由紀江は相変わらず無言かつ無表情のままである。その視線はただ真っ直ぐに、クリスへと注がれていた。突き刺すような瞳の奥からは、静かな怒りが渦巻いている………それはクリスにも感じ取れた。

 

 

「まゆまゆ………お前の言いたい事は分かる。だから今日は、けじめをつけにきた」

 

 

"けじめ"。自分自身と向き合うという事。クリスの心の迷いが仲間を傷つけてしまう結果を生んだ。

 

 

それが原因となり、由香里を危険な目に合わせてしまった事は自分にある。彼女を誰よりも心配していたのは由紀江なのだ………怒っているのも無理はない。謝罪をして済む問題ではない事は重々承知していた。

 

 

だから、こうしてクリスは此処にいる。自分自身の行いに、決着をつける為に。

 

 

「お願いだ、まゆまゆ………自分を殴ってくれ!」

 

 

懇願するように、クリスは由紀江に頭を下げた。その思いもよらぬ言動に驚いたのは、由香里と京だった。しかし固まっている二人を余所に、間髪を入れず由紀江はクリスに近づいて、

 

 

「―――――言われなくてもそのつもりです」

 

 

何の躊躇いもなく、クリスの頬を叩いたのだった。由紀江の全力とも言える平手打ちに、思わず痛みで叫びそうになるのを、クリスはぐっと堪える。

 

 

場の空気が、一瞬にして凍りついた。由紀江がこんな事をするなど、一体誰が予想しただろう………由香里と京の思考が完全に停止する。

 

 

「どうして私が怒っているか分かりますか?」

 

 

今まで沈黙を守っていた由紀江の口がようやく開かれ、クリスに理由を問いかける。クリスは叩かれた頬を抑えつつ、由紀江へと向き直った。

 

 

「自分の所為で、ゆかりんを危険な目に合わせてしまった事だろう?」

 

 

「確かに、由香里の事じゃないと言えば嘘になります。ですが私が本当に怒っているのは――――」

 

 

今まで無表情だった由紀江の表情が徐々に崩れ、悲しみの色に染まっていく。その目からは一筋の涙が頬を伝い流れていた。クリスを叩いたその腕は、小刻みに震えている。

 

 

「仲間を………頼ってくれなかった事です」

 

 

それは、クリスが仲間に心を打ち明けなかった事への悲しみだった。

 

 

一人で悩み、苦しみ、辛い思いをしているなら、誰かに助けを求めればいい。しかし、クリスにはそれができなかった。全ては自分の問題だと抱え込んで。

 

 

「クリスさんはとても真っ直ぐで、真面目で、正義感の強い人です。けど、人は一人じゃ生きていけません。何もかも背負い込んで………一人で全部できるだなんて思わないで下さい」

 

 

怒りと悲しみの混じった由紀江の叱責が、クリスの心に深々と突き刺さる。迷惑をかけたくない、自分で解決しなければ………それが仇となり、返って迷惑をかけてしまった。

 

 

「返す言葉もない………今後は何かあれば、皆にも相談する。本当に、すまなかった」

 

 

「………分かって頂けたなら結構です」

 

 

クリスはこれまでの行いを反省し、謝罪する。それを聞いた由紀江はこの話はもう終わりですと言って、改めてクリスへ向き直ると、突然頭を下げ一礼した。

 

 

「私の方こそ、出過ぎた真似をしてすみませんでした。無礼をお許し下さい………それとクリスさん、私からもお願いがあります」

 

 

そう言って頭を上げる由紀江。その表情は先程と一変、大量の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり顔を真っ赤にしながら激しく動揺している………いつもの由紀江に戻っていた。

 

 

「わ、わ、私を…………私の事も、ひ、ひひひ一思いに殴って下さいいぃいぃぃ!!」

 

 

「あ…………ええぇっ!?」

 

 

思わず、すっ頓狂な声を上げるクリス。由紀江は慣れない事をした所為で、思考がオーバーヒートを起こしていた。視点が合わず、目を回しながら口をパクパクさせている。

 

 

「ま、待て待て!悪いのは自分だ!そんな真似はできない!」

 

 

「おおおおお願いです!!でないとわ、わわ私、もももうどうにかなりそうでっ!!」

 

 

「い、いや、だから………」

 

 

互いに譲ろうとしないクリスと由紀江。その二人のやりとりを、呆然と眺め取り残される京と由香里。

 

 

「完全にキャパオーバーしてるね………さ、ゆかりん。ここは一つよろしく」

 

 

「わ、私か!?」

 

 

京にこの場を静めてと丸投げされ、どうしたものかと慌てて思考を巡らせる由香里。暴走している由紀江を止められるのは、由香里しかいない。

 

 

ならば、やる事は一つ―――――由香里はポケットからある物を取り出す。取り出したのは………松風のストラップだった。

 

 

「よし………行くぞ松風っ!!」

 

 

気合いを入れ、再び松風に魂を吹き込む由香里。そして、

 

 

 

『HEY!ファッ○ンガールズ!!アイムアビッグホース!ミーの息子もBig Horse!!!』

 

 

 

………………………………。

 

 

 

「……………………きゅう」

 

 

場が変な空気になったと同時に、ショックで由紀江は気を失い倒れてしまった。由香里は手の平に松風を置き、自信満々に松風を復活させたつもりだったのだが、しっくり来ないなと首を傾げている。

 

 

「む、何か少し違う気が………」

 

 

「大体合ってる。確かそんな感じだったよ、うん」

 

 

京はニヤニヤと笑いながらOKサインを出していた。絶対違うだろとクリスはツッコミを入れる。

 

 

一時的だが、由紀江を救う為に再び立ち上がった松風。しかし当の本人は意識を失っている。本当に救われたのだろうか。

 

 

「お~い、ゆかりん!元気そうだな!」

 

 

すると、今度は遅れて大和とサーシャ達がやってきた。キャップが声を上げながら手を振っている。

 

 

『待ちくたびれたぜ、ボーイズエンガールズ!ジャンボジェット発射準備OK!今すぐ絶頂フライトファッ○と洒落こもうぜ!YEAHHHHHH!!!!』

 

 

なおも叫び続ける松風。一部ドン引きするファミリー一行。事態はもう収拾がつかなくなっていた。

 

 

「松風か………懐かしいな。よくあんな風に喋っていたっけか」

 

 

「いやいや全くの別人だから!あれじゃもはや"キチ風"だよ!」

 

 

松風との思い出を染々と感じる百代と、透かさずツッコミを入れる卓也。松風(由香里)の暴走は止まる気配を見せず、病院の前では乱闘騒ぎが始まっていた。

 

 

「うぅ………」

 

 

気を失っていた由紀江が意識を取り戻す。悪い夢を見ていた気がする………そんな由紀江に、クリスはそっと手を差し伸べた。

 

 

「クリスさん………私は………」

 

 

「ありがとう、まゆまゆ。真剣(ほんき)でぶつかってくれて」

 

 

仲間だからこそ。クリスは由紀江の気持ちを受け止め、大切なものをまた一つ得る事ができた。迷いの晴れたクリスの顔を見て安心したのか、由紀江はクリスの手を取り、優しく笑みをこぼすのだった。

 

 

「………こちらこそ、ありがとうございます」

 

 

互いに微笑む二人。彼女達の絆は消えることなく、その火を灯し続ける。

 

 

これからも、ずっと。

 

 

 

 

 

「ちなみに松風は再び封印されましたとさ」 by 京



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84話「それぞれの歩む道」

最新話投稿です。一年越しにならなくて良かった(涙)
駆け足になりましたが、クリス編完結!


フランクとの一件から数日。クリスは引き続き川神での滞在を許され、再びサーシャ達と共に事件を追う事になった。心の蟠りが消え、クリスにいつもの日常が戻る。

 

 

しかし、彼女の中で全てが終わったわけではない。クリスにはまだ成すべき事がある。

 

 

それはーーージータの事であった。病院の屋上で望まぬ決闘をして以降、彼女とは会っていない。フランクの事を誤解したまま、和解できず今に至っている。

 

 

このまま終わってしまうのは、嫌だ………クリスは多馬川の土手道を歩きながら、ジータがいるであろう道場へと向かっていた。

 

 

しかし、彼女が道場にいる保証はどこにもない。あんな事があったのだ。もう、この川神にはいないかもしれない。

 

 

かと言って他に宛があるわけでもなく、唯一の手掛かりは道場のみ。僅かな希望を胸に、クリスは歩を進めていく。

 

 

 

しばらく歩いていると、川沿いの近くで激しく争う声が聞こえてきた。誰か決闘でもしているのだろうか………クリスは興味本位で、声のする方角へと視線を向ける。

 

 

「………………え?」

 

 

思わず、言葉を失うクリス。そこにいたのはマルギッテとジータの姿だった。二人は互いの武器をぶつけ、鍔迫り合いになりながら激しい戦闘を繰り広げている。

 

 

「どうしても退かぬと言うのだな、軍人!!」

 

 

マルギッテのトンファー攻撃を弾き、三日月剣(クレセント)による斬撃で反撃するジータ。マルギッテはその攻撃をトンファーで受け流し、距離を取り体勢を立て直す。

 

 

「貴方こそ、手を退くつもりはないのですね………!」

 

 

ジータを睨み付け、再びトンファーを構えるマルギッテ。譲れない物を守る為、戦いへと身を投じていた。

 

 

「ーーーーーはああああああっ!」

「ーーーーーはああああああっ!」

 

 

交互に繰り出す、怒濤の猛撃。武器と武器が衝突して火花を散らし、その勢いは止まる事を知らなかった。互いの刃が砕け散るまで、彼女らの戦闘に終わりはない。

 

 

なぜなら、二人には絶対に退けない理由がある。それは、たった一つ。

 

 

「あの限定いなり寿司は、クリスの手土産にーーーん?」

「あの限定いなり寿司は、クリスお嬢様の為にーーーえ?」

 

 

武器が衝突する直前、互いの手がピタリと止まる。二人の口から出たクリスの名前………徐々に戦意が薄れ、ジータとマルギッテは武器を納めた。

 

 

「お嬢様を………知っているのですか?」

 

 

「ああ。もしかして、大切な人というのは………」

 

 

あの時、マルギッテが夜の公園で打ち明けた大切な人。それはクリスだった。そしてジータもまた、クリスの事で苦悩していた一人である。二人の行き着く先が同じであった事に、奇妙な縁があるものだと驚きを隠せずにいた。

 

 

「その………取り込み中の所悪いんだが………」

 

 

すると二人の間へ入るように、クリスが申し訳なさそうな表情で立っていた。突然現れたクリスに思わず驚いてしまうジータとマルギッテ。戦いに夢中で気付かなかったらしい。

 

 

気まずい空気だけが、三人の中で流れていく。このままでは話が進みそうにないので、場所を移す事になった。

 

 

 

 

 

「………それで、決闘に発展したと」

 

 

道場へ移った三人は室内の隅に座り込み、クリスは事の発端を二人から聞いていた。

 

 

 

クリスともう一度会って話がしたい。そう心に決めたジータとマルギッテ。二人はクリスと和解する為に、それぞれ行動を起こしていた。

 

 

しかし、手ぶらというのも気が退ける。何か手土産の一つでも買っていかなければ………そう思った二人は土産を買う為に、商店街へと赴いた。

 

 

クリスの好物は、いなり寿司である。道場での昼休憩中、いなり寿司を美味しそうに頬張るクリスの姿を思い出したジータは、いなり寿司を買いに。マルギッテもクリスの為にいなり寿司を求め、二人は店を訪れていた。

 

 

手に入れたいものは、数量限定のいなり寿司。店に辿り着いた時にはもう、残り一つになっていた。

 

 

これはもらった、と二人は手を伸ばす。そして二人は偶然その場に居合わせ、思わぬ再会を果たす事になる。

 

 

しかし、限定いなり寿司は一つだけ。互いに譲れない二人はこのいなり寿司をかけ、決闘へと発展したのである。

 

 

 

「……………」

 

 

「……………」

 

 

当事者であるジータとマルギッテは、赤面したまま恥ずかしそうに俯いている。クリスは二人を交互に見ながら、サーシャとの決闘を思い出していた。

 

 

原因はいなり寿司。今思えば本当に下らない理由である。理由を知ったまふゆや京達も、こんな気持ちで見ていたのだなと思うと、恥ずかしさで消えてしまいたくなった。

 

 

けど、それでも。自分に会いたいというジータとマルギッテの気持ちは嬉しく思うクリスなのだった。

 

 

「マルさん、この間はすまなかった。あの時はもう、何もかもが信じられなくて………冷たく当たってしまった」

 

 

病院で、見舞いに訪れたマルギッテを冷たく突き放してしまった事。彼女はただ軍の規律に従ったまで。何も悪い事はしていないのだ………理不尽な仕打ちをしてしまった事を、クリスは悔いていた。

 

 

「いえ、悪いのは私です。結果的にお嬢様を傷つけてしまいました。規律に反してでも、私はーーー」

 

 

「村の事は、父様が話してくれた。紛争の事も………自分の事も全部な」

 

 

「……………!!それでは、お嬢様の記憶も………」

 

 

マルギッテの問いに、クリスは静かに頷いた。紛争と、そしてクリスの記憶喪失。これ以上かける言葉が見つからず、マルギッテは視線を落とし動揺を隠せずにいる。

 

 

彼女はただ規律を守っていた訳ではない。フランクと同じように、記憶が戻る事でクリスの心が壊れてしまうのではないか………そんな気がして、マルギッテも不安を抱えていたのだ。

 

 

「村………記憶?クリス、それは私の………」

 

 

二人の一部始終を聞いていたジータが口を開く。彼女は村の生き残りで、当事者である。紛争で村を焼かれ、大切な家族を失い、憎しみに焦がれた日々。真実を話した所で、何も変わらないかもしれない。それでも、彼女には真実を知ってほしかった。

 

 

「はい。今日はその事で話をしにきました………聞いてもらえませんか?」

 

 

「…………………」

 

 

クリスの問いに、ジータは無言で頷いた。ジータの承諾を得たクリスは一呼吸置くと、フランクから告げられた真実を話し始めた。

 

 

 

紛争を止める為、奔走していた事。フリードリヒ・タナーの計画。平和主義者の偽装暗殺。紛争の勃発。クリスの記憶喪失。多くの人々が命を落とし、戦火の炎に包まれていった。

 

 

そして紛争の最中、ジータの村を救おうとしていた事。誰一人として死なせはしないと必死に手を差し伸べたが、結局誰も救えなかった事を、今もずっと後悔している………フランクが抱えている想いを、クリスが代弁していく。

 

 

決して見捨てたわけではない。全ては己の無力さが故に。多くの命が犠牲になったという現実だけが残った。

 

 

「父様を許してほしいとは言いません。ただ、多くの人々を守ろうとした事だけは………信じて下さい」

 

 

失われた時間は戻らない。過去を変える事もできない。それでもクリスは知ってほしかった。フランクは最後まで、目の前の命を見捨てようとはしなかったのだと。

 

 

「………そうか。私達を、助けようと………」

 

 

深く目を閉じ、クリスの想いを噛み締めるジータ。全てを知った今、思い違いをしていた自分が許せなくなった。

 

 

否、それよりも。

 

 

「たとえ父親が何者であれ、クリスはクリスだ………それなのに私は、とんでもない事をしてしまった」

 

 

憎しみの感情を抑止できず、ただフランクの娘というだけで刃を向けてしまった事への後悔。彼女は関係ないのだ………自分の未熟さが故、すまない事をしたとクリスへ謝罪する。クリスはジータの想いを受けとめ、もう自分を責めないでと彼女を赦した。

 

 

 

すれ違っていた二人が打ち解けていく。回り道にはなってしまったが、おかげで父親の過去、そして自分を知る事ができた。記憶は未だ戻らず、漠然とした不安がクリスの心を締め付けるが………すぐに振り払った。今はこのままでいい。

 

 

「もしよければ……また稽古をつけてくれませんか?」

 

 

またジータの下で稽古を続けたいと、クリスは望んでいた。彼女の強くなりたいという気持ちは、今も変わらない。

 

 

しかし、ジータの表情に影が差す。

 

 

「………その事なんだが。この間の一件で、ここは近い内に取り壊されるらしい」

 

 

「………!?そんな………」

 

 

道場がなくなる。ジータの突然の悲報に、クリスの表情が落胆の色へ変わる。児童の誘拐事件をきっかけに孤児院の責任者、近隣住民が危惧した為、近日中に取り壊しが決まったらしい。元々建造物の老朽化が進んでいた事もあり、取り壊しも時間の問題だったと道場の師範からも話があったのだという。

 

 

「子供達も残念がっていてな……かと言って、元々部外者の私にはどうするもできなかった。明日にはもう、立ち入りもできなくなるそうだ」

 

 

そう言って、ジータは肩を落とした。児童達に稽古をつけていたとはいえ、所詮は外部の人間である。師範と何度か講義を申し立てたが、取り壊しを決めた役所側は聞く耳を持たず。何もできなかった自分を悔いるばかりだった。

 

 

「……ジータは、これからどうするのですか?」

 

 

「私は一度川神市(ここ)を出る。長くいれば、アデプトの連中が刺客を差し向けてくるだろう。奴らの狙いは私だ………その所為で、他の人達を巻き込むわけにはいかない」

 

 

ジータを狙っていたアデプトの異端者は、未だ川神市に潜伏している可能性がある。自分がいる事で周囲に危険が及ぶのは、ジータにとっては耐え難いものだった。もうこれ以上、児童達のような被害があってはならない。

 

 

「それでは、もう………」

 

 

クリスが察した通り、ジータとはしばらく会えなくなる。もしくは、もう二度と会う事はないかもしれない。折角解りあえたというのに………現実は非情である事を思い知らされる。彼女から学ぶべきものは多く、今のクリスにとってジータという存在はより大きなものとなっていた。

 

 

それならば、取る行動は一つしかない。

 

 

「ジータ。最後にもう一度………」

 

 

「ああ………もう準備はできている」

 

 

ジータもクリスも、考えている事は同じだった。心残りがないように。もう一度互いの全てをかけて。

 

 

「マルさん、審判を頼みたい」

 

 

「承知しました。ではお嬢様、ジータ殿。こちらへーーー」

 

 

マルギッテが審判を担い、道場の中央でクリスとジータの間に入る。それぞれ武器を取り、互いに向き合うその姿は騎士と呼ぶに相応しい。

 

 

「ジーターーーー全力で、いきます!」

 

 

「ーーーー来い、クリス!」

 

 

もはや交わす言葉は不要。二人は見合い、武器を構えてその時を待つ。後は全力を以て、ぶつかり合うのみ。

 

 

「それでは…………試合開始!」

 

 

マルギッテの試合開始の合図と同時。クリスとジータ、両者の戦いが幕を開けたーーーーー。

 

 

 

 

 

道場からの帰り道。土手道を歩くクリスとマルギッテの姿を、夕暮れが照らしていた。

 

 

「見事な試合でした。お嬢様」

 

 

また強くなられましたね、と称賛するマルギッテ。しかし、それを聞いたクリスは気に食わなかったのか、少し頬を膨らませながらマルギッテに顔を向ける。

 

 

「マルさん、意地が悪いぞ」

 

 

見事も何もない、と傷だらけになった自分の姿を見せつけるクリス。頬には絆創膏が貼られ、いかに打ちのめされたかを物語っている。

 

 

ジータとの試合は、殆ど手も足も出ず完敗に近かった。ジータやフランクとの戦いを経て学んだ術を活かし、全力を以て挑んだものの、そう簡単に勝てる程甘いものではなかった。精々一方的な戦いにはならなかった、その程度である。マルギッテに悪気はないのかもしれないが、いっその事はっきり言ってくれた方がいいとクリスはふんと、鼻息をつくのだった。

 

 

すると、マルギッテは捻くれるクリスを見て何を思ったのか、くすっと小さく微笑んで、

 

 

「…………そうですね。はっきり言って完敗でした。私も一度手を合わせましたが、ジータ殿は相当な熟練者です。お嬢様が少し稽古をつけた程度で勝てる相手ではありません。もう少し自分を知ってください」

 

 

「なっ……!?」

 

 

ド直球とも言える程の評価を、クリスに投げ込むのだった。クリスも流石にその返しは予想していなかったのか、受け止めきれず精神的なダメージを負わされる。

 

 

「そ、そこまで言われるとは………心が痛む……」

 

 

「お嬢様がはっきり言ってくれと、そう言ったので正直な感想を述べたまでです。今後は戦闘・戦術に関する事は厳しく評価させて頂きますから、そのつもりで」

 

 

心を鬼にします、とクリスに宣告するマルギッテなのだった。それは、強くなりたいと言う彼女の願いの為に。そして軍人としてではなく親しき友人として。クリスを思うが故の決意表明だった。

 

 

マルギッテの態度にしばらく呆けていたクリスだったが、その真意を感じ取ったクリスは笑みを返し、自分を思ってくれる事に感謝するのだった。

 

 

「………望むところだ、マルさん!」

 

 

一度はすれ違い、関係に亀裂が生まれた二人。しかしそれ故に距離が縮まり、マルギッテの心境にも変化が現れた。それはクリスにとっても、マルギッテにとっても大きな前進となった。

 

 

(ジータ………自分は、もっと強くなります)

 

 

志す理想は遥か遠く。されど進むべき道に迷いはなし。道場への道を振り返りながら、別れを告げたジータにそう心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

帰り道。ジータは夕焼けに染まる空を眺めながら、クリスとの試合を思い返していた。

 

 

(………また腕を上げたな)

 

 

少し見ない間に、クリスの戦い方は変化を遂げていた。戦術を学び、技を磨き、ほんの僅かな期間で確実に力をつけている事が試合の中で感じ取れた。気を抜けば、あっという間に追い抜かれてしまうだろうなとジータは苦笑する。

 

 

無論それだけではない。以前よりも表情に凛々しさが増し、迷いの晴れた曇りのない眼。誰よりも真っ直ぐで、真の強さを追い求める彼女の姿は、輝かしく、羨ましいとさえ思う。

 

 

フランクの過去、そしてクリスの記憶。クリスは父親と、そして自分自身と向き合う事で、精神的にも成長を遂げていた。未だ記憶は戻らないと話していたが………それが彼女にとって大きな障害に成り得るものだとしても、乗り越える事ができるだろう。

 

 

(………………………)

 

 

歩いてきた道を、ジータは振り返る。一度衝突はあったがこうして彼女と和解し、大切なものを得る事ができた。クリスと過ごした時間は、決して忘れはしない。

 

 

(いずれまた会おう。強くなれ………クリス)

 

 

ジータもまた、高みを目指す。理想は彼方の先に。己が信ずる道を征く。

 

 

 

ーーーーまたいつか、会える日まで。

ーーーーまたいつか、会える日まで。

 

 

 

クリスとジータはそれぞれの道を進む。道は違えども、目指すものは変わらない。

 

 

二人は歩き続ける。いつか訪れるであろう、互いの再会を願いながら。



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幕間「サーシャと大和達の日常編」
一子エピソード①「地平を駆ける稲妻、歌う聖剣 Ⅰ」


まじこいヒロインのエピソードが、ようやく終わりを迎えました。物語は最終章に突入………といきたい所ですが、その前に。
ここからはクェイサーとまじこいの各キャラクターの短編エピソードになります。
更新は相変わらずの鈍足ですが、見て頂けると幸いです。


一子は今、窮地に立たされていた。

 

 

身体中に傷を作り、息を切らしながら、眼前に立ちはだかる刺客に苦戦を強いられている。

 

 

一子の前にいるのは、フードのついた漆黒のコートを身に纏った小柄の大剣使い。素性はフードに隠れて見えず、性別さえも判断できない。

 

 

ただ、この大剣使いは凄まじい闘志と殺気を放っており、少なくとも敵である事だけは理解できた。その振るう身の丈以上の大剣は包帯が巻かれ刀身は見えないが、一撃でも受ければ無事では済まされないだろう。

 

 

何故このような状況に陥ったのか。それは数分前に遡る。大和達と別れ下校中だった一子の前に突然現れ襲撃に合い、攻防を繰り返しながら逃走。そして現在に至っている。

 

 

「はぁ、はぁ………!いきなり、何なのよ!?名前くらい、名乗りなさいよ!」

 

 

「ーーーーーーー」

 

 

一子の問いに、大剣使いは答えない。ただ沈黙を守るのみである。一体何者で何が目的なのか………考えていても始まらない。

 

 

 

状況を整理する。一子は今不利な状態にある。体力と気力は削られ、得物である薙刀も持ち合わせていない。大剣使いの攻撃は単調ながらも隙がなく、間合いに入る事も難しい。

 

 

(………一か八か、だけど………)

 

 

だが突破口ならある。あの大剣使いの猛攻を切り抜け、隙をつく方法が。しかし、今の自分の身体は元素回路による後遺症で気力の消耗が激しく、迎え撃つには限度がある。それ故に、チャンスは一度きり。

 

 

「ーーーーーーーー」

 

 

集中し、呼吸を整える一子。全身に気を巡らせながら、身体の中に眠る力を呼び起こす。

 

 

程なくして、一子の周囲に青白く光る電撃が迸り始めた。バチバチと音を上げるそれは次第に大きくなり、全身が電気を帯びていく。

 

 

「ーーーーーーー!?」

 

 

一子の急激な変化に、大剣使いは身の危険を察知し僅かに後退する。それを一子は見逃さなかった。攻め入るなら、今しかない。

 

 

(お願い耐えて、アタシの身体ーーー!)

 

 

瞬間、大剣使いの視界から一子の姿が消える。動揺した大剣使いは周囲を見回しながら一子を探すも、彼女の姿はどこにもない。

 

 

だが、

 

 

「ーーーーー後ろよ!」

 

 

「…………!?」

 

 

大剣使いが振り返った時にはもう、一子の蹴りが背中に入っていた。衝撃が走ると同時に、身体が吹き飛ばされそうになる所を寸前で踏み止まる。しかしそれも束の間、一子の姿は大剣使いの眼前に回り込み、

 

 

「ーーーーーもう一撃!」

 

 

さらなる一撃を与え、大剣使いの身体を大きくよろめかせた。まだこれでは終わらない。倒すには最後にもう一撃………決定打と成り得る一撃が必要だ。気を緩めれば、待っているのは敗北しかない。

 

 

故に、一子は詰めを誤らない。

 

 

「ーーーーーこれでラストオォォ!!!」

 

 

再び大剣使いの背後を取り、渾身の一撃をその背中へ叩き込んだ。大剣使いはバランスを崩し、宙を舞いながら地面を転がっていく。

 

 

 

"雷脚"ーーーそれは一子が編み出した戦術の一つ。身体に蓄積された電撃を利用して爆発的に速度を上げる事で、超速移動と連撃を可能にした攻防一体の技である。

 

 

視覚では捉える事のできない、人間の限界を超えた加速力。その疾さは、電光石火の如く。

 

 

 

「はぁ………はぁ………はーーーーうっ!?かはっ、ごほっ、げほっ!?」

 

 

呼吸を整えようとしたと同時に、全身に激痛と強烈な吐き気が襲った。胃液が逆流し、身体中の骨という骨が砕けるような感覚が一子を蝕む。一子は苦痛に表情を歪ませながら、その場に膝をつく。

 

 

加速による反動で重力負荷がかかり、身体が耐え切れず全身から悲鳴が上がっていた。力を行使した代償は、あまりにも大きい。

 

 

(………ダメ………こんな事で根を上げてたら、前になんか進めない………!)

 

 

弱気な自分を押し殺し、一子は立ち上がる。残留する痛みに耐え、消えそうな意識を保ちながら、倒れ伏している大剣使いへと視線を向けた。気を失っているのか、大剣使いは動かない。あれだけの連撃を一方的に受け続けたのだ………仮にまだ動けたとしても、そう長くは戦えない筈である。

 

 

 

程なくして、大剣使いは地面に大剣を突き立てながらゆっくりと立ち上がる。

 

 

「けほっ、けほっ…………君は、強いね。ボクが思ってた以上だ」

 

 

長い沈黙を破り、大剣使いがようやく口を開いた。幼さが残るその甲高い声は、少年か少女なのかは分からない。その賞賛の言葉からは、一子の攻撃を受けてなおも、まだ戦える余裕さえ感じ取れる。

 

 

まずい、と一子は唇を噛んだ。今の自分では長期戦は圧倒的に不利。戦えたとしても、残り数分程度。あの雷脚はもう使えない。これ以上は身体も意識も持たないだろう。

 

 

(何か………何か方法はないの………?)

 

 

いくら思考を巡らせても、答えは出てこない。考えれば考える程、冷静さを欠いていく。

 

 

 

ーーー不意に、カーチャとの模擬戦闘を思い出す。敗北はしたものの、傷を負わせる所まで追い詰めていた。しかし今は状況がまるで違う。相手が初見である上、得手となる武器もない。そして何より、傍らで見守る仲間達がいない。

 

 

そう、これは一子たった一人の戦いなのだ。自分自身で切り開かなければ、負ける所か命を落としかねない。ビッグ・マムの言葉が蘇る。生きるか、死ぬか………身を以て体感した筈なのに、何一つ変わっていない自分に腹が立つ。

 

 

これは模擬戦闘ではない。学園の決闘でもない。戦いと言う名の、命の削り合い………一子は自分に言い聞かせながら、眼前の大剣使いを睨みつけた。

 

 

戦闘続行。この命ある限り、決して倒れない。一子の不屈の闘志が伝わったのか、大剣使いはそうこなくちゃと大剣を振るい、その剣先を向けた。

 

 

「ーーーそれじゃあそろそろ、本気で行くよ!」

 

 

胸元を掴み、勢いよく黒いコートを脱ぎ去る大剣使い。素顔を隠していたフードも外れ、容姿が顕になる。

 

 

その姿はーーー少年のようで、少女とも言えるような中性的な風貌。どこか力強さを感じる、燃えるような赤い眼。金色に輝く髪を無造作に束ね、黒のタンクトップにボトムスを身に纏う、野性味の溢れる戦士だった。年齢は一子よりも少し下だろうか………しかし外見とは裏腹に、滲み出る闘気は幼さを微塵も感じさせない。

 

 

 

そして彼の者は告げる。ここからが本番だ、と大剣を振りかざしながら。

 

 

「"歌え"ーーーーーエクスカリバー」



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一子エピソード②「地平を駆ける稲妻、歌う聖剣 Ⅱ」

執筆していたら全然短編になりませんでした(笑)
この後もう一つだけ話が続きます 


大剣に巻かれた包帯が解き放たれ、その刀身が真の姿を表す。

 

 

白銀に輝く、研ぎ澄まされた刃。刀身の中心には剣の形をした空洞があり、そこから大剣使いの姿が垣間見えた。視線が一子を捉えた瞬間、大剣使いは地面を蹴り一気に一子との距離を詰める。

 

 

「……………っ!?」

 

 

振り下ろされた大剣の剛撃を、一子は紙一重で躱す。衝撃で風圧が生じ、大剣は地面を容易く粉砕する。大気をも切り裂く怒涛の一撃………まともに受ければ、命はない。

 

 

「はあああああっ!!」

 

 

休む間もなく、大剣使いの二撃目が一子を襲う。攻撃は大振りだが切り返しは早く、反撃の隙すらも見せない。辛うじて躱してはいるが、限界は必ず訪れる。既に一子の体力はもう底を尽きかけていた。

 

 

(………っ!?身体中が、軋む…………!)

 

 

攻撃を躱す度に、一子の身体が声なき悲鳴を上げる。全身に激痛が走り、保っていた意識が少しずつ"壊れて"いく。防戦一方の戦い………反撃しなければという焦りと戦えなくなるという不安が鬩ぎ合いになり、その肉体と精神は確実に追い詰められていた。

 

 

(このままじゃ、やられる…………こうなったらもう一度、あれを使ーーーーーあ、え)

 

 

 

大剣使いの攻撃を避けようと身構えた瞬間、全身の力が抜け落ち、一子はまるで糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。

 

 

突然やってきた、身体の限界。それを認識した時にはもう、大剣の一撃が一子の腹部へと直撃していた。幸いにも剣の背による峰打ちだったが、その衝撃は凄まじく、一子の身体は容易く吹き飛ばされ地面へと叩き付けられる。

 

 

「はーーーあ、ぐ………ゔっ………ごほっ!げほっ!?げほっ!?」

 

 

内臓を抉られるような、鋭く重い一撃。一子は咽返り胃液を何度も吐き出した。呼吸がうまくできず、苦痛に顔を歪ませながらその場に蹲る。もし峰打ちでなければ、一子の身体は真っ二つに両断されていただろう。

 

 

一子は既にもう、立ち上がる事すらできなくなっていた。それでも、意識を保っている事が不思議なくらいである。

 

 

「ーーー君は本当に強かったよ。でももう、身体は限界みたいだね」

 

 

動けない一子の前に立ち塞がる、大剣使い。そして同時に、その手に持つ白銀の大剣が大きく振り上げられた。これで終わりだ、と告げるように。

 

 

「…………………く………あ」

 

 

一子の視界が、歪む。体はもう動かない。

 

 

これ以上ーーー先に進む事はできない。その認識が保っていた意識を蝕んでいく。

 

 

これで全て終わり。師範代になる夢も、百代のように強くなりたいという願望も、自分自身を制する事さえも。何も成し遂げられないまま、一子の意識は深い闇の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

"ーーーーーーーーまだ、戦える!"

 

 

 

 

 

「…………………!?」

 

 

振り下ろされた大剣が、突然止まる。否、止められていたのだ………一子の手によって。予想だにしなかった行動に、大剣使いは動揺を隠せない。

 

 

 

もはや風前の灯火だった一子の意識。しかし一子は再び目覚め、大剣を素手で掴み抑え込んでいた。その手からは血が滲み、鮮血が生々しく滴り落ちる。

 

 

「歩むは…………果て、無き……荒野…………」

 

 

聞こえる。自分の中にある、心の声が。その声に耳を傾けるように、一子は小さく言葉を連ねていく。

 

 

「奇跡も、無く……標もなく………ただ、夜が………広がる、のみ………」

 

 

擦り切れたような声を上げながら、地面を蹴り大剣を徐々に押し返していく一子。まだ戦える(生きる)という強い意志が、一子を奮い立たせた。

 

 

「揺るぎ、ない意志を………糧、と………して」

 

 

それは、一子の精神に刻まれた魂の形。心の叫び。恐れず前に進み続ける、揺るぎない信念。

 

 

「…………闇の旅を………進んで、い、く………勇往、邁進………!」

 

 

絶対に諦めない。この命の炎が消えない限り、戦い続けるーーー全身全霊を以って。咆哮を上げ、迫りくる大剣を退けてみせた。一子は大剣使いから距離を取り、体制を立て直す。

 

 

もうこれ以上、戦える程の力は残されていない。限界はとうに超えている。だからどうしたと自分に言い聞かせた。それなら一撃で仕留めればいいだけの事。たとえこの身が砕けようとも、戦い抜くと決めた。

 

 

「………はーーーあ………あああああああああああああああああああ!!!」

 

 

一子の身体の周囲に、再び電気が迸った。全身が焼き切れ、引き裂かれてしまうような痛み。心が壊れてしまいそうになる………それでも一子は堪えた。限界の、さらにその先へ進む為に。

 

 

 

 

ーーーー元々、武の才能がなかった一子。それは自分でも理解していたが、認めたくはなかった。認めてしまえば、夢も目標も閉ざされ消えてしまうから。

 

 

諦められなかった。強さが欲しかった。しかしその純粋さが故に心に隙が生まれ、不本意とはいえ元素回路に手を染めてしまった。

 

 

やがて強くなりたいという願いは強者への憎しみへ変わり、仲間を傷つけ、自分の居場所さえも見失いかけた。サーシャ達がいなければ、今頃は力に溺れた化け物になっていただろう。

 

 

だが皮肉にも、一子の才能は歪んだ形で開花してしまった(目覚めさせてしまった)。自分では抑える事さえままならない異能の力………これは才能などではなく、自分に課せられた罰なのかもしれない。

 

 

けど、それでも。

 

 

「才能だの、何だの………関係ない。このままじゃ、情けなくて、悔しくて………お姉様に、いやーーー」

 

 

一子の闘志は、決して消えない。

 

 

「ーーーー自分に、顔向けできない!!!」

 

 

身に纏った電撃が、さらに勢いを増す。一子は右腕の拳を力強く握り締めた。拳に電撃が蓄積され、放電しながら蒼白く光を帯びていく。乱れた呼吸を整え、目の前の敵ーーー大剣使いを眼に焼き付ける。

 

 

 

その拳は、敵を穿つ雷鳴の如く。一子が日々の鍛錬の末に実現した答え。そしてたった一度きりの(・・・・・・・・)、川神流必殺の一撃。

 

 

「川神流ーーー無双正拳突き・迅雷!!!」

 

 

雷を纏った強烈な正拳突きを、全力を込めて撃ち放った。一気に距離を詰め、大剣使いへと拳を叩き込む。

 

 

(ーーーーぐっ!?何て、重い一撃…………!!)

 

 

大剣を盾代わりに、防御し応戦する大剣使い。しかし一子の攻撃は想像以上に重く、大剣を通して身体全体が軋みを上げる。さらに攻撃による重圧が足下の地面を抉り、大剣使いの身体が後ろへと戻されていく。

 

 

一子は止まらない。たとえこの身が砕けようとも、前へ進み続ける。そして遂に、一子の拳は………大剣使いの刀身に亀裂を生じさせた。

 

 

「………!!エクスカリバーに(ひび)が………!?」

 

 

大剣使いの表情が焦りの色へと変わる。単純に力だけは、一子が上回っていた。このまま大剣を砕き折り、拳が届くのも時間の問題………勝利を確信したその矢先、

 

 

 

「………………………………っ」

 

 

 

突然全身の力が抜け、一子はその場へ崩れ落ちた。眼は虚ろ色に染まり、拳からは光が消えていく。限界を超え酷使し続けた一子の身体は、もう言う事を聞かなくなっていた。地面に横たわるその姿は、まるで魂の抜け殻。

 

 

(……………あと、少し……だったのになぁ…………)

 

 

消えていく意識の最中、一子は自分の無力さを噛み締めていた。後に残るのは悔しさと、自分自身への不甲斐なさ。泣いても笑っても、この結果が全てを物語っている。

 

 

 

最後の最後で、届かなかった………どうしようもない現実を受け入れたその瞬間、一子の意識は完全に消失した。



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一子エピソード③「スコーレからの使者」

おまたせしました!全然短編じゃ終わりませんでした(笑)


「ーーーーーーー」

 

 

意識が戻り、視界が徐々に開けていく。身体は気だるく、まるで長い間眠っていたような感覚。ゆっくりと覚醒していく意識の中、一子は自分の身に起きた事を思い返していた。

 

 

大剣使いと壮絶な戦いを繰り広げ、あと一歩の所で力尽きた所だけは覚えている。その後の事は分からない。大剣使いに止めを刺されたのだろうか………だとするならばここは死後の世界か。

 

 

そんな事を考えている内に、視界にぼんやりと誰かの顔が一子を覗き込んでいた。次第に視界がクリアになり、はっきりと目に映るようになる。

 

 

それは、まるで天使のような、美しい顔立ちをした女性だった。首には十字架のネックレス。黒い修道服に身を包み、澄んだ翡翠色の瞳は一子に安心感を与えてくれる。一子はその女性の膝を枕にして眠っていた。

 

 

そして、ああ、そうか………とある結論に至る。

 

 

「アタシ…………死んだのね………」

 

 

きっと天使が迎えにきてくれたんだと、穏やかな表情をする一子。戦いには負けてしまったが、何故だか今は心地よいと、瞼を閉じ永遠の眠りにつこうとしたその時、

 

 

「ーーーー何言ってるんだよ、君はまだ生きてるよ?」

 

 

一子の視界に、見覚えのある顔が入り込んできた。一子を襲撃した、大剣使いである。

 

 

「………………………………………へ?」

 

 

一瞬、思考が停止する。自分が生きている事実。大剣使いが目の前にいる現実。次第に状況を理解した瞬間、一子の表情が一気に青醒めた。

 

 

「ぎゃーーーーーーーー!?何でアンタがここにいるの…………い、いたたっ!?」

 

 

涙目になり絶叫しそうになるも、全身に痛みが走り声すら上げられない一子。しかし同時に、この痛みが生きているという実感を湧かせてくれた。

 

 

一子の右腕には肩から指先まで包帯が巻かれ、大剣使いによって受けた身体の傷も応急処置が施されていた。一子が倒れた後、この女性よって助けられたらしい。

 

 

「驚かせてはダメよ、リジー…………目が覚めたみたいですね。気分は如何ですか?」

 

 

優しく包むように語りかける女性。暖かみを感じるその声に、一子は警戒心を抱かなかった。この人は大丈夫だと、自分の勘がそう言っている。

 

 

「あ……………アタシは、大丈夫です。えっと、あなたは………?」

 

 

「私はテレサーーーテレサ=ベリアです。この子はリジー、私のパートナーです」

 

 

テレサと名乗る女性と、大剣使いのリジー。リジーは宜しくねと笑みを浮かべる。この二人は協力関係にあると言うが、敵であるとは思えない。それに今のリジーにも戦意は感じない。考えれば考える程一子には訳がわからなくなっていた。頭を抱え唸っている一子の心境を察したのか、テレサは話を続ける。

 

 

「疑問を抱くのも無理はありません。少なくとも私とリジーは貴方の味方ですから、ご安心を………川神一子さん」

 

 

「え………どうして………アタシの名前を………?」

 

 

一子の名前を知っている………しかし、彼女らとどこかで会った記憶はない。次から次へと疑問が生まれ困惑する一子に、今度はリジーが代わって受け答える。

 

 

「話はビッグ・マムから聞いてるよ、鍛えがいのある弟子ができたってね!」

 

 

さっきは急に仕掛けたりしてごめん、と申し訳無さそうに謝罪するリジー。その理由は一子の鍛錬の進捗状況を調べてほしいと言う、ビッグ・マムからの伝令だった。最初から命を奪うつもりはなかったらしい。加減されていた事に納得のいかない一子だったが、今は自分が無事である事に思わず安堵の息を漏らす。

 

 

そして同時に、彼女らがサーシャ達の仲間である事も理解した。リジーはクェイサーであり、テレサはパートナーの生神女だという。

 

 

リジーもまた、サーシャやカーチャとも引けを取らない強さを持つクェイサーの一人。元素は分からないが、少なくともカーチャと同じように模擬戦闘だった事は明白だった。

 

 

「……………………」

 

 

忘れていた敗北への悔しさが一子の中で再び湧き上がり、どうしようもなく涙が込み上げそうになる。その感情を振り払うように、テレサの膝から身体を起こしゆっくりと立ち上がった。

 

 

「………うっ…………」

 

 

立ち眩みで視界が僅かにかすみ、倒れそうになるのをテレサとリジーが側で支える。大丈夫かと心配してくれる二人の気持ちは嬉しかったが、惨めになる気がして一子は言葉を返す事ができなかった。

 

 

 

もう、帰ろう。リジーとの戦いがビッグ・マムにどう評価されるのかは分からないが、この結果ではもはや目に見えている。一子はありがとうございましたと礼を言うと、重い身体を引き摺りながら二人に背を向けて歩き出した。

 

 

しかし、待って下さいとテレサが去っていく一子を呼び止める。

 

 

「一子さんとお話がしたいと、院長から伝令を受けています」

 

 

「院長………?」

 

 

一体誰の事だろう。このまま帰ってしまいたい所だが、怪我の手当や看病をしてくれた二人を無視するわけにもいかない。せめて話だけでも聞こうと、一子は承諾した。

 

 

しかし、肝心の院長はどこにもいない。一子の目の前にいるのはテレサとリジー二人だけである。するとテレサは首のネックレスの十字架をちぎり、地面へと放り投げた。

 

 

瞬間。十字架は砕け散り、紋章が大きく地面に浮かび上がる。紋章は淡い光を放ちながら、一子達の前に一人の影を映し出していく。

 

 

そこに現れたのは、修道服に身を包んだ小柄な少女の姿だった。

 

 

『ーーーこうしてお話をするのは初めてですね、川神一子さん』

 

 

半透明姿の少女が口を開く。地面から突然現れた謎の少女に、一子は驚いて目を丸くする。

 

 

「え、え?何!?地面から人が生えてきた!?」

 

 

『これは元素回路によるホログラム。実体ではありませんよ』

 

 

「………??ほろ、ぐらむ………?」

 

 

『まあ、テレビ電話のようなものです』

 

 

そう言って小さく微笑む少女。この少女が、テレサの言っていた院長なのだろうか。少女はテレサとリジーにご苦労様ですと伝えると、一子に自己紹介を兼ね挨拶を交わす。

 

 

『申し遅れました。私はスコーレ養成所の院長を務めるーーーリトル・マムと言います。貴方の事はエミ………いえ、ビッグ・マムから聞いていますよ』

 

 

リトル・マム。ビッグ・マムが所属するスコーレの長であり、同時にアトスのクェイサー・生神女を育て世に送り出した信仰及び戦術の教官。外見は幼女そのものだが、彼女からは言葉では言い表せない程の威厳を感じる。

 

 

この人には、逆らえない………一子の直感がそう告げていた。緊張からか身体が強張り、返す言葉が見つからず動揺している一子に対し、そんなに固くならないでとリトル・マムは笑う。

 

 

『先程の戦闘、テレサの元素回路を通して拝見しました………合格です。道理でビッグ・マムが気に入るわけですね』

 

 

リトル・マムの目的。リジーとテレサを派遣し、一子自身を見極める事だった。ビッグ・マムが言ったように、スコーレで修行する以上は中途半端な覚悟では乗り切れない。

 

 

これから一子が学ぶものは、武道とは似て非なる本当の"戦い"である。それをビッグ・マムらが一から叩き込むのだ………途中で諦めずやり通せるか否か、改めて一子を試させてもらったとリトル・マムは話す。

 

 

「…………………」

 

 

正直な所、一子は喜べなかった。リジーとの戦いに敗れ、一体何が合格だと言うのか。武道と同じく、結果を出さなければ意味がない。バカにされたような気がして、悔しさと怒りが込み上げそうになるのを理性で抑え込んだ。

 

 

確かにスコーレで修行を積めば、今よりもこの力を扱う事ができるかもしれない。元素回路により強制的に目覚めてしまった力は、もうどうする事もできないのだ………なら少しでも鍛錬を積み、自分自身を制する事が今の一子にできる唯一の方法だった。

 

 

しかし現実はそう甘くはない。以前よりも改善はしているものの、技を使えば使う程体力は消耗し、その度に身体が悲鳴を上げている。こんな状態で修行などできるのだろうか………そんな一抹の不安を抱えつつも、一子は鍛錬を続けてきた。

 

 

だが結局、何一つ結果を出せていない。一子の目指す川神院師範代、すなわち武のプロフェッショナルは結果が物を言う世界。それは実戦も同じく、敗者には何も残らない。負ければ負ける程、追い詰められている自分がいる。

 

 

諦めない、と自分にそう言い聞かせ何度も立ち上がった。心と身体を擦り減らしながら、結果を出そうと何度でも繰り返し続けた。それでも思うようにいかない。

 

 

 

 

一子の感情の器が、音を立てて崩れていく。

 

 

 

 

『私は途中で根を上げてしまうのではないかと心配していましたが………どうやら杞憂だったようです。貴方の才能はーーー』

 

 

「ーーーー合格って、何がですか?」

 

 

小さく消えてしまいそうな一子の声が、リトル・マムの話を遮った。右の拳は震え、痛々しく巻かれた包帯からは血が滲み出している。

 

 

才能、適正………もう何もかもうんざりした。今まで抑え込んでいたものが溢れ出し、行き場のない怒りと悲しみ、悔しさが一子の感情を爆発させた。

 

 

「………才能とか、試すとか………勝手な事ばかり言わないで!!」

 

 

一子の悲痛な叫びが、空に響き渡る。それは、自分自身と周囲に対する怒り。筋違いだと分かっていても、ぶつけずにはいられない。溢れ出した感情はなおも止まらず、表情が涙でぐしゃぐしゃになる。

 

 

「アタシは………結局勝てなかった!ずっとずっと負け続きで………何の結果も出せてない………何も変わってない!!」

 

 

これまで抱えてきた一子の葛藤。吐き出される言葉の重みは、一子にしか分からない。

 

 

「それだけじゃない。この力だってまともに扱えないし………さっきの技だって………せっかくお姉様みたいに使えたのに…………自分でも分かるの!次はもう、こんな怪我じゃ済まないって…………」

 

 

震える右の掌を見つめながら、一子は悟る。技の反動で負傷した右腕。次は間違いなく腕の骨が砕け散る………それ故にたった一度きりだと、自覚していたのかもしれない。戦う度に壊れていくような身体では師範代になど、なれるわけがない。

 

 

「………こんなの才能なんかじゃない。アタシへの罰なんだわ、きっとそうよ!!強くなりたいだなんて夢を見たから、アタシはーーー」

 

 

 

『ーーーー最後まで話を聞かない子は、おしりペンペンですよ!』

 

 

 

突然のリトル・マムの一喝が、場の空気を一変させた。彼女の言葉には、有無を言わせない程の威圧感を感じる。感情にまかせ言葉を吐露し続けていた一子も我に返り、リトル・マムへと視線を戻した。リトル・マムは表情にこそ表さないが、その瞳からは静かな怒りが宿っていた。

 

 

『その力が何なのか………今は解りかねますが、それでも貴方の一部である事は変わりません。ましてやそれを"罰"などと、安易に言うものではありませんよ?』

 

 

「……………………ごめんなさい」

 

 

視線を落とし、一子はリトル・マムへ謝罪する。返す言葉もなく、取り乱した自分が情けなくて顔を上げる事すらもままならなかった。

 

 

 

一度は目覚めた才能だと思っていた一子。しかし一子が想像していたものとはかけ離れたものだった。

 

 

諸刃の剣。行使すればする程体力が容赦なく削られていく。苦悩の連続だった一子の精神はついに限界を迎え、気がつけば感情のままに泣き叫んでいた。才能ではなく罪だと否定して。

 

 

しかし、それは間違いだとリトル・マム。一子の異能は身体の一部であり、どう扱うかは本人次第。理解していたつもりだったのに………結局何も分かっていなかった自分に、一体今まで何をしてきたのだろうという悲しさだけが残った。

 

 

そんな一子の様子を伺い、落ち着いた事を確認したリトル・マムは仕切り直しです、と言って話を再開する。

 

 

『才能………確かに聞こえはいいですが、それだけで強くなれるなら誰も苦労はしません。私が評価したのは貴方の持つ"力"ではなく、それよりももっと大切なものです。それはーーー』

 

 

リトル・マムが一子を認めた理由。才能よりも最も必要な事。それは、

 

 

『最後まで、生きるのを諦めなかった事です』

 

 

「ーーーーー!」

 

 

勝つ為ではなく、生き延びる為の力。これまでの戦闘や鍛錬の中で導き出した一つの答えであり、今在るべき姿。一子の表情に光が差し込んていく。生きる為に最後まで戦い抜く意思………身体と心が覚えている。結果を出す事に拘るあまり、自分を見失いかけていた事に気付かされた。

 

 

『結果を出したいという気持ちはよく分かります。ですが、焦りは足枷にしかなりません。今はより多くの経験を積み、多くの敗北を知るのです。自分の未熟さを受け入れる事もまた、鍛錬の一つ………できますね?一子さんーーーいいえ、川神一子』

 

 

その覚悟はあるか、と。リトル・マムの問いかけには重みがあった。それができなければ、修行する資格はない。この先もまた挫折し、試練と言う名の壁が立ち塞がるだろう。それでもなお、強さを求めるか………一子の答えは既に決まっていた。

 

 

「………………やります。ここまでやってきたのに、理由つけて逃げるなんて………絶対にできない!」

 

 

もう、決して逃げない。一度は心が揺らいでしまった一子だが、これが最初で最後だと自分に強く言い聞かせた。その一子の意気込みに満足したのか、リトル・マムの表情に笑みが戻る。

 

 

『では、改めてーーーースコーレ院長、リトル・マムの名において。川神一子を正式にスコーレの研修生として迎え入れる事を、許可します』

 

 

リトル・マムは高らかに告げ、一子をスコーレの一員として歓迎するのだった。側で見ていたテレサとリジーからもよかったね、と自分の事のように喜んでいる。一子にも笑顔が戻り、ありがとうと感謝の言葉を述べた。

 

 

 

『それでは一子、テレサ、リジー。今度は直接会える日を楽しみにしていますーーーー貴方達の歩む未来に、主の導きと祝福があらんことを』

 

 

彼女らに祈りを捧げ、リトル・マムが別れを告げた瞬間、立体映像は消えたと同時に紋章も消失した。まるで夢のような出来事が終わり、一子はテレサ、リジーへと向き合った。

 

 

「………テレサ、怪我の手当ありがとう!それとリジー。さっきの勝負、久々に心が震えたわ!けど次は負けないわよ!」

 

 

首を洗って待ってなさいと、リジーとの再戦を予告する一子。活気が戻り、"いつもの"一子の姿がそこにあった。テレサは微笑み、リジーは受けてたつと元気よく返事を返すのだった。

 

 

 

 

 

これは一子しか知らない、彼女達との出会い。その出会いは、一子の人生を変える大きなきっかけになる………それを知るのは、まだ先の話。

 

 

勇往邁進。これからも彼女は突き進んでいく。一子が望む、目指すべき未来を。



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京エピソード①「携香女(マグダラ)の伝承 Ⅰ」

※このエピソードはクェイサーの原作において、オリジナルの設定が入ります。


夢を見ていた。

 

 

視界に広がるのは無限に広がる地平線と、何もない真っ白な空間。僅かな音も聞こえず、静寂無垢なこの場所で京はただ一人立ち尽くしている。

 

 

(……………何もない)

 

 

しょーもない夢を見ていると、溜息を漏らす京。悪夢よりはマシだが、ここまで虚無一色となると返って気味が悪い。

 

 

「………………ん?」

 

 

背後に気配を感じる。京は後ろを振り返ると、そこには京ーーーー自分自身の姿があった。

 

 

「私…………なの?」

 

 

目の前にいる自身の姿に、違和感を覚える。確かに京なのだが、京であって京ではないとも言える。それ故に自分であると確信が持てない。何故なら京には、

 

 

「違う…………私じゃなくて、華?」

 

 

華にも見えていたからである。しかしそれもまた、華であって華ではない。この哲学的状況は、一体何を意味しているのだろう。

 

 

すると()がゆっくりと京へ歩み寄り、両手を取り互いの手を合わせる。指と指を絡めつつ徐々に顔を近づけ、そして、

 

 

「…………………っ!!」

 

 

唇を重ね、そっと口付けを交わすのだった。拒む隙も与えない程の刹那的瞬間。突然の出来事に思考が働かず、京は彼女の接吻を受け入れる事しかできなかった。夢だと言うのに、その感触はあまりにも現実味が色濃く感じられる。

 

 

「ーーーーーーー」

 

 

唇を離し、優しく微笑む()。長くも短い接吻が終わりを告げ、京の思考がようやく動き出す。次第に状況を理解し始めた京は、

 

 

(え…………ええぇええええええぇぇぇえええ!?)

 

 

この上なく動揺していた。異性からではなく、同性によるキス。しかもその相手が自分(?)自身。もう訳がわからない。冷静でいろと言う方が無理な話である。

 

 

しかし………不快感はなかった。むしろ嫌ではないとさえ感じてしまう。それが不思議でならない。

 

 

 

"ーーーー汝、我を愛せよ。我もまた、汝を愛せん"

 

 

 

心に直接語りかける、彼女の声。その言葉が何を意味しているのかは分からない。

 

 

「あなたは、誰なの?私?華?それとも………」

 

 

京の問いに対し、()はただ笑みを返した。そして再び、京の心に声を響かせる。

 

 

"ーーーーー(アタシ)は、"

 

 

京であり、華でもある彼女の存在。夢の中で、何を伝えようとしているのだろうか。京は彼女の言葉を受け入れ、目を閉じ静かに耳を傾けた。

 

 

 

 

 

"共鳴者(レゾネイター)"

 

 

 

 

「ーーーーーーーー!!」

 

 

唐突に夢が終わり、京の意識は現実へと引き戻された。目を開けると、視界には見慣れた天井。ここは島津寮で自分の部屋である事を認識する。

 

 

(………………変な夢)

 

 

説明のつかない夢の顛末。人が見る夢の内容の殆どは解釈できないと言うが………これは如何なものか。考えた所で無意味だと分かっていても、詮索せずにはいられない。しばらく頭を捻っていたが、所詮は夢なので京は思考を打ち切った。

 

 

(でも夢とはいえ、私のファーストキスが奪われるなんて………)

 

 

何とも目覚めが悪い、と肩を落とす京。どうせ夢なら、大和にされた方がよかった………そんな事を思いながら、京は朝の支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 

放課後、川神市某図書館にて。

 

 

授業を終え下校した京は寮には戻らず、一人で図書館へと足を運んでいた。歴史書や伝承の類の物等、あらゆるジャンルの書物を手に取っては、ひたすらに項目を捲り続けている。

 

 

夢の中で聞いた彼女の言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。たかが夢の内容なのに、一体何をやっているのだろうと呆れている自分がいる。それでも京は手を止めず、探し続けた。

 

 

(…………やっぱり、ないよね)

 

 

結局探している物は見つからず、積み立てられた本の山を眺めながら途方に暮れる京。元々期待はしていなかったが、公共の図書館にクェイサーや元素回路(エレメンタル・サーキット)の文献が記された書物など、取り扱っているわけがない。

 

 

歴史の裏で戦いを繰り広げてきた、クェイサーという存在。そして元素回路。サーシャ達に出会うまでは存在自体知らなかった。知っている人間はごく一部のみ。

 

 

そもそも、何故()の言っていた事がクェイサーと結びつくと考えたのか………理由も根拠もない。ただ求めている答えがそこにあるのではいか。その衝動が、京を突き動かしていた。

 

 

彼女に導かれている、そんな気がして。

 

 

「ーーーー調べ物ですか?京さん」

 

 

ふと、後ろから京に声をかける男性の声。振り返るとそこにはユーリの姿があった。気配がなく、幽霊のような存在感。そして右眼の眼帯。相変わらず不審者そのものにしか見えない。

 

 

「まあ、そんな所です。そしてユーリさんは背後から私を視姦………NOMORE性犯罪。摘発しないと」

 

 

「はは………これは手厳しいですね」

 

 

京のノリをさらりと笑顔で躱すユーリ。掴み所のない怪しさ全開の中二病神父(京の個人的見解)。突くと一体何が出てくるのだろう………いっそ眼帯の秘密でも聞き出してみようかと考えていると、ユーリは積まれた書物を手に取り適当に項目(ページ)を捲り始めた。

 

 

「………もしかして、クェイサーの歴史について知りたいのではありませんか?私でよければ、できる範囲でお答えしますよ」

 

 

京の心情を読み取るように、涼しげな表情で答えるユーリ。察しの通りである。夢で告げられた彼女の言葉………それがクェイサーと関係しているのかは分からない。知らないと言えばそれまで、ただの夢だったと話は終わる。

 

 

しかし、ただの夢だとは思えない。知りたい、知らなければという一種の使命感が京の中で芽生え始めていた。ユーリならーーーアトスの人間なら何か情報知っているかもしれない。僅かでも可能性があるのなら………と、京はユーリに訪ねた。

 

 

「………''レゾネイター''って言葉、知りませんか?」

 

 

「ーーーーーーーー」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、項目を捲るユーリの手が止まる。二人の間に流れる空気が重くなり、張り詰めた糸のような緊張感が京の肌に伝わる。まるで触れてはいけない何かに、触れてしまったように。

 

 

「…………………………………それを、どこで?」

 

 

刺し貫くようなユーリの鋭い視線。先程の表情とは一変、感情のない無機物へと変貌したユーリに、京は恐怖を感じていた。命の危険さえ、覚えてしまう程。

 

 

「あ………その……………夢、です。夢で聞いたんです。クェイサーの事と、何か関係あるのかなって。それで…………」

 

 

絞り出した京の声は、微かに震えていた。心臓の鼓動が早くなり、全身が脈打つ感覚。逸らす事すらも許されないユーリの視線は、逃すまいと京を射止めている。

 

 

(夢………………成程、そういう事ですか)

 

 

思考した末に一人納得するユーリだったが、同時に京の表情が引き攣っている事に気付く。余程自分が怖い顔をしていたのだろう、ユーリは表情を崩し、これはすみませんでしたと一言置いた。

 

 

「京さん、少し時間はありますか?」

 

 

「……………はい?」

 

 

唐突なユーリからの誘いに、思わず変な声を上げてしまう京。場所を移し、話がしたいのだという。それはつまり、ユーリが"知っている"事を意味していた。

 

 

 

「貴方にお話しておきましょう。雷の携香女(マグダラ)における伝承ーーーー"共鳴者"(レゾネイター)について」



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